エヴァンゲリオンはじめました (タクチャン(仮))
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1話 その1《使徒襲来》

この度は、本小説へのごアクセス、ありがとうございます。

本小説は『碇シンジがもし女の子だったら』と言う妄想爆発な設定でハッピーエンドを目指します。
一部の設定変更とキャラ崩壊以外は、テレビ版のストーリーに沿って展開して参ります。

もしこれらの事にアレルギーや、拒絶反応が出なかった方は、本編を読んで頂けると有り難いです。


 それは突然の事だった。

『特別非常事態宣言が発令されました。住民の皆様は、速やかにシェルターへ避難して下さい』

 無機質なアナウンスが流れたかと思うと、待ち合わせの場所に向かっていた電車が、目的の駅二つ前で運行中止になってしまったのだ。

「む~止まっちゃった。どうしよう」

 仕方なく電車を降りた少女、碇シイは周囲を見回しながら呟いた。

 駅の構内には人気が無く、シイは外へと歩を進めてみる。容赦なく照りつける真夏の日差しに目を細めながら、改めて周囲を伺う。

「誰もいない。あ、シェルターって所に避難してるのか」

 アナウンスを思い出し、シイはポンと手を叩く。

 ならば自分も避難すべきと思うのだが、

「でも、シェルターって何処?」

 生憎シイはこの街の人間ではないため、土地勘が全くなかった。

「ん~誰かに聞ければ良いんだけど……あっ!」

 誰か残っていないかと辺りを探っていると、駅の側に公衆電話があるのを見つけた。

「待ち合わせは無理みたいだし、一応連絡しておかないと。シェルターの場所も聞けるし」

 シイは荷物の詰まったスポーツバックを肩に掛けると、公衆電話に向かって歩き出した。

 

 

 非常事態宣言発令のため無人となった街を、一台の車が走り抜ける。

 法定速度などお構いなしの猛スピードで。

「参ったわね~。あの道路が通行止めになってるなんて」

 運転席に座るサングラスを掛けた女性が、忌々しげに呟く。

(非常事態宣言で電車が止まったのなら、恐らくあの駅ね)

 脳裏に素早く進行ルートを浮かべ、見事なハンドル捌きで車を操る。エンジンとタイヤが限界を訴えているが、女性は更にスピードを上げていく。

(結構ギリギリのタイミングか。不味いわね、もし間に合わなかったら……)

 背筋がゾッとする想像に、女性の頬を冷や汗が伝う。

「お願いだから、動かないで待っててね」

 祈るように呟きながら、急カーブを華麗なドリフトで突破する。車内に強力な遠心力がかかり、助手席に置いてあった鞄から書類の束が零れた。その一番上にあるファイルの表紙には、黒いショートカットヘアをした少女が写っている写真がクリップで留められていた。

 優しげな目をしており、庇護欲をそそる可愛さと可憐さを併せ持つ顔立ち。幸せそうな笑顔を向ける制服姿の少女。それは碇シイの写真だった。

 

 

「む~繋がらない」

 シイは眉を八の字にして、受話器を戻した。何度掛けても繋がらず、返ってくるのは同じ台詞。

『特別非常事態宣言発令時は、通常回線の使用は出来ません』

「非常事態だから電話を使いたいのに~」

 ごもっともな意見だったが、愚痴った所で現状が変わる訳でもない。

「はぁ、どうしよう。もう待ってるかもしれないよね」

 シイはスカートのポッケから、一枚の写真を取り出す。写っているのは美しい妙齢の女性。薄着で色っぽいポーズを決めている脇には、

『シイちゃん江。私が迎えに行くから待っててね♪』

 手書きでシイへのメッセージが書き加えられていた。

(葛城ミサトさんか……綺麗な人だけど、ちょっと変な人かも)

 左隅についたキスマークを見て、シイは思わず苦笑する。

 

 僅かに気が緩んだその時だった。突然静かな街に爆音が響き渡り、振動が伝わってきた。

「な、何!?」

 耳を押さえながら、シイは音がした方へ視線を向ける。遠くにそびえる山々。その切れ間から、無骨な灰色の戦闘機が姿を現した。

 だが、編隊を組んだ戦闘機は、何故か後方へ飛行を行っていた。まるで、何かから距離を取ろうとするかのようにじわじわと後退していく。

「飛行機? でもどうして後ろ向きに飛んでるんだろ」

 首を傾げるシイ。その理由は、間もなく現れた。

「か、怪獣!?」

 ぬっと山の陰から姿を見せたのは、巨大な何かだった。

 

 細い四肢と盛り上がった肩。首は無いが胸についている仮面のようなものが、顔のようにも見える。全身が緑色のそれは人間に近い姿をした、しかし全く別の怪物だった。

 あまりに非現実的な光景に、シイは呆然とそれを眺めるしか出来ない。

 ゆっくりと歩を進める怪物と、それを牽制するように飛ぶ戦闘機。やがて怪物は、細い右腕をそっと持ち上げる。そして次の瞬間、怪物の手の平から伸びた光の棒が、戦闘機をいとも容易く貫いた。

 

「あ、やられちゃった……って」

 穴の空いた戦闘機は、火を噴きながらフラフラと地上に向けて落ちていく。コントロールを失ったそれは、徐々にシイの方へと近づいてくる。

「に、逃げなくちゃ……」

 しかし恐怖に竦んだ足は、脳の命令に従わない。目前に戦闘機が迫る。

 それを怯えた眼差しで見つめ、そして、

「きゃぁぁぁぁ」

 墜落した戦闘機から襲ってくる爆風に悲鳴を上げる。

 

 

 小柄なシイを軽々と吹き飛ばす程強力な爆風は、不意にその力を弱めた。

「え……」

 涙目になりながらシイが恐る恐る目を開けると、そこにはシイを爆風から守るように、一台の車が止められていた。突然のことに状況が理解できない中、不意に運転席のドアが開かれる。

「ごめ~ん、お待たせ」

 現れたのは、サングラスを掛けた、青い髪の女性だった。

 

「碇シイちゃんね?」

 へたり込んだシイに、女性は優しく問う。

「は、はい」

「迎えに来たわよ。さあ乗って」

「あ……じゃあ貴方が葛城さん?」

 写真とはまるで違う、凛々しい女性の姿にシイは思わず尋ねてしまう。

「ええ、そうよ。あまり時間が無いから、話は後で、ね」

「は、はい。すいません」

 状況を思い出し、シイは慌てて女性が開けてくれた助手席に乗り込む。ドアを閉め、シートベルトを付けると、運転席の女性に頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「へぇ~礼儀正しいのね。あの髭の娘さんとは思えないわ」

「髭?」

「あ~良いの良いの。こっちのこと」

 女性は笑って手を振ると、直ぐさま真剣な表情に変わる。

「んじゃ、ちょっち飛ばすわよ。しっかりつかまっててね」

「え? ……きゃぁ」

 急発進した車は、猛烈な加速で危険な場所から即離脱。背後で次々と戦闘機が撃墜していく中、そのまま速度を上げ続けて、無人の街を駆け抜けるのだった。

 

 

「馬鹿な! 全て直撃の筈だ!」

 巨大なモニターには、あの怪物に雨霰と攻撃を仕掛ける戦闘機、戦車の姿。しかし、怪物は全く効いた様子を見せずに歩き続けている。

「こうなれば総力戦だ! ありったけの兵力で奴を迎撃する」

「出し惜しみは無しだ!」

 三人の軍服姿の男達は、必死の思いで命令を下す。

 

 そんな彼らから少し離れた場所に、軍服とは異なる制服を着た二人の男が居た。騒ぐ軍服達とは違い、落ち着いた態度でモニターを見つめている。

「……ATフィールドか」

「ああ、使徒に対して通常攻撃では役にたたんよ」

 白髪の老人に、サングラスを掛けた中年男性が答える。その間にも、モニターでは次々に増援と思われる戦闘機が姿を現す。

「おやおや、結構な戦力を投入するものだ」

「……精々時間稼ぎをしてもらうさ」

 机に肘をつき、組んだ手で口元を隠すサングラスの男。隠されたその口は、ニヤリと嫌らしい笑みが浮かんでいた。

 

 

 怪物へ容赦ない攻撃が続き、しかし効果はない。そんな光景を繰り返していると、不意に軍服達の元に一本の電話が入った。

「はい……はい……分かりました」

 一人の男がそれを受け、やがて苦渋に満ちた表情で受話器を置いた。

「やはり、あれしか無いか?」

「ああ。許可は下りた」

「周辺の部隊を下がらせろ。巻き添えをくうぞ」

 軍服の男達は、覚悟を決めた顔でモニターを睨み付けるのだった。

 

 

 

「……あれ?」

 助手席から外を眺めていたシイは、ふと異変に気づいた。

「どうしたの?」

「あの、飛行機がみんな怪獣から逃げちゃったので」

「何ですって!?」

 女性は急ブレーキを掛けて車を強引に停止させると、大急ぎで懐からオペラグラスを取りだし、助手席の窓を全開にして、食い入るように外を覗いた。

 状況を察したのか、オペラグラスを持つ手が震え、表情もみるみる青ざめていく。

「まさか……N2地雷を使う気なの!?」

「何ですか? そのえぬつー地雷って?」

「やばい! シイちゃん伏せて!」

 女性はシイを庇うように、自分の身体を上に被せる。

 

 次の瞬間、先程とは比較にならない爆発音と強烈な爆風がシイ達を襲った。

 




最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。

一応碇シンジ≒碇シイという設定になっております。
純粋な性転換だけでは無く、性別が変わった事によって過去も色々と変わっていりますので。

もし宜しければ、今後もお付き合い頂けば幸いです。


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1話 その2《特務機関ネルフ》

 

 灼熱地獄。正にそんな言葉が相応しい光景だった。先程まで怪物が居た場所には巨大なクレーターが形成され、爆煙と共に凄まじい熱が充満している。

「ふははは、勝った」

「N2地雷にはあの化け物も耐えられなかったな」

 爆発の余波の影響で映像が途絶えたスクリーンを見て、軍服の男性達は勝利を確信する。

「残念ながら、君達の出番は無かったようだよ」

 軍服の一人が、離れて見ていた男性二人に向けて、嫌みの籠もった台詞を突きつける。

 だが、

「映像回復します」

 オペレーターの報告と共に、再び映像が映し出された巨大スクリーンを見て、彼らは絶句する。

 真っ赤に燃えるクレーターの中心に、緑の怪物は立っていた。多少のダメージはあったのだろう。しかし、致命的にはほど遠く、払った犠牲には到底釣り合わぬ結果だった。

「化け物め……」

「街を一つ犠牲にしたんだぞ!」

 忌々しげに拳を机に叩き付ける軍服の男性。犠牲を覚悟してまで投じた切り札が、怪物に通用しない。

 もはや彼らに打つ手は無かった。 

「……はい、分かりました」

 軍服の一人が受話器を置くと、離れてみている二人の男性へと向き直る。

「現時刻を持って、本作戦の指揮権は君に移った。お手並みを拝見させて貰おう」

「了解です」

 サングラスを掛けた壮年の男性がスッと立ち上がる。

「碇君。我々の兵器が奴に通用しないのは認めよう。だが、君達なら勝てるのかね?」

「ご安心下さい」

 男性はサングラスを軽くかけ直し、

「その為のネルフです」

 自信に満ちた声で答えた。

 

 

「うぅ~死ぬかと思いました」

 走る車の助手席で、シイは涙目になりながら頭をさする。

 先程の爆発による衝撃波は、爆心地から離れた場所に居たシイ達を車ごと吹き飛ばした。何度も回転を繰り返した車はスクラップ寸前、上下逆さまの状態でようやく静止した。

 それを車内から這い出した二人が必死に押し戻して、どうにか走行出来る状態にまでこぎ着けたのだ。

「良かったじゃない生きてるんだし。それに、文句は国連軍に言うべきだわ」

「国連軍?」

「そっ。さっきの爆発だって、無駄なのにあいつ等がぶっ放したのが原因よ」

 女性は不満そうに口を尖らせて答えるが、それは当然だろう。何せ命を脅かされたのだから。

「ったく……このルノー、後どれくらいローンが残ってると思ってんのよ」

 前言撤回。どうやら愛車をボロボロにされた事の方が、彼女にとって重大だったようだ。

「この服だっておろしたてなのに」

 吹き飛ばされたことに加え、逆さまの車を戻すために、女性の黒い服はすっかり埃まみれになっていた。

 テンションだだ下がりの女性に、シイは恐る恐る話しかける。

「あの……葛城さん」

「ミサト、で良いわよん。それで何かしら、シイちゃん」

「その~ご愁傷様です」

 がくっと女性がずっこけ、車が大きく左右にぶれる。

「ず、随分毒舌なのね……」

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて」

「良いのよ、気にしてないから」

 硬い笑いを返す女性……葛城ミサト。

 どうやら予期せぬ攻撃に軽いダメージを受けたようだ。

「本当にすいません。私を迎えに来なければ、こんな目にあわなかったのに」

「それはシイちゃんのせいじゃないわよ」

「怪我とか……してませんか?」

 心配そうに、上目遣いでミサトを見つめるシイ。その仕草に思わずミサトはドキッとする。

 

(こりゃ~反則ね。男なら確実に墜ちてるとこだわ)

 報告によると、この碇シイと言う少女は十四才。だが隣に座る彼女は年よりも大分幼く見え、可憐な容姿と相まって、守ってあげたいと言う印象を受けた。

(ほんと、どうしてあの無愛想な髭親父からこんな可愛い子が産まれたんだか)

 脳裏に浮かぶのは上司の顔。常に不機嫌そうな顔をした、あご髭親父。

(にしても、この子も無防備ね。私が男なら…………ああ、だから私なのか)

 ふと納得する。本来ならミサトは、人を迎えに行く様な立場ではない。だが今回は特別命令という形でこの仕事が与えられた。疑問に抱いていたが、その謎が解けていく。

 つまりは、こういう仕事を任せられる女が自分以外に居なかったのだろう。

 

「あの、ミサトさん。大丈夫ですか?」

「え、ええ。ごめんね、ちょっち考え事を」

「怪我は……」

「平気平気。っと、それよりもシイちゃん。貴方怪我して無い?」

 急にシリアスな表情に変わり、ミサトはシイに尋ねる。

 そんな気合いを入れて聞くことかと僅かに疑問に思うが、微笑みながら左肘の辺りを見せるシイ。

「私も平気です。ちょっと手を擦り剥いた位ですから」

 透き通るような白い肌には、小さな擦り傷と僅かな出血が見られた。

「ミサトさんが守ってくれたお陰です。ありがとうございました」

 お礼を述べるシイに、しかしミサトは答えない。

(やばいやばいやばいわ。傷を……傷つけちゃったわ)

 冷や汗が大量に流れ出る。

(減給……降格……ううん、下手すれば……)

 想像しただけで背筋がゾッとする。

 ミサトに与えられた命令は、

『碇シイを本部まで連れてくること。万に一つも、傷つけてはならない』

 と言うもの。

 前者は達成できそうだが、後者は完全にアウトだ。

 再びミサトの顔が青ざめていく。

 

「ミサトさん、ミサトさん」

「はっ。な、何かしらシイちゃん」

「いえ、何だか顔色が悪いので、ひょっとしたら怪我を隠してるのかと思って」

「……それだわ」

 ピンポーンとミサトの頭に豆電球が輝く。

「シイちゃん、向こうに着いたら直ぐに怪我の治療をしましょう」

「え、別にこれくらいなら……」

「駄目よ! 女の子なんだから、身体は大切にしなきゃ!」

「は、はい」

 鬼気迫るミサトの迫力に、シイは思わず頷く。

「よっしゃ~それじゃあ急ぐわよ~」

 ボロボロの車からの悲鳴は無視して、ミサトは更に車を加速させる。

(こんなに心配してくれるなんて。ミサトさんっていい人だな)

(バレる前に治すしかないわ)

 それぞれの想いを乗せ、車は道路を駆け抜けていった。

 

 

「国連軍はお手上げか。それで、どうするのだ碇?」

 白髪の男性が尋ねる。隙のない制服の着こなしと、落ち着いた物腰が理知的な印象を与える。老齢の様にも見えるが、凜とした立ち振る舞いは老いを感じさせない。

「……初号機を使う」

 答えるのは壮年の男性。短い黒髪と豊かな顎髭。そして茶色のサングラスが男の威厳を一層強めている。

「だが、パイロットが居ないぞ。レイはまだ動かせまい」

「問題ない。もうすぐ葛城一尉が予……シイを連れてくる」

 一瞬言いよどんだ男に、白髪の男性は呆れたようにため息をつく。

「乗せられるのか?」

「問題ない。例え訓練無しでも、実戦可能なレベルまでシンクロする筈だ」

「いや、そっちじゃなく、お前がシイ君を乗せられるのか?」

「も、問題ない…………と思う」

 途端に男の威厳が何処かに旅立った。

「写真を拝見したよ。随分と似てきたな」

「…………」

「碇、分かっていると思うが、計画の為には」

「くどいぞ冬月。私は問題ないと言った」

「……期待しないで置くよ」

 ため息をつくと、冬月と呼ばれた男性は席を外す。残された男は、机に肘をつき手を口元で結ぶ姿勢で動かない。だが、よく見ればその頬に汗が流れているのが分かる。

(逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…………)

 沈着冷静に見えるポーズとは裏腹に、内心は大変乱れているのだった。

 

 

 ミサトの車は、ようやく目的地へとたどり着いた。巨大なエレベーターで、車ごと地下へと降りていく。

「あのミサトさん、ここは一体……」

「特務機関ネルフ。その本部よ」

「ねるふ?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げるシイに、ミサトは鞄から一冊のパンフレットを取りだして渡す。

『ようこそネルフ江』

 何とも気が抜けるタイトルだが、表紙の右上には極秘の文字が刻まれている。

「これ、見ても良いんですか?」

「勿論よ。パンフレットは見てなんぼだし」

「でも極秘って……」

「良いの良いの。気分出すために付けただけだし」

 笑いながら手を振るミサトに、シイは不安を抱きながらもパンフを捲る。簡単な紹介が書かれているだけのパンフだが、最低限の予備知識は得られた。

 

「そう言えば、シイちゃんはお父さんの仕事を知ってるの?」

「……人類を守る立派な仕事、と聞いています」

 父という言葉が出た瞬間、先程までの笑顔は消えてシイの顔が強張る。

「人類を守る最後の砦。それがこのネルフ。貴方のお父さんはここの司令なのよ」

「そう……ですか」

「シイちゃんはお父さんの事が嫌い?」

「……分かりません」

 シイの偽らぬ本心だった。何せ彼女は父親のことを殆ど知らないのだから。

「私がお父さんと最後に会ったのは、まだ本当に小さい頃が最後だったので」

 脳裏に浮かぶのは、自分を捨てて去っていく父親の後ろ姿。自分がどれだけ泣いても、声を張り上げても、父親は振り返る事すらしなかった。

 苦い思い出に、シイの表情が曇っていく。

「ごめんね。嫌な事を思い出させちゃったみたいで」

「気にしないで下さい。それよりミサトさん、これからお父さんと会えるんですよね?」

「そうよ。不安?」

「分かりません。ただ、色々話をしたいんです。その為にここに来ましたから」

 決意を決めたシイに、

(こりゃ……ちょっち可哀想な事になるかもね)

 ミサトは寂しげな顔を向けるしか出来なかった。

 




牛歩並のスローペースですが、少しずつ物語を進行させて行きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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1話 その3《対面》

 

 エレベーターが終点まで到達すると、ミサトは車を巨大な駐車場の一角へと停車させた。それから数十分。ミサトに先導され、シイはネルフ本部内を歩いていた。

 機械化された最新鋭の設備に、最初の内は物珍しげに周囲を見回して居たのだが、

「あの、ミサトさん。この場所さっきも通りましたけど」

 流石に何回も同じ所を歩けば突っ込みたくもなる。

「え、あ~そうだったかしら」

「五分くらいで着くと言ってましたけど……」

「あはは~もう直ぐだから。えっと、こっちが」

「そっちは先程行きましたよ」

 シイの冷静な突っ込みに、ミサトはぎくりと肩を震わせる。

「ひょっとして……」

「ま、迷った訳じゃ無いのよ。ただ」

「ただ?」

「今居る場所が分からないだけよ」

 人、それを迷子と言う。

(今まで通ったルートを考えると、多分あっちだと思うけど……ミサトさんに悪いし)

 シイが困り顔で居ると、

「葛城一尉。貴方は何をしているの」

 コツコツという足音と共に、女性の声が背後から聞こえてくる。二人同時に後ろを振り返ると、そこには白衣を纏った金髪の女性が、不機嫌そうにシイ達へと近づいてきていた。

 

「り、リツコ。これには深い事情が……」

「迷子の三文字で片づくわよ。この忙しい時に時間を無駄にしないで」

 金髪の女性は容赦なくミサトの言い訳をバッサリと切り捨てた。そのまま視線を、不安そうに事態を見守るシイに移す。

「それで、この子が?」

「ええ。マルドゥックの報告書による、サードチルドレン。碇シイちゃんよ」

「は、初めまして。碇シイと申します」

 急に話を振られ、シイは慌ててお辞儀をする。

 その小動物的な動作に、

(だ、抱きしめたい……)

 金髪の女性は衝動と理性の狭間で苦しむ。余談であるが、この女性は大層なネコ好きで、小さく可愛い物に目がない。そんな彼女にとって、シイはど真ん中ストライクだった。

 だが今は仕事中、しかも緊急時。

 沸き上がる衝動をどうにかくい止めると、

「私は赤木リツコ。E計画の責任者を務めているわ」

 極めて事務的に挨拶することに成功した。

「それでは着いてきて。貴方を案内したい場所があるの」

「お父さんの所ですか?」

「……その前に、見て欲しい物があるのよ」

 金髪の女性……リツコは会話をうち切り、二人を先導して歩き始めてしまう。置いて行かれる訳にも行かず、シイは妙な不安を感じながら後に続いた。

 

 

 シイが案内されたのは真っ暗な空間だった。訳も分からず、目の前の白衣を目印に暗闇を進む。

「ここよ」

 リツコに合わせてシイも足を止める。

「あの、ここに何が…………きゃぁ!」

 シイは軽い悲鳴と共に、思わず尻餅をつく。急に明かりが灯った事もさることながら、突如目の前に現れた巨大な顔に驚いたのだ。紫色の金属で覆われた顔に、鋭い目。そして額にそびえる一本の角。

 まるで鬼や悪魔を思わせるそれに、シイは恐怖を隠せない。

「こ、これ……なんですか……」

「人の造り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。その初号機よ」

 何処か誇らしげに語るリツコだが、シイはそれどころじゃない。正面から自分を睨むように佇む顔が、とにかく怖くて仕方なかった。

「シイちゃん、そんなに怖がらなくても平気よ」

「む、無理です……だって、凄く怖い顔してるし……」

 シイが半分泣きながら言うと、

 

 ズゥゥゥゥゥゥン

 

 初号機の顔がゆっくりと下を向く。まるでシイの言葉に落ち込むかのように、だ。

「「動いたっ!?」」

 リツコとミサトだけでなく、周囲にいた作業服のスタッフも驚きの声をあげる。

「まさか、あり得ないわ。まだエントリープラグも挿入されて居ないのに」

「ひょっとして、シイちゃんの言葉にショックを受けたとか……」

「馬鹿言わないで。エヴァが勝手に動くなんて、理論上はあり得ない事よ」

 ヒステリックに叫ぶリツコ。

「ん~じゃあ試してみる? ねえシイちゃん。初号機の事褒めてあげて」

「褒めるって……怖くてとても……」

 怯えた視線を初号機の顔に向けるシイだが、ふと視線が止まる。

「あ、でも……目元が何だか……可愛いかも」

 

 ズゥゥゥゥゥゥン

 

 今度は初号機の顔が上を向く。褒められて嬉しそうに、誇らしげに。

「ねっ」

「あり得ない……でも二度も動いた……理論的には……」

 ブツブツと呟き、自分の世界へと入っていくリツコ。

 その様子を見て、

「私、何か悪いことをしちゃったんでしょうか」

 不安げにミサトに尋ねるシイ。

「な~んにも。お陰でちょっち面白い物も見れたし」

「そう、なら良いんですけど」

 ニヤニヤ笑うミサトに一抹の不安を感じながらも、シイは初号機を見つめる。

 先程は突然の事で取り乱したが、落ち着いてみればそれほど怖いわけではない。細長いアゴを上げている姿は、どことなく可愛らしくも感じられた。

「この子……初号機は兵器って言ってましたけど……何かと戦うんですか?」

「ええ。その相手は、貴方もさっき見たはずよ」

 脳裏に思い浮かぶのは、先程目にした巨大な緑色の怪物。

「人類を脅かす敵と戦うために、エヴァは存在してるの」

「……それが、お父さんの仕事ですか」

「そうだ」

 ミサトとの会話に割り込むように、男の声が響き渡った。

 

 初号機の顔の更に上、ガラスで遮られた部屋の向こうに声の主は居た。

「お父……さん」

「久しぶりだな、シイ」

 黒い制服を着たサングラスの男……シイの父親である碇ゲンドウが声を掛ける。だがシイは突然の対面に上手く言葉が出ない。親子の対面は実に十年ぶりなのだから、無理も無いだろう。

(お父さん……何となく記憶にあるけど……)

(に、似ている……いや、ユイよりも)

 無言で見つめ合う二人。

 ほんのり頬を染めたゲンドウが、咳払いを一つ入れて、

「……しゅ、出撃だ」

 少しどもりながら告げた。

「出撃って、零号機はまだ凍結中でしょ」

 反応したのはミサト。慌てた様子で、ゲンドウではなくリツコに向かって声をあげる。

「まさか、初号機を使う気!?」

「他に道はないわ」

 思考の闇から戻ってきたリツコが冷静に答える。

「でもパイロットが居ないじゃない。レイはまだ動けないだろうし」

「さっき届い……もとい到着したわ」

 リツコは視線をシイに向ける。

「碇シイさん」

「は、はい」

「貴方に乗って貰いたいの」

 一瞬、目の前の女性が何を言っているのか、シイには理解できなかった。

(乗る? このロボットに? 誰が? ……私が?)

「ちょっと待って。幾らなんでも無理よ。あの綾波レイでさえ、エヴァとのシンクロに七ヶ月掛かったんでしょ。この子は今日初めてここに来て、エヴァを知ったのも今なのよ?」

「座っていれば良いわ。それ以上は望みません」

「だからって……」

 ミサトはシイを見て言葉を詰まらせる。今ここにいる少女は、どうひいき目に見ても戦える様な子ではない。寧ろ守るべき対象とも言える。

 それをエヴァに乗せて戦わせると言う行為に否定的な自分と、それ以外に方法がないと認めている自分の間で揺れていた。

 

「……ねえ、お父さん」

 シイは俯きながらゲンドウに言葉を向ける。

「お父さんが私を呼んだのは……このロボットに乗せる為……なの?」

「そうだ」

 否定して欲しかった。だが、父が娘に告げた言葉は非情なものだった。

「どうして……私なの?」

「他の人間には無理だからな」

「もし……私にも無理なら……お父さんは私を呼ばなかった……の?」

 俯きながら、震える声で尋ねるシイ。

 そんな彼女に向けられた言葉は、

「ああ。必要だから呼んだまでだ」

 碇ゲンドウの娘としての碇シイを、根本から否定するものだった。

 聞きたく無かった言葉に、シイの目から涙が零れる。

「そんなの……十年ぶりに……やっと……お父さんに会えたのに……私を見てくれたのに……」

「時間がない。乗るのなら早くしろ。でなければ、帰れ」

 あまりに無情な宣告。十四才の少女には、とても耐えられる物ではなかった。

「う……うぅ……」

 シイは嗚咽を漏らしながら、溢れる涙を隠すため手で顔を覆う。

 十年ぶりの親子対面は、最悪の展開を迎えたのだった。

 




ネルフに到着した事で、主要人物達が姿を見せ始めました。
性転換による影響は、今のところ物語を揺るがす程大きくありませんが、バタフライエフェクトの様に、着陸地点は大きく変わっていくと思います。

ご意見やご感想、ご指摘やご指導、また誤字脱字の指摘等は、常に募集しております。皆様の忌憚の無いお言葉を頂戴出来れば、作者冥利に尽きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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1話 その4《決意、そして搭乗》

 

(司令、最低だな)

(ああ。あんな可愛い娘を泣かせるなんて)

(あの髭には人の心とか無いのかね)

(俺ならもっと優しく声をかけるな)

(ちくしょ~。今すぐあの子に近寄って肩を抱いてあげたい)

 シイ達のいる場所、初号機のケージで作業をしているスタッフ達は、全員が一様に非難の視線をゲンドウへと向けていた。

 彼らも今が非常事態とは理解しているが、それでもゲンドウの対応はあまりに酷いと感じていたのだ。

 そして、それはミサトとリツコも同じ。

(ったくこの髭親父は……本当に親なの)

(精神状態は最悪。例え嘘でも良いから、もう少し上手いこと言えないのかしら、あの人は)

 口にこそ出さないが、ジト目をゲンドウへと向ける。だが、当の本人はまるで気にしていない。

 変わらぬ姿勢、変わらぬ表情で冷たくシイを見下ろす。

「乗るんだシイ」

「……無理だよ。こんな見たことも無いロボットに乗るなんて、出来ないよ!」

 涙が浮かぶ瞳をゲンドウに向け、シイが感情を爆発させた。可憐な少女と涙は最強のタッグ。

(ぬぅぅ、わ、私とて乗せたくは無い……だが……シナリオの為には……)

 表情にこそ出さないが、ゲンドウは激しく動揺する。しかしゲンドウにしてみても、ここで譲るわけには行かない。心を鬼にして、更にシイに搭乗を迫ろうとした、その時だった。

 

 グラグラと地震のような振動が、初号機のケージに伝わってきた。

「奴め、ここに気づいたか」

 忌々しげに上を見上げるゲンドウ。彼はこの振動が、先程の怪物による攻撃だと気づいていた。

 もはや問答の時間すら惜しいと、ゲンドウは右手で通信装置を操作する。

「冬月、レイを起こせ」

「使えるのかね?」

 画面に映る白髪の老人……冬月コウゾウは訝しげに問い返す。

「死んでいる訳ではない」

「分かった」

 冬月の返事を聞くと、ゲンドウは通信を切った。

 

 

 その数分後。初号機のケージに、からからと移動用ベッドが運ばれてきた。

 医師と数人の看護婦が寄り添うそのベッドには、一人の少女が寝ている。青いショートヘアの少女。年はシイと同じくらいだろうか。病的なまでに白い肌と赤い瞳が印象に残った。

 だがそれ以上にシイが気になったのは、

(酷い怪我してる……)

 右手、右目、体中に痛々しく包帯が巻かれ、右手には点滴がまだついている。

 どう見ても重症患者だった。

「レイ、予備が使えなくなった。出撃しろ」

「はい」

「ちょ、ちょっとお父さん。何言ってるの。この子酷い怪我をしてるのに」

 信じられない父親の言葉に、シイは思わず抗議する。

「使徒を倒さぬ限り、我々に未来は無い。お前が乗らぬなら、レイが乗るまでだ」

「そんな……」

 シイは言葉を失う。つまりゲンドウはこう言っているのだ。

『お前が乗らないから、怪我をしている少女を代わりに乗せると』

 ここまで来ると、もうシイの心に先程までの悲しみは無かった。

 代わりに産まれた感情は、激しい怒り。

 

 起きあがることさえ辛いのだろう。青髪の少女は、時々うめき声を上げながら、それでも起きあがろうとしている。ようやく上半身を起こしたその時、再び激しい振動がケージを襲う。

「きゃぁ」

 少女はベッドから落ち、床へと身体を打ち付ける。それを見たシイは、思わず少女へと駆け寄った。

「大丈夫ですか!? …………あ」

 抱き起こそうとした手に、なま暖かい血が付いた。傷口が開いたのだろう。普通なら絶対安静状態の重症患者。それを無理矢理戦わせようとする父親。

(私は……私は……)

 恐怖、怒り、責任感、あらゆる感情がシイの中で葛藤を続け、そして、

「……もう大丈夫。……私が、やるから」

 シイは決意した。

 

 少女を優しく床に寝かせると、シイはゲンドウに正面から向き合う。

「お父さん、私が乗ります。だからこの子を早く治療してあげて下さい」

「そ、そうか……」

 突然様子が変わったシイに、ゲンドウは僅かに怯みながらも返事をする。

「それともう一つ、言っておきます」

「何だ」

「私はお父さんが……大嫌いです。べーっだ」

 それは娘から父への明確な拒絶だった。

 が、

((か、可愛い……))

 アッカンベーするシイの姿に、その場に居た一同が同じ気持ちを共有していた。

「リツコさん、ミサトさん、これから私はどうすれば良いですか?」

「え、あ~」

「簡単な操縦の説明をするわ。着いてきて」

 リツコの言葉に頷き、シイはケージを後にした。

「ふっ、これで良い……全てはシナリオ通りだ」

 口元に笑みを浮かべながら、自分もケージから姿を消すゲンドウ。

 娘にあそこまで言われても、全く動じないその姿に、作業員達は流石に鬼だ、と感心する。

 だが、

(し、シイに嫌いって言われた……大嫌いって言われた……)

 ゲンドウの心中は乱れに乱れていた。

 

 

  

 エヴァンゲリオンは、エントリープラグと呼ばれる円柱状のコクピットを、首の後ろから挿入することで起動する。リツコから簡単なレクチャーを受けたシイは、エントリープラグに乗り込んだ。

 細長い空間には、レバーの付いたマッサージチェアの様な椅子一つ。シイはその椅子に身体を預ける。

『パイロット搭乗完了』

『エントリープラグ挿入準備』

「え、あの、大丈夫なんでしょうか?」

 慌ただしく響くアナウンスに、シイは不安になってリツコに呼びかける。

『ええ。準備は全てこちらでやるから、貴方は心を落ち着かせて待っていて』

 スピーカー越しにリツコの声が聞こえる。

(落ち着けって言われても……)

 プラグの中は、黄土色の金属壁で包まれているため、外の様子が分からない。

 時折伝わる振動が、シイの心を不安にさせる。

(早く終わって……)

 シイは祈るように瞳を閉じた。

 

 

((う、守ってあげたい……))

 プラグ内の映像を見ていた発令所のスタッフは、猛烈な庇護欲に駆られていた。

 ネルフ本部第一発令所。まるで戦艦の環境の様な造りをした巨大なフロアには、司令であるゲンドウを始めとする主要スタッフが集結していた。

「ん~あの子閉所恐怖症かしら」

「いえ、あれが普通の反応っすよ」

 困ったように呟くミサトに、長髪の男性職員……青葉シゲルが即座に反論する。

「ですよね。彼女は何も知らずに来たわけですし」

 同調するのは、ショートカットの女性職員……伊吹マヤ。

「みんながミサトみたいに、神経が太い訳じゃ無いのよ」

 さらりと毒を吐くリツコに、ミサト以外の職員が一斉に頷く。

「な、何よみんなして……私が図太い女みたいじゃない」

 ミサトの言葉に、職員達は無言のままジト目を向ける。完全アウェーを悟ったミサトは押し黙ってしまう。

「そうだ。みんなで彼女を応援しましょう」

 ミサトの沈黙を確認すると、眼鏡の職員……日向マコトが提案する。

「応援って……まだエヴァにすら乗ってないのに」

「「賛成!!」」

 ミサトの言葉は、発令所スタッフの統制の取れた声にかき消されてしまった。

「な、何よこの空気は……」

 普段と様子の違うスタッフ達に、ミサトは呆然と立ち尽くす。

「副司令、宜しいですね?」

「構わん。パイロットにベストな状態で戦って貰えるなら、あらゆる手段を許可する」

 冬月の許可を得た発令所スタッフは、声を揃えてシイにエールを送った。

 

 

『『シイちゃん頑張れ~。フレーフレー、シ・イ・ちゃ・ん、フレー!!』』

 突如プラグ内に響き渡る大声援に、シイはびくっと身体を震わせる。まあ、普通はそう言う反応だろう。

「あ、あの……今のは……」

『シイさん。貴方は一人じゃないわ。沢山の味方が応援してるの』

「えっと……」

『不安だと思うけど頑張って。みんな応援してるから』

 声はすれど、姿は見えない。だがリツコの声は、シイの心に安心感を与えた。

「その……皆さん、ありがとうございます」

 シイは少し照れながら、そっと頭を下げてお礼を言った。

 

 

「「うぉぉぉぉ」」

「「きゃぁぁぁ」」

 モニター越しに見ていたスタッフ達は、歓喜の雄叫びをあげた。

 まだ敵との戦いはおろか、エヴァにすら搭乗していない。なのに発令所のテンションは最高潮だった。

「ホント……何なのよ」

 唯一の常識人であるミサトは、本領を前に疲れ果てていた。

 

 

 エヴァンゲリオン初号機は、既にスタンバイが完了していた。

 紫を基調としたそのボディは、各部に突起がある以外は人間のそれと酷似している。

 勿論、比較にならないほど巨大ではあるのだが。

 

『エントリープラグ固定完了』

 アナウンスと共に、シイの乗ったプラグがエヴァの首筋へと挿入されていく。プラグ全てが初号機の内部へ挿入されると同時に、プラグを保護するように首筋の装甲が稼働して穴を塞ぐ。

 この瞬間、シイはエヴァンゲリオン初号機への初搭乗を果たした。




ついに初号機への搭乗を果たしました。が、発進には至らず……。
サキエルも待ちくたびれていると思うので、次こそは対峙して貰いましょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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1話 その5《初出撃》

 

「エントリープラグ挿入完了。LCL注水開始」

 マヤが告げると、プラグの中に黄色の液体が流れ込んでいく。

『きゃぁぁ、な、何これぇぇ!?』

「落ち着いて。それはLCLと言って……」

『止めて下さい~』

 パニックになって叫ぶシイ。

「あのね、それは貴方に害するものじゃないから」

『怖いよ~』

 涙目で訴えるシイ。

 情けない姿に、ミサトが一喝入れようかとする前に、

「いかん。パイロット保護を最優先。LCLの注水を中断しろ」

「はいっ!」

 冬月の指示でマヤがキーボードを素早く操り、プラグへの注水がストップした。

「……へっ?」

 信じられない展開にミサトは惚けた視線を冬月へと向ける。だが冬月は素知らぬ顔でシイに語りかけた。

「すまんねシイ君。事前に説明しておくべきだった。申し訳ない」

『そ、そんな、こちらこそすいません。取り乱してしまって』

 見知らぬ老人声の謝罪に、シイは恐縮してしまう。

「赤木君、説明を」

「はい。いいシイさん、その液体は……」

 リツコは起動が途中で止められたにもかかわらず、嫌な顔一つせずに説明していく。自分の知らない友人の姿に、ミサトは口をあんぐりと開けたまま固まってしまう。

「……簡単だったけど、分かったかしら?」

『はい。この水がエヴァに乗るのに必要なんですね』

「肺を満たすから苦しいとは思うけど……」

『が、頑張ります』

 不安げな顔ながら、グッと両拳を胸の前で握るシイ。

((け、健気だ))

 男女問わず、少女の姿に心を打たれていた。

 

「じゃあマヤ、続けて」

「はい。LCL注水再開」

 再びプラグ内にLCLが流れ込む。ねっとりとした粘着質の液体に、シイは嫌悪感に必死に耐える。LCLは徐々に水位を増していき、シイの足を飲み込んでいく。

 ようやく起動できる、とミサトが胸をなで下ろしていると、

『ちょ、ちょっと待って下さい!!』

 シイの切羽詰まった声が響き、ミサトは思い切りずっこけた。

「今度は何!?」

『あの……ですね……』

「あ~じれったい。何かトラブル?」

『その……私の姿って……皆さんから見えてますか?』

 モニター越しのシイは、もじもじと顔を赤らめて言いにくそうに尋ねる。

「それがどうしたの?」

『だから……その……スカートが……めくれてしまいそうで』

((ギロッ!!))

 発令所スタッフの視線が、一斉にプラグ内のシイへと注がれる。LCLの水位は、現在シイの太股辺りまで達している。粘性の高いLCLがそれよりも水位を上げれば、当然……。

((ゴクリ))

 思わず唾を飲むスタッフ達。

『く、下らないことですいません。でも気になって……』

「あのね~」

 ミサトが頭痛を堪えながら、事実を伝えようとすると、

「貴方の気持ちは良く分かるわ。でも安心して。プライバシー保護の為、映像は切ってあるから」

「はぁ!?」

 しれっと嘘を教えるリツコ。

「だから心配いらないのよ」

『そう、ですか。ごめんなさい、気分を害してしまって』

「気にしてないわ。それじゃあ注水を再開するわよ」

『はい』

 とんでも無い大嘘つきがここにいた。

 モニターに映るシイの安心しきった顔が、唯一の常識人であるミサトの胸に突き刺さる。

「あんた……何考えてるのよ」

「……(ゴクリ)」

 もうリツコにはミサトの声は届いていない。その視線はモニターに映し出されているシイに釘付けだ。

「LCL注水、再開します」

 報告するマヤの声色には、何処か嬉しそうな響きが混じっていた。

 

 再開される注水。その瞬間を、固唾を飲んで見守る発令所一同。

「だ、駄目よ! シイちゃん聞いて! 貴方の姿は……」

「青葉!」

「了解! 通信回線遮断します!」

 まさに以心伝心とはこの事だろう。冬月の指示に即座に反応した青葉は、ミサトの声が届く前にプラグとの通信を遮断する。コンマ数秒の早業。青葉シゲルの力量の片鱗が垣間見えた瞬間だった。

「ふ、副司令!」

「今はパイロットの精神を動揺させる行為は慎むべきだ」

「こ、この~そんなに女の子の下着が見たいか、変態ども!!」

 遂に堪忍袋の緒が切れたミサトは、思い切り叫ぶ。

 勿論、ミサトの言葉は正論だ。だが正論を述べる行為が、正しいとは限らない。

「葛城一尉、言葉を慎め。上官への侮辱で今月の給料を10%カットだ」

「了解。経理部への報告終了」

 部下である筈の日向マコトが、あっさりと反旗を翻す。

「しょ、しょんな~」

 ボコボコのルノーを思い起こし、ミサトは力無く床へと座り込んだ。

 もはや邪魔者は居ない。心が一つになった発令所スタッフは、モニターを一心に見つめる。

 

「LCL、パイロットのスカートに接触」

「浮力有効です」

「コンタクトまで、後五、四、三、二」

 マヤ、青葉、日向の三名の報告に、発令所の緊張感が高まる。

 そして、

 

 ビー、ビー、ビー、ビー

 

 突然けたたましい警報が鳴り響いたかと思うと、シイの姿を映し出していたモニターは、砂嵐へと切り替わってしまった。

「馬鹿な!」

 冬月は焦った声を出す。

「これは……エヴァ初号機が通信回線を遮断しています」

「副回線、予備回線も繋がりません!」

 絶望的な報告に、発令所は混乱に陥る。

「碇、まさか」

「……私を否定するのか」

 いつものポーズを決めるゲンドウだが、声には明らかに落胆の色が見える。

「モニター復旧急いで」

「駄目です。MAGIによる接触も拒否されています!」

「マヤ、LCLの注水を中断して!」

「駄目です。注水止まりません」

「まさか……暴走!?」

 驚愕に目を見開くリツコ。

 砂嵐のモニターが戻ることはなく、時間だけが無情にも過ぎていく。

 そして、

「……LCL……注水完了しました」

 マヤが震える声で告げると同時に、モニターも復旧した。そこには、LCL注水前と何も変わらぬ姿のシイが映し出されてる。

 絶望が、発令所全体を包み込んだ。

 

 

『あの~リツコさん、リツコさん』

 通信回線も復活したらしく、シイからの声が発令所に聞こえる。

「な、何かしら?」

『ああ良かった。急に声が聞こえなくなったので不安で』

「……ぷ、プライバシー保護のため、音声も切って置いたのよ」

『そうだったんですか』

 勿論大嘘だ。だがシイは全く疑う事無くそれを信じる。

「それじゃあシイちゃん、シンクロを始めるわよ」

『私はどうすれば良いんですか?』

「何もしなくて良いわ。ただ心を落ち着けて、リラックスして頂戴」

 シイが頷くのを確認すると、リツコはエヴァの起動プロセスを開始させる。

 

 エヴァンゲリオンは現存する他の兵器と異なり、ただ操縦すれば動く訳ではない。

 パイロットとエヴァの神経を接続し、両者をシンクロさせる事で初めて起動できるのだ。

 

 落ち着きを取り戻したスタッフにより、作業はスムーズに進む。

 ネルフは超エリート集団。

 能力は一流なのだ。能力は。

 

 

(変な感じ……呼吸は出来てるけど……気持ち悪い)

 LCLを肺に取り込んでいるため、肺が自動的に酸素を取り込んでくれる。だが普通の生活をしていれば、肺に液体が入ることは滅多に無い。

 耐えられない訳では無いが、強い違和感が体内に残っていた。

(それにこの水……血の臭いがする)

 LCL独特の臭気にシイは顔を歪ませる。生臭い液体に全身が漬かっていて、しかもそれを肺に取り込んでいる為、鼻を塞いでも臭いは容赦なく伝わってくる。

(でも我慢しなきゃ。みんな応援してくれてるんだもん)

 大人達の邪なたくらみなど知るよしもないシイは、拳を握って気持ちを奮い立たせていた。

 

 

 

「第二次コンタクト開始」

「インターフェイス接続」

「A10神経接続問題なし」

「LCL電化状態正常」

「初期コンタクト全て問題なし」

 次々に起動プロセスを終えていく初号機。

「コミュニケーション回線開きます……シンクロ率41.3%。ハーモニクス全て正常」

「凄いわ。プラグスーツの補助無しでこの数値」

 マヤの報告に、リツコは感嘆の声を挙げる。

「行けるわミサト」

「え、あ、そうね……」

「何を惚けているの。作戦部長の貴方がこの事態にそれじゃ困るわよ」

「あ~ごめん」

 急にシリアスへ突入し、切り替えが出来ないミサト。

(じゃあ、さっきのは何だったのよ……)

 愚痴りたい気持ちで一杯だったが、それを言ったらどうなるかは、身をもって知った。

(そうよ……何やってるの葛城ミサト。ようやく敵討ちが出来るんじゃない)

 パンと両頬を張り、気合いを入れ直す。

 

 射出カタパルトへ運ばれていく初号機。出撃の準備は整った。

 

 ミサトは振り返り、ゲンドウに向き直る。

「碇司令、宜しいですね」

「勿論だ。使徒を倒さぬ限り、我々に未来はない」

 威厳に満ちたゲンドウの言葉に頷くと、

「エヴァンゲリオン初号機、発進!」

 ミサトは力強く発進命令を下した。

 

 初号機は身体を固定されたまま、勢いよく地上へ向けて射出されていく。

「う……うぅ~」

 シイは強烈なGに、歯を食いしばって耐える。

 そして、

「きゃっ」

 初号機は開かれた射出口より、地上へと姿を現した。

 

 シイの視界には、いつの間にか日が落ちて暗闇に包まれた街と、

「い、居た……」

 緑色の怪物、使徒と呼ばれる敵がハッキリと映っていた。

 

 

 暗闇の中対峙するエヴァと使徒。

 人類の存亡を掛けた戦いは、今ここに幕を上げるのだった。




紆余曲折を経て、ついにエヴァ初号機は使徒と対峙しました。たっぷり待たされたサキエルの活躍に、こうご期待下さい。

これからもTV版の1話相当を、3~6のセンテンスに分けて投稿致します。今回の5で第一話相当が終了しました。
次は第2話かと思いきや、箸休め的な話を入れさせて頂きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《親子対面の裏側・ゲンドウの手紙》

※システムが安定した様なので、投稿を再開致します。

本編一話終了ごとに、ちょっとした短編を挟みます。
語られなかったエピソードや、何気ない日常……そうした話を小話と言う形にて補完できたらなと。

通称アホタイム。名前の由来は……一読頂ければ分かるかと思います。


 

~親子対面の裏で~

 

 時は、シイがゲンドウと再開した時まで遡る。

 

『お父……さん』

『久しぶりだな、シイ』

 そんな親子のやり取りは、発令所でしっかりモニタリングされていた。冬月やオペレーター三人組も、興味津々とモニターに見入っている。

「あれが碇司令の娘さん? どうやったらあの髭からあんな可愛い子が産まれるんだ?」

「突然変異かも知れんぜ」

「母親によく似ている。いや、それ以上の美人になるかもしれんな」

 青葉と日向に、冬月が懐かしむように答える。

「はぁ~本当に可愛い。あんな妹が居たらな~」

 うっとりとモニターに映るシイを見つめるマヤ。それに発令所職員の大部分が同意する。

 同意しなかったのは一部の男子職員。

 彼らの思いは、それよりも一歩踏み込んだ物だった。

 

 

『そんなの……十年ぶりに……やっと……お父さんに会えたのに……私を見てくれたのに……』

『時間がない。乗るなら早くしろ。でなければ、帰れ』

 冷たいゲンドウの言葉に、泣き出すシイ。

「鬼か、あの髭親父は」

「全くだ。あれは人の皮を被った悪魔だ」

「最低」

 顎髭の中年親父と、可憐な美少女。どっちを応援するかなど、確認するまでもない話だ。

(碇……不器用にも程があるぞ)

 ゲンドウの心内をしる冬月だけが、哀れみの満ちた視線を向けていた。

 

『乗るんだシイ』

『……無理よ。こんな見たことも無いロボットに乗るなんて、出来ないよ!』

 絶叫するシイ。

「確かに無茶な話だよな」

「いきなり来て、エヴァに乗って使徒と戦えなんて無理難題にも程があるぜ」

「どうして事前に説明しなかったのかしら」

(説明してたら……シイ君がここに来ることは無かったろうな)

 事情を知る冬月は、何とも言えぬ表情を浮かべる。

 

『それともう一つ、言っておきます』

『何だ』

『私はお父さんが……大嫌いです。べーっだ』

 ゲンドウに向けてアッカンベーをするシイ。

((か、可愛い……))

 年相応、いや少し幼い感情表現に、発令所職員は思わず頬を緩めてしまう。

「まあ自業自得だよな」

「ああ。でも全く動じてないぜ、碇司令」

「血の通った人間とは思えません」

 好き勝手言う三人組。だが、冬月だけは気づいていた。

 サングラスの奥に隠された瞳が、僅かに涙目になっていたことを。

(碇……泣いているな。確かに自業自得だが……何という破壊力だ)

 鉄面皮に隠された内心を悟り、冬月はご愁傷様、とゲンドウに手を合わせた。

 

 

 

 その後、発令所に姿を現したゲンドウは、職員全員からの冷たい視線にたじろぐ。

「ふ、冬月……一体何があった?」

「感動の親子対面。当然こちらでもモニターさせて貰っていたよ」

 それで充分だった。ゲンドウはいつものポーズを取りながらも、頬に冷や汗を流す。

「どんな……具合だ?」

「発令所は完全アウェーだな。事が収まるまで、お前は発言を控えた方が良いぞ」

「むぅ」

「仕方あるまい。あの状況では、完全にお前が悪者だからな」

 冷や汗が更に流れる。ここに至っても、まだポーカーフェイスで居られるのは流石と言うべきか。

「か、構わん。全てはシナリオの為だ」

「ならもう少し優しく接したらどうだ? 嫌われるよりも、シナリオを進めやすいぞ」

「それが出来たら……とっくにやっている」

「相変わらず不器用な男だ」

 冬月は呆れたようにため息をついた。

 

 十年ぶりの対面。緊張していたのは、何もシイだけでは無かったのだ。

 動揺を必死に押さえ、シナリオを進めようとした結果が……あれであった。

 

 不器用な父親が娘と分かり合える日は、果たして訪れるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

~ゲンドウの手紙~

 

 碇ゲンドウ。

 特務機関ネルフの総司令を務める人物。

 正確は冷酷非情で、目的のためなら手段を選ばない。

 だった筈なのだが……。

 

「…………」

 ゲンドウは一人、司令室の机に向かっていた。無言で腕を組み、何やら思案している様子。

 その原因と思われるのは、机に載せられた真っ白な手紙だった。

 

(……どう書けばシイをここに呼べるか。それが問題だ)

 ゲンドウを悩ませているのは、シイをネルフに呼ぶための手紙だ。

 幼い頃に別れてから交流のない娘への手紙。流石のゲンドウと言えども、難しい問題だった。

 

(……ここは、他者の知恵を借りるか)

 早速他力本願に切り替えたゲンドウは、直ぐさま机にある通信機で連絡を取る。

 相手は、

「どうした碇?」

 副司令にして長い付き合いの、冬月だった。

「冬月、手紙を書いたことはあるか?」

「手紙? それはこれだけ長く生きていれば、それなりにはな」

「……長く連絡を取っていなかった相手に手紙を出す時は、どうすればいい?」

「ふむ、そうだな……」

 冬月はアゴに手を当て暫し思案する。

「まずは無沙汰を詫びるのだな。その後本題に入れば良いだろう」

「……わかった」

 ゲンドウは通信を終えると、手紙に筆を伸ばす。

 

『碇シイ様。

 十年以来ご無沙汰をしてしまいまして、誠に申し訳なく存じております。

 おかげさまでつつがなく暮らしております』

 

「書き出しはこんなものか。次は、どの様に本題に入るかだが……」

 ゲンドウは再び通信を行う。

 相手は、

「あら、碇司令。何か緊急事態でしょうか?」

 エヴァの開発責任者にして、腹心的な立場の赤木リツコだった。

「赤木君。君は手紙を書いたことはあるか?」

「え? はあ、まあそれなりには」

「相手に来て欲しいと手紙で頼む時は、どうすればいい?」

「相手との関係にもよります。立場や年齢の上下で表現が大分変わりますので」

「歳は大分下だ。立場もこちらが上だろう」

「でしたら、細かな理由を告げずに、呼び出しの旨を伝えれば宜しいかと」

「……分かった」

 ゲンドウは通信を終えると、再び筆をとる。

 

『碇シイ様。

 十年以来ご無沙汰をしてしまいまして、誠に申し訳なく存じております。

 おかげさまでつつがなく暮らしております。

 突然の事で恐縮ですが、こちらに来て下さい』

 

「シンプルなのは良いことだが、少々味気ないな」

 それ以前の問題だが、ゲンドウは真剣に悩む。

(可能ならシイにも喜んで貰いたい。どうするべきか……)

 脱線しつつあるゲンドウは、三度通信を行う。

 今度の相手は、

「い、碇司令!? 葛城一尉であります」

 最近本部に配属された、作戦部長の葛城ミサトだった。

(彼女なら私よりもシイに感性が近いはずだ)

「葛城一尉。君は手紙を書いたことがあるか?」

「はい?」

「手紙を書いたことがあるかと聞いている」

「は、はい! 多少ではありますが」

 内心混乱しつつも、ミサトはビシッとした声で答える。

「歳の若い者に手紙を出す時、少しでも印象を良くするにはどうすればいい?」

「えっと……相手は男性でしょうか? それとも女性でしょうか?」

「女だ」

「でしたら、文面を柔らかめにして、優しい印象を与えるのが効果的かと存じます」

「……わかった」

 ゲンドウは通信を終え、手紙を加筆修正していく。

 

『碇シイちゃんへ♪

 十年も連絡しなくてマジごめん。

 パパは元気で過ごしてるよん。

 で、ちょっとお願いなんだけど、ここに来て』

 

「……大分形になったな。だが、まだ何かが足りない」

 サングラスを光らせて思案する。

「やはり短すぎるのが問題か」

 ゲンドウはもはや手慣れた様子で、通信を行う。

 今度の相手は、

「「い、い、い、碇司令!?」」

 発令所のオペレーター三人組、日向マコト、青葉シゲル、伊吹マヤだった。

 突然すぎる上官からの通信に、三人は直立不動で固まる。

「君達は手紙を書いたことがあるか?」

「「はっ?」」

「聞こえなかったのか?」

「「い、いえ。失礼しました」」

 上官の不機嫌な声(本人は普段通りのつもり)に、慌てて敬礼を返す。

「じ、自分は筆無精なので、メールばかりであります」

「自分も日向二尉と同様です」

「私……じ、自分もであります」

「どの様なメールを送るのだ?」

 事情を知らない人からすれば、イジメのような上司の問いに、三人は何とか返答する。

「れ、連絡事項などを除けば、たわいない雑談であります」

「自分も同じく。何か面白い体験をすれば、それをネタに」

「わ、自分もです。遠く離れた友人や実家の家族には、近況報告なども」

「……分かった」

 ゲンドウは通信を終えると、一度手紙を全て書き直した。

 

 

 十分後。

「……これで問題ない」

 ゲンドウが書き上げた手紙を満足げに見つめていると、丁度そこに冬月がやってきた。

「碇、少し良いか」

「何だ」

「さっきの通信の事だ。まさかあれは、あの子に送る手紙の事を聞いていたのか?」

「そうだ。既に計画は終了している。後は送るだけだ」

 ゲンドウは口元をニヤリと崩し、冬月を見据える。

「……見ても良いか?」

「構わん」

 許可を得た冬月は、机の上の手紙をそっと手に取った。

 

『碇シイちゃんへ♪

 十年も連絡しなくてマジごめん。

 パパは元気で過ごしてるよん。

 最近はネルフの総司令として、忙しい毎日で参っちゃうよ。

 それに人類補完計画なんてものを、嫌みな老人達に任されて大変だ~。

 先日もエヴァ零号機が暴走しちゃって大騒ぎだったんだよ。

 でも頼りになる仲間に支えられて、パパは頑張ってるよ。

 シイちゃんの方はどうかな?

 体調崩してない? ご飯はちゃんと食べてる? パパは心配だよ~。

 あ、それでね、シイちゃんちょっとパパの所に来てくれないかな?

 大きくなったシイちゃんと会えるのを、楽しみにしてるね。 碇ゲンドウ』

 

「…………」

 読み終えた冬月は、無言のまま手紙を持つ手を震わせる。

「冬月、そう感動するな。この程度の手紙なら、私にかかれば造作もない」

「……碇」

「何だ?」

「……赤点だ」

 ビリッと冬月は容赦なく、ゲンドウの手紙を破り捨てた。

「な、何をする!」

「お前、こんな手紙を本気で送るつもりなのか?」

「何が悪い!」

「機密情報をあっさり書く奴があるか。しかも何だこの巫山戯た文体は」

「それは……」

「どうせお前の事だ。私に聞いたように、あちこちに手紙の書き方を聞いたのだろ」

 図星をつかれ、ゲンドウは押し黙る。

「とにかく、これは却下だ。書き直せ」

「む……」

「それと、出す前に私が添削するからな。安心しろ、元教師らしくしっかり手直しをしてやる」

 

 

 こうしてゲンドウは手紙を書き直すのだが、冬月の壁は厚かった。

 何度書いても突き返される日々。多忙な業務と相まって、ゲンドウの精神は極限まで追いつめられていった。そしてゲンドウは、冬月不在の隙を狙って手紙を送る事を決意する。

 

(用件は簡潔に、かつ変に媚びず、父親としての威厳を持って……)

 冬月の教育を思い出し、書かれた手紙が、

『来い』

 一言だけのど真ん中直球勝負だった。

 

 この手紙、役目こそ果たしたが、シイの心証が最低だった事は言うまでもない。

 




え~こんな感じで、毎回やっていきます。
箸休めの様な感覚でお読み頂けるとありがたいです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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2話 その1《実戦》

システムの不具合(攻撃を受けていたとか……管理者の方、お疲れ様です)によって、先日投稿出来なかった分、二つ投稿させて頂きます。


 夜の第三新東京市に対峙するエヴァ初号機と使徒。突然地上に姿を現した初号機を警戒してか、使徒は様子を伺うようにその場から動こうとしない。

 初の実戦。それはシイに限った話では無く、ネルフにとってもこれが初陣となる。戦場を映し出すモニターを、発令所のスタッフ達は緊張の面持ちで見つめていた。

「良いわね、シイちゃん」

『え、何がですか?』

 キョトンとした表情で返すシイに、ミサトはがくっと身体を崩す。

「あのね、目の前に敵が居て、これからそいつと戦うの。良いわね?」

『は、はい。ごめんなさい』

「……本当に大丈夫かしら」

「ミサト、今のは貴方の言い方が悪いわ。キチンと主語を入れて話しなさい」

「赤木君の言うとおりだ。葛城一尉、指示は的確かつ明瞭に行いたまえ」

「す、すいません」

 納得行かない表情で、取り敢えず頭を下げるミサト。内心不満たらたらであったが、喉元までこみ上げていた文句をぐっと飲み込む。

 今この場所、ネルフ本部第一発令所はアウェーなのだと、彼女は遅ればせながら理解したのだ。

 

 

『ま、とにかく……エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!』

 ミサトの号令で、初号機の背中を支えていた輸送台兼拘束具が解除された。固定されていた肩と腕のパーツが外され、自由になった初号機は猫背気味に自立する。

『シイちゃん。今は歩くことだけを考えて』

「分かりました。……歩く……歩く……」

 レバーを握りながら、シイは歩行するイメージを浮かべる。普段歩くと言う動作は、ほとんどの人が無意識レベルで行っているだろう。それを自分の身体を動かさずに、意識するのは予想外に難しかった。

 それでも必死にシイは歩く姿をイメージし続ける。するとそれに呼応するかの様に、初号機の右足がゆっくりと上がり、第一歩を踏み出した。

『『歩いた!!』』

「えっ!?」

 スピーカー越しに発令所で響く歓喜の声が聞こえ、シイは思わず目を見開く。

「あの~ひょっとして、今まで動いたこと……無かったんですか?」

 もっともな疑問だった。使徒と戦えと言うのに、命令した者達は歩いただけで大喜び。

 正直不安になる。

『えっと……それは……ね』

 思わずミサトは言葉に詰まってしまう。

 実はこの初号機、起動する確率は『0.000000001%』と言う絶望的な数値で、オーナインシステムと揶揄されていた代物だった。

 それがあっさり起動して更に歩行までして見せた為、思わず彼らは喜んでしまったのだ。

『違うわシイちゃん』

 変わりに答えたのはリツコだった。

『初めて搭乗した貴方が無事初号機を動かせたことに、私達は思わず喜んでしまったの』

「そうだったんですか。すいません、先程から失礼な事ばかり言ってしまって」

『気にしないで良いわ。さあ、もっと歩いてみて』

「はい」

 すっかり信じ込んだシイは、素直に初号機の歩行を続ける。一度歩いたことで感覚が掴めたのか、ぎこちないながらも二歩、三歩と順調に歩を進めていく。

 だが、

『ねえシイちゃん。言いにくいんだけど……手と足が同じ方出てるわよ』

「え、あ、本当だ! 恥ずかしい……」

 緊張のためか、手足が同方向出ていたことをミサトに指摘され、焦ったシイはイメージを乱してしまう。すると初号機は軸足に反対の足を引っかけてしまい、前のめりに盛大にずっこけた。

 

 

 一斉に非難の視線がミサトに集中砲火を浴びせる。

「ミサト! 貴方がパイロットの精神を乱してどうするの!」

「だって……つい気になって」

「……葛城一尉。減俸10%追加だ」

「了解!」

 冬月の非情な通告に、ミサトは再び肩を落とす。だがそんな彼女の都合など関係無しに、戦いは続く。

「使徒、初号機に接近!」

 青葉の焦った報告に、発令所の緊張感が増す。モニターの向こうでは、俯せに倒れたままの初号機へ向かって、沈黙を守っていた使徒がゆっくりと近づいて来ていた。

 

 

「痛たた……」

 転倒した衝撃はプラグ内のシイにも届いていた。プラグ内のインテリアに身体を固定されているので、直接的なダメージは無いが、初号機とシンクロしている為、脳が痛みを認識してしまう。

『シイちゃん、立ち上がって。シイちゃん!』

 ふらつく頭をさすっていると、スピーカーからミサトの大声が響き渡った。

「は、はい…………」

 立ち上がろうと前を向いたシイは、思わず固まる。プラグのモニターには、使徒の姿がもう目前まで迫っていたのだ。

「う、あ、あ……」

 恐怖で体が竦む。立ち上がらなくては、と言う脳の指示すらまともに伝わらない。

 そんな無防備な初号機を、使徒が見逃してくれる筈も無かった。

「きゃっ!」

 使徒は左腕で初号機の頭を掴むとそのまま身体を持ち上げ、残った右腕で初号機の左腕を握りしめる。

「痛い、痛い、痛い、痛いよ~」

 涙声で絶叫するシイ。万力で腕を潰されるような激痛が彼女を襲っていた。

『落ち着いてシイちゃん。掴まれてるのは、貴方の手じゃないのよ!』

「じゃあどうして痛いんですかっ!!」

 半ば八つ当たり気味にシイは絶叫する。

 

 

「それは…………どうして?」

 隣に立つリツコへ助けを求めるミサトに、ガクッと発令所スタッフ全員がずっこけた。

「あのね、前に説明したでしょ。エヴァはパイロットとシンクロして動いているの。だからエヴァのダメージも少なからず、パイロットにフィードバックしてしまうのよ」

「そう言う事よシイちゃん!」

 再びずっこけるスタッフ達。他力本願ここに極まれり、だった。

 

 そんなやり取りも、シイの耳には入ってこない。

 今の彼女は、味わったことのない激痛に耐えることで精一杯だった。

「痛い……痛いよ……」

 反撃はおろか、使徒から逃げることも出来ない初号機。調子に乗った使徒は、更に腕を握る力を強める。

 初号機の左腕が嫌な音を立て始め、そして、

「っっっっっっっ!!!」

 鈍い音を響かせてへし折られた。

「う、うう…………」

 涙を零し、自分の左腕を必死に撫でる。当然折れてもいないし、何かに掴まれている訳でもない。

 だが痛みは容赦なくシイを苛み続けていた。

 

「初号機左腕損傷」

「回路断線」

「パイロットの精神グラフに乱れが出ています」

 発令所に警報アラートが鳴り響く。

「シイちゃん、シイちゃん返事をして!」

 必死に叫ぶミサトだが、返ってくるのはシイの泣き声だけ。

「不味いわね。フィールドは?」

「無展開です」

「防御システムは?」

「駄目です、作動しません」

 絶望的な報告に、リツコは焦りの色を浮かべる。

『助けて……もうやだよ。助けて……』

 弱々しいシイの声に、発令所スタッフは唇を噛みしめる。今の状況で、自分達がシイにしてあげられる事は何も無いのだ。

 

 すっかり戦意を喪失してしまったシイに、初号機を操縦して抵抗する気力は残されていなかった。そしてそんな無防備な獲物を見逃すほど、使徒は甘くも優しくも無い。

 頭部を掴んだ手の平から、光の杭を初号機の右目へと打ち込んでいく。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 二度、三度と打ち込まれる杭に、シイは右目を押さえて絶叫する。眼球という脆い部位を強打される激痛は、年齢や性別に関係無く耐えられるものでは無かった。

 完全に無抵抗状態の初号機だったが、使徒は攻撃の手を緩めない。光の杭は徐々に初号機の装甲を抉っていき、トドメと放たれた最後の一撃で遂に頭部を貫通した。

 勢いよく伸びる光の杭に押されるように、初号機の身体は後ろに吹き飛び、ビルへと激突した。

 すっと杭が抜かれた頭部から、血のような液体が大量に噴き出す。

 

「初号機頭部破損、損害不明」

「神経回路が遮断されていきます」

「し、シイちゃんは!?」

「プラグ内モニター不能。生死……不明です」

「シイちゃん!!」

 ミサトの絶叫が、発令所に響き渡った。

 




二話目に突入しましたが、ここまではほとんど原作の流れをなぞっているだけ、性転換以外の目新しい要素はありません。

大きな変化を見せるのは後半ですが、性転換による影響は少しずつ物語を違う方向へと誘います。

作者の未熟故、読むのに労力を要する小説と思いますが、
お付き合い頂ければ幸いです。


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2話 その2《病院にて》

「……あれ」

 シイが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。

(ここは何処? 何で私はここに居るの?)

 目覚めたばかりのせいか、どうも記憶がハッキリしない。覚えているのは、葛城ミサトと言う女性に出会い、ネルフという組織に連れて行かれて……。

「はっ!」

 弾かれたようにシイはベッドの上で、上半身をはね起こす。キョロキョロと周囲を見回すが、病室と思われる白い部屋には、無音の空間が広がっているだけ。

(あれは夢……? ロボットに乗って、見たこともない怪獣と戦って……)

 背筋が凍るような恐怖が蘇り、シイは震える自分の身体を強く抱きしめる。途切れ途切れの記憶だったが、あの恐ろしい光景は脳裏に焼き付いていた。

 身体を丸めて震えるシイの元に、

「……何だろう?」

 消毒液の臭いに混じって、甘く優しい香りが届く。もう一度周囲を見回して見つけた香りの正体は、ベッドサイトへ大量に飾られた花だった。

『シイちゃん江。早く元気になってね♪ ネルフスタッフ一同』

 花についていたメッセージカードを見て、シイは思わず微笑む。彩り豊かな花と暖かなお見舞の言葉は、シイの恐怖を和らげてくれた。

「ありがとうございます」

 顔も知らぬネルフの職員に向けてぺこりとお辞儀をすると、シイはひとまず病室を出ることにした。

 

 

 病室のドアを開けて外に出ようとしたシイは、

「きゃっ」

 何かにぶつかり尻餅をついた。

「痛たた~」

「おや、すまない。大丈夫かね」

 ドアの向こうには、ネルフの制服に身を包んだ老年の男性、冬月コウゾウが立っていた。

「へ、平気です。すいません、前をよく見ていなくて」

「手を貸そう」

 冬月は穏和な笑みを浮かべると、そっとシイに手を差し伸べる。

「あ、すいません。ありがとうございます」

(むぅ、可憐だ。幼い頃のユイ君はこんな感じかもしれん)

 少し照れながら立ち上がるシイに、冬月は心の中で密やかな喜びを感じていた。

「あの、失礼ですけど……」

「おおそうだった。君とは直接会うのは初めてだったね。これはすまなかった」

 冬月は軽く頭を下げる。

「私は冬月コウゾウ。特務機関ネルフの副司令を務めている」

「は、初めまして。碇シイと……副司令?」

「どうしたのかね?」

「その、副司令って……偉い人ですよね?」

 シイのストレートな物言いに、冬月は苦笑しながらも頷く。

「まあ君のお父さんの次には、だがね」

「そんな偉い人が、どうして私の所に?」

「君がそれだけ大切な存在だと言うことだよ。本来なら君のお父さんが来るべきだが……」

「あんな人来なくて良いです」

 怒った様に口を尖らせるシイ。真剣に怒っているのだろうが、その仕草すらどこか幼く可愛らしい。

「私は冬月副司令が来てくれて嬉しいです」

「そ、そうかね……そう言ってくれると嬉しいよ」

 パッと表情を変えて笑顔を浮かべるシイに、冬月は思わず赤面する。

(いかん……危うく陥落するところだった)

 

「それで、冬月副しりぇい……」

 盛大に名前を噛んでしまい、シイは恥ずかしそうに頬を染める。

「呼びにくい様だね。ふむ、それならば私のことは、冬月先生とでも呼んでくれ」

「冬月先生、ですか?」

(むぅぅ、これは予想以上にくるな)

 表情に出さないあたりは、流石は副司令と言うべきか。

「呼びやすいですけど、どうして先生なんです?」

「いや、私は昔教師をしていてね。呼ばれ慣れて居るんだよ」

「そうだったんですか。でも分かります。冬月先生、頭良さそうで優しいし」

「ははは、お世辞でも嬉しいよ」

「お世辞じゃ無いです。私、冬月先生だったら勉強もっと頑張るのにな~」

 シイは冬月に尊敬の眼差しを向けて微笑む。

「ありがとう。さて、来て早々で申し訳ないが、私はもう行かなくてはならない」

「そうですか……」

「また今度、ゆっくりと話そう」

 しょぼくれたシイに冬月は優しく語りかけると、一礼して病室を後にした。後ろ姿を見送るシイの中で、冬月株はストップ高で取引を終えるのだった。

 

 

「冬月先生いい人だな~。お父さんとは大違い」

 短い時間のやり取りだったが、優しく理知的なイメージの冬月は、父親の悪いイメージも相まって、頼りがいのある大人として印象づけられていた。

 シイは笑顔でベッドへと寝っ転がり、シーツをかけようとして、

「って違う~。私は部屋から出ようとしてたの!」

 セルフ突っ込みをして跳ね起きる。危うくこのまま二度寝するところだった。

「あ~冬月先生に、これからどうすれば良いか聞けば良かった」

 後悔は先に立たない。シイは気持ちを切り替え、再び病室から出ようとする。

 ドアを開けて、今度こそと第一歩を踏み出したシイは、

「きゃっ」

 再び何かに行く手を阻まれた。急に視界が真っ暗になり、柔らかな何かに顔を包まれる。

(何、これ?)

「あらシイちゃん、意外と大胆ね」

(この声ミサトさん!? じゃあこれは……!!)

 シイは顔を真っ赤に染めながら、慌てて後ろへと飛び下がる。

「み、ミサトさん。ごめんなさい、私その……」

「良いのよ気にしないで」

 入り口に立つミサトは、笑いながら手を振る。

「何ならもう一度やる?」

「け、け、結構ですから」

(ウブな子ね。ちょっちからかいたい所だけど、時間もアレだし)

 シイをからかうのを止めると、ミサトは仕事モードに頭を切り換える。

「体の具合はどう?」

「あ、はい、元気です」

「良かったわ。それじゃ、いきなりだけど、昨日の事とか簡単に説明しちゃうわね」

 シイと並んでベッドに座り、ミサトは話し始めた。

 あの後使徒は初号機によって倒されたこと。しかしシイは意識を失っていたため、検査をかねてここに入院していたこと。今後については、これからネルフ本部で説明があること。

 本当に簡単な説明だけだったが、シイは納得したように頷いた。

 

「てな感じよ。どう?」

「ありがとうございます。お陰で大分スッキリしました」

「んじゃ早速本部に行くけど、その格好じゃアレだし、着替えちゃってね」

 シイが着ているのは水色の病衣。流石に外を出歩く格好では無い。

「これ持ってきたから」

 ミサトは紙袋から、シイが着ていた制服を取り出す。洗濯してくれていたのか、LCLに漬かった制服は綺麗にアイロンが掛けられていた。

 シイは礼を言って受け取ると、

「…………」

「…………」

 無言で二人は見つめ合った。

「あの、ミサトさん」

「何かしら?」

「その……着替えるので……外に出ていて貰えると」

「あら良いじゃない。女同士だし、減るもんじゃないし」

 ニヤニヤとからかうミサトに、シイは恥ずかしげに自分とミサトへ、交互に視線を動かす。

(ん…………あ~そう言うこと)

 シイの視線が、お互いの胸を行き来していることに気づき、ミサトは納得する。

(シイちゃんも女の子ね。そろそろマジで時間やばいし)

「分かったわ。外に出てるから、着替え終わったら出てきてね」

 軽く手を振り、ミサトは病室から出ていった。

 

 

 シイとミサトは、一階へ下りるためエレベーターを待っていた。

「ふふふ、シイちゃん綺麗な肌してるのね」

「……鍵を掛けておくべきだったと、反省してます」

「はぁ~若いってのは良いわね~。私も昔はちょっち自信あったんだけど」

「昔って……ミサトさん幾つ何ですか?」

 さりげなく尋ねたシイの言葉に、ぴくっとミサトのこめかみに筋が走る。

「い、幾つに見えるかしら?」

「…………三、うわぁぁぁぁん」

「良いことシイちゃん。女性に年齢を聞くのはマナー違反だしぃ」

 わしゃわしゃと、ミサトはシイの頭を乱暴に撫でる。表情こそ笑顔を浮かべているが、こめかみに血管が浮かんでいるあたり、相当お怒りのようだ。

「幾つに見えるって聞かれたときは、思った年齢からマイナス五するのが礼儀よ」

「わ、分かりましたから。撫でるの止めて~」

「んじゃリテイクよん。幾つに見える?」

「……に、二十台……前半です」

「んふふ~よろしい♪」

 ミサトは満足げな顔で、ようやくシイの頭から手を離した。

「うう、髪が」

 シイがあちこち飛び跳ねた髪を直そうとしていると、エレベーターが到着した。

 

 ゆっくりと左右に開かれるドア。

 その奥に立っていたのは、黒い制服とサングラスに髭面の男。一度見たら二度と忘れない風貌は、ネルフ司令の碇ゲンドウその人だった。

「お父さん……」

「碇司令」

 無言で見つめ合う親子。沈黙を破ったのは、ゲンドウだった。

「……の、乗るのなら早くしろ。でなければ――」

「(ぷい)」

 頬を膨らませ、シイは拒否する様に顔を背ける。

(あちゃ~。こりゃ碇司令、相当嫌われちゃったわね)

(……ぐすん)

 何とも言えない気まずい空気は、自動で閉まるエレベーターのファインプレイで終わりを告げた。

 

「あの、ね、シイちゃん」

「……さあミサトさん、ネルフ本部に行きましょう」

 不機嫌を隠そうともせずに、続いてやってきた別のエレベーターに乗り込むシイ。

(まだまだ子供、か。変に心を隠されるよりは良いけどね)

「ミサトさん?」

「あ、ごめんごめん。今行くわ」

 

 二人はそのまま病院を出て、ネルフ本部へと向かった。 




原作では、冬月はシンジとほとんど絡んでいません。立場の問題もあると思いますが、冬月からすれば接しづらかったのかとも思えます。

ただ今回は彼女の面影を強く残す娘ですので、心に忠実に行動してますね。性転換は冬月に大きな影響を与えました。

※ここ暫く、サーバーが大変な状態だったようですね。その方面には疎いため詳しい事は分かりませんが、管理者様は大変な苦労をされたと思います。
サイト休止中にある程度ストックが出来ていますが、サーバーに負担を掛けないように、投稿は一日一話を守っていきます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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2話 その3《ネルフへようこそ》

 病院を後にしたシイは、ミサトが運転する車でネルフ本部へと向かっていた。先日に比べて大分丁寧な運転だったのは、病み上がりのシイを気遣っての事か、あるいはボロボロの愛車を気遣っての事か。

「すいませんミサトさん」

「ん~何の事かしら?」

「車ボロボロなのに、送って頂いてしまって」

「う゛っ」

 何気ないシイの一言は、ミサトの傷口を容赦なく抉る。応急処置しかしていない車体は、速度を少しでも上げれば悲鳴をあげる程のダメージを残していた。

 現実を思い出したミサトは涙目でシイを見つめるが、悪意の欠片も無い少女に文句を言える訳も無い。

「い、良いのよ気にしないで。これも私の仕事だから」

「…………」

「どうかした?」

「私はこれから、どうなるんでしょうか?」

 ミサトがちらりと視線を向けると、助手席に座っているシイは不安からか顔を強張らせており、膝の上に置いた両手は小さく震えていた。

(そっか。この子は司令に会う為だけに、ここに来たんだっけ)

 ゲンドウは始めから、シイを初号機に乗せるためにネルフへと呼び寄せた。だがそんな事を知らないシイは、純粋に父親に会いに来ただけ。

 その再会があのような形で終わってしまっては、今後を不安に思うのも無理は無いだろう。

「詳しい話は本部に着いてからになるけど、そんなに悪いようにはならないと思うわ」

「……はい」

 シイは俯いたまま、小さく呟くように答えるのだった。

 

 

 ネルフ本部にやってきたシイ達を出迎えたのは、黒いスーツを着た男だった。服越しにも分かる程鍛えられた肉体と、表情を隠すようにかけられたサングラス。

 ひいき目に見ても堅気ではない出で立ちの男に、シイは萎縮してミサトの背後に隠れてしまう。だが黒服の男は気にした様子も無く、事務的な口調でミサトへと声を掛けた。

「お疲れ様です、葛城一尉」

「お疲れ様。準備は出来てる?」

「はい。ご案内します」

 男はくるりと背を向けると、二人を先導する様に歩き始める。その後に続いて歩き始めたミサトは、ふと自分の服の裾をシイが掴んでいるのに気づく。

「シイちゃんどうしたの?」

「ご、ごめんなさい。ちょっと……怖くて」

 シイが恐る恐る視線を向けるのは、前を歩く黒服の男。大きな身体とサングラス、黒スーツに無表情と子供に怖がられる要素を完備しているのだから、それも無理も無いかとミサトは納得してしまう。

「あ~平気よシイちゃん。この人はネルフ保安諜報部のスタッフで、私達の安全を守ってくれるの」

 正確に言えば役割は異なるが、ミサトはシイを安心させるため言葉を選ぶ。

「だから、怖がらなくても良いのよ」

「は、はい。あの~ごめんなさい」

「……気にしておりません」

 シイの謝罪に男は振り返りもせずに答える。それでも返事をしてくれた事で、シイの男に対する苦手意識と恐怖心は大分和らいでいた。

「初めまして、私碇シイと言います。貴方のお名前は?」

「あのねシイちゃん。諜報部って言うのは」

「……鈴木と申します」

 あっさり答えた男に、ミサトは思わずずっこけそうになる。保安諜報部はネルフという組織の中でも、特に規律や規則に厳しく、在籍しているスタッフも一流のエージェントばかり。

 そんな諜報部員が名前だけとは言え、個人情報を簡単に話すとは夢にも思わなかったからだ。

「鈴木さんですね。よろしくお願いします」

「……こちらこそ」

 シイの目線では見えないだろうが、返事をする男の頬は僅かに朱に染まっていた。

(こ、こいつもか~!!)

 ミサトはポーカーフェイスを装う男に、呆れ混じりの視線を送るのだった。

 

 

 ネルフ本部は非常に複雑な構造をしていた。例えスタッフと言えども、不慣れであれば迷うことも仕方ないと思えてしまう程に入り組んでいる。

 だが流石は保安諜報部員。歩くこと数分、彼は一切の迷い無く目的地へと二人を案内していく。やがて三人が辿り着いたのは、小さな会議室だった。

 男が軽くノックをしてから自動ドアを開くと、

「冬月先生?」

「ふ、副司令!?」

 中には椅子に座りながらお茶をすする、冬月が待ちかまえていた。

「おお、来たかね。……君は下がりたまえ」

「はっ。失礼します」

 一礼して黒服の男が退室するのを待ってから、冬月は二人に向き直った。

「葛城一尉。シイ君の付き添い、ご苦労だったね」

「いえ、それは良いんですけど……どうして副司令がこちらに?」

「担当者に急な仕事が入ってね。丁度手の空いていた私が借り出された訳だ」

「は、はぁ」

 ミサトの聞いていた話では、ここには保安諜報部員と事務局の人間が待っている筈であった。これから行う事を考えれば、この場に副司令という立場の人間が居るのは不自然極まりない。

「冬月先生!」

 腑に落ちない表情で首を傾げるミサトを余所に、シイは嬉しそうに冬月に近寄る。

「やあシイ君。久しぶり、でも無いか」

「ふふふ、そうですね」

「え、え、え、シイちゃん、副司令と会ったことあるっけ?」

「はい。ミサトさんが来るちょっと前に、お見舞いに来てくれたんです」

 嬉しそうなシイの言葉を聞いて、ミサトはじ~っと冬月を見る。だが、冬月は全く動じない。

「職務で近くへ寄ったのでな。時間があったので、見舞ったのだ」

「……そう、ですか」

 使徒襲来の翌日に、時間に余裕があるとはとても思えない。だが副司令である冬月にそう言われては、ミサトは引き下がるしかない。

「さて、退院そうそう悪いのだが、幾つかやっておかなければならない事がある。良いかね?」

「はい」

「結構だ。まずは、シイ君にはネルフと契約を結んで貰いたい」

「契約……ですか?」

 首を傾げるシイに、冬月は頷く。

「我々ネルフは国連直属の歴とした国際組織でね、施設に立ち入るのすら許可が必要なのだよ。パイロットである君には、正式にネルフ職員となって貰いたい」

「でも冬月先生。私はまだ中学生ですから、働いちゃ駄目なんじゃ……」

「ネルフには超法規的な権限が与えられているので、それは問題ないよ。無論学業を優先出来るよう、勤務に関しては最大限に配慮するつもりだ」

 冬月は教え子を諭すように優しく説明する。

「どうかね、シイ君」

「あの、一つお聞きしたいんですけど……もし契約をしなかったら、私はどうなるんでしょうか?」

「元の家に……君の場合は京都の実家へ帰って貰う事になる。ただ、最重要機密であるエヴァと関わった君には、申し訳無いが今後、ネルフの監視が付いてしまうがね」

 怖いことをさらりと言ってのける冬月。だがこれは脅しではなく事実だった。望んで得たものでは無いとはいえ、機密情報を持つ一般人を放置するほど、ネルフという組織は甘くない。

「契約は勿論君の意思で決めて構わない。ただ私個人としては、君に残って貰いたいと思っているよ」

「でも副司令、今この場でと言うのはあまりにも……」

「ああ、その点は考慮している。考える時間が必要だろうから、返事は二三日待っても構わない」

「……いえ、決めました。私、ここに残ります」

 悩むと思っていた筈の決断を、予想外にあっさり下したシイに、ミサトは心配そうに声を掛ける。

「良いのシイちゃん? 結構重大な決断だと思うけど」

「はい。こんな私が何かの役に立てるかは分からないですけど、それでも私を必要としてくれる人がいるなら……私にしか出来ない事があるなら、頑張ってみたいんです」

(うぅぅ)

(おぉぉ)

 きらきらと輝く瞳を向けるシイ。冬月とミサトはそのまぶしさに、思わず目を逸らしてしまう。

(な、何というか……この子、純粋に良い子なんだわ)

(正直胸が痛むが……ここは心を鬼にするしかあるまい)

 シイの純粋さは、大人達にこっそりとダメージを与えていた。

 

「で、では、これが契約書だよ。良く目を通して、何か不明な点があれば言ってくれたまえ」

「これ全部ですか?……凄い分厚いですね」

「ま~ね、シイちゃんは重要機密のエヴァパイロットだし、守秘義務やら面倒な決まりが多いのよ」

「うぅぅ、字も細かい……えっと、特務機関ネルフ(以下甲)は碇シイ(以下乙)に対して……」

 たどたどしく契約書を読んでいくシイだったが、始めの数行で早くも理解の限界を迎えていた。国際組織の、しかも重要機密であるエヴァのパイロットに対しての契約は、紙切れ一枚のそれとは比較にならない。

 契約書に触れる機会の少ない十四才の子供には、あまりにも難しすぎる内容だった。

「ミサトさ~ん」

「そ、そんな助けを求める子犬みたいな目で見ないでよ」

「ふむ、ならば私が要約してあげよう」

 冬月はそっと契約書を手に取ると、要点だけをかみ砕いてシイに説明した。機密情報の取扱や守秘義務。勤務態勢に非常時の行動等。そして、給料などお金について。

 流石は元教師だけあって、冬月の説明はシイにも理解出来る程分かりやすいものだった。

 

「大まかな説明だったが、どうかね?」

「凄い分かりやすかったです。ありがとうございます」

 嬉しそうに礼を述べるシイを見て、冬月は忘れていた教師の血がたぎるのを感じていた。

「え~取り敢えず、契約はOKって事で良いかしら?」

「はい」

 シイは慣れない手つきで契約書にサインをし、晴れてネルフスタッフの一員となった。

 

 

「さて、今日中に行うべき手続きは後一つ、シイ君の住居だ」

「え、碇司令と親子で住むのでは?」

「嫌です」

 ミサトの言葉に、シイは即刻拒否を明言する。あまりに分かりやすい父親への感情に、ミサトと冬月は一瞬困ったように顔を見合わせた。

「……こほん、まあ碇の方も不在がちでな。あまり良い選択ではない」

「では?」

「居住区に部屋を用意してある。そちらで暮らして貰おうと思っているが」

「ちょ、ちょっと副司令。シイちゃんはまだ十四才ですよ。一人暮らしなんて」

「良いんです、ミサトさん」

「え?」

 思わず抗議を止めてシイを見るミサト。

「我が儘言うと、皆さんに迷惑掛けちゃうし……一人は寂しいですけど……我慢しますから」

 シイは微笑んでみせるが、無理をしているのは直ぐに分かる。スカートを掴む手が、小さく震えていたからだ。

 それを見たミサトは、カッと目を見開いて冬月に向き直る。

「副司令、これでも――」

「一人暮らしは却下だな」

 ミサトの言葉にかぶせて、冬月は前言を撤回した。

 

「となると、誰かと同居という事になるな。ふむ……おおそうだ、私の家に来ると良い」

「はぁ?」

 突然何か言い出した冬月に、ミサトは上官と言うことも忘れて声をあげる。

「幸い空き部屋もあるし、碇ほど不在がちでもない。勿論、シイ君が望めば、だが」

「し、しかし副司令。シイちゃんは女の子ですし……」

「孫の様なものだ。問題あるまい?」

「ですが……」

 上手い反論が浮かばず、ミサトは言葉に詰まる。別に冬月と同居でも、問題はないのだろう。だが、何故かミサトはそれを許してはいけない気がしていた。

「どうするね、シイ君」

(不味いわ。シイちゃんは何故か副司令に好印象を抱いてる。このままじゃ)

「あの、それじゃあ……」

「「ちょっと待ったぁぁぁ!!」」

 シイが了承の意を告げるその瞬間、昔懐かしいかけ声と共に会議室のドアが開かれる。同時に飛び込んできたのは、リツコを始めとするスタッフ達だった。

「り、リツコさん?」

「それにみんなも……」

「……ちっ」

 戸惑う二人に聞こえないよう、冬月は小さく舌打ちをする。

「副司令、ちょっと宜しいでしょうか?」

「……むぅ、やむを得まい」

「シイちゃん、少し待っていてくれるかしら?」

「は、はい」

 笑顔のリツコに、シイは戸惑いの返事をする。

「ミサト、貴方も来て」

「ちょっと何なのよ」

「いいから。ほら」

 リツコに引っ張られ、ミサトも一緒に会議室の外へと連れ出されてしまった。残されたのは、状況が理解できずに佇むシイ一人。

(……私、邪魔者なのかな)

 シイの不安は、ミサト達が戻ってくるまで消える事はなかった。




原作ではほんの僅かなやり取りでしたが、エヴァのパイロットはネルフの職員ですので、きっと裏では契約等をやっていたのかな~と、妄想してみました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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2話 その4《見知らぬ天井》

 

 夕暮れが迫る第三新東京市を、ボロボロの青いルノーが走る。その運転席にはミサトが、そして助手席にはシイが座っていた。

「あの、本当にご迷惑じゃ無いですか?」

「良いの良いの。私も同居人が出来て嬉しいんだから」

 不安そうに声をかけるシイに、ミサトはウインクをする。

 そう、結局シイはミサトの家に住むことに決定した。あの後大人達の間にどんな話し合いが行われたのかは分からない。だが、戻ってきた面々は一様に疲れ果てており、激しい議論があったことを推察させる。

 

「家に帰る前に、ちょっち寄り道するわよ」

「寄り道、ですか?」

「そう。新たな同居人を歓迎する準備♪」

 二人を乗せた車はコンビニに駐車する。店内に入るなり、ミサトは棚に並んでいた商品を、ぽいぽいと商品をかごに詰める。そのほとんどはおつまみ系の食べ物だったが。

「シイちゃんも買いたい物があれば、好きに入れちゃって良いわよ」

「は、はい」

「ふんふふ~ん、これとこれと……」

(……あ、このチョコ美味しそう)

 山のような買い物かごに、シイはそっと好物を忍ばせた。

 

 

 コンビニを後にして、家へと帰る途中、ミサトはある物をシイに見せた。

 それは、

「ビルが生えてきた!?」

 沈みかける夕日が照らす中、本来の姿を見せる第三新東京市だった。次々と地面からビルが上昇し、やがて高層ビル街へと変化していく。今まで見たことのない壮大な光景に、シイの表情は自然と笑顔になっていた。

「凄い……それに綺麗」

「これが使徒迎撃要塞都市、第三新東京市。私たちの住む街。そして」

 ミサトはシイを見つめ、

「あなたが守った街よ」

 優しく告げるのだった。

 

 思わぬサプライズに、シイの心はほくほくだった。

 ミサトの家に入るまでは。

 

「ここよ。ちょっち散らかってるけど、気にしないでね」

「はい。ミサトさん忙しいから、どうしても家の事はおろそか……に」

 マンションの一室、ミサトの家に足を踏み入れる直前、シイは固まる。玄関には無数の靴が乱雑に脱ぎ散らかされて、文字通り足の踏み場も無かったのだ。

(き、きっと、急な出勤が多いのよ)

 シイはささっと靴をそろえると、靴を脱いで中に入る。衣服が散乱する廊下を、踏まないように慎重に進み、再び固まってしまう。リビングは脱ぎ散らかされた衣類とゴミで、床を見る事すら叶わない惨状だった。

(い、忙しいの。そうよ、大変な仕事だもん)

 キッチンは大量の洗い物と、こちらもゴミで埋め尽くされている。

(しょ、食事の途中に呼び出される事もあるもんね)

 ダイニングは……ビールの空き缶で山が形成されていた。

(…………)

 ここに至って、ようやくシイは認めた。これが、葛城ミサトという女性なのだと。

 

「…………ミサトさん」

「な、何かしら」

「掃除機と雑巾、バケツは何処ですか? それと、ゴミ袋も」

「え、え~と家にあったかしら」

「では買ってきて下さい」

「い、今から? それは流石に……」

「今、すぐに、です」

 普段おとなしい子ほど怒ると怖いと言う。目が据わったシイは、思わずミサトの顔が引きつるほど怖かった。

「はい! 今すぐ行って来ます!」

 慌てて家を飛び出すミサト。

 それを見送ると、

「ミサトさんが戻るまで、まずは衣服の整理からね」

 ぐっと腕まくりをして、シイは葛城家大掃除へと取りかかるのだった。

 

 

 二時間後。

 すっかり片づいた部屋で、ミサトとシイは遅い夕食を始めていた。

「いや~綺麗な家ってのは気持ちが良いわね」

「…………」

「あら、どうしたのシイちゃん?」

「すいません、色々と失礼な事を言ってしまって」

 恐縮して身を縮ませる。

「良いのよ別に。お陰で片づいたんだし。それに、一緒に暮らす家族なら、あれくらい当たり前よ」

「家族……」

「ええ。私はシイちゃんを家族だと思ってるわ。迷惑かしら?」

「と、とんでも無い。その……嬉しいです」

 ぽつりとつぶやくシイに、ミサトは笑顔を向ける。

「ほらほら食べて。あなたの歓迎会なんだから」

 二人が向き合うダイニングの机には、美味しそうな料理が湯気を立てている。作ったのは歓迎会の主役だが。

「う~ん美味しい。シイちゃん料理上手なのね」

「祖母に習ったんです。ただそのせいか、和食にレパートリーが偏ってますけど」

「充分よ。家事も完璧、いつでもお嫁に行けるわね」

「ふふ、じゃあミサトさんは大変です……ね」

 言ってからしまったと、シイは思わず口を塞ぐ。だが、時既に遅し。

「ほほほ、シイちゃん。何か言い残す事はあるかしら?」

「えっと、その……家族なら、これくらいのやり取りは当たり前ですよね?」

「そうね。家族だものね。こ~んなスキンシップくらい、当たり前よね」

「ご、ごめんなさぁぁぁい」

 ミサトのなで回しは、シイの黒髪がウニのようにつんつんになるまで続いた。

 

 

 どうにか落ち着いたミサトに勧められ、シイはお風呂に入ることにした。

「はぁ、これ戻るのかな」

 洗面所の鏡を見て、シイはぼさぼさの髪をいじくる。手で押さえても、離した瞬間にぴょんとはねてしまう。

「お風呂に入れば平気かも」

 シイは制服がしわにならないよう畳むと、浴室のドアを開けて、

「きゃぁぁぁぁぁ」

 盛大な悲鳴を上げた。

 

「み、み、み、ミサトさん」

 大急ぎでダイニングへと走ったシイ。

「あら、どうしたの?」

「こ、こ、こ、この子」

 シイの腕には一匹のペンギンが抱かれていた。

「ああ、彼はもう一人の同居人よ。新種の温泉ペンギンで、名前はペンペン。驚いたで――」

「可愛い~」

 シイは思い切り両腕でペンペンを抱きしめる。

「い、意外と図太いのね」

「ペンペンって言うんだ~。凄い可愛いです」

「くえぇぇぇぇ」

 シイの胸の中で、ペンペンが悲鳴をあげる。小柄な少女の細腕とは言え、より小さなペンペンにとっては相当苦しかったのだろう。

「シイちゃん、その辺にしておかないと、ペンペンが潰れちゃうわよ」

「あっ、ごめんなさい」

「くえぇ」

 正気に戻ったシイから解放されたペンペンは大きく深呼吸をすると、部屋の隅にある冷蔵庫へと歩いていく。

「あそこが彼の部屋なの」

 ペンペンは発達した爪で、器用に冷蔵庫の脇にあるボタンを押してロックを解除する。そして中に入る前に、チラリと視線をシイに向けた。

「ごめんね、ペンペン」

「くえ、くえ」

 謝るシイに、気にするなと言う感じで軽く答え、ペンペンは冷蔵庫へと入っていった。

 

「まるで言葉が分かってるみたい……」

「温泉ペンギンは知能が発達してるからね~。因みに彼、新聞も読むわよ」

「そうなんですか」

 呆然と冷蔵庫を見つめるシイ。

「それよりもシイちゃん、そのままだと風邪引いちゃうわよ」

「え? …………きゃぁぁぁ」

 ミサトに指摘され、シイは自分が全裸だった事を思い出し、真っ赤になって風呂場へと逃げた。

 

 

「……眠れない」

 畳に敷かれた布団の上で、シイはぽつりと呟く。体は疲れているのだが、どうしてか目がさえていた。

 慣れない部屋と言うのもあるのだろう。シイの為に用意された部屋なのだが、飾り気がまるで無い。荷物一つでこの街に来たので当然なのだが、それはシイに他人の部屋で寝るような感覚を与えていた。

「知らない天井。当たり前だけど、落ち着かない」

 暗闇の中、天井を見つめていると、徐々に失われていた記憶が脳裏に蘇ってきた。

 

 

「初号機頭部破損、損害不明」

「神経回路が遮断されていきます」

「し、シイちゃんは!?」

「プラグ内モニター不能。生死……不明です」

「シイちゃん!!」

 ミサトの絶叫が、発令所に響き渡った。

 

 力無くビルへ寄りかかる初号機を見て、ミサトは決断を下す。

「ここまでね。作戦中止、パイロット保護を最優先。プラグを強制射出して!」

「駄目です。初号機、完全に制御不能」

「なんですって!」

 マヤの悲痛な叫びに、ミサトのみならず悲鳴のような声をあげる。仮に初号機が大破したとしても、プラグを射出すれば最低でもパイロットは助けられる。

 だが、それが不可能ならば、シイは動けない初号機ごと使徒に……。

 発令所が重苦しい空気に包まれる、その時だった。

 突如として、モニターに映るエヴァ初号機の左目に光が戻る。

「しょ、初号機……再起動」

 マヤの報告通り、初号機は再び立ち上がる。そして口の拘束具を引きちぎると、獣の様に雄叫びをあげた。

 衝撃的な光景に発令所の全員がモニターに釘付けになる。

「どういうこと……まさか」

「暴走!?」

 リツコの呟きと同時に、初号機は使徒へと襲いかかった。

 

「……勝ったな」

「……ああ」

 事態の急変に混乱する発令所スタッフ達。だがその中でただ二人、冬月とゲンドウだけは動じた様子も無く平然と状況を見守る。そんな彼らの姿は、まるでこの展開を待っていたかの様にも見えた。

 

 咆吼をあげながら、獣の様に戦う初号機。凄まじい動きと力で使徒を追いつめていく。

 蹴り、殴り、お返しだとばかりに使徒の両腕をへし折る。その様子は戦いと言うよりも、一方的な蹂躙だった。

 

 突進する初号機から逃れようと、距離を取った使徒は光の壁を前方に展開する。それに構わず壁に激突する初号機だったが、光の壁に阻まれてしまう。

「ATフィールド。やはり持っていたのね」

「あれがある限り……」

「使徒には近づけないわ」

 そんなミサトとリツコの言葉が聞こえたわけでは無いだろうが、初号機は一度突進を止める。

 フィールドの目前で立ち止まると、

「さ、左腕復元!」

 折られたはずの左腕を、一瞬のうちに再生させる。そして両手をATフィールドに食い込ませると、思い切り左右へと力任せに引き裂いてしまった。

「嘘っ!」

「初号機のATフィールドを確認」

「中和……いえ、浸食したのね」

 もはや初号機を止める物は存在しなかった。微々たる抵抗を気にもとめずに徹底的に使徒を痛めつけ、馬乗りになると腹部にある赤い球体を何度も何度も殴りつける。

 徐々にひびが入り、破壊まであと僅かと言う瞬間、使徒はビクンと身体を震わせて初号機へと抱きつく。身体の形状を変えた使徒は初号機を包み込みながら、巨大な閃光と共に自爆した。

 

 凄まじい爆発が起こり、大きな光の十字架が天に伸びる。発令所のモニターには、爆心地の真っ赤な炎が映し出されていた。その中を悠然と歩く初号機。

 発令所スタッフは、畏怖の念を抱いてそれを見つめていた。

 

 

 初号機のプラグ内で、シイは夢を見ているかのようにぼんやりと座っていた。先程の戦闘も、そして今このときも彼女は何もしていない。だが初号機は確かに第三新東京市街を歩いている。

 それを不思議と思う思考力は、残念ながら今の彼女には戻ってきていなかった。

 なおも自動的に歩み続ける初号機。すると、妙な衝撃がプラグに伝わってくる。

『初号機頭部パーツ落下』

 スピーカーから聞こえる声に、シイは何気なく視線を横に向ける。そこには、ビルの窓ガラスに映し出される初号機の姿があった。ただ、鬼のような顔は剥がれ落ち、見えるのは茶色ののっぺらぼうみたいな顔。

 首を傾げるシイ。すると、ボコボコと顔の一部が泡立ち、ぎょろっとした緑色の瞳が現れた。

 ガラス越しに見つめ合うシイと初号機。あまりに異質なその瞳に見つめられたシイは、

「あ、あ、あ、っっっっっっ!!」

 声にならない絶叫とあげながら、再び意識を失った。

 

 

 

「あ、あ、あ……」

 呼び起こされた恐怖に、シイは布団の中で体を震わせる。

「シイちゃん、起きてる?」

 就寝前に様子を見ようとしたミサトがふすまを開き、シイへと声をかける。布団の中に丸まり震えているシイを見て、彼女が怯えている事に気づいたミサトは、布団の側にかがみ込むとそっと小さな体を抱きしめる。

「怖かったのね、当然だわ」

「み、ミサトさん……私は……」

「良いのよ。落ち着くまでこうしてるから」

 シイの震えが止まるまで、ミサトは黙って体を包み続けた。

 

「……落ち着いた?」

「ごめんなさい」

「良いのよ。それで、眠れそう?」

「大丈夫だと思います」

 幾分ましになったシイの様子に、ミサトは頷き部屋から出ようとする。

「……シイちゃん、これだけは言っておくわ。貴方は、人に褒められる立派な事をしたのよ。怖くても戦ってくれた貴方を、私は誇りに思う」

 そんなミサトの言葉に、しかしシイは答えない。否、答えられない。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 ふすまが閉じられ、室内に再び暗闇が訪れる。

(褒められる……じゃあ、お父さんも……褒めてくれるのかな)

 そんな事を考えながら、シイは眠りへと落ちていった。 

 




原作通りミサトとの同居生活が始まりましたが、経緯は大分異なります。自発的ではなく、他の面々が牽制し合った結果、一番安全牌なミサトに保護者役が決まった流れです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《あの花束、実は》

アホタイムです。



 

~ある日の発令所~

 

「こりゃまた、凄いな」

「ああ、予想数値を遙かに超えている」

 青葉と日向がモニターを見ながら驚きの声を出す。先の使徒が消滅して、現在ネルフ本部は第二種警戒態勢。職員はそれぞれ配置につきながらも、どことなくリラックスした雰囲気を醸し出していた。

「しかしこれは……あまりに多すぎます」

「そうね」

 マヤの言葉にリツコはアゴに手を当てて思案顔をする。この結果は彼女にとっても予想外であった。

「ふむ、因みに全てを注ぎ込んだ場合、どの様な結果になる?」

「シイちゃんが窒息しますよ。確実に」

「MAGIも、全会一致で同様の結論が出ています」

「やれやれ、まさかこれ程集まるとはな」

 冬月は青葉の後ろからモニターをのぞき込み、軽くため息をつく。

 そこには、

 

『シイちゃんにお見舞いの花を贈ろうカンパ募集中』

 

 と銘打たれたカンパのお知らせと、今までに集まった金額が表示されていた。

 その額は、既にお見舞いの花には過ぎたレベルまで到達している。

 

「数値は依然上昇中です」

「どうしますか副司令。好意を無下にするわけにも行きませんし」

「止むを得ん。必要な金額のみ使用し、残りは貯金する」

「貯金……ですか?」

「名目を『シイちゃん応援基金』としておけば、カンパしたスタッフも納得するだろう」

 冬月の妥協案に、リツコを含むオペレータ達も賛同する。

「現状ではそれがベターな選択ですね」

「流石に、お見舞いの花で窒息させては、元も子もありませんし」

「祝い事ならともかく、花輪を送るわけには行けませんからね」

「うむ、青葉二尉。直ぐに処理したまえ」

「了解……って、これは……」

 素早く端末を操作していた青葉が、思わず顔を強張らせる。

「どうした?」

「か、カンパの金額上昇が、加速してます!」

「不味いわ。口座システムがパンクするわよ、マヤせき止めて!」

「駄目です。入金が続いているため、システムが停止できません!」

「け、経理課より緊急連絡。給料引き落とし申請が多数来たため、業務が一時停止してます!」

「……まさかこれ程とは」

 まるで戦闘中の様に、慌ただしく端末の操作と各部署との連絡をとるオペレーター達。だが、その甲斐無くモニターのカンパ金額は上昇を続ける。

 そして、

「駄目です! 後三十秒後に口座システムがダウンします!」

 青葉が絶望的な報告を絶叫した。

「……赤木君、頼めるか?」

「他に方法はありません。マヤ、MAGIの七割を口座システム維持に回して」

「通常業務に支障が生じますが」

「構わん、最優先だ」

 

 MAGI。ネルフの中枢を担う三台のスーパーコンピューター。非常時は勿論のこと、平時もネルフの業務を影ながら支えている。その能力の大部分を一カ所に集中させる事は、他の業務に影響を与えてしまう。

 

「恐るべきは、シイ君の人気だな」

「碇司令の悪役ぶりで、より一層彼女の味方が増えている様です」

「非公式ですが、ファンクラブ設立の動きもあるみたいですし」

「知らぬは本人ばかりなり、ね」

 

 病室に飾られていたお見舞いの花には、ネルフスタッフの想いが込められていたのだった。

 




凄まじい短さで申し訳ありません。
本編は平均で3000文字以上をキープしますので、どうかご勘弁を。

今後小話は、本編と共に投稿しようと思っています。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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3話 その1《訓練》

 

 ネルフ本部内の一室。そこでシイはリツコから、本日の訓練について説明を受けていた。

「エヴァには様々な装備があるの。今日はそれを扱う訓練を受けて貰うわ」

「分かりました。頑張ります」

「いい返事ね。それでは早速訓練に……」

「あの~リツコさん。その前に一つ聞いても良いでしょうか」

 小さく手を上げたシイは、恐る恐ると言った感じで切り出す。

「何かしら?」

「その~この服は一体何なんでしょう。着ろと言われたので、取り敢えず着ましたけど……」

 少し恥ずかしげに頬を赤く染めながら、シイは自分の身体を包んでいる服を指さす。今彼女は学生服ではなく、青を基調としたダイビングスーツの様な衣装に着替えていた。

 シイのそんな疑問に、リツコは不思議そうに首を傾げる。

「プラグスーツの事? ミサトから何も聞いてないのかしら?」

「はい、何も」 

「……ミサト、私は貴方に言ったわよね。事前に簡単な説明をしておいてって」

「え、あれ~そうだっけ……」

「はぁ、呆れた。どうせ飲み過ぎて忘れてたんでしょ」

「ちょ、ちょっとだけしか飲んでないもん」

「そうなのシイさん?」

「缶ビール十四本を、ちょっとと言うのかは分かりませんけど……」

 二人にジト目で見られ、ミサトは頬に冷や汗を流しながら目線を逸らす。

「はぁ~もう良いわ。私が改めて説明するから」

 リツコは頭痛を堪えるように頭に手をやると、シイに向き直る。

「シイさんが着ているのは、プラグスーツと呼ばれているエヴァンゲリオン搭乗用のスーツよ。エヴァとのシンクロの補助は勿論、外部衝撃からパイロットを保護してくれる役割も持っているの。寒さや暑さを調整する、生命維持機能もついてるわ」

「はぁ~凄いんですね」

 感心したようにシイは、身に纏ったプラグスーツをまじまじと見つめる。

「前回はイレギュラーだったから学生服での搭乗になってしまったけど、今後は原則としてエヴァに乗るときには、このプラグスーツを着用して貰う事になるわ」

「はい、分かりました」

「着心地はどう? 貴方の身体データに合わせて調整したんだけど」

「動きやすくて丁度良いです」

 軽く身体を動かして見せるシイに、リツコは満足げに頷く。何故自分の身体データをリツコが知っているのか、そこに疑問を持たないあたり、彼女の純粋さがうかがい知れる。

 

「あれぇ~、でも明らかにシイちゃんの身体に合ってない所があるわよ~」

 そんなシイの姿に、今まで沈黙を守っていたミサトがニヤニヤと声をかける。

「え?」

「ほら、胸の所。バストカップ必要無かったんじゃない?」

 グサッとシイの胸に言葉の刃が突き刺さる。確かにミサトの言うとおり、シイの胸は限り無く平らに近い。プラグスーツの、胸部保護部位が余っているのも事実だ。

 そう、ミサトの言うとおりなのだが……。

「………………」

「あ、あれ、シイちゃん。ちょっと、軽い冗談なんだから、そんな落ち込まないで」

「良いんです……気にして……ません……から」

 言葉とは裏腹に一目で分かる程落ち込んだ様子で、シイは無理矢理笑顔を作る。そして肩を落としたままに、エヴァに乗るため部屋を後にした。

 

「あ、あはは、ちょっちまずったわね」

 ミサトからすれば訓練前に緊張を和らげようと、軽いジョークを言ったつもりだった。だが、思いの外的確にシイの急所を打ち抜いてしまったらしい。

「(ピ・ポ・パ)あ、副司令、赤木です。特例Gを申請します」

『許可する』

「ミサト、貴方給料更に10%カットよ」

「え~しょんな~」

 都合30%カットとなったミサトの給料。ルノーの破損が大きくのしかかる。

「訓練前にパイロットの精神状態を、どん底に落とす作戦部長が何処にいるの?」

「軽いジョークじゃない」

「人を選んで言いなさい。あの子は良くも悪くも純粋なのよ」

「分かってるわよ」

 ミサトの顔は、一気に真剣な物へと変わった。

「今はあの子、ネルフとエヴァを正しい物と信じてる。だから真っ直ぐでいられるし、頑張れる」

「そうよ。でももし、不信感や不安を抱いてしまったら……」

「ちょっち不味いかもね」

 ミサトとリツコはその事態を憂慮し、表情を厳しくするのだった。

 

 

 

『シイさん、訓練を始めるわよ』

「はい」

 スピーカーから聞こえてくるリツコの声に、シイは頷いて答える。

『まず、これを見て』

「……あ」

 プラグのモニターが映し出す映像が、一瞬の間に真っ白な壁から第三新東京市へと変わった。

「これは?」

『バーチャル映像よ。その空想世界に、今から敵の姿を投影するからそれを射撃して』

 リツコの言葉通り、モニター正面に先日相まみえた使徒が現れた。作り物の映像だと分かっていても、左腕と右目の痛みが蘇ってきて、思わずシイは身体を強張らせる。

(こ、怖い……けど、頑張らなくちゃ!)

『では訓練開始』

 ミサトの号令でシイは初号機に持たせられたライフルで、使徒へ射撃を行うのだった。

 

 その様子をミサト達は実験室で見つめている。訓練はあくまで仮想空間で行われている為、実際には白い部屋で初号機が疑似銃を手に、射撃動作を繰り返しているだけ。

 だがイメージで操縦を行うエヴァには実戦に近い効果が得られ、コストや安全面の関係もあるので、エヴァの訓練はこうしたシミュレーションが主だった。

 

「それにしても、シイちゃんがまた乗ってくれて良かったですね」

 仮想空間で戦う初号機を見ながら、マヤは嬉しそうに話す。ここにやってきた経緯や、初陣での体験を考えれば、再び搭乗してくれる可能性は低いとも思えたからだ。

「ええ。正直、搭乗拒否される事も考えていたわ」

「あれだけの事があっても、再び戦ってくれる。心が強い子なんですね」

 男性オペレーターの言葉に、

(違うわ。無理矢理恐怖を押し込めているのよ、あの子は)

 人知れず震えていたシイを思い出し、ミサトは顔をしかめる。

(弱くて臆病なのよ。失うことが怖いんだわ。人からの期待も、人の命も……父親からの興味も)

 ある意味、現時点でシイを一番理解しているのはミサトかもしれない。だが彼女は、作戦部長としてシイを戦わせる立場にある。そう言った思いを、外に出すことは出来なかった。

 

「それで、サードチルドレンの腕前はどう?」

 自分の気持ちを抑え込む様に、ミサトはあえて事務的に尋ねた。

「芳しくありません。射撃命中率は七割弱、反応速度もマイナス一秒です」

「ん? シンクロ率は高いのよね?」

「彼女自身の問題ね。元々争い事は嫌いそうだし、銃なんて見たことも無いんじゃなくて?」

「慣れるしかない、か」

 それはあの少女を、戦うための存在に鍛えると言うこと。ミサトのジレンマは続く。

 

「そう言えばシイちゃん、学校にはもう?」

「ま、ね。転入早々は結構な騒ぎだった見たい」

 マヤの言葉に、ミサトは苦笑しながら答える。

「まるで珍獣扱いだった、って本人が言ってたわよ」

「無理も無いわね。この街では転入自体が珍しいでしょうし」

((あんな可愛い子が転入してくれば、そりゃ騒ぎになるよな))

 実験室のスタッフは同じ事を考えていた。

「今じゃようやく落ち着いたみたい。大分打ち解けて、友達も出来たそうよ」

「良かったですね」

「そうね。同年代の友人は、精神安定の為にも大切だわ」

 無駄話をしながらでも、スタッフの誰もが作業の手を止めないのは流石だろう。

 こうしている間にも、シイの訓練は進められていた。

 

「目標をセンターに入れて……スイッチ!」

「目標をセンターに入れて……スイッチ!」

 険しい表情で、必死に訓練をこなしていくシイ。恐怖で震える手を誤魔化すように、強くレバーを握り締めて目標に対しての射撃を行う。

 歯を食いしばるシイの表情。そこには強い決意が込められいた。

(私が守るんだ。みんなを……守るんだ)

 




序盤の鬼門である、3話4話がやってきました。コメディタッチで進めている本小説ですが、暫くの間はシリアスモード突入してしまいます。

正直、ここだけは連続投稿して一気に終わらせてしまおうかとも、画策しております。個人的に暗い話は苦手なので……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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3話 その2《綾波レイとの出会い》

 

「ミサトさん、もう朝ですよ」

「ん~今日は昼から出勤だから……もう少し寝かせて~」

 布団にくるまるミサトを見て、シイはため息をつく。

「分かりました。食事は机に用意してありますから、食べたら食器を水につけて置いて下さいね」

「は~い」

「それじゃあ、私は学校に行って来ますから」

「行ってらっしゃ~い」

 布団から手だけを出して振るミサトに、シイは再度ため息をついて部屋のドアを閉めた。

 

 葛城ミサトという女性は基本的にだらしない。いや、仕事はキチンと行うため、生活能力が不足していると言い換えた方が良いだろう。炊事洗濯、とかく家事が出来なかった。

 その為、一度は公平に半々でやることになった家事は、今や全てシイの担当となっていた。

(ミサトさんにはお世話になってるし、家事は嫌いじゃ無いから良いんだけどね)

 シイは制服の上に羽織っていたエプロンを外すと、鞄を手に学校へと向かうのだった。

 

 

 第三新東京市第一中学校。そこの二年A組がシイの通うクラスだった。転入から大体二週間が過ぎ、元々人付き合いが苦手で無いシイは、すっかりクラスメイトとも打ち解けて、仲の良い友人も出来ていた。

「おはよう」

「あ、碇さん、おはよう」

「シイちゃんおはよう」

 クラスメイト達と軽く挨拶を交わしながら、シイは教室の中へと入っていく。

「碇さんおはよう」

「あ、洞木さん。おはよう」

 学級委員長である、そばかすの少女……洞木ヒカリとも挨拶を交わす。彼女は委員長と言うこともあり、転入したシイの面倒を良く見てくれた。そのお陰で、今ではすっかり仲の良い友達になっていた。

 そして、

「綾波さん、おはよう」

「……おはよう」

 隣の席に座る、青い髪をした少女……綾波レイと挨拶を交わして、自分の席へと着いた。

「あ、左手の包帯取れてるね?」

「……ええ、先日取れたわ」

「右手のギプスも、そろそろ外せそう?」

「……ええ、後三日位で」

「そっか~良かったね」

「……ええ、問題ないわ」

 一見ぶっきらぼうな返事だが、それでもシイは満足だった。何せこの綾波レイと言う少女、とことん無口で無表情。出会って直ぐの頃は、まともに会話する事すら出来なかったのだから。

 

 そう、シイと綾波レイの出会いは、もっと前。シイが第一中学校に転入する前まで遡る。

 

 

 シイはネルフの食堂で、ミサトと共に昼食を摂っていた。直属の上司であるミサトからは、業務に関わる事から全く関係の無い事まで、とにかく色々な話が聞けた。

「あの子が綾波レイさん、ですか?」

「ええそうよ。ファーストチルドレンで、エヴァ零号機のパイロット」

「そうですか……じゃああの怪我は、やっぱり」

 痛々しい怪我をしていた青い髪の少女を思い浮かべ、シイの表情が曇る。

「あ~それはちょっち訳ありで」

「え?」

「私がここに来る前の事だけど、零号機の起動テストがあったの。その時に怪我をしたらしいわ」

「ミサトさんって、ずっとネルフに居たんじゃ無いんですか?」

 驚いたようにミサトへ尋ねる。

「ネルフには結構長いこと居るわよ。ただ別の支部で働いてたの」

「……チェーン店の店員さんが、本店に呼ばれたみたいにですか?」

 シイの例えに、ミサトは苦笑しながらも頷く。

「だからこっちの配属になってからは日が浅いのよ。まだ一ヶ月位かしら」

「あ、だから道に迷って……ん!」

 咄嗟に口を塞ぎ、恐る恐るミサトの顔を伺う。

「ん~ギリギリセーフね。ま、不慣れなのは確かだし」

「ふぅ」

 失言を見逃されたシイは、ホッと胸をなで下ろす。何気ない一言がきっかけで、ミサトに頭を乱暴に撫でられる事数十回。ようやく自分の失言に気づけるようになってきていた。

「まあ、その時の実験で怪我をしたらしいわ。リツコなら立ち会った筈だし、もっと詳しいと思うけど」

「あ、いえ、良いんです。ちょっと気になっただけですから」

「……レイの事、気になる?」

「気になる……うん、そうかもしれません。何だか、不思議な気持ちがするので」

「へぇ~どんな?」

「口で言うのは難しいんですけど……初めて会った気がしないんです」

 ミサトの知る限り、シイとレイが接触した事実は無い。記録上一度も第三新東京市外に出ていないレイと、一般人だったシイでは当然とも言えるが。

「ふ~ん、興味があるなら会ってみる?」

「良いんですか?」

「怪我は大分良いみたいだし、お見舞いがてらちょっち話すくらいなら平気でしょ……多分ね」

「ありがとうございます。早速今日、行ってみます」

 ミサトの最後の言葉が聞こえなかったシイは、嬉しそうにミサトへお礼を言った。

 

 そして、ネルフからの帰りにシイは病院に向かったのだが。

「……ミサトさんの嘘吐き~」

 レイの病室目前で、ネルフの黒服さん達に見事足止めされしまった。

「済まないがファーストチルドレンとの面会は、許可が無いと駄目なのだよ」

「うぅ、一応ミサトさんは良いって言ってくれましたけど」

「碇司令か冬月副司令、もしくわ赤木博士の許可が必要なんだ」

「そ、そんな~」

 面識こそあれど、三人ともネルフでは偉い人ばかり。一パイロットのシイには連絡先など知るよしも無かった。

「う~どうしても駄目ですか?」

((ぬぅぅ))

 上目遣いで潤んだ瞳を向けるシイに、黒服二人は思わずたじろぐ。絶大な破壊力に、彼らの鉄壁の意思がグラグラと揺らいだ。だが、流石は特別な訓練を積んだプロのスタッフ。

 耐震構造の精神力で、どうにか耐え抜いて見せた。

「……ごめんなさい、我が儘言ってしまって。出直します」

((む、胸が……痛い))

 落胆した様子でとぼとぼと引き上げるシイの背中は、黒服達の良心に大打撃を与えた。小さな背中に何か声を掛けてあげたいと黒服が思った、そんな時だった。

「あら、シイさん」

 シイの進行方向から、白衣姿のリツコが歩いてきた。

「どうしたのこんな場所に? 何処か具合でも悪いのかしら?」

「いえ……ちょっと綾波さんに会いたかったのですけど」

「ああ、そう言うこと」

 瞬時にリツコは状況を理解する。つまりは門前払いされたのだと。

「……シイさんは、どうしてレイに会いたいの?」

「別に理由は無いんですけど、ただ少し話をして見たかったんです」

 シイの言葉に、リツコは少し悩む仕草をみせる。

(危険性はゼロじゃ無いわね。ただ、いずれ学校で会うでしょうし……)

「……良いわ。レイとの面会、私が許可します」

 パァッとシイの表情が笑顔に変わる。

「ありがとうございますリツコさん」

「良いのよ。パイロットである貴方の望みは、出来る限り叶えてあげたいもの」

(ふ、ふふふ……堪らないわね)

 喜びのあまり抱きつくシイにリツコは内心涎を垂らしながら、それでも黒服の手前表には出さずに、クールな女科学者の姿を演じ続けるのだった。

 

 

 シイに与えられた時間は十分。軽くノックをしてから、緊張した面もちでレイの病室へと足を踏み入れた。

「こ、こんにちわ」

「…………」

 笑顔で入室するシイに、ベッドで横になっていたレイは冷たい眼差しを向ける。吸い込まれそうな赤い瞳に、ドキッとシイは思わず立ち止まった。

「あ、綾波レイさんだよね。私は碇シイって言います」

「…………」

 自己紹介するシイに、しかしレイは答えない。ただ無機質な瞳でシイを見つめるだけ。

「突然でごめんなさい。ちょっとお話したくって」

「…………」

「一応、リツコさん……赤木博士から面会の許可は貰ってるから」

「……そう」

 たった一言だけだが、レイが返事をしてくれた事にシイは喜びを感じた。

「ここ、座っても良い?」

「…………」

 レイが小さく首を縦に振ったのを見て、シイはベッドサイドの椅子に腰を掛ける。

 時間が限られている為、色々話さなくてはと思ったのだが、

(……あ、何話すのか決めてなかった)

 会うことだけを考えすぎて、話す内容まで気が回らなかった。結果、シイとレイは無言で見つめ合う。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙。何か話さなければ、と焦るほど上手く頭が回らない。

「…………話、あるのでは無いの?」

「あ、うん。あはは、何話そうか決めてなかったの」

「……そう」

 変わった子、それがレイから見たシイの第一印象だろう。ただシイに悪意が無いと判断したのか、向けている視線から僅かに警戒の色が薄れた。

「……あ、思い出した。あのね、綾波さんと私って、以前何処かで会わなかった?」

「……初号機のケージで」

「ううん、そうじゃなくて、もっと前。私がネルフに来る前に」

「…………無いわ」

 レイはキッパリ断言する。

「そっか……そうだよね。ごめんね、変な事聞いて」

「……何故そんな事聞くの?」

「綾波さんと、初めて会った気がしなくって……こう、懐かしい感じがしたの」

 微笑むシイの顔に、一瞬レイがピクリと反応する。

 そして何かを告げようとした時、

「シイさん、時間よ」

 病室のドアを開けて姿を見せたリツコがタイムアップを宣告した。

「は~い、直ぐ出ます。ごめんね、今日はもう終わりみたい」

「……そう」

 立ち上がったシイは、椅子を元の位置に戻しながらレイへと言葉をかける。

「次はちゃんと、お話の内容を決めてくるから」

「……次?」

 予想外の言葉だったのか、レイは少しだけ驚いた表情を見せた。

「うん。これからもお見舞いにくるね。あ、ちゃんと許可を取って来るから安心して」

「……そう」

「じゃあね、綾波さん。また」

 手を振って去っていくシイを、レイは不思議な感覚を抱きながら見つめていた。

 

 

 

 そんな出会いの後、シイは幾度と無くレイのお見舞いに行った。何故かは本人にも分からないが、綾波レイという少女に不思議と惹かれるものを感じていた。

「私の携帯番号? 構わないよ。何時でも連絡をくれたまえ」

(ふむ……まさか彼女の方からアプローチがあるとは……良い物だな)

「携帯番号? ああ、確かに緊急時の連絡があるかもしれないし、良いわよ」

(うふふ、予期せぬチャンスね。これで何時でもシイさんと連絡がとれるわ)

 冬月とリツコは直ぐに携帯の番号を教えてくれたので、許可自体は問題なかった。

 そうして二人は何度も言葉を交わして(喋るのは殆どシイだが)、今に至る。

 

 レイとの挨拶を終えたシイが授業の準備を行っていると、見知らぬ男子生徒が教室に入ってきた。上下に黒いジャージを纏った、気が強そうな短髪の男子だ。

(あれ、あの人誰だろ?)

 クラスメート達と挨拶を交わしている所を見ると、どうやらここの生徒なのだろう。だが、シイが転入してから二週間、彼の姿を見たことは無い。

 

 その彼は、眼鏡を掛けた男子生徒……相田ケンスケの元へ。

 何やら真剣な顔で会話を交わした後、

「……(ギロッ)」

(えっ!?)

 思い切りシイを睨み付けた。明らかに敵意や憎しみがこもった視線にシイは怯える。

(な、何で……私、何かしたの?)

 

 男子二人の元に、ヒカリが何やら小言を言いに近寄る。そこで何かを聞かされたのか、ハッと表情を曇らせ、複雑な表情をシイに向ける。

(私……何をしたの?)

 

 シイの不安は、教師がやってきて授業を行う間も消えることは無かった。 

 




ファーストチルドレン、綾波レイの登場です。少々複雑な事情がある彼女は、主人公の性転換でどの様に変化していくのでしょうか。

第一中学校は、エヴァ世界で平穏を現すパラメーターの一つだと思っております。この小説でも大切な場所なので、無事に試練を乗り越えて貰いたいです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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3話 その3《トラブル》

 

「のぅ転校生、ちょいと付き合って貰えるか?」

 授業が終わって直ぐ、ジャージの男子がシイに声を掛ける。朝の視線が間違いで無いことを示すかの様に、その言葉には怒気が混じっており、迫力に圧倒されたシイは、怯えながら従うしか無かった。

 歩くこと数分、先を歩く男子生徒が足を止めたのは、人気の無い校舎裏だった。誰にも助けを求められない状況に、シイの不安は最高潮まで高まる。

 そんな気持ちを振り払うように、シイは正面に仁王立ちしている男子生徒へと声を掛けてみる。

「あ、あの、私、碇シイと言います。二週間前に転入しました」

「おう、こいつから聞いとるわ」

 男子が親指で示す先には、何故か一緒に着いてきていたケンスケの姿があった。

「わしは鈴原トウジや。ちょいと事情があって、二週間ばかし休んどったさかい、会うのは初めてやな」

「そ、そうだね。よろしくお願いします」

 差し出されるシイの右手を、しかしトウジは握ろうとしない。握手を拒否されたと理解したシイの心には、怒るよりも先に不安がわき上がる。

「あのな、一つ確認するわ。お前があのロボットのパイロットちゅうのは、ほんまか?」

「……うん」

 突然男子生徒から発せられた意図の読めない質問に、シイは困惑しながらも肯定した。

 

 転入早々、質問攻めにあったシイは、エヴァのパイロットであることを暴かれた。

「ねえ、君があのロボットのパイロットってホント?」

「え、え~っと、確かこれは……ごめんなさい、守秘義務があるから」

「「本物だぁぁ!!」」

 完璧にシイの自爆だったのだが、その事実は瞬く間に広まる。先日の一件はネルフの情報操作によって、事故として処理されて居たが、それを素直に信じるほど彼らは子供では無い。

 様々な噂が飛び交う中、関係者が目の前に現れた。興味を持たない方がおかしいとも言えるだろう。

 だがその後エヴァの出撃は無く、碇シイと言う少女自身に魅力があった事もあり、この騒ぎは直ぐに収まった。一応ミサトから厳重注意されたが、特におとがめ無しだったため、シイもいつの間にか忘れていたのだが。

 

「そうか……なら、しゃあないな」

「えっ」

 ぼそりと小さな声で呟くトウジに、何がと尋ねる事は出来なかった。次の瞬間、シイの身体は地面へと吹き飛ばされてしまったのだから。

 殴られた、と理解したのは左頬に激しい痛みと熱を感じてからだった。

(何で……どうして……?)

 今まで人に思い切り殴られた経験のないシイは、混乱と恐怖に身体を支配される。立ち上がる事も出来ずに、ただ痛む頬に手を当てる事しか出来ない。

「何してるんだよトウジ。女の子を殴るなんて、やりすぎだ」

「黙っとれ。……すまんな転校生。わしはお前を殴らにゃあかん。殴らにゃ気が済まんのや」

「……どうして」

 無意識に溢れる涙を止められず、シイは鼻声で呟く。それが癇に障ったのか、トウジは苛立った表情で仰向けに倒れているシイの元へ歩み寄ると、襟を掴んで力任せに立ち上がらせた。

 制服のボタンが取れるほど強い力に、シイは身体を震わせて怯える。

「教えたるわ。わしの妹な、この間の戦いで大怪我したんや。崩れてきた瓦礫に挟まれてな」

「!?」

 トウジの言葉は、シイに今の物とは別の恐怖を与えた。

「わしが二週間休んどったのは、妹の看病しとったからや。祖父ちゃんも親父も、仕事やからな」

「あ、あぁぁ」

「お前や。お前のせいで、妹は怪我したんや」

 断罪するかのように責め立てるトウジの言葉に、シイの顔色は蒼白へと変わっていた。身体の奥底から沸き上がってくる恐怖に小刻みに身体を震わせる。

「味方が暴れて怪我したんやぞ。分かっとるんか!!」

「……ごめんなさい」

「謝って済むか!!」

 シイの襟を掴むトウジの手に、グッと力が込められる。両者に体格差があるため、身体を引き上げられたシイはつま先立ちの状態になってしまう。

「妹は両足骨折、頭に受けた瓦礫で今も集中治療室や。ええか、もし妹がこのまま目覚めへんかったら…………わしはお前を許さへん。絶対に」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 もうシイは、溢れる涙と共に謝罪を口にするしか出来なかった。

 

「おいトウジ、やりすぎだ」

「妹はもっと痛い目にあったんやぞ」

 制止しようとするケンスケに、トウジは激情そのままに声を荒げる。客観的にみて、トウジの言い分は完全に八つ当たりなのだが、頭に血が上っているトウジには、何を言っても効果が無かった。

 なおもトウジはシイを責め立てようとするが、

「ちょっと鈴原。あんた何してるのよ!」

 ヒカリが叫びにも似た声を出して駆け寄ってきた事で、それは幸いにも防がれた。

「ちっ、煩いのが来よったわ。ええか転校生、次からは足下にも気ぃつけや」

 ふっと手の力を緩め、トウジはヒカリの怒声を無視して校舎へ戻っていく。慌てて後に続くケンスケと入れ違う形で、ヒカリは地面に力なく座り込むシイの元へと走って近づく。

 腫れた左頬と乱れた襟。そして先程の状況から、ここで何が起きたのかを察した。

「碇さん……とにかく、直ぐに頬を冷やさないと」

「……良いの……悪いのは……私だから」

「何を言って……」

 ここに至ってシイが自分ではなく、虚ろな瞳で虚空を見つめている事にヒカリは気づく。

(そう、悪いのは私だ。彼から……家族を奪ってしまったのだから)

 

 

 ヒカリは近くの水道でハンカチを濡らすと、そっとシイの頬にあてる。熱を持った頬を冷やしてくれる刺激が、シイの意識を現実へと戻していく。途端、一度は止まっていた涙が再び流れ出す。

「……ごめんね。私、鈴原が碇さんに怒っているのを知ってたの。でも……止められなくて」

「私は……私は……ひっく……」

「ごめんね。ごめんね」

 優しくシイの頭を胸に抱いて、ヒカリはゆっくり慰めるように髪を撫でた。あまりに強いネガティブな感情と、優しい感情を続けて受けた事で、シイの心は乱れに乱れる。

「うわぁぁぁぁん」

 そのまま、ヒカリの胸の中で感情を爆発させて、思い切り泣く。もう休み時間が終わろうとしていたが、ヒカリはシイに胸を貸したまま、動くことは無かった。

 

「落ち着いた?」

「うん……ごめんね、迷惑かけちゃって」

 どうにか落ち着きを取り戻したシイは、照れと後悔が混じった表情を浮かべる。真っ赤に腫れた目と頬が痛々しく、ヒカリはトウジへの怒りを覚えずには居られなかった。

「良いのよ。あんな目にあえば誰だって……特に女の子なら怖くて当然だもの」

「…………」

「鈴原には、後で私から謝るように言っておくから」

 ヒカリの言葉にシイはピクリと肩を震わせてから、小さく首を横に振った。

「彼が怒ったのは……当然だから。誰だって家族を傷つけられたら、怒ると思うから」

「でもそれはシイちゃんのせいじゃ……」

「私も大切な人が傷つけられたら……どんな理由でも怒ると思う。だから……仕方ないの」

 まるで自分を納得させるかのように淡々と呟くシイに、ヒカリは危うさを感じた。少しは落ち着いたかと思っていたが、明らかに普通の精神状態では無い。

「あのね碇さん。今日はもう、早退した方が……」

「碇さん」

 休むように促そうとしたヒカリの言葉は、その場に現れた第三者によって遮られた。

 

「綾波さん?」

 レイはヒカリの呼びかけには答えず、座り込むシイに視線を向ける。

「……怪我、したの?」

「あ、ううん。平気……だよ」

「……そう」

 明らかな強がりだが、レイはそれ以上尋ねることをしなかった。本当に興味が無いのか、それとも気を遣ったのか、無感情の赤い瞳からは真意を読み取ることは出来ない。

「それで、どうしたの?」

「……非常招集。エヴァのパイロットは、本部に急行」

 一瞬驚いた表情を見せたシイだが、直ぐさま頷き立ち上がる。身体の痛みではなく心の痛みで足が震えるが、ヒカリに肩を借りて、どうにか身体を立たせる。

「……校門に迎えの車が来てるから」

「うん、今行くね……」

「ちょ、ちょっと待って」

 歩き出そうとした二人をヒカリが呼び止める。

「碇さん、そんな状態で……またあのロボットに乗るの?」

「うん、多分そうだと思う」

「無茶よ。少し休まないと」

「心配してくれてありがとう。でも……戦わないと……また怪我をする人が出ちゃうから」

 無理矢理微笑むシイに、ヒカリは胸が痛むのを感じていた。先程のやり取り……理不尽な暴力と罵声は、どれほどシイの心を追い詰めてしまったのだろう。

「……行くわ」

「うん。それじゃあ洞木さん、行ってくるね」

 レイと共に去っていくシイに、ヒカリは掛ける言葉を持たなかった。

 

(そう……戦わなきゃ。誰も……傷つけない為に)

 シイの瞳に光が宿る。だがそれは、いつものそれとは違う、何処か危うい光であった。




もしシンジが女の子だったら、果たしてトウジは殴っただろうか。そんな疑問を抱いていましたが、作者の見解は本編通りです。
ただその行動に対しての影響は、少し違ってきそうですが。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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3話 その4《使徒接近中》

 

 第三新東京市に向かって、ゆっくりと海上を浮遊する正体不明の物体があった。赤紫色のイカと表現するのが適当なそれの接近は、ネルフにもしっかりと観測されていた。

「目標確認。波長パターン照合……パターン青、使徒です」

 マヤの報告に、発令所の緊張感が一気に高まる。

「総員第一種戦闘配置だ」

 不在のゲンドウに代わり声を張り上げる冬月の命令で、ネルフ本部内へ戦闘配置を告げるアナウンスが流れた。休息をとっていたスタッフ達は大急ぎでそれぞれ所定の配置に着く。

「民間人の避難、完了しました」

「第三新東京市は戦闘態勢へ移行します」

 そびえていたビル群が地下へと収納され、第三新東京市は要塞都市へと姿を変えた。

 

 海上から陸上へ差し掛かった使徒へ、容赦ない砲撃が降り注ぐ。数えるのも馬鹿らしくなるほどの砲弾。それらは大多数が命中したにもかかわらず、足止めにすらならなかった。

「……税金の無駄遣いだな」

 メインモニターでその様子を見ていた冬月は、皮肉混じりに呟く。それにはスタッフ達も同意見らしく、苦笑いをしながら頷く。

「十五年ぶりに襲来したと思えば、今度は僅か三週間で次の使徒ですか」

「自分勝手な奴らね。女にモテないタイプだわ」

「……肝に銘じます」

 軽口に何故か真剣に返事をする日向に、ミサトは首を傾げながらも追求はしない。

「それで、エヴァは?」

「シイさんが先程到着したわ。現在起動準備中よ」

「間に合いそうね」

 ネルフと言えども、使徒に対してはエヴァンゲリオンしか対抗手段は無い。故にパイロットの安全確保と、本部への移動手段確保は極めて重大。それが予定通り行われた事に、ミサトはホッと胸をなで下ろす。

「目標はこちらに真っ直ぐ進路を取っています」

「OK。初号機は発進後、第三新東京市で使徒を迎撃させましょう」

 砲火の中を悠然と飛行する使徒に、ミサトは鋭い視線を向けるのだった。

 

 

 特別非常事態宣言発令時には、民間人はシェルターへと避難する事が義務づけられている。特殊合金で造られたシェルターは、外部と一切の接触を断つ。それは避難している民間人の安全を守ると同時に、使徒やエヴァを人目に晒させないと言う、機密情報保持の意味合いがあった。

 二年A組の面々も所定のシェルターに避難し、それぞれ床にシートを敷いてくつろいで居た。厳しい情報規制のせいで、使徒の情報を彼らは知らない。

 だからだろうか、避難中だというのに何処かのどかな空気が流れていた。

 そんな中、

「あ~また駄目だ」

 ケンスケが無念そうな声をあげる。その手には、携帯用のテレビが握られていた。

「何や、また文字ばっかなんか?」

「情報規制って奴だよ。肝心な事は、僕達に教えてくれないんだ」

 同じシートに座っているトウジに、ケンスケは不満げにテレビを見せる。そこには、非常事態発令中である説明分と、適当な景色映像だけが静止画で映っているだけだ。

「こんなおいしい場面なのに、どうして見せてくれないんだ」

「そりゃ危ないからやろ」

「この時を逃せば、次の機会があるか分からないのに~」

 相田ケンスケという少年は、重度のミリタリーマニアだった。だからこそエヴァと言う存在に憧れ、その戦闘シーンを見たいのだろう。それは一般人であるトウジには、理解できない感覚だった。

 

「……なあトウジ。ちょっと話があるんだけど」

「なんや?」

「その、さ。少し二人で、な」

「……しゃーないな」

 友人の言わんとしている事を察し、トウジはやれやれと頷く。そのまま二人は立ち上がると、離れた位置で女子生徒と談笑しているヒカリの元と向かう。

「のぉ、委員長」

「……何」

 トウジに呼ばれ振り返ったヒカリは、一目で分かるほど不機嫌だった。原因は言わずもがなだろう。

「わしら二人、便所に行って来るで」

「はぁ、先に済ませておきなさいよ」

「すまんな~。じゃあちょいと行ってくるわ」

 トウジは軽く手を振ってから、ケンスケと連れ添ってシェルターの通路へと姿を消していく。その去り際、ケンスケの顔がにやけていたのを、ヒカリは見逃さなかった。

(……まさか、ね)

「どうしたのヒカリ?」

「あの馬鹿コンビの事なんて、気にするだけ損よ」

「避難中に連れションだもんね」

「ホント、男子って嫌よね~」

 クスクスと笑う友達の声を聞きながら、ヒカリは心を決める。

「ごめん、私もお手洗いに行って来る」

 すっと立ち上がると、呆然としている友人達を背に、トウジ達の後を追って通路へと向かっていった。

 

 

 

 シェルター内の男子トイレでは、トウジとケンスケが並んで小便器で用を足していた。幸いにも他に人が居ないことを確かめてから、トウジは視線を向けずに尋ねる。

「それで、話ってなんや?」

「外に出たいんだ。手伝ってくれよ」

「アホか。外に出たら危険やさかい、こないとこへ避難しとるんやろが」

「この機会を逃したら、もう撮影するチャンスなんて無いかもしれないんだよ」

 ケンスケは右手に持ったカメラを掲げて、必死にトウジへ訴える。だがそれは、トウジには到底理解出来ない感情であった。普通の感覚では、わざわざ危険な場所へ飛び込むなんて、馬鹿げた行為としか思えないのだ。

 そんなトウジの心境を理解したのか、ケンスケは搦め手に出る。

「……トウジには転校生の戦いを見守る義務があると思うけどな」

 眼鏡をくいっと直しながら、ケンスケはそっと呟いた。

「何でや?」

「あのな、転校生がロボットに乗らないって言ったら、僕達みんな死んじゃうんだよ」

「ええか、わしの妹は――」

「転校生が戦ってくれなければ、怪我じゃ済まなかったと思うけど」

 ケンスケに痛いところを突かれ、トウジはうっと言葉に詰まる。それはトウジも薄々気づいていたこと。だが大切な妹を傷つけられた憎しみを、シイにぶつけずには居られなかったのだ。

「ある意味命の恩人だよ、彼女は。なのにあんな事しちゃってさ」

「それは……そうやけど」

「だからさ、せめて彼女が戦う所を見守らなきゃ」

 力説するケンスケに、トウジは負けたと小さくため息を漏らす。

「お前、ほんま自分の欲望に素直やな」

 ケンスケの言葉は、半分は本音、後はトウジを焚き付けるためだろう。自分達が遠く離れた場所で見守ったところで、何が変わるわけでも無いのだから。

 だがそれを理解している上で、トウジはケンスケの提案に乗ることにした。意味の無い行為をそれでもしようとするのは、シイに対して負い目を感じていたからかもしれない。

「へへへ、あそこの天井を外せば、手動で外に出られるハッチがあるんだ」

「お前、何処からそんな情報を持ってくるんや?」

「父さんがネルフの職員でね。ちょっと端末を弄って情報を覗いたんだ」

「……親父さんも大変やな」

 トウジはケンスケの父親に同情しながらも、外に出る手伝いをするのだった。

 

 

「エヴァンゲリオン初号機、起動完了」

「内蔵電源問題なし。外部電源の接続も異常ありません」

「射出カタパルトへ移動開始」

 発令所では、着々と使徒迎撃に向けた準備が整えられていた。出撃が迫るこのタイミングで、ミサトは作戦確認の為に通信回線を開く。

「シイちゃん聞こえる?」

『はい』

「今回は訓練通り、パレットライフルによる遠距離攻撃で行くわよ」

『はい』

 ミサトの指示に答えるシイだが、その声は何処か何時もと様子が異なっていた。ミサトがチラリと周りのスタッフへ視線を向けると、彼らも同じ感想を持ったらしく表情を曇らせている。

「シイちゃん、少し様子がおかしいですね」

「緊張してるんでしょうか?」

「気合いは入ってる見たいですけど……」

 読み取れぬシイの状態に、オペレーター達も困惑の表情を浮かべる。

(空元気で焦れ込んでる……そんな感じかしらね)

 そんな中ミサトは作戦部長として、冷静にシイの状態を分析していた。

「シンクロ率は前回とほぼ変わりなし……だけど、心理グラフが不安定だわ」

「神経パルスにも、若干の乱れがあります」

 マヤが心配そうに報告を行う。シイが通常の精神状態では無い事は、データにハッキリと表れていた。使徒との戦いが迫る今、非常に大きな不安要素と言える。

「朝は何時も通りだったわ。とすると……」

「学校で何か、心を乱されるような事があったと考えるのが妥当ね」

 ぎくり、とリツコの発言に冬月の肩が震えた。それを目ざとく見つけたミサトが、冬月に問いただす。

「副司令、何かご存じですね?」

「い、いや、何も……」

((じぃぃぃぃぃぃ))

(む、むぅ……)

 発令所スタッフから一斉に疑惑の視線を向けられ、冬月は思わず冷や汗を流す。

 シイを始めとするチルドレンは、保安諜報部によって秘密裏に護衛されている。そして、その保安諜報部は冬月の管轄下にあった。なので当然、シイの身に起こった事も知っている。いるのだが……。

(言える訳が無い。彼女が男子に殴られたなど知れたら……)

 間違いなく冬月は発令所スタッフから、総すかんを食らうだろう。それを防げなかったのは明らかに保安諜報部のミスなのだから。

 だがゲンドウが出張で不在の今、指揮系統がズタズタになるのは何としても避けなければならない。

(しかし黙秘を続ければ、かえって不審に思われるな。ここは)

「学校で少々友人とトラブルがあった様だ。それが影響してると思われる」

 嘘ではないが真実全てを話してもいない。大人らしいズルイ方法で、冬月は危機を脱した。

 

 

「友人とのトラブルか……シイちゃん結構打たれ弱そうだもんね」

「でも、使徒はそんな事情を考慮してはくれないわ」

「分かってるわ」

「使徒、第三新東京市に到達!」

 青葉の報告に、発令所の空気ががらりと変わる。結局国連軍による集中砲火は、本当に足止めにすらならなかったようだ。

 今はシイのメンタルケアをしている余裕は無い。あの精神状態の彼女を、戦場に送り出す事にミサトは少し迷う仕草を見せたが、

「エヴァンゲリオン初号機、発進!!」

 僅かな逡巡の後、迷いを振り払うような凛とした声で、初号機の発進命令を告げた。

 

 地上へと射出される初号機。プラグ内のシイは、思い詰めた表情でレバーを握りしめる。

(誰も……怪我をさせない。させるもんか)

 悲壮な決意を胸に、シイは使徒との戦いに挑む。

 




食べたら美味しそうランキングで、堂々一位のシャムシエル登場です。さて、どのような活躍を見せてくれるのでしょうか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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3話 その5《激情》

 シェルターを抜け出したトウジとケンスケは、山の中腹を移動していた。

「うん、ここなら」

 第三新東京市街を見下ろせる絶好のポジションを確保し、満足げな笑みを浮かべるケンスケ。そこからは、戦いに対しての恐怖は感じられなかった。

「おぉぉ、あれは」

「な、なんや、あのけったいな化け物は」

 赤紫色の使徒を目撃し、ケンスケは興奮気味に歓喜の声を、トウジは怯えや恐れが入り交じった声をそれぞれあげる。

「凄い。あれが敵なのか」

「……転校生は、あない化け物と戦っとったんか」

 喜ぶケンスケとは対照的に、トウジは複雑な思いを胸に抱く。まだシイを殴った感触の残る右手。まだ脳裏に焼き付いているシイの怯えた顔。それがトウジの心を乱していた。

 

 使徒は街の中心で制止すると、身体を折り曲げて大地に立つ。それはまるで、これから始まる戦闘に備えている様にも見えた。

 ケンスケは使徒の姿をカメラに収めながら、エヴァの登場を今か今かと待ちわびる。一方のトウジは、ただ自分の拳を見つめるだけ。

 そんな彼らの背後から、デジャブを感じる叫び声が聞こえてきた。

「あんた達! 何やってるの!」

「「い、委員長!?」」

 ビクリと肩を震わせた二人が振り返ると、息を切らしたヒカリが、怒り心頭と言った表情で立っていた。

「な、何で委員長が?」

「それはこっちの台詞よ。嫌な予感がして様子を見に行ったら、二人は居ないし、天井は外されてるし。……外に出ちゃ駄目だって言われてるでしょ!」

「いや委員長、これには深い理由があってやな」

「とにかく早く戻りなさい。今ならまだ誰も気づいてないから」

 真面目なヒカリは、委員長として二人をシェルターに連れ戻そうとする。彼女の言葉は正しく、もしこの行動がバレれば何らかのペナルティーは避けられないだろう。

 トウジはここまでかと、ケンスケを説得しようとするが、

「来たぁぁ!!」

 二人にとって最悪のタイミングで、エヴァ初号機が地上へと姿を見せてしまった。

 

 

 初号機のモニターには、赤紫色の使徒がハッキリと映し出されていた。相手も自分を認識している事が分かり、シイは恐怖を押し込めるように固く唇を噛みしめる。

『シイちゃん、まずは射撃で様子を見るわ。そのライフルで先制攻撃を仕掛けて』

 ミサトの指示に従い、シイは用意されたライフルを構えて使徒に向けて射撃する。放たれた銃弾は使徒を的確に捉え続ける。

「倒れて……倒れて……」

 シイは何かに急かされるように、落ち着かない様子でレバーのトリガーを引き続ける。無抵抗の使徒へ降り注ぐ銃弾。だが、単純な攻撃は思いも寄らぬ副作用をもたらしてしまう。

『不味い、爆煙で敵が見えないわ!』

 ミサトが叫ぶ通り、使徒の姿はすっかり着弾の煙に隠れてしまった。発令所のメインモニターも、初号機のモニターも完全に使徒の姿を見失う。それでもシイは射撃を止めない。

「倒さなきゃ……倒さなきゃ……倒すんだ……」

 まるで何かに取り憑かれたかのように、瞳に危ない光を宿して使徒への攻撃を続ける。

『シイちゃん射撃を中止して! 一旦距離を取るのよ!』

「倒す……ここで倒さなきゃまた……」

 自分に言い聞かせるように、呟きながらシイは攻撃を止めようとしない。その時、モニターの端に何かピンク色に光る物が映った。

「え?」

 光はまるで鞭のようにしなりながら、初号機へと襲い掛かる。射撃体勢に入っていた初号機は突然の反撃に対応出来ず、手にしたライフルは光の鞭によって一瞬で破壊されてしまった。

 更に光の鞭は不規則な動きを見せながら、今度は初号機の腹を強くを薙ぎ払う。

「きゃぁぁぁ」

 腹部を強打した初号機は、ビルをなぎ倒しながら後方へと吹き飛ばされてしまう。

 

「う゛ぅぅ……」

 鳩尾に伝わる鈍い痛みにシイの顔が歪む。同時にこみ上げてくる吐き気を必死で堪えながら、乱れた呼吸を整える様に深呼吸を繰り返す。

『シイちゃん早く立ち上がって。今予備のライフルを出すから』

 ミサトの指示とほぼ同じタイミングで、初号機の側にある兵装ビルが開放されて、内部に用意されていた予備のライフルが姿を現す。

 どうにかライフルを取ろうと立ち上がった初号機の前に、二本の光の鞭をしならせた使徒が立ちはだかる。腕の代わりなのか、自由自在に鞭を振るう使徒。兵装ビルを楽に切り裂く鞭の威力を前に、初号機は距離を取りながら回避に専念する事しか出来なかった。

 

 

「なんや、やられっぱなしや無いか」

「トウジに殴られたのが効いてるんじゃ」

「そ、そんな訳あるかい」

 大声で否定するトウジだが、その顔には動揺がハッキリと見て取れた。何の情報も持たない彼には、自分とのトラブルがシイに重大な影響を与えてしまった可能性を否定できない。右拳と胸がチクリと痛んだ。

「碇さん……」

 明らかに様子のおかしかったシイを知っているヒカリは、祈るような視線を送る。

「あ、やばい!」

 撮影を続けていたケンスケが思わず叫ぶ。鞭をどうにか避けていた初号機だが、遂にその足首を鞭に捕らえられてしまったのだ。絡みついた鞭が大きくしなると、初号機の巨体は軽々と遙か後方へ吹き飛ばされてしまう。

 抵抗も姿勢制御も出来ずに、空を舞う初号機。

「こ、こっちに来る!」

「あかん!!」

「いやぁぁぁ!!」

 その落下予想地点は、三人が居る山の中腹だった。

 

 

「アンビリカルケーブル、断線!」

「初号機内部電源に切り替わります」

「活動限界まで、後五分です!」

 オペレーターの報告と同時に発令所内にタイマーが表示され、カウントダウンを始めた。非常に不味い状況に、ミサト達の表情が引きつる。

 エヴァンゲリオンは電気を動力源としている。だが大量の電力を内部に保持することは出来ないため、普段は背中にアンビリカルケーブルという、電力供給用の線を繋いで活動している。

 それが失われた今、初号機は内部に蓄えられた僅かな電力で動くしかない。フル出力の全力稼働で一分。最小限の稼働でも五分と言うのが、人類の科学の限界だった。

「どうするのミサト」

「予備のケーブルは……遠すぎるわね」

 第三新東京市には予備のケーブルが各所に配置されている。ライフルが収納されていた先のビルと同様、この街はエヴァの戦闘補助を前提に建設されているからだ。

 だが、初号機は市街地から離れた山の中腹に放り投げられてしまった。予備の電源にしろ武装にしろ、現在初号機が居る場所からは遠すぎた。

「一番近い回収ルートは?」

「ルート74が最短です」

「仕切直すしかない、か」

 ミサトは山の中腹に大の字で倒れる初号機を見て、苦々しく呟いた。

 

「うう……」

 全身に伝わる激突の衝撃にシイは顔をしかめる。

(これ、確かリツコさんが言ってた、内部バッテリーの稼働時間……ケーブル切られちゃったんだ)

 初号機のプラグ内に現れたタイマーに、シイは訓練を思い出して状況を把握した。こうしている間にも、刻一刻とタイムリミットは迫ってくる。

(後四分、急がないと……あれ?)

 背中と後頭部に残る激突のフィードバックダメージに耐えながら、気持ちを引き締め直すシイ。そんな時、ふとある異変に気づく。モニターの左端に、何やら矢印の様な物が表示されている。

 シイは小さく首を傾げながら矢印の先へ視線を向けて、顔を恐怖に歪めた。

 山にめり込んだ初号機の左手。大きく開かれたその指の間に、身体を小さく丸めている人間が居たのだ。その人物はシイもよく知っている、二年A組のクラスメート達だった。

「あぁ……ああ……」

 もし僅かでも左手の位置がずれていたら……。沸き上がる恐怖が、シイの身体を金縛りにしてしまう。

 

 

 民間人の存在は、メインモニターで状況を見守っている発令所でも確認していた。非常事態宣言が発令され、避難終了報告を受けていたミサトは、苛立ちながら声を荒げる。

「どうしてこんな場所に民間人が居るの!」

「……データ照合終了。これは……シイちゃんのクラスメートです!!」

 素早く端末を操作した青葉によって、瞬く間に三人の身元が割れる。第三新東京市に住む人間は、一切の例外なくID登録されている為だ。

「相田ケンスケ、鈴原トウジ、洞木ヒカリ……何でここに」

「使徒、初号機に接近!」

 日向の報告に、発令所の空気は一段と厳しくなっていった。

 

 

「みんな、どうしてここに……っっ!?」

 三人に気を取られていたシイは、使徒の接近に気づくのが僅かに遅れる。体勢を立て直す機会を失った初号機は、繰り出された光の鞭を、仰向けの状態で受け止めるしか無かった。

「くぅぅ……」

 ビルをも切り裂く鞭を掴んで無事な筈がない。初号機の手の平は装甲がみるみる熔解し、素肌がむき出しになってしまう。だがそれでもシイは鞭を離さない。

「……みんなを……守らなきゃ……」

 焼け付くような手の平の痛みに耐えながら、シイは歯を食いしばって鞭を掴み続ける。

 

 

 避けることも反撃もせずに、ただひたすら鞭を掴む初号機を三人は呆然と見つめる。間近に迫った初めて感じる死の恐怖で足が竦んでいる為、この場から逃げ出す事は出来なかった。

「な、なんで戦わへんのや」

「僕らがここに居るから……自由に動けないんだ」

「そんな……」

 自分達が足を引っ張って居ることに、三人は後悔の表情を浮かべる。

 

 

「初号機活動限界まで、後三分三十秒」

 膠着状態に陥った戦闘の中、マヤが読み上げるカウントダウンが発令所に響く。時間制限がある以上、戦況は刻一刻と悪化していく。

(不味いわね。いっそあの子達を見殺しにして、初号機を回収すれば……)

 脳裏に浮かぶ考えをミサトは即座に打ち消す。もしそんな事をすれば、シイは間違いなく心を病むだろう。それ以前にシイがそんな命令に従うとも思えなかった。

(あの子達を助けて、かつ現状の危機を脱する手段……ちょっち賭けになるけど)

「……シイちゃん。その三人をエントリープラグに乗せなさい」

 考え抜いた末にミサトは、大きな賭に挑んだ。

「何を言ってるの、葛城一尉。許可のない民間人を、エヴァに乗せられる訳無いでしょ」

「私が許可します」

「巫山戯ないで。貴方、自分が何を言ってるのか分かってるの?」

「……このまま何もしなければ、シイちゃんがやられるわ」

 ミサトの言葉に思わずリツコは怯む。

「かといって友達を見殺しにしたら、あの子の心に一生もんの傷が残るわ」

「それは……そうかもしれないけど……」

 シイと科学者の理性が、リツコの中で激しくせめぎ合う。その様子を見て、ミサトはだめ押しの一言を。

「多分、『リツコさんも冬月先生も、みんな大っ嫌い!』て泣くでしょうね」

((うぅぅぅぅぅぅぅ!!!!))

 見事、ミサトは発令所全員の急所を打ち抜いた。

「そ、そうね。人命が最優先だものね」

「うむ。私が許可しよう。直ちにあの三人をエントリープラグに乗せたまえ」

 あっさり手の平を返し、三人の救助命令を出す二人。

(はぁ~、碇司令が不在だったのは不幸中の幸いね)

 もしゲンドウがこの場に居れば、こんな作戦など許可される筈が無かった。頭の固い最高責任者の不在を、ミサトは大きなため息をつきながら感謝する。

 

『シイちゃん聞こえる!? エヴァを固定モードにして』

「え!?」

『今からあの三人をそこに乗せるわ。その間、使徒の鞭を抑えるの!』

「わ、分かりました」

 シイは鞭を掴んだ状態で初号機の動きをロックすると、一時的にシンクロを中断する。そして起動状態を維持したまま、エントリープラグを外部へと露呈させた。

 

『そこの三人、聞こえてる!』

 自分達へと呼びかける女性の声に、三人は困惑した表情を浮かべる。

『今、白い筒が外に出たでしょ。そこに乗り込んで!』

「え? え?」

『急いで!』

「「は、はい」」

 ミサトの一喝を受けて三人は慌てて動き出した。使徒の前で動くと言う恐怖に耐えながら、初号機の首筋から地面すれすれに飛び出ているエントリープラグへと近づく。

「こ、ここに入れっちゅうとるんか」

「そうみたいだ。でも……」

「迷ってる場合じゃ無いでしょ。早く入るのよ」

 三人は開かれた上部の緊急用ハッチから、エントリープラグへ飛び込んだ。流石に中が液体で満たされているとは思わなかったのか、LCLの存在に彼らは戸惑う。

(な、なんやこれ……水やないか)

(がぼがぼ、カメラが……)

(うう、生臭い)

 慣れないLCLに表情を歪める三人だったが、やがて肺がLCLに満たされ呼吸が可能になると、少しずつ落ち着きを取り戻す。

 そこで三人は、 

「転校生!」

「碇!」

「碇さん!」

 自分達の前方にあるコクピットに座る、シイの後ろ姿を見つける事が出来た。

 

 

「三名のエントリーを確認」

「プラグを再挿入します」

 再びエヴァの中に吸い込まれるエントリープラグ。直ぐさまシンクロを再開したのだが、異常を示す警告アラートが一斉に鳴り響いた。

「ハーモニクスと神経パルスに異常が出ています」

「異物を三つも取り込んだんだから当然よ」

「動かせる?」

「シンクロ率は起動ラインを超えています。最低限の動作は問題ありません」

 マヤの言葉にミサトは軽く頷いた。どのみち三人を救出した初号機は、回収ルートを使って撤退させるつもりだ。戦闘に支障が出ようが、射出口まで動いてくれれば充分だった。

 

 シンクロを再開したエントリープラグは、外部モニターも復活していた。それに大きく映し出される使徒の姿に、三人は怯える仕草を見せる。

『シイちゃん、とにかく使徒を引き離して』

「うぅ~、あっちに……行ってっ!!」

 使徒の身体を遠ざけようと、鞭を掴んだ両腕を力任せに振るう。使徒が飛行体勢に変わっていた事も幸いし、踏ん張ることの出来ない使徒はエヴァからゆっくりと離れていく。

 

『初号機、活動限界まで後一分十秒』

『今よ。一旦撤退しなさい。ルート74まで直ぐ移動して』

 千載一遇のチャンスとミサトは急ぎ指示を出すが、シイは答えない。俯いたまま荒い呼吸を繰り返すだけだ。

「お、おい転校生。逃げろって言うとるで」

「今の声って、お前の上官だろ?じょ、上官の指示には従うんだろ? な?」

 トウジとケンスケの声にも、シイは反応を示さない。無言のシイに彼女以外の全員が不安を抱く中、徐々にシイの呼吸が整っていく。

「今逃げたら……また傷つく人が出るから……だから……だから……」

 シイは初号機の左肩から出したナイフを、焼けただれた右手に握らせる。それはミサトの指示を、逃げるという行動を完全に否定した動作だった。

「碇さん……」

 シイの呟きが聞こえたヒカリは沈痛な面持ちで呟く。

『初号機、活動限界まで後一分!』

 その瞬間、プラグ内が真っ赤に染まった。初号機に残された時間があと僅かと示す非常灯に照らされながら、シイはレバーを力一杯握りしめると、

「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 悲鳴にも似た叫びをあげて、使徒へ突進した。普段のシイからは想像すら出来ない気迫に、トウジもケンスケも、ヒカリでさえも言葉を失う。

 山の斜面を利用して加速をつけながら、初号機は使徒へ一直線に向かう。

『シイちゃん何やってるの! 撤退よ! 命令を聞きなさい!』

 ミサトの怒声もシイの行動を止められず、初号機は速度を上げながら使徒へ近づく。だが愚直に真っ直ぐ向かってくる初号機を使徒が無抵抗で待っている筈が無かった。

 再び陸上形態に姿を変えた使徒は、光の鞭を初号機に真っ直ぐに伸ばす。勢いが付いている為に避けることは叶わず、二本の光の鞭は初号機の腹部を完全に貫通した。

「う゛ぅぅぅ…………この……くらいで……」

 内蔵を抉られた様な激痛とこみ上げる嘔吐感にシイは顔を歪めるが、それでも突進の速度を緩めない。極度の興奮状態にあるシイは、もう痛みでは止まらなかった。

「みんなを……今度こそ……守るんだからぁぁぁ!!」

 前進する度に使徒の鞭は腹部を通過していく。あまりの激痛から無意識に零れる涙を拭う事もせず、シイは必死に叫びながら、遂に使徒の懐へと辿り着いた。

 そして、両手代わりの鞭を封じられて無防備の使徒へと、思い切りナイフを突き立てた。それは丁度胸の位置にある赤い球体へ突き刺さった。

 

『初号機、活動限界まで後十五秒』

「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 小さな身体を限界まで前に伸ばし、力の限りレバーを押し込む。真っ赤に染まったプラグに、シイの悲壮な叫びがこだまする。

 そんなシイの気迫に後押しされたナイフは、徐々に赤い球体の奥へ奥へと食い込んでいき、球体に刻み込まれたヒビは深く大きくなっていった。

『活動限界まで、後十、九、八、七、六、五、四、三』

 大逆転かと思われたが、プラグ内には非情にも迫るタイムリミットが響いてきた。このまま攻め込めば間違い無く使徒に勝てるだろう。だが残り時間はあまりに少ない。

 間に合わなかった、と誰もが諦めかけたその瞬間、初号機のナイフが一際深く赤い球体を抉る。それが決定打になったのか赤い光球が光を失い、使徒も身体を小さく震わせて活動を停止した。

 初号機が活動限界を迎える僅か一秒前、まさに紙一重の決着であった。

 

 

「目標は……完全に沈黙しました」

「エヴァ初号機、活動限界です」

 二つの報告に発令所は沈黙に包まれた。互いに最後の瞬間の姿勢で動きを止める使徒とエヴァ。夕日が照らすその光景は、どこか哀愁を感じさせるものだった。

「初号機の回収を急いで。民間人はそのまま身柄を拘束」

「了解」

「それと、使徒の残骸を保護して。貴重なサンプルだもの。後日、回収作業を実施するわよ」

「了解です」

 リツコの指示で慌ただしく動き出すネルフスタッフ。だが発令所には戦闘に勝利したとは思えない程、重苦しい空気が流れていた。

「…………あの馬鹿」

 そんな中ミサトは小さく呟きながら、人知れず拳を震わせていた。

 

 

「……うっく……ぐす……うぅ……」

 内蔵電源が切れ、青白い非常灯が照らすエントリープラグ。その中でレバーを前に押し出した姿勢のまま、小さな嗚咽を漏らすシイ。

 そのあまりに弱々しい背中に、ヒカリ達三人はかける言葉を持たなかった。

 




シャムシエルは使徒の中でも弱い部類に入ると思われますが、物語上では結構重要な役割を担っていると思います。
この件をきっかけに、トウジ達との繋がりが出来るわけですから。

少し暗い話が続きますが、もう暫くご辛抱頂ければと思います。一度どん底まで落ちれば、後は這い上がるだけですから。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《携帯電話の色は》

重い流れに水を差す、アホタイムです。

時間軸は少し戻り、第三話開始前のエピソードです。


~携帯電話~

 

「シイちゃん、貴方にこれを渡して置くわね」

「これ……携帯電話ですよね?」

「そうよん。ネルフスタッフは全員、業務用の携帯を持つ決まりだから、一応シイちゃんも、ね」

 シイはなるほど、と頷きながらミサトが差し出した携帯を受け取る。それは何の変哲も無いごく普通の、一般に流通している物と同じ、折り畳み式のシンプルなものであったが、一つ気になる事があった。

「ありがとうございます。でも、どうして……ピンク色なんですか?」

 そう、シイが手にした携帯は薄いピンク色だったのだ。支給される業務用携帯電話には、少し不釣り合いだと思ったシイは何気なく尋ねてみる。

「あ~それは……」

 そんなシイの問いかけに、何故かミサトは言いづらそうに頭を掻いた。

 

 

 その数時間前。ネルフ発令所は、とある話題で盛り上がっていた。

「ピンクっすよ、ピンク!」

「ああ。シイちゃんに似合うのは、やっぱり可憐で可愛いピンク色しかない」

「ですよね」

「うむ(素晴らしい選択だ。いっその事初号機もピンクに……いや、老人達が煩いな)」

 彼らが話し合っていたのは、シイに供給する携帯電話の色であった。

「と言うわけだからミサト。シイさんに渡してね」

「え、て言うか、ピンクなんてあったの?」

 真剣な顔で告げるリツコに、ミサトは思わず間の抜けた問い返しを行う。そもそも業務用携帯電話に、ピンク色などあり得ないだろうと思っていた。

 事実ミサトの時は、白か黒から選べとしか言われなかったのだから。

「勿論特注よ。技術開発局が総力をあげたわ」

「あ、あんたね~。忙しいときに何やってんのよ」

「必要な処置だわ」

「ど・こ・が・よ! 良いじゃない白で。それならあの子にも似合うじゃない」

「ベターとベストは違うわ」

「だからってね。そもそもそんな予算、どっから出てきたの!」

 ミサトは知らなかった。冬月が提案した『シイちゃん応援基金』は、既にエヴァの新装備が開発出来る程ふくれあがっている事を。

「貴方が知らない所からよ。それにこの件は、既に副司令の許可が出てるのよ」

「そりゃ……そうだけど」

 不満そうに冬月を見るミサト。

「葛城一尉。上官に反抗的な態度をしたので、減俸10%だ」

「了解!」

「え、えぇぇぇ。そんな、誤解ですって。てかこれ以上減らされるとマジヤバめなんです」

「では、この件は君も同意したと言うことだな?」

 冬月の言葉にミサトは渋々頷くしかなかった。これ以上の減給は、命の元であるビールに直結するからだ。

「じゃあはいこれ。貴方から渡してあげてね」

「はいはい分かったわよ…………」

 やられっぱなしのミサトは、ついちょっとした反抗をしたくなる。受け取った携帯電話を片手に、わざと聞こえるような独り言を発してみた。

 

「あ~でも、そう言えばシイちゃん、確か青色が好きって言ってたっけ~」

 

((!!!!!!!!!!!!!))

 その時発令所全員に電流走る。目を見開き、一切の身動きすら止めてしまった。

「な~んてね、驚いた? ちょっち冗だ――」

 

「総員第三種作業体勢。直ちにカラーリングの変更作業に入れ」

「了解!」

「赤木君、技術局を直ちに呼び出してくれ」

「はい。一課の意地にかけて、数時間以内に作業を終了して見せます」

「作業班より緊急連絡。スカイブルーとマリンブルーの、どちらにするのかと問い合わせです!」

「マヤ」

「MAGIは二対一で、マリンブルーを推奨しています」

「マリンブルーの在庫を照合……不足! 松代とアメリカ支部に応援を頼みます」

「構いませんね?」

「ああ。シイ君の望む携帯を用意しない限り、我々に未来は無い」

 

「……あの~冗談だったんだけど……」

 もうミサトの声は、彼らに届かない。恐るべき手際で進められる作業に、ミサトはネタばらしをする機会を完全に失ってしまった。

 その後腹をくくったミサトの土下座と減俸30%で、どうにか事態は収まった。

 

 

「……さん、ミサトさん」

「はっ!」

「どうしたんですか? 急に遠い目をして、何だか凄い悲しそうな顔してましたけど」

「ははは、何でも無いわ。ちょっち、ね」

 無理矢理笑顔をつくるミサトに、シイは首を傾げる。そんな彼女から話題を逸らそうと、ミサトは先程の問いかけに答えた。

「えっと……色はね、他の色が丁度切れてたのよ。気に入らなかった?」

「ううん。私、すっごい気に入りました。本当にありがとうございます」

 携帯を胸に抱きしめ、花の咲くような笑顔を浮かべるシイ。

(……癒されるわね)

 その笑顔は、ボロボロになったミサトの心の慰めとなるのだった。

 

「あ、因みに、一応仕事用だけど、別にプライベートで使っても全然構わないからね」

「そうなんですか?」

「ええ。シイちゃん自分の携帯持って無いみたいだから。友達と連絡取るのに、携帯無いと不便でしょ?」

 シイは頷き、早速携帯を操作する。

「えっと……じゃあ、ミサトさんの番号を教えて貰えますか?」

「へ? そりゃ構わないけど」

 作戦部長である自分の番号は、確かに登録が必要だろう。だが今の話の流れで何故、という疑問がミサトに浮かぶ。そんなミサトの考えに気づいたのか、

「……だって、ミサトさんは家族ですから。一番に登録したいんです」

 シイは頬を染め、少しだけ恥ずかしそうに告げた。そんなシイを言葉に、ミサトの心の防波堤は決壊する。

「う、う、うわぁぁぁぁん、シイちゃぁぁぁん」

「わわ、ミサトさん、どうしちゃったんですか」

 突如泣き出してしまい、自分に思い切り抱きつくミサトにシイは困惑する。

「私の味方はシイちゃんだけよぉぉ」

「……えっと、よく分かりませんけど……私はミサトさんの事、好きですよ」

 ミサトを宥めるように肩を優しく叩きながら、シイはそっと呟くのだった。

 

 かくしてシイの携帯電話には、ミサトの携帯番号が一番に登録されたのだった。

 だが、

「おのれ葛城一尉……」

「ミサト……安牌と思ってた私が甘かったのかしらね」

 これが新たな火種を産むのだが、それはまた別の話。




原作劇中でシンジが持っていたのは、確か黒い携帯電話だったと思います。贅沢できる環境で育ってないと思うので、ネルフからの支給品だと妄想しました。

支給された携帯電話がピンク色……何だか嫌がらせに思えてしまうのは、気のせいでしょうか。

小話は全体に文章量が少ないので、同日に本編の投稿も行います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字修正致しました。


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4話 その1《衝突》

 

 ネルフ本部のシャワー室には、初号機を降りたシイの姿があった。熱いお湯で身体についたLCLを流していると、徐々に心に落ち着きが戻ってくる。それと同時に、罪悪感もまた蘇る。

(命令……無視しちゃった。ミサトさん、怒ってるよね)

 上司であり家族でもある彼女に怒られる事は、シイにとってかなりきついものがある。今思えば、必死に退却命令を出したミサトは、自分の身を案じてくれていたのだろう。それだけに申し訳ない気持ちになる。

(でも……)

 まだ頬に残る痛み。脳裏に浮かぶのは怒りに満ちたトウジの顔。それはまるで消えない呪いのように、シイの心を苛み続けていた。

(私……今度はみんなを守れたのかな)

 一人きりのシャワー室で、シイは答えの出ない自問自答を繰り返す。やがてLCLを洗い流し終えたシイは、更衣室で身体を拭いて着替えを済ませる。

 それを見計らったかの様なタイミングで、更衣室へミサトがやってきた。家で会うのとは違う厳しい表情のミサトに、思わずシイは俯いてしまう。

「その様子じゃ、私が何を言いたいのかは分かってるみたいね」

「ミサトさんの命令を……無視しました。ごめんなさい」

「謝罪は良いわ。何故無視したのか……理由を聞かせてくれる?」

 上官としてのミサトの言葉は、あくまで厳しく冷たい。それがシイを一層追いつめていく。

「ごめんなさい。次からは気を付けます」

「理由を話しなさい。でなきゃそんな約束、とても信じられないわ」

「…………使徒が怖くて、つい頭に血が上ってしまいました」

 もしあの一件が知られてしまえば、トウジにも迷惑をかけてしまうかもしれない。そんな思いからシイは咄嗟に嘘を付いた。だがそれが通じる程、葛城ミサトは甘くも無能でも無い。

「嘘ね」

 即座に否定されたシイがビクリと肩を震わせる様子で、ミサトは自分の言葉に確信を得る。

「学校で、クラスメートとトラブルがあったそうね」

「!? どうしてそれを……」

「出撃前から貴方の様子はおかしかったわ。一体、何があったの?」

 シイの問いには答えず、ミサトは一方的な質問を繰り返す。冬月からはクラスメートとのトラブル、としか聞かされていなかったが、あれだけ無謀な行動に出るのは、よほどのトラブルだろうとミサトは予測する。

 焦りからかミサトの質問は既に尋問となっており、それがシイの精神を少しずつ追い詰めていく。

「べ、別に何も……」

「……シイちゃん、その頬どうしたの?」

 顔を背けたシイの左頬に、青あざがついているのをミサトは見つけた。頬骨から下に広がるアザは、最後に顔を合わせた昨晩まで無かったものだ。

(殴られた、か)

 それなりの荒事を経験しているミサトには、アザの原因に直ぐさま察しが付いた。そしてそれが、ごく普通の生活では絶対につかない事も知っている。

 女の子の顔を殴った何者かに、ミサトの心は穏やかでは居られない。

「ねえシイちゃん。貴方がもし黙ってろって脅されてるなら――」

「鈴原君はそんな事してません!!」

「そう、エヴァに乗ったあの子に殴られたのね」

「あ……」

 失言に気づき、シイは情けない声をもらす。その態度からシイが男の子を庇っていると察したミサトは、搦め手に出る事にした。

「……話して。でなければ、彼の口から聞くことになるわよ」

 ミサトの言葉はシイを追いつめる卑怯なものだ。それを自覚しながらも、ミサトは聞かずにはいられない。

「分かり……ました」

 シイは更衣室の椅子に腰掛けると、ミサトと視線を合わせずに話し始めた。

 

「……鈴原君の妹さん……この間の戦闘で、大怪我をしたそうです」

(八つ当たりか)

 ミサトは内心毒づくが、横やりを入れずに次の言葉を待つ。

「私は……みんなを守ったつもり……でした。でも、傷つけたのも私だったんです」

 前回の戦闘終了後、シイはネルフのスタッフ達から『人類を守った』『みんなを守った』と言われた。自覚は無かったが、それが再びエヴァで戦うモチベーションになったのも事実だ。

 自分は正しい事をした。知らず知らずそんな認識が生まれていたのかも知れない。

「それは違うわシイちゃん。貴方が戦わなければ、みんな死んでいたのよ」

「でも、私のせいで傷ついた人が居るのは事実です」

「…………」

「もし……あそこで私が逃げたら、また傷つく人が出るって思ったら……」

「だから、撤退しなかったの?」

 こくりと頷くシイ。ようやく事情を理解したミサトは小さくため息をつく。

「でもね、シイちゃん。今回は上手くいったけど、もし貴方が負けていたらどうなるの?」

「それは……」

「使徒を倒せる唯一の存在、エヴァが負けたら……世界は滅びるのよ」

 理屈では分かる。ミサトは正しいことを言っていると。だが、シイの心はどうしても納得が出来ない。

「じゃあミサトさんは、その為には人が傷ついても仕方ないって、そう言うんですか?」

 シイは立ち上がり、ミサトと正面に向き合う。

「人類を守るためなら、少しの犠牲は仕方ない。そう言うんですかっ!!」

 高ぶる感情を抑えきれず、シイはついにミサトへ思いをぶつける。これこそが、シイの抱いていた矛盾だった。

 目に一杯涙を溜め、感情むき出しの視線を向けるシイに、ミサトは一瞬戸惑う。

「……そうよ。人類を守るのがネルフの使命……貴方の使命でもあるわ」

 だがミサトはネルフ作戦部長として、心を押し殺して冷たい返答をした。だが本心では無いその答えは、シイの感情を逆なでする結果に終わる。 

「私は、私はみんなを守りたいんです! 大切な人を失って欲しくないんです!」

 シイは真っ赤な顔で叫び返す。一度激昂した気持ちは留まることを知らない。

「ミサトさんも、ミサトさんだって、大切な人を失えば分かりますよ!!」

「っっっ!!」

 瞬間、ミサトはキレた。目を見開いてシイに近づくと、制服の襟を思い切り掴みあげる。

 そう……あの時のトウジみたいに。

「甘ったれた事言ってんじゃないわよ! あんた神様にでもなったつもり!?」

「そんなつもりはありません!」

「人が出来る事なんて限られてるの! だからみんな、自分に出来ることを必死にするの!」

 ミサトの叫びが更衣室に響き渡る。

「あんたに出来ることは何!? エヴァで使徒を倒すことでしょ!? 人類を守ることでしょ!? だったら、それを全力でやりなさい」

「でも私は……人を傷つけたく無いんです!」

 シイの言葉に何かを感じたのか、ミサトはふっと手の力を緩めて掴んだ襟を離した。

「……なら貴方はエヴァから降りなさい」

「…………」

「そんな気持ちで戦ってたら……死ぬわよ」

「……分かりました。私はもうエヴァに乗りません」

 最後まで冷たいミサトの言葉に、シイはキッと鋭い視線を返し、感情の赴くまま吐き捨てた。

「短い間でしたけど、お世話になりました」

 小さく一礼すると、シイは更衣室から逃げるように走り去った。

 

 

 残されたミサトは椅子に腰掛けながら、言い得ぬ後悔に襲われていた。

「私は……最低だわ」

 大人として、上官として、家族として、全てにとって最低な対応だったと思い返す。もっと落ち着いて話し合えば、違う結果になったかもしれない。

(優しい子だって、分かってたじゃない)

 同級生から受けた不条理な暴力と、間接的にでも人を傷つけたという事実。それがどれだけシイの心を苛んだのか、考えなくても分かる。だからこそ、自分は優しく彼女を包み、守ってあげなくてはならなかったのだ。

 それなのに一方的にシイを責めてしまった。彼女の思わぬ言葉に反応して、つい暴力まで振るってしまった。

(保護者失格だわ…………ごめんね、シイちゃん)

 ミサトは沈黙が支配する更衣室で、一人肩を震わせるのだった。

 




葛城ミサトという女性はまだ若く未婚です。そんな彼女にいきなり保護者役を求めるのは、少々酷ですよね。
ただこの小説の最終目標、ハッピーエンドを目指すには、ミサトにも精神的に成長して貰う必要があります。彼女がチルドレン達の支えとなる事が、後々の物語に影響を与えると思うので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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4話 その2《夜、逃げ出した後》

 

 ネルフ本部を飛び出したシイは、あてもなく第三新東京市を彷徨っていた。勢いそのままにやってきた繁華街は遅い時間にも関わらず、大勢の人々で賑わっている。

 そんな中、暗い表情で一人とぼとぼと歩く制服姿のシイは、否が応でも注目を集めてしまう。

(……私、何やってるんだろ)

 俯きながら歩くシイは、冷静さを取り戻してからずっと自己嫌悪を繰り返していた。

(心配してくれてたのに……酷いこと言っちゃった) 

 ミサトに向かって発した暴言。興奮していたとは言え、あんな言葉を発した自分が信じられなかった。

(これからどうしよう……)

 この時間では電車で実家に戻ることは出来ない。ミサトに合わす顔もないから、家にも戻れない。飛び出してきてしまった手前、ネルフ本部に戻るのは論外。

 結局シイは行き先も決まらぬまま、第三新東京市を歩き続けていた。

 比較的治安の良い第三新東京市とは言え、制服姿の女子生徒が一人歩くのはあまりに物騒だ。それがシイのような容姿であれば尚更である。

 現に今も、物憂げな表情で歩くシイは行き交う人々の視線を集めているのだから。

 

「お、あの子可愛いじゃん」

「どうする?」

「へへ、ちょっと声掛けようぜ。何なら無理矢理でも」

 いかにも、な風体をした男三人組が、そっとシイに近づこうとする。

 だが、

「あの子に近づくには、まず我々を倒してからにしてもらおう」

 黒服サングラスの男達に囲まれ、ろくな抵抗も出来ずにあっさり撃退されてしまう。彼らの正体はネルフの保安諜報部。荒事のエキスパート達であった。

「こちら二十三班、サードチルドレンに近づく不貞な輩を処理しました」

『ご苦労。シイ君の動きは?』

「現在繁華街北エリアを移動中。行き先は特定できません」

『……そのまま監視と護衛を続けろ』

「拘束しなくても宜しいので?」

『必要ならば追って命令する。現状では手出し無用だ』

「了解」

 黒服の男は連絡を終えると、再びシイを影から護衛する。その姿はまるで、娘に悪い虫が付かないように見守る父親の様だった。

 

 

「……ふぅ」

「副司令、シイさんは?」

「第三新東京市内を徒歩で移動中だ。恐らく、行くあても無いのだろう」

 保安諜報部からの報告を、冬月はリツコに告げた。シイには知らせていないが、チルドレンは常に保安諜報部に見守られていた。その意味は護衛と監視。

 必要とあれば何時でもチルドレンの身柄は拘束出来てしまうのだ。今回のシイの家出も、あくまでネルフの手の平の上でしか無かった。

「保護はされないのですか?」

「必要無いと思うがね」

「何故です? 今のあの子を一人にしておくのは危険すぎます」

「それで無理矢理連れ戻してお説教かね? それでは何も変わらない」

「ミサト……葛城一尉の様な真似はしません」

 更衣室でのやり取りを、モニターで知っていたリツコはキッパリと反論する。何故更衣室がモニターされていたのかは、あえて言うまい。

 リツコの言葉に冬月はため息をつくと、司令室の椅子に腰を掛ける。司令不在の今、この部屋の主は副司令である冬月だった。

「私はこの出来事を幸運だったと思っている」

「え!?」

「シイ君の抱えるジレンマは、何時か彼女の命を脅かすだろう。だからこそ今この段階で、それを乗り越える機会があった事は、良いことでは無いのかね?」

「ですが……」

「もしシイ君が表面上だけで葛城一尉に従ってエヴァに乗っていたら……取り返しのつかない事態になったかもしれん。時には互いに感情をぶつけ合い、真に理解し合う事が必要なのだ」

「だから葛城一尉を処罰されなかったのですね」

「彼女もまた成長して貰わなければならない。あれを引きずるようでは困る」

「……シイさんの言葉、彼女には堪えたでしょうね」

「結果、二人は腹の内を出し合った。雨降って地固まると言う言葉を知っているかね?」

「ええ。ただ、降り続ければやがて地崩れしますわ」

「止まない雨は無いよ」

「止むまで、大地が持つ保証もありません」

「信じるしかあるまい。少なくとも私はシイ君を信じているよ」

 冬月の言葉に、リツコは呆れ混じりのため息をつく。

「気分はすっかりあの子のお父さんですね?」

「それも悪くないな」

「……本当の父親はどちらに?」

「出張から帰って直ぐに呼び出されているよ。あれは人気者だからな」

「ふふ、確かに」

「とにかくだ。この一件、私が預かろう。悪いようにはしないよ」

「分かりました。では失礼します」

 リツコは一礼して司令室を後にした。それを見送った冬月は立ち上がると、ガラス張りになっている司令室の壁から外を眺める。

(止まない雨は無いとは言え、せめて冷たい雨から彼女を守る、傘を差す者がいてくれれば良いのだが)

 既に外は暗くなっている。冬月は夜の街を彷徨っているシイを思わずには居られなかった。

 

 

 薄暗いとある部屋。六つの机が向き合う会議室の様な場所に、碇ゲンドウは居た。

「第三の使徒に続き、第四の使徒も現れたか」

「死海文書の予言通りだが、スケジュールには若干ズレが出ているね」

 ゲンドウの斜め右に座る外国人の男達が言葉を発する。

「こちらの都合など、奴らはおかまいなしさ」

「その為のネルフとエヴァだよ」

 斜め左に座る男達がそれに答える。

「しかし碇。もう少し上手くエヴァとネルフを使えないのか?」

「前回の初号機中破、そして今回の修繕費。国が幾つ傾くと思ってるのかね」

「……使徒の殲滅は果たしています。そして今回は貴重なサンプルも入手出来ました」

 男達の嫌味混じりの問いかけに、ゲンドウは表情を変えずいつものポーズで答えた。

「ほぼ原型を留めたままの使徒か。確かに貴重ではある」

「解析結果は?」

「明日より本格調査を開始します。詳細は後日報告を」

 ゲンドウの言葉に男達は一応の納得を見たのか、小さく頷き言葉を止める。

「いずれにせよ、使徒の襲来によるスケジュールの遅延は許されん。予算については一考しよう」

 ゲンドウの向かいに座る、バイザーを付けた老人が威厳のある声で告げた。この老人がリーダー格なのか、彼の言葉には誰一人反対意見を述べる者は居ない。

「だが碇。君には他にもやるべき事があるだろう」

「左様」

「人類補完計画」

「これこそが我ら人類に必要なものだ」

「使徒の殲滅は、その一端に過ぎない」

「ネルフとエヴァを君に預けた、我らの期待に背くことのないようにな」

 口々にゲンドウへ言葉を掛ける男達。

「分かっております。全てはシナリオ通りに」

 その答えに満足したのか、

「後は委員会の仕事だ。碇、ご苦労だったな」

 ゲンドウを除く男達の姿が一瞬にしてかき消えた。彼らの姿は特別な装置で映し出された立体映像で、実際に会議室があるネルフ本部に居るのはゲンドウだけであった。

「……碇」

 ゲンドウも退室しようとした時、バイザーを掛けた老人だけが再び姿を現す。予想外の再登場にゲンドウは僅かに眉をひそめるが、動揺を見せずに老人に尋ねる。

「キール議長、どうされました?」

「初号機のパイロット……碇シイの事だが」

「サードチルドレンが何か?」

 突然娘の名前を告げられたゲンドウは、あくまでネルフの司令として答える。

「……最近どうなのだ?」

「議長、貴方は子供との接し方が分からない親ですか?」

「それは君の方だろう」

「…………」

 痛いところを突かれてゲンドウは沈黙する。

「君も知っての通り、碇家は我々の理解者であり協力者だ……君の奥方の様にな」

「分かっております」

「その娘だ。気にならない訳がなかろう。碇家も彼女の動向を気に掛けている」

「問題ありません」

「……ならば良い。時間をとらせたな」

 そう言うとキールは先程と同じように一瞬で姿を消した。

 

「人類補完計画……確かに我々人類には時間がないな」

 一人の残ったゲンドウは、まるで自分に向けるように小さく呟くのだった。




冬月の言うとおり、止まない雨はありません。そしてリツコの言うとおり、雨が止む前に土砂崩れの様に大地が崩れてしまう事もあります。
シイが迎える運命はどちらになるのか……。

人類補完委員会初登場です。個人的にこの人達も好きだったりします。この面々にも幸せな未来があれば良いなと思っております。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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4話 その3《感謝の言葉》

 

 

 あてもなく彷徨い続けるシイ。保安諜報部の活躍によって、身の安全こそ守られていたが、目的地の無い放浪は次第に彼女の精神を摩耗させていた。

 疲れ切ったシイの表情を見て、流石に限界だと判断した保安諜報部員が再度、冬月に保護を申し出ようとしたその時、一人の少女がシイへ近づいていった。

「碇さん?」

 背後から声をかけられたシイが振り返ると、そこには少し驚いた様な表情を浮かべるヒカリが立っていた。買い物帰りなのか、私服姿の彼女の手にはスーパーの袋が握られている。

「洞木さん……」

 少しの間二人は無言のまま見つめ合う。あれからシイと三人は直ぐに引き離された為、言葉を交わすのはこれが最初になる。様々な思いが渦巻き、シイは上手く言葉を紡げない。

「碇さん、身体は平気なの?」

 そんなシイの心中を察したのか、ヒカリは自分から会話を始める。

「あ……うん。私は平気だよ。洞木さん達は? 酷いこととかされなかった?」

「私達は全然。ちょっとお説教されちゃったけどね」

 本当の所はついさっきまでネルフ本部で、厳しい叱責を受けていた。非常事態宣言時の避難命令無視、立ち入り禁止区域への無断侵入等々、子供で無ければ実刑もあり得る重罪なので、それでも軽い罰だろう。

 それでも正直に伝えればシイに余計な気を遣わせてしまうと、ヒカリはあえて明るく振る舞って見せた。

「そっか……良かった」

「……ねえ碇さん。大丈夫じゃ無いよね?」

「そんな事無いよ。ほら、何処も怪我してないし……」

「ううん、身体じゃ無くて……心の方」

 心配そうに顔を覗き込んでくるヒカリに、シイは思わず表情を硬くして言葉に詰まってしまう。大丈夫、何でも無い、そう返せば良いだけなのに、それが出来ない。

 愛想笑いすら浮かべられなかったシイは、そっと視線をヒカリから逸らす。

「碇さん、凄い辛そうな顔してるわ」

「だ、大丈夫。あはは、ちょっと疲れちゃったみたいで」

 安心させようと必死に笑顔を作るシイ。だがその弱々しい笑みに、ヒカリは一つの確信を抱いた。どんな理由があるかは分からないが、絶対に今のシイを一人にしてはいけないと。

「……ねえ碇さん。この後予定ある?」

「え?」

「もし良かったら、家に遊びに来ない?」

 ヒカリは出来る限りの笑顔で、優しくシイを誘うのだった。

 

 

 ヒカリに連れられシイがやってきたのは、住宅街にある二階建ての一軒家だった。明かりがついている事から、他に家族が居るのだろうと推察出来る。

「ここが私の家なの。ちょっと古いんだけどね」

「ううん、素敵な家だと思う。何だか暖かい感じがして」

「ありがとう。さあ上がって」

 ヒカリに誘われるまま、シイは洞木家へと足を踏み入れた。マンションの部屋とは違う柔らかな空気が、シイの心を少しだけ解してくれる。

「ただいま」

「おかえり。あら、お客様?」

 ヒカリが声を掛けると、一人の女性がふすまを開けて出迎える。シャツに短パンというラフな出で立ちの、大人びた雰囲気を纏った女性だ。彼女は予期せぬ来客であるシイを見て、少しだけ驚いた様に尋ねた。

「うん、碇シイさん。学校の友達なの」

「そうなんだ。初めまして、ヒカリの姉のコダマです」

「碇シイと申します。夜分にすみません」

 恐縮して頭を下げるシイに、コダマは興味津々と近づいていく。そして、何の前触れも無くシイの小さな身体を思い切り抱きしめた。

「可愛い~」

「ん~ん~」

「うふふ、小さくて可愛いわね~。お肌もすべすべだし」

 ミサトに勝るとも劣らない豊満な胸に圧迫され、シイは呼吸が出来ずに苦しそうにもがく。だが体格差は覆しがたく、ばたつく手がむなしく空を切った。

「ちょ、ちょっとコダマお姉ちゃん。碇さんが困ってるでしょ」

「良いじゃないちょっとくらい。最近ノゾミも抱かせてくれないし」

「ん~ん~」

「そう言う問題じゃ無いでしょ。大体お姉ちゃんは何時も……」

(洞木……さん。お説教の前に……助け……て)

 次第に意識は薄れていき、真っ白な世界が目の前に広がっていく。その後ぐったりしたシイの危機的状況に気づいたヒカリによって、シイは酸欠寸前でどうにか解放されたのだった。

 

 

「ごめんね碇さん。お姉ちゃんにはきつく言っておくから」

「い、いいの。綺麗な花畑と川が見えただけだから」

 割と危険な状態だったらしかったが、それでもシイの表情は先程と比べて幾分和らいでいた。

 二人はコダマと別れると、二階にあるヒカリの部屋へと移動した。部屋の中は彼女の几帳面な性格をそのまま現すかのように、綺麗に片付けられていた。

 用意されたお茶に口を付けながら、二人は暫く無言で向き合う。お互い話したい事はあるが、そのきっかけが掴めない。時計の針が時を刻む音だけが部屋の中に響く。

「……どうして、私を誘ってくれたの?」

 沈黙を破ったのはシイの小さな呟きだった。

「碇さんが辛そうだったから」

「それだけで?」

「うん。友達があんな顔をしてたら、ほっとけないもの」

 それが当然だと優しく微笑みながら答えるヒカリに、シイは驚きの表情を浮かべる。ヒカリはネルフからお説教を受けた後。普通なら他人に気を遣う余裕など無い筈なのに、それでもシイを気遣った。

 戸惑いから言葉が上手く出てこないシイへ、ヒカリは柔らかな口調で告げる。

「何か悩みがあるなら私で良ければ聞かせて。力になれないかも知れないけど、話すだけでも楽になることもあるわ。勿論碇さんが話したくないなら言わなくて良いから」

 それは母性とも言える包容力だった。無条件でシイを受け止めようとするヒカリの態度は、シイの心を優しく暖める。負の感情を受け続けていたシイの瞳からは、無意識に涙が零れだした。

「ご、ごめんね……」

 突然流れ出した涙に気づき、慌てて涙を拭うシイをヒカリはそっと抱きしめた。

「泣くのを我慢しなくて良いの。辛い時に流れる涙は、心を守るために流れる物だから」

「う……うう……うわぁぁぁん」

 その言葉が切っ掛けとなり、シイの心に張り詰めていた糸が切れた。押し込めていた感情を涙に変えて、シイはヒカリの胸の中で声を上げて泣き続けるのだった。

 

 心に溜まっていた感情を涙と共にはき出したシイは、大分落ち着きを取り戻していた。目の周りが真っ赤に腫れているが、表情にも生気が宿る。

「ごめんね、今日はずっと甘えちゃって」

 昼にもヒカリの胸を借りて泣いたことを思い出し、シイは申し訳なさそうに言う。

「良いの。それだけ辛いことがあったんだよね」

「うん…………」

 シイは静かに話し始めた。第三新東京市に来たことから、ミサトとのやり取りまでの全てを。機密事項が多分に含まれていたが、シイは気にせずに洗いざらいヒカリにうち明けた。

 長い話、しかも時折理解出来ぬ固有名詞が登場してきたが、それでもヒカリはシイから目を逸らさずにじっと聞き続ける。シイの心の悲鳴を聞き逃さぬ様に。

 シイが話し終えた時には、すっかり夜が更けていた。一方的な独白だったが、思いを言葉にして発したシイは、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。

「……ごめんね、変な話を聞かせちゃって」

「ううん、話してくれてありがとう。それと、私もごめんなさい」

 突然頭を下げて謝罪するヒカリに、シイは戸惑ってしまい返事が出来なかった。

「私……碇さんがそんなに悩んでること知らなかった。あのロボットに乗っている事も、凄いなって位にしか思ってなかった。戦ってくれてるのが、当たり前だと思ってた……」

「洞木さん……」

 自分を責めるように言葉を絞り出すヒカリ。

「ずっと怖かったのに、辛かったのに、我慢して戦ってくれたんだよね。私達を守ってくれたんだよね」

「でも私は……もうエヴァには」

「うん。碇さんがそう決めたのなら、私は何も言えないわ」

「…………」

「だから、これだけは言わせて」

 ヒカリは姿勢を正して、シイの目を真っ直ぐに見る。そして、深々と頭を下げた。

「碇さん……守ってくれてありがとう。私を、私の家族を、私の友達を、私の大切な人達を、守ってくれて本当にありがとう」

 ヒカリの口から発せられたのは純粋な感謝の言葉。今までミサトやネルフのスタッフに褒められたことはあったが、感謝された事は無かった。

 だからこれが初めて聞く感謝の言葉。ヒカリが本心から伝えた『ありがとう』は、まるで魔法のようにシイの胸を苛む棘を引き抜いた。

 再びシイの瞳から涙が溢れる。だがそれは、先程までとは異なる暖かい涙だった。

 

 

 シイが完全に落ち着きを取り戻した時には、既に日付が変わろうかと言う時間になっていた。流石に今から夜道を歩いて帰るわけには行かず、まだミサトと直接顔を合わせる事に躊躇いがあるシイにとって、泊まっていってと言うヒカリの提案は渡りに船であった。

 洞木家で一晩過ごす事になったシイは、ヒカリに勧められてお風呂で疲れを癒やす。激動の一日を過ごした身体は疲労の限界であり、眠って溺れる前に早々とあがることにした。

「もうあがったの?」

「うん、気持ち良すぎて寝ちゃいそうだったから」

 タオルで髪を拭きながら、シイは苦笑を浮かべる。

「パジャマありがとうね」

「サイズが合って良かったわ」

「そう言えば……これ洞木さんの?」

 シイは水色のパジャマを指さして尋ねる。ヒカリも特別大きな訳では無いが、それでも小柄なシイとは比べるまでも無い。先程会ったコダマも同様だ。

 そんなシイの疑問に、ヒカリは何故か困ったような顔で答える。

「それ、妹のパジャマなの。今は着てないやつだから、遠慮しないでね」

「妹さんも居たんだ~。幾つなの?」

「小学校六年生……」

 申し訳なさそうに告げるヒカリの言葉に、シイはガックリと肩を落とした。つまり自分は、小学生と同じくらいの体型だと言うわけだ。丈だけじゃなく、胸回りも含めて……。

 落ち込むシイを見て、ヒカリは慌ててフォローを入れる。

「い、妹は年の割に大きい方だから」

「うぅぅ、いいもん。私だってこれから成長するんだもん」

「そ、その意気よ。じゃあ私はお風呂に入ってくるから、くつろいでてね」

 逃げるようにヒカリは部屋から出て行った。残されたシイは暫し恨めしそうにパジャマを見つめていたが、やがて真剣な表情でとある事を決意する。

(……やっぱり、ちゃんと言わないと)

 シイはすっと立ち上がると、壁に掛けてある制服へと近づくのだった。

 




原作では放浪中にケンスケと交友を深めましたが、この小説ではヒカリと出会いました。
ヒカリの精神年齢を少々高めに設定しています。母親がおらず、姉と妹の面倒を見ている彼女は、同世代と比べて大人だと思うので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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4話 その4《鳴った電話、繋がる心》

 マンションの一室。そこは部屋の主がいるにもかかわらず、まるで通夜の様な空気だった。

(……こんなに不味いビールは久しぶりね)

 帰宅したミサトは服を着替える事もせずに、リビングに一人座っていた。テーブルの上にはすっかり冷めたレトルト食品が手つかずで置かれており、大好物のビールすら今は身体が受け付けようとしない。

(あの子……今何処にいるのかしら)

 ミサトはリビングの机に突っ伏しながら、先程から同じ事を考え続ける。

 先に戻った筈のシイの姿はここに無かった。玄関の入室履歴から、一度も戻ってこなかった事も分かっている。あのまま姿を消してしまったらしい。自分の言葉によって心を傷つけたままで、だ。

(保安諜報部が付いてるから、身の危険は無いと思うけど……)

 パイロットには必ず保安諜報部の人間が付いている。目的は護衛と監視。その気になれば、シイは何時でもネルフに連れ戻されるだろう。本人の意思とは無関係に。

(もしそうなれば、あの子は心を閉ざすわね。間違いなく)

 次の使徒が現れれば即時、そうでなくても近い内にその時はやって来るだろう。現状、唯一稼働出来るエヴァ初号機。そのパイロットであるシイの存在価値は、本人が思っている以上に大きいのだから。

 ミサトはそっと、テーブルに置いてある携帯に手を伸ばそうとして、直前で止める。これも先程から何度も繰り返している動作だった。

(……何を言うつもり? 私はあの子の言葉に対する答えを持ってないのに)

 もしシイと話せたらミサトは一番に謝罪するつもりだった。だが、それだけでは根本的解決にならない。あの時シイが発した言葉への、ミサトなりの答えを示す必要がある。感情に振り回されたあの時とは違う言葉を。

 それが見つからないミサトは、携帯を手に取る勇気が無かった。

 

 そんな時、不意に携帯が着信を告げた。

(呼び出しかしら?)

 ミサトは気怠げに携帯を手に取ると、ディスプレイに表示された発信者を見て思わず固まった。それは今自分が一番話をしたい相手だったのだから。

 暫しの逡巡の後、ミサトは着信ボタンを押した。

『も、もしもし……ミサトさんですか?』

 受話器から聞こえるシイの声に、ミサトはホッと胸をなで下ろす。少なくとも自分で電話が出来る様な状況にあり、声の様子から怪我等をしている様にも思えなかったからだ。

「ええ、そうよ……シイちゃん」

『あの、その……ごめんなさい』

 色々な気持ちが込められた謝罪がミサトの胸に届く。

『私、家に帰らないで、連絡もしないで、本当にごめんなさい』

「いいのよ。貴方が無事でいてくれたなら」

 ミサトの言葉は本心から出たもの。それがシイに伝わったのか、少しだけ安堵したのが分かる。

「今は何処にいるの?」

『洞木さんの家です。えっと、クラスメートで友達の』

(エヴァに乗ったあの子か)

 これにミサトは更にホッとした。女子生徒の家にいるなら、色々な意味で危険はないだろう。

『今夜は洞木さんの家に泊まりたいんですけど……良いですか?』

「ええ。シイちゃんの手料理が食べられないのは、ちょっち寂しいけどね」

『ごめんなさい。明日からはちゃんと作りますから』

 ミサトは思わず耳を疑った。それはつまりここに、自分の家に戻ってきてくれると言う事だ。あの時のシイからは、絶対に出てこないであろう言葉。空白の時間に一体何があったのだろうか、とミサトは戸惑う。

 そんな空気を察したのか、

『ミサトさん……少しお話、聞いて貰えますか?』

 シイは小さく語りかけた。

 

『私はエヴァに乗って使徒を倒せば、みんなが守れると思ってました』

『でも、そのせいで傷ついた人が居た。だからそんな自分が許せなかったんです』

『人を傷つけてまでエヴァに乗りたくない。そう思いました』

 ミサトはシイの言葉を無言で聞き続ける。ここまでは、あの更衣室でのやり取りで分かっている事。ミサトはその先が、シイが辿り着いた答えを聞きたかった。

『だけど……私がエヴァに乗って、守れた人も居たんです』

『その人が言ってくれたんです。ありがとうって……守ってくれて、ありがとう……って』

 涙声のシイはそれでも言葉を止めない。

『嬉しかった……私は人に感謝される事をやったんだって……初めて思えました』

 ミサトを含めネルフスタッフは、使徒の殲滅が仕事だ。だからシイを褒めることはあれ、感謝する事はしなかった。仕事、役割、義務と言う感覚でシイの行動を捉えていたのだ。

 故に彼女は、犠牲にあった人の言葉に深く傷ついた。しかし今度は、守られた人から感謝の言葉を貰った。それがシイの心にとって、どれだけ大きな支えになったのか、考えなくても分かる。

(私は馬鹿ね。何も分かってなかった)

 ミサトは内心後悔していた。

『ミサトさんの言ったとおり、全ての人を守ることは出来ないかも知れません』

『また……傷つく人が出るかも知れません』

『でも、戦えば守れた人を、戦わない事で失うのは……嫌なんです』

『だから、一人でも守ることが出来るのなら、私は戦います』

 シイの言葉には、今までにない強さが込められていた。

 

 

 その後、ミサトも自らの行為を謝罪し、今回は喧嘩両成敗。シイは大好物であるチョコを、ミサトは命のガソリンであるビールをそれぞれ三日我慢する罰を決めた。

「明日の朝一で迎えに行くわね」

『歩いて帰れますよ』

「良いから、それくらいさせて。洞木さんに、妹が世話になったお礼もしたいし」

『え? ミサトさんの歳だとお母さ…………』

 受話器の向こうでシイがどんな顔をしているか、ミサトには手に取るように分かる。

「んふふ、明日の朝迎えに行くから。逃げちゃ駄目よ? それじゃ、お休みなさい」

『は、はぃ……お休みなさい』

 シイの情けない声を最後に、二人の電話は終わった。

 

 携帯をしまうミサトの顔は、先程とは見違えるほどスッキリしていた。シイが無事であったこと。改めてエヴァに乗る決心をしてくれたこと。そして何より今も尚、自分を家族と認めてくれていること。

 全てが嬉しかった。

(だから、私も覚悟を決めなきゃね)

 エヴァ初号機パイロット、サードチルドレンに対する、作戦部長として。中学二年生の女の子、碇シイに対する家族として。ミサトは自分の責任を改めて実感し、それを全うすると心に決めるのだった。

 

 

「転校生、ちょいと付き合って貰えるか?」

 翌日学校に登校したシイは、再びトウジから呼び出しを受けた。連れ出された場所は前回と同じ校舎裏。先日の記憶が蘇り僅かにシイの手が震える。

 同行したヒカリとケンスケが見守る中、無言でシイと向かい合うトウジ。何とも気まずい沈黙が漂うが、やがてトウジは意を決したかのように、拳をぐっと握りしめた。

 反射的に実をすくめるシイ。だがその後に続く行動は、全く予想と逆のものであった。

「転校生、ほんますまんかった!」

 トウジは両膝と両手、額を地面に着けて大きな声で謝罪した。

「「えっ!?」」

 突然の事態にシイとヒカリは驚き戸惑う。テレビや芝居などで見たことはあっても、実際に目の前で土下座をされれば困惑するのも当然と言える。

「わしは……何も知らんかった。転校生が、あんなに辛い思いをしとるのも……わしらの為に命を賭けて戦ってくれとることも。なのにわしは……お前を責めるだけやなく、傷つけてしもうた」

「そ、そんな」

「しかも、あん時お前は、傷つくのを承知でわしらを助けてくれた。ほんますまん!」

「い、良いから……もう良いから、頭を上げてよ」

 頑として頭を上げようとしないトウジに、シイは本気で困ってしまう。助けを求めるかのように周囲を見回すシイに助け船を出したのは、苦笑しているケンスケだった。

「トウジ。碇が困ってるぞ」

「せやけど、こうでもせんと、わしの気が済まんのや」

「謝る相手を困らせてどうするのさ。なあ、碇?」

「え、う、うん。お願いだから立って」

 シイに言われて、ようやくトウジは土下座を止めて立ち上がった。

 

「実はな、わしの妹が昨日の夜に目ぇ覚ましよったんや」

「本当っ!? ……良かった」

 思わぬ朗報にシイはホッとしてつい涙ぐむ。トウジが妹をどれだけ大切にしているかは、あのやり取りだけで十分過ぎる程分かっていたのだから。

「そんで早速面会したんやけど……」

「トウジの奴、妹に説教されたんだよ」

 言いよどむトウジに代わり、ケンスケが言葉を紡ぐ。

「その人が戦ってくれたから、私達は生きてるのよ。それを責めるなんて最低、ってな」

「ちょ、お前……勝手に」

「しかも、女の子の顔を殴るなんてあり得ない、お兄ちゃんなんか大嫌いって……」

「あ~も~少し黙っとれ」

 トウジの叫びに、ケンスケはやれやれと引き下がる。

「妹の事も勿論あるけどな、お前に謝りたいのはわしの本心や。あん時わし等はお前が苦しんで、辛くて、それでも戦ってる姿を見た」

「鈴原君……」

「理解してやるなんて自惚れるつもりは無いで。せやけどな、その姿を知っとる以上、何も知らん奴らには何も言わせへん」

 トウジはグッと拳を握りしめると、シイに向けて真っ直ぐ突きだした。

「もしお前に何か文句付ける奴がおったら、わしがぶちのめしたる。説得力無いのは分かっとるけど、それがわしの気持ちや」

 飾らないストレートな気持ち。それはシイにとって、とても大きく暖かなものだった。

「うん……ありがとう」

 嬉し涙を拭いながら、シイは輝くような笑顔をトウジに向けた。

「……っと、大事な事を忘れとったわ」

 シイの笑顔に見とれていた事を誤魔化すように、トウジはわざと大きな声を発しながら、シイの左頬を指さす。騒ぎにならないよう湿布で隠してはいるが、今もまだ殴られたアザは痛々しく残っている。

「それ、痛かったやろ」

「もう気にして無いってば。あの時の鈴原君の気持ちも分かるから」

 しかしトウジは首を横に振る。八つ当たりで女の子の顔を思い切り殴ってしまった。それは彼にとって謝って済む問題では無いのだ。

「転校生、わしを殴れ」

「……へっ?」

 あまりに突然の言葉に、シイは目を丸くする。

「女の顔殴ったのを、こない事でチャラに出来るとは思っとらん。けどな、せめて一発殴られへんとわしの気が済まんのや」

「で、でも……」

「頼むよ碇。こういう不器用な奴なんだ。良くも悪くも真っ直ぐだからさ」

 ケンスケは片手で拝むようにシイへ頼む。見れば隣に立つヒカリも、呆れたような顔で軽く頷いている。

(人をぶった事なんて無いけど……それで鈴原君が満足してくれるなら)

 シイはトウジに頷くと、小さく華奢な拳を握った。それを確認すると、トウジは目を閉じて両手を後ろに組み、殴られるのを待つ。

(鈴原君の顔、思い切り手を伸ばさないと届かないかも)

 シイは腕を伸ばして野球の投手みたいに大きく振りかぶった。筋肉のほとんど無い手は、鞭のようにしなりながら、美しい弧を描く。それでもシイの拳では大したダメージは無いだろう。

 だが、

(あ、でもやっぱりグーでぶつのは酷いよね。パーの方が痛くないかも)

 直撃の瞬間、シイは手の平を開いてしまった。

 つまりはビンタ。

 

 パァァァァン

 

 何とも気持ちの良い乾いた音が、校舎裏に響き渡った。

「ぬぅぅぅぅおぉぉぉ」

 想像していた物とは異なる痛みに、トウジは頬を抑えてうずくまる。ケンスケとヒカリも、予想外の結末に開いた口が塞がらない。張本人のシイですら、自分の手とトウジを交互に見て、困惑の表情を浮かべている。

「え、え、ええ~!?」

「な、何でビンタなんや……?」

「だって、グーじゃ痛いと思ったから」

 本来シイの細腕で殴った所で、体格の良いトウジにはさほど痛手では無かっただろう。だが、平手打ちなら話は別だ。しなったシイの手から繰り出されるビンタは、拳以上に破壊力抜群だった。

 小さな親切余計なお世話、とはよく言ったものだ。

「と、とにかくや……今本気でやったか?」

 トウジは少し涙目になりながらシイに尋ねる。

「う、うん」

「さよか……すまんかったな。わしの我が儘に付き合わせてしもうて」

 トウジはどことなく満足げな笑みを浮かべる。シイやヒカリには理解出来なかったが、これが彼なりのケジメなのだろう。

「鈴原君」

「なんや?」

「私の我が儘にも、付き合って貰って良いかな?」

「勿論や。何でも言うてみい」

「あのね、あの時のやり直しをしたいの」

 シイはそっと右手をトウジに差し出す。

「碇シイと申します。二週間前に転校してきました。もし良ければ、私と友達になって下さい」

 先日と同じ挨拶。悲しいすれ違いから果たせなかった挨拶。

「……鈴原トウジや。わしの方こそ、よろしゅう頼む」

 トウジは爽やかな笑みを浮かべてシイの右手を握った。

 

「う~ん、感動的なシーンだな。たまにはこういうのも良いね」

「そうね」

「あれ、どうしたのさ委員長。涙ぐんだりして。ひょっとしてこう言うのに弱い?」

「ち、違うわよ」

 ケンスケに冷やかされ、ヒカリは慌てて涙を拭う。

「ただ、シイちゃんにとって、凄い嬉しいことだったと思うから」

「あれ? 委員長って碇の事、名字で呼んで無かったっけ?」

 ケンスケが不思議そうにしていると、

「ヒカリちゃん。私、鈴原君と友達になれたよ」

 シイが嬉しそうに駆け寄ってきて、そのままヒカリに抱きついた。

「うん、良かったねシイちゃん」

「ありがとう、ヒカリちゃんのお陰だよ」

 幸せそうなシイを祝福するかのように微笑むヒカリ。それは同い年なのに、どこか母と娘のような印象を与える光景だった。

(何かあったのかな? ま、それよりも……)

 ケンスケは疑問を打ち消し、二人が抱き合う姿をカメラに収める。

(うんうん、絵になるね。これは人気が出るぞ)

 

 そんなケンスケの邪な考えなど知らず、シイは幸せな気分で一杯だった。




長く重苦しかった四話が終わりました。今回の件でシイは勿論、ミサトの心構えにも変化が生まれます。
物語を良い方向に持って行くには、葛城ミサトは重要人物ですので、今後も子供達を包み込んで欲しいですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《仲直りの裏で》

アホタイム突入です。


~発令所で見た~

 

 ネルフ本部発令所。そこは戦闘配置でもないのに、妙な緊張感に包まれていた。

「状況は?」

「現在データを受信中です」

 冬月の声に、日向が端末を忙しなく操作しながら答える。

「受信データを確認。主モニターに回します」

 青葉の報告と共に、発令所のメインモニターは第一中学校の校舎裏を映し出す。

「目標を映像で補足。シイちゃん他、鈴原トウジ、相田ケンスケ、洞木ヒカリと確認」

「保安諜報部の配置は?」

「問題ありません。既に終了しています」

「では、全員に狙撃体勢への移行を通達」

「了解!」

 何とも物騒なやり取りに、冬月は内心冷や汗を掻く。実はあの後、シイが殴られたことが発令所全員に知れ渡ってしまったのだ。当然大騒ぎとなり、トウジへの制裁が多数進言された。

 中学校に監視モニターを設置することで、どうにか収まったかに見えたのだが。

(間違っても問題を起こしてくれるなよ)

 もし衆人環視の元、再びシイに暴行を加えるようなことがあれば……。

 冬月は祈るようにモニターを見つめていた。

 

『転校生、ほんますまんかった!』

((おぉぉぉ))

 土下座をするトウジに、思わず驚きの表情を浮かべるネルフスタッフ達。あの年頃の男の子が頭を下げる、その意味が大きいことを理解していたからだ。

「へぇ、結構筋が通ってるな」

「ま、女の子を殴ったんだから当然だろ」

「マヤ、MAGIの判断は?」

「フィフティーフィフティーです」

「まだ気を緩められないわね」

「初号機はどうだ?」

「現在の所、沈黙を守っています」

 冬月はホッと胸をなで下ろす。

(あの時は……正直終わったかと思ったからな)

 

 第四使徒襲来前、シイがトウジに殴られた同時刻。初号機のケージから、冬月に緊急連絡が入った。

『ふ、副司令! 初号機が何故か突然起動! 拘束具を無理矢理外そうとしてます』

「馬鹿な」

『停止信号も受け付けません!』

「と、とにかく今から私がそちらに向かう」

 慌てて冬月が初号機の元に向かうと、エントリープラグ未挿入の初号機が報告通り起動しており、既に拘束具は半分以上壊されていた。

 鋭く細められた眼光は普段以上に凶悪な印象を与え、今にも襲いかかって来そうな威圧感があった。

(怒っているのか……)

 何が起こっているのかを理解した冬月は、刺激しないように初号機へ語りかける。

「とにかく落ち着いてくれ。シイ君に起こった事態は、あの年頃なら誰でも経験する事なのだ」

 冬月の言葉に初号機は少しの間動きを止めたが、何事も無かったかのように再び拘束具を壊し始める。冬月はそれでも諦めずに言葉をかけ続けた。

「勿論君の気持ちは分かる。だからここは一つ、私に任せてくれないか?」

 両手を広げ呼びかける冬月を初号機は睨み付ける。言葉を誤れば殺されかねない、そんな緊張感にも動じずに冬月は落ち着いた様子を保ち続けていた。

「彼女の護衛は強化する。今後同じ事を起こさぬ事を誓う。だからこの場は収めて欲しい」

 初号機は提案を吟味するように暫し動きを止めていたが、右手を冬月の前に差し出す。巨大な指を一本立てて、それをゆっくり拳にしまいこむ。

 メッセージは伝えた、と初号機はそれを最後に活動を停止した。

(次は無いぞ、と言う事か)

 初号機の意図を理解した冬月は、深いため息を漏らすのだった。

 

(もしあの少年が暴走すれば、あっちも暴走するな)

 モニターを見つめる冬月は、ここにいる誰よりも神経をすり減らしていた。そんな彼の心配を余所にモニターの向こうではトウジの謝罪が続く。

 シイは困った顔をしていたが、やがてその謝罪を受け入れ二人は和解した。それを嬉しそうに見つめるスタッフ一同。中には早くも、ハンカチで涙を拭う者もいた。

 そして、

『せやさかい、わしを殴れ』

 トウジの発言を聞いて発令所に苦笑が漏れる。それはネガティブなものではなく、若さ故の真っ直ぐさに対する好意的なものだった。

「若いな」

「ああ、だが嫌いじゃ無い」

「私にはよく分かりません」

「いずれ分かるわ。そしてその時感じるの。年を取ったって」

 リツコはマヤの肩にそっと手を乗せながら、何処か哀愁漂う表情を浮かべるのだった。

 そんな大人達のやり取りなど知るよしも無く、モニターの向こうではシイがトウジの提案を受け入れ、思い切り手を振りかぶる。そしてそのまま、強烈な平手打ちをトウジにお見舞いした。

「「び、ビンタっ!?」」

 あまりに痛そうな光景に、スタッフ達は思わず顔をしかめる。

「ありゃきついぞ……」

「思いっきり手がしなってたからな」

「いい音、しましたね」

「ええ。非力な女性が男性に対抗する手段として、急所攻撃以外に有効な手段よ」

「急所……ですか」

「あら分からない? 一般に眼球や、男性器……」

「わ~わ~言わないで下さい」

 真っ赤になって慌てるマヤに、男性職員は何とも言えない視線を向ける。技術局所属オペレーターの伊吹マヤ。隠れファンの多さは、ネルフでもトップクラスだった。

 

 そうこうしている間に、モニターにはシイがトウジと握手を交わした後、ヒカリと互いに喜びを分かち合う様に抱き合っている姿が映し出されていた。

((う、うう……良かったな~))

 感動的なシーンに、発令所のあちこちで涙を啜る音と鼻をかむ音が鳴りやまない。

(ふふ、こんな気持ちは大分長いこと忘れていたわね)

(見てるかユイ君。君の娘は……また一つ大人になったよ)

 涙ぐむオペレーター三人組の後ろで、リツコと冬月は年長者らしい余裕の面持ちで、若い子供達の姿を嬉しげに見つめるのだった。

 その後四人は仲良く校舎の中へと戻っていく。モニターから彼らの姿が消えると、誰からともなく拍手がわき起こり、瞬く間に発令所全体に広がった。

 青春映画を見終わった後のような、さわやかな余韻が発令所に漂う。

「素晴らしいものを見た。掛かった費用など、問題では無いほどにな」

 音声まで拾える高性能カメラの配置にはかなりの経費を注ぎ込んだ。だがゲンドウ不在のこの発令所には、誰一人それを問題視する者は居なかった。

 

 このカメラは今後も更なる活躍をすることになる。

 ただ、それはまた別の話。




やりたい放題のネルフ、もうシイのプライバシーが守られる場所は、ミサトの家くらいになってしまいました。
まあそれもいつまで持つか……不安です。

小話ですので、本日は本編も投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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5話 その1《使徒調査》

 あれから数日が過ぎ、シイは再びミサトとの同居生活を送っていた。一度本気でぶつかり合ったお陰なのか、互いの間にあった不要な気遣いや遠慮が消え、より自然な関係が築けている。

 事情を知らない人が見れば、シイとミサトは年の離れた仲の良い姉妹だと思ってしまう程に。

「ねえシイちゃん」

「何ですか?」

「今日これからなんだけど、面白いもの見に行かない?」

 朝食の席でミサトが不意に切り出した。

「面白いって、映画とかですか?」

「ん~違うわね。もっと珍しいものよ」

 勿体ぶるようなミサトの言葉に、シイは少し興味を引かれたが、残念そうに首を横に振る。

「でも、私学校がありますし」

「それは平気よ。だってこれ、ネルフのお仕事だから」

(面白いのに仕事?)

 首を傾げるシイをミサトは楽しげに見つめる。

「じゃあ決まりって事で、ご飯食べたら早速出かけましょ」

 それっきり質問には答えてくれないミサトに、シイは押し切られる形で提案を了承することにした。何にせよ仕事だと言われてしまえば、シイに拒否権は無いのだから。

 

 食事を済ませた二人がやってきたのは、何かの作業現場だった。広い区画を巨大なシートで囲っている為、外部から様子を窺うことは出来ない。

 ミサトはシートの近くに車を止めると、シイと並んで作業現場の入り口へと向かう。

「作戦部の葛城一尉よ。サードチルドレンと一緒に見学に来たわ」

「伺っております。どうぞ」

「ど、どうも……」

 入り口に立つ守衛に頭を下げて、シイはミサトに続いて作業現場に入る。そして一歩足を踏み入れた瞬間、目の前に広がっている光景に目を疑った。

「な、な、な」

「ふふん、驚いたでしょ」

 予定通りだったシイのリアクションに、ミサトは満足げな表情を浮かべる。

「み、ミサトさん、あれって……」

「ええそうよ。貴方が倒した使徒の死体ね」

 シートの中、シイが見上げる視線の先には先日殲滅した使徒の巨体があった。シイにナイフで貫かれ活動を停止したそのままの姿勢で。

(私、こんな大きな敵と戦ってたの……)

 プラグのモニター越しでは分からなかった使徒の巨大さに、シイは恐怖を感じて小さく身体を震わせる。ショックが強すぎたのかと、ミサトが焦り顔でフォローを入れようとした時、作業服を着た男が近づいて来た。 

「葛城一尉、ここより先は作業区域ですので、ヘルメットの着用を」

「あ~そうね。はい、シイちゃんの分」

「ありがとうございます……って」

 ミサトに渡された安全ヘルメットを被ってみたのだが、大人用のヘルメットはシイには大き過ぎた様だ。ヘルメットはシイの頭だけでなく、目元まですっぽりと覆ってしまう。

「あっはっは、可愛いわよシイちゃん」

「ミサトさ~ん……」

「はいはい。悪いんだけど、子供用のヘルメットをお願い」

「りょ、了解しました……」

 口元を隠すように、作業服の男は奥へと引っ込む。

(笑ってた……笑われた……む~)

 替わりのヘルメットを貰っても、シイはむくれたままだった。

 

 制服に白いヘルメット姿で歩くシイは、作業場の視線を集めていた。

(む~みんな、私の格好がおかしいから笑ってるんだ)

 すっかり拗ねてしまったシイは、頬を膨らませて抗議の意を示す。だがそんな仕草に作業員達は揃って頬を染め、頬と口元がだらしなく緩む。

((か、可愛い))

 そもそも視線を集めていた理由は、子供用でもまだ大きなヘルメットを被ったシイが、小動物チックな可愛さを見せていたからだ。思わず抱きしめたくなる魅力、と言う感じだろうか。

 先の男も笑っていたのではなく、にやける顔を隠していたのだった。

(ん~すっかりここの連中も骨抜きね。ま、気持ちは分かるけど)

 隣を歩くミサトですら思わず頬が緩んでしまう。二人が通り過ぎた作業現場には、男女問わず作業員の微笑みだけが残されていた。

 

 シートの中を歩くこと数分。使徒の直ぐ近くまで辿り着いたミサトは、キョロキョロと周囲を見回す。

「この辺だと思ったけど……あ、居た。リツコ~」

 ミサトは地面から十メートルほど上に組まれた、鉄の通路へ向けて声を掛ける。そこには白衣にヘルメットと言う、シイに勝るとも劣らない奇妙な姿をしたリツコがいた。

「ミサト? 随分遅かったの……ね」

 声に気づいたリツコが下へと視線を向けて、思わず硬直する。

「シイさんを……連れてきたの?」

「ええ。やっぱ直接戦うパイロットだし、こんな機会は滅多に無いからね」

「あの、ご迷惑だったでしょうか」

 申し訳なさそうな目でリツコを見つめるシイ。両者の位置関係で自然と上目遣いになってしまい、それがリツコの心を見事に撃ち抜いた。

(こ、これは反則だわ。捨てられた子猫の様な……思い切り抱きしめたい)

 暴走寸前のリツコだったが、他のスタッフが居る手前それは出来ない。荒ぶる心をリツコは強靱な精神力で必死に押さえつける。

「い、いえ、構わないわ。今そっちに行くから」

 リツコは近くの作業員に声を掛けると、凄まじい速さで階段を下りてシイ達の元へ駆けつけた。普段の姿からは想像出来ない俊敏な動きに、ミサトは目を丸くする。

「リツコ……あんたそんな動き出来たのね」

「はぁはぁ、折角二人が来てくれたんだから、はぁはぁ、待たせちゃ悪いでしょ」

(ふふふふふ、近くで見ると更に良いわ)

 心の声を知らないシイは、そんなリツコをいい人だと改めて思うのだった。

 

 リツコに案内され二人は、シートの隅にある解析室へと立ち入った。複数台のパソコンが設置されているそこでは、調査で得られた膨大なデータの分析と解析が行われている。

「ホント、理想的なサンプルだわ。ありがとうね、シイさん」

「い、いえ。その節はご迷惑をお掛けしまして」

「その件はミサトと話して解決したのでしょ? 私は技術局の人間として素直に感謝するわ」

 これはリツコの本音。経緯は何であれ貴重なサンプルが手に入った。科学者であるリツコにはその結果のみが重要であった。

「コア以外はほぼ無傷。これ以上を望むなら、それこそ生け捕りしか無い位よ」

「……あの、コアって何ですか?」

「使徒唯一の弱点と思われる部位よ。貴方がプログレッシブナイフを突き刺した、あの赤い球体ね」

 シイは先の戦いを思い出す。あの時はがむしゃらで意識してなかったが、確かにそこに攻撃していた。

「じゃあ、もしあれが違う場所だったら……」

「恐らく私達は全員、この場に居なかったでしょうね」

 暗に人類が滅んでいたと告げるリツコにシイは背筋が凍る。コアを攻撃したのは本当に偶然に過ぎない。自分の行動がどれだけ無謀だったのかを、改めて思い知らされたシイは泣き出しそうな情けない表情に変わる。

「それで、何か分かったの?」

 そんなシイの心情を察したミサトは、さりげなく話題を変える。するとリツコは無言で端末を操作して、パソコンの画面を指差す。

 そこにはただ一行。『601』とだけ表示されていた。

「何よこれ?」

「コード601、解析不能って事よ」

「結局何も分からなかったのね」

「あら、何もじゃ無いわ」

 落胆した様子のミサトに、リツコは心外だと反論する。

「例えばこれ、使徒独自の固有波形パターン。構成素材の違いはあれど、その信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似してるわ。99.89%ね」

「それって……」

(どういう事だろ?)

 あまりに難しい内容に、シイは全くついて行けなかった。なおもリツコとミサトが、再び専門的な会話をするなか、シイは作業区域を歩く二人の男性を見つけた。

(あれ?)

 作業服姿の人達の中、ネルフの制服にヘルメットと一際目立つ二人。司令のゲンドウと、副司令の冬月だった。

「冬つ……」

 呼びかけようとして、シイはふと声を引っ込める。ここで声を掛ければ、必然的に隣に立つゲンドウにも気づかれてしまうだろう。

(学校休んじゃってるし、怒られるかも)

 一応ネルフの職務として来ているため、そんな心配な無いのだがシイは躊躇う。結局声を掛ける勇気が出ないまま、二人の動きをこの場から眺めるしかなかった。

 

 ゲンドウと冬月は、作業服の男性から熱心に説明を聞いていた。そして頭上から降りてきたコアの欠片を、興味深そうに手で触れながら調べている。

(お父さん……火傷してる?)

 コアに素手で触れるゲンドウ。普段白い手袋に隠された両手には、真新しい火傷痕が痛々しく残っていた。

(お料理苦手なのかな? なら、私が作ってあげたら喜んでくれるかも)

「シ~イ~ちゃん!」

「ひゃぁ!」

 じっとゲンドウを見つめていたシイは、不意に背後から呼ばれて思わず飛び上がる。

「お父さんに熱い視線を注いじゃって~、どうしたの~?」

「べ、別にそんな事……」

「ひょっとして~、お父さんとお話したかったり?」

「ち、違いますよ」

 慌ててミサトの言葉を否定する。もうシイの中ではゲンドウにあの時感じた怒りや嫌悪感は、ほとんど残って居ない。それでもそれを素直に口にするのは躊躇いがあった。

「ただ、お父さんの手に火傷があったので、どうしたのかなって」

「火傷? あら本当ね。リツコは何か知ってる?」

「ええ、知ってるわ」

 話を振られたリツコは面白く無さそうに答えた。

「以前零号機が起動試験中に暴走したのを知ってるかしら?」

「はい、ミサトさんから聞きました」

「その時、オートエジェクションが……エントリープラグを強制的に排出する装置の事ね。それが作動してしまって、レイの乗ったプラグが実験室の壁や天井に激突してしまったの」

 本来パイロットを救い出す為の強制射出機能だが、屋内で作動してしまえば逆効果となる。勢いよく排出されたプラグは、無防備で障害物にぶつかる事になるからだ。

「だから綾波さんは怪我をしたんですね」

 何故起動を失敗しただけであれ程の怪我をしたのか。シイは以前から疑問だったが、リツコの話で納得できた。

「その後、床に落下したプラグに司令が駆け寄って、手動でハッチを開けたわ。当然排出されたばかりのプラグは高熱を帯びているから、その時に手を火傷したの」

「へぇ~、あの碇司令がね。正直信じられないわ」

(お父さん……綾波さんを助けるために怪我をしたんだ。でも、それならどうして……)

 脳裏に思い浮かぶのは、大怪我をしたレイを無理矢理出撃させようとしたあの光景。

(分からないよ……お父さんは……何を考えてるの?)

 シイは複雑な感情を抱きながら、ゲンドウを見つめ続けていた。

 




段々とリツコが愛おしくなってきました。個人的にもかなり好きなキャラですので、何としてもあの惨劇を回避しなくては……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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5話 その2《平和な一時》

 作業現場から引き上げたシイは、ミサトの車に乗って中学校へ向かっていた。

「今からじゃ午後の授業しか受けられないわよ?」

「良いんです。学校に行くの楽しいですから」

「新しい友達も出来たから?」

「それもありますけど、綾波さんにも会えるので」

 ハンドルを握るミサトは、シイの言葉に引っかかるものを感じた。

「シイちゃんさ、前から思ってたけどレイの事、随分気にしてるわよね?」

「そうですか?」

「何か気になる事でもあるの?」

「ん~よく分かりません。ただ、お友達になりたいとは思ってますけど」

「レイと友達ね~。ちょっち道は険しいかもよ」

 ミサトは綾波レイという少女を、実はあまり知らない。チルドレンは通常作戦部長であるミサトの管轄下にあるのだが、レイに関してはまだ零号機が実戦稼働していないこともあって、技術局の指揮下にある為だ。

 それでもレイは感情の変化がほとんど無く、人との接触を好まない事を理解していた。

「良いんです。綾波さんは迷惑かもしれませんけど、私がなりたいと思ってるだけですから」

「ま、頑張ってみなさい。私も応援してるから」

「はい」

 シイを乗せた車が中学校に到着すると、丁度お昼休みを告げるチャイムが鳴り響いていた。

 

 教室に入ったシイはクラスメイトと軽く挨拶を交わす。お弁当を広げようとしていたヒカリは、シイの姿を見て驚いた様に駆け寄って来た。

「シイちゃん、今日は休みって聞いてたけど」

「うん。ちょっと使徒の調査現場に行ってたんだけど――」

「何ぃぃぃい!!」

 シイがヒカリに事情を説明していると、不意に教室中に男子の絶叫が響いた。慌てて声の方へ視線を向けるとそこには、手から購買のパンを床に落とし、口を開けたまま呆然としているケンスケの姿があった。

 そんなケンスケを気にする事無く、同じようにパンを手にしたトウジがシイ達の元へ歩み寄る。

「あ、鈴原君と相田君、おはよう」

「もうおそよ、や。今日は来んかと思ってたで」

「思ったより早く帰れたから、折角だし午後だけでも来たかったの」

「はぁ~わしやったら儲けものやと思ぅて、ずる休みするけどな」

「鈴原と違って、シイちゃんは真面目なのよ」

「ははは」

 すっかり打ち解けていた三人は、和やかに笑い合いながら一緒に昼食を摂ろうと席に着く。

「ちょ、ちょっと、そんな事言ってる場合じゃ無いだろ!」

 そこに我を取り戻したケンスケが割り込んだ。

「調査現場ってあれだろ。白いシートで囲まれてた」

「う、うん。そうだけど」

「あぁ~僕も行きたかった」

「で、でも、そんなに面白いものじゃ……」

「碇にはそうかも知れないけど、僕にとっちゃお宝映像撮影のチャンスだったんだよ」

「そうなんだ……」

 鼻息荒く熱弁をふるうケンスケに、シイは少し引き気味に身体を反らす。

「お前、そない行きたいんやったら、自分で行けばええやろ」

「もう行ったよ。そしたら、許可のない者は駄目って門前払いさ」

「行ったんだ……」

 さも当然と言い放つケンスケに、その行動力は凄いとシイは本気で感心してしまう。

「はぁ、僕もエヴァのパイロットだったらな~」

「相田君!」

「ケンスケ!」

「あっ」

 トウジとヒカリに言われ、ケンスケは自分の失言に気づく。ばつの悪そうな顔で頭を掻きながら、シイに対して頭を下げた。

「悪い碇。そんなつもりじゃ無かったんだ」

「良いの、気にして無いよ」

 凹むケンスケにシイは優しく微笑む。ケンスケのそれが軽口であることも理解していたし、あまり気を遣いすぎないで欲しいという気持ちもあった。

「……もし今度こういう機会があれば、相田君にも声を掛けるから」

「本当か!?」

「う、うん。連れて行っても良いって言われればだけど……」

「碇~。僕は何て良い友達を持ったんだ~」

 大げさに喜びながら、ケンスケはシイの手をがっしり握る。

((相田めぇ……碇さんの手を握りやがって……))

 教室にいた男子生徒から嫉妬の視線を受けている事すら、今のケンスケは気づかない。趣味に全てを掛ける男、それが相田ケンスケだった。

 

 午後の授業の体育は男女別で行われる。男子は校庭でサッカー、女子はプールで水泳の授業だ。教室から更衣室へ移動していると、シイは離れた場所を歩くレイを見つけた。

「綾波さん、こんにちは」

「……こんにちは」

 何時も通りの返事をするレイの横を並んで歩く。基本的にレイは自分からは口を開かないので、必然的にシイから話題を持ちかける形になる。

「綾波さん、何時もお昼は何処で食べてるの?」

 レイは昼休みになると姿を消す。人前で食事をしたくないのだと思ったシイは、何気なく尋ねてみた。

「……図書室」

「あれ、でもあそこ飲食禁止だよね?」

「……お昼、食べないから」

「そうなの? お腹空かない?」

「……別に」

 そっけなく答えるレイ。思えばシイは、彼女が食事をしている所を見たことが無い。

「ひょっとして、ご飯食べられないの?」

「……いいえ、栄養は摂取してるわ」

 二人の会話は何処か噛み合わない。シイが食事という行為を尋ねているのに対し、レイは栄養補給という結果を答えているのだから当然だろう。

 これはそのまま二人の考え方の違いを表しているとも言える。

「食べちゃ駄目って訳じゃ無いのね?」

「……ええ」

「だったら、今度一緒に食べない?」

「……何故?」

「みんなで食べると楽しいからだよ。それに、綾波さんと一緒に食事してみたいの」

 レイは答えずに不思議そうな視線をシイに向ける。

「綾波さんが嫌なら、諦めるけど……」

「別に……嫌じゃないわ」

「本当!?」

 シイは笑顔を輝かせると、がっしり両手でレイの手を握りしめる。

「それじゃあ明日、一緒に食べようね」

「え、ええ」

 心底嬉しそうなシイの視線を受けて、レイにしては珍しく少し動揺した様子で頷いた。

 

 強い日差しの中、プールサイドには女子達の楽しそうな声が響いていた。そんな中、シイはプールサイドでヒカリに心配そうに背中をさすられている。

「シイちゃん大丈夫?」

「ごふ、ごほ、う、うん、ありがとうヒカリちゃん」

 荒い呼吸と共に口から水を吐き出しながら、シイは涙目でヒカリにお礼を言う。つい数分前、水死体になりかけたシイはヒカリによって、命からがらプールから救出されていた。

「泳げなかったのね」

「はぁはぁ、最後にプールに入ったのは三年くらい前だから、泳げるようになってるかもって思ったけど」

 当然そんな都合の良い話があるはずが無い。シイの身体は重りを着けているかのように、プールの底に沈みっぱなしであった。

「少し休んだ方が良いわよ」

「う、うん、そうさせて貰うわ」

 シイはフラフラとした足取りでプールから離れると、休める場所を探して周囲をキョロキョロと見回す。そして、フェンス際に座ってプールをジッと眺めているレイの元へと歩み寄った。

「綾波さん、隣良い?」

「……ええ」

 シイはレイの隣に座ると、まだ異常を訴える身体を休ませる。しばしの間無言で居ると、珍しくレイの方からシイへと声を掛けてきた。

「……泳げないのね」

「見てた、よね。私ってどうもカナヅチみたいで」

 ズバッと切り裂くレイの言葉に、シイは頭を掻いて笑う。碇シイという少女、運動と言うものにとことん相性が悪かった。身体が小さいこともあり、体育の授業は常に最低点。運動音痴と言われ続けてきた。

「……どうして、泳ごうとしたの?」

「え? ひょっとしたら泳げるようになったかもって思ったからだけど」

「……人はそう簡単に変われないわ」

「う、うう……そうだよね」

 レイの正論にシイは返す言葉もない。ただその代わりと言わんばかりに、すっと立ち上がると何度も深呼吸を繰り返し、気合いを入れ直す様に頬を一度叩いた。

「やっぱり、ちゃんと練習しないと駄目だよね」

「……まだ泳ぐの?」

「だって簡単に変われないなら、もっと努力しないと泳げないもん」

 ポジティブなシイにレイは少し驚いた視線を向ける。

「あ、そうだ。綾波さんは泳げる?」

「……え、ええ」

「お願い、私に教えて」

 パンと手を合わせて頼み込む。

「……それは」

「碇さ~ん、ビート板借りてきたよ~」

 レイが答えに窮する間に、女子生徒が遠くからシイに叫ぶ。

「ありがと~。今行くね~」

 女子生徒にお礼を言うと、シイはレイの手をそっと掴む。

「行こう、綾波さん」

「あっ……」

 シイは答えを待たずに戸惑うレイの手を引いて、再びプールへと挑んでいった。

(碇さん……不思議な人。でも……嫌な感じじゃない)

 

 レイの指導とビート板のお陰もあり、シイはどうにかカナヅチを克服出来た。まだまだ泳ぐと言うレベルでは無く、沈まなくなったと言うレベルであったが、それでもシイは満足だった。

「はぁはぁ、綾波さん、私沈まなかったよ」

「……そうね」

「綾波さんのお陰だよ。ありがとう」

「……そう、良かったわね」

 シイの目には、僅かにレイが微笑んだように見えた。瞬間、シイの胸が大きく脈打つ。

 それが何なのか分からぬまま、水泳の授業は終わりを告げるのだった。

 




特に物語が進展するでも無い、ごく普通の日常風景でした。
原作では後半になるに従って、段々とこうした日常に歪みが生じ、シリアスな雰囲気一直線になりました。
ハッピーエンドを目指す為には、ネルフ以外でシイ達チルドレンが心穏やかに過ごせる場所と時間が必要だと思っております。
第一中学校での学校生活を維持出来るかが、一つの鍵になると考えてます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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5話 その3《シイと初号機》

 

 学校帰りに本部へやってきたシイは、エヴァとのシンクロテストを行っていた。エヴァのパイロットには、定期的な訓練とテストが義務づけられており、出撃が無い時も全く自由の身とはいかない。

 ただシイはそれを苦痛と感じる事は無く、戦う意思を明確にした今は積極的にテストに挑んでいた。

(不思議……何だか前よりもエヴァが近くに感じる)

 エントリープラグのインテリアに腰掛けたシイは、目を閉じて意識を集中させていく。操縦する必要の無いテストだからこそ出来る行為が、今まで感じられ無かった存在を認識させる。

(暖かい、それに優しい気持ちが伝わってくる……貴方がエヴァなの?)

 一人きりのエントリープラグ。だがシイは自分以外の何かを感じ取っていた。それに近づこうとシイが一層意識を集中すると、シイを乗せたインテリアが少しずつプラグの前方へと稼働していく。

(痛い思いをさせてごめんね)

 既に修復は終わっているが、出撃した二度とも損傷させた事を詫びる。

(これからも、傷つけちゃうかもしれないけど……一緒に戦ってくれる?)

 心の中で一方的に呟くだけの呼びかけ。それでもシイは、エヴァがそれに応えてくれた気がした。

 

「プラグ深度、限界値です」

 テストルームに隣接している管制室で、マヤがモニターを見て報告する。エントリープラグのインテリアは、レールで前後に稼動する仕様になっていた。前方に動くほどエヴァとの繋がりが強くなるが、その一方で精神汚染の危険は高まる。今のシイは精神汚染の危険がある領域まで到達していた。

「プラグを固定。深度を維持しなさい」

「了解」

 シイを精神汚染から守るべくリツコは素早く指示を出す。エントリープラグは管制室の制御下に置かれており、シイを乗せたインテリアはレールを固定されて動きを止めた。

「ふぅ。……それにしてもシイさん、何かあったのかしら」

 リツコ安堵のため息をつくと、テスト結果の数値を見て驚いたように呟く。

「シンクロ率、ハーモニクス、共に最高記録ですね」

「ええ。前回の出撃からは考えられないわ」

「やる気になった女は強いって事じゃない?」

 ミサトはモニターに映るシイを見つめながら、少し嬉しそうに言った。

(あの子は自分から戦う事を選んだ。エヴァにはそれが分かるのかしら……)

 

 テストが無事終わると、ミサト達はエレベーターに乗り込み上層エリアへ移動していた。シャワーを浴びてから合流したシイは、そこでテストの結果を聞かされる。

「凄いわシイさん、シンクロ率もハーモニクスも過去最高よ」

「あ、ありがとうございます」

 実感のないシイは、差し障りのない返事をする。

「何か今までとは違う事があったの?」

「特に意識はしてないんですけど……あ、でも」

「でも?」

「今日はいつもと違う感じがしました」

 シイの何気ない言葉に、リツコは興味深そうに瞳を光らせる。

「それはどんな感じだったかしら?」

「言葉にし辛いんですけど……私の他に何かが居るみたいな感じです」

「なるほど。他には?」

「とっても暖かくて、優しい感じでした。一緒にいると安心できるみたいな」

 テストを思い出しながら語るシイに、リツコはふむふむと頷く。隣に立っているマヤも真剣に話を聞いていた。

「リツコさん。あれって、エヴァなんですか?」

「何とも言えないわね。ただエヴァは他のロボットと違い、心があるとも言われているの。貴方が感じたそれが、エヴァの可能性も否定できないわ」

 慎重に言葉を選んでリツコが答えると、丁度エレベーターが目的地に着き、そこで会話は終わった。

(優しくて暖かくて……まるで……お母さんに抱きしめられてるみたいだったな~)

 朧気な記憶でしか知らない母親を、シイは人知れず思い出していた。

 

 

 その夜、葛城家にリツコがやって来た。ミサトに話があるとの事だったので、シイはリツコをリビングへ案内すると、二人の邪魔をしないようエプロンを着けて急ぎ三人分食事の用意をする。

 料理の途中でチラチラとリビングの様子を伺ってみると、それほど深刻な話では無いのか、両者の間に流れる空気は和やかで時折笑顔も見えた。

 ほっと胸をなで下ろしたシイが料理を完成させたのは、丁度二人の話が一段落した時だった。シイがお盆にのせた料理をリビングの机に並べ終えると、リツコが驚いた様に目を瞬く。

「これ全部シイさんが作ったの?」

「はい。時間が無かったので、簡単なものばかりですいません」

 シイは申し訳なさそうに謝るが、今リツコの前に並んでいる料理からは、どれも湯気と共に美味しそうな匂いが立ち上っており、空腹だったリツコの食欲をそそる。

「「いただきます」」

 食事前の挨拶を済ませてから、近くにあった煮物に箸を付けたリツコは、目を見開いて固まった。そんなリツコの様子を見て、シイは不安げに尋ねてみる。

「あ、あの、お口に合いませんでしたか?」

「……い、いえ、少し驚いただけよ。まさかこれ程の腕とは」

「へへ~ん、うちのシイちゃん凄いでしょ」

 身内を褒められたミサトは自慢げにビールを飲む。そんな彼女を余所にぱくぱくと箸を進めるリツコに、シイは嬉しそうな微笑みを向ける。

「リツコったらがっついちゃって。はしたないわよね、シイちゃん?」

「いえ。美味しそうに食べて貰えると、私も嬉しいです」

「……ねえシイさん。今からでも遅くはないわ。私と一緒に暮らしましょう」

 リツコは箸を止めてシイと向き直ると、真剣な表情で提案する。だがそれを自分の料理に対する社交辞令だと思ったシイは、軽い笑顔でさらりと流す。

「ふふ、そう言って貰えると嬉しいです」

「私は本気よ」

 ガシッとリツコはシイの手を取るが、流石に現保護者から待ったがかかる。

「ちょっと~、目の前で引き抜こうとしないでよね」

「中学生に家事を全部やらせる人に、シイさんを預けておけないわ」

「なっ、どうしてそれを……」

「呆れた、本当にやらせてるのね」

 あっさりとカマ掛けに乗ったミサトに、リツコはため息をつく。

「シイさん、ミサトと一緒に暮らしていると、貴方まで駄目人間まっしぐらよ」

「あ~そうかもしれませんね」

 シイは少し意地悪してリツコに乗ってみる。

「ちょっと~シイちゃんまで」

「冗談ですよ。ミサトさんは私の大切な家族ですから」

「シイちゃん愛してるわ~。だからビールもう一本ね」

「はいはい」

 ハグをしてくるミサトにシイは苦笑しながら立ち上がると、冷蔵庫へと向かう。仲睦まじげな二人の姿を見て、リツコは今にも箸を折りそうな程拳を握りしめる。

(ミサトとシイさんがここまで仲良くなってるなんて……あの時私が引き取っていれば……)

 シイと一緒に住む権利を巡っては、本人の知らない所でかなりの騒動があった。冬月、リツコ、マヤ、他にも女性スタッフが名乗りを上げていたのだ。

 激しい議論の末、唯一中立な立場にいたミサトに任せることで、どうにかその場は納まったのだが。

「何よリツコ、そんな怖い顔して」

「後悔先に立たず。それを噛みしめてた所よ」

 リツコは苦渋に満ちた表情を浮かべながら、手当たり次第料理へ箸を伸ばすのだった。

 

「あ、そうそう。シイさんにこれを渡すのを忘れていたわ」

「これって、IDカードですか?」

「ええ。防犯の為に定期的に更新されるのよ。明日の0時で古いのは使えなくなるわ」

「分かりました」

 シイは頷くと、渡されたカードをポケットにしまう。

「明日って言えば、確か零号機の再起動実験があったわね」

「ええ」

「知らなかった……」

 仲間はずれにされた様な気がして、シイは少しだけ表情を曇らせる。二人と自分では立場が違うから、知らない事があって当然とは思うが、それでも目の前で話をされて良い気持ちはしない。

 そんなシイの様子に、ミサトは少し慌てたようにフォローを入れる。

「ほ、ほら、起動実験は他のパイロットにあまり関係ないし」

「もし興味があるのなら、シイさんはその時間警戒待機だけど、見学するのは全然構わないわよ」

「良いんですか?」

 頷くリツコに、シイの機嫌があっという間に直る。

「あ、これも忘れる所だった。シイさんにお願いがあるのよ」

「リツコ、あんたボケが来てるんじゃない?」

「失礼ですよミサトさん」

「レイのカードも更新されたのだけど、渡す機会が無かったのよ。シイさんから渡して貰える?」

「でも綾波さん明日は起動実験があるなら、学校に行かないんですよね? 何時渡せば良いんでしょう?」

「彼女の家を教えるから、カードを渡してそのまま二人で本部に来てくれれば良いわ」

 シイはレイのカードを受け取る。本人確認の写真は、まるで人形のように無表情だった。

 

「どうしたのシイちゃん。レイの写真をじっと見たりして。ひょっとして~」

「え?」

「レイに興味津々だったり?」

「そ、そうなのシイさん!?」

 からかうミサトの言葉に、何故かリツコが慌てる。

「興味と言いますか……綾波さんが笑ってる所、見たこと無いなって思ったんです」

「レイが笑うね……リツコは?」

「私も無いわ。あの子が感情を表すことは、今まで無かったもの」

 この場の誰よりも付き合いの長いリツコが言う以上、それは事実なのだろう。

(見てみたいな……綾波さんが笑うところ)

 奥底から沸き上がってくるこの感情が何なのかは、シイ自身も分からなかった。 

 




かなり早い段階で、初号機の中の人?の存在を感じています。ただこの小説では、シイの無双が行われる事はありません。
戦いが苦手な女の子ですので、原作のシンジと比べて大分弱いイメージです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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5話 その4《零号機起動実験》

 翌日、シイは預かったカードを渡すためにレイの家へと向かっていた。リツコから渡されたメモを頼りにようやく辿り着いたのは、彼女が予想していなかった光景だった。

「ここが、綾波さんの家?」

 シイは手にしたメモを何度も見返す。だが指定された住所は間違いなくこの場を示していた。

 第三新東京市の外れにある大きな団地。そこは住民など誰もいないと思わせるほど、廃墟に近い状態だった。付近では再開発が進んでいるのか、絶えず重機の音が聞こえてくる。

(一応入ってみよう。もし違ったらまた聞けば良いし)

 シイは不安を感じながら、コンクリートむき出しの団地へと入っていった。

 

(ここだ……本当にここに住んでるんだ)

 団地の一室、そこには確かに『綾波』と表札が掲げられていた。そっとインターフォンを押してみるが、壊れているのか音が鳴っている様子はない。ノックをして呼びかけてみるが、やはり反応は無かった。

(どうしよう……あれ?)

 困ったシイがドアノブに手を伸ばすと、予想に反してそれは抵抗無く回る。

(鍵掛かってない)

 一瞬迷ったシイだが、とにかく不在か否かの確認をしなければと、意を決して中に入ることにした。もし本部に向かってしまった後なら、急いで追いかけてカードを渡さなければならない。

 それに何時までもこの団地に居るのは、正直怖かった。

「綾波さん、入るよ」

 声を掛けてから静かにレイの部屋へと入っていった。中は外の様子とはまるで違う、何て事は無く、むき出しのコンクリートが生み出す冷たい空間が広がっている。

 一切の飾り気が無く、人が住んでいる事すら疑わしい室内を恐る恐る歩いて行く。

「綾波さ~ん、居ませんか~」

 声が室内に反響するが、それでも反応はない。失礼を承知でキョロキョロと室内を見回してみるが、ベッドや冷蔵庫など、最低限の家具しか置かれていない部屋には、人が隠れるスペースすら無かった。

(もう本部に行っちゃったのかな? どうしよう、一度ミサトさんに連絡してから、私も本部に……)

 次の行動を考えながら彷徨っていたシイの視線が、ある物を見かけて止まった。ベッドサイドにある棚の上に無造作に置かれた眼鏡が、不思議と気になってしまう。

(綾波さん目悪かったのかな? でもこれ、割れてる)

 そっと近づいて眼鏡を手に取ろうとした時、背後から不意に声が掛けられた。

「……碇さん?」

 ビクッと肩を震わせ、慌てて振り返るシイ。そこにはバスタオルで髪を拭いているレイの姿があった。シャワーから上がった後なのか、その白い肌を隠す物はタオル以外何もない。

「あ、あ、綾波さん。ご、ごめんなさい。その、勝手に入っちゃって……」

「……別に構わないわ」

 レイは普段と変わらぬ様子で答えると、全く動揺した様子を見せずに着替えを始めた。だがシイは落ち着いては居られない。他人の家に勝手に上がり込んだあげく、裸を見てしまった状況に、思い切り狼狽してしまう。

 そんなシイを気にもせず、レイは淡々と着替えを続ける。

(綾波さん、肌が白くて綺麗だな~。でも身体が細すぎる気がする)

 認めるように着替えを見続けながら、シイは自分の事を棚に上げて勝手な感想を抱く。実際はあらゆるサイズにおいてレイに軍配があがるのだが、そこはあえてスルーしていた。 

(やっぱりご飯はちゃんと食べて無いから?)

 殺風景な部屋には、食事をしている形跡が何も見えない。

(お弁当、作ったら喜んでくれるかな?)

 シイがそんな事を考えている間に、レイは着替えを終えていた。

「……私、もう行くから」

「あ、本部に行くんだよね?」

 頷くレイに、シイは鞄からレイのカードを取り出して手渡す。

「これ、リツコさんから預かってたの。新しいIDカードだって」

「……そう」

 興味なさそうにカードを受け取ると、レイはそのまま玄関に向かい靴を履き替える。

「私も一緒に行って良い?」

「……ええ」

 シイはレイと並んでネルフ本部に向かうのだった。

 

 

「今日、零号機の起動実験なんだってね?」

 本部内のエスカレーターに乗りながら、シイは前に立つレイへ尋ねる。

「……ええ」

「私も見学させて貰えるんだよ」

「……そう」

「上手くいくと良いね」

「……信じてるから」

「え、何を?」

「……碇司令」

 レイの言葉に、シイは戸惑いを隠せなかった。

(どうして……だってお父さんは、怪我をした綾波さんを)

 押し黙ってしまうシイに、レイは振り返る。

「貴方は信じられないの?」

「わ、私は……」

 シイが答えを出せないまま、二人を乗せたエスカレーターは終点へと辿り着いてしまった。それっきり会話が途切れてしまい、二人が無言のまま施設内を歩いていると、不意に進行方向に人影が現れた。

 それは予期せぬ人物、ネルフ司令のゲンドウであった。

「お父さん……」

 ゲンドウは一瞬だけシイを見たが、直ぐさま視線をレイに向ける。そしてシイの呼びかけを無視したまま、レイに声を掛けた。

「レイ、調子はどうだ?」

「問題ありません」

「そうか。今度は大丈夫だ、きっと上手くいく」

「はい」

 信じられないほど和やかにレイと会話を交わし始めた。ゲンドウがレイを見る目は優しく、思いやりに溢れている。またレイもゲンドウに対して、他の人とは違い笑みを浮かべて答えていた。

 どちらも今まで自分が見たことの無い姿、自分が見たいと思っていた姿。

「っっ、私先に行くから」

 チクチクと胸に棘が突き刺さる痛みに耐えかね、シイはその場から駆け足で逃げ出す。

 シイが抱いた感情は、嫉妬。ただそれがどちらに向けたものなのか、シイ自身も分かっていなかった。

 

 突然逃げるように走り去ってしまったシイを、レイは少し心配そうに見ていた。レイが僅かとは言え感情を表に出したことに驚きつつも、ゲンドウは平静を装い尋ねる。

「レイ、どうした?」

「……碇さんが、悲しそうな顔をしていたので」

「あれの事は気にするな。今は実験に集中すれば良い」

「……はい」

(碇司令は……碇さんの事を……)

 レイはゲンドウに対して少しだけ違和感を覚えたが、それを表に出すことは無かった。

 

 

 一つ目の黄色い巨体が実験室に立っていた。エヴァンゲリオン零号機。試作機、プロトタイプとも呼ばれる、最初のエヴァンゲリオンだ。

「あれが零号機……」

「どうしたのシイちゃん?」

「いえ、ちょっと怖いなって」

 シイ達が居る制御室を真っ直ぐ見つめる零号機。無機質な一つ目に、シイは何処か恐怖を感じていた。

「怖い、ね~。シイちゃん初号機の時もそう言ってたけど、今は平気でしょ?」

「はい」

「ようは慣れよ慣れ。直ぐに気にならなくなるって」

 見学者二人が無駄口を叩く間も、実験スタッフ達は最終確認に追われていた。リツコが各員に素早く指示を出し、準備作業を進める。ゲンドウと冬月は実験室に面したガラス壁に陣取り、実験開始の時を待っていた。

「碇司令、実験準備が整いました」

「分かった……レイ、始めるぞ」

『……はい』

「お前には期待している……頑張れ」

『……はい』

 ゲンドウの穏やかな激励の言葉に、スピーカーからレイの返事が聞こえる。そんな何気ないやり取りですら、シイの胸に刺さった棘は小さな痛みを与える。

「では、これより零号機の起動実験を始める。第一次接続開始」

 ゲンドウの合図で実験は始まった。

 

 実験は順調に進んでいく。次々に起動プロセスをクリアし、やがて前回事故を起こした箇所へと到達する。緊張の面持ちで一同が見守る中、今回は問題無く起動ラインを突破した。

「……ボーダーラインクリア。零号機起動しました」

 マヤが報告すると、制御室内に安堵の空気が流れる。まだ実験が終わった訳では無いのだが、最大の山場を超えた為かスタッフ達の表情にも余裕が生まれていた。

「ふぅ、どうやら無事終わったみたいね」

「本当に良かったです」

 固唾をのんで見守っていたシイもホッと胸をなで下ろした。

 

 次の実験へと移行すべく制御室が再び慌ただしく動くさなか、通信機で何やら会話を交わしていた冬月が、険しい表情を浮かべて受話器を置いた。

「碇、未確認飛行物体が接近中だ」

「……実験中断。総員第二種戦闘配置」

「零号機はこのまま出さないのか?」

「まだ実戦には耐えられない。初号機は出せるな?」

「五分以内に」

「よし、準備が整い次第直ちに出撃させろ」

 ゲンドウの指示でスタッフ達は直ぐさま戦闘配置に移行する。ミサトも表情を引き締め、隣に立つシイの肩を軽く叩く。

「シイちゃん、出撃よ」

「あ、はい……」

 ミサトに促されるが、シイは正面に立つゲンドウを見つめたまま動かない。

「シイちゃん?」

 その声が聞こえたのかは分からないが、背を向けていたゲンドウがゆっくり振り返る。自分に視線を向けた父親に一瞬シイの顔に期待の色が浮かぶ。

「どうした、早く出撃しろ」

「…………はい」

 だがゲンドウの冷たい言葉に淡い期待を裏切られたシイは、一目で分かるほど落胆した様子で返事をする。

 そのまま制御室を出ようとした時、

「シイ君、零号機はまだ実戦では使えない。単機での出撃となるが、頑張ってくれるかな?」

 冬月の優しい声がシイの耳に届く。

「頼むわね、シイさん」

「頑張って」

 リツコとマヤもシイにエールを送る。すると、シイの表情がみるみる笑顔に変わっていく。

「はい、行ってきます!」

 力強い声援を受けたシイは、元気良く制御室を飛び出していくのだった。

 

(……どういう事だ?)

 ただ一人状況を理解できないゲンドウは、内心首を傾げた。そんな空気の読めないゲンドウへ、制御室のスタッフは冷たいジト目を送る。

(この男は、不器用にも程がある)

(シイさんのあの様子を見れば直ぐ分かるでしょうに)

((どうしてこの髭は、頑張れの一言も言ってやれないんだ))

 自分を責める視線の意味が分からないゲンドウは、こっそり冷や汗を流すのだった。

 

 

 発令所のモニターには、報告にあった正体不明の飛行物体が映し出されていた。ピラミッドを逆さにくっつけた様な形をした、青い正八面体の物体。手も足も無く、そもそも生物にすら見えないそれは、今までの使徒とは明らかに違っていた。

「こりゃまた、使徒も随分とイメチェンして来たわね」

「ですね。どうします?」

 日向の問いに、ミサトはアゴに手をやり少し悩む。

(あの姿形からじゃどんな攻撃をしてくるのか、正直見当が付かないわね)

 外見からすれば近接戦闘が得意では無さそうだが、先の使徒のように変形するかもしれない。無機的な使徒を睨み付けながら、ミサトはあらゆる可能性を頭に浮かべながら作戦を構築していく。

(少し離れた位置に出撃させて、ATフィールドを張りつつ様子見がベターかしら)

 攻撃手段が分からない以上、初号機を近距離に射出するのはリスクが高い。そう判断したミサトは、初号機の射出ルートを使徒から離れた位置に指定した。

 

「シイちゃん、今回の使徒は行動パターンが予測できないわ」

『はい。何だかガラス細工みたいな使徒ですね』

「よって初号機を使徒から離れた位置に射出するわ。地上に出たら直ぐにATフィールドを展開、使徒の動きをみてから攻撃に移って」

『分かりました』

 今のシイには先日のような不安要素はない。余程のイレギュラーでも起こらない限り、冷静に対応できるだろうとミサトは考えていた。

「初号機、射出カタパルトに移動完了」

「ルートは775に固定」

「エヴァンゲリオン初号機、発進!」

 ミサトの号令と共に初号機が地上向かって射出される。その瞬間、使徒の青い身体に光が走った。

「も、目標内部に高エネルギー反応!!」

 青葉が焦ったように報告する。

「何ですって!」

「円周部を加速、収束していきます!!」

「まさか……加粒子砲!?」

「初号機の動きを察知してるの? なら狙いは……不味い!」

 ミサトは一気に青ざめた。射出されたエヴァは、輸送台からリフトオフされなければ身動きが取れない。もしその瞬間を狙い撃たれたら……。

 発令所がざわつく中、初号機を乗せたリフトが地上に姿を現す。それと同時に、使徒から光の奔流がエヴァに向けて放たれた。

「シイちゃん避けてっ!!」

 無理なことは重々承知している。それでもミサトは叫ばずには居られなかった。

『え?』

 目の前にそびえるビルに遮られて、使徒の姿を見ていないシイは首を傾げる。そして次の瞬間、ビルを雨細工のように溶かして加粒子砲は初号機へと直撃した。

『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ』

「シイちゃん!!!」

 シイの悲鳴とミサトの絶叫が発令所に響き渡った。 

 




ミサトも色々と考えて指示を出しましたが、ラミエルの規格外とも言える超射程に屈しました。
ラミエルはチート使徒ですので、初見で殲滅するのはほぼ無理かと。それこそ転生や逆行で事前に能力を知らないと、同じ結末になると思います。

シイ、レイ、ゲンドウの複雑な関係も、ハッピーエンドを目指す為には重要ですので、変化を丁寧に描けたらと思っております。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《司令は不器用》

シリアスな本編に水を差すアホタイムです。


 

~司令は辛いよ~

 

 未確認飛行物体接近の報を受け、零号機の起動実験は中断。直ちに第二種戦闘配置へと移行するネルフ。警報が鳴り響く中、司令であるゲンドウと副司令の冬月は、並んで発令所へと歩いていた。

 その道中で、不意にゲンドウが口を開く。

「……冬月」

「何だ?」

「私は……何か失敗したのか?」

「気づいて無かったのか?」

 ゲンドウの問いかけに、冬月は呆れたようにため息をつく。ゲンドウ以外の面々が気づくほど、シイの態度は分かりやすいものだったと言うのに、この男はまるで気づいていなかった。

 鈍いにも程があると、冬月は軽く頭を抑えた。

「どういうことだ? あの状況でパイロットを急がせる事は、間違った判断では無かった筈だ」

「それ自体はな。だがシイ君が求めている事は他にあったのだよ」

「シイが求めている事だと?」

 ゲンドウは冬月にしつこく尋ねる。どうやら彼なりに、先程の事を気にしているらしい。

「お前は起動実験前に、レイへ激励の言葉を掛けただろ」

「ああ。今回の実験に失敗は許されないからな」

「それだよ。シイ君はお前から一言だけでも、激励の言葉が欲しかったのだ」

「何故だ?」

「本気で言っているのか?」

 冬月は思わずゲンドウの顔をのぞき込んで問い返す。

「私はシイに嫌われている。そんな私からの言葉など、欲しがる訳が無い」

「はぁ、不器用な上にここまで鈍いとはな」

 大きなため息をつくと、冬月は出来の悪い生徒に教えるかのように、ゲンドウへ語りかける。

「シイ君はお前を嫌っては居ない。ただ接し方が分からないだけだよ」

「だ、だが、あの時確かに」

「ああ、確かに『お父さんなんか大嫌い、べー』と言っていたな」

「……ぐすん」

 思い出してしまったのか、ゲンドウはサングラスの下で涙ぐむ。泣くくらいならもう少し優しく接すればと、冬月は思いこそすれ口には出さない。

「あれは一時の感情に過ぎない。なにせ十年ぶりに会ったのだから、シイ君も戸惑っていたのだよ」

「ならばシイは、私を嫌っていないのか?」

「表面上は反抗しているのだろうが、本質では嫌っていないだろうな」

「ほ、本当か!?」

 人前では決して見せない程嬉しそうな顔で、ゲンドウは冬月に詰め寄る。

「少し落ち着け。良いか、十年ぶりに会ったとは言えお前はシイ君の父親だ。ユイ君亡き今、ただ一人の親なんだだぞ。それを本当に嫌う筈が無いだろう」

「…………ニヤ」

「だからこそ、先程の対応はお前の失態だ」

 冬月はにやつくゲンドウをスルーして、話題を元に戻す。

「シイ君からすれば、お前はレイにだけ優しく自分に冷たいと思っただろう」

「む、そんな事は」

「受け手の感じ方が全てだ。お前が自分よりもレイを大切にしていると、シイ君は感じたのだよ」

「……待て冬月、それはつまり」

「簡単に言えば嫉妬だな」

 冬月の言葉に、ゲンドウの口元がニヤニヤと気持ち悪く緩む。

「そ、そうか……シイは私の事をそれ程……」

「だがお前はよりにもよってシイ君を突き放した。心象は最悪だろうな」

「ぬぅぅ」

 ここに至ってゲンドウは、己の失敗にようやく気づいた。あの場で一言、『お前も頑張れ』や『期待している』と言えていれば……。好感度アップのチャンスを逃し、ゲンドウは唇を噛みしめる。

 

「冬月、私はどうすれば……」

「とことん計画外の事に弱いな、お前は」

「煩い。とにかく、どうにかしてシイの好感度を上げなければ……」

「ならば話は早い。お前が彼女に対して優しくして接してやれば良いだけだ」

「……出来たら苦労していない」

 碇ゲンドウと言う男はとことん不器用に出来ていた シイの前に立つと、どうしても思うように言葉が出てこない。やっとの事で口を開けば、何故か冷たい言葉ばかりが出てしまう。会えば会うほどシイとの距離が遠ざかるジレンマに陥っていた。

「直接会うのが駄目なら、間接的に好意を示してはどうだ?」

「例えば、何だ?」

「手紙……は論外だから、贈り物などが有効だろうね」

「ふむ」

「シイ君も年頃の女の子だ。服やアクセサリーなどは喜ぶと思うが」

「……冬月、後で付き合ってくれ」

「……おい、まさかとは思うが」

「第三新東京市にファンシーショップがある」

 予想通りのゲンドウの発言に、冬月は表情を歪める。いい年した男二人で、女の子御用達の店へ入る。何の罰ゲームだと思わずにはいられなかった。

「何もお前が自分で行く必要はあるまい。誰か他の者に頼めばいいだろ」

「駄目だ。贈り物は……やはり自分で買わねば」

 妙なこだわりを見せるゲンドウに、冬月は何度目になるか分からないため息をつく。言っている事は立派だったが、それなら一人で行けと言いたくなる。

 ただそれをそのまま口にするほど、冬月は子供では無い。

「私はご免だよ。赤木君あたりを誘えば良いだろ」

「シイに目撃された場合の言い訳が困難だ」

(私と一緒だと更に困難だと思うがな)

 何処かずれているゲンドウの発言に、冬月はもうアドバイスを諦めた。もう発令所まであと僅かの地点まで来ており、そろそろ話題を終わらせようとする。

「とにかく今は使徒の殲滅が最優先だ。シイ君の事は後で考えれば良いだろう」

「……ああ」

 冬月の言葉を切っ掛けにゲンドウの顔が情けない父親のそれから、冷静沈着な司令のそれへと変わる。このオンオフの切り替えによって、碇ゲンドウは司令としての威厳を保ち続けていられた。

(この戦闘が終わったら……良くやったと言ってみるか)

 例え先の会話を引きずっていたとしても、それを表に出すことは決してない。心の内を秘める、ゲンドウは組織のトップとして最低限必要な資質を持っているのだ。

 

 素直に振る舞う事が出来ない。人の上に立つというのも、なかなか大変であった。




制御室から発令所へ移動中の、ちょっとした二人の会話でした。子供が女の子だったらゲンドウはどうなるのか……一つのポイントですね。

本編が引きで終わっているので、今日中にもう一話投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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6話 その1《敗退》

 

『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ』

 使徒の放った光の奔流は初号機の胸部を直撃した。展開していたATフィールドをいとも容易く貫通した光は、胸部装甲板を融解させていく。

 攻撃を受け続けるシイは、強烈なフィードバックダメージで次第に悲鳴すら出なくなる。

『ぁぁぁ…………』

「リフトを戻して、早く!!」

 ミサトの指示で初号機を乗せたリフトが地下へと姿を消していく。それを追うように光は初号機の胸を狙い続けていたが、姿が完全に消えると同時に攻撃が止まった。

「目標、沈黙しました」

「シイちゃんは!?」

「心音確認できません!」

 最悪の展開にミサトは顔を引きつらせた。エヴァが受けたダメージはシイにも届く。あれだけ強力な攻撃を胸部に受け続けてしまったのだから、無事である筈が無い。

「ケージに行くわ。後の事よろしく」

 作戦部長である自分が、作戦行動中に席を外すことは許されない。それでもミサトはシイの元へと向かわずには居られなかった。リツコに後を任せると、青ざめた顔で発令所から駆けだして行った。

 

 射出レールを戻ってきた初号機は緊急格納ケージへと搬送される。その間にも発令所ではパイロットの状態確認と救命処置が行われていた。

「パイロットの脳波測定出来ず……心音停止しています」

「生命維持機能を最大にして」

 深いダメージを負ったためにプラグ内はモニター出来ず、身体状態を示すデータだけが頼り。だがその全てが、絶望的な状況を示していた。

 次々にスクロールしていく数値を見て、リツコは一際厳しい表情を浮かべる。

「不味いわね。スーツの心臓マッサージ機能を作動させて」

「はい!」

 リツコの指示で救命処置が実施される。マヤが端末を操作すると同時に、プラグスーツに包まれたシイの身体が、ドクンと跳ね上がる。だが表示される数値に変化は無い。

「もう一度、いえ何度でもやって! 絶対に助けるのよ!」

「はい!!」

 強い意志で下されるリツコの指示。二度、三度とシイの身体に心臓マッサージが行われる。

「……パルス確認!」

 何度目かの心臓マッサージの後、シイの身体は生存反応を示した。それでも本当に最悪な状況から脱却したに過ぎず、未だシイの容態は余談を許さない状況にある。

「初号機を固定したら直ぐにプラグを排出して。救護班は?」

「現在ケージに向かって移動中。後三十秒で到着します」

 マヤの報告を聞くリツコの表情は険しいまま、緩むことは無かった。

 

 エヴァからプラグが取り出される丁度その時、ミサトはケージに到着した。彼女の目の前でプラグの排水口から、LCLが強制排水されていく。

「いいから早くハッチを開けて」

 焦るミサトが指示を出すと、プラグの上部にある非常脱出口が解放された。高熱のプラグから湯気が立ち上る中、インテリアがクレーンで外へと吊り出された。

 そこには完全に意識を失っているのか、ぐったりとしたままピクリとも動かないシイの姿があった。鼻と口から流れている血が、彼女が受けたダメージの大きさを雄弁に語る。

「……シイちゃん……」

 変わり果てた姿のシイに向かって、ミサトは泣きそうな顔で呟いた。それから間もなく到着した救護班によって、シイは緊急治療室へと運ばれて行く。

(シイちゃん……ごめんね)

 自分の作戦ミスを悔いるミサトは、ストレッチャーに乗せられたシイに謝る事しか出来なかった。

 

 

 その後使徒はゆっくりと飛行を続け、第三新東京市の中心で停止すると、逆ピラミッドの先端から細長いドリルのような物を出現させ、地面を掘り始めた。

「直接ここを狙ってきたか」

「ええ、現在使徒はこのネルフ本部直上に位置しています。間違いないかと」

 冬月の言葉にリツコが賛同した。第三新東京市の直下に存在するジオフロントと呼ばれる巨大な地下空洞に、ネルフ本部はある。使徒の狙いが本部であるのは、想像に難くなかった。 

「直ちに作戦会議を行い、状況分析と対策を検討致します」

「……任せる」

 ゲンドウはそれだけ告げると、発令所を後にした。

 

 

 ネルフ本部作戦会議室にはミサトを始めとした、各部門の担当者が集結していた。

「さて、それじゃあ始めましょうか。まず使徒の追加情報をお願い」

「はい。初号機回収後、ダミーバルーン及び長距離自走砲を用いて、使徒の能力分析を行いました」

 ミサトに促されて日向が報告を始めると同時に、会議室のモニターに映像が流れ始める。会議参加者の視線が集まる中、モニターでは初号機を模したバルーンが姿を現す。

「目標の行動パターンですが、一定範囲内に入った外敵を、自動的に攻撃する性質があるようです」

 バルーンをワイヤーで繋いだ無人車両は、ゆっくりと使徒に向かって走る。使徒は初めこそ全く反応を示さなかったが、ある地点までバルーンが近づいた瞬間、先と同様の加粒子砲を放ち、バルーンを消滅させた。

「射程内へ侵入した瞬間に加粒子砲で狙い撃ち。使徒に接近するのはほぼ不可能と思われます」

「……んで、ATフィールドは?」

「健在です。肉眼で確認できる程、強力な物を展開しています」

 続けてモニターに映し出された無人で動く長距離砲台が、使徒に向けて砲撃を行う。威力十分の砲撃が一直線に使徒を襲うが、目前でATフィールドに弾かれてしまった。その後反撃を受けて、砲台は消滅する。

「MAGIの分析結果によると、使徒の射程外からではATフィールドの中和は不可能だそうです」

「な~るほどね。まさに鉄壁の空中要塞……攻守共にパーペキね」

 ミサトは呆れたように笑うと、次の報告へと話を進める。

「使徒のドリルはどう?」

「現在本部に向かって進行中。装甲板も第二層まで突破され、阻止は困難と思われます」

「ここへの到達予想時刻は?」

「明日の午前0時6分54秒です」

「って事は、後十時間足らずね。こりゃ忙しくなりそうだわ」

 青葉の報告に肩をすくめたミサトが初号機のケージに通信を繋ぐと、破損した初号機の状況確認を行っているリツコとマヤの姿がモニターに映った。

「リツコ、初号機の状況はどうなの?」

「胸部第3装甲板まで見事に融解。機能中枢が無事なのは不幸中の幸いね」

「後数秒退却が遅れていたら、危ない所でしたけども」

 二人の背後では、溶けた装甲板がワイヤーに吊されて運び出されていた。使徒の攻撃の威力を物語る光景に、作戦会議室の面々は一様に顔をしかめる。

「行けそう?」

「一応ね。後三時間で換装作業は終了よ」

「そう……それで、零号機の方はどうなの?」

「起動自体は問題ないわ」

「ただフィードバックに誤差が残っていますので」

「実戦投入は……厳しいか」

 ミサトの表情が僅かに険しくなった。エヴァが一機か二機かで戦術の幅は大きく異なる。とは言え起動実験直後なので過度な期待はしていなかったが。

「それじゃあ最後にシイちゃん……初号機パイロットの容態は?」

 ミサトの問いかけに再びモニターが切り替わる。映し出されたのは、治療ポットで眠るシイの姿だった。

((!!!!!!))

「映像切って、早く!」

 ミサトは即座に指示を出してモニターを消すと、凍るような冷たい声で静かに告げる。

「……今見たことは忘れなさい、これは命令よ」

「「りょ、了解!」」

 頬を赤く染め、鼻血を出しながらも敬礼をするスタッフ達。だが彼らの目と脳裏には、治療ポットで眠る全裸のシイがしっかり焼き付けられていた。

(ったくこいつらはぁぁ……こりゃシイちゃんには黙って無いとやばいわね)

 恥ずかしがり屋の少女を思い、ミサトは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

「こほん。それで初号機パイロットの容態は?」

「胸部に強い衝撃を受けたことで、肺と循環器にダメージが残っています。脳波にも若干の乱れがありますね。今は薬で眠っている状態です」

「…………戦える?」

「ダメージそのものは深刻では無いそうです。目覚めれば可能かと」

「……そう」

(傷ついたあの子を、私はまた戦場に送り出すしかないのね)

 唇を噛みしめ、ミサトは作戦部長として決意を固めた。

 

「発令所より連絡。目標のドリルが第三装甲板を突破。到達時刻まで後9時間55分です」

「パイロットは負傷、エヴァは損傷、敵は難攻不落で、制限時間は十時間を切ったか……どうも旗色が悪いわね」

「白旗でも上げてみますか?」

「それも面白いアイディアね。でも、やることやってからにしましょう」

 日向の冗談に軽口で答えながら、ミサトは会議室の面々に視線を向ける。絶望的な状況下にあっても、誰一人として諦めている様子は無い。

「これから大忙しになるけど……いっちょやりますか」

 ミサトの言葉に反対する者は居ない。残り十時間弱、ネルフは総力をあげて使徒の殲滅に挑むのだった。

 




前半戦の山場、ラミエル戦突入です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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6話 その2《再起》

 

対策会議を終えたミサトは、ネルフ司令室を訪れてゲンドウと冬月に現状報告を行った。

「ふむ、状況は分かった。それで、何か対抗手段はあるのかね?」

「はっ。一つ提案したい作戦がございます」

「……聞こう」

 ゲンドウはいつものポーズを決めたまま、ミサトに先を促す。

「目標のATフィールドを中和する事は、エヴァの接近が困難である以上現実的ではありません。よって、高エネルギー集束体による一点突破を提案致します」

「なるほど。目標の射程外、超長距離からの狙撃か」

「はい。現状で取れる唯一有効な作戦だと思われます」

 驚きつつも感心する冬月に、自信に満ちた声でミサトは答えた。直立の姿勢で作戦実施の許可を待つミサトに、ゲンドウが口を開く。

「……MAGIの判断は?」

「賛成二、条件付き賛成一、作戦成功確率は8.7%と提示されています」

「少々心許ないな」

「ただ、最も高い数値でもあります」

 対策会議ではエヴァによる近距離への奇襲など、超長距離射撃以外にも多数の作戦が提案されたのだが、MAGIによる試算では軒並み勝率1%以下。とても実行に足るものではない。

 その事もあってか、冬月は黙って頷くと椅子に座るゲンドウに決断を任せる。

「……元より厳しい戦いだ。反対する理由もない。葛城一尉……君に任せる」

「はい!」

 総司令のゲンドウの言葉によって、使徒殲滅はミサトの作戦に委ねられた。

 

 

 状態が回復しつつあるシイは治療ポットから、病室のベッドへとその身を移していた。酸素吸入器のマスクを顔に着けたまま、シイは今も眠り続けている。

 ベッドサイドに設置された計器類が、彼女の状態が安定に向かっている事を示していた。シイ以外に誰の姿もなく、ただ独特の呼吸音だけが響く病室。

 そこにレイが姿を現した。無言で眠るシイを見つめると、静かにベッド脇に椅子を置いて座る。何をするでもなく、ただシイを見つめているレイ。

(私は……何をしているの?)

 次の作戦では恐らく自分も零号機で出撃するだろう。その為の準備は山積みだったが、それでもレイはここに来ずには居られなかった。

(碇さん……)

 先程まで自分と一緒にいた少女が今、目の前で眠っている。自分に笑いかけてくれた少女が、今は笑顔を見せてくれない。それがレイの心を乱していた。

 レイが見つめる中、シイは苦しげに表情を歪めて身体をよじる。思わずレイは、シイの左手を優しく握った。何故かは分からない。身体が勝手に動いた、と言う程無意識での行動だった。

 暫くそうしていると、不意にレイへ呼び出しが掛かる。

(それじゃ……行くわ)

 シイから手を離してレイは病室を後にする。病室に再び呼吸音だけが響く。ただマスクを着けたシイの寝顔は、先程とは違い穏やかなものに変わっていた。

 

 

「また無茶な作戦を立てたわね」

「無茶とは何よ。時間内で可能な、もっとも勝算の高い作戦じゃない」

 本部内を移動しながら、ミサトとリツコは言葉を交わす。

「でも、その作戦に必要な準備は山積みよ。例えば」

 二人がやってきたのは、エヴァンゲリオン専用装備の開発部門、ネルフの技術開発局第二課。試作品の武器が置かれている倉庫のような部屋の壁には、白く塗装された大型のライフルが置かれていた。

「ATフィールドを打ち抜ける程の大出力、うちのポジトロンライフルじゃ耐えられないわよ」

「もち分かってるわよ。だから、耐えられるライフルを借りるの」

「借りるって……まさか」

「そう、戦自から」

 にわかに表情を引きつらせるリツコに向かって、ミサトはニッコリ笑って答えた。

 

 戦略自衛隊、通称戦自。国連直属のネルフとは違い、こちらは日本政府直属の組織となっている。表向きこそ使徒殲滅に協力体制にあるが、実際にはネルフとの関係は良好とは言えない。

 心配するリツコに別の仕事を任せて、ミサトは直属の部下である日向と共にヘリに乗り込む。ミサトが向かったのは、戦略自衛隊技術開発研究所。そこではミサトの作戦に耐えうる、ライフルの開発が行われていた。

「てな訳で、このライフルをお借りします」

「し、しかし、これは重要機密で……」

 白衣を着た科学社風の男が、必死に断ろうとする。突然やってきた別組織の人間に、開発中の武器を貸せと言われれば当然の反応と言えるだろう。 

「あ~それはご心配なく。一応お偉いさんの許可は貰ってますから」

「それは!」

 ミサトがピラっと提示した紙を見て、男の顔が衝撃に歪む。開発中の武器をネルフに貸し出す事を認めた書類に、研究所直属の上司がサインしていたのだ。

 これでミサトの行動は徴発ではなく正式な貸与となる為、男には反対することすら出来なくなった。

「何か問題があります?」

「い、いや……」

「貴方達の開発したライフルが、使徒殲滅の鍵を握ります。人類の為、ご協力をお願いします」

「……分かりました」

 頭を下げながら頼むミサトの言葉に、白衣の男は静かに頷いた。自分達の研究成果がネルフにここまで評価されていて、しかも人類の為になるなら悪い気はしない。

 ヘリにライフルを積み込む間、男はミサトに使用時の注意事項などを事細かに伝える。専門家からのアドバイスをありがたく受け取ると、ミサトはヘリに乗り込んだ。

 

「葛城さん、聞いても良いですか?」

「何かしら?」

 ライフルを運ぶ輸送機の中で、日向はミサトに尋ねる。

「ネルフの権限なら強制的に徴発する事も可能だった筈です。何故わざわざ許可を?」

「ん~そうね~。あえて敵を作る必要も無いって事かしら」

「敵、ですか」

「今回はこっちが借りる立場でしょ。無理矢理徴発したら、誰だっていい気はしないはずよ」

「はぁ」

 ミサトの答えに、日向は納得しきれない声を漏らす。使徒を倒す為にネルフへ協力するのはあたりまえ、そんな気持ちがあった彼にとっては、ミサトの行動は余計な手間にしか思えなかった。

「使徒とやり合ってる時に、人間同士で敵対する必要は無いわ」

「戦自が敵に回ると?」

「表向きはどうであれ、正直うちと戦自の関係は良くないわ。それをわざわざこじらせて、得する事なんて何もないって事よ。無理になれ合う必要は無いけどね」

 予想以上に深い考えで行動していたミサトに、日向は思わず感心してしまう。彼女の元に着いてからまだ短いが、もっと感情や直感で動く人間だと思っていたからだ。

「それにしても、あの書類はどうやって?」

「ま、色々とね。言うじゃない……蛇の道は蛇って」

 ニヤリと笑うミサトに、これ以上はやぶ蛇だと日向は問うのを止めると、話題を変える。

「それで葛城さん、ライフルは用意できたとして」

「分かってるわ。エネルギーの問題よね?」

「はい。ATフィールドを打ち抜けるエネルギーは、最低でも最低1億8千万キロワット。とてもネルフだけでは用意できません」

「ええ。だから集めるのよ。日本中からね」

 丁度その頃、本部に残ったリツコによってある計画が実行に移された。使徒の狙撃に必要なエネルギーを、日本全国から集めるという大胆な計画。テレビでは日本中へ停電を呼びかけるCMが流され、車や飛行機からの呼びかけも行われた。

 難攻不落な使徒に、日本中が一つになって挑もうとしていた。

 

 

 数時間後、発令所に戻ったミサトは各部門に任せていた作業の確認を行った。

「それでは現在状況の確認を行います。まず攻撃手段ね。ライフルの改修状況はどう?」

『これから組み立てに入ります。後三時間で形にして見せますよ』

 自信に満ちた声で答える作業服のスタッフに、ミサトは満足そうに頷く。超長距離射撃を実現させるライフルが無ければ、この作戦はそもそも成立しないのだから。

「次は防御手段。何か良いのはあったかしら?」

『一応はね。原始的だけど、盾で防ぐのが一番効果的だと思うわ』

 リツコは背後にそびえる鉄の板を、モニター越しのミサトに見せる。

「盾と呼べるの、それ?」

『要はあの加粒子砲を防げれば良いのよ。デザインはこの際問題じゃないわ』

「ま、確かにね。性能は?」

『計算上は使徒の砲撃にも、十七秒は耐えられるわ』

「結構。そのまま準備を続けて」

 リツコが大丈夫と言うのならそうなのだろう。科学者赤木リツコを信頼しているミサトは、盾についてそれ以上の言及を行わず次の確認に移る。

「狙撃地点は?」

「使徒との距離や変電所の位置などを考慮した結果、双子山山頂が適当と思われます」

「OK。スタンバイを進めて」

 日向に指示を出すと、最後にミサトは少し躊躇いながら医療スタッフに通信を繋ぐ。

「初号機パイロットの容態は?」

『身体状況はほぼ正常です。間もなく薬も切れるので、意識が戻ると思われます』

「……分かったわ」

 ミサトは気合いを入れて顔を上げると、ネルフ本部全区画に向けて通信を繋いだ。

 

「これより使徒狙撃作戦の最終準備へ進みます。狙撃地点は双子山山頂、作戦開始時刻は明朝0時、エヴァ二機を投入した総力戦となります。なお現時刻以後、本作戦を『ヤシマ作戦』と呼称します」

 

 作戦責任者として声を張り上げるミサト。そしてそれに呼応するように高まる士気。

 ただ、作戦の鍵を握る少女は、まだ眠りの中に居た。

 




ラミエルとの再戦に向けて、着々と準備が進んでおります。前半最大の山場、『ヤシマ作戦』は個人的に凄い好きなシーンですので、今から楽しみです。

ヤシマ作戦の名前は、狙撃戦に因んだ『屋島の戦い』と、全国から電力を集めることから日本を形作る八つの島『大八洲国』などの由来があるそうですね。
全く知りませんでした……子供の頃は真剣に人の名前位にしか思ってなかったので。
見れば見るほど、調べれば調べるほど新たな発見がある。エヴァって面白いですよね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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6話 その3《ヤシマ作戦》

 

 夕日が窓から差し込む病室で、シイはうっすらと目を開けた。

(ここ……何処だろ……)

 薬の副作用で頭がズッシリと重く感じられ、意識がぼやける。身体を動かしてみようとするが、何とも言えない倦怠感が全身を包んでいた。

 それでもどうにか上半身を起こしてみると、自分がまた病室で寝ていたのだと理解出来た。

(私は……出撃して……それで……)

 身体を動かしたお陰か、徐々に頭にかかった靄が薄れていく。混乱する記憶を整理しようとしていると、不意に病室のドアが開いた。

「……起きたのね」

 入室してきたレイは、シイの目覚めにさほど驚いた様子を見せずに呟くと、小さなワゴンを押しながらゆっくりとベッドに近づいてくる。

「綾波さん?」

「……そうよ。目が見えていないの?」

「あ、ごめんなさい。少し混乱してて」

「そう、なら良かった」

 レイは相変わらずの口調で言う。先の言葉も嫌味や皮肉ではなく、彼女なりにシイを心配しての事だった。いつも通りのレイにシイは少し安心すると、今の状況を尋ねてみる。

「ねえ綾波さん。私……どうなったの?」

「使徒の攻撃を受けた貴方は、ここで治療を受けていたわ」

 ここ、と言うのはネルフの中央病院。ネルフの直轄医療機関とも呼べる存在で、潤沢な予算を贅沢に用いた結果、設備も人員も世界最高レベルを誇っている。

「そっか……私……負けたんだ……みんなを守れなかった……」

 敗北の記憶はほとんど残っていない。実際シイは使徒の姿を目視する事も無く意識を失ったのだから。それでも後悔の念からか、シイの目にうっすらと涙が浮かぶ。

「あれは貴方の責任じゃ無いわ」

「でも」

「……葛城一尉からの伝言。

『シイちゃんごめんなさい。私のミスで貴方の命を危険に晒したわ。

 謝っても許される事じゃ無いけど、それでもごめんなさい。

 そして身勝手なお願いだけど、もう一度だけ私を信じて戦って欲しいの。

 使徒を倒すため、人類を守るため、貴方の力を貸して』……以上よ」

「…………」

 レイの淡々とした口調でも、ミサトの気持ちは充分伝わった。

(私を必要としてくれてるんだ……もう一度あの使徒と……)

 そう思った瞬間、シイの背筋がゾクリと凍る。表情が強張り、冷たい汗が全身に流れた。

(もう一度戦うの……あの使徒と……)

 一瞬の出来事だったが、記憶には鮮明に残っている。身体には刻み込まれている。使徒の攻撃を受けた時の、強烈な胸の痛みと苦しさ、そしてハッキリと意識させられた死。

(戦わなきゃ……みんなを守るんだから)

 心を奮い立たせようとする意思とは裏腹に、身体は拒否するように震えて止まらない。死の恐怖と向き合えと言うのは、十四才の少女にあまりに酷な話だった。

「……碇さん」

「な、何?」

「怖いのね」

 レイにあっさりと恐怖を見抜かれシイは動揺する。

「だ、大丈夫。ちゃんと……戦え……るから」

 それでも心配を掛けまいと無理矢理笑みを作るシイの手を、レイは無言で握る。小刻みに震える手が、隠しきれない恐怖を何より雄弁に語っていた。

「あ、綾波さん?」

 突然の行動に戸惑うシイだが、不思議とその手の温もりに安心感を覚える。恐怖は未だ残っているが、それでも身体の震えは次第に和らいでいった。

 

「……怖いのなら、寝てても良いわ」

「で、でも」

「エヴァ一機でも、作戦は可能だから」

 レイの言葉は嘘では無く、実際狙撃役が居ればヤシマ作戦は成立する。だがあくまで実施可能と言うだけで、使徒の反撃などを考えた場合、勝率と生存確率は大幅に低くなってしまう。

「作戦って?」

「葛城一尉発案の使徒狙撃作戦。ヤシマ作戦と呼称されているわ」

 レイは握った手を離すと、メモを取りだし作戦概要とタイムスケジュールをシイに伝える。その規模はシイにとって信じられない物だった。

「日本中から電気を集めるなんて……出来るの?」

「ええ。葛城一尉や赤木博士が中心となって、作戦の準備は整っているわ」

「ミサトさんにリツコさんが?」

「それに、司令や副司令が日本政府と交渉して、全国停電の許可も下りてるわ」

「お父さんと冬月先生も……」

 これだけ大規模な作戦だ。恐らくネルフスタッフ総動員で、作業を行っているのだろう。

 全ては使徒を倒すために。エヴァを信じて。

「…………綾波さん、私もう一度やる」

「……そう」

「怖いけど……みんなが信じてくれてるんだもん。私もみんなを信じてみる」

 シイは真っ直ぐにレイを見つめる。その瞳には強い意志が宿った様に見えた。何がシイを奮起させたのか、レイには理解出来ない。それでも戦えると言う以上、それを止める理由は無かった。

「……分かったわ」

「この後はケージに集合だよね? 一緒に行こう」

 気合い十分と言った様子でシイはベッドから立ち上がり、出口に向かって歩き出す。そんな彼女にレイは背後から冷静に声を掛ける。

「……碇さん」

「何?」

「これ、新しいプラグスーツ」

 振り返ったシイにレイはビニール袋に包まれた、新品のスーツを差し出す。一瞬首を傾げたシイだったが、直ぐに気づいた。自分が今、一糸まとわぬ姿だと言う事に。

「いやぁぁぁぁぁ」

 絹を引き裂くようなシイの悲鳴が、ネルフ中央病院に響き渡った。

 

 

 夕暮れの第一中学校屋上には、二年A組の生徒が勢揃いしていた。もう避難しなくてはいけない時間なのだが、彼らは何かを待っているようにそこを動こうとしない。

「ケンスケ、ほんまに来るんか?」

「間違いないよ。パパのデータを盗み見たんだから」

 疑うような視線を向けるトウジに、自信満々と言った様子で答えるケンスケ。その揺るがぬ姿勢に、他の男子生徒達は文句を言いながらも誰一人屋上を離れる者は居なかった。

「ヒカリ、こんな感じでどう?」

「うん、良いと思う」

 一方女子達は屋上の隅に固まって何やら作業をしている。彼女達はエヴァを見たいという好奇心が強い男子達とは違い、純粋にシイ達を応援したいと思っていた。

 夕日が徐々に沈んでいくその時、屋上から少し離れた山が動き出す。山に偽装されたシャッターが開くと、そこから二体の巨人が姿を見せた。

「エヴァンゲリオンだぁ!!」

「「おぉぉぉ!!」」

 カメラを向けながら叫ぶケンスケの声に、男子生徒から歓声が響く。

「格好いいな~」「でけ~」「強そう」

 ゆっくりと歩き出すエヴァンゲリオンの姿に、男の子らしい感想があちこちから聞こえる。フィクションの世界でしか存在しなかった二足歩行の巨人が目の前に現れれば、興奮するのも当然だろう。

「お~い、エヴァンゲリオ~ン!!」

 大きく手を振りながら叫ぶケンスケの呼びかけが聞こえたのか、初号機が顔を屋上に向けた。

「ヒカリ!」

「うん、みんな行くわよ」

 待ってましたと女子達が動き出し、先程まで作っていたそれを広げる。

 

『綾波さん、碇さん、頑張ってね。二年A組一同』

 

 彼女達が作っていたのは即席の横断幕であった。マジックで紙に書かれたシンプルなものであったが、応援する気持ちは伝わったのだろう。

 初号機は歩みを止めると、身体を屋上に向けて丁寧にお辞儀をする。機密保持のために声を掛ける事の出来ないシイからの、せめてもの感謝の証であった。

「「碇ぃぃ、綾波ぃぃ、頑張れよぉぉ!!」」

「「頑張ってね」」

 クラスメートからの声援を受けて、二機のエヴァは作戦ポイントへと向かうのだった。

 

 

 すっかり日が沈んだ双子山山頂で、シイとレイはリツコ達から作戦の説明を受けていた。

「本作戦ではシイさんが初号機で砲手を、レイが零号機で防御を担当して貰うわ」

「わ、私が撃つんですか!?」

 困ったようにシイは表情を曇らせる。真面目な彼女は定期訓練をサボる筈もなく、射撃訓練も幾度となく行っているが、毎回ミサトからお小言を貰うほど成績は悪かった。

 シンクロ率以前に、戦うと言う行為自体がシイにとって不得手なのだ。

 そんなシイの不安を察したのか、ミサトとリツコがフォローを入れる。

「それは問題ないわよ。今回の狙撃は機械が大部分をやってくれるから」

「だから大事なのは寧ろシンクロ率ね。その結果シイさんの方がレイよりも適任だと判断したわ」

「……分かりました。やってみます」

 自信はないが、二人の判断に間違いは無いだろう。シイはコクリと頷いた。

「……私は初号機を守れば良いのね?」

「ええ。万が一初弾での狙撃が失敗した場合、使徒の反撃が予想されるわ。初号機が次の攻撃を行うまではおよそ二十秒掛かる。その間あの盾で使徒の攻撃を防いで」

「あんな凄い攻撃を防げるんですか?」

「理論上では十七秒間は耐えられる筈よ」

「凄いんですね…………って、駄目じゃないですか。三秒足りてませんよ」

 感心し掛けたシイは、慌ててリツコに問いただす。

「そうね。だから二発目は考えずに、一撃で仕留めることだけを考えて」

「そ、そんな」

「……わかりました」

 食い下がるシイを余所にレイは普段通りの様子で命令を受け入れると、そのままパイロットの待機場所へ移動していく。そのあまりに淡々とした姿に、シイは困惑の表情でレイの背中を見つめる。

「綾波さん……どうして」

「シイちゃんの事、信じてるからじゃない?」

 ミサトの言葉に胸の鼓動が高まるのをシイは感じた。

 

『……信じてるから』

『……碇司令』

 

(綾波さんが、私を信じてくれてる……なら私は……)

 暫しの沈黙の後、シイはミサトとリツコに小さく頷いて見せる。その瞳にはもう迷いは無い。信頼に応えてみせると言う強い意志が宿っていた。

 

 




一度殺されかけた相手と、間を置かずに再戦。誰だって怖いと思います。原作でシンジが嫌がったのも当然の反応です。

前向きに戦おうとするシイですが、根底にあるのは失う事への恐怖。人からの期待や興味、大切な人の命を失う事に過剰なほど怯えています。
一見精神的に強く見えますが、内面は非常に脆くて弱い子と思っています。

彼女の成長が鬱回避、しいてはハッピーエンドに欠かせない物です。

いよいよヤシマ作戦本番。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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6話 その4《決戦、第三新東京市》

 

 夜が深くなり、淡い光を放つ月が夜空に輝いていた。穏やかな月の光を受けながら出撃に備えるエヴァの傍らで、シイとレイは並んで座っていた。

「もうすぐだね」

「……ええ」

「綾波さんは怖くないの?」

「……ええ」

 二人は互いに視線を合わせずに会話を続ける。

「……碇さんは怖いの?」

「……うん」

 レイの問いかけに、シイは自分の本心を隠さずに答えた。気持ちを奮い立たせて再びエヴァに乗る決意をしたが、それでも恐怖が無くなった訳では無い。

「痛いのも怖いし、死ぬかもしれないと思ったときは本当に怖くて仕方なかった」

「…………」

「でも、私が負けて……みんなが死んじゃう事が……大切な人を失うのも怖いの」

 みんなを守りたいと言うシイの想い。その根底にあるのは失う事への恐怖。あえて悪い言い方をすれば、シイは恐怖から逃れるために戦おうとしているのだ。

「貴方は……臆病なのね」

「うぅ、そうかも」

 ストレートなレイの物言いに、シイは恐縮するように身を縮める。呆れられてしまったかも、と言うシイの不安を余所に、レイは淡々と言葉を続けた。

「失うことを恐れるのは、人として当然の反応よ」

「綾波さんも?」

「私は…………私には失う物が無いから」

 横目で見るレイの顔は普段と変わらず無表情。ただそれが少しだけ悲しそうに見えたのは、シイの気のせいだろうか。

「なら綾波さんはどうしてエヴァに乗るの?」

「……絆だから」

「絆?」

「そう、みんなとの絆」

「……だったら、失う物あるよね?」

 レイは初めてシイへ視線を向けた。

「綾波さんはみんなとの絆を守るために、エヴァに乗るんだね?」

「……そう……かもしれない」

 戸惑うようにレイは呟く。

「はぁ~、綾波さんは強いな~」

「どうして?」

「みんなを守る為に怖がらずに戦えるんだもん。私は……怖い」

「大丈夫よ。貴方は死なないわ」

「え?」

「……私が守るもの」

 月を背に立ち上がるレイ。その幻想的な姿にシイは思わず見とれてしまう。

「綾波さん……」

「時間よ、行きましょう」

「う、うん。頑張ろうね、綾波さん」

「……ええ、それじゃ、さよなら」

 別れの言葉を告げるとレイはシイに背を向けて零号機へと向かう。そんなレイを見つめるシイは、言葉に出来ない感情を抱くのだった。

 

 

 タイマーが規則正しく時を刻む。そして、午前0時。作戦開始の時を迎えた。

『作戦開始! シイちゃん、日本中の電力を貴方に預けるわ』

「はい」

 スピーカーから聞こえるミサトの声に、シイは表情を引き締める。

『第一次接続開始』

『送電を開始』

『現在システムに異常なし』

 次々に届く作戦の進捗状況を、スピーカー越しに聞いていたシイの手が震え始める。自分に寄せられた期待と重責が、ここに来て重くのしかかってきたのだ。

(やるんだ……やるんだ……)

 竦む身体を奮い立たせる為、呪文のように心の中で呟きを繰り返す。

 

 双子山山頂付近に設置された前線指揮車両の内部では、ミサト達スタッフが作業を行っていた。準備は順調に進んでいるのだが、ミサトの表情は晴れない。

「……どう?」

「葛城一尉の予想通り、シイちゃんの神経パルスに乱れが出ています」

「やっぱね」

 マヤの報告にミサトは小さくため息をつく。

「これだけ大規模な作戦、しかも一度敗北してる。あの子は今、凄いプレッシャーを感じてる筈よ」

「どうするのミサト?」

「……ねえシイちゃん」

 リツコの問いには答えずにミサトは初号機と通信を繋ぐと、努めて明るい声でシイに話しかけた。

『は、はい』

「これ終わったら、お買い物でも行きましょうか?」

『え?』

 作戦中にそんなことを言いだしたミサトに、シイは素っ頓狂な声をあげた。それは車両に居る他のスタッフも同様で、全員が訝しげな視線をミサトへ向ける。

「そ~ね~洋服とかどう? 折角だし私が見繕ってあげるわよ」

「なっ、ずるいわよミサト!」

「そうです、一人だけ抜け駆けなんて」

「自分も、洋服のセンスには自信があります」

「「我々も!!」」

 ミサトの発言を切っ掛けに、口々に車両のスタッフ達が名乗りを上げた。彼らの名誉のために言っておくと、それでも作業を行う手は止めていない。彼らは皆、能力は一級品なのだ。

『……くすくす』

 賑やかなやり取りから車両内部の光景を想像したのか、シイは小さな笑い声を漏らす。ミサトは自分の行動が成功した事を察すると、真剣な口調で言葉を紡ぐ。

「シイちゃん、貴方は一人で戦ってないの。貴方の後ろには私達が着いているわ」

『ミサトさん?』

「だから、貴方が感じてる重荷を私達にも背負わせて。一緒に戦いましょう」

『……はい!』

 シイの神経パルスは、もうすっかり安定していた。

 

『全電力、双子山変電所へ』

『最終安全装置解除』

『シイちゃん、撃鉄を起こして』

「はい」

 ミサトの指示通りに初号機は撃鉄を起こす。それと同時にインテリアの上部から、ヘルメットの様なパーツが降りてきてシイの顔を覆う。

(あれが目標……このバッテンを合わせて、トリガーを引く)

 狙撃用ヘッドギアを装着したシイの視界には、使徒の姿と照準がデジタル化された映像が広がる。シイは大きな深呼吸を繰り返しながら、ライフルが発射可能になるその時を待っていた。

『エネルギー充填まで、後十、九……』

『目標に高エネルギー反応!』

(え!?)

 カウントダウンに割って入る報告に、シイは動揺を隠せなかった。乱れた集中力を再び高めようとするが、心に生まれた焦りはそう簡単に消えない。

『気づかれた!』

『先に撃ったもん勝ちよ。シイちゃん、使徒に構わないで撃つ事に集中して』

「は、はい」

『三、二、一』

『今よ、発射!』

(当たって)

 ミサトの号令と共に、シイは祈るような気持ちでトリガーを引いた。長い銃身から光の奔流が使徒に向けて発射されると同時に、使徒もまたエヴァに向けて加粒子砲を放つ。

 二つの光は中間地点で交差すると互いに干渉し合い、それぞれの狙いを歪ませる。結果どちらの攻撃も目標から少し離れた場所へ攻撃が外れてしまった。

 

「うぅぅぅ!!」

 直撃こそ無かったが、使徒の加粒子砲は大地を抉った。気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな強い衝撃に、シイは歯を食いしばって耐える。

(は、外しちゃった)

 巻き上がる土煙の向こうにモニターに映る使徒の姿に、シイは自分の失敗を悟った。後悔から一瞬頭が真っ白になるが、今の彼女は一人で戦ってはいない。

『シイちゃん、もう一度よ。まだ私達は負けてないわ』

『ヒューズ交換、第二射急げ』

『銃身冷却開始』

『再充電も開始しました』

 気落ちするシイを力強く励ますミサト。その言葉を証明するかの様に、スタッフ達は既に第二射に備えて作業を進めていた。この場には誰一人として、勝負を諦めている者は居ないのだ。

『貴方を信じるわ。最後まで、ね』

「……はい」

 シイはグッとレバーを握り、再び初号機に狙撃姿勢を取らせる。とその時、使徒の変化を察知した日向が、慌てた様子で声を上げた。

『も、目標に再び高エネルギー反応!』

『そんなっ、早すぎるわ!』

『くっ……間に合うか』

『来ます!』

 日向の叫びとほぼ同時に、使徒が再び加粒子砲でエヴァを狙う。

「ぁぁぁ……」

 狙撃のために腹ばい姿勢をとっている初号機は、加粒子砲を回避する術を持たない。一直線に向かってくる光の奔流に昼間の記憶が蘇ってしまい、シイは身体を竦ませる。

 加粒子砲はそのまま無防備なエヴァに……届かなかった。

「あ、綾波さん!?」

 盾を構えた零号機が初号機の前に立ち塞がったのだ。足を大きく広げて踏ん張り、一歩も引かない姿勢を見せながら零号機はひたすら耐える。

 だが作戦開始前に恐れていた事態が起こってしまう。

『シールド融解!』

『不味いわ!』

 強力な使徒の攻撃を受けていた盾が、徐々に溶けてきてしまう。受け止めていた盾が失われ始め、次第に零号機の身体へと、使徒の加粒子砲が容赦なく降り注いでいく。

「綾波さん! 逃げて!」

 シイの悲鳴混じりの叫びを受けても零号機は引かない。盾の半分が溶けてもなお、その身を盾代わりに初号機の前に立ち塞がり続ける。

(早く、早く、早くしないと綾波さんが)

 照準は既に使徒の中心に合わせてあり、エネルギー充填を待つだけ。ただ発射可能になるまでの時間が、今のシイには永遠のように感じられた。

『三、二、一、行けます』

『シイちゃん!』

「当たってぇぇぇ!!」

 絶叫と共に放たれた光は加粒子砲を突き抜け、使徒の中心を貫いた。身体に風穴を開けられた使徒は、煙を上げながら地上へと落下していく。

『『やったぁぁぁ!!』』

 難攻不落と思われた使徒の殲滅に、指揮車両内部に歓喜の声が響いた。

 

 歓喜の声はスピーカー越しにシイの耳にも入っていたが、彼女には勝利に浮かれる余裕など無かった。

「綾波さん!」

 ライフルを投げ捨てると、地面に倒れるボロボロの零号機へ直ぐさま近づき、首筋の装甲板を無理矢理引きちぎった。強制排出されたプラグを手で掴むと、衝撃を与えないよう優しく地面へ置く。

 シイは自分もエヴァを降りると、大急ぎでプラグへ駆け寄った。

「綾波さん……っっっ!!」

 非常用のハッチを開けるべくレバーを掴んだ瞬間、手が焼け付く程の高熱に顔を歪め、思わず手を離してしまう。それでもシイは火傷を負った手で再びレバーを握りしめ、必死にレバーを回そうとする。

「うぅぅぅぅぅ」

 だが非力なシイでは全体重を掛けても、レバーを回すことが出来なかった。

「お願いだから開いて! 綾波さんを……助けて!!」

 シイが叫んだ瞬間、異変が起きた。まるでシイの助けを求める声に呼応するかの様に、背後にそびえていた初号機の目に光が宿り、突然動き出した。

「え……」

 初号機は右手をプラグに伸ばすと、指でプラグのハッチを摘んでいとも容易く捻りきった。呆然とその光景を見つめていたシイだが、ふと我を取り戻す。

「あ、ありがとう」

 ぺこりと頭を下げるシイに、初号機が満足げに頷いたように見えた。

 

「綾波さん!」

 初号機がこじ開けた穴からシイはプラグの中へと飛び込む。

「……碇さん?」

 インテリアに背を預けたまま、レイは小さく呟いた。ダメージはあるようだが意識は残っており、ひとまず命の危険は無いように見える。

「良かった…………ぅぅ」

「……何故泣くの?」

「だって……綾波さんが無事で……嬉しくって……ぅぅぅ」

 嬉し涙を堪えられないシイを不思議そうに見つめるレイ。

「何故……私を心配するの?」

「当たり前だよ。だって、綾波さんは友達で、大切な人だもん」

「……友達?」

「あ、迷惑……かな」

「分からない。私は……友達と言う人が居なかったから」

「なら」

 シイは手を差し伸べて、レイの身体をプラグの外へと誘導する。外に出た二人は向き合うと、シイは再び右手をレイへ差し出す。

「私と友達になって下さい。私は綾波さんの、最初の友達になりたいな」

「……私と?」

「うん」

 シイは微笑みを浮かべながらレイの答えを待つ。真っ直ぐな視線に思わず視線を逸らしたレイは、差し出された手を見て驚くように僅かに目を見開く。

 シイの手は高熱のハッチを開ける為にプラグスーツが溶け、真っ赤に晴れた地肌が見えていたのだ。

(私を助けるために? 碇さんは……本当に私を大切な人だと思ってくれているの……)

 暫しの沈黙の後、レイはシイの手をそっと握った。

 

「ありがとう。これからもよろしくね」

「……ええ」

 笑顔のシイとは対照的に、レイは戸惑いの表情を浮かべる。

「えっと、やっぱり迷惑だったかな?」

「違うの。ただ……こんな時どういう顔をすれば良いのか分からないの」

 そんなレイの言葉に、

「もし楽しいとか、嬉しいとか感じたなら、笑えば良いんだよ」

 今日一番の笑顔をレイに向けた。

 

 太陽の様なシイの笑顔につられるように、レイは少しずつ表情を和らげ、そっと微笑む。それは見る者を落ち着かせてくれる、月の様な優しさに満ちたものだった。

 




無事ヤシマ作戦は完遂され、シイとレイの距離も少しだけ縮まりました。

原作を見ていても、シャムシエルがクラスメイト達との絆を、ラミエルがレイとの絆を深める役割を持っているように思えます。
エヴァに限らず、困難を乗り越えて深まる友情というのは、王道ではありますが良い物ですよね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《初号機って》

箸休めこと、アホタイムです。


 

~シイの疑問~

 

 使徒との戦いが終わった少し後、シイは発令所を訪れた。

「こんにちは」

「「シイちゃん!」」

 笑顔で挨拶をするシイに、発令所スタッフは一斉に視線を向けた。パイロットであるシイは滅多にこの場所に来る事がないため、シイを直接見るのは初めてと言うスタッフ達のテンションは跳ね上がる。

(あれが本物のシイちゃんか~)

(写真よりもずっと可愛いな)

(カメラ、カメラは無いか!?)

 全員が自分を見ていると言う状況に、シイは少し戸惑う。

「あ、あの、ひょっとしてお邪魔でしたか?」

「「全然! 大歓迎です!!」」

「ふぅ~良かった」

 胸に手を当ててホッと息を吐くシイ。そんな何気ない仕草が、スタッフのテンションを一層上げていることには、気づいていないようだ。

「あらシイちゃん。こんな所にどうしたの?」

 丁度発令所にやってきたミサトは、シイの姿を見て不思議そうに尋ねる。シイの上司であるミサトは、彼女のスケジュールも把握している。今日は特に訓練もテストも無い筈だったが。

「ひょっとして~、誰かに会いに来たとか?」

 少しからかってやろうと、ミサトは意味深な視線をシイに向けるのだが、

「え、そうですけど……よく分かりましたね」

 シイはそれをあっさり肯定した。その瞬間、発令所全体に稲妻が走る。

(あ、会いに来たって……)

(通信とかじゃなくて、直接会いに来たって……)

(そういう……事よね)

 ざわざわと、不穏な空気が発令所を包む。が、当の本人はまるでそれに気が付かない。

「へぇ~、因みに誰に会いに来たの?」

((ゴクリ))

 喉を鳴らしてシイの答えを待つ一同。永遠のような一瞬の間。

 そしてシイが告げた名は、

「えっと、リツコさんです」

 金髪の女性科学者、赤木リツコその人だった。

 

(よっし!!)

((ちくしょぉぉぉ))

 心の中でガッツポーズをするリツコと、涙を流す他の面々。明暗が分かれた瞬間だった。

 

「……そ、それで、私に何か用かしら?」

 荒ぶる心を諫め、努めて冷静にリツコは尋ねる。完璧なポーカーフェイスだったが、親しい人が見れば彼女が浮かれているのが一目で分かるだろう。

「はい。あの、ご迷惑とは思いますけど……ちょっと相談したい事があるんです」

「あら、ミサトじゃ無くて私に?」

「リツコさんに相談するのが一番だと思ったので」

 もうリツコの心は飛び跳ねんばかりだった。家族であるミサトよりも、目の前の少女は自分を頼ってきた。何とも言えない満足感がリツコを包んでいく。

「……こほん。そうね、少々忙しいけど……シイさんの相談なら聞かないわけにはいかないわ」

「ありがとうございます」

 白々しく言うリツコに、シイは嬉しそうな笑顔で頭を下げた。疑う事を全く知らないその姿を、スタッフ達は苦々しげに見つめる。

(ちくしょー。あのマッドサイエンティストめ)

(俺達のシイちゃんが……)

(ある意味一番危険な人間にどうして……)

 もう言いたい放題であった。

 

「相談、と言うのはここで聞けるものなのかしら?」

「出来れば……場所を移したいんですけど」

(ふふ、良い流れね)

 そんな思いを微塵も表に出さず、リツコは頷いてみせる。

「あの、着いてきて頂けますか?」

「ええ。それじゃあマヤ、後よろしくね」

 シイに続いて発令所を後にするリツコ。その背中に悪魔の羽と尻尾が生えているのを、発令所スタッフは確かに目撃するのだった。

 

 発令所を後にした二人がやって来たのは、

「ここです」

「……ここなの?」

 初号機のケージだった。

「ねえ、シイさん。ひょっとして相談と言うのは……」

「初号機の事なんです」

(私の間抜けぇぇ。今までの流れから充分予測できたでしょ)

 エヴァの事で相談があるのなら、E計画責任者の自分が適任だろう。シイには全く悪気も落ち度も無いのだが、リツコのテンションは勝手にがた落ちしていた。

「あの、本当にすいません。お忙しいのに」

「か、構わないわ。それで、初号機に何か問題でもあったのかしら?」

 不安がるシイにどうにか平静を装って聞いてみる。仕事の話になってしまうのは残念だったが、それでもシイが自分を頼ってくれたのは事実。少しでも好印象を与えるべく、リツコは頭を切り換えた。

「はい。実は――」

 シイは使徒との戦いの直後、エヴァがプラグを開けるのを手伝ってくれた事を告げる。話を聞き終えたリツコは、すっかり科学者の顔に戻っていた。

「なるほどね」

「前にリツコさんは、エヴァはパイロットが乗ってないと動かないって」

「ええ。理論上はあり得ないわ」

 だがリツコも以前、エヴァが勝手に動くのを見ていた。一度ならばとにかく、それが二度三度と続けば、偶然では片づけらるものでは無い。

(……可能性があるとすると……ひょっとして目覚めてるのかしら)

 リツコは視線を初号機に向けるが、動く気配すら無かった。

 

「あの~リツコさん」

「え、ああ。ごめんなさい、少し考え込んじゃったみたいで」

「リツコさんでも分かりませんか?」

「そうね。ただ今後、データ収集して色々調べてみるわ」

「ありがとうございます」

 嬉しそうに微笑むシイを見て、リツコは再び悪魔の羽と尻尾を生やす。

「……ねえ、シイさん。これから時間あるかしら?」

「特に用事はありませんけど」

「なら、私の研究室に来ない? 今回の件も含めて少し話を聞かせて欲しいわ」

「はい。よろしくお願いします」

 自分のために早速アクションを見せてくれたリツコに、シイは感激する。その言葉の裏を知らずに。

「さあ行きましょう」

 リツコがさり気なくシイの肩に手を回そうとした、その瞬間、またもや初号機が勝手に動き出した。

「きゃぁ」

「なっ!」

 右腕の拘束具を引き千切り、立てた人差し指をシイとリツコの間に置く。それはまるで、二人を引き離すかのように、シイをリツコから守ろうとしている様な行動だった。

「り、リツコさん……動きました」

(やっぱり目覚めてるわね……しかもこの子を守る気満々だわ)

 エヴァはシステム管理のため、待機中でも本部のコンピューターとリンクしている。このままシイを研究室に連れ込めば、それは初号機の知るところとなるだろう。

 その場合どうなるか、分からないほどリツコは愚かではない。

(……良いわ、この場は引きましょう。でも、私にはMAGIがあるのを忘れないでね)

 鋭い眼光を向ける初号機と正面から睨み合うリツコに、状況を理解出来ないシイは不思議そうに首を傾げるのだった。

 

 かくして色々な意味でシイは守られた。ただ本人にはその自覚が全く無いのだが。 

 




初号機についての設定ですが、原作から一部改変させて頂いております。余り具体的には言えませんが、中の人についてです。

今後も特に大きな変更の際には、後書きにて補足を入れていこうと思っております。読んでいて疑問な点がありましたら、指摘して頂けるとありがたいです。

本日は本編も投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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7話 その1《家族という存在》

 

 ネルフ司令室では、部屋の主であるゲンドウが机に向かいながら、誰かと通信を行っていた。

「また君に借りが出来たな」

『返すつもりは無いんでしょ』

「ふっ」

 受話器から聞こえるのは若い男の声。軽い調子で答える男に、ゲンドウは思わず口元を歪める。それは男の言葉が正しい事を無言で示していた。

『例の件ですが、ダミーを混ぜた適当な情報であしらっておきました』

「ああ、問題ない」

 ゲンドウは机に広げられた資料を手に取る。そこには本来部外秘である筈の、ネルフの機密事項が記されていた。もっとも本当に重要な機密は隠されており、他の情報も真実とは違う歪められたものであったが。

『情報公開法でしたか? また面白い事を考えてきましたね』

「我々に対して少しでも優位に立とうという、無駄なあがきに過ぎんよ」

『……あちらの方はどうします? こちらで処理を?』

「いや、君の資料を見る限り問題ないだろう」

『……では、シナリオ通りに』

 男の言葉を最後に通信は終わった。受話器を戻したゲンドウは、一枚の資料を手に取る。

「戦自に対しての牽制くらいには役に立つだろう」

 それにはロボットのような姿をした何かの写真と機密情報が載っていた。

 

 

「ふぅ~美味しかった~。ごちそうさま」

「はい、お粗末様でした」

 朝食を終えるとシイは、制服の上からエプロンを羽織り洗い物を始める。そしてそれを見守りながら、食後のお茶をすするミサト。すっかり恒例となった朝の光景だ。

「ん~シイちゃんは良い奥さんになるわね~」

「だと良いんですけど、私みたいな子を貰ってくれる人が居ませんよ」

(……本気で言ってるのよね~この子)

 ミサトは呆れたような、少し安心したような複雑な表情を浮かべる。

 保安諜報部からの報告では、シイの人気は男女問わず高いらしい。中には異性として好意を持っている男子生徒もいるとか。だが本人には全く自覚が無く、気づく素振りもない。

(ま、その方が私にはありがたいんだけどね)

 もしシイに恋人が出来る様な事があれば、ネルフ本部がどうなるか想像もしたくない。管理不行き届きで減給、下手すれば全額カットと言う理不尽な処分も充分ありえるのだ。

(そうなったらマジで洒落にならないし、ここは黙ってるのが得策ね)

 あえてシイに異性関係を意識させる必要も無いと、ミサトはお茶をずずっと啜った。

 少しの間会話が途切れ、食器を洗う音だけがリビングに響く。すると沈黙を破るように、シイが背中を向けたままミサトに声をかけた。

「あの、ミサトさん。今日学校に来てくれるんですか?」

「そりゃそうよ。進路相談だもの。保護者が行くのは当然だわ」

「でも、仕事忙しいのに……」

「良いの良いの、ちゃんと許可貰ってるし、シイちゃんの学校生活にも興味あるから」

「ありがとうございます。でも」

 洗い物を終えたシイは、エプロンを脱ぎながらミサトを見る。

「その格好で来ないで下さいね」

「へっ?」

 一瞬何を言われたのか分からず、キョトンととするミサト。今の彼女は、タンクトップのTシャツに、短くカットしたGパンと言うラフな姿。とても人様に、特に思春期の男子にはお見せできない格好だった。

「あっはっは、勿論よ。流石に私もTPOは弁えてるわ」

「……本当にお願いしますよ。あの時は私、顔から火が出るほど恥ずかしかったんだから」

「あ~あれはね~、ちょっちタイミングが悪かっただけで……」

 訴えかける様なシイの瞳に、ミサトは気まずそうに頭を掻きながら苦笑する。

 

 少し前にシイは、ヒカリとトウジ、ケンスケを家に招待した事があった。その時たまたまミサトは非番だったのでたっぷり惰眠を貪っており、シイが三人を連れてきたときも今のような格好をしていたのだ。

 大喜びのトウジとケンスケ。絶句するヒカリと真っ赤になって泣きそうなシイ。ささやかな友人達との一時が、あっという間に崩れ去ってしまった。

 

「大丈夫よ。ちゃ~んとバッチリ決めていくから」

「それはそれで不安ですけど……」

 何故か自信満々のミサトにシイが不安げな視線を向けていると、不意に玄関のチャイムが来客を告げる。壁に取り付けてあるモニターには、ヒカリ達三人の姿が映っていた。

「ほらほら、お出迎えよ」

「ミサトさん、絶対にその姿で来ないでね」

「分かってるって」

 ミサトに見送られてシイは玄関のドアを開ける。すると、

「碇おはよう」「シイおはよう」

 ケンスケとトウジが元気良く挨拶をしたかと思えば、スッと家の中をのぞき込んだ。お出迎えと言えば聞こえは良いが、彼らのお目当てはミサトだ。あれ以来ミサトのファンになった二人は、毎朝顔を出しては少しでも姿を見れないかとどん欲な姿勢を見せている。

「はぁ~この馬鹿二人は……おはようシイちゃん」

「おはようヒカリちゃん」

 二人の後ろに立つヒカリが、呆れ混じりのため息をつく。彼女は純粋にシイと一緒に登校するために来ていた。トウジ達のお目付役と言う意味合いもあるのだろうが。

「じゃあミサトさん、行ってきます」

「は~い、行ってらっしゃい」

 シイに言われたとおりミサトは姿を見せずに、廊下の端から伸ばした手だけを振ってみせる。

「「はぁ~」」

 それだけでも少年二人には充分すぎた。でれでれと鼻の下を伸ばすトウジ達に呆れながら、シイとヒカリは二人を引きずるように学校へと向かうのだった。

 

 

 二年A組は進路相談の話題で盛り上がっていた。いや、正確には、

「碇さんの保護者って、そんなに美人なのか!?」

 ミサトの話題で盛り上がっていたのだった。自然と出来る男子生徒の輪。中心にはやはりというか、トウジとケンスケが居た。二人がミサトの魅力について語るたび、男子生徒達から驚嘆の声が挙がる。

 それはシイにとって、非常に気恥ずかしい物だった。

(うぅ……もう止めてよ……)

 悪口を言われているのでは無いのだが、身内に対してそう言った話題で盛り上がられるのは、精神的に辛い。声をシャットアウトしようと耳を塞ぐシイを心配して、ヒカリが近づいてきた。

「シイちゃん、大丈夫?」

「うぅぅ、駄目かも……」

「ごめんね。授業中ならともかく、休み時間の会話は注意できなくて」

「ううん、ありがとう」

 自分の味方が居ることにシイは心底感謝した。

 

「ヒカリちゃんはお姉さんが来るの?」

「うん。お父さんは仕事で忙しいみたいで」

 以前ヒカリの家に泊まったときに、母親が既に亡くなっていることを聞いていた。父親も仕事で忙しいらしく、一番上のお姉さんであるコダマが妹たちの保護者役を務めている事も。

「お姉ちゃん嬉しそうだったわ。またシイちゃんに会えるって」

「……お手柔らかにお願いしたいな~」

 もう三途の川はご免だとばかりにシイは苦笑を浮かべる。

 その後男子とは別に女子は女子で集まり、進路相談の話をしていた。学校に親が来る事を嫌がる生徒が多く、殆どが愚痴のようなものだったが、話を聞いていたシイはふと疑問を抱く。

(……あれ、みんなお母さん来ないんだ?)

 シイの経験上こういった行事には、平日と言うこともあり大抵母親が来る。中には父親や祖父祖母が来る人も居たが、大多数がそうだ。なのにこのクラスでは、母親が来ると言っている生徒は居ない。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……」

 試しに女子生徒達に聞いてみると、返答はみんな同じ。

 

『お母さんは居ないの』

 

 クラスの半分近くの生徒に、母親が居なかった。気になったシイは嫌々ながらも男子生徒の輪に入り、同じ質問をしてみるが、ここでも答えは同じ。

 今日出席している二年A組の生徒全員、母親が居ないという結果が出た。

(どういうこと? そう言う子を集めてる特殊学級なの?)

 片親がイジメの切っ掛けになる事もあるらしい。それを避けるため、同じ境遇の子供を同じクラスに集めた可能性も否定できない。

(でも、みんな『母親』が居ないなんて……どうして……)

 何とも言えない不安をシイは感じていた。だがそれは、

「「いらっしゃったぞぉぉ!!」」

 男子生徒の叫び声によって、あっという間に消え去ってしまった。

 

 猛スピードで青いルノーが駐車場へ飛び込んで来て、華麗なターンでぴたりと駐車を決める。荒々しくも見事な運転技術に、男子生徒達は尊敬の眼差しでルノーへ熱い視線を送る。

 そして運転席からミサトが姿を見せた瞬間、

「「うぉぉぉぉぉぉ」」

 窓に身を乗り出している男子生徒が一斉に叫んだ。

 黄色いスーツに身を包んだミサトは、微笑みを浮かべながら入り口へと歩く。確かに彼女の言うとおりバッチリ決めてきては居るが、決めすぎだった。見目麗しい美女の登場に、二年A組だけでなく学校中の男子が窓へ身を乗り出す。

(ミサトさ~ん……違う、違うの。私が言いたいのはそう言う事じゃなくてぇぇ)

 真っ赤になって机に突っ伏すシイに、女子生徒は同情の視線を送るのだった。

 




第一中学校二年A組について、シイが僅かですが疑問を抱き始めました。これから少しずつですが、物語の謎へも迫っていきます。

ただシイはごく普通の少女……より少し劣る位に設定しています。単独で謎を解き明かす事はほぼ不可能です。
彼女がハッピーエンドを迎えるには、まだまだ問題が山積みですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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7話 その2《シイと初号機2》

 

(でね、その後大変だったの)

 シンクロテスト中のエントリープラグで、シイはエヴァに向けて昼間の出来事を愚痴る。内容は勿論ミサトに関してのことだ。

 進路相談は無事に終わったが、あの後シイは男子生徒から質問攻めにあい、逃げるように本部へとやってきたのだった。

(ミサトさんはとってもいい人だけど……どうしてか恥ずかしいの)

 シイの抱く感情は家族を他人に見られるのを恥じるという、思春期特有のもの。ただそれが今まで味わったことのない感情だった為、シイは戸惑いを隠せなかった。

(貴方にも家族は居るのかな)

 返事は無く、シイもそれを気にせずに心の中で言葉を紡ぎ続ける。会話とも呼べない一方的な語りかけだが、シイにはシンクロしている初号機が、自分の言葉に反応してくれているのを感じていた。

 

「プラグ深度固定して」

「はい」

 実験制御室でリツコはマヤに指示を出すと、困ったように眉をひそめる。前回のテストと同様の事態が起こった事で、あれが偶然起こったものでは無いと証明されてしまった。

「シイさん……少し不味いわね」

「そうですね。テストの数値は好調なんですけど」

「入り込みすぎてるわ。油断してたらあっという間に汚染区域に突入だもの」

 深刻な顔で会話を交わすリツコとマヤ。二人の会話を小耳に挟みながら、ミサトはモニターに映るシイを見つめる。目を閉じてシンクロを続けるシイの顔は、何処か穏やかで安らぎを感じている様だった。

 

 セントラルドグマは発令所などネルフ本部の中心区画。ネルフの中枢とも言えるエリアの為、その保護は最優先に行われている。なのでエヴァの起動実験などは、そこから離れたエリアで行われており、テストを終えると結構な距離を移動しなくてはならない。

 今回も例に漏れず、一同は昇降機でセントラルドグマへと向かっていた。

「ねえシイさん。エヴァとのシンクロで、何か変わったことはあったかしら?」

 その途中で不意にリツコがシイに話しかける。精神汚染区域突入未遂が二度続いたとあって、今後の対策を立てる為に本人の言葉を聞いておく必要があった。

「変わったことですか?」

「ええ……数値の伸びが良かったので、少し興味があったの」

「特には何も。今日もお話をしてただけですし」

 何気なく答えたシイに、リツコはギョッと目を見開く。

「話って……エヴァと意思疎通が出来るの?」

「そ、そんなハッキリとでは無いです。ただ何となくエヴァの感情が伝わってくる感じで……」

 食い入るように尋ねてきたリツコに、シイは少し怯えた様子で答えた。

(感情が伝わる……神経パルスの逆流? でもその反応は無かった筈だわ)

「……今日はどんな事をエヴァと話したの?」

「えっと……今日学校で進路相談があって……その……ミサトさんの事とか」

「ちょっとシイちゃん。エヴァに告げ口なんてずるいんじゃない?」

 不穏な空気になりかけていた場を和ませようと、ミサトはあえて軽い口調で文句を言う。それが功を奏したのか、強張っていたシイの表情が自然とほぐれていく。

「あはは、ごめんなさい。でもエヴァも面白そうに聞いてくれましたよ」

「大変ですよ、葛城さん。あんまり印象が悪いと、命令聞いてくれないかも」

「日向君までそんなこと言って~」

 ブーたれるミサトに、昇降機が笑い声で包まれる。ただその中で一人、リツコだけが何か考え込むような難しい顔をしていた。

 

 話題は先の戦いで破損した零号機へと移る。

「んで、改修の目処は立ったのかしら?」

「大破ですからね。ほとんど新作になりますから、予算ギリギリですよ」

 ミサトの問いに日向は肩をすくめる。零号機は加粒子砲のダメージで全身が融解。大破扱いとなっていた。エヴァの修復には多額の資金が必要とあって、壊れたから直ぐ直すとはいかない。

(そうそう上手くはいかない、か)

 ミサトは今後も初号機が単機で戦うのは厳しいだろうと考えていた。だが零号機が修復を終えて戦線に加われば、作戦効率も上がりシイの負担も大幅に減るとも想定している。

 ただ今の話から修復作業が遅れる事を察し、ミサトは僅かに表情を曇らせた。

「綾波さんは……大丈夫なんでしょうか?」

「あくまで検査入院だから、明日にでも退院できると思うわ」

 マヤに優しく教えられ、シイは嬉しそうに笑みを零す。

(明日は綾波さんに会えるんだ~。一緒にお昼食べたいな)

 自分とヒカリ達、そこにレイが加わった五人で一緒にお昼を食べる。その光景を想像するだけで、シイは幸せな気分になるのだった。

 

「これでドイツから弐号機が来れば、少しは楽になりますかね」

「分からないわよ。逆に修繕費がかさむ可能性だってあるのだし」

「使徒の処理もただじゃ無いですしね」

「まったく、人類の命運を握る組織にしては、お金にケチなのよね」

 日向の言葉を切っ掛けに、口々に予算について話し出す大人達。邪魔しないように黙っていたシイだったが、気になる単語に疑問を投げかけた。

「あの、エヴァって他にもあるんですか?」

「言ってなかったっけ?」

「初耳です」

「……実戦稼動しているエヴァは、ここにある零号機と初号機だけよ。起動実験まで終了しているのがドイツの弐号機。完成間近なのが米国の参号機と四号機ね」

「そんなにあるんですか……」

 リツコの説明にシイは驚きを隠せない。ここに来るまで見たことも聞いたことも無かったエヴァンゲリオン。それが幾つも存在しているなんて、想像すらしていなかったからだ。

「負けられない戦いだからね。少しでも勝算を上げるためには、数が多いに越したことはないわ」

「でも、米国は手放さないでしょうね」

「特に四号機に関しては、こっちにも情報を殆ど公開してませんし」

「??」

「ま、大人の事情って奴よ。とにかく、弐号機がここに来るってのは間違いないわ」

 話に着いていけないシイに、ミサトはさり気なくフォローを入れる。そこにはシイが知る必要の無い、大人の話を聞かせないと言う配慮も含まれていた。

「司令の出張もその件でしたね」

「ええ。この時間だともう会議は終わってる筈だけど」

「お父さん……司令は居ないんですか?」

「大事な会議に出席してるわ。戻るのは明日になるでしょうね」

(お父さんも……みんなを守るために頑張ってるのかな?)

 シイは遙か彼方に居るであろう、ゲンドウを思い浮かべるのだった。

 

 セントラルドグマに着いた一同は、それぞれ目的の場所へ移動する。日向とマヤは発令所へ、シイとミサト達はリツコの研究室へと向かう。

 長いエスカレーターに身を任せながら、シイはじっと何かを考えていた。

「…………」

「どうしたのシイちゃん。難しい顔なんて似合わないわよ」

「むぅ、私だって考え事位します」

 からかうミサトにシイは頬を膨らませて反論する。

「考え事ってひょっとしてさっきの事?」

「はい……ずっと気になってたんですけど、エヴァが負けたら人類はみんな死んじゃうんですよね?」

 これは確認の為の質問。その通りだと頷くミサトとリツコに、シイは本題を投げかけた。

「それって、どうしてなんでしょう?」

「…………」

「シイさんは、セカンドインパクトを知ってるかしら?」

 黙ってしまったミサトに代わり、リツコが言葉を発する。

「えっと確か、南極に隕石がぶつかった災害ですよね」

「表向きはそうね。ただ真実は違うわ」

「え?」

「十五年前、人類は南極で最初の使徒と呼ばれる、人型の物体を発見したの。その調査中に原因不明の大爆発が起こった。それがセカンドインパクトの真相よ」

 

 十五年前に起きたセカンドインパクトは、地球と人類に大きな影響を及ぼした。大爆発による津波と、南極の氷が融解した事で多くの陸地が海へと沈んでいった。失われた人命は数十億人とも言われており、まさに空前絶後の天災。その発端が使徒だったと聞かされ、シイは身体の震えを止められなかった。

(私は……そんな敵と戦ってたんだ……)

 

 怯えた様子のシイに気づきながらも、リツコは話を続ける。目的をハッキリさせる事が、シイの為になると判断したからだ。

「そして使徒を殲滅出来なければ、同規模のサードインパクトが起こると言われているわ」

「サード……インパクト」

「起きればまず人類は滅びるわ。それを防ぐ為のネルフとエヴァンゲリオンなの」

 初めて聞かされたエヴァが戦う理由。あまりに規模の大きな話に、シイはただ困惑するだけだった。

 

「……それとミサト。例の件、予定通り明日やるそうよ」

「……分かったわ」

 不機嫌そうに答えるミサト。先程までは普段通りだった筈なのに、どうもセカンドインパクトの話をしてから様子がおかしい。

「ミサトさん……何だか怒ってません?」

「……ごめんねシイちゃん。いずれ話すから、今はまだ」

 僅かに震えるミサトの手を見てしまったシイは、それ以上何も言えなくなってしまった。

 




シイに関してですが、シンクロ率やハーモニクスについては、この時期の原作シンジと同等か少し低い位のイメージです。

前話の子供回とはうって変わり、今回は大人回でした。シイにはまだ知らされていない情報が沢山あると言う事で。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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7話 その3《人の造りしもの》

 

 シイの朝は早い。起床して身支度を整えたら、直ぐさま朝食とお弁当の用意をする。育った環境のせいなのか、早寝早起きの習慣が身に付いている為、全く辛いと感じる事は無かった。

 ただそれはトウジ達に言わせれば、夜更かしが苦手なお子様なのだそうだ。

(寝すけのミサトさんよりよっぽど大人だもん)

 笑われた事を思い出して少し頬を膨らませながらも、シイは何時も通りの朝を過ごす。すると朝食の料理中にもう一人の同居人が姿を現した。

「あ、おはようペンペン」

「くえぇ~」

 シイの挨拶に方羽を上げて返事をする彼(どうやらオスらしい)は、ミサトに比べてよっぽど規則正しい生活を送っている。シイが料理をするのを新聞を読みながら待つ姿は、まるで父親の様にも見えた。

「何か面白い記事でもある?」

「くえくえくえ」

「え?」

 いつもと同じ問いかけに、しかしペンペンはいつもと違うリアクションを返した。気になったシイは料理の手を止めて、ペンペンが読んでいる新聞に目を通す。

「くえっくえ」

「これ? えっと……日本重化学工業共同体が新兵器『JA』の開発に成功。本日試運転をお披露目?」

 見出しをたどたどしく読み上げるシイに、そうだと言わんばかりにペンペンは頷いた。改めて記事の中身を流し読みしてみるが、特に興味を引かれるものは無い。

「も~ペンペン。これの何処が面白いのよ」

「人によっちゃ、面白い見せ物よ」

 不意に聞こえた声にシイは驚いて視線をダイニングの入り口へ向けると、そこにはいつの間にかミサトの姿があった。それも普段のだらしない格好ではなく、黒い制服を一分の隙もなく着こなした姿でだ。

 あまりの豹変ぶりにシイはポカンと口を開け、ペンペンは思わず新聞を落とす。

「み、ミサト……さん?」

「どうしたの?」

「その格好……」

「ああこれ? ネルフの正装よ」

 シイの反応を似合っていないと取ったのか、ミサトは少し苦笑を浮かべる。当然そんな意味では無く、黒を基調とした士官服はミサトに良く似合っていた。

 ただ身に纏う空気は普段のそれとはまるで違い、鋭い刃の様な冷たさがあった。

「あ、今ご飯が出来ますから」

「悪いけど直ぐ出かけるわ。仕事で旧東京まで行って来るから」

「旧東京……さっきの記事にあった、試運転のお披露目ですか?」

「ええ、帰りは遅くなると思うわ。シイちゃんのご飯が食べられないのは残念だけどね」

「なら用意しておきます。温めれば直ぐ食べられるように」

「ありがと。じゃあ行ってくるわね」

 ミサトは軽く微笑むとそのまま家を出ていった。玄関のドアが閉まる音が聞こえてから、シイは隣で自分と同じように戸惑った様子のペンペンに声を掛ける。

「……ねえペンペン」

「くぇ?」

 シイはしゃがみ込んでペンペンと視線の高さを合わせる。

「ミサトさん怖かったね」

「くえぇ」

「格好良かったけど……何だか他人みたいだった」

 表情を曇らせるシイの頭を、慰めるようにペンペンは撫でる。彼もシイと同じ気持ちだったのかもしれない。

「うん……ありがとうペンペン」

 ギュッとペンペンの身体を抱きしめて感謝を伝える。

(だらしない格好は恥ずかしいけど、ちゃんとした格好はもっとやだ。私は我が儘なのかな)

 今朝のミサトは先日シイが希望した通り、他の人の目に触れても恥ずかしくない正装だった。だがその姿のミサトは、何故か遠い存在に思えてしまう。

 シイは自分の中に生まれた矛盾に悩むのだった。

 

 

 かつて日本の政治経済の中心として繁栄を極めていた東京は、セカンドインパクトによる水位の上昇と、新型爆弾のテロにより荒廃しきっていた。

 水没したまま放置されているビル群の上空を、ネルフ専用VTOLが飛行する。

「……はぁ、ここがかつての花の都とはね」

「何年前の話をしてるのよ」

 VTOLの機内から外を見て呟くミサトに、リツコは呆れたように言葉を返す。

「しかし何だって、こんな場所でやるのかしら」

「自覚してるのではなくって? 万が一の時に被害が最小限で済むように」

「だったら海の上で勝手にやってて欲しいものね」

「……着いたわよ」

 二人を乗せたVTOLはドーム状の建物、国立第三試験場へと到着した。参加者を運んできたと思われる無数のヘリを見て、ミサトはからかうように苦笑する。

「こりゃまた、随分物好きと暇人が多いわね」

「私達がその代表格よ。ガラクタと知りながら見に来てるんだから」

 容赦なく切り捨てるリツコ。どうも彼女は今回お披露目される新兵器に、あまり好意的な印象は抱いていないらしい。そしてそれはミサトも同じであった。

「ま、そりゃそうね。にしても……これって戦自は絡んでるの?」

「戦略自衛隊? いいえ、関与は認められずよ」

「どーりで好き勝手やってるわけね」

 民間企業による新兵器の試運転お披露目。ミサトはきな臭さを感じつつも、それを口に出すことはせずに、リツコと共に会場へと向かうのだった。

 

 第一中学校の屋上では、シイ達がお昼ご飯を食べていた。いつもの面々に加え、今日は退院したレイもその場に姿を見せている。

 最初はレイの登場に戸惑ったヒカリ達だが、シイの嬉しそうな顔に直ぐさま納得した。碇シイは綾波レイという少女すら、友達にしてしまったのだと。

「はい、綾波さん。良かったら食べてみて」

「……これ、碇さんが?」

「うん」

 レイはシイから渡された弁当箱をそっと開く。小さな弁当箱の中には、一目で食欲をそそるような色とりどりのおかずが詰められていた。

「かぁ~相変わらずシイの弁当は美味そうやな」

「ほんと、毎日手間掛かってるね」

 弁当箱をのぞき見したトウジとケンスケが、感心したように感想を口にする。因みに彼らの昼食は、いつも通り購買のパンであった。

「そんな事無いよ。夕食を少し多めに作ったりしてるから、実は大分楽してるの」

「私もよ。色々工夫しないと、お弁当って大変だものね」

 自分も姉妹の弁当を作っているヒカリが、シイと弁当談義に花を咲かせる。そんな中、レイは箸を持つこと無くじっと弁当を見つめていた。

「綾波さん? ひょっとして和食苦手だった?」

「……いいえ。ただ誰かに食事を作ってもらうの、初めてだったから」

 少し頬を染めてレイは呟くと、そっと箸を手にする。

「良かった。じゃあ食べようよ」

「「いただきま~す」」

 明るい日差しの下で、のどかな昼食が始まった。

 

 たわいない雑談を交わしながら食事を楽しんでいると、不意にケンスケが言い出した。

「そう言えばさ、今日JAの完成披露記念会があるらしいんだ」

「なんやその、JAってのは」

「日本重化学工業共同体って所が開発した、人型兵器なんだってさ」

 何処か投げやりな様子のケンスケに、シイは違和感を覚える。彼が自分の好きな分野で、妥協するとは思えなかったからだ。

「あれ、相田君にしては随分曖昧な言い方だね?」

「情報が全然無いんだよ。パパの所にも詳しい情報が入ってないみたいで」

 父親がネルフ職員とは言え、ケンスケはごく普通の中学生。おいそれと機密情報を得る事は出来ない。ケンスケにとってそれは悔しい事らしく、無念そうにサンドイッチを囓ってた。

「JAかぁ……そう言えばミサトさんがそれのお披露目に行くって言ってたっけ」

「何だって!!」

 ポツリと呟いたシイに、ケンスケがグイッと顔を寄せる。

「それ本当なのかい?」

「う、うん。今朝そう言ってたから……」

「他に何か聞いてない? スペックは? 武装は? 操縦方法とか?」

「うぅぅ」

 どんどん近づいてくるケンスケにシイが困っていると、

「……碇さんが困ってる」

 すっと二人の間にレイが箸を伸ばした。予想外の行動に、一瞬全員の動きが止まる。みんなレイが人を助けるために自発的に行動する姿を、見たことが無かったからだ。

「綾波……さん?」

「あ、ああ、すまない碇。つい興奮しちゃって」

 レイの行動で頭が冷えたケンスケは素直に詫びる。趣味が関わる事には視野が狭くなってしまうが、彼もまた本質的には素直な男の子なのだ。

「ううん良いの。それでJAの事だけど、私も全然知らないの。ミサトさんからは何も聞いてないし」

「そっか~。ま、完成したら正式に発表があるだろうし、それを待つか」

 自己解決したケンスケは再びパンを口に運ぶ。

(……なあ、委員長)

(何よ)

(綾波……あんな奴やったか?)

(分からないけど、少し優しい感じになったかも)

(そやな。前は人形みたいな奴やったけど、今はこう……生きとる感じがするわ)

 トウジとヒカリは、レイの小さな変化を感じ取っていた。その理由は何となくだが分かる。彼女の隣に座る少女が切っ掛けを与えたのだろうと。

 

 昼休みも終わりに近づき、食事を終えた五人は満腹感を味わいながら午後の授業に備える。

「はぁ~食った食った。やっぱ昼飯は午後への活力やな」

「鈴原の場合、睡眠への活力でしょ」

「か~相変わらず嫌みな奴やな。わしかてやる時はやるで」

「何時、そのやる時が来るのかしらね」

(トウジは尻に敷かれるタイプだな)

 まるで夫婦げんかのようなやり取りをする二人を、ケンスケは呆れながら見守っていた。

「……ごちそうさま」

「お粗末様でした。量多くなかった?」

「……丁度良かったわ」

「嫌いな食べ物とかある?」

「……肉が嫌い」

「ふむふむ、じゃあお肉は代替を考えなきゃね」

 レイへのリサーチに余念がないシイ。それは今後もレイのお弁当を作ると言う事。どうしてそこまでしてくれるのか、レイにはまだ理解出来なかったが、それよりも前に伝えなければならない言葉があった。

「あの……碇さん」

「どうしたの?」

「その……あ――」

「あぁぁぁぁぁ!!」

 レイが言葉を発しようとしたその瞬間、ケンスケの大声が屋上に響いた。




シイと友人達との交流、少ししつこいと感じられるかもしれません。ただ彼女はチルドレンであり、中学二年生の少女でもありますので、ネルフの場面と同じくらい重要だと思っております。
後半になるにつれて、描写は減ってしまいますが……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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7話 その4《人の作るシナリオ》

 突然叫んだケンスケに、トウジ達は何事かと視線を向ける。

「なんや一体?」

「どうしたの相田君?」

「ネルフのVTOLだ! 凄い、こんな近距離で撮影できるなんて」

 ケンスケは歓喜に震えながら、鞄から取り出したカメラを構える。その先にはミサト達が乗っていたのと同じ型の輸送機の姿があった。しかも徐々に屋上にいるシイ達へと接近して来ている。

「こ、こっちに来てる!?」

「えらい低く飛んどるな。何や捜し物かいな」

「……違うわ。ここに着陸するつもりね」

 レイの予想通りVTOLはシイ達の真上で制止すると、屋上のスペースへ垂直に着陸を行う。吹き荒れる風にシイ達は飛ばされないよう、必死に身体へ力を入れて踏ん張る。

 やがてそれが治まると、VTOLから一人の男が屋上に降り立った。

 短髪眼鏡のネルフスタッフ、日向マコトその人だ。

「ひゅ、日向さん!?」

「シイちゃん、知り合いなの?」

「……ネルフの職員」

 ヒカリにレイが簡潔に説明した。間近でVTOLを撮影できて嬉しそうなケンスケ以外は、突然の事態に頭が着いていかず呆然と日向を見つめる。

「ごめんね、騒がしくしちゃって」

「い、いえ……それより、一体どうしたんですか?」

「葛城さんから緊急の応援要請が入ったんだ」

 日向の言葉にシイは顔を強張らせる。使徒の襲来時の招集でも車なのに、輸送機で直接迎えに来た。それだけで事態の重大さが容易に想像出来てしまう。

「ミサトさんに何があったんですか?」

「葛城さんと赤木博士が向かったJAの披露記念会で、JAが暴走したらしい」

「「えぇぇぇぇ!!」」

 一斉に驚きの声を挙げるシイ達。つい先程話題に出たJAがまさか暴走するとは、夢にも思っていなかった。

「詳しい話は中でするよ。時間が無いから、直ぐ乗ってくれるかな」

「え゛」

「……私は?」

「零号機は改修作業中だから、出撃命令は出ていないんだ。だから君は待機していてくれ」

「了解」

 レイは頷くと後ろへ一歩下がる。

「シイ、アホなロボットにしっかりやき入れたれ」

「出来れば後で話を聞かせてくれよ」

「怪我しないでね、シイちゃん」

「……頑張って」

「う、うん……頑張る」

 友人達から声援を受けたシイは何故か泣きそうな顔で頷き、恐る恐るVTOLへと乗り込むのだった。

 

 日向の話によると、JAは招待客を前に試運転を披露したのだが、その途中で突如制御不能に陥り今は暴走状態で歩行中らしい。

「JAは動力源としてリアクターを積んでるから、炉心融解の危険が高い。しかも現在人口密集地帯へ移動中だから、状況は極めて深刻なものなんだ」

「…………」

「このまま本部に向かって、そこからはエヴァ専用輸送機で葛城さんの所まで行くよ」

「…………」

「シイちゃん?」

 輸送機の操縦桿を握っていた日向は、シイから返事がないことを訝しんで後部座席へと顔を向ける。そこには座席に小さく丸まって震えているシイの姿があった。

 その様子を見て日向はある可能性を思い浮かべる。

「なあシイちゃん。ひょっとして、高いところ苦手だったりする?」

「……た、高い所は大丈夫ですけど……ただ、飛行機が怖くて……震えが止まらないんです」

 どうやらある種の恐怖症らしい。ただ、だからと言って陸路で移動するほど時間に余裕があるわけではない。

「すまないけど少し我慢して欲しい。葛城さんが君を待ってるから」

「うぅぅ、はい、頑張ります」

 震えながらも頷いて見せるシイを、日向は不謹慎ながら可愛いと思ってしまった。

 

 ネルフ本部に到着したシイはふらつきながらも、直ぐにエヴァ専用輸送機へと乗り換える。再び始まった空輸に、プラグスーツへと着替えたシイは身体を抱きしめて恐怖に耐える。

(ミサトさんが待ってるんだから……怖くない怖くない……全然怖くない……)

 

 エヴァ専用輸送機は、エヴァンゲリオンの第三新東京市外への移動を担当している。大きな両翼で後部に固定したエヴァを運ぶ事が出来るが、基本的に輸送だけを目的としている為輸送機自体に戦闘装備は無く、登場人員も操縦士を除けば数名が限度だった。

 今運転席の後ろに位置するパイロット控え室では、シイとミサトが向き合っていた。

「状況は日向君から聞いてるわね?」

「……は、はい」

 日向から話を聞いていたミサトは、目の前で震えるシイにため息をつく。精神状態でエヴァの能力は大きく左右される為、今のシイには不安要素しか無かった。

(そういや今まで輸送機での移動は無かったわね。こりゃ予想外だわ)

 とは言え危機的状況はそんな都合を憂慮してはくれない。可哀相だと思う感情を押し込めると、ミサトは作戦の説明を始めた。

「目標のJAは五分以内に炉心融解の危険があるの。だからシイちゃんは私を初号機でJAの後部ハッチまで連れて行って。後は私が内部からプログラム消去を行い、JAを強制停止させるわ」

「でも中は危険な状況だって……」

「ええ。だからほら、ちゃんと放射能防護服を着てるわ」

 ミサトは宇宙服のような防護服を身に纏っていた。それだけJAの内部が危険であると、本人も自覚しているのだろう。

「……で、でも、危険すぎます……」

「大丈夫。エヴァなら万一の事態にも耐えられるから」

「わ、私は……ミサトさんが危ないって……言ってるんです」

 恐怖からか蒼白になった顔でミサトに食い下がる。自分の身を案じてくれるシイに、ミサトは心の中で感謝しながらも、作戦の変更をするつもりはなかった。

「ま、大丈夫じゃない? 私は悪運が強いから」

「……どうして……ミサトさんが……やるんですか?」

「やる事やっとかないと、後悔しそうだからね」

 ミサトは口調こそ穏やかだが、その目には強い決意が込められていた。

(みんなを守る……ミサトさんも同じ気持ちなんだ)

 シイは震えを押さえ込むよう身体を強く抱きしめると、小さく頷いた。

 

 初号機の右手の平にミサトの身体をベルトで固定すると、シイは潰さないよう細心の注意を払って、右拳をそっと握る。

『こっちの準備は出来たわ。シイちゃん行けるわね?』

「はい、行けます」

 飛行機から解放されたシイは、いつもの調子でミサトに答える。土壇場に来て不安要素が無くなった事で、ミサトは作戦成功への手応えを感じていた。

『OK。日向君、降ろして』

『了解! エヴァ初号機ドッキングアウト』

「はい!」

 初号機を固定していたボルトが外れ、巨体が大空へと放たれる。途端、初号機の全身に強烈な風圧が襲いかかって来た。気を抜けば直ぐに体勢が崩れそうになるが、シイは全神経を集中して姿勢制御を行う。

(くぅぅぅ、もう少しだから一緒に頑張って)

 シイの励ましに応えるかのように、初号機は初めてとは思えない程上手にバランスを取り降下を続け、最大の関門であった着地をも無事成功させて見せた。

「ミサトさん!?」

『こっちは平気よ』

 右手に居るミサトの無事を確認すると、シイは前方を進むJAの姿を捉える。そして直ぐさま大地を蹴ってJAへと駆け寄り距離を詰める。

『相手の動きを止めて! その間に飛び移るわ』

「はい! 止まりなさい」

 どうにか追いついた初号機は、左手でJAの背中にある取っ手を掴んで歩みを止める。それでもなお前へ進もうとするJAを、地面がえぐれるほど踏ん張って抑え込む。

『今よ』

 右手をJAの背中に接触させるとミサトはタイミングを見計らい、無事飛び移ることに成功した。

『OK、上出来よ。じゃあちょっち中へ行ってくるから』

「どうか気を付けて」

 内部に侵入したミサトを見届けるとシイは初号機をJAの正面に回り込ませ、力比べをするようにJAの歩みを押し返す。

「良い子だから……大人しくしてぇぇ!!」

 これ以上人口密集地へ近づけない為に、シイと初号機は力を振り絞った。

 

 ミサトがJAに乗り込んでから、既に四分が経過していた。内部の端末にパスワードを打ち込むだけにしては、あまりに遅い。JAの歩みは何とかくい止めているものの、JAは身体のあちこちから白い蒸気のような物が吹き出し、炉心融解の限界が近いことを示していた。

「ミサトさん、まだですか!?」

『……シイちゃん、ちょっち不味いことになってるわ』

 スピーカーから聞こえるミサトの声には焦りが混じっていた。

『どうもパスワードが書き換えられてるみたいで、入力を受け付けないの』

「そんな!? なら早く脱出して下さい。初号機に乗っていれば……」

『いえ、最後まで足掻くわ。中から制御棒を押し出せれば、あるいは何とかなるかもね』

 それがどれだけ低い可能性なのかは、何も知らないシイにも分かる。それでもミサトは脱出せずに、その僅かな可能性に賭けるというのだ。

 もうシイに出来る事はその僅かな可能性に期待しながら、JAの動きを止める事だけだ。だがJAの身体から一層激しく吹き出す蒸気が、彼女の心に絶望を与える。

 そして炉心融解のタイムリミットが訪れた。

「ミサトさん!!」

 最悪の事態に絶叫するシイ。だがその瞬間、JA内部のコンピューターが突如起動して制御棒が作動する。一気に内圧が下がり、炉心融解の危機は回避されたのだった。

 突然力の抜けたJAにシイは一瞬戸惑ったが、直ぐに状況を理解した。ミサトがやってのけたのだと。

 

「ミサトさん、無事ですか?」

『ま、何とかね』

「凄いです。本当にミサトさんは凄いです」

 涙目で喜ぶシイだったが、ミサトの反応はイマイチ鈍い。大仕事をやり遂げた達成感など微塵も無く、何処か納得のいかない表情を浮かべていた。

『炉心融解直前で突然の機能停止……まるで映画みたいな脚本ね』

「え、どうしたんです?」

『何でもないわ。んじゃ悪いけど、初号機で私を回収してくれるかしら』

「はい」

 JAの暴走はエヴァによってくい止められ、炉心融解の危機は勇気あるネルフスタッフによる、自己犠牲を厭わない決死の行動によって防がれた。

 後日正式報告として発表された事実に、ネルフの評価は一段と高まるのだった。

 

 

「ご苦労だったな、赤木君」

「いえ、先の事件はシナリオ通り進みました。葛城一尉の行動以外は、ですが」

 ネルフの司令室でゲンドウにリツコが会話を交わす。

「報告を聞く限り問題ない。戦自に対しては丁度良い牽制になった」

「…………」

「他に何かあるのか?」

「今回の件に葛城一尉が不信感を持っています。何らかのリアクションがあるかと推察されますが」

 リツコの報告を受けても、ゲンドウの表情は変わらない。

「適当にあしらえば良い」

「そして万が一の時は……消すのですか?」

「……今はまだ使い道がある。監視を付けて泳がせておく」

「分かりました。では、失礼します」

 リツコは小さく頭を下げると、ゲンドウに背を向けて司令室から退室する。そこに浮かんでいた表情は、心内が読み切れない程複雑なものであった。

 

 

 翌日の朝、葛城家には何時も通りの光景が広がっていた。朝食を作るシイと、新聞を広げてそれを待つペンペン。そして、だらしない大あくびをしながらリビングへと姿を見せるミサト。

 何時も通り朝だった。

「ふぁぁ~、おはようシイちゃん、ペンペン」

 薄いシャツに惜しげもなく足を見せつける短パン姿のミサト。いつもならここでシイの突っ込みが入るのだが、今日は違った。シイはミサトの元へ小走りで駆け寄ると、ギュッと身体に抱きつく。

「へっ、どうしたのシイちゃん?」

「……ミサトさんだ。ずぼらでがさつで、でも暖かい……私の家族のミサトさんだ」

 温もりを感じるように、背中に回した手に力を込める。シイの突然の行動に戸惑っていたミサトだったが、やがて気づく。

(そっか、この子は私のことを本当に家族と思ってくれてるのね)

 着飾らないありのままの姿を受け入れる。それが家族。シイの気持ちを察したミサトは、小さな身体を優しく包み込む。

「くえぇくえぇ」

 そんな二人の姿を、ペンペンは微笑ましそうに見守るのだった。

 




巷で話題のJAですが、出番の大幅カットと言うことで。あの人に至っては、名前すら出てこないとは……。

ネルフを敵視する組織、ネルフの闇、家族、などなど鏤められたこの話は、原作の中でもかなり好きです。
子供の頃は純粋にエヴァ頑張れだったのに、大人になって改めて見ると、あの人のピエロっぷりに少し同情してしまったり。

そんなあの人は、小話で活躍して貰うとしましょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《大空を飛ぶ鉄の塊?・あの人は今?》

アホタイム、今回は二本立てで行きます。

時系列はどちらも7話の後です。

1本目はシイのアレに関して。
2本目はあの人にスポットライトを当ててみます。


 

~空を飛ぶ鉄の塊?~

 

 JA事件の翌日、シイ達は屋上で昼食を食べていた。話題にあがるのはやはりその事件の事。シイは機密情報を隠しながら、事態のあらましをみんなに話す。

「はぁ~そりゃえらい大事やったんやな」

 シイから話を聞いたトウジは、感心と呆れが入り交じった顔を見せる。あの事件はネルフらによって情報規制されており、一般の人には暴走した新兵器をネルフが食い止めたとしか、知らされて居なかったのだ。

「人型兵器にリアクターを内蔵するなんて、どう考えても危ないのに、何考えてたんだろ」

 ケンスケがマニアらしい意見を述べて首を捻る。兵器に詳しい彼にとっては、白兵戦を想定している二足歩行のロボットにリアクターを搭載する事が、どれだけ無謀な事なのかが痛いほど分かっていた。

「そんなの分からないけど……もうあんなのはご免だよ」

「シイちゃんと葛城さんは大丈夫なの?」

「うん。あの後一応検査を受けたけど、問題なかったみたい」

 心配するヒカリにシイは笑顔で答える。作戦終了後、危険作業に従事したと言うことでミサトは精密検査を受けた。ついでというわけでは無いがシイも簡単な検査を受けたのだが、どちらも健康に問題は無かった。

「ま、めでたしめでたしって訳や」

 大きな事故は起こらず、友人も憧れの女性も怪我は無かった。彼にとってはそれが全てであり、ヒカリとケンスケも同じ意見だったようだ。

 

 その後たわいない雑談をしつつ昼食を食べていると、不意にレイが口を開く。

「……碇さん」

「もぐもぐ、どうしたの?」

「飛行機……苦手なの?」

「ごふごふごほ」

 予想外の質問にシイは思い切りむせ込んだ。慌ててお茶を飲んでどうにか呼吸を落ち着かせると、シイは涙目になってレイを見る。

「あ、綾波さん、どうして知ってるの?」

「昨日、本部で話題になってたわ」

(どうして~!?)

 日向とミサト以外に知られていないと思っていたシイは、動揺を隠せない。その二人にも誰にも話さないで欲しいと念を押していたのでなおさらである。

 だが世界はそれほど甘く出来てはいなかった。エヴァは常にネルフの監督下に置かれており、それは今回のような第三新東京市外での作戦行動も例外ではない。

 つまりエヴァ専用輸送機でのやり取りは、全て発令所に筒抜けだった訳である。

(うぅぅ、絶対笑われたよ~。みんなで馬鹿にしたんだ……)

 発令所で情けない自分の姿を見て笑うスタッフ達。シイはネガティブにその光景を想像して、顔を真っ赤にしつつ落ち込む。実際はそんな事も無く、寧ろ『弱点があった方が人間らしい』『やっぱり可愛い』など好意的な受け止め方をされていたのだが。

「はぁ~、みんな笑ってたんだよね」

「……いいえ。本部では怖くても頑張った碇さんを、みんな褒めていたわ」

「え?」

「貴方が怖がる姿を笑うような人、本部にいる?」

 いつも自分を励まし支えてくれたネルフの人達。そんな彼らが自分を笑うだろうか?

(ううん、そんな人達じゃない。みんな優しくていい人ばかりだもん)

 落ち着いて考えれば直ぐに分かる事。シイは少しでも疑った自分を恥じた。

 

「へぇ、碇は飛行機苦手なのか。何かトラウマでもあるのかい?」

「トラウマと言うか……だっておかしいじゃない!」

「な、何がや?」

「あんな重い鉄の塊が空を飛ぶなんて、絶対におかしいもん」

「「はぁ??」」

 妙な迫力が込められたシイの言葉に、トウジ達はそろって間の抜けた声を出した。

「船が海に浮かぶのは分かるの。前に授業で習ったから。でも飛行機が空を飛ぶのは納得できないの!」

「えっと、それは……」

「まあ、な」

「そうね……」

 力説するシイに、トウジ達は上手い答えが浮かばない。1+1=2であるのに疑問を抱かないように、飛行機が飛ぶのは当たり前だと思っていたからだ。

 それに飛行機が空を飛べる理由を正確に説明するのは、中学生である彼らには少し難しかった。

「だから今落ちるかもって、不安になっちゃうの」

「……信じられないの? 人の造りしものが」

「信じられるわけ無いよ。あんな非科学的なもの」

((エヴァンゲリオンに乗ってる人の台詞じゃ無い!!))

 シイとレイのやり取りに、トウジ達三人は心の中で思いきり突っ込む。それでも今シイを刺激するのは得策では無いと、三人は言葉を選んでシイへと声を掛ける。

「ま、まあ人間苦手な物の一つや二つあるさかい、あんま気にすんな」

「そうよシイちゃん」

「だよな。いずれ船みたいに納得できれば、碇も怖くなくなるだろうしさ」

「……(コクリ)」

「ありがとうみんな」

 心優しい友人達にシイは本気で感謝するのだった。

 

 そうこうしている間に予鈴が鳴り、昼休みの終わりが近づいている事を告げる。

「もう時間かいな。授業もこれくらい早ければええのにな」

「それだと、鈴原の睡眠時間が短くなるわよ」

「か~毎度毎度うっさい奴やな。わしかて本気を出せば凄いんやで」

「何時本気を出すのかしらね」

(はぁ……今日も平和だね)

 すっかり夫婦漫才みたいなトウジとヒカリに、ケンスケは達観した視線を送る。

「じゃあ綾波さん、私達も行こうか」

「ええ……その、碇さん」

「なに?」

「……ありがとう」

 はにかむように感謝の言葉を発したレイ。一瞬何を言われたのか分からなかったシイは動きを止めるが、それがお弁当のお礼だと理解した。

 レイから初めて伝えられた感謝に、

「どういたしまして」

 シイは満面の笑みを浮かべて返事をするのだった。

 

(ありがとう……感謝の言葉……初めての言葉……とても、暖かい気持ちになる言葉)

 教室へ向かうレイの顔には、僅かに笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

~あの人は今?~

 

 ネルフ司令室ではゲンドウと冬月に向き合うリツコが、二人に対してある提案をしていた。理路整然としたリツコの説明を聞いた冬月は、納得したように小さく頷いて見せる。

「君の考えは分かった。確かに有能な人材の確保は、我々としても重要な事項だな」

「はい」

「少々手を回す必要はあるだろうが、まあ問題あるまい」

 自分は賛成だと冬月は椅子に座るゲンドウへ視線を向ける。決定権を持つゲンドウは、いつものポーズのままリツコを見つめていたが、やがて静かに口を開く。

「……利用価値はあると判断したのだな?」

「はい。本来の得意分野であるエネルギー開発ならば、充分役立つ人物かと」

「……任せる」

 司令であるゲンドウの許可を得たリツコは、二人に一礼してから司令室を後にした。

 

 数時間後、リツコは第三新東京市を車で走っていた。免許を持っている彼女だが、自ら運転することは極めて珍しく、今回の行動が特別である事が分かる。

「と言うわけで、貴方には明日より特務機関ネルフの技術局にて勤務して貰います」

 ハンドルを握りながらリツコは助手席へ向けて事務的に告げる。

「い、いいのですか? 私は……」

「優秀な技術者を引き抜く。そこに一切の私情は必要ありませんから」

「……面目ありません」

 助手席に座っていた男は、申し訳なさそうに頭を下げた。

 リツコよりも年上に見える中肉中背の男。一見冴えない中年男だが、この男こそがあのJAの開発責任者である時田シロウその人だった。

 

 先のJA暴走事件により、時田が所属していた日本重化学工業共同体は即時解体された。彼自身も事件の責任を取らされる形で、何らかの処分を受ける予定だった。

 だがそこにリツコの要望を受けたネルフが横やりを入れ、彼の身柄を受け入れたのだ。

「しかし、赤木博士自ら送迎して頂けるとは」

「貴方を引き抜くよう提案したのは私です。監督責任者として最低限の義務ですわ」

「え!?」

 さらりと告げるリツコに、時田は驚きを隠せない。実はこの二人、JA完成披露記念会で少々派手にやりあっていた。JAの兵器としての性能を疑問視するリツコに対し、時田は事前に入手していた極秘資料を盾にネルフとエヴァを扱き下ろして、大勢の招待客の前で笑い物にしたのだ。

 恨まれこそすれ、こうして身柄を預かって貰えるなどとは思ってもいなかった。そんな時田の気持ちを察したのか、リツコは僅かに笑みを浮かべる。

「先程も言ったとおり、貴方の引き抜きに個人的感情は関係ありません。因みに貴方は私にとって大変気にくわない、大嫌いな人種にあたります」

「む……う」

「ですが、優秀な科学者として認めてもいます。個人的には大嫌いですが」

 重ねて二度嫌いと言われ、流石の時田も少し凹む。

「ネルフの戦いは決して敗北が許されません。その為に必要な事は何でもします」

「何でも、ですか?」

「ええ。例え人に恨まれようと、人の道を外れようと、それは変わりませんわ」

 リツコの断固たる決意を聞いて、時田は己の浅はかさを思い知る。

(これ程の意思を持った相手に、私は勝手なライバル心で……何と愚かだったのか)

「……赤木博士」

「何でしょう」

「私も微力ながら……人類のために力を尽くします」

 拳を握りしめる時田を横目で見て、リツコは好意的な笑みを浮かべるのだった。

 

「これから技術局へ案内します。はぐれないように」

「はい」

 本部へ到着した二人はネルフ本部の中を歩く。ネルフ本部はテロリストや敵対組織の潜入などを想定している為、内部は非常に複雑な構造をしていた。初見で迷子にならない人はいないくらいだ。

 前を歩くリツコを見失わないよう時田も後に続く。すると、二人の前に小さな人影が現れた。

「あれ、リツコさん?」

「シイちゃん」

 呼びかけられた声にリツコは嬉しそうに返事をすると足を止めた。冷徹な印象が強いリツコが、一目で分かるほど上機嫌になった事を、時田は不思議そうに見つめるが口を挟むことはしない。

「今日は……ああ、そうだったわね」

「はい。エヴァ用の新しい武器が出来たから、見に来いって言われたのですが……」

 答えるシイの視線は、リツコの横に立つ時田へと向けられている。人見知りと言うわけでは無く、エヴァの情報を部外者に漏らしてはいけないと指示されている為だ。

「リツコさん……その人は?」

「そう言えば顔を見るのは初めてだったわね。この人は時田博士。あのJAの開発責任者よ」

「えぇ!?」

 さらっと時田を紹介したリツコに、シイは目を見開いて驚きの声をあげる。

「ど、どうしてリツコさんと一緒に?」

 JAの披露記念会で時田とリツコが派手にやりあった事。そもそもJA自体がネルフのライバル組織によって、エヴァに対抗する為に造られたとミサトから聞いていた為、シイは二人が並んでいることが不思議でならない。

「色々あってね。明日からネルフのスタッフよ」

「そうだったんですか……じゃ、じゃあエヴァもあのロボットみたいに」

「大丈夫よ。時田博士には本部の設備開発を担当して貰うから」

 ふぅ~と胸をなで下ろす仕草を見せるシイ。炉心融解の危機を目の当たりにした彼女にとって、時田の存在は不安だったのだろう。

「エヴァは変わらず私が担当するわ。安心した?」

「はいっ。リツコさんの事信じてますから」

 疑うことなど知らない純粋な笑顔に、リツコは軽く理性が飛びそうになる。もしこの場に時田が居なければ、シイをハグする位はやったかもしれない。

(あ、危なかったわ。流石に時田博士の前で威厳を失うわけには……)

 そこでリツコはふと気がついた。隣に立っている時田が、先程から一言も発せず黙っていることに。

(……まさか)

 嫌な予感にチラリと視線を向けると、そこにはだらしなく鼻の下を伸ばした時田の姿があった。何を考えているのかなど、聞くまでもないだろう。

(どうやら、この男も危険人物だったみたいね)

 デレデレ状態の時田を、リツコは自分のことを棚に上げて断定する。こいつは敵である、と。

 

「……じゃあシイちゃん。また後でね」

「はい」

 シイと別れてリツコは再び歩き出す。そして彼女の姿が見えなくなると不意に足を止めて、くるりと振り返り時田へ向き直るった。

「時田博士。一つ言い忘れていましたが」

「何でしょうか」

「あの子はエヴァ初号機のパイロット、碇シイです。貴方にとっては恩人と言える子でしょう」

「おお、あんな可憐な子が……」

「あり得ない話だとは思いますが、万が一あの子に手を出そうとした時は」

 スッとリツコは目を細め、

「芦ノ湖で浮いているのを発見されると思いますので、どうかご注意を」

 穏やかな口調に棘を含めて警告した。それに時田は慇懃に頷くと、全く動じた様子を見せずに答える。

「勿論、そんなつもりはありませんよ」

「結構です。優秀な人材を失うのは、私も避けたいですから」

 何とも言えぬ緊張感を放ちながら二人は並んで歩き出す。

「……ただ赤木博士、こんな話をご存じですか?」

「??」

「薔薇の美しさは、鋭い棘によって一層引き立っていると」

「非科学的な話ですね」

「美しい物を得るためには時に痛みを覚悟する必要がある、とも言い換えられますね」

「……ふ、ふふふ」

「ははははは」

 笑いながら歩く二人だが、その目は全く笑っていなかった。

 

 時田シロウ。元JA開発責任者にして、現ネルフ技術開発部第七課所属。

 そして、配属初日より『シイちゃんファンクラブ』会員の一員となるのだった。

 




一本目。
シイのアレは、恐怖症では無く恐怖癖に該当すると思います。まあ人間理解出来ないものを恐れると言いますし……。

ヒカリとトウジのペアは、原作からお気に入りです。基本的に恋愛要素は無い作品ですが、この二人は仲良くなって欲しいなと思っております。


2本目。
本編で完全にハブられていた時田さん、まさかのネルフ入りです。
JAの開発責任者ですし、優秀な科学者なのは間違い無いかと。ただ専門分野がエネルギー開発と言うのは、作者の勝手な妄想です。
今後の活躍にこうご期待。

小話ですので、本日は本編も投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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8話 その1《豪華なお船で太平洋をクルージング》

JA事件が解決してから数日が過ぎたある日の放課後、シイは友人三人に尋ねた。

「ねえヒカリちゃん、鈴原君、相田君、明日暇があるかな?」

「ごめんねシイちゃん。明日はお姉ちゃん達と一緒に、お父さんの所に行くの」

「あ、ううん、気にしないで。コダマさんによろしくね」

 申し訳なさそうに謝るヒカリへ、シイは気にしないでくれと手を振る。

「鈴原君と相田君は?」

「わしは特に予定はないな」

「僕もだよ」

「あのね、もし良かったら明日、私に付き合ってくれないかな?」

「「えぇぇぇぇぇぇ!!!」」

 シイの発言にトウジ達のみならず、クラス中から驚きの声があがった。その反応が理解できずに、シイはクラスメイト達からの視線を集めながら首を傾げる。

「あの~私何か変なこと言ったかな?」

「え、えっとシイちゃん。それってそう言う意味……なの?」

 意を決して尋ねるヒカリに、シイはキョトンとした顔を向けるだけ。その様子にクラス全員が、間違いなくそう言う意味で無いことを察した。

「あのね、さっきミサトさんから電話があったの。明日仕事で大きな船に乗るから、良かったら友達を誘ってみたらどうかって言われて。それでみんなを誘ったんだけど……」

「な、なんや、そう言う事かいな」

「ちょっとだけ……焦っちゃったよ」

「やっぱりシイちゃんはシイちゃんだわ」

 ちょっと残念そうに安堵する三人。そもそも最初にヒカリへ声を掛けた時点で、そう言った意味で無いのは明白なのだが、相当動揺していたらしい。

「前に相田君と約束したよね。そう言う機会があれば声を掛けるって」

「覚えてくれてたのか」

「うん」

「碇~。僕は良い友人を持って幸せだよ~」

 ガシッとシイの手を握るケンスケ。またもや嫉妬の視線が向けられるが、やはり彼は気にしない。

「じゃあ二人は一緒に行けるんだね?」

「ま、暇つぶしにはなるさかい、付き合ったるわ」

「トウジは素直じゃ無いな。嬉しい癖に」

「やかましいわ」

 じゃれ合う二人の姿を、シイは笑顔で見つめるのだった。

 

 

 翌朝、シイ達三人はミサトの運転する車で街を駆け抜ける。一般人が乗っている為か、それともルノーが修理したてだからなのか、ミサトにしては珍しく安全運転だった。

「悪いわね二人とも。折角の休日に付き合わせちゃって」

「ええんです。ミサトさんとご一緒出来るなら、休日だろうが平日だろうが喜んで着いて行きます」

「あはは、ありがと」

 ミサトファンを自称する彼にとって、休日に一緒にお出かけできる事を心底喜んでいた。すっかりメロメロになっているトウジに、ミサトは苦笑しながら礼を言う。

 一方のケンスケは、持参したビデオのチェックに余念がない。

「フィルムは……OK。バッテリー残量も充分。これで心おきなく撮れるぞ」

「大丈夫ですか、ミサトさん?」

「平気平気。特に機密って訳でもないし」

 撮影しても良いのかと心配するシイに、ミサトは軽く答える。

「それで、今日はお船で何処に行くんですか?」

「豪華なお船で、太平洋をクルージングよ」

「海か~楽しみだな~」

 未だ見ぬ大海原へ思いをはせるように、期待に満ちた眼差しを窓の外へと向ける。実家がある京都でも、この街でも海を見る機会がほとんどなかったシイにとっては、遙かに広がる海は憧れの場所でもあった。

 期待に目を輝かせるシイに、

(ごめんね。でも私にはこうするしか無かったの)

 何故かミサトは心の中で謝るのだった。

 

 そして一時間後。シイ達は海の上ではなく……大空を飛んでいた。

「Mil55D輸送ヘリ。こんな機会でもなきゃ、一生乗る機会なんて無いよ~」

 四人を乗せた輸送ヘリの中では、タダ一人ケンスケだけがカメラ片手に大はしゃぎしていた。軍事マニアの彼にとって至福の瞬間なのだろう。

「……ミサトさん、ほんまに良かったんですか?」

「仕方なかったのよ……」

 はしゃぐケンスケを横目に、気の毒そうにミサトへ問いかけるトウジ。それにミサトは、苦虫を噛みつぶしたような顔で答えるのだった。

 

 先日の昼前、ミサトはゲンドウにネルフ司令室へと呼び出されていた。

「葛城一尉、ドイツから弐号機が輸送中なのは知っているな?」

「はい」

「明日にでもここへ到着する。君にはその前に太平洋艦隊へ合流し、受け渡しを行って貰う」

「了解しました」

 椅子に座るゲンドウへミサトは凛々しく答えた。エヴァ弐号機は作戦部長であるミサトの管轄下に入る。その受け渡しを担当するのは当然だと、ミサト自身も思っていたからだ。

「それと……それにはサードチルドレンを同行させろ」

「へっ!?」

「何か問題があるのか?」

「問題と言いますか、同行させる理由が分かりかねます」

「君が気にする事ではない。これは命令だ、葛城一尉」

 ミサトの質問をシャットアウトし、ゲンドウは威厳を持って告げた。意図と意味が分かりかねるが、命令と言われてしまえばミサトはそれに従うしかない。

「分かりました。ですがシイ……サードチルドレンが飛行機恐怖症なのをご存じですか?」

「それがどうした」

「太平洋艦隊との合流には、輸送機を使いますので……少々可哀想かと」

「私は命令だと言った筈だ」

 厳しい表情を崩さないゲンドウに、ミサトは白旗をあげた。父親の情に訴えかけようとしてみたが、目の前の男があくまでネルフ司令としての顔を崩すつもりは無いらしい。

「了解しました。ですがパイロットの精神状態を考慮して、同行者の追加を申請します」

「……好きにしたまえ」

「では、明日12:00、太平洋艦隊へ合流しエヴァ弐号機の受け渡しを行います」

 ミサトはそう告げると足早に司令室を後にした。

(せめて友達が一緒なら……ごめんねシイちゃん)

 心の中で必死に詫びながら、ミサトはシイに電話を掛けるのだった。

 

(そう思ったんだけど……やっぱ無理だったか)

 操縦士の横に座るミサトは、後部座席のシイへと目を向ける。窓際は論外と言うことで、ケンスケとトウジに挟まれるように真ん中へ座るシイは、身体を丸めてぶるぶると震えていた。

「……後どれくらいかしら?」

「およそ三十分で合流予定です」

「って事だから、もう少し頑張って」

 ミサトは操縦士の言葉を伝えるが、シイの耳に届いているかは分からない。

「…………お母さん……お父さん……助けて……」

(そのお父さんが貴方を乗せたんだけどね……言わぬが花か)

 恐怖に耐えるシイへ追い打ちを掛ける事もないと、ミサトは沈黙することにした。そんな彼女に変わり、隣に座っているトウジが意を決したように話しかけた。

「なあシイ。あれから調べたんやけど、飛行機は翼が揚力っちゅうのを産み出すさかい、空を飛べるらしいで。船と一緒で、ちゃんと科学的に解明されとるんや」

 あれからトウジはヒカリ達と一緒に、教師に尋ねたり図書室で本を読み漁ることで、飛行機が飛ぶ原理を調べていた。完全に理解する事は叶わなかったが、それでも概要を掴むことは出来た。

 トウジの言葉にシイは落ち着くかと思いきや、

「……でも、この飛行機翼がないの」

 一層青ざめた顔で、涙を浮かべながらトウジに呟く。Mil55D輸送ヘリ。その名の通りヘリコプターなので、当然通常の飛行機の様な翼は無い。

 実際は回転翼で揚力を発生して飛行するのだが、ヘリコプターを調べていなかったトウジは思わず言葉に詰まってしまう。

「あ゛……」

「飛ぶわけ無いよね。落ちちゃうよね。うぅぅ、ひっく……ひっく」

 状況は更に悪化した。次迂闊な一言を発せば、確実にシイは限界を迎えるだろう。ミサトもトウジも、そして操縦士も頬に汗を流して、胃が痛くなるような無言の時を過ごす。

 ただ一人幸せの絶頂にいるケンスケだけが、大空の旅を満喫していたのだった。

 

「おぉぉぉぉ!!」

 静まりかえったヘリの中で、突然ケンスケが歓喜の雄叫びをあげた。興奮した様子で窓の外から、眼下の海へカメラを回し始める。

「凄い凄い凄い、空母が五、戦艦が四、大艦隊だぁ!」

「つ、着いたんか?」

「は、はい。あれの旗艦が本機の目的地です」

「……はぁ~」

 ハイテンションのケンスケとは対照的に、心底疲れたように一斉に脱力するミサト達。爆発寸前の爆弾と一緒に過ごす時間は、予想以上に精神を削られるものだった。

「まさにゴージャス。さすがは国連軍が誇る正規空母、オーヴァーザレインボーだぁ」

「偉いでっかい船やな」

 大きく旋回を続けるヘリの下には、統制された陣形で海を進む艦隊が広がっていた。

「着艦許可出ました。これより着艦致しますので、しっかり掴まっていて下さい」

「出来るだけ優しくね」

「……心得ております」

 シイの導火線に火を点けないよう、操縦士は細心の注意を払って、オーヴァーザレインボーの甲板へと輸送ヘリを着艦させた。

 

 その光景を、甲板からじっと見つめる少女。

(やっと来たわね。噂のサードチルドレン、か)

 口元に小さく笑みを浮かべると、少女は着艦した輸送ヘリへと近づいて行くのだった。

 




気分的には新章突入と言った感じですね。原作でもこのあたりから、急に話が明るくコミカルになって印象があります。
それを維持出来るか否かが、ハッピーエンドの条件になってきます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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8話 その2《セカンドチルドレン》

 空母へと着艦した輸送ヘリのハッチが開き、ミサト達は甲板へと降り立った。潮の香りと油の臭いが入り交じった風が、彼女達を出迎える。

「凄い凄い凄い、本物、全部本物だぁ」

 ヘリから飛び出すや否や、カメラを回しながら大声で叫ぶケンスケ。軍事マニアの彼にとってはこの場所は、楽園に見えるのだろう。

「これが豪華なお船かいな」

 対照的にトウジは無骨な空母に不満げな声を漏らす。興味の無い人間にしてみれば、飾り気も何も無い空母には何の魅力も感じないのだろう。

「シイちゃんごめん、本当にごめん。私が悪かったから……」

「ううぅぅぅぅ」

 最後にヘリから姿を見せたのは、必死に謝り続けるミサトと彼女の腰にしがみついて離れないシイ。そんな風変わりな来訪者達を、多国籍の軍人達は興味深げにニヤニヤと笑って見ていた。

 

「ほらシイちゃん、ここはお船の上よ。安心よ」

「ミサトさんの嘘つき、嘘つき……」

「ホントごめん。今度ジャイアントチョコをたんまり買ってあげるから」

「……うん」

 どうにかシイの機嫌が直った事に、ミサトはホッと胸をなで下ろす。

「んじゃ、まずは艦長に挨拶しましょうかね。二人とも~こっちよ」

 はしゃぐようにあちこち駆け回るケンスケを呼び戻すと、ミサトは三人を引き連れて艦橋へと向かおうとする。と、その行く手を阻むように一人の少女が姿を現した。

「ヘロウ、ミサト。元気してた?」

 黄色のワンピースを身に纏った勝ち気そうな少女は、ミサトへ声を掛けた。顔見知りなのか、ミサトは特に警戒した様子も無く笑顔で言葉を返す。

「ええ。貴方も元気そうね。随分背が伸びたんじゃない?」

「他の所も、ちゃ~んと女らしくなってるわよ」

 風になびく茶色の髪をかき上げ、少女は自慢げに答える。親しげな二人の様子を、シイ達は困惑した顔で見比べていた。

「あの、ミサトさん。この人は……」

「紹介するわね。彼女は惣流・アスカ・ラングレー。エヴァンゲリオン弐号機のパイロットよ」

 ミサトが少女を紹介した瞬間、一陣の風が吹き抜け、少女のスカートをふわりとはためかせる。

「……あ」

「「……白」」

 甲高いビンタの音が二つ、甲板に響き渡った。

 

「何すんねん!」

 頬に真っ赤な紅葉を咲かせたトウジが、アスカへ食って掛かる。ケンスケは眼鏡とカメラのレンズを割られて、すっかり涙目になっていた。

「見物料よ。安い物でしょ」

 恥ずかしさを誤魔化す為なのか、アスカはトウジを見下す様に言い放った。

「はん、ガキのパンツにそんな価値あるかいな。んなもん、こっちかて見せたるわ」

 売り言葉に買い言葉。すっかり頭に血の上ったトウジはお返しとばかりに、黒いジャージのズボンを勢いよく下ろした。縦縞のトランクスまでも一緒に。

「きゃぁぁぁぁ! 何て物見せるのよ、この変態!!」

 再び甲高い音が響き、綺麗な紅葉がトウジの両頬に完成した。

「この位の年頃だと、女の子の方が大人かもね……ってシイちゃん?」

 子供達のやり取りを苦笑しながら見つめていたミサトだったが、シイが無言で自分の腰にしがみついている事に気づいて、不思議そうに視線を向ける。

「み、ミサトさん……私……見ちゃった……」

「あ~……初めてだったの?」

 コクリと頷くシイ。余程ショックだったらしく、顔を引きつらせたままミサトから離れようとしない。

「よしよし、怖かったね。でもアスカがお仕置きしてくれたからね~」

 子供をあやすようにシイの肩を叩くミサト。周囲で様子を伺っていた海兵達は、美女と可愛い少女のやり取りを見て一層にやけるのだった。

 

「ま、この馬鹿はほっといて」

 アスカはビンタでダウンしているトウジを通り過ぎ、ミサト達の元へ近づく。

「噂のサードチルドレンは……この子?」

「そうよ」

「ふ~ん」

 アスカは無遠慮に、ミサトの腰へしがみついているシイを値踏みするように見つめた。つま先から脳天まで穴が開くほど見つめると、やがて困惑の視線をミサトへ向ける。

「……本当に?」

「ま、ちょっち見た目はあれだけど、間違いなくサードチルドレンよ」

(これが……あのサードチルドレン?)

 平静を装いつつも、アスカは内心大きなショックを受けていた。

 噂で聞いていたサードチルドレンは、世界で初めてエヴァを実戦運用し、かつ勝利を収めた英雄。訓練のみで未だに実戦を経験していないアスカにとって、ある種のライバルと言える存在だった。

 それが蓋を開けてみれば、小動物のように怯える少女がサードチルドレンだと言う。肩すかしを受けたような感覚に、アスカは落胆すら覚えていた。

(噂は噂って事? ……ううん、ひょっとしてエヴァの乗ると豹変するのかも、うんそうよ)

 勝手に結論づけるとアスカは再び強気の表情に変わり、シイの顔を真っ正面から見つめる。

「あたしがセカンドチルドレンよ。ひとまずよろしくね」

「あ、うん、碇シイです。よろしくお願いします」

 差し出された手を握り返し、チルドレン同士のファーストコンタクトは終了した。

 

 アスカを加えた一行は、空母のブリッジに移動して艦長との対面を果たした。ブリッジの軍人達がからかい混じりの視線を向ける中、ミサトは艦長の元へ近づくと挨拶を交わす。

「特務機関ネルフ、作戦部長の葛城一尉です」

「おやおや、ボーイスカウト引率のお姉さんかと思っていたが……こちらの勘違いだったようだ」

 ミサトの身分証明カードを見て老年の艦長は皮肉を口にする。カードを返されたミサトは外向き用の笑顔を顔に貼り付け、あくまで穏やかに対応した。

「ご理解頂けて幸いです。この度はエヴァ弐号機及び搭乗者の輸送援助、ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそ久しぶりに子供のお守りが出来て光栄だよ」

 艦長とミサトの間に見えない火花が散る。それをシイはキョトンと、アスカは興味なさげに、トウジはうっとりと見守る。ケンスケに至っては二人を無視して、勝手にブリッジ内を嬉々として撮影し続けていた。

「こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」

「はん、海の上であの人形を動かすつもりか」

「万が一に備えてとご理解下さい」

「その万が一に備えて我々太平洋艦隊が護衛に付いて居るんだ。大体……」

 徐々に険悪な雰囲気になりミサトと艦長の話は平行線を辿っていく。それを不思議そうに見ていたシイは、隣に立つアスカへ小声で尋ねてみる。

「あの、惣流さん」

「何?」

「どうしてミサトさんと、あの艦長さんは喧嘩してるの?」

「あんた馬鹿ぁ? 面子の問題に決まってんじゃない」

「面子?」

「太平洋艦隊にしてみりゃ、ネルフの使いっ走りにされるのが気にくわないのよ」

「なら断れば良いのに」

「ネルフは国連直属の組織よ。つまり納得行かない仕事を、上から命令されたって訳ね」

 アスカの説明にシイは成る程と手を叩く。

「凄いね惣流さん。色んな事知ってるんだね」

「こんなの常識よ、常識。あんたも一応エヴァのパイロットなんだから、この位知っときなさいよ」

「うん、また教えてね」

 嫌みを言ったつもりだったのだが、まるで効果のないシイにアスカはため息をつく。どうにもやりにくい相手だと、内心戸惑っていた。

 

「とにかく、海の上は我々の領分だ。君らの勝手は許さん」

「……分かりました。餅は餅屋と申しますので。ただ」

 ミサトは突き返された書類をバインダーに収めると、

「有事の際は我々ネルフの指揮権が最優先となります。ご理解をお願いします」

 姿勢を正して艦長へ頭を下げた。この行動は予想外だったのか、艦長と隣に立つ副官、さらにはブリッジに詰めている海兵達も驚きの表情でミサトを凝視する。

「……ふん、非常時にブリッジへの立ち入りを許可する。それで良いな?」

「はい、ありがとうございます」

 そっぽを向きながらも譲歩する艦長に、敬礼をしながら感謝を告げるミサト。少々荒れ模様だったブリッジに、穏やかな空気が流れ始めていた、丁度その時、

「あの葛城にしちゃ、随分と殊勝な態度じゃないか」

 からかうような男の声が聞こえてきた。

 ブリッジに居た者達が一斉に、声が聞こえてきた入り口へと視線を受ける。そこには無精髭を生やした男が、軽薄そうな笑みを浮かべて立っていた。

「げぇ、加持ぃ!」

「加持先輩」

 顔を引きつらせるミサトと笑顔のアスカが同時に男の名を呼んだ。加持と呼ばれた男は、これまた軽そうに手を振ってそれに答える。

「加持君! 君をブリッジに招待した覚えは無いぞ」

「こりゃ失礼。ちょいと知り合いが居たもので」

 怒鳴る艦長をさらりと受け流し、加持はミサトを見つめる。

「ま、ここじゃ何だし、食堂にでも行こうか。コーヒーくらいは奢るぞ」

 男の誘いに心底嫌そうな顔をするミサトへ、シイは不思議そうに視線を向けるのだった。

 




ようやくセカンドチルドレン、アスカの登場です。
彼女もまた、物語の結末を握る重要な人物ですね。

ミサトの対応が原作と少し変わっています。
どうもネルフ至上主義の様な印象があったのですが、余裕を持たせるとこんな感じかなとイメージしています。
この小説でのミサトさんは「出来る人」であって欲しいので。

主要人物は今回で大分出そろいました。果たして今後、どの様な物語が紡がれていき、目指す結末へと向かうことが出来るのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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8話 その3《プライド》

 艦橋を後にした一行は、空母の中にある食堂にやってきた。休憩中の軍人が何事かと視線を送る中、シイ達は加持の奢りでそれぞれ飲み物を頼み、六人がけのテーブルに席をとる。

「あの~」

「ん、ああ、まだ名乗って無かったな。俺は加持リョウジ、ネルフのドイツ第三支部に所属してる」

 加持は大人の余裕を漂わせて、シイへと微笑みかけた。今まで身近に居なかったタイプの男性に、シイは少し戸惑いつつも会話を続ける。

「ミサトさんと加持さんは、お知り合いなんですか?」

「……腐れ縁よ」

「おいおい、そりゃちと冷たく無いかい?」

 そっぽ向くミサトに加持は苦笑い。シイ達は気づいていないが、この間にもテーブルの下では加持がミサトの足へちょっかいを掛けていた。

「それで、今付き合ってる奴、いるの?」

「あんたには関係無いでしょ」

「あれぇ、つれないな~」

 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた加持は、スッとシイへ視線を向ける。

「君は葛城と同居してるんだったね」

「はい」

「彼女の寝相……直ってるかい?」

「「えぇぇぇぇぇぇ!!」」

 加持の爆弾発言にシイを除く子供達は、全員ショックを受けた表情で固まる。直接的な表現では無かったが、言葉に秘められた意味に気づいたらしい。

「それが全然。しょっちゅう布団をはだけちゃってますし」

 ただ一人状況を理解してないシイは、苦笑しながら加持の問いかけに答えた。

「相変わらずか。葛城、腹出して寝ると風邪引くぞ」

「あ、あ、あ、あんたは子供の前で何言ってるのよぉぉ!!」

 顔を真っ赤にしたミサトは、テーブルに思い切り手を着いて立ち上がる。動揺しているのがバレバレな彼女の態度に、加持はため息をついた。

「やれやれ。君はこんな大人になっちゃ駄目だぞ、碇シイちゃん」

「はい……あれ、私名前を言いましたっけ?」

「聞くまでもなく知っているさ。何しろ君は有名人だからな」

 加持は軽くコーヒーを啜り、何処か面白そうに言葉を紡ぐ。

「何の訓練も無しに実戦でエヴァを操縦して既に単機で二体、共同作戦で一体の使徒を倒したサードチルドレン。こっちの世界で、君の名を知らない奴はもぐり扱いさ」

「そ、そんな……私なんか全然駄目駄目で、ミサトさんやリツコさんにネルフの皆さん……それに綾波さんが助けてくれたお陰です」

「人から助力を得られるのも人望があってこそ。それも才能なんだよ、君のね」

 ここまで露骨に持ち上げられたことのないシイは、恥ずかしさと照れ臭さから顔を赤面して俯く。だから隣に座るアスカの視線が、明らかに敵意を抱いている事に全く気づく事は無かった。

 

 

 アスカと加持は、ミサト達から一度別れて甲板へとやってきた。落下防止用の策へ背中を預ける加持の横で、アスカは不機嫌そうに海を見つめている。

「どうだい、噂のサードチルドレンの印象は?」

「ガッカリ。見た目も中身もガキっぽいし、危機感なんて欠片も無い。あんな子が倒せるなら、使徒なんて意外と楽勝かも」

 ストレートな意見をぶつけるアスカに加持は苦笑を浮かべる。彼にしても事前に知り得ていたデータが無ければ、アスカと同じ感想を持っただろう。

「ま、確かに少々幼いとは思うが……見た目に騙されると痛い目見るかも知れないぞ」

「え?」

「彼女の初出撃でのシンクロ率は、訓練無しでいきなり40%を超えたらしい」

「嘘っ!?」

 アスカは目を見開いて加持に聞き返す。正式な訓練を受けている彼女にとって、その事実は素直に受け入れがたいものがあった。

(あたしですら40%を超えるのにかなり訓練したのに、初めてで……)

 柵を握る手に力がこもる。その様子を横目で見た加持は、小さなため息をつく。

「ま、現時点ではお前さんの方が圧倒的に上だろうさ。シンクロ率、ハーモニクス、射撃や格闘の戦闘技術、もろもろ含めてな」

「…………ちょっと行ってくる」

 何処にとは言わずに、アスカは加持から離れて船内へと戻っていった。

「やれやれ、相変わらずだな」

 これから彼女がするであろう行動を予想し、加持は笑みを浮かべる。それは先程までの嫌らしい物ではなく、娘や妹を見守る様な穏やかな笑みであった。

(碇シイ……ネルフ司令碇ゲンドウの娘にして、サードチルドレンか)

 水色のシャツの胸ポケットから、煙草を取り出し火を点ける。口から吐き出される煙が、潮風に乗って空へと舞い上がった。

(ネルフと委員会……いや、ゼーレにとっても重要な存在だ。そして、俺にとっても……)

 加持は険しい表情で鋭い視線を空へと向けるのだった。

 

「ミサトさんどうしたんだろう」

 二人が席を外してからほどなく、ミサトは真っ青な顔で食堂から出ていってしまった。体調が悪い訳では無いらしく、シイは首を傾げて不思議がる。

「はぁ~碇はホントお子様だよな」

「全くやで」

「むっ、どうして」

 呆れたように言う二人へシイは少しムッとする。のけ者にされたようであまり面白く無い。

「あのな、加持って人はミサトさんの寝相が悪いのを知ってただろ?」

「うん」

「て事は、ミサトさんが寝ている姿を見たことがある……つまり一緒に寝るような仲って事さ」

「仲良しなんだね」

「あかん。このセンセは本気で言うとるで」

「だね。相当の箱入り娘みたいだ」

 トウジは匙を投げたとお手上げのポーズを取り、ケンスケもそれに同意する。またもや仲間外れにされたシイが、頬を膨らませて文句を言おうとすると、不意に食堂のドアが乱暴に開かれた。

「サードチルドレン!」

 ドアの向こうで仁王立ちしたアスカが、何処か怒っている様な顔で呼びかける。

「えっと、何?」

「ちょっと付き合って」

 アスカは有無言わさぬ態度で、強引にシイを食堂から連れ出して行ってしまった。

 

 シイとアスカの二人は小さな連絡船に乗り込むと、オーヴァーザレインボーから離れ、艦隊の中心で守られる様に航行している輸送艦に乗艦した。

「惣流さん、何処に行くの?」

「良いから黙って着いてきなさい」

 前を歩くアスカにシイは尋ねるが答えは得られない。食堂に現れてからずっと不機嫌なアスカに、状況を理解出来ないシイは戸惑っていた。

 ワンピース姿のアスカと制服姿のシイが甲板を歩けば、それだけで人目を引く。現に数人の海兵が二人へ声を掛けてきたのだが、アスカが一言二言告げると肩をすくめて離れていった。

「凄いね惣流さん。英語喋れるんだ」

「はぁ、あったりまえじゃない。寧ろあんたが喋れない方が問題ね」

「あはは……英語苦手で。日本語なら自信あるけど」

「自分の国の言葉くらい話せて当然でしょ。あたしだってドイツ語の方が得意なんだから」

 小馬鹿にしたようなアスカの言葉に、そう言えばこの船はドイツから来たのだとシイは思い出す。

「惣流さんはドイツ産まれなの?」

「ま~ね。ほら、着いたわよ」

 アスカが足を止めたのは、輸送艦後部の格納庫だった。そこには、赤い冷却水にうつ伏せの姿勢で身体を沈めた、赤色の巨人が納められていた。

「ふふん、どうサードチルドレン。あたしの弐号機は?」

(……不思議、怖く感じない。ミサトさんの言うように慣れたのかな?)

「ちょっと、何ぼけっとしてるのよ」

「あ、ごめんなさい……」

「ま、見とれるのも当然ね。何せこの弐号機は世界初の、本物のエヴァンゲリオンなんだから」

 アスカは弐号機の上に飛び乗ると自慢げに胸を張って言い放つ。

「でも零号機と初号機が……」

「あんなのは実験過程のプロトタイプとテストタイプ。だからあんたでも動かせたんでしょ」

 ストレートに失礼な事を口にするアスカに、シイはムッと眉をつり上げる。自分の事ならいざ知らず、ミサト達ネルフの全員が馬鹿にされたような気がしたからだ。

「惣流さん、そう言う言い方は……きゃぁぁ!」

 シイが文句を口にした瞬間、強い衝撃が輸送艦を襲った。船体がグラグラと大きく揺れ、格納庫に居る二人にも振動が伝わってくる。

「水中衝撃波……爆発が近いわ」

 華麗なステップで弐号機から駆け下りると、アスカは一目散に格納庫から外へと出ていく。慌ててシイもそれに続いた。

 

 落下防止柵から身を乗り出し、海を凝視するアスカ。その視線の先には、煙を上げながら沈んでいく護衛艦の姿があった。

「攻撃を受けたの? 一体何処から……」

 油断無く周囲を警戒するアスカ。そして彼女は初めて姿を見ることになる。護衛艦に襲い掛かり、圧倒的な力で沈めていく正体不明の存在、使徒の姿を。

 




アスカの事を色々調べてみたのですが、何でもアメリカ国籍を持っているドイツと日本のクォーターらしいですね。
細かなところの設定がしっかり作られていて、改めて驚かされました。

シンジTSの影響を一番受けるキャラクターは、ひょっとしたらアスカかもしれません。異性として意識する事が無くなりますので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字修正しました。


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8話 その4《エヴァンゲリオン弐号機》

 

 アスカの目前で護衛艦を次々に沈めていく、白い魚のような生物。護衛艦を遙かに超える巨体を誇るそれは、海を縦横無尽に動き回っていた。

 遅れてやってきたシイは、あの生物が使徒では無いかと予想を立てる。

「使徒……あれが?」

「う、うん。多分そうだと思うけど」

「もーハッキリしないわね。サードチルドレンの癖に」

「うぅ、仕方ないよ。だって使徒の姿って毎回違うし」

 人型、イカ、正八面体、と毎回イメージチェンジに余念がない使徒達。最大の特徴であるコアが見えれば一発なのだが、あの生物にはそれらしき物は見えない。

(この間の使徒みたいに、身体の中にコアがあるのかも)

「とにかく、早くミサトさんの所へ戻らないと」

「あんた馬鹿ぁ? 何で戻る必要があるのよ」

「え? だって」

「こんな美味しい見せ場に、主役が登場しなくてどうするのよ」

 にんまりと笑みを作るアスカに、シイは嫌な予感しかしなかった。

 

「護衛艦三隻撃沈……目標を捕捉出来ません」

「くそっ、何が起こってるんだ」

 オーヴァーザレインボーのブリッジが、非常事態に騒然とした空気に包まれる。艦長が付近の艦に状況確認を急がせるが、結果は芳しくなかった。

 そこにショックから立ち直ったミサトが、トウジ達を引き連れてやって来た。

「艦長! 状況は?」

「分からん。現在敵影の捕捉を急がせて居るが……」

「これは私見ですが、恐らく使徒の攻撃だと思われます」

「馬鹿な! 奴らは第三新東京市にしか現れないと聞いているぞ」

「本部へ侵攻中に、偶然こちらと遭遇した可能性もあります」

 ミサトの冷静な反論に艦長はグッと言葉を飲み込む。事情はどうであれ現実に今この時、謎の敵から襲撃を受けているのは事実なのだから。

 そして今すべき事も決まっている。

「くっ、これ以上敵の好き勝手にさせるな! 全艦任意に迎撃!!」

 艦長は動揺する艦隊へ檄を飛ばす。彼らの任務はエヴァ弐号機を無事に新横須賀まで輸送すること。例え納得いかなかろうが、任務は任務。軍人としてのプライドが彼らを奮い立たせた。

(ご立派な心がけだけど……無駄ね。使徒に通常攻撃では歯が立たないわ)

 ミサトの指摘は的中してしまった。高速で水面下を移動する使徒に対して、護衛艦と空母から無数の魚雷が撃ち込まれるが、足止め程度の効果すら見られなかった。

 

「ね、ねえ惣流さん。こんな所に来てどうするの?」

 シイの手を強引に引っ張ってアスカがやってきたのは、人気のない階段の陰だった。

「あんたみたいなお子様はともかく、あたしが人前で着替えられる訳無いでしょ」

「むっ、私子供じゃ……着替える?」

 アスカはシイの問いかけに答えず、格納庫から持ち出した大きなショルダーバックを漁っている。そしてビニールに包まれた、赤色のプラグスーツを取り出した。

(あ、そっか。惣流さんはミサトさんからの出撃命令に備えて、準備してるんだ)

 指示を待つ日本人とは違い、外国人は自分から積極的に行動すると昔聞いたことがある。自分のするべき事を黙々とこなすアスカに、シイは尊敬の目を送っていたのだが……。

「何ぼさっとしてるのよ。はいこれ、あんたの分」

「……え?」

「どうせ持ってきて無いんでしょ。あたしの予備を貸してあげるわ。ありがたく思いなさい」

「そ、それって……まさか」

 何故か偉そうなアスカからプラグスーツを渡され、シイはようやく察した。彼女はシイの予想通りではなく、予想の斜め上の行動をしようとしている事に。

「あんたも、来るのよ」

 ニヤリと笑うアスカからは、拒否を許さないと言う強い意志が伝わってきた。

 

 オーヴァーザレインボーの船室で、加持は使徒の動きをオペラグラスで眺めていた。無数の魚雷を撃ち込まれても全く怯まない使徒に、自然と表情が険しくなる。

「あの程度じゃ、ATフィールドは破れないか……さて、どうするかな」

 使徒を観察したまま、携帯電話を懐から取り出して通話ボタンを押すと、数コールの後に相手が出た。

『君か。どうやら現れた様だな』

 受話器から聞こえるゲンドウの声は、この状況を予想していたかの様に冷静なものだった。

「司令も人が悪い。こちらのシナリオとは少々違う出来事ですよ」

『イレギュラーは常に起こりえる。その為の弐号機と搭乗者だ』

「ご息女も、ですか?」

『……そうだ。予備くらいには役に立つ』

 娘に対してとは思えないほど冷たい言葉だったが、一瞬の間があったことを加持は聞き逃さない。

(碇司令も人の親、か)

『万が一の時には……君だけでも脱出したまえ」

「ええ、分かっています」

 通話を終えた加持は足下のトランクに視線を落とす。厳重に封印された対核仕様の特殊トランクが、中身の重要さを雄弁に語っている。

 ゲンドウの発言も、加持では無くこれの安全を案じての事だったのだろう。

「あの子達の戦いぶりを見たい所だが……ま、背に腹は変えられないか」

 小さく呟くと加持はオペラグラスをしまい込み、トランクを片手に部屋を後にするのだった。

 

 

 アスカ用の赤いプラグスーツに身を包んだ二人は、再び弐号機の元へ戻った。アスカは弐号機の首筋に登ると、レバーを引いてプラグを排出させる。

「さあ、乗るわよ」

「で、でも、まだミサトさんに許可を貰ってないし」

「勝った後に貰えば良いのよ。ほら、早くこっちに来なさい」

「どうして私も? 惣流さんの邪魔になると思うんだけど……」

 割と本気なシイの疑問に、アスカは自信に満ちた顔で見下ろすと、

「本物のエヴァンゲリオンの、本物のチルドレンによる戦闘を、特等席で見せてあげようってのよ」

 腰に手を当てたポーズでハッキリと言いきった。

 結局押し切られる形で、シイはアスカと共にプラグへ乗り込んだ。電力供給が行われていない為、アスカは弐号機の内蔵電源で起動シークエンスを行っていく。

「……思考言語切り替え、日本語をベーシックに」

「え?」

「英語が分からないなら、ドイツ語はもっと分からないでしょ」

「あ……うん。ありがとう惣流さん」

 さり気なく気を配ってくれたアスカに、シイは表情を崩してお礼を言う。感謝される事に慣れてないのか、アスカはぷいっと顔を背けてしまう。

「じゃあ行くわよ。しっかり掴まってなさい」

「うん……」

 インテリアの背もたれに、シイが両手を回して抱きつくのを確認して、アスカは表情を引き締める。

「エヴァンゲリオン弐号機、起動!」

 力強いアスカの言葉と共に、弐号機の瞳に光が宿った。

 

 使徒は不思議な動きをしていた。高速で水面下を移動し時折護衛艦を襲ってはいるが、積極的に攻撃を仕掛ける訳でも無い。艦隊の間をウロウロと潜行する姿は、まるで迷子の様にも見えた。

「くそっ、奴の狙いは何だ!?」

(まるで何かを探しているみたい……狙いは弐号機?)

「艦長、エヴァンゲリオン弐号機の起動許可をお願いします」

「むぅ……だが……」

「このままでは打開策無く、一方的に蹂躙されるだけです。それに使徒の狙いが弐号機であるなら、起動していない状態では危険すぎます」

 ネルフに対しての対抗心と、軍人としてのプライドが艦長の中でせめぎ合う。

 遠回しに自分達が役立たずと言われた事に対し、当然悔しさもある。だがミサトの言うとおり現状の戦力では、任務を果たすことなく全滅する可能性も考えられた。

 どちらの感情を優先するかなど、迷うことなど無い。

「……分かった。我々の任務は弐号機の新横須賀までの護送だからな」

「ご理解、感謝致します」

 ミサトは一礼すると直ぐさま携帯でシイへ連絡を取ろうとする。一緒に居るであろうアスカへ、出撃命令を伝えて貰おうと思ったのだが、何故か留守電になってしまう。

「一体何やってるの……」

「お、オセロウより入電。エヴァンゲリオン弐号機が、起動しています!」

「「なっ!!」」

 艦長とミサト達は副官の報告を聞いて、ブリッジの窓へとへばりついた。

 オーヴァーザレインボーの後方に位置する輸送艦オセロウ。その甲板上に保護シートをマントのように纏った、真紅の巨人が立ち上がっていた。

「アスカ? それともシイちゃん?」

『あたしよ』

『すいません、私も居ます』

「ふ、二人とも乗ってるのね……」

 予想外の展開にミサトは、安堵と呆れが入り交じった声を出す。エヴァに二人同時に搭乗するなど、考えたことすら無かったからだ。

『ミサト、使徒の迎撃に移るわよ』

「ええ、出撃許可は出てるから、思い切りやっちゃって」

「いや待て。確か弐号機はB型装備のままだぞ」

 慌てて告げる艦長の言葉を聞き、ミサトは表情を曇らせる。

 エヴァのB型装備は、特殊な武装や装備を一切付けていない状態を指す。周囲を海に囲まれ、使徒自体が海中に居る現状には適していなかった。

『惣流さんどうしよう』

『あんた馬鹿ぁ。水中専用の装備に変えれば良いだけでしょ』

「水中用の装備は?」

「オセロウに水中行動用のパーツがあります」

 副官からの迅速な報告にミサトは満足げに頷くと、アスカへ指示を告げる。

「いいアスカ。そこに水中用の装備があるから換装して……」

「目標、エヴァに急速接近!」

 そんなミサト達をあざ笑うかの様に、使徒はオセロウへと突進していった。

 

 プラグ内のモニターにも、真っ直ぐ向かってくる使徒の姿がハッキリと映し出されていた。

「こ、こっちに来たっ!」

「換装の時間は無いわ。水中用装備換装を断念、危機回避を最優先」

 グンッと弐号機はしゃがみ込むと、大きくジャンプして使徒の突進を回避する。ただオセロウは成す統べなく真っ二つに船体を割られ、水中用の装備と共に海へと沈んでいった。

 付近の護衛艦へ強引に着艦した弐号機。使徒は小回りが利かないのか、大きく旋回運動をしている。

「惣流さん、残り時間が一分しかない」

「あいつら充電ケチったわね……。ミサト、非常用の電源を出して!」

『OKよ。用意しとくわ』

 ミサトは直ぐさまオーヴァーザレインボーの甲板に、非常用の電源ソケットを用意させる。彼女がここに来る際に乗ってきたヘリに積み込まれていた物だ。

「B型装備だと泳げないし……どうやってあそこまで行こう」

「簡単な事よ。さあ、飛ぶわよ」

「飛ぶって…………ひゃぁぁ!」

 弐号機は再びかがみ込んでから、力強く甲板を蹴り跳躍する。シートを脱ぎ捨て空を舞いながら、護衛艦や戦艦を足場代わりに踏みつけていく。

 まるでアスレチックの様に、海上を飛び跳ねる弐号機。足場を正確に捉えて跳躍するその動きは、アスカの操縦能力の高さを十二分に証明していた。

(目が……目が回るぅぅ)

 自分とはまるで違うアスカの操縦に、シイは文字通り目を回してグッタリとしていた。もしシイが初号機に搭乗していたとしても、この動きを真似することは出来ないだろう。

「あれね……エヴァ弐号機、着艦しま~す!」

 一際大きな跳躍をして、弐号機はオーヴァーザレインボーに着艦した。同時に船体を襲う強い衝撃に、ブリッジにいるミサト達も必死に耐える。

「ソケット確認。外部電源に切り替え」

 腰の部分にある接続口にソケットを差し込むと、プラグ内に表示されていたタイマーが消え、外部電源に切り替わったことを示す。

 電源切れによる活動限界の心配は消えたが、一息つく暇は無い。

「惣流さん、左後ろから来てるよ!」

「上等よ。迎え撃つわ」

 弐号機は左肩からプログレッシブナイフを取り出す。それは初号機の物とは違い、カッターナイフの様な形状をしていた。

 身体の前にナイフを構えて使徒との接触に備える。そんな弐号機目掛けて、使徒は勢いよくトビウオのように跳ねると、オーヴァーザレインボーの甲板へ空から襲い掛かった。

「お、大きい!」

「でかいだけでしょぉぉ!」

 間近で見る使徒の巨体に怯むことなく、アスカはナイフを使徒に突き立てて強襲を受け止めた。

「凄い……」

「さっさと、どきなさいよっ!」

 上からのしかかる使徒へ弐号機は前蹴りを打ち込んだ。圧力が掛かっている状況下で、一瞬とは言え片足立ちをするという恐るべき芸当を、アスカは見事やってのける。

 蹴られた使徒はそのまま海へと落ちていく。だがその際に弐号機のケーブルが使徒の身体に引っかかり、道連れの様な形で弐号機も海へ沈んでいくのだった。

 




アスカ&弐号機のデビュー戦です。思い返してみると、彼女の戦闘は特殊環境下が多いなと。やはりチルドレンで一番技量が高いからでしょうか。

能力的には、アスカ>レイ>シイの順で設定しています。多分最後までこの序列は変わらないと思います。

戦闘途中で話を切るのは、あまり宜しくないと思いますので、本日中に続きを投稿させて頂きます。
今後は出来るだけ、戦闘は一話に収めて参ります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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8話 その5《海中の死闘》

(やばいわね、動きが鈍いわ)

 引っかかったケーブルと一緒に、使徒に引っ張られているアスカは内心焦っていた。水中戦闘自体が初めての経験だが、予想以上に反応が鈍い。

 まともな戦闘行動など取れない状況に、勝ち気な顔が僅かに曇った。

「どうしよう惣流さん」

「決まってんでしょ。やっつけるのよ」

「そうだけど……あっ」

「やばい」

 ケーブルが使徒の身体から外れ、弐号機は海中に置き去りにされてしまう。水中を得意とする使徒は、あっという間に弐号機の索敵範囲から離脱していった。

 泳ぐという動作すら意のままにならず、弐号機は無防備に水中を漂う。

『アスカ、聞こえる! B型装備じゃ水中戦闘は無理だわ』

「じゃあどうするのよ」

『今水中用装備と初号機を、ネルフ本部から向かわせてるわ。一度戻って体勢を立て直すわよ』

(冗談じゃないわ。デビュー戦で応援なんて、そんな格好悪い事出来るわけないじゃない)

「いらないわ。悪いけど引き返すように連絡しといて」

 アスカはミサトの指示を拒否する。現状で勝算が限り無く低いことも、ミサトの策が妥当である事も理解している。これは単なる意地なのだが、彼女にとっては譲れない物でもあった。

『プログレッシブナイフしか無い弐号機じゃ、じり貧なのは分かってるでしょ』

「充分よ」

『アスカ!』

「……通信装置に不良があったみたい。一度通信を中断するわ」

 むすっとした声で告げると、アスカは通信機能を切ってしまう。自分を信用していないミサトに対して、苛立ちと怒りを覚えたアスカは拳を固く握りしめる。

 

「……ねえ、惣流さん」

「何よ。あんたからの説教なんてご免だわ」

 背後から声を掛けるシイに、アスカは不機嫌を隠そうともせずに睨み付ける。

「あの使徒の身体に、赤い球体って見えた?」

「はぁ? こんな時にあんた何言ってんのよ」

 八つ当たりも混じった怒声に、しかしシイは動じない。先程までの怯えた様子は影をひそめ、真剣な表情でアスカをじっと見つめていた。

「赤い球ね……見てないけど」

「私も見つけられなかった。多分、体内にあるんだと思う」

「それが何よ」

「あのね、その球体はコアって言って、使徒の弱点なんだってリツコさんが言ってたの」

「それで?」

 もうアスカの声に怒りは無かった。シイが何か策を思いついていると理解したアスカは、話を聞く姿勢を取って先を促す。

「今の私達にはナイフ一本しか無いけど、コアを狙えれば」

「充分殲滅出来るって訳ね。でもあんたの言うとおり体内にあったなら、お手上げじゃない」

「そこで、ちょっと聞いて欲しいんだけど――」

 

 オーヴァーザレインボーのブリッジでは、ミサトが必死に弐号機へ通信を繋ごうとしていた。だが、エヴァ側からロックされてしまっており、どうにもならなかった。

(まずったわね。アスカのプライドを考えたら、素直に聞くはず無いじゃない)

 自分の失言が危機を招いた事を悔やむ。ネルフからの応援が到着しても、肝心の弐号機とシイが居なければ意味がない。状況は厳しかった。

「……葛城君、エヴァのケーブルをこちらから巻き戻そう」

「艦長?」

「己の失敗を悔やむのは後だ。指揮官は最後まで、勝利のために最善の手を模索すべきだ。少なくとも、私はこれまでそうしてきたがね」

「……はい」

 ミサトの年齢以上のキャリアを持っている艦長。そんな彼だからこそ、言葉には重みがあった。

「頼めますか?」

「準備は整っております」

「では、ケーブルリバー……」

『ミサト!』

 突然ブリッジに響き渡ったアスカの声に、ミサトの指示は打ち消された。

「アスカ!?」

『ミサト、これから弐号機は目標を殲滅するわ』

 その言葉には先程までとは違い、確かな自信に満ちあふれていた。この短時間に何があったのかとミサトは疑問に思うが、今はそれを問いただしている場合では無い。

「でもどうやって……」

『ATフィールドを全開にして、目標の体内に侵入。コアをナイフでぶっ刺すのよ』

 相手が巨大な使徒、それも魚型だからこそ可能な作戦。極めて無謀で危険なものであったが、この状況で実現可能なほとんど唯一の策でもあった。

『反対してもやるわよ。強引に戻そうとしたらケーブル切って、内蔵電源でもやってみせるわ』

「…………アスカ、一つだけ条件があるわ」

『何よ』

「必ず無事に戻ってきなさい。シイちゃんと一緒にね」

『はん、そんなの当然じゃない。あたしの見事な戦いぶり、しっかり記録してなさいよ』

 最後まで強気の姿勢を崩さずアスカは通信を切った。

 

「これでよしっと。折角殲滅しても、命令違反で怒られるなんて馬鹿みたいだもんね」

「そ、そうだね……はは」

 心当たりのあるシイは乾いた笑いを零す。

「さっきからあいつの行動パターンを調べてたんだけど、ずっとあたし達の周囲を高速で巡回してるわ。多分そろそろ突っ込んでくるわよ」

「うん……多分その時使徒は、口を開いて私達に噛みつくと思うから」

「フィールドを全開にして体内に侵入。後はコアを探して破壊するだけね。それにしても……」

 アスカはじーっとシイへ不満げな視線を向ける。

「な、何?」

「あんた、やっぱり猫被ってたのね」

「ふぇ?」

「おどおどと怯えたふりしてたけど、これがあんたの本性、サードチルドレンの実力って事?」

 追いつめられた時こそ人の本性が見えてくる。この状況下で冷静さを失わずに打開策を提示したシイを、アスカは実力を隠していたと判断したのだ。

「……違うよ。私は臆病者だから、一人だったら多分震えて何も出来なかったと思う」

「はぁ?」

「でも惣流さんと一緒だから、私は安心して居られる。危険な事にも立ち向かえるの」

「……アスカ」

「え?」

「アスカで良いって言ってんの。そこまであたしを信じてるなら、名前で呼ぶことを許してあげる」

 一瞬戸惑ったシイだったが言葉の意図を理解して、直ぐさま満面の笑みを浮かべて頷く。

「うん、よろしくね……アスカ」

「名前位で大げさな子ね……。さ、あいつが来るわ。覚悟を決めなさいよ……シイ」

 二人の少女は光の届かぬ深海で、使徒と最後の戦いに挑むのだった。

 

 

 動かない弐号機を警戒する様に、周囲を高速で泳ぎ回っていた使徒。だがやがて危険がないと判断したのか、一直線に弐号機の正面から突っ込んでいく。

 両者の距離が縮まって行き、やがて接触する瞬間、使徒は大きな口を開いた。

「ATフィールド全開!!」

 使徒の内部への侵入を試みる弐号機。だがその行動を察したのか、使徒は予想よりも早く口を閉じてしまう。結果弐号機は上半身だけしか内部に侵入できず、使徒の鋭い牙に腰の部分を貫かれてしまった。 

「ぐぅぅぅぅぅぅ」

 フィードバックによる腹部の激痛がアスカを襲う。シイにも多少の痛みはあるが、メインでシンクロをしているアスカよりは余程マシだ。

「アスカ! 大丈夫!?」

「この……くらい……全然平気よ!」

 気力を振り絞り気丈な態度を取るアスカ。訓練しか経験のない彼女にとっては、初のフィードバックダメージだったのだが、強い精神力でそれを乗り越えた。

「やばいわね……これじゃ釣りのエサじゃない」

「でも、やっぱりあったよ」

 シイが指差すのは使徒の口腔内に赤く輝く球体、コアだ。ただその場所は、弐号機の身体一つ分ほど遠くにあり、ナイフでは届かなかった。

「動くのは……無理だよね」

「がっちりアゴが閉まってるから、上半身しか動かないわね。でも」

 使徒の口腔内は水が無いため、B型装備でも何時も通りの動作が可能だった。そして右手には、ナイフがしっかりと握られている。

 まだ諦める要素は何一つ無かった。

「……やるわよ。あんたも手伝いなさい」

 アスカはレバーのロックを外し、高機動モードに切り替える。操作をエヴァの両手に集中させ、より精度の高いシンクロを行う為だ。

「うん」

「チャンスは一度きり。使えるのは上半身のみ。得物はナイフだけ。なかなか絶望的な状況ね」

「でも、自信あるんだよね?」

「シイ、あんたにあたしの誇りを教えてあげるわ。それは……期待に絶対応える事よ」

 二人の少女は微笑み合う。絶望的な状況下にあっても、彼女たちにはある種の確信があった。

(大丈夫……二人ならきっとやれる)

(いい感じよ。いつもよりシンクロ出来てるわ。これなら行ける)

 腰の固定パーツを外して、アスカは自分の膝上にシイの身体を乗せる。そして重なり合った二人の手が、レバーを力強く握りしめた。

 弐号機は上半身を限界まで身体を捻ると、右手のナイフを投擲する姿勢を取る。

((当てる、当てる、当てる、当てる))

 弐号機の特徴である四つの瞳が一際強く輝き、全身に力が満ちていく。そして渾身の力を込めてナイフをコア目掛けて投げつけた。

 放たれたナイフは一直線に突き進み、輝くコアを直撃した。大きくひびが入ったコアは激しく点滅を繰り返していたが、やがて命が消えるように光を失うのだった。

「やった~! やったよアスカ。私達やったんだ」

「ふん、当然よ。ま、あんたも少しは役に立ったんじゃない」

 勝利の喜びにはしゃぐシイと、余裕を見せつつも笑顔を隠しきれないアスカ。力を合わせる事で困難を打ち破った事で、アスカはシイの評価を少し改めた。

「やっぱりアスカは凄いね」

「あんたも……まあ思ってたよりはやるじゃない」

「これからもよろしくね」

 差し出されたシイの右手に、アスカはたっぷり時間を掛けてから自らの右手を重ねた。

 

 

 見事使徒を殲滅した弐号機だが、一つ問題が起きた。コアを破壊された使徒は、その身体を維持したまま活動を停止してしまった。死後硬直の様に弐号機を口にくわえたままでだ。

 結局自力で脱出出来なかった弐号機は、ケーブルを巻き戻す事で回収される事になった。巻き戻されるケーブル。やがて海上に姿を見せたのは、使徒に上半身をぱっくりと食われている弐号機だった。

「こりゃ……まるで釣りやな」

「お、上手いねトウジ」

「新横須賀まではこのまま行くしか無いわね。二人とも、良いわね?」

『うぅぅ、分かりました』

『あたしの日本上陸が……こんな格好悪い姿で……』

 アスカの嘆きにブリッジにいた面々は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 

 新横須賀にはリツコを始めとする技術局のスタッフが集まっていた。それぞれが一様に、エヴァが使徒に食われている異様な光景に目を奪われていたが、直ぐさま作業に取りかかる。

 エヴァの救出回収作業が行われる中、リツコはミサトへと近づく。

「また随分と大物を釣ってきたじゃない」

「ま~ね。海上輸送なら最初から、水中戦用装備をさせておくべきだったわ」

「あら珍しい、反省するなんて」

 リツコは皮肉混じりに驚いた顔を見せる。そんな彼女にミサトは、今回の戦闘データが記載されたファイルを手渡す。

「B型装備での水中戦闘、チルドレン二名の同時搭乗、貴重なデータが取れて良かったわね」

「……ええ、これは本当に貴重だわ」

 リツコの目が鋭い科学者のそれになったことに、ミサトは気づくことはなかった。

 

「そう言えば、加持君と会ったんでしょ?」

「あんた……あいつが同伴してくること知ってたの?」

「いいえ。こちらに向かう直前に彼と会ったのよ。本部でね」

「はぁぁ? だってあいつは……」

 驚くミサトへ、リツコは手紙を手渡す。眉をひそめながら、ミサトは手紙を開く。

 

『葛城……すまないが急用を思い出したから、一足先に本部へ向かう。君と弐号機の勇――』

 

 そこまで読んでミサトは手紙を握りつぶした。

「あの馬鹿はぁぁ、先にトンズラしてたのねぇぇ!」

「じゃあ私はサンプルの検分に行くから」

 爆発寸前のミサトからリツコはさり気なく離れていく。肩を震わせていたミサトは大きく息を吸い込むと、

「加持のばぁぁぁかぁぁぁ!!」

 本部へ向かって力の限り叫ぶのだった。

 

 

 ネルフ司令室では一足先に脱出していた加持が、ゲンドウと冬月の前に立っていた。この部屋に入室を許されている時点で、彼が一介の職員で無い事が分かる。

「スリルのある船旅でしたよ。使徒の姿を直接見れたのは、まあ収穫でしたがね」

「先程葛城一尉から連絡があったよ。使徒は無事殲滅、生体サンプルのおまけ付きだそうだ」

「そりゃ何よりです」

 加持は飄々とした調子で答えると、持ち出したトランクを執務机の上に置く。この時点で彼の役割は終わったのか、僅かに安堵したようにため息をついた。

「こんな物を運ぶなんて心臓に悪い仕事、出来れば二度と遠慮したいですね」

「ふっ、ご苦労だった」

 ゲンドウは珍しく上機嫌で加持を労う。それだけこのトランクの到着を、正確にはその中身の到着を心待ちにしていたのだ。

 加持は六つの鍵を開けて暗証番号を入力、更に生体データ認証を行いトランクを開く。

「ほぅ、ここまで復元出来ていたか」

「ええ。硬化ベークライトで固めてはいますが、生きています。人類補完計画の要ですね」

「そうだ。最初の人間、アダム。我ら人類の悲願を果たす鍵となる存在だ」

 サングラス越しにも分かるほど、ゲンドウの目は底知れぬ怪しい光を宿していた。

 

 

 翌朝、二年A組ではシイ達が昨日の事を話していた。旅行を楽しんだと思っていたヒカリは、波乱の船旅に驚きの表情を浮かべる。

「そんな大変な事があったの?」

「大変やったけど、結構おもろいものも見れたで」

「全くだね。昨日のデータなんて、僕の家宝にしたいくらいさ。本当にありがとう、碇」

「う、うん、喜んで貰えたなら良かった」

 本当は危険な目にあわせた事を謝ろうと思ったのだが、シイの予想に反して二人は『豪華なお船で太平洋をクルージング』を楽しんでいたらしい。

「碇さん……怪我は無い?」

「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」

 気遣うレイにシイは笑顔で答える。彼女は昨日一日中本部で、零号機改修のためのテストを受けていたらしく、直接会えたのはここに来てからだった。

「にしてもや、あの女だけは気にくわん奴やったな」

「アスカは良い人だよ」

「碇にかかっちゃ、誰だって良い人だよ」

「む~違うの。ちゃんと話せば相田君達だって分かるんだから」

 むくれるシイに、トウジとケンスケは苦笑を浮かべる。

「はいはい、碇はすっかり仲良しになったんだよな。ペアルックまで着るくらいに」

「流石はセンセやで。お見それしたわ」

「うぅぅ、それは忘れてよ~」

 恥ずかしさで真っ赤になるシイを授業開始のチャイムが救った。ざわつく教室に教師が入ってきて、トウジ達もそれぞれの席へと戻っていく。

「え~今日は転校生が居ます。入ってきなさい」

 何時も通りの授業が始まるかと思いきや、教師の言葉に一層騒がしくなる教室。クラスメイト達の視線が注がれる中、教室のドアを開けて一人の少女が入ってきた。

 茶色の髪と青い瞳を持ち、勝ち気そうな顔をした少女。クラスの視線を一身に受けながら、動じることなく黒板に名前を書き終えると、少女は優雅な動作で振り返る。

「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく」

 にこやかな笑みを浮かべるアスカを、シイは笑顔で、トウジとケンスケはあんぐりと口をあけて見つめるのだった。  

 




アスカ登場エピソード、無事終了です。

原作では戦艦の砲撃で殲滅しましたが、通常兵器で殲滅された使徒ってガギエルだけですよね?
今回はちょっと展開を弄りまして、弐号機にしっかり片をつけて貰いました。

ムードメーカーであり、トラブルメーカーでもあるアスカ。TSの影響を大きく受ける彼女が、今後の展開のキーキャラクターですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《ゲンドウの買い物》

またもやアホタイムスタートです。

時間軸はアスカ来日前となっています。


 

 第三新東京市。使徒迎撃機能を備えた要塞都市と呼ばれる街だが、それはあくまで非常事態の話。普段は他の都市と変わらぬ、いやそれ以上の賑わいを見せる大都市でもあった。

 特に繁華街は多種多様の店が建ち並び、休日などには多くの買い物客で一杯になる場所だ。

 平日の夕方、繁華街を黒塗りの高級車が進んでいた。鏡のように磨かれたボディーには、NERVの文字が誇らしげに書かれている。

 やがて車はある店の前に止まった。運転席から黒服サングラスの男が降り立ち、後部座席のドアを開く。中からゆっくりと姿を現したのは、ネルフ総司令の碇ゲンドウだった。

「お待たせしました」

「……君はここで待て」

「承知しました」

 恭しく頭を下げる黒服を車に残してゲンドウは一人、目の前の店を見つめる。明るい色を基調とした可愛らしい看板と外観。ショーケースに飾られるキャラクターグッズの数々。

「ふっ、問題ない」

 サングラスをキラリと光らせてゲンドウは目の前の店、ファンシーショップへと単身乗り込んだ。

 

 サングラスをかけた強面の中年親父。顎髭に白い手袋、更に暗い色の制服が良く似合う事から分かる様に、碇ゲンドウと言う男は無意識に周囲を威圧する空気を纏っていた。

 そんな彼が明らかに場違いなファンシーショップに姿を見せれば、店員とお客が一斉に目を見開いて距離を取ろうとするのは当然の反応だろう。

(ああ、分かっている。私がこの場に似つかわしく無いと言うことはな)

 意外と自己分析が出来ているゲンドウは、自分に集まる視線を気にも留めず一直線にレジへと向かう。

「い、いらっしゃいませ」

 無言で近寄るゲンドウに、レジ担当の若い女性店員は震えながらも接客を行う。

「……お薦めはなんだ」

「は、はい?」

「聞こえなかったのか?」

 ゲンドウは本気で尋ねているのだが、不機嫌そうな声色のせいで叱責されたと思ったのか、女性店員は顔を真っ青にして必死に謝る。

「す、すいません。その、お薦めと言うのは……」

「何だ?」

 チラチラと上目遣いをする相手に、ゲンドウはごく普通に聞き返したつもりだった。だがそれすらも相手を威圧してしまう。

「ひぃ、申し訳ありません」

「謝罪は良い。お薦めを教えろ」

 早く用件を済ませようというゲンドウなりの優しさなのだが、端から見ればイジメにしか見えない。

「その、お薦めと申しましても……どの様な物をお求めでしょうか?」

「……プレゼントだ」

 少し照れたゲンドウはぶっきらぼうに言い放つ。ただ傍目には気分を害したようにしか見えないのだが。

「あの……贈られる相手は?」

「それは必要な情報か?」

「すいませんすいません、ただお相手が分かりますと、お薦めの品を選びやすいので」

 人付き合いが下手と言うレベルでは無かった。女性店員は気の毒なほど怯えながらも、必死で己の責務を果たそうとする。

「……歳は十四、性別は女、学生だ」

「か、畏まりました。只今商品を見繕って参りますので、少々お待ち下さい」

 深々と頭を下げると、女性店員は一目散に店の奥へと走り去っていった。

(ふむ、なかなか仕事熱心だな)

 バックヤードに逃げ込んだ女性店員が恐怖のあまり泣き出して、同僚達から慰められている事など知るよしも無く、ゲンドウは腕組みの姿勢でレジの前でただ待っていた。

 

 待つこと数分。

「お、お待たせしました」

「……それか」

 目を真っ赤に腫らした女性店員に僅かな違和感があったが、ゲンドウの興味は彼女が抱えている大きなぬいぐるみに向かっていた。

「はい、このジャイアントベアぬいぐるみは、お子様から若い女性まで幅広く人気があります」

「……問題ない。直ちにラッピングしろ」

 目的を果たすには十分だと判断したゲンドウは、満足げに頷くとサングラスを直しながら指示を下した。ここまで来ると女性店員も慣れたのか、慣れた手つきでクマのぬいぐるみにリボンを巻いていく。

 ようやく恐怖から解放される喜びに、思わず笑みが零れる。

「お待たせ致しました。それでお会計ですが」

「ああ、分かっている」

 ゲンドウは懐から一枚のカードを取り出し、店員へと手渡した。

 第三新東京市ではカードによる取引が一般的となっている。それはクレジットカードとは違い、自分の口座から必要金額を引き落とすデビットカードに近い物だ。

 ほぼ全てのお店で利用出来るため、この街に限って言えば硬貨や紙幣と同じ位主要な支払い手段だった。

「……決済は完了です。カードをお返し致します」

「領収書を頼む」

「畏まりました。お宛名とお品書きはどの様にお書きしますか?」

「宛名は特務機関ネルフ経理部、品書きは……福利厚生費だ」

 明らかに聞き逃してはいけない単語を耳にして、女性店員の手がぴたりと止まる。そして何かを伺うような視線をゲンドウへと向けた。

「あの……宜しいのですか?」

「どうした、早くしろ」

「は、はひぃ、失礼しました」

 やぶ蛇だと女性店員は大慌てで領収書を書き上げ、ゲンドウへと手渡す。それを受け取るとゲンドウは何事もなかったかのように、クマのぬいぐるみを抱いて店の外へと出て行く。

 彼が去った後のファンシーショップは、嵐が過ぎた後のような脱力感に包まれるのだった。

 

(問題ない、全て計画通りだ。後は如何にしてシイに贈るかだが……)

 今回の目的は、シイとの関係改善のためのプレゼントを贈ることであった。冬月に同行を断られた彼は、無謀にも単身ファンシーショップに乗り込み、計画の第一段階をクリアしてみせた。

 残る問題はシイへどの様にこのぬいぐるみを渡すか。ありとあらゆるシチュエーションを脳内に描き、ゲンドウは待たせている車へ向かい、いざ乗り込もうとした時だった。

「お父……さん?」

 今一番聞きたくない声が、ゲンドウの耳に届いた。ギリギリと油の切れたロボットのように、ゲンドウがゆっくりと振り返ってみると、そこには学校帰りと思われるシイが立っていた。

 夕日が照らす第三新東京市で、父と娘が向かい合う。

「……何をしている」

「えっ、あ、その、私は学校から帰るところで……その、寄り道を」

 突然の問いかけに、シイは申し訳なさそうにもじもじと答える。真面目な彼女は、寄り道を父に咎められると思っていた。

「そうか……気を付けて帰れ」

「えっ? あ、うん」

 思いがけず掛けられた優しい言葉に、シイは戸惑いながらも頷く。父親から初めてに近い気遣いを受け、その頬は僅かに赤く染まった。

「お、お父さんは……どうしてここに?」

「…………それは」

 ゲンドウは言葉に詰まる。流石にシイへのプレゼントを買いに来たと言うわけにも行かず、かといって他に適当な理由も思い浮かばなかった。

(いや、待て。この場でこれを渡してしまえば、何も問題ない。後はどう切り出すかだが)

 再び脳内で掛けるべき言葉をシミュレートする。だが、世界はそれほど優しく出来ていなかった。

「あ、お父さん。そのぬいぐるみ」

「……こ、これはだな」

「…………うん、大丈夫。私誰にも言わないから」

「ど、どういう事だ?」

「お父さん、偉い人だもんね。みんなに知られると困るんでしょ」

 優しい、本当に優しい微笑みをゲンドウへと向けるシイ。その顔に妻の面影を見たゲンドウは、一瞬心が癒されるのだが、直ぐさま現実に気づく。

(誤解しているのか。これが私の趣味だと、そう誤解しているのか)

「ま、待てシイ。私は別に……」

「それに、嬉しいの。私が好きな物を、お父さんも好きだって分かって」

 こう言われてしまうと、非常に否定しづらい物があった。それでもゲンドウはどうにか、これがシイへのプレゼントだと告げようとするのだが。

「そのクマちゃん可愛いよね。私も今一緒に寝てるんだ」

「……お前はこれを持っているのか?」

「うん。この間ミサトさんと一緒に買い物に行った時、プレゼントしてくれたの」

 嬉しそうに話すシイに、ゲンドウはもう何も言えなかった。彼に出来ることは一刻も早く、この気まずい空間から逃げることだけだった。

「そうか……悪いが時間がない、本部に戻るぞ」

「あ、うん。お仕事頑張ってね」

 シイに見送られ、ゲンドウを乗せた車は繁華街から走り去っていった。

 

 

 ネルフ本部司令室に戻ったゲンドウは、遠い目で窓からジオフロントを眺めていた。その背中は普段よりも一回り小さく見え、何処か哀愁が漂っている。

「碇、あのぬいぐるみは何だ?」

「……問題ない」

 冬月の視線が向けられる司令室の執務机には、主に替わってクマのぬいぐるみが鎮座していた。身体に巻かれたラッピング用のリボンを見て、冬月は事情を察する。

「失敗したのか」

「……冬月、葛城一尉の給料を30%カットしろ」

「何を言い出すかと思えば、いきなり何だ」

「クマのぬいぐるみなど買う余裕が無くなるまで、減給を継続させる」

「やれやれ、難儀な男だな」

 子供のような八つ当たりをする目の前の不器用な男に、冬月は深いため息をつくのだった。

 

 意図せぬ形だったが、シイとゲンドウの距離は確実に縮まった。

 ただ当の本人が気づいていない為、それは大変壊れやすく危ういものであったのだが。

 




様々な評価を受けているゲンドウですが、個人的には好きなキャラです。裏事情を知ってから見直すと、本当に人間味のある人物だと思います。

この小説では子供が、最愛の妻の面影を強く残す娘と言う事で、色々と苦労していますね。
彼もまた、TSによって大きく影響を受けている一人です。

小話ですので、本日は本編も投稿いたします。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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9話 その1《アスカ来日済》

 惣流・アスカ・ラングレー。二年A組に転入してきたドイツからの帰国子女。

 美しい顔立ちと抜群のプロポーションを誇り、日本語、英語、ドイツ語ペラペラの才女。それが第一中学校に在籍する生徒達からの、アスカの評価だった。

「どいつもこいつもアスカアスカ。あのいけすかん女の何処がええっちゅうねん」

「外見だろ。はい、毎度あり」

 トウジのぼやきを聞き流しながら、ケンスケは目の前の男子生徒から小銭を受け取ると、代わりに写真を手渡す。それを大切そうに胸に抱きしめながら、男子生徒は足早に去っていった。

「全く情けないのう。みんな見かけにコロッと騙されよって」

「そう言うなよ。お陰で大分儲けてるんだからさ」

 ケンスケは不機嫌なトウジを宥めるように言う。彼らは小遣い稼ぎの為、定期的に校舎裏で写真を販売していた。勿論普通の写真ではなく、ほとんどが女子生徒の隠し撮りだったが。

「来る奴みんなアスカばっか買うてるな」

「そりゃ転校したてで旬だからね。みんな興味があるのさ」

「確かに、シイも最初の頃は凄かったのぅ」

「うん、多分男子生徒の九割以上には行き渡ってると思うよ。流石に最近は落ち着いてきたけどね」

 友人だからと言って二人が遠慮する事は無かった。寧ろ他の女子生徒よりも接する機会が多いため、必然的に写真の数も多くなっている。

「勢いは甲乙付けがたいね。第一中学校の二大アイドルって所かな」

「シイの奴、ありゃアイドルちゅうのとは違うやろ」

 アスカの場合、純粋にその美貌やプロポーションに惹かれる男子が多いが、シイの場合はどちらかと言うと庇護欲をかき立てられる保護対象、マスコット的な人気が高かった。

「容姿はともあれ、プロポーションの戦力差は圧倒的だからね」

「写真は性格を写さへんからな」

 本性を知っているトウジは、アスカの写真を見て呆れたように呟くのだった。

 

 そんな友人達の暗躍を知るよしもなく、シイはヒカリと何時も通り登校していた。

「鈴原君と相田君、どうしたんだろうね?」

「分からないけど、たまに二人揃って消えるのよね。全く何してるんだか」

 いつもはミサト目当てに向かえに来ている二人が、今朝は珍しく来なかった。アスカの人気が想像以上に高い為、急遽写真の早朝販売を行っていたのだが、事情を知らないシイは首を傾げるしかない。

「どうせロクでもない事してるのよ。大体鈴原は何時もそうなんだから」

「……ヒカリちゃんって、鈴原君には特に厳しいよね。どうして?」

「えっ!? べ、別にそんな事無いけど……」

 予想外の問いかけに、ヒカリは顔を赤くして俯いてしまう。分かりやすい反応なのだが、そんな乙女心が分かるほどシイは大人ではなかった。

(鈴原君の事嫌いなのかな? でもそれなら一緒にご飯とか食べないだろうし……ん~)

「へローシイ、グーテンモルゲン」

 考え込んでいたシイの背後から、明るい声の挨拶が聞こえてくる。シイとヒカリが振り返ると噂の少女、アスカが自信に満ちた笑みを浮かべて二人の元へと歩いてきた。

「惣流さん?」

「おはようアスカ。今日も元気だね」

「まあね」

 アスカは視線をシイの隣に立つヒカリへと向ける。

「確か……委員長だったわね」

「うん、洞木ヒカリちゃん。お友達なの」

「ふ~ん、冴えない子ね」

 値踏みするようにヒカリを見つめ、バッサリと切って落とした。オブラートに包まない発言に、ヒカリは反応できずに固まってしまう。

「違うよアスカ。ヒカリちゃんはとっても優しくて良い子なんだから」

「あんたにとっちゃ、その辺歩いてるおっさんも良い人でしょ」

「むぅ~違うの。本当に良い子なんだってば」

 必死にヒカリをアピールするシイ。彼女にとっては自分が馬鹿にされた事よりも、友人が認められない事の方が大事だった。 

「はいはい分かったわよ。えっとヒカリって言ったっけ。悪かったわね」

「ううん、気にしないで。クラス委員長をしてるから、分からない事があれば聞いてね」

 大人の対応を見せるヒカリに、アスカは少しだけ認識を改める。同級生はガキばっかりだと思っていたが、目の前の少女は少々勝手が違うらしい。

「そうさせて貰うわ。それでシイ、ここに居るんでしょ?」

「私が?」

「あんた馬鹿ぁ? ファーストチルドレンに決まってるじゃない」

 主語を抜かれては誰も分からないと思うが、アスカにそんな言葉は通じない。

「綾波さんも同じクラスだけど、今日は来ないよ」

「はぁ? 何でよ」

「零号機の改修がもうすぐ終わるから、最終調整の為に本部で色々やる事があるんだって」

 シイも詳しくは聞いていないが、今日から数日間は本部に詰めっぱなしらしい。

「ふ~ん、まあ良いわ。どうせ後で本部に行くんだし」

「アスカも呼び出されてるの?」

「弐号機もようやく修理が終わったから、起動テストがあるのよ」

「私も新武装のテストがあるから行くの。ねえ、一緒に行こうよ」

「ま、構わないわよ」

 上から目線のアスカに笑顔を向けるシイ。ケンスケの言葉を借りれば、二大アイドルである二人が向かい合っているこの状況は、当然人目を引く。

 いつの間にか周囲に出来ていた人垣に、自分は場違いだと感じたヒカリだが、周りを囲まれてしまっては逃げるに逃げられず、予鈴が鳴るまで非常に気まずい思いをするのだった。

 

 

 ネルフ本部の一角にあるリツコの研究室は、主の性格を示すように機能的に整頓されていた。コーヒーの香りが漂う室内で、リツコは黙々と作業に打ち込んでいた。

「零号機は一週間程度、弐号機は今日のテスト後に実戦投入可能ね」

 端末を凄まじいスピードで操作し、モニターを高速でスクロールする数値を読みとる。こうした常人離れした事を平然とやってのけるのが、赤木リツコという女性だった。

「初号機の新武装もプロトタイプが完成。順調だわ」

 予定通りに進む作業に、リツコの顔に笑みが浮かぶ。やがて仕事をキリの良いところまで進めると、リツコは机の引き出しから一枚の写真を取り出す

 そこには、大きなクマのぬいぐるみを抱きしめるシイの姿が写っていた。

(ふふ、良いわ。ミサトもたまには仕事するじゃない)

 うっとりと頬を染めて写真に見入るリツコ。すっかり油断しきっていた彼女が、いつの間にか自分の背後に来客が居ることに気づいたのは、後ろから抱きしめられてからだった。

「少し、痩せたかな?」

 突然の行為に驚いたリツコだったが、聞き覚えのある男の声に身体の緊張を和らげる。

「そうでもないわよ。体調管理は完璧だもの」

「その管理の行き届いた身体を、是非とも拝見したい所だね」

「相変わらずね、加持君」

 リツコは身体に回された手を振り解くと、椅子を回転させて振り返る。そして長い髪を束ねた軽薄そうな男、加持リョウジの姿を見ると、小さく笑みを浮かべた。

「や、しばらく。あの時はろくに挨拶も出来なかったからな」

「ミサトはカンカンだったわよ」

「ま、その内機会を見て謝っておくさ」

 加持は苦笑を浮かべて答えると、視線をリツコが持つ写真へと向ける。

「随分お熱の様で。少し嫉妬してしまうな」

「加持君はどうなの?」

「俺か? 確かに将来有望そうだが、流石に幼すぎるな。それにあの父親の娘に手は出せないさ」

 肩をすくめて戯ける加持に、リツコはつられて笑みを零した。

 

「例の新武装も、彼女の為に完成を急がせたのかな?」

「耳が早いわね。まだテストもしていないのに」

「第四使徒戦の後から、技術局が総力を挙げて開発に取り組んでいる新装備。噂にならない方がおかしいさ」

 加持は室内に設置されたコーヒーメーカーを勝手に使うと、湯気をたてるコーヒーを軽く啜った。

「急いだのは使徒に対して有効だと思われたからよ。他意はないわ」

「近距離、遠距離、そして広範囲、全ての領域に対応するマルチウエポンか」

 どうやら既に資料にも目を通しているらしく、加持は開発中である筈の武装コンセプトを簡単に言ってのける。リツコはそんな彼に呆れたような視線を向けた。

「来日早々から勤勉な事ね。興味があるなら、午後のテストを見学しても構わないわよ」

「そりゃ魅力的な提案だ。ただ今興味があるのは、目の前の美しい女性だけどね……」

 加持はカップを机に置くと、リツコの顔に自分の顔を近づけていく。そのまま二人の唇が重なろうとした瞬間、新たな来客が訪れた。

 

「リツコ~。午後のテストだけど、時間ずらしてくれない? やっぱどっちも見たい……し」

 頭を掻きながら入室したミサトは、室内の光景を見てそのままの姿勢で固まった。狭い室内に二人きりの男女。額がくっつきそうな程近づいた顔。極めつけに男は軽薄で有名。

 これらの情報から、何が行われようとしていたのか分からないほど、ミサトはお子様では無かった。

「あ、あ、あんた、何してるのよ!」

「よう葛城」

「あらミサト。残念だけどテストは予定通りの時刻で行うわ」

「な、何平然と返事してるのよ! 大体リツコはともかく、どうしてあんたがここに居るのよ!」

「俺だってネルフの職員だ。おかしくないだろ」

「ドイツ支部所属でしょ。弐号機の受け渡しはとっくに終わってんだから、さっさと帰りなさいよ」

「それが先日辞令が出てな。本部所属になった。よろしく頼む」

 からかうように一礼する加持。ミサトは様々な感情が渦巻いてしまい、上手く言葉を発せなかった。

「良いじゃない。旧友との再会は素直に喜ぶべきよ」

「流石りっちゃん。また昔みたいに連めるしな」

「だ、誰があんた何かと」

 ぷいっと顔を背けるミサト。そしてそんな彼女に、やれやれと言った視線を向ける二人。それはまるで仲の良い友人達のじゃれ合いに見えた。

 

「それで特殊監査部のあんたが、何でリツコの所に居るのよ」

「例の新武装に興味があってな。見学許可を貰った所さ」

 ミサトの本当か、と言う視線を受けたリツコは無言で頷いた。加持の目的が許可を貰う事だったかは不明だが、自分が見学許可を出したことには変わりない。

「何しろ赤木が自ら設計開発した自信作だ。興味がない方がおかしいだろ」

「ま、そりゃね……」

 リツコはエヴァンゲリオンの開発責任者だが、所属は技術局の一課だ。基本的に武装開発は他の課で行われている為、リツコが自ら指揮を執ることは極めて珍しい。

「そう言われるのは悪い気分じゃ無いけど、あくまで試作段階。過分な期待は遠慮して欲しいわね」

「確か……全領域兵器だっけ? 名前は『マ――」

 ミサトの言葉を遮る様に研究室内に警報が鳴り響いた。複数ある警報の中でも、最も緊急レベルの高いもの。それが意味するのはただ一つ。

「使徒!?」

 七番目の使徒の襲来だ。




学校でのアスカは確か猫を被っていたと思います。ヒカリに対しての態度は、シイが親しくしていたので、少し突っかかったと言う感じですね。
二人が仲良くなる障害は無いので、きっと友達になれるでしょう。

リツコの開発した新兵器は、アレです。
本来原作に登場しない武器を出すのは微妙でしたが、公式のゲームにも採用されているので、使わせて頂きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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9話 その2《マステマ》

 ネルフ本部発令所は慌ただしい空気に包まれていた。館内に警報が鳴り響く中、スタッフ達は大急ぎで自分の持ち場に戻り、それぞれの仕事に取りかかる。

「状況はどうなっている?」

「海上を警戒中の巡洋艦より、正体不明の潜行物体を発見したとの連絡が入っています」

 冬月の問いかけに青葉が状況を報告する。今までのパターンでは使徒は海上、あるいは海中から第三新東京市を目指すケースが多いため、日本周辺の海は厳重な警戒網が張られている。

 今回はその網が功を奏した形となった。

「巡洋艦『はるな』から観測データが送信されます」

「受信データを確認。波長パターン分析…………パターン青、使徒と確認」

「うむ、総員第一種戦闘配置だ!」

 不在のゲンドウに代わり指揮を執る冬月の号令で、ネルフは使徒迎撃体勢へと移行するのだった。

 

 

『シイちゃん、状況を説明するわね』

「はい」

 エヴァ専用輸送機で空輸されているシイは、初号機のプラグ内でミサトと通信を行っていた。本人の強い要望もあり、今回は最初からエヴァに搭乗している。

『第五使徒との戦闘で、第三新東京市は迎撃能力の大部分を失っているわ』

「そうですね……」

 空から見下ろした街は、前回の戦闘の爪痕がまだ痛々しく残っていた。使徒の残骸がまだ処理されていないことが、復旧の遅れを強く印象づけている。

『て~訳で、今回は目標が上陸した所を一気に叩くわよ。短期決戦を心がけて』

「で、でもミサトさん……どうして私一人なんですか?」

『零号機は改修作業が間に合わなかったわ。弐号機の起動テストで、フィードバックに誤差が出ちゃってね、実戦投入は見合わせる事にしたの』

「私一人……」

 零号機はともかく、弐号機は修理が完了していたと聞いていたので、最低でも二人で戦えると思っていた。だが現実は単機出撃。シイの心が不安に包まれる。

『そんなシイちゃんに、頼もしい味方を用意したわ』

「え?」

『それは私から説明するわ。シイさん、聞こえてる?』

 スピーカーから聞こえるリツコの声に、シイは聞こえていると返事をする。

『今回の戦闘に、今日テスト予定だった新装備を使用するわ』

「……『マステマ』ですよね」

『そうよ。あらゆる戦闘状況に対応できる全領域兵器『マステマ』。それを用意したわ』

 本来なら今の時間はその装備のテストを行っていたはず。その為シイの頭には、マステマの情報はしっかり納められていた。

『実戦投入は初めてだけど、装備自体のテストは済んでいるわ。怖がらずに使ってみて』

「わ、分かりました。頑張ってみます」

 シイは胸の前でグッと拳を握り、覚悟を決めるのだった。

 

 輸送機から投下された初号機は無事海岸へ着地すると、電源車両から伸びているアンビリカルケーブルを接続して、まずは動力源を確保した。

 砂浜に立つ初号機の横へ、白い保護シートに包まれたマステマが運ばれてきた。シイがシートを取り除くと、新装備の姿が初めて人目に触れる。

「これが……マステマ」

 巨大な剣にガトリング砲が埋め込まれた特異な形状に、シイは戸惑い混じりに呟きを漏らす。それは発令所の面々も同じらしく、モニターに映し出されたマステマに興味と疑問が混じり合った視線を送っていた。

『さあシイさん、手に取ってみて』

「は、はい」

 リツコに促されてシイは恐る恐るマステマに手を伸ばす。取っ手を掴んで持ち上げると、ズッシリとした重量感が伝わってきた。

『どうかしら?』

「少し重いですけど……多分大丈夫だと思います」

『結構。間もなく使徒が上陸するから、よろしく頼むわね』

「はい」

 通信を終えるとほぼ同時に、少し離れた海に水柱が立ち上り、潜行してきた使徒が姿を現した。

(良かった、普通の使徒だ)

 普通の定義がイマイチ分からないが、今回の使徒は人型に近いフォルムだった。細い足に肩と一体化したような手。やはり頭部はなく、使徒の象徴とも言える仮面が胸に付いていた。

(今回はコアが見えてる)

 腹部には赤く輝くコアが露出しており、それがシイの心を少しだけ落ち着かせた。相手の弱点が見えていると言うのは、それだけでシイを安堵させる。

 使徒は浅瀬で、初号機は砂浜で、それぞれ相手を正面に捉えながら睨み合う。

『シイちゃん、まずは相手の出方を見るのよ。射撃して』

「は、はい」

 シイはマステマの先端を使徒に向けると、照準を合わせてガトリング砲を放つ。パレットライフルとは比較にならない威力の射撃が、絶え間なく使徒へ降り注いだ。

 銃弾の雨は使徒を確実に怯ませていたが、有効なダメージは認められなかった。

『やはり射撃では決定打にならないか』

「ど、どうしましょう……」

『その為のマステマよ。シイさん、射撃を継続しながら使徒へ接近して』

「え!?」

『射撃での牽制を続けながら距離を詰めるの。そして射程に入ったら、剣で使徒を切り裂くのよ』

((そんな無茶な))

 無茶な要求をするリツコに、発令所スタッフは全員顔をしかめた。元々白兵戦が不得手なシイが、初めて使用する武器でそんな高度な戦術など、出来る筈が無いと思っていたからだ。

『大丈夫。その武器は貴方のために作ったもの。きっと貴方なら出来るわ』

「リツコさん……はい、私頑張ります」

 シイは再び覚悟を決めると、レバーを強く握りしめる。

(難しいけど……一緒に頑張ろう。貴方が力を貸してくれたら、きっと出来るから)

 心でエヴァに呼びかけると、それに呼応するかのように初号機に力が満ちる。一時的に高まったシンクロの効果で、手に持ったマステマが軽く感じられた。 

「す~は~……行きます」

 初号機はマステマを右脇に抱えて射撃をしながら、使徒へ向かって突進する。ガトリングの直撃を受けている使徒はエヴァの接近を邪魔する事が出来ず、両者の距離がみるみる縮まっていく。

 そして足が海に入る直前、初号機は力強く大地を蹴った。

「倒れてぇぇぇぇ!」

 マステマを大きく振りかぶると、その先端に付いている巨大な剣で使徒を上段から斬りつける。発光する刃は使徒の身体をチーズのように容易く切り裂く。そして使徒は、コアもろとも真っ二つになった。

 

「はぁ、はぁ、やった、やりました。ミサトさん、リツコさん、私やれました」

『ナイスよシイちゃん』

『素晴らしいわ』

 歓喜に震えるシイへ二人だけでなく、発令所スタッフ達も賛辞を送る。実戦初投入の新装備を使用し、被害無しで使徒を第三新東京市外で撃破。文句の着けようのない最高の戦果だった。

『今輸送機をそっちに着陸させるから、シイちゃんは戻ってきてね』

「はい」

 シイが両断された使徒に背を向けて砂浜へと歩き出した、その時だった。

『ぱ、パターン青。使徒です』

「え!?」

『何処から!?』

『初号機の付近…………その使徒からです!』

 叫ぶマヤの声を聞いてシイは慌てて振り返る。すると両断された筈の使徒が、ピクピクと身体を震わせて再び動き出そうとしていた。

「どうして? 確かにコアを斬ったのに……」

『これは……使徒の反応が二つに増えました!』

「『『えぇぇぇぇぇぇぇ!!!』』」

 二つに切り裂かれた使徒は、まるで脱皮をするかのように表面の皮を捨て去る。中から現れたのは、二体に分離した橙色と白色の使徒だった。

「ず、ずるいよ~。きゃぁぁ!」

 二体の使徒が同時に繰り出したタックルに、初号機の身体が大きく吹き飛ばされる。不意打ちを受けた初号機の身体は空を舞い、仰向けの姿勢で海岸沿いの街へと落下した。

 全身の痛みを堪えながら、どうにかシイは初号機を起きあがらせる。使徒は初号機を警戒しているのか、追撃する様子は無い。

『シイちゃん後退して。一旦引いて、作戦を練り直すわ』

「そ、そうしたいんですけど……逃げられそうに無いです」

 二体の使徒は身体を左右に揺らしながら、初号機へ攻撃する機会を窺っているようだった。少しでも隙を見せれば、間違いなく襲い掛かってくるだろう。

 本来なら援護射撃が入る場面でも、ここは第三新東京市の外。シイは完全に孤立無援だった。

 

 

 シイの危機的状況に、発令所は緊迫した空気に包まれていた。まだ大きなダメージを受けている訳では無いのだが、こちらの攻撃が通用していないのは間違い無い。

 緊急時にリフトで戦線離脱出来ない状況は、彼らから余裕を奪ってしまう。

「こりゃ、ちょっちやばいわね……弐号機は出せる?」

「動かせるでしょうけど、おすすめはしないわ。下手すればミイラ取りがミイラになるもの」

 ミサトは頭をフル稼動させて現状を脱する策を考える。だが手持ちの札が少な過ぎるため、有効な手段は思い浮かばなかった。

 すると何かを決意したリツコが振り返り、司令席の隣に立つ冬月に声を掛ける。

「……副司令、アレの使用許可を頂けますか?」

「あれって何よ」

「マステマ三つ目の装備にして、最大の破壊力を持つ広範囲攻撃よ」

(なら何故直ぐ使わないの? それよりも許可が必要な武装って一体……)

「致し方ないな。ただシイ君にはくれぐれも気を付けるように伝えたまえ」

「分かっています」

 許可を得たリツコはシイへと通信を繋いだ。

 

『シイさん、今から説明する事を良く聞いてね』

「リツコさん?」

『マステマには貴方に知らせていない、もう一つの武器があるの。今からそれを使うわ』

「もう一つの武器……」

『ガトリング砲の脇に、二つのミサイルが付いているでしょ? それが最後の武器よ』

「……あ、ありました」

 モニター越しにマステマを見ると、確かにオレンジ色の筒が二つくっついていた。今日の訓練でも使用予定が無かったので、シイも言われるまでそれが武器だとは気づかなかった。

『目標に対してミサイルを発射すると同時に、ATフィールドを全開にして』

「中和するんですか?」

『……いえ、自分を守るの。命中の可否にかかわらず、大爆発が起こるから』

 リツコの声はいつになく緊迫したものだった。それがこのミサイルの威力が、どれだけ強力なのかを何より雄弁に語っていた。

「わ、分かりました。やってみます」

『ええ。最後にシイさん…………死なないでね』

 シイが聞き返す間もなく、リツコは一方的に通信を切ってしまった。何とも不吉な言葉にシイは不安に駆られるが、今は他に手はない。

(大丈夫……だよね。リツコさんだもん、きっと大丈夫)

 いつだってリツコは自分を助けてくれた。そんな信頼感がシイに勇気を与えてくれる。心を落ち着けて使徒に照準を合わせると、初号機はマステマのミサイルを発射した。

(ATフィールド全開!!)

 シイが自分を守るフィールドを強くイメージすると、光の壁が初号機の前面に展開される。それとほぼ同時に、発射されたミサイルは二体の使徒へと着弾し、想像以上の凄まじい大爆発を巻き起こした。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 目の前に広がる真っ白な光と同時に襲い来る強烈な衝撃波に、シイの意識は途絶えた。

 




原作で一番王道っぽい展開だったイスラフェル戦です。敗北、訓練、リベンジの流れがとても好きでした。

前回話していた新武装は、タイトル通りマステマです。作者もゲームで存在を知りましたが、面白いコンセプトですよね。
この小説ではシイの専用武器として、今後も登場して参ります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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9話 その3《ミサトの苦悩》

 

 ネルフ本部ブリーフィングルームは、戦闘データの分析、解析、対策を検討するための部屋だ。壁のモニターを見やすくするため明かりを消した室内には、主要スタッフが勢揃いしていた。

「本日午後16時27分22秒、エヴァ初号機の攻撃を受けた目標は、直後に二体へ分離。以後橙色を『甲』、白色を『乙』と呼称します」

 事務的に報告を行うマヤ。モニターには分離すると同時に、コアも復元していた使徒が映し出されていた。

「ふむ……シイ君の攻撃は、確かにコアを切り裂いていたと思うが」

「はい。ただ元々あの使徒のコアは二つで一つであり、あの状態のコアへの攻撃は無効であった可能性が考えられます」

 リツコの返答を聞くと、冬月は小さく頷きマヤへ先を促す。

「16時33分43秒、エヴァ初号機はマステマのN2ミサイルを目標に使用。同47秒、目標へ着弾。目標の構成物質の79%を焼却に成功します」

 海岸に出来た巨大なクレーターと、その中心でボロボロの身体を晒す二体の使徒。シイの攻撃は確実に使徒へ大ダメージを与えていた。

「N2ミサイル。地図を書き換える程の威力か……予想以上だな、赤木博士」

「ええ……予想以上でしたね。本当に」

 ジロリと視線を向ける冬月の言葉に、リツコは真っ青な顔で冷や汗を流す。なぜなら、

「同55秒、爆発の余波を受けたエヴァ初号機は中破。パイロットは現在入院中です」

 予想以上の破壊力は、攻撃したシイすらも巻き込んでしまったのだ。全身が程良く焼け焦げた初号機は、現在緊急修理中。シイもまだ目を覚ましていない。

 じーっと非難の視線がリツコへ集中する。

「この状況に対するE計画責任者のコメント、どうぞ」

「……私が悪かったわ」

 リツコは思いっきり土下座をして平謝りするのだった。

 

「で、結局使徒はまだ死んで無いのよね?」

「はい。現在自己修復中です。再度侵攻までは、およそ六日と予測されます」

「ふむふむ、零号機と弐号機は?」

「零号機は三日以内に、弐号機は本日中に出撃可能まで持っていくわ」

「……初号機は?」

「修復の追加予算は何故か即時許可が出たけど、どれだけ早くても一週間はかかるわ」

 なかなか厳しい現状を把握してミサトは眉をひそめた。少なくとも今回の使徒との戦いに、初号機は使用できないようだ。

「今のうちに弐号機が使徒を倒すってのは?」

「自己修復中の目標は、先の第五使徒と同等レベルのATフィールドを周囲に展開していますので」

「中和には最低でも、エヴァ三機が必要との試算が出てるわ。MAGIのお墨付きでね」

 使徒が休んでいる間に不意打ちで殲滅すると言う作戦は、あっさりと却下されてしまった。ミサトにしてもひょっとしたら、程度の気持ちだったのだが。

 

「二体の使徒か……。誘い込んで分断、零号機と弐号機で各個撃破が望ましいか」

「いいえ、あの使徒は対の存在。片方を倒した瞬間、もう片方が健在ならば即時に復元するわ」

「MAGIの分析?」

 ミサトの問いに頷くリツコ。MAGIに分析を行わせた所、両者にはエネルギーのやり取りが見受けられた。身体は二つだが、大本の存在は一つなのだ。

「てことは、同時に両方の使徒を倒す必要がある訳ね?」

「ええ。それも許される誤差は一秒以内。それ以上なら再生を許すことになるわ」

「厄介な相手ね……」

 ミサトは改めて事の困難さを実感し、深くため息をついた。

 

「では葛城一尉。明日まで待つ。使徒殲滅の作戦を提示してくれたまえ」

「副司令?」

「困難さは私も承知している。それを打開する策を検討するには、時間が必要な事もな」

 冬月はそれだけ言い残すと、足早にブリーフィングルームを後にする。何せ地図を書き換える程の爆発を引き起こしたのだ。事後処理は山ほど残っていた。

「やれやれ、随分と買われてるじゃないか、葛城」

「失敗は許さないって事よ。ま、時間を貰えたのはありがたいけど」

「それでどうするの、ミサト?」

「早速作戦会議と行きたい所だけど……流石にちょっちお腹が空いたわね」

 冬月が居なくなった事で緊張感が緩んだのか、ミサトだけで無く室内のあちこちからも空腹を告げる腹の音が聞こえてきた。使徒との戦闘から今まで、ろくに休憩もとらず働いていれば仕方ないだろう。

「よし……これより一時間の休憩を取ります。休憩後は作戦会議室に集合して」

「「了解」」

 使徒対策はひとまずお預けとなり、スタッフ達はそれぞれブリーフィングルームから出ていった。

「それじゃあ私も食堂に行くわね」

「私も付き合うわ」

「俺もご一緒させて貰おうかな」

「……あんたも来るの?」

「おいおい冷たいな。まあ騙されたと思って付き合えよ。悪い様にはしないからさ」

 笑みを浮かべる加持にミサトは心底嫌そうな顔をしたものの、結局断る事はしなかった。

 

 

 同時刻、暗い病室のベッドでシイは静かに目覚めた。

(……私、また負けたんだ)

 見知った病院の天井と痛む身体が、敗北の記憶を一層確かな物に変えていく。真っ暗な物音一つしない空間に一人居ると、ひたすら孤独である恐怖が襲ってきた。

(一人は嫌だ……嫌だよ……)

 孤独に押しつぶされそうになり、目から涙が溢れてくる。そんな時、不意に病室のドアが開いた。

「あれ、起きたんだ?」

 静かな空気を吹き飛ばす明るい声を掛けたのは、アスカだった。

「アスカ?」

「他の誰に見えるってのよ。って、あんた何で泣いてるの?」

 目ざとくシイが泣いているのを見つけると、アスカは不思議そうな顔でベッドサイドへと近寄る。

「何、一人で寝るのが怖いの? あんた本当にお子様ね」

 からかうように言ったつもりだが、シイの様子が明らかにおかしいことに気づく。小刻みに震える体と恐怖に歪む顔。自分の言葉が的を射ていたと察したアスカは、ベッドサイドの椅子に腰掛けると、シイの震える手を包み込むように両手で優しく握った。

 

 どれほどそうしていただろうか。シイの震えが治まるのを待って、アスカは口を開く。

「落ち着いた?」

「う、うん……ありがとう」

「ったく情けないわね。仮にもエヴァのパイロットが、一人で寝るのが怖いなんて」

「一人は……怖いの」

「だったら碇司令でも呼べば良いじゃない。あんたのお父さんなんでしょ?」

 何気ないアスカの一言に、ドキッとシイの胸が跳ね上がる。それは握られた手を通じて、アスカにも感情の揺らぎがハッキリと伝わっていた。

「お父さんは……エヴァに乗らない私に……負けた私に……興味が無いから」

「はぁ? 何よそれ。血の繋がった親なんでしょ。そんな事あるわけないじゃん」

「ううん、違うよアスカ。だってお父さんは……私を捨てたんだから」

 絞り出すように紡いだシイの言葉に、今度はアスカが動揺を見せる。明るく勝ち気な表情からは、いつもの余裕が完全に消え去っていた。

「私はお父さんと仲良くしたいのに……お父さんは私が嫌いだから、いらないから……」

 堪えきれずに嗚咽を漏らすシイ。彼女のみんなを守りたいと言う思いは、失いたくない恐怖の裏返し。そしてその恐怖の大本は、自分が捨てられる形で大切な人を失った事に由来していた。

(そうか……シイも一緒なんだ)

 アスカは父親に捨てられてはいない。だが過去に辛い思いをしていたのは同じ。だからこそ、シイが感じている恐怖が痛いほど分かった。

「……不満?」

「え?」

「このあたしがわざわざお見舞いに来て、一緒に居てやってるのよ。それじゃ不満なの?」

「う、ううん。とっても嬉しい」

「ならうじうじしてないで、あたしが居ることを素直に喜びなさいよ」

 アスカの不器用な励ましだったが、それでもシイにはその心遣いが伝わった。戸惑った顔は次第に笑顔へと変わっていく。

「うん、そうだね。ありがとうアスカ」

「ふ、ふん、別に励ましたつもりじゃ無いわ」

 顔を背けるアスカ。その頬が赤く染まっているのが、暗い病室でもハッキリと分かった。

「じゃああたしは帰るから、あんたもとっとと寝ちゃいなさい」

「……ねえアスカ。一緒に寝てくれない……かな?」

「はぁ、あんた馬鹿ぁ? どうしてあたしがあんたと――」

「駄目……?」

(くっっ、何よこいつ。そんな涙目であたしを…………)

「……分かったわよ」

 アスカ陥落の瞬間であった。

「ただし、イビキとか歯ぎしりが煩かったら、容赦なく蹴飛ばすからね」

「うん。ありがとうアスカ」

(……分かったことは、この子が危険って事ね)

 二人は病室のベッドに並んで横になる。シイが小柄と言うこともあり、一人用のベッドでも充分なスペースを確保することが出来た。

「おやすみ、アスカ」

「はいはいおやすみ。怪我人は早く寝なさいよ」

 目覚めたばかりだったが、傷ついたシイの身体は睡眠を欲していたのだろう。言葉を交わして数分としない内に、シイは直ぐさま小さな寝息を立て始める。

(ホントお子様ね……一人は嫌なんて、みんなそうに決まってるじゃん)

 アスカが眠りについたのは、それから暫くしてからだった。

 

 ネルフの職員食堂でミサトは、加持とリツコと遅い夕食を摂っていた。ネルフは交代勤務制のシフトなので、食堂も二十四時間営業している。

 空腹を満たしたミサトは、本題に入ろうと目の前に座る加持へと問いかけた。

「それで、何企んでるわけ?」

「ありゃ、随分と信用無いな」

「あるわけ無いでしょ」

「やれやれ。葛城の助けになればと、ちょいとアイディアを出そうと思っただけなんだが」

 頭を掻きながら呟く加持に、ミサトの目が輝く。

「ちょっと、何よそのアイディアって」

「信用されてないんじゃ、言っても仕方ないしな。大人しくするとしようか」

「……ミサト」

「分かってるわよ。悪かったわ、信用してないってのは取り消すから、教えて」

 嫌々なのが一目瞭然のミサトに、加持は苦笑を浮かべながら頷く。食後のコーヒーを軽く傾けると、少しだけ真剣な顔で話し始めた。

 

「今回の使徒を殲滅するのに有効な手段は、分離中の使徒のコアに対する二点同時攻撃だ」

「んな事は分かってるわよ」

「だがこれは難しい。何せ使徒の行動パターンが読めないからな」

「それで?」

「なら方法は二つだ。一つは使徒の行動パターンを、こっちで操作してやれば良い」

 加持の言葉にミサトは訝しげな視線を向ける。

「どうやってよ」

「二機のエヴァに同じ攻撃パターンを行わせ、使徒をその流れに乗せちまえばいい。そして最後の一撃で、同時にコアを潰せば……勝ちだ」

「なるほどね。でも二機のエヴァというと……」

 出撃可能なのは零号機と弐号機。つまりレイとアスカに完璧なコンビネーションを要求しなくてはならない。

(シイちゃんが居ればともかく、あの二人じゃ……ちょっち厳しいわね)

 今日本部で初顔合わせをしたレイとアスカ。そのファーストコンタクトは、お世辞にも良いとは言えなかった。静のレイと動のアスカ、性格的にも対極な二人の相性は悪い。

 そんなミサトの考えを察したのか、

「ま、この方法はどのみち六日じゃ厳しいのは確かだ」

 加持は慰めにもならないフォローを入れた。実現可能かどうかは別問題として、打開策が一つでも提示されたことはミサトにとって大きな収穫だ。

「検討の余地はあるわね。それで、もう一つの方法は?」

「……囮さ」

 加持の声色が僅かに低くなった。

「獲物を狩るときに有効なのは、獲物が別の獲物を狩る瞬間だ。使徒に限らずな」

「ちょ、ちょっと待って……それじゃあんた……」

「修復途中の初号機を囮に配置。それに攻撃を加える瞬間、伏兵として存在を隠していたエヴァ二機が、近接武器でコアを破壊。勝算が高いのはこっちだな」

 明らかな嫌悪感を見せるミサトに構わず、加持はあくまで冷静に意見を述べる。当然そんな作戦をミサトが受け入れる筈も無い。

「冗談じゃないわ。そんな作戦とも呼べないもの、却下に決まってるじゃない」

「そうかい? 最悪攻撃を受けたとしても、使徒の動きを押さえ込めれば二度、三度と攻撃の機会はある。使徒殲滅を最優先にするなら、多少の犠牲はやむを得ないと思うが」

「巫山戯ないで! あの子達は駒じゃ無いのよ!」

 感情を爆発させたミサトは、机を両手で思い切り叩いて立ち上がる。その怒鳴り声に周りで食事をしていたスタッフが視線を向けるが、ミサトは気にせず加持を睨み付ける。

 厳しいミサトの視線を真っ向から受けても、加持は全く動じた様子を見せない。

「決めるのは葛城だ。ま、部外者の戯言だと思ってくれ」

 加持は悠然と立ち上がり、手をヒラヒラさせて食堂から出ていってしまった。

 

 残されたミサトは怒りのやり場を失い、拳を握りしめて食堂の出口を睨み付ける。

「……座ったら?」

「リツコ、あんたは腹立たないの?」

「あら、どうして? 加持君はただ自分の考えを告げただけ。怒るのは筋違いだわ」

 冷静なリツコに諭されたミサトは、渋々席に着くと自分の結論を告げる。

「……コンビネーション作戦を採用するわ」

「そう。勝算はかなり低そうだけど、良いのね?」

「じゃあ何? あんたもシイちゃんを囮に使えっての?」

「ミサト、貴方は勘違いしてるわ。あの子達は駒では無いけど、エヴァのパイロットなのよ」

 怒りの矛先をリツコに向けるミサトだったが、リツコは表情を変えずに冷たい言葉を返す。

「だから危険な作戦も躊躇うなと言うの?」

「それが貴方の仕事よ。私達はあの子達に人類の命運を預けている。今更綺麗事は止めなさい」

「っっ、先に作戦室に行ってるわ」

 唇を噛みしめたミサトは、大きな足音を立てて食堂を後にした。

 

(ふぅ、損な役回りだ事。ねえ、加持君)

 リツコはため息をつきながら、すっかり冷めたコーヒーを流し込むのだった。




少しテンション下がり目の話です。

ミサトはシイ達と心を通わせるほど、作戦部長としての立場と板挟みになって、悩むことになると思います。
彼女の成長と心の整理も重要ですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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9話 その4《レイとアスカ》

 使徒との戦闘の翌日、ミサトが冬月に提示したのは、二機のエヴァによるコンビネーション作戦だった。

「あの両名で大丈夫なのかね?」

「これより五日間、寝食を共にさせて協調性の向上と戦闘パターンの訓練を行います」

「やり方は君に任せる。敗北は許されんぞ」

「はいっ」

 冬月の了承を得て、作戦は正式な物として動き始めるのだった。

 

 ネルフ本部内の訓練室。木の床で出来た部屋は、職員達が格闘技の訓練などの目的で使用している。その広い室内には、ミサトに呼び出されたレイとアスカが並んで立っていた。

「コンビネーション?」

「そうよ。二機のエヴァによる同時攻撃こそが、使徒撃破に必要なものなの」

「必要ないわ。あんなの私一人で充分よ」

「貴方の力は知っているわ。でも今回の使徒は単機では勝てない相手よ」

 分裂した使徒の情報は当然アスカも聞いている。それでも反発せずに居られなかったのは、自分への自信とコンビを組む相手がレイだからだろう。

「百歩譲ってそれは良いとして、相手がどうしてこの優等生なのよ」

「初号機の修復が、使徒の再度侵攻に間に合わないからよ。シイちゃんも……当分安静だし」

「だからって……」

 アスカはチラリと隣に目をやる。レイは普段と全く変わらぬ無表情で、賛成も反対の意思も示さずに立っているだけ。それがアスカの勘に障る。

「こんな人形みたいな奴と、コンビネーションなんか取れる訳無いわ」

「レイは?」

「……構いません」

 あくまで淡々と答えるレイ。その従順な態度もアスカは気に入らなかった。

「アスカ、お願い。二人のコンビが完成しないと……」

「何よ?」

「いえ、何でも無いわ。とにかく、これは命令よ」

 一瞬辛そうな顔を見せたが、直ぐさまミサトは上官として厳しい表情に変わる。その様子に何か腑に落ちない物を感じたアスカだが、命令とあっては渋々従うしかなかった。

「分かったわよ。それで、何をするの?」

「二人には音楽に合わせた戦闘パターンを覚え込んで貰うわ」

「……音楽の必要性は?」

「使徒へのトドメの際に許される誤差は一秒。音楽に合わせた方が確実なのよ」

 ミサトの説明に納得したレイは小さく頷く。戦闘中に目で見て他のエヴァと動きを合わせるのは難しいが、音楽に動きを合わせるのなら、ある程度同調出来るだろう。

「では早速始めるわよ。これより五日間、二人には本部内の施設で寝泊まりして貰うわ。朝から晩まで、とにかく徹底的に戦闘パターンを身体に叩き込むの」

 不満げなアスカと無表情のレイ。欠片も協調性のない二人に、ミサトは深くため息をつくのだった。

 

 

 二人のコンビネーションは困難を極めた。互いに協調性に欠け、しかも元々の相性が最悪とくれば、この結果はある意味当然とも言える。

 そして、訓練は何の進展も見せないまま二日の時を経過してしまった。

 

 二日目の夜、ミサトはネルフ本部にある自室で一人、物思いに耽っていた。

(このままじゃ間に合わないわね……)

 訓練前半の日程を終えた時点で二人のコンビネーションは、まだ形にすらなっていなかった。残り三日でどうこうなるレベルでは無い。

 ミサトの脳裏に浮かぶのは、加持が告げたもう一つの策。シイを囮にして、使徒を殲滅するという非情の作戦。だが着実にそれを選択せざるを得ない状況へと追い込まれていた。

(……とにかく明日ね。明日の結果次第では……)

 ミサトの悩みが晴れることが無かった。

 

 ネルフ本部には、非番の職員用の娯楽施設も用意されている。リツコと加持はその一つであるバーのカウンター席で、並んで酒を飲んでいた。

「二人の訓練、加持君の予想通りみたいね」

「そりゃな。アスカは個が強い性格だから、人と合わせるのは苦手だろうさ」

「レイも同じよ。シイさんには多少心を開いているとは言え、元々人を遠ざける子だから」

 加持はアスカと、リツコはレイと付き合いが長い。だからこそあの二人には今回の作戦は難しいだろうと、嫌と言うほど分かっていた。

「そろそろミサトも考え始めてるんじゃないかしら……囮作戦を」

「だろうな。りっちゃんも動いてるんだろ?」

「一応ね。明日にでも初号機の起動試験を行うわ」

 初号機の修復状況は40%程度。実戦稼動など望めない段階なのだが、最低でも囮として動けるレベルまでは持っていく必要があった。

「ただ、囮作戦は私も反対よ」

「りっちゃんらしからぬ言葉だ。やはり彼女が大切かな?」

「それは当然だけど、それ以上に他のスタッフ達の士気がだだ下がりになるでしょうから」

「ネルフ職員の実に七割が加入している『碇シイファンクラブ』か。そりゃ確かに不味いな」

 組織において、志気の低下と言うのは出来る限り避けるべき事態だ。アイドル的存在であるシイが囮として使われ、傷つくような事があればどうなるかは容易に想像がつく。

「こりゃ……少し焚き付けてみるしかないかな」

「ミサトの為?」

「……ま、色々とな」

 加持はそれっきり仕事の話を止め、旧友であるリツコと純粋に夜を楽しむのだった。

 

 翌朝、訓練室にはミサトの姿は無く、替わりに現れたのは加持だった。

「や、二人とも、おはよう」

「加持さん」

「…………」

 手を挙げて爽やかに挨拶する加持に、正反対のリアクションをとる二人。その姿に加持は内心苦笑を浮かべるが、表には出さずに用件を告げる。

「葛城が呼び出しを食らってるんでね、戻ってくるまで俺が代理で監督させて貰うよ」

「呼び出し?」

「ああ、作戦変更についてのな。副司令から直々だから、結構長引くと思うぞ」

 さらりと聞こえた不穏な単語をアスカは聞き逃さない。

「作戦変更って、この作戦は中止なの?」

「それは二人が一番分かってると思うけどな」

「と、当然よ。こんな女とコンビネーションするなんて、どだい無理な作戦だったのよ」

「……変更後の作戦は?」

 やはり正反対の反応を返す二人に、加持は呆れを隠しながら言葉を続ける。

「ああ、囮を使うんだ」

「囮?」

「修復中のエヴァ初号機を使徒の前に立たせて、わざと使徒に攻撃させるんだ。その瞬間に初号機の側に潜ませた零号機と弐号機でコアを同時攻撃。目標を殲滅させるって寸法だ」

 さらりと言ってのける加持に、アスカとレイは目を見開いて顔を強張らせた。今告げられた作戦は、シイが攻撃されるのを前提としている。それは二人に大きな衝撃を与えた。

「ちょ、ちょっと待って。それって、あの子を犠牲にするって事じゃ」

「そうさ。それがコンビネーション作戦以外で、唯一使徒を殲滅出来る手段だ」

「何よそれ。ミサトはそんな作戦提案したっての?」

「葛城は反対派だよ。だから今も異議申し立てをしてる所だろうさ」

「……なら、作戦は継続?」

「それは二人次第だな。恐らく今日の訓練結果次第では……間違いなく作戦は変更されるだろう」

 加持から告げられる最終勧告。その意味を理解した二人は、自分達のふがいなさに強い怒りを抱いていた。

「だが見込みを示せれば、話は変わってくる。だから全ては二人次第だと言うことさ」

 それだけ言うと加持は二人を監督する事も無く、訓練室から出ていってしまった。

 残されたアスカとレイは、しばし無言のまま立ち尽くす。胸中は様々な感情が渦巻いているが、両者に共通する思いがある。それはあの少女の事。

(シイを囮にするですって……あたし達のせいであの子が……冗談じゃ無いわ)

(碇さんが危険な目に……駄目)

 二人は静かに向かい合う。考えてみれば、こうして正面から目を合わせたのも初めてだった。

「ファースト、あたしはあんたが嫌いだわ」

「……私も」

「だけど今は、そんな事言ってる場合じゃ無いのも分かってる」

「……ええ」

「やるわよ」

 突き出されたアスカの拳に、レイは小さく頷いて自分の拳を軽く合わせる。この僅かな動作が、本当の意味で両者にとって初めての協調だった。

 

 レイの特徴はミスのない動き。音楽に合わせて、あくまで決められた通りの動作を行う。一方のアスカは徐々にテンポアップしてしまうため、両者の動きにズレが出てしまっていた。

「いい、まずはあんたの動きに合わせてあげるわ。だから」

「……ええ、その後は貴方の動きに合わせるように、テンポを上げれば良いのね」

「上等。じゃあ行くわよ」

 二人の動きは昨日までが嘘のようにユニゾンし始める。シイと言う少女の存在が、水と油である二人を混ぜ合わせる乳化剤のような役割を果たしていた。

 

 二人の少女の間に生まれつつある同調。それを陰から見ていた加持は、満足げな笑みを浮かべるのだった。

 




レイとアスカの相性は、どう考えても悪いと思います。性格うんぬんではなく、価値観が違いすぎるので。
ただ二人の間を繋ぐ何かがあれば、あるいは上手くいくかもしれません。
シイがその役割を果たせるかは、まだ分かりませんが。

サーバー増設が完了して、少し安定した様なので、本日はもう一話投稿させて頂きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字修正致しました。ご指摘感謝です。


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9話 その5《心重なる時》

 使徒との決戦前夜、ミサトは加持を誘って本部内のバーに来ていた。

「まさか葛城から誘いを受けるとはな。どういう風の吹き回しだ?」

「……ちょっとしたお礼よ」

 カウンター席に並んで座った二人。加持はグラスを持ちながら、隣のミサトへ視線を向ける。

「礼? はて、何かしたかな」

「あの二人の動き、貴方と話した後から見違えたわ。言ったんでしょ、あの事」

「まあな。ただ俺がしたのはそれだけだ。この結果は二人の努力」

「それは分かってる。けど作戦立案の件も含めて、筋だけは通しておきたいのよ」

 ミサトはここに至って、ようやく加持の本心に気づけた。

 もともと加持は囮作戦など、採用するつもりは無かったのだ。コンビネーション作戦が上手くいかなかった時の発破材料として、用意していたに過ぎない。

 それを見抜けず一方的に加持を糾弾した自分が情けなく感じられ、こうしてお礼と称してお酒でもご馳走しなければ気が済まなかった。

「ま、俺はお前と酒が飲めるなら良いけどな」

「……ねえ加持君。私はやっぱり甘いのかしら」

「ん?」

「あの子達を駒として扱う事に、今でも躊躇いがあるわ。作戦部長失格なのかしらね」

「そうだな……作戦部長としては問題かもしれない。ただ」

 珍しく弱音を漏らすミサトに、加持は酒を飲む手を止めて言葉を探す。本心をさらけ出した相手に、いい加減な答えをするのを嫌ったからだ。

「あの子達は機械じゃない。パイロットであると同時に、普通の中学二年生の子供だ。そんな彼女達を育み守る存在は必要だと思う。お前は良くやってるよ」

「加持君……」

「それでも辛いなら、少しは頼ってくれていいさ。父親役も必要だろうしな」

「ば、ば~か。何言い出すのよ」

 ミサトは顔を真っ赤にすると、一気に酒を飲み干す。それがアルコールのせいだと誤魔化す様に。

「あまり飲み過ぎるなよ。まだ決着は着いてないんだからな」

「分かってるわよ。勝負は明日だものね」

 決戦前夜の夜は静かに更けていった。

 

 

 翌日の昼前、発令所は緊張感に包まれていた。痛み分けに終わった使徒との再戦、負ければもう後が無いと誰もが自覚しているのだ。

「目標は?」

「自己修復を終了し、現在第三新東京市に向かい侵攻中です」

 観測機からの情報を分析した日向が報告を行う。同時にメインモニターに侵攻中の使徒の姿が映し出される。二体に別れていた使徒は、最初に出現した時と同じ姿に復元していた。

「ホント、見事に元通りね」

「でなければ、単独の侵攻兵器として役に立たないもの」

「そりゃそうね。少なくともガチンコ勝負じゃ、修復時間の差で勝ち目はないって事か」

「今はね。改修した使徒のサンプルから、エヴァの修復作業に応用できる技術を開発中よ」

「期待してるわよ、赤木リツコ博士」

 その間にも使徒は牽制の砲撃など気にも留めずに侵攻を続けていた。

 

「エヴァ零号機、弐号機、共に起動完了」

「二人とも、聞こえる?」

『『はい』』

 サブモニターに映るプラグ内の二人は、息ピッタリで返事する。完璧な仕上がりを予感させる反応に、ミサトは口元に小さく笑みを浮かべて指示を告げた。

「作戦は予定通りよ。全て貴方達に任せるわ」

『ふふん、大船に乗ったつもりでいなさいよ。華麗に仕留めて見せるわ』

『……了解』

『はぁ、相変わらず辛気くさいわね。もっとテンション上げられないの?』

『……貴方はもっと下げた方が良いと思うわ』

 軽くやり合う二人だが、そこには以前の様な険悪な空気は無かった。それを分かっているからこそ、ミサトは口を挟まずに、出撃前の戦友達による軽口を見守る。

「目標は、強羅絶対防衛戦を突破!」

「来たわね。目標がゼロ地点に到達したと同時に、音楽スタートよ」

『分かってるって。良いわね、最初から全開で行くわよ』

『ええ、内蔵電源が切れる62秒で勝負を決める』

 互いに見つめ合うレイとアスカには、自信が満ちあふれていた。

「目標、ゼロ地点に到達!」

『さあ、開演の時間だわ。あたしとレイの戦いぶり、見せてあげる』

『……アスカは一言多いわ』

「始めるわよ。外部電源パージ! エヴァンゲリオン零号機、弐号機発進!!」

 62秒の決戦が始まった。

 

 リフトに固定されずに射出されたエヴァは、空高く舞い上がる。そのまま手に持った武器を投げつけ、再生していた使徒を本来の姿である二体へ分断した。

 使徒の攻撃を避けながら的確に攻撃を加え、戦いのペースは完全にエヴァが握った。そして残り三十秒を切ったところで、アスカとレイは勝負を掛ける。

 使徒を華麗な体術で吹き飛ばすと同時に大空へとジャンプ。二機は背中をくっつけた姿勢で、空から使徒目掛けて蹴りを放った。

「いけぇぇぇ!!」

「決める!」

 零号機が甲の、弐号機が乙のコアへ同時に蹴りを命中させる。誤差一秒以内。その困難な条件をクリアした攻撃は、見事使徒を殲滅させるのだった。

 

 激しい爆発が巻き起こり、大地に巨大なクレーターを形成する。二人の安否が気遣われたが、

「……エヴァ両機、確認」

 無事を告げるマヤの報告に発令所が沸き立つ。

「うむ、見事だ」

「やってくれたわね」

「悪くないわ」

「ま、上出来だろ」

 ミサト達は困難な任務をこなした二人を誇らしげに称えていた。のだが、

「「……はぁぁ」」

 復旧したモニターが映し出す光景に、一斉に頭を抱える。クレーターの中心で二機のエヴァが、絡み合うような体勢で倒れていたのだ。それは何というか、大変無様な姿だった。

「あちゃ~」

「……無様ね」

「詰めが甘いのは、まあらしいっちゃらしいけどな」

「……碇が居なくて良かった」

 発令所の緊張感は一気に無くなり、あちこちでクスクスと笑い声すら聞こえる始末だ。

 

『ちょっとあんた、最後のタイミング外したでしょ!』

『いえ、私は間違っていないわ。アスカのキックが予定よりも左に角度がずれていたのよ』

『何よ、人のせいにするって~の!?』

『事実だもの。訓練の時に比べて、左に三度ずれてたわ』

『あ~そ~、だったら言わせて貰うけどね、あんたこそ最後のタイミングがコンマ二秒遅いのよ』

『アスカが早いだけ』

『な、何ですって~。図々しいわね』

『アスカのがうつったのね』

『……良いわ、表に出なさい。こうなったら直接決着を着けるわよ』

『……やだ、面倒だもの』

『むき~』

 

「……恥をかかせおって」

 アスカとレイのやり取りは、発令所全体にダダ漏れだった。笑い声があちこちで聞こえる中、疲れたように頭を抱える冬月の傍らで、ミサト達は寧ろ嬉しそうな表情で二人の会話を聞いていた。

「随分打ち解けたじゃない」

「まあね、怪我の功名って奴かしら」

「これも全部、シイ君のお陰かな?」

『……違いますよ。全部あの二人が頑張ったからです』

 加持の言葉に答えたのは、初号機から発令所に通信を繋いだシイだった。まだ初号機の修復は完了していないのだが、万が一に備えて待機していた。

『二人とも凄かったですよね。私感動しちゃいました』

「ごめんねシイちゃん。初号機で待機させちゃってて」

『私は全然良いんですけど……ちょっとエヴァはご機嫌斜めみたいです』

 困ったように苦笑を浮かべるシイ。その話を聞いてミサトとリツコがつられて苦笑いする横で、一人加持だけが驚いたようにシイと二人の顔を見比べる。

「おいおい、冗談だろ?」

「残念だけと……シイちゃんとエヴァのシンクロ具合は半端無いのよね」

「それでもアスカより大分低いだろ。彼女からは、エヴァの感情が分かるなんて聞いたこと無いぞ」

「数値には出ない部分で、シイさんと初号機はかなり深い部分まで同調しているのよ」

(……やはりエヴァには明かされていない秘密があるってことか)

 加持はそれっきり無言で思考を巡らせていった。

「じゃあ悪いけどシイちゃん、二人を回収して貰える?」

「修復状況は70%程度だけど、その程度の動作なら問題ない筈だから」

『あ、はい。分かりました』

 シイは初号機を宥めながら、二機のエヴァが絡み合う現場へと向かった。

 

「二人とも、お疲れさま。凄い格好良かったよ」

「何よ、あんた見てたの?」

「……もう大丈夫なの?」

「うん、すっかり元気だよ。それじゃあ、二人のエヴァを本部に連れて帰るね」

 アスカとレイを労いながら、絡み合うエヴァをどうにか引き離す。そして活動限界を迎えたエヴァを、肩に担ごうとしたその時だった。

「ちょっとシイ。何で零号機からなのよ」

「え!?」

「そんなプロトタイプよりも先に、あたしの弐号機を回収するのが当然でしょ」

 腰に手を当てたアスカが、何とも理不尽な要求を突きつける。

「じゃ、じゃあ弐号機から……」

「……碇さん」

 ならばと弐号機に手を伸ばしたが、レイが何かを訴えかけるような視線を向けるために、全く身動きが取れなくなってしまった。

(うぅぅ、どうしよう……)

「も~どうして日本人ってこう優柔不断なのかしら」

「……そうさせたのはアスカよ」

「うっさいわね。もう良いわ。ならどっちを先に回収するか、シイが選びなさいよ」

「私が?」

「あんたが大切だと思う方を先に回収しなさいよ。レイも文句ないわね」

「良いわ。私は碇さんを信じてるから」

 アスカとレイはパイロットの回収に来た車両から、初号機をじっと見つめている。その視線を受けてシイはますます追いつめられていった。

(アスカはプライドが高いから、最初じゃないと怒るだろうし……でも綾波さんは私を信じるって言ってくれてるし……)

 迷った末にシイがとった結論は……。

 

 

「で、どうなのリツコ?」

「上腕部が一部断裂、背面部と両足にもダメージ有り。完全修復が三日延びたわ」

 エヴァ専用修理ケージで修復作業中の初号機を見て、リツコとミサトは同時にため息をついた。

 結局シイは、零号機と弐号機を同時に回収するという荒技を実施した。当然同じ大きさのエヴァを二機も担ぎ上げれば、修復中の初号機が耐えきれる筈も無い。

「シイちゃんも病院へ直行よ。全身筋肉痛みたいになって動けないらしいわ」

「彼女も大変ね。癖の強い二人の鎹みたいな立ち位置だもの」

「……一番癖が強いのは、案外シイちゃんかもしれないけどね」

「……否定はしないわ」

 そんな会話をする二人を、修復中の初号機は静かに見つめていた。

 

 暗い会議室に、人類補完委員会の面々に呼び出されたゲンドウが居た。

「碇君、もう少し被害を抑える戦いは出来ないのかね?」

「これでは何のために、エヴァ弐号機を君に預けたのか分からんよ」

「左様。エヴァ三機の占有を許した我らの信頼に、答えて欲しい物だね」

「使徒は予定通り殲滅。初号機の損壊も計画に支障はありません」

 口々に嫌味をぶつける委員達だが、ゲンドウはいつものポーズで表情一つ変えない。のれんに腕押しだと悟ったのか、彼らはゲンドウへの非難をため息混じりに止めた。

「ある程度の追加予算は承認できる。だが限度があることを忘れるな」

「分かっております」

「ならば良い。本来の目的『人類補完計画』の遅延が無いようにしたまえ」

「ええ。全てはシナリオ通りに」

 キールの言葉にゲンドウが答えると、委員会のメンバーは一斉に姿を消す。それと入れ替わるような形で、冬月が会議室へとやってきた。

「やれやれ、老人達はご立腹だったようだな」

「彼らには何も出来んよ」

「だがあちらはそうも行くまい。彼はどうする?」

「好きにさせておけ。今はまだ利用価値がある」

 重ねた手で隠された口元は、ゲンドウの余裕を示すように笑みの形へと歪むのだった。 




どうにか無事、使徒を殲滅することが出来ました。
チルドレン三人の中では、シイが完全に貧乏くじを引く役回りですね。アスカもレイも両極端に癖が強いので。

読んでいて違和感があったと思いますが、アスカとレイが急に仲良くなっていますよね。描かれなかった訓練で打ち解けたと言う設定なのですが、流石に一言で済ませるのもアレなので、次回投稿の小話でそのあたりの話をやります。
ちょっと本編のシリアスムードとは合わなかったので……すいません。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《レイとアスカ番外編・シイの帰還》

懲りずにアホタイム二本立てです。




~レッツユニゾン~

 

 三日目の訓練を終えたアスカとレイは、本部の食堂で夕食を食べながら作戦会議を開いていた。

「とにかくあたし達には時間が無いわ」

「……ええ」

「残り二日。動きは完璧にマスター出来るとしても、それだけじゃ足りないのは、あんたにも分かるわね」

 ウインナーを囓りながら言うアスカにレイは小さく頷く。

「形だけじゃ無くて、本当の意味での同調が必要なのよ」

「……それで、何か案はあるの?」

「あんた馬鹿ぁ? あったらとっくにやってるわよ」

「…………」

 レイは無言のままコップの水を飲み、荒みかけた心を落ち着かせる。この少女と付き合うには、広い菩薩のような心が必要だと、僅か三日の間に学んでいたのだ。

「だからあんたに聞くわ。何か案は無い?」

「……ひ――」

「って、人付き合いが苦手なあんたに聞いても無駄だったわね」

 被せ気味に言い放つアスカに言葉を遮られ、レイは手に持ったグラスを思い切り握りしめる。あのレイに怒りという感情を呼び起こすのは、流石はアスカと言ったところか。

「あ~あ、何か良いアイディア無いかな」

「あら、悩み事かしら」

 大きく背筋を伸ばすアスカの背後から声を掛けてきたのは、白衣姿のリツコだった。既に通常勤務終了時間を過ぎていたが、エヴァの修復など仕事が山積みのリツコは、ここ数日本部に泊まり込んでいた。

「貴方達二人が一緒に食事するなんて、少しは訓練の成果が出たのかしらね」

「まあね」

「……赤木博士。相談があります」

「相談? 珍しいわね。それで何かしら」

「人と仲良くなる為に効果的な事はありますか?」

 リツコはレイから質問されると言う、ほぼ初めての事態に少し驚いた様子を見せたが、直ぐさま質問の意図を察した。暫しアゴに手を当てて考え込む。

「そうね……やはり共通の話題を持つことが一番かしら」

「話題って何よ」

「何でも良いのよ。趣味でも仕事でも、とにかく二人に共通している話があればね」

「ファースト、あんた趣味は何?」

「……無いわ」

 リツコの提案はものの数秒で破綻した。仕事の話題は確かに共通だったが、その特殊な性質故に仲を深めるには役に立ちそうも無かった。

「まあ頑張りなさい。貴方達二人には、みんな期待しているのだから」

 励ましの言葉を掛けると、リツコは頼んでいた夜食用の弁当を受け取り、食堂から出ていってしまった。

「全く、結局役に立って無いじゃない」

「……でも、人に助言を求める行為は間違って無いわ」

「みたいね。じゃあ手当たり次第、聞き込んでみますか」

「……ええ」

 二人は同時に立ち上がり、助言を求めるべくネルフ本部を徘徊する事にした。

 

「あ、発見。あのロン毛は確か……」

「……青葉シゲル二尉。中央作戦室所属のオペレーター」

「そういやそんな名前だっけ。ん~あの見た目、結構社交的っぽいわよね」

「……聞いてみましょう」

 二人は本部の休憩スペースでくつろいでいる青葉へと近づいていった。

「こんばんは」

「……お疲れ様です」

「ん? おっ、アスカとレイか。お疲れっす」

 ベンチに腰掛けていた青葉は、二人の姿を見ると軽く挨拶を返す。彼は戦闘配置以外では、レイ達チルドレンともフランクに接していた。

「訓練は順調かい?」

「実はその事でちょっと聞きたいことがあるの」

「俺にか? 何だろうな」

「人と仲良くなるのに、効果的な事って何かある?」

 年上にも敬語を使わないアスカだが、青葉は特に気分を害した様子も無く、質問の答えを考える。

「そうだな……やっぱり同じ趣味とか――」

「趣味以外で」

 同じ轍は踏まぬとばかりに、アスカは青葉の言葉を遮る。

「ん~後は……少し古いけど、ペアルックなんてのも効果的かもな」

「ペアルックぅ~!?」

「まあ気持ちは分かるけど、あんまり馬鹿に出来ないと思うぜ。同じ釜の飯、同じ服装、同じ仕事、これだけでも互いの距離ってのは縮まるもんだよ」

「ふ~ん、日本人らしい発想ね」

「かもしれないな。ま、二人は育ってきた文化が違うから大変だとは思うけど、頑張ってくれよ」

 青葉はスッと立ち上がると、二人に手を振って発令所へと戻っていった。

「……あんた、赤いプラグスーツ着なさいよ」

「……いや」

「あたしも白いプラグスーツなんてご免よ。じゃあこの案は却下ね」

「そうね。次を当たりましょう」

 青葉のアドバイスにも納得出来なかった二人は、更なる獲物を求めて徘徊を再開するのだった。

 

「二人とも、こんばんは」

「?? えっと……」

「……伊吹マヤ二尉。技術局一課所属のオペレーター。赤木博士の右腕ね」

「右腕なんてそんな、私なんてまだまだだし」

 偶然廊下で二人と遭遇したマヤは、レイの率直な発言に照れたように頬を染める。リツコを尊敬する彼女にとって、レイの言葉はある意味最大の褒め言葉だった。

「へぇ~、まあ良いわ。ねえマヤ、ちょっと聞いても良いかしら?」

「構わないけど、私に答えられるかな」

 いきなり呼び捨てにされたマヤだが、怒る素振りは見せない。外国人のアスカは、人を名前で呼ぶのだと勝手に思いこんでいたからだ。

「人と仲良くなるために、効率のいい方法って何か無い? 趣味とペアルック以外で」

「えっと、よく分からないけど……相手に自分が好意を持っている事を教えたいって事かな?」

「……少し違うけど、その方法は?」

「そうね、やっぱりプレゼントが一番じゃないかしら。性別問わず有効だと思うけど」

 マヤの提案にアスカは暫し考え、諦めの表情を浮かべながらレイに尋ねる。

「一応聞くけど、あんた欲しい物とかある?」

「……無いわ」

「ま、最初から答えが返ってくる何て期待して無かったけどね」

 予想していた回答にアスカはため息をつき、お手上げのポーズを取った。

「お役に立てなかったみたいね」

「気にしないで良いわ。この子が特殊過ぎるだけだから」

「大変だと思うけど頑張ってね。私達も出来る限りサポートするから」

 マヤは笑顔で二人を励ますと、そのまま廊下の角を曲がって姿を消した。

「こうなりゃ最後まで行くわよ。手当たり次第聞きまくるしかないわ」

「……ええ」

 二人はその後、本部で出会った職員に同じ質問を繰り返した。時間にして一時間程だったが、それでもかなりの人数から意見収集する事が出来た。

 

 食堂に戻ってきた二人は、渇いた喉をジュースで潤しながら現状整理をすることにした。

「じゃあ軽く纏めるわよ」

「……助言人数は述べ十七人。男性八名、女性九名、平均年齢は二十六――」

「そんな事どうでも良いでしょ。内容よ、内容」

「……共通の話題を持つ、同じ趣味を持つ、ペアルック、同じご飯を食べる、贈り物をする、一緒に料理する、一緒に寝る、デュエットする、踊る、他類似意見多数」

 まるでメモを取っていたかのように、レイはすらすらと受けた助言を並べていく。それを腕組みの姿勢で目を閉じて聞いていたアスカは、小さく頷くと目を開いた。

「あんた、料理できる?」

「……いいえ」

「歌は?」

「……歌った事無いわ」

「踊りは……まあ今もやってるわね。結局殆どボツじゃないの」

 ネルフスタッフも精一杯の助言をしたのだが、一朝一夕で仲良くなると言う都合の良い方法は当然無かった。

「振り出しに戻る、か。あ~も~何か良いアイディアは無いの?」

「……まだ聞いてない人が居るわ」

「誰よ? まさか副司令とか言わないでしょうね」

「……碇さん」

「何であの子に…………あ~」

 反論しようとしたアスカは、少し考えて納得の表情で唸った。あの少女は人と仲良くなるのが上手い。アスカも出会って間もないのに、気づいたらそれなりに気になる存在になっていた。

「でもシイは入院中でしょ」

「……病院はネルフ中央病院、ここから近いわ。病室も調査済みよ」

「変な所で行動的よね、あんた」

 感心するやら呆れるやら、アスカは複雑な視線をレイに向けた。

「……面会時間は過ぎているけど、巡回のタイムスケジュールも把握しているから、問題ないわ」

「ま、良いか。じゃあ行きましょ」

 シイに助言を求めるのはアスカも賛成だった。特にデメリットもリスクも無いレイの提案、断る理由は無い。二人は食堂を後にすると、夜の病院へと潜入するのだった。

 

「それで、ここに来たの?」

 真っ暗な病室のベッドで、上半身を起こしたシイは驚いたように二人を見つめる。眠れぬ夜を過ごしていた彼女は、突然の来訪者に最初こそ驚いたが、直ぐさま笑顔で迎え入れた。

「まあね」

「……碇さん、身体はどう?」

「うん、まだ痺れと痛みが残ってるけど、大分良いよ」

 胸の前で拳を握り元気をアピールするシイ。だがダメージは確実に残っており、顔色が悪いのが暗闇の中でも二人には直ぐに分かった。

「……ごめんなさい、無理矢理押し掛けてしまって」

「あ、全然平気だよ。眠れなかったから、二人が来てくれて凄い嬉しいんだ」

「それでシイ、何か良い方法は無い?」

 あまり長居するのはシイの体調にも良くないと判断したアスカは、単刀直入に尋ねた。シイは小さく唸りながら二人を見つめて、言葉を発する。

「あのね、気になった事があるの」

「何よ」

「綾波さんとアスカの呼び方だけど、名前で呼んで無いよね?」

 シイに指摘されて二人は頷く。レイはアスカをあなたと呼び、アスカはレイをファースト、優等生、あんた、等様々に呼んでいたが、名字や名前で呼んだことは無かった。

「それが何か関係あるの?」

「うん。やっぱり仲良くなりたいなら、ちゃんと名前で呼ぶのが良いと思うよ」

 シイの言葉には不思議な説得力があった。相手を名前で呼ぶ事は相手を認めること。信頼関係構築の基本を、アスカとレイはすっぽかしていたのだ。

「……ありがとう、碇さん」

「ま、試してみる価値はあるかもね」

「役に立てたのなら嬉しいな」

 二人は満足げに頷くと、来たとき同様コソコソと病室から出ていった。まるで泥棒みたい、と二人の後ろ姿を見送りながら、シイはそっと呟く。

「……でも、二人ともすっかり仲良しさんだと思うけどな~」

 シイの目にはもう既に、アスカとレイの姿が仲の良いコンビに見えていた。

 

 

 その後アスカはミサトに連絡を入れて、急遽二人部屋を用意させた。

「訓練の衣装もペアルックにしてもらったわ」

「……後は名前で呼ぶだけね」

 二つ並んだベッドに腰掛けて、レイとアスカは向かい合う。

「最初に言ったとおり時間がないわ。即効性を重視して、ここは下の名前でいくわよ」

「……分かったわ。私は貴方をアスカと呼べば良いのね」

「む、むず痒いけど我慢するわ。で、あたしはあんたをレイって呼ぶわよ」

「……少しアスカの気持ちが分かったわ」

 互いに初めて名前を呼ばれて、何とも言えぬ居心地の悪さを感じていた。

「慣れないわね」

「……ならこれも訓練メニューに入れましょう」

「やるっきゃないか。あんな状態のシイを囮に使うなんて、あたしのプライドが許さないもの」

「……ええ」

「じゃあ明日に備えて寝るわよ。お休み……レイ」

「お休み……アスカ」

 

 これを切っ掛けに二人の関係は確実に変わった。シイという存在だけで繋がっていた二人が、それ以外の繋がりを得た。それがあの完璧なコンビネーションを産み出すことになるのだった。

 

 

 

 

 

~シイの苦難~

 

 使徒殲滅から幾日か過ぎたある日、シイはようやく退院することが出来た。担当した医師からの、もう少し筋肉をつけた方が良いというアドバイスを胸に、長らく留守にしていた家へと向かう。

「ありがとうございます、加持さん。わざわざ送って頂いて」

「な~に、気にする事はないさ。丁度暇だったし、葛城からも頼まれてたからな」

 病院からシイを車に乗せてくれた加持は、恐縮するシイに軽く答える。ミサトは事後処理で手が離せない為、送迎役として彼に白羽の矢が立ったのだ。

「良かったら夕ご飯を食べていって下さい」

「そうだな、折角だしご相伴に預かろうか。君の腕前はりっちゃんから聞いてるから、楽しみにしてるよ」

「はい。じゃあ早速準備しちゃいますから」

 二人を乗せた車は、安全運転で第三新東京市を駆け抜けていった。

 

 ミサトの部屋の前までやって来ると、シイは鞄を開けて鍵を探す。

「えっと鍵は確か……」

「……君は確か、十日くらい家を空けてたんだよな?」

「そうですけど、何かありましたか?」

「いや、ちょっと気になっただけだ」

 不意にシリアスな顔になった加持に、シイは首を傾げたが追求はしなかった。やがて鍵を見つけると、家のドアを開けて……凍り付いた。

「……なんで、こんな事に」

「葛城の家事能力は絶望的だ。それは君も承知の筈だろ?」

「で、ですけど、私が最後に家を出た時は……まだ人が住む家だったんですよ」

「大体十日前、か。葛城のスキルを考えれば充分有り得る話さ」

 悲痛なシイの言葉に、加持は自身の経験から導き出された答えを告げる。今現在、葛城家の内部はカオスとしか呼べない状態になっていた。散乱する衣服とゴミ、暗い室内から漂ってくる異臭。ご近所から苦情が来なかったのが不思議なレベルだった。

「ま、住人が無事なら充分だろ」

「そうですね……はっ、ペンペン!!」

 加持の慰めにシイは頷こうとしたが、もう一人、いやもう一匹の同居人を思い出してハッと目を見開く。地獄のような状態の部屋。彼の安否が気遣われた。

「ペンペン、ペンペン!」

 声を張り上げながら室内へと進むシイ。だが何処を探してもペンペンの姿は無かった。仮にゴミに埋もれていても、返事は出来る筈。

(まさかペンペン……もう……)

「……くぇ……」

 シイの心に絶望が生まれ始めたその瞬間、小さな、本当に小さな鳴き声が聞こえてきた。

 

「ペンペン! 何処に居るの!?」

「くぇ……くぇ……」

「そこの冷蔵庫から聞こえたな」

 遅れて入ってきた加持が指差すのは、ダイニング脇に設置されたペンペンの冷蔵庫型寝室。シイは慌てて駆け寄ると、ボタンを押してドアを開ける。

 そこにはやつれたペンペンが、弱々しく横たわっていた。

「ペンペン……こんな姿になって……」

「くぇ……」

「大分弱っているな。だが食事はあるようだし、何が原因なのか」

 そんな二人の前でペンペンは、フラフラと立ち上がる。そして頼りない足取りで、二人を浴室の前まで誘う。彼が何かを伝えようとしている事を察したシイは、ペンペンの後に続いた。

「お風呂? でもミサトさんもシャワーを浴びるし、お湯が出ない訳じゃ……」

 首を傾げながらシイは浴室のドアを開ける。そしてペンペンがやつれた原因を察した。

 ミサトは忙しかったから、シャワーしか浴びなかったのだろう。だから使われない湯船はそのまま放置され、シイが居ないから当然掃除もされていない。

 不潔な湯船に浸かることは、きれい好きで風呂好きのペンペンには、大きなストレスだったのだろう。

「ペンペンごめんね、ごめんね」

「くぇ~」

 泣きながらペンペンを抱きしめるシイ。その優しい温もりを感じたペンペンは、ようやく以前の生活が戻ると歓喜の声をあげるのだった。

 

 

 数時間後、シイの鬼神のような活躍により、葛城家はかつての姿を無事取り戻した。ペンペンが久しぶりの清潔なお風呂に満足している間、シイ達は夕食を食べていた。

 掃除を手伝ってくれた加持に、お礼の意味も込めて出された料理は、彼の舌を十二分に満足させる。

「いや~こりゃ上手い。りっちゃんが絶賛したのも分かるな」

「ありがとうございます。あ、加持さん。どうぞビールをもっと飲んで下さい」

「良いのかい?」

「良いんです。どうせミサトさんは当分飲みませんから……ね?」

「え、ええ。そうね……」

 ニコニコと笑顔を向けるシイに、ミサトは引きつった顔で頷く。

 あれから帰宅したミサトはシイから徹底的に説教を受けた。そして罰として当分の間、ビール禁止を申しつけられてしまったのだ。

 ペンペンの事もあり本気で怒ったシイは予想以上に怖く、ミサトはやむなく従ったのだが。

「ね、ねえシイちゃん。その……一本くらい……駄目?」

「……どうする、ペンペン?」

 上目遣いでねだるミサトに、シイは呆れたようにため息をつくと、丁度風呂から出てきたペンペンにジャッジを委ねた。今回一番の被害者は彼なのだから。

「ペンペ~ン、お願い、ね?」

「…………くぇ」

 両手をすり合わせて懇願するミサトだが、ペンペンは顔を横に振って有罪判決を下した。温泉ペンギンから風呂を奪った罪は、想像以上に重いらしい。

「と言うわけですので、これはお預けです。あ、被害者が許すまでビール抜きですからね」

「そ、そんな~」

 シイの足下にすがりつくミサト。それはまるで、仲の良い姉妹がじゃれ合っているようにも見えた。

(そうか……彼女が葛城を変えたのか)

 加持は二人の姿を何処か嬉しそうに、そして何処か寂しそうに見つめるのだった。

 

 

 結局ミサトのビール禁止令が解除されたのは、それから三日後の事だった。




1本目。
本編でいきなり名前で呼び合っていたのは、こんな裏があったんです。確かに原作でも、アスカとレイは名前で呼び合って無いですよね。
この二人が互いに認め合えれば、幸福な結末を迎えられるかもしれません。

2本目。
シイに依存してるせいで、ミサトの家事能力は激減しています。その結果がこの大惨事と言う事で。

小話ですので、本編も本日投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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10話 その1《チルドレンの責務》

 

 第一中学校に登校したシイは教室に入って直ぐ、クラスメート達に取り囲まれてしまった。突然の事態に戸惑うシイへ、友人達は一斉に声を掛ける。

「碇さん大丈夫だったの? 酷い怪我をしたって聞いてたけど」

「あれ、俺は不治の病って聞いたぞ」

「僕は身内に不幸があったって」

 口々に噂や誤報を言い出すクラスメート達。シイが学校を欠席して十日以上、機密保持から休んだ事情を公表するわけにも行かず、結果彼らの不安は最高潮になっていた。

 予想していなかった展開にシイは動揺したが、みんなが休んでいた自分を心配してくれていたと分かり、直ぐ笑顔に変わる。

「心配してくれてありがとうね。もうすっかり元気だから」

((はぁ~良いな~))

 グッとガッツポーズを作り微笑むシイ。久しぶりに見るその笑顔に、クラスメート達はすっかり心を癒されるのだった。

「おはようシイちゃん」

「おっす」

「おはよう」

「ヒカリちゃん、鈴原君、相田君、おはよう。久しぶりだね」

 質問責めをくぐり抜けて席に着いたシイの元に、仲良し四人組が挨拶にやってきた。久しぶりに会う友人達に、シイは朝から幸せな気分になる。

「ミサトさんから聞いたで。何や、えらい大変やったらしいな」

「怪我は大丈夫なの?」

「あ、うん。ほとんど検査入院だったから、私は全然平気だよ」

 微笑むシイに三人は安堵の表情を浮かべる。自分達を守る為に戦い、そして傷ついた少女の事をずっと心配していたのだ。

「ほんま良かったで」

「だね。やっぱネルフ組が来ないと何か物足りなくてさ」

(そっか、綾波さんは確か特別任務だって言ってたっけ……あれ?)

 ふと気が付きシイは教室を見回すが、一際目立つ彼女の姿は見えなかった。不思議そうに首を傾げながら、シイはヒカリへと問いかける。

「ねえ、アスカも来てないの?」

「え、うん。惣硫さんもシイちゃんが休んでから、一度も登校してないわ」

「そうなんだ……」

(作戦は終わったのに、どうして来てないんだろ)

 訓練中は一日中本部に詰めていたと聞いていたが、既にそれも終了している筈。シイが再入院している間も登校していないのは、少し不自然だった。

「ま、あんないけすかん女はほっといて、や。もうすぐ修学旅行やな」

「碇が休んでる間に色々あったからさ、後で詳しく話すよ」

「班分けは済んでるけど、私と同じ班だから安心して」

「そっか、修学旅行あるんだっけ」

 様々な出来事がありすぎたせいで、シイは完全にその事を忘れていた。

(確か沖縄だよね……行きたいけど多分……)

「何か心配事?」

 急に暗くなったシイを気遣い、ヒカリが声を掛ける。

「うん、多分私は行けないと思う。パイロットはみんな待機命令が出てるから」

 残念そうにシイは三人に告げた。

 使徒を倒せるのがエヴァだけである以上、その搭乗者は非常時に備えて任務以外で第三新東京市外に出る事を、原則禁じられている。彼女たちが自由に旅行することは、ほぼ絶望的と言えた。

「なんやそれ、けったいな決まりがあるのぅ」

「そうか、碇は一応ネルフの職員だもんな」

「特別に許可して貰えないの? だって修学旅行は一度きりなのに」

「我が儘言って困らせる訳には行かないし……私の分までみんなは楽しんで来て」

 気を遣わせないようシイは笑顔で三人に言う。だが隠し切れていない寂しさを感じて、ヒカリ達はやりきれない気持ちを抱くのだった。

 

 

「ふむ、困ったな」

「ええ、困りましたね」

 渋い顔で唸る冬月にリツコも同意する。二人が頭を悩ませて居たのは、シイの修学旅行だった。

「やっぱ可哀想ですよ。一生に一度の思い出っす」

「だよな。特にあの子達にとっちゃ、友人達と過ごす時間は貴重だろうし」

「でも、もし不在の時に使徒が来たら……」

 シイを擁護していた青葉と日向も、マヤの言葉には上手い反論が出来ない。心情的には許可してあげたいが、使徒襲来時のリスクを考えればあまりに危険すぎるのだ。

 警戒態勢中の発令所で五人は腕を組んで、何か良いアイディアは無いかと考えていた。

「あの子達だけうちの高速輸送機で、沖縄に行くって言うのはどうでしょう?」

「悪くないわね。でも」

「任務でもない旅行にそれを使えば戦自が煩いだろう。委員会も黙ってはおるまい」

 日向の提案は冬月によって却下されてしまう。ネルフは絶大な権限を与えられてはいるが、それはあくまで使徒殲滅に限った話。平時では他の組織の手前、好き勝手やる事は出来なかった。

「エヴァが三機ありますし、一人くらい抜けても大事無いのでは?」

「マヤ、どうかしら?」

「MAGIは条件付き賛成一、反対二の回答です」

「条件とは何かね?」

「……初号機は必ず残すこと、です」

 マヤの報告に一同は天を仰ぐ。それでは本末転倒だった。そもそもあのシイが、レイとアスカを残して旅行に行くとは到底思えない。

「本人は何と言っている?」

「迷惑を掛けられないので待機命令には従うと、葛城一尉に言ったそうです」

((け、健気すぎる……))

 冬月達はそっと涙を拭う。友人が多いシイにとって、修学旅行が楽しみでない訳がない。きっと無理して言ったのであろう彼女を思うだけで、涙腺が緩んでしまうのだった。

「だが我々はネルフの一員として、職務に忠実で無ければならない」

「……私は今この時ほど、使徒を恨んだことはありませんわ」

「全くです。もし使徒の本拠地でもあれば、総攻撃を仕掛ける所っすよ」

「だよな。毎回守る戦いってのは、どう考えても不公平だ」

「せめて、使徒の発生源を特定できれば良いんですけど」

 使徒は正体不明で神出鬼没。何処から来るのかすら分からない。常に受け身で戦わざるを得ない不満が、話の流れでつい表に出てしまう。

「それが出来れば苦労しないわよ。あら、そう言えばミサトは?」

「葛城一尉でしたら、例の件でアスカに付き合っています」

「ああ、そう言えば今日だったわね」

 日向に言われてリツコは思い出したと軽く頷く。

「とにかくシイ君の件は、残念ながら諦めざるを得ない。この悔しさは次回の使徒にぶつけよう」

「「了解っ!」」

 冬月の言葉で彼らは通常業務へと戻っていった。使徒への激しい闘志を胸に秘めて。

 

 

(みんなに気を遣わせちゃったな……)

 学校からの帰り道、シイは友人達の事を思って暗い表情を浮かべる。あれからヒカリ達だけでなく、クラス全員がシイの前で修学旅行の話題を一切しなかった。

 明らかに自分に遠慮していた彼らに、申し訳ない気持ちで一杯になる。

(行けないのは寂しいけど、仕方ないよね。私はみんなを守るって決めたんだから)

 気合いを入れ直すように軽く頬を叩くと、シイは気持ちを切り替えて家へと向かった。

 

 家の玄関を開けようとして、シイは違和感に気づく。

(あれ……鍵が開いてる。出かける前にちゃんと閉めた筈だし、ミサトさん帰ってるのかな)

「ただいま。ミサトさん帰ってるんで…………えぇぇぇぇ!!」

 ドアを開けて中に入った瞬間、シイは驚きの叫びをあげた。リビングへと繋がる廊下が埋まってしまう程大量の段ボール箱が、びっしりと積み上げられていたのだ。

 当然、今朝シイが家を出る前には無かった物だった。

「な、な、何これ……」

「あらシイ。帰ってきたの?」

「アスカ!?」

 積み上げられた箱の奥から、ひょこっと顔を覗かせたのはアスカだった。

「何変な顔してるのよ。余計馬鹿っぽく見えるわよ」

「ば、馬鹿じゃないもん。って、それよりアスカがどうしてここに?」

「ミサトから聞いてないの?」

「何を?」

「今日からあたしもここに住むから」

「ああ、そうなんだ。じゃあこれはアスカの荷物…………えぇぇぇぇぇ!!」

 すっかり混乱しきったシイは、本日二度目の絶叫を響かせるのだった。

 

 段ボールの壁をすり抜けてリビングに移動した二人は、机に向かい合わせに座る。どうにか落ち着いたシイが入れたお茶を啜りながら、アスカは不満げに口を尖らせた。

「全く、そんなに驚く事ないじゃない」

「だって、いきなりだったから……普通驚くよ」

「文句はミサトに言いなさいよね。あたしはちゃんとミサトに話を通しておいたんだから」

「うん……あれ、ミサトさんは?」

 その張本人の姿が見えない。

「あたしをここまで連れてきて、また本部へとんぼ返りよ」

「ミサトさん忙しいもんね」

「だから、あんたが手伝ってよね」

「何を?」

「あんた馬鹿ぁ? この状況見て分かるでしょ。荷物の整理よ」

 相変わらず言葉の足りないアスカに言われ、シイはゆっくりと後ろを振り返る。そこには十や二十では済まない数の段ボールが、手つかずで置かれていた。

「これ……全部?」

「当然でしょ。ほら、早くしないと日が暮れるわ」

「あの、アスカ。私これから夕食の準備が……」

「あたしの言うことが聞けないっての?」

 ギロッと睨み付けるアスカに、シイは何も言えなくなってしまう。二人の力関係がハッキリとした瞬間だった。

「それにこれを片づけないと、あんたも眠れないわよ」

「え?」

「置ききれなかった段ボール、あんたの部屋に置いてあるから」

「…………え゛!?」

 顔を引きつらせたシイは、大慌てで自分の部屋のふすまを開ける。そこには部屋の様子が分からない程の段ボールが押し込まれていた。

「私の部屋が……」

「これでやる気になったでしょ。さ、やるわよ」

 アスカはニンマリと笑顔を浮かべて、段ボールを親指で指す。たっぷり落ち込んだシイには、もうそれに反抗する気力は残っていなかった。

 




原作よりも一話遅れて、アスカがミサトの家に襲来してきました。ユニゾン訓練をしていないので、同居する理由が無かったんですよね。

修学旅行には行かせてあげたいのですが、どう頑張っても厳しかったです。第一ゲンドウが許可を出すわけ無いと思ったので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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10話 その2《葛城家》

 

 アスカ襲来から数時間が過ぎ、外はすっかり日が暮れていた。帰宅したミサトは山の様に積まれていた段ボールが片づいている事と、リビングに倒れているシイの姿を見て何が起きたのかを察した。

「ミサトさん……私は……もう動けません」

「ごめんねシイちゃん。アスカの事を言うのすっかり忘れてて」

「良いんです。でも今日はご飯作れそうに無いので、作り置きのものを食べて下さい」

「ええ、充分よ。それでアスカは?」

「お風呂に入ってます。私も入りたいけど……もう眠くて……お休みなさい」

 それっきりシイは、うつ伏せの姿勢で静かに寝息を立て始めた。この小さな少女にとって、大量の荷ほどきは重労働だったのだろう。

 ミサトはシイの頭を撫でると、軽い身体を抱き上げてシイの部屋に運び、布団を敷いて寝かせた。

「お休みシイちゃん。詳しい話は明日ね」

 そっとふすまを閉めてリビングに戻ると、丁度アスカがお風呂から出た所だった。濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、アスカはミサトに声を掛ける。

「帰ってきてたんだ」

「ついさっきね。今シイちゃんを寝かせてきたわ」

「……ねえミサト。あの子ちゃんと訓練受けさせた方が良いわよ」

 アスカは冷蔵庫からジュースを取り出すと、椅子に腰掛けながら言った。その顔は馬鹿にしている物ではなく、本気でシイを心配している様だった。

「基礎体力まるで無いもの。エヴァに乗るのだって、結構体力使うし……」

「あら、心配してるの?」

「べ、別にそんなんじゃ無いわよ。ただ、足手まといになって貰っちゃ困るってだけよ」

 照れたように頬を赤く染めたアスカは、それを誤魔化すようにグイッとジュースを飲む。

「一応シンクロ訓練とハーモニクス訓練以外にも、基礎体力向上訓練はしてるんだけど……」

「それであれ?」

「まあ、シイちゃんだし」

「何故か納得できちゃうのが納得いかないわね」

 顔をしかめるアスカに苦笑を浮かべると、ミサトもアスカの向かいに座った。

「それで、どうして急にここへ引っ越したの?」

「言ったでしょ。あの子が作戦部長のミサトと一緒に暮らしてて、より優秀なあたしが本部で一人暮らしなんて、どう考えてもおかしいからよ」

「それだけじゃ無いでしょ」

「ふふん、それにここに居れば、加持さんと会えるチャンスが多いみたいだし。折角部屋番号を教えてるのに、加持さんったら一度も来てくれないんだもん」

「はぁ~あいつの何処がそんなに良いんだか」

 うっとりとしているアスカにミサトは軽く悪態をつく。年下の彼女から見れば、加持という男は魅力的なのかもしれないが、ミサトには理解できないと言うよりもしたくなかった。

「それに、さ。ミサトは仕事で帰りが遅くなったり、帰ってこない事もあるでしょ」

「ん~まあ、忙しいときはね」

「前にあの子、一人は嫌だって言ってたから……」

 ポツリと呟くアスカにミサトは驚いたように目を見開く。それで自分の失言に気づいたのか、アスカは慌てて立ち上がると、

「な、何でも無いわ。じゃあ、あたしも寝るから」

 そそくさと自分の部屋へと入っていってしまった。

(アスカがあんな事言うなんてね……)

 ミサトの知っているアスカは、プライドが高く何処か他人を見下すような悪癖があった。だからこそ、シイの事を気に掛けている彼女に驚いていたのだが。

(でも、あの二人は似てるのかも。どっちも失う怖さを知ってるんだから)

 新たな同居人を迎えた夜、ミサトはビール片手に一人物思いに耽るのだった。

 

 

 翌朝、シイの目覚めは最悪だった。昨夜の肉体労働が、体力と筋力が決定的に不足しているシイに、全身筋肉痛という苦行を与えた為だ。

「大丈夫?」

「は、はい。湿布とっても気持ち良いです」

「動くのはちょっち厳しそうね。まあ折角学校が休みなんだし、ゆっくり休みなさい」

 布団の上に仰向けで寝ているシイに湿布を貼り終えると、ミサトはため息混じりに言った。

「あのねシイちゃん。アスカの事、怒らないであげて」

「怒る?」

「少しきつく思えるかもしれないけど、悪い子じゃ無いのよ」

「怒るも何も、私は嬉しいですよ。家族が増えたんですから」

 微笑むシイは本心からの言葉を伝える。兄弟姉妹の居ないシイにとって、同い年ながら大人びているアスカは、まるで姉のようにも思えた。

「色々大変でしたけど……お姉さんが出来たみたいで、本当に嬉しいんです」

「そう言っても貰えると、私も少し気が楽になったわ」

「あの、アスカは今日?」

「何でも加持と一緒に買い物に行くって、おめかしして出かけていったわ」

 あの男の何処が良いんだか、とミサトは呆れたように肩をすくめる。

「私も本部に行くけど、今日は早く戻ってくるつもりだから」

「はい、お仕事頑張って下さい」

 立ち上がったミサトは、シイに見送られて部屋を後にした。

 

 

 第三新東京市の繁華街にあるオープンカフェで、加持とアスカは軽い昼食を摂っていた。アスカの足下には、これまでに買い込んだ大量の買い物袋が並べられている。 

「ホント、加持さんに買い物を付き合って貰えるなんて、超ラッキー」

「ま、この間は大変だったからな。少しでも気晴らしになればいいさ」

 コーヒーカップを持ちながら、加持は大人の余裕を漂わせて答える。実際彼が買い物に付き合ったのも、前回の戦闘で活躍したアスカへの労いの意味が強かった。

「加持さんは何も買わないの?」

「俺は欲しい物が別に無いからな。服なんかもある程度は支給品でまかなえる」

「え~あんなだっさいの?」

「周りが同じ格好してりゃ気にもならないさ。おしゃれするってのは、若者の特権だよ」

「加持さん親父くさ~い」

 憧れの人の期待とは違う発言に、アスカは不満げに頬を膨らませて、オレンジジュースをストローで啜る。彼女は加持リョウジに格好いい大人であって欲しいのだ。

「学校には慣れたか?」

「まあね。ガキばっかだけど、そこそこ楽しめてるわ。あ、そうそう。もうすぐ修学旅行があるの」

「ほ~修学旅行か」

「沖縄だって。加持さんは何処に行ったの?」

「俺達は無かったんだ」

 サラッと答える加持を、アスカは不思議そうに見つめる。

「どうして?」

「セカンドインパクトがあったからな。それどころじゃ無かったのさ」

「……そんなに、大変だったの?」

「まあ、な。こればっかりは経験しなくちゃ分からないが、正直生き残るのに必死だったよ。今日の無事を感謝して、明日の無事を祈る。そんな生活だった」

 その頃を思い出しているのか、加持は瞳を閉じて寂しそうに語る。普段飄々としている彼とは違う一面に、アスカは何も言えずにただ話を聞いていた。

「っと、悪いな。つまらない話を聞かせちまった。とにかく、楽しく過ごせるってのは、どんな形にせよ生活が安定している証拠だからな。良いことだよ」

「私楽しんでくるわ。加持さんの分まで、たっぷり沖縄を堪能してくるから」

「ん、だが確か……」

 笑顔を向けるアスカに、加持はふと何かを思いだしたのか顔をしかめる。

「どうしたの、加持さん?」

「エヴァのパイロットは待機命令が常時出てるから、修学旅行には行けないと思ったが」

「……なんですってぇぇぇぇ!!!」

 アスカの絶叫は、青空へと吸い込まれていった。

 

 

 その夜葛城家のリビングでは、帰宅したミサトをアスカが問い詰めていた。凄まじい剣幕のアスカに、しかしミサトはまるっきり動じずに事実を告げる。

「そうよ。貴方達は全員待機命令中だから、修学旅行は不参加ね」

「どーしてよ!」

 リビングの机を叩いてミサトへ食って掛かるアスカ。隣に座るシイは不安そうに事態を見守っているが、当のミサトは涼しい顔をしている。

「だって、貴方達が不在の時に使徒が来たら対処出来ないでしょ」

「そんなのシイとレイが居れば充分じゃない」

「あら、アスカは自分が居なくても、使徒は倒せるって言うの?」

「ぐっ……」

 プライドを上手く刺激するミサトに、アスカは思わず言葉に詰まる。旅行には行きたいが、自分がいらない人間だとは認めたくなかった。

「それに貴方達の契約内容に、ちゃんと待機命令の項目があった筈よ」

「だからって! ちょっと、あんたも何か言いなさいよ!」

「え、私は最初から聞いてたから……旅行には行きたいけど、仕方ないよね」

 諦めたように湯飲みで茶を啜るシイに、アスカは一層不満げな顔をする。同じ立場のシイが納得してしまえば、自分が我が儘を言っている様になってしまうからだ。

「どうしてこう日本人は、事なかれ主義なのかしら」

「でもアスカ。使徒は何時来るか分からないし、私達はここに居なきゃ」

「あ~あ~、何時来るか分からない敵を待ってばっか。たまには攻めることも考えたらどうなのよ」

「それが出来ればとっくにやってるわよ」

 エキサイトするアスカに、ミサトは苦笑を浮かべて答えた。

 

「でも貴方達にとっては良い機会じゃない」

「何がよ!」

「みんなが居ない間、遅れてた勉強をたっぷり出来るんだし」

 ミサトはニヤリと笑みを浮かべながら、二枚のデータカードを見せる。それはシイとアスカの成績データが記録されたものだった。

 0点の答案が見つかった子供のように、シイの顔色はみるみる青ざめていく。

「え、どうしてミサトさんがそれを……」

「駄目よシイちゃん。貴方は隠したつもりでも、こっちには情報筒抜けなんだから」

「うぅぅ……」

「アスカもだけど、シイちゃんは特に成績ヤバめだからね。ちょっち頑張ってもらうわよ」

 これ以上にない程身体を小さくするシイ。元々勉強は得意では無かったが、訓練や入院などで学校を休むことが多かったため、かなり成績は厳しい物があった。

「はん、そんな減点式のテストなんて、何の意味もないわよ」

「郷に入っては郷に従え、よ。とにかく二人ともしっかり勉強しなさい」

「ふん、もう寝るわ!」

 ドスドスと乱暴に足音を立てて、アスカは自分の部屋へと戻ってしまった。それをやれやれと言った感じで見つめるミサトに、シイは恐る恐る尋ねる。

「あの、ミサトさん。私の成績の事……その、お父さんは」

「知らないわよ。これを見たのは今のところ私だけね」

「私頑張りますから、どうかお父さんには……」

(碇司令は多分……気にもしないだろうけど)

 必死に頼むシイにミサトは内心複雑な感情を抱いたが、表には出さずに了承した。

 

 シイも部屋に戻った後、ミサトは一人ビールで晩酌をする。

(修学旅行ね……仮初めでも平和な証だけど…………)

 自分がシイ達と同い年の頃に起こったセカンドインパクト。修学旅行なんて単語が決して出てこない地獄の日々。脳裏にその時の記憶が蘇ると同時に、ミサトの胸に鈍い痛みが走る。

 ミサトはそっと胸に手を当てると、誰にも見せない負の感情を込めた表情を浮かべるのだった。

 




アスカが加わり、葛城家がより一層賑やかになりました。ハッピーエンドの条件に、この共同生活の成功が挙げられます。
原作ではそこの綻びから、物語が鬱サイドに移行したので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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10話 その3《マグマに在るモノ》

 ネルフ本部発令所のメインモニターには、真っ赤に燃えるマグマ内の映像が映し出されていた。時折黒い影のような物が見えるが、高熱の為カメラの解析度が悪く正体を掴むには至らない。

「これでは何とも言えんな」

「……だが無視できる物でも無い」

 ゲンドウの言葉に冬月は頷く。この影が使徒に関係あるのか否かは、現状で判断する事は出来ない。だが少しでも関係している可能性があるのなら、ネルフは動くことを躊躇わなかった。

「確かこれは浅間山だったな」

「はい、現地には既に葛城一尉が向かっています」

「先程連絡があり、火口観測所にて調査を開始したとの事です」

 日向の報告に青葉が補足する。

「MAGI判断は?」

「フィフティーフィフティーです。解析には更に詳細なデータを要求していますね」

 全ては第一報を受けて直ぐに現地へ赴いた、ミサトの報告待ちと言うことだった。ならば今すべきことは、報告を受けて直ぐに動ける状況を作っておくことだろう。

「総員第二種警戒態勢。エヴァ搭乗者は全員本部に待機させろ」

「ふむ、彼女たちの現在地は?」

「三人ともネルフ本部に居ます。今は外部区画の、プール施設に集まっています」

 青葉の報告と同時にモニターは本部のプールを映し出す。そこには黙々と泳いでいるレイと、スキューバーをしているアスカ、そしてプールサイドで勉強に勤しむシイの姿があった。

「やれやれ、呑気なものね」

「仕方ないっすよ。確か今日は」

「ああ、修学旅行の日だったっけ」

「でも流石はシイちゃんですね。気を緩めることなく、勉強するなんて」

 マヤの言葉に発令所の一同も同意して頷く。プールに入ることも無く、プールサイドのテーブルに置かれた携帯端末で勉強しているシイは、傍目には優等生にしか見えなかった。

「シイ君は真面目だな。流石はユイ君の娘か」

「……ああ」

 興味なさげに相づちを打つゲンドウだが、その口元はニヤニヤと嬉しそうに歪んでいた。

 

「えっと……この数式は……うぅ、分からない……」

 自分の姿を見られていると夢にも思わないシイは、端末に表示される課題に四苦八苦していた。休んでいる間に授業が進んでしまった為、追いつこうと頑張っているが成果は芳しくない。

「お父さんが知ったらきっとガッカリするだろうし……頑張らないと」

「あんた何やってんの?」

 シイの元にスキューバを終えたアスカが近づいて来た。赤白ストライプのビキニを着たアスカは、そのスタイルも相まってシイの目にも魅力的に見える。

「その水着素敵だね」

「ま~ね。本当だったら沖縄の海でお披露目だったのに、ギャラリーがあんただけじゃね」

「うぅぅ、ごめん」

「ま、あんたに文句言っても仕方ないんだけど。それで、何やってんのよ」

 アスカはシイが操作している端末をのぞき込む。自然と胸が強調される姿勢になり、シイは圧倒的な戦力差に恥ずかしさと寂しさを感じてしまう。

「先生に課題を作ってもらったの。でも少し難しくって」

「はぁ、あんた馬鹿ぁ? こんな簡単なのが解けないの? ちょっと貸しなさいよ」

 片手で手早く端末を操作すると、アスカはいとも容易く問題を解いてしまった。その手際の良さに、シイは思わず感嘆の声をあげる。

「凄い……アスカって頭良いんだね」

「こんなの楽勝よ。一応大学出てるし」

「大学!?」

 驚いたシイは目を見開いてアスカを見つめる。外国には飛び級制度があるのは知っていたが、まさか同い年の少女が大学を卒業しているとは思いも寄らなかった。

「アスカ凄いね……あれ、じゃあどうして成績悪かったの?」

「ああ、単に読めない問題があったのよ。まだ日本語は完璧じゃないから」

「そうなんだ。ねえアスカ、良かったら私の勉強手伝ってくれない?」

「何で私があんたの……うっ」

 面倒はご免だと断ろうとしたアスカだが、上目遣いでじっと見つめるシイに思わずたじろぐ。

(ど、どうしてこの子は人に簡単に頼れるのよ……てかこれは反則じゃない)

「駄目かな?」

「ま、まあ、同じパイロットが落第するのは恥ずかしいし、ちょっとだけなら良いわよ」

「ありがとう」

 満面の笑みを浮かべるシイを、アスカは一層危険な人物だと認識を改めるのだった。

 

「ほら、こんなの簡単でしょ?」

「うぅ、分からないよ~」

 シイが頭を悩ませているのは熱膨張の問題だった。考え込んでしまったシイを見て、アスカは解説のレベルをぐっと下げる事にした。

「だからとどのつまり、物は暖めれば膨らんで冷やせば縮むのよ」

「あ、なるほど」

「あんたの胸も暖めれば、少しは膨らむかもね」

「むぅ~、だったらアスカのお腹は冷やした方が良いかもね」

 軽く返したシイの発言に、ピシッと空気が固まった。アスカはこめかみをピクピクと震えさせており、明らかに地雷を踏んでしまったことをシイは今更ながら確信する。

「ふ~ん、良い度胸ねシイ。何か言い残すことはあるかしら?」

「……ごめん、ね」

「許すかぁぁ!」

 プールサイドを全力疾走するシイを、アスカは鬼の形相で追いかけ回す。どうやら本人も気にしていたらしく、完全に逆鱗に触れてしまったようだ。

「ごめんって言ってるのに~」

「謝って済むなら警察はいらないのよ。大体あんたみたいな幼児体型に言われたく無いわ!」

「これから成長するんだもん」

「良いから、とにかく待ちなさい!」

 必死に逃げ回るシイだが、基礎体力で遙かに勝るアスカに勝てる筈も無い。数分と持たずにアスカに掴まり、そのまま思い切りプールへと投げ込まれてしまった。

「ふん、少しは頭が冷えたでしょ」

「うぅぅ、酷いよアスカ」

 プールから顔だけ出してシイはアスカに不満げな視線を送る。濡れても良いように学校の水着を着ていたため、私服でのダイブは避けられたが、突然の入水で今も心臓が驚いていた。

「あんたがデリカシーの無いこと言うからよ。反省しなさい」

「……図星を突かれて怒ってるのね」

「綾波さん!?」

 シイの背後へスッと泳いできたレイは、さらりとアスカに毒を吐く。泳いでいた彼女が二人のやり取りを聞いていたのかは分からないが、その言葉は的を射ていた。

「あんたね~、いきなり出てきて最初の言葉がそれ?」

「……ええ」

「どうやらあんた達には、誰がこの中で一番上かハッキリさせる必要があるみたいね」

「……ウエストのサイズならアスカが一番ね」

「むき~、良いわ。今ここで決着を着けて――」

『非常招集です。エヴァンゲリオン搭乗者は、至急第三作戦室まで集合して下さい』

 我慢の限界、とアスカがプールに飛び込もうとした瞬間、館内に招集を告げる放送が流れる。それはシイ達のつかの間の安らぎを終わらせるものであった。

「何かあったのかな」

「……分からないわ。とにかく行きましょう」

「仕方ないわね。この続きは後よ」

 三人は一時休戦すると、急いで着替えを済ませ作戦室に向かうのだった。

 

 シイ達が作戦室に入ると、既に冬月を始めとする主要な職員が勢揃いしていた。

「あの、何かあったんですか?」

「どうせ使徒でしょ。何で出撃命令じゃ無いのよ」

「使徒には違いないけど、状況が少し特殊なの」

 到着して開口一番、文句を言うアスカにリツコは意味深に答えた。入り口に立つ三人を室内に招き入れると、部屋の中央にあるテーブルディスプレイに映像を出す。

 現れたのは一面オレンジ色の世界に浮かぶ黒い影。まるで人間の胎児のように身体を丸めた何かが、シイ達にもハッキリと見て取れた。

「な、何ですか……これ」

「使徒よ。MAGIの結論では、まだサナギの状態と思われるわ」

(子供の使徒? 使徒は成長するのかな……)

 リツコの説明にそんなことをぼんやり考えながら、シイは使徒の影をじっと見つめていた。

「今回は使徒の殲滅ではなく、捕獲を優先します」

「どうしてですか?」

「既に使徒のサンプルは二体あるけど、やはり生きたサンプルの重要性とは比較にならないわ」

 第四使徒に続き、弐号機が死闘の末殲滅した第六使徒も、技術局によって調査と研究が行われていた。だが最も重要視していたエネルギー源については、残念ながら解析出来なかった。

 それだけに使徒の生態サンプルは、喉から手が出るほど欲しい代物だ。

「……捕獲に失敗したら?」

「即座に殲滅作戦へと移行だ」

 レイの質問には冬月が答える。ネルフの目的はあくまで使徒の殲滅であり、捕獲はそれをより確実なものにする為の手段に過ぎない。

 その意味でネルフは、目的と手段をはき違えるような愚か者の集団では無かった。

「それで本作戦の担当だけど……単独で行う事になるわ」

「使徒が存在する火口への突入装備が、エヴァ一機分しか用意できないの」

「誰が担当するか――」

「は~い、私がやるわ」

 シイ達三人を見回したリツコに、アスカが元気良く手を上げて立候補する。

「ならアスカ、あなたが弐号機で担当して。バックアップは……シイさんにお願いするわ」

「は、はい」

「……私は?」

「プロトタイプの零号機は特殊装備が規格外なの」

「レイは本部で待機。非常時に備えて」 

 リツコの指示にレイは素直に頷く。少し残念そうに見えたのは、自分だけが参加できないからか。

「ふふん、悪いわね。まあお土産でも買ってくるから、大人しくしてなさい」

「私も買ってくるから」

「……ええ」

「無駄話はそこまでよ。捕獲は時間との勝負、早速準備に移って」

「「はいっ」」

 シイ達は作戦室を後にして、初の捕獲作戦へと挑むのだった。

 




登場していませんが、ミサトは現地で頑張っています。ただ捕獲作戦を提案したのは彼女では無いと勝手に設定しています。
あれだけ使徒を憎んでいるミサトが、わざわざ生け捕りを進言するのはおかしいですから。

サンダルフォン戦は、子供心に燃えた記憶があります。初めてネルフが攻勢に出て、しかも戦場は灼熱のマグマですから、盛り上がりますよね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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10話 その4《マグマダイバー》

 

 更衣室でプラグスーツに着替えた三人。アスカのスーツは特別仕様だとリツコは言っていたが、見たところ普段のそれと変わったところは無かった。

「別に何も変わらないじゃない」

「耐熱仕様って言ってたから、材質が違うとかかな?」

「アスカ、右手首にあるスイッチを押してみて」

「これ?」

 リツコに促されてアスカは、いつものスーツに付いていないボタンを押す。するとみるみるスーツが膨らみ、まるで風船の様な形状へと変化を遂げた。

「な、何よこれぇぇ」

「マグマの高熱環境でも活動出来るよう、技術部が自信を持って仕上げたわ」

「だったら格好にも気を遣いなさいよ」

 怒るアスカだったが、赤い風船に手足と頭を着けたような姿では迫力がまるで無かった。

(可愛いな……)

「ちょっとシイ、あんた何笑ってんのよ」

「え、可愛いなって思ってたんだけど」

「ど・こ・が・よ! あんた美的感覚狂ってんじゃないの!?」

「そうかな……綾波さんはどう思う?」

「…………」

 レイは答えない。だがその口元がほんの僅か、笑みの形に歪んだ事をアスカは見逃さなかった。

「あんた、今笑ったでしょ」

「……いえ、気のせいよ」

「あたしの目は誤魔化せ無いわ。正直に白状しなさい」

「じゃれるのはそこまで。時間がないって言ったでしょ。弐号機の用意も出来ているわ」

 レイに詰め寄ろうとしたアスカを止めると、リツコは三人を連れて倉庫へと向かった。

 

「えぇぇぇぇぇ!! これが……あたしの弐号機!?」

 エヴァ弐号機は確かにそこにあった。ただその全身を白い潜水服で覆っており、まるでぬいぐるみの様な姿でだが。自分のエヴァに自信と愛着を持っているアスカにとって、これは耐えられない屈辱だった。

「耐熱耐圧対核防護服。局地戦用のD型装備よ」

「嫌よ、私は降りるわ。こんな恥ずかしい格好で戦えないもの」

 徹底拒否の構えを見せるアスカに、リツコとマヤは困ったように顔を見合わせる。零号機への換装が不可能である以上、アスカが拒否した場合、残る選択肢は一つしかない。

「なら本作戦はシイさんが担当になるわ。正直アスカが適任だったのだけど、仕方ないわね」

「何よそれ。あたしは笑い者に出来て、シイは駄目だっての?」

「マグマは水中と同様の動作を要求されるから、技量の高い貴方が適任というだけよ」

「それにシイちゃん泳げませんし」

「うぅぅ」

 全員の視線を一身に受け、シイは申し訳なさそうに身体を縮ませる。レイの協力もあってカナヅチは克服できたが、泳げると言えるレベルには到底及んでいない。イメージが重要なエヴァの操縦で、搭乗者が泳げないと言うのは致命的であった。

 だがアスカが拒否して零号機が使用できない以上、他に選択肢は無い。 

「時間が無いわ。マヤ、D型装備を初号機に換装して」

「はい」

「ちょっと待ちなさいよ」

 リツコの指示で動き出したマヤをアスカが呼び止める。

「良いわ、やったろうじゃないの。あたしが一番だって、全員に教えてあげるわよ」

 一連のやり取りにプライドを刺激されたアスカは、不敵な笑みを浮かべて宣言した。

 

 

 レイと零号機を本部に残し、シイとアスカは浅間山へと移動する。現地では作戦準備が着々と進められており、用意された指揮車両にはミサトの姿もあった。

『アスカ、パイプを接続したら作戦開始よ』

「分かってるわ。それよりミサト、加持さんは来てないの?」

『居るわけ無いでしょ。戦闘配備中にあいつの居場所は無いんだから』

「え~折角あたしの勇姿を見て貰おうと思ったのに」

 不満げに口を尖らせるアスカ。その様子を苦笑して見守っていたシイの頭上を、飛行機が隊列を組んで飛び回っていた。こちらを伺うような動きにシイは眉をひそめる。

「あれ何だろ……」

『UNの空軍よ』

「ひょっとして、手伝ってくれるんですか?」

『ある意味ね。あいつらの仕事は、万が一この作戦に失敗したときの後始末よ。N2爆雷を火口に投下して使徒を処理してくれるわ……私達ごとね』

「酷い……お父さんは反対しなかったんですか?」

『その命令を出したのは、碇司令よ』

 ミサトの言葉を聞いてシイは絶句する。

(作戦を失敗する人はいらないの? 分からないよお父さん)

 優しい一面を見せた父親と非情な父親。まるで別人のようなゲンドウに、シイの心は乱れていた。

 

 マグマ突入の準備を終えたD型装備の弐号機は、火口の上にクレーンでつり出されていた。背中に取り付けられた電気と冷却液を供給する六本のパイプが、まるで命綱のように見える。

 フックのような両手に捕獲用ケージを掴んだ弐号機は、ゆっくりと火口に向けて降下を始めた。

「アスカ、頑張ってね」

『任せときなさい。あ、そうだ。見て見て、ジャイアントストロングエントリー』

 両足を前後に開き、スキューバダイビングのように火口へと突入する弐号機。スタッフ達はその脳天気な行動に苦笑するが、どんな時でも平常心を忘れない姿にシイは頼もしさを感じていた。

 

 火口で待機しているシイには、弐号機からの音声こそ届いているが映像は見えない。指揮車両とアスカからの声のみで状況を把握するしかなかった。

 パイプがゆっくりと火口に飲み込まれていく様子を見ながら、シイはじっと無事を祈る。

『深度1020、安全深度オーバーです』

(アスカ……)

 奥深くへと潜れば潜るほど、無事に帰還できる可能性は減っていく。マヤの報告を聞いたシイは、安全深度を超えてなお下降を続ける事に不安を抱かずには居られなかった。

『深度1300、目標予測地点です』

『アスカ、何か見える?』

『……居ないわ』

『対流がこちらの予測よりも早いわね。再計算をさせるわ』

『ええ。では下降を続けて』

(そんな……もう安全深度を超えたって言ってたのに)

 ミサトの決断により作戦は継続され、パイプは更に沈降を続けていく。不安からかシイは初号機で火口の周りを忙しなく歩く。そんな彼女の元へ、更に危機を告げる報告が入ってきた。

『深度1400、第二パイプに亀裂発生』

『深度1480、限界深度オーバー』

『深度1600、ベルト破損。弐号機プログナイフ喪失』

「ミサトさん! アスカが、アスカが死んじゃいます!」

 耐えきれずにシイは指揮車両のミサトへ思い切り叫ぶ。使徒の捕獲は大切かも知れないが、それでもアスカの命には代えられないはずだと。

 しかしミサトは感情を押し殺した声で、シイの訴えを退ける。

『まだ使徒と接触していないわ。作戦は継続するわよ』

「そんな……ミサトさんはアスカが」

『何情けない声出してんのよ。あたしは全然平気だってば』

 シイを止めたのは、高熱のせいか籠もって聞こえるアスカの声だった。流石に疲労の色が見えるが、自信と活力は全く失われていなかった。

「でもアスカ……」

『良いからあんたは安心して待ってなさいって。この作戦担当はあたしなんだから』

 それは強がりなのかもしれない。だがシイはその言葉を信じるしかなかった。

 

 なおも弐号機はマグマの中を下降し続ける。そして遂に、目標との接触予想地点までたどり着いた。

『……居た』

 小さなアスカの呟きにシイはごくりと唾を飲む。作戦の目的は捕獲だがそれを失敗すれば、既に限界深度を超えている弐号機は危険な状態へ陥る。

 目を閉じて祈るシイに、捕獲作業の経過報告が次々に聞こえてくる。弐号機と使徒は互いにマグマの対流で流されてる為、捕獲のチャンスは一度だけ。心臓の鼓動が煩いくらいに高鳴る中、

『捕獲成功』

 アスカの作戦成功報告がスピーカーから聞こえた。

 

 指揮車両に歓声が響き、シイも大きく息を吐いて強張った身体の力を抜く。作戦が成功した喜びよりも、これでアスカが戻ってこられると言う安心感の方が強かった。

『OK、アスカ良くやったわ。今引き上げるから、落とさないように気を付けてね』

『分かってるって。あ~それにしても暑いわね。もう汗べとべとよ』

『近くに良い温泉があるから、戻ったら一緒に入りましょ』

『そうね。シイ、聞いてる? あんたも来るのよ』

「……うん、行く」

『何、あんた泣いてんの?』

「だって……アスカが死んじゃったらやだし……無事で嬉しかったから」

 家族と思い始めていた少女を失う恐怖と、それを免れた安心感がシイの涙腺を緩めてしまった。

『全く、ちっとはあたしを信用しなさいって。こんな作戦楽勝だってば』

「そうだね……アスカは凄いんだもんね」

『ふふん、これでレイもあたしが一番だって認める筈だわ』

 困難な作戦を完遂した安堵感からか、アスカはいつになく上機嫌で饒舌に話す。それを分かっているからこそ、指揮車両のミサト達も軽口を戒めようとはしなかった。

『えっと、今は深度700か。後どれくらいで…………え!?』

「アスカ?」

 不意にアスカが緊張した声を発する。状況が分からないシイが声を掛けると、答えは指揮車両から返ってきた。

『し、使徒が変質しています!』

『不味いわ。羽化を始めたのよ。計算よりも早すぎる』

『捕獲に気づいた!? これじゃケージが持たないわね。アスカ、ケージを破棄して』

『了解!』

『現時刻を持って捕獲を断念。作戦を使徒殲滅へ移行します。弐号機は浮上しつつ、戦闘準備して』

『ふふん、待ってました』

 ミサトの迅速な指揮に、アスカは直ぐさま反応する。

 

 灼熱での使徒殲滅作戦が始まった。

 




シイとゲンドウは近づいたり離れたり、やはりこの親子の関係は一筋縄ではいきませんね。

この作戦は装備うんぬんを抜きにしても、やはりアスカが適任だと思います。技量では間違いなくチルドレン一でしょうから。

残念ながら失敗した捕獲作戦。これから殲滅作戦へと移行します。
非常にキリが悪いので、本日はもう一話投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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10話 その5《灼熱の死闘》

 

 パイプによって引き上げられる弐号機の眼前で、使徒はマグマの中を優雅に泳ぐ。平べったい身体に長い二本の腕が着いた異形の姿は、海の使徒と違い深海魚のイメージをアスカに与えていた。

「ぶっさいくな奴ね。こりゃ煮ても焼いても食えそうに無いわ」

 気を奮い立たせる為に強がりを言うが、圧倒的不利な状況であることをアスカは自覚していた。D型装備は戦闘行動を想定していないことに加え、唯一の武器であるナイフも失っている。今の彼女に攻撃手段は無いのだ。

『アスカ、今初号機がナイフを投下するから受け取って』

『受け取ってぇぇ!』

 ミサトの声と同時に、シイは叫びながらナイフを投げ込んだ。勢いよく火口に飛び込んだナイフだったが、粘性の高いマグマの中では沈降速度は限りなく遅い。

「……来る」

 速度計算をしていたアスカは、使徒が自分に向かってきた事を察し、グッと歯を食いしばる。避ける事も出来ない状態では、使徒の突進を受け入れるしか無かったからだ。

 十分に勢いをつけた使徒は、無防備な弐号機の正面からその身体を思い切りぶつける。

「くぅぅぅ」

 D型装備の装甲が大きく凹み、強い衝撃がプラグ内のアスカにも伝わる。それと同時に弐号機を引き上げているパイプが、三本断ち切られてしまった。

 そのまま使徒は両手で弐号機を抱きしめた。強い力で圧力を掛けられた装甲が悲鳴を上げるが、アスカは視線を上に固定したまま耐える。

「……来たっ!」

 やがて視線の先に、ゆっくりと沈降してきたナイフの影が映った。身をよじって使徒のホールドから弐号機の右腕を外すと、先端のフックでナイフを掴む。

「これで!!」

 ナイフを握った右手を、そのまま使徒の顔と思われる部位に突き立てる。発光する刃が使徒の皮膚と衝突し、激しい火花を散らせるが、使徒の身体を貫くことは出来なかった。

「何よこいつ、硬い……」

『高温高圧の状況下に耐えられる身体……プログナイフじゃ歯が立たないわ』

「だからって、諦めらんないでしょ!!」

 何度も使徒の身体にナイフを突き立てるが、傷つける事すら出来ずに弾かれてしまう。その間にも使徒の両手は、弐号機の身体を容赦なく締め付け続けていった。

 

「こりゃ、外に出るまで持たないかもね……」

 火口まで辿り着ければ、待機しているシイの援護を期待できるのだろう。だが冷却液を供給するパイプが断ち切られたことで、D型装備の装甲強度は低下しており、とても使徒の圧力に耐えられそうになかった。

『アスカ、アスカ、アスカ』

「何度も呼ばなくても、一度で聞こえるわ」

『アスカ逃げて!』

(どうやって逃げろってのよ)

 混乱しているのが丸分かりなシイの悲鳴に、アスカは思わず苦笑を漏らす。自分以上に焦っているシイのお陰で、アスカは不思議と落ち着いていられた。

「そんな情けない声出さないでよ。こっちはサウナ気分で居るんだから」

『だって……』

「そっちに戻る頃には、あんたが驚く程スリムになってるかもね。もう冷やせ、何て言わせないわよ」

『アスカは充分スリムだってば! あの時はつい…………あの時』

「……熱膨張……」

「『あぁぁぁ!!』」

 二人は同時に閃いた。これだけの高熱環境下に居る使徒を、冷やしたらどうなるのか。そう思いついてからのアスカの行動は早かった。

 弐号機の左腕で先程切断されたパイプを掴み、弐号機へ絡みつく使徒の口へと突っ込む。

「冷却液を全部このパイプに回して! 早く!!」

『そうか! マヤ、冷却液を四番に集中するのよ』

『はい!』

 マヤが端末を操作し、D型装備を維持させていた冷却液を全て使徒へと流し込む。D型装備が高熱に歪み損傷するが、それ以上に使徒へ与えたダメージは大きかった。

 体組織を急速に冷却された使徒は身体を収縮させる。急激な温度変化に対応出来なかった使徒の身体は、瞬く間に崩壊していった。

「これで、どうよぉぉぉ!!」

 トドメとばかりに弐号機が、使徒の身体にナイフを突き立てる。先程までの強度を失った使徒は、ナイフで身体を切り裂かれ、力無く弐号機を抱きしめていた手を解く。

「ふふん、作戦完りょ……!!」

 勝ち誇ったアスカだったが、その顔が一気に青ざめる。離れ際に振るわれた使徒の腕が、弐号機を引き上げているパイプを切り裂いてしまったのだ。

 残ったパイプは僅かに一本。それも半分が破損し、今にも千切れそうな頼りない物だった。頭上が明るくなり、間もなく帰還というタイミングだが、とても持ちそうにない。

『アスカ!』

 その様子をモニターしていたミサトが、悲痛な叫びをあげるが状況は変わらない。高温高圧に晒されたパイプはみるみる溶解していく。

「……ここまでなの? こんな冴えない終わり方……やだな」

『アスカ! アスカぁぁ!!』

「……結局、あんたを一人にしちゃうわね。まあレイが居るか……」

 泣き叫び自分の名を呼ぶシイに、アスカは諦めたように呟く。あまりに特殊な状況の為か、未だに死への実感が沸かず、取り乱すことは無かった。

 やがて最後の命綱が切れ、アスカは火口目前から灼熱の底へと逆戻りしていく。

 

 身体が沈んでいく感覚に、アスカはそっと目を閉じる。その時、強い衝撃がアスカを襲った。

『アスカぁぁ!!!』

「……シイ?」

 アスカが驚いて目を開けるとそこには、パイプを掴んで弐号機を引き留める初号機の姿がハッキリと見えた。

『アスカ! もうちょっとだから、頑張って!』

「あんた……流石に無茶しすぎじゃないの」

『アスカが居なくなっちゃうのに比べたら、こんなの全然平気だもん!!』

 通常装備の初号機はマグマの熱で、全身の装甲を破損していく。相当のフィードバックダメージがある筈だが、それでもシイは決して弐号機を掴んだ手を離そうとはしない。

『シイちゃん良くやったわ。今引き上げてるから、後少しの辛抱よ』

『はい……』

 ゆっくりとパイプが上昇し、初号機と弐号機は徐々に外へと引き上げられていく。初号機の装甲は半分が融解してしまい、露出した内部素体が熱に焼かれた事でシイに激しい苦痛を与え続ける。

『……ぅぅぅ』

(馬鹿、無理しちゃって……本当に馬鹿なんだから)

 スピーカーから僅かに洩れ聞こえるシイのうめき声に、アスカは自分の情けなさとシイへの申し訳なさ、そして初めてに近い感謝の気持ちを抱くのだった。

 

 

 二機のエヴァがマグマから生還すると、地上の指揮車両は歓喜の叫び声に包まれた。

「初号機の損傷が酷いわね。弐号機と合わせて、直ぐにでも本部で修復作業に入るわ」

「分かったわ。私も同行する?」

「あなたは、パイロットのアフターケアがあるでしょ」

 作戦中にした温泉の約束をリツコはミサトに指摘する。極限状態から戻った彼女たちには、ゆっくりと心を休める時間が必要だった。

「ここから近くの温泉旅館を取ってあるわ。アスカとシイさんの保護者役、よろしくね」

「……そうね。大分無茶させちゃったし、一緒に温泉でも入って心の交流をしようかしら」

 緊張をほぐすように、大きく背伸びをしながらミサトは軽く答えた。が、その瞬間、指揮車両に詰めていた全スタッフから敵意の籠もった視線を受けて思わずたじろぐ。

「え!?」

「ミサト、言葉に気を付けた方が良いわよ。シイさんと一緒に入浴なんて……」

 パキンっと、リツコの手に握られたボールペンが砕ける。ポタポタと床にたれ落ちるインクと微かに震える肩が、リツコの気持ちを充分に代弁していた。

「いや~女同士だし、裸の付き合いってのも……」

「そう……じゃあ私は本部に戻って司令と副司令に事態を報告するから。今月の給料明細が楽しみね」

「保護者として節度ある態度を取り、入浴の強要などは一切行いません」

 理不尽な突き上げに深々と頭を下げるミサト。知らぬ間に減給を受けていた事もあり、彼女のビールライフは予断を許さぬ状況だったのだ。

 どうにか見逃されたミサトは、回収されたシイ達と共に温泉旅館へと向かった。

 

 

 古風な温泉旅館に到着したシイ達は、早速温泉で疲れをとる事になった。美しい夕日を臨める露天風呂は、身体のみならず心の疲労も癒してくれる。

 ミサトとアスカが露天風呂を堪能する中、

「痛いぃぃぃぃ」

 シイは全身を襲う苦痛に悲鳴を上げていた。

 灼熱のマグマに飛び込んだ代償は、初号機の損壊だけでなく搭乗者であるシイの身体にも及んでいた。高熱のフィードバックダメージとして、全身が日焼けの様な状態になっていたのだ。

 そんな状態で温泉に入ろうとすれば、かなりの痛みがあるのは当然と言える。

「あんたね、マグマに比べれば全然楽勝でしょ」

「うぅぅ、身体中がひりひりするよ~」

「リツコが咄嗟にシンクロを半分カットしてなければ、今頃は病院直行よ。後でお礼言って置きなさいね」

「はい……」

 シイは肌を針で突き刺される様な痛みに耐えながら、ようやく身体を温泉へと沈める。少しでも動くたびに痛みが走るが、それでも徐々に慣れてきた。

 

「本当に良くやってくれたわね」

「楽勝よ、楽勝。最初から捕獲なんて言わないで、殲滅の方が良かったんじゃない?」

「碇司令の判断よ。生きた使徒のサンプルが、余程貴重なんでしょうね」

 表にこそ出さないが、ミサトはゲンドウに対して強い不満と疑問を抱いていた。今回の命令は取りようによってはアスカの命よりも、サンプルの方が大切だと取れるからだ。

「ふ~ん、じゃあ今頃碇司令はお冠?」

「大丈夫よ。使徒の殲滅がネルフの使命であることは、変わらないんだから」

「なら良いわ。戻って直ぐ小言貰うなんて、冗談じゃ無いもの」

 アスカとミサトが会話する様子を、シイは羨望の視線で見つめていた。

(……アスカも凄いけど、ミサトさんはもっと凄い……はぁ)

 自分との圧倒的戦力差に思わずため息が零れる。これから成長すると強がってはいるが、正直二人を前にしてその自信は大きく揺らいでいた。

「ん、どうしたのシイちゃん」

「はっは~ん。さては温泉で暖めて熱膨張を期待してるのね」

「ち、違うもん。別に羨ましいとか思ってないから」

 語るに落ちるとは正にこの事だろう。ニヤニヤと笑みを浮かべるアスカに、ミサトも事情を理解して苦笑を浮かべている。

「大丈夫よシイちゃん。貴方はこれから成長するんだから」

「本当ですか!?」

「……きっとね」

「…………」

「……多分」

「…………」

「……覚悟はしといて」

 そっと目を背けるミサトに、シイは泣きたくなった。

 

 三人は岩で出来た温泉の淵に腰掛け、火照った体を冷ます。そこでシイは初めて、ミサトの胸に大きな傷痕があるのに気づいた。

(何の傷痕だろ……手術とかかな)

「ねえミサト、その胸の傷」

「ああ、これ?」

 アスカに指摘されたミサトは、胸の傷を指差し苦笑する。服を着ていれば見えない位置にあるのだが、決して小さな傷跡では無い。

「セカンドインパクトの時にちょっち、ね」

「加持さんからも聞いたけど、やっぱ大変だったんだ」

「そうね。だからもう二度と、あんな悲劇を起こすわけには行かないの」

「だからネルフに入ったんですか?」

「ま、色々とね。流石に素面じゃ語れない話よ」

 シイの問いかけをミサトは冗談交じりにさらりと流す。それっきりミサトはその話を語ることは無かった。

 

 のぼせかけたシイが一足先に温泉から出ていき、アスカとミサトは二人並んで空を見上げる。

「……ねえミサト」

「ん、どうしたの?」

「あの子、父親に捨てられたって……本当?」

 アスカは以前から気になっていた事を尋ねてみる。

「シイちゃんから聞いたのね。私も詳しくは知らないけど、碇司令が幼いシイちゃんを奥さんの実家に預けて、十年近く音信不通だったのは確かみたい」

「母親は?」

「その前に亡くなったそうよ。そして直後に父親も居なくなった……」

 ミサトが知っている情報はネルフが行った簡単な身辺調査データと、シイから聞いた話だけだが少なくとも、幼い彼女が両親の元から離れて育ったのは間違いない。

「そう……なんだ」

「気になる?」

「べ、別に。ただ一人になるのを異常な位怖がってたから」

 そう呟くアスカの表情は何処か寂しげに見えた。

「……あたしの事も、ミサトは知ってるのよね」

「ま、ね。貴方とシイちゃんは似てるわ。大切な人が自分から離れていく怖さを知ってる」

「あたしは違うわ。自分の力で……え!?」

 反論しようとしたアスカは、不意にミサトに抱きしめられ言葉を失う。

「アスカ、これだけは覚えておいて。私はネルフ作戦部長であると同時に、アスカの家族でもあるわ。だから……少しは弱さを見せても良いのよ」

「……余計なお世話よ」

 突き放すような言葉とは裏腹に、ミサトの胸に隠れたアスカの顔には、少しだけ穏やかな笑みが浮かんでいたのだった。

 




少しずつですがミサトとアスカ、そしてシイの関係が深まっていきます。エヴァの物語がシリアスなのかコメディなのか、原作でもこの三人の関係が表現していたと思いますので、この家族が崩壊しないことが、ハッピーエンドの条件だと思っています。
TSの影響が大きく出る部分でもありますね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《マグマの飛び火》

アホタイムの出番です。


 

~お土産~

 

 灼熱地獄での作戦を無事遂行したシイとアスカは、旅館で一夜を過ごした。温泉と豪華な料理で心身共にリフレッシュした二人は、上機嫌で第一中学校へと登校する。

 クラスメイトと挨拶を交わすと、シイは真っ直ぐ窓際のレイの席へと向かった。

「おはよう綾波さん」

「……おはよう碇さん、アスカ」

「グッドモーニング、レイ。相変わらず辛気くさい顔してるわね」

「……温泉、楽しかったみたいね」

 無表情のレイだが、言葉には明らかに棘が含まれていた。二人が温泉を堪能した話を聞いたのか、少し拗ねているようにも見える。

「ご、ごめんね。綾波さんも呼びたかったんだけど、待機命令があるからって……」

「ちゃんとお土産買ってきたわよ。ほら」

 アスカは鞄から取り出した箱をレイの机へと置く。それは旅館のお土産コーナーで購入した温泉饅頭だった。

「あたしも食べたけど、結構いけてたわよ」

「……そう」

「私も買ってきたの。はい、これ」

 ゴソゴソと鞄を漁り、シイはアスカに続いてお土産をレイに手渡す。それを受け取ったレイは、暫し目をパチパチさせた後、僅かに首を傾げた。

「……これは?」

「私もおまんじゅうだよ。アスカのとは違う種類を選んだの」

 レイは手に持った箱をじっと見つめる。真っ赤な箱には『超絶マグマ饅頭』と達筆な太字で書かれており、見た目から嫌な予感が漂っていた。

 無言で見つめていたレイだが、そっと蓋を外してみた。中には十五個の小さな饅頭が並べられていたのだが、その色は間違いなく危険を告げる真紅。

「レイ、言いたいことがあったら、言った方が身の為よ」

「……べ、別に何も無いわ。ありがとう碇さん」

 僅かに引きつった顔でお礼を言うレイに、シイは心底嬉しそうな笑顔を向けるのだった。

 

「お、三人娘勢揃いかいな」

「やっぱ絵になるよね」

「おはよう、シイちゃん、綾波さん、惣流さん」

 シイ達の姿を見つけたトウジ達が、窓際のレイの席へ集まってきた。そこで彼らは、レイが手に持っている見慣れぬ箱に気づく。

「何やそれ、饅頭かいな」

「うん、浅間山のお土産なの」

「ほ~美味そうやないか」

「……食べたいならそうしたら」

「ええんか?」

 トウジの確認にコクリと頷くレイ。

「んじゃ遠慮無く。もぐもぐごっくん………………っっっっっっ!!!!」

 それはまさに一瞬の出来事だった。饅頭を口に放り込み飲み込んだトウジは、全身を真っ赤に染めて異常な量の汗を垂れ流す。大きく見開いた目は血走り、身体は小刻みに震え続けていた。

「鈴原君?」

「……うま……かったわ。ちょいとすまん……」

 震える声でシイに礼を言うと、トウジは猛ダッシュで教室から飛び出していってしまった。

 

 その姿を見たレイ達は、この饅頭の恐ろしさに背筋を凍らせる。真紅のボディに恥じぬ破壊力を、この小さな饅頭は持ち合わせているのだ。

「鈴原君、美味しいからって泣かなくても良いのに」

「いや~多分違うと思うけど」

「昨日もね、お土産コーナーでミサトさんが試食したの。そしたら鈴原君みたいに、泣きながら走り出しちゃったんだ。そんなに美味しいのかな?」

((ミサトさん……))

 ケンスケとヒカリは、犠牲になったであろうミサトに哀悼の意を表した。

「……アスカは食べたの?」

「あ、あたしは饅頭が苦手なのよ」

「残念だよね。ひょっとして、綾波さんも苦手だったりする?」

「……いえ、後で美味しく頂くわ」

((あの目は反則だよ……))

 拒否不可能の上目遣いに、ケンスケ達はレイへ心の中で合掌するのだった。

 

 

 放課後、ネルフ本部にやってきたシイは発令所へと足を踏み入れた。

「こんにちは~」

「「シイちゃん」」

 熱烈な歓迎を受けて少し照れたシイだが、直ぐさま目的の人物へと駆け寄る。

「リツコさん、昨日はありがとうございました」

「あら、何のこと?」

 シイがミサトの話を告げると、リツコは困ったように頬を掻く。

「それは気にしなくて良いのよ。私達の仕事は貴方達のバックアップなのだから」

「でも助けて貰ったのは間違いないですし、本当にありがとうございます」

 深々と頭を下げるシイに、リツコは嬉しそうな笑みを浮かべる。彼女にしてみれば当たり前の事をやっただけなのだが、それでも目の前の少女に自分の仕事を感謝されて悪い気がする筈が無い。

「それでですね、これ浅間山のお土産です。とっても美味しいお饅頭なんですよ」

「あらあら、気を遣わなくても良いのに゛……」

 言葉とは裏腹に嬉しそうに手を伸ばすリツコだったが、真っ赤な箱の超絶マグマ饅頭を受け取ると、一気に顔が顔が引きつった。手にしただけで本能が危険だと告げているが、それを表に出すわけにはいかない。

「あ、ありがとうシイさん。折角だから、みんなで食べても良いかしら?」

((なっ!?))

 思いも寄らぬ所から飛び火したオペレーター三人組が、がたっと思わず立ち上がる。

「はい、何時も皆さんにはお世話になってますし、どうぞ食べて下さい」

「さあみんな、シイさんからの差し入れよ」

「あ、ありがとうシイちゃん」

「は、はは、こりゃ……美味そうだ……な」

「そうね……凄く……赤い」

 真紅の饅頭を手にした日向達の顔がにわかに青ざめる。例えシイのお土産だとしても、口に入れるにはどうしても本能が邪魔をしていた。

「あの、ひょっとして皆さん……お嫌いですか?」

 誰も饅頭を口にしない光景にシイは不安げに尋ねる。そんな彼女の姿を見せられてしまったら、彼らの返事は一つしか無い。

「「大好物です!!」」

「よかった~。さあ召し上がって下さい」

 笑顔で促すシイ。その姿は彼らにとって、残酷な天使そのものだった。

 

(ほら、食べなさい)

(日向さん、お先にどうぞ)

(こう言うときは後輩が先陣を切るべきだろ)

(だ、だったら伊吹が一番後輩ですって)

(因みにマヤ、MAGIの判断は?)

(全会一致で撤退を推奨しています)

(命まで取られる訳では無いでしょう。日向二尉、食べなさい)

(自分の上官は葛城一尉ですから)

(ミサトは本日欠勤。多分これの犠牲になったのね)

(葛城さん……今、貴方の元へ)

 僅か数秒で行われたやり取りの末、生け贄に選ばれた日向が意を決して、饅頭を口に運ぼうとした瞬間、

「お、何やってるんだ?」

 加持が発令所へとやってきてしまった。

「浅間山のお土産を食べる所だったんです。お一ついかがですか?」

「そりゃありがたい。丁度腹が減ってたんだ。それじゃ遠慮無く…………っっ!」

 シイから手渡された饅頭を、加持は無造作に口へと運んでしまう。すると見る見る顔が赤く染まり、異常な発汗が見られたが、加持はそれでも余裕を崩さない。

「どうです?」

「……そうだ、な。美味かったよ。ちょいと用事を思い出したんで……失礼」

 加持は最後まで普段通りの態度を崩さずに、発令所をそそくさと出ていった。

 

(どうやら、想像以上の破壊力みたいね)

(加持監査官……恐ろしい精神力だ)

(さあ日向さん、行っちゃって下さい)

(どうぞ)

 加持の姿に尻込みしながらも、再び日向が饅頭を口に運ぼうとしたその時、

「赤木博士、例の件でご相談が……」

 再び発令所に犠牲者が現れた。

「おや、貴方は……」

「こんにちは。時田博士、ですよね」

「名前を覚えて頂けたとは光栄だ。ええ、ネルフ技術局第七課所属の、時田シロウです」

 まだ着慣れていないネルフの制服姿で、時田は恭しく一礼する。ファンクラブに所属している彼にとって、シイと直接会話出来る事は大変嬉しいものであった。

「ん、みなさん手に持っているのは……饅頭?」

「はい、お土産に買ってきたんです。時田博士もお一つどうですか?」

「おおそれは嬉しい。ではお言葉に甘えまして…………っっっっ!!!」

 全身の血行促進、極度の発汗、痙攣に似た身体の震え。饅頭の作用は共通らしく、饅頭を口にした時田の身体は、トウジや加持と同じように状態異常を起こしていた。

「どうですか?」

「は、ははは、これは……美味しいです。あ、忘れ物をしてました……戻らなければ」

 男の意地だった。時田は最後まで穏和な笑みを浮かべたまま、発令所から姿を消した。

 

 食べたらどうなるかは、嫌なほど分かったが、食べないと言う選択肢は無い。これはシイが感謝の気持ちを込めて、持ってきてくれたお土産なのだから。

 日向は覚悟を決めて饅頭を口に運ぼうとして……三度邪魔者が入った。

「何を騒いでいる」

「「碇司令!」」

「お父さん……」

 発令所へ姿を現したのは、ネルフ総司令の碇ゲンドウだった。普段はあまり顔を出さない彼だが、偶然騒ぎを聞きつけたのか、不機嫌な様子でシイ達に近づいてくる。

「警戒態勢の筈だ。それに何故お前がここにいる?」

「あ、あの……」

 サングラス越しに鋭い視線を向けられてシイは萎縮する。距離が縮まったかと思ったが、やはり仕事中のゲンドウは遠い存在だった。

 上手く言葉が出せないシイに代わり、リツコがゲンドウへ事情の説明をする。

「……碇司令、シイさんが先日のお土産を、差し入れしてくれていたのです」

「は、はい。その……お父さんも良かったら」

 怖ず怖ずと饅頭が並べられた箱をゲンドウへと差し出した。真っ赤なそれを見たゲンドウは、僅かに眉をひそめてシイに尋ねる。

「……何だ、これは」

「美味しいお饅頭です」

 シイの即答を受けてゲンドウは、オペレーター達に視線を向ける。だが彼らはソッと顔を背けて、ゲンドウと目を合わせようとしない。

(やはり危険だと言うことか。だが何故シイはこれを美味しいと表現して、私に食べさせようとする……)

 無言でじっとシイを見つめるゲンドウの脳裏に、ハッとある想像が浮かんだ。

(そうか、セカンドを捨て駒にした私への牽制のつもりか)

(お父さんどうしたんだろう。甘い物とか嫌いなのかな?)

(セカンドと同居を始めたと聞いていたが……私の予想以上に信頼関係を築いていると言うことか)

(嫌いなら無理に進めるのは良くないよね)

(ふっ、だが所詮は子供だな。この程度でどうにかなると思っているとは)

 ニヤリと口を歪め、ゲンドウは饅頭に手を伸ばす。だがその目前でシイは差し出していた箱を引き戻し、ゲンドウを悲しい目で見た。

「お父さん甘い物苦手なんだね。ごめんね、気が付かなくて」

(揺さぶるつもりか……どうやら、少し認識を改める必要があるようだ)

「……問題ない」

 ゲンドウは更に手を伸ばし箱から饅頭をつかみ取る。そしてそのまま口の中へと放り込み、もぐもぐと一口で食べ終えた。

(……ぬぅぅぅぅぅ!! この程度…………ユイ、私に力を……)

 精神は時に肉体をも凌駕する。ゲンドウの強靱な精神力は、数々の犠牲者を生み出したマグマ饅頭の状態異常を、を見事に押さえ込んで見せた。

((凄いっ、流石碇司令))

 普段と変わらぬ様子で食べ終えたゲンドウに、日向達は尊敬の念を抱いた。

「……シイ、お前の気持ちは分かった。そして、これが私の答えだ」

「え!?」

(牽制など無駄だ。私は目的を果たすまでは、決して立ち止まらないのだからな)

 ゲンドウはニヤリと笑みを浮かべると、一同に背を向けて発令所から去っていく。何を言われたのか分からなかったシイは、暫くポカンとしていたが、

(ひょっとして、私がお父さんと仲良くしたいって分かってくれたのかな。え、じゃあ食べてくれたのが答えって事は……)

 ゲンドウの真意を誤解したまま、本当に幸せそうな笑顔に変わるのだった。

 そしてその後、リツコ達が地獄を見たのは言うまでもなかった。

 

 

 その夜、自分の部屋でレイはそっとマグマ饅頭を口にする。

「…………美味しい」

 レイが自分も知らなかった新たな嗜好に目覚めたのを、まだ誰も知らなかった。

 




わさび入りシュークリームのロシアンルーレット、等はよくテレビで見ますが、あれが全部当たりだったら……そりゃ地獄ですよね。

因みにシイが辛党と言うわけではありません。単に味見をしていないのと、旅館の人の美味しいと言う評価を信じてしまっただけです。
ある意味一番質が悪いのは、シイなのかもしれません。

今回は小話ですので、本日中に本編の投稿もさせて頂きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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11話 その1《失われた光》

 第三新東京市にある小さなコインランドリー。早い安いと二拍子揃った店内では出勤前のリツコとマヤが、両手に抱えた大量の洗濯物に渋い顔をしていた。

「はぁ、毎回のクリーニング代が結構痛手ね」

「でも本部内のランドリーよりは、余程良心的な価格だと思います」

「ありゃぼったくりっすよ」

 今時珍しい手動の引き戸を開けて店内に入ってきた青葉が、マヤに同調する様に言う。ネルフ本部内にも洗濯施設はあるのだが、値段は割高でなかなか利用しづらいものであった。

 その為通いで勤務している職員の多くは、こうして安いランドリーを使用している。

「人類を守るためにはお金が掛かるとは言ってもね」

「ですよね。せめて自分でお洗濯出来る時間があれば良いんですけど」

「家に帰れるだけまだマシだよ。俺のダチの中には、もう一ヶ月泊まり込みって奴もいるし」

 ネルフ職員と一括りにしても、部署や役職でその勤務時間は大きく変わる。その面では青葉やマヤは帰宅できるだけ恵まれているとも言えた。

「さあ、そろそろ行くわよ。今日は予定がびっしりだからね」

 愚痴を言っていても始まらないとリツコに促され、三人は本部に向かうべくコインランドリーを後にした。

 

 登りかけの太陽が照らす第三新東京市を歩いて、駅に到着した三人はジオフロント行きの電車へと乗り込む。ほとんどネルフ職員しか利用しない電車は、どの時間帯でも席に余裕がある。

 三人が乗り込んだ車両も例外では無かったのだが、今朝に限っては珍しい先客が居た。がらがらの車内で椅子に座りながら新聞を読んでる冬月だった。

「あら副司令。おはようございます」

「「おはようございます」」

「ああ、おはよう」

 冬月は新聞からチラリと視線をあげてリツコ達の姿を見ると、軽く挨拶を返した。冬月の隣に腰掛けるリツコとは対照的に、青葉とマヤは二人の前で直立の姿勢を崩さない。

 二尉である彼らにとって副司令の冬月は、遙か上の地位に居る存在。その人物の前で許可無く席に着く事は出来なかった。

 そんな二人に苦笑しながら、リツコは冬月に軽く声を掛ける。

「今朝はお早いですね」

「碇に雑務を押しつけられたよ。MAGIのお陰で昼前には戻れそうだがね」

「ああ、今日は評議会の定例でしたね。ご苦労様です」

「君の方は確か……」

「本日9:30より初号機の改修後起動実験。13:00より零号機の第二次稼動延長試験です」

 リツコはスケジュール帳を見ているかのように、すらすらと予定を答える。最近物忘れが心配される彼女だが、その頭脳に何らかげりは見えなかった。

 今日行われる実験が予定通り消化できれば、ネルフは三体のエヴァを自由に動かす事が出来る。使徒殲滅のためには、是が非にも成功させて欲しいものであった。

「ふむ、朗報を期待しているよ」

 四人を乗せた電車はネルフ本部へと運行を続けるのだった。

 

 

 前回の戦闘で中破した初号機の修復作業は、生体パーツの大部分を交換する大規模なものだった。外部装甲ならいざ知らず生体パーツの交換は、パイロットとのシンクロに影響を及ぼしてしまう可能性がある。

 その為修復された初号機は実戦投入前に、シイとのシンクロとハーモニクスの調整を行う必要があった。

 とは言え実験自体は難しいものでは無く、特に大きな問題も起こらずに実験は終了した。

「お疲れ様シイさん」

 着替えを終えて管制室へやってきたシイを、リツコは上機嫌で迎える。タイトなスケジュールをこなす彼女にとって、定刻通り実験が済んだことはありがたかった。

「はは、初号機に怒られちゃいました」

「怒られた? 壊したことを?」

「どちらかというと、私が無茶したことを窘める感じで……まるでお母さんに叱られているみたいな気分でした」

「……そう」

 苦笑しながら告げるシイに、リツコは何処か寂しそうな視線を向けた。今の会話から予想出来ないリツコの反応に、シイは不思議そうに首を傾げる。

「リツコさん……どうしたんですか?」

「別に何でも無いわ。今日はお疲れ様。明日のシンクロテストまで、ゆっくり身体を休めて」

 話は終わりとリツコはシイから離れていき、端末を操作するマヤへと声を掛ける。取り残されたシイは納得行かない表情を見せたが、やがて一礼して管制室を後にした。

 シイが退室したのを確認すると、リツコは真剣な表情でマヤに小声で問いかける。

「……マヤ、今のデータで初号機からの逆流はあった?」

「逆流ですか? いえ、計測出来ていません」

「そう……」

 予想していた通りの回答に、リツコは厳しい顔のままため息をつく。

(このままだと、そう遠くない内に気づくわね。その時、あの子はどうするのかしら)

 リツコは自問自答を繰り返しながら、次の実験へ向けて準備を始めるのだった。

 

 

 シイが実験を行っている同時刻に、ネルフ本部職員宿舎の一室、現在空室になっている筈の室内で、一人の男が椅子に腰掛けて電話をかけていた。

「……ええ、例の件は作業を終了しています」

『ご苦労。気づかれてはいないか?』

「今のところは。ただ碇司令も勘が鋭い方なので、怪しまれはすると思いますが」

『奴は欲深い男だ。君に利用価値がある間は、泳がせて置くだろう』

「だと、良いのですが。では予定の時刻に」

 男は通話を終えると小さく息を吐く。

(悪いが、利用価値が無いと消されるんでね。せめて使徒が来ないことを祈らせて貰うか)

 立ち上がった男は、誰にも気づかれることなく部屋から出ていった。

 

「ほ~、シイと綾波の奴は仕事かい」

「惣流は行かないのか?」

「はん、あたしはエヴァを壊して無いから必要無いのよ。ま、実力の差よね」

 昼休みに第一中学校の屋上で食事を摂りながら、アスカはヒカリ達と時間を過ごしていた。本性を知っている三人には気を遣う必要が無く、アスカにとっては学校生活で数少ない心休まる時だった。

「それにしても、エヴァが三体揃うなんて凄いや。是非そろい踏みの映像が欲しいところだよ」

「三機もおれば使徒もイチコロやな」

(……そう言えば、まだ三人で出撃した事無かったわね)

 言われてふとアスカは思う。来日してから既に二回出撃していたが、三機揃っての出撃は未だに無く、シイに関しては一度も共同戦線を張ったことは無かったと。

 浅間山での戦闘はあくまで単独作戦だったので、共同戦線とは言えないだろう。

「エヴァンゲリオンチームかぁ、言い響きだな~」

「だっさい言い方止めなさいよ。まあチームって言うなら当然、リーダーはあたしだけどね」

「かー、相変わらず自信過剰なやっちゃな」

「でもトウジ。碇とか綾波にリーダーは無理だと思うよ」

 ケンスケの指摘通り、レイもシイも人の上に立つタイプではない。だがアスカは自己主張が強く、グイグイと他人を引っ張るタイプ。三人の中ではリーダーに一番適任だった。

「なんやかんやで、三人揃って丁度バランスが取れとるんやな」

 トウジが勝手に納得していると、席を外していたヒカリが戻ってきた。

「お帰りヒカリ、電話誰だったの?」

「うん、お姉ちゃんから。夕ご飯はいらないって話だったんだけど、途中で電池が切れちゃって」

「あ~あるある。僕も何度バッテリー切れに泣かされた事か」

「このミリタリー馬鹿はほっといて。ねえ大丈夫なの? なんならあたしの携帯貸すけど」

「話は殆ど終わってたから平気よ。ありがとうねアスカ」

 心配そうなアスカにヒカリは微笑みながらお礼を返す。二人は最初こそ微妙な関係だったが、元来社交的なアスカは直ぐさまヒカリと打ち解け、互いに名前で呼び合う仲になっていた。

 仲の良い二人を見て、トウジはパンをくわながらそっとケンスケに語りかける。

「委員長とアスカのツーショットも、売れるんかな」

「売れると思うよ。アスカは言わずもがな、委員長も隠れファンが多いからね」

「ほ、ほんまか!?」

「今更何言ってんだか。まあそんな訳だから、早めの行動をお薦めするよ」

「わ、わしは別に……気にもならんわ」

 あからさまに動揺したトウジは、ぷいっと顔を背ける。そんな素直じゃないトウジに、ケンスケは呆れ混じりのため息をつくのだった。

 

 

 管制室を後にしたシイは、ネルフ本部内の休憩スペースへとやってきた。ベンチと豊富な種類の自販機が置かれたこのスペースは、職員達が小休止する場となっている。

「うぅ、やっぱりエヴァに乗ると喉が渇くよ」

 LCLと言う液体につかっているせいなのか、エヴァに搭乗した後は酷く喉が渇く。シイはからからになった喉をさすりながら自販機の前に立つ。

「あ、ココア売り切れだ。ん~どうしよう」

 人差し指をウロウロさせて悩むシイの背後に、そっと人影が忍び寄る。そしてその無防備な首筋に、冷えたジュースの缶を軽く当てた。

「ひゃぁぁぁ!!」

 予想外の刺激にシイは悲鳴を上げて尻餅を着く。そして激しい鼓動を続ける心臓に手を当てながら、恐る恐る背後を振り返った。

「か、加持さん?」

「やあ。すまない、そんな驚くとは思わなくてな」

 涙目で見上げるシイに、加持は困った顔をしながら謝る。軽くからかったつもりだったのだが、目の前の少女は予想以上に臆病だったようだ。

「赤木から実験が終わったって聞いてね、ちょいと差し入れをと思ったんだが」

「そうだったんですか……ごめんなさい」

「いや、こちらこそすまない。手を貸そう」

 まるで紳士のように、尻餅を着いたシイへ手を差し伸べる加持。そんなキザな態度が自然に感じられるのは、加持リョウジという人間性なのだろう。

 手を借り得て立ち上がったシイは、スカートの埃を軽く払うと加持に向き合う。

「あの、ありがとうございました」

「礼はいらないさ。元々は俺の責任だからな。このジュースはお詫びって事にしとこうか」

 加持は微笑みながら、手に持ったオレンジジュースをシイに手渡した。そして自販機で新たに缶コーヒーを買うと、近くのベンチに腰掛ける。

「ま、ここで会ったのも何かの縁だ。どうだい、休憩がてら少し話でもして行かないか?」

「私は良いんですけど、加持さんお仕事は大丈夫ですか?」

「生憎と可愛い子と過ごす時間以上に大切な仕事は、持ち合わせていなくてね」

「そうなんですか、ミサトさん?」

 シイは腰掛けた加持の上に視線を向けて尋ねた。

 

「……やあ、葛城」

 振り返った加持は、自分の背後で青筋を立てているミサトに、冷や汗を流しながら挨拶する。

「良いご身分ね。あんたこれから零号機の実験に立ち会うって、言って無かったかしら?」

「あ~そういやそうだった」

「ったく、あんたは昔っからそうなんだから」

 呆れたように頭を掻くミサトと、反省している様には見えない加持。二人の間に漂う何とも言えない空気に、シイは自然と笑みを浮かべてしまう。

「ミサトさんと加持さんは仲良しなんですね」

「ただの腐れ縁よ」

「まあ、ほくろの数を知っている位の仲ではあるな」

「あ、あんたね~! シイちゃんの前で何言ってんのよ!!」

 加持の発言に思いっきり動揺するミサトだったが、意味の分からないシイは首を傾げるだけ。わりと直接的な表現だったのだが、それでもシイにはまだ早すぎる様だ。

「と、まあ、そこそこ親しい間柄って奴かな」

「それって、恋人さんだったりするんですか?」

「ち、違うわ。今はこいつと何にも無いんだから」

「今は?」

 気になるミサトの言葉をシイが尋ねようとした時、本部内にチャイムが鳴り響いた。昼休憩終了の合図、つまりは零号機稼動延長試験開始の時間を告げるものだった。

 予想外の足止めを受けたせいで、開始時刻に間に合わなかったミサトの顔が歪む。

「やっば、またリツコに嫌味を言われる」

「赤木は時間に煩いからな。んじゃ名残惜しいけど、ぼちぼち行くか」

「あの~、私も行って良いですか?」

「ええ、構わないわよ。じゃあ一緒に行きましょう」

 空き缶をくずかごに入れて、三人が実験が行われるフロアに向かおうとした瞬間、何の前触れも無く全ての光が失われて辺りは闇に包まれた。

 




視点変更が多すぎて、読みにくかったかもしれません。今回はシイ達が全員ばらけた場所にいるので、それを表現したかったのですが……反省します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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11話 その2《こんな事もあろうかと》

 

 ネルフ本部実験管制室では定刻通り、零号機稼動延長試験が開始されようとしていた。立ち会うと言っていたミサトの姿が無い事にリツコは少し呆れたが、直ぐに意識を試験へと集中する。

「レイ、準備は良いかしら?」

『……はい』

「センサー及び制御装置、並びにデータ収集装置も全て問題ありません」

 リツコの呼びかけに被験者であるレイは、いつも通り落ち着いた様子で返事をする。実験の最終準備を行っていたマヤからの報告を受けて、リツコは小さく頷く。

「ではこれより、エヴァンゲリオン零号機の第二次稼動延長試験を始めるわよ」

 リツコの宣言を受けて管制室に緊張感が満ちる。スタッフ達がそれぞれ自分の担当作業に集中し、表情を引き締める中、リツコは端末のボタンをポチっと押す。

 その瞬間、管制室は闇に包まれた。

「え゛……」

「主電源ストップ……電圧ゼロです」

 マヤの報告にスタッフの視線が一斉にリツコへ集まる。どう考えてもこのタイミングでは、犯人は金髪白衣の女性以外にはあり得なかった。

 呆然と立ち尽くすリツコに、マヤが気の毒そうな視線を向ける。

「先輩……」

「わ、私じゃ無いわよ」

((絶対博士のせいだ))

「と、とにかく復旧を待ちましょう。実験は一時中断よ。良いわね」

 冷や汗を流しながら指示を出すリツコに、スタッフ達は苦笑しながらも従う。ネルフの電源設備を知っている技術局の彼らは、直ぐにでもこの停電が復旧すると信じて疑わなかった。

 

 

「み、み、ミサトさ~ん」

「あ~よしよし、怖くないからね」

 突然の暗闇に動揺するシイを、ミサトは抱きしめながら宥める。予想外の事態に彼女も少なからず動揺しているのだが、怯えるシイのお陰か冷静さを保つことが出来た。

「停電……事故かしら」

「時間的考えて、赤木が実験でもミスったのかもな」

 からかうような加持の口調だが、実験開始時刻と停電の時刻はぴたりと重なる為、あながち間違いでは無いかもとミサトも納得してしまう。その間に廊下にはうっすらと非常灯が灯り、僅かながら視界が確保できた。

「停電なんてするんですか?」

「ま、ほとんど考えられない確率だけどね。少しは落ち着いた?」

「はい、ごめんなさい」

 非常灯が点いたことで落ち着きを取り戻したシイは、ミサトに謝ってから身体を離す。

「葛城もすっかり母親役が板に付いたじゃないか」

「失礼ね。私はお姉さん役よ」

 怒ったように訂正するミサトに、加持は苦笑いを浮かべる。

「さて、この状況じゃ設備は動かないだろうし、どうするかな」

「と、閉じこめられちゃったんですか!?」

「あんたね、シイちゃんを脅かさないの。大丈夫よ、直ぐに予備電源に切り替わる筈だから」

 ミサトは薄暗い非常灯を見つめながら、シイを安心させるように告げた。

 

 

 突然の停電は、ネルフ本部の中枢である発令所に大打撃を与えていた。全てのシステムは緊急停止してしまい、暗闇の中スタッフ達が大慌てで復旧にあたる。

「電源の復旧を急げ!」

「駄目です、予備回線が繋がりません」

「馬鹿な!?」

 青葉の焦り混じりの報告に、冬月は信じられないと言った表情を浮かべる。本部の設備を熟知している彼だからこそ、この展開があり得ないと思えてしまう。

 だがそんな同様も一瞬の事。冬月は直ぐさま頭を状況の改善に切り替えた。

「生き残っている電源は!?」

「全部で1.2%。2567番からの回線だけです」

 通信設備が使用できないので、発令所の端から大声で叫ぶ職員。それを受けて冬月は即座に指示を下す。

「電源は全てMAGIとセントラルドグマの維持に回せ」

「全館の生命維持に問題が発生しますが……」

「構わん。最優先だ」

 躊躇いがちに尋ねる青葉に、毅然とした態度で指示を出す冬月。そんな冬月の揺るぎない姿勢が、スタッフ達の動揺を最小限に抑えていた。

 

 

 ネルフ本部はほぼ全ての設備が電気によって稼働しており、ドアも左右に自動開閉するタイプの物が採用されている。その為電力が失われると開閉機能は完全に沈黙してしまうのだが、同時にロック機能も失われてしまうので、人力で強引に開けることが出来た。

 男性スタッフが無理矢理こじ開けた管制室のドアを通り抜け、リツコとマヤは発令所へと向かう。

「発令所に急ぐわよ。これだけ時間が経っても復旧されないなんて、明らかにおかしいわ」

「ですね」

「モールス信号なんて、無駄な知識だとばかり思っていたけど」

「シイちゃんだったら、絶対に伝わらなかったですよね」

 男達がドアをこじ開けている間、リツコは零号機内のレイと連絡をとるため、懐中電灯の光でモールス信号を送った。レイは内蔵電源で零号機を起動させて信号を読みとり、頷くことで理解を表現したのだった。

「待機モードなら、少なくとも半日は持つわ。それまでに復旧しなくちゃ」

 険しい表情を浮かべながら、リツコとマヤは急ぎ暗い通路を歩くのだった。

 

 

 薄暗い休憩スペースで、電気の復旧を待っていたミサト達。だが予想に反して未だに電力は戻らず、ミサトの表情に焦りと疑問の色が浮かび始める。

「おかしいわね。本来なら直ぐに予備電源が作動する筈なのに」

「ここの電源系統は?」

「正、副、予備の三系統よ。当然全て別回線で、設備も違う場所にあるから停電なんて」

「理論上はあり得ない、か」

 加持は非常灯を見上げながら呟く加持に、ミサトは頷いて同意する。ネルフ本部は地下に存在していると言う性質上、電力の確保が極めて重要であった。

 その為電気関連の施設は厳重な管理がされており、この事態は計算外の事態と言えた。

「あり得ないことが起きた。こりゃただ事じゃ無いな」

「ど、どうしましょう……」

「とにかく発令所に向かいましょう。あそこなら事態の把握をしてるかもしれないし」

 ミサトの提案にシイと加持は頷くと、三人は発令所を目指して薄暗い廊下を歩き始めた。

 

 

「やはり備えはしておく物だな」

「ああ」

 非常用のロウソクに火を灯す冬月に、自力で発令所までやってきたゲンドウは頷く。椅子に腰掛けいつものポーズをとっているが、流れる汗と乱れた呼吸が彼の苦労を無言で伝えていた。

「全電源の停止か。想定外の事態だぞ」

「赤木博士。この事態が起こりうる可能性は?」

「万に一どころか、億に一と言った所でしょうか」

 こちらもどうにか辿り着いたリツコが、ゲンドウの問いかけに即答する。

「ネルフ本部の性質上、電源の管理には特に気を遣っていましたので」

「外部から隔離されても自給自足出来るコロニーだからな。となると……」

「この停電は人為的な物、何者かの工作と考えるのが妥当だろう」

 ゲンドウの言葉に冬月とリツコも同意する。どれ程万全な電源システムでも、物理的に断線や破壊をされてしまえば意味がないからだ。

「目的はここの調査か」

「……電源の復旧ルートから、本部の構造を推察するつもりだろう」

「小癪な事を考える」

 冬月は苦笑を浮かべる。ネルフを快く思わない組織が多いことは知っているが、これ程あからさまな工作を仕掛ける相手はそう多くないからだ。

「小型バッテリーを使い、MAGIを最小電力で稼動。ダミーデータを流します」

「多少は効果があるか。頼む」

 リツコが作業に取りかかろうとすると、

『ふ、ふふふ、お困りの様ですね』

 ロウソクで照らされた発令所に、突然男の声で通信が入った。

「「えっ!?」」

 停電という状況下であり得ない通信に、リツコを含めたスタッフが驚きの表情を浮かべる中、通信主の男は自信満々に名乗りを上げた。

『私ですよ、私。技術局第七課所属、時田シロウです』

 

「時田博士、一体どうやって」

『お忘れですか? 私が本部の施設強化を担当していた事を。それは電源管理も例外ではありません』

 戸惑うリツコの声に喜びを覚えているのか、時田は自慢げに語り始める。

『正副予備以外に、第四の電源設備を極秘裏に開発していたのです。正に、こんな事もあろうかと』

「碇、知っていたか?」

「……いや」

『おお、司令と副司令もいらっしゃいましたか。ええ、この度の開発は私が独自に進めて――』

「能書きは良いわ。それで、その電源は直ぐ使える物なの?」

 昔の名残なのかゲンドウと冬月に媚びを売ろうとする時田の言葉を、リツコは少し苛立った様子で遮る。彼女にとって大切なのは結果。今この事態を打開できるか否かだけなのだ。

『勿論です。今電力を最大出力で供給致しますので』

「……どうだ?」

「Unknown回線から電力の供給を確認。全体の82.7%を復旧出来ます」

「充分だな」

「ああ。各施設への電力供給を再開。同時に第二種警戒態勢へ移行しろ」

 ゲンドウの指示を受けて青葉が素早く端末を操作する。すると発令所を始めとするネルフ本部に光が宿り、元の姿を取り戻していった。

『如何ですか?』

「見事ですわ、時田博士。ただもう少し早く稼動して欲しかった所ですが」

『それは申し訳ないです。ただ試運転をしていないプロトタイプですので、起動に時間が掛かってしまいましてね。ただ今後改良を重ねて参りますよ』

「ふむ、ご苦労だった。引き続き電力供給の維持に回ってくれ」

『ありがとうございます。この時田シロウ、全力で任務を全うしますとも』

 冬月の労いに時田は嬉しそうな声色で答えて通信を切った。

「思いも寄らぬ拾い者だったな」

「ああ」

「では技術局はこれより正電源の復旧を――」

 リツコの言葉を遮るように、けたたましい警報が鳴り響いた。

 

「何事だ?」

「戦略自衛隊より緊急入電。正体不明の物体を海岸にて確認したとの事です」

 青葉の報告に緩んだ発令所の空気が再び張りつめた。復旧したばかりのシステムをフル稼働させ、情報の収集と分析を即座に行う。

「データ照合。波長パターン青、使徒です」

「やれやれ、何とも言えぬタイミングだな」

「ですが、不意打ちを受けずに済んだのは幸いですわ」

 リツコの言葉に冬月は苦笑して頷く。停電した状態で使徒を迎え撃つ事など、想像すらしたく無かった。

「総員第一種戦闘配置。レイ以外のパイロットの搭乗を急がせろ」

 威厳に満ちた声でゲンドウは指示を下した。

 

 




時田博士、最大の見せ場かもしれません。優秀な彼が環境に恵まれれば、この位はやってのけると思います。

無事電力が戻り、万全の状態で使徒を迎えるネルフ。果たしてあの使徒に、真っ向勝負が出来るのでしょうか。

中途半端ですので、本日中にもう一話投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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11話 その3《初の共同戦線》

 現れた使徒は半球状の胴体に細長い四本の足がついた、まるで蜘蛛のような姿をしていた。暗い色の胴体には、全方位を見回す様に絵のような瞳が多数刻み込まれ、使徒の不気味さを引き立てている。

「気色悪いわね。まるで虫じゃない」

「うぅ、私虫苦手だよ」

「……私が守るわ」

 プラグスーツ姿のシイ達は、作戦司令室で使徒の姿を確認して眉をひそめる。特にシイは虫が生理的に苦手なのか、顔が青ざめていた。

「まあ気色悪いのは分かるけどね。とにかく、使徒は現在ここに向かって侵攻中よ」

「作戦はどうするの?」

「エヴァ三機で迎え撃つわ。これが初めての同時出撃になるわね」

「そうですね。よろしくね、アスカ、綾波さん」

「ま、足だけは引っ張らないでね」

「……アスカは先走らないでね」

 出撃前だと言うのに、三人の間にはリラックスした空気が流れていた。味方の数が多いというのは、それだけで戦う者にとって安心感があるのだろう。

「詳しい作戦は出撃してからにして、とにかくみんなエヴァに――」

「は~い、ミサト。やっぱ複数で戦うからには、リーダーは必要よね」

 アスカは大きく手を挙げて、ニコニコしながら提案する。

「え、まあ居るに越したことは無いけど」

「この面子なら、当然あたしがリーダーよね。異議無いでしょ」

 腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべながら、シイ達を見据えるアスカ。それは自分に絶対の自信を持っている、彼女ならではの態度だった。

 アスカからの突然の提案に、ミサトは視線をシイとレイに向けて意思の確認を行う。

「私は良いと思うよ。アスカは強いし頭も良いから。綾波さんは?」

「……構わないわ。作戦指揮権は葛城一尉にあるもの」

「あんたは何時も一言多いわね。ま、これで決まり。あたしがリーダーよ」

「話が纏まったところで、早速出撃して頂戴」

「は~い。さあ二人とも行くわよ。着いて来なさい」

 作戦司令室を飛び出すアスカと、それに続くシイとレイ。

(ま、問題ないか。案外良いチームかもしれないし)

 ミサトは苦笑しながら三人を見送ると、自分も発令所へと向かうのだった。

 

 

 地上へと射出されたエヴァ三機は、それぞれ武器を構えて使徒の迎撃態勢を整える。アスカは新型近接戦闘用武器のソニックグレイブを、レイはパレットライフル、シイはマステマを装備した。

「来たわね。近くで見ると一層気持ち悪い奴」

「……大丈夫、碇さん?」

「うぅぅ、怖いけど頑張る」

『みんな聞こえる? 敵の攻撃手段が分からないから、まずは様子見をするのよ』

 三人にミサトから指示が届く。エヴァが三機動かせる事で、作戦の幅は飛躍的に増大した。その上でミサトは、被害が最小限に留められる安全策を選択する。

『レイとシイちゃんで射撃。使徒のの反応を見てから、アスカが近接戦闘を仕掛けて』

「は、はい」

「了解」

「様子見なんていらないわ。戦いは常に先手必勝よ!」

 ミサトの指示をあっさり無視したアスカは、ソニックグレイブを握りしめて使徒に向かって駆けだした。

『アスカ、待ちなさい!!』

「行くわよぉぉぉ!」

 慌てて制止するミサトの声を受け手も、弐号機は動きを止めない。真っ直ぐ使徒へ突進して、手にした槍を突き立てようとしたその時、使徒に変化が起きた。

 胴体に刻まれた目の模様が、涙を流すように潤み始める。そしてその目からオレンジ色の液体が、まるで水鉄砲の様に弐号機目掛けて噴射された。

「ちっ!」

 弐号機は横っ飛びで襲いかかる液体を回避する。勢いよく吹き出された液体はそのまま地面へと撒かれ、白い煙をあげて地面を溶かしていく。

『あの液体はどうやら溶解液の様ね。触れたらエヴァもただじゃ済まないわ』

『アスカ、一度後退しなさい』

「触れなきゃ良いんでしょ。楽勝よ」

 予想外の攻撃だったがアスカには勝算があった。使徒は攻撃の直前に溶解液を放つ目が潤む為、予測回避が可能だったからだ。

 再度突撃を仕掛ける弐号機は、使徒の吹き出す溶解液を華麗に回避していく。このまま使徒へ肉薄できるかと思われた時、使徒の胴体にある全ての瞳が一斉に潤んだ。

「はん、下手な鉄砲は数撃っても当たらないの……っ!」

 アスカの予想は裏切られた。使徒は先程とは違いまるでシャワーのように、目から溶解液を広範囲にまき散らしたのだ。全方位に撒かれる溶解液は、使徒の周辺全てを包み込む。

「くぅっっっ!!」

 前後左右全てに降り注ぐ溶解液のシャワーは、高い操縦技術を持つアスカであっても回避出来るものでは無かった。まともに溶解液を全身に浴びてしまい、弐号機の表面装甲が白煙をあげて溶けていく。

 身体中が焼けただれる様なフィードバックダメージに、アスカは操縦を中断して痛みに耐えるしかなかった。

 

「綾波さん!」

「ええ」

 アスカを危機から救うべく、シイとレイが使徒へ向けてライフルとガトリング砲を放つ。それに反応した使徒はシャワー攻撃を中断し、再び水鉄砲攻撃に切り替えて零号機と初号機を狙い始めた。

 射撃を続けながら使徒の攻撃を回避する二機のエヴァ。共同戦線ならではの援護によって、アスカは最大の危機から脱する事が出来た。

『ナイスよ二人とも。アスカ、今の内に後退して。体勢を立て直すのよ』

「冗談じゃ無いわ。リーダーのあたしが、そんなみっともない真似出来るわけ無いでしょ」

 頑として徹底命令を受け付けないアスカ。とは言え彼女も馬鹿では無い。自分でも一度後退するのが正しいと分かっては居るのだが、プライドがその邪魔をしてしまう。

 傷ついた弐号機でアスカは再度攻撃を仕掛けようとする。そんな彼女に突然ライフルの弾丸が直撃した。

「痛っ!」

「あ、綾波さん!?」

 アスカを撃ったのはレイのパレットライフルだった。それは誤射ではなく、明らかにアスカを狙って放たれたもの。アスカはそれに気づいて怒りの形相に変わる。

「あんた、何してんのよ!!」

「……邪魔よ」

「な、何ですってぇぇ」

「……戦わないなら撤退して。射撃の邪魔だわ」

 何時も通りの様子で淡々と告げるレイに、アスカの怒りは振り切れた。鬼の形相を浮かべながら使徒に背を向けて、離れた位置で射撃を続ける零号機へ詰め寄る。

「あんたね、味方撃ってその態度は何よ! あたしを舐めてるの!!」

「アスカ……綾波さん……」

 ソニックグレイブを零号機の喉元に突きつける弐号機。もうレイもアスカも、使徒の事を完全に意識の外へと放り投げてしまう。

 その結果シイは共同戦線にも関わらず、一人使徒への攻撃と回避を続ける羽目になった。

 

「……舐めてなんかいないわ。それに、作戦の邪魔をする人を味方とは言わない」

「っっっっ!!」

 アスカの感情の高ぶりが伝わり、ソニックグレイブを握る弐号機の手に力がこもる。だがレイは全く動じる事無く、通信ウインドウのアスカを見据える。

「……あなたは使徒を倒すために、エヴァに乗っているのでは無いの?」

「そうに決まってんでしょ。使徒を倒して、みんなにあたしの存在を証明するのよ」

「……なら最も勝算の戦いをするべきだわ」

「リーダーはあたしよ。出しゃばらないで」

「……リーダーと言うのは、味方を無視して一人で突撃するの?」

 鋭い棘を含んだレイの言葉に、アスカはびくりと肩を震わせて言葉を失う。

「……碇さんはあなたを信じてリーダーと認めたわ。それを裏切るのは許さない」

「…………」

「……戦うのなら指示を。戦わないなら――」

「ったく、うっさいわね。あんたやっぱりあたしを舐めてるわね」

 アスカはレイの言葉を遮り不敵な笑みを浮かべて言う。

「あたしは惣流・アスカ・ラングレー。エヴァ弐号機のパイロットで……あんた達のリーダーよ。尻尾を巻いて逃げるなんてまね、するわけ無いでしょ」

 そこには先程までの気負った様子は微塵もなく、いつもの自信に満ちたアスカの姿があった。

「シイ、そのまま牽制しながら後ろに下がりなさい。一旦相手の射程外まで引くわよ」

「アスカ……うん」

 様子の変わったアスカに気づいたシイは嬉しそうに微笑むと、ガトリング砲を使徒へ向けて放ちながら、徐々に距離を取っていく。そして三機のエヴァは、使徒の攻撃射程外に再集結した。

 

「今分かってる限りじゃ、あいつの攻撃パターンは二つ。一つは水鉄砲みたいに直線に溶解液を噴出するパターン。威力と速度は結構あるけど、予備動作もあるし回避しやすいわね」

 アスカの分析にシイとレイは頷く。

「そしてもう一つは、シャワーみたいに広範囲へ溶解液をまき散らすパターン。威力は水鉄砲程じゃ無さそうだけど、範囲が広すぎて回避は難しいと思うわ」

「使い分けてるのかな?」

「今のところ、遠距離では水鉄砲、中近距離ではシャワーがパターンみたいね」

 先程の突進を生かしたアスカの分析は、二人にも分かりやすく纏まっていた。

「じゃあ、みんなが一斉に攻撃するのは駄目なんだね」

「……シャワーの攻撃範囲を見る限り、近接戦闘は厳しいと思う」

「ふふん、ところがどっこい、あいつの攻撃にも死角があるのよね」

 自慢げに髪をかき上げてアスカは二人に告げる。

「死角って、周り全部溶けちゃうんだよ?」

「上よ。哨戒機からの映像データを見たら、あいつの目は全部身体の側面に着いてるのよね。つまりあいつの真上には溶解液は届かないってこと」

「あ、そうか。凄いアスカ」

「……でも、どうやって使徒の直上まで行くかが問題ね」

 レイは冷静に指摘する。例えエヴァがジャンプしたところで、使徒の上に飛び上がるほどの高さは出ない。ビルを足場にしようにも、溶解液シャワーでみな溶け崩れていた。

「どうしよう」

「……作戦はあるわ」

 アスカは静かに話し始めた。

 

「――てな感じよ。どうレイ、リーダーの作戦に不満はある?」

「……良いわ。じゃあディフェンスは私が」

「お生憎様。それはあたしがやるわ」

「そんな、危険すぎるよ」

「あんた馬鹿ぁ? だからリーダーがやるんじゃない。それにあんたに借りを返しておかないとね」

「借り?」

「ディフェンスはあたし。サポートはレイ。アタッカーはシイが担当、これで行くわよ」

 アスカの作戦にレイは頷いて了承の意を伝える。シイは最後まで迷っていたが、やがてアスカを信じて力強く頷いた。

「ミサト、現場の判断で動くわよ」

『ええ。任せるわ』

「じゃあ行くわよ……Gehen!!」

 アスカのかけ声で、真の意味で初めての共同作戦は開始された。

 エヴァ三機は縦一列になって使徒へと突進する。先頭を弐号機が務め、零号機が後に続き、最後方の初号機は二機とは少し距離を取っていた。。

 射程距離に入ったエヴァに使徒は溶解液水鉄砲を発射するが、それを弐号機は避ける事をせず両手を交差した姿勢でまともに受けた。

「くぅぅぅぅぅ!!」

 焼けただれる痛みにアスカの顔が歪むが、それでも足を止めることはない。急接近を許した使徒は、攻撃手段を水鉄砲からシャワーへと切り替えようと、一瞬水鉄砲が止む。

「今よ!」

 アスカの叫びを受けて、背後を走っていた零号機が弐号機の肩に飛び乗る。肩車の様な姿勢になった二機に、マステマを構えた初号機が猛スピードで駆け寄った。

 そして二機のエヴァの背中を踏み台にして、使徒へ向かって高く跳躍した。速度と高さを得た初号機は空高く舞い上がり、やがて使徒の直上へと達する。

「やぁぁぁぁ!!」

 マステマを前方に突き出して使徒へと落下する初号機。アスカの読み通り胴体上部に目が無い使徒は、直上からの攻撃に迎撃手段を持たず、無抵抗でマステマのブレードに貫かれた。

「これで終わってぇぇ!」

 使徒の胴体に突き刺さったマステマのガトリング砲を、だめ押しとばかりに撃ち込む。ATフィールドを中和したゼロ距離射撃は、使徒の胴体に風穴を開けていく。

 やがて使徒の細長い足が力なくぱたりと倒れ、気持ち悪いと言われ続けた使徒は爆発の中へ消えていった。

 

 

 使徒殲滅後、帰還したアスカはミサトに呼び出しを受けた。使徒殲滅を果たすことは出来たが、ミサトには作戦部長としてやらなければならない事がある。

「独断専行と作戦無視。悪いけど今日一日、懲罰房に入って貰うわ」

「随分軽い罰ね。口添えしてくれたの?」

「貴方の作戦で使徒を殲滅出来たのも事実だからね。完全に罰無しって訳には行かなかったけど」

 アスカの行為は本来であれば、厳罰に処されるべき物だった。だが使徒殲滅に繋がる作戦立案と行動力が認められ、大幅な酌量を得られた。

 それでも組織という体面上、何の罰も無しでは示しが着かないため、今回の処罰に落ち着いたのだ。

「ごめんね、アスカ。本来なら作戦部長の私が責を問われるべきなのに」

「別に構わないわよ。ま、シイの料理が食べられないのは、ちょっと嫌だけど」

「明日はご馳走を作って貰いましょ」

「そうね。じゃあ行くわ」

 アスカは軽口を叩くと、保安諜報部員に連れられて懲罰房へと向かう。胸を張って堂々と歩く彼女の後ろ姿を、ミサトは申し訳なさそうに見送るのだった。

 

 懲罰房と言っても牢屋の様な部屋ではなく、ビジネスホテルの様な個室だった。テレビなど娯楽品は当然無いが、ベッドとトイレ、風呂まで完備されており、普通に生活するには何の不便も無かった。

「使徒を倒して罰を受けるなんて最低だって、シイに言ったのに。格好付かないわね」

 ベッドに仰向けに寝転がりながらアスカは一人ごちる。疲れはあるのだが戦闘で高ぶった気持ちが、眠ることを拒否していた。

(レイに説教されるなんて、あたしもどうかしてたわね)

 冷静になって思い起こせば、自分の行動が如何に無謀だったのかが分かる。二人に自分の力を示そうとするあまりの暴走に、アスカは自嘲気味に笑う。

(ま、折角だし一人で頭を冷やすか…………ん?)

 ガチャガチャとドアの鍵を開ける音に、アスカは視線を鋼鉄製のドアへ向ける。幾らなんでも解放には早すぎるので、きっと食事でも運んでくれたのかとドアを見つめていると、

「アスカ~」

「こんばんは」

 何故か制服姿のシイとレイが中に入ってきた。

「あ、あんた達、何でここに?」

「私達もアスカと一緒に懲罰房に入る事にしたの」

「あんた達馬鹿ぁ? 何でわざわざ……」

「……チームなら責任も当然連帯であるべき」

 二人が室内に入ると、外からドアが閉められ鍵が掛けられる。中からは開けられないため、これで三人は明日までここに居るしか無くなった。

 だと言うのに、シイとレイには微塵も後悔している様子は見えない。

「あのね、もうすぐご飯なんだって。どんな料理か楽しみだね」

「どーせ冷凍食品とレトルトの不味い飯よ」

「……このベッド、小さいわ」

「懲罰房なんだから、一人用に決まってるじゃない。当然あたしが使うから、あんた達は床で寝なさいよね」

「え~一緒に寝ようよ。ほら、三人寝られそうだよ」

 シイは頬を膨らませるとアスカの隣で横になる。レイも反対側に横になると、一人用の狭いベッドはぎゅうぎゅう詰めになってしまった。

「せっま~い。これじゃ寝返りも打てないじゃない」

「でも暖かいよ」

「……ぬくぬく」

 小さなベッドに並んで横になる少女達。それはお泊まり会の様な雰囲気で、とても懲罰を受けているとは思えないほど穏やかなものだった。

(……はぁ。ホント、こいつらは馬鹿なんだから)

 口では文句を言うアスカだったが、その心は不思議と暖かな感情に満ちていた。




使徒最弱の呼び声高いマトリエルですが、本当はもっと強いのでは無いかと、勝手に妄想しちゃいました。
実は直下からの攻撃が唯一の弱点で、偶然が重なって楽勝だったなんて……無いですね。

少しずつですが、チルドレンの絆が深まってきました。原作では些細な切っ掛けで壊れてしまった関係を守れるかが、今後の鍵となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字修正しました。ご指摘感謝です。


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小話《その後》

今回だけはアホタイムではなく、本編に入りきらなかった話です。


~後始末~

 

 使徒殲滅後にネルフ司令室に呼び出された時田シロウは、司令の碇ゲンドウと、副司令の冬月コウゾウと初めての対面を果たしていた。

(この二人がネルフのトップ……なるほど、ただ者では無い)

 テーブルに肘を着くゲンドウと、その脇で直立の姿勢を崩さない冬月。無言でも伝わってくる威圧感に、時田は無意識のうちに気圧され、頬を一筋の汗が流れた。

「ぎ、技術局第七課所属の時田シロウです」

「ああ、聞いているよ。先日の働きは見事だった」

「お褒めにあずかり光栄です」

 冬月からの労いに時田は背筋を伸ばして応える。呼び出された時からその理由を考えていたが、恐らく褒められるだろうと思ってはいた。だが一方で独断での開発を、咎められるかも知れないと言う不安もあった。

 だから不安が取り越し苦労に終わった事もあり、時田は肩の力を抜いたのだが、

「では本題に入ろう」

 予期せぬ冬月の言葉にギョッと目を見開いてしまった。

「ほ、本題……ですか?」

「ああ。流石に労いの為だけに、わざわざ呼び出したりはせんよ」

「で、ですよね。は、ははは」

 乾いた笑いを零す時田。強張った表情から緊張しているのが伝わったのか、冬月は幾分和らいだ表情で時田へと言葉をかける。

「そう緊張する事は無い。君にとっても悪い話では無いと思うよ」

「と言いますと」

「まず、君の元に部下をつけよう。同時に君を技術局第七課の課長に昇進させる」

「じ、自分が課長ですか!?」

 思いも寄らぬサプライズだった。配属された技術局第七課とは名ばかりで、実質職員は時田一人だった。正直閑職のような思いをしていたのだが、まさかの待遇改善が告げられたのだ。

 自分の仕事が正当な評価を受ける事は、時田にとってこの上ない喜びだった。

「今回の功績を私達は過小評価していない。これは当然の結果だよ」

「あ、ありがとうございます」

「今後は第六課と協力して、ネルフ本部の設備強化……特に対人戦闘用の設備を強化して欲しい」

 まさに天に昇るような気持ちだった時田だが、続く冬月の言葉に思わず眉をひそめる。専門分野外と言う事もあるが、指示された内容が少々物騒だったからだ。

「対人戦闘、ですか?」

「うむ。君も知っての通り、我々ネルフは対使徒に特化した組織だ。故に対人戦には備えが乏しい」

「はぁ……」

「だが今回の停電は、明らかに人為的な工作が原因だった。侵入者があったと我々は睨んでいる」

「なるほど。そう言う事でしたか」

 順序立てて分かりやすく説明する冬月に、時田は得心がいったと頷いてみせる。

「二度と同様の事件を起こさぬように、万全の備えをと言うわけですね」

「うむ。あくまで万が一の備えだが、極めて重要な仕事だ。期待に応えてくれる事を願っているよ」

「はっ! お任せ下さい」

 ビシッと背筋を伸ばして凛とした返事をする時田。人に必要とされる事は、分野を問わず嬉しいものだ。組織のトップから直々に重要任務を言い渡された彼は、やる気と自信に満ち溢れていた。

「では早速仕事に取りかかりますので、失礼致します」

 二人に一礼すると、時田は胸を張って司令室を後にした。

 

「さて、少しは役に立つと良いのだがね」

「……豚もおだてれば木に登る。精々上手く扱ってやれば良い」

 時田が去った司令室で、無言を貫いていたゲンドウがようやく口を開く。そこへ時田の退室を待っていた、黒服サングラス姿の保安諜報部員がやってきた。

「失礼します」

「どうだった?」

「はい。発電施設へのネットワーク経由での工作と、電気ケーブルの物理的損壊が認められました。いずれも偶然の事故では起こりえない物です」

「……やはり停電は起きたのではなく、起こされたのだな」

「やれやれ、本部初の被害が使徒ではなく、同じ人間による物とは。やりきれんな」

「所詮、人間の敵は人間だよ」

 残念そうに呟く冬月とは違い、ゲンドウの言葉にはある種諦めの様な感情が込められていた。

「犯人は……まあ聞くまでも無いか」

「ああ。だが証拠を残すほど、無能な相手でもあるまい」

「仰る通りです。犯人の特定に繋がる痕跡は、一切発見できませんでした」

 諜報部員の報告を予測していたのか、ゲンドウ達に落胆の色はない。彼らには今回の事態を引き起こした犯人の正体に、目星がついていたからだ。

「ご苦労だった。引き続き彼の監視を継続して、逐次情報を送れ」

「はっ!」

 短く返事をすると保安諜報部員は司令室から姿を消した。

 

「さて碇、この状況をどう読む?」

「……老人達からの警告か。あるいは政府の牽制かだ」

 停電の狙いが本部の構造を探ることだとすれば、それを行って得をする組織は多くない。犯人が彼らの予想通りであるなら、黒幕と思われる組織は二つに絞られる。

「ふむ。今彼らに動かれるのは厄介だぞ」

「問題ない。使徒が依然健在である以上、彼らには何も出来んよ」

 心配そうな冬月に、ゲンドウは自信に満ちた言葉を返す。

「なら良いのだが。それと一つ報告だ。例の槍、回収の手筈が整ったぞ。委員会の承認も得ている」

「そうか……」

「全てはゼーレのシナリオ通り、だな」

「ああ。今はそれで良い」

 呟くゲンドウの視線は、遙か遠くを見つめていた。

 




作者が本来想定していた小話の趣旨とは、少々異なる話です。ただ本編のキリが良かったために、ここに入れさせて頂きました。

今後は小話は小話らしく、息抜き出来るようにして参ります。

本編も本日中に投稿させて頂きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※サブタイトルの表記ミスを訂正致しました。


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12話 その1《葛城三佐》

 

 ある日の放課後、ミサトの家ではシイとアスカ、そしてヒカリが勉強会を開いていた。

「うぅぅ、分からない……」

「ここはね、この方程式を使うのよ」

「ホント、あんた馬鹿ね。こんなの授業聞いてれば分かる事でしょ」

 リビングの机に教科書とノートを広げて勉強に励む三人。一応勉強会という名目だが、実態はシイにアスカとヒカリが勉強を教えるというものだった。

「あんたがどうしてもって頼むから、こうしてあたしとヒカリが面倒見てあげてるんでしょ。そんな情けない顔するんじゃないの」

「それはそうだけど……うぅ」

「落ち着いてシイちゃん。ほら、少し考えれば分かってくるから」

 アスカとヒカリの教え方は、まるで飴と鞭の様に対照的だった。正座して問題を解いていくシイを、両側に座った二人が着きっきりでフォローしている。

 因みにレイは特別任務があるらしく、今回は不参加だった。

「大体テストの点なんて、あたし達パイロットには関係無いでしょ」

「だって私が馬鹿だとお父さん、がっかりするだろうし……」

「碇司令が? それは無いんじゃない」

 アスカはゲンドウと話す機会に恵まれていないが、それでもスタッフ達から話は聞いている。冷徹非情の鬼で、娘すらも駒として扱う酷い男だと。そんな男が娘の成績に一喜一憂するとは思えなかった。

「でも勉強するのは大切な事よ。私も手伝うから頑張ろう、ね」

「ヒカリちゃ~ん」

「はぁ、ヒカリは甘いのよ。この子は甘くするととことん甘えるから、厳しい位が丁度良いの」

「アスカは厳しすぎだよ……」

「ほらほら、手が止まってるわよ。さっさと問題解きなさい」

 アスカに促されてシイが再び問題に取りかかろうとすると、不意に来客を告げるチャイムが鳴った。

「あ、お客様だ」

「タイミング悪いわね」

「は~い、今行きます」

 シイは立ち上がるとトコトコと玄関へと向かう。そこで待っていたのは、

「「おじゃましま~す」」

 トウジとケンスケのコンビだった。

 

 シイに迎え入れられてリビングにやってきた二人を見て、アスカは露骨に不機嫌な顔に変わる。嫌っている訳では無く、単に女子だけの空間に男子が入ってきたのが嫌なのだろう。

「げっ、馬鹿コンビ。何しに来たのよ」

「決まっとるやろ。わしらも勉強会に参加させて貰うんや」

「鈴原が……勉強!?」

 トウジの言葉にヒカリはショックを受けて、手にしていた教科書をぽとりと落とす。何度勉強しろと言っても聞かなかったトウジから、自主的に勉強すると言われれば当然の反応とも言えるが。

「実はさトウジの奴、この間のテスト結果が親父さんにバレたらしくて」

「今回のテストで赤点とったら、来月の小遣い無しなんや。こうなりゃ、背に腹は変えられん」

「そうなんだ。でもどうして家に?」

「あれ、碇は知らないのか? 委員長は学年でトップ5に入る優等生なんだよ」

「知らん仲や無いし、ここは恥を忍んで頼もうっちゅう訳や」

 トウジはまだ呆然としているヒカリに元に近づくと、膝を着いて深々と頭を下げた。

「頼む委員長。わしの小遣いのため、力を貸してくれ」

「えっ、あ……ま、全く仕方ないわね。シイちゃんのついでに、見てあげるわよ」

「ほんまか。おおきに委員長。恩に着るわ」

 ヒカリの気持ちを知っているアスカとケンスケはやれやれと言った様子で、シイはキョトンとした様子で二人を見つめていた。

 

 賑やかに、騒がしく、五人の大所帯となったシイ達は勉強会を再開した。ヒカリがトウジに付きっきりになってしまったので、シイはアスカとマンツーマンでしごかれる事になってしまう。

「ほら、また計算ミスしてる。あんたもう少しイージーミス減らしなさいよ」

「うぅぅ、ごめんなさい」

「言った側からまたミス。次ミスったらでこピン一発ね」

「うぅぅぅ」

 ヒカリという飴が無くなった今、シイは徹底的に鞭で叩かれていた。

「ん~分からん。委員長、ここはどないするんや?」

「あ、ここは引っかけなの。これじゃなくて、こっちの式を当てはめれば」

「なるほど。いや~流石委員長、んじゃ次も頼むわ」

「こっちは……」

 一方のトウジとヒカリは、対照的に和やかな空気で勉強を進めていた。机を挟んで正反対の指導が行われる様子を、ケンスケはニヤニヤしながら見つめている。

 実は相田ケンスケという少年、意外に成績は悪くなかった。素行にこそ問題があるが、テストでは平均点より上ををしっかりキープしており、赤点とは無縁の位置にいた。

 すっかり傍観者に徹しているケンスケに、シイは恨みがましい視線を送る。

「相田君ずるいよ……」

「そりゃ言い掛かりだよ。僕は一応授業をちゃんと聞いてるし、まあ要領は悪くないからね」

「ほら、あんたは馬鹿な事言ってないで、ちゃんと集中しなさいよ。でこピン喰らいたい?」

「うぅぅ」

 威嚇のようにでこピンの空打ちをするアスカに、シイは怯えながら問題に取りかかるのだった。

 

「あら、賑やかだと思ったらこんなにお客様が来てたのね」

「「ミサトさん!!」」

 ふすまを開けて部屋から姿を現したミサトに、トウジとケンスケは素早く反応した。ネルフの制服を着込んだミサトは、そんな二人に苦笑を浮かべる。

「みんなで勉強会? 精が出るわね」

「いえいえ」

「こんなん、学生として当然の事ですわ」

((馬鹿コンビ))

 でれでれのトウジ達に、アスカとヒカリは冷めた視線を送る。

「勉強も良いけどシイちゃんとアスカは。今日のテストに遅れないようにね」

「あ、はい」

「は~い」

「みんなはゆっくりしていってね。じゃあ私は先に本部へ行くから」

 ミサトはヒカリ達に笑顔を向けると、リビングから玄関へと向かおうとする。その時ケンスケが何かに気づいたように眼鏡を光らせ、突然立ち上がり深々と頭を下げた。

「こ、この度はご昇進おめでとうございます」

「はは、ありがとう」

 少し困った顔をしながら礼を言うミサト。話に着いていけない他の面々は、ポカンとした顔で二人のやり取りを見つめていた。

 

「ねえ相田君。ミサトさんに何かあったの?」

 ミサトが玄関から出ていった後、シイはケンスケに尋ねてみた。

「気が付かなかったのかい? ミサトさんの襟章だよ。線が二本になってる」

「それが何よ」

「昇進したんだよ。一尉から三佐に」

 興奮したようにケンスケはまくし立てる。ミリタリーマニアの彼は軍人の階級にも詳しい様で、あの短い間に小さな襟章の変化を見逃さないあたりは、筋金入りと言えるだろう。

「へぇー知らなかった」

「……ねえアスカ。それって凄いの?」

「碇は何も分かってない!! あの若さで佐官なんて、普通じゃ考えられない出世なのに」

「そ、そうなんだ……」

 まくし立てる様なケンスケの迫力に、シイは冷や汗を流しながら引き気味に答える。まだシイにはどれほど凄いのかよく分からなかったが、それでもケンスケの話から良いことなのだと理解出来た。

「まあ何にしても、目出度い事やな」

「そうだね……何かお祝いした方が良いのかな」

「それだ!!」

 シイの呟きにケンスケは眼鏡を光らせて叫んだ。

「ミサトさんの三佐昇進パーティーをしよう。そうだ、それが良い」

「パーティーね、まあシイがご馳走作るのなら賛成だけど」

「私は構わないよ」

「よし、決まった。じゃあ準備は僕達に任せてくれ」

 一人盛り上がるケンスケ。だが他の面々もミサトをお祝いする事には賛成であり、今夜葛城家でパーティーを行うことに決定した。

 細かい打ち合わせをしている間に、シイとアスカは本部へ向かう時間になってしまった。飾り付けをトウジとケンスケに、料理の準備をヒカリに任せて、二人はテストの為本部へと向かうのだった。

 

 

 赤い冷却液に満たされた実験室に、三つのテスト用プラグが並んでいる。プラグはそれぞれのエヴァとリンクしており、エヴァに搭乗しなくても実験を可能としていた。

 シイ達はそれぞれのプラグに入り、初めて三人揃ってのテストに臨んでいた。

(でね、ミサトさんが昇進したんだって。よく分からないけど、凄いことみたいなの)

 テスト用プラグの中で、シイはいつものように初号機へ語りかける。実験の間にエヴァへ近況報告をすることが、シイにとっては当たり前になっていた。

(ミサトさんが認められたって事だよね……ふふ、私も嬉しいな)

 エヴァからは言葉こそ返ってこないが、感情の変化の様な物が伝わってくる。なので言葉は交わせなくとも、何となくではあるが意思の疎通が出来ていた。

(今日はみんなでパーティーなの。みんなが嬉しい顔をしてるのは、幸せな事だよね)

『………………』

 聞こえなかった。だが今確かに、エヴァが何かを語りかけてくれた。今までとは違う感覚に、シイはもっとハッキリ聞こうと意識を集中させる。

(今、何を言ってくれたの? ねえ貴方はお話出来るの?)

『………………』

 まるで水の中から外にいる自分へ、呼びかけてくれている様な感覚。どれだけ近づこうとしても、壁のような何かが邪魔をして声が届くことは無い。それが酷くもどかしく感じられ、シイはその先へ飛び込もうとした。

 

 三人のテストをモニターしていた管制室では、シイの異変に気づき慌ただしい空気が流れていた。

「シイちゃんのプラグ深度が急激に降下。精神汚染区域に突入します!」

「深度を戻して」

「駄目です。深度が制御できません。このままでは……」

「1番のテストを中止。全回路の切断急いで」

 リツコは素早く指示を下し、シイと初号機の回路を強制的に切った。精神汚染と言う最悪の事態を免れ、管制室のスタッフ達は深いため息をつく。

「ふぅ、テストの度にこれじゃ心臓に悪いわね」

「ですね。ハーモニクス自体は、アスカよりも大分低い数値なのですけど」

「アスカは平気なの?」

「はい。数値もプラグ深度も安定しています」

 マヤの返答にミサトは首を傾げる。以前はさほど疑問に思わなかったが、何故シイだけ毎回プラグ深度が危険な領域まで下がるのか。改めて考えると不可解だった。

「変ね。これで数値も高いなら納得出来るんだけど」

(多分シイさんは無意識の内に、彼女の存在を受け入れているのね……)

 リツコは険しい表情でガラス越しにシイの姿を見つめていた。

 

 テストが終わり管制室に集合したシイ達は、リツコからテストの結果を告げられる。

「アスカは流石の数値ね。ハーモニクスは三人の中でトップよ」

「ふふん、当然よ」

 リツコからの褒め言葉に、アスカは当然と言いつつも満更では無い様子で胸を張る。エヴァに乗ることにプライドを持っている彼女にとって、一番である事は重要だった。

「レイはもう少し高い領域での安定を心がけて」

「……はい」

 エヴァとのシンクロ率は常に上下に変動するものなのだが、レイは三人の中で一番ぶれが少なく安定した数値を記録していた。

「それとシイさんは……ごめんなさい、アクシデントでテストを中断したから、結果が出なかったわ」

「そうですか……」

「途中までの数値は悪くなかったわ。次に期待してるわね」

「あ、はい」

「じゃあテストは終了よ、お疲れさま。シャワーを浴びて着替えていらっしゃい」

 リツコに促されて三人は管制室を退室した。

 

 シャワーを浴びてから三人は更衣室で着替えを行う。そこでアスカはシイの浮かない表情に気づく。

「あんたまだ気にしてるの? アクシデントなんて、向こうの責任じゃない」

「うん……もう少しだったのに」

「……何かあったの?」

 シイの小さな呟きを聞き逃さなかったレイは、少し心配そうに尋ねる。

「もう少しでエヴァと、お話出来たかもしれなかったの」

「はぁ? あんた馬鹿ぁ? エヴァと話すなんて出来るわけ無いじゃない」

「……どういうこと?」

 着替えを終えたシイはベンチに腰掛けながら、不思議そうな顔をする二人に事情を説明する。自分以外の誰かがエヴァに居てそれと意思疎通が出来ると言う話に、アスカは胡散臭そうな顔をシイに向ける。

「あんた疲れてんじゃ無いの?」

「アスカは感じた事無い?」

「あるわけ無いでしょ。大体そんなのが居たら、シンクロなんて出来ないじゃない」

「そうだけど……」

 同じエヴァのパイロットであるアスカに言われると、シイも自信が無くなってしまう。

(あの人は私の勝手な想像なのかな……)

「レイもそう思うでしょ」

「……エヴァには心があるわ」

 ポツリと呟いたレイに、アスカとシイは視線を向ける。

「……私には碇さんの感覚は分からないけど、否定も出来ないわ」

「綾波さん……」

「ふ~ん。ま、シイはあまりにも情けないから、エヴァも黙ってられないかもね」

「酷いよアスカ~」

「ほら、この話はおしまい。今日はパーティーなんだから、早く帰るわよ」

 今この話を続けても結論は出ないだろうと判断したアスカは、強引に話題を終わらせて帰宅を促す。今こうしている間にも、ヒカリ達は準備をしながら自分達の帰りを待っているのだから。

「あ、そうか。忘れてた」

「あんたね、あれでもミサトは一応家族なんでしょ。エヴァよりも気を遣うべきじゃないの?」

「うぅぅ」

「……パーティー?」

「そうだ、あんたも来なさいよ。ミサトの昇進パーティやるから」

「綾波さんも一緒だと嬉しいな」

「……行くわ」

 アスカとシイの誘いにレイは小さく頷き、パーティーへの参加を決めるのだった。




ミサトが昇進しました。本編ではあまり活躍していないように見えますが、使徒を全て殲滅している実績は、戦闘責任者として立派な物だと思います。

原作のシンジが他人を恐怖の対象として、自分から遠ざけようとするのに対して、シイは孤独という恐怖から逃れる為に、他人を近づけようとしています。
その差が、エヴァとの関係の違いを産んでいる……って事で。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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12話 その2《昇進パーティー》

 

 すっかり日が落ちた第三新東京市をミサトのルノーが駆け抜ける。同乗者はシイだけで、アスカとレイはある事情から別の車でミサトの家へと向かっていた。

「ごめんね。今日のテストは変な事になっちゃって」

「いえ、私にも問題があったと思うので」

「……何かいつもと違う事でもあった?」

「今日はちょっとだけ、エヴァが近くに感じられたんです」

 シイの返答にミサトは僅かに眉をひそめながら尋ねる。

「どんな感じだったの?」

「声は聞こえなかったんですけど、何かを語りかけてくれた……それが分かったんです」

「それでシイちゃんはエヴァに近づいたの?」

「はい。でも見えない壁みたいな何かが、私とエヴァの間にあったんです。だからそれを超えようとして……」

「なるほどね」

 突然プラグ深度が急降下した理由を察し、ミサトは小さく呟く。

(超えてはいけない領域、か。多分リツコはそれを知ってるのね)

 それっきりミサトは厳しい表情のまま、黙り込んでしまった。

 

 ミサトが黙ってしまうと、二人しか乗っていない車内は無言の空間になってしまう。漂い始めた暗い空気を変えようと、シイは話題を切り出す。

「……あの、ご昇進おめでとうございます」

「ありがと。でも、正直あんまり嬉しくは無いの」

「どうしてですか? 昇進って、人に認められたって事ですよね」

「そりゃ少しは嬉しいわよ。でも、それが目的でネルフに入った訳じゃないから」

 答えるミサトの表情に影が落ちる。以前から何度か尋ねてみたが、ミサトがネルフに入った理由は結局教えて貰えなかった。

 それを聞くことがミサトの心に踏み込む事だと分かっていても、シイは聞きたい気持ちを抑えきれない。

「聞いても良いですか?」

「つまらない話よ。それでも良い?」

 直ぐさま頷くシイをチラリと横目で見て、ミサトは覚悟を決めた表情で語り始めた。

 

「私の父は自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。そんな父を許せなかった。憎んでさえいた」

(……お父さんに似てるかも)

「家族の事なんか見向きもしなかったわ。周りは繊細な人だと言っていたけどね。だけどホントは心の弱い、現実から……私たち家族という現実から、逃げてばかりいた人なのよ」

(家族という現実……)

「だから母が父と別れたときも、すぐ賛成したわ。母はいつも泣いてばかりいたもの」

(私のお母さんも泣いてたのかな……)

「父はショックだったみたいだけど、私は自業自得だと笑ったわ。だけど……」

 ミサトは一度言葉を止めると、ハンドルを握る手に力を込めて続きを語った。

「最後は死んだわ。セカンドインパクトの時、私の身代わりになってね」

(…………)

「前に温泉で見せた胸の傷はその時のものよ。この傷を見る度、この傷がうずく度に私はあの時の光景を思い出すの。この世の終わりと思う程荒れ果てた世界と、その中心に伸びる光の柱を」

「それが、使徒……」

「分からないわ。ただ一つ確かなのは、私はセカンドインパクトを引き起こした使徒を、私から全てを奪った使徒を許さない。だから復讐の為にネルフに入ったの」

 語り終えたミサトにシイは何も言えなかった。この話はミサトの心の傷を呼び起こすもの。気軽に聞いて良い話では無かったのだ。

 そして、過去の自分の失言にも気づいてしまった。

「……ミサトさん、ごめんなさい」

「え?」

 予期せぬシイからの謝罪にミサトは間の抜けた声を上げる。彼女は私怨の為にシイ達を道具扱いした自分を、シイは責めるだろうと思っていたからだ。ミサトは驚いて視線を横に向ける。

「私……前にミサトさんに……酷いこと言っちゃって」

「前……」

「大切な人を失えば分かるって……ミサトさん……私より……辛い思いをしてたのに……」

 膝の上で震えるシイの拳に涙がこぼれ落ちる。あの時の自分の言葉が、どれだけミサトを傷つけたのか。後悔の念は涙となって溢れ、止まることを知らなかった。

「ありがとうシイちゃん。私の代わりに泣いてくれて」

「……え」

「私は父が死んだときも、泣けなかったのよ。あの時の私は父を憎んでいたから」

 ミサトは車を止めて助手席のシイへと向き直る。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

「だからありがとう。父のために、私のために泣いてくれて、ありがとう」

 シイはミサトの胸に顔を埋めて思い切り泣いた。それは大切な人を失っても泣くことを許されなかった、ミサトの涙でもあったのかも知れない。

 

 

 

「それでは、葛城ミサト三佐のご昇進をお祝いして」

「「かんぱ~い」」

 ミサトの家にグラスが重なり合う音が響いた。テーブルに並べられた豪華な料理と、ミサトを祝うべく集まった多くの人達で、リビングは明るい空気に満ちていた。

「みんなありがとう」

「言いだしっぺは、こいつですわ」

「そうです。企画立案はこの相田ケンスケ、相田ケンスケです」

「ありがとう、相田君」

 立ち上がり力一杯主張するケンスケに、ミサトは苦笑いを浮かべながらもお礼を言う。結果的に彼の一言で加持やリツコまで招待する、盛大なパーティーが開かれたのだから侮れない。

 

「ねえアスカ、あの人が加持さん?」

「そうよ。大人の男って感じで素敵でしょ」

「ん~そうなのかな。綾波さんはどう思う?」

「……美味しい」

 ヒカリとアスカが加持の話題で盛り上がる中、レイは一人黙々とシイの作った料理を食べる。肉が食べられない彼女の為に、シイが工夫を凝らした料理をお気に召したようだ。

 パーティーが始まってから全く箸が止まらないレイに、アスカは呆れたように突っ込みを入れる。

「あんたね、あんまり食べると太るわよ」

「……アスカ、鏡を見たことはある?」

「何ですってぇぇ!!」

 さらりと毒舌を吐くレイに、アスカが思い切り噛みつく。ただそれは仲の良い友人のじゃれ合いであり、喧嘩するほど仲が良いを体現している様であった。

 そんな二人を微笑ましそうに見つめるヒカリの横で、シイは羨望のため息を漏らす。

「はぁ、アスカも綾波さんもスタイルが良くて羨ましいな」

「牛乳飲むと良いらしいわよ」

「……毎日一本飲んでるの」

「そ、そうなんだ。そう言えば遺伝も関係あるって聞いたことが」

「うぅぅ、お母さんも私みたいだったのかな……」

 シイには母親の記憶がほとんど無い。実家で暮らしていた時も、何故か写真などは全て処分されていたので、母の姿を想像することが出来なかった。

「ふ~ん、でも写真の一枚くらい、誰か持ってそうだけどね」

 ヒカリとシイの話が聞こえたのか、アスカが二人の間に入ってくる。

「家族じゃなくて、知り合いなら意外と捨てずに持ってるかも知れないわ」

「お母さんの知り合い?」

「……昔、副司令が碇さんのお母さんの先生だったと、聞いた事があるわ」

「冬月先生が!?」

「ええ」

「そうだったんだ……今度聞いてみようかな」

 レイの言葉を聞いたシイは、母の姿を見ることが出来る希望に笑顔を輝かせるのだった。

 

 女の子グループから少し離れた場所では、ケンスケとリツコが兵器について熱く語り合っていた。

「それは凄い。ガンブレードはやはり優れた武器ですよね」

「あら、貴方若いのに分かってるわね」

「槍と斧があるなら、やっぱり剣も作ってたりするんですか?」

「ふふ、一応ね。機密だから詳しくは言えないけど、刀型の武器を試作中なの」

 今日が初対面の筈の二人だが軍事オタクのケンスケと、マッドサイエンティストの気があるリツコは相性が良いらしく、すっかり打ち解けた様子を見せていた。

「おぉ、素晴らしい。なら後は防御面ですよね。プロテクターとかは?」

「動きを制限しない追加装甲を思案中よ」

「流石はネルフが誇る赤木リツコ博士。こうしてお話出来るだけでも光栄です」

「貴方もなかなか見込みがあるわね。今度うちに見学へいらっしゃい」

 意気投合したケンスケとリツコはエヴァの装備について、ディープに語り合い続けた。

 

 そんな二人の横では、トウジと加持が男女について言葉を交わしていた。

「やっぱ女っちゅうのは分からんですわ」

「そりゃそうさ。俺達男性にとって、女性は永遠の謎だよ」

「加持さんは女性の扱いが得意って、聞いとりますけど」

 トウジと加持はオーヴァーザレインボーで出会って以来だったが、その時のやり取りから加持が女性に慣れている男だと、トウジは認識していた。

「ま、それなりにな。君は気になる女の子でもいるのかな?」

「わ、わしは別に……気になるっちゅうか、まあ何と言いますか」

「なら俺からのアドバイスだ。恋愛に関しては、当事者以外の言葉は信じるな」

「何でですか?」

「男女の仲は、本人達にしか分からない世界だからさ。だから全ては、自分で考え自分で決めろ」

「自分で……」

「時にそれは悲しい結果を迎えるかもしれない。だが、後悔だけはしないで済むさ」

 大人の男の雰囲気を纏った加持の言葉は、不思議な説得力があった。トウジは尊敬の眼差しを加持に向け、深々と頭を下げる。

「加持さん、いや加持の兄さんと呼ばせてください」

「大げさだな。まあ、君の場合相手にも脈がありそうだぞ」

「え、分かるんですかって…………へへへ、そう言う事ですね」

「そうだ、それで良い」

 トウジと加持は男同士の会話を堪能していた。

 

「……ねえ、ペンペン」

「くえぇ?」

「このパーティー、主役は私なのよね?」

「くえぇぇ」

 一人話の輪から外れてしまったミサトを、ペンペンは優しく慰めるのだった。

 

 

 パーティーが盛り上がる中、シイはリツコから二人の不在を聞かされた。

「そうですか、お父さんと冬月先生は今居ないんですね」

「何よそれ、司令と副司令が揃って不在なんて、緊張感無さ過ぎなんじゃない?」

「……多分初めてだと思う」

「ええ。私の知る限り、今まで二人が同時に本部を離れたことは無かったわ」

「これも全部、留守を任せた葛城を信頼してるって事かな」

「んな訳ないでしょ」

 加持の言葉にミサトは、ビールをぐびぐびと飲みながらジト目を向ける。褒められた恥ずかしさもあるのだが、自分があの二人に信頼されているとは思えなかったからだ。

「いやいや、二人が不在ならネルフの指揮責任者は葛城だからな。信頼してなきゃ出来ない事さ」

「へぇ~ミサトも偉くなったのね」

「……あの、良く分からないんですけど、ミサトさんってどれくらい偉いんですか?」

 話の流れを壊さないように、シイは恐る恐る尋ねてみる。

「そうね、ネルフの戦術作戦部の部長で作戦局第一課の課長を兼任。使徒襲来の際には、司令と副司令に続く指揮権を持ってる。そう言えば少しは分かるかしら」

「えっと、何となくですが」

「りっちゃんと俺よりも階級は上だよ。おっと、それなら敬語を使うべきかな?」

「何言ってんのよ、ば~か」

 ビールを飲むミサトの頬は、赤く染まっていた。それは酔いもあるのだろうが、自分が褒められた事に対する照れも隠れていた。

 

「でもお父さん達、二人揃って何処に行ってるんだろ」

「さあね。ひょっとしてこっそりと、温泉でも入ってるんじゃない?」

「碇司令達は今、南極に行ってるわ」

 シイの問いかけに答えたのはリツコだった。ミサトの話を聞いていたシイは南極という言葉に反応して、僅かに眉をひそめる。 

(南極……セカンドインパクトが起きた場所……何をしに行ってるんだろう)

 遠く離れた地に居るであろう父を思い、シイは窓の外へと視線を向けるのだった。

 

 

 かつて南極大陸と呼ばれた場所は既に無く、辺りは一面に広がる赤い海と所々に突き立つ塩の柱があるだけ。それはまさに死んだ世界だった。

 その中を進む艦隊の中央に位置する旗艦のブリッジ。そこにゲンドウと冬月の姿があった。

「回収は無事に終わったな」

「ああ。これも我々の切り札になり得る」

「これでようやく、この場所から離れられる。出来れば二度と来たくないな」

 ブリッジの窓からは見渡す限りの赤い海と塩の柱が見える。まるで生物の存在を否定するような冷たい光景に、冬月は心底嫌そうな顔をした。

「原罪の汚れ無き世界、浄化された世界だ」

「これがか? 俺には死の世界にしか見えんよ」

「だが我々はここに存在している。生きたままでだ」

「科学の力で守られているからな」

「科学は人の力だ。力無き我々が生き残るため得た力だよ」

 断言するようなゲンドウの口調に、冬月は嫌悪感を隠さない。

「その傲慢がセカンドインパクトを起こしたのだ。結果この有様、与えられた罰にしては大きすぎる」

「だが、我々は引き返せない。もう時間が無いのだ。冬月、揺らぐな」

「それはお前だと思うがな」

 冬月の言葉にゲンドウは僅かに顔をしかめて押し黙る。その反応こそが、ゲンドウにまだ迷いがある証拠だと理解した冬月は、小さなため息と共に言葉を続ける。

「……シイ君が望むのは、人の生きている世界だと思うぞ」

「分かっている。それでも私は引き返さない。例えシイに恨まれようとも」

 ゲンドウは旗艦の横を航行する母艦の甲板へと目を向ける。そこにはカバーでくるまれた、棒状の物体が厳重にくくりつけられていた。

(もし、シイ君が希望を見いだしたならば……あるいは)

 冬月は目を閉じて小さな願いを、あの少女へと向けるのだった。

 




シイとアスカが過去にトラウマを抱えているのと同じで、ミサトも過去に傷を持っています。この三人は似ていますよね。
だから疑似家族の存在が、三人の精神的にも大変重要な物になっています。

冬月は原作の台詞を聞いていても、やはり人類補完計画、ゲンドウの計画に関しても本心では反対っぽい感じがしました。
果たして冬月は今後、ゲンドウに協力し続けるのか。それとも……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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12話 その3《天空の使徒》

 使徒の襲来に備え、ネルフと国連軍は日本の陸海空を常時警戒している。これまでも日本に近づく使徒を早期発見し、エヴァによる迎撃が行われていた。

 だが今回の使徒は、彼らの予想を裏切る位置に姿を現した。

「二分前に突然現れました」

「マグマの時も驚いたけど、まさか宇宙とはね」

 非常招集に慌てて駆けつけてみたら、使徒が出現したのはまさかの地球外。予想外にも程がある出現地点に、ミサトは呆れたように呟いた。

「目標はインド洋上空、衛星軌道上に位置しているわ。後はデータ解析待ちよ」

「第六サーチ、衛星軌道に入りました。目標との接触まで、後二分」

「映像データ受信確認。映像を主モニターに回します」

 青葉の報告と同時に、メインモニターが使徒の姿を映し出す。

 巨大な目からアメーバ状にオレンジ色の手が両側に伸びており、シンメトリックの様な形態をしている。それはまるでシュールレアリズムの絵が、現実に現れた様だった。

「「おぉぉ」」

 既に数体の使徒を確認しているスタッフ達だったが、モニター一杯に映し出された使徒のあまりに規格外のその姿に、思わず驚嘆のため息が溢れた。

 

「こりゃ凄いですね」

「常識を疑うわね。ま、使徒に常識なんて無いでしょうけど」

「サーチ衛星、目標と接触。データ解析開始……あっ!」

 マヤが端末を操作しようとした瞬間、メインモニターの映像が砂嵐へと変わる。それは映像を送っていた第六サーチの消失を意味していた。

「攻撃された? でも何をしたようにも見えなかったけど」

「恐らくATフィールドをぶつけたのね。新しい使い方だわ」

「……不可侵領域を相手に、か。それってエヴァも出来るって事?」

「理論上はね。マヤ、他のサーチ衛星を回して。まずはデータ収集を行うのよ」

「現在第四、第七、第十二サーチが衛星軌道へ向けて移動中です」

 今度は先程よりも少し離れた位置からデータの解析を開始した。

 

 出現してから目立った動きを見せなかった使徒だが、何か切っ掛けがあったのか突然、攻撃行動を取った。自らの身体の一部を切り離し、地上へと落下させる常識外れの攻撃。

 作戦司令室に移動したミサト達はテーブルディスプレイに映し出されている、海に出来た巨大なクレーターを見て、呆れたように顔を見合わせる。

「へぇ~大した破壊力ね。改めてATフィールドの力を思い知ったわ」

「落下のエネルギーも利用していますからね」

「その一度目がそれ、後は確実に誤差修正しているみたいね」

 太平洋に落下した初弾以降、二度、三度と繰り返された落下攻撃は、徐々にではあるが確実にネルフ本部へと近づいていた。四度目が無いのは、もう試し打ちの必要が無いと判断したからなのだろうか。

「N2航空爆雷による攻撃が行われましたが、効果はありません」

「ま、これだけATフィールドが強いんだし当然ね」

「その後、全てのサーチ衛星が破壊された為、使徒の消息は不明です」

 青葉の報告を受けたミサトは少しの間、瞳を閉じて思案を巡らせる。これまで得られたデータから、導き出される答えは一つだった。

「……来るわね、ここに」

「ええ、間違いないでしょう。それも本体ごとね」

 ミサトの予測にリツコも同意した。確実に目標地点へ命中させると判断したなら、出し惜しみをする意味は無いだろう。それはすなわち、使徒本体による直接攻撃を意味する。

「南極の碇司令と連絡は取れる?」

「使徒の放つジャミングが強力な為、通信は依然不能です」

「MAGIは?」

「全館一致で撤退を推奨しています」

 三系統のコンピューターによる多数決でMAGIは結論を出す。あの無謀と言われたヤシマ作戦でさえ、賛成二、条件付き賛成一だった。

 それが今回は全てが撤退を推奨している。状況がいかに絶望的なのかを示すに十分だろう。

「ま、そりゃそうよね」

「どうするの? 今の責任者は貴方よ、葛城三佐」

 その場にいた全員の視線が集まる中、ミサトは暫し考えて指示を下す。

「……日本政府各省に通達。ネルフ権限における特別宣言D-17を発令します。半径50km以内の全市民を避難させて。MAGIのバックアップは松代に」

「ここを放棄するんですか?」

「いえ、勿論最後まで戦うわ。ただ、みんながリスクを背負う必要はないもの」

 困惑する日向の問いかけに静かに答えるミサトだったが、その目には確固たる意思が宿っていた。

 

 

 D-17が発令された第三新東京市は大混乱に陥っていた。避難指示に従って第三新東京市から脱出しようとする車で道路が埋め尽くされ、戦自の輸送用ヘリもかなりの数が動員されている。

「……なんや、今回はえらい大事みたいやな」

「うん。地下シェルターじゃ無くて外へ避難なんて、相当の異常事態だよ」

「やっぱり使徒が来るからよね」

 トウジ達2年A組の生徒達も、学校からバスで第三新東京市の外へと避難している最中だった。とは言え以前の様にはしゃぐ者は誰一人居ない。

 自分達の友人が戦ってくれていると自覚してから、彼らは避難指示を真摯に受け止める様になっていた。

「やるせへんな。わしらの為に戦うシイ達を残して、わしらだけ逃げるっちゅうのは」

「僕らが居ても邪魔になるだけだよ。僕達に出来ることは、三人の無事を祈る事だけだね」

「……シイちゃん、綾波さん、アスカ……どうか無事で」

 手を合わせて祈るヒカリ。それは彼女だけでなく、バスに乗り込んでいるクラスメイト全員が、それぞれの形でシイ達の無事を祈っていた。

 

 

「……手で」

「使徒を」

「受け止めるぅぅ!?」

 緊急招集を受けてネルフ本部に集合したシイ達は、ミサトから今回の作戦を告げられ、唖然とした様子でオウム返しする。

「そうよ。落下してくる使徒を、エヴァで直接受け止めるの」

 ミサトはモニターに第三新東京市近辺の地図を表示させる。

「これが使徒の落下予想範囲よ。この何処に落ちても、ネルフ本部は消滅するわ」

「こんなに広いなんて……」

「……全てをカバーするのは不可能だと思います」

「ええ。なので、エヴァ三機をこの位置に配置するわ」

 地図に青、紫、赤の色で塗りつぶされたエリアが現れる。それは使徒の落下予想範囲内で、エヴァ各機がカバー出来る最大エリアだった。色は範囲内の大体六割程を埋め尽くしていた。

「気づいたと思うけど、この色はそれぞれのエヴァが移動できる距離の範囲を示しているわ」

「じゃあもし、色がついてない所に使徒が落ちたら……」

「アウトね」

「他の二機がカバーに入る前に、機体が衝撃に耐えられなかったら?」

「その時もアウト」

「で、この作戦の勝算は?」

「神のみぞ知る、かしら。正直作戦と呼べないレベル……だから貴方達には拒否権があるわ」

 MAGIが弾き出した作戦の成功確率は、1%にも遠く満たない。無謀とも言える作戦だからこそ、ミサトは彼女たちに無理強いをせずに、それぞれの意思に委ねた。

「私はやります」

 三人の中で真っ先に意思を表明したのはシイだった。

「私達がやらないと、みんな無くなっちゃう。そんなのは嫌だから」

「……私も問題ありません」

「ちょっと、リーダーを差し置いて勝手に話を進めないで。んな訳でミサト、そんなのは愚問よ」

 シイ、レイ、アスカはそれぞれ覚悟を決めた視線をミサトに向ける。三人の意思をしっかりと受け止めたミサトは、感謝するように深々と一礼した。

 

「……ありがとう。これが終わったら、みんなにステーキ奢るから」

「駄目です!」

「却下よ!」

「えっ!?」

 ミサトの言葉にシイとアスカが即答で駄目出しをした。ミサトにしてみれば、ちょっとしたサービスのつもりで言ったのだが、まさかの反応にミサトは目を丸くする。

「綾波さんがお肉食べられないんですから」

「そうよ。ご褒美のご馳走なら、もっと他にあるでしょ」

「そ、そう……じゃあ何が良いかしら」

 二人の反応がレイを思いやっての事だと理解して、ミサトは苦笑しながらシイ達に尋ねる。

「チョコレートフォンデュ」

「フランス料理のフルコース」

「……精進料理」

 三人同時に食べたいものを告げたのだが、見事に意見が割れた。アスカとレイはともかく、シイに至っては食事と言うよりもデザートだった。

「ちょっと、あたしがリーダーなんだから、あたしに合わせなさいよ」

「え~チョコレートフォンデュ美味しいのに」

「……精進料理」

 譲らないシイとレイに、アスカは自分の意見を押し通そうとアピールを行う。

「シイのはそれデザートでしょ。世界最高峰の料理は、フランス料理って相場が決まってんの」

「それはおかしいよ。日本食はヘルシーで、とっても健康に良いんだから」

「チョコレートフォンデュって言った奴の台詞じゃないでしょ!」

「……精進料理」

 食べ物の好みはそれこそ千差万別だ。育ってきた環境や国籍が異なる三人の意見が分かれるのも、ある意味で必然と言えるだろう。

「むぅ~なら私は綾波さんに賛成。じゃあ二対一でお寿司に決定ね」

「いいえ、違うわ。あたしはリーダーだから二倍の決定権があるのよ」

「ズルイよアスカ。大体アスカはドイツ人なんだから、ドイツ料理を勧めれば良いじゃない」

「あんた馬鹿ぁ? こんな島国に、本物のドイツ料理を出す店があるわけ無いでしょ」

「なら本場の日本料理で決まりだよ」

「……精進料理」

「あ~も~煩いわね。てかレイはいつまでそれ言ってんのよ」

 絶望的な作戦を前にしても、普段通りに振る舞う三人。それをミサトは頼もしく見つめていた。

 

「三人とも、盛り上がってる所悪いけど時間が無いわ」

「ちっ、しょうがないわね」

 作戦が成功しなければ、そもそもご馳走の話すら無くなってしまう。アスカは気持ちを切り替えると、握った拳を二人の前に差し出す。

「この続きは使徒を殲滅した後よ。だから絶対に全員揃って作戦を完遂すること。これはリーダーの命令よ!」

「うん、そうだね」

「……ええ」

 シイは微笑みながら、レイは無表情でアスカの拳に自分の拳を合わせる。こうして希望に満ちあふれた少女達による、絶望的な作戦が開始されるのだった。

 




新劇場版で超VIP待遇を受けた使徒様のご登場です。この小説のベースはTV版なので、あんな派手な演出は無いと思いますが。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※レイが魚も駄目だったと言う事実を、感想で教えて頂いたので、一部表現を変更致しました。
ご指摘下さった方、ありがとうございます。


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12話 その4《集う力》

「エヴァ各機、予定地点へ配置完了しました」

「了解。それじゃあ、貴方達も避難して。ここには私が残るから」

 高速輸送機を使用すれば、今からでも危険区域外への避難が間に合う。シイ達をフォローする最小限の人員だけが残れば良いと、ミサトは発令所のオペレーター達に告げた。

「何言ってるんですか、葛城さん」

「そうっすよ。戦闘配備中の俺達の居場所はここですから」

「はい。それにシイちゃん達だけ危険な目にあわせるのは、流石に嫌ですし」

「そう言う事よミサト。あの子達を信じているのは、貴方だけじゃ無いの」

 リツコの言葉を証明するかのように、発令所にはメインオペレーター三人だけでなく、ほぼ全てのスタッフが残っていた。それぞれが自分の仕事に従事し、不安な様子は欠片も見えない。

「でも、万が一の事態にもあの子達は大丈夫でしょうけどね」

「そうね。ATフィールドがある限り、エヴァの中が一番安全だもの」

「だからあの子達をエヴァに乗せたの?」

「……違うわ。あくまで使徒殲滅を優先しただけ。私怨と言われても仕方ないけどね」

「自分で分かっているなら結構よ。それに、貴方の作戦を受け入れたのはあの子達だもの」

 以前の彼女なら間違いなく、シイ達に作戦を強要しただろう。だが今回はそれをしなかった。理由は分からないが、リツコはミサトの心境に何らかの変化が起きた事を察した。

「目標を最大望遠で確認。現在距離3万!」

「さて、始めましょうか」

 ミサトはニヤリと笑みを浮かべ、エヴァへと通信を繋いだ。

 

 

『みんな、スタート体勢に入って』

 プラグ内でミサトの指示を聞いたシイは、両足を広げて初号機の腰を低く落とす。零号機と弐号機はクラウチングスタートの姿勢を取っているが、彼女は転びそうだからと言う理由で、スタンディングスタートの姿勢で合図を待った。

『目標は光学観測による弾道計算しか出来ないの。だからMAGIが距離1万までは誘導するわ。その後は各自の判断で行動して。……あなたたちにすべて任せるわ』

「はい」

「……了解」

「ま、大船に乗ったつもりで安心してなさいって」

『目標、距離2万!』

『では、作戦開始』

 ミサトの言葉と同時に、エヴァ三機はアンビリカルケーブルを排除。一斉にスタートを切った。

 

 巨大なエヴァが第三新東京市を駆け抜ける。大地をえぐり、空気を切り裂き、ただ一つの目的のためにひたすら加速していった。

『距離、1万5千!』

 徐々に地表に向けて近づいてくる使徒。真っ赤な空気を纏い空高くから落下するその姿は、エヴァに乗っているシイ達からも確認出来た。

 MAGIの計算によってリアルタイムで修正されていく落下予測地点。自分達の活動範囲外に落下すると知ったレイとアスカは、シイに通信を入れる。

『……私は間に合わないわ』

『ちっ、こっちも少し遠い。シイ、あんたの出番よ!』

「うん! お願い初号機。一緒に頑張ろう」

 シイがグッとレバーを握りしめると、初号機の鋭い両眼に強い輝きが宿る。限界を超えた加速は、周囲の全てを吹き飛ばす風を巻き起こしながら、使徒の元へとシイを運ぶ。

『距離、1万!』

「ここ! ATフィールド全開!!」

 立てたかかとでブレーキを掛けながら、初号機は落下する使徒の真下に滑り込む。そして両足を強く踏ん張り、ATフィールドを最大出力で発生させた。

「おっきい……」

 目前に迫る使徒は、とても一人では支えきれない程巨大に見えた。押しつぶされそうな威圧感に、シイの身体が恐怖に竦みかけたその時、脳裏にふっと海上での戦いが蘇る。

(でかいだけでしょぉぉ!)

「……そう、大きいだけ。大丈夫……やれる」

 間近で見たアスカの勇気を思い出したシイは、歯を食いしばると初号機の両腕を天に掲げた。

 

 小高い丘の上で初号機と使徒は接触した。互いのATフィールドが反応しあい、巨大な光の壁が両者の間に広がると同時に、強烈な衝撃波が周囲一帯をなぎ払う。

「っっっ……」

 シイの身体に伝わる衝撃は、彼女の予想を遙かに超えていた。両腕の骨と筋肉が悲鳴を上げ、気を抜けば直ぐにでも肩の骨が外れ、押しつぶされてしまうだろう。

 苦悶の表情を浮かべ脂汗を流しながら、それでもシイは決して諦めなかった。目に浮かぶ涙を拭う事もせずに、歯をすり減るほど強く食いしばって必死に耐える。

「……うぅぅぅぅ!!」

 使徒を支えていた初号機の上腕部が、衝撃に耐えきれずに裂けてしまった。筋肉が断裂した痛みがシイを襲うが、まだ諦めない。徐々に踏ん張っている足場が大地に沈んでいっても、シイは挫けない。

「負け……ないんだから……」

 一人ならば決して耐えられなかっただろう。だが今は仲間がいる。自分を信じてここに向かっているレイとアスカを思うと、不思議と力が沸き上がってきた。

 

『碇さん』

『あんたにしちゃ、根性みせたじゃない』

「綾波さん、アスカ」

 待ちわびていた瞬間だった。丘を駆け上がってきた零号機と弐号機が、初号機の両側に立って使徒を全員で持ち上げる。エヴァ三機のATフィールドが重なり合った瞬間、使徒の身体が僅かに浮いた。

「私は手が動かない。お願い!」

『任せて』

 レイは零号機の肩からナイフを取り出すと、使徒のフィールドを切り裂く。

『アスカ』

『上出来よ! くたばれぇぇぇ!!』

 最初で最後のチャンス。それをアスカは逃さず、ナイフを使徒の巨大な目へと突き立てる。目玉の部分がコアだったのか、使徒は力尽きたように身体の力を抜くと、三機のエヴァを巻き込んで大爆発を起こした。

 

 

 発令所のモニターには使徒が滅びた際に発する、巨大な十字の光が映し出されていた。使徒殲滅が確認できても彼らはまだ表情を緩めない。

「…………エヴァ全機、確認!」

「「おぉぉぉぉぉ!!」」

 シイ達の無事を告げられた瞬間、ようやく発令所に歓喜の雄叫びが巻き起こった。

「まさに奇跡ね」

「いいえ、あの子達は自分達の力で使徒を倒した。奇跡なんてあやふやなものに頼ること無くね」

(奇跡を起こすのは人の意思……か)

 リツコは歓喜に沸く発令所で、一人複雑な表情で黙り込む。

「回収班を向かわせて。あの子達は活動限界だから」

「了解!」

 爆発の震源地で仲良く横たわるエヴァを、ミサトは誇らしげに見つめていた。

 

 本部に帰還したシイ達は、ミサト達が待つ発令所へ姿を見せた。困難な作戦を終えた開放感からか、作戦前の話題を楽しそうに話ながら歩いてくる。

「あたしがトドメを刺したんだから、当然フランス料理よ」

「……最初に使徒を止めたのは碇さん」

「わ、私は別に……。やっぱり綾波さんのアシストが大きかったと思うけど」

「でもさ、あんたその手でご飯食べられるの?」

「うぅぅ、ちょっと無理かも」

 情けない声を出すシイの両腕には、痛々しく包帯が巻かれていた。火事場の馬鹿力なのか、一時的にエヴァとシンクロが高まった為に、フィードバックダメージも強くシイに跳ね返ってしまったのだ。 

「ふふん、じゃあシイは不参加ね。あ~可哀想、折角のご馳走なのに見てるだけなんて」

「酷いよアスカ……」

「……大丈夫、私が居るもの」

 意図の読めないレイの発言にシイは首を傾げた所で、三人はミサトの前に辿り着いた。困難な作戦を成し遂げたシイ達を、ミサトは微笑みながら迎える。

「お疲れさま、みんな。本当に良くやってくれたわね」

「ありがとうございます」

「あたしにかかれば楽勝よ。ねえミサト、ミサトはやっぱフランス料理が良いわよね?」

 スポンサーを取り込む作戦に出たアスカに、ミサトは苦笑を浮かべる。このまま三人に付き合ってあげたい所だが、その前に責任者としてやるべき仕事が残っていた。

「悪いけど、その話はちょっち待ってね」

「葛城三佐。南極の碇司令から通信が入っています」

 ジャミングの元凶が居なくなったお陰で、通信システムは復旧していた。臨時の責任者であるミサトには、自らの指示とその結果を、ゲンドウに報告する義務があった。

「お繋ぎして」

『話は聞いたよ。使徒は無事殲滅出来たようだね』

「はい。ただ申し訳ありません。私の独断で初号機を損壊、搭乗者も負傷させてしまいました。責任は全て、私にあります」

『初号機の事は構わん。使徒の殲滅がエヴァの使命だよ』

『ああ。良くやってくれた、葛城三佐』

「ありがとうございます」

 労いの言葉を掛ける冬月とゲンドウに、音声のみの通信と知りつつもミサトは頭を下げた。

『ところで、そこに初号機のパイロットは居るか?』

「え? あ、はい。ここに居ます」

 突然ゲンドウに呼ばれ、シイは慌てて返事をする。

『…………ま、まあ何だ……良くやったな、シイ』

「お父……さん」

 初めてに近い父からの褒め言葉。それはシイが求めていたものだったが、自分が何を言われたのか一瞬理解出来なかった。褒め言葉を素直に受け取るには、あまりに親子の距離は遠すぎた。

『私からも礼を言わせてくれ。ありがとうシイ君、本当によく頑張ってくれた』

「あ……ありがとうございます、冬月先生」

『そして、他のチルドレンも良くやってくれた。君達の働きにも感謝する』

 一番活躍したのはシイかもしれないが、今回の作戦は彼女だけでは達成できなかった。冬月はレイとアスカにもシイと同じように賛辞を呈する。

 このあたりの気配りが当然のように出来るのが、冬月という男であった。

「……問題ありません」

「こんなの楽勝よ」

『頼もしい限りだな。では葛城三佐、後は頼むよ』

「はい」

『それと、搭乗者負傷の件については、戻ったらたっぷりと話を聞こう』

「え゛」

 冬月の言葉にミサトはぎくりと肩を震わせる。そう言えば冬月は先程、初号機『の事は』構わないと言っていた。だとすれば、シイの負傷については構うと言う訳で……。

『そうだな。報告を楽しみにしている。葛城三佐』

 何とも不吉なゲンドウの言葉を最後に通信は終わった。この先自分の身に待ち受けている展開を予想して、青ざめるミサトにシイは必死でフォローを入れる。

「み、ミサトさん、私ちゃんと言いますから。ミサトさんは悪くないって」

「シイちゃん、ホントにお願い。冗談抜きでやばいかもしれない」

 肘から肩口まで巻かれたシイの包帯を見て、ミサトは見得を捨て去ってお願いするのだった。

 

 

 あれから事後処理などを終えたミサトは、シイ達と一緒にルノーで夜の第三新東京市を移動する。期待に応えてくれた少女達に、せめてもの感謝をする為だ。

「約束は守って貰うわよ」

「ええ。フルコースだってどんと来いよ」

 強気に応えるミサトだったが、ハンドルを握る手は震え頬には冷や汗が伝っている。運悪く今日は給料日前で、ありったけを下ろしてきたミサトの口座は、冗談抜きですっからかんだった。

「あ、そこ右に曲がって。ほら、着いたわよ」

 ルノーのフロントガラスに小さな店の明かりが見える。だがそれはフランス料理でも回らないお寿司でもなく、一軒の小さなラーメン屋台だった。

「ここ?」

「そうよ。ミサトの懐具合くらい分かってるし、レイが和食、あたしが洋食で結局意見が纏まらなかったから、間を取って中華って訳」

 第三新東京市には、中華料理の高級店もある。それでもラーメンの屋台を選んだのは、本人は否定するだろうが、アスカなりの気遣いなのだろう。

「私屋台初めて来ました」

「……私も」

「ネルフのみんなに聞いたんだけど、ここって知られざる名店らしいわ」

「へぇ~楽しみだね、綾波さん」

「ええ」

「ほら、何ぼけっとしてるのよ。行くわよ、ミサト」

 アスカに促され一同は屋台ののれんをくぐった。

 

「親父さん、あたしフカヒレチャーシュー大盛りでね」

「フカヒレ……チャーシュー?」

「何よその顔。リツコ曰く、一度食べたら二度と忘れられない味らしいわよ」

(それ、どっちの意味にもとれるよ……)

「私はニンニクラーメンチャーシュー抜きで」

「綾波さんは刺激物大丈夫なんだ」

「いえ、食べたこと無いわ。ただ赤木博士が疲労回復には良いって」

(リツコさん……それは無責任過ぎるんじゃ)

「そうね~、じゃあ私はチャーシュー麺大盛りで。あ、それと生中をジョッキで――」

「「「じぃぃぃぃぃ」」」

「じょ、冗談よ。嫌ね、ほほほ」

(絶対本気だった……)

 西暦2015年現在、飲酒運転は勿論犯罪だった。

「私は……うぅ、どうしよう」

「あんたって、ホント優柔不断ね」

「ん~、すいません、お薦めは何ですか?」

「そりゃ醤油ラーメンだな。うちはこれで店を立ち上げた位だし、自信はあるよ」

「凄いですね。じゃあそれをお願いします」

 注文を終えた四人の前に湯気を立てる美味しそうなラーメンが並べられる。パチンと割り箸を割る音が、空腹の胃袋を一層刺激した。

「「いただきます」」

 アスカ、レイ、ミサトが箸を伸ばす中、両腕が動かないシイは寂しそうに丼を見つめていた。

(どうしよう……お腹空いたけど、手が動かないし)

「碇さん」

「えっ!?」

 不意にシイの口元に麺が運ばれる。驚いて視線を向けると、隣に座るレイがシイの丼から麺を取って食べさせようとしてくれていた。

「……食べないの?」

「あ、うん、頂きます」

 一瞬驚いたシイだったが、素直にレイの箸から麺を食べる。まるでひな鳥にエサを与える親鳥の様な光景に、ミサトとアスカは苦笑を浮かべていた。

「ホント一人じゃ駄目な子ね」

「でもそれを本人が自覚してるから、周りが助けてくれるのよ」

「そう言うもんかしらね」

「人は一人では生きられない生き物だから。それは貴方も例外じゃ無いわ」

「……あたしは一人で生きていけるわ」

「今はそれで良いわ。だけど何時か気づく時が来る。その時、それを憶えておいて」

 諭すようなミサトの言葉に、アスカは答えずに無言でラーメンを啜る。ミサトはそんな彼女に悲しげな視線を向けたが、何も言わずに自分も食事を再開した。

 

「ねえ、綾波さん」

「何?」

「綾波さんは、お父さんに褒めて貰った事ある?」

「……多分無いと思う」

「私も、あれが初めてだったと思う。お父さんは……どんな人なんだろう」

「……なら話してみたら?」

 悩んでいるシイに、レイはあっさりと答えを出した。シイは驚いたように視線をレイに向けるが、彼女はそれが当たり前と言った様子で視線を返す。

「……お互いを知るにはまずは会話から。貴方が病院で私に言った事」

「そう、だよね。私が逃げてるだけなんだ」

「碇さんと碇司令が仲良くなると……私も嬉しい」

「……うん。ありがとう綾波さん。今度お父さんとお話ししてみる」

「ええ」

 シイに向けられるレイの顔には、小さな子供を見守る母親の様な、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 




奇跡という言葉は人の努力を否定するようで、あまり好きではありません。今回の作戦でも、絶望的な勝率を引き寄せたのは人の力ですから。

イメージ的には、ここまでが前半戦でしょうか。TSの影響は多少出ていますが、物語を大きく変化させるには至っていません。

この後に控える中盤戦、後半戦で、果たしてハッピーエンドの花を咲かせることが出来るのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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小話《母の姿》

復活のアホタイムです。


 

~母の真実?~

 

 使徒襲来から数日後、両手の怪我も癒えたシイはネルフ本部の中を歩いていた。テストも実験も特にない今日、わざわざ本部に出向いた目的はただ一つ。

(冬月先生なら……お母さんの写真を持ってるかも)

 レイからのたれ込みにより、母親の写真を持っている可能性が浮上した冬月に会うためだ。本人に直接確かめて、もし持っているなら母親の姿を一目みたい。その想いがシイを突き動かしていた。

 

 とは言えシイには冬月の居場所に心当たりが無い。そもそも広いネルフ本部のごく一部しか、シイは把握していなかった。そこでまず発令所に向かおうと廊下を歩いていると、向こうから偶然リツコがやって来た。

「あら、シイさん」

「こんにちは、リツコさん」

「今日はどうしたの? テストの予定は無かったと思うけど」

「えっとですね、冬月先生に会いに来ました」

「……え゛」

 シイの発言にビクッとリツコの頬が引きつる。

「ふ、副司令に?」

「はい。あ、そうだ。今どこに居るかご存じですか?」

「知ってはいるけど……こほん。何の用かしら? 副司令は忙しいと思うわよ」

(不味いわね。執務室に居るあの爺の所にこの子を送るなんて、危険すぎるわ)

 リツコは素晴らしい精神力で動揺を抑えると、極めて事務的に尋ねた。先に多忙だと告げて、やんわりと冬月から遠ざけるように誘導するあたりは、流石と言うべきか。

「そう、ですよね。冬月先生は偉い人ですから、お忙しいですよね」

(ぐっ、その顔は……。そうだわ、上手いこと理由を付けて、私も着いていけば良いのよ)

「でも用件次第なら副司令も時間を作るはずだわ。それで、一体何の用なのかしら?」

 気落ちするシイを慰めながらも、リツコはグイッと顔を近づけてシイから用件を聞き出そうとする。それ次第では、訪問を無理にでもくい止めるつもりだった。

「その……冬月先生に聞きたい事があるんです」

「それは何?」

「私のお母さんの事です」

 その一言でリツコはシイの意図を理解する。ミサトの昇進パーティーの席で、シイ達がその話をしているのを耳にしていたからだ。

「なるほどね。レイから聞いたのね」

「はい。お母さんの先生だったなら、写真を持ってるかもって思いまして」

(……確かに有り得るわね。母さんから聞いた限りだと、結構ぞっこんだったみたいだし)

 リツコはアゴに手を当て、真剣な表情で思考を巡らせる。それをシイは冬月に会いたいという理由が、リツコの納得いかないものだったのだと勘違いしてしまう。

「こんな理由じゃ、お仕事の邪魔をしちゃ悪いですよね」

「……大歓迎だと思うけど」

「え?」

「あ、いえ、こっちの話よ。そうね……よし、私が一緒に行って話をつけてあげるわ」

 僅かな逡巡の後、リツコはポンと手を叩きシイに提案する。シイの願いを叶えつつ、冬月の毒牙から彼女を守る一石二鳥の策だった。

「良いんですか?」

「勿論よ。仕事も大切だけど、母親の姿を見たいと言う貴方の気持ちはもっと大切だわ」

「リツコさん! ありがとうございます」

 優しく暖かいリツコの言葉にパァッとシイの顔が輝き、感激のあまりリツコに抱きつく。

(ふ、ふふふ……堪らないわね。この子は絶対にあの爺の毒牙から守って見せるわ)

 そんな心の内を知らないシイの中では、リツコの株が大幅に値を上げていた。

 

 ネルフ本部副司令執務室。発令所の近くにあるその部屋は、無駄に広く使い勝手の悪い司令室とは異なり、実用的な広さの部屋だった。几帳面に整理された資料の山と、余計な装飾を一切排除したシンプルな室内は、主である冬月の実直な人柄を表している。

「おや、赤木博士と……シイ君か。随分珍しいお客様だね」

 机に向かい雑務を処理していた冬月は、突然の訪問者に驚きつつも快く招き入れる。

「こんにちは、冬月先生。お忙しい所をお邪魔してごめんなさい」

「はは、気にしなくて良いよ。君なら何時でも大歓迎だ」

 冬月は仕事中の厳しい表情から、優しい先生の顔に一瞬で切り替わり、シイに向かって微笑みかけた。

「あら副司令。私は歓迎して下さらないのかしら?」

「……無論、君も大歓迎だ」

 シイの前に身体を割り込ませるリツコと冬月の間に、二人にしか見えない火花が散る。互いに牽制し合いながら、冬月はシイに問いかける。

「それで、わざわざ尋ねてきてくれたのだ。何か用があったと思うのだが?」

「あ、はい。実は……私のお母さんの事なんです」

「!!」

 細い目をカッと見開いて、冬月は分かりやすい動揺を示した。普段の沈着冷静な様子からは想像出来ない姿に、シイは勿論リツコすらも驚きを隠せない。

「あの、冬月先生。ひょっとして聞いちゃいけない事でしたか?」

「む、ああ、大丈夫だよ。ただ少し、そう少しだけ予想外の問いだったからね」

「冬月先生は、私のお母さんの先生だったんですか?」

「良く知っているね。その通りだ」

「シイさんは母親の……碇ユイさんの写真を、副司令がお持ちでは無いかと期待しています」

「ふむ……」

 リツコの言葉に冬月は腕を組んで、何かを考えるように瞳を閉じた。

 

「そう言えば、シイさんは持ってないの?」

「はい。実家にあった写真も、全て処分してしまったらしくて」

「……実家と言うと、お母さんのかしら?」

「はい。私はお爺ちゃんとお婆ちゃんに育てて貰ったので」

 答えるシイは少し表情を曇らせる。祖父母には良くして貰ったが、それでもゲンドウに捨てられたという過去は、彼女の心に深い傷を残していた。

「でも変ね。普通は娘の写真くらい、残して置くと思うけど」

「私も不思議だったんですけど……その話をするとお爺ちゃん達が、凄く悲しそうな顔をするので」

(……碇司令の指示? なら理由は……あれかしら)

 リツコはユイの写真が処分された理由を察したが、口には出さなかった。

 

「写真か……ん、待てよ」

 じっと考え込んでいた冬月は、何かを思いだした様に呟くと急いで端末を操作する。

「確かあのデータが…………やはり残っていたか」

「あるんですか?」

「集合写真だが、それでも良いかね?」

「勿論です。是非見せて欲しいです」

 冬月に顔を近づけてお願いするシイに、冬月は鼻の下を伸ばしながら頷く。そしてフォルダの中に残っていた、画像データをディスプレイに表示した。

 それは十人ほどの男女が並んで写っている集合写真だった。全員が白衣を着ており、その中央には今より少し若い冬月が優しい笑顔を浮かべている。

「これは、私が大学で教授をしていた時の写真だよ。写っているのは研究室の生徒達だ」

「確か副司令は、京都大学で教鞭を振るっていたんでしたね」

「古い話だ。既に除籍された身だよ」

 リツコの問いに冬月は自嘲気味に答えた。そこにどんな感情が込められていたのか、当人以外に知るよしはない。

 二人の会話を聞きながらも、シイの視線は画面に釘付けになっていた。二十歳前後の若者が並ぶ中、シイが熱い視線を向けているのは冬月の隣に立つ一人の女性だった。

 栗毛色のショートカットヘアをした、知的な顔立ちの女性。淡いピンク色のシャツに、紺のミニスカートの上から白衣を着ている女性からシイは目を離せなかった。

「やはり一目で分かったかね。彼女が碇ユイ君、シイ君のお母さんだよ」

「お母……さん」

 初めて見る母親の姿は、思い描いていたよりもずっと綺麗で優しそうだった。不意にシイの目から涙がこぼれる。察するにあまりある彼女の心情に、冬月とリツコはただ黙って見守るしか出来なかった。

 

「ありがとうございます、冬月先生」

「喜んで貰えたなら何よりだよ」

「お母さん……とっても綺麗で、優しそうで……私の理想のお母さんでした」

 涙を拭ったシイは満足げな笑みを冬月に見せた。

「冬月先生は、お母さんと仲良しでしたか?」

「ん、まあそれなりにはね」

「お母さんは、どんな人だったんでしょう」

「そうだね……優秀な生徒で、思慮深く発想豊かで……強い女性だったよ」

 懐かしむように呟く冬月に、シイとリツコは目を見開いて驚く。

「え、強い?」

「この写真を拝見した限りでは、儚げな印象を受けましたが」

 二人が思い描いた碇ユイのイメージは、清楚可憐なお嬢様だった。写真を見ただけだが、それでも強いという感じでは無い。

 だが冬月は何処か面白そうに言葉を紡ぐ。

「……強い女性だよ。何せあの碇すら頭が上がらなかったのだから」

「「え゛っ!!」」

 シイとリツコは同時に冬月に、信じられないと視線を向けた。どう考えてもこの可憐な女性が、あの髭親父を抑えられるとは思えなかったからだ。

「まあ、あまり詳しくは言わないが……決して弱い女性では無いと言うことだ」

「お母さん……」

「かかあ天下だったのでしょうか?」

「それは碇から聞くんだな。恐らく答えはしないだろうが」

 冬月の言葉がそのまま答えなのだろう。シイは新たに築き上げた母親のイメージが、早速崩れていくのを感じていた。

「おっと、すまないが会議の時間だ。話の途中だが、これで失礼させて貰うよ」

「あ、はい。お忙しい中ありがとうございました」

「写真のデータは君にあげよう。ただし、碇には知られないようにな」

 冬月は写真のデータを移したチップをシイに手渡すと、そのまま執務室から出ていった。

 

「碇ユイさん、想像以上に凄い人物みたいね」

「そうですね。ただ、安心しました」

「あら、何か心配事があったの?」

 ホッとした表情を見せるシイにリツコは不思議そうに尋ねる。

「えっと……その……お母さん、スタイル良かったから」

「…………ああ」

 恥ずかしそうに頬を染めて自分の胸に手を当てるシイを見て、リツコは全てを察した。

「きっとこれから、私も成長する筈です…………きっと」

「そう、ね」

(碇司令の遺伝子が邪魔しなければ良いけど……それに、スタイルと遺伝は……)

 拳を握り明日への希望を抱くシイに、リツコは何も言えずにただ応援するしか出来なかった。

 




碇ユイ、ある意味全ての元凶とも言える人物ですね。良くも悪くも、色々な人に影響を与えたと思います。

原作からの変更点は、シンジは親戚の家(先生の家?)にお世話になっていましたが、シイはユイの実家で育ちました。
今後話に出てくると思いますが、祖父母に大切に育てられていたので、シンジと根本で性格が変わっています。男女の関係に疎いのもその為です。

ユイのスタイルがどうなのかは、原作ではよく分かりませんが、この小説でシイが劇的に成長することは無いかと。

小話ですので、本日中に本編も投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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13話 その1《オートパイロットテスト》

 

 その日のネルフ本部発令所ではMAGIの定期検診が行われており、慌ただしい空気に包まれていた。スタッフ達は忙しげに動き回り、リツコやマヤも端末を操作して作業を行っている。

「こっちはこれで良いわね。マヤ、そっちはどう?」

「現在最終確認中です」

 端末を操作するマヤは、ホログラフィモニターを高速で流れる数値を読みとりながら答える。流れるようなキータッチは、惚れ惚れする程の速度と正確さだった。

「流石はマヤね。大分仕事が速くなったじゃない」

「そりゃもう、先輩の直伝ですから。後輩として恥ずかしい仕事は出来ません」

 リツコに褒められてマヤは嬉しそうに表情を緩めるが、端末を操作する手は緩めない。リツコ程では無いにしろ、彼女も優秀なスタッフであった。

「嬉しい事言ってくれるわね。あ、そこA-8の方が早いわよ。ちょっと貸して」

 マヤの作業を止めて操作権を移行すると、リツコは自分の端末を片手で操作する。自分の数倍は早く処理されるデータに、マヤはただ感嘆のため息をつくしかなかった。

「流石先輩……私はまだまだです」

「慣れればこの位直ぐ出来るわよ」

 操作をマヤに戻すと、リツコは再び自分の作業へ取りかかる。

(やっぱり先輩は凄い。私も頑張らなきゃ)

 尊敬するリツコに刺激を受けたマヤは、気合いを入れ直して作業を再開した。

 

「どうリツコ。作業は順調?」

「ええ。どうにか今日のテストには間に合いそうよ」

 発令所にやって来たミサトに、リツコはモニターから視線を外さずに答える。作業が大詰めに入っている事を察し、ミサトは余計な口を挟まずに状況を見守った。

『MAGIシステム再起動後、自己診断モードに切り替わります』

「第127次定期検診、異常なし」

 待つこと数分、MAGIの検診終了を告げるアナウンスが発令所に流れた。張り詰めていた空気がほぐれ、スタッフ達に安堵の表情が浮かぶ。

「みんなお疲れ様。テスト開始まで休んで頂戴」

「「了解」」

 作業が一段落したところで、ミサトはリツコに声を掛ける。

「お疲れ様。毎度思うけど、定期検診って大仕事よね」

「MAGIはネルフの要。僅かな異常も許されないもの」

 非常時は勿論のこと平常時の業務も、ネルフはMAGIに大部分を頼っている。だからこそ、そのメンテナンスには細心の注意が必要だった。

「それよりミサト。シイさん達にはちゃんとテストの事伝えた?」

「一応普段と違う大切なテストって言ってあるけど……ねえ、結局今回のテストは何なの?」

「オートパイロットの実験よ」

「それだけ?」

「あら、とても大切な実験なのよ。それじゃあ私も休憩してくるから」

 背中にミサトから向けられる疑惑の視線を受けながら、リツコは発令所を後にした。

 

 

 空高く上った太陽が照らす道路を、シイ達三人はネルフ本部に向かって歩いていた。緊急時には本部から迎えが来るのだが、平時はこうして自分達で本部まで移動しなくてはならない。

「あ~あ。落ち着いてご飯を食べる時間も無いなんて」

「仕方ないよ。大事なテストだって言ってたし」

「……そうね」

 本来ならお昼ご飯を食べる時間なのだが、テストを受けるために三人は昼食を早々に切り上げ、ヒカリ達に見送られながら学校を早退した。

「でも何のテストなんだろ。いつもテストは放課後にやるのに」

「さあね。リツコ直々の招集だし、きっとロクでもないテストよ」

「……否定はしないわ」

「綾波さんは、どんなテストか知ってるの?」

「……いいえ。ただ赤木博士だから」

 それだけで通じてしまうのもどうかと思うが、レイの言いたいことが二人には分かってしまった。仕事は出来るし真面目なのだが、ちょっとネジが外れる時がある。それがネルフ内での赤木リツコの評価だった。

「あの女の事だもの、その内エヴァに二人乗りするわよ、とか言い出すんじゃない?」

「はは、幾らリツコさんでもそれは無い……かな」

(三人で動かすとか、無人で動かすとか、リツコさんなら考えるかも……)

 否定をしつつも、ちょっとだけシイは有り得るかもと思ってしまった。

「ま、何にせよちゃっちゃと終わらせちゃいましょ」

「そうだね。頑張ろう」

「……ええ」

 三人は和やかな雰囲気でネルフ本部へと向かう。これから自分達を待ち受けている、予想の斜め上を行くテストを知るよしもなく。

 

 

 ネルフ本部に到着したシイ達三人をマヤが出迎えた。普段のテストの時とは違う展開に首を傾げる彼女達に、マヤは笑顔で挨拶をする。

「三人とも、お疲れさま」

「あ、マヤさん。こんにちは」

「今日はいつもとは違う所を使うから、私が案内するわね」

 シイ達はマヤの先導で、ネルフ本部の中を移動する。いつもよりも大分長い距離を歩き、初めて足を踏み入れる区画へ辿り着くと、アスカは眉をひそめてマヤに問いかけた。

「ねえ、ここ何処よ」

「ここはセントラルドグマのB棟よ。シグマユニットと呼ばれてるの」

「いつもの実験室じゃ無いんですか?」

「ええ。今日のテストは特別だから、施設も特殊な物が必要なの。さあ、ここよ」

 シイ達がやってきたのは更衣室だった。

「ここで服を脱いだら、そこのドアから中に進んで滅菌処理を受けて」

「め、滅菌!?」

「ちょっと、あたし達が汚いって言いたいの?」

「あ、違うの。ごめんなさい、言葉が足りなかったわね」

 ギロッと睨むアスカに、マヤは慌てて手を振り否定する。

「これからみんなには、クリーンルームに入って貰うんだけど、その為には特殊な処置が必要なの」

「だからって……」

「恥ずかしいのは分かるけど、どうしても必要な事だから……我慢して、ね」

 何とか納得して貰おうと、マヤは両手を合わせてアスカに頼み込む。そもそもマヤもリツコに指示されただけなのだと理解し、アスカは渋々了承した。

「駄々こねても時間の無駄だし、さっさと終わらせるわよ」

「うん」

「……ええ」

 三人はロッカーに荷物を置いて着ていた制服を脱いでいく。そして、美少女と呼んで問題無いであろう三人の姿を、本当に幸せそうな顔で見つめるマヤ。

(……役得)

 そんなマヤの心中を知るよしもなく、三人は全ての衣服を脱ぎ終えた。

 

「ほら、お望みの姿になったわよ」

 両手を腰に当てて、惜しげもなく裸体を晒すアスカ。レイも無表情で気を付けの姿勢をとり、指示を待っているが、シイだけは恥ずかしげに身体を丸めていた。

「あんたね、もっと堂々としなさいよ。見られて減るもんじゃないでしょ」

「うぅぅ、アスカは恥ずかしく無いの?」

「同性に見られて恥ずかしいのはね、自分に自信が無いからよ」

「……大丈夫。碇さんの身体は綺麗だから」

「綾波さん……それ、恥ずかしい」

 無自覚なレイのフォローによって、シイの白い肌はすっかり桜色に染まっていた。

「って、あんたもぼさっとしてないで、早く次に進めなさいよ」

「はっ! ご、ごめんなさい」

 三人の姿を心のフィルムに焼き付けていたマヤは、アスカに指摘されて慌てて我を取り戻す。

「じゃあこれから三人には、この部屋に入って貰うわね」

 更衣室の奥には厳重にロックされたドアがあった。マヤはドアの脇にある端末を操作してドアを開くと、三人を中へと誘導する。

 三人は一瞬躊躇したが、アスカを先頭に部屋へと入っていった。

 

 窓一つ無い密閉された小さな部屋。青白いライトが照らす中、シイ達は部屋の中央で立ち止まる。

「ねえマヤ。何も無いけど?」

「これから全自動で滅菌処理が始まるわ。それじゃあ、頑張ってね」

(え、頑張って? 全自動なのに?)

 不安を覚えたシイがマヤに尋ねようとする前に、更衣室へのドアが閉じられてしまった。薄暗い室内に裸の少女が三人。何とも奇妙な光景だった。

「滅菌って、何するんだろう……」

「さあね。アルコールのシャワーでも浴びるんじゃない?」

「……始まるわ」

 レイの言葉通り部屋の壁から何かの起動音が響いてくる。その直ぐ後に壁が一部スライドして、姿を見せた穴から風が吹き出してきた。

『まずはエアシャワーで、埃なんかをはらうから』

「はん。仰々しい装置の割りにやってる事は大した…………っっっ!!」

 エアシャワーとは名ばかりで、実際はサイクロンシャワーと言った方が適切なほどの強風だった。猛烈な風が室内に吹き荒れる中、三人は腰を落として必死に踏ん張る。

「と、飛ばされるぅぅ!!」

「……碇さん、手を!」

 ふわりと浮いたシイの身体を、レイが手を掴んでどうにか引き留める。その後数分間吹き続いた強風が止むと、三人は早くもげんなりした表情を浮かべていた。

 

『じゃあ次ね。今度は熱風消毒よ』

「あっつ~い!!」

「うぅぅ」

「……碇さん、目を閉じて。乾燥してしまうわ」

 

『次は冷風殺菌よ』

「さっむ~い!!」

「うぅぅ」

「……碇さん、身体を寄せて。少しは凌げるわ」

 

『今度は消毒プールに入ってね。室内に消毒液が注入されるから』

「ごぼごぼごぼごぼ」

「……!!!」

(……碇さん、駄目! これはLCLじゃないわ)

 

 結局、計十七回に及ぶ消毒、殺菌、滅菌を繰り返し、ようやく実験準備が終了した。流石のアスカもすっかり疲れた様子で、シイと並んで床に座り込んでいる。

『みんなお疲れさま。今出口を開けたから、そこからクリーンルームに進んでね』

「……了解」

 くたくたのシイ達とは対照的に、ただ一人普段と全く変わらぬ様子のレイ。

「あの子、本当に人間かしら」

「…………」

 呆れたように呟くアスカに、シイは答える気力を残してはいなかった。

 




ネルフスタッフの皆さんが輝く話がやってきました。

シイ達の殺菌滅菌シーンは、新劇場版の破をイメージしてます。多分TV版でも同じ様な事をやったのではないかと。

原作のこの話はテンポが凄い良かったので、加筆修正の速度を上げて13話だけでも一気に投稿出来たらな、と思っています。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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13話 その2《テスト開始》

 

 入念な処置を受けた三人は真っ白なクリーンルームにやってきた。

「ほら、お望みの姿になったわよ」

「……もう嫌です」

「……碇さん、テストはこれからよ」

『準備は出来たようね』

 室内の隅にあるスピーカーから、リツコの声が聞こえてきた。

『では三人とも、そのままシミュレーションプラグに入って頂戴』

「このまま、ですか?」

『ええ。今回のテストはプラグスーツの補助無しで、肉体から直接ハーモニクスを行うのが趣旨なの』

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。確かプラグ内は、モニターされるんじゃ」

 テスト中は万が一の事故に備えて、管制室でエントリープラグの内部をモニターしている。裸を不特定多数の人間に見られる事をよしとしないアスカは、それだけは譲れないとリツコに抗議の声を上げた。

『安心して。プライバシー保護の為、映像モニターは切ってあるから』

「良かったね、アスカ」

「そう言う問題じゃ無いでしょ。気持ちの問題よ。あんたも少しは恥じらいを持ちなさい」

「うぅぅ、アスカさっきと言ってる事が違う」

「……自分に自信が無いのよ」

「な、何ですってぇ。あんたに言われたく無いわ! 良いわ、やったろうじゃないの」

 レイの挑発とも取れる言葉にアスカはあっさりと乗る。クリーンルームを大きな足音を立てて歩いていき、シミュレーションプラグの搭乗口へといち早く入っていった。

『やれやれね。では二人も搭乗して頂戴』

「あ、はい」

「……了解」

 シイとレイもアスカの後を追い、それぞれシミュレーションプラグへと搭乗していった。

 

「ふぅ、あの年頃の子は難しいわね」

 実験管制室のリツコは小さくため息をつきながら呟く。

「ま、人前で裸になることに抵抗はあるでしょうし。例えそれが仕事でもね」

「そうね。ひとまず、テストが始められる事を良しとするべきかしら。マヤ、準備は?」

 ミサトのフォローに軽く頷くと、リツコは準備を進めるマヤに問いかける。

「はい、各パイロットエントリー完了しました」

 管制室のモニターにプラグ内の様子が表示される。リツコの約束通り三人の姿は、サーモグラフィーの様な姿で映っていた。

「「はぁ……」」

(ったく、こいつらは……ちっとは自重しなさいよ)

 落胆のため息を漏らすスタッフ達に、ミサトは頭を抱えるのだった。

 

「各シミュレーションプラグ、模擬体への挿入準備に移ります」

「パイロットの様子はどう?」

「アスカは若干心拍数が上がっていますね。シイちゃんとレイは特に問題ありません」

「へぇ~、レイはともかく、恥ずかしがり屋のあの子が平常心なのは意外ね」

 マヤの報告にミサトは少し驚いた様子で呟く。テストを正確に行うには、パイロットの精神状態の安定が必須。特殊環境でのテストの為、一番の不安要素はシイだと思っていたのだが、良い意味で予想は外れたようだ。

「多分疲れ切っていて、余裕が無いんだと思います」

「消毒プールで溺れかけたそうよ。いつもの癖で肺に消毒液を取り込もうとして」

「……ある種の職業病よ、それ」

 その光景がありありと想像出来てしまい、ミサトは頭を抱えながら呟く。

「シミュレーションプラグ、模擬体へ挿入完了」

「システムを模擬体と接続します」

 技術局のスタッフ達によって、手際よくテストの準備は進められていった。

 

 管制室のガラスからは、液体で満たされた実験室に存在する三体の模擬体が見えた。頭の無い人の形をした模擬体には、壁から伸びる無数のケーブルが繋げられていた。

 その首筋にシイ達が搭乗したプラグが挿入されていく。

「神経接続開始。各模擬体異常ありません」

「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」

 マヤの報告と同時に管制室には大量のデータが送られてくる。MAGIによって処理されるデータは、人の目で追えない程の速度でディスプレイを流れていく。

「お~早い早い。MAGI様々ね」

「因みにMAGI無しで行った初回実験では、終了までに一ヶ月かかったわ」

「あの時は……正直厳しかったですね」

 当時の苦労を思い出したのか、リツコとマヤは苦笑を浮かべる。ミサトはその実験に立ち会っては居なかったが、二人の様子から相当大変な物だったのだと容易に想像できた。

 

『三人とも、気分はどうかしら?』

 実験が安定状態にさしかかった所で、リツコはシイ達へ様子を尋ねる。被験者から聞き取る生の声は、数値とはまた違う貴重なデータであった。

「……何か違うわ」

「感覚がおかしいのよ。右手だけハッキリしてて、後はぼやけた感じ」

『レイ。右手を動かすイメージを描いてみて』

「……はい」

 レイがレバーを握って指示通りにイメージを浮かべると、模擬体の右手が僅かに動く。その全てのデータはMAGIによって直ぐさま処理されていく。

 順調に進むデータ収集にリツコは満足げな顔をしたが、ふとシイが一言も発していない事に気づく。

『シイさん。貴方はどう? 何時もと違うかしら?』

「……上手く言えないんですけど、遠い感じがします」

『遠い?』

「エヴァが……いつもより、遠くに感じるんです」

 シイは少し寂しげな声で答えた。

 

「流石というか何というか、良く気づいたわね」

「ですね」

「どういうこと?」

 勝手に納得するリツコとマヤに、ミサトは問いかける。

「今回のテストでは、シイさんのプラグ深度を浅い位置で固定しているの」

「それでデータが取れるの?」

「ええ。それに今回のテストは大切なもの。万が一にも失敗は許されないから」

 管制室のガラス壁から実験室を見つめるリツコ。その厳しい表情にミサトはこのテストに、自分が知らされていない何かがあることを確信した。

 

 一方その頃、ネルフ本部発令所ではテストに立ち会えなかった男性スタッフ達が、むすっとした顔で仕事をこなしていた。

「あ~あ。今頃シイちゃん達はテスト真っ最中か」

「裸で乗ってるんだよな。はぁ」

「残念ながらモニターはカットされているから、結局ここに居ると変わらんよ」

 愚痴る日向と青葉に冬月は無念そうに告げる。因みに彼は直前までテストに立ち会う気満々だったのだが、リツコを始めとした女性スタッフ達の猛反発を受けて、泣く泣くこちらに戻ってきていた。

 文句を言っていても仕方ないと、冬月は気持ちを切り替えて青葉へと声を掛ける。

「それで、問題の場所はどれだ?」

「あ、はい。この第87蛋白壁です。三日前に搬入されたパーツですね」

 青葉は端末を操作して問題の壁をモニターに映す。冬月が視線を拡大された壁面に向けると、そこには黒いシミのような物がハッキリと確認できた。

「浸食だと思いますよ。最近多いんですよね」

「工期が短縮されてますからね。ま、B棟の工事がずさんなのは、今に始まった事じゃないっすけど」

「使徒が現れてからの工事だからな。余裕が無いのは皆同じだよ」

 実はネルフ本部の建造工事は、今現在も進行中であった。予定では既に完成している筈だったが、使徒の襲来が工事のスケジュールを大幅に遅らせてしまい、一部区画は未だ未完成で放置されている。

 今実験が行われているシグマユニットも、使徒襲来後に建造された区画だった。

「替えのパーツは納品済みです。本日のテスト終了後に、交換予定となっています」

「うむ。碇が煩いからな、早めに処理しておくぞ」

 部下である青葉の迅速な対応に冬月は満足げに頷くのだった。

 

 

 ネルフ本部の一角、無数のパイプが集まる場所に男は居た。手にした携帯端末をパイプの隙間にある端子に接続し、何やらコソコソと作業を行う。

 大規模なテストが行われている今、MAGIもスタッフも注意がそちらに向いている為、館内の警戒は普段とは比較にならない程緩く、男の行為は順調に進んでいた。

「こんなチャンスは滅多に無いからな、精々利用させて貰うか」

 低い駆動音が鳴り続ける場所で、男は人知れず自分の目的の為に動き続けていた。

 

 

 オートパイロットのテストは大きな問題もなく順調に進んでいた。

「問題無いようね。マヤ、MAGIを通常に戻して」

「はい」

 MAGIの表示が対立モードへと移行する。三系統のコンピューターが問題に対して、多数決で結論を出すシステムは他に類を見ない独特な物だった。

「ジレンマ、か。作った人の性格が伺えるわね」

「何言ってんのよ。作ったのはあんたでしょ?」

「貴方何も知らないのね」

 問い返すミサトに、リツコは呆れたようにため息をつく。

「あんたが大切な事とか自分の事を、全然話さないからでしょ」

 馬鹿にされたようで面白くないミサトは、ふて腐れたように文句を言う。大学時代からの付き合いだったが、ミサトはリツコの事を実はあまり知らなかった。

 そんなミサトの言葉を受けてなのか、リツコは静かに言葉を紡ぐ。

「私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を作ったのは、母さんよ」

「リツコのお母さんって、確か」

「赤木ナオコ博士です。大変優れた科学者で、技術局で名を知らない人はいません」

 マヤは少し興奮した様子でミサトへ告げる。憧れの先輩の母親で、その道の大先輩と言うこともあってか、彼女の中では尊敬の対象となっているようだ。

「娘が言うのも何だけど、本当に凄い人だったわ。ただ少し困った人でもあったけど」

 何処か寂しげに言うリツコに、ミサトは深い事情を察して何も言葉を掛けられなかった。

 

 そんな人間のやり取りを余所に、MAGIは淡々とデータ処理を続けるのだった。

 




まだ平穏にテストが進んでおります。この実験、オートパイロットという名目ですが、実際にはアレの為のテストだったんですね。
昔買ったフィルムブックを本棚から発掘しましたが、意外な情報満載でした。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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13話 その3《使徒、侵入》

 

 オートパイロットの実験も中盤に差し掛かった時、突如警報が鳴り響いた。

「どうしたの?」

「シグマユニットAフロアに、汚染警報が発令されました!」

「汚染警報!?」

 全く予期していなかった報告に、リツコとミサトの顔色が変わる。その間にも続々と入ってくる情報を、スタッフ達が口早に報告する。

「第87蛋白壁の劣化、発熱を確認」

「第6パイプにも異常が発生しています!」

「……第87蛋白壁って確か」

「ええ、実験前に青葉二尉が言っていた浸食部。そして……ここの直ぐ上よ」

 ただならぬ事態に深刻な顔で天井を指差すリツコ。今のところ原因は不明だが、場所が場所だけに実験へ影響が出るのは避けられないだろう。

「た、蛋白壁の浸食部が増加。凄まじい速さです!」

「リツコ!」

「ええ、やむを得ないわね。実験中止、第6パイプを緊急閉鎖して」

「了解!」

 素早く下された指示によって、実験が行われているプリブノーボックスと浸食部は、非常用シャッターで物理的に遮断された。

「ふぅ、これでどうにか――」

「だ、駄目です。浸食は壁伝いに侵攻しており、せき止められません!」

 一息つこうとしたミサトだったが、マヤの報告に顔をしかめる。防壁が無力化されてしまえば、物理的に浸食を止める事は困難だからだ。

「浸食がここに到達するのは?」

「およそ180秒後です」

「ポリソームを出して。浸食が出現したと同時に、レーザーを発射」

 模擬体がそびえる実験室の壁から潜水艦の様なマシン、ポリソームが数台発進する。遠隔操作されたポリソームは、浸食到達予想地点に向かいレーザーの発射態勢をとった。

 

「浸食、来ます!」

 到達予想時刻になり管制室は緊張感に包まれる。全員が浸食予想部分へ視線を向ける中、異変は予想外の所に起こった。

『きゃぁぁ!』

 突如管制室に響く悲鳴、それはレイのものだった。慌ててリツコ達が視線を向けると、動くはずのない模擬体の右腕がハッキリと動いていた。

「レイ!?」

「模擬体の右腕部に浸食発生。下垂システムにまで及んでいます」

「不味いわ、全プラグを緊急射出。レーザーを撃ち込んで」

 シイ達を乗せたシミュレーションプラグは強制排出されると、実験室を抜けてジオフロントまで脱出する。それと同時にポリソームが浸食部へレーザーを放った。

 浸食部が徐々に焼き払われ、間もなく消滅出来ると思われた時、突如出現した光の壁にレーザーが弾き返されてしまう。

「ATフィールド!?」

「そんな、まさか……」

「パターン照合。これは……波長パターン青、使徒です!」

 マヤが浸食の正体を告げる頃には黒いシミの様な浸食部変質し、赤い斑点の様な輝きが見られた。

 

 発令所で待機していた冬月の元に、リツコから緊急通信が入った。

『プリブノーボックスに、使徒の侵入を確認致しました』

「使徒だと!? 使徒の侵入を許したのか」

『申し訳ありません』

「……セントラルドグマを物理閉鎖。シグマユニットと隔離しろ」

 リツコを叱責しても事態は改善されないと、冬月は頭を使徒の対応へ切り換えて直ちに指示を下す。使徒の侵入という緊急事態に発令所がざわつく中、姿を現したゲンドウが声を張り上げた。

「警報を止めろ!」

「りょ、了解。警報を停止します」

 気圧された青葉が端末を操作し、本部内に鳴り響いていた警報が止められた。

「探知機のミスによる誤報。日本政府と委員会にはそう通達しろ」

「了解」

 ネルフが使徒を探知すると、自動的に関係各省へ連絡が入る。それを良しとしないゲンドウは、今回の使徒侵入を誤報として片づけようとした。

「セントラルドグマへの侵入を許すな。シグマユニットは破棄しても構わん」

「エヴァはどうなっている?」

 ゲンドウの隣へと移動した冬月が尋ねる。

「現在ケージにて待機中。パイロット回収後、発進準備に入ります」

「パイロットは?」

「ジオフロントの地底湖にて、射出されたプラグを確認しています」

 第三新東京市の地下に広がるジオフロント。そこにはネルフ本部を中心に、地下とは思えない程の自然が広がっている。プラグが着水した地底湖は、本部から少し離れた位置にある巨大な湖だった。

「回収までは少し時間が掛かるな……」

「パイロットを待つ必要はない。直ちに地上へ射出しろ」

「えっ!? しかし」

「エヴァ無しでは使徒を殲滅することは……」

「その前に使徒に汚染されれば全ては終わりだ」

 唯一の対抗手段であるエヴァが敵の手に落ちれば、ネルフに打つ手はない。無防備なエヴァを守るためには、安全な地上へ退避させる必要があった。

「了解。射出準備に入ります」

「初号機を最優先しろ。その為に他の二機を犠牲にしても構わん」

 不可解な指示だった。もし三機のエヴァに優先順位をつけるなら、最新型の弐号機が選ばれるべきだろう。だが圧倒的な威厳を持って下されるゲンドウの指令は、青葉と日向の反論を一切許さない。

「現作業を中断。初号機を最優先に地上へ向けて射出。司令の命令だ」

 日向は現場の作業員に指示を伝え、無人の初号機が地上へと送り出される。

「さて、エヴァを使わずにこの厄介な使徒をどう殲滅する?」

「……人の力を使ってだ」

 冬月の問いかけに、ゲンドウは発令所へ駆け込んできたリツコを見て力強く答えた。

 

 使徒の浸食は留まることを知らず、実験が行われていたプリブノーボックスから、シグマユニット全体へと広がっていた。非常用シャッターによりセントラルドグマと物理的に閉鎖が行われる中、赤く輝く使徒の姿を肉眼で確認している男が居た。

「あれが使徒か。この機会を狙っていたのは、あちらさんも同じだったのかな」

 軽口を叩く男の目前で非常用シャッターが閉鎖されていく。冬月の指示通りシグマユニットは、セントラルドグマと隔離されていったのだ。

「ま、俺の用件は大体済んだし、後は本職に任せるとするかね」

 男は何処か余裕を持って呟くと、誰に知られることなく姿を消した。

 

 

 セントラルドグマの閉鎖は終了した。だがそれと時同じくしてシグマユニット全域、ネルフ本部の大深度施設は殆どが使徒に占拠されてしまった。

「赤木博士、どう見る?」

「今回の使徒は、触れた物を自己として取り込む性質を持つ、細菌サイズのものと推察されます」

「自己として取り込む、か」

「はい。この使徒に核という概念があるのかすら、現状では分かりません」

 リツコの仮定にミサト達の顔が険しくなる。もし仮定が正しいならばエヴァでも殲滅は困難。下手すれば使徒に乗っ取られる可能性も高い。

(碇司令の判断は正しかったって事か。初号機を優先したのは、何か訳ありっぽいけどね)

 ミサトは司令席に構えるゲンドウへチラリと視線を向けたが、言葉を発することはしなかった。

「厄介だな。対応策はあるかね?」

「こちらをご覧下さい」

 冬月の問いかけにリツコはメインモニターに、使徒浸食部の境界線を表示させる。爆発的な速度で浸食した使徒だったが、ある場所だけは浸食を免れていた。

「これは?」

「無菌状態維持の為、オゾンを噴出しているエリアです」

「じゃあ何? 使徒は酸素に弱いって事?」

「あくまで可能性の一つだけどね。ただ試してみる価値は充分あるわ」

「よし、使徒の浸食部へオゾンを注入しろ」

 リツコの考えに賛同した冬月が指示を下す。使徒の浸食部へ大量のオゾンが注入され、酸素濃度が急速に高まっていく。それは絶大な効果を発揮し、使徒はオゾンに追い払われる様に侵食部を減らしていった。

「おぉ、凄い効いてる」

「いい感じね」

「使徒浸食部、減少していきます」

 マヤの報告に、行けるかと言う空気が漂う。だが異変は直ぐに起こった。

「……あれ、変だぞ」

「浸食部が……増大していきます」

「オゾンを増やせ」

「駄目です。浸食部拡大。オゾン注入の効果はありません」

 減少していた使徒の浸食部は直ぐさま元に戻り、今度は先程まで浸食出来なかった、オゾン噴出エリアまで拡大していった。使徒は先程までとは一転して、オゾンを好物のように積極的に受け入れている。

「オゾンを吸収してる……進化しているの……凄い」

 短時間で弱点を克服しそれを自己の味方に付けた使徒の姿に、リツコは思わず感嘆の声をあげた。

 

「オゾンを止めろ」

 敵に塩を送る行為と分かった以上、オゾンの注入は逆効果。冬月は苦々しい顔で指示を下す。

「どうやら使徒の環境適応能力は、私達の常識を遙かに凌駕する物の様です」

「って事は、こっちが使徒の弱点を見つけたとしても」

「効果があるのは最初だけ。直ぐさま対応されて、逆効果になるわね」

 肩をすくめながらリツコは告げた。一度で倒せなければ、二度目からは通用しなくなる。それは今までのどの使徒よりも、対抗するのが難しい性質だった。

「だが使徒が生命体である以上、完璧な存在である筈が無い」

「はい。まずはMAGIに情報収集をさせて、対策を練るべきかと」

「致し方ないな」

 現状では打つ手なし。認めたくないがそれが現実だった。

「マヤ、MAGIを――」

 リツコが指示を出そうとした瞬間、本部館内に緊急警報が鳴り響いた。

「どうしたの!?」

「メインコンピューターが、ハッキングを受けています!」

「こんな時に……」

 忌々しげに顔を歪めるリツコ。外部から侵入を受けている状態で、MAGIを情報解析に専念させるのはリスクが高い。侵入者へ防壁を展開するなど、そちらにも力を割かなければならなかった。

 

 使徒とハッキング。二つの敵は、容赦なくネルフへと襲い掛かるのだった。

 




ようやく姿を見せたイロウルさん。今思い起こしても、やはり歴代使徒の中でも最恐、一番質が悪いと思います。
普通に戦ったらまず勝てませんからね。

今回も区切りが非常に悪いので、続きも投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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13話 その4《使徒対母娘》

 ネルフのセキュリティーは厳重だ。それは物理的な物だけでなく、形を持たないネットワークに関しても同じ事が言える。常時展開されている強固な防壁のお陰で、通常はコンピューターに侵入する事すらさせなかった。

 だが今回のハッキングは違う。防壁を軽々と突破され、サブコンピューターに接触を許してしまう。

「侵入者は?」

「不明です。現在逆探を実施」

「疑似エントリーを展開」

「回避されました」

「防壁を展開」

「駄目です、突破されました」

 一流のスタッフが揃っているネルフ。彼らが総力を挙げて侵入を防ごうとしているにも関わらず、それを防ぐ事が出来無い。旗色が悪いのは門外漢のミサトにも一目瞭然だった。

 

「逆探に成功。侵入元はネルフ本部内です!」

「馬鹿な!?」

(あの男か……いや、流石にそこまで愚かではあるまい。ならば一体誰が……)

 内部からのハッキングに冬月は焦りを隠せない。

「位置特定。B棟シグマユニット…………ぷ、プリブノーボックスです!!」

 あり得ない事実に青葉は思わず叫び声をあげる。既に破棄されたプリブノーボックスが、無人である事は既に確認されている。ならば考えられる事はただ一つしか無かった。

「まさか……使徒!?」

 ミサトは慌ててモニターへ視線を向ける。そこに映る使徒は、赤から黄金色へとその輝きを変えていた。斑点のようだった侵食部も、複雑な模様へと変化を遂げている。

「何、あれ……」

「また進化したのよ。光っているラインは電子回路、コンピューターそのものね」

 事の重大さを理解しているのかリツコの顔に深いシワが刻まれた。

 

「疑似エントリー展開……失敗、回避されました」

「防壁展開……突破」

 必死に対応するネルフ職員だが、相手はコンピューター同様の存在へ進化した使徒。人間の技術と速度で敵うはずもなく、抵抗はことごとく無駄に終わった。

「使徒、保安部のメインバンクに接触。パスワード……全て突破されました」

「メインバンクに侵入……データを解析しています。こちらからは阻止できません!」

 サブコンピューターから侵入した使徒は、既にネルフのコンピューターの中枢にまで到達していた。

「使徒の狙いは何なの」

「分からないわ」

 使徒の意図が読めずミサトは困惑する。保安部のデータは確かに最重要機密だが、それは人の手にあってこそ。使徒が得をするような物は何もない筈だった。

「使徒はパスを探っています……これは、やばい。ま、MAGIに侵入するつもりです!!!」

 青葉の絶叫はスタッフ全員を絶望させるに充分すぎるものだった。

 

「碇、不味いぞ」

「……電源を落とせ。MAGIへの侵入を許すな」

「「了解!」」

 ゲンドウの指示に青葉と日向が同時に反応する。メインオペレーターである彼らが、電源キーを端末へと差し込んで同時に回す。これでシステムが強制終了される筈なのだが、何も変化は起きなかった。

「で、電源が切れません!」

「使徒、メルキオールに接触します」

 発令所のメインモニターに、MAGIのシステム映像が映し出される。青い三つの変則五角形が、互いに向き合うMAGIのイメージ図。そこに赤色で示される侵入者が現れた。

「メルキオール、使徒に侵入されています。対応出来ません!」

「駄目です。メルキオールが、使徒に乗っ取られます」

 ネルフ本部を支える三基のスーパーコンピューター。その一つメルキオールが使徒に奪われ、再プログラムをされてしまった。一つだけ真っ赤に染まった変則五角形が、メルキオールが敵に回ったことをハッキリと示す。

 

『人工知能メルキオールにより、自立自爆が提訴されました』

『否決』『否決』

 無機質な音声が告げる言葉が、使徒の狙いを語った。

 

「使徒の狙いは、自爆によるここの破壊?」

「みたいね。MAGIは多数決で結論を出すから、直ぐに否定されたけど」

「……じゃあ、他のも奪われたら」

「メルキオール、今度はバルタザールにハッキングを始めました!」

 ミサトの予想は的中した。使徒が二基のMAGIを支配してしまえば、自爆は止められない。最悪のシナリオが進んでいる事を悟り、発令所の緊張は極限まで高まった。

 圧倒的な速度でバルタザールへの侵入を行う使徒。日向、青葉、マヤ、そして全てのスタッフが必死に対応するが、形勢不利は変わらない。

 絶望感が徐々にスタッフ達へ広がる中、不意に冬月が口を開いた。

「赤木博士。自律自爆は、ジオフロントも巻き込むかね?」

「え、あ、はい。本部を中心に半径数百キロは、確実に消滅するかと」

「なるほど。因みにパイロットは今、全員ジオフロントの地底湖に居るそうだ」

 リツコとミサトは冬月が何を言いたいのか分からずに、不思議そうな視線を向ける。

「そうなると、もし我々が使徒をくい止められなければ、シイ君達も巻き込まれるのか……」

「「!!!!」」

「シミュレーションプラグは通信不能。シイ君は今頃、不安で震えているだろうな」

「「…………」」

「事情も分からぬまま自爆に巻き込まれる、か。あまりに酷い結末だな」

 ため息をつきながらしみじみ呟く冬月。檄を飛ばすでもなく叱責するでもない。だがその呟きは、発令所スタッフの絶望感を吹き飛ばし、心に火を点けた。

「総力戦よ! シイさん達を私達が救うの! 死力を尽くして作業に挑んで!!」

「「おぉぉぉぉ!!」」

 発令所に雄叫びが響き渡った。

 

 スタッフ達の決死の対応、そしてリツコが指示したロジックモードの変更により、使徒のハッキングを大幅に遅らせる事に成功した。僅かな猶予を与えられたネルフは、ゲンドウとリツコを中心に作戦会議を開く。

「進化、か」

「はい。この短時間で知能回路を持つに至るまで、使徒は爆発的速度で進化を続けています」

「自己の弱点を克服し、更に優れた存在へと進化する……生物のシステムを凝縮した使徒だな」

 生物が長い時をかけて行う進化を、あまりに短い期間で成し遂げた使徒に対し、冬月は呆れとも感心ともつかぬため息をついた。

「進化を続けられたら、正直どうしようも無いじゃない」

「……いえ、進化を続けるのなら打つ手はあるわ」

「進化の促進か」

 リツコの意図を読みとり、ゲンドウは静かに言った。

「はい。無限に続く進化はありません。行き着く先は……死です」

「なるほど。それをこちらから促進するのか」

「そんなこと出来るの?」

 ミサトの疑問にリツコは頷くと、自分の考えを一同に説明する。

「進化の促進、つまり自滅促進プログラムをカスパーから使徒へ送り込むわ。コンピューターそのものと化した使徒には、それを防ぐことは出来ないはず」

「ただ、プログラムを送り込む必要上、使徒への防壁も解除する必要があります」

「肉を切らせて骨を断つか。賭けだな」

「現状で考え得る最善の、そして唯一の策です」

 強い意志を込めてゲンドウを見るリツコ。その視線を真っ直ぐに受けて、ゲンドウは小さく頷く。

「やりたまえ。人が勝つか、使徒が勝つか、生き残る生物は常に一つだ」

「はい」

 責任者であるゲンドウの許可を得て、リツコは力強く頷いた。

「リツコ、信じて良いのね?」

「……ええ。約束は守るわ」

 リツコは作業を行うべくカスパーの本体へと向かうのだった。

 

 

 MAGIの本体は、コンテナの様な立方体の箱に覆われていた。発令所中段にある本体へ近づいたリツコが端末を操作すると、箱が上昇して隠されていた内部が露出する。

「はぁ~、MAGIの中ってこんなんだったの」

「物理的な点検の時くらいしか、開ける事は無いけどね」

 リツコは膝を着くと小さな入り口から内部へと進んでいく。無数のコードとパイプで埋め尽くされた内部には、あちこちに小さなメモが貼り付けられていた。

「何よこれ、訳分かんない言葉が書いてあるけど」

「開発者の落書きね。母さんらしいと言うか、相変わらず捻くれた人だわ」

「……えっ、これ、裏コード! MAGIの裏コードです!!」

 何気なくメモの一つを手に取ったマヤは、書かれている内容を見た瞬間興奮した声をあげる。彼女にとって無造作に貼り付けられているメモ紙は、一つ一つが宝物に見えた。

「凄い……こんなの知っちゃって良いのかしら」

「思いがけない援護って訳ね」

「先輩。これなら予定よりも早く、プログラム出来そうですね」

「ええ、そうね。……ありがとう母さん」

 小さく微笑みながらリツコは母への感謝を告げた。

 

 発令所のスタッフが使徒をくい止めている間、リツコとマヤはプログラムの準備を進める。MAGIに潜り込み作業を行うリツコを、ミサトが手伝っていた。

「レンチ取って」

「はい」

「……25番のボード」

「はいはい」

 手伝いと言っても簡単な補助しか出来ないが、ミサトは少しでも困難な作業に挑む友人の力になりたかった。

「こうしてると、大学時代を思い出すわね」

「そう?」

「あんたはあの頃から今みたいに無愛想で、自分のこと何にも話さなくって」

「ミサトが喋りすぎなのよ」

 話をしながらもリツコの作業は一切の遅れを見せない。作業に支障が出るようなら、リツコはハッキリとミサトに黙るよう言うだろう。

 ミサトはリツコの補佐をしながら話を続ける。

「なら、さ。教えてよ。MAGIの事とか」

「片手間に話せる程、簡単な話じゃ無いけれど……」

 リツコは小さく呟きながら細いパイプとパイプの間に身体を滑り込ませると、狭いMAGIの内部を縫うように進んで行く。そのまま後に続くミサトに、顔を向ける事無く静かに話し始めた。

「……人格移植OSは知ってるわよね?」

「えっと、確か有機コンピューターに、個人の人格を移植して思考させるシステムだっけ」

「そう。エヴァにも使われているシステムね。MAGIが第一号らしいわ」

 2015年現在でも、MAGIに並ぶコンピューターシステムは存在しない。その事実は理論を構築し実現させた、赤木ナオコという科学者の異端ぶりを十分に証明している。

「リツコのお母さんが開発したの? なら移植した人格は」

「母さんよ。言ってみればMAGIは……母さんの脳味噌そのものよ」

 MAGI本体の中心部に辿り着いたリツコは、球体のカバーに覆われた部位を工具で切り開く。中から現れたのは、人間の脳味噌と酷似したMAGIの中枢だった。

「じゃあ、MAGIを乗っ取った使徒を許せなくて、この作戦を?」

「……関係ないとは言わないわ」

 リツコは手にした端末の先端を疑似脳味噌へと刺し込み、MAGIの中枢へ直接アクセスを行うと、自滅促進プログラムを送るためのシステムを構築していく。

「リツコのお母さんって、どんな人だったの?」

「優秀な科学者だったわ。恐らく私は今も、母さんに及ばないでしょうね」

 高速のキータッチを行いながらリツコは応える。短い言葉だったが、そこに母親への尊敬の念が込められているのを、ミサトは感じ取ることが出来た。

「そりゃ凄いわね。じゃあ、リツコの先生でもあったの?」

「受けたのは簡単な手ほどきだけ。母さんは……少し困った人だったから」

「困った人? それって……」

「悪いけどお喋りはここまでよ。そろそろ始まる事だから」

 リツコは会話を止めて作業に全神経を集中させた。

 

 

「バルタザール、使徒に乗っ取られました!」

『人工知能により自律自爆が決議されました』

 青葉の悲鳴に近い報告と同時に、無機質な合成音声の最終通告が館内に響き渡る。カスパーが乗っ取られた直後に自爆を実行する、と言う絶体絶命の危機に緊張感が再び高まっていく。

 逆ハッキングを行う為、カスパーは外部への防壁を展開していない。無防備に近いカスパーを、使徒は凄まじい速さで乗っ取ろうとしていた。

『自律自爆まで、後二十秒』

「リツコ!」

「……大丈夫、一秒近くも余裕があるわ。母さんのお陰ね」

「一秒って……あんた」

「ゼロやマイナスじゃ無いのよ。一秒早ければ確実に勝てるの。焦る必要は無いわ」

 端末を高速で操作するリツコの顔には焦りも動揺も無かった。一つでもタイプミスをすれば、その瞬間に命を失う極限状況下において、平常心を保てる精神力は異常としか言いようがない。

『自律自爆まで、後十秒、九、八、七、六、五』

「…………マヤ」

「行けます!」

 カウントダウンが進む中、リツコの声にマヤは即座に了承の意を示す。

『二、一……』

「押して!」

「はい!」

 リツコとマヤの二人が同時に端末のキーを叩く。それとほぼ同時に、

『ゼロ』

 合成音声がカウントダウンを完了した。

 

 まるで時が止まったかのように、発令所にいた全員が動きを止める。モニターに映るカスパーのイメージ図は、99%が赤に浸食され、最後の1%が赤く点滅を繰り返していた。

 赤に変われば自爆と言うまさに土俵際だったが、点滅が終わった後に残ったのは青色だった。すると一気に浸食は消え去り、MAGIシステムから使徒の姿は消滅した。

 

『人工知能により、自律自爆は解除されました』

「「やったぁぁぁぁ!!」」

 歓声が発令所に響き渡る。その後も続々とシステムの安定を告げるアナウンスが流れ、危機が完全に回避された事を本部中に知らせていった。

「……ふぅ、終わったわね。ありがとう、母さん」

 MAGIの中で歓声を聞きながら、リツコは穏やかな声で母へ礼を告げるのだった。

 

 

 事後処理に追われるネルフ本部。責任者であるリツコはあちこち駆け回り、ようやく一息ついた時には既に日付が変わろうかと言う時間になっていた。

「お疲れさま」

「ふふ、徹夜がきついと感じるなんてね。歳を取ったと実感するわ」

「何言ってんのよ。ほい、コーヒー」

 大仕事をやってのけたリツコを労うように、ミサトは自分で入れたコーヒーをリツコに手渡す。一瞬躊躇ったリツコだが、そっとカップに口をつけると少し驚いた様に目を見開く。

「……達成感は最高のスパイスかしら。ミサトのコーヒーを美味しいと思ったのは初めてよ」

「相変わらず一言多いわね」

 文句を言いながらも、ミサトは嬉しそうにリツコの隣へ座る。こうして軽口を叩き合えるのも、使徒を殲滅する事が出来たからなのだから。

「ありがとうね、約束守ってくれて」

「別にお礼を言われる事じゃないわ。私は自分の仕事をしただけよ」

「MAGIも守れたし、ね」

「……そう言えば、話が途中だったわね」

 リツコはカップを両手に持って、先程MAGIの中で話していた続きを語り始める。

「私の母さん、赤木ナオコは優秀な科学者だったわ。そして良い母親だった」

「そうなの?」

「何、その意外そうな反応は」

「いや~、優秀な科学者って、家族を二の次にするイメージがあったから」

 ジト目のリツコに、ミサトは苦笑しながら頭を掻く。彼女のイメージは自分の父親の姿が影響していたのかもしれない。

「少なくとも、私にとっては良い母親だったわ」

「そう……」

「ただ、人間としては正直……褒められないけどね」

「どういう事?」

「困った人と言ったでしょ。母さんは良くも悪くも、自分に素直な人だったの」

 リツコは母親を思いだしたのか、苦笑を浮かべながら言った。

「やりたいことは、何を犠牲にしてもやる。やりたくない事は、どんな犠牲を払ってもやらない。そしてそれは善悪ではなく、自分の気持ちで決めてしまう。子供みたいにね」

「そりゃまた……困った人ね」

「ええ。でもそれを含めて、私は母さんを好きだったわ。それは今も変わらない事よ」

「今日は随分お喋りじゃない」

 珍しく饒舌なリツコをミサトは少しからかう様に言う。長い付き合いなのに、今まで自分の事を話さなかったリツコへの、軽い嫌味も込められていた。

「……たまにはね。誰かに話したくなる時もあるわよ」

 疲れたように呟くリツコ。その背後では内部を露出していたカスパー本体が、ゆっくりと収納されていく。

「お疲れさま、母さん」

 短い言葉を最後に再び親子は別れる。それだけで通じ合う程強いリツコとナオコの親子の絆を、ミサトは確かに感じていた。

 

 ネルフ本部への使徒侵入。その事実は隠蔽され、最重要機密となった。

 




読んでいてお気づきの方も多いと思いますが、リツコとナオコに関しては少々設定を変えております。
息子では無く娘だったら、ゲンドウがある行動をしなかったのでは無いのかな、と考えたからです。

アレが無かった以上、リツコがナオコを嫌う理由はありませんし、シイに対しても負の感情を抱かずに接する事が出来ます。

原作ではこの話の後、総集編を挟んで一気に鬱展開へ突入しました。ただ同時にそれは、物語を逆転させるポイントでもあります。
全26話(の予定)も折り返し地点到達です。今後も妄想を最大限に発揮して参ります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※多くの感想・評価を頂戴し、ありがとうございます。執筆している身には、読者の方の声を聞けるのは、本当に嬉しい事です。

※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。


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小話《チルドレン救助隊》

アホタイムです。


 

~チルドレン救助隊~

 

 使徒の侵入とMAGIへのハッキング、そして自律自爆未遂と未曾有の事態を迎えたネルフだったが、リツコを初めとするスタッフ達の活躍もあり、無事危機を乗り越えることが出来た。

 だが使徒が残した爪痕は大きかった。MAGIは再検査を余儀なくされ、汚染区域となったシグマユニットの復興など事後処理は山積みとなっている。

 発令所では、今後の対策が話し合われていたのだが……。

 

(はぁ……)

 目の前で繰り広げられる激しい討論に、ミサトは何度目になるか分からないため息をつく。事後処理の対策会議の筈だったのだが、何故か議題が違う事へとすり替わっていたのだ。

「ここは私が行くべきよ」

「駄目です。先輩が居なくては、復旧作業の効率が格段に落ちます。ここは私が」

「伊吹も技術局だろ。作戦部の俺なら抜けても問題無いはずだ」

「青葉さん、抜け駆けはズルイっすよ。それなら俺も」

「二人とも自重しなさい。男性を向かわせられる訳無いでしょ」

「そうです、不潔です」

「べ、別に俺はやましいこと何か、欠片も考えてないです。ただ心配で」

「そうっすよ」

 リツコ、マヤ、青葉、日向が自分こそ相応しいと主張を繰り返す。これ程までに彼らを奮い立たせる仕事とは……誰が裸のシイ達を救助に行くかと言うことだった。

 

「どうする碇。このままでは、いつまで経っても結論が出ないぞ」

「……問題ない」

 いい加減事後処理の遅れを心配する冬月に、ゲンドウは力強く応えるとスッと立ち上がり、リツコ達の元へと歩み寄った。

「いつまで下らない事に時間を使っている」

「「うっ……」」

 司令の威厳を持って叱責するゲンドウに、リツコ達は言葉に詰まる。

「赤木君、MAGIの再検査の重要性と緊急性が分からないのか」

「も、申し訳ありません」

「伊吹二尉も同じだ。自分の役割を見失う様な者は、ネルフに必要ない」

「すいません」

「お前達は論外だ。対象の精神状態を考慮する事すら出来ないと言うのか」

「「め、面目ありません」」

(流石碇司令ね)

 場をあっという間に静めたゲンドウ。空気の読めない男だと思っていたが、こう言うときには頼りになると、ミサトはゲンドウに対する認識を少しだけ改めた。

「君達の気持ちは分かる。だが、己の役割を忘れてはいかん」

 遅れてやってきた冬月が、気落ちした面々を穏やかな口調で諭す。飴と鞭のようなゲンドウと冬月の存在が、ネルフを上手に運営している秘訣なのかもしれない。

「赤木博士と伊吹二尉はMAGIの再検査を頼むよ。日向二尉はシグマユニットの件の対応をしてくれ。青葉は関係各省への連絡を担当するように」

「分かりました」

「早速作業を開始します」

「「了解」」

 各員にそれぞれが果たすべき仕事を改めて告げる冬月。元教師と言うのは伊達では無く、冬月は反感を抱かせない様に場を上手に纏めてしまった。

「そして、シイ君達の回収だが……」

「問題ない」

 ゲンドウがサングラスを直しながら冬月の言葉を遮る。何か案があるのかと集まる視線を受けながら、ゲンドウは静かに言葉を続けた。

「……私が行く」

「「…………えぇぇぇぇぇ!!」」

 誰もが予想しなかった発言に、リツコ達と一緒に冬月とミサトも驚きの声をあげる。

 

「い、碇司令。それは流石に」

「現時点で動ける人物は少ない。幸い私は手が空いている。何も問題あるまい」

「大ありです!」

「父親が娘を迎えに行く。おかしな所などあるまい」

((き、汚い……こう言う時だけ……))

 思い切りジト目でゲンドウを睨む一同。だが本人はまるで意に介さない。

「では冬月、後を頼む」

「……待て碇。お前には委員会から出頭要請が掛かっているぞ」

「むっ!?」

「先方は大層ご立腹だそうだ。誤報だと指示したのはお前だからな、キチンと釈明するべきだ」

 使徒襲来の一報が入って直ぐにそれが誤報だと言われても、当然納得する筈が無い。もし本当に誤報だとするならば、探知機の管理体制が問題となるだろう。

 いずれにせよ、ゲンドウには説明責任がたっぷりと残っていた。

「だ、だが、今は……」

「自分の役割を見失う者は、ネルフには不要なのだろ。精々上手い言い訳を考えるのだな」

 ぐうの音も出ないゲンドウはガックリと肩を落とすと、一回り小さく見える背中をリツコ達に見せながら、寂しそうに発令所を後にした。

 

「やれやれ、碇にも困ったものだな」

「ですね。それで回収の件はどうしましょう」

「ふむ……おお、そうだ。丁度良い人物が居たな」

 さも今思いついたとばかりに冬月は顔を輝かせる。その様子からは嫌な予感しかしない。

「一応聞きますけど、誰です?」

「私が行こう」

((この助平爺めぇ!!))

 勿論口にはしない。ミサトの二の舞になるからだ。だがそれでもリツコ達は目の前の上官に、心の中で罵倒を浴びせることを止められなかった。

「手は空いているし、私も男性だがこの歳だ。あの子達は孫みたいなものだし、何の問題も無いな」

「いや~流石にそれは……」

「だが悩んでいる時間は無いぞ。既に地底湖のプラグへ接近しようとして、保安諜報部に身柄を拘束された職員の数は、二十を下らないのだからな」

(馬鹿ばっかだ……)

 自分の予想を遙かに超えるスタッフの駄目っぷりに、ミサトは頭を抱えた。

 

「では、私が回収に行くと言うことで」

「……あの~副司令」

「ん、何かね葛城三佐」

「さっきの条件なら、私も満たしているんですけど」

 作戦部であるミサトはこの状況で専念する仕事は無かった。しかも女性でシイ達の保護者でもある。先程の条件に当てはめるなら冬月以上に適任だ。

「……やむを得ないわね」

「若干の不安は残りますが、他に選択肢はありません」

「葛城さんなら……くっ」

「堪えて下さい日向さん。助平爺よりは、葛城三佐の方がマシっすよ」

 何気ない青葉の一言を冬月は聞き逃さない。すっと細い目を一層細めて青葉を見据える。

「ほう、聞き捨てならないな。青葉は減給20%を三ヶ月だ」

「ち、違うんです。ちょっと口が滑っただけで」

「なら心の中では常に思っていた訳だな。減給を30%半年だ」

 直属の上司から告げられる非情の宣告。ガックリと項垂れる青葉の姿に、ミサト達は心の中で手を合わせて心底同情した。

 

「では副司令。シイさん達の回収は葛城三佐に任せると言うことで、宜しいですね」

「むぅぅ……無念だ」

「じゃあミサト、よろしく。ただし、くれぐれも裸を凝視したりしないように」

「あんたじゃ無いんだから。それにシイちゃんの裸なら前にも見てるし」

「「なっ!!!」」

 リツコ達だけでなく、発令所で作業に取りかかっていたスタッフ全員が、一切にミサトへ視線を向ける。嫉妬、羨望、憤怒、様々な感情がミサトへぶつけられた。

「……ミサト、その話詳しく聞かせて貰えるかしら」

「え、別に大した事じゃないんだけど。お風呂からシイちゃんが飛び出して来て、その時にちょっちね」

「副司令」

「うむ、葛城三佐はボーナス無しだ」

「はぁぁ? ど、どうしてですか」

「自分の胸に聞きたまえ。シイ君の裸を見るなど…………」

 その光景を想像してしまったのだろう。冬月は最後まで言葉を紡げずに、そっと視線を逸らす。それは青葉達も同様で、だらしなく鼻の下が伸びていた。

「とにかく、ミサトも不適格ね」

「「異議なし」」

「じゃあどうすんのよ。このままシイちゃん達を、放っておくつもり?」

「どうやら、私が行くほか無いようだね」

 まさかの棚ぼたで、このまま冬月の野望が達成されるかと思われた時、

「おや、皆さんお揃いで何やってるんですか?」

 時田が発令所に姿を現した。

 

「時田課長、何か用かね」

「ええ。本部の施設チェックが終わりましたので、ご報告に。全区画異常なしです」

「ご苦労だったな」

 冬月にしては珍しくぞんざいな対応に、時田は首を傾げるが深くは気にしなかった。人間ならば腹の居所が悪い時もあるだろうと思ったからだ。

「それにしても赤木博士。見事な手腕でしたね」

「あら、誰から聞いたのかしら」

「先程技術局のスタッフから聞きました。何でも、使徒に逆ハックを仕掛けたとか」

「私は自分の仕事をしただけよ」

 同じ科学者に賞賛されるのは悪い気はしない。だがリツコはクールな表情を崩さずに、大した事では無いと余裕を持って答えた。

「いやいやご謙遜を。シイさんも博士を褒めていましたよ」

「そう…………え゛!」

 時田の言葉を一度は流したリツコだったが、聞き捨てならない単語に思わず時田の顔を見返す。それはミサト達も同じで、全員の視線が時田に集中する。

「おや、私は何か変なことを言いましたか?」

「時田課長。シイ君が褒めていたと言うのは、何時の事だ」

「そうですね……およそ一時間程前でしょうか」

「えっと、時田博士。貴方は、シイちゃんに会ったの?」

「会いましたけど、それが何か」

 訳が分からないと時田は不思議そうに一同を見る。だがそれ以上に訳が分からないのは、ミサト達だった。

「それは、本部内で?」

「ええ。何でも実験中に突然プラグが射出されたとか。ただジオフロントの地底湖に着水後、直ぐに医療班に救助されたそうで大事は無かったそうです。今は医務室で休んでいると思いますよ」

「パイロットの所在を大至急確認して!」

「こちら冬月だ! ただちに地底湖のプラグを確認しろ!!」

 リツコと冬月が直ぐさま反応する。そして、彼らは真実を知った。

「シイさん、レイ、アスカの三名を第6医務室に確認。今は眠っているそうよ」

「地底湖のプラグは……無人だったそうだ」

 

 実は緊急射出されたシイ達は、直ぐさま医療班によって救助されていた。医務室へ搬送された時に丁度使徒のハッキングが起こり、発令所にチルドレン救出の報告が出来なかったのだ。

 全てが終わった後、冬月は地底湖周辺を保安諜報部にガードさせていたのだが、既にそこにあるプラグは無人だったと言うわけで。

 

「……MAGIの再検査に入るわ。マヤ、行くわよ」

「はい、先輩」

 リツコとマヤは何事も無かったかのようにMAGIの本体へと向かう。

「さて、シグマユニットの安全確認をするかな」

「日本政府各省、並びにネルフ支部への通達を行います」

「ああ、頼む。私は執務室で、報告書を作るとしよう」

 日向、青葉、冬月もそれぞれ自分の業務へと戻っていった。その場に残されたのは、まだ事情が掴めない時田と、疲れ切った表情を浮かべるミサトだけ。

「あの~葛城三佐。私は何か余計な事をしましたかね?」

「気にすると疲れるわよ。シイちゃん絡みの時は、余計にね」

「はぁ」

 この後事後処理が終わったのは、日付が変わろうかという時間になってからだった。

 




本編では使徒侵入以来、全く出番の無かったシイ達。大切な人材ですから、絶対に直ぐ救助されますよね。
まあネルフは今日も通常運営と言う事で。

本日中に本編も投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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14話 その1《ゼーレ、魂の座》

 

 使徒侵入の危機を乗り越えてから数日が過ぎた。あれから使徒の襲来も無く、学校生活を満喫しているシイ達は、第一中学校屋上で全員揃って昼食を食べていた。

「はぁ、憂鬱だよな」

「ほんまや。進路面談っちゅうても、結局は小言を言われるだけやしな」

 ケンスケの呟きに、おにぎりを頬張りながらトウジは頷きながら同意する。彼らの話題は今朝のHRで連絡された進路相談の面接の事だった。

「それは鈴原達の日頃の行いが悪いからよ」

「ヒカリの言うとおりね。ま、精々絞られると良いわ」

「何やて。そう言う惣流かて、わしらと変わらんやないか」

「お生憎様。あたしはちゃ~んと、教師の前じゃ真面目な優等生で通ってるから」

 勝ち誇った様にアスカはトウジを見下すと、シイの作った弁当に箸を付ける。来日当初は戸惑っていた箸だが、今ではすっかり器用に使いこなしていた。

「惣流は要領と外面だけは良いからな。トウジも少しは見習ったら?」

「アホぬかせ。わしは表裏があるやつは、大嫌いなんじゃ」

「……不器用な奴」

 頑固な友人にケンスケは呆れたようにため息をついた。

「進路面談かぁ。またミサトさんにお願いしなきゃ」

「……そう」

「綾波さんはどうするの?」

「……私は赤木博士が保護責任者だから」

「そうなんだ。リツコさんのスーツ姿って見てみたいな~」

 知的で落ち着いた雰囲気のリツコは、シイのイメージする大人の女性にピッタリだった。そんなリツコのスーツ姿を思い描くシイに、レイはそっと忠告する。

「……期待しない方が良いわ」

「え、どうして?」

「……去年は白衣で来たから」

 リツコは骨の髄まで科学者のようだ。

 

「あ、そう言えば……ねえシイ。結局あんたのお母さんの写真を、副司令は持ってたの?」

「うん、見せて貰ったよ。凄い綺麗で素敵だったの」

 嬉しげに笑うシイに、アスカは興味をそそられる。

「へぇ~。あの司令の奥さんだから、どんな人かと思ったけど」

「見てみる? 冬月先生からデータ貰ったから、印刷してみたの」

「そうね。興味はあるわ」

 シイは鞄から一枚の写真を取り出してアスカに手渡した。写真を手にしたアスカの周りにヒカリ達が集まり、全員で写真をのぞき込む。みんな口には出さないが、シイの母親に興味があったようだ。

 冬月から貰った写真のデータは、リツコに加工して貰ったので、渡した写真には微笑むユイの姿だけがアップで写っていた。

「…………結構美人じゃない。ま、あたしのママ程じゃ無いけど」

「おぉ、これは……」

「えらいべっぴんさんやな」

「うん、凄い綺麗。それに優しそうで、シイちゃんに似てるね」

「えへへ、ありがとう」

 母親を褒められて悪い気がする筈が無い。シイは自分が褒められた時以上に、喜びを感じていた。

「ねえアスカ。お母さんスタイル良いし、私もきっと大丈夫だよね」

「…………」

「アスカ?」

「希望はあると思うわ。でもね、シイ。遺伝は母親だけじゃなくて、父親も関係してるのよ」

「あっ!!」

 気づかなかった事実。シイはゲンドウの姿を思い浮かべ、ガックリと肩を落とした。明るい未来を真っ暗な闇に塗りつぶされたシイは、見ていて気の毒な程落ち込む。

「お父……さん。忘れてた……」

「で、でもさ、あんた碇司令と全然似てないし。ほら、そんな気にすること無いんじゃない」

 あまりの落ち込みように、アスカは慌ててフォローを入れる。そもそも胸の発育と遺伝には関係性が薄いと知っているのに、ついからかってしまった為に罪悪感があった。

「へぇ、碇は親父さんと似てないの?」

「そういや、わしらはシイの父さんの事、一度も見てないのぅ」

「……これ」

 沈黙を守っていたレイが自分の携帯電話を手早く操作して一同に見せる。そこにはサングラスを掛けたひげ面の男が、むすっとした顔で写っていた。

「「…………」」

 母親からは想像出来なかった父親の姿に、ヒカリ達は暫し言葉を失う。失礼な話だがこの二人が並んで歩く姿を全く思い描くことが出来なかった。

「な、何というか……流石はネルフの司令だね。凄い貫禄がある」

「そうやな。強い父親ちゅう感じやな」

「う、うん。厳格そうね」

 引きつった顔でゲンドウを全力で褒めるヒカリ達。正直少し怖かったのだが、娘の前でそれを言うほど彼らは空気が読めなくは無い。

「でも、碇には似てないかな」

「シイは母親似っちゅう訳や」

「ほら、だからあんまり気にするんじゃないわよ」

「うん。ありがとう、みんな」

 友人達が自分を気遣ってくれている事に気づき、シイはようやく落ち着きを取り戻した。

 

 その後シイ達は大切なテストがあるため、昼休みの途中で学校を早退してネルフ本部へと向かった。三人を見送ったヒカリ達は、困惑した様に話し始める。

「……やっぱり、気づいたよね」

「まあな」

「うん……」

 シイの前では言わなかった。だが彼らはユイの写真を見た瞬間、あることに気づいていた。

「綾波に……そっくりだった」

「あの二人、親戚だったっちゅう訳や無いやろ」

「多分違うと思うけど……ハッキリとは分からないわ。でも娘のシイちゃんより似てるのは……」

 彼らが違和感を持ったのは、碇ユイと綾波レイの容姿があまりに酷似している事だった。髪や瞳の色は違うが、それ以外の共通点があり過ぎる。シイも母親の面影があるが、レイとユイはそう言うレベルでは無かった。

「……碇は気づいて無いみたいだね」

「やろうな。随分と浮かれとったみたいやし」

「でも、多分アスカは気づいてると思うわ。口は出さなかったけども」

 六人の中で一番頭の回転が速いのはアスカだ。自分達が一目で気づいたものに、彼女が気づかないとは思えなかった。写真を見て少し黙っていたのは、動揺を抑える為だったのかもしれない。

「綾波はどうだろう」

「さてな。あいつの感情の変化を見分けるんは、わしには無理や」

「……この事は言わないでおきましょ。ひょっとしたら、深い事情があるかもしれないし」

 もしかしたらシイとレイは生き別れた姉妹かも知れない。他にも色々な可能性があるが、少なくとも自分達が詮索して良い程、簡単な事情では無いはずだ。

「そやな。わしらが立ち入って良い話じゃ無さそうや」

「それにシイちゃんと綾波さんが、私達の友達だって事は変わらないもの」

「じゃあ決まりだね。僕らはこれからも何一つ変わらずに、二人と接するって事で」

 トウジ、ヒカリ、ケンスケは互いに頷きあう。彼らのとってシイとレイは大切な友人であり、どんな事情があろうともそれが変わる事は無かった。

 

 

 ネルフ本部の一角にある暗い会議室。そこでは人類補完委員会の会議が開かれていた。キールとゲンドウ、そして他四名の委員が向かい合う中、これまでに殲滅した使徒との戦闘報告が淡々と行われている。

 そして天空より飛来した第十使徒の報告が終わると、委員の一人がゲンドウへ問いかけた。

「第十一使徒。ネルフ本部に侵入との話だが?」

「その件につきましては、探知機の誤報とご報告した筈です」

 男の問いかけに、ゲンドウは普段通りの様子で答える。襲来直後の緊急招集会議の時と、同じ言葉を繰り返すゲンドウに委員達の表情が一斉に険しさを増した。

「信じろと言うのか?」

「話によれば、セントラルドグマへの侵入を許したとか」

「万が一接触が起これば、これまでの全てが水の泡になる所だったのだぞ」

「左様。もし本当に侵入されたのであれば、これは重大な失策だよ」

「誤報です。第十一使徒についてはご報告したことが全て。他に何もありません」

 次々と問い詰める委員達に、しかしゲンドウは動じなかった。彼らの追求には何の証拠も無く、自分を追い詰める事が出来ないと理解していたからだ。

 

 ゲンドウが報告した内容はこうだ。

 確かに使徒の襲来はあった。だがそれは本部内ではなく、本部直上の第三新東京市。それは直ちに地上へ射出された初号機によって殲滅されたと言う事だった。

 使徒の侵食から逃がすために初号機を地上に射出していたので、矛盾は生じていない。

 

「では、第十一使徒の本部侵入の事実は無いと言うのだな?」

「はい。MAGIのレコーダーを調べて頂いても結構です」

「冗談はよしたまえ。事実の隠蔽は君の十八番だろ」

「全てはシナリオ通り……死海文書の記述通りに進んでおります」

「……もう良い。この件に関して、君の責を問うことはしない」

 変わらぬゲンドウの態度に、キールは諦めたように追求を止めた。このまま続けていても碇ゲンドウと言う男は、尻尾を出すような真似をしないと、キールは理解していたのだろう。

「使徒の殲滅。これは確かなのだろうな」

「はい」

「なら良い。だが忘れるな。君が新たなシナリオを作る必要は、無いと言うことを」

「分かっております。全てはゼーレのシナリオ通りに」

 ゲンドウが何時もと同じ言葉を告げて、人類補完委員会の会議は終了した。

 

 その後、ゲンドウを除いた他のメンバーは再度会議を開いていた。

「あの男、やはり危険だな」

「使徒侵入の否認。これは死罪に値すると思うが」

「だが奴にはまだ利用価値がある」

「左様。予言通りなら、まだ使徒の襲来は続くからね」

「……いずれにせよ、碇には注意が必要だ」

 キールの言葉に委員の面々は一様に頷く。ネルフを率いてここまで使徒を殲滅してきた、碇ゲンドウの評価は決して低くない。だがそれは同時に、彼が危険な男であると言う事の証でもある。

「そう言えば、奴には鈴を着けた筈だが」

「報告は受けている。しかし使徒侵入の事実については、確認出来なかったそうだ」

 危険だと認識している相手に何の予防処置も取らない程、彼らは日和っては居ない。既にネルフへ自分達のスパイを送り込んでいるのだが、今のところ成果は上がっていなかった。

「ふん、下らん。信用できるのか? あの男は」

「考えの読めない男だが、彼以上に優秀な人材が居ないのも事実だよ」

「問題も多いがね」

「我らにとって有用なら生かし、有害なら消せば良い」

 荒れ始めた場を再びキールが場を纏める。バイザーをつけた老人は委員長として一目置かれているのか、彼の発言に異を唱える者は居なかった。

「槍の回収もじき終わる……全ては我らの悲願、人類補完計画の実現に向かって進んでいる」

「それまでは碇とネルフに働いて貰いますか」

「うむ。約束の日は近い……」

 人類補完委員会、ゼーレ、そしてゲンドウ。シイの全く知らない所で、彼女を巻き込む計画は進められていた。




原作を見返してみましたが、碇ユイの姿を知っている人って、凄い少ないと改めて思いました。ネルフでは多分ゲンドウと冬月、リツコくらいじゃ無いかと。

シンジが写真は全部捨てられた、と言っていたので、多分データ類も全部ネルフかゼーレが手を回して処理したのでは、と考えています。
ユイの姿が公になると、レイとの関係説明が大変そうですからね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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14話 その2《機体相互互換試験》

 

 中学校を早退してネルフ本部にやってきたシイ達は、リツコから今日行われる実験について説明を聞いていた。大切な実験と聞かされていたが、ここでようやく詳細を知った。

「相互換実験……ですか」

「ええ。これからレイは初号機へ、シイさんは零号機に搭乗して貰うわ」

「ちょっと、あたしは?」

 一人名前を呼ばれなかったアスカは、目をつり上げてリツコに尋ねる。

「アスカは通常通り、弐号機の機体連動試験を受けて頂戴」

「え~何であたしだけ別なのよ」

 不満を隠そうともしないで、アスカはリツコへ文句を言う。『初めて』や『特別』と言った単語が含まれている実験に参加出来ない事は、彼女のプライドを刺激するのに充分だった。

「弐号機は初号機、零号機と互換性が無いわ。それだけの理由よ」

「ぶぅ~」

 唇を尖らせて不満を露わにするが理解力の高いアスカは、どれだけ文句を言っても状況が改善されないと分かっていた。それでも一言文句を言わずにいられないのは彼女らしいが。

 

「実験はレイから始めるわ。アスカは別の実験場で同時刻に。シイさんはその後ね」

「わ、私が最後なんですか……」

「ふふん、ならあんたがあたふたする様を、管制室からバッチリ見せて貰おうかしら」

「酷いよアスカ~」

「……大丈夫、私も見てるから」

「うぅ、もっと緊張するかも」

 他のチルドレンに見られながら実験を行うのは初めてで、しかも今回はレイの零号機に搭乗する。シイは早くも緊張で顔を引きつらせていた。

「ほら、アスカもレイもあまりシイさんを追いつめないの。今回の実験はとても大切なものなのよ」

「……赤木博士も同じだと思います」

「うっ……コホン。それでは二人は、早速実験の準備に取りかかって頂戴」

 自分の発言で一層萎縮してしまったシイに、リツコは一瞬たじろいだが、直ぐさま冷静な科学者の仮面を着け直して指示を下す。

「は~い、じゃあシイ、また後でね」

「……また」

「う、うん。二人とも頑張ってね」

 シイに見送られてアスカとレイは、それぞれの実験場へと向かうのだった。

 

 真っ白な壁に囲まれた実験場。拘束具によって壁に固定された初号機に、レイが搭乗したエントリープラグが挿入され、実験が始められようとしていた。。

「エントリープラグ挿入完了。起動プロセス、全て問題ありません」

「レイ、準備は良い?」

『……はい』

「では第一回機体相互互換試験、始めるわよ」

 リツコの開始宣言に管制室の空気が引き締まる。スタッフ達が端末を操作する中、祈るように目を閉じるシイに、ミサトは優しく声を掛ける。

「ねえシイちゃん。そんなに緊張しなくても大丈夫よ」

「でも、もし初号機が綾波さんに失礼な事をしたら……」

「失礼って……ま、何となく言いたいことは分かるけど」

 普段自分が操縦しているエヴァに他人が乗るのは、想像以上にストレスがかかるのかもしれない。被験者であるレイ以上に緊張しているシイを見て、ミサトはそんな事を考えていた。

「シイちゃんは初号機の事を信じてるんでしょ。ならドンと構えて見てあげなさいって」

「はい……」

 二人が会話をしている間にも、実験は順調に進んでいった。

 

「初号機起動完了」

「問題は無いようね……レイ、どうかしら。初号機に乗った感想は」

『……碇さんの匂いがします』

「えっ!?」

 リツコの問いかけにレイが答えると同時に、シイは自分の手を鼻に近づけて、自分の匂いを必死で確かめようとする。くんくん、と小さく鼻を鳴らす姿に、管制室のスタッフは思わず和んでしまった。

「み、ミサトさん。私臭いますか?」

「ん~いい匂いはするけど」

((葛城三佐めぇぇ~!!))

(ミサト……なんて事を)

(不潔。でも羨ましい)

 シイの首筋に鼻を近づけて匂いを確かめるミサトに、敵意丸出しの視線が集中する。それに気づいたミサトは、慌てて顔をシイから離すと、誤魔化す様に愛想笑いを浮かべた。

「で、でもリツコ。プラグ内に匂いなんて残るの?」

「……いえ、あり得ないわ。恐らくシイさんの残留パターンを、匂いとして感じ取ったのね」

「そうですか……ほっ」

 リツコの冷静な分析にシイは胸をなで下ろした。

「レイ、他には何かあるかしら」

『……いえ、特にはありません』

「そう。マヤ、数値はどう?」

「シンクロ率は零号機の時と、殆ど変わりません。ハーモニクスも問題なしです」

 マヤの報告にリツコは満足げな表情で頷く。シイと初号機の数値には及ばないが、レイの数値も実戦可能なレベルに達していたからだ。

「あの~リツコさん。それなら初号機は綾波さんも動かせるんですか?」

「一応ね。ただ、やはり専属搭乗者であるシイさん程は、上手くシンクロ出来ないでしょうけど」

(……そういや、あの時碇司令は、レイを初号機に乗せようとしてたっけ)

 第三使徒襲来時にシイがエヴァ搭乗を拒んだときの事を思い出し、ミサトは僅かに顔をしかめる。

(碇司令は知っていたの? 一度も実験していないのに、レイが初号機に搭乗出来る事を……)

 抱いていたゲンドウへの疑惑は、ここに来て一層強くなっていった。

 

「データは充分取れたわね。実験は終了します。レイ、お疲れさま。あがって頂戴」

『……はい』

 第一回機体相互互換試験は問題なく終了した。緊張の面もちで見守っていたシイも、大きく息を吐いて無事終わった事に安堵する。

「よかった……。リツコさん、アスカの実験はどうなりましたか?」

「……あ゛!」

「あんた、まさか忘れてたんじゃ」

「ば、馬鹿言わないで。当然覚えていたわ。そちらも問題ないわよ、ねえマヤ」

「え!? あ、えっと……はい、問題無く終了しました」

((忘れたんだ。絶対そうだ))

「コホン。では引き続き、零号機とシイさんの実験準備に取りかかりなさい」

 部下達から向けられる疑惑の視線に、リツコはこっそり冷や汗を流しながら指示を出すのだった。

 

 

 第一回機体相互互換試験は、零号機とシイの実験へと移った。実験を終えたレイとアスカも管制室に姿を見せ、シイの実験を見守っている。

「パイロット、エントリープラグに搭乗完了」

「了解。プラグ挿入開始……終了」

「全システムオールグリーン。起動準備完了しました」

 スタッフからの報告にリツコは軽く頷くとシイへと声を掛ける。

「シイさん、実験を始めるけど……準備は良い?」

『は、はい』

 管制室に届くシイの声は、姿を見なくても分かるほど緊張でガチガチだった。これでまともに実験が始められるのかと、アスカは呆れたようにため息をつく。

「ったく、そこまで緊張する事無いでしょうに」

「まあ、シイちゃんらしいじゃない」

「ま~ね。このあたしが見ててやるんだから、精々頑張りなさいよ」

「……落ち着いて」

 アスカとレイの励ましに、シイの不安定だった精神状態は落ち着きを取り戻す。注目されていると思えば緊張の元だが、見守られていると考えれば安心感に繋がる。

 仲間の助けを受けたシイは、小さくお辞儀をしながらお礼を告げた。

『うん、ありがとう』

「では、第一回機体相互互換試験、始めるわよ」

 リツコの合図で零号機の起動が始まった。

 

「零号機、第一次接続開始」

「順調ね。シイさん、どうかしら零号機は」

『……不思議な感じです。身体がふわふわして、自分じゃ無いみたいで……』

 リツコからの問いかけに、シイはぼんやりとした声で答える。同じエヴァンゲリオンなのだが、初号機に搭乗したときとはまるで違う感覚に、何処か戸惑っている様だ。

「マヤ、数値はどう?」

「初号機ほどの数値は出ませんね。ただ、ハーモニクスは問題ありません」

 リツコはディスプレイをのぞき込み、シイの実験データを確認する。マヤの言うとおり初号機とのシンクロ率には及ばないが、起動出来るレベルには充分達していた。

「……悪くないわ。これなら、あの計画を実行出来る」

「ダミーシステムですか……先輩に言うのも何ですが、私はあまり」

「感心しないのは分かるわ。私自身ですら好ましく思っていないもの」

 予想外のリツコの言葉に、マヤは驚いたように目を見開く。

「えっ、ダミーは先輩の発案だと聞いていましたが……」

「いいえ、発案者は碇司令よ。実際に計画を進めているのは私だけどね」

「そう、だったんですか」

「ただ備えは必要なの。例えその結果、人を傷つける事になっても」

 寂しそうに呟くリツコ。それはマヤに対してと言うよりは、自分自身に向けている様だった。

 

 マヤとリツコは小声で会話をしているため、少し離れた位置に居るミサトには殆ど声は届かない。だが断片的に聞こえてくる単語に、ミサトは険しい顔を作る。

(ダミーシステム? パイロットに万が一の時の備えか……それがこの実験の目的?)

(だとしたら、何故それを隠すか。……他に目的があるから、かしらね)

(少なくともリツコはその目的を知ってる。碇司令も、多分副司令も)

(……何か企んでるわね。私達に知らされていない何かが、ネルフにはあるんだわ)

 ミサトは腕を組んだ姿勢のまま、ネルフへの疑惑を深めていった。

 




このあたりから、物語がきな臭くなって行きます。原作では流されるままでしたが、流れに逆らえるのかどうかが、今後のポイントですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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14話 その3 《シイと零号機》

 

『シイさん、これから神経接続を開始するけど、何か問題はあるかしら』

「……いえ、大丈夫です」

 プラグ内に響くリツコの声に、シイは瞳を閉じたまま答える。初号機とは違った感覚に戸惑いこそしたが、今のところ不具合は無かった。

『分かったわ。それでは、第二フェーズへ移行』

『了解。第二次コンタクト、開始します』

『A10神経接続開始』

 実験が進むにつれて、シイと零号機がより深く繋がっていく。すると朧気だった零号機の存在が、徐々にハッキリと感じられるようになってきた。

(……貴方が、零号機?)

 初号機と同じようにシイは心の中で語りかけた時、不意にシイの脳裏に映像が流れ込んできた。

(えっ! 何……これ)

 包帯姿のレイ。制服姿のレイ。プラグスーツ姿のレイ。様々なレイの姿が現れては消える。

(綾波さん……なの)

 脳内に直接送り込まれる情報は、シイの頭に激しい痛みを与える。それでも映像は次々と送られ続けていた。

(これはアスカ……二人で訓練してた時かな)

(学校だ……みんな笑ってる……)

(私と綾波さん……これはお見舞いの時?)

(初号機のケージ……私と綾波さんが初めて会った……)

 まるでアルバムを捲るように、映像は徐々に過去へと向かっていく。そして映像は遂にシイの知らない、自分と出会う前のレイへと到達した。

(零号機のテスト……だよね。お父さん……前は眼鏡だったんだ……)

 真っ暗なプラグのハッチが開かれ、息を切らしたゲンドウが笑顔を向けている。以前リツコに聞いた、零号機の起動実験で起きた事故の光景なのだろう。

(……何これ。どうして綾波さん……裸で)

 薄暗い部屋に全裸で体育座りをしているレイ。まるで感情が無い人形の様に、こちらに無機質な瞳を向けていた。視線の先に誰が居るのか、何があるのかはシイには分からない。

 ひたすらレイのイメージが送りこまれる中、ある映像がシイの心を酷く乱した。

(…………何……コレ)

 真っ暗な部屋。無数のケーブルとコードが繋げられている水槽。そして、LCLの様な液体で満たされた水槽の中に浮かぶ……大勢の綾波レイ。

(綾波さん? ……綾波さん……なの?)

 激しい頭痛と乱れた精神状態。限界を迎えていたシイはまともな思考も出来ずに、ただ頭に流れてくる映像を見るしかなかった。

 そして脳内に送り込まれた最後の映像。真っ暗な闇の中、全裸のレイが近づいて来る。ただしその姿は、まるで胎児のように異形をしていた。

(誰……綾波さん……じゃない?)

 シイの思いが伝わったのか、異形のレイはゆっくりと顔を上げてシイを見つめる。大きく見開かれた瞳、唇をつり上げる気味の悪い笑み。

「い……いやぁぁぁぁ!!!」

 それを見た瞬間、シイの精神は限界を超えた。

 

 

 突如鳴り響くアラートとシイの絶叫に、管制室は騒然とした空気に包まれた。

「どうしたの!?」

「パイロットの神経パルスに異常発生!」

「せ、精神汚染が始まっています!!」

 オペレーターの悲痛な叫びに、その場にいた全員の顔色が青ざめる。実験中のトラブルの中でも、考えられる最悪の事態だった。

「あり得ないわ。プラグ深度の管理はしていたのでしょ!」

「は、はい。プラグ深度は、正常位置を維持しています」

 以前の実験と同様、今回もシイのプラグ深度は浅い位置で固定されていた。エヴァから遠ざけられた状態で、パイロットへの逆流は考えられない。

「じゃあ……まさか」

「はい。エヴァからの浸食です」

「くっ、実験は中止よ。全回路を遮断、電源も落として。早く!」

「了解!」

 零号機の背中からアンビリカルケーブルが外されると同時に、零号機は内蔵電源に切り替わった。暴走状態に陥り制御不能となった零号機は拘束具を引き千切り、悶え苦しむように実験場を動き回る。

「零号機、内部電源に切り替わりました。稼動限界まで、後62秒」

「シイちゃんは!?」

「回路遮断、モニター出来ません」

 ガラス越しに見える零号機は、頭を抑えて苦しそうな素振りを見せている。それが中にいるシイの状態を表している様に思えて、管制室の面々は悲痛な表情を浮かべた。

 

「ちょっとリツコ、どうなってんのよ」

「……分からないわ」

「分からないって、そんな無責任な事……」

 リツコに近づき食って掛かるミサトだが、寸前でそれを自制する。平静を装うリツコの手が、真っ白になるまで握りしめられていたのを見てしまったからだ。

「……オートエジェクションは?」

「室内で作動すればどうなるか。私は嫌と言うほど知ってるわ」

「じゃあどうすれば止められるの?」

「電源が切れるまで、待つしかないわ」

 暴走する零号機を見つめながら、ミサトとリツコは自分達の無力さを実感して顔を歪ませた。

 

 実験場の零号機は片手で頭部を押さえながら、もう片方の手で壁を殴り続けている。まるで少しでも苦しみを和らげようとするかのように。

「ちょっと、シイ! あんた何やってんのよ!」

「アスカ……」

「あたしが見てるのよ! 恥ずかしいとこ見せてないで、とっとと制御しなさい!」

 管制室のガラスに張り付き、アスカはシイへ檄を飛ばす。言葉こそあれだが、必死に叫ぶ姿がアスカの気持ちを雄弁に語っていた。

「何とか言ったらどうなの! 返事をしなさいよ!」

「……通信回路も遮断されているわ」

 アスカの隣に立って、冷静に事実を告げるレイ。

「だからって、黙ってらんないでしょ! あんたはシイが心配じゃ無いっての!?」

「……そんな訳、無い」

 普段から何事にも動じず、ポーカーフェイスを崩さないレイだが今は違う。唇を噛みしめ、必死で何かを堪えるように、悶え苦しむ零号機を見つめていた。

「稼動停止まで、後三十秒」

 管制室の面々には、一秒が何倍にも思えるほど時の進みが遅く感じられた。

 

「稼動停止まで、後十、九、八、七、六、五……」

 マヤがカウントダウンを行う間も、零号機は実験場の壁を破壊し続けている。拳での殴打に頭突きと、あまりに原始的で暴力的な行動に、アスカは思わず息をのむ。

 この場で唯一彼女だけが、エヴァが暴走した姿を見たことが無い。本能のままに暴れるエヴァの姿は、アスカに大きな衝撃を与えていた。

「四、三、二、一、活動限界です」

 壁に頭をめり込ませた瞬間、零号機は内蔵電源を使い切って完全に動きを停止した。

「パイロットの救助を急いで!」

「了解。待機していた救護班を向かわせます」

「私も行くわ」

「ったく、あたしも行くわよ」

 ミサトは管制室を飛び出し、大急ぎでシイの元へと向かう。アスカも慌ててそれに続いた。

 

 実験場の床に降ろされたエントリープラグ。非常用ハッチから外に引き上げられたシイは、グッタリと身体を弛緩させ、完全に意識を失っている様だった。

「……碇さん」

 管制室のガラス越しにその光景を見て、レイは不安そうに呟く。その不安にはシイの身を案じる以外の感情も含まれていたのだが、それを知るのはレイだけだった。

「零号機がシイさんを拒絶……いえ、取り込もうとしたの?」

 慌ただしい管制室で、リツコは誰にも聞こえない程小さな声で呟くのだった。

 

 

 

「葛城さん、シイちゃんの意識が戻ったそうです」

「そう……会えるかしら」

 ネルフ本部の作戦室で待機していたミサトは、疲れた声色で日向に尋ねる。あれから数時間が経ち、既に中央病院の面会時間は過ぎている為だ。

「いえ……その……面会は出来ないとの事で」

「……何かあったの?」

 単に面会時間の問題にしては、日向の歯切れが悪い。言いにくい何かがあるのかと察したミサトは、眉をひそめて再度尋ねた。

「目覚めたシイちゃんは……錯乱状態だったらしく」

「なっ!? それって、精神汚染……」

「その心配は無いそうです。ただ酷く興奮していた様で、鎮静剤を使ったと報告が」

「……そう」

(何かがあったのね、あの実験で。そしてリツコはそれに気づいてて……隠してる)

 ミサトは唇に指をあてて思考を巡らせる。

(今回の実験……いえ、ネルフにはやはり何か裏がある。それはシイちゃんを危険な目に、最悪犠牲にすることすら厭わない程のもの。……気に入らないわね)

「葛城さん?」

 黙り込んでしまったミサトへ、日向は心配そうに尋ねる。

「……ねえ、日向君。ちょっち頼みたい事があるんだけど」

 ミサトは小さな声で日向へと自分の頼みを伝えた。

 

 

「やっぱり、どう考えてもおかしいのよ」

「ん、何がだ?」

 ネルフ本部の一角にある加持の仕事部屋。机に向かい業務を行う加持は振り返らずに、椅子の上にあぐらを掻くアスカに問い返す。

「あの実験よ」

「零号機の暴走事故か。原因は今、赤木が調査中だろ」

「そっちじゃ無くて、レイの方よ」

「綾波レイ? 彼女の実験は問題なく終了したと聞いてるが」

「それがおかしいの。どうしてあの子は、他のエヴァに乗れたの?」

 アスカの声色に真剣なものを感じ取った加持は、作業の手を止めると椅子を回転させてアスカと向き合う。

「赤木も言っていたが、零号機と初号機に互換性があるからだろ?」

「でもシイは駄目だった。なら、やっぱりレイが特別としか考えられないわ」

「だが彼女も以前、零号機の起動に失敗している。今回のシイ君と同じようにな」

 レイの暴走事故の時には加持もアスカもドイツに居たが、データで事故の事実を知っている。だから加持は何故アスカが、そこまでレイに固執するのかが理解できなかった。

 

 納得出来ない表情を浮かべるアスカに、加持はその理由を尋ねてみることにした。

「……アスカ、何か他に気になる事でもあるのか?」

「今日学校で、シイの母親の写真を見たの」

「シイ君の母親……碇ユイさんか」

 アスカの発言に加持は驚いたように目を見開く。碇ユイの姿を写したデータは全て抹消済みだった。特殊監査部に所属する加持ですら入手出来なかったのだから、相当大きな力が働いたのだろう。

 それを見たというアスカ。興味が沸かない方がおかしい。

「一体どうやって」

「えっ、シイが副司令から貰ったって」

(副司令と碇ユイに繋がりがあったのか……こりゃ調べる価値がありそうだな)

 貴重な情報を得た加持は小さく頷くと、アスカに話の続きを促す。

「それで、その写真がどうしたんだ?」

「……そっくりだったの。シイのお母さんと、レイが」

「まあ、シイ君も綾波レイと似ているからな」

「そうじゃなくて! そっくりなの。同じ人かと思うくらい」

 興奮したように立ち上がるアスカ。その様子から碇ユイと綾波レイが、自分の想像しているレベルの似ている、では無い事を加持は察した。

「絶対変よ……でも、こんなこと誰にも言えないし」

「アスカ。その写真を見たのは、君だけか?」

「ううん。ヒカリ……学校の友達三人と、レイも見たわ」

「そうか」

 加持は腕を組み考える仕草をすると、真剣な顔でアスカを見つめた。

「この話、他の誰にもするな。ネルフ関係者は勿論、学校の友達にも、誰にもだ」

「えっ、そのつもりだけど……加持さん、何か知ってるの?」

「残念ながら知らない。今はまだ、な」

 加持はそれっきり黙り込むと、胸ポケットから煙草を取り出して吸い始めた。煙草の臭いを嫌うアスカの前でわざわざ煙草を吸う。それはこれで話は終わりと言う、ドイツにいた頃からの合図だった。

 煙草の煙に追いやられる様にアスカは黙って出口へと向かうが、ドアの前で不意に立ち止まると、身体を反転させて加持と向き合った。

「……加持さん。シイのお母さんの写真……欲しくない?」

「ん、まあな」

「あげるわ。だから……」

 アスカの言わんとしている事を理解した加持は、鋭い目つきで言葉を先読みする。

「情報を教えろ、か」

「嫌なのよね。あたしだけのけ者にされるのって」

 加持は改めてアスカに向き直る。ドアを背にして立つアスカからは、強い意志が感じ取れた。

「……分かった」

 僅かな逡巡の後、加持はアスカの話に乗った。

 




零号機の暴走。それを切っ掛けに、疑惑を持った人達が動き始めました。

アスカは学卒で頭の回転も速い、ある意味天才少女です。そんな彼女がネルフの裏側に疑惑を持たない訳が無いかなと。
誰からもノーマークの彼女こそ、秘密を探る重要なキーマンだと思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※現在出張中のため、投稿時間が少しぶれます。申し訳ありません。


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14話 その4《刻まれた記憶》

 

 零号機の事故より数時間後、人類補完委員会の会議に出席していたゲンドウが司令室に戻ると、彼の帰りを待っていた冬月が声を掛けてきた。

「老人達はご立腹だったようだな」

「文句を言うのが仕事の下らぬ連中だ。問題は無い」

 執務机に肘を着き、普段通りの口調でゲンドウは答える。応接スペースに腰を掛け、詰め将棋を指していた冬月は、ゲンドウに顔を向けずに話を続けた。

「実験の話は聞いたな?」

「ああ。だがダミーのデータは充分取れている。何も問題は無いよ」

「意識を取り戻したシイ君は、錯乱状態だったそうだ」

 パチン、と強い音を立てて冬月は駒を盤に叩き付ける。口調こそ変わらないが、その音が冬月の心情を無言で示していた。

「……冬月、シイに拘るな」

「大切なパイロットだ。心配するのは当然だろう」

「所詮は駒、計画のための道具に過ぎない」

「碇、その言葉をシイ君の前でも言えるか?」

 冬月の問いかけにゲンドウは答えず、二人の間に無言の気まずい空気が流れる。司令室には冬月が鳴らす駒の音だけが寂しく響く。

「いずれにせよ我々には時間がない。後戻りなど出来ないのだ」

「分かっている。それで、老人達はあしらえたのだな?」

「ああ。切り札は全てこちらにある。彼らには何も出来んよ」

「あまり焦らしすぎるなよ。今ゼーレに動かれるのは厄介だぞ」

「全てはシナリオ通りだ。我々のな。何も問題ない」

 揺るぎないゲンドウの言葉に、冬月は初めて視線をゲンドウに向ける。

「零号機の事故もか? あれは俺のシナリオには無かったぞ」

「……修正の範囲内だ。その後行ったレイと零号機の再シンクロは、問題なく終了している」

「ロンギヌスの槍は?」

「それも問題無い。作業はレイが行っている」

(お前こそレイに拘り過ぎだ。……レイは既に、お前の人形から変わりつつあるのだぞ)

 再び無言で詰め将棋を行う冬月は、胸中に渦巻くゲンドウとシナリオへの不安を告げる事は無かった。

 

 

 同時刻、ネルフ本部の最深部、ターミナルドグマの通路を零号機が歩いている。その手には先端が二又に分かれた、赤黒い槍の様な物が握られていた。

 暗い通路をゆっくりと歩き進む零号機。そのプラグ内ではレイが無表情で零号機を操る。

(……碇さん)

 無感情の顔とは対照的にレイの心は乱れていた。その原因は昼の事故。シイの事が心配だったと言うのも当然あるのだが、それ以上に彼女の気持ちを乱す物があった。

(……多分、碇さんは私を知った。知られてしまった)

 零号機からの浸食。それから考えられる事は、シイへの情報の逆流だ。あの後面会が出来なかった為、実際にシイの身に何が起きたのかは分からない。何も無かったのかもしれない。

 だがシイが目覚めた直後に錯乱していたと言う事実が、レイの予測が正しいことを証明してしまっていた。

(私を知っても、碇さんは私を友達として見てくれるの? それとも……)

 不安を抱えたままレイは無表情の仮面を被り、淡々と作業を続けるのだった。

 

 

 

 翌朝、目覚めたシイが最初に見た物は、すっかり見慣れてしまった病院の天井だった。

「あれ……どうして私ここに」

 寝起きは良い方なのだが、今朝はどうにも頭が重い。鎮静剤の副作用なのだが、記憶の混濁からかそれを思い出せないシイは不思議そうに首を傾げる。

(風邪引いたのかな)

 熱を確かめようと、額に手を当てようとして、シイは自分が置かれている異常な状況に気づいた。

「な、何これぇ!?」

 シイの身体は皮のベルトでベッドに固定され、首から下が動かせないようになっていた。どうにか身体を動かそうともがくが、どうにも外せそうに無い。

(私……誘拐された?)

 勝手にマイナス方向に嫌な想像をして青ざめるシイ。何とかベルトの拘束から逃れようと身体をよじっていると、不意に声を掛けられた。

「お、おはよう」

 唯一動く首を必死にあげて声の主を確かめようとすると、そこにはおかしな光景が広がっていた。

 医師と数名の看護師が、自分が寝ているベッドを取り囲むように立っていたのだ。それも全員が腫れ物に触るように、引きつった笑みを浮かべていたのだから、それは異様としか言いようが無い。

「……おはようございます」

 状況を理解出来ないシイは、ひとまず挨拶を返してみる。すると何故か医師達は安堵したように、肩の力を抜いて大きく息を吐いた。

 ますまず理解不能の状況に、シイは首を傾げながら医師達に向けて問いかけてみる。

「あの~どうして私、こんな事になってるんでしょうか?」

「ん、ああすまないね。少々身体の固定が必要な治療だったんだ」

「治療? ……そうだったんですか」

 中年の医師の言葉にシイは少し驚きつつも素直に納得する。どうも記憶がハッキリしないが、病室に居る以上、何らかのトラブルが自分に起きたのだろうと判断したからだ。

「えっと、治療はもう終わったんでしょうか? 出来ればこれを外して貰いたいんですけど……」

「そうだね……うん、大丈夫だろう」

 医師は少し悩んでからベルトを外す許可を出した。するとシイを取り囲んでいた看護師達が、手際よくベルトからシイの身体を解放していく。

「ごめんね、苦しかったでしょ」

「いえ、全然。気づいたのはついさっきでしたから」

 謝罪する看護師にシイは気にしていないと笑顔を向ける。今さっきまで拘束されていると気づいて無く、自分の治療のためなのだから、不満などある筈が無い。

「でも、私は何でここに来たんでしょうか。病気じゃないし、怪我もしてない見たいですけど」

「えっ! 碇さん……憶えていないの?」

 何気ない呟きに病室にいた全員の顔色が変わる。それはシイの不安をかき立てる反応だった。

「憶えてないって、何をですか?」

「貴方は昨日……」

「君! 余計な事を言うんじゃない!」

 何かを話そうとした看護師を、医師が厳しく叱責する。だがその声はシイの耳には届いていなかった。

(昨日? 昨日私は……零号機に乗って………………)

 看護師の言葉を切っ掛けに、頭の奥底に閉じこめられていた記憶が徐々に蘇ってくる。あまりに強烈な記憶。それは激しい動悸と発汗をシイにもたらした。

「そう……私は……」

 震える身体を抱きしめながら、うなされるように呟くシイ。その様子に医師と看護師達は、先日の錯乱が再び起こる事を危惧し、緊張の面もちでシイを見つめる。

 朝日が差し込む病室に、場違いな緊迫した空気が流れる。その中心に居るシイは、やがて何かに納得したように小さく頷くと、顔を上げて医師達を見た。

「私、昨日暴れたんですね。ごめんなさい、ご迷惑をかけてしまって」

「い、いや、気にしないでくれ。それも我々の仕事だからね」

「もう大丈夫です。落ち着きましたから」

 言葉を裏付ける様に、シイの表情には精神の安定が感じられた。ホッと胸をなで下ろした医師は、検査のために今日一日の入院を告げて、看護師と共に病室から去っていった。

 

 

 静寂が包む一人きりの病室で、シイは天井を見つめて物思いに耽る。

(……綾波さんは、ヒトじゃ無かったんだ)

 零号機から逆流してきた情報を整理して、シイは自分なりの結論を出した。自分でも不思議な程落ち着いていられるのは、昨日錯乱という形で感情を爆発させたお陰かも知れない。

(それは良いの。綾波さんが誰であっても、友達には変わらないもん。でも……)

 シイが感じる不安、それはゲンドウの存在だった。

 オレンジ色の液体で満たされた円柱状の水槽。その中に身を委ねるレイと、そんな彼女を見つめるゲンドウの姿を、シイは零号機から見せつけられていた。

(お父さんは綾波さんの事を知ってる。何かをさせようとしてる)

 それが何かは分からない。だがどうしても悪い予感を振り払うことが出来なかった。

(私は綾波さんの事も、お父さんの事も何も知らない。知ろうとしなかった……逃げてたんだ)

 レイが母親であるユイとそっくりな事を、シイは気づいていた。だが気づかないふりをしていた。その先にある真実を知るのが怖かったからだ。

「逃げちゃ駄目、だよね。私は綾波さんの友達でお父さんの娘、碇シイなんだから」

 小さな拳をギュッと握り、シイは逃げずに立ち向かう決意を固めた。

 




レイの正体……と言いますか、ヒトでは無いことをシイは知りました。逃げずに向き合えれば、希望は見えてくるはずです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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小話《進路面談》

アホタイム襲来です。

時間軸は、イロウル戦の後、14話開始前となっています。


 

~進路調査~

 

 第十一使徒侵入の事後処理も終わり、発令所は久しぶりにゆったりとした空気に包まれていた。警戒待機レベルも低い為、オペレーター達はそれぞれリラックスした様子で待機している。

「ふんふふ~ん、じゃん!」

「お、随分ご機嫌だな」

 鼻歌交じりにエアギターを披露する青葉に、日向は読んでいた漫画をしまいながら声を掛ける。一応警戒待機中ではあるのだが、業務に支障の出ない行動はある程度許されているので、咎める必要は無い。

「ええ。ここんとこ忙しくてご無沙汰だったんすけど、今夜ちょっとライブがありましてね」

「ああ、確か職員でバンド組んでるって言ってたっけ」

「良かったら日向さんも来てくださいよ。久しぶりに今夜は燃えますよ」

 青葉は長い髪をふりながら、一際激しくエアギターを奏でる。出勤時にギターを持参する程のギタリストである青葉にとって、忙しく満足に演奏出来なかった日々は辛かったのだろう。

 生き生きとした青葉の表情に、日向は少し考えてから頷く。

「ライブか……たまには良いかもな。伊吹はどうだ?」

「え?」

 急に日向から話をふられたマヤは、驚いた様に読んでいた小説から顔を上げて二人を見る。

「えっと、何がでしょう」

「ライブだよ、ライブ。青葉が今夜ライブをやるから、見に行かないかって話」

「その……私はちょっと」

 マヤは申し訳なさそうに誘いを断る。とは言えその答えを予想していたのか、青葉も日向もさほど気にする様子を見せず、軽くマヤに頷く。

「まあ、無理強いはしないさ。じゃあ日向さん、これチケットですんで」

「代金は今度で良いか?」

「今回はサービスっすよ。久々の演奏なんで、一人でも多く見て欲しいってのが本音ですから」

「そりゃ楽しみだ。って、二枚あるぞ、これ」

 日向は受け取ったチケットを確認して青葉に問い返す。

「誰か誘って来て下さいよ。そうっすね……折角だし、葛城三佐なんかどうです?」

「ば、馬鹿言うなって。俺は別にそんな」

 顔を赤くして否定する日向だったが、その態度が全てを物語ってしまう。彼がミサトに恋心を抱いているのは、青葉やマヤには周知の事実だった。

「いやいや、ライブで盛り上がっちまえば、意外と行けるかもしれませんよ」

「……まあ、誘うだけ誘ってみようかな」

「あら、誰を何に誘うのかしら?」

 不意に会話へ割り込んできた声に、日向と青葉は慌てて振り返る。そこには発令所の入り口から歩いてきた、リツコと冬月が並んで立っていた。

「あ、赤木博士。その、ですね」

「ふふ、冗談よ。プライベートに干渉するつもりは無いから」

「ただし、節度を持って行動したまえ。仕事に支障が出るようでは困りものだぞ」

「は、はい」

 リツコと冬月に言われ、日向は思わず立ち上がり敬礼をするのだった。

 

「マヤ、MAGIの状態はどうかしら?」

「異常ありません。既に全システムのチェックを終え、通常稼動を行っています」

「そう。後遺症は無いみたいね」

 マヤの背後からディスプレイを覗き見たリツコは、満足そうに頷く。一度徹底的に検査と再調整を行った為か、寧ろ以前よりも調子は良いようだった。

 リツコとマヤのやり取りを聞いてから、冬月も自分の指示した仕事の確認を行う。

「シグマユニットの方はどうだ?」

「はい、使徒汚染による影響は感知されませんでした。現在、プリブノーボックスの復旧作業中です」

「ふむ。青葉、関係各省の動きはどうだ?」

「問題なしです。日本政府、戦自、国連軍から今回の件に関しての問い合わせはありません」

「ひとまずは、幕を下ろせそうだな」

 部下達の報告を聞いて、使徒の残した爪痕が薄れた事を確信した冬月は僅かに表情を緩めた。

 

 状況の確認が終わると、話題は先日中止となったテストの事へと移る。

「さて、赤木博士。オートパイロットテストは中断してしまったが、どうするね?」

「必要最低限のデータは取れました。次のフェーズに移行するべきかと」

「互換試験か」

 リツコの返答に、冬月はアゴに手を当てて考える仕草をする。オートパイロットテストは、互換試験の為のデータ収集が目的。それが最低限でもクリアされたのなら、次の段階へ進むのもありだろう。

「はい。既に零号機と初号機の機体相互互換試験に向けて準備を進めてます」

「君が言うのなら問題ないのだろう。任せるよ」

「互換試験ってレイが初号機に乗って、シイちゃんが零号機に乗るって言うアレっすか?」

 二人の会話に青葉が口を挟む。

「そうよ」

「でもレイはともかく、シイちゃんは零号機を起動出来るんですかね?」

「パーソナルパターンが酷似しているから、理論上は可能な筈よ」

「それって、レイとシイちゃんが似てるって事ですか?」

 日向の言葉に、一同はふと考え込む。脳内にシイとレイ、二人の少女を思い浮かべて、両者の姿を改めて見比べてみる。

「顔立ちは……確かに似てますね。シイちゃんが少し幼い感じですけど、姉妹みたいに」

「体付きは……俺の口からは言えない」

「髪も瞳も色が違うし、総合的に見て、あんまり似てないかな」

「性格も正反対だな。他者を求め受け入れるシイ君に対し、レイは他者に興味が無いからな」

 一同はそれぞれが思ったことを次々に口にする。外見的には似てないとは言わないが、酷似と言えるほどの共通点は無いと言うのが結論だった。

 そんな面々にリツコは苦笑しながら突っ込みを入れる。

「あのね、誤解しないで。パーソナルパターンが酷似してるのは、あの子達じゃなくてエヴァの方よ」

「そ、そうだぞ君達。早とちりしてはいかんよ」

「……副司令。貴方が言わないで下さい」

 リツコは頭痛を堪えるように、頭に手を当ててため息をついた。

 

「あれ、みんな揃って……副司令まで居るなんて、何か事件でもあったの?」

 発令所にやってきたミサトは、勢揃いしている面々を見て不思議そうに首を傾げた。

「いえ、次の実験の話をしていただけよ」

「次って、あの乗換だっけ。相変わらず変なことばっか考えるわよね」

「今後に備える為にも、必要な実験よ」

 軽口を戒めるようなリツコの言葉に、ミサトははいはい、と肩をすくめた。

「それで葛城三佐。今日は非番だった筈だが、君こそ何かあったのかね?」

「あ、いえ、大した事では無いのですが、シフトの変更をしに」

「あら珍しい。デートかしら?」

 リツコの皮肉にビクッと日向の肩が震えるが、ミサトはそれに気づかない。

「違うわよ。今朝学校から連絡があってね、来週シイちゃん達の進路面談があるの」

「……へぇ」

「……ほう」

 何気ないミサトの発言を聞いた瞬間、すっとリツコと冬月の目が鋭さを増した。まるで獲物を見つけた肉食獣の様に、危険な光が瞳に宿っている。

「だから、その時間抜けられる様にちょっち、ね」

 この時点ではまだシイ達も、進路相談の面談があることを知らない。実はミサトが以前学校側に話を通して、スケジュールの調整が必要な行事は、事前に連絡を貰うようにしていたのだった。

 出来る限りシイ達の保護者として頑張りたい、と言う気持ちの現れだろう。

「それで、シフトは調整出来たの?」

「ま~ね。余程の事が無い限り、それこそ使徒が来なきゃ問題ないわ」

「……成る程。つまり、余程の事が起きれば」

「葛城三佐は面談に出れない、のだな」

 リツコと冬月から発せられる底知れぬ気迫に、ミサトは思わずたじろいだ。何故だか恐ろしいことを同僚と上司が口にしているが、気にしたら負けだと言葉を返す。

「ま、まあそうですけど……もしもの話ですから」

「甘いわよミサト。未来の事なんて、誰にも分からないのだから」

「赤木博士の言うとおりだ。急な出張が入るかも知れんしな」

「え゛……」

 もうミサトの顔からは愛想笑いすら消えていた。副司令の冬月なら自分に、出張を命じる事も出来るだろう。そして今冬月は、冗談抜きで本気の顔をしていたのだから。

「安心してミサト。もし貴方が行けなくなっても、私が代わりに行くから」

「待ちたまえ。君はレイの保護者も兼ねているから多忙だろう。ここは私に任せて貰おう」

 顔を引きつらせるミサトを余所に、リツコと冬月は軽く火花を散らす。もうこの二人の中では、ミサトに余程の事が起こるのは確定事項の様だ。

「だからこそです。レイも同じ日にして貰えば、何も面倒な事はありません」

「進路面談は大切だ。三人も面倒見るのは厳しいと思うがね」

「いえいえ、副司令と違って私は若いですから」

「ならば余計に、保護者役には不安があるな。ここは人生経験豊富な私こそが適任だよ」

「副司令はお忙しいでしょうに」

「大切な実験を控えた君ほどでは無いよ」

 穏やかな口調で話す二人だが、その間に激しい火花が散っているのをミサト達は確かに見た。

 

 いつもならオペレーター達も参戦する所だが、流石に進路面談では分が悪すぎる。三人の保護者役を務めるには、日向達は若すぎたのだ。

(今名乗りをあげても、赤木博士と副司令に潰されるのがオチだな)

(そうっすね。どうにか兄妹って形で挑みたい所ですが……)

(姉妹……お姉さん、お姉ちゃん……ふふ、良いかも)

 マヤは置いておくとして、日向と青葉は虎視眈々と隙を狙うのだが状況は厳しかった。彼らが内心葛藤している間にも、リツコと冬月のバトルは続いていた。

「だ、大体副司令はいい年して子供も、結婚すらしていないのに、保護者役が出来るとでも?」

「それは君も同じだろう。そろそろ真剣に考えた方が良いのでは無いのか?」

「余計なお世話です」

「条件は同じだろう。折角だ、ここはシイ君に決めて貰おう」

 冬月の提案にリツコは顔を歪ませる。シイが冬月を尊敬し、好意を持っているのを知っている為、選ばせると言う方法では、明らかに自分が不利だと悟った。

「ふっ、どうやら決まりの様だね」

 リツコの様子を見て、冬月はまるで悪役のように勝利の笑みを浮かべた。

 

「さて、葛城三佐。その面談はいつかね?」

「……はぁ。来週の月曜日ですが」

「むっ!?」

「あっ!?」

 すっかり諦めモードに入ったミサトが投げやりに答えると、何故か冬月とリツコは同時に顔をしかめる。実は丁度その日、二人揃って絶対に外せない仕事が入っていたのだ。

 黙り込む二人。場に気まずい空気が漂う中、リツコと冬月は恨めしそうな視線をミサトへ向ける。

「……今回は貴方に任せるわ」

「……余程の事は起こらないだろう。くれぐれも、粗相の無いようにな」

 捨てぜりふを残して二人は発令所を後にした。

 

 その後ろ姿を見送るミサトは改めて、碇シイの保護者であることの大変さを思い知ったのだった。

 




原作ではゲンドウの一言で拒否された面談。あの男ももう少し言い方って物があると思いますが……。やっぱり不器用なんでしょうね。


小話ですので、本日中に本編も投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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15話 その1《変化》

 

 第一中学校の屋上でいつもの様に昼食を食べるシイ達。だがそこにレイの姿は無かった。

「なあ、碇。綾波は今日も学校に来ないのか?」

「うん……大切な実験があるらしいけど」

 ケンスケの問いにシイは歯切れの悪い返答をする。急に登校してきても大丈夫なように、レイのお弁当を用意しておいたのだが、残念ながら出番は無さそうだ。

「シイが登校してきたら、入れ替わりで綾波が休みかいな。パイロットも大変やな」

「そうだね……」

「何か心配な事があるの?」

 シイの曇った表情を見て、ヒカリが心配そうに声を掛ける。レイは三人の中でも特に任務や実験で登校しない日も多いので、シイもそれに慣れている筈なのだが。

 ヒカリの問いかけに、シイはぽつりと呟くように答えた。

「……最近、綾波さんに避けられてるみたいなの」

「「はぁ!?」」

 シイを除く全員が素っ頓狂な声をあげた。レイがシイを避けるなんて、この場にいた誰もが即座に否定するほどあり得ない事だったからだ。

 

 いの一番に反応したのはアスカが、いつも通りの調子でシイの言葉を否定する。

「あんた馬鹿ぁ? あの子があんたを避けるなんて、あるわけ無いじゃない」

「だよな。綾波って碇に一番懐いてるって言うか、心を開いてる感じだし」

「そやそや。あいつがわしらと仲良ぅなったんも、シイが居たからやろ」

「何かの勘違いじゃないかな?」

 アスカに続いて一斉にシイの言葉を否定するヒカリ達。だがシイの表情は晴れない。

「本部で綾波さんに会ったとき、逃げるように離れて行っちゃったの」

「それは……急いでたのよ、きっと」

「電話を掛けても、出てくれないし」

「出れない事情があるんじゃ無いか? 実験中とか、外部との連絡はNGとかさ」

「声を掛けても、チラッと私を見て気づかないふりをするし」

「そりゃ……あれや。人と話したらあかん実験とか……」

 トウジ達は必死にフォローするのだが話を聞けば聞くほど、本当にレイがシイを避けているとしか思えなくなった。特に声を掛けても無視をするのは擁護のしようが無かった。

「私、綾波さんに嫌われちゃったのかな」

 目に涙を溜めて俯くシイ。下手な慰めは逆効果と悟って、トウジ達は声を掛けられない。漂う暗い空気を破ったのは、やはりアスカだった。

 

「あ~も~じれったいわね。そんなの、本人に直接確かめれば良いでしょ」

「だから、避けられて話すら出来ないんだろ」

「話聞いとったんか」

 ケンスケとトウジの言葉をアスカは一蹴する。

「あんた達馬鹿ぁ? だから避けられない状況で確かめるのよ」

「え?」

 立ち上がるアスカにシイは驚いたように顔を上げる。

「良い、シイ。狩りの基本は獲物の逃げ道を塞ぐ事。外堀を埋めてから仕留めるのよ」

「あ、アスカ。もう少し言葉を選んだ方が……」

「どうすれば良いの?」

 ヒカリのフォローを遮って、シイはアスカのスカートにしがみつく。潤んだ瞳で自分を見上げるシイに、アスカは内心の動揺を悟られないよう、咳払いを一つして話し始める。

「つまり、密室に二人っきりになっちゃえば良いの」

「でも、そんな場所無いよ。綾波さんはずっとネルフ本部に居るし」

「ふふん、あるのよね、これが。入ったら最後、自分の意志で出られない場所が」

 自信満々に告げるアスカだったが、シイには全く心当たりが無い。

「そんな場所……あったかな?」

「お膳立てはあたしがしてあげる。その代わりあんたはしっかりレイと話をつけるのよ」

 ニヤッと笑うアスカの頼もしさに、シイは今日初めて見せる笑顔で頷いた。

 

 

 芦ノ湖上空を飛行するVTOLの中では、ゲンドウと冬月が向かい合わせに座っていた。搭乗してから無言が続いていたが、やがて冬月が会話を切り出す。

「碇、老人達は相当苛ついているぞ」

「そうか」

「キール議長から直接文句が来た。俺の所にな」

「適当にあしらっておけば問題ない」

 興味なさそうに答えるゲンドウに、冬月は小さくため息をつく。

「少しは俺の身になってくれ。ひたすら嫌味を聞くのは、この老体には少々堪える」

「文句はキール議長に言え。こちらは順調に計画を進めているのに、何が不満なのだ」

 少し皮肉を込めた冬月の小言にも、ゲンドウは全く悪びれた様子を見せない。本気で言っているのか、単に図太いだけなのか。

「肝心の人類補完計画が遅れているからだろう」

「それも修正誤差の範囲内だ。全てがゼーレのシナリオ通りに、進むはずが無いと言うのに」

「馬耳東風か。どうりで俺に文句を言う訳だ」

 この男には嫌味も皮肉も通じないと、冬月は諦めたように肩をすくめた。

 

「ところで、レイの件は聞いているか? シイ君との接触を避けているらしいが」

「……問題ない。我々の計画には寧ろ好都合だ」

 ゲンドウはシイとレイの交流を、不安要素として捉えていた。理由は不明だがそれが勝手に解決されたのなら、追求する必要も無いだろう。

「果たしてそうかな? レイがシイ君を避ける理由、そう多くは無いぞ」

「冬月、何が言いたい?」

 拘りを見せる冬月に、ゲンドウはサングラス越しに鋭い視線を向ける。

「油断していると、足下を掬われると言うことだ」

「ふっ。既に歯車は回っている。それを止める事は誰にも出来んよ」

「だと良いがな」

(取るに足らん小さな石が、巨大な歯車を止めることもある。気づかぬふりをしているのか、それとも……)

 自信に満ちたゲンドウの言葉に冬月は小さな不安を抱いたが、あえて口には出さなかった。変わりにもう一つゲンドウに確認しておきたかった事を尋ねる。

「それと、あの男はどうする?」

「好きにさせておくさ。まだ利用価値がある」

 予想通りの答えだったが、冬月は一応現状報告を付け加える。

「今はマルドゥックを探っているようだぞ」

「無駄な事を……。所詮個人では限界がある。あの男もその内気づくだろう」

 嘲るようなゲンドウの言葉だが、冬月もその点は同意する。ネルフという組織は、個人で挑むにはあまりに大きすぎるのだ。

「特殊監査部主席監査官。確かに切るには勿体ない人材ではあるな」

「利用出来る内は泳がせておけば良い。我々の計画にとって、何の障害にもなり得ないよ」

 ゲンドウは唇を笑みの形に歪め、余裕の態度を崩さずに冬月へ告げた。

 

 

 

 平日の昼下がり、白いジャケットに茶色のズボン姿の加持は一人、京都の町を歩いていた。勤務中である筈の彼が、第三新東京市から遠く離れた京都に居るのは、少々奇妙な光景だ。

(京都……十六年前のここが、全ての始まりか)

 古い町並みを歩きながら加持は思考を巡らせる。シイの実家、つまり碇ユイの実家があり、冬月が教鞭を奮っていた大学もある。そしてゲンドウも当時、ここで生活していたとの情報もあった。

(役者が揃っていた舞台。一体どんな演目だったのやら)

 加持は尾行を警戒しながら入り組んだ路地を何度も曲がり、やがて一軒の廃屋へと辿り着いた。

 長い間人の手が入っていない廃屋は、埃とカビの臭いが充満している。加持はハンカチで口元を隠すと、廃屋を隈無く調べるが何も発見できなかった。

(どうやら、ここもダミーだったか……ん?)

 自分が入った場所とは違う出入り口、そこに人の気配を感じて加持は緊張感を高める。懐に忍ばせた拳銃を握ると、壁沿いにゆっくりとドアへと近づいていく。

 僅かに開いたドアの隙間からは、明かりがうっすらと暗い室内に漏れている。加持は不意の襲撃にも対応できるよう、身体を緊張させながらそっと外の様子を窺った。

「……はぁ、あんたか」

 気配の正体を知り、加持は僅かに安堵したように銃から手を離す。加持が隙間から覗く外には、五十台と思われる女性が石段に腰を下ろして、暇そうに雑誌を読んでいた。

 加持と視線を合わせないまま、女性は気怠げに言葉を発する。

「わざわざこんな場所まで来るとは、ご苦労な事だな」

「って事は、やはり」

「ああ。マルドゥック機関と繋がる企業の本社。だがここは九年前から、この姿のままだよ」

「みたいだな。これで繋がりがあるとされる企業108の内、107がダミーだった訳だ」

 女性の言葉に加持は興味深そうに答える。自分の姿を廃屋の中に隠しているので、外からは女性が独り言を喋っているように見えるだろう。

「マルドゥック機関。エヴァンゲリオン操縦者選出の為に設立された、人類補完委員会直属の諮問機関。だがその実態は不透明。ここまで来ると、実態があるのかすら疑わしいな」

「興味を持つのは勝手だが、自分の仕事は分かっているのか?」

 咎めるような女性の言葉に、加持は苦笑しながら頷く。

「ネルフの内偵、だろ。まあそっちはそれなりにやってるよ」

「貴様は優秀だが、それでもマルドゥックに首を突っ込むのは不味いぞ」

 自分の身を案じてくれている女性に、加持は感謝したが引くつもりは無かった。彼は目的の為なら、既に命を捨てる覚悟をしているのだから。

「真実を知りたいだけさ。その為には、自分の目で見るのが一番確実なんでね」

「……政府内に、貴様の動きを問題視する動きがある。気を付けろ」

「忠告感謝するよ。じゃ、他にも回りたい所があるから、これで」

 加持はそのままドアから離れると、反対側の出口から廃屋を後にした。

 

(さて、どうするか。折角だし、碇家を見ておきたい所だが……少し厳しそうだな)

 シイの実家である碇家は、強い影響力を持つ名家だった。それも表の世界だけでなく裏の世界にも、あのゼーレにすら発言力があると言われている。

(ここでリスクを負うのは好手では無いな。となると、あそこに行ってみるか)

 碇家との接触を諦めた加持は、その足で京都大学へと向かった。

 

「冬月教授、ですか?」

「ええ。既に退職されていますが、何か資料が残っていれば見せて頂きたいと思いまして」

 大学の事務室にやって来た加持は事務員の女性に尋ねてみる。女性は突然現れた加持に、疑いの眼差しを向けて言葉を止めてしまう。

「ああ、失礼。私はこういう者です」

 加持は軽く微笑みながら、懐から取り出した名刺を女性に手渡す。そこにはネルフの監査官ではなく、日本政府の調査員と言う身分が記されていた。

「日本政府の方が、一体どの様なご用件でしょうか」

「いえ、これは個人的な事ですよ。実は以前冬月教授にお世話になりましてね。是非お会いしたいと思ったのですが現在も行方が知れず、こうして少しでも手がかりを探していたのです」

 加持の似合わない丁寧口調の説明に女性は警戒を解いたが、すまなそうに首を横に振る。

「そうでしたか。ですが申し訳ありません。こちらにはデータが残っていないようです」

「……お手間を取らせました」

 加持は一礼すると、事務室の窓口から離れて外へと歩き出した。

 

(やれやれ、無駄足だったか)

 空振りに終わった調査に、加持が自虐的な笑みを浮かべながら歩いていると、

「ちょいとお待ち」

 不意に背後から声を掛けられた。

 警戒を怠らずに静かに振り返るとそこには、清掃員の制服を着た老女が立っていた。

「私、ですか?」

「そう、あんただよ。あんたさっき、冬月センセの事聞いてたよね?」

「ええ」

 老女の意図が読めず、加持は緊張したまま小さく頷いた。

「行方を調べるには役に立たないだろうが、昔話で良かったら聞かせてあげるよ」

「失礼ですが、貴方は?」

「あたしはここで、もう四十年以上働いてるのさ。冬月センセにも、当然会ったことがあるよ」

 ニヤッと笑う老女に加持は一瞬迷う。だが直ぐさま頷き、話を聞くことにした。例え無駄であろうとも、今は少しでも多く情報が欲しかったのだ。

 

 中庭のベンチに並んで座ると、老女は昔を懐かしむ様に語り始めた。

「冬月センセはね、いい人だったよ。教授ってのは変な人が多かったけど、あの人は別だね」

「確かに、人間が出来てらっしゃった」

 社交辞令では無く加持は本当にそう思っている。アクの強いゲンドウがネルフの司令で居られるのは、間違い無く副司令である冬月の人柄と能力によるところが大きい。

「生徒さんにも好かれててね、良く飲みに誘われてたよ」

「なるほど。冬月教授がどんな研究をされていたかは、分かりますか?」

「前にちょっと聞いたけど、難しい言葉が並んでたね。あたしにはさっぱりだったよ」

 老女は楽しそうに笑う。京都大学は日本でも一二を争う程の難関大学で、そこの教授の研究ともあれば一般人に理解出来なくても無理は無いだろう。

「でも、冬月センセもセカンドインパクトの調査隊に参加してから、帰ってこなかった」

「一度も?」

「そうさ。生徒さんたちは悲しんでたね。人望のある人だったから」

(情報通りだな。セカンドインパクト以降、副司令は表向き消息を絶っている)

 加持は自分の持つ情報と照らし合わせ、納得したように頷く。

「冬月教授は、何故調査隊に参加されたのでしょう」

「さぁね。正義感の強い人だったから、ジッとしてられなかったんじゃ無いかね」

「なるほど」

「あ~そう言えば、冬月センセの生徒さんも一人、あれ以来来なくなった子が居たね」

 誰だったか、と老女が頭に手をあてて思い出そうとする隣で、加持は一枚の写真を取り出すと、それを老女の前に差し出した。

「もしかして、碇ユイさんでは?」

「そうそう、ユイちゃん。この子は美人で良い子だったから、良く憶えてたんだよ」

 嬉しそうに笑う老女に、今忘れてただろと突っ込むのは無粋だろう。加持は自分が求めている情報に近づいた手応えを感じ、更に話を聞き出そうとする。

「彼女は冬月教授の生徒だったのですか?」

「お気に入りだったみたいだよ。久しぶりに優秀な生徒が入ったって、冬月センセが嬉しそうに話していたから。でもね……」

 そこまで喋ると老女は顔を曇らせる。

「質の悪い破落戸に引っかかったって話を聞いたよ。ユイちゃんはお嬢様な所があったから、冬月センセも心配してたんだけど」

「そうでしたか。その男を見たことはありますか?」

「あたしは無いけど、冬月センセは会ったらしいね。ブツブツ文句言ってたから」

「教授は潔癖な方ですからね、余計でしょう」

「はっはっは、そうそう」

 加持の言葉に老女は楽しそうにまた笑う。自分の知っている人の話題を共有する事で、気持ちはセカンドインパクト前に戻っているのかもしれない。

「良く愚痴ってたよ。『六分儀が……』とかね。ま、大切な生徒を取られた嫉妬もあったかもね」

「六分儀……。なるほど」

 その老女の言葉で、加持は役者が揃ったことを確信した。

「はぁ~今頃何をしてるのかね~」

「……お忙しい中、ありがとうございました」

 当時を懐かしむように、空を見上げる老女。これ以上情報を得る事は出来ないだろうと、加持はお礼を告げるとベンチから立ち上がる。

「もし冬月センセに会えたら、一度は顔を出すように言っといてね」

「ええ、必ず」

 加持は老女に約束すると、京都大学を後にした。

 

 

(碇ユイと碇司令、それを結びつけたのが副司令か)

 京都の町を歩きながら、加持は思考を続ける。当初の予定とは大分違った形だったが、想像以上の収穫を事が出来た。

(恐らくこの時、ゼーレとの繋がりも持った筈だ。いや、それが狙いだったのか)

 碇ゲンドウという男は、目的の為には手段を選ばないと加持は認識している。大きな組織と接触するために、世間知らずのお嬢様に手を出したと考えるのが自然だった。

(妻の面影を残す娘を、捨てたくらいだ。愛情は無かったんだろう)

 加持は脳内で推論を組み立てていく。

(だとすると、碇ユイに酷似している綾波レイを大切に扱うのは、何か別の理由があるって事か)

 ゲンドウがレイに対してだけ甘い、と言うのは加持も耳にしていた。愛した妻に似ているならそれは理由になり得るが、妻への愛情が無いのならば、それ以外の理由があるはず。

(碇ユイと綾波レイの関係。綾波レイの正体。鍵はそこにある筈だ)

 加持は小さく頷くと、第三新東京市への帰路についた。

 

 




あの事故を切っ掛けに話が動き出しました。レイを巡ってシイとアスカが、謎を巡って加持がそれぞれアクションを起こしています。
果たして彼らの行動が、未来を変える一手になるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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15話 その2《新たな絆》

 その日の夕方、ネルフ本部実験室ではシイ達のシンクロテストが行われていた。何も特別でない定期テストなのだが、管制室で様子を見守るリツコの表情は暗い。

「……何かあったのかしら」

「シイちゃん? そりゃあの事故の後だし、影響あるんじゃない?」

 精神汚染こそ免れたが、エヴァからの侵食という体験がシイに与えた影響は大きい筈だ。しかしリツコは首を横に振ってミサトの言葉を否定する。

「だけじゃないわ。レイもよ」

「レイも?」

「はい。シイちゃんもレイも共に、シンクロ率がかなり下がってます」

 困ったようなマヤの報告に、ミサトは身を乗り出してディスプレイをのぞき込む。アスカ以外の二人は大きく数値を落としており、一目で不調であることが分かる結果だった。

「変ね。シイちゃんは結構波がある方だけど、レイは安定してたのに」

「はい。先日の互換試験以来、この調子です」

「試験の影響は無いはずよ。恐らく、それ以外の問題があるのね」

 リツコの言葉にミサトは一つだけ思い当たる節があった。

「……シイちゃんはあれかも。ほら、明日」

「ああ、碇司令とお墓参りだったわね」

 明日は母親の命日と言う事で、シイはゲンドウと二人きりで墓参りに行く予定になっている。それがシイの精神状態に影響を及ぼしている可能性はあるだろう。

「二人きりになるのは初めてだろうし、結構動揺してると思うわ」

「でもレイは」

 シイはともかくレイには、そう言った不安要素が何も無かった。そもそも今回の様に、シンクロ率が極端に落ち込む状況が無かった為、リツコも困惑してしまう。

「続くようなら、何らかの対策を立てるわ」

「それしか無いか。ま、アスカが好調なのは救いかもね」

「ですね」

 これでアスカも不調ならば、使徒襲来時に目も当てられないだろう。ただ一人普段通りのシンクロを見せているアスカに、ミサト達は頼もしさを感じていた。

 

「明日と言えば、何を着ていくの?」

「ん、ああ結婚式ね。そ~ね~、アレはこの間着たし……」

 実験中には珍しいリツコの無駄口に、ミサトはあごに手を当てて悩む。明日は友人の結婚式に出席する予定なのだが、着ていく服がまだ決まっていなかった。

「オレンジのがあるじゃない。最近着てないけど」

「あれはちょっち、ね」

「……太ったの?」

「うっさいわね。私のせいじゃ無いわ、シイちゃんの料理が美味しすぎるのが悪いのよ」

 図星を突かれたミサトは、シイへと責任転嫁をする。

「あら、でもシイさんはちゃんと、カロリーコントロールしてるって言ってたわよ」

「はい。前に献立を教えて貰いましたが、ちゃんと計算してました」

「…………」

「ミサト、寝る前のビールとおつまみは控えた方が良いわよ」

「ぐぅ」

 完璧に反論を封じられたミサトは、文字通りぐうの音しか出なかった。

 

「はぁ、帰りに新調するか。また出費が嵩むわね~」

「貴方の場合使いすぎなのよ。車のローンも大分残ってるんでしょ?」

「三佐に昇進しても、ですか?」

 不思議そうにマヤはミサトに尋ねる。二尉である自分ですら同世代と比べて、大分多い給料を貰っているのだ。三佐のミサトならば服の一着や二着、どうと言う事は無いはずなのだが。

「……減給でプラマイゼロよ。あの髭親父とエロ爺め……」

「今のは聞かなかった事にしておくわ」

 せめてもの情けだった。

「服も新調して、ご祝儀も用意して……馬鹿にならない出費だわ」

「こう立て続けだとね」

「みんな三十路前だから焦ってんのよ。ケッ!」

「お互い、最後の一人にはなりたくないものね」

 葛城ミサト29才、赤木リツコ30才。妙齢二人の会話にマヤは口を挟めずに、ただ黙々と作業を続けていたのだが、火種は彼女にも飛び火する。

「マヤ、貴方も他人事じゃなくてよ」

「えっ!?」

「そうそう。まだまだ大丈夫なんて思ってると、三十路なんてあっという間なんだから」

「き、気を付けます」

 二人に絡まれたマヤは、冷や汗を流しながらそう答えるのが精一杯だった。

「誰かいい人は居ないの?」

「わ、私はその……まだそう言う事は考えられないので」

「良いわね~若いって」

「あら、ミサトは加持君が居るじゃない」

「だ、誰があんな奴と」

 まるで女子の会話のように、恋愛話に花を咲かせる三人。皮肉にもシイが不調でプラグ深度が安定している事が、常に気を張っているいつものテストとは違い、彼女たちに余裕を持たせていた。

 

 

 プラグ内のシイはいつもと同じように、瞳を閉じてテストに挑んでいるが、内心は全く集中出来ていなかった。彼女の心は別の所に向いており、エヴァを意識する事すらしない。

(この後だよね……アスカの言うとおりにすれば、綾波さんとお話出来る)

 昼間アスカから提案された作戦は、このテストの後に実行する予定になっていた。それがシイに緊張と動揺を与え続けている。

(でも、もしお話しして……嫌いだって言われたら)

 真実に立ち向かう決意をした筈だった。だがレイに嫌われるかもと言う恐怖は、人に拒絶されることを極度に恐れているシイの心を容易くかき乱す。

 テスト不調の原因はゲンドウではなく、隣でテストを受けているレイだった。

 

 

 テスト終了後、レイは素早く着替えを終えると、そそくさと一人更衣室から出ていってしまう。アスカは自分の目で見て、シイの話が間違いでは無いことを確信した。

「なるほどね。こりゃ本当にあんたを避けてるわ」

「うん……」

 分かりやすく落ち込むシイに、アスカはため息をつきながら活を入れる。

「ほら、そんな顔してんじゃ無いわよ。その為にわざわざ根回ししといたんだから」

「そうだよね。ちゃんと確かめなきゃ」

「そう言うこと。じゃ、上手くやりなさいよ」

 アスカはシイの背中をポンと叩く。暖かい激励を背中に受けたシイは小さく頷くと、レイの後を追って更衣室を飛び出した。

 

 アスカの策、それはエレベーターを利用する事だった。レイがエレベーターに乗り込んだのを確認すると、シイは全速力で通路を走って中へ駆け込もうとする。

「……碇さん!?」

 シイの接近に気づいたレイは、慌てて閉じるボタンを押そうとするが、一瞬躊躇ってしまう。

(今ドアが閉まれば、碇さんが怪我をする……)

 その思いがレイの動きを止めてしまい、結果シイとレイはエレベーターに二人きりになった。

「はぁ、はぁ……」

 エレベーターに飛び込んだシイは、荒い呼吸を繰り返しながらもどうにか立ち上がる。そんな彼女に背を向けたレイはドアギリギリに立つ。直ぐ近くの階で降りて、シイから逃げるつもりなのだ。

 だが指定した階に到達しても、エレベーターは止まらなかった。 

「……何故?」

「ごめんね、綾波さん。私がお願いしたの」

 申し訳なさそうにシイはレイに告げた。

 ネルフ本部にはシイのファンは多く、そこには本部施設担当の時田も含まれていた。アスカはシイの為だと交渉し、エレベーターの一時的な私的利用を許可させたのだ。

「……どうして?」

「綾波さんと、お話したかったから」

 シイの言葉を聞いて、僅かにレイの肩が震える。

「綾波さん……私の事嫌いなのかな?」

「……どうしてそう言う事聞くの?」

「綾波さんが私を避けてるから。嫌いになっちゃったのかなって思ったの」

「……それは碇さんの方」

 静かにレイは言葉を紡ぐ。それはシイにとって全く予想外の答えだった。

 

「私が綾波さんを嫌う? そんな事あるわけないよ」

「……何故?」

「何故って、だって綾波さんは大切な友達だもん」

「……私がヒトじゃ無いのに?」

「そんなの関係ない! 綾波さんは綾波さんだから」

 ハッキリと言い放つシイに、振り返ったレイは驚いた表情を向けた。信じられないと大きく見開いた目でシイを見つめる。

「……私はヒトじゃない。貴方達とは違う」

「ヒトだから友達になったんじゃ無い。綾波さんだから友達になったの」

 自虐的とも取れるレイの言葉を、シイは少し怒ったように否定する。心の奥底から沸き上がる感情を、徐々に処理出来なくなってきていた。

「それに綾波さんは心がある。感情がある。暖かい……それってヒトと同じじゃない。産まれ方なんて関係ないよ」

「……何故、泣いているの?」

 言葉では伝えきれない想いが、涙となってシイの頬を伝う。

「分からないよ……でも、悔しいからだと思う」

「……悔しい?」

「綾波さんが辛い思いをしているのを、知らなかった事が悔しいの。綾波さんに、私が綾波さんの事を知ったら嫌いになるって、そう思われた事が悔しいの」

 溢れる涙を拭いもせずに、シイは真っ直ぐにレイを見つめ続ける。そこに嘘偽りは無く、ただ純粋にレイのことを想う気持ちだけが込められていた。

「私は……綾波さんとずっと友達で居たいの。それは何があっても変わらないから。だから」

「……私は、碇さんの側に居ても良いの?」

「居て欲しい。居ないと悲しい……そんなの嫌だよ」

「……ありがとう」

 レイから告げられる感謝の言葉。僅かに微笑むレイの顔を見て、シイはレイの胸に顔を埋めて泣いた。

 

 

 すれ違いを乗り越えた二人を乗せたエレベーターは、タイミング良く地上フロアへ到着する。ドアが開いた先に居たのは、アスカと時田だった。

「……アスカ。それに時田博士?」

「どうして先に居るの?」

「あんた馬鹿ぁ? あんた達のエレベーターの速度を、特別遅くしてたからに決まってんじゃない」

「ははは、まあこの私にかかれば、この程度の小細工は朝飯前ですよ」

 腰に手を当てた同じポーズを取る二人。珍しい組み合わせだが、意外と相性は悪くない様だ。

「ま、誤解も解けたみたいだし、良かったじゃない」

「うん、ありがとう……って、どうして知ってるの?」

「そんなの、あんた達の会話を聞いてたからに決まってるでしょ」

「ああ、そうな…………えぇぇぇ!!」

 あっさり言い放つアスカに、シイは叫びながら数歩後ずさる。レイも表情を変えないまでも、その頬には一筋の汗が流れていた。

「しょうがないでしょ。もし決着が着かない内に到着したら困るだろうし」

「万が一の時には、話が終わるまで何度でも往復して貰うつもりでしたから」

「じゃあ、二人は綾波さんの事……」

 シイの顔がにわかに青ざめるが、アスカはそんな彼女の頭を軽く叩いて鼻で笑った。

「甘く見ないでよね。レイの事を知ったって、あたしがどうかするとでも思ってんの?」

「えっ?」

「元々人間離れしてたし、別に驚きはしないわよ。あんたの言った通りレイはレイだしね」

「アスカ……」

 口調こそあれだが、アスカもレイを認めてくれた事を理解し、シイは嬉しそうに表情を崩す。

「ま、黙ってたのはムカツクけど、特別に許してあげる。どうせ口止めでもされてたんでしょ?」

「……ええ」

 レイの正体が重要機密であることは、アスカにも容易に察しがついた。だからこそ、その事で追求する野暮はしなかった。

 

「無論、私も同じですよ」

「時田さん?」

「シイさんの言葉、胸に響きました。久しぶりに年甲斐も無く涙腺が緩みましたよ」

「はぁ……」

「この事を口外するつもりはありません。時田シロウ、胸に秘めて墓場まで持っていきますとも」

 ドンと胸を叩き、時田は何とも爽やかな笑顔で三人に宣言した。

「ま、それが正解だと思うわ。どうもやばい秘密みたいだし、下手に口外すると消されるかもね」

「そんな大げさな……」

「……いえ。碇司令なら有り得るわ」

「どういう事?」

 予想外のレイの言葉に、シイは不安そうに尋ねる。

「……碇司令にとって、私は何かの役割を果たす存在らしいの。それはとても大切な事だと思うから」

「ふ~ん、あんたはそれを知らないの?」

「……ええ」

「なら尚更、黙ってた方が良さそうね。特にあんたは、マジでやばいかもよ?」

 パイロットであるアスカ達は、貴重な人材としてある程度保護されている。だが時田は違う。優秀な科学者であるが、あくまで一職員に過ぎないのだ。

「そのようですね。元より口外するつもりはありませんが、肝に銘じておきましょう」

 今回のエレベータ私的占有自体、バレればただではすまないだろう。それでも自分達の為に協力してくれた時田に、シイは感謝の気持ちで一杯だった。

「ありがとうございます、時田さん」

「いえいえこの位。今後もし私の力が必要なら、何時でも声を掛けてください」

「で、でも時田さんが……」

「一度は全てを失った身。今更怖いものなどありませんよ。それに私は、シイさんの味方ですから」

 時田はこれ以上に無い程良い笑顔で、親指を立てて見せるのだった。

 




レイの正体の一端、ヒトではない事がシイとアスカ、そして何故か時田の知るところとなりました。
それを知って尚、三人の絆は変わりません。これまで築き上げた関係があるからこそ、レイを受け入れられたのかなと思います。

ただ時田博士の立場が地味にやばいです。優秀な科学者で、しかも原作ではこの時点で退場済みと言う事もあって、非常に使いやすいキャラなんですよね。
そのせいでやばいところまで首を突っ込んでしまいました。
原作加持さんを回避出来るかどうか……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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15話 その3《シイとゲンドウ》

 

 その夜、夕食の席でミサトは翌日結婚式に出席する為、一日家を空けることをシイ達に伝えた。

「結婚式ですか」

「そっ。友達の結婚式に行くから、帰りはちょっち遅くなると思うわ」

「友達ね~。ミサト、結構やばいんじゃない?」

 アスカのからかうような言葉にミサトの顔が引きつる。昼間の話ではないが彼女自身、三十の大台にリーチが掛かっている事もあり、かなり焦りに近い感情を持っていたのだ。

「駄目だよアスカ。ミサトさんは本気で気にしてるんだから」

「……あんたも結構言うわね」

「ふ、ふん。別に焦ってなんか無いもんね。こちとら三十路上等よ」

「その意気ですよ」

 完全に逆効果となっているシイの励ましに、ミサトは怒るに怒れない複雑な顔で頷いた。

 

「アスカは明日、何か予定あるの?」

「デートよ、デート」

 シイの問いかけに素っ気なく答えたアスカだが、ミサトは少し意外そうに目を開く。

「あら意外ね。あなた、気になる男の子いたの?」

「んな訳ないでしょ。ヒカリに頼まれたのよ。お姉さんの友達とデートしてくれって」

 心底嫌そうにアスカは肩をすくめて言った。

「引き受けたの?」

「ま~ね。一応ヒカリの顔も立てなきゃいけないし。てか、何でそんな不思議そうな顔するのよ」

「だって、アスカは加持さんの事好きだと思ってたから。他の人とデートするのが意外で」

「そりゃ加持さんは憧れの人よ。だけど、それは恋愛感情とは別物ね。ま、お子様のあんたには、分からないでしょうけど」

 アスカはやれやれと言った感じにシイに答えた。子供扱いされたシイは頬を膨らませて、大人であるミサトに意見を求める。

「うぅぅ、ミサトさんは分かるの?」

「え、そりゃ一応ね。ほら、シイちゃんだって副司令の事好きだけど、恋愛感情じゃ無いでしょ?」

「はい」

「尊敬や憧憬って気持ちは恋愛感情に似ているけど、それはやっぱ違う感情なのよ。それが分かってるアスカは、まあシイちゃんよりは大人かしらね」

 子供は大人に対して憧れの感情を抱く事が多く、それを恋愛感情と誤解する事も多々ある。自分を認識した上でそれを自覚したアスカは、ミサトの言うとおりシイよりも精神的に成熟していたのだろう。

「そんな訳だから、ミサトは精々頑張りなさい」

「え?」

「結婚式、加持さんも来るんでしょ?」

 ニヤリとアスカはミサトに笑みを向ける。暗に寄りを戻すチャンスだと告げているのだ。

「なっ、わ、私は別にあの馬鹿とは……」

「ふ~ん、あたしはそれでも構わないけど、このままじゃマジで独り身かもよ」

 アスカの言葉に黙り込んでしまうミサト。今彼女の中では、様々な感情が入り交じっていた。

「シイはどう思う? 加持さんとミサト」

「凄くお似合いだと思う。二人とも、一緒にいるのが自然な感じだもん」

「だ、そうよ。昔何があったか知らないけど、あんま意地張っても良いこと無いと思うわ」

 妹の様な少女二人に諭されたミサトは、何も言えずにただビールを一気飲みするのだった。

 

「で、シイは明日墓参りだっけ?」

「うん。でもお昼からだから、一番早く帰ってこれると思うよ」

「……あれ?」

 何気ないアスカとシイのやり取りに、ミサトは違和感を覚える。

「ねえシイちゃん。明日のお墓参り、結構乗り気だったりする?」

「はい。お母さんのお墓参りは久しぶりですし」

 言葉を証明するかのように、シイは明日を心底楽しみにしているようだった。

「碇司令……お父さんと二人きりでも?」

「緊張はしますけど、お話出来る良い機会とも思ってます。お母さんの事も聞きたいですから」

 シイの答えに、ミサトはう~んと唸りながら腕を組む。

「何よミサト。気になる事でもあるの?」

「いやね、てっきり明日のお墓参りの事で、悩んでるのかなって思って」

「どうしてですか?」

「今日のテスト、シイちゃん数値が悪かったのよ。神経パターンにも乱れが出てたから、てっきり明日のお墓参りが気になってるんだと思ってたんだけど」

 ミサトの指摘にシイはギクリと肩を震わせる。確かにテストに集中出来ていなかったが、それは全く別の事が原因だった。だがそれを正直に言うわけにもいかない。

「ここの所どうも落ち込んでたみたいだしね」

「あの……それはですね……」

「そう言えば、今はスッキリした顔してるわね。墓参りは明日だし。となると……」

 ミサトはアゴに手をあてて、じ~っとシイの顔を見つめる。レイの事をぼかして話せば良いのだが、元来嘘が苦手なシイにそれは酷な話だろう。言い訳を探す彼女の顔には冷や汗が流れていく。

「テストが終わってから、今までの間に何かあったって事?」

「うぅぅ……それは……」

「あ、そうそう。ねえミサト、さっき持ってたのって、結婚式に着ていく服でしょ?」

 陥落寸前のシイを、アスカが強引な話題転換でフォローする。

「え? そうだけど」

「ねえ見せてよ。ミサトのセンス、あたしが確かめてあげるわ」

「良いわよ。伊達に数多くの結婚式に出てないって所を、見せてあげる」

「次こそは主役になれると良いけど」

 軽口を叩きながら、ミサトとアスカはリビングから離れ、ミサトの部屋へと向かう。去り際にアスカはシイに、『貸しだからね』と目で合図し、シイは両手を合わせて感謝の意を伝えた。

 

 

 翌朝の葛城家は慌ただしさに満ちていた。全員出かける予定が入っているので、準備のために朝から忙しなく家の中を駆け回っている。

「えっと、ハンカチ持った、ちり紙持った……あれ、ご祝儀はどこだっけ?」

「テーブルの上に置いてありますよ」

「あっ、そうだ! これ忘れちゃ洒落になんないって」

 新調したばかりの赤いブレザーとカットソーを着たミサトが、バタバタと家の中を駆け回り結婚式出席の準備を整えていく。

「ちょっとシイ。あたしの洗顔フォーム知らない?」

「無いの? 買え置きが洗面台の下に入ってると思うけど」

「……あった!」

 朝早くからデートの準備に余念の無いアスカ。普段はあまり着ない緑色の外出着を身に纏うあたり、それなりに気合いが入っているようだ。

「本気じゃ無いなら、そんなにおめかししなくても良いのに」

「あんた馬鹿ぁ? どんな時でも、最高の自分を見せるのが女ってもんでしょ」

「……そうなの?」

「はぁ~。帰ってきたら、あんたにも教えてあげるわ。ちょっとはマシになるでしょうし」

 呆れたようにアスカはシイに告げると再び洗面所へと戻っていった。

 ただ一人準備の必要がないシイは既に出かけられる態勢を整えており、制服姿で黙々と朝食の洗い物を片づけていく。

「おめかし……していった方が良いのかな?」

「くえぇぇ」

 シイの呟きにペンペンは、否定とも肯定とも取れぬ言葉を返すのだった。

 

「行ってくるね。お昼は作ってあるから、それを食べて」

「しっかり留守番しなさいよ」

「私が一番遅くなると思うけど、シイちゃんの言うことを良く聞いてね」

「くえぇぇぇ」

 見送りのペンペンに声を掛けると、三人はそれぞれの目的地へと向かった。

 

 

 

 第三新東京市の郊外の広大な大地には、無数の石柱が整然と並んでいる場所がある。そこはセカンドインパクトで亡くなった死者が眠る、集合墓地だった。

『YUI IKARI』

 そう刻まれた石柱の前に、シイとゲンドウの姿があった。花束を墓石の前に添えて、暫し無言で亡き母と妻を想う。長い沈黙を破ったのはゲンドウだった。

「二人でここに来るのは……初めてか」

「うん。私は三年前にお爺ちゃん達に連れて来て貰って、それからは来れなかったの」

「そうか……」

 ゲンドウはシイの後ろに立っているため、その表情は伺い知れない。だがその言葉からは、僅かに寂しさのような物が感じられた。

「お父さんは毎年来てるの?」

「ああ。確認の為にな」

「確認?」

 シイは振り返り、ゲンドウと向き合った。

「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが決して忘れてはならない事もある。ユイが教えてくれた事だ。私はそれを確認するため、ここに来ている」

「お母さんの事、聞いても良い?」

「……ユイは、強く優しい女性だった。私はユイ以上の女性を知らない。知ることも無いだろう」

「愛してたの?」

「……ああ」

 シイの問いかけに素直に答えるゲンドウからは、普段の威圧的な空気は感じられなかった。司令という仮面を外したゲンドウの目は、優しく寂しげだった。

 

「お母さんの事、もっと教えて欲しいな」

「……全ては心の中だ。今はそれで良い」

「かかあ天下だったって、ホント?」

「ごふっ、ごふっ」

 シイから突然発せられた予想外の質問に、ゲンドウは思わずむせ込んでしまう。必死に動揺を押さえ込んだゲンドウは、驚いたような視線をシイに向ける。

「だ、誰から聞いた?」

「え? 冬月先生から」

(冬月ぃぃ!!)

 この場にいない冬月に、ゲンドウは恨みの念を飛ばした。

「本当なの?」

「い、いや……それは……」

「冬月先生は、お父さんはお母さんに頭が上がらないって言ってたけど」

「……それは誤解だ」

 ゲンドウはサングラスを直すと、平静を装って答えた。

「ユイは不思議な女性だった。居るだけで周囲を元気にさせるような、そんな魅力があった。時には周りの人間を巻き込んで、大きな事を為し遂げる事もあった。そのイメージが強いのだろう」

「そうなんだ……じゃあ、亭主関白だったの?」

「……ああ」

 大量の冷や汗と、サングラス越しにキョロキョロと落ち着き無く動く目が、ゲンドウの嘘をありありと語っていた。鈍いと言われるシイでも、流石にそれが分からぬ程ではない。

(やっぱり、冬月先生の言ってた事は本当なんだ。お母さん、凄い人だったんだな~)

 シイの中では、この父親よりも強いユイの株が急上昇していった。

 

「お父さんは幸せだったの? お母さんと一緒になれて」

「ああ」

「お母さんは……幸せだったのかな?」

「それはユイにしか分からない。だが、ユイは何時も笑顔で居てくれた」

「……私が産まれても?」

 自分という存在は両親に愛されていたのか。シイが恐れていても聞きたかった事だった。

「ああ。ユイはお前を愛していた。それは私が保証する」

 ゲンドウの答えを聞いて、シイの心には喜びと同時に不安が沸き上がる。母が自分を愛してくれていたのはとても嬉しい。だが『ユイは』と言う言葉が、ゲンドウは自分を愛していないと聞こえてしまうのだ。

 聞きたい。でも怖い。シイはジレンマから身体を震わせるだけで、言葉を紡げなかった。

 

 二人の間に流れる沈黙を破ったのは、上空から舞い降りてきたVTOLの爆音だった。

「……時間だ。悪いが予定がある。先に戻るぞ」

 ゲンドウは一方的に告げ、シイに背を向けてVTOLへ向かって歩き出す。

(今聞けなかったら、もうずっと駄目だよ……っっ!!)

「お、お父さん!!」

 爆音に負けない様にシイは声を張り上げた。その声が届いたのか、ゲンドウはゆっくり振り返る。

「何だ?」

「その…………お父さんは、お父さんは……私の事を嫌い?」

 シイの叫びにゲンドウは驚いたように目を見開く。それは全く予想していない問いかけだったのか、暫し口を開けて言葉を失う。

 そんな父を真っ直ぐに見つめ、シイはただ答えを待つ。

「……嫌い、では無い」

 絞り出すようなゲンドウの答えにシイの顔が輝く。自分は父に拒絶されなかった。喜びが全身に満ちあふれ、それは涙となって目から零れ出す。

「私も、私もお父さんの事、好きだよ!」

「…………そ、そうか」

 小さく頷くとゲンドウは再びシイに背を向け、そそくさとVTOLへ乗り込んだ。その顔は照れからか真っ赤に染まっていたのだが、幸いにして娘にそれを見られる事は無かった。

 

 ゲンドウを乗せたVTOLが空へと舞い上がる。その窓から同乗していたレイが微笑みを、冬月が嬉しそうに何度も頷いているのを見たシイは、満面の笑みで手を振って喜びを伝えるのだった。

 




15話山場の一つ、シイとゲンドウの墓参りです。ユイが鎹となって、二人の距離は大きく縮まりました。元々両思いですしね。
ただこの親子、距離が縮まる度に何かしらの切っ掛けで、再び距離が遠ざかってしまう困りもの。まだまだ安心は出来ません。

次はもう一組のペアがメインの話となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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15話 その4《男と女》

 ミサトが出席した結婚式は無事に終わり、今はホテルのパーティー会場で披露宴が行われていた。

 新郎の上司による長いスピーチが終わると、同僚による歌や芸の披露が始まり場を盛り上げる。明るく楽しげな空気が会場を包む中、しかしミサトの表情は曇っていた。

「来ないわね、リョウちゃん」

「あの馬鹿が時間通りに来たことなんて、一度たりとも無かったわよ」

 不機嫌そうにミサトは、隣の席に立てられた名札に息を吹きかけて倒す。招待客で唯一まだ姿を見せていない加持。それがミサトが不機嫌な原因だった。

「それはデートの時でしょ。仕事ではしっかりしてるけど」

「基本的にだらしない男なのよ、あいつは」

「……ミサトに言われたく無いと思うけど」

 あたなもでしょと、リツコが呆れた様に突っ込むと、

「いや~参った参った。仕事が抜けられなくてね」

 礼服をだらしなく着崩した加持が、ヘラヘラと笑いながら登場した。

 

「おや、お二方。今日はまた、一段と美しいね」

「あら、ありがとう」

「ったく、あんたは。どうせ遅れてくるなら、もう少し身なりを整えて来なさいよ」

 褒められた照れ臭さを隠すように、ミサトは加持のだらしない礼服を指摘する。

「何せ忙しくてな。現地から直だったんだよ」

「はぁ。ほら、ネクタイ曲がってる」

 ミサトは呆れながらも、加持の首元に手を伸ばしてネクタイの乱れを整える。

「お、こりゃどうも……」

 付き合っていた当時ですら無かった行為だった。ミサトの心遣いと、人前でこんな姿を晒す照れに、加持は思わず素直に礼を告げてしまう。

「貴方達、夫婦みたいよ」

「おっ、リッちゃん。良いこと言うね」

「だ、誰がこんな奴と……」

 普段通りの悪態だがミサトは内心動揺してしまっていた。昨晩シイ達に煽られたせいなのか、今日に限って加持を意識してしまっていた。

 

 

「ふんふふ~ん」

 葛城家の台所では、語尾に音符でも飛ばしそうな程上機嫌なシイが夕食を作っていた。ゲンドウとの対話が予想以上に上手く行った事で、まさに心弾む思いだった。

「今日はちょっとご馳走にしちゃおうかな」

「ただいま~」

「お帰りアスカ。楽しかった?」

 玄関から家に入ってきたアスカに、シイは微笑みかける。だがアスカは不満げに顔を左右に振ると、外出着のまま居間に寝転がってしまった。

「全然! あんまりつまらないから、勝手に帰って来ちゃった」

「えぇ!? 良いの?」

「別に構わないわよ。一応デートはしたんだし、ヒカリの顔は立ったでしょ」

 まさに傍若無人だった。アスカらしいと言えばそれまでなのだが。

「そう言うものなんだね」

「そ~よ。はぁ、まともな男は加持さんだけね。ミサトに譲るんじゃ無かったわ」

 本心かどうか判断しづらいアスカの言葉に、シイは苦笑を浮かべるしかなかった。

 

「あんたの方は……って、その顔見れば聞くまでも無いか」

「うん、お父さんとちゃんとお話出来たよ」

 シイの嬉しそうな笑顔を見ればそれだけで、親子の対話が成功だった事が分かる。一安心したアスカだったが、直ぐに真剣な声色でシイに問いかけた。

「……それで、レイの事は言わなかったでしょうね?」

「ちゃんと言われた通りにしたけど、どうして黙ってた方が良いの?」

「あんた馬鹿ぁ? 今ばらしても、何の意味も無いからに決まってんじゃない」

 ビシッとシイを指差してアスカは力強く断言した。

「良い? あたし達はレイがヒトじゃないって知ったけど、それ以上の事は何も知らないわ」

「うん」

「なのにそれを話しちゃったら、今後それ以上の事を知る機会が無くなるのよ」

 もしシイ達が情報を得ている事を知られれば、ゲンドウは間違いなく警戒を強めるだろう。そうなれば今後情報を集める事は難しくなる。

「碇司令は何かを隠してる。それはレイを巻き込む事。あたし達はそれを突き止めたい。その為にはまだこっちの手札を晒す訳にはいかないわ。まだまだ情報が足りないからね」

「アスカ凄いね。何だかスパイ小説の人みたい」

「これくらい常識よ。とにかく慎重に動くわよ。何せ相手はあの碇司令なんだから」

「うん……そうだね」

 頷くシイだがその内心には、複雑な感情が入り交じっていた。ゲンドウとの距離が縮まった事は嬉しいが、そのゲンドウに疑いを持って迫らなければならない。

 父親と司令。ゲンドウの二つの顔に、シイはジレンマを感じていた。

 

 

 披露宴、二次会と友人の結婚を充分に祝った後、ミサト達は一軒の洒落たバーに来ていた。こうして三人で飲む事は久しぶりだった事もあり、大学時代に戻ったような楽しい時間を過ごしている。

「あ、もうこんな時間。悪いけど、ちょっち電話してくるわね」

「シイ君にか?」

「ええ。ひょっとしたら、夕ご飯を待ってるかもしれないし」

 ミサトは二人に断りを入れると、携帯電話を手にバーの外へと姿を消す。その後ろ姿を見送ったリツコは、小さくため息をついた。

「随分飲んでるけど、まだ飲む気かしら。少し浮かれすぎだわ」

「それでも一緒に暮らす家族には、気遣いを忘れない、か」

 外で飲むときは比較的抑えめのミサトだが、今日に限ってはリツコが心配する程ハイペースで飲んでいた。まだシイ達に電話を掛ける余裕はある様なので、余計な心配かもしれないが。

「リョウちゃんと暮らしていた時とは違う?」

「あの時は俺も葛城も子供だったからな。それだけ歳を取ったって事さ」

 大学時代、ミサトと加持は恋人同士で同棲をしていた。だが当時は今のように他人を気遣う余裕など無く、ただ一緒に暮らしていたと言うだけの生活。

 同棲ではなく共同生活。これが加持の認識だった。

「今なら……上手くやっていけるんじゃない?」

「かもしれない。だが大人になったって事は、それだけ抱えてる物も多くなるからな」

「そうね。でも最後は互いの気持ち次第じゃないかしら」

「リッちゃんらしからぬ言葉だな」

「私も大人になったのよ。友人の幸せを素直に願える位にはね」

 苦笑しながら言うリツコに、加持もまた苦笑を浮かべる。大学時代から全員が年を取り、取り巻く環境も人となりも変わったのだ。ただ友人関係だけは今も変わら無い事が素直に嬉しかった。

 

「おっと、忘れるところだった」

「リョウちゃんも呆けが来てるのかしら?」

 ハンドバッグを漁る加持に皮肉を向けるリツコだったが、すかさず加持も反撃する。

「リッちゃん程じゃないさ。伊吹二尉なんか、本気で心配してたぞ」

「……マヤ、明日覚えてなさい」

 グラスを握るリツコの手が僅かに力む。そんなリツコに微笑みながら、加持は小さな猫の置物を手渡す。

「ありがとう。随分とマメね」

「女性には何時もそうさ。ま、その分仕事はいい加減だが」

「あら、そうでも無いんじゃない? あちこち駆け回ってるらしいけど」

 探るようなリツコの言葉にも、加持はポーカーフェイスを崩さない。

「宮仕えの辛いところだな」

「……京都、楽しかったかしら?」

 土産をバッグにしまいながら、リツコはさり気なく切り出す。互いに視線を合わせずに、何とも言えぬ緊張感が二人の間に漂う。

「あれれ、その土産松代のだぜ」

「怖~い大人はね、悪さをする子供をジッと見張ってるのよ」

「そりゃ怖い」

 戯ける加持にリツコは真剣な表情で言葉を続ける。

「マルドゥックに関わるのは止めなさい。火傷じゃすまなくてよ。これは友人としての忠告」

「真摯に聞いておくよ」

「そうしてくれる事を祈るわ。ミサトの為にもね」

 一瞬だけだが、加持の表情が僅かに曇る。リツコはそれを見て表情を和らげた。

「どうやら、満更では無いみたいね」

「はは、どうだろう」

「ミサトも同じ。勝算あるわよリョウちゃん。これは友人としての助言」

「……真摯に聞いておくよ」

 加持が頭を掻いて笑うと、丁度ミサトが電話を終えて戻ってきた。

 

「連絡は取れたの?」

「ええ。夕食は作っちゃったみたいだけど、明日のお弁当に入れてくれるって」

「そりゃ羨ましいな。シイ君達とは、上手くやってる見たいじゃないか」

「ま、ね。私とアスカだけなら、三日も持たないだろうけど」

 ずぼらなミサトと自己主張の強いアスカ。その間を取り持ち、家事一切を受け持つシイが居るからこそ、家族としての生活が成り立っている。それをミサトは自覚していた。

「人は足りない物を補いあって初めて生きていける。それを理解してれば十分さ」

「そうね……さて、私はそろそろお暇させて貰うわ」

 スッと立ち上がり、リツコは帰り支度を整える。

「え、もう?」

「まだ仕事が残っているのよ。名残惜しいけど、また機会もあるでしょう」

「そうだな。また三人で飲もう」

「ええ。それじゃあ二人はごゆっくり」

 結構な量の酒を飲んだ筈だが、リツコはしっかりとした足取りでバーを後にした。その後ろ姿を見送った加持は、グラスを軽く揺らしながらミサトに尋ねる。

「どうする葛城?」

「私は明日は遅出だし、もうちょっち平気だけど」

「なら、もう少し飲むか」

「そうね」

 ミサトと加持は並んで座り酒を飲み交わす。本人の気持ちはどうであれ、その姿は恋人同士そのものだった。

 

 

 

 数時間後、ミサトは加持におぶられて、シイ達が待つマンションへと向かっていた。赤を通り越し真っ青な顔色が、彼女がどれだけの量の酒を飲んだのかを物語る。

「はぁ、いい歳して戻すなよ」

「……誰がいい歳よ。うっ、気持ち悪い……」

 呆れたような加持の言葉に反論するミサトだが、声にいつもの力強さは無い。

「やれやれ。こんな所は変わらないな。あの時もよく、酔いつぶれたお前をこうして運んだよ」

「私は変わって無いわ。まだ子供のまま……全然成長してないもの」

「そんだけ綺麗になって、良く言うよ」

「……あんたも、格好良くなった」

 それっきり会話は途切れ、二人は無言で夜道を進んだ。

 

 暫くするとある程度状態が良くなったのか、ミサトは加持の背を降りて自力で歩き出す。フラフラと足下がおぼつかないミサトを、加持は肩を抱いて支える。

 人気の無い道路を歩く二人を、街灯の頼りない明かりが照らす。

「……ごめんね」

「ん、何がだ?」

 不意に呟いたミサトに、加持は優しく聞き返す。

「あの時……一方的に別れ話しちゃって」

「気にしてないとは言えないが、仕方ない事さ」

 二人の恋人関係に終止符を打ったのはミサト。振られたショックが無かったと言えば嘘になるが、それでも男女の仲はそう言う物だと加持は割り切っていた。

「好きな人が出来たっていうのね、あれ嘘」

「そうか」

「本当はね……怖くなっちゃったの」

 懺悔のようなミサトの独白を加持は静かに聞いていた。

「加持君、私の父に似てるわ」

「葛城博士に?」

「見た目とかじゃなくて……中身。自分の求める物を得るために、全てを捧げる所がね」

「そうかな」

「だから、加持君が父に似てるって気づいて……凄く怖くなった。このまま付き合って、もし結婚したとしても、私を見てくれない。いつか私は貴方に捨てられるんじゃないかって」

 家庭を顧みなかった父親。そしてその父親に似ている加持。ミサトは不安を抱き、加持と分かれることを選んだが、それは逃避だった。

「臆病で、弱虫で……加持君を信じる事が出来なかった。ホント、馬鹿みたい」

「もう良い。過去の話だ」

「そのくせまだ貴方を忘れられない。何処かで求めてる。未練がましい女ね」

「……やめろ」

「お酒に酔わなきゃ本音も言えない。自分が情けなくて……涙が出るわ」

「それ以上言うな」

「加持君だって私を――」

 泣きながら零れ出るミサトの自虐的な言葉は、それ以上紡がれることは無かった。加持がミサトを抱き寄せ、その唇を塞いだのだ。

 重なり合う唇。加持とミサトの間に、もう言葉は必要無かった。

 

 

「すまない。シイ君かアスカ、起きてるか?」

「加持さん!? って、うわぁミサトどうしたの?」

 インターフォンに気づいて玄関までやってきたアスカは、目の前の光景に顔を引きつらせる。

「ちょっと飲み過ぎたみたいでな」

 加持に背負われたミサトは完全に熟睡していた。溜まっていた想いを全て吐き出したミサトは、緊張が緩んだせいかそのまま眠ってしまったのだ。

「お酒臭~い」

「勘弁してやってくれ。ほら、葛城。家に着いたぞ」

 加持がミサトを降ろし肩を揺するが、ミサトは起きる気配すら見せない。あまりにだらしないその姿に、アスカは呆れたようにため息をついた。

「全く、大人ってしょうがないわね」

「……んん、アスカ~どうしたの~」

 アスカ達のやり取りが聞こえたのか、パジャマ姿のシイが寝ぼけた様子で部屋から出てきた。今の今まで寝ていたのだろう彼女は、半分閉じた目を擦りながらフラフラと玄関へと歩いてくる。

「あちゃ、起こしちまったか。もう遅い時間だもんな」

「この子は普段から十時前には寝るわ。ホントお子様だから」

「ん~子供じゃ無いってば~」

 半分寝ているシイは、舌っ足らずで普段よりも幼く見える。

「ほらほら、何でもないから。部屋に戻って寝なさい」

「お客様が来てるの~?」

「ミサトが帰ってきたのよ。ほら、良いから」

「おやすみ、シイ君」

「ふぁ~い、おやすみなさい」

 アスカに背中を押されたシイは、再び部屋に戻っていった。

 

「それじゃあ、葛城を部屋まで運ぶよ」

 加持はミサトをお姫様抱っこすると、アスカに案内された部屋に運ぶ。用意されていた布団にミサトを寝かせ、そのまま出口へと向かう。

「帰っちゃうの? 折角だし、お茶くらい」

「眠り姫が居る以上、あまり騒がしくするのはアレだしな。また今度ご馳走になるよ」

「そう……ねえ加持さん、ミサトとは上手くいった?」

 外に出た加持へ、アスカは悪戯っ子の様な笑顔で尋ねる。

「焚き付けたのか?」

「ちょっとね。あたし達が居るせいで独身なんて、流石にちょっと気が引けるし」

「そうか……ま、想像に任せるよ」

「ふふっ、なら大成功ね」

 ドイツからの付き合いであるアスカには、加持の癖が良く分かっている。想像に任せると言った時には、肯定の意味である事も。

 そんなアスカに苦笑を浮かべ、加持は手を振ってマンションから去っていった。

 

 

 ネルフ本部には、一般職員が立ち入る事が出来ない区画が幾つかある。今ゲンドウが居る実験室も、その区画に存在していた。

 暗い実験室には無数のコードとパイプが張り巡らされており、その中央にはオレンジ色の液体で満たされた、細長い水槽が淡い光を放っていた。

 水槽の中には全裸のレイが浮かんでいて、見つめるゲンドウと視線が重なり合う。

(……碇司令は何かを考えている。それが碇さんに危害を及ぼすなら……)

(迷うな。ユイの為にはシイを犠牲にする。もはや後戻りは出来ないのだから……)

 レイとゲンドウの関係。それはシイを中心に変わりつつあった。

 

 

 翌朝、加持は人気の無い薄暗い通路を歩いていた。彼が居るのはターミナルドグマと呼ばれる機密区画、セントラルドグマの更に地下深くに位置する深部だ。

 やがて彼は巨大な扉の前で立ち止まると、脇に設置されているカードリーダーにカードを通そうとして、ピタリと動きを止める。

 自分の背中に硬い感触……銃が突きつけられている事に気づいたからだ。

「よう、二日酔いの調子はどうだ?」

「お陰様で、やっと醒めたわ」

「そりゃ何よりだ」

 両手を挙げた加持は軽口を叩きながら、ゆっくりと顔だけ振り返る。そこにはすっかり酒が抜けたミサトが、厳しい顔をして立っていた。

「こんな朝早くから随分と仕事熱心だけど、本業の方かしら? それともアルバイトの方?」

「はて、何の事かな」

「特務機関ネルフ特殊監査部所属、主席監査官の加持リョウジ。それと同時に、日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもある。そりゃ忙しい筈よね」

「バレバレか」

 加持は苦笑を浮かべながらミサトの言葉を肯定する。異なる二つの組織に所属している事、それが意味するのは彼がスパイであると言う事実だった。

「それで、これは碇司令の命令か?」

「私の独断よ。本気で忠告するわ。これ以上続ければ……死ぬわよ」

「碇司令は俺を利用している。まだ行けるさ。ただ、葛城に隠し事をしていたのは謝るが」

「謝る位なら、こんな事させないで」

 ミサトは辛そうな声で加持に訴える。かつての恋人ではなく、再び恋人関係に戻った男に銃を突きつける事が、彼女の心を深く傷つけていた。

「すまない……だが俺はまだ止まれない」

「貴方の目的は何?」

「真実を知ること、さ」

「……あんたやっぱり、私の父そっくりだわ」

 ミサトは寂しそうに呟いたが、直ぐさま気持ちを切り替え、厳しい声色で加持を問い詰める。

「で、あんたの求める真実がこの先にあるの?」

「その一端、かな。司令もリッちゃんも君に隠し事をしている。それが……これだ」

 加持はカードリーダーにカードキーを通す。認証ランプが点灯すると、巨大な扉がゆっくりと左右に開かれていく。その奥に現れた光景を見てミサトは言葉を失った。

 

 LCLの泉、その中央に立つ赤い十字架に貼り付けられた、上半身だけの白い巨人。顔には七つ目の仮面が着けられ、胸の位置には赤い槍が突き刺さっていた。

「これは……エヴァ? ううん、違う。まさか……」

「そうだ。セカンドインパクト、人類補完計画、全ての始まりにして、要たる存在『アダム』だ」

 加持の言葉を聞きながらも、ミサトは視線を白い巨人から離せない。彼の言葉が真実だとするならば、自分が最も憎んでいる相手が目の前にいるのだから。

「アダム……最初の使徒。何故ここに居るの」

「君が想像している以上に、ネルフという組織は甘くないって事だ」

「……そのようね」

 ネルフの闇に触れたミサトは、鋭い視線を白い巨人に向けて小さく呟くのだった。

 




ミサトと加持の復縁によるアスカの嫉妬。それに伴う家庭内不和も、アスカの変化によってどうにか回避できそうです。
個人的にこの話から原作はシリアス鬱ムードになったと思います。ハッピーエンドの為には、それを打ち破る必要がありますね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《チルドレン会議》

今回は小話っぽくない小話です。

時系列はレイの正体発覚後から、葛城家へ帰宅する前となっています。


 

~チルドレン会議開催~

 

 第三新東京市のとあるファミレス。客の姿がまばらな店内の一角に、シイ、レイ、アスカの三人が向かい合わせに座っていた。

「それじゃあ、始めるわよ」

「ねえアスカ。いきなり全員集合って言われたけど、何を始めるの?」

 何も聞かされずにここに連れてこられたシイが、当然の疑問をぶつける。だがそんな常識が通用する筈も無く、アスカはいつも通り強気の答えを返す。

「あんた馬鹿ぁ? 作戦会議に決まってるじゃない」

「作戦会議って……何の?」

「ホントに馬鹿ね。このタイミングで作戦会議って言ったら、レイの事に決まってるでしょ」

 アスカは呆れたようにため息をつく。

「綾波さん聞いてた?」

「……いいえ。でもアスカだから」

 当の本人は冷静そのもの。落ち着いていると言えば聞こえは良いが、単に諦めているだけかもしれない。

 

「レイが碇司令が隠してる何かの鍵を握ってるのは、多分間違い無いわよね?」

「……多分」

 レイ自身はゲンドウがやろうとしている事を、何も聞かされていない。その為言い切る事は出来ず、あくまで可能性が高いと言う表現になってしまう。

 アスカはそれを理解した上で、仮定として話を進める。

「司令が何考えてるかは分からないけど、レイを危険な目に遭わせる可能性は否定できないわ」

「あ、なるほど」

 順を追って話すアスカに、シイはポンと手を打って納得する。

「つまりレイを守る為には、碇司令が何を企んでるのかをハッキリさせる必要があるのよ」

「でもどうやって? お父さんに直接聞くとか?」

「このウルトラ馬鹿! そんなの論外に決まってるでしょ」

「だって……」

 アスカにおでこを突かれ、シイは身を小さくする。シイなりに本気で考えているのだが、如何せん発想が素直すぎる為、アスカにはじれったく思えてしまう。

 引き下がったシイに変わって、今度はレイがアスカに問いかける。

「……何か方法はあるの?」

「ふふん、当然よ」

 その言葉を待っていたとばかりに、アスカは自信に満ちた笑みを浮かべて答えた。

 

「まず状況を整理するわよ。レイの事を知ってて信用出来るのは、あたし達三人と時田。これは良いわね?」

「うん」

「……ええ」

 アスカの確認に二人は頷いて同意を示す。

「で、信用出来無いと言うか、あたし達が警戒しなくちゃいけないのが、碇司令と副司令にリツコよ。副司令とリツコは司令の計画を知ってるのよね?」

「……ええ。二人とも知ってる筈だわ」

 レイによれば何かの計画はゲンドウを中心に、冬月とリツコが協力しているらしい。ならばこの二人もゲンドウに近い情報を持っている筈だ。

「将を射んと欲すればまず馬を射よ。前に国語で習ったでしょ」

「えっと……」

「……目的を達成する為には、まずは周りから手を着けた方が良い、と言う昔の言葉」

 言葉に詰まるシイに変わり、レイがアスカの言葉を簡単に言い換える。

「つまりあたし達は碇司令じゃなくて、副司令とリツコから攻めるべきなのよ」

「攻めるって、どうすれば良いの?」

「さり気なく情報を聞き出すの。時田みたいに味方に出来れば、尚良いわね」

 ゲンドウとは違い、冬月とリツコは比較的シイ達でも話をしやすい。特にリツコはテスト等でシイ達と接する機会が多い為、三人の中では一番情報を聞き出し易いと思われる。

 

「ただし、くれぐれも言動には注意すること。こっちがレイの事を知ってると、相手に悟られちゃ駄目よ」

「うぅぅ、出来るかな……」

 嘘や駆け引きがとことん苦手なシイは、不安げに表情を曇らせる。それはアスカとレイも同感らしく、シイをジッと見つめて、やがてため息混じりに結論を出す。

「シイ、あんたはやらなくて良いわ」

「……そうね」

「えっ!? どうして?」

 突然手の平を返した二人に、シイは思わず問い返してしまう。やらなくて良いと言われてホッとした反面、仲間はずれにされたようであまり嬉しくないのだ。

「あのね、どう考えてもあんたに情報を聞き出すなんて器用なこと、出来そうに無いし」

「そ、そんな事無いもん。私だってちゃんと出来るってば。綾波さんもそう思うよね?」

「…………」

 縋るようなシイの視線を受けたレイは、無言のままそっとシイから目を背ける。口にこそ出さないが、その態度が全てを物語っていた。

「二対一よ。あんたは秘密を漏らさない事だけに、専念しなさい」

「酷いよアスカ~」

「ばれたら終わりの綱渡り。悪いけど、余計なリスクを背負う余裕は無いのよ」

「うぅぅ……」

 アスカにハッキリと戦力外通告を受けたシイは、力無く俯くのだった。

 

 

 その後、これからの方針を立てて、第一回チルドレン会議は幕を降ろした。彼女たちがネルフの闇を突き止め、レイを守る事が出来るのかは……まだ分からない。

 




完全に16話への繋ぎになってしまいました。

本当はシイと和解して、ニヤニヤが止まらないゲンドウの話でしたが……あまりにもゲンドウが気持ち悪かったので、差し替えさせて頂きました。
加筆修正で再挑戦したのですが、残念ながら結果は変わりませんでした。

ゲンドウ&冬月&リツコ対シイ&レイ&アスカの図式です。加持とミサトはシイ達とは、違うアプローチで謎に迫っています。
使徒とは別の戦いは、果たしてどの様な結末を迎えるのか。

小話ですので、本編も本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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16話 その1《水面下》

 

 葛城家のダイニングには、穏やかな朝の空気が流れていた。

「あら、シイちゃん。味噌汁の味変わった?」

「分かります? リツコさんからお土産に鰹節を貰ったから、早速使ってみたんです」

「へぇ~。それだけで、こんなに味が変わるもんなのね」

 ミサトは感心したように、手にした味噌汁をしげしげと見つめる。料理をしない彼女にとって、ダシなんてどれも一緒だと思っていたから驚きも大きい。

「おダシは料理の基本ですよ。ミサトさんも料理の勉強してみませんか?」

「いや~、あたしにはちょっち向いてないみたいで」

「でもミサトさん。結婚したら加持さんの料理作るんですよね?」

「ぶぅぅぅぅ」

 不意打ちの一言にミサトは盛大に味噌汁を吐き出した。ゲホゲホと苦しげに咳をしながら、恨みがましい視線をシイに向ける。

「い、いきなり何を言うのよ」

「変な事言いました? ミサトさんは加持さんと結婚するって、聞いたんですけど」

「誰からよ!?」

「あたしよ」

 動揺するミサトの叫びに答えたのはアスカだった。朝にシャワーを浴びる習慣のある彼女は、バスタオルを巻いただけの姿で、脱衣所から顔を覗かせる。

「アスカ、あんたね~」

「良いじゃない。まるっきり嘘って訳じゃないし」

「だ、だからって」

「よりが戻ったんだから、素直に喜びなさいよ」

 悪びれる様子など欠片もないアスカに、ミサトは二の句が紡げない。結婚は言い過ぎにせよ、加持と復縁したのは事実なのだから。

「ま、意地を張るのは止めろって事よ。それよりシイ。ボディーソープが無いんだけど」

「あれ? 洗面台の上の棚に、まだ買い置きが残ってたと思うけど」

「色々あり過ぎて探すのが面倒なのよ。あんた買いすぎじゃないの?」

「うぅぅ、だって特売の時に買い溜めした方がお得なんだもん」

 今やシイは料理だけで無く、備品や消耗品の買い出しも担当しており、実質的に葛城家の家計を握っていた。締めるところは締めるシイのお陰で、ミサトのビールライフも守れているのだ。

「とにかく早く出してよ。このままじゃ風邪引いちゃうわ」

「うん。えっと脚立は……」

 シイは台所の隅に置かれた脚立を持つと、脱衣所へと入って行く。背の低い彼女にとって、三段の小さな脚立は生活の必需品だった。

「……小さなお母さん、か」

 ミサトは味噌汁を飲み干すと、誰に向けるでもなくそっと呟いた。

 

 

 その日の夕方、ネルフ本部実験室では定期シンクロテストが行われていた。シイはプラグの中で目を閉じ、いつものようにエヴァへ語りかける。

(この間はごめんね。貴方の事を無視しちゃって)

 前回のテストではレイの事を気にするあまり、初号機をないがしろにしてしまった。シイはまずそれを詫びると、以前の様に意識を初号機へと近づけていく。

(色々あったけど……綾波さんともっと仲良くなれたの)

 微笑みを浮かべながら、初号機に近況報告を続けていく。

(それとね、お父さんとキチンとお話出来たんだ。私の事嫌いじゃ無いって言ってくれたの)

 話がゲンドウの事へ及ぶと、僅かに初号機の今までとは違う反応を感じた。シイに向かって何かを言いたい、そんな意思が伝わってくる。

(えっ、何? 何を言いたいの?)

 心を深く集中して初号機へ意識を向ける。そうしていると徐々に自分以外の存在が、シイが初号機だと思っている存在がハッキリと感じられていった。

(……不思議。貴方は暖かいね。それに……懐かしい感じがする)

 エヴァと自分が繋がる感覚。それは零号機の時みたいな、冷たく一方的なものではない。優しくシイを包み込むような暖かさと優しさを持ったものだった。

 

「どうやら、あれは一時のものだったようね」

 管制室でテストを見守っていたリツコは、表示されるデータを見て安堵のため息をつく。調子を落としていたレイの数値は以前と同等に、シイはそれ以上に高い数値をたたき出していた。

 ただそれはシイが再び、精神汚染の危険を抱えた事を意味する。

「シイちゃんのプラグ深度、限界域です。セーフティーの作動を確認」

「んで、シイちゃんは前みたいに、危ない状態って訳か」

「あの子が如何に前回のテストの時に、集中していなかったかが分かるわね」

 リツコは何時も通りのシイに、安心して良いやら困って良いやら、複雑な表情を見せた。

「レイの数値も戻ってますし、一安心ですね」

「……二人同時に、か」

 同時に復調したシイとレイに、リツコは訝しむ様に眉をひそめる。

「ひょっとして喧嘩でもしたのかしらね?」

「さあ。ただ結果が出ている以上、余計な干渉は控えるべきだわ」

 軽口を叩くミサトにリツコは冷静な意見を述べた。

(ひょっとして……)

 数値が落ちた時期とそれが二人同時と言う事実。リツコの脳裏には、ある可能性が浮かんでいた。

 

 

 実験終了後、シイ達三人は第三新東京市のファミレスに集まっていた。時田から本部内には音声を拾える監視カメラが多数設置されていると聞き、大事な話は外で行う事に決めたのだ。

 三人は飲み物だけを注文すると隅の席で向かい合う。

「あんた達ね、もう少し上手くやりなさいよ」

 開口一番、アスカはシイ達に駄目出しをした。何のことか分からないシイとレイが、互いに顔を見合わせ首を傾げる様子を見て、呆れたように肩をすくめる。

「あのね、二人同時に数値落ちて同時に戻ったんじゃ、幾ら何でも怪しすぎるでしょ」

「そうかな?」

「あったり前でしょ。現にリツコの奴、明らかに疑ってたわよ」

 幼い頃からパイロットとしてネルフに居たアスカは、人の顔色を読むことに長けている。だからこそ実験終了後のリツコが、シイとレイに不審の目を向けて事も察することが出来た。

「今日は適当に流して徐々に数値を戻すとか、ちっとは気を遣いなさいよ」

「うぅぅ、そんな事言われても……」

「……碇さんにそんな器用な事が出来ると思う?」

「ごめんシイ。あたしが悪かったわ」

「うぅぅ……」

 珍しく素直に頭を下げるアスカに、シイは恨みがましい視線を送った。

 

「とにかく、リツコは何か感づいたかも知れないわね」

「どうしよう……」

「そうね……。レイ、リツコってどんな奴?」

 敵を知ることから始めようとしたアスカは、オレンジジュースをストローで啜るレイに尋ねてみる。彼女はレイの保護責任者でもあるので、自分の知らない情報が得られるかもと少し期待していた。

「……赤木リツコ。ネルフ技術開発部技術局第一課所属のE計画担当責任者。同時にエヴァンゲリオン開発総責任者でもあり、MAGIの管理運営の担当者」

「リツコさん凄いね。やること沢山だ……」

「他には? 何か弱点とか、つけ込めそうな所は無いの?」

 レイの説明はアスカも知っているプロフィールに過ぎない。今はより深い情報が、今後の展開を有利に出来る切り札が欲しかった。

「……嫌いな物はだらしがない人間と言っていたわ」

「リツコさんらしいね」

「それでよくミサトと一緒に仕事出来てるわね……」

 仮にも保護者に酷い言いようだったが、シイも否定出来ずに苦笑するだけだった。

「……好きな物は猫」

「うん。猫可愛いもんね。リツコさん携帯のストラップも、猫だったし」

「ん~どれも役に立たない情報ね」

 脳天気なシイを完全に無視して、アスカはソーダを飲みながら頭を悩ませる。もっと決定的な弱み、下世話な話だが例えば男女関係などが分かれば、交渉材料になり得たのだが。

「……それと、碇さん」

 そんなアスカの心を読んだかのように、ポツリとレイは呟いた。

「どういう事?」

「赤木博士は、碇さんの事がお気に入り」

「えぇぇぇ!!」

 突然明かされた衝撃の事実に、シイは思わず大声を出して立ち上がってしまう。店内に居たまばらな客が、何事かと視線を向けている事に気づき、シイは謝りながら顔を真っ赤にして席に着いた。

「オーバーね」

「だ、だって……」

「それよりもレイ。確かな情報なんでしょうね?」

 アスカは真剣な顔でレイに確認をとる。もしその話が真実ならば、シイの存在はリツコに対しての切り札になり得るからだ。

「……ええ。白衣の内ポケットに、碇さんの写真を忍ばせて居たわ」

「なるほど、そりゃ間違いなさそうね」

 納得するアスカの正面で、シイはトマトのように顔を赤くして俯いてしまう。人には自分の好意を伝えて繋がりを求めるのに、人から好意を伝えられる事にはとことん慣れてなかったのだ。

 

「まあ、なら話は簡単ね」

「……ええ」

「え、どういう事?」

 頷きあうアスカとレイに、一人理解出来ていないシイは首を傾げる。

「あんた馬鹿ぁ? リツコにこっちから仕掛けるのよ」

「えぇぇ!?」

「良い? あんたがリツコと二人きりで話がしたいとか言えば、きっとホイホイ着いてくるに決まってるわ」

「……そこで私の事を知っていると、こちらから伝えてしまうのね」

 レイの補足にアスカは満足げに頷いた。

「で、でも、そんなに上手く行くのかな……」

「腹括りなさいよ。あんた決めたんでしょ。レイを碇司令から守るって」

「……うん」

「なら、決まりね」

 何かを企んでいるゲンドウからレイを守る。それがシイの原動力になっていた。

 

「後はどのタイミングでやるかだけど……準備もあるし、次のテストの後が良いかしら」

「準備?」

「そっ。折角だし、リツコが猫好きなのも利用しなきゃ、勿体ないじゃない」

 ニヤリと笑うアスカに、シイの背筋に嫌な予感が走った。そしてそれが間違いで無い事と直ぐに知る。

「確かファンシーショップに猫耳バンドがあったから、明日の放課後に買いに行くわよ」

「ちょ、ちょっと待って。それって、私がつけるの?」

「他に誰が居るってーの。良いじゃない。あんた似合いそうだし。レイもそう思うでしょ?」

 同意を求めるアスカの視線と否定して欲しいシイの視線が、無言のレイに集まる。レイは閉じていた瞳をそっと開くと、軽く頷いてアスカに賛同した。

「……そうね、行きましょう」

「綾波さん~」

 まさかの裏切りにシイは情けない声をあげる。

「OK。じゃあ明日作戦決行するわよ。ま、大船に乗ったつもりで居なさいって」

「うぅぅ」

 流れを止める事は叶わず、シイはリツコとの直接対決に臨むことになってしまった。

 




小話でのステップを経て、いよいよリツコへ真実の追究を……。
しかしそう簡単に話が進む筈もありませんよね。

ハッピーエンドの花の種を植えて、これまで水をまいてきました。そろそろ芽が出てくる頃です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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16話 その2《影の使徒》

 

 第一種戦闘配置。使徒の出現か、それに類する緊急状況下において下される指令。ネルフにおいて最も緊急度と重要度の高いそれが発令されたのは、朝も早い時間だった。

 突然の戦闘配置を受けてネルフスタッフが、慌ただしく持ち場についていく。その中には呼び出しを受けて自宅から大急ぎで駆けつけた、作戦部長のミサトの姿もあった。

「ごめん、遅れた」

「分かっているわ。市民の避難も混乱してるもの」

 詫びるミサトにリツコは状況を冷静に分析して答える。既に非常事態宣言は発令されているが、丁度出勤時間と重なったこともあり、第三新東京市の交通網は大混乱に陥っていたのだ。

「西地区の避難、後五分は掛かりそうです」

「南地区は終了。東地区は現場に近いこともあり、大幅な遅れが見られます。完了まで、後十分」

「委員会と日本政府より、状況確認を求める連絡が入っています」

 オペレーター席の日向達も、市民の避難指示と状況把握に追われている。

「んで、この騒ぎの元凶は……あれか」

 メインモニターに映し出されている、正体不明の物体をミサトは睨み付けた。

 

 第三新東京市の直上を浮遊する球体。黒と白の縞々模様のそれは、戦自と国連軍の警戒網に掛かることなく、突然その場に現れた。

 避難が遅れているのは時間帯だけのせいでは無く、それの出現に何の予兆も無かったからだ。

「富士の電波観測所は何やってたの?」

「感知していません。直上に突然現れました」

 青葉の返答にミサトは眉をひそめる。

「瞬間移動でもしたのかしら……」

「分からないわ。それにまだあれが使徒だとは確認出来てないの」

「はい。パターンはオレンジ。ATフィールドの反応もありません」

 対象の波長パターンを分析してネルフは使徒と判断を下す。だが球体の波長パターンは使徒と一致せず、使徒特有のATフィールドも存在を確認出来ていない。

「どういう事……使徒じゃ無い?」

「MAGIは判断を保留しています」

「司令と副司令は不在。責任者は貴方よ、ミサト」

「……エヴァ三機の発進準備を。それと市民の避難が完了次第、使徒のデータ解析を実施」

「「了解」」

 突如現れた未知の敵にミサトは嫌な予感を覚えながら、責任者として指示を下していった。

 

 市民の避難が完了した第三新東京市。射出された三機のエヴァは兵装ビルの陰に身を隠しながら、離れた位置から使徒の様子を窺っていた。

『三人とも、ひとまず解析データを送ったわ。今分かってるのはそれだけよ』

「結局、何一つ分かって無いじゃない」

 プラグ内に表示されたデータを一瞥して、アスカは呆れたように肩をすくめる。何も分かっていない事が分かった。そんなレベルの情報では文句の一つも言いたくなるのだろう。

「ATフィールドは確認されず……ですか」

『ええ。通常兵器の攻撃は全て効果無し。命中も確認出来ずよ』

 今までの使徒はたとえ効果が無くても、攻撃自体は命中していた。だが今回の球体には、攻撃そのものが命中しなかった。雨霰と降り注ぐ砲撃が一つもだ。

「……おかしいわ」

「うん。変だよね」

『流石にここでN2兵器を使うわけにも行かないわ。悪いけど貴方達に出て貰うわよ』

 第五使徒の事もあり、不確定要素の多い相手との戦闘にミサトは慎重な姿勢を示していた。だが現状ではこれ以上の情報収集は難しく、エヴァに頼らざるを得ない。

「はんっ、何言ってんの。最初からあたしに任せて置けば良いのよ」

「……駄目だよアスカ。ミサトさんは、私達を心配してくれてるんだから」

 シイは胸に手を当ててアスカを戒める。傷は癒えているが今でもあの時の恐怖は忘れた事は無い。

「分かってるって。それで、どうやって攻めるの?」

『慎重に相手の反応を見ながら接近して、可能であれば市街地上空外へ誘導して』

「……了解」

 砲撃が無力である以上、第三新東京市で戦闘を行うメリットは無い。寧ろ戦闘による設備の破損など、デメリットの方が多いのだ。

『先行する一機を、他の二機で援護するフォーメーションで行くわよ』

「ま、妥当ね。じゃああたしが先行するけど、異議無いでしょ?」

 直ぐさま立候補するアスカにシイとレイも頷いて答える。それは以前の様な自己顕示ではなく、三人の特性を把握た上で、最も適当だと判断した結果と分かっていたからだ。

『では弐号機が先行。シイちゃんは中間距離、レイは長距離からの援護担当で良いわね?』

「任せときなさい」

「はい」

「……了解」

『それでは、全機行動開始』

 ミサトの指示でシイ達はビル群の中を移動し始めた。

 

 使徒に気づかれず接近するため、ビル群の間をぬうように進行するエヴァ。アンビリカルケーブルを繋げての移動は、予想以上に手間取るものだった。

「うぅぅ、引っかかっちゃった……」

『一度切断して。前方に電力供給ビルがあるから、そこでケーブルを繋ぎ直すのよ』

「は、はい」

『全く鈍くさいわね』

 スムーズに移動出来ないシイとは対照的に、アスカは手際よく使徒へ接近していく。レイは移動距離が短かった事もあり、既に所定の位置に到達していた。

『……碇さん、落ち着いて』

「うん、ごめんね」

『今のとこあいつは動く気配が無いし、焦らなくて良いから急ぎなさいよ』

「ありがとうアスカ」

 二人の励ましを受けたシイは、不器用な動きながらもどうにか目的地へと辿り着いた。

 

「こちら弐号機。所定ポイントに到達。相手に動きは無いわ」

「……零号機も同じく。狙撃準備完了しています」

「初号機、準備出来ました」

 三機のエヴァがそれぞれ持ち場に着く。弐号機は斧型の近接戦闘用武器、スマッシュホークを、初号機はマステマを、零号機はスナイパーライフルを構えて指示を待つ。

『敵さんに動きは無いわね。気づいて無いのか、それとも誘ってるのか……』

「どうするのミサト? あたしが斬り込む?」

『……いえ、まずは射撃で様子を見ましょう』

 出現してから全く動きを見せない敵に、ミサトは底知れぬ不気味さを感じていた。取り返しのつかない事態を避けるべく、リスクの低い安全策を選ぶ。

『まずシイちゃんが牽制の射撃。アスカは反応を見ながら、可能であれば攻撃を仕掛けて』

「……私は?」

『敵は瞬間移動する可能性があるわ。レイはその場所から相手の動きを常に把握して』

 ミサトの指示にシイ達は揃って首を傾げる。

「はぁ? 何言ってんのよ」

『可能性の話よ。だけど備えはしておくに限るわ』

 あらゆる警戒網に掛かることなく、突如姿を現した敵。ミサトは自分の直感を信じて、最悪の事態を防ぐべく作戦を立てていた。

『では三十秒後に射撃開始よ。くれぐれも油断しないでね』

「はい!」

「分かってるって」

「……了解」

 通信を終えるとシイはマステマを球体に向けて構える。

(大丈夫……みんなが居るもん。きっと大丈夫)

 何度も深呼吸をして心を落ち着ける。集中力を高めながらレバーを力強く握ると、ガトリング砲の照準を球体に合わせて作戦開始の時を待つ。

 

「すぅ~はぁ~……行きます!」

 回転するガトリング砲から無数の銃弾が球体に向かって放たれた刹那、球体の姿がまるで幻の様に虚空へと消えた。銃弾は何も無い空間を空しく通過していく。

「えっ!?」

『『消えた!?』』

 今まで見せなかった球体の反応に全員が一様に戸惑う。全てのセンサーが反応出来ない速度での移動。それは理論上あり得ない事で、それこそミサトの予想通り瞬間移動を疑うレベルだった。

「本当に……瞬間移動したの?」

『捕捉急いで!』

 焦るミサトの声と同時に発令所に警報が鳴り響いた。

『一体何事?』

『パターン青、使徒を捕捉しました。座標は……初号機の直下です!』

「下?」

 マヤの叫びにシイは慌てて足下に視線を向ける。そこにアスファルトの道路は無く、ただ真っ黒な影が自分を中心に広がっていた。

「な、何これ……きゃぁぁ!」

 突如足に感じる異変。眼下に広がる影に初号機の足が、飲み込まれ始めていたのだ。まるで底なし沼のような影に、みるみる初号機の身体が沈んでいく。

『シイちゃん逃げて!』

「嫌っ、嫌っ!!」

 パニックに陥ったシイは、ガトリング砲を影に向けて放つ。だが銃弾は虚しく影へと吸い込まれていった。

「どうして……あっ」

 頭上に気配を感じてシイが視線を上に向けると、そこには縞々模様の球体がシイを威圧するかのように、真上に出現していた。

「あ……あぁ……」

 恐怖に硬直するシイ。初号機は既に身体の大部分を影に飲み込まれていた。

 

『シイちゃん! アスカ、レイ、援護を急いで!』

「もう向かってるわ!」

 ミサトの指示よりも先にアスカはスマッシュホークを握りしめ、シイの元へと駆けだしていた。アンビリカルケーブルを切断した弐号機は、ビルの上を飛び跳ねて初号機の救出に向かう。

「……っ!」

 レイが初号機直上の球体に向けてライフルで狙撃を行う。だが着弾の直前で再び使徒の姿は消えてしまう。銃弾が再び何もない空間を通り抜けた。

『また消えた!?』

『アスカ、レイ、影に気を付けて!』

「ちっ」

 ビルの上を跳躍していたアスカだが足場のビルが、広がる影に飲まれてしまいバランスを崩す。影に落下する寸前で手にしたスマッシュホークをビルに突き刺し、どうにか落下を免れた。

 零号機の元にも影は広がる。レイはナイフを足場にビルへとよじ登り、全てを飲み込む影から逃れようとする。

 どちらも影から逃げるのが精一杯で、初号機の援護を行える状態では無かった。

 

「やだ……やだよ……助けて……誰か助けてっ!!」

 肩口まで影に飲まれている初号機。シイの悲痛な叫びにミサトは唇を噛みしめる。それは他のスタッフも同様で、全員が己の無力さに苛立ちを感じていた。

『パイロット保護を最優先。プラグを強制射出して!』

『駄目です、信号を受け付けません!』

『そんな……シイちゃん、シイちゃん!!』

「綾波さん、アスカ、ミサトさん、綾――」

 必死に仲間の名を叫び続けるシイ。だが影は容赦なく初号機を飲み込み続け、最後に残った頭部の角が消えると同時に、シイの声も闇に飲まれるように消えていった。

 

「そんな……ちょっとシイ! 返事しなさいよ! 聞いてんの!」

 影に飲まれた初号機にアスカは大声で呼びかける。だがどれだけ待っても返事は無い。プラグ内に表示されている初号機のシグナルも、ロストへと変わっていた。

『……二人とも、撤退して』

「何言ってんのよ!」

「碇さんの救出を行います」

 アスカとレイは揃ってミサトに反論する。

『命令よ。撤退しなさい』

 冷徹な指示を下すミサト。噛みしめた唇から流れる血が、彼女の心情を語るに余りあった。それを見たアスカとレイは眼下に広がる影を睨み付け、撤退という苦渋の決断をした。

 




リツコとの対話を前に使徒と対峙したシイ達ですが、シイが飲み込まれてしまいました。
原作では増長したシンジの行動が原因ですが、まともに戦っていても、恐らく飲み込まれたのでは無いかと思います。それこそ、転生でもして事前に使徒の情報を得ていない限りは。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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16話 その3《死に至る病》

 

 初号機を飲み込んだ影はその後も広がり続け、直径700m弱まで拡大した所で動きを止めた。範囲内にあったビルなどを全てを飲み込んだ影は、まるで地獄に繋がる穴の様にも見える。

 険しい表情を崩さずにモニター越しに影を睨むミサトに、リツコがそっと近づく。

「アンビリカルケーブルの引き上げが終了したわ」

「駄目だったのね?」

「はい。先端に初号機の姿はありませんでした」

 硬いリツコの声色から結果を察したミサトは、気持ちを整理するように大きく息を吐く。ケーブルの引き上げは僅かな希望であったが、絶望を再確認する結果に終わってしまった。

「初号機は現在、内部電源で起動していると思われます」

「シイちゃんが初号機を無闇に動かさずに、直ぐ生命維持モードに切り替えてくれれば……」

「理論上16時間は耐えられます」

 内部電源でエヴァが活動出来る限界は通常で五分。フル稼働では一分しか持たないが、最低限の機能だけを生かす生命維持モードならば、半日以上は稼動可能だった。だがそれは理想論に過ぎない。

(この状況下でそんな冷静な判断……出来る訳無いわよ)

 人一倍孤独を恐れる少女がどんな精神状態なのか、それは考えるまでも無いだろう。ミサトは己の無力さに苛立ち、手の平に爪が食い込む程強く拳を握りしめた。

 

 見渡す限りの白。それが影に飲み込まれたシイに見える光景だった。

「何ここ……嫌……ここは嫌だ……居たくない……」

 人の精神は色に大きく左右される。真っ暗な場所に閉じこめられた人が、精神異常を引き起こす事は知られているが、それは白一色の空間でも同じ。

 シイはこの空間から逃れようと必死にレバーを前後に動かすのだが、何故か初号機はこの空間に飲み込まれてから、一切の動作を受け付けなかった。

「どうして……どうして動いてくれないの!?」

 祈るようにレバーを握りしめるシイ。するとその想いに答えるかのように、外部モニターが遮断されてプラグ内の照明が非常灯へと切り替わる。

 消えたモニターには『生命維持モード』に移行した事を知らせる表示が浮かび上がった。

「……これ、前にリツコさんが教えてくれた」

 初号機に乗り始めた当初、シイはリツコからエヴァの機能についてレクチャーを受けた事がある。その中には非常時にパイロットの生存を最優先する、生命維持モードへの切り替えも含まれていた。

「内部電源に切り替わってる…………貴方はそれを教えてくれたの?」

 先程まではパニック状態だった為に気づかなかったが、プラグ内の隅にはゆっくりとカウントダウンする、デジタルタイマーが表示されていた。

 それは内部電源での稼動時間。もしあのまま動き続けていたら、直ぐにでも稼動限界を迎えていただろう。初号機の行動は現状でとれる最善策だった。

「……うん、そうだよね。みんながきっと、きっと助けてくれる……」

 自分は一人ではない。きっとみんなが助けてくれる。シイはそう信じると、インテリアシートに身体を丸めて瞳を閉じた。

 

 

 第三新東京市に広がる影と空中に浮かぶ球体。その周囲を国連軍の探査機が飛び回り、情報収集を行っていた。

 影の範囲外にはネルフによる特設前線基地が設置され、ミサト達スタッフが集まり使徒の分析と初号機の救出作戦が検討されている。

「じゃあ何? あの影が使徒の本体だって言うの?」

「恐らくはね。直径680m、厚さは約3ナノメートルの使徒よ。本来あり得ない極薄の空間を、内向きのATフィールドで支えていると推察されるわ」

 リツコはこれまでに得られた情報を分析した結果を告げる。

「ならシイちゃんと初号機は?」

「ディラックの海と呼ばれる、虚数空間に閉じこめられたのね」

 ホワイトボードに描かれた複雑な数式を指し、リツコは教師のようにネルフスタッフに、状況の説明を続けた。正しくそれを理解している者は少ないが、状況が最悪に近いことは察しがつく。

「中は多分、別の宇宙空間に繋がってるかもしれないわ」

「そんな……。そんなの、どうやっても脱出出来ないじゃない!?」

 絶望感を誤魔化すようにミサトは声を荒げる。予想していたよりも遙かに悪い状況に、焦りと苛立ちを隠せなかった。

「……赤木博士、あの球体は?」

「あれこそが使徒の影。まんまと騙されたって訳ね。本体を破壊すれば、球体も消える筈よ」

「何よそれ……どうしようも無いじゃない」

 アスカは対抗策が到底見つからない使徒に、無力感を含ませて呟いた。それは他のスタッフも同じ。特異すぎる使徒に、誰も打開策を提示できなかった。

「今、MAGIと技術局が総力を挙げて、シイさんと初号機の救出案を探っているわ」

「初号機の内蔵電源量を推察すると、後五時間で危険域に突入します」

 マヤの状況報告にスタッフ達の表情が一気に引き締まる。

「時間との勝負よ。全員、シイさん救出のため、全力を尽くしなさい。良いわね!」

「「了解!!」」

 気合い十分の返事と共に、ネルフ職員はそれぞれの仕事へと戻っていく。何としてもシイを助ける。その明確な目的が彼らのモチベーションを最大限に高めていた。

 

 スタッフが散っていく中、ミサトは一人その場に立ち尽くす。そんな彼女にアスカとレイが近づいていく。

「ミサト」

「……今回は私のミスよ。言い訳のしようもないわ」

 二人が自分を責めるのは当然だとミサトは思っていた。実際シイは自分の作戦通りに行動し、結果として使徒に飲み込まれてしまった。全ての責は自分にある。

「別にあんたにとやかく言うつもりは無いわ。言ってシイが戻ってくるなら、徹底的に罵倒するけど」

「……碇さんを助けます」

 アスカとレイの気持ちは既に前へ、シイを救出するという未来へと向いていた。

「も、勿論。だけど方法が……」

「ようはあの使徒はATフィールドで空間を維持してるんでしょ。なら」

「私達がフィールドを中和すれば、使徒の空間を破壊出来ます」

 ミサトが驚いた様に二人へ視線を向けると、アスカとレイは真っ直ぐにミサトを見つめ返す。そこには強い決意が込められていた。

「貴方達……」

「まだ終わってないのよ。こっちにはエヴァが二機残ってる」

「……やれます」

「ほら、とっととリツコに提案して来なさいよ」

 アスカに促されたミサトは、打ち合わせを始めたリツコの元へと駆け出す。その姿を見つめるアスカは表情を曇らせて呟く。

「早くしないとシイの心が持たないわ。閉鎖空間で一人なんて、あの子が耐えれる訳無いじゃない」

「……ええ」

 シイが極度に孤独を恐れている事を、アスカもレイも良く知っている。だからこそ彼女を一刻も早く救出する必要があった。命だけで無くシイの心も守るために。

 

 

 初号機のプラグ内でシイは眠りについていた。体力の消耗を抑えると言う理性的な判断では無く、孤独に心が押しつぶされない様にと、本能が取った自衛行動だったのだろう。

「……んん、寝ちゃったんだ……っっ! 何これ!!」

 眠りから目覚めたシイは、自分の周りに起きている異変に気づき表情を強張らせた。プラグを満たしているLCLが目で分かる程濁っていたのだ。

「循環機能が落ちて来てるの? ……ごぼ」

 一度意識してしまえばもう戻れない。慣れ親しんだはずのLCLが不意に酷く汚い物に感じられて、シイは肺からLCLを吐き出し苦しそうに顔を歪める。

「血……血の臭い……嫌、嫌だよ……」

 初めて搭乗した時に感じて以来、意識しなかった生臭いLCLの臭い。血をイメージさせるそれが、落ち着きかけていたシイの心を激しく乱す。

 パニックになったシイは非常用のハッチを開けようと、強張った表情で必死にレバーを回す。だがプラグがエヴァに挿入されている状態では開く筈も無かった。

「誰か! 開けてよ! ここから出してよ!! お願いだから……一人にしないで」

 力無くレバーから手を離し涙を流す。生命の危機と孤独。シイは死に至る病に心を囚われ始めていた。

 

 

「強制サルベージ!?」

「ええ。現状で唯一可能な、救出作戦よ」

 再度集結したミサト達を前に、リツコはハッキリと言い切った。

「エヴァ二機によるATフィールドの中和は確かに有効よ。だけれどもディラックの海を支える程強力な、使徒のATフィールドを完全に中和するのは不可能とMAGIによる結論が出たの」

「じゃあ、どうやって」

「現存する全てのN2爆雷を一斉に影へ投下。そのタイミングに合わせて、零号機と弐号機はATフィールドを展開。虚数空間に千分の一秒だけ干渉するわ」

「たったそれだけしか……っ!」

 自分達の力では本当に僅かな干渉しか出来ない。アスカは悔しさを隠すように拳を握りしめた。

「干渉した瞬間に爆発のエネルギーを集中。ディラックの海を破壊するわ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあシイちゃんが……」

 リツコの説明にミサトが待ったをかける。それ程のエネルギーを受けては、内部にいる初号機も無事では済まない筈だ。いや、無事である可能性の方が遙かに低い。

「救出成功確率は1%足らず。だけどこれが最も高い数値だったの」

「1%って……あんた、本気で言ってんの?」

「貴方に言われたくないわ」

 食って掛かるミサトにリツコは皮肉混じりに答える。成層圏より飛来した第十使徒戦で、これよりも更に低い作戦を立案したのは、目の前にいる彼女なのだから。

「ありとあらゆる可能性を考えたわ。提案作戦数は一万を軽く超えたでしょうね。その中で実現可能かつ成功率が最も高い作戦よ」

「……奇跡を信じろっての?」

「そんなあやふやなものでは無いわ。未来を切り開くのは人の意思と力。これは前に貴方が言った事よ、ミサト」

 二人の視線がぶつかり合う。リツコの目に強い意志と覚悟を感じ取ったミサトは、それ以上は何も言わずにただ小さく頷いた。

「信じるわ。あんたとアスカとレイに、みんな……そして、シイちゃんを」

「ええ、約束は守るわ。二人も良いわね?」

「あったり前でしょ」

「……問題ありません」

「では以後の作戦は私が指揮を執ります。作戦開始は一時間後。準備を急ぎなさい」

 ネルフ職員達はそれぞれが決意を新たにして持ち場に着く。奇跡ではなく自分達の力が、シイの救出を実現させると信じて。




エヴァ二機でも中和出来ない強力なATフィールド。単体で存在する使徒は、他者を拒絶する力が強いと言うことでしょうか……。

子供の頃は、死に至る病の意味が分かりませんでしたが、調べてみて成る程納得の回答を得られました。確かにその通りですね。

リアルで久しぶりの休日を得られ、使徒戦が絶賛継続中ですので、16話は本日中に全部投稿したいな想っております。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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16話 その4《闇からの帰還》

 

 パニックに陥りプラグ内を動き回ったシイだったが、疲れからかいつの間にか眠っていたらしい。インテリアシートに丸まった姿勢でうっすらと目を開けるが、当然ながら状況は全く改善されていなかった。

(……何だか……疲れちゃった……)

 動く体力も気力も失ったシイの目からは輝きが失われていた。生命維持モードも限界に達した為、プラグ内の酸素循環も作動しておらず、軽い酸欠状態に陥ったシイの意識は朦朧としている。

 以前リツコが説明してくれたプラグの温度調節機能も、既にバッテリー切れを起こしており、冷たいLCLがシイの体温を容赦なく奪っていく。

(……綾波さん……アスカ……ミサトさん……みんな……もう一度会いたかったな)

 胎児のように身体を丸めてシイは、親しい人達の顔を思い起こす。ネルフの人達、学校の友人達、彼らの姿が現れては消えていく。

(……私……死ぬんだよね……。そしたら……お母さんに会えるかな……抱きしめてくれるかな)

 微笑む母の姿を思い浮かべながら、シイは静かに瞳を閉じた。

 

 永遠の眠りへと落ちていく最中、シイは不意に頬を撫でる暖かな何かに気が付く。全身が冷え切った彼女にとって、それは無視できない刺激だった。

(……何?)

 残された力を振り絞り、閉じた瞳を半分だけ開く。すると非常灯も消えた真っ暗なプラグに光が満ちあふれ、一人の女性が自分に向かって来るのが見えた。

(貴方は……誰?)

『シイ、もう良いのかしら?』

 頭に直接響く優しい声。それを聞いた瞬間、シイの止まりかけていた心臓が激しく鼓動する。思い出せない記憶の中で母に掛けられた言葉。シイは大きく目を見開いて女性を見つめた。

 眩く輝く女性の姿。あまりに眩しい為、その顔を見ることは叶わない。だが女性が纏っている暖かな雰囲気がシイに確信を与える。

「お母……さん」

 女性は答えない。ただ微笑んでいる様子が伝わってくるだけ。

『もう良いのかしら?』

「……うん、お母さんに会えるなら……」

『本当に?』

 女性は再度問いかけながら、シイの身体を優しい光で包み込む。それは限界を迎えたシイの精神状態を、死に至る病から解放して彼女の本心を引き出す。

「……う、ううん。本当は……死にたくなんかない」

 枯れ果てたはずの涙が再びシイの瞳からこぼれ出る。

「もっとみんなと居たいの。綾波さんと、アスカと、ミサトさんと、リツコさんと、冬月先生と、ヒカリちゃんと、鈴原君と、相田君と、青葉さんと、日向さんと、マヤさんと、ペンペンと……お父さんと、みんなと一緒に居たい。死にたくない……死にたくないよ、お母さん」

 涙を流しながら生への執着をさらけ出すシイ。それは彼女の偽らざる本心だった。

『そう、良かった』

 そんなシイに女性は嬉しそうに答えると、そっと小さな身体を抱きしめる。暖かく優しい抱擁は、シイの忘れ去られた記憶を強く呼び起こす。

「……お母さん、暖かい」

 母の温もりを感じたシイは幸福感に包まれながら、安らかな笑みを浮かべて再び意識を失った。

 

 

 登りかけの朝日が第三新東京市に光をもたらす中、強制サルベージ作戦は秒読み段階に入っていた。影の範囲外ギリギリにエヴァ二機が配置され、その上空をN2爆雷投下用の重航空機が飛行している。

「エヴァ両機、作戦地点到達」

「N2爆雷投下準備完了」

「了解。では六十秒後に作戦を開始します」

 リツコの宣言でカウントダウンが始まる。全員に緊張が走る中、ソレは起こった。

 突如として大地に広がる影が、大きく波打つように動き出し始めたのだ。まるで中で何かが暴れている様に影は激しく歪み、やがて耐えきれなくなったのか影が次々に裂けていく。

 全く予想していなかった事態に待機してたアスカ達も、リツコ達も呆気にとられてしまう。

「……はっ。状況は?」

「分かりません。全てのメーターは振り切られています」

「まだ何もしていないのよ……」

 呆然とモニターを見つめながらリツコは呟く。

「ひょっとして、シイちゃんが自力で脱出してるんじゃ?」

「あり得ないわ! もう初号機には動けるだけの電源は残っていないのよ」

 ミサトの希望的観測をリツコは即座に否定する。初号機が使徒に飲み込まれてから既に16時間。生命維持モードすら限界だと言うのに動ける筈がないのだ。

 

 リツコ達が状況を掴めずに居る間にも、使徒の異変は続いている。

 切り裂かれていく影に呼応する様に、上空に浮かんでいた球体にも異変が起こった。黒と白の縞々模様が消え去り真っ黒に変色したそれが小さく震えたかと思うと、やがて側面に亀裂が走り赤い体液が零れ出す。

 亀裂は徐々に広がり球体から激しく体液が吹き出す。その中から二本の手が伸びてきたのをモニターが捉えた。

「「初号機!?」」

 吹き上がる血しぶきの中、内側から球体を力任せに引き裂いていく初号機。そして上半身を球体の外へと晒すと、口を大きく開いて獣の様な咆哮を響かせた。

 あまりに暴力的。あまりに残虐。あまりに凶悪な初号機の姿に一同は言葉を失う。

 球体を切り裂いた初号機は、亀裂だらけの影へと着地する。全身に血を纏った初号機が低い唸り声をあげる中、影は徐々に色を失いやがて消え去った。

 朝日が照らす初号機は、悪魔のように禍々しく大地に仁王立ちしている。

「これがエヴァの姿……母さん、私達の行為は正しかったの……?」

 視線を初号機から離す事が出来ず、リツコは怯えたように呟く。それを隣で見ていたミサトは、不信感を隠そうともせずに鋭い目つきを見せる。

(エヴァンゲリオン……第一使徒のコピー、か。……本当に味方なの?)

 険しい表情を変えずに、ミサトはエヴァに対しての恐れと不信感を抱いていた。

 

 

 ネルフ中央病院のベッドでシイはうっすらと目を開く。見慣れた天井と同時に視界に現れたのは、心配そうな顔で自分を見つめるアスカとレイだった。

「綾波さん……とアスカ」

「……碇さん、大丈夫?」

「ちょっとあんた、無事なんでしょうね?」

「……うん。ありがとう」

 全身に強い疲労感があり、思うように身体を動かせなかったが、シイは二人を安心させるように微笑んでみせる。それだけでアスカとレイは安堵のため息をついて脱力した。

「心配掛けてごめんね」

「……良いの。帰ってきてくれたから」

「あんたが居なくちゃ、誰があたしのご飯を作るってのよ」

「ふふ、そうだね」

 不器用な言葉の中にアスカの気持ちを感じたシイは、小さな笑みを漏らす。大切な友人二人と触れ合うことで、自分はみんなの元に戻れたのだと改めて実感することが出来た。

 

「……後の処理は私達が担当するから、碇さんは休んでいて」

「面倒だけど、ちゃちゃっと片づけちゃうわ」

「あ、待って……」

 病室から出ていこうとした二人をシイが呼び止める。アスカとレイは不思議そうな顔をしながらも、再びベッドの側へと近づいてきた。

「……どうしたの?」

「何よ、また一人じゃ寂しいって言うの? 終わったらまた来てあげるから、ちょっとは我慢しなさいよ」

「そうじゃ無くて……私、お母さんに会ったの」

 シイの突然の発言にアスカとレイは顔を見合わせる。シイの母親が亡くなっているのは周知の事実。ひょっとしたら意識の混乱があるのかも知れないと、二人は眉をひそめた。

「シイ、あんた疲れてんのよ。早く休みなさいって」

「違うの! 本当にお母さんと会ったの!」

 気遣うアスカの反応を馬鹿にされたと取ったシイは、少し興奮した様子で反論する。このままでは身体に触ると判断した二人は、ひとまず話を聞く姿勢を取った。

 救出後でまだ意識が落ち着いていないのか、シイの話は要領を得ないものだった。何度も同じ事を繰り返し、話の筋があちこちに飛ぶ。それでもアスカとレイは辛抱強く話を聞き続けた。

 

「え~つまり、初号機の電源が切れて、あんたがもう駄目だって思った時に」

「……碇さんのお母さんが現れたのね」

 二人は苦心しながらも、シイが伝えたいキーワードを拾うことに成功した。まだ興奮が収まらないのか、シイは上気した顔で何度も頷いてみせる。

「うん。それで抱きしめてくれて、それで声を掛けてくれて、それで……」

「慌てなくても、別に疑っちゃ居ないわよ」

 人間は死の淵に陥ると、危機を脱する術を過去の記憶から探そうとする。それが過去の記憶を一気に蘇らせる、走馬燈と呼ばれる現象だ。シイが会ったと主張する母親も、記憶の産物ならば説明がつく。

 本人は母親に助けられたと言っているが、実際は火事場の馬鹿力を発揮して、自力で使徒の空間から脱出したのだろうとアスカは口に出さずに結論づけた。

 

「……碇さんはお母さんと会った後の事、憶えてる?」

「ううん。安心したら、そのまま気を失っちゃったみたい」

「ま、無理もないわよ。結構ギリギリの状況だったんでしょ?」

「うん。初号機もスーツも電源が無くなっちゃって、凄い寒くて……息苦しくて……身体が動かなかったの。本当に死んじゃうんだって思った……」

 経験したことのない極限状態は、シイの心に深い爪痕を残していた。話していてそれを思い出したのか、上気していたシイの顔色はみるみる青ざめていき、身体が小刻みに震える。

「……大丈夫。貴方は生きているわ」

 ベッドに上半身を起こしているシイをレイはそっと抱きしめる。暖かな温もりが生の実感を与え、死の恐怖からシイを呼び戻す。

「ありがとう、綾波さん。……でも何だか不思議」

「何がよ?」

「綾波さん、まるでお母さんみたい。暖かくて、凄い落ち着くの」

「……そう、良かった」

「えっ!?」

 ドクンっとシイの心臓が跳ね上がる。あの時母に掛けて貰った言葉と同じ。レイの言葉なのに、まるで母親に言われたのかと錯覚してしまう。

「……レイ、任務の時間よ。じゃあシイ。終わったらまた来るから」

「あ……うん」

「……また」

 名残惜しそうなシイを残して、アスカとレイは病室を後にした。

 

 明るい日差しが差し込む病院の廊下をアスカは難しい顔で歩く。強引にシイとの話を打ち切ったのは、この顔を見せて余計な心配を掛けたくなかったからだ。

「あんたとシイのお母さん。何か関係ありそうね」

「……分からない。でも碇さんは私とお母さんを重ねて見ていた」

 容姿の酷似に娘であるシイの反応。レイとユイに何かしらの関係があるのは明らかだ。そしてそれはリツコならば知っている筈。

「はぁ~。こりゃ、何が何でもリツコに白状させるしか無いわね」

「……そうね」

 並んで歩く二人の会話は、周囲に聞こえない小さな声で行われていた。これから自分達がやろうとしている事が、どれだけのリスクを抱えているかを自覚しているのだろう。

「活動限界のエヴァが動いた事も含めて、徹底的に問い詰めてやるんだから」

「……異論は無いわ」

「OK。じゃ、シイが退院したら予定通りやるわよ」

 アスカは隣を歩くレイに向かって、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるのだった。

 




レリエルって、凄い厄介な使徒だと思うわけです。イロウルとは別の意味で、対抗手段がありませんので。もし初号機が覚醒しなければ……想像するに恐ろしいですね。

次は使徒に邪魔されたリツコとの対決です。果たして彼女はどの様な結論を出すのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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16話 その5《真実の一端、そして》

 

 

 第十二使徒殲滅の翌日、チルドレン三人は葛城家のリビングに集まっていた。ミサトは事後処理に終われている為、家の中にはシイ達だけしか居らず、秘密の相談には絶好の環境と言えるだろう。

「いよいよ今日『リツコ追求大作戦』を実施するんだけど」

「そ、そんな名前だったんだ……」

「……趣味が悪いわ」

「うっさいわね。こう言うのは気分よ、気分。とにかく、今日やるわよ」

 シイとレイを強引に押し切りアスカは宣言した。使徒襲来のせいで延期せざるを得なかったが、リツコに真実を問い詰めると言う目的は忘れていない。

 寧ろ今回の件で聞きたい事が増えて、モチベーションが上がっている位だった。

「もう下準備は済んでるわ。今夜リツコはここに来る。そこを三人で問い詰めるのよ」

「凄いねアスカ。どうやってリツコさんを呼んだの?」

「ふふん、簡単よ。あんたが『手料理を振る舞いたいから、是非来て欲しい』って言ってるのって伝えたら、二つ返事でOKだったわ」

 ニヤリと悪い笑みを浮かべるアスカ。リツコの弱点を的確に突いた誘いだった。

「うぅぅ、何だか騙したみたいで悪いよ」

「あんた馬鹿ぁ? これから問い詰めようって相手に、情けなんか無用よ」

「だけど……」

 アスカの言う事も分かるのだが、根が素直なシイはどうしてもリツコに気が引けてしまう。そんなシイの様子を見て、レイが静かに助け船を出す。

「……なら、本当に手料理を作れば良いと思う」

「え?」

「……食事の席で自然と話を切り出せば、嘘を付いたことにはならないもの」

 物は言いようだが、レイの提案はシイのジレンマを解消するに充分な効果をあげた。

「そっか~。綾波さん頭良いね」

「はん、食い意地の張ったあんたの事だし、単にシイの手料理が食べたいだけなんじゃ無いの?」

「……和食が良いわ」

「否定しなさいよ……」

 さり気なく欲望に忠実なレイに、アスカは呆れたように肩を落とした。正直先行き不安であったが、自分だけでもしっかりしなくてはと気合いを入れ直す。

「まあ良いわ。ミサトが居ると厄介だったけど、今夜は遅くなるって言ってたから、問題無いわね」

「そうなんだ……」

 エヴァが使徒に飲み込まれると言う前代未聞の事態。責任者だったミサトには、作戦時よりも多くの仕事が次から次へと押し寄せていたのだ。

「問題は全てクリアされたわ。後は……あたし達が上手くやれるかだけよ」

「うん」

「……ええ」

「リツコは今夜八時に来る予定よ。それまでに、精々心の準備をしておきなさい」

 三人は互いに頷きあうと、リツコとの対面に備えるのだった。

 

 活動限界を超えての再起動に、不可能と思われたディラックの海の破壊。先の初号機の行動はネルフに、特に技術局のスタッフに大きな衝撃を与えた。

 原因の追及。それが技術局の緊急課題となっていた。

「とにかく一度、最深度レベルでの検査と調査が必要ね」

「はい。ですが実施するとなると、当面初号機の出撃は不可能になりますが」

「それも止む無しよ。上からの圧力もあるけど、何よりシイさんの安全確保が最優先だわ」

 リツコの言葉に迷いは欠片も無かった。そしてそれに同意する技術局の面々も同様に、何度も首を縦に振り頷いてみせる。

「では作業は明日より予定通りに行うわよ」

 その場にいたスタッフを見回しながら、リツコは宣言し会議は終了となった。

 

「……なあ、今日の赤木博士、様子がおかしく無かったか?」

「やっぱりお前も思ったか。俺もずっと変だな~って感じてたよ」

 会議終了後、真っ先に席を外したリツコにスタッフ達は首を傾げる。表面上は普段通りなのだが、明らかに様子が違っていた。

「伊吹二尉もそう思いますよね?」

「はい。いつもの先輩なら『明日? 冗談言わないで。今すぐに始めるわよ』とか言いますし」

「あはは、似てる似てる」

 マヤのモノマネにスタッフ達から笑い声が洩れる。彼らにとってリツコは、自分にも他人にも厳しく仕事一筋と言う上司であり、畏怖の対象でもあるのだ。

 そんな彼女がこの異常事態に仕事を先延ばしする。疑問を抱くのも当然だろう。

「何かあったのかな? 今も直ぐに帰っちゃったし」

「男でも出来たとか?」

「そりゃあり得ないだろ。あの赤木博士だぜ」

「だよな。仕事が恋人って本気で言う人だし」

 好き勝手言い放題のスタッフ達に、マヤは愛想笑いを浮かべるしか無かった。

 

 

 私服に着替えたリツコは、愛車のハンドルを握って夜の第三新東京市を車で走り抜ける。普段の凜々しい姿は何処へやら、その表情はすっかり浮かれきっていた。

(ふふふ、シイさんからのお誘いなんて……僥倖とはこの事だわ)

 鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌なリツコ。今の彼女にはシイとレイのテスト結果や、初号機の異常な行動など頭の片隅にも存在していなかった。

 あるのはただ一つ。あの愛くるしい少女の事だけだ。

(ミサトは遅くなるみたいだし、アスカさえ何とか出来れば……)

 危ない思考を巡らせつつ、リツコの車はミサトのマンションへと一直線に向かっていった。

 

 最初におかしいと思ったのは、何故かミサトの家にレイが居たことだ。しかもレイは自分と視線を合わそうとせずに、どうも落ち着かない様子を見せている。

 次に違和感を覚えたのはアスカの態度だった。個人的な親交がほとんど無く、特に親密とも言えない筈の自分に、何故か今日に限ってやけに親しげに接してくる。

 とどめはシイ。豪華な食事で出迎えてくれたのだが、明らかに挙動不審だった。視線が落ち着き無くあちこちを彷徨い、何度も言葉を噛む。隠し事をしているのは誰の目にも明らかである。

 これらの情報を纏めたリツコは、ある可能性へと辿り着いた。

「貴方達、食事をエサに私を釣ったわね」

 

 四人が食卓に着き、さあ食事を始めようとした瞬間にリツコから告げられた一言。それはシイ達の動揺を誘うに充分な先制パンチだった。

「な、何言ってんのよ。そんな事あるわけ無いじゃない。ねえ」

「……ええ」

「そ、そうですよリツコさん」

「悪いけど、私は貴方達の倍生きてるのよ。ハッキリ言って、貴方達は隠し事に向かないわ」

 リツコはため息をつきながら三人に告げる。歳もそうだが人生経験があまりに違い過ぎた為、リツコにとってはシイ達の隠し事など児戯に等しかった。

「……折角の食事が冷めては勿体ないわ。話があるなら食事をしながらにしましょう」

 シイ達とリツコの対話は、リツコの圧倒的有利から始まるのだった。

 

 異様な空気の中、四人は無言で食事を始める。シイが腕を振るったご馳走なのだが、それを堪能する余裕はチルドレン達には無かった。

 そんな雰囲気を破ったのは予想外にもリツコからだった。

「あら、このおダシは鰹節ね。ひょっとして」

「分かりますか? リツコさんに頂いた物を使ったんです。あんな良い物、ありがとうございます」

「ふふ、良いのよ。私が持っていても使わないし、ちゃんと料理して貰えれば私も嬉しいわ」

 リツコはミサトの様に料理が下手な訳ではないが、多忙な為に食事はほとんどネルフの食堂で済ませてしまう。食べ慣れた人工ダシとの味の違いに満足したリツコは、上機嫌で料理を食べ進める。

「……不思議よね。同じ物でも、人によってその価値は大きく変わる」

「えっ?」

「レイの事でしょ。わざわざ私を呼び出してまで聞きたかった事は」

 リツコの発言にシイ達の身体が強張る。その態度でリツコには充分だった。薄々感づいていたリツコに驚きは無く、確認をするように淡々とシイ達へ問いかける。

「切っ掛けはあの実験かしら」

「……はい。教えて下さいリツコさん。お父さんは綾波さんに、何をさせるつもりなんですか?」

 シイは真っ直ぐにリツコを見つめる。アスカとレイも同じ。三人の視線を受けたリツコは、箸を置いて何かを考える様に暫し目を閉じた。

 

 長く続いた沈黙。時計の針が動く音がリビングに響く中、リツコがそっと目を開いた。

「まず誤解を解いて置くけど、私は碇司令の考えを知らないわ」

「えっ!?」

「ちょっと、この期に及んでまだそんな……」

「残念だけど本当よ。私は司令にとってただの駒。……貴方達と同じね」

 食って掛かるアスカにも動じず、自嘲気味にリツコは告げる。その寂しげな表情が、彼女の言葉が真実であることを物語っていた。

「それでも良いなら、私の知っている事を教えるわ。貴方達には……知る権利があるもの」

「教えて下さい」

「少し期待はずれだけど、ま、あたし達よりは詳しいでしょうし。聞いてあげるわ」

「……お願いします」

 頭を下げるシイとレイ。偉そうなアスカ。そんな三人にリツコは小さく頷くと、静かに言葉を紡ぐ。

「レイの事を話すには、先にエヴァの話をしなくてはならないわね」

「エヴァ……ですか?」

「ええ。エヴァにはそれぞれ、魂が宿っているの」

 いきなり告げられるオカルト的な話にアスカは眉をひそめるが、口を挟まずに続きを聞く。

「貴方達がエヴァを動かせるのは、その魂を介してエヴァとシンクロしているからよ」

「じゃあシイがエヴァの中に、誰かが居るって言ってたのは」

「その魂を感じ取ったのね」

 アスカの問いにリツコは即座に答える。

「あの、リツコさん。その魂と言うのはエヴァとは違うんですか?」

「……ええ、別の存在よ」

「えっと、なら私がお話してた魂は……何なのでしょう」

 シイの真っ直ぐな瞳に、リツコは表情を曇らせて言葉に詰まる。何か言いにくい事を言おうとしている。そんな空気を感じ取り三人は身構えて言葉を待った。

「……ある所に、一人の科学者が居たわ」

 やがてリツコは覚悟を決めたように、シイ達へ真実を語り始めた。

 

「その科学者、彼女はゲヒルンと言う組織に所属して、類い希な才能を発揮したわ。そして優秀な仲間達と共に、ある兵器の開発に成功したの」

「それが、エヴァ?」

 アスカの呟きにリツコは頷いて答える。

「プロトタイプの零号機を経て、初号機が完成した。その搭乗試験に被験者として彼女が選ばれた。自ら志願したと聞いているわ」

 淡々と語るリツコにアスカとレイは聞き入っている。ただシイだけは、何故か胸の奥から沸き上がる不安に、身体を小さく震わせていた。

「そしてその試験で……事故が起きたの。暴走した初号機に彼女は取り込まれてしまった。当然サルベージが行われたけど結果は失敗。彼女は帰らぬ人となったわ」

 シイの心臓が痛いほど鼓動を早める。冷や汗が次から次へと吹き出し、顔色は蒼白に変わっていた。

「初号機の中にある魂は彼女のもの。……シイさんは、思い出したみたいね」

「シイ、あんたどうしたのよ? 顔色真っ青じゃない」

「……私……知ってる……だって……見てたから……」

「そうよ。貴方はその搭乗試験の時に管制室に居たの。彼女の強い要望でね」

 リツコの言葉にアスカとレイはハッと目を見開く。これまでの話の流れから、ある可能性に辿り着いたのだ。そんな二人に答え合わせをするかのように、リツコは隠されていた真実を告げる。

「彼女の名は碇ユイ。シイさんのお母さんよ」

 リツコの言葉を耳にした瞬間、シイの脳裏に記憶が奔流の様に蘇った。

 白衣の大人達が一杯の部屋。少し若い冬月と、まだ眼鏡をかけていたゲンドウ。ウエーブの掛かったショートヘアの女性と、傍らに立つ今より幼く見えるリツコ。

 そしてスピーカーから聞こえる、優しい母の声。

『大丈夫よシイ。だから、ちゃんと見ていてね』 

 そう、シイは知っていた。自分の目の前で母親が消えてしまった事を。

 

 

「……ぃ……シ……シイ!」

 放心状態だったシイの耳にアスカの声が届く。我に返ったシイが目をパチパチさせて周りを見回すと、リツコ達が心配そうに自分を見つめていた。

「……あれ、私」

「ったく、心配させないでよ。いきなり目が虚ろになるから、焦っちゃったじゃない」

「……大丈夫?」

「う、うん。ごめんね」

「無理も無いわ。いえ、私の話し方が悪かったのね。ごめんなさい」

 頭を下げるリツコにシイは慌てて両手を左右に振る。リツコは自分の頼みに応えて、真実を語ってくれただけなのだから。

「違います。ちょっと驚いただけで……だって、私は知ってたんですから」

 リツコに笑いかけるシイ。だがそれが無理をしていることは、誰の目にも明らかだった。

「続けるけど、大丈夫?」

「はい。お願いします」

「ユイさんのサルベージは失敗したけど、遺伝情報の回収は出来たの。そしてそれを元に産み出されたのが……レイよ。誤解を恐れずに言うならば、レイはユイさんのクローンに近い存在だわ」

 衝撃的なリツコの言葉だが、シイ達に驚きは少なかった。ユイと酷似した容姿にヒトでは無い存在。可能性として彼女達も考えていた真実だったからだ。

 

「レイを産み出したのは私の母。私はそれを引き継いで、レイの管理を任されたわ」

「リツコさんのお母さん……」

「赤木ナオコでしょ。結構名の知れた科学者だったみたいね。大学でも聞いた事あるし」

「ええ。良くも悪くも天才だったわ。私は今でも母さんに遠く及ばないと思っている」

 母親を語るリツコの表情は、誇らしさと寂しさが入り交じった複雑なものだった。

「でも母さんは死んだ。交通事故だったと聞いているわ」

「聞いている?」

 奇妙な言い方をするリツコに、シイは不思議そうに首を傾げる。

「燃料を積んだトラックとの事故だったらしくて、遺体の損壊が激しく一部しか見つからなかったそうよ。DNA鑑定で母さんと特定できたらしいけど、私には死亡したという書類が渡されただけだから」

 何処か人ごとの様な口ぶりは実際に母親の遺体を見る事も出来ずに、ただ死亡したという事実を突きつけられたせいだったのだろう。

「母さんが事故で亡くなって私が仕事を引き継いだ。だからレイが産み出された目的……碇司令の目的は、私には分からないの。力になれなくてごめんなさい」

「……いいえ、ありがとうございます。教えてくれて」

 リツコの話は本来であれば最重要機密なのだろう。リスクを承知でそれを話してくれたリツコに、シイは本心からお礼を言った。

 

 

「……リツコ、エヴァは魂を介して操縦するのよね」

 不意にアスカが問いかける。何かを覚悟しているかの様な深刻な表情に、シイとレイも思わずアスカを見つめてしまう。

「ええ、そうよ」

「なら当然、あたしの弐号機にも魂があるのよね」

「……ええ」

 アスカの言わんとしている事を理解したのか、リツコは辛そうに答えた。

「だったら弐号機の魂……誰のもの?」

「魂とのシンクロはその肉親……子供が最も適切と検証されているわ」

「え、じゃあ……」

「弐号機の魂は、惣流・キョウコ・ツッェペリン博士。アスカの母親よ」

 リツコの言葉にシイとレイは思わず息をのむ。それはつまりアスカの母親もユイと同様に、エヴァに取り込まれた事を意味するからだ。

「……やっぱり、そうだったのね。だからママは……」

「ドイツ第二支部で行われた弐号機の起動試験。結果は失敗。暴走した弐号機にツッェペリン博士は魂の大部分を取り込まれてしまった。肉体は無事だったけど……」

 アスカの母親はユイと違い肉体は生還した。だが魂の大部分を失った肉体は、抜け殻に近い状態だったとリツコは話した。

 シイは沈痛な表情で隣に座るアスカに視線を向ける。そして驚きに目を見開いた。

「アスカ……」

 あの強気な少女が、人前にも関わらず涙を流していたのだ。初めて見せる姿にリツコも、あのレイも驚きを隠せない。

「そっか……ママは……エヴァに居たんだ……私の……側に居たんだ」

 アスカの事情を知らないシイとレイはただ戸惑うばかり。ただ一人、アスカの涙の理由を知るリツコだけは、小さく頷いていた。

 

 その後落ち着いたアスカは、シイ達に母親について初めて語った。

 彼女曰くキョウコはユイと同じく、ゲヒルンでエヴァの開発に携わっていた優秀な科学者だったらしい。完成した弐号機の搭乗被験者として起動試験に挑み失敗。魂の大部分を失った彼女は精神を病んでしまい、人形をアスカと誤認識して今も精神病院に入院している事をシイとレイは知った。

 母親に見向きもされなくなったアスカが、どれだけ辛い思いをしたのか想像するに難くない。だからこそ彼女は自分の価値に拘っていたのだろう。全ては母親の愛情を取り戻す。その為だけに。

 話し終えたアスカを、シイは優しく抱きしめた。

「……何のつもりよ?」

「分からないけど、何となく」

「……ふん、余計なお世話ね。あんたの薄い胸じゃ、ママの替わりには全然ならないもの」

「うん。だけど、何となく」

 シイの胸に抱きしめられるアスカ。悪態をついていたが、その表情が穏やかなものに変わっていくのを、リツコとレイは微笑ましそうに見つめていた。

 

 ミサトと会うと話がややこしいため、リツコは帰宅時間の前に葛城家を後にする。

「立場上積極的に協力は出来ないけど……何か分かったら貴方達に教えるわ」

 最大の目的であるリツコの協力を得たシイ達。ネルフの中枢に居る彼女を味方につけたシイ達は、改めて決意を固くする。碇ゲンドウ。彼の目的を知り、もしそれがレイに危険を強いるものならば、必ず阻止すると。




ひとまずシイ達とリツコの対話は決着です。原作リツコと違いこの小説では、ゲンドウとリツコが深い関係に無いため、あまり障害は無かったのかなと。
その分このリツコに与えられている情報は、大分制限されていますが。

中盤の山の一つでしたので、一気に投稿させて頂きました。
物語はこれからさらなる山場へと突入して参ります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《ある種の最終兵器》

またまたアホタイムでございます。


 

~不使用の秘密兵器~

 

 第一中学校2年A組の教室には、ネルフ三人娘が久しぶりに勢揃いしていた。レイの件やシイの入院が続き、なかなか一緒に学校へ登校する機会に恵まれなかったのだ。

「おっ、今日は揃っとるんやな」

「やっぱ三人が並ぶと絵になるね~。んじゃ、早速一枚」

「朝から馬鹿やってないの。おはよう、シイちゃん、アスカ、綾波さん」

 シイ達の元へと近づいてくるトウジ達。相変わらずの様子に苦笑しつつも、シイは何とも言えぬ居心地の良さを感じてご機嫌な笑顔を浮かべた。

 

 朝のHRが始まるまでの時間、シイ達はたわいない雑談に興じながら授業の準備を進める。そんな中鞄を探っていたアスカが不意に呟きを漏らした。

「……あ、忘れてたわ」

「教科書忘れたの?」

「情けない奴やの~。わしは今まで忘れたことないで」

「鈴原は持ち帰ったことが無いからでしょ」

「……アスカも同じ」

 教科書の現地保管、通称置き勉。真面目なシイやヒカリは例外として、実は大多数の生徒が実施していた。何せ本というのは重くて嵩張る。家で勉強しないなら、置き勉の方が効率が良いのだ。

「駄目だよアスカ……って、じゃあ何を忘れたの?」

「忘れたじゃなくて、忘れてたよ。ほら、これ」

 そう言ってアスカが鞄から取り出したのは、黒いヘアバンドに耳のようなパーツが付属したファッションアイテム……有り体に言えば猫耳バンドだった。

 見慣れぬ物の登場に、トウジ達は不思議そうな視線を送る。

「なんやそれ?」

「あんた馬鹿ぁ? 見れば分かるでしょ。猫耳よ、猫耳」

「んなことは分かっとるわい。わしが聞いとんのは、何でそんなもん持っとるかっちゅう事や」

 何に使う物かは置いておくが、少なくとも学校鞄から出てくる物では無いだろう。

「そんなの決まってるじゃない。着けるためよ」

「アスカが着けるの?」

「え、ああ違う違う。これはシイに着けさせる為に、用意してたのよ」

 首を傾げるヒカリにアスカは手を振って否定すると、シイに視線を向けて答えた。

 この猫耳はリツコ対策の為に、ファンシーショップで購入していた物。しかしリツコとの対話が予想外の方向に進んでしまったので、使用する機会が無く、結局お蔵入りとなっていたのだが。

 買ったまま鞄にしまっていたものが、今ようやく日の目を見た訳だ

「アスカ、本当に買ってたんだね」

「あったりまえじゃない。ま、これが無くても上手く行ったから、結局無駄だったけど」

((何に使うつもりだったんだろう……))

 全く用途が思いつかないヒカリ達は、不思議そうに猫耳を見つめていた。

 

「……それ、どうするの?」

 黙って様子を見ていたレイが、何気なくアスカに尋ねる。

「そ~ね~持ってても邪魔なだけだし……あんたにあげるわ」

「えっ、私?」

「元々あんたが着ける予定だったんだし、最後まで責任取って貰うわよ」

 訳の分からない理論を展開し、アスカは手にした猫耳をシイに押しつけた。どう考えても使い道が浮かばないそれを見つめ、シイは眉を八の字にして困惑する。

「う~ん、どうしよう……」

「……なあ碇。ちょっとそれ、着けてみてくれないか?」

「え? 別に構わないけど」

 何故か真剣な表情で頼むケンスケに、シイは少し気圧されながらも猫耳バンドを頭に着けみる。シイが猫耳を装着した瞬間、教室の空気が変わった。

((なっっ!?))

 トウジ達だけでなく、教室のあちこちで雑談をしていた生徒達も動きを止め、全員の視線がシイに集中する。

「あれ、みんなどうしたの? あ、やっぱり似合ってないかな」

「い、いや……そない事は……無い……で。なぁ?」

「あ、ああ。似合ってる……よ。そうだよね、委員長?」

「そう、よ。凄い……可愛いわ」

 何処かぎこちなく、よそよそしい反応を見せる三人。それをシイは似合っていない自分を傷つけない為に、トウジ達が優しい嘘をついてくれたのだと理解した。

「あはは、ありがとう。でも私には似合わないみたいだし……」

 笑いながら猫耳を外そうと、シイが頭に伸ばした手は、ガシッとアスカに掴まれてしまう。

「ま、まあ待ちなさいって」

「アスカ?」

 困惑するシイにアスカは咳払いを一つ入れると、視線を合わせずに言葉をかける。

「割と、そこそこ、それなりに……似合ってるみたいだし、もう少しそのままで良いんじゃない?」

「へ?」

「あんた達もそう思うわよね?」

 アスカの問いかけに、トウジ達は音が聞こえる程激しく何度も首を縦に振ってみせた。離れてシイを見ていたクラスメイト達も同様に頷いてみせ、それを外すなとアピールを繰り返す。

「え? え? え?」

「良いから、あんたはそれを着けてなさい。レイもそう言ってるわ」

「綾波さんも?」

「……ええ、似合っていると思うわ」

 口数の少ないレイだが、その言葉がシイに与える影響は大きい。母親との関係もあるのか、不思議とシイを納得させる力が込められていた。

「そう、かな。じゃあもう少しだけこのままで」

 似合っていると言われると悪い気はしない。シイは笑顔で頷き猫耳を外すことを中断した。

 

 雑談を再開するシイ達。だがシイを除く他の面々の心中は穏やかでは無かった。

(何よこれは……反則じゃない。こりゃリツコが見たら、一発でKO必至ね)

(碇さん……可愛い)

(ただの耳やないか。それなのに何で、何でわしはこない動揺しとるんや)

(売れる。これは売れる。間違いなく売れるぞ)

(シイちゃん凄い。似合ってる……ううん、猫耳があるのが自然みたいに……はぁ~)

 平静を装いながらも、それぞれシイから視線を外せないでいる。恐るべき破壊力だった。

 

「な、なあ碇。ちょっと頼みがあるんだけど」

「うん。何かな?」

「悪いんだけど、写真を一枚撮らせて貰えるかな?」

 会話が丁度途切れたタイミングを逃さずに、ケンスケが動いた。実にスムーズな動作で愛用のカメラを取り出すと、シイに撮影許可を求める。

 隠し撮りをしないあたりは彼なりの良心なのかも知れない。

「写真? うぅぅ、ちょっと恥ずかしいかも……」

「いやいや、そんな難しく考えないでさ。まあ、ちょっとした記念だと思って」

 強引なケンスケの言葉に普段は突っ込みを入れるアスカも、今回に限っては味方だった。

「良いんじゃない? それ着ける機会なんて、これからあんまり無いだろうし」

「……思い出は大切」

 アスカとレイに勧められると、シイはそうなのかなと思ってしまう。依存という訳では無いが、シイにとって二人の少女はかなり大きな存在になっているのだ。

「……うん。そうだよね。じゃあ、お願いします」

「OK、ありがとう。なら早速……」

 ケンスケはプロのカメラマンのように、シイの姿をあらゆる角度からカメラに収めていく。担任教師が教室にやってくるまでの僅かな時間で、彼のカメラのメモリは限界値に達した。

「いい絵が撮れたよ。これ現像できたら、碇にもちゃんと渡すから」

「うん、相田君ありがとう」

 素直にお礼を返すシイ。この写真が後日全校生徒の九割以上に購入され、ケンスケの懐を多いに潤す事を、今の彼女は知るよしもなかった。

 

 




結局使われなかった猫耳。本編に登場すると雰囲気ぶち壊しになりそうだったので、小話に直行しました。
これさえあれば、多分リツコもイチコロだったのかなと。
冬月も……いえ、先生は白衣の方が効果的かもですね。

さて、次はいよいよ話の大きな分岐点です。原作も彼のエピソードから、完全に修復不可能な流れになってしまったので、極めて重要なポイントですね。

小話ですので、本編も本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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17話 その1《特別査問会》

 

 ネルフ本部の一角にある完全防音の部屋。明かりは消されており、室内は暗闇に包まれている。そこに浮かび上がる立体映像の老人達。ここでは今から、人類補完委員会による特別査問会が開かれる予定だった。

 キール議長を中心に何時も通りの面々が顔を連ねているのだが、今回は珍しい参加者が居た。

「ではこれより、初号機パイロットへの査問会を始める」

 キールが重々しく告げると、委員達の視線はゲンドウ……の前に立つ、碇シイへと集中する。彼女は今六つの机の中心に、緊張した面もちで直立していた。

 

「まずは本人確認を行う。名乗りたまえ」

「は、はい。エヴァンゲリオン初号機パイロットの、碇シイです。歳は14才で、好きな食べ物は……」

「余計な事を言うな! 君は聞かれたことに、答えていれば良いのだ」

 自己紹介するシイに委員の一人が厳しい叱責を飛ばす。いつもの会議ではごくありふれた光景なのだが、ただでさえ緊張しているシイは、その一言で完全に萎縮してしまう。

「ひっ、ご、ごめんなさい……」

 怯えた様子で頭を下げるシイ。目には既にうっすらと涙が浮かんでいる。小さな女の子を老人達が取り囲む光景は、端から見ればいじめにしか見えないだろう。

「まあまあ、そう厳しく言うことは無いだろう」

「左様。相手はまだ子供、ムキになるのは大人げないね」

「むっ……あ、ああ、そうだな。すまない、少し言い過ぎた」

 叱責した厳つい男は、他の委員達から諭されて意外と素直に謝罪する。普段では絶対に有り得ない光景に、シイの背後から事態を見守るゲンドウは内心苦笑していた。

 

「ごほん! では査問を始める。初号機パイロットはこちらの問いかけに、嘘偽り無く真実を答えるように」

「はい」

 キールの言葉にシイは背筋を伸ばして返事をする。父親であるゲンドウが後ろで見ている以上、あまりだらしない姿は見せられないと気合いを入れ直すシイに、キールは最初の質問をぶつけた。

「先の事件、君は使徒の内部に取り込まれたと聞いているが?」

「はい……」

「それを我々は、使徒が人類にコンタクトを試みたのではないか、と疑っているのだが、どう思うかね?」

 使徒がエヴァの取り込むと言う前代未聞の事態。それを体験して帰還したシイの証言は、委員達にとって極めて重要なものだった。

「えっと……多分関係ないと思います」

「ほぅ。何故かね?」

「私が覚えている限りで、使徒は私に何もしませんでしたから」

 もし使徒の目的が人類とのコンタクトなら、取り込んだシイに対して何らかのアクションがあるはず。だが取り込まれてから約16時間。シイの意識がある間は何も起きなかったのだ。

 

「それは君の記憶が正しい事が前提の意見だな」

「半日以上の幽閉。精神と記憶に異常が起きている可能性も、充分にあると思うが?」

 委員達が早速シイへ質問を飛ばす。答えを聞いてはいそうですかでは、彼らにしても示しがつかない。しかしシイは指を口にあてて、首を傾げながら委員達に尋ねる。

「……あの~。それなら私をここに呼ぶ意味って無いのでは?」

「「…………」」

「ご、ごめんなさい。変なこと言ってしまいました」

 黙りこくってしまう委員達を見て、シイは慌てて頭を下げる。彼らの反応が自分の言葉で気分を害したのだと思ったからだ。実際は上手いこと言われてしまい、思わず言葉を失っただけなのだが。

「ご、ごほん。まあ、君の意見は参考として聞いておくとしよう」

 キールは咳払いを一つ入れ、どうにか場の空気を変えた。

 

「では次だ。使徒は人間の精神、心に興味を持っていると思うかね?」

「その……分かりません。使徒とお話した事が無いので」

 言葉だけでは馬鹿にしているように聞こえるが、当の本人は至って真剣に答えていた。それが分かるからこそ、ゲンドウになら即座に罵声を浴びせる委員達も、黙らざるを得ない。

「そ、そうか……。ならば、君は使徒に何かを感じる事はあるかな?」

「あのですね、ずっと気になっていた事があるんですけど」

 直接使徒と戦っているチルドレンの証言、一切のフィルターを通さない生の言葉は委員達には貴重なものだった。おずおずと尋ねるシイにキールは仰々しく頷いて見せる。

「発言を許可する。言いたまえ」

「どうして、使徒を使徒って言うんですか?」

 シイの何気ない発言に、委員達の表情が一斉に険しくなった。そんな彼らの変化に気づかず、シイは更に言葉を続ける。

「使徒って神様の遣いですよね。ならそれと戦う私達は、神様の敵なんでしょうか?」

「……その名はあくまで、便宜上付けたに過ぎん」

「さ、左様。個体を区別する為、それ以上の意味など無いよ」

「お、おお。そうだとも。なあ?」

「そうだ、そうだとも。君が気にする様な事は、何一つ無い」

 キール以外の委員達は、明らかに動揺した様子でシイの言葉を否定する。そしてシイの後方で素知らぬ顔をしているゲンドウへ、恨めしそうな視線を向けた。

 

「……話は以上だ。査問会はこれにて終了とする。ご苦労だった」

「あ、はい。ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げシイが退室しようとすると、

「待ちたまえ。まだ一つ、聞いていない事がある」

 最初にシイを叱責した委員が呼び止めた。

 苦手意識を持ってしまったシイは、怯えた様子で委員の顔を見る。すると委員は頬をうっすらと赤く染め、それを誤魔化すように大きく咳払いをした。

「あ~何だ……その、だな。まだ君の好きな食べ物を……聞いていなかったと思ってな」

「えっ? あ、はい。私の好きな食べ物は、チョコレートです」

 一瞬キョトンとしたシイだが、最初の自己紹介の続きを聞いてくれたのだと理解して、直ぐさま笑顔で好物を答える。ここまで見せなかったいつものシイの笑顔に、他の委員達までほんわかと表情を和らげた。

「そうか……チョコレートか…………。うむ、分かった。呼び止めて悪かったな」

「いえ。では失礼します」

 素っ気なく告げる委員にシイは再度頭を下げて、今度こそ姿を消した。

 

 シイが退室した会議室は、何とも言えぬ微妙な空気に包まれていた。

「碇君……あの子は本当に君の娘なのかね?」

「仰る意味が分かりかねますが」

 今更何を言い出すのかと、ゲンドウは内心呆れながら答える。

「どう考えても君の遺伝子が、欠片も受け継がれて無いように見えたが」

「左様。その分彼女の血が色濃い様だね」

「……シイは私の娘です」

 委員達の意図を察したゲンドウは、余計な発言は火に油を注ぐと判断して、必要最小限の返答をする。だがそれでもゲンドウに対する言葉は止まらない。

「ああ、碇家に拒絶された哀れな父親だったな、君は」

「十年ぶりに会えた娘を戦わせる、非道の父親でもあるけどね」

「……あれは、サードチルドレンです。あくまでパイロットとして、扱っているだけですが」

「ふん。精々娘に嫌われぬよう、媚びを売るんだな」

「もう手遅れかもしれんが」

「そこまでだ!」

 しつこくゲンドウに嫌味をぶつける委員達をキールが一喝する。この議論は明らかに無駄であり、彼らの言葉がゲンドウへの嫉妬から生まれている事に、少し苛立っていた。

「不毛な話をする様な時間は我々には無い。そうだな、碇」

「……はい。此度の件からも、使徒は知恵をつけつつあると思われます」

 ゲンドウはサングラスを光らせながら自分の見解を伝える。

「それは不味い」

「左様。知恵は我ら人類にのみ許された特権だよ」

「もし使徒がそれを得たとすれば……」

 黙り込む委員達。険しい表情に一層深くシワが刻まれていく。

「我々に残された時間は、後僅かと言うことか」

「……はい」

「シナリオに変更は無い。引き続き計画を進めよ」

「はい。全てはゼーレのシナリオ通りに」

 ゲンドウはお決まりの文句を口にして、委員達の前から姿を消した。

 

「それにしても、少々予想外だったな」

「ああ。てっきりあれこれ理由を付けて、初号機パイロットの査問を拒否すると思っていたが」

「やはりあの男は侮れんよ」

 退出したゲンドウに委員達は警戒心を露わにする。査問拒否を口実に、ゲンドウを問い詰めようとしたのだが、あてが外れた形になった。

「人類補完計画には遅れが出ているが、アダムとE計画は順調だ」

「ダミープラグは既に、プロトタイプが完成している様だな」

「左様。ロンギヌスの回収も済んでいる。ひとまずは、シナリオ通りと言えるだろうね」

「何にせよ、我らの目的の為に今一時、碇には働いて貰わねばならぬ」

 キールの言葉に委員達も頷く。人間的にはどうであれ、碇ゲンドウと言う人物が有能であるのは、彼らも認めている。目的達成の為に重要な組織である、ネルフを任せて位なのだから。

 

「……サードチルドレン、碇シイか」

「碇とは違う意味で厄介な相手だったな」

「全くだ。あの戦績が偽装かと疑う程、何というか……」

 言いよどむ委員の一人に、他の面々も言いたいことを理解して頷く。あの少女を前にすると、偏屈な老人達ですらペースを乱されてしまう。仮にアスカやレイが相手なら、彼らも普段通りに対応出来ただろう。

「何にせよ、彼女とは直接的な接触を避けた方が無難だな」

「「え゛っ!?」」

「……諸君、我らの目的を忘れないで貰おうか」

 あからさまにガッカリする委員達に、キールは呆れ混じりに告げた。

「彼女は碇家の娘だが、我らにとってはあくまで歯車の一つに過ぎないのだ」

「わ、分かっているとも……」

「勿論……」

「承知している……」

「左様……」

 口では決定に従いながらも、一目で分かる程不服そうな表情を浮かべる委員達。それを見てキールは、深いため息をついた。

(やはり彼女の娘だな。いっそのこと、こちらに引き込めれば良いが……)

 生前の碇ユイと親交のあったキールは、シイを自分達の手中に収めるべく、思案を巡らせていった。

 




人類委員会とシイは、これが初顔合わせになります。普段見る事が出来ない委員達の姿に、ゲンドウはさぞご満悦だったでしょう。
因みにキールだけは碇家と親交があったので、幼少のシイを知っていると言う設定です。

この17話と18話は、リアルタイムで見ていて子供心に辛い物がありました。正直このエピソードの結果次第で、ハッピーエンドへの道は閉じてしまうんですよね。
この小説では果たしてどんな結末が待っているのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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17話 その2《米国第二支部消滅》

 

 ある日の夕方、シイは友人達と第三新東京市を集団で歩いていた。学校では割とよく見る光景だが、こうして揃って外出するのは珍しい事だった。

「いや~ホンマ今日はすまんかったな」

「ううん、ありがとう。妹さんに会わせてくれて」

 詫びるトウジにシイは笑顔で答える。ただその目は何故か真っ赤に腫れ上がっていたが。

「でも良かったなトウジ。妹さん、来週にも退院出来るって」

「本当に……良かったね」

「はは、サンキューや。ま、家に居たら居たで煩い奴やけどな」

 友人達からの言葉に悪態をつきながらも、トウジの顔は幸せそうににやけていた。

 

 以前からトウジは妹にあるお願いをされていた。

『自分を守ってくれた、ロボットのパイロットに会いたい』

 エヴァに関する情報は最重要機密であり、それには搭乗者であるシイ達の事も含まれている。そんな事情もあってトウジはその度、なんやかんやと理由を付けて断っていたのだが、順調に回復が進み退院が決まった事もあり、遂に折れて無理を承知でシイに面会を頼んだ。

 以前から気にしていたシイは二つ返事で了承し、それに付き合う形でアスカとレイ、ヒカリとケンスケも一緒に、妹が入院している病院へとお見舞いに行ったのだった。

 

「にしても、あんたに似てない妹ね。可愛いし素直だし、悪影響受けてなくて良かったじゃない」

「余計なお世話や。あれは猫被っとるだけで、家じゃそりゃ喧しいで」

「だ、そうよ。頑張ってね、ヒカリ」

「えっ!? や、やだ……アスカったら」

 話を振られたヒカリは言葉の真意を察してか、顔を赤くして俯いてしまう。ヒカリの反応が理解出来ないトウジ達が首を傾げる中、一人ケンスケだけがニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「どういう事なのかな?」

「……分からないわ」

「人間関係は大切って事だよ。特に、姑小姑関係はね」

 男女の機微に疎いシイとレイに、ケンスケが遠回しな表現でフォローを入れる。

「ようけ分からんが、あいつは根は良い奴や。そない心配する事無いと思うけどな」

「鈴原!?」

「ま、あいつも委員長の事気に入ったみたいやし、良ければ仲良ぅしたってや」

「……うん」

 熟れたトマトの様に真っ赤に染まったヒカリの顔。それをアスカとケンスケはやれやれと言った感じで、シイとレイは不思議そうに見つめていた。

 

「……碇さん、落ち着いたみたいね」

「あ、うん」

「全くあんたは……いきなり泣き出すなんて、あの子も驚いてたじゃない」

 呆れたようなアスカの言葉に、シイは恥ずかしそうに身体を小さくした。

 トウジの妹と対面した直後、シイは自分が傷つけてしまったと言う罪悪感と、無事な姿を見れた安堵感から人目を憚らずに涙を流してしまったのだ。

 一同が戸惑う中、トウジの妹はシイの元へと歩み寄り、自分より大きなシイの身体を抱きしめて感謝の言葉を告げた。それが一層シイの涙腺を緩め、どっちが子供か分からない姿を皆に晒してしまったのだった。

「うぅぅ、反省してるよ……」

「いや、わしは嬉しかったで。シイが本当にあいつの事を思ってくれとるって、伝わったからな」

 他人の為に涙を流せる人は少ない。トウジはシイの優しさに心から感謝していた。

「そうよシイちゃん。悪いことなんて、全然無いんだから」

「……アスカは一言余計」

「何よ! 言い出したのはあんたでしょ!?」

 一気に悪者にされたアスカは、話題を切り出したレイへと責任転嫁する。

「……私は余計な事を言わないもの」

「むきぃ~! それじゃあたしが何時も、余計な事言ってるみたいじゃない!」

「自覚無しか。こりゃ質が悪いね」

「あんた達ね~!」

 逃げるレイとケンスケをアスカが追い回す。仲良さげにじゃれ合う三人の姿を見て、シイの顔に思わず笑みがこぼれた。

「……なあ、シイ」

 友人達が騒ぐ中、そっとシイの隣にトウジが近づく。

「さっき言った事、本当やで。わしはお前に感謝しとるんや」

「鈴原君……」

「妹の事だけや無い。身体張ってわしらを守ってくれるお前達に、ホンマ感謝しとる。口には出さんが、他の奴らもそう思っとる筈や」

「……ありがとう」

 感謝をされる為にエヴァに乗っている訳では無い。褒められる為にエヴァに乗っている訳でも無い。だがそれでも自分の事を認めてくれている誰かが居る事は、シイにとって心の支えになる。

「礼を言うのはこっちや。ま、そない訳やから、何か困った事があれば何時でも言うんやで。頼りないかもしれんが、わしに出来ることやったら何でもする」

「ううん。鈴原君とヒカリちゃんに相田君、それにクラスのみんなと居ると凄く楽しいもん。それだけで充分だよ。みんなが居るから私は頑張れるの」

「さよか。なら……良かったわ」

 トウジは少しだけ寂しげに微笑むと、ポンとシイの頭を軽く叩いた。

 

 

「へぇ~、みんなで鈴原君の妹さんをお見舞いにね~」

 その夜、夕食の席でシイからお見舞いの報告を受けたミサトは、嬉しそうに相づちを打つ。最悪の出会いから、そこまでの関係を築けた事は、保護者として感慨深い物がある。

「良かったわね、シイちゃん」

「はい」

「ん~、前にシイと馬鹿が揉めたって聞いてたけど、そんな派手にやったの?」

 詳しい事情を知らないアスカは何気なく尋ねてみる。ヒカリからは妹の怪我を理由に、トウジがシイに八つ当たりをしたとしか聞いていなかったのだ。

「派手って言うか……ある意味最悪の初対面かしらね。シイちゃん殴られちゃったし」

「はぁっ!?」

「み、ミサトさん。その事は……」

「何それ。八つ当たりでシイの事殴ったって~の? ほんっと最低ね」

 アスカは眉をつり上げてトウジへの怒りを露わにする。エヴァに乗る事に誇りを持っている彼女にとって、それが原因で暴行を受けるなど考えられない出来事だった。

 それも相手がシイのような女の子なら尚更である。

「違うのアスカ。その後直ぐに鈴原君は謝ってくれたし、私も叩いちゃったし、おあいこなの」

「あんた馬鹿ぁ? 男と女じゃ、顔を殴られる意味が全然違うっつ~の」

「でもでも、今は大切なお友達になれたんだよ。私は気にしてないから」

「はぁ~。あたしには理解出来ないわね。自分を殴った奴と友達になるなんて」

 必死にトウジを弁護するシイに、アスカは肩をすくめて呆れ混じりに呟いた。

「まあ、そう言わないの。それがシイちゃんの魅力なんだし」

「博愛主義も良いとこだわ。あんたそれ自覚しないと、いつか痛い目見るわよ」

 シイを真っ直ぐ見つめてアスカは真剣な声色で警告する。誰に対しても同じように優しさを持って接する事がシイの魅力であることは、アスカも承知している。

 だがそれがいつかシイを傷つけるのではないかと、本気で危惧せずにはいられなかった。

 

 トウジの話が終わり、再びたわいない雑談をしながら食事を続ける三人。そんな時、不意にミサトの携帯電話が着信を告げた。

「あら、日向君だわ。はい、葛城…………何ですって!?」

 通話をするや否や、ミサトは顔を強張らせて声を荒げた。そのただならぬ様子に、シイとアスカも箸を止めてミサトに視線を向ける。

「確かなのね? ええ、分かってる。直ぐそっちに向かうわ」

「ミサトさん……何かあったんですか?」

「ど~せリツコが実験でもミスったんでしょ」

「……アスカ半分正解よ。ただ実験をミスったのは、リツコじゃ無いけどね」

 アスカの顔から余裕が消える。シイに遅れて彼女も気づいたのだ。目の前の女性が既に家族の顔から、ネルフ作戦部長のそれへと変わっている事に。

「ネルフの米国第二支部が実験中に…………消滅したそうよ」

「えっ!?」

「消滅って……」

「詳しい話はこれから聞いてくるわ。悪いけど今日は帰れないと思うから、先に寝てて」

 ミサトは大急ぎで自室に戻ると、直ぐさまネルフの制服に着替えて本部へと向かっていった。

 

「アスカ……」

「情けない顔するんじゃ無いわよ。まだ、何も分かってないんだから」

「そう、だよね」

「後でリツコからも情報が入るだろうし。あたし達は、何時も通りに過ごせばそれで良いの」

 動揺しているシイを落ち着かせる様に、アスカは普段通りの態度を崩さない。

「ほら、ご飯冷めちゃうわよ」

「う、うん」

 食事を再開する二人だったが、美味しかったご飯は何処か味気なく感じられた。

 

 

  

 ネルフ本部の会議室では米国第二支部消滅の現状報告と、対策会議が開かれていた。

「こりゃ凄いわね。使徒の襲来よりも大騒ぎじゃないの」

「ええ。管理部と調査部、それに総務部なんかは完全にパニくってますよ」

 ミサトの言葉に答える日向の顔にも疲れが見える。彼の所属する作戦部には直接的な影響は無かったのだが、オペレーターとして事実確認に追われていたのだ。

「支部ごと消滅、か。あんたの実験失敗なんか可愛く思えるわ」

「あら、失礼ね」

「アスカなんか、真っ先にあんたがミスったって言い出したわよ」

「……後で覚えてなさい」

 リツコは心の中でアスカへの報復を誓った。

「んで、消滅ってどういう事? 爆発じゃなくて?」

「消滅よ。監視衛星の画像から、支部が消滅した事が確認できたもの」

「はい。米国第二支部中心より半径89kmは、完全に消滅しました」

 リツコの言葉をマヤが補足する。MAGIを有する技術局がここまで断言する以上、米国第二支部が消滅したと言う事実は揺るがないだろう。

「生存者は……聞くだけ無駄か」

「報告を受けて、直ぐさま第一支部と米国政府が現場に向かったけれど、何一つ残っていなかったそうよ。正確な数は分からないけど、数千人の命は失われたわね」

 支部によって職員の数は大きく異なる。米国はネルフに全面的な協力をしており、その規模も構成人員も本部のそれを上回っていた。

「……で、原因は?」

「タイムスケジュールから推察すると、S2機関の搭載実験中の事故と考えられます」

「S2機関って、ドイツで修復してた奴よね?」

「ええ。エヴァンゲリオン四号機への搭載を、米国が強引に進めていたアレよ」

 本部と自分を通さずに独自に進められていた実験。E計画責任者であるリツコにとって、それは極めて遺憾で苛立ちを覚えるものだった。

 

「現在MAGIが原因の解明を行っていますが、想定要因が多すぎるために難航しています」

「……米国政府と第一支部の対応は?」

「貴方の予想通りよ。第一支部で建造が終了していたエヴァンゲリオン参号機を、ネルフ本部で引き取って貰いたいと、申し出てきたわ」

「そりゃまた都合良いこと言ってくるわね。強引に建造権を主張してた癖に」

 手の平を返した米国支部に、ミサトは呆れた表情を浮かべる。

「臆病にもなるわよ。この惨事の後ではね」

「で、どうするの?」

「……碇司令は承諾したわ。機体は後日運ばれてくるから、起動実験はその後ね」

 戦力が増える事は作戦部部長として歓迎だが、エヴァに関してはそう単純な話では無い。

「パイロットが居ないじゃない。例の……ダミープラグとやらを使うの?」

「まだ決めてないわ。まだ問題も多いし、全ては碇司令の判断次第よ」

 リツコの言葉が少しだけ投げやりに聞こえて、ミサトは眉をひそめた。

 

 結局第二支部消滅の原因は継続調査し、ミサト達は参号機受け入れの準備を進める事で、多くの謎と疑惑を残したまま緊急の会議は終了した。




トウジの妹は原作では重傷で、この時点では目覚めて居なかったです。ただこの小説では既に退院間近まで治っている設定にしています。

米国第二支部とエヴァ四号機消滅。そして参号機は本部へ。ここの流れは変わりません。
着実に悲劇の舞台が整う中、果たして役者のアドリブだけで、結末を変えることが出来るのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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17話 その3《真実に挑む者達》

 

 ネルフ本部内作業用ケージに姿を見せたゲンドウとリツコ。二人の視線はワイヤーで吊されているプラグへ注がれていた。それは形状こそエントリープラグそのものだったが、塗装は白では無くまるで返り血を浴びたかの様に真っ赤に染まっている。

「これがダミープラグか」

「はい。実験によって得られたレイのパーソナルを移植してあります」

「そうか」

「ただ人の心、魂を再現することは出来ません。あくまでフェイク。擬似的な物です」

「構わん。エヴァがシンクロし、動けばそれで良い」

 遠回しにダミーを否定する様なリツコの物言いだが、ゲンドウは気にしない。

「初号機と弐号機にデータを入れておけ」

「……まだ問題が残っていますが」

「エヴァが動けば良い」

「……はい」

(多分初号機は動かないわね。今の初号機がレイを受け入れる筈ないもの……)

 ゲンドウの指示に従うリツコだが、その胸中ではダミーの失敗を確信していた。

 

「それと参号機の件だが」

「正式にこちらの管轄に?」

「ああ。週末には機体が届くはずだ。起動テストの準備を進めておいてくれ」

「松代が適当かと思います。ただダミープラグでのテストは、少々リスクが高いかと」

 リツコの言葉にゲンドウは暫し考えてから決断を下す。

「……現候補者の中から四人目を選ぶ。コアの変換が可能な者はいるか?」

「一名おります」

「では任せる。交渉は君が直接行いたまえ」

「……はい。では失礼します」

 リツコは軽く一礼するとゲンドウの元から去っていった。

 

 

 その日の夕方、お馴染みのファミレスでシイ達はリツコと情報交換を行っていた。

「へぇ~。じゃあ、あんたの実験ミスが原因じゃ無かったのね」

「アスカ駄目だよ。ごめんなさいリツコさん」

「良いのよ、シイさん。今度たっぷりお返しするから」

 支部消滅の報告を聞いたアスカが嫌味たっぷりに言えば、リツコは大人の余裕で返す。協力体制にありながらも、この二人はあまり相性が良くない様だった。

「とにかく今回の事故で、エヴァンゲリオン四号機は欠番となったわ」

「えすつー機関でしたっけ? 何でそんなものを搭載しようとしたのでしょうか?」

「あんた馬鹿ぁ? ちょっと考えれば分かるでしょ?」

「攻守共に通常兵器を遙かに上回るエヴァンゲリオン。ですが一つだけ致命的な弱点があるのですよ」

 シイに助け船を出したのは、何故かこの場に同席している時田だった。

「外部からの電力供給無しでは五分が活動限界。これは兵器としてはあまりに短すぎます」

「それでも原子炉を内蔵した欠陥機よりは、よほどマシですけれども。ねえ、時田博士」

「ははは、赤木博士は手厳しい。まあ原子炉搭載は私もナンセンスだと思いましたが」

 リツコの皮肉に時田は苦笑しながら答える。本来時田が開発したJAは、N2リアクターの搭載を想定していたのだが、ネルフに対抗すべく完成を急がされた結果、原子炉を搭載せざるを得なくなったのだ。

 披露パーティーで自信満々に語っていた時田だったが、内心は不満たらたらであった。

 

「ま、そんなガラクタの話は置いといて、そのS2機関があれば、稼動限界は伸びる筈だったのね?」

「ええ。理論上はほぼ無限に稼動できるわ。結果は知っての通りだけど」

「実験に失敗は付き物とはいえ……あまりに酷い結果ですな」

 数千人の命を巻き添えにした第二支部の完全消滅。科学者として思うところがあるのか、時田の表情は悲しみに満ちていた。

「原因は分かっていないんですよね?」

「あまりに可能性が多すぎて、特定しきれていないの。S2機関もまだ未知の部分が多いし」

「はん。よく分からない物を無理して使おうとするからよ」

「……それはエヴァも同じだわ」

 レイの小さな呟きに一同の視線はリツコへと向けられる。

「そう、ね。使徒のデータを元に造られたエヴァンゲリオン。開発責任者と名乗ってはいるけど、私にも分かっていない事は多いわ。実際先の初号機の件についても、まだ解明出来ていないし」

「ったく、役に立たないわね」

「も~アスカったら。リツコさんだって、分からない事くらいあるよ」

「……仕方ないわ。呆けも来てるみたいだし」

(いや~やはりシイさんは優しくて良い子ですな~)

(ええ本当に。後の二人は…………覚えてなさい)

 優雅にコーヒーを啜るリツコだったが、小刻みに震えるカップが彼女の怒りを無言で示していた。

 

「で、無事だった参号機はこっちに来るの?」

「週末には日本に輸送されて来るわ。起動実験は松代で行う予定よ」

「……あの、リツコさん」

 あまり話についていけないシイが、恐る恐るリツコに尋ねる。

「何かしら?」

「その……起動実験って、私達の誰かがやるんでしょうか?」

「あんた馬鹿ぁ? 前に聞いたでしょ。魂云々の関係であたしは弐号機、あんたは初号機とシンクロ出来るって。ならあたし達が参号機とシンクロ出来る訳ないじゃない」

 ごもっともなアスカの言い分なのだが、シイの疑問は晴れない。

「うぅぅ、なら参号機はどうするの?」

「四人目の適格者、フォースチルドレンに担当して貰うわ」

「「えっ!?」」

 リツコからの予想外の答えにシイとアスカは目を見開いて驚く。レイと時田も表情にこそ出さないが、動きを止めてリツコをジッと見つめる。

「フォースチルドレン……居たんですか?」

「いいえ、見つかったのよ。つい先程、マルドゥック機関から報告が入ったわ」

「へぇ~そりゃ凄い偶然ね。で、本当は?」

 わざとらしい演技で驚くとアスカは眼光鋭くリツコを見据える。流石に今の言葉を素直に受け取れるほど、アスカは鈍くない。

「え、どういう事? 見つかった事が何かおかしいの?」

「あんたはウルトラ馬鹿ね。良い? 事故で第二支部が消滅、あおりを受けて参号機が本部に来る。起動実験の必要があって、丁度そのタイミングでフォースチルドレンが見つかる。あると思う?」

「それは……確かに変かも」

 改めて順序立てて説明されると、あまりに都合が良すぎる話の流れだった。偶然の可能性も否定できないが、このタイミングでは殆どゼロに近いだろう。

「そこんとこ、しっかりと聞かせて貰いましょうか?」

 まるで推理ドラマの探偵役の様に、アスカはリツコへビシッと人差し指を向けた。

 

「……マルドゥック機関が、エヴァンゲリオンの搭乗者を選出しているのは知ってるわね?」

「はい、前にアスカから聞きました」

「存在しないわ。あくまで名前だけの機関なの。実際に選出しているのはネルフそのものよ」

 全員の視線が集まる中、リツコは極秘情報を惜しげも無く披露する。

「だから必要に応じて、何時でもパイロットは補充出来るの。コアの交換は必要だけれども」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。おかしいじゃない。エヴァにはママの魂が宿っていて、だからあたし達はシンクロ出来るんでしょ? なのに替わりが居るなんて」

「コアの交換は、宿る魂の交換でもあるわ」

「…………なるほど。いやはや、外道にも程がある行為ですな」

 話を理解したのか、時田は嫌悪感を隠そうともせずにリツコを睨む。何時も穏やかな笑みを浮かべている彼からは、想像できない姿だった。

「何よ、説明しなさいよ」

「ストックしているのですよね? チルドレン候補者達の……母親の魂を」

「「っっっ!?」」

 時田の言葉にシイ達は思わず息をのむ。魂のストックと言う非科学的な言葉だが、その提供元となった母親達が無事では無いことを悟ったからだ。

 答えを求める強い視線にリツコは無言で小さく頷いた。

 

 気まずい沈黙が続く中、口を開いたのはシイだった。

「……リツコさん。フォースチルドレンは誰なんですか?」

 今でも頭は混乱している。だがそれだけはどうしても確認したかった。

「第一中学校二年A組、鈴原トウジ。彼がフォースチルドレンよ」

「鈴原君が……エヴァに……」

 友人が選ばれてしまった事。しかも寄りにも寄ってトウジがエヴァに乗るという皮肉めいた運命に、シイは大きなショックを受けていた。

「正式な通達は明日。本人へも私から伝えるから、内密にしていてね」

「っっ、言えるわけないでしょ!」

「そう、よね。ごめんなさい」

 無神経な発言だと気づき、リツコは直ぐさま謝罪した。

「……鈴原君が選ばれた理由は?」

「第一中学校二年A組の生徒は、全員チルドレンの候補者なの」

「つまり、一カ所に集めて監視・管理をしていた、と?」

「否定はしないわ。だから貴方達の友達は誰もが、チルドレンになる可能性を持っていると言えるわね。鈴原君が選ばれたのは、コアの変換が速やかに可能だからと言う理由よ」

 時田の皮肉にもリツコは表情を変えず、淡々とシイの疑問に答える。まるでそうすることが、自分の責務だと言わんばかりに。

 ネルフの闇。想像以上に暗く深いそれを垣間見たシイ達は、暗い表情で黙り込んでしまった。

 

 

「あの子達には、少々辛い話でしたな」

 意気消沈して店を出ていったシイ達を見送ると、時田はリツコへ声を掛けた。部外者に近い立場の自分でさえ、この話は精神的にきついものがある。当事者のシイ達は自分の比では無い衝撃を受けたはずだ。

「シイさん達は真実を知ることを選んだわ。そして真実とは、得てして優しくないものよ」

「確かに。しかしそれでも人は、真実を追い求めずにはいられない生き物です」

「知らない方が幸せ何て言葉は、知っている者にしか言えないし、伝わらないものね」

 リツコはコーヒーを啜りながら答える。そこには知っているが故の苦悩があった。

「それにしても、意外と平静だったわね? もう少し取り乱すかと思ったけど」

「以前貴方は仰いましたよ。人に恨まれようと人の道を外れようと、人類を守る為には何でもすると。その言葉が真実であったと言うだけです」

「そうね。人類を守る為ならば……こんなに悩まなくて済んだのに」

 絞り出すようなリツコの言葉に時田はスッと目を細める。

「碇司令、謎の多い人物です。果たしてあの方は、本当に人類を守るつもりがあるのか……」

「深入りは止めなさい。今の話を聞いただけでも、貴方は危険な立場にいるのよ」

「はっはっは、今更何を。本部地下に居る謎の巨人。ターミナルドグマにある謎の施設。私は何時殺されてもおかしく無い情報を、既に得てしまったのですから」

 笑いながら軽い口調で告げる時田だが、リツコは驚きのあまり身体を硬直させてしまう。彼が口にした情報はどれも最重要機密で、ネルフでも極一部の人間しか知らない筈だったからだ。

「貴方……一体どうして?」

「ネルフ技術局第七課、本部施設担当を侮って貰っては困りますな。私が本部の施設で知らない事など、今やほとんどありませんよ」

 誇らしげに胸を張る時田に、リツコは真剣な眼差しを向けて警告する。

「時田博士。本気で忠告するわ。今すぐ止めなさい。死んでからでは遅いのよ」

「あの赤木博士に心配して頂けるとは、光栄の極みですね。ただ、残念ながら止まりません」

 時田は食べかけのパフェにスプーンを指すと、何ともいい顔でリツコを見つめる。

「子供達が頑張っているのです。それを手助け出来なくて、何が大人でしょうか」

「…………貴方、科学者には向かないわ」

 頭が良く優秀な人物であるのは確かだが、時田は科学者として生きていくには、あまりに甘すぎる。あまりに優しすぎる。科学者として大成するには、少なからず外道の素養が必要なのだから。

「最近自分でも思っています。事が片づいたら、転職を真剣に考えますよ」

「その時まで貴方は生きていられるかしら?」

「さて、どうでしょう。ただ赤木博士が力を貸してくれるなら、勝算ありですが」

 スッとリツコに向けて右拳を差し出す時田。意図を察したリツコは逡巡していたが、やがてため息と共に自分の右拳を時田のそれにコツンと重ねた。

 

「ところでダミープラグの事を、彼女達に教えなくて良かったのですか?」

「……あ゛」

 今回の情報交換では第二支部消滅以外に、極秘裏に開発されていたダミープラグについても伝えるつもりだった。しまったと顔を歪めるリツコに、時田は不安げに尋ねる。

「赤木博士、本当に大丈夫ですか?」

「ま、まだ呆けて無いわ! ただちょっと忘れてただけよ!」

(それを呆けと言うのでは……)

 ムキになるリツコにジト目を向ける時田。それが一層リツコを苛立たせる。

「べ、別に問題ないわ。今の初号機は恐らくダミーを拒絶する筈だもの」

「ほう、それはそれは。でも弐号機は?」

「…………用事を思い出しました。これにて失礼」

 時田の突っ込みには答えず、何事も無かったかのように伝票を掴んで立ち去ろうとするリツコ。すると時田はそっとリツコの手から伝票を抜き取った。

「女性に払わせる訳にはいきませんよ」

「随分と前時代的な思考ですこと」

「……では、これからの協力への、ささやかなお礼と言うことに」

 ニヤッと笑みを浮かべる時田だったが実に似合わない。これがもし加持ならば、さぞや女性をときめかせたに違いないだろう。

 そんな時田に何とも言えぬ表情でリツコはため息をつくと、そのまま店から去っていった。

 

(強がってはみたものの、正直生き残る自信は無いですね)

 一人店内に残った時田は、パフェを食べながら思考を巡らせる。ネルフという組織はあまりに大きく、自分一人があがいても到底勝ち目は無く、生き残れる可能性は低かった。

(必要なのは味方。赤木博士の他に、信用できそうな人物と言えば……あの二人ですか)

 脳裏に浮かぶのは自分と同じく真実を求めている二人。

(接触してみますかね……。最悪の事態が起きたとしても、せめてシイさんに情報を残せるように)

 ゲンドウにとって時田シロウの存在は、居ても居なくても変わら無い程度のもの。道ばたに落ちている小石も同然。だがその小石が、大きな歯車を狂わせる切っ掛けにもなり得るだろう。

 




時田は優秀な科学者です。そんな彼がノーマークで、本部施設を任されたとすれば……ターミナルドグマやらは全て丸裸にされてしまうでしょう。
ある意味キーマンになる人物かもしれません。生き残れれば、ですが。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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17話 その4《四人目の適格者》

 

「おや、葛城。休憩か?」

 ネルフの休憩スペースでお茶を飲んでいた加持は、ミサトの姿を見かけて声を掛けた。加持の存在に気づいたミサトは、不機嫌そうに小声で尋ねる。

「……ちょっち、聞きたいことがあるんだけど」

「フォースチルドレンの事、かな?」

「さっきリツコから報告を受けたわ。参号機の起動実験はフォースチルドレンに任せるって」

 ミサトは自分も自販機でコーヒーを買うと、加持の隣でそれを飲みながら話す。監視カメラを意識している為、何気ない会話を装う必要があった。

「起動実験直前でフォースチルドレンが見つかる。あまりに都合が良すぎるわ」

「ま、普通はそう思うよな」

「リツコはマルドゥック機関からの報告前に知っていた。この裏は何?」

 当然ミサトはその場でリツコに問い質したのだが、納得のいく返答は得られなかった。隠し事をしているのは間違いないのだが、何も知らないミサトではそれ以上の追求は出来なかった。

「……マルドゥック機関は存在しない。影で操ってるのはネルフそのものだ」

「ネルフって……碇司令が?」

「コード707を調べてみろ」

「……第一中学校、シイちゃん達のクラスを?」

 長時間の接触はミサトへの印象も悪くする。自分の立場を弁えている加持は、不審がるミサトに軽く頷くと、空き缶をゴミ箱に入れて去っていった。

(フォースチルドレン、マルドゥック、地下のアダム……全てがリンクしているの?)

 加持の後ろ姿をミサトは険しい表情で見つめていた。

 

 

「なあ、トウジ。何かやったの?」

「わしも考えとったんやけど、ど~も思い当たる節が無いんや」

 二年A組の教室でケンスケに問われたトウジは、腕組みをして困り顔をする。

「だけど様子がおかしいのは確かだし、気づかない間に何かしたんじゃ無いか?」

「ん~そやけどな、昨日は全然普通やったやろ? んで今朝からあの調子や。正直心当たりなんかありゃへんで」

 トウジとケンスケが気にしているのは、朝からどうも様子が変なシイ達だった。アスカはいつも以上に機嫌が悪く、レイはいつも以上に素っ気ない。そしてシイに至っては……。

「トウジの顔見るなり逃げ出すなんて、よっぽどだと思うけど」

「言うなや。わしも結構ショックやったんやから」

 今もシイはトウジにチラチラと視線を向けては、トウジが見返すと慌てて視線を逸らすと言う、謎の行動を繰り返している。不審にも程があった。

「はぁ~。まあ昼飯の時なら、ちっとは話が出来るやろ」

「そうだね。僕としてもこの空気が改善される事を祈ってるよ」

 友人達がぎすぎすしているのは、ケンスケにとっても好ましくない。六人揃って楽しく馬鹿をやれるのが、学校生活の楽しみなのだから。

 結局シイ達は午前中一度として、トウジと目もあわせる事が無かった。

 

 四限終了のチャイムが鳴ると同時に、トウジはシイ達の元へと近づこうとする。例え食事を断られても何らかの進展があるだろうと、期待しての行動だったのだが横やりが入った。

『二年A組の鈴原君。至急校長室まで来てください』

「おいおいトウジ、本当に何もやってないんだよな?」

「あ、当たり前やろ。っ~このタイミングの悪い時に……」

 間の悪さに苛立つトウジだったが、流石に校長室への呼び出しを無視するのは不味い。トウジは少し悩んだが、やがて渋々と教室を出て校長室へと向かった。

 振り向かないトウジ。だから自分の背中にシイ達が、悲しげな視線を向けている事を気づくことは無かった。

 

 

 生徒達にとって校長室というのは近寄りがたい物があった。ここに呼ばれる時はほぼ間違いなく、お説教が待っているからだ。

(さて、どない説教やろ……写真がばれたんやらケンスケも一緒やろうし)

 トウジは記憶を探りながらドアをノックする。

「二年A組の鈴原です」

「入りたまえ」

 許可を得てからトウジは校長室へ足を踏み入れる。職務机と応接ソファーがあるだけの、シンプルな造りの部屋。壁に飾られた歴代校長の写真が、来訪者に無駄な威圧感を与えている。

「悪いね、休憩時間に」

「いえ、別に……」

 老年の校長にトウジは返事をしながらも、視線は別の所を見ていた。

 応接ソファーに腰掛けている金髪の女性。以前ミサトの家で会ったことのある女性、赤木リツコの存在が、本来ここに居てはいけない人物の存在がトウジの心を不安で彩った。

「実はこの方が君に是非会いたいと仰ってね」

「はぁ。えっと、赤木リツコさんでしたな?」

 一度きりしか会っていないので、名前があっているか不安だったが、リツコは微笑みながら頷く。

「ええ。ネルフ技術局第一課所属、赤木リツコよ。覚えていてくれて嬉しいわ」

「顔見知りでしたか。では私は席を外しますので」

 校長は入り口に立つトウジの脇を通り抜け、校長室から出ていってしまった。残されたトウジは、警戒した様子でリツコを見据える。

「わしに何の用でしょう?」

「立ち話にしては少し長くなるわ。座って」

 リツコに促されたトウジは、リツコと向き合う形でソファーに腰を掛ける。高級ソファーらしく座り心地は良かったのだが、居心地は悪かった。

 

「手短に頼んますわ。ちょいと用事があるんで」

「そう。なら単刀直入に言うわ」

 来客に対して無礼な態度のトウジに、しかしリツコは全く気にした様子を見せない。僅かに居ずまいを正すと、視線を真っ直ぐトウジへ向ける。

「鈴原トウジ君。貴方をエヴァンゲリオンの搭乗者として、ネルフにスカウトしに来たわ」

「……はっ?」

 突然のスカウト宣言に、トウジは間の抜けた声を出す事しか出来なかった。

「レイ、アスカ、シイさんに続く四人目の適格者、フォースチルドレンに貴方は選ばれたの」

「わしが……エヴァに?」

「ええ。エヴァンゲリオン参号機、その専属搭乗者としてネルフに来て貰えないかしら?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 矢継ぎ早に言葉を発するリツコに、トウジは両手を広げて待ったをかける。混乱する頭を落ち着かせるには、少しでも時間が欲しかった。

 リツコのそれを受け入れ、暫し無言の時が二人の間に流れる。

 

 数分後、少し落ち着いたトウジが口を開く。

「……何でわしなんです? 自分で言うのもなんやけど、素行不良の悪ガキやのに」

「マルドゥック機関と呼ばれる搭乗者選出の組織があるの。貴方はそこで選ばれた。素行も成績もエヴァへ搭乗するのには関係ないわ」

 トウジの質問を予想していたのか、リツコは淀みなく即答する。

「シイ達もそうやって選ばれたんですか?」

「ええ。因みに貴方には拒否権があるわ。決めるのは貴方よ」

 リツコの言葉にトウジは悩む。強制だと言われれば反発しただろう。だが自分で決めろと言われてしまうと、返答に窮してしまう。

「待遇は他のチルドレンに準じます。あの子達みたいに学校へも通えるし、お給金も当然出るわ」

「その代わり使徒と戦えっちゅう事ですか」

「そうよ。貴方が加わればエヴァは四機。シイさん達の危険も大幅に減らせるでしょうね」

「……あんた、汚い人やな」

 トウジは苦笑しながらリツコへ厳しい言葉を掛けた。自分の気持ちを揺さぶるために、シイ達を使うリツコが、トウジには堪らなく狡く感じられたのだ。

「否定はしないわ。人類を守る名目で子供を戦わせているのは事実だもの」

「……あんたは汚い人やけど、悪い人や無さそうや」

 リツコの顔が一瞬自虐に彩られるのを見て、トウジは彼女に対しての警戒心を少し緩めた。

「買いかぶり過ぎないでね」

「……まあええ。んで、結論は今すぐとか言い出すんか?」

 尋ねるトウジだが答えはもう決まっている様だった。それを感じ取ったのか、リツコは僅かに表情を引き締めて頷く。

「出来ればその方が有り難いわ。起動試験まであまり時間が無いから」

「さよか。ならこの話……受けたるわ。エヴァに乗ったる」

「……良いのね?」

「誘っといてそりゃ無いわ。ま、わしが何処まで役に立てるかは分からんけど……シイ達の弾よけくらいにでもなれるなら、そんで充分や」

 膝に乗せた拳が小刻みに震えている。一度シイの戦闘を間近で見たトウジには、使徒との戦いは命懸けであることが痛いほど分かっている。それでも彼は決断した。

「ありがとう」

「……よしてくれや。わしはあんた等の為に引き受けた訳や無いんやから」

「それでも、ありがとう」

 頭を下げるリツコにトウジは確信した。ネルフは好きじゃないが、この女性は信用出来ると。

 

「細かい手続きはこれから本部で行うわ。食事はこちらで用意するから」

「……ああ、そう言う事かいな」

 ポツリと呟くトウジにリツコは不思議そうに眉をひそめる。

「何かあったの?」

「気にせんといて下さい。こっちの事やから」

 突然の話で忘れていたが、食事と言われて思い出した。そして理解した。あのシイ達の態度は自分の事を知っていたからなのだろうと。

(シイを殴ったわしがエヴァに乗る……か。はは、こりゃ土下座じゃ済まされんな)

 トウジは寂しげに右拳を見つめる。あの時の感触は今でもハッキリと残っていた。

 

 

 夕暮れのジオフロントをシイは一人で歩いていた。もうすぐシンクロテストが始まってしまうが、今は少しでも一人で考える時間が欲しかったからだ。

(鈴原君……結局戻ってこなかった。リツコさんが話したんだよね)

 受けたのか。断ったのか。あれから教室に戻って来なかった事から、エヴァに乗ることを承諾したのだろうとシイは考えていた。

(みんながパイロットの候補……みんなにお母さんが居ないのはそう言う事だったんだ……)

 自分のクラスメイト全員に母親が居ない。それはシイが以前抱いていた疑問。リツコから理由を聞いた今、理解は出来たが納得は出来ない。

(お父さんがやろうとしている事が、みんなを巻き込んでるのかな)

 墓参りで近づいたと思った父親の姿が、また遠ざかっていくのを感じた。シイは暗い表情のままジオフロントを頼りなく歩き続ける。

 

 暫く歩いていると、不意に足に何かがぶつかった。

「……スイカ?」

 視線を下に向けると自分が何時の間にか、畑に足を踏み入れてしまった事に気づく。ジオフロントに誰が何の為に畑を作ったのかは分からないが、しっかり手入れされた畑には沢山のスイカが育てられていた。

「これ、誰かが育ててるのかな?」

「ああ。俺だよ」

 背後から聞こえた声にシイは慌てて振り返る。そこには水色のシャツをだらしなく着崩した加持が、微笑みを浮かべながら立っていた。

「加持さん!?」

「スイカ泥棒かと思ったら、シイ君だったのか」

 からかうような加持の言葉に、シイは慌てて両手を振って否定する。

「え? あ、ち、違います」

「分かってるよ。そんな顔じゃ泥棒どころじゃ無いだろうしな」

 加持に指摘されシイはビクッと肩を震わせる。

「ここで会ったのも何かの縁だ。どうだい、シンクロテストまでの時間つぶしに話でも」

「……はい」

 二人は畑の近くに置かれたベンチへと腰を下ろした。

 

「何か悩んでる顔だが……やっぱり彼の事かな?」

「ご存じなんですか?」

「仕事柄耳は早いんだ。ま、気持ちは分かるよ」

 加持は当然トウジの情報を入手している。だからこそシイが悩む理由も理解できた。

「シイ君は優しいな。他人の事でそこまで悩める人間はそう多くない」

「私はただ、臆病なだけです。嫌な事から逃げてるだけ……」

「怖さを、辛さを知っている人間は、それだけ他人に優しく出来る。それは、弱さとは違うさ」

 諭すように加持は語りかける。いつになく真面目な加持にシイは少しだけ心を開く。

「私はどうすれば良いんでしょう?」

「彼はエヴァに乗ることを選んだ。切っ掛けは何にせよ、だ」

「……はい」

「なら後は、君がそれを受け入れるかどうかだけさ」

 加持はシイの悩みは、友人がパイロットに選ばれた事だと思っている。だが実際シイを悩ませていたのはそれだけでなく、ゲンドウがトウジを巻き込んだ事にあった。

 論点がずれている為、加持の言葉はシイの心を晴らすに足りない。

 

「……と、思ったんだが、君の悩みは他にもあるようだな」

「えっ!?」

 観察眼に優れた加持には、シイのその反応だけで充分だった。自分の考えが正しかった事を察した彼だが、それでも無理に聞き出そうとはしない。

「話したく無い事かな?」

「……ごめんなさい」

「良いさ。誰にだって黙っていたい事はある。ただ一つだけ覚えておいてくれ」

 加持はシイを正面から見つめると、真剣な表情で言葉を紡ぐ。

「君は葛城の家族だ。だから困ったときは家族に頼ると良い。葛城ならきっと君の力になってくれる筈だ」

「はい……」

「そして俺も頼ってくれ。葛城の妹分なら俺の妹分でもあるからな」

 優しく語りかける加持の顔には姉代わりのミサトとは違う、父親の様な力強さが感じられた。そんな加持の優しさに触れ、シイの顔にぎこちないながらも笑顔が戻った。

 

「さて、そろそろシンクロテストの時間だな」

「あ、そうでした。私行きますね。お話に付き合って頂いて、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げて、シイは足早にジオフロントを走っていく。

「……どうやら、少しは役に立ったかな」

 頼りない足取りのシイを見て本気で心配していた加持は、ホッと胸をなで下ろす。それと同時にある種の疑惑が浮かび上がった。

(彼女は……何かを知っているのか? 一度アスカと話をした方が良さそうだ)

 加持の煙草の煙が夕暮れのジオフロントに広がり、静かに消えていった。

 




原作では妹さんの転院を条件に、エヴァへの搭乗を承諾したトウジですが、この小説では若干動機が異なります。
妹さんは退院直前ですし、シイ達との交流が彼の心境に変化をもたらしました。ネルフへの嫌悪感も原作に比べて柔らかいので。

シイ達が真実に迫っていても、流れは変わりません。今はまだ……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《シイ、侵入》

シリアスな流れなどお構いなしのアホタイムです。

時間軸は17話開始前となっています。


 

~アルコールパニック~

 

「駄目です! 進行を阻止できません!!」

「本部警備部隊第七班、突破されました!」

「行動に不確定要素が多すぎて、目標地点を推察出来ません!」

 緊迫した空気の発令所に、日向達の切迫した報告が響き渡る。圧倒的不利な状況に、指揮を執っていた冬月の表情が一層曇っていく。

「……対人装備の薄さが、ここに来て露呈した訳か」

「ああ。委員会に追加予算の承認をさせるべきだな」

 冬月の呟きにゲンドウは、苦虫を噛みつぶした様な表情で答えた。彼らの視線はメインモニターに映し出された侵入者へと注がれている。

「どうする碇?」

「……総員第一種戦闘配置だ」

「碇!?」

 ゲンドウの命令に冬月は戸惑うように目を開く。それは発令所のスタッフも同じらしく、一様に困惑した表情を浮かべていた。

「戦闘配置……相手は使徒じゃ無いのよ」

「てか、敵ですら無いけどな」

「ある意味それ以上に手強い相手なのは確かだが」

 呆然とするマヤに日向と青葉が素早く突っ込む。そう、彼らの言うとおり侵入者は敵ではない。ただこれも彼らの言う通り、果てしなく厄介な相手だったが。

 

「目標はB区画でくい止めろ。最悪の場合、住居区画を犠牲にしても構わん」

「りょ、了解!」

「保安諜報部と警備隊で包囲網を形成。ただし決して手荒な事はするなよ」

「了解です」

「……まあ、言うまでも無いか。もし傷一つでも付けたら、ただでは済まないだろうからな」

 冬月は苦笑しながら主モニターに映る侵入者……碇シイを見つめて呟いた。

 

 

「ふんふふ~ん」

 ネルフ本部B区画を、シイは鼻歌を歌いながらご機嫌で歩いていた。ただフラフラとおぼつかない足取りと、真っ赤に染まった顔が、彼女が普通の状態で無いことを雄弁に語っている。

「あれれ~ろっちらっけ~」

 焦点の定まっていない瞳を左右に向ける。慣れたはずの本部で迷う程、彼女の思考能力は低下しているらしい。呂律も回っていない様子は酔っぱらいそのものだった。

 

『こちら保安諜報部十五班。目標を確認。現在後方にて待機』

『同じく二十二班。目標の前方で待機中』

『本部警備部隊第五班。右翼に位置』

『同三班。左翼に配置完了』

 フラフラと歩くシイを屈強な男達が影から見つめる。流石に銃器は手にしていないが、いずれも格闘技の有段者。徒手空拳でシイに遅れを取る事はあり得なかった。

『……目標を捕縛しろ』

『『了解!!』』

 ゲンドウの指示を切っ掛けに、男達は一斉にシイの周囲を取り囲んだ。

 

「はぇ~」

 突然四方を囲むように姿を現した男達に、シイは呑気な声を出す。普段の彼女なら驚き怯える状況なのだが、今の彼女は何処か楽しそうですらある。

「サードチルドレン。君の身柄拘束指示が出ている」

「大人しく従って貰おう」

「……頼むから、言うことを聞いてくれ」

「今ならまだ間に合う。な?」

 力ずくでの捕縛も許可されているが、彼らも出来れば穏便に済ませたかった。無防備な少女を取り囲んでいるだけでも、相当辛い思いをしているのだ。

 何よりシイを強引に捉えるなど、ファンクラブ会員にとって耐え難い苦行だった。

「んんん~?」

 だがシイは男達の言葉を聞いて、不思議そうに首を傾げる。

「しい、悪いころしたの~?」

「えっ!?」

「いや……別に悪いと言うほどの事は……」

「無い、よな?」

「……よく考えればこの子は正式な職員だし、何も問題無いんじゃ……」

 シイの一言で男達に迷いが産まれる。たとえ挙動不審であろうとも、ネルフ職員が本部内を歩いているだけで、捕縛命令が下るのはおかしいと思ってしまったのだ。

「なら~い~よね~」

「良い……のかな?」

『駄目に決まっているだろう!!』

 そんなやり取りにしびれを切らしたのか、館内スピーカーからゲンドウの怒声が響き渡った。

 

「あれれ~おと~さん。ろこにいるの~?」

『……酔っぱらいの戯れ言だ。早く捕らえろ。これは司令としての命令だ』

「おと~さん、ひろいよ~。しい、酔っぱらって無いよ~」

『聞いての通りだ。早急に身柄を拘束しろ』

「むぅ~」

 冷たいゲンドウの言葉に、シイは頬を膨らませて不満を表す。普段以上に幼く見える少女の仕草に、男達は思わず頬を緩める。

『……未成年の飲酒は身体に害を及ぼす。早く治療を受けて貰う為にも、捕まえて欲しい』

「あ~ふゆつきせんせ~だ~」

『シイ君。良い子だから、大人しくしてくれないか? これは君の為なんだよ』

 刺激しないよう、出来うる限り優しく語りかける冬月。だがシイは首を大きく横に振る。

「やら~」

『ど、どうしてかね?』

「しいはね~。おか~さんに会いに行くの~」

『っっっ!?』

 冬月とゲンドウは思わず息をのんだ。ユイの魂が初号機に宿っているのは最重要機密。それをシイが知っている事に、そしてそれを本部中に向かって言ったことに、戸惑いを隠せなかった。

「らから~邪魔しないで~」

『……シイ君は正気を失っている。脳に障害が出るかもしれない。急ぎ捕縛しろ』

「「りょ、了解」」

 動揺している男達だったが、シイが明らかに正気で無いことは一目で分かる。治療を受けさせる為にも、心苦しいが身柄を取り押さえるべく徐々に距離を詰めていく。

 

「済まないが……これも君の為だ」

 男達のリーダーがシイの身体をがっしりと捕まえる。圧倒的な体格差と腕力からは、シイが逃れる術は無い。これで終わったと誰もが思ったのだが。

「ん~? 抱っこ? 良いよ~ぎゅぅ~~」

「……ぐはっ!」

 逃げるどころか、両手を男の首に回してギュッと抱きつくシイ。ただそれだけで男は落ちた。シイの身体を捕らえる手は解かれ、男は力無く廊下へと倒れた。

「は、班長!?」

「きょ、距離を取れ。迂闊に近づくと、迎撃されるぞ!」

 目の前で見たシイの圧倒的な破壊力に、男達は慌ててシイから離れる。

「行って良いの~? じゃあ、まらね~」

 シイは男達に元気良く手を振ると、再び千鳥足で進行を始めた。

 

 

「……あ、目標と言いますか、シイちゃんは進行を再開しました」

 モニターに目を奪われていた日向が、思い出したかのように報告を行う。

「ありゃ、反則だろ」

「ですよね。耐えられる筈、無いですよ」

 青葉の呟きにマヤも同意する。それに発令所の全スタッフも一斉に首を縦に振る。シイに思い切り抱きしめられて、耐えられる者など居るはずが無いのだ。

「……目的は初号機か……。不味いぞ碇」

「ああ。万が一、ユイがシイの飲酒を知ったら……」

「内部電源だけでも、本部の半分は覚悟する必要があるな」

 冷や汗を流すゲンドウと冬月。碇ユイは非常に子煩悩な母親だった。娘の飲酒を知れば、ゲンドウの管理不行き届きを怒るに違いない。

「しょ、初号機のエントリープラグを強制排除。シイが搭乗出来ない様にしろ!」

「了解…………駄目です。排出信号を受け付けません!」

 マヤの報告にゲンドウの顔色が見る見る青ざめていく。初号機はシイを待っている。それはつまり、この事実を既に知っていると言うことだ。

「……どうする、碇?」

「シイに対抗できるのは……そうだ! 葛城三佐はどうした!?」

 保護責任者であり、シイとも普通に接する事が出来る数少ない人物。この状況を打開できる切り札として、ゲンドウはミサトに望みを託そうとした。

「非常招集を受けて、現在本部へ向かっています。到着までおよそ十分」

「到着次第シイの捕獲へ向かわせろ! それまで何としても時間を稼げ!」

 使徒との戦闘でも見せた事がない激しい口調でゲンドウは指示を下す。

「ふむ……レイとアスカ君を向かわせよう。あの子達なら上手くやれるはずだ」

「あらゆる手段を許可する。何としてもシイと初号機の接触を阻止しろ!!」

 ゲンドウの叫びはまるで悲鳴のように発令所へ響き渡るのだった。

 

 

「ん~ろっちかな~」

 千鳥足で本部を歩くシイ。身体が覚えているのか頼りない足取りとは裏腹に、確実に最短距離で初号機のケージへと歩を進めていた。するとそんな彼女の目前に二人の少女が立ちはだかる。

「シイ、あんたいい加減にしなさいよね」

「……碇さん」

「あ~あすかとれいだ~」

 険しい表情の二人にシイは心底嬉しそうに名前を呼びかける。

「……レイ……」

「あんた、喜んでる場合じゃ無いでしょ」

「……分かっているわ」

 実はシイに初めて下の名前で呼ばれたレイは、一瞬頬を弛めたが直ぐさま表情を引き締める。こうして向き合っているだけでも、シイのただならぬ状態が伝わってくる。猶予は無かった。

「シイ。悪いけど、あんたを止めるわよ」

「むぅ~ろうして? あすかはしいの友達れしょ?」

「うっ! そ、それとこれとは話が別よ! 良いから大人しく捕まりなさい」

 うるうると上目遣いで訪ねるシイに、アスカは一瞬決意がぐらつくものの、どうにか立て直す。リーダーとして、姉的立場として、これ以上シイを野放しには出来ないのだ。

「あたしはあんな男達と違って甘く無いわよ」

 腰を落として、今にも飛びかかれる姿勢をとるアスカ。幼い頃から訓練を受けている彼女と、非力なシイの体力差は歴然としている。シイの暴走もここまでかと思われたが……。

「れい~あすかがいじめるよ~」

「えっ!?」

「れいはしいの味方らよね」

 シイに上目遣いで見つめられ、レイは思い切り戸惑う。視線をアスカとシイへ交互に移し、どうするべきかと迷っていた。

「あんた馬鹿ぁ? 何悩んでるのよ! 良いからこの子捕まえるのを手伝いなさい!」

「しいはおか~さんに、会いたいらけなろに……れい~」

 アスカとシイ。二人から向けられる視線に、レイは小さく頷くと決断を下した。

「っっ!? あ、あんた……」

「……碇さん、ここは私が。行って」

「ありがと~れい~」

 アスカを背後から羽交い締めにし、シイの為に道を開くレイ。まさかの裏切りに驚きを隠せないアスカは、必死に脱出しようともがくが、レイのホールドは鉄壁だった。

「自分が何してるか分かってんの!?」

「……ええ」

「上等じゃない。良いわ。ここであんたとの決着を着けてやる」

「……碇さんは私が守るもの」

 激しい攻防を繰り広げるアスカとレイの横を、シイは千鳥足で通り過ぎていく。そして廊下の曲がり角で立ち止まるとくるりと後ろを振り返る。

「れい~ありらと~。だ~いすきらよ~」

「!!!!」

「い、痛、痛ぁぁぁ! あんたテンション上がりすぎ……ギブギブギブぅぅ!」

 シイの声援にかつて無い力を得たレイは、見事な関節技でアスカを封殺した。

 

 

「え~シイちゃんはB区画を突破。まもなく、初号機のケージへと到達します」

「……レイ」

 信頼していた少女の裏切りにゲンドウは落胆の色を隠せず、がっくりと肩を落とした。

「葛城三佐の到着まで、後四分です」

「間に合わなかったか……」

「レイの裏切りがここに来て効いてますね」

「見事な関節技だったよな。まさかアスカに勝つなんて」

 発令所はすっかり諦めムードに変わっていた。そもそも彼らはシイの味方であり、今回の作戦にもいまいち乗り気ではなかったのだ。

「碇、年貢の納め時だな」

「まだだ。まだ終わってはいない」

「だがもうこちらに手は残されていないぞ?」

「……冬月先生。後を頼みます」

 ゲンドウはすっと司令席から立ち上がると、昇降機にその身を乗せる。

「まさか」

「決着を着けてくる。司令として、父親としてな」

 ゲンドウは覚悟を決めた表情で、発令所からシイの元へと大急ぎで向かうのだった。

 

 

「シイぃぃぃぃ!!!」

「あれぇ、おと~さん?」

 初号機のケージ入り口、その一歩手前でゲンドウはシイに追いついた。真っ赤な顔に大粒の汗を浮かばせ、激しい呼吸を繰り返す姿が彼の必死さを物語る。

「ぜぇ~はぁ~」

「ど~したの? おかおまっからよ?」

「も、問題……無い。全て……ぜーはー……シナリオ通りだ」

 どうにか呼吸を戻すゲンドウ。そんな父親の姿を、シイは楽しそうに見つめていた。

「シイ……ユイと、お母さんと会うのは止めてくれないか?」

「えぇ~ろーしれ~?」

 不満を隠そうともしないシイに、ゲンドウはしゃがんで視線を合わせる。

「実は今、お母さんは疲れて休んでいるんだ。シイだって、お母さんの邪魔をしたくないだろ?」

「うん……」

 優しく語りかけるゲンドウに、シイは不満げに頬を膨らませながらも素直に頷く。

(思った通りだ。今のシイは幼子と同様。とにかく優しく接すれば……やれる!)

 手応えを感じたゲンドウは、気合いを入れ直すと再びシイへ語りかけた。

「ならお父さんと一緒に行こう。ほら、抱っこしてあげるぞ」

「はぁ~い、おろ~さ~ん」

 膝を突いて両手を広げるゲンドウに、シイはふらふらしながらも抱きついた。ゲンドウに抱き上げられたシイは、幸せそうに父親の胸に顔を埋める。

「おろ~さん、あったかいれ~」

「そうかそうか」

(ふっ、計画通りだ)

 普段から少しでもこれに近い態度をとっていれば、シイとの関係改善もスムーズだったろう。正気を失っている我が子にしか、父親を演じられないゲンドウは不器用としか言いようが無かった。

 

 やがて眠りについたシイを抱っこしながら、ゲンドウは誇らしげに発令所へと舞い戻った。

「どうだ冬月。これが父親の力だ」

「…………」

 ニヤリと笑みを浮かべるゲンドウに、しかし冬月は渋い顔のまま返事をしない。

「冬月?」

「……なら、次は夫としての力を見せて貰うか」

 冬月はゲンドウからシイを抱き上げると、メインモニターをあごで示す。ゲンドウが訝しげにモニターへ視線を向けるとそこには…………初号機が指でここに来いとジェスチャーを続けていた。

 拘束具などとっくの昔に引きちぎられており、いつでも大暴れ出来る準備は完了している。

「どうやらユイ君は、お前をご希望の様だ。精々死なぬようにな」

「…………問題ある」

 再び初号機のケージへと猛ダッシュで向かったゲンドウ。そこで彼がとった行動、土下座が本部半壊の危機を救った事は、冬月の配慮によりモニターを切られていたため、誰にも知られることは無かった。

 

 

 遅れて本部に到着し、状況を説明されたミサトは、独房に入っているリツコへ面会を求めた。暗い部屋でベッドに腰掛けながら俯くリツコに、ミサトは恐る恐る声を掛ける。

「リツコ……あんた一体何やったの?」

「猫が死んだの。お婆ちゃんのところに預けていた……」

「現実逃避してんじゃ無いっ!」

 ミサトは手近にあったスリッパで、思い切りリツコの頭を引っぱたいた。

「シイちゃんにお酒飲ませたって、本当?」

「半分正解。結果を見ればそうだけど……直接お酒を飲ませてはいないわ」

「??」

 謎かけのようなリツコの言葉にミサトは首を傾げる。

「あの子はチョコレートが好きだから、贈り物の高級チョコレートをあげたの」

「まさか、それって……」

「私だって予想しなかったわよ! まさかウイスキーボンボンで酔っぱらうなんて!」

 感情を露わにして叫ぶリツコ。全ては好意の空回りが生んだ悲劇だった。

 

「そっか……。でもよく酔っぱらったシイちゃんに、手を出さなかったわね」

「いきなり抱きつかれて……気づいたらここに入れられてたわ」

 幸せすぎて意識を失った自分を悔いるように、リツコは俯いて答える。そんな彼女にかける言葉が見つからないミサトは、無言で独房を後にした。

 

 事件は無事解決した。

 リツコの減給と、ゲンドウの尊厳、シイに襲いかかる二日酔いと、深い爪痕を残して。

 




お酒は二十歳になってから……でも、ウイスキーボンボンは対象外みたいですね。
因みに作者は、奈良漬けで酔ったことがあります……。

シリアスの前の小休止が終わりました。次はTV版で非常に重要なポイントとして描かれた、あの話です。

小話ですので、本編も本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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18話 その1《友人》

 

 青空を飛行するエヴァ専用輸送機。その下部には巨大な十字架がワイヤーで吊されており、十字架には漆黒の巨人が身体を固定されていた。

『エクタ64より、ネオパン400。前方航路上に積乱雲を確認した』

『……ネオパン400確認。気圧状態に異常は無し。航路変更せず、到着時刻を遵守せよ』

『エクタ64了解』

 輸送機のパイロットは管制からの指示に従い、前方に広がる積乱雲へと突入していく。

 漆黒の巨人、エヴァンゲリオン参号機はまるで罪人の様な姿で、日本へ向けて輸送されていた。

 

 

 トウジがリツコにスカウトを受けた翌日、葛城家では珍しく早起きしているミサトが、アスカとシイに出張する事を話していた。

「今日松代に入って、多分四日くらい留守にするわ」

「参号機の機動実験ですね」

「知ってたの?」

「あったりまえじゃない。今じゃ本部は、その話で持ちきりだもの」

 アスカがさりげなくシイの失言をフォローする。リツコから情報を得ていることは、ミサトにはまだ秘密。二人は何も知らないふりを続けなければならないのだ。

「そっか……そうよね。米国から今日、エヴァンゲリオン参号機が松代に到着するの。明日の機動実験が無事に終われば、本部直轄のエヴァは全部で四体になるわ」

「はん、足手まといにならなければ良いけど」

「参号機のパイロットは……新たに選出されたフォースチルドレンが担当するわ」

「はい……」

 シイはただ頷くだけにとどめる。

「それで、そのフォースチルドレンなんだけど……」

「何よ。言いにくそうね」

「……あなた達の友達、鈴原君が選ばれたわ」

 辛そうにミサトは二人へ告げた。シイを気遣っての事だが、当の本人は意外と平静だった。予想外のシイの態度に、ミサトの目が細められる。

「ひょっとして、知ってたの?」

「えっと……その……」

「あ~それは、あれよ。リツコが学校に来たから、その時問いつめたのよ」

 口ごもるシイを再びアスカがカバーする。そもそもリツコから聞いたのは本当の話だ。状況は少し異なるが。

 様子のおかしいシイにミサトは少し疑惑の視線を向けるが、直ぐに気持ちを切り替える。

「ごめんね、シイちゃん。辛い思いをさせて」

「いいえ、辛いのは鈴原君です。私の事は気にしないで下さい」

 首を振って自分は平気だとミサトに告げる。これはシイの本心でもあった。

「ミサトが思ってる以上にシイも成長してるって事よ」

「そう、ね」

 友人であるトウジがエヴァのパイロットに選出され、使徒との戦いに巻き込まれる事を、シイが気に病まない筈がない。だがそれを気遣わせないシイの態度は、彼女の精神的成長を伺わせた。

 

「一応留守の間は加持の奴に世話を任せてるわ。家の事は心配無いけど、それでも子供だけじゃ物騒だしね」

「加持さんが来るんですか?」

「余裕ねミサト。あたしと加持さんを一つ屋根の下にするなんて」

「シイちゃんが居るもの」

 微笑みながら告げたミサトの言葉が全てだった。葛城家の小さなお母さん、碇シイが居る限り、この家は平穏無事だろう。色々な意味を含めて。

「やれやれね。で、起動試験はミサトとリツコが行くの?」

「ええ。リツコと私は今日、鈴原君は明日松代に入る予定よ」

「ならあの馬鹿、今日は学校に来るのね。ま、一発檄でも入れてやろうかしら」

 訓練をしていたアスカですら起動実験の時は緊張した。ならば全くの素人であるトウジは、それ以上に不安を抱えているだろう。

 不器用ではあるが、アスカなりにトウジの事を気にしていたのだ。

「あらら、アスカにしては珍しいわね」

「はん。あの馬鹿がミスるとこっちが迷惑するのよ。それにヒカリの事もあるしね」

 先日、シイが一人でジオフロントに居た頃、アスカはヒカリから相談を受けていた。内容は勿論トウジに関しての事。いわゆる恋話だった。

 トウジへの好意をどう伝えるか悩むヒカリに、アスカは得意な料理で攻めたらどうかとアドバイスをした。その結果ヒカリは、トウジへお弁当を作る事を決意した。

「ヒカリの為にも、あいつには何が何でも、無事に実験を終えて貰う必要があるのよ」

「私達も細心の注意を払って実験を行うわ」

 改めて責任の重さを実感し、ミサトは真剣な表情で約束した。

 

「じゃあ、行って来るわね」

「はい、気をつけて下さい。それと鈴原君の事、お願いします」

「リツコがミスらないよう、しっかり見張ってなさいよ」

「あはは……伝えておくわ」

 シイとアスカに見送られてミサトが玄関のドアを開く。すると、

「おはようございます、葛城三佐!」

 そこには深々とお辞儀をしているケンスケが待ち構えていた。

「相田……君?」

「あんた、何やってんのよ?」

「えっと……私に何かご用かしら?」

 戸惑う三人にケンスケは力強く頷くと、びしっと背筋を伸ばす。

「はい。本日は葛城三佐にお願いがあって参りました」

「はぁ……」

「自分を、自分を…………エヴァンゲリオン参号機のパイロットにして下さい!!」

 大声で叫ぶケンスケに、

「空気、読みなさいよ!!」

 アスカは思い切り回し蹴りを打ち込んだ。

 土手っ腹に蹴りを受けて吹き飛ばされるケンスケを、シイとミサトは呆然と見つめる事しか出来なかった。

 

 

「痛たた……惣流の奴、本気で蹴るんだもんな」

 二年A組の教室でケンスケは痛む腹をさすりながら、ヒカリと談笑しているアスカに恨みがましい視線を向ける。勿論その視線は当然のように無視されてしまうのだが。

「ごめんね相田君。アスカちょっとピリピリしてて」

「ま、そうだろうね」

 代わりに謝罪するシイにケンスケは眼鏡を直しながら答えると、不意にシリアスな表情へ変わる。

「トウジがエヴァのパイロットに選ばれたなんて、あの惣流には耐えられない事の筈さ」

「えっ!? どうして知ってるの……」

「はぁ。碇はもう少し、ポーカーフェイスを勉強すべきだね」

 あっさりとカマ掛けに引っかかるシイに、ケンスケは呆れ混じりに苦笑した。転校初日に自分がエヴァのパイロットだとバレた時から、全くこの少女は変わっていない。

「騙したの?」

「それは心外だな。一応確信はあったんだよ。パパのPCから一連の流れは知ってたからね」

 第二支部の消滅とエヴァ参号機が日本へ輸送される事を、ケンスケは独自のルートで調べていた。そしてそれにその後の出来事を加味すれば、自然と答えは出てくる。

「碇達の不自然な態度と、突然呼び出されてそのまま帰ってこなかったトウジ。で、今朝珍しくミサトさんが正装していて惣流のアレ。気づかない方がおかしいって」

「相田君凄い……探偵さんみたい」

「はは、ありがと。でもまさかトウジが選ばれるなんてな……」

 ケンスケにとってトウジは一番仲の良い友達だった。ある意味正反対の二人だが不思議と気があって、悪いことも含めて色々な事を共に行った。

 実の所トウジが選ばれてケンスケは、シイ達以上にショックを受けていたのかも知れない。

 

 始業のチャイムが鳴っても、トウジは教室に姿を現さなかった。そのまま二限、三限と授業は進み、ヒカリとアスカに焦りの色が出始めた四限目の授業中に、ようやく黒いジャージ姿のトウジが登校してきた。

「……すんません。遅れましたわ」

「ああ、聞いているよ。席に着きなさい」

 老教師に促されトウジは自分の席へと座る。明らかに元気の無い様子に、彼が悩んでいることをシイ達は直ぐさま察した。

 淡々と進んだ授業が終わり昼休みのチャイムが鳴ると、アスカは真っ先にトウジへと近づいていった。

「ちょっと付き合いなさい」

「ま、言われると思っとったわ」

 仁王立ちするアスカに、トウジは苦笑しながら頷く。

「何処がええ? 校舎裏か?」

「あんた馬鹿ぁ? 屋上に決まってんじゃない」

 アスカの言葉にトウジは眉をひそめる。自分を責める為の呼び出しならば、普段シイ達が昼食をとる屋上は不適当だと思ったからだ。

「あんた、ご飯用意して無いわよね?」

「ん、ああ。ちょっとバタバタしとったからな」

「なら良いわ。じゃあ行くわよ。ほら、シイ、レイ、あんた達も早くしなさい」

 アスカに引っ張られる形で、いつもの面々はいつもの場所へと向かった。

 

 和解したとは言え一度はシイを傷つけた。八つ当たりで殴ると言う最低の行動をとった。そんな自分がエヴァに乗る事を、エヴァに乗ることにプライドを持っているアスカが許すはずも無い。

 だからトウジはアスカに責められる覚悟をしていた。のだが。

「「いただきます」」

 屋上で始まったのは何時も通りの昼食だった。まるで自分がエヴァのパイロットに選ばれた事を、知らないかの様な振る舞いにトウジは戸惑う。

「あんた、何変な顔してんのよ」

「いや、なんちゅうか……色々予想と違うてな」

 アスカの言葉にトウジは頬を掻きながら答える。このままうやむやにしてしまい、普段通りの時間を過ごしたいという気持ちもあったが、それを彼の一本気な気性が許さない。

 トウジは意を決してアスカ達へ問いかけた。

「わしの事……知っとんやろ?」

「あったり前でしょ。で、それがどうしたのよ」

「……は?」

「ただでさえ三人もパイロットが居るんだから、一人増えた所で何も変わらないわよ」

 あっさりと言い放つアスカにトウジが驚いた顔で周りを見回すと、シイとレイだけでなくケンスケとヒカリも微笑みながら頷いていた。

「ケンスケに委員長もか?」

「うん。今朝アスカに教えて貰ったの」

「僕は直接聞いては居ないけど、碇にカマを掛けてね」

「さよか……」

 知られた事は複雑な気分だが、友人に隠し事をせずに済んだ事に安堵も感じていた。

 

「……わしはエヴァのパイロットに選ばれた。明日、参号機の起動実験っちゅうのをやる」

 トウジは立ち上がると全員の前で話し始めた。

「シイにあんな事したわしが、エヴァのパイロットになるちゅうのは、酷い事やと分かっとる」

「鈴原君。私はもう」

「言わせなさいよ」

 割り込もうとしたシイをアスカが制する。トウジの言葉が自分自身を納得させるために、心を整理するために必要な物だと分かっていたのだ。

「最低やと罵って貰って構わへん。けどそれでもわしはエヴァの乗ることを選んだ。軽い気持ちや無い。前にシイが戦っとる所を見てるさかい、命懸けやと理解しとる」

 一同は黙ってトウジの言葉に耳を傾ける。友人が自分が選んだ道に対する決意を語っているのだ。それに口を挟むのはあまりに野暮だろう。

「正直怖い。でもな、シイ達はそんな思いをしてそれでも戦こうてくれとる。だからわしも戦う。役立たずかも知れへんけど、戦う事を決めたんや。大切なもんを守りたい。それがわしの気持ちや」

 全てを吐き出したトウジは、今まで見せた事の無い凛々しい表情で全員の視線を受け止めた。

 

「鈴原君、一緒に頑張ろう」

「……心を開けば、エヴァは答えてくれるわ」

「言っとくけど、リーダーはあたしよ。あんたは使いっ走りだから、そこんとこ忘れないでよ」

「良いネタ提供してくれよ。参号機の話、たっぷり聞かせて貰うからな」

 シイ達は口々にトウジを受け入れる言葉を掛ける。パイロットになることを知っても、変わらない友人達の反応に、トウジは深々と頭を下げた。

 そんな彼に今まで黙っていたヒカリが、少し緊張した様子で声を掛ける。

「ねえ鈴原。今日はご飯、食べてないでしょ」

「あ、ああ、朝から準備でバタバタしとったからな」

「……これ、食べて」

 ヒカリは大きなお弁当箱をトウジへと差し出した。ヒカリが食べるにしてはあまりに大きなそれは、一目でトウジの為に作られた物だと分かる。

「これ、委員長が作ったんか?」

「お腹空いてたら、ちゃんと仕事出来ないでしょ。だからしっかり食べて」

「お、おう」

 戸惑いながらもトウジはヒカリから弁当を受け取る。その何とも初々しい様子に、アスカとケンスケは軽く微笑みながら頷く。シイは単純に嬉しそうに、レイは無表情で見守っていた。

「精々味わって食べなさいよ。ヒカリ渾身のお弁当なんだから」

「あ、アスカ、別にそんな事無いってば」

 頬を赤くして否定するヒカリだが、トウジが蓋を開けた弁当箱には、色とりどりのおかずがバランス良く詰め込まれていた。相当の手間と時間を掛けたことは想像に難くない。

「うわ~凄いね。とっても美味しそう」

「……でも、お肉が多いわ」

「そりゃそうだろ。だって、トウジはお肉大好きだからな」

「「あぁ~」」

 ケンスケの一言でみんな納得してしまう。このお弁当は本当にトウジの為だけに作られたのだと。

「ち、違うって。ただお肉が安かったから買いすぎちゃって」

「はいはい、分かってるわよ。じゃ、いい加減食べましょ」

 アスカとレイはシイの作った弁当を、ケンスケは購買のパンをそれぞれ取り出して、青空の下のどかな食事を始めるのだった。

 

「はぁ~食った。委員長、ごっそさん。美味かったわ」

「そ、そう? なら良かった……」

 大盛りの弁当をぺろりと平らげたトウジに、ヒカリは嬉しそうに微笑みを浮かべる。

「あ~あ。もうご馳走様って感じね」

「え? アスカお腹一杯なの?」

「……なら、卵焼き貰うわ」

 一瞬の隙を突いてアスカの弁当箱から、レイはシイ特製卵焼きを奪い取る。

「あぁ~、あたしの卵焼き食べんじゃないわよ! 言葉の綾に決まってんでしょ!」

「平和だね~」

 二人きりの空気を醸し出すトウジとヒカリ、何時も通り賑やかな三人。ケンスケはコーヒー牛乳を飲みながら、自分達の関係が何も変わっていない事を実感していた。

 

「サンキューな、委員長。久々に美味い飯食ったわ」

「……あのね、鈴原。私は何時も、お姉ちゃんと妹の分のお弁当を作ってるんだけど」

「おお、知っとるで。大変やな」

「でね。お弁当って人数が多い方が作りやすいの。だからもし良ければ……これからは鈴原の分も、お弁当作ってあげようか?」

 何気なく切り出した会話だが、ヒカリにとってはありったけの勇気を振り絞った言葉だった。後押ししたアスカ、そしてシイ達がジッと二人を見つめる。

「……そやな。作ってくれるっちゅうなら、そりゃ嬉しいわ」

「あっ、うん。じゃあこれから毎日作るから」

 頬を掻きながら少し照れたように言うトウジに、ヒカリは満面の笑顔で答えた。それは見ているシイ達も思わず微笑む程幸せな笑顔だった。

 

「で、あんたが次登校するのは何時なのよ?」

「えっと、明日から松代に行って……四日後やな」

 トウジは教えられていたスケジュールを思い出して答えた。搭乗者であるトウジは現地での準備が無い為、ミサト達よりも一日遅れて松代に入る。

「ヒカリのお弁当が待ってるんだから、ドジして実験延長するんじゃ無いわよ」

「酷いよアスカ。大丈夫だよ鈴原君。リツコさんとミサトさんがついてるから」

「……落ち着いて」

「土産話を楽しみにしてるよ」

「無事に帰って来てね」

 シイ達からの励ましにトウジはグッと拳を握りしめて、力強く頷いた。

 




原作ではミサトがトウジの事を、結局シンジに言えなかったんですよね。それがあの悲劇の一因を担ったと思います。
今回はシイ達とケンスケとヒカリ、友人達が全員知りました。それが吉と出るのか凶と出るか……。

悲劇か喜劇か。ターニングポイントストーリーの開始となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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18話 その2《実験前夜》

 

 シイ達が屋上で昼食を食べている頃、松代ではミサトとリツコが米国から輸送されてきた参号機を、遠くから見つめていた。

「遅れる事二時間か。やっぱ米国人って時間にルーズなのかしら」

「あら、ミサトほどじゃ無いんじゃない?」

「ぐっ……」

「慎重に輸送したんでしょ? 相当神経質になっている様だし」

 二人の視線の先では、十字架に身体を固定された参号機が、実験場へと降ろされていく。その姿はまるで処刑場へ移動させられた罪人に見えた。

「あれが参号機か……」

「カタログスペックを鵜呑みに出来ないけど、現状では最高の性能を誇っている最新鋭機よ」

 弐号機までのデータをフィードバックさせているので、参号機の基本スペックは既存のエヴァを上回っていた。喜ばしい情報なのだが、ミサトの表情は険しさを増していく。

「それを新人に預ける神経を疑うわね」

「技量の未熟さは、性能でカバー出来るわ。一々突っかからないで」

 何処か棘のあるミサトの言葉をリツコは相手にしないで受け流す。フォースチルドレン選出以来、ミサトとリツコの間には僅かな溝が出来ていた。

「隠し事をされて、穏やかで居られる訳ないでしょ?」

「何の事?」

「マルドゥック機関……存在しないのよね?」

 探る様なミサトの言葉にリツコは眉をひそめる。一瞬自分が失言していたのかと疑ったが、直ぐさま一人の男の存在を思い出して、納得しながら呟く。

「そう……リョウちゃんね」

「第一中学校二年A組の生徒全員が候補者。そりゃ直ぐにチルドレンが選抜出来る訳だわ」

「……こんな場所でする話じゃ無いわね」

 二人の周りには本部から同行した技術局のスタッフ達と、松代勤務のスタッフ達が大勢居た。最重要機密の話をおいそれと出来る環境では無い。

「この実験が終わったら話すわ」

「信じて良いんでしょうね?」

「約束は守るわ」

 ジッとリツコの顔を見つめるミサト。その視線を真っ直ぐに受け止めるリツコ。暫し無言で見つめ合っていたが、やがてミサトは納得したように小さく頷くと視線を外した。

「場所はあのバーが良いわ。加持も同席させるけど?」

「勿論そのつもりよ。あれだけ忠告しても懲りないリョウちゃんには、少し怒ってやらないと」

「無駄よ無駄。あいつはそう言う男だもの」

 まるで夫婦のようなミサトの物言いに、リツコは苦笑を浮かべるのだった。

 

 

 その日の夜、加持はミサトに頼まれて葛城家へとやって来た。不在のミサトに替わって、シイ達の面倒を見て欲しいと言われていたのだが、何故か客として持て成されてしまった。

「いやはや、保護者役とは言ったものの、何もする事が無いな」

「そんな事無いわよ。加持さんが居てくれるだけであたしは嬉しいわ。ね、シイ?」

「え? あ、うん。やっぱり大人の人が居ないと不安ですし」

 ミサトの家があるマンションは、万全なセキュリティーが敷かれている。だが、それでも子供二人だけで過ごすと言うのは、シイにとって不安な事だった。

 実際ミサトが加持に期待しているのは、いざという時の護衛役なのだから。

「ま、頼りにして貰えるなら、俺としても助かるがな」

「ねえねえ加持さん」

「ん、何だ?」

「ミサトの何処に惚れたの?」

「ごほ、ごほ、ごほ」

 いきなりアスカが切り出した問いかけに、加持は食後のお茶で思い切りむせてしまった。

「と、突然何を言い出すんだ」

「え~だって~、ミサトってずぼらでがさつだし、一体何処を好きになったのかなって」

「失礼だよアスカ」

「でもあんただって、そう思ってるでしょ?」

「…………ちょっと」

 否定したい流れだったが、シイを持ってしても否定出来なかった。葛城ミサトは仕事を離れてしまえば、ずぼらでがさつと言う言葉が本当にピッタリな女性だからだ。

「ねえ加持さん。ミサトの何処が好きなの?」

「……言葉で伝えるのは無理さ。男女の仲ってのは理屈じゃ無いからな」

「それって、運命の相手とかそう言う事?」

「どうだろうな……。ま、俺は葛城だから好きになったんであって、葛城の何処が好きとかじゃ無いよ」

「ぶ~。何か上手く誤魔化された気がするわね」

 大人びているアスカだが実は恋愛経験が無い。加持は珍しく本心で答えたのだが、それを素直に理解する程、彼女は成熟してはいなかった。

 

 

「……ふぁぁ」

「あんた、眠いんでしょ?」

 夕食とお風呂を済ませリビングでくつろいでいた三人。そんな中シイの瞼がうとうとし始め、控えめな欠伸をしているのをアスカは見逃さなかった。

「おっと、もうこんな時間か」

 時計の針は既に夜の十時を回っている。普段のシイならもう眠る時間なのだが、今日は加持が居るためになかなか眠たいと言い出せずにいた。

「でも加持さんが……」

「俺は葛城の替わりだよ。客じゃ無いから、気にする事は無いさ」

 シイが遠慮しているのを察して、加持は優しく声を掛ける。

「そう言う事よ。さっさと寝ちゃいなさい」

「うん……じゃあ、お休みなさい」

 シイは二人に挨拶をして自分の部屋へ戻っていった。

 

「はぁ、全く世話が焼けるんだから」

「葛城が彼女の事を、小さなお母さんと言っていたよ」

「……まあ家事の腕は認めてあげるけど、見ての通りまだまだ子供よ」

 やれやれと、アスカは肩をすくめる仕草を見せる。高い家事能力と比べて精神的に幼いシイは、母親と言うにはあまりにアンバランスな存在だった。

「だが人の痛みを分かってやれる子でもある。彼の事を大分悩んでいた様だよ」

「誰彼構わず優しくするから、色々悩む事になるのよ」

 余計な苦労を背負い込むシイに対して、アスカは少しだけ苛立ちを覚えていた。ただそれはシイを心配しているからこその感情なのだが。

「他人に傷つけられる辛さを知っているからさ。そう言う人は、他人に優しく出来るものだ」

「貴方に優しくします。だから私にも優しくして下さいって?」

「悪いことじゃ無い。傷つけられる事を恐れて他人を遠ざけたり、逆に傷つけるよりはな」

 加持は煙草を吸おうとするが、アスカにジト目で睨まれて渋々手を引っ込めた。そして苦笑しながら立ち上がると、窓からベランダに出て星空の元で一服する。

 

「ふぅ~。俺もリッちゃんも吸うのに、葛城はどれだけ勧められてもこいつはやらなかったな」

「その点だけは、ミサトを尊敬するわ。加持さんも、煙草吸わなきゃもっと素敵なのに」

「薬みたいなものさ。嫌な事を一時忘れさせてくれるし……頭も冴える」

 ビールの空き缶を灰皿代わりにして、加持は煙草の灰を落とす。開いた窓を挟んで、加持とアスカは無言で向き合った。

「……綾波レイはシイ君の母親、碇ユイのクローンだ」

「魂をエヴァに取り込まれた後、サルベージされた遺伝情報を元に造られた、でしょ?」

 スラスラと答えるアスカに、加持は思わず煙草を口から落としてしまう。自分が手に入れた極秘情報を、目の前の少女が既に知っていたことに内心動揺していた。

「アスカ。誰から何を聞いた?」

「大した事じゃないわ。あたし達も真実を求めていて、リツコがそれに協力してるだけ」

「リッちゃんか……」

 自分には警告をしたリツコが、アスカ達に情報を与えたことに加持は小さく苦笑する。

「多分あたしは、加持さんの知らない情報を持ってる」

「聞かせてくれるのかな?」

「加持さんが味方になってくれるなら、喜んで話すわ」

「おいおい、俺はアスカの味方のつもりだぞ」

 戯ける様に加持は両手を上げるが、アスカは違うと言った様子で首を横に振る。

「あたしのじゃ無くて、あたし達の味方になって欲しいの」

「…………」

「どんな事があっても、真実が何であってもシイとレイを見捨てない。約束してくれる?」

 アスカの知る加持は現実主義者だった。もしゲンドウの企みが分かり、それを阻止すると決意したのならば、企みを潰すためにはどんな手段も厭わないだろう。例えシイやレイの命を奪う事さえも。

 だからこそアスカはここで、加持に約束させる必要があった。彼女にとって二人の存在は、無視できない程大きなものになっているのだから。

「……良いだろう。約束する」

「なら話すわ。あたしが知った全てを」

 加持の真剣な表情に、アスカも顔を引き締めて話し始めた。

 

 

 アスカの話を聞き終えた加持は、もう何本目になるか分からない煙草に火を点けた。

「……なるほど。全ての鍵は碇司令が握っている、か」

「リツコも司令の考えは知らなかったわ。加持さんは何か知らない?」

「表向きの目的は知っている。だが碇司令にはそれ以外に、何か目的がありそうだ」

 人類補完計画。その実現の為にゲンドウは動いている筈だった。だがゼーレのスパイとして見れば、ゲンドウの行動には不審な点が多い。

 今思えばそれこそが、彼が本当の目的を果たすための行動なのだろう。

「表向きの目的って何?」

「人類補完計画と呼ばれる極秘計画だ。俺にも詳細は分からないが、使徒殲滅はこの目的を果たす為の手段に過ぎないらしい」

「何よそれ……」

 自分達が命懸けで戦っている事が他の計画の手段に過ぎない。そう言われてアスカはやり場のない怒りを感じていた。

「……アスカ。一度状況の整理をしないか?」

「え?」

「俺達と同じく真実を求める者。誰が味方で誰が敵なのか。ハッキリさせた方が良い」

「そりゃそうだけど」

「アスカとシイ君、レイのチルドレン全員。俺と葛城、そしてリッちゃん。この六人は互いに情報を共有する味方と言う認識で良いだろう」

 名前を挙げていく加持にアスカは頷いて答える。

「そして全てを知っている碇司令と、恐らく同等の情報を持っている副司令。この二人に対して、俺達は迫らなければならない」

「……そうね」

「攻めるとしたら副司令が良いだろう。副司令はシイ君の母親に、少なからぬ好意を抱いていた様だからな。シイ君が居るなら上手くやれば味方に出来るかもしれない」

 京都で得た情報等を元に加持は話を進めていく。

「ただ危険な事に変わりはない。本気で命を賭ける覚悟が無いなら、ここで引くのも……」

「冗談言わないで。ここまで知って、今更何も無かった事になんて出来ないわ」

 全く引くつもりの無いアスカに、加持は小さく頷くと真剣な声色で忠告する。

「ならくれぐれも慎重に行動するんだ。本部内では余計な事を一切喋るな」

「そんなの分かってるって。時田の奴に散々言われたんだから」

「時田?」

 不意に告げられた名前に、加持は思わず問い返す。

「あ、忘れてたわ。一応時田ってのもあたし達の味方だから」

「確か……技術局第七課の課長だったな。元JA開発責任者の」

「そこそこ役に立つ奴よ。冴えない中年って感じだけど、シイのファンみたいだし」

(真に恐るべきはシイ君か……。彼女が居ればあるいはネルフすらも……)

 本人に自覚が無いままに周囲に味方を作っていく。加持はあどけない少女を思い浮かべ、うっすらと冷や汗を掻いた。

 

「全ては、参号機の起動実験が終わってからだな。リッちゃん達とも情報交換をしたい」

「そうね。あの馬鹿にも、事情は説明しなきゃならないだろうし」

「明日……無事に終わると良いが」

 加持は満点の星空を見上げ、誰に向けるでもなく小さく呟いた。

 




ミサトはリツコ、加持はアスカを介して、謎に迫る面々に繋がりが産まれつつあります。まあ、時田は置いておきますが。

もう待ったなし。次はフォースチルドレンの登場です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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18話 その3《フォースチルドレン》

 第一中学校の屋上で昼食を食べるシイ達。普段と変わらぬ光景なのだが、ただそこに賑やかなムードメーカーであるトウジの姿は無い。

「ねえアスカ。鈴原はもう……」

「予定通りなら、ぼちぼちじゃないかしら」

 不安げに尋ねるヒカリにアスカは、リツコから聞き出したスケジュールを思い出して答える。実験が予定通り進んでいるのなら、間もなくパイロットの搭乗が始まる時間の筈だ。

「そんな心配いらないって。あいつがドジっても、ちゃんとフォローできる体制整ってるし」

 先程から空を見上げてばかり居るヒカリを、アスカは明るく励ます。

「松代にはミサトさんとリツコさんがいるもんね」

「そうそう。作戦部長の葛城三佐と、高名な赤木博士がついてるなんて、トウジは幸せ者だよ」

「……赤木博士が呆けなければ平気」

 昨日の出来事でヒカリがトウジに恋心を抱いている事は、皆の知るところとなった。その翌日にトウジが起動実験に挑む。不安で無いはずがない。

 だからこそシイ達は少しでも安心させようと、あえて軽い口調でヒカリを励ました。

 

「大体シイですらエヴァに乗ってんのよ。あいつにだって出来るわよ」

「酷いよアスカ~」

「でもさ、碇はエヴァで戦うってイメージが無いよな。寧ろトウジの方が向いてるかも」

 パイロットとシンクロするエヴァは搭乗者のイメージが大切だ。その為戦う事が苦手で嫌いなシイは、シンクロ率はさておき、パイロットとしての技量は決して高くは無い。

 その点ではケンスケの指摘通り、トウジの方がシイよりもパイロットの適正はあるのだろう。

「シイの場合、エヴァに助けて貰ってるもんね」

「うぅぅ、それはそうだけど……」

「……心を開いているから、エヴァが応えてくれている。それは良いことだと思うわ」

「まあそう言う訳だし、余程の事が無い限り起動実験は問題無いわよ」

 レイの事故についてはあえて語らない。不安がらせる必要は無いし、何よりプロトタイプの零号機とプロダクションモデルの参号機では、安定性が段違いだからだ。

「ありがとうアスカ、みんな。ごめんね、心配させちゃって」

「気にしないで。鈴原君もヒカリちゃんも、大切なお友達だもん」

「そう言う事。友達の心配するのは当然ってね」

 シイとケンスケの言葉に、ヒカリは少しだけ肩の力が抜けた様に僅かに微笑んで見せた。

 

 

 松代のネルフ第二実験場。その地下には輸送されてきた参号機がケージに固定され、起動実験開始の時を静かに待っていた。

「参号機、起動実験開始まで後30分です」

「主電源問題なし」

「第二アポトーシス異常なし」

「各部冷却システム、順調に稼動」

 順調に進められる起動実験の準備報告を、ミサトとリツコは地上の管制車両で受けていた。地下の実験場は無人施設の為、作業は全て地上からの遠隔操作で行われている。

「今のところ順調みたいね?」

「ええ。何しろ三機分のデータがあるもの。それに新型だけあって参号機も安定しているわ」

 零号機から弐号機まで、全てのエヴァの実験に立ち会ってきたリツコは、改めて参号機のスペックとポテンシャルに感心している様だった。

「プロダクションモデルか。そりゃ安定してなきゃ困るわね」

「弐号機の稼動データもあるから、起動後に直ぐ実戦も可能よ」

「そう……」

 稼動するエヴァが四機に増えれば、それだけ作戦の幅も広がる。それはシイ達のリスクを減らす事も含め、ネルフにとって非常に大きな意味を持っていた。

「エヴァを四機も独占、か。あまりいい顔はされないでしょうね」

「当然ね。既に五号機以降の建造権を各国が主張してるわ」

「人間同士で揉めてる余裕なんて無いのに……」

 使徒と言う人類共通の敵が出現しても尚、それぞれの利害や思惑から一致団結出来ない人間。ミサトは歯がゆい思いで一杯だった。

『フォースチルドレンが到着しました』

 管制車両に若い職員から通信が入り、トウジがこの場所に姿を見せたと報告する。

「定刻よりも幾分早いわね」

「……ちょっち話をしてきても良い?」

「タイムシフトに影響が出なければ問題ないわ。ただくれぐれも、彼の心を乱す事は言わないでね」

 念を押すリツコに頷くと、ミサトは管制車両を出てトウジの元へと向かった。

 

 管制車両から少し離れた位置にある、フォースチルドレンの待機車両。ミサトが声を掛けてから中に入ると、既に黒色のプラグスーツに着替え終わったトウジが、難しい顔をして一人椅子に座っていた。

「鈴原君」

「あ、ミサトさん。はは、このプラグスーツっちゅう奴は、着てみると恥ずかしいもんですな」

 トウジは身に纏ったスーツを触って照れたように笑う。普段のトウジとはまるで違う硬い笑顔に、ミサトは彼の緊張を察した。

「良く……似合っているわ」

「ミサトさんにそう言って貰えると、ちっとは気が楽になりますわ」

 トウジの隣に腰掛けるとミサトは深々と頭を下げた。

「……鈴原君、ごめんなさい。貴方がエヴァの乗るのに抵抗があるのを知っていて、それでも私は……」

「ちょい待って下さい。わしは自分で決めました。ミサトさんが謝る事なんて、何もありまへん」

 トウジの言葉を聞いて、ミサトは驚いたように顔を上げる。例えシイ達と仲良くなっていても、トウジは妹を傷つけたネルフとエヴァに、良い感情を抱いていないと思っていたからだ。

「難しい話はようけ分かりません。ただわしに出来る事があるなら、それがシイ達の為になって、委員長やケンスケ達、それに妹を守る事になるなら……わしは何だってやります」

 拳を握りしめるトウジの顔からは緊張だけでなく、強い決意が明確に感じられた。

 ゲンドウの企みやネルフの闇も知らない。ただ純粋に誰かの為に戦いたい。そんなトウジの真っ直ぐな気持ちに、ミサトは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

「ありがとう……鈴原君」

「礼を言われる事なんか、何もありゃせんです。当分はみんなに迷惑かけるでしょうし」

「ふふ、ビシバシ鍛えるから、覚悟しててね」

「そりゃ怖い。精々頑張らせてもらいますわ」

 ミサトと話していて少し落ち着いたのか、トウジの表情が少し和らぐ。未知の世界へ足を踏み入れた彼にとって、顔見知りであるミサトが居る事は心の支えになった。

『フォースチルドレンは、実験場へ向かって下さい。繰り返します……』

 二人の会話を遮る様に、トウジを招集するアナウンスが車両に聞こえてきた。トウジは大きく深呼吸すると、両手で頬を軽く張ってから立ち上がる。

「ぼちぼち出番みたいですわ」

「ええ。落ち着いて挑んでくれれば、きっと上手く行くわ。頑張ってね」

「じゃあミサトさん。また後で」

 トウジは会釈すると、車両の外で待機していたスタッフに案内されて、実験場へと向かっていった。

 

 

「どうだった、彼?」

「覚悟は充分だったわ。真っ直ぐに他人を守りたいって思ってる」

「……そう」

 ミサトの言葉の意図を察したのか、リツコは僅かに眉をひそめた。そんな純粋な想いを持つ子供を、自分達は利用しなくてはならないのだから。

『フォースチルドレン、エントリー完了』

『エントリープラグ挿入』

「了解。ではこれより、エヴァンゲリオン参号機の起動実験を始めます」

 リツコの宣言にスタッフ達は、一様に緊張した面もちで作業を進めていく。米国での悲劇を知っている為、それも致し方ない反応とも言えた。

『第一次接続開始』

『パルス送信。グラフ位置正常。初期コンタクト問題なし』

「……第二フェーズへ移行」

『了解。第二次接続スタート。ハーモニクス、全て正常位置』

 管制車両に表示されているグラフが、次々に問題無しを意味するグリーンへと変わっていく。全てが順調に進んでいく中、遂に起動ポイントまで到達した。

『神経接続異常なし。絶対境界線、突破します』

 パイロットとエヴァがシンクロし、起動しようとするその瞬間、参号機に異変が起こった。

 

 ケージに固定された参号機の目が突然赤く輝きだした。それと同時にまだ起動完了していないにも関わらず、身を捩るように身体が動き出す。

 想定外の事態にリツコはスタッフに状況の確認を求める。

「一体何!?」

「詳細不明! シンクログラフ反転、プラグ内モニター出来ません!」

 以前にも起動実験でエヴァが暴走した事はある。レイの初起動実験と、シイの機体相互互換試験での暴走。だが今回のケースは、それとは明らかに様子が違っていた。

「実験中断。回路を切って」

「了解…………これは……参号機の体内に、高エネルギー反応があります」

 けたたましく警報が鳴り響く中、参号機は拘束具を引きちぎろうと、一層激しく身体を動かしている。最悪のケースを回避しようと、リツコは叫ぶように指示を下す。

「パイロット保護を最優先。プラグを強制射出して」

「反応しません!」

「参号機、完全に制御不能!」

 オペレーターが叫ぶと同時に、エントリープラグ挿入部を保護する装甲板の隙間から、白い菌糸の様な物体が覗いているのをミサトとリツコは目撃した。

 これまで数多くの実戦を経験してきた二人は、それが何であるのかを本能的に理解する。

「あれは……まさか」

「使徒!?」

 そんな二人の言葉が聞こえた訳では無いだろうが、参号機はそれに応えるように顎の拘束具を引きちぎり、大きく口を開いて咆哮する。

 次の瞬間、松代第二実験場は閃光に包まれた。

 




使徒がエヴァに寄生したのは輸送中らしいですね。だとすればどれだけシイ達が頑張ろうが、トウジの意思が強かろうが、必ず事故は起きてしまいます。

※ゲーム版では回避出来る可能性がありました。本小説での展開では厳しいですが、事故が起こらない未来もありるので、追記させて頂きます。


使徒に乗っ取られた参号機。原作通り無惨な姿となるのか、それとも……。

この話の展開上ぶつ切りは好ましくないので、18話は本日中に全て投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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18話 その4《夕暮れの対峙》

 

 アスカの携帯に連絡が入ったのは、午後の授業の休憩時間だった。予定では丁度起動実験が終わった位の時間だったので、実験終了の報告だろうとアスカはヒカリにウインクをしてから電話に出る。

「はい、アスカよ。やっと終わったの?」

『アスカ! シイちゃんとレイも一緒に居る?』

 電話の相手はマヤだった。番号を確認していなかった為、ミサトからの電話だと思っていたアスカは少し驚きつつも、僅かに眉をひそめただけで動揺を外に見せない。

 自分の問いに答えず慌てた様子で話すマヤに、僅かな不安を抱きつつも平静を装って返答する。

「居るわよ。全員教室に集まってるわ」

『今そっちに迎えが向かってるから、全員本部に集合して』

「使徒なの?」

『落ち着いて聞いてね。……松代第二実験場が起動実験中に、謎の大爆発を起こしたの』

 マヤの言葉を聞いてアスカの顔が一瞬で青ざめた。それは周りに居たシイ達にも直ぐさま伝わり、一同は不安げにアスカへ視線を向ける。

『葛城三佐も赤木博士も連絡が取れないの。とにかく直ぐ本部に来て』

「……分かったわ」

 トウジはどうなったのかと聞きたかった。だが聞けなかった。もしここでトウジの名前を出せば、彼の身に何かが起きたことをヒカリに知られてしまう。

 それを恐れたアスカは、喉から出かかった言葉を必死に飲み込んだ。

 

「アスカ、何かあったの?」

「非常招集よ。あたし達全員、本部に集合しろってさ」

 アスカの言葉にシイ達の表情が強張る。このタイミングでの非常招集が、トウジと無関係とは到底思えなかったからだ。

「あの馬鹿に関係あるかはまだ分からないわ。使徒かも知れないし」

「そう……だよな」

「……うん」

 同意するケンスケとヒカリだが、それがアスカの思いやりだと気づいていた。でなければアスカが、あんな青ざめた表情を見せる筈が無いのだから。

「何にせよ急いで本部へ行くわよ。ほら、ボサッとしてないで」

「あ、うん」

「……分かったわ」

 呆然としているシイの背中を叩き、アスカは鞄を手に取り教室から飛び出していく。未だ状況を理解出来ていないシイとレイも急いで後を追おうとするが、その背後からケンスケが声を掛けて呼び止める。

「碇、頼む! あいつを……トウジを助けてやってくれ」

「相田君……」

「トウジに何かあったってのは、俺にだって分かる。だから……助けてくれ。頼むよ」

 ケンスケは深々と頭を下げてシイに懇願した。クラスメイト達が、何事かと訝しげな視線を向けるが、それでもケンスケは姿勢を崩さない。

「シイちゃん、綾波さん。お願い……鈴原を……」

 ケンスケの隣に並んでヒカリも頭を下げて頼み込む。シイは何が起きたのかまだアスカから聞いていない。だがそれでも友人達の頼みを無視出来なかった。

「うん。私が出来る事、全部やってみる」

「……ベストを尽くすわ」

 シイとレイは二人に頷いてみせると、教室を走って出ていった。

 

 

 

 松代第二実験場の爆発は、ネルフ本部に衝撃を持って伝えられた。米国第二支部での事故を受けて、細心の注意を払っていた中での出来事なのだから、彼らも動揺を隠せない。

「連絡は完全に途絶えました。被害状況は不明です」

「生存者の救助が最優先だ。それと第三部隊を派遣して現場を管轄下に置け。戦自の介入前に処理するんだ」

「了解」

 慌ただしい発令所に冬月の怒声混じりの指示が飛ぶ。四号機に続き参号機も事故を起こすと言う信じられない事態に、彼も内心困惑していた。

「事故現場に謎の移動物体を確認!」

「使徒か!?」

「いえ、パターンオレンジ。使徒とは確認できません」

 日向の返答に冬月の眉間に一層シワが深く刻まれる。ただでさえ情報が錯綜している現状で、これ以上未確認の情報が増える事は好ましくなかった。

「……総員、第一種戦闘配置」

「了解。地、対地迎撃戦用意」

 ゲンドウの指示に日向が直ぐさま対応する。

「日本政府各省、並びに委員会から情報の要求が来ていますが」

「適当にあしらっておけ。今はそれどころでは無い」

「はい。広報パターンCで対処します」

 冬月から直接指示を受けた青葉は手早く端末と操作する。この非常時に余計な仕事をする時間など無いのだが、付け入る隙を見せる事は避ける必要があった。

「葛城三佐に代わり私が直接指揮を執る。エヴァの発進準備はどうだ?」

「パイロット三名は本部に到着済み。現在、搭乗準備に入っています」

「完了次第発進させろ」

「了解。エヴァ三機、迎撃地点へ発進準備」

 マヤは射出ルートの設定を行い、謎の移動物体の迎撃に備える。誰もが何が起こっているのか分からぬまま、ただ戦闘準備だけが進められていった。

 

 

「爆発事故……みんな無事なのかな」

 発進準備を行うシイは、突然起きた悲劇に不安を隠せなかった。

「……分からない。情報が混乱している見たいだから」

「あのミサトとリツコが、そう簡単にやられる訳無いじゃない。あいつにしてもそうよ。ヒカリのお弁当食べるって約束したんだから、死ぬなんて許されないわ」

 アスカの言葉は自分に言い聞かせる様にも聞こえた。今回の事故で一番ショックを受けているのは、実は彼女なのかも知れない。

「私達も救助に行っちゃ駄目なのかな?」

「戦闘配置って言われたでしょ。謎の移動物体が、こっちに向かって来てるらしいし」

 アスカも状況が許せば直ぐにでも現場へ駆けつけたいと思っている。だが謎の移動物体が使徒であるなら、自分達の役目を放棄するわけにはいかないと、必死で気持ちを抑えつけていた。

「……現場には救助班が向かってるわ」

「移動物体……使徒かな」

「さ~てね。ま、あの碇司令が直々に指揮を執ってる位だし、ただ事じゃ無いと思うけど」

 副司令である冬月が指揮を執る事はあったが、ゲンドウが直接指揮を執る事は極めて珍しい。ミサトが不在であったとしても、今起きている事態が余程大事なのだろうとアスカは推察した。

「何にせよ情報が足りないわ。迎撃地点に出たら状況把握が最優先ね。通信は開きっぱなしで行くわよ」

「うん」

「……分かったわ」

 三人が搭乗したエヴァは、迎撃地点である野辺山へと向かった。

 

 

「目標の姿を、野辺山でモニターに捉えました」

「映像を主モニターへ回します」

 夕暮れの野辺山が発令所の巨大モニターへ映し出される。そこに巨大な人影が、夕日を背にゆっくりと歩行する様子がハッキリと確認出来た。

 恐れとも何ともつかぬ声がスタッフ達から漏れる。歩みを進める巨大な人影。それは見間違うはずも無く、漆黒のエヴァンゲリオン参号機だった。

「やはりか……」

 苦々しげに冬月が呟いた。現状で一番可能性の高いケースと覚悟はしていたが、それでも実際に自分の目で確認するとやり切れない気持ちになる。

「強制停止信号を送れ」

「……駄目です。反応ありません」

「エントリープラグを強制排出」

「……排出できません」

 プラグの保護装甲板は吹き飛んだが、プラグの周囲にまとわりつく白い菌糸が、まるで蜘蛛の糸の様にエントリープラグを捉えて離さない。

「あれが使徒の本体か……」

「恐らく寄生するタイプなのだろう」

「厄介だな。パイロットはどうだ?」

「脈拍と体温、生命反応は確認できています。ですが……」

 マヤは辛そうに報告する。プラグ内のパイロットはエヴァと神経接続をしている。それが使徒に浸食されたとすれば、精神汚染などのリスクが高く、無事では済まないだろう。

 

 重苦しい空気が発令所を包む中、ゲンドウが静かに口を開く。

「……エヴァンゲリオン参号機は現時刻を持って破棄する」

「碇……」

「同時に目標を第十三使徒と識別する。総員戦闘準備に移れ」

 まだ生きているパイロットが……子供が乗っている。それを知った上でゲンドウは、参号機を使徒として処理する事を決断した。それはスタッフ達にとって、到底受け入れられぬ命令だった。

「しかし……」

「まだフォースチルドレンが」

「予定通り野辺山にて迎撃戦を開始する。パイロット各位にもそう伝えろ」

「……了解」

 不服な態度を隠そうともしないスタッフに、しかしゲンドウは断固として命令を曲げない。司令の命令を撤回出来る筈もなく、マヤは暗い表情でシイ達へ命令を伝えるのだった。

 

 

「あれが参号機。鈴原君が乗ってる……」

「あの馬鹿……。使徒に乗っ取られるなんて、初っ端からドジってんじゃ無いわよ」

「……プラグを確認。乗ってるわ、彼」

 猫背のような前傾姿勢で歩行を続ける参号機。その首筋に白い糸のような物に絡め取られている、エントリープラグの存在を確認し、レイは小さく呟いた。

「じゃあエントリープラグを抜けば、鈴原君を助けられるよね」

「二機が動きを止めて、残る一機でプラグを抜き取る。これがベターかしら」

 シイの提案をアスカが即座に具体案へ変える。

「……担当は?」

「あたしが右、レイが左から接近して動きを止めるから、シイはその隙にプラグを抜きなさい」

 相手の動きを止めると言う行動は訓練をしていないと難しい。アスカはそれぞれの力量を考慮して、的確な役割分担を決めた。

「で、プラグ回収後に参号機がまだ抵抗を続けるなら遠慮はいらないわ。徹底的に殲滅するわよ」

「うん。分かったよ」

「……良いわ。それで行きましょう」

 トウジを救出する。その明確な目的が、三人のモチベーションを高めていく。

『その必要は無い』

 だがそんな彼女たちに水を差すように、ゲンドウから冷たい声で通信が入った。

 




作では戦力を分散した結果、各個撃破されてしまいました。ゲンドウが専門ではないとは言え、あまりに下手を打ちすぎだなと感じたので、今回は三機固まっています。

ケンスケが察し良すぎるかと思いますが、父親のPCからデータを抜き出せる程、要領が良く頭の回転が速い少年なので、この位はやるかと。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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18話 その5《命の選択をする覚悟》

 

「必要ないって……どういう事なの、お父さん!?」

『あれは使徒だ。余計な行動をせずに、直ちに殲滅作戦を行え』

 ゲンドウの冷たい声に、シイは信じられないと言った様子で、モニター越しの父親を見つめる。

「だって鈴原君が乗ってるんだよ。使徒を倒すのは助けてからでも……」

『これは命令だ。目標を殲滅しろ』

 トウジを無視したゲンドウの物言いを聞いて、次第にシイの表情が強張っていく。あまりに理不尽な命令に対して、心の奥底から怒りが沸き上がってきた。

「じゃあお父さんは、鈴原君がどうなっても良いって言うの!?」

『フォースチルドレンの生死は問わん。優先すべきは使徒の殲滅。フォースの救出では無い』

「嫌! 私は鈴原君を助ける! そう約束したんだもん!!」

 トウジの事を助けてくれと頼んだ、ケンスケとヒカリの姿がシイの脳裏に浮かぶ。トウジを含めた六人で楽しく過ごした日々が思い起こされる。

 大切な友人を見殺しにすることなど、シイには考えることすら出来なかった。

 

 発令所の主モニターには、険しい表情でゲンドウを睨み付けるシイの顔が映し出されていた。迫力などまるで無いのだが、普段の笑顔とのギャップにスタッフ達は辛そうに目を背ける。

(そりゃシイちゃんが怒るのも無理ないって)

(だよな。友達見捨てろなんて、親の台詞じゃ無いぜ)

(アスカの作戦。どうして駄目なの?)

 オペレーター三人組は疑惑の視線をゲンドウへ向ける。しかしゲンドウは自分に向けられるあらゆる感情を無視して、静かにシイへと声を掛けた。

「……シイ。この使徒は対象に浸食するタイプだ」

『だから何?』

「接触すれば、初号機も浸食される可能性がある」

『だけど……』

「初号機だけでは無い。零号機、弐号機も浸食されれば、人類は使徒への対抗策を失うのだ」

 ゲンドウは諭すようにシイへと語りかける。だがそれは優しさからではなく、シイに命令を聞かせる為の最善策と判断したからに過ぎない。

「お前は人類の命運を背負って戦っているのだ。分かれ、シイ」

『そんなの……そんなの、分かんない!!』

 迷いを吹っ切るようにシイは思いきり叫んだ。

『友達を、鈴原君を見捨てるなんて、私には出来ないよ!』

「……それがお前の答えか」

 シイとゲンドウの視線が真っ向からぶつかり合う。互いに譲らぬ、譲れぬ主張。両者の睨み合いを破ったのは、ため息をつくゲンドウだった。

「初号機パイロットのシンクロを、全面カットしろ」

「えっ!?」

「全面カット……ですか?」

「そうだ。回路をダミープラグへ切り替えろ」

 ゲンドウから下された信じられない指示に、日向達は思わず振り返って司令席を見てしまう。だがゲンドウは普段と変わらぬ様子で、自分の指示が実行されるのを待っていた。

「碇……」

「子供の我が儘で、初号機を失うわけにはいかん」

 友人を思うシイの気持ちを、子供の我が儘と切って捨てるゲンドウ。司令としては正しい姿なのかも知れないが、彼に対するスタッフ達の反感は高まっていく。

「し、しかし碇司令。ダミーシステムにはまだ問題点も多く、赤木博士不在の今使用するのは……」

「私が許可する。やれ」

「……了解」

 強い口調でゲンドウに指示され、マヤは仕方なく作業に取りかかった。

 

「……駄目です。シイちゃんと初号機のシンクロがカット出来ません」

「馬鹿な!?」

 マヤの報告にゲンドウは動揺の余り立ち上がってしまう。そんなゲンドウに代わって、冬月が冷静に状況の確認を求める。

「それはプラグ側から拒否されたのか?」

「いえ、エヴァが拒否しています」

「……そうか。ユイ君、やはり君は……」

 冬月は一人で納得したように小さく呟きながら頷く。ゲンドウと違い冬月には、この事態がある程度予測出来ていた様だった。

「目標、迎撃ポイントへ到達します」

「やむを得んな。パイロット各員へ通達、フォースチルドレン救出作戦を承認する。ただし救出が困難とこちらが判断した場合、直ぐ殲滅作戦に移行するのが条件だ」

 動揺しているゲンドウに代わり毅然と指示を下す冬月。そんな彼にシイ達だけでなく、発令所のスタッフ達からも敬意の籠もった視線が向けられた。

『冬月先生……はい!』

『はん、最初っからそう言えば良いのよ』

『……了解』

 再びモチベーションを高めたシイ達は、力強く頷いて救出作戦へと挑むのだった。

 

 

 使徒に乗っ取られた参号機は、トリッキーな動きでアスカ達を翻弄する。あり得ない角度に動く手足に、伸縮自在の両腕。人の常識から外れた変則動作は、全てが予測不可能だった。

 アスカとレイは必死に攻撃を回避しながら、動きを止めるチャンスを辛抱強く待っていた。

「っっ~。動きが読み辛いったらありゃしない」

「……でもパターンはあるはずよ」

「こりゃ根比べね」

 防戦一方のアスカとレイだが、やられっぱなしでは無い。攻撃を回避しながら、参号機の行動パターンを分析して、動きを止める隙を伺っているのだ。

「二人とも! 私も一緒に……」

「良いからあんたは自分の出番を待ってなさいって」

 参戦しようとするシイを、アスカは不敵な笑みを浮かべて止めた。自分でも苦戦している参号機の動きに、接近戦を特に苦手としているシイは対応出来ないだろう。

「あたし達が必ず動きを止めるわ。あんたはそのチャンスを、必ず生かしなさい」

「……私達を信じて」

「あ、うん。分かったよ」

 再び参号機と激しく交戦するエヴァ両機を、シイは物陰から見守っていた。二人が作ってくれるチャンスを無駄にしない様、その一瞬に備えて集中力を極限まで高めて行く。

(大丈夫……私にはお母さんが着いていてくれる。きっと……助けられる)

 レバーを強く握りしめながら、シイはその時を待っていた。

 

 

「零号機、弐号機、共に参号機と近接戦闘を展開中」

「損傷は軽微。戦闘続行に支障はありません」

「アスカはともかく、レイも凄いな」

 発令所の主モニターには、激しく動くエヴァの姿が映し出されていた。変則的な参号機の動きを、アスカとレイは互いにフォローをし合いながら、的確に対応していく。

「ふむ……コンビネーションを鍛えておいて正解だったな」

 分裂使徒との戦いに備えて行ったアスカとレイの協調訓練。困難を極めた訓練だったが、その成果はこの戦闘に置いても如何なく発揮されていた。

「シイ君はどうだ?」

「戦闘地点より、300離れた位置にて待機中」

「参号機の注意は完全に二機にある、か。さて……上手く行くかな」

 夕日が沈み始めた野辺山で繰り広げられるエヴァ同士の死闘。発令所のスタッフ達は三人の必死な思いを感じ、作戦の成功を祈らずにはいられなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……気づいた?」

「……ええ。腕を伸ばした後、僅かに硬直時間があるわ」

 参号機の攻撃を回避しながらも分析を続けていた二人は、特定動作の直後に生まれる隙を見つけた。

「掴まったらやばいけど、接近しながら回避出来ればチャンスね」

「……これ以上長引けばこっちが不利よ」

 エヴァでの戦闘はパイロットの体力を容赦なく奪う。無尽蔵のスタミナを誇る相手に長期戦は不利と判断した二人は、軽く頷きあって覚悟を決める。

「シイ! これから勝負かけるから、しっかり準備してなさいよ」

「……鈴原君を、よろしく」

「うん。二人とも、気を付けて」

 シイ、アスカ、レイの三人は最後の勝負に挑むべく、力強くレバーを握りしめた。

 

 

 アスカには訓練によって培われた勘があった。どの距離にどの体勢でいれば、相手がどの攻撃をしてくるのか、それを感覚で理解して処理出来る才能も備わっていた。

 これによりアスカは参号機に腕伸ばし攻撃を自然と誘導する。

「来たわ!」

「んっ!」

 高速で向かってくる参号機の腕。アスカとレイは相手に接近しながら、それを紙一重で回避してみせる。伸びた手が収縮する際に出来る僅かな隙を逃さず、零号機と弐号機は参号機の身体を取り押させた。

「今よシイ!」

「碇さん!」

「うん! 行けぇぇぇぇ!」

 初号機の目に一際強い眼光が宿ると同時に、全速力で参号機へと駆け出す。もがくように暴れる参号機の背後に辿り着くと、白い菌糸がまとわりついたエントリープラグを左手で掴む。

「このぉぉ」

 グッとプラグを引き抜こうとするが、ゴムのように菌糸が伸びてしまいなかなか抜くことが出来ない。右手で後頭部を、右足で肩を押さえ付けて、力任せにとにかく引っ張る。

 徐々にエントリープラグが外部へと露出して来て、後一息と思われた時、異変が起こった。

「っっっ!!」

 プラグを掴む初号機の左手に白い菌糸が浸食を始めたのだ。まるで皮膚の中を虫が這うように、初号機の装甲板に血管状の筋が走った。

「ぅぅぅ……」

 神経を直に刺激される様な激痛にシイは顔を歪める。手の平から始まった浸食は、徐々に侵食範囲を伸ばしていき、肘の位置まで達した。

「シイ!」

「碇さん!」

『『シイちゃん!!』』

 悲鳴のような仲間の叫びが脂汗を浮かべるシイの耳に届く。

「うぅぅぅ……助け……るんだ」

 シイは瞳に涙を溜めながらも、決してプラグを握る手を離さない。侵食を受けた左手はほとんど自由が利かない為、シイは初号機の両足を参号機の両肩に乗せて思い切り背伸びをした。

 屈伸運動の要領で手で引っ張る以上の力を得て、遂にエントリープラグの排出に成功する。

 

 プラグが排出されると同時に参号機は活動を停止した。だがそれが切っ掛けとなったのか、使徒の初号機への浸食は一層速度を増していく。

「っっぅぅ……」

 初号機の肘から二の腕にかけて無数の筋が走り、それに比例してシイが受ける痛みは増加していく。シイの危機に発令所の冬月が即座に指示を下す。

『いかん! 神経接続をカット。初号機の左腕を切断しろ!』

『駄目です! カットが間に合いません!』

『むぅ……』

 シンクロ状態のまま左腕を切断すれば、シイの身体に大きなダメージを与えてしまう。その事実が冬月の判断を鈍らせてしまった。

 だが使徒は神経接続のカットを待ってはくれない。進行する侵食にシイはある決断を下す。

「……アスカ……綾波さん……お願い」

「くっ! 分かったわ」

「……ごめんなさい」

 シイの言葉の意図を察したアスカ達は、弐号機と零号機にプログレッシブナイフを握らせる。そして使徒の侵食が胴体に到達する前に、初号機の左腕を肩口からナイフで切断した。

「っっっっっっ~~~~!!!!」

 左肩から腕を切り落とされる激痛に、シイは声にならない悲鳴を上げる。ユイの存在を理解しシンクロ率が向上した結果、フィードバックダメージも以前と比較にならない程、強くなっていたのだ。

『神経接続のカットを急げ!』

 冬月の叫び声を聞きながら、激しい痛みに限界を超えたシイの意識は白い闇へと落ちていった。

 

 

 松代第二実験場跡。すっかり日が暮れた爆発の現場付近は、騒然とした空気に包まれていた。

「生存者だ! 直ぐに救助班を回してくれ!」

「こっちにも居たぞ! まだ息がある。急いでくれ」

「……ああ、そうだ。全ての資料は焼却処分しろ」

「全ての道路は封鎖だよ。政府も戦自も出入りを許すな」

 生存者の救出を行う救助班と、情報規制を行うネルフ職員が入り乱れたここも一種の戦場と言えた。

 

「葛城、葛城」

「……あ、れ。加持?」

「良かった。無事みたいだな」

 ストレッチャーに寝かせられたミサトが呼びかけに反応した事に、傍らに寄り添っていた加持は安堵のため息をつく。

「大きな外傷は左腕の骨折だけだ。ただ頭を強く打ってるから、検査が必要らしいが……」

「……リツコは?」

「安心しろ。君より軽傷だ。もう現場で指揮を執ってる」

 加持が親指で指す先には頭に包帯を巻きながらも、スタッフに指示を出す白衣のリツコが見える。そのタフさにミサトは安心と同時に呆れも感じていた。

「ホント、こう言うとき位休めば良いのに」

「そうも言ってられないんだろうな。何せリッちゃんは現場責任者だから」

「……はっ!! そう、参号機は……鈴原君は……」

 頭部への衝撃からか一時的に記憶の混濁があったミサトは、加持の言葉で状況を完全に把握すると、上半身を起こして興奮気味に加持へと問いかける。

「葛城、落ち着いて聞いてくれ。まず先の事故は、第十三使徒によるものと結論づけられた」

「じゃあ……まさか」

「使徒はエヴァ三機によって……処理されたよ」

 加持の言葉にミサトは目の前が真っ暗になった。処理されたと言うことは、参号機はシイ達の手によって殲滅されたのだろう。それは友人が乗るエヴァを、彼女たちの手にかけさせてしまった事を意味する。

 あまりに残酷で救いようのない結末に、ミサトの心は酷く痛めつけられた。

「私は……あの子達に何て謝れば……」

「ただし参号機は無事だ。エヴァとの戦闘で小破したが……修復可能らしい」

「え!?」

「参号機を使徒と断定して殲滅命令を下した碇司令に逆らって、シイ君達は強引にプラグを回収。使徒の本体はプラグに寄生していたらしく、最後には焼かれて殲滅されたよ」

 加持はその後の出来事をミサトへと話す。

「フォースチルドレンはプラグから救出後に病院へ搬送。今のところ身体に異常は無いみたいだ」

「…………」

「お、おい。いい歳して泣くなよ」

 安堵からかポロポロと涙を流すミサトに、加持は慌ててハンカチを差し出す。それを受け取ったミサトは涙をふき取ると、チーンッと鼻をかんでからハンカチを返す。

「少し落ち着いたわ」

「……何よりだ」

 紛らわしい言い方をした加持へ、せめてもの意趣返しなのだろう。加持は苦笑しながら丸まったハンカチをポケットへ突っ込んだ。

 

「とにかく、今日はこのまま病院で休め」

「ええ。でもこれだけは聞かせて。シイちゃん達は無事なの?」

「……アスカとレイは負傷無しだ。相当疲労していた見たいだがな」

「そう。それでシイちゃんは?」

 ミサトの問いかけに加持は言いづらそうに目を逸らす。それがミサトの不安を余計にかき立てる。

「ちょっと、悪ふざけは止めてよ。シイちゃんはどうしたの? まさか負傷したの?」

「……神経接続中に初号機の左腕を切断した」

「なっ!?」

「本人は作戦終了後に痛みによる失神。病院に搬送されたが……後遺症が残るかもしれないそうだ」

 まだ十四才の少女が一生物の障害を背負うかもしれない。トウジを救い出す為とは言え、あまりに重い代償にミサトの顔が歪む。

「あくまで可能性の話だ。完治する可能性だって、大分あるらしい」

「……そう」

「大丈夫だ。あの子は愛されている。運命の女神だって味方にしてしまうさ」

 加持なりの励ましにミサトは硬い表情のまま頷くと、救急車で病院へと搬送されていった。

 

 去っていく救急車を見送りながら、加持は煙草を口にくわえて火を点ける。

(命令違反……司令への明確な叛意……ただじゃ済まないだろうな)

 これから起こりうる事態を考え、加持は顔をしかめた。あれだけあからさまに命令を拒否したシイに、ゲンドウが何の処罰も与えないとは考えられない。

(……だがこれを逆手に取れば、あるいは……)

 吐き出される紫煙がいつもと変わらぬ星空へと消えていった。

 




バルディエルですが、勝手な妄想で寄生型、しかもプラグ経由でエヴァを乗っ取ったと設定してしまいました。
プラグを抜いたら活動停止……ご都合主義ですいません。

シリアス的な山場は19話で大体ピークかと。山頂を超えれば、後はのらりくらり面白おかしく下るだけですので。

トウジが無事で参号機も健在。恐らくこれまでで一番原作を大きく外れた出来事かと。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《女の戦い?》

シリアスクラッシャーのアホタイムです。

時間軸はやはり、17話開始前となっています。


 

~自業自得~

 

 それはシイとアスカ、ミサトが揃って夕食を摂っている時の事だった。

「……ごちそうさま」

「あらシイちゃん。もう食べないの?」

「は、はい。ちょっと……食欲が無くて……」

 ミサトの言葉にシイは愛想笑いをしながら答えると、まだご飯が半分以上残っている自分の食器を、そそくさと流しへと持って行く。

 決してご飯が不味いわけでは無い。寧ろ今日のハンバーグは絶品と言って良い出来で、事実ミサトとアスカは既に完食しているのだから。

「ちょっとシイ。あんた調子でも悪いの?」

「ううん……ただ食欲が無いだけ」

 困ったように愛想笑いするシイをアスカは更に問い詰める。

「だから、それは具合が悪いからじゃ無いの?」

「ち、違うってば。私は元気だよ」

 アスカの追求に何故かシイは焦った様子で、両拳を握って元気をアピールする。そのあからさまに怪しい態度に、アスカとミサトはシイが何か隠していると確信した。

「ぐびぐび……シイちゃん、ちょっとそこに座って」

「はい」

 シイは食器を水に浸すとミサトとアスカの正面へ座る。ミサトは手にした缶ビールを飲み干すと、単刀直入にシイへと問いかけた。

 

「何か、隠してるわね?」

「!?」

「で、何を隠してるの?」

「べべべ、別に何も……隠して無い……もん」

 もはや自白と言って良いレベルだった。冷や汗を掻きながら目線を逸らすシイに、アスカとミサトはジッと疑いの眼差しを向ける。

「あっ、宿題が残ってるんだった。部屋に戻るね」

「まあ待ちなさいって」

 逃げようとするシイの手を、アスカがすかさず掴んで離さない。力勝負でシイに勝ち目がある筈もなく、あっさりと席へと戻されてしまう。

「今日はあんたの好きなハンバーグ。それを半分も残すなんて……変よね?」

「た、たまにはそう言う時もある……かな?」

「へぇ~。献立を決めてる人間には、流石に厳しい言い訳ね」

「それは……そう、アスカもハンバーグ好きだから、変えるのは悪いな~って……」

 シイも必死に言い訳をするのだが、ジト目のアスカに真っ直ぐ見つめられてしまうと、弁解の言葉は尻つぼみになって消えていく。

「ど~も変ね。そう言えば今日のあんたは、朝からちょっと様子がおかしかったわ」

「べ、別に普通だよ」

「いつもは必ず飲む牛乳も飲まなかったし、ご飯もさり気なく残してたわね」

「だから食欲が……」

「昼ご飯もほとんど食べてなかったわ。授業も頬杖ついて上の空だったし」

 次々に不審な点を列挙するアスカに、シイは俯いて黙り込んでしまう。そんなシイにアスカはため息をつくと、肩に手を置いて語りかけた。

「……ねえ、本当に病気とかじゃ無いんでしょうね?」

 アスカの声はからかうような物ではなく、真剣にシイの身体を心配している様だった。それが分かるからこそ、シイは困ったように眉を八の字にして言葉に詰まってしまう。

 

(一度メディカルチェックを受けさせるべきかしらね……ん?)

 二人のやり取りをビールを飲みながら見つめていたミサトは、ふとある事に気づく。

「ねえシイちゃん。左の頬、少し腫れてない?」

「え゛……」

「あ、本当だわ」

 ミサトの指摘に、間近で見たアスカが間違いないと頷く。シイの左頬は僅かにではあるが、赤みを帯びて膨らんでいた。慌てて頬を手で隠すシイだが時既に遅し。ミサトは全てを察した。

「な~る。……シイちゃん、ちょっと口を開けなさい」

「そ、それはちょっと……」

「アスカ、やりなさい」

「口? あ、そう言うこと。OK」

 ミサトに遅れて事情を理解したアスカは、シイの口を指で摘んで強引に開かせる。

「ひ、ひひゃひ。ひゃひゅひゃ、ひゃひぇひぇひょ」

「……ビンゴね。バッチリあるわよ、シイの隠し事が」

「やれやれ。シイちゃん、いつから出来たの? その虫歯」

 ミサトはビールをテーブルに置くと、ため息をつきながら呆れたように尋ねた。

 

「……三日くらい前から水を飲むと少し痛くて……今朝起きたら何もしてないのに痛くて……」

「進行したのね」

「ほっんと馬鹿ね。早く治療しておけばそこまで酷くならなかったのに」

 自白したシイにアスカは肩をすくめて言った。本気で病気じゃ無いかと心配していた分、真相を知った時の落胆と呆れは一層強い。

「とにかく食事も満足に食べられないんじゃ、学校も仕事も支障が出るわ」

「……はい」

「明日の朝一で予約を取ってあげるから、ちゃっちゃと治療して来なさい」

「嫌です」

 まさに即答だった。一切の迷い無く治療を拒否したシイに、ミサトもアスカも思わず言葉を失う。

「い、嫌って……だって、治療しなきゃずっと痛いままよ?」

「ちゃんと歯磨きしてるから、その内治ります」

「あ、あんた馬鹿ぁ? 一度虫歯になったら、削らないと治らないのよ!」

「治るの! 治るんだってば!」

 駄々っ子のように両手を激しく振るシイに、アスカ達は呆然と視線を送りやがて気づく。この少女は歯医者が苦手なのだと。

 

「分かったわ。でも保護者としてこのまま放置する訳には行かない。悪いけど……」

「力ずくでも連れて行くわよ」

「嫌ったら嫌! 絶対に歯医者なんか行かないもん!」

 椅子を倒しながら立ち上がると、一目散に玄関へと駆け出すシイ。慌ててアスカが捕まえようとするのだが、伸ばした手は僅かに届かず虚しく空を切る。

 バランスを崩したアスカが追いかける前に、シイはパジャマのまま外へと飛び出して行ってしまった。

「アスカ、追いかけるわよ!」

「分かってるって。でも着替えてからね」

「……そうね」

 後は寝るだけと言う状況だった為、ミサトもアスカも半袖短パンのラフな格好をしていた。流石にこのまま外へ出る程、二人の羞恥心は薄くない。

「ったく、変な所で子供なんだから」

「……あ~私。サードチルドレンが外に出たから追跡して。……ええ、監視だけ。手は出さないで」

 ミサトは手早く保安諜報部員へ連絡を取ると、大急ぎで着替えを済ませてアスカと共に、シイを捕まえる為に夜の第三新東京市へと向かうのだった。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 限界まで走ったシイは、ネオンが眩しい繁華街の裏路地に身を隠して、壁を背に呼吸を整える。

「……うん。二人とも着いてきて無い」

 無事アスカ達から逃げ切れた事に、安堵して胸をなで下ろした。安心は心の余裕を産み、余裕は思考能力を復活させる。

「でもこれからどうしよう……家には戻れないし」

 パジャマ姿で逃げ出した為、今のシイはお金はおろか携帯電話も何も持っていなかった。ホテルに泊まるにしてもお金は必要なので、シイの選択肢は一気に限られてしまう。

「本部は……ううん、駄目。きっとミサトさんが連絡しちゃってるもん。なら……」

 数少ない選択肢を吟味して、シイはパジャマで夜の街を移動し始めた。

 

 

『……こちら保安諜報部第六班。サードは移動を再開。住宅地区へ向かっています』

「読み通りね。じゃ、予定通りよろしく」

 ミサトはルノーを走らせながら諜報部員へ指示を出す。

「はぁ。ホント考え無しなんだから。チルドレンがマークされてるなんて常識じゃない」

「まあそれがシイちゃんだからね」

「……居場所が分かってる鬼ごっこなんて、絶対勝てるはず無いのに」

 追いかけている立場のアスカだったが、シイに絶対不利なこの状況に何処か不機嫌そうに呟いた。

 

 

 シイが逃げ場所に選んだのはヒカリの家だった。レイの家も選択肢にあったのだが、ネルフ関係者はリスクが高いと判断して、ミサトの手が回りにくいヒカリを選んだ。

 周囲を警戒しながら小走りで路地を進んでいると、

「……あっ!?」

 ヒカリの家の前に見覚えのある青いルノーが停車している事に気づき、慌てて路地の角に身を隠した。鼓動を早める心臓を抑えながら、そっと壁から様子を窺う。

「ミサトさん……私の動きはお見通しなんだ……」

 唇を噛みしめながら、行動を予測された事に悔しさを滲ませる。だがまだ発見されていないんだと、気持ちを切り替えこの場から離れようと身を翻す。

(綾波さんの家にお邪魔させて貰うしか……!?)

 来た道を引き返そうとしてシイは気づく。路地の先に複数の黒服が待ちかまえている事に。

(保安諜報部さん? ミサトさんが呼んだの?)

 進路を変更して複雑に入り組んだ路地を走り出す。だが行く先々に黒服の姿を見つけ、レイの家に向かう事はおろか繁華街に戻ることすら出来ない。

 作戦部長葛城ミサトの包囲網に一切の隙は無く、シイは完全に封殺されてしまった。

 

(うぅぅ……何処にも行けないよ)

 逃げ場を失い呆然と立ち尽くすシイに、ゆっくりと人影が迫る。

「シイちゃん。もう鬼ごっこは終わりよ」

「ミサトさん……」

「観念しなさい。あたしとミサト、それに保安諜報部から逃げるのは不可能なんだから」

「アスカ……」

 前後から迫るミサトとアスカ。左右両側には高い壁がそびえ、シイではとても乗り越えられそうに無い。二人の背後には黒服が逃げ道を塞ぐように立っており、もはや万策尽きた。

「良い子だから、大人しくしててね」

「あんたの負けよ」

「い、いや……いやぁぁぁぁ!!」

 歯医者へと連行される敗者の悲鳴が、夜の住宅街に響き渡った。

 

 

 シイが歯医者に連行されてから数十分後、ネルフ本部発令所はかつて無い緊張感に包まれていた。司令と副司令を始め主要スタッフが全員持ち場に着いており、最大級の警戒態勢を取っている。

「初号機との連動回路、カットされました」

「プラグを強制射出しろ」

「駄目です。プラグ側から拒否されており、受信しません」

 マヤのある意味何時も通りの報告に、冬月は眉をひそめる。発令所のスタッフ達も一様に困惑した表情を浮かべ、主モニターに映るシイの姿を見つめていた。

「電源は?」

「外部電源は既に切ってあります。現在、内蔵電源にて起動中」

「活動限界まで、後4分25秒」

「これは……どうしたものか」

 オペレーター達からの報告を受けて、心底困ったように冬月はため息をついた。

 

 ミサトとアスカによって強制的に身柄を拘束されたシイは、そのままネルフ中央病院の歯科へと連行された。泣き叫ぶ彼女だったが、大人の力に勝てるはずもなく、無理矢理治療を受ける事になった。

 これで一安心とミサトが胸をなで下ろしたのも束の間、シイは治療の合間に病院を泣きながら逃げ出すと、ケージの初号機に搭乗。そのまま中に閉じこもってしまったのだ。

 

「止めるんだシイちゃん! 虫歯のまま放置すれば、君が辛い思いをしたんだ!」

『……そんなの関係無いもん』

「だがそれも事実だ」

『……それ以上言うと怒りますよ』

 日向の必死な説得にもモニター越しのシイは聞く耳を持たない。真っ赤に腫れた目は完全に据わっており、不機嫌ここに極まれりと言った様子だった。

『……初号機に残ってる後240秒。これだけあれば、あの歯医者さんは壊せます』

「い、今の彼女なら、やりかねませんね」

 狂気に支配されたシイの迫力に、青葉は気圧されたように呟きを漏らす。普段なら可愛らしいパジャマ姿なのだが、今の言動とのミスマッチが余計に怖かった。

「シイちゃん話を聞いて! 葛城三佐の判断が無ければ、虫歯はもっと酷くなっていたのよ!」

『そんなの関係無いもん!! 凄い痛かったのに……左手あげたのに……止めてくれなかったの!』

 マヤの説得も効果は無く、高ぶる感情そのままにシイはレバーを思い切り叩く。

「あ~あるよな」

「痛かったら手を挙げてとか言う癖に、結局止めないんだよ」

 歯医者ではわりと良くある話だった。止めたら治療にならないのは分かるが、ならば最初から希望を持たせないで欲しい物だと、スタッフ達はついシイに同意してしまう。

「どうする碇?」

「……LCL圧縮濃度を限界まで上げろ。子供の駄々に付き――」

「エヴァに拒否されました」

「…………」

 父親として、司令として、威厳を込めて告げた指令をあっさりキャンセルされて、ゲンドウは無言で少し落ち込んだ。

 

「やれやれだな。……シイ君、知っているかな? 実は虫歯は命を奪いかねない危険な物だと」

『冬月先生も……私を虐めるんですか?』

「そんなつもりは無いよ。ただ私は君に死んで欲しくない。それはここにいる皆が同じだろう」

 何処までも優しく穏やかな冬月の語り口に、シイは少しだけ冷静さを取り戻す。

「治療中の歯と言うのは無防備で危ない状態だ。再び虫歯になる危険性は高い」

『で、でも……』

「私が君の親なら、娘に嫌われようとも、身の安全を優先するがね」

 冬月が最後に告げた言葉はシイに対してではなく、初号機に向けた物だった。将を射んと欲すればまず馬を射よ。果たしてそれは効果を発揮する。

 突然初号機がシイとのシンクロをカット。勝手にエントリープラグを排出すると、拘束具を引きちぎった右腕でプラグを掴んでケージの通路に置いたのだ。

 あまりに唐突、あまりにあり得ない光景に、発令所の面々は言葉を失う。

「……甘やかすだけが愛情では無いと言うことだな。ユイ君、ありがとう」

 冬月の感謝の言葉に初号機がゆっくりと頷いて見せた。

「待機中の医療班に連絡。シイ君を歯医者に連れて行くんだ。極力刺激しない様にな」

「りょ、了解」

 かくして冬月のファインプレーによって、シイの初号機籠城事件及び虫歯の治療は解決した。

 

 

 シイの一件が片づいて直ぐ、ゲンドウは人類補完委員会に緊急招集を受けた。呼び出された理由は勿論、先のシイの行動についてだ。

「どういう事かな、碇君」

「サードチルドレンによる初号機の私的占有、これは由々しき事だ」

「左様。君の管理能力を疑わざるを得ないね」

「納得のいく説明を聞かせて貰おうか」

 委員会の面々がゲンドウへと詰め寄るのだが、ゲンドウは全く動じない。

「先日、サードチルドレンの元に大量のチョコレートが送られて来ました」

「そ、それが……なんだね?」

「世界各国より大量に、それこそトン単位で送られてきたチョコレート。それが全ての原因です」

「「…………」」

 お前達の送ったチョコが原因で今回の事件は起こった。暗にそう告げるゲンドウの報告に、そっと視線を逸らす委員達。その頬には一筋の汗が流れていた。

「現在MAGIが元凶となったチョコレートの贈り主を、全力を挙げて特定しております」

「ば、馬鹿な事は止めろ!」

「そうだ。MAGIシステムをそんな些事で用いるのは……流石に、なぁ?」

「さ、左様。あまりに下らないね」

「……しかし、今回の件を正確に報告するには、必要な事です」

 完全に攻守は逆転していた。主導権を握られた委員達は冷や汗を流しながら、諦めたようにため息をつく。

「やむを得ないな。今回の一件、不問としよう」

「イレギュラーな事件だ。計画に支障は出ないだろう」

「左様。気にする事もあるまい」

「話は以上だ。下がって良いぞ」

「……はい。全てはゼーレのシナリオ通りに…………ふっ」

 勝ち誇った様な笑みを浮かべて、ゲンドウは会議場から姿を消した。

 

 残された委員達は、それぞれ顔を見合わせると深いため息をつく。

「……まさか、全員が贈るとはな」

「仕方あるまい」

「左様。これは避けられない事だったのだよ」

「碇に弱みを見せてしまった」

「キールに知られたら……大目玉だぞ」

「どうだね、ここは一つ、何もなかったと言うことで」

 一人の提案に委員達全員が頷き、事件は完全に闇へと葬られた。

 全てはゼーレのシナリオ……とは関係無かったが。

 




歯の治療が痛くてついやってしまいました。反省はしていません。

もう初号機が動くことに、誰も驚かないネルフスタッフ。人の順応力は素晴らしいものです。

さて、次はいよいよ「最強の使徒」の呼び声高い、あの使徒の出番となります。果たしてどんなやられ方……もとい強さを見せてくれるのでしょうか。

物語もいよいよ後半戦突入です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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19話 その1《覚悟の代償》

 

 ネルフ本部司令室ではゲンドウと冬月が、リツコから今回の一件について事のあらましと、事後処理の報告を受けていた。

「……ふむ。ではやはりあの使徒は輸送中に寄生したと?」

「恐らくは。米国第二支部も松代第二実験場も、使徒の探知設備がありますので」

「それしか考えられない、か」

 MAGIの分析によると、使徒は輸送機が空輸中に通過した積乱雲で、参号機に寄生した可能性が高いと出ていた。そのまま参号機の中で休眠状態だった使徒は、探知設備に引っかかる事無く松代に到着。エヴァの起動にあわせて活動を開始したと見られていた。

「参号機はどうだ?」

「損傷自体は軽微ですので、精密調査が終了次第、再起動実験が可能です」

「……任せる。初号機が使えぬ今、少しでも戦力が必要だ」

 ゲンドウは先の破棄命令を撤回し、再びエヴァンゲリオン参号機を本部管轄とした。委員会は寄生の影響を危惧したが、精密調査の実施を条件にどうにか承認を得る事が出来た。

 

「パイロットの方は使えるのかね?」

「身体的外傷、精神汚染も問題ないので、引き続きフォースチルドレンとして使えるかと」

 救出されたトウジは幸いにも大きな負傷も精神汚染も無く、本人に再びエヴァに乗る意思があるのなら、まだ彼はパイロットとして戦う事が可能だった。

「一安心だな。万が一があればシイ君達に与える影響は、計り知れない物があるからな」

「そのシイさんですが……」

「あいつの事は報告の必要は無い」

 リツコの言葉を遮りゲンドウは不機嫌そうに告げた。

「命令違反にエヴァの独断使用及び破損。当面サードチルドレンを初号機に搭乗させるつもりは無い」

「しかし」

「幸い都合良く負傷している。病院に話をつけて退院を先延ばしにしろ」

「……分かりました」

 あまりに酷いゲンドウの物言いに、リツコは不快感を覚えながらも素直に了承して見せた。あまり食い下がると、シイ達との繋がりを疑われかねないと判断したからだ。

「では参号機の起動実験と初号機の左腕修復を進めます」

「……頼む」

「はい。それでは失礼します」

 リツコは一礼すると、二人に背を向けて司令室から出ていった。

 

 彼女の姿が見えなくなるのを確認してから、冬月はそっとゲンドウに声を掛ける。

「嫌われ者は辛いな」

「……何の話だ?」

「今もし次の使徒が襲来すれば、シイ君は片腕でも出撃しようとするだろう。それを阻止するのに入院中と言うのは実に都合が良い」

 ゲンドウの本心を察して苦笑する冬月に、ゲンドウは無言のまま否定もしなかった。

 碇シイはあまりに自分を大切にしな過ぎる。何かを、誰かを守る為なら自己犠牲を厭わない。それはシイの短所とも言えた。だからこそ、せめて初号機が万全の状態になるまで出撃を止める必要があった。

「命令違反の叱責を理由に、お見舞いに行っても良いのだぞ?」

「……必要ない」

(やれやれ、本当に素直じゃない男だ)

 それっきり口を閉ざすゲンドウに、冬月は心の中でため息をつくのだった。

 

 

 ネルフ中央病院。トウジが入院している病室に、ケンスケ達がお見舞いにやってきた。

「おぉ、ケンスケに委員長、それに惣流と綾波もか」

「聞いたよトウジ。大変だった見たいだな」

「鈴原……身体は大丈夫?」

「怪我一つ無いわ。暴走したっちゅう話やけど、わしは何も覚えてへんけどな」

 心配そうに見つめるヒカリに、トウジは頭を掻きながら答えた。

 ケンスケ達の前にリツコがお見舞いと謝罪に訪れ、トウジに事の次第を話した。実験中に参号機が暴走してしまい、それをシイ達がくい止めたのだと。

「迷惑かけてすまん」

「はん、別に。あんたがすんなり乗れるなんて、最初から思って無かったわよ」

「……気にしないで」

 トウジへの精神的配慮から二人は、真相を隠し単なる実験事故と処理しようと言うリツコの提案に同意した。無事だったとは言え、使徒に乗っ取られたと聞かされればヒカリ達もショックだろうと。

「にしても事故なんて……やっぱエヴァに乗るのは難しいんだな」

「鈴原はもう乗らなくて良いの?」

「……もういっぺんチャンス貰えたわ。再起動実験ちゅうのをやる事になったんや」

「そう、なんだ……」

 ひょっとしたらと期待したヒカリは落胆の色を隠せずに俯く。

「すまんな、委員長。心配掛けてしもうて」

「ううん。鈴原が決めた事なら、私は何も言わないから」

「もうドジは踏まへん。ばっちし決めて、シイ達と一緒にみんな守ったる」

「自分も守ってね。無茶だけはしないで……」

「分かっとる。委員長の弁当、あれっきりで終いじゃ堪らんからな」

「あっ、うん……ちゃんと作るから、きっと食べてね」

 病室で見つめ合う二人の間に何とも言えぬ甘い空気が漂う。アスカ達はその空気に当てられる前に、病室の外へと戦略的撤退を図っていた。

 病室のドアを閉めると、三人は一斉に大きく息を吐く。

「はぁ~。何なのよあの雰囲気は」

「トウジが危険な目にあって、委員長が積極的になったんじゃないか?」

 失うかもしれない状況になって、初めて大切さに気づくこともある。今回の事故はヒカリにとって、トウジがどれだけ大切な存在なのかを再確認させたのだろう。

「ま、ヒカリが幸せなら良いけどね」

「思わず出て来ちゃったけど、入りにくいな」

「……馬に蹴られるわ」

「良いんじゃない? どーせあの馬鹿は今日一杯入院だし、二人きりにしてあげれば」

 アスカ達は頷き合うと病室の前からそっと離れる事にした。

 

「そう言えばさ、碇はどうしたんだ? トウジのお見舞いに来ないなんて、あいつらしく無いけど」

「シイは……ちょっと熱だしてるわ。あの馬鹿の事で精神的に堪えたみたい」

「そうなのか? 心配だな」

 トウジを助けて欲しいと言う自分の頼みに、見事応えてくれた少女。直接お礼を言いたいと思っていたのだが、無理をさせては本末転倒だ。

「疲れもあるから少し休んでるけど、大したこと無いわよ」

「そっか。じゃあ僕は帰るけど、碇にお大事にって言っといてくれよ」

 アスカとレイが頷いたのを確認すると、ケンスケは二人と別れて病院を後にした。彼の姿が完全に見えなくなると、二人はそっと呟く。

「言える訳無いじゃない」

「……嘘は言ってないわ」

 シイが熱を出しているのは本当だ。精神的に堪えたことも、疲れがあるのも嘘じゃない。ただ、ある事を言わなかっただけ。

 二人は暗い顔で病院の最上階へと向かった。

 

 

 ネルフ中央病院最上階は、特別病棟と呼ばれる病室が並ぶ特殊施設だった。完全個室の病室は外部からしか開けることが出来ない、一種の監獄とも言える。

 その一室、保安諜報部員が立ち塞がる病室の前にアスカとレイは近づく。

「面会よ」

「……赤木博士から許可が出てるわ」

「……ファーストチルドレン、セカンドチルドレン両名。面会時間は十分です」

 あらかじめ連絡が通っていたのか、保安諜報部員は頷くとカードキーで病室のドアを開けて道を開ける。まるで囚人との面会の様な対応にアスカは嫌悪感を抱いたが、何も言わずに男の隣を通り過ぎ病室へと入った。

 ベッドに寝ていたシイは、二人の姿を見ると嬉しそうに笑いかける。

「あ、アスカと綾波さん。来てくれたんだ」

「まあね」

「……身体の具合はどう?」

「うん。元気だよ」

 自動ベッドの角度を変えて上半身を起こしたシイは、右手を胸の前でギュッと握り微笑む。だがそんなシイの姿にアスカとレイは表情を曇らせてしまう。

 二人の視線は右手とは対照的に、力無くベッドに乗せられたシイの左腕に向けられる。

「やっぱ、駄目なの?」

「……うん。動かないや」

 シンクロ中の左腕切断はシイの肉体に深い爪痕を残した。外傷は左腕神経への軽い障害なのだが、脳が左腕は切られてしまい存在しないと認識してしまったのだ。

 その結果シイの左腕は、自分の意志で指一本動かす事が出来なくなってしまった。

「リツコさんは、時間が経てば元通りになるかもって言ってたけど」

「ならあの髭親父の命令は、案外と好都合かもね」

 謹慎代わりの無期限入院。リツコから聞かされたときは、アスカとレイはゲンドウに強い怒りを感じた。だがシイの状態を考慮すれば、外部に負傷を知られる事の無いこの状況は寧ろ都合が良いと言えるだろう。

 

「さっきあの馬鹿にも会ったけど、もうすっかり元気だったわ」

「うん。リツコさんも言ってた。……明後日、参号機の再起動実験をやるとも」

「……大丈夫。今度は上手く行くわ」

「本部でやるみたいだし、その辺抜かりないわよ」

 不安に表情を曇らせるシイに、アスカとレイは元気づけるように声を掛ける。ネルフ本部の使徒探知設備は、米国や松代の比ではない。使徒一匹見逃さないと、リツコから聞いた話をそのまま告げる。

「お見舞いがてら、その辺の情報も伝えに来るから」

「……碇さんは休んでて。時には休息も必要よ」

 レイは自動ベッドを操作してシイの身体を再び仰向けに寝かせる。こっちの事は気にせずに休めと言う、彼女の無言の主張だった。

 丁度その時、病室のドアが開かれ保安諜報部の男が口を開く。

「……面会時間は終わりだ」

「ちっ、空気の読めない奴ね」

「……また来るから」

「うん。待ってる」

 保安諜報部員に促され病室から出ていく二人を、シイは右手を振って見送った。

 

 病院の通路を歩きながら、アスカとレイは険しい顔をつくる。

「あの馬鹿への扱い。ダミープラグとか言う最低の代物。あの髭の企み、もう我慢ならないわ」

「……そうね」

 拳を握りしめるアスカにレイも同意する。彼女にとって碇ゲンドウと言う人物は、もはや絶対の存在では無くなっていたのだ。

「こうなったらあいつの悪巧みを暴いて、台無しにしてやるんだから」

「……徹底的にやるわ」

 今回の一件でゲンドウへの不信感は更に高まった。シイの負傷すらもゲンドウのせいにして、二人は使徒との戦いだけでなく、司令への戦いへの決意を一層強く固めるのだった。

 




ネルフ中央病院って、民間人がお見舞いに来られる所なんでしょうか? 原作でヒカリがトウジを見舞っているので、大丈夫そうですけども……。

シイの左腕不全など全体に暗いムードですが、未来を切り開く為には、産みの苦しみを味わうのも止む無しでしょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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19話 その2《エヴァンゲリオン参号機》

 

 エヴァンゲリオン参号機。弐号機の後に建造されたプロダクションモデルで、現時点では最高の基本性能を誇る最新鋭機。既に使徒侵食の後遺症調査と、破損部の修復は終了しており、周囲を威圧する様な漆黒の巨体は今、ネルフ本部実験場で再び目覚める時を待っていた。

「エントリープラグ挿入完了」

「LCL注水終了」

「A10神経接続開始」

「双方向回線開きます」

「第一次コンタクト、スタート」

「ハーモニクス全て正常値」

 順調に進められる再起動実験を、管制室でリツコ達は緊張した面もちで見守る。使徒の存在は厳重な探知で否定されているが、それでも実験には細心の注意が求められていた。

「参号機、起動準備が整いました」

「分かったわ。……鈴原君、準備は良いかしら?」

『何時でもOKですわ』

「では実験を第二フェーズへ移行します」

 リツコの号令で技術局のスタッフ達が再び作業に取りかかる。起動プロセスが次々にクリアされていき、やがて起動ボーダーラインまで到達。

 一同がゴクリと息をのむ中、参号機に鋭い眼光が宿った。それは先の事件の赤い輝きではなく、エヴァが本来宿すべき白い光。

「エヴァンゲリオン参号機……起動しました」

 マヤの報告を受けて管制室には、安堵のため息が溢れた。

 

 無事起動実験を終えたトウジが管制室にやって来ると、上機嫌なリツコが彼に問いかける。

「お疲れ様。エヴァに乗った感想はどう?」

「何や、変な感じですわ。こう……自分が自分じゃ無い感じちゅうか……」

 リツコの質問にトウジは少し自信なさげに答えた。

「徐々に慣れていけば良いわ。シンクロ率も初めてにしては上出来だし」

「へ~どれどれ……ふ~ん。馬鹿にしてはそれなりじゃない」

 アスカはリツコが手に持った実験記録を覗き見ると、彼女なりの賞賛をトウジに送った。数値自体は三人に遠く及ばないが、それでも初めてシンクロしたと考えれば十分だろう。

「……馬鹿とシンクロ率は関係ないわ」

「はは、二人ともきついわね」

 遠慮の欠片もないアスカとレイに、ミサトとトウジは苦笑するしか無かった。

 

「それで鈴原君。これから貴方には、エヴァの搭乗訓練を受けて貰う事になるけど」

「初号機が中破してる事もあって、貴方の訓練をちょっち急ぎ足でやりたいのよ」

 本来であれば実戦配備されてるエヴァが三機あるため、トウジの訓練スケジュールには余裕があったのだが、先の事件で初号機が破損。シイも半謹慎状態になった事もあり、戦力の確保は急務だった。

「こっちの都合で申し訳無いけど、良いかしら?」

「勿論です。足手まといになるのはご免やさかい、ガンガン鍛えて下さい」

 トウジには確固たる意思があった。その為には厳しい訓練だろうと耐え抜く覚悟もある。いや、そのつもりだったのだが。

「だ、そうよ。それじゃあリツコ。後の説明はよろしく」

「ええ。鈴原君、貴方には三つの訓練プログラムから、一つを選んで欲しいの」

「三つでっか?」

 選択権がある事に驚くトウジにリツコは頷くと、手元の資料を順に読み上げていく。

 

「まず一つ目。『弾よけ、誕生』プログラムよ。これは本当に基礎の基礎を叩き込んで、最低限他のエヴァの足を引っ張らないレベルを目指すわ」

「いっちゃん簡単で優しい奴ね。自信が無いならこれを選ぶことを勧めるけど……」

「ま・か・か、唯一の男性パイロットであるあんたが、こんなんで妥協する訳無いわよね?」

「と、当然やないか! リツコさん、次たのんます」

 アスカに煽られたトウジは、鼻息荒く一番レベルの低い訓練を拒否して次を要求した。

 

「良いわ。次は『せめて戦力らしく』プログラムよ。こっちはより実践的な訓練ね。近中遠、全ての距離での戦闘方法を叩き込み、他のエヴァのフォローに回れるレベルが目標となるわ」

「作戦部長としては、これを消化してくれれば有り難いわね。ちょっちハードだと思うけど」

「さいですか。なら……」

「ふ~ん。へ~。そ~なの~。あんたは取り敢えず戦力ってレベルで満足しちゃうんだ?」

「な、何やて!」

 わざとらしく挑発するアスカに、しかしトウジは簡単に乗せられてしまった。口での勝負で彼女に勝てるのは、それこそ大人組とレイ位だろう。

「もしシイなら『私はみんなを守る為なら、どんな訓練でも耐えます』とか言うでしょうね~」

「……似てないわ」

「一々煩いわね」

 自分でも自覚していたのか、アスカは少し照れながらレイに鋭い視線を向ける。

「はいはい喧嘩しないの。鈴原君、アスカの言う事を聞く必要は無いから、このプログラムを――」

「次、たのんますわ」

 ミサトのフォローも虚しく、トウジは更なる高みを目指してしまった。

 

「最後に提示するのは『DEATH&REBIRTH』プログラムよ」

「わ、私も初めて聞くプログラムだけど……何よその不吉なネーミングは」

「一日二十四時間、全てを訓練に費やすわ。訓練の質、量共に考え得る最上級の物を用意。まさに死ぬ程厳しい訓練を耐え抜いて、真にエヴァのパイロットとして再生するのが、このプログラムなの」

 Sの気質がうずくのか、リツコは嬉しそうにプログラムの解説を始める。そのマッドぶりにトウジやアスカ達だけでなく、管制室のスタッフ達も完全に引いていた。

「私が全面監修をした自慢のプログラムよ。ふふ、期待してくれて構わないわ」

「し、しかし先輩。それはあまりに危険過ぎます!」

「あら、達成できる可能性はゼロでは無くってよ」

 堪りかねてリツコに声をあげるマヤだったが、リツコはサラッとそれを流す。

「てかあんた。今ゼロじゃ無いって言ってたけど、そもそも訓練は消化出来る前提で組みなさいよ」

「求めるレベルが上がれば、当然訓練の難度も上がるわ」

「限度ってモンがあるでしょ! 鈴原君、こんなリツコの趣味に付き合う必要ないから」

「どうせ脅しでしょ? 幾らリツコだからって、そんな無茶なプログラム……」

 アスカは呆れたように肩をすくめながら、リツコの資料をひったくり軽く目を通す。だが数十枚ある資料の一番上、それもほんの数行を読んだだけで顔が引きつり言葉を失ってしまう。

「あんた、悪いことは言わないわ。止めときなさい」

「……貴方が死んだら、代わりは居ないもの」

 アスカの隣で資料を覗き見たレイも、トウジを諭すように告げる。

「な、何や急に。そんなえらい代物なんか?」

「一言で説明すれば、地獄よ」

「……多分REBIRTHまで辿り着けないと思う」

 さっきまでの茶化す様子はまるで無く、アスカとレイは真剣にトウジを思い留まらせようとしていた。それだけでこのプログラムの過酷さが容易に想像出来る。

「鈴原君。自分を大切にしなさい」

「先輩はやる時はやる人なの。お願いだから自重して」

「実力なんて少しずつ付けてけば良いわ。だからほら、二番目のを選んどきなさい」

「……そうすれば?」

 口々に説得する面々にトウジも流石に状況を飲み込んだのか、リツコに断りを入れようとする。

「そやな。ならリツコさん。わしは二番目の……」

「もしこれを消化出来れば、間違いなくシイさん達の力になれるでしょうね」

 誰に向けるでも無くポツリと独り言を呟くリツコに、トウジの言葉が止められてしまう。

「うっ!?」

「訓練を終えた貴方がエヴァチームのエースになるのは確実。人類を守るのに大変貴重な戦力になると思うけど……まあ、貴方がそれを望まないなら、無理強いは出来ないわね」

 さも、このチャンスを逃すなんてあり得ないと残念がるリツコ。わざとらしい小芝居にミサト達は呆れるのだが、トウジの反応は違った。

 何かを悩むように俯いていたが、やがて拳を思い切り握りしめると真っ直ぐリツコを見据えた。

「……やります。わしがやります」

「「なっ!?」」

 余りに無謀な決断を下したトウジに、ミサト達は目を大きく見開いて驚く。

「あら良いの? 生半可な気持ちならば、止めておいた方が良いと思うけども?」

「やらせて貰いますわ。わしはエヴァンゲリオン参号機のパイロット、鈴原トウジですから」

 トウジとリツコの視線が真っ直ぐにぶつかり合う。

「貴方の覚悟、確かに受け止めたわ。早速始めるから着いてきなさい」

「はいな、姐さん」

 まるでスポ魂漫画の様なノリで、リツコとトウジは管制室から出ていってしまった。

 

 残されたミサト達は唐突な展開について行けず、呆然と二人が出ていったドアを見つめる。

「あの馬鹿……本当に死ぬわよ」

「シイちゃんに何て言おうかしら……」

「……言わない方が良い。多分泣くわ」

 既にトウジが訓練を達成できない前提で話を進めるミサト達。

「えっと一応聞くけど、MAGIの見立てはどんな感じ?」

「全会一致で訓練途中でのリタイアを予測しています。達成確率は、0.0000………1%」

 マヤの申し訳無さそうな報告に一同は表情を更に曇らせる。

「ヒカリにはあの馬鹿は遠い所に行ったって言わなきゃ」

「シイちゃんにもそう伝えた方が良さそうね」

「……さよなら、鈴原君」

 リツコの魔の手に落ちたトウジの未来を案じて、ミサト達は誰からともなく両手を合わせるのだった。

 




少し小話っぽい雰囲気の話になりました。ひと時だろうと平和って良いですね。

鈴原トウジは正式にフォースチルドレンとして参入しました。ただ……リツコのしごきで初陣前にリタイアかもしれませんが。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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19話 その3《シイと冬月》

 シイの入院という名の謹慎と、トウジの訓練という名の地獄が始まってから数日が過ぎた夜。リツコと加持、そしてミサトは第三新東京市の一角にあるバーに集まっていた。

 以前結婚式の二次会で訪れた店に、あの時と同じメンバーが揃う。ただ三人の関係は、あれから少しだけ変化していたが。

「随分とご機嫌な様だが、訓練は順調なのかい?」

「てか、無事なんでしょうね」

「……生きてはいるわ」

 ミサト達の問いかけに、カクテルを飲みながら事も無げに答えるリツコ。加持とミサトは顔を見合わせると、今頃地獄を見ているトウジを思い冷や汗を流した。

「心配しなくても良いわ。彼、割と見所あるもの」

「へぇ。人の評価に厳しいリッちゃんがそこまで言うとは」

「センスが良いって事?」

「……頑丈なの。それに煽れば煽るだけ反骨心で立ち上がるし……ふふ、面白い子だわ」

(ドS……)

(いやはや、彼も大変だな)

 怪しく微笑むリツコに二人は呆れながら酒を傾ける。

 

「そういや初号機はどうなんだい? 左腕を破棄したと聞いたが」

「ええ。汚染の可能性があるから処分したわ。碇司令の判断でね」

「……どーもそこが引っかかるのよね」

 ミサトはグラスをテーブルに置くと鋭い目つきで呟く。

「一度は完全に使徒に乗っ取られた参号機は再利用するのに、初号機の左腕は破棄した。変じゃない?」

「まあ、そうだな」

 侵食の影響を心配するのは分かる。だがそれなら参号機の対応に違和感を覚えてしまう。初号機の処分に準ずるなら、全身パーツの交換か破棄をするべきなのだから。

「何か碇司令は初号機を特別扱いしてる様に感じるのよ」

「それは……」

「妻と娘を特別扱いするのは当然、だろ?」

 自分の答えを先読みした加持の言葉に、リツコは驚き目を見開く。だが直ぐさま平静を取り戻し、納得の表情を浮かべて頷いた。

「アスカから聞いたのね」

「流石リッちゃん」

「私がこの話をした中で、リョウちゃんと繋がりを持ちそうなのはあの子だけだもの」

「え、え、え? ちょっと二人で何分かり合ってるのよ!」

 すっかり置いてきぼりだったミサトが、自分を挟んで会話する二人に強引に割り込む。

「あら、ミサトにはまだ?」

「タイミングが悪かったし、直接君から話した方が良いと思ってね」

 ミサトとリツコの間がギクシャクしているのは、友人である加持も気づいていた。だからこそリツコが直接全てを吐き出す事で、二人の関係を改善しようと考えた。

「余計なお世話だったかな?」

「……いいえ、感謝するわ」

 リツコは加持に小さく頭を下げると、隣に座るミサトへ向き直る。

「松代での約束、今果たすわ」

 カクテルの追加オーダーをしてからリツコは静かに語り始めた。

 

 

 

 ネルフ中央病院の特別病室にはお風呂やトイレの設備も完備されており、そこから一歩も外に出る事無く生活が出来る空間だった。ある種の隔離施設と考えれば当然とも言えるのだが。

 当初は普段と違う病室と、ゲンドウによる無期限入院に戸惑いを覚えたシイだが、数日が過ぎた今では大分ここの生活に慣れ始めていた。

(入院は嫌だけど……今のままじゃ、みんなに迷惑かけちゃうもんね)

 シイは現状を受け入れ少しでも左腕を動かす努力をしていた。

 

 湯船での左腕マッサージもシイの日課となっていた。感覚のない左腕を右手で優しく揉みほぐす。触っている感覚すら無いのだが、それでも効果が出る事を信じてシイは根気よく続けている。

 そんな時、不意に病室のドアが開く音が聞こえた。

(あれ、こんな時間に誰だろ?)

 面会時間が過ぎている為、病院関係者が来たのかと思ったシイは急いで湯船からあがる。脱衣所で軽く身体を拭くと、身体にバスタオルを巻いた格好で病室へと姿を見せた。

「ごめんなさい。ちょっとお風呂に入ってまして」

「おや、それは済まない事をしたね」

「冬月先生?」

 病室で待っていたのは制服姿の冬月だった。

「遅くに迷惑だと思ったのだが、少々伝えておきたい事が…………」

 振り返った冬月は脱衣所の入り口に立つシイの姿を見て、完全に沈黙した。口を半開きにしたまま、目を大きく見開いて微動だにしない。

「わざわざすいません。……あれ、冬月先生。どうしたんですか?」

「……い、いや……何でも……」

 動揺を悟られないよう必死で平静を装う冬月。だがそんな彼の目の前で、シイが身体に巻いたバスタオルがさらりと落ちてしまえば、もう我慢出来るはずが無い。

(ぬぉぅ!?)

 一糸まとわぬシイの姿を見た瞬間、冬月の鼻から大量の血液が噴き出した。噴水を思わせるそれは、仰向けに倒れた冬月の身体だけでなく白い病室をも赤く染め上げる。

「冬月先生、冬月先生!?」

 突然鼻血を吹き出し倒れた冬月に、シイは慌てて駆け寄って必死に呼びかける。だが冬月は何処か満ち足りた表情を浮かべたまま、完全に意識を失っていた。

 

 

 

 リツコの話を全て聞き終えたミサトは、無言のままじっと瞳を閉じていた。その胸中に何が渦巻いているのか、加持とリツコには分からない

 誰もが言葉を発せず時間だけが流れていく。その沈黙を破ったのはミサトだった。

「……まさかシイちゃん達も知ってたとはね」

「寧ろ逆ね」

「ああ。あの子達が中心さ」

 全ての発端はシイ達。それはリツコと加持の共通認識だ。独自に調査していた加持も、偶然にも情報を得てしまった時田も、そしてリツコもみんなシイ達を中心に繋がっていた。

「はぁ。何も知らず、何一つ相談されず、頼りにもされない。これじゃ保護者失格ね」

「それは違うぞ葛城。あの子達は君を巻き込まないよう配慮してたんだ」

「大事な存在として認識されてるのよ。貴方は」

「……だからよ。そんな思いをさせてたってのに、私は気にする事すら出来なかったわ」

 グイッと酒をあおる。既に顔が赤く染まっているが、ミサトの意識はハッキリとしていた。

 

「シイちゃんには、父の話をした事があるの。だから余計に言い辛かったんでしょうね」

「その優しさを受け入れるのも、保護者の役割じゃなくて?」

「だな。受け入れた上でどうするかは……君次第だ」

「決まってんでしょ。あの子達だけに背負わせる訳にはいかないわ」

 答えるミサトの言葉には一切の迷いは無かった。

「碇司令と副司令が何を隠して何を企んでるのか。絶対暴いてやるんだから」

「気負いすぎるなよ。碇司令は狡猾だ。隙を見せれば逆に食い付かれるからな」

「……やはり副司令が狙い目ね。司令との関係は深いけど、シイさんファンクラブ会長だし」

 ポツリと呟くリツコにミサトと加持はぎょっと目を向ける。

「あ、あんた……それ本当?」

「知らなかったの? そもそもファンクラブを設立したのは副司令よ」

 今やネルフ職員の過半数が在籍している『碇シイファンクラブ』の創設者が副司令である冬月と知らされて、ミサトと加持は複雑な表情を浮かべる。

「そりゃ……何と言うか……」

「あのスケベ爺。歳を考えろっつうの」

「男は幾つになっても男か……い、いや、何でもない」

 ミサトにじろりと睨まれ加持は慌てて発言を撤回する。男性が一人のこの場で迂闊な発言をするは、危険だと察したのだ。

「とにかく。シイさんが居る以上、副司令にアプローチを掛けるのが妥当ね」

「でもシイちゃんは軟禁状態じゃない。ガードの保安諜報部は副司令の直轄だし」

「手は幾らでもあるさ。後はタイミングだけだが」

「鈴原君の訓練と初号機の修復が終わった時が良いでしょうね」

 リツコの提案に二人は頷く。人間同士の問題で使徒を蔑ろになど出来ない。備えを万全にして憂いを断ってから、冬月に挑むべきだと判断したからだ。

「さ、難しい話はここまでだ。また三人で酒を飲める機会に恵まれた事を、素直に喜ぼう」

「あんたね……」

「最後の機会かも知れないしね」

「あ、あんたも……」

「では変わらぬ友情と、愛すべき子供達の成長を祝して」

 加持が差し出したグラスに二つのグラスが重なり合う。大人達の夜はまだ終わらない。

 

 

「冬月先生、大丈夫ですか?」

「はは、もう平気だよ」

 心配するシイに、両方の鼻にティッシュを詰めた冬月が笑いかける。大量出血で一時は危ない状態に陥った冬月だったが、現場が病院と言う幸運もあって、どうにか川を渡る前に帰ってくる事が出来た。

 輸血用のパックを右腕に繋いだままで、だが。

「体調が悪かったんでしょうか?」

「ん、あ、ああ。そうかもしれんね。最近は働きづめだったから」

 まさかシイの裸を見て鼻血を吹き出したなど言える訳もなく、冬月は曖昧な笑みで誤魔化すしかなかった。しかしシイは冬月が激務の合間を縫って来てくれたと信じ込んでしまう。

「そんなお疲れなのに、私のお見舞いに来てくださったんですね」

「……は、はは、気にしないで欲しい。良い物を見……もとい、君の元気な顔が見られたからね」

「ふふ、ありがとうございます」

 全く疑いを持たないシイの笑顔に、冬月は罪悪感と必死に戦っていた。

「そう言えば冬月先生。私に何か伝えたいことがあるって」

「ああ、そうだった。歳は取りたくないな。どうも忘れっぽくていけない」

「リツコさんみたいですね」

「ははは、彼女のは歳のせいだけでは無いがね」

 

「はっくしゅん、はっくしゅん」

「あら、風邪?」

「……なんか、無性に副司令を殴りたくなったわ」

 

「それは置いて置いて、実は君に伝えなければならない事があるんだよ」

「はい、何でしょう」

「……碇シイ君。君に怪我が完治するまでの無期限入院、及び初号機への搭乗禁止が本日正式に命令として下った。発令は正式な物で撤回は無いと思って欲しい」

 冬月は副司令の顔でシイに宣告した。既に知っている事だったが、シイはアスカに言われた通りショックを受けた演技をする。

「ど、どうしてですか?」

「君の為だ。もし今使徒が現れたら君はどうする?」

「勿論戦います」

 即答するシイに冬月は悲しそうにため息をつく。

「それが理由だよ。片腕を失った状態で出撃すれば、今度は命さえ失いかねない」

「で、でも」

「シイ君、ハッキリ言っておこう。君は自分の命を軽く見過ぎている」

 あえて厳しい口調で断言する冬月に、シイは思わず言葉に詰まる。

「悲しい思いをさせない為に、人を守ろうとする君の意思は素晴らしい。だがシイ君が傷つく事で悲しむ者達も居るのだ。勿論私もその一人だがね」

「冬月先生……」

「頼むからもっと自分を大切にして欲しい。これはネルフスタッフ全員の気持ちだよ」

「……分かり、ました」

 冬月が真に自分の事を思い話している事が分かる。分かるからこそシイは頷くしか無かった。

 

「伝えたかったのはそれだけだよ。夜分にすまなかったね」

「いえ……ありがとうございました」

 少し気落ちしているシイに冬月は寂しそうに頷いて、病室を出ていこうとする。だがドアの手前で立ち止まると、思い出したように声をかける。

「……一つ、聞いても良いかね?」

「何でしょう」

「君はフォースチルドレン救出の代償として、左腕に障害を負った。後悔はしていないのかね?」

「してません。だって……私も鈴原君も生きてるんですから」

 冬月の問いかけにシイは即答する。それは強がりではなくシイの本心からの言葉だった。

「片手なのは確かに不便ですけど、生きている事が何より大切で幸せな事ですから」

「ユイ……君?」

 優しい笑顔を向けるシイに、冬月は在りし日の碇ユイの面影を見た。

「冬月先生?」

「い、いや、何でもない。つまらない事を聞いて済まなかったね」

 動揺を隠すように冬月は手を振ると、そそくさと病室から出ていってしまう。残されたシイは不思議そうな顔でその後ろ姿を見送るのだった。

 




エヴァも使徒も出ない、戦いの合間のひと時です。

これまで子供達に良い所を取られっぱなしだった大人組。ボチボチ活躍する時が近づいてきました。
冬月はもう……ねえ。何も言えません。

平和な時は長く続きません。次はチート使徒の登場となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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19話 その4《戦いを司りし天使》

祝?100話目です。


 無数の砲弾が撃ち込まれる中、ソレは悠然と低空飛行を続けていた。

 白黒で配色された風船の様なずんぐりとした胴体。申し訳程度に生えている短い足。折り畳まれた板の様な両腕。そして胴体の胸には仮面の様な物があり、その下に赤く輝く球体が埋まっている。

 異形のそれは絶え間なく直撃する砲弾砲撃を物ともせずに、ゆっくりと進行して行った。

 

「総員第一種戦闘配置。対空迎撃用意」

「民間人の避難を急がせろ」

「第三新東京市は戦闘態勢へ移行します」

「国連軍の包囲、突破されました」

 警報が鳴り響く発令所は、突然の使徒襲来に慌ただしく対応に追われている。警戒中の国連軍と戦自によって、使徒の出現と接近は大分前に確認されていた。

 だが報告を入れる前に使徒の攻撃を受けて壊滅した為、ネルフの対応が遅れてしまったのだ。

「こりゃまた、随分と重そうな使徒が来たもんだわ」

「動きは鈍いみたいだけど、その分頑丈そうね」

 ずんぐりした体躯の使徒を見てミサトとリツコはそれぞれ感想を述べる。

「使徒の現在地は?」

「目標は駒ヶ岳防衛ラインに到達。迎撃開始します」

 青葉の報告通り山岳地に備え付けられた無数の砲台が、使徒に向けて一斉に火を噴く。雨霰と降り注ぐ攻撃を受けても、使徒は全く意に介さない。

 反撃をしない使徒だったが、不意に胴体にある仮面の目が光る。その瞬間、使徒と離れた位置で迎撃をしていた砲台群が巨大な閃光に飲み込まれ、山と共に姿を消した。

 山ごとえぐり取られた防衛ラインの上を悠然と進む使徒の姿に、発令所の面々は思わず息をのむ。

「こ、駒ヶ岳防衛ライン、壊滅しました……」

「なんつー破壊力なの」

「あれを受けたらエヴァのATフィールドでも耐えられるか……」

 リツコの呟きにミサトの顔が曇る。レイとアスカは万全の状態だがトウジはこれが初陣となる。実戦経験が無いトウジは、作戦の不安要素となっていた。

「エヴァ各機、起動完了。発進スタンバイ出来てます」

「どうするのミサト?」

「全機発進。第三新東京市にて対空迎撃戦を展開」

「了解」

 ミサトの指示でエヴァ三機は地上へと射出されていった。

 

『三人とも、使徒は現在こちらに向かって侵攻中よ』

「珍しくまともな使徒ね」

 マイクロサイズ、影、菌糸、と変わり種が続いていた事もあり、真正面から戦える使徒は実に久しぶりだった。アスカの軽口はもっともだとミサトは苦笑するが、直ぐさま表情を引き締める。

『まともかどうかはまだ決められないわ。データの通り尋常じゃない攻撃力だもの』

「防衛ラインを一撃で、か。こりゃ歯ごたえがありそうだわ」

「……作戦は?」

『使用できるありったけの火器を、貴方達の元に届けてるわ。使徒が射程距離に入ったら、ATフィールドを中和しつつ三機の一斉射撃で仕留めて』

 ミサトとの通信の間にも、アスカ達の周りには無数の重火器が輸送されて来ていた。

「力押しも良いけど折角コアが見えてるんだし、近接戦闘の方が良いんじゃない?」

『展開次第ではそれもありよ。けど使徒が高度を下げない限り、近接戦闘は無理だわ』

「そりゃそうだけどさ、どーも射撃って効果が無い気がするのよね」

 アスカは少し不満げに呟きながらも、ロケットランチャーを弐号機の両手で掴む。零号機もそれにならいパレットライフルを装備する。

 着々と迎撃戦の準備が進む中、トウジが乗る参号機だけは全く動こうとはしなかった。

 

『?? 鈴原君?』

「ちょっと、何ボサッとしてんのよ」

「……緊張してるの?」

「…………」

 異変を察知して呼びかけるミサト達の声に、しかしトウジは無反応。モニター越しのトウジはまるで感情を失った人形の様に無表情で、明らかに様子がおかしかった

「ちょ、ちょっと……マジで大丈夫なの?」

「……体調が悪いなら下がって」

 心配そうに声を掛けるアスカとレイだったが、それでもトウジは無反応だった。

 

「どーも様子が変ね。リツコ、何か心当たりある?」

「…………あっ!?」

 暫し考え込んでいたリツコだったが、やがて何かを思い出したようにポンと手を叩いた。やっぱり心当たりがあったのかと、ミサトは頭痛を堪えるように頭に手をやりながら尋ねる。

「ま、またあんたは……今度は何を忘れてたの」

「ちょっとね。鈴原君、発言を許可するわ。それと以後はミサトの指揮下に入りなさい」

『了解です姐さん』

 リツコの声を聞いたトウジは、まるでカチッとスイッチが入ったかのように凛々しく返事をすると、大型ガトリング砲を参号機に構えさせる。

 その突然の変貌にミサト達は絶句してリツコに視線を向けた。

「あんた……鈴原君に何をしたのよ」

「ほ、ほら、あれよ。彼、訓練中に直ぐ『もう限界ですわ』とか『この鬼、悪魔~』とか泣き言を言うから……ちょっと暗示を掛けて、指示無く無駄口を聞かないようにちょっと、ね」

「「最低だ……」」

 非難の視線が一斉にリツコに集まる。

「他には? あんたの事だからきっと何かやったでしょ」

「大した事はしてないのよ? ただちょっと訓練中に勝手な行動をしたから、私の指示無く動かないように暗示を……」

「あんたって人は……」

「で、でも、その結果、鈴原君は立派なパイロットになったのよ。戦闘技術に限って言えば、たった数日でアスカに匹敵するレベルまで到達したわ」

「もっと大切なものがあるでしょぉぉ!!」

 ミサトの突っ込みにスタッフ一同が、冬月や何故かゲンドウまでもが頷いて見せた。

 

「はぁ、はぁ、とにかく、この戦いが終わったらちゃんと暗示を解きなさいよ」

「……え?」

「解きなさいよ」

「も、勿論よ」

 ただならぬ迫力のミサトにリツコは冷や汗を掻きながら頷く。言わなければ恐らくこのままだったろうと悟り、ミサトは大きくため息をついた。

「……あ、すいません。目標は後30秒でエヴァの射程距離に入ります」

「あ~も~。三人とも攻撃準備よ」

 ペースが乱されっぱなしのミサトは、頭をかき乱しながらアスカ達に指示を出した。

 

「あの呆け博士、余計な事してくれちゃって」

「……後で碇さんに怒って貰いましょう」

『レイのアイディア採用』

『ちょ、ちょっと待って……』

『来るわよ。照準合わせて』

 必死に言い訳をしようとするリツコを下がらせ、ミサトは声を張り上げる。重火器を握るエヴァの手にも自然と力がこもっていく。

「訓練の成果を見せて貰うわよ」

「任しとき。そうや、使徒は一体だけや。百体抜きに比べりゃどうって事ないわ」

「……来る」

 山の陰から現れた使徒が三人の視界に入る。その瞬間、第三新東京市の防衛システムと三機のエヴァが放つ銃弾砲弾が、空を明るく染め上げて使徒に降り注いだ。

 

 

 病室に居たシイは非常事態宣言の発令を聞き、使徒の襲来を察した。外部との接触を断たれている病室には、スピーカーからの一方的な放送以外に、情報を得る術は無い。

 どんな使徒が何処から接近していて、迎撃するエヴァはどの様な状況なのかを、シイは全く知らなかった。

「アスカ、綾波さん、鈴原君……」

 胸の前で右拳を握り、使徒と戦っているであろう三人を思う。それと同時に何も出来ずに、ここに居るだけの自分に強い苛立ちを感じていた。

「私は……役立たずだ」

 病室の窓からジオフロントを見つめ、シイは唇を噛みしめていた。

 

 

 ATフィールドを中和されて数え切れない攻撃を受ける。それでも使徒は全く動じる事無く、ゆっくりと第三新東京市へ進行を続けていた。

「このぉぉぉぉ!! ホントにフィールド中和出来てるんでしょうね?」

「……恐らく、身体が異常に硬いのね」

「これじゃ埒が明かへん。何とかせぇへんと」

 攻撃を続ける三人の顔に焦りの色が浮かぶ。それは発令所のミサト達も同様で、モニターに映る無傷の使徒に僅かな絶望感を抱きつつあった。

「ぼちぼち手持ちの武器も無くなってきたし、ここは仕掛けるしか無いわね」

「そやな。惣流、お前行けるか?」

 トウジの確認にアスカは自信満々の面持ちで頷く。

「はん、当然でしょ。あたしが接近するから、しっかり援護しなさい」

「しくじるなや」

「……了解」

 アスカは兵装ビルからソニックグレイブを取り出すと、低空飛行をしている使徒に向かって駆け出す。それをトウジとレイは射撃で援護する。

(ビルを足場にして飛び上がれば……行ける!)

 使徒は依然空中に存在しているが、ビルを踏み台にジャンプすれば届くとアスカは瞬時に計算する。ケーブルをパージし身軽になった弐号機は、使徒を目指して加速していった。

 

 この時彼女は失念していた。いや、この場にいた誰もがそうだ。現在分かっているこの使徒の特徴は強固な防御力ともう一つ。絶大な攻撃力だと言う事を。

「っっ!?」

 使徒の仮面の目に光が宿った瞬間、アスカは背筋に感じた悪寒を信じて、咄嗟に弐号機を思い切り横っ飛びさせる。それとほぼ同時に巨大な光の柱が、弐号機の周辺に立ち上った。

 

 




新劇場版でも大暴れしたゼルエル登場です。この使徒はまともにやって、勝てるイメージが出来ない数少ない強敵かなと思います。

今回が初陣のトウジですが、操縦技術とシンクロ率共にレイと同等位をイメージしてます。パイロットとしては、アスカ>レイ・トウジ>シイの順でしょうか。

遂に100話の大台に突入です。ただ私の小説は1話1話が他の作者様と比べて短いので、文章量としてはまだまだですね。
ボクサーの3タイム1アウトのように、3000文字位で1話を纏める癖が付いてしまっていて、なかなか抜けそうにありません。

ゼルエル戦は山場ですので、本日中に決着まで投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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19話 その5《絶望と希望》

 

 

「そ、装甲板が全て破壊されました!」

「22層の特殊装甲を、たった一撃で……」

 使徒の放った攻撃は第三新東京市の大地をえぐり、ジオフロントへ繋がる大穴を開けた。第五使徒が十時間以上かけて開けた穴よりも大きな物をたったの一撃でだ。

「化け物……アスカは!?」

「確認出来ました! 無事です。ギリギリで回避した模様」

「現在弐号機はジオフロントに向かって降下中」

 あの攻撃を咄嗟に回避したアスカの技量は、流石としか言いようがない。だが回避に精一杯だった為に体勢が崩れてしまい、使徒が作った巨大な穴から逃れることが出来なかった。

 足場を失った弐号機はジオフロント内部へと落下を続ける。

「弐号機、ジオフロント地表到達まで後20」

「いかん! あの高さで落下すればただでは済まんぞ!」

「パイロットの脳波に異常。恐らく意識を失っているかと」

 直撃こそ回避したとは言え、あの爆発の近くに居て無傷である筈が無かった。無数の破片と共に落下する弐号機は、糸の切れた人形の様にその身を慣性に委ねている。

「弐号機のシンクロを全面カット。急いで!」

「は、はい」

 必死に端末を操作するマヤ。その間にも弐号機は地面へと近づいていく。やがて真紅の巨人は大量の土煙を上げながら地表へと身体を沈めた。

「アスカ……は?」

「ギリギリで間に合いました」

 マヤの報告にミサト達は安堵のため息をつく。落下の衝撃はあるだろうが、エヴァの中に居れば少なくとも命は守られる。もしシンクロ状態であったなら最悪の事態が有り得ただろう。

 

 使徒は数度光線を放って地上の迎撃設備を破壊すると、ゆっくりとジオフロントに降下を始める。その眼下には活動を停止している弐号機が横たわっていた。

「不味いわ。零号機と参号機を緊急回収。ジオフロントで迎撃させて」

「だ、駄目です。使徒の攻撃で地上へのリフト機能が麻痺しています」

 ネルフ本部とジオフロント、そして地上の間は全てリフトで移動する。それが使えない今、地上に残されたエヴァ二機は完全に足止めされてしまっていた。

「復旧は?」

「少なくとも、後数十分はかかります」

「……急がせて」

 間に合うとは思えない。それでもミサトは万に一つを賭けて指示を下した。

 

 

「あ、アスカ……」

 窓越しにジオフロントを見つめるシイの視線は、ピクリとも動かない弐号機に釘付けになっていた。そして遅れて降下してきた使徒が、ゆっくりと弐号機へ近づく姿に背筋を凍らせる。

 それは使徒の姿に恐怖したのでは無く、もっと別の恐れ。

「何……するの?」

 口が渇き声が震えるのが分かる。シイは本能的にこれから起きるであろう惨劇を予測していた。

 少し離れた位置で停止して、弐号機をジッと見つめる使徒。目の前で横たわる巨人に抵抗する力が無いと判断したのか、使徒は折り畳まれた帯状の両腕を伸ばすと、勢いよく弐号機目掛けて突きだした。

「あ、あぁ、ぁぁぁぁ……」

 二つの帯は無抵抗な弐号機の身体から、両腕をいとも容易く切り裂いた。切り口から吹き出す鮮血がシイの心を激しくかき乱す。

 そんな彼女をあざ笑うかの様に、使徒は次なる目標を定める。それは弐号機の首。

「やめて、やめてよ! アスカが……アスカが死んじゃう!!」

 シンクロカットされていると知らないシイは、泣き叫びながら窓ガラスを叩く。それは虚しく室内に響くだけで使徒には届かない。いや、仮に届いたとしても結末は変わらないだろう。

 使徒は折り畳んだ両腕を再び弐号機へ突き刺し……弐号機の頭は胴体から離れていった。

 

「……嫌だよ……こんなの嫌だよ……」

 目の前で大切な友人を、家族同然の少女を失い、それを見ているだけで何も出来なかった自分。シイの心は絶望感で一杯だった。

 涙を流すシイは、使徒が弐号機を通り過ぎてネルフ本部へ向かって移動するのを見た。

「駄目……あそこには、ミサトさんが、みんなが……みんなが居るの」

 もう見ているだけなのは嫌だと、シイは病室のドアへと駆け寄り必死に硬いドアを叩く。外からロックされているドアは中から開ける術は無い。

 非力な自分がドアを壊せる筈無いと理解しているが、シイは諦めずにドアを叩き続けた。

「開けて、開けて、開けてよ! このままじゃみんな死んじゃう!」

 何度も硬いドアを叩いた為、右手の皮がむけて血が滲む。だがそれでもシイはドアを叩くのを止めない。もう何もしないで大切な人を失うのは耐えられなかった。

「お願いだから、開いてよ!!」

 渾身の力を込めて右手をドアに叩き付ける。するとその祈りが通じたように、固く閉ざされたドアが開いた。

「え……」

「すまない。遅くなったね」

「お待たせしました。シイさん」

 開いたドアの向こうには、加持と時田が優しい笑顔で立っていた。

 

 

 ジオフロントの中心にあるネルフ本部に向かって、使徒は遠距離から攻撃を加える。ピラミッド型の本部が光に包まれるが、強固な外壁はそれに耐えて見せた。

「第一装甲板、融解!」

「排熱処理をしつつ第二波に備えて。リフト復旧まで何としても持たせるのよ」

 ネルフ本部の防御力は世界最高峰。それに偽り無く本部の外壁装甲板は、使徒の光線を受けてもなおその姿を維持していた。装甲板を改良した時田の努力のたまものだが、それを感謝する者は誰も居ない。 

「……初号機はどうだ?」

「駄目です。ダミーを拒絶。プラグ挿入すら出来ません」

「あくまで私を否定するのか……ユイ」

 寂しそうにゲンドウは呟くと、司令席から立ち上がり昇降機へと移動する。

「直接説得するしかあるまい。冬月、後を頼む」

「分かった。……アブソーバーを最大にしろ。少しは耐えられる」

 ケージへと向かうゲンドウを見送ると、冬月はスタッフを鼓舞するように声を張り上げるのだった。

 

 

「こっちだ」

「は、はい」

 加持と時田に先導されてシイは病室を抜け出し、ネルフ本部へ向かって廊下を走っていた。着替える時間が惜しくパジャマ姿のままだったが、それを気にする余裕はシイにも周りの人間にも無い。

 病院を抜けて本部に到着すると、ケージで待機している初号機の元へ向かう為、三人はエレベーターへと乗り込む。ようやく立ち止まる事ができたシイは荒い呼吸を繰り返す。

 基礎体力不足に加えて病み上がりの彼女には、長距離走は大分堪えたようだ。

「急かせてしまってすまない」

「はぁ、はぁ、良いんです。急がないと……いけませんから」

「ふふ、私の改良した本部装甲板。そう簡単には使徒に屈しませんよ。ご安心下さい」

 ドンと胸を叩き自信満々に告げる時田に、シイは少しだけ落ち着きを取り戻す。そんな彼女に加持は手早くこれまでの経緯を説明する。

「今は地上の二機を移動させるリフトが復旧するまで、何とかみんなで耐えている」

「じゃ、じゃあ、綾波さんと鈴原君は生きてるんですね!?」

 頷く加持にシイは心底安堵してその場にへたり込む。弐号機しか姿を見なかったので、地上で最悪の事態が起きたことを考えてしまっていたからだ。

「立場上俺達は君を最後までエスコートできない。ケージに着いてからは、全て君に任せる事になる」

「初号機はまだ左腕の復元が済んでいません。上手く搭乗出来たとしても、厳しい戦いになりますよ」

「……いえ、もう十分助けて頂きました。後は、私の戦いです」

 シイは強い意志のこもった目を二人に向けて、右拳を握り締めるのだった。

 

 

 使徒の容赦ない攻撃に耐え続けていたネルフ本部だが、圧倒的な破壊力の前に全ての装甲板が破られようとしていた。反撃手段の無い状態で良く持ったと言うべきだろう。

「だ、第六装甲板融解。残りは最終装甲板だけです!」

「リフトはまだなの!?」

「本部、ジオフロント間は既に。ただ地上までの復旧はまだ……」

 マヤの報告を聞いてミサトは渋い表情を浮かべる。地上で待機している二機をジオフロントまで輸送出来なければ、何の策も取りようが無い。

「間に合わない、か。初号機は?」

「……相変わらずダミーを拒絶。未だ起動せずよ」

 必死に抵抗を続けるネルフスタッフ達だが、状況は確実にチェックメイトへと近づいていた。

 

 

 初号機のケージではゲンドウによる説得が続けられていた。

「どうして受け入れない……何故レイを拒絶する」

「負傷したシイではろくに戦えない。分かってくれ、ユイ」

「全ての使徒を倒さねば我々に未来は無いのだ。それはお前も知っている筈だろう」

 ゲンドウの言葉にも初号機は沈黙を守ったまま。傍目には独り言を言っている危ない人にしか見えないだろうが、ゲンドウは本気で説得しようとしていた。

「何故だ、ユイ。戦わねばシイも死ぬ。お前がそれを望むはずが無い。何を考えている……」

 宿っている妻の魂が過保護なくらい娘を溺愛している事は、これまでで痛いほど分かっている。それなのに、この危機的状況でも起動しない初号機。ゲンドウは理解できなかった。

「ユイ……」

「お父さん!!」

 手詰まりになったゲンドウの元に、この場にいる筈の無い少女の声が届いた。

 




少々分かりづらい状況になってしまいました。
整理すると、トウジとレイは無事ですが、リフトが故障しており地上に置き去り状態です。
アスカは意識の無いままシンクロカットされ、弐号機は原作通り破壊されました。
シイは本部に隣接している病院から初号機のケージに到着しました。

もっと状況描写が上手くなりたいと心底思います。色々本を読んで勉強していますが、成果が出るのはまだ先のようで……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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19話 その6《天使と悪魔》

 

「シイ……」

 ゲンドウは少女の名を呟いた。病院から抜け出してきたのであろうシイは、水色の病衣を纏った姿で荒い呼吸をつきながらゲンドウの前に歩み寄る。

「何故ここに居る? お前には無期限の入院とエヴァへの搭乗禁止を命じたはずだ」

 厳しい声色でゲンドウはシイを問い詰める。この状況でとるべき行動では無いのだが、娘を前に虚勢を張ってしまう不器用さが滲み出ていた。

「お父さん……私、初号機で出撃します」

「必要ない。早く病院へ戻れ」

「嫌!」

「また命令違反をするのか、お前は」

「嫌ったら嫌なの! 私は……みんなを守るって決めたんだから」

 真っ直ぐな視線を向けるシイに、ゲンドウは呆れ混じりのため息をつく。意気込みはともかく、左腕が使えないシイが使い物になるとは思えなかった。

「今のお前に何が出来る?」

「分からないよ! でも何もしないなんて、私は我慢できない!」

「……お前の我が儘で初号機を失う訳にはいかない」

「使徒を倒さなきゃ初号機だって、お母さんだってなくなっちゃうんだよ!」

 シイの絶叫にゲンドウは思わずたじろぐ。機密中の機密である碇ユイの存在。それをシイが知っている事に驚きを隠せない。

「シイ。お前どうしてそれを」

「そんなこと話してる場合じゃ無いでしょ。男が細かい事を一々気にしないで下さい!!」

「ユ、ユイ……」

 病衣姿の小さな娘に一瞬妻の面影が重なり、ゲンドウは二、三歩後ずさりする。冗談交じりに冬月が言っていた夫婦関係も、あながち間違いではないらしい。

「出撃します。いいですね?」

「し、しかし……」

「お母さん。一緒に戦って!」

 この期に及んでまだ決断できないゲンドウに痺れを切らし、シイはやり取りを黙ってみていた初号機に呼びかける。すると首筋の装甲が開き、エントリープラグが外部へと排出された。

 乗りなさいと無言で告げる初号機に、シイは小さく頷くとプラグへ向かって走り出す。

「……シイ!」

「??」

 背後から聞こえるゲンドウの声に、シイは足を止めずに顔だけ振り返る。

「拘束具を強制排除して出撃しろ。施設を破壊しても構わん。カタパルトへ急げ」

「あ……うん!」

 ゲンドウから告げられた助言。それが自分の行動を認めてくれたからだと理解し、シイは嬉しさのあまり緩みそうになる頬を引き締め力強く頷いてみせた。

 

 

 再三放たれた使徒の攻撃によって、遂にネルフ本部を守っていた装甲板が全て突破されてしまった。装甲板の下には巨大な縦穴、メインシャフトがその姿を現す。

「最終装甲板、融解」

「メインシャフトが露出」

「使徒。メインシャフトへ向けて進行を再開」

 ジオフロントの地表から最下層のターミナルドグマまで、ネルフ本部内にはメインシャフトと呼ばれる縦穴が走っていた。離れた位置から光線を放っていた使徒は障害が取り除かれた事を確認し、ゆっくりと縦穴へ近づいていく。止める手立てが無い今、ネルフ本部は完全に無防備だった。

「ここに来るわ! 総員退避。第二発令所へ移動しなさい」

『総員退避、第二発令所へ移動せよ。繰り返す。総員退避、第二発令所へ移動せよ』

 ミサトの指示に従い日向が大声でアナウンスを繰り返すと、発令所からスタッフ達が一斉に脱出を始める。丁度その時、大きな衝撃が発令所に伝わってきた。

「何事なの?」

「内部施設が破壊されています……これは、エヴァ初号機です」

「初号機? ダミー……いえ、まさかシイちゃんが」

 メインモニターに映し出される初号機は、隔壁を力任せに破壊しながら本部の中を移動して、一直線に射出カタパルトを目指していた。

「通信繋いで。シイちゃん聞こえる? シイちゃん!」

『ミサトさん!』

((シイちゃんだ!))

 絶望的な状況下で発令所に響くシイの声。それは諦めかけていたスタッフ達の気力を蘇らせる。

『私がリフトに乗ったら使徒の下に射出して下さい!』

「奇襲をかけるのね、分かったわ。使徒の移動速度を算出。直下にある射出口にルートを設定して」

「了解」

 マヤが端末を操作する間にも、初号機は右拳で壁を粉砕して強引に本部内を移動する。そして射出カタパルトが並ぶターミナルへと到達した。

「ルート確保。使徒の直下には五番で行けます」

「シイちゃん、五番カタパルトに乗って。使徒の直下に出るわ」

『はい!』

 初号機が待機しているカタパルトに飛び乗ると同時に、勢い良くカタパルトが射出された。

 

 

「うぅぅぅ」

 身体を固定されていない初号機は射出の振動と衝撃を直に受ける。片手で必死にバランスを取りながら、シイは歯を食いしばって頭上を見上げる。

 ゆっくりと開かれる射出口。そこをメインシャフトを目指し飛行する使徒が通過しようとする瞬間、初号機の身体はリフトからはじき飛ばされる。

「いけぇぇぇ!!」

 勢い良く飛び上がる初号機は使徒に向かって右手を突き出した。

 

 奇襲は成功した。直下から予想外の変則アッパーカットを喰らった使徒は、その身体をジオフロントの空に舞い上がらせる。その無防備な姿を見逃さず、初号機は両足で使徒の胴体をかにバサミすると、マウントポジションを維持して落下する。

「っっっっっぅぅ」

 完全有利な体勢を確保したが、これだけの衝撃を受けては初号機の右腕も無事では済まない。指と手首、肘と肩の関節部は砕け散り、筋肉繊維もズタズタに千切れて体液が外部に溢れ出す。

 左腕の修復が間に合わなかった初号機は、これで両腕を失ってしまった。だがそれでもシイの闘争本能は、僅かな陰りすら見せなかった。

「あぁぁぁぁぁ!!」

 眼下に見える使徒の胴体中央にあるコア目掛けて、思い切り頭をぶつけ始めた。

 

「頭突き!?」

 あまりに原始的な攻撃手段にミサトは驚き戸惑う。他に手が無いとは言え、あのシイがここまで感情を昂ぶらせて戦う姿が想像出来なかったからだ。

「初号機、頭部装甲板に亀裂発生」

「パイロットの脳波にも乱れが……これ以上は危険です!」

 象徴的だった角は折れ、亀裂が幾筋も初号機の頭部に広がる。相当の痛みがフィードバックしているはずだが、シイは全く攻撃の手を緩めようとしない。

『あなたがぁ、あなたがぁ、あなたがアスカをぉぉ』

 発令所に響くシイの叫び。それは泣き声にも聞こえた。

「シイちゃん、見たのね」

「恐らく。彼女の病室からなら丁度見えたでしょうね。弐号機が蹂躙される姿が」

 大切な人を傷つけられた怒り。それが使徒を目にして憎悪へと変わった。感情をむき出しで戦うシイを、ミサト達は悲壮な顔で見つめるしか出来なかった。

 

 

 初号機の頭部装甲が剥がれ始め内部素体が露出する。パイロットであるシイも、頭部への強い衝撃を繰り返し受けた事で、脳震盪に近い状態に陥っていた。

 だがダメージを受けているのは使徒も同じ。弱点であるコアには少しずつ亀裂が入り始めていた。

「後……少しで……」

 薄れる意識を必死に呼び起こし再び頭突きをコアに叩き込む。すると使徒の身体がビクッと震えた。攻撃は着実に通っている。それを確信したシイは止めを刺すべく、思い切り頭を振り上げる。

 だが次の瞬間、突然プラグ内の電源が落ちた。

「な、何!?」

 パニックになり視線をあちこちに彷徨わせるシイ。そして彼女は見つけてしまった。内部電源稼働時間を示すタイマーがゼロを示しているのを。

「どうして!? まだ五分経ってないのに」

 ネルフ本部を破壊しながら移動し最大出力で戦闘を行った結果、初号機は通常時よりも大量の電力を消費してしまい、後一撃を、最後の一撃を加える時間は失われてしまった。

「動いて、動いて、動いて」

 右手で必死にレバーを前後に動かすが、沈黙した初号機がそれに応える事は無かった。

 

 

 頭を振り上げた姿勢で停止した初号機に、使徒は容赦なく反撃を始める。帯のような腕を頭に巻きつけると、思い切りネルフ本部へ向けて放り投げた。

 糸の切れた人形の様に本部の装甲板に激突した初号機は、三角形の本部外壁をずり落ちる。座るような姿勢の初号機に使徒は遠距離から光線を放つ。

「シイちゃん!!」

 発令所の主モニター内で繰り広げられる一方的な攻撃に、ミサトはたまらず叫び声をあげた。冬月もリツコも他のスタッフも、今にも叫びたい気持ちを抑えてじっとモニターを見つめている。

「……あれは、コア?」

「使徒のコピーたるエヴァ。当然構造は酷似しているから、コアもあるわ」

 リツコの声が聞こえた訳では無いだろうが、使徒は初号機の腹部に露出したコアを見つけると、ゆっくりと接近していく。

 そして杭を打ち込むように、両腕の帯で規則正しくコアを叩き始めた。まるで先程のお返しだと言わんばかりに執拗に攻撃を繰り返す。

 一方的に蹂躙される初号機の姿にミサト達が唇を噛み締めていると、

『ミサトさん。もう我慢出来まへん。わしら今からそっち行きますわ』

 地上で待機していたトウジから緊急通信が入った。

「無理よ。まだリフトは復旧していないのに」

『直通ルートがあるさかい、近道させて貰います』

「まさか!?」

 ミサトがトウジの考えを理解すると同時に、零号機と参号機は使徒が開けた大穴へと飛び込んだ。

 

『綾波、しっかり捉まっとき』

『……了解』

 参号機は零号機を抱っこした体勢で、落下しながら身体のバランスを取る。初陣の彼がここまで参号機を操れるのは、ひとえにリツコのお陰だろう。

『多分わしは動けへん。お前さんに任せる事になってすまんが』

『……問題ないわ』

 二人は最初から落下によるジオフロント突入をミサトに提案していた。だがたとえ着地が成功しても、両足のダメージが大きすぎて戦闘不能になるとMAGIが試算した為、却下されてしまったのだ。

 例え今のように一機が犠牲になってもう一機を送り届けたとしても、単機であの使徒に対抗するのは難しい。それが二人に決断を躊躇わせてしまっていたが、今は状況が違った。

『シイがあそこまで根性見せたんや。わしらが気張らんでどないするねん』

『……必ず助ける』

 使徒が弱っている為単機でも対抗できる事も理由だが、何よりもシイの命が危ない。それが二人の背中を押して独断での行動に繋がった。

 夜の闇を切り裂きながら、二機のエヴァはジオフロントへと降下を続ける。

 

 

「ここは……あの二人に賭けるしか無いか」

「今の使徒なら、零号機単機でも殲滅できる可能性が高いわ」

「後は着地さえ上手くいけば……」

 初号機へ攻撃を続ける使徒の映像と並んで、降下する二機のエヴァが映し出される。どちらも全く予断を許さない状況。発令所スタッフは固唾を呑んで見守る。

「エヴァ両機。まもなくジオフロント地表に接触します」

「ATフィールドを二機が最大にすれば……」

「接触まで、後五、四、三、二、一、零!」

 参号機は零号機を抱えたまま、直立の姿勢でジオフロントへ着地した。

 

「がぁぁぁぁぁぁ」

 漆黒のボディが腰まで埋まり、トウジは初めて受けるフィードバックダメージに苦悶の声を漏らす。だが腕に抱えた零号機の身体を離すことは最後までしなかった。

「……鈴原君」

「わ、わしは無事や。はよシイんとこ行ったれ」

「了解」

 拳を振り上げる参号機に零号機は小さく頷く仕草を見せると、シイの救出へと駆け出した。

 

 

 電源が切れたプラグ内には外部の情報は一切入らない。零号機が向かっている事も知らないシイは、プラグ内に響く衝撃に耐えながら右手で必死にレバーを動かしていた。

「動いて、動いて、お願いだから動いて」

 ガチャガチャと無機質な音だけが響き渡り、初号機は、母は何も応えてはくれない。

「今動かないと、使徒を倒さないと、みんな死んじゃう。みんな居なくなっちゃう。そんなの嫌だよ」

 レバーを動かす手に力がこもる。

「みんなを守るの……独りは嫌だよ……私を独りにしないでぇぇ!!」

 シイの本心からの叫び。それが引き金だったのかもしれない。

 異変は突然訪れた。解除されてしまったシンクロが再び始まる感覚。いや、それとは比較にならない一体感が、今まで感じたことの無い一体感がシイを包み込む。

 心臓が激しく鼓動する音が、静かにプラグに響いた。

「お母……さん」

 

 

 

 突如初号機の両眼に光が戻った。

「しょ、初号機……再起動」

 マヤは信じられないと震える声で報告する。それと同時に初号機の右腕が嫌な音を立てて復元されると、コアに打ち込まれる使徒の帯を防ぐように、前に突き出された。

 開いた初号機の手の平は帯をあっさりと裂く。そのまま手を握り帯を掴むと使徒の身体を引っ張り、思い切り前蹴りを打ち込んだ。

 帯が千切れ勢い良く吹き飛んでいく使徒。それを見下すように初号機は悠然と立ち上がった。

「暴走……なの?」

 ミサトの呟きに誰も答えられない。全員の視線はモニターの初号機へ釘付けだった。

 初号機は千切った使徒の帯をおもむろに左肩へと押し付ける。帯は泡立つように形状を変え、瞬く間に新たな左腕と化した。

「左腕再生!」

「凄い……」

 初陣での暴走時も折れた左腕を一瞬で復元した事があった。だが今は失った手をあっさりと再生して見せた。ミサトは畏怖を含んだ感嘆をもらす。

「え? そんな……あり得ないのに」

「どうしたの?」

「初号機のシンクロ率が、よ、400%を超えています」

 パイロットとエヴァとの同調を数値として表すのがシンクロ率。それは性質上100%が上限で、理論値では90%台が限界とされていた。400%と言うのはどう考えてもあり得ない数値なのだ。

(まさかユイさんがシイさんを取り込んだの? どうして……)

 

 その後の初号機はまさに悪魔だった。

 右手を振るいATフィールドを使徒へ飛ばすと、使徒のATフィールドを容易く破り致命的なダメージを与えた。瀕死状態の使徒は体液を辺りにまき散らしながら大地に横たわる。

 獣の様に四足歩行で使徒へ近づいた初号機は、目を細めながら口を大きく開くと、文字通り使徒の身体を貪った。野生の獣が獲物を喰らう様な姿に、発令所スタッフの多くは耐え切れずに目を逸らす。

 

 やがて食事に満足したのか、初号機はゆっくり立ち上がると遠吠えのような雄たけびを上げる。全身に返り血を浴びた初号機の姿を見て、リツコ達は同じ思いを抱いた。

 もう誰もエヴァを止められない、と。

 




トウジ・綾波ペアが頑張ってくれましたが結果は変わらず、初号機はゼルエルを喰らい尽くしました。ただ原作と違い彼女が元々目覚めていた為、少し状況は異なりますが。

地上とジオフロントの距離ですが、詳細な数値がわかりません。勉強不足で申し訳ありませんが、ATフィールドを張ったエヴァでも損壊する距離と、勝手に設定させて頂きました。

物語も中盤戦が終わり、そろそろ終盤戦に差し掛かります。原作ではここからもう鬱モード一直線でしたが、回避出来るフラグを立てた本作では、果たしてどうなるか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《トウジの頑張り物語》

本編の都合などお構いなしのアホタイムです。

時間軸は19話途中、トウジがリツコと共に訓練を始める所です。


 

~リツコVSトウジ~

 

 ネルフ本部のエヴァ訓練場では、リツコとトウジが向かい合っていた。これから訓練を行うのに際し、やっておかなければならない事があるからだ。

「鈴原君。あなたには絶対的に足りないものがあります」

「はぁ、まあそうでしょうが……」

「と言うよりも、足りてるものがありません」

「ま、まあ言い返せへんですが……」

 それはトウジも自覚していた。何せ自分はついさっきエヴァを起動したばかりの初心者。エヴァのパイロットとしてスタートラインに立っただけなのだから。

「でも安心なさい。このプログラムを修了すれば、貴方はエースとして生まれ変われるわ」

「わしは別にエースとやら興味なんかあらへんです。ただ大事なやつを守る力が欲しいだけ――」

「手ぬるいわ!!」

 真剣なトウジな気持ち。しかしそれはリツコの怒声で遮られてしまった。

「男の子がそんな事でどうするの? 野望はもっと大きく、最強のチルドレンを目指す位言いなさい」

「い、いや、ほんまにわしは……」

「はぁ~もう良いわ。どのみち最終的にはそうなるのだから」

 野心が無いと言うよりも誠実なトウジに、リツコはため息をつくと諦めた様に話を進める事にした。

 

「では早速訓練を始めると行きたいところだけど、その前にやっておくことがあります」

「何でっか?」

「少しだけ厳しい訓練だから、万が一に備えて誓約書を用意してあるの」

 リツコは取り出した誓約書をトウジへと手渡す。何気なしに目を通すトウジだったが、次第にその顔が青ざめ引きつっていく。

「あ、あの、姐さん。これマジでっか?」

「大した事は書いてないでしょ?」

「いや~その、最初の一行目に『死んでも文句を言いません』ってあるんですが」

「くすくす、それ面白い冗談でしょ。死んだら文句なんて言えないのにね」

 笑みをこぼすリツコに悟られぬようトウジは数歩後ずさる。ここに来て自分は早まってしまったのでは無いかと、改めて思い始めていた。

「安心して。万が一がおきても、遺族への保障はネルフが責任もって行います」

「は、ははは、姐さんお笑いの才能あるわ。ちっとも安心できへんって、それ」

 ジリジリとすり足でリツコから距離をとるトウジ。今後の展開次第では直ぐにでも逃げ出せるよう、下半身に力をこめている。

「貴方にはあれだけ強い意志があるから、誓約書は不要だと思ったんだけど、一応規則だからね」

「規則は大事ですな」

「そうね。で、問題ないわよね?」

「無いと思いまっか?」

 リツコとトウジの間に何とも言えぬ緊張感が漂う。何でもやる決意を抱いていたトウジだったが、流石に命まで失うのは想定外だ。そもそも死んでしまったら守る以前の問題だろう。

「そう。でももう誓約書にサインしてしまったのよ」

「……はっ?」

「うちに代筆が得意な子が居てね、貴方の文字を真似て書いて貰ったの。ほら、良い出来でしょ?」

 リツコに言われてトウジはあわてて誓約書の一番下まで視線を送る。そこには確かに自分と全く同じ筆跡で、鈴原トウジと記されていた。

「これで心置きなく訓練が出来るわね」

「……みんな、すまん。わしは……駄目かもしれへん」

 とても良い笑顔を向けるリツコに、トウジは遠くを見つめて呟いた。

 

 

「以上が基本的な動作よ」

「イメージするだけで動くっちゅうのは、案外おもろいですな」

「複雑な操縦技術はいらないの。必要なのはイマジネーション。想像力と発想力よ」

 参号機のプラグ内でトウジはリツコの言葉に頷く。歩く、走る、座る、そう言った基礎動作でも完璧に出来るまでには数時間を要した。普段無意識に行っている事をイメージするのは、予想外に難しいのだ。

「にしても、座っとるだけなのに結構疲れるもんや」

「シンクロしている以上、エヴァからのフィードバックがあるわ。頭が疲労感を認識しているのね」

「なあ、姐さん。ボチボチ休憩とか……」

「では次の訓練に行くわよ」

 トウジの泣き言を一切無視して、リツコは訓練プログラムを進めていった。

 

 

 かつてシイが射撃の訓練を行った様に、参号機は管制室の制御下におかれ、シミュレーション訓練が実施されていた。他の兵器とは違いシンクロで操縦するエヴァには、仮想訓練も有効な訓練のひとつだった。

「ぜぇ~ぜぇ~、あ、姐さん。流石にしんどい……」

「何言ってるの。まだ第四使徒よ? 今までの使徒全部を勝ち抜くまでは止めないから」

「今んとこ、何体出てきたんですか?」

「ひぃ~ふ~み~……第十三使徒までね」

「死ねと?」

「この位で根を上げるなんて……シイさん達が知ったら、きっと失笑するでしょうね」

 シイ達はこれらの使徒を全て殲滅してきた。トウジが三人に追いつくには、最低でも同じ経験をする必要があると、リツコは言葉巧みに煽る。

 彼女達は連戦ではなく、単機での戦闘でも無かったのだが、トウジには効果的な挑発だった様で。

「じょ、上等やないか。残りまとめて全部出しや! まとめて片付けたるわ」

「あら、やる気ね? 良いわ。全部同時に出してあげる」

 仮想空間に使徒がオールスター勢ぞろいする。そして参号機へのリンチが始まった。

 

「ぬわぁぁぁぁ」

 第五使徒の加粒子砲に打ち抜かれ、海に落ちたところを第六使徒に噛み砕かれる。

「ぐえぇぇぇぇ」

 第七使徒にマグマへ蹴飛ばされ、熱と第八使徒の攻撃にあっさり爆砕。

「ひえぇぇぇぇ」

 第九使徒の溶解液で全身ボロボロの参号機に、成層圏より飛来した第拾使徒が直撃。

「ぎゃぁぁぁぁ」

 第十一使徒に身体を乗っ取られ、第十二使徒に飲み込まれて精神的にボロボロにされた。

 

「あ、姐さん……ちょっとタンマ」

「因みにこのプログラムは使徒全部勝ち抜きだから。途中でやられたら最初からやり直しよ」

「お、鬼ぃぃ。悪魔ぁぁぁ」

「何とでも言いなさい。これが貴方の望んだ世界、そのものよ」

「人でなし、三十路ババア、行かず後家」

「……特別に、エヴァも相手にさせてあげるわ」

 思い切り地雷を踏み抜いたトウジは、シイ達のデータが組み込まれたエヴァ三体を含めた敵の集団と、何時終わるやも知れない戦いに挑むのだった。

 

 

 そして第十四使徒襲来を迎えた時、鈴原トウジは訓練プログラムを半分しか消化していないにも関わらず、立派に戦力として戦える実力を身につけていた。

 大切な何かを犠牲にして。




レイは従順。アスカは優秀。シイは甘やかされているので、リツコによる実害を被るのはトウジの役割ですね。
原作を何度見てもリツコはSだと思います。個人的にはですが。

小話ですので、本編も本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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20話 その1《少女が消えた日》

 

 闇の中で開かれる会議。それは人類補完委員会会議と類似しているが、明確に異なる点がひとつ。参加しているメンバーは人間ではなく、宙に浮く漆黒のモノリスだと言う事だ。

 モノリス達は先の使徒戦について、意見を交わし合う。

「使徒の殲滅。それは良い」

「死海文書の予言の中でも、力を司るあの使徒は最大の障害と思っていたからな」

「左様。エヴァと第三新東京市の損壊があの程度で済んだのは、寧ろ幸運と言える」

 実際には第三新東京市とネルフ本部は大きなダメージを受けた。エヴァも弐号機が大破し、初号機が中破、参号機が小破と決して軽くない被害を被ったのだが、第十四使徒殲滅はそれらを考慮しても十分過ぎる戦果だったのだろう。

「そうだ。だがあれは頂けない」

「S2機関。本来エヴァシリーズに存在しえないあれを、まさかあの様な方法で取り込むとはな」

 報告にあった初号機による使徒の捕食。無限のエネルギー機関であるS2機関を、使徒から直接奪い取る行為は彼らにとって実に都合が悪かった。

「我等ゼーレのシナリオとは、大きくかけ離れた出来事だ」

「この修正、容易では無いぞ」

「碇ゲンドウ。あの男の存在がシナリオの障害では無いのか?」

「だが彼でなければここまで来れなかっただろう」

 意見を交し合うモノリス達。全て同じ姿をしているが、刻まれたナンバーで判別することが出来る。

「碇……何を考えている」

 ナンバー01、リーダー格と思われるモノリスは、困惑の声を漏らすのだった。

 

 

 ネルフ本部発令所ではスタッフ達が事後処理に追われていた。今回はエヴァだけでなく本部にも大きな損害が出ているため、いっそう慌しい空気に包まれている。

「参号機は腰椎及び両足の損害が酷いですね。ただ中枢部は無事ですので、今週中には何とか」

「二機分のATフィールドのおかげね。それで弐号機は?」

「両腕と頭部の切断、全身パーツへのダメージ。修復には時間が掛かりそうです」

 マヤは端末を操作して被害状況と修復計画をディスプレイに表示する。米国第二支部消滅の影響でエヴァの部品が不足している現状もあり、修復はだいぶ遅れそうだとリツコは脳内でシミュレートした。

「地上の被害は甚大でも、ここが無事なのは不幸中の幸いかしらね」

「ですね。この発令所が破壊されていたらエヴァも第三新東京市の復旧も、もっと遅れていましたよ」

 苦笑しながら会話を交わすリツコとマヤ。それが途切れると気まずい沈黙が二人の間に漂う。意識的に避けていた話。今もっとも大切な話。切り出したのはリツコからだった。

「……初号機はどう?」

「現在第四ケージに拘束中です。今のところ暴走の気配はないそうですけど」

「そう……。本日午後から状況確認を行うわ。シイさんの事も含めてね」

「先輩。シイちゃんは無事ですよね?」

 不安げな顔を向けるマヤにリツコは返答に窮する。シンクロ率400%。その意味と正体を察しているリツコは、シイの状態をある程度予期していたからだ。

「今の段階ではまだ何も言えないわ。ただ」

「ただ?」

「覚悟はして置いた方が良いわね」

 辛そうに告げるリツコの様子でマヤも事態の深刻さを悟り、泣きそうな顔で頷くのだった。

 

 

 エヴァンゲリオン専用格納ケージ。その第四ケージにミサトと日向の姿があった。二人が見つめるのは、頭部装甲板が剥がれ茶色の素体が露になっているエヴァ初号機だった。

「ケージに拘束、か。今は動かないみたいだけど」

「はい。全てのエネルギー反応は完全に沈黙。取り込んだと思われるS2機関も停止しています」

「当てにならないわよ、そんなの。この初号機は何度も信じられない事を起こしたんだもの」

 無人での起動、暴走、ディラックの海からの脱出、そして先の異常行動。初号機が自分達の常識から大きくかけ離れた存在だと、ミサトは理解していた。

「先ほど赤木博士から連絡がありました。状況確認を本日午後より行うと」

「……何時までもシイちゃんを乗せたままって訳にはいかないものね」

 ミサトはエヴァの顔を、緑色の不気味な瞳を見つめて呟いた。

 あの後初号機は一頻り咆哮をあげると活動を休止した。零号機によってケージまで移動されたが、暴走の危険性を考慮して、今まで迂闊に触れる事すら出来なかったのだ。

 搭乗しているシイをそのままにして。

「相当頭部へのダメージがありますからね。早くシイちゃんも治療と検査を受けてもらわないと」

「それで済めば良いけど」

 今までと違う初号機の暴走。ミサトは湧き上がる嫌な予感に表情を曇らせて小さく呟いた。

 

 

「……で、結局使徒はシイが倒したって訳?」

「ええ」

 ネルフ中央病院の病室で目覚めたアスカは、お見舞いに来ていたレイから事の次第を聞いた。使徒の攻撃をギリギリで回避した際に意識を失った彼女にとっては、まさに寝耳に水の展開だった。

「良くあそこから抜け出せたわね」

「……加持監査官と時田博士が手引きしたらしいわ」

「さっすが加持さんね。出来る男は違うわ」

「……時田博士も」

「あ、それでシイはどうしたの? ひょっとして司令にまた謹慎させられてるとか?」

 さらっと時田をスルーしてアスカは何気なく尋ねる。だが珍しく表情を曇らせるレイを見て、自分の思っている以上に事態が悪いと察した。

「ヤバイ感じなの? 本格的に身柄を拘束とか」

「……碇司令が発進を許可したから、その件はお咎め無し」

「なら何よ。まさか負傷してるんじゃ?」

「……それは、まだ分からないわ」

 アスカはレイの発言に違和感を覚えた。先の説明では使徒殲滅は昨晩。今は翌日の朝だから少なくとも数時間は経過している。だというのに負傷の有無さえ不明と言うのはどう考えてもおかしい。

「どう言うこと?」

「……初号機は先の戦いで暴走。第一級危険指定されたわ。だからまだ誰も初号機に触れる事も、調べる事も、碇さんの無事を確かめる事も許されていないの」

「はぁ? 何よそれ」

 初号機の暴走はアスカも一度目にしている。影の使徒を引き裂き血飛沫の中、雄たけびをあげる悪魔の様な姿。確かに恐怖を感じたが、その時ですら危険指定などされなかった筈。

 ならば他に何か大きな要因があると、アスカは頭の中で論理を組み立てる。

「あんた、まだあたしに話して無い事あるでしょ?」

「……ええ」

「ならそれをとっとと話しなさいよ」

「……上手く説明出来ない」

 茶化している訳でも誤魔化している訳でも無い。あの光景を目の当たりにしたレイだが、危険指定される詳細な理由は分からなかったし、何よりあれを言葉で説明するのは難しかった。

「……本日13時より、初号機の状態確認が行われるわ」

「自分で確かめろって事? ま、その方が手っ取り早いかもね」

 アスカはベッドから身体を起こすと手早く病衣を脱いで、ベッドサイドに用意されていた、自分の服へと着替え始める。

「……良いの?」

「あたしの弐号機は傷物にされたみたいだけど、あたしは怪我なんてしてないもの」

 元気だとアピールするアスカにレイは違うと首を横に振り、後ろを見ろとそっと指差す。

「ん? 何があるって~のよ……」

 下着だけの姿で後ろを振り返り、そのままアスカは硬直した。この病室は個室ではなく相部屋。自分の後ろにはもう一つベッドがあり、そこには非常に気まずそうな笑顔を向けるトウジがベッドに寝ていた。

「よ、よう惣流。昨日ぶりやな」

「……ふんっ!!」

 アスカの足がしなやかに舞い、トウジの顔面に直撃した。対人戦闘の訓練を受けた彼女の躊躇も容赦も無い一撃に、トウジの意識は綺麗に刈り取られるのだった。

 

 

 モノリスによる会議は今もまだ続いていた。

「だが事態はS2機関の取り込みだけに止まらない」

「左様。シイちゃ……ごほん、サードチルドレンの安否確認がまだと言うのは不味いね」

「全くだ。碇め、娘の事が心配では無いと言うのか」

「中間報告によれば、パイロットとエヴァのシンクロ率が400%を超えたとか」

「最悪の場合」

「ユイと……母親と同じ末路を迎えるかもしれんな」

 01モノリス、キール・ローレンツの発言にモノリス達は沈黙してしまう。シンクロ率400%、それは自我の喪失を意味する。かつての碇ユイの様にシイもまた、悲劇を起こすのかもしれなかった。

 絶望感からかモノリスが一回り小さく見える。

「何故だ。何故こんな事態になってしまったのだ……」

「あの男の好き勝手を許していたから、この事態を招いたのでは無いのか」

 モノリス達の怒りの矛先は、やはりと言うかゲンドウへ向けられる。

「そうだ。碇の首に鈴を付けて置かぬから、こんな事になる」

「鈴は付いている。ただ鳴らなかっただけだ」

「ふん。鳴らない鈴に何の意味がある?」

「使えぬ鈴ではない。だとすれば何らかの意図があると思うがね?」

「……では次は鈴に動いて貰うとしよう。果して我等の鈴たる資格があるか、確かめようではないか」

 キールの言葉にモノリス達は器用に石版を傾け頷いてみせる。これを最後に人類補完委員会、いやゼーレの会議は終わりを告げた。




ゼーレが初めて姿を見せました。人類補完委員会のメンバーとは違うらしいのですが、この小説では委員会のメンバーが全員ゼーレだという設定にしています。
そのせいで少々話がややこしくなっていますが。

アスカに関しては、無傷の状態で失神・神経接続解除となりましたので、敗戦のショックが薄いです。多少プライドが傷ついたでしょうが、彼女も精神が成長していますから。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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20話 その2《ひとのかたち》

 

 ネルフ本部司令室には、ゲンドウと冬月と対峙する加持の姿があった。

「いやはや、この展開は予想外ですな」

 軽い口調でゲンドウ達へ話しかける加持だが、その目は油断無く二人の姿を捉えている。ゼーレの鈴として、真実の探求者として、ネルフのトップ二人に堂々と揺さぶりをかけられる貴重な機会なのだ。

「全くだよ。シイ君は病院で休養中だった筈だったが……」

「抜け出すのを手引きした者が居る」

「それはまた、穏やかではありませんね」

 互いに腹の内を探り合う会話が続く。

「本部と病院の監視カメラを誤魔化し、保安諜報部員を無力化出来る手錬。そう多くは居るまい」

「でしょうね」

 ネルフ中央病院のセキュリティーは、ネルフ本部と近いレベルを誇っている。それを誤魔化し、かつ腕利きの護衛を力尽くで押さえ付けられるとなると、犯人は限られてくるだろう。

「例えば監査部主席監査官である君の様な、優れた人間が関わっていると我々は推察しているよ」

「評価して頂けるのはありがたいですが、買い被り過ぎでは?」

「ゼーレ、日本政府、そしてネルフの三重スパイをこなす君だ。優秀としか言い様が無いよ」

 何気なく加持に正体が割れている事を告げる冬月。そして無言で加持に鋭い視線を向けるゲンドウ。知られていて当然と思っている為、一切の動揺を見せない加持。短い沈黙が三人の間に漂った。

 

「まあ良い。シイ君の件は追々調査するとして、ゼーレが気にしているのは初号機だな?」

「え?」

「違うのかね?」

「あ~え~、まあそんな感じです」

 実際はサードチルドレン、碇シイの問題が最優先だったのだが、流石にそれを素直に伝える訳にはいかず、加持はあいまいな笑みを浮かべて答える。

「S2機関を取り込んでしまった初号機。ゼーレにはどう言い訳を?」

「初号機は我々の制御下に無かった。今回の件は不慮の事故だよ」

「よって初号機は凍結。委員会の別命あるまではな」

 予め対応を検討していたのだろう二人は、角の立たない釈明と対策を加持へ答えた。初号機を制御できない危険な物として、ネルフにかかる責任を全て押しつける算段らしい。

「賢明な判断です。ただそうすると問題がありますよね?」

「シイ君か……」

「ええ。彼女は輝かしい戦果をあげていますから。優秀なパイロットを失う可能性をゼーレは危惧しています」

「ふっ、老人達の道楽だな」

 ゼーレの真意を読みきったゲンドウは、口元に笑みを浮かべて皮肉を言う。彼らが気にしているのがサードチルドレンでは無く、碇シイと言うのは先の査問会で既に承知していた。

「本日午後に行われる初号機の状況確認。全てはその結果次第だ」

「シイの回収が困難であるならば初号機と共に凍結する。ゼーレのシナリオに従うと伝えたまえ」

「……適切な処置です。ではこれで」

 加持は軽く頭を下げると司令室を後にした。

 

 退室する加持を見送ると冬月は大きくため息をつく。

「ゼーレは問題なさそうだな。だがシイ君の件はどうする?」

「言った通りだ」

「やれやれだな。リスクの高いS2機関の捕食。その為のダミープラグだったと言うのに」

 使徒の捕食によるS2機関の確保自体は、ゲンドウのシナリオ通りだった。だがそれは取り込まれるリスクを考慮して、ダミープラグによって行うつもりだったのだ。

 全てはシイの搭乗とユイの意思が大きなイレギュラーとして、ゲンドウのシナリオを狂わせてしまった。

「シンクロ率400%。間違いなく取り込まれただろう」

「……サルベージの資料は残っている」

「全てはシイ君とユイ君の意思次第と言う事か」

 それだけ告げると冬月は、間近に迫った初号機の状況確認に立ち会う為、司令室から出て行ってしまう。残されたゲンドウは一人、心の中で苦悩する。

(ユイ……お前はシイを取り込み、何をするつもりなのだ……)

 

 

 ネルフ本部第一発令所にはミサトやリツコ、冬月だけでなく、アスカ達チルドレンと加持に時田等々、多数のスタッフが詰め掛けている。

 みんなの目的はただ一つ。シイの安否確認と救出を自分の目で見届ける事だった。

「時間ね。では初号機と回路を接続して」

「了解」

 リツコの指示でオペレーター達が一斉に端末を操作し、ケージの初号機との回線を開いていく。だが状況は芳しくなかった。

「駄目です。エントリープラグの排出信号は拒絶されました」

「制御信号もです」

「予備回線と擬似信号でアプローチして」

「……失敗しました。初号機がこちらからの接続を受け付けません」

 次々と状況の悪化を告げる報告を聞き、ミサトはそっとリツコに耳打ちする。

「どう言う事? 初号機にお母さんの魂が宿っているなら、何でシイちゃんを閉じ込めてるのよ?」

「分からないわ。ただユイさんはシイさんを溺愛していたらしいから、悪意があるとは思えないけど」

「何かシイちゃんを初号機から出せない理由があるって事?」

「恐らくは。今はそうとしか言えないわ」

 二人がひそひそ話をする間にも、オペレーター達の必死な作業は続いていた。

 

「先輩! プラグ内のモニター回線が繋がりました!」

「良くやったわマヤ。主モニターに回して」

「はい」

 マヤが端末を操作すると発令所の巨大モニターに、初号機のプラグ内の映像が映し出される。これでシイの安否が確認できるとスタッフ達に訪れた安堵は、一瞬で消え去ってしまった。

 初号機のプラグ内。そこに全員が望んでいたシイの姿は何処にも無かったのだ。その代わり搭乗時にシイが着ていたと思われる水色の病衣だけが、所在無さげにプラグ内を漂っている。

「ちょ、ちょっと、どういう事よ! シイは何処行ったのよ!」

「アスカ、落ち着いて」

「だがアスカの言葉はもっともだ」

「そうですね。初号機からエントリープラグは一度も排出されていない。ならば彼女は何処へ?」

 時田の言葉で一同の視線は、沈黙を守っているリツコへと向けられた。答えを求める面々に、リツコは覚悟を決めたように重い口を開く。

「シイさんは……恐らく初号機に取り込まれてしまったと考えられるわ」

「取り込まれた?」

「シンクロ率はエヴァとの同調を数値化したもの。100%が最高と考えられているけど、人は自我を持っている以上、他者と完全にシンクロ出来ない。でもシイさんはそれを超えてしまった」

「つまり……」

「これがシンクロ率400%の正体。エヴァとの完璧な同調。それはエヴァと一体化する事なのよ」

 リツコの発言にミサトもアスカも、レイも加持も、その場にいた全員が言葉を失った。負傷をおして出撃し、自分達を守るため死力を尽くした少女がエヴァに取り込まれてしまった。

 肩を落とし涙を浮かべる者、怒りに拳を震わせる者、唇を噛み締めて無力さを実感する者、反応は様々だが思いは一つ。あまりに酷い結末への憤怒と絶望だった。

 

 もうあの少女に会えない。あの笑顔が見れない。発令所はまるで通夜の様な沈んだ空気に包まれる。

「シイを守れないなんて、何がリーダーよ」

「わしが……わしがもうちょい、早う決断しとれば……」

「……私の動きが遅かったせい」

 自分達が使徒を殲滅していればシイが戦う必要は無かったと、アスカ達は自分を責める。特にアスカは一番早く戦線を離脱した事もあり、人一倍責任を強く感じていた。

「いいえ。貴方達はベストを尽くしたわ」

「うむ。君達の働きが無ければ、今頃は人類全部が滅んでいたよ」

「反省するのは悪いことじゃない。だがその前にすべきことがある」

 チルドレン達に励ましの言葉をかける大人達。結果としてシイが取り込まれてしまったが、使徒を殲滅した初号機を出撃する時間を作ったのは、紛れも無く彼女達なのだから。

 

 重苦しい空気の中、時田はそっとリツコの元へ近寄り、真剣な面持ちで声を掛ける。

「赤木博士。私は専門外なので断言は出来ませんが……シイさんは今、量子状態なのですか?」

「その通りだと思いますわ」

「だとすれば、MAGIのサポートがあれば」

「可能性はあるかと。過去に一度、同じケースでサルベージを行ったデータがあります」

「ちょっと待ちなさいって」

 何やら意味深な会話をしている時田とリツコに、ミサトが慌てて待ったをかける。

「勝手に話進めてないで、私達にも分かるように説明してよ」

「奪われたものは取り返せばいい。そう言うことですよ、葛城三佐」

「エヴァ初号機からのサルベージ。それがシイさんを取り戻す唯一の策よ」

 リツコの力強い発言は、発令所の重苦しい空気を振り払う希望に満ちたものだった。

 

 

「今のシイさんは、自我の境界線を失った為、肉体が量子状態まで分解されているわ」

「じゃあ何? シイはあたし達に見えないだけで、まだあそこに居るって~の?」

「ええ。LCLの成分が変化して、原始地球の海水に酷似していることから、まず間違いないわね」

 リツコの言葉を一句たりとも聞き逃すまいと、スタッフ達は全力で聞き入る。

「プラグが一度も開放されていないから、今もシイさんを構成していた粒子はプラグ内に存在している筈よ」

「だから初号機はエントリープラグの排出を拒絶したのね」

 プラグが排出されれば当然LCLも排水される。もしそうなればシイのサルベージは不可能。ミサトはユイがシイを守る為に、排出信号を受け付けなかったのだと理解した。

「今、シイさんの全てはプラグ内に保存されているわ」

「なるほどな。つまりサルベージってのは」

「シイさんの肉体を再構築して、魂、精神を定着させる作業よ」

 加持の言葉を肯定してリツコはサルベージの概要を全員に伝える。あまりに突拍子も無い、夢物語のような話だが、異議を申し立てる者は一人としていない。

 誰もがシイが帰ってくる事を望んでいるのだ。例えそれがどんな無茶な方法だとしても。

 

「副司令、よろしいですね?」

「もちろんだ。君にサルベージ計画の責任者として、全権を与える」

 ゼーレに約束した初号機の凍結に、シイのサルベージは何も違反していない。寧ろゼーレを刺激しないためにも、自分の為にもサルベージの成功を願わずにはいられなかった。

「では本日現時刻をもって『碇シイサルベージ計画』を開始します。本部の復旧とエヴァの修復との平行作業になるから、相当ハードなスケジュールになるわ。覚悟は良い?」

 確認は不要だった。リツコを見つめるスタッフの目には、力強い光が宿っているのだから。

「詳細なプランは完成次第開示します。みんなの働きに期待するわ」

「「はいっ!!」」

 シイを取り戻すため一丸となったネルフの戦いが幕をあげた。

 




ここまで主役の出番無しです。あんな状態ですのでやむを得ないですが。

加持の三重スパイはとっくにバレていましたが、実際にはシイ達と協力しているので、四重スパイなんですよね。つくづく優秀な人だと思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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20話 その3《こころのかたち》

 

 シイが目覚めたのは暖かな光に満ちた空間だった。

(あれ、ここ何処だろう)

 キョロキョロと周囲を見回すが、以前飲み込まれた使徒の空間の様に、見渡す限り白い光が広がっているだけ。ただあの時とは違いシイの心は不思議な心地よさを感じていた。

(私……エヴァに乗って、使徒と戦ってたよね?)

 記憶に残っているのは電源が切れたプラグ内で、必死に母に呼びかけながらレバーを動かしていたところまで。その先は全く憶えておらず、気がついたらここに居た。

(ひょっとして、私……死んじゃったの?)

 慌てて視線を下に向けて足があるかを確かめる。

(良かった、ちゃんとあった。でもどうして私裸なんだろう)

 記憶の中では病衣を着てエヴァに乗ったはず。だが今シイは産まれたままの姿で光の空間を漂っていた。首を傾げながら、これからどうすれば良いのか考えていると、

「シイ」

 不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある優しい女性の声。シイが恐る恐る振り返るとそこには、白衣を着たショートカットの女性、碇ユイがシイに微笑みを浮かべていた。

「お母……さん?」

「久しぶりね、シイ。こうして直接話すのは初めてかしら」

「本当に……お母さん?」

 戸惑うシイの言葉にユイは微笑みながら頷く。それを見た瞬間、シイは思い切りユイへ抱きついた。

「お母さん、お母さん、お母さん」

「ええ、私はここに居るわ」

「うわぁぁぁん」

 優しく抱きとめてくれる母の胸で、シイは想いの全てを涙に変えて泣き叫んだ。

 

 

 サルベージ計画開始から数日が過ぎた。本部の復旧にエヴァの修復、サルベージの準備と殺人的なスケジュールをこなすリツコは、目の下に真っ黒な隈を作りながらも仕事を続けている。

「先輩……少し休んだほうが」

「ある程度目処がつけば休憩するわ。それよりもマヤ。貴方こそ酷い顔してるわよ」

 リツコの指摘通りマヤにも大きな隈が出来ており、一目で寝不足と疲労困憊が分かる状態だった。それは二人だけでなく、ほぼ全てのスタッフに言える。

 彼らは自分の睡眠時間を削ってまで、急ピッチで作業を進めていたのだから。

「こんなの全然平気です。だってシイちゃんの為ですから」

「そうね……」

 リツコとマヤは頷き合うと懐からシイの写真を取り出し、まるで栄養補給するようにじっと見つめる。眩しい笑顔を向けるシイの写真を見て、二人はモチベーションを維持する事が出来ていた。

「はぁ、良いわね」

「はい。癒されます」

「ファンクラブも粋な事してくれるわ。まさか秘蔵写真を配布してくれるなんて」

「これだけ厳しいスケジュールでもミスが少ないのは、これのお陰ですね」

 二人はたっぷりと堪能すると、写真を大切にしまいこむ。

「サルベージの要綱は今日中に完成出来るわ。後は準備を整えるだけよ」

「流石先輩ですね。まさかたった三日で作ってしまうなんて」

 尊敬の眼差しを向けるマヤに、リツコは違うと首を横に振る。

「いいえ、原案は私じゃ無いの。私は十年前に実験済みのデータを元に、細かな修正をしただけよ」

「前にもこんな事があったんですか?」

 シイがエヴァに取り込まれたと言う事が、そもそも信じられない事なのに、過去に同じ様な事例があったと知ったマヤは驚かずにいられない。

「私がまだ見習いだった頃にね。その時は母さんが担当したそうよ」

「赤木ナオコ博士が!? じゃあそのサルベージは」

「失敗したそうよ。だからこれは私が母さんを超えられるかどうか。そこに掛かっているわね」

 マヤから見ればリツコは雲の上の科学者であった。その彼女が及ばないと明言しているナオコが、過去に失敗した実験。リツコに掛かっているプレッシャーは、想像を絶する物があるだろう。

 そんなマヤの不安を察したのか、リツコは優しい微笑みを彼女に向ける。

「……大丈夫よ。母さんは一人だったけど、私には貴方と優秀なスタッフが力を貸してくれているもの」

「先輩……」

「さあ、作業を再開しましょう」

「はい」

 二人の作業スピードは、気のせいか先程までよりも早く感じられた。

 

 

「お母さん……苦しいよ……」

「はぁ~シイ。こんな可愛くなって」

 ユイはご満悦と言った感じで、シイを強く抱きしめていた。初めこそ母の温もりを喜んだシイだったが、段々と強くなるホールドに苦悶の声を上げ始める。

「お、お母さん。少し力を……」

「あの人に似なくて、本当に良かったわ」

 背中に手を回されて顔を胸に押しつけられたシイは、手足をばたばたさせながら呼吸困難を訴える。

「うぅぅ、お願いだから……呼吸をさせて……」

「この抱き心地にすべすべの肌、はぁ~」

「お……母……さん……」

 ユイが満足しきるまで、シイは天国と地獄を味わい続けるのだった。

 

 

 第一中学校の尾上では、アスカ達が昼食を食べながらシイの話をしていた。謹慎入院から今日まで登校して来ていないシイを、事情を知らないケンスケとヒカリは心配する。

「碇の病気、そんな酷いのか?」

「ちょっと拗らせただけよ。疲れが溜まってたから、完治に時間がかかるみたいね」

 エヴァに取り込まれたと正直に話すわけにもいかず、アスカはシイが病気で入院しているとヒカリ達に説明した。レイとトウジも話を合わせた為、二人は疑うことなくその話を信じた。

「お見舞いに行っても良いのかな?」

「ん~一応面会謝絶だって。うつると不味いし、あの子は人が来るとはしゃぐから」

 ヒカリの申し出をアスカはやんわりと断る。

「あぁ、碇はそんな感じだよな」

「ま、今はゆっくり休ませたろや」

「……その方が良い」

 あの小さな少女が自分達を守る為に、いつも限界まで頑張っていたのは知っている。だからこそヒカリとケンスケも、シイに休養をとって貰うと言う考えには賛成だった。

 沈んだ空気を振り払うようにアスカは話題を変える。

「で、どうなのよ?」

「何がや?」

「あんた馬鹿ぁ? ヒカリのお弁当よ」

 今日もトウジが食べているのはヒカリの手作り弁当。地獄の特訓と使徒の襲来があったため、約束が果たせたのは数日前からだった。

「美味いで」

「それだけ? もっと心のこもった感想があるでしょう」

「んな事言われてもな。美味いもんは美味いっちゅうしか、あらへんやろ」

「もっと具体的に無いのか? ほら、このおかずが美味いとか」

「全部美味いで。わしの好きなおかずばっかやし、味付けもばっちしや」

 トウジの口から紡がれるのは飾らない褒め言葉、それは純粋なトウジの本心故に、ストレートにヒカリの心に届く。届きすぎてヒカリは真っ赤になって俯いてしまっていたが。

「……駄目なのね、もう」

「だろうね」

「友人として複雑だわ」

 あれ以来トウジとの距離が急速に縮まったヒカリに、三人はごちそうさまと小さく頭を下げた。

 

「そういやさ、惣流と綾波は弁当じゃないんだな?」

「シイが居ないからね」

「……ええ」

 ケンスケの指摘通りアスカはコンビニで買った軽食を、レイはゼリー飲料で昼食を済ませていた。どちらもシイのお弁当と比べてしまうと、物足りなさを感じてしまう。

「何や、自分で作ったりせぇへんのか?」

「……アスカは料理出来ないもの」

「ちょ、ちょっと、聞き捨てならないわね。あたしだって料理の一つや二つ」

「出来るの?」

「……と、トーストくらいなら」

 ヒカリに本気で聞き返されたアスカは無念そうに呟く。幼い頃からパイロットとして訓練をしていたアスカは家事の経験に乏しく、日本に来てからはシイの存在もあり、今ではミサトとほぼ同じレベルだった。

「てか、あんたも料理出来ないでしょうが」

「……必要ないもの」

「やれやれ、何だかんだで碇が居ないと駄目って事か」

「シイちゃん、早く元気になると良いけど……」

 ヒカリ達は雲ひとつ無い青空を見上げ、シイが無事戻ってくる事を願うのだった。

 

 

「ごめんね、シイ。お母さん嬉しくなっちゃって」

「ううん、苦しかったけど、私も嬉しかったよ。その……お母さんに抱きしめて貰えて」

「あ~も~、どうしてこんな可愛いのかしら」

 恥ずかしそうに頬を染めるシイを見て、再びユイの理性は吹き飛んだ。流れるような動作でシイの背中に手を回すと、小さな身体を思い切り抱きしめる。

「うぅぅ、お母さん……」

「ずっと心配してたのよ。狼の群れに羊が一匹いるのに、貴方は無防備なんですもの」

「何のことなの~?」

 母親の言葉が理解出来ずに、シイは困惑したように問い返す。

「貴方は何も気にしないでいいのよ。これからはお母さんがずっと一緒にいてあげるから」

「あっ」

 ユイの言葉を聞きシイの身体が強張る。それを感じたのか、ユイは名残惜しそうに抱きしめる手を離した。

 

「お母さん。私は死んじゃったの?」

「いいえ。貴方は生きているわ」

「ならここは何処? どうしてお母さんが居るの? 使徒は? みんなはどうなったの?」

「あらあら、シイったら質問ばかりね」

 まくし立てる様に問いかけるシイに、ユイは苦笑を浮かべる。

「あ、ごめんなさい……」

「ふふふ、良いのよ」

 ユイは母性に満ちた微笑で、しゅんとするシイの頭を優しく撫でる。それだけでシイの心は安らぎ、先程までの焦りは静められた。

「ねえ、シイ。少しお母さんとお話しましょうか」

「え?」

「貴方が知りたい事に答えてあげる。私が伝えたい事もね」

 微笑を崩さないユイだが、その目には覚悟を決めた光が宿っていた。

 




ユイが本編初登場です。初号機の時から引き続き、親ばか全開です。彼女との邂逅がシイに大きな影響を与えることは間違い無いでしょう。

中途半端な終わりなので、本日中に続きを投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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20話 その4《絆の形》

 

 ジオフロントの一角にあるスイカ畑脇のベンチに、二人の男が並んで座っていた。

「なるほど。ネルフの実質的な上位組織は人類補完委員会では無い、と」

「人類補完委員会は形骸に過ぎないさ。裏で全てを操っているのはゼーレだ」

 時田と加持は互いに視線を合わせぬまま、缶コーヒーを手に情報交換を行う。時田は本部の復旧作業で大忙しなのだが、それでも時間をつくって加持と接触を持つようにしている。

「その名は聞いたことがありますよ。ただ都市伝説だとばかり思っていましたが」

「存在を完全に隠すことは難しい。わざと適当に情報を流す事で、真実から目を遠ざけさせているんだろう」

「なるほど。手ごわい相手のようですね」

「下手を打てば世界を敵に回す事になる。迂闊に手は出せないな」

 一服する加持の言葉に時田は思わずため息を漏らす。ゲンドウを追い詰める事すら難しいのに、更にその上には世界規模の組織が控えている。なんとスケールの大きな話なのだろう。

「彼らの目的は使徒の殲滅……だけでは無いでしょう」

「だろうな。彼らにとって使徒の殲滅は、あくまで目的を果たすための手段に過ぎない。真の目的は人類補完計画と呼ばれる極秘計画の遂行だ」

 初めて耳にする単語に時田の目がすっと細められる。

「ほぅ、人類の補完。何とも壮大できな臭い感じがしますね」

「詳細は知らないが……ネルフはそれを実現させるための実行組織らしい」

 加持は自分が持っている情報を惜しげもなく時田へと伝えていく。万が一自分に何かがあった時に、情報が闇に葬られないよう常に誰かと共有しておきたかったからだ。

 

「それで、そちらの首尾は?」

「順調ですよ。折角の機会ですから本部の外壁を、更に耐久力を上げた装甲に変更するつもりです」

 使徒の足止めと言う点において、時田が担当した特殊装甲板はエヴァよりも時間を稼ぐことが出来た。派手さは無かったが、本部内で時田の仕事は高く評価されていたのだ。

 その結果時田はネルフ本部の修復作業の、現場責任者として任命されるに至った。

「上の方でも復旧が始まっているそうだ。使徒の残した爪痕も、いずれは消え去るだろう」

「ええ。これでシイさんが無事帰ってこれれば……」

「そればかりは俺達にはどうしようも出来ないからな」

「信じて待ちましょう。赤木博士と技術局のスタッフは優秀です。きっと、成功させますよ」

 自信に満ちた顔で言う時田に加持も小さく頷いて同意する。リツコの能力の高さと、シイへの愛情の深さは誰の目にも確かだ。きっと全身全霊を持って作業を行い、サルベージを完遂させるだろう。

「俺達は俺達のやるべきことをやるだけ、か」

「ですな。これから特殊装甲板の修復作業がありますので、私はこれで」

 男二人は去り際に軽く視線を合わせると、それぞれの役割へと戻っていった。

 

 

「まず使徒は殲滅したわ。ネルフ本部と貴方の大切な人達はみんな無事よ」

「良かった……みんな、生きてるんだ。アスカも……ぐす」

 一番気がかりだったアスカの無事が分かり、安堵したシイは思わず涙ぐむ。

「ふふ、シイはアスカちゃんが本当に大好きなのね」

「うん。あれ、お母さんはアスカを知ってるの?」

「キョウコの娘だもの、勿論知っているわ。小さい頃に一度会ったこともあるのよ」

 予想外の言葉にシイは目を丸くしてユイを見つめる。

「キョウコさんって確か、アスカのお母さんだよね」

「ええ。私と同じエヴァの開発に携わっていた科学者。そして私の大切な友人でもあるわ」

 懐かしむようにそっと瞳を閉じるユイ。自分の母親とアスカの母親が友人同士と言う事実は、シイにとってとても嬉しい事だった。

「どんな人だったの? やっぱり美人さん?」

「ええ。アスカちゃんは将来キョウコに似ると思うわ。性格はあまり似てないけども」

「……大人しい人だったんだね」

「あらあら、シイったら」

 娘がさりげなく漏らした本音にユイは面白そうに微笑む。それは彼女が生前果たせなかった、娘との会話を本当に楽しんでいるかの様だった。

「キョウコはおっとりしていて……少しドジなところがあったけど、周りを和ませる雰囲気を持っていたわ」

「そうなんだ」

「アスカちゃんはキョウコにべったりで、シイと同じ位甘えん坊さんだったのよ」

 この場にアスカがいたら、間違いなく恥ずかしさで暴れだしそうな暴露話。幼い頃を知っている大人と言うのは、子供にとって実に厄介な存在なのだ。

 

 それから暫くアスカの話で盛り上がった後、ユイは話題を切り替える。娘との会話をもっと楽しんでいたいが、時間がそれを許さない事を彼女は知っているのだから。

「シイはここが何処かって聞いたわね?」

「うん。天国じゃ無いんだよね」

「ここは貴方の内面世界。精神、心、魂と呼ばれる物の中よ」

「????」

 難しい言葉に腕組みして首を傾げるシイ。すると不意に周囲の景色が変わり、目の前に無人のエントリープラグが現れた。青色の病衣だけがフワフワと漂うプラグを見て、シイは眉をひそめる。

「お母さん、これは」

「初号機のエントリープラグよ」

「でもでも……誰も居ない。私が居ない」

「いいえ。シイはちゃんとそこに居るわ。ただ見えないだけ」

 ユイは優しく順を追ってシイに説明した。活動限界を迎えた初号機が再起動したこと。その際シイはエヴァと一体化する程シンクロし、自我の境界を越えて身体を保てなかったことを。

「それって、お母さんがエヴァに取り込まれたのと同じ……なの?」

「そうね。あの時も今回も、全部私のわがままが起こした事よ」

「え!?」

 聞き捨てならない母親の発言に、思わずシイは目を見開いて問い返す。

「この話は後にしましょう。今シイがどんな状態なのか。ここが何処なのか。何となく分かったかしら」

「うん……」

 ユイの言葉の真意を確かめられずに、シイは少し不満げに頷いて答える。本当はもっと追求したいが、ユイに後でと言われては引き下がるしか無かった。

 

「そして今、貴方のサルベージ計画が進められているわ」

「さるべーじ?」

「もう一度貴方の身体を構築して、元の世界に戻す作業よ」

 話の腰を折られても、ユイは嫌な顔ひとつせずに丁寧に説明していく。

「これは十年前、私が取り込まれた時にも行われたわ。結果は失敗だったけれども」

「じゃあ……」

「ふふ、心配しなくても平気よ。シイがみんなの所に戻りたいと思えば、ちゃんと成功するから」

 優しくシイの不安を晴らそうとするユイだが、その言葉がシイの心をひどくかき乱した。戻りたいと思えば戻れる。なら戻ってこなかったユイは……。

「……お母さんは、戻りたく無かったの?」

「…………」

「お母さんは私とお父さんが嫌いになったから……戻ってきてくれなかったの?」

 目に涙を浮かべてシイはユイをじっと見つめる。母親に拒絶されたのでは無いかと言う不安が、小刻みに震える手からも伝わってくる。

「いいえ違うわ。私はシイを、貴方を今でも愛しているもの」

「じゃあ何で!?」

「私がエヴァに残ったのは、私がそう望んだからよ」

 ユイの言葉にシイは驚いて目を見開く。戻れないでも戻りたくないでもなく、戻らない。母親の真意を掴みかねるシイは、困ったような視線をユイに向けた。

「シイ、貴方に全てを話すわ。受け入れて貰えるとは思えないけど、話させて」

「うん……」

 サルベージが行われるまでの時間、シイはユイの言葉にじっと耳を傾けた。

 

 

 

 サルベージ計画開始から一週間。リツコを始めとするスタッフ達の鬼気迫る仕事ぶりによって、当初一月はかかると思われた作業が大幅に短縮され、遂に本日実行に移される事になった。

 発令所にはゲンドウと冬月のトップ二人を筆頭に、主要スタッフが勢揃いしており、アスカ達チルドレンも不安と期待に満ちた表情でサルベージ開始を待っていた。

「時間ね。マヤ、準備は良いかしら」

「機器の接続は全て完了。全システムの正常稼働を確認。スタッフも配置に着いています」

 ケージに固定されている初号機には多数の計器を取り付けられ、外部に露出したエントリープラグにもサルベージ用の装置が設置され、少女が帰還する舞台は全て整っていた。

「……では始めるわ。サルベージスタート」

「了解」

 一同が固唾をのんで見守る中、シイのサルベージは始まった。

 

「自我境界パルス、接続完了」

「全探知針異常なし」

「電磁波形の固定、順調です」

「第一信号送信」

「エヴァ、受信を確認。拒絶はありません」

「了解。続いて第二、第三信号送信」

「受信しました」

「……デストルドーには十分に注意して」

「了解です」

 張り詰める緊張感の中、慌ただしく作業を進める技術局スタッフとオペレーター達。門外漢のミサト達には、詳しい進行状況は分からなかったが、誰一人目を逸らす事は無かった。

(シイちゃん……帰ってきて。私はまだ貴方にありがとうも言えてないの)

(馬鹿。勿体ぶってないで、さっさと帰ってきなさいよ。あんたの戻る場所は、こっちにあるんでしょ)

 ミサトとアスカは、家族の戻りを祈るように待っていた。

(碇さん……もう一度会いたい)

(頼むでシイ。戻ってきいや。また前みたいに馬鹿騒ぎしようやないか)

 レイとトウジは、友人としてシイの帰還を願った。

(まだ君は何も成し遂げていない。リタイアするにはちょっと早いんじゃ無いかな)

(そこは居心地が良いかもしれませんが……貴方が望む世界では無いですよね)

 加持と時田は、純粋で真っ直ぐな少女を信じていた。

(ユイ君頼む。私は君だけでなく、シイ君までも失いたく無いのだ)

(…………少しは優しくしてみせよう。だからユイ、私にもう一度チャンスをくれ)

 冬月とゲンドウは、初号機に宿る女性に祈った。

(ユイさん。貴方が私達を憎んでいるのは分かるけど、せめてシイさんの決めさせてあげて)

(頑張るんだから。そしてもう一度シイちゃんの……ふふふ)

(やるぞ、やるぞ、やるぞ。シイちゃんを絶対に復活させてみせる)

(まだ俺のギターを聞いてもらって無いんだ。ここは何としても成功させるぞ)

((シイちゃん。もう一度笑顔を見せて))

 リツコを始めとするスタッフ達も作業をしながら、ただひたすらシイが再び笑ってくれる事を求めた。

 発令所にいる全員が、いや、ネルフスタッフ全員がサルベージの成功を望んでいた。

「サルベージ、最終フェーズに移行」

 そしてリツコの指示によって、サルベージは最大の山場を迎える。

 

 

 ユイから全てを聞いたシイは、うつむきながら呟くように尋ねる。

「……ねえ、お母さん。人ってそんなに悪い存在なの?」

「それを判断するのは神ね」

「人は生きることを望んじゃいけないの?」

「それを決めるのは人よ」

「私は生きたい。みんなと一緒に、碇シイとして生きて行きたいよ」

 シイは顔を上げて訴えかける様にユイの顔を見つめて告げた。何処までも真っ直ぐな娘の言葉に、ユイは嬉しそうに微笑んで頷く。

「そうね。でも終わりを望む人達もいるわ。どちらも人の望みよ」

「でも、でも」

「……なら一つアドバイス。意見が対立した時は、どうすれば良いと思う?」

「え? それは……やっぱり相談して」

「シイは優しい子ね。でも話しても分からない人もいるわ。そう言う時は、これで決めるの」

 女神の様な微笑みを浮かべたユイは、右拳をギュッと握って見せた。要はつまり、力ずくで相手を黙らせろと優しいお母様は言っているのだ。

「あの、お母さん……暴力はいけないと思うんだけど」

「勿論闇雲には駄目よ。だけど譲れないものを守る為なら、戦うことを恐れてはいけないわ」

「う、うん」

「……そろそろ時間ね。ご覧なさい。貴方の大切な人達が貴方が帰ってくるのを待っているわ」

 ユイの言葉と同時にシイの視界に発令所の光景が現れる。必死に作業するスタッフ達と、祈るようなミサト達。その姿にシイは涙腺が緩み、堪えきれずに涙をこぼす。

「帰りなさい、シイ。貴方の世界に……貴方が望む世界へ」

「でもお母さんは」

「また会えるわ。だって生きているのだから」

「うん……うん……」

 別れの抱擁をしながらシイはユイの胸で何度も頷く。そして母の温もりを全身に感じながら、眠りにつくようにゆっくりと意識が薄れていった。

 

 

 真っ暗な空間を漂うシイの耳に、男女の会話がまるで子守歌の様に聞こえてくる。

「この子はセカンドインパクト後の世界を生きていくのか。この地獄を」

「あら。生きていこうと思えば、どこだって天国になるわよ。だって生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」

「そうか……そうだったな」

「ふふ、ゲンドウさんは仕事だと強気なのにね」

「ごほん。それで、決めてきたぞ」

「聞かせてくれるかしら?」

「男だったらシンジ。女だったらレイと名付ける」

「とっても素敵な名前。あら、そうだわ。なら二つ合わせればもっと素敵になるわね」

「な゛!?」

「シンジとレイ……ふふ、ならシイと言うのはどうかしら?」

 女性の言葉は優しく穏やかだが、一切の有無を許さない不思議な強さがあった。

「いや、しかしだな。一応姓名判断をして……」

「碇シイ。素敵だと思わない?」

「あ、ああ。だが男の子にシイと言う名前は……」

「きっと女の子よ。だって今この子喜んだもの」

「何!? 動いたのか? 触らせてくれ」

「あらあら、困った人ね」

「確かに喜んでいるな。よし、この子の名前は碇シイに決定だ」

「賢くなくても、強くなくても良い。ただ優しい子に育ってくれれば」

「問題あるまい。この子は俺とお前の子だ」

「ふふ、そうね」

(お父さん……お母さん……)

 溢れ出る涙を頬に感じながら、シイの意識は完全に闇の中へと落ちていった。

 

 

「粒子の固定化完了。実体化します!」

 マヤの言葉と同時に、発令所の主モニターに映し出された初号機のプラグに、まばゆい光が満ちる。それは徐々に人の形に収束されていく。

 そして光が収まった後には、眠るように目を閉じた碇シイの姿が現れていた。サルベージは成功し、シイは彼らの元へと帰ってきたのだ。

「「おぉぉぉぉ!!」」

 歓喜の声が発令所を震わせる。だがそれは単純にシイの帰還を喜ぶものだけでは無かった。

「油断したわねユイさん。マヤ!」

「はい! MAGIの全システムを録画に回しています」

「データは全てバックアップをとれ! 松代のMAGI二号に応援を要請しろ」

「生きてて良かった……」

「「いい加減にしろぉ!!」」

 全裸のシイを見て鼻から流血するスタッフ達に、ミサトとアスカの絶叫が同時に響き渡った。

 

(お母さん……またね)

 そんな騒ぎなど知るよしも無く、シイは穏やかな寝息をたてて眠り続けるのだった。

 




無事シイは現実世界に帰還しました。本編ではカットされていますが、ユイから様々な情報を受け取っています。
母の助力を受けて、いよいよ父と先生に挑む時がやってきました。

ゲンドウとユイが子供の名前を決めるシーン。これは作者が原作で一二を争う程好きな場面です。何というか、暖かくなります。

かなりシリアスな話が続きましたが、そろそろコメディがウォーミングアップを完了する様で、ご都合主義で話をまとめる流れがやってきました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《母親不在の影響は……》

何だか久しぶりの気もするアホタイムです。

何処かで見たことのある展開ですが、きっと気のせいでしょう。うん。


 

~悪夢再び~

 

 初号機からサルベージされたシイは、直ぐさまネルフ中央病院にて精密検査を行った。全身くまなく行われた検査は数日間に及び、ようやく退院が決まった今日、シイはリツコが運転する車で葛城家へと向かっている。

 因みに何故かマヤも助手席に同乗しているのだが。

「すいません。お二人の手を煩わせてしまって」

「良いのよシイさん。今回の件は私にも責任があるのだし」

「それに葛城三佐から頼まれてるの。シイちゃんはまだ調子が万全じゃ無いから、家まで送って欲しいって」

 頭を下げるシイにリツコとマヤは嬉しそうに答える。

(ありがとう母さん)

(MAGI様々ですね)

 視線で会話を交わす二人。実はシイを家まで送りたいと希望するスタッフは多く、立候補者が乱立して収集が着かない事態になりかけてしまったのだ。

 結局MAGIがランダムで選ぶ事で落ち着いたのだが、リツコとマヤが選ばれた事実が全てを語っていた。

 るんるん気分の二人とシイを乗せた車は、第三新東京市をゆっくりと走って行った。

 

「そう言えばシイさん。左腕が動くようになったんですって?」

「あ、はい。まだ前みたいには行きませんけど」

 リツコの問いかけにシイは左腕を動かしてみせる。と言っても僅かに前後に動かせる程度の可動範囲で、手を握る事も出来ないが、それでも感覚すら無かった前とは比べるまでも無かった。

「良かったね、シイちゃん」

「ありがとうございます。先生にはリハビリすれば、ちゃんと動くようになると言って貰えました」

「一度肉体を失った事で、脳のご誤認識がリセットされたのね。不謹慎だけど怪我の功名と言えるわ」

「本当に良かったです。後は早く動かせるようにならないと……」

 焦るように左腕をさするシイにリツコ達は首を傾げる。早く治したのは分かるが、シイの様子は何処か焦っている様にも見えたからだ。

 エヴァの操縦はイメージが重要なので、左腕の細かな動きは必要ない筈だが。

「何かやりたいことがあるのかしら?」

「はい。一日でも早く治して、家事をやらないと」

「……え?」

「家事って、あの炊事洗濯の家事?」

「そうですけども」

 戸惑うように尋ねる二人に、シイも戸惑いながら答える。どうもお互いの認識に大きなズレがあるようだ。

「シイさんはミサトとアスカと暮らしてるでしょ? ある程度は二人に任せれば良いんじゃ無い?」

「ですよね」

「その……二人に任せると……何もしないよりも酷いと言いますか」

 言いにくそうにシイは小さく呟く。何も知らない二人はシイの言葉の意味が分からないと、頭にはてなマークを浮かべる。

「見てもらった方が早いですね。もしお時間があれば、お二人ともお家に来ませんか?」

「い、良いの!?」

「シイちゃんの家に……しかも誘われて!?」

 思い切り動揺したリツコは、あわや事故と言うほど車を蛇行させてしまう。シイとのドライブを楽しもうと、ゆっくり運転だったことが幸いし惨事はどうにか免れた。

「はい。今の私でもお茶くらいは入れられますから。……私の想像を超えてなければですが」

「シイさんのお茶……ふ、ふふふ。今日は良い日だわ」

「先輩。私幸せです」

 リツコとマヤはシイとのティータイムを想像して思い切り頬を緩める。これから自分達が向かうのが、シイが長く不在だったミサトの家。その意味を完璧に忘れ去っていたが故に。

 

 

「な、何……これ?」

 葛城家の玄関を開けた瞬間、リツコとマヤは直立の姿勢で固まった。二人を出迎えたのは、足の踏み場も無いどころか、床を見ることすら叶わない混沌とした葛城家だった。

「ミサト……噂には聞いていたけど、ここまでとは」

「うっ、先輩、私もう耐えられません」

 嘔吐を堪えるようにマヤは口に手を当てて顔を背ける。潔癖症に近い綺麗好きの彼女にとって、この惨状は見るに堪えないのだろう。

「シイさん、貴方が言っていたのは、こういうことだったのね」

「そうですけど、良かったです。私の予想よりも大分綺麗ですから」

「「え゛!?」」

 平然と答えるシイにリツコとマヤは驚き目を大きく見開く。この状況の何処をどう見たら、そんな言葉が出てくるのだろうか。

「前にも一度、十日ほど入院していた事がありまして。その時とあまり変わってませんから」

「……前もあったの、これが?」

「あ、でもあの時はアスカがまだ居なかったので、それを考えれば凄い綺麗だと思います」

 恐ろしい程前向きな思考で微笑むシイを、マヤは思い切り抱きしめた。

「シイちゃん。ここに居たら駄目よ。今からでも遅くないから、私と一緒に暮らしましょ」

「え? え?」

「ここは人の住む場所じゃ無いわ。だから、ね」

 困惑するシイに提案するマヤは本気そのもの。あの時はミサトにしぶしぶ同居を譲ったと言うのに、こんな環境でシイが暮らしていると知った今、もう我慢の限界を超えてしまった。

「その……お気持ちは嬉しいんですけど」

「駄目よマヤ。シイさんは私と暮らすんだから」

「え?」

 便乗してきたリツコの言葉に、シイは思わず間の抜けた声を出してしまう。

「いくら先輩でも、こればっかりは譲れません」

「空腹の狼に子羊が食べられるのを、黙って見過ごせないわ」

 リツコとマヤの視線がぶつかり合い激しい火花を散らす。仲良しだと思っていた二人の豹変に、シイはただおろおろするしか出来なかった。

 

 結局保護と言う名の引き抜きは、この惨状をどうにかしてから話し合う事になった。何せこのゴミ山だ。中に入ることすら出来ないのでは、文字通り話にならないのだから。

「とはいえ、どうしたものかしら」

「あの、私が片付けますから。多分半日もあれば、人が住める状態に戻せると思うので」

 右手を胸の前で握りしめるシイだったが、それが強がりであるのは誰の目にも明らかだろう。何せ彼女の左腕はまだリハビリが必要な状態で、今はほとんど役に立たないのだから。

「駄目よシイちゃん。貴方はまだ左手がちゃんと動かないのに」

「そうね。退院したばかりの貴方に、無理をさせる訳にはいかないわ」

 リツコとマヤはシイの肩をがっちりとホールドして動きを封じ込める。

「で、でも、このままじゃ」

「私達が掃除しても良いけど、流石に二人じゃ手間取りそうね」

「……私は遠慮したいんですけど」

「二人じゃ、厳しそうね」

「……はい」

 リツコの言葉に絶望的な表情で頷くマヤの姿に、シイは厳しい上下関係の一端を垣間見た。

「これだけの大掃除……もっと人手が集める必要があるわ」

「援軍ですね」

 二人で困難なら三人四人と、もっと大勢でやればいい。リツコの案にマヤは即座に賛同する。

「ええ。確か青葉君と日向君が徹夜明けで仮眠していると思うから、たたき起こすわ」

「あの……リツコさん?」

 リツコの物騒な物言いに、シイは顔を引きつらせながら声を掛けるが効果は無い。

「時田博士と加持監査官も同様かと。こちらも無理矢理招集します」

「マヤさん?」

 師の影響なのか、過激な発言を行うマヤにもシイは声を掛けるのだが、彼女の耳には届いていない。

「この際副司令も呼んで、ちゃちゃっと片付けちゃいましょう」

「立ってるものは親でも使え、ですね」

「お二人とも。流石にそこまでして貰うのは……」

「やるわよ、マヤ」

「はい、先輩」

 シイの制止など全く効果は無く、リツコとマヤは携帯電話で本部へ連絡を取り始める。葛城家の大掃除。それはネルフを巻き込む大騒動となってしまった。

 

 

 その夜、リツコはゲンドウに司令室へ呼び出されていた。

「それで?」

「はい。数時間に及ぶ大掃除の結果、葛城三佐の家は生活出来るレベルまで改善されました」

 大人が複数人参加して数時間掛けて掃除を行い、それでもミサトの家を生活出来るレベルにしか戻せなかった。当初の現場がどれだけの惨状だったのかは、聞かずとも分かる。

「……彼女は何と?」

「『ちょっちお掃除さぼっちった、てへ』と。副司令が即座に減給とビール禁止の処分を下しました」

「問題あるまい」

 重々しく頷くゲンドウにリツコもまた同意する。掃除に参加した男衆は軒並み全滅。特に冬月は高齢の為か腰痛を悪化させ、今も病院で治療を続けていた。

「それで司令。やはりシイさんをミサトの元においておくのは危険かと」

「構わん。放っておけ」

「ですが」

「……少なくとも、他の者に預けるよりは安心だろうからな」

 ジロリと視線を向けられリツコは思わず目を逸らす。そもそもシイがミサトと同居する事になったのは、狼達の魔の手から彼女を守る為。今もこうして手ぐすね引いている狼が居る以上、その判断は正しかったのだろう。

「それに、シイも楽しんでいるようだしな」

「え? 今何か仰いましたか?」

「……何でも無い。報告ご苦労だった、下がりたまえ」

「はい……失礼いたします」

 少し不満げな表情を見せたが、リツコは素直に従い司令室を後にした。

 

(家族……か。シイ、もう少しだ。もう少しで私達は、ユイに会える)

 一人きりの司令室でゲンドウは、静かに思いを馳せるのだった。

 




ミサトとアスカ、どう考えても家事が出来そうなコンビでは無く、やはり以前の悪夢が再び起こってしまいました。

ミサトの給料は多分、最初の半分くらいになっているのかと。最終的に全額カットになりそうで、冷や冷やしています。

原作では次の話で、あの人が退場してしまいます。さてこの小説ではどうでしょうか。

小話ですので、本編も本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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21話 その1《先生との対峙》

 

 冬月コウゾウ。特務機関ネルフの副司令を務める、沈着冷静な老人。理性的な態度と非常時にも動じずに冷静な指示を下す姿から、彼が司令で良くね? との声が聞こえるほどの人物だ。

 そんな冬月は今、執務室である人物の来訪を待っていた。

 

 

 リツコの執務室には部屋の主であるリツコを始め、ミサト達大人組とアスカ達子供組が勢揃いし、ディスプレイをのぞき込むように見ていた。

「ふふ見て。あの副司令の落ち着きの無さ」

「あ~ありゃ、随分と緊張してるわね」

「無理もないさ。ある意味天国と地獄が、同時に訪れるんだからな」

「『シイちゃんファンクラブ』会長と、ネルフ副司令。果たしてどちらの顔をとるんでしょうかね」

 リツコ達はどこか楽しげに、隠しカメラに映し出された冬月の姿を見ていた。一方アスカ達は、不安と不満が入り交じった複雑な表情を浮かべる。

「ったく、あの子はどうして……。そんなにあたし達が信用出来ないっての?」

「……違うわ。もしそうなら、私達に見ていて欲しいなんて言わないもの」

「そうやで惣流。シイの奴には何や考えがあるんやろ」

 憤るアスカをレイとトウジがなだめる。彼らも思いは同じだが、シイの思いを尊重する事にしていた。

 

 事の発端は数日前。シイがユイに聞いた全てをアスカ達に話したことから始まった。セカンドインパクトの真実とゲンドウの狙い。ゼーレと言う組織とその目的。そして人類補完計画。

 ユイからの情報であるため、それらが真実かどうかの鑑定は出来なかったが、話の内容は彼らに大きな衝撃を与えると同時に、納得をさせるに十分な説得力を持ったものだった。

 直ぐにでも行動に移そうとする皆を前に、シイは一つだけお願いをする。

「冬月先生と……二人で話をさせて下さい。その方が多分良いと思うので」

 当然アスカは危険を考え反発したが、最終的にはシイの押しに負けて引き下がった。後は加持達が冬月のスケジュールを把握し、邪魔な護衛をおねむにさせて今に至る。

 

「そろそろ時間ね」

「シイちゃんと二人っきりか……。あのスケベ爺が、変な気を起こさなきゃ良いけど」

「それは平気だと思いますよ。仮にも副司令、心得ているでしょうから」

「ま、やばいと判断したら俺が突入するさ」

 加持は拳銃をスライドさせ、何時でもシイを救出出来る準備を整えている。ミサトもそれにならい、自分の拳銃のチェックを済ませた。

「万が一があったら、ユイさんに合わせる顔がないものね」

「その前に初号機が暴走すると思うぞ。彼女も二人の会話を見ているだろうからな」

 エヴァを制御下におくために、本部とエヴァは常時回路が接続されている。その為ユイが望むのであれば、本部の映像をネットワークから引き出す事が可能だった。

「シイのお母さん、あれは親ばかよね」

「……否定はしないわ」

「娘を抱きしめたいからって、普通エヴァに取り込んだりする?」

「……アスカも、そうされたいの?」

「なっ、ばっ、ち、違うわよ。あたしはあの子と違って、とっくに親離れ出来てんの」

 見事に図星を突かれてアスカは思い切り狼狽する。彼女以外の面々は甘えん坊だったエピソードをシイから聞いている為、それが虚勢と分かりつつもあえて突っ込みは入れなかった。

「ほらっ、時間よ」

 羞恥に顔を赤く染めたアスカが話題を終わらせるように、わざと大声でモニターを指さす。隠しカメラの隅に表示されるタイマーは、シイが面会を約束した時間を丁度指したところだった。

 

 

 こんこん、と控えめなノックの音が冬月の耳に届く。時計に目をやり約束の時間だと確認した冬月は、最後に大きく深呼吸してから来訪者を迎え入れる。

「鍵は開いているよ。入りたまえ」

「はい。失礼します」

 無機質な音を立てて執務室のドアが開く。そこから現れたのはこの時間に面会を約束していたシイだった。だが予想通りの来客にも関わらず、冬月はシイの姿を見て驚きのあまり目を見開き動きを止めてしまう。

「し、シイ君……その格好は一体……」

「お母さんの服をサイズ直しして貰ったんです。あまり似合わないんですけど」

 シイは少しはにかみながらその場でくるっと回ってみせる。かつて母であるユイが好んで着ていた、淡いピンク色のシャツと紺色のミニスカートを包んだ白衣がふわりと軽く舞い上がった。

「お、おぉぉ」

 冬月の目にはシイの姿にユイの姿がダブって見える。在りし日の思い出がよみがえり、冬月は歓喜の呻き声を上げながら、黒革の椅子へ腰を落とした。

(こんなに喜んでる。やっぱりお母さんの言うとおり、冬月先生はこの服が好きなんだ)

 ユイから貰った情報を最大限に生かし、シイは言葉を交わす前から圧倒的優位に立った。

 

 

「これはまた、早くも副司令は陥落寸前ですかな」

「ユイさんのお下がりを娘のシイさんが着て目の前に立つ。効果絶大ね」

「……碇さん、可愛い」

「は、はん。まあそれなりに似合ってるじゃない」

 モニターを見ていた時田達もシイの姿に頬を緩める。学生服姿の彼女とは違い白衣を着たシイは、あどけなさを残しつつも何処か知的な魅力を身に纏っていた。

「こら、えらい化けたもんやな」

「あら鈴原君。女は誰だって、一流の女優なのよ」

「どうやら彼女はユイさんに色々吹き込まれているみたいだな。さて、どうなることやら」

 加持は冬月の動きを警戒しつつも、少し楽しげにモニターへ視線を戻した。

 

 

「いやいや、驚いたよ。一瞬ユイ君が来たのかと思ってしまった」

「そう言って貰えると嬉しいです」

「……さて、何か話があるんだったね。立ち話も何だ。座ると良い」

 どうにか落ち着きを取り戻した冬月はシイに椅子を勧める。同時に用意してあったカップにコーヒーを注ぐと、そっとシイの前に差し出した。

「赤木君ほどではないが、私も少し凝っていてね」

「ありがとうございます」

 砂糖とミルクをたっぷり入れてから、カップを両手で持って口をつけるシイに冬月は微笑みを浮かべる。これが何事も無い日常なら、今この時の自分はどれだけ幸せなのだろうかと恨み言を心に閉じ込めて。

 

「さて。私に話があると言うことだったが……」

「冬月先生にお願いがあるんです」

「私にかい? それは光栄だな。内容にもよるが、出来る限り善処するよ」

 まるで孫におねだりされた祖父のように冬月は笑いながら答える。だがシイの真剣な眼差しを受けて、自然と表情が引き締まっていった。

「私はお父さんとゼーレ計画を止めたいです。協力して下さい」

「……やはり、知ってしまったか」

 シイの言葉を冬月はため息混じりに受け止める。そこに驚きは無かった。初号機に取り込まれたシイに、ユイが何の接触もしないとは彼も考えていなかったからだ。むしろ彼女の性格ならば、娘に惜しみない助力をするだろうとも理解していた。

「ユイ君には何を聞いたのかね?」

「お父さんとゼーレが、人類補完計画をやろうとしてることです」

「ではそれが行き詰まり滅びを待つ人類にとって、必要な事だとも知っているね?」

 冬月の問いかけにシイは頷いて答える。

「それを知ってもなお、君は人類補完計画に反対するのかな?」

「はい。人の罪とか完全な生命体とか、難しい話はよく分かりません。でも私は反対です」

「理由を聞かせて貰えるかな?」

「どれだけ辛くても大変でも、私は碇シイとしてみんなと生きて生きたいからです」

 真っ直ぐなシイの言葉を受けて、冬月は静かに瞳を閉じた。

 

 

 冬月が考え込むように沈黙したのを受けて、モニターを見ているミサト達もシイの言葉を考えていた。

「ど~も気になってたんだけど、人類が滅びるなんてどうして分かるのかしら?」

「話を聞いてなかったの? 死海文書と呼ばれる予言書に記されていたって、シイさんが言っていたじゃない」

「そうじゃなくてさ。なんでその予言書の予言があってるって信じてるの?」

「信じざるを得ない状況が起きたから、だろうな」

 ミサトの疑問に加持が答えた。

「シイ君から聞いたユイさんの話だと人は知恵の実を、つまり科学の力を手にした。それだけなら問題なかったんだろうが、欲を出した人は生命の実も手に入れようとした」

「その結果、生命の実を守る使徒が現れてしまったと?」

「ああ。仮に使徒を倒したとしても……罰は終わらない」

 気がつけば加持の言葉に執務室の全員が聞き入っていた。元々独自に真実を追い求めていた彼は、シイからの情報を自分なりに消化していた様だ。

「じゃあ加持さん。生命の実を諦めれば罰は終わるの?」

「あくまで俺の推論だろうが……無理だろうな。諦めたからと言って人の罪が消えるわけじゃ無い」

 一度犯してしまった罪は償わない限り消える事は無い。そんな加持の言葉が諦めろと言うように聞こえて、トウジは加持に問いかける。

「それじゃあ兄さん。わしらは滅びるのをただ待てっちゅう事ですか?」

「それを回避するのが人類補完計画なんだろ。罪を清算し、人類を新たな生命体へと新生させる計画」

 順序立てて説明する加持に、一同は複雑な表情を浮かべて黙ってしまう。今の話では、ゲンドウやゼーレの行動は人類のために正しい事のようにも思える。だが納得できない気持ちもあった。

 

「ただこれは人づてに聞いた話を、俺が勝手に解釈したに過ぎない。真実はまた別にあるかもしれないな」

「ですね。碇ユイさんがシイさんに真実を語った保証が無い以上、全ては仮説の域を出ません」

 そもそもの情報源を疑う加持と時田。二人の言葉を聞いたミサトは、この中で唯一生前の碇ユイと面識のあるリツコに尋ねてみる事にした。

「……ねえリツコ。あんたはユイさんと会ったことあるんでしょ? どうなの?」

「シイさんを溺愛しているのは間違いないわ。嘘を言うとは思えない……だけど」

「だけど?」

「母さんと同じで、目的のためには手段を選ばない人とも聞いてるわ」

 謎に包まれた碇ユイの目的。それこそが全ての鍵を握るのは間違いない。沈黙に包まれた執務室のモニター内では、冬月がゆっくりと瞳を開いていた。

 




最初からエンジン全開のシイに冬月はやや押され気味ですね
。母と自分の先生である冬月から、果たして助力を得られるのか。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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21話 その2《レイ、心の向こうに》

 

「……君が碇よりも先に、私に声をかけた理由が分かったよ」

「はい。冬月先生は人類補完計画に反対なんですよね?」

 自嘲気味に笑いながら冬月は頷く。本心では計画に反対しながらも計画実行の為に尽力している。その矛盾をシイに知られ、何とも言えぬばつの悪さがあった。

「例え罪にまみれようとも人の生き続ける世界を望む。私はそんな弱い人間なのだよ」

「違います!」

 自虐的な冬月にシイは立ち上がって声を張り上げた。

「お父さんもゼーレもみんな逃げてるだけです。本当にこの世界が好きなら、大切な人達と一緒に居たかったら、絶対に諦めないはずですから」

「シイ君……」

「だから冬月先生。私に力を貸して下さい。私は最後までみんなと居る世界を諦めたく無いんです」

 子供の理屈と言われればそれまでだがシイは迷わない。何が出来るかも分からないし、この選択の結果人類は滅びてしまうのかもしれない。それでも自分の未来を勝手に決められる事は我慢できなかった。

 

 黙り込む冬月から発せられる言葉をシイはじっと待つ。例え拒否されたとしても受け入れるつもりでいた。それは冬月の意思。生きる事を望む自分の意思と同じく尊重されるものなのだから。

「……ゼーレは巨大な組織だ。対抗するにはネルフだけでなく、それこそ世界中の力が必要だな」

「え?」

「まずは情報戦か。隠し事の多い奴らだ。表に引きずり出してやれば良い」

 戸惑うシイに冬月は次々にゼーレへの対策を口にする。恥ずかしさを隠す為の遠回しなそれが、協力承諾の合図だと理解してシイの顔がみるみる笑顔に変わる。

「冬月先生」

「選ばせて貰ったよ。私にとっても君が居るこの世界に、まだ未練があるからね」

「先生!!」

 感極まったシイが思い切り冬月へと抱きつく。胸に飛び込んできたシイに、冬月は見えないように小さくガッツポーズをとるとその背中に手を回す。

(碇……私は今を選ぶよ)

 ニヤニヤと頬を緩ませながら冬月は天国を味わっていた。

 

 

「シイさん!!」

 モニター越しにその光景を見たリツコは、悲鳴混じりの声をあげる。

「ミサト! リョウちゃん! 今すぐ突入してあの爺を射殺するのよ!」

「お、落ち着きなさいって」

「そうだぞりっちゃん。微笑ましい光景じゃ無いか」

 顔を真っ赤にして物騒な言葉を発するリツコを、ミサトと加持は必死になだめる。アスカとトウジも呆れ返った視線をリツコへと向けた。

「バッカじゃ無いの? ハグくらいで」

「愛情表現やな。副司令はんにとってシイは孫みたいなもんやろ」

「何言ってるのよ! これはシイさんの貞操の危機なの!」

 激高するリツコだったが幸いにもこの場には、彼女に同調する者は居なかった。ここにいる面々もシイを大切に思ってはいるが、リツコほど極端でも無い。

「ま、副司令はこっちの味方って事で良いのかしらね」

「だろうな。色々楽になるぞ。何せあの人は保安諜報部以外にも、主要部門の統括しているからな」

 ある意味司令であるゲンドウよりも冬月がネルフの実務を担っていた。それが味方についた今、ネルフという組織を味方にするに等しい。

 相手はキングだけ。こちらは他全ての駒。チェックメイトは時間の問題と言えた。

 

「あぁぁ、シイさんが……私のシイさんが……」

「ねえ、止めなくて良いの?」

 アスカはため息をつきながら、モニターにしがみつくリツコを親指で示す。彼女もシイが抱きしめれらた姿に不思議と怒りを覚えていたが、反面教師の様なリツコのお陰で冷静で居られた。

「ほっときなさい。病気みたいなもんだから」

「りっちゃんはおいておくとして、俺たちも副司令に挨拶しておくか」

「そうね。アスカ達も一緒にいらっしゃい……って、あれ?」

 チルドレン達を連れて行こうと視線を向けたミサトは、ある異変に気づいて動きを止めた。

「何よ、アホ面しちゃって」

「トラブルですかいな?」

「いえ、その、レイと時田博士は?」

 さっきまでは確かに居た。だが今ここに、レイと時田の姿は何処にも見えなかった。ミサトに言われアスカとトウジも不思議そうに周囲を見回す。

「あれ、さっきまで居たわよね?」

「おったで。何や、トイレかいな」

「二人同時にかい? そりゃ少し変だろ」

「……ひょっとして」

 嫌な予感にミサトの背筋がぞっと凍る。レイは表にこそ出さないがシイが大好きだ。そんな彼女があの光景を見たらどんな反応をするのか。最悪の想像がミサトの脳裏に浮かんでしまう。

 その時、泣き崩れていたリツコが不意に大声を上げた。

「良いわよレイ! やっちゃいなさい!」

 慌ててミサト達がモニターをのぞき込むと、そこにはまるで断罪者の様なレイがただならぬ空気を纏って、今まさに執務室へ突入しようとしていた。

 手に一本のバールを持って。

「……加持君!」

「急ぐぞ葛城!」

 弾かれたようにミサトと加持は駆け出す。せっかく得た協力者をこんなところで失わない為に。

 

 

「き、君達……」

「綾波さん。時田さん」

 突然の乱入者に戸惑う冬月。今彼は椅子に座り、シイを膝の上にのせて抱きしめている体勢。他人に見られると非常にまずい状況であった。

「こ、これは、色々と事情があってだね」

「冬月先生が協力してくれるの。先生大好き」

 ギュッと冬月の首に手を回すシイ。それが引き金だった。レイはバールを床に叩き付けると、無表情のまま冬月との距離を詰めていく。まるでホラーのような光景だ。予想される結末はスプラッタだが。

「碇さん……少し離れていて」

「え?」

「ささ、シイさん。こちらにどうぞ」

 時田はいつも通り温和な笑みを浮かべながら、冬月から素早くシイを引き離す。

「れ、レイ。一体何事かね」

「……エロ爺」

 レイの小さな呟きに冬月の肩がぴくりと揺れる。その反応だけでレイには十分だった。

「ち、違うんだ。これは……そう、シイ君とスキンシップをだね」

「さあさあ、シイさん。ちょっと目を閉じてましょうね」

「え? え?」

 時田は身体でシイの視界を遮ると、苦笑しながらレイにウインクをする。それを受けたレイは細い両腕で、バールを大きく振り上げる。

「……さよなら」

「ま、待ってくれ。話せば分かる」

 冬月の懇願を一切無視したレイは暗い光を瞳に宿し、バールを勢いよく振り下ろす。

 瞬間、室内に銃声が響いた。

 

 飛んできた銃弾は細いバールに命中し、レイの手からバールをはじき飛ばす。

「流石葛城。銃の腕は相変わらずだな」

「ぜ~は~、ど、どうにか間に合ったわ。ホントぎりぎりだったけど」

 荒い呼吸をつきながら、ミサトはドアから姿を見せる。手に握られた銃からは発砲を示す白煙が立ち上っており、彼女が冬月の命を救ったのは間違い無かった。

「……邪魔するの?」

「落ち着きなさい、レイ。こんなスケベ爺だけど、今はまだ必要なのよ」

「そうだぞ。どうしようも無いエロ爺でも、俺たちには大切な人材だ」

 好き勝手言い放題のミサトと加持に、冬月は思い切り凹んだ。自業自得と言われればそれまでだが。

「それにもしやってたら、シイちゃん悲しむわよ」

「……了解」

 渋々レイは頷き冬月から距離をとる。それを見て安堵したミサトは、矛先を時田に向ける。

「時田博士。貴方は何やってるんですか?」

「はは、いや面目ない」

「そう言うな葛城。この人は俺たちが間に合わなかった時、レイを止める為にここに居たんだ」

 加持の言葉に時田はお見通しでしたかと恥ずかしげに頭をかく。ミサト達の身体能力を考えれば、レイの暴走は止められると思っていたが、万が一の時にはと考えていた。

 

「ちょっと、どうなってんの? 副司令まだ生きてるの?」

「リアルスイカ割りは流石に遠慮したいのう」

「……ちっ」

 ミサト達に遅れて、アスカ達も冬月の執務室へ駆けつけてくる。広い副司令執務室とはいえ、これだけの人数が一度に入ると流石に狭い。

「こりゃ、場所を移した方が良さそうだな」

「そうね。副司令、この後お時間宜しいでしょうか?」

「……構わんよ。レイと二人きりで無ければね」

 真っ赤な瞳に睨まれる冬月は、冷や汗を流しながらミサトの申し出を受けるのだった。

 

 




冬月副司令ゲットです。原作でも計画に否定的なスタンスをとっていたので、シイが居るこの物語では、なるべくしてなったかなと。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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21話 その3《一時の平穏》

祝ぞろ目です……いえ、それが何だと言うわけでは無いのですが……。


 

 副司令執務室から移動した一行は、盗聴などの心配が無い葛城家へと話し合いの場所を移した。リビングに正座する冬月と向き合う形でシイ達チルドレンと、ミサト達大人組が腰を下ろす。

 テーブルにお茶が並べられると、冬月が呆れたように口を開く。

「やれやれ、君の動きには注意していたつもりだったが……」

「俺と同じく真実を求める人間が、少なくともこれだけ居ると言うことですよ」

 加持の言葉に冬月は素直に頷く。加持とミサト、そして時田の動きは把握していた。場合によっては何時でも消せるように用意もしていた。だが流石にリツコとシイ達までもとは予想する事は出来なかった。

「これではユイ君の力を借りずとも、いずれ真実に到達しただろうね」

「多大な犠牲を払ったでしょうが」

「否定はしない。事実加持君と時田博士には、退場して貰う予定だったのだから」

 穏やかな口調で物騒な事を言い出す冬月。利用価値のあるミサト以外は、容赦なく闇に消してしまう。ネルフの裏を改めて知らされたシイ達は、今更ながら背筋が凍る思いをしていた。

 

「さて今の君達に私が語ることはあるまい」

「……爺さんは用済み?」

「ははは、まあまあレイさん。副司令にはこれからたっぷり働いて貰うんですから」

「そうね。気持ちは分かるけど、全てが終わるまでは我慢しましょう」

「……了解」

 敵意丸出しのレイは、時田とリツコになだめられて引き下がる。あの件以来完全に冬月は、レイにとって敵と認識されてしまったようだ。

 そんな普段と違うレイの態度に、シイは不思議そうに首を傾げる。

「綾波さんは冬月先生の事嫌いなのかな?」

「あんま気にせん方がええで。疲れるだけやからな」

「半分以上はあんたのせいだけどね」

「え?」

「いーのよ、細かいこと気にしないで。そんなことより、今は先のことを話すべきよ」

 アスカの言葉にその場に居た全員の顔が引き締まる。そう、まだ何も終わっていない。ゲンドウとゼーレ。真に戦うべき敵が残っているのだから。

「ゼーレと事を構えるのは、それこそ最後の最後だろうな。少なくとも今は手を出すべきじゃ無い」

「て~事は、やっぱ碇司令をどうにかするのが先ね」

「私も賛成だよ」

「説得には骨が折れそうですわ」

 リツコの発言に一同は腕を組んで悩んでしまう。頑固一徹、碇ゲンドウ。例えこちらが真実を知っていると告げても、上手く説得出来るとは思えなかった。

 そんな中、不意にアスカが何かに気づいたように口を開く。

「あのさ、ちょっと良い?」

「何アスカ。良いアイディアでもあるの?」

「考えてたんだけど、碇司令を説得ってか、味方にする必要ってある?」

「「……あっ」」

 一瞬の沈黙の後、シイを除く全員がぽんと手を打った。

「考えてみれば、別に味方にしなくても良いのよね」

「まあ、問題は無いな。実務はだいたい私がやっている」

 最高責任者はゲンドウだが、実際にネルフの運営を担当しているのは冬月だ。居なくては困るのは確かだが、絶対に必要と言うわけでも無い。

「あまり役に立ちそうに無いしね」

「身柄を拘束して、監禁しておくか」

「おお、それならおあつらえ向きな部屋がありますよ」

 ミサトと加持、時田が口々に物騒は事を言い出す様を見て、トウジは改めてゲンドウの評価を知った。

「司令は随分嫌われとるんやな」

「……だって、碇司令だから」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って」

 口々にゲンドウ不要論を展開する一同に、シイが慌てて待ったをかける。

「あの、冗談ですよね? お父さんにもちゃんと、分かって貰いますよね?」

「「…………」」

「どうして目を逸らすんですか!?」

「……シイちゃん」

 興奮のあまり思わず立ち上がるシイの肩に、ミサトがそっと手をおく。そして優しい声で告げた。

「犠牲は必要よ」

「うわぁぁぁん」

 それがとどめとなって、シイは泣きながら自分の部屋へと駆け込んでいってしまった。

 

 

 

 その後全ての責任を押しつけられたミサトが、必死にシイをなだめて事なきを得た。頬を膨らませ拗ねていたシイだが、レイに背後から無言で抱きしめられ、次第に気持ちを落ち着かせていく。

 姉妹(ある意味母子)の様な二人の姿に、一同は和やかな空気で今後の対策を練っていった。

「……ふむ。大まかな流れはこんなところだろうな」

「ええ。使徒が後三体と言うことを考えれば、早急に行動へ移すべきでしょう」

「私の方は何時でも。明日にでもやれますよ」

「こちらも同じく。MAGIは直ぐに使えますわ」

 時田とリツコは競うように、準備万端であることをアピールする。ハード担当者とソフト担当者。分野は違えど互いにライバル意識があるのだろう。

「碇は明後日から出張の予定だ。チャンスがあるとすれば」

「明日、ですね」

「そりゃ早いほうが良いだろうけどさ、シイはやれんの? 碇司令と、父親と面と向かってちゃんと話せる?」

「……うん。私はもう決めたの。逃げない。諦めない。これは私のわがままでもあるんだから」

 父親に怯え、恐れ、逃げていた少女はそこに居なかった。これまでの経験と母親との邂逅は、弱虫だった少女を確実に成長させていたのだ。それが分かったからこそアスカ達も安心して頷けた。

「最後までシイ任せっちゅうのは、情けないところやな」

「親子の間に余計な口出しは野暮さ」

 シイにとってゲンドウとの対峙は、乗り越えなければならない事。みんなの中心となっている少女に、彼らは全てを託すことにした。

 

 話が一段落した時、リビングにく~っと小さな腹の音が響いた。皆の視線が音の発生源であるレイに向かう。

「あんたね。この状況で何やってんのよ」

「……お腹空いた」

「おや、もうこんな時間か。随分と話し込んでしまった様だね」

 冬月に言われて窓から外を見れば、すっかり日が落ち夜空に月が輝いていた。それで空腹を実感したのか、他の面々も軽くお腹をさすり始める。

「あ、今ご飯を作りますから」

「あんた馬鹿ぁ? まだ左手治ってないんだから、料理なんて出来ないでしょ」

「でも……それなら誰が作るの?」

 困ったようなシイの問いかけに、アスカ達は互いの顔を見合わせる。

「リツコ、あんた出来るでしょ?」

「……あまり得意では無いわ。リョウちゃんはどう?」

「何せ不精者だからな。時田博士なんか意外と上手いんじゃ無いか?」

「生憎と料理はとんと疎くて。綾波さんはいかがです?」

「……鈴原君に任せるわ」

「おいおい、そりゃ無茶やで。そや、副司令ならいけるんとちゃいますか?」

「外食ばかりだよ。ふむ、困ったな」

 誰一人名乗りを上げる者が現れず、出前を取ると言う行為を失念している一同は腕組みをして悩む。そんな中、ただ一人声を掛けられなかったミサトが、不満を露わにして立ち上がる。

「ちょっと、私を忘れて貰っちゃ困るわね」

「だってミサトさんは料理出来ませんよね」

「いいえ、出来るわ。ただシイちゃん程上手くないから、やらなかっただけよ」

 何処からその自信が来るのかと疑わずに居られない程、ミサトは力強く言い放つ。考えてみればシイはミサトの料理を食べたことが一度も無かった。

(ひょっとしたら、ミサトさん料理だけは出来るのかも)

 掃除や洗濯は壊滅的だったが未だベールを脱いでいない料理。シイは自信に満ちたミサトの立ち振る舞いに、少しだけ希望を抱いてしまった。

 ミサトがかつて自分は料理に向いていないと自白していたのをすっかり忘れて。

「よ~し、なら私が久しぶりに腕を振るわ。楽しみに待ってなさい」

 ドンと胸を叩いてミサトはキッチンへと向かった。

 

 

 待つこと数十分。シイ達が待つリビングのテーブルにはミサトの手料理が並べられていた。白い皿に盛られたご飯に、野菜が入った茶色いルーがかかった料理……まあつまりはカレーだ。

「ね、料理出来るでしょ」

「って、これレトルトカレーじゃない」

 あれだけ自信満々の態度の後にレトルトを出されて、アスカが呆れたように文句を口に出す。ただミサトをよく知るリツコはこの展開を予想していたのか、何処か諦めた表情を浮かべていた。

「まあミサトの料理なんて、最初から当てにしてなかったけど」

「はは、赤木博士は相変わらず手厳しい。例えレトルトと言えど、空腹にはありがたいものですよ」

「そうやで惣流。ミサトさんの手料理を食えるなんて、わしは幸せもんです」

「たまには良いだろう」

 比較的肯定的な意見を述べる時田達とは対照的に、加持とレイの表情は曇っていた。

「葛城の手料理……か。だがレトルトだ。あの悲劇を繰り返す事にはならないだろう」

「……肉、入ってる」

「あ、それなら私がとるよ。……はい、これなら大丈夫だよね?」

「……ええ。ありがとう」

 シイに肉をよけて貰ったレイは、待ちきれないとスプーンを手に取る。他の面々も同様で、レトルトと言えどカレーの香りは彼らの空腹を一層刺激していた。

「じゃあ副司令の協力に感謝を、そして明日、碇司令をシイちゃんが説得できる事を期待して」

「「頂きます」」

 ミサトの挨拶と同時に一同は一斉にカレーを口に運んだ。

 

 

 

「はっ!?」

 シイが目を覚ますと、そこには自分の部屋の天井が広がっていた。慌てて上半身を起こすと、自分は布団に寝かされていたらしく、何時の間にかパジャマも着ていた。

「私、一体どうして……。確かミサトさんのカレーを食べて……」

「おや、気がついたかね」

 混乱するシイに冬月が部屋の入り口から声を掛けた。いつもの制服姿では無く、ラフなシャツとスウェットズボンの冬月は、何処にでも居るおじさんと言う印象を与える。

「冬月先生。私は……」

「葛城三佐のカレーを食べた君は、そのまま失神してしまったのだよ」

「し、失神!?」

「まあ君だけで無く子供達は全滅。時田君と赤木君も寝込んでいるがね」

 とんでもない大惨事だった。どうしてただのレトルトカレーでこんな事態を引き起こせるのか。シイは改めてミサトの底知れ無さに驚かされてしまう。

「そんな訳で無事だった私と葛城三佐、それに加持君が皆の看病をしているんだよ」

「加持さんは平気だったんですね?」

「彼は昔、葛城三佐と付き合っていたからね。皆が食べるまで箸をつけなかったらしい」

 ならば一言注意して欲しかったと思ったシイだが、恨み言の前に疑問を一つ冬月に投げかける。

「……冬月先生はどうして平気なんですか? 確か私が食べる前にちゃんと食べてましたよね?」

「私はこう見えても山登りが趣味でね、昔は山菜と間違えて毒草を食べてしまった事もあるんだ。まあそのせいか毒物への耐性がついてしまったのだろう」

 彼の中でミサトのカレーは毒物と認識されている様だ。苦笑する冬月にシイもつられて笑みをこぼす。

 

「少し意外です。冬月先生はインドアのイメージがあったので」

「よく言われるよ。まあ軽い趣味程度だがね。……そうそう、ユイ君とも良く一緒に山へ登ったんだよ」

「お母さんも?」

 初めて聞く事実にシイは驚き聞き返す。

「ユイ君から聞かなかったかね?」

「はい……あの、冬月先生。もし宜しければ、お話聞かせて貰えませんか?」

 時間が無かったからか、シイはユイから重要事項以外の話をほとんど聞くことが出来なかった。母との邂逅を果たした今、シイはユイの事をもっと深く知りたいと思っていた。

「それは構わないが、さて何を話せば良いのか」

「先生とお母さんが出会ってから……二人の話が聞きたいです」

 ユイとの出会い。そしてそこから始まった物語は、彼にとって良くも悪くも忘れられない記憶だ。シイの願いに冬月は少し考えるそぶりを見せたが、やがて静かに頷く。

「少し長い話になる。子守歌代わりに語ろう。眠くなったらそのまま寝てしまって構わないよ」

「はい」

「あれはそう……今から十五年前。私が京都の大学でまだ教師をやっていた頃の話だ」

 冬月はシイの枕元に腰を下ろし、静かに昔語りを始めるのだった。

 




原作ではゼーレに拉致された冬月が、昔を思い出す形で話が進みました。今回は冬月がシイに昔話を語ると言う形で、若かりし日の話を進めようと思います。

次からは過去のお話……全部で3パートあるのですが、回想なのにそんなに尺をとるのもあれなので、一気に投稿してしまいます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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21話 その4《冬月昔語り~夏の出会い~》

 夏の日差しを浴びながら、冬月は白衣を纏い大学の中庭を歩いていた。暑さがこもる格好を嫌って服をだらしなく着崩す者も居るが、白衣の下のYシャツとネクタイまで、冬月には一分の隙も無い。

 服装の乱れは心の乱れ。やがては実験への緩みにつながる。それが彼の持論だ。

「センセ、冬月センセ」

「ん?」

 背後から自分を呼ぶ声に振り返るとそこには、教え子の男子学生が数名こちらに向かって走ってきていた。冬月は立ち止まると彼らの方へ向き直る。

「君達か。何かあったのかな?」

「はは、たいそうな事でも無いんですが、どないです。これから鴨川でビールでも」

「またかね。好きだな、君達も」

 ジョッキを傾ける仕草を見せる学生に、冬月は思わず苦笑を浮かべてしまう。

 冬月の研究室では四月の歓迎会から今までに、月に数回のペースで飲み会が開かれていた。冬月自身も酒を好み、若い学生からは時におもしろい発想を得られる事もあって、都合が合えば参加するようにしていた。

 だが先週飲み会を行ったばかりの今日、流石に早すぎるだろと冬月は学生の若さに少々呆れてしまう。

「いえね、亮子らがセンセと一緒なら、飲みに行くゆうとりますねん」

「おや、私をダシにするつもりかね?」

「ははは、センセきついですわ。それに助教授も是非センセに来て欲しいって」

「やれやれ、分かったよ」

 幸いにも今日は予定が空いている。学生の色恋に少し協力してやるかと、冬月は学生達に了承の旨を伝えた。

 

 

 居酒屋で学生達が大騒ぎするなか、冬月は研究室の助教授と並んでカウンターで静かに飲んでいた。若い学生と触れ合うのも悪くないが、こうしてゆっくり飲むことを冬月は好んだ。

「若いってのは羨ましいですね」

「君は彼らとさほど年が離れていないだろう」

「そうは言いますが、こっち側に来たらどうしても」

 若い助教授の男は、日本酒の入ったグラスを手に笑う。同じ大学内とは言え、社会に出た人間と学生では気の持ちようが違うのだろう。

「君の論文、目を通したよ。まだ修正が必要だがなかなか良いね」

「そうですか? 教授にそう言って貰えると嬉しいです」

「この調子で幾つか論文を出していけば、数年後には准教授だな」

「頑張ります。僕も早く教授みたいに、学生に愛される先生になりたいです」

「私がかね?」

 言われて冬月は苦笑する。自分を堅物だと認識している冬月は、学生に敬遠されていると思っていた。こうして飲み会に誘われるのも、あくまで形式上のものだと。

「はい。教授は真面目なのにつきあいも良くて、相談にも親身に乗ってくれるって、学生達に人気あるんですよ。知ってますか? 教授の講義、大学でも出席率が凄く良いんです」

「そう言って貰えるのは光栄だが、過大評価しすぎでは無いかね」

「教授は自分を過小評価しすぎです。僕だって教授に論文を評価して貰ったから、ここに居られるんですから」

 熱っぽく語る助教授に冬月は思わず苦笑する。褒められて悪い気はしないが、真っ正面から言われると流石に照れくさい。

「君の論文が優れていたから、正当な評価をしたまでだ。他の人とは違い着目点が良かった」

「それでもです。……あ、着目点と言えば、教授は碇と言う学生を知ってますか?」

 思い出したかのように尋ねる助教授に、冬月は少し思案してから首を横に振る。

「碇? いや、初めて聞く名だが」

「先日レポートを提出してきたんですが、それがちょっと変わった内容で面白かったんですよ」

「ほう。君がそこまで言うか」

 学生が提出するレポートは、細部こそ異なるが大抵は似偏った内容が多い。冬月の元で多数のレポートに目を通す助教授が面白いと言うレポートに、冬月は少し興味を持った。

「教授の事を聞いていたらしくて、是非会いたいと言ってました。多分後日連絡がくるかと」

「碇君か。覚えておくよ」

 研究室に戻ったらレポートに目を通して見ようと決め、冬月は軽く頷くのだった。

 

 

 数日後、冬月は研究室に一人の女学生を迎えていた。碇ユイと言う名の学生は、知性を感じさせる微笑みを浮かべて冬月の前に立つ。

「これを読ませて貰ったよ。何点か疑問が残るが、刺激的なレポートだった」

「ありがとうございます」

 ユイのレポートは着目点が面白く、冬月を十分満足させるものだった。それだけにこの優秀な学生が、今後どういった道に進むのか興味があった。

「碇ユイ君、だったね」

「はい」

「この先どうするのかね? 就職か、研究室に残るのか。どちらにせよ君の才能を生かせるとは思うが」

「まだ決めていません。それに、第三の選択肢もあるとは思いませんか?」

 ユイの言葉に冬月は首を傾げる。

「家庭に入ろうとも思っています。いい人が居ればの話ですけれども」

「……家庭」

 予想外の答えに冬月は滅多に見せない、間の抜けた顔をさらしてしまう。これ程優秀な学生が、家庭に入るとは考えもしていなかったからだ。

 そして目の前の女性が主婦として過ごす姿も、失礼ながら全く想像出来なかった。

 

 

「これがユイ君との出会いだよ」

「お母さん、お嫁さんになりたかったんですね」

「彼女の真意は分からないが、家庭に対する憧れがあったのかも知れないね」

 シイにはユイの気持ちが分かる。碇家は古風で厳格な家なので、ユイがごく普通の家庭と幸せを望んでも不思議では無いと思った。特にユイは一人娘。シイ以上にその思いは強かったのだろう。

「結局ユイ君は私の研究室に入った。優秀な学生でね、一種の天才とも言えただろう」

「お母さん凄かったんだ……」

 シイが知っているユイは、あくまで母親としての姿でしかない。だからなのか自分が産まれる前の、学生であり科学者である碇ユイの話はとても新鮮に思えた。

「ああ。ユイ君とは個人的にも付き合いがあり、何度か一緒に山にも登ったよ」

「冬月先生、何だか嬉しそうですね」

「楽しかったからね。彼女と話しているだけでも一日つぶせたよ。だがそんな日々にある出来事が起きた」

 冬月は表情をわずかに曇らせ、昔語りを続けた。

 

 

「はい、冬月です」

 研究室の電話を取ると、冬月は相手の名乗りを聞いて眉をひそめた。電話の相手は警察だったのだ。

「六分儀、ですか? まあ名前くらいは。ええ、色々と噂の絶えない男ですから。えっ、私を身元引受人に?」

 思わず立ち上がった冬月を学生達は何事かと見つめる。自分が大声を上げたことに気づくと、冬月は何でも無いと学生達に手をふり椅子に座り直した。

「はぁ……いえ、伺います。いつそちらに伺えば宜しいでしょうか」

 一度も面識の無い男の身元引受人など正直断りたいところだったが、六分儀と言う男は自分の大学の学生。無下にするわけにもいかず、冬月は白衣を脱ぎジャケットを羽織ると、学生に外出の旨を告げて警察署へと向かった。

 

 六分儀ゲンドウは目つきの悪い長身の男だった。やせ形で頬骨が浮き出た頬に、殴られたのであろうアザが痛々しく残っている。

 冬月はゲンドウを一瞥すると、警察官に促されて手続きを行う。大学の教授と言うのは社会的信用も高く、身元引き受けの手続きは何事も無く終了した。

「面識の無い私をご指名とはな。自分の教授を呼び出せば良かっただろう」

「ある人物から貴方の話を聞きましてね。是非一度お会いしたかった」

 警察署を後にした二人は歩きながら会話を交わす。にやりと笑うゲンドウは目つきの悪さからか、冬月に好意的とは言えない印象を与えた。

「私も君の話は聞いているよ。ただ酔って喧嘩とは、案外安っぽい男だな」

「一方的に絡まれました。人に好かれるのは苦手ですが、疎まれるのは慣れてますので」

 自嘲気味に語るゲンドウに、冬月は視線を向けること無く切り捨てる。

「難儀なことだ。まあ私には関係の無い話だな」

「ふっ。冬月先生、貴方は私が期待した通りの人間のようだ」

(……いやな男だ)

 冬月の中でゲンドウの印象は最悪だった。

 

 

「お父さん、六分儀って名字だったんですね」

「奴は入り婿だよ。碇はユイ君の家だ。まあ、君には今更だろうが」

「六分儀シイ……なんか似合わないです」

 笑うシイに冬月も激しく同意する。六分儀シイ。名字が変わっただけなのに、何ともかわいげの無い名前だと感じられた。

「喧嘩してぶたれるなんて、お父さんは不良だったんですか?」

「悪い噂が絶えない男ではあった。破落戸、アウトローと呼ばれる人種だったのは確かだ」

 京都大学の学生である事から、それなりに優秀な男ではあったのだろう。だがゲンドウに関する噂や評判には、必ずと言って良いほど悪い話がつきまとっていた。

「お母さんは真面目だったんですよね?」

「そうだよ。優秀で勤勉で、ただ少し世間知らずなところはあったが」

 碇家と言う箱庭で育ったユイは、文字通り箱入り娘であった。ただその危うさすらも、彼女の魅力の一つでもあったのだろう。事実、研究室内で彼女に好意を持つ学生は少なくなかった。

「ならお母さんとお父さんはどうして知り合って、結婚したんでしょう?」

「……私も知りたいよ、それは」

 冬月は苦虫を噛み潰した様な顔をして、話を再開した。

 




こんな感じで冬月先生の昔語りが少し続きます。過去のことですので、基本的に原作と変わらない展開となります。
普通ならカットの流れですが、原作からの設定変更部分がこの昔語りに入ってますので、投稿させて頂きます。

昔語りは全部で3話。本日中に語り終えて貰う予定です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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21話 その5《冬月昔語り~赤き海の再会》

 

 夏が終われば秋が来る。四季の変化は人の感性を刺激し、インスピレーションを生み出す。それは芸術家だけの特権では無く、科学者や学者もまた同様の恩恵を受けていた。

 見事に色づいた紅葉を眺めながら冬月は山登りを楽しむ。趣味で始めた山登りは本格的な登山ではなく、軽いハイキング程度のものだが、気分転換には最適だ。

「ふふ、綺麗ですわね」

「緑の山も良いが、私はこの季節の山が一番好きだよ」

 冬月の隣にはユイの姿があった。研究室に入って以来、彼女は冬月と個人的な付き合いを持ち、こうして山登りを一緒に楽しむ事も当たり前になっていた。

「冬月先生。ご報告したいことがあります」

「おや、何かね。次の論文にしては随分と早いと思うが」

「実は私、六分儀さんとお付き合いをさせて頂いています」

「なっっ!?」

 予想の遙か上を行くユイの報告に、冬月は思わず足を止めてユイの顔を凝視する。穏やかな微笑みを浮かべる様子は、とても冗談を言っている雰囲気では無かった。

「ほ、本当かね?」

「はい」

「君があの男と……か。一体どうやって知り合ったのだ?」

「街を歩いていたら『お茶でもどうですか』と声を掛けて頂きました。丁度喉が渇いていたので」

(あの男、随分と古風な手を使う……)

 ゲンドウの顔を思い浮かべ、冬月は険しい表情を浮かべる。ユイは男女問わず人気のある女性なので、いつかは恋人も出来るだろうと思っていた。だがその相手がゲンドウと言う事に冬月の心は苛立った。

「喫茶店でお話したら、とても可愛くて面白い人でした。ふふ、本当に子供みたいな人なんですよ」

「……想像もしたくないな」

 ユイ独特の感性なのだろうが、少なくとも冬月はゲンドウを可愛いとは到底思えなかった。

「その時先生の事を紹介したのですが、ご迷惑だったでしょうか?」

「少々驚いたがね。面白い男と言うのは認めるが、私とはそりが合わなそうだ」

 冬月はあれからゲンドウの事を調べてみた。悪い噂はさておいて、学生としての六分儀ゲンドウはそれなりに優秀な男の様だ。ただ研究へのアプローチなどから、自分との相性は良くないと結論づけた。

「先生は反対でしたか?」

「……君が決める事だ。人の恋路に口を挟むとろくな事が無いからね。素直に祝福させて貰うよ」

「ありがとうございます。今度六分儀さんと二人で、きちんとご挨拶させて貰いますわ」

「よしてくれ。腹に穴が空きそうだ」

 ユイとゲンドウの交際は冬月の心に深い陰を落とした。それが何の感情によるものなのか、本人にも分かってはいなかったのだが。

 

 

「お父さん、積極的だったんですね」

「使い古された手だが、ユイ君には何故か好印象だったらしい」

 碇家の一人娘として育てられたユイにとって、男性から声を掛けられた経験はほとんど無いだろう。二人の間にどんな会話が交わされたのかは分からないが、ユイがゲンドウに好意を持ったのは間違い無い。

「良いな~お母さん。私なんか誰にも声を掛けて貰えないだろうし……」

「その言葉は、他の人の前では言わないようにな」

 首を傾げるシイに冬月は真剣に心配して助言を行った。

「でもやっぱりお母さんは魅力的だったんですね。あのお父さんが声を掛けるくらいだから」

「今思えばね。ただ当時の大学では、あまり良くない噂が広がっていたよ」

「噂?」

「碇がユイ君に近づいたのはその才能とバックボーンにある組織、つまりはゼーレが目的だったのではと」

 冬月の言葉を聞いた瞬間、シイの表情が悲しげな物へと変わる。両親がお互いに愛し合っていた事を、本人達から直接聞いていた彼女にとって、心ない言葉がとても辛かった。

「そんなの酷いです。だってお母さんとお父さんは本当に愛し合って……」

「僻みや妬みも混じっていたのだろう。それ程ユイ君は人気があったんだよ」

 優秀でお淑やかなお嬢様。才色兼備の美女と言う言葉が良く似合う大和撫子。そんな女性を変な男にとられてしまった。良い感情を持てないのも無理も無い。

「まああの二人はどちらも変わり者だったから、そんな周囲の声はまるで気にしていなかったが」

「ほっ」

「そして翌年。あれが起きた」

 胸をなで下ろすシイに冬月はあの出来事を語る。

 

 

 二十世紀最後の年、後にセカンドインパクトと呼ばれる悲劇は起こった。大質量の隕石衝突に伴う天変地異が世界中を襲い、この世は地獄と化した。

 海の水位が急上昇した結果、消え去った大陸と多くの人々。食糧難による紛争、内戦、戦争が世界の各地で行われ、難民が増えてまた食料が不足。日に数万、数十万と言った人が死んでいった。

 この事態を招いたセカンドインパクトの調査を国連が実施できるまでには、実に一年の時が必要だった。

 

「これが南極……かつての氷の大陸なのか。まるで見る影が無い」

 防寒服に身を包んだ冬月は調査船の窓から外を見渡し、目の前に広がる光景に驚きを隠せなかった。赤い海とそこに生える白の柱からは、ペンギン等の動物たちが生息していた氷の楽園など、まるで想像出来無い。

「冬月教授」

「おや、君か」

 背後から掛けられた声に振り返ると、そこには同じく防寒服を着たゲンドウが立っていた。セカンドインパクト前にユイに紹介されて以来の再会。当然嬉しくも何とも無かったが。

「調査隊に貴方の名前を見つけまして。確かモグリの医者をなさっていたとか」

「職業柄、人の身体には多少詳しかったからな。たいした事は出来なかったが」

「あの地獄を生き延び、かつ人を助けていたのです。それは誇る事ですよ」

「君に褒められるとどうも落ち着かないな」

 冬月はセカンドインパクト後、大学を離れて小さな診療所を開き、医者の真似事をしていた。満足な医療物資が無い状況下であったが、簡単な怪我の治療などを精力的にこなしていた。

「そう言う君こそ良く無事だったな。ユイ君から葛城調査隊に参加すると聞いていたが」

「連絡任務の為、運良く事件の前日に日本に戻っていたので悲劇を免れました」

 偶然が生死を分けるのは良くある事だ。嫌な男とは思いつつも、顔見知りである男が無事だった事を冬月は素直に喜ぶ。

「そうか……。何にせよ無事なのは喜ばしい事だ。それで六分儀君……」

「おっと失礼。今は名前を変えておりまして」

 冬月が言い出すのを待っていたとばかりに、ゲンドウはポケットから一枚のはがきを取り出して冬月へと差し出す。名刺かと思った冬月は、少し訝しんではがきを手に取り目を見開いた。

 

『結婚しました。碇ゲンドウ、碇ユイ』

 

 葉書に記された結婚報告に、冬月は驚きの表情でゲンドウを見つめる。隅にユイの直筆で『お久しぶりです、お元気ですか?』と書かれている以上、これは疑いようのない事実なのだろう。

「結婚……。碇、碇ゲンドウが君の名か」

「ええ。妻がこれを冬月先生に渡しなさいと。貴方のファンだそうです」

「それは光栄だな。……早速尻に敷かれているのか?」

「……ノーコメントで」

 そのゲンドウの反応で、冬月は自分の考えが正しい事を察した。

「ユイ君はこの調査隊に参加していないのか? 真っ先に志願しそうなものだが」

「着いていくと聞かず、説得に骨が折れましたが……今は子供が居るので、自重して貰いました」

「子供か。ユイ君に似ることを祈るばかりだな」

「珍しく意見が合いましたね。私も同感です」

 嫌な男。その印象は変わっていない。だが以前に比べて碇ゲンドウは何処か人間味があり、少しは付き合っても良いと冬月に感じさせた。

 

「……君の所属する組織、ゼーレと言ったかな。悪い噂が絶えないね」

「そうですか?」

「理事会を力で押さえ込むのは正直感心できないな」

「ふっ、相変わらず潔癖主義者でいらっしゃる。この世界で綺麗な組織など生き残れませんよ」

 からかうようなゲンドウの物言いに、冬月は少し眉をひそめたが反論はしなかった。認めたくは無いが今の世界は、ゲンドウの言うとおり力が物言う世界なのだ。

「今回の調査隊も大分ゼーレが介入したんだろう。ただゼーレの人間だけで行えば色々と問題がある。私はそのための数あわせと言うわけだ」

 冬月の突っ込みにゲンドウは無言だったが、それが答えだと言わんばかりに口元に笑みを浮かべている。秘密をばらせない彼にとって、ある意味で正直な対応だったのだろう。

「……まあ、それでも構わん。私は私なりにやらせてもらう」

「どうぞお好きに。私も貴方のファンですから」

 二人と調査団を乗せた船は、セカンドインパクトの中心地へと進んでいった。

 

 

「セカンドインパクト……そんな酷い状況だったなんて」

「言葉で伝えられるものでは無い。あれは体験した者にしか分からぬ地獄だよ」

「沢山人が死んだんですよね」

「公表されているだけでも、数十億人は下らないな」

「…………」

 ユイから聞かされたセカンドインパクトの真実。それは隕石の衝突という天災ではなく、一部の人間による人為的な災害。あまりに救いが無かった。

「ミサトさんのお父さんも、犠牲になったって」

「葛城博士とは私も面識があった。人格面はともかく、きわめて優秀な科学者だったよ」

「そうですか……」

「葛城三佐とも南極で会った。ショックを受けた彼女は失語症に近い状態でね、言葉は交わせなかったが」

 冬月の言葉にシイは驚きを隠せない。ミサトがセカンドインパクトの時に南極に居たのは教えて貰ったが、その後については何も聞いていなかったからだ。

 あれだけ明るいミサトが言葉を失った。どれだけの地獄を見たのか想像すら出来ない。

「ミサトさんが?」

「ああ。だが彼女は今、それを乗り越えて生きている。人は生きていれば変わることが出来るのだ」

 冬月の言葉は何処か自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 

「結局セカンドインパクトは大質量隕石の落下と発表され、真実は闇の中へと葬られてしまった」

「ゼーレ、ですね」

「そうだ。そこで私は独自に調査を続け、セカンドインパクトの真実の一端を掴んだ。あの悲劇を起こした者達を許せなかった私は、碇の居場所を突き止めて乗り込んだ」

 冬月は一息つくと、その後の出来事を話し始めた。

 

 




引き続いて冬月の過去話でした。恐らく彼にとって主役を張れる最初で最後の機会ですので、後一話だけご勘弁下さい。

続きは本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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21話 その6《冬月昔語り~地下での決意~》

 

 人工進化研究所。表向きは国連直属の研究機関だが、研究内容を含めその実態は非公開とされている組織。冬月は研究所のある箱根へ単身乗り込んだ。

 受付で名を名乗ると、予想に反し直ぐに所長室へと通される。最悪の場合荒事になると予想していた冬月は、少し拍子抜けしたものの、気を取り直して研究所の所長室へ入った。

「これは冬月教授。わざわざお越し頂けるとは光栄です」

「碇……所長だったかな。随分と出世したものだ」

「お飾りに過ぎません。ここには私よりもよほど優秀な科学者が揃っていますから」

 机に肘をつきながらもゲンドウは冬月を、友好的な態度で迎え入れる。以前に比べ風格と余裕が漂っているのは、責任ある立場になった事に加えて、父親になった事もあるのだろうか。

「それで本日はどのようなご用件でしょうか? 無論貴方なら見学も歓迎ですが」

「これを見て貰おうか」

 冬月はゲンドウの問いかけには答えず、鞄から取り出した書類の束を机へ乱暴に広げる。それは世間に公表されていないセカンドインパクトの真実。その一端とも言える資料だった。

「この光の巨人。まさか隕石に載ってきた宇宙人とでも言う気かね? 君達は知っていたのだろ。あの時あの場所で、セカンドインパクトが起こることを」

「…………」

 返答をしないゲンドウに、冬月は更に自分の調査結果を突きつける。

「君は運良く前日に日本に戻ってきたと言っていたが、全ての資料を引き上げたのも偶然かね?」

「こんなものはとっくに処分されたと思っていましたよ。驚きました」

 南極で行われていた事。そして光の巨人。隠蔽されたはずの資料を提示する冬月に、ゲンドウは言葉とは裏腹にわずかも動揺せずに答える。むしろ感心したような声色ですらあった。

「君の資産についても調べさせて貰った。個人で持つには少々大きすぎる額だね」

「ふっ、流石冬月教授。経済学部に転向なさっても十分やっていけますよ」

 冬月が年月と労力を費やして得た資料。だがそれすらもゲンドウを揺るがす切り札にはなり得なかった。

「君達ゼーレと光の巨人を世間に公表する。あれを起こした者達を許すつもりは無い」

「どうぞお好きに。ただその前にお目に掛けたいものがあります」

 ゲンドウは立ち上がると冬月を研究所の奥へと誘った。

 

 

 安全ヘルメットをかぶった二人は、地下へと続くモノレールに乗り込む。ゆっくりと下降するモノレールは、まるで終着点など無いかの様に延々と地下へと降りていった。

「随分と潜るんだな」

「もうすぐです。不安ですか?」

「多少ね」

 既に100m以上は進んだだろう。これ程地下に何があるのか、冬月は不安以上に好奇心を刺激された。

 

 暗いトンネルを抜けると、冬月の視界に信じられない光景が広がる。地下に巨大な空間が存在していたのだ。今の技術では不可能な程巨大な空間、緑が生い茂る地上と変わらぬ空間がそこにあった。

「これは……地下空洞なのか?」

「我々以外の誰かが残した空間です。9割は埋まっていますがね」

「元は綺麗な球体と言う事か」

「ええ。そしてあれが目的地。人類が持てる全てを費やした施設です」

 ゲンドウが示すのは、自然の中にそびえるピラミッドの様な建物。周囲の景色と相容れぬ異質な建造物が、冬月の目を捕らえて放さない。

「見せたいものはこれか?」

「その一つではあります。ただ本命はまだ先ですが」

 モノレールはピラミッドの中へと二人を送り届けた。

 

 ピラミッドの中を進む冬月とゲンドウ。正式稼働前のため最小限の明かりしか無いが、暗い通路を歩くだけでもこの場所が外とはまるで異質な建造物だと分かる。

 やがて二人は広い空間に辿り着いた。無数のコードに繋がれた水槽と複数台のPC。そしてそれらを操っていた女性が、冬月達の姿を認めて立ち上がり出迎えた。

「ご無沙汰しています。冬月先生」

「赤木君。君もか」

 女性は冬月の知っている人物だった。万能の天才、早すぎた天才とも呼ばれる女性科学者、赤木ナオコ。若くして幾つもの博士号を持ち、異端とも言える論文を数多く発表していた才女だ。

 まだ学生であった彼女と冬月は面識があった。専門が違うため師事をした事こそ無かったが、常人とは違う彼女に興味を持ち、セカンドインパクトの前までは交流を持っていた。

「まさか君がここに居るとは」

「ふふ、ここは目指すべき生体コンピューターの基礎理論を作るのに、最適な場所ですから」

「ほう。ではそれが」

 冬月は視線を巨大な水槽へと移す。三つ並べられた水槽には、人の脳と酷似した物体が収められていた。

「まだ試作段階ですが、完成は遠くないかと。MAGIと名付けるつもりです」

「MAGI……東方の三賢者か」

 大層な名前だとは言えなかった。ナオコが目指している生体コンピューターは、今の技術水準を大きく超える代物。完成すれば人類にとって大きな一歩となるのだから。

「なるほど、これには確かに驚かされた。見せたかったものはこれか?」

「これもありますが、もっと見せたいものがあります」

「私もお付き合いします。……りっちゃん、直ぐ戻るからね」

 ナオコは部屋の片隅に居た少女へ優しく声を掛ける。無言のまま小さく頷く、制服を着た高校生ぐらいの少女に見覚えの無い冬月は、ナオコに尋ねてみた。

「彼女は?」

「私の娘でリツコと言います。まだ学生ですが、確かなものを持っていますわ」

「やがては君の助手かね?」

「さて、どうでしょう。ひょっとしたら、私が助手になってしまうかも」

 暗にリツコが自分を超える人材だと告げるナオコ。自分に自信を持つナオコが親のひいき目とは言え、そこまで評価する少女に冬月は興味を抱いた。

「赤木リツコ君、か」

「……手は出さないで下さいね」

「勘弁してくれ」

 からかうナオコに苦笑しながら、冬月はゲンドウの後に続いて施設の奥へと進んだ。

 

 

「貴方に見せたかったものは、これです」

「こ、これは!?」

 冬月は思わず目を疑った。自分の目の前に五つの目を持つ巨大な頭部と、そこから伸びる背骨の様な棒、血管のようなケーブルを生やした『何か』が現れれば、大抵の人間は同じ反応をするだろう。

「人形の標本……まさか、あの巨人なのか」

「あの光の巨人を、我々ゲヒルンでは『アダム』と呼んでおります。ただこれはオリジナルではありません」

「では、これは」

「アダムより人の造りしもの『エヴァ』です」

 ナオコの説明を聞きながらも、冬月は巨人から目を離せなかった。ジオフロントもMAGIも、これの前では霞んでしまう。それだけのインパクトがあった。

「エヴァ……」

「そうだ。我々のアダム再生計画、通称E計画の雛形たるエヴァ零号機だよ」

「神の……プロトタイプ」

 ゲンドウが敬語をやめた事など気にもせず冬月は呆然と呟く。神のプロトタイプなど、人が口にして良い事では無いのだが、そうとしか表現しようが無かった。

「碇、お前は何を、何を考えている」

「……冬月。俺と一緒に、人類の歴史を作らないか?」

 もはやゲンドウは取り繕わなかった。冬月を対等な人間として力を貸せと要請する。冬月は自分の中で二つの感情がせめぎ合うのを感じ、しばし返答を保留する。

 そして自己問答の末に結論を出した彼は小さく頷き、ゲンドウの誘いを受けた。

 

 

「こうしてゲヒルンに参加した私は、副所長として碇の補佐をすることになった」

「……なんだか、頭が一杯になっちゃいました」

「長話は年寄りの悪い癖だな。もう遅い時間、このまま寝てしまうと良い」

「はい……ありがとうございます」

 冬月に頭をさすられながら、シイは深い眠りへと落ちていった。

「お休みシイ君」

 シイを起こさないよう、冬月はそっと立ち上がり部屋から廊下へと出た。

 

 皆が寝静まった葛城家のダイニングで、冬月は一人物思いにふける。久しぶりに昔の話をしたせいか、気持ちが高ぶり眠れそうに無かった。

「なかなか、興味深い話でしたよ」

 そんな冬月の隣に加持が座る。部屋の壁は厚いわけでは無いので、冬月の話が聞こえていても不思議では無い。そもそも隠す事でも無いため、冬月は特に反応を見せなかった。

「中でも碇ユイさん。彼女は本当に不思議な人ですね」

「否定はしないよ」

「優秀な科学者、子煩悩な母親、エヴァの開発者、そしてゼーレの一員。どれが本当の顔なのやら」

「……何が言いたい?」

「全てはゼーレのシナリオではなく、彼女のシナリオ通りに進んでいる。そんな気がしてなりません」

 ゲンドウも冬月もユイと出会った事で人生が変わった。もしユイが居なければ、冬月はゲンドウと繋がりを持つことも無く、ネルフへ参加する事も無かっただろう。

 ゲンドウにしてもユイが居なければ、ゼーレとパイプを繋ぐことも無く今の立場に居ないはずだ。

「そして今、俺たちは真相に到達して司令とゼーレに挑もうとしている。ユイさんからの情報を元に」

「…………」

「まるでそうするように誘導された気がします。誰にも気づかせず、疑わせず」

「ユイ君が全てを仕組んでいると、そう言うのかね?」

「あくまで想像です。人類補完計画を止める為、俺達を導いてくれたとも言えるので」

 加持は言外に冬月へ伝える。碇ユイは本当に味方なのかと。

「人を疑うのは性分なので、不快にさせたのなら申し訳ない」

「いや……面白い意見だったよ」

「では俺はもう休みます。明日は日本政府にちょいと牽制を入れなくてはならないので」

 立ち上がり部屋へ戻る加持に冬月は視線を向けること無く、一人思考の海を泳ぐ。

 

『最後の悲劇を起こさないための組織。それがゼーレとゲヒルンですわ』

『すべては流れのままにですわ。私はそのためにゼーレにいるのですから。シイの為にも』

『この子には、明るい未来を見せておきたいんです』

 

(ユイ君……私は君を……信じて良いんだね。自ら初号機に残った君の意思を……)

 脳裏に浮かんでは消えていくユイの言葉を噛みしめて、冬月は眠れぬ夜を過ごした。

 




冬月の昔語りはこれにて幕です。次からは通常通りに戻ります。

物語もそろそろ終盤戦。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《思い出ぽろぽろ》

毎度お馴染みアホタイム。
今回は少し趣向を変えて、過去エピソードのショート・ショート形式となっています。


 

~冬月VSユイ~

 

「あの人はとっても可愛い人なんです。みんな知らないだけですわ」

「想像もしたくないな」

 秋の山道を歩きながら、冬月とユイはゲンドウの話をしていた。

「一つ、聞いても良いかね?」

「何でしょう」

「あの男のどんなところが可愛いのか、具体的にあれば教えて欲しいね」

 皮肉交じりに冬月はユイに問いかけた。軽い冗談のつもり、おそらく『全部』か『知らないところ』でお茶を濁されるだろうと、予測していたのだが。

「…………」

 何故かユイは黙ってしまう。それも頬をほんのりと赤く染めながら。

「ど、どうしたのかね?」

「その……私の口から言わせるのですか?」

「え゛!?」

 もじもじと恥ずかしがるユイに冬月は激しく動揺する。あまりに想定外の事態だ。

「その、何だ。そんな言いにくい事だったりするのかね?」

「冬月先生。私にも人並みに恥じらいがありますわ」

「…………なっ!?」

 可愛いところ。みんなは知らない。言うのにためらいがあり、恥じらいを感じるもの。冬月は『あれ』を想像し酷く狼狽する。普段の冷静な彼からは想像も出来ない慌てっぷりだ。

「い、いや、違うんだ。ユイ君、私は決して、そんなつもりでは……」

(ふふふ、冬月先生も可愛いですわ)

 とっても良い笑顔を浮かべ、ユイは冬月の慌てる姿を堪能するのだった。

 

 

~冬月VSユイ2~

 

「冬月先生。お注ぎいたしますわ」

「おお、すまないね」

 恒例行事となっている研究室の飲み会で、カウンター席に座っていた冬月はグラスを差し出し、ユイからお酌を受ける。透明な日本酒がぎりぎり一杯、表面張力限界まで注ぎ込まれた。

「さあどうぞ。ぐいっと」

「はは、頂くとするよ」

 溢さないようそっとグラスを口に運び、小さなグラスを一気に空にする。元々お酒は好きだが、ユイにお酌されると一層美味しく感じるのは、気のせいでは無いだろう。

「流石冬月先生。惚れ惚れする飲みっぷりですわ」

「そうかね」

「さあ、もう一杯」

 空になったグラスに再び日本酒が注がれた。小さなグラスだが一気飲みをすると、それなりに来るものがある。冬月は一瞬躊躇したが、ユイに微笑まれては飲まないわけにはいかない。

(まあこれくらいなら大丈夫か)

 先程と同じように一気に日本酒を飲み干す。食道と胃がカァッと熱くなり、顔もほんのりと赤く染まる。

「ふぅ、うまい酒だよ」

「冬月先生は本当に美味しそうにお飲みになりますね」

「そ、そうかね?」

「あら、グラスが空ですわ。お注ぎいたします」

 三度冬月のグラスに日本酒が注がれる。そしてさあどうぞと、微笑みながら冬月を見つめるユイ。グラスを持つ手が僅かに震えたが、それでも冬月は見事に飲み干して見せた。

「ふ、ふぅ」

「男らしいですわ。さあ、どうぞ」

 手にした一升瓶を掲げて見せ、再びお酌をしようとするユイに、流石に冬月は待ったを掛ける。

「い、いや……少しペースを落としてだね」

「あら、そうですか? ごめんなさい。あの人はいつもこの位楽に飲んでしまうので、つい」

(あの人……六分儀か! 奴め……)

「人には人のペースがありますものね」

「……ごくごく、ぷはぁ~」

 ガッカリするユイの目の前で、冬月はグラスを垂直にして飲み干す。正直辛かったが、ゲンドウを引き合いに出されては引くわけには行かない。これは男の戦いなのだ。

「ゆ、ユイ君。次を頼む」

「大丈夫ですか?」

「はは、これしき。六分儀に出来て、私に出来ない事は無いよ」

「素敵ですわ。では一献」

 まるでわんこそばのように飲んでは注がれ、また飲んで注がれを繰り返す。結果冬月は酔いつぶれ、滅多に見せない寝顔をさらす羽目になった。

(ふふふ、本当に可愛いですわ。私、先生のファンになりました)

 嬉しそうな笑顔を浮かべ、ユイは冬月の寝顔を堪能するのだった。

 

 

~ゲンドウVSユイ~

 

「明日、調査隊に参加する」

「では私も」

「君は駄目だ」

「…………」

「痛っっっっ! つ、抓るな」

 ぶーたれたユイに腕を思い切り抓られ、ゲンドウは情けない声を上げる。

「なら私も」

「駄目だ」

「…………」

「ひ、引っ掻くな!」

 無言でユイに腕を引っ掻かれ、ゲンドウは泣きそうな顔でユイを引き離す。碇夫妻の力関係はこの時点で既に確立していたのかもしれない。

「い、良いか。シイはまだ幼く連れて行けない。君が参加したら誰が面倒をみるんだ?」

「貴方が残って、私が行けば解決ですわ」

「……シイ。お父さんは泣きそうだ」

 布団で寝ているシイを抱き上げ、ゲンドウは寂しさを紛らわすように顔をこすりつけた。睡眠を邪魔されたシイは、むずがる様に小さな身体をばたつかせる。

「や~や~」

「もう貴方ったら。シイが嫌がっていますわ。ほらシイ、お母さんですよ」

「きゃはは」

 ユイがゲンドウからシイを受け取り軽く身体を揺すってやると、シイは楽しそうに笑い声を上げた。

「こ、これで分かっただろう。シイには君が必要だ」

「……致し方ありませんわ。可愛いシイの為なら」

 納得いかなかったが、ユイの暴走を止められてゲンドウは胸をなで下ろす。

「そう言えば、調査隊には冬月先生が参加されるのですよね?」

「ああ」

「なら貴方。これを冬月先生に渡してきて下さい」

 ユイは二人が結婚したときに作った、結婚報告の葉書をゲンドウに手渡す。冬月は居場所が分からなかったので、送ることが出来なかったのだ。

「口頭で報告すれば十分だと思うが」

「駄目です。こういうのはちゃんとしないと。それともまさか、嫌だと仰るのですか?」

「い、いや。喜んで引き受けよう」

 微笑むユイに気圧され、ゲンドウは冷や汗をかきながら葉書を荷物に加える。

「渡せば良いんだな?」

「ええ。ちゃんと私を妻と呼んで下さいね。それと子供が居ることも伝えて下さい」

「……冬月教授に嫌われそうだな」

「あら、あの人はそんな小さな人ではありませんわ。きっと祝福してくれるわよ」

「だと良いが」

(冬月先生……またお会いできる時を、楽しみにしてますわ)

 きっと良い反応をするであろう冬月を思い浮かべ、ユイは心底嬉しそうに微笑むのだった。

 

 

~ゲンドウVS冬月~

 

「そう言えば子供は男の子か? それとも女の子か?」

「ああ、女の子です。シイと名付けました」

 調査船の中で冬月とゲンドウは世間話に興じていた。決して仲良しな訳では無いのだが、冬月にとって知り合いがゲンドウだけとあって、話し相手は限られてしまう。

「シイ……碇シイ。良い名前だな」

「ありがとうございます」

「何か由来があるのかね? それともユイ君の名前から貰ったのか?」

「そ、それは……」

 自分が考えた名前を一文字ずつ取って付けた。説明するのは簡単だが、小さなプライドがそれを邪魔する。

(何か、何か無いか。シイ……恣意。意味は確か……駄目だ)

 恣意=気まま、偶然。名付けられた経緯を考えればある意味ぴったりだが。

(示威、私意、くっ、駄目だ。この人をあっと言わせる理由にはならない)

 ポーカーフェイスを崩さずに、頭をフル回転させるゲンドウ。別に素直に答えても何の不利益も無いのだが、どうしても冬月を前にすると、意地を張ってしまう。

「……ユイの名前に、新時代を幸せに生きて欲しいと望みを込めて、『シ』の文字を与えました」

「ほう、なるほど。親の願いは子供の幸せ。君達の想いが込められているのだな」

「え、ええ」

 適当にも程がある理由だが、冬月が納得したのなら余計な口出しは不要だろう。

「それにしても女の子か」

「何か問題が?」

「大した事では無いよ。ただ、ユイ君に似る事を祈らずにはいられないな」

 それに関しては全面的にゲンドウも同意する。男の子にせよ女の子にせよ、自分よりもユイに似てくれた方が、多くの人に愛される筈なのだから。

「私も同感です。しかし冬月教授」

「ん?」

「くれぐれも手を出さないで下さいね」

「…………勿論だ」

 何故か一瞬間があった返答に、ゲンドウは冬月の顔をじっと睨む。この時からゲンドウと冬月の関係は始まったのかも知れない。

 

 

~リツコVSミサト&加持~

 

「で、何? このところ大学を休んでたのは、部屋でずっと寝てたからって言うの?」

「えへへ」

 悪戯がばれた子供のように苦笑するミサトに、リツコはため息しか出てこない。大学に入って知り合った友人が、連絡も無しに一週間も休んだ理由がそれなら、当然の反応とも言えるだろう。

「はぁ、呆れた。彼氏と部屋で寝てるなんて良いご身分だこと」

「こいつは手厳しいな」

 ミサトの隣になっていた青年が、軽く微笑みながら頭を掻く。リツコは視線をミサトに向けて、初対面の男性の紹介を無言で求めた。

「改めて紹介するわ。こいつが加持リョウジ。で、こっちがリツコ。私の友達なの」

「赤木リツコです」

「ども。加持リョウジだ。今後ともよろしく」

 軽薄な印象が気に入らないリツコは、少し距離をとって小さく会釈だけした。それを察したのか加持も無理に近寄ろうとはせず、苦笑して会釈を返す。

「それにしても、一週間も無断で休むなんて。貴方の意外な一面を見たわ」

「いや~ちょっち理由があって、ね」

「話してないのか?」

 意味ありげに視線を交わすミサトと加持に、リツコは訝しげに眉をひそめる。

「どうせ二人でイチャイチャしてたんでしょ?」

「だったら良かったんだが……実は俺たち二人、寝込んでたんだよ」

「はぁ?」

 てっきり恋人とよろしくやってると思ったリツコは、思い切り間の抜けた声を出してしまう。

「葛城の手料理を食ったらそのまま腹を下してね。こうして動けるまでに一週間かかったってわけさ」

「ミサト……貴方まさか」

「な、何もしてないって。ただどうしてか具合が悪くなっただけで……」

 慌てるミサトだったが、全ての元凶である事は誰の目にも明らかだった。

「赤木はまだ葛城の手料理を?」

「幸い食べてないわ。そして今後も食べることは無いと思うけど」

「何よりだ」

 軽薄と堅物。性格こそ正反対の二人だが、思慮深く理性的な面は共通しており、案外と相性は悪く無かった。

「も~二人して。良いわ、加持君に美味いって言わせるまで、徹底的にやってやるんだから」

「……ご愁傷様。貴方が生き残れたら、今度一度飲みましょう」

「努力するよ。美人と飲める機会なんて、そうそう無いからな」

(母さん。料理は時に毒物になりえるそうです。世間は謎と不思議で一杯だと初めて知りました)

 後日書かれたナオコへの手紙には、リツコの素直な気持ちが書き綴られていた。そしてこの時の事をすっかり忘れ、毒物を摂取してしまうのは、これから十年ほど先の話になる。

 

 

~シイVSゲヒルン~

 

「ここがゲヒルンだよ」

「うわぁ~おっき~」

 白衣を着たゲンドウが、小さな女の子を連れてゲヒルン本部を歩いていた。少女は大きな目をキラキラ輝かせ、物珍しそうに周囲をキョロキョロと見回す。

 すると二人の前に、白衣を着た一人の女性が現れた。

「あら所長。その子は?」

「ああ、赤木君。娘のシイだよ。ほらシイ。ご挨拶するんだ」

「はりめましれ。いかりしいれす」

 舌っ足らずながらも、きちんと自己紹介をして頭をぺこりと下げるシイ。それを見た瞬間、ナオコはシイの身体を思い切り抱きしめていた。

「も~良く出来ました~。私は赤木ナオコよ。よろしくね、シイちゃん」

「あい」

「はぁ~お肌もちもちで柔らかくて……ねえ所長。この子私に――」

「却下だ」

 ピシャッとナオコの申し出を断るゲンドウ。ただ娘を褒められて悪い気はしないのか、顔はにやけていたが。

「残念です。……シイちゃん、何時でも遊びに来てね。今度はお菓子をあげるから」

「わ~、ありらと~おね~さん。らいすき」

 ナオコのほっぺにシイは親愛表現のキスをする。ただそれだけの行為で、ナオコは夢見心地のまま倒れた。

(赤木君を一撃で……シイ、我が娘ながら恐ろしい)

 倒れたナオコを不思議そうに突っつくシイを見て、ゲンドウは冷や汗を流していた。

 

「碇、何をやっている。実験はお前待ちだぞ」

 そんなところに、こちらも白衣を着た冬月がやってきた。時間に厳しい冬月は、ゲンドウが遅刻したことでご機嫌斜めの様だ。

「シイに施設の案内をしていたところだ」

「娘が可愛いのは分かるが、せめて仕事はきちんとやってくれ」

 呆れたようにため息をつく冬月を見て、シイは首を傾げながらゲンドウに尋ねる。

「おと~さん、このひとはられ?」

「冬月先生だよ。ご挨拶しなさい」

「は~い。はりめましれ。いかりしいれす」

 笑顔のシイがペコリと頭を下げた瞬間、冬月は目を大きく見開いて思わず後ずさった。

(こ、この子が……何と言う……破壊力だ)

 はっきりとユイの面影を宿しながら、純真無垢な笑顔を向けるシイ。ファーストコンタクトを果たしたこの時、冬月は既に自分が限界に追い込まれた事を察した。

「おや冬月先生。どうなさいましたか?」

「ぐっ、何でも無い」

 ニヤニヤと嫌らしく尋ねてくるゲンドウに、冬月はどうにか平静を装って答える。この男にだけは弱みを見せてはいけないと、男のプライドが彼を奮い立たせた。

 気力を振り絞って背筋を伸ばすと、礼儀正しくシイへと初対面の挨拶を行う。

「初めましてシイ君。私は冬月コウゾウ。君のお父さんの補佐をしているんだ」

「ふゆちゅきてんて~?」

(ごふっ)

 可愛らしく首を傾げるシイに、冬月の最終防衛ラインは一撃で突破された。夢見心地で倒れそうになる瞬間に立て膝を付き、ダウンを拒否するのが彼の最後の意地だった。

「ねえおと~さん。ふゆちゅきてんて~、おぐあいわるいの?」

「くっくっく、ああ、そうだね。悪くなるといけないから先に行こう」

「は~い。ふゆちゅきてんて~、おらいじに」

(碇……貴様……ごふ)

 ばいばい、と無邪気に手を振られてしまえば、耐える事など出来るわけが無い。冬月は二人の姿が見えなくなるのを確認すると、力尽きたようにその場に倒れた。

 

 その後も施設内を歩くシイに、ゲヒルン職員達はろくな抵抗も出来ずに撃沈して行く。ゲンドウがシイを連れて実験室へたどり着いた時には、実に過半数の職員は行動不能に陥っていた。

(ふっ、シイの可愛さの前には、科学の粋を集めたゲヒルンといえども無力と言う訳か)

 自分の部下が倒れていったというのに何故か満足げなゲンドウ。だがそんな心地よい満足感は、実験室で待ち構えていたユイの姿を見て一瞬で消え去った。

「所長。一体何をなさっているのですか?」

「ゆ、ユイ……」

「おか~さん」

 シイはとてとてと頼りない足取りでユイの元へと駆け寄る。ユイは微笑みながらシイを抱き上げると、手慣れた手つきで背中を優しくさする。

「……むにゃむにゃ」

 歩き回って疲れたシイは、母親の胸の中で安らかな眠りへとついた。

「それで所長。この子を連れて、一体何をなさっていたのかしら?」

「い、いや。誤解だ。私は決して……」

「今日の実験は中止です。理由はおわかりですよね?」

 冬月やナオコを始めとする主要スタッフが、軒並みシイに撃沈されてしまった為、大切な実験は中止にせざるを得なかった。ユイは穏やかな口調ながら明らかに怒っていた。

「実験は中止なので、時間がたっぷりあります。言い訳は所長室でじっくり聞かせて頂きますわ」

「違うんだユイ。私はただシイを見せびらかしたかっただけで……」

「ふふ、お説教の時間も十分ありますから」

「許してくれ、ユイ。ユイぃぃぃ!!」

 ユイに引きずられながら、所長室へと連行されていくゲンドウ。その日所長室からゲンドウの悲鳴が途切れること無く聞こえたのは、ゲヒルンの闇に葬り去られるのだった。

 

 

 人は過去を捨てることは出来ない。良い思い出も悪い思い出も。時にそれは心に傷を残すが、それでも人は前に進む。だって生きているのだから。

 




短編集をイメージしてみましたが、如何だったでしょうか。過去のエピソードはどれもネタが豊富で、小話を選びきれなかったので、この様な形式にしました。

本編はそろそろ、スパートをかけ始める段階に突入しました。因みに25話、26話はTV版ではなく、旧劇場版の流れになります。

小話ですので、本編も本日中に投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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22話 その1《消えぬ記憶》

 

(ママ……)

 幼いアスカは悔しさを堪えるように唇を噛みしめ、目の前の光景を見つめていた。

 彼女が居るのはとある病院の精神病棟。廊下に面した壁がガラス張りになっている病室の中を、ジッと見つめるアスカ。真っ白な病室のベッドには、一人の女性が身体を起こして座っていた。

 惣流・キョウコ・ツェッペリン。エヴァの開発に関わった女性科学者にして、アスカの母親である彼女は今、病室のベッドで人形を相手に楽しげな表情を浮かべていた。

「ふふ、アスカちゃん。今日はママね、貴方の大好物を作ったのよ」

 人形は当然返事をしない。だが彼女だけには返事が聞こえたのだろう。

「あら、酷いわアスカちゃん。ママだってちゃんと料理出来るんだから」

(ママ……)

「ほら、駄目よ好き嫌いしちゃ。あそこのお姉ちゃんに笑われちゃうわ」

(っっ!?)

 ガラス越しに見つめていたアスカを、キョウコは虚ろな瞳を向けてそっと指さす。そう、今の彼女にとっての娘は手に持っている人形であり、アスカでは無かったのだ。

 こみ上げる感情を抑えきれずに、アスカは逃げるように病室の前から立ち去ってしまう。

「ふふ、私の可愛いアスカちゃん。大好きよ」

 人形に語りかけるキョウコの顔は慈愛に満ちあふれていた。

 

 

「……夢、か。この夢見るのも久しぶりね」

 目を覚ましたアスカは自分の部屋の天井を見つめて自嘲気味に呟く。身体を起こしてみるとパジャマは寝汗でびっしょり濡れており、夢見の悪さと合わさって非常に不快だった。

「はぁ、とにかくシャワーね」

 アスカは大きく背伸びをしながらダイニングへと向かう。そこには朝食の支度をしているシイの姿があり、いつもより早い時間に起きた彼女に驚いた様子で声を掛ける。

「あれアスカ。おはよう。今日は早いんだね」

「まあね。どうも夢見が悪くてさ」

「怖い夢でも見たの?」

「……ある意味ね」

 いつになくテンションの低いアスカに、シイは朝食の支度をしていた手を止めて心配そうに視線を送る。

「あー良いの。別に大した事じゃ無いから」

「そう……」

「てかあんた、片手で料理なんかして大丈夫なの?」

「うん、軽くは動かせるから、時間を掛ければちゃんと作れるよ」

 シイは僅かながらも左手を動かして見せ、問題無いと笑顔を見せた。既に味噌汁の良い香りが漂っている事から、アスカを気遣ってのやせ我慢ではないのだろう。

「まあ、ミサトの料理を食べなくて済むのは何よりね」

「あ、あはは」

 昨晩食べたミサトのカレーを思い出し、シイは引きつった笑いを零すしか無かった。

「もう出来てるの?」

「あと少し……二十分くらいで出来るよ」

「あ、そ。ならシャワーを浴びさせて貰うわ。汗かいちゃって気持ち悪いのよ」

 そう言うとアスカはリビングにある洗面所への仕切りへと歩いて行く。汗はすっかり冷たくなり、冷えた身体を一刻も早く温めたかったのだ。

「ごゆっくり…………って、駄目! アスカ、今は……」

「ん、何……」

 シイの制止は僅かに間に合わず、アスカは仕切りを開けてしまい、そのまま固まった。

 

 洗面所には丁度シャワーを浴び終えた冬月の姿があった。下着をはこうとして片足を上げている姿勢、つまり全裸で。彼もまた突然のギャラリーに硬直を余儀なくされてしまう。

「あ、あ、あ」

「あ、ああ。おはよう、アスカ君」

「…………っっっ!!」

「ぬおぅぅぅ」

 顔を真っ赤に染めたアスカに、冬月は男のプライドを蹴り上げられて、断末魔を上げながら床に倒れた。ビクビクと身体を痙攣させながら、声にならない呻きを漏らし続けている。

「最低! 信じらんない!」

 冬月をダイニングまで蹴飛ばすと、アスカは勢いよく洗面所の仕切りを閉めた。後には芋虫のようにダイニングを這う冬月と、何とも言えず複雑な表情を浮かべるシイが残される。

「アスカ……ご機嫌斜めなのかな?」

「ひゅ~ひゅ~」

「冬月先生。服を着ないと風邪を引いちゃいますよ」

「ひゅ~ひゅ~」

 男の苦しみを理解出来ないシイは、冬月の危機的状況に気づかない。結局冬月が救出されたのは、続いて起きてきた時田に発見されてからだった。

 

 

 リビングにはシイの作った朝食が並び、全員揃っての朝ご飯となった。満足に左腕が動かせないため、簡単な朝食しか用意できなかったが、それでも昨晩のカレーとは比べるまでも無い。

 美味しいご飯は食卓での会話を円滑にする。今回話題に上ったのは、犠牲者冬月の事だった。

「いやはや、災難でしたな」

「う、うむ。危うく男の誇りを失うところだったよ」

「ご無事で何よりです。あれは幾つになっても大切ですから」

「ほんまですわ。しっかし惣流も酷いやっちゃな」

 男達は揃って冬月への同情を口にする。事情を聞けば冬月に一切の非は無く、しかも致命的一撃を理不尽に受けた。涙無しには語れない出来事だ。

「当然の報いよ。あんなものを、こんな可憐な女の子に見せつけたんだから」

「もう、駄目だよアスカ。ちゃんと謝らないと」

「はん、あの時間はあたしがシャワーに入るって決まってんの。居る方が悪いわ」

 シイの注意にも聞く耳持たぬと、アスカは鮭の塩焼きを口に運ぶ。不機嫌なオーラを振りまくアスカに、シイ達は戸惑いを隠せないでいた。

(何か心当たりある?)

(昨日は普通だったんだから、その間に何かあったんじゃない?)

(……葛城三佐のカレー)

((ああ))

 ひそひそと相談を交わす面々だったが、レイの一言になるほどと納得する。

(ちょ、ちょっと。確かに悪いとは思ってるけど、それでこんな不機嫌になる?)

(でも朝起きてきた時から、ちょっと様子が変でしたし)

(決まりね。ならミサト、早く謝ってしまいなさい。色々と不都合が出るわ)

 内緒話を終えるとミサトは軽く頭を掻きながら、アスカへと向き直った。

 

「ねえ、アスカ」

「何よ」

「昨日のカレーは私が悪かったわ」

「……は?」

 真剣な顔で突然何を言い出すのかと、アスカは思わずミサトを見返す。

「え? 貴方それで機嫌が悪いんじゃ無いの?」

「あんた馬鹿ぁ? そりゃ不味いカレーだったけど、作って貰った料理に文句つける程、あたしは子供じゃ無いわ」

 心外だとアスカはミサトを睨む。カレーが不味かったのは否定しなかったが。

「なら、何でそんな機嫌悪いのよ」

「ちょっと夢見が……って、そんなのどうでも良いでしょ」

 自分の失言に気づいたアスカは、それを誤魔化すように立ち上がるとリビングから出て行き、自分の部屋へと籠もってしまった。

 

「あ~あ。ありゃ相当きてるわね」

「夢見……悪夢でも見たのかしら」

「そう言えば、朝に怖い夢でも見たのって聞いたら、ある意味そうだと答えてくれました」

 もしも夢が原因ならそれこそ誰の責任でも無く、自分達にはどうしようも無い。消極的な手段だが、時間が解決してくれるのを待つしか無いだろう。

「困ったわね。一度カウンセリングをした方が良いのかしら」

「おや、赤木博士はそちらも?」

「軽くかじった程度よ。気休め程度だけど、今アスカの精神状態が揺らぐのは避けたいもの」

 現在初号機は委員会の指示により、無期限の凍結を命じられている。それでもネルフは三体のエヴァを有しているが、リーダーでエースのアスカの存在は、戦術面だけでなく他のチルドレン達の精神面においても重要だった。

「ただ、あの子が素直に応じるとは考えにくいわ」

「せめてどんな夢を見たのか、それだけでも分かれば……」

「多分、母親の夢だろうな」

 加持の呟きにリビングに居る全員の視線が彼に集まる。この中で一番アスカとの付き合いが長い加持なら、何か知っているかもと期待が向けられた。

 

「アスカのお母さんは確か」

「惣流・キョウコ・ツェッペリンさん。ユイさんと同じく、エヴァの開発に携わった科学者よ」

「専門外の私でも知っていますよ。赤木博士や碇博士と並ぶ程、優秀な科学者だと」

「そうだ。そして彼女は今、心を病んで病院に入院している」

 エヴァの起動実験で被験者となったキョウコが、ユイと同じくエヴァに心を飲み込まれ、精神病院に入院している事は、この場に居る全員が知っていた。

「ドイツに居た頃、アスカは良くうなされていた。その理由は母親の夢を見たからだそうだ」

「お母さんの事、大好きだったんですよね」

「俺も一度、キョウコさんを見舞った事があるんだが、あれは彼女にとってあまりに辛い姿だよ」

 大好きな母親が自分を見てくれない。ただ人形に愛情を注ぐ姿を見ているしかない。母親にとって自分は他人でしかない。それがアスカの心にどれだけの傷を残したのか、シイには想像すら出来なかった。

「恐らくだが、その時の光景を夢でみたんだろう」

「ふむ。相当根が深そうだな」

「デリケートな問題ですからね。慎重に対応しないと」

 大人達がアスカの対応に頭を悩ませると、不意にトウジはシイが何か考え事をしている事に気づいた。

「何や、シイ。ええアイディアでもあるんか?」

「……聞かせて」

「あ、そんな大した事じゃ無いの。ただ少し気になって……」

「……何?」

「あのね――」

 シイが言葉を紡ごうとした瞬間、リビングに携帯電話の音が一斉に鳴り響いた。全員の携帯電話が同時に鳴り、着信メロディが不協和音を奏でる。

 慌ててそれぞれが携帯電話を手に通話を行う。そして全員が同時に顔を強張らせた。

「「使徒!?」」

 平穏な朝は、使徒襲来の知らせによって破られるのだった。

 




原作ではアスカにとって、エヴァを動かした最後の話になります(劇場版除く)。
タイミング悪く母親の夢を見てしまい、色々とフラグが立ってしまいましたが、果たしてどうなってしまうのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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22話 その2《使徒の進化》

 ネルフ本部発令所に駆けつけたミサト達は、使徒襲来の連絡をくれた日向達から状況の報告を聞く。

「使徒は衛星軌道上に突然現れました」

「……サーチ衛星が使徒の姿を捉えました。主モニターに回します」

 青葉の報告と同時に、巨大スクリーンに使徒の姿が映し出される。全身が白く発光した使徒は、まるで光の鳥の様な形状をしていた。

「動く気配は無し、か」

「判断が難しいわね」

 以前衛星軌道上に現れた使徒は、サーチ衛星を認めると即座に攻撃を加えた。だがこの使徒はそこに存在するだけで何の動きも見せない。

 情報収集も難航しており、ミサトは頭を悩ませる。

「降下の機会を伺ってるのか……あるいはあの場所から、こっちを攻撃できる手段を持ってるのか」

「MAGIは判断を保留しています」

 マヤの報告にミサトは一瞬間を置いて、リツコへと問いかけてみる。

「……ねえリツコ。最近MAGIが仕事してないんじゃない?」

「呆けたのかしらね」

((あんたが言うのか……))

 じーっと発令所中の視線を浴びて、リツコは冷や汗を流す。それでも責任者である以上、役に立たないと言われたままではいられない。

「こほん。使徒が進化しているのかもしれないわ」

「進化?」

「ええ。MAGIがデータを得る以上の速度で、進化をしているのかもしれない」

 これまでの使徒のデータは、MAGIにも蓄積されている。それでも判断できないのであれば、使徒がデータの元となった前の個体よりも進化を、それもMAGIの予想を超える速度で行っていると考えられた。

「とは言え、こりゃ迂闊に動けませんね」

「そ~ね……市民の避難は?」

「完了しています。第三新東京市も戦闘態勢に移行済みです」

「どうするのミサト? エヴァの発信準備は出来ているわよ」

 決断を求められたミサトは、ちらりとゲンドウへ視線を送る。司令席のゲンドウは普段通りの様子で、口を出す事はしなかった。全て任せると言う無言の指令だ。

「使徒が動かないと仮定して、攻撃手段は何かある?」

「あそこに届く可能性があるとすれば、ポジトロン・スナイパーライフルね」

 かつて第五使徒を超長距離から狙い撃った、ポジトロン・スナイパーライフル。現物は戦自研に返却したが、得られたデータから独自に研究開発に成功していた。

 もっとも日本中の電力を集めたあの時とは比較にならない程、攻撃の威力は落ちてしまうが。

「……今は無い物ねだりしてる場合じゃ無いか。使徒は?」

「依然、沈黙を守っています」

「徹底的に待ちの姿勢って訳ね。出来ればこっちも様子見をしたいところだけど」

 使徒出現の報は世界各国の政府と、人類補完委員会にも伝わっている。もしこのまま使徒を放置すれば、被害の有無に関わらずネルフへの圧力が高まるだろう。

「エヴァ全機を地上に射出。指定ポイントに配置の後、狙撃を試みるわ」

「了解」

 遙か高みにそびえる使徒を見つめ、ミサトは迎撃の決意を固めた。

 

 

『三人とも。使徒があの位置に居る以上、こちらからは迂闊に手は出せないわ』

 スナイパーライフルを手に狙撃ポイントへ移動するアスカ達に、ミサトが通信で指示を伝える。肉眼で確認できない目標に、エヴァの中の三人は戸惑いを覚えていた。

「こいつでもあかんのですか?」

『射程距離が足りないわ。例え届いたとしても、ATフィールドを突破できる可能性は極めて低いの』

 トウジの問いかけにミサトはMAGIの計算結果を答える。第五使徒戦以上の超長距離射撃なのに、ライフルの出力はそれを大きく下回る。

 今回の使徒のATフィールドがどれ程強力かは不明だが、貫通は難しいと予想されていた。

「ならどうすんのよ?」

『全員の狙撃準備が整った上で、使徒に動きが無ければ一度攻撃を加えて』

『使徒に何らかのリアクションがあればそれに対応。無ければエヴァを輸送機で空中に移動させて、より目標と近い距離からの攻撃を試してみるわ』

 ミサトとリツコの言葉から、今回の作戦が本当に手探りであるのだと三人は理解した。

「……葛城三佐。碇さんは?」

『初号機は凍結命令中だから、今回は出撃できないわ』

「ふん。またあんな事になったら面倒だし、丁度良いんじゃ無い?」

 皮肉るようなアスカの言葉に、トウジは言い過ぎだとたしなめる。

「惣流。そない言い方あらへんやろ」

「うっさいわね。別にシイが居なくたって、あたし一人で十分なのよ」

 ぶっきらぼうに言い放つと、アスカはそれっきり通信を切ってしまった。あまりに辛辣な物言いに、トウジは思わず言葉を失ってしまう。

「な、何なんやあいつ」

『あの子なりの優しさなのよ。初号機が不安定なのは確かだし、シイちゃんにリスクを背負わせたく無いのね』

「そやけど、もちっと言い方っちゅうもんが……」

「……余裕が無いわ。いつものアスカじゃない」

 一見ワンマンでわがままに見えるアスカだが、リーダーとしての資質は備えていた。時に自分が黒子に徹して、勝利を優先する意志の強さも持っている。それが今のアスカには感じられない。

『どう、マヤ?』

『シンクロ率は先日のテストから15マイナスです』

 実践派のアスカはテストでは好不調の波があるが、実戦では常に一定以上の数値を残していた。彼女がここまで調子を崩して戦いに挑むのは、恐らくこれが初めてだろう。

『……朝のあれが尾を引いてるのかしら』

『何にせよ、今は戦力に余裕があるわけじゃ無いし、切り替えて貰うしか無いわ』

 動かない使徒と調子のおかしいアスカ。重なってしまった悪条件にミサト達は不安を抱きつつも、子供達の戦いを見守る事しか出来なかった。

 

 

(アスカ……どうしちゃったんだろう)

 シイはケージに固定された初号機の中で、一連のやりとりを聞いて不安げに眉をひそめた。今のアスカにはいつもの自信と余裕が感じられず、まるで強い言葉で弱さを隠そうとしているように思えたのだ。

 その原因と思われる朝の会話を思い出し、シイは母親の事を頭に思い浮かべる。

(お母さんの夢。辛い夢。悲しい夢……)

 もしユイが自分を見てくれず、人形を愛する姿を見たらどうか。想像するだけで心が張り裂けそうになるのだから、実際に経験したアスカの心の痛みは計り知れない。

(でもアスカ、思い出して。アスカのお母さんはそこに居るんだよ)

 心を開けばエヴァは応えてくれる。シイは祈るように目を閉じ、三人の無事を願った。

 

 

(馬鹿じゃないの。何動揺してんのよ。もう振り切った事じゃ無い)

 狙撃準備を終えたアスカは、弐号機のプラグ内で自己嫌悪する。確かに嫌な夢だったが初めて見る訳でも無い。表面だけでも取り繕えば、他の面々に余計な心配をさせる事も無かった。

 以前ならそれは容易かっただろう。だが今のアスカはシイ達に心を開いてしまっている。それが彼女に仮面を被る事を許さず、せめてもの抵抗があの虚勢。自分の情けなさにアスカは苛立っていた。

(もうあんな失態は無い。あたしが守る。レイも馬鹿も、ミサト達も……シイだって守ってみせる)

 先の使徒との戦いで早々に戦線離脱した事に、アスカはプライドを傷つけられたと同時に負い目も感じていた。自分がもっとしっかりしてれば、シイのあれも防げたはずだと。

 強い決意は時に気負いへと変わる。冷静さを欠いているアスカに、いつもの余裕は全く無かった。

 

 

「エヴァ全機、狙撃準備完了しました」

「目標は?」

「こちらと一定距離を保ったまま、沈黙しています」

「依然射程距離外です」

 日向と青葉の報告にミサトは小さく舌打ちする。ここまで待ちの姿勢を徹底されてしまうと、先に仕掛ける事を躊躇わずにいられない。こちらからの攻撃を待つ理由があるのでは無いかと、どうしても疑ってしまう。

 それでも攻撃を何時までも先延ばしには出来ない。ミサトは覚悟を決めた。

「……やむを得ないわね。使徒の反撃に警戒しつつ狙撃しましょう」

「MAGIによるデータの収集準備は出来ているわ」

「オッケー。出たとこ勝負は趣味じゃ無いけど、しゃーないか」

 ミサトがアスカ達に狙撃命令を出そうとしたその時、今まで沈黙を守っていた使徒から不意に光が放たれた。衛星軌道から地上に向けて、オーロラのような光の帯が降り注ぐ。

 それは回避出来ない速度で、狙撃体勢の弐号機を包み込んだ。

 

「使徒の攻撃!?」

「い、いえ、熱エネルギー反応はありません」

「解析急いで」

 一気に慌ただしくなった発令所にリツコの指示が飛ぶ。スタンバイしていたMAGIが使徒から放たれた、オーロラのような光の解析を行う。

「解析完了。可視波長のエネルギー破です。ATフィールドに似ていますが、詳細は不明」

「弐号機は?」

「損害無し。物理的ダメージは確認できません」

 日向の報告にミサトは困惑する。使徒の攻撃と思われた光だが、直撃を受けている弐号機に損害が無い。使徒の狙いを掴みかねていると、

『いやぁぁぁ』

 不意にアスカが悲鳴をあげる。攻撃では無いと思い込んでいたミサトは、動揺しながらアスカへ呼びかける。

「アスカ! どうしたの!?」

「これは……パイロットの心理グラフが乱れています」

「精神汚染が始まります」

「使徒の心理攻撃……人の心を知ろうとしてるの?」

 かつて初号機を取り込んだ使徒は居たが、初号機に積極的接触を行わなかった。だが今は弐号機へ精神面からのアプローチを行っている。

「使徒の進化?」

「惚けるのは後よ。このままでは……」

『いやぁぁぁ、あたしの中に入ってこないでぇぇ!!』

 悲痛なアスカの叫び声が、発令所に響き渡るのだった。

 




第15使徒『アラエル』以降から、使徒は変わった気がします。今までの様に直接的ではなく、間接的と言いますか……遠回りな戦い方をするようになったなと。
力押し最強の使徒が敗れた事で、使徒も方針変更したのかもしれません。

果たしてアスカはこの危機を乗り越え、セカンドチルドレンとして、エヴァチームのリーダとして今後も戦えるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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22話 その3《目覚めの時》

 

 アスカの絶叫を聞いて我に返ったミサトは、使徒の攻撃を食い止める為に直ぐに指示を下す。

「レイ! 鈴原君! 使徒を撃って!!」

『……了解』

『了解や』

 アスカを救うべく零号機と参号機は、射程距離外の使徒へ狙撃を行った。地上から放たれた二筋の光は、一直線に使徒を襲い……しかし使徒の目前でATフィールドに弾かれ四方へと拡散した。

「ATフィールドの展開を確認。貫通するには出力が絶対的に足りません!」

「ライフルの出力は最大。これ以上は無理です」

 こちらから使徒へ有効な攻撃は無いと証明され、ミサトは舌打ちしながらマヤへ問いかける。

「ちっ、使徒の反応は?」

「ありません」

 例え攻撃が通らなくても、使徒から弐号機への攻撃が止まればと期待したミサトだったが、使徒に変化は見られなかった。

 

『いや、いやぁ、いやぁぁ』

「精神汚染、Yに突入しました」

 アスカの精神状態は乱れに乱れ、もはやまともな思考と行動が取れない状態に陥っていた。

『これ以上入ってこないで! あたしの心に入ってこないで!!』

「グラフ反転! これ以上はアスカが危険です!」

「このままじゃ精神回路がずたずたにされるわ」

 マヤとリツコの言葉を聞くまでも無く、先程から絶え間なく響くアスカの悲鳴を耳にしていれば、彼女の危機的状況は十分過ぎるほどミサトに伝わっていた。

「ATフィールドは?」

「展開していますが、効果は確認できません」

「LCLの精神防壁はどうなってんの?」

「駄目です! 触媒効果もありません」

 精神汚染だけは何としても避けなければならない。現状で打開策が無いと判断したミサトは、アスカを使徒の攻撃から逃がすことを最優先する。

「……ここまでね。アスカ、撤退して」

『いやぁぁぁぁぁ』

「アスカ?」

『こないでぇぇ、こないでぇぇぇ』

 ミサトの顔が青ざめる。今のアスカには自分の声すら届いていない。あまりに危険な状態だ。

 

『……葛城三佐。これより弐号機の救助に向かいます』

『わしも行きますわ』

「駄目だ」

 レイとトウジの提案を否定したのは、今まで沈黙していたゲンドウだった。

「今の弐号機に近づけば精神攻撃に巻き込まれる。お前達まで汚染される訳にはいかない」

『んな事言っとる場合ちゃいますやろ!』

「軽率な行動は慎め。これは命令だ」

 代替案を提示する事も無く、ただ一方的に救助を却下するゲンドウ。精神汚染を避けるのは司令として正しい判断なのかもしれないが、友人を見殺しにしたくないトウジ達は強い不満を抱く。

『なら、どないするんや?』

『お父さん。私が出ます!』

 トウジの通信に割り込む形で、シイの声が発令所に聞こえてくる。初号機の修復は既に完了しており、出撃自体に問題は無いのだが、ゲンドウは即座に却下した。

「駄目だ。初号機は凍結中……大体お前が出撃して何が出来ると言うのだ」

『そんなの分からないけど、黙って見てる事何て出来ないよ!』

「……初号機の凍結を解除するつもりは無い」

『だけどこのままじゃアスカが!』

 泣き出しそうなシイの言葉通り、アスカの精神は危険域へと突入しようとしていた。

 

 

 使徒はアスカの心に遠慮無く入り込み、彼女が心にしまい込んでいた物を引きずり出す。それは繊細な心を土足で荒らすような行為。ただでさえ不安定だった彼女の精神は、なすすべ無く蹂躙されていった。

 

『ほら、アスカ。新しいママにご挨拶しなさい』

『こんにちは、アスカちゃん』

『…………』

『どうしたんだい?』

『私もママは、ママだけだもん。他のママなんていらない!』

『こら、アスカ。あんまりわがまま言うんじゃ無い』

『突然言われて戸惑っているのよ。大丈夫。ゆっくり慣れていけば』

(……ママは……ママだけなのに……パパの馬鹿!)

 

『アスカちゃん。お姉さんがまた来てくれたわよ』

『…………』

『ねえあなた。この子アスカちゃんって言うの。仲良くしてあげてね』

『……ママ』

『私の娘はこの子だけよ。私はあなたのママじゃ無いわ』

『ママ……どうして』

『泣いちゃ駄目よ。ほら、アスカちゃんが笑ってるわ』

(ママ……どうして私を見てくれないの? 私はここに居るのに)

 

『家を出て行く?』

『あたしは一人で生きていけるの』

『でもアスカちゃん……』

『そんな風に呼ばないで! 虫酸が走るわ』

『アスカ! お母さんに何て事を!』

『もうあんた達と一緒に居たくないわ。さよなら』

(ママを捨てた奴なんて、もうパパじゃ無い。あたしに家族なんて必要無い。一人で生きてけるもの)

 

 使徒は無遠慮に心の中に封じ込めた記憶を呼び起こさせる。自分を見てくれない母。そんな母を捨てて別の女を選んだ父と母と呼べない女、彼女のトラウマとも言える記憶。

 既に精神の限界を迎えていたアスカは、プラグ内で胎児の様に身体を丸めていた。

(もう……嫌。こんな嫌な事ばっかなら……生きてても仕方ないじゃん……)

 負の感情に支配されたアスカからは生への執着が失われ、思考が死へと向かう。

(あたしが居なくても……誰も悲しまないし……このまま死んでも……)

 暗闇へと落ちていく意識。孤独な世界へと向かおうとするアスカに、また別の記憶が蘇っていく。

 

『君が惣流・アスカ・ラングレーだね』

『誰?』

『俺は加持リョウジだ。君のお目付役兼、保護者役かな』

『あたしは一人で生きていけるわ』

『そりゃ頼もしいな。けどな、一人だとつまらないぞ』

『はぁ?』

『人は一人でも生きていけるが、生きる以外の楽しい事を見逃してしまうからな』

『……くっさい台詞』

『ま、いずれ分かるさ。それが分かるまでは俺が一緒に居るよ』

(加持さん……ネルフであたしをパイロットとしてじゃなく、人間として接してくれた初めての人)

 

『やっほーアスカ』

『誰よあんた。馴れ馴れしいわね』

『あはは、ごめんごめん。私、葛城ミサトって言うの。これでもネルフの職員よ』

『あんたが?』

『ドイツ支部に来て間もないけど、よろしくね』

『はん。あんたとよろしくする理由が無いわ。で、何の用?』

『実は……迷っちゃって。道教えてくれない?』

(ミサト……馬鹿でだらしないけど……嫌いじゃ無いわ)

 

『ねえアスカ。ドイツの料理ってどんなのかな?』

『はぁ、何でよ?』

『アスカはドイツ育ちだよね? やっぱり故郷の味が食べたくなるのかな~って思ったから』

『別にそんな事気にしなくて良いわよ。……あんたの料理は、まあ、悪くないから』

『あ、うん。えへへ……今日はハンバーグに決めた』

(シイ……馬鹿でチビで弱虫だけど……ちょっとママみたいだった)

 

 その後もレイ、ヒカリ、リツコ等大切な人達との、優しい記憶がアスカの脳裏に蘇る。生きていれば辛い事や逃げ出したい事は山ほどある。だが楽しい事や幸せな事も同様に存在するのだ。

 暖かな思い出は壊れる寸前だったアスカの心を、ギリギリのところで踏みとどまらせる。そして生への欲求と死への欲求がせめぎ合う彼女は、母を失ってから初めて飾らない本心をさらけ出す。

「一人は嫌……誰かあたしを見て……あたしを愛してよ!!」

 瞬間、ドクンと心臓の鼓動がひときわ大きく聞こえた。同時に何かに守られている様な安心感と、暖かな一体感がアスカの身体と心を包み込む。

(何……)

 恐る恐る瞳を開けば、そこにはまばゆい光に満ちた世界が広がっていた。

(これ……天国って奴なの?)

『アスカちゃん』

 動揺するアスカの耳に優しい女性の声が届く。姿を見ずとも分かる。それは彼女がこの世でもっとも求めていたものなのだから。

「ママ……」

 アスカの呟きに答えるように、光の中から一人の女性の姿が現れる。毛先にパーマがかかったロングヘアーの女性。アスカの記憶にあるそのままの、惣流・キョウコ・ツェッペリンだった。

「ママ、ママ、ママ」

『アスカちゃん』

 光の中をアスカは泳ぎ、キョウコの胸へと飛び込む。そのまま大粒の涙を流すアスカの身体を、キョウコは慈しむようにそっと抱きしめた。

 忘れ得ぬ母の温もり。それを全身で感じながら、アスカの意識は薄れていった。

 

 

『だからこのままやと、惣流の奴がやばいっちゅうとるやろ!』

『そうだよお父さん。アスカを見殺しにするの!?』

『……勝手に動きます』

『わしもやるで』

 一歩も譲らぬゲンドウに苛立つレイとトウジは、命令違反を承知でアスカの救出に向かおうとする。シイも初号機を強引に動かし、ケージを破壊してでも発進しようと決意した。

「……待て。レイ、ドグマを降りて槍をつかえ」

 ゲンドウの発言を聞いてシイ達は思わず動きを止めてしまう。ロンギヌスの槍の使用。それをゲンドウが指示した事に少なからぬ驚きがあったからだ。

 それは冬月も同様で、そっとゲンドウへ確認を行う。

「碇、良いのか?」

「衛星軌道の目標を倒すのにはそれしか手は無い。急げ」

『……了解』

 レイは動揺を悟られぬよう平静を装って返答すると、ターミナルドグマへ下降するリフトへと向かう。ゲンドウの狙いは分からないが、今の彼女にとって大切なのはアスカの救出なのだから。

「まだ早いのでは無いか?」

「時計の針は元には戻らない。だが自らの手で進める事は出来る」

「……ゼーレが黙っていないぞ」

「今弐号機を失うのは得策では無い。老人達には理由があれば十分だ」

 冬月の心配そうな声にもゲンドウは動じずに答える。そんな彼の様子に冬月は小さくため息を漏らす。

(アスカ君の救出は最優先だが……今ゼーレを必要以上に刺激するのは不味いな)

 自分達の計画が狂い始めた事に、冬月は内心穏やかでは無かった。

 

 

 零号機を乗せたリフトがゆっくりと下降を始めた、その時だった。

「え、エヴァ弐号機から強力なATフィールドが発生!」

「何ですって!?」

 日向の戸惑い混じりの絶叫に、ミサトだけでなく発令所のスタッフが驚きの表情を浮かべる。つい今さっきまで、アスカの精神は限界まで引き裂かれ、行動不能状態だった筈だからだ。

「パイロットの精神グラフ、安定へ向かっています」

「弐号機のATフィールドは使徒の光を完全に遮断」

「一体何が……」

 突然起きた事態の好転に、ミサトもリツコも理解が追いつかない。こちらが何もしていないのに何かが起こった。そう、まるであの初号機のように。

「マヤ、アスカのシンクロ率は!?」

「急速に上昇しています」

「……理論値の限界に到達、か。でも融合の心配は無さそうね」

 シイの事態の再現を憂慮したリツコだったが、それが否定されて安堵のため息をついた。

「碇……どう見る?」

「弐号機の暴走などシナリオに無い。一体何故だ……」

(……キョウコ君と再会出来たのだね。よかったな、アスカ君)

 戸惑うゲンドウの隣で冬月は気づかれぬように、優しい微笑みを浮かべるのだった。

 

 

 四つの目に強い光を宿した弐号機は遙か遠方に、衛星軌道上に居る使徒へ意識を向ける。互いに有効打が無い現状では、このまま睨み合いが続くかと思われたが、不意に弐号機が動く。

 野球の投手の様に右手を大きく振りかぶると、力を込めて思い切り振り下ろした。その瞬間、右手から圧縮されたATフィールドが刃のように使徒へ向けて放たれる。

 重力も距離も、ATフィールドには何の影響も与えない。放たれた勢いそのままにATフィールドの刃は、使徒をフィールドごといとも容易く切り裂くのだった。

 使徒は何の抵抗も出来ずに光り輝く身体を引き裂かれ、宇宙に四散していった。

 

「目標消滅!」

 マヤの報告に発令所が歓喜の声で盛り上がる。

「アスカは?」

「無事です。意識はありませんが、全ての数値は正常域まで回復しています」

「精神汚染も心配ありません」

「はぁ~」

 最悪の事態を免れミサトは脱力したように椅子へと腰掛ける。勝利よりもアスカが無事であることが、彼女にとって何よりの吉報だった。

 雄々しく仁王立ちする弐号機を見ながら、ミサトは事後処理の指示を下す。

「救護班をケージに待機させて。弐号機回収後、アスカを直ぐに病院へ搬送するのよ」

「了解」

 数値上は問題無くとも、一度は使徒の精神攻撃を受けたのだ。精密な検査を受けさせる必要があるだろう。

「レイと鈴原君も戻って。作戦終了よ」

『……了解』

『了解っすわ』

「シイちゃんも初号機待機を解除するわ」

『はい』

 使徒との戦闘は物理的被害無しという奇跡的な結果を持って、幕を閉じるのだった。




アラエルは人の心を知るために、無造作に心の中を漁りました。掘り起こされる思い出にはトラウマもありますが、良い思い出もあったと言う事で。
ご都合主義かもしれませんが、ご容赦下さい。

アスカはリタイアを免れました。バタフライ効果がようやく表面に現れてきましたね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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22話 その4《親子》

 

 アスカが運び込まれた病室に、エヴァから降りたシイ達は急いで駆けつける。外傷は無く精神汚染も心配ないと言われても、自分達の目で無事を確かめずにはいられなかった。

 広い病室のベッドで静かに眠っているアスカの姿を見て、三人はようやく安堵して肩の力を抜く。

「眠っとるみたいやな」

「……よかった」

「アスカ……ごめんね。何も出来なくてごめんね」

 シイはベッドに近づくと、眠るアスカの手を握って謝罪を繰り返す。アスカの危機に何も出来なかった事が、たまらなく悔しく、申し訳なかった。

 

「ん……」

 シイの言葉が聞こえたのか、アスカは小さくうめくとゆっくり瞳を開ける。

「アスカ」

「ん~ママ~」

「「えっ!?」」

 寝ぼけたアスカは手を握るシイの身体に思い切り抱きつく。そしてそのまま小さなシイの身体を、ベッドの中へと引きずり込んでしまった。

 シイは慌てながらも必死にアスカへ呼びかける。

「アスカ、私はシイだよ?」

「ママはずっと私を守っていてくれたのね」

「うぅぅ~」

 背中に回された両手で容赦なく身体を締め付けられ、シイは苦悶の表情を浮かべる。寝ぼけているアスカには加減という言葉は無い。母に甘える娘の愛は万力にすら匹敵した。

「やれやれやな。結局惣流の奴も親離れ出来とらんかった、ちゅうことか」

「…………」

 アスカが初めて見せる子供のような姿に、トウジは困ったように頭を掻きながらも、シイをそろそろ助けてやるかと思っていると、不意に隣に立つレイの様子が変わっているのに気づいた。

「ん、どないしたんや? そない怖い顔して……なして拳握っとるんや?」

「……渡さない」

 小さな呟きを残したレイは、シイを奪い返すべくアスカへ飛びかかる。ベッドの上で繰り広げられるシイ争奪戦を見て、トウジは呆れと同時に日常が戻ってきた喜びを感じるのだった。

 

 

「ぜ~は~、あんた、本気で間接極めてきたでしょ」

「……自業自得」

「ったく、普段はおすまし人形みたいなのに、シイが絡むと人が変わるんだから」

 ベッドの上で乱れた服を直しながら、アスカは痛む右腕をさする。訓練を受けた自分が遅れをとる筈無いのだが、どうしてかレイの関節技には対応出来なかった。

「あの……アスカ。ごめんね」

「あんたが謝る事無いでしょ。悪いのは全部この女よ」

「……ママ」

 レイの呟きにアスカの顔が真っ赤に染まる。例え寝ぼけていたとは言え、シイを母親と間違えたのは事実。それをこの場に居た全員に見られたとあって、もう何も言えなくなってしまった。

 流石に可哀相になったのか、トウジがさりげなくレイを戒める。

「綾波。もうその辺にしとき」

「そうだよ綾波さん。寝ぼけて間違える事なんて、誰にだってあるんだから」

「……そうね……ぷっ」

「むきぃぃ」

 レイに飛びかかるアスカだが、今度は足の間接を完全に極められてしまう。その流れるような動作に、シイとトウジはアスカの心配よりも先に、思わず感嘆の声をあげる。

「しかし、綾波のそれは見事なもんやな」

「何か習ってたの?」

「……いいえ。ただ身体が勝手に動くの」

 明らかにレイの動きは素人のそれでは無いのだが、トウジとシイは素直に感心してしまう。

「天才っちゅう奴かのう」

「凄いな~綾波さん」

「……そ、そんな事無い」

 シイに褒められて頬を染めたレイは、一層力を込めてアスカを責め立てる。結局アスカが落ち着いたのは、タップをしてから十分以上経ってからだった。

 

 

「へぇ~そんな事になってたんだ」

 シイ達から弐号機の暴走と、使徒殲滅の顛末を聞いたアスカは、まるで人ごとのように呟いた。

「何や、覚えとらんのか」

「ま~ね。使徒の光を浴びてから嫌な事思い出しちゃって、正直その後の事は曖昧なのよね」

「何も出来なくてごめんね」

「だから良いって。後であのひげ親父に、落とし前つけさせるつもりだから」

 救出しようとした三人を制止したゲンドウ。シイ達を責める気は毛頭無かったが、自分を見殺しにしようとしたゲンドウには、蹴りの一発でも入れてやろうと考えていた。

「それはおいといて、あたしもママに会ったわ」

「……惣流・キョウコ・ツェッペリン博士ね」

 レイの呟きをアスカは頷いて肯定する。

「そりゃシイと同じやな」

「考えてみれば初号機にはシイの、弐号機にはあたしのママが眠ってるんだもんね。シイが会えたのなら、あたしが会えない理由なんて無いもの」

 対話まで果たしたシイとは違い、アスカは母親と言葉を交わせていない。それでも母親の存在を、自分を愛して守ってくれるキョウコを感じる事は出来た。

「そっから先は覚えて無いわ。ママに抱かれて……気づいたらレイに関節技を極められてたのよ」

「天国から地獄やな」

 言い得て妙なトウジの言葉に、シイも苦笑するしか無い。

「あ、あはは」

「……心を開けば、エヴァは応えてくれるわ」

 かつてアスカが馬鹿にした、レイのエヴァに心があるという発言。リツコの暴露とシイの件で理解はしていたが、何処か疑ってもいた。だがそれは今回自分が体験した事で確信に変わった。

 奇しくも使徒の精神攻撃が、アスカにトラウマを乗り越えるきっかけを与えてくれたのだった。

 

 

「……碇さん。時間よ」

「あ、うん」

「何よ。まだ事後処理とか残ってんの?」

「ちゃうちゃう。忘れたんか? 今日はシイの奴が、親父さんとケリをつける日やって」

 トウジに言われてアスカはハッと目を見開く。完璧に忘れていたのだが、使徒と激しい攻防を繰り広げた彼女を責める事は、誰にも出来ないだろう。

「じゃあアスカ。行ってくるね」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あたしも……」

 ベッドから起き上がろうとするアスカをトウジが制する。

「あかんで惣流。こらシイの戦いや」

「……サポートは副司令に任せてあるわ」

「でも」

 心配そうな視線を向けるアスカにシイは優しく微笑む。

「大丈夫だよアスカ。お父さんは一人だけど、私にはみんなが着いていてくれるから。きっと大丈夫」

「加持の兄貴も時田のおっさんも、姐さんもミサトさんもばっちしサポートしとるわ」

「……今、このネルフ本部は碇さんの味方」

 アスカはレイの言葉の意味を理解して、苦笑交じりに頷く。今このネルフ本部内で、シイに危険が及ぶ可能性は限りなく低い身体。

「分かったわよ。シイ、見せ場を譲ってあげるんだから、ダサいとこ見せないでよ」

「うん。じゃあ行ってきます」

 病室に三人を残して、シイは一人司令室へと向かうのだった。

 

 

 

 シイは大きく深呼吸をし、手のひらに人の文字を書いて舐めると、意を決してドアをノックした。

「碇シイです」

「……入れ」

 不機嫌そうなゲンドウの声を受け、開かれたドアから一歩踏み出してシイは司令室へと入る。正面には執務机に向かうゲンドウ。そしてその脇に立つ冬月の姿があった。

 二人の視線を受けながら、シイは堂々とした足取りで部屋の中央へと進む。

「先に言っておくが私は忙しい。下らぬ用事なら後にしろ」

「ううん。大切なお話があります」

 睨み付けるゲンドウに一歩も引かずシイは答える。ゲンドウから見えないように、冬月が小さく頷いてくれる事が、自分は一人では無いと心の余裕を与えてくれた。

「……手短に言え」

「はい。お父さん……人類補完計画を中止して下さい」

「…………」

 ゲンドウは無言でシイを睨み付ける。娘から告げられた予想外の言葉に動揺していたが、それを表に出さずにゲンドウは威圧的に問い返す。

「何故お前がそれを知っている?」

「お母さんから聞きました。ゼーレの存在も、人類補完計画も、全部です」

「ユイ……何故だ」

 同じ志を持っていた妻の行動に、ゲンドウは戸惑わずにいられない。ゼーレの補完計画は別として、自分の補完計画にユイは賛同していた筈。いや、そもそも補完計画の発案はユイなのだから。

 それなのにシイへ計画を暴露する。ゲンドウの困惑は相当のものだった。

「ゼーレの人達は、人類をやり直そうとしてるんだよね。全てを一つにして」

「そうだ。だが……」

 ゲンドウの言葉を先読みしてシイは言葉を紡ぐ。

「お父さんが違う計画をやろうとしてるのも知ってる。やり直しじゃなくてもっと先に。人類を神様にしちゃおうとしてるって教えて貰ったの」

「……その通りだ。そしてそれはユイの願いでもある」

「うん。だけどそれは人類みんなの望みじゃ無いの」

 ユイは自らの望みをわがままだと言った。自分の目的の為に他者を巻き込むのならそれはエゴだ。ユイはそれを自覚した上でなお、決意を変えなかった。

「だから私は止める。お父さんとお母さんのわがままを。この世界で生きたいって言う、私のわがままで」

「……お前に何が出来る?」

「私一人じゃ何も出来ないと思う。でも私は一人じゃ無いから。みんなが力を貸してくれるから、きっと何とか出来る。補完計画とは違う、別の未来を見つけられるって信じてるの」

 胸を張り真っ直ぐにゲンドウを見つめるシイ。彼女の言葉には何の根拠も無いのだが、その眼差しには一切の嘘も不安も無い。純粋に人として生きる未来を信じている目だった。

(ユイ……お前を変えたのはこれか。……シイに未来の可能性を見いだしたのだな)

 かつてのユイの様に周囲に希望を与える何かを、ゲンドウはシイから感じた。子供だと思っていた娘の成長に、ゲンドウは両手で隠した口元に笑みを浮かべるのだった。

 

「もしそれでも私が計画を止めなければどうする?」

「ううん。もうお父さんの計画は上手くいかないの」

 訝しむゲンドウに、これまで沈黙を守っていた冬月が満を持して言葉を発する。

「既にレイは自我を持ち、お前の手から離れている。融合は不可能だ」

「冬月、裏切ったのか? ……いや、貴方は元々計画に反対でしたね」

「ユイ君の望みを叶えるつもりだったが、この世界にはまだ未練がある」

「……なるほど。既に私は詰んでいたのか」

 最大の理解者である冬月がシイについている以上、ゲンドウの手は封じられてしまう。シイとの会話の結果を問わず、ゲンドウは自分の計画が破綻していた事を悟った。

「私だけでは無いぞ。加持君も葛城三佐も、時田博士と赤木君もシイ君の協力者だ」

「アスカと綾波さん、鈴原君もです」

「……そしてユイも、か」

 自嘲気味にゲンドウは呟く。だがシイは小さく首を横に振り、その言葉を否定した。

 

「お母さんには……ゼーレともお父さんとも違う、自分の計画があるんだと思う」

「何だと!?」

「ねえ、お父さん。ちょっと耳を貸して」

 シイは机を脇から回り込み、ゲンドウに身体を近づける。そのまま娘の急接近に緊張するゲンドウへ、自分が考えるユイの目的を告げた。

「――これが、お母さんが目指している未来だと思う」

「ユイは……私を捨てたのか」

「お母さんは言ったよ。今でもお父さんと私を愛してるって」

 シイはうなだれるゲンドウに、ユイの愛情は変わらずに存在する事を優しく告げた。

「でもそれ以上に自分の望みを叶えたいんだと思う」

 ユイははっきりとシイに告げていた。これは自分のわがままだと。

 

「私はお母さんと一緒に居たい。お父さんとお母さんと一緒に暮らしたい。お父さんは?」

「……ああ、そうだな」

「なら戦おうよ、お父さん」

 予期せぬシイの言葉に、ゲンドウは思わず顔を上げてシイを見つめる。自分よりも小さな少女は、この事実を知ってもなお希望を失っていなかった。

「譲れないものを守る為なら、戦う事を恐れちゃ駄目」

「シイ、お前は……」

「これは私のわがまま。お母さんと私、どっちのわがままが通るかの勝負なの」

 シイの望みとユイの望みは相容れぬものだった。主張が対立した時、話し合いが通じない時、どうすれば良いのかをシイは母親から学んだ。

「人類補完計画を全部食い止めて、お母さんの計画も止める。その為にはお父さんの力が必要なの」

「老人達に嫌みを言われたまま、ユイ君の尻に敷かれたままでお前は良いのか?」

「……逃げていては駄目だと言う事か」

 シイと冬月の言葉を受けて、ゲンドウは逡巡の後に決断する。サングラス越しの瞳にはいつもの冷たい光ではなく、未来を見据える明るい光が宿っていた。

 

「……シイ。お前の思うとおりにやると良い」

「うん。ありがとうお父さん!」

 ゲンドウへ抱きつくシイ。父と娘が交わす抱擁は、二人の間にあった距離が無くなった証でもあった。和解した親子を見て、冬月は満足げに何度も頷く。

 が、にやけ面のゲンドウを見ていて苛立ったのか、ゴホンと大きな咳払いをして二人を引き離す。

「さて、時間はあまりないぞ。死海文書で予言されている使徒は後二体だからな」

「……あ、ああ」

「今後の対策を決める会議を開くぞ。全てはゼーレの計画を阻止してからだ」

 冬月の言葉にゲンドウとシイは頷く。ユイの事は家庭の問題とも言えるが、人類補完計画は人類全体の問題。必ず防がなくてはならないのだ。

「世界の陰で暗躍し、国連をも掌握している組織が相手だ。厳しい戦いになりそうだな」

「……対抗手段はある。問題ない」

 碇ゲンドウと言う男、伊達にネルフの司令を務めていない。不敵に笑みを浮かべる姿も、味方となれば何とも頼もしく感じられる。

 シイはかつては泣きながら見送った父親の背中を、今は満面の笑みで見つめるのだった。

 




色々ありましたが、無事ゲンドウの説得に成功しました。原作の彼ならこんな甘く無いんでしょうが、そこは大目に見て頂ければありがたいです。
これからはネルフとゼーレという対立の図式になります。旧劇場版にあったどっちの補完計画ではなく、補完計画の実現か阻止かを巡る戦いですね。

ユイに関しては少し誤解を招く表現だったかもしれません。別に物語の黒幕とかでは無く、原作通りの目的です。
ただそれがシイのハッピーエンドの障害になってしまうで……。シイの望みはもう一度家族揃って暮らす事ですから。

そろそろ物語も佳境に入って参りました。
今後の投稿ペースについて活動報告をさせて頂こうと思いますので、宜しければお目通し下さい。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《せめて、アスカらしく》

再び迎えたアホタイムです。


 

~ダイエット~

 

 葛城家のリビングでは夕食を終えたシイとミサトが、テレビを見ながらくつろいでいた。ミサトはビールを、シイはチョコを食べながら過ごす心休まる一時だ。

「ぷはぁ~。やっぱ夕食後の一杯は最高ね」

「夕食後のチョコも格別です」

「……ねえシイちゃん。ずっと気になってたんだけど」

「はい?」

「どうしてそんなにチョコが好きなの?」

 板チョコを小さく砕いて食べるシイに、ミサトは何気なしに聞いてみた。シイは食べ物の好き嫌いが無く、お菓子も全般に好んでいるが、チョコに関しては妙な執着があるように思えたのだ。

「そうですね……美味しいからと言うのもありますけど、ちょっと思い出がありまして」

「思い出?」

「実は――」

「いやぁぁぁぁぁ」

 紡がれようとしていたシイの言葉は、洗面所から響くアスカの絶叫にかき消されてしまった。

 

「み、ミサトさん。今の」

「ええ。アスカ! 何があったの!」

 先の使徒との戦闘で、アスカは精神攻撃を受けてしまった。予後は良好で精神汚染も心配無かったのだが、それも100%とは言い切れない。二人は焦りながら洗面所へと向かう。

 そこでシイ達は、バスタオルを巻いたアスカがショックを受けて尻餅をついている姿を目撃した。

「アスカ。一体何があったの!?」

「使徒は居るわけ無いし……まさかゼーレの諜報部が?」

 不測の事態を想定して緊張する二人に、アスカは無言のままそっと右手である物を指さす。シイとミサトは視線をそこへと向けて同時に首を傾げた。

「え? 体重計?」

 アスカが指さしたのは、体脂肪も計れるごく一般的な体重計だった。何処の家庭にも一台はありそうな、何の変哲も無い体重計。一応ミサトが注意深く調べてみるが、罠が仕掛けられている様子も無い。

「異常は無いみたいだけど……」

「ねえアスカ。体重計に何かあったの?」

「…………てたの」

「え、何が?」

「だから……増えてたのよ! 体重が!」

 思い切り絶叫するアスカを、ミサトとシイはぽかんと口を開けて見つめるしか出来なかった。

 

 

「えっと、つまり何? 風呂上がりに体重計に乗ったら、増えてたと」

 どうにかアスカを落ち着かせてから、二人は事の次第を聞いた。何とも馬鹿らしい理由なのだが、当本人が真剣である以上茶化すわけにもいかない。

「このあたしが……デブになるなんて……」

「どれくらい増えてたの?」

 シイの問いかけに、アスカは無言で指を二本立てて見せる。2kg増量していたようだ。

「ご飯食べた後だからじゃない?」

「だからって、2kgは増えすぎよ」

「ん~でもアスカは全然太って見えないけど」

 シャツにショートパンツ姿のアスカは、同い年のシイとは比較にならない程スタイルが良い。出るところは出て、引っ込むところは引っ込むスタイルは、クラスメイト達の羨望の的であった。

 なのでシイはアスカの気にしすぎでは無いかと思っていた。

「甘いわ。こういうのは一度気が緩めば一気に太るの。最初の行動が重要なのよ」

「何するの?」

「あんた馬鹿ぁ? ダイエットに決まってんじゃん」

 シイの問いかけにアスカは、拳をぐっと握りしめて力強く言い放った。

 

 

 翌日、アスカはミサトとシイを引き連れて、ネルフ本部発令所へとやって来た。彼女の目的は勿論、スーパーコンピューターMAGIの助けを借りる事だ。

「て事だから、ちゃっちゃと調べちゃってよ」

「あのね。今は大切な時期なのよ。そんな個人的な目的で、MAGIを使うわけには行かないわ」

 現在MAGIはゼーレとの対決に向けてフル稼働している。個人的な目的、それもダイエットというリツコからすれば下らない目的で、余計な仕事を増やす訳にはいかなかった。

「大体何? たかが2kg増えただけでしょ? そんなの日常生活での誤差と言えるわ」

「私もそう言ったんだけどね」

「はん。こちとら花も恥じらう十四歳なの。あんた達みたいに女を捨てて無いのよ」

 アスカがタブーを口にした瞬間、ぷつんっと何が糸が切れるような音がした。ミサトとリツコは無言で頷き合うと、アスカの両腕をそれぞれ掴み、発令所の外へと彼女を引っ張っていく。

「ちょ、ちょっと何すんのよ!」

「アスカ……少しお話しましょう。日向君、後よろしく」

「マヤもお願いね。私は少し席を外すから」

 名指しされた日向とマヤは上司のかつて無い迫力に押され、ただ首を何度も縦に振るしか無かった。

 

「アスカの奴、命知らずっすね」

「ああ、あの二人に年齢とかの話題はタブーなのにな」

「葛城三佐はともかく、先輩は本気で気にしてますから……」

 発令所から強制的に退場させられたアスカを、オペレーター三人組は神妙な表情で見送った。この後アスカがどうなるのか、想像するに恐ろしい。

「ん~やっぱり女の人って、年齢とか体重とか気にするんですか?」

「え? まあ、やっぱり多少は気にするかな。シイちゃんは全然気にならないの?」

「私は……どれだけ食べても増えないし……伸びないので」

 うつむくシイをマヤは優しく抱きしめた。日向と青葉が心底羨ましそうにそれを見ていたが、マヤはしてやったりと笑顔を浮かべて、暫くの間シイの抱き心地を味わっていた。

 

「にしても、アスカは全然太ったように見えないけどな」

「そうっすね」

「私も不思議だったんです。それでマヤさんにお願いなんですけど、これを見て貰えますか?」

 解放されたシイはマヤに紙の束を手渡す。

「これは……レシピ?」

「はい。一応カロリーなんかは計算してるんですけど、ひょっとしたら私の食事が原因かと思いまして」

 ミサトとアスカに料理を任されている身として、シイも栄養には十分気をつけている。だが専門に勉強している訳では無いので、ひょっとして自分の料理に問題があるのでは無いかと疑っていた。

「なるほど。ここにはアスカのパーソナルデータがあるから」

「カロリーの過不足を計算するって訳か」

「お願い出来ますか?」

「任せて。先輩仕込みの技で、ぱぱっとやっちゃうわ」

 マヤはウインクをするとシイから受け取ったレシピデータを、高速の端末操作で次々にMAGIへ打ち込み、それをアスカの身体データと訓練による消費カロリー等と照合する。

 日向と青葉の手伝いもあって、作業はものの数分で終了した。

 

「データ照合終了」

「解析結果出ました。主モニターに回します」

「え? それはちょっと……」

 シイの制止も間に合わず、発令所のメインモニターにはアスカの個人データが、思い切り表示されてしまった。プライバシーも何もあったものでは無い。この場に本人が居なかったのが唯一の救いだろうか。

 突然主モニターに現れたアスカのデータに、発令所のあちこちで感嘆や失笑、羨望の声があがる。

「改めてみると凄いスタイルだよな」

「そうっすよね。中学生とは思えないっす」

「身長体重、全てのデータは正常。例えこれに2kg増加したとしても、何も問題ありません」

「……アスカ、ごめんね」

 さらし者になってしまったアスカに、シイは心の中で手を合わせた。

 

 アスカのパーソナルデータで、シイから提供されたレシピのカロリーの過不足を計算してみたが、特に問題は見つけられなかった。

「食事は原因じゃ無さそうですね」

「シイちゃんはアスカと同じご飯食べてるんだろ? 君は増えたのかい?」

「いえ、変わりません」

「なら食事以外に原因があるって考えた方が良いな」

 日向の言葉にシイ以外の面々の頷く。同居しているミサトとシイが増えていない以上、アスカ個人に何らかの原因があると考えられる。

「運動不足……無いな」

「訓練だけで、十分過ぎる程動いてますからね」

「間食も、私はアスカと大体一緒に居ますけど、食べてませんし」

「MAGIは回答を保留しています」

((最近MAGI使え無いな~))

 ネルフの科学力を持ってしてもアスカ増量の原因が分からず、すっかり手詰まりになってしまった。

 

 

「おや、何してるんだい?」

「随分と賑やかですが」

 悩むシイ達の元に加持と時田が並んでやってきた。主モニターに映し出されたアスカのデータと、それを前に悩むシイ達を見て二人は不思議そうに尋ねる。

「あ、加持さん、時田さん。実は……」

「アスカが太った?」

「とてもそうは見えませんが」

「でも本人が凄い気にしてて、ダイエットするって言い出したんですけど、原因が分からないんです」

 シイの言葉に二人は少し考えてからある考えを伝える。

「それは太ったんじゃなくて、成長したんじゃ無いか?」

「成長?」

「ええ。アスカさんは十四歳。まだ背も伸びるでしょうから。それに伴って当然体重も増えるでしょう」

 加持と時田の発言は、シイ達にとって目から鱗が落ちるものだった。考えてみればシイ達チルドレンは、まだ十四歳の子供。成長する事は十分にあり得る話だ。

「えっと……これは解決したのかな?」

「多分。一応アスカに身体検査を受けて貰えば確実かと」

「早速手配しますね」

 

 後日実施された身体検査によって、アスカの体重増加は成長による物だと証明された。上機嫌なアスカとは対照的に、一緒に検査へ参加したシイは終始沈んだ表情だった。

「成長してない……背も……胸も……何も……」

 ガックリと肩を落とすシイに、慰めの言葉を掛けられる者は居なかった。

 




エヴァキャラクターのプロフィールを調べてみたんですが、身長体重などの身体データはどうも見当たりませんで……適当に書かせて頂きました。
もし記されている書籍かサイトがありましたら、教えて貰えると嬉しいです。
パイロットは相当ハードな仕事でしょうし、間違っても太らないと思います。

彼を除けば、使徒もいよいよ後一体。物語も大詰めですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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23話 その1《トウジの気持ち》

 ネルフ本部司令室にはゲンドウ達と打ち合わせ中の、ミサトとリツコの姿があった。ゲンドウの協力を得て以来、彼女達は対ゼーレに向けた準備を秘密裏に進めていた。

「ではやはり、エヴァの量産は進められているのだな?」

「はい。世界各国で製造が行われているのを確認しました」

「予想通りですわね」

「……ああ。儀式に必要な数を揃えるつもりなのだろう」

 ゼーレのシナリオは死海文書に従ったもの。ゲンドウには全てを開示されていないが、贖罪の儀式にエヴァが多数必要だと言う情報は得ていた。

「加持君……いえ、加持監査官からの情報では、それら全てにS2機関を搭載していると」

「抜け目ない奴らだ。どうせ四号機事故のデータを極秘裏に回収して、実験を進めていたのだろう」

 ミサトの報告に冬月は忌々しげに表情を歪める。支部消滅の調査は米国政府によって妨害されていた。それもS2機関のデータを独占するために、ゼーレが手回しをしていたのだろう。

「現状ではかなり不利ですわね」

「……ああ。しかし僅かだが、我々には時間が与えられた」

「既に加持監査官と時田博士はそれぞれ動いている。エヴァも全機健在だ」

「白旗をあげるのはまだ早い、ですね」

 彼我の戦力差はいかんともし難い。それでもミサト達に諦めの気持ちは無い。使徒の殲滅とゼーレの計画を阻止と言う明確な目的が、彼女達の気力と活力を充実させていた。

 簡単な打ち合わせを終えると、それぞれが自分の役割を果たすために動き出すのだった。

 

 

 第三新東京市の繁華街は使徒による損害を免れた事もあり、今も変わらず人で賑わっていた。休日の昼間で特に人通りが多い道を、シイ達チルドレンは歩いている。

「すまんの。どうもわし一人じゃ入る勇気が無いんや」

「ううん、気にしないで」

 微笑みながら手を振るシイにアスカは肩をすくめた。

「お人好しよね、あんたは。人のために買い物に付き合うなんて、信じらんないわ」

「……なら帰れば?」

「うっさいわね。センスの欠片も無いあんた達だけじゃ、ろくなもん選べないじゃない」

 レイの突っ込みにアスカは腕を組んで言い放つ。あんまりな言いようだが、この中で一番おしゃれや流行に敏感なアスカに、シイ達は言い返せなかった。

「まあ、お前らに頼んだんもそれが目的やからな」

「そう言えば女の子にプレゼントするって聞いてたけど、妹さんにあげるの?」

「い、いや……それはやな」

 頬をほんのり赤らめて言いよどむトウジに、シイは不思議そうに首を傾げる。

「はぁ~。あんたね、鈍感も程ほどにしときなさいよ」

「……妹への贈り物なら、私達に頼まないわ」

 家族ならば好みも把握しているはず。わざわざシイ達に頭を下げて、プレゼント選びに協力してもらう必要は無いのだ。

「なら誰に贈るの?」

「あんた、本当に気づいてないの?」

「アスカは知ってるの?」

「ウルトラ馬鹿ね。この馬鹿が家族以外でプレゼント贈る相手なんて、一人しか居ないでしょ」

 言われてシイはあごに指を当てて暫し悩み、やがて答えに行き着いた。

「あ、ひょっとしてヒカリちゃんに?」

「ま、まあそう言うこっちゃ」

 トウジは頬を掻きながら、照れたようにそっぽを向いて答える。同い年の女の子にプレゼントを贈ると言うのは、彼にとって相当恥ずかしい行為のようだ。

「でもヒカリちゃんなら、何を貰っても喜ぶと思うな」

「そうか?」

「うん。だって恋人からプレゼントされたら、きっと凄い嬉しい筈だもん」

「なっ、なななな」

 無邪気なシイの言葉に、トウジは勢いよく後ずさりする。遠目に見てもはっきり分かる程、浅黒いトウジの顔は真っ赤に染まっていた。

「何を言うとるんや!」

「え、鈴原君とヒカリちゃんは恋人さんなんだよね?」

 疑問と言うよりは確認の口ぶりでシイはトウジに言う。

「誰がそない事言っとるんや」

「クラスのみんなだよ。相田君もお似合いだって言ってたし」

「……ケンスケ。今度会ったら覚えとき」

 情報の発信源と思われる裏切った友人に、トウジは恨みがましく拳を握るのだった。

 

「ええか。今回ヒカリにプレゼント贈るんは、いつも弁当作って貰うてる礼や」

「そうなの?」

「そや。毎日弁当食わせて貰ってて礼の一つもせなかったら、わしの気が済まんからな」

「ん~そうなんだ……」

「ほら、話は終わりや。ちゃきちゃき行くで」

 不満げなシイに背を向けて、トウジは三人の先へと歩いて行ってしまった。

「ヒカリちゃんは鈴原君と居ると、嬉しそうなのに……」

「あの馬鹿の照れ隠しよ。どう考えてもヒカリの事好きに決まってんじゃん」

「……鈴原君、洞木さんを名前で呼んでたわ」

「あっ!?」

 レイに言われてシイはようやく気づく。委員長ではなくヒカリ。それは二人の関係が今までとは違う形に変わった事の、何よりの証であった。

「あの馬鹿の面倒見るのはしゃくだけど、他ならぬヒカリの為なら一肌脱いであげますか」

「……そうね」

「うん」

 三人は小さく頷き合ってトウジの後を追った。

 

 

 四人がやってきたのは、シイが良く通っているファンシーショップだった。店内は結構な数の客で賑わっているが、その全てが若い女性。トウジ一人では確実に入店前に挫折しただろう。

「ほんま、シイ達が居ってくれて助かったわ」

「あたし達が居ても、あんたが目立つのは変わらないけどね」

「……ジャージだから」

「それはちょっと思ったかも」

 シイは苦笑しながら先陣を切って店へと入る。それにレイとアスカに続き、トウジも恐る恐る入店する。途端客の視線が集中するがシイ達の存在のお陰で、どうにかトウジは精神的圧力に耐え抜いた。

「で、何を買うかは決めてんの?」

「わしはヒカリの好みを知らんさかい、お前らにアドバイスして欲しいんや」

 ほぼ丸投げのトウジに呆れつつも、アスカはヒカリの嗜好を考える。

「好みね~」

「ん~ヒカリちゃんの部屋には、ぬいぐるみとかはあんまり置いてなかったよ」

「……殺風景なのね」

「あ、あはは、綾波さん程じゃ無いと思うけど」

 ヒカリの部屋は綺麗に整頓されており、数は少ないが小物も飾られていた。間違ってもレイの部屋と同じ殺風景のくくりには出来ない。

「ならアクセサリー類か、使える小物が良いかもね」

「良いかも。でもアクセサリーは少し高いと思うよ」

「……予算は?」

「わしの小遣い全部つぎ込む。えっと……三千円やな」

 トウジは財布の中身を確認して三人に告げる。中学生にしてみれば三千円という額は大金だ。今回のプレゼントにかける、トウジの意気込みが感じられた。

 

 予算も分かったところで、三人はアクセサリーコーナーへと移動する。大人が買うような本格的なものでは無いので値段は控えめだが、それでもトウジの予算ギリギリの品が並んでいた。

「結構するもんやな」

「こんなの子供だましよ。本物は文字通り桁が違うもの」

「お給料の三ヶ月分だね」

「……碇さん、それは違うわ」

 そんなやりとりをしながら、四人はアクセサリーを物色する。レイは興味なさげにしているが、シイとアスカは大切な友人に贈られるプレゼントとあって、真剣に品定めを行う。

「指輪は……駄目ね」

「うん。ヒカリちゃんは料理をするから、邪魔になっちゃうかも」

「ピアスも論外。とするとイヤリングかネックレス、ブローチなんかが妥当かしら」

「そうだね。でもイヤリングは校則違反だから、学校に着けてこられないよ」

「ネックレスかブローチね」

 二人が意見交換しながら物色する後ろで、トウジはレイの隣にそっと近づいた。

 

「すまんの、綾波。興味あらへんのに連れてきてしもうて」

「……別に良い。暇だもの」

「やっぱり変わったのう。前までのお前やったら、絶対に来んかったやろ」

「……そうかもしれない」

 トウジの言葉にレイは素直に頷いた。以前の自分なら、碇シイと出会う前の綾波レイならば、こうして友人の買い物に付き合う事は無かっただろう。

 だが今のレイにとっては、シイ達と共に居る事が当たり前になっている。僅か数ヶ月の間に、彼女の世界は大きな変化を遂げたのだった。

「……鈴原君は、洞木さんに感謝を伝える為にプレゼントを贈るの?」

「そ、そやで」

「……プレゼントを渡せば、感謝の気持ちは伝わるの?」

「分からん。けど、わしは不器用なさかい、こない形でしか『ありがとう』が言えんのじゃ」

「……そう」

 面を向かって言えない感謝の気持ちを、プレゼントに乗せて伝える。そんなトウジの気持ちが、レイにも少し分かる気がした。

(感謝の気持ち……)

 レイの視線の先には、真剣にアクセサリーを選ぶシイの姿があった。

 

 

 その後、数時間に及ぶシイ達の品選びが終わり、小さなブローチがトウジの手に渡された。

「はぁ、はぁ、これがベストだわ」

「う、うん……きっと良いと思うよ」

 疲れ切った二人にトウジは若干引きながら感謝を告げると、レジでプレゼント用に包装してもらう。予算を目一杯使ったため懐は寒かったが、手にした小箱がそれ以上の満足感を与えてくれた。

「サンキューな、シイ、惣流、綾波」

「別にあんたの為じゃ無いわ。変なもん渡されたら、ヒカリが可哀相でしょ」

「……私は何もしてないわ」

「時間かかっちゃってごめんね」

「んな事気にせんでええで」

 周囲の視線は痛かったが、二人が真剣に選んでくれて居たのは分かる。自分のわがままに付き合ってくれた彼女達に、文句など出るはずも無かった。

「ほんま助かったで。この礼は近いうちにするさかい、ちっと待っとってや」

「……ええ」

「友達が困ってたら助けるのは当然だし、お礼なんていらないよ」

「相変わらずの良い子ちゃんね。くれるって言うなら、素直に貰っとけば良いの。それが礼儀ってもんよ」

 いつも通りのやりとりを繰り広げながら、シイ達は店を出て家路についた。

 

 こんな平穏な日々が、これからも続く事を祈りながら。

 




大人達が色々頑張ってます。ここでは登場していませんが、加持と時田もゼーレとの戦いに向けて準備を進めています。

子供達は対照的に平和な日々を送っています。個人的に子供達まで余裕が無くなれば、そこに幸せは無いと思っていますので、シイ達はこのままで居て欲しいです。
と言っても、使徒はそんな空気を読んでませんが……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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23話 その2《四つの力》

 

 ネルフ本部発令所ではこの日、MAGIの大規模なシステムアップが実施されていた。急遽予定に組み込まれたイレギュラーな業務だったが、リツコの指揮によって技術局のスタッフ達が総出で作業に挑む。

「順調ね」

「はい。作業は後一時間で終了の予定です」

「そう……」

 マヤの報告にリツコは小さくため息を漏らす。今回のシステムアップは、MAGIへ外部から侵入する事を防ぐ防壁、ファイアーウォールの強化が目的だった。

 元々MAGIのファイアーウォールは極めて強固で、並のコンピューターでは侵入すら不可能だったが、リツコは更なる強化をゲンドウに進言していた。

(ゼーレが他の支部を掌握したら、最悪全てのMAGIコピーと戦う事になるものね)

 ネルフの支部にはそれぞれ本部のMAGIを元にした、俗にMAGIタイプと呼ばれるコンピューターが導入されている。それぞれの性能はオリジナルに劣るが、束になって攻めて来られたら少々厄介な事になるだろう。

(皮肉なものね。人類を守る為の発明に対しての備えがいるなんて)

 リツコが自嘲気味に笑う間にも、人間を相手にする為のシステムアップは進んでいった。

 

「バルタザール、作業終了。システム障害ありません」

「メルキオールも同じく」

「……カスパーも完了。全システム問題無し。MAGIのシステムアップは終了しました」

「了解。みんなお疲れ様。順番に休憩に入って頂戴」

 リツコがオペレーター席から声を掛けると、緊張から解き放たれたスタッフ達は一斉にのびをしたり、大きく息を吐いてリラックスモードに入る。

 ネルフの中枢であるMAGIに手を加えるのは、想像以上のプレッシャーが掛かるのだった。

「日向君と青葉君もありがとうね。お陰で大分早く済んだわ」

「いえ。これくらい何でもありませんよ」

「それに使徒がまたMAGIに侵入する可能性もありますし。備えあれば憂い無しっすよ」

「そうね……」

 ゼーレの事は最重要機密。リツコは右腕のマヤにすら真実を告げていなかった。今回のシステムアップも、表向きは使徒への対策となっている。

(全てを話すのは、最後の使徒を殲滅してからになるわね)

 以前は感じなかった人をだます事への罪悪感に、リツコは人知れず胸を痛めていた。

「あの、先輩。大分お疲れみたいですし、少し休憩した方が」

「ありがとうマヤ。そうね……ちょっと休ませて貰おうかしら」

 心配そうな目を向けるマヤにリツコは優しく微笑んで頷き、発令所から出て行こうとする。だが突然鳴り響く警報がその足を止めさせた。

「何事? MAGIのシステムエラー?」

「いえ、これは……正体不明の物体が接近中」

 日向の報告にリツコの顔が一気に引き締まる。

「波長パターン照合。使徒とは断定できません」

「直ちに司令と副司令、葛城三佐に連絡を。第一種戦闘配置を申請。民間人の避難を急がせて」

 現時点では使徒と判断できない。それでも指示を出すリツコに迷いは無かった。常に最悪の事態を想定して、無駄足になろうとも準備を整える。これまでの経験から彼女が学んだ事だ。

「了解」

「シイさん達にも非常招集を掛けて。エヴァの発進準備も同時に進めなさい」

「はい」

 度重なる使徒との戦闘によって、シイ達だけでなくスタッフ達も成長していた。各方面への連絡、民間人への避難指示、チルドレンの本部招集、全てがスムーズに進行していくのだった。

 

 

 暗闇の空間に浮かぶモノリス。彼らに囲まれるように配置された席には、ゲンドウが机に肘をつく、いつもの姿勢で座っていた。

「計画は大詰めだ。残る使徒は後二体」

「手札も全て我らの元にある」

「左様。ロンギヌスの槍、リリス、そしてエヴァ。もはや計画の成就は時間の問題だよ」

 現在の状況を確認し合うようにモノリス達は口を開く。

「碇よ。これまで良くやってくれた」

「……使徒はまだ残っています」

 褒めるゼーレに対しても、ゲンドウは普段通りに対応する。ネルフの総司令として使徒と戦ってきた彼にとって、油断など考えられなかった。

「謙遜するな。エヴァ四機を有する君なら、苦も無く殲滅出来るだろう」

「初号機は凍結中ですが」

「それについては君に一任する。必要と思えば解除すれば良い」

 シナリオ通りに物事が進んでいるせいか、ゼーレの言葉にはいつもの刺々しさが感じられなかった。もし先の戦闘でロンギヌスの槍を使用していれば、間違い無く集中砲火を浴びたのだろうが。

 あまりに現金なゼーレの態度に、ゲンドウは内心で苦笑する。

「約束の時は近い。人類の悲願が叶う時は間もなくだ」

「……失礼。冬月、会議中だぞ。…………分かった、直ぐに向かう」

 机に備え付けられていた電話に出たゲンドウは、冬月の話を聞いてすぐさま表情を引き締める。

「第三新東京市に、使徒と思われる物体が接近しています。これにて失礼します」

「朗報を期待している」

 気持ち悪いほど友好的なゼーレに見送られ、ゲンドウは暗闇の中へと消えていった。

 

「豚もおだてれば木に登るか」

「左様。最後の使徒を殲滅するまで、彼には精々働いて貰うとしよう」

 ゲンドウが姿を消した後、ゼーレは皮肉交じりに言葉を交わす。

「死海文書に記された使徒は後二体だ。だが」

「アレは既に我らが手の内にある」

「碇が此度の使徒を殲滅すれば、自ずと目覚めるだろう」

「アダムの魂を受け継ぎし最後の使徒。切り札は全て我らが握っている」

「もはや碇が何を考えていようが、どうする事も出来まい」

「「全てはゼーレのシナリオ通りに」」

 モノリス姿のゼーレは自分達の計画成就を確信し、声を揃えていつもの言葉で会議を締めるのだった。

 

 

「ごめん。遅れたわ」

 戦闘配置発令から数分後、発令所にミサトが駆け込んでくる。作戦部長の彼女が非常事態に遅れるのは問題なのだが、ゲンドウと冬月は咎める事をしなかった。彼女がゼーレに対抗するため、極秘の仕事をしている事を知っていたからだ。

「で、状況は?」

「目標は強羅絶対防衛戦を突破後、大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています」

 これまでとは違い、積極的に本部へ侵攻しない使徒の目的が読めず、ミサトは眉をひそめる。

「パターンは青からオレンジへ。周期的に変化しています」

「固定砲台の攻撃により、ATフィールドの展開は確認できました」

「……こりゃまた、妙なのが出てきたわね」

 メインモニターに映し出された使徒を見て、ミサトは思わず苦笑する。二重螺旋構造の光るリング状の使徒。それがグルグルと回転を続けている姿は、何ともシュールな光景だった。

「光る鳥の次は光る輪、か。流行なのかしらね?」

「さあ? ただ先の使徒みたいに一筋縄じゃ行かなそうだけど」

「……精神攻撃の可能性もあるか。迂闊にエヴァを出撃させるのは危険ね」

 空中を回転する使徒からは攻撃手段の予測がつかない。コアの位置も特定できてない今、エヴァを使徒の付近に出撃させるのは躊躇われた。

 

「どうするのミサト?」

「そ~ね~。一応聞いておくけど、MAGIの判断は?」

「……回答不能を提示しています」

((MAGI……))

 ミサトにすら馬鹿にされてしまったMAGIに、発令所スタッフは内心同情した。ただ結局回答不能だったので、言い訳のしようも無いのだが。

「葛城三佐。委員会からエヴァンゲリオンの出動要請が出ています」

(早く倒せってか。欲望丸出しね)

 ゼーレの隠れ蓑である人類補完委員会の催促に、ミサトは小さく舌打ちする。

「零号機と弐号機、それと参号機を使徒から離れた場所に射出。遠距離武器を装備させて様子を見るわ」

「待て」

 ミサトの指示に、ゲンドウが司令席から待ったをかけた。滅多に作戦への口出しをしないゲンドウだけに、ミサトだけでなくオペレーター達も驚き振り返る。

「初号機も発進させろ。委員会から凍結解除の許可は出ている」

「は、はい。ではエヴァ全機を地上に射出させて」

「了解」

 エヴァ四機による初の同時作戦。それが今、実現しようとしていた。

 

 

 地上に射出されたシイ達は、予測安全距離から使徒の様子を伺う。

「動きは無いわね」

「うん。グルグル回ってるだけで、移動もしないみたい」

「……誘ってるのかも」

「何とも言えへんな。ま、下手に近づきたく無いのは確かやけど」

 エヴァが地上に姿を現しても、使徒は変わらず定点回転を続けていた。その行為自体に何か意味があるのか、それとも攻撃してくるのを待っているのか、シイ達に迷いが生まれる。

『四人とも、使徒の動きに変化は無いわ。ここはリスクを承知で、あえて打って出るわよ』

「気楽に言ってくれんじゃない」

 軽く文句を口にするが、アスカ自身もそれしか無いと考えていた。膠着状態を打破するためには、どちらかが何かのアクションを起こさなければならないのだから。

『ただ相手の攻撃手段の予測が立たない以上、守りは万全にするわ』

「守り?」

『覚えてるかしらシイちゃん。前にレイと二人で使徒を殲滅した時の事』

「勿論です」

 第五使徒との死闘は今もシイの心に刻み込まれている。死への恐怖もそうだが、何より自分を身を挺して守ってくれたレイの姿は、彼女の脳裏に焼き付いて離れない。

『その時使った盾の改良型が二つあるわ。そこでエヴァを二手に分ける事にします』

「ツーマンセルって訳ね」

『ええ。盾を持って防御を担当するエヴァと、攻撃担当のエヴァで使徒の両サイドから仕掛けるの』

 僅かな時間とは言え、あの加粒子砲を防いだ盾なら防御力はお墨付き。それで守りを固めつつ攻撃すれば、リスクは最小限で済むだろう。

 自分達の身を気遣いながら使徒の殲滅を目指すミサトの作戦に、反論が出るはずも無かった。

 

 

 その後チーム分けが行われ、アスカとレイ、シイとトウジがそれぞれペアとなった。

 アスカとレイはシイとペアを組みたがったのだが、どちらも一歩も譲らず作戦に支障が出ると判断され、結局シイはトウジと組む事になった。

 因みに攻撃役はアスカとシイ、盾で防御するのはレイとトウジだ。アスカは言わずもがな、シイも専用装備の新型マステマが完成した事もあり攻撃役に抜擢された。

「決まった事に文句を言うのは、出来ない人間のすることよ。あんた達、分かってんでしょうね?」

「……アスカが一番気にしてる」

「うっさいわね。良いからとっととあの使徒を殲滅するわよ」

「うん。よろしくね、鈴原君」

「任せとき。今度はわしがお前を守ったる」

 かつて少女を殴った手で、今は少女を守る盾を持つ。トウジは力強くレバーを握りしめると、強い決意を胸に使徒へと挑むのだった。

 




ネルフがこそこそとゼーレ対策に勤しむ間に、アルミサエル襲来です。原作では二人目の彼女を死に追いやった、意外と強い使徒ランキング上位の彼。
ただサシで戦った原作と違って、四対一ですので……さてどうなるか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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23話 その3《守る者、守られる者》

 

 二手に分かれたエヴァは不意の攻撃を警戒しながら、使徒の両側から回り込み少しずつ距離を詰めていく。

「……目標地点に着いたわ」

「こっちもです」

『使徒は未だ動き無し、か。……アスカ、シイちゃん。タイミングを合わせて射撃して』

 ミサトの指示で弐号機はパレットライフルを、初号機はマステマをそれぞれ使徒に向けて構える。反撃に備えて身体を盾に隠しながら、二機のエヴァは照準を使徒に合わせた。

「行くわよシイ。三、二、一」

「いけぇ!」

 パレットライフルとマステマのガトリングが一斉に火を噴いた。四機のエヴァによってATフィールドを中和された使徒は、全くの無防備で無数の弾丸をその身に受ける。

 細いリング状の身体に着弾を示す爆煙が立ち上る。だが使徒は何事も無かったかの様に回転を続けていた。

「効いてないって~の!?」

「ATフィールドは中和してるのに」

「……あの使徒と同じ」

「強度がアホみたいに高いっちゅうことか」

 チルドレン達に焦りの色が浮かぶ。射撃が有効打になった事は無いが、それでもここまで無反応を貫かれると、流石に動揺を隠せない。

「接近戦で行きたいけど、どうも嫌な予感がするのよね」

「近づかないで、もっと強い攻撃…………あっ!?」

 使徒の特殊攻撃を警戒して接近戦を躊躇うアスカ。その呟きを聞いていたシイは、不意にある事を思い出す。かつて分裂する使徒を焼き払った、マステマ最強の威力を誇る武器、N2ミサイルの存在を。

「リツコさん! この盾なら耐えられますよね?」

『爆発を直接浴びなければいける筈よ』

「了解です。みんな、今から凄いの撃つから盾に隠れてて」

 シイは弐号機が零号機の後ろにしゃがむのを確認すると、使徒に照準を合わせてN2ミサイルを発射した。着弾までの僅かな時間を使い、自身もどうにか参号機の盾の影に滑り込む。

 それとほぼ同時にN2ミサイルが着弾し、辺り一帯は激しい爆発に包まれた。

 

 エヴァ二機分のATフィールドと特別製のシールド。この二つが合わさった結果、灼熱地獄とも言える巨大なクレーターの中でも、シイ達はどうにか耐え抜く事が出来た。

 とは言え流石に無傷では済まなかった。盾は大部分が融解してしまい、既にその役割を果たしていない。またそれぞれのエヴァも、表面装甲に軽度の損壊が見られた。

「シイちゃん達は?」

「四機とも健在。パイロットの無事も確認しました。ただ電波障害の為通信は繋がりません」

 マヤの報告を聞いて発令所は安堵のため息に包まれる。以前使用したときに比べ、N2ミサイルの威力は格段に向上していたのだ。攻撃したネルフ側が焦る程に。

「あんたね、あの時以上に威力を増やしてどうすんのよ!」

「怒鳴らないで。……一番怖かったの、私なんだから」

 その言葉を証明するかのように、リツコの顔には大量の冷や汗が浮かんでいた。一歩間違えればあの悪夢が再び起こる。内心気が気でなかったのだろう。

「はぁ……。てかN2兵器って威力が増すもんなの?」

「時田博士のエネルギー理論を取り入れたんだけど、これは予想以上だわ」

「実測値で以前の五割増しです」

 専門分野の時田はまさに水を得た魚の様に、その才を遺憾なく発揮したらしい。事エネルギー分野においては、時田はネルフにおいても並ぶ者の無い程優秀な科学者なのだ。

「もはや思わぬ拾いものでは済まなくなったな」

「……ああ」

 山が一つ消えた光景をモニターで見て、ゲンドウは呆れとも感嘆ともつかぬ呟きを漏らすのだった。

 

 

「ぷはぁ~。あんた達、無事でしょうね?」

「……問題ないわ」

「私も大丈夫」

「こっちもや」

 アスカの呼び声に三人が通信で無事を告げる。エヴァに若干の損傷はあるものの、モニター越しのシイ達には大きな負傷が無いと確認し、アスカはほっと胸をなで下ろす。

「ったく、どこの馬鹿がこんな武器作ったのよ」

「……赤木博士の自信作」

「通りで欠陥品な訳ね。威力が強すぎて撃った方までやられてちゃ、話にならないわ」

 本来マステマは全領域に対応した兵器として設計された。N2ミサイルは広範囲攻撃。今回の様に目標と近い距離で使用する事は想定していないのだが、それが当事者に伝わるかは別問題。

 絶大な威力を誇るN2ミサイルも、アスカには欠陥兵器としか認識されなかった。

 

「ま、使徒は消滅したみたいだし、これで作戦終了ね」

「ほな、とっとと戻るとするか」

 使徒の姿が見えなくなった事を確認して、アスカ達が本部へと戻ろうとしたその時、クレーターの中心から光る何かが飛び出す。

 それは身体の大部分を失い、短い紐の様な姿になった使徒だった。

「……まだ!?」

「え?」

 唯一それに気づいたレイの声に、気を抜いていたシイは一瞬反応が遅れてしまう。その結果自分に向かって真っ直ぐ飛びかかってきた使徒に、抵抗する事が出来なかった。

「シイ! 避けなさい!!」

「碇さん!」

「あ……」

 もう戦いは終わったと言う油断はあった。事故や凍結で出撃の機会が無く、実践の感覚が鈍っていたのもあったのだろう。以前ならば無様でもどうにか避けられるレベルの攻撃なのだが、今のシイには棒立ちのまま使徒の突進を見つめる事しか出来なかった。

 

 目前に迫った使徒に戸惑い、思わず目を閉じるシイ。だが予想していた衝撃は訪れない。不思議に思ったシイが恐る恐る目を開いてみると、

「す、鈴原君!?」

 参号機が初号機の前に右手を差し出し、使徒の突進からシイを守ってくれていたのだ。漆黒の上腕部には短い紐状の使徒が突き刺さり、零れ出る体液が大地を濡らす。

「ぼさっとすんなや。家に帰るまでが遠足やで」

 軽口を叩くトウジだが、その表情は苦しそうに歪んでいる。参号機の右腕に突き刺さった使徒が浸食を始めたからだ。神経への異物の侵入は激痛と不快感を伴う。

 脂汗が額に浮かぶが、それでもトウジは泣き言を一切吐かなかった。

「鈴原君! 手が、手が!」

「ええんや。わしの右手が人を傷つけるだけやなくて、誰かを守る事が出来たんやから」

「はん、馬鹿にしちゃ上出来よ」

「……葛城三佐」

 レイの言葉に頷くと、ミサトは現状を把握して即座に指示を下す。

『参号機の全神経接続を解除して。終わり次第右腕をパージ。急いで』

『はい!』

 テスト中とは異なり、実戦中のエヴァとパイロットの神経接続を解除するには時間がかかる。その為トウジを救出した時のシイは、使徒の侵食に神経接続カットが間に合わず、接続の解除を待たずに左腕を切断した。

 だが今回のケースは使徒がダメージを受けた為か侵食速度が鈍く、神経接続を解除した参号機の右腕は使徒を捕らえたまま、肘から先をパージ出来たのだった。

 使徒は切断された右腕の中で、逃げる事も抵抗する事も出来ずに、エヴァによって殲滅された。

 

 

 

 回収されてケージに格納された初号機から降りると、シイは大急ぎでトウジの元へと向かう。身体はくたくただったが、ふらつく足に鞭打って全力疾走する。

「はぁ、はぁ」

 体力の無い自分が情けなくなったが、どうにか参号機のケージへとたどり着く。そこには医療スタッフに囲まれるトウジと、先に駆けつけていたアスカとレイの姿があった。

「はぁ、はぁ、鈴原君……」

「おっ、何やシイ。そない息を切らして」

「あんたね。いい加減ちっとは基礎体力着けなさいよ」

「……体力馬鹿」

「な、何ですってぇぇ」

 予想に反した和やかな空気にシイは困惑を隠せない。それを察したのか、アスカはレイとのじゃれ合いを止めて、あきれ顔でシイに状況を告げる。

「この馬鹿の心配なら必要無いわよ。だってこいつ、怪我一つしてないもの」

「え?」

「……神経接続は解除されてたから」

「あんたの時みたいな事は無いって事よ」

「ま、そう言うこっちゃ」

 当の本人が苦笑する姿を見て、シイは張り詰めていたものが切れたように、その場にへたり込んでしまった。目の前で参号機の手が切断される光景に、自分の事を重ね合わせていたのだ。

 安堵からかシイの目に涙が浮かぶ。

「良かった……本当に……良かった」

「あ~も~、いちいち泣くんじゃ無いわよ」

「だって……」

「なあ、シイ。ちょいとマジな話するで」

 レイに肩を抱かれるシイに、トウジは真剣な顔で話しかける。

「今回わしはまあ、一応お前を守った訳や。で、お前はどう思った?」

「どうって……凄い心配で……私の為に鈴原君が怪我するのは嫌だって思った」

「それや。自分を守ってくれた奴が傷つくっちゅうのは、守られた側にしたらホンマ辛い事やで」

 アスカもレイも余計な口を挟まずに、トウジに話を続けさせる。彼が何をシイに言わんとしているのか、それを察したからだ。

「だからな、シイ。お前が守りたいって思っとるみんなに、お前自身も入れたれ」

「私も?」

「そや。今のお前みたいに、シイが傷ついて悲しむ奴がおるって事は、忘れたらあかんで」

「……うん」

 トウジの真剣な言葉にシイは小さく頷く。みんなを守る為に自分を犠牲にしていた少女が、ようやく自分を大切にする事を認めた。それはアスカとレイにとって、いや、ネルフ全職員にとって大変喜ばしい事だった。

 

「馬鹿もたまには役に立つのね。ちょっとは見直してあげるわ」

「……グッジョブ」

 アスカには貶されてばかりだったトウジは、珍しく褒められて居心地悪そうに頬を指で掻く。

「何や惣流と綾波に褒められると、こう背中がむず痒くなるのう」

「そうね~、特別にあんたを馬鹿からジャージにランクアップさせてあげる。光栄に思いなさい」

「お前な……そこは名前で呼んでやるっちゅうとこやろ」

「……ジャージ馬鹿」

「あ、それ良いわね」

「勘弁したってや」

 戦いが終わった開放感と全員無事だった安堵感から、アスカ達は上機嫌で軽口をたたき合う。

(こんな楽しい時を……守りたい。その為には、私自身も守らなきゃ駄目なんだ)

 じゃれ合うアスカ達を楽しそうに見つめながら、シイは静かに決意を固めるのだった。

 

 

 使徒が殲滅されてから数刻後、暗い部屋に一人の少年が訪れた。見事な銀髪とレイと同じ赤い瞳が印象的な少年は、何処か神秘的な印象を見る者に与える。

「来たか」

「……ええ」

 部屋で少年を迎えたのはゼーレの01、キール・ローレンツだった。穏やかな微笑みを浮かべる少年に、キールは重苦しく口を開く。 

「先程、十六番目の使徒が滅びた」

「その様だね」

「お前をフィフスチルドレンとして、ネルフに派遣する。後は好きなようにやるが良い」

「それはどうも」

 少年は形ばかりの礼を告げる。元より目の前の老人に言われるまでも無く、彼は自分の目的を果たすつもりだった。それが彼の存在理由なのだから。

「話は終わりかい? なら僕はもう行くよ」

「ああ。もう会う事もあるまい」

「ふふふ、そうだね。ではさようなら」

「さらばだ……アダムの最後の子よ」

 キールの言葉は、少年に届く事無く闇の中へと消えていった。

 




自己犠牲精神は立派ですが、残された者の悲しみを考えると少し考え物です。シイは少なからずそう言った面がありましたが、今回自分が初めて残される者の立場になった事で、意識の改革がありました。第四使徒からのジレンマ、少しは解消されたでしょうか。

そして、色々な方面で人気の彼が姿を見せました。自由意思の塊ですので、行動の予測がつきません。原作通りか……はたまた別の結末を迎えるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《心の補完?》

残り少なくなってきたアホタイムです。


~ゲンドウ歓喜の日~

 

 ネルフ本部司令室で、対ゼーレの業務に勤しむゲンドウの元に、とある来客があった。

「失礼します。お父さん、ちょっとお話しても良いかな?」

「……ああ」

 遠慮がちに伺うシイに、ゲンドウは無愛想に答える。油断すれば愛娘の来訪に顔がにやけてしまうため、あえて素っ気ない対応をしなければならない。とことん不器用な男だった。

「ごめんね。お父さん忙しいのに」

「問題ない。それで何の用だ?」

「あ、うん。あのね……もし都合が良ければ、今日の夕食を一緒にどうかなって……」

(お、おぉぉぉぉ)

 恥ずかしげに告げるシイに、ゲンドウは心の中で歓喜の雄叫びをあげた。それでもポーカーフェイスを崩さないあたりは、流石司令と言ったところか。

「……今夜か」

「あの、都合が悪ければ良いの。もし時間があればって、思っただけだから……」

 実の所ゲンドウに暇な時間は無い。元々の仕事に加えて、対ゼーレの工作を行う多忙な日々。そんな事情を察してか申し訳なさそうに俯くシイを見て、何を躊躇うことがあろうか。

「いや、問題ない」

「本当!? じゃあ、どうかな?」

「……良いだろう」

 ゲンドウの答えに不安げだったシイの表情が、心底嬉しそうな笑顔に変わった。これ程自分との食事を楽しみにしてくれて居る娘に、ゲンドウは今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。

(落ち着け……私は沈着冷静な男……シイのイメージを崩すわけにはいかん)

 頼りがいのある父親像を見せたいという強靱な精神力で、ゲンドウは見事煩悩を御して見せた。

 

「……店は決めているのか? まだなら私が予約をするが」

「その……実は私の料理を食べて欲しいんだけど、駄目かな?」

(て、手料理だとぉぉ!!!)

 予想外の展開にゲンドウは喜びを隠しきれず、僅かに眉を動かしてしまう。それがシイにはゲンドウが、自分の提案に不満を感じていると見えた。

「ごめんなさい。そうだよね……私の料理なんかより、ちゃんとしたお店で食べた方が良いよね」

「い、いや、問題ない」

「でも……」

「シイ、私は問題ないと言った。反対する理由は何も無い。存分に料理を作れ」

 仮面を被ろうとして、つい仕事のような口調になってしまうゲンドウ。シイは少し驚いた様子を見せたが、ゲンドウが嫌がっていない事を理解し、直ぐに笑顔を浮かべて頷く。

「うん。それじゃあ、今夜七時にミサトさんの家に来てね」

「……ああ」

「じゃあ待ってるから」

 シイはスキップしそうな程の上機嫌で、司令室を後にした。

 

 

「ふっ、ふふふ」

 誰も居なくなった司令室で、ゲンドウは笑いがこみ上げてくるのを堪えられなかった。思えば誰かの手料理など、ユイが生きていた頃以来長らく口にしていない。

 それが食べられる。しかも愛する娘の手料理が。嬉しくないはずが無い。

「……楽しみだ」

「何がだ?」

 ポツリと漏らしたゲンドウの呟きに、丁度司令室のドアから姿を見せた冬月が問い返す。

「……いや、何でも無い」

「そうか? まあ良い。例の件だが、ドイツと中国はこちら側に着きそうだな。米国は少々難航しているよ」

 何かあったのは明らかだが、冬月はあえて突っ込まずに仕事の話を始める。ゲンドウの元へと歩み寄りながら、手にした書類をぱらぱらと捲っていく。

「松代は既に押さえてある。おおむね良好と言えるだろう」

「……そうか」

「日本政府には加持監査官があたっている。機密情報開示のお陰で順調だそうだ」

「……そうか」

「エヴァ参号機の右腕復元も間もなく終わる」

「……そうか」

「時田博士による本部防衛設備の強化も、三日で目処が立つそうだ」

「……そうか」

「食道のラーメンが値引きしていたぞ」

「……そうか」

「実は俺、結婚するんだ」

「……そうか」

 冬月は小さくため息をつくと書類を挟んだバインダーで、思い切りゲンドウの後頭部を殴打した。一番固い角の直撃を受けたゲンドウは、あまりの痛みに悶絶する。

「はぁ。上の空にも程があるぞ。今がどれだけ大事な時か、分からぬ訳ではあるまい」

「ふ、冬月……角は駄目だろ」

「お陰で目が覚めただろ?」

「……むぅ」

 冬月の話を全く聞いていなかった事は事実。ゲンドウは言い返せずに唸るしか無い。

「やれやれ。シイ君からの誘いに喜ぶのも分かるが、せめて仕事中はしゃんとしてくれ」

「なっ、何故それを知っている!?」

「今そこでシイ君とすれ違った時に、嬉しそうに話してくれたよ。今夜お前に手料理を食べて貰うとね」

「そうか……嬉しそうに、か」

 ニヤニヤと口元に笑みを浮かべるゲンドウ。とても他様に見せられない姿に、冬月はまたもため息をついた。

「まあ、お前とシイ君の仲が改善されたのは喜ばしい事だが、仕事をおろそかにするなよ」

「分かっている」

「なら約束の時間まで、しっかり働け。使徒は後一体。残された時間は僅かなんだからな」

「……ああ」

 シイと親子で居るためには、補完計画の阻止は必要不可欠だ。ゲンドウは浮かれた気持ちを引き締め、冬月と共に仕事を再開するのだった。

 

 

 仕事を終わらせたゲンドウは、黒塗りの車に乗ってミサトの家へと向かっていた。本部を出る前に連絡を入れたため、今頃シイは自分を出迎える為の準備に追われているだろう。

(服装は完璧だ。髭も整えた。お土産も買った。問題ない筈だ)

 隣の座席には高級チョコレートを納めた白い箱が置かれている。人気店の入手困難な一品だが、ネルフ司令の立場をフル活用して、どうにか手にする事が出来た。

(しかしチョコレートか……。私もユイもあまり好まなかったが)

 ゲンドウは甘い物が苦手で、ユイは洋菓子よりも和菓子を好んでいた。だからシイの大好物がチョコだと聞いた時、少しだけゲンドウの胸にチクリと棘が刺さる。

(碇の家では、大切に育てられたのだな)

 きっと碇家で沢山与えられたのだろうと、ゲンドウは何とも言えぬ感傷に浸るのだった。

 

 

 マンションに到着したゲンドウは、ミサトの家の前で足を止めた。表札を何度も確認してから、大きく深呼吸を繰り返す。この先にシイが待っていると思うだけで、ゲンドウの胸は鼓動を早める。

「す~は~す~は~……良し」

 意を決してインターフォンを押し、シイの返事を聞いてからドアを開ける。

「いらっしゃい、お父さん」

「……あ、ああ」

 エプロン姿のシイに出迎えられ、ゲンドウは思わずどもる。かつてユイと暮らしていた日々の記憶が、シイの姿を見て一気に蘇ってきた。

「来てくれてありがとう。さあ、上がって」

「……ああ」

 上手く言葉を紡げないゲンドウは、シイに促されるまま家の中へと入っていった。

(ほう、綺麗にしているな)

 シイが居ない葛城家は人の住む場所では無いと、リツコから報告を受けていた。だから今目にしているぴかぴかの部屋を見て、ゲンドウはシイの家事スキルに本気で感心する。

 やがて二人は美味しそうな食事が並ぶ、ダイニングへとたどり着く。ゲンドウは上着をハンガーに掛けると、シイと向き合う形で椅子に座る。

「私は和食しか作れないけど、お父さんは和食好き?」

「ああ。そう言えばユイも和食が得意だった」

「そうなの?」

 頷くゲンドウに、シイは嬉しそうに笑顔をつくる。

「……食べても良いか?」

「あ、うん」

「頂きます」

「頂きます」

 親子は手を合わせ、別れてから初めて食卓を同じにした。

 

 まず最初に煮魚を口に運んだゲンドウは、一瞬驚いた表情を見せてシイに尋ねる。

「……シイ。お前はユイに料理を習っていたか?」

「え? ううん、習ってないけど」

「そうか……」

 箸を止めてしまったゲンドウを見て、シイの表情が曇る。

「美味しく無かった?」

「いや……ユイと同じ味付けだ。懐かしい……味だ」

 直接料理を教わらなくても、幼い頃食べた母親の味は娘に受け継がれる。ゲンドウはそれを自らの舌で確信し、サングラスで隠した目を潤ませるのだった。

 

 親子の食事に会話はほとんど無い。だが自分の料理を食べる父親の姿に、シイの胸は暖かい気持ちで一杯になっていた。油断すれば溢れそうな涙を必死に堪える。

 まだ彼女は目的を果たしていない。父親を食事に誘ったもう一つの目的を。

 

「……ねえ、お父さん。一つ聞いても良い?」

「ああ」

「お父さんはあの時、私が邪魔だから捨てたの?」

 絞り出すようなシイの声に、再びゲンドウの箸がぴたりと止まった。ゆっくり視線を上げれば、泣き出しそうなシイが自分を真っ直ぐ見つめている。

「どんな答えでも良い。ちゃんと受け止めるから……本当の事を教えて」

 ユイの墓参りでゲンドウは、シイの事を嫌いでは無いと告げた。ならどうして自分を捨てたのか。シイは真実を教えて欲しかった。

「……言い訳になる。お前の元を去ったのは事実だ」

「それでも良いから聞かせて」

 覚悟を決めた顔をするシイに、ゲンドウは小さな声で語り始めた。

 

 元々ゲンドウとユイの結婚は、碇家に祝福されていなかった。彼らからすれば、大事な娘を素性の知れぬ男に奪われた様なものだから、仕方の無い事だとゲンドウも理解していた。

 碇家とは半ば絶縁状態だったが、シイの誕生もあってゲンドウとユイは幸せな家庭を築いていた。しかしその後、実験中の事故でユイは帰らぬ人となる。

 今でこそそれがユイの意思であったと分かったが、当時は本当に事故死だと思われていた。一人娘を失った碇家は、当然ゲンドウに怒りをぶつける。

 彼らは友好関係にあったゼーレを介して、ゲンドウに地位を与える代わりにシイを手放させた。ネルフ司令の立場が無ければユイとの再会は果たせない。断腸の思いでゲンドウはシイと別れたのだ。

 

『おと~さん! おと~さん!』

『ぐっ! ……シイ、すまん』

『いやだよ、いっちゃやだよ! おと~さん!!』

(ぬぅぅぅぅ)

『うわぁぁぁん』

(シイィィィィィィィ)

 ゲンドウは血涙を絞りながら、泣き顔を見せないように振り返る事無く、シイの元から去っていた。

 

 

「地位とお前を天秤に掛け、私は地位を選んだ。お前を捨てた事に言い訳をするつもりはない」

「……私が嫌いだから、邪魔だから捨てたんじゃ無かったんだね」

「お前は私とユイの宝だ。それは今までも、これからも変わらん」

 ゲンドウはサングラスを外してシイに微笑みかける。そこには嘘や偽りは無く、ただ娘を愛する父親の顔があるだけだった。

 シイは無言でゲンドウの胸に飛び込み、ひたすら泣きじゃくる。それを優しく抱きしめるゲンドウには、間違い無く父性が溢れていた。

 

 

 ミサトの家の隣。空き家の筈のそこには、何故かリツコを始めとする面々が集まり、シイとゲンドウの様子を監視カメラの映像をモニターで見つめていた。

「ぐすっ……良かったわねシイさん」

「いかんな……歳をとると涙腺が緩くて……」

「素晴らしい。やはり親子愛は……素晴らしい」

 抱き合う親子の姿にリツコと冬月、時田は涙を惜しげも無く流す。特に冬月はこの中で一番碇家と親交があり、ゲンドウとシイの両者の気持ちを知っていた分、感慨もひとしおだ。

「おめでとう。シイちゃん」

「この親子なら、きっとこれからも大丈夫さ」

 自分の経験から、父親との和解を心の底から祝福するミサトの肩を、加持は優しく抱きしめる。

「ま、良かったんじゃ無いの……ぐすん」

「あかん。わしはこういうのに弱いんじゃ……ずずず」

「……これは涙? 泣いているのは……私?」

 アスカ、トウジ、レイも、今までのシイの想いを知っているだけに、この光景に感動せずに居られなかった。

 元々ゲンドウの暴走を警戒しての監視だったが、思いがけない親子の和解シーンにすっかりそれを忘れ去って、ただシイの幸せを我が事の様に喜んでいた。

 

「どうやら、これ以上の監視は必要なさそうだな」

「ですね。気づかれないうちに撤収しましょうか」

 モニターの向こうでは食事が終わり、シイが片付けを始めていた。もう大丈夫だろうと一同は暖かな想いを抱いたまま、撤収作業に取りかかる。

 そんな時、片付ける寸前のスピーカーから聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。

『シイ……その、何だ。一緒に風呂に入らないか?』

『え?』

「「なっっ!?」」

 洗い物をするシイに向けて頬を染めながら提案するゲンドウに、リツコ達の表情が固まった。折角暖まった心が、一気に冷えていくのが分かる。

『昔は一緒に良く入ったものだ。少し懐かしくなってな』

 

「なな、何言い出すの!?」

「けしからん!」

「これは見過ごせませんよ」

「……はぁ」

「こりゃファンクラブが黙っちゃいませんな。シナリオの内ですか、碇司令?」

「不潔よ、不潔」

「風呂に入るんやから、清潔やろ」

「……司令、殲滅」

 いきり立つ監視者達は暗闇の中、モニターを食い入るように見入る。

 

『私とユイ、お前の三人で……楽しかったな』

『お父さん……』

『まあ、お前も大きくなったから、もう父親と入りたく無いかもしれんな』

『……ううん。良いよ、一緒に入ろう』

 シイの答えを聞いてゲンドウは口元にニヤリと笑みを浮かべる。計画通りと言わんばかりのその嫌らしい笑みを見て、リツコ達は無言で頷き合うと部屋を飛び出した。

 

 その後、突然葛城家に乱入したリツコ達により、親子の時間は強制終了を告げる。リツコと冬月によって連れ出されたゲンドウがどうなったのか……シイに知らされる事は無かった。

 




ゲンドウとシイの関係は、ひとまずこれで片が付いたと思います。
愛していたのにシイを捨てたのは、そうせざるを得ない事情があったと言う事で。

さあ、いよいよラスト3話となりました。
次の話で登場する彼は何とも小話のネタが豊富で……。そう言った意味でも、是非とも未来を掴んで欲しいですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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24話 その1《仕組まれた子供》

 第十六使徒殲滅から数日が経った早朝、ミサトとリツコは司令室に呼び出された。緊急の招集と言う事で、両者は緊張した面持ちで入室する。

「……来たか」

「こんな朝早くにすまんね」

 忙しい中の呼び出しを冬月が詫びる。使徒が残り一体になった事で、ゼーレとの対決に向けての作業は、急ピッチで進められていた。真実を知る者が少ない今、二人の仕事量は明らかなオーバーワークだった。

「いえ、平気です」

「それで一体何事ですか?」

「……少々不測の事態が発生した」

「本日未明にゼーレから通達があった。『フィフスチルドレンをネルフに派遣する』とね」

 冬月の言葉に二人の表情が強張る。チルドレンの選抜はマルドゥック機関の名でネルフが行っていた。だが今のネルフが、新たなチルドレンを選抜する事などありえない。そもそも空いているエヴァが無いのだ。

 それが突然、しかもゼーレから直接派遣されるとあれば、きな臭い事この上無い。

「先程フィフスの資料が送られてきたが……過去の経歴は全て抹消済みだった」

「レイと同じですか」

「生年月日は2000年9月13日、セカンドインパクトの日だな」

「……こりゃ、疑わない方がおかしいわね」

 あからさまに怪しいフィフスのデータに、ミサトは苦笑してしまう。ゼーレの力ならば戸籍は自由に作れる筈。もう少し細工を凝れば良いのにと思わずにはいられない。

「派遣は受け入れると答えたよ。今ゼーレを余計に刺激する必要も無い。それに」

「あわよくば、フィフスから情報を得られるかも知れない、と?」

 ミサトの補足に冬月は頷く。ゼーレから直接送り込まれたチルドレンならば、何らかの密命を受けているのは確かだろう。それを逆手にとれば、ネルフは大きなアドバンテージを手にできる。

「フィフスは明日から本部に来る。当面は様子見をして、情報を集めようと思う」

「賛成ですわ」

「……チルドレンの護衛も増やす。フィフスの目的がシイ達の暗殺という可能性もある」

「了解です」

 もし今シイ達を失えば全てが水の泡になる。特にシイは戦力面だけでなく、ミサト達の精神的支柱としても掛け替えのない存在だ。万が一があってはならない。

「話は以上だ。短い時間だが、出来る限りの対策を立てておこう」

「「はい」」

 ミサトとリツコは凜々しく返答し、司令室から出て行った。

 

「フィフスチルドレン、渚カヲル。ゼーレの秘蔵っ子か」

「……既に老人達にとって、我らの存在は邪魔な物に変わりつつある」

 人類補完計画実現のための実行組織ネルフ。それは最後の使徒を殲滅した瞬間から、ゼーレにとって不要な存在に、むしろエヴァを保有している危険な組織に変わる。

 もしゲンドウがゼーレの立場ならば、やはりこのタイミングで布石を打っただろう。

「シイ君達を暗殺した後、彼が最後の使徒を倒す。ゼーレにとっては最も都合の良いシナリオだな」

「行動は逐一報告させろ。チルドレンとの接触には特に気を払え」

「言われるまでも無い。彼女達はヒトがヒトとして生きる為に残された、希望だからな」

 カヲルの資料を見つめながら、ゲンドウと冬月はシイ達を守る決意を固めるのだった。

 

 

 ある日の放課後、人気の無い第一中学校の屋上で、トウジとヒカリが向かい合っていた。二人の頬が赤く染まっているのは、夕日のせいだけでは無いだろう。

「す、すまんのう。呼び出してしもうて」

「ううん、良いの。それで……私に用って何?」

「それはやな。その、何や。ヒカリがわしに弁当を作ってくれてから、大分経つやろ」

 トウジの言葉にヒカリは頷く。

「美味い弁当を作って貰うて、わしはホンマ感謝しとる」

「あ、ありがとう」

「けどわしは、ヒカリに何のお礼もしとらん」

「そんなの別に良いの。私はただ、鈴原が美味しそうに食べてくれるだけで――」

「いや、わしの気持ちの問題や。ほんでな……何も言わんと、こいつを受け取ってくれんか」

 トウジはありったけの勇気を振り絞ると、綺麗にラッピングされた小箱をヒカリに差し出す。それは以前、シイ達に協力して貰って購入したアクセサリーだった。

「これ……私に?」

「わしは不器用さかい、上手く気持ちが伝えられへん。だからこいつにわしの想いを込めた」

「鈴原……」

 ヒカリが受け取った小箱を丁寧に開けると、そこには小さなブローチが納められていた。シンプルだが上品な造りをしたそれを、ヒカリは愛おしげに見つめていた。

「今までありがとな。ほんで、や。もし良かったらこれからも――」

 突然自分の胸に飛び込んできたヒカリに、トウジは言葉を続ける事が出来なかった。その華奢な肩に手を回すか否か、トウジは初めての事態に困惑する。

「良いの、その先は言わなくて。私は初めからそのつもりだったから」

 ヒカリの答えにトウジは夕日よりも顔を真っ赤にして、ゆっくりと肩に手を回して抱きしめた。

 

 そんな二人の様子を屋上の入り口から見ていたアスカ達。良いムードになったトウジとヒカリを、友人として素直に喜んでいたのだが二人が抱き合った瞬間、アスカは慌ててシイの目を塞いだ。

「わわわ、アスカ。何も見えないよ」

「あんたにはまだ早いの! 良いからお子様は黙ってなさい」

「同い年だよ~」

「精神年齢よ、精神年齢。にしてもあの二人、結構大胆ね」

 シイを目を塞いだまま、アスカは抱き合うトウジとヒカリをじっと見つめる。二人の仲が深まればと思ったが、予想以上の進展に若干焦っていた。

「こりゃ……ひょっとして」

「ああ、キス位ならしちゃうかもね」

 しっかりカメラを回しているケンスケが、ニヤニヤしながら答えた。彼はパソコンに詳しく耳年増なところがあるため、慌てる事無く二人の姿をフィルムに収め続けている。

「アスカ~。手を離してよ~」

「だ、駄目よ。あんたがキスなんて見た日には、それこそ寝込むかもしれないじゃない」

「……本当に外国育ち?」

「うっさいわね」

 一人で生きていくと決めたアスカは、友人も恋人も作ろうとしなかった。母親を捨てた父親のせいで、男性に対して嫌悪感を抱いていた事もあり、唯一親しかった男性は加持だけ。

 実はこう言った色恋に慣れていないのだ。

「でもさ、あの二人なら僕は良いと思うよ。なんだかんだ言って、お似合いだったし」

「うん」

「……そうね」

「ま、あの馬鹿はガキだから、ヒカリみたいな子じゃなきゃ絶対無理ね」

 悪態をつくアスカだったが、二人の仲を祝う気持ちは他のみんなと同じだった。一番最初にヒカリから、トウジの事を相談されていた彼女は、誰よりもこの結末を喜んでいたのかも知れない。

「さて、いい絵も撮れたし、見つかる前に退散しようか」

「それは良いけど、あんたまさか今のビデオ、流したりしないでしょうね?」

「しないよ」

 ジト目で牽制するアスカに、ケンスケは真剣な表情で即答した。

「これはさ、あの二人がこれからも上手くいって、もし結婚したら……その披露宴で流すつもりなんだ」

「相田君……」

「その時まで絶対に誰の目にも触れさせない。トウジの友人として約束するよ」

 ケンスケの言葉には本心からの優しさが溢れていた。それを察したアスカは小さく頷くと、シイの目から手を外して、それ以上軽口を叩く事無く階段を降りて校舎へと戻っていく。

「……碇さん、大丈夫?」

「うん、まだ目がしぱしぱするけど……あっ」

「おぉ」

「……うん」

 引き上げようとしたシイ達は、トウジとヒカリの唇が重なり合うのを、しっかりと見届けるのだった。

 

 

 沈みかけの夕日が照らす街道を、シイは買い物袋を手に家路を急ぐ。夕食に使う調味料を切らしていた事を思い出したシイは、家に帰る前にコンビニに寄っていた。

「アスカ大丈夫かな……大丈夫だよね。お洗濯物を取り込むだけだし」

 シイが家に帰る頃には日が沈んでしまうだろう。その前に洗濯物を取り込みたかったシイは、アスカを先に家へと帰し、洗濯物の取り込みをお願いしていた。

 ただそれだけなのに、ここまで不安に駆られるのは流石はアスカと言った所か。

「とにかく急がなきゃ…………あれ?」

 家路を急ぐシイの耳に、不意に誰かが歌う鼻歌が聞こえてきた。思わず足を止めて耳を澄ませると、最近聞いた事のあるメロディーが流れてくる。

「……この間授業で習った歌だ。確か……喜びの歌?」

「ふふ、正解だよ」

 突然歌が止まり、代わりにシイの答えが正しいと告げる声が聞こえた。シイは声が聞こえた方、道路の反対側へと視線を向ける。

 そこには銀髪の少年がバス停のベンチに腰を掛け、穏やかな微笑みを浮かべていた。透き通るような白い肌と見事な赤い瞳に、シイは目を奪われてしまう。

 暫し見つめ合う二人。沈黙を破ったのは少年だった。

「歌は良いね」

「え?」

「歌は心を潤してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。そう感じないかい? 碇シイさん」

「あ、うん。歌は素敵だよね」

 いきなりの問いかけに少し驚いたシイだったが、少年に向けて微笑みながら答えを返した。その返答に何故か少年は苦笑を漏らす。

「どうして僕が君の名前を知っているのか……不思議じゃ無いのかな?」

「私の事を知ってるから、声を掛けてくれたんだよね?」

「……失礼だが君は、もう少し自分の立場を知った方が良いよ。人を疑う事もね」

「うぅぅ、アスカにも言われた気がする……」

 申し訳なさそうにうなだれるシイに、少年は楽しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとベンチから立ち上がると、道路を渡ってシイの隣へ立つ。

「君は不思議な子だね。初対面の僕をまるで警戒していない」

「ん~、だって貴方は怖い人じゃないもん」

 シイの答えが意外だったのか、少年は面白そうに口元を笑みの形に歪める。

「どうしてそう思うんだい?」

「私の大切なお友達に似てるの。だからきっと貴方はいい人だよ」

 手を伸ばせば届く距離まで近づいても、シイは変わらず無防備に少年へ微笑む。初対面の人間をここまで信用してしまう少女に、少年は呆れると同時に興味を抱いた。

「碇シイさん。僕はもう少し君と話をしたいけど……生憎もう時間が無いみたいだ」

「あっ! 夕食の支度をしなきゃ」

 既に夕日は半分以上沈んでおり、家に着く頃には完全に日が暮れてしまうだろう。家で自分の帰りを待っているアスカを思い、シイの顔に焦りの色が浮かぶ。

「ふふ、ならまた今度にしよう。きっと直ぐに会えるさ」

「うん。次に会えたらお話しようね。えっと……」

「僕はカヲル。渚カヲルだよ」

「うん。じゃあカヲル君。またね」

 シイはカヲルに手を振りながら、買い物袋を片手に大急ぎで走って行った。

 

「彼女が碇シイ、僕と同じく仕組まれた子供か……」

 沈みかけの夕日が照らす街道で、カヲルはシイの後ろ姿を見送りながら、寂しげに呟くのだった。

 




トウジとヒカリの関係については賛否有ると思いますが、トウジが参号機の事故でリタイアしていなければ、あり得た未来だと思います。

そして満を持して登場しましたカヲル君。作者は、南極でアダムとユイの遺伝子を融合して生まれた身体に、アダムの魂が宿っていると認識しています。
諸説有ると思いますが、この小説ではその設定で行きます。

彼の存在が物語の行く末を大きく左右します。シイとレイ、そしてリリン達と接した彼がどの様な答えを出すのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※矛盾箇所の訂正を行いました。


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24話 その2《カヲルとレイ》

 

 予定よりも大幅に遅れて帰宅したシイを、仁王立ちしたアスカが玄関で待ち構えていた。

「おっそ~い!」

「うぅぅ、ごめんなさい……」

 眉がつり上がった顔から、アスカの不機嫌度合いが伝わってくる。

「本当にごめんね……直ぐに夕食作るから」

「あんた馬鹿ぁ? んな事で怒ってんじゃないの」

「え?」

「遅れるなら遅れるって連絡しなさいって、あたし言ってたわよね?」

「うん……」

 シイは母親にしかられた子供のように、申し訳なさそうに俯く。連絡を怠った自分が全面的に悪い以上、もう何の言い訳も出来なかった。

「あんたはね、もう少し自分の立場を自覚しなさい。あたし達がゼーレと戦おうとしてるのが、もし相手に知られてたら、真っ先に狙われるのはパイロットなのよ」

「……そうだね。本当にごめんなさい」

 先程会った少年にも言われた自覚の無さ。シイはますます恐縮してしまう。そんなシイの様子から反省を感じ取ったのか、アスカは表情を和らげる。

「はぁ、分かったんなら良いわ。あんま心配かけさせるんじゃ無いわよ」

「あ……うん」

 大きくため息をつきながら、アスカはシイの髪をグシャグシャと撫でる。そんなアスカの親愛表現にシイは不謹慎だが、自分を心配してくれた事を嬉しく思ってしまうのだった。

 

 

「はぁ? じゃあ何? 見ず知らずの男に声かけられて、あまつさえ会話までしたって~の?」

「う、うん」

「あんた馬鹿ぁ? どうしてもっと警戒心ってのを持たないのよ!」

 夕食の席でシイはカヲルと出会った事を話したのだが、アスカの反応は予想以上に大きいものだった。

「でもでも、いい人だったし」

「あま~い! 男はみんな狼って言うでしょ。……変な事されなかったでしょうね?」

 急に声をひそめるアスカに、シイは首を傾げながら問い返す。

「変な事って、何?」

「そ、それは……だから……」

「??」

(衣服の乱れは無かったし……シイは隠し事なんて出来ないだろうし……大丈夫みたいね)

 アスカは勝手に混乱して、勝手に納得してしまう。表情がコロコロ変わった彼女に、シイは心底不思議そうな視線を向けるのだった。

 

「で、そいつは何者なの?」

「分からないけど、うちの学校の制服を着てたから転校生かも」

 シイが知っているのは、彼が渚カヲルと言う名前だと言う事だけ。自分の学校の制服を着ていたが、学校で姿を見たことが無いので、転校生では無いかと思われた。

「ふ~ん。どんな感じの奴だったの?」

「興味があるの?」

「べ、別に無いわよ。ただ一応聞いておこうってだけで」

 アスカにしてみればカヲルに興味があるわけではなく、シイに言い寄ってくる男に、警戒心を抱いているだけだった。それは妹に変な虫が付かないようにする、姉のような心境かもしれない。

「どんな感じって……ん~、鼻歌が上手かったかな」

「はぁ?」

「最初に会った時にあれを歌ってたの。えっと……モーツアルトの喜びの歌」

「……ベートーヴェンよ」

 頭痛を堪えるようにアスカは額に手を当てて、シイの間違いを正す。前々から不安に思っていたシイの学力を、どうにかしなくてはと真剣に考え始めた瞬間だった。

「第九を鼻歌で、か。そいつ変人確定ね」

「あ、あはは、ちょっと変わってるのは確かかも」

 ズバッと切って捨てるアスカに、シイはカヲルを思い出しながら苦笑する。

「まあそれは良いとして、顔は? あんたのタイプだったりする?」

「タイプ? ……よく分からないけど、綺麗な顔だったよ」

 珍しい銀髪と赤い瞳と、穏やかな笑みを浮かべる整った顔立ち。世間的には格好いいと呼ばれる部類なのだろうが、シイは特別な感情を抱く事は無かった。

「あ、それとね、綾波さんに似てたの」

「レイと?」

 何気ないシイの言葉にアスカの目がすっと細められる。

「目も綾波さんと同じ赤色だったし、ひょっとして親戚なのかも」

「……馬鹿。あの子に親戚なんて居るわけ無いじゃん」

 厳しい口調でシイの失言を戒めるアスカ。生まれが特殊なレイには親戚が存在しようが無い。もし今の発言をレイの前ですれば、意識せずに彼女を傷つける可能性がある。

 アスカの言葉は、シイとレイの二人を思っての事だった。

「ごめん……」

「別に良いわ。それにしても、ますます持ってそいつは怪しいわね」

 銀髪はともかく、赤い瞳を持つ人間は極めて珍しい。と言うよりもアスカはレイ以外に知らなかった。だからこそ、赤い瞳の少年に強い警戒心を抱く。

(レイと同じで造られた存在? ネルフ以外にそんな事するのは……やっぱゼーレ?)

 アスカはゼーレについて詳しく知っている訳では無い。ただ莫大な資金力と政治影響力を持つと聞いている為、人工的にヒトを造り出す位はやりそうだと思った。

(一応、ミサトに報告しといた方が良さそうね)

 すっかり無口になってしまったアスカを、シイは不安げに見つめる。結局その後はほとんど会話も無く、夕食は淡々と終わってしまった。

 

 

 翌朝、ネルフ本部に初めて訪れたカヲルは、司令室でゲンドウ達に着任の報告を行っていた。

「本日付でネルフ本部に配属になりました。どうぞよろしく」

「ああ、委員会から連絡は受けているよ。随分と急な配属だったがね」

「みたいですね。連絡が遅いのは老人の癖なんでしょう」

 冬月が軽く牽制を入れてみるが、カヲルに軽く流されてしまう。ポケットに手を入れ微笑みを浮かべる彼には、底知れぬ余裕が感じられた。

「着任は受理しよう。だが今ここには、君が搭乗できるエヴァが配備されていない。そこで」

「……君には予備搭乗者に回って貰う」

「構いませんよ」

 冬月とゲンドウの言葉に、カヲルは何も問題無いと頷いて見せる。

「話は以上だ。規則など細かな話については、直属の上司になる葛城三佐から聞きたまえ」

「分かりました。では失礼します」

 ゲンドウ達に一礼すると、カヲルは優雅な足取りで司令室を後にした。その背中を見送った冬月は、姿が完全に見えなくなってから険しい表情で、ゲンドウへと語りかける。

「食えない少年だな。シイ君と接触した事など、おくびにも出さん」

「……ああ」

「MAGIが彼の調査を行っているが、芳しくないようだ」

「ゼーレの秘蔵っ子だ。情報規制は完璧と思うべきだろう」

「ここに単身送り込む程の自信作と言う事か」

 直接カヲルと対面した二人は、カヲルがレイと同じ造られた存在だと感じ取っていた。

「迂闊に手は出せんな。泳がせながら様子を見るとするか」

(まず最初にシイ君に目をつけるあたり、気が合いそうだが……会長として手を出させる訳にはいかん)

「……ああ」

(シイに言い寄る男は、何者であろうとも全力で排除するだけだ)

 ゲンドウと冬月は少しずれたところで、カヲルへの警戒心を高めるのだった。

 

 

 その日の夕方、レイは一人本部の通路を歩いていた。本来ならまだ学校に行っている時間なのだが、彼女は身体のメンテナンスを定期的にする必要があったので、こうして学校を休むことがままあった。

(この後はシンクロテスト。もうすぐ碇さん達も来る……)

 一人で居る時間が寂しいと感じるようになったのは、あの少女と出会ってから。レイはテストが行われる管制室へ移動しながら、シイ達と会える事の喜びを感じていた。

 そんな彼女の行く手を遮るように、一人の少年が姿を現す。

「はじめまして。君がファーストチルドレンの、綾波レイだね?」

「……あなた、誰?」

 突然現れた見ず知らずの少年に、レイは警戒しながら問い返す。

「僕はカヲル。渚カヲル。フィフスチルドレンさ」

「……そう。じゃ」

 興味なさ気に通り過ぎようとするレイを、カヲルは進路を塞いで通せんぼする。僅かに目を細めて無言の抗議をするレイに、カヲルは面白そうに微笑む。

「ふふ、そう邪険にしないで欲しいな。君と僕は同じなのだから」

「…………」

「お互いこの星で生きていく身体は、リリンと同じ形へと行き着いたようだね」

 まるで古い友人に語りかける様に、レイに親しげな態度をとるカヲル。だがレイは少年に向けて、敵意に近い感情を露わにしていた。

「……私は貴方とは違う」

「同じさ。君も知っている筈だよ、僕達はヒトとは違う存在だとね」

「……そう。でも私は貴方とは違うわ」

「ん?」

「私は一人じゃ無いもの。だから……一緒にしないで」

 レイの静かながらも強い意志の籠もった言葉を、カヲルに向けて告げる。それはカヲルにとって、驚きを隠しきれない衝撃的な発言であった。

「一人じゃ無い……それはリリンの事を言っているのかい?」

「……ええ」

「僕達はリリンとは違う存在、共に生きる事は出来ないよ」

「……でも私は碇さんと、みんなと生きるわ」

 互いに赤い瞳を持つ造られた存在。ヒトとは異なる魂を持つ存在。だが今対峙する二人は、まるで別の道を歩もうとしていた。

「それが、君の望みなのかい?」

「……そう」

「叶えられると、本気で思っているのかな?」

「……ええ。一人では無理でも、私にはみんなが居るから」

 使徒とは違いヒトは単体で生きるには、あまりに弱い生き物だ。だがそれ故にヒトは群れる事を知り、互いに弱い部分を補って生きる事が出来る。

 一人では無い。それはヒトにとって、何よりも大切な事だった。

 

「なら訂正しよう。君と僕は似ているけど、違う存在だ」

「……ええ」

「リリンとの共存か……考えもしなかったよ」

 呆れたように呟くカヲルだったが、その表情は何処か嬉しそうでもある。

「……貴方は何を望むの?」

「ふふ、全ては流れのままに、さ」

 そう告げるとカヲルはレイに背を向けて歩き出す。彼にとってレイとの対話は、意味のあるものだったのだろう。顔には満足げな笑みが浮かんでいる。

「ではシンクロテストでまた会おう」

「……ええ」

 レイとカヲルの接触は静かに終わりを告げた。カヲルの心に小さな変化をもたらして。  

 




レイはシイと出会い、人とふれ合い、少しずつですが心を成長させてきました。積み重ねてきたものは、決して偽りではありません。
今のレイは、確固たるアイデンティティを持っているのでしょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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24話 その3《生まれる迷い》

 

 レイと別れたカヲルは、シンクロテスト開始前に実験管制室を訪れた。

「失礼しますよ」

「あら、早かったのね。他の子達は着替えてるから、戻ってきたら挨拶して貰うわ」

「ええ」

 朝に顔合わせをしていたミサトに言われてカヲルは軽く頷く。するとリツコが作業を中断して、カヲルの元へと近づいてきた。

「初めまして。私はE計画責任者の赤木リツコよ。よろしくね」

(この子がゼーレの秘蔵っ子……油断できないわ)

「渚カヲルです。こちらこそよろしく」

(ふふ、随分と警戒されてしまってるね。まあ当然かな)

 表面上は友好的な挨拶を交わしつつも、リツコはカヲルに探るような視線を送る。だがそんな不躾な視線を受けても、カヲルは微笑みを崩さない。

「今のところ貴方が搭乗するエヴァの配備計画は無いの。当分はテストも見学して貰う事になるわ」

「ええ、構いませんよ」

「結構。……あの子達が戻ってきたわね」

 二人の会話が終わるとほぼ同じタイミングで、管制室にプラグスーツに着替えたシイ達がやってきた。

 

「みんな。今日から配属になったフィフスチルドレンを紹介するわ」

「渚カヲルです。よろしく」

「…………あぁぁぁ!!」

 軽く頭を下げるカヲルの姿を見て、シイは思わず驚きの声をあげる。その反応を楽しむように、カヲルはクスクスと笑いながらシイに近づく。

「ふふ、また会えたね。碇シイさん」

「か、カヲル君が……フィフスチルドレン?」

「黙っていてごめんよ。ただこうして君と再会出来てとても嬉しい」

「ちょっとシイ。あんたこいつと知り合いなの?」

 アスカは近づくカヲルからシイを守るように立ちはだかると、訝しむ様な視線をカヲルに向けたまま、シイへと尋ねる。

「あ、うん。ほら、昨日話した男の子」

「……へぇ~。あんたが初対面でシイを口説こうとした、すけこましって訳ね」

「「なっ!?」」

 嫌みたっぷりなアスカの言葉に、スタッフ全員がカヲルに視線を向ける。そこに込められた嫉妬や敵意と言った感情に、流石のカヲルも僅かに動揺してしまう。

「いや、それは誤解だよ。そうだよね、碇シイさん?」

「そうだよアスカ。もっとお話したいって言われただけだもん」

((ぎろっ!!))

 全くフォローになっていないシイの発言で、カヲルへの敵意は一層強くなる。その中には無表情ながらも一番怖い、レイの視線も含まれていた。

「……それが、貴方の答えなのね」

「い、いや、違うよ。少し落ち着いた方が良いんじゃ無いかな」

 何故自分が責められているのか全く理解出来ないカヲルは、とにかくこの場を落ち着けようと呼びかける。だがそんな言葉が通じるほど、ネルフスタッフは聞き分けが良くない。

「テストは開始時間を遅らせましょう」

「やむを得まい。今はこの問題を解決するのが、何より優先すべき事だからな」

 既にテスト開始時間が迫っているのだが、テスト責任者の二人があっさりと開始時間延長を決める。気づけばカヲルは、周りを完全に包囲されていた。

 困惑しているカヲルに、ミサトが軽く牽制を入れる。

「さ~て、ちゃっちゃとはいて貰いましょうか。ずばり、シイちゃんの事狙ってるの?」

「邪推は止めて欲しいですね。僕はそんなつもりありません」

「ふ~ん、つまりシイには魅力が無いって言いたい訳?」

((じぃぃぃぃ))

(一体どうしろって言うんだ……僕にはリリンが理解出来ないよ)

 理不尽な出来事に、リリンとの壁を感じてしまうカヲルだった。

 

 シイの説得によって、かろうじて質問と言う名の尋問から抜け出したカヲル。冷や汗を流すカヲルに、唯一冷静だったトウジが近寄りそっと耳打ちをする。

「ここで長生きしたいんやったら、シイの扱いだけは気をつけた方がええで」

「その様だね……忠告ありがとう」

「男はわしとお前だけやからな。ま、仲良くやろうや」

「……そうだね」

 カヲルにとって唯一まともに会話が成立するリリンである、トウジの存在は大変貴重な存在だった。

 

 

 トラブルによって開始時刻こそ遅れたものの、四人のシンクロテストは順調に進んでいった。

「全員問題は無いようね」

「はい。アスカの数値が飛び抜けて高いですが、鈴原君とレイの数値も着実に伸びています」

 モニターに表示される四人のシンクロ率は、リツコを満足させるに十分な値を示していた。ミサトと冬月も頼もしげにテストに挑む子供達を見守っていたが、カヲルだけは複雑な表情を浮かべる。

(エヴァ……アダムより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン。僕には分からないよ)

 目を閉じてテストを続けるシイ達に、カヲルは寂しげな視線を向けるのだった。

 

 

 シイ達がテストを行っていた時、ゲンドウは司令室の電話で加持と連絡をとっていた。

『なるほど、フィフスチルドレンですか。ゼーレも随分と直接的な手に出てきましたね』

「ああ。もし今居るパイロットに何かがあれば、彼に搭乗命令が出る筈だ」

『ゼーレは意のままに動かせるエヴァを手に入れられる。最悪その一機だけあれば十分、と』

 加持もゲンドウと同じくカヲルによって、シイ達全員が暗殺される事を危惧していた。カヲル以外のチルドレンを失えば、エヴァはゼーレの手に落ちたも同然。

 万が一それを許せば、ネルフに勝ち目は無くなるだろう。

『……彼女達の護衛は?』

「当然強化はしてある。だが完璧とは言えないだろう」

 ネルフの保安諜報部は優秀だが、ゼーレの秘蔵っ子であるカヲルの力量は未知数だ。チルドレンであるカヲルの行動は制限しづらく、不安要素は多かった。

『少々厄介な状況ですね。こちらの仕事が一段落したら、俺も一度本部へ戻ります』

「君の仕事は順調なのか?」

『ええ。非公式ではありますが、日本政府はこちらの支持を決めました。情報公開が有効打になりましたよ』

 日本政府は今までゼーレの支配下にあった。だがそこにも所属していた加持が働きかける事で、ゼーレからの脱却とネルフの支持を決定したのだ。

 実際には明確にどちらの味方もしないと言うスタンスだったが。

『今はネルフの各支部を回っています。そうですね……一週間以内には戻れるかと』

「ああ、頼む」

 ゲンドウは受話器を置くと小さく息を吐く。加持の報告は朗報なのだが、カヲルの存在がそれを打ち消してしまっていた。ネルフはゼーレによって、喉元に刃を突きつけられているとも言えた。

(一度……腹を割って話してみるか)

 カヲルと直接会話をする事を、ゲンドウは真剣に検討するのだった。

 

 

 シンクロテスト終了後、カヲルはネルフ本部にある大浴場の湯船につかっていた。当然男女別なので男湯にはカヲルとトウジしか居ないが、彼は大きなお風呂に満足していた。

「風呂も良いね。リリンの生み出した文化は、心を癒やしてくれる」

「大げさなやっちゃな」

 カヲルの独特な言い回しに、隣に並んで入浴しているトウジは呆れたように呟く。この少年と出会ってまだ数時間だが、チルドレンらしく一筋縄でいかない奴だと認識していた。

「どや、あいつらの印象は。面食らったやろ」

「そうだね、なかなか個性的な子が揃っているとは思うよ」

「物は言い様やな。まあ男一人でわしも肩身が狭かったさかい、渚が来てくれてホンマ助かったわ」

「ふふ、男が苦労するのはどの世界でも同じか」

 楽しげに微笑むカヲルだが、その声色には何処か諦めの色が混じって聞こえた。気になったのかトウジは、カヲルに何気なく尋ねてみる。

「何や、悩み事でもあるんか?」

「どうしてそう思うんだい?」

「何となくや。女の中で生き抜くには、空気を読めんと持たんからな」

「なるほど」

 説得力抜群のトウジの言葉に、クスクスとカヲルは笑みを漏らす。あれだけ個性的な面々に囲まれていたら、それはもっともだと思ったからだ。

 

「……君には、生きる目的があるかい?」

「随分哲学的な話やな」

「僕はある目的を果たすために生まれてきた。でもそれを果たすべきか迷っていてね」

 揺らぐカヲルの赤い瞳に、トウジは彼の本心を垣間見た。

「……なあ、渚。お前の悩みはわしが、無責任にどうこう言えるもんやない」

 だからこそ、トウジは言葉を選びながら真剣に答える。本気の相手には本気で対応するのが、トウジの流儀であった。それが伝わったのか、カヲルは黙って続きの言葉を待った。

「けどな、ほんまに大事なんは、お前がどうしたいかやと思う」

「…………」

「お前の事情は分からんが、少なくとも今ここに居るお前の人生はお前のもんや。他人が決めるもんや無い」

「…………」

「っと、すまんな。柄にも無く、変な事言ってもうたわ」

「いや……とても参考になったよ」

 驚きから微笑みへと表情を変えたカヲルは、トウジへ礼を告げる。それはカヲルにしては珍しい、仮面を被らない素の言葉であった。

 

 

 暗闇に浮かび上がるモノリス達は、今日も飽きずに会議を行っていた。

「既にタブリスはネルフへと入り込んだ」

「後は流れに任せるだけだ。全てが始まり、全てが終わる」

 人類補完計画。ゼーレが長い年月と莫大な資金を投じて計画してきた、人類の救済策。それが間もなく成就するとあってか、彼らはいつになく機嫌が良いようだ。

「左様。悪魔の子から神の子へ」

「それこそが我らゼーレの悲願。人類の望みに他ならない」

「エヴァシリーズも、間もなく数が揃う」

「約束の時は……間もなく訪れる」

 幾つかのイレギュラーはあったが、結果として今の状況は計画の修正範囲内。彼らは全て自分達のシナリオ通りに進んでいると、確信していた。

「碇が何を企んでいようが、既に遅い」

「左様。奴にはタブリスを殲滅する以外に、選択肢は無いのだからね」

「アダムより生まれし者はアダムへ帰る。タブリスも例外では無い」

「もはや我らの計画を妨げる要素は存在しない」

「「全ては我らゼーレのシナリオ通りに」」

 暗闇に男達の声が重なり合い、会議は終わりを告げるのだった。

 




何かと物議を醸し出した入浴シーン。シイとカヲルでは大問題ですので、男性チルドレンであるトウジの出番となりました。
意外とこの二人、相性が良いかもしれません。あくまでlikeであり、loveではありませんが。

地味にゼーレがフラグを立ててしまったので、カヲルの行く末に希望が出てきました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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24話 その4《最後のシ者》

 

 夕暮れのジオフロントを、カヲルはゆっくりと歩いて回る。ゲンドウ達の手回しにより、本部外に出る事を禁止されている彼にとって、ここは唯一自然と触れ合える場所であった。

 本部に配属されて数日、彼は本部の構造と目的の場所、そしてそこへ至るルートを既に調べ終えていた。

(アダム。我らの母たる存在。その元へ還るのが僕の望み……だった筈なのに)

 誕生してから疑う事も無かった目的。ここに来る前もそれは変わらなかった。だがたった数日だけだがリリンと触れ合った彼には、迷いが生まれていた。

(その為にはリリンを滅ぼさなければならない、か)

 ポケットに手を入れてカヲルはあてもなく歩き続ける。すると前方に予期せぬ人物が居るのを見つけた。彼は一瞬迷ったがやがて小さく頷くと、その人物へと近づいていく。

 彼女ならば自分の迷いを払えるかもしれないと、一筋の望みを抱いて。

 

「ふんふふ~ん」

「やあ、随分とご機嫌だね」

「カヲル君? こんなところで会うなんて珍しいね」

 シイはカヲルの姿を認めると、少し驚いた様な顔を見せる。

「ふふ、そうだね。もしかすると僕たちは、運命の糸で結ばれているのかもしれない」

「あはは、カヲル君って面白いね」

 独特の言い回しが楽しいのか、シイはカヲルの言葉を微笑みながら軽く流す。

「割と本気なんだけどね。ところで、君は何をしているんだい?」

「畑のお世話だよ。いつも世話をしている人が留守だから、その間のお手伝いなの」

 シイは右手に持ったじょうろを軽くあげてみせる。長期出張中の加持に代わって、シイは目の前のスイカ畑の世話を引き受けていた。

「カヲル君はお散歩?」

「そんなところさ。どうかな、少し話をしないかい?」

「あ、うん。良いよ。ちょっと待っててね、直ぐ終わらせちゃうから」

 シイは手早く水やりを済ませると、近くのベンチにカヲルと並んで腰をおろす。ただ隣に居るだけで、シイの存在はカヲルの心に落ち着きを与えていた。

「碇シイさん……シイさんと呼んでも良いかな?」

「呼び捨てで良いのに」

「それはもう少し進展してからにしよう」

「????」

 不思議そうに首を傾げるシイにカヲルは苦笑する。初めて出会ったときから感じていたが、この少女は根本的に幼いのだ。特に異性関係に関してはそれが顕著に見られる。

 全てはゲンドウにユイを奪われた碇家による、歪んだ教育方針の結果だった。

 

 

「君は以前僕に、大切な友達に似ていると言ったね?」

「うん。今もそう思うよ。カヲル君は綾波さんと同じ感じがするの」

「僕と綾波レイは同じ存在。共にヒトに造られたんだ」

 衝撃的なカヲルの告白だったが、意外にもシイは動揺をみせない。確信は無かったが、身に纏う空気などから、ひょっとしたらと言う予感があったからだ。

「ヒトの姿をしているけど、ヒトでは無い。それは変えようのない事実だ」

「うん」

「でも君はそれを知った上で、綾波レイを受け入れた。どうしてだい?」

 カヲルがシイに尋ねたかった疑問の一つがこれだ。彼が知る限りリリンと言う生物は、自分達と違うものを排除する性質がある。シイがレイの正体を知りつつも受け入れた理由を、カヲルは知りたかった。

 ジッと赤い瞳を向けるカヲルに、シイは事も無げに応える。

「だって、綾波さんは綾波さんだから。ヒトだとかそうじゃないとか関係ないもん」

「怖くは無いのかな? ヒトの形をした得体の知れない何かがそばに居るのに」

「それ以上言うと怒るよ」

 シイは眉をつり上げると、珍しく強い口調でカヲルの言葉を遮った。滅多に見せないシイの怒り。それはカヲルがレイだけでなく、自分自身も蔑んでいる事に対してだった。

「ヒトだから偉いの? ヒトじゃ無いと友達になっちゃいけないの? 違うでしょ」

「…………」

「私は綾波さんが好き。カヲル君とも仲良くなりたい。それだけだよ」

「不快な思いをさせてしまったね。ごめんよ」

「ううん、良いの。でも、もう言わないで欲しいな……悲しくなっちゃうから」

 泣きそうなシイの顔を見てカヲルは理解した。この少女は自分の事では無く、他人の事で心を痛めてしまう、優しい心を持っているのだと。

 自分をヒトか否かでは無く、渚カヲルと言う存在として見てくれる。これは彼にとって初めての経験だった。

(なるほど。綾波レイが君と生きたいと思う理由が……少し分かった気がするよ)

 夕日に照らされるシイの姿は、カヲルには眩しく映った。

 

 

「僕はある目的の為に生み出されたんだ」

 シイが再び隣に座るのを確認して、カヲルは懺悔のように呟き始める。

「でも今、その目的を果たす事に迷ってしまってね」

「どうしてって、聞いても良いのかな?」

「ふふ、構わないよ。そうだな……その目的を果たすには、多くの犠牲が必要だから、かな」

 流石に人類全てが犠牲になるとは言えない。ただ、直接的な表現を避けたカヲルの言葉だけでも、シイは彼の悩みの深さを察する。

「犠牲を無くしたり、減らしたりする方法は無いの?」

「残念ながら」

「そっか……カヲル君は優しいんだね」

「僕が優しい?」

 シイの口から掛けられた言葉は、カヲルが生まれて初めて言われた言葉だった。人類にとって自分は、破滅をもたらす忌むべき存在。間違っても優しい存在では無い。

「それはシイさんが僕を知らないから言えるんだよ」

「ううん。だってカヲル君は、犠牲が出る事を悩んでる。自分の事だけ考えてるなら悩まないもん」

「それは……」

 本来ならば悩む事も無い。生まれてきた使命を果たせば、それで全てが終わる。例えその結果リリンが滅びたとしても、カヲルには何の関係も無い筈だった。

 だが今彼は迷う。犠牲になるリリンとふれ合い、彼らに興味を持ってしまったから。

 

「僕はどうすれば良いんだろうね」

「カヲル君は何をしたいの?」

「僕かい?」

「うん。だって一番大事なのは、カヲル君の気持ちだもん」

 先にトウジからも言われた言葉を、再びシイに告げられる。

「カヲル君が何かをする為に生まれたとしても、それは関係ないよ。自分で考えて自分で決めるの」

「はは、随分簡単に難しい事を言うね」

「迷わない人も悩まない人も居ないよ。私もそうだしみんなそう。でもね、だから頑張れるんだと思うの。自分で決めた事に後悔しないように、一生懸命になれる。それが生きるって事だもん」

 それはシイの本心、まだ十四年しか生きていない彼女が、これまでの経験から自分なりに出した結論。一切の飾り気の無い言葉だったが、それ故にカヲルの心を大きく揺さぶった。

「自分の意思で生きる、か。……僕にも、それは許されるのかな」

「私はカヲル君に、そうして欲しいと思う」

 シイの言葉を聞いてカヲルは、何かを考えるように瞳を閉じた。それを邪魔する事をせず、シイはカヲルが答えを出すのを待つ。夕日を浴びる二人に、暫し無言の時が訪れる。

 五分、十分、あるいはそれ以上の時間をかけて、カヲルは小さな決意を持って瞳を開いた。

 

「シイさん。改めて自己紹介させて貰うよ」

 カヲルはベンチから立ち上がると、シイの目の前に移動する。何らかの決意を感じ取ったシイもまた腰を上げて、正面からカヲルと向き合う。

「僕はフィフスチルドレンの渚カヲル。そしてタブリスと言う名を持つ……使徒さ」

「カヲル君が……使徒?」

「アダムより生まれた僕は、アダムに還る事を定められている」

 驚きを隠せないシイに、カヲルは淡々と事実を告げる。

「僕がアダムに還れば、君達リリンは滅びる。未来を与えられる生命体は、一つしか選ばれないからね」

「……だから、カヲル君は悩んでたの?」

「ああ。リリンを滅ぼしてまで、アダムに還らねばならないのか。分からなくなったんだ」

 シイの前に立つカヲルからは、初めて出会ったときのような余裕は感じられ無い。自分の宿命に悩み迷うその姿は、ヒトのそれと何ら変わり無かった。

 

「シイさん。僕はどうすれば良いんだろうね」

「それはカヲル君が決めなくちゃいけない事だから。でも」

「でも?」

「私はカヲル君とも一緒に生きて行きたいな」

 シイの言葉にカヲルは驚き目を見開く。今の自分の話を聞いてなお、この少女は自分を受け入れ共に生きたいと望むと言うのだ。

「使徒である僕と?」

「お友達の渚カヲル君と」

 シイは微笑みながらそっと右手を差し出すが、彼女に出来るのはそこまで。選択肢の提示だけだ。その手を握るか拒絶するかは、カヲルが自分の意思で決め無ければならない。

 差し出された手を前にして、カヲルは以前レイした問いかけをシイにも行う。

「出来ると思うかい? 使徒とリリン、異なる生命体の共存なんて」

「難しい事は分からないけど、きっと大丈夫。みんなで頑張れば何とかなるよ」

 根拠も何も無い、ある意味無責任とも言えるシイの言葉。だが彼女には何とか出来てしまうと、周囲をその気にさせる空気があった。

 純粋に未来を見据えるシイの視線に、カヲルは自分の意思で未来を選んだ。

 

 差し出されたシイの右手が握り返される事は無かった。カヲルは身体をシイに密着させると、その小さな身体を優しく抱きしめる。

「か、カヲル君?」

「僕も……リリンと、君と生きていきたい。例えそれがどれだけ困難でも」

 突然の抱擁に困惑するシイだったが、カヲルの身体が震えている事に気づく。生まれてから今まで抱いていた宿命を捨て新たな道を選ぶ事は、彼にとって想像を絶する恐怖だったのだろう。

 シイは慈愛に満ちた表情を浮かべながら、カヲルが落ち着くまでそのままでいた。

 

「……ありがとう。もう大丈夫だよ」

 落ち着きを取り戻したカヲルは、微笑みながらシイの背に回していた手を離す。その微笑みには以前の余裕とはまた違う、進むべき道を選んだ自信のようなものが感じられた。

「君は不思議だね。幼いかと思えば、女神の様な母性も感じさせる」

「うぅぅ、どうせ私は小さいですよ……」

 頬を膨らませてふてくされるシイに、カヲルは優しく微笑みを向ける。

「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」

「もう、大げさだよカヲル君」

「僕は本気だよ。なんなら今、それを証明しても良い」

 カヲルは自分の顔をゆっくりとシイの顔へと近づけていく。無防備なシイにカヲルの顔が接触しようかというその瞬間、何かが二人の顔の間を凄まじい早さで通り過ぎていった。

 

 二人が何かが飛んできた方向へ視線を向けると、そこには右手に石を持ったレイが立っていた。無表情で、しかしその目に明らかな殺意を込めて。

「綾波さん?」

「や、やあ……こんなところで会うなんて奇遇だね」

 引きつった笑みを浮かべるカヲルに答えず、レイは右手に持った石を振りかぶる。

「……目標を補足。殲滅します」

「良いわよレイ。徹底的にやっちゃって」

「悪い虫の駆除が、我々の使命だからな」

「ああ、問題無い」

 投擲態勢に入ったレイの背後から、リツコと冬月、そしてゲンドウが姿を見せる。何処から出てきたと突っ込む間もなく、更なる乱入者が現れた。

「ん~良いところだったんだけどね~」

「何言ってんのよミサト! シイが変態の毒牙にかかるとこだったのよ!」

 スイカ畑の脇にある草むらから、ミサトとアスカも這い出てきた。

「はっはっは、若いってのは良いですね。ただ……抜け駆けは駄目ですよ、渚君?」

「渚……あれだけ言うたやろ。シイの扱いは気をつけた方がええって」

 ベンチの側にある自販機の影から、時田とトウジまでも出現してきた。

 

「え、え、ええぇ!?」

 突然の全員集合にシイはすっかり混乱しきっていた。一方カヲルは、自分の置かれた状況を理解しているのか、微笑みながらも頬を冷や汗が伝う。

「どうやらみなさんお揃いの様ですね」

「フィフスチルドレン。話は全て聞かせて貰った」

「君の末路がどうなるかは、分かっているな?」

 ゲンドウの言葉と同時にジオフロント中に潜んでいた黒服、保安諜報部員達が一斉に姿を見せる。その全員の手には銃が構えられており、照準は全てカヲルに合わせられていた。

(やはり……リリンにとって、僕は死すべき存在か)

 使徒としての力を使えばこの場に居る全員を殺し、アダムの元へ向かう事も出来た。だがもうカヲルにその意思は無い。

(彼女と出会えて、受け入れて貰えた。十分さ)

 両手をあげて無抵抗を示し、カヲルは死を覚悟する。だが事態は彼の予想の斜め上へと向かう。

「……渚カヲル」

 ゲンドウは全身にただならぬ空気を纏い、カヲルの元へと近づいていく。夕暮れのジオフロントが、使徒との戦い以上の緊張感に包まれる。

 そして。

「娘は……シイはやらんぞぉぉぉ」

 夕暮れのジオフロントに、ゲンドウの魂の叫びが響き渡るのだった。

 

「え?」

「もしもお前がシイと付き合いたいのなら、この私を倒してからにしろ」

 カヲルを指さし、父親としての威厳を見せつけるゲンドウ。

「いや、あの……」

「当然私もだ。山登りで鍛えた体力には自信がある。老人と侮って貰っては困るよ」

「その次は私よ。技術局の総力をあげて、貴方を倒して見せるわ」

「……碇さんは渡さない。私が守るもの」

 急展開について行けないカヲルを余所に、ゲンドウ達はシイを守るように立ちはだかる。黒服達もゲンドウの意見に賛成なのか、何度も小さな頷きを見せていた。

「えっと、僕が使徒という話は……」

「それは後で考えれば良い」

「ああ。今はお前とシイの事が最優先事項だ」

 ネルフのトップにあるまじき発言だが、誰もそれを咎めようとしない。彼らの心はゲンドウと同じなのだ。

 

 事態を理解出来ないのは、シイも同じだった。何やら物騒な空気に困惑しながら首を傾げる。

「えっと……どうなってるの?」

「はいはい、シイちゃんはここから離れてようね」

「あんたが居ると、余計に話がややこしくなるのよ」

「ま、後は渚が男を見せるかどうかや」

 戸惑うシイはミサト達に連れられて、その場から強制的に離脱させられるのだった。

 

「さあ、渚カヲル。シイが欲しければ、我々を乗り越えて見せろ」

「シイ君を……渡しはしない」

「そうよ。シイさんは私のもの」

「……私の」

 戦闘態勢に入るゲンドウ達だが、そこにはカヲルを使徒として見ている者は居ない。誰もがカヲルを個人として、シイを狙う一人の少年と認識していた。

(リリン……やはり僕には理解出来ないよ。でも、彼らは滅ぶべきでは無い)

 カヲルは少しだけ嬉しそうに微笑むと、どうやってこの場を切り抜けるか真剣に考えるのだった。

 




渚カヲル……第十七使徒タブリス。『自由意志』を司る彼は自らの意思で、使徒としての使命では無く、不確定なリリンとの共存を選びました。
彼以外の使徒では、そもそも選択肢自体が無かったでしょう。

物語はいよいよ最終局面へ向かいます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《涙……》

いよいよ残り少なくなってきたアホタイムです。

時間軸はゲンドウと和解後、カヲル登場前となっています。


 

~シイの涙~

 

 ある日の夕方、葛城家のリビングで家計簿を広げているシイの姿があった。片手で算盤をはじき、黒ペンと赤ペンで丁寧に数字を書き込む様子は、まさに小さなお母さんそのものだ。

「ん~今月はちょっと苦しいかも……」

 ページのほとんどが赤で染まった今月の収支を見て、シイは一人ため息を漏らす。

「生活費がこれで……食費はこうなって……水道光熱費と……」

 右手でレシートや領収書を捲りながら、シイの左手は高速で算盤をはじき続ける。だが、何度計算してもやはり結果は変わらない。

「……赤字だよ。どうしよう」

 ガックリと肩を落としてシイは頭を抱える。そもそも葛城家の家計は、ミサトの給料から出る生活費と、シイとアスカを預かっている分の養育費で成り立っていた。

 だが度重なるミサトの減給によって生活費は激減。それでも節約などのやりくりで、どうにか足が出ないようにしていたのだが……遂に限界を迎えた。

 

 こういう時は原因の究明と、その対策を行うのがセオリーなのだが、既に原因は分かっていた。

「ミサトさんのビール代と……アスカの雑費だよね」

 缶ビールをこよなく愛するミサト。一つ一つは小さな出費だが、塵も積もれば山となる。一日に十本以上飲む彼女の出費が、エンゲル係数を跳ね上げる要因となっていた。

 それ以上に厄介なのがアスカの雑費だ。彼女は化粧品からシャンプー、ハンドソープに至るまでこだわりを持っていて、シイが安売りで買いだめする物を使おうともしない。

 特売日を逃さずに購入していたのだが、これもまた家計圧迫の要因だ。

「ミサトさんは発泡酒にすると泣くし、アスカは自分の決めた奴じゃないと怒るし……うぅぅ」

 万策尽きたと、シイは恨みがましく家計簿を見つめる。勿論赤字が黒字に変わる筈もなく、シイは思考のスパイラルに陥っていた。

 

「たっだいま~」

 そんな時、玄関からアスカの元気な声が聞こえてくる。

「お帰りアスカ」

「何よ暗い声出して……って、あんた何やってんの?」

 リビングに入ってきたアスカは、机に広げられた家計簿を見て不思議そうに首を傾げる。幼少からネルフで育った彼女にとって、家計簿など縁の無い代物だったからだ。

「あ、うん。今月の家計簿をつけてたんだけど……ちょっと厳しくて」

「はぁ? ミサトは結構高給取りでしょ? 国際公務員で、地位だって高いんだから」

「……減給されちゃってるから」

 理由を詳しく知らないが、ミサトは以前からたびたび減給を言い渡されていると、アスカも聞いていた。それでも悩むほど給料が安いはず無いとアスカは家計簿を覗き込み、顔を引きつらせた。

「ちょ、ちょっと、これマジなの?」

「うん」

「いくら何でもおかしいでしょ。ミサトはどれだけ給料引かれてんのよ」

「私が来てから、半分くらいになってると思う」

 シイの言葉にアスカはすっかり呆れ果ててしまった。人類を守る前に、自分の家の家計を守らなければならないなんて、馬鹿らしいにも程がある。

「で、あんたはそれで悩んでたって訳?」

「うん。こうなれば支出を減らそうと思ったんだけど」

「ミサトのビール代を削れば良いじゃん」

「……泣くから」

「ああ……」

 以前に一度、ミサトのビールを発泡酒に変えた事があった。シイにしてみれば苦肉の策だったのだが、反応は予想以上に激しかった。ミサトはみるみるやつれていき、最終的に泣きながらシイにビールを懇願したのだ。

 そんなミサトの姿を見たく無いと、シイはそれ以来ビールを決して切らすことは無かった。

「あれは一種の病気ね。他に無いの?」

「後はアスカの化粧ひ――」

「却下よ。あたしはデリケートなの。安物なんか使え無いわ」

「だよね……うぅぅ」

 一切の躊躇無く拒否したアスカに、シイは完全にお手上げとなってしまった。残る手段は一つ。

「こうなったら私のお小遣いを無しにしよう」

「あんた、小遣いなんか貰ってんの? 幾ら?」

「月に三千円……」

「しょぼ」

「うぅぅ、だけどこれを浮かせれば……うん、ギリギリだけど何とかなりそう」

 左手で素早く算盤をはじき、どうにか赤字を免れたシイは、ほっとしたように胸をなで下ろした。自分が割を食った形になったが、家計崩壊に比べるまでもない。

 

「へぇ、あんた妙な特技持ってんのね」

「特技?」

「それよ、それ」

「算盤? 特技なんてものじゃないよ。お婆ちゃんはもっと早く出来るし」

 碇家でシイは様々な習い事をしていた。算盤もその一つなのだが、身近に自分よりも遙かに優れた人が居たため、特技という認識は無い。

「ソロバンね~。初めて見たわ」

「はは、そうかも。今はみんな電卓を使うから」

 学校の授業ですら端末を使用するこの時代に、わざわざ算盤を使う人間は少なかった。

「あんたはなんで使わないの?」

「……電卓苦手なの。良くボタン押し間違えて、全部消しちゃうから」

 一つのミスで今までの計算が全て消える。そんな文明の利器とシイは非常に相性が悪かった。なのでこうして、日本古来の計算道具を使っている。

「とにかく、あんたの悩みは解決って事で良いのね?」

「うん……」

 解決と言えば解決だが、決して円満解決では無かった。

「ならご飯作ってよ。もうお腹ぺこぺこなの」

「今煮込んでる所だからもうすぐ出来るよ。お風呂沸いてるから、先に入ったらどうかな?」

「そうね。じゃ、お先に」

 バスルームへと姿を消すアスカを見送ると、シイは小さくため息をつく。お小遣いが無くなると言う事は、シイの楽しみが無くなることと同義なのだから。

(はぁ。今月はチョコレート買えないのか……)

 

 

 それから二週間後、ネルフ本部ではシンクロテストが行われていた。

「どう、マヤ?」

「前回の数値よりも、20低下しています」

 リツコはマヤのディスプレイを覗き込み、報告通りの結果に眉をひそめる。四人のチルドレンの中で、シイの数値だけが極端に下がっていたのだ。

「神経パルスにも若干の乱れが生じています」

「困ったわね」

 絶不調のシイにリツコは顔をしかめる。エヴァとのシンクロは、パイロットの精神状態に大きく左右される。間違い無くメンタルの問題だと分かるのだが、肝心の原因が全く掴めない。

「アスカ達は……問題なしね」

「はい。計器や測定装置の異常、誤差は認められません」

「シイさん個人の問題か。ミサト、あなた何か心当たりある?」

 同居人なら何か知っているかとリツコは、腕組みしてテストを見守るミサトに尋ねる。だが彼女にも心当たりが無いようで、難しい顔のまま首を横に振った。

「家じゃ変わった様子は無いわね。学校でも普段通りだって報告受けてるし」

「外的要因じゃ無いとすれば……内的要因、シイさんの中で何かがあるって事かしら」

「でも碇司令とも和解出来たし」

 今のシイに心の問題があるとは思えなかった。

「原因は不明。でも、いつまでもこのままって訳にはいかないわ」

「直接聞く?」

「正直気は進まないけど、彼女のためにもやるしかないわね」

 リツコはモニターに映るシイを見て、決意を固めるのだった。

 

 

 実験終了後、シイはミサトとリツコに呼び止められ、リツコの研究室へと連れてこられた。自分だけの呼び出しとあって、シイは不安そうに二人へ尋ねる。

「あ、あの、私何かしちゃいましたか?」

「いいえ。少し聞きたい事があるの」

「ねえシイちゃん。あなた最近、悩み事とかあるでしょ」

 一切の無駄を省き、ミサトは単刀直入に尋ねる。カウンセリングを囓っているリツコは、あまりに直接的な質問に眉をひそめるが、シイはびくっと肩を震わせてミサトの質問を肯定してしまう。

「それは私にも話せない事なの?」

「う、うぅぅ」

 むしろミサトだから話せないのだが、それを口にする事は出来ない。

「私はシイちゃんの力になれない?」

「違うんです……」

「なら聞かせて。貴方が解決出来ない悩みも、大人の私達ならどうにか出来るかもしれないわ」

「それは……ちょっと……」

 大人のミサトのせいで自分が悩んでいるとも言えない。

「貴方は私の大切な家族なの。家族が困っていたら、助けたいと思うのが当然でしょ」

「ですから……」

 ミサトが親切に優しく暖かい言葉を掛けるたびに、シイはどんどん追い詰められてしまう。その悪循環を察して、リツコがため息混じりに口を挟む。

「そこまで。あんまり矢継ぎ早に言っても、シイさんが困ってしまうわ。少し落ち着きなさい」

「……ごめん。ちょっと焦りすぎたわ。シイちゃんごめんね」

「いえ、良いんです」

 ミサトは本気で自分の事を心配してくれている。それは分かる。分かるからこそ、余計に辛かった。

 

「一息入れましょう。コーヒーを入れるわ」

 リツコは手早くサーバーでコーヒーを注ぐと、二人にカップを手渡す。部屋に広がるコーヒーの香りが、ミサトとシイの気持ちを落ち着かせた。

「ふぅ~。染みるわ」

「美味しいです」

「ふふ、ありがとう。そうそう、この間お土産を貰ったの。折角だし一緒に食べましょう」

 リツコは棚の奥から四角い紙の箱を取り出す。

「さっすがリツコ。気が利くわね。お土産ってお菓子?」

「ええ、チョコレートよ」

「!!??」

 リツコが箱の蓋を取ると、箱の中に収められたチョコレートが露わになる。一目で高級と分かるそれは、チョコレート断ちしていたシイにとって、あまりに魅力的だった。

 うっとりとチョコを見つめるシイの口元から、一筋のよだれが垂れる。

「シイちゃん」

「はい」

「よだれ、出てるわよ」

「はっ!」

 夢見心地から一気に現実へと引き戻され、シイは慌てて口元をぬぐう。だがあまりに怪しいその姿に、ミサトとリツコは疑惑の視線を向ける。

「あ、あはは。あんまり美味しそうなチョコだから、つい……」

「じぃぃぃ」

「そ、その……」

「ねえ、シイちゃん。ひょっとして、最近チョコを食べてない?」

 見事に核心を突いたミサトの一言に、シイは思い切り動揺する。隠し事が出来ない彼女の反応に、二人は間違い無いと小さく頷く。

「なるほど、それが不調の原因なのね。でもどうして食べなかったの?」

「まさかダイエット……は無いわね」

 小さく細身のシイがこれ以上やせたら、それこそ骨と皮だけになってしまう。本人も小さな身体にコンプレックスを持っているので、その線はあり得ない。

「なら、また虫歯……ううん、ご飯はちゃんと食べてたし」

「まさかシイさん。誰かに脅されてるの!? チョコを食べちゃ駄目だって」

「へっ!?」

 突拍子も無い事を言い出すリツコに、シイは思わず間の抜けた声を出してしまう。

「何て事……シイさんにとって、チョコがどれだけ大切なものだと思ってるの」

「そんなふざけた事言い出すのは……碇司令しかあり得ないわね」

「ち、違うんです」

 勝手に話を盛り上げる二人にシイは慌てて否定するが、もはや耳に届く事は無かった。彼女達の中ではゲンドウが鬼の様な冷徹さで、シイからチョコを取り上げたというシナリオが出来上がっていた。

「こうなったら直談判よ。私のシイさんに、こんな辛い思いをさせるなんて許せないわ」

「ええ。微妙に嫌な言葉が聞こえたけど、前半は同意するわ」

「だから……そうじゃなくて……」

「さあ行くわよミサト、シイさん」

 リツコとミサトはシイを引きずるように、司令室に突撃するのだった。

 

 

「……それで、私の所に来たのか」

 凄まじい剣幕で司令室に殴り込んできた二人をどうにか落ち着かせ、ひとしきり事情を聞いたゲンドウは不機嫌そうに呟いた。彼にしてみれば職務を邪魔されて、身に覚えの無い疑いを掛けられたのだから、当然の反応と言えるだろう。

「ええ。さあ司令、今すぐにチョコ禁止を解除して下さい」

「誤解だ。私はシイに何もしていない」

「しらを切るって言うんですか!」

「他に誰が居ると言うのです」

 今にも飛びかかってきそうな二人の勢いに、ゲンドウは少し考えてから腹心へと意見を求める。

「……冬月、どう思う?」

「老人達の仕業と考えるのが妥当だろうな」

「「ゼーレ……」」

 とんでもない所まで話が進んでしまった。まさかゼーレも、こんな下らない疑いを掛けられているとは、夢にも思っていないだろう。

「……老人達か。どうやら全面対決は避けられぬようだ」

「所詮、人間の敵は人間だよ」

「まだ準備は万全ではありませんが、時間がありません」

「司令、ご決断を」

「……総員第一種戦闘は――」

「待って下さい!!」

 覚悟を決めたゲンドウ達を、シイの悲鳴混じりの叫びが食い止める。もう恥も外聞も無い。これ以上黙っていたら、本気で止められない所まで行ってしまうのだから。

「私は……誰にもチョコを食べちゃ駄目なんて、言われてません」

「ならシイ。何故チョコを食べない」

 おかしな問答だが、当の本人は大まじめだ。ゲンドウの問いかけに、シイは小さな声で答える。

「それは…………から」

「大きな声で言え」

「だから、お金が無いからです!」

 情けない理由を叫びながら、シイは本気で泣きたくなった。

 

 シイは全てをゲンドウ達に話した。家計が苦しくお小遣いを削ったのだが、そのせいでチョコが買え無かったと。あまりの情けなさに、話しながら涙が止まらなかった。

 そんなシイをリツコは優しく抱きしめながら、役得とばかりにニヤニヤと笑う。

「何と言う事だ……。シイ君がこれ程苦しんで居るというのに、私は」

「葛城三佐。申し開きはあるか?」

 普段通りの口調で問い詰めるゲンドウだが、サングラスの奥に隠された目は本気で怒っていた。信じて預けていた娘がこの扱いを受ければ、やはり当然の反応だろうが。

「えっと……元々減給されたのが原因では?」

「自業自得でしょ。反省なさい」

 完全アウェーのこの場所で、ミサトの味方は誰一人居なかった。

 

「もう心配いらないわ。お姉さんがお腹一杯、チョコを食べさせてあげるから」

「お姉さんと言う歳でもあるまい。シイ君、私が買ってあげよう」

 冬月とリツコの間に軽く火花が散った。

「あら、副司令。散財せずに、老後の暮らしを心配されたら如何です?」

「生憎と蓄えはあるから余計な心配は不要だ。君こそ結婚資金を貯めたまえ。まあ、無駄かもしれんが」

 激しい舌戦を繰り広げる冬月とリツコを余所に、ゲンドウはシイに問いかける。

「……シイ、何故給料を使わない?」

「え?」

「お前には毎月、ネルフから給料が振り込まれている筈だ。何故使わない?」

 ゲンドウの言葉に冬月もリツコも遅ればせながら気づく。シイはネルフの職員として正式に契約している為、毎月少なくない額の給料が振り込まれている。

 よほどの無駄遣いをしない限り、お金が無いという事態はあり得ないのだ。

「そう言えばそうだ。シイ君、どうしてかな?」

「何か理由があるのかしら?」

「……私、お給料貰ってるんですか?」

 きょとんとするシイに、その場に居た全員が首を傾げる。給料は口座への自動振り込みだから、何もしなくても毎月カードの残高が増えていく。気づかないはずは無いが……。

 そこで冬月がまさかと懐から財布を取り出し、一枚のキャッシュカードをシイに見せる。

「シイ君。一つ聞くが、君はこんなカードを持っているかな?」

「いいえ。お小遣いはいつも手渡しですし」

「変ね。契約の時に給与振り込みの口座を開設したから、カードが渡される筈だけど」

「……あ゛」

 リツコの言葉に今まで沈黙していたミサトが、何かを思い出した様な声を漏らす。

「ミサト……まさかとは思うけど」

「あ、あはは、シイちゃんのカード……預かったままだった」

 てへへと頭を掻くミサトだったが、ゲンドウ達の視線は冷たさを増す。今回の元凶は正真正銘、葛城ミサトだったのだ。

「……赤木君。シイをお菓子屋に連れて行ってくれ。私達は葛城三佐に話がある」

「分かりましたわ。さあ、シイさん」

 リツコに背中を押されて、シイは司令室から出て行ってしまう。後に残されたのは恐ろしく怒っているゲンドウ達と、冷や汗が止まらないミサトだけとなった。

「葛城三佐……何か申し開きはあるか?」

「ここでの偽証は死罪に値する。心して発言したまえ」

「……ちょっち、ミスりました」

 その後、ミサトの体内にアルコールが入る事は無かった。

 

 

「シイさん、好きなだけチョコレートを買って良いわよ」

「良いんですか?」

「ええ。全部ミサトに払わせるから」

 お菓子屋にやってきて目を輝かせるシイに、リツコはさらりと言ってのける。本来ならミサトを気遣って自裁するシイだが、長期間のチョコ断ちをしていた今、彼女は止まらない。

「分かりました……すいませ~ん、チョコレート全部下さい」

 たっぷりのチョコレートに囲まれて、シイは幸せそうな笑顔を浮かべるのだった。




よくよく思い返してみると、ミサトの給料って結構悲惨な事になってますよね。一話から始まった減額への道、ここが終着点です。

給料などお金に関しての情報が無かった為、完全に作者の妄想で書いてます。原作と矛盾が生じると思いますが、ご了承下さい。

箸休めの小話も終わり。そろそろケリをつけに参りましょう。
TV版25話『終わる世界』ではなく、旧劇場版25話『Air』のルートに進みます。TV版ベースと謳っておきながら、申し訳ありません。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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25話 その1《大切な一歩》

 

 ジオフロントでの騒動の後、一同はネルフ本部司令室へとやってきた。盗聴盗撮の心配が無いこの部屋で、カヲルはシイ達と向かい合う様に立つ。

「渚カヲル。お前が使徒と言うのは間違い無いな?」

「ええ。あれだけ大暴れした後に、確認されるとは思いませんでしたが」

 威厳を込めて尋ねるゲンドウに、カヲルは苦笑しながら答える。ジオフロントで大立ち回りを繰り広げ、カヲルはATフィールドまで展開したのだから、もはや疑う余地も無いだろう。

「改めて。僕こと渚カヲルは、タブリスと言う名を与えられた使徒です」

「ふむ。タブリスと言えば確か『自由意志』を司る天使の名前だったね」

 一通り聖書にも目を通していた冬月が、あごに手をあてながら記憶を呼び起こす。

「流石は副司令、博識だ。シイさんが先生と呼ぶのも分かりますよ」

「ま、まあ常識だよ」

 カヲルのよいしょに冬月は平静を装うが、その顔は嬉しそうに緩んでいた。だがリツコ達女性陣に冷たい視線を送られ、慌てて厳しい表情へ戻る。

「こほん。君はゼーレから送り込まれてきた。彼らは使徒を生み出す術を持っているのかね?」

「いえ。彼らは単に、僕の魂をサルベージしたに過ぎません」

「詳しく聞かせてくれる?」

 食いつくリツコに、カヲルは小さく頷くと話の続きを語る。

「僕の身体は、アダムに人の遺伝子を融合して生み出されました」

「じゃあカヲル君は使徒と人のハーフなの?」

「ふふ、シイさんは面白い表現をするね。まあ両方の遺伝子を持つと言う意味では、その通りだよ」

「ではその身体に、使徒である貴方の魂を宿したのね?」

 確認するように尋ねるリツコにカヲルは優雅に頷く。目の前の少年、使徒を生み出したのが人間であるとわかり、一同は何ともやり切れない気持ちであった。

 

「渚カヲル。ネルフ司令として改めて君に問う。今の君が望む事は何だ?」

「改めて答えましょう。僕は君達リリンと共に生きたい。それは偽りない僕の本心です」

「それがゼーレを裏切る事になってもか?」

「僕は彼に造られた存在ですが、仲間ではありません。裏切りにすらなりませんよ」

 これはカヲルの本心だった。彼らゼーレはカヲルを、自分達の目的を果たすための道具として、利用しようとしていた。そこに友好的な感情などありはしない。

 今までの経緯とカヲルの発言を聞き、冬月は満足そうに頷きながらゲンドウへ声を掛ける。

「決まりだな、碇」

「……ああ。渚カヲル、我々は君をフィフスチルドレンとして、改めて受け入れる」

「ふふ、ありがとうございます」

 微笑みを浮かべながら優雅に一礼するカヲル。この瞬間、彼は正式にネルフの一員として認められたのだ。

 

 

 カヲルがシイ達と共に司令室から出て行くと、冬月は困り顔で口を開く。カヲルの加入はネルフにとって最高の出来事だが、それが想定外の事態を生んでいた。

「少々難しい状況になってきたな」

「ああ。使徒を全て倒せば生命の樹が出現する。それが死海文書の予言だった」

 生命の実を守る使徒を全て殲滅した後、エヴァによる儀式を行うことで生命の樹が出現する。それこそが人類補完計画の要だったのだが。

「でも渚君は生きている」

「当然、ゼーレの望んでいたサードインパクトも起こらない」

「これは流石に予測していなかった展開ですな。勿論ゼーレにとってもでしょうが」

 時田の言葉はこの場に居る皆の心の代弁だった。今までは最後の使徒を倒した後、ゼーレの補完計画を阻止する為に、秘密裏に動いてきた。だがそもそも補完計画自体が起こらないとしたら……。

「奴らはどう動くつもりだ?」

「……まだゼーレの計画が潰れた訳では無い」

「と言いますと?」

「渚君を殺せば人類補完計画は可能なのよ。今の状況は極めて不安定だから」

 今の状態はあくまで先延ばしに過ぎない。不測の事態が発生しカヲルが命を落とせば、使徒は全て滅びる。ゼーレの望みは潰えていないのだ。

「ゼーレは渚君を暗殺するかもしれませんな。出来れば、の話ですが」

「彼を人間がどうにか出来るとは思えん」

「ああ。ATフィールドを持つ使徒である以上、通常兵器では歯が立たんよ」

 人間と同じ姿をしているから忘れがちだが、カヲルも使徒。ATフィールドを展開すれば、N2兵器すら耐えきるだろう。そんな存在相手に暗殺などは、ナンセンスとしか言いようが無かった。

 それ故にゼーレの次の手は自然と絞られる。

「使徒に対抗できるのは、同じ使徒から造り出されたエヴァだけだからな」

「て事は」

「ゼーレがとれる行動は、既にロールアウトしているエヴァ量産機による、直接攻撃ね」

 世界各国を飛び回っている加持から、ゼーレは独自に製造したエヴァンゲリオンを、既に九体完成させていると情報が入っていた。それを使えばカヲルの殲滅も実現可能かもしれない。

「同時にネルフ本部の占拠、あるいは壊滅を実施すれば、奴らにとって一石二鳥だな」

「……老人達はなりふり構わずに来るだろう」

「どうしますか、碇司令?」

「奴らが渚カヲルの叛意に気づくまで、まだ僅かだが時間がある。対エヴァ戦の準備を進めろ」

 全てはゼーレの補完計画を阻止し、人類が自分達で未来を切り開く為の戦い。今更迷いがある筈も無く、ゲンドウの指示にミサト達は力強く頷いて答えるのだった。

 

 

 その頃シイ達は、ネルフ本部の食堂で夕食をとっていた。シイの料理が食べられずアスカは不満そうだったが、流石に今から家に帰って料理をつくる訳にもいかず、渋々納得した。

 五人のチルドレンは食事をしながら会話を交わす。話題はやはりカヲルの事がメインだった。

「にしても、まさか渚が使徒やったとはな」

「ふふ、驚いたかな?」

「そりゃな。まあ、変な奴やとは思っとったし、今更な気もするわ」

 うどんをすすりながら、トウジはあっけらかんと言い放つ。使徒と戦った経験が少ない彼は、四人の中で一番使徒に対しての敵対意識が低く、カヲルを受け入れる事にも抵抗が少なかった。

 

「あんたさ、本当に使徒なの?」

「おや、どういう事かな?」

「何つーかイメージが違うのよ。もっとこう、ぐわーって感じにならないの?」

 アスカは両手を広げて、おどろおどろしい物をアピールする。海やマグマで使徒とデスマッチを繰り広げた彼女には、人型の使徒というのがいまいち信じられないようだ。

「僕はベースの身体に、使徒の魂を宿したものだからね。他の使徒とは少し違うかもしれない」

「ますます疑わしいわね」

「ふふ、なら証拠を見せようか?」

 カヲルは立ち上がると、隣の席でオムライスを食べていたシイにも立ち上がるように促す。そしてカヲルの意図を理解出来ずに首を傾げるシイの身体を、思い切り抱きしめた。

「ふえぇ?」

「な、何してんのよ!」

 目の前で行われた破廉恥な行為に、アスカは顔を真っ赤にしながら拳を握ると、鉄拳制裁を食らわせるべくカヲルに迫る。だがカヲルの前に展開された光の壁が、彼女の突進を容易く止めてしまう。

「え、ATフィールド!?」

「そう、君達リリンはそう呼んでいるね。何人にも侵されざる聖なる領域。心の光」

「このっ! このっ!」

 アスカが何度も拳を叩き付けるが、ATフィールドはびくともしない。

「君達にも分かっているのだろ? ATフィールドは誰もが持ってる、心の壁だと言う事を」

「なろぉぉ!」

 ついにはフロントキックまで繰り出すアスカだったが、生身の身体でフィールドを突破する事は出来なかった。荒い呼吸をつきながら、仕切り直しとばかりに少し距離をとる。

 それと入れ替わるように、トウジが興味深げにATフィールドに近寄ると、ぺたぺたと手で触れる。

「こりゃ凄いで。ホンマに壁や」

「ありがとう、トウジ君」

「何和んでんのよ! てかあんたもさっさとシイから離れなさいよ! 使徒だって認めてあげるから」

「…………」

 アスカの叫びに、しかしカヲルは抱きしめたシイを離そうとしない。真剣な表情を浮かべていたかと思えば、不意に何かを思いついたかのように軽く微笑む。

「そうか。最初からこうすれば良かったのか」

「はぁ?」

「こうしておけば、何人たりとも僕の邪魔は出来ない。全ては流れのままに」

 カヲルは自分の中で結論を出すと、未だ事情が出来ずにいるシイへ顔を向ける。

「シイさん。君にとって僕は何者なのかな?」

「お友達だよ」

 即答するシイ。それはカヲルにとって嬉しい言葉なのだが、ここは更に一歩先に踏み込む。

「彼女達も?」

「うん、お友達だよ」

「聞き方を変えよう。君にとって、友達以上の存在は居るのかな?」

「ん~えっと……友達以上かは分からないけど……お父さんは大切な人かな」

 僅かに頬を染めて答えるシイに、カヲルは改めて確信した。この子は何も分かっていないと。

 

「残念だったわね。生憎とシイは天然記念物的な存在なの。あんたの戯言なんか効きやしないわ」

「うぅぅ、何だか馬鹿にされたような気がする」

「よく分かったわね」

「うぅぅ」

 アスカにあっさりと肯定されて、シイは軽く凹んだ。

「そういう事だから、さっさとこの壁どけてシイを離しなさいよ」

「いや、無垢な魂に色をつけるのも、それはそれで……」

「なあ渚。悪い事は言わん。シイにだけは手を出さん方がええ」

 暴走し始めたカヲルに、トウジは本気で心配するように声をかける。そのあまりにシリアスな態度に、カヲルは不思議そうに首を傾げた。

「どうしてだい?」

「……あんな、惣流よりも怖い奴が……そこに居んねん」

 トウジの視線の先、そこには全身にどす黒い空気を纏った、レイの姿があった。

 

「あ、綾波……レイ」

 冷や汗を流すカヲルに、レイは無言のまま近づいていく。ATフィールドがそれを阻止しようと輝くのだが、レイは手をフィールドに差し込むと、まるで布を切り裂くかのように、いとも容易く引き千切った。

 信じられない光景と、あまりに凄まじいレイの迫力に、アスカもトウジもただ怯えるしか出来ない。

(れ、レイの奴、マジで切れてない?)

(あかん。こりゃあかんで)

(あんた止めなさいよ。男でしょ)

(無茶言いなさんな。あの綾波を止めるなんて、エヴァでも無理や)

 がたがたと震える二人が見つめる中、レイはカヲルの目の前へとたどり着いた。

「わ、分かった。シイさんは離すから」

 まるで追い詰められた悪役の様に、カヲルは狼狽しながらシイを解放する。だが今のレイは止まらない。

「話し合おう。会話というのはリリンが生み出した文化の――」

「……さよなら」

 カヲルの説得にレイが返したのは短い別れの言葉。そして、食堂に光が満ちた。

 

 突然の爆発音に慌てて駆けつけたゲンドウ達が見た物は、無残に破壊し尽くされた食堂区画と、全身黒焦げになりつつも生き残った、カヲルの姿だった。

 




ネルフの大人達がカヲルの存在を受け入れたのは、やはりシイの影響が大きいです。少しずつではありますが、彼らもまた成長、あるいは変わってきているのでしょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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25話 その2《嵐の前の静けさ》

 

 ネルフ本部司令室では、ゲンドウが疲れ果てた様子で机に突っ伏していた。そんなゲンドウに、傍らに立つ冬月がねぎらいの言葉をかける。

「ご苦労だったな」

「……ああ」

「なかなか見事な開き直りっぷりだったぞ」

「……ああ」

「概ね好意的に受け入れている様だ。賛同できない者は、残念ながら離れて貰う事になるな」

「……ああ」

 ゲンドウがここまで疲れているのは、先程まで行っていた釈明会見のせいだった。

 先の食堂での一件は、単なる爆発騒ぎで済ませられなかった。カヲルがATフィールドを発生させた事で、優秀な探知機が彼の存在を素早くキャッチ。スタッフ達は本部内に使徒侵入と大騒ぎになった。

 保安諜報部が事態の鎮圧に奔走したが、流石にもみ消す事は出来ずに、ゲンドウはこの機会にスタッフ達全員に全てを伝える決断を下したのだ。

「司令直々の会見。想像以上の賑わいだったな」

「……もう二度としないぞ」

「あら、それは残念です」

 丁度司令室にやってきたリツコが、からかうようにゲンドウに声を掛ける。言葉数が少ないゲンドウが、珍しく喋り続けた姿が面白かったようだ。

「警報の件は安心を。MAGIに細工しておいたので、外部への自動連絡は作動しておりませんわ」

「一安心だな」

 今回の一見を内々で処理出来る事に冬月は安堵した。

「……スタッフの様子はどうだ?」

「司令の真摯な言葉が通じたのでしょう。今のところ受け入れている様ですわ」

 リツコにクスクスと笑われ、ゲンドウは表情をしかめる。

「災い転じて、だな。これで憂いは晴れた訳だ」

「ええ。今のネルフは、ゼーレの支配下から完全に離れました」

 所属する人間が一丸となった組織は強い。団結こそがリリンにだけ許された力なのだから。

 

「……シイ達はどうしている?」

「今は学校へ。せめて一時でも、殺伐とした世界を忘れて欲しいですから」

 既にゼーレとの戦いが秒読み段階に入っている為、本来ならチルドレンは本部待機させておきたい。だがシイ達には、ギリギリまで普段通りの生活を送らせたいと言うリツコの配慮もあって、特別な待機命令は出していなかった。

「渚君もかね?」

「ええ。何か問題がありまして?」

「……何事も無ければ良いが」

 カヲルがやってきて以来、色々な意味で冬月の気が休まるときは無かった。

 

 

 同時刻、ネルフ本部のヘリポートに一機のVTOLが着陸した。開いたハッチから姿を見せたのは、長らく本部を離れていた加持リョウジだった。

「やれやれ、日本はやっぱり暑いな」

「おかえりなさい、加持君」

「や、暫く」

「随分と長旅だったじゃない」

 そんな彼を出迎えるミサトが、風圧でなびく髪を押さえながら微笑む。加持が行っていた仕事が危険なものだと知っていた為、無事に戻ってきてくれた事を本心から喜んでいた。

「ま、癖の強い連中が相手だ。時間がかかるものさ」

「いけそうなの?」

「表向きはな。ただ人の心は移ろいやすい。こっちが弱みを見せれば直ぐに手の平を返すだろう」

 今はネルフに協力すると言っていても、劣勢になれば裏切るのが目に見えている。誰だって自分の事が一番大切なのだから。

「そうね……でも、当面の敵にならないだけマシかしら」

「傍観者が一番楽だからな」

「まあね。あ、そうそう。報告受けてると思うけど……」

「フィフスの少年、渚カヲル君だな。正直信じられなかったが」

 流石に使徒が味方になるとは、加持も予測していなかった。だがシイならばあり得るかもしれない。それが今までシイを見てきた加持の率直な思いだった。

(博愛主義、か。彼女にとって種族の壁など、存在しないのかも知れないな)

 加持とミサトは並んで、ヘリポートから本部の中へと移動する。

「ところで噂の渚君は居るのか? 司令への報告が終わったら、是非会ってみたいんだが」

「あ~今はちょっち、学校に行ってるわ」

「学校?」

「本人の強い要望でね。彼が居ればシイちゃん達の安全も確保出来るし、正直反対する理由が無いわ」

 カヲルが一緒に居れば、もしゼーレの刺客が襲ってきたとしても、問題無く撃退出来るだろう。カヲル転入の裏には、そんな打算も含まれていた。

「……せめて一時でも安らぎを、か」

「今はそれが限界だけど、いずれあの子達も普通の生活が送れる日が来るわ」

「そうだな」

 加持は小さく頷くと、報告を行うために司令室へと向かうのだった。

 

 

 ネルフ本部発令所では、オペレーター三人組が真剣な表情で端末に向かっていた。高速でのキータッチと、絶え間なく流れるデータをチェックするスキルは、熟練のそれを思わせる。

「よし、こっちはOKだ。青葉の方は?」

「こちらもいけますよ。伊吹の準備はどうだ?」

「データ登録完了。MAGIによる解析を始めます」

 三系統のMAGIが対立しながら結論を導き出す姿が、主モニターに映し出される。発令所の面々は何故か祈るような面持ちで、MAGIの回答を待つ。

「おやおや、何をなさっているんです?」

 そこに現れた時田が、ただならぬ空気を察して不思議そうに尋ねる。

「時田課長。お疲れ様です」

「実は今、渚カヲルの情報を解析している所なんです」

「ほう、彼の情報を」

「俺たちにとっちゃ、油断できない相手っすから」

 青葉の言葉を聞いた時田は、その場の面々に気づかれないよう眉をひそめる。表向きはカヲルの存在を受け入れつつも、やはり使徒に対しての警戒や嫌悪感は残っているのだろうと。

「それで、彼の何について解析を?」

「あ、それはですね――」

「解析結果出ました。主モニターに回します」

 マヤがキーを力強く押すと、巨大スクリーンに解析結果が表示される。それは……。

「シイさんと渚君の……恋愛診断?」

 呆然と呟く時田を余所に、マヤ達は食い入るようにスクリーンに視線を送る。

「メルキオールは……よし。両者間の恋愛関係成立を否定してる」

「バルタザールは……ちっ。条件付きで可能性あり、か」

「カスパーは……えぇ。じゅ、十分にあり得る? 信じられません……」

 三者三様の結論を出したMAGIに、発令所のスタッフは困惑する。だが一番困惑しているのは間違い無く、事態が飲み込めていない時田であった。

「えっと、みなさんは……シイさんと渚君の関係を……気にしていた、と?」

「そうですが」

 何を当たり前の事を、と即答されてしまい、時田は戸惑いながら質問を重ねる。

「もっと他に知りたい事とかあるのでは?」

「何言ってんすか。シイちゃんとの関係が最優先っすよ」

「彼が使徒とか、その辺は?」

「関係無いんです。渚君がシイちゃんと同い年の男の子、それが重要ですから」

(どうやら彼を特別視していたのは、私の方だったようですね……)

 力説する三人に時田は呆れたような表情をしていたが、やがて嬉しそうに微笑むのだった。

 

 

「はっくしょん、はっくしょん、はっくしょん」

「カヲル君、風邪?」

「いや、大丈夫だよ。何処かで誰かが噂でもしているんだろう」

 鼻をずずっとすすりながら、カヲルは優雅に微笑む。その仕草に遠巻きにカヲルを見ていた女子生徒達は、一斉にうっとりと頬を染めた。

「はぁ~、渚君格好いい」

「鼻をすする仕草も、とっても優雅ね」

「くしゃみをしたときの顔、母性本能をくすぐるわ」

 恋は盲目とはよく言ったものだ。そんな女子生徒達の反応に、アスカ達は苦い表情を浮かべる。彼女達はカヲルとシイから、少し離れた位置で様子を見ていた。

 本当ならシイとカヲルを近づけたく無いのだが、レイの暴走を防ぐ為に距離を取る必要があったのだ。

「あ~あ。完全にだまされてるわね」

「まあ、渚のやつは見た目がええからな」

「……中身はポンコツ」

 容赦ないレイの物言いに、アスカとトウジは苦笑いを浮かべる。レイがカヲルに対して異常なまでの敵対心を持っているのは、先日の一件で十分過ぎるほど分かっていた。

 シイが絡むと人が変わるのは前からだが、カヲルには度が過ぎる位だ。

「ねえ。あんたあの変態と何かあったの?」

「……分からない。でも彼を見てると何故だかムカムカするの」

 以前に比べて感情が豊かになったレイだが、それでもここまで明確に敵意をむき出しにするのは初めてだ。

「前世で宿敵同士やったのかも知れんな」

「ふふ、そう言えなくも無いね」

 シイと共に近づいてきたカヲルが、トウジの言葉を遠回しに肯定する。

「みんなで何のお話してたの?」

「大した事じゃ無いわ。ほら、あんたはここに居なさい」

 アスカはシイの手を掴むとレイの隣へと引っ張る。そうしなくては、またあの惨事が再現され無いとも限らない。この面々にとって、シイの扱いは細心の注意が必要なのだ。

 

「おやおや、随分と警戒されてしまったね」

「……当然」

(ふふ、まるで娘を守る母親のようだね。まあ、あながち間違いでも無いか)

 レイの身体はユイの遺伝子から造られている。そして宿っている魂も、ある意味で母親と言えるだろう。ただ過保護すぎる態度は、流石に行き過ぎだと思うが。

「てかあんたは、なんでシイにそんな執着すんのよ」

「美しいものを愛でるのに、理由が必要なのかな?」

「あはは、ありがとう。でもそれならアスカの方が美人さんだよ」

 これは謙遜では無くシイの本心だった。だがカヲルはアスカを一瞥すると、皮肉めいた笑みを浮かべる。

「…………ふっ」

「なっ! あんた今鼻で笑ったわね!」

 顔を赤くして立ち上がるアスカだが、クラスメイトが見ているこの場で暴れる訳にはいかない。拳を振るわせながら、渋々椅子に座り直す。

「あんな、渚。そない口が回るんやったら、もうちいと上手く出来へんのか?」

「そうしたいのは山々だけど、生憎と正直者でね。思った事が口から出てしまうのさ」

「あんた……学校終わったら憶えておきなさいよ」

 舌戦ではカヲルに軍配があがった。

 

 友人達と会話をしていて、シイはふとケンスケの姿が見えない事に気づく。エヴァの新しいパイロットが転校してきたら、一番に食いついてくると思ったのだが。

「そう言えば相田君はどうしたの?」

「ケンスケの奴は、ちょいと野暮用があるっちゅうて席外しとるで」

「野暮用?」

「まあ、あんま気にせんとき」

(今頃ケンスケは、渚の写真を売るんに必死やからな)

 転入生がやってきた日は、ケンスケにとって稼ぎ時なのだ。特にそれが美少女、美少年なら余計に。今頃校舎裏には、女子生徒達が長蛇の列を作っているだろう。

 

「鈴原、授業の教材運ぶの手伝って」

「ほら、愛しのヒカリが呼んでるわよ」

「うっさいわ」

 教室の入り口からヒカリに呼ばれ、トウジはアスカにからかわれながらも腰をあげた。その様子を見たカヲルが、興味深そうに尋ねる。

「へぇ、彼女は鈴原君のガールフレンドなのかい?」

「そうだよ」

「なっ、シイ。お前そないはっきりと……」

 一瞬でトウジの顔が真っ赤に染まる。屋上での告白を経て正式にカップルになったが、他の人から恋人だと言われるのには照れがあった。

「ふふ、なかなか可愛い子じゃないか」

「手ぇ出さんといてや」

「勿論さ。僕にはシイさんがっっっっ!!」

 クラスメイトの死角でレイに思い切りすねを蹴られて、カヲルは顔を引きつらせる。それでも女子生徒達の不思議そうな視線に、微笑みで答えるカヲルは流石と言うべきだろう。

「んじゃ、ちょいと行ってくるわ」

 トウジは軽く手を上げて、ヒカリと共に教室から出て行った。

 

「あの二人、良い感じでやってるみたいね」

「そうだね」

「少し羨ましいよ」

 寂しげに呟くカヲルに、シイ達は不思議そうに視線を向ける。

「愛を育む事で、リリンは未来への希望を紡げる。それは僕には許されない事だから」

「カヲル君……」

「でも見届けたいと思う。リリンが紡ぐ未来を」

 愁いに満ちたカヲルの微笑み。それは女子生徒達にとって、耐えがたいものだったのだろう。教室のあちこちで女子生徒達がバタバタと卒倒していく。

「あわわ、大変」

 慌ててシイと無事だった生徒達が、倒れた女子生徒の元へと駆け寄る。渚カヲル、タブリスはある意味で最強の使徒なのかもしれない。こうも容易く人の心を奪ってしまうのだから。

 

(僕はリリンの未来を見てみたい。それを彼らが邪魔するのなら……僕も戦おう)

 騒がしい教室を見つめながら、カヲルは拳を固く握りしめ、決意を新たにするのだった。

 




カヲルがネルフに寝返った事を、まだゼーレは知りません。なので今頃『まだタブリスは……』なんてやきもきしている事でしょう。

決戦前の僅かな平穏。加持も本部に帰還し役者は揃いました。カヲルも一学生として過ごし、自らも運命に抗うために戦う決意をしました。

そろそろ決着の時ですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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25話 その3《前哨戦》

 カヲルがネルフ本部に派遣されてから一週間が過ぎた。あまりに進展しない事態にゼーレが疑問を抱き始めた頃、彼らにゲンドウが議会の招集を要請してきた。

 受ける義理は無かったのだが、カヲルの動向を探る意味でも、ゼーレは要請に応じる事を決定した。そして今、暗闇の空間でゲンドウとモノリスが向かい合う。

「我らを呼び出すなど、よほどの事なのだろうな?」

「本来なら、君ごときが議会を招集する権利は無い」

「緊急の用件との事だが、相応の内容なのだろうね?」

 登場するや否や、口々にゲンドウへの文句を告げるゼーレ。ただでさえ送り込んだカヲルに、動きが無い事で苛立っていたのだ。そんな時に、ゲンドウからの招集。矛先が向くのもやむを得ないだろう。

「碇……何事なのだ?」

「はい。大至急、皆様の耳に入れたい報告があります」

 肘を着いて口の前で手を組むいつもの姿勢で、ゲンドウは堂々と発言する。

「下らぬ事なら君の更迭もあり得る。心したまえ」

「……第十七使徒についてです」

 ゲンドウの言葉に、ゼーレの面々は一瞬息をのんだ。カヲルを送り込んだゼーレからすれば、この発言がこの場で出る事を想像だにしていなかったからだ。

「ほ、ほう。それは確かに重大な話だ」

「左様。死海文書に記された、最後の使徒だからね」

「それで、その使徒がどうしたのかね?」

「……その前に、皆様に紹介したい者がおります」

 ゲンドウの言葉と同時に、暗闇の空間に一人の少年が姿を見せた。銀髪赤目の少年が現れた瞬間、ゼーレの動揺は隠しきれない程大きくなっていた。

「フィフスチルドレンの渚カヲルです」

「ば、馬鹿な……」

 優雅に一礼するカヲルに、もうゼーレは気が気では無い。そんな焦りを隠す為か、彼らはゲンドウへ見当違いの叱責を飛ばす。

「どういうことかね、碇君。この場に一パイロットを呼ぶなど」

「そ、そうだ。彼にはこの場に居る資格が無い」

「……おかしな事を仰る。私は先程、第十七使徒について話すと申した筈です」

 ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべるゲンドウ。それを見てゼーレの面々は、最悪の事態を想像してしまう。

「まさか……」

「我らを裏切ったのか」

「ふふ、またおかしな事を言ってるよ。僕は元々、貴方たちの味方では無い筈だけど?」

 ポケットに手を入れたまま、さもおかしそうに笑うカヲル。そんな彼の態度がゼーレの感情を逆なでする。明確な憎悪の感情が、漆黒のモノリス越しにも伝わってきた。

「おのれ……恩を忘れたのか、タブリス!」

「恩? さて、何の事やら」

「造物主に逆らおうと言うのか。人形ごときが!」

「……あまり僕を怒らせない方が良い」

 ぞっとする程冷たいカヲルの赤い瞳に、モノリスが震えたように見えた。見た目こそ少年だが、その本質は使徒。ヒトの身では決して抗う事の出来ない、圧倒的なプレッシャーをカヲルは放つ。

「僕は母たるアダムより生まれた。君達リリンに造物主を気取られるのは気に入らないね」

「ぐ、ぐぅぅ」

「そして僕は自分の意思で動いている。人形と呼ばれるのも不快だよ」

 赤い瞳が不機嫌そうに細められる。それだけでゼーレの面々は何も言えなくなってしまった。

 

 沈黙を破るように、キールがゲンドウへ問いかける。

「碇よ。これがお前の答えか?」

「そうです」

 自分達を裏切り袂を分かつのか、と言うキールの確認にゲンドウは即答で返す。問題は多かったが、それに見合う結果を出し続けたゲンドウとの決裂が決定的となり、キールは残念そうに言葉を紡ぐ。

「君は良き友人であり、志を共にする仲間であり、理解ある協力者だった」

「…………」

「滅びこそが新生への喜び。行き詰まった我ら人類は、全てをやり直すべきなのだ」

 従来から一貫しているキールの主張に、ゲンドウは揺るぐこと無く自らの主張をぶつける。

「……死は何も生み出しません。生こそが未来を生み出すのです」

「死は君達に与えよう」

 ゲンドウとゼーレの会話は両者の関係のように、最後まで交わる事は無かった。そしてこの時をもって、ゼーレとネルフは明確な敵対関係へと変わったのだった。

 

 モノリス達が消え、暗闇にはゲンドウとカヲルが残される。

「やれやれ、彼らは何も分かっていないね。生きる事を諦めない者だけが、未来を手にできると言うのに」

「……ああ」

「ここまで啖呵を切ったんだ。もう後には引けないよ?」

 正面切っての宣戦布告。ゼーレは直ぐにでもネルフに対して、攻撃を仕掛けてくるだろう。負けは許されない大勝負が待っているが、ゲンドウに不安の色は微塵も無い。

「問題ない」

「では行こうか。全てはリリンの行く末の為に」

 もう後戻りは出来ない。するつもりも無い。これから始まるのは、未来を掛けた戦いなのだから。

 

 

 第一種戦闘配置中の発令所では、ゼーレの襲撃に備えての作業が行われていた。保有する四機のエヴァは既にパイロットが搭乗しており、何時でも発進出来る状態で待機している。

「市民の避難は全て完了しました」

「第三新東京市、戦闘態勢へ移行」

「迎撃設備のチェックも問題ありません」

 順調に進む戦闘準備に、ミサトは腕組みをしながら頷く。事前に時間が与えられていた為、ネルフは有利な状況でゼーレを迎え撃つ事が出来る。迎撃戦に十分な手応えを感じていた。

「さてと。そろそろゼーレご自慢の、エヴァ量産機のお披露目かしら?」

「どうだろな。俺なら事前にこっちを混乱させる手を取るが」

 計略はゼーレの得意技。それを加持が警戒していると、不意に発令所に警報が鳴り響いた。

「何事?」

「ハッキングです。MAGIに侵入を試みています」

 だろ? と肩をすくめる加持にミサトとリツコは苦笑する。ネットワーク経由での攻撃というゼーレの奇襲も、既に予想された行動だったからだ。当然、対策はぬかりない。

「マヤ。防衛システム起動。万が一にも侵入を許さないで」

 リツコは事前にMAGIへ組み込んでおいた、ハッキング対策のプログラムを起動させる。

「了解。666プロテクトを展開します」

「……逆探に成功。ハッキング元は、ネルフソ連支部のMAGI八号です」

「あそこはゼーレのお膝元だからな」

 青葉の報告に冬月は小さくため息をつく。世界各国に点在するネルフ支部には、加持を始めゲンドウと冬月も説得交渉を行っていたのだが、ゼーレの支配が色濃いソ連支部だけは、情報漏洩を恐れて説得を行わなかった。

「赤木君、やれるな?」

「勿論です。例え全てのMAGIタイプが敵となっても、ここへの侵入は許しませんわ」

 ゲンドウの確認に力強く答えるリツコ。その言葉を証明するかのように、展開されたプロテクトはハッキングをあっさりと撃退するのだった。

「前哨戦は終了か。ゼーレは慌てているだろうな」

「自分達を過信しすぎた結果だ」

 もし事前に手回しをしていなければ、世界中の支部が敵になっていた可能性がある。そうなれば今回の様に、余裕を持って対処できなかっただろう。

 備えあれば憂い無し。ゲンドウは満足げに頷いて見せた。

 

 ハッキングを防いだ直後に、ゲンドウの元に一本の電話が入った。相手は日本政府首相。大物からのホットラインに、発令所のスタッフが緊張の面持ちで見守る中、ゲンドウは普段通りの対応をする。

「……ええ。……分かっております。……では予定通りに」

「どうだ?」

「ゼーレから日本政府に、戦自による本部占拠命令が出たそうだ。無論、拒否したそうだが」

 ゲンドウの言葉に冬月のみならず、スタッフ全員が大きく息を吐いて胸をなで下ろす。世界最強とも名高い戦略自衛隊が、もしここの占拠に乗り出せば、間違い無く本部は地獄と化していた。

 それは事前に対策をしている、いないの問題では無い。彼らが人間を相手に戦うスペシャリストなのに対し、ネルフはあくまで使徒殲滅機関。

 まともにぶつかって勝ち目のある相手では無いのだから。

「これに関しては、加持君に礼を言わねばならないな」

「大した事はしてませんよ。隠し事をしていれば人に信用されない。それだけの事です」

 加持の力があったとはいえ、日本政府の説得に成功したのは、ネルフが機密情報を開示したのが大きな要因だった。サードインパクトを防ぎたいというのは、彼らも同じなのだから。

「司令、耳が痛いのでは?」

「……ああ」

 リツコの皮肉に、顔をしかめながら頷くゲンドウ。そしてそんなやりとりを楽しげに見守るスタッフ達。前哨戦第二ラウンドを不戦勝で乗り越えた彼らには、ほんの僅かだが余裕が生まれていた。

 

 

 暗闇の中、緊急の会議を開くゼーレの面々だが、そこには焦りと苛立ちが見え隠れしていた。

「碇め……」

「ネルフの各支部に手を回しているとはな」

「日本政府もだ。我らのプランが台無しにされた」

 自分達の手を汚すこと無く、ネルフ本部を占拠してカヲルを殺すプラン。それらがことごとく潰された事で、直接対決へと持ち込まれてしまった。

「穏便に済ませたかったが、やむを得んか」

「左様。彼らが保有するエヴァは四機」

「対して我らは九機のエヴァを手中に収めている。優位は揺るがん」

「……エヴァシリーズを全機投入する」

 キールの決断に異議を唱える者は居ない。もはや彼らに残された手札はただ一つ。しかしそれは状況を一変させるジョーカーだと、信じて疑わなかったからだ。

「エヴァシリーズは既にソ連支部を発った」

「黒き月。約束の場所で決着を着ける事になるとは、皮肉なものだな」

「むしろ好都合と言える」

「左様。タブリスを始末すれば、そのまま儀式を行えるからね」

「少々予定は狂わされたが、最終的には我々のシナリオ通りになりそうですな」

「ああ。間もなくだ。間もなく約束の時が訪れる」

 万感込められたキールの言葉に、他の面々も揃って頷く。

 

 同時刻、九つの輸送機が第三新東京市上空へ向かい、飛行を続けていた。その底部に固定された純白の巨人は、絶望をもたらす悪魔の様にも見えた。

 




ネルフ対ゼーレ、いよいよ全面対決が始まりました。劇場で観客(作者も)を絶望に陥れた、戦略自衛隊の本部占拠はどうにか回避です。
加持さんが味方に残っていれば、この未来はあり得たと思います。

MAGIのハッキングは、各支部への説得工作の甲斐あって、大幅に規模が縮小されてました。そもそもリツコが健在な時点で問題になりませんしね。

前哨戦はネルフの圧勝。ですがもう一つ、みんなのトラウマが残っていますよね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※一部名称を変更しました。ご指摘感謝です。


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25話 その4《Air》

 

 ネルフは使徒の襲来をいち早く察知する為、様々な監視設備を持っている。陸海空だけでなく宇宙からの監視も加わり、第三新東京市は厳重な監視網によって守られていた。

 勿論それは使徒に限った事では無い。

「こちらに向かって、高速で飛行する物体があります」

「データ照合……エヴァンゲリオン専用輸送機です。数は九つ」

「おいでなすったわね」

 報告を受けたミサトの表情が険しくなる。これまでのゼーレの攻撃は、事前に対策を練っていたお陰で、比較的余裕を持って対応出来た。だがエヴァ量産機との戦いだけは小細工出来ずに、シイ達に託すしか無い。

「到達まで、およそ600秒」

「既にエヴァの発進準備は出来ているわ」

「……碇司令。宜しいですね?」

 ミサトは振り返り、司令席のゲンドウへ最終確認を行う。

「勿論だ。この戦いに勝利しない限り、我々に未来は無い」

 かつてシイが初出撃したときと同じやりとり。だがそこに込められた思いは大きく異なっていた。

「エヴァンゲリオン零号機、初号機、弐号機発進。地上にて量産機を迎え撃つわ」

 全ては十四歳の子供達に託された。

 

 地上に射出された四機は、それぞれ武器を手にしながら量産機との戦闘に備える。

「うぅぅ、何だか緊張するね」

「ま、エヴァと戦うちゅうのは初めてやからな」

「……そうね」

「それでミサト。なんか情報は無いの?」

 相手は正体不明の使徒では無く、人間が造り出したエヴァ。一筋縄でいかない事を理解しているアスカは、戦いを前に少しでもデータを欲していた。

『エヴァンゲリオン量産機は全部で九機よ。その全てがこちらに向かっているわ』

「へー、全機投入か。向こうも分かってるみたいね」

「四対九か。ちいときつい戦いになるな」

 出し惜しみをしてくれれば少しは楽になるのだが、流石にそう上手くはいかない。

『そうね。相手はS2機関を搭載してるから、ケーブル不要、活動限界無しのおまけ付きよ』

「えぇぇ! じゃあ、凄い大変じゃないですか!?」

「あんたね……今更何言ってんのよ」

 思い切り動揺するシイに、アスカは呆れたように肩をすくめる。驚くほど勇敢な時もあれば、こうしてちょっとした事で怯える。つくづく不思議な少女だとアスカは思った。

「まあ、活動限界無しってのは厄介ね。長期戦はこっちが不利か」

「数も不利やしな。どないする?」

 使徒は必ず一体ずつやってきた為、今までは数的不利になる事はなかった。だが今回は逆。それぞれが最低二機を相手にしなくてはならない。

「一機ずつ確実に仕留めたい所だけど、囲まれたら不味いし……動き回って各個撃破がベターね」 

『それが良いと思うわ。とにかく動いて、一対一、あるいは複数対一の状況を作るのよ』

「で、出来るかな……」

 自信なさげに呟くシイへ、リーダーのアスカが活を入れる。

「あんた馬鹿ぁ? 出来るかどうかじゃなくて、やるのよ」

「そやな。今回ばっかは、わしも惣流に賛成するで」

 戦う前から弱気でいたら、どんな戦いも勝つことは出来ない。特に今回は数で勝るエヴァが相手。決して諦めない強い気持ちが必要不可欠なのだ。

「……大丈夫。私達ならやれるわ」

「そう、だよね。うん。やるしかないもんね」

 共に戦う仲間が居る事実は、シイの心に勇気と安心感を与える。瞳からおびえの色が消えたシイを、ミサトは頼もしげに見つめるのだった。

『目標到達まで、180秒です』

「……葛城三佐。量産機の搭乗者は?」

『え? あ~それは~……』

『ダミープラグだよ』

 困ってしまったミサトに替わりレイに答えたのは、通信に割り込んできたカヲルだった。

 

「あぁ! あんた一体何処で油売ってんのよ」

『ふふ、少しやる事があってね。因みに量産機のダミープラグは、僕のデータが使われている筈だよ』

 最終決戦の場に居ないことを悪びれず、カヲルは自分の知っている情報をシイ達に提供する。

「カヲル君の?」

「それは厄介そうやな」

「……必ず殲滅させる」

 敵対心からか闘志に火の付いたレイに、一同は苦笑を漏らす。とことんカヲルの事が嫌いらしい。

『僕も時が来ればそちらに赴くよ』

「はん。あんたが来たときには、全部やっつけてるわ」

『ふふ、期待しているよ』

 言いたい事だけ言って、カヲルは通信を一方的に終了した。結局何処で何をしているのか説明しなかったが、アスカは気にもしない。

(まあ、悪い事にはならないでしょうね。あいつはシイに甘い……てか、べた惚れだから)

 カヲルの事を頭の片隅において、アスカは目の前の戦闘に集中する事にした。

 

 

『目標、エヴァの直上に到達』

 第三新東京市の上空を旋回する九つの輸送機。搭載されている量産機の首筋に、赤いダミープラグが挿入されると、そのまま輸送機から純白の身体を空へと踊らせる。

 肩からパラグライダーの様な羽を広げ、ゆっくりと地上へ降下する量産機。九つの影は円の陣形を維持したまま、徐々に接近してくる。

「あれが量産機か。飛翔機能まで付いてるなんて、随分と金がかかってるじゃないの」

「なんか……かっこわるいね」

「ゲテモノみたいやな」

「……不細工」

 モニターが捕らえた量産機の姿に、シイ達は好き勝手言い放題。ただそれは、発令所のミサト達も全くの同意見だった。

『イメチェンしすぎじゃないの、あれ?』

『無様ね』

 首から下は既存のエヴァと変わらない。ただ頭部パーツはあまりに特異的だった。鰻や蚯蚓を思わせる頭部には瞳が無く、代わりとばかりに巨大な口がついていた。

 まるで笑っているかのように真っ赤な唇を半開きにし、そこから閉じられた白い歯が覗いている。

『こりゃ子供が見たら泣くぞ』

『そうっすね。しかも九体全部が同じ顔って……』

『……気持ち悪い』

『あまりに美しくない』

『ま、機能性を重視したんだろうさ』

『ゼーレの趣味か……』

『老人達に美的感覚を求めるのは酷だろう』

 散々な言われようだった。誰一人フォローを入れないのは、フォローのしようが無いからだろう。参号機までの勇ましさは何処へやら、量産機には何処か間抜けな印象すら感じられた。

 

 諸刃の大剣を手にした量産機は、旋回行動をしながらシイ達の上空を舞う。それはまるで鳥が地上の獲物を狙う動作にも見えた。

「なかなか降りてこないわね」

「警戒しとるんとちゃうか? 着地の瞬間をわしらが狙うと思うて」

「ん~」

「……どうしたの碇さん?」

 あごに指を当てて何かを考えるシイに、レイが尋ねる。

「えっと、降りてこないなら、これ使ったらどうかなって」

 シイは手にしたマステマを皆に見せた。彼女が言わんとしている事を理解したアスカは、ニヤリと笑みを浮かべてその考えに賛同する。

「へぇ、あんたにしちゃ過激な事考えるじゃない」

「あんだけ離れとれば、いけるやろ」

『そうね。少なくともこちらにデメリットは無いし、やってみたらどうかしら』

『シイちゃん。ズバッとやっちゃいなさい』

「はい。それじゃあ、行きます!!」

 みんなの賛同を得たシイは、マステマを上空へと向ける。そして旋回行動を続ける量産機めがけて、N2ミサイルを発射した。接近する物体に気づいた量産機は、手にした大剣でミサイルを切り落としてしまう。

 そして、雲一つ無かった青空は一瞬にして夕焼けよりも赤く染まった。

 

 

 第三新東京市上空に灼熱地獄が広がる。地上に居るシイ達にも伝わる熱量が、爆発の威力を物語っていた。

「相変わらず、えげつないわね」

「う、うん」

 これこそが広範囲攻撃、N2ミサイル本来の性能。こんな物を今まで自分達の近くで使っていたのかと、シイ達は改めて驚愕する。

「こりゃ、決まったんとちゃうか?」

「……落ちてきた」

 今なお燃えさかる空から、こんがり焼けた量産機が地上に落下してきた。傷ついた羽では姿勢制御もままならず、次々に地上へ激突する。

 あの高さから落ちれば、いかにエヴァといえども無事では済まないだろう。

「えっと、マジで終わっちゃったの?」

「どう……なんだろう」

 立ち上る九つの土煙を警戒するシイ達。先の使徒戦では、同じ状況で不意を突かれたのだ。四人は決して油断する事無く不意打ちに備える。

 

『……エヴァ量産機、健在です』

『やっぱ、これで終わってはくれないか』

『でもダメージは与えた筈よ』

『四人とも、こっからが本番よ。作戦通りに、エヴァ量産機を殲滅して』

「「了解」」

 シイ達は互いに背中を隠すように、四方を警戒する。そんなエヴァ四機を囲むように落下した量産機は、ゆっくりとした動作で立ち上がって見せた。

 するとその内の一機、N2ミサイルを切り落とした量産機は、右半分の身体を失っていたにもかかわらず、みるみる再生していった。まるで初号機が左腕を復元したときの様に。

「な、何よあれ……」

「再生しよった」

「ずるいよ」

「……そうね」

 呆気にとられるシイ達。その間に他の量産機も、N2ミサイルによる損傷を再生してしまった。

『リツコ、どういう事なの!?』

『S2機関による再生能力……そう考えるのが妥当ね』

『エヴァ量産機、ATフィールドを展開』

『仕切り直しか。みんな、MAGIが弱点を分析するから、それまで凌いで』

 ミサトが指示を出すと同時に、量産機が再生した羽を広げシイ達に襲いかかった。

 

「んなろぉぉぉ!」

 飛びかかってきた量産機の腹を、アスカがソニックグレイブで一刀両断する。だが上半身と下半身がお別れしたにも関わらず、何事も無かったかの様に再生し、再び弐号機へ襲いかかってくる。

「どたまかち割ったる」

 トウジがスマッシュホークで、量産機の頭部を粉砕する。が、一瞬動きを止めた量産機は、直ぐさま頭部を再生してしまう。

「……コアを狙えば」

 レイがライフルで正確に量産機のコアを撃ち抜いていく。これまで唯一にして最大の弱点と思われていたコアだが、それすらも量産機は再生して見せた。

「な、なんでこっちに来るの~」

 そしてシイは、何故か複数の量産機に集中的に狙われてしまい、防戦一方だった。N2ミサイルの恨みなのか、執拗にシイを狙い続ける量産機。振り回したマステマで量産機の手足を切断するが、効果は無かった。

 

 エヴァ量産機の動きはシイ達のそれに比べて酷く緩慢だったが、圧倒的な再生能力は動きの鈍さを補って余りある利点だった。

 一見優勢に見えるシイ達であったが、終わりの見えない戦いに徐々にだが押されつつあった。

 




みんなのトラウマ、エヴァ量産機との戦闘が始まりました。驚異的な再生能力と無限の稼働時間、スペック的には極悪ですよね。
これとたった一機で戦ったアスカは、冗談抜きで最強のチルドレンだと思います。

人類の行く末を掛けた最終決戦、次で決着となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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25話 その5《決着》

 戦闘が始まって、どれほど時間が経ったのだろう。傍目には一方的な戦いが続いていたが、それでも相手の数は全く減らない。蓄積する疲労と焦りが、徐々にシイ達を追い詰めていく。

「ったく、いい加減きりが無いわね」

「終わりが見えんマラソンちゅうのは、勘弁して貰いたいのう」

「……敵に有効打は認められず。状況は不利ね」

「はぁ、はぁ……どうすれば良いの」

 意味が無いと分かっていても、恨み言を言わずに居られない。特に四人の中で一番体力の無いシイは、既に限界を迎えつつあった。

 

「エヴァ量産機、未だ再生速度に衰えは認められません」

 日向の絶望的な報告に、発令所は重苦しい空気に包まれる。再生に上限があると思われたが、少なくとも今のところその予兆は無い。

「頭も駄目。コアも駄目。まさにパーペキな決戦兵器ね」

「S2機関の情報を独占したがる訳だわ」

「無限に再生するエヴァ。パイロットが不要だから連続戦闘も耐えうるか」

「悔しいですが、流石はゼーレと言った所ですね」

 モニターの向こうで繰り広げられる激しい戦闘を見ながら、ミサト達は拳を握りしめる。子供達が全力で戦っているのに、自分達は打開策すら見つけられない。

 歯がゆい思いを全員が抱いていた。

「……老人達の切り札、予想以上だな」

「ああ」

 ゲンドウは必死に戦う子供達から目を逸らさず、冬月の呟きに答えた。

「どうする碇。槍を使うか?」

「……あれが向こうに渡れば全てが終わる。まだ早い」

 かつて南極で回収したロンギヌスの槍は、ネルフ本部の地下に保管されている。それを用いればS2機関を搭載した量産機といえども、殲滅することは可能だろう。

 だが同時にロンギヌスの槍は、ゼーレが目指す補完計画の鍵でもある。万が一奪われれば、それこそゼーレの思うつぼ。切り札を切れない状況だった。

 

 

「こいつら本当に疲れ知らずね」

「人が乗っとる訳や無いからな」

「ダミープラグなんて巫山戯たもんに、負けられるかっつーの」

 疲労を打ち消すようにアスカは気を吐く。ギリギリのバランスで成り立っている戦闘。自分達が少しでも弱気になれば、一気に形成が逆転される事を理解していたのだ。

「ま、こうなりゃとことんやるだけやな」

「……渚カヲルのダミープラグなんかに、負けない」

「…………あれ?」

 不意にシイは気づいた。相手は使徒ではなく同じエヴァ。ならば弱点も同じではないかと。

「ひょっとして……うん!」

 シイは小さく頷くと、目の前の量産機へ向かい突進する。大剣を振り下ろそうとする量産機だが、やはり動きの速さでは初号機に軍配があがる。マステマにコアを貫かれ、一時的に動きを止めた。

「今のうちに」

 コアに突き刺したマステマを手放すと、初号機は素早く量産機の背後に回り込む。そして首筋の装甲板を引き千切り、挿入されているダミープラグを強引に引きずり出した。

 そのまま初号機は右手の赤いプラグを、力任せに握り潰してみせた。

 

 シイの予測は当たっていた。プラグを失った量産機は再生すること無く、糸の切れた人形のように大地へと倒れ込んだ。

「やっぱりそうだ。みんな! ダミープラグを壊せば倒せるよ!」

「全くあんたは……とんでもない事考えつくんだから」

「ようやったで、シイ」

「……いける」

 シイが見いだした活路にアスカ達の瞳は再び強い光を宿す。身体の疲労などすっかり忘れて、アスカ達は量産機と対峙する。明確な目的を得た彼女達は、全身に力がみなぎるのを感じていた。

 

「まだ頑張れる。みんなが居れば…………っ!」

 シイが気合いを入れ直した瞬間、初号機の右側から量産機の大剣が飛んできた。咄嗟に右手を伸ばしてATフィールドを展開し、どうにか直撃を防ぐ。

 間髪おかずに反対側から飛んできた大剣も、ATフィールドを張った左手で止める。

「くぅぅ。ATフィールド全開!!」

 両手を広げた姿勢で最大出力のフィールドを展開する。水平に襲いかかる大剣は暫しフィールドと拮抗していたが、何の予兆も無く突然その姿を変形させ始めた。

「な、何なの!?」

 平べったい大剣が形状を変化させ、やがて二股の細長い槍が現れる。それはゲンドウ達が南極から回収した、ロンギヌスの槍に酷似した姿だった。

 槍は更に姿を変える。二股の先端が捻れるように一つにまとまると、初号機が最大出力で展開していたATフィールドをあっさりと貫通した。

「っっっっっっ!!」

 広げた手の平に刺さった槍は、そのまま腕の中を抉って肩へと突き抜けた。運良くエントリープラグへの直撃こそ避けられたが、両腕の神経がずたずたにされた激痛に、シイの悲鳴は声にならない。

 両腕を槍で貫かれた初号機は、まるで貼り付けにされた罪人の様な体勢で動きを止めた。

 

 

「シイ!!」

 冷静に戦況を見守っていたゲンドウは思わず立ち上がり、人目も気にせずに叫び声をあげる。だがそれを気にする者は発令所に居ない。 

 この場に居る全員が、ゲンドウと同じ気持ちだったのだから。

「な、何なのよあの槍」

「ロンギヌスの槍……でもあれは地下にある筈」

「恐らくそのコピーだろうが、ATフィールドをああも容易く貫くとはな」

 想像を絶する威力を見せた槍に、加持は冷や汗を流しながら呟く。

「伊吹さん。シイさんは?」

「無事です。槍の先端はプラグをギリギリ外れました」

 腕を貫いた槍の角度が僅かでも違っていれば、エントリープラグは貫かれていただろう。紙一重での悲劇回避に、時田達は背筋が凍る思いをした。

「とにかく、シイちゃんの安全確保が最優先よ。回収ルートはどう?」

「ルート63が最も近いです」

 彼我戦力差が3対8になるのは辛いが、シイの命には代えられない。ミサトは即座にシイの撤退を決断する。

「シイちゃん聞こえる? 辛いだろうけど、何とかリフトの射出口まで……」

「りょ、量産機二機。初号機に接近!!」

 青葉の悲痛な叫びに、ミサトはメインモニターへ慌てて視線を向ける。そこには戦闘不能の初号機に近づく量産機の姿が映し出されていた。

 これから起こるであろう惨劇を予感し、スタッフ達の表情は一気に青ざめていく。

「だ、誰か! シイちゃんのフォローに回って!」

 

 

 ミサトの指示を受ける前に、既にシイの元へと駆け寄ろうとしていたアスカ達。だが量産機に行く手を阻まれてしまい、思うように接近できない。

「このぉ、どきなさいよ!」

「うっとうしい奴らやな」

「……碇さん」

 一体を倒しても、直ぐさま次の量産機が行く手を阻む。それを倒したと思えば、先に倒した量産機が再生してくる。プラグを破壊する手段は時間が掛かるので、この状況では使え無かった。

 焦るアスカ達をあざ笑うかの様に、槍を投げつけた二体の量産機は無防備な初号機の元へと近づいて行く。

 

 あまりの激痛に失神していたシイは、量産機接近の警告音で意識を取り戻した。同時に激しい痛みが蘇り、全身から絶え間なく汗が噴き出てくる。それでもシイはまだ下を向くつもりは無かった。

「まだ……生きてるもん。手が動かなくても、足があるもん」

 挫けそうな自分を奮い立たせる為、シイは強がりを口にしながら視線を量産機に向ける。槍は自分に刺さっているので武器は持っていないが、今の初号機なら問題無く倒されてしまうだろう。

『シイちゃん、逃げて!』

『何やってんのよ。距離を取りなさいって』

『シイ、あかん。痛いやろうが、辛抱して走るんや』

『……碇さん。私達が行くまで逃げて』

『『お願いシイちゃん。逃げて』』

 スピーカーからは、自分を心配してくれる声が絶え間なく聞こえてくる。だがシイは足を大きく踏ん張り、その場から動こうとしなかった。

 腕のダメージが大きすぎて、その場に立っているのが精一杯。回収口まで移動しようとしても、二機の量産機から逃げ切れないと自分で分かっていたのだ。

 

『シイ、お前約束したやろ。自分も守るって。約束破るつもりかぁ!』

「ううん、違うよ鈴原君。私はみんなを信じてるの。少しでも時間を稼げば、きっとみんなが助けてくれる。だから頑張ってみるよ。自分が生きる為に、最後まで諦めないんだから!」

 シイの気迫に呼応するように、初号機の両眼に鋭い光が宿る。シイは仲間の助けを信じて、その場でATフィールドを張りながら、量産機の攻撃に耐える決断を下したのだ。

 そんな初号機に二体の量産機は、翼を広げて空から飛びかかる。だが襲いかかる純白の悪魔は初号機に触れる事すら叶わず、不意に出現した光の壁に弾き飛ばされてしまう。

「え?」

『ふふ、どうやら間に合った様だね』

 困惑するシイの耳に、穏やかなカヲルの声が届いた。

 

 初号機の前に一機のエヴァが空から舞い降りる。日を浴びて輝く白銀の機体。それはネルフの誰もが知らないエヴァンゲリオンだった。

『遅くなってしまったね。ごめんよ、シイさん』

「カヲル君……なの?」

『ああ。もう大丈夫だよ』

 通信ウインドウに映るカヲルは、カラス色のプラグスーツを身に纏い優しく微笑む。

『話は後にしよう。少し痛いと思うけど、我慢して欲しい』

「う、うん……くぅぅぅ」

 白銀のエヴァは初号機の両腕から槍を引き抜く。初号機の体液を纏い真っ赤に染まった槍を見て、カヲルの心は暗い怒りに満たされる。

『さあ、お仕置きの時間だ。レディを傷つけた罪は重いよ』

 カヲルは冷たい視線を量産機に向けると、両手に持った槍を思い切り投げつけた。量産機は何の抵抗も出来ずに、コアを槍で貫かれる。

 動きが止まった量産機に白銀のエヴァは素早く近づくと、先の初号機の様にプラグを引き抜いて破壊する。参戦から僅かな間に、カヲルは二体の量産機を活動停止へと追い込んだ。

 

 あまりに圧倒的なカヲルの力に誰もが言葉を失う。

「カヲル君、凄い……」

『ありがとう。腕は大丈夫かい?』

「う、うん」

 槍が抜けても痛みが無くなる訳では無い。今も焼け付くような痛みが続いており、骨が砕けたフィードバックダメージで全く動かせそうに無いが、余計な心配を掛けまいと笑ってみせる。

 そんなやせ我慢を見抜いたのか、カヲルは悲しげな表情を見せた。

『……ごめんよ。僕がもう少しこの子を見つけていれば』

「ううん、カヲル君は私を助けてくれたんだもん。本当にありがとう」

『君という子は……。少し休んでいると良い。後は僕達が片付けるから』

 カヲルはシイに微笑むと、直ぐさま戦闘を続けているアスカ達の元へと駆け寄る。白銀のエヴァが加わった戦闘は、先程までの苦戦が嘘のように一方的な展開となった。

 

 一機、また一機と量産機のプラグが破壊されていき、その度に戦闘が有利になっていく。やがて数的不利から同数、数的有利へと変わり、最後の量産機が活動を止めるのに、さほど時間はかからなかった。

 

「これで終わったのよね?」

「ああ。後は残った機体を完全に破壊すれば、全て終わりだよ」

「かぁ~、しんどかったのぅ」

 あちこちに散らばる量産機の残骸を見つめ、アスカ達はようやく一息つく。終わったと理解した瞬間、溜まりに溜まった疲労が押し寄せ、動く事すら億劫だった。

 そんな中、レイは大急ぎでシイの元へと駆け寄ってその身体を案じる。

「碇さん。大丈夫?」

「うん……平気だよ」

「直ぐに治療を受けなくては駄目」

 零号機は両腕で初号機を抱き上げると、リフトに乗って本部へと帰投していった。

 

「シイは無事……とは言えないか」

「でも生きとる。それもこれも、渚のお陰や。ホンマにありがとう」

「いや。僕がもう少し早く駆けつけていれば、シイさんが負傷する事も無かった。反省しているよ」

 カヲルは心底申し訳なさそうに表情を曇らせる。彼にとってシイを守り切れなかった事は、量産機の殲滅を持ってしても消えない心の傷になっていた。

「そう、それよ。あんた結局、何処で何してたのよ?」

「この子を探してたんだよ」

 カヲルの言うこの子が、白銀のエヴァンゲリオンだと察し、トウジが訝しげに問いかける。

「そいつ、エヴァなんか?」

「この子はエヴァンゲリオン四号機。僕はディラックの海で眠っていたこの子を探していたんだ」

 かつて米国支部と共に消滅したエヴァンゲリオン四号機。カヲルは最終決戦を前に戦う力を得るため、ディラックの海に飲み込まれたそれを迎えに行っていたのだ。

 ただ使徒の力を持ってしても無限の空間から探し出すのには、相当の時間がかかってしまったが。

「とにかく一度戻ろう。シイさんの容態が気になる。ゼーレの動向もね」

「そうね……」

「これで終わってくれるとありがたいんやけどな」

 死闘を終えたアスカ達は、重い足取りで本部へと戻るのだった。

 




カヲル&エヴァ四号機ペアの活躍で、エヴァ量産機の殲滅に成功しました。ダミープラグが弱点と言うのは、作者の勝手な妄想です。
旧劇場版を見てて思いましたけど、コアを破壊しても再生って反則ですよね。

武力による決戦は、ネルフに軍配があがりました。
残り一話。人間の行く末は人間同士で決着を着けて貰いましょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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小話《恐るべき最後のシ者》

最後のアホタイムです。
思えば遠くに来たもので……。

時系列はゼーレとの決戦前です。


 

~カヲルの才能~

 

 ゼーレとの決戦が間近に迫ったある日、第十六使徒との戦闘で破損したマステマの改修テストを行う為、シイは学校を休んで朝から本部で実験を行っていた。

 最終決戦を前に完璧に調整をしたいと、リツコを始め技術局一同が気合いを込めて実験に挑んだ結果、終了予定時刻を大幅にオーバーしてしまったが、その甲斐あって新型のマステマは、最高の仕上がり具合を見せた。

 テスト終了後、満足のいく結果に上機嫌のリツコは、シイと並んで本部の通路を歩く。

「良いデータがとれたわ。ありがとうシイさん」

「いえ。私の方こそ壊してばっかりで、ごめんなさい」

「兵器はそうやって進化していく物よ。……ところで、お腹空いてない?」

 リツコが尋ねると同時に、タイミング良くシイのお腹が可愛らしい音を立てる。恥ずかしげに頬を染めてお腹を押さえるシイに、リツコはそっと鼻血を拭って微笑みかけた。

「今日は朝からだったものね。もうお昼だし、食事にしましょう」

「そ、そうですね……うぅぅ」

 心底嬉しそうなリツコと並んで、シイは恥ずかしそうに俯きながら本部の食堂へと向かうのだった。

 

 

 食堂にやってきた二人は、珍しく混雑している様子に少し驚いた様子を見せた。ネルフは交代勤務制なので、お昼時とは言えここまで人が集中する事はほとんど無い。

「あら珍しい。何かあったのかしら」

「……でもリツコさん。皆さんご飯を食べて無いです」

 シイの指摘通り、食堂だというのに食事をしている職員は皆無だった。食堂に居る職員は全員、一つのテーブルの周りに集まっている。

「何かあったみたいね」

「盛り上がってるみたいですけど……」

 不思議そうに首を傾げながら、二人は人垣が囲むテーブルへと近づいていく。するとそこには、テーブルを挟んで対峙するカヲルと冬月の姿があった。

「意外な組み合わせね」

「そうですね。カヲル君、冬月先生、何をしてるんですか?」

「おや、丁度良いところに来たね」

 シイに声を掛けられたカヲルは、微笑みながらテーブルの上を指さす。そこには木製の将棋盤が置かれており、盤面の様子から冬月との対局中だとうかがい知れる。

「あら、将棋を指していたの?」

「副司令が得意と聞いたので、是非胸を貸して頂こうと思いまして」

 さらりと言ってのけるカヲルに、シイは驚いた様に目を瞬かせる。

「カヲル君凄いね。将棋って難しいんだよね?」

「ふふ、僕もルールを知っている位の腕前だよ」

 相変わらずの調子で告げるカヲルだったが、何故か対局を見守って居るギャラリーから苦笑が漏れ聞こえてくる。シイが不思議そうにしていると、不意に盤面を見ていたリツコが眉をひそめた。

「……これ、もう詰んでるわ」

「つんでる?」

「もうどう頑張っても、勝ち目が無いって事よ」

「はぁ~。やっぱり冬月先生は強いんですね」

 尊敬の眼差しを向けるシイに、しかし冬月は渋い表情。見れば手は小さく震え、瞳は何処か虚ろ。頬を流れる冷や汗は、どう見ても有利な人間の姿では無かった。

「違うわシイさん。詰んでるのは……副司令の方よ」

「ああ、そうだったんで……えぇぇ!!」

「ふふふ」

 足を組んで座るカヲルは、まさに勝者の笑みを浮かべながら、冬月を完全に見下していた。

 

「さて副司令。そろそろ時間も時間ですし、大人の対応をして頂きたい所ですが」

「ま、まだだ。まだ活路はある」

「とまあ、ここ三十分位この調子でね」

 ムキになっている冬月に呆れながら、カヲルはシイに笑いかける。どっちが大人なのか分からない態度に、シイも何と言って良いのか分からずに、苦笑するしか無かった。

「こうすれば……いえ、手駒に金があるから……玉を逃がしても……これは見事に詰んでるわ」

「え? でもまだ全然駒が残ってますけど」

 まだ盤上には両者の駒が多数ある。シイにはこの段階で何故負けが決まってしまうのかが理解出来なかった。

「駒が残っていても、王が取られたら負けなの。副司令の王はもう、渚君の駒から逃げる手段が無いのよ」

「そうなんですか?」

「ふふ、それは副司令が一番分かっているさ」

 カヲルの言葉を証明するかのように、冬月は顔をゆがめながら右手を所在なく動かすだけ。もう打つ手が無いのは誰の目にも明白だった。

「赤木博士からも言ってくれないかな? もう投了したらどうかって」

「そうね。副司令、もう諦めた方が良いのでは?」

「それだけは許されん! この勝負だけは負けてはいかんのだ!」

 諭すようなリツコの言葉に、冬月は感情を露わにして猛反発する。普段の沈着冷静のイメージからかけ離れた冬月姿に、シイもギャラリーも戸惑いを隠せない。

 プライドはボロボロだろうが、所詮は遊び。何をムキになっているのかと。

 

 状況を冷静に分析したリツコは、ある可能性に思い当たる。

「……ひょっとして、何か賭けてます?」

「うっ!」

 リツコの指摘にビクリと肩を震わせる冬月。その動作にギャラリー達は納得の表情に変わった。賭け将棋ならばここまで意固地になるのも理解出来る。

「全く、副司令が規律を乱してどうするんですか」

「冬月先生……賭け事はいけないんですよ」

「そ、そんな目で私を見ないでくれ」

 悲しそうなシイの視線に、冬月は許しを請うように訴えかける。

「それで一体何を賭けたんです? お金ですか?」

「…………」

 口を閉ざしてしまった冬月にため息をつくと、リツコは問いかける相手をカヲルに変える。

「はぁ。渚君、貴方が勝てば何を貰えるの?」

「大した物ではありませんよ。ただとある権利を頂けるだけです」

 カヲルの返答にリツコの目がすっと細められる。単純な金銭のやり取りでは無く、どうやら自分が思っていたよりも、複雑な話になっている様だと瞬時に理解したからだ。

「権利、ねぇ。それは何?」

「外で暮らす権利です」

「あれ? カヲル君は何処で暮らしてるの?」

「本部の居住区だよ。でも職場と家が同じだと、どうしてもリラックス出来ないからね」

 カヲルの言いたい事は分かる。だがそれならば、わざわざ勝負する程の事でも無い。今のカヲルには外出制限も無いので、何の問題も無く外に住居を持てば良いのだから。

「で? それだけじゃ無いでしょ?」

「ふふ、流石は赤木博士。外で暮らす権利の他に、その住居を自由に選べる権利もですよ」

 その瞬間、リツコは最悪の事態を想像して表情を一変させる。

「……貴方、まさか!?」

「お察しの通り。僕が勝てば、シイさんと共に葛城三佐の家に暮らす事になっています」

「「なぁぁ!!」」

 カヲルの言葉にギャラリー達が一斉に殺気立つ。ここに集まっている職員のほとんどが、シイちゃんファンクラブの会員。そんな暴挙を見過ごすわけにはいかなかった。

 

「貴方、そんな事が許されると思ってるの!!」

「僕を責めるのは筋違いですよ。条件を飲んだのは副司令ですから」

((ギロッ!))

 冷たい視線が一斉に冬月へ集まる。もう冬月は何も言えず、身体を震わせる事しか出来なかった。

「さあ副司令。持ち時間は無くなりましたよ。手が無いなら、自動的に僕の勝ちになりますね」

「ぐ、ぐぅぅぅ」

「カウントします。五、四、三、二、一……零」

 無慈悲なカヲルの宣告が終わると、冬月は真っ白に燃え尽きて机に突っ伏した。自業自得とは言え、あまりに哀れな最期であった。

「ふふ、これで僕の勝ちですね。では約束通り、今日から僕はシイさんと――」

「待ちなさい!」

「おや、何か?」

「私と勝負よ」

 リツコは冬月を蹴り飛ばすと、カヲルの正面に座って駒を並べ直す。

「構いませんが、何を賭けるんですか? 流石にリスク無しで勝負とは、虫が良すぎますよね」

「……私が持ってる、シイさんの秘蔵写真と動画を全部あげるわ」

「ふっ、良いでしょう」

 ぼそぼそとシイに聞こえない様に耳打ちするリツコに、カヲルは納得の笑みを浮かべて頷く。本人が知らぬところで勝手に決められた条件で、カヲルとリツコの勝負が始まった。

 

 そして二十分後。カヲルが指した一手を見て、リツコは思わず天を仰ぐ。

「赤木博士。何か言いたい事は?」

「……ま……負けよ」

 ギリギリまで粘ったリツコだったが、カヲルの圧倒的な読みの前に敗れ去った。あまりにハイレベルな攻防に、ギャラリー達は思わず拍手を送ってしまう。

「そう気に病む事は無いよ。リリンにしては頑張った方さ」

「こ、これが最後のシ者の力なの……」

 持ち前の計算能力の高さからリツコは、学生時代から一度も将棋で負けたことは無かった。記念すべき初敗北が、最も負けてはいけない場面で訪れた事に、彼女は深く絶望する。

「約束の物は後日頂くとして、早速引っ越しの準備をしなくては――」

「待て!」

 食堂の入り口から聞こえてくる声に、その場に居た全員が一斉に振り返る。そこには、碇ゲンドウが恐ろしい程の不機嫌オーラをまき散らして立っていた。

 

「これは司令。まさかお説教ですか?」

「……私と勝負しろ」

 抜け殻となったリツコを突き飛ばし、カヲルの向かいに座るゲンドウ。

 賭け事を司令が認めた事もそうだが、冬月やリツコと言うネルフきっての頭脳派を破ったカヲルに、勝負を挑めるゲンドウの自信に、見守って居たギャラリー達は驚きの声をあげる。

「ふふ、構いませんよ。ただ何か掛けるものが必要ですが」

「……お前が決めろ」

「そうですね……では、僕が勝ったら貴方を、お父さんと呼ばせて頂きます」

((!!??))

 図に乗り始めたカヲルの提案に、食堂の空気が一変する。それは万が一にも許してはいけない願い。一緒に暮らすと言うレベルでは無くなってしまう。

 だがゲンドウは全く動じず、無言のまま頷いてその賭けに乗った。

「し、司令……甘く見ては駄目です……」

「そうだぞ碇……彼は……化け物だ」

 カヲルと直接対決したリツコと冬月がゲンドウへ警告する。だがゲンドウは余裕の笑みを崩さない。

「案ずるな。私は負けない」

「お父さんって将棋強いの?」

「ああ。学生時代、将棋部の奴と友人だった」

 ぐっとシイに親指を立てて見せるゲンドウ。その瞬間全員が悟った。終わった、と。

 

 

 当然のようにゲンドウは敗れ去り、カヲルの野望は成就されたかに見えたが、そこまで世界は優しく出来ていない。ゲンドウの敗北を予期していた一人のスタッフが、最強の援軍に助けを求めていたのだ。

 カヲルとゲンドウの対局が終わるとほぼ同時に、連絡を受けたレイが食堂に到着。この瞬間に、カヲルの投了が決定した。

 一同は安堵のため息をつくと同時に、見事な関節技を目の当たりにして改めて思う。

 綾波レイを決して怒らせてはいけない、と。

 




長らくお付き合い頂きました『アホタイム』これにて閉幕です。シリアスになりがちな本編の息抜きのつもりでしたが……お楽しみ頂けていれば幸いです。

さて、残すは後一話のみ。どんな未来を迎えるのか。目標のハッピーエンドにたどり着く事が出来たのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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26話 その1《未来へ踏み出す時》

 

 切り札であったエヴァ量産機を失った今、ゼーレに手は残されていなかった。戦闘終了後、彼らからゲンドウの元に一本の通信が入ってきた。

『君とタブリス、そして……碇シイと話がしたい』

 もはやゼーレに従う義理も義務も無かったのだが、ゲンドウはそれを了承する事にした。まだ本当の意味で、ケジメが付いていないからだ。

 負傷したシイの両腕に応急処置を済ませてから、三人はゼーレとの直接対話を始めるのだった。

 

 

「来たか……」

 暗闇でシイ達を待っていたのはモノリスでは無く、人の姿をしたゼーレの面々だった。一様に絶望した表情を浮かべており、キールの声にも何処か力が無い。

「今更何の話でしょうか?」

「君達に聞きたい事がある」

「おやおや、それなら貴方達が出向くのが礼儀では?」

「……非礼は詫びよう」

 カヲルの皮肉にも、キールは疲れ切った様子で素直に謝罪する。あまりに意気消沈した様子を見て馬鹿らしくなったのか、カヲルは口を閉ざしてしまう。

「それで、何を聞きたいのですか?」

「何故我々の計画を……人類補完計画を阻んだ? お前達は人類の滅びを望んでいるのか?」

「以前も言った筈です。私達は未来を望んでいると」

「……碇、お前には分かっている筈だ。補完計画をなさねば、人類は確実に滅びると」

 キールの言葉は単なる脅しでは無い。環境問題、食糧問題、難民問題、その他数多くの問題は、確実に人類を滅びへと誘っている。今まで人類は科学を発展させる事で、度重なる苦難を乗り越えてきたが、既に科学の進歩は限界を迎えているのだ。

 例え使徒の脅威が無くなっても人類に未来は望めない。それがゼーレの結論だった。

 

「……勝手に決めつけないで下さい」

「何?」

「私達の未来を、貴方達だけで勝手に決めつけないで下さい」

 今まで黙って話を聞いていたシイは、真っ直ぐにゼーレの面々を見据えて告げた。以前の気弱な少女ではなく、強い意志を抱いたシイの姿にゼーレは戸惑う。

「決めつけるも何も無い。人類の滅びを免れる為に、我らは動いてきた」

「そこにみんなの、今生きてるみんなの意志がなければ、それは決めつけなんですよ」

「補完計画が唯一人類の救い。そこに議論の余地は一切無い」

「ううん、きっとある筈です。みんなが力を合わせれば、きっと何とかなりますよ」

 力強く言い切るシイに、キールは呆れたようにため息を漏らす。シイの言葉には何一つ根拠が無く、キールには理想論にしか聞こえなかった。

「……彼女の娘とは思えない程、思慮が浅いな。所詮は子供か」

「ふふ、やれやれだね。君達は何も分かっていないよ」

「キール議長。未来を作り、未来を生きるのは子供達なのです。その子供が未来を望み、希望を持ち続ける限り、私達大人が諦めるのは些か情けないのでは?」

 カヲルとゲンドウの言葉に、キールは何かを考え込んで黙ってしまう。だが代わりとばかりに、それまで沈黙を守っていたゼーレの面々が口を開く。

「だが我々ヒトは、不完全な生命体だ」

「左様。個として脆弱な我らは、群れねば生きていけないよ」

「だからこそヒトは完全な生命体に、一つになるべきだった……」

「何故それが分からぬ……」

 弱々しい老人達の嘆きを、シイは首を横に振って否定する。

「不完全で良いじゃ無いですか」

「何だと?」

「私は臆病で弱虫で一人じゃ何も出来ないけど、みんなに助けて貰ってここまで来ました。ヒトにとって他人の存在は恐怖なんかじゃなくて、とっても優しくて大きな力になるんです」

「確かにリリンは個としての存在では弱い。でもそれを補い合う事が出来るのもリリンの力さ」

「補完計画など無くとも、人類は欠けている物を補えるのです」

 シイ達が出した結論に、ゼーレの面々は瞳を閉じて沈黙してしまった。

 

 

 長い無言の時が過ぎ、やがてキールが静かに口を開く。

「碇シイ。君の望む未来には、想像を絶する困難が待ち受けているぞ。それでも望むのか?」

「はい。みんなで頑張れば、きっと乗り越えられると思うから」

 何処までも真っ直ぐなシイの眼差しを確認して、キールは小さく頷いた。

「……ならやってみるが良い。もはや我らには何も出来ないのだから」

「はい。でも皆さんもですよ」

 シイの言葉にキール達は、何を言っているのか理解出来ないと首を傾げる。

「シイさんの話を聞いてたかい? みんなでと言っただろ。当然それには、貴方達も含まれているさ」

「「何っ!?」」

「世界中を一つにまとめるには、ゼーレの力は必要不可欠です。無論、表の世界に出て貰いますが」

 ゼーレの存在は良くも悪くも、世界の安定に貢献していた。表沙汰に出来ない事も多々あったが、今日まで仮初めでも世界が平穏だったのは、彼らの力があってこそだ。

 戸惑うゼーレの面々に、シイは姿勢を正してから深々と頭を下げる。

「お願いします。どうか力を貸して下さい。私は……みんなと未来を生きたいんです」

「あ、頭を上げたまえ」

「そんなに頼まれてしまっては……」

「断る訳にもいかない、よな?」

「左様。こんな年寄りが力になれるとも思えんが」

「必要としてくれるなら、少し頑張ってみるか、なんてな」

 ゼーレの面々はおろおろと動揺しながら、キールへと視線を向ける。彼らの気持ちは決まっていたが、最終決定はやはりキールに委ねてしまう。

 

「……一つ、条件がある」

「何でしょうか?」

「ネルフとゼーレを即座に解散することだ」

 予想外の発言にシイだけでなく、その場に居た全員が驚きの表情でキールを見つめる。だがキールは落ち着き払った様子で言葉を続ける。

「そして人類の未来を守る組織として生まれ変わらせる。どうかね?」

「あっ……はい!」

 もう使徒殲滅機関は必要無い。世界を裏で牛耳る秘密結社もだ。キールがシイの意志に賛同した事を理解して、ゲンドウ達はようやく胸をなで下ろした……のだが。

「そして、その組織の長を碇シイ、君にやってもらう。それが条件だ」

「はい……って」

「「えぇぇぇぇぇ!!」」

 キールの出した条件に、ゼーレの面々も加わって驚きの声を上げるのだった。

 

 

「驚く事はあるまい。そもそもこの状況を作り出したのは彼女なのだから」

「き、キール議長。流石にそれは無いでしょう」

 悪びれないキールに、ゲンドウは珍しく戸惑いながら反論する。それはゼーレの面々も同じで、口にこそ出さないがキールへ目で反対を訴えていた。

「碇シイには責任がある。どんな結末を迎えようとも、その時まで諦めないと言う責任が」

「も、勿論そのつもりですけど……。私にそんな大役は……」

「無論直ぐでは無い。資質はあるだろうが、今のお前はあまりに幼く無知だからな」

 予想外の展開にすっかり混乱してしまったシイに、キールは落ち着かせるように言葉を続ける。

「なら、どうするつもりなんだい?」

「碇シイが大人に……そうだな、大学を卒業するまで待とう」

 それまでの間に長に相応しい人間になれと、キールは言外に告げていた。協力要請を受けたとは言え、敗北した人間の言葉とは思えない無理難題に、流石にゲンドウ達も呆れ顔になる。

 だがキールは大真面目だった。

「未来を作るのは我々の様な老人ではなく子供……なるほど、それは正しいのだろう。だからこそ人類の未来を守る組織の長に、我々は相応しく無い」

「それは、そうですが……」

「全ては本人の意志次第だ。さあ、どうする碇シイよ」

 バイザーに隠された瞳で、シイを真っ直ぐに見据えるキール。長年ゼーレを率いてきた威厳に満ちあふれた姿に、ゲンドウ達は口を挟まない。

 これがある種の通過儀礼であると理解していたからだ。

 

「……やります。やらせて下さい」

 じっくりと熟考した上で、シイはキールの提案を受け入れる事を決意した。そこに迷いや後悔の色は無く、強い意志がはっきりと感じ取れる。

「いいのかい? 君の人生をリリンの為に捧げる事になるよ?」

「ううん、違うよカヲル君。未来はみんなで作るんだもん」

「全てのリリンは、リリンの為に、か」

「うん。……カヲル君も協力してくれる?」

「そのつもりだよ。僕の望みは君と共に生きる事だからね」

 シイとカヲルは微笑み合いながら固く握手を交わす。ヒトと使徒、今まで考えられなかった両者の結束は、死海文書から離れた、新たな未来の可能性を感じさせる。

 ゲンドウもゼーレの面々は、その光景を見て感慨深げに頷く。

 

「碇……やはりシイはユイの娘だな」

「ええ」

「もはやシナリオは無い。ここより先は、我々自身が道を見つけるのか」

「……それが、生きると言う事なのでしょう」

 

 これよりリリン、ヒトは自らの意志で歩み始める。




ひとまずゼーレとの決着はつきました。
ゼーレの扱いについては賛否、多分批判的な方が多いと思います。
作者が思うに彼らは純粋な悪ではなく、人類を思うが故に補完計画を進めていたと思っているので、壊滅では無く和解という形で落ち着きました。
罪を償うのに死は最悪の選択、と何処かの偉い人が言ってた気もするので。
それにゼーレを滅ぼしちゃうと、世界が大混乱になりますから。

このまま締めても良かったかもしれませんが、ちょっと蛇足します。まだシイにとって、最後のわがままが残っていますので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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26話 その2《天才の帰還》

 

 ゼーレとの直接対話を終えたシイ達は、そわそわして待っていた面々に事の次第を話した。シイが将来的に組織の長になるという事にアスカが猛反発したが、シイの覚悟を聞いて自らも協力を誓う事で決着した。

 いよいよこれから、未来への一歩を踏み出そうとしたネルフだったが、シイにはまだやり残している事があった。それは……。

 

 本部の会議室に移動してから、シイはみんなに自分の考えを話した。

「ユイさんの……強制サルベージ?」

「はい。お母さんの魂は、まだ初号機に居ますから」

「……シイさん。それは難しいと思うわ」

 申し訳なさそうにリツコは答えた。母親を求める気持ちは痛いほど分かるが、科学者として冷静に判断すると、可能性はほぼゼロだからだ。

「何でよ。シイは戻って来たじゃ無い。なら――」

「サルベージを成功させるのには、対象者が生きたいと強く思う気持ち、リビドーが不可欠なの」

「シイちゃんのお母さんは、それを望んでないって事?」

「以前のサルベージ結果を見る限りは、ね」

 ミサトの問いかけに、リツコはシイに気を遣いながら答える。だがシイにショックを受けた様子は無い。

「お母さんは……初号機の中で生き続ける事を望んでます」

「何でや? こっちの世界にはシイも司令もおるやろ。未練が無いっちゅうのか?」

「永遠に生き続ける事、人が生きていた証を残す事、それがお母さんの目的なの」

 シイは静かに説明を始めた。

 

「お母さんが目的を実現させるには、お父さんが進めていた人類補完計画が必要だった。そうだよね?」

「ああ。人類を神へと進化させる。それは永遠に生き続ける事と同義だ」

 人類の罪を贖罪してやり直しを求めたゼーレとは違い、ゲンドウとユイは生命の実を手にして、人類を神に等しい高みまで進化させる事を目的としていた。

 協力関係にあった筈のゼーレとゲンドウに不和が生じていたのは、同じ名前の計画実現を願いつつも、その着地点が大きく異なっていたからだ。

「でもお母さんは、それが失敗した時の事も考えてたの。だから私に全部お話したんだと思う」

「スペアのプランがあったと言う事かしら?」

 リツコの言葉にシイは頷く。

「それがS2機関です」

「エヴァ量産機で証明された、無限のエネルギーと不死とも言える再生力、か」

「はい。だから使徒を食べてS2機関を持った時、お母さんは目的を果たしていたんです」

 ユイは使徒を捕食する機会をずっと待っていた。そしてそれはシイが最もユイに依存した、第十四使徒戦で訪れる。ダミーを頑なに拒絶しシイが乗り込むのを待ったのは、直接真実を伝える為だろう。

 シイに情報を与えることで自分の目的の障害となり得る、ゼーレの人類補完計画を阻止して欲しかったのだ。展開によってはゲンドウの補完計画も止められるだろうが、それはもし失敗してもスペアプランで代用出来る。

 シイの行動も今の状況も、全ては碇ユイのシナリオ通りなのだ。

 

「と、とんでもない人なのね、ユイさんって」

「はい。私がこうしてサルベージをしようとしている事も、お母さん予測していると思います」

「……シイさん。そこまで理解しているなら、サルベージが事実上不可能だとも分かるわね?」

 戻ろうとする意志の無い魂を復元する術は無い。ユイがこの状況を予期していたとすれば、サルベージされない自信があるのだろう。

 全員が気まずそうにシイへ視線を向ける。だがシイは落胆するどころか微笑んでみせた。

「でも、お母さんが予想出来なかった事もあるんです。カヲル君が居る事もそうですし」

「ふふ、まあ使徒がリリンと共存を選ぶなんて、誰にも予想出来無いだろうね」

 碇ユイも全知全能では無い。全てを見透かしている訳でも、思い通り動かせる訳でも無い。渚カヲルが人類との共存を選んだことは、彼女の予想を完全に外れた事なのだから。

「ま、そうだろうけど……あんた何か出来るの?」

「出来ると思うかい?」

 自信満々に問い返すカヲルに、アスカは盛大なため息をつく。初めから期待していなかったが、使徒ならひょっとしてと思ってしまった自分が悔しかった。

「なあシイ。渚の奴が居っても、どうにもならんやろ」

「あ、うん。カヲル君は関係無くて」

「は、ははは。シイさんに言われると……結構きついね」

 悪気ゼロなのが分かってしまうぶん、カヲルの精神ダメージは大きかった。

 

「シイさん。何か策があるのね?」

「はい。実はサルベージに協力してくれる人が居るんです」

「協力者?」

「あり得ないわ。過去にサルベージを実行したのは、私か母さんしか居ないはずだもの」

 きっぱりと言い放つリツコ。そこには科学者としての強い自尊心が現れていた。暗に自分では力不足だと言われた様なものだから、当然の反応とも言えたが。

「ま、そーよね」

「赤木博士には実績がありますからな」

「ならその助っ人っちゅうのは、姐さんのおっかさんとちゃいますか?」

「……貴方には言って居なかったわね。母さんは十年以上前に、交通事故で亡くなっているの」

 ゲヒルンからネルフへと組織が移行する際、赤木ナオコは事故死した。リツコも詳細は聞かされていないが、公式記録にもそう記されている。

 なら一体協力者とは誰なのかと言う一同の視線を受けて、シイはリツコに声を掛けた。

「リツコさん。赤木ナオコ博士って、ちょっと変わった人ですよね?」

「え、ええ。そうね。自分のやりたい事は、どんな犠牲を払ってでもやる様な困った人――」

 かつてミサトに話した事を再びシイ達に説明するリツコ。だがその途中でふとある可能性を思いつき、言葉を止めて表情を強張らせる。

 リツコの知っているナオコならば、必要とあらば本当にどんな犠牲も払う。そう、自分の存在すらも。

 

「ちょ、ちょっと待って。まさか母さんは……」

「冬月先生」

「ああ。ナオコ君は亡くなっていないよ。戸籍上は事故死となっているが、ね」

 あまりのショックにリツコは言葉が出ない。ならば死んだ母の意志を継ぎ、これまで自分がやってきた事はなんだったのかと。

「君に真実を話さなかった事は、申し訳無く思っている。だが全てはナオコ君の意志だったのだ」

「……母さんの意志?」

「うむ。彼女はユイ君のサルベージに失敗した事を、大変悔やんでいた。ナオコ君にとってユイ君は仲の良い友人であり、自分と同じ領域に居る数少ない科学者だったからね」

 突出した才能は時に人を孤独にする。ナオコは孤独に悩むような人間では無かったが、それでも自分と同じレベルの友人は大切な存在だったのだろう。

「では、まさか」

「ナオコ君はサルベージの研究を続けたかった。しかしネルフに居れば、当然それに専念する訳にはいかない」

 冬月がここまで話すと、リツコ以外の面々も察しが付いた。

「って事は、リツコのお母さんは自分のやりたい研究を続けたいから」

「事故死を装った、と?」

「ああ。彼女はネルフの管理下にある施設で、今まで研究を続けていた」

 ネルフの権力は凄まじいものがある。それこそ人一人の死を偽装する位、朝飯前だった。もっとも極秘事項の為、この事実を知っているのは極一部だけだが。

「シイ君に話を聞いて直ぐ、私はナオコ君に連絡をとった。力を貸して欲しいとね」

「……母さんは何て?」

「快諾したよ。ユイ君を無理矢理にでも、初号機から引きずりだしてやると意気込んでいた」

「……ホント、困った人なんだから……」

 俯いたまま肩を震わせるリツコ。だが何処か嬉しそうにも聞こえる呟きが、彼女の複雑な気持ちを何より雄弁に語っていた。

 

「母さんは今?」

「既にサルベージの準備に取りかかっているよ」

「全く……娘に一言も無いなんて……母さんらしいわ」

 リツコは立ち上がると、口元に笑みを浮かべたまま会議室の出口へと向かう。何処に行くのかは分かっている。だからこそその場に居た誰もが黙って見送った。

 十年以上の時を経て再会する親子の対面を、邪魔する必要は無いのだから。

 

 

「……久しぶりね、ユイさん」

 ケージに格納された初号機に優しく語りかける女性が居た。まるで旧知の友人に再会したような、穏やかな空気を身に纏った女性こそ、リツコの母にしてMAGIシステムの開発者、赤木ナオコだった。

 もう結構な年齢の筈なのだが、白衣を着た姿は老いを感じさせない力強さに満ちあふれている。

「貴方の望み、邪魔させて貰うわ。あんな可愛い子にお願いされちゃ断れないものね」

「それには同意するわ」

 声はケージの入り口から聞こえてきた。ナオコが視線を向けるとそこには、すっかり歳をとった最愛の娘、リツコの姿があった。

「久しぶりね、りっちゃん。随分と大人になっちゃって」

「ええ。それだけ時が流れたって事よ」

「話は全部聞いたわ。立派に私の仕事を引き継いでくれたのね。ありがとう」

 リツコへ微笑みを向けるナオコ。たっぷり文句を言ってやろうと思っていたのに、母親の嬉しそうな顔を見てしまうと、もう何も言葉が出てこなくなってしまった。

 そんなリツコにナオコは近づくと、無言で優しく抱きしめた。思いを伝えるのは言葉だけでは無い。無言の抱擁だったが、二人は十年の空白を埋める思いを交わし合った。

 

 暫しの抱擁を終えると、リツコはナオコに話を聞く。

「母さんがサルベージの研究をしていたのは本当?」

「ええ。だって悔しかったから」

「悔しい?」

「私は完璧な理論を立てた筈なのに、ユイさんを戻す事が出来なかった。悔しくない訳無いでしょ」

 ユイが生還を望まなかった事は冬月から聞いていた。だがナオコにとってそんな事は関係無い。ユイのサルベージに失敗した、と言う結果だけが残るだけ。

 だからナオコは研究を重ねた。対象の意志に左右されないサルベージを。

「でも母さん。それは不可能よ」

「りっちゃん。科学者が不可能なんて言葉、簡単に口にしては駄目」

「だけど……」

「今出来ない事でも、年月を掛ければ出来るかもしれない。信じ続ける事が大切なのよ」

 リツコは技術や知識面では、既にナオコと同等かそれ以上の科学者だろう。だが精神の強さ、心の強さでは今なお遠く及ばない。

 エゴティストのナオコは、ある意味で科学者の完成像なのかも知れなかった。

 

「じゃあ母さんは、ユイさんのサルベージが出来ると?」

「可能性はあるわね。私は予言者じゃ無いから、確実にとは言い切れないけども」

 そう言いながらも、ナオコの顔は成功への自信に満ちあふれていた。ここまで困難な状況下においても、無理だと言わない母の姿がリツコには頼もしく見える。

「さて、それじゃあ準備を始めるとしますかね。手伝ってくれるでしょ?」

「……勿論よ」

「ふふ、待ってなさいよユイさん」

 ナオコは物言わぬ初号機に、挑発的な視線を向けるのだった。

 




一部設定変更の一部に当てはまらない程の、設定変更部分がここです。

リツコとナオコの親子関係は良好でした。なのでナオコはゲンドウに恋愛感情がありません。当然愛人関係にもなっていません。よってユイとの関係も良好です。
ですのでナオコがレイを殺す(レイに殺される)事もありません。

ユイのサルベージの研究ならば、冬月は全面的に協力するでしょうし、ネルフなら別の戸籍を用意する位は出来ると思います。

ナオコのキャラクターは原作を見る限りでは掴みきれなかったので、思いっきり良い母親にしてみました。最終兵器のご都合主義発動です。

本編も残すはユイのサルベージのみとなりました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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26話 その3《始まる世界》

 

 碇ユイ強制サルベージ計画はナオコの指揮の下、急ピッチで準備が進められていた。万能の天才と呼ばれた彼女の手腕は衰えを知らず、リツコも舌を巻くばかりだ。

 技術局の面々はそんなナオコと仕事が出来る事に、大きな喜びと刺激を感じており、それも作業の速度を速める要因となっていた。

 本来この計画はネルフの使命とは何の関係も無い。ユイのサルベージが成功しても失敗しても、人類の未来に影響が出る訳でも無い。あくまでこれは碇シイが望んでいると言うだけなのだ。

 それでも誰一人として文句を言うスタッフは居なかった。シイの望みを叶えようと、ネルフの全職員は一丸となってサルベージの準備を進めていた。

 

 

 そしてサルベージ計画実行の日がやってきた。

 発令所には責任者であるナオコを筆頭に、リツコやミサト、加持に時田、ゲンドウと冬月のコンビ、そしてシイ達チルドレンが集まり、開始の時を待っていた。

「……りっちゃん。準備は良いかしら?」

「ええ。いつでも」

「ではこれより、碇ユイの強制サルベージを開始するわ」

 ナオコのかけ声で計画はスタートした。

 

 ナオコの策とは、エヴァの中に居るユイと意思疎通を行う事だった。こちらからの呼びかけでユイに生への執着を、リビドーを呼び起こさせて魂を引き戻す。

 魂の受け皿にはユイの遺伝子から造られたクローンが用意されていた。プラグに漂う身体に魂を定着させられれば、サルベージは成功となる。

「私は道を繋げて機会を作るだけ。ユイさんを説得出来るか否かは、シイちゃんと司令次第よ」

「はい。頑張ります」

「……ああ」

 シイとゲンドウは二人並んでユイとの対話に備える。プレッシャーからか震えるゲンドウの手を、シイはそっと握った。手袋を外しているゲンドウの手の平は汗で濡れており、彼が相当緊張しているのが分かる。

「大丈夫だよ。お母さんはきっと応えてくれるから」

「……そうだな」

 シイの手を握り返すゲンドウ。二人は親子の絆を確かめ合い、心を落ち着かせてその時を待った。

 

「サルベージ、サードステージをクリア。最終ステージへ移行します」

「初号機との接触を開始」

「……拒絶反応はありません」

「プラグ深度を限界まで下げなさい。双方向回線を擬似的に解放するのよ」

「了解」

 パイロットのエントリー無しで、強制的に初号機との接触を試みる。ナオコが十年の歳月をかけて苦心の末に作り上げたプログラムは、見事にそれを成し遂げて見せた。

「回線開きました!」

「通信回線をMAGIの管理下に回して」

「あ、赤木博士。エヴァからこちらにアクセスが!」

「……ようやくね。主回線を開きなさい」

 こちらからの呼びかけにユイが応えた事に、ナオコは少し抱け安堵の表情を浮かべる。少なくとも門前払いは避けられた様だ。

 やがて初号機から発令所に、ノイズ混じりの通信が入る。

『……相変わらずですわね、ナオコさん』

 少し困ったように呟く声は、碇ユイのそれだった。

 

「久しぶりね、ユイさん」

『ええ、本当に』

 ゲヒルン時代から共に働いてきた友人同士、語りたいことは山ほど在る。だが今はその時では無い。

「積もる話は貴方がこっちに来てからにしましょうか」

『……そのつもりはありませんわ』

 ナオコの言葉に、ユイは穏やかな口調ながらも明確に拒絶を示す。声から伝わってくる強い意志に、発令所の面々は説得の困難さを改めて感じた。

 自分の出番は終わりとナオコはため息をつき、シイとゲンドウに視線を送る。

「お母さん聞こえる? シイだよ」

『…………』

 シイの呼びかけに、しかしユイは応えない。不安にかられたシイは焦った様子で再度呼びかける。

「お、お母さん? 聞こえて無いの?」

『……はぁ。もうシイったら、相変わらず可愛い声なんだから』

 うっとりとしたようなユイの声に、一同は思いきり脱力する。話には聞いていたが、相当の親馬鹿と言うのは間違い無いらしい。

 出鼻を挫かれたシイだが、気を取り直してユイに語りかける。

「お母さん、お願いだから戻ってきて。私はお父さんとお母さんと一緒に暮らしたいの」

『……ごめんね、シイ。それは出来ないの』

 ユイは優しい口調ながらも、娘の願いをハッキリと拒否する。

「どうして? だってお母さん、ひとりぼっちになっちゃうんだよ?」

『そうね。でも生きていけるわ。例え地球も太陽も無くなっても、人の生きた証は残せるの』

 例え人類が滅亡しても、地球が人の住めない死の惑星になっても、S2機関を搭載した初号機は残る。仮に地球が無くなっても、初号機は宇宙を漂い人が生きた証として存在し続けるだろう。

 それこそが碇ユイの望み。その為には愛する者との決別すらも覚悟していた。

 

『だからシイ。貴方は貴方の未来を生きて。それが私の幸せだから』

「……お母さんはもう、私を抱きしめてくれないの?」

『…………』

「私はお母さんに抱きしめて欲しい。もっと、一緒に居たいのに」

『し、シイ……わ、私だって……』

 愛娘と直接交わす言葉は、ユイに動揺を与える。

「初号機のリビドーが上昇しています!」

「ふふふ、良いわよシイちゃん。ユイさんの心が揺れてるわ」

 訴えかけるシイの言葉は、ユイの強靱な精神力すら揺るがす破壊力があった。リビドーグラフは急上昇し、ユイが生への欲求を再び宿した事を示していた。

「ここは畳みかけるべきね。司令、お願いします」

「……ああ」

 満を持して夫であるゲンドウが、サングラスを直しながら一歩前に出た。

 

「ユイ……久しぶりだな」

『はい、あなた』

 初号機の中で再会したシイとは違い、ゲンドウとユイはあの事故以来、初めて言葉を交わす。求め続けていた妻の声を聞き、ゲンドウは思わず涙ぐんでしまう。

「……この時を……どれだけ待ち望んでいただろう」

『ふふ、全くもう、困った人なんだから』

 少し涙声のゲンドウに、ユイは少し嬉しそうな声色で答える。サルベージを拒否しては居るが、彼女は今でも変わらずにゲンドウとシイに対して、深い愛情を持っているのだ。

「ユイ。戻ってきてはくれないか?」

『……ごめんなさい、あなた』

「私は君との思い出がある。だがシイにはそれが無いのだ」

 以前墓参りをした時、ゲンドウはユイについてシイから質問された。それはシイが自分の母親の事を、何も知らない事を意味する。

「シイもいずれは親の元から巣立つだろう。だが今はまだ巣箱の中で、羽ばたくための翼を育む時なのだ。失われた時は戻せないが、これからそれ以上の愛情を注ぐことは出来る」

『…………』

「私だけでは駄目だ。シイの周りには良い友人と大人達が居るが、それでも足りない。シイには君が、母親が必要なのだ。頼むユイ」

『あなた……』

 見えないと分かっていても、ゲンドウはユイに深々と頭を下げる。ゲンドウが初めて見せる姿に、発令所の面々は驚きと同時に、彼の想いが本気であることを察した。

 

 本心をさらけ出したゲンドウの言葉は、シイのリビドーを上昇させた。だがそれでもまだサルベージクリアラインには到達していない。

「……疑似双方向回線を開いていられるのは、後数分よ。ここまでかしら」

「うぅぅ……お母さん」

 タイムリミットを告げるナオコに、シイが涙を流しながら俯く。もはやここまでかと思われた時、一人の男が小さく頷いてからユイへ言葉をかける。

 

「……初めまして。お母さん」

『貴方は?』

「渚カヲルです。貴女とアダムの遺伝子によって生み出されました」

「「えっ!?」」

 自己紹介するカヲルに、シイ達は揃って目を丸くする。人とアダムの遺伝子を融合させた存在、と聞いていたがまさかユイの遺伝子だとは思いも寄らなかったからだ。

「カヲル君が……お母さんの子供? 私の弟?」

「いや、どっちかっちゅうたら兄貴やろ」

 トウジの突っ込みにうんうんと一同は頷く。どうひいき目に見てもシイが妹だろう。

『そう……ゼーレに提供した遺伝子は貴方を生み出したのね』

「経緯はどうであれ、今僕が存在しているのはお母さんのお陰です。感謝しています」

『私は貴方に母親と呼ばれる資格は無いわ』

 ユイに言葉に、しかしカヲルはニヤリと笑みを浮かべる。

「いえいえ、紛れもなく貴女は僕の母ですよ。なにせシイさんのお母さんですから」

『それはどう言う事かしら?』

「こう言う事ですよ」

 カヲルはシイの側に近寄ると、不意打ちでその小さな身体を抱きしめた。

 

「ひゃっ。か、カヲル君?」

「あ、あんた何してんのよ!」

「けしからん!」

「渚君、今すぐシイさんから離れなさい!」

 我に返った冬月達がカヲルを止めようとするが、ATフィールドに阻まれてしまう。音声しか繋がっていない為、事態が掴めないユイは訝しむ様に声をかける。

『一体何が起きてるのかしら?』

「渚カヲルという少年が、シイちゃんを思いきり抱きしめて居るわ」

『!!??』

 ナオコの言葉を聞いてユイが動揺しているのが、スピーカー越しにも伝わってきた。可愛くて仕方ない娘が、いきなり男に抱きしめられたと言われれば、当然だろうが。

「ふふ、改めて呼ばせて頂きますね。お母さんと」

『だ、駄目よ。シイはまだ子供……』

 混乱しているのか、ユイは先程までの優雅さを何処かに置き去り、狼狽した様子でカヲルを止める。

「青い果実を摘み取るのもまた一興。ああ、安心して下さい。幸せにしますから」

『許さないわ。私の可愛いシイを……』

「ふふ、貴女がそこに居る限り、シイさんが僕のものになるのを、止める事など出来ませんよ」

 カヲルのATフィールドを破ろうと、アスカ達が必死に挑むのだが効果は無い。調子に乗ったカヲルは、シイの顔を引き寄せると自分の唇を近づけていく。

「か、カヲル君?」

「そう緊張しなくて良いよ」

 意味深なカヲルの言葉に、ユイはもう平常心ではいられない。

『何、何をしようとしているの?』

「そうね……渚カヲルがシイちゃんにキスを迫ってる、かしら」

『キス!? 私のシイが……そんなの駄目よ』

 ナオコから状況説明を受けて取り乱すユイだが、もはや言葉で止める事は出来なかった。実力行使しようとしているアスカ達ですら、彼を止められないのだから。

『ナオコさん、止めて』

「無理ね。渚カヲルはATフィールドを展開してるもの」

『っっっ~!!』

(……あら、これは。ひょっとして彼はこれを狙っていたの?)

 ナオコはユイのリビドーが、かつて無い程上昇しているのに気づいた。娘の危機に駆けつけたいと言う思いが、生への欲求として表れているのだろう。

 

 カヲルはシイの唇ではなく耳元に口を近づけると、ユイに聞こえない様にそっと耳打ちする。

「シイさん、お母さんに助けを求めるんだ。今の彼女なら、きっと応えてくれるよ」

「カヲル君……うん」

 意図を察したシイは頷くと大きく息を吸い込み、力の限り叫んだ。

「お母さぁぁん。助けてぇぇぇ!!」

『シイ! 今行くわ!!』

 瞬間、初号機のプラグに漂っていたクローン体にユイの魂が宿った。

 

 

「シイ、もう大丈夫よ。お母さんが守ってあげるから」

「うぅぅ、お母さん苦しい……」

 発令所に飛び込んできたユイは、シイを全力で抱きしめる。その姿に一同は苦笑しながらも、最高の結末を迎えられた事を心から喜んでいた。

「ふふ、これにて一件落着かな」

「ったく、演技なら演技って最初に言っておきなさいよね」

「彼女は聡明だからね。本気でやらなくては、とてもだませなかったさ」

 カヲルは抱き合う親子の姿を見ながら、アスカの文句を軽く流す。もしシイとゲンドウの説得が失敗した時に、最後の手段として用意していた作戦。

 事前に相談しなかったのは、何を言わなくてもアスカ達が取る行動が予想出来たからだ。

「む、無論私は最初から気づいて居たとも」

「わ、私もよ」

「お二人とも、気づいてた人間の気迫とちゃいましたわ」

 汗を流しながら強がる冬月とリツコに、トウジは呆れ混じりの突っ込みを入れる。まあそのお陰で、ユイすらも欺けたのだが。

「そう言えば、君達は冷静だったね」

「ははは。短い付き合いですが、渚君の事を少しは分かっているつもりですから」

「何だかんだで、君はシイ君を最優先に考えているからな」

「きっと何か考えがあるんだろうって、ね」

 時田達は大人の余裕を漂わせて、さりげなく冬月とリツコをチクリと責める。思い切りカヲルに乗せられた二人は、居心地悪そうに身体を縮ませた。

 

「冷静に考えてみると、あんたの作戦は結構危ない橋渡ってたわよね」

「まあね。サルベージされるか初号機が暴走するかは、一種の賭だったよ」

 初号機はS2機関を搭載しているので、外部電源無しでも稼働出来る。もしユイが初号機で発令所に乗り込んできたら、間違い無くカヲルは握りつぶされていただろう。

「あんた馬鹿ぁ? そうじゃなくて、レイが暴走してたらって話よ」

「そやな。綾波がいつもの調子で暴れとったら、全部台無しやったろうし」

「ああ、そう言う事か。それなら問題無いよ。彼女にだけは事前に話をしておいたからね」

 流石のカヲルも、レイには自分の狙いを話しておいた。もしレイが本気で暴走すれば、ユイが戻る前にシイを救出されてしまうからだ。

 演技とは言えシイに迫る事にレイは難色を示していたが、全てはシイの為と言う事で納得していた。ただカヲルがあのままシイの唇を奪っていたら、間違い無くサードインパクトが起きていただろう。

 その意味ではアスカが言った綱渡りは正しかったのかもしれない。

 

 

 サルベージは成功した。ユイの心を動かしたのは、最愛の娘であるシイへの思い。自分の目的と相反する感情を、ユイは消し去る事が出来なかったのだ。

 生き続けたい、生きた証を残したい。それは紛れもないユイの願い。だが同時に、娘ともう一度触れ合いたい、共に暮らしたいと言うのも、ユイの願いであった。

 カヲルの行動はきっかけに過ぎない。ユイは自分の意志で、この世界で生きる事を選んだのだから。

 




碇ユイのサルベージは成功しました。どうにか誤魔化そうとしていますが、結局は娘に悪い虫が付くのが我慢できないと言う、親心が決め手でした。

レイが一言も発していないのは、必死で自分を抑えている為です。演技が出来るタイプではありませんし、拳を振るわせながらカヲルを睨んでたのでしょう。

次でひとまず、本編は完結となります。
ただ、その後の世界でシイ達がどう生きているのか、と言う後日談を投稿させて頂こうと思っております。
活動報告にもありますが、本編の後に続けるか別の小説として投稿するかは、今も悩んでいます。

最終話の後書きにて、後日談の投稿方法をご連絡致します。

どうぞ最後までお付き合い頂ければ幸いです。


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26話 その4《アイに満ちたケモノ達(前編)》

 

 サルベージが成功した日の夜、ネルフ本部では大規模なパーティーが催される事になった。ユイの復活を持って、特務機関ネルフの役割は全て終了となり、今後は人類の未来を守る為の組織として再編成される。

 パーティーにはこれまでの労をねぎらうと同時に、過去への決別と未来への一歩を踏み出す意味が込められていた。

 

「あ~マイクテス、マイクテス。どうだ、青葉?」

「通信感度クリアです。音量も問題ありません」

 司会進行役の冬月は青葉からの報告に満足げに頷く。冬月はこうした催し事に参加する事があまりないが、几帳面な性格からいざ参加するとなると、徹底的にこだわるタイプの人間だった。

 料理や飲み物の手配から始まり、机の配置に段取り等々ほとんど一人で計画を立ててしまった彼は、充実感に満ちた微笑みを浮かべていた。

「冬月先生は相変わらずね」

「そうなの?」

「ええ。大学の時から変わらないわ。見ていてとっても面白い人でしょ?」

「そ、それは……私は何も言えないかも」

 椅子に座るユイに抱かれたシイは、困ったように苦笑いするのだった。

 

 

「ではこれより『さよならネルフパーティー』を始める。まずは司令の碇から挨拶を貰おう」

「……ああ」

 ゲンドウは大仰に頷くと、用意されたひな壇へと上がる。司令として最後の大仕事だと、ゲンドウは気合いを込めてマイクを手に取った。

「……碇ゲンドウだ。今日までの君達の働きに感謝する」

(あら。碇司令にしては随分とまともね)

「……それと同時に、人類が未来へと歩み出した事を共に祝いたい」

(ふ~ん。あの髭にしちゃちゃんとした挨拶じゃない)

「……また、MAGIの開発者である、赤木ナオコ君の復帰もめでたい事だ」

(うんうん)

「……私事ではあるが私の妻、シイの母親のユイのサルベージについても、君達に礼を言いたい」

(う、うんうん)

「……思い起こせば、我々ネルフは研究機関のゲヒルンとして誕生した。そして……」

(…………)

 日本人のスピーチは長いと相場が決まっている。ゲンドウもそれに漏れず、話す内容があっちこっちにぶれ始め、遂には昔語りが始まってしまった。

 グラスを手に乾杯を待っている職員達は、次第に表情を曇らせていった。

 

 十分後、まだスピーチを続けるゲンドウに、職員達の不満が限界を迎えようとしていた。気分が乗ってきたのか、珍しく饒舌なゲンドウだったが、終わりは突然訪れる。

「……そう、水面下で私はゼーレと駆け引きを続け……ぐふぅぅ」

 無言で背後に歩み寄ったユイに首筋を強打されて、強制的にスピーチを終了させらてしまった。妻から夫へ、まさかの一撃に静まりかえるパーティー会場。

 ユイはゲンドウからマイクを奪うと、職員達に向けて言葉を発した。

「初めましての方がほとんどだと思います。シイの母親、碇ユイです」

 女神の様な微笑みを浮かべるユイに、会場からはため息が漏れる。一部の男性スタッフには、子持ちだと知っていても頬を染めて見惚れる者すらいた。

「体調を崩したこの人に代わって、私から一つだけみなさんに伝えたい事があります」

(ふふ、体調不良で済ませちゃうのか)

(お母さん……)

(れ、レイよりたちが悪いかも)

(……私はあそこまで酷く無いわ)

(どっこいどっこいや)

「これから先、私達は沢山の問題や障害にぶつかるでしょう。でも希望を失わないで下さい。生きていこうとさえすれば、何処だって天国に変わるわ。だって私達は生きているんだから」

 碇ユイという女性は、周囲の空気を変える魅力を持っていた。彼女が出来ると言えば、どんなに困難な事でも出来る気がする。そんな彼女の言葉は職員たちの心へダイレクトに響いた。

「私達が生きている明日へ、乾杯」

「「乾杯!!」」

 ユイに傍らに倒れたままのゲンドウを置き去りに、パーティーは幕を開けるのだった。

 

 

 

「何て言うか、あれって一種のマインドコントロールよね」

「そうだね。彼女にはリリンを引きつける、不思議な力があるかもしれない」

 賑やかなパーティー会場の隅で、シイ達チルドレンは固まって食事を楽しんでいた。負傷の影響で両腕が動かせないシイも、レイに料理を食べさせて貰いご機嫌だ。

「でも間違い無くシイの母親だってのは納得だけど」

「全面的に同意するよ」

「……そうね」

「全くやで」

 シイが持つ周囲の人間を巻き込む不思議な魅力は、間違い無く母親から受け継いだものなのだろう。シイを身近で見守ってきたアスカ達は、しみじみと頷く。

「え、え、どうして?」

「君も将来、あんな素敵な女性になるって事さ」

 首を傾げるシイに、カヲルが必要以上に接近する。ここでいつもならレイが実力行使に出るのだが、今回は予想外の所から妨害者が現れた。

「あらあら、楽しそうね」

「お母さん」

「や、やあ……」

 微笑みを浮かべながらやってきたユイを見て、カヲルはシイから身体を離して顔を引きつらせる。ユイはそんなカヲルに軽く頷くと、自然な動きでシイを後ろから抱きしめた。

「駄目よ、シイ。男はみんな狼なんだから」

「?? カヲル君変身するの?」

「するかも知れないわね。……でも大丈夫。もし変身しても、お母さんがやっつけちゃうから」

 手を出すなオーラをまき散らすユイに、カヲルは両手を挙げて白旗を示した。あれが演技である事はユイにも伝えられていたが、要注意人物として認識されてしまったらしい。

 

 カヲルを牽制したユイは、アスカに声をかける。

「久しぶりね、アスカちゃん」

「え、えっと……」

「覚えて無くても当然だわ。前に会ったときは、本当に小さい時だったから」

「そうです、ね……」

 ユイに正面から見つめられて、アスカは動揺を隠せない。記憶には無いが母親の友人であり、自分の幼少時を知っている人物。非常に厄介な相手だった。

「本当に大きくなったわね。キョウコに似てきたわ。きっとこれからもっと美人になるわよ」

「ありがとうございます。おばさま」

 外向きの仮面を着けて丁寧な対応をするアスカに、しかしユイは軽く首を横に振る。

「そんな他人行儀にならないで。昔みたいにユイお姉さんって呼んで良いのよ」

「え? いえ、流石にそれは……」

 困惑するアスカにユイはただ微笑みを向けるだけ。なのだが、底知れぬプレッシャーを受けたアスカは、冷や汗を流しながら顔を強張らせる。

(こ、こりゃあかん。惣流の奴、完全に飲まれとるで)

(相手が悪すぎるね)

(……蛇に睨まれた蛙)

 そもそもアスカには、ユイをそんな風に呼んだ記憶が無い。本当にユイをそう呼んでいたのか、それすらも怪しいものだが、目の前の女性に逆らうのは愚の骨頂だとは理解していた。

「え、ええ。そうですね、ユイお姉さん」

「うふふ、良い子ね」

 笑顔が怖い。それをアスカは人生で初めて実感するのだった。

 

 続いてユイが声をかけたのは、この場でもジャージ姿のトウジだった。

「貴方は確か……」

「す、鈴原トウジです。シイのクラスメートやってますわ」

 気をつけの姿勢で挨拶するトウジに、ユイは微笑みを消してすっと目を細めた。表情の変化が見えないシイ以外の全員が、何事かと戦々恐々とする。

「ええ、知っているわ。シイの顔を殴った子よね?」

((あっ!?))

「腕白なのも良いけど、女の子には優しくしなくては駄目よ?」

「ほ、ホンマにすんません」

「お母さん。鈴原君はちゃんと謝ってくれて、もう仲良しで、それで……」

 ただならぬ空気を察して、シイは慌ててフォローを入れる。アスカの時もそうだったが、もうシイとトウジの間では済んだ話。気にして欲しく無いのだ。

「シイは本当に優しい子ね。大丈夫よ、怒ってないから」

((嘘だ……))

「ただね、鈴原君。一度壊れたら、二度と直せないものもあるの。後悔しないようにね」

「肝に銘じておきます」

 九死に一生を得たトウジは、もう一度深々と頭を下げるのだった。

 

「そして……」

 ユイはレイへと視線を向けると、少し困ったような表情を見せる。それはレイも同じらしく、互いに無言で視線を交わし合う。

「あ、紹介するね。綾波さんだよ、お母さん。私の大切なお友達なの」

「そう……お友達なのね」

「??」

 背後から抱きしめられている為、シイにはユイの表情を伺う事は出来ない。だが声の調子から、ユイがあまり喜んでいない事は分かる。

(なんや、変な空気やな)

(あんた馬鹿ぁ? あの二人の関係を考えれば分かるでしょ)

(綾波レイは、碇ユイの遺伝子から造られているからね)

(それがどないしたっちゅうねん。渚かて同じやないか)

(ウルトラ馬鹿ね。レイの場合はこいつと違うの)

(遺伝情報を元に造られたんだ。ある意味で、同じ遺伝子を持った同一人物とも言えるかな)

 綾波レイは碇ユイの遺伝情報を元に造られた身体に、別の魂を宿した存在。だがオリジナルとコピーでは無い。どちらもそれぞれ別の個体として存在しているのだ。

 そこに優劣は無い。綾波レイと碇ユイはどちらも、シイには大切な存在なのだから。

「レイちゃん、と呼ばせてね」

「……はい」

「シイを大切にしてくれて、ありがとう」

「……はい」

「それと、狼から守ってくれてありがとう」

「……はい」

「もし良ければ、シイのお姉さんになってはくれないかしら」

「!?」

 思いがけないユイの提案に、レイは動揺を露わにする。自分が生まれた理由と経緯を考えれば、そんな提案をされるなんてあり得ない事だと思っていたからだ。

「レイという名前は、あの人がつけたのね」

「……何故?」

 ユイの言うとおり、レイの名付け親はゲンドウだ。だがそれを何故ユイが知っているのか、レイは少しだけ警戒しながら答えを待つ。

「あの人は女の子が生まれたら、レイと名付けると言っていたの。だから直ぐ分かったわ」

「……碇さんは?」

「私はお父さんが考えた名前から、一文字ずつ貰ったの。だよね?」

 嬉しそうに答えるシイに、ユイはその通りだと優しく頭を撫でる。

「ええ。レイと言う名はあの人が考えた名前。きっと貴方を娘の様な存在だと思っていたのね」

「……私が娘?」

 ユイはシイから手を離すと、戸惑うレイの身体を優しく包み込む。それはレイにとって、初めて感じる母親の暖かさ。触れ合う身体から伝わる惜しみない愛情に、レイは何時しかユイに身体を預けるようになっていた。

(綾波さん……良かった)

(あんた馬鹿ぁ? もう綾波じゃ無いでしょ)

(そやな。これからは碇レイや)

(……ふふ、やってくれるね。これでシイさんに近づくのが、より困難になったよ)

 カヲル以外が好意的な視線を向けるなか、ユイとレイは互いの絆を確かめ合うのだった。

 

「正式な手続きは明日直ぐにしましょうね」

「……はい」

「良い子ね。あら、もうこんな時間。お世話になった皆様に挨拶をしなくちゃ」

 ユイは時計を見て呟くと、何故かシイを抱き上げる。

「え、え、え?」

「じゃあみんな、ゆっくり楽しんでね」

「あの、お母さん?」

「あら、お腹が空いたの? 後でお母さんが食べさせてあげるから、少し我慢してね」

 ユイは母性に満ちた笑顔でシイの言葉を封殺すると、そのままチルドレン達の前から離れていった。その鮮やかな去り際に、アスカ達は呆然と後ろ姿を見送る事しか出来なかった。

 

 




本編最終話が長くなったので、前後編に分けました。

ユイと直接面識がある人って意外と少ないですよね。ネルフだとゲンドウ、冬月、リツコと言う感じでしょうか。
まあユイなら三日もあれば、完全に掌握してしまうでしょうが……。

次で『本編は』終わりです。
前後編ですので、後編も連投させて頂きます。

最後までお付き合い頂ければ幸いです。


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26話 その5《アイに満ちたケモノ達(後編)》

本編最終話です。


 

 シイを抱きかかえたユイは、まず冬月へ挨拶する事にした。ゲンドウとユイだけでなく、娘のシイもお世話になっている冬月は、碇家にとって大切な人物だ。

「冬月先生。ご無沙汰しておりますわ」

「おお、ユイ君……とシイ君?」

「えへへ、こんにちわ」

 ユイに抱っこされたままのシイは、少し恥ずかしげに挨拶をする。もう親に抱っこされる歳でもないのだが、両腕が動かない状態では、どうにも出来なかった。

「い、いや、これはこれで……ごほん。仲が良くて微笑ましいよ」

「先生にはあの人も、シイもお世話になりましたわ。ありがとうございます」

「私は大した事はしていないよ。精々年長者として、少しだけ助言をしたくらいだからね」

 謙遜する冬月だったが、彼が居なければこの状況はあり得なかっただろう。表だって活躍した訳では無いが、影の功労者なのは間違い無い。

「うふふ、先生は相変わらず謙虚ですのね」

(やっぱりお母さんと冬月先生って、仲良しさんだったんだ)

 母と師のやりとりを聞いて、シイは自然を頬が緩むのを感じていた。

 

「あら、冬月先生。飲んでいらっしゃらないのですか?」

「最近は酒を控えているんだよ。年のせいか翌日に残ってしまうからね」

「そう言わずに。久しぶりにお注ぎ致しますわ」

 ユイはそっとシイを下ろすと、近くのテーブルからワインボトルを手に取り、冬月に差し出す。

「さあどうぞ」

「あ、ああ」

 あの時からまるで成長していない冬月は、あっさりと前言を撤回して酌を受ける。相変わらず見事な表面張力を見せるユイのお酌は、冬月の身体に確実にアルコールを蓄積していく。

 二度、三度と続けると、冬月の顔はすっかり赤く染まっていた。

「惚れ惚れする飲みっぷりですわ。さあもう一杯」

「い、いや、そろそろ遠慮しておくよ。明日も大切な仕事があるからね」

「お母さん、冬月先生が倒れちゃうよ……」

 シイは冬月の足下が危ういのを見て、ユイをどうにか止めようと頑張る。だがそれは逆効果だった。ユイはこの状況を楽しんでいるのだから。

「あら、すみません。昔はもっとお酒に強かったので、つい」

「むっ!?」

 申し訳なさそうに冬月のプライドを刺激するユイ。老いたと言われて黙っていられる筈も無く。

「そうですわね。あれから時が経っていますもの。あの頃みたいには――」

「貰おうか」

 グラスを差し出す冬月にユイは心底嬉しそうに微笑んで、たっぷりのワインを注いだ。男の意地を見せた冬月だが、代償はパーティーからの強制退場だった。

「あわわ。冬月先生、しっかりして下さい」

「わ、私はまだ……若い」

「先生、先生~! 誰か来て下さい!」

(うふふ、やっぱり私は冬月先生の大ファンですわ)

 慌てふためくシイと医務室に運ばれる冬月を見て、ユイは思い出を確かめるように微笑むのだった。

 

 冬月を見送ったシイは、少し怒った様子でユイを咎める。

「もう、駄目だよお母さん」

「ファンクラブの会長様に、ちょっとお礼をしただけよ」

「????」

 ユイからすれば娘にファンクラブがあり、写真や動画が配られているとなっては、心中穏やかで無いだろう。先程の行為は、ファンクラブ会長の冬月に対するちょっとしたお仕置きも含まれていた。

 

 

「変わらないわね。ユイさん」

「ナオコさん。お久しぶりですわ」

 苦笑しながら声を掛けてきたナオコに、ユイは微笑みながら一礼する。

「ええ。まさかまたこうして話が出来る日が来るなんて、思いもしなかったけど」

「生きていれば、思いがけない事も起こりますわ」

「だから長い人生も退屈しない。まさしくその通りね」

 ナオコは小さく頷くと、ユイにグラスを手渡してジュースを注ぐ。ユイもナオコに返杯すると、二人は軽くグラスを重ね合った。

「まさかナオコさんまで出てくるなんて、思いませんでしたわ」

「私も同じよ。本来なら私の出番は無かった筈だから」

 人類補完計画が実施されていたら、当然ユイのサルベージはあり得ず、ナオコが本部に来る事も無かった。シイが狂わせた運命の歯車が、異なる未来へ向けて回ったからこそ、この状況が起こりえたのだ。

「シイちゃん、大きくなったわね。おばさんの事憶えてるかしら?」

「えっと……すいません」

「まあ当然ね。所長……碇司令があなたを自慢し回ったのは、まだこんな小さい時だったから」

 ナオコは近所のおばさんの様なフランクさで、シイに向かって話しかける。

「お父さんが、自慢?」

「ええ。もう見せびらかすみたいに、ゲヒルンの研究所を歩き回っていたわ」

「自慢してくれたんだ……」

 ゲンドウが自分を自慢だと思ってくれていた事に、シイは嬉しそうに頬を染めてはにかむ。その姿を見て限界を超えたナオコは、ノーモーションでシイに抱きついた。

「ふぁ?」

「あ~も~、相変わらず可愛いんだから。お肌もすべすべで、抱き心地も最高だわ」

「あ、え、その、ありがとうございます?」

「ねえユイさん。この子――」

「あげませんわ。シイは私達の大切な宝物ですもの」

 ユイは即答するとナオコからシイを奪え返す。大切な宝物。そんな母親の何気ない一言が、シイの心を暖かな気持ちで満たしていく。

「お母さん……大好き」

「あらあら、甘えん坊さんね」

 シイとユイのやりとりを、ナオコは微笑ましく見つめる。自分がこの親子を結びつける助けになれた事に、かつてない満足感があった。

「振られちゃったみたいね。なら私は愛する娘に慰めて貰うわ」

 ナオコはそう言い残すと、離れた場所で談笑をしているリツコの元へと歩いて行った。

 

 

「あらら、シイちゃんはお母さんにべったりね」

「幼い頃別れた親子の再会だ。無理も無いさ」

 シイとユイの元に近づいてきたのは、ミサトと加持のペアだった。シイの保護者役を務めていたミサトは、仲良し親子の姿を見て、自分の役割が終わった事を悟る。

「葛城ミサトさんと、加持リョウジさんね。シイが大変お世話になりました」

「とんでもない。私こそシイちゃんにはお世話になっちゃって」

 深々と頭を下げるユイに、ミサトは慌てて手を振る。

「葛城の場合、それが謙遜じゃ無いからな」

「余計な事言わないで」

 じゃれ合う二人は、もう誰が見てもカップルそのものだった。

「特に葛城さんにはシイの保護者役を務めて頂いて、本当に感謝してますわ」

「保護者と言っても、事務的な手続きが必要な時に出張っただけですから」

 家事全般をシイに任せていた事もあって、ミサトは感謝される事を申し訳無く思っていた。だがそんなミサトに向けて、シイは首を横に振る。

「そんな事無いです。ミサトさんは本当の家族みたいに接してくれて……凄く嬉しかったんです」

「シイちゃん……」

 共同生活のきっかけこそ成り行きだったが、共に過ごした月日はシイとミサトに、家族と等しい絆を与えてた。臆病で優しい少女と暮らした日々を思い、ミサトはそっと目頭を拭う。

「ふふ、それが答えです。貴方はきっと、良い母親になれますわ」

「あ、ありがとうございます」

「でもその前に、夫の手綱はしっかり握っておきなさい。これは先輩からのアドバイス」

「は、はい。心しておきます」

「いやはや……参ったな」

 ミサトと加持はもう身を固める覚悟が出来ているのだろう。寄り添う二人の間には、恋人同士とはまた違う優しい雰囲気が漂っていた。

 幸せそうな二人にシイもまた、自分の事に様に嬉しそうな笑顔を浮かべるのだった。

 

 

「おや、これはこれは」

 ミサトと加持と別れたユイ達の元へ、時田が顔を輝かせて近づいてくる。

「あら、貴方は?」

「私は時田シロウと申します。高名な碇博士にお目にかかれて、光栄の極みです」

 礼儀正しく頭を下げる時田に、シイは不思議そうに首を傾げた。

「お母さんって有名だったの?」

「うふふ、そんな事は無いわ」

「ご謙遜を。科学者の端くれとして碇博士とは是非一度、お話したいと思っていましたよ」

 科学者としての碇ユイは、ナオコの様に広く知られていない。書いた論文も少なく、若くしてエヴァに取り込まれた為、知名度で言えばキョウコにも及ばないだろう。

 だが彼女の残した論文を読んだ人間は、碇ユイの名前を決して忘れない。時田もその一人で、あまりに独創的な発想と着目点に衝撃を受け、是非一度会って話をしたいと思っていたのだ。

「何をご専攻されているのですか?」

「エネルギー開発です」

「……素晴らしいですね。これからの時代、時田博士の力が大いに発揮されると思いますわ」

 これはお世辞では無く、ユイの本心から出た言葉だった。何かを壊すのでは無く生み出す研究。それがこれからの未来に必要なものなのだ。

「碇博士も今後はネルフ……いえ、新たな組織に参加されるのですか?」

「そうですわね。あれだけ言って何もしないのは、流石に無責任ですから」

「赤木博士親子と、碇博士が居ればまさに鬼に金棒。共に働けるのを楽しみにしていますよ」

「こちらこそ」

 ユイと時田ががっちりと握手している間に、シイは二人から離れてとある人物の元へと向かっていた。

 

 

「お父さん大丈夫?」

「あ、ああ……問題ない」

 ユイの奇襲により倒れたゲンドウが、ひな壇の上で人知れず意識を取り戻していた。心配そうに覗き込むシイに、ゲンドウはニヤリと笑って見せる。

「この位で音を上げていては、とてもユイの夫は務まらないからな」

「……お父さんも大変なんだね」

「だが、それ以上のものを私はユイから貰っている」

 ゲンドウは離れた場所で時田と談笑しているユイへ、優しい視線を向ける。そこにはユイへの偽りない愛情が込められていた。

 

「……シイ。この会場を見てどう思う?」

「え? みんなとっても楽しそうに笑ってるし、幸せそうだなって」

 シイの答えにゲンドウは満足そうに頷くと、姿勢を正して会場全体に視線を向ける。

「いずれは世界中の何処でも、人々が笑顔で居られる。そんな未来を我々は目指さねばならない」

「お父さん……」

「ここはその第一歩となった。歴史に残らない様な小さな一歩だが、意味のある一歩だ」

 笑い声と笑顔が溢れるパーティー会場を、シイとゲンドウは並んで見回す。この光景が世界中に広がれば、それはきっと幸せな事に違いない。

「長い年月がかかるだろう。私やお前が生きている間には、実現する事は出来ないかもしれない。だが次の世代へとバトンを繋ぐ事は出来る。そうして繋がれたバトンは、いつの日かゴールへ辿り着く筈だ」

「……そうだね。私達が諦めない限り、未来は逃げたりしないもん」

「ああ。全てはここからだ」

 

 今は生まれたばかりの小さな光だが、やがて人類の未来を明るく照らす太陽に変わる日を願い生きていく。それこそが不完全な存在であるリリンだからこそ持ち得た『希望』なのだから。

 




長い間、実に140話にも渡る小説にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。
ここまで辿り着けたのも、ひとえに読者様の存在があったからです。
特に感想や一言、ご指摘や叱責は執筆の励みとなりました。心より感謝申し上げます。


……と、いかにも締めの様な事を言いましたが、実はまだ続いたりしちゃいます。
ただ完璧に小話のノリなので、一応区切らせて頂きました。
本編後の世界で彼女達がどんな風に生きているのかを、後日談と言う形で投稿致します。

前投稿サイト様で、少々不完全燃焼で終了してしまった後日談は、再投稿に当たってエピソードの追加を行うつもりです。


『俺は本編再構成のエヴァを読みたいんだ。アホタイムはもう良いよ』と言う読者の方は、これまでのお付き合い、本当にありがとうございました。

『アホタイムでも何でも来い』と言う読者の方は、今暫くお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《一歩目》

ここからの話は、全て本編終了後のエピソードとなりますので、26話まで読了を前提に展開していきます。まだ本編未読の方は、本編を先に読んで頂けるとありがたいです。

また、後日談は基本的にアホタイムです。ご注意下さい。

それではようこそアホタイムへ。
心ゆくまでお楽しみ下さい。


~第一歩目~

 

 とある日、シイはゲンドウにネルフ司令室へと呼び出された。今の自分はもうエヴァのパイロットでは無い為、一体何事かと不安を抱きながら、シイは司令室のドアを開ける。

「失礼します」

「……ああ」

 司令席にはいつも通りのポーズで、ゲンドウがシイを待ち構えていた。

「突然呼び出してしまって済まないね」

「いえ。全然平気です」

 ゲンドウの脇に立つ冬月にシイは笑顔で答える。シイに配慮したのか、ちゃんと学校に支障が無い時間に呼び出されていたので、ここに来る事自体は問題無かった。

「でも、私に何かご用なんですか?」

「実はね、君に少々頼みたい事があるのだよ」

「私にですか?」

「……ああ」

 二人の言葉にシイは首を傾げる。ゼーレとの戦いが終わってから、シイ達チルドレンは全員パイロットを解任された。施設の出入りの為、暫定的に準職員扱いになっているが、あくまで形式的な物に過ぎない。

 そんな自分に一体何を頼むと言うのかと、シイは少し考え込んでしまう。

 

 シイの疑問を察したのか、冬月は優しく微笑みながらフォローを入れる。

「そんな身構えなくて良いよ。無理難題を言うつもりは毛頭無いからね」

「は、はい」

「ゼーレとネルフが一度組織解体して、新たな組織を結成する事は、君も知っているね?」

 冬月の問いかけにシイは頷く。その提案がされた場面に居合わせていたから、知らぬ筈は無い。

「既に何度かゼーレと会議をしているのだが、問題が発生してしまったんだよ」

「喧嘩は駄目ですよ」

「も、勿論だとも。私達は老人達と仲良くやっているよ。なあ?」

「……ああ」

 顔を引きつらせる二人の様子に、きっと仲が悪いのだろうなとシイは悟った。ただ今はそれを追求するよりも、大切な事がある。

「その問題って何ですか?」

「うむ。実は新組織の名称を決めるのが、少々難航していてね」

「決められなかったんですか?」

「我々は幾つかの案を提示したのだが、どうも老人達は気に入らなかったらしい」

 やれやれと、冬月は肩をすくめてため息をつく。

「ならばと老人達に案を出して貰ったのだが……まあ酷いものだったよ」

「はぁ」

「まあそんな感じで議論は平行線を辿って居たのだが、流石に名称未定では今後に支障をきたす」

 名前は大切なものだ。人であれ、物であれ、組織であれ、それは変わらない。特にゼーレは大昔より続く組織だから、名前へのこだわりが強いのだろう。

「大変なのは分かりましたけど、私じゃ力になれそうに無いですよ」

「ところが、君の存在が問題解決になるんだ」

「はい?」

 どうしてと首を傾げるシイに、ゲンドウが口を開く。

「……シイ。お前は将来的にその組織の長となる。そうだな?」

「う、うん」

 なれるかどうかは分からないが、今のところその予定で話は進んでいる。

「ならばシイ。組織の名前をお前が決めろ」

「……えぇぇ!!」

 単刀直入なゲンドウの物言いに、シイは驚きのあまり固まってしまう。唐突すぎるゲンドウの言い方に苦笑しながら、冬月は優しくシイにフォローを入れる。

「老人達もシイ君が決めた名前なら文句は無いと言い出してね。無論、我々も同じだよ」

「で、でもですね……」

「我々に残された時間は少ない。お前が決めろ」

 拒否は許さないとばかりにゲンドウはシイを見つめる。突然重大な事柄を託され、戸惑うシイへ冬月は歩み寄ると、リラックスさせるように肩を軽く叩く。

「難しく考える必要は無いよ。君が良いと思う名前を決めて欲しい」

「でも私じゃ……」

 正直なところ、シイには自信が無かった。元々ネーミングセンスがあるわけでも無いのに、大事な組織の名前を決めるなんて無理だと。だがここで自分が断れば、またゼーレとゲンドウ達は揉めるだろう。

「何なら誰かに相談しても良い。そうだね……明日のこの時間に、シイ君の答えを聞かせてくれ」

「……分かりました。頑張ってみます」

 小さく頷きながら答えるシイに、冬月は満足そうに微笑んだ。

 

「では、失礼します」

 ペコリと一礼して、司令室を立ち去ろうとするシイだったが、ふと足を止めて振り返る。

「あ、お父さん。夜ご飯はハンバーグだから早く帰って来てねって、お母さんが言ってたよ」

「……分かった」

 ゲンドウの返事を確認すると、今度こそシイは司令室から出て行った。

「ふぅ。全く老人達もえげつない事をする。シイ君に全てを決めさせるなど……」

「……ハンバーグか」

 ニヤニヤと表情を崩しているゲンドウに、冬月は一段と深いため息をつくのだった。

 

 

 翌日、登校してきたシイを見て、教室にいた生徒達は一様に驚きの表情を浮かべる。それもその筈、シイは目の下に真っ黒な隈をつくり、朝だというのにすっかり疲れ果てた様子だったからだ。

「おはよう……」

「ちょ、あんた、一体どうしたってのよ?」

「うん、ちょっとね」

 ふらふらと自分の席に座るシイに、アスカ達が心配そうに駆け寄る。

「凄い隈だね。寝てないのか?」

「……一睡もしていないわ」

「なんで綾波……ちゃうちゃう。レイが答えとんのや」

「……見てたから」

 さらっと問題発言をするレイに、一同はぎょっと視線を向ける。だが当の本人は全く気にした様子も無く、無表情で視線を受け流していた。

「れ、レイちゃんって今、シイちゃんと同じ家で暮らしてるのよね?」

「……ええ」

「そ、そや。何も変な事あらへん……か?」

 ぼけが感染したのか、まあ良いかと流されそうな雰囲気をアスカが一喝する。

「問題大ありでしょ。じゃあ何? あんたは一晩中シイを監視してたって訳?」

「……いいえ。ただ同じ布団で寝ていれば、起きているかどうかは分かるもの」

「あ~これは、あれやな。深く考えんとこ。な?」

 気にしたら負けだと、トウジの提案に全員が頷く。ただ真剣に、シイにとって一番危険なのはレイなのでは無いかと、誰もが思い始めていた。

 

「気を取り直してっと。一体何があったってのよ?」

「うん、ちょっと悩んでる事があって……」

 シイの答えにアスカは少し驚く。これはシイが悩みの無い脳天気な性格と言うのでは無く、この少女は自分で解決出来ない悩みを、周囲の人に相談する事で解決する事が多かったからだ。

「へぇ~あんたがそんなに悩むなんて、気になるわね」

「ふふ。乙女が夜も眠れぬ程に悩む事なんて、一つしか無いと思うよ」

 何処から話を聞いていたのか、遅れて教室にやってきたカヲルは、シイの元へ近寄りながら告げる。

「出たわね。変態」

「酷い挨拶だね」

「と言うか、どうして今来た渚が、碇が悩んでるって話を知ってるんだよ」

「シイさんの声は、どれだけ離れていても聞こえるのさ」

「……やっぱり変態」

 散々な言われようだったが、カヲルは全く気にするそぶりを見せない。このあたりの精神的強さは、レイによく似ていた。

「あの、渚君はシイちゃんの悩みが分かるの?」

「勿論だよ。乙女の胸を悩ませる事と言えば、好きな男の子の事しか無いからね」

「……あんた馬鹿ね」

「ま、シイに限ってはな」

「あり得ないね」

「私もそう思う……かな」

「……ぷっ」

 自信満々に答えるカヲルだったが、一同は失笑しながら即座に否定する。年齢的に色恋の話はあり得なく無いが、シイに関しては例外だろう。

 本人に意識が全く無いのもあるが、何より周囲がそれを許さない。常時監視の目が張り巡らされ、しかも側にはレイが居る。恋愛なんて言葉はシイの周りに限っては存在していないのだ。

 

「で、あんたの悩みって結局何だったの?」

 役立たずのカヲルを隅に追いやってから、アスカは改めてシイに問う。

「実は……」

 シイはその場に居る面々に、昨日ゲンドウ達から新組織の名称決めを頼まれた事を話す。家に帰ってからもずっと考えていたが、良い名前が思い浮かばず今に至ると。

「なるほどな~。そりゃ難しい話やで」

「ったく、ゼーレの爺共もあの二人も、ちっとは仕事しろってのよ。完全に投げっぱなしじゃない」

「でも凄い事だよこれは。新組織の名前を決めるなんて」

 呆れるアスカとは対照的に、ケンスケは興奮した様子で目を輝かせる。ゼーレとネルフの後組織の名称は、恐らく歴史に残るだろう。彼のテンションがあがるのも当然と言えた。

「レイちゃんに相談しなかったの?」

「一応したんだけど……」

 そう言いながらシイは鞄から一冊の本を取り出す。それは世に言う姓名判断の本だった。何故か自慢げに頷くレイを見て、一同は全てを理解した。結局レイも役立たずだったのだと。

 

「ま、あたしに相談したのは良い判断ね。こんなのお茶の子さいさいよ」

「本当?」

「ふふん。良い? 人の名前と違って、組織とかの名称は大体同じ様な決め方してるの」

 腰に手を当てて自信たっぷりに語り出すアスカに、シイだけでなくトウジ達も興味深げに視線を向ける。こういう時のアスカは意外と頼りになる事を知っていたからだ。

「一般的なパターンだと、役割をそのまま名前にしちゃう事ね」

「うん?」

「例を挙げれば、『戦略自衛隊』『国際連合』『人類補完委員会』って感じかしら」

 ああ、とシイ達は納得の声をあげる。アスカが例に出した組織はいずれも、役割がそのまま名称になっている。少し固い印象を受けるが、わかりやすいのは間違い無い。

「えっと、人類の未来を守る組織だから……人類未来防衛組織?」

「えらい胡散臭い感じやな」

「ちょっと……違うかもしれないね」

「碇ってさ、ひょっとしてネーミングセンスが無かったり……何でも無い」

 ケンスケの突っ込みは、レイから向けられる絶対零度の視線で消し去られた。

 

「ん~後は……そうね~」

「ふふふ、今度こそ僕の出番みたいだね」

 悩むアスカを追いやる形で、カヲルが再びシイ達の前にやってきた。

「渚は何か知恵があるのか?」

「勿論さ。シイさんが困っているなら、僕はあらゆる手段を使ってそれを解決するよ」

「えっと……ありがとう?」

「……早く言って」

「仰せのままに」

 急かすレイにカヲルは機嫌を損ねる様子も見せずに、仰々しくお辞儀をする。この芝居がかった動作にも、もうすっかり慣れてしまった一同は、突っ込みもせずに言葉を待つ。

「リリンは異なる言語を操る。名前も例外では無いのさ」

「ごめんねカヲル君。もう少しわかりやすく……」

「例えばネルフはドイツ語で神経、ゼーレは魂、ゲヒルンは脳と言う意味だよ」

「そうなの?」

「常識じゃない」

 シイの問いかけに、アスカは何を今更と言った感じで答える。ドイツ育ちの彼女にしてみれば、そんな事は今更過ぎる話だった。

「難しく考えずに、シイさんがその組織に望む事を言葉にすれば良いさ」

「私が望む事……」

「おや、もう時間みたいだね。続きはまた後にしよう」

 教室に入ってきた教師の姿を見て、カヲルは微笑みながら自分の席へと戻っていった。他の面々も同様に、自分の席へと戻る。

(私が望む事……か)

 シイは授業を受けながら、自分がその組織に望む事を考え続けるのだった。

 

 

 その日の夕方、シイは司令室でゲンドウと冬月と向き合っていた。目の下に出来た隈に驚いた二人だが、晴れ晴れとしたシイの顔を見て、彼女が答えを持ってきた事を確信する。

「決めてくれたみたいだね」

「はい。みんなに力を貸して貰って、決めました」

「……聞こう」

 シイは頷くと司令席へと歩み寄り、一枚の紙を机にのせた。それを覗き込んだゲンドウと冬月は、一瞬驚いた様な表情を見せたが、直ぐに納得したように微笑む。

「なるほど。これが君の答えか」

「はい」

「……悪くない」

 自分が考えた名前を認められ、シイは嬉しそうに頬を染めた。

「では早速ゼーレの老人達にも伝えるとしよう。なに、二つ返事で了承するはずだ」

「ああ。良くやったな、シイ」

「え? あ……うん。ありがとうお父さん」

 珍しく笑みを見せるゲンドウに、シイは一瞬戸惑ったが、直ぐさま満面の笑顔を向けるのだった。

 

 

 シイの考えた名前に、ゼーレの面々はこれを待っていたと大喜びする。

「素晴らしい。やはり彼女に任せて正解だった」

「左様。期待に応えてくれたね」

「うむ。我々の目に狂いは無かったな」

「なら褒美を与えなければ……」

「チョコレート以外でお願いします」

 浮かれるメンバーに、ゲンドウがさりげなく釘を刺す。娘を何度も虫歯にされては堪らない。

「碇……この名に不服は無いな?」

「ええ」

「ならば良い。では今この時、我らの新たな歴史が始まるのだ」

「「全てはゼーゲンの為に」」

 

 

 シイが考えた名前は『Segen』。ドイツ語で祝福を意味する単語。これから先、生まれてくる子供達が等しく祝福されるような未来を、と言う彼女の願いが込められていた。

 




キールがあんな事言ってしまったので、ゼーレとネルフに変わる名前が必要だろうと言う事で、急遽新組織の名前をつけました。

一応本編が終わったので、区切りの意味で名称をつけただけですので、本文中ではゼーレとネルフの名前が混ざって出てくると思います。
頑張ったシイには申し訳ないですが……わかりやすさ優先で、ご了承下さい。

後日談も無事一歩目を踏み出したと言う事で、そろそろ本格的にアホタイムですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《求めていた光景》

 

~碇家の日常~

 

 ユイが戻りレイが加わった碇家は、ミサトと同じマンションに住居を構える事になった。ゲンドウとユイ夫妻に、レイとシイ姉妹の四人家族は幸せな日々を満喫していた。

 そんな碇家の台所では、ユイとシイが並んで朝食の支度をしている。親子で料理をするのは二人にとって諦めていた夢。それが現実の物となり嬉しくない筈が無い。

 失われた時間を取り戻す様に、二人は幸せオーラ全開で料理をするのだった。

 

「ん~どうかなお母さん?」

「ふふ、良いと思うわ」

 シイが小皿に取った味噌汁を味見したユイは、満足げに微笑んでシイの頭を優しく撫でた。娘の成長を喜ぶ様なユイに、シイもまた嬉しそうにはにかむ。

「料理も洗濯もお掃除も出来るなんて、お母さん嬉しいわ」

「えへへ……でも全部お婆ちゃんが教えてくれたの」

「お母様が?」

「うん。いつ何処にお嫁に出しても恥ずかしくない様にって」

 何気ないシイの言葉に、ユイの手がぴくりと止まった。

「お嫁……シイが……お嫁に……」

「お母さん?」

 急に表情を強張らせた母に、シイは心配そうな眼差しを向ける。するとユイはシイの両肩をがっしり掴み、真剣な眼差しで尋ねた。

「……シイ。貴方好きな男の人は居る?」

「え? えっと……お父さん。後は冬月先生と時田さんと加持さんと……」

「はぁ~。そのままのシイで居てね」

 心底安心したように抱きつくユイに、シイは不思議そうに首を傾げるのだった。

 

 

「……おはようございます」

「あらレイ。おはよう」

「あやな……レイさん、おはよう」

 朝食が出来上がる少し前に、レイがダイニングへと姿を見せた。彼女は毎日決まった時刻に起床する。一緒に暮らすようになってからも、シイはレイが寝ぼけていたり寝坊する姿を見た事が無かった。

「もうシイったら。まだ慣れないのかしら?」

「うぅぅ、だって……」

「……構いません」

「まあ、時間がかかるかもしれないわね」

 シイとレイは互いに名字で呼び合っていた仲だが、姉妹になった為に呼び方の改善が必要となった。とは言え急に呼び捨て出来る訳も無く、まずはさん付けで名前を呼んでいるのだが、まだ定着していないようだ。

「私の事も、いつかお母さんと呼んでね」

「……努力します」

 家族が居なかったレイにとって、ユイを母親と呼ぶのもまた抵抗があった。それも時間が解決してくれるだろうと、ユイは焦らず気長に待つつもりであった。

 

 

 程なくして朝食が出来上がったが、まだゲンドウが起きてこない。仕事柄不規則な生活を送っている為、仕方ないとシイは思っていたのだが、ユイに言わせれば昔から朝は苦手だったらしい。

「全く困った人ね。子供よりお寝坊さんなんて」

「昨日もお仕事で忙しかったし、寝かせてあげようよ」

 シイの言葉にしかしユイは首を横に振る。

「駄目よ、シイ。朝食は家族揃って食べるって決めたでしょ」

「……起こしてきます」

 レイはすっと立ち上がると、ゲンドウとユイの部屋へと入っていった。ふすまが開けっ放しなので、部屋の中の様子が二人にも届く。

『司令、朝です』

『…………』

『朝です。みんな待ってます』

『……後五ぶぅぅ』

『起きて下さい』

『……ああ、分かった』

 何事も無かったかの様に部屋から出てくると、レイは自分の席へと座る。ハッキリと聞こえたゲンドウの悲鳴に、シイは冷や汗を流しながらレイに尋ねた。

「れ、レイさん。今何があったの?」

「……ユイさんに言われた通りに起こしただけ」

「お、お母さん?」

「ふふふ、あの人は喉元を叩くと起きるの。シイも憶えておくと良いわ」

 にっこりと微笑むユイに、シイは何も言えずに頷くのだった。

 

「お、おはよう……」

「おはようございます、あなた」

「お父さんおはよう」

「……おはようございます」

 身体をふらふらさせながら、ゲンドウはダイニングへとやってきた。サングラスを掛けていない姿は、家族の前でしか見せない。シイはそれが密かに嬉しかった。

「もうあなたったら。子供が真似しますから、ちゃんと起きてきて下さいね」

「あ、ああ。もう少しで起き上がれなくなる所だったが」

 コキコキと首をならすゲンドウをシイは心配する。

「大丈夫なの、お父さん」

「案ずるなシイ。ユイに比べれば、レイはまだ優しいからな」

 無駄に凜々しくゲンドウはシイに親指を立てる。あれで優しいなら、ユイはどれだけ激しいのだろうか。シイは本気で母の偉大さと父の強さに感心してしまう。

「……お腹空いた」

「ふふ、召し上がれ」

「「頂きます」」

 家族揃って朝食を食べる。これは四人全員が望んでいた光景なのかもしれない。

 

 食事の最中にユイがシイ達に話しかける。

「そうそう、二人に言っておく事があったんだわ」

「なあに?」

「……もぐもぐ」

「私も今日から仕事を始める事にしたの」

 ユイには以前からネルフへの参加が望まれていた。優秀な科学者としてだけでなく、碇ユイと言う存在が組織に与える影響力は計り知れない物がある。

 身体と生活が落ち着くまで返事を保留していたが、今の状況から遂に決断をした。

「そうなんだ……」

「……もぐもぐ」

「ええ。だからシイにも家事を手伝って貰う事になるけど」

「全然平気だよ。レイさんも居るし、ね?」

「……もぐもぐ……ええ」

 ミサトとアスカと同居していた時も、実質一人で家事を切り盛りしていたのだ。パイロットの仕事が無くなった為、時間にゆとりは十分過ぎる程ある。何も問題無かった。

「ありがとうシイ、レイ。お母さん頑張るわ」

「うん」

「……もぐもぐ」

 朝の食卓は和やかな空気に包まれていた。

 

 そんな時、不意に玄関のチャイムが鳴らされた。

「あら、お客様かしら」

 食事を終えていたユイが、立ち上がろうとしたシイを制して玄関へと向かう。するとそこには、酷い寝癖をつけたミサトが立っていた。

「えへへ、おはようございます」

「おはようございます、葛城さん。どうなさったんですか?」

 同じマンションに住んでいるので、こうしてミサトが来訪するのは珍しく無い。だがこんな朝早くにやってきた事は初めてなので、ユイは何かトラブルかと少し身構えてしまう。

「実は、ちょっちお醤油を分けて貰えないかなって」

「「!!??」」

 玄関から聞こえてきた不穏な単語に、シイとレイは同時に顔を引きつらせて、大慌てでミサトの元へと走った。その様子に、ユイもミサトも目を丸くする。

「シイちゃんにレイ、おはよう」

「二人ともどうしたの?」

 シイはともかく、レイは滅多なことで取り乱したりしない。そんなレイが目を見開いて走ってきたとあって、ユイ達は驚きを隠せなかった。

「み、み、み、ミサトさん! 今お醤油って言いました?」

「へっ? ええ。お醤油を分けて貰えないかって」

「……料理したの?」

 信じられない物を見る様に、シイとレイはミサトを凝視する。彼女の料理の腕前を知っている二人にとって、それは聞き捨てならない事だった。

「二人とも。葛城さんに失礼よ」

「お母さんは知らないから……」

「……加持監査官が危ないわ」

 碇家が暮らすようになったのと時同じくして、ミサトと加持は同居を始めた。加持が命を狙われる状況で無くなった事で、ようやく踏ん切りをつけたのだ。

 それを目の前で壊れるのを黙って見過ごす訳にはいかない。

 

 二人が何を心配しているのか察したミサトは、苦笑しながらその不安を取り除く。

「あ~そういう事ね。大丈夫よ、料理作るのは加持だから」

「ふぅ……」

「……良かった」

 あからさまに胸をなで下ろした二人に、ミサトはプライドを刺激される。

「あのね、流石にその反応はちょっち傷つくんだけど」

「「カレー」」

「ごめん」

 前科のあるミサトは声を揃える二人に即座に謝る。多数の犠牲者を出したミサトのカレーは、どちらにとっても思い出したくない過去であった。

 一連のやり取りを見守っていたユイは、話が落ち着いた頃合いを見計らってミサトに声を掛ける。

「お醤油は余ってますので構いませんわ」

「助かります」

「普通の醤油で良いですか?」

「へっ?」

 ユイの確認にミサトは何の事かと首を傾げる。

「濃口で良いんですよね? 一応薄口と溜り、白とだしもありますけど」

「????」

「あの、ミサトさん。醤油にも種類があってですね……」

「も、勿論知ってるわ。常識だものね」

 説明しようとするシイに、ミサトは当然知っていると笑う。だが頬を流れる汗が全てを物語っていた。

「そ、そうね~。やっぱ健康志向で、その薄口ってのを貰おうかしら」

「「…………」」

「あれ?」

 黙りこくってしまった三人を見て、ミサトは自分の回答が間違っていたことを察する。そんな彼女に、シイは気の毒そうに補足説明をした。

「ミサトさん。薄口しょうゆは色や香りは薄いですけど、塩分は濃口よりも高いんです」

「……濃口をお持ちしますわ」

「……はい」

 ミサトはしゅんとした様子で、ユイの気遣いに頷くのだった。

 

 

「あら、もうこんな時間。後片付けはやっておくから、二人は学校へ行っていらっしゃい」

「うん。行こうレイさん」

「……ええ」

 シイとレイは部屋に戻って鞄を手に取ると、ゲンドウとユイに挨拶をしてから学校へと向かう。そんな娘達の姿を笑顔で見送ると、ユイはエプロンを身に纏って食器洗いに取りかかる。

「あなたも新聞ばかり読んでないで、支度をして下さいな」

「……君の準備は良いのか?」

「何時でもいけますわ。全くあなたは昔から変わらないんですから」

「……ああ」

 言いながらもゲンドウは、広げた新聞紙に目を通しながら食後のお茶を楽しむ。急ぐつもりの無い夫に、ユイはやれやれとため息をつきながら洗い物を続ける。

「ところであなた。頼んでいた件はどうなりました?」

「少々難航している。我々が直接赴いた方が良さそうだ」

 ゲンドウの言葉に洗い物をしているユイの表情が曇る。

「そうですか。あまりここを離れるのは気が進みませんけど」

「シイならば問題無い。今はレイが居るからな」

「だと良いのですけども。……ほらあなた、いい加減準備して下さい」

「……ああ、分かっているよ。ユイ」

 

 碇家の朝は穏やかに過ぎていく。何事も無く平和に。人によってはそれを退屈と捉えるだろうが、少なくともシイ達にとっては待ち望んでいた時間だった。

 




たまにはこんな、誰も痛い目を見ない話もありかなと。シイ達四人にとって、こんな何気ない日常こそが求めていた物なのかもしれません。

イメージはTV版最終話、通称『学園エヴァ』です。あれは当時見ていて、衝撃的な展開だったと今でも憶えています。
欲を言えばあのまま、一話やってくれたらな~と。

そんな思いも込めて、後日談の執筆を続けて参ります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《根本的な問題》

 

~誤算~

 

 暗闇の会議室で、ゲンドウはキール達から急な呼び出しを受けていた。

「……碇。此度の呼び出しの理由、分かっているだろうな?」

「ええ」

「予想外の事態だ。修正は容易では無いぞ」

「分かっております。私も内心動揺しておりますので」

 いつものポーズで返答するゲンドウに全く動揺は見られない。だが頬を流れる汗が彼の言葉が本心である事を、何より雄弁に語っていた。

「碇君。これは君の監督責任だと思うがね」

「左様。我々の、いや人類の未来をどうするつもりかね」

「……どうしましょう」

 本気で困っているらしいゲンドウは、思わずゼーレの面々に問い返してしまう。

「碇……君は良き友人であり、協力者であり理解者であった」

「…………」

「だが、良き父親では無かったようだな」

「……そもそもは、碇本家に原因があると思われますが?」

 キールの言葉に反論するゲンドウだったが、直ぐさま他の面々からの突っ込みが入る。

「いや、過去のデータを見る限り、君の元を訪れてから急激に事態は悪化している」

「責任転嫁とは見苦しいぞ」

 口々にゲンドウを責め立てるゼーレの面々だが、そこにははっきりと焦りの色が浮かんでいた。以前のように余裕が感じられず、本気でどうにかしろとゲンドウへ訴えかけている様だった。

「……キール議長があんな事言い出したのが原因です」

「君とユイの娘だ。何の問題も無いと思って当然だろう」

「子は親のコピーではありませんよ」

「だがな……まさかこれ程とは夢にも思わなかった」

 キールは手元の資料を一瞥して深いため息をつく。それに他のメンバー達も続き、会議室はまるでお通夜のような空気になってしまった。

 彼らを沈ませた原因は手元の資料……碇シイの学力調査の結果だった。

 

 発端は先日、キールがゲンドウにシイの学力調査を依頼した事からだ。シイが組織の長となる条件は大学の卒業。シイはまだ中学生とは言え、大学に進学するならそれなりの成績は必要である。

「念には念を、だ。まあ君とユイの娘なら心配無用だろうがな」

「……後日結果をお持ちします」

 断る理由が無いゲンドウは快諾し、直ぐに保安諜報部を通じてシイの学力調査を行った。だが報告されてきた結果は想像を大きく裏切るものであった。

 

「よもや大学どころか高校進学すら危ういとは……」

「圧力を掛けて入学させますか?」

「馬鹿を言え! そんな事をあの子が望む筈もあるまい」

「左様。彼女は純粋な子だよ。そんな事を知れば、長を受け入れる事も無いだろう」

「そうだ! 君は娘を信じられないのか!」

 すっかり毒気が抜かれてしまったゼーレの面々に、ゲンドウも内心同意する。ゼーレとネルフの力を持ってすれば裏口入学など容易だが、それはシイが望む事では無い。

「とはいえ、楽観視していられる状況で無いのも確かだ」

「……はい」

「碇、至急対策を立てろ。碇シイの学力を……まずは人並みに戻すのだ」

「はい。では失礼します」

 ゲンドウは頷くと静かに会議室を後にした。

 

 

「お帰りなさい。あなた」

「連中の呼び出しは、やはりシイ君の事か?」

「……ああ」

 司令室に戻ったゲンドウを、ユイと冬月が出迎える。二人は事前にシイの学力調査を知っていたので、ゼーレの呼び出し理由も理解していた。

「困りましたわね」

「うむ。原因が我々にある以上、シイ君を責めるつもりは無いが」

 元々シイは真面目な学生だったが、ネルフに来てから歯車が狂った。度重なる入院と訓練や実践の繰り返しで、勉強する時間がごっそり削られてしまったのだ。

 必死に追いつこうとするも、その勉強時間すらネルフが奪ってしまった。シイは大人達の都合に振り回された被害者とも言える。

「……私達がシイにしてやれることは何だ?」

「それはやはり、勉強を教えてやる事じゃないか?」

「ですわね。あまり好きではありませんが、シイには特別補習を受けて貰いましょう」

 シイには出来る限り自由を与えたいユイは渋い表情で決断した。それにゲンドウと冬月も同意する。

 かくしてシイの学力再生計画は、本人が全く知らぬところで幕を開けるのだった。

 

 

 シイの特別補習が始まって、一週間が過ぎた。ゲンドウ達は業務が山積みだったこともあり、シイの教師役をネルフのスタッフに委ねていた。そしてようやく時間がとれた今日、シイの様子を見学することにした。

「今日は確か……伊吹二尉が担当だったな」

「ああ。彼女は赤木君の右腕と言われる逸材だ。きっと上手くやってくれているだろう」

「優秀な人材が居て、本当に助かりますわ」

 マヤはシイとも比較的接点が多く、教師役としてはうってつけとも言える。三人は安心した様子で、補習が行われている部屋へと向かう。

 だが、何故かそこには誰も居なかった。

「ふむ、妙だな。まだ終了時間では無い筈だが」

「……私だ。伊吹二尉は何処に居る?」

 発令所に連絡を入れたゲンドウは、日向から二人の居場所を聞く。

『食堂です。シイちゃんも同じ場所に居ます』

「休憩中かしら?」

「むしろ都合が良いね。邪魔をせずに状況を確認できる」

 三人は頷き合うと、食堂へ向けて再度移動を開始した。ネルフのトップ達が揃って歩く姿に、スタッフ達が何か事件かと戦々恐々とするのだった。

 

 やがて三人は食堂へと辿り着く。そこで彼らが見たのは、食堂の厨房で楽しそうに料理をしている、エプロンと三角巾を着けたマヤとシイの姿だった。

 食堂に漂う甘い香りから、お菓子作りをしていたと想像出来る。

「ね、簡単でしょ?」

「お菓子って、もっと難しいと思ってました」

「中にはそう言うのもあるけど、ちゃんと分量を量れば失敗する事は少ないの」

「勉強になります」

 優しく語りかけるようなマヤにシイは真剣な顔で頷く。まるで仲の良い姉妹の様な二人に、ゲンドウ達は暫し呆然としていたが、ハッと我に返って足を踏み出す。

「伊吹二尉。シイ君」

「あ、冬月先生。それにお母さんとお父さんまで。どうしたの?」

 ゲンドウ達の姿を見つけて、シイはパタパタと厨房から入り口へと駆け寄る。

「……それはこちらの台詞だ」

「ねえシイ。今は休憩中なのかしら?」

「ううん、違うよ。マヤさんにお菓子作りを教わってたの」

 さらっと言い放つシイに、ゲンドウ達はジロリとマヤに視線を向ける。ネルフのトップ達に揃って見られ、マヤは思い切り狼狽してしまう。

「な、何か不備があったでしょうか」

「……無いと思うか?」

「も、申し訳ありません。正直見当がつきませんが……」

 じっと睨むゲンドウに、マヤは直立敬礼の姿勢で答える。その姿を冬月とユイは訝しむ。

「伊吹二尉。君はシイ君の教師役、そうだな?」

「はい。その通りです」

「では君は今、シイ君に何を教えていた?」

「お菓子の作り方です」

 どうも会話がかみ合っていない。マヤは自分がシイにお菓子作りを教えている事を、おかしな事だと認識していないようだった。

「……ねえマヤさん。貴方はゲンドウさんに、教師役を依頼されたのよね?」

「はい」

「何て言われたのかしら?」

「司令からは各々得意な分野を、シイちゃんに教えるようにと指示されています」

 マヤの答えを聞いてユイと冬月は得心がいった。確かにそれならマヤの行動は正しいだろう。

 間違っていたのはゲンドウの方だ。

「……何故私を見る?」

「碇。お前は教師役を頼む時、シイ君の学力について告げたか?」

「……いや」

「何故教師役を頼むのか、理由を話したか?」

「……いや」

「シイ君にこの補習の目的を説明したか?」

「……いや」

「なるほど。犯人はお前だ」

 呆れたように冬月は大きなため息をつく。理由も言わずに得意な事を教えてくれと言われれば、勉強に結びつけられる者は少ないだろう。

 マヤも例外ではなく、得意なお菓子作りをシイに教えていたのだから。

 

「ねえシイ。昨日は誰に何を教わったのかしら?」

「青葉さんにギターを習ったの。青葉さん凄いんだよ。こう、じゃかじゃかじゃーんって」

 嬉しそうにエアギターを披露するシイに、ユイは何も言えずに微笑むしか無い。シイ本人も勉強しろと言われておらず、教師役の人に習えとしか言われていないのだから。

「一昨日はね、加持さんに暗号解読を習ったんだよ。加持さんスパイみたいだよね~」

「そう、良かったわね」

「でねでね、その前は……」

 子供がその日学校で習った事を母親に報告するかのように、シイは嬉しそうにユイへ話し続ける。彼女にとって、この一週間はある意味で有意義な時を過ごしたのだろう。

 ただ学力向上には繋がらなかったが。

 

「頑張ったのね。偉いわ、シイ」

「えへへ」

 ユイに優しく頭を撫でられて、シイは嬉しそうに目を細める。

「お母さん達はもう行くけど、ちゃんとマヤさんの言う事を聞くのよ」

「うん」

 ユイは手をシイの頭からどかすと、そのままゲンドウの襟首を掴む。

「あなた、ちょっとお話があります。良いですわね?」

「……私が悪いのか?」

「他に居るのか?」

「むぅぅ」

「じゃあマヤさん。シイの事をよろしくね。……あなた、覚悟して下さいね」

 ユイは微笑みを残すと、ゲンドウを引きずるように食堂を後にした。この後ゲンドウの身に、何が起こったのかは誰も知らない。

 だがこれから一週間、ゲンドウが人前に姿を見せる事は無かった。

 

 

「……失敗か」

「いえ、十分な成果だと思いますわ」

 ゲンドウの代わりに会議に出席したユイは、堂々とした態度でキールに答える。

「学力はこれから、いくらでも向上出来ますもの。今シイに必要なのは見聞を広げる事です」

「……井の中の蛙大海を知らず、か」

「ええ。今回の経験はシイの器を広げましたわ。それは勉強で得られない大切な事と思います」

「君がそう言うなら、それが正しいのだろう」

 キールはユイの言葉に素直に頷いた。ゲンドウには口を出す他の面々も、流石にユイには下手な事を言えずに、黙って頷くしかなかった。

「因みにシイはどんな事を学んだのだ?」

「そうですわね……ギターのひき方、暗号解読法、銃の撃ち方、高速ブラインドタッチ、お菓子作りの基礎、プログラミングの基礎、エネルギー理論の基礎、他にも沢山ですわ」

 ネルフは優秀な人材の宝庫。どれも一流の人間による直接指導であったこともあり、シイは妙に専門的なスキルを身につけてしまっていた。

 これらはいずれ、シイの財産になるとユイは確信する。

「まあ良い。最終的に彼女が大学を卒業し、ゼーゲンの長となればそれで良いのだ」

「ご心配なく。あの子は私の娘ですもの」

 自信に満ちた笑みを浮かべるユイの言葉には、一切の反論を許さない絶対の説得力があった。

「……そう言えば、碇はどうした?」

「疲れが溜まっていたので、休養しておりますわ」

「そ、そうか。体調管理に気をつけろと伝えておいてくれ」

「ええ。では皆さん、ごきげんよう」

 優雅に一礼して、ユイは会議室を後にした。

 

 シイの学力再生計画は、現時点では失敗に終わった。だが元々真面目な性格である彼女だ。いずれその問題は自然と解決するだろう。

 今のシイはシナリオに翻弄される少女ではなく、自由な未来を生きる少女なのだから。

 




本編中にも何度か出てきましたが、シイの学力は芳しくありません。あれだけ入退院を繰り返して、ネルフの仕事に家事も引き受けていれば、仕方ない部分もあるでしょう。

まあユイが大丈夫だと言っているので、最終的にはちゃんと大学を卒業すると思います。と言いますか、卒業してくれないとこの小説が終わらないので……。

少々大人しめにスタートした後日談。そろそろ慣らし運転も終わりそうです。

今後もお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《写真が結ぶ絆》

~カメラマンケンスケ~

 

 放課後の第一中学校校舎裏で、商売に精を出す少年が居る。彼の名は相田ケンスケ。重度のミリタリーオタクにして、カメラをこよなく愛する彼は、不定期にここで写真の販売を行っていた。

 取り扱う商品は、同じ中学校に通う生徒達の隠し撮り写真。当然校則違反なのだが、彼を咎める者は居ない。何故なら第一中学校の生徒の大多数は、彼の顧客なのだから。

 

 

~鈴原トウジの場合~

 

「よっ。相変わらず繁盛しとるようやな」

「あれトウジ。珍しいね」

 いつも通り校舎裏で商売に勤しむケンスケの元に、ジャージ姿のトウジが姿を見せる。彼はかつての共に商売していた相棒だったが、恋人が出来てからは足を洗っていた。

「……今日は客や」

「はぁ~。あのさトウジ」

 恥ずかしげに視線を逸らすトウジに、ケンスケは呆れたように言葉をかける。

「委員長の写真なんて、直接言って撮らせて貰えば良いだろ? カメラなら貸すよ?」

「あ、アホ! そない恥ずかしい事、ヒカリに言える訳ないやろ」

 だからと言って恋人の写真を買うのはどうかと思うが、ケンスケはあえて突っ込むことをせずに、一冊のアルバムをトウジに手渡す。

 そこにはトウジの恋人である、洞木ヒカリの写真がびっしりと収められていた。ただその中にカメラ目線の写真はほとんど無く、隠し撮りである事は一目瞭然だ。

「普通恋人を隠し撮りされたら怒るもんだろ?」

「そらそうや。ただわしも関わってたさかい、今更自分だけ特別扱いは出来へんやろ」

「……トウジって本当に頑固だよね」

 ケンスケは口ではそう言いながらも、目の前の友人に決して悪い印象を持っていない。ここでもし自分の恋人の写真だけ売るなと言われれば、ケンスケはトウジに幻滅しただろう。

 良くも悪くも一本気。変わらぬ友人の姿に、ケンスケは少しだけ安堵していた。

 

「……決めたで。これとこれ貰うわ」

「はいよっと。二枚で六十円だね」

 トウジから代金を貰うと、ケンスケは二枚の写真を手渡す。

「のぅケンスケ。ちいと聞いときたいんやけど」

「委員長の写真は結構な人気だよ」

 友人の言わんとしていることを先読みして、ケンスケはさらっと答える。その答えが予想外だったのか、トウジは驚いた様に目を見開いた。

「ほ、ホンマか!?」

「何を今更。前に言ったと思うけど、委員長を狙っていた男子は結構多いんだよ」

「せやけど……」

「トウジと付き合ってるって知らない奴も居るしね」

 ケンスケから告げられた事実に、トウジはもう何も言えなくなってしまった。色々な感情が入り交じっている友人に、ケンスケはため息をつくとある物を差し出す。

「はぁ~。これ貸してあげるよ」

「わしはお前みたいに上手く出来へん」

「このボタンで電源を入れて、後はシャッターを切るだけ。簡単だろ?」

 ケンスケが手渡したのは、シンプルなデジタルカメラだった。彼が普段使うような高性能な物では無いが、普通に写真を撮るには十分な代物だろう。

「トウジはさ、もう少し我が儘になっても良いと思うよ」

「何やそれ?」

「恋人を独占したいと思うのは当然なんだからさ。それでトウジが撮った委員長は、他の誰の目にも触れない、トウジだけの委員長だよ」

「……借りとくわ」

 カメラをポケットに入れたトウジに、ケンスケは軽く微笑みながら小さく頷いた。去り際に彼が放った、サンキューな、の言葉は、ケンスケにとって何よりのお代だった。

 

 

~渚カヲルの場合~

 

「ふふ、お邪魔するよ」

「渚? こんな所にどうしたんだ?」

 思いがけない来客に、ケンスケは少し驚いた様に問いかける。

「君が面白い事をやっていると聞いてね」

「あ、そうか。渚には言ってなかったっけ」

 この学校に通う男子生徒ならば、ほぼ全員がケンスケの商売を知っているのだが、カヲルは転入して日が浅い事と、常に女子生徒の視線に晒されていた事もあり、存在を知らなかったのだろう。

「えっとさ。一応聞くけど……」

「ああ、心配しなくて良いよ。情報を漏らすつもりは無いから」

 警戒するケンスケにカヲルは微笑みながら答える。未だリリンのルールに疎い部分もある彼だが、ケンスケの置かれている立場は十分に理解していた。

「そりゃ何よりだよ。て事は」

「ふふ、写真を貰おうか」

「誰のって聞くまでもないよな。えっと碇のアルバムは……」

 鞄からシイの写真が収められたアルバムを取り出そうとするケンスケを、カヲルは片手を挙げて制する。

「君の評判は聞いているよ。全て貰おう」

「け、結構枚数あるぞ?」

「愛しいものを独占したいと思うのは当然だろ?」

 さらっと言い放つカヲルを見て、ケンスケはふと思う。この一割でも良いから、トウジも積極的になれれば良いのにと。

 

 シイの写真は人気があるので、枚数もそれに比例して多くなる。先に代金を渡したカヲルは、手際よく大量の写真を整理するケンスケの姿を見つめていた。

「君はシイさんの事を好きなのかい?」

「僕? 僕は碇をそう言った目で見たことは無いよ」

 これはケンスケの本心だった。ケンスケにとってシイはあくまで友人であり、恋愛感情を抱いたことは一度も無い。そして恐らくこれからも無いだろう。

「でもどうしてそんな事を聞くんだ?」

「好きでも無い相手の写真を、そんなに沢山撮れるのかなと思ってね」

 カヲルの言葉にケンスケは成る程と頷く。写真を撮るのも労力がいるし、それが隠し撮りであればなおさらだ。その原動力は何なのかと、彼には疑問なのだろう。

「……僕はさ、こいつが好きなんだよ」

「カメラかい?」

「ああ。初めは趣味の軍事物とかを撮るのに使ってただけなんだけど、段々と撮影する事にも興味が出てきちゃってさ。こいつを手にしてる時、ファインダーを覗き込む時、思い通りの絵が撮れた時、僕は幸せな気持ちになれるんだ」

 そう語るケンスケは頬が上気しており、普段よりも饒舌だった。カヲルもケンスケのミリタリーオタクぶりは知っていたが、カメラに関しては初めて知った。

「だから写真を撮る事は、僕にとって全く苦痛じゃ無いんだよ」

「成る程」

「変な奴だろ?」

「そうだね。ただ好きな事に夢中になるのは、リリンとして正しい姿だと思うよ」

 苦笑するケンスケにカヲルは微笑みながら頷く。それは決して馬鹿にした嘲笑では無く、純粋にケンスケに好意を持ったが故の笑みであった。

「っと、長話しちゃったな。ほい、これがシイの写真だよ」

「ふふ、確かに。では僕はもう行くよ」

 カヲルは写真の束を受け取ると、優雅に校舎裏から立ち去っていく。自分の話を聞いても、全く変わらぬ態度で接してくれたカヲルに、ケンスケは心の中で感謝するのだった。

 

 

 

 その数分後。優雅に立ち去った筈のカヲルは、全身ボロボロになって再びケンスケの前に戻ってきた。

「や、やあ……」

「渚!? 一体何があったんだよ」

 僅か数分の間に何があったのかと、ケンスケは思わず立ち上がってカヲルに問いかける。

「そこで……彼女に会ってしまってね……」

 説明はその一言で十分だった。渚カヲルをここまで追い詰める事が出来るのは、ケンスケの知る限り第一中学校には一人しか居ないのだから。

「はぁ~。ちょっと待ってなよ」

 ケンスケは大きくため息をつくと、手早く鞄から写真を取り出してカヲルに渡す。それは先程カヲルに販売した物と同じ、シイの写真だった。

「良いのかい?」

「僕の長話が無けりゃ、レイとも会わなかっただろうし。ま、アフターサービスだよ」

 写真を受け取ったカヲルは、少し驚いた様に赤い目を見開く。これまであまり会話もしていなかった自分に、ここまでしてくれるとは思わなかったのだろう。

 そんなカヲルの戸惑いを察したのか、ケンスケは少し悪戯めいて微笑む。

「それに渚の写真で大分儲けさせて貰ったからね。これ位は還元させて貰わないと」

「……ふふ。ならこれからは何時でも声を掛けて欲しい。ベストショットに協力するよ」

 ケンスケとカヲルはがっしり手を握る。これまでシイという存在で繋がっていた二人が、真の意味で友人となった瞬間であった。

 

 

 

~碇シイの場合~

 

「相田君」

「い、い、碇!?」

 校舎裏で商売を始めようとした矢先、シイに声を掛けられたケンスケは思い切り動揺する。カヲルの写真を販売してから、女子生徒の客も多いのだが、流石にシイの登場は全く予想していなかった。

「どうしたの? そんなに慌てて」

「い、いや、何でも無いんだ」

 首を傾げるシイに、ケンスケは冷や汗を流しながらも平静を装う。

(まだ、まだいける。碇一人なら、上手く誤魔化せば)

 目の前の少女が腹芸を苦手としている事を、ケンスケは経験から知っていた。話を上手く誘導すれば、この場を切り抜けられるだろうと、ケンスケは必死に冷静さを取り戻す。

「大丈夫?」

「あ、ああ、勿論。それでさ、碇は何か用があったのか?」

「うん。これを届けに来たの」

 シイは一枚の写真をケンスケに手渡す。それは体育中のアスカをきわどいアングルで狙った、言い訳無用の隠し撮り写真だった。

「どうして碇がそれを……」

「相田君の鞄から落ちたのを拾ったの」

 シイは単純にケンスケの落とし物を届けに来ただけだったのだ。それがこの写真で無ければ、どれだけ平和な事だっただろう。

「あの、さ。この写真なんだけど……」

「ううん、何も言わなくて良いよ。私にも分かったから」

 優しい微笑みを浮かべて首を横に振るシイに、ケンスケは己の終わりを察した。これがアスカの耳に入れば、間違い無くバッドエンドだろう。

 

 地面に膝を着きガックリと肩を落とすケンスケに、シイはしゃがんで視線を合わせてから言葉をかける。

「あ、大丈夫だよ相田君。私、誰にも言わないから」

「へっ?」

 予想外のシイの言葉に、ケンスケは信じられないと顔をあげる。絶望に包まれたケンスケには、シイの微笑みがまるで女神の様に見えた。

「ほ、本当か?」

「うん。相田君がアスカの事好きだって、誰にも言わないから」

「……は?」

 予想の遙か斜め上を行くシイに、ケンスケは間の抜けた声をあげた。勿論そんな事実は無いのだが、シイは完全にそう思い込んでいるらしい。

「相田君もアスカも大切な友達だから、私応援するね」

「い、いや、ちょっと待ってくれ」

 暴走しかけているシイに、ケンスケは動揺しながら待ったを掛ける。

「どうしてそう言う話になるんだ」

「え? だって相田君はアスカの事を好きだから、写真を持ち歩いてるんだよね?」

「ぼ、僕は……」

 ここでケンスケは選択を迫られた。このままシイの話に乗れば、商売の事は誤魔化せるだろう。だがお節介のシイが今後、自分とアスカをくっつけようとするのは目に見えている。

 かといって誤解を解けば、何故写真を持っていると言う話になり、商売の事がばれる可能性が高い。

(どっちに転んでも……明るい未来が見えない)

 ケンスケは思考の袋小路を彷徨っていた。

 

「アスカは男の子に人気あるよね。この間も下駄箱にラブレターが沢山入ってたし」

「……それだ!」

 シイの呟きにケンスケは活路を見いだした。

「あのさ、碇。誤解しているみたいだけど、僕は惣流に恋愛感情は持ってないよ」

「でも写真……」

「碇の言うとおり、惣流ってファンが多いだろ? だから写真を撮って欲しいってお願いされたんだ」

 決して嘘は言っていない。アスカにファンが多いのも、彼女の写真が求められているのも本当だ。ただお金を貰っている事を伝えなかっただけ。

「そうなの?」

「ああ。僕と惣流は友達だよ。碇と同じ様にね」

「そうなんだ……ごめんね、早とちりしちゃって」

 申し訳なさそうに頭を下げるシイに、ケンスケは安堵しながらも罪悪感に苛まれていた。

「えっと、さ。碇は誰かの写真欲しく無いか?」

「写真?」

「ああ。自分で言うのも何だけど、腕は悪く無いよ」

 ケンスケはカメラを手に笑って見せる。このままシイを帰してしまうのは、何だか非常に申し訳無く思えてしまい、せめて誰かの写真を挙げようと考えていた。

「渚でもレイでも惣流でも、誰の写真だって任せてくれ」

「……あのね。それじゃあ――」

 シイは少し考えてから、ケンスケに写真をおねだりした。

 

 

~絆の証~

 

 数日後、シイの自室には一枚の写真が飾られていた。

 恥ずかしそうに頬を染めながら手を繋ぐトウジとヒカリ。

 真ん中で微笑むシイと、彼女の肩に手を回そうとしているカヲル。

 そんなカヲルの手を思い切り抓るレイと、相変わらずの二人を呆れ顔で見ているアスカ。

 そして……初めて自分が被写体になる事に照れた様子のケンスケ。

 

 大切な友人達との絆を写した写真は、決して色あせぬシイの宝物となった。

 

 




ミリタリーオタクなのは有名ですが、実際にカメラが好きかは分かりません。またしても作者の妄想という事で、ご勘弁下さい。

男子生徒がメインと言う珍しい回でしたが、たまにはこういうのも良いかなと。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《姉と妹、そして兄……》

 

~誕生日~

 

 シイ達はいつものように、お昼休みを第一中学校の屋上で過ごしていた。

「へぇ~。ヒカリのお姉さんは昨日が誕生日だったんだ」

「うん。でもお姉ちゃんったら、もうこの歳になったらめでたくないって」

「う~ん、そうなのかな? ミサトさんも言ってたけど」

 以前ミサトと同居していた時、シイとアスカでミサトの誕生日を祝った事があった。本人は二人にお礼を言いつつも、コダマと同じ台詞を残していたのだ。

 とは言え、流石に十四才の子供にそれを分かれというのは、酷な話だろう。

「この世に誕生した日を祝う。リリンの生み出した文化は祝福で満ちているね」

「相変わらず大げさなやっちゃな」

 カヲルの独特な言い回しにトウジは苦笑する。カヲルが使徒だと知らないヒカリとケンスケは、当初リリンと言う言葉に不思議がっていたが、今ではすっかり慣れてしまっていた。

「あ、そう言えばカヲル君の誕生日っていつなの? もしまだならお祝いを――」

「ふふ、とても嬉しいけど、生憎と過ぎてしまったよ。一応、九月十三日と言う事になっているからね」

 カヲルには一般的に誕生日と呼べる日は無い。ただユイの遺伝子とアダムの遺伝子を融合させた日、すなわちセカンドインパクトの日が、彼がこの世に生を与えられた日となっていた。

「なら次はちゃんとお祝いしようよ。私、マヤさんに教えて貰ってケーキを作るから」

「楽しみにしているよ」

 人類にとって忌むべき存在だったカヲル。当然誕生を祝って貰った事などある筈も無く、シイの言葉はカヲルにとって実は相当嬉しいものだった。

 

「それにしても、まさかあんたに誕生日があったなんてね」

「あくまで形式的なものさ。それにここのID登録に生年月日が必要だからね」

「……ん、あれ?」

 カヲルの言葉を聞いていたケンスケが、何かに気づいたように眉をひそめる。

「どうしたの相田君?」

「あのさ、渚はレイと同じで……ちょっと特殊な生まれ方をしたんだよな?」

 遠慮がちに尋ねるケンスケに、カヲルは気にするなと微笑みながら頷く。

 彼とヒカリはシイ達から、レイの生まれについて説明を受けていた。ネルフで保管されていたユイの遺伝子から、人工授精で誕生した、と。

 以前からユイとレイが酷似している事に気づいていた二人だったが、その説明を聞いて納得出来た。同時に秘密を話してくれた事に感謝し、決して他言しないと誓った。

「じゃあさ。レイにも誕生日があるんだよな?」

「あんた馬鹿ぁ? この変態にあるんだから、レイにだってあるに決まってんじゃん」

 酷い言われように苦笑するカヲル。ただこれがレイに気を遣わせないようにする、アスカなりの気配りだと気づいていたので、あえて突っ込みはしない。

「いや、そう言う意味じゃ無くてさ。ほら、レイの誕生祝いってやった記憶が無いから」

「言われてみると、確かにやっとらんな」

 この面々が友人となってから、ケンスケ、トウジ、アスカ、ヒカリの誕生日には、みんなが集まってささやかながら誕生パーティーを開いていた。

 ただレイに関しては、本人が誕生日を口外しなかった事と、彼女の生まれが機密事項であった為に、これまで誰も触れられずにいたのだ。

「ま、レイだけやらないってのは流石に不公平ね」

「ねえ、レイちゃん。誕生日を教えてくれない?」

 全てに決着が付き、ここに居る面々はレイの事を理解しているのだから、もう隠す理由は無いだろう。だがレイは困ったように小さく首を横に振る。

「……ごめんなさい」

「言っちゃ駄目って言われてるの?」

「……いえ、知らないの。誕生日」

 レイの言葉にシイ達は全員絶句した。

 

 

「ま、まあ、冷静に考えればあり得る話よね」

「そやな。これまで気にすることも、あんま無かったやろうし」

 レイは誕生してから、ほとんど外部と接触すること無く生活してきた。悪口になってしまうが、シイと出会う前は人形の様だった彼女が、誕生日に関心が無くても仕方ないだろう。

「レイちゃんは今、シイちゃんの家族なのよね?」

「……ええ」

「養子手続きはやっただろうし、本人が知らないだけで誕生日はあるって事だよな」

 ケンスケの呟きに反応したシイは、即座に携帯電話を取り出すと、短縮ダイヤルで電話を掛ける。知らないのならば、知っている人から聞けば良いのだと。

 数コールの後、受話器の向こうから低い男の声が聞こえてきた。

『……私だ』

「お父さん、シイだよ。あのね、誕生日を教えて欲しいんだけど」

 ゲンドウは娘からの電話に内心喜んでいたが、用件を聞いて少し寂しそうな声色で答える。

『四月二十九日だ』

「それはお父さんの誕生日でしょ。知ってるよ」

『そ、そうか……』

 主語を抜かれては誰だって自分の誕生日を答えると思うが、ゲンドウはシイに注意すること無く、嬉しそうに安堵の呟きを漏らした。

「そうじゃなくて、レイさんの誕生日を知りたいの」

『レイの、か?』

「うん。お父さんは知ってるよね?」

『……ああ』

 知らない筈が無い。ゲンドウはレイを造った張本人であり、今は父親でもあるのだから。

「教えて、お父さん」

『……レイの誕生日は、三月三十日だ』

「三月三十日……ありがとうお父さん」

 目的の情報を得たシイは、笑顔で感謝を告げると通話を終えた。

 

「みんな、レイさんの誕生日は三月三十日だよ」

「へぇ~ギリギリね」

「うん。後少し遅かったら、別の学年になってたものね」

 日本は四月二日から翌年の四月一日までを一学年とする。なのでレイの誕生日が少し遅れていたら、一学年下になってしまっていた。

 仮にそうなったとしても、特殊学級の二年A組に入れるため、生年月日を操作しただろうが。

「丁度一ヶ月先位やな。こりゃ盛大にやらなあかんで」

「だね。記念撮影は任せておいてよ」

 盛り上がる一同を余所に、何故かレイは暗い表情で俯いていた。

「レイさん……ひょっとして迷惑だった?」

「……いえ」

「でも辛そうな顔をしてるよ」

 自分のした事は余計なお節介で、レイを傷つけてしまったのではとシイは不安になってしまう。アスカ達もレイの異変に気づき、心配そうに事態を見守る。

「……シイさん達の気持ちはとても嬉しいわ」

「じゃあ――」

「ふふ、成る程ね」

 何故そんな顔をするのか。シイがそう尋ねる前に、全てを察したカヲルがニヤっと意地の悪い笑みを浮かべた。それに気づいたレイが鋭い視線を向けるが、カヲルはまるで気にしない。

「成る程って、あんた何か知ってんの?」

「簡単な事さ」

「……黙って」

 実力行使に出ようとしたレイだったが、その手をシイに止められてしまう。驚くレイに、シイは優しい微笑みを浮かべながら語りかける。

「ねえ、レイさん。辛い事があったらお話して。力になれないかも知れないけど、話すだけでも楽になることもあるし。頼りないとは思うけど、私とレイさんはお友達で姉妹なんだから」

「……それは」

「ふふ、折角だから甘えてみたらどうだい? お姉さんに、ね」

「「……はぁ!?」」

 カヲルの言葉に、シイとレイを除く全員が素っ頓狂な声をあげた。

 

「ちょっとあんた何言ってんのよ。レイがシイの姉でしょ?」

「どうしてだい?」

「そりゃ……見れば分かるじゃ無い」

 一同はアスカが指さすシイとレイを見る。身体の大きさは言わずもがな、身に纏っている空気や落ち着き具合なども、明らかにレイの方が大人びていた。

 何も知らない人が見れば、百人中百人がレイをお姉さんと認識するだろう。

「確かにシイさんは少し幼いね。でも今さっき、明確に答えが出ただろ?」

「誕生日か!?」

「ふふ、その通り。レイの誕生日は三月三十日。そしてシイさんの誕生日は――」

「……六月六日よ」

 カヲルの言葉を遮って、レイが全てを諦めたように答えた。

 碇シイはゲンドウに呼ばれて第三新東京市にやってきた時、既に誕生日を迎えていた。実はこの中で一番早くこの世に生を受けていた事になる。

「じゃあレイの様子がおかしかったのって」

「シイさんを姉として守っていた自分が、実は妹だと知ってショックだったのさ」

 流石に気にしすぎではとトウジ達は思ったが、レイは何も言い返さずに唇を噛みしめている。どうやらカヲルの推測は見事に的を射ていたようだ。

 

「あのね、レイちゃん。そんなに気にする事無いわよ」

「そうそう、委員長の言うとおりだって」

「お前はシイを立派に守っとるやないか。どっちが先に生まれたかなんて、些細な事や」

 ヒカリ達は口々にレイへ励ましの言葉をかける。

「はぁ~。あんたってつくづく馬鹿ね」

「……何故?」

「じゃあ聞くけど、あんたはシイが姉って分かったら、もう守らないって~の?」

「守るわ」

 一切の迷い無く、レイは赤い瞳でアスカを見つめて即答した。予想していた答えに、アスカはため息をつくと肩をすくめておどける。

「ほら、答え出てるじゃない。別に姉とか妹とか関係無くて、あんたがシイを守れば良いのよ」

「……そうかもしれない」

「ったく、普段は図太いくせに、変なところで神経質なんだから」

 今までレイがシイの為に頑張っていたのは、ここに居る誰もが認めているのだ。それは誕生日の前後で揺るぐような物では無い。

「ほら。シイからも何か言ってやんなさいよ」

「えっと……私はレイさんが一緒に居てくれると安心出来るし、凄く嬉しいな」

「……居るわ。貴方は私が守るもの」

 笑みを浮かべながらシイとレイは抱き合い、お互いの存在の大切さを確認するのだった。

 

「ふふ、これで一件落着かな」

「……まだ居たの?」

「随分と酷い言い様だね」

「そもそもこんなややこしい事態になったのは、あんたのせいでしょ」

 アスカの突っ込みに、カヲルは苦笑しながら首を横に振る。

「僕は何もしていないよ。戸籍上シイさんがお姉さんなのは事実なのだから」

「まあ、そりゃそうやけど」

「レイ。遠慮せずに、シイお姉ちゃんと呼んでみたらどうだい?」

 その瞬間、レイはカヲルを殲滅すべく飛びかかる。だが行動を予測していたカヲルは難なくそれを避け、シイの背後へと回り込んだ。

「……ずるいわ」

「ふふ、戦略と言って欲しいね」

 シイを盾にされてはレイも動きが取れない。悔しそうな視線を向けるレイを見て、シイは振り返ると窘めるようにカヲルへ声をかける。

「駄目だよカヲル君。レイさんをいじめちゃ」

「どちらかと言うと僕が虐められているのだけど……まあそれよりも、シイさんは僕にも碇ユイの遺伝子が使われている事を知っているね?」

 こくりと頷くシイに、カヲルは更に言葉を重ねる。

「つまり僕も、君とレイの兄妹と言う事になるのさ」

「ならカヲル君は私の弟だね」

 微笑むシイに、しかしカヲルは人差し指を振ってそれを否定する。

「え? だってカヲル君は九月生まれだよね?」

「それは間違い無いよ。ただ僕は、西暦2000年生まれなのさ」

 カヲルの言葉にこの場に居た全員が驚く。

 

「はぁ!? ならあんたは、あたしよりも年上だっつ~の?」

「そうなるね」

「ホンマか? ならお前は今三年生やろ」

「家庭の事情で休学していたから、と学校には伝えてあるのさ」

 嘘は言っていない。本当の事も言っていないが。

「もっとも、僕はレイと違って年齢の事なんか気にしないから、同い年の友人と接して欲しい」

「…………」

「も~いじめちゃ駄目だってば。それにカヲル君がお兄さんなら、妹には優しくしなきゃ」

 黙ってしまったレイを見かねて、シイは頬を膨らませてカヲルを注意する。いつもなら軽く謝って終わりなのだが、今回に限っては何故かカヲルは大げさに落ち込んでみせた。

「……ごめんよ。こんな僕に、君達の様な可愛い妹達が居ると知って、少しはしゃいでしまったようだ」

「カヲル君」

「レイ、すまなかったね。君に不快な思いをさせてしまった」

 深々と頭を下げるカヲルに、シイ以外の全員が不思議そうに首を傾げる。彼女達の知っている渚カヲルは、こんな殊勝な人間では無いからだ。

 何か裏があるのでは。その予測が正しかった事を、アスカ達は間もなく知る。

 

「ごめんね、カヲル君。私そんな気持ちを知らないで酷いことを……」

「良いんだよシイさん。ただ一つだけ、頼みたい事があるんだ」

「うん。私に出来る事なら」

「僕を一度だけでも兄と。そう、カヲルお兄ちゃんと呼んでくれないか?」

 この時、アスカ達はカヲルの狙いを理解した。今日に限って必要以上にレイに絡んでいたのも、殊勝な態度も全てはシイにそう呼んで貰うための伏線だったのだと。

 全力でカヲルの野望を止めようとするレイだが、時既に遅し。碇シイと言う少女は、自分の知らない言葉や理解出来ない事を問い返す癖があるのだから。

「カヲルお兄ちゃん?」

「…………」

 あまりの衝撃に、カヲルは言葉を紡ぐことが出来ない。それを今の呼び方では足りないと判断したシイは、再度禁断のワードを口にする。

「大丈夫? カヲルお兄ちゃん」

「……シイ、あかん。それ以上はあかん」

「もう渚は……」

 見かねてトウジとケンスケがシイを制止する。同じ男である彼らには分かっていたのだ。もうカヲルは限界などとうに超えている事を。

「シイさん……ありがとう。君に呼ばれて……嬉しかったよ」

「カヲルお兄ちゃん!?」

 シイのだめ押しを餞別に、カヲルは今までで一番良い笑顔を浮かべたまま、その場に仰向けに倒れた。

 

 トウジとケンスケに抱えられて、保健室へ運ばれていくカヲルを見送ると、アスカは呆れたように呟く。

「はぁ。結局あいつの思い通りって訳ね」

「……ええ」

「ったく、お兄ちゃんって呼ばれたくらいで、だらしないったらありゃしない」

「でも、シイちゃんに言われたら……ちょっと分かるかも」

 ヒカリの言葉を聞いて、アスカは少し考える仕草をすると、シイの耳元で何かを呟く。少し驚いた様子を見せたシイだったが、小さく頷くとレイの正面に立つ。

 そして。

「レイお姉ちゃん、大好き」

「…………」

 一瞬何を言われたのか分からなかったレイだが、頭が理解すると同時に白い肌が真っ赤に染まる。そして満ち足りた笑みをつくってから、やはり仰向けに倒れた。

「あわわ、レイさん、レイさ~ん」

「レイもアウトっと。ま、今ので分かったわ。確かにあれは反則ね」

 慌てて倒れたレイの介抱をするシイを見て、アスカは頬に汗を流しながら呟く。そして、これ以上犠牲者を出さないためにも、今後お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼ぶことを固く禁じるのだった。

 

 

「碇。さっきの電話はシイ君からだったのか?」

「ああ。レイの誕生日を知りたかったらしい」

「誕生日? そうか。きっとお祝いをしたいと思ったのだろう。彼女らしいな」

 レイが良い友人に恵まれた事と、シイの優しさに冬月は表情を緩めた。今この時も自分達は多忙だが、あの子達が普通の子供らしい生活を送れているのなら、苦では無いと思える。

「……冬月。お前はレイの誕生日を知っているな?」

「当然だろ。何せその日は……むっ!?」

 不意に冬月の表情が険しくなる。

「碇。一応聞いておくが、シイ君はあの事を知っているのか?」

「……記憶には無い筈だ。私からは教えていない。本人から言うとも思えない」

「それとなく教えてあげろ。知らぬままその日を迎えるのは、私の胃にも悪いからな」

「……ああ」

 小さく返事をすると、ゲンドウと冬月は再び山積みの仕事へと取りかかる。今すぐに連絡を取らなかった事を、後で悔いることも知らずに。

 

 




今回は半ば状況整理のためのお話でした。
作者は原作のエヴァが作中で、どれほどの時間経過があったのか知りませんでした。諸説あるようですが、大体一年前後というのが多かったです。
この小説での時間経過は結構いい加減だったと思いますが、全てが終わった今現在を、西暦2016年2月末とさせて頂きます。

キャラクターの誕生日は公式の物そのままです。レイは生年月日不明でしたが、当初は3月30日となっていたので、そちらを使いました。
本編24話その1で、レイはカヲルと同じ誕生日と言っていましたが、訂正させて頂きます。


次からは続き物の話になります。お蔵入りしていたネタが多すぎて、あまり本筋を置いてけぼりにすると、それこそ本編と同じくらいの長さになりそうなので。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《碇夫妻の不在》

~はじまり~

 

 それは碇家が四人揃って夕食を食べている時の事だった。

「え? お父さんとお母さん、明日からドイツに行くの?」

「……ああ」

「お仕事でね。多分一週間くらい掛かってしまうと思うわ」

 ネルフに復帰したユイは、ゲンドウと冬月の補佐を行っている。秘書のような役回りなのだが、彼女が二人を動かしているのではと思われてしまう程、ユイの仕事ぶりは見事であった。

 そんなユイとゲンドウが揃ってドイツに出張する。重大な仕事だと察したシイは眉をひそめる。

「大丈夫……だよね?」

「ああ。心配は無用だ。ネルフのドイツ支部で、少々会議に出席するだけだからな」

「その間、二人きりになってしまうけど……」

 子供だけを残していく事に、申し訳なさそうな顔を見せるユイ。

「……問題ありません」

「うん。ちゃんと家事も出来るし、大丈夫だよ」

 両親を心配させまいと、シイは両手をぐっと握って問題ないとアピールする。大切な仕事だと理解している以上、足手まといにはなりたくなかった。

 それにレイが居てくれるので、前のように孤独に悩む心配も無い。

「ごめんね、シイ、レイ。お土産一杯買って来るから」

「ううん、気にしないで。お父さんとお母さんが、無事帰ってきてくれるのが、一番嬉しいから」

「も~シイったら~」

「うぅぅ、お母さん苦しい……」

 感極まったユイは、シイを思い切り抱きしめる。ユイの胸に顔が埋まり、呼吸が出来ないシイは手足をバタバタさせるが、テンションがあがりきったユイは力を緩めない。

「……羨ましい」

「……ああ」

「もがもがもご」

 結局シイはユイが満足しきるまで、解放される事は無かった。

 

 

 

 翌日シイが目覚めると、既にユイとゲンドウの姿は無かった。早朝にネルフ本部へ向かい、そこからドイツに飛ぶと言っていたので驚きはしない。

 だが一人で立つ台所がこんなに静かだったのかと、シイは寂しさを感じずには居られなかった。朝食の支度に手をつけず、立ち尽くすシイ。

 そんな彼女の腰に、いつの間にか背後に立っていたレイが無言で手を回した。

「えっ。あ、綾波さん!?」

「……いいえ、違うわ」

 否定されて一瞬戸惑ったシイだが、直ぐに自らの間違いに気づく。

「そ、そうだった。えっと、レイさん……今日は早いんだね?」

「……寂しいと思ったから」

「レイさんも寂しいの?」

「いいえ。貴方が」

 短い言葉だったが、レイが普段よりも早く起きてきたのも、こうして抱きしめてくれているのも、全て自分の為だとシイは理解した。

 そう、今の自分は一人ではない。碇レイという優しい姉の様な妹がいるのだ。改めてレイの気配りに感謝したシイは、振り返ってレイに頭を下げる。

「ありがとう、レイさん」

「……もういいの?」

「うん、大丈夫。だってレイさんも一緒だもん」

「……そう、良かったわね」

 シイの顔に笑顔が戻ったのを確認して、レイは小さく頷く。共に暮らすようになってまだ日は浅いが、碇姉妹の絆は確かなものになっていた。

 

 

「……シイさん、今日はどうするの?」

 朝食を終えて洗い物をしているシイに、レイが緑茶を啜りながら尋ねる。今日が土曜日で学校が休みだから、予定はあるのかと。

「そうだね~。お掃除して、お布団も干して、それから……」

「……家からは出ないの?」

 家事で一日を潰す気満々のシイに、レイは再度問いかける。

「お買い物には行くよ。タイムセールを狙うから、行くのは夕方かな」

「そうじゃなくて……」

「ん?」

 何かを言いたそうにしているレイに、シイは首をかしげる。だがレイはそれっきり黙ってしまい、シイが問い返すべきか悩んでいると、

「ふふ、素直じゃないね」

 不意にベランダから少年の声が聞こえてきた。

 二人きりの家にありえない第三者の声に、シイとレイは目を見開いて窓を開ける。するとそこには、爽やかな笑顔を浮かべたカヲルが立っていた。

 

「か、カヲル君!?」

「やあシイさん。それにレイ。おはよう」

 ベランダからの登場というサプライズに驚くシイに、カヲルは平然と挨拶をする。そんな彼にレイは警戒心を露わにして鋭い視線を向けた。

「……何しに来たの?」

「それよりも、どうやって来たの? ここ六階だよ?」

「ふふ、大した事じゃないさ。君に会うためなら、僕はどんな障害だって乗り越えて見せるよ」

 驚くシイの疑問には答えず、カヲルは相変わらず芝居がかった動作で一礼してみせる。それが一層レイを不機嫌にさせてしまう。

「……不法侵入には、実力行使が認められているわ」

「やれやれ、つれないね」

 取り付く島も無いレイに、カヲルは大げさに肩をすくめる。

「……本当は何の用で来たの?」

「今日は学校が休みだろ? だからシイさんをデートに誘おうと思ってね」

 カヲルはシイに近づくと、自然な動作でその手をとる。そのまま手の甲にキスでもしそうな勢いだったが、流石にレイの手前それは自重したようだ。

「どうかな? 僕と遊びに行かないかい?」

「……駄目」

「ふふ、君はシイさんの妹だけど、お姉さんのデートを邪魔する権利はないよね?」

「それは……はっ!?」

「ご明察。碇夫妻が不在。このチャンスを逃すほど、僕は呆けていないさ」

 カヲルはシイを狙う危険人物として、ゲンドウとユイから厳重マークを受けていた。二人の目が届かない登下校や学校でも、レイが常にそばに居るため、これまでは沈黙を守るしかなかった。

 だが最大の敵は既にドイツへと発った。残る障害はレイしか居ない。

「僕だけじゃ無い。この機会を待っていた狼達は、こぞって動き出すだろう」

「狼さん?」

「……大丈夫よシイさん。私が守るもの」

「君一人でかい? それは厳しいと思うけどね」

 カヲルの言葉にレイの表情が険しくなる。絶対的な抑止力を失った以上、どれ程の狼が現れるのか検討もつかない。冷や汗がそっとレイの頬を流れた。

 

「そこで提案だけど。僕とシイさん、そして君で遊びにいかないかい?」

「……三人で?」

「ああ。僕はシイさんと遊べる。君は付きっ切りでシイさんを守れる。どうだい?」

 カヲルに耳打ちされ、レイはキョトンとしているシイに視線を向ける。この少女を守る為には、カヲルの提案は最善策と言えなくも無い。そもそも自分もシイと遊びに行きたかったのだ。

 カヲルのシナリオ通りに進むのは面白くないが、贅沢を言える状況でもない。

「……良いわ。行きましょう」

「そうこなくてはね。じゃあシイさん、僕とレイと一緒に遊びに行こう」

「レイさんとカヲル君と……。行きたいけど、私お邪魔じゃないかな?」

 困ったように尋ねるシイに、カヲルとレイは顔を見合わせて首を傾げる。今回の話はシイが中心にいるのだから、邪魔なはずが無い。

「邪魔なんてとんでもない。どうしてそんな悲しいことを言うんだい?」

「だって……カヲル君はレイさんの事……その、好きなんだよね?」

「は?」

「……え?」

 予想だにしなかったシイの言葉に、二人はぽかんと口をあけてシイを見つめる。だが二対の赤い瞳に見つめられる少女は、いたって真剣な表情だった。

「カヲル君はレイさんが好きだから……ちょっかいを出すんだって」

「だ、誰がそんな事を?」

「お母さん」

「碇ユイ……なるほど。そうやって娘を守ろうとしていたのか」

 カヲルはユイのしてやったりの笑顔を思い浮かべ、珍しく苦い顔をする。シイがその認識を持っていては、カヲルがどれだけアプローチをかけても無駄に終わってしまうだろう。

 間接的ではあるが、有効な精神防壁だった。

「シイさん。それは誤解だよ。僕は今まで君に近づこうとしていただろ?」

「うん。そうすればレイさんが、カヲル君に構ってくれるからだって」

「碇ユイめ……」

「だから二人がデートするなら、私はお留守番してるよ。楽しんできてね」

 笑顔で告げるシイだったが、そこには隠し切れない寂しさが浮かんでいた。

 

「……違うわシイさん。私は彼の事が嫌いだし、彼も私の事を好きじゃないもの」

「そうさ」

 嫌いだとここまで大っぴらに言うのもどうかと思うが、この二人は互いに嫌い合っているのを隠すつもりが無いようだ。

「でもお母さんが……」

「……信じて」

 じっとシイを見つめるレイ。赤い瞳には嘘や偽りが感じられない。母親とレイの間で揺れていたシイだったが、やがて納得したように小さく頷く。

「……うん。分かったよレイさん。きっとお母さんは勘違いしてたんだね」

「君はもう少し人を疑ったほうが良いよ」

「……それがシイさんだもの」

 レイの言葉にカヲルは苦笑しながらも納得してしまう。育ってきた環境、周囲の人間、それらが今の碇シイを作り上げたのだろう。

 嘘と偽りの世界で生きてきたカヲルには、それが少し羨ましかった。

 

 

「誤解も解けたところで。シイさん、僕と遊びに行ってくれるのかな?」

「うん、喜んで。レイさんも良いよね?」

「……ええ」

 シイとレイは頷くと、出かける準備をするためにそれぞれ部屋へと戻っていく。

(僕とレイが好き合う、か。碇ユイもなかなか皮肉が利いてるね)

 二人の後姿を見送ったカヲルは、雲ひとつ無い青空を見上げて苦笑するのだった。

      




ここから暫くの間、ゲンドウとユイ不在の物語が続きます。
羊を守っていた柵が無くなったので、羊飼いだけでは狼に手が回りません。苦肉の策で狼の一人に手をかして貰うことになりましたが、果たしてどうなるのか。

ゲンドウとユイがドイツに何をしに行ったのかは、もうお分かりだと思います。今回の連続話は二人が戻ってきて、アレが終わるまでですね。

妙な展開になってきた後日談ですが、今暫くお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《三兄妹》

 

~まずは形から~

 

 第三新東京市の繁華街は、週末と言うこともあり多くの人で賑わっていた。エヴァ量産機との戦闘以降、非常事態宣言は完全に解除されていたので、人々の心にも以前に比べゆとりがみられる。

 使徒との戦いが行われていた時は途切れがちだった流通も安定し、要塞都市から真に人々が暮らす都市へと確実に移行しつつあった。

 

 そんな平和な街を、シイ達三人はのんびりと歩いていた。シイを守るようにレイとカヲルが両側に立つ姿は、仲の良い兄妹の様に見える。

「何だかこうして自由にお買い物するのって、久しぶりだね」

「……そうね」

「こんないい天気なんだ。家にこもっているなんて、勿体無かっただろ?」

「うん。ありがとうカヲル君」

 シイは心底楽しげに、隣を歩くカヲルに笑顔を向けた。見るものを幸せにする笑顔。カヲルはそれを見れただけで、満足感を覚えていた。

「……それで、何処に行くの?」

 カヲルに対抗するように、シイを自分の方へと軽く引っ張りながらレイは尋ねる。

「そうだね……シイさんは行きたいお店とか、やりたい事はあるかな?」

「ん~無い、かな。こうして二人と一緒にお出かけしてるだけで、凄い楽しいから」

「……ハードルが上がったわ」

「そのようだね」

 既に十分外出を満喫しているシイに、これ以上楽しんでもらう。カヲルは期待を裏切らないよう、頭の中でプランを練り上げるのだった。

 

 

「目標は繁華街北地区を移動中」

「MAGIに予想目的地を割り出させて」

「はい」

 ネルフ本部発令所ではオペレーター三人組とリツコ、それに冬月が真剣な表情でモニターを見つめていた。使徒戦以来出番が無かった主モニターは、第三新東京市に設置された監視カメラの映像を映し出す。

 楽しげに歩くシイ達の姿に、リツコ達は複雑な思いを抱く。

「シイさんが楽しんでいるのは何よりだけど……」

「はぁ。本当だったら隣を歩いているのは、私だった筈なのに」

「出遅れてしまったな。まさか直接乗り込んでいくとは……」

「ありゃ卑怯っすよ。普通の人間じゃ出来ない荒業っすから」

「結果が全てだろ。俺達が誘いをかける前に動いた。悔しいけどそれは認めるしかない」

 ここに居る面々は全員、シイを誘おうとしていた。ゲンドウとユイが不在という状況は、彼らにとって千載一遇のチャンスだったのだ。

 だが、朝一でベランダから登場と言う離れ業を披露したカヲルに、後手を踏んでしまった。彼らに出来ることは、こうしてモニターで状況を見守ることだった。

 

「まあ唯一の救いは、レイが一緒に居ることだな」

「ええ。敵に回せば厄介ですが、この状況下では本当に頼りになりますもの」

 冬月とリツコは心底安堵したように頷き合う。カヲルの天敵である彼女は、恐らく完璧にシイを守ってみせるだろう。それだけレイに対する信頼度は高かった。

「でも良かったですよね」

「何がだ、伊吹?」

「だってもしレイがシイちゃんを狙っていたら、それこそ手の打ちようがありませんから」

 マヤの言葉にその場に居た誰もがああ、と納得してしまう。近しい人間の中でシイが一番心を許しているのは、恐らくレイだろう。万が一レイにその気があれば、非常にまずい状況だった。

 だがレイは姉のポジションに納まった。これは彼らにとって、最大のライバルが消えたと同時に、最強の敵が誕生した事を意味する。まさにジレンマであった。

「碇とユイ君が揃って出かけたのも、彼女を信頼しての事だろうからな」

「ですわね。あの渚君もレイの前には形無しですから」

「あっ! 目標に動きがありました」

「三人は衣料品販売店へと入っていきます」

「保安諜報部は店外にて待機させます」

 監視カメラの映像が目まぐるしく切り替わり、店内の防犯カメラとリンクする。ネルフの強権とMAGIの無駄遣いが成し得る匠の技であった。

 

 

 シイはカヲルにエスコートされてやってきた店を見て、少し意外そうに尋ねる。

「ここ、お洋服屋さんだよね。カヲル君服が欲しいの?」

「……学生服しか無いものね」

「それはお互い様だろ? いや、今日はシイさんの服を買いに来たんだよ」

「わ、私の!?」

 驚いて自分を指差すシイに、カヲルはニッコリと頷く。

「制服姿の君も素敵だけど、可愛い服を着ているシイさんも見てみたくてね」

「……そうね」

 カヲルの提案に珍しくレイも即座に同意をする。今日も折角休日に外出していると言うのに、三人揃って学生服。あまりに飾り気が無さ過ぎた。

「でも今持ってる服は、まだ着られるから……」

「ん?」

「……シイさんは物持ちが良いのよ。服の綻びも直してしまうわ」

「ふふ、物を大切にするのはいい事だよ。でもサイズが変わったりは……あっ!」

 失言に気づいたときには時既に遅し。ガックリと肩を落として凹むシイ。そしてそんな彼女を慰めながら、カヲルに冷たい視線を向けるレイ。

 注意していた筈の地雷を、カヲルは見事に踏み抜いてしまった。

「ち、違うんだよ。僕はつまり――」

「ううん、良いの。成長してないのは……本当の事だから……」

「……泣~かせた~、泣~かせた~」

「だから違うって。君も煽らないでくれないか? 大体なんだいその歌は」

「……ユイさんが、もし貴方がシイさんを落ち込ませたら、こう言えって」

 またしても彼女か、とカヲルはドイツに居るであろうユイを思い切り恨んだ。

 

 

 どうにかシイのテンションを戻したカヲルは、お詫びとばかりにとある提案をする。

「ねえシイさん。君の服を僕に買わせてくれないかな?」

「え?」

 驚くシイにカヲルは余裕を感じさせる笑みを浮かべて答える。

「お詫びだよ。綺麗な服で着飾った女性とデート出来るのは、男として光栄な事なんだ。そしてデートで女性に財布を出させるなんて、あまりに情けないからね」

「……ありがとう。じゃあレイさん、選ぼう」

「え゛!?」

 レイの手をとって商品を選ぼうとするシイに、カヲルは思わず目を丸くする。そう、彼は失念していた。レイも女性であり、シイは人の言葉を素直に受け取る子だと。

「カヲル君って優しいよね」

「……そうね……くすくす」

 思惑が外れたカヲルに、レイは失笑しながらシイと共に店内を歩く。だがカヲルにとっては、それは些細な誤算だった。結果としてシイに服を買うことが出来るのだから。

(ゼーレからお小遣いはたんまり貰っていたしね。全ては流れのままに、かな)

 

 

 洋服を買うときのお約束といえば、呼んでも居ないのにやってくる店員の存在だ。今回も例外ではなく、レイとシイの元に笑顔の店員がそっと近寄ってくる。

「いらっしゃいませ。お探しの服はございますか?」

「え、えっと……」

「お客様は小柄ですので、こうした服などお似合いかと思いますわ」

「その、あの」

「勿論全て試着できますので、ぜひご利用くださいませ」

「うぅぅ、レイさん……」

 服を買うことに慣れていないシイは、店員のセールストークに困惑してしまう。思わず隣のレイへと救いを求めるが、そもそも買い物の経験がほとんど無いレイはもっと困っていた。

「ふふ、お困りのようだね」

 そんな二人を見かねたのか、カヲルが微笑みを浮かべてやってくる。先のやり取りから、カヲルがシイ達の知り合いだと分かっていた店員は、セールストークのターゲットをカヲルに変更した。

「お客様はこのお二方のお友達ですか?」

「まあ、友達以上恋人未満かな」

「あらあら、そうでしたか」

 チラッとシイに視線を送るカヲルに、店員は口元を手で隠してニコニコと笑う。カヲルの微妙な言い回しを聞いて、学生の甘酸っぱい関係とでも理解したのだろう。

「本日はどの様なお洋服をご所望ですか?」

「そうだね……この二人に似合う服を見繕って貰えるかな?」

「ええ、勿論ですとも」

 カヲルのアバウトな要望にも、店員は即座に答えてみせる。

「じゃあ二人とも、このお姉さんがコーディネートしてくれるから」

「さあさあお客様はこちらにどうぞ」

 水を得た魚の様に生き生きとする店員に背中を押され、シイとレイは未体験ゾーンへと突入していった。

 

 

「駄目です! 試着室内をモニター出来ません!」

「馬鹿な!?」

 青葉の絶叫に冬月が目を見開いて戸惑いを露わにする。

「直轄回路に切り替えられる?」

「いえ、保安諜報部は渚カヲルの存在があるため、店内に侵入できません」

「ちくしょー。何で試着室に防犯カメラが無いんだよ!」

 常識で考えれば当たり前の事だが、試着室には監視カメラが無いので、シイ達の着替えシーンはメインモニターに映らない。発令所のスタッフからは落胆のため息が漏れていた。

 ここにアスカが居れば、間違いなく言っていただろう。『あんた達馬鹿ぁ?』と。

 

 あらゆる手段を講じたリツコ達だったが、無情にも時間だけが過ぎていく。そして。

「……シイちゃんとレイの試着、終了しました」

「何てこと……」

 試着を手伝って居た店員がカヲルを呼んだのを、彼らはモニターで確認した。それは二人の試着が終了した事を意味する。お通夜の様な空気が発令所に漂う。

 だが試着室のカーテンが開かれた瞬間、一転して歓喜の声が沸きあがった。

「素晴らしい! 素晴らしいぞ!」

「シイさん……良い」

「レイとお揃いなのね。可愛い~」

「……生きてて良かった」

「……そうっすね」

 着替えを終えた二人を見たリツコ達は、手の平を返したようにうっとりと頬を染める。実はリツコと冬月以外の面々は、シイの学生服姿以外を見たことが無い。その二人も部屋着を見ただけで、本格的に着飾った姿を見るのは初めてだ。

 そんな彼らにフリルのついたワンピースを着たシイは、あまりに刺激的であった。

 

 

 試着室から出てきた二人と対面したカヲルは、思わず感嘆の声を漏らす。

「如何ですか? お二人によくお似合いだと思いますが」

「そうだね。よく似合っているよ、シイさん。それにレイ」

 カヲルに褒められて、シイは恥ずかしそうに頬を染める。外出着を着ることが少ない彼女にとって、慣れない格好で照れていると言うのもあるのだろう。

「変じゃないかな?」

「勿論さ。女神が天から降りてきたのかと思った位だよ」

「えへへ……ありがとう」

 大げさなカヲルの言葉をお世辞半分に聞いたシイだが、それでも褒められて嬉しくない筈が無い。まだ違和感があるのかワンピースを指で弄っているが、満更では無いようだ。

「君も似合っているよ。どうだい、服を変えてみた感想は?」

「……落ち着かないわ」

 表情こそ変えないが、レイも初めて着た外出着に戸惑いを感じているようだ。ただそれが悪い感情では無いと、カヲルはほんの僅か緩むレイの頬を見て理解した。

 

 カヲルは店員にカードを渡すと、この服を着ていく旨を告げる。こうしてカヲルが立てたデートプランの一歩目。着飾ったシイとデートをすると言うそれは、見事達成されたのだった。

 




執筆前に原作を見直したのですが、シンジとレイの学生服姿以外って、見たことないですよね。まあシンジは凄いセンスの部屋着を着ていますが、外出するときはずっと学生服だった気がします。
アスカだけは加持とのお出かけシーンなど、やはりおしゃれに気を遣ってましたね。

折角平和になったので、形から入ってみました。

今後もお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《日本とドイツ》

 

~カップルの日常~

 

 服屋を出て再び繁華街を歩くシイ達は、道行く人たちからの視線を集めていた。

「うぅぅ、みんな見てる……やっぱりこの格好似合ってないんだ」

「……まるで罰ゲームね」

「ふふ、違うよ。みんな君達に見とれてるのさ」

 カヲルの言葉通りシイとレイに向けられる視線は、どれも好意的なものであった。もしカヲルが隣を並んで歩いていなければ、たちまち二人は男達からナンパされていただろう。

 ピンクのワンピースを着たシイは、庇護欲をそそる雰囲気が一層協調されていた。可憐な姿はまさに、箱入り娘と言う言葉がぴったりだ。

 色違いで青のワンピースを着ているレイには、人形の様な美しさがあった。透き通るような白い肌と珍しい赤い瞳が、人とは違う神秘的な魅力を醸し出す。

 そしてそんな二人と並んで歩くカヲルにも、女性たちから熱い視線が注がれていた。傍目には美男美女のカップルと、その妹が仲良く歩いている様に見えるだろう。

(アダムとリリスのカップルか……あり得ないね)

 敏感に周囲の人の意思を察したカヲルは、自嘲気味に微笑むのだった。

 

 

「行かせてくれ!」

「駄目です! 絶対に許しません!」

 発令所ではシイ達の所に抜け駆けしようとする冬月を、リツコ達が総出で取り押さえていた。体力には自信のある冬月だったが、流石に若い青葉と日向には敵わない。

 無様にもうつ伏せの姿勢で組み伏せられてしまった。

「副司令。いい加減大人しくしてください」

「そうっすよ。あそこに行きたいのは、みんな同じなんすから」

「……不潔」

 もがく冬月を見てポツリと呟くマヤ。完全に自分の事は棚に上げていた。

「ふぅ。それで様子はどう?」

「はい。現在シイちゃん達は繁華街を南に移動中です」

 第三新東京市に設置された無数のカメラは、シイ達の姿を見失うこと無く追い続けていた。

「次は食事? いいえ、まだ早いわね。だとすると一体何処に……」

「映画とかじゃ無いっすか?」

「いやいや、ここはお店めぐりだろ。女の子はウインドーショッピングが好きだし」

「し、シイ君にはそれは当てはまらないだろう。ぐぅぅ、ここは公園で一息つくと思うがね」

 今後の動きについて、あーでもないこーでもないと意見を出し合うリツコ達。するとモニターに映るシイ達の足がピタリと止まった。

 

 

「あれ? ねえ、あそこに居るのって」

「……鈴原君と洞木さんね」

「彼らもデートしているみたいだね」

 視線の先には黒いジャージを着ているトウジと、こちらはおめかししているヒカリの姿があった。どうやらゲームセンターの店頭で、何やらゲームをしている様だ。

「人の恋路を邪魔したら馬に蹴られてしまう。ここは気づかない振りをしようか」

「……そうね」

「少しコースを変えよう……って、シイさん?」

「……遅かったわ」

 カヲルの気遣い空しく、シイはニコニコしながらトウジ達の下へと駆け寄ってしまった。

 

「鈴原君! ヒカリちゃん!」

「し、シイちゃん!?」

「よ、よぉ。奇遇やな~」

 予期せぬシイの登場に、トウジとヒカリは思い切り動揺する。周囲に公認されているカップルの二人だが、デートの最中に知り合いから声をかけられるのは、流石にきついものがあった。

 顔を引きつらせる二人へ、申し訳なさそうにカヲルとレイが近寄ってくる。

「デートの邪魔をしてしまったね。すまない」

「……ごめんなさい」

「え? あっ……ごめんなさい」

 頭を下げるカヲルとレイ。そしてその光景を見て、ようやく自分の行動が悪いことだったと悟ったシイも、慌てて謝罪する。

「う、ううん、良いのよ気にしないで。ねえ、トウジ」

「そやで。わしらは別に、やましい事しとる訳や無いからな」

 少し落ち着きを取り戻した二人は、シイ達へ構わないと軽く手を振る。そもそもこのメンバーで、隠し事をする必要など無いのだから。

 冷静になったヒカリは、普段と違う姿のシイとレイに気づく。

「あら、シイちゃんとレイちゃん、その格好」

「ほぉ~珍しいのぅ。お前らがそないおめかしして出歩くなんて」

「う、うん。ちょっとね……」

「今日は僕とデートだからね。こうして着飾ってくれたのさ」

 さりげなくシイの肩に手を回そうとするカヲルだったが、レイの鉄壁のガードに阻止されてしまう。そんな普段通りの三人に、トウジとヒカリから緊張感が消えていった。

 

「……二人は何をしていたの?」

「ん、ああ。ブラブラしとったんやけど、ちょいとこいつがな」

 トウジは大きな箱形のゲーム機を指さす。

「これって、ゲームなの?」

「UFOキャッチャーだね。確かお金を入れてクレーンを動かし、景品を取るゲームだったかな」

 カヲルの言葉を聞いて、シイはUFOキャッチャーを改めて見る。ガラス張りの箱にぬいぐるみが山積みにされており、二本爪のキャッチャーが上から吊されていた。

 何処にでもあるゲームなのだが、初めて見るシイとレイは興味津々の様子。

「なんや、シイもレイも初めてかいな」

「うん。ゲームセンターは不良さんが行く所だから、入っちゃ駄目だって言われてたから」

「私もそう思ってたけど、意外と女の子も遊んでるのよ。先入観って駄目ね」

 真面目な性格のヒカリはトウジに連れてこられるまで、ゲームセンターに立ち寄った事は無かった。不良のたまり場だと敬遠していた場所だが、いざ入ってみると自分の認識が間違いだったことに気づかされる。

 この二人は互いに足りない所を補う、お似合いのカップルなのかもしれない。

「話から察するに、散策中にこれを見かけて、君が洞木さんに取ってあげようとしてた、かな?」

「ま~大体そんなとこや」

「可愛いぬいぐるみだね。この猫さんとか、凄い可愛い……」

 大きな猫のぬいぐるみを見つめて、シイは目をうっとりさせる。第三新東京市にやってきたからは、厳しい財政事情もあって、無駄遣いを控えていたからシイだが、元々はぬいぐるみなど可愛い物が大好きだ。

 彼女には景品のぬいぐるみは、さぞ魅力的に映っているのだろう。

「……シイさん。欲しいの?」

「うん。でもこれって、私でも取れるのかな」

「ん~初めてやと、この大きさの奴はきついかもな。配置もちいと悪いし」

 そこそこ場数を踏んでいるトウジが、冷静に状況を分析する。店頭に置かれているUFOキャッチャーは、客目を引くために目玉商品を置く事が多いが、その分獲得は難しい。

「そっか……残念」

「まぁ、そないガッカリすんな。店ん中には他にも色んな景品があるさかい、見て回ったらええ」

「うん。ねえカヲル君」

「ふふ、勿論良いとも。シイさんが望むがままに」

 遊んでいっても良いかと視線で訴えるシイに、カヲルは微笑みながら頷く。シイの為のデートなのだから、彼女が望む事を拒否する筈が無かった。

「なら折角だし、私達も一緒に良いかな?」

「え、でも二人はデート中じゃ」

「トウジとはいつでも遊べるけど、シイちゃん達と遊べる機会はあまり無いから」

「そやな。ここは人数が多い方が楽しいで」

 断る理由など無い。シイは二人の提案に頷くと、期待に胸を膨らませてゲームセンターの中へと踏み込んで行くのだった。

 

 

 主モニターに映し出された景品のぬいぐるみを見て、リツコはうっとりと頬を染めていた。

「あのぬいぐるみ……良いわ」

「やれやれ、君の猫好きも大した物だな」

「あれって取れるのかな?」

「MAGIは千円の投資で獲得可能と回答しています」

「……MAGIって便利だな」

 トウジ達が加わった事でシイ達の状況は、デートから仲の良い友達同士の遊びへと変わっていた。それが発令所の緊張感を幾分和らげている。

「娯楽施設が賑わっているのは、平和な証だな」

「ええ。正直な所、こんな光景は想像出来ませんでしたわ」

 使徒との戦闘が続いていた時は、どうしても生活必需品や食料の確保を優先してしまい、ゲーム等の娯楽は後回しになっていた。

 最前線で戦っていたシイ達が娯楽施設で遊ぶ姿は、彼らにとって感慨深い物があった。

 

 

 初めて目にするゲームの数々。シイはおもちゃを与えられた子供のように目を輝かせて、色々なゲームに興味を持つ。そんな彼女を見守るカヲルとレイは、すっかり保護者になった気分だった。

「碇家が厳しい家だとは聞いていたけど、ここに来てからは遊びに行けたんじゃ無いのかい?」

「……シイさんは忙しかったから」

 学校にネルフに家事とフル回転だったシイには、自由に使える時間がほとんど無かった。学校帰りの寄り道が精々で、こうして時間を気にせず遊ぶと言う事は不可能とも言えた。

「なるほど。ならあの笑顔は頑張ったシイさんに与えられた、当然のご褒美かもしれないね」

「……そうね」

「君は遊ばなくて良いのかい?」

「……騒がしいのは苦手」

 そう言いながらも、賑やかな店内に入ってシイを後ろから見守るレイに、カヲルは苦笑する。姉から妹に注がれる愛情がいかに深い物なのかを再確認させられてしまった。

「レイさ~ん、カヲルく~ん、こっちこっち。五人で一緒に遊べるんだって」

「ふふ、ご指名だよ?」

「……行くわ」

 結局レイもシイに引っ張られる形で、初めての遊びを満喫するのだった。

 

 

 日本から遙か遠く離れたドイツ上空に姿を現したネルフの高速輸送機は、薄い霧を切り裂きながらネルフドイツ部のヘリポートへと着陸していく。

 やがて機体が完全に静止すると中からゲンドウとユイ、そしてアスカが順にヘリポートに降り立った。

「無事に着きましたね」

「ああ。予定通りだ」

 ゲンドウは軽くサングラスを直しながら、夜明け前の空に視線を向ける。

「アスカちゃん大丈夫? 疲れてないかしら?」

「……はい」

 気遣うように声を掛けるユイに、アスカは固い表情で答える。そこにはいつもの強気な姿は無く、何処か緊張している様にも見えた。

「気持ちは分かるわ。でも今から気を張っていたら、身体が参ってしまうわよ」

「全て我々に任せておくと良い」

「おばさま……司令」

 自分を気遣ってくれた二人に感謝を伝えようとするアスカだったが、大切な事を忘れていた。

「あらあら、アスカちゃん?」

「う゛っ……ユイお姉さん」

 良く出来ました、とアスカの頭を撫でるユイ。そこには少しでもアスカの緊張をほぐそうとする、ユイの優しい思いが込められていた。

「さて、それじゃあ頭の固いドイツ支部の方々に、ご挨拶しに行きましょうか」

「ああ。此度の計画は、何としても押し通す」

 サングラスを直して歩き出すゲンドウ。その二歩後ろを歩くユイ。頼もしい二人の姿を見て、アスカはようやく小さな笑みを浮かべた。

(待っててね、ママ。必ず……)

 登り始めた朝日が照らす中、三人はネルフドイツ支部へと乗り込んでいくのだった。

 




ここまで沈黙を続けていたアスカですが、実はゲンドウとユイに同行して、ドイツにやって来ていました。目的が目的ですので、日本で待っていられなかったのでしょう。

度々名前が出てくる京都の碇家ですが、原作でも登場していないので、作者の妄想で設定をさせて頂いております。
レイが養子になったので、一度ケリをつける意味でも挨拶が必要ですよね。
続き物を終わらせて、三月三十日を突破して……Q公開に間に合うかな……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《休日の終わり》

~休日の終わり~

 

 ゲームセンターを十分過ぎる程堪能したシイは、ご機嫌な様子で繁華街を歩いていた。その胸には猫のぬいぐるみが大切そうに抱かれている。

「ふんふふ~ん」

「良かったね、シイちゃん」

「うん。ありがとうね、レイさん」

「……ええ」

 満面の笑みを向けるシイに、レイは少しだけ照れたように視線を逸らす。大分慣れたとは言え、好意をストレートに受ける事にはまだ戸惑いがあった。

「にしても、レイにあない才能があったとは驚きやで」

「確かに。まさか一度で取ってしまうとはね」

 当初は攻略困難と思われていた猫のぬいぐるみを、レイは一度のトライでゲットしてみせた。初心者とはとても思えないテクニックに、カヲルも素直に賞賛を口にする。

「何かコツとかあるの?」

「……対象の重量と重心、アームの角度と可動範囲、それに挟力を計算しただけ」

 エヴァの操縦はイメージで行う。だがシイ達に比べシンクロ率が高くないレイには、特に繊細なイメージが求められていた。狙撃役が多かった彼女は計算能力に優れており、それがUFOキャッチャー攻略に役立ったのだ。

 

 

 ゲームセンターを後にした五人は、そのまま幾つかの店を回った。気の置けない友人と過ごす時間は楽しいもので、最後にファンシーショップから出てきた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。

「もうこんな時間? どうして楽しい時間って、過ぎるのが早いんだろう……」

「……精神状態によって、体感時間は変化するわ」

「楽しい事は早く、辛い事は遅く感じられると言うね」

「まあ、そんだけ楽しかったっちゅうことやな」

「私も楽しかったわ。また今度、みんなでこうして遊べたら良いわね」

 ヒカリの言葉に全員が賛同する。いずれ学校を卒業しそれぞれの道へ進めば、こうして揃って遊ぶ機会は少なくなるだろう。だから今は、友達と一緒に過ごす時間を大切にしたかった。

 

 

 その後、シイ達はカヲルが予約していたレストランで、ディナーを食べる事になった。トウジとヒカリは遠慮したのだが、一緒に食べたいとシイに強く言われ、結局押し切られた。

 流石にジャージでは不味いので、トウジは特売のジャケット購入して身に纏う。着替えたトウジを目にした女性陣の反応は、お世辞にも良いとは言えなかった。

「トウジ……」

「その、何て言ったら良いのか……」

「……ごめんなさい」

「ええって、自分でも分かっとるから。ただなレイ。頼むから謝らんでくれ」

 着慣れていないせいもあるのだろうが、トウジのジャケット姿は何とも微妙な物であった。その隣に同じく学生服からジャケットに着替えたカヲルが居るから、彼のミスマッチさがなおさら目立つ。

「渚はえらい似合ってるのう」

「ふふ、ありがとう。君も回数を重ねていけば、その内着慣れてくるさ」

 微笑みを浮かべるカヲルの姿は、容姿も相まってまるでホストの様にも見える。とても中学生に見えない色気が、道行く女性達から熱い視線を集めていた。

「準備も出来たし、行こうか」

 余裕のカヲルを先頭に、シイ達は緊張した様子でレストランへと入店していった。

 

 カヲルが予約していたレストランは、世間で高級店と呼ばれるお店であった。煌びやかな店内に入った瞬間、トウジはジャージで入店させなかったカヲルに心底感謝する。

「こ、こない高そうな店……ほんまに大丈夫なんか?」

「前にテレビで紹介してたわ、ここ」

 トウジとヒカリはお店の雰囲気に完全に飲まれていた。それはシイも同様で、今日一日で大分少なくなった財布の中身をしきりに気にする。

「ど、どうしよう。私そんなにお金持って無い……」

「……大丈夫。私が守るから」

 戸惑う四人を尻目に、カヲルはウエイターに予約している旨を告げる。すると直ぐに一同は窓際の席へと案内されていった。

 高級そうな椅子を店員に引いて貰い、シイ達は恐縮しきった様子で席へと着いた。

「そんなに緊張する事は無いさ」

「うぅぅ、カヲル君はこう言ったお店に慣れてるの?」

「いや、初めてだよ」

 さらっと告白するカヲルに、一同は驚きの表情を浮かべる。今までのカヲルの態度からは、とても初めて来るようには見えなかったからだ。

「知識だけは与えられて居たからね。後はその通りに行動しているだけさ」

「それはゼーレの奴らにか?」

「ああ。まあその点だけは、老人達に感謝すべきかな」

 過去を過去として受け止められる強さを、今のカヲルは持っていた。

 

 

「ずるずる……このラーメンはいけるな」

「ええ、そうですわね。ずるずる」

 冬月達はモニターを見つめながら、売店で購入したカップラーメンをすすっていた。高級レストランとは比べるまでも無い質素な食事に、何とも言えぬ味気なさを感じてしまう。

「はぁ、シイちゃん達良いな~。ずるずる」

「てかあそこって、かなり値段が張ったはずだぞ。もぐもぐ」

「そうっすよね。俺らの給料じゃ、そうそう入れないってのに……ごくごく」

 ネルフの職員は国際公務員だったので、それ相応の給料を貰っている。そんな彼らですら尻込みする様な高級店。羨ましくない筈が無い。

「やりますわね。男の懐の広さをアピールしてくるとは」

「これは、なかなかポイントが高いぞ」

「でもシイちゃんは、戸惑ってるみたいですけど」

「そりゃな。誰だって最初は緊張するだろうよ」

「やっぱ男なら、こういう時にビシッとエスコート出来たら、格好良いっすよね」

 モニターの向こうでは、食前酒代わりのソフトドリンクが配られ、食事が始まろうとしていた。

 

 

 軽くグラスを合わせて、シイ達が初めて体験する高級レストランの食事が始まった。順番に出されてくる料理の美味しさに、緊張は次第に和らいでいく。

 会話も弾み、五人は美味しい食事を心から満喫していた……のだが。

「…………はれ?」

 メインディッシュのステーキを食べていたシイが、不意に上半身を左右に揺すり始めた。見れば顔は赤く染まり、目も何処か虚ろだ。

 明らかに様子のおかしいシイに、カヲル達は心配そうな視線を向ける。

「大丈夫かいシイさん?」

「ん~へ~きらよ~」

「大丈夫や無さそうなや」

 呂律の回っていないシイに一同は異常を確信した。だが何が原因かが分からない。レイ以外は同じメニューを食べているが、他には誰一人おかしくなって居ないのだから。

「体調が悪いの?」

「んん~れんれんへ~き~」

「…………」

「何か心当たりがあるのかな?」

 無言のまま険しい表情を浮かべるレイに、カヲルが尋ねる。

「……前に一度、こんなシイさんを見た事があるわ」

「出来れば聞かせて欲しいね」

「……ウイスキーボンボンを食べた時」

 レイの記憶には、以前本部内で猛威を振るったシイの姿がしっかりと残っていた。あの時の原因は、リツコがあげたウイスキーボンボンで酔っ払ったと聞いている。

「はぁ? なんやそれ?」

「酔っ払っちゃったって事かな? でも今日はシイちゃん、お酒なんて飲んでないわ」

「そうだね……ん、待てよ」

 カヲルはハッと何かに気づくと指を鳴らし、近くに居たウエイターを呼び寄せる。

「ご用でしょうか?」

「このメインディッシュ。アルコールが入ってるのかな?」

「はい。ステーキのソースに赤ワインを使っております。ただ加熱調理してますので、アルコールはほとんど飛んでしまっておりますが」

 丁寧に答えるウエイターに礼を言って下がらせると、カヲルは改めてシイをじっと見つめる。回らない呂律、上気した顔と所在なさ気に揺れる身体。そしてぼんやりした瞳。

 もはや間違い無く、碇シイは酔っ払っていた。

 

「どうやら、予想通りみたいだね」

「……僅かに残ったアルコールで、酔ったのね」

「えへへ~れい~」

 シイは椅子から立ち上がると、隣に座るレイに思い切り抱きついた。そのままレイへ頬ずりするシイを、トウジもヒカリも呆然と見つめる事しか出来ない。

「あ、あのシイが、こないなるんか……」

「お酒って怖い……」

「迂闊だったよ。まさかここまでアルコールに弱いとは」

 自らの失策を悔やむカヲルの前で、シイは子供のようにレイに甘え続けていた。

 

 

「これはいかんな。至急、待機している保安諜報部を向かわせろ」

「私達が監視していた事が露見しますが?」

「構わん、最優先だ」

 力強く言い切る冬月。確かに未成年のアルコール摂取は危険だが、そのあまりに過剰な焦り具合に、リツコ達は首を傾げてしまう。

「アルコールと言っても少量です。それ程焦る事は無いのでは?」

「甘い! シイ君があの状態になったらどうなるか、忘れた訳ではあるまい」

「「…………あっ!!」」

 そこまで言われて、マヤ達はようやく合点がいった。酔ったシイは幼児退行し、とにかく甘えん坊になる。誰彼構わず抱きつき、かつては保安諜報部すらも打ち砕いていった。

 そして今、彼女の側には最も危険な男が居る。

「シイ君に抱きつかれた渚が、どんな行動に出るか……考えたくも無い」

「そ、それは一大事。マヤ、至急手配して」

「了解!」

「こちら本部。保安諜報部は第一級戦闘配置だ」

「……ああ、最悪の場合銃器の使用も許可する」

 一気に慌ただしい空気に包まれる発令所。まるで使徒との戦いを思い出させるような緊張感に、自然とスタッフ達の顔も引き締まる。

「ですが副司令。レイも側に居る以上、シイさんは安全なのでは?」

「無論レイは頼りにしている。だが彼女が手を下すと、被害が洒落にならんからな」

「……保安諜報部は情報規制のためですか」

「ある意味渚とレイの二人は、我々の最重要機密だからな」

 冬月が穏便な決着を祈る間にも、ネルフは戦闘態勢へと移行していくのだった。

 

 

 早々に食事を切り上げたカヲル達は、トウジとヒカリと別れて夜の街を歩いていた。千鳥足のシイはレイにべったり寄り添って、温もりを満喫している。

「れい~あったかい~」

「……ええ」

「まさかシイさんに、こんな酒癖があるとはね」

 べったりくっつく二人に、カヲルは少しだけ楽しげに呟く。知らなかったシイの一面を見られた事は、彼にとって十分な収穫であった。欲を言えば自分にも抱きついて欲しかったのだが、レイがそれを許さない。

「やれやれ、そこまで警戒しなくても良いだろうに」

「……自業自得ね」

「ん~? かをるもだっこしたいの~?」

「是非お願いしたいね」

 寂しげな空気を察してか、シイはカヲルの元へと近づこうとするのだが、そっとレイがその身体を包む。

「……彼に近づいては駄目」

「ろ~して~?」

「……食べられてしまうわ」

「ん~?」

 首を傾げるシイに、レイは視線の高さを合わせると、優しく言葉をかける。

「……シイさんは良い子だから、言う事を聞いてくれるわね?」

「うん。しい、いいこらよ」

 そんな二人のやりとりに、カヲルは苦笑を漏らす。こうして見れば、血縁関係の有無など気にするよしも無く、シイとレイは姉妹そのものだったからだ。

「デートはこれでお開きかな。シイさんが楽しんでくれたのなら良いけど」

「……楽しんで居たわ。久しぶりに見たもの。心からの笑顔を」

「なら何よりだ」

 三人はゆっくりとしたペースで、マンションへと向かう。

 

 マンションへの帰り道、不意に何かに気づいたシイが、レイの服を引っ張りながら未知の先を指さす。

「あれ~、ね~あれ~」

「ん?」

「……葛城三佐と、加持監査官」

 カヲルとレイが視線を向けると、そこには二人並んで歩くミサトと加持の姿があった。どちらも私服を着ており、プライベートな時間なのだろう。

「ふふ、彼らもデートかな」

「……そうね」

 夜は大人の時間。邪魔する野暮はすまいと、スルーしようとした二人だったが、シイがそれを許さない。そっとレイから身体を離すと、頼りない足取りで二人の元へと近寄っていく。

「みさと~」

「おっと、それは流石に不味いよ」

 咄嗟にシイの身体を押さえようとするカヲルだが、伸ばした手をレイに止められてしまう。

「……駄目」

「君はこの状況で、それを言うのかい?」

 意地でもシイに触れさせないとするレイに、流石のカヲルも眉をひそめる。

「……ええ」

「もう少し臨機応変に物事を――」

 カヲルとレイが言い争いをしている間に、シイはとことことミサト達の後をついて行ってしまった。

 

「みさと~」

「えっ!? し、シイちゃん!?」

「こ、こいつはまた……どうしてここに」

 近づいてきたシイに気づいた二人は、思い切り表情をゆがめる。一番出会いたくない場所で、一番出会いたくない人と出会ってしまったからだ。

「えへへ~」

「シイちゃん……酔ってる?」

 ふらふらとした千鳥足で、ミサトに抱きつくシイ。そのただならぬ様子を見たミサトは、彼女の身に何が起きているのかを察した。

「ううん~しいね、よってらいよ~」

「……酔ってるな」

 ミサトの胸に顔を埋めるシイを見て、加持はシイの状態が正常で無いと理解した。そもそもこんな時間に、こんな場所に居る時点でおかしいのだから。

「ね~ろこいくの~。しいもいく~」

「え゛……」

「そりゃ……駄目だろ」

「ろ~して~? ね~しいも~」

 駄々をこねるシイに、ミサトと加持は本気で困ってしまう。そこにカヲルとレイが遅れてやってきた。

「葛城三佐、加持監査官」

「……シイさんが失礼しました」

「あ、あら、貴方達も一緒だったのね……」

「よ、よう」

 助け船の登場にも、何故か二人の表情は引きつったままだ。不思議に思ったレイとカヲルは周囲を見回し、その理由を理解した。

 今五人が立っているのは、男女が一時を過ごすあの場所の前だったのだから。

 

「あ、あのね、これはその……」

「いえ、お気になさらず。二人は恋人ですから、誰にも咎められる理由はありませんよ」

「……ええ」

 中学生であるレイとカヲルに大人の気遣いされ、ミサト達は割と本気で凹んだ。

「さあシイさん。邪魔をしちゃ悪いから、一緒に帰ろう」

「やら~。しいもいっしょ~」

「……それは駄目」

 レイは首を横に振って絶対に駄目だとシイの肩を掴む。ゲンドウとユイからシイを任された姉として、それだけは許してはいけない一線だった。

「ろ~しれ~?」

「あのね、シイちゃんはまだ子供だから」

「しい、ころもらないもん」

 ミサトの失言が、シイを一層刺激してしまう。

「いやはや、参ったな」

「ね~ろ~しれ~? ろ~しれらめなの~?」

「シイさん。ここは男と女が一人ずつじゃないと、入っちゃいけない場所なのさ」

 どうにか事態を収拾しようと、カヲルが表現をぼかしつつ説得する。だがこれが不味かった。

「むぅ~、なら~、かをるといっしょにいく~」

「「!!??」」

 とんでもない爆弾発言だった。ミサトも加持も、カヲルもレイも、全員が一斉に凍り付く。それを全く意に介さず、シイはカヲルの手を引っ張って店内へと入ろうとする。

「ね~かをる~いこ~」

「…………全てはリリンの流れのままに」

 その瞬間、店の前は戦場と化した。 

 

 

 

 結局、鬼と化したレイの活躍もあって、カヲルの野望は未遂で終わった。

 保安諜報部の情報規制によってこの事件が表に出る事は無く、レイによって家に運ばれたシイは、食事の最中からの記憶を全て失っており、全ては闇に葬られた。

 だが……。

 

「葛城三佐は減給だな」

「ええ。全く、子供の前で何をしてるんだか」

「……不潔」

「か、葛城さん……」

「日向さん、今日は飲みましょう」

 発令所の面々に、プライベートを赤裸々に見られてしまったミサトだけが、流れ弾に当たったような、本当に不条理なダメージを受けてしまうのだった。

 




何とも言えぬ犠牲を出しつつ、疑似デート編は終了です。
ミサトと加持の件は、テレビ版のアレをイメージしました。子供の時は正直意味不明でしたが、今思うと結構きわどいシーンでしたね。

碇夫妻出張シリーズは、前半戦が終了しました。
後半はちょっとシリアス? に頑張ります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《ドラッグパニック》

 

~全部リツコが悪い~

 

 

 ネルフドイツ支部に乗り込んだゲンドウ達は、挨拶と顔見せだけ済ませると、その足で支部に隣接している病院に向かった。

 病院の入り口にやってきた三人を、老年の男性医師が出迎える。

「ようこそ。碇司令、碇補佐官。そして……」

「お久しぶりです」

 何とも言えぬ表情を浮かべる医師に、アスカは丁寧な口調で挨拶をした。その姿に医師は何か言いたげに口を動かしたが、結局言葉にはならなかった。

「碇ゲンドウだ」

「碇ユイです。お世話になりますわ」

「グラーフです。彼女の担当医を任されています」

 ゲンドウとユイは二人の間の微妙な空気を察して、割り込むように名乗る。それに気づいたグラーフも、二人と握手を交わしながら自己紹介した。

「先生。早速ですが」

「ええ、ご案内します。どうぞこちらに」

 三人はグラーフに先導されて、病院の中へと入っていった。

 

 広い病院の中を無言で歩く一行は、やがて目的の病室の前へと辿り着く。ここまで来て、ようやくグラーフが三人と向き直って口を開いた。

「ここが彼女の病室です。入室はご遠慮頂いているので、そちらの窓から中をご覧下さい」

 グラーフの指示通り、三人はガラス張りになっている壁から中の様子を伺う。真っ白な病室の中には、一人の女性がベッドに上半身を起こして座っていた。

 胸に抱いた人形に愛おしげに語りかける女性、惣流・キョウコ・ツェッペリンを見て、三人は何とも言えぬ複雑な表情を浮かべる。

「ママ……」

「アスカちゃん、辛いのなら……」

 気遣うユイの言葉にアスカは首を横に振る。幼き日に目をつぶって逃げ出した光景。だが今は、真っ直ぐに現実を見つめる覚悟があった。

 アスカ達から少し離れた場所で、ゲンドウはグラーフに問いかける。

「状態は?」

「身体の方は問題ありません」

 魂の大部分をエヴァに残した事で、精神を病んでしまったキョウコ。だが病院スタッフの献身的な対応のお陰で、肉体的には健康状態を保っていた。

「……いけそうか?」

「ご連絡を頂いて直ぐに、メディカルチェックを済ませました。診断書もご用意できます。こちらの準備は全て整えてありますよ」

「助かる」

 ゲンドウは自分の要望に応えてくれたグラーフに感謝した。

 

「ただご存じの通り、彼女はドイツ支部が身柄を保護しています」

「分かっている。その為に私達がここに来たのだ」

 確認するようなグラーフの問いかけに、ゲンドウはサングラスを直しながら力強く言い切った。

 ゲンドウ達がドイツにやってきたのは、キョウコを本部へと連れて行く為だった。目的は当然、弐号機から魂をサルベージする事だ。

 だが、ドイツ支部がキョウコの移動に難色を示した。数度通信で交渉を重ねたが、埒があかないと判断したゲンドウは、自ら乗り込む事でキョウコの本部への移動を承認させるつもりだった。

「まあ、お二方が居るのなら大丈夫でしょう。では私はいつでも出発出来る様、準備しておきます」

「……頼む」

 グラーフは小さく頷くと、ゲンドウ達の元から去って行った。

 

「あなた。キョウコは?」

「移動は問題無い。後は私達が頭の固い奴らを説得すれば、全て片付く」

 ここから先は自分達の仕事だと、ユイは小さく息を吐くとアスカの肩にそっと手を乗せる。

「大丈夫よ、アスカちゃん。きっと上手くいくわ」

「既に本部では弐号機のサルベージ作業が進んでいる。安心しろ」

「……はい」

 アスカは病室のキョウコをちらりと見てから、二人に促されて病室の前から離れた。

 

 出口へと向かうその途中、ふと思い出した様にアスカは尋ねる。

「そう言えば、どうしてシイ達には内緒だったんですか?」

「うふふ、あの子は気にしちゃうから」

「……この事ばかり考えて、日常生活が上の空になるだろうからな」

「あ~なるほど」

 アスカが二人に同行した理由は、シイ達には里帰りと伝えられている。それはシイに余計な気遣いをさせたくないと言う、ゲンドウ達の親心だったのだろう。

「日本を離れるなんて、心配じゃ無いですか?」

「そうね。でもレイも居るし、頼りになる大人も着いてるから」

「……ああ。あの子は皆に守られている。問題無い」

 遠い空の下で今日も笑顔をいるだろう娘を思い、ユイとゲンドウは頬を緩める。シイにはレイが、友人達が、ネルフスタッフがついている。きっと何事も無く元気で生活しているであろうと、二人は安心しきっていた。

 

 

 

 

 ネルフ中央病院では、奇しくもドイツのゲンドウ達と同じように、冬月達が廊下から病室を見つめていた。中に置かれたベッドには、一人の少女が眠っている。

「どうやら状態は落ち着いたようだね」

「はい。全検査データに異常は認められません」

「はぁ~。良かったっすね」

「全くだよ。一時はどうなることかと思ったからな」

 すやすやと安らかな寝息を立てる、まだ年端もいかない少女の姿に、冬月達は安堵のため息を漏らす。それと同時に、不謹慎だとは思いつつも自然と頬がにやけてしまう。

「それにしても……これは危険だな」

「破壊力抜群、ですね」

「でもどうするんですか?」

「今は眠ってるから良いっすけど、何時までもこのままって訳には……」

「うむ。まずは一度本部に戻ってから、対策を練るとしよう」

 冬月達は少女に視線を向けてから、名残惜しそうに本部へと戻っていった。

 

 

 ネルフ本部会議室には、学校に行っているレイ達チルドレンを除く、本部の主要スタッフが集結していた。議題は勿論、病室で眠り続けている少女の事だ。

 参加者全員の着席を確認してから、冬月は静かに口を開く。

「さて。まずは事情を聞こうか、赤木君」

「……事故だったんです」

 全員にジト目で見つめられ、リツコは俯きながら声を絞り出す。

「事故? その結果があれか? 与えられた罰にしてはあまりに大きすぎる」

「……出来心だったんです」

「リツコ、あんたね。やって良いことと悪いことがあるでしょ」

「流石に今回ばかりは、弁解の余地がないでしょうな」

 普段は比較的リツコに甘いミサトと時田ですら、リツコへ厳しい視線を送っている。それだけ今回彼女が犯した罪は重いのだ。

「なありっちゃん。順を追って話してくれないか?」

「包み隠さず真実を語りたまえ。情状酌量が認められるやもしれん」

「りっちゃん……話してごらんなさい」

「……あれは今日の、午前中の事だったの……」

 加持達の言葉に促され、リツコはぽつりぽつりと語り始めた。

 

 

「ふぅ、今日も忙しいわね」

 使徒との戦いが終わっても、リツコの仕事が減ることは無かった。むしろ独占していた技術の開示や、エヴァやMAGIの情報提供など、以前よりも忙しい程だ。

 白衣姿で本部をせわしなく動き回るリツコ。その前に、頭を押さえながら歩くシイが姿を見せた。

「あら、シイさん?」

「うぅぅ……リツコさん……こんにちは」

 青白い顔で無理矢理笑顔を作るシイ。昨日の一部始終を監視していたリツコは、直ぐさまシイが二日酔いで苦しんで居るのだと理解した。

「辛そうね。大丈夫かしら?」

「は、はい……うぅぅ」

「重症みたいね」

 声が頭に響くのか、顔をゆがめながら頭をさするシイの姿に、リツコは小さくため息をつく。本来なら二日酔いなど自業自得だと放っておくのだが、流石に昨日のあれは過失ではない。

 何よりも苦しんでいるシイを放っておく事など、リツコには出来なかった。

「そうね……二日酔いに効く薬があるんだけど、飲んでみる?」

「うぅぅ、良いんですか?」

「ええ。私の研究室にあるから、着いてきて」

 リツコはシイの手を引いて、自分の研究室へと向かった。

 

「えっと、何処にあったかしら」

「うぅぅ……リツコさんって……お医者さんみたいですね」

「半分は趣味みたいなものよ」

 リツコの研究室の戸棚には無数の薬が収められていた。そのどれもにリツコの手書きラベルが貼られていて、一目で自家製だと分かる。シイは痛む頭を押さえながらも、興味深げにそれを見つめていた。

「栄養剤……滋養強壮薬……肩こりが治る薬……しわを取る薬?」

「シイさんも大人になれば分かるわ。あ、これね」

 リツコは棚から小さな瓶を取り出すと、蓋を開けてシイに差し出す。栄養ドリンクの様な見た目だが、ラベルが手書きなのでやはりお手製なのだろう。

「ありがとうございます。ごくごく」

 疑いもせずに渡された小瓶の中身をシイは飲み干す。すると即効性があったのか、悩まされていた頭痛がすっと薄れていくのが実感できた。

 青ざめていた顔色はみるみる血色が戻ってきて、数分もしないうちに二日酔いは見事に消え去った。

「どうかしら?」

「凄いですリツコさん! 魔法使いみたいです! ありがとうございます」

 感激したシイに抱きつかれ、リツコはだらしなく頬を緩める。忙しいスケジュールに疲れていた彼女だが、シイのハグはどんな薬よりも効果があったようだ。

 

「もうすっかり良いみたいね」

「はい。本当にありがとうございました」

「ふふ、良いのよ。……お礼は十分貰ったしね」

 ボソッと呟く最後の言葉は、シイの耳には届かなかった。

 予定が詰まっている筈のリツコだが、折角の機会とばかりにシイとコーヒータイムを楽しむ。美味しいコーヒーを飲みながら雑談をしていると、不意にシイが机に置かれている小瓶に目をとめた。

「あれ? リツコさん。その薬はラベルが無いみたいですけど」

「それはまだ試験中の薬なのよ。ただ残念ながら失敗しちゃったけども」

「へぇ~、何の薬だったんですか?」

「若返りの薬よ」

 リツコは小瓶を手にとって、苦笑しながらシイに告げる。実際は肌年齢を若くすると言う、美容サプリメントに近いものなのだが、リツコはあえてからかうように表現をぼかした。

「女性は何時までも若くありたいと思う生き物なのよ」

「そうなんですか……」

「ふふふ。でもシイさんが飲んだら、それこそ子供になっちゃうかもしれないわね」

「も~リツコさんったら」

 冗談を言い合いながら笑う二人。和やかな空気が研究室に充満していく。

「何なら飲んでみる? 一応飲みやすい様に、チョコレートフレーバーにしてあるけど」

「はい、頂きます」

 チョコレート味ならば、とシイは受け取った薬を口に含む。人工的に作られた味だったが、口の中に広がるそれは確かにチョコレートドリンクであった。

 

「はぁ、とっても美味しいです」

「それは良かったわ。さて、名残惜しいけどそろそろ時間ね」

 壁の時計をチラリと見て告げるリツコに、シイは自分が長居してしまったと謝罪する。

「あ、はい。お忙しいのに、ごめんなさい」

「気にしないで。私が好きでやった事なのだから」

 頭を下げるシイに、リツコは優しく笑いかけながら席を立つ。シイもそれに続こうとして、異変に気づいた。

「あれ?」

「どうしたのかしら?」

「リツコさん、何だか背が伸びてませんか?」

 何を馬鹿なことを、とリツコは苦笑いしながら振り返り、思い切り顔を引きつらせた。元々小さかったシイが、さっきよりも明らかに縮んでいるのだ。

 それは着ていた制服がダブダブになっている事からも、見間違えで無いとはっきり分かる。

「し、シイさん!?」

「あれ、おかしい……何だか頭がぼやけて……きて」

 呟くシイの目は焦点があっておらず、表情はうつろだ。そしてその間にも身体は確実に縮み続けている。ここに至って、リツコはようやく事態の重大さに気づく。

「ままま、まさか今飲んだ薬が、本当に効いちゃったの!?」

「りつこさん……しい……どーなった……の?」

 首を傾げる動作を最後に、シイはパタンと俯せに倒れた。

「シイさん!? ま、不味いわ! きゅ、救護班、救護班!!」

 大慌てのリツコは、直ぐさまネルフ中央病院に連絡を取り、シイは緊急入院の運びとなった。そして、そのまま目覚める事無く今に至る。

 

 

 話を聞き終えた一同は、もう何も言えずにリツコを見つめ続けていた。今の証言を聞く限り、どう考えてもリツコが悪い。申し開きのしようも無いくらいに。

「……事故。不幸な事故だったの」

「赤木君。一度辞書を引いてみたまえ」

「とは言え困りましたわね」

 ナオコの言葉に一同は腕組みをして悩み込む。肉体が若返った以外は、シイの身体に異常は見られなかった。それは良いのだが、流石にこのままと言うわけにも行かない。

「まずはシイ君が目覚めるのを待つしかないか」

 全員が冬月の言葉に賛成し、ひとまずこの場は散会。シイが目覚めるのを待ってから、本人も交えて再度対策を検討する事となった。

 




続き物の後半戦です。

ゲンドウ達のドイツ出張は、キョウコを本部に連れて行く事が目的です。この小説ではキョウコが自殺していない以上、サルベージは可能な筈ですので。

日本は日本で大人しく帰りを待てないらしく、トラブル発生です。
リツコの扱いがちょっと酷いです。ファンの方、申し訳ありません。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《保護者の役割と資質》

 

~引く手数多~

 

 翌朝、レイは学校ではなくネルフ本部へと向かっていた。緊急の呼び出しを受けた為だったが、それが無くてもレイは乗り込むつもりであった。

 何せ昨日本部へ行ったっきり、シイが戻ってこないのだから。

(シイさん……何かあったの?)

 急用で一晩泊まるとマヤから連絡はあったのだが、そもそもそれがおかしい。普段のシイなら、自分で携帯に電話を掛ける筈。レイは嫌な予感を抱きつつ、急ぎ足で本部へと向かうのだった。

 

 

「おはよう、レイ」

「よう」

「……おはようございます」

 出迎えたミサトと加持に、レイは不審な物を感じつつ挨拶を返す。この二人が出てきた時点で、嫌な予感は確信へと変わっていた。

「……シイさんに、何があったんですか?」

「あ~やっぱ気づいてた?」

「ま、当然だろうな」

「……何かあったんですね」

 二人のリアクションを見て、自分の予感が正しかった事を理解したレイは、険しい表情でミサト達を見つめる。

「俺たちが説明するよりも、見て貰った方が早いだろう」

「案内するわ。ただ」

「……ただ?」

「覚悟はしておいてね」

 ただならぬミサトの言葉に、レイは激しい動揺をどうにか抑えて頷く。事態はそれ程悪いのかと、底知れぬ不安を抱きながら、二人の後に続いて歩き始めた。

 

 

 案内されたのはネルフ中央病院。もうレイの心は不安と緊張で、今にも押しつぶされそうだった。嫌な想像ばかりが頭に浮かび、握った拳が小さく震える。

 そして彼女はある病室へと辿り着く。ドアの脇にあるプレートに『碇シイ』とはっきり示されていたのを見て、レイは目の前が真っ白になった。

 ふらっとぐらつくレイの身体を、加持が優しく支える。

「驚かせて済まない。一応言っておくと、シイ君は病気も怪我もしていない」

「……なら何故ここに居るの?」

「口で言っても信じられないと思うわ。でも見れば分かるから」

 自動で開いたドアを通り、三人は病室へと足を踏み入れた。

 

 病室にはベッドに俯せになって絵本を読んでいる、小さな女の子の姿があった。だが肝心のシイは何処にも居ない。レイは疑惑の視線をミサト達に向けた。

「……シイさんは?」

「あのね。どうか心を落ち着けて聞いて欲しいんだけど」

「そこに居る子が、シイさんだ」

 加持の言葉を聞いたレイは、珍しく怒ったように鋭い視線で二人を睨む。

「……冗談は嫌い」

「ねえレイ。よ~く見てみて」

 ミサトに言われて、レイは少女をじっと見つめる。歳は三、四歳だろうか。黒いショートカットに、くりっとした大きな瞳。思わず抱きしめたくなるような、庇護欲をそそる可愛らしい少女だ。

 と、そこでレイは妙な感覚を抱く。この子は誰かに……いや、もう誤魔化す事もないだろう。目の前の少女から、碇シイの面影がはっきりと感じ取れたのだから。

「どうやら、気づいたみたいだな」

「……まさか」

「まあ、そう言う事よ。この子は間違い無くシイちゃんなの」

 足を楽しげに揺らしながら絵本に没頭する少女に、レイは言葉を失ってその場に立ち尽くした。

 

 やがて少女は来客に気づいたのか、絵本からレイ達へと視線を移す。

「おはよう、シイちゃん」

「やあ、お邪魔しているよ」

「みさとしゃんと、かじしゃん。おはよ~ごじゃいます」

 シイはベッドから床へ飛び降りると、礼儀正しく挨拶をする。舌っ足らずの話し方が、彼女の身体が相当幼くなっている事を、嫌でもレイに分からせる。

「……シイさん」

「おはよ~れい」

 屈託の無い笑顔を向けられ、レイの胸が大きく跳ね上がる。ひょっとしたら自分を憶えていないのではないか。そんな不安は一掃されて、更に名前を呼び捨てにされた嬉しさが全身に沸き上がってきた。

「……私の事、分かるの?」

「れいはしいのいも~と。しい、しってるもん」

「そ、そう」

 自慢げに胸を張るシイの姿に、レイはもう平常心ではいられない。ここにミサト達が居なければ、間違い無くシイを思い切り抱きしめていただろう。

 それだけの破壊力を目の前の少女は持っていたのだ。

「覚悟しといて、良かっただろ」

「……そう言う事だったのね」

「因みに副司令とリツコは、出血多量で現在輸血中なのよね」

 ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべるシイを見れば、それもあり得るとレイは納得する。冷静を装ってはいるが、自分もその仲間入りをする寸前なのだから。

「詳しい話は本部でするわ。良い?」

「……はい」

「それじゃあシイさん、また来るよ」

「うん、まらね~」

 バイバイするシイに、レイは後ろ髪を引かれる思いを振り切って本部へと向かった。

 

 

 会議室に連れてこられたレイは、鼻にティッシュを詰めた冬月から事情を聞いた。

「……また赤木博士ですか」

「ま、またって何よ!」

 こちらも鼻に栓をしているリツコが反論するが、誰一人賛同する者はいなかった。事故だろうが過失だろうが、原因となったのは間違い無いのだから。

「ごほん! では赤木君、これまでに分かった事を報告したまえ」

「ええ。まずシイさんの身体は、十歳以上若返っていると思われます」

 会議室のディスプレイに表示されるシイの身体データ。それは就学前の子供のそれに近かった。発育は個人差が大きいので一概には言えないが、リツコの報告は概ね正しいのだろう。

「そして心、精神、そう呼ばれる物も、肉体年齢と同じレベルまで逆行しています」

「どうしてよ? あんたの薬は、身体を若返らせるものだったんでしょ?」

 ミサトの疑問にはカヲルが答える。

「ふふ、肉体と精神は密接な関係があるからね」

「幼くなった身体に引っ張られてしまった、と」

「いやはや、こりゃ厄介だな」

 ただし十四歳になってから出会ったミサトや加持、レイの事を理解していたので、恐らく人に関しては最近の記憶があるのだろう。

 ゲンドウとユイ不在の現状では、不幸中の幸いと言えた。

 

 

「以上の事から今のシイさんは、私達の事を知っている幼い女の子と言えるかと思います」

「ふむ、それで赤木君。シイ君は何時、元に戻るのかね?」

「MAGIの判断では、遅くとも四日以内には薬の効果は切れるかと」

「四日、か……」

 冬月の顔に一層しわが深く刻み込まれる。今回の一件は、何が何でもゲンドウ達が戻る前にケリをつけなければならない。そうしなければ、間違い無くユイが暴走してしまうだろう。

 出張日数を考えれば間に合う計算ではあるのだが、それでもギリギリなのには変わりない。

「自然に効果が切れる以外に、何か解毒剤の様な物は無いのかね?」

「シイさんの身体に負担がかかりますので、おすすめしかねます」

「待つしか無い、か」

 議論の余地は無かった。自分達の都合でシイに負担を掛ける事など、彼らの選択肢に無いのだから。

 

 

「さて。ではそろそろ、本題に入るとしよう」

 冬月がゲンドウを真似たポーズで、重々しく口を開く。するとそれに呼応するように、会議室が緊張感に包まれ、室温が数度下がった様に感じられた。

「碇とユイ君が、シイ君を残してドイツに行けた理由が何か、分かるかね?」

「えっと、やっぱり家事全般が出来るからですか?」

「正解だ、葛城三佐」

 満足げに頷く冬月だが眼光は鋭いままだ。この質問はあくまで前振り。本題はこれからなのだから。

「だが今のシイ君に、それを望む事は出来ない」

「でしょうな」

「つまり、薬の効果が切れるまでの間、誰かがシイ君と共に生活し、彼女を保護する必要があるのだ」

 冬月の言葉に誰も返答をしない。いや、出来ない。今この瞬間、会議室は狼達が牙を隠す事無く、互いを牽制し合っている戦場と化したのだから。迂闊な発言は命取りになる。

「……必要ありません。私はシイさんの妹。私が保護します」

「なるほど正論だね。だがレイ、君は料理が出来るかな? 掃除は? 洗濯は?」

「……うっ」

「今のシイ君に必要なのは、安心できる生活環境を用意できる保護者なのだよ」

 レイはこれまで人間らしい暮らしをしていなかった。碇家で暮らすようになってからは、少しずつ家事も手伝って居るが、幼いシイと二人きりで生活出来るかと言われれば、疑問が残る。

 最も厄介な羊飼いを黙らせた冬月は、にやりと笑みを浮かべて議論を進めた。

 

 レイと同様の理由で時田と青葉、日向が候補から脱落する。冬月はさらにふるいに掛けるべく、ピンポイントで候補者を減らすことにした。

「葛城三佐と加持君も、やめておいた方が良いだろうね」

「何故ですか?」

「一応、俺は料理も出来ますよ」

「若いカップルの家に預けるのは、教育上不安が残ると思うが?」

 あの光景を見られた加持とミサトは、何も反論すること無く候補から辞退した。

 

「残るは私と、ナオコ君、伊吹二尉、そして……」

「ふふ、僕みたいだね」

「……駄目に決まってるわ」

 微笑みながら立候補するカヲルに、レイは即座に却下を申し出る。

「おやおや、どうしてだい? 僕は一人暮らしをしているから、当然家事も一通り出来るよ」

「……危険すぎる」

「それこそ問題無いよ。どんな危険が迫っても、僕ならシイさんを守ってあげられるからね」

 無駄にハイスペックなカヲルに、レイは敵意むき出しの視線を向ける。だがそれをカヲルは軽く受け流す。絶対的有利な立場が、彼に余裕を与えていた。

「私はりっちゃんを育てましたので、子供の扱いはお手の物ですわ」

「わ、私は歳も近いですから、ちゃんとやれます」

 ナオコとマヤも自分こそがと、思い切りアピールする。議長である冬月が候補者である以上、ここで結論を出す術は無かった。

「……分かった。大切なのは本人の意思、ここはシイ君に選んで貰おう」

 冬月は大きなため息を共に、確率1/4の賭けに出る事にした。

 

 

 病室の床に寝転がりクレヨンで絵を描いていたシイは、冬月達の姿を見てその手を止めた。大勢の来客が珍しいのか、不思議そうに目をぱちぱちさせる。

「んん~?」

「やあ、お楽しみの所をすまないね」

「ふゆちゅきてんて~。ろ~したの?」

 笑顔で駆け寄ってくるシイに、冬月は鼻を押さえながら上を向く。静まっていた筈の熱い血潮が、再び滾ってしまったようだ。

 彫刻のように動きを止めた冬月に替わり、ナオコがシイの前にしゃがんで視線の高さを合わせる。

「冬月先生は、ちょっと具合が悪いみたいなの。お姉さんとお話してくれる?」

「あい」

「シイちゃんのお父さんとお母さんは、お仕事でちょっとの間帰ってこられないの」

 子供にも理解出来るよう、ナオコはゆっくりと言葉を紡ぐ。この中で唯一子育て経験のある女性と言うのは、伊達では無いようだ。

「だから帰ってくるまで、お姉さんと一緒に暮らさない?」

「ま、待って下さい。赤木博士、それはずるいです」

「油断も隙も無いね」

 さらっと自分と暮らすように誘導するナオコを、マヤとカヲルは慌てて食い止める。シイの前に三人が並んでしゃがむ姿は、何ともシュールな光景だった。

 

「こりゃ駄目だわ。ねえシイちゃん、この中で一緒に暮らしたい人って居る?」

 すっかり傍観者になっていたミサトが、助け船とばかりにシイへ尋ねてみた。その問いかけにシイは一切の迷い無く、一人を指さす。

 それは寂しげに事態を見守っていた、レイだった。

「しい、れいといっしょ」

「……シイさん?」

「で、でもね、レイは――」

「れいといっしょらいい!」

 トテトテとナオコ達を通り過ぎると、シイはレイの足にしがみつく。小さな身体を目一杯使って、離れないと強い意思を周囲に示した。

 そんなシイの頭を、レイは戸惑いながらも優しく撫でる。

 

「どうやらあの二人の間には、入れそうにありませんわ」

「そうですね。……はぁ~二人とも可愛い」

「本能でリリスを求めたのか……いや、二人の絆をそれで語るのは無粋だね」

「シイ君が選んだのだ。もはや我々に異議を唱える事は叶わんな」

 親子のように姉妹のように、互いを信頼している二人を見て、他の面々は自らの敗北を認めた。

 

 

 

「……今戻った」

「お疲れ様、あなた」

 ドイツでの活動拠点としているホテルで、ユイは疲れ切ったゲンドウを優しく出迎える。朝から日付が変わる今まで会議を続けていたのだ。疲労も相当溜まっているだろう。

「彼女は?」

「もう寝かせましたわ。あなたが戻るまで起きてると聞かなかったですけど」

「そうか……」

 ゲンドウは椅子に腰掛けながら、ユイが差し出したペットボトルの水を飲む。全身に冷たい水が染み渡り、ゲンドウはようやく心から落ち着くことが出来た。

 支部の宿泊施設ではなく、わざわざ一般の宿を利用しているのは、盗聴の可能性を考えただけでなく、こうして気持ちを安らげる為でもあった。

「難航している様ですね」

「ああ。流石はツェッペリン博士と言う所だろう」

「キョウコは人気者ですから」

 ドイツ支部がキョウコの移動、サルベージに反対している理由は、彼女の命が失われる事を恐れて居るからだ。シイやユイと言う事例はあるのだが、失敗の可能性は必ず残る。

 彼らにとって、キョウコはアイドルのような存在だった。本部におけるシイが、ドイツ支部におけるキョウコなのだ。そしてそれは今も変わらない。

 そうでなければ、戸籍上アスカの母親で無くなっているキョウコが、アスカからの仕送りがあるとは言え、莫大な医療費のかかるネルフの病院で、長期療養を続けられる筈が無いのだから。

 

「だが手応えはある。意固地になって反対しているのは、彼女を娘の様に思っている老人ばかりだ。実際、ほとんどの者は彼女のサルベージを望んでいる」

「私も手伝いますか?」

「これは私の仕事だ。任せておけ。それに君にもやる事があるだろ」

 ゲンドウの言葉にユイは小さく頷く。会議に参加していないユイだったが、彼女にはゲンドウとは違う役割をもってドイツに来ていた。

「君の方は順調なのか?」

「ええ、概ね済みましたわ。明日にでも全て揃え終わると思います」

「……終わったらアスカと居てやれ。精神的に疲れている筈だ」

 少し照れたように告げるゲンドウに、ユイは嬉しそうに微笑む。自分の夫は昔から何一つ変わらず、不器用な優しさを持った可愛い人だと、改めて思えたからだ。

「分かりましたわ。さあ、あなたも休んで下さい。明日も朝からなのでしょう?」

「ああ。そうさせて貰う」

 ゲンドウは立ち上がると、シャワーを浴びに浴室へと入っていく。ユイはゲンドウを見送ると、寝室で眠っているアスカの元へ近寄り、そっと優しく髪を撫でる。

(大丈夫よ、アスカちゃん。私の自慢のあの人が、きっとキョウコを連れて帰るから)

 気のせいか、アスカの寝顔は先程までより穏やかに見えた。

 

 




シイとレイ、二人の絆はどんなトラブルでも切れる事は無いでしょう。
妹から母親代理になったレイですが、果たして幼いシイを上手く抑えられるのか。

同時進行で進んでいるゲンドウ奮闘記。作者のイメージが偏っていたせいで、情けない印象が強いゲンドウですが、ゼーレにネルフを任されるだけあって、相当優秀だと思います。
父親として、司令として、頼りになる一面を表現出来ればなと。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《姉妹のネルフ散策》

 

~無邪気は時に残酷~

 

 

 幼いシイと家事能力が欠如しているレイは、ネルフ本部の居住区画で一時的に暮らす事になった。食事は食堂、洗濯はランドリーがあるため、今の二人にとって大変都合の良い場所だったからだ。

(……朝ね)

 ベッドが違っても、枕が変わっても、レイの体内時計は分単位で正確だった。目覚めたレイは身体を起こそうとして、ふと動きを止める。

 そっと布団を捲ると、熟睡しているシイが自分の身体にしがみついていた。まるでコアラが木にしがみつく様に、小さな身体を目一杯に使って。

(……そう。まだ眠っていたいのね)

 自分が動けばシイを起こしてしまうだろう。レイは小さく頷くと、身体を再びベッドに寝かせた。どうせこの状態では学校に登校する事も出来ない。焦って起きる必要は無いのだ。

 シイの頭を優しく撫でながら、レイは人生初の二度寝を体験するのだった。

 

 

「へぇ~、碇達は病欠なのか」

「あ、ああ。そ~みたいやで」

「心配ね。シイちゃん達のご両親、今はドイツに出張してるんでしょ?」

「そら大丈夫や。二人揃って、本部の病院で面倒みて貰うとるからな」

 第一中学校の教室でトウジは冷や汗を流しながら、ケンスケとヒカリへ事情を説明する。勿論シイが縮んだなど言える訳も無く、風邪だと誤魔化してだが。

「お見舞いは迷惑かな?」

「うつると不味いさかい、ここは治るのを待った方がええやろ」

「……なんかトウジにしては、随分と冷静だよね」

「そ、そない事無い。わしはいつも通りや」

 眼鏡を光らせて探りを入れるケンスケを、トウジは乾いた笑いで誤魔化す。仮にケンスケとヒカリが真実を知ったとしても、気軽に口外するとは思っていない。だが情報は何処から漏れるか予測出来ない物だ。

 事態を内々に片付けたいネルフは箝口令を敷き、鉄壁の情報規制を行っていた。

(絶対に知られたらあかん。万が一ユイさんにばれたら……ネルフが終わるで)

 トウジは友人と恋人に後ろめたさを感じながらも、全力で情報を守り通すのだった。

 

 

 ネルフ本部の食堂は二十四時間、年中無休で営業している。福利厚生の一環で価格も大分低めに設定されているので、多くの職員達が利用していた。

 今この時間も、朝食を食べている職員の姿がちらほら見えるのだが、彼らは揃って視線をあるテーブルへと向けている。彼らの視線の先では、シイとレイが並んで食事を食べていた。

「えへへ~おいし~ね」

「……そうね」

 小さな右手でスプーンを握り、幸せそうな笑顔でオムライスを食べるシイ。ケチャップで汚れた彼女の口元を、ハンカチで丁寧に拭いてあげるレイ。

 まるで親子の様な光景に、職員達は朝から幸せな気分で満たされていた。

「れいにもあげりゅ。あ~ん」

「…………」

 オムライスが乗ったスプーンを口元に差し出され、レイは悩む。素直に食べたいのが本心だが、これだけの職員が見つめる中、あーんをされるのは流石に気恥ずかしい。

 だがシイはレイのそんな悩みを知るよしも無く、ニコニコと笑顔でスプーンを伸ばし続けている。そんな姿を見てしまっては、もう断る事など出来はしなかった。

「……あーん」

「ね~おいしーれしょ」

「……そうね。美味しいわ」

 自分が褒められた様に喜ぶシイの頭を、レイはありがとうと言いながら優しく撫でる。そんな二人の姿を職員達は笑顔で見守りつつ、そっとカメラに収めるのだった。

 

 

 

 お腹一杯になったシイは、レイと共にネルフ本部を散策することにした。今のシイにはネルフ本部は興味深い場所なのだろう。目を輝かせながらキョロキョロと視線を動かしている。

「……何処か行きたい所はある?」

「ね~れい、ふゆちゅきてんて~はどこ?」

 真っ先に冬月の名が出た事に驚きつつも、レイは事前に聞いていた冬月の予定を答える。

「……副司令は今、会議中だと思うわ」

「かいぎ?」

「……ええ。複数の人が集まって、色々な事を話し合うの」

 レイの説明にシイは目を輝かせる。

「かいぎ~。しいもかいぎしゅる~」

「で、でも……」

「かいぎ~かいぎ~」

 小さな手足をじたばたとさせ駄々をこねるシイに、レイは困ってしまう。子供の扱いに慣れていない彼女は、シイを宥める術も、戒める術も持ち合わせていなかった。

 

 

 暗闇の会議室では、冬月とゼーレによる会議が行われていた。ゲンドウが出張中の今、こうした業務は全て冬月が取り仕切っている。

 シイが絡まなければ優秀な彼は、膨大な仕事を滞ること無く捌いていった。

「では予算案は以前の物で?」

「ああ。流石は冬月先生だ。修正点がほとんど無い」

 キールの口から賞賛の言葉が紡がれる。組織の解体と新組織の立ち上げ、予算案の作成は困難を極めると思われていたが、冬月が纏めたそれは文句のつけようが無い出来だった。

「左様。碇君にも見習って欲しいものだね」

「全くだ。あの男ときたら、無愛想で無口で……」

 予定されていた議題が全て片付いた事もあってか、ゼーレの面々はゲンドウの愚痴を言い始める。組織としては和解したが、反目し合っていた人間達が直ぐに仲良くなれるわけでも無い。

 とは言え以前の様な険悪な感じでは無いので、冬月は頑固な男達に苦笑を漏らす。

「ところで顔色が悪いようだが……大丈夫か?」

「ええ、少々貧血気味でして」

「それは心配だ。今貴方に倒れられる訳にはいかないからな」

「良い医者を紹介しようか?」

「お気遣いは無用ですよ。一時的な物ですから」

 流石に鼻血による出血多量とは言えず、冬月は愛想笑いで誤魔化した。

 

「では碇が戻ったら、再度会議を行おう」

「伝えておきますよ。では」

「「全てはゼーゲンのた――」」

「ふゆちゅきてんて~。み~ちゅけた~」

 終了の決め台詞を言い終わる前に、会議室に小さな乱入者が現れた。それは冬月にとって一番会いたくて、しかしこの場では一番会いたくない少女、碇シイであった。

「ど、どうしてここに!?」

「えへへ~」

 立ち上がった冬月の足にシイが抱きつく。一方ゼーレの面々は、突然の乱入者に呆気にとられて言葉を失う。この会議室に入れる存在は、極限られた人間だけなのだから。

「ふ、冬月先生。その子供は一体?」

「この場に来られると言う事は、ネルフ関係者の子供かね?」

「しかし何と言うか……随分と可愛らしい子だ」

「……ちょっと待て。その子供、見覚えが……」

 キールはバイザーで隠された目をこらすように、シイをじっと見つめる。そんなキールの視線に気づいたのか、シイはキールに顔を向けてニッコリと笑いかけた。

 少女が宿す面影。普通の子供なら怖がる自分にも、全く動じずに笑いかける肝の据わり方。キールの脳裏に、かつての記憶が蘇ってきた。

「冬月先生。まさかとは思うが、この子供は……」

「碇家と付き合いのあったキール議長なら、気づくと思っておりました」

「……碇シイ、なのか?」

「あい。はりめましれ。いかりしいれす」

 ぺこりと可愛らしくお辞儀するシイに、ゼーレの面々は完全に言葉を失った。

 

 冬月と後れて入室してきたレイから事情を聞いたゼーレは、怒りを露わにする。だがそれは監督不行届のネルフへではなく、自分達へ向けられたものだった。

「何故だ! 何故立体映像なのだ、我らは!」

「この手で、この手で触れる事すら叶わぬとは……」

「しゅごい。ねえれい、しゅごいよ。ほら」

 嘆くゼーレの面々の身体を、シイが心底楽しそうにすり抜けていく。まるでおもちゃを見つけた子供のように、無邪気に会議室を駆け回る姿を見て、キールは真剣な声色で冬月に告げる。

「冬月先生……私から言える事はただ一つだ」

「何ですかな?」

「くれぐれもユイに悟られるな。あれは娘を守る為なら、何でも出来る強い女だ」

「……肝に銘じておきますよ」

 言われるまでも無い。冬月が一番に恐れている事は、まさにそれなのだから。

「……シイさん、会議は終わりよ。行きましょ」

「は~い。おもしりょいおじ~ちゃんたち、ばいば~い」

「「またね~シイちゃん」」

 すっかり好々爺と化したゼーレの面々は、気持ち悪いほどさわやかな笑顔でシイを見送るのだった。

 

 

 続いてシイとレイがやってきたのは発令所だった。

「……ここがネルフ本部第一発令所よ」

「うわぁ~、おっき~」

 戦艦の艦橋の様な発令所に、シイは興奮した様子で目を輝かせる。ただここは落下の危険性があるため、レイが小さな手を繋いでシイが駆け出すのを止めていた。

「「シイちゃん!?」」

 予期せぬ来訪者にスタッフ達は思わず作業の手を止めて、シイへ視線を集中させる。そして満面の笑みを浮かべているシイの姿に、だらしなく頬を緩めるのだった。

 子供服を着てはしゃぐシイを、ある者はカメラに、ある者は肉眼に、またある者は心のフィルムに焼き付けようと、全力でシイの姿を捉える。

「シイちゃん、レイ、どうしたの?」

「……本部の散策です。外出は危険ですので」

「まや~」

「はぁ、シイちゃん。良いわ。凄く良い」

 マヤは危ない人のように呟きながら、シイの小さな身体を包み込むように堪能する。普段なら止めに入るレイだが、今のシイの前では物理的な手段を取ることは出来ない。

 シイのほっぺに頬ずりするマヤを、青葉と日向と同じく羨ましそうに見つめるしか無かった。

 

「おいおい伊吹。今は業務中だぞ」

「あ、はい……」

 日向に注意されて、マヤはしぶしぶシイから身体を離す。残念ながら日向の言葉は正しく、マヤもリツコの業務補助と言う立場から多忙な身でもあった。

「ごめんね、シイちゃん。また後で、たっぷりギュッとさせて」

「うん。おしゅごとがんらって」

 シイに応援されたマヤは気合い十分で作業を再開する。リツコ直伝の高速タイピングに、シイは大きく目を見開いて感動していた。

「しゅごい、まやしゅごい」

「そ、そうかな?」

「ゆび、みえないもん。かっこい~」

「うふふ……」

 頬を染めたマヤは、過去最高速度で仕事を片っ端から終わらせていった。

 

「んん~?」

「な、何かな?」

 不意に足下に近づいてきたシイに、青葉は動揺を隠しながら尋ねる。

「あおびゃしゃん、おとこのひろらよね?」

「ああ、そうだぞ」

「なのに、ろ~しれかみがなぎゃいの?」

「ぐっ!?」

 無邪気な一言が青葉の心に突き刺さる。バンドをやっている彼にとって、長髪もファッションの一つだった。ただそれを冷静に聞かれてしまうと、流石にダメージは大きい。

「こ、これはね、ファッションなんだ」

「ひゃっしょん?」

 理解出来ないと首を傾げるシイに、レイがそっとフォローを入れる。

「……シイさん。この人は、これが格好いいと思っているのよ」

「れも、にあっれない」

「……シイさんは良い子よね? だから聞かないであげて」

「あい。しいいいこらもん。も~ききゃない」

「……もう大丈夫よ」

「だ、大丈夫じゃない……」

 ざっくりと心を抉られた青葉は、力なく肩を落として心の中で泣いた。

 

「んん~?」

「こ、今度は俺か」

 傷心の青葉から離れたシイは、次なるターゲットに日向を選んだ。戦々恐々とする彼に、シイはくりっとした瞳を向けたまま動かない。

「な、何かな?」

「ね~れい。ひゅーぎゃしゃんのかお、なにかありゅよ?」

「……それは眼鏡よ。視力を矯正しているの」

「めぎゃね?」

「あ、ああ。そうか。シイちゃんは眼鏡が珍しいんだね」

 シイと親しいネルフ関係者で、眼鏡を掛けているのはゲンドウと日向、そしてリツコの三名だけ。ただリツコは普段は外しており、ゲンドウもサングラスなので、厳密には日向一人と言えるだろう。

 子供にとっては物珍しいのだろう、と日向は苦笑しながら眼鏡をそっと外す。

「僕は目が悪いんだ。遠くの物が良く見えないから、これを着けて見えるようにしてるんだよ」

「へ~」

 優しく微笑みながら説明する日向に、シイは納得の声を漏らす。本当に理解出来ているかは不明だが、少なくともシイは今の説明に満足したようだ。

「何なら着けてみるかい?」

「あい」

 日向は自分の眼鏡をそっとシイ顔にかけてあげた。サイズが合わないので、シイはずり落ちないように両手でフレームを押さえる。

「わ、わわわ」

 レンズ越しの世界は酷く歪んでおり、自分が真っ直ぐ立っているのかすら分からない。平衡感覚を失ったシイの足下は、酔っ払いのようにふらふらと頼りなく彷徨う。

「お、おい、大丈夫かい?」

「めぎゃまわりゅ」

 目を回してしまったシイは大きく身体をふらつせて、オペレーター席の縁にぶつかってしまう。その衝撃でシイの顔から外れた日向の眼鏡が、ふわりと宙に舞って下の区画へと落ちていく。

 クリアになったシイの視界に、ハッキリと落下する眼鏡が映った。

「らめ! それひゅーぎゃしゃんの~」

「「シイちゃん! 駄目!!」」

 縁から身を乗り出して眼鏡へ手を伸ばすシイに、青ざめたレイ達が一斉に駆け寄る。だがシイの小さな身体は鉄棒の前回りの様に、ぐるっと回って縁の外へと舞い上がる。

 レイが必死に伸ばした手は僅かに届かず、シイの身体は重力に引かれて落下していった。

 

 誰のものか分からぬ絶叫が発令所に響く。この高さから落下すれば、間違い無く命を失ってしまうだろう。最悪の事態を想像してしまい、スタッフ達は思わず目を閉じる。

 だがどれだけ待っても、シイが床に叩き付けられる音は聞こえなかった。恐る恐るスタッフ達が目を開くと、そこにはシイを抱き留めて宙に浮かぶ、カヲルの姿があった。

 

「ふふ、間一髪だね」

「ふあ~、しい、とんでりゅの?」

「そうだよ。全く君は……怖い物知らずも程々にしないとね」

 カヲルは優しく微笑むと、シイを抱えたままオペレーター席へと舞い降りる。その姿はまさに使徒、天使に相応しい神々しさに満ちあふれていた。

「レイ、君はシイさんの保護者だろ? 目を離しちゃ駄目じゃ無いか」

「……ごめんなさい」

「まあそのお陰で、僕は可愛いお嬢さんを胸に抱けた訳だし、結果オーライかな」

 シイを愛おしげに抱くカヲル。いつもなら直ぐに物理的制裁を加えるのだが、シイの命を救って貰ったのは確かなので、レイは何も言えなかった。

 発令所に安堵のため息が漏れる中、突然警報が鳴り響く。一体何事かとスタッフ達は緊張した面持ちで配置に着くが、原因を知って思い切り脱力した。

「あ、パターン青。使徒です」

「ああ、僕だね」

 使徒としての力を使った為に、探知機に引っかかってしまったのだろう。マヤが手早く端末を操作すると、警報は直ぐさま鳴り止んだ。

「しとっれな~に?」

「人間じゃ無い生き物さ。僕はヒトじゃないんだ。怖いかい?」

「ううん、じぇんじぇん。らって、きゃをるはきゃをるらもん」

 幼くなってもシイはシイだった。首に手を回してしがみつくシイに、カヲルは心から感謝した。

 

「ねえシイさん。君は好きな人がいるかい?」

「みんなしゅき~」

「それは、僕も入ってるのかな?」

「うん」

「ふふ、ならシイさん。僕と結婚しようか」

 とんでもない爆弾発言をするカヲルに、発令所の空気がざわつく。だがシイには意味が分からなかったのか、きょとんと首を傾げるだけ。

「けっきょんっれな~に?」

「好きな人と、ずっと一緒に居ようって誓う事さ」

「うん。しい、きゃをるろけっきょんしゅ――」

 シイの言葉は最後まで発せられる事は無かった。何時の間にかカヲルに接近していたレイが、そっとシイの口元を押さえたからだ。

 レイはそのままカヲルからシイを奪い返すと、その身柄をマヤに預ける。そしてカヲルの襟首を掴むと、有無を言わせず発令所の外へと引きずって行った。

 

「渚……勇者だよな」

「ああなるって、分かっててもやる。俺たちに出来ない事を、な」

 学習能力が無いとは言わない。青葉と日向は、カヲルの姿に尊敬の念すら抱いていた。

「まや~。れいときゃをる、ろ~しらの?」

「ちょっとお話があるみたいなの。そうだシイちゃん、お菓子食べましょうか」

「うん。たべりゅ~」

 その直後、発令所の外から壮絶な破壊音が聞こえたが、お菓子に夢中なシイの耳には届かなかった。数分後に戻ってきたレイはシイに、カヲルは遠いところにお出かけしたとだけ伝え、二人揃って発令所を後にする。

 

 大好きなレイと一日中一緒に遊べたシイは、満足気な笑みを浮かべながら眠りに落ちるのだった。

 

 

 

「……気持ちは分かります。しかし母を求める娘の気持ちも、どうか分かって欲しい」

 ドイツ支部の会議室で、ゲンドウは居並ぶ支部職員を前に説得を続ける。会議が始まってから十数時間、既にサルベージ反対派は支部長一人となっていた。

「だが、万が一失敗した時はどうなる? 我々からキョウコ君を奪うつもりか」

「では貴方はツェッペリン博士に、今のまま一生を終えろと仰るのですか?」

 立場こそ総司令であったゲンドウの方が上だが、年齢は相手の方が上。ゲンドウはあえて威圧的には出ず、同じ目線で説得を行っていた。

「そうではない。もっと安全な方法が見つかるまで、待つのが得策では無いかと言っているのだ」

「問題の先延ばしに過ぎません。時間を掛けるほど状況は悪くなるのです」

 平和な世界にエヴァは必要無い。今後エヴァに関する予算は減る一方だろう。そうなればサルベージの研究は縮小されるだろうし、安全な方法が見つかる保証も無い。先延ばしのメリットはゼロに等しかった。

 

「支部長。もう覚悟を決める時では?」

「馬鹿な! 君はキョウコ君を失っても良いと言うのかね」

「自分達は……もう一度会いたいのです。あの惣流博士に……あの女神の様な微笑みが見たいのです」

 職員を代表して立ち上がった男の言葉に、会議室の面々は一斉に頷く。自分以外の全員がサルベージに賛成だと知り困惑する支部長に、ゲンドウが呟く。

「時計の針は元には戻せません。どれだけ悔やんでも、やり直しは出来ないのです」

「分かっている。だからもし失敗したら――」

「しかし、刻むのを止めてしまった時計の針を、再び刻ませる事は出来ます」

「…………」

「あの時から止まった彼女の時間。もう動かしてあげても良いのでは無いですか?」

 ゲンドウの言葉を聞いた支部長は、目を閉じて黙り込んでしまう。

 彼はまだ学生だったキョウコの才を見抜き、ゲヒルンに引き込んだ張本人。上司として、親代わりとして、ずっと面倒を見てきたのだ。サルベージを誰よりも望んでいるが、誰よりも失敗を恐れてもいる。

 

 長い沈黙の後、支部長はそっと目を開けた。

「……必ず成功させろとは言わん。ただ、全力を尽くしてくれ」

「勿論です。本部の総力をサルベージに注ぐ事を、お約束します」

「キョウコを……頼む」

 最後に零れた親代わりとしての言葉に、ゲンドウは力強く頷いて答えるのだった。 

 

 

 日付が変わってからホテルに戻ったゲンドウの顔を見て、ユイは説得の成功を確信する。

「お帰りなさい、あなた。上手くいったのね?」

「……ああ。結局は全員が、ツェッペリン博士のサルベージを望んでいたからな」

 ゲンドウはジャケットを脱ぐと、大きく息を吐きながら椅子に腰掛ける。大きな仕事を成し遂げた達成感と同時に、気が緩んだせいか疲労感までもが押し寄せてきた。

「今日はもう休んで下さい。日本へは明日発つのでしょう?」

「ああ。ツェッペリン博士の体調を見て、恐らく明日夕刻の出発になる」

「ならシイとレイのお土産を買う時間はありそうですわね」

「……長く家を空けてしまったからな。少し奮発するとしよう」

 遠く離れた日本で、自分達の帰りを待っているであろう娘達を思い浮かべ、ゲンドウは優しく笑う。他の人には決して見せない、ユイだけが知っているゲンドウの素顔だった。

「さああなた。お風呂は明日の朝にして、今日はもう休みましょう」

「ああ……そうさせて貰う」

 ユイに促されて寝室に移動し、ベッドに横になったゲンドウは、直ぐに深い眠りへと落ちていく。連日続いた会議に、本人が思っていた以上の疲労が溜まっていたのだろう。

「本当にお疲れ様、あなた」

 サングラスを外してあげると、ユイは愛おしげにゲンドウの頬を撫でるのだった。

 

 




フィルムブックを見て、改めてオペレーター席が高い位置にあるなと思いました。原作でナオコが落下した時には即死とあったので、実はシイも相当危険な状態でしたね。

ドイツ第二支部とキョウコに関する設定は、全て作者が妄想で捏造したものです。この小説では……とご理解頂ければありがたいです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《夢の終わり……?》

 

~帰って来ちゃいました~

 

 

 翌日もシイのネルフ本部散策は続いていた。今日はレイの他にカヲルも保護者役で同行している。レイにとっては不本意だったが、朝食の隙を突かれて直接シイに同行を許可されてしまっては、やむを得なかった。

「……大人しくしていて」

「勿論だよ。ただそれは僕よりも、お姫様に言うべきだと思うね」

「……言える訳が無い」

「まあ気持ちは分かるけど、本当に危ない時は厳しくするのも、優しさだと思うよ」

「……分かってるわ」

 先日の落下事故を指摘されてレイは表情を曇らせる。あれは保護者失格と言われても仕方が無いミス。もしカヲルが現れなかったらと想像すると、今でも背筋が凍り付く。

「れい、ろ~したの?」

「……いえ、何でも無いわ」

「れも、かなしそ~なかおしてりゅ。きゃをるがいじめらの?」

 カヲルは自分を責めるように見つめるシイに、参ったと両手を挙げて降参する。

「らめらよ。けんかしちゃら」

「ふふ、分かっているよ。僕とレイは仲良しさ。ねえ?」

「……そ、そうよ」

「えへへ~みんななきゃよし」

 右手をレイと、左手をカヲルと繋ぎ、シイは嬉しそうにはしゃぐ。その親子の様な光景に、通り過ぎていく職員達は優しい視線を向けるのだった。

 

 

 エヴァ弐号機が格納されている専用ケージでは、ナオコがサルベージの最終調整の指揮を執っていた。キョウコが搬送されたら直ぐにでも作業に取りかかれるように、調整は急ピッチで進められている。

 作業員がせわしなく動く現場に、シイ達が姿を見せた。

「あら、シイちゃん。それにレイさんと渚君も」

「……こんにちわ」

「ふふ、お邪魔するよ」

「おね~しゃん。こんにちわ」

 ナオコは作業の手を止めて、シイ達の元へと歩み寄る。忙しいはずなのだが、それをおくびにも出さない大人の対応に、レイとカヲルはそっと感謝した。

「お散歩かしら? でもここは面白い物なんか無いけど」

「うわぁ~、おっき~おかお」

 シイはケージに固定されている弐号機の顔を見上げると、キラキラと目を輝かせる。四つ目のエヴァ弐号機は、シイにとって興味が引かれるものだった。

「汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン弐号機。それが名前よ」

「はんよ~ひとぎゃた……うぅぅ」

「シイちゃんには少し難しかったかしらね」

 大人でも舌を噛みそうな正式名称に悪戦苦闘するシイを見て、ナオコは優しく頭を撫でながら微笑む。唯一の子育て経験者だけあって、子供の扱いは慣れた物だ。

 張り詰めていたケージの空気が、二人の姿にほんわか緩んでいった。

 

 

 あまり長居すると作業に邪魔になると判断したシイ達は、ナオコと別れてジオフロントに足を運んだ。地下とは思えない豊かな自然に、シイは大はしゃぎであちこち駆け回る。

「ずっと地下に居ては気が滅入るからね。たまには自然と触れ合うのも良いだろう」

「……そうね」

「きゃはは~、れい~、きゃをる~」

 グルグルと回りながら二人に呼びかけるシイ。だが草に足を取られてバランスを崩してしまい、思い切り前のめりに転んでしまった。

「……シイさん!」

「やれやれ、お転婆なお姫様だね」

 シイの元に駆け寄ると、レイはシイに手をさし伸べようとするが、カヲルがそれを止める。

「……何?」

「転んだのは柔らかい芝生の上。怪我はしてないよ」

「……それが何?」

「シイさん、自分で立ってみよう。君は強い子だよね?」

 レイの射貫くような視線を受けても、カヲルは表情を変えずにシイに自立を促す。大人は子供ではどうしようも無くなった時に、初めて手を貸す。何でも助けてしまっては成長は望めないのだ。

 それでも文句を言おうとするレイだったが、シイがゆっくりと立ち上がろうとする姿を見て口を閉ざす。芝生に手をついて、シイは傷みに耐えながら必死に身体を起こしていく。

「ら、らいじょ~ぶ。じぇんじぇん、いたきゅ……ないもん」

 目に涙を浮かべながらも、歯を食いしばって立ち上がるシイ。洋服は汚れてしまったが、カヲルの言った通り怪我は無いようだ。

「ふふ、良い子だね。ちゃんと我慢できて偉いよ」

「うん、しい……いいこらもん」

 カヲルは服に付いた芝生や汚れを払うと、一番の笑顔でシイの頭を撫でる。それは無条件に愛を注ぐ母親とは違う、厳しくも優しい父親の姿なのかも知れない。

 

「ははは、渚君はすっかりシイさんの父親だな」

「……加持監査官」

「三人とも。今日は散歩かい?」

 口に咥えていた煙草を携帯灰皿に押し込めると、加持はシイ達の元へ近づいてくる。ズボンの裾に土がついており、彼が今まで畑作業をしていた事を伺わせた。

「そんな所です。貴方は畑の?」

「ああ。最近はようやく時間が取れるようになったからな」

 三重スパイから解放され、純粋にネルフの特殊監査部主席監査官として働いている加持。それでも他の職員よりは仕事量も多いのだが、優秀な彼にとっては以前よりも楽になったと言う印象だった。

「かじしゃん、こんにちわ」

「や、シイさん」

 加持に駆け寄ったシイは、何かに気づいて足を止める。そして不思議そうに加持のズボンに手を伸ばし、土と共にくっついていた緑のツタをつまみ取る。

「こりぇな~に?」

「ん、ああ。そいつはスイカのツタだな」

「しゅいか?」

「興味があるなら、見てみるかい?」

「うん、みりゅ」

 シイは好奇心に瞳を光らせ、加持の後に続いていった。

 

「これがスイカだよ」

「ふぁ~しゅごい……」

 初めて目にするスイカにシイは感激する。加持のスイカ畑は決して広くは無いが、手入れは十分行き届いており、レイとカヲルの目から見ても立派な代物であった。

「へぇ。前にシイさんが手入れをしていたのを見たけど、なかなか立派じゃないか」

「……これがスイカ」

「はは、ありがとう」

 誰かに見せるためにやっている訳では無いが、それでも趣味を褒められて悪い気はしない。カヲルの賛辞に加持は少し照れくさそうに頭を掻いた。

「随分大きくなってるけど、もう食べられるのかい?」

「ああ。収穫したら君達にもお裾分けするよ」

「きゃをる、これたべられりゅの?」

「ふふ、食べられるよ。スイカと言ってね、とっても甘い果物なんだ」

 スイカは夏を代表する果物の一つだ。と言っても四季が失われて一年中夏の気候となった日本では、通年食べられているのだが。

「何なら食べてみるかい? 食堂に持っていけば切り分けてくれ――」

「がぶり」

 加持が言い終わる前に、シイは畑に生えているスイカにかぶりついた。予想外の行動にカヲルもレイも、加持ですら呆然として言葉を失う。

「うぅぅ、あまくにゃい……きゃをるうそちゅいた」

「い、いや、流石にそれは予想してなかったよ」

 泣きそうな顔で訴えかけるシイに、カヲルは動揺を隠しきれない。嘘はついていないのだが、シイの主観では自分は嘘つきになるだろう。意思疎通の難しさを改めて思い知らされた。

 

 

 その後、加持は幾つかのスイカを収穫して食堂へと運び込んだ。食堂スタッフは快く切り分けてくれ、テーブルには大皿数枚分のスイカが並べられる。

 流石に四人では食べきれないと、手の空いていた職員に声をかけ、冬月達がスイカとシイ目当てで食堂へ続々と集結してきた。

「ほぅ、これはなかなか見事なスイカだな」

「あんたの趣味も役立つ事があったのね」

「そいつは酷いな」

 ミサトと加持のやりとりに、集まった面々はスイカを堪能しながら笑う。ちょっとした休憩だったが、楽しい一時であった。

「……どう? シイさん」

「うん、しゅごいおいし~。あまきゅて、しゃきゅしゃきゅしてりゅ」

「……そう、良かったわね」

 顔中に汁と種をつけて笑うシイに、職員達は癒やされる。

「いや、これは本当に美味しいですね。どうです加持さん、もっと生産量を増やしてみては?」

「おいおい勘弁してくれ。趣味が本業よりも忙しくなっちまうさ」

「あら、良いんじゃ無いリョウちゃん。こっちを本業にしてしまえば」

「りっちゃんは相変わらずきついな。これでも最近は真面目に働いてるんだぜ」

 友人からの突っ込みに、加持は苦笑して答える。以前のように危険な仕事は無くなったが、主席監査官の彼は情報の開示や規制で八面六臂の活躍を見せていたのだから。

 

 楽しく談笑する面々。その中でレイは、シイがもじもじと落ち着き無く身体を揺すっている事に気づく。

「……シイさん、どうしたの?」

「うぅぅ、といれ」

 スイカは水分とカリウムが多い。沢山食べれば、それだけ身体に水分が溜まってしまう。身体の小さいシイにはそれが顕著なのだろう。

「……行きましょう。我慢できる?」

「うぅぅ、がんばりゅ」

 シイに手を引かれて、シイは食堂から出て行った。

 

 それから一分も経たずに再び食堂のドアが開かれる。シイが戻って来たにしては余りに早い。休憩しに来た職員課と、食堂の面々は入り口へと視線を向けて……全員がそのまま固まった。

 あり得ない人物が、そこに居たのだから。

「……今戻ったぞ」

「あらあら、みんなでスイカを食べていたのですか?」

「ちょっと~。あたしの分もちゃんとあるんでしょうね?」

 碇ゲンドウ、碇ユイ、惣流・アスカ・ラングレー。スケジュール通りなら今この時、まだドイツに居るはずの三人の登場に、一同はあんぐりと口を開けたまま言葉を発せない。

 そんな冬月達のリアクションを、自分達が帰ってきた事への喜びと判断し、ゲンドウは苦笑する。

「ふっ、そんなに感激されると、流石に照れてしまうな」

「い、碇……もう戻ってきたのか?」

「ああ。仕事が順調に終わったからな。無論、ツェッペリン博士もお連れした」

 ゲンドウの言葉は、もう冬月の耳に届いてはいなかった。予定よりも早い帰還。それは普段なら歓迎するところだが、今に限っては最悪の事態と言える。

「そそそ、そうか……無事で何よりだ」

「どうした冬月。身体が震えているぞ?」

「は、ははは、歳のせいかな。スイカで身体が冷えてしまったようだ」

 それが嘘であることは、三人以外の全員が分かっている。だが誰もそれを指摘しない。冬月の気持ちが痛いほど分かるから。

「あれ? シイとレイは何処に居るのよ」

「!!??」

 核心を突くアスカの言葉に、冬月の心臓が跳ね上がる。だが彼も伊達に副司令を務めては居ない。動揺を抑えながら、頭をフル回転させて言い訳を考える。

「きょ、今日は平日だからね。二人とも学校に行っているよ」

「あ~そっか。なんか曜日感覚狂っちゃってるのよね」

「渚君はサボりなのかしら?」

「自主休校、ですよ」

 ユイの突っ込みにも、カヲルは表情を変えずに答える。元々真面目な学生として認識されていない事もあって、ゲンドウ達は誰もカヲルの言葉を疑わなかった。

 

(まだだ、まだいける。シイ君の姿さえ見られなければ、誤魔化せる)

(で、ですが副司令。もうすぐ戻ってきてしまいます)

(私が席を外して、レイに事情を説明しよう)

「あ~済まないがちょっとトイレに……」

「……戻りました」

「たらいま~」

 冬月が席を立とうとした瞬間、最悪のタイミングでレイとシイが、食堂へ戻ってきてしまった。

 

「レイ? 学校に行っていた筈では……っっっ!?」

 ゲンドウは視線を食堂の入り口へと向けて、驚愕の表情を浮かべる。レイと手を繋いで立っている少女の姿は、幼き日のシイにそっくりだったからだ。

「あんたもサボり? てか、その子誰よ?」

 アスカは訝しむ様にシイを見つめるが、次第に表情を強張らせていく。目の前の小さな少女からは、シイの面影がハッキリと見えてしまったのだから。

「まさか……あんた……シイ……なの?」

「うん。おかえり~あしゅか。おか~しゃん、おと~しゃん」

 シイはレイから離れると、トテトテとユイ達の元へと駆け寄る。そんな彼女を優しく抱き上げると、ユイは慈しむようにそっと頭を撫でる。

「ただいま、シイ」

「えへへ~」

 母親の温もりに包まれ、シイは幸せそうに笑う。そのまま暫くユイが頭をなで続けていると、シイは穏やかな寝息を立てて眠りへと落ちていった。

 

 

「さて、冬月先生」

「!?」

「色々とお聞きしたい事があるのですけど」

 微笑みながら冬月に語りかけるユイ。だがその目は笑っておらず、冬月はただ身体を震わせる事しか出来ない。

「……そうだな。私も聞きたい事がある」

「うふふ、ちょっと場所を変えましょうか」

「ま、待ちたまえ。これには深い事情があってだな」

 必死で弁解する冬月に、アスカが呆れ顔で騒動の原因を予測する。

「ど~せまた、リツコが実験でもミスったんでしょ?」

「そんなこと無いわ。今回は偶然の事故で……あっ」

 慌てて手で口を塞ぐリツコだったが、失言が消える事は無い。ユイは笑顔のままリツコにも同行を促す。

 

「……邪魔をしたな。君達は休憩を続けてくれ」

「では皆さん、ごきげんよう」

 ゲンドウとユイに連れられて、食堂から消えていく冬月とリツコ。この後二人の身に何が起こるのか、想像するに難くない。

 一同は両手を合わせて、せめて二人と再び会える事を祈るのだった。

 




碇夫妻不在シリーズ、ようやく完結です。これで後日談の主目的の一つ、キョウコのサルベージも行えそうです。
シイがまだ元に戻っていませんが……何とかなるでしょう。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《碇家の夜》

 

~前夜~

 

 惣流・キョウコ・ツェッペリン博士。赤木ナオコ、碇ユイと並ぶ女性科学者にして、ゲヒルン時代には共に研究に励んだ、今のネルフを築いた功労者とも言える存在だ。

 ウエーブのかかった金髪と、年齢を感じさせない若々しい顔立ちは、安らかな寝息を立てていなければ、人形と勘違いしてしまう程美しかった。

 そんな彼女をナオコは、病室の窓から複雑な表情で見つめている。

「久しぶりね、キョウコさん」

 声も聞こえていない為、当然返事は無い。だがナオコは構わずに声をかけ続けた。

「明日、貴方のサルベージをするわ。担当は私だから、大船に乗ったつもりでいてね」

 長距離を移動してきた肉体疲労を考慮して、キョウコのサルベージは翌日行われる事になっていた。既に弐号機とMAGIの準備は整っており、時が来るのを待つだけだ。

「貴方に会えるのを待っている人がいる。貴方が会えるのを待っていた人がいる」

 アスカにとって最愛の母。キョウコにとって最愛の娘。この親子を再び向かい合わせる事が、自分の最後の大仕事だとナオコは考えていた。

「……じゃあ行くわ。次に会う時は、貴方から声を掛けてよね」

 ナオコは眠り続けるキョウコに背を向けて、静かに病室から離れていった。

 

 

 我が家に戻ったゲンドウ達は、荷ほどきもそこそこにして掃除を行っていた。数日とは言え放置されていた家の中は、ぱっと見では分からない程度だが確実に汚れている。

 本格的な掃除は後日行う事になったが、ユイが夕食の支度をしている間に、ゲンドウとレイが簡単に掃除をしているのだが。

「ほらあなた、テキパキ動いて下さい」

「あ、ああ」

「……司令。雑巾はちゃんと絞って下さい」

「む、すまない」

 妻と娘から容赦ない駄目出しを受けながら、ゲンドウは床を雑巾で磨く。ネルフの司令に雑巾がけをさせる二人に、アスカは苦笑するしか無かった。

 ドイツに同行していた彼女は、ゲンドウの頼りがいのある姿を見てきた。ゲンドウとユイのやり取りを盗み聞きして、二人の間に強い絆があるのを確認した。

 だからこそ、今目の前に広がっている光景が、ゲンドウには悪いが面白く見えてしまう。

「司令もレイとユイお姉さんの前には形無しね」

「えへへ~あしゅか~」

 家人がせわしなく動く中、アスカはリビングでシイの相手を任されていた。座るアスカの身体に、シイは甘えるように身体をすり寄せる。

 酔っ払ったシイとはまた違う無邪気さに、アスカは困惑しきっていた。

「あんた、ホントに子供になっちゃったのね」

「ん~? な~に?」

「何でも無いわ」

 事情を聞いても、まだアスカは何処か信じ切れないところがあった。人が若返るなど、これまでどんな天才だって成し遂げられなかった奇跡。

 あのリツコの才能と、その無駄遣いにアスカは小さくため息をつく。

 

「ま、あんたの場合は、小さくなってもあんま変わんないか」

「ん~」

「甘えん坊で寂しがり屋で、ホント猫みたいね」

 理性による歯止めがない分、今のシイは欲望に素直だ。人との繋がりを求める気持ちが、こうした行動に結びついているのだろう。

(あたしもこんな風にママに……)

 翌日に控えているサルベージを意識して、アスカは表情を曇らせる。その変化を察したのか、シイはすっと立ち上がるとアスカの頭を不器用に撫でた。

「いいこいいこ~」

「……あんた、何してんの?」

「あしゅか、かなしそ~にしてりゅ。こ~すれら、げんきになりゅの」

「……馬鹿」

 アスカは嬉しそうに呟くと、シイの小さな身体を抱きしめる。胸に大きな温もりを与えてくれた、この小さな少女に感謝を込めて。

 

 遅い時間と言う事もあり、アスカも一緒に夕食をごちそうになる事にした。五人で囲む食卓は、久しぶりに碇家のリビングを明るくさせる。

「事情は全てあの二人から聞いた。大変だった様だな」

「レイ、シイの面倒を見てくれてありがとうね」

「……いえ、問題ありませんでした」

 久しぶりに食べるユイの料理を味わいながら、レイは無表情で答える。この数日は確かに大忙しだったが、幼いシイと過ごしていて、少なからず自分も楽しいと感じていた。

 大変、と言う言葉は当てはまらないだろう。

「にしても、リツコって凄いんだか間抜けなんだか、よく分からないわ」

「優秀な科学者には間違い無いわね。ただ、ちょっと問題があるけども」

「君がそれを言うのか……い、いや、何でも無い」

 ユイにニッコリと微笑まれ、ゲンドウは慌てて発言を撤回する。冬月とリツコのあの姿を見た今、ユイを怒らせる事の愚を、十分過ぎる程理解していた。

「おか~しゃん、わるいこらの?」

「うふふ、シイは悪いお母さんは嫌い?」

「ううん、おか~しゃん、らいしゅき」

「あ~も~シイったら、どうしてそんなに可愛いのかしら」

 シイをギュッと抱きしめて頬ずりをするユイ。今のシイは丁度、彼女が初号機に取り込まれた時の年齢に近い。失われた時を取り戻すかの様に、ユイはシイを離そうとはしなかった。

 

「……ドイツはどうでしたか?」

「ああ。全て順調に片付いた」

 実際は長時間の会議を連日続け、決して順調とは言えなかったが、ゲンドウはそれを伝えない。親の苦労を子供は知る必要は無いと思ったからだ。

「……そうですか」

「ね~おと~しゃん。どいちゅってろこ? と~い~の?」

「ああ。ドイツはヨーロッパ……遠い所にある。飛行機でお空の上を飛んで行くのだ」

 ゲンドウの説明にシイは目をキラキラと輝かせる。

「い~な~。しいも~。しいもどいちゅいく~」

「うふふ。今度は家族揃って、旅行しに行きましょうね」

「あしゅかも。あしゅかもいっしょ」

 隣に座るアスカの服を、シイはグイグイと引っ張ってユイにアピールする。彼女の中では、アスカも家族と並んで大切な人なのだと理解し、ユイは笑顔で頷いた。

「……良かったわね」

「べ、別に。まあシイがどうしてもって言うなら、付き合ってやっても良いけど」

「……顔、赤いわよ」

「うっさいわね。これは……そう、暑いからよ。向こうは涼しかったから」

 レイの突っ込みにアスカは顔を真っ赤にしながら反論する。流石にユイの前で取っ組み合いこそしないが、この二人の関係は変わることは無かった。

「確かにドイツは過ごしやすい気候だったな」

「そうですわね。あら、忘れていたわ。シイとレイにお土産を買って来たのよ」

 ドイツの街を三人で歩いた事を思い出し、ユイはポンと手を打って告げた。

「……お土産ですか?」

「ふっ。ドイツならではの物を買い込んできた」

「お食事が終わったら見せてあげるわ」

「わ~い」

 よく分からずに喜ぶシイに、一同は苦笑するのだった。

 

 

 夕食後、リビングに移動したシイ達の前に、ゲンドウが大きなトランクをドンと置く。

「……司令。この中は全部お土産ですか?」

「ああ。これでも大分減らした方だ」

「あなたったら、珍しい物を全部買おうとするんですもの」

「ユイお姉さんもそうだった……い、いえ、何でも無いです」

 買い物の時に何かあったのか、アスカはユイの笑顔に慌てて両手を振る。レイは不思議そうにゲンドウへ視線を向けるが、ゲンドウが何とも言えない表情で小さく頷くのを見て納得した。

 きっと何かがあったのだと。

 

「ふっ、まずはこれだ!」

「うゎ~、おっき~くましゃん」

 ゲンドウが自慢げにトランクから取り出したのは、熊のぬいぐるみ、テディベアだった。愛くるしいその姿に、シイは目をキラキラさせて食い入るように見つめる。

「これはシイにだ。どうだ、気に入ったか?」

「うん、ありらと~おと~しゃん」

「む、むぅ。ふ、ふふふ」

 テディベアを抱きしめたシイから、頬へキスをされてゲンドウはだらしなく鼻の下を伸ばす。娘にデレデレの姿に三人は呆れつつも、気持ちは分かると内心彼に同意していた。

「そして、これはレイによ」

「……私に?」

「ええ、シイとお揃いなの」

「あんたの部屋って、全く飾り気が無いでしょ。これを飾るだけでも、ちっとはマシになるってもんよ」

 レイはユイから渡されたテディベアを戸惑いながら見つめる。今までにこうしたぬいぐるみなどの小物を、買ったことも貰ったことも無い彼女は、どうして良いか困ってしまう。

「そのこ、このこのおね~しゃん?」

「うふふ、そうよ。レイの熊さんは、シイの熊さんのお姉さんなの」

「はりめらして、よろしくね」

 シイは嬉しそうにレイのテディベアに、自分のテディベアを近づけて挨拶をさせる。

「……ええ、よろしくね」

 レイは小さく笑みを浮かべながら、二つのテディベアをくっつけた。

 

 

 ゲンドウのトランクからは、まるでディラックの海に繋がっているのかと疑うほど、次から次へとお土産が取り出されていく。

 アクセサリーなどの小物類、可愛らしい衣服類、そして大量のお菓子。リビングの机に積み上がっていくお土産の量は、明らかにトランクの体積を上回っていた。

「おと~しゃんすぎょい。まほ~つかいみらい」

「そ、そうか……ふふふ」

 手品のような光景に興奮するシイに、ゲンドウは得意げな笑みを浮かべる。

「因みに詰めたのはユイお姉さんだけどね」

「……ちらっ」

「荷物の収納にはコツがあるのよ。今度教えてあげるわ」

 テクニックで済むレベルでは無かったが、微笑むユイに誰も突っ込むことは出来なかった。

 

「こりぇな~に?」

「……ああ、それはバームクーヘンというお菓子だ」

「びゃ~みゅきゅ~ひぇん?」

 大きな輪っか状の菓子にシイは興味が引かれたようだ。袋に入ったそれを、つんつんと指で突きながら不思議そうに見つめている。

「……バームクーヘンは、ドイツの甘い焼き菓子だったと思うわ」

「ちっちっち。発音が違うわ。バウムクーヘンよ」

「Baumkuchenね」

 レイの発音を訂正するアスカだったが、ユイの発音はアスカのそれよりも遙かに流暢なものだった。自慢げに立てた人差し指が寂しげに震える。

「おか~しゃん、きゃっこい~。がいこくのひとみりゃい」

「……そこに本物の外人が居るわ」

「……ぐすん」

 プライドを砕かれたアスカは、そっと立ち上がるとリビングの隅で体育座りしていじけてしまった。

 

 

「あと、これはシイにお土産だったんだけど……今は渡せないわね」

「そうだな。流石に危険だろう」

「……何ですか?」

「これなんだけどね」

 ユイはトランクの底から、見事な輝きを放つ包丁を取り出した。

「前からシイが新しい包丁が欲しいって言ってたから、買ってきたのだけど」

「……今は危険ですね」

「ああ。まあこれはシイが元に戻った時に、お祝いとして渡せば良いだろう」

 三人はいじけるアスカを慰めるシイに視線を向けて、軽く頷き合った。

「それにしても良い包丁よね。そう思わない、あなた?」

「私には分からんが……」

「……すいません、私にも」

「あら残念ね。こんなに良く斬れそうなのに」

 ユイはうっとりするように包丁を眺める。蛍光灯の明かりを受けた包丁が怪しい光を放ち、それがユイの顔を照らす。

((こ、怖い……))

 笑顔のユイと包丁のコンビネーションに、ゲンドウとレイは真剣に怯えるのだった。

 

 

 子供達三人が寝付いた後、ゲンドウとユイはリビングで夫婦の時間を過ごしていた。ゲンドウはドイツのワインを、ユイはジュースを飲みながら、久々の我が家でリラックスする。

「……赤木君にも困ったものだ」

「うふふ、でも凄いと思いません? 若返りの薬なんて、人類にとっては未知の発明ですもの」

 自分もナオコやキョウコと並んで、天才と称された科学者だからこそ、ユイにはリツコの凄さが分かる。例え偶然の産物だとしても、リツコは人類の限界を超えて見せたのだから。

「ツェッペリン博士を……キョウコ君を思い出すよ」

「ですわね。あの子も突拍子の無い事をしでかすタイプでしたから」

 ゲンドウとユイは、大学時代に知り合った友人を思い浮かべる。眠り姫の彼女では無く、純真無垢の笑顔を振りまく金髪の女神を。

 二人は女神の復活を願いつつ、明日に向けて眠りにつくのだった。

 




妙な方向へ進んで居た話を戻す為、ワンクッション入れてみました。
キョウコがサルベージされれば、主要人物は全て揃います。終わりも近いこの時期の参戦ですが、最強のジョーカーにご期待下さい。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《二歩目》

~蘇る女神~

 

 ゲンドウ達が帰還した翌日、ネルフ本部ではキョウコのサルベージ準備が着々と進められていた。既にスタンバイ出来ている弐号機へ、被験者であるキョウコが搭乗する。

 精神的に不安定な彼女には、パニックを防ぐ為に睡眠薬が事前に投与された。その為キョウコは眠った状態で、エントリープラグのインテリアに座る事になる。

 アスカやシイ達、発令所に集まった全員が固唾をのんで見守る中、サルベージは開始された。

 

「全探査針打ち込み完了」

「弐号機、搭乗者、共に異常なし」

「システムは全てMAGIの管轄下に入りました」

「了解。では、サルベージスタート」

 ナオコの号令と共にスタッフ達が作業を開始する。基本的なプロセスはユイの時と同じ。ただ今回は説得を必要としない。キョウコの魂は弐号機と身体に分離しているので、そもそも対話自体が不可能だった。

「別れた魂は、自然と一つに戻ろうとする筈よ」

「でもそれじゃ、弐号機に残った魂に、ママの魂が引っ張られる事もあるって事?」

「リビドーが高まれば身体で、デストルドーが高まれば弐号機で、魂が融合するでしょうね」

 アスカの疑問にナオコはさらっと答える。

「ちょっと――」

「勿論対策は立ててあるわ。今回はキョウコさんの魂に接触すると同時に、徹底的にリビドーを高めるイメージを流し込む手はずになっているから」

「何なのよそれ?」

「……見てのお楽しみよ」

 疑惑の視線を向けるアスカに、ナオコは悪戯っ子の様に笑った。

 

 

「サルベージ、サードステージまでクリア」

「確認。最終ステージに移行」

「弐号機との接触を開始します」

「現在までに拒絶反応はありません」

 一度同じ作業を経験している為、スタッフ達は手際よく仕事をこなす。ナオコは優秀なスタッフ達に、頼もしげな視線を向けるのだった。

「双方向回線の疑似解放開始」

「……接続を確認」

「赤木博士、そろそろアレを」

「ええ。では弐号機にデータを流し込んで」

「了解」

 ナオコの指示に従って、マヤは端末を操作して弐号機にイメージデータを送り込む。それは発令所の主モニターにも映し出され、

「な、何よこれぇぇぇ!?」

 それを見たアスカは顔を真っ赤にして絶叫した。

 

 巨大なメインモニターには、アスカの映像が次々に映し出されていく。赤ん坊の時から来日するまで、アスカの成長記録とも言える秘蔵映像が惜しげも無く放出されていった。

「いやぁぁぁ、なんでぇぇ!?」

「キョウコさんにとって、貴方の存在そのものがリビドーの源なのよ」

 したり顔でナオコが説明する間にも、モニターは秘蔵映像を映し続けている。最初は驚いていた一同だったが、可愛らしいアスカの映像に思わず和んでしまった。

「ほぉ~、惣流にもこない時があったんやな」

「ふふ、この頃は可愛げがあったのにね」

「あんた達うっさいわよ!」

「あしゅかがいっぱ~い。かわい~」

「……そうね。ぷっ」

「あ、あんた今笑ったでしょ」

 自分の昔の姿を見られるのは、想像を絶する恥ずかしさなのだろう。アスカは顔を真っ赤にしながら、にやけるチルドレン達に噛みつく。

「はっはっは、何とも仲の良い親子じゃないですか」

「ああ。アスカはキョウコさんに似て美人になるな」

「ふふ~ん、アスカって甘えん坊だったのね。あんなにキョウコさんにべったりで」

「あ~も~見るなぁぁ!」

 手をばたばたさせるアスカには、普段とは違う子供らしい魅力があった。

 

「大体、こんなのどっから持ってきたのよ!」

「ふっ、問題無い」

「可愛いわよ、アスカちゃん」

「し、司令、ユイお姉さん……まさか」

 アスカの脳裏に嫌な想像が浮かぶ。

「見事な仕事だ、ユイ。ご苦労だったな」

「ふふ、どういたしまして。これだけのデータを集めるのには、流石に骨が折れましたけど」

 仕事をやり遂げたと、満足げな顔を浮かべるゲンドウとユイを見て、アスカはデータ流出の犯人を知る。ゲンドウが会議している間、ユイも何かの仕事をしていると聞いていたが、それは結局教えて貰えなかった。

 だが今この時、ユイがアスカの親戚を訪ね回り、ネルフドイツ支部に保管されていたデータを掘り起こし、アスカ自身も初めて見るデータの数々を集めていたのだと理解した。

「ユイさん。ご協力ありがとう」

「いえ、全てはキョウコのサルベージを成功させる為ですもの。効果はどうですか?」

「完璧だわ。凄い勢いでリビドーが上昇してるもの」

 流し込まれていったアスカの映像は、キョウコの魂を確実に刺激した。リビドー計測の折れ線グラフは急上昇のカーブを描き、あっさりとサルベージ成功ラインへと到達していた。

 

「リビドー、更に上昇」

「境界ラインを突破しました。状況フリー」

「双方向回線を閉鎖。魂の定着作業へ移行しなさい」

「了解」

 弐号機に宿っていたキョウコの魂は、現世へと引っ張り出された。やがて魂はキョウコの身体へと、本来有るべき場所へと戻るのだった。

 

 

 ネルフ中央病院の病室で、穏やかな寝顔を見せるキョウコ。サルベージ後の精密検査でも異常は見つからず、後は目覚めを待つだけとなっていた。

 その時は母子二人だけにしてあげたいと、ベッドサイドにアスカを残して一同は、病院を離れて本部の食堂へと集まる。軽い食事と飲み物を口にしながら、全員が仕事を終えた達成感を味わっていた。

 そんな中、不意にシイが苦しそうな顔を見せる。

「う~うぅ~」

「……シイさん、どうしたの?」

「くりゅし~の~」

 シイは胸を押さえながら、レイに訴えかける様な視線を向ける。その顔には大粒の汗が浮き出ており、体調不良なのは一目瞭然だった。

「シイ!」

「大変だわ。直ぐに病院に連れて行かないと……」

 駆け寄る碇夫妻は娘の異変に顔が青ざめる。それは他のスタッフも同様で、心配そうにシイへと駆け寄った。

「呼吸が荒いわね……それに大量の発汗……っっ、凄い熱だわ」

「きゅ、救急車を呼ばなきゃ!」

「落ち着け葛城。病院なら目と鼻の先だ」

「直接連れて行った方が早いでしょうな」

「シイ、辛いんか? なんか欲しいもんはあるか?」

 トウジの呼びかけにも、シイは口をぱくぱくさせるだけで言葉を返せない。熱で潤んだ瞳が、何かを訴えかける様に宙を彷徨う。

 娘の危機にゲンドウは、シイの小さな身体を思い切り抱きしめる。

「シイ! 私が今病院へ連れて行ってやる!」

「……あ~……う~……」

「……碇です。今から急患を連れて行くので、大至急ドクターを。……私は大至急と言ったのよ」

 ゲンドウがシイを胸に抱く間に、ユイは電話を片手に病院へ連絡を入れる。ピクリと頬を引きつらせて、不機嫌そうに電話の向こうへ凄むユイの姿に、一同は背筋が凍る思いだった。

「……最初からそう言えば良いの。では後ほど。……あなた、ドクターが快く治療を引き受けてくれたわ」

「そ、そうか……」

「さあ行きましょう。シイ、もう少しだけ頑張ってね」

 力なくだらんと垂れ下がったシイの手を、ユイは両手で優しく握りしめて励すと、ゲンドウと共にシイを連れて病院へと駆けだしていった。

 

 

「……シイさん」

「ふふ、みんな大げさだね」

「随分と余裕やな、渚。お前なんか、一番に騒ぎそうなもんやけど」

 動揺しきりの一同の中で、一人冷静なカヲルにトウジが突っ込む。常日頃からシイに過剰な愛を注ぐカヲルにしては、妙に落ち着いていると不思議でならない。

「まあ、シイさんの身体に何が起こっているのか、大体の予想はついているからね」

「……どう言う事?」

「彼女が飲んだ薬は遅くとも、四日以内に効果が切れると言っていただろ?」

 カヲルの言葉に、会議に出席していた面々はハッと表情を変える。シイが薬を飲んでから色々あったせいで忘れていたが、今日で丁度四日。だとすれば……。

「じゃあシイちゃんが苦しんでたのは」

「身体が元に戻ろうとすれば、相当の負荷が掛かるだろうからね。それに」

「……それに?」

「ふふ、幾ら小柄な彼女でも、子供服は窮屈だろうから」

 カヲルがクスッと笑いながら告げた瞬間、食堂に居たスタッフ達の目に怪しい輝きが宿った。あのまま身体が大きくなれば、当然今身に纏っている服は……破ける。

 そしてそれを、ゲンドウとユイはまだ気づいては居ない。千載一遇のチャンスだった。

「「シイちゃん!!」」

 先陣を切ったのはマヤとナオコ。それを青葉と日向が同時に追い、時田とその他スタッフ達が続く。風の様に駆け抜けていった彼らを、残った面々は呆れた様子で見送った。

 

「はぁ~。相変わらず馬鹿ばっかね」

「それだけみんな、シイさんを愛してるって事さ。まあ、ちょいと行き過ぎな気もするがね」

 呆れるアスカに加持がフォローを入れる。シイが愛されているのは間違い無いだろう。ただその方向性が、少し間違っている気もするが。

「レイと渚は行かんのか?」

「……私が居なくても問題無いから」

「ふふ、僕も遠慮しておくよ。まだ殲滅されたく無いからね」

 何かを予測している二人の言葉に、トウジは首を傾げる。だがそれを問い返す必要も無く、彼はカヲルが参戦しなかった理由を直ぐに理解することになった。

 廊下から聞こえてきたのは、驚き戸惑うゲンドウの声と、スタッフ達が上げる歓喜の雄叫び。そして何かを殴打する破壊音と……断末魔の悲鳴。

「……シイちゃん、戻ったみたいね」

「だな」

 見るまでも無く、今廊下で何が行われているのかが、手に取るように分かった。

「ま~一件落着やな」

「……そうね」

「ふふ、母は強し、かな」

 なおも続く破壊音と悲鳴を聞きながら、カヲル達は全てが終わった事を理解するのだった。

 




長々と引っ張ってしまいましたが、ようやくキョウコのサルベージが終了しました。そのお陰で、後日談も何とか二歩目を踏み出すことが出来ました。

まだまだやり残しが沢山あるので、完結までは少々長い道のりになりそうです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※キャラクター間違いを修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《少女の目覚め、そして》

 

~復活のシイ~

 

 朝、シイが目覚めるとそこは自分の部屋では無く、何故か病室だった。ぼやけた頭を起こそうとするが、霧に包まれたように記憶がハッキリとしない。

(あれ? 私なんで病院に? 確かリツコさんの部屋に居たはずなのに……)

 記憶はリツコの部屋で薬を貰ったところで途切れている。全身に妙な気怠さが残っているが、以前入院した時と違って怪我はしていないようだ。

(転んで頭を打ったのかな?)

 シイは自分の頭を恐る恐る触ってみるが、たんこぶは出来ていない。痛みも感じないので、頭を打った可能性は低いと言える。

 ならば一体何故ここに居るのか。シイが考え込んでいると、不意に病室のドアが開いた。

「レイさん?」

「……おはよう、シイさん」

 病室に入ってきたレイは、挨拶もそこそこにシイの元に近寄って、じっとシイを見つめる。まるで何かを確かめるような視線に、妙な気恥ずかしさを感じてしまう。

「あ、あの、レイさん。私に何かついてるのかな?」

「……いえ。もう大丈夫みたいね」

「??」

「……覚えていないの?」

 少し驚いた様子で尋ねるレイにシイは小さく頷く。どうやらレイは、自分が何故ここに居るのか、何が起こったのかを知っているらしい。

「ねえレイさん。私、一体どうしたの? リツコさんの部屋に居た所までは、覚えてるんだけど」

「……落ち着いて聞いて。貴方は――」

 レイは前置きをしてから、シイに全ての事情を語った。

 

「うぅぅ、恥ずかしい……」

「……貴方が気にする事では無いわ」

 記憶に無いとは言え、自分の行動がどれだけ周囲に迷惑を掛けたのか。シイは顔を真っ赤にして、ベッドの上で縮こまる。

「……全ては赤木博士の責任よ。貴方に非は無いもの」

「だけど」

「……それに、とても可愛らしかったわ」

「っっ~~」

 ストレートに感想を言われたシイは、恥ずかしさのあまり布団を頭から被って小さく丸まってしまった。

 

 

 どうにか落ち着いたシイは、レイが持ってきてくれた制服に着替えると、ネルフ本部へ向かう。話を聞く限りでは、多方面に迷惑をかけてしまったようなので、その謝罪をしなければと考えたからだ。

 まず二人がやってきたのは司令室だった。

「失礼します。お父さん居ますか?」

「……失礼します」

「むっ、シイか。身体はもう良いのか?」

 シイとレイの姿を認めると、ゲンドウは仕事の手を止めて声を掛ける。そんな父親の姿に、相当心配をかけてしまったのだろうとシイは申し訳無く思う。

「うん。もう大丈夫だよ」

「そうか……ならば良い」

「その、あの、心配かけてごめんなしゃい」

「「!!??」」

 頭を下げながら謝るシイだったが、ゲンドウとレイは目を見開いて固まる。

「し、シイ。まだ完全に戻っていないのか?」

「え? どうして?」

「……今、ごめんなしゃいって」

「あっ、うぅぅ」

 幼い身体で数日過ごした為か、自分ではちゃんと言ったつもりなのだが、子供言葉になっていたらしい。指摘されたシイは、恥ずかしさに顔を真っ赤にして俯いてしまう。

「ま、まあ気にする事もあるまい。いや、寧ろ良い。そうだな、レイ?」

「……はい。何も問題ありません」

「え?」

「ごほん、何でも無い。とにかくお前が無事元に戻ったのなら、全てはそれで良い」

 強引に話をまとめてしまったゲンドウに、シイは不思議そうな視線を向ける。妙な空気を察したレイは、司令室からの退室を選択した。

「……シイさん、司令は仕事があるみたいよ」

「あ、そうだよね。ごめんねお父さん。邪魔をしちゃって」

「問題無い」

 気を遣う娘にゲンドウは心配無用と頷く。

「……では司令、失礼します」

「ああ」

 レイに促されてシイは司令室のドアへと向かい、ふと足を止めてゲンドウへ向き直る。

「……その、お父さん」

「何だ?」

「えっと、遅くなっちゃったけど……お帰りなさい」

 ニコッと笑うシイに、ゲンドウは胸を射貫かれたような衝撃を受けたが、強靱な精神力でそれを押さえ込む。

「あ、ああ……ただいま」

「えへへ。じゃあ、またね」

 司令室を退室するシイを見送るゲンドウはニヤけた顔で惚けて、暫く仕事が手につかなかった。

 

 

 続いて二人が向かったのは発令所だった。

「こんにちは」

「「し、シイちゃん!?」」

 シイの姿を見たオペレーター達は、何故か怯えたような表情を浮かべる。シイはその反応と、何故か彼らの身体のあちこちに包帯や絆創膏が貼られているのをみて、眉をひそめた。

「あの、ひょっとして私……皆さんに凄い迷惑をかけちゃったんじゃ……」

「いやいや、違うよ。直接的には関係無いって。なあ?」

「そ、そうさ」

「ええ。気にしちゃ駄目よ、シイちゃん」

 引きつった笑みを浮かべるオペレーター三人組だが、それがシイの心を不安で覆う。記憶に無いが、自分が彼らの怪我に何らかの関係があるのは間違い無い様だ。

 申し訳なさそうにシイが俯くと、発令所に丁度やってきた時田が声を掛ける。

「おや、シイさんとレイさんではありませんか」

「時田さん? って、どうしたんですか、その怪我?」

 振り返ったシイは、右足にギプスをはめて松葉杖をついている時田を見て、目を見開いた。顔の半分は包帯で覆われており、素人目にも重傷だと分かる。

「ははは。な~に、少しばかり頑張りすぎましてね」

「……それ、私のせいですよね」

「ん? はて、何か勘違いされてるようですが、貴方は関係ありませんよ」

 ひょこひょこと歩きながら、時田はシイに笑いかけた。

「これは先日行われた、対人戦闘訓練の時にした怪我です。そちらの皆さんも同じですよ」

「訓練ですか?」

「ええ。そうですよね、皆さん?」

 時田の呼びかけに青葉達もコクコクと首を縦に振る。流石に怪我の理由を馬鹿正直に話すのは、色々な意味で不味いと判断した結果、時田の作り話に乗ることにした。

 シイの裸を見ようとしてユイのボコされたなんて、本人の前で言える筈が無いのだから。

「そうだったんですか……凄い訓練だったんですね」

「それはもう。まさに生きるか死ぬかの戦いでしたよ。ははは……」

「本当にお疲れ様です」

 ペコリとねぎらうように頭を下げるシイ。そんな彼女の姿にスタッフ達は、傷だらけの身体が少しだけ癒やされるのを感じた。

 

「……シイさん、そろそろ」

「うん、そうだね。あ、皆さん、お母さんが何処に居るか知りませんか?」

「「……シラナイヨ」」

 身体を硬直させて片言で答える四人に、シイは不思議そうに首を傾げたが、レイに腕を引っ張られて発令所から連れ出されていった。

 見送った時田達は、一斉に大きな息を吐く。

「ふぅ、どうやら誤魔化せた様ですね」

「シイちゃんには責任無いっすから。ナイスでしたよ時田博士」

「それにしても、私達より怪我が大分酷いですね」

「はっはっは。な~に、こっそりカメラを回そうとしていたのがばれましてね」

「貴方は勇者っす」

 ぼろぼろの時田だが、彼ら三人にはそれが名誉の負傷に見えた。

 

 

 シイとレイが本部の廊下を歩いていると、休憩スペースでコーヒーを飲んでいるミサトと加持を見つけた。

「あ、ミサトさん。加持さん。こんにちは」

「……こんにちは」

 声を賭けられたミサトと加持は、元に戻ったシイに安堵しつつ挨拶を返す。

「よう、二人とも」

「あら~シイちゃんにレイ。今日も本部の散歩?」

「今日も?」

 不思議そうに問い返すシイに、ミサトはあの期間の記憶が無いことを察した。

「あ~ごめん。シイちゃんがちっちゃくなってた時、今みたいに二人でここを散歩してたから」

「まるで親子みたいだったぞ」

「うぅぅ、ごめんねレイさん。迷惑かけちゃって」

「……別に構わないわ……私も楽しかったから」

 レイの最後の言葉はシイには届かなかったが、ミサトと加持は聞き取れたらしい。二人はレイに大人の微笑みを向け、それにレイは照れたようにぷいっと顔を背けた。

 

 少しの間二人の身体をジッと見ていたシイは、目立った所に傷が無い事にホッと胸をなで下ろした。

「良かった。ミサトさんと加持さんは、訓練で怪我をしなかったんですね」

「へっ? 訓練?」

「青葉さんも日向さんも、マヤさんも時田さんも、昨日の訓練で酷い怪我をしてたので」

「ん、そいつは……ああ、なるほど」

 加持はレイから察しろと言う強い視線を受け、話の流れを理解した。大方、頭の回る時田あたりがシイに気を遣わせないよう、怪我の理由を訓練と捏造したのだろうと。

「まあ俺も葛城も、それなりに荒事には慣れてるって事さ」

「二人とも凄いんですね」

「はは、ありがとう。ま、一番凄かったのはユイさんだけどな」

「あ、そうだ。お母さんが何処に居るか知りませんか?」

 思い出した様にシイは二人に尋ねる。

「あら、何か用でもあるの?」

「まだお母さんに、お帰りなさいって言って無いから……」

「なるほどな。それは大事な用事だ」

 照れた様に頬を染めるシイに、加持は茶化すこと無く大人の対応をした。

「えっと~、確かさっき会った時に病院へ行くって」

「ああ、言ってたな」

「……加持監査官が言うなら間違い無いわ」

 暗に自分が頼りにされていないと聞かされ、ミサトはムッとしたようにレイへ詰め寄る。

「ちょっとレイ。それ、どう言う意味かしら?」

「……言葉通りの意味です」

「もう、駄目だよレイさん。ミサトさんはお酒を飲んでなければ、キチンとしてるんだから」

「言われてるぞ、葛城?」

「ぐぅ~」

 言葉が出ないと、ミサトは頬を膨らませて抗議の意を示す。そんなミサトの姿が年上とは思えない程可愛らしく、シイは思わず笑みを零してしまう。

「ま、ユイさんが病院に行ったのは確かだ。恐らく特別病室に居るだろう」

「……入れ違いになったようね」

「病院って、お母さん怪我をしたのかな? それとも病気……」

「あ~違う違う。お見舞いに行ってるのよ」

 心配そうなシイに、ミサトが手を振ってその予想を否定する。あんな芸当が出来るユイが、病気や怪我なんてあり得ないと内心苦笑していたが。

「折角だ。二人も行ってみると良いだろう」

「そうね。アスカも貴方達なら文句を言わないだろうし」

「アスカが入院してるんですか!?」

「え゛。あ~違うのよ」

 泣きそうなシイに見つめられ、ミサトは自分の言葉が足りなかった事を自覚した。レイの責めるような冷たい視線が、容赦なく心に突き刺さる。

「心配いらない。アスカは健康体そのものさ。彼女も見舞いに行ってるだけだよ」

「アスカもお見舞いに……誰が入院してるんですか?」

「惣流・キョウコ・ツェッペリン博士。アスカの母親よ」

 ミサトの答えにシイの頭の中はこんがらがった。

「え? キョウコさん? あれ、でもドイツに居るんじゃ? うぅぅ」

「そっか。シイちゃんって、サルベージの事とか何にも聞かされて無かったのね」

 ポンと手を叩いてミサトは納得顔に変わる。ゲンドウ達の出張理由を聞かされておらず、サルベージの光景も覚えていないのなら、混乱するのも当然だろう。

 

「っと、葛城。そろそろ時間がやばいぞ」

「そうね。シイちゃんごめん。詳しい話はレイから聞いて」

 ミサトは申し訳なさそうに両手を合わせると、加持と並んで急ぎ足で二人の元から去って行った。

「レイさんは、全部知ってるの?」

「……ええ。病院に行きましょ。歩きながら説明するわ」

「うん、お願い。何だか頭がこんがらがって……」

「……まず、司令とユイさんは――」

 シイはレイから今に至る事情を聞きながら、ネルフ中央病院へと再び戻るのだった。 

 




ダブル復活を果たした二人。まずはシイから目覚めました。
四日間とは言え記憶が抜けている彼女は、まさにプチ浦島状態だと思います。

次はキョウコの番ですね。原作では全くと言って良いほど出番が無かった彼女ですが、あのマンガを読んで大ファンになってしまいました。
この小説でのキョウコは、そのイメージで執筆しています。

後日談もある程度進んでいるのに、まだシイは中学二年生のまま。大学卒業まで、後最低八年……。このまま行くと本編を超えそうな量なので、テンポアップを目指します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《娘の想い》

 

~女神の目覚め~

 

 ネルフ中央病院の特別病室には、安らかな寝息を立てているキョウコと、その傍らで目覚めを待つアスカの姿があった。サルベージされてから今まで、この光景は変わっていない。

 そう、キョウコは未だ目覚めてはいなかったのだ。

「ママ……」

 一睡もしていないアスカは、目の下に深い隈をつくった顔でキョウコを見つめる。ひょっとしたらサルベージは失敗したのでは無いか。そんな気持ちを抱いては打ち消すの繰り返し。

 アスカの心は不安に押しつぶされそうだった。

 

 静寂が支配する病室にドアの開く音が聞こえる。アスカは視線を向けて来訪者を確認すると、椅子から立ち上がって一礼した。

「こんにちは、ユイお姉さん」

「お邪魔するわ。様子を見に来たのだけど……」

「はい……まだ眠ったままです」

 辛そうに告げるアスカにユイは小さく頷くと、ベッドサイドへ近寄る。日差しを浴びて鮮やかに輝くキョウコの金髪を、慈しむように優しく指で梳く。

 何気ない動作だったが、アスカは二人の間に深い友情があるのを感じた。

「まったく、キョウコにも困ったものね。昔から朝は苦手だったけれども」

「そうなんですか?」

「ええ。私の知る限り、キョウコが時間通りに起きたことは一度も無いわ」

「もう、ママったら。こんな時まで寝坊しなくても良いのに」

 ユイの言葉に幾分不安を和らげたアスカは、苦笑しながらキョウコの手を握った。

 

「ナオコさんの話だとキョウコが目を覚ますまで、少し時間が掛かるかも知れないそうよ」

「……はい」

 ユイのケースと違い、キョウコは二つに分かれた魂を一つに融合させた。長く離れていた心が完全に一つになるには、相応の時間が掛かるというのがナオコの見解だ。

「だからアスカちゃん。少し休んだ方が良いわ。このままでは、貴方の方が参っちゃうもの」

「ママが目を覚ました時、側に居てあげたいんです」

 強い決意を込めたアスカの言葉に、ユイは少し困ったように眉をひそめる。キョウコが目覚めるには数日、あるいは数十日、下手をすれば数ヶ月かかる可能性もある。

 いつ目覚めるか分からない人を待つのは、精神的な負担が大きい。アスカの身体と心を考えた場合は、直ぐにでも休ませるべきなのだが、側に居たいと言う気持ちも分かる為、ユイも強くは言えなかった。

 

 再び沈黙が病室を支配する。すると頃合いを見計らったかのように、病室のドアの向こうから何やら人の話し声が聞こえてきた。

「ど、どうしよう。面会謝絶って書いてあるよ」

「……問題無いわ」

「でも。勝手に入ったら怒られちゃうかも」

「……読めませんでした、と言えば良いわ」

「それは流石に無茶なんじゃ」

「……なら諦める?」

「うぅぅ、それもやだ」

「……大丈夫。貴方は怒られないわ」

「え?」

「……私が守るもの」

「レイさん……ううん、駄目。怒られるなら、私も一緒だよ」

「あ~も~、うっさい! 人の病室の前で、グダグダやってんじゃ無いの!!」

 堪えきれなくなったアスカが、中から病室のドアを開けて叫ぶ。

「迷惑になるから、とっとと中に入りなさいよ」

「……アスカの大声が迷惑」

「何ですってぇぇ」

 数日ぶりに見る二人のやり取りに、シイは自然と笑顔を浮かべてしまう。じゃれ合う二人に続いて、シイは病室の中へと入っていった。

 

「あらあら、賑やかね。……シイ、もう身体は大丈夫なの?」

「うん。あの、お母さん。お帰りなさい」

「ただいま、シイ」

 母娘は優しい抱擁で再会を喜び合った。そしてシイは、ベッドで眠り続けているキョウコへ視線を向ける。

「この人がキョウコさん……アスカのお母さんなんだね」

「ええ、そうよ」

「凄い綺麗な人」

「ふふ~ん。でしょ?」

 レイと一戦終えたアスカが自慢げに胸を張る。母親を褒められて悪い気はしなかった。

 

 

 ユイから事情を聞いた二人は、複雑な表情でアスカを見つめる。

「ったく、そんな辛気くさい顔するんじゃ無いわよ」

「うん……」

「ママはちょっと眠ってるだけなんだから。まあ気長に待つ事にするわ」

「……その前に貴方が倒れるわ」

 レイはアスカの隈と疲れた顔を指摘する。側に居たいと言う気持ちは分かるが、アスカが倒れてしまっては本末転倒だ。一度休息を取らせる必要があった。

「はん。あんたに心配される程やわじゃ無いって~の」

「……そう」

「ん~」

 そんなやり取りを聞いていたシイが、あごに指を当てて小さく唸る。

「どうしたのシイ?」

「うん。アスカはキョウコさんの側に居たくて、でも休まないと大変なんだよね」

「そうね」

「ならアスカは、キョウコさんと一緒に寝れば良いんじゃないかな?」

 何気なく呟くシイの言葉にユイとレイは、ああと同時に頷いた。お見舞いと言うスタンスで考えていたが、一緒に居たいならそれに拘る必要は無い。

 同じベッドで寝ていればアスカは身体を休める事が出来、キョウコが目覚めた時にも一緒に居られる。

「……それナイス」

「確かに良い案かもしれないわ。どうかしら、アスカちゃん」

「そ、それは……」

「キョウコさんが起きた時、アスカが疲れた顔してたら、きっと悲しむと思うよ」

 三人に言われてアスカはちらりとキョウコを見る。自分の身体が休息を求めているのは、嫌と言うほど自覚していた。そして目の前の母と一緒に眠れたら、どれだけ幸せだろうとも考えてしまう。

 シイの提案は渡りに船だったが、素直に頷くのも気恥ずかしかった。

「あまり長居しては悪いわね。シイ、レイ、一度戻るわよ」

「……そうですね。シイさん、行きましょう」

 自分達が居てはアスカは動かないだろうと判断したユイとレイは、病室を出る事にした。

「また明日来るから、それまでキョウコの事をよろしくね」

「……さよなら」

「え、あ、じゃあアスカ、また明日」

 三人はそそくさと病室を後にするのだった。

 

 一人残ったアスカは暫くの間、眠るキョウコと病室のドアを交互に見ていたが、やがてその身体をベッドに滑り込ませた。二人並んで寝るには少し狭かったが、その分母親の温もりが感じられる。

(ママ……暖かい……)

 休息を求めていたアスカの身体は、襲い来る睡魔に抗うことは出来ない。キョウコの温もりと確かに伝わってくる鼓動を感じながら、深い眠りへと落ちていくのだった。

 

 

「……寝……わ……」

「え……子……ね」

 眠っているアスカの耳に、誰かの話し声が聞こえてきた。まだ頭は睡眠の途中だった為、誰が何を話しているのかを聞き取ることは出来ない。

「……顔……いい……」

「………………ぷっ」

「もう……よ、レイ……」

 それでも段々と意識が覚醒し始めたのか、話声がよりクリアに耳に入ってくる。どうやら複数人がこの場に居るようだ。楽しげな空気が言葉の断片からも伝わってきた。

(ん~なによ、うっさいわね……)

「でも……かったです」

「……そうね」

「まった……たは昔から……」

(シイとユイお姉さん。それにレイ? あ、そっか。もう半日以上寝てたのね)

 意識の覚醒と同時に頭も回り始める。シイ達三人が居ると言う事は、自分はあれから翌日まで眠り続けてしまったのだろう。仮眠のつもりが本格的な睡眠になったようだ。

「えへ…………」

(あれ、もう一人? 誰かしら……どっかで聞いたことのある声……って!!)

 カッと目を見開いて掛け布団を跳ね上げ、アスカは飛び起きる。そして目の前の光景……病衣を纏ったキョウコがシイ達と談笑している光景を見て、思わず言葉を失う。

「あ、アスカ起きたの? おはよう」

「……おはよう。おねしょはしていない?」

「駄目よレイ。子供の内は、みんなおねしょ位するものよ」

「おはようアスカちゃん。随分お寝坊さんだったわね~」

 眠り姫の様だった母親が、自分に優しい微笑みを向けてくれている。嬉しくない訳が無いのだが、あまりに突然すぎる展開に寝起きの頭が着いていかない。

 混乱する頭と煩いほど高まる鼓動を押さえ、どうにか絞り出した言葉は、

「ママ?」

 僅か二文字の単語。だがその言葉には万感の思いが込められていた。

「はい、ママよ。久しぶり過ぎて、顔を忘れちゃったかしら?」

 ニッコリと微笑みながら、アスカの頭を優しく撫でるキョウコ。その声、その手、その笑顔、見間違える筈も無い。何よりも求めていた母親が今、目の前に居るのだ。

「ママ~~」

 もう邪魔なプライドなど欠片も残っていない。アスカは人目を気にすること無く、キョウコの胸へと顔を埋めて子供のように泣き続けるのだった。

 

 

 落ち着いたアスカはユイから事の次第を聞いた。キョウコが目覚めたのは今朝早く。彼女の脳波は常に測定されていたので、目覚めを知ったユイは大急ぎで病室を訪れ、キョウコと十年ぶりの対面を果たした。

「本当は直ぐにでも検査を受けて欲しかったけど、アスカちゃんが目覚めるまでは、って聞かなくて」

「だって~。アスカちゃんと一緒に寝るのなんて、久しぶりなんだもん」

「そんなわけで、貴方が起きるまで待っていたのよ」

 ため息混じりに告げるユイだったが、その表情は何処か柔らかい。キョウコが目覚めた事と比べれば、多少予定が狂った程度は、大した問題では無いのだろう。

 

「でも良かったね、アスカ。キョウコさんが起きてくれて」

「ま、まあね」

「……素直じゃ無い」

「うっさいわね。あたしだって驚いてるんだから、仕方ないでしょ」

 朝目覚めたら母親も目覚めていた。驚かない方がおかしいだろう。

「アスカちゃんが一緒に寝たのが、良い方向に働いたんでしょうね」

「どう言う事ですか?」

「人の五感の内、嗅覚は寝ている時も鋭敏に働いているわ。そして嗅覚は人の記憶と感情に、深い関わりを持っている。アスカちゃんと一緒に寝ていて、キョウコの脳が刺激されたんでしょうね」

 あくまで仮説だが、目覚めたタイミングを考えると、アスカの行動が無関係とも言えないだろう。サルベージで証明された様に、キョウコのリビドーはアスカなのだから。

 

 かくして眠り姫は目覚めた。王子のキスではなく、純粋に母を求めた娘の愛情によって。




後日談で絶対に入れたかったキョウコのサルベージ、これにて完結です。最後までリタイアすること無く、リーダーとしてシイ達を引っ張ったアスカへの、ある意味でご褒美かもしれません。
彼女のハッピーエンドには、キョウコの存在が必要でしょうから。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《惣流母娘》

 

~惣流母娘の一歩目~

 

 キョウコの目覚めより数日が経った。お見舞いにやってきたユイは、キョウコを病院の談話スペースへ連れ出すと、医師からの状況報告と今後についての話をする事にした。

「まずは検査の結果は異常なし。今日にでも退院出来るらしいわ」

「よかった~。これでアスカちゃんと一緒に暮らせるのね」

 ユイの言葉にキョウコは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。愛娘との再会を果たした今、少しでも早く退院したかったのだろう。

「でも、無理は禁物よ。体力や筋力は相当落ちてるのだから」

「ユイは心配性ね。大丈夫だってば」

「だと良いけど」

 小さくため息をついたユイは、後でアスカに良く言っておこうと決意した。

「……それで、退院後の事だけど」

「アスカちゃんと一緒に暮らすわ」

「そっちじゃなくて、仕事の方よ。もしキョウコが望むなら、ゼーゲンで働いて欲しいわ」

 キョウコはお世辞抜きに、世界でも屈指の科学者だ。そんな彼女がゼーゲンに参加してくれるとあらば、今後の活動に大きなプラスとなるだろう。

 しかしキョウコは即答せず、唇に指を当てて悩む仕草を見せる。

「ん~どうしましょ~」

「何かネックがある? 待遇はそれなりの物を用意するつもりよ」

「だって私、まだネルフの所属だもの。簡単に他の組織に移籍出来ないじゃない?」

「……え? ああ、そう言う事ね」

 一瞬キョウコが何を言っているのか分からなかったユイだが、直ぐに状況を理解する。長き時を殻の中で過ごした彼女は、ネルフがゼーゲンに移行したと知らないのだ。

 

 ユイがかいつまんで事情を説明すると、キョウコは拗ねたように唇をとがらせた。

「も~。そうならそうと早く言ってよ~」

「そうね、ごめんなさい。因みに今の貴方は休職扱いになっているけど、希望すれば直ぐに復帰出来るわ」

 ドイツ第二支部長の計らいで、キョウコは長期療養のために休職している職員となっていた。ネルフのスタッフは本人が望めばそのままゼーゲンに転籍可能で、キョウコも例外では無い。

「アスカちゃんの事もあるから、少し二人で相談してから結論を――」

「良いわよ。私もゼーゲンで働いちゃう」

 ユイの言葉を遮って、キョウコは即答でゼーゲンへの参加を表明した。

「今返事をしなくても良いのよ? アスカちゃんと一緒に居たいだろうし……」

「私がしっかり働いて、アスカちゃんを養わないとね。頑張っちゃうわよ~」

「はぁ、聞こえて無いわね」

 母親としての責任感なのか、やる気満々のキョウコを見てユイは小さくため息をつく。もう誰が何を言っても、キョウコは自分の意志を曲げる事をしないだろう。

 彼女はある意味で、自分以上の頑固者なのだ。

(……一度アスカちゃんに報告しなくちゃ駄目ね)

 ユイはキョウコに一言告げてから席を外すと、アスカに電話で事の経緯を伝える事にした。自分の提案が、母親と娘の時間を奪ってしまうのだから。

 

 

 休み時間にユイから連絡を受けたアスカは、ショックを受けた様子も無く事態を受け入れた。申し訳なさそうなユイに問題無いと告げて通話を終えると、隣に居たシイにもキョウコの職場復帰を教える。

「良いのアスカ?」

「ママは一度決めたらテコでも動かないもの。何を言っても無駄よ」

「でも一緒に居たいんでしょ?」

「別に離れて暮らす訳じゃ無いしね。それにあたしが大人になったら、ママと一緒に働けるもの」

 アスカは既にチルドレンを解任されているが、この年で大学を卒業している才女だ。いずれキョウコと共にゼーゲンで科学者として働く事も可能だろう。

 もう彼女の中では未来のビジョンが、ハッキリと描かれている様だった。

「アスカは凄いね」

「な~に人ごとみたいに言ってんの。あんたはそこのトップになる予定なんでしょ?」

「うぅぅ、そうだった……」

「はぁ~。ま、その時はあたしとママが支えてあげるから、精々頑張んなさい」

 ポンとシイの頭に手を乗せて呟くアスカ。キョウコが目覚めてからの彼女は、精神的なゆとりが生まれたせいなのか、以前よりも大人びた印象を周囲に与えていた。

(本当に良かったね、アスカ)

 シイは心の底から大切な友人の幸せを祝福するのだった。

 

 

~新居は何処に?~

 

 再びキョウコの元に戻ったユイは、もう一つ決めておきたい話を切り出す。

「ねえ、キョウコ。貴方はアスカちゃんと一緒に暮らすのよね?」

「勿論よ~。一緒に寝て、一緒にご飯食べて、一緒にお風呂入って……楽しみだわ」

「……残念だけど、それはもう少し先になるわ」

 娘との生活を想像して頬を染めるキョウコに、ユイはそっと釘を刺す。確かに今日にでも退院出来るのだが、まだ大切な事が決まっていないのだ。

「え~どうして~?」

「貴方達が暮らす家がまだ決まって無いもの。当分の間は、ゼーゲンの居住区で暮らす事になるわね」

「なら私はアスカちゃんと同じ部屋に住むわ」

「……一人用なのよ」

 旧ネルフの居住区は、原則的に独身職員の為に用意されており、サイズも当然一人用に出来ている。食事とお風呂は共に出来るだろうが、一緒に寝るという望みは叶えられない。

「ずるいわ~。ユイはシイちゃんやレイちゃんと一緒に暮らしてるのに~」

「住居が見つかれば、キョウコだってアスカちゃんと暮らせるわ。少しの辛抱よ」

「むぅぅぅ~」

 頬を膨らませて不満を露わにするキョウコを宥めながら、ユイは一刻も早く二人の住居を探そうと決意した。この状況が長引けば長引く程、暴走の可能性が高くなるのだから。

 

 

~夜の来訪者~

 

 その日の夜、夕食の席でユイはキョウコとのやり取りを話した。三人はキョウコの退院を祝いつつも、その奔放な言動に苦笑を浮かべる。

「成る程。君が今日業務を行えなかったのはその為か」

「ええ。宥めながら本部の居住区に連れて行くのに、半日かかりましたから」

「キョウコさんって、凄い人なんだね」

 ユイすらも圧倒するキョウコに、シイは色々な意味で感心してしまう。

「それで、キョウコ君は納得したのか?」

「渋々と言った感じですわ。あの子が暴走する前に、明日にでも住居を手配します」

「任せる」

 本来であればユイが直々にやる仕事では無い。ただ二人が友人である事と、キョウコを少しでも抑えられる人材がユイ以外に居ない為に、ゲンドウはユイに一任する事にした。

「アスカもキョウコさんと暮らすの、凄い楽しみにしてたよ」

「……浮かれてたわ」

「そうね……。あの子の為にも、しっかりとした家を選ばないと」

 既にゼーゲンの情報網とMAGIを無駄遣いして、第三新東京市のめぼしい物件をリストアップしている。明日にでもキョウコと共に現地を回れば、問題は全て解決するだろう。

「なので、あなた。明日も一日席を外しますわ」

「ああ、分かっているよユイ」

 優秀な科学者確保と、十年来に再会した母娘の為だ。ゲンドウは悩む事無く許可を出した。

 

「あ、レイさん。おかわりいる?」

「……ええ」

 レイからお茶碗を受け取ったシイは、席を立つとジャーからご飯をよそう。そんな光景を見ていたゲンドウとユイは、ホッとしたような表情を浮かべる。

「元通りだな」

「そうですわね。一時はどうなる事かと思いましたけど」

 幼児化事件を乗り越えて、再びいつもの姉妹へと戻ったシイとレイ。幼いシイは確かに可愛らしかったが、やはり今の姿が一番だと二人は思わずにはいられない。

「……聞きたい事があります」

「あら、何かしら?」

「……赤木博士と冬月副司令の姿を、あれ以来見ていません」

 ユイ達にしょっ引かれた二人は、それから一切姿を見せなかった。キョウコのサルベージの時にすら、二人は立ち会っていないのだ。

「ああ、言っていなかったな」

「……生きてますか?」

「あらあら、レイは私をそんな風に見てたのかしら」

 苦笑しながら尋ねるユイに、レイは上手い返答が出来ずに黙ってしまう。

「ふっ。あまりからかうな」

「うふふ、ごめんなさい」

「レイ、心配する事は無い。あの二人は無事だ。今は特別な仕事で本部を離れているがな」

 ゲンドウはユイを軽く窘めると、レイの疑問に答える。リツコの軽率な行動と冬月の監督不行届を、確かにゲンドウとユイは注意した。だがレイが考える様な罰を与えてはいない。

「……仕事とは?」

「ゼーゲンの支部建設予定地を、下見して貰っているわ」

「近いうちに戻るだろう」

 二人の言葉にレイは小さく頷いて納得の意を表した。てっきり入院でもしているかと思ったが、どうやらタイミングが絶妙すぎただけらしい。

 

「はい、レイさんお待たせ」

「……ありがとう」

 お礼を言いながら、レイはシイからご飯山盛りのお茶碗を受け取る。旺盛な食欲を見せるレイを、ユイとゲンドウは微笑ましく見つめた。

「レイは最近、良くご飯を食べるな」

「……はい」

「成長期ですもの。シイも沢山食べないと、大きくなれないわよ?」

 シイは好き嫌い無く何でも食べるが、どちらかと言えば食が細い方だ。アスカやレイとの身体の差は、やっぱり食事なのかとシイはお腹を軽くさする。

「うぅぅ。分かってるけど、もうお腹一杯だし」

「成長には個人差がある。私も高校までは背が低かったからな」

「そうなの?」

「ああ。だから焦らず、規則正しい生活をしていれば問題無い」

 小さい事がシイのコンプレックスだと知っているゲンドウは、不安を取り除くように微笑む。そんな父親の言葉を聞いて、シイは嬉しそうに頷いた。

 

 和やかな空気で食事が進む中、不意に来客を告げるチャイムがダイニングに聞こえてきた。既に時計の針が九時を回ったこの時間に、碇家を訪れる人は多くない。

「ミサトさんかな?」

 食事を終えていたシイは立ち上がると、小走りで玄関に向かう。ロックを外してドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべるキョウコと、困惑顔のアスカが並んで立っていた。

「こんばんわ~」

「き、キョウコさん? それにアスカも」

 予期せぬ来客に戸惑うシイの背後から、声を聞きつけた三人が何事かと玄関に姿を見せる。

「キョウコ、何かトラブルがあったの?」

「違うわ。これを渡しに来たの~」

 そう言いながらキョウコがユイに手渡したのは、コンビニで買ったと思われるそばだった。ますますもって理解出来ないと、四人は首を傾げる。

「ありがとう。でもどうしておそばを? それもこんな時間に」

「日本では、引っ越し先のご近所におそばを渡すのよね?」

「……そうなの?」

「う、うん。今はあまり無い習慣だけど」

 レイの問いかけにシイは困惑しながら答える。自分も今までに経験が無いが、碇家で暮らしていた時に祖母から聞いたことがあった。

「これはご丁寧に……引っ越しだと?」

 頭を下げたゲンドウだったが、聞き逃せない単語に思わず眉をひそめる。

「ねえキョウコ。まさか貴方……」

「うふふ、今日から私とアスカちゃんは、ユイの家の隣に住むことに決まりました~」

「「……え゛」」

 突然の報告に、この場に居たキョウコ以外の全員が、呆然と口を開けて立ち尽くすのだった。

 

 

~新居決定、でも……~

 

 どうにかショックから立ち直ったユイは、キョウコとアスカを家の中に招き入れ、リビングで詳しい話を聞くことにした。

 シイが出したお茶をすすりながら、キョウコは幸せそうなため息をつく。

「はぁ~美味しい。シイちゃん、おかわり貰っても良い?」

「あ、はい。直ぐに」

「……で、どう言う事かしら?」

 すっかりリラックスモードに入ったキョウコに、ユイがジト目で説明を求める。

「も~ユイったら、ちゃんと聞いて無かったの? 今日から隣の家に住むの」

「……私は明日、一緒に家を探しましょうって言ったわよね?」

「だって~。アスカちゃんの顔を見たら、我慢出来なかったんだもん」

 他の人間なら震え上がるユイの追求にも、キョウコは全く意に関さず答える。ただ隣に座っているアスカは、流石に気まずいのか申し訳無さそうにうなだれていた。

「……アスカは止めなかったの?」

「知ってたら止めたわよ。でもママにちょっとお出かけしましょうって言われて、着いてきたら……こんな事になってたの」

「気にしなくて良いのよ、アスカちゃん。悪いのは全部キョウコだから」

 本来なら新居決定は喜ぶべき事だが、自分との約束をあっさり破られたユイは内心面白くない。折角優良物件をリストアップしていたのに、全てが無駄になったのだから。

「まあ、そう言うな。キョウコ君の行動は急だったが、無事に新居が決まったのだからな」

「そうだよお母さん。それに私はアスカがお隣さんになって、凄く嬉しいよ」

「……はぁ。そうですわね」

 夫と娘の言葉に冷静さを取り戻したユイは、ため息を吐くと気持ちを切り替えた。何にせよ、これで悩みの種が一つ消えたのは確かなのだから。

「……アスカは不満じゃ無いの?」

「別に。あたしはママと一緒なら何処でも良いし、このマンションは住み心地良かったし」

「えへへ、そうだね」

 かつてミサトと同居していた日々を思い出し、シイは嬉しそうに微笑む。碇家の左隣にミサトと加持、右隣にアスカとキョウコが住むのは、何とも面白い構図だった。

 

「それにしても……良くこんな短時間に手続き出来たわね」

「手続き?」

 呆れと感心が入り交じった視線を向けるユイに、キョウコは不思議そうに首を傾げてみせる。

「ええ。住居の契約と転居届け、それに水道やガスの契約。誰かにお願いしたの?」

「いいえ、何もしてないわよ」

「「え゛っ!?」」

 あっさりと言ってのけるキョウコに、全員の表情が強張る。転居届けはともかくとして、最低でも住居と水道ガスの契約を済ませていなければ、話にならないからだ。

「……ねえキョウコ。私と別れた後、どう言う経緯でここに来たのかしら?」

「えっと~。本部に戻ったらアスカちゃんが居て、別々に寝るなんて我慢出来なくなっちゃって~。それで思いついたの。ユイのマンションなら一緒に暮らせるわって」

「ママ……」

 非常に残念な事を告げるキョウコに、アスカはもう言葉を掛けられなかった。

 

 

 その後、キョウコは大いに駄々をこねたのだが、手続きをしていないので勿論入居は出来ない。絶対にアスカと一緒に寝ると言って聞かなかったので、妥協案として今夜は碇家に泊まることになった。

 結果として、キョウコの望みは果たされた。

(……全くもう。この借りは仕事で返して貰うわよ)

 客間でアスカを抱きしめながら、幸せそうな寝顔を浮かべるキョウコを見て、ユイはそっと襖を閉めた。

 

 




長く続いていたキョウコサルベージ編のおまけ話です。

ユイ、ナオコ、キョウコ、良く言われている三賢者が勢揃いしました。三人の美しき天才達は、きっとゼーゲンの力になるでしょう。
リツコは……天才であり天災ですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《慰安旅行~再び浅間山へ~》

 

~いざ浅間山へ~

 

 キョウコの退院から数日が過ぎたある日、夕食の席でシイはゲンドウ達から思いも寄らぬ提案を受けた。

「温泉旅行?」

「ああ。ゼーゲンの慰安旅行で温泉に行く。何か問題があるか?」

「ううん、別に無いけど……急にどうしてかなって」

「以前から計画を進めていた。キョウコ君が復帰した今こそ相応しいタイミングだと判断しただけだ」

 突然の提案に驚きこそしたが、反対する理由など何も無い。むしろみんなで一緒に旅行出来る機会を得られて、シイからすれば大歓迎だった。

「今週末に一泊二日で予定してるわ。シイとレイは予定空いてるかしら?」

「うん、大丈夫。旅行か~楽しみだね、レイさん」

「……ええ、本当に」

 感慨深げに答えたレイにシイは少し驚く。あまり感情を表に出さないレイにしては珍しく、今回の旅行を待ち望んでいたのが伝わってきたからだ。

「レイさん、温泉好きなの?」

「……行ったこと無いわ」

「そうなんだ……ねえ、お父さん。温泉って色々あるけど、何処に行くの?」

「あまり遠くでは無い。浅間山の近くだ」

「浅間山……何処かで聞いたことがある気がするけど」

 シイは眉間に指を当てて記憶を呼び起こし、ようやく思い出した。浅間山。それはマグマの中に使徒の幼体が存在していて、アスカが灼熱の死闘を繰り広げたあの山だと。

「シイは行ったことがあるのよね?」

「うん。使徒と戦って、その後ミサトさんとアスカと温泉に……あっ!」

 ここに至ってシイは、レイが行く気満々な理由を察した。あの時一人本部に留守番していたレイは、一緒に温泉に入れなかった事を不満そうにしていた。

 だからこそ、今回の温泉旅行はリベンジの意味もあるのだろう。

「レイさん、今度は一緒だよ」

「……ええ」

「ふふ、そうね。みんなで一緒に温泉に入れば、きっと日頃の疲れなんて忘れてしまうもの」

「楽しみだな~」

「……ふっ」

 温泉旅行に想いを馳せる三人を見て、ゲンドウは満足げに頷く。多忙なゼーゲン職員を連れ出す慰安旅行。スケジュール調整に苦心したが、自分の決断が間違っていなかった事を確信した。

 

 

「――と言う事で、週末にゼーゲンの慰安旅行を実施します」

 暗闇の会議室でゲンドウは、ゼーレの面々に本部を留守にする旨を伝えた。

「話は聞いていたが、随分と暢気な話じゃないか」

「左様。地球環境再生計画に人工食糧生産計画。ゼーゲンは暇で無いのだよ?」

「だからこそ、士気を高める為に必要なのです」

 チクチクと嫌味を口にする老人達に、ゲンドウは揺るがぬ姿勢で答える。自分達の前に問題が山積みなのは理解しているが、心身を休ませる時間は必要なのだから。

「だが何故浅間山なのかね? 温泉旅行なら箱根で良いだろう」

「そうだ。わざわざ遠出をする理由が何かあるのか?」

「……参加者の要望です。他意はありません」

「まあ慰安旅行は良い。だが司令である君まで本部を空けるのは、些か問題だろう」

「左様。君は非常時に備えて、本部待機すべきでは?」

「非常時にはVTOLにて、即座に帰還できる手はずになっております。問題はありません」

 遠出と言ってもバスで移動できる距離だ。宿泊予定の旅館付近にVTOLを待機させる予定なので、ゲンドウの言うとおり非常時への備えも万全だった。

「だが……」

「まさかとは思いますが、皆さんも行きたいのですか?」

「「!!??」」

 図星だったらしく、ゲンドウの言葉にゼーレの面々は動揺を露わにする。先程までのきつい態度も、自分達が行けない事から出た嫉妬だったのだろう。

「ば、馬鹿な事を言うな!」

「全くだ。我々がそんな……」

「左様。我らは君達以上に多忙なのだよ」

「……そうですか。もし都合がつけばご一緒にと思いましたが、残念です」

 ニヤリと口元を歪めるゲンドウに、今更発言を撤回出来ない老人達は忌々しげな視線を向ける。そんな子供の様なやり取りに、キールは頭痛を堪えるように頭を抑えた。

「もう良い。慰安旅行は正式な計画として受理している。こちらから何も言うことは無い」

「はい」

「では今回の会議はここまでだ」

「「全てはゼーゲンの為に」」

 お約束の締めを行い、老人達は姿を消した。

 

「……碇」

「どうされましたか、キール議長」

 退席しようとしたゲンドウに、再び姿を現したキールが声を掛ける。

「先日、碇家から連絡があった。ユイとシイ、それにレイを一度京都に来させろとな」

「存じております。その件についてはユイに一任してありますよ。私が対応すれば拗れるでしょうから」

「あれは頑固な娘だ。素直に言う事を聞くはずが無い」

「私に説得しろと?」

 碇家からすれば、死んだと思っていた娘が生き返り、しかも養女まで出来たとあらば、直接会って状況説明を求めたくもあるのだろう。

 ゲンドウは既に絶縁状態にある為、全ての対応をユイに任せていた。だが今のところは、彼女に碇家を訪れる意志は無いらしい。

「まあこれは君達の問題だから、口を出すつもりは無い。ただ、あれから十年経ったのだ。そろそろ君もユイも、正面から向き合っても良い頃合いだと思うが」

「……一応、忠告は聞いておきます。では」

 ゲンドウは一礼すると立ち上がり、会議室を後にした。

(全ては流れのままに、か。義理は果たしたぞ)

 キールは古い友人の顔を思い浮かべながら、一人きりの会議室で静かにため息をつくのだった。

 

 

 そして週末、ゼーゲン一行はマイクロバスで一路浅間山へと向かう事になった。だが流石に本部を留守にするわけにも行かず、必要最低限の人員が留守番として残らざるを得ない。

 MAGIによる抽選不正がキョウコによって見破られた為、今回は古典的なあみだくじで抽選が行われ、幾人かのスタッフが涙をのんだ。

「あの、お土産買ってきますね。マグマ饅頭って言う凄い美味しいお菓子があるので」

「「ありがとう、シイちゃん」」

 何も知らないスタッフ達は、感激の涙を流しながらバスを見送るのだった。

 

 

 浅間山へ向かうバスの中には、楽しげな空気と賑やかな話声が満ちていた。何せゲヒルン時代から通じて初の慰安旅行だ。テンションがあがるのも無理は無いだろう。

「ぷはぁ~。やっぱバスで飲むビールはまたひと味違うわね」

「呆れた。貴方、旅館に着いてからも飲むんでしょ?」

「モチのロンよ。何せタダなんだから、飲まなきゃ損ってもんよ」

 ミサトと隣の座席に座るリツコは、脳天気なミサトの姿を見てため息をつく。これで良くアルコール中毒にならないものだと、逆に感心すらしてしまう。

「にしても、あんた今まで何処に行ってたの? サルベージの時も姿が見えなかったけど」

「……ちょっと月にね」

「ぶぅぅぅぅ」

 予想外の答えにミサトは思い切りビールを吹き出す。

「無様ね」

「つ、月ってあんた。一体何で?」

「ゼーゲンの月面支部建設予定地の下見よ。因みに副司令も一緒だったわ」

「それってやっぱ、ユイさんを怒らせたから?」

 タイミングを考えたら、あの事件の責任を取らされたのだろうとミサトは推察した。しかしリツコは軽く首を横に振ってそれを否定する。

「たっぷりお説教はされたけど、今回の下見とは無関係ね。前々から話には出ていたから」

「そうなの?」

「ええ。それにユイさんは過保護だけど、公私混同はしない人だもの」

 ユイがシイを溺愛していると言っても、それはあくまでプライベートな事。仕事上ではキチンと分別を弁えていた。でなければゼーレを初めとする面々から、信頼を得ることなど出来ないのだから。

 

「にしても月か~……良く生きて帰ってこられたわね」

 セカンドインパクトの影響で、人類はそれまで順調に進めていた、宇宙進出の研究を中断せざるを得なかった。これ程科学が発達していても、未だ宇宙は人類にとって未知の世界なのだ。

「悪運だけは強いみたい。でもお陰で貴重な光景が見られたわ。地球って本当に青かったもの」

「そうなの?」

「ええ。地球も私達と同じように生きている。そう思えたわ」

「へぇ~、あんたにしちゃ、随分とロマンチックな事言うじゃ無い」

「あれだけは、直接見た者にしか分からないわよ。貴方も機会があれば、一度見てみなさい」

「宇宙ね~。興味はあるけど相当コストがかかるし、簡単には行けないんじゃない?」

「その内誰もが自由に、宇宙へ行ける日が来るわよ。そして人類は地球をもう一度見直すべきね。身近にあり過ぎると、本当に大切な物が見えなくなるから」

 そうミサトに語るリツコは、以前よりも一回り大きく見えた。未知の世界への接触が、彼女の視野を広げる事に繋がったのだろう。

(ユイさんがリツコを選んだのって、これを狙ったのかもね)

 ミサトは前の方の席でキョウコと談笑しているユイを見て、苦笑しながらビールを一気にあおった。

 

 

 バスの後部座席では、チルドレン達が温泉への期待に胸を躍らせている。仲良く談笑するその中には、唯一部外者であるヒカリの姿もあった。

「本当に私が参加しても良かったの?」

「勿論だよ」

「でも私、ゼーゲンの関係者じゃ無いのに……」

「ふふ、君は鈴原君のフィアンセなんだろ? なら無関係とは言えないさ」

 からかうようなカヲルの一言に、ヒカリとトウジは揃って顔を真っ赤に染める。頭から湯気が出ている二人に代わって、アスカが声をあげる。

「あんた馬鹿ぁ? この二人は恋人よ、恋人」

「そうだよカヲル君。……でもフィアンセって何?」

「あんたも馬鹿ぁ? 婚約者に決まってんじゃない」

「……結婚の約束をした男女よ」

 大きな声で婚約やら恋人やらと連呼したため、バスに乗っているスタッフ達の視線が、後部座席へと集中する。シイ達のフォローの結果、トウジとヒカリは二重の意味で、恥ずかしい思いをする羽目になってしまった。

「とにかく、ヒカリは参加して問題無しってこと。良い?」

「う、うん。ありがとうアスカ……」

 顔を真っ赤にしたヒカリには、もう部外者だから何て気にする余裕は無かった。

 

「相田君も来られれば良かったのに」

「親父さんが不参加っちゅうのに、息子だけ参加するんは抵抗あるんやろな」

 ケンスケの父親は不幸にも留守番に選ばれてしまった。シイ達は自分達の友人だからと誘ったのだが、父親に気を遣ったケンスケは気持ちだけ受け取ると辞退した。

「妙なところで殊勝なのよね」

「ふふ、まあ彼なりに考えた結果なんだろう」

「お土産を忘れないようにしないと」

「あ、それなら良いのがあるよ」

「……シイ、マグマ饅頭だけは勘弁したってや」

 友人の身を案じたトウジの言葉に、アスカとヒカリも力強く頷いて同意するのだった。

 

「にしても、またあそこに行くとは思わなかったわ」

「うん。凄い偶然だよね」

「ふふ、偶然じゃ無いかもしれないよ。だろ、レイ」

 カヲルにニヤリと笑みを向けられて、レイはぷいっとそっぽを向く。今回の旅行先決定に、彼女の希望が十二分に反映されていたのは、極一部の人間しか知らない事だった。

「浅間山って、惣流とシイが使徒を倒したとこやろ?」

「ふふん、そうよ。あたしの見事な活躍、あんたにも見せたかったわ」

「でも鈴原君。良く覚えてたね?」

「……は、ははは、忘れたくても忘れられへん」

 超絶マグマ饅頭の犠牲者となったトウジは、引きつった笑みを浮かべる。一度食べたら決して忘れない、そんな破壊力を秘めていたのだから。

「おや、君はシイさんに助けられて、命からがらマグマから生還したと聞いたけど?」

「そうなのアスカ?」

「ま、まあシイにもちょっとだけ、見せ場があったのは確かだけどね」

「うん。使徒を倒したのはアスカだし、私はちょっとお手伝いしただけだよ」

 当事者であるシイがフォローして、どうにかアスカの武勇伝は守られた。

 

 ネルフ一行を乗せたバスは順調な運行を続けて、無事定刻通りに宿へと到着するのだった。

 




本編中では絶対に不可能だった慰安旅行ですが、後日談でようやく実現しました。10話でレイがお留守番だったので、いつか一緒にとずっと思っていました。

今回の慰安旅行ではこれまで抑え気味だった分、少し馬鹿になろうと思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《慰安旅行~温泉戦線~》

~総員第一種戦闘配置~

 

 浅間山麓で営業している温泉旅館に、ゼーゲン一行を乗せたバスが到着した。良く言えば歴史を感じさせる建物、悪く言えば古い建物、それが近江屋の印象だ。

 ただ老舗旅館らしく女将や仲居の教育は行き届いており、不満が出ることは無かったが。

 

 

「ほう。これはなかなか良い部屋だな」

「ああ」

 仲居に案内されたゲンドウ達は、広々とした和室を見て満足げな表情を浮かべる。参加者があまりに大人数のため、階級や部署で部屋割りをする事が出来ず、結局男女別に大部屋に泊まることになった。

「畳と木の香り、良い物ですね」

「時田さんも分かりますか?」

「勿論ですとも。最近は畳に横になる事も減りましたから、余計にそう思えますよ」

「確かに」

 第三新東京市でも畳は存在するが、それらは化学物質で作られたイミテーション。セカンドインパクトによる気候変化で、畳の材料であるイグサが激減してしまい、本物の畳は希少な物となっていた。

 今では老舗旅館などに、セカンドインパクト以前から使用していた物が残るのみだ。

「「はぁ~良いな~」」

 荷物の整理もそこそこに、男性職員達は畳にごろんと寝転がり、懐かしい香りを感じながらリラックスする。早くも慰安旅行の目的、癒やしを十分に体験していた。

 

「あら? うふふ」

 そんな男部屋にやってきたユイは、寝転がる男達を見て笑みを漏らす。

「む、ユイ。どうした?」

「先程女将さんから聞いたのだけど、夕食までは少し時間があるらしいわ」

「そうか。どうしたものか……」

「私達はご飯の前に温泉に入ろうと思うのだけど、貴方達はどうします?」

「折角の機会だ。私達も入るとしよう。まあ、君達ほど長くは入っていないだろうが」

 このまま寝転がるのも悪くないが、折角の温泉旅館だ。ご飯の前に一度入浴するのも良いだろうと、ゲンドウはユイに答えた。

「ではご飯の時に集合しましょう。……覗いたら怒りますよ?」

「ああ、分かっているよ、ユイ」

 ゲンドウの言葉に頷くと、ユイは男部屋から離れていった。

 

 

「……全員集合」

 ユイが完全に居なくなったことを確認すると、ゲンドウは寝転がる男達に低い声で告げる。その威厳に満ちた命令に男達は一斉に起き上がり、ゲンドウの前に正座した。

「聞いての通りだ。女性陣はこれから温泉に入る」

「ではやるのか?」

「ああ。総員第一種戦闘配置だ」

 サングラスを軽く直しながら、ゲンドウは正座する男性職員を見回して告げる。その言葉が意味する事を察し、男部屋に緊張が走った。

「しかし碇、あまりに危険過ぎないか?」

「この場にはエヴァもMAGIも無い。チャンスだ冬月」

 力強く答えるゲンドウに男達はゴクリとつばを飲む。スーパーコンピューターMAGIが存在しない。それは彼らの行動が相手に補足される心配が無いと言う事だ。

「加持君」

「ご依頼の品はここに。計画の要ですね」

「ああ。近江屋の見取り図。これが我らの望みを叶える鍵となる」

 ゲンドウは加持から受け取った紙を、畳の上に広げる。それをスタッフ達はぐるりと囲い込む様に見入った。

「我々の陣地はここだ。そして目標はこの地点に展開すると思われる」

「ふむ、位置は悪くないな」

「問題となるのは垣根だ。この最終防衛ラインを突破するのは困難だろう」

 ゲンドウの指が、温泉の男湯と女湯を仕切る垣根の上をなぞった。

「よって正面突破を諦め、周囲に部隊を展開。包囲作戦が有効だと考えられる」

「リスクは高いが、やるしかないな」

 覚悟を決めたように頷く冬月。それは他の男達も同じで、全員が強い意志を瞳に宿していた。しかしただ一人、トウジだけが困ったような表情を浮かべている。

「あ、あの~、これって、ひょっとして覗きちゃいますか?」

「……加持君」

「ええ。さあ鈴原君、ちょっとこっちに」

 加持はすっと立ち上がると、トウジを連れて部屋の隅へと移動した。

 

「鈴原君。こう言った状況では、男は女湯を覗くというのがお約束なんだ」

「そ、そない話、聞いたこと無いですって」

「これが大人の世界だよ。そこに飛び込むか逃げるかは……自分で考え自分で決めろ」

「んなアホな……」

 真剣な加持の表情に、トウジは本気で困惑してしまう。健全な中学生として、当然そう言った事に興味はあるが、流石に知り合いばかりの風呂を覗くのは気が引けた。

「……君は、洞木さんの裸を見たことはあるかい?」

「な、ななな、何言っとるんですか」

「どうやらまだみたいだな。見たくはないかい?」

「そ、そりゃ……」

「今回は碇司令主導だ。万が一バレても、君に及ぶ責任は少ないだろう」

 言葉巧みにトウジを誘導していく加持。その自信に満ちた語り口と態度に、トウジからは徐々に悪いことをすると言う意識が薄れていった。

「臆病者はいらない。ただもし君が共に戦おうと言うのなら、俺達は喜んで迎え入れる」

「…………」

「まあ、後悔の無いようにな」

「……やります。わしもやります」

 他の男達と同じように、トウジの瞳にも強い意志が宿ったことを確認して、加持は満足げに頷いた。

 

 男達の輪に加持とトウジが戻ると同時に、部屋のふすまを開けてカヲルが姿を見せた。

「やあ、戻ったよ」

「ご苦労だったね。それでどうだった?」

「彼女達はまだ準備中のようだ。先手を打つなら、今すぐ動くべきだろう」

 密偵してきたカヲルの報告を聞き、男達に緊張が走る。

「……総員第一種戦闘配置だ。現場へ急行しろ」

「「了解」」

 ゲンドウの号令に男達は凜々しく答えると、手早く準備をすませて温泉へと移動するのだった。

 

 

 そんな男達の動きなど知るよしも無く、女性達はぞろぞろと温泉へと向かった。

「貸し切りですから、思い切り羽を伸ばせますね」

「ふふ、そうね。余計な気を遣わなくても良いのは助かるわ」

「母さんは元々気にしないでしょう」

「アスカちゃん~。ママが脱がしてあげるわね」

「い、良いってば。もう子供じゃ無いんだから」

「う~ん、風呂上がりの一杯も良いけど、お風呂で一杯ってのも捨てがたいわね……」

「葛城さん。お風呂でお酒を飲むのは危険ですよ」

「うふふふふ、私幸せ」

 賑やかな脱衣所だったが、その中でシイだけが表情を曇らせる。みんなとお風呂に入ることは嬉しいのだが、圧倒的な戦力差は彼女の心にダメージを与えていた。

(うぅぅ、お母さんも、ナオコさんも、キョウコさんも……みんなも凄い)

 以前ミサトとアスカと共に、この温泉に入ったときにも劣等感を覚えた。だが周囲に大勢の女性達が居る今の状況は、絶望感すらシイに与えてしまう。

 そんなシイの背後に、そっとレイが近づく。

「……大丈夫よシイさん」

「れ、レイさん!?」

「……前に聞いたことがあるもの。大切なのはバランスだって」

「何の事?」

「……小柄な貴方には丁度良いと思うわ」

「うわぁぁぁぁぁん」

 スパッとレイに心を叩き切られ、シイは泣きながら温泉へ向けて脱衣所を駆け抜けた。

 

 

「警戒中の同士より入電。『我、女湯に人影の侵入を確認。データを送る』との事」

「受信データを照合。パターンピンク、目標と確認」

 こっそり持ち込んだ防水携帯端末を操作していた青葉と日向が、ゲンドウ達へ報告を行う。既に別働隊は厳しい自然の中で待機をしており、臨時作戦司令部と化した男湯には、ごく少数の男達が残るのみだ。

「始まったな」

「ああ、全てはこれからだ」

 頭にタオルを乗せたゲンドウと冬月は、落ち着き払った様子で頷く。血気盛んな若者達と違い、彼ら年長組には大人の余裕が漂っていた。

「で、加持の兄さん。わしらはこれからどないするんです?」

「別働隊の動きをフォローする。ここに男達が揃っているぞ、とアピールするんだ」

「流石に全員がここから離れてしまえば、人気が無い事をご婦人方も警戒するでしょうからね」

 いまいち理解出来ないトウジに、加持は手本を見せようとそっと湯船から立ち上がる。

「葛城~。そっちの湯加減はどうだ~?」

「か、加持? あんたも入ってたの?」

「ああ。温泉ってのは良いもんだな」

「ま~ね」

 垣根越しに交わされる会話。それは恋人同士の何て事の無いやり取りなのだが、少なくとも加持は男湯に居て、温泉を満喫しているぞと相手に印象づけられる。

「こうしておけば、別働隊への注意が逸れるだろう。さあ、君もやってみろ」

「は、はいな」

 トウジは緊張した面持ちで、そこにいるであろうヒカリへと声を掛けた。

 

「ひ、ヒカリ。湯加減はどや?」

「ととと、トウジ!? そこに居るの?」

「あ、ああ、みんなとおるで。こっちはこっちで楽しんどるわ」

「そ、そう。こっちも楽し……きゃっ!」

 初々しい恋人達のやり取りは、ヒカリの可愛らしい悲鳴で中断した。何事かと訝しむトウジだったが、直ぐに原因は判明する。

「惚気話聞かせてくれちゃって~。ねえ鈴原、ヒカリの肌ってとっても綺麗なのよ」

「その声、惣流か?」

「白いしすべすべだし、そして何と、ヒカリってば着やせするタイプだったの」

「も、もう止めてよアスカったら」

 時々漏れ聞こえるヒカリの嬌声に、トウジは思わずゴクリとつばを飲み込む。垣根の向こうで何が行われているのか、想像が次々と溢れ出してとどまることを知らない。

 トウジは顔を赤く染めると、静かに湯船へ身体を沈めた。

 

「えへへ~、肌が綺麗って言ったら、シイちゃんもよね、っと」

「きゃぁ。ミサトさん、いきなり背後から抱きつかないで下さい」

「このもちもち肌、羨ましいわ」

「あはは、くすぐったいですって」

「でも、着やせするタイプじゃ無いけどね~……って、し、シイちゃん!?」

「うぅぅぅ」

 シイのうなり声と同時に、今度はミサトのなまめかしい声が男湯に聞こえてくる。彼女達にしてみれば軽いスキンシップなのだろうが、男達にとってはたまったものでは無い。

「ちょ、直撃です!! 理性が融解……」

「精神的ダメージが倫理観を掘削。本能が露呈していきます!」

「まだ聴覚的衝撃だ。アブソーバーを最大にすれば耐えられる」

 湯船の中で身体をくの字に曲げて、全力で欲望に抗う男達。そんな彼らを余所に、沈黙を守っていたゲンドウが雄々しく立ち上がる。

「冬月先生、後を頼みます」

「分かっている。ユイ君によろしくな……とでも言うと思ったか!」

 おもむろに女湯へ近づこうとするゲンドウの足首を掴み、冬月は強引に湯船へと引き込んだ。温泉の中でもがくゲンドウ。湯船にはサングラスだけがぷかぷかと浮かんでいた。

 

「ですが、司令の考えも分かります。このままでは理性の占拠は時間の問題です」

「分が悪いよ。女性と触れ合う機会はそうそう無かったからな」

「彼女達が本気を出したら、俺達なんてひとたまりも無いさ」

 悲しいことを言い合う日向と青葉だったが、それはここに居る面々のほとんどが思っている事だった。ネルフ時代はとにかく多忙で、職場以外で女性と過ごす時間など無かったのだから。

「人間の敵は人間か……」

「ふふ、お困りのようだね」

 劣勢に立たされた男達の前に、カヲルが悠然と歩いてきた。透き通るような真っ白な肌を、惜しげも無く晒すその姿を見て、彼らは何故か落ち着きを取り戻す。

 視覚イメージというのは、時に聴覚イメージを凌駕するのだ。

「渚君か。何かあったのかね?」

「大した事では無いけど、報告を一つ。別働隊が壊滅したよ」

 衝撃の事実に冬月達は表情を強張らせる。直ぐさま青葉と日向が端末で確認をするが、それはカヲルの言葉を肯定する結果に終わった。

「反応ロスト。応答ありません」

「マジかよ。あのメンツには、保安諜報部も……プロも入ってたのに」

「トラップが仕掛けてあったのさ。それも、かなりえげつない物が」

「ふっ、無茶をしおる。伊達に老舗旅館を名乗っていないか」

 絶望的な状況下だが、男達は何処か心躍る物を感じていた。リスクの無いゲームは楽しくない。これこそが、覗きの醍醐味なのだと本能で理解していたのだ。

「戦況は圧倒的不利か。さてどうする……」

「正面突破がおすすめですね。手入れは行き届いて居ますが、古き建物には必ず穴が存在する」

「なるほど。古典的ですが、それもまた面白い」

「気配を殺して近づこう。心を落ち着けて、呼吸を乱すな」

「さあ行くよ。おいで、リリスの子供達」

 カヲルに導かれる様に、男達は湯船からそっと立ち上がり、最後の戦いへと挑むのだった。

 

 

 

 数時間後、男達は近江屋の中庭に居た。身体に布団を巻かれ、足首を縛った縄で木から吊されている姿勢で。

「あなた……少しはご自分の立場を考えて下さい」

「ゆ、ユイ……」

「冬月先生もです! 全くいい年して、何を考えているんですか!」

「す、すまないユイ君」

 逆さづりのまま、浴衣姿のユイからお説教を受けるトップ二人。当然女性職員達からの株は大暴落だったが、それでも二人は何処か満足気だった。

 

「あんたね~……呆れて言葉も出ないわよ」

「面目ない。だが葛城、一つだけ言わせてくれ」

「何よ?」

「……綺麗だった。他の誰よりもお前が一番、な」

「な、何馬鹿言ってんのよ……」

 お説教の筈が、すっかり惚気ムードになっている加持とミサト。元々恋人関係の二人には、今回の一件もそれ程影響を与えなかった様だ。

 

「時田博士。貴方はもう少し理性的な人だと思ってましたわ」

「ははは、すいません。ただ美しい女性を前にして、どうしても歯止めが……」

「あら、良かったじゃないのりっちゃん。脈ありみたいよ?」

「母さんは黙ってて! 時田博士、覚悟して下さいね」

「お手柔らかに頼みます」

 赤木親子に説教を受ける時田は、引きつった笑みを浮かべるのだった。

 

「トウジの馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」

「す、すまん。ホンマにすまん。出来心やったんや」

「ウルトラ馬鹿ね。男の子ってどうしてこうエッチなのかしら」

「トウジの事信じてたのに……」

「言い訳のしようも無いわ。わしはお前の裸がみたくて、やってはいかん事をやってもうた」

「ふ~ん。で、どうだったの?」

「……ホンマに綺麗やった」

「トウジ……」

 二人の空気に当てられたように、アスカは舌を出しながらその場を離れた。

 

「……言い残す事はある? あっても聞かないけど」

「ふふ、悔いは無いよ。君達には未来が必要だ。特にシイさんにはね」

「う゛ぅぅぅ」

「……さよなら」

 カヲルはレイにサンドバッグにされながら、それでも幸せそうだった。

 

「不潔、不潔、不潔、不潔」

「あらあら、困った子達ね~」

「青葉……俺はもう、何も思い残す事は無い」

「俺もっすよ、日向さん。凄かったっす」

 日向と青葉は女性職員達にボコボコにされ、真っ赤に腫らした顔で、満足げに笑いながら意識を絶たれた。

 

 こうして近江屋戦線は膜を閉じた。被害甚大の男達だったが、満足げな彼らをみれば、結果として痛み分けといえるだろう。

 ただ別働隊の男達の消息は、依然として不明のままだった。

 




久しぶりに、本気で馬鹿をやった気がします。温泉旅行と言ったら、やっぱり覗きはお約束ですよね。……勿論リアルだと不味いですが。

慰安旅行は一応次回で終わりです。

後日談もこれで20話目。そろそろ折り返し地点を過ぎたと、思いたい所です。因みに以前投稿していた時は全30話だったので、これは確実に超えます。

慰安旅行編と次の話が終われば、割とテンポ良く進むかな~と。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《慰安旅行~第二次近江屋戦線、そして帰還~》

~最後の晩餐~

 

 温泉旅行の楽しみと言えば、温泉の他に豪華な食事があげられるだろう。ゼーゲン一行も例外では無く、近江屋の広間でみんな揃っての食事を楽しんで居た。

 女性陣の怒りが消えた訳では無いが、せめて旅行の間だけでもと言う切実な願いを受けて、渋々であるが覗きの件は後で厳罰を下す事を条件に、ひとまず流された。

 

 過去にゼーゲンの関係者がここまで揃って、食事をする機会など無かった。美味しい料理とお酒もあってか、広間は大いに賑わいを見せている。

「こりゃまた、えらい騒ぎやな」

「でも、皆さん楽しそう」

 盛り上がるスタッフ達に少々圧倒されながら、トウジとヒカリは並んで食事をしていた。子供達を除くほぼ全員がお酒を飲んでおり、素面の彼らとはテンションに差が出来てしまう。

「酒って、そない美味いんかな?」

「飲んだことが無いから分からないわよ。でも、シイちゃんを見ちゃったから」

「ま、ありゃ例外やろ。シイやし」

 僅かなアルコールでも酔っ払い、幼児退行したシイを思い出して二人は苦笑を浮かべる。そんな彼らの元に、キョウコが近寄ってきた。

「こんばんわ~」

「へ? あ、えっと、惣流のおっかさんの……」

「惣流・キョウコ・ツェッペリンよ。アスカちゃんがお世話になってます」

「そ、そんな、こちらこそお世話になってます」

 ペコリと頭を下げるキョウコに、ヒカリは居住まいを正して礼儀正しくお辞儀をする。彼女には病気療養していたキョウコが、治療を終えて日本に来たと知らせていた。

「うふふ、二人ともアスカちゃんから聞いてた通りの子ね」

「はぁ。因みに何て聞いとります?」

「いつもジャージを着てる関西弁の熱血馬鹿と、その恋人の可愛らしい女の子って」

 ニッコリ微笑むキョウコに、悪意は欠片も感じられ無かった。だからトウジも怒ることが出来ずに、困った様に乾いた笑いを浮かべる。

「は、ははは、えらいストレートですな」

「でもいざという時は勇気のある、そこそこ頼りになる男の子とも言ってたわ」

「惣流がでっか?」

 驚くトウジに頷くキョウコ。エヴァでの実戦を通じて、アスカはトウジの事を密かに認めていた。大切な友人の恋人として許せる程に。

「だから一度お話して見たかったんだけど~。想像通りで嬉しくなっちゃった」

「こりゃまた、参ったわ……」

「うふふ、ねえヒカリちゃん。こんな素敵な彼氏、逃がしちゃ駄目よ」

「は、はい」

 微笑むキョウコに、ヒカリは顔を真っ赤にして頷くのだった。

 

「あら、二人ともグラスが空ね。注いでも良いかしら?」

「勿論ですって、そりゃ何です?」

「うふふ、ドイツのぶどうジュースよ。とっても美味しいの」

 キョウコは瓶に入った赤い液体を二人のグラスに注ぐ。まるで血の色の様な赤。自分達の知ってるぶどうジュースとは少々違っていたが、ドイツは本場だからとトウジは勝手に納得した。

「んじゃ、頂きますわ」

「頂きます」

 ゴクリと一口飲んだ瞬間、トウジは口の中に広がる渋味に思い切り顔をしかめた。ここが旅館でなければ、盛大に吹き出していただろう。

「な、なんや、これ」

「あらどうしたの?」

「キョウコさん。これホンマにぶどうジュースでっか?」

 疑うようにトウジはキョウコを見つめる。するとそこにアスカが近寄ってきた。

「もうママったら。挨拶回りするって言って、何処に居るかと思えば……」

「ごめんねアスカちゃん。今この子達にお酌してたの」

「ふ~ん、……って、それワインじゃないの!!」

 キョウコが手にしている瓶を見て、アスカは思わず叫んでしまう。自分の母親が未成年に飲酒を強要していると知り、引きつった顔がにわかに青ざめる。

「や、やっぱそうか……。ど~も苦いと思ったんや」

「あらあら、間違えちゃったみたい」

「何処をどうしたら、ジュースとお酒を間違えられるのよ!」

「まあ、そう怒るなや。幸いわしも一口だけで済んだし」

「……いえ、手遅れだったわ」

 苦渋に満ちた表情を浮かべるアスカ。その視線の先には、先程から一言も発していないヒカリが居た。普段のきっちりした姿は何処へやら、浴衣をだらしなく着崩して赤く染まった肌を露出している。

 トロンとした瞳は、間違い無く彼女が酔っ払った事を周囲に教えていた。

「ひ、ヒカリもシイと同じ人種やったか……」

「日本人には多いらしいけど……てかママ! ヒカリを酔いつぶしちゃ駄目でしょ」

「怒っちゃいやよ。わざとじゃ無いのに~」

「わざとだったら、本気で怒ってるわよ」

 母親に説教するアスカを余所に、トウジはどうにかヒカリを正気に戻そうとする。だが完全に別世界へ旅立ったヒカリからは、まともな反応が返ってこなかった。

「あかん。こりゃ完璧に潰れとるわ」

「あら大変」

「ママのせいでしょ!」

「休ませてあげた方が良いわ。鈴原君、彼女を部屋まで連れて行ってくれるかしら?」

 全く悪びれないキョウコだったが、休ませると言う意見は的を射ていた。トウジはヒカリを抱きかかえると、部屋へと運んでいこうとする。

「もう布団が用意してある筈だから、寝かせてあげなさい」

「そうするわ」

「あ、そうそう。大切な事を言い忘れてたわ」

 ポンと手を叩くキョウコに、トウジは歩みを止めて振り返る。

「多分朝までみんなはしゃぐと思うから、ごゆっくり~」

「な、なななな」

「……ママ、ちょっとこっちに来て」

 顔を真っ赤に染めたトウジの前で、キョウコはアスカに引きずられていった。

 

 

 キョウコにたっぷりと説教をしたアスカは、大きなため息をつきながら大広間を見回す。すっかりお酒が回った大人達は、そこかしこで大騒ぎをしていた。

「ふっ、もう終わりですか、冬月先生?」

「馬鹿を言うな。まだまだこれからだ」

「うふふ、二人とも良い飲みっぷりですわ。さあもう一杯」

 ゲンドウと冬月は、ユイからのお酌で飲み比べの真っ最中。両者とも既に顔は真っ赤だったが、互いに勝ちを譲るつもりは無いようだ。

「ごくごく……問題無い」

「ぐびぐび……ぬるいな」

「はいもう一杯どうぞ」

「ごくごく……冬月先生、そろそろ限界では?」

「ぐびぐび……まだだ。アブソーバーを最大にすれば耐えられる」

「うふふ、お酒に強い男の人って素敵ですわ」

 微笑むユイは、既に限界を迎えつつある二人を上手に煽りながら、男同士の飲み比べを楽しんでいた。するとそこに、ワインを手にしたキョウコが乱入する。

「ユイ、飲んでるかしら~」

「あらキョウコ。私は……」

「えいっ!」

 ユイの返事を待たずに、キョウコは手にしたワインの瓶を口に突っ込んだ。勢いよくユイにワインが流し込まれ、あっという間に一本空にしてしまう。

「美味しいでしょ?」

「…………」

 一言も発すること無く、ユイは女神の様な微笑みを浮かべたまま、コテンと身体を横に倒した。安らかな寝息を立てる姿は、男達に絶大な破壊力を誇る。

「ユイは、昔から酒に弱かった……」

「なるほど。シイ君のあれは彼女の遺伝か」

「ああ。さて、私はユイの介抱をしなくては」

「まあ待て。それは私がやろう」

 同時に立ち上がろうとしたゲンドウと冬月は、互いに無言で視線を交わす。しばしの沈黙。そして二人は座り直すと再びグラスを手に取った。

「勝った方が、で良いな?」

「問題ない」

 眠るユイの前で二人は飲み比べを再開した。それを心底楽しそうに見つめていたキョウコは、勝負の結末を見届けずにその場をそっと離れた。

 

(ママ……次は何処に行くつもりなの?)

 あちこちにトラブルを起こしては去って行くキョウコを、アスカは見逃さないように視線で追った。次に彼女が向かったのはシイ達の席だった。

 

「そろそろ機嫌を直してくれないかな?」

「ふ~んだ。カヲル君なんか知らないもん」

「……女の敵」

 覗き行為よりもその後の発言によって、シイは完全にへそを曲げてしまった。カヲルはどうにか機嫌を直して貰おうと、色々と懐柔策をとるのだが結果は芳しくない。

「やれやれ。君達は誤解しているようだ」

「つ~ん」

「……ぷい」

「彼女達は既に成長を終えている。つまり、これ以上にはならないと言う事さ。でも君達は成長の余地を残している。無限の可能性を秘めているんだよ」

 力説するカヲルに、ピクリとシイが反応を示す。

「ほ、本当?」

「勿論さ。そして僕は成長を促進する手段を知っているが、試してみるかい?」

「うん、やる」

「……駄目。それは罠よ」

「ふふ、全てはリリンの流れのままに」

 シイに手を伸ばすカヲルと、それを阻止しようとするレイ。いつも通りの展開だったが、そこにキョウコが乱入者として現れた。

「あらあら、楽しそうね~」

「キョウコさん?」

「おや、珍しいお客さんだ」

「……どうも」

 ニコニコ笑顔で近づいてきたキョウコに、三人は動きを止めて挨拶をする。

「何のお話をしてたのかしら」

「た、大した事じゃ無いんです。……じぃぃ」

「……この人も敵」

 浴衣姿のキョウコは、シイとレイにとって憧れでもあり嫉妬の対象でもあった。そんな二人から向けられる視線にキョウコは首を傾げつつも、三人のグラスへ勝手にワインを注ぐ。

「折角の宴会なのに、グラスが空じゃ駄目よ。さあ、飲みましょう」

「で、でもこれお酒ですよね?」

「……未成年の飲酒は法律で禁止されているわ」

「ふふ、葡萄酒も飲めないなんて、君はまだまだお子様のようだね」

 レイを挑発するように、カヲルはくいっとグラスのワインを一気に飲み干した。そして、にやりと皮肉を込めた笑みを浮かべる。

「それでシイさんを守れるのかい?」

「あ、あの、関係無いと思うんだけど……」

「……ぐい」

 レイは両手で持ったグラスを、カヲルと同じように一気に飲み干した。初体験のアルコールが彼女の身体に一気に染み渡っていく。

「あらあら、良い飲みっぷりね~」

「れ、レイさん!? 大丈夫?」

「……ええ、もんらいないわ」

 顔色も表情も変えないレイだったが、既に呂律が回っておらず、赤い瞳も何処か虚ろだった。

「おや? ひょっとしてもう酔ってしまったのかい?」

「……いえ、全然酔ってにゃい」

 間違い無く酔っているのだが、本人が否定する以上追求するのは野暮だろう。何より久しぶりに優位に立てたカヲルは、実に楽しげな笑みを浮かべながらレイにボトルを差し出す。

「くっくっく、ならもう一杯いこう。君とこうして杯を交わすのも悪くないからね」

「……もりゃうわ」

 レイの身体はユイの遺伝子を元に造られている。アルコールの耐性も受け継いでしまっている訳で、二度三度とワインを飲んだレイは、コテンと横になって眠りに落ちた。

 

 

「ぜ~は~、危ないところだったわ」

 荒い呼吸をしながら、アスカは額に浮かんだ汗を拭う。あの後シイもキョウコの毒牙にかかり、いつものように幼児退行を起こした。

 流石に不味いと判断したアスカは、全速力でシイの身柄を確保して、カヲルから彼女を守った。とは言えこの状況では安全な場所は無く、仕方なく眠っているシイを胸に抱いて保護するしかなかった。

「にしても……これは酷いわ」

 もはや大広間に、素面の人間は残っていなかった。いや、まともな思考が出来る人間が残されていないと言った方が正確だろう。

 そんな乱痴気騒ぎの影には、常にキョウコの姿があった。ワインを武器に次々とネルフスタッフを沈めていく姿は、ある意味で撃墜王と言えるかもしれない。

 

「まあ、ママもその内飽きるでしょ。そろそろ良い時間だし、シイを連れてあたしは退散すると……」

「ア~スカちゃ~ん」

 そっと大広間から撤退しようとしたアスカの肩を、キョウコが優しく掴む。

「ま、ママ……」

「アスカちゃんったら、全然飲んでないじゃない」

「ちょ、ちょっとね。えっと、そろそろ寝る時間だから……」

「夜はこれからよ」

 肩を掴むキョウコの手からは、逃がさないぞ、と言う意思が明確に伝わってくる。シイを抱っこした状態で、それに抵抗出来る訳も無く……。

 

 第二次近江屋会戦は、生存者一名という結果を持って幕を閉じるのだった。

 

 

 

 

~帰還~

 

 乱痴気騒ぎから一夜明けた大広間には、ネルフスタッフ達があちこちに転がったまま放置されていた。ふすまを全開にしても漂う酒臭が、行われていた宴会の壮絶さを物語る。

「困りましたわね」

「ええ、でもお客様ですし」

「おはようございます。何かお困りですか?」

 すがすがしい顔で朝を迎えたキョウコは、大広間を覗き込んで何やら困り顔をしている仲居達に声を掛けた。

「あら、お客様。実はもう朝食のお時間なのですが」

「見ての通りの状況でして。無理にお起こしするのも……」

「も~みんなお寝坊なんだから」

 根本的な原因が自分であると、一欠片も認識していないキョウコは、呆れ顔で大広間に横たわるスタッフ達を見つめる。強者共が夢の後。そんな句が浮かびそうな光景だ。

「しょうがないわね~。すいませんけど、フライパンとお玉を貸して貰えます?」

「はぁ、それは構いませんが、何をなさるのですか?」

「私が責任を持って、みんなを起こします」

 自信満々に微笑むキョウコに、仲居達は首を傾げながらも頼まれた物を用意した。キョウコはそれを受け取ると、右手に持ったお玉を思い切り左手のフライパンに叩き付ける。

 甲高い金属音が鳴り響き、木から鳥達が一斉に羽ばたく。そして大広間からは、この世の終わりの様な絶叫が近江屋に響き渡るのだった。

 

 

「うぅぅ……頭痛いよ」

「まだ頭の中にしびれが残ってるわ」

「ふふ、流石の僕も、これはきついね」

 朝食を終えたスタッフ達は、帰路につく前に売店で土産物を品定めしていた。二日酔いに加えてキョウコの音攻撃を受けた彼らは、一様に頭を抑えながら顔を歪めている。

「でも留守番してくれた人達に、お土産を買っていかないと……」

「……超絶マグマ饅頭ね」

「へぇ。随分と物騒な名前だけど、どんなお菓子なんだい?」

「口の中でマグマが広がるで」

 そっとカヲルの耳元でささやくトウジ。食べたものにしか分からない、極限まで鍛え上げた辛さ。トウジはあれから三日間、食べ物の味が全く分からなくなった。

「ふふ、それは興味深い。僕も一つ買っていこうかな」

「うん。確かこのあたりに……あれ?」

「……無いわね」

 売店の一角に、お土産のお菓子が大量に積まれていたが、そこにマグマ饅頭は無かった。キョロキョロと近くを探すが、どうにも見当たらない。シイは店員に尋ねてみることにする。

「すいません。前にここで売ってた、超絶マグマ饅頭ってありますか?」

「あ~あれね。評判が悪くて販売中止になっちゃったのよ」

「え~そんな~」

 残念そうなシイの背後で、トウジを始めとする犠牲者達が納得の表情で頷いていた。あんなものを販売していて、苦情が無い筈が無い。

「その代わりと言っては何だけど、『極限マグマ饅頭』が新発売になったの」

「「!!??」」

 想定の範囲外の展開に、犠牲者一同は目を見開いて驚く。苦情が出て販売中止になったのに、何故そう言う結論に到達するのか全く理解出来ない。普通は永久追放だろうと。

「美味しいんですか?」

「食べてみる?」

 店員はレジ裏からサンプルを取り出すと、蓋を開けてシイ達に差し出す。弐号機を思わせる真紅の饅頭を、レイが一つ手にとって口に運び、そのままもぐもぐと咀嚼をして飲み込んだ。

「レイさん、どうかな?」

「……美味しい。前のよりも、もっと辛くなってるわ」

「へぇ。それじゃあ僕も一つ……これは美味しい。リリンの生み出した文化の極みだよ」

(あいつら……舌壊れとるんちゃうか?)

 饅頭を絶賛するレイとカヲルに、トウジは初めて人間の限界と壁を感じるのだった。

 

 

 その後、ネルフ一行はバスで第三新東京市へと戻っていった。シイが買い込んだ極限マグマ饅頭は、留守番していたスタッフ達に泣いて喜ばれ、後に本当に泣かれる事になる。

 

 




惣流・キョウコ・ツェッペリン。本作で文句なしに最強キャラの彼女が、少しだけその力のベールを脱ぎました。
天然のトラブルメーカーという設定は、育成計画の影響を色濃く受けています。

慰安旅行編はこれにて完結です。
次は後日談っぽくない、少し本編ちっくな感じの話を入れようかと。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《祝福の日(前編)》

~レイの不安~

 

 中学校の短い春休みが終わりに差し掛かったある日、レイはゼーゲン本部のユイの元を訪れた。珍しい来客に驚きつつも、ユイは執務室へレイを招き入れる。

「今日はどうしたのかしら?」

「……相談があります」

 レイの言葉にユイは驚きと同時に、嬉しさを感じていた。家族となってからも何処か遠慮があるのか、レイはユイを頼ろうとしなかったからだ。

 もう一人の娘が自分を頼ってくれた。ユイは小さく笑みを浮かべると、レイに頷いて見せる。

「遠慮せずに言って頂戴」

「……シイさんの事です」

「シイの?」

「……はい。春休みに入ってから、シイさんに避けられています」

 少し落ち込んだ様子で告げるレイに、ユイの顔が険しくなる。シイとレイは友人として姉妹として、自分の目から見ても良好な関係を築いていた。それが急に変わるとは思えない。

「気のせい……と言えない何かがあったのね?」

「……はい」

 レイはユイにここ最近の出来事を伝える。

 

 最近自分に内緒で、シイが何処かに出かけている。こっそり後をつけてみると、ファミレスで自分以外の友人達と何やら楽しそうに談笑をしていたのだ。

 それも一度や二度では無く、このところ毎日続いている。後で何をしていたのかと聞くと、気まずそうに話題を逸らされてしまう。

 

 話を聞き終えたユイは、あごに手を当てて考え込んでしまった。

 シイがレイを嫌って遠ざけるとは思えない。だが今の話が本当ならば、確かに避けられていると言える。ユイは眉をハの字にして、シイの行動理由を必死に探っていた。

「……私は邪魔な存在なのですか?」

「っっ! 馬鹿言わないで!!」

 レイの言葉に思わずユイは声を荒げてしまう。

「貴方は私の娘なのよ。それは何があっても変わらないわ。お願いだからそんな悲しい事を言わないで」

「……すいません」

「いえ、私の方こそ怒鳴ってごめんなさい」

 頭を下げるレイの姿を見て、ユイは大きく息を吐いて冷静さを取り戻す。弱気になっている娘を相手に、怒鳴るなどもってのほかだ。

「貴方は必要な存在よ。私とゲンドウさん、そしてシイにとってもね」

「……でも」

「ねえレイ。貴方はシイの事が好き?」

「はい」

 即答するレイにユイは頷くと、更に言葉を続ける。

「シイもそう。だからちょっとだけ、信じてあげて貰えないかしら」

「…………」

「きっとあの子には何か事情があるんだと思うわ。貴方に言えない何かが」

「……はい」

 ユイの言葉に頷くレイだったが、心のしこりは消えなかった。自分はシイの家族で良いのか、隣を歩いても邪魔では無いのかと言う不安は、第三者では決して解消する事は出来ないのだから。

 

 一礼して執務室を去って行ったレイを見送ると、ユイは深いため息をつく。

「はぁ~。駄目な母親ね」

 レイが自分の言葉に納得しきれていないと分かっていても、それ以上のアドバイスが出来なかった。何より娘が悩んでいる事を、今の今まで察する事が出来なかった。

 ユイが母性溢れる女性だと言っても、実際に母親として生きていたのはシイがまだ幼い間。彼女はまだ母親として未熟なのだ。

「……それにしても、シイの事は気になるわね。何か考えがあるとは思うけど」

 彼女にとってシイは自慢の娘だが、困ったところも少なくない。自分譲りの頑固さもそうだが、純粋さ故に無自覚に他人を傷つける事がある。

「一度、ゲンドウさんに相談した方が良いかしら」

 娘と同じ様に、母親もまた悩むのだった。

 

 

~すれ違い~

 

 本部を後にしたレイは、自宅に向けてトボトボと歩いていた。表情こそ普段通りだったが、親しい人が見れば一目で彼女が落ち込んでいると分かるだろう。

(……私はどうすれば良いの)

 以前に比べて交友関係が広がったレイだが、その中心はやはりシイだ。そんなシイに拒絶される事は、レイにとって何よりの恐怖だった。

 俯きながら歩いている彼女の元に、不意に聞き覚えのある声が届いてきた。

「本当にありがとうね、カヲル君」

「ふふ、これくらいお安いご用さ」

(!!??)

 顔を上げたレイは視線の先にシイとカヲルを見つけ、慌てて二人から見えない様に身体を隠した。煩いほど高まる鼓動を必死で抑えながら、気配を殺して二人の様子を伺う。

「もしカヲル君が居なかったら、何回かお店を往復してたもん」

「確かにこの量を運ぶのは、女の子には少しきついね」

 路地の角から二人の後ろ姿を見ると、シイとカヲルの両手には買い物袋が握られていた。確かにあれを一人で運ぶのは、シイには無理だろう。

(……買い物? でもそれなら私に言ってくれれば……)

 モヤモヤした気持ちを抱えながら、レイは気づかれないように二人の後を尾行する。

 

「準備は順調みたいだね」

「うん。みんな手伝ってくれてるから、明日には間に合いそう」

「それは何よりだ」

(……明日? 明日に何があるの?)

 自分の知らない事を楽しそうに話すシイとカヲルに、レイの心は大いに乱れていた。

「となると、残る問題はレイだね」

「そうだよね……。明日は家に居ると思うから」

 突然出てきた自分の名に驚くと同時に、シイの残念そうな声を聞いたレイは、目の前が真っ白になった。まるで自分が家に居ては邪魔だと、そう言うニュアンスが感じられたからだ。

「確かに彼女が居たら意味が無いね。どうにか外に連れ出せないかな?」

「う~ん。お父さんとお母さんにお願いして、本部で時間を潰して貰うとか」

(……私は……貴方の邪魔なのね)

 立ち止まったレイから、シイとカヲルは遠ざかっていく。傷心のレイにはもう、二人を追いかける気力は残って居ない。だから……この後続く二人の言葉を聞くことが出来なかった。

 

「レイさん、きっと喜んでくれるよね?」

「勿論だよ。誕生パーティー。それもサプライズパーティーなんて、彼女には初めての経験だろうから」

 

 

 

~父親と母親~

 

 業務終了後、ユイは司令室に居るゲンドウを尋ねた。いつもとは違う困った様子のユイに、ゲンドウと冬月は驚きを隠せない。

「どうしたユイ」

「何かトラブルかね?」

「ええ、相談したいことがあります」

 ユイは二人に事の次第を説明した。

「シイ君がレイを避ける? それはあり得ないだろう」

「私もそう思いますわ。でもレイが嘘をつくとも思えません」

「ふむ。だとすると、シイ君には何か考えがあり、それはレイに隠さなければならない、か」

「……心当たりがある」

 頭を悩ませるユイと冬月に、ゲンドウが静かな声で告げる。

「あなた。教えて下さい」

「今日が何日か知っているか?」

「まだ呆けてはおらんよ。三月二十九日だ」

「そうだ。そして以前シイから、レイの誕生日を聞かれた事がある」

 ゲンドウの言葉を聞いて、ユイと冬月は全てを理解した。明日はレイの誕生日。シイはレイ以外の友人達と何かを話し合っていた。つまりは驚かせるつもりなのだろうと。

 

「可愛らしい考えだとは思うが……」

「あの二人にはまだ早かったですわね」

 隠し事が出来ないシイと、繋がりを失う事を恐れるレイ。サプライズパーティーを開くには、この姉妹はまだ子供過ぎたのだ。

「今回の件はすれ違いに過ぎん。明日、パーティーが開かれれば、自然と解決するだろう」

「そうだな」

「私達もレイへのプレゼントを買っておきましょうね」

 ホッと胸をなで下ろす三人。

「……ああ。勿論君へのプレゼントも用意している」

「当然私からも贈らせて貰うよ」

「あら? うふふ、ありがとうございます」

 自分の誕生日を憶えていて貰えた事に、ユイの表情にようやく笑顔が戻る。思えば誕生日を祝って貰ったのは、初号機の実験前が最後。実に十年ぶりなのだから。

「ん……そう言えば碇。シイ君に話したんだろうな。ユイ君も明日が誕生日だと」

「…………」

「おい、まさか」

「……忙しかった。言い訳はしない」

「それを言い訳と言うのだ。とにかく早く連絡しておけ」

「ああ」

 ユイに聞こえない様、ひそひそ話をする二人。娘が自分の誕生日を知らなかったと分かれば、ユイが悲しむのは目に見えているのだから。

 

 

~想い届かず~

 

 その夜、ゲンドウとユイはシイに事の真相を確かめた。彼女の口から語られた計画は、二人の予想通りレイに秘密で誕生回を企画し、驚かそうと言う物だった。

 やはりシイはレイを嫌っていないと安堵した二人は、レイの不安をシイに打ち明ける。

「貴方の気持ちは分かるけど、ちょっとやり過ぎたわね」

「……うん。私……」

 喜ばそうと言う相手を逆に傷つけてしまった。シイは自分の行動に後悔し、力なくうなだれる。そんな彼女の頭をゲンドウが優しく撫でた。

「その気持ちがあれば良い。ならばせめてレイを安心させてやれ」

「貴方がレイの事を好きだと、伝えてあげて」

「うん」

 シイは両親の言葉に頷くと、自分の部屋に居るであろうレイの元へと向かう。隠し事が出来ないと言われていた為、今までレイとの会話を避けてしまっていた。

 自分の行動がどれだけレイを傷つけたのか、そう思うと申し訳無い気持ちで一杯になる。

(ごめんねレイさん)

 もうばれても構わないから、レイとお話をしよう。自分が見たいのはレイの喜ぶ顔なのだから。シイは軽く深呼吸をすると、レイの部屋をノックする。

 だが返事は無い。二度三度とノックを続けるが、それでも反応は無い。

「もう寝ちゃったのかな……。レイさん入るね」

 スッと襖を開けると部屋の中は真っ暗で、レイの姿は無かった。不思議に思ったシイが明かりをつけると、綺麗に折りたたまれた布団の上に、一通の手紙が置かれている事に気づく。

 

「私に?」

 宛先に自分の名前が書かれている封筒を手に取り、シイは中から一枚の紙を取り出す。二つ折りされた手紙には、ただ一言だけ記されていた。

 

『さよなら』

 

 その言葉を目にした瞬間、シイは目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちた。

 

 




少し前に話が出ていた、三月三十日の誕生日編です。
これが中学二年生のシイが体験する、最後の大きな出来事ですね。
ちょっと重めの話になりますが、より高くアホへと飛び上がる為の、バネだと思って頂ければと思います。


ある意味最悪の引きですが、後編は倍以上のボリュームがあるので、やむを得ずここで区切らせて頂きました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《祝福の日(後編)》

~レイ、逃げ出した後~

 

 物音に気づいたゲンドウ達が慌ててレイの部屋に入ると、倒れているシイとその手に握られていた手紙を見つけた。二人はシイを介抱しながら、己の甘さを悔いる。

「……これ程思い詰めていたとは」

「私のせいです。相談を受けていたのに、何も答えられなかったから」

「それは気づかなかった私も同罪だ」

 ゲンドウはユイの肩を軽く叩くと、直ぐに携帯電話を取りだして連絡を行う。

「私だ。レイの居場所は分かるか?」

「申し訳ありません。司令の家を出て直ぐに、監視をまかれました。現在、所在不明です」

「……分かった」

 ゲンドウは携帯電話をしまいながらため息をつく。優しい気持ちから始まった出来事は、すれ違いの末に最悪の状況に向かっていた。

(……問題無い。この程度のトラブルを乗り越えられずに、何が家族だ)

 ゲンドウはかけていないサングラスを直す仕草をすると、事態の収束に向けて動き出すのだった。

 

 

~レイとカヲル~

 

 レイが碇家から姿を消してから、大体半日ほどが過ぎた。太陽が第三新東京市を明るく照らす中、レイは第一中学校の教室に一人立ち尽くす。

(ここも……もう来る事は無いのね)

 多くの思い出を貰った場所。シイとアスカ、友人達との優しい記憶が詰まった教室。レイが名残惜しむように机を軽く撫でていると、不意に彼女へ声が掛けられた。

「やれやれ、随分と感傷的なんだね」

「……何しに来たの?」

「それはこっちの台詞だよ」

 敵意むき出しのレイに、カヲルはおどけつつも真剣な視線を向ける。

「書き置き一枚で失踪。ちょっと酷いんじゃ無いかな?」

「……貴方には関係無いわ」

「でもシイさんにはあるだろ?」

「…………もう関係ないもの」

「それは冗談で言ってるのかい? もし本気なら……流石に僕も怒るよ」

 教室の入り口から窓際のレイへと歩み寄るカヲル。普段は穏やかな彼にしては珍しく、その顔や声色にはハッキリと怒りの感情が表れていた。

「何故僕がここに来たのか……分かるかい?」

「……知らない。興味無いもの」

「シイさんに頼まれたからだよ。君に謝りたいから、どうかもう一度会わせて欲しいとね」

 カヲルの言葉にレイの表情が驚愕に歪む。自分を嫌い、避けていた筈のシイが、もう一度自分に会いたいと言うなんて思いもしなかった。

「彼女から許可を貰ってる。今ここで全てを話そう」

 

 

 カヲルから全てを聞いたレイは、呆然とした表情で椅子に座り込んでしまう。全身が震え、自分の足では立っていられなかった。

「無自覚とは言え君を傷つけた事は事実だ。シイさんも深く反省している」

「…………」

「ただ彼女の行動は君への好意から。それだけは信じて欲しい」

 嘘では無い。それはカヲルの目を見れば分かる。分かるからこそ、今のレイにはシイを信じられなかった自分に対する、罪悪感が溢れかえっていた。

「……私は、シイさんの隣に居る資格が無いわ」

「それを決めるのは君じゃ無い。シイさんだ。そしてシイさんは君を待っている」

「……シイさんは私を許してくれるの?」

「それを決めるのもシイさんだね。まあ、直接会って聞けば良いさ。僕はあくまでお手伝いだから」

 カヲルはあくまでレイを連れ戻すだけ。後は本人同士で解決する問題なのだから。

「気持ちの整理がついたのなら本部へ行くよ」

「……本部?」

「碇家はパーティーの準備中だからね」

 今回の一件。ユイはシイの友人達には、カヲルの除いて伝えていなかった。なので今頃碇家では、アスカ達が飾り付けや料理の準備で動き回っているだろう。

 全てはレイのために。レイの笑顔のために。

「……分かったわ」

 レイは瞳の奥に熱い何かを感じながら、カヲルに頷くのだった。

 

 

~父親と娘~

 

 ゼーゲン本部の司令室で、ゲンドウとレイは二人きりで向かい合っていた。冬月とカヲルは気を遣って席を外している。

 無言で見つめ合う二人だったが、やがてゲンドウはレイに近寄ると、優しくその身体を抱きしめた。

「……司令?」

「あまり親に心配をかけるな」

「……はい。すいません」

「お前の不安に気づけなかった、私達にも落ち度がある。すまなかった」

 シイとユイに抱きしめられた事はある。だがこうしてゲンドウに抱擁されたのは、記憶にある限りでは初めてだった。母や姉とは違う大きく力強い温もりが、レイの心に安心を与える。

「レイ、これだけは憶えておいてくれ。私達は家族だ」

「……はい」

「そして家族はどんな時でも味方だ。例え世界中が敵になろうとも、私達はお前の味方だ」

「……はい」

「お前がシイを守る様に、私とユイがお前を守る。だからもっと……頼ってくれ」

 父親からの言葉に、レイは抱きしめ返す事で了承の意を表した。

 

 

~姉と妹~

 

「どうやら解決した様だな」

「ああ。渚にも世話になった」

「ふふ、お気になさらずに。お父さんの頼み、断れる筈がありませんよ」

 図に乗ったカヲルの発言に、ゲンドウとレイは悔しそうな顔をする。今回は相当借りを作ってしまったので、いつも通り実力で黙らせる事が出来なかった。

「さっきユイさんから連絡があったよ。もう準備は出来たから二人を連れて来て、との事さ」

「分かった」

「……シイさんは何処に?」

 不思議そうに尋ねるレイに、ゲンドウは言いづらそうに視線を逸らす。

「う、うむ。シイは今、ゼーゲン中央病院に居る」

「っっ!?」

「ふふ、そう心配する事は無いさ。僕も今朝会ったけど、軽い怪我だからね」

 落ち着かせようとするカヲルの言葉だったが、レイの耳にはシイが怪我と言う単語だけが残る。自分が居ない間に何があったのかと、レイはゲンドウに説明を求めた。

「シイは、だな。お前の手紙を見てショックから意識を失った。そして今朝目覚めて直ぐ、お前を探しに行くと家を飛び出そうとして……玄関で盛大に転んだ」

「……え?」

「右足首捻挫に左膝の打撲。手と顔に多少の裂傷もあるが、いずれも軽傷だ」

 本来なら家で安静にしているべきなのだが、シイはレイを探しに行くと言って聞かなかった。パーティーの準備を手伝うことも出来ないので、ゲンドウが治療と身柄確保の為に病院に連れ込んだのだ。

 

「何を言っても聞こうとしないので、やむを得ず渚に手助けを求めた」

「僕が必ず君を連れてくるからと説得して、ようやく落ち着いてくれたんだ」

「……私のせいで」

「どう受け止めるかは自由だが、少なくとも今の君の顔を見て、シイ君は喜ばないと思うね」

 落ち込むレイを冬月がさりげなく励ます。内罰的なのが悪いとは言わないが、それも度を過ぎれば悪癖に変わる。今回の件については、レイだけに責任がある訳では無いのだから。

「これからシイを迎えに行く。冬月、後を頼む」

「ああ。ユイ君によろしくな。それとレイ……誕生日おめでとう」

「……ありがとうございます」

 冬月に見送られて、三人は司令室からゼーゲン中央病院へと向かうのだった。

 

 

 シイの病室に辿り着くと、ゲンドウとカヲルはレイだけを入室させる。今回の一件を解決させるには、二人だけの時間と場所が必要だと考えたからだ。

 恐る恐る病室の中に入ったレイは、ベッドの上で不安げに膝を抱えているシイの姿を見て、表情を曇らせる。彼女の右足首に包帯が巻かれ、顔と両手には沢山の絆創膏とガーゼが貼られていた。

「……シイさん」

「れ、レイさん!?」

 入り口に立っているレイを見て、シイはベッドから飛び降りて駆け寄ろうとする。だが、捻挫している右足を思い切り踏みしめてしまい、痛みからバランスを崩し、床に盛大に倒れ込んだ。

「シイさん、大丈夫?」

「うぅぅ……」

 レイは倒れたシイに駆け寄り、身体を抱き起こす。

「ありがとうレイさん」

「……気にしないで。貴方が怪我をしたのは、私のせいだから」

「転んだのは私がドジだからだよ。それにレイさんを傷つけたのは私だもん」

 レイがシイの背中を抱き起こしているので、二人は至近距離で見つめ合う。

「……ごめんなさい。私、レイさんの気持ちを考えないで、酷いことしちゃってた」

「……私もごめんなさい。勝手に勘違いして、貴方を疑ってしまったわ」

「これからも、一緒に居てくれる?」

「……これからも一緒に居たい」

 傷だらけのシイの身体をレイは優しく包み込む。シイは久しぶりに感じるレイの温もりの中、小さな声でお願いをする。

「あのね、一つだけレイさんにお願いがあるの」

「……何?」

「私は自分で何も出来無い子供だから、レイさんに愛想尽かされちゃうかもしれない。でも、でもね、お願いだから……黙って居なくならないで」

 胸に抱きしめたシイの顔から、涙が流れているのが分かった。自分の無配慮な別れの言葉が、彼女を深く傷つけたのだとレイは改めて自覚する。

「……ええ。約束するわ」

 小さなすれ違いから始まった一件は、二人の絆を一層深く結びつけて幕を降ろすのだった。

 

 

 

~初めての誕生日会~

 

 ゲンドウが運転する車でシイ達三人は、碇家へと戻ってきた。見事に装飾された室内と豪華な料理が、誕生日の主役の到着を華々しく出迎える。

「おかえりなさい、あなた、シイ。そして……レイ」

「……はい。ご迷惑をおかけしました」

「心配はしたけど、迷惑なんかじゃ無いわ。貴方は娘で、私は母親なんだから」

 レイをそっと抱きしめるユイ。もうシイとのすれ違いは解消したと聞いていたので、あえて掘り下げる事はせずに、無条件に彼女を受け止める。

「さあ。もうみんな待っているわ。主役の到着を、ね」

「……はい」

 ユイの言葉通り、リビングにはアスカを初めとする友人達と、隣人のキョウコと加持、ミサトの姿があった。全員がクラッカーを手にしており、パーティーの始まりを今か今かと待ちわびている。

「おっそ~い。主役が遅れてどうすんのよ」

「まあまあ。今日はレイの誕生日なんだからさ」

「そやで。にしても……シイは酷い有様やな」

 レイに肩を借りてピョコピョコと歩くシイを見て、参加者達は表情を曇らせる。転んで怪我をしたので準備に参加出来ないと聞いていたが、予想以上の状態だった。

「あ、あはは。ごめんね、準備を手伝えなくて」

「それは気にしなくて良いの。けど大丈夫なの、シイちゃん?」

「うん。全然平気だよ」

 グッと握り拳をつくるシイ。正直な所痛みはかなり残っているが、折角の誕生会に水を差す事は無いだろう。シイはレイの手を借りて、事前に用意してくれていた座椅子に腰を下ろす。

 それに続いてゲンドウとレイ、カヲルも席に着き、主役と参加者が全員揃った。

 

「……ほら、あんたが発起人なんだから、挨拶しなさいよ」

「う、うん。えっと座ったままで失礼します」

 アスカに脇腹を小突かれ、シイは緊張した面持ちで一同に言葉をかける。

「本日はレイさんの誕生会をしたいという、私の我が儘に協力して下さり、ありがとうございます。私の大切なお姉さん……みたいな妹が生まれたこの日を、みんなで祝って貰えたら嬉しいです」

 シイの挨拶に参加者は揃って微笑みながら頷くと、そっと手に持ったグラスを掲げる。

「それでは、碇レイさん。誕生日おめでとう」

「「おめでとう」」

「……ありがとう」

 グラスが重なる音が響き、レイの生まれて初めての誕生会が始まった。

 

 

~そしてもう一人~

 

 賑やかな雰囲気の中、テーブルの上に誕生ケーキが運ばれてきた。だがそれを見たシイは、不思議そうに首を傾げる。

「あれ? どうして二つあるの?」

「おかしくないやろ。何せ今日は、レイとユイさん、二人の誕生日やからな」

「あ、そうなん……えぇぇ!!」

 さも当然と答えたトウジに、シイは驚きの声をあげた。慌てて周りを見回せば、自分以外の全員は知っていたのか、寧ろ知らなかったのかと不思議そうな視線を向けている。

「あんた、まさか自分のママの誕生日を知らなかったの?」

「うぅぅ……うん」

 アスカの言葉にシイは申し訳無さそうに俯いてしまう。自分の親の誕生日を知らないのは、流石に言い訳出来なかった。父親であるゲンドウの誕生日は知っているのだから。

「ま、まあ君の場合、事情が事情だからな」

「ユイさんが初号機に取り込まれたのは、まだシイちゃんが小さい頃だし」

「ん~でもお友達はみんな知ってたのよね~」

 折角加持とミサトがフォローを入れたのに、キョウコがそれを台無しにしてしまう。アスカは母親から、トウジ達は誕生会への参加を加持達に頼んだときに聞いていた。

 当然シイも知っていると思っていたため、あえて伝える事は無かったのだが。

 

 何とも言えぬ空気がリビングに漂う。一同は少し緊張した様子でユイの様子を伺うが、ポーカーフェイスの彼女からは感情の変化を読み取れない。

 ただ娘が自分の誕生日を知らなかったと分かれば、良い気分では無い筈だ。

「……シイ」

「お、お母さん。ごめんなさい。私……」

「あら、何を謝るの?」

 頭を下げるシイに、ユイはおどけた様子で微笑む。

「貴方が知らないのは当然よ。お父様とお母様は絶対に教えないだろうし、ゲンドウさんが私のデータを全て抹消してしまったんですもの。ですよね、あなた?」

「う、うむ」

 ちらっとユイに視線を向けられ、ゲンドウは冷や汗を流しながら頷く。実験事故以降、ゲンドウはレイとの関連性を疑わせない為に、ネルフの力でユイのデータを抹消した。

 なのでユイの誕生日を知っているのは、それ以前から親交があった人間と、加持の様に独自ルートで情報を入手した人間に限られる。

「だから貴方が謝る事なんて何も無いわ。ほら、涙を拭いて」

「う、うん……」

 ユイとシイのやり取りを見ていた一同は、ホッと胸をなで下ろすと同時に、心に暖かい物を感じていた。

 

 

~結局何歳?~

 

「……これは何?」

 レイは手に取った小さなろうそくを、興味深げに見つめる。初めての経験なのだから、何故ろうそくがここにあるのか理解出来ないのだろう。

「ふふ。誕生日のケーキには、年齢の数だけろうそくを立てるのさ」

「立てたろうそくに火をつけて、一息で吹き消すの」

「ま、やってみた方が早いんじゃない? えっと十四本ね」

 アスカとヒカリがろうそくをケーキに立てていくが、不意にレイが待ったを掛ける。

「何よ」

「……私は十四才じゃ無いわ」

「あんた馬鹿ぁ? 中学二年生なら十四才でしょ?」

「……私が生まれたの、2004年だもの」

 突然のカミングアウトに、アスカ達は暫し言葉を失う。

 レイはサルベージされたユイの遺伝情報を元に、ネルフによって造られた。ならば当然、生まれたのはユイが事故にあった後となる。

「成る程。確かにそうだな」

「司令?」

「……ああ、間違い無い」

 ミサトの確認に産みの親であるゲンドウが頷いた。

「あらあら、そうなるとレイちゃんは~」

「ひぃふぅみぃ……十一才かいな」

「ふふ。どうやら誕生日云々ではなく、本当にシイさんの妹だったんだね」

 からかうようなカヲルの物言いに、レイ以上にショックを受けている人物が居た。

 

「レイさん……十一才……私は十四才……うぅぅ」

「き、気にしちゃ駄目よ。ほら、成長って個人差があるし」

 年下のレイと自分の身体を見比べて、思い切り凹んだシイに、ミサトが慌ててフォローを入れる。アスカほどではないが、それでもレイもスタイルは良い方だ。

「そうよシイ。あまり他人と比べるのは良くないわ」

「うん。きっとシイちゃんは、これから成長期なのよ。……多分」

 口々に慰めの言葉をかける面々。すると沈黙を守っていたキョウコが、スッとシイの背後に回り込む。

「ね~シイちゃん。大きくする方法を教えてあげましょうか?」

「本当ですか!?」

 振り返ったシイは、期待に満ちた視線をキョウコに向ける。

「ええ。それはね~」

 キョウコはシイの耳元で何やら囁く。一体何を吹き込んだのかと、キョウコをよく知るユイ達が不安げに見守る中、シイは小さく頷くと、ゲンドウを真っ直ぐ見つめる。

「お父さん」

「な、何だ」

「私の胸をも――」

 シイから発せられそうになった爆弾発言は、鬼気迫る表情で口を押さえたユイによって食い止められた。

「キョウコ! あなた何て事を吹き込むの!!」

「え~だって~。私には効果あったし、ユイも葛城さんもそうじゃないの?」

 予期せぬ所から飛んできた爆弾発言に、場の空気が凍り付いた。

 ゲンドウと加持は咳払いをしながら視線を逸らし、ユイもミサトも頬を赤く染めるだけで言葉を紡げ無い。シイとレイ以外の子供達も恥ずかしそうに俯いていた。

 そんな中、待ってましたとカヲルがシイの隣に近寄る。

「シイさん。僕で良ければ何時でも協力するよ」

「本当?」

「勿論……さ……」

 ユイ、レイ、アスカのトリプル攻撃を受けたカヲルは、何処か満足げな笑みを浮かべながら沈んだ。

 

 

 まだ気まずい空気が残る中、どうにかケーキに十一本のろうそくが立てられた。続いてユイのケーキにろうそくを立てようとして、アスカとヒカリの手が止まる。

「その……ユイお姉さん。ろうそくは何本立てれば」

「今年で二十八才になるわ」

「え゛」

「二十八本でお願い」

「は、はい」

 娘であるシイが十四才である以上、それが実年齢で無い事はアスカにも分かる。分かってはいるが、逆らうことなど出来はしない。

 震える手でろうそくを立てるアスカだったが、それに待ったを掛ける命知らずが居た。

「え~違うわよ。ユイは私と同い年なんだから、今年で三十八才でしょ?」

「ま、ママ……」

「えっとこうして、うんこれで良し」

 呆然とするアスカからろうそくを取ると、キョウコは太いろうそくを三本、小さなろうそくを八本。きっちに実年齢分立てて見せた。

「おめでとうユイ。もうすぐ四十才ね」

「……ありがとうキョウコ。そうね……私もそんな歳なのね」

 十年の空白があるユイにとって、二十七才の次が三十八才と言うのはショックなのだろう。満面の笑みで祝福するキョウコに、ただ力の無い渇いた笑いを浮かべ、呟く事しか出来なかったのだから。

 

 

~プレゼント~

 

 ろうそく消しもどうにか終わり、切り分けたケーキをみんなが食べ終えると、誕生会のメインイベントであるプレゼントを参加者が取り出す。

 初めての誕生日プレゼントに戸惑いながらも、レイは丁寧にお礼を言いながら受け取る。化粧道具や小物など様々な贈り物の中、一際みんなの注目を集めたのは、シイからのプレゼントだった。

「……マフラー」

「うん。見た目は悪いけど、ちゃんと暖かいと思うよ」

 手編みの贈り物は珍しく無いが、それがマフラーとなれば話は別だ。セカンドインパクト以来、四季が失われた日本では使う事が無いのだから。

 そんな疑問を察したのか、シイは少し照れたように頬を掻きながら、レイに視線を向ける。

「私はいつか、地球をセカンドインパクトが起きる前に、元気な地球に戻したいの」

 シイの抱く希望がどれほど困難で、時間がかかる物かを大人達は理解していた。あの生命力に溢れたこの星を、かつての姿に戻す事など、正直無理なのでは無いかと思ってしまう程に。

「勿論簡単な事じゃ無いのは分かってる。でもみんなが力を合わせれば、きっと出来るとも思うの」

「……そうね」

「だからこれから先、日本に冬って言う季節が来たら……それを使って欲しいな」

 これは必ず地球を回復させて、レイに自分の編んだマフラーを使って貰うと言う、シイからの明確な決意表明だった。

「……ならシイさんの誕生日には、私もマフラーを贈るわ」

「うん。楽しみにしてるね」

 遙か先の未来に希望を抱き、シイとレイは微笑み合うのだった。

 

 

 

 もう一人の主役、ユイにもプレゼントが贈られた。こちらも様々な贈り物が手渡され、特にゲンドウが贈った指輪は夫婦の絆を深めるのに一役買った。

「……どうしよう」

 嬉しそうなユイの顔を見ていたシイは、自分一人だけが何も用意していない事を悔やむ。するとそんなシイに、復活したカヲルがそっと近づき、助け船を出す。

「ふふ、お困りの様だね」

「うん。変な物を贈っても、困らせるだけだし」

「僕に良いアイディアがあるよ。今この場で用意出来て、確実に喜んで貰えるものがね」

 天の助けとはこの事か、とシイはすがるような視線をカヲルに向ける。

「本当、カヲル君?」

「君さえよければ、直ぐにでも手配するよ」

「うん、お願い」

 カヲルは恭しく一礼すると、何処からかプレゼント包装用のリボンを取り出す。

「良いかい? 僕が合図をしたら、ユイさんにこう言うんだ。ごにょごにょ……」

「?? それで良いの?」

「ふふ、間違い無く彼女は喜ぶよ」

 イマイチカヲルの意図を理解出来ないシイだったが、ユイの喜ぶ顔が見たいと、直ぐに決断した。

 

「私やる。お願い、カヲル君」

「仰せのままに」

 カヲルはみんなの注意がユイに集まっている隙を狙って、シイの全身に赤いリボンを巻き付ける。

「今だ!」

「うん。お母さん!」

「あら、どうしたの……シイ?」

 呼び声に反応してシイへ顔を向けたユイは、リボンでラッピングされた娘の姿に戸惑う。そんなユイに向かって、シイはカヲルから授けられた言葉を発する。

 

「あの、私がプレゼントだよ」

 

 その瞬間、リビングに居た全員が思いきりむせかえった。古典的ながらも絶大な破壊力を誇るそれを、まさかシイがやるとは思いも寄らなかったからだ。

「し、シイ。一体何処でそんな事を……はっ!」

「ふふふ」

 こんな事を吹き込むのは一人しか居ない。ユイが元凶に鋭い視線を向けると、既にカヲルはリビングの隅へと避難を終えていた。

「渚君。どう言うつもりかしら?」

「シイさんの望みを叶えただけですよ」

「ぬけぬけと……」

「おや、気に入りませんか? シイさんが貴方を喜ばせようと頑張ったのに」

 大げさに残念がるカヲルの言葉に、シイは悲しそうな顔で俯いてしまう。カヲルの真意を理解していないシイからすれば、単純に母親が怒っていると言う認識なのだから。

「ごめんねお母さん……嬉しくないよね」

「くっ。やってくれるわね」

「いつもお世話になっている事への、ほんのお返しですよ」

 散々シイへのアプローチを邪魔されていたカヲルからの、ささやかな反撃。ユイは大きく息を吐くと、シイを抱きしめながらカヲルに怖い笑みを向ける。

「この借りはいつか返すわよ。……シイ、ありがとう。とっても嬉しいわ」

「あ、えへへ」

 強張っていた母親の顔が笑顔になった事で、シイは照れたように笑う。イマイチ自分がプレゼントという意味が分からないが、それでもユイに喜んで貰えた事で満足だった。

 

 

 賑やかなリビングを眺めながら、レイは静かに物思いにふける。

(誕生日……この世に生まれ、健やかに育った事を祝う日。とても大切な日)

(家族……生活共同体。味方。大切な人達との絆)

(おめでとう……祝福の言葉。初めての言葉。心が暖かくなる言葉)

 初めての誕生会を通して、レイの心には沢山の思いが芽生えていた。それらを一つ一つ、自分の中で整理しながら、噛みしめるように反芻する。

 

 十一才の誕生日。碇レイは一つ大人になった。

 

 




前後編に分けた三月三十日。アホタイムを期待された方には申し訳ありませんが、少しだけ真面目な話にさせて頂きました。
ユイとレイの誕生日は、物語的な面からもあまり茶化したく無かったので。

ただその分、シイの誕生日はスーパーアホタイムになるでしょう。ネルフやゼーレが総力を挙げて……収集がつかないかも。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《加持リョウジと葛城ミサト》

 

~男の決意~

 

「ただいま。今帰ったぞ」

「お帰り加持。キリンにする? サッポロにする? それともエビス?」

「おいおい、何だそりゃ?」

「ドラマで見てね、ちょっちやってみたかったのよ」

「出来れば忠実に再現して欲しかったな」

 玄関まで出迎えてくれたミサトに、加持は苦笑しながら鞄を手渡す。同棲生活にもすっかり慣れ、そんな動作が自然と出来るようになった。

「もち風呂は沸かしてあるわ。食事は……インスタントだけど」

「十分さ。先に飯を貰おうかな」

 加持が自室で着替えを終えてダイニングに向かうと、温められたインスタント食品が湯気を立てて並べられていた。これを手抜きと捉えるか愛情と捉えるかは、ミサトをどれだけ知っているかによるだろう。

 因みに加持は後者だ。出された食事に何の不満も持たずに、箸をつける。

「最近忙しいみたいね」

「ん、ああ。規制する情報と開示する情報の線引きで、ちょいと揉めててな」

「いきなり全部は出せないか……」

「少しずつ、だな」

 ネルフが所持隠蔽していた情報はあまりに多い。その中には地下の巨人やロンギヌスの槍、カヲルとレイの正体など、開示できない情報も存在する。

 情報部と保安諜報部には世界のバランスを崩さない、繊細な仕事が求められていた。

「そっちはどうだ?」

「開店休業って感じね。エヴァも凍結してるし、規模の縮小と配置転換の話も進んでるわ」

 加持の問いかけにミサトは肩をすくめて答える。使徒の襲来が終結し、他組織との関係も良好な今、戦術作戦部はその役割をほぼ終えていた。

 事実ミサトが現在行っているのも、過去の出撃や戦闘の詳細な報告書作り。直属の部下である日向にも、他部署から異動の話が出ていた。

「まあ、その方が平和な証だな……」

「何よ、どうしたの?」

 不意に真剣な表情に変わった加持に、ミサトはビールを飲みながら尋ねる。

「……なあ、葛城。お前はこれからどうするんだ?」

「いきなり何言い出すのよ」

「使徒はもう殲滅した。真実も知った。お前がゼーゲンに残る理由は無いだろ?」

「そ、そりゃそうかもしれないけど」

「組織の再編は良い機会だと思う。ここらで身を落ち着けないか?」

 ミサトは缶ビールを手放して、加持と視線を合わせる。冗談や思いつきで言っている目ではなく、間違い無く本気の提案だと伝わってきたからだ。

「でも流石にこの歳で無職って訳にもいかないじゃない」

「……自分で言うのも何だが、俺はそこそこの給料を貰ってる」

「知ってるわよ」

 ゼーゲンの職員は国際公務員なので、平均以上の給料を貰っている。加持は特殊監査部の主席監査官なのだから、給料も相当なものだろう。

「今の状況でゼーゲンが潰れる可能性は、限り無く低いだろう」

「でしょうね」

「まあつまり……お前を養う事くらいなら出来るって事だ」

 加持が言わんとしている事を察し、ミサトは緊張した面持ちでその先の言葉を待つ。喉はからからだったが、ビールを飲む余裕は無かった。

「それに、何だ。俺もお前もいい歳だし、何時までも同棲って訳にもいかないだろう」

「……加持、それって」

「もしお前にその気があるなら……結婚しないか?」

 加持の瞳は何処までも真っ直ぐに、ミサトを見つめていた。

 

 

 

 翌日、ミサトはリツコを無理矢理連れ出し、本部のバーで飲んでいた。加持から突然告げられた結婚の申し込みに動揺した彼女は、誰か相談できる相手が欲しかったのだ。

「て、訳なんだけど……」

「呆れた。貴方、惚気話を聞かせる為に私を連れ出したの?」

 カウンター席に並んで座るリツコは、ため息をつきながらカクテルを飲み干す。仕事が山積みなのに、大事な相談があるからと付き合ったのに、まさか惚気話を聞かされるとは思いもしなかった。

 そんなリツコの態度に、ミサトは頬を膨らませて不満を表す。

「ちょっと、本気で悩んでるんだって」

「はぁ。あのね、何を悩む事があるのよ。貴方、リョウちゃんの事好きなんでしょ?」

「そ、それはそうだけどさ」

「もう子供じゃ無いのよ? 同棲までしてる男女が、結婚するのは当然の流れじゃない」

 リツコの言葉は的確だった。大学時代ならいざ知らず、今ではもうミサトも加持も立派な大人だ。社会的地位も財産もあり、結婚するのに何一つ障害が無い。

 寧ろ何時までも同棲生活を続けている方が、世間体は良くないだろう。

「分かってるんだけどさ。いざそうなると……」

「それでプロポーズを保留したの? 今回は全面的にリョウちゃんに同情するわ」

「むぅ~」

 返す言葉が見当たらず、ミサトはテーブルに頭を着けてうなり声をあげる。

 プロポーズに動揺してしまったミサトは、加持への返事を待って貰っていた。彼も自分の申し出が突然だと自覚していたのか、文句一つ言わずにそれを了承した。

 加持は笑っていたが、心の中ではショックを受けていたのかもしれない。

 

「戸惑っているだけなら、もう返事は決まってるんでしょ? 何をそんなに悩むのやら」

「……本当に私で良いのかなって」

「どう言う事かしら」

 不安げに呟くミサトに、リツコは意味が分からないと問い返す。

「私は料理出来ないし、家事だって素人同然。誇れるものなんて、白兵戦技能くらいでしょ?」

「否定はしないわ」

「そんな私が妻として、加持を支えていけるのかなって、ちょっち不安なのよ」

 自分がだらしない人間だとはミサトも認識している。加持と同棲する様になってから、以前よりも大分マシになったとは言え、家事も余所様から見ればまだまだだろう。

 果たしてそんな自分が加持の妻となる資格があるのか。ミサトは答えを出せないでいた。

 

「……前から思ってたけど、貴方って本当に馬鹿ね」

「な、何よそれ」

 バッサリと自分の悩みを切り捨てるリツコに、ミサトは顔を上げて反応する。

「あのね、貴方達は結構長い付き合いで、しかも今は同棲してるんでしょ?」

「まあそうなるわね」

「貴方が家事能力全滅なのも、ずぼらなのも、だらしないのも、リョウちゃんは全部知ってるの」

 リツコの言葉は一切の容赦が無い分、気遣いの嘘も含まれてはいない。

「それを承知で、リョウちゃんは貴方を選んだのよ。何を悩むって言うのよ」

「…………」

「男と女はロジックじゃないわ。世間一般の価値観では貴方が妻として不適当だとしても、リョウちゃんにとっては貴方以上の妻は居ないの。……もう少し素直になっても良いんじゃ無い?」

 リツコにとって、ミサトと加持は親友と呼べる数少ない存在。その二人が結ばれる事を喜びこそすれ、下らない理由ですれ違う事を黙って見過ごすのは忍びなかった。

 黙り込むミサトの表情が、先程とは変わった事を察して、リツコは満足げにカクテルをあおった。

 

 

 同時刻、第三新東京市の繁華街にある居酒屋で、加持は時田と酒を酌み交わしていた。二人は年齢も近く常識人同士と言う事もあってか不思議と馬が合い、今でも付き合いが続いている。

 こうして男二人で飲むことも珍しいことでは無い。だが酒の肴に加持から告げられた話は、時田にとって少々予想外な事であった。

「ほう、遂に決断されましたか」

「ああ。ま、返事は保留されちまったがな」

「照れているだけですよ。貴方達二人は今でも、夫婦に見える程お似合いですから」

 ミサトと加持は年も近く、どちらもネルフの優秀な職員。そして並んで歩く姿は美男美女のカップルと言う、時田からすればまさにお似合いの二人だった。

 更に加持とミサトが相思相愛なのは、誰の目にも一目瞭然。それは同棲を始めてから一層顕著で、職員の間からは、まだ結婚していないのかと言う声すらあがっていた。

「では今日は、少し早い祝杯と行きますか」

「奢ってくれるのは助かるな」

「おや、抜け目が無い。まあ良いでしょう。今後は色々と物入りでしょうから」

 加持と時田は苦笑しながら、日本酒の入ったコップを軽く合わせた。

 

「結婚と言っても戸籍上夫婦になるだけで、生活自体は今と変わらないさ」

「心構えが変わりますよ。守る者が居るというのは、男にとって何よりの支えになりますから」

「時田博士は確か……」

「ええ、妻とは死別しました。セカンドインパクトでね」

 加持がかつて謎に挑んでいた時、協力者となった時田の個人情報を調査していた。データ上では離婚と記されていたが、あの惨劇によって幸せを奪われた犠牲者だったのだ。

「もう十五年も前の話です。お気になさらず」

「そう言ってくれると助かるよ」

「一度結婚を経験してますから、段取りなど何でも相談に乗りましょう」

 ドンと胸を叩く時田に加持は本心から感謝する。社交的な加持だが、本音をさらけ出せる相手はほとんど居ない。時田の存在は彼にとって、密かに大切なものへと変わっていた。

 

 

 その後、家に帰った加持は、ミサトからプロポーズの返事を貰った。

 友人、恋人、同僚、同士、そしてまた恋人と、様々な関係を過ごした二人だったが、遂に夫婦という男女の終着点に辿り着くのだった。

 

 




『真実は君とともにある。迷わず進んでくれ。もしもう一度会えることがあったら、8年前に言えなかった言葉を言うよ』
原作で加持がミサトの留守電に残したメッセージです。その後二人が出会うことは無く、結局加持の伝えたかった言葉は不明でしたが……プロポーズだったのかも知れません。

悲恋に終わったカップルでしたが、この小説では結婚という結末を迎えます。ネルフの数少ない常識人として頑張ってきた二人ですので、報われても良いですよね。

ここから少しの間、結婚狂騒曲が続きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《リョウジとミサト》

 

~ウエディングスタンバイ~

 

 翌朝、加持とミサトは碇家を訪問し、結婚の報告を行った。朝食中だった碇家の面々は、突然の報告に驚きこそしたものの、直ぐさま二人の結婚を祝福する。

 仲睦まじいミサトと加持を見ていて、いずれはこうなるだろうと思っていたのだ。

「うふふ、とってもおめでたい事だわ」

「ああ。ゼーゲンの総力をもって、君達の門出を祝おう」

「おめでとうございます、ミサトさん、加持さん」

「……おめでとう」

 とりわけ二人の結婚を喜んだのはシイだ。家族として暮らしていた女性が、思い人と結ばれる。それは彼女にとって本当に嬉しい事だった。

「ミサトさん……本当におめでとうございます」

「うん。ありがとうね、シイちゃん」

 歩み寄ってきたシイを、ミサトは優しく抱きしめる。だが不意に、シイが不思議そうに眉をひそめた。

「あの、ミサトさん。ひょっとして赤ちゃんいます?」

「「!!??」」

「な、ななな、何を言い出すの!?」

 身に覚えが無いと言えば嘘になるが、それでも現在の所ミサトに妊娠の兆候は出ていない。突然の指摘に、ミサトは思い切り動揺を見せる。

「ミサトさんのお腹、前よりも出ているから……あっ!」

「ふ、ふふふ」

 時既に遅し。シイが失言に気づいた時には既に、ミサトの額には血管が浮き出ていた。そのままミサトはシイの頭に手を乗せると、思い切りわしゃわしゃと力任せに撫でる。

「うぅぅ、ごめんなさい。つい本音が……うぅぅぅ」

「シイちゃん、私から一つアドバイスね。発言はオブラートに包みましょう。良い?」

「ご、ごめんなさいぃぃ」

 二人のじゃれ合いを、ダイニングの面々は微笑ましく見守って居た。いつの日かミサトがこんな風に、自分の子供と触れ合う日が来るのだろうと思い描いて。

 

 

 シイとレイが登校した後、加持達は碇夫妻に色々なアドバイスを貰っていた。何せ身の回りに既婚者が少なく、夫婦揃っているとなると、本当に一握りしかいない。

 結婚式の段取りから夫婦生活まで、ゲンドウとユイは若い二人に親身になって付き合った。

「それと、実は司令にお願いしたいことがありまして」

「私にか?」

「はい。俺達の仲人を頼めないでしょうか?」

 結婚していて、かつ幸せな家庭を築いており、加持とミサト共通の上司。ゲンドウは仲人としての条件を満たしている、希有な人材だった。

「あらあら、この人で良いの?」

「ええ。司令以外に適当な人が居ないので。どうでしょう?」

「……ふっ、問題無い。私に任せておけ」

 ニヤリと笑うゲンドウ。見た目はあれだが、内心は相当喜んでいるようだった。そんなゲンドウの姿に、ユイとミサトは苦笑しながら頷き合う。

「台無しにならないように、私がちゃんと手綱を握るから安心して」

「助かります」

「では俺達はこれで。色々と準備がありますから」

「そうね。何か手伝える事があったら、直ぐに言って頂戴。この人を貸し出すから」

「ユイ!?」

「あ、あはは、お気持ちだけ頂いておきます」

「また相談に伺います。では」

 ショックを受けているゲンドウをひとまず置いて、ミサトと加持は碇家を後にした。

 

 

 

 第一中学校の教室では、アスカ達が加持とミサトが結婚するとシイから伝えられていた。だがアスカのリアクションは、想像していたよりも軽い物だった。

「ふ~ん」

「あれ、アスカは驚かないの?」

「ま、予想してたしね。てか同棲してたんだし、やっとかってのがみんなの本音じゃ無い?」

 アスカの言葉に、トウジ達も賛同するように頷く。若い男女が同棲していて、そのまま結婚すると言われても、さほどの驚きは無かった。

「にしても、加持の兄さんも遂に腹くくったんやな」

「結婚は人生の墓場って言うしね」

「はぁ。ホント男子って、ロマンの無い事いうのね」

 ため息をつくヒカリに、クラスに居た夢見る乙女達が力強く頷いて賛同する。中学生には結婚はまだ遠い未来の事であり、そこに夢を持つのも当然だろう。

「ふふ、結婚か」

「カヲル君も興味あるの?」

「勿論さ。愛し合う男女が結ばれる。それはどんな生物であっても、祝福される事だよ」

「ふ~ん。あんたにしちゃ、まともな事言うのね」

 アスカの皮肉にも、カヲルは微笑みを浮かべるだけ。それはまるで自分には手の届かない宝物を、羨ましそうに見つめている様にも見えた。

 

「式は挙げるのよね。きっと葛城さんは、ウエディングドレスが似合うと思うわ」

「ミサトはスタイル良いからね。黙ってりゃそれなりに美人だし」

 葛城ミサトと言う女性は、一般的に美人の部類に入るだろう。家族の前でしか見せないだらしない姿に目をつぶれば、加持とミサトは美男美女のカップルに間違い無い。

「そうだね。でもちょっとお腹が出てたけど……」

「……アスカと同じ」

「な、何ですってぇぇぇ」

 襲いかかるアスカをレイは軽々と避ける。そして一瞬の隙をついてアスカの手首を掴むと、流れるような動きでギリギリと間接を締め上げた。

 日々洗練されていくレイの技術に、クラス中から感嘆の声があがる。

「かぁ~。相変わらず見事な手並みやな」

「うんうん。ビデオの撮り甲斐があるってもんだよ」

「はぁ。相変わらずなんだから」

「二人とも仲良しさんだよね」

 クラスメイトもすっかりこのやり取りになれてしまったのか、騒ぐこと無く苦笑を浮かべている。本気で喧嘩している訳では無いと、誰もが分かっているのだ。

 

「っったく、いい加減離しなさいって~の。あんたね、こんなんじゃ嫁のもらい手が無くなるわよ」

「……私は結婚しないわ」

「はぁ? じゃあ何? あんたずっと一人で居るつもり?」

「……シイさんと一緒」

 さらっと答えるレイに、アスカは呆れたようにため息をつく。幾ら仲の良い姉妹と言えども、シイが結婚してしまえば、一緒に居ることは難しいだろう。

「あんたね……シイが結婚したら、あんたは一人になっちゃうのよ?」

「……結婚すると思う?」

 レイの言葉にアスカだけでなく、その場にいた全員がシイに視線を向ける。だが残念ながら、シイが結婚する姿を想像出来た者は、誰一人として居なかった。

「ひ、否定できないのが怖い所ね」

「まあシイの場合、状況的にもちょいときついで」

 シイは将来、ゼーゲンの長として働く事を約束されている。そんな立場になれば、結婚も容易ではないだろう。考えれば考えるほど、シイが結婚するという可能性は低くなっていく。

「えっと、ひょっとして私、凄い可哀相な子みたいに思われてる?」

「ふふ、心配無いよ。君の為なら僕は何時でも、ウエディングドレスを用意してみせるからね」

「カヲル君はお裁縫得意なんだね」

 割と直接的なアプローチだったのだが、あえなく撃沈してしまい、カヲルは軽くショックを受ける。このやり取りからも、立場等関係無くシイは結婚しないだろうと、みんなが何となく察した。

 

 

 加持とミサトが結婚する。そのニュースは瞬く間に、ゼーゲン全体へと広がっていった。使徒との戦いが終わった今、ほとんどのスタッフが功労者である二人の結婚を素直に祝福する。

 そんな中、一人の男だけが静かに涙を流していた。

「……葛城さん……お幸せに……」

「日向さん。今日は飲みましょう。俺奢りますよ」

「そ、そうですよ」

「しゃきっとしなさい日向二尉。技術局の若い子も連れて行ってあげるから」

「マジっすか!?」

 リツコの慰めに反応したのは青葉だった。長髪を振り乱して、わりと本気にリツコの提案に食いつく。

「はぁ。貴方が喜んでどうするの?」

「……不潔」

「やれやれ。青葉は減給だな」

「ちょ、ちょっと待って下さいって」

 冷たい視線を向けられ、青葉は焦りながらも必死に反論する。

「俺はただ、日向さんを少しでも元気づけようと……」

「良いんだよ青葉。ありがとう。葛城さんが幸せなら、俺はもう十分だから」

 涙を拭いて眼鏡をかけ直した日向は、何処かすっきりとした表情に変わっていた。思いを伝える事も無かった恋心だったが、彼の中では整理が付いたのだろう。

 そんな心の強さを見せた日向に、一同は頼もしさを感じていた。

 

「これからはシイちゃん一筋で…………ぐぶぅ」

 上がった株は一瞬でストップ安まで下降した。その場に居た全員にボコボコにされた日向は、力なく発令所の床に転がされる。

「冗談は時と場所をわきまえて欲しいわ」

「全くです」

「……シイ君の伴侶となる男は、生半可な者には務まらんよ」

 しみじみと呟く冬月。静かな口調だったが、重みのある言葉だった。

「ですわね。まず父親があの碇司令ですし」

「お母さん……姑がユイさんですよね」

「んで、小姑としてレイも居ると」

「「…………」」

 全員が何となく察した。シイはきっと、多分、恐らく、結婚できないんじゃ無いかと。

 

 そうして月日は流れ、加持とミサトの結婚式の日を迎える。

 




加持とミサトの話の筈でしたが、何だかシイの話になってますね。まあシイとレイ、カヲルの三人は結婚しなそうですが……後ケンスケも。

ミサト結婚編は後二話の予定です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《加持リョウジと加持ミサト》

 

~新たな夫婦の門出~

 

 第三新東京市から少し離れた海辺の教会。そこで今日、一組の男女が夫婦としての門出を迎えようとしている。

 雲一つ無い青空の下で加持リョウジと葛城ミサトの結婚式は、着々と準備が進められていた。

 

「まさか私が受付をやるなんて、想像だにしなかったわ」

「ははは、良いではないですか。貴方は新郎新婦両方の親友ですからね」

 教会脇にある建物、そこは参列者の控え室として用意されており、入り口には礼服姿のリツコと時田が、受付役として待機していた。

「それに貴方の結婚式では、葛城さんが受付役をやると言ってましたよ」

「……遠回しな嫌味ね、それ」

 結婚相手どころか恋人すら居ないリツコには、ミサトの言葉は皮肉たっぷりに聞こえた。勿論ミサトにはそんなつもりは欠片も無いのだろうが、どうしても素直に受け取れない。

「赤木博士ほどの美人なら、いくらでも相手は居るでしょう」

「残念だけど過去も今も、そして未来にもそんな男性は存在しないわね」

「ふむ、世の男達は見る目がありませんね」

 本来ならばこうした話をリツコは好まない。だがこの場に二人しか居ない今、このまま無言で過ごすよりはましかと、時田の軽口に付き合っていた。

「時田博士こそ、再婚は考えませんの?」

「ご縁があればと思っていますが、何せ科学者の妻になろうと言うご婦人は、そうは居ませんので」

 個人差はあるだろうが、科学者は自分勝手な生き物だと時田は自覚している。研究の為に家を空ける事も多く、どうしても家族を二の次に考えてしまう。

 世間一般で言う幸せな家庭を築く事は、なかなかどうして難しい職業だった。

「よほど理解があるか、同業者か。どちらにしてもご縁は少ないでしょう」

「それに関しては同意します」

 しみじみと頷くリツコ。そんな話をしている間に、最初の参列者が姿を見せた。

 

「あら、赤木博士に時田博士。受付役お疲れ様ですわ」

「……ご苦労」

 礼服を身に纏った碇夫妻がリツコ達へと近づいてくる。何度見ても二人並んでいる姿に違和感を覚えるが、これで仲睦まじい夫婦だと言うのだから、世の中分からない。

「お疲れ様です司令、ユイさん。こちらにご記帳をお願いします」

「ああ」

「シイさん達は別行動ですか?」

「ええ。あの子達は友達と一緒に来るわ」

 時田の問いかけに記帳を終えたユイが答える。二人は新郎新婦の手伝いをする為、他の面々よりも大分早い到着となっていた。未婚者の多いゼーゲンにあって、ゲンドウ達の存在は貴重なのだ。

 二人は挨拶もそこそこに、式の準備をするために加持とミサトの元へ向かった。

 

 

 それから暫くすると、結婚式の参列者達が姿を見せ始める。リツコと時田はそれぞれの能力を無駄遣いして、テキパキと丁寧に受付業務をこなしていく。

 ナオコとキョウコの母親組。日向、青葉、マヤのオペレーター組。シイ、レイ、アスカ、カヲル、トウジ、ヒカリ、ケンスケの子供組と、顔なじみの面々も続々と受付を済ませていく。

 そんな中、黒塗りの高級車が教会の前に停車した。運転席から降りてきたスーツ姿の男が、恭しく後部座席のドアを開ける。

「到着致しました」

「……うむ」

 ゆっくりと車から降りてきたのは、キール・ローレンツだった。

「ちょ、ちょっと、あの人って……」

「ええ。ゼーレのキール議長ですね。私も直接見るのは初めてです」

 護衛の男を引き連れて、受付に近づいてくるキールに、リツコも時田も緊張を隠せない。世界を裏で操っていたゼーレのトップが、まさかこんな場所に現れるとは予想出来なかった。

「受付を頼む」

「は、はい」

「そう緊張する必要も無い。今ここに居るのは、ただの老人なのだから」

 バイザーを着けている時点で、ただのでは無い気もするのだが、キールからは言葉通り、周囲を威圧する雰囲気を纏っていなかった。

「失礼ですが、キール・ローレンツさんですよね?」

「ほう、私の事を知っているのか。君もネルフの人間か?」

「技術局の時田と申します。重ねて失礼しますが、新郎新婦とはどういったご関係で?」

「加持の元上司、葛城博士の協力者、そんな所だ」

 ゼーレの元スパイである加持にとって、キールは確かに上司だったとも言える。また葛城調査隊はゼーレによって援助と情報操作を受けていた為、ミサトの父親の協力者と言うのも間違いでは無い。

 善し悪しはともかくとして、キールも加持とミサトの関係者なのだ。

「ですがキール議長。貴方はお忙しいのでは?」

「仕事は他の議員達に押しつけてきた」

「そ、それは流石に……」

「良い。全てはこれで良い」

 何故か満足げにキールは何度も頷きながら、控え室へと姿を消していった。

 

 

 教会に集まった参列者達の前に、花婿の加持が姿を見せる。無精髭をさっぱりと剃った加持は、普段よりも若く凜々しく見えた。

 そんな彼の元に、純白のウエディングドレスを纏ったミサトがやって来る。シイとレイに裾を持って貰いながら、一歩ずつ祝福の拍手が響くウエディングロードを歩く。

 やがてミサトは、差し出された加持の手を取り、二人並んで神父から祝福を受ける。

 指輪の交換と誓いのキスが終わる時には、ミサトの目からは大粒の涙が溢れていた。そんな幸せの涙を、加持が優しく指で拭う。

 新たな夫婦の誕生に、参列した面々は心からの祝福を浴びせるのだった。

 

 

 そして、その時は訪れた。

「ほらほらりっちゃん、前に行きなさい」

「先輩、進路クリアです。最前列に移動して下さい」

「リツコさん。頑張って」

「まあ今回だけは、あんたに譲るわ」

「……最後のチャンス」

 教会のドアの前で、新郎新婦が出てくるのを待ち構える一同。リツコは女性陣のサポートを得て、その最前列にポジションを取ることが出来た。

「お願いだから……優しくしないで」

 ブーケトスを前に全員から気を遣われたリツコは、そっと涙を流した。

 

「みんな~お待たせ~。じゃあお待ちかねの、ブーケトス行くわよ~」

 すっかりいつものノリに戻ったミサトが、右手に持ったブーケを高々と掲げる。古来より花嫁からブーケを受け取った未婚の女性が、次の花嫁になると言われていた。

 リアリストのリツコは迷信だと鼻で笑うが、それでも折角だからと受け取る気満々で身構える。

「葛城、分かってると思うが、くれぐれもりっちゃんを狙うんだぞ」

「勿論よ。私は射撃だけは得意なの。てりゃ」

 ミサトは後ろ向きになって、参列者達へとブーケを放り投げた。それは彼女の狙い通り一直線にリツコの元へと向かって……いたのだが、突然の突風で煽られ、何故か離れた場所に居たヒカリの手に舞い降りた。

 手を上に伸ばした姿勢で固まるリツコに、誰一人声を掛けられない。非常に気まずい沈黙を打ち破ったのは、教会から遅れて出てきたユイだった。

「うふふ、大丈夫よ。こんな事もあろうかと、ブーケを沢山用意したから」

「さっすがユイさん。んじゃ、乱れ打ちよ~」

 天の助けとミサトは、ユイが用意した大量のブーケを次々に放り投げる。女性参列者の数と同数用意されたブーケは、青空を覆い尽くしながら舞い降りていく。

 マヤに、アスカに、レイに、シイに、その他女性職員達にブーケが舞い降りる。だが……何故かリツコの手には一つも届くことは無かった。

 

 絶望に打ちひしがれるリツコ。そんな彼女の元にレイがそっと歩み寄る。そして手にしたブーケを、リツコへと手渡した。

「レイ?」

「……私よりも、赤木博士の方が必要ですから」

「貴方って子は……」

 慈しむように、渡されたブーケを抱きしめるリツコ。気づけばリツコの周りには、ブーケを手にした女性達が集まり、全員がリツコにブーケを譲った。

 両手一杯のブーケは、リツコに胸一杯の暖かな心を与えるのだった。

 

「ええ光景やな。友情ってのはええもんや」

「でもみんな優しいね。折角貰ったブーケをあげちゃうなんてさ」

「ふふ、ブーケの話自体が迷信に近いからね。他の女性達は、それ程焦ってないって事なんだろう」

 少年三人の会話は幸いにして、リツコの耳に届くことは無かった。真実がどうであれ、水を差すのは野暮というものだろう。

 花に包まれて微笑むリツコは、花嫁に勝るとも劣らない輝きを放っているのだから。

 

 生物として不完全な人間だからこそ、次の世代へとバトンを繋ぐ事が出来る。

 恋をして、結婚をして、子供が生まれ、育ち、また恋をして……。永遠に続く生の螺旋。

 この星が愛に満ちている限り、それは終わることは無いだろう。

 人は愛を紡ぎながら、歴史を作るのだから。

 




エヴァンゲリオンはじめました、完。……嘘です。

加持とミサトの結婚は、大きな希望をシイに与えます。彼女がゲンドウと話した未来へのバトンを、ハッキリと形にしましたので。

この後の披露宴を終えれば、結婚狂騒曲は幕を降ろします。
そろそろやり残しを片付け始めましょうか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《夫婦の門出》

 

~暗黙の了解は守りましょう~

 

「……碇ゲンドウだ」

 仲人としてマイクの前に立ったゲンドウの一言に、披露宴会場が嫌な緊張感に包まれた。本日出席している大多数の者がネルフ関係者なので、前回の長いスピーチは彼らの記憶にハッキリと残っている。

「まずは、新郎新婦の新たな門出を祝いたい。おめでとう」

(あなた、その調子よ)

「新郎の加持リョウジは、地元の小学校を優秀な成績で卒業して……」

(ここまでは定型文で良いの。変に凝る必要は無いのよ)

「……現在もゼーゲンの特殊監査部主席監査官として、大変重要な役割を果たしている」

 つつがなく加持の紹介を終え、参列者達からは僅かに安堵のため息が漏れる。

「続いて新婦の葛城ミサトだが……」

(ふぅ、どうやら心配しすぎたみたいね)

「……ネルフでは戦術作戦部長として、見事な指揮を……そこそこな指揮を……まあ、時にはパイロットを危険に晒すこともあったが、どうにか己の責務を全うした」

 素直すぎるゲンドウに、披露宴会場は微妙な空気になってしまった。暗黙の了解として、基本的に新郎新婦の紹介はひたすら褒める事になっている。真実が正解とは限らないのだ。

「また、彼女はパイロット二名の保護者役を買って出る、大変心優しい女性だ」

(そうよ。そうやってフォローを入れるの)

「私の娘、シイの家事能力が向上したのも、ひとえに彼女のずぼらさが大きな要因……な、何をする!?」

「つまみ出しなさい」

 ユイの指ぱっちんで、待機していた保安諜報部員がゲンドウの身柄を拘束し、そのまま会場の外へと引きずっていった。

「……新郎新婦のお二人は、どちらも大変素晴らしい方ですわ。以上でスピーチ終わります」

 加持夫妻の披露宴は、波乱に満ちたスタートとなった。

 

 

~一芸披露~

 

 微妙な空気を振り払おうと、参列者達は己の持ちうる技能を最大限に生かした芸を披露する。ある者は歌を、ある者は隠し芸を、ある者は漫才を披露する。

 少しずつ場の空気が和んできた所で、遂に恐れていた事態、ネタ切れが起こってしまった。

「不味いわね。もう少しでスタート地点まで、空気を戻せるのに」

「お客様の中で、芸をお持ちの方居ませんか~?」

 マヤがマイクで参列者に呼びかけるが、ほぼ全員が持ちネタを出し尽くしてしまった為、その要請に応えることが出来ない。

「ったく、だらしないわね。あんた達は何か特技とか無いの?」

「そない事言われてもな、わしらは普通の学生やで」

「……アスカは?」

「あんた馬鹿ぁ? あったらとっくにやってるわよ」

 いつも通り理不尽なアスカだったが、目立ちたがり屋の彼女が舞台に上がらない以上、それは真実なのだろう。

「ふふ、こうなったら僕が得意の鼻歌を披露しよう」

「……逆効果だと思うわ」

「あ~も~。シイはどう? 何かこう、チェロとか弾けない?」

「うぅぅ、私は音楽苦手だもん。チェロなんて大きくて手が届かないし……」

 もはやここまでかと思われたその時、不意にアスカが閃いた。

「そうだ! あんた妙な特技持ってたでしょ。それで良いからやりなさいよ」

「何かあったっけ?」

「ほらあれよ」

 ゴニョゴニョとアスカに耳打ちをされ、シイは彼女が言わんとしている事を理解した。同時にそれが、こんなお目出度い場所で披露するもので無いことも。

「ねえアスカ。流石にそれは……」

「良いからほら、行くわよ」

 アスカに引きずられながら、シイはステージへと強制的に上がる事になった。

 

「シイ? あなた何か披露できる芸があるの?」

「ユイお姉さん、これです」

 アスカは何処から持ってきたのか、ソロバンをユイに見せつける。それを見てユイは、アスカがシイに何をさせようとしているのか察した。

「……ごめんなさいお母さん。アスカが無理矢理……」

「いえ、この際構わないわ。やってごらんなさい」

「え!?」

「マヤさん。アナウンスお願い」

「はい! 参列者の皆様。これよりシイちゃんによる、ソロバンの披露が行われます!」

 マヤのアナウンスに、会場の視線が一斉にシイへと集まる。カメラを構えた撮影班は、まるでケーキカットの瞬間を撮るかのように、一瞬でステージの前へと集結した。

 異常な緊張感の中、シイは運ばれてきた椅子に座り、机の上のソロバンに手を触れる。

「じゃあシイ、行くわよ。願いましては…………」

 ユイが読み上げる数字を聞いて、シイは右手が見えないほどの速度でソロバンをはじく。相当恥ずかしい状況下なのだが、身体に染みついた技能は本人の精神状態に左右されない。

 電卓全盛期の今、彼女のそれは参列者とミサト達にとって達人技に見えた。

「…………では?」

「はい。百四十五万三千五百二十一円です」

「「おぉぉぉ」」

 迷い無く答えるシイに、会場からは感嘆の声と拍手が溢れる。実際にその答えがあっているかなど、彼らにとってどうでも良かった。

 ただシイが普段見せない真剣な表情で、見事な技術を披露した。それで十分だったのだ。

「えっとお母さん……正解は?」

「うふふ、みんなの反応が答えよ」

 ユイは場の空気を盛り上げた娘の頭を、愛おしげに撫でるのだった。

 

 

~二次会にて~

 

「がづらぎさん、ほんどうに゛おめでどうございまず」

「あ、ありがと……」

 二次会会場で、泥酔した日向から涙混じりに祝福され、ミサトは引きながらもお礼を述べる。気心知れた面々だけで行われた二次会は、あっという間に酒宴へと変貌を遂げていた。

「ぼぐは、ぼぐは、あなだのごどが、ずぎでした……」

「そうだったの?」

「おいおい、気づかなかったのか?」

「日向さん……」

 ミサトに日向が恋心を抱いていた事など、オペレーター達だけでなく、発令所スタッフのほぼ全員が知っていた。知らぬは当人ばかりなり、とは良く言ったものだ。

「だがら、あなだがじあわぜなら、ぼぐもじあわぜでず」

「日向君……」

「がじざん、どうが、どうががづらぎさんを……おね゛がいじまず」

「ああ、約束する」

 加持とがっしり握手をした日向は、満足したようにそのまま眠りに落ちた。余りに純粋な男の、思いを告げられぬ片思いは幕を閉じた。

 と、そんな彼を数名の女性スタッフが、介抱しようと会場の隅へと移動させる。

「あの子達、確か技術局の子よね?」

「ええ。日向二尉は若い女の子に、こっそり人気があるのよ」

「ま、マジっすか!?」

「清潔感のある好青年よ、彼。真面目で実直な人柄だから、当然とも言えるけど」

 予想外のリツコの言葉に、青葉はガックリと肩を落とす。侮っていたわけでは無いが、まさか自分よりも日向の方が人気があるなんて、本気で考えていなかった。

「今のやり取りも、彼の株を上げたでしょうし……新たな恋が生まれるかもね」

「ちくしょぉぉぉ」

 絶叫する青葉シゲル……未だ彼女無し。予定も無し。見込みも無しだった。

 

 

~祭りの後~

 

「ねえ、加持」

「ん、何だかつら……ミサト」

 夜が明け始めている第三新東京市を歩きながら、ミサトはそっと加持へと視線を向ける。

「あんたはさ、本当に私を選んで良かったの?」

「おいおい、結婚初日でそれか?」

「私はずぼらで、がさつで……ずるい女よ?」

「知ってるよ」

 伊達に同棲生活を送っている訳では無い。加持はミサトという女性の、良い面も悪い面も全て知り尽くしていた。今更何を言われても、動じる事などありえない。

「俺は家政婦を雇ったわけじゃ無いさ。加持ミサトって言う、最愛の女性を妻にめとった。それだけだ」

「ん、ごめんね。ちょっち不安になっちゃって……」

「それを受け止めるのは夫の役目だな」

 加持は歩み止めると、ミサトの身体を優しく抱きしめる。登り始めた朝日が照らす街道で、若き夫婦は互いの温もりを確かめ合うのだった。

 

 

~蛇足~

 

「ねえリョウジ。子供欲しい?」

「ああ、子供が居る暮らしってのも悪くないな」

「良かった」

 ほっとするミサトに、加持は小さく首を傾げる。そんな加持にミサトは頬を染めながらそっと耳打ちする。

「……来てないの」

「!?」

「今度病院に行くつもり。シイちゃんに言われたときは、ちょっち驚いちゃった」

「そうか……そうか」

 ミサトを見つめる加持は、今までで一番優しい顔になっていた。

 




ミサトと加持の結婚編は、ひとまず幕を降ろします。若き夫婦の旅立ちに幸あれ、ですね。


登場人物達のエピソードは大体消化出来たので、これからは放り投げ回収編と、シイの成長編をメインに進めていきます。
放り投げ回収編は本編チックなシリアス、シイ成長編は彼女の日常を描いたアホタイムですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《三者面談》

~人類の母~

 

 ゼーゲン本部の地下深くに存在するターミナルドグマ。その最深部に巨大な十字架に貼り付けにされた、白い巨人が居た。ゼーレの紋章が刻まれた仮面をつけ、両手の平を杭で、胸を赤い槍で突き刺された姿は、罪人を連想させる。

 巨人に下半身は無く、球根の様に枝分かれした組織が、腹部から幾多にも伸びていた。

「第二使徒リリス。いや、使徒と言うのは些か不敬かもしれんな」

「ああ。我々人類の母たる存在。このジオフロント……黒き月の主だ」

 冬月とゲンドウは、巨人を見上げながら言葉を交わす。

「しかしこれから先、私達が進む未来には危険な存在、か」

「子はやがて親から巣立つ。人類もその時を迎えただけだ」

 二人の視線を受けたリリスは物言うこと無く、十字架に貼り付けにされたまま動かない。動くはずが無い。ここにいる彼女は抜け殻なのだから。

「処理はどうする?」

「……検討中だ。ゼーレもこの件に関しては、特に神経質になっているからな」

「それも当然か」

「ああ。結論が出るまでここは完全閉鎖。一切の出入りを禁止する」

 ゲンドウの言葉に冬月は納得したように頷く。せっかく死海文書の、神のシナリオの外へと踏み出したのだ。それをサードインパクトで台無しにするわけには行かない。

「……そろそろ行くか。他にも問題は山積みだ」

「分かっている。我々大人が残した問題を、子供に任せるつもりは無い」

 二人はリリスに背を向けると、並んでターミナルドグマを後にした。

 

 

 

 

 第一中学校の屋上、そこではシイ達がいつものように昼食を食べていた。中学三年になっても、七人の少年少女達は何一つ変わらず、学生生活をエンジョイしている。

「こない良い天気やのに、憂鬱やな」

「そりゃ日頃の行いが悪いからだよ。って、これは前にも言ったと思うけど」

 ヒカリお手製の弁当を食べながら、渋い顔で空を仰ぐトウジに、ケンスケが鋭い突っ込みを入れる。

「ほ~。ならお前は全然平気やっちゅうんか?」

「これも前に言ったけど、僕はそれなりの成績を取ってるからね」

「結局、あんたが馬鹿ってのが原因よ」

 ケンスケとアスカの手厳しい言葉に、トウジは反論できずにぶーたれてしまう。彼が頭を悩ませて居るのは、来週行われる三者面談だった。

「先生の話は聞き流していたけど、三者面談とはどんなイベントなんだい?」

「えっとね……先生と私達と保護者の人の三人で、将来について相談するの」

「特に私達は受験生だから、成績の話が多くなると思うわ」

 シイとヒカリの説明に、カヲルは成る程と頷く。確かにそれならばトウジが嫌がる理由も、それ以外の面々があまり問題視していないのも理解出来る。

「ふふ、リリンの文化は面白いね」

「面白無い!」

「あはは……私も来てくれるのは嬉しいけど、成績の話はちょっと」

 この七人の中で、トウジと並んで成績の悪いシイは、苦笑いでトウジに同意する。勉強時間が以前よりも確保出来たため、僅かながら盛り返しているのだが、まだ先行きは暗かった。

 

「てか、あんたの場合は洒落になんないんだから、マジで気合い入れなさいよ」

「う、うん。分かってるんだけど」

「何なら僕が家庭教師をしようか? 手取り足取り教えてあげるよ」

「……必要無いわ」

 黙々とお弁当を食べていたレイが、完食と同時にカヲルを制する。

「……シイさんには私が勉強を教えているもの」

「ふふ、より優秀な教師役を務める自信はあるさ」

 レイとカヲル、二対の赤い瞳が激しい火花を散らし合う。どちらも成績優秀な優等生であるが、テストの結果だけを見れば、僅かにカヲルがリードしていた。

 言外に自分の方が優秀だと告げるカヲルを、レイは忌々しげに睨み付ける。

「まあまあ。二人とも甲乙つけがたいって事で」

「ドングリの背比べね。ま、どっちかって言うなら、レイの方が良いんじゃ無い?」

「へぇ、聞き捨てならないね」

「だってあんた、余計な事まで教えそうだし」

 ジト目でカヲルを見据えるアスカに、トウジ達はつい納得してしまう。人を疑わないシイに、カヲルが教師役を務めるのは色々な意味で危険だ。

「やれやれ、酷い言われようだね」

「……自業自得」

 散々言葉巧みにシイへアプローチをかけていたカヲル。一度ついたイメージと言うのは、そう簡単に消し去る事は出来なかった。

 

 

「そーいや、渚はどないするんや?」

「ん? ああ、三者面談の事だね」

 トウジの言葉に一瞬考え、カヲルは彼の言葉の意図を察する。

「書類上だけど保護者役は居るからね、ご足労願うとしよう」

「あんたの保護者って、ゼーゲンの誰かなの?」

「そうだね……ゼーゲンの一員には、間違い無いかな」

 碇家に引き取られる前のレイは、リツコが保護者役を務めていた。ならばカヲルも、レイと同じ様な対応をするのだろう。

「アスカはお母さんが来るの?」

「モチよ。ママったら張り切っちゃって……大丈夫かしら」

「惣流のお母さんか。やっぱ美人なのか?」

 この中で一人キョウコと会っていないケンスケは、興味深げに尋ねた。

「あったり前でしょ。なんたって、あたしのママなんだから」

「ふふ、まあ彼女がリリンで言う美人の部類に入るのは、僕も認めるけどね」

「……そうね」

 キョウコは文句なしに美人なのだが、慰安旅行などで彼女に直接被害を受けた面々は、何とも言えぬ微妙な笑みを浮かべている。

 彼女が学校に来て、何のトラブルも起きないはずが無いと、誰もが思っていたのだ。

 

「ま、良い機会だし、あんたとシイはしっかり説教される事ね」

「そない言い方あらへんやろ」

「あんた馬鹿ぁ? 今のままだったら、ヒカリと同じ高校に行けないわよ」

 アスカにビシッと指を刺され、トウジは思わず言葉に詰まる。第三新東京市には高校が少なく、必然的にここに居る面々は同じ高校に進学するだろう。

 決して難関校では無いのだが、今の自分には厳しいとトウジにも分かっていたからだ。

「そ、そやな。……ヒカリ、わしに勉強を教えてくれ」

「勿論よ。一緒に頑張ろ」

((ごちそうさま))

 すっかり惚気ムードに入った二人に、アスカ達は苦笑を浮かべるのだった。

 

 

 

~碇レイの三者面談~

 

 授業が午前中で終わり、生徒達が居なくなった三年A組の教室に、三人の人影があった。担任の老教師、碇レイ、そして……サングラスをかけた髭面の男、碇ゲンドウだ。

「ふむ、碇さんのお父さんですか」

「はい。レイは養女ですが、シイと変わらぬ愛情を持って育てております」

「いやいや、ゼーゲンの司令がお忙しい中いらしたのです。それは十分分かってますよ」

 ゲンドウの迫力にも全く動じず、老教師は穏やかな微笑みで答える。

「それで先生。うちのレイはどうですか?」

「学業に関しては何も問題ありません。非常に優秀な成績です」

「……良くやったな、レイ」

「……はい」

 娘を褒められたゲンドウは、口元に笑みを作りながらレイの頭を撫でた。

 

 ネルフの関係で欠席や早退が多かったレイだが、それらはネルフの権限で出席扱いになっていた。更に碇家に引き取られてからは、それらは激減しており、正しく模範的な生徒と言えるだろう。

 老教師の報告を聞き終えた頃には、もうゲンドウの頬は緩みっぱなしだった。

「それで今後の進路ですが……何か考えていますか?」

「進路?」

「ええ。碇さんほど優秀ならば、京大付属などの難関校も狙えると思いますよ」

「……シイさんと同じ高校に行きます」

 即答するレイに、ゲンドウは苦笑しながらも頷いて見せた。かつて自分が人形同然に扱った少女が、自らの意思で道を選んだ。確かな成長を感じたゲンドウは、彼女の意思を尊重する。

「レイのやりたい様にさせます」

「まあ、それが良いでしょう。……しかし彼女と同じ高校ですか」

 表情を曇らせる老教師に、ゲンドウとレイは首を傾げる。

「何か問題が?」

「彼女の志望校は、第三新東京市第一高校ですが……今から頑張ってもギリギリのラインです」

「「…………」」

 暫しの沈黙が、三人の間に流れた。

「まあ真面目な生徒ですから、何とかなるでしょう。……碇は第一高校志望だね?」

「……はい」

「ではこれで面談を終わります。お忙しい中ありがとうございました」

「ああ、問題な……ありません」

 いつもの癖で返事をしそうになったゲンドウは、慌てて丁寧語で返事をすると、レイと共に教室を後にするのだった。

 

「……司令。どうしてここに?」

「ふっ。ユイに駄々をこねて、無理矢理参加させて貰った」

 ゲンドウはサングラスを直しながら、情けないことを堂々と言ってのける。面談を終えて廊下を並んで歩く二人の姿は、事情を知らなければ親子には見えないだろう。

「ユイの方が良かったか?」

「……いえ。司令は私の父親ですから」

 レイを生み出したのは、碇ゲンドウ。目的はともかくとして、その事実だけは揺るがない。

「父親と……思ってくれるか」

「……はい」

「そうか。ならばレイ、私の事をお父さんと――」

「ふふ、お義父さん」

 不意に背後から聞こえた声に、ゲンドウとレイは同時に振り返る。そこには愉快そうな笑みを浮かべている、カヲルの姿があった。

 

「……何故ここに居るの?」

「次は僕の番だからね。居てもおかしく無いさ」

「そう言えばお前の保護者は……」

「私だ」

 ゲンドウの疑問に答える形で、廊下の角からすっと一人の老人が姿を現す。バイザーを着けた独特の風体は、見まごうはずも無いキール・ローレンツだった。

「き、キール議長!?」

「何を驚く。君がレイを生み出した様に、我らもまたカヲルを生み出した。それだけだ」

「……良いの?」

「まあ、大した問題では無いからね」

 かつては造物主を気取ったゼーレとカヲルは離別した。だが転入手続きなどは全てキールの名義で行われており、あの騒動の後に一応の和解をしていた為、カヲルにしてみれば特に問題は無いと認識していた。

「キール議長。貴方はお忙しいのでは?」

「仕事は他の議員に任せてきた」

「またですか……。この間の時も、あの方々は不満だった様ですが」

「良い。全てはこれで良い」

 ゲンドウの言葉を右から左に流し、キールは満足げに頷きながら教室へと入っていった。

「……呆けたの?」

「どうだろうね。リリンにしては、相当長い時を生きているから」

「カヲル。何をしている。先生がお待ちだぞ」

「はいはい。ではお爺さんが呼んでいるのでこれで」

 教室から顔を覗かせるキールに苦笑しながら、カヲルも三年A組へと姿を消すのだった。

 

 

~アスカの三者面談~

 

「え~長いこと教師をやっておりますが……校内で迷子になった方は初めてです」

「アスカちゃん。ママ褒められちゃったわ」

「……褒めてないってか、寧ろ馬鹿にされてるの」

 脳天気に笑うキョウコに、アスカは疲れたようにため息をついた。まさか母親が校内で迷い、校内放送で呼び出されるとは思っていなかった。

 友人達が先に面談を終え、校内に居なかった事だけが幸いだろう。

「先生。早く始めて早く終わって下さい。長引けば……」

「ふむ、そうだね」

 アスカの意図を察して老教師は手早く面談を行う。元々学卒のアスカに成績面で問題がある訳も無く、また外面も良いために彼女の評判は、まさに優等生そのものだった。

 娘をべた褒めされたキョウコは、女神の様な微笑みを浮かべながらアスカを抱きしめる。

「も~アスカちゃんったら。良い子良い子」

「止めてよママ。先生が見てるってば」

「気にしなくて良い。私は見てるだけだから」

「それが問題だって~の!」

 マイペースな大人達に、すっかり自分のペースを乱されたアスカだった。

 

 

~碇シイの三者面談~

 

「碇さんですが……やはり欠席と早退が響いたのか、成績は芳しくありません」

「うぅぅ、ごめんなさい」

「それに関しては、私達両親の責任ですわ。反省しております」

「ただ二年生の三学期からは、少し盛り返してますね。これを維持出来れば、高校合格も見えてきます」

「はい。これからもご鞭撻をよろしくお願いします」

「お願いします」

 スーツ姿のユイとシイは深々と老教師に頭を下げる。

「学校生活は問題ありません。友人も多く、いつも生徒達の中心に居ますよ」

「ふふ、それを聞いて安心しましたわ」

「特に妹さんと渚君とはいつも一緒で――」

「あら」

 老教師の言葉を聞いた瞬間、ユイの眉がピクリと動く。自分の目が届かない学校で、やはりあの狼はシイに接近していたのかと。

「そうなの、シイ?」

「うん。アスカとかヒカリちゃん達も一緒だけど、レイさんとカヲル君は一番一緒に居るかも」

「まるで仲の良い兄妹みたいですよ」

 実際には異父兄妹に近い関係だが、当然老教師がそれを知るはずが無い。カヲルの外見はシイと特に似ている訳でも無いので、そう思わせる雰囲気があるのだろう。

「兄妹でしたら、安心なのですけど」

「ええ。兄妹は良い物です。私にも二人の兄と――」

 老教師は昔を思い出した様に、遠い目をしながら昔話を始めてしまう。結局シイの三者面談が終わったのは、それから一時間も経ってからだった。

 

 

「うぅぅ、先生のあの話、もう何回目だろう」

「それだけ大切なお話だって事よ」

 学校からの帰り道を、シイとユイは手を繋ぎながら歩いていた。

「ごめんね、お母さん」

「あら、何かあったのかしら」

「私成績悪くて……」

 申し訳無さそうに俯くシイの手を引っ張り、ユイは自分の胸元に抱き寄せる。そして驚くシイの頭を優しく慈しむように撫でた。

「成績はこれからいくらでも良く出来るわ。それに、今日私が聞きたかったのは、別の事だもの」

「別の事って?」

「貴方が学校でどんな事をしてるのかよ」

 ユイはシイの肩を掴むと、目線を合わせるようにしゃがむ。

「ねえシイ。学校は楽しい?」

「え、うん楽しいよ。みんな一緒だし」

「それが一番大切な事なの。勉強だけ出来たって、決して立派な大人になれるわけでは無いの。色々な人と出会い過ごし、様々な物を見て感じて、沢山の思い出を作りなさい。それが貴方の財産になるわ」

 碇家の娘として育ったユイには、自由がほとんど無かった。そしてシイも将来ゼーゲンの司令として、自由を奪われる事が決まっている。

 だからこそ、今この時を精一杯楽しんで過ごして欲しかった。

「この世界には、まだまだ貴方の知らない楽しい事で溢れているもの」

「お母さん……うん」

 頷いたシイに微笑むと、ユイは再びシイと手を繋いで歩き出す。

(自由なんて、逃げている私に言う資格は無いわね。……覚悟を決める時かしら)

 沈みゆく夕日を眺めながら、ユイは静かな決意を固めるのだった。

 




原作でシンジの成績がどうだったのかは、ハッキリは分からなかったと思います。ただマグマダイバーでミサトから、勉強しなさいと言われていたので、あまり良好では無かったようですね。

仲良しグループで、トウジとシイが成績不味いペアです。まあ周りにあれだけ優秀な面々が揃っているので、魔の受験もきっと乗り越えてくれるでしょう。

放り投げ回収編も、ようやく今回から動き始めます。『アダムとリリス編』『そうだ、京都に行こう編』を近々予定しています。
ただその前に、ネルフのアイドルが誕生日を迎えるそうなので……アホタイムからですね。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《誕生日狂騒曲(前編)》

~発端~

 

 加持夫妻の結婚式が終わって数日が過ぎたある日、ミサトはゼーゲンの司令室に姿を見せた。ゲンドウ、冬月、ユイと向き合う彼女が差し出したのは、退職届であった。

「一身上の都合により、明日0時を持って、ゼーゲンを退職させて頂きます」

「うむ。手続き一切は全て完了しているよ。……今までご苦労だったね」

 組織の事務面を取り仕切っている冬月は、退職届を受け取りながら労いの言葉をかける。ネルフの作戦本部長と言う大任を、良く果たしてくれたと言うのが素直な気持ちであった。

「シイの事も含めて、貴方には本当に感謝してますわ。ありがとうございます」

「いや~。シイちゃんにも迷惑かけっぱなしで……」

「これからは専業主婦に?」

「はい。まだまだ未熟ですけど、少しでもリョウジのサポートを出来ればと」

 微笑みながら答えるミサトからは、一皮むけた大人の余裕が感じられた。愛する人と添い遂げる覚悟を決めた事で、色々なものが吹っ切れたのだろう。

「……葛城三佐。いや、失礼。加持三佐」

「はい」

「これまでの君の功績に、感謝と賞賛を贈りたい」

 ゲンドウは椅子から立ち上がると、深々とお辞儀をする。司令であるゲンドウが、部下のミサトに行うには不適当な行動かもしれない。だがそれでもゲンドウは、目の前の女性に感謝を表さずにいられなかった。

「司令……お言葉、ありがたく頂戴します」

 そんなゲンドウに、ミサトも最敬礼で思いを伝える。

「夫を支え、そして子供を産み育てる。これからも君の戦いは続くだろう。健闘を祈る」

「はい。ありがとうございます」

 こうしてミサトは人生の戦いのステージを、ゼーゲンから家庭へと移行するのだった。

 

 

「さて、退職は明日の0時で受け付けたが……本部のパスは今週一杯まで使えるようにしておこう」

「荷物の整理と業務の引き継ぎは終わっていますが?」

 猶予期間は不要だが、とミサトは冬月に答える。

「実は今週の土曜日にシイの誕生会があるの」

「ええ知ってますよ。ちゃんとプレゼントも買ってありますから。でもそれが何か関係が?」

「うむ。少々厄介な事になっていてな。彼女のパーティーは本部で行う事になったのだよ」

 冬月の言葉にミサトは目を丸くする。確かにゼーゲン本部には先のパーティーで使ったような、大きなホールが存在する。だがそれを個人の誕生会で使用するなど、いくらシイとは言え考えづらかった。

「……最初は家で行う予定だった」

「ですよね」

「だが、ゼーゲンの職員達から……不満の声が上がってね」

「それはつまり、シイちゃんの誕生会に参加させろ、と?」

 ミサトの確認に冬月は困り顔で頷く。彼にしてもこの事態は予想外だったのだろう。

「家ではそれ程多くの人を受け入れられないので、特例として本部を使う事にしましたわ」

「はぁ……流石はシイちゃんと言いますか」

「まあそんな訳で、パーティーの日まで君のパスは残しておくことにした」

 ゼーゲンに移行したネルフだったが、まだ世間に公表していない機密情報や独占技術が山ほどある。部外者も申請さえすれば入館可能だが、それがまた非常に面倒な手続きを必要とした。

「難しく考えず、パーティーの招待状と思って下さい」

「そう言う事でしたら」

 ミサトは手にしたIDカードを軽く見つめて、再びポケットにしまい込むのだった。

 

 

~敬老会~

 

「碇シイ。我らに人類の希望を説いた少女」

「我らのシナリオを破り、新たなシナリオを紡ぐ希望の象徴」

「だが、彼女はこれまでまともに誕生日を祝われた事が無いと聞く」

「祝わねばなるまい。我らの手で」

「約束の日……六月六日に」

「それまでプレゼントを揃えねばならぬ。……ゼーレの総力を結集してな」

 

 

~ゼーゲン職員達~

 

 ゼーゲン本部第一発令所では、通常業務を大急ぎで終えたスタッフ達が、シイの誕生会に向けての準備を進めていた。

「整備班より、会場の装飾は何時から可能かとの確認が来てます」

「14:00からだ。それまでに通常業務を終わらせ、作業に備えろと伝えろ」

「了解」

「ネルフの他支部より、後何人参加出来るのかとの問い合わせが殺到してます」

「各支部五人までだ。プレゼントは事前に輸送させろ」

「はい」

「ゼーゲン特別審議室(旧ゼーレ)から、プレゼントは何トンまで持ち込み可能かと――」

「常識の範囲内にしろと言っておけ!」

「りょ、了解」

 誕生会幹事の冬月は絶え間ない問い合わせの嵐に、頭痛を堪えるように頭をさする。優秀な事務処理能力を持つ冬月だったが、今回の誕生会は彼の想像を遙かに超える規模へと膨らんでいた。

(赤木君達が居なければ、とっくに倒れているな)

 共同幹事のリツコとナオコ、時田も明日に迫った誕生会を無事執り行う為、忙しなく駆け回っている。だがそれでも追いつかない程、シイの誕生日へ向けられる期待は大きかった。

「副司令。搬入されたプレゼントが、用意していた第一格納庫に入りきりません」

「馬鹿な! ……ええい、第二、第三格納庫を開放。少しでも良い、スペースを稼げ」

「了解」

 大きく深呼吸をして、冬月はどうにか平常心を保とうとする。ファンクラブの会長として、シイの人気は誰よりも知っているつもりだったのだが、事は彼の予想を遙かに超えていた。

『副司令』

「加持君か。何かあったのかね?」

『ええ。日本政府の高官が数名、誕生会に参加したいと』

「……五人までだ」

 加持からの通信に、冬月は疲れ切った声で答えるのだった。

 

 

~そんな事はつゆ知らず~

 

 第一中学校の教室では、シイがケンスケとヒカリに本部の入館許可証を手渡していた。

「はい、これで本部に入れるよ」

「ありがとうシイちゃん」

「おぉぉ、こ、これがゼーゲンのパス。……写真撮っても良いかな?」

 職員が持つIDパスとは違う、白地に名前と顔写真が着いただけの臨時カードだったが、それでもケンスケにとっては宝物に見えるのだろう。

 事実一般人がこれを貰うには、相当な理由と長い月日が必要なのだから。

「ふふ、問題無いと思うよ」

「そんなカードで喜ぶなんて、ホント馬鹿ね」

 呆れるアスカだったが、彼女にもケンスケの気持ちが少しだけ理解出来る。この中で誰よりもエヴァとネルフに憧れ、しかし最後まで直接関わることが出来なかった。

 だが今回はシイの誕生会に参加する為とは言え、本部へ立ち入ると言う望みが遂に叶うのだから。

「にしても、本部でやるって聞いた時は、ホンマ驚いたで」

「私も驚いたけど、リツコさん達も参加してくれるって言ってくれて」

「……家では狭すぎるもの」

 この時点でシイ達は、詳しい話を聞いていなかった。なので精々顔見知りの職員達が、数名参加してくれるのだと思っていた。実際には参加者が百名を超える、大規模なパーティーに変貌しているのだが。

「ところでシイさん。君は何か欲しい物があったりするかい?」

「何よあんた。まだプレゼント買ってないの?」

「二つに絞ってはいるんだけどね。やはり喜ばれる物を贈りたいだろ」

「ありがとう。でも前に言ったけど、本当に何でも嬉しいの。だって今まで誕生日なんて……」

 すると今まで笑顔だったシイの表情が陰る。

「……祝って貰えなかったの?」

「ううん。ちゃんとおめでとうって言ってくれたよ。でも私の誕生日が来ると、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、お父さんとお母さんの事を思い出しちゃうみたいで」

 碇家の祖父母はシイを溺愛していた。当然誕生日を祝いたかったのだろうが、ユイを奪ったゲンドウへの憎しみが邪魔をしてしまい、素直にシイを祝福出来なかった。

 シイに全く非は無いのだが、結果として食事が豪華になる以外は普段通りの、ケーキやプレゼントと無縁の誕生日を、十年近く送ることになった。

 

「話には聞いてたけど、あんたんとこの人達は、相当司令の事を恨んでるのね」

「うん。この間お祖母ちゃんから、お母さんとレイさんと一緒に、顔を見せに来いって言われたけど」

「……司令は絶対に家に入れないって」

 碇家からすれば、ゲンドウはユイを殺した張本人。それはユイがサルベージされた今も変わっていなかった。意固地になっている面もあるのだろう。

「そらまた、えらい難儀な話やな」

「お母さんは怒っちゃって、お父さんと一緒じゃなきゃ絶対に行かないって」

 ユイにとって、ゲンドウは愛すべき夫だ。レイを養女にした事と、自分のサルベージの報告をしたくとも、夫を否定されて黙って居られる訳が無い。

 両者の関係は、修復不能に近いほど拗れてしまっていた。

 

「部外者が口を挟める問題では無いけど、一つだけ言わせて欲しい」

「カヲル君?」

「シイさんはどうしたいんだい?」

 赤い瞳で真っ直ぐ見つめられ、シイは暫しの間自分の気持ちを確かめる。

「私は……やっぱりお父さん達とお祖父ちゃん達に、仲良くして欲しい」

「ふふ、ならそうなるように努力すれば良い。大切なのはその人が何をしたいのか、だからね」

「……無責任」

「かも知れないけど、何もしないで後悔するシイさんの姿を、僕は見たく無いのさ」

 人は自分の選んだ道を後悔ない為に、精一杯生きる。例えそれが間違った選択でも、自分で選び全力を尽くした結果ならば、受け入れる事が出来るだろう。

 それは以前、シイが悩めるカヲルに向けて言った言葉。シイが使徒とゼーレとの対決の中で、自分の支えとしていた信念だった。

 

「……ありがとうカヲル君。何が出来るか分からないけど、私なりに頑張ってみる」

「ふふ、それで良い」

 瞳に決意の色を宿したシイに、カヲルは心底嬉しそうに微笑む。決して絶望せずに前を見続ける事、それが彼が好意を抱く碇シイの本質であり魅力だった。

「へぇ~あんたにしちゃ、まともな事言うのね」

「だね。渚ってこう言う事に、あんまり口出ししないタイプだと思ってたよ」

「ちょっと意外かも」

 褒めているのか微妙な言葉を、アスカ達は口々にカヲルに向ける。

「まあ、本来は部外者が口出す事でも無いけど……あながち無関係でも無いからね」

「どう言う事や?」

「将来的には、僕も碇カヲルにぃぃぃぃ」

 背後に忍び寄ったレイに思い切り手首を捻られて、カヲルは苦痛に表情を歪める。誕生日の一件以来、比較的カヲルへの制裁が甘くなったレイだが、シイに関しては見逃してくれないらしい。

「れ、レイさん。駄目だよ」

「……不穏分子の殲滅が、私の使命だから」

「でも、カヲル君何も悪いことしてないし……」

「……未然に防ぐ事が大切なの」

(い、碇家か……一度キールに話をしておこうかな。……これをどうにかした後に)

 カヲルは痛みに耐えながら、何とかシイの助けになれないかと思考を続けるのだった。

 

 

~一抹の不安~

 

 誕生会前日の夜、加持は疲れ切った様子で家へと帰ってきた。

「お帰り。随分と忙しかったみたいね」

「ああ。明日は重要人物がこぞって本部に来るからな、警備計画で相当揉めたよ」

 日本政府の高官だけでなく、各国の要人達も誕生会への参加を求めてきていた。万が一何かが起これば、ゼーゲンの責任問題になるだろう。

 保安諜報部と警備隊には、万全の警備態勢が求められていたのだ。

「お疲れ様。それにしても、シイちゃんの人気を改めて思い知らされるわね」

「……ま、一部の人間は素直に祝いに来るんじゃ無いだろう」

 シャツを脱いで部屋着に着替える加持は、少し不機嫌そうに呟いた。

「彼女がゼーゲンの次期総司令になるって事は、ほとんどの人間が知ってるからな」

「コネ作りって訳?」

「ああ。そして実質ゼーゲンを纏めている碇本部司令にも、良い印象を与えたいんだろうさ」

 勿論純粋にシイを祝いたいと言う人間が大多数だろう。だが一部には加持の言うとおり、ゼーゲンと深い繋がりを持ちたいと考える者達が、下心を出して参加するのも確かだ。

 政治の世界では当たり前の事だろうが、ミサトは不快感を隠せない。

「シイちゃんを大人の都合に巻き込むのは、ちょっち嫌ね」

「遅かれ早かれ、彼女はそう言う世界に足を踏み入れるさ。それに悪いことばかりじゃ無い」

「どう言う事?」

「直接彼女と触れ合った彼らがどうなるか、見物だと思わないか?」

 加持の言葉の意図を察し、ミサトは苦笑を浮かべる。シイにはユイ譲りの人を惹き付ける魅力があり、それは老若男女を問わない。あのゼーレですら、シイには骨抜きにされてしまったのだから。

 取り込むつもりが、取り込まれていたと言う事も十分あり得るだろう。

「そんな訳だから、そっちの方はさほど心配いらないさ」

「そ~ね。って、他に何か心配事があるの?」

「……シイさんの個人データ、簡単なプロフィールは参加者のほとんどが入手してるからな」

「大した情報なんて載ってないわよ?」

「杞憂で終わってくれれば良いんだが……」

 加持が何を心配しているのか分からず、ミサトはただ首を傾げる事しか出来なかった。

 

 夜は更け朝日が昇り、約束の時はやってきた。

 

 

 




遂にシイの誕生日がやってきました。……後日談をこれだけやって、まだ四ヶ月弱しか時間が流れていないことに、自分でも驚いています。

とんでもない事になりつつあるシイの誕生日。
果たして彼女は無事、十五才を迎える為の試練に打ち勝てるのか?

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《誕生日狂騒曲(中編)》

 

~集結~

 

 六月六日、第三新東京市の上空を世界各国から集結した、無数の航空機が覆い尽くしていた。一機、また一機とゼーゲン本部へと降り立つ航空機。

 事情を知らない人は、何か重要な会議でも開かれるのかと思っただろう。

 少なくともこれら全てが、一人の少女の誕生会に参加する為に集結したとは、絶対に想像しない筈だ。

 

「ドイツ第一支部長、第二支部長、共に入館しました」

「アメリカ第一支部長と、副大統領もです」

「ゼーゲン関係者はA棟に、各国政府関係者はB棟に案内しろ」

 本部第一発令所では、大勢の参加者達をスタッフ総出で捌いていた。何しろ相手が相手だけに、対応にも慎重さが求められる。

「……全員の入館までどれ位掛かりそうだ?」

「早くとも、後一時間は」

「無理に焦って事故でも起こされたらかなわん。予定通りに進めろ」

 誕生会の開始時刻に間に合えば良いと、冬月は決して作業を急がせる事をしなかった。

 

 

~敬老会2~

 

「諸君。約束の時は来た」

「プレゼントも既に本部へ輸送済みだ」

「些か数が足りぬが、やむを得まい」

「「碇シイの誕生日に祝福を。ゼーゲンの名の下に」」

「……では、始めるとしよう」

 キールを先頭に、ゼーゲン特別審議室の老人達は、本部へと乗り込んでいった。

 

 

~シイご一行~

 

 授業を終えたシイ達は、冬月が手配した迎えの車に乗って、ゼーゲン本部へと向かっていた。普通の生活をしていれば一生乗る機会が無いであろう高級車に、一同は興味津々だ。

「うわぁ、凄いね。こんなに長い車なのに上手に曲がってるよ」

「あんた馬鹿ぁ? 運転手はプロなのよ、プロ。リムジンくらいお手の物でしょ」

「何やこれ、冷蔵庫がついとるで」

「駄目よトウジ。勝手に弄ったら怒られるわよ」

「ふふ、気にすることもないさ。ああトウジ君、僕にアイスティーを取ってくれるかな」

「要人専用の高級リムジン。こんな機会でも無い限り、一生乗る機会なんて無いよ」

「……そう、良かったわね」

 広い車内でシイ達七人は、初めての高級車を思い切り堪能していた。

 

「にしても、流石はシイやな。こない車でお出迎えなんて」

「私もこんなの初めてだよ。……今日に限ってどうしてだろ」

「それはやっぱ、誕生会の主役だからだろ?」

 冷蔵庫から取り出した飲み物を手にしながら、シイ達は本部までの道中で雑談を交わす。

「お姫様の送迎には相応の乗り物が必要さ。まあ少しやり過ぎだとは思うけどね」

「シイがお姫様ね~。さしずめこれはカボチャの馬車って感じかしら」

「……アスカは意地悪な姉ね」

「何ですってぇぇ」

 車内で取っ組み合いを始める二人を、トウジ達は呆れ顔で見守る。

「碇がシンデレラなら、レイと委員長も姉役になっちゃうのにね」

「せやな。そういやわしらは、こない格好でええんか?」

 シンデレラに触発された訳では無いが、トウジは自分のジャージを指さして首を傾げる。学校から直接本部に向かっているので、七人は制服のままだからだ。

「そうよね。せめて私服に……」

「ああ、それは心配いらないよ。本部に君達用の貸衣装を用意してあるらしいからね」

「貸衣装って……」

 カヲルの回答はヒカリの不安をかき立ててしまう。友人の誕生会に出席するだけなのに、貸衣装が用意してあると言われれば、普通の中学生なら当然の反応だろう。

「まあ僕達は何が起ころうとも、シイさんの誕生日を素直に祝えば良いのさ」

「結局わしらはそれが目的やしな」

「だね。思い出の写真は僕に任せてくれよ」

「……そうよね」

 心優しい友人達の姿に、カヲルは嬉しそうに微笑む。

「痛たたたたた!!」

「だ、駄目だよレイさん。アスカの右手、変な方向に曲がってる!」

「……ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすれば良いのか分からないの」

「謝りなさいって~のっ!!」

 アスカの叫び声が響く中、七人を乗せた車はゼーゲン本部へと入っていくのだった。

 

 

~誕生会開催~

 

 ゼーゲン本部地下区画に位置する、巨大な多目的ホール。百人以上を余裕で収容できるその場は今、煌びやかな装飾と豪華な料理、そして大勢の誕生会参加者で埋め尽くされていた。

 フォーマルな衣装に着替えたアスカ達は会場の隅に陣取り、呆れ顔で辺りを見回す。

「はぁ。流石にあたしもこの展開は予想して無かったわ」

「でしょうね。私達だってそうだもの」

 子供達のお目付役を命じられたリツコも、アスカの言葉に同意する。最初はもっと小規模な、ゼーゲンの内輪だけでささやかに行うつもりだったのだから。

「こいつら全部、シイの知り合いなんか?」

「さ~ね。ただニュースとかで顔を見るような人が、あっちこっちに居るのは確かだけど」

「シイちゃん大丈夫かな」

 人見知りするタイプでは無いが、シイには臆病な面がある。これだけ大勢の前に出てくるのは、相当の覚悟が必要だろうと、ヒカリは心配していた。

「まあその点は心配いらないさ。ユイさんとレイが一緒だからね」

「そうよね……」

(僕としては、彼らがシイさんに惹かれてしまう方が困るけど。さて、どうなるかな)

 

 それから数分後、会場に冬月のアナウンスが響く。

「え~ゼーゲン本部副司令の冬月です。これよりゼーゲン主催の『シイちゃん十五才のお誕生日おめでとう会』を開催致します」

 企画当初から全く変更されなかった名称に、会場からは拍手に混じって笑い声が漏れ聞こえる。だがそれは碇家の面々に続いて主役のシイが壇上に現れた瞬間、歓声へと変わった。

 薄紫のドレスを身に纏ったシイは、まさに小さなお姫様と呼ぶに相応しい姿だった。緊張から表情を強張らせ、ギクシャクとぎこちなく歩く様子も含め、参加者は初めて直接見るシイに興奮を隠しきれない。

 異様な盛り上がりを見せる会場に向かって、マイクを手にしたゲンドウは言葉を発する。

「ゼーゲン本部司令の碇ゲンドウです。本日はお忙しい中、娘の誕生会へご出席頂き、誠にありがとうございます」

 威厳に満ちたゲンドウの挨拶に、会場の空気が少し引き締まる。

「ささやかではありますが、料理と飲み物をご用意しました。最後までどなたも楽しんで、共に未来を担う子供の成長を祝って頂ければと思います」

 一礼するゲンドウに拍手が送られる中、マイクはシイの手に渡る。会場中の視線が集まる中、シイは震える両手でマイクを必死に持って挨拶を行う。

 

「あ、あの……初めまして。えっと、そうじゃない人も居るけど……その、碇シイと申します」

 ペコリと頭を下げるシイに、会場の空気が一気に和む。

「皆さん凄い忙しいのに、こんな立派な誕生会を開いて下さり、本当にありがとうございます。その、あの、すっごく嬉しいです」

 緊張がピークに達しているシイは、恐らく自分が何を言っているのか分からなくなっているだろう。それでも感謝の気持ちを伝えようと、頑張って言葉を紡ぐ。

「それで、ですね……えっと……祝うとかじゃ無くてですね、今日はみんなが楽しく笑って居られたらって、そう思います。みんなで笑い合える事が、私にとって一番嬉しい事ですから」

 満面の笑みで挨拶を終えたシイに、会場が震える程の拍手と歓声が送られた。

 

 

~人気者の宿命~

 

 挨拶が終わって誕生会が始まると、シイは直ぐさま参加者に取り囲まれた。シイにおめでとうと伝える為に、我先にと大人達が殺到する。

「警戒シフトをCに移行しろ」

「駄目です! せき止められません」

「物理的接触を図るつもりか……」

 参加者にも要人が含まれているが、そもそもシイも重要保護人物だ。身辺警護は完璧の筈だったのだが、あまりに多くの参加者が詰め寄った為、あっさりと保安諜報部の防壁は崩壊してしまった。

「参加者は尚もシイちゃんに接近。接触まで、後二十」

「……参加者は現時刻をもって目標と認識する。第一種戦闘――」

「出来れば苦労は無いよ」

 いくらゼーゲンとは言え、世界中を敵に回すのは無理がある。でなければ、怯えるシイの隣に立っているレイが、黙っている筈が無いのだから。

「だが冬月。このままではシイが危険だ」

「人ごとの様に言うな。とは言え武力行使が出来ない以上……」

 その瞬間、パンパンと手を叩く渇いた音が会場に響いた。シイに挨拶をしようと詰めかけていた参加者達は、その小さな音に反応して動きを止める。

 手を叩いただけで場を制する事が出来る人物、それは世界広と言えども彼女だけだろう。

「皆様。お気持ちは大変嬉しいですが、どうぞお一方ずつ順番にお願いします」

 微笑むユイに参加者達は一斉に頷くと、何故か喧嘩することも無く一列に並び直す。そんな光景を目の当たりにしたゼーゲンスタッフは、全員同じ事を想像していた。

((お姫様のお母さん……女王様だ……))

 

 

 落ち着きを取り戻した参加者は、順番にシイとの対面を果たしていく。通訳係のユイを通じて、それぞれが祝福の言葉を贈る。

「この方はドイツの副首相ね。誕生日おめでとうって言ってるわ」

「ありがとうございます」

「今後も人類の為に、ゼーゲンと共に頑張ろうと言ってるわよ」

「はい。一杯大変な事があると思いますけど、みんな一緒に頑張りましょう」

 シイに両手で握手をされた壮年の男性は、至福の表情を浮かべていたが、順番待ちをしている面々からせっつかされて、名残惜しそうにその場を離れていった。

「こちらはゼーゲンアメリカ第一支部の支部長よ。誕生日おめでとうって」

「ありがとうございます」

「貴方と一緒に仕事が出来る時を、楽しみにしてると言ってるわね」

「その時は色々とご指導お願いします」

 再びシイは両手で握手をし、嬉しそうな相手は急かされるようにその場を離れる。まるでアイドルの握手会の様な光景が、先程から三十分以上続いていた。

 

「なんちゅうか、変な感じやな」

「だね。碇の誕生会って言うよりは、お披露目パーティーみたいだよ」

「あながち間違いでも無いわ。参加してきた連中も、最初はそれ目当てだったでしょうから」

 トウジとケンスケの突っ込みに、リツコはワインを傾けながら答える。シイと長く接してきた彼女には、これがシイの望む誕生会で無い事を理解していた。

「……納得いかないわ」

「あったりまえよ。シイにとって初めての誕生会だってのに……」

「その点は心配無用よ。司令とユイさんが何も考えていない筈ないもの」

「ふふ、これはあくまで公のパーティーと言うわけか」

 自称ぶどうジュースを飲みながら微笑むカヲルに、リツコは小さく頷く。

「この騒ぎは後一時間位で終わるわ。あまり食べ過ぎない様にね」

「ったく、人気者も楽じゃ無いって訳ね」

「……頑張って、シイさん」

 レイは今なお続く長蛇の列を見て、シイへエールを送るのだった。

 

 

「久しいな、シイ」

「キールさん!? 来てくれたんですか」

「我らの次期トップのめでたい日だ。祝福に来るのは当然だろう」

 キールは少し表情を和らげると、そっと右手を差し出す。

「君を産み育てた親と、君を支えてきた大人達と友人達、そして君に祝福を贈ろう」

「……ありがとうございます」

「良い。全てはこれで良い」

 シイと固く握手を交わしたキールは、満足げに何度も頷いた。

 

 キール以外の元ゼーレの面々も、続々とシイに祝福の言葉を贈る。実は彼らは立体映像でしかシイと対面した事が無く、直接触れ合うのはこれが初めてだった。

 満面の笑みと共に手を優しく握られ、敬老会の面々は数分と持たずに全滅した。

 

 

~祝電披露~

 

「え~ここで残念ながら本日会場に来られなかった方々からの、祝電を披露します」

 シイへの挨拶攻勢が落ち着いた頃合いを見計らい、冬月が会場へ向けてアナウンスを行う。もうこの時点で、これが誕生会の枠を外れていると言えるだろう。

「では青葉。頼んだぞ」

「了解。警戒中の巡洋艦『はるな』より入電。『碇シイさん、お誕生日おめでとう』との事」

「富士の電波観測所より『碇シイさんの十五才の誕生日を、心よりお祝い致します』」

「駒ヶ岳防衛ラインからは『おめでとうございます。今後もよろしくお願いします』」

「強羅絶対防衛戦は『誕生日おめでとう。これからも身体に気をつけて、頑張ってね』」

「浅間山地震研究所からのメッセージ『おめでとうございます。たまには遊びに来て下さい』」

「太平洋艦隊旗艦『オーヴァーザレインボー』より入電。『おめでとう。友達と仲良くな』との事」

 おめでとう、と言う祝福の言葉は、彼女の心を暖かな気持ちで満たしていく。続々と読み上げられる祝電を聞いて、少し疲れていたシイの顔に笑顔が戻った。

 

 

~プレゼント~

 

 誕生日と言えばプレゼント。それは今回も例外ではなく、シイには冗談抜きで山ほどのプレゼントが贈られていた。ただあまりにも量が多すぎたので、目録という形で冬月が紹介する事になった。

「アメリカ副大統領より、チョコレートの詰め合わせが贈られました」

「ありがとうございます」

 手を振ってアピールする米国人に、シイは壇上からお辞儀で感謝を伝える。

「続いてドイツ副首相からは、ウイスキーボンボンセットが贈られました」

「あ、ありがとうございます」

 苦い記憶が蘇り、シイは僅かに引きつった表情でお辞儀をする。

「日本政府首相から、板チョコの盛り合わせが贈られました」

「ありがとうございます」

「更に…………」

 プレゼントの発表は和やかに進んでいたのだが、次第に会場がざわざわと騒がしくなっていく。それもその筈。シイに贈られたプレゼントは全て、チョコレートだったのだから。

「……やはりか」

「リョウジが心配してたのって、これ?」

「ああ。シイ君がチョコレート好きというのは、周知の事実だからな」

 会場の隅で加持は苦い顔でミサトに答える。

 親しくなりたい人への贈り物は、好きな物を贈るのが安全策だ。シイのプロフィールにはチョコレートが好きと載っているので、ひょっとしたらと加持は思っていたのだが、見事に的中してしまった。

 

 参加者からシイに贈られたチョコレートは、トン単位で数える程の量。流石にこれは不味いと、会場に微妙な空気が流れる中、シイがマイクを手に立ち上がった。

「皆さん、本当にありがとうございます。私チョコレートが大好きなので、とても嬉しいです」

 輝かんばかりの笑顔でお礼を述べるシイに、参加者は驚きを隠せない。幾ら好物とは言え、これ程大量に送られれば普通は困ってしまうのだから。

「世界中のチョコレートが食べられるなんて、凄い楽しみです。……太って皆さんに笑われないよう、運動も頑張りますね。素敵な贈り物をありがとうございました」

 深々とお辞儀をするシイに、大きな拍手とおめでとうの声がおくられるのだった。

 

 

 碇シイの誕生会は盛況の後、幕を降ろす。

 そして……家に帰った彼女に、ちょっとしたサプライズが用意されていた。

 

 




区切りが悪いですが、急遽三部作に変更させて頂きます。

誕生会と言う名を借りた、社交界デビューでした。
結果的には、碇シイの存在を世界にアピールする、良い機会だったと思います。

とは言えこれではあんまりですので、もうちょっと続きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《誕生日狂騒曲(後編)》

 

~碇家にて~

 

 着替えを終えたシイは再び黒い高級車に乗って、碇家へと向かっていた。ただ広い車内に友人達の姿は無く、一人きりの空間は何処か冷たく感じられる。

(ちょっと疲れちゃった。みんなは先に帰ったんだよね……)

 仕方ないと分かっていても、ついため息が零れてしまう。あれだけ盛大に自分をお祝いしてくれたことには、勿論感謝している。だが友人達や親しい人達と話すことすら出来なかった事が、シイの心に影を落とす。

(……一人はやだな。……寂しいよ)

 靴を脱いでシートに丸まったシイは、微かに伝わってくる心地よい震動に身を委ね、逃避するように眠りの世界へと落ちていった。

 

「……さん、…イさん」

「ん、んぅぅ」

 誰かが呼ぶ声に、シイは身体をよじりながらも起きようとしない。肉体的にも精神的にも疲れている彼女にとって、やっと得られた休息をそう易々と手放したく無かったのだ。

「シイさん。着きましたよ。貴方の家です」

「ん~後五分……」

「気持ちは分かりますが、ここで寝てたら風邪を引いてしまいますよ」

「むぅぅぅ」

 肩を揺すられて、ようやくシイは寝ぼけ眼のまま上半身を起こした。

「おはようございます」

「……おひゃようございます」

「マンションの下に到着しました。……身だしなみを整えた方が宜しいかと」

 運転手の壮年の男に促され、シイは緩慢な動作で車から降りる。そんなシイに男は手鏡を差し出し、彼女に自分の姿が確認できるように見せた。

 シートで寝ていたせいか髪には酷い寝癖がついており、赤く腫れた目には涙の跡、だらしなく開いた口にはよだれが垂れていた。

 普段なら大慌てで直すのだが、今のシイにはそれをする気力は無かった。

「……良いです。もう寝るだけですから」

「分かりました。では私はこれで失礼します」

「はい。ありがとうございました」

 走り去っていく車を見送ると、シイはゆっくりとした足取りで自分の家へと向かう。そして玄関の前に立つと、ロックが解除されている事に気づいた。

(あれ……そっか。レイさんはもう帰って来てるんだよね)

 自嘲気味に笑うとシイは家の中へと入る。だが家の中は何故か真っ暗だった。

「レイさん? ねえレイさん、もう寝ちゃったの?」

 廊下の電気をつけながら声を掛けるが、返事は無かった。既に就寝してしまったのだと、シイは少し寂しそうな表情で廊下を歩く。

 そしてダイニングに足を踏み入れた瞬間、

 

「「お誕生日おめでとう!!」」

 

 突然部屋の明かりがつき、同時に祝福の言葉とクラッカーの音が室内に鳴り響いた。

 

「え、え、えっ!?」

 驚きのあまりへたり込んだシイが見たのは、満面の笑みで自分を見つめている、家族と友人達、そしてゼーゲンの中でも特に親しくしていた人達の姿だった。

「やったわ~。大成功ね~」

「ママのアイディアが上手くいくなんて……」

 クラッカーを手にはしゃぐキョウコと、信じられないと言った表情のアスカ。

「ふふ、待っていたよ。シイさん」

「……お帰りなさい」

 カヲルとレイは、穏やかな微笑みをシイに向ける。

「どや。驚いたやろ」

「ちょっと脅かしすぎたかな?」

「ごめんね、シイちゃん。悪のりしちゃったかも」

 私服姿のトウジ、ケンスケ、ヒカリは驚いて座り込むシイに謝る仕草を見せた。

「シイちゃんおっ帰り~」

「や、今日は大変だったな」

「大変な役目を負わせてしまい、済まなかったね」

「お疲れ様、シイさん」

 加持夫妻と冬月、リツコはシイを労う。

「驚かせて悪かったな」

「惣流博士の発案でね」

「ちょっとしたサプライズですな」

 青葉、日向、時田が手にしたクラッカーを掲げて見せる。

「お帰りなさいシイちゃん。それと、お邪魔してます」

「私もお邪魔してるわ」

 マヤとナオコまでリビングに座っており、まさしく関係者勢揃いだった。突然の事態に混乱するシイに、ゲンドウとユイが歩み寄る。

「お帰りなさい、シイ。今日はごめんなさい。貴方の誕生日を大人の事情に巻き込んでしまったわ」

「……すまない。お詫びと言っては何だが、もう一度お前の誕生会をさせて欲しい」

「お母さん……お父さん」

 リビングに視線を向ければ、テーブルの上に料理とケーキが用意されていた。先のパーティーとは違いささやかなものだったが、シイにはそれよりも遙かに嬉しい物だった。

 

「……うぅ……うぅぅ……」

「「!!??」」

 へたり込んだシイが突然涙を流したことに、集まった面々は思いきり動揺する。自分達のサプライズが、シイを脅かしすぎてしまったかと。

 謝る一同に、シイはそうじゃないと首を横に振る。

「ち、違うんです……。嬉しくて……私が本当に欲しかったのは……これだったんだって……」

「ごめんね、シイ」

 ユイはシイの小さな身体を思い切り抱きしめる。それはこの場に居る全員の気持ちの代弁だった。

 

 

~やり直しパーティー~

 

 落ち着いたシイが上座に座り、碇シイの本当の誕生会が始まった。マヤお手製のチョコレートケーキに、十五本のろうそくが立てられ、加持がライターで火を着ける。

 ハッピーバースデーの合唱を笑顔で聴いたシイは、歌の終わりに合わせてろうそくを吹き消す。拍手と歓声、クラッカーの音が碇家のリビングを包み込んだ。

「それにしてもあんた、ひっどい顔してるわね。髪なんかぼさぼさだし」

「うぅぅ。車の中で寝ちゃって……」

 アスカに指摘され、シイは恥ずかしそうに寝癖を直そうとするのだが、手を離した瞬間髪はピンと跳ね上がってしまう。

「はぁ。ったく仕方ないわね」

「アスカ?」

「良いからジッとしてなさいって~の」

 シイの背後に座ったアスカは、櫛とスプレーで手際よく寝癖を整えていく。

「あんたも、もう十五才になったんだから、身だしなみには気をつけなさいよ」

「うん、ありがとうアスカ」

「シイさんは髪を伸ばしてみたりしないのかい?」

 カヲルの問いかけに、一同は興味津々と言った様子でシイに注目する。第三新東京市に来てからはずっとショートカットだったが、他の髪型も似合うはずだと。

「子供の時に一度だけ、伸ばしたことがあるんだけど……ちょっと」

「碇家の血ね。私もそうだけど、凄い癖っ毛なの。朝は特に悲惨なのよね」

「ふふ、成る程ね。僕としてはそんなシイさんも見てみたいけど」

 その場に居た面々は、それぞれ脳内で様々な髪型をしたシイを想像し、一様に頬を緩ませる。どんな髪型でも、シイの魅力は引き出される。だが全員が今の髪型が一番似合っていると言う、同じ結論に辿り着くのだった。

 

 

~チョコレートの思い出~

 

「わぁぁ、これ凄い美味しいです」

「私の自信作なの。喜んで貰えて嬉しいわ」

 チョコレートケーキに舌鼓を打つシイに、マヤは満足感に満ちた笑みを浮かべた。お菓子作りの先生として、ファンクラブの一員として、彼女がこのケーキに精魂込めた事は想像に難くない。

 他の面々も口々にマヤへ賞賛の言葉をおくる。

「にしても、シイも好きやな」

「ん、何が?」

「チョコや、チョコ。今日もぎょうさん貰ろうとったけど」

 トウジは感心と呆れが入り交じった表情で告げた。ゼーゲンの格納庫には、世界中から集められたトン単位のチョコレートが収められている。だがシイはそれをあっさりと受け入れた。

 女の子は甘い物好きと言っても、流石に限度がある筈だ。

「そ~いやさ、シイちゃんってチョコ以外の甘い物って、あんまり食べなかったわよね」

「あ、はい。甘い物も好きですけど、特別では無いので」

「……チョコレートだけ好きなの?」

 レイの問いかけに頷くシイを見て、一同は不思議そうに首を傾げる。彼らからすれば、チョコも甘い物で括られてしまう。何故チョコにだけ執着するのか、以前からの疑問がわき上がってきた。

「ふむ。何か理由があるのかな?」

「えっと……その……」

 冬月に尋ねられたシイは、少し恥ずかしそうにゲンドウをチラチラと見る。ゲンドウが関係しているのかと、視線が集まるが、当の本人にはまるで心当たりが無かった。

 そもそもゲンドウは甘い物が苦手なのだから。

 

「……私に何か関係があるのか?」

「あっ……そうだよね。憶えてないよね」

 寂しげな表情を浮かべるシイに、ゲンドウは動揺を隠しきれない。全く身に覚えは無いのだが、自分が何かしたのは確かなようだ。

 責めるような視線を浴びてゲンドウが冷や汗を流す中、シイは静かな声で語り始める。

「私はお父さんと一緒に居た記憶がほとんど無いけど、二つだけハッキリ憶えてる事があるの」

「な、何だ?」

「一つはお別れした時。離れてくお父さんの背中は、今でも憶えてる」

 碇家によって引き裂かれた父親と娘。それは長くシイのトラウマとして、心に刻み込まれていた。同時にそれはゲンドウのトラウマでもあり、彼の心に影を落とし続けた。

「もう一つは……お父さんとお別れするちょっと前」

「……むっ!」

 シイの言葉を聞いて、遂にゲンドウは思い出した。碇家の目を盗んで、シイの元から離れる直前に、自分がシイに対して行った事を。

 

「お父さん、私にチョコをくれてこう言ったの」

「シイ、これはチョコレートと言うお菓子だ。虫歯になりやすいから、お母さんはお前に食べさせなかったが、美味しいらしい。渡した事が知られたら怒られるから、これは二人だけの秘密だ……」

 その時の言葉を再現して見せたゲンドウに、シイは嬉しそうな笑みを浮かべる。

「美味しかったよ、お父さん。とっても甘くて……しょっぱかった」

 ゲンドウと別れて大泣きしたシイが食べたチョコレートは、決して忘れられない味だった。

「お父さんと二人だけの秘密。だからかな、私はチョコレートを食べてる時は、お父さんと繋がってる気がしてたの。胸の奥が暖かくなって……安心出来たの」

「シイィィィィ!!!」

 感極まったゲンドウは、全力でシイを抱きしめた。

 あの時は何かをシイに残したいと、探ったポケットにチョコが偶然入っていたに過ぎない。だがそれはゲンドウとシイを繋ぐ、大切な宝物になっていたのだ。

 まさかシイのチョコ好きに、こんなエピソードがあったとは思わなかった一同は、抱きしめ合う親子の姿にそっと涙を拭うのだった。

 

 

~プレゼントタイム~

 

「さて、と。そろそろ頃合いかしらね」

「そうね。あまり出し惜しみをする必要もないもの」

 アスカとリツコのやり取りに、リビングに居るシイ以外の面々が一斉にプレゼントを手に取る。あの誕生会では渡さないと、全員がこの場に持ってきていたのだ。

「んじゃ、まずはあたしからね。ほら、シイ。誕生日おめでと」

「ありがとうアスカ。開けても良い?」

 アスカが頷くのを確認してから、シイは綺麗にラッピングされた箱を丁寧に開けていく。アスカのプレゼントは、化粧道具一式だった。

「あ、これ。レイさんとお揃い」

「あんた達は揃って女の自覚が足りないのよ。来年は高校生なんだし、ちっとは気を遣いなさい」

「うん……今度使い方を教えてね」

 生まれてこの方一度も化粧をしたことが無いシイ。アスカはその反応を予想していたのか、当然だと力強く頷いて見せた。

「あたしが手ほどきしたら、そこいらの男なんかイチコロよ」

「……駄目だ、シイ」

「うむ。シイ君にはまだ早すぎる」

 過保護すぎるゲンドウと冬月に、一同は揃って苦笑いを浮かべるのだった。

 

「次はわしらやな。今回は三人一緒やで」

「さ、委員長」

「はい、シイちゃん。お誕生日おめでとう」

「ありがとう、鈴原君。相田君。ヒカリちゃん」

 友人達から贈られたのは、銀色のロケットだった。立派な作りをしており、まだ働いていない子供が買うには高価すぎる代物だ。

「こ、こんな凄いの貰うなんて悪いよ……」

「せやから三人一緒や。わしもちょいとだけやが、ネルフから給料出たしな」

「受け取って、シイちゃん」

「碇はさ、これから多分世界中を動き回ると思うんだ。忙しくてなかなか家に帰れなくても、そいつがあれば、お気に入りの写真を何時でも見られるから」

 画像データは端末に保存すれば何時でも見る事が出来る。だが写真にはデータとは違う、暖かみがあるとケンスケは信じていた。そしてそれこそが、きっとシイの支えになるだろうとも。

「……ありがとう。大切にするね」

 お小遣いを使い切った三人だったが、シイの笑顔と引き替えなら安い物だと、嬉しそうに頷いた。

 

「……私はこれを」

「ありがとうレイさん。お揃いだね」

 レイは公言していた通り、手編みのマフラーを贈った。いつか二人でお揃いの白いマフラーを巻き、並んで歩ける日を迎えようと言う約束の証だった。

「……きっと出来るわ」

「うん。頑張ろうね、レイさん」

 固く手を握り合う二人の姿に、大人達は希望を見た気がした。

 

 カヲルが最後にして欲しいと願い出た為、大人達が先にプレゼントを渡す。

「私と加持からは、これよ!」

「ぺ、ペンペン……のぬいぐるみ?」

「ああ、良く似てるだろ。俺の趣味さ」

「加持さん、お裁縫も出来るんですね」

 感心したようにシイはペンペンのぬいぐるみを抱きしめる。かつて家族の一員として共に暮らし、時に励ましてくれた彼の事を懐かしむ。

「ペンペン……今はアメリカに行ってるんですよね?」

「ええ。あっちの女の子にメロメロらしくて、張り切ってたわよ」

「温泉ペンギンは希少種だからな。子供でも生まれれば大ニュースになるさ」

 実験の過程で生まれた温泉ペンギンは、日本でペンペンしか存在していなかった。だが戦いが終わって暫くしてから、アメリカの実験施設に雌の温泉ペンギンが居る事をミサト達は知る。

 折角だからと加持がペンペンを連れて行った所、一目でハートを射貫かれたらしく、毎日積極的にアプローチを続けていた。雌を日本に移動させる許可が下りなかったので、ペンペンは単身アメリカに残った。

「今、あっちの政府を通じて、二人……を日本に迎えられる様に働きかけている所だ」

「ペンペンが振られちゃったら、失意の帰国になるから、そんときは慰めてあげてね」

「わ、笑えないですよ」

 遠く異国の地で頑張っているであろうペンペンに、シイは本気でエールを送るのだった。

 

 

「シイちゃん、お誕生日おめでとう。私からはこれなんだけど」

「これ……レシピですか?」

「うん。私が得意なお菓子のレシピ集なの」

 マヤから手渡された一冊の本を、シイは目を輝かせて捲っていく。丁寧に装本されたレシピ集は、市販のそれと比べても遜色ない出来映えだった。

「ありがとうございます。どれも凄く美味しそうで、作るのが楽しみです」

「喜んで貰えて良かったわ。私で良ければ、何時でもアドバイスするから」

「はい。完成したらマヤさんに持っていきますから、是非お願いします」

((う、上手い……))

 シイに喜んで貰い、かつ手作りお菓子の試食権をゲットしたマヤに、一同は思わず唸ってしまうのだった。

 

「次は私と母さんのプレゼントね」

「シイちゃん、おめでとう」

「ありがとうございます。……これって何かの機械ですか?」

 赤木親子から贈られたのは、名刺サイズの端末だった。片面は全て液晶画面で、もう片面はピンク色の特殊軽量合金で覆われている。

「これは今開発中の翻訳機なの」

「シイちゃんはこれから、世界中の人と交流すると思うけど、ネックなのは言語でしょ?」

「うぅぅ、はい」

 日本語以外まるで駄目なシイは、ナオコの言葉に困ったように頷く。

「でもそれを使えば、通訳無しでも会話が出来る様になるわ」

「凄いんですね……」

「実際に試した方が分かりやすいかもね」

 ナオコはシイに使い方を簡単にレクチャーすると、流暢な英語で話しかける。シイには全く理解出来なかったが、翻訳機は彼女の言葉を一瞬で日本語に変換して見せた。

 更に逆も可能で、シイが日本語で発した言葉を、任意の国の言葉に変換してくれる。

「どうかしら?」

「すっごい便利です。操作も簡単で、持ち運べる大きさですし」

「将来的には一般に普及させるつもりだけど、まずはシイさんに使って欲しかったのよ」

 人間同士が仲良くなりきれないのは、言語の違いも大きな要因だろう。赤木親子は解決策の一案として、この翻訳機の精度を高め、言葉の壁を無くそうと動いていたのだ。

「良かった……これで」

「だからって、勉強しなくて良い訳じゃ無いわよ?」

「……はい」

 ユイに釘を刺されてばつの悪そうな顔をするシイに、一同は苦笑するのだった。

 

「俺と青葉からは、これを贈るよ」

「きっと役立つと思うぜ」

「ありがとうございます。これはストラップですよね?」

 日向と青葉からは、ピンク色のペン型ストラップが贈られた。

「と思うだろ? でも違うんだよ。そいつは防犯用のスタンガンさ」

「すたんがん?」

「相手に電気ショックを与える武器なんだ」

 首を傾げるシイに、日向は真剣な表情で説明を続ける。

「こんな事言いたく無いけど、これから先、君は重要人物として命を狙われる可能性がある。当然護衛だっているし、勿論使わないのが一番だけど、万が一の時にやっぱり身を守る術は持っていて欲しい」

「せめて見た目だけは可愛くしてみたから、アクセサリーとして持ち歩いてくれると嬉しいな」

「はい。ありがとうございます」

 自分の事を真剣に心配してくれている二人に、シイも真剣な表情で頷いた。

「シイちゃんの生体認証が必要だから、奪われてピンチって事も無いから安心してくれ」

「えっと、どうやって使うんですか?」

「真ん中に銀色の筋があるだろ? そいつを二秒間握りしめて……」

 青葉の言葉通り、シイはピンクの棒の中央にある、銀色の筋をギュッと右手で握る。するとカチャッと何かのロックが外れる小さな音が聞こえてきた。

「後は先端が相手に触れれば、自動的に――」

「先っぽを……っっっっっっ!?」

 それは素直すぎる性格が招いた悲劇だった。深く考えずに、ストラップの先端を自分の左腕に押しつけてしまったシイは、自らの身体を持ってスタンガンの威力を実証してしまう。

 折角整っていた髪の毛は一瞬で跳ね上がり、ビクンと身体を震わせたシイはそのまま床に倒れ込む。

「「し、シイちゃん!?」」

「きゅぅ~……」

 シイは女性陣にボコボコにされている日向と青葉の姿を見ながら、意識を失った。

 

 

「さて、気を取り直して……私からはこれを贈ろう」

「ありらとう、おとーさん」

 まだ痺れが残っている為、少し舌っ足らずにシイはお礼を言いながら、ゲンドウからのプレゼントを受け取る。因みにあちこち跳ね上がった髪は、アスカの頑張りによって元通りになっていた。

「これ、とけー?」

「ああ。お前ももう直ぐ高校生だ。時間を守る事は、大人の最低条件だからな」

「ミサト。耳が痛いんじゃなくて?」

「むぅ~」

 時間にルーズなミサトが、リツコの皮肉に表情を歪める。その様子を微笑みながら見つめたシイは、ゲンドウから贈られた銀色の懐中時計を愛おしげに撫でた。

「電池の交換は不要だ。それは最後まで、お前と同じ時を刻むだろう」

「……ありらとう、おとーさん。たいせつにするね」

 幸せそうなシイの笑顔に、ゲンドウもまた満足げな笑みで頷くのだった。

 

 ようやく痺れが抜けたシイに、冬月がプレゼントを手渡す。

「私からはこれを贈らせて貰うよ」

「冬月先生、ありがとうございます。……眼鏡?」

「うむ。と言っても度は入っていないがね」

 シイはケースに収められていた眼鏡を手に取る。細いフレームはシイが好きなピンク色で、眼鏡に縁が無いシイは初めての眼鏡に興味がある様だった。

「ファッションで使っても良いが、君がこれから公に姿を晒せば、自由に街を歩くことも難しいだろう。そんな時はその眼鏡と、帽子でも被れば人の目を誤魔化せるかもしれんからね」

「ありがとうございます。えっと……どうですか?」

「「!!??」」

 そっと眼鏡を掛けたシイに、一同は動揺を露わにする。似合うとは思っていた。だが今目の前に居るシイの姿は、その予想を遙かに超えるものだったからだ。

 スッと冬月とリツコ、マヤの鼻から熱い物が流れた。

「……シイ。その眼鏡は、必要な時以外は掛けない様にしろ」

「やっぱり似合ってない?」

「うふふ、良く似合っているわよ。でもずっと掛けていると、目が悪くなってしまうの」

「そうなんだ……分かった」

 ユイの言葉を素直に信じて、シイは大切そうに眼鏡をケースにしまった。鼻にティッシュを詰めている三人の姿を見た面々は、名残惜しさと同時に、その封印が解かれないことを祈らずにいられなかった。

 

「は~い。次は私よ」

「ありがとうございます、キョウコさん」

「シイちゃんに似合いそうなのを、バッチリ選んで来たから」

 自信満々のキョウコに、一同は不安を隠せない。そしてそれは、現実の物となる。

「……こ、これって……」

「可愛いでしょ~。その下着」

 キョウコが贈ったのは、世にランジェリーと呼ばれる物だった。手に取ったシイも、他の面々も何とも言えぬ気恥ずかしさに、頬を赤くして黙ってしまう。

「ま、まま、ママ! 何て物贈ってんのよ!」

「おかしいの?」

「シイみたいなお子様に、そんなの贈っちゃ駄目に決まってるでしょ!」

 酷い言い様だが、今回は全員がアスカの意見に同意する。ユイやキョウコ、ミサトやリツコ、ナオコなどの大人の女性に贈るならいざ知らず、流石に十五才の少女には早すぎるだろうと。

「大丈夫よ~。女の子は直ぐ大人になるから」

「そうじゃなくて……あ~も~」

「シイちゃん。勝負を掛けるときは、それを使ってね」

「勝負、ですか?」

 何を言われているのか理解出来ないシイは、不思議そうに首を傾げる。そして彼女とキョウコを覗く面々は、それを想像してしまったのか、真っ赤な顔で視線を逸らす。

「大人になれば分かるわよ。だから約束、ね」

「はぁ……分かりました」

 イマイチ事情が飲み込めないながらも、素直に頷くシイ。その言葉を聞いた瞬間、冬月とリツコ、そしてマヤの鼻に詰め込まれたティッシュは、あっさりと限界を超えて赤く染まるのだった。

 

 

「…………さて、気を取り直して、私からのプレゼントね」

「ありがとうお母さん」

 ユイからのプレゼントは、ドイツの包丁セットだった。以前お土産で渡した包丁をシイが気に入った為、今度はセットでドイツから輸入していた。

 美しい輝きを見せる真新しい包丁を見て、シイは嬉しそうに微笑む。

「凄い嬉しい。お母さんに少しでも追いつける様に、お料理頑張るね」

「あらあら、嬉しい事を言ってくれるわね」

 既に今の段階で、シイの腕前はユイと同等かそれ以上に達していた。それでも自分を目標としてくれる娘を、ユイは愛おしげに抱きしめるのだった。

 

 

 そして最後の一人……自らトリを望んだ渚カヲルの番がやってきた。行動の読めないカヲルに、一体何を用意しているのかと、リビングの面々は好奇心と警戒心を混ぜ合わせた視線を向ける。

「ふふ、シイさん。お誕生日おめでとう」

「ありがとうカヲル君」

「僕からもプレゼントを贈らせて欲しい」

 そう呟くと、カヲルは足下に真っ黒な空間……ディラックの海を出現させ、そこから大きなプレゼント箱を一つ取り出した。

「な、ななな、なぁ!?」

「え? 今の何? 渚君の足下……」

「手品だよ」

 カヲルの正体を知らない二人が思いきり動揺するが、カヲルは手品の一言で片付けてしまう。そして取り出した箱を、シイに手渡す。

 今日一番の大きさを誇るそれに、期待と不安が同時に高まる。

「ありがとう……開けても良い?」

「勿論さ。気に入って貰えると嬉しいな」

 シイは丁寧に包装をはがしていく。大きな白い箱の中に入っていたのは、奇妙な形をした黒いケースだった。更にそのケースを開けると、茶色の楽器……ヴァイオリンが姿を見せる。

「これって……授業で習った……えっと」

「ヴァイオリンさ。弦楽器の中で、最もポピュラーな楽器だね」

 高価な贈り物ではあるが、一同はカヲルの意図が読めずに困惑する。シイは音楽に特別興味がある訳でも、また得意な訳でも無い。

 そんな気持ちが伝わったのか、カヲルは微笑みながら言葉を紡ぐ。

 

「歌、音楽、共にリリンが生み出した文化の極み。心を潤してくれる優しい友だよ」

「うん」

「そして音楽には、国境が無い。全てのリリンの心に等しく届く」

 多少の違いはあれど、基本的に音楽は万国共通の文化だ。

「だから、是非シイさんにも音楽に触れて欲しかったんだ。嫌いでは無いんだろ?」

「好きだよ。でも私、ヴァイオリンを演奏出来ない……」

「僕が教えてあげるさ。そしていつか、僕とアンサンブルして欲しい」

 リリンとアダム、ヒトと使徒。両者が奏でる旋律は、希望となって世界へ届くだろう。

「うん。時間が掛かっちゃうと思うけど、いつかきっと」

「楽しみにしているよ。そしてその時まで、僕は必ず君を守ってみせる」

 握手を交わすシイとカヲルの姿に、一同は明るい未来を見た。

 

 

 そして、主役であるシイの眠気が限界を迎えた為、誕生会はお開きとなった。最後まで睡魔に抵抗していたシイだったが、疲労感には勝てずに、安らかな寝息をたてながらゲンドウに布団へと運ばれていった。

 幸せに包まれて眠るシイ。だったが……。

 

~後日談~

 

「いやぁぁぁ。絶対にいやぁぁぁぁ」

 誕生会で歯磨きを怠ったシイは、虫歯を再発してしまった。両脇をレイに、足をゲンドウにホールドされた状態で、ゼーゲン総合病院へと連行されていく。

「レイさん! お父さん! お願いだから助けてよ!!」

「……ごめんなさい」

「許せ、シイ」

「碇です。ええ。今から娘を連れて行きますので、よろしくお願いします」

「いやぁぁぁぁぁ」

 かくしてシイの天国から地獄、そして天国……から地獄という、波乱に満ちた誕生日は幕を閉じた。

 

 




投稿が遅くなり、申し訳ありません。
最終チェックをしていたら、色々と書き足したくなりまして……気づいたら文字数が倍になっていました。

シイの誕生日、ようやく完結です。
気心知れた人達との時間は、彼女にとって忘れられない思い出になったでしょう。
誰も痛い目を見ず……うん、痛い目を見ずに終わりましたし。

次は碇家編ですね。原作で全く登場していないので、完全オリジナルの設定です。違和感があると思いますが、ご了承下さい。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《そうだ、京都に行こう(前編)》

 

~碇家~

 

 京都の市街地より少し離れた場所に、一件の屋敷があった。高い塀で周りを囲み、外部との接触を極力避けている様にも見える。

 そんな屋敷の中庭には、池の中を泳ぐ鯉たちにえさを与える、白髪の老人が居た。着物を着た小柄な老人は何処か浮かない顔で、口をぱくぱくとさせる鯉にえさを放り投げていた。

 やがてえさを与え終えると、男は中庭に面した縁側へ腰を下ろす。

「……あなた、今日は随分とご機嫌斜めですわね」

 スッと彼の背後から、お茶を乗せたお盆を持って老女がやってきた。気むずかしそうな老人に、穏やかな微笑みを浮かべる姿は、あの夫婦を連想させる。

「ふん。キールから連絡が来た。あの男の同席を認めるなら、三人はこちらに来る用意があるとな」

「あらあら、私にもですわ。それもユイとシイの二人から」

 何処か楽しげな様子の女性に、男は気に入らないと乱暴な手つきで湯飲みを奪い取る。

「冗談じゃ無い。あの男にはわしが死ぬまで、決してこの家の敷居をまたがせるものか」

「碇ゲンドウさん……」

「六分儀だ! あんな男に碇を名乗る事を許した覚えは無い!!」

 激高して叫ぶ男。だが女性は慣れているのか、全く動じずに自身もお茶をすする。隣に座る二人だったが、両者の温度差は大きかった。

 

「ユイが選んだ殿方です。碇を名乗るのは当然ですわ」

「騙されたのだ、ユイは。でなければユイが……わしの可愛いユイがあんな男の妻になど……」

 今度は一転して、男はガックリと肩を落として意気消沈する。

「でも二人が結ばれたからこそ、シイが生まれたのですよ?」

「シイ……。だがあの男はその宝物すら、わしらの手から奪っていった」

「雛は親元で育つもの。あの子も巣箱に戻っただけですわ」

「ユイを! 妻を殺したあの男に、親を名乗る資格は無い!!」

 男は再び感情を高ぶらせ、立ち上がりざまに手にした湯飲みを叩き付ける。陶器が割れる音と共に破片が飛び散るが、それでも女性は表情一つ変えない。

 同意も反論も、説教も同情も無く、ただ平然とお茶をすする女性の姿に、男は自らを省みて謝罪する。

「……すまん。ちと頭に血が上りすぎた」

「片付けをご自分でなさってくれれば構いませんわ」

 男は小さく頷くと、再び縁側に腰を下ろす。

 

「で、何があったんだ?」

「あら、突然どうしました?」

「ふん。長い付き合いだ。お前が何も無く、この話を切り出すとは思っておらん」

 不機嫌だと尋ねた女性だったが、そもそも男が上機嫌だった事などここしばらく無い。それをわざわざ尋ねたのは、この件で話があるのだろうと男は理解していた。

「うふふ、ええ。実は先日、シイからこれが送られてきましたの」

「手紙?」

 男は女性から封筒を受け取ると、中から便せんを取り出す。年頃の娘に相応しい可愛らしいそれに、僅かに頬を緩めながら手紙を読み進める。

 

『前略。時下ますますご健勝のほどお喜び申し上げます。

 お久しぶりです、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。シイです。

 なかなかお会い出来ませんが、元気でしょうか?

 私は元気です。お父さんとお母さん、それにレイさんと一緒に、毎日楽しく暮らしてます。

 

 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、お父さんの事が嫌いですか?

 私は大好きです。お母さんもレイさんも、みんなお父さんの事が大好きなんです。

 そして私は、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの事も大好きです。

 だから……喧嘩してると凄い悲しくなります。

 

 お父さんは、お祖父ちゃん達と仲直りがしたいと思ってます。

 私も同じ気持ちです。好きな人達が喧嘩してるのは、とっても辛いので。

 優しいお祖父ちゃん達がお父さんを怒ってるのは、何か理由があるんですよね?

 だから、私が仲直りしてって……簡単に言っちゃ駄目だって分かってます。

 でもせめて、お父さんと直接会って、お話して下さい。

 逃げないで、正面からお互いの気持ちを話し合って下さい。

 

 話し合いは人間の生み出した文化だって、友達が教えてくれました。

 もしかしたら傷つくかもしれないけど、前に進むことは出来ます。

 どんな結果になっても、本気で頑張ったら後悔しない。

 だから……逃げないで受け止めて下さい。

 お願いします。

 

 私の大好きなイサオお祖父ちゃん、メイお祖母ちゃんへ

 碇シイより』

 

 封筒の中には手紙の他にもう一つ、一枚の写真が同封されていた。真ん中に並ぶ二人の少女と、その肩に手を乗せて穏やかな微笑みを浮かべる夫婦。

 幸せに満ちあふれた家族写真を手にしたイサオは、暫し無言で肩を震わせる。そんな夫の姿を、メイはやはり何も言わずに、しかし少しだけ微笑みを浮かべながら見守った。

 

「……メイ」

「はい、あなた」

「シイが来たら、手紙の書き方くらい教えておけ。前略の使い方に結びの言葉、文章の書き方もなっていない。それにくせ字も酷いな」

 捻くれた言い回しをするイサオに、メイは呆れながらも微笑んで頷く。シイがここに来る条件であるゲンドウの同行を、彼が認めたのだから。

「ユイは綺麗になったな……母親になったからか」

「それもありますし、今でもゲンドウさんに恋をしているのでしょう」

 幸せそうにシイの肩に手を添えて微笑むユイに、二人は昔を懐かしむように頬を緩めた。

「……シイも少し大人になったな。だがやはり変わらん」

「ええ。あの子の笑顔は、周りの人も巻き込む魔法ですから」

 満面の笑顔でピースサインをするシイからは、今彼女がどれだけ幸せなのかがハッキリ伝わってきた。

「この子が……レイか」

「ええ。ユイの遺伝情報を元に造られた少女。戸籍上は養女となってますわ」

「ユイとシイに家族と認められたのなら、レイも碇の娘だ。生まれなど問題では無い」

 その理屈ならゲンドウも、と思うのだが、過去の因縁は彼を意固地にしているのだろう。ただ少なくともイサオは、レイを碇家の一員として素直に迎え入れていた。

 

「そして……」

「あらあら、ゲンドウさんったら立派なお髭」

「身だしなみも整えられんのか。それに人相も悪い。やはりろくな男では無い」

 途端厳しく叱責するイサオだったが、それでも大きな進歩だった。今までの彼はゲンドウと向き合う事をせず、酷い男としか見ていなかった。だが今は、彼個人について文句を口にしている。

 好意の反対は無関心。そう言った意味では、まだ両者が和解する可能性は残っているかもしれない。

 

「何時になさいます?」

「任せる。どうせ暇な身だ、せめてあちらの都合に合わせてやるさ」

「分かりました。ではお返事をして、日にちが決まったらお伝えしますわ」

 静かにその場を離れていくメイ。彼女が完全に立ち去ったのを確認してから、イサオは再び写真と手紙を手に取る。

「……六分儀ゲンドウ、か」

 かつて自分達の大切な宝物であるユイを奪い去った男。ユイを殺した男。唯一残されたシイすらも、再び奪い取った男。憎んでも憎みきれない男。

 だが……ユイとシイが愛し、ユイとシイを愛した男。永遠を望んだ娘を救い出した男。娘と孫が幸せで居るためには必要不可欠な男。レイと言う新たな家族を産みだした男。

 イサオにとってゲンドウは、負と正の両面を持った男だった。

(分かっている。ユイがこいつを本当に愛していた事も、あれはユイが自らの意思で起こした事故だとも、人類を守る為にシイが必要だと言う事も……分かっている)

 碇家の当主を務める男が馬鹿な筈が無い。ゲンドウへ抱いている負の感情のほとんどが、ある意味で八つ当たりなのも理解している。

 だが頭で分かっていても、心で納得出来ない事もある。

 

「頃合いだったのかもしれん。……孫に諭されるとは思わなんだが」

 再び中庭へと降り立ったイサオには、世界が少しだけ明るく見えた。ユイを失って、シイを失ってからずっと陰っていた世界に、一筋の希望が差し込むように。

「良かろうシイ。会おうではないか。だがもし奴が下らぬ男なら……覚悟は出来ているな」

 不意にイサオの纏う空気が変わる。好々爺の様な風体からは想像出来ない、冷たい空気が辺りを包む。半分隠居の身とは言え、世界経済に大きな影響力を持ち、ゼーレの協力者である男の、もう一つの姿。

 碇ゲンドウが彼の眼鏡にかなわなければ……最悪の結末が待っているだろう。

 

 イサオが指を軽く鳴らすと、草木の影から黒服の男がそっと姿を現す。

「キールに伝えろ。『我が友よ、協力に感謝を。わしも覚悟を決める』とな」

「畏まりました。……当主様、縁側の片付けも行いましょうか?」

「それは……ふん、わしがやる」

 一礼して再び姿を消す黒服を見送ると、イサオは箒とチリトリを取りに、屋敷の中へと入っていくのだった。

 

 




そうだ、京都に行こう編スタートです。

え~碇イサオと碇メイは、完全なオリジナルです。ゲンドウとユイの二人を、ちょっと違うベクトルで強化したイメージで描いています。
今後メインで登場する訳ではありませんが、オリキャラのタグを入れた方が良いんでしょうか? むぅ、微妙だ。

芦ノ湖に沈むゲンドウは書きたくないので、気合いを入れてハッピーエンド目指します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《そうだ、京都に行こう(中編)》

 

~キールとカヲル~

 

 早朝、湖の畔に立つカヲルは、とある人物との接触を行っていた。

「……成る程。碇メイは寧ろ賛成派で、問題なのは碇イサオと言うわけだね」

「父親とはそう言うものなのだろう」

 声は湖の上に浮かんでいる、漆黒のモノリスから聞こえる。カヲルと保護者であるキールの間に結ばれたホットライン。盗聴を気にする事無く、何時でも何処でも何度でも使用可能だった。

「だが先日、イサオより碇達四人を招くと連絡があった。あの頑固な男にしては珍しい事だ」

「影ながら頑張った誰かが居るって事さ」

 カヲルにはイサオの心を動かしたのは誰か、とっくに察しが付いている。だがそれをあえてキールに告げる事はせず、またキールも聞き返しはしない。

「いずれにせよ、賽は投げられた。我らに出来る事は、良い目が出るのを祈るだけだ」

「その碇イサオをよく知る君は、どう見ているんだい? 勝算がある戦いなのかな?」

「……分からぬ。人の心は他人に理解出来ぬものだからな」

 もしもユイがサルベージされていなければ、そもそもこの話は無かっただろう。理由はどうであれ、娘を殺した……守り切れなかったゲンドウを、イサオが許す筈が無いのだから。

 だがユイが存在している事で、僅かながら希望が生まれた。

「話し合いの場が持てただけでも、信じられない進歩だ。幸か不幸かは知らぬがな」

「へぇ、どう言う意味だい?」

「此度の機会が最初で最後だ。和解に失敗すれば、永遠に溝は埋まらない。あれはそう言う男だ」

 今まで曖昧だったが故に希望を抱く事が出来た。だが一度結論が出てしまえばもう戻れない。希望が絶望に変わってしまう恐れは十分にある。

 だがそんなキールの言葉に、カヲルは問題無いと微笑んで首を横に振った。

「自分で選んだ選択に後悔する者は、全力を出していない証拠さ。そして彼らは全力を尽くすだろう」

「私にしても、いい加減あの二人が和解してくれれば助かる」

「……さて、そろそろ時間か。情報に感謝するよ」

 カヲルの言葉を最後に湖の上からモノリスの姿が消え、辺りが再び静寂に包まれる。

(和解に成功すれば共に喜び、失敗すれば慰める。どちらにせよ、僕の出番はもっと後だね)

 ズボンのポケットに手を入れながら、カヲルは悠然と湖の畔から立ち去るのだった。

 

 

~京都行き決定~

 

 碇イサオがユイ達三人とゲンドウを、碇家に招きたいと申し出た。その衝撃的な報告を、シイ達は夕食の席でユイから聞かされた。

「ほ、本当なのお母さん!?」

「ええ。今日の昼にお母様から連絡が来てね。日にちもこちらの都合に合わせて下さるって」

「良かった……」

 シイは安堵したように大きく息を吐く。まだスタートラインに立っただけだが、それでも確実に前に進めた事が素直に嬉しかった。

「今週の土曜日、京都に行きましょう。あなたも……良いですか?」

「ああ、問題無い」

 普段通りに答えるゲンドウ。もう彼の中では覚悟は決まっているのだろう。

「レイも、良いわね?」

「……はい。問題ありません」

 こちらも変わらぬ様子で答える。碇家とは初対面になるが、レイに不安は無い。今の彼女には家族という絶対の味方がいるのだから。

「じゃあみんな、土曜日に向けて準備しておいて」

 かくして二つの碇家は、週末に京都で対面を果たすことになるのだった。

 

 

~発令所では~

 

「第26中継地点突破。現在まで周囲に異常はありません」

「そのまま警戒を続けろ。万が一の事態は何としても避けねばならん」

 ゼーゲン本部発令所では、シイ達が乗っている車の警戒が行われていた。何しろ重要人物が揃っている為、襲撃や暗殺には最大限の注意を払わなければならない。

 箱根から京都まで、前後を護衛の車が走行し、上空を警戒機が低速飛行。一定間隔で中継ポイントをもうけ、万全の警備態勢をひいていた。

「しかし、改めて考えてみると、シイちゃん一家って凄いっすね」

「本部司令に補佐官、次期総司令が勢揃いだからな。レイも将来的には重要な役職に就くだろうし」

 青葉と日向の言葉に発令所の面々も同意する。何より凄いのが、全員が血縁で選ばれた訳で無く、それぞれの才能を持って今の地位を確立している事だ。

 だからこそゼーゲンの内外からも、不満の声があがらないのだろう。

「デメリットもある。碇達が家族旅行でも行こうものなら、私の胃が痛みっぱなしだからな」

「心中、お察しします」

「あら副司令。何なら私が薬を出しましょうか?」

「遠慮しておくよ。業務が山積みでね、子供になっている暇はないからな」

 冬月の皮肉にリツコは参ったと両手を挙げて、すごすごと退散する。

 

「碇家ってのは、シイちゃん達を呼びつけられる程、偉いんすかね?」

「偉いとは少し違うが……影響力はゼーゲンとしても無視出来んよ」

 碇家は巨額の資産を持ち、世界の経済に深く関わってきた。そして世界中の同じ様な資産家や、大企業、軍隊に国家と言った相手にも、強力なコネクションを持っている。

 また世界を裏で牛耳っていたゼーレに対しては、資金援助を行うパトロンとしてだけで無く、自らもメンバーの一員として活動するほど、深い繋がりを築いていたのだ。

「す、凄い家なんですね……」

「ならシイさんは正真正銘のお嬢様だと?」

「定義にもよるだろうがな。ただ玉の輿などと考えん方が良いぞ。あそこの祖父母は癖が強いからな」

 渋い顔で告げる冬月に一同は驚きを露わにする。

「ふ、副司令はシイちゃんのお祖父さん達と面識があるんですか?」

「数回だけだよ」

「どんな方達なんですか?」

「……シイ君の祖父は、とにかく厳格な人物だった。ユイ君を溺愛していたが甘やかさなかった、と言えば少し分かりやすいか。シイ君にも同様だったらしい」

 その説明だけで、リツコ達はイサオの人となりが何となくだが理解出来た。

「祖母のメイさんはこう言うのが適切だろう。ユイ君をより強くした女性だ」

「「……それはそれは」」

「穏やかで人当たりが良く、理想的なお祖母さんだろう。夫であるイサオさんを支え、ユイ君とシイ君を育てた良妻賢母だな」

 過去に数回しか面識は無いが、冬月は今も鮮明に二人を思い出せる。それ程両者の存在感は大きかった。

 

「最終警戒地点を通過。司令達は京都市街へ入りました」

「いよいよですね。どれほど勝算があるとお思いで?」

「十割だ。碇は私達の司令でユイ君の夫、シイ君の父親だからな。他に理由がいるかね?」

 きっぱりと断言する冬月に、発令所の面々は納得の表情で頷くのだった。

 

 

~京都到着~

 

 車の窓から外を眺めていたシイは、見慣れた景色に懐かしさを感じていた。

「……ここが京都。シイさんが暮らしていた街」

「うん、そうだよ」

 目に入る町並みが、ここで暮らしていた時の記憶を呼び起こす。祖父母と過ごした毎日。友人達と過ごした日々。命をかける事など一切無い、平和な思い出がシイの脳裏に浮かんでいく。

「あっ! ほらレイさん。あの小学校に通ってたの」

「……そう」

「あそこの公園でよく遊んで――」

「……ここと第三新東京市、どっちが好き?」

 何時に無くはしゃいでいるシイの言葉を遮り、レイはストレートな質問をぶつけた。何故か少しご機嫌斜めなレイに首を傾げつつも、シイは質問に答える。

「どっちも好きだよ。私にとってはどっちも大切な人達が居る、大好きな場所だから」

 当然と言えば当然の答えだが、レイは少し不満だった。十年間と一年間、過ごした期間は比較にならないが、それでもシイならば、自分達と過ごした第三新東京市を選んでくれると思っていたからだ。

「どうしたのレイさん?」

「……何でも無いわ」

 様子がおかしい事を心配するシイに、レイはそっけなく答える。そんな二人の様子を隣で見ていたユイは、レイの気持ちに気づいていた。

(嫉妬ね。自分の知らないシイを知っているこの街への)

 

 だがシイは、レイの異変を違う意味で受け取ったのか、不意にレイの両手を掴む。そして緊張を解すように、微笑みながら語りかける。

「大丈夫だよレイさん。お祖父ちゃんは厳しくて怒ると怖いけど、本当は優しいから」

「……え?」

「それにお祖母ちゃんが居てくれれば、きっと助けてくれるから。だから安心して」

 ここでレイはようやく、シイは自分が緊張していると思い、励ましてくれたのだと察した。実際は緊張する事すら忘れていたのだが。

「もしレイさんが何か言われても、私が……お姉ちゃんが守ってあげるから」

「……ありがとう」

 シイの真っ直ぐな視線で見つめられたレイは、嫉妬していた自分が恥ずかしくなる。自分は碇シイの妹で、彼女に大切な人と言ってもらえた。

 好意は比較するものでは無いのだと、レイは小さく頷くのだった。

 

 

 そしてゲンドウ達は、京都碇家へと辿り着いた。

 回り始めた歯車は止まらない。和解か絶縁か。いずれかの結末を迎えるまでは。

 

 




碇一家って改めて考えると、やはり恐ろしいVIP一家だと思います。
前回に続いて再び説明回。ちょっとくどいなと反省です。

もう待った無しで、ゲンドウお父さんに頑張って頂きましょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《そうだ、京都に行こう(後編)》

~対面~

 

 車を降りたゲンドウ達は、出迎えの使用人に案内をされて、門をくぐり玄関に足を踏み入れる。広い屋敷の中を少し歩き、やがて一行は中庭に面した応接間へと通された。

「当主様と奥様は間もなくいらっしゃいますので、少々お待ち下さいませ」

 使用人は一礼すると、音を立てずに襖を閉める。立っているのも何だと、応接間の真ん中に置かれた、茶色の高級そうな机の片側に座り、イサオとメイを待つことにした。

「喉が渇きましたね。緊張しているのかしら」

「あ、なら私が――」

「無用だ」

 腰を浮かし掛けたシイを、威厳に満ちた声が制止する。同時に襖が開かれ、着物姿のイサオがゆっくりと室内に入ってきた。そして彼に続いてメイと、お茶を用意してきた使用人も一礼して入室する。

 ゲンドウ達の対面に、イサオはどっしりと腰を下ろし、メイも隣に座る。六人の前にお茶を置いた使用人が立ち去り、応接間は碇家だけの空間となった。

 

 

「ユイ、シイ。久しぶりだな」

「二人ともお帰りなさい」

「ご無沙汰しておりますわ。お父様、お母様」

「ただいま、お祖父ちゃん。お祖母ちゃん」

 まずは娘と孫に対して言葉を掛けるイサオ。彼が宝物と公言してはばからない二人と再会出来た事に、厳しい表情が僅かに緩む。

「お前とは……もう何年になるか」

「ゲンドウさんと結婚して以来です」

 ユイがイサオと最後に直接会ったのは、セカンドインパクト前まで遡る。メイとは出産等の関係で連絡を取っていたが、当主であるイサオは半ば絶縁状態の娘と、気軽に会うことが出来なかったからだ。

「またお前とこうして話が出来る日が来るとは思わなかった」

「私もですわ」

「今更何も言うつもりは無い。……良く帰って来た」

 随分と柔らかくなった父親に驚きながらも、ユイは深く頭を下げて気持ちを伝えた。

 

「一年ぶりだな。元気そうで何よりだ」

「うん。お祖父ちゃんも」

「少し大きくなったな」

「え? えっと、ごめんなさい。大きくなって無いの……」

「そんなん見れば分かる」

 イサオは相変わらずの孫に少し安心したように、小さく笑みを見せた。

「……こっちだ」

「お胸?」

「心だ……成長したと思ったが、気のせいだったか」

 呆れたように言いつつも、イサオはシイの成長を確信していた。それはメイも同じなのか、シイの姿を嬉しそうに微笑みながら見つめる。

「積もる話は後にしよう。……あまり客人を待たせては悪いからな」

 スッとイサオの顔から笑みが消え、碇家当主としての顔に変わる。それと同時に和やかな空気は霧散し、応接間はピリピリと張り詰めた緊張感に包まれた。

 

 

「碇家当主、碇イサオだ」

「妻のメイです。遠い所を良く来てくれましたね」

 初対面であるゲンドウとレイに身体を向けると、イサオとメイは一礼して挨拶する。身内とは違う対応に距離感を再確認すると、ゲンドウは姿勢を正してそれに答える。

「碇ゲンドウです。本日はお会い出来る機会を頂き、ありがとうございます」

「……碇レイです」

 頭を下げる二人に頷くと、イサオはまずレイに話しかける。

「お前がユイの遺伝子から生み出された事は、既に聞き及んでいる。間違い無いな?」

「……はい」

「生まれの事をとやかく言うつもりは無い。ただ一つだけ、お前に聞いておく」

 相手を萎縮させるようなイサオの鋭い視線を、レイは動じずに真っ向から受け止める。肝の据わり方に感心しつつも、イサオは表情を緩めずに問う。

「ユイとシイを愛しているか?」

「……はい」

「ならば良い」

 親子と姉妹の絆が確かな以上、拒む理由は無い。イサオは満足げに頷いた。

「……それと」

「ん?」

「……私は司令……お、お父さんも愛しています」

 初めてゲンドウを父親と呼んだレイに、シイ達は驚きの表情を浮かべる。ゲンドウへの援護射撃という意味合いもあるだろうが、間違い無いレイの本心でもあった。

 それが分かるからこそ、微笑むメイの隣で、イサオは何とも言えぬ表情で黙ってしまう。

 

 三人との会話が終わり、ゲンドウとイサオは無言で互いに視線をぶつけ合う。すると不意にイサオは立ち上がり、ゲンドウに声をかけた。

「場所を移すぞ」

「はい」

 ゲンドウもスッと立ち上がり、イサオと共に中庭へと降りて行く。声が応接間に届かない池の前まで歩くと、イサオは足を止めてゲンドウの隣に立った。

 

 

 

~父親と夫~

 

「この度は、お話しする機会を与えて下さり、ありがとうございます」

「ふん、礼は不要だ。どうしてもと言うならシイにしろ」

「シイにですか?」

「あれがお前に会って欲しいと手紙を寄越さなければ、わしはお前と会うつもりは無かった」

 自分の知らないところで、娘が奔走していてくれた事に、ゲンドウは深く感謝する。同時にそうで無ければ何も出来なかった自分のふがいなさを、情けなく思う。

「シイは……私にいつも希望を与えてくれます。父親として情けない限りですが」

「今更だな」

 シイがネルフで何をしていたのかを、イサオはキールを通じて把握している。度重なる戦闘と負傷、入院。今更父親面するなと言うのが本音だった。

 

「六分儀、と呼ばせて貰う」

「……はい」

「ユイと交際を始めてから、私はお前の身辺調査をした」

 突然大切な娘が見ず知らずの男と付き合い出した。相手の事を調べたくなる気持ちは分かる。特にユイは名家のお嬢様なのだから、当然の行動とも言える。

「目的はユイを通じてゼーレと繋がりを持つこと。否定できるか?」

「いえ、否定しません。私がユイに声を掛けたのは、間違い無くそれが目的だったからです」

 あっさりと肯定するゲンドウに、イサオは内心驚いた。例え真実だったとしても、今この場では嘘で取り繕うだろうと思っていたからだ。

「なら恋愛感情は無かったのだな?」

「いえ……正直に言えば、声を掛けたときに一目惚れを」

 照れたように頬を染めながら、ゲンドウは視線を逸らす。出会いの切っ掛けはどうであれ、実際にユイと対面したゲンドウは、一瞬で心を奪われてしまった。

(報告通り、と言うわけか)

 ユイと付き合いだしたゲンドウは、ゼーレへのアプローチを行わなかった。寧ろユイの方からゲンドウをゼーレに紹介し、メンバーに加えようと働きかけていたのだ。

 邪推はいくらでも出来るが、ゲンドウの言葉が真実ならば納得出来る。

 

「わしも親だ。ユイもお前の事を愛していた事くらい分かる。……それは認めざるを得ない」

「…………」

「シイが生まれ、あれが幸せに暮らしていると聞き、正直わしは安堵した」

 娘の幸せを願わない親は居ない。イサオも例外では無く、ユイを奪ったゲンドウへの恨みはあったものの、一度会っても良いかとも思っていた。

 だがそんな気持ちは、あの事件で完全に消え失せてしまう。

「だからこそ、お前がユイを見殺しにした事が許せん」

「……弁解するつもりはありません」

 ユイの真意はどうであれ、危険な実験の被験者に彼女が志願したのを、止めなかったのは事実だからだ。

「何故止めなかった」

「……ユイは私にこう言いました。信じて欲しい、と」

「その結果、ユイは命を落とした」

「責任は全て私にあります。ユイを信じると決めたのは、私自身ですから」

 きっぱりと言い切るゲンドウを、イサオは鋭い視線で睨み付ける。それをゲンドウは真っ向から受け止め、両者は無言で視線を交わし合う。

 

 

 

~母親と妻~

 

「むぅ~、何話してるんだろう」

「そうね……ユイの話だと思うわ」

 応接間でお茶をすすりながら、メイはシイの疑問に答える。

「どうして分かるの?」

「うふふ、伊達にあの人と数十年一緒に居ないわよ」

「私のと言うと、やはり」

「ええ。貴方が一度死んだ時の事。ここだけの話、あの人は自分がゲンドウさんに抱いている感情が、嫉妬と八つ当たりだって分かってるの。素直に認めないだろうけども」

 長く夫婦として連れ添った二人の間には、言葉にしなくても伝わる程の信頼関係があった。イサオがゲンドウに向ける感情は、父親としてのそれを少々過剰にしたものだと理解している。

 だが一点だけ、ユイの実験事故だけは本気でゲンドウを恨んでいた。

「私の意思と言っても、お父様は聞かないでしょうね」

「どうして? だってそれはお父さんのせいじゃ……」

「頭では理解してても、心が納得するとは限らないのよ、シイ」

 幼いシイを諭すように、メイは静かに言葉を紡ぐ。

「ユイが被験者になる事をどうして止めなかったのか。ユイがそれを望んだとしても、ゲンドウさんの立場なら止められた筈だから。あの人が聞きたいのはそれでしょうね」

「……何でお父さんは止めなかったんだろう」

「ゲンドウさんは反対したわ。でも私が信じて欲しいとお願いして、押し通したの」

 ユイは口の渇きをお茶で潤すと、三人に向けて語り出す。

 

「私はゲヒルンでエヴァの開発を行っている時、ゼーレの人類補完計画の概要を知ったわ。原罪を贖罪して生命の卵に還り、完全な生命として、祝福された生命として再び誕生する……勿論反対だった」

「でもゼーレの存在はあまりに大きくて、公に反抗するのは不可能と判断した私は、ゼーレの計画を遂行しつつも最後で逆転する手段を選んだわ」

「リリスを依り代に出来なければ、ゼーレは必ず初号機を依り代にするはず。そして人類の行く末は全て、依り代の意思によって決定される。新生も滅びも……今のまま生き続ける事もね」

「その為にはどうしても初号機だけは、ゼーレの手に渡すわけには行かなかったわ。だから私が被験者となって、魂を宿す事にしたの。被験者がエヴァに取り込まれる事は、推測出来ていたから」

 

「ゲンドウさんはそれを知っていたの?」

「いいえ。あの人には実験の後に、冬月先生から伝えて頂きました。冬月先生にも事前にはお伝えせず、実験の後に届くように手紙を送りました」

 初号機の起動実験が行われた時点で、ユイの真意を知っている人間は居なかった。だからこそゲンドウ達は驚き悲しみ、必死でサルベージを行ったのだろう。

「お母さん……どうしてお父さんに黙ってたの?」

「あの人は優しい人だから」

 他に手段が無いと知っても、必ず実験は失敗してユイを失うと分かっていれば、ゲンドウは断固反対しただろう。それこそ身柄を拘束してでも、ユイを初号機から遠ざけたに違いない。

 だからユイは誰にも自らの考えを伝えなかった。表向きは実験事故としてエヴァに宿り、ゼーレの計画を阻止するその時を待っていたのだ。

 そして初号機が依り代となれば、知恵と生命の実を得て神に等しい存在となる。永遠に生き続けると言う、ユイが元々持っていた望みも叶う。

 自らが被験者になった時点で、ユイのシナリオは自動的に完結へ向けて歩み出していたのだ。

 

 かつてシイがユイから聞いた話は、ゼーレの人類補完計画の全貌と、ゲンドウの計画のみ。ユイの真意を初めて聞いたシイは、言葉を失ってしまう。

 レイも無表情ながら驚きを隠しきれていないが、メイだけは納得の表情でユイの話を受け入れた。

「ゲンドウさんとシイが居るのに、どうして貴方が被験者になったのか……ようやく分かりました」

「母親失格ですわね」

「私からは何も言いません。……あなたはどうですか?」

 中庭に視線を向けるメイにつられシイ達も中庭を見ると、そこには何時から居たのか、イサオとゲンドウが並んで応接間の直ぐ手前に立っていた。

 

 

~一歩一歩~

 

「お父さん、お祖父ちゃん……お話してたんじゃ」

「喉が渇いたから、茶でも飲んで一息入れようとしたが……」

 イサオは鋭い視線をユイに向ける。

「今お前が語った話、相違無いか?」

「はい、お父様」

「……そうか」

 ユイが頷くのを確認すると、イサオは小さく息を吐いて応接間へとあがる。そしてユイの元へ歩み寄ると、思い切り左頬を叩いた。

 突然の事態に動揺する一同を無視して、イサオは畳に倒れたユイに告げる。

「お前は六分儀に信じろと告げた。必ず失敗すると分かっているのに、それを伝えずに。……六分儀の信頼をお前は裏切ったんだ」

「……はい」

「どんな理由があろうとも、家族だけは裏切るな。……お前なりの葛藤があっただろうが、六分儀を夫として愛していたのなら、全てを打ち明けるべきだった」

 ユイの行動はゲンドウの心に傷を作り、結果としてシイを彼から引き離す事に繋がった。自分達と同じ思いを、ゲンドウにもさせてしまったのだ。

「返す言葉もありませんわ」

「……立て、ユイ」

 腫れた左頬を庇うこと無く、ユイはイサオの前に立つ。だが同時にシイとレイも立ち上がり、母を庇うようにイサオの前に立ちはだかった。

「どいていろ。これはユイの問題だ」

「やだ!」

「……どきません」

 シイとレイは両手を広げ、絶対にここから動かないと決意を込めた視線を向ける。

「良いのよ、二人とも。お父様のお怒りはもっともなの。私はゲンドウさんとシイを裏切ったのだから」

「裏切ってない! お母さんはずっと側に居てくれた! 守ってくれたもん!」

 初号機に乗っていたシイは、常にユイの存在を感じていた。どんな時でも自分を守ろうとして、何度も命の危機を救ってくれた。

「だから今度は私が守るの。だってお母さんは、お母さんだから」

「……家族はどんな時でも味方です」

 精一杯ユイを守ろうとするシイと、関節技を仕掛けようと身構えるレイ。ユイの瞳が潤んでいるのは、決して頬の痛みのせいでは無いだろう。

 

「……ユイは一人で悩み苦しみ、決断しました。それを察してやれなかった私は、夫失格と言われても仕方ないでしょう」

 ゲンドウは娘達の頭を優しく撫でると、シイ達の前に立つ。

「裏切ったのではありません。ユイは私達を信じていたからこそ、初号機に自らを取り込ませたのです。私達ならばきっと、ゼーレの計画を阻止して人類を守れると」

 イサオは鋭い視線を変えずに、しかし口を挟まない。

「そしてユイは帰って来てくれました。私達の信頼に応えてくれたのです。ユイの言葉に嘘はありません」

「あなた……」

「結果論と仰るかもしれませんが、今この時、私達家族は幸せです。それでもなおユイを叱責するのであれば、私にも同様にお願いします。妻の責任は夫の責任、私とユイは夫婦なのですから」

 ゲンドウは眼鏡を外して机に置くと、両手を背中に組み、全てを受け入れる姿勢を見せた。

 

「……ケジメはつけて貰う」

「はい」

 イサオは積年の思いを全て込めて、右手をゲンドウの頬へ叩き付けた……握り拳で。

 鈍い音が響き、ゲンドウの膝が震えるが、それでも彼は倒れずにイサオの前に立ち続けた。

「あなた!」

「お父さん……酷いよお祖父ちゃん。グーでぶつなんて!」

「……へし折る」

 非難の声を上げるシイと、飛びかかろうとしてゲンドウに取り押さえられるレイを見て、イサオは全く悪びれずに小さく息を吐いた。

「ふん。……娘と息子で折檻が違うのは当然だ」

「え? お祖父ちゃん」

「お父様」

 驚くシイとユイの視線を受け、イサオはぷいっと顔を背けた。

「もう日が暮れるな。メイ、夕食は六人分用意させろ」

「うふふ、そのつもりで準備してますわ」

 微笑むメイにイサオは小さく頷くと、そのまま応接間から出て行こうとして、ふと足を止める。

「……ゲンドウ。酒は飲めるか?」

「は、はい」

「……ふん。そうか」

 ゲンドウの答えを聞くと、結局イサオは振り返る事無く応接間を後にする。

 残された一同は暫し沈黙していたが、やがて全員が揃って深々と頭を下げるのだった。

 

 




後編ですがまだ完結していないので、もう少し続きます。

ユイが元凶の様な書き方をしていますが、一概にそうとは言えないと思います。立場や考え方の違う人は、感じ方や見えているものが違うので。
真実は人の数だけある。まさしくその通りかと。

そうだ、京都に行こう編は延長戦に突入です。ちょっとシリアスが続いたので、少し肩の力を抜いた話で締めたいなと思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

投稿時間が安定せずに申し訳ありません。仕事から戻って、誤字脱字チェックと文章の見直しをして投稿しているのですが、やたら気になるところがあり、修正に時間が掛かってます。
休みでもあれば書き貯め出来るのですが……週七勤って……。


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後日談《そうだ、京都に行こう(番外編)》

 

~お風呂~

 

 ゲンドウとユイが腫れた頬を冷やしている間に、シイとレイは二人揃ってお風呂に入る事にした。

「……シイさん。ここは?」

「え? 脱衣所だけど」

「……私の部屋よりも大きいわ」

 広々とした脱衣所にレイは戸惑いを隠せない。まるで銭湯の様な脱衣所は、二人と言わずに十人でも同時に着替えが出来そうな程大きかった。

「……何か意味があるの?」

「えっと……」

「うふふ、昔の当主様は服を脱いだり着たり、身体を拭いたりするのを使用人にさせていたのよ」

 レイの直球な質問に答えたのは、脱衣所に現れたメイだった。

「だからここには何人もの使用人が入るから、大きく作られているの」

「……分かりました」

「因みにシイは、身体を拭かないでここを走り回って、良くイサオさんに怒られてたわね」

「うぅぅ……」

 幼い頃の話を暴露され、シイは恥ずかしげに頬を染めた。

「はい、着替えはこれを使ってね。レイさんはユイのお古が丁度良いと思うわ」

「……ありがとうございます」

「ゆっくり入って疲れを取りなさい」

 メイは着替えの入った籠を置くと、微笑みながら脱衣所を後にした。

 

 

~命拾い~

 

「……木で出来ているわ」

「檜風呂って言うの。良い匂いがするよね」

 身体を洗った二人は、広々とした湯船につかって風呂を堪能していた。ゼーゲン本部の大浴場ほどでは無いが、それでも十分な広さを持つ湯船は、張り詰めていた二人の心を優しく癒やす。

「今日は本当に良かったね。お父さんも許して貰えたし」

「……そうね」

「お祖父ちゃんがぶった時、凄い怖かったの。お父さんが否定されちゃうんじゃ無いかって」

「……私も怖かったわ」

 目の前で父親と母親が殴られ、不安で無い子供など居ないだろう。イサオに精一杯の抵抗を示したのは、大好きな家族が壊れることを恐れたからだ。

「あ、でもいつもはお祖父ちゃん優しいんだよ。怖がらないでね」

「……大丈夫。怖かったのは、あの人じゃ無いから」

 淡々と呟くレイに、シイは首を傾げる。

「なら、何が怖かったの?」

「……多分、司令が止めなかったら、あの人の手をへし折ってたから」

「え!?」

 さらっととんでもない事を言ってのけるレイ。もしそうなっていたら、和解なんて夢のまた夢。話はどこまでも拗れていただろう。

「……私のせいで、全てを台無しにしてしまう所だったわ。それが怖かったの」

「レイさん」

 少し落ち込んだ様子のレイを、シイはそっと抱きしめる。

「優しいもんね、レイさん。だから怒ったんだよね。大好きな人を守りたいから」

「……分からないわ」

「そうだよ。自分以外の人の為に怒れるのは、優しいからだもん」

 慰めるように、励ますようにシイはレイの頭を撫でた。自分がもしレイだとしても、同じ行動をしていただろう。家族を守る為に。

「……ありがとう」

 レイは小さな声でそっと呟いた。

 

 

~実体験~

 

「ん~でも本当に痛いのかな?」

「……何が?」

「良くアスカとカヲル君にやってるけど、レイさんのアレって本当に痛いのかなって」

 殴られた事はあっても、流石に関節技を味わった経験は無い。アスカとカヲルのリアクションも、ひょっとしたら演技なのではシイは思っていた。

「ねえ、レイさん。ちょっと私にやってみてよ」

「…………」

 話の流れから嫌な予感はしていたが、いざ言われるとレイは困惑する。リクエストとは言え、シイに関節技を掛ける事に強い抵抗があり、華奢な身体を見てしまえばなおさら躊躇ってしまう。

「……やめておいた方が良いわ」

「え~。ちょっとだけ、ね?」

 上目遣いでおねだりされてしまい、レイは渋々承諾した。

「……軽くするわ。痛かったら直ぐ言って」

「うん」

 わくわくと期待に満ちた笑顔を浮かべながら、シイは右手を差し出す。細い手を間違っても傷つけない様、レイは細心の注意を払って掴むと、軽く捻った。

「っっっっっ!!」

 次の瞬間、声にならない悲鳴が碇家に響き渡るのだった。

 

 

~反省~

 

「全く、大騒ぎしてたから何かと思えば……」

「うぅぅ、ごめんなさい」

「……反省しています」

 お風呂から上がったシイとレイは寝間着姿で脱衣所に正座し、ユイにお説教されていた。あの後シイは予想を超える痛みに動揺し、湯船に沈んだ。パニックを起こして溺れかけ、ちょっとした騒ぎになったのだ。

「一歩間違えれば大変な事になったのよ」

「ごめんなさい」

「……すいませんでした」

 返す言葉も無いとうなだれる二人。ユイだけでなく使用人を始め、メイまでが慌ててお風呂に駆けつける事態を招いてしまった。浮かれすぎていたと猛省するしかない。

「反省しているなら良いわ。あまり心配させないでね」

「……うん」

「……はい」

「ふぅ。ならこの話はおしまい。ご飯の支度が出来てるから、部屋に行きましょう」

 悪いことをしたと自覚し、反省しているのならば、これ以上の叱責は無用だ。ユイは気落ちするシイ達を連れて、居間へと向かうのだった。

 

 

~雪解け~

 

 碇家の居間では、六人揃っての夕食が行われた。メイが腕を振るった料理は、一同を満足させる。

「うわぁ、美味しい……」

「……ええ」

「流石ですわ、お母様。私もシイもまだまだこの域には遠いです」

「うふふ、貴方達がこの歳になる頃には、私なんて軽く追い越すわよ」

 二人に料理を教えた先生にして、味の原点。未だ衰えることを知らない碇メイの腕前は、娘と孫の目標として今もあり続けている。

「どうだ、ゲンドウ」

「美味しいです。そしてこの味は、ユイとシイに受け継がれていると確信しました」

 ゲンドウの言葉にイサオは満足げに頷くと、脇に置いた日本酒の瓶を手に取る。

「飲め」

「頂きます」

 イサオはゲンドウのコップに酒を注ぎ、ゲンドウから自分のコップに注いで貰うと、少し嬉しそうに乾杯をした。

「メイもユイも酒はからっきしだ。一人で飲む酒は味気ないからな」

「……美味いです」

「ふん。悪く無い飲みっぷりだ」

 空になったゲンドウのコップに、再び酒を注ぐイサオ。息子とこうして酒を飲み交わす事を、彼は心の中で待ち望んでいたのかもしれない。

 

「お祖母ちゃんもお酒飲めないの?」

「ええ、直ぐに眠たくなってしまって……」

「そうなんだ~。お母さんも私もレイさんも、お祖母ちゃんに似たんだね」

 ニッコリ笑いながら言うシイだったが、聞き捨てならない言葉にイサオの眉がピクリと動いた。

「シイ。今お前、酒に弱いと言ったか?」

「うん。言ったけど……」

「まさかとは思うが、よもや未成年の分際で酒を飲んだのではあるまいな?」

「え、あ、えっと、その……」

「……ウイスキーボンボンです」

 ただならぬイサオの迫力に、しどろもどろのシイをレイがフォローする。

「ウイスキーボンボン?」

「ええ。チョコレートの中に、少量のウイスキーを入れたお菓子ですわ」

「菓子として販売されているので、子供でも食べる事が許されています」

「ふん、西洋菓子か。まあそれなら良い」

 シイが飲酒をしていたら、間違い無く厳格なイサオは激怒していただろう。自分達の説明に納得したイサオを見て、レイは慰安旅行の件は黙っていようと心に決めた。

 

 

~シイの恋愛~

 

「そう言えば。シイ、お前……気になる奴は居るのか?」

「え?」

 イサオからの突然の問いかけに、シイは意味が分からないと首を傾げる。

「好いている男は居るのかと聞いているんだ」

「好きな人……えっとお父さんと、冬月先生と――」

 指を折りながら数えるシイの姿に、イサオは安堵したように息を吐く。一年間離れていた孫娘は、どうやら何一つ変わっていない様だ。

 そんなイサオに、ユイが少し怒ったような視線を向ける。

「安心しましたか? この子がお父様の教育通り、性に無関心のままで」

「……気づいていたのか」

「当然ですわ」

 性への目覚めは個人差が大きい。だがシイの場合はそれに当てはまらず、目覚める前に眠ってすら居ない状態だと、ユイは冷静に分析していた。

 そしてそれは、間違い無く幼少からの教育によるものだろうとも。

「やはり、私がユイと結婚した事が切っ掛けですか?」

「今思えば我ながら馬鹿げていると思うがな」

 愛娘を奪われたと感じたイサオは、強引に引き取った孫娘は決して手放さないと誓った。その為にはシイに異性への興味を持たせてはならない。

 そして彼は歪んだ教育を実行した。

 

「全てはわしのエゴ。言い訳はしない。……すまなかったな、シイ」

「何の話かはよく分からないけど、私はお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに感謝してるよ」

 頭を下げるイサオに、シイは微笑みながら答える。

「だってお料理もお洗濯もお掃除も、みんな教えてくれたのは二人だもん。それに算盤も……あ、そうそう、あのね、お祖母ちゃんに習った算盤、ミサトさんの結婚式でやったの」

「シイ……」

「お二方は確かにシイから大切なものを奪いました。ですが大切なものを与えたのもお二方なのです。今のシイを、皆に愛されるている碇シイを育てたのは、間違い無く貴方達ですよ」

 ゲンドウの言葉に、イサオとメイは静かに目を閉じる。それは自分達の行動を後悔している様にも、真っ直ぐに育ってくれた孫娘に感動している様にも見えた。

 

「……ふぅ。手遅れにならない内に、私がシイに少しずつ教えていきますわ」

「手遅れだと?」

「お忘れですか? シイは大学を卒業したら、ゼーゲンの総司令になる事が内定しています。そうなれば恋人をつくることすら自由に出来なくなりますもの」

 総司令が既婚者であってはならないと言うわけでは無い。だがもしシイが総司令になってから恋をすれば、周囲に与える影響は計り知れないのだ。

 まあそれを差し置いても、シイが誰かに恋をすれば大騒ぎになるだろうが。

「事は急を要するか」

「な、何だか前にも同じ様な事を言われた気がする……」

「……大丈夫よ。私が守るから」

「守りすぎても駄目だけどね」

 レイが側に居る限り、シイに浮いた話は存在しないだろうと、ユイはため息をつきながら確信した。

 

「……ねえシイ。あなたの周りには、素敵な男の子は居るかしら?」

「素敵な男の子?」

 不思議そうに聞き返すシイに、メイは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。先程イサオが行った質問を、よりイメージしやすいように具体的にしただけだが、効果はあったらしい。

「ん~鈴原君はいつも元気だし、相田君は色んな事を知ってるし、カヲル君は面白いし……」

「あらあら」

 シイの口から男子の名前が出てきたことに、メイは嬉しそうに笑う。あくまで友達の認識だろうが、それでも近くに男の子が居ない訳では無いのだと分かっただけ、安心出来た。

 だがイサオとゲンドウは穏やかで居られない。

「ゲンドウ! 鈴原、相田、カヲルとやらのデータはあるか!」

「渚カヲルのデータは既に。他の者についても、直ちに本部へ連絡して送って貰います」

 力強く頷き合うイサオとゲンドウに、女性陣は呆れ混じりの視線を向ける。結局男親と言うのは、娘の恋愛にとって最大の障害らしい。

 

 結局六人で初めての夕食は、ヒートアップしたゲンドウとイサオが、酒を飲み過ぎてダウンするまで続いた。

 




両親不在の中でも、シイが真っ直ぐに育ったのは間違い無く、イサオとメイのお陰です。功罪ありますが、碇シイを形成したのは二人ですから。

そうだ、京都に行こう編をもうちょっとだけ延長します。
肩の力がようやく抜けてきたので、次は頭の力も抜こうかと……。

一応年内に完結予定ですが……終わるかな?

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《そうだ、京都に行こう(就寝編)》

~祖母と孫娘~

 

 ヒートアップしたゲンドウとイサオが急ピッチで酒を飲み過ぎ、両者同時にダウンしたところで夕食はお開きとなった。もう遅い時間と言う事もあり、そのまま就寝へと流れていく。

 ユイ達には寝室が用意されていたが、シイだけはメイ達と共に寝ることを選んだ。酔いつぶれたイサオの隣、メイの布団にシイは潜り込む。

「えへへ、懐かしいね」

「そうね。シイは昔から一人で寝たがらなかったから」

 シイの身体を優しく包み込みながら、メイはシイと共に暮らした日々を思い出す。ゲンドウに捨てられたと言うトラウマからか、シイは一人で寝ることを極端に怖がった。

 中学生になる事には大分改善されていたが、それでも時折泣きそうな顔で、メイの布団に入ってきた。

「今はもう大丈夫なの?」

「うぅぅ、時々レイさんに一緒に寝て貰ってる」

「恥ずかしい事では無いわよ。誰だって一人は寂しいし、怖いものだもの」

 優しく背中をさするメイの手に、シイは大きな安らぎを感じていた。

 

「まだ眠くならないの?」

「うん。眠たいんだけど、目が冴えちゃって」

「ならお話を聞かせてくれる? シイがこの一年間、どんな事をしてきたのか」

 メイの言葉に頷くと、シイは自分が第三新東京市で経験した出来事を、ゆっくり語り始めた。

 

 

~葛城ミサト~

 

 ミサトとの共同生活を始めるにあたって、二人には決めなければならない事があった。

「えっと、家事なら私がやりますけど」

「駄目よ、シイちゃん。こう言うのは公平に決めないと」

 食事当番、掃除当番、ゴミ捨て当番。それらを全て中学生の少女に押しつけるのは、ミサトも流石に気が引けてしまう。なので彼女は公平に、じゃんけんで決める事を提案した。

「じゃあ行くわよ。じゃ~んけ~ん」

「「ポン」」

 決着が付く度に、ミサトお手製の当番表に名前が書き込まれていく。……ミサトと言う名前が。

「ぜ、全敗!? 作戦部長の私がじゃんけんで全敗なんて……」

「あの、やっぱり半分だけでもやりますから」

「いいえ、情けはいらないわ。私が本気になれば、家事くらい楽勝よ」

「はぁ」

 あまりにも自信満々に言い切られた為、シイも悪いと思いつつ家事をミサトに任せる事にした。自分が出来るのだから、大人であるミサトも出来る筈だと、あの部屋の惨状を忘れたままで。

 

 数日後、シイは疲れ切った顔でミサトに伝えた。

「……お願いですから、私に家事をやらせて下さい」

「……お願いします」

 荒れ放題の部屋と、洗剤を入れすぎて故障した洗濯機、そして毎日続くインスタントの食事にやつれたペンペン。もしこの時シイが言い出さなければ、葛城家は崩壊していただろう。

「くえぇぇぇ」

 家事全般がシイに引き継がれた瞬間、ペンペンは歓喜の声をあげるのだった。

 

 

 

~赤木リツコ~

 

 エヴァでの実戦を数回経験したシイは、ネルフと学校、家事の三重生活にも大分慣れてきていた。定期テストを終えたシイに、白衣姿のリツコが声を掛ける。

「シイさん、ちょっと良いかしら」

「はい、何ですか?」

「シンクロテストの事で、少し話があるの。この後少し時間を貰えない?」

「えっと、大丈夫です」

 特に予定は無いと頷くシイを、リツコは自分の研究室へ誘った。

「そこに座って。コーヒーは飲めるかしら?」

「実は飲んだこと無いんです」

「あら、そうなの。ココアもあるけど、こんな美味しい物を知らないなんて……」

 残念そうに呟くリツコに、シイの好奇心が刺激される。甘いココアは大好きだが、リツコはコーヒーをそれよりも美味しいと言う。惹かれないはずが無い。

「リツコさん。是非コーヒーを下さい」

「無理しなくても良いのよ?」

「いいえ、お願いします」

 シイが自分の意図通りの反応をした事に、リツコはニヤリと笑う。もし美味しいと受け入れれば、同好の士が増えて良し。もし駄目でも、シイの素敵なリアクションが見られるはずだと。

「そこまで言うなら分かったわ。ブラックで構わないかしら」

「えっと、リツコさんと同じで」

 リツコは頷くと、砂糖もミルクも入れないブラックコーヒーを二つカップに注ぎ、一つをシイに手渡す。

「うわぁ、良い香りです」

「コーヒーは匂いでも楽しめるのよ」

「勉強になります。じゃあ、頂きますね」

 息を吹きかけて少し冷ましたコーヒーを、シイは緊張しながら口に含む。そして、想像を絶する苦みに、目を白黒させて思い切り吹き出してしまった。

 茶色い液体は勢いよく、正面に座っていたリツコを直撃する。

 

「うぅぅ……苦い……っっ、ごめんなさいリツコさん。私、その……」

「良いのよ。気にしないで」

 怒る素振りを見せないリツコだったが、顔と髪にシイが吹き出したコーヒーがかかり、白衣にも茶色い染みが出来ていた。

「本当にごめんなさい。このハンカチ使って下さい。それと……白衣も染み抜きしますから」

「ありがとう。でも白衣は予備があるから大丈夫よ」

 申し訳無さそうなシイに、リツコは優しく声を掛けた。受け取ったハンカチで顔を軽く拭くと、俯くシイの頭をそっと撫でる。

「私の配慮が足りなかったのね。初めてなんだから、もっと甘くしてあげるべきだったわ」

「いえ、私が悪いんです」

「なら二人とも悪かったと言う事にしましょう」

 自分が全面的に悪いのに、とシイはリツコの優しさに感動してしまう。こうしてリツコはシイの信頼を得ると同時に、素敵なリアクション、更にはハンカチまでもゲットするのだった。

 

 

~惣流・アスカ・ラングレー~

 

 部屋の掃除も終わり、洗濯物をしようとしていたシイに、アスカが声を掛ける。

「ここに居たのね」

「うん。これからお洗濯しようと思って」

「ふ~ん。ま、良いわ。ちょっと本を買ってくるけど、何ならあんたの本もついでに見てくるわよ?」

 アスカという少女は一見我が儘だが、実は他人に気遣いできる優しさを持っていた。もっとも照れ隠しの為か口が悪いので、親しい人以外には伝わりにくいが。

「本当? ならえっと……注文してた本が届いてるの。お金は支払ってるから」

「レシピ本ね~。あんたもっと、子供らしい本とか読まないの?」

 シイから渡された受け取り表を見て、アスカは呆れたように問う。

「むぅ~。アスカは何の本を買うの?」

「ファッション誌よ。流行は常にチェックすべきだわ」

 それは子供らしいのかと、シイは突っ込みたかったが黙っておく。折角親切に言ってくれているのだから、それは素直に受け止めることにした。

「まあ、あんたにはあたし直々に教え込むしかないわね。……じゃあ行ってくるわ」

「うん、行ってらっしゃい」

 アスカを見送ると、シイは洗濯を再開した。

 

 基本的に毎日洗濯しているが、女三人で暮らしていると、それなりに量がある。天気が優れない日が続くと、洗濯籠一杯になってしまう。

 それをシイは一つ一つ丁寧に洗濯機に入れていき、ネットを使う物は避けていく。

「むぅぅ、またミサトさん洗濯物ため込んでた。……これはアスカの?」

 手に取った下着を見て、シイは何とも言えぬ絶望感に包まれる。ミサトは年上だからと諦めていたが、同い年の少女も自分とは比較にならないのだと。

「私だっていつかは…………ちょっとだけ」

 シイはそっとアスカの下着を胸に合わせる。とその瞬間、誰も居ない筈の背後に人の気配を感じ、慌てて振り返ると……呆然と自分の姿を見つめる、アスカが立っていた。

「シイ、あんた……」

「何でアスカが……だって本屋さんに」

「財布を忘れたから取りに来たんだけど……」

 非常に気まずい空気が二人の間に漂う。

「その、あの、違うの。これは、だから、えっと」

「…………」

 しどろもどろのシイに、アスカは何も言わずにきびすを返すと、玄関に向かって歩き出す。その反応が一番辛いと、ガックリ肩を落としたシイにアスカは振り返らずに言った。

「……牛乳、買ってくるから」

「うわぁぁぁぁん」

 休日の葛城家に、シイの叫び声が響き渡るのだった。

 

 

 

~伊吹マヤ~

 

 赤木リツコ自慢の部下であるマヤは、今日も発令所で業務を行っていた。するとそこに、キョロキョロと辺りを伺いながらシイが姿を見せる。

「ここにも居ない……」

「シイちゃん。誰か探してるの?」

 マヤはキーボードを叩く手を止めると、シイに声を掛ける。

「あ、マヤさんこんにちは。ミサトさんが何処に居るか知りませんか?」

「葛城一尉? 確か今日はもうあがりだったと思うわよ」

「む~。やっぱりミサトさん忘れてた」

 頬を膨らませてふて腐れるシイに、マヤは必死に抱きしめたい衝動を抑えると、急用ならば呼び出すと伝えた。しかしシイは首を横に振る。

「昨日テストの後に、今日お話があるから本部に来てくれって言われてたんですけど」

「あらら。葛城一尉も忙しいみたいだから、つい忘れちゃったのかも」

「そうかも知れません」

 ミサトは作戦部長として多忙な日々を送っている。それを理解しているシイは、仕方ないとため息をつくと、家に帰って話を聞くことにした。

「ごめんなさい、マヤさん。お仕事の邪魔をしちゃって」

「ううん、気にしないで。シイちゃんとお話出来て、リフレッシュ出来たから」

 マヤはそう言うと、高速タイピングで仕事を再開した。

 

 立ち去ろうとしたシイだが、マヤの鮮やかな手さばきに思わず見とれてしまう。

「マヤさん凄いですね」

「うふふ、ありがとう。でも私はまだまだよ。先輩はもっと凄いんだから」

「もっとですか?」

「ええ。数倍は早いわよ」

 こうして自分と会話しながらも、マヤの手は速度を緩めること無くキーを叩き続けている。リツコが凄いのは確かだろうが、シイは目の前のマヤを本気で尊敬していた。

「あ、邪魔してごめんなさい。お仕事頑張って――」

 自分が結局邪魔していたと、慌ててきびすを返すシイ。だが慌てていたためかバランスを崩してしまい、手をマヤのキーボードへと思い切り着いてしまった。

 瞬間、ネルフ本部にけたたましい警報が鳴り響く。

「ご、ごご、ごめんなさい。私……」

「大丈夫よシイちゃん。直ぐに解除する――」

「えっと、えっと……」

 パニックに陥ったシイは、必死で警報を止めようとキーボードを無茶苦茶に押す。

 

『セントラルドグマ全域の全隔壁を緊急閉鎖』

『第一格納庫、冷却水排出終了』

『エヴァンゲリオン初号機、第一、第二ロックボルト解除』

『第一種戦闘配置。第一種戦闘配置』

『メインシャフトの全隔壁を解放』

『エヴァンゲリオン初号機、全拘束解除。状況フリー』

『第五リフトへ移動開始』

 

 大惨事だった。鳴り続ける警報と相まって、ネルフ本部はまさに大混乱。次々に状況を問い合わせる通信が入る中、たまたま近くに居た日向が大慌てでシイ達の元へ駆けつける。

「おい伊吹! 一体何やってんだ!!」

「す、すいません」

「ってシイちゃん? 事情はよく分からないが、とにかく警報を止めて誤報処置をしろ」

 キーボードを必死で押し続けるシイと、それを全力で食い止めようとするマヤに、日向は困惑しつつもこの事態を対処しようと動く。

 だがマヤに向けた言葉を、シイは自分に言われたと思い、一層激しくキーを押し続ける。

「うぅぅぅぅ」

「シイちゃん、お願いだから落ち着いて!」

「そう言う事か……。伊吹、お前はシイちゃんを抑えろ。俺が処置をするから」

「はい!」

 腕まくりする日向に頷くと、マヤはシイの身体を後ろから羽交い締めにし、どうにか端末から引き離そうとする。マヤも力がある方では無いが、小柄なシイなら遅れは取らない。

 だが、最後の最後にシイが押したキーが、更なる悲劇を生む。

 

『オペレーターより、本部の自爆が提訴されました』

『ルート676、進路オールグリーン』

『非常事態宣言発令。非常事態宣言発令』

『エヴァンゲリオン初号機、射出』

『ターミナルドグマ最終ゲート、オープン』

 

「ヘブンズドアが……開いていく……」

 呆然と呟く日向。どれほど天文学的な確率を重ねれば、こんな事が起こりうるのかと、彼のみならず発令所に居たスタッフ達は、一人の少女が引き起こした惨劇に驚きと感嘆を禁じ得なかった。

 

 結局この騒ぎは、優秀なスタッフ達の尽力によって収拾した。主犯である碇シイが厳重注意で済んだのは、彼女の行動が過失と認められた事に加え、どさくさに紛れて地上に射出された初号機が、ゲンドウ達に無言の圧力を与えていたのは間違い無いだろう。

 

 

~確かな軌跡~

 

 シイの口から語られる話はどれも、彼女が楽しく過ごしてきた事をメイに伝えてくれる。まだまだ話したいと唇を動かすシイだったが、眠気が勝ってきたのか言葉にならない。

「お休みなさい、シイ。目が覚めたらまた、楽しい日が待っているから」

 祖母の温もりを感じながら、やがてシイは幸せそうな笑顔で眠りについた。

(優しい人達……この子は幸せ者ね)

 人との絆は、何にも代えがたい宝物だとメイは思っている。自分達の元に居ては、今ほど人との繋がりを持つことは出来なかっただろう。

 小さく非力で頭も決して良くない。突出した技能も美貌も無い。しかし抱えきれない程の宝物を持っているシイは、メイにとって誰よりも幸せな自慢の孫だった。

 

 

 




シイがメイに一年間の出来事を語ると言う形式で、ちょっとした出来事集をやってみました。実際はもっと語ったでしょうが、流石に全部書くと一万二万で済みそうに無いので、抜粋しました。

いい加減第三新東京市に戻ろうと言う事で、次回で京都編完結です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《そうだ、京都に行こう(完結編)》

 

~穏やかな朝~

 

 翌朝、碇家の居間でシイ達六人が朝食を食べていた。

「あらあら、もう帰ってしまうの?」

「ええ。仕事が残ってますし、シイ達も学校がありますから」

 今回は週末を利用しての帰郷だったので、長期滞在は出来ない。メイは残念そうな顔をしつつも、四人の立場を考えれば仕方ないと頷いた。

「忙しいのは喜ぶべき事だ。充実している証拠だからな」

「はい。また今度……次はもっと長い休みを取り、お邪魔したいと思います」

「ふん、来たければ勝手に来い。隠居の身で暇を持てましているからな」

 素っ気なく返答するイサオだったが、彼がゲンドウ達の来訪を待ち望んでいるのは間違い無いだろう。イサオの顔は、妻であるメイですら久しぶりに思える程、生気に満ちているのだから。

 

「シイとレイも何時でも来て頂戴ね」

「うん。あ、お友達も一緒に良いかな?」

 自分の背中を押してくれ、心配してくれた友人達。上手くいったよと報告するだけで無く、シイは是非ここに招待したいと思っていた。

「勿論大歓迎だわ。……何時か好きな男の子も連れて来てくれると嬉しいけども」

「それって、カヲル君達の事だよね。そのつもりだけど」

 瞬間、イサオが手に持った箸が砕ける。シイの好きがライクであると分かっていても、つい反応してしまう悲しい性だった。

「お祖父ちゃん?」

「な、何でも無い……。メイ、あまり煽るな」

「うふふ、生きている間にひ孫を抱きたくて」

 悪戯っ子のように笑うメイだったが、どうやら望み薄らしいと確信した。勿論自業自得ではあるのだが。

 

 

~お土産~

 

 食事を終えたシイ達が帰り支度をしていると、メイが桐の箱を手に近づいて来た。

「シイ。レイ。これを受け取ってくれないかしら」

「これって……着物?」

「ええ。私のお古で悪いんだけど、サイズは仕立て直してあるわ」

「……綺麗」

 桐の箱に納められている青と薄紫の着物に、レイは目を奪われる。衣服に頓着する方では無いが、目の前のそれには何故か心惹かれる物があった。

「興味があるなら着付けてあげましょうか?」

「……お願いします」

「あ、私も。私も着る」

「うふふ。ユイ、ゲンドウさん。少し二人を借りるわね」

 メイはゲンドウ達に断ってから、二人を自室へと案内した。部屋に入ると待機していた使用人と共に、シイとレイを手早く着付けていく。

「良く似合っているわ」

「そ、そうかな」

「ええ。可愛いわよ、シイ」

 褒められたシイが頬を染める隣で、レイは不思議そうに着物を着た自分の姿を見つめていた。

「どうかしら、レイ」

「……分かりません。ただ、変な気持ちがします」

「それは嫌な気持ち?」

「……いえ」

 レイはシイと出会うまで、他人に興味が無いと思われていた。だがそれは、厳密に言えば違う。彼女は自分にすら興味が無かったのだから。

 だから食事も服も必要最低限しか欲しなかった。アスカに散々言われても、おしゃれなどには全く興味を示さなかったのだが、今回は自らの意思で着飾る事を選んだ。

 シイとは異なる理由、意味で幼いレイの心は、シイと同じ様にゆっくりとだが確実に成長していた。

 

「ねえお祖母ちゃん。私、お母さん達に見せてくるね」

 返事も聞かずにシイは部屋を飛び出し、ユイ達の下へと小走りで向かっていった。着物姿のシイを見た三人がどんな反応をするのか、メイは想像してつい笑ってしまう。

「うふふ、あの子は本当に人を笑顔にするわね」

「……シイさんは太陽です。明るくみんなを照らします」

「なら貴方は月ね」

 メイの言葉にレイは少し驚いた様子を見せる。

「月の光は太陽みたいに強く無いけれど、人を癒やす優しい光よ。どちらも違う魅力を持っていて、共に欠かすことが出来ないもの。シイにはシイの、レイにはレイの魅力があるわ」

「……私も行って来ます」

 シイの後を追って部屋から出て行くレイの後ろ姿を、メイは嬉しそうに頷きながら見送った。

 

 

~記念写真~

 

 出発の準備が終わったゲンドウ達に、メイが折角だからとある提案をする。それは六人揃っての記念写真を撮ろうと言うものだった。

 シイ達が大賛成だと頷く脇で、イサオが真剣な顔で何処かに電話を掛ける。

「……わしだ。今すぐ来い。……わしは今すぐにと言った。……分かれば良い」

「お祖父ちゃん、何処にお電話したの?」

「ふん、折角だから専門家に撮って貰おうと思ってな。快く承諾してくれた」

「全くお父様は強引ですのね」

 呆れたように苦笑するユイだったが、その強引さはしっかりとイサオから彼女にも、受け継がれていたりする。碇家の血は、思いの外濃いらしい。

 

 碇家の屋敷をバックに着物姿のシイとレイが並び、二人の後ろにイサオとメイ、その両隣にゲンドウとユイが立ち、碇家三世代の集合写真が初めて撮影された。

「……はい、OKです」

「ご苦労だった」

「いえいえ。こんな写真を撮らせて貰えて、プロ冥利に尽きます」

 無理矢理呼びつけられた筈のカメラマンだったが、嬉しそうな笑顔でイサオに答える。

「被写体が幸せそうにしてますと、撮ってるこっちも楽しくなりますから」

「そうか……ん?」

 不意にイサオの下に女性の使用人が近づき、何やらひそひそとイサオに耳打ちした。

「ふむ、成る程。……お前達、此奴らが共に写真を撮りたいと申し出たが、良いな?」

「勿論ですわ」

 反対する理由は何も無い。ユイの答えにゲンドウとシイ、レイが頷いたのを確認すると、イサオは大きく息を吸い込み、思い切り叫んだ。

「全員集合!!」

「「はっ」」

 大気が震えるようなイサオの呼び声と同時に、シイ達の周りに碇家使用人全員が姿を見せる。黒服姿の男性と着物姿の女性、その数は三十を下らない。

「ば、馬鹿な……」

 まるで気配を感じさせずに現れた使用人達に、ゲンドウは驚きを隠せない。一人二人ならともかく、まさか数十人も側に居て気づかないとは、流石に思わなかった。

「驚いたか、ゲンドウ。此奴らはわしとメイが信頼しておる、一流の使用人達だ」

「は、はぁ」

「ユイとシイはともかくとして、レイは驚かなかったの?」

「……驚いています」

 全くそうは見えないが、彼女なりに驚いていたらしい。

「まあ良い。では撮影を頼む」

「はい。みなさ~ん、視線をこっちに……全体的に詰めて下さい……前の方はしゃがんで……」

 まるで旅行の集合写真の様に並ぶ一同。こうして撮影された写真は、先の写真と合わせて、シイの大切な宝物に加えられるのだった。

 

 そして、イサオとメイ、使用人達に見送られる中、シイ達を乗せた車は第三新東京市へ向かって出発した。一泊二日の京都訪問は、全員の胸に大きなものを与えたのだった。

 

 

 

~帰って来ました~

 

 第三新東京市へと戻った四人は、一度ゼーゲン本部へと顔を出すことにした。今日一日オフなのだが、留守を任せてしまった礼をしようと思ったからだ。

 手に生八つ橋を持ったゲンドウを先頭に、シイ達が後に続く。まずは発令所へ向かおうとする一行だったが、本部に入って直ぐ異変に気づいた。

「司令、お疲れ様……ぐふっ」

「碇司令、碇補佐官、お休みの所申し訳ありませんが、急ぎの書類が……ごふっ」

 通路ですれ違う職員達が、揃いも揃ってその場に崩れ落ちてしまうのだ。老若男女問わないその反応に、ゲンドウは不思議そうに首を傾げる。

「……何か病気が流行っているのか?」

「ええ、厄介なものが。私も迂闊でしたわ」

 ゲンドウの言葉に、ユイは自分のミスを悔いるように答えた。京都から直接ここに来たため、シイとレイは着物姿のまま。これはゼーゲン本部にとって、最悪の状況だろう。

 バタバタと倒れていく職員達を乗り越えて、ゲンドウ達は発令所へと辿り着いた。

 

 ゼーゲン本部第一発令所。普段はゼーゲンの要として重要な役割を果たしているその場所は、今大多数の職員が床に倒れる惨劇の現場となっていた。

「こ、これは……」

「……全滅」

 目の前に広がる光景に、ゲンドウは呆然と立ち尽くす。腹心である冬月を始め、優秀なスタッフ達が軒並み倒れているのだ。動揺しないはずが無い。

「た、大変! 冬月先生! マヤさん! リツコさん!」

「大丈夫よ、シイ。みんな気絶してるだけだから」

 慌てて倒れている面々へ駆け寄るシイに、ユイは安心させるように肩を叩く。

「……私の大切な部下を……一体誰の仕業だ!」

「酷い、こんなの酷いよ」

「……許せない」

 何らかの襲撃を受けたと判断した三人は、大切な人達を傷つけられた事を怒る。だが一人事情を理解しているユイは、呆れ顔で真実を告げた。

 つまり、ここに居る面々はシイとレイの着物姿を見てダウンしたのだと。

 

「成る程」

「……理解しました」

「そんなのおかしいよ。だって私はレイさんを見ても倒れないもん」

 ゲンドウとレイは直ぐさま理解したが、シイだけは納得しなかった。言葉では伝わらないと判断したユイは、シイを引き連れて会議室へと移動する。

 そしてゼーゲン特別審議室の面々を強制招集した。

「随分と急な呼び出しだが、何か……」

「左様。もう少し時間に余裕を持って……」

「大体君と碇君は休暇では……」

「すまぬ。少々たて込んでいて遅れ……」

 現れた立体映像の老人達は、ユイの隣に立つシイを見て、バタバタと撃墜されていった。

「お母さん……みんな私を見て倒れちゃった……私が怖いの?」

「あなたの着物姿が可愛すぎて、驚いちゃったのよ」

「でも……」

「シイ、見てごらんなさい。みんな幸せそうな顔をしてるでしょう?」

 立体映像の老人達も発令所の面々も、全員が満足そうに微笑みながら倒れていた。それは彼らが抱いた感情が、決して恐怖では無い事の何よりの証拠だった。

 

 

 第三新東京市に再び太陽が戻ってきた。今はまだ小さい光だが、やがては世界中を照らし出す強く大きな光へと成長するだろう。

 ただ、近づきすぎると火傷では済まないのでご用心を。

 

 




『そうだ、京都に行こう編』完結です。

後は『アダムとリリス編』を終えれば、シリアス要素はあらかたクリアできるかと思います。ただじっくり書きたい部分なので、リアルの時間に余裕が出来るまで、少し間を開けさせて下さい。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《文化祭~準備~》

 

~動き出す男達~

 

 第一中学校の空き教室。普段は立ち入る者など居ない場所に、しかし今多くの人影があった。

「ふふ、みんな集まってくれたようだね」

「なんや面白そうやからな」

「だね。渚から男子だけに話がある何て言われたら、流石に断れないよ」

 ケンスケの言葉に空き教室へ集まった三年A組の男子生徒達は、揃って頷いて見せる。女子に人気のカヲルだが、決して男子に人気が無い訳では無い。

 一見取っつきにくそうだが、実際話してみると面白くて頼りになる奴。それが男子のカヲル評だった。

「ありがとう。さて、今日集まって貰ったのは、文化祭の事なんだ」

「そういや、ぼちぼちそない季節やな」

「だね。来月にでもなれば、色々と話が出てくると思うけど」

 流石に気が早すぎないかと言う面々に、カヲルは軽く首を横に振る。

「話が出る前に動いておきたいのさ。……僕の計画の為にはね」

「ほ~」

「へぇ」

 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべるカヲルに、トウジ達もつられて悪い顔で笑う。その反応に満足げに頷くと、カヲルは彼らに計画の全容を話した。

 

「……以上さ」

「渚、お前っちゅう奴は」

「流石って言うか、やっぱりって言うか」

「計画に賛同してくれる人は残ってくれ。勿論引き返しても構わない。全ては流れのままに、だからね」

 一応の逃げ道を用意するカヲルだったが、誰一人としてそれを選ぶ者は居なかった。寧ろ全員が良い笑顔で、カヲルの計画を受け入れている。

「ありがとう。今この時、僕と共に戦う決意をしてくれた君達に、心から感謝しよう」

「水くさい事言うなや、兄弟。お前とわしらは運命共同体や」

「ここに居る全員にメリットがあるからね。こりゃ面白くなってきたよ」

 盛り上がる男子生徒達を頼もしげに見つめながら、カヲルは早くも次を考える。

(第一段階はクリア、か。次は……彼女達に気づかれない様に進めるとしよう)

 

 

~暗躍~

 

「やあ、ちょっと良いかな?」

「か、カヲル様!?」

 学校の廊下で、カヲルは女子生徒に声を掛けた。憧れのカヲルに直接話しかけられた女子は、驚きと興奮で顔を真っ赤に染める。

「君にお願いしたいことがあるんだ」

「は、はい。何でも言って下さい」

「そう緊張しなくて良いよ。実は――」

 周囲に誰も居ないタイミングを見計らって声を掛けたが、それでも何処で話が漏れるか分からない。カヲルは女子生徒の耳元に口を近づけると、優しい声でお願い事を伝える。

「……と言うわけさ。協力して貰えないかな?」

「カヲル様の為なら喜んで」

「ふふ、ありがとう。とても嬉しいよ」

 文字通り天使のような笑みを浮かべるカヲルに、女子生徒は夢見心地で廊下に倒れた。そんな彼女を抱え上げ、保健室に運びながら、カヲルは自らの計画が順調に進んでいる事を確信する。

(これで良い。……彼女は反対するだろうが、既に手遅れさ)

 

 

 

~そんなこんなで~

 

 翌月、三年A組では文化祭の出し物を決めるためのホームルームが行われていた。委員長のヒカリが議長となり、自分達の出し物を決定する。

「それじゃあ、出し物のアイディアがある人は挙手をして下さい」

「ふふ、僕はメイド喫茶を提案するよ」

 ヒカリの言葉に、待ってましたとカヲルが挙手をしながらアイディを出す。

「はぁ? あんた馬鹿ぁ? 何よそれ?」

「おや、知らないのかい? メイド喫茶というのは……」

「んな事言ってんじゃ無いの。何で文化祭で、そんなのやらなきゃならないのよ?」

 アスカは怒り顔でカヲルに食って掛かる。だがそれすらもカヲルには想定内の出来事だった。

「勘違いしないで欲しいな。僕はあくまで一つの案を出しただけさ。これに決まるとは限らないだろ?」

「そうやで、惣流。お前さんが違う案を出せばええやろ」

「……そうね。こんな馬鹿げた出し物に、誰も賛成するとは思えないし」

 今回提示された出し物の決定方法は、クラスメイトによる多数決。メイド喫茶なんて言う巫山戯た出し物に、誰も投票しないだろうとアスカは高をくくっていた。

 だがその期待は直ぐに裏切られることになる。お化け屋敷や出店などごく普通の出し物を差し置いて、圧倒的な大差でメイド喫茶が採用されてしまったのだ。

「な、何でよぉぉぉ!?」

「ふふ、これがクラスメイト達の意思と言う事さ」

「まさかあんた、何かズルしたんじゃ無いでしょうね?」

「全ては流れのままにさ。決まった事に文句を言うのは、少し大人げないと思うね」

 カヲルの正論に、アスカは反論する事が出来ずに押し黙ってしまう。そう、戦いとは刃を交える前に決着がついてしまう事が多々ある。

 男子生徒とカヲルファンクラブの女子に根回しをしていたカヲルに、多数決で死角は無かった。

(さて、サードステージクリアだ。楽しくなってきたね)

 

 

~準備~

 

「さて、僕達は大きく三つのグループに分かれる必要がある」

 メイド喫茶の発案者であるカヲルは、実行委員としてクラスメイト達の前に立ち、文化祭に向けて着々と準備を進めていた。

「まずは調理班。これは飲み物や軽食を用意する係だね。主に男子が担当するよ」

「あの、カヲル君。私はそっちに回った方が良いと思うんだけど……」

「駄目だよ」

「あかん!」

 おずおずと手を上げたシイだったが、カヲルとトウジに即答で拒否されて、びくっとその手を引っ込める。

「君には接客班に回って貰うよ。これは今回の出し物で、一番重要なポジションだからね」

「でも……」

「あんな、シイ。正直わしら男が接客するんは、あまり受けが良くないんや」

「そうなの?」

「そや。お前が料理得意なのは分かっとるが、ここは我慢してくれ」

 滅多に見せないトウジの真剣な表情に、シイはこくりと唾を飲みながら頷く。接客経験など全く無いが、それでも自分にそれが求められているなら、やるしかないだろう。

「と言うわけで、男子が裏方、女子が接客と言う配置で戦いに挑もうと思う」

「……残る一つの役割は?」

「ああ、そうだった。もう一つは宣伝班さ。プラカードを持って、校内で喫茶店を宣伝するんだ」

「地味な仕事ね」

「でもアスカ。大事な仕事だと思うわ……多分」

 乗り気で無いアスカを、ヒカリはどうにかなだめすかす。真面目な彼女は、一度決まった出し物を成功させる方向に、既に思考を切り替えていた。

「プラカードは僕達男子が作るよ。当日校内を回るのは、手の空いた人が交代で担当する事にしよう。他に質問が無ければ、それぞれ準備を始めてくれ」

「「はいっ」」

 リーダーシップ抜群のカヲルは、クラスメイト達を上手にまとめ上げていた。

 

 

~碇家にて~

 

「そう言えば、貴方達の学校はそろそろ文化祭があるのよね?」

 夕食の席でユイが、ふと思い出した様にシイ達に尋ねる。多忙の中でも、娘達から渡されるプリント類は必ず目を通しており、その中に文化祭の案内があったと記憶していた。

「うん。来週の日曜日だよ」

「……今は準備中です」

「そうか。お前達は何をやる?」

「喫茶店だよ、お父さん」

 文化祭の定番とも言える出し物に、ゲンドウは納得の表情で頷く。そんな彼も喫茶店の前にメイドの三文字が入っている事など、夢にも思わないだろう。

 シイとレイが意図的に隠したわけでは無い。彼女達も普通の喫茶店との違いを理解していないのだから。

「お前達は料理担当か? 接客担当か?」

「接客担当だよ。私はお料理が良かったんだけど、女の子はみんな接客の方が良いって言われて」

「そうか。ならば良い」

 ニヤリと口元に笑みを浮かべるゲンドウ。きっと彼の中には、シイとレイに持て成される自分の姿が、ハッキリと浮かんでいるのだろう。

 そんな夫の姿に、ユイは呆れたようにため息をつく。

「全くあなたは……。仕事が終わらなければ、行っちゃ駄目ですからね」

「分かっているよ、ユイ。明日から泊まり込むぞ」

 気合い十分のゲンドウに、はいはい、と再びユイはため息をつくのだった。

 

 

 

~三人寄ればかしましい~

 

 文化祭の準備が進むある日、女子生徒達は男子を排除した教室に集まっていた。接客用の衣装を発注する為のサイズ合わせの為だ。

「はぁ~、別に制服で良いじゃ無い」

「でもアスカ。汚れたら困ると思うわ」

「そりゃそうだけど……。ま、いちいち気にしてても仕方ないし、ちゃっちゃと済ませちゃいましょ」

 ヒカリがメジャーを手に女子生徒達の採寸を済ませ、補佐に着いたレイはヒカリが読み上げる数字を表に記入していった。

 採寸が順調に進む中、アスカの数値を記入しながらレイが呟く。

「……困ったわ」

「ん? 何かあったの?」

「……アスカの胴回り、特注サイズが必要ね」

「なぁぁんですってぇぇぇぇ!!」

 鬼の形相でレイへと襲いかかるアスカ。客観的に見てアスカのスタイルは、同世代の女子生徒のそれを大きく上回るものだった。ウエストが太いと言うよりも、他の女子生徒よりも全体的に身体が大きいと言うだけなのだが、やはりこの年頃の女の子は気にしてしまうものらしい。

 教室で追いかけっこを繰り広げる二人に、クラスメイト達はまたかと苦笑いを向ける。

 そんな喧噪の中、一人シイだけが教室の隅で体育座りをしていた。

「し、シイちゃん。大丈夫だって。ちゃんと特注サイズも用意できるから、ね?」

「……ぐすん」

 調理班が良かったと、シイは涙目になりながら本気で思っていた。

 

 

 

~三人寄れば文殊の知恵~

 

 男子生徒達は別の教室に集まり、打ち合わせを行っていた。

「なあ渚。ちょいと気になる事があるんやけど」

「何かな?」

「わしらの中で、料理が出来る奴なんかおらんで? ホンマに大丈夫なんか?」

「ふふ、問題無いよ」

 トウジだけで無く、男子生徒達全員から不安げな視線を向けられても、カヲルは余裕を崩さない。

「料理なんて難しく考えなくて良いさ。飲み物は注ぐだけ、軽食も温めるだけのレトルトと冷凍だからね」

「確かにそれなら僕らでも出来るけど……」

「客が納得せーへんやろ」

「ふふ、だから問題ないのさ。客の目当ては料理では無いからね」

 カヲルの答えに一同は納得の声を漏らす。普通の喫茶店ではそれなりの料理が求められるだろうが、今回三年A組が行うのはメイド喫茶だ。

 料理に期待して来店する客はほとんど居ないだろう。

「僕達は運営を滞りなく行う為の裏方に徹せば良い。後は可憐なメイド達がどうにかしてくれるさ」

「……お前、ホンマにえげつないやっちゃな」

「褒め言葉と受け取っておくよ」

 揺るがないカヲルに、一同は改めて畏敬の念を示すのだった。

 

「因みに僕はある程度料理が出来る。必要なら腕を奮おう」

「おう、頼りにしてるで兄弟」

「じゃあ軽く段取りをしておこうよ」

 ブレーン役のケンスケが、仕事を書き出して一人一人に割り振っていく。調理係も軽食班と飲み物班、デザート班に細分し、当日に混乱しないようにする。

 また女子生徒が接客する以上、何らかのトラブルも想定されるので、監視役と対処役も必要だ。

「不埒な輩には僕が制裁を加えよう」

「OK。後は事前準備だね。教室をパーティションで区切って、厨房と休憩室を作るっと」

「食材の発注はどないする?」

 トウジの言葉に男子生徒の一人が挙手をする。

「あ、俺の家商店やってるから、大体のやつは揃えられるぜ」

「ふふ、それは助かるよ。僕にもつてがあるから、具体的な品目を調整しよう」

「厨房に置く器具とかはどうする? 冷蔵庫とか冷凍庫も必要だよな?」

「対処済みさ。とある所から、業務用のものを借りる手はずが整っているよ」

 カヲルの存在によって、打ち合わせは極めて順調に進んでいく。全ての話がまとまるまでに、三十分も必要無かった。

 

「……さて、そろそろ本題に入ろうか」

 頃合いを見て告げるカヲルに、男子生徒達の顔が引き締まる。

「僕達の計画を成就させる為には、大切なポイントが三つある」

「何や?」

「一つ、決して悟られない事。情報の漏洩は勿論、アレを見つけられても失敗だから注意して欲しい」

「二つ、不埒者は決して見逃さない事。彼女達を守る事は目的以上に優先すべきだ」

「三つ、メイド喫茶を成功させる事。仮に失敗しても計画に影響は無いけど、後味が悪いのは遠慮したいね」

 カヲルの言葉に男子生徒達は力強く頷き、文化祭への決意を新たにするのだった。

 

 

~最強最弱のメイドさん~

 

 文化祭まで後数日。三年A組の準備も大詰めを迎えた頃、ようやく待望の制服が届いた。サイズの確認の為、メイド服に袖を通した女子生徒達を見た瞬間、男達はガッツポーズを決める。

「ふふ、勝ったね」

「ああ、間違いないで」

「考えてみれば、うちのクラスって可愛い子揃ってるもんな」

 学校中で人気のあるアスカを筆頭に、レイとヒカリにも隠れファンが大勢居る。そして、ひときわ小さなメイド服を着たシイは、カヲルに勝ちを確信させる程の破壊力を誇っていた。

「ホント男子って馬鹿で単純ね。こんな格好の何処が良いのかしら?」

「でもアスカ、凄い似合ってるわ」

「……馬子にも衣装ね」

 どうやっても褒めるつもりが無いレイに、アスカはいつも通りの皮肉を返す。

「はん、あんたは良いわね。胸が窮屈そうじゃなくてさ?」

「……そうね。アスカはお腹が苦しそう」

 何処かでゴングが鳴り、再びアスカとレイがバトルを繰り広げようとしたのを、シイが慌てて間に入って止める。

「駄目だよ二人とも。この服借り物なんだから、汚したら怒られるよ」

「うっ! ま、まあ仕方ないわね」

「……ええ」

 メイド服を着たシイに、上目遣いで見つめられてしまっては、もう逆らうことは出来なかった。

(やばいわね、この子。こりゃ当日は相当ガードをキチンとしないと)

(……シイさんは私が守るわ)

 アスカとレイは短く視線を交わすと、小さく頷き合うのだった。

 

 そして、文化祭当日を迎える。

 




文化祭編突入です。
まったり、しんみりする話が続いていたので、アホやりましょう。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《文化祭~開幕~》

 

~総員戦闘配置~

 

 第一中学校文化祭当日。ゼーゲン本部発令所では冬月指揮の下、着々と戦闘準備が整えられていた。

「情報は確かなんだな?」

「確認済みです。会場は第一中学校三階、三年A組に間違いありません」

「規模は?」

「女子生徒十六名、男子生徒十五名、計三十一名での運営です」

「では混乱を避ける為、予定通りグループ分けをして挑むぞ」

 青葉と日向からの報告を受けて、冬月は手であごをさすりながら指示をする。本日開催される第一中学校の文化祭。シイ達がメイド喫茶をやるという情報は、決定した日の内に入手していた。

 それ以来冬月は仕事の段取りを整え、全員が順番に参加出来るようスケジュールを調整してみせた。副司令冬月コウゾウの非凡な才は、本業と関係無いところで発揮されていた。

「碇とユイ君の動きはどうだ?」

「ご夫妻揃って、シイちゃんの様子を見に行くようです」

「よし。我々の動きとバッティングしないよう、連絡は密に行え」

「了解」

 本気を出した冬月は、ゲンドウ以上に絶対的な支配力を誇っている。今この瞬間、ゼーゲン本部はMAGIシステムも含めて、完全に彼の管理下にあった。

「後は……時が来るのを待つだけだな」

「ええ。マヤ、中学校内の監視カメラを、MAGIの直轄に回しておいて」

「既に切り替え済みです」

「流石マヤ。早いわね」

「それはもう、先輩の直伝ですから」

 微笑み合うリツコとマヤ。歪んだ師弟関係だったが、それを突っ込む様な無粋な者は居ない。この場に集った強者達の心は、ただ一つの方向へと団結しているのだから。

 メイド姿のシイにもてなされる。その為だけに彼らは動いていた。

 

 

~敬老会解散!?~

 

 暗闇の会議室に、ゼーゲン特別審議室代表のキールが姿を見せる。

「諸君。少々困った事態……」

 登場早々に審議を始めようとするキールだったが、ある違和感に気づく。本来居るはずのメンバーが、誰一人として参加していないのだ。

「諸君?」

 戸惑いながらも、再度呼びかけを行うキールだが、やはり返事は無い。暗闇の中でぽつんと一人佇むキールは、何時もよりも背中が小さく見えた。

(急用か? 否、全員が揃ってそれはありえん。連絡が無いのも解せない)

 ならばサボりかと一瞬考えたが、キールは呆れながらその考えを打ち消す。癖のある面々だが、不真面目な者は一人も居ない。何かがあったんだと思考を巡らせていると、不意に机の電話が鳴る。

「私だ」

『……キール。私だよ』

「無事だったか。既に予定の時刻は過ぎているぞ。遅れるなら連絡くらいしろ」

 メンバーからの通話に、キールは予期せぬ事件では無いと胸をなで下ろしつつ、事前連絡が無かったことを叱責する。だが受話器の向こうから聞こえてきたのは、嘲笑だった。

『ふっふっふ、悪いが君以外の全員、今日の審議は欠席させて貰うよ』

「……何を考えている?」

『人に仕事を押しつけるのは、君の専売特許では無いと言う事だ』

 男の言葉を聞いた瞬間、キールは全てを悟った。かつて加持夫妻の結婚式、カヲルの三者面談で自分が行った事を、そっくりそのままやり返されたのだと。

「ゼーゲンを裏切るのか?」

『逆だよ。ゼーゲンに忠誠を誓っているからこそ、今日だけは審議に参加出来ない』

「……第一中学校の文化祭」

 キールの呟きに、受話器の向こうで男が頷く気配がした。

『頑張ってくれ。私達は今日一日、英気を養わせて貰う』

『左様。他ならぬ我らの主、碇シイの接客を受けてね』

『『全てはゼーゲンの為に』』

 メンバー達は言うだけ言うと、一方的に通信を切ってしまう。まさかの裏切りに、キールは一人きりの会議室でガックリと肩を落とした。

「もはや叶わぬ願いか……だがこのままでは終わらぬ」

 キールが今居る場所はドイツ。どれだけ頑張っても、文化祭には間に合わないだろう。それでも一矢報いてやると、受話器を手にある人物へと連絡をとる。

「私だ……突然の連絡を詫びよう。実は君に頼みたい事がある」

 

 

 

~迎撃戦準備~

 

 文化祭開幕まで後三十分。第一中学校はすっかり祭りモードへと移行しており、シイ達の三年A組も最終準備に追われていた。

「渚君。女子の準備は終わったわ。男子はどうかしら」

「ふふ、お疲れ様洞木さん。こっちもあと少しだよ」

 厨房に顔を覗かせたヒカリに、エプロンと三角巾を装備したカヲルは笑顔で答える。カーテンとパーティションで区切られた教室の一角は、カヲルがコネで用意した冷蔵庫やコンロなどが設置されていた。

「まあ料理と言っても、そこに入っている物を温めるだけなんだけどね」

「飲み物も市販のを移し替えるだけ……ねえ、本当に大丈夫なの?」

「ヒカリ。お前の気持ちもわかるが、ここは渚に任せとき」

「そうそう。大盛況間違い無しだよ」

 不安げな表情を見せるヒカリに対して、何故か男子生徒達は成功を確信しているかのような、自信に満ちた表情を浮かべていた。

「君達が頑張ってくれれば大成功間違い無い。ふふ、期待しているよ」

「う、うん。分かったわ」

 未だ疑念はあるが、ここまで来た以上はやるしかない。ヒカリは厨房から離れてから女子を集めると、接客の最終確認を始めた。

「……ここまではシナリオ通りだ。相田君、そちらの準備は?」

「へへ、任せてくれよ。バッチリさ」

「憂いは晴れたね。さあ行くよ、着いておいで……アダムの同士、そしてリリスの子供達」

 様々な思惑が渦巻く中、文化祭の幕は切って落とされた。

 

 

~ゲンドウVSユイ再び~

 

「ほう、なかなかに立派だな」

「そうね、あなた。学生時代を思い出しますわ」

 開幕から大勢の来客で賑わう第一中学校を、碇夫妻は仲睦まじく歩いていた。シイのクラスへと向かいながら、正門から続く他のクラスの出し物を冷やかしていく。

「うふふ、美味しそうな食べ物ばかりね」

「腹が減ったのなら、何か買ってみたらどうだ?」

「あら、私はそんな食いしん坊じゃありませんわ。でもそうね、あれを頂こうかしら」

 ユイは近くのテントに歩み寄ると学生に軽く話しかけて、かき氷を購入した。大きなプラスティック容器に、山盛りにされた氷には、赤色のシロップがたっぷりとかけられている。

「ほう、かき氷か。懐かしいな」

「ええ。あなたと付き合っていた時、お祭りでよく食べましたよね」

「……そうだったな」

 甘酸っぱい記憶を呼び起こされ、ゲンドウは赤く染めた頬を指でかく。娘の様子を見るのが目的だったが、こうして夫婦水入らずで過ごす時間も悪くない、と内心思い始めていた。

「うふふ、美味しいわ。はい、あなたもどうぞ」

「……ああ」

 ストロースプーンですくった氷を、ユイはゲンドウの口へと運ぶ。一口、二口、三口、四口……ユイはペースを落とさずにゲンドウにかき氷を食べさせ続ける。

「ゆ、ユイ。私はもう良い。君が食べたかったのだろ?」

「あら? 私はかき氷はあまり好きではありませんわ」

「ならば何故買った? ん、そう言えば昔から君は、私に食べさせてばかり……っっっっ!!」

 会話の最中も氷を口に放り込まれていたゲンドウは、突然頭を押さえて苦悶の表情を浮かべる。アイスクリーム頭痛にもだえるゲンドウを、ユイは楽しそうに見つめていた。

(私が好きなのは、貴方のそんな可愛い所ですわ。うふふ)

 

 

~母親二人~

 

「付き合って貰って、本当に助かります~」

「気にしなくて良いわ。丁度暇だったし、貴方を一人で出歩かせるなんて危険過ぎるもの」

 私服姿のキョウコとナオコも、ゲンドウ達に少し遅れて第一中学校へと姿を見せた。二人がペアなのは、アスカからどうか面倒見て欲しいとお願いされたためだ。

「それにしても、メイド喫茶なんて企画。良く通ったわね」

「メイド姿のアスカちゃん……可愛いんだろうな~」

 娘第一主義のキョウコは、既にアスカの事で頭が一杯らしい。

「はぁ。くれぐれも私から離れないでね。貴方は自分の方向音痴を少し自覚した方が良いんだから」

「大丈夫ですよ。ネルフ本部ならともかく、学校で迷ったりしませんわ」

「……だと良いのだけど」

 まるで保護者のような気分で、ナオコはキョウコと共に校舎へと向かう。この時点でナオコは油断していた。既に一度キョウコが、ここで迷子になっている事を知らぬが故に。

(シイさんのメイド姿……良いわ。あの子が私を主とあがめる……ふふふ)

(あ、あの黒いバナナ美味しそうね~)

 ナオコが欲望に舌なめずりをしている間に、キョウコはふらふらとチョコバナナを売っている露天に進路変更してしまう。ナオコがキョウコとはぐれたと気づくのは、メイド喫茶の前に到達してからだった。

 

 

 

~第一次メイド喫茶会戦~

 

 三年A組は、ある種の戦場と化していた。何処から噂を聞きつけたのか、開店と同時にお客が殺到し、今では廊下に長蛇の列が出来ている。

 混乱を見越してカヲルはテーブル単位での時間制限を設けていたが、それを遙かに上回る客入りだった。生徒、来客、男と女の区別なく、とにかく人が押し寄せてきているのだ。

「お待たせしましたご主人様、オレンジジュースでございます」

「はい。コーヒーをお二つですね。かしこまりました、お嬢様」

「申し訳ありませんが、当店では撮影は一切禁止となっております。ご了承下さい」

 女は生まれながらにして女優。始めは恥ずかしさや戸惑いがあった女子生徒達だが、今では完璧な接客を行っていた。教室を縦横無尽に、しかし決して慌てた様子を見せずに動き回る。

「ほら、注文は何にするのよ……ご主人様」

 いまいち役になりきれないアスカだったが、それはそれで一部の客層に大変受けが良かった。レイは他の女子生徒のフォローに周り、極力接客を避けるような立ち位置を確保している。

 そしてシイは……。

「お待たせしました、お嬢様。ご注文はお決まりですか?」

「……が、我慢出来ない」

「はい?」

「貴方を頂くわ~」

「うぅぅ……」

 接客の度に足止めをされてしまい、時には抱擁も受けて(男でそれをやる勇者は居なかった)、ほとんど戦力として活躍できていなかった。

 最強と思われたエースは、最弱のエースでもあったのだ。

 

「ほい、オムライス出来たで」

「OK。後二つオーダーが入ったから、続けて頼むよ」

「はいな」

「渚~。用意してたオレンジジュースがもう無いよ!?」

「今追加を出そう」

 足下にミニディラックの海を出現させ、貯蔵してあったペットボトルを取り出す。明らかに手品で言い訳出来ない光景だったが、それを気にする余裕のある生徒はこの場に居ない。

「サンキュー」

「それが終わったら、君はアイスクリームを器にあけて、冷凍庫に入れておいてくれ」

 指示を出しながらも、カヲルはサンドウィッチ用の野菜を切る手を止めない。見込みを誤った為、事前に用意していた食材を切らしてしまい、追っかけ調理をしなければ間に合わない状況にあった。

「渚君、大変。お客様が女の子にちょっかいを……」

「ATフィールド全開!!」

 メイドに手を出そうとする不埒な輩は、全く隠そうとしない使徒の力で即時殲滅。三年A組のメイド喫茶は、カヲルが居るお陰でどうにか支障なく運営が出来ていると言っても、過言では無いだろう。

 そんな戦場に、担任の老教師が様子を見にやってきた。

「随分と盛況の様で何よりです」

「あ、良いところに。先生はそこのシンクで皿洗いをして下さい」

「い、いや、私はちょっと様子を見に来ただけで……」

「センセ、それ終わったらこっちに卵と油持ってきてや」

「保健室からタオルをパクって来て下さい」

「ポッキー足りないんで、買ってきて下さい」

「倉庫からガスボンベ持ってきて下さい」

「……うん」

 生徒達の迫力に押された老教師は、まずは袖をまくり上げて皿洗いを始めるのだった。

 

 熱い戦いは、まだ終わらない。




文化祭、いよいよ開幕です。
元々3部作でしたが、都合により4部作に変更させて頂きます。

目論見や野望、下心満載の文化祭。果たして無事終わるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《文化祭~狂宴~》

~放たれた獣たち~

 

 ゼーゲンからやってきた獣たちは、遂に文化祭の現場へとその姿を現した。冬月を筆頭に、リツコ、マヤ、青葉、日向、そして時田。いずれ劣らぬ歴戦の勇者達だ。

「ここが第一中学校か」

「データ照合。99,9999%間違いありません」

「いや、そこに書いてあるぞ」

「青葉、こういうのはノリだよ、ノリ」

「全く……だから女にもてないのよ」

 中学校の正門脇に思い切り派手に飾られている看板を指摘する。ただそれだけの行動で、皆から一斉に責められた青葉は心に深い傷を負った。

「さて、これからどうします? 全員で一度に行くのもあれでしょう」

「ペアを組んで、二人一組で挑むぞ。私と時田君。赤木君と伊吹二尉。日向二尉と青葉だ」

「依存ありませんわ」

「MAGIも全館一致で賛成しています」

「……惣流博士の開発した携帯MAGIか。便利だな」

 携帯電話サイズの小型端末で、本部のMAGIにアクセス出来るそれは、キョウコがたった数日で開発したものだった。それは開発責任者である赤木親子ですらなしえなかった功績。

 九の失敗を一の大成功でプラスにしてしまうキョウコは、非常に厄介な科学者だった。

「まずは私達が行く。十五分後に赤木博士達が。更に十五分後に青葉達だ」

「くれぐれも司令とユイさんに見つからないように」

「もし捕獲されても他の人の事は話さない、ですね」

「同士を売った者は、ファンクラブから永久追放……承知しました」

「了解です」

「準備は出来てます」

「各員の健闘を祈る。では解散だ」

 獣たちは拳を軽く合わせると、ツーマンセルで第一中学校へと姿を消した。

 

 

~第二次メイド喫茶会戦~

 

「……何だこれは?」

「シイ達の喫茶店の列みたいですけど、随分と人気があるのね」

「喫茶店とは、これほど人が集まるものだったのか」

 教室から延々と続く行列を見て、ゲンドウは素直に感心してしまう。文化祭本来の目的はさておき、他にも沢山の店が出ている中、これだけの集客が行える。それは十分に評価されるべき事だと思えたのだ。

「まあ折角来たんだ。並ぶとするか」

「そうですわね。丁度お昼くらいには入れそうですし」

 ここでは司令も親も関係無い。二人は行列の最後尾に着くと、他の客と同じ様に大人しく順番を待った。だが、次第に三年A組の教室が近づくにつれて、その表情が強張っていく。

 

「……ユイ、私は違う行列に並んでいたのか?」

「いえ、間違いありませんわ」

「そうか。ではあそこに書かれているのは何だ?」

「メイド喫茶ですわね」

「……シイも……か?」

「あの子とレイは接客担当と言っていましたわね。ただシイは料理が得意ですから、裏方を手伝っているかもしれませんけども」

 口ではそう言いながらも、ユイは間違い無くシイは今も接客をしているだろうと確信していた。彼女をあえて裏方に配置するメリットなど、欠片も無いのだから。

「シイとレイの……メイド姿か」

「楽しみですわね。企画をした子にお礼をしたいくらいに……」

 微笑みながら答えるユイだったが、目だけは笑っていない。ゴキゴキと指を鳴らす音は、周囲の喧噪に紛れて誰の耳にも届くことは無かった。

 

「シイちゃ~ん、次のお客様のご案内お願~い」

「は~い。いらっしゃいませ、……お父さん! お母さん!!」

 シイの驚いた声に、クラス中の視線が一斉に入り口へと集まる。そこにはサングラスを掛けた強面の髭親父と、一目でシイの母親だと分かる美しい女性が、仲睦まじげに並んで立っていた。

「来てくれたんだね」

「……ああ」

「嬉しいな~。あ、ごめんなさい。今席に案内するね」

 笑顔でゲンドウ達を席へと誘導しようとするシイだったが、ユイに首を横に振られて動きを止める。

「違うでしょ、シイ」

「え?」

「ここはお店で貴方は従業員。例え親子でも、仕事中はちゃんとお客として接しなさい」

 公私混同と言うには行き過ぎだが、肉親相手で態度が変わってしまっては、他の客に示しが付かない。厳しく注意するユイに、周囲の人達は厳格な母親なんだなと感心する。

「あ、うん。ごめんなさい。……お席にご案内します、ご主人様、お嬢様」

「あ、ああ」

「うふふ……お嬢様」

 心底嬉しそうに微笑むユイを見て、一同は察した。

((お嬢様って言われたかっただけだ……絶対))

 

「ご注文はお決まりですか、ご主人様、お嬢様」

「む、むう。そうだな、コーヒーとサンドウィッチを頼む」

「私はオレンジジュースとオムライスを」

「はい、かしこまりました。少々お待ち下さいませ」

 ペコリと頭を下げて厨房へオーダーを告げに向かうシイ。その後ろ姿を見つめていたゲンドウの頬は、一目で分かるほどだらしなく緩んでいた。

「あなた?」

「あ、ああ。何でも無い、問題無い」

 ユイにジト目で見つめられ、ゲンドウは慌てて表情を引き締める。

「全く……それにしても、まさかメイド喫茶なんて、流石に予想して無かったわ」

「最近の中学校は、随分と変わった出し物をするのだな」

「普通では無いと思いますわ。そうね……レイ」

 ユイは近くを通りかかったレイを引き留めると、事の次第を聞き出す。つまりは、一体誰がこんな企画を発案したのかと。

「……彼です」

「予想通りね。だとすると狙いは……なるほど」

 教室を軽く一瞥すると、ユイは何かを確信したかのように笑みを浮かべる。レイもゲンドウもそれが理解出来ずに、不思議そうに首を傾げるだけ。

「レイ。手が空いたら、一度連絡を貰える? ちょっと話があるから」

「……分かりました」

 そっとユイから離れるレイと入れ替わる形で、両手にトレーを持ったシイがゲンドウ達の席へと戻ってきた。小さな身体で大きなトレーを持つ姿は、何処か危なっかしくて庇護欲をそそる。

「お待たせしました。コーヒーとサンドウィッチです」

「ああ、ありがとう」

「お母さ……お嬢様には、オレンジジュースとオムライスです」

「ありがとう。あら、ケチャップは?」

「えへへ、私が文字を書くの。お嬢様、何て書きますか?」

 ケチャップを手にしたシイが、嬉しそうにユイへと微笑む。

「そうね……シイが好きな言葉で良いわよ」

「ん~じゃあ」

 少し考えたシイがオムライスにケチャップで書いたのは『大好き』の一言。ただそれは、これまでどうにか保っていたユイの理性を崩壊させるに十分過ぎた。

「あなた! 私はシイをテイクアウト致します。では」

 椅子から立ち上がったユイは、ひょいっとメイド姿のシイを脇に抱えて、出口に向かって駆けだした。まさかのお持ち帰りに、教室が一気に騒がしくなる。

「ゆ、ユイぃぃ!!」

「ユイお姉さん、ちょっと待って!」

「……それは駄目!」

「男子! お客様がシイちゃんを。渚君を呼んで」

「あかん。渚のやつ、黒い穴に逃げこんでしもうたわ」

 もはや暴走するユイを止める術無しかと思われたが、救いの手は誰もが予測しなかった所から差し伸べられた。ユイの前にすっと立ちふさがったのは、お手伝いをしていた担任の老教師。

「お祭りは楽しいものですが、羽目を外しすぎてはいけませんよ」

「はい……お恥ずかしいところを」

 学校で教師に逆らうことは出来ず、ユイの野望は一人の勇敢な担任によって防がれた。

 

 

 

~もう一人の母親~

 

 老教師に連行されていった両親を見送ったシイは、バックヤードに逃げるように隠れた。

「うぅぅ、恥ずかしかったよ」

「ホント、碇家って親馬鹿ばっかよね」

「……私は違うわ」

「自覚が無いのはもっとたちが悪いわ」

 一番シイを溺愛しているのは、どうみてもレイだろう。現にこのメイド喫茶でも、シイに不埒な行動をしようとした男性はカヲルの介入前に、一人の例外も無くレイにやられているのだから。

「それにしても、あの先生がこんなに役に立つとは思ってもみなかったわ」

「……相性の問題」

「相性?」

 よく分からないとオウム返しするシイに、レイは簡単に説明を加える。

「……ユイさんは私達に強く、私達は先生に強く、先生はユイさんに強い。三すくみ」

「色々と突っ込みたいけど、今は止めとくわ」

 そうこうしている間にも、店内の忙しさは全く変わっていない。アスカ達が抜けた分、他の女子生徒達に掛かる負担は大きくなっているだろう。あまり無駄話している暇は無さそうだ。

 

「んじゃ、さっさと仕事に戻るわよ」

「うん」

「……了解」

 三人がバックヤードからカーテンをくぐって、店内へと戻ろうとしたその時だった。不意にスピーカーからチャイムが流れ、続いて校内放送が聞こえてくる。

『迷子のお知らせを致します』

「大変だね……今日は人も多いし」

「はん。迷子は保護者の管理不行き届き。同情の余地は無いわ」

 自己責任だとアスカは切り捨てて、店内へと舞い戻る。だが、放送の続きを聞いて思わず足を止めた。

『惣流・アスカ・ラングレーさん。迷子のお母様を保護してます。至急職員室までお越し下さい』

「なっっ!?」

「これって、キョウコさん……だよね?」

「ママ……」

 人目も気にする余裕も無く、アスカはガックリと膝を床に着く。今日ここに来るとは聞いていたが、ナオコに同行をお願いしていたので、すっかり安心しきっていた。その分ダメージは大きい。

 

「あ、アスカ。ここは私達で何とかするから、お母さんを迎えに行って来て」

「そうだよ。キョウコさん、きっとアスカを待ってるもん」

「ふふ、何ならそのままここに案内してくると良い。当然君がお持てなしをするんだよ」

 クラスメート達からの暖かい言葉に、アスカは心の底から感謝して立ち上がる。そんな彼女の肩を、レイが優しく叩いた。

「……早く行って来て」

「あ、あんたに親切にされるのは、何か変な気持ちね」

「……だって、迷子は保護者の管理不行き届きだから……ぷっ」

「覚えてなさいよぉぉぉ」

 アスカは着替える事すらしないで、捨て台詞を吐きながら教室から走り去っていった。そしてアスカがメイド姿で校内を駆け抜けた結果、メイド喫茶の客は倍増してしまう。

 予期せぬ宣伝効果に、三年A組は割と本気で悲鳴をあげるのだった。

 

 

~第三次メイド喫茶会戦~

 

 メイド喫茶の一席に、無事保護されたキョウコと、不機嫌なナオコが向かい合って座っていた。あの放送はアスカだけでなく、必死にキョウコを捜索していたナオコも職員室へ引き寄せたのだ。

 ようやく合流出来た二人。当然ナオコはキョウコに不満をぶつける。

「全く、どうして勝手に動いたの?」

「あら? ナオコさんが知らない間に居なくなったのよね?」

「私は真っ直ぐここに向かったの。でも貴方は居なくなってたの。どっちが悪い?」

「アスカちゃ~ん。注文お願~い」

「人の話を聞きなさい!!」

 テーブルを思い切り叩いて叫ぶナオコだったが、キョウコにはまるで効果が無かった。その代わりとばかりに、注文を取りにやってきたアスカが、申し訳なさそうにナオコへ謝る。

「赤木博士、ママがご迷惑をかけて……本当にすいません」

「はぁ、はぁ、良いのよ。貴方が謝る事なんて何も無いわ」

「そうよ、アスカちゃん」

「貴方は反省すべき!」

「えっと~、私ミルクティーとオムライス」

 のれんに腕押し、糠に釘。ナオコから発せられる怒気を受けても、キョウコは微塵も表情を変えなかった。言っても無駄だと理解したナオコは、ため息混じりに注文をする。

「はぁ、……コーヒーとオムライスを」

「かしこまりました。ではお嬢様方、少々お待ち下さい」

 優雅に一礼して厨房へと向かうアスカ。クォーターと言う事もあってか、スタイルも容姿も日本人離れしている彼女は、このクラスで一番メイド姿が似合っているかも知れない。

 娘の姿をキョウコはうっとりと頬を染めて見つめていた。

 

 せめてものお詫びと言う事で、通常は一つのテーブルを一人のメイドが担当するのだが、特別にシイがナオコをもてなす事になった。それだけで機嫌が直ったナオコは、やっぱりリツコの母親なのだろう。

「ママ……じゃない、お嬢様。何てお書きしますか?」

「ん~なら、アスカちゃんから、私へのメッセージをお願い」

 ケチャップを手にしたアスカは少し悩んだが、先程のシイを思い出して『Ich liebe dich』と書いた。僅かなスペースに、複雑な文字を書き込んだ彼女の技量に、シイは驚きの声をあげる。

「す、凄いねアスカ。ケチャップでそんな細かい字を……」

「ふふん、これがあたしの実力よ」

 明らかな才能の無駄遣いだったが、アスカは自慢げに胸を張る。

「それドイツ語だよね。何て書いたの?」

「シイちゃん、これは……」

「あ~あ~、言わなくて良いのよ!」

 ナオコの言葉を大声で遮ると、アスカは頬を赤く染めて、スプーンでケチャップの文字を消した。キョウコはそんなアスカの手を引っ張り、思い切り抱きしめる。

「ま、ママ!?」

「私もよ、アスカちゃん」

 娘からの愛を伝えるメッセージに、キョウコは抱擁という形で応えるのだった。

 

「さあシイちゃん。私にも貴方のメッセージを書いて」

「わ、私もですか?」

「ええ。刺激的な……衝撃な言葉をお願いするわ」

 期待に満ちた視線を向けるナオコに、シイは困り顔で必死に言葉を考える。だがどうしても、気の利いた言葉が浮かばなかった。

 すると何時の間にか背後に立っていたレイが、シイの手からケチャップを抜き取ると、ナオコのオムライスにささっと文字を描いてしまった。

 ただ一言『ばあさん』と。

「な、ななな、何をするのぉぉ!!」

「……刺激的で衝撃的な言葉」

「意味が違うわ。私が求めてるのは、もっとこう……」

「……ばあさんはしつこい」

「ぐっ。貴方……碇司令に叱って貰わないと」

「……司令が言ってるの。ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済みって」

「嘘ね」

 暴言を連発するレイだったが、冷静さを取り戻したナオコはバッサリと否定する。

「気づいて無いかもしれないけど、貴方は嘘をつくとき鼻がピクピク動くのよ」

「……えっ」

「嘘よ。だけど、馬脚をあらわしちゃったわね」

「……あ」

 思わず鼻を触ってしまったレイは、ここで自分が騙された事を察した。

「……嘘は良くないわ」

「どの口が言うのかしらね。本当に司令……いえ、ユイさんに叱って貰いに行きましょう」

「……引っ張らないで……私が悪かったわ……反省してるわ……ごめんなさい……ユイさんだけは許して」

 ナオコに首根っこを掴まれたレイは必死の懇願空しく、ずるずると引きずられる形で、メイド喫茶からフェードアウトしていった。

 

 

 

~代打の切り札~

 

 文化祭の出し物とは言え、一日中働くのは体力的にも精神的にも厳しい。交代制で休憩を取れる様にシフトは組まれていたのだが、予想を遙かに超える客入りに上手く機能していなかった。

 しかもレイを不慮の事故で失った今、接客係は致命的な人員不足に陥っていた。その打開策として女子が提案したのは、新たなメイドの補充だった。

「て訳だから、あんたメイドになりなさい」

「ふふ、君が何を言っているのか分からないよ」

「客入りは衰えず、メイドは足りない。だからあんたがメイドになりなさい」

 アスカに詰め寄られ、カヲルは表情こそ変えないものの、その頬には一筋の汗が流れていた。これは今まで計画を順調に進めていた彼にとって、初めてとも言える予想外の展開だったのだ。

「少し落ち着こう。僕は一応男子生徒だ。流石に無理があると思うね」

「大丈夫だよ。カヲル君なら女の子のお洋服もきっと似合うもん」

「は、はは、ありがとう」

 少しも嬉しくない褒め言葉をシイから貰い、カヲルは乾いた笑いを零す。他の男子生徒達が巻き添えを避けて、厨房に籠もっているため、彼は孤立無援の状況だった。

「で、でも僕にはメイド服が無い。メイド喫茶の接客は出来ないね」

「ふ~ん。なら服さえあれば、あんたはやるのね?」

「あれば、ね」

 自身の有利を確信し、余裕を取り戻したカヲルだったが、バックヤードにやってきたヒカリの姿を見て、初めて表情を変えた。ヒカリの手には一着のメイド服が握られていたのだから。

「ど、どうして……僕は採寸していないのに」

「あんた馬鹿ぁ? ゼーゲンからあんたのデータを貰ったに決まってんじゃん」

「はい、渚君のメイド服。着替えたら直ぐに接客に入ってね」

 カヲルはヒカリから渡されたメイド服を見つめ、ガックリと肩を落としながら頷いた。

 

 




文化祭編、三話目が終了です。
順調にみんな壊れてきているので、作者としても一安心です。

今回の投稿で通算180話となりました。
後日談だけでも結構な話数……皆様のお付き合いに感謝です。

完結の目安としては、通算200話かな~と考えております。ただいい加減な作者ですので、多少の増減はすると思いますが、大体その辺りで目処を立てています。

投稿ペースについてですが、最後のシリアス『アダムとリリス編』突入前に、一度執筆のための時間を頂くかもしれません。物語の締めではありませんが、謎と投げっぱなしの処理の大事なエピソードですので、丁寧に書きたいと思うので。

まだ暫くは日常編を続けますが、もし投稿ペースが空くときはこちらでご連絡致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《文化祭~閉幕~》

 

~送り込まれた刺客~

 

 多くの来場者で賑わう第一中学校を、加持夫妻は二人並んで歩いていた。

「こりゃまた凄い人出だな」

「本当ね。やっぱ非常事態宣言の永続解除が効いてるのかしら」

「人混みは大丈夫か?」

「ぶつからなければ平気よ」

 加持の気遣いにミサトは愛おしげにお腹を撫でながら答える。妊娠中期に入り、ミサトの状態も安定してきたとは言え、やはり心配になってしまう。

「あまり無理はするなよ。調子が悪かったら直ぐに言え」

「分かってるって。……でも良かったの?」

「ん? ああ、キール議長の事か」

 ミサトの質問の意図を察し、加持は苦笑を浮かべる。元々シイ達の顔を見に来る予定だったが、彼はそれに加えてある頼まれごとをされていた。

「大した手間じゃ無いさ。ちょいと写真を撮るだけだからな」

「なら良いけど」

「色々あったが、あの人には恩もある。あんなに落ち込んだ声で頼まれたら、流石に断れないさ」

 突然携帯に連絡が来たときには流石に驚いたが、話を聞けばなかなかに自業自得の状況らしい。とは言え無下にするわけにも行かず、可能であればの条件で頼み事を引き受けた。

「ま、あまり気にせず楽しむとしよう。メイド喫茶なんて滅多にお目にかかれないからな」

「そうね。あの子達のメイド姿、ちょっち楽しみだし」

 妹分達の奮闘ぶりを楽しみにして、ミサトは加持と共に三年A組へと向かう。

 

「でもシイちゃんがそんな格好するなら、ゼーゲン本部は大騒ぎじゃ無いの?」

「碇司令とユイさんが自重する様にお触れを出したよ。でなければ――」

「青葉ぁぁ!」

「お、俺に構わず、日向さんだけでも……うわぁぁぁぁ!!」

「「…………」」

 聞き覚えのある声と馴染みのある名前が、二人の耳に届いた。一体何があったのか、察するのは容易だったがミサトと加持は思考を止める。

「……ゼーゲンは相変わらずって事?」

「残念ながら、な」

 なおも聞こえてくる悲鳴を無視して、加持とミサトは今度こそ三年A組へと向かうのだった。

 

 

 長蛇の列に驚きつつも、二人は辛抱強く順番を待つ。そして待つこと数十分、ようやくメイド喫茶へと入店することが出来た。

「「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様」」

「え、えっと、お嬢様って私?」

「嬉しそうな顔するなよ。定型文なんだろ」

 お嬢様と呼ばれて喜ぶミサトに、加持は呆れながら言う。もうすぐ三十路、しかも現在妊婦さん。どう考えても定型文かリップサービスだろうと。

「あ~加持さん! それにミサトも」

「よ、暫くぶりだな」

「あらアスカ。良く似合ってるじゃないの」

 二人の姿を見かけて駆け寄ってくるアスカに、加持とミサトは笑顔で手を挙げる。

「今日はデート?」

「そんな所だ」

「な~に? アスカが私達の担当をしてくれるの?」

「ふふん、嬉しいでしょ。さ、席に案内するわ」

 アスカは自慢げに胸を張ると、二人を窓際の席へエスコートする。そして慣れた手つきで二人にお冷やとメニューを用意した。

「ご注文は何にしますか? ご主人様、おば様」

「う゛っ! い、言ってくれるわね……。ホットケーキとコーヒーをお願い」

「俺もコーヒーを頼む」

「畏まりました」

 恭しく一礼すると、アスカは厨房へオーダーを伝えに行く。その後ろ姿を見つめながら、ミサトは何とも言えぬ笑みを浮かべる。

「ん、随分と嬉しそうじゃないか」

「何か、ちょっち懐かしくなっちゃって」

 共同生活をしていた時は、毎日のようにアスカの皮肉や軽口を聞いていた。だが今は同じマンションに住んでいるとは言え、会う機会も少なくなっている。

 感傷に似たものをミサトは感じているのかも知れない。

「人生ってのはそんなものさ。出会って親しくなって、だが何時かは別れる。その繰り返しだ」

「分かってるんだけどね」

「……もうすぐ新しい出会いがある。寂しいなんて気持ちを吹き飛ばすくらい、刺激的な出会いがな」

 自分のお腹を指さす加持にミサトは小さく頷く。順調にいけば来年、ミサトにとって忘れられない出会いが待っているのだ。刺激的で……感動的な出会いが。

 

「良い雰囲気のとこ悪いけど、ご注文の品よ」

「おっと、早いな」

「あはは、ありがとう」

 完全に二人の世界に入りかけていた加持とミサトは、気まずそうにアスカへ笑いかける。

「折角だからゆっくりしていくと良いわ。後でシイにも声を掛けさせるから」

「ああ。っと、忘れてた。なあアスカ。写真を撮っても良いのか?」

「ん~一応NGなのよね。……ちょっと待ってて、責任者を連れてくるわ」

 アスカはスッと加持達から離れると、側で給仕をしている女子生徒に何やら告げると、二人揃って加持達の元へ戻ってきた。

「その子が責任者なの? 可愛い子ね」

「お褒め預かり光栄です」

「……ちょっと待て。まさか…………渚君か?」

 セミロングのウイッグと化粧に一瞬騙されたが、特徴的な赤い瞳と聞き覚えのある声で、加持は女子生徒と思っていた少年の正体に気づいた。

「ふふ、流石加持主席監査官。見事な観察力ですね」

「渚カヲル子よ。一応こいつが責任者だから」

「こりゃまた、随分と化けたもんだ」

 元々綺麗な顔立ちをしていて、体型も華奢なカヲルだ。キチンと化粧をして女物の服を着れば、初めて見る人はまず男の子とは思わないだろう。

 

「ありがたくない褒め言葉をありがとう。それで、写真を撮りたいんだって?」

「ああ。可能ならば、だがな」

「他のお客様にお断りしている手前、そう簡単に良いよとは言えないね。何か事情があるのかな?」

 普通なら即却下なのだろうが、一応事情を聞く辺りは彼も、加持が趣味で写真を撮る人間では無いと分かっているのだろう。

「実は――」

「……成る程。老人の道楽に付き合わされたのか」

 加持から事情を聞いたカヲルは、加持に同情の視線を向ける。

「協力してあげたい所だけど、シイさんの写真がキールの手に渡るのは、個人的に嫌だね」

「そりゃそうよね」

「……なあ、渚君。ちょっと耳を」

 ミサトとアスカに聞かれないよう、加持はカヲルの耳元で何かを呟く。何を告げたのかは分からないが、加持の言葉を聞いた瞬間、カヲルが驚いた様に目を見開いた。

「良く気がつきましたね」

「ま、職業柄な。なかなかの腕みたいだが、一応俺はプロだ」

「……バックヤードへ。シイさんのお兄さんと言う事で話を通しましょう」

 事態を飲み込めないアスカとミサトをその場に残し、加持とカヲルはシイに声を掛けて三人でバックヤードへと姿を消した。

「加持さん、一体何を言ったのかしら」

「あいつの事だから、脅迫じゃ無いと思うけど……」

 数分後、三人は何事も無かったかの様にバックヤードから戻ってきた。

「ありがとう、助かったよシイ君。それにカヲル子君」

「お役に立てたのなら良かったです」

「くれぐれも内密に。特にあれだけは絶対に流出させないで下さい」

「ああ、約束する」

 シイとカヲルと別れた加持は、自分の席へと座る。その表情は自分の仕事をやり遂げた、達成感に満ちあふれて居た。

 

 

 

~共闘……でも~

 

 大賑わいの文化祭、その裏で絶望的な戦いをしている者達が居た。

「……先輩。ゼーゲン特別審議室の反応が消えました」

「捕まったのね……。マヤ、直ぐに安全なルートを算出して」

「はい」

 物陰に身を隠しながら、携帯端末を操作するマヤ。その間もリツコは周囲への警戒を怠らない。

「まさかこんな短時間で補足されるなんて……流石はユイさんかしらね」

「無関係な生徒達をも利用していますから。この学校自体が、巨大な網みたいなものです」

 ツーマンセルで文化祭に潜り込んだ勇者達。だが最初に青葉と日向が碇夫妻に補足されてしまい、リツコ達は早々に追われる立場となった。

 偶然出会ったゼーゲン特別審議室の老人達と手を組み、どうにかメイド喫茶へ近づこうとしたのだが、冬月時田ペア以外が全滅という結果に終わった。

「ルート確保出来ました! 校舎裏迂回ルートを提示しています」

「なら行くわよ」

 携帯MAGIの導きに従い、リツコとマヤは校舎裏へと向かう。だがそこで二人を待っていたのは、サングラスの男、碇ゲンドウその人だった。

 

「碇司令……」

「何故、ここに居る?」

「ね、猫に子供が生まれたんです。お祖母ちゃんも喜んで――」

「今一度問う。何故ここに居る?」

「メイド姿のシイさんに、至れり尽くせり接待されたかったからです」

「赤木君……君には失望した」

「失望!? 初めから期待も望みも持たなかったくせに!」

「いや……休暇届を出す位の常識は期待していた」

 文化祭への参加を自重しろとは言ったが、休暇中の職員の行動を制限するつもりは無かった。現に自分達やキョウコとナオコは、普通に休暇をとって参加しているのだから。

 だが業務の都合で休暇が通らなかった面々は、無断で仕事を抜け出している。ゲンドウが失望と言うか、呆れるのも当然だった。

「でも何故MAGIは……」

「ふっ。不穏分子の存在は確認していたからな。先程ナオコ君がレイを引きずって来た時、事情を話して細工を頼んだ。考案者のキョウコ君もここに来ていたので、作業は容易だったよ」

「MAGIが裏切った!? 母さんは自分の娘よりも、自分の安全を選んだの?」

「業務放棄。拘束時間の無視。稚拙な工作。これら全ては罰則行為だ。何か言いたいことはあるか?」

 もはや逃げ道は無いだろう。ならばせめてマヤだけでもと、リツコはゲンドウに飛びかかった。

「マヤ、貴方だけでも行きなさい」

「先輩!」

「こんな髭面親父に易々とは負けないわ。さあ、行きなさい!」

「は、はい」

 リツコがゲンドウとがっぷり四つに組んでいる横を通り抜け、マヤは必死で逃げた。背後で聞こえる男の悲鳴に耳を塞ぐこと無く、敬愛する先輩が作ってくれたチャンスを生かすために、ただ全力で。

 だが、現実はフィクションのように甘くも優しくも無かった。

「ごめんなさい、マヤさん。ここは通行止めなの」

「……補足されました。健闘を祈ります」

 ユイにニコリと微笑まれたマヤは、携帯端末に最後のメッセージを入れると、その後の消息を絶った。

 

 

 

~獣たちの挽歌~

 

 三年A組の前になおも続く長蛇の列。その先頭には、白髪の老人と若い男が立っていた。

「よ、ようやくここまで来たか」

「長かったですね」

「先程伊吹二尉から通信があった。ユイ君に発見されたそうだ」

 安否は不明だが、あの夫婦から逃げ切れるとはとうてい思えない。それ以降の連絡が無いことから、ほぼ間違い無くサーチアンドデストロイされたのだろう。

「彼らの犠牲を無駄にする訳にはいかんな」

「ええ。私達だけでも、シイさんのお持てなしを受けましょう」

 係の女子生徒に案内されて、二人は意気揚々と店内へと踏み込み、そして……絶望した。

「ふふ、お帰りなさいませ、ご主人様」

「……な、渚君!?」

 一瞬気づかなかった時田だが、加持と同じく元のカヲルを知っている以上、彼の特徴で正体を見抜く。

「どうして君が!?」

「僕が聞きたいんだけどね。まあ今は君達はお客様だ。……お席にご案内しますよ、ご主人様」

 カヲルに案内されながらも、キョロキョロと店内を見回す二人だったが、そこにシイの姿は無い。

「因みに渚君。シイ君は何処に居るのかね?」

「彼女は今休憩中さ。今頃着替えて、他の出し物を楽しんでると思うよ」

「終わった……全て終わりました」

 牙を失った獣たちは、力なく案内された席に座る。彼らの野望は、誰も知らない所で潰えたのだった。

 

 

~祭りの後~

 

 こうして文化祭は終わった。三年A組は第一中学校始まって以来の、最大集客と最高利益をあげ、学校の歴史に名を刻んだ。

 だがそれとは別に、男子生徒達にはもう一つ喜ぶべき事、カヲルの計画成就があった。

「ケンスケ! お前はホンマに最高やで」

「ふふ、見事だよ相田君。僕も身を削った甲斐があったよ」

「ま、僕の撮影技術に掛かれば、この位は造作も無いってね」

 彼らの手には、ケンスケが教室に仕掛けたカメラで隠し撮りしていた、女子生徒達の写真が握られていた。これこそがカヲルがメイド喫茶を提案した真の目的。

 撮影を希望する客は多く、稚拙な隠し撮りを行おうとした不埒者も居たが、全てカヲルと男子生徒達に阻止されていたので、メイド姿のシイ達をおさめた写真は、彼らが持っているものだけだ。

「ヒカリは真面目さかい、こう言った格好は、こない機会でも無いとやらへん」

「ふふ、シイさんの魅力が詰まっている。これはお守りにしよう」

 最後まで牙を隠していた獣たちが真の勝者となった。……と、この時点では思われていた。

 

 

~勝者と敗者~

 

「諸君。何か言いたいことはあるか?」

「「…………」」

 暗闇の会議室でキールに問われた老人達は、一様に疲れ切った顔で俯くだけ。結局シイを一目見ることすら叶わず、碇夫妻に捕獲されて強制送還された彼らには、もう何かを言う気力すら残っていなかった。

「職務放棄の責を問うことはしない。……私も過去の行いを反省しよう」

「き、キール……」

「我らはゼーゲンに全てを捧げる。その意思がある限り、我らは共に歩み続けよう」

「「全てはゼーゲンの為に」」

 思いがけぬキールの言葉に、審議室委員達は歓喜の声で応える。だが、キールは意外と根に持つタイプだと言う事を、彼らは知らなかった。

「ん? キール。何か落ちたぞ?」

「おっと、写真を落としてしまったようだ」

 立体映像のキールが机の上から落ちた写真を、わざと委員達に見せつけるようにゆっくり拾う。彼らの視線は自然と写真に向かい……絶句した。

「き、き、キール。その写真はまさか」

「碇シイの写真だ。直接出向くことは叶わなかったが、優しい協力者が写真を送ってくれたのでな」

 チラチラとキールが写真を見せびらかす度、委員達はそれをくれと言いたい気持ちを必死に抑える。自分達はキールを出し抜いて、直接現地へと向かっているのだ。

 結局会えませんでした。だからそれを下さい、と言うのはプライドが邪魔をしてしまう。

「うむ、なかなか似合っている。……諸君は直接会えたのだろ? 羨ましい限りだ」

((おのれキールめぇぇ))

 自分達の事を全て知っているのだと察した委員達は、ほくほく顔のキールに恨みがましい視線を向ける。解散の危機は脱した特別審議室だが、仲直りは少し先になりそうだった。

 

 そして、加持が撮ったもう一枚の写真……渚カヲル子のメイド姿は、一切のデータを抹消された上で、キールの手元に一枚だけ残された。

 自らの望みを叶える為の存在。その為だけに育てた少年は、普通の子供と同じ様に今を楽しんでいるように、写真からは読み取れた。

(……これで良い。罪滅ぼしになるとは思えんが、今はこれで良い)

 メイド姿のカヲルを見ながら、キールは小さく頷くのだった。

 

 

 

~後の祭り~

 

 文化祭が終わって数日後、三年A組の男子生徒達は一人残らず教室に集められていた。そこで彼らは女子生徒達から、自分達の計画が露見した事を告げられる。

「あんた達の馬鹿さには、呆れて言葉も無いわ」

「言い訳をするつもりは無いけど、誰から聞いたんだい?」

「……ユイさん」

 メイド喫茶に来店したユイは、僅かな違和感からカメラの存在、そしてそこから企画立案者であるカヲルの狙いを見事当てて見せた。

「も~駄目だよカヲル君。黙って写真を撮るのは盗撮って言う、いけない事だってお母さん言ってたもん」

「君に言われると少々堪えるね……」

 普段は滅多に怒らないシイに叱責されると、流石のカヲルも参ってしまう。ただシイの場合は盗撮された事よりも、カヲルがいけない行為をした事を怒っているのだが。

「反省してる?」

「勿論だよ。すまない、シイさん。女子のみんなにも、心からお詫びしたい」

「「ごめんなさい」」

 一斉に頭を下げる男子生徒達。その姿を見て、アスカ達はため息をつきながらも頷いた。

 

「ま、ギリギリセーフかしら」

「そうね。……聞いて欲しいんだけど、写真を没収したりはしないわ」

「動機はどうであれ、出し物自体は大成功。あたし達も何だかんだで楽しんでたからね」

 ヒカリとアスカの言葉に、男子生徒の顔が希望に輝く。だが、やはり世界は甘く無い。

「だからみんなで話し合った結果、ちゃんと謝って、同じ事をしたら許そうって決めたの」

「同じ事……!?」

「あんたは気づいたみたいね」

 ハッと目を見開くカヲルにアスカが意地悪く笑うと同時に、女子生徒達がメイド服を取り出す。だがそれは彼女達が着るには大きい、明らかに男性用のサイズのそれだった。

「……これを着た姿を写真に撮る。それでおあいこ」

「は、はは、冗談きついで」

「トウジの言うとおりだよ。僕達のそんな格好、誰も喜ばないだろ?」

 引きつった笑みを浮かべるトウジとケンスケに、女子生徒達は一斉に同じ方向を指さす。そこにはニコニコと、本当に楽しそうな笑顔のシイが立っていた。

 

「し、シイさん?」

「えへへ、みんなお揃いだね」

「す、少し落ち着こう。何か他の罰に……」

「無駄よ無駄。言い出しっぺはシイなんだから」

 必死に食い下がるカヲルに、呆れ顔のアスカが衝撃の真実を告げる。

「あんた達にとっては良かったんじゃ無い? シイがあんた達を庇ってこれを言い出さなかったら、写真を没収してたんだし」

「……シイさん優しい」

「優しさの方向性が間違ってる気がするね。……シイさん、今からでも遅くは無いから」

 そんなカヲルの言葉を聞いて、笑顔だったシイの表情が曇る。彼女が自分なりに頑張って考えた解決策だったのだから、それをここまで拒絶されては悲しくもなるだろう。

「……迷惑だったかな?」

「い、いや」

「そない事あらへん!」

「あ、ああ。とっても良い妥協案だよ」

「良かった~」

 シイの花咲くような笑顔に、男子生徒達は完全に退路を断たれた。

 

 その後、第一中学校の一室からシャッターを切る音と共に、獣たちの断末魔が響き渡る。それはまるで文化祭の終了を告げる鐘の音色の様にも聞こえた。

 




どうにか無事に?文化祭は閉幕しました。
ストックしていた続き物は、これで全て放出完了です。

ミサトのアレとシイ達の受験が終われば、ようやく完全新作突入……。
ようやく休日が貰えたので、山ほど溜まったプロットに手を着けたいと思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《秘め事》

~疑惑~

 

 ある日の夜、惣流家に来客があった。玄関を開けたアスカは、隣に住む住む少女の訪問に驚きつつも、とりあえず家の中へと招き入れる。

「あら~レイちゃんいらっしゃい」

「……お邪魔します」

「シイちゃんは一緒じゃ無いの?」

「……はい」

 レイの眉が一瞬動いたのを見て、アスカは彼女の訪問の理由が、シイにあると察した。

「ま、良いわ。そこ座りなさいよ。今お茶でもいれるから」

「……玉露で」

「図々しいわね。あんたに出すお茶なんて、出がらしに決まってんでしょ」

 そう言いながらも、アスカはストックしてある中で一番高級なお茶を出す。レイに気を遣った訳では無く、単に意地と見栄を張ったのだろう。

「ほら、お茶よ」

「……ありがとう」

「ありがとう、アスカちゃん」

 何故かレイと一緒にリビングに座るキョウコ。相談があるのだと察していたアスカは、キョウコに席を外して貰うかどうか視線で問い、レイは構わないとアイコンタクトした。

 

「……シイさんが最近おかしいわ」

「元々変な子でしょ?」

「……渚カヲルも」

 レイの言葉にアスカの表情がにわかに真剣味を帯びる。何時もの過保護かとも思ったが、カヲルが絡むと大抵はろくでもない事になるからだ。

「順を追って話なさい」

「……放課後、一緒に帰ってくれないの」

「はぁ? んなのあの子にだって都合があるし、仕方ないんじゃ無い?」

「……理由は教えてくれなかったわ。だから後をつけたの」

 相変わらず妙なところでアクティブなレイに呆れつつも、アスカは話の先を促す。

「……シイさんは音楽室に入っていったわ。……渚カヲルと一緒に」

「なっ!?」

「あら素敵ね~。秘密のデートかしら」

 パンと両手を叩き嬉しそうに微笑むキョウコだったが、他の二人にとっては笑い事では無い。

「その話、マジなんでしょうね?」

「……ええ。何度も確認したわ。今日もそうだった」

「ん? ならあんたは何で黙って引き下がったのよ」

 何時ものレイなら、疑わしきは罰せよの精神で音楽室へ突入しただろう。だがそれをせず、わざわざ自分に相談してきた事をアスカは不審がる。

「……勘違いと思い込みは危険だから」

「……あ、そう言う事ね」

 レイが以前の誕生日事件を言っているのだと察し、アスカは納得の表情で頷く。あの時の教訓があるからこそ、こうして相談に来たのだろう。

 

「因みにあたしは何も知らないわ。今回はシイの行動に関与してない。それは確かよ」

「……なら」

「うふふ、シイちゃんとカヲル君は、音楽室で逢い引きしてるのね」

「だ・か・ら、ママは表現がストレート過ぎるのよ!」

 わざとレイを煽っているのかと疑いたくなる程、キョウコの言葉は直球で発せられる。勿論彼女には悪気の欠片も無いのは分かっているが、文句の一つも言いたくなるのは仕方ないだろう。

「因みにあんたはどう思ってるの?」

「……シイさんは渚カヲルを友達としてしか見ていないわ。でも……彼は分からない」

 シイに施された歪んだ教育を知っているレイは、現時点でシイに恋愛感情は無いだろうと推測する。だがカヲルが言葉巧みに誘導すれば、何が起こるかは予測出来ない。

 無知は最大の防御であると同時に、弱点でもあるのだから。

「なら話は簡単ね」

「……直接聞くの?」

「それも悪く無いけど、はぐらかされる可能性が高いわ。だから今回は、現場を押さえるのよ」

 シイとカヲルが放課後、音楽室で何かをしているのは間違い無い。ならばこちらも何らかの理由をつけて、音楽室へ乗り込んでしまえば良いとアスカは説明する。

「でもこれは最終手段よ。まずは明日、シイの様子を見てみましょ」

「……分かったわ」

 アスカとレイは頷き合い、事態の究明を誓うのだった。

 

 

~不安は確信へ?~

 

 翌日、休み時間にアスカとレイは、事の次第をトウジ達にも話した。何か知っているかもと期待したが、彼らの反応も先日のアスカ同様だった。

「う~ん、悪いけど僕は何も知らないな」

「わしもや」

「ごめんね」

「……いえ、構わないわ」

 申し訳無さそうな三人に、レイは気にしないでと答える。何も知らないと言う事が分かった。これはシイとカヲルが自分達には内緒で、何かをしている事を意味するのだから。

「でもさ、碇に限ってデートってのは無いんじゃないか?」

「わしもケンスケと同じ意見や。シイはあれやし、もし付き合うてたら直ぐに分かるやろ」

 シイが隠し事を苦手としている事を、ここに居る面々は承知している。万が一カヲルと恋仲になったとしても、それを誰にも気づかせないと言うのは考えにくい。

「あたしとミサトの誕生日は終わったし……クリスマスはちょっと違うわよね」

「シイがプレゼントを用意する訳や無いからな」

「碇が僕達には黙ってて、渚にだけって言うのも引っかかるよ」

 もっともなケンスケの発言に、アスカ達は腕を組んで頭を悩ませる。そんな時、廊下からシイとカヲルの話し声が僅かに聞こえてきた。

 一同は無言で頷き合うと、そっと教室の壁に張り付き、会話に聞き耳を立てる。

 

「今日の放課後も付き合って欲しいんだけど、大丈夫かな?」

「ふふ、勿論さ。君からのお誘いに、僕は断る術を持たないからね」

「良かった~。やっぱり一人だとどうしても上手くいかなくて」

「初めは誰だってそうさ。少しずつ慣れていくのが一番だよ」

「やっぱり時間が掛かるよね。カヲル君に教えて貰って、何となくコツが掴めたと思うけど」

「それは凄い進歩だ。だけど無理はいけないよ。まだ痛いんじゃ無いかな?」

「あはは……うん。でも最近は血も出ないし、ちゃんとケアすれば大丈夫だよ」

「君がそう言うなら、僕は信じるしかないね」

 

「……あんた達。言いたい事はあると思うけど、今は絶対に……放すんじゃ無いわよ!!」

 全身からどす黒いオーラをまき散らし、廊下へ向かおうとするレイを、アスカ達だけでなくクラス中の生徒が総出で食い止めていた。

 腕を、足を、腰を、肩をがっしりとホールドされたレイは、それでも生徒達を引きずるように歩みを止めようとしない。赤い瞳に暗い光を宿し、無表情で生徒を引きずる姿は、まるで悪魔の様にも見えた。

「レイ。早まったらあかん!」

「お願いだから落ち着いて」

「まだ何も、何も確定してないよ」

 何とかレイを落ち着かせようと、トウジ達は必死の説得を続ける。彼らも今の会話に思うところはあったが、目の前で始まろうとしている惨劇を見逃す訳にはいかない。

「ったく、仕方ないわね……とぉぉりゃぁぁぁ!!」

「!?」

 大きく助走をとったアスカの跳び蹴りをまともに浴び、レイはその場に倒れた。普段のレイなら難なく回避して足関節を極める筈なので、よほど頭に血が上っていたのだろう。

 レイが完全に沈黙した事を確認すると、アスカは呆然としている生徒達に告げる。

「この一件は部外秘とするわよ。一切の口外は禁止、分かったわね」

「「は、はい」」

 アスカに気圧された生徒達は、背筋を伸ばして返事をした。

 これで一安心とため息をついたアスカは、ヒカリ達に目配せをして頷き合う。もう全てを明らかにするには、放課後の音楽室に乗り込むしか無いと。

 

 

 

~真実~

 

 そして放課後。シイとカヲルが音楽室へ入ったのを確認すると、アスカ達も音楽室の前に集結する。防音教室なので中の音は聞こえないが、逆にここでの話し声が中に聞こえることも無い。

「突入する前に一応確認するけど……レイはそれを外しちゃ駄目だからね」

「……何故?」

「あんた馬鹿ぁ? シイとあんたを守る為に決まってんでしょ」

 制服のリボンで両手を腰の後ろに縛られたレイは、不満げな声をあげるがアスカは即却下する。どんな答えが待っていたとしても、カヲルを傷つけられる事をシイは望まない。そしてレイが誰かを傷つけることもだ。

 ただ今のレイは暴走一歩手前なので、拘束具を用いないと本気で万が一が起こりかねない。一応カヲルを守る事にも繋がっているが、アスカにとっては妹分二人を守る為の選択だった。

「レイ、まずは話を聞いてからや」

「……分かったわ」

「じゃあ行くわよ……Gehen!!」

 アスカが合図と同時に音楽室のドアを開け、レイ達が一斉に中へと乗り込んだ。

 

「あれ、みんな。どうしたの?」

 音楽室の中では、シイとカヲルが並んで座っていた。机の上には何か教材の様な本が置かれており、一見すると二人で勉強をしている様にも見える。

「それはこっちの台詞よ。あんた達二人で何をしてるのかしら?」

 キョトンとした表情で一同に尋ねるシイに、アスカは質問で返す。その問いかけにシイは思い切り動揺し、慌てて机の上の本を鞄に隠した。

「なな、何でも無いよ」

「ふ~ん。なら今隠した本、見せて貰っても良いわよね?」

「えっと、それはちょっと……」

 詰め寄るアスカに、シイは冷や汗を流しながら目線を逸らす。あからさまに怪しいシイの態度に、アスカが尚も問い詰めようとするのをカヲルが制した。

「……シイさん。どうやらこの辺で年貢の納め時らしい」

「うぅぅ、そうだね」

「君達に全てを話そう。だから……彼女を決して放さないでおいてくれ」

 何時の間にか拘束具を引き千切っていたレイを見て、カヲルは本気でトウジ達にお願いをした。

 

 

「はぁ? ヴァイオリンを教わってた~!?」

「う、うん」

 カヲルの説明を聞いたアスカは、本気で呆れたような声を出す。それは教わっていた事では無く、自分達に隠していた事に対してだった。

「……どうして私達に隠していたの?」

「そや。別に悪いことちゃうし、そこは納得できへん」

「その……私、凄い下手だから……恥ずかしくって」

 俯きながら答えるシイの顔は、誰の目にも明らかなほど真っ赤に染まっていた。

「そりゃ楽器経験が無ければ誰だって上手くないと思うな」

「ねえシイちゃん。他に何か理由があるんじゃない?」

 ヒカリは碇シイと言う少女をよく知っている。確かに恥ずかしがり屋だが、自分が出来ない事を隠すタイプで無い事も、十分理解していた。

 一同の視線が集まる中、シイは消え入りそうな声で呟く。

「カヲル君にヴァイオリンを貰った次の日、家で一度弾いてみたの」

「……私とユイさんが健康診断だった日ね?」

「うん。お父さんは家に居て、構わないから弾いてみろって言ってくれたんだけど……」

「ど、どうなったの?」

「私のヴァイオリン聞いて、気絶しちゃったの」

 辛そうに語るシイ。自分の演奏で父親が倒れた事が、相当ショックだったのだろう。

 

「因みに、お義父さんの名誉の為に言っておくと、彼が失神したのはシイさんのヴァイオリンだけが原因じゃ無い。誕生会の後に大人達はアルコールを多量に摂取していたからね」

 二日酔いの頭にヴァイオリンの高音は最悪の相性だろう。至近距離で聞いてしまった事もあり、ゲンドウが不甲斐ないと言うのは可哀相だ。

「ならそれをシイに言いなさいよ」

「勿論言ったさ。ただシイさんは上達するまで、他の人に聞かせないと意思を固めていてね」

 カヲルの言葉にアスカ達はようやく納得出来た。もしシイがヴァイオリンの練習をしていると聞けば、興味本位で聞かせてくれと言ってしまっただろう。

 断れば自分達に嫌な思いをさせる。かといって了承するのも躊躇われた。

 だからシイは隠していたのだ。胸を張って良いよと言える時まで。

 

「これが全てさ。隠し事をしていたのは謝るけど、君達も少し反省すべきだと思うね」

「分かってるわよ。……シイ、悪かったわ」

 誰にだって秘密にしたい事がある。それはシイも例外では無いのに、今回自分達は無理矢理不可侵の領域に、踏み込んでしまった。

 アスカに続き、レイ達も頭を下げて謝罪を口にする。

「ううん。私の方こそごめんね。ちゃんとお話してれば良かったのに……怖かったから」

「……シイさん、折角だからみんなに君の演奏を聴かせてあげよう」

「えっ!?」

 驚くシイに、カヲルは微笑みながら言葉を続ける。

「基礎もあらかた終わって、簡単な曲なら弾けるようになった。頃合いだと思うよ」

「うぅぅ、でも……」

「僕もピアノでフォローするし……努力は嘘をつかないさ」

 そっとカヲルはシイの手を取る。放課後の練習だけでなく、家でも毎晩消音器で一人練習を続けていたシイの指先は、今も傷が残っていた。

「……うん、やる」

「それでこそシイさんだ」

 決意を固めて頷いたシイに、カヲルは心底嬉しそうに微笑んだ。

 

 

~旋律~

 

 放課後の音楽室で、シイとカヲルの即席演奏会が開かれた。見事な腕前を披露するカヲルとは対照的に、ヴァイオリンを始めて数ヶ月のシイの演奏は、まだまだ拙くミスも多い。

 だが彼女が奏でる旋律は、アスカ達の心へダイレクトに響く。僅か一分足らずの演奏だったが、音楽室にはスタンディングオベーションをした観客達の拍手に包まれる。

「何よ、結構やれんじゃない」

「……とても良かったわ」

「ええもん聞かせて貰うたで」

 口々に賞賛の言葉を向ける一同に、シイは顔を真っ赤にして笑う。一人でも、カヲルと一緒の時でも味わったことの無い感覚が、彼女の中に芽生えていた。

「ふふ、良い演奏だったよ。初めての公演をした感想はどうだい?」

「何だか……不思議。心がポカポカするの」

「音楽は心の交流さ。だからこそ、リリンの生み出した文化の極みたり得るんだよ」

 カヲルは嬉しそうにシイの頭を撫でるのだった。

 

 




エヴァと言えば音楽。なんて言うのは少し大げさですが、深い関係にあると思っています。チルドレン四人による弦楽四重奏(旧劇場版?)はとても印象的でした。

いつかはシイ達にも、希望の旋律を奏でて欲しいと願っています。

次回もお付き合い頂ければ幸いです。


……休日……と言う名の出勤……あれ?

※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《宝物》

~マタニティ~

 

 加持ミサト。旧姓葛城。元ネルフの作戦部長だった彼女も、今では退職して専業主婦になっていた。お腹に宿った新たな命は、夫と周囲の人達から暖かな愛情を受けて、順調に育っていった。

 

「ごめんねリョウジ。家事をやって貰っちゃって」

「な~に気にするな。って言いたい所だが、元々俺がやってなかったか?」

「あはは、まあこういうのは気持ちよ、気持ち」

 加持家のリビングで大きなお腹をしたミサトが笑う。出産予定日が近づいているミサトは、来週には病院に入院して出産に備える事になっていた。

「ま、お前には大きな仕事が控えてるからな。この位は任せて貰うさ」

「…………」

「ん、どうした?」

 表情を曇らせるミサトに、洗濯物を干し終えた加持はゆっくりと近寄っていく。

「出産って……痛いのよね?」

「俺は経験無いが、話しに聞く限りだとな。産みの苦しみって言葉があるくらいだから」

「私……耐えられるかな」

 入院が近づくにつれて、ミサトは時々こうしてマイナス思考に陥る事が多くなっていた。母親になろうとする女性にしか分からない不安や恐怖が、彼女を襲っているのだろう。

 そんな時、加持は安易に言葉をかけずに、ミサトを背中から優しく抱きしめる事にしている。どれだけ加持がサポートしようと、最後に戦うのはミサトだ。その壁は彼女が自分で乗り越えるしか無い。

「……ありがと。ちょっと落ち着いた」

「そりゃ何よりだ」

「ねえ、リョウジ。赤ちゃん……男の子と女の子、どっちなら嬉しい?」

「どっちでも……いや、どっちも良いな。俺とお前の子供だ。嬉しくない筈が無いさ」

「うん、そうね」

 愛する夫の温もりがミサトに勇気を与えていた。

 

 

 

~パニック・パニック~

 

 気分転換にとマンション近くの公園を散歩していたミサトは、見知った顔を見かけて声を掛ける。

「シイちゃん、レイ、アスカ」

「ミサトさん?」

「……こんにちわ」

「ヘローミサト。久しぶりじゃない」

 学生服姿のシイ達は、公園のベンチに座り手を振るミサトの姿を認めると、笑顔で近づいていく。ゼーゲンに顔を出さなくなった者同士、以前のように頻繁に会えないので、こうして偶然出会えた事が素直に嬉しかった。

「貴方達は学校の帰り? それにしては少し早いみたいだけど」

「はい。今はテストの返却期間なので、授業は午前中だけなんです」

「……葛城三佐は何故ここに?」

「あんた馬鹿ぁ? もうミサトは退職してるんだから、三佐じゃ無いわ」

「……葛城元三佐は何故ここに?」

「あんた馬鹿ぁ? もうミサトは結婚してるんだから、葛城じゃ無いわ」

「……元葛城元三佐は何故ここに?」

「あははは、貴方達二人は変わらないわね」

 意地を張り合うレイとアスカを見て、ミサトは楽しそうに笑顔を見せる。こうしたやり取りすらも、もう大分昔のように思えてしまう。

 

「私はちょっち散歩よ。外の空気が吸いたくなってね」

「お腹、重く無いんですか?」

「もう慣れちゃったわ。……触ってみる?」

「は、はい。じゃあ、失礼します」

 恐る恐るミサトのお腹にシイは手の平をあてる。ここに新たな命が宿っていると思うと心が暖かくなり、自然と笑みが零れた。そんなシイを見て、レイとアスカも手を伸ばす。

「……大きいお腹」

「良かったわね、ミサト。今なら太っても言い訳出来るから」

「ん~痛いとこ突くわね。マジで体重増えすぎてんのよね~。これ戻るのかしら」

 妊婦には妊婦なりの苦労があるのだが、それを軽く受け流すミサトは以前よりも、精神的に大分大人になっているのだろう。彼女達から見ても、ミサトは姉から母親へと変わりつつあるのがハッキリと分かった。

「母親は子供を育て、子供は母親を育てる、か」

「アスカ、何それ?」

「前にママが言ってたのよ。親と子供は、互いに成長しあう関係なんだってさ」

「……出産はもう直ぐですか?」

「一応来週が予定日なの。だからもう少ししたら、病院で出産に備える事になるわね」

 ミサトが入院を予定しているのは、ゼーゲン中央病院。最新の設備と最高の技術を持ったスタッフが常駐する、信頼の置ける病院だった。

「ふふ、これでミサトさんも仲間入りですね」

「え?」

「私もレイさんもアスカも、みんなあそこに入院しましたから」

「あんた……それ笑って言う話じゃ無いわよ」

 軽くブラックの入ったシイの言葉に、ミサトも上手い返事が浮かばずに苦笑してしまう。だが気心知れた少女達との触れ合いが、ミサトの心をリラックスさせたのは間違い無い。

「貴方達と話せて良かったわ。さて、ぼちぼち戻るとしましょうかね」

「あ、はい」

「……さよなら」

「加持さんにそっくりな、格好いい男の子を期待してるわよ」

「……その子が大人になったら、アスカはおばさん」

「なっ、何ですってぇぇぇ!!」

 とっくみあいを始めるアスカ達に笑みを向けたミサトは、公園からマンションに戻ろうと歩き出す。だが数歩進んだ瞬間、急にうずくまってしまう。

 

「み、ミサトさん!?」

「っっっ~~!!」

 慌ててシイ達が駆け寄ると、ミサトは苦悶の表情を浮かべて拳を握りしめていた。額には大粒の汗が浮かんでおり、一目で異常事態だと分かる。

「ちょ、ちょっと、大丈夫なの?」

「……どうみても大丈夫じゃ無いわよ」

「こ、これ……まさか……まだ、予定日じゃ……くぅっっ!!」

 荒い呼吸を続けるミサトは会話すらままならず、襲い来る激痛に耐えるので精一杯に見えた。シイ達は助けを求めようと周囲を見回すが、お昼の時間と言う事もあってか、公園には他に誰も居ない。

「どどど、どうしよう。このままじゃミサトさんが」

「あんたが慌ててどうすんのよ!」

「……人を呼びましょう」

 レイが携帯電話を取りだしたのを見て、シイとアスカもハッと我に返って携帯を取り出す。そして、それぞれがこの状況を何とか出来ると思う人達へSOSを送る。

 

『あらレイ。私に電話してくるなんて珍しいわね。何かあったのかしら』

「……はい。元葛城元三佐が、急に苦しみ始めました」

『!? 場所は何処?』

「……マンション近くの公園です。私とシイさん、アスカ以外に人は居ません」

『直ぐに救急車を手配するわ。貴方は彼女を励まし続けて』

「……了解」

 レイはユイに連絡を終えると、ミサトの背中をさすりながら励ましの言葉をかけ続けた。

 

『おや、珍しいなアスカ。どうかしたのか?』

「加持さん! ミサトが急にうずくまって、苦しんでるの」

『!? 場所は何処だ!』

「加持さんのマンションの近くにある公園。早く来て!」

『ああ、分かった。今すぐ行くから、ミサトの側に居てやってくれ』

 慌てた様子の加持に電話を切られると、アスカは不安げにミサトを見守り続けた。

 

 そして、シイが助けを求めた先は……。

 

「こ、これは……シイちゃんから緊急回線で通信が入りました!」

「「!!??」」

 青葉の叫び声で、穏やかだったゼーゲン本部発令所の空気が一変した。緊急回線は衛星を経由した、重要保護人物にのみ許された非常回線。その用途は緊急時のSOSのみだ。

 ゼーゲンの次期トップであるシイにも、当然それは適応されている。その彼女からの通信は、発令所に異常な緊張感を与えた。

「GPSの作動を確認。現在地を特定しました」

「よし、直ちに保安諜報部を向かわせろ。戦略自衛隊に出動要請も忘れるな」

「了解!」

「青葉、何をやっている。早く回線を開け!」

「りょ、了解」

「シイ君! 冬月だ! 何があった!?」

 冬月は今まで出したことの無い大声で、シイへと呼びかける。回線維持を最優先にしているため、緊急回線は音声のみの通信だが、彼らにはシイが泣いているのが直ぐに分かった。

(な、泣いているだと! まさか……)

「シイ君! 返事をしてくれ!!」

『ぐす……うぅぅ……誰か……誰か(ミサトさんを)助けて下さい!!!』

「「!!??」」

「総員第一種戦闘配置だ。鈴原君と渚を呼び出して、参号機と四号機を発進させろ!」

「「了解!!」」

 シイが助けを求めている。その事実がある限り、もう誰もゼーゲンを止める事は出来なかった。

 

 

 アスカからの連絡を受けた加持は、大慌てでマンションを飛び出すと、全速力で公園へと駆けつける。そこで彼が目にしたのは、予想を遙か斜め上に超える光景だった。

「なんだ……こりゃ?」

 加持が呆然と呟くのも無理は無い。小さな公園は完全武装した戦略自衛隊に包囲されており、ネルフ保安諜報部が総出で公園内を巡回していた。

 空には無数の戦闘ヘリとVTOLが飛び回り、漆黒と白銀のエヴァを搭載した、エヴァンゲリオン専用輸送機の姿もあった。

 そしてその中心に居るのは、大泣きしているシイを宥めるアスカと、レイに励まされている愛する妻の姿。理解しろと言う方が無理だ。

「……はっ! み、ミサト」

 一瞬惚けていた加持だが、直ぐさま我に返るとミサトへ駆け寄る。それとほぼ同時に、救急車がサイレンを響かせて公園へ近づいてきていた。

 大混乱の現場はミサトの病院搬送後も、暫く収まりそうに無かった。

 

 

 

~こんにちは赤ちゃん~

 

「お母さん、ミサトさん大丈夫だよね? 赤ちゃん大丈夫だよね?」

「ええ、勿論よ」

 分娩室の前で泣きじゃくるシイを、ユイは頭を撫でながら優しく落ち着かせる。あの後大混乱の現場に現れたユイは、テキパキと指示をして場を治め、パニック状態のシイを病院へと連れてきた。

 ミサトが戦っている分娩室の前には、責任を取って後始末をしている冬月以外、ミサトと関わりのある人達が集合している。

 そんな一同の元へ、ゲンドウが遅れてやってきた。

「……遅くなった」

「司令。わざわざすいません」

 頭を下げようとする加持に、ゲンドウは気にするなと軽く手を挙げる。

「お疲れ様、あなた。日本政府は何と?」

「……問題無い。戦略自衛隊の実戦演習と言う事で話は付いた」

 ユイの問いかけにゲンドウはサングラスを直しながら、口元に笑みを浮かべて答える。戦略自衛隊の出動には、決して安くない予算が掛かるのだが、シイの名前を出すだけであっさりと片が付いた。

 本部司令であるゲンドウが直接説明に出向き、頭を下げた事も大きかったのだろう。

「今度菓子折でも持っていけば、それで終わりだ」

「うぅぅ、ごめんなさいお父さん……私が……」

「……問題無い。お前がミサト君の身を案じた心は、人として正しい事だ」

 目を真っ赤に腫らしたシイに歩み寄り、頭をぽんぽんと叩くゲンドウの姿は、理想の父親像にも見えた。

(父親、か。俺も父親になる……なれるのか)

 

 それから一時間後、分娩室から聞こえてきたのは、新たな命がこの世に誕生した産声だった。待っていていた瞬間を迎えた一同の顔が輝き、歓喜の声が病院中に響き渡る。

 加持ミサトは、母親になる為の戦いに勝ったのだ。

 

 

~加持夫妻~

 

「……ねえリョウジ……私、頑張ったわよね?」

「ああ。良くやったな」

 疲れ切ったミサトの前髪を、加持は優しくすくう。夫と言う事で一人分娩室に入れた加持は、諦めずに戦い抜いた妻を誇らしげに見つめていた。

「シイちゃん達に……お礼言わないと……」

「今は会わない方が良いな。特にシイ君は、大泣きして話どころじゃ無いぞ」

「ふふ……シイちゃん達が居なかったら……私はこの子に会えなかった」

「そうだな。落ち着いたら礼をしよう」

 あの時あの場所に、シイ達が居なければどうなっていたか。もしもの話に意味は無いが、少なくとも良い結果にはならなかっただろう。あくまで偶然ではあるが、加持には必然にも思えた。

(これはあの三人とミサトの、絆なのかもしれないな)

 

 

 この日、加持夫妻は宝物を得た。一つは愛すべき可愛い子供。そしてもう一つは、優しい人達との絆。どちらも二人にとっては、掛け替えのない宝物だった。

 

 




加持夫妻の間に、待望の子供が生まれました。新たな命の誕生は希望の象徴として、シイ達に大きな影響を与えたと思います。
未来へ繋ぐバトンの、ある意味一番具体的な形ですので。

さて次は、シイ達が頑張る番ですね。
何せ彼女達は受験生。果たして無事高校生になれるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。



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後日談《お受験戦争》

 

~困った大人達~

 

「それで、彼女の様子はどうかね?」

「学校で特別授業を受けている他、家でも自習を毎日欠かしていません」

 暗闇の空間で特別審議室の面々に直接現状を伝えるゲンドウ。彼らの関心は間近に迫った、碇シイの受験に集まっていた。

 なにせ総司令就任の条件が大学卒業なので、万が一シイが高校受験に失敗すれば、彼らの計画は大きな痛手を被る。意識せずにはいられない。

「だが、先日の模擬試験。成績芳しくない、との報告もあるが?」

「誤報です。MAGIのレコーダーを調べて頂いても構いません」

「冗談はよせ。事実の隠蔽は君の十八番だろ」

「シイの学力は向上しており、受験に向けて順調に進んでおります」

「……もう良い」

 埒があかないと判断したキールが、ため息混じりに問答を制止する。その姿は同じ目的を持つ同士であるにも関わらず、何故か毎回仲違いするメンバーに少し呆れたようにも見えた。

「最終的に碇シイが大学を卒業すれば良い。その為の第一歩、くれぐれも誤るなよ」

「……はい。全てはゼーゲンのシナリオ通りに」

 審議を終えて去ろうとしたゲンドウに、メンバーの一人から待ったが掛かった。

「待て、碇」

「何でしょうか?」

「その……何だ……君の家に差し入れを送った」

「はい?」

「か、勘違いするな。シイちゃんが合格しないと、我らが困るから……それだけだ」

「はぁ……」

「話は終わりだ。時間を取らせたな」

 真っ赤な顔を見せないように、メンバーの一人はそっと立体映像を消した。後には何とも言えない気まずい空気だけが残る。

「……キール議長。あの方に良い病院を紹介しましょうか?」

「気にするな。あれはあれで、シイの事を気に掛けているのだろう」

「左様。彼女が人類を導く日を、我らは心待ちにしているのだからね」

「因みに我らも、僅かだが差し入れをさせて貰った」

「碇君、期待に応えてくれよ」

「……応えるのはシイだと思いますが、まあ一応分かりましたと返事をしておきます」

 ゲンドウは困ったように眉をひそめながら、今度こそ会議室を後にした。

 

 

~もっと困った大人達~

 

 ゼーゲン本部発令所では、いつもの面々が真剣な様子で作業を行っていた。

「この数値に間違いは無いな?」

「はい。MAGIによる計算誤差は認められません」

「厳しい戦いですわね」

 彼らが一様に険しい表情で見つめるのは、巨大なメインモニター。そこにはMAGIがはじき出した、シイの高校合格率が表示されていた。

「シイちゃんの第一志望は、第三新東京市第一高校。レベルは中の中、特筆事項はありません」

「合格率は50%強か……」

「あくまで現時点での計算結果。今後の追い込み次第では、さらなる上昇が期待できますわ」

「下がる可能性もありますけどね……す、すんません」

 その場に居た全員から凄まじい形相で睨まれ、青葉は全力で頭を下げた。

「でも今の時点で五割なら、何とかなりませんか?」

「判断が難しいですね。あの年頃の子は、当日の体調やメンタルに大きく影響されますから」

「うむ。可能な限り、合格率を高めておきたい所だな」

「副司令は元教師でしたよね? シイさんの家庭教師をされては?」

「……レイに拒否されたよ」

 しょぼんとする冬月の肩を時田とリツコが優しく叩く。この二人もまた、レイに家庭教師を断られたくちであった。まあこれまでの行動を考えれば、当然と言えるのだが。

「だが何もしないわけにも行くまい。私達は私達なりのやり方でシイ君のサポートをしよう」

「マヤ、例のデータは?」

「はい、過去十年分の入試問題は既に回収済みです。現在解答解説をつける作業を行っています」

 相変わらず仕事の早いマヤにリツコは満足げに頷く。発想力や開発力はまだまだだが、仕事の速度と正確さではもう一人前だと内心目を細めた。

 

「因みに、他の子達はどうなんでしょうか?」

「アスカはそもそも学卒ですから、何の問題もありません」

「レイも……まあ言い方は悪いけど、ユイさんと同じ遺伝子を持ってるから、頭は良いのよね」

「洞木ヒカリ、相田ケンスケ両名も合格ラインを超えています」

「渚も問題ないだろう。フォース……鈴原トウジはどうだ?」

「シイちゃんとどっこいどっこいですね。今は洞木ヒカリがつきっきりで、勉強を見ている様です」

 メインモニターに並べられた、シイと親しい友人達のデータ。この中で厳しい戦いを強いられているのは、シイとトウジの二人だけだった。

「彼我戦力差は五対二か……分が悪いな」

「いや、別にこの七人で戦うわけじゃないんで……」

「倍率は二倍程度。分が悪いと言うほどではありませんわ」

「残された時間はあと僅か。さて、どうなるかな」

 モニターを見つめる冬月の顔は最後まで険しいままだった。

 

 

~修羅場~

 

 受験日まであと僅か。十五年前に季節を失った日本では、真冬と言えどもかつてのような寒さは無く、強い日差しが容赦なく照りつけている。

 エアコンの無い中学校の教室は、極めて過酷な環境と言えた。

「うぅぅ、暑い……」

「あんた馬鹿ぁ? こっちはあんたの成績で背筋が凍ってんのよ!」

「お、上手いこと言いよったな」

「トウジも人のこと気にしてらんないでしょ。ほら、早く問題集の続きをやりなさい」

 ヒカリに耳を引っ張られて、トウジは強引に勉強へと戻される。今この教室ではアスカ達が教師役となり、シイとトウジの受験直前最終追い込みが行われていた。

「あんたもやるのよ。もう時間が無いんだから」

「う、うん」

 アスカに促され、シイは机に広げられた問題集を解き始める。ゼーゲンが総力を挙げて集めた、過去の受験問題をひたすら解く事で、少しでもテストに慣れるためだ。

「……シイさん、そこ違うわ」

「えっ!?」

「ふふ、その問題にはこっちの公式を使うんだよ」

 両サイドに立っているレイとカヲルが、シイが解き間違う度に素早く指摘を行う。隣の席で同じように勉強に励むトウジには、ヒカリとケンスケがアドバイスを送る。

(うぅぅ、じっと見られるのって、凄い緊張するよ)

(この汗、絶対暑さだけやないで……)

 何とも贅沢な学習環境だが、当の本人達にしてみれば相当のプレッシャーだった。

 

 

 

~受験前夜~

 

「シイ、レイ、ご飯よ~」

「……はい」

「う、うん……」

 ユイの呼びかけに、シイは疲労困憊と言った様子でダイニングへと姿を現した。既に目の下の隈は、仮眠程度の睡眠では取れないほど色濃く残っている。

「あらあら、大分追い込んでいるみたいね」

「うん、最後の頑張りどころだから……」

「体調が悪ければ、実力を発揮できんぞ」

「でも、まだやり残しがあるから」

「……この後、強制的に睡眠を取らせます」

 ぐっと拳を握ってみせるレイに、ユイは満足げに頷く。専属トレーナーの様なレイに対して、ユイは絶対の信頼をおいていた。

「さあ、しっかり食べて体力をつけなさい」

「ユイが腕によりをかけて、験を担いだ料理を作ってくれた」

「気持ちの問題だけど、少しでも、ね」

「ありがとうお母さ……ん?」

 シイは席に着くと同時に、食卓に並んだ料理を見て思わず絶句する。普段の食事とは比べられないほど、大量の料理が所狭しと並んでいたのだ。

「とんかつ……」

「勝負に勝つの語呂合わせね」

「これ、馬刺し?」

「桜肉で桜咲くね」

「ウインナー?」

「勝者のウィナーをもじったの。ドイツのお土産ね」

「納豆……」

「ネバネバするから、ネバーギブアップね」

「このフルーツは……伊予柑?」

「ええ。良い予感ってね」

「鯛の酒蒸し……」

「おめでたい、ね」

 この調子で、食卓に並べられた全ての料理が験を担いだものだった。母の気持ちは嬉しい。嬉しいのだが、ここまで行くと違う感情が浮かんでしまう。

「お母さん……私、そんなに頼りない?」

 実力を信頼されていないのでは無いかと、シイは密かにダメージを受けるのだった。

 

 

~受験当日の朝~

 

「じゃあお母さん、お父さん、行って来ます」

「……行って来ます」

「忘れ物は無いか? 受験票は? 筆記用具は? ハンカチちり紙は?」

「はぁ。あなた、これから戦いに行く娘達を、少しは信用してあげて下さい」

「う、うむ」

 本人達以上に取り乱しているゲンドウにユイは苦笑する。子供以上に親が緊張するのが、受験なのかもしれない。平静を装うユイですら、滅多にしない緊張を味わっているのだから。

「シイ、レイ。これを持って行きなさい。お父様達から送られてきたお守りよ」

「ありがとうお母さん」

「……ありがとうございます」

 遠い京都の地からの応援に、シイとレイはイサオ達にも感謝する。

「私もお前達に餞別だ。何も無いよりは役に立つ」

「うん。お父さんもありが……安産祈願?」

「……司令?」

「すまん。神社に行ったら、何故か学業成就だけが売り切れていた……」

 まさか自分の部下達が買い占めていたとは知らず、ゲンドウは苦渋に満ちた表情を浮かべる。因みにシイの鞄には、ゼーゲン一同から送られてきたお守りが山ほど入っていた。

「ううん、嬉しい。お父さんが一緒にいてくれるって、そう思うだけで安心するから」

「シイぃぃぃ」

 微笑むシイをゲンドウは泣きながら抱きしめるのだった。

 

 

~試験開始~

 

「では、始め」

 監督官の号令で、受験生達が一斉に問題用紙を開いて、解答用紙に答えを書き込んでいく。カリカリカリと、鉛筆が走る音が心地よく教室に響いた。

(はん、こんなの楽勝ね。……シイとあの馬鹿は大丈夫かしら)

(……問題無いわ。……シイさん達も、落ち着いてやれば行ける)

(ふふ、リリンの問題は型にはまり過ぎているね。……さて、あの二人はどうかな)

(うん、大丈夫そう。シイちゃんとトウジも、普段通りに出来れば……)

(過去問と大体似偏ってるね。これなら碇とトウジの奴も、何とかなるかな)

 教師役を務めた成績優秀組は楽々と問題を解いていき、早くも問題児二人の心配をしていた。そんな二人は周囲を気にする余裕も無く、必死に問題用紙と睨めっこしている。

(うぅぅ、緊張して頭が回らないよ……)

(落ち着け、落ち着くんやトウジ。まだ慌てる時間や無い)

 時計の針が進む音と、鉛筆の音だけが聞こえる静かな空間で、受験生達の静かな戦いは続いた。

 

 

 

~合格発表~

 

 受験日より数日が過ぎ、いよいよ合格発表の日を迎えた。シイはアスカ達と一緒に、合格者の番号が掲示される第一高校へと向かう。

「ほら、しゃきっとしなさい。まだ結果が出てないのよ」

「うぅぅ、絶対駄目だよ……」

「アホかお前は。こないところで諦めて、どないすんねん」

「おっ、トウジは自信あるの?」

「無い! そやさかい、もう腹は括っとるわ」

 潔いほどの割り切りを見せるトウジに、一同は感心するやら呆れるやら、何とも複雑な表情を見せた。この二人を足して二で割れば丁度良いなとも思いつつ、高校へと歩いて行く。

 

 やがてシイ達は、既に大勢の受験生が集まっている発表場所へと辿り着いた。心臓の鼓動が煩いほど高まる中、係員によってボードに掛けられていた布が外される。

 露わになる合格者の受験番号。一斉に視線が注がれ、歓喜の声と落胆のため息が同時に聞こえた。

「あたしは当然ね」

「……私も問題無いわ」

「ふふ、僕もだ」

「私も合格してたわ」

「おっ、僕もだね」

 教師役のアスカ達は、自分の番号があることを確認して、ひとまずは安堵する。だが直ぐさま思考を切り替えて、シイとトウジの合否を案じた。

「……ひ、ヒカリ……」

「トウジ……駄目だったの?」

「あった……わしの番号……あそこにあったでぇぇぇ!!」

 喜びを堪えきれず、トウジは人目も忘れてヒカリへと思い切り抱きついた。

「ちょ、ちょっとトウジ。こんな場所で……」

「お前のお陰や。ホンマ、ホンマありがと」

「……まったくもう。トウジが頑張った結果でしょ」

 顔を真っ赤にしつつも、優しくトウジを受け止めるヒカリ。すっかり二人の空間を作ったトウジ達とは対照的に、シイは受験票を片手に凍り付いた表情でボードを見つめていた。

 

 その様子を見て一同は最悪のケースを想像する。哀愁漂う小さな背中に、誰一人として声を掛けられない。アスカ達は視線で会話をすると無言で頷き合い、そっとアスカが代表してシイに近寄った。

「シイ……っ!?」

 肩に手を置いて声を掛けたアスカは、シイの顔を見て思わず言葉を失う。口を一文字に結んだシイは、目に涙を浮かべて今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。

「アスカ……私……駄目だった……みんな助けてくれたのに……番号……無いの」

「あ、あんた馬鹿だから、その、番号見間違えたりしてないの?」

「うん……980番が無いの……」

「ん?」

 シイに受験票を見せられたアスカは、眉をひそめて首を傾げると、そのまま視線をボードへと向ける。そして大きく息を吐き、思い切りシイの頭を平手で叩いた。

 様子を見守って居たレイ達は、アスカの行動に驚いてシイの元へと駆け寄る。

「アスカ、いくら何でも酷いと思うわ。シイちゃん傷ついてるのに」

「……腕の一本貰うわよ」

「ううん、アスカが怒るのも当然だよ。ごめんね、アスカ。勉強教えて貰ったのに……」

「はぁ。あんたはウルトラ馬鹿ね」

 呆れたようにアスカはシイから受験票を奪い取る。

「あのね、あのボードをよ~く見てみなさい。最後の合格番号は幾つ?」

「……189」

「で、あんたの番号は幾つ?」

「980」

「あのね、おかしいと思わないの?」

「ふふ、確か受験生の数は、200人弱だったね」

 ここに来て一同はようやく気づいた。極度に緊張していたシイ。最初から自分が落ちていると思うほど、自信が無い態度。そしてその受験番号。考えられることはただ一つ。

「あんたの番号、980じゃなくて、086なのよ。で、そこに書いてあるのは何番?」

「……086……って、あれ?」

「シイちゃん、合格してる」

「ほ、本当だ……私の番号がある。あるよアスカ!」

「はぁ~」

 雨空に太陽が差し込んだように、シイの表情が一気に輝く。両手を突き上げて何度もジャンプする姿に、彼らは心底安堵するのだった。

 

「ま、一応おめでとうかしら」

「……おめでとう」

「ふふ、おめでとうだね」

「シイちゃんおめでとう」

「おめでとさん」

「めでたいな」

「みんな……ありがとう」

 受験にさようなら。高校生活にこんにちは。そして共に戦った仲間達に、ありがとう。

 

 




碇シイ育成計画の第一関門、高校受験は無事に突破しました。
ここからは、華の女子高生編がスタート……かな?


投稿ペースについてお知らせがあります。
次の話から、本編投げっぱなし回収の『アダムとリリス編』に突入するのですが、執筆が間に合わなそうなので、投稿を一時中断させて頂きます。
『アダムとリリス編』の執筆が完了次第投稿を再開しますので、3、4日、長くても1週間程度で復帰出来るかと。
それが終われば、また投稿ペースは戻せると思います。

暫しのお時間を頂きますが、次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《アダムとリリス(1)》

再開させて頂きます。



~神話~

 

 激しい受験戦争を勝ち抜き、無事高校生となったシイ達。進学から数ヶ月が経ったある日、第一高校一年A組の教室でシイが難しい顔をして本を読んでいた。

「おっ、シイが読書なんちゅーのは珍しいのう」

「確かにね」

「でも本を読むのって、国語の勉強にも良いのよ」

 シイが読書をしているという珍しい光景に、友人達が興味深げに近づいてくる。

「わざわざ休み時間に読むなんて、レイの真似でもしてんの?」

「……私は知識を得るために読んでいただけ」

「ふふ、読書は良いね。リリンが生み出した文化の極みだよ」

「はいはい。で、難しい顔して何読んでるのよ」

 カヲルを軽く流したアスカは、シイが何の本を読んでいるのかを覗き込み、顔を強張らせた。そのリアクションに首を傾げる一同だったが、同じ様に覗き込み、やはり同じ様なリアクションをする。

 シイが難しい顔をして読んでいたのは、誰もが予想していなかった聖書だったのだ。

 

「うぅぅ……ん? あれ、みんなどうしたの?」

 よほど集中していたのか、今までアスカ達の存在に気づかなかったシイは、ここに至ってようやく自分が友人達に囲まれている事を知った。

「い、いやな、お前が読書なんて珍しゅうて見とったんやけど」

「……その本、シイさんが買ったの?」

「ううん、違うよ。これは受験の前に、ゼーゲンのお爺さんがくれたの」

 受験の差し入れと言う名目で、碇家に送り込まれた大量の段ボール。食料品や参考書、必勝と書かれたはちまき等と一緒に、この聖書も含まれていた。

「ふふ、成る程。まさに神頼みと言う訳だね」

「アホくさ。このご時世に居るかも分からない神に頼るなんて、時代錯誤も良いとこだわ」

「……アスカもお守りを持っていたわ」

「う゛! あ、あれはママが……そう、ママの御利益があるのよ」

「……それで、何故聖書を読んでいるの?」

 アスカの反論を華麗にスルーして、レイはシイに問いかける。本を入手した経緯は理解したが、あまり読書をしないシイが聖書に挑戦している理由が気になった。

 

「実は……感想を聞かせてくれって言われて……」

「「あぁ」」

 その一言は全員が納得するに十分な理由だった。送り主から感想を求められたら、流石に読んでませんと素直に言う訳にもいかず、読むしか無いだろう。

「でも聖書って、凄い量があるわよね」

「あんた馬鹿ぁ? んなの適当に流し読みして、気になったとこだけ抜粋すれば良いじゃん」

「うぅぅ、でも折角送ってくれたんだし……」

 適当に誤魔化しても良いのだろうが、シイは真面目に読破して感想を伝えるつもりだった。馬鹿正直と言えばそれまでだが、そんな素直さこそがシイの魅力かもしれない。

「なら碇が難しい顔をしてたのは」

「うん。難しい表現が多くて普通の本みたいに読めないの」

「ふふ、なら僕が手を貸そう。今は何処を読んでいるのかな?」

 そっとシイの隣に回り込むと、カヲルは開いているページに目を通す。そして何故か、何とも言えぬ複雑な笑みを浮かべるのだった。

 

「まさか……この部分とはね」

「??」

「ああ、ごめんよ。……そうだね、簡単に説明すると、神様はアダムと言う最初の人間と、他の生物を作り出した。けど一人は寂しいとアダムが訴えたので、同じ様にリリスと言う女性を作り出したんだ」

 カヲルはまるで物語を朗読するかのように、シイが理解出来るレベルで説明を続ける。

「でもリリスはアダムから逃げ去ってしまったんだ」

「どうして?」

「……大人の事情よ」

「事情というか情事と言うか、まあ色々あったんだよ」

 この辺りの話は有名らしく、アスカ達も気まずそうにシイから視線を逸らす。

「また一人になってしまったアダムは、再び神様にパートナーを求めた。そこで神様は、今度はアダムから離れないよう、彼の肋骨を元にイヴという女性を作り出したのさ」

 その後もカヲルは要点をかいつまんで話を続け、アダムとイブが楽園を追放されたくだりまで語り終えると、一端休憩だと大きく息を吐いた。

 

「どうだい、少しは役に立てたかな?」

「うん。凄い分かりやすかったよ。ありがとうカヲル君」

 嬉しそうにお礼を告げるシイに、カヲルは満足げな笑みで頷く。

「聖書ちゅうのも、こないして聞くとおもろいもんやな」

「渚の語りが上手かったんだよ。僕も昔読んだことがあるけど、三日で挫折したね」

「古い書物だからね。読解にコツと根気がいるかも知れない」

「……ねえカヲル君。アダムさんって人間のご先祖様なんだよね?」

 真剣な顔で確認を求めるシイに、カヲルは小さく頷く。あくまで聖書という書物の中だが、アダムとイブがヒトの祖であるのは間違い無い。 

「……何か気になる事があったの?」

「うん。ならどうして第一使徒と第二使徒の名前が、アダムさんとリリスさんなのかなって」

「あんた馬鹿ぁ? そんなの人間が勝手につけたに決まってんじゃん」

「でもでも、他の使徒さんは天使の名前なのに、アダムさんとリリスさんは人間なんだよ?」

 使徒が生命の樹を人類から守る為の存在とするのなら、リリスはともかく、人類の祖とも言えるアダムの名を持つのはおかしいと、シイはアスカに反論する。

「う゛……」

「それにアダムさんが第一使徒の名前なら、第二使徒はリリスさんじゃなくて、イブさんだと思うの」

「だから……それは……えっと……」

 思いがけないシイの理論展開に、アスカは上手い答えが浮かばずに視線を泳がせる。そして、慌てる自分を見て嫌らしげに笑って居るカヲルを見つけ、丸投げすることにした。

「そ、そこの変態が詳しいわよ。ほら、シイ。聞いてみなさい」

「そうなの? 教えてカヲル君」

「ふふ、姫の望むがままに」

 精々困らせてやろうと思ったアスカだが、優雅に一礼するカヲルに逆に驚いてしまう。まさかこの疑問に答えが出せるとは、想像だにしていなかったからだ。

 

「ただ、流石にここで話すのは不味いと思うね」

「……使徒の話は最重要機密事項」

「あ、そうだった……」

 カヲルとレイに言われ、シイは慌てて口を押さえながら、周囲をキョロキョロと伺う。今更なシイの反応に、ヒカリとケンスケは苦笑しつつも大人の対応を見せた。

「渚。聖書の話、面白かったよ」

「私も楽しかったわ。また今度、聖書のお話を聞かせてね」

「ああ、勿論だとも」

 あえて聖書の話と強調する二人に、カヲルは内心感謝しながら微笑む。

「続きは放課後に何処かでするとしよう。何なら本部でも良いしね」

「うん」

 カヲルの提案にシイは素直に頷くと、放課後にアスカ達と一緒に本部へ出向く事を約束し、難しくなった授業に全力で立ち向かうのだった。

  

 

 

~大人の話~

 

 国際機関ゼーゲン。かつて使徒殲滅を目的として設立されたネルフの後継組織にして、現在は世界平和と人類の未来を守る為に存在する世界規模の組織。

 正式に発足してから一年あまりだが、地球環境再生計画や食糧自給計画等を積極的に推進し、一般市民にもその存在が認知されてきたのだが……。

「やはり維持コストが問題ですか」

「ああ。ゼーゲンの運営予算を削減するよう、正式に要請が来た」

 加持の確認にゲンドウは渋い表情で頷く。彼はつい先程までゼーゲン特別審議室に呼び出され、予算削減の件について延々とやり取りを続けていた。

 数時間を費やしての結論は、予算削減に応じると言うものだった。

「流石に老人達も不満を抑えきれなかったか」

「無理もありませんわ。ゼーゲンの年間予算は膨大ですもの」

「元々ネルフは金食い虫でしたからね。使徒無き今、遠慮無く予算を削れると」

 人類の脅威たる使徒を殲滅する為に、ゼーレは支配下にあった国連に多額の予算を捻出させた。常識ではあり得ない金額を、惜しげも無くネルフに宛がった。

 生き残る為に必要なのだと、世界各国は不満を抱きつつも従っていたのだが、それも既に過去の話。今のゼーゲンにはネルフ程の価値が無いと判断されていた。

 

「因みに削減の規模はどれほどに?」

「そこまで理不尽な物では無いよ。修正予算案で十分運営は可能だ」

 ゼーゲンの予算を一任されている冬月は、削減要請の書類を確認するやいなや、直ちに予算案の修正を行った。その結果、本部の維持コストを削減すれば対応出来るとの結論に至った。

「……各国もゼーゲンの存在意義は理解している。潰すつもりは無いだろう」

「って事はやはり、今回の件は膨大な予算の整理以外に……」

「我々に保有しているエヴァを手放させる事が狙いだな」

 汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン。人類の脅威たる使徒に唯一対抗出来る存在であり、人類が未来を勝ち取れたのも、エヴァの力によるところが大きい。

 だが戦うべき相手を失った今、エヴァは通常兵器が一切通用しない最強の人型兵器として、その存在を知る人達からは畏怖の対象となってしまっていた。

「成る程。ゼーゲンが何を言おうが、エヴァを保有している事実は変わらない、と」

「エヴァの運用に関しては条約を結んでいるが……信じ切れなかったのだろう」

「無理もありませんわ。誰だって対抗出来ない武器を持たれたら怖いですもの」

「……頃合いだったのかも知れん」

 小さなゲンドウの呟きに、ユイ達も納得の表情で頷いて見せる。不測の事態に備えて保有し続けていたが、もうエヴァを眠らせてあげる時が来ていたのだと、誰もが理解していたからだ。

「では碇。エヴァ五機は破棄する方向で進めるぞ?」

「ああ、頼む」

 今回の要請にどの様な思惑があろうとも、ゲンドウに迷いは無かった。これから先、人類が紡いでいく未来にエヴァの出番は無いのだから。

 

 

 

~覚悟~

 

 司令室で今後の方針を決めた後、ゲンドウはターミナルドグマの深部へ赴いた。ゼーゲンと名を変えた今も、本部の中枢であるこのエリアは変わらぬ姿で彼を出迎える。

 厳重なセキュリティを通過したゲンドウは、ある部屋に足を踏み入れた。

 僅かな明かりが照らし出す室内は、奇妙な模様が描かれた床と壁一面の水槽。そして部屋の中央にはLCLで満たされた、人一人が入れる程の細長い円柱状の水槽があるだけの無機質な空間だ。

 ゲンドウはゆっくりと円柱状の水槽へと歩み寄り、そっと火傷痕の残る手の平で触れる。

「……頃合い、か」

 先程自分が発した言葉を、自嘲気味に再び呟く。この場所で何が行われていたのか、何の為の施設なのか、それを知る人間は少ない。

 それ故に公にすること無く、ひっそりとこの場所を破棄する事も可能だった。

(だが……それは許されない。私には責任がある)

 ゲンドウは水槽から手を離すと、手の平の火傷痕を暫し見つめる。そして暫しの沈黙の後、覚悟を決めたかのように強く拳を握りしめた。

 やがてゲンドウは、水槽に背を向けて退室していく。振り返らず去って行く彼は、気づく事が出来なかった。その背中を無数の赤い瞳が見つめている事を。

 

 




長く投稿を休止してしまい、申し訳ありません。

完成した作品を読んで、気に入らずに書き直し……の無限スパイラルを繰り返してしまい、あまり良い状態ではありませんでした。

今回の作品も、ブランクに見合う質とは言いがたいかもしれません。
ただ、何時までも未完のまま小説を放置するのも良くないと判断し、再開させて頂きました。

恐らく最後のシリアス一辺倒。
前半は相当説明回っぽいですが……ご飯弁を。

連日投稿ではありませんが、それ程間を開けずに投稿して行きます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(2)》

~チルドレン集合~

 

 放課後、シイ達は揃ってゼーゲン本部の食堂へとやってきた。それぞれが好きな飲み物を注文すると、角のテーブルに席を取る。

「さてっと。それじゃあチャキチャキ喋って貰いましょうか」

「ふふ、慌てなくても逃げはしないさ。少し落ち着かせて欲しいね」

 急かすアスカを宥めながら、カヲルは優雅に紅茶のカップを傾ける。

「今日はダージリンか。素敵な香りだ。心を潤してくれる」

「だーじりん? それ紅茶だよね?」

「……茶葉の種類よ。ダージリンはインドの茶葉だったと思うわ」

「はぁ~。カヲル君って何でも知ってるんだね」

 シイから尊敬の眼差しを向けられ、大した事では無いと謙遜するカヲル。それが面白く無かったのか、アスカはグイッとコーヒーを口に含む。

「ふ、ふふん、今日は……ブルーマウンテンね。まあまあの出来じゃ無いの」

「……豆の種類よ」

 シイの視線を受け、レイが頷きながら説明をする。

「アスカも分かるの? みんな凄いな~。私なんてジュースの果汁が何%かしか分からないのに」

「いや、それ結構凄いと思うで」

「全くだわ。因みに食堂のコーヒーはモカブレンドよ」

 突然聞こえてきた声に一同が視線を向けた先には、白衣姿のリツコが苦笑しながら立っていた。

 

「リツコさん、どうしてここに?」

「あら、本部に私が居るのは当然よ。寧ろ貴方達が勢揃いしている方が、不思議な位だわ」

 そう言いながらリツコはシイ達と同じテーブルに着席する。

「アスカ。もし興味があるなら、今度私の部屋に来なさい。一から仕込んであげるわ」

「はん。余計なお世話よ」

「姐さんは詳しいんでっか?」

「半分中毒ね。コーヒーが無いと頭が働かないもの」

 仕事柄徹夜する事も多いリツコにとって、コーヒーは掛け替えのないパートナーだった。こうして食堂に足を運ぶ暇が無い時も、コーヒーだけは切らさないようにと、部屋にコーヒーメーカーを置く程に重要視していた。

「わしには考えられへんわ。苦いだけっちゅう気がするさかい」

「所詮は嗜好品よ。余り拘らず、その人の好みにあった物を選べば良いと思うわ」

「……赤木博士は暇なのですか?」

 すっかり休憩モードに入っているリツコに、レイが冷静に突っ込みを入れる。

「残念ながら大忙しよ。この後も仕事がびっしり詰まってるから、こうしてシイさんから元気を分けて貰わないと倒れてしまいそう」

「た、大変。私で良かったら、一杯持っていって下さい」

「…………はぁ」

 シイに両手をギュッと握りしめられたリツコは、何とも満ち足りた笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、シイさん。お陰で頑張れそうだわ」

「良かった……。無理だけはしないで下さいね」

「ええ。ところで貴方達は何をしに本部へ来たの?」

 仕事に戻ろうと立ち上がったリツコは、去り際にシイ達へ本部に来た理由を尋ねる。

「この変態からアダムとリリスについての、ありがた~いお話を聞く為よ」

「酷い言われようだね。僕の何処が変態だって言うのかな?」

「……存在そのもの」

 ズバッと一刀両断するレイの発言に、流石にトウジがフォローを入れる。

「き、きっついな~。渚、あんま気にしたらあかんで」

「そうだよ。カヲル君はちょっと変わってるけど、いい人だもん」

「……判断に困るところだけど、ありがとうトウジ君、シイさん」

(アダムとリリス? ……大丈夫かしら)

 いつも通りのやり取りを繰り広げる子供達を余所に、リツコは足を止めて思考を展開する。カヲルとレイの存在が彼女を悩ませたが、最終的に問題無いだろうと言う結論に至った。

「では私は行くわ。何かあったら、何時でも連絡して頂戴」

「はい。お仕事頑張って下さい」

 シイに手を振り返しながら、リツコは食堂を後にした。

「さて、あまり遅くなってもいけないし、そろそろ始めるとしよう」

「うん」

「まずアダムとリリスの事を語るには、ファーストインパクトまで遡る必要がある」

 カヲルは紅茶で喉を潤すと、深く息を吐いてから語り始めた。

 

 

~カヲル先生の特別講座・ファーストインパクト編~

 

「かつて宇宙の何処かに『何か』が存在した。その『何か』は知的生命体を生み出す卵を、あちこちの星にばらまいた。俗な言い方をすれば、『神様』が生命の種をまいたと言う感じかな」

「神様……居たんだ」

「居たんやな……」

「正確には高度な知的生命体としか分からない。だが生命を生み出せる程の力を持った『何か』が存在していたのは確かだよ。ここにいる僕達が何よりの証拠だろうね」

 カヲルは苦笑しながら自分とシイ達を指さす。

 

「そしてこの地球にも生命の卵『白き月』と呼ばれる物体が落下した。白き月に宿っていた生命こそが、後に第一使徒と呼ばれるアダムさ。そして白き月からアダムの子供達、生命の実を持つ使徒が生み出された。元々地球に存在していたのは、リリンでは無く使徒だったんだよ」

「はぁ? じゃあ使徒は宇宙人だって~の?」

「……今の話を聞く限りは、生まれも育ちも地球だと思うわ」

「まあその辺りの定義は任せるよ。どちらにせよ、大した問題では無いからね」

 動揺するアスカに配慮しつつも、カヲルは話を続ける。

 

「本来一つの星に反映する生命体は一つ。だが何の因果か、地球にはもう一つ生命の卵が現れてしまったんだ。それが『黒き月』と呼ばれる、第二使徒リリスの卵だった。黒き月からはリリスの子供達、知恵の実を持つリリンが生み出された」

「私達も……使徒?」

「そうさ。第二使徒であるリリスから生み出された唯一の使徒、それが君達リリンだ」

「な、ならわしらと使徒が戦う理由なんか、あらへんやろ」

「……残念ながら、そうは行かないのさ」

 カヲルは寂しげに眉をひそめると、再び口を開いた。

 

「異なる生命体が一つの星に共存する事は出来ない。何故かは分からないけど、恐らく『何か』が決めたルールなんだろう。だから使徒はリリンを滅ぼそうとし、リリンもまた使徒を滅ぼそうとした」

「こっちは降りかかる火の粉を払っただけよ」

「……刷り込み?」

「可能性はあるね。『何か』が保険として、異なる生命体が一つの星に存在した場合、互いに滅ぼし合うように遺伝子レベルでプログラムしていたのかもしれない」

 戦う事を嫌い、博愛主義と揶揄されたシイでさえ、使徒を傷つけ滅ぼすことに一切の疑問を持たなかった。だがリリンの遺伝子を持つカヲルに対しては、他の使徒とは違う対応を見せた。

 カヲルの話はあくまで仮説だが、あながち的外れでは無いのかもしれない。

 

「でもさ、あんたの話が本当だとしても、使徒が確認されたのは十七年前でしょ? そんで実際襲ってきたのが二年前。その間使徒は何してたってのよ」

「黒き月が落下する前に、第三使徒から第十六使徒は既に誕生していたよ。けれども、黒き月が落下した衝撃で使徒達は休眠状態になってしまったんだ」

「身を守るため?」

「そうだね。そしてその間にリリンは急速に科学を発展させ、地球を実質的に支配した。これがファーストインパクトの真実さ」

 一気に喋って喉が渇いたのか、カヲルは紅茶のおかわりをカップに注ぐ。

「ふぅ。少し長話になってしまったけど……第一使徒と第二使徒が何故天使の名前では無いのか、理解して貰えたかな?」

「うん。アダムさんとリリスさんは特別なんだね」

「僕達を生んでくれた母たる存在。本来なら使徒と呼ぶべきでは無いのさ」

「てか他人事みたいに言ってたけど、あんた確かアダムの魂を宿してるでしょ?」

「魂はあくまで魂でしか無いよ」

 アスカの突っ込みに、カヲルは苦笑しながら答えた。

「魂と器、二つ揃ってアダムさ。今の僕はあくまで渚カヲル。それ以上でも以下でも無い」

「うん。カヲル君はカヲル君だよ」

「ま、そやな。わしらのダチの渚カヲル。それだけ分かっとりゃ十分やろ」

 シイとトウジの言葉に頷くレイとアスカ。心優しき友人達に、カヲルは嬉しそうな微笑みを向けた。

 

 

~補足~

 

「さて、これで僕の話は終わりだ。満足して貰えたかな?」

「まあまあね。てかあんたは、何でそんな妙な事まで知ってんのよ」

 訝しむアスカにカヲルは余裕の笑みを崩さない。

「ネタばらしをすると、実は今僕が語った事は全て、ある書物に記されているのさ」

「え? ヒトが生まれる前の事なのに?」

「偽物ちゃうか、それ」

「ふふ、気持ちは分かるけれども、残念ながら本物だよ。裏死海文書と呼ばれる、ゼーレによって秘匿された禁断の書。彼らが進めていた人類補完計画の根底でもあるね」

 何時何処で誰がどの様にして記したのかすら分からない。だがそれはゼーレに人類補完計画を実行させるだけの、説得力を持っていたのだろう。

「神の予言か悪魔の戯言か。まあ、恐らくは『何か』が授けたんだろう」

「ふ~ん。ちょっとだけ読んでみたいかも」

「既に処分済みさ。これからの未来には必要無いものだし、公に出来る物でも無いからね」

 だから今話した事は内緒だよ、とカヲルは紅茶のカップを傾けながら微笑んだ。

 

 

 カヲルの話が終わった時には、もうすっかり日が落ちていた。シイ達は本部を後にして、それぞれの家路につく。トウジとカヲルと別れたシイ達三人は、並んでマンションへと向かう。

「まさか、あの変態ナルシストが無茶ぶりに答えるとは思わなかったわ」

「無茶ぶり?」

「あんたは自覚無かったかも知れないけど、あの質問って普通は誰も答えられないわよ」

 シイからすれば純粋な疑問だったのだろうが、アダムとリリスについて正確に回答出来る者はそう居ないだろう。アスカにしてみても、精々カヲルを困らせてやろうと話を振っただけなのだ。

「そうかな? でもカヲル君のお話は面白かったよね」

「ま~ね」

「…………」

「あれ、レイさんどうしたの?」

 いつになく無口なレイの様子に気づき、シイは不思議そうに声を掛ける。そう言えばカヲルの話が終わってから、ほとんど口を開いていない。

「何よ、お腹でも痛いの?」

「……いえ、問題無いわ」

 無表情を崩さずに素っ気なく答えるレイ。だがそこに何か悩んでいる様子が混じっているのを、シイとアスカは見逃さなかった。

「カヲル君のお話で、何か気になった事があるのかな?」

「……いえ。ただ」

「ただ?」

「……モヤモヤするの」

 レイは自分の胸を軽く押さえながら小さく呟いた。

「具合が悪いんじゃ無いんだよね?」

「……ええ。言葉に出来ないけれど……何か大切な事を忘れている様な気がする」

「へぇ~。あんたもリツコの仲間入りって訳ね」

「……そうかも知れない」

 からかうようなアスカの物言いにも、レイは反論する事無く表情を曇らせる。その様子に自分の対応が失敗だったと察したアスカは、内心舌打ちするとさり気なくフォローを入れた。

「ま、大切な事ならその内思い出すんじゃ無い? 思い出せないなら大した事じゃ無いだろうし」

「……ええ。ありがとう」

「べ、別にお礼なんていらないわ。ってか、あんたが素直だと気持ちが悪いわね」

「……優しいアスカほどじゃ無いわ」

 静かな夜空にゴングが鳴り響き、アスカとレイの路上バトルが始まった。いつも通りの二人に苦笑しつつも、シイは何とも言えぬ不安を感じていた。

(レイさん……何か悩んでるのかな)

 見上げた夜空に瞬く星々は、シイの疑問に答えてくれはしなかった。

 

 




思いっきり説明回でした。
アダムとリリス編の前半は、こうした説明話が多くなってしまいます。
早く話を進めろと思われるかもしれませんが……どうかご容赦を。

投稿ペースが不規則になりますが、今回以上に間は開けない予定です。

今後もお付き合い頂ければ幸いです。




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後日談《アダムとリリス(3)》

 

~エヴァンゲリオン破棄計画~

 

 汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオンは、人類の脅威たる使徒を殲滅する事を目的に建造、運用された兵器であり、全ての使徒を殲滅した以上はその役割を終えている。

 加えて機体の維持に掛かるコストは、通常兵器のそれとは比較にならず、今後本格化するゼーゲンの予算を圧迫する事は明白であり、一刻も早くエヴァを破棄する事が望ましい。

 そして、現状で世界最強の兵器である事は疑いようが無く、世界各国にとって驚異となっているのも事実。故にゼーゲンは武力行使を否定する意味でも、エヴァを手放す必要があった。

 

「では碇。ゼーゲンは保有するエヴァ五機を全て破棄。それで良いのだな?」

「はい。既に赤木博士が指揮を執り、準備を進めております」

 暗闇の会議室でゲンドウは、ゼーゲン特別審議室の面々に変わらぬ様子で報告をする。

「今回の予算削減要請については、我々も申し訳無く思っている」

「左様。あまりに急な事だったからね」

「だが人類が一丸となり、未来を目指す為には必要な事だ。……分かって欲しい」

「承知しております。人類が向かうべき新たなステージに、エヴァは不要なのでしょう」

 世界各国に強い影響力を持っている老人達だが、それでもゼーゲンに対する不満を抑える事は出来なかった。様々な問題を解決する為に、予算は幾らあっても足りないのだから。

「各支部におきましてもエヴァの関連設備は凍結、あるいは放棄を進めています」

「維持するだけでも莫大な予算が掛かるからな。正しい判断だ」

「冬月先生の修正予算案は目を通したよ。流石としか言い様が無いな」

 予算縮小を伝えられてからの僅かな間に、ゼーゲンの業務に影響を与えず、不要と思われる部分だけを的確に削減してみせた冬月の手腕は、審議室の面々に感嘆の声を上げさせた。

 彼が副司令の座に着いている限り、ゼーゲンは安泰だと思わせる程に。

「この件については君達に一任する。適切な処理を期待するぞ」

「はい。全てはゼーゲンの為に」

 ゼーゲン特別審議室の承認を経て、エヴァンゲリオン破棄計画は正式に発動された。

 

 

 

~シイの不満~

 

 その日の夕方、シイ達チルドレンはゲンドウに司令室へ呼び出された。冬月とユイを始めリツコや加持達が勢揃いする中、ゲンドウの口から彼女達に告げられたのは、戦友との別れだった。

「エヴァを壊しちゃうの?」

「ああ。最終決定は私が下した。不平不満は全て私が受ける」

「ううん、そんなんじゃ無いけど……」

 出会いこそ唐突だったが、エヴァと共に戦った一年弱の期間は、シイの中に鮮烈な記憶として残っている。嬉しい事も悲しい事も、全てを分かち合ってきた。

 だからこそ突然の別れに戸惑いを隠せない。

「その……わざわざ壊さなくても、何処かにしまっておくとか」

「シイ君の気持ちは分かるが、維持するだけで莫大な費用が掛かってしまうのだよ」

「使徒との戦いが終わっても、私達には解決しなければいけない問題が沢山あるの。役目を終えたエヴァを何時までも維持する余裕は、残念ながら今のゼーゲンには無いのよ」

 冬月とユイの言葉は理解出来る。だが今まで使徒と戦い人類を守ってくれたエヴァを、大人達があっさりと見限った気がしてしまい、シイはやり切れない思いだった。

 上手く言葉が出てこず俯くシイの頭を、アスカが少し乱暴に撫でる。

「ったく、情けない顔してんじゃ無いわよ」

「でも……」

「良い? エヴァはあたし達と一緒に戦って、立派にその役目を果たしたの。出番が終わった役者を何時までも舞台に残すのは残酷な事よ。……もう休ませてやんなきゃ」

 今の時点で役目を終えて破棄されれば、エヴァは使徒を殲滅した人類の守護者として名を残すだろう。人々から感謝されたままで眠らせてあげる事が、せめてものお礼だとアスカは考えていた。

 

「頼るだけ頼って、いらなくなったら捨てるなんて……私は嫌だよ」

「シイ君。そいつは違うな」

 少し拗ねたようなシイに、加持が真剣な顔で声を掛ける。

「もし君の言うとおり、エヴァを壊さないで保管しておくとしよう。だがもし誰かが奪ったら? そして戦争の道具として、人殺しの兵器として使われてしまったら? 考えた事はあるかい?」

「そ、それは……」

「俺達には責任があるのさ。エヴァを最後まで悪用されないよう管理し、眠らせてあげる責任がな」

 諭すような加持の言葉にシイは俯いたまま返事をしない。だが暫くの間何かを悩み考え、やがて顔を上げると小さく頷いて見せた。

「アスカちゃんは良いの?」

「ま~ね。弐号機とはそれなりに長い付き合いだし、寂しいってのも少しはあるわ。けど戦う相手が居なくなったんだし、そろそろ休ませてあげなきゃね」

 幼少より専属搭乗者として訓練を積んできたアスカにとって、弐号機は単に兵器では無くパートナーと言うべき存在だった。だからこそ役目を終えた今こそ、静かに眠って欲しいと願ったのだろう。

「鈴原君とレイ、渚も良いかね?」

「わしはオマケみたいなもんさかい、文句も何もありませんわ」

「……問題ありません」

「ふふ、僕もだよ。あの子は十分働いたからね。今度はちゃんと眠らせてあげるとしよう」

 トウジは参号機に搭乗してから日が浅い為か、破棄に特別な感情は無かった。レイとカヲルは元々エヴァに固執しておらず、破棄の事実を淡々と受け止めた。

 

「あの、エヴァを壊すのって、どうやるんですか?」

「パーツ単位に分解してから爆破処理するわ」

 シイの問いかけに、作業担当責任者であるリツコが答える。E計画責任者だったリツコにとって、まさに最後の大仕事なのだろう。

「何か嫌な終わり方ね。もっとこう、スマートに出来ないの?」

「大人の事情よ。世の中にはエヴァが復元不可能な状態まで破壊されないと、安心出来ない人も居るって事ね。……臆病者の声ほど大きいのは、世の常だもの」

「一応MAGIに危険性のシミュレートをさせたけれど、理論上は何も問題無いわ」

「勿論作業に際しては、細心の注意を払う。万が一を起こさない為にね」

 冬月の力強くも優しい言葉に、シイもようやく安堵の表情を浮かべて頷くのだった。

 

 破棄の詳しい内容や日程は、後日改めて通達される事になり、この場は解散となった。だが司令室から退室しようとするシイ達に、予想外の人物から待ったがかかる。

「……少し、時間を貰えるか?」

「お父さん?」

 滅多に無い司令からの誘いに、チルドレン全員が怪訝そうにゲンドウを見返す。

「お前達に話がある」

「そ、惣流。お前、何かやらかしたんか?」

「あんた馬鹿ぁ? あたしは別に怒られることなんて……少ししか無いわ」

 シイの父親としてならともかく、今のゲンドウはゼーゲンの本部司令として話している。それが余計に子供達の不安を煽った。

「えっと何かな? ううん、違うね。何でしょうか?」

「……レイは帰宅しろ。後の者達は着いてこい」

 ゲンドウは返事を聞かずに立ち上がると、司令室から出て行ってしまう。残されたシイ達は暫し顔を見合わせていたが、無視するわけにもいかず、困惑したまま後に続いた。

 

 

~隠していた事~

 

 ゲンドウを先頭にシイ達は、ゼーゲン本部のターミナルドグマへ足を踏み入れた。そこはチルドレンであっても立ち入る事を許されない最重要機密区画であり、薄暗い通路を歩くシイ達に緊張の色が浮かぶ。

「な、何ちゅうか、えらい寒々しい場所やな」

「私ここに入ったの初めてだよ」

「あんた馬鹿ぁ? あったらそれこそ問題じゃない」

「機密エリアだからね。司令達のような上級職員じゃ無いと、立ち入る事すら出来ない筈さ」

 無言で歩くプレッシャーに耐えかね、子供達は小声で会話を交わす。何処に行くかも知らされずに、機密区画へ連れてこられれば仕方ないだろう。

「ここって、本部のどの辺りなんだろう」

「ゼーレから貰ったデータを信じるなら、ターミナルドグマと呼ばれる機密区画だね」

「渚は随分落ちついとるな。来た事あるんか?」

「まさか。ただお義父さんが僕達に何かする筈が無いと、信じているだけさ」

 その自信はどこから来るのかと突っ込みたくなる程、カヲルの表情には余裕が見て取れる。相変わらずなカヲルの態度に、トウジとアスカが呆れ顔をする中、シイはこの場に居ないレイの事を考えていた。 

「どうしてレイさんは一緒じゃ無いんだろう……」

「さ~ね。司令の考える事なんて、あたし達に分かるわけ無いじゃん」

「レイだけっちゅうのは少し気になるのう」

「………むぎゅっ!」

 考え事に夢中だったシイは、前を歩くゲンドウが立ち止まったことに気づかず、思い切り背中にぶつかってしまう。

「うぅぅ、ごめんなさいお父さん」

「いや、良い」

 鼻をさすりながら謝るシイに、ゲンドウは気にしていないと頷く。

「ここだ」

「変なドアやな。妙な模様が描いてあるし」

「やばそうな臭いがぷんぷんするわね」

 トウジとアスカは、ゲンドウが背にしている黒いドアを見て顔をしかめる。作り自体は本部の他のドアと変わりないのだが、そこに描かれた見慣れぬ模様が怪しい雰囲気を醸し出していた。

 そもそも司令が直々に自分達を案内する程の何かが、この先に待っているのだ。そう意識してしまうと、自然と緊張感が身体を包む。

 ゲンドウが手にしたIDカードをカードリーダーに通すと、認証を示す青いランプが灯り、奇妙な模様が描かれたドアがゆっくりと左右に開く。

 その奥の光景を目にした瞬間、シイ達は思わず言葉を失った。

 

 薄暗い室内灯が照らし出す空間は、一言で表現するなら異質であった。

 広い室内の床には、ドアと同じ様な奇妙な模様が描かれており、無数の太いパイプがその上を這う。そのパイプが繋がれているのは、部屋の中央にはLCLで満たされた、人一人が入れる程の細長い円柱状の水槽。

「な、何や……ここ」

 暫し呆然と立ち尽くしていたトウジが、呟くように声を絞り出す。

「こんな場所があったなんて……って、あれ?」

「どうしたのよ?」

「私……ここ、見たことある」

 シイの呟きに、トウジとアスカは訝しげな表情を浮かべる。

「勘違いじゃ無いの? あんたここに来たの初めてだって言ってたし」

「ううん、ちゃんと覚えてるもん。確か……そう、レイさんがあの水槽に入ってたの。それでお父さんがそれを見てた。……零号機に見せて貰ったの」

 かつて機体相互換試験の際に、零号機からの逆流という形で、シイに送り込まれた無数の映像。今自分が居る場所が、その中に含まれていたとシイは確信する。

 

「……成る程。ここが彼女の場所ですか」

「そうだ」

「ど、どう言う事なの、お父さん」

 カヲルと意味深なやり取りをするゲンドウに、シイは動揺を隠せないまま問いかける。

「レイがユイのサルベージに失敗した時に得た、遺伝情報を元に生まれたのは知っているな?」

 質問には答えずに今更な確認を行うゲンドウに、シイは不満げな表情ながらも頷く。

「クローン技術は人類が遙か昔から研究し、既に実用レベルに達していた。だからレイを誕生させる事自体は、ゲヒルンの科学力を持ってすれば難しくは無かった」

 倫理的な問題で実用化こそされて居なかったが、セカンドインパクト以前にクローン技術は確立していた。ゲンドウの発言も真実なのだろう。

「だが、魂は違う。ヒトは命を生み出す術を得ても、魂を生み出す事は出来なかった」

「で、でもレイさんは心が、魂がある」

「そうだ。ユイの魂が初号機に残って居るにも関わらず、レイには魂が宿っていた」

「だからそれはレイさんの……」

「人工的に造られた生命体に魂は宿らない。……実証済みだ」

「いい加減にして! お父さんは何が言いたいの!?」

 まるでレイを否定するようなゲンドウの言葉に、シイは珍しく怒りを露わに声を荒げた。アスカ達が不安げに二人を見つめる中、ゲンドウは一度サングラスを直した後、真実を伝える。

「……レイに宿る魂は、人類の母たる存在であるリリスだ」

 

 




命がけの戦いを共にくぐり抜けてきた、チルドレンとエヴァ。母親の魂を抜きにしても、戦友の様な感情を抱くと思います。
最も多くの実戦を経験したシイと、最も長く接していたアスカは特にでしょう。


続き物なので、出来る限り速いペースで投稿していきたいと思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(4)》

 

~冷たい真実~

 

「リリスさんの魂?」

「そうだ。渚がアダムの魂を宿している様に、レイにはリリスの魂が宿っている」

「ちょい待ってや。そんならレイが使徒やって言うんか?」

「いや……レイはリリスの魂を宿してはいるが、肉体はヒトの遺伝子をベースにしている。細部を除けば、基本的に我々と何も変わらない」

「僕の身体は半分アダムの遺伝子で出来てるからね。彼女とは違うよ」

 ゲンドウの説明にカヲルが補足を入れる。共に始祖の魂を宿している両者だが、レイには生命の実であるS2機関が無く、それが最も大きな相違点とも言えた。

 意図が読めずに困惑の表情を浮かべるシイ達に、ゲンドウは静かに過去を語り始める。

 

「セカンドインパクトの後、人類はここの地下でリリスを発見した。休眠状態だったのか、リリスは一切の活動をしていなかったが、何時アダムのように覚醒するか分からない。そこで我々は、リリスから魂を抽出する事で、予期せぬ事態を防ごうとした」

「魂を抽出って、そんなの出来るわけ無いじゃん」

「ヒトの科学力では不可能だ。だがゼーレの持つ死海文書には、それを可能にする術が記されていた」

 使徒の出現やロンギヌスの槍の使用法など、人の身では知る事すら叶わぬ事柄を記した書であれば、魂を取り出す手段が載っていても不思議では無い。

 カヲルの推測通りなら、死海文書は『何か』が授けたものなのだから。

「その後、ゼーレによってここにゲヒルンの研究所が建設された。表向きは国連所属の人工進化研究所として。実際はリリスの調査と研究、そしてそのコピーを生み出す事を目的としてだ」

「それって、エヴァの事?」

「ああ。セカンドインパクトが起きたことで、使徒の襲来は確実な未来となった。人類はそれに対抗する手段として、自らの手で制御できる神のコピーたるエヴァを造り出した」

 淡々と過去を語るゲンドウ。既にシイ達は、冬月とユイから同様の話を聞いていたが、これがどうレイと繋がるのかと真剣な面持ちで話に聞き入る。

 

「幾多の実験と失敗を繰り返した末、プロトタイプである零号機を完成させた我々は、次のフェーズとして稼働に耐えうるエヴァの開発に取りかかった」

「それが初号機なの?」

「ああ。リリスより取り出した魂を封じ込めたコアを、初号機に搭載した。その後はお前達も知っての通り、ユイを被験者にした起動実験は失敗し、ユイの魂は初号機に取り残されてしまった」

「……で、それがレイと何の関係があるって~の?」

「そうだよお父さん。だってリリスさんの魂は、初号機に居るんでしょ?」

 アスカとレイの問いかけに、ゲンドウはサングラスを軽く直しながら答える。

「一つのコアに宿る魂は一つだけだ。ユイの魂が初号機に宿った以上、リリスの魂は追い出される形で、コアから解放される。そして……レイへと宿った」

「どうして?」

「……サルベージよ」

 ようやく話が掴めたと、アスカは渋い表情で呟く。そしてまだ理解出来ていないらしく、不思議そうに首を傾げているシイに、実例を挙げて説明を始めた。

「前にあんたが初号機に取り込まれた事があったでしょ。でもユイお姉さんがコアに居る以上、あんたは一緒に居られなかった。それじゃあ、追い出されたあんたの魂は何処に行ったと思う?」

「えっと……エントリープラグ?」

「サルベージが成功した事から、多分間違い無いでしょうね。ならそれをリリスに置き換えたら?」

 アスカに言われ、シイは頭の中を整理しながら考える。

 魂になった自分は、エントリープラグで再構成された肉体に戻れた。だがリリスにはその肉体が無い。戻るべき場所が無い魂は、何処にも行けずに彷徨うしか無いだろう。

 だが、もしも魂を宿す何かが誕生したら。

「……あっ!?」

「ユイさんの遺伝情報を得るために、当然プラグ内のLCLは全部回収したでしょうね。そこにリリスの魂が居たんなら……説明が付くわ」

 鋭い視線を向けるアスカに、ゲンドウは動じた様子を見せずに無言で頷いた。

 

「レイさんの魂がリリスさんだって事は分かったよ。でもそれがどうしたの?」

「そやな。ちょい前に渚とも同じ様な話をしたけど、別に大した事や無いやろ」

「魂が誰のもんでも、あの子は無口無表情関節バカのレイよ」

 既にシイ達はレイの出生について知っており、それを受け入れていた。ゲンドウの話に驚きこそすれ、レイとの絆は少しも揺るがない。

「……分かっている。だからお前達をここに連れてきた」

「え?」

 まるで自分達の反応を予測していたかの様なゲンドウに、シイは戸惑いの声を漏らす。そう、単に今の話をするだけならば、こんな場所へ連れてくる必要は無いのだ。

 アスカとトウジもそれに気づいたのか、表情に僅かだが緊張の色が浮かぶ。

「私はお前達に隠していた事がある」

「はぁ? そんなの今更じゃん」

「補完計画やら何やら、司令は隠し事のデパートやったからな」

 軽口を叩くトウジだったが、ゲンドウから感じる威圧感に思わず口を閉ざし、気づいた。今自分達に何かを話そうとしているのは、シイの父親では無く、ゼーゲン本部司令としてのゲンドウなのだと。 

 

「……アダムとリリスの禁じられた融合を果たし、神に等しい存在となった後、初号機を取り込む。そして全ての人類の魂を一つにし、完全な生命体へと進化させる。それが私の計画だった」

「うん……。お母さんから聞いたよ」

「この計画を完遂させる為には、レイの存在が必要不可欠だ。しかし万が一が起こる可能性は否定できない。だから私は保険をかけた」

 ゲンドウはシイ達から離れ、部屋の中央にある円柱状の水槽へ近づく。そしてゆっくり振り返ると、上着のポケットからリモコンの様な機械を取り出した。

「それが……これだ」

 右手に持った機械をゲンドウが操作すると同時に、部屋の壁に埋め込まれていた水槽に光が灯る。ぐるりと円を描くように、シイ達の周囲に現れた水槽。

 その中には……レイに酷似した人型の何かが、無数に存在していた。

 

「な、何よこれ」

「レイさん……?」

 動揺を隠しきれないシイがポツリと呟いた瞬間、水槽の中を漂っていたものが一斉に視線を向ける。無数の赤い瞳に見つめられたシイは、ビクリと身体を震わせて数歩後ずさる。

 生まれたままの姿で水槽を漂うものに、シイ達は戸惑いつつも目を離せない。

「い、生きてるのよね?」

「動いとるさかい、そうやろ。レイによう似とるけど……」

「……ううん、違う。この人達はレイさんじゃ無い」

 確かに外見は酷似しているが、何かが違う。根拠を問われれば困ってしまうが、水槽の中の彼女達とレイは似て非なる存在だと、シイは確信していた。

「この感じは……クローン、かな?」

「そうだ。レイに万が一が起きた時、リリスの魂を受け入れる存在が必要だった。その為に造られたのが、これだ。レイと同じ身体を持ち、しかし魂を宿さぬもの。魂の受け皿だ」

 カヲルの確認にゲンドウは頷きながら言葉を紡ぐ。

「レイはここで定期的に、記憶と思考パターンのコピー処理を受けていた。何時不測の事態が起きた場合でも、クローンに記憶を移植し、新たなレイとして活動させる為に」

「っっ、お父さん!」

 あんまりなゲンドウの物言いに、カッとなったシイは父親へと飛びかかろうとする。だがそれをカヲルが、肩を掴んで食い止めた。

「シイさん。話を最後まで聞こう」

「でも!」

「本来であれば、この話を僕達に聞かせる必要は無かった筈だ。黙って闇に葬れば良かったのだからね。でもあえて話した。……きっと何か理由があるんだよ」

 優しく諭すようなカヲルの言葉に、シイは暫し考えた末に頷いた。

「さて、お義父さん。今更レイに関して何を言われたところで、シイさん達は揺るぎませんよ。それはもう十分確かめられた筈。本題に入っても良いのでは?」

 カヲルの言葉に頷くと、ゲンドウは覚悟を決めた様子で口を開いた。

 

「……ここはダミーシステムの開発プラントとして稼働してきた。全ての戦いが終わり、エヴァの破棄が決定した今、存在する理由は無い。予算削減の為に放棄する予定だった」

「放棄って、じゃあこの人達はどうなるの?」

「シイ。これは人では無い。人の形をした魂の器……人形だ」

 ゲンドウの発言に再びシイは激昂するが、その反応を予想していたアスカに身体を押さえられてしまう。

「あんた馬鹿ぁ? 話を最後まで聞くって、納得したばっかでしょ」

「だけど……だけど」

「良いからちっとは落ち着きなさい。……強い言葉を使うのは、自分を守ろうとしてるからよ。司令があたし達に伝えようとしてる事は、それだけ言い出しづらいのね」

 アスカはシイの耳元でそっと囁く。大人達に囲まれて育ったアスカは、人の嘘を見抜く力に長けている。そんな彼女は、ゲンドウがあえて冷たい司令の仮面を被っていると見抜いていた。

「話を全部聞くの。それでも納得いかなければ、思いっきりぶつかれば良いわ」

「……うん」

 シイを宥めたアスカは、一度大きく息を吐くと、ゲンドウに鋭い視線を向ける。

「だった。過去形って事は、今は放棄するつもりが無いって事?」

「ああ。ここを存続させる理由が出来た」

「へぇ~。こんな悪趣味な場所を残す理由ってのを、是非聞いてみたいわね」

 自分でも子供っぽい挑発だと理解しているが、それでもアスカはつい悪態をついてしまう。シイほどでは無いにせよ、彼女もゲンドウの発言に苛立っていたのだ。

「人類補完計画が潰えた以上、リリスの魂をレイに宿す必要は無い。レイは人として生き、肉体が終わりを迎えた時に魂をコアに封印する。それが当初描いていたシナリオだ」

「それでええや無いですか。何が問題なんです?」

「……レイに宿っているリリスの魂が、目覚めつつある」

 トウジの問いかけに、ゲンドウは少しだけ間を開けて答えた。

 

「レイは自分にリリスの魂が宿っている事を知らない。そして我々もその事実を隠し続けた。綾波レイと言う人格を形成する事で、リリスの意識が覚醒する事を防いでいた」

 ゲンドウがレイの出生を機密情報とし、特に魂に関してはシイ達ですら知り得ない程の深度で隠し通してきたのは、レイがリリスとして自覚するのを恐れたからだ。

「あえて学校へ通わせたのも、ヒトと交流する事でヒトの心を育み、レイとしての人格を強固にする為。そしてお前達と出会った事で、その目的は十分に果たせた」

 レイはシイ達と共に過ごし、造られた存在であってもヒトとして生きると決意する。それはゲンドウにとって、願っても無い成果であった。

「だが……予想外の事態が起こった。渚の存在だ」

「まさかあんた、レイにリリスだって教えたんじゃ無いでしょうね?」

「いや、僕は彼女が自覚していると思っていたからね」

 ジト目を向けるアスカに、カヲルは軽く首を横に振る。それとなくリリスについて触れたことはあるが、直接レイに伝えてはいない。

 自分と同じ存在だと語りかけた事はあるが、レイはそれを造られた存在同士だと理解したのだろう。その時点ではカヲルの正体が、使徒でありアダムの魂を宿すものとは、誰も知らなかったのだから。

「ただそうなると、僕の存在が切っ掛けになってしまったのか……」

「どう言う事?」

「同じ始祖の魂と接触する事で、眠っていたリリスに影響を与えてしまったかも知れないのさ」

 シイの問いかけに、カヲルは少し困った様子で答えた。

 

「ま、過ぎた事はしゃーないとして、や。リリスの魂が目覚めると、何か不味いんでっか?」

「……最も恐れているのは、回帰衝動が起こる事だ」

「回帰衝動……って何?」

「あんた馬鹿ぁ? 元に戻りたいって言う欲求よ」

 いつも通りのアスカの突っ込みを、ゲンドウは頷いて肯定する。

「元々魂と身体は密接な関係にある。もしリリスの魂が覚醒すれば、再び完全な状態へ戻ろうと、肉体への回帰を望む可能性がある」

「それって、レイさんがリリスさんになっちゃうって事?」

「ああ。そして今、リリスの肉体はロンギヌスの槍で拘束している。もしその状態で魂を宿し、神として覚醒した場合は……サードインパクトが起こるだろう」

 ゲンドウの言葉にシイ達は絶句する。命を賭けて戦い抜き、多くの人達の協力を得て、やっと食い止められたサードインパクト。今再びその危機に直面するとは、予想だにしていなかったからだ。

「マジかいな……」

「完全なる神とロンギヌスの槍。この二つが揃ってしまえば、十分あり得る事態だよ」

 サードインパクトが起これば、生命が個として存在する為に必要なATフィールドを失う事で、肉体はLCLに還元され、魂が始まりの場所へと還る。

 ゼーレは人類の罪を贖罪してから、新たな生命体としての誕生を。ゲンドウは人類の魂を一つにし、神となる事を目的とし、サードインパクトを起こそうとした。

 両者が描いていたシナリオは異なるが、必要な条件は同じ。

 生命のATフィールドを消失させる事が出来る程、強力な反ATフィールドを発生できる存在。そしてその存在に死を、原始への回帰を望ませる力だ。

 今のゼーゲンには、それが揃ってしまう可能性が十分にある。

 

「ちょっと待って。どうしてお父さんは、リリスさんの魂が目覚めかけているって分かるの?」

「へ?」

「だってレイさんに変わった様子なんて無かったもん。……最近はちょっと悩んでるみたいだったけど」

「言われてみるとそうね」

 シイの主観ではあるが、カヲルと出会ってからもレイに変化は無かった。確かにここ数日は様子がおかしかったが、それとリリスを結びつけるのは難しいだろう。

「……先程言った通り、レイは定期的に記憶と思考パターンのコピーを行い、ダミーシステムの開発が終了した後も、ある目的の為に続けていた。……渚と出会ってから、そこに解読不明のノイズが混じり始めた」

「ノイズ?」

「初めは無視できるほど小さなノイズだったが、次第にそれは大きくなっていった。MAGIに根気強く解析させた結果、レイとは異なる存在の思考パターンだと判明したのだ」

「それって、リリスさんの?」

 頷くゲンドウに、シイはもしかしたら勘違いかも、と言う淡い期待を捨てるしか無かった。

 

 

 

~選ぶべき道~

 

「……それにしても、まさかリリスとはね」

「ん、渚はレイの事を知っとったんやろ?」

「ふふ、それとは違う事さ。とにかく、パズルのピースが揃っているのは確かだよ。ただこのまま黙っていて、サードインパクトと言う絵が出来上がるのは、流石に遠慮したいね」

「あったりまえじゃない」

「そんなん、絶対止めなあかん!」

「うん。きっと方法があるはずだよ」

 これまでも立ちはだかる困難に対し、みんなで協力し合い乗り越えてきた。今回も必ず解決出来る筈だと、シイ達は力強く頷き合う。

 そんな子供達に、ゲンドウが口を開いた。

「……阻止する方法はある」

「え?」

「サードインパクト発生の必要条件を満たさなければ良い。渚の言葉を借りるなら、パズルのピースを無くしてしまえば、悲劇は阻止出来る」

「そらそうや」

「全ての鍵を握っているのは、リリスの魂が覚醒するか否かだ。魂が眠った状態ならば回帰衝動は起こらない。それはこれまでのレイを見ていれば分かるだろう」

 ゲンドウの確認にシイ達は頷く。

「ならば目覚めかけている魂を、今一度眠らせれば良い」

「でもどうやって?」

「レイに宿っている魂を抽出し、クローン体に移植する。コピーした記憶と共にな」

 ゲンドウの言葉を聞いて、シイは一瞬キョトンとした顔を見せる。だが彼が言わんとしている事を察し、直ぐさまその表情が引きつった。

「え、それって……レイさんを……殺すって事?」

「レイは存在し続ける。ただし、お前達が知っているレイでは無くなるだろう」

「巫山戯んじゃ無いわよ! そんなの、絶対に許さないわ!!」

 流石に我慢の限界を超えたアスカが、大声で断固拒否を叫ぶ。当然シイ達も同様に、ゲンドウに対して怒りと敵対心むき出しの視線を向けた。

 

「……では、他に何かリリスの覚醒を防ぐ方法があるのか?」

「今はまだ分からないけど、みんなで考えて行けばきっと」

「その方法が見つかるまでに、リリスの魂が覚醒しないと保証出来ない」

 理想論ともとれるシイの提案を、ゲンドウは冷たく一蹴する。

「全人類の生命が掛かっている。個人の感情で左右して良い問題では無いのだ」

「だからって、その為にレイさんを犠牲にするなんて間違ってる!」

「この世界を守るのがお前の願いだった筈だ」

「レイさんもそこに入ってるの。私はみんなで未来を生きたい」

 真っ向からぶつかり合うシイとゲンドウ。だが両者の意見は平行線を辿り、決して交わらなかった。顔を真っ赤にしているシイに、カヲルが優しく声を掛ける。

「少し落ち着こう。今のままでは話し合いでは無く、ただの喧嘩だからね」

「カヲル君は平気なの? レイさんが居なくなっちゃうのに」

「僕もレイを失いたくは無いよ。……他人事では無いからね」

 寂しそうに揺らぐカヲルの赤い瞳に、シイは少しだけ冷静さを取り戻す。

「今の話だけど、司令は何も今すぐレイから魂を取り出そうとは思っていない筈さ」

「え?」

「司令はリリスの覚醒が近づいた時に、先程の案を実行するつもりですよね?」

「……ああ」

「だからそれまでに、僕達は覚醒を防ぐ手段を探せば良い」

 落ち着いて考えれば誰でも辿り着く結論だが、それを見失うほどシイ達は心を乱していたのだろう。それだけレイと言う少女の存在は、彼女達にとって大切なものなのだ。

 

「既にユイとキョウコ君、そして赤木博士が研究に取りかかっている。冬月にも無理を言って、リリスの魂に関しての対策予算を捻出して貰った」

「お父さん……最初から」

「私はレイの父親だ。娘を失いたいと思う親など居ない。……だが、私には責任がある。最悪の事態が起こった場合は、ゼーゲンの本部司令として対処する」

 サングラスを直しながら宣言するゲンドウには、明確な覚悟が宿っていた。レイの為に出来る最善の努力をする。だが万が一の時には躊躇わずに行動すると。

「……そして、お前達にもある重要な役割を担って貰いたい」

「わしらに?」

「レイに不穏な様子が見えた時、言動に違和感があった時、不審な行動をしていた時、ちょっとした変化でも構わん。それを報告して欲しい」

 最悪の事態を防ぐためには、レイに宿るリリスの魂が目覚める兆候を掴まなければならない。それは保安諜報部による監視だけでは不十分で、直に接するシイ達の協力が必要不可欠であった。 

「あたし達がレイを庇うって思わないの?」

「サードインパクトを阻止し、人類が生きる未来を願ったお前達だ。今更疑う必要も無いだろう」

「……うん」

 正直に言えば、まだ頭は混乱している。落ち着きつつあるが、心に動揺は残っている。それでもシイはゲンドウの言葉をしっかりと受け止め、明確な覚悟を持って頷いた。

 

 静かに回り始めた運命の輪。

 それがどの様な結末へと向かうのかは、まだ誰も知らなかった。

 

 




これにて説明回は終わりです。

原作でレイが自分をリリスだと自覚していたかは、作者には判断出来ませんでした。ATフィールドを展開してましたが、ひょっとしたらアダムを取り込むまで知らなかったかも。

回帰衝動については、作者の妄想設定です。カヲルがアダムを求めるなら、レイもそうだろうと。
原作だとそんな素振りは無いんですよね……すいません。

恐らく本編後日談通じて、一番長いエピソードになります。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(5)》

 

~不器用な男~

 

 ゲンドウ達が去り、レイも退室した司令室で、大人達は困り顔でため息をついていた。

「全く碇め。もう少し上手く出来ないのか」

「不器用にも程があります」

「ごめんなさい。あの人なりに頑張ったつもりだと思うのですけど……」

 彼らの話題は、ゲンドウがシイ達を連れて行く際の事だ。事情を知っている為、レイを連れて行けないのは分かる。だがそれならそれで、何か適当な理由をでっち上げる位はするべきだった。

「レイちゃん、すっごい不満そうだったわね~」

「ま、自分だけ仲間はずれにされたら無理も無い」

「……家に帰るまでに、何かレイが納得出来そうな理由を考えておきますわ」

 レイの精神状態が大きく乱れるのは避けたい。冬月達はユイの言葉に頼むと頷いた。

 

「さて、そろそろ仕事に戻るとしよう。やることが山積みだからな」

「そうですわね。エヴァの破棄はリツコさんに任せてしまっても?」

「ええ。ユイさん達はレイの方をお願いします」

「正直苦戦中だけど、やるしかないわね」

「大丈夫よ。ナオコさんとユイが一緒なら、出来ない事なんて無いもの」

 女神の微笑みを見せるキョウコに、一同は苦笑しながら頷く。ユイ、ナオコ、そしてキョウコと言う、人類最高峰の頭脳を持つ三人が揃っているのだから、きっと活路を見いだせると。

「それじゃあ俺はこれで。レイの監視について、信頼できる奴と打ち合わせますんで」

「ああ、頼むよ」

 加持の退室を機に、大人達はそれぞれの職場へと戻っていく。サードインパクトの阻止と、レイと言う存在を守る。その為に自分が出来る事を、全力でやろうと心に誓って。

 

 

~レイの疑惑~

 

 司令室を後にしたレイは、一人本部の中を歩いていた。大人達への追求は諦めたが、それでも自分が知らないところで、何かが行われているのは分かる。

(……モヤモヤする)

 以前なら気にもしなかった疎外感が、今のレイには耐えがたい苦痛だった。

「あれ、レイじゃないか」

「久しぶりだな」

 沈んだ表情で歩くレイに、聞き慣れた声が掛けられる。そっと視線を声の方へ移すと、そこには休憩スペースでくつろぐ、日向と青葉の姿があった。

「……こんにちは」

「ん、何か元気ないな」

「……いえ、問題ありません」

「そう言われても、俺達に分かるって事は相当だぞ」

 以前に比べて人らしくなったレイだが、それでも表情で気持ちを読み取る事はほぼ不可能だった。しかし今、日向達ですら一目で分かる程、レイのテンションは低い。

「あっ! ひょっとして……さっきのあれかな」

「……あれとは?」

「いや、さっきここを司令が通ったんだけど、シイちゃん達も一緒だったんだよ。だけどレイが居ないな~と思ってたら、丁度今来たからさ」

「おい、青葉」

 デリカシーに欠ける発言をする青葉に、日向が脇腹を小突いて叱責する。

「……構いません。それで司令達は何処に行きましたか?」

「何処かは分からないけど、そこのエレベーターで下に降りてったよ」

「……ありがとう」

 レイはペコリと頭を下げると、日向の指さしたエレベーターに乗り込んだ。

 

「……レイ、変わったっすね」

「ああ。初めて会った時には、あの子がお礼を言う姿なんて、想像出来なかったからな」

「人は変われる、か」

 ベンチに腰掛けながら、青葉はまるで自分に言い聞かせる様に呟いた。

「変わろうとすればだよ。自分から動かなくちゃ、何も始まらないさ」

「そうっすね」

「だからお前も、後悔しないようにすれば良い。俺は応援するよ」

「ありがとうございます、日向さん」

 優しい先輩オペレーターの言葉に、青葉は笑みを浮かべながら感謝した。

 

 

 碇ゲンドウと言う人間はとにかく目立つ。外見もさることながら、身に纏っている独特の威圧感が、周囲にその存在を印象づけるからだ。そんな彼がシイ達を引き連れて歩けば、人目に付かない訳が無い。

 そのお陰で、彼らが通ったルートを探る事は容易だった。

「……ありがとう」

 目撃情報を貰った女性職員にお礼を告げ、レイは本部の中を進んでいく。そしてある場所へ辿り着いた時、レイはゲンドウ達の行き先を悟った。

 職員が普段出入りしない区画に設置された黒いゲート。それはターミナルドグマへの入り口であり、チルドレンで唯一彼女だけが立ち入る事を許された場所である。

(……そう。司令はあそこに連れて行ったのね)

 先程聞いた予算縮小の件と、自分が除外された意味を加味して導き出された結論は、シイ達にあのプラントを見せて真実を伝える事だった。

 恐らくゲンドウは、予算削減の為にあそこを放棄するつもりだが、その前にシイ達に全てを話すのだろう。自分を同行させなかったのは、彼なりの配慮だとレイは推察する。

(……でも、行かなくては)

 例えあれを見られたとしても、シイ達なら変わらずに自分を受け入れてくれる。レイはそう信じていたが、同時にクローン達を破棄する事を躊躇ってしまうとも分かっていた。

 自分の事でシイ達を困らせたくない。そんな思いから、レイは自らのIDでゲートを開け、ターミナルドグマへと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

~誤算~

 

 ターミナルドグマの通路は薄暗く、初めて立ち入った者はほぼ確実に迷うだろう。だがレイにとっては、数え切れない程通った道であり、躊躇いなくプラントへの最短距離を進む。

(……居た)

 通路を歩くレイの耳に、シイ達とゲンドウの声が聞こえてきた。他に物音の無いこの地下では、離れた場所に居るレイにも鮮明に会話の内容が届く。

 急ぎ合流しようとしたレイだったが、ある単語を聞いた瞬間その足が止まる。

(……私が……リリス?)

 得も言われぬ不安が心に広がり、一度止まってしまった足は動こうとはしない。立ち聞きのような状態のレイに、ゲンドウとシイ達のやり取りが次々に聞こえてくる。

 リリスの魂とその覚醒。サードインパクト。魂の抽出と移植。そして新たなレイ。

 知らなかった。知りたくなかった。知ってはいけなかった。だが今、自分はそれを知ってしまった。レイはふらふらとおぼつかない足取りで、シイ達に気づかれる前にその場を離れる。

 

 

 そうして気づいた時には、レイは本部の休憩スペースでベンチに腰掛けていた。どうやってここに来たのかさえ覚えていないが、それを考えるのも億劫だった。

(……リリス。あの白い巨人)

 かつてレイは、ゲンドウの指示でリリスにロンギヌスの槍を突き刺した。その時に対面している筈だが、ほとんど印象に残ってはいない。

 あの時のレイは、シイに出生の秘密を知られたと動揺しており、他の事に意識を回す余裕が無かったからだ。

(……第二使徒。人類の母。始祖。……私)

 一度意識してしまえばもう止まらない。月が闇に食われてその姿を消していく様に、自分という存在を何かが包もうとしていると、レイの心を乱していく。

 こうして思考している自分が、本当に自分なのか。それとも既にリリスの意識が目覚めているのか。答えの出ない迷宮に迷い込んだレイに、予想外の人物が声を掛けた。

「おやレイさん。こんなところで会うとは、奇遇ですね」

「…………」

「はは、忘れてしまいましたか? 私です。時田シロウですよ」

 気怠そうに顔を上げたレイの前には、時田が爽やかな笑みを浮かべて立っていた。

 

「……何か用ですか?」

「いえいえ。丁度出張から戻ってきたばかりでしてね。そしたらレイさんを見かけたので、ちょっと声を掛けてみたんですが……ふむ」

 時田はレイの表情を見て一瞬眉をひそめたが、何も言わずに自販機でジュースとコーヒーを買う。そしてレイの隣に腰掛けると、缶ジュースをそっと差し出した。

「……いらない」

「コーヒーを買おうとしたら、間違ってしまいましてね。飲んで頂けると助かります」

 半ば強引に時田はレイにジュースを押しつける。手にした缶ジュースを見つめていたレイだが、やがて諦めたようにそっと口をつけた。

 冷たい水分が身体に染み渡り、さっきまでの不快感が和らいだ気がした。

「……ありがとう」

「私も二本飲まずに済んでほっとしてますよ」

 レイが少しだけ落ち着いたのを見て、時田は満足げに頷く。先程までのレイは顔面蒼白で、とてもまともな状態では無かったからだ。

 だが、何があったとは聞かない。ただ事で無いのは察したが、それは自分が踏み込んではいけない領域だと理解している時田は、黙ってレイの隣に居続ける。

 顔見知りである大人。そんな距離感である自分が出来るのは、レイに歩み寄る事では無く、もしレイが必要としているならば力になる事なのだから。

 

「……時田博士には、大切な人が居ますか?」

「ええ、居ますよ」

「……大切な人に危機が迫っていて、自分が犠牲になれば助けられる時、どうしますか?」

「勿論、喜んで犠牲になりますとも……なんて格好いい事は言えませんね。状況にもよるのでしょうが、生憎と私は臆病者ですから。可能な限り、どっちも助かる方法を模索しますよ」

「……では、その方法が見つからなかったら?」

「ん~そうですね……」

 レイの問いかけに、時田はあごに手を当てて真剣に考え込む。

「天秤に掛けると思いますよ」

「……天秤?」

「はい。自分の命と大切な人の命を秤にかけ、失いたく無い方を選びます。まあ自分の命を捨ててでも、と決断するのは難しいでしょうけどね」

 きれい事で誤魔化す事も出来たが、時田は本心でレイの問いに答えた。

「……ありがとう」

 時田の言葉がレイの助けになったのかは分からない。だが少なくとも、お礼を言ってから立ち去れる程度には、レイの精神状態は落ち着いていた。

 去って行ったレイを見送ると、時田は珍しく険しい表情を浮かべる。

「どうやら、何かが起きている様ですね」

 久しく感じていなかった胸騒ぎに、時田は事情の把握をしようと友人の元へ向かうのだった。

 

 

~迷える心~

 

 ゼーゲン本部を後にしたレイは、マンション近くの公園でブランコに乗っていた。夕暮れの公園には既に子供達の姿は無く、静かな空間にブランコの音が寂しく響く。

(……私の魂を抜き取れば、全部解決する)

 時田の言葉通り、自分と全人類を天秤に掛けようとするが、そもそも釣り合うわけが無い。そしてレイも死ぬわけでは無く、記憶を引き継いだ新たなレイとして生き続けるのだから。

 失うのは今こうして悩んでいる、自分の人格と気持ちだけ。迷う必要など無い筈だ。

(……でも私は……)

 鎖を握りしめるレイの手に、ぎゅっと力が込められる。誰にも打ち明けられぬ思いが心の中を駆け巡り、レイを苦しめていた。

 そんな彼女に、少し驚いた様子で女性が声を掛けてきた。

「あら、レイじゃない」

「……元葛城元三佐」

 今日はどうにも知り合いに出会う日だと、レイはそっと視線を移す。そこには私服姿で胸に幼子を抱いているミサトが、不思議そうにレイを見つめていた。

「どうしたのよ、何か元気なさそうだけど」

「……いえ、問題ありません」

「あのね。そんな顔して問題無いって言われても、ちっとも説得力無いわよ」

 呆れたように告げるミサトは、おいでおいでとレイに手招きをする。

「ま、ここで会ったのも何かの縁だし、うちでお茶でもしましょ?」

「……ごめんなさい。もう少しここで」

「良いから良いから。着いてきなさいって」

 渋るレイの手を掴むと、ミサトは半ば強引にブランコから立ち上がらせ、自分の家へと招き入れた。

 

 

「コーヒーと紅茶、どっちにする?」

「…………水で」

「オッケー、コーヒーね」

 身の安全を図ったレイを華麗にスルーし、ミサトは手慣れた手つきでコーヒーを入れる。それは以前のミサトを知る人間なら、目を疑う光景だっただろう。

「はい、お待たせ」

「……飲める」

「相変わらずストレートね。私だって何時までも昔のままじゃ無いのよ」

 ボソッと聞こえた呟きに、どれだけ信用が無かったのかと、ミサトは苦笑しながらレイと向き合う様に座る。

「……元葛城元三佐。どうして私を」

「あ~ちょっちタンマ。私の事はミサトで良いわよ。一々面倒でしょ?」

「……分かりました。ではミサトさん、どうして私を連れて来たのですか?」

「そうね~。ちょっとしたお節介かしら」

 ミサトはコーヒーをすすりながら答えた。

「自分では気づいて無いかもしれないけど、今の貴方は何か悩んでるって丸わかりよ。それこそ、私が家に連れて来ちゃう位にね」

「…………」

「リョウジは職業柄、盗聴盗撮を警戒してるから、この家はその類いに関しては万全なの。あの子は寝てるし、リョウジもまだ帰ってこない。ここでの会話が外に漏れる心配は無いわ」

「…………」

「まあ、貴方が話したく無いのなら、無理には聞かないけど」

 レイは視線を下に落としながら、思考を巡らせる。自分の悩みを明かせば、ミサトに余計な気苦労をさせてしまうだろう。ゼーゲンを退職し、幸せな生活を送っているミサトを巻き込むのは躊躇われた。

 だが同時に、誰かに自分の思いを打ち明けたいと言う気持ちもある。

「……誰にも……言わないで下さい」

「ええ、約束するわ」

 力強く頷くミサトに、レイは自らの気持ちを全て打ち明けた。

 

 

 

~向き合う勇気~

 

 レイが全てを話し終えた時には、窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。時計の針が時を刻む音がダイニングに響く中、ミサトは小さく息を吐いてから口を開く。

「成る程ね。また随分とヘビーな悩みだわ」

「……すいません」

「私が無理矢理聞き出したんだし、謝る必要は無いわよ」

 俯くレイに、ミサトは気にするなと軽く手を振る。

「……ミサトさんはどう思いますか?」

「シイちゃん達と同じよ。サードインパクトは絶対に防ぐし、貴方も失わない。ぎりぎりまで諦めないで足掻く道を選ぶわ」

「……今、私の魂を封印すれば、確実にサードインパクトは防げます」

(そっか……レイは怖いのね)

 生き続けたいと明確な意思を持つレイが呟いた言葉で、ミサトは本心を察した。レイは恐れているのだ。リリスの魂に覚醒した自分を止めて貰えず、サードインパクトを起こしてしまうことを。

  

「そっか~。結局レイは、シイちゃん達を信じてないって事ね」

「……違います」

「あらそう? でもシイちゃん達は最後まで諦めないって、もしもの時は対処するって言ってたんでしょ? でもそれが信じられないから、貴方は逃げようとしてるのよね?」

「違います」

「ま、仕方ないか~。シイちゃんもアスカも、今はエヴァに乗れないただの子供だし、鈴原君は頼りないし、渚君は使徒だもんね。司令もユイさんも結局口だけだし」

「違う!」

 度重なるミサトの挑発に耐えかね、レイは思い切りテーブルを叩きながら声を荒げる。大切な人達を侮辱された怒り、それは初めてとも言える感情の爆発だった。

 それを待っていたミサトは、動じる事無く最後の問いかけをする。

「レイ。貴方は何を望むの?」

「……生きたい。みんなと一緒に……シイさんと一緒に生きたい」

「なら、最後までそれを思い続けなさい。どんなに辛くても、怖くても、逃げちゃ駄目よ。貴方はまだ生きてるの。死ぬのを考えるのはまだ早すぎるわ」

 肩で息をするレイに、ミサトは優しく微笑みかける。

「……でも、それは私のエゴです」

「な~に言ってんの。人間なんてね、我が儘の塊なんだから。レイはもっと自分に素直になった方が良いわ。……後悔したく無ければね」

「……その結果、人類を滅ぼしてもですか?」

「それを止めてくれる人達が居るでしょ? 貴方の信じてる人達が」

 ミサトの言葉にレイは長い沈黙の末、小さく頷くのだった。

 

 

 

「……ただいま」

「レイさん。お帰りなさい」

「何よ。随分遅かったけど、どっか寄り道でもしてたの?」

 帰宅したレイに、料理中のシイとくつろいでいたアスカが声を掛ける。

「……ミサトさんとお茶をしてたの」

「あれ、あんた元葛城元三佐って呼んでたわよね?」

「……何? その面倒な呼び方」

「むきぃ~。あんたね~」

 まるで呼吸をするかのように、しれっとアスカを挑発するレイ。そしてアスカもあえてそれに乗る。今まで通りのやり取りをする事で、変に意識をしてしまわないように。

 

「はい、お茶だよ。ご飯もあと少しで出来るから、ちょっと待っててね」

「……ありがとう」

「早くしてよね」

 ダイニングで向かい合ってお茶をすする二人に、シイは笑顔で頷くと台所で料理を再開する。小気味よい包丁の音が響き、鍋からは食欲をそそる香りが漂ってきた。

「……司令とユイさんは?」

「今日は遅くなるの。キョウコさんも泊まり込みだから、三人でご飯食べようね」

「……そう」

「あの二人に用事でもあったの?」

 少しガッカリしたレイの様子に、アスカが何気なく問いかける。

「……聞いて欲しい事があったから」

「ふ~ん。お小遣いアップしてとか?」

「……私にリリスの魂が宿っている事」

 その瞬間、シイは思わず振り返りながら包丁を思い切り振り下ろし、アスカは口に含んでいたお茶をレイに吹きかける。穏やかだった時間は、あっという間に崩れ去った。

 

「あ、あ、あ、あ、あんた……え、えぇぇぇ!!」

「……汚いわ」

「れ、れ、れ、レイさん。どうしてそれを」

 お茶で濡れた顔を、近くのタオルで拭きながら迷惑そうにアスカを睨むレイ。そんな彼女に、シイも思わず料理の手を止めて詰め寄った。

 何せ隠し通そうと決めた矢先に、本人からのカミングアウトを受けたのだ。動揺も当然だろう。

「まさかあんた、最初から知ってたんじゃ」

「……違うわ。あの時……」

 レイは落ち着いた様子で、シイとアスカに今日の出来事を話した。シイ達の会話を聞いて真実を知ったが、ミサトとのやり取りで受け入れる勇気を得たと。

「これって、状況は良くなったって言える?」

「私はレイさんに隠し事が無くなって、嬉しいけど」

「……平気。今はまだ、私は私だから」

 困惑する二人を安心させようと、レイは不器用ながら笑みを浮かべる。自分の運命を知り、それを受け入れ、立ち向かう決意を持ったが故の微笑みだった。

「まったく、こうなりゃとことん足掻くしか無いわね」

「うん。きっと出来る。一緒に頑張ろう」

「……ありがとう」

 共に困難に立ち向かおうと覚悟を決め、三人の絆はより一層深まった。

 

 

「……ん? 何か変な音が……って、シイ! あんた!?」

「どうしたの、アスカ?」

「手、手、手!」

 思い切り動揺しながら、シイの手を指さすアスカ。レイとシイは何事かと視線を向けて、同時に表情を歪める。シイの左手の甲から大量の血液が流れ出て、フローリングの床に流れ落ちていたのだ。

 動揺していて気づかなかったが、あの時振り下ろした包丁はシイの手を切っていたらしい。血だまりにポタポタと零れる血液。自覚してしまえば、もう冷静では居られない。

「…………きゅぅ~」

「いきなり気絶してんじゃ無いわよ!」

「……止血するわ」

「あんた馬鹿ぁ? 舌で舐めて止まる様な傷じゃ無いでしょ。救急箱は何処よ?」

 衝撃的な光景にノックアウトされたシイ。落ち着いているようで、動揺しているレイは傷口を舐め続け、アスカは怒りつつも急いで止血処置を行う。

 碇家の夜は騒がしく過ぎていく。

 

 

 気絶したシイを布団に寝かせ、ダイニングの後始末を終わらせた二人は、作りかけの夕食を完成させる事を諦め、レトルト食品を寂しく食べる。

「……美味しく無いわ」

「贅沢言わないの。私だってシイの料理が食べたかったわよ」

「……アスカ」

「何よ」

「……もし、私が私で無くなったら、躊躇しないで」

 レイの真剣な表情に、アスカも食事の手を止めて視線を交わす。

「……サードインパクトだけは、駄目だから」

「言われなくてもそうするわよ。余計な心配はいらないわ」

「……信じてるから」

 優しすぎるシイは、非情な決断が出来ないだろう。トウジも同様に、いざという時にレイを見捨てられない可能性がある。そしてカヲルは行動が読めない。

 だがアスカは違う。甘さと優しさの区別が出来ている彼女なら、どんな手段をとっても自分を止めてくれるだろう。

 レイからの強い信頼を感じたアスカは、無言で頷いた。最悪の場合、例えシイ達に嫌われる事になろうとも、必ず友人の願いを叶えると。

 

 碇家の夜は、静かに更けていく。

 

 




これまで沈黙を守っていた、レイがメインのパートです。

自分がリリスだと自覚した上で、それでも前を向いたレイ。
そんな彼女を救おうと動くのは、今まで絆を育んできた面々。
このまま解決出来れば理想ですが……さて。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(6)》

~リリスとの対面~

 

 翌日、シイ達が学校に登校している時間に、カヲルはゼーゲン本部にやってきた。ポケットに手を入れたまま悠然と歩く彼は、ターミナルドグマへと繋がるゲートの前で立ち止まる。

「やあ、待たせてしまったかな?」

「……問題無い」

「なら案内して貰おうか。リリスの元へ」

 意味深な笑みを浮かべるカヲルに頷くと、ゲンドウはIDカードを通してゲートを開ける。再び本部の機密区画へと降りていく二人。だがその目的地は先日よりも更に地下、本部の最深部だった。

 あらゆる者の立ち入りを拒むかのような重厚な黒いゲートは、ヘブンズドアとも呼ばれる人類最後の砦であり、その奥にあるモノの重要さを無言で物語っている。

 再度取り出されたゲンドウのIDによって、ヘブンズドアはゆっくりと開いていく。そしてカヲルは、赤い十字架に張り付けにされた、白い巨人と対面する。

 

 赤い十字架に両手を杭で、胸をロンギヌスの槍で貫かれた巨人は、七つの目が描かれた仮面を被り、二人の来訪者を無言で迎え入れる。

 カヲルは身体をふわりと浮かせると、LCLの湖の上を渡って巨人に近づく。そして赤い瞳で注意深く巨人を見つめ続け……やがて何かに納得したように小さく頷いた。

「成る程、確かにこれはリリスだね。ただ不思議な事に、何故かアダムの気配も感じる」

「その槍は南極でアダムを刺したもの。アダムの遺伝情報を残している筈だ」

「ならばリリスは融合……いや、受胎しているのか……」

 ゲンドウの隣へと戻ってきたカヲルは、ロンギヌスの槍を鋭く睨み付けた。かつて南極でアダムを死に追いやった槍。だが同時に、自らを生み出す切っ掛けとなった槍でもある。

 カヲルにとってはまさに因縁の槍と言えた。

「それで、どうだ?」

「リリスは活動を停止していないよ。魂を抜かれた始祖が相手だと、精々肉体の再生を止める位にしか、槍は働いていないみたいだね」

「……そうか」

 淡々と告げるカヲルに、ゲンドウは少しだけ落胆した様子で答えた。

 

 彼がここにカヲルを連れてきたのは、リリスの状態を正確に把握する為だった。レイを除いてもっともリリスに近い存在である彼なら、何かが分かるかもしれないと。

 そしてカヲルにとってもそれは好都合だった。彼はここに封印されている始祖が、アダムであると思い込んでいたが、実際にはリリスであるとゲンドウは言う。魂を宿す自分が勘違いする筈が無いと、自分の目で確かめる機会を得たのだが……結果は変わらなかった。

 

「まさかリリスにアダムの子を受胎させるとはね……」

「老人達は贖罪と新生を求めていた。エヴァにより原罪を贖罪した後、次こそは神に祝福された子として、正しき生命体として誕生する為、必要だったのだろう」

「……僕には理解出来ないよ」

 シイ達と共に過ごしたカヲルは、誕生日と言う祝福の日を経験した。そんな幸せを捨ててまで、神の祝福に拘っていたゼーレの思考は、彼にとって理解しがたいものがあった。

「それにしても、見事なまでにピースが揃ってるね。ラストピースはリリスの魂。それが嵌まってしまえば、自動的にサードインパクトは起こってしまう」

「最悪の場合、レイがリリスと融合するよりも先に、槍を引き抜くべきだな」

「それは本当に最後の手段だね。肉体が解放されれば、それだけ魂を強く引き寄せてしまう。だからくれぐれも、タイミングを見誤らないで欲しい」

「……そうだな」

 アダムもリリスも、魂と肉体が揃った完全な状態で発見されたが、反ATフィールドを展開する事は無かった。ロンギヌスの槍を排除してしまえば、リスクは大幅に下げられるだろう。

 

「ふふ、そろそろお暇しようか。何時までもここに居ると、リリスに妙な気を起こしてしまいそうだ」

「……ああ」

 軽口を叩くカヲルに頷くと、ゲンドウはこの場から立ち去る。カヲルもそれに続くが、入り口で一度だけリリスに振り返った。

「さよなら、リリス。もう二度と会わない事を祈っているよ」

 愁いに満ちた表情で別れを告げるカヲルに、やはりリリスは無言だった。

 

 

~アダムとカヲル~

 

 ターミナルドグマからジオフロントへと向かう道中で、カヲルはゲンドウに問いかける。

「……そう言えば、レイの事は聞いたかい?」

「ああ」

「流石に僕も迂闊すぎたよ。もう少し周囲を警戒すべきだった」

「私の失態だ。あの様な態度を取って、レイが不審に思わない筈が無いのだから」

「否定はしないけど、結果としてはやりやすくなったかな」

 カヲルの言葉の意図を察し、ゲンドウは渋い表情で頷く。監視対象者であるレイが協力する以上、リリスの魂の覚醒は把握しやすくなったのだから。

「それに伴うリスクもある。レイが自覚した今、覚醒までの猶予は少ないだろう」

「だろうね。あの三女神と言えども、魂の研究には時間が掛かるだろうし」

「無理は承知だ。全力で足掻いた結果ならば、どんな結末をも受け入れられるだろう」

「……そうだと良いけどね」

 カヲルは薄々だが察していた。恐らくレイの覚醒は止められないだろう。そして、ゲンドウ達の行動は全て、シイ達の心の傷を和らげる為なのでは無いかと。

 

「あ、そうそう。もう一つ聞きたい事があったんだ」

「何だ」

「アダムは今もここに居るのかな?」

 予期せぬカヲルの問いかけに、ゲンドウは思わず足を止める。そしてゆっくり振り返ると、サングラス越しに鋭い視線を向けた。

「……何故そう思う?」

「昨日、アダムとリリスの禁じられた融合によって、サードインパクトを起こすつもりだったと言ったからね。僕がここに居る以上、それにはアダムの肉体が必要だからさ」

 身体と魂が分離している始祖同士の融合は、カヲルがリリスの肉体と、もしくはレイがアダムの肉体との二通りしか考えられない。

「道理だな。確かに私はアダムの肉体の一部を所持している」

「やはり、南極でバラバラになったアダムを、回収していたんだね?」

「ああ。回収したアダムの欠片は、既に胎児の状態まで復元されている。ただし特殊ベークライトで固めている為、それ以上復元する事は無く、使徒もお前も欺くことが出来たがな」

 予想通りだと頷くカヲルを見て、ゲンドウはある疑問をぶつける事にした。

「……お前は今も、アダムへの回帰を望むのか?」

「望まないと言えば嘘になるね。ただ今の僕には彼女がくれた力が、選択肢を選ぶと言う自由がある。渚カヲルとしてリリンを見ていたい。それが僕の望みだよ」

 ポケットから手を出し、真っ直ぐにゲンドウを見つめてカヲルは本心を語った。

 

「お前は回帰騒動を抑えられるのか?」

「ええ。ただ残念だけど、レイとは事情が違うから参考にはならないと思うよ」

「……アダムが完全では無いからか」

「それもあるけど、僕がタブリスとしての役割を負っているのが一番の違いかな」

 訝しむゲンドウに、カヲルは更に言葉を続ける。

「死海文書に記された使徒の名は、単に個体を識別するだけじゃ無い。それぞれが名前の元となった天使に由来した特性を持ち合わせているんだ」

「タブリス……自由意志の天使」

「そう。だから僕には選択肢を与えられ、自らの意思で未来を選ぶ事を許された。もし僕がタブリス以外の名を与えられたり、レイと同じ様にアダムの器としてだけ存在していたら、今ここには居ないだろうね」

 渚カヲルと言う存在が人との共存を選べたのは、幾つもの要因が重なり合った結果起きた、一つの奇跡なのかも知れない。

「そうそう。アダムの肉体は早めに処分してくれると助かるよ」

「……良いのか?」

「未来は誰にも予測出来ない。そして心は移ろいゆくものだからね」

「分かった。責任を持って行おう」

 カヲルが本心から、人と生きる決意を持っている事を理解したゲンドウは、力強く頷くのだった。

 

 

 

~崩壊への序曲~

 

 昼休み、シイ達は揃って屋上で昼ご飯を食べながら、穏やかな時を過ごしていた。

「碇が手を切るなんて、珍しい事もあるもんだね」

「あはは……ちょっとよそ見をしちゃって」

 ケンスケの突っ込みに、シイは左手に巻かれた包帯をさすりながら苦笑する。料理を習っていた時は指を切ることもあったが、ここまで大きな怪我は初めてだった。

「大丈夫なの、シイちゃん?」

「うん。アスカとレイさんのお陰で、もう血は止まってるから」

「……私は何もしてないわ」

「本気でその通りよ。あんたら二人とも、動揺しすぎだって~の」

 結局止血から後始末まで、ほとんど全てをこなしたアスカは、呆れ顔でウインナーを口に放り込む。口では文句を言いながらも、シイお手製のお弁当には満足しているらしい。

「惣流は怪我とか慣れとんのか?」

「ま~ね。応急処置くらい出来て当然よ」

「うぅぅ、私も勉強しようかな」

「あんたの場合、まず血を見ても気絶しない事からね」

 シイも血が苦手というわけでは無いのだが、それでも昨日のあれはショッキング過ぎた。それを理解しているのか、アスカの口調も何処か柔らかい。

「ま、大事なくて何よりや。シイの弁当が食えへんかったら、この二人が不機嫌になるやろし」

「……否定はしないわ」

「しなさいよ!」

 いつも通りのやり取りに、シイはほっと胸をなで下ろす。昨日の出来事がまるで夢のように、こうして今までと同じ日常を過ごせている。それは何よりも大切な事に思えたからだ。

 

「そう言えばさ、渚はどうしたんだ?」

「午後から来るって言ってたよ。何か本部に用事があるんだって」

「ど~せろくでもない事よ」

「ふふ、否定はしないよ」

 突如聞こえた少年の声に、一同は驚きながら視線を向ける。するとそこには、手にコンビニの袋を持ったカヲルが、微笑みを浮かべて立っていた。

「か、カヲル君!?」

「やあシイさん。今日も元気な君と会えて嬉しいよ」

「あんた、何でここに居るのよ」

「ご挨拶だね。本部での用事が早く終わったから、一緒にご飯を食べようと急いで来たのさ」

 カヲルはそう言うとシイの隣に座り、途中で買ったであろうパンと牛乳を取り出す。

「渚君も相変わらずね」

「まあ、それがこいつのええとこや」

「なあなあ渚。本部に用事ってさ、やっぱりエヴァの破棄についてなのか?」

 興味津々と言った様子で身を乗り出すケンスケに、カヲルは少し驚いた表情を浮かべる。自分達も昨日知ったばかりの情報を、どうしてこの少年は把握しているのかと。

「えっとね、相田君のお父さんはゼーゲンの職員さんなの」

「ああ、それでか。……残念だけど、僕の用事は別件だよ」

 シイの説明に納得したと頷いたカヲルは、そっと首を横に振ると、自分がメディカルチェックのために本部へ行っていたと嘘の説明をする。

 無関係な二人と、レイへの配慮があったのだろう。

「そっか。じゃあもしエヴァの破棄について何か分かったら、教えてくれないか?」

「そんなに興味があるのかい?」

「当たり前だろ。僕達を守ってくれたエヴァが、役目を終えて眠るんだ。出来る事なら、僕も見届けたいなって思うよ。……ありがとうってさ」

「……約束するよ」

 ケンスケの純粋な思いは、カヲルだけでなくシイ達をも暖かな気持ちにさせた。

 

 

「これから先、もうエヴァが無いって思うと、ちょっと寂しいな」

「エヴァは役目を終え眠りにつき、リリンの未来はリリンが紡いでいく。愛という絆でね」

「だ、そうよ。ヒカリも頑張ってね」

「わわ、私は別に……その……うん」

 アスカにウインクを向けられたヒカリは、顔を真っ赤にしつつも頷いた。トウジとの恋人関係は高校生になっても良好で、このメンバーの中では唯一のカップルだけに、こうしてからかわれる事が度々あった。

「あ~あ。どっかにあたしに相応しい男は居ないのかしら」

「……アスカに相応しい人は、そうそう居ないと思うわ」

「へぇ~。あんたもようやくあたしの魅力を理解したって訳?」

「……じゃじゃ馬を乗りこなすのは難しいもの」

 レイの発言がゴングとなり、二人は何時もの取っ組み合いへと移行する。もう日常風景となったそれを見守りながら、シイは不思議そうに呟く。

「アスカもレイさんも美人さんだから、素敵な相手が見つかると思うけど……」

「ふふ、どうだろうね。どちらも扱いが難しいし、特にレイは男性に興味が無いんじゃ無いかな」

「そうなの?」

「彼女は恐らくリリンに対して、恋愛感情を抱きにくいと思うよ」

 人類の母であるリリスの魂を宿したレイ。人として育んできた心はあるが、根本的な部分で人を恋愛対象として見られないだろうと、カヲルは予想していた。

「ならカヲル君は? レイさんとカヲル君ならピッタリじゃないかな?」

「それは勘弁して欲しいな。ある意味で一番相性が悪いからね」

 異なる始祖同士。聖書でもアダムの元から去ったリリス。カヲルとレイの相性は、この地球上で最も悪いと言えるかも知れない。

 そんな二人が一緒に居られるのは、碇シイと言う存在が間を取り持っているからだろう。

「むぅ~。カヲル君がレイさんと結婚すれば、家族になれると思ったのに」

「ふふ、ならシイさんと僕が結婚しても家族になれるよ?」

「それは無理だよ。だってカヲル君は私のお兄ちゃんでしょ?」

 ならシイの妹であるレイとも結婚できないだろうと、そんな事を言う余裕はカヲルに残っていなかった。シイの口から不意打ちで発せられた『お兄ちゃん』を無防備で受けてしまったのだから。

「な、渚!?」

「……ふ、ふふ、これは……効いた、よ」

 未だ戦闘を続けるアスカとレイ。ばったりと倒れたカヲル。今日もシイ達はいつも通りの日常を送っていた。明日もまた、同じ様な日常が訪れると信じて。

 

 

 

~呼び声~

 

「……ここは何処?」

 教室で午後の授業を受けていた筈のレイは、気がつくと何故か電車に乗っていた。夕日が差し込む車内には他の客はおらず、一人シートに腰を下ろしている。

「……これは夢?」

『ここは貴方の意識の中。貴方の心の中』

 答える者の無いはずの呟きに、しかし返答があった。レイが驚き視線を向けると、さっきまで誰も居なかった向かいの席に、自分と同じ様に座る少女の姿が現れる。

「……貴方誰?」

『私は貴方』

「……いいえ、私はここに居るわ。貴方誰?」

『私は貴方』

 繰り返される同じ答え。逆行で影になっている少女をよく見ようと、レイは目をこらす。青いショートヘア、赤い瞳、白い肌……そこに居たのは鏡で見た自分の姿だった。

「……貴方は誰?」

『私は貴方』

 警戒心を露わにしての問いかけだったが、少女はやはり同じ答えを返す。自分と同じ姿、同じ声を持つ少女に、レイは困惑を隠しきれない。

『……貴方は私では無いわ。碇レイは私だけだもの」

『私は貴方。私は私。貴方は私』

「……違うわ」

『私は碇レイ。私は綾波レイ。私は……』

 最後の言葉は聞き取れなかった。だが少女はそれを口にした瞬間、身の毛がよだつ様な恐怖がレイを襲う。身体の震えが止まらず、顔からは血の気が引いていた。

『一つになりましょう。心も体も一つに、あるべき姿へ』

「……私は……」

『それはとても気持ちが良いこと。とても幸せなこと』

 立ち上がった少女が、ゆっくりと近づいてくる。だがレイは金縛りにあったかのように、抗うことも逃れることも出来ない。

 そっと少女の手が伸ばされ、レイの肩を掴もうとした瞬間、

「レイさん!!」

 自分の名を呼ぶ声が遠くから聞こえた。

 それで金縛りが解けたレイは、少女の腕をとると思い切り肘関節を極める。だが少女は痛がる素振りすら見せず、まるで幻であったかのように姿を消した。

 

 

「レイさんってば!!」

「……シイさん?」

 気づけばレイは電車の中では無く、一年A組の教室に居た。泣いているシイの顔と天井が見え、自分が仰向けに寝ていると理解する。

「……私、寝ていたの?」

「うぅぅ……違うよ。レイさん急に倒れちゃうし、呼んでも返事してくれないし……」

 ポタポタと暖かい液体が、レイの顔にこぼれ落ちる。全く憶えていないが、どうやら自分は意識を失い、シイに心配させてしまった様だ。

「……ごめんなさい」

「ううん、レイさんが無事なら良いよ」

「シイ! 校門前まで救急車が来たから、レイを運ぶわ……って、起きたの!?」

 凄まじい勢いで教室に駆け込んできたアスカは、目を覚ましたレイを見て安堵の表情を浮かべる。見ればヒカリやケンスケ、トウジに他のクラスメイト達も心配そうに自分を見つめていた。

「レイちゃん、授業が終わってからも全然動かなかったの」

「で、碇が軽く肩を叩いて声をかけたら、そのまま床にバタンさ」

「ホンマに焦ったで」

 ゆっくりと身体を起こすレイに、ヒカリ達が事情を説明する。突然倒れたレイに動揺しきりのシイに変わって、アスカが手早く状況の確認と病院への通報を行ったのだと。

「……ごめんなさい。それと、ありがとう」

「べ、別にあんたの為じゃ無いわよ。ただシイが何時までも泣き止まないからで……」

「惣流が一番焦ってたけどな」

「うっさいわね! で、どうすんの? 一応病院で検査した方が良いんじゃない?」

 今は意識がハッキリしている様だが、頭の中に関しては用心するに越したことは無い。そしてヒカリ達の手前ハッキリとは言わなかったが、もしリリスの覚醒と関係があるのなら、万が一に備えて本部へ向かうべきだとも、言外に伝える。

「ちゃんと検査して貰おう。私はもう……レイさんが倒れるのなんて嫌だよ」

「……分かったわ」

 シイに真っ赤な目で訴えられ、レイは病院に向かうことを了承した。

 

 

~覚悟~

 

 第一高校から出発する一台の救急車を、カヲルは屋上から見送っていた。

「魂からの接触……自覚した事で心の扉が開かれてしまったか」

 小さな呟きには何処か諦めに近い、悲しい響きが込められている。

「目覚めの時まで、それ程時間は掛からないだろう。今なら確実に止められるけど、彼女はそれを望まない。さて、どうしたものか……」

 今回の一件で、カヲルは日常の終わりが間近に迫っていると確信した。結末がどうであれ、自分達の関係は今までとは変わってしまうのだから。

(傍観者で終わるのはごめんだね。……僕も覚悟を決めるとしよう)

 沈みかけの夕日を見つめながら、カヲルは拳を強く握りしめるのだった。

 

 

 




穏やかな日々よさようなら。殺伐とした世界よこんにちは。
そんな感じになってきましたね。
物語もようやく起承転結の転に差し掛かり、ここから一気に加速していきます。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(7)》

 

~夢の終わり~

 

 ゼーゲン本部の司令室では、ゲンドウ達が真剣な表情で言葉を交わし合う。議題となっているのは、一週間前に病院に運び込まれてから入院を続けている、レイの事だった。

「……もはや猶予は無い、か」

 冬月はユイから提出された報告書を見て、辛そうに口を開く。自覚してしまった事が切っ掛けとなったのか、この一週間でリリスの魂は急速に目覚めつつあった。

 不測の事態に備えて、検査入院の名目で身柄をゼーゲンの監視下においていたが、遂にリリス覚醒阻止の限界点を迎えてしまった。そしてそれは彼らにある選択を迫る。

「君の方は?」

「申し訳ありません」

「……そうか」

 始めから困難な研究だと分かっていたのだ。リリスの魂を眠らせる術を見つけられなかったユイ達を、ゲンドウは決して責める事は無い。

 だが、これでゲンドウが選べる選択肢は一つだけとなった。

「……冬月。赤木君に魂抽出の準備をさせろ」

「良いんだな?」

「私は責任を果たさなければならない。全ての憎しみは私が引き受けよう」

「……分かった」

 諦めたように頷くと、冬月は司令室から出て行く。それを見送ったゲンドウは、サングラスを外すと両手で顔を覆い天を仰いだ。

「私は……何もしてやれなかった」

「出来る限りの努力をしましたわ」

「あの子達に必要なのは結果だ。私は娘を二人とも傷つける、駄目な父親だ」

「……何時かは分かってくれる時が来ます。あなたの重荷と判断を」

 娘を守りたいと思う父親の気持ちはある。だがゲンドウにはゼーゲン本部司令として、人類の未来を守る責任もある。辛い選択を強いられたゲンドウを、ユイはそっと抱きしめた。

「一緒に背負いますわ。それが私達の……神に手を出した人の罪なのですから」

「そうだな、ユイ」

 こんな状況であっても、自分を支えてくれるユイに感謝しながら、ゲンドウは己の責任を果たすために動き出すのだった。

 

 

 ゼーゲン本部中央病院の病室で、一人窓から外を眺めていたレイの元に、ノックの音が聞こえてきた。

「……はい」

「私だ。入るぞ」

 病室に現れたゲンドウは、何か覚悟を決めた表情をしていた。それを見た瞬間、レイは彼がこれから伝えようとしている事を察する。

「……時間切れ、ですか」

「ああ。リリスの魂は、何時目覚めてもおかしく無い段階に来ている。もはや躊躇う事は許されない」

「……はい。私もお願いしようと思ってました」

 器であるレイが、誰よりもリリス覚醒の予兆を感じていたのだろう。自らの終わりを宣告されても、彼女は動揺を見せなかった。

「今、赤木君が準備を進めている。それが終わり次第、お前の魂を抽出する」

「……はい」

 それっきり会話が途切れ、蝉の声だけが病室に響く。その沈黙を破ったのはレイだった。

 

「司令。ありがとうございました」

「私は何も出来なかった」

「いえ、私を産みだしてくれて、ありがとうございました」

 ベッドから立ち上がり、ゲンドウと真っ直ぐ向かい合ったレイは、深く頭を下げる。

「……私は満足しています。学校で勉強出来ました。友達が出来ました。一緒に食事しました。一緒に遊びました。誕生日を祝って貰いました。娘と認めて貰えました。……シイさんと出会えました」

「…………」

「司令が私を産みだしてくれたから……私はレイとして生きる事が出来ました。もう私は人形ではありません。お……お父さんの娘として、精一杯生きました。だから、ありがとうございます」

「レイ!」

 感極まったゲンドウは、思い切りレイの身体を抱きしめる。恐らく今のは別れの言葉なのだろう。しかしゲンドウには、それに答える言葉を持たない。

 ただ自分の愛情を伝える為に、小さな身体を包むことしか出来なかった。

 

「……最後に、お願いがあります」

「ああ、聞こう」

「これをシイさんに渡して下さい。……私が居なくなった後に」

 レイはベッド脇の机においてあった封筒を、ゲンドウに手渡す。何かと聞くまでも無く、これがシイへの別れの手紙なのは分かる。ゲンドウには手にした封筒が、ずっしりと重く感じられた。

「……確かに受け取った」

「それと、赤木博士の準備が終わるまで、誰もここに入れないで下さい」

「良いのか? 準備は早くとも夜まで掛かる……シイ達と会う時間はあるが」

「……耐えられなくなってしまいますから」

 改めてゲンドウは己の迂闊さに気づく。自らの存在の消失を、レイは決して望んでは居ない。恐れない筈が無い。それでも気丈に振る舞っているのだ。他ならぬ自分達の気持ちを考えて。

「ああ、分かった。……では、準備が終わったらまた来る」

「……はい」

 自分の無力さに打ちのめされながらも、ゲンドウは必死に平静を装う。そしてレイに見送られながら、振り向くこと無く病室から外に出る。

(満足……な訳が無い。私は大馬鹿者だ……。すまない、レイ)

 唇を噛みしめながら、ゲンドウは病室に向かって深々と頭を下げた。

 

 ゲンドウが去った病室で、レイはベッドの上でシーツにくるまっていた。

(……これで良いの。これでみんな助かる。何も壊れない)

 自分が居なくなったら、シイ達は悲しむだろう。だが時間と共に、新しい自分がその悲しみを和らげてくれるに違いない。誰も傷つかず、何も壊れない結末。それが最善の選択の筈だ。

 だが……。

(……何故泣いているの?)

 赤い瞳から無意識に涙がこぼれ落ちる。何度拭おうとも、溢れる涙は止まらない。そしてレイは気づく。自分がまだ、生きていたいと願っているのだと。

 ミサトに言われたように、最後まで生きる事を諦めなかった。それでも状況は変わらず、もう自分が犠牲になる以外の選択肢は無い。それは分かっている筈だった……が。

「……ぅ……ぅぅ……」

 枕で声を押し殺しながら、レイは泣き続けた。

 

 

 

~覚醒の時~

 

 放課後、レイのお見舞いにやってきたシイとアスカは、病室のドアに張り出された面会謝絶の掛札を見て、同時に顔を引きつらせた。

「どど、どうしよう。まさかレイさん……」

「あんた馬鹿ぁ? 私達が動揺してどうすんのよ」

 口ではそう言いながらも、アスカは心の焦りを隠せない。レイは病気や怪我で入院している訳では無いので、面会謝絶は通常あり得ないのだから

「とにかく、その辺の看護師をとっ捕まえて、事情を聞くわよ」

「う、うん」

 二人は近くを歩いていた看護師に声をかけ、面会謝絶の件について尋ねる。

「ああ。碇さんは今夜大切な検査があるらしくてね。人と会わないようにしてるのよ」

「何よそれ」

「詳しい事は分からないわ。でも精神的な検査だからって。……もう良いかしら?」

「あ、はい。ありがとうございました」

 頭を下げてお礼を言うシイに手を振って、看護師は足早に去って行った。

 

「精神的な検査ね~。十中八九リリスの事だろうけど、何か気になるわね」

「うん。今までこんな事無かったのに」

 二人はじっと病室を見つめるが、流石に面会謝絶を無視する訳にもいかない。

「仕方ないわ。司令か誰かに詳しい話を聞きましょ」

「そうだね…………えっ!?」

 諦めて本部へ向かおうとしたその時、シイは驚いた様に足を止めて病室を振り返る。

「ん、何してんのよ」

「今……レイさんが呼んでた」

「はぁ? 空耳じゃ無いの?」

「ううん。聞こえたの。レイさんが……助けてって」

 シイの言葉を聞いたアスカは、途端に表情を険しくする。この一週間に何度も、レイが突然意識を失い、シイの呼びかけで目覚めると言う光景を見てきた。

 ならば今、病室の中で同じ事が起きていて、レイが助けを求めているのかも知れない。

「レイさん! 開けて! 私はここに居るよ!!」

「……黙りなさい。騒いだら邪魔されるわ」

 もしここに病院関係者が現れたら、シイの言う事など聞く耳持たずに、騒いだ自分達は追い出されてしまうだろう。アスカはシイの口を塞いで、病室のドアを睨み付ける。

「そこのカードリーダーでロックが掛かってるのね。何とかこれを解除しないと」

「もごもごもご」

「騒がないわね?」

 シイが頷いたのを確認すると、アスカは口から手を離す。何度も深呼吸をして酸素を取り込んだシイは、大急ぎで自分の鞄をさぐり始める。

「何してんのよ」

「あのね、このロックなら解除出来るかもしれない」

「はぁ? 何であんたが……」

 アスカから訝しげな視線を受けながらも、シイは鞄から電卓の様な機械と黒いカードを取り出すと、機械をカードリーダに触れさせ、数十桁にも及ぶ謎の数字を読み取った。

 そして機械にカードを挿入し、十秒ほどしてからそのカードを取り出してカードリーダーに通すと、認証を示す緑色のランプが灯り、ロックが外れる音が聞こえる。

「な、あ、あんた、何で……」

「前に加持さんから教えて貰ったの。出来るに越したことは無いって」

 ゼーゲンスタッフによる補習授業によって、シイは妙に専門的な知識と技術を習得していた。まさか実際に使われる事になるとは、加持も思ってはいなかっただろうが。

「加持さん……何教えてんのよ」

「レイさん!」

 呆れているアスカを余所に、シイは病室の中へと飛び込む。そこで彼女が見たのは、冷たい赤い瞳をシイ達に向け、病室に立ち尽くすレイの姿だった。

 

 

「……また貴方なの?」

『私は貴方。貴方は私。ずっと一緒に居る』

 夕日が差し込む電車の中で、レイはもう何度目になるか分からない少女との対面を果たしていた。少女の正体が、恐らく自分の中に宿っているリリスの魂だと察しているレイは、早くこの場から逃げようと試みる。

「……早く消えて」

『もう遅いわ。私と貴方は一つになるの』

「……いえ、もう遅いのは貴方の方。貴方はもう一度眠るの」

 うんざりする様なやり取りも、これで最後だと思えば耐えられる。再び元の世界へ戻れば、もう二度と少女に会うことも無いのだから。

『本当にそれで良いの?』

「……どう言う事?」

『シイ。碇シイ。貴方の大切な人。貴方に必要な人。貴方を構築している人』

「……何が言いたいの?」

『本当にお別れしても良いの?』

 ニヤリと笑みを浮かべながら、少女は揺さぶりをかける。どれだけ納得しようとしても、諦めきれない生への欲求。その本質を見抜かれたようで、レイは動揺を隠しきれない。

「……ええ。それがみんなの為だもの」

『ならどうして泣いていたの?』

「…………」

『碇シイが欲しい? 一つになりたい?』

 まるで悪魔のささやきのように、少女の言葉はレイの心へと入り込んでくる。願望と言うにはあまりに儚い思い、それを見抜かれた戸惑いがレイを焦らす。

『叶えてあげるわ。貴方の望みを。だから私と一つになりましょう』

「……違うわ。私はシイさんと共に生きていきたいだけ」

『本当に? 本当に? 本当に?』

「っ! 黙って」

 苛立ちをぶつけるように、レイは少女の腕を掴む。だが関節技に移行する前に、掴んでいた筈の手が少女の腕の中へと吸い込まれてしまった。

『一つになりましょう。あるべき姿に戻りましょう。貴方は私、私は貴方なのだから』

「……嫌。私は貴方じゃないもの」

『いいえ、貴方は私。だって……私達は……』

 少女とレイの身体が重なり合い、両者が一つに融合していく。これまではシイが自分を呼ぶ声が聞こえ、この空間から脱出できたが、今回はその声が聞こえてこない。

 当然だ。自分がそれを許さない状況をつくってしまったのだから。

(シイさん……助けて……)

『一つになりましょう。そして、私達の場所へ戻りましょう』

 救いを求める声は届くことは無く、レイの身体は少女の身体へと完全に飲み込まれてしまった。やがて目的地に着いたのか、電車はゆっくりと停車する。

『……戻りましょう。私達のあるべき場所へ』

 少女は瞳に冷たい光を宿しながら、静かに電車から降りていった。

 

 

 

~止められぬ歯車~

 

「勝手に入って来ちゃってごめんね。でもどうしても気になって……」

「ストップ」

 アスカは歩み寄ろうとしていたシイの肩を掴み、強引に自分の後ろに下がらせる。まるでレイからシイを守ろうとするかのように。

「ど、どうしたのアスカ」

「……あんた……まさか」

「…………」

 鋭い視線を向けるアスカに、しかしレイは全く反応を示さない。彼女の冷たい赤い瞳は、アスカの背後に立つシイにだけ注がれていた。

「最悪ね」

「え?」

「シイ。あんた今すぐここから離れて、司令達に連絡しなさい。……リリスが目覚めたって」

 強張った笑みを浮かべるアスカだが、その頬を伝う汗が彼女の緊張を物語る。

「な、何言ってるのアスカ? だってレイさんは……」

「それ、本気で言ってんなら怒るわよ。あんたもとっくに気づいてるんでしょ」

 アスカに言われるまでもなく、シイはレイを見た瞬間から理解していた。今自分達の前に立っているのは、レイであってレイで無いのだと。

「あたし達がやるべき事は、レイの信頼に応えて約束を果たすことよ」

「……でも、私は……」

「あたしはここで足止めをするわ。その間に状況の報告と応援の要請をしなさい。……もしあんたがレイの信頼を裏切ったら、絶対に許さないから」

「…………うん」

 シイは泣きそうな顔で頷くと、携帯電話を取りだして病室の外に出た。そんなシイを追いかけようと、歩き出したレイの前にアスカが立ちはだかる。

 

「こんな形は不本意だけど、ケリをつけましょ」

「……邪魔をしないで。貴方を傷つけたくは無い」

「へぇ~。随分とお優しい事ね」

「惣流・アスカ・ラングレー。セカンドチルドレン。クラスメイト。自信過剰。我が儘。自己中心的。赤い子。信頼できるリーダー。……大切な親友」

 まるで何かの資料を読んでいるかのように、レイは淡々とアスカを語る。それが自分に対してレイが抱いていた気持ちを、リリスが読み取ったのだと悟ったアスカは、ぎりっと歯を食いしばった。

「全く……褒めてんのか、貶してんのか」

「……逃げないの?」

「生憎と、約束しちゃってるのよ。あんたを止めるって」

「……無駄よ。あなたでは私を止められないもの」

「はっ、上等よ!」

 ぐっと身体を屈めたアスカは、渾身の力を込めて蹴りを放つ。だがそれはレイの身体に触れる事すら叶わず、光の壁に阻まれてしまった。

「え、ATフィールド!?」

「…………」

 レイは動揺したアスカの足首を掴むと、ATフィールドを圧縮して力任せに骨をへし折る。そこに華麗な関節技を操るレイの面影は欠片も見当たらなかった。

「っっっ~~~」

「……さよなら」

 床に崩れ落ちたアスカは、襲い来る激痛に声にならない悲鳴をあげた。そんな彼女を一瞥すると、レイは興味を失った様に視線を戻し、再び病室の外へと向かおうとする。

「……?」

「こ、この位で……勝ったつもり?」

 立ち去ろうとしたレイの足を掴み、アスカは脂汗が流れる顔で笑う。立ち上がる事すら叶わず、勝ち目の無い戦いであったが、それでもアスカは諦めない。

「負けられないのよ……あんたにはね」

「……そう」

「さあ、掛かってきなさい」

 這いつくばる姿勢ながらも、アスカは不適な笑みを浮かべてレイを挑発する。少しでも時間を稼ぐため、自らの命を賭けて足止めをしようと試みた。

 果たしてそれは成功する。ただ代償は大きなものとなったが。

 

 

 

「誰かに……誰かに……」

 病室から離れたシイは、震える手で携帯電話を操作していた。プライベートと兼用している為、彼女のアドレス帳はメモリ一杯の電話番号で満たされおり、ゲンドウ達の番号を探し当てるのに苦心していた。

 普段なら苦も無く出来る事が、焦りのあまり上手に出来ない。それが新たな苛立ちと焦りを産み、シイの思考と指先を鈍らせてしまうと言う、悪循環に陥っていた。

「助けて……誰か助けて…………っ!」

 そしてシイは気づいた。かつて自分のSOSを伝えた方法。ピンク色の携帯電話に搭載された、自らの危機を知らせる最終手段を。

 シイは震える指で、赤く塗られたボタンを長押しした。

 

 

「シイちゃんから緊急回線で通信が入りました!」

 青葉の叫び声に、ゼーゲン本部発令所が一斉に色めき立つ。

 かつて一度だけ用いられた時は、ミサトが産気づいたと言う、本来の用途とは異なる使用法だった。

 だがその時、本当に危険な状況になった時にだけ、この回線を使うようにゲンドウから釘を刺されている。だからこそ、今のシイがどれだけ危機的状況なのかが分かる。

「GPSの作動を確認。現在地を特定しました。……ぜ、ゼーゲン本部病院の特別病棟です!」

「何だと! まさか……直ちに保安諜報部を向かわせろ」

「了解!」

 最悪の事態が頭を過ぎった冬月は、即座に指示を下す。

「青葉! 早く回線を開け!」

「りょ、了解」

「シイ君! 冬月だ! 何があった!?」

 悪い予感が外れてくれる事を祈りつつ、冬月は大声で叫ぶ。だが返ってきたシイの言葉は、そんな甘い期待を裏切るものだった。

『冬月先生! レイさんが、レイさんが!』

「やはりか……」

『アスカと一緒にお見舞いに、でもアスカが今……』

「落ち着くんだ! 今そちらに応援部隊を派遣した。シイ君はそこから離れたまえ」

 シイの説明は要領を得ず、発令所のスタッフ達は首を傾げるしかない。だがただ一人だけ事態を把握している冬月は、シイの安全確保を最優先に考えた。

『でもアスカがレイさんと……私に連絡しろって……』

「その役割は十分果たした。だから君は早く――」

『……れ、レイさん……』

 呆然と呟くように発せられたシイの言葉が、冬月を絶望へと誘った。

 

 

「……れ、レイさん……」

「……何?」

 背後に気配を感じて振り返ったシイは、赤い瞳で真っ直ぐ自分を見つめるレイと向き合う。

「アスカは……?」

「……知らない」

「答えて。アスカは無事なの?」

「……動かなくなったから、置いてきたわ」

 レイが問いかけに答えてくれた喜びなど、一瞬も持たずに崩れ去る。彼女の口から告げられた事実は、シイの予想を遙かに超えていたからだ。

「嘘……だよね。だってレイさんがアスカを傷つけるなんて……」

「碇シイ。サードチルドレン。クラスメイト。初めての友人。気弱で泣き虫な少女。小さく幼い子。眩しい子。温もりをくれた子。家族。お姉さん。……大好きな人」

 質問に答えず、淡々と単語を羅列するレイに、シイは戸惑いを隠せない。

「何を……レイさんが何を言ってるのか分からないよ」

「…………」

 レイは何も答えず、シイに向かって一歩踏み出す。後ずさりするシイだが、背中に感じる壁の感触に、逃げ場が無いと悟る結果に終わった。

 手に持った携帯電話からは、冬月達が必死に逃げろと叫ぶ声が聞こえるが、もはやそれも叶わない。

(私が……私がレイさんを止めるしか無い……でもどうやって)

 アスカの様に戦闘訓練を受けていないシイが、素手でレイに勝てる可能性は零に近かった。必死に頭を回転させて打開策を考え、そして切り札の存在を思い出す。

(……ごめんね、レイさん)

 レイから見えない様に携帯を腰の後ろに隠し、そっとペン型のストラップを外す。それは日向と青葉からプレゼントされた、護身用のスタンガン。これならばレイを止められる筈だ。

 ぎゅっと右手で握りしめてロックを解除すると、荒い呼吸を繰り返しながらタイミングを計る。そしてレイが更に一歩シイに踏み出そうとした瞬間、意を決してレイに向かって突進した。

 

 だが、レイの前に展開されたATフィールドが、シイの抵抗を無力化する。

「ATフィールド……カヲル君と同じ……」

「……眠っていて」

 呆然と呟くシイの隙を逃さず、レイはシイの右手首を掴む。そしてそのまま力任せに、スタンガンをシイの身体に押しつけた。小さく身体を痙攣させ、シイは意識を失いその場に崩れ落ちる。

 暫し倒れているシイを見つめていたレイだが、そっとシイの身体を抱き上げると、冬月達の声が漏れ聞こえる携帯電話を思い切り踏みつぶし、静かにその場から去って行った。

 

 

 一連のやり取りを聞いていた発令所の面々は、顔面蒼白になって言葉を失う。

「ふ、副司令。一体何が……」

「……総員、第一種戦闘配置へ移行しろ。それと鈴原君と渚を直ちに本部へ招集するんだ」

「え?」

「本部警備隊は第七ゲートへ集結。レイを発見次第、全力を持って迎撃しろ」

 ショックから目覚めきれない職員に、冬月は冷静に指示を飛ばす。

「げ、迎撃ですか?」

「そうだ。レイは現時刻をもって目標と認識する。館内に警報を鳴らせ」

「し、しかし……」

「説明は後でする。今は一刻を争う事態だ。急げ!!」

「りょ、了解」

 珍しい冬月の怒鳴り声に、スタッフ達は金縛りが解けたように慌ただしく動き出す。本部中に警報が流れ、かつて使徒と戦っていた時と同様の、いや、それ以上の緊張感が発令所を包み込む。

「……それと、病院スタッフに連絡して、アスカ君の保護と治療を最優先で行わせろ」

「はい」

 一通り指示を出し終えた冬月は、心を落ち着かせるように大きく息を吐いた。副司令として平静を装ってはいるが、彼も内心は相当動揺していたのだ。

(始まってしまったか……。だが何故レイはシイ君を……)

 理解出来ぬレイの行動に頭を悩ませながらも、冬月はターミナルドグマで作業中のゲンドウ達へ連絡を入れるのだった。

 




レイリリスが目覚め、物語が大きく動き出しました。
正直止められる気がしません……どうしましょう。

状況が少し複雑になってますが、簡単に纏めるとこんな感じです。
レイがリリス&ロンギヌスの槍と融合=サードインパクト
レイがリリスと融合=リリス覚醒。レイの存在は消失。
レイとリリスの融合阻止=魂抽出により、今のレイの人格は消失。

果たして物語はどの結末へと辿り着くのか。
それとも新たな結末を生み出すのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(8)》

~リリスVSリリン~

 

『全職員に告げる。現在、碇レイが本部に向かって侵攻中だ。彼女はターミナルドグマのリリスに意識を奪われ、その封印を解こうと行動している』

 冬月のアナウンスが、本部全館へと響き渡る。突然の戦闘配置に動揺していた職員達は、事態を理解しようと放送に耳を傾けた。

『封印が解かれれば、サードインパクトが起きる可能性もある。よって、ゼーゲンは現時刻をもってレイを目標と識別し、全力をもって迎撃にあたる。最悪の場合……目標の生死は問わない』

「お、おい」

「生死不問って……レイは」

 冷酷な冬月の命令に、迎撃に備えていた警備隊は戸惑いを隠せない。直接関わった事はほとんど無いが、それでもチルドレンの少女達が人類を守り抜いた英雄だと、誰もが思っていたからだ。

『……なお、目標は碇シイを人質にしている。目標がシイ君を傷つけない保証は無い。彼女の身を守るためにも、諸君の奮闘に期待する』

「シイちゃんが!?」

「こりゃ、やるしかないぞ」

 病院から本部へと通じる第七ゲートに配備された警備隊は、覚悟を決めて装備の確認を行いながら、銃器から実弾を抜き、訓練用のゴム弾を装填する。

 生死問わずと指示されても、彼らにレイを殺すと言う発想は無い。数で圧倒し、無力化して抑え込めば良いと考えていた。シイが人質になっている事実も、彼らに殺傷兵器の使用を禁じさせた。

 

 そしてレイがゲート前に差し掛かったと通信が入る。緊急閉鎖されたゲートを突破するには、時間が掛かるだろうと言う予想は、いともあっさり裏切られた。

「「なっっ!」」

 分厚い金属のゲートが、紙くずのように吹き飛ばされた。衝撃的な光景に唖然とする警備隊は、腕にシイを抱いてゆっくりと向かってくるレイに目を奪われる。

「ほ、本当にレイだ……」

「隊長?」

「足を狙え。動きを封じるんだ!」

 迎え撃つ警備隊は、シイに当たらないように慎重に狙いを定め、レイの足を狙って銃を撃つ。だがそんな彼らの気遣いは、ATフィールドが全て無駄にする。

「あれって、使徒の!?」

「……さよなら」

 目視できるほど強力なATフィールドは、レイの呟きと同時に形を変えて警備隊へ襲いかかる。屈強な警備隊の面々も、ATフィールドの圧力に耐える事は叶わず、一撃で吹き飛ばされてしまった。

 あちこちから倒れた警備隊員の呻き声があがり、ゲート前は死屍累々の地獄と化す。もう抵抗する力は無いと判断したレイは、彼らを心配する素振りも見せずに、本部の中へと進んでいった。

 

 元々ネルフは使徒殲滅の専門組織であり、対人戦闘に関しては戦自や国連軍に比べて、遙かに劣る戦力しか保持させて貰えなかった。

 それは後継組織のゼーゲンも同様で、警備隊が本部を守っては居るのだが、実戦経験の少ない、あるいは全く無い者達が多数で、とても本格的な対人戦が出来るレベルでは無い。

 ましてや相手がリリスに覚醒したレイでは、後れを取るのも無理は無いだろう。

 

「目標は第七ゲートを突破後、B区画へ侵攻を開始」

「警備隊第六から第十一部隊は壊滅。生死不明」

 発令所に続々と入ってくる情報は、絶望的なものばかり。人類の力ではリリスを止める事は叶わず、いたずらに犠牲者を増やす結果に終わった。

「B区画及び居住区の隔壁を緊急閉鎖。時間を稼げ」

「了解」

「伊吹二尉。MAGIに目標の予想目的地点を出させろ」

「は、はい」

 絶望的な状況に加え、司令であるゲンドウも不在とあって、職員達はパニック寸前だった。それでもギリギリの所で指揮系統を保てたのは、冷静に指示を下し続ける冬月の存在があったからだ。

「目標は隔壁を突破。侵攻を続けています」

「ATフィールドか……やっかいだな」

「予想目的地点出ました! エヴァの格納庫へ向かっています」

「やはりか。だとすると……」

「……ああ。恐らくエヴァでリリスの元へ向かうつもりだろう」

 冬月の呟きに、発令所にやってきたゲンドウが答える。額に浮かぶ汗と乱れた呼吸が、彼がどれだけ大急ぎでここに来たのかを物語っていた。

「侵攻ルートはメインシャフトを選んだか」

「あそこには迎撃設備が無い。より確実なルートを選択したのだろう」

「ふむ。どうするね」

「先手を打つ。零号機を特殊ベークライトで拘束しろ。プラグも排出し、搭乗を許すな」

 威厳を持って告げられるゲンドウの指示は、スタッフ達に安心感を与える。状況が全く把握出来ない今、上官の命令が彼らにとって、唯一信じられる道標なのだから。

「はぁ、はぁ、歳はとりたくないわね」

「リツコさんは煙草の吸いすぎよ」

 遅れて発令所のオペレーターエリアに、リツコとユイ辿り着く。こっそりアウトドア派なユイとは違い、リツコはすっかりグロッキー状態だったが。

「間に合わなかったのね……日向二尉、目標をモニターに出せる?」

「はい。主モニターに回します」

 ユイの指示に日向は即座に対応する。端末を素早く操作し、本部内に設置されている監視カメラの映像を、発令所のメインモニターに映し出した。

 

 通路を塞ぐ強固な隔壁を、いとも容易く破壊して歩く少女。そしてその両腕に優しく抱かれ、ぐったりとした様子を見せるもう一人の少女の姿が映し出された瞬間、発令所は悲鳴ともつかない声に包まれた。

 モニターに映る少女達は見まごうはずも無く、碇レイと碇シイなのだから。

「……シイ」

「何でこんな事になってんだよ」

 青葉の悲痛な呟きが、発令所職員全員の思いだった。

「しかし、何故レイはシイ君を」

「……人質かもしれん」

「ATフィールドがある以上、シイ君を人質にする意味はあるのか?」

「リリスは既にレイを掌握している。我々に有効な術を知っていても不思議では無い」

 ゲンドウはモニターから目を離さずに、忌々しげに答えた。シイを人質に取ると言う行動が、ゼーゲンにとって非常に有効な手段だと認めていたからだ。

「成る程。渚か」

「ああ。リリスにとって、同種同等の力を持つ渚は天敵だろう。だから渚にとって大切な存在であるシイを使い、奴の行動を制限するつもりかもしれん」

「したたかだな。始祖にしては人間くさすぎる」

 皮肉な笑みを浮かべる冬月に、ゲンドウは答えなかった。

(だが、本当にそれだけなのか? もっと他の……何か重要な狙いがあるのか?)

 リリスの真意を掴めぬまま、ゲンドウは思考を巡らせ続けるのだった。

 

「鈴原君と渚はどうなっている?」

「現在本部に向かって移動中です。到着まで後五分」

「よし。参号機と四号機の起動準備を進めろ。両名が到着次第、直ちに発進だ」

「了解」

 零号機への搭乗を妨害してはいるが、イレギュラーは常に起こりうる。万が一エヴァに搭乗されてしまった場合に備え、冬月は最善手と思われる手を選ぶ。

 その間にも、レイは隔壁と警備隊を突破して格納庫へ侵攻を続けていた。ATフィールドによる圧倒的な攻撃力と防御力に、ゼーゲンは為す術が無い。

 そしてレイはエヴァの格納庫へと辿り着く。だがそこは零号機では無く、初号機のであったが。

 

 

 猛スピードで第三新東京市を走る黒塗りの車。その後部座席では、トウジとカヲルが本部への到着を今か今かと待ちわびていた。

「早よ、早よせな……」

「慌てるなとは言わないけど、少し落ち着こう。僕達はレイを止める最後の切り札なんだから」

 忙しなく身体を揺するトウジに、カヲルはいつも通りの様子で声を掛ける。発令所からの情報を聞いて、状況が最悪だと分かっているが、自分達が焦ったところで好転する訳では無いのだから。

「せやけど、惣流がやられてシイまで」

「……実は、ずっとそれが気になっているんだ」

「どう言う事や?」

「何でレイはシイさんを連れているのか。どうにも引っかかるんだ」

 報告によると、足止めしようとしたアスカを打ち倒したレイは、本部へ緊急事態を伝えようと、離れた場所に移動していたシイを、わざわざ気絶させてさらったらしい。

 無視すれば済むはずなのに、あえて時間をつかってまでシイを連れ去った理由は何か。カヲルはずっとそれが気になっていた。

「そらやっぱ……お前に対する牽制とちゃうか?」

「だとしたら、僕は相当見くびられてるね」

 トウジの言葉にカヲルは不適な笑みを浮かべる。

「シイさんを救い出してレイを止める。僕にそれが出来ないと思っているとはね」

「出来るんか?」

「多分ね。それにもし出来なくても、レイは必ず止めるよ。例えシイさんを傷つける事になってもね」

「マジ……なんやな」

 カヲルの顔を覗き見たトウジは、そこに一切迷いが無いと感じて思わず息をのむ。

「僕はシイさんの望みを叶えたいんだ。そして彼女が望んでいるのは、人類が自らの力で切り開く未来。僕が守るべきは彼女の命だけじゃない」

「……お前は凄いのう。わしにはそない覚悟が出来へん」

「トウジ君はそれで良いのさ。君は優しいからね。……こんな覚悟をするのは僕だけで十分だ」

 何処か寂しげにカヲルは呟いた。

 

「レイはエヴァでメインシャフトを降下して、そこから直接リリスに接触を図るつもりらしい。隔壁を閉鎖したとしても、エヴァなら強引に突破する事が出来るだろう」

「わしらはそれを追っかけるんやな」

「そう指示が出るだろうね。ただ僕達が揃って戦うには、メインシャフトは少し狭い。乱戦になってしまうのは避けたいから、レイの相手は僕に任せてくれないか?」

「言いたい事は分かるけど、そんならわしは高みの見物でもしてろっちゅうんか?」

「いや。トウジ君にはある事を頼みたいんだ」

 カヲルから告げられた役目に、トウジは複雑な表情を浮かべて考え込む。だがやがて自分を納得させたのか、覚悟を決めた表情で頷いて見せた。

 人類最後の切り札となる二人の少年を乗せた車は、ようやくゼーゲン本部へと到着した。

 

 

 

 レイはシイを胸に抱きながら、初号機の前で足を止める。ユイのサルベージが成功して以来、魂を失った初号機は一度も起動する事無く、ケージで眠りに就く時を待っていた。

 当然外部電源は供給されておらず、貯蔵されていた内部電源も既に無い。

「……行きましょう」

 だがレイがそっと呟いた瞬間、動くはずの無い初号機に再び力が宿る。そしてまるで主を迎え入れるかの様に、自動的にエントリープラグが排出され、レイの搭乗を促した。

 レイはふわりと身体を浮かせると、エントリープラグに乗り込む。インテリアに身体を預け、シイを膝の上にのせると、二人を乗せたプラグは初号機へと挿入され、起動シークエンスが開始された。

 本来であればMAGIのサポートを受けて行うが、アスカが海上で行ったように、エヴァには単独で起動できるシステムが搭載されている為、一切の問題無く準備が進んでいく。

 やがて起動が完了すると、初号機の両眼に鋭い光が宿る。そのまま拘束具を容易く引き千切ると、初号機は力任せに本部の壁を破壊し、メインシャフトへ向かうのだった。

 

 

 

~アダムとリリス~

 

「初号機はメインシャフト第四層を通過! 尚も降下中です!」

「隔壁はどうなってるの?」

「全て閉鎖されていますが、初号機によって破壊されてます」

 発令所のメインモニターには、隔壁を足で踏み破って下へ下へと進む初号機の姿が映し出される。停止信号を一切受け付けない初号機は、完全に制御不能状態であった。

「内部電源は?」

「残量ありません。初号機はS2機関で稼働していると思われます」

「まさか初号機を使うとは……迂闊だったな」

「……ああ」

 焦ったような冬月の呟きに、ゲンドウは両手を顔の前で組むいつものポーズで頷く。

 レイは初号機ともシンクロが可能である為、今回の展開は予想していなければならなかった。だがレイが零号機に搭乗していた事と、初号機は既に魂を失い起動できないと言う思い込みが、判断を誤らせてしまう。

 S2機関とリリスの魂を得た初号機。それは人類に福音では無く滅びを運ぶ、悪魔にも見えた。

 

「追撃はどうなっている?」

「参号機は起動準備中です。……四号機、シャフト入り口へ到達」

 マヤの報告と同時に、学生服姿のカヲルがメインモニターに映る。プラグスーツが無くても完璧なシンクロを行えるカヲルには、わざわざ着替える時間が惜しかった。

 そしてその時間分、彼の予定通りトウジよりも先行する事が出来た。

『こちら渚カヲル。これより初号機を追撃します』

「目標は第五層に到達した。何としてもリリスとの接触を阻止してくれ」

『ええ。ところでシイさんも初号機に搭乗していますよね?』

「……判断はお前に任せる。最善と思う行動を取れ」

『初めからそのつもりですよ』

 カヲルは小さく頷くと通信を切り、白銀のエヴァと共に巨大な縦穴に身を投じた。

 穴の空いた隔壁を飛行しながら通過していく四号機。対して初号機は飛行能力を持たず、隔壁を足場に一枚ずつ降下している為、両者が接触するのにそれ程時間は掛からなかった。

「初号機、第二コキュートスを通過」

「四号機。後20で初号機と接触します」

「……アダムとリリス。最後は始祖同士の決着となるか」

 少し悲しげに呟く冬月に、ゲンドウは無言のまま答えなかった。

 

 

 隔壁を踏みつける初号機の頭部を、上空から飛来した四号機は容赦なく蹴り飛ばす。尻餅をつきながらも鋭い眼光を向ける初号機に、カヲルは苦笑しながら通信を繋いだ。

 相手から拒否されてしまい、音声のみの通信だが、カヲルは気にせずに声を掛ける。

「随分とゆっくりだったね。僕を待っていてくれたのかな?」

「……渚カヲル。フォースチルドレン。使徒。アダムの器。変態。ナルシスト。理解出来ない存在。敵。嫌い。危険人物。……私と同じ。……邪魔をする敵」

 飛びかかってきた初号機と四号機が両手を掴み合い、隔壁の上で押し相撲の様な態勢でしのぎを削る。

「ふふ、随分と嫌われたものだね。仮にも兄妹だと言うのに」

「……知らない」

 初号機と四号機が展開するATフィールドに耐えきれず、足下の隔壁が押しつぶされる。それでも二機のエヴァは落下中も互いに一歩も引かずに押し相撲を続け、次の隔壁へと着地した。

「それとも、元夫婦の方が良いかい?」

「……冗談は嫌い」

「ふふ、残念だ。僕達はやはり相性が悪いみたいだ……ねっ!」

 カヲルは拮抗していた力をわざと緩め、初号機の態勢を崩す。そして前のめりになった所に、遠慮も容赦も無く前蹴りを初号機の腹へと蹴り込んだ。

「そこにシイさんが居るから、僕が攻撃を躊躇うと思っていたかい?」

「…………」

「生憎と覚悟は出来ている。まずは動きを止めさせて貰うよ」

 カヲルは四号機の右手にプログナイフを握ると、倒れた初号機へと襲いかかる。咄嗟にレイも初号機の肩からナイフを取り出し、二つのナイフが激しい火花を散らしながらぶつかり合う。

 激しいつばぜり合いは、少しずつ四号機が優位に立つ。

「早くシイさんを手放した方が良いよ。もう君の足かせにしかならないだろ?」

「……嫌」

「道連れにするつもりなら、遠慮はしない」

「……渡さない」

(ここまで強い執着を見せるとは……シイさんを求めるレイの想いが、リリスに影響しているのか? だとしたら……)

 心に疑念を抱きながらも、倒れた初号機を上から押し切ろうとしたカヲルだったが、隔壁がATフィールドで潰れてしまい体勢が乱れる。レイはその隙を逃さずに、前蹴りを四号機に叩き込んで距離を取った。

 

 

 態勢を立て直した初号機と四号機は、互いに手にしたナイフで激しく切り結ぶ。性能的には若干四号機が上だが、優勢に立てるほどの差は無い。

 そしてリリスのコピーである初号機と、アダムのコピーである四号機。レイとカヲルは互いの身体のコピーとシンクロしている為、どちらも搭乗者の意のままに機体を操る。

 隔壁を破壊しながら続く斬り合いは、両者一歩も譲らぬ互角の死闘となった。何度も互いの機体をナイフが斬り付けるが、動きを止めるには至らない。

(不味いね……そろそろ最下層に辿り着いてしまう……ん?)

 カヲルに僅かな焦りが浮かんだ時、不意に初号機の動きが鈍る。千載一遇のチャンスと、カヲルは初号機目掛けてナイフを振り下ろそうとして、

「レイさん! もう止めて!」

「っっ」

 突然聞こえてきたシイの叫び声に、思わず動きを止めてしまった。

 

「……離して」

「やだ! 絶対に離さない!」

「……大人しくして」

「駄目だよレイさん。このままじゃ、戻れなくなっちゃう」

 映像は無いが、聞こえてくるやり取りと物音から、カヲルは初号機のプラグで何が起きているのかを察する。意識を取り戻したシイが、必死にレイを止めようとしているのだと。

「シイさん、聞こえるかい?」

「カヲル君!? 私がレイさんを抑えてるから、今のうちに……」

「そうさせて貰うよ」

 非力なシイでは、レイを長く抑えこめないだろう。シイがくれたチャンスを無駄にしないと、カヲルはプログナイフで初号機の右腕を切り裂いて、まずは攻撃手段を奪う。

 そして行動力をも奪おうと今度は足を狙うが、突然動き出した初号機に前蹴りを受け、手からナイフをはじき飛ばされてしまった。

「くっ、シイさん!」

「……無駄よ。眠っているもの」

 呼びかけるカヲルに、しかしレイは冷たい口調で事実を告げる。

「レイ……シイさんを傷つけたのか」

「……眠っているだけ」

(気絶させただけ言う事か……。同じ様に邪魔をしたアスカはあれ程徹底的に打ちのめしたのに、シイさんにはそうしなかった。やはりレイの狙いは……)

 車中でアスカの容態を聞いていたカヲルは、レイの行動にある予測を立てていた。

 

 

「初号機、四号機、共に第十隔壁を突破!」

「参号機はリフトにて降下中。現在第六隔壁を通過」

「旗色が悪いな」

 苦戦を強いられているカヲルの様子に、冬月は険しい表情で呟く。苦戦と言っても互角以上に渡り合っているのだが、今回はそれでは不十分なのだ。

 レイがリリスに到達した時点で、全てが終わるのだから。

「……赤木君。ターミナルドグマのあれは使えるな?」

「ええ。こちらで遠隔操作出来ます」

 即答するリツコに頷くと、ゲンドウは司令席からすっと立ち上がる。

「現時刻をもって、第一種戦闘配置を解除する。全職員は直ちに本部から退避しろ」

「「!!??」」

 予想外の命令に職員達は一斉にゲンドウへ視線を向ける。だがゲンドウは威厳に満ちた様子を崩さず、今のが決して自棄になっての発言で無いと無言で伝えていた。

「し、司令。どうして」

「サードインパクトを防げぬと判断した時、ここを自爆させる。それに君達が付き合う必要は無い。自爆装置を起動させるのは、私一人で十分だ」

「しかし!」

「渚と鈴原君なら大丈夫だ。二機のエヴァがATフィールドを展開すれば、爆発にも耐えられる」

 食い下がる日向にゲンドウはサングラスを直しながら答える。事前にMAGIにシミュレートさせた結果、あの二人の命は守れると試算結果が出ていたからだ。

「諦めるつもりは無い。だが全員で危険な橋を渡る必要も無い」

「やむを得んな。青葉、全館に退避命令を出せ。今からならギリギリ間に合うだろう。それと第三新東京市全域に避難勧告も忘れるな。関係各省に非常事態宣言を通達。戦自と国連軍に避難を手伝わせろ」

「……了解」

 最悪の事態を想定して、大人達は動き出した。

 

 

 

 四号機が落下するナイフを掴むと同時に、初号機も自らの右腕を回収して即座に再生を行う。新たな隔壁に着地した二機のエヴァは、再び激しい斬り合いを演じる。

「レイ。君は全てを捨ててまで、リリスに戻るつもりなのか?」

「……ええ」

「ガッカリだよ。君は以前僕にこう言った。『貴方とは違う。自分は一人では無い』と」

 カヲルはリリスにでは無く、リリスに支配されているであろうレイへ語りかける。一枚、また一枚と潰れていく隔壁を通過しながらも、二人はナイフを振るう手を止めない。

「その言葉は僕にとって衝撃的な事だった。……僕と同じ存在である君がリリンとの共存を選び、それを成し遂げようとしていたのだから」

「…………」

「だからこそ僕も希望が持てた。リリンと共に生きられる、生きても良いと僕が思えたのは、シイさんの存在だけじゃない。君の言葉、行動、存在も僕を後押ししてくれたんだ」

 決して相性の良い相手ではない。シイと接近するのを邪魔する天敵でもある。だがレイが居たからこそ、カヲルは共存への一歩を踏み出す勇気を得たのだ。

 

「なのに君は何だい? リリスの意識に目覚めた位で、あっさりと全てを捨てようとしている。一人になろうとしている。それで良く共存なんて口に出来たね」

「……知らない」

「君は僕の、僕達の気持ちを裏切るつもりなのか」

「……貴方の気持ちなんて知らない」

 少しでもレイの意識を刺激できればと、カヲルはあえて挑発する様な語りを続ける。

「リリスに戻りたいと思うのは、君の魂に刻まれた本能だ。心の奥底から沸き上がる回帰衝動が、抗いがたい物だと言うのも理解出来る」

「…………」

「だけどね、君の帰る場所は本当にリリスなのかい?」

 二機のエヴァは、長いメインシャフトの終着点、ターミナルドグマへ到達しようとしていた。

 

 




レイリリス無双でした。漫画版のゲンドウを見る限り、恐らく戦自だろうが何だろうが、レイリリスを止めるのは無理でしょうね。
粒子すら遮断するATフィールド……チート過ぎです。

カヲルとレイの一騎打ち。決着は次回に持ち越しと言う事で。

結末が近づいて来ました。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(9)》

~それぞれの思惑~

 

「初号機、四号機、共に全隔壁を通過。最下層へ到達しました」

「通信はそれぞれのパイロットによって拒否されています」

「参号機、第十一隔壁を通過。最下層到達まで、後120」

 オペレーターから次々とあがる報告を、ゲンドウは両手を組んだ何時もの姿勢で聞いていた。

「……冬月。私は退避命令を出した筈だ」

「出したな」

「なら何故誰も退避しない」

「拒否されたからだろう」

 あっさりと冬月に答えられてしまい、ゲンドウは不機嫌そうに黙ってしまう。

 退避命令を出しても、発令所の職員は誰一人動こうとはしなかった。やむを得ずゲンドウは、リリスの魂を含めた真実を告げ、再度退避を促したのだが、結果は変わらなかった。

「非戦闘員と負傷者は強制的に避難させている。上の方も、今のところ大きな混乱も無く避難が進められている。お前の判断は無駄では無いよ」

「……ここに残る意味など無い筈だ。なのに何故」

「さあな。責任感か義務感か、はたまた意地か見栄か。人の心は分からんものだ」

「冬月。お前は何故残って居る?」

「私は王手を掛けられても、王将を取られるまで打ち続ける主義だからな」

 職員達が何を思いこの場に残ったのか。それは本人以外には決して理解出来ないだろう。だが全員が最後まで戦おうとしているのは事実だ。

「気持ちを切り替えろ。まだ自爆する必要も無い段階だ。これからが正念場だぞ」

「ああ、分かっている」

 最後まで司令としての責務を全うすべく、ゲンドウは普段通りにどっしりと司令席に構えた。

 

 

 ターミナルドグマの最下層。地底湖と呼ばれるLCLの湖に着水した二機のエヴァは、互いにナイフを構えた姿勢で牽制し合う。

 ここはリリスが眠る場所から、壁一枚隔てた空間。人類にとってまさに土俵際だった。

「君には多くの困難を乗り越えて勝ち得た、碇レイとしての居場所がある筈だ。家族、友人達、そして絆を育んだ人達に囲まれた場所がね」

「…………」

「でも、今まで君が築いてきたものを、大切に育んできた絆を、今自分自身で壊そうとしている。レイ、君は悔しいと思わないのか?」

「…………」

 挑発するように、奮い立たせる様に、カヲルはレイへと呼びかけを続ける。それに対し沈黙を続けるレイ。反応が無いのは、答えるつもりが無いのか、それとも葛藤しているからなのか。

「このまま全てを失うのか、守るのかを決めるのは君だ」

「……私は一つになりたいだけ」

 返答と同時に初号機がナイフで攻撃を仕掛ける。不意打ちを警戒していたカヲルはそれを捌きながら、再度レイに向けて問いかけた。

「それは君の本心では無いだろ?」

「……私は私。あるべき場所へと戻るのが、私の望み」

 激しくナイフで切り結びながらも、カヲルは揺るがぬレイへ諦めずに言葉を紡ぐ。

「違うね。君はみんなと生きたいと、シイさんと共に生きたいと望んでいた筈だ」

「……ええ」

「リリスとの融合を果たせば、その願いは永遠に叶わないよ。レイと言う存在は消え、君の大切な人達を失うかもしれない。でも融合さえしなければ、まだやり直せる」

 自分がレイに与える影響を考慮して、カヲルはレイのお見舞いに行かなかった。だがシイからレイの望みを、みんなと生きたいと言う願いを聞いていた。

 レイが望む未来は、リリスが望む融合を果たせば叶わない。カヲルはそれを指摘することで、レイとしての自我が強まることを期待した。

 だがレイは、今までと変わらぬ返答をするだけ。

「……私はあるべき場所へ戻るだけ」

「それはリリスとしての望みだ。レイ、君はどうなんだい?」

「……私は私。碇レイ。綾波レイ。貴方がリリスと呼ぶ存在。全て私」

(ここまでかな)

 対話は既に意味を成さなくなりつつあり、二機のエヴァの戦闘は終局へと向かっていった。

 

 

「渚……レイ……」

 地底湖の直上で待機しているトウジは、友人達の戦いを悲痛な表情で見つめていた。

(お前らの戦いっちゅうんは……こんなんや無いやろ)

 互いにナイフで命を狙い合う光景は、日常繰り広げられていたあのじゃれ合いとは、似ても似つかない。まるで昨日までの自分達が崩れていく、そんな感覚すら覚えていた。

 レイによってアスカがリタイア、シイも半誘拐状態になっている事も、それに拍車をかける。

(けど、レイにとってシイはやっぱ特別なんやな……まあ、そらそうか)

 チルドレンの中で、二人の関係を最初から見続けてきたトウジは、思わず苦笑を漏らす。あの人形の様な少女があそこまで変わったのは、間違い無くシイの存在があったからだろう。

 それは太陽の輝きを受けて光る月の様な関係に例えられる。だからレイはシイを求め、守り続けようとしていたのかも知れない。

(……ちょい待ちや。ならおかしいで)

 ずっとカヲルとレイの通信を受信オンリーで聞いていたトウジは、レイの行動に違和感を覚えた。

(リリスがシイを連れとんのは、レイの想いが影響しとる筈や。そんだけ執着しとるのに、人質になんかするやろか…………!?)

 思考の末にある答えに辿り着いたトウジは、カヲルへと通信を繋ぐ。

 

「渚!!」

『……どうしたんだい、トウジ君』

 初号機との激しい戦闘を続けながらも、カヲルはトウジの呼びかけに答える。集中力を乱しかねない行動だったが、トウジが無意味に通信を繋がないと理解しているのだろう。

「レイはシイと二人でリリスに融合するつもりとちゃうか?」

『ふふ、流石トウジ君。僕もその可能性を考えていたよ』

「ならお前のプランは……」

『変更無しで行くよ。もう僕はレイを仕留めることを躊躇わない』

 戦いの合間を縫って、カヲルはトウジの問いに返答する。

『それに、リリスとシイさんの融合に関しては、幾つか疑問点が残るんだ』

「何やそれは」

『シイさんがリリンだって事さ。覚醒したリリスは神と呼ばれる存在だ。もしリリスに取り込まれたとしても、己を保てずに消失してしまうだろう』

 使徒の場合は、単体生命であるが故に他者を必要とせず、強い心の壁で自己を絶対の存在と認識していたので、始祖と融合しても自我を保つ事が出来た。だが人の場合は違う。

 群体生命のリリンには他者の存在が必要な為、心の壁は自己と他者を区別する程度の強さしか無く、リリスと融合を果たしても自我を保てず、心はバラバラに溶けてしまうだろう。

 

『まあそれでも一つになる、と言えなくは無いけど、レイが望む形とは違う筈さ』

「難しい話やけど……妥協案ちゅう事かも知れんな。そない感情がリリスにあるかは分からんけど」

 肉体と融合したいリリス。シイと生きていたいレイ。二つの相反する望みの妥協案が、今の仮説だという可能性は十分にあった。

『そうだね。まあ僕達がやるべき事は何も変わらないよ』

「レイを…………」

 傷つける。あるいは……始末する。頭では理解していても、トウジにはどうしてもその単語を発する事が出来ずに、唇を強く噛みしめた。

『僕が終わらせるよ。リリスの暴走は、アダムである僕が責任を持って止める』

「お前は渚カヲルやろ……。レイの事はダチのわしらでケリをつける。一人で格好付けんな」

『ふふ、ありがとう』

「……邪魔してすまんかったな」

『いや、気にしなくて良いよ。ただそろそろトウジ君に動いて貰うよ』

「ああ……準備は出来とる」

 トウジはカヲルの言葉に力強く返答した。

 

 

 

~決断の時~

 

(さて……そろそろ決めなくてはね)

 トウジとの通信を終えたカヲルは、レイとの決着について思考を巡らせる。

 実の所、シイの存在さえ無視してしまえば、初号機もろともレイを殲滅する事は可能だった。だがそれは最後の手段。カヲルはギリギリまで二人とも救う手を模索していた。

 しかし状況はその段階を過ぎ、カヲルは決断を迫られる。

(レイの融合を阻止して、シイさんを救出する。……それしかない)

 カヲルは覚悟を決めて一度頷くと、初号機の振るうナイフを思い切り上に弾く。その隙を逃さずに密着する程、間合いを詰めと、四号機の両腕を初号機の脇の下に回して、胴体を思い切りホールドした。

 それはかつて日本の国技であった、相撲を思わせる体勢だった。

「……離れて」

「ふふ、残念だけどそれは出来ないね」

 機体を引き離そうとレイは初号機を操るが、がっちりとしがみついた四号機はびくともしない。それを確かめた上で、カヲルはトウジに通信を繋ぐ。

「トウジ君。今のうちに」

『おう、任せとき』

 カヲルの合図と同時に、トウジはリフトから飛び降りて地底湖へと着水する。そして組み合う二機を尻目に隔壁へと駆け寄ると、ナイフで切り込みを入れ始めた。

「……参号機?」

「僕にばかり集中しすぎていたね。今エヴァを動かせるのは、僕達だけじゃ無いんだよ」

「……鈴原トウジ。フォースチルドレン。クラスメイト。友達。煩い人。変なしゃべり方。ジャージ。短気。洞木さんの恋人。……リリンの希望の形」

 レイは反芻するようにトウジについて呟く。シイを介して友人となったトウジだったが、ヒカリと恋人関係になった事で、愛を紡ぎ歴史を作る人類の姿をレイに印象づけていた。

 

「トウジ君には、君の注意から外れて貰うために、ずっと我慢して貰っていたよ」

 始祖の魂に目覚めたレイは、使徒を遙かに凌駕する強さのATフィールドを操れる。もし存在に気づかれていたら、レイのATフィールド攻撃に対処できなかっただろう。

 カヲルがレイに語りかけていたのは、注意を自分に向ける為と言う意味合いもあった。

「……邪魔をするなら排除するだけ」

「そうさせない為に僕がいるのさ」

 身動きを封じられ、ATフィールドも中和された状態では、レイは参号機に対して何も出来ない。その間にもトウジは隔壁をナイフで切り続け、やがて小さな穴を開けた。

「おっしゃ、トンネル開通や」

「そのままリリスの胸に刺さっている、ロンギヌスの槍を抜くんだ」

「任せとき」

 トウジは隔壁に空いた穴をくぐり抜け、リリスとの対面を果たした。

 

 

「さ、参号機……リリスと接触しました!」

 青葉の報告に発令所がざわつく。レイよりも先にエヴァが接触出来た事に安堵しつつも、戦いが最終ステージに突入している事を察したからだ。

「まもなく終局か」

「ああ。参号機は恐らくロンギヌスの槍を回収するつもりだろう」

「サードインパクトは免れる、か」

 最悪の結末だけは避けられたと、冬月は小さく息を吐く。だが直ぐにその行動が意味する事を察し、何ともやり切れぬ表情を浮かべた。

「レイを保護するのは無理だと判断したんだな」

「……ああ」

 カヲルはゲンドウに、ロンギヌスの槍を引き抜くタイミングを誤るなと告げていた。その彼が槍を抜く決断をしたのだから、間違い無いだろう。

「シイ君はどうなるか……」

「……あいつの事は気にするな」

「碇?」

「シイの無事と人類全ての命。天秤に掛けるまでも無い。それはみんな分かっている筈だ」

「それでも割り切れぬのが人だと思うがね。……ところで碇」

「何だ?」

「血は拭いておけよ。机に垂れている分も含めてな」

 組んだ両手で隠されていたが、ゲンドウの唇からは真っ赤な血がこぼれ落ちていた。彼は司令としての責任を果たす為、唇を噛みしめて心を圧し殺していたのだろう。

「……冬月先生も」

「そうだな」

 ゲンドウの言葉に、腰の後ろに手を回した姿勢で冬月は頷く。見えない様に隠していたが、痛いほど手の平に食い込んだ爪が、床に赤い涙の跡を残していた。

 二人は最後まで司令と副司令として、相応しい態度であり続けるのだった。

 

 

「政府、及び関係各省、各国のゼーゲン支部から状況確認の問い合わせが来ています!」

「そうね……特別審議室に対応を一任して。あの人達の得意分野だもの」

「了解」

「第三新東京市における、民間人の避難完了」

「手伝ってくれた方々に感謝の言葉と、急ぎ離脱するように伝えて」

「了解」

 テキパキと対応指示を下すユイの元に、加持から通信が入った。

『どうも。随分とお忙しそうですね』

「貴方ほどでは無いわ。そちらはどうかしら?」

『職員の避難は順調です。惣流博士と赤木ナオコ博士も、どうにかお連れできましたよ』

 動ける保安諜報部と監査部の人間は、職員の避難を手伝っていた。加持がわざわざ連絡を入れたのは、ユイが気にしていた二人が無事避難した事を伝える為だろう。

「そう……何よりだわ」

『惣流博士はアスカが居るので説得は容易でしたが、赤木ナオコ博士は断固として拒否していましたので、眠らせて同行願いました』

「ごめんね、リョウちゃん。母さんが手間を掛けさせて」

『そう言って貰えると気が楽になるよ』

「……自爆の可能性は低くなったのだけど、そのまま避難を続けさせて」

『分かってます。ではまた何かあれば連絡を入れます』

 加持との通信が終わると、ユイは大きく息を吐く。彼女が人類の最高峰と思っている二人の天才を、ここから脱出させられた事に対する安堵が、思わず態度に表れてしまったのだ。

 

「MAGIも松代にバックアップを頼んでいます」

「これで心置きなく……見届けられるわね」

「出来ればユイさんにも、避難して欲しいのですけど」

「子供をおいて逃げられる母親は居ないわ。ナオコさんもそうだったでしょ?」

 ナオコが避難を拒否していたのも、リツコの存在があったからだろう。母親の行動を例に挙げられてしまい、リツコは反論の術を失った。

「ふぅ、こうなったら意地でも生き残るしかないわね」

「……ええ」

 吹っ切れたように呟くリツコに、ユイは小さく頷いた。

 

 

 

~誤算~

 

「こいつが……リリスなんか」

 初めてリリスと対面したトウジは、その異様な姿に思わず息を飲む。人型ではあるが下半身は無く、少なくともレイとは似ても似つかなかった。

「び、ビビってどないすんねん。やるしかないやろ」

 あえて大きな声で自らを鼓舞すると、トウジはリリスの胸に刺さっている槍に手を伸ばす。そして赤黒い槍を力任せに引き抜き始めた。

 エヴァよりも長い槍を、参号機は少しずつ後ろに下がりながら慎重に引き抜く。やがて二股の先端が完全にリリスの身体から解き放たれると、不意にリリスに変化が起きた。

「な、ななな、何やこれ!?」

『どうしたんだい?』

「こ、こいつの身体……足が生えよった」

『……槍の封印が解けただけさ。気にしなくて良いよ』

 実際にはアダムの血、つまり遺伝子を体内に取り込む事で、知恵の実と生命の実を持つ正しい子供を産める姿になったのだが、あえてカヲルは説明を省いた。

 予想の範囲内の出来事であり、今はそれを気にする状況では無いのだから。

「さよか。まあそれはともかく、槍は回収出来たで」

『ふふ、良くやってくれたね。次は僕が頑張る番だ』

 通信を終えると、トウジは槍を携えて戦場へと舞い戻った。

 

 

 トウジとの通信を終えたカヲルは、最後になるであろうレイとの会話を行う。

「レイ。僕はこれから四号機を自爆させるよ」

「……そう」

「シイさんと君に出会えて良かった……ありがとう。そしてさよならだ」

 カヲルはシンクロをカットすると、エントリープラグを排出して、自らの生身を晒す。そして無人のプラグを再挿入し、そっと目を閉じた。

 すると無人の筈の四号機の目に光が宿り、先程までと同じ様に初号機を拘束し続ける。

「この子は僕と同じ、アダムより生まれた存在。魂が無ければ同化できる」

 ふわりと身体を浮遊させると、カヲルは二機のエヴァから距離を取る。それは自爆に巻き込まれない為の行動に見えたが、カヲルの狙いは別にあった。

(これで自爆を信じてくれれば……)

 レイからエヴァと言う鎧をはぎ取れれば、カヲルにはシイを救う自信があった。レイはシイを守りながら行動しなくてはならず、そんな状態では勝負になる筈が無いのだから。

 そしてカヲルの狙い通り、自爆を恐れたからか、初号機も先程の四号機と同様の行動を取り、ハッチから生身のレイが姿を現した。

 何故かシイをプラグに残したままで、だが。

 

(……どう言う事だ? あれ程執着していたシイさんを、あっさり諦めるのか?)

 人質が居なくなった分好都合なのだが、カヲルは予期せぬレイの行動に戸惑いを隠せない。そんなカヲルを余所に、初号機のプラグは再び挿入され、レイは身体を浮遊させる。

「……自爆させれば?」

「ふふ、皮肉のつもりかい? 君がいない初号機を壊す必要は無いだろ」

「……そう」

 レイは静かに目を閉じると、初号機から距離を取った。

(何を考えているかは分からないけど……これで終わりだよ)

 自分とレイが本気でやり合えば、恐らく互角だとカヲルは見ていた。だがトウジが回収したロンギヌスの槍は、カヲルに絶対の勝利を約束する。

 これでチェックメイトだとカヲルが確信した瞬間、予想外の事が起こる。動くはずの無い初号機が、何故か再起動をしたのだ。

「なっ!?」

「……あの子は私と同じ。魂が無ければ同化できるもの」

 初号機は弐号機以降のエヴァと違い、リリスのコピーとして造られた。だからレイにもカヲルと同じ、魂の一部をコアに宿して操る事が可能だ。

 しかし両者には大きく異なる点が一つ。

「あり得ない。シイさんが居るのに……」

「…………」

 空っぽの人形だからこそ、魂を与えて自由に動かせる。しかし魂を与えた人形に意思があったとしたら、行動はその意思に委ねられるだろう。そして無人の四号機とは違い、初号機にはシイと言う意思が存在する。その為シイとシンクロしなければ、初号機は起動出来ない筈だった。

 シンクロには愛情や行為を司るA10神経を用いているので、宿る魂はパイロットとそうした関係で結ばれた存在が必要となる。母親の魂を宿していたのはその為だ。

 

「リリスの魂とシンクロ出来る筈が無い。どうして初号機が動くんだ……」

「渚!? 何ぼーっとしとんねん!!」

「っっ」

 自分の理解を超えた展開に、呆然と初号機を見つめていたカヲルは、トウジの叫び声に我を取り戻す。今一番気にするべき目標から目を逸らすと言う、カヲルにとって最大の失態であった。

 ほんの数秒。だがこの場において致命的とも言える隙を、レイが逃すはずも無く、彼女はATフィールドを利用して、トウジが開けた隔壁の穴へと勢い良く向かう。

「レイ! 止まるんや!」

「…………」

 身体を盾にして止めようとする参号機に、レイは圧縮したATフィールドを叩き付けて吹き飛ばす。カヲルが慌てて追撃をするが、非情にも間に合うことは無かった。

 

 

 

~リリス覚醒~

 

 レイは遂に、求めていたリリスの肉体へと辿り着いた。張り付けにされたリリスの胸に近づくと、安堵したように目を閉じてそっと呟く。

「……ただいま」

 魂の帰還に肉体が応えたのか、リリスの胸に人一人が入れる大きさの穴が空く。レイがその穴へと身を投じると、静かに胸の穴が閉じ、長らく離れていた魂と肉体は一つになった。

 

 リリスの肉体は両手に打ち込まれた杭から、すり抜けるように逃れた。拘束から解放されたリリスは、LCLの湖に着水すると、膝を折って四つん這いの姿勢になる。

 暫しの間動きを見せなかったリリスだが、やがてその肉体に変化が現れた。ぶよぶよとしていた全身はすらっと引き締まり、落ちた仮面の奥にはレイに酷似した顔が出現する。

 巨大なレイ。それが人類の母の新たな姿となった。

 

 




もはやこれまで。
次回は『甘き死よ、来たれ』をBGMにお読み頂ければと……。


……冗談です。
本編でもかなり出ていましたが、リリスの覚醒=人類終了では無いんですよね。
ある意味で、ここからが本番です。
次でひとまずの決着を迎えられればと思っています。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


※誤字、人名間違いを修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《アダムとリリス(10)》

 

~神に選ばれた子~

 

「ターミナルドグマに高エネルギー反応が出現!!」

「分析パターン……あ、青」

 発令所に響く青葉の絶叫と、マヤの呟き。それはこの場に居る全員に、事態の把握をさせた。つまりは、リリスの目覚めを阻止出来なかったのだと。

「人類の母が目覚めたか……」

「ああ」

「さて、どう動くと読む? 反ATフィールドの展開は無いと思うが」

「……シイとの融合を果たすつもりだろう」

 冬月の問いかけに、ゲンドウは思考の末に導き出した答えを告げた。

「成る程な。レイの事を考えれば、十分にあり得る事態か」

「だがその後は分からん。人類の未来は全て、リリスに委ねられた」

「神頼み、か。……初号機の反応は?」

 ゲンドウの言葉に頷くと、冬月はオペレーターに状況確認を求める。初号機がシイと謎のシンクロを始めた事は、発令所でも掴んでいた。

「シンクロ状態は維持。脳波からシイちゃんの意識は戻っていないと思われます」

「こちらからアプローチ出来るか?」

「いえ、全てエヴァ側からロックされています」

「精神汚染は?」

「今のところ兆候は見られません」

 マヤの報告を聞いた冬月は、チラリとユイに視線を向けてから首を傾げる。一体シイは誰の魂とシンクロしているのか。それは全員の疑問でもあった。

 

 

「大丈夫かい、トウジ君」

「お、おう。何とか動けるわ」

 地底湖に大の字で倒れていた参号機を立たせ、トウジはカヲルに頷いて見せる。全身に痛みが残っているが、動けない程のダメージでは無い。

「すまん、渚。わしがもうちょい時間を稼げとったら」

「責められるとしたら僕の方さ。……ただ反省は後にするとして」

 カヲルは視線を隔壁の向こうで四つん這いになっている、リリスへと移す。まだ動きを見せていないが、肉体と魂の融合が完全になれば、直ぐにでも行動を開始するだろう。

「もう僕達にリリスを止める事は出来ない。唯一、ロンギヌスの槍だけが始祖を滅ぼせるけど、それはサードインパクトを起こすと同義だからね」

「……リリスは、わしらを滅ぼすんか?」

「始祖はそれ程物騒では無いよ。ただ子供達を見守り、その願いを叶えるだけの存在だからね。変な言い方だけど、こちらが何かしなければ無害なんだ」

 トウジの直接的な言葉に、カヲルは苦笑しながら答えた。

「ちょっかい出した方が危ないっちゅう事かいな……」

「残念だけど、そう言う事だね」

 レイを止められなかった時点で、二人の戦いは終わっていたのだ。友人を止められなかったふがいなさに、トウジは思い切りレバーを叩いた。

 

「……そや。シイは、シイはどないなっとんのや!」

「まだ意識が戻っていないみたいだね」

「なら早うエヴァから出してやらな」

「神経接続中にプラグを抜くことは出来ないよ……」

 カヲルは残念そうに首を横に振る。プラグはエヴァの頚椎に挿入されているので、それを強引に引き抜いたときに、シイが受けるフィードバックダメージは計り知れない。

 今のシイには、誰も手を出す事が出来なかった。

「くそっ! 何でシイが初号機に乗れてるんや」

「僕にも分からない。リリスの魂とシイさんがシンクロ出来る筈が無いのに」

「リリスの魂はレイに影響受けとるんやろ。そんなら……」

「いや、逆だよ。シイさんがリリスの魂を受け入れたのが不思議なんだ」

 どれだけ愛情を注がれても、人は他人に対して壁を作ってしまう。それは兄妹であっても変わらない。唯一自らを生み出した母親だけが、愛情を無条件で受け入れられる存在なのだ。

「レイはユイさんの遺伝子持っとるし、それであかんか?」

「魂と肉体は別物だからね。魂の情報を引き継げば別だけど……」

 その時カヲルの脳裏に一週間前の会話が浮かんだ。

 

 屋上から教室へ向かう途中、カヲルはシイの左手に巻かれた包帯について尋ねた。 

「ところでシイさん。その手はどうしたんだい?」

「あはは……ちょっと包丁で切っちゃって」 

「それは大変だね……もし良ければ僕が――」

「舐めてあげるってのはボツよ。生憎とレイが実行済みだから」

 呆れ顔のアスカが指を指す向こうでは、勝ち誇った顔でレイが頷く。先を越されたかと、カヲルは両手を挙げて降参だと苦笑いするのだった。

 

 

「そうか……レイがシイさんの血から魂の情報を取り込んでいたら」

「肉体と魂は別物なんやろ?」

「血液だけは違うよ。血は魂と肉体を結ぶ役割を持っているからね」

 実際にそれが正しいのかは分からない。だがリリスがシイと言う個人に固執した事も、それが関わっていると思えば納得も出来る。

「レイだけじゃない。リリスにとっても、シイさんはただのリリンでは無かったと言う事か」

「……難しい話はよう分からんけど、結局レイは何をしたかったんや?」

「僕の気を逸らすため……だけじゃ無いね。きっとリリスはレイの望み通り、シイさんを取り込むつもりだろう。その為に彼女を初号機に乗せたんだ」

「ん?」

「さっき言ったろ? ただ取り込んでもシイさんは存在を保て無いって。でも初号機とシンクロしているシイさんなら、リリスと融合しても己を保つ事が出来る筈さ」

 群体生命であるリリンだが、単体生命であるエヴァとシンクロする事で、強い心の壁を、ATフィールドを生み出せる。シンクロとは同調、一つになる事なのだから。

 

 

「リリスに取り込まれたら、シイはどないなってしまうんや?」

「そうだね……当然リリスには拒絶されない筈だから、自我を保ったシイさんは……」

 カヲルは不意に言葉を止めると、何かに気づいたように眉をひそめる。

「待てよ。だとすると…………そうか、そう言うことか、レイ」

「ど、どないしたんや?」

「僕達は勘違いをしていたのかも知れない」

 突然態度が変わったカヲルに、トウジは不思議そうに首を傾げる。だがカヲルがそれを説明する時間は、残念ながら与えられなかった様だ。

「……動き出したみたいだね」

「どないする?」

「リリスと初号機の融合で互いのS2機関が共鳴し合った場合、相当のエネルギーが放出されるだろう。僕達の選択肢は二つ。全力で逃げるか……少しでも被害を抑える為にここへ留まるか、だね」

「さよか。なら選択肢は一つしかあらへんな」

 ロンギヌスの槍を地底湖へ突き刺し、参号機はスタンスを広げて足を踏ん張った。トウジの決断にカヲルは嬉しそうに微笑むと、初号機を介抱させていた四号機を呼び寄せる。

 そしてエントリープラグを排出して再搭乗を行った。少しでも生存確率を上げるために、エヴァと言う鎧を纏ったのだ。

「……来る!」

 その呟きと同時に、巨大な白い何かが隔壁をすり抜けて姿を現した。

 

 悠然と姿を見せたリリスは、トウジとカヲルを気にする事も無く、這うような動きで初号機へ一直線に向かっう。そして初号機の元へ辿り着くと、慈しむ様にその身体を抱きしめた。

 ゆっくりと、しかし確実に初号機はリリスとの融合を果たしていく。その余りに常識外れの、しかし何処か神秘的な光景にトウジは目を奪われてしまう。

 リリスが発する無限の母性を、彼は感じ取っていた。

「……あれがリリス……わしらのおかん……」

「融合が終わる。そろそろ始まるよ」

 カヲルの言葉通り、初号機を完全に取り込んだリリスの身体が白く輝き始めた。それは次第に強さを増していき、やがて世界が白一色に染まる程の光を放つ。

「トウジ君、フィールドを!」

「ATフィールド全開!!」

 二機のエヴァがATフィールドを全力で展開するのと同時に、S2機関の解放が起き、地底湖を中心にゼーゲン本部を大爆発が襲った。

 

「ターミナルドグマ最下層で、エネルギー反応が急速に増加しています!!」

「予想臨界点まで、後20」

「S2機関の解放か!? セントラルドグマ、ターミナルドグマの全隔壁を緊急閉鎖。アブソーバーを最大にしつつ、全員衝撃に備えろ。……来るぞ!」

 事態を把握した冬月の指示で、時田が改修した特殊装甲板仕様の隔壁が、一斉に閉鎖される。全ての作業をやり終えた職員達は、身を屈めて衝撃に備える姿勢をとった。

 そして……ターミナルドグマで起きた爆発は、容赦なく本部施設を飲み込んでいった。

 

 

 

~道標~

 

 やがて爆発が収まったとき、ターミナルドグマはジオフロントと一直線に繋がっていた。間にあった施設は全て消滅しており、元の面影は無い。

「……と、トウジ君……生きてるかい?」

「なんとか……な……ホンマに……死ぬかと思ったわ」

 廃墟とかした地底湖で、しかしトウジとカヲルは生き延びていた。全身に激しいフィードバックダメージがある為、自力で動くことは難しそうだが。

「君のATフィールドが、いつもより強かったから……命拾いしたよ」

「わしは……何もやってへんで」

「……なら、君のお母さんが力を貸してくれたんだろう」

「おかんが?」

 子供の危機に母親の魂が力を発揮する事は、シイとアスカで実証されていた。それが同じ条件であるトウジに起こっても不思議では無い。 

「……そうやな……おかん、サンキューな」

 全身が焼けただれ、辛うじて原形を留めている状態の参号機だったが、それでもトウジを守り抜いて見せた。幼い記憶にしかない母の姿を想い、トウジは心の底から感謝を告げるのだった。

 

 二機のエヴァは仰向けに倒れており、爆発によって空いた穴からジオフロントの天井が見える。

「みんなは無事やろか」

「見る限り、爆発のエネルギーは真上に放出されたみたいだね。位置関係から考えると、発令所はギリギリ耐えられた筈さ」

「何よりや」

 自分達の行動が無駄では無かったと、トウジは安堵したように大きく息を吐いた。

「リリスはジオフロントへと浮上したみたいだね」

「……なあ、渚」

「何だい?」

「これから……どうなるんやろな」

「今、全ての決定権はリリスにある。僕達が生きるも死ぬも、リリスの思うがままさ」

 半ば諦めたようなトウジの問いかけに、カヲルは普段と変わらぬ様子で答える。そこに今の状況に対しての絶望は、微塵も感じられ無かった。

「その割には余裕があるやないか……さっき言っとった勘違いと関係あるんか?」

「まあね。この状況は一見絶望的だけど……希望はまだ残ってる」

「希望?」

「そう……。希望は残っているんだ。どんな時でもね」

 赤い瞳でジオフロントに浮上したリリスを見つめながら、カヲルはそっと呟いた。

 

 

 電源が落ちて真っ暗な発令所に、冬月の声が響き渡る。

「……状況報告をしろ!」

「第21ブロックから53ブロックまで、完全に消滅!」

「主電源供給ライン断線。副回線にて電力供給を開始」

「有人エリアは消滅を回避しました」

「エヴァ参号機、四号機は大破するも、健在です。両搭乗者の生存を確認」

「MAGIのリカバリー完了。システム復旧します」

 矢継ぎ早にオペレーター達が被害状況を知らせる中、再び電気が供給されて照明が灯り、一時的に停止していた全システムが再起動する。

 あれだけの規模の爆発に対しては、奇跡的とも言える被害の少なさだった。

「……あの二人のお陰か」

「ああ。良く爆発を抑え込んでくれた」

 ターミナルドグマで二機のエヴァが展開したATフィールドが、爆発による被害を最小限に食い止めてくれていた。もし二人がいなければ、恐らく自分達も生きてはいなかっただろう。

 まさに命の恩人であった。

 

「高エネルギー体はジオフロントへ浮上。現在行動を停止しています」

「……目標を以後、リリスと認識する。モニターに出せ」

「了解」

 ゲンドウの指示で、発令所のメインモニターにジオフロントが映し出される。そこには全身真っ白な、レイの姿を模したリリスが悠然と立ち尽くしていた。

 その巨体はエヴァを遙かに上回っており、地表からジオフロントの天井まで届きそうな程だ。

「……シイ君を取り込んだか」

「ああ」

「初号機とシンクロしていた彼女なら、自我を保つ事が出来るだろう。不幸中の幸いと言うべきか」

「……いや。恐らくそれも含めて、シナリオ通りの筈だ」

 思わぬゲンドウの発言に、冬月は眉間のしわを深くする。

「どう言う事だ?」

「……レイはリリスとの融合を目指しながらも、幾つか不可解な行動を取っていた。それが今の状況を作り出す為にレイの意識が干渉した結果なら……全て説明が付く」

「リリスとの融合は『目的』では無く『手段』と言う事か……」

「いずれにせよ、我々は神の選択を受け入れるしかない」

 ゲンドウと冬月は、神々しく佇むリリスを見つめ続けるのだった。

 

 

 

~シイとレイ~

 

「……あれ、ここは……何処?」

 意識を取り戻したシイは、不思議な浮遊感にそっと目を開ける。そこは自分が居たはずのエントリープラグでは無く、一面オレンジ色が広がる空間だった。

 周囲に自分以外の姿は無く、穏やかに水が流れるような心地よい音だけが聞こえている。

「す~は~す~は~」

 大きく深呼吸をして、シイは心を落ち着かせる。今までの彼女ならパニックになっているケースだが、伊達に数々のピンチを経験しては居ない。

 こうした事態でも冷静さを失わない程に、彼女は精神的に確実に成長していた。

「よし! えっと、まず私はレイさんと初号機に乗ってたよね。それでカヲル君とレイさんが戦ってて、止めようとして、そこからは覚えてないや」

 自分に言い聞かせるように、シイはこれまでの事を口に出して確認する。あの時レイはシイの脳を揺すって気絶させたのだが、流石にそれは記憶していなかった。

「うん。大体分かった。……ここは私が知らない何処かだね」

「……それは分からないと言う事よ」

 突然背後から聞こえた声にシイが振り返ると、そこには彼女が一番会いたいと願っていた少女が、碇レイが何時の間にか姿を現していた。ただ、何故か一糸まとわぬ姿でだが。

 生まれたままの姿でじっと自分を見つめるレイから、シイは照れたように視線を逸らす。

「れ、レイさん。どうして裸なの?」

「……気にしなくて良いわ」

「気になるよ! とにかく服を着て」

 そうシイが声を発した瞬間、レイは学生服の姿へと変わっていた。

「えっ、服……着てる?」

「貴方がそう望んだから」

「それはそうだけど……でも神様じゃ無いんだし、そんな魔法みたいな事出来ないよ」

 困惑しながらも否定するシイに、しかしレイは首を横に振る。

「シイさんは今、神様になっているわ」

「…………え?」

「正確には神様の自我。……でも意味は同じ。貴方の意思が神の意思だもの」

 レイに言われて、シイは自分の身体を何度も見返す。意味も無く手を握って開き、軽くストレッチをしてみるが、自分に特別な変化が起きたようには思えなかった。

 説明を求める視線を向けるシイに、レイは小さく頷いてから口を開いた。

 

「……ここはリリスの中。全ての存在が溶け合う原始の海」

「なら私達は、レイさんを止められなかったんだね?」

「ええ。リリスの魂は目的を果たし、肉体と一つになったわ。そして覚醒したリリスは、貴方を初号機ごと体内に取り込んだの」

 淡々と説明をするレイだが、シイにはある疑問が浮かんでいた。

「ちょっとごめんね。今のレイさんは、リリスさんじゃ無いレイさんだよね?」

「……ええ」

「えっと、レイさんの魂はリリスさんで、でも魂は身体と一つになって、でもレイさんはここに居て……」

 すっかり混乱しているシイを落ち着かせようと、レイは言葉を紡ぐ。

「ここは全てが溶け合う場所。他者との境界線が、心の壁が無い空間。私もシイさんの身体も、全て溶けて一つになっているわ。こうして話している貴方と私は、精神だけの存在」

「前に私が初号機でお母さんと会った時と同じ?」

「そう思って構わないわ」

 かつて初号機に取り込まれた経験のあるシイだからこそ、肉体の消失に対しての理解は早かった。

 

「リリスさんが目覚めたって事は、人類は滅んじゃうのかな?」

「……それを決めるのは貴方」

「そこが良く分からないんだけど……どうして私なの?」

 不思議そうにシイは尋ねた。自分は眠っていただけで、実際に何かをした訳でも無い。神の自我と言うなら、それはリリスの魂であるレイの事では無いのかと。

「始祖は自らが生み出した生命を見守り、その望みを叶える存在よ。だから自分と融合した子供の意思を尊重して、それに従うだけ。自分から子供達に干渉する事は無いわ」

「過保護なんだね」

「…………」

 予想外の突っ込みに、レイは思わず言葉を失い口をぽかんと開ける。

「あ、ごめんなさい」

「……いえ、気にしないで」

「えっと、レイさんじゃ駄目なの?」

「……エヴァに例えるわ。リリスの身体に私という魂が宿っているの。そこに搭乗しているシイさんが、リリスを操縦すると思って」

 分かりやすいレイの説明に、シイは成る程と頷いた。

 

 その後、レイはシイに彼女が意識を失っていた間に起きた事と、現在の状況を説明した。本部の破壊はショックだったが、発令所の面々とカヲル達の生存は、彼女にとって何よりの朗報だった。

 状況を理解して落ち着いたシイに対して、レイは本題へと入ることにする。

 

 

~少女の決意~

 

「……世界は今、進むべき未来を選ぶ岐路に立っているわ。シイさんの意思は道標。どんな未来へ向かうかを決める、神の意志よ」

「実感は無いけど……私が見たいと思っている未来は、ずっと変わらないよ」

 シイは自らの確固たる意思を告げた。

 人類が互いの存在を尊重し合い、世界中の人々が笑顔で生きられる世界。そして、そこで自分もみんなと生きていきたい。それがシイの望みだった。

「……他者の存在は、貴方を傷つける事もあるわ」

「うん。でもみんなが居れば、それ以上に楽しい事や嬉しい事がきっとあるから」

「……一つになれば、不安や恐怖から解放されるわ」

「うん。でも人の温もりも優しさも感じられ無くなっちゃうから」

「……シイさんは、私と一つになりたくない?」

「うん。だって……一つになっちゃったら、好きって気持ちも無くなっちゃうから」

 シイはそっとレイの元へ近寄ると、自分よりも背の高い少女を優しく抱きしめた。友人として、姉妹として、レイはシイから伝わる純粋な好意を確かに感じていた。

「私は大好きなみんなと一つになるんじゃ無くて、一緒に居たいの」

「……それが、貴方の望む世界なのね」

 レイは少し嬉しそうに、しかし何処か寂しげに頷いた。

 

「……お別れね」

「え?」

 そっと身体を離して別れを告げるレイに、シイは驚きの表情を浮かべる。彼女はこのままレイと共に、ここから出られると思っていたからだ。

「……さよなら。貴方に会えて嬉しかった」

「ちょ、ちょっと待って。レイさんも一緒に――」

「私はこのままリリスと眠りに就くわ。何時までも、シイさんの望む未来を見守って居るから」

「駄目だよ。そんなの駄目」

 諦めた様子のレイを、シイは首を横に振って強く否定する。

「レイさんも一緒に行くの。一緒に居てくれるって言ったよね」

「……私の魂はリリスの魂。身体から離れれば、また回帰衝動が起きるわ。……ごめんなさい」

「むぅ~」

 子供を宥めるように頭を撫でるレイに、シイは何か無いかと必死で思考を巡らせる。

「神様命令で、とかは駄目?」

「……ええ」

「ん~ならリリスさんの身体を壊しちゃうとか」

「シイさん。もう良いの」

 諦めきれないシイに、レイは満足げな微笑みを浮かべて告げた。

 

「……私はもう、満足してるから」

「嘘だよ!」

「……いえ、本当よ。こうして最後に貴方と会えて、約束していたお別れも直接言えたわ」

 黙って居なくならない、それがレイとシイの間に結ばれた約束。手紙をゲンドウに預けていたが、直接伝えられなかった事が、ずっと心残りだった。

 そしてリリスが目覚めた時、シイを含むみんなを滅ぼしてしまう事を恐れた。一つになりたいと言う自分の願望がシイとの強引な融合へ繋がり、彼女の存在を消失してしまう事を恐れた。

 だからこそ回帰衝動にギリギリの干渉を続け、シイの自我を保ったまま融合を果たし、神の自我となったシイに未来を選んで貰おうとしたのだ。

 それこそが、リリスの魂に目覚めたレイが唯一出来る抵抗であり、彼女のシナリオであった。

 果たしてそれは叶えられた。一つになりたいと言う願望に対し、明確な回答を得られた。そして直接別れを告げる事が出来た。 

 もうこれ以上は望まない、と満足げなレイに、しかしシイは真っ向から反論する。

「そんなの嘘! レイさん嘘ついてる!」

「……そんな事は無いわ」

「だってレイさん、嘘をつくとき鼻がピクピク動くもん」

「…………あっ」

 思わず鼻を触ってしまってから、レイは自分が文化祭の時と同じミスをしたと気づいた。まさかシイに引っかけられるとは思わず、レイは何ともばつの悪そうな顔をする。

 

「ふふ~ん。私だって何時までも、騙されてばかりじゃ無いんだから」

「……そうね」

 誇らしげに胸を張るシイに、レイは参ったと頷いた。

「大体レイさんには、戻ってからやる事が一杯あるの。ここに残るなんて駄目だよ」

「やる事?」

「色んな人に、一杯迷惑かけちゃったでしょ? 本部の人とか、カヲル君に鈴原君、それにアスカにも……。だからちゃんとごめんなさいって謝らなきゃ」

 自分も一緒に謝るからと微笑むシイに、レイはもう何も言えなかった。

「だからレイさんも一緒に帰るの」

「……でも回帰衝動がある限り、私はまた同じ事を繰り返すわ」

「ならそれを解決してから帰ろうよ。それなら大丈夫だよね?」

「え、ええ……」

 レイも本心では勿論シイと共に帰る事を望んでいるのだから、提案を否定する理由は無い。

「……でもどうやって?」

「リリスさんの身体を壊しちゃうのは、多分駄目なんだよね?」

 シイの確認にレイは小さく頷く。受け皿である肉体を失えば、魂の消滅は免れない。カヲルがアダムの肉体を失っても存在出来ているのは、彼の魂がアダムの子『タブリス』でもあるからだ。

 しかしレイの魂はリリスのものであり、リリスの滅びはレイの死を意味する。だからこそレイは自らの生存を諦め、リリスと運命を共にすると決めていた。

 自分の生存を諦めれば、シイ達を含めた全てを守る事が出来るのだから。

 

「ん~それなら…………あ」

 腕組みをして真剣に考え込んでいたシイだが、何かに気づいたのか小さく声を漏らす。

「リリスさんの身体があれば、レイさんは大丈夫なんだよね?」

「……ええ」

「それで、身体と一緒に居れば、回帰衝動は起こらないんだよね?」

「……そうね」

「じゃあ最後に。私がお願いすれば、リリスさんは何でも手伝ってくれるのかな?」

「……貴方の意思がリリスの意思よ」

 レイの答えを聞いて、シイは自信に満ちた表情で何度も頷く。何かの確信を得たようなシイの態度に、レイは戸惑いと同時に期待を抱いていた。

 この少女ならば、自分の諦めを吹き飛ばす可能性を見せてくれるのでは無いか、と。

「うん、決めた!」

「……聞かせてくれる?」

 レイの問いかけに、シイは自分の考えを伝える。それはレイの予想の遙か上、いや、正確には斜め上を行く突拍子も無いものだった。

 

 開いた口がふさがらないと、ぽかんとした表情を浮かべるレイ。彼女にしては珍しく、と言うよりも初めて見せるであろう姿に、シイは急に不安になった。

「えっと……駄目、かな?」

「……本気なの?」

「うん。これが多分、唯一の方法だから」

 困惑するレイに、シイはさらに言葉を続ける。

「私はレイさんを救うために、みんなを犠牲にしても良いなんて思わないよ。私のわがままでみんなの幸せを壊しちゃうなんて許さないし、レイさんもきっと喜ばないから」

「……ええ」

「でも、みんなの為にレイさんを犠牲にするのも絶対に駄目。誰かの犠牲が必要な未来なんて、私は望んでない。みんなが笑顔でいられる世界に、レイさんは必要なんだから」

「……時田博士が言っていたわ。どちらかしか選べない時は天秤にかけて、より大切な物を選ぶって。人類の命と私の命では、とても釣り合わない」

「だからどっちも選ぶの。……きっと出来る。だって私は今、神様なんでしょ?」

 かつてシイはエヴァの戦闘で犠牲を出した事について、ミサトと衝突した事があった。全てを守りたいと言うシイを、『人が出来る事は限られている』『神様にでもなったつもりか』とミサトは突き放した。

 その後、シイは一人でも守れるのならば戦うと決意したが、全てを守りたいと言う気持ちは変わっていない。そして今、彼女は人に出来ない事を可能とする、神の力を使う事が許されている。

 

「……失敗する可能性もあるわ」

「うん。その時はちゃんと責任を取るよ。レイさんを巻き込んじゃうけど……付き合ってくれる?」

「……貴方は死なないわ。最後まで……私が居るもの」

「ありがとう。よ~し、じゃあ行くよ!」

 複雑に絡み合った歯車が紡ぐ物語は、一つの結末を迎えようとしていた。

 




すいません、決着してません。
長くなりましたので、次回まで延長させて下さい。


このエピソードでほとんど活躍しなかった主人公が、満を持して登場です。美味しいとこ取り感がありますが、この役割だけはシイ以外には許されないと思います。

これまでの経験を全て踏まえた上で、シイはどんな未来を選ぶのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(11)》

 

~我が儘~

 

「リリス内部のエネルギー反応が、急速に高まっていきます!」

「始まったか」

「……ああ」

 ジオフロントに立ち尽くしていたリリスは、何の前触れも無く活動を再開した。急速に高まるエネルギーに呼応するように、白い身体が少しずつ大きくなっていく。

 このままだとジオフロントの天井にぶつかると思われたが、リリスの肉体は何の障害も無かったかの様にすり抜け、第三新東京市にその姿を現した。

「り、リリスは特殊隔壁を通過。尚も上昇、拡大を続けています」

「特殊隔壁及び第三新東京市に物理的ダメージは認められません」

「そんな……理論上あり得ないのに」

「でも現実に起きているのよ。考えられるとすれば……」

「覚醒したリリスは物理的な制約を受けない存在なのかしら」

 動揺するマヤの後ろで、リツコとユイが頷き合う。始祖という未知の存在は自分達の物差しで測れない。それを理解しているからこそ、二人はこの異常な状況下でも冷静さを保てていた。

「リリス、高度2000を突破」

「何が狙いなの……?」

 発令所の全員が見守る中、リリスは肉体の拡大を続けていった。

 

 

 大破したエヴァからどうにか脱出した二人は、地底湖からリリスを見上げていた。

「一体、何が起こっとるんや」

「……恐らくシイさんが、何らかの選択をしたんだろうね」

「お前の言う希望っちゅう奴か?」

「いや、僕の予想とは少し違う形になってるよ」

 カヲルはシイがレイと別れを告げ、リリスを眠らせた上で帰還すると思っていた。それこそが、この状況下で最も犠牲の少ない選択であり、サードインパクトを防ぐ希望だったからだ。

 しかしリリスは彼の予想とは違う動きを見せている。

(まさかシイさんはレイも救おうとしているのか? だとしたらこの行動は……)

「渚っ!?」

 トウジの叫び声に反応したカヲルは、目の前の光景に戸惑いを隠せない。動くはずの無い大破したエヴァ両機が、まるで何かに導かれる様に空中へと浮かび上がっているのだ。

「これは……」

「どう言う事なんや?」

「……多分リリスがエヴァを引き寄せているんだと思う」

 エヴァ程の質量を保つ物体を浮遊させる力は、現時点でカヲルかリリス以外に使えないだろう。カヲルに心当たりは無いので、リリスが何かをしているのは間違い無い。

 だがその目的は依然として不明なまま、参号機と四号機は大きな縦穴を浮上していき、やがてリリスの白い身体へと吸い込まれていった。

 

 

 謎の力による参号機と四号機の移動を観測した発令所が、状況の把握にざわつく中、ゼーゲン本部を激しい衝撃が襲った。

「何事だ!?」

「零号機と弐号機が本部直上へ引き寄せられています!!」

 青葉が絶叫混じりに報告する間にも、ケージに固定されていた二機のエヴァは磁石で引っ張られる様に、本部の施設を破壊しながら上昇していく。

「エヴァと融合を……いや、吸収しようとしているのか。だが何のために……」

「今のリリスはシイの自我に従っている筈だ。何か考えがあるのだろう」

「……全ては神の、シイ君の望むがままと言うわけか」

 ゲンドウと冬月の視線は、巨大化を続けるリリスから離れる事は無かった。

 

 

 巨大化を続けるリリスの姿は、輸送機で避難中のゼーゲン職員達からも確認できた。

「あらあら、大っきくなったわね~」

「ええ。あの感じからすると、恐らくリリスには質量保存の法則など関係無いのでしょう」

「改めてとんでもないモノに手を出したと思うわ」

 列をなして飛ぶ輸送機のうち、要人輸送用のVOTLに搭乗したキョウコ、時田、そしてナオコの科学者トリオは、取り乱す職員達とは違い、冷静にリリスについて分析を始めていた。

「身体の方はもう大丈夫ですか?」

「一応手加減してくれたみたいだからね。全く……いきなり当て身をするなんて、油断したわ」

「ははは、彼は女性に手をあげる人ではありませんが、それだけ緊急事態だったのでしょう」

「後でたっぷり仕返しをしなくちゃ」

 加持によって強制的に避難させられたナオコは、時田のフォローにも拗ねた表情を崩さない。大事な娘を現地に残し、自分だけが安全な場所へ逃げる事が、今でも納得出来ないのだろう。

「それにしても……あれが人類の母、リリスですか」

「正確には全ての生命の母ね。魚も虫も動物も、みんなリリスから誕生したのだから」

「うふふ、子だくさんなのね」

 キョウコの言葉に脱力しながらも、時田とナオコは考察を続ける。

「話によると、シイさんがあそこに居るとか」

「あの子は神様に選ばれたのね。世界の運命を決める人類の代表がシイちゃんよ」

「だとすると、あの状態もシイさんが望まれた訳ですな」

「一体何をするつもりなのかしら……」

「……考えるだけ無駄よ。シイとレイ、二人揃って馬鹿なんだから」

 会話に割り込んできた声に、時田とナオコは思わず振り返る。そこには医療用ストレッチャーに寝かされたアスカが、呆れ顔でリリスを見つめていた。

 

「アスカちゃん、目が覚めたのね」

「気分は如何ですか?」

「最悪に決まってんじゃん。……この大事な時に、あたしだけ蚊帳の外なんて」

 アスカの両腕と右足に痛々しく巻かれた包帯。それはレイを足止めする為に、彼女が負った代償だった。薬で抑えてはいるが、気を抜けば再び意識を失いそうな痛みが残っている。

 しかしアスカはそれを表に出さず、親友達の決断を見守ろうと身体を起こす。

「安静にしてなきゃ駄目よ、アスカちゃん」

「この……位、全然平気だってば」

「まあ、じっとしていられない気持ちは分かります。……これでどうです?」

 時田はストレッチャーを操作し、アスカが楽に背中を預けられる様にする。碇姉妹と仲の良いアスカの気持ちが、秘密を共有した仲の彼には痛いほど分かったからだ。

「それで、考えるだけ無駄と言うのは?」

「言葉通りよ。あの二人、特にシイの考えはズレてるの。だから多分今回のも、あたし達からすれば呆れるような理由で動いてるに決まってるわ」

「あら、随分と手厳しいわね」

「伊達に長く付き合って無いわよ。今の会話を聞いてたけど、要はシイがリリスの力を使えるって事でしょ? ならあの子、冗談抜きで全部の生命を幸せにする、とか考えてるわね」

 呆れと諦めが入り交じったアスカの言葉に、時田は表情を歪める。シイを知っている人間なら、それがあり得ないと言い切れないからだ。

「し、シイさんなら……やりかねませんね」

「本気なの?」

「ええ。彼女は何と言いますか、博愛主義的な面がありますので」

「どーせ『みんな幸せな結末じゃ無きゃ嫌だ』とか駄々こねて、変な事をしようとしてるのよ」

 アスカは知るよしも無いが、彼女の予想はシイの考えをほぼ完全に読み当てていた。

「うふふ、シイちゃんらしいわね~」

「しかしそれは……」

「普通に考えれば無理だけど、あの子はやるって決めたらやるわ」

 渋い表情を浮かべる時田に、アスカは確信を持って告げた。どんな困難にも真っ向から立ち向かい、傷つきながらも前に進む。それが碇シイであり、自慢の親友であるのだから。

「ま、あたしとしても、無事にレイと一緒に戻ってきてくれれば、それに超したことは無いわ。乙女を傷物にした事を、たっぷり説教してやるんだから」

「私もレイちゃんに言わなきゃ。娘を傷物にした責任を取れって~」

「キョウコさん、それ違うから」

(……良いわ、シイ。思う存分やってみなさい。あんたが望む未来が夢物語なのか、それとも信じるに足るものなのか、あたしが見届けてあげるから)

 アスカが見守る中、リリスの身体は地球の外へと突き抜けていった。

 

 

 

~神意~

 

 ジオフロントを起点に拡大を続けたリリスは、半身が宇宙空間に出た時点でようやく動きを止めた。

「……シイさん。準備が出来たわ」

「外の様子を見る事って出来る?」

「貴方が望めば可能よ」

「そうなんだ。……なら」

 シイは目を閉じて頭にあるイメージを浮かべる。するとシイの周囲が黄色の空間から、見覚えのあるエントリープラグのそれへと変化した。

 ただし、何故かパイロットが座るインテリアが二つ並んでいたが。

「えへへ、やっぱりこれが落ち着くよね」

「……どうしてインテリアが二つあるの?」

「隣に居てくれるんだよね?」

 ニッコリ微笑むシイに、レイも少しだけ表情を和らげながらインテリアに腰を下ろす。

 初号機のプラグはリリスとの融合で消滅している為、これはあくまでシイのイメージを具現化しただけ。しかし実際にエヴァへ搭乗したときと同じ様に、リリスの視界を得る事が出来た。

「はぁ~、ここが宇宙なんだね。初めて来たよ」

「……私も」

「それで、これが地球。……凄い綺麗」

 教科書でしか見たことの無い光景に、シイは宝物を見つめる様に目を細めた。青く美しい星、それはシイのモチベーションを一段と高める。

「絶対に成功させなくちゃね」

「……ええ」

「ふふ、何をかな?」

 背後から聞こえた、絶対にあり得ない第三者の声に、シイとレイは同時に振り返る。するとそこには、やはりあり得ない存在、渚カヲルが微笑みを浮かべて立っていた。

 

「え、あ、か、カヲル君?」

「……何で貴方が居るの?」

 混乱するシイの隣で、敵意の籠もった視線を向けるレイ。彼女にしてみれば、これからシイと二人で大一番の望む直前で、待ったを掛けられたのだから当然の反応だろう。

「随分な態度だね。僕をここに引き込んだのは君達なのに」

「だ、だってカヲル君はちゃんと生きてるって、レイさんが……」

「……貴方が魂の一部を四号機に宿していたの忘れてたわ」

 自らの迂闊を悔いるように、レイは唇を噛みしめた。

「どう言う事?」

「ふふ、僕は魂の一部を使って、四号機と融合に近い状態にあったのさ。本体はあくまでゼーゲンの地下に居るけれど、こうして意識を共有する位は出来るよ」

「えっと……」

「携帯電話の様な物だと思って欲しい。僕は離れた場所に居るけど、魂の一部を介して君と会話が出来ている。これならどうだい?」

「うん、よく分かったよ」

 理解を示したシイに頷くと、カヲルはシイの隣へと移動する。

「ところで、シイさんは何をするつもりなんだい?」

「え?」

「僕は君がリリスを消滅させると予想していた。サードインパクトと言う危機を未来に残さない為にね。レイもそれを見込んでシイさんをリリスの自我にした筈。でもシイさんは違う未来を見ているよね?」

 カヲルの問いかけに、シイはレイに視線を送る。

「……大丈夫よ。例え反対されても、貴方が望む限り彼は邪魔出来ないから」

「うん。あのねカヲル君。私はリリスさんを、地球と一つにしちゃおうって思ってるの」

 シイは静かに自らの考えを話し始めた。

 

「元々地球の生き物は全部、リリスさんから生まれたのは知ってる?」

「ああ。リリスの体液が地球の海と反応して生命のスープとなった、と理解しているよ」

 リリスはアダムと違い、子を単体で誕生させなかった。代わりに生命の源である体液、LCLを地球へ流し続け、それが海の水と混ざり合い、生命のスープとなった海から生命が誕生した。

 誕生した生命は進化を続け、人類はその最終形とも言えるだろう。

「だから今度は、リリスさんの身体を全部LCLにして、地球と一つになって貰いたいの」

「言いたい事は分かるよ。けどそれは結局、リリスを消滅させるのと同じじゃ無いかな?」

「ううん、リリスさんは地球と一つになって生き続けるの。始祖さんは身体がバラバラになっても、生きていられるって、レイさんが教えてくれたから」

 生命の実が持つ驚異的な再生能力は、使徒と初号機、そしてアダムで実証されていた。

「確かにシイさんが望めばそれは可能だけど…………そうか、レイの為に」

「うん」

 地球と言う星をリリスの身体と同義にする。そうすれば魂が地球にある限り、肉体と共に存在出来る。あまりに規模の大きいシイのアイディアに、カヲルは苦笑するしか無かった。

 

「まさかレイの為だけに、地球を巻き込むとは思わなかったよ」

「上手く行くかは分からないけど、私にはこれしか思い浮かばなかったの」

「まあ、やってみる価値はあるだろうね。……ん、ならエヴァを取り込んだのは何故だい?」

 今の話を聞く限り、エヴァをリリスに取り込む必要性が見つからない。そんなカヲルの疑問に、シイは少し困ったように頬を掻く。

「実は……エヴァを壊しちゃうって事、まだ納得出来て無かったの。みんなは違うって言ってくれたけど、エヴァを邪魔者扱いしてる気がして」

「実際、リリンの中にはそう思っている者達もいるだろうね」

「平和な世界にエヴァはいらないって言うけど、その世界を私達にくれたのはエヴァなんだよ? だから……せめて自分達が守った平和な世界を、リリスさんと一緒に見ていて欲しいなって思ったの」

 これはシイの完全な我が儘だった。自己満足に他ならないが、それでもカヲルは批判する気持ちを抱く事も無く、心優しき少女の思いに微笑みを浮かべた。

 

「それと……あの子達にも何かしてあげられないかなって」

「あの子達?」

「……私のクローン体」

 レイの言葉を聞いて、カヲルは驚いた様に目を見開く。忘れていた訳では無いが、この状況下で彼女達にまで気を回す余裕なんて、彼には無かったからだ。

「魂を宿さない人形なんてお父さんは言ってたけど、あの子達は生きてるんだもん。だから神様権限で魂を宿せれば、一人の人間として未来を生きられる筈だよね」

「……理論上は可能な筈さ。でもそれだけは反対させて貰うよ」

 シイの気持ちを理解した上で、カヲルはきっぱりとそれを否定した。

 生命の源であるリリスから生まれた生物は、黒き月にある『ガフの部屋』から魂を与えられる。そして生物が死を迎えた時、魂は再びガフの部屋へと還る。それが自然の摂理であり、人工生命体に魂が宿らぬ理由だ。

 シイの希望を叶えるならば、ガフの部屋からレイのクローン達に宿す魂を取り出す必要がある。

「ガフの部屋は通常、ガフの扉によって閉ざされている。それが開くのは始祖が原始への回帰を望み、全ての生命をガフの部屋へと還す時だけだ。君も分かっているんだろ? それを成し遂げるには、死と新生を司るロンギヌスの槍が必要だって」

「うん。レイさんに教えて貰った」

「ロンギヌスの槍はデストルドーの象徴。それは始祖と言えども免れる事が出来ない。そして始祖が死を望めば、反ATフィールドによって全ての生命は滅びる。忘れたとは言わせないよ」

 カヲルはあえて強い口調でシイを責める。シイを想うが故に、安易な考えと決断で彼女が望む未来が壊れる事が、許せなかったのだ。

「シイさんの気持ちはよく分かるし、大切なものだよ。でもそれが他の何かを傷つけてしまう事だってあるんだ。優しさと甘さを間違えないで欲しい」

「貴方にシイさんの何が分かるの」

「全てを肯定するだけが優しさじゃ無い。間違った道を選んだ時は、それを正すのも愛情だよ」

「間違った道と判断するのはシイさん。貴方が勝手に決めつけないで」

「なら君はシイさんの決断が正しいと思っているのか?」

「信じているもの」

「話にならないね。それは盲信だ」

「自分が信じている人の決断を疑うのは、自分に自信が無いから」

「ストーップ!」

 段々とヒートアップしていく二人を、シイは大きな声で食い止めた。

 

「二人とも喧嘩しちゃ駄目だってば。……カヲル君が反対するのも良く分かるし」

「いや、僕も少し焦っていたみたいだ。ごめんよ」

「……私は悪く無いわ」

「レイさん?」

「……ごめんなさい」

 ジッとシイに見つめられたレイは、観念したように頭を下げた。どうにか場が治まった事に安堵すると、シイはカヲルに話をする。

「勿論サードインパクトの事は忘れてないよ。私の考えが我が儘だって言うのも分かってる。だから、もし失敗してもみんなを巻き込まない様にするつもりなの」

「……死ぬ気かい?」

 困ったような笑みを浮かべるシイを見て、カヲルは彼女の覚悟を悟った。万が一の時には、反ATフィールドが臨界を迎える前に、リリスと共に宇宙へと散るつもりなのだと。

「君を失う事で、傷つく人達が大勢居る。それを理解した上で言ってるのかい?」

「……私はカヲル君が言うような優しい人間じゃ無いの。臆病で弱虫で卑怯で……それでもみんなが幸せな世界が欲しいって願う我が儘な、ただ自分の望みを押し通すだけの……子供だよ」

「知ってるよ。誰よりも我が儘で、誰よりも寂しがり屋で、誰よりも甘く、誰よりも優しい。最もリリンらしく、最もリリンらしく無い。そんな君だから僕は惹かれているんだ」

 カヲルは今までで見せた事の無い様な、慈愛に満ちた表情でシイの頭を撫でた。

「ふふ、もう野暮は止めよう。全てはシイさんの、リリンの女王の為すがままに」

「ありがとう、カヲル君」

 微笑むシイの前に跪くと、カヲルはシイの右手をそっと取る。そして忠誠を誓う騎士の様に、シイの小さな右手の甲へそっと口づけをした。

 

「……後で手を消毒しましょう」

「おや、焼き餅かい?」

「……良いわ。今ここで決着を――」

「も~二人とも、仲良くしなさい!!」

 シイが両手を挙げて叫んだ瞬間、周囲の光景が再び変化した。二つ並んだインテリアにはレイとカヲルが座り、シイは二人に挟まれる形で前方に現れたもう一つのインテリア着席する。

 それはアダムとリリスと言う翼を得たリリンの王、または両親に守られた子供の様にも見える、三人に相応しい姿だった。

「喧嘩は無し! みんな一緒に頑張るの! 良いよね?」

「……シイさんがそう言うのなら」

「ふふ、仰せのままに」

 二人の答えを聞いたシイは、大きく深呼吸をしてから、意を決して操縦桿を握った。

 

 

 

~絶望を超えて~

 

(ロンギヌスの槍……死と新生を司る、残酷で優しい神の槍。貴方も一緒に……)

 目を閉じて祈るシイの意思に反応したのか、ターミナルドグマに突き刺さっていたロンギヌスの槍が、引き寄せられるようにリリスの元へと飛来した。

「融合を果たした時からデストルドーの侵食が起きるよ。覚悟は良いね?」

「うん」

 カヲルの忠告にシイは頷くと、リリスの胸に血液を連想させる赤黒い槍を取り込む。その瞬間、槍からのデストルドーがシイの表情を苦悶に歪める。

 ロンギヌスの槍を取り込んだ事による変化は、リリスの外部にも起こっていた。地球から飛び出したリリスの上半身、その背中から巨大な羽が現れた。

 十二枚の白い羽は、リリスの身体を遙かに上回る規模で、宇宙へと展開される。この時リリスは『アダム』と自らをも生み出した『神』に、生と死すら意のままに出来る絶対の存在に到達したのだ。

 リリスはそこで動きを止め、自我であるシイが決断を下すその時を、静かに待ち続けていた。

 

「…………ぅぅぅぅぅぅ」

「始まったね」

「……私達は?」

「槍が生命の自我に作用する以上、構成パーツに過ぎない僕達に干渉する事は無いさ」

「……見守る事しか出来ないのね」

 荒い呼吸を繰り返しながら両手で顔を覆い隠し、必死にデストルドーに抗うシイの姿から、レイとカヲルは目を逸らすことは無かった。

 博愛主義と揶揄される程、他者に愛情を向けて繋がりを求めるシイだが、その根底には孤独という恐怖から逃れたいという、自己防衛的な想いがあった。

 それは程度の差こそあれ、人間ならば誰もが持っている心。群体生命である人類は、単独で生きてく事が出来ないと本能で理解しているが故に、他者の存在を望むのだから。

、精神的な成長を遂げたシイは、以前の様に闇雲に孤独を恐れたりはしない。だがロンギヌスの槍から与えられるデストルドーは、彼女の脆い部分に容赦なく襲いかかる。

 

 親しい人達が全員血だまりに倒れる中、一人立ち尽くす世界。

 一人、また一人と自分の前から消えていき、最後には自分だけが残る世界。

 真っ暗な世界に自分だけが取り残されている世界。

 全ての人達から拒絶され、一人きりで生きていく世界。

 孤独を恐れるシイにとって、他者の存在が無い世界は絶望そのもの。槍が与えるデストルドーによって、シイは最も拒絶したい未来をイメージさせられる。

 そして『原始の状態へ還り一つになる』と言う想いがシイの思考を支配していく。激しく抵抗していたシイだったが、抗いがたい甘美な誘惑に次第にリビドーを失っていった。

 

 高まるシイのデストルドーを受け、リリスは全身を淡く発光させ、反ATフィールドを展開する。まだ体内に留められているそれが解放されれば、サードインパクトが起こるだろう。

「ここからが勝負だね」

「……ええ」

 死と新生を司るロンギヌスの槍は、いわばガフの扉を開く鍵。それを取り込んだリリスは、ガフの部屋に自らの意思で干渉する事が許された。

 残された問題は、シイがデストルドーを乗り越えられるか否かだ。

「このまま反ATフィールドが強くなれば、僕達も姿を保っていられないよ」

「分かっているわ」

「もう僕達の声は届かない。後はシイさんが一人で頑張るしか……」

「……ならそうすれば」

 カヲルの言葉に冷たく返事をすると、レイはシイの元へと近づく。そしてデストルドーの影響で、ぐったりと俯いているシイの身体を優しく抱きしめた。

「……声が届かなくても、気持ちを伝える方法はあるもの」

「ふふ、そうかもね」

「……貴方も早く」

「どう言う風の吹き回しかな?」

 自分にもシイを抱きしめろというレイに、カヲルは驚いた様に問い返す。

「一人よりも二人の方が、シイさんは暖かいと思うから」

「……やれやれ。寂しがり屋の女王様だね」

 言葉とは裏腹に、カヲルは嬉しそうに微笑みを浮かべながら、レイと同じ様にシイの小さな身体を包み込む。他者との触れ合いは、消えかけていたシイのリビドーを、ギリギリのところでつなぎ止めた。

 

「誰も居ない……一人は嫌だよ……」

『孤独が怖いのね』

「みんなと居ると安心なの。暖かいの。だから一人は嫌」

『一度覚えた温もりを忘れられないのね』

「必要として欲しかったの。一緒に居ても良いって言って欲しいの。一人になっちゃうから」

『そうして他者に依存しているのね』

 自分の姿すら確認できない真っ暗な空間で、シイは誰とも知れぬ相手と問答を繰り返す。

「だからみんなと居られないなら…………」

『……ではその手は何の為にあるの?』

「手?」

 何も存在しない筈の空間に、ふっと淡い光を放つ自分の手が浮かび上がる。自他共に認める小さく弱い手だが、多くの人との絆を育んでくれた大切な手。

「……みんなと触れ合う為に。心を伝える為に……仲良くしようって握手をする為だよ」

『……ではその身体は何の為にあるの?』

 声の問いかけと共に、シイの全身が淡い光に包まれながら現れる。こちらもコンプレックスを抱くほど小さく華奢な身体だが、自分が碇シイである事の何よりの証。

「……みんなと触れ合う為に。心を伝える為に……大好きだよって抱きしめ合う為だよ」

『……ではその心は何の為にあるの?』

 シイの心の変化を表すように、真っ黒な空間は光りに満ちあふれた。先程までの絶望感から解き放たれたシイは、声の問いかけに微笑みながら答える。

「大切な思い出を、大切な気持ちを、大切な宝物を無くさない為だよ」

『……では貴方は何故ここに居るの?』

「みんなと一緒に生きられる未来を作るため、だよね。えへへ……」

 諦めかけていた自分を思い出したのか、シイは照れた様に頬を掻いた。

 

「ありがとうございます。貴方が居てくれたから、私は諦めずに前を向く勇気を貰えました」

『……もう良いの?』

「はい」

『……そう、良かったわね』

「えへへ……出来の悪い子供だけど、これからも見守ってくれますか? リリスさん」

 答えは無い。だが眩しい光の中で、暖かい何かがシイの身体を優しく包み込む。それは言葉では伝えきれなかった、母からの想いだったのかも知れない。

 

 

 

~全ての生命に福音を~

 

「レイさん? カヲル君?」

「……気づいたのね」

「ふふ、どうやら無事乗り越えてくれたみたいだね」

 力なく俯き、意識を失っていたシイが、再び活力を取り戻した事に、レイとカヲルは安堵する。そして痛いくらいに抱きしめていた身体をそっと離した。

「……ありがとう」

 二人の行動があの声を届けてくれたのだと、シイは深く感謝する。

「お礼はいらないよ。寧ろ僕がお礼を言いたいくらいさ」

「……戻ったら覚悟して」

「ふふ、そうだね。そろそろ戻るとしよう、僕達の日常へ」

「うん」

 レイとカヲルに頷ずいたシイが大きく深呼吸をして操縦桿を握ると、リリスは神々しく広げた十二枚の巨大な羽で、地球を包み込んだ。

「さあシイさん。彼女達に魂を宿すんだ」

「あ、でも……どうすれば良いんだろう?」

「君が望めば良い。今の君は絶対の存在なのだから」

「えっと、それじゃあ……」

 シイは水槽の中で泳ぐ少女達を強く思い浮かべ、彼女達と共に生きたいと願った。神の望みは世界の法則を踏み越え、人工生命体に魂を宿すと言う奇跡を起こした。

 

「これで残すはリリスを地球と融合させるだけだね」

「何だか緊張するよ」

「……声を出した方がリラックス出来るわ」

「声? それって、ATフィールド全開! みたいな?」

 首を傾げるシイに、レイは自信満々に頷いて見せる。レイがこうした態度を見せるときは、的外れなアドバイスである事が多いのだが、シイはそれを真面目に受け止めてしまう。

「かけ声って事だよね……う~ん」

「……『カヲル君なんか大嫌い』でも良いと思う」

「はは、こんな時に冗談でも止めて欲しいね」

「……冗談に聞こえた?」

「なら『レイさんなんて顔も見たく無い』と叫んで貰うと良い」

「……止めましょう」

 勝手に想像して勝手に凹んだレイは、カヲルと頷き合った。そんな二人のやり取りの間も、何かを必死で考えていたシイは、不意にカヲルへ声を掛ける。

「……前にカヲル君が教えてくれたよね。エヴァには二つの意味があるって」

「ん、ああ、アダムとリリスの話をしたときだね」

 予想していなかったシイの言葉に、カヲルはゼーゲン本部の食堂での事を思い出して答えた。

 

「ねえカヲル君。アダムさんとリリスさんが居るのに、イブさんは居ないの?」

「ふふ、勿論居るよ。イブは伝えられる書物によっては、エヴァと記されているんだ」

「ほ~。そら知らんかったわ」

「あんた馬鹿ぁ? エヴァはアダムのコピーでしょ? アダムの肋骨から生まれたイブそのものじゃん」

「……でも零号機と初号機はリリスのコピーよ」

「う゛っ、それは……どうなのよ、変態」

「ふふ、僕も人から聞いた話だけど、エヴァと言う名前はもう一つ意味があるらしい」

「それって何かな?」

「英語で福音を意味する『EVANGEL』をもじったそうだよ。名付け親がゼーレなのか、それとも当時のゲヒルンなのかは知らないけど、彼らにとってエヴァは人類に福音をもたらす存在と信じていたんだろう」

「福音……」

「一応言っておくけど、良い知らせとかそう言う意味だから」

「も~それくらい知ってるってば~」

 

 

「エヴァに込められた想いを、世界中に伝えたいなって思うの」

「……良いと思うわ」

「全ては女王様の意のままに」

「うん」

 シイは両手を操縦桿から離し、大きく上へ手を広げる。

 

「優しい神様に感謝を。そして全ての生命に――――福音よ、届いて!!」

 

 シイの叫びに応えるように、リリスの身体が金色の光を放つ。そしてそれはみるみる輝きを増していき、やがてリリスの肉体を金色の液体へと変化させ、地球へと降り注いでいく。

 少しずつリリスが肉体を失い、生命の輝きを地球に宿す光景を、シイ達は満足げに見つめていた。

「ふふ、お疲れ様」

「これで……終わったのかな?」

「……いえ、ここから始まるのよ」

「そうだね」

 地球との融合が進む中、シイとレイは決意も新たに頷き合う。

「ところで、君達はいつまでここに居るつもりなのかな?」

「「え?」」

「もう直ぐここも崩壊するよ。僕は問題無いけど、君達は早く肉体を再構築しないと」

「あ゛~忘れてた~。どどど、どうしよう!?」

 カヲルは魂の一部だが、シイとレイは身体ごとリリスと融合している。このままだと、リリスと運命を共にする結末が待っていた。

「……落ち着いて。シイさんが望めば、私達は元の世界へ戻れるから」

「う、うん。どうすれば良いの?」

「………………」

 シイの視線を受けたレイは、チラッとカヲルを見る。

「ふぅ、やれやれ。肝心な所で抜けているのは姉妹揃ってかな」

「……良いから早く教えて」

「まあ本気で時間が無いからね。このエントリープラグごと再構築した方が良さそうだ」

 初号機からのサルベージとは違い、リリスにはシイ達以外の魂等が混ざり合っている。細かなイメージをする余裕が無いと判断したカヲルは、冷静にアドバイスを送った。

「今の状態を維持したまま、リリスから生まれ落ちるイメージを持つんだ」

「イメージ……イメージ……うぅぅ」

「っっ! 僕は一足先に時間切れみたいだね。でもまた直ぐに会える……そう祈っているよ」

 魂を一部分しか融合しなかったカヲルは、リリスへと溶け消えてしまった。

 

「カヲル君!!」

「……彼の魂は、元の身体へと戻れる筈よ。今はそれよりも」

「う、うん」

 必死に自分達の姿をイメージするが、焦りからか上手くまとまらない。レイも表情こそ変えないが、内心相当焦りを感じていた。

「……私は後回しで良いから、シイさんだけでも」

「碇シイ、碇レイ、えっとえっと、……ちょっとだけ背を伸ばして、胸も大きく……」

「……捏造は良くないわ」

「あ~も~駄目~! お願い!! 私とレイさんを産んで!!!」

『……ふふ』

 出来野悪い子供の最後の願いに、何処か嬉しそうな笑い声が応えた。

 

 やがてリリスの肉体は全て生命の液体となり、地球との融合を果たす。新たな未来の始まりを告げる福音は、何とも賑やかで慌ただしく幕を閉じるのだった。

 




決着……したのかな。
え~この後の話については、次に回したいと思います。
あんまり長くするのもアレなので。

経緯はどうであれ、結末自体は予想通りと言う方も多いかと。
今のレイが生き続けられる、第四の選択肢でした。

アダムとリリス編は、次回で完結します。
と言っても、大分アホタイムチックな感じですが……。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《アダムとリリス(終局)》

 地球全土を巻き込んだ『女神からの福音』騒動から三日が過ぎた。

 突如降り注いだ生命の水に、当初こそ各地で混乱が見られたが、実害が無かった事に加え、ゼーゲンの情報公開の効果もあり、世界は再び安定を取り戻していた。

 

 

~あの後 その1~

 

「碇君。改めて言う事では無いが、君にはもう少し周囲への配慮を持って欲しいものだね」

「エヴァの無断運用、本部施設の半壊、非常事態宣言の発令、国連軍と戦自への避難補助要請。どれをとっても胃が痛くなる話だ」

「左様。我らが苦情処理係としてどれだけ苦労したか」

「耳にたことは、君の国の言葉だったな。まさか実体験するとは思わなかったよ」

 何時もの会議室で、何時もの面々から、何時もと同じ様に文句を言われるゲンドウは、これまた何時もの姿勢で堂々とそれを聞いていた。

「詳細についてはご報告した通りです。最善の行動を取ったと思われますが」

「無論承知している」

「あの規模の事態に対し、被害が少なかったのは確かだ」

「左様。サードインパクトを回避し、リリスの覚醒を終結させたのは、我らも評価している」

「負傷者はあれど、死者がゼロというのも特筆すべき事項だ」

「エヴァ、ロンギヌスの槍、そしてリリスと言う問題が全て片付いたのも、素晴らしい結果だよ」

「……褒めるのか叱責するのか、どちらかにして貰いたいものです」

 言葉面だけをとれば、老人達にしては珍しいべた褒めだ。だが彼らが全員苦虫を噛み潰したような顔で、しかも怒ったような口調で言われてしまうと、流石のゲンドウも対応に困る。

 一体彼らは何を自分に伝えたいのかと。

「碇。我らは別にお前を咎めるつもりは無い。ただ一つ、気になっている事があるだけだ」

「……何でしょうか、キール議長」

「事態の収束より三日が過ぎ、世界は既に落ち着きを取り戻している。ゼーゲン本部も修復工事が始まり、未来へと歩み出そうとしている。にも関わらず、何故シイは我らの前に現れない」

「……は?」

 真面目な口調で話すキールに、ゲンドウは思わず間の抜けた返事をしてしまう。

 

「彼女こそ、我らに新たな希望をもたらした存在。いわば女神だろう」

「左様。その女神を隠すのは頂けないね」

「あれだけの大仕事をした後だ。入院して検査と静養が必要だったのは分かる」

「しかし三日だ。もう我らの我慢も限界を迎えているぞ」

「「さあ碇君。シイちゃんを我らの前に!」」

 ピッタリ息の合った老人達に、ゲンドウは緊張していた自分が馬鹿らしくなり、大きくため息をついた。

「……仰りたい事は理解しました。言いたい事は山ほどありますが、一つだけ」

「発言を許可する」

「シイは精密検査が長引いている為、貴方達にお礼を述べる事が出来なかったのです」

 ゲンドウの発言は、審議室の面々に多大なショックを与えた。

「何だと!?」

「あの子に何があったんだ!」

「せ、精神汚染か? それとも負傷をしたのか? そんなのは報告に無かったぞ!」

「……その心配はありません。ただ、万が一にも不安要素を残さない為の処置です」

 奥歯に物が詰まったような言い方をするゲンドウに、老人達の苛立ちは募る。それを理解した上で、ゲンドウはこの時間を終わらせる手を打つことにした。

「その証として、シイから貴方達への音声メッセージを預かっています」

「「な、何!?」」

「どうぞメールボックスを確認して下さい」

「「そ、そうか。ではこれにて失礼する」」

 シイからのメッセージを聞くために、老人達は大慌てで立体映像を消す。残されたキールとゲンドウは、そんな光景に呆れ顔を浮かべた。

「やれやれ、彼らにも困ったものだ」

「キール議長はよろしいのですか?」

「……あの子の気持ちも分かるつもりだ」

 キールの言葉の意図を察し、ゲンドウは沈黙する。

「神に祝福されし子。恐らくあの変化はその証だろう」

「……ええ」

「だが碇シイである事に変わりは無い」

「私達もそう思っています」

「シイに伝えて欲しい。我々はお前の笑顔を楽しみに待っている、と」

「承知しました。では失礼します」

 重々しく頷くキールを残し、ゲンドウは会議室を後にした。

 

 

~あの後 その2~

 

「おや、老人達の愚痴は終わったのか?」

「以前収録しておいた、シイのメッセージであしらった」

 司令室に戻ったゲンドウは、冬月の問いに答えながら席へと腰を下ろす。

「今回は彼らにも借りを作ったからな。シイ君のメッセージはお礼代わりと言う訳か」

「ああ」

「本来ならシイ君に登場願いたい所だったが……」

「今は無理をさせるべきでは無い。本人もまだ戸惑っている節がある」

「気にしていた様だったからな……。あれはあれで、十分魅力的だと思うが」

「……手を出したら殺されますよ、冬月先生」

 思わず敬語に成る程、本気で忠告するゲンドウに、冬月は苦笑しながら頷いた。

「まあ良い。ところで仕事の話に戻るが……これを見てくれ」

「…………」

 冬月が机の上に広げたファイルに目を通した瞬間、ゲンドウの表情が引きつる。そこには本部の修復予算として、目を逸らしたくなる額が提示されていたからだ。

「因みにこれは、必要最小限の修復で掛かる費用だ。ターミナルドグマの処理、不要な施設の破棄などを考えた場合、数倍は見ておくべきだな」

「……冬月先生、後を頼んでも良いですか?」

「はぁ。元よりそのつもりだ。シイ君に余計な気を遣わせない為にもな」

 丸投げを決断したゲンドウにため息をつきながら、冬月は頷いて見せた。

 

 

 

~あの後 その3~

 

 病室のベッドで横になるアスカは、ベッドサイドの椅子に腰掛けているレイと会話を交わしていた。

「ふ~ん。シイはまだ出てこられないのね」

「……ええ。まだ検査が続いているわ」

「ったく、何をちんたらやってんだか」

 レイの言葉を聞いて、アスカは不満げに唇をとがらせる。

「仮にも次期トップなのに、随分と暢気なものね」

「……だから余計に周囲も気を遣っているの。それにシイさんもアレを気にしているわ」

「変なとこで神経質な子ね。……まあシイがあんたぐらい図太かったら、それはそれで気持ち悪いし」

 あの騒動の後、検査を終えたレイは直ぐさまアスカの元へ謝罪に訪れていた。一切の言い訳も無く、ただ自分がアスカを傷つけた事実だけを詫び続けた。

 普通は友人との関係が壊れてしまわないかと、少なからず対面を躊躇したりするのだが、レイにはそれが無い。あまりに潔く堂々としたレイの態度に、アスカは呆れながらもその謝罪を受け入れた。

「……リンゴを剥くわ」

「あ、うん。一応言っておくけど、ママが言ってた『傷物にした責任を取れ』ってのは気にしなくて良いのよ?」

「……私が食べたいから」

「そうよね、あんたはそう言う子だったわ」

 以前と変わらぬレイの態度に、アスカは悪態をつきながらも安堵していた。壊れてしまったと絶望したあの関係は、今もこうして途切れずに続いているのだと。

 

「あれ、あんた皮むきとか出来たっけ?」

「……問題無いわ」

 自分と同じで料理が出来ない筈だと問いかけた瞬間、レイはATフィールドによる不可視の刃で、リンゴの皮をあっさりと切り裂いた。綺麗に八等分されたリンゴを見て、アスカは呆れたようにため息をつく。

「ちっとは自重しなさいよ。てか無駄遣いにも程があるわ」

「……アスカも食べたいの?」

「どうしてそうなるのよ……まあ貰うけどさ」

 両腕が動かない為、自然とレイに食べさせて貰う形になる。あんぐりと開けたアスカの口に、レイはリンゴをそっと放り込む。その瞬間だった。

「アスカちゃ~ん。お見舞いに来たわよ~」

「!?」

「あらあら」

 最高のタイミングで病室へ入ってきたキョウコは、レイがアスカにあ~んをさせている光景に、何故か嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「うふふ、二人ともすっかり仲良し夫婦ね。ママ安心しちゃったわ」

「だ・か・ら、それはもう良いから!」

「……私にはシイさんが居るから、アスカは二号ね」

「あんたもさらっと、とんでもない発言してんじゃない!」

「レイちゃんったら、罪作りな女ね」

「……大丈夫。尽くすタイプだと思うから」

「どう考えても逆でしょ! あ~も~いい加減にしなさ~い!!」

 アスカの叫び声がゼーゲン中央病院に響き渡った。

 

 

~あの後 その4~

 

「は~。そんで三人揃って叱られとったんやな」

「病院で騒げば当然だね」

「……うっさいわよ」

 お見舞いにやってきたトウジとカヲルに、アスカは不機嫌丸出しの態度で答えた。

 結局あの後、叫び声を聞きつけた医師と看護師によって、三人は大目玉を食い、唯一の大人であったキョウコは責任者として、今も病院の事務所で説教を受けている。

「ま、大声が出せるのは元気な証や」

「骨折しても、じゃじゃ馬は治らなかったか」

「……だってアスカだもの」

「それで納得されるのも、何だかむかつくわね」

 レイの言葉に頷き合うトウジとカヲルを見て、アスカは不満げに呟いた。

「冗談はこん位にして、お前のそれはどない感じなんや?」

「精密検査の結果が出たんだろ?」

「……後遺症は覚悟しろってさ」

 アスカが告げた言葉は、レイの心を強く締め付ける。彼女の両腕と右足を徹底的に痛めつけ、後遺症が残る程のダメージを与えたのは、紛れもなく自分なのだから。

 改めて自らの行いを悔い、俯くレイ。

「……ったく、このあたしを誰だと思ってんのよ」

「惣流?」

「あたしは天才美少女のアスカ様よ。あんなヤブ医者の言葉なんて、あっさり覆してやるわ」

 当のアスカは全く悲観すること無く、真っ直ぐ未来を見据えていた。幾多の経験を積んで成長したのは、何もシイだけでは無い。アスカもまた、どんな困難にも立ち向かえる強靱な精神力を培っていた。

 何とかなる。きっと出来る。それがアスカがあの少女から学んだ事であった。

 

「惣流らしいっちゅうか、相変わらず自信過剰なやっちゃな」

「天才はさておき、美少女には疑問符が付くね」

「はん、言ってなさい。いずれあたしの美貌に、世界中が注目するんだから」

 話題を微妙に逸らしつつ、あえておどけてみせるアスカ。そこにはレイに対し、もう気にするなと言う無言のメッセージが込められていた。

 実際ゼーゲンの治療技術を用いれば、十分に完治する見込みがあり、決して虚勢を張っている訳では無い。

「それよりもあんた達、まさか手ぶらで来たわけじゃないでしょうね」

「当たり前や」

「最高級品のチョコレートを献上するよ」

 二人にしては珍しく、気合いの入ったお見舞いの品を見て、アスカは事情を察した。

「渡せなかったのね」

「やっぱ分かるか?」

「お見舞いにチョコレートなんて、あの子以外に無いもの」

「ご明察。シイさんには一切の干渉を許されなかったよ」

 普段通りの様子で答えるカヲルだが、そこには僅かな寂しさが混じっていた。せめて大好物だけでも渡したいと言う想いが届かなかったのだから、当然とも言えるが。

「シイの奴……寂しがっとらへんやろか」

「今は待つしか無いね。ただ少しでも隔離が緩んだら、揃ってシイさんに会いに行こう」

「そうね。てか、いい加減それが叶わないと、暴走しそうな連中も居るし。……ね、お姉さん?」

「……不可抗力よ」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべるアスカに、レイは冷や汗を流しながら答えた。

 

 

 

~あの後 その5~

 

 被害を免れたターミナルドグマの一区画を、加持と時田が並んで歩いていた。どちらも先の一件で大忙しなのだが、リツコからの緊急招集を断る程、薄情でも無かった。

「少しやせたんじゃ無いか?」

「ははは、メタボ対策には丁度良い位ですよ。そう言う加持さんも、顔に疲れが見えますね」

「徹夜なんて学生時代はざらだったが……歳をとったって事かな」

 たわいない雑談をしながら、二人は目的の場所である、管制室へと辿り着いた。

「よう、りっちゃん。元気にやってるか?」

「伊吹二尉もお疲れ様です」

「あらリョウちゃんに時田博士。随分と早いわね」

「加持主席監査官、時田博士。お疲れ様です」

 管制室に現れた二人をリツコとマヤが出迎える。先程の二人の会話では無いが、リツコとマヤにも一目で分かる程、疲れの色が浮かんでいた。

「どうやら相当苦戦してるみたいだな」

「正直、気が休まるときが無いわ」

「隙あらば、ですから」

「ふむ、成る程。この子達が話に聞いていた……」

 管制室のモニターをジッと見つめる時田。そこには二十人は居るであろう青い髪の少女達が、円を作って何かを相談している姿が映し出されていた。

 彼女達こそ、シイがリスクを冒してでも救いたいと願った、レイのクローン達であった。

 

「あの場所は?」

「レイが幼少期を過ごした場所を、超特急で改装したの。流石にまだ表には出せないからね」

「まあ、いきなり彼女達が出てきたら、流石に混乱を招くでしょうし、賢明な判断ですよ」

 少女達の容姿はレイと全く同じであり、それが二十人も居れば間違い無く周囲は混乱するだろう。記憶や知識をも引き継いでいるとなればなおさらだ。

「ま、状況は分かった。それで俺達を呼んだ理由を教えてくれるかな?」

「……実はあの子達、脱走を企てているの」

「ほほう、それは穏やかではありませんな」

「現在までに二十一回、全て未遂で済んでいますが……段々手が込んできてまして」

 困ったようなマヤの口ぶりに、時田と加持はその苦労を察した。

「始めは騒いだり力ずくなんて可愛い物だったけど、一番最近だと仮病まで使い出したわ」

「何が有効かを確かめていた訳か」

「ベース素体がレイなので、相当の知略知謀を兼ね備えていると思われます」

「ならば今も作戦会議をしていると。……喧嘩をしたりしないんですかね?」

 似過ぎた者同士は憎み合うと言う言葉があり、時田はそれを気にする。しかしリツコは何とも複雑な感情を込めた顔で、静かに首を横に振った。

「あの子達は自分と他の子の区別が、しっかり出来ているみたいね。見ての通り、協力する事こそあれ、喧嘩なんて一度たりとも無かったわ」

「そりゃまた……」

「まあ険悪になるよりは、よほどましですかね」

 微妙な笑みを浮かべる加持と時田。その時モニターを見ていたマヤが、驚いた様に目を見開く。

「え!? 先輩! あの子達が」

 マヤの声に三人がモニターに視線を移すと、そこには取っ組み合いを始める少女達の姿があった。大声で相手を罵倒し、胸ぐらを掴みあげ、関節技合戦を繰り広げる者まで現れる。

「おいおい、どう言う事だ?」

「これはいけませんね。早く仲裁に入らなければ」

「……成る程。今回は中々考えてきたわね」

 焦る加持と時田を余所に、リツコは落ち着いた様子で唇を笑みの形に歪める。そして呆気にとられる三人の視線を受けながら、端末の通信ボタンを押す。

「貴方達! 残念だけどその作戦は失敗よ。誰も仲裁に入らないし、ドアロックも外さない。それにこのまま喧嘩を続けるなら……シイさんに言いつけるわよ!」

『!!??』

 スピーカー越しにリツコの声を聞いた少女達は、ビクリと身体を震わせると、何事も無かったかの様に喧嘩を止め、直ぐさま全員が正座をして反省の態度を示した。

「そう、良い子ね。大人しくしていれば、ちゃんとシイさんに会わせてあげるから」

 コクコクと頷く少女達を見て、リツコは満足げに通信を切った。

 

「マヤ、二十二回目の脱走未遂。記録しておいて」

「は、はい」

「そんな訳で、いずれ脱走を成功させる子が出る可能性を否定出来ないの」

 ため息をつきながら肩をすくめるリツコを見て、加持と時田は自分達が呼ばれた理由を察した。

「万が一脱走を許しても、確実に身柄を確保出来る様に、手を打っておきたいのか」

「加持さんが人的な対策を、私が隔壁等の施設的な対策をと言うわけですな」

「話が早くて助かるわ。忙しいとは思うけど、お願い出来るかしら?」

 手が空いている訳では無いが、今の光景を見せられてはとても断れない。二人は苦笑しながらも、リツコの要請を受ける事にした。

「ありがとう。……まあ一番の対策は、シイさんに会わせる事なんだけどね」

「ああ。彼女達が脱走を企てるのも、あの子に会いたいからだろう」

「……まだ、時間が掛かるのですかね?」

「現在、赤木ナオコ博士と碇ユイ補佐官が専任で対応しています」

「神経質になりすぎ、とは言えないな」

「早く会いたいですな……笑顔のシイさんと」

 四人は寂しそうな笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

~あの後 その6~

 

 ゼーゲン中央病院の特別病棟。そこはかつてシイが軟禁扱いで入院していた事もある、特殊施設。全ての病室は外部からしか開けることは叶わず、一種の隔離施設とも言えた。

 保安諜報部によって、厳重に警備態勢が敷かれるそこを、白衣を着た二人の女性が訪れる。

「碇補佐官、赤木博士。お疲れ様です」

「ええ、お疲れ様」

「変わりは無いわね?」

 黒服の男が頷いたのを確認すると、ユイとナオコは病室のロックを外して、静かに入室した。

 

 広い病室に置かれたベッドで、一人の少女が身体を起こして本を読んでいた。ショートカットの黒髪と、左右で違う色をした瞳が印象的な少女は、ユイとナオコの姿を認めると、満面の笑顔で出迎える。

「あ、お母さん。ナオコさん。こんにちは」

「うふふ、今日も元気ね、シイ」

「退屈して無かったかしら?」

「検査だから仕方ないですよ。でもナオコさんがくれたこの本が凄く面白いので、全然平気です」

 ユイとナオコにオッドアイの少女、シイは手にした本を見せて微笑む。

「今日はシイさんに、検査の結果を報告に来たの」

「みんなに会えるんですか!?」

 あの件以降、二人以外との面会が許されなかったシイは、ナオコの言葉に身を乗り出して食いつく。レイ、アスカ、カヲル、トウジ、言葉を交わしたい人は大勢居るのだから。

「ええ。ただその前に検査結果は伝えておくわね」

「うん」

「まず肉体的な外傷は無かったわ。病気もしてないし、身体は至って健康そのものよ」

「精神面も問題なしね。記憶や知識の欠落も無く、こちらも正常だったわ」

 ユイとナオコの報告を聞いて、シイはほっと胸をなで下ろす。あれだけドタバタのサルベージだった為、何処かに異常があるかもと、正直不安ではあった。

 優しい人類の母にシイは心の中で感謝する。

 

「後はシイのそれだけど……」

 ユイは少し言いづらそうに、シイの左目を指さす。髪と同じ黒色をしていたそれは、リリスからの帰還後、レイやカヲルと同じ赤色へと変化していた。

 レイと比べてシイの検査が長引いてしまったのは、これが大きな要因だった。

「残念ながら原因の特定は出来なかったわ」

「うん、でも私はもう気にして無いよ。最初はちょっと怖かったけど……レイさんとお揃いだし」

 初めて鏡でそれを確認した時、シイは困惑と動揺を露わにした。自分の身体に何か異変が起きたのではと、気にせずには居られず、鏡を見るのを拒んだ事もあった。

 だが時が経つにつれ、少しずつ自らに起こった変化を受け入れていく。それは変化した目の色が、自分の大切な二人と同じであった事も、大きく影響していたのだろう。

 ユイとゲンドウの娘である証は右目に残り、カヲルとレイの兄妹姉妹である証を左目に宿した。そう意識すれば、何も怖い物など無かった。

「因みにこれはあくまで仮説だけど……遺伝子が変化したのかも知れないわ」

「え?」

「貴方はリリスの内部で一度肉体を失って、再構築されて戻ってきた。それはレイの肉体も同じだから、互いの遺伝子が反応、あるいは一部融合した可能性もあるわね」

「……そうだと嬉しいです」

 ナオコの言葉はあくまで推論に過ぎない。だがシイにとって、それが一番安心出来る理由であった。

「さて、検査が問題無かった以上、直ぐにでも退院出来るけど……」

「気持ちの整理は付いている?」

 オッドアイになった姿は、モニター越しに見たアスカなど、極一部の人間しか知らない。変わった自分を人前にさらす覚悟は出来ているかと言う問いかけに、シイは小さく頷く。

「うん。みんなには怖がられちゃうかもしれないけど、ちゃんと伝えたいから。……ただいまって」

 ニッコリ微笑むシイを見て、ユイとナオコは確信した。

 自分達が待ち望んでいた宝物は、何一つ変わること無く帰ってきたのだと。

 

 

~ただいま~

 

 その後、ゼーゲン本部ではシイの帰還を祝うパーティーが開かれた。後始末で大忙しの職員達だったが、驚異的な作業速度で業務を片付け、当日開催を実現して見せた。

 主要スタッフを始め、負傷した警備隊の面々まで加えたほぼ全職員が会場に集まり、アスカも医師の反対を押し切って車椅子で駆けつける。

 やがて壇上にシイとレイが登場した瞬間、空気を奮わせる程の歓声が沸き起こった。

「え、えっと、みなさんこんにちは。碇シイです」

「……碇レイです」

「この度はとっても素敵な会を開いて下さり、ありがとうございます。そして……私達が大変ご迷惑をおかけしまして、ごめんなさい」

「…………」

「ほら、レイさんもちゃんと謝るの」

「……ごめんなさい」

 シイに促され、ペコリと頭を下げるレイ。そんな二人の姿に、職員達はやっと何時もの光景が戻ってきたのだと、こみ上げる喜びを感じていた。

「色々な事がありましたけど、こうして私とレイさんが居られるのも、皆さんのお陰です。本当にありがとうございます」

「……ありがとう」

「だから今日は私達のお祝いでは無くて、頑張った皆さんにありがとうを伝える会って言いますか……」

「……慰労会」

「うん。そんな感じでみんなで笑い合えたら嬉しいです」

 シイの言葉に会場が拍手で包まれる。彼らにはシイの目が変化している事は分かっている。だがそんな些細な事など、気にする者は誰一人として居なかった。

「それじゃあ最後に…………みんな、ただいま!」

「「お帰りなさい!!」」

 全てが終わり、宝物が戻ってきた瞬間であった。

 

 




過去最長エピソード『アダムとリリス』編、完結です。

レイシスターズに関しては、次回に専用エピソードを用意しています。
本当はここに入れたかったのですが、思った以上に尺が……。

作者が予定していたシリアス部門、謎の回収は終わったかなと思います。
もし『あれが投げっぱなし』など気になる点がありましたら、お手数ですが教えて頂けると助かります。
次からはアホタイムに路線を戻し、碇シイ育成計画の後半ですね。
それ程長くならずに、ラストまで辿り着けると思います。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※一部表現を訂正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《シイスターズ》

~貴方に二十人の妹ができました~

 

 パーティーの翌朝、シイは再びゼーゲン本部を訪れていた。パイロットを解任されてから、学校がある平日にこうして本部に来る事は無かった為、制服を着たシイの顔にも緊張の色が見える。

 すれ違う職員達と挨拶を交わしながら、彼女は司令室へとやって来た。

「失礼します」

「おはようシイ君。急な呼び出しをして済まなかったね」

「いえ、気にしないで下さい」

 詫びる冬月をシイは気遣う。あれだけの騒動後なのだから、自分が呼び出された理由も、重大かつ急を要する物だと理解していたからだ。

「……あの、ところで冬月先生お一人ですか?」

「碇とユイ君も直ぐに来るよ。少し準備に手間取っていてね」

「準備?」

「そうだね、まだ時間もあるようだし、軽く説明だけしておこう」

 不思議そうに首を傾げたシイに、冬月は軽く咳払いをしてから話し始めた。

 

「レイのクローン達が魂を宿した事は聞いているね?」

「はい、お母さんに教えて貰いました。……ひょっとして」

「ふふ、察しの通りだよ。今日は君に彼女達と会って貰おうと思っているんだ」

「本当ですか!?」

 予想していなかった嬉しい報告に、シイは顔を輝かせる。入院中に魂を宿した事は知らされていたが、自分があの状態だった為、彼女達と会うことは叶わなかった。

 リスクを冒してでも救いたいと願った少女達と、遂に対面することが出来る。シイのテンションは否応なく高まっていった。

「楽しみだな~。あ、でもそれなら、レイさんも一緒の方が良かったのに」

「……いや。少なくとも今日に限っては、それは止めておいた方が良い」

「え?」

「……下手をすれば血を見るからね」

 深刻な表情で呟く冬月の心中を察する事は、シイには出来ようも無かった。

「まあとにかく、これから彼女達が来るのだが……心の準備はしておいてくれ」

「そうですね。やっぱり第一印象が大事ですし」

「君の場合、それは不要だよ。彼女達はシイ君の事を良く知っているからね」

 レイがあの事件の直前まで記憶などの抽出を行っていた為、クローン達はレイのパーソナルを引き継いでいる。今後生活していくにつれて、完全に別の個性が出てくるのだろうが、今はまだレイに近い存在だった。

「そう言えばそうでした。……あれ、じゃあ心の準備って何ですか?」

「うむ、実はだね」

 冬月がシイに説明をしようとした丁度その時、司令室のドアが開かれる。その向こう側に居たのはゲンドウとユイ、そしてレイと同じ容姿をした少女達だった。

 

「……待たせたな」

「ううん、全然待って無いよ。それでお父さん、その子達が」

「ああ」

 ゲンドウは小さく頷くと、少女達から離れて冬月の隣へと移動する。シイと冬月、ゲンドウが、ユイと少女達に向かい合う形になり、司令室に妙な緊張感が漂う。

 レイと全く同じ容姿をした少女達に見つめられるシイは、大きく深呼吸をしてから一歩前へ出る。

「は、初めまして。私は碇シイです」

「…………」

 まずは自己紹介をと頭を下げるシイに、しかし少女達は無言。ひょっとしたら自分は嫌われているのかも、と不安を感じながらも、シイは更に言葉を紡ぐ。

「えっと……貴方達とこうして会えて、凄く嬉しいです」

「…………」

 数々の強敵を沈めてきたシイの笑顔にも、やはり少女達は無言。見れば握られた拳はプルプルと震えており、まるで何かを堪えているかの様だった。

(や、やっぱり怒ってる。私が勝手に魂を宿らせちゃったから?)

 それでもシイは諦めずに、少女達とのコミュニケーションを図る。より距離を近づけるために、変に気取った口調を止め、普段と同じ様に接する事にした。

「あのね、私はみんなと仲良くなりたいと思ってるの。だからもし良かったら、私と友達になって下さい」

「…………」

 握手を求めて右手を差し出すシイに、今度も少女達は無言……だったが、明らかに様子がおかしい。拳だけでなく全身を震わせ、全員が目を逸らすように俯いてしまう。

 その態度を見て、シイは自分を受け入れて貰えなかったのだと、悲しげに眉を歪める。

「……ごめんね。私の事嫌いなのに……勝手な気持ちを押しつけちゃって……」

「っっ~~~!!」

 シイのそんな姿を見た瞬間、少女達の中で何かが弾けた。全員揃って身を屈めたかと思うと、一斉にシイに向かって猛突進を仕掛ける。まるで敵を見つけたかの様な迫力に、シイは思わず身を竦ませてしまう。

 少女達は赤い瞳を輝かせて、完全に無防備となったシイへ飛びかかった。

「「シイお姉様!!」」

 ただそれは、シイの予想とは真逆の意味で、だったが。

 

 

 大勢の少女達を受け止めるには、シイの身体はあまりに小さすぎた。次々と身体に抱きついてくる少女達の圧力に負け、為す術無く押し倒されてしまう。

(あ、柔らかくて……暖かい……でも息が……く、苦しい……うぅぅ)

 全身を柔らかい身体で包まれ、呼吸を封じられたシイの顔色が、赤から青、そして白へと変化していく。薄れゆく意識の中にガフの扉がうっすらと見えかけたその時、救いの手が差し伸べられた。

「はい、そこまでよ。このままだとシイが潰れちゃうわ。一度離れましょう」

 ユイが両手を叩きながら告げると、少女達はビクリと身体を震わせて動きを止める。だがシイを手放したく無いのか、一向に身体を離す気配は無い。

「あらあら、困った子達ね。私との約束……忘れちゃったのかしら?」

「「!!??」」

 ほんの僅か、ユイの声色が低くなっただけで、場の空気が一瞬にして凍り付いた。少女達は焦ったように首を横に振ると、名残惜しそうにシイから離れる。

 その隙を突いて、ゲンドウが倒れたシイに手を差し伸べた。

「大丈夫か、シイ」

「はぁ、はぁ、う、うん。ちょっとガフの扉と、怒ったリリスさんが見えただけだから」

「……何?」

「まだここに来るんじゃ無いって、扉の前で仁王立ちしてた……」

 どうやら相当危機的状況だったらしく、ゲンドウと冬月は冷や汗を流す。折角生み出した娘が一週間も経たずに戻ってきたとあらば、当然リリスだって怒るだろう。

 更にカヲルとレイも暴走するのは目に見えているので、それこそ世界の終局、ファイナルインパクトの危機であった。

「冗談と聞き流したい所だが、シイ君が言うと洒落にならんな」

「……ああ」

 軽くスカートを払うシイを見ながら、ゲンドウと冬月はこの子を必ず守り通すと、固く心に誓った。

 

 

 落ち着きを取り戻した少女達とシイは、再び向かい合う。ただ先程までとは大きく違い、少女達全員が隠しきれない好意を露わにしていた。

「ふぅ、驚いたでしょう。この子達も反省しているから、許してあげてね」

「全然気にしてないよ。嫌われてたと思ってたから、嬉しかったくらい」

「あれは私がお願いしてたのよ。キチンと自己紹介が終わるまでは、大人しくしてる様にって」

「……両極端なのはレイ譲りと言う訳か」

 納得したように冬月は小さく頷いた。魂こそ全く別物であるが、身体にはレイのパーソナルが蓄積されている。影響を受けていても不思議では無い。

「では改めて。この子達が元レイのクローン体、通称シイスターズよ」

「……ごめんなさいお母さん。私の聞き間違いかな。シスターズだよね?」

「いいえ、シイスターズよ」

 ニッコリと微笑むユイには、一切の反論を許さぬ迫力が宿っていた。それはすなわち、命名者がユイである事の何よりの証明であった。

「地球と一つに、星になったリリスと貴方によって生み出された子。だからシイスターズよ。因みにレイと同じく貴方の妹だから、シスターとも掛けてるの」

「……ひょっとしてお母さん」

「うむ、大学時代からネーミングセンスはこうだった」

「……ああ」

 一人満足げにしているユイを余所に、シイ達は何とも微妙な表情を浮かべていた。

 

「ごほん。まあ名称は置いておくとして、この子達は戸籍上、正式に私とユイの娘となった」

「だからさっき、私の事をお姉さんって呼んだんだね」

「……いえ、お姉様はお姉様です」

 沈黙を守っていたレイスターズの一人が、一歩前に踏み出して声を発する。すると他の面々も、その通りだと何度も頷いて同意を示す。

「え、えっと」

「ずっとこの調子なのよ。レイは貴方に信頼と愛情を持っているから、この子達にその影響が出てもおかしく無いわ。でもここまで極端になるなんて……」

「シイスターズの諸君。君達にとって、シイ君は姉と言う認識なのかね?」

 状況を把握しようと問いかけた冬月に、シイスターズは揃って首を縦に振る。一切の迷いが無かった所を見ると、それは間違い無いのだろう。

「成る程。ではレイの事はどう思っている?」

「……レイお姉様です」

「碇とユイ君はどうかな?」

「……お姉様の父親と母親です」

「では最後に、渚カヲルは――」

「「倒すべき敵です」」

 素晴らしく統制の取れたシイスターズの返答に、冬月は満足げに頷いて見せた。一連のやり取りで、彼は何らかの確信を得たのだろう。

「大体理解したよ。これは私の仮説だが……この子達はシイ君に対して、自分達を生み出した絶対の存在として、特別な感情を抱いていると思う。レイも同様だろう」

 一方でゲンドウとユイの事は、あくまでシイとレイの両親として認識している。この事からシイスターズは、シイとレイの二人だけを特別な存在だと思っていると推測出来た。

 

「ところで君達の望みは、やはりシイ君と共に暮らすことかね?」

「……いいえ」

 まず間違い無いだろうと思っていた問いかけは、しかしあっさりと否定される。ゲンドウとユイも冬月と同じ考えだった為、予想外の反応に驚きを隠せない。

「ならお前達は何を望む?」

「…………お姉様達と愛し合う事です」

 その瞬間、司令室の空気が一変した。シイスターズの赤い瞳は、まるで獲物を狙う獣の様な輝きを放ち、意図を理解したゲンドウ達は、緊張した面持ちでシイの側へ歩み寄る。

 一触即発の状況下で、しかしただ一人空気を読めないシイは、無防備にシイスターズに手を差し出す。

「?? 私はみんなの事好きだよ。だから家族として一緒に暮らそうよ」

「……愛し合ってくれますか?」

「勿ろ――っっっ~」

 迂闊な返答をしかけたシイの口を、険しい表情のユイが慌てて塞ぐ。歪んだ碇家の教育を矯正しきれなかった事を悔やみつつも、脳内ではこの状況の打開策を巡らせていた。

「……お母様は反対するの?」

「それこそ勿論よ。娘が間違った道へ引きずり込まれるのを、黙って見ていられないわ」

「どうやらレイの影響は、負の側面もあったようだね」

「……ああ」

 真っ向から対立した両者は、互いに臨戦態勢へと移行していく。

「け、喧嘩は駄目だよ。どうしてみんな怖い顔してるの?」

「貴方を守る為よ、シイ」

「そんなのおかしい。だってみんな私と愛し合いたいって言ってるのに」

「……お義父さん。ツケを払う時が来た様です」

 当の本人がまるで危機感を抱いていない状況に、ゲンドウは遠く離れたイサオを思う。

「……邪魔をするなら」

「……例えお姉様のお父様とお母様でも」

「……殲滅します」

「こうなったら仕方ないわ。あなた、冬月先生。よろしいですわね?」

「ああ、問題無い」

「やれやれ、こうした荒事は久しぶりだよ」

 こうしてゼーゲン本部司令室で、前代未聞の下克上が発生した。

 

 

 数の有利を生かし、シイスターズはシイを確保するために行動を開始する。三方に人数を分けて、ゲンドウ達の各個撃破を試みた。

「こう見えても、護身術の心得はあるのよ」

「……碇ユイ」

「……お姉様のお母様」

「……京都の碇家の一人娘」

「……自称二十八才。実年齢三十八才」

「……もうばあさん」

「くっ! ま、まだ心は若いつもりよ」

 実はこっそり気にしていたユイは、思わぬ挑発に心を乱してしまう。その隙をシイスターズが逃すはずも無く、数の優位を生かして一斉に飛びかかった。

 いかに武術の心得があろうとも、ユイ自身はごく普通の女性。中学生複数人に力ずくでしがみつかれれば、それをふりほどく術は無い。

「……最大脅威を確保」

「……油断しないで。この人は魔女と評判だから」

「……了解」

「……紐で両手両足を縛ってから、三人で身体を押さえ込み続けるわ」

 妙に手慣れているシイスターズは、鮮やかな手つきでユイを拘束する事に成功した。

 

 シイを背後に避難させながら、ゲンドウは冬月と共にシイスターズとバトルを繰り広げる。こちらはユイの様な技量では無く、成人男性と言う体格差を生かして、どうにか迫り来る少女達を退けていた。

 だが、やはり数に勝る力は無い。圧倒的な戦力差は、次第にゲンドウ達を敗勢へと導いていく。

「くっ! シイ、お前は司令室から離脱しろ」

「え?」

「こいつらの狙いはお前だ。ここは私達に任せて、お前は逃げるんだ!」

「やはりレイの技量を受け継いでいるか。厄介だな……」

 やがて周囲を完全に包囲されたゲンドウ達。じりじりと間合いを詰める少女達を前に、敗北を悟ったゲンドウはある決断を下した。

「冬月先生……」

「ああ、分かっているよ」

「え? え?」

 何故かわかり合っている二人に、シイは困ったように眉をひそめる。そもそもシイには、何故喧嘩が起きているのかすら理解出来ていないのだから。

「シイ。これから私と冬月が突進して、ドアまでの道を開く」

「君は振り返らずに、そのまま発令所まで逃げ込むんだ」

「だから喧嘩なんかしないで、もっと落ち着いてお話しようよ」

「……頼むシイ。理解しろとは言わない。だが今だけは私達の事を信じてくれ」

 本気の心は相手に伝わる物。どうして自分を逃がそうとしているのか、シイには理解出来ない。だがゲンドウ達がその為に本気になっているのは分かった。

「う、うん。でも後でちゃんと理由を教えてね」

 そんなシイの頭を軽く撫でると、ゲンドウは優しい微笑みを送った。

「……子供の未来を邪魔する壁を壊すのは、親の役目だ」

「お父さん……?」

「私はもう十分に生きた。後は若い世代に託す……それが最後の仕事だよ」

「冬月先生……?」

 覚悟を決めた男の大きく頼もしい二人の背中を、シイは複雑な思いで見つめる。

「では行くぞ」

「準備は良いかね?」

「は、はい」

 シイが頷くと同時に、ゲンドウと冬月の特攻が始まった。

 

「シイに手を出したかったら、私を倒してからにしろぉぉ!!」

「私のシイ君に指一本触れさせんよぉぉ!!」

 雄叫びと共にシイスターズへと突進する二人。包囲陣形を取っていた為、場所辺りの人数は少なく、体格差で勝る二人は怒濤の勢いで道を開いていく。

 そんな父と恩師に守られ、シイはドア目掛けて必死で駆け抜ける。だがその目前で、ゲンドウが足首を掴まれて転倒してしまった。 

「碇!?」

「冬月先生……シイを……頼みます……」

「……分かった」

 一人では突破できないと判断した冬月は、シイの腰を掴んで高く持ち上げた。

「ふ、冬月先生!?」

「ぬぅぅ、山登り好きを……舐めて貰っては困る!」

 老体の何処にそんな力が残っていたのか、冬月はしがみつくシイスターズを物ともせずに、シイに文字通り指一本触れさせること無く、ドアまで送り届けた。

 ただその代償は大きく、グキっと言う嫌な音を残して、冬月はレイスターズに確保された。

 

「行きなさい、シイ! 誰かの為じゃ無い、貴方自身の貞操を守るために!!」

「お母さん……よく分からないけど、分かったよ」

 三人を残す事に罪悪感を覚えながらも、シイは司令室のドアを開けて廊下へと飛び出す。そしてそのまま発令所へ逃げようとしたのだが……。

「えへへ~。お姉様ゲット~」

 ドアの前で待ち構えていたシイスターズに、あっさりと身柄を拘束されてしまった。

 

「わ、わわわ」

「は~い、お姉様。大人しくしててね」

 思い切り身体を抱きしめられ、シイは身動きを封じられる。そのままゆっくりと司令室へ戻る少女に、ゲンドウ達は困惑を隠せない。

「まだ……居たというのか」

「始めから二段構えの作戦だった、と言う訳ね」

「ピンポーン大正解。万が一に備えて、ここに向かう途中に私だけこっそり抜けてたんだよね~。ま、二十人が十九人になっても普通は気づかないし、結果オーライって事で」

 他のシイスターズとは様子の違う少女は、シイの身体を一層強く、しかし愛おしげに抱きしめる。

「会いたかったよ、お姉様。仕方ないって言っても、私だけ挨拶も出来ないし、何か損な役回りだ~って思ってたけど、これまた結果的には役得って感じだよね~」

「え、えっと……貴方もみんなと同じなんだよね?」

「モチのロンって、ちょっと古いか~。まあ私はちょっと特別だけど、大体同じかな」

 妙にハイテンションな少女に、シイはペースを掴めずに困惑してしまう。

「ま、細かいことは気にしない気にしない。それじゃあ早速、愛し合いましょ」

「え? 愛し合うって……好きって気持ちを伝え合う事だよね?」

 シイにとってそれは感情の交換であって、能動的に何かをすると言う発想は無かった。目を丸くして不思議がる様子を見て、少女は心底嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「も~お姉様ったら初心なんだから。ちょー可愛い。ホント、食べちゃいたいくらい」

「????」

 怪しい光を放つ赤い瞳に見つめられ、シイは何故か背筋が凍るのを感じた。理屈や知識では無く、本能が危険だと訴えているのだ。

 しかし身動きの取れない状況では、逃げる事すら叶わない。両親と恩師が見守る前で、ある意味で最悪の結末を迎えるかと思われたが……。

「「ちょっと待った!」」

 彼女は神だけでなく、みんなに愛された子だった。

 

 

 

~シイちゃんファンクラブ参戦~

 

 突如司令室のドアが開き、そこから現れたのは、リツコを始めとするゼーゲン主要スタッフの面々。そしてもう一つ、シイちゃんファンクラブ幹部会員の面々でもあった。

「これ以上私のシイちゃんに手を触れる事は許さないわ」

「何よこれからが良いところだってのに、邪魔してくれちゃってさ。あ~も~超むかつく~」

「れ、レイのクローンにしちゃ、随分と感情表現豊かだな」

 不機嫌オーラ全開の少女に、思わず日向が怯む。それは他の面々の同様で、レイと全く同じ容姿でここまで性格が変わっていると、何とも言えぬ不思議な感覚にとらわれてしまう。

「そもそも何? あんた達いい年してお姉様を狙ってるの? 何、そう言う趣味な訳?」

「そうよ!」

「さ、流石先輩……」

「俺達に言えない事を平然と……」

 力一杯言い放ったリツコの姿に、マヤと青葉は感動すら覚えていた。そして流石にこの答えは予想していなかったのか、少女は顔を引きつらせて動揺を見せる。

「う、うわ~。あんたやばいんじゃ無い? それって変態よ、変態」

「科学者にとってそれは褒め言葉よ。そうですよね、ユイさん?」

「コメントは控えさせて貰うわね」

「とにかく、お姉様は私のもの。あんたなんかに渡さないわ」

「……あらあら、貴方達はそれで良いの?」

 少女の言葉に答えたのはナオコだった。彼女は挑発的な視線で、他のシイスターズを見回す。

「この子がシイさんを独占したら、貴方達はシイさんと愛し合えないわよ?」

「「!!??」」

 それはまさに、起死回生の一言であった。共通目的の為に手を組んできたシイスターズだったが、ここに来て初めて互いへの疑心が生まれてしまう。

「ちょ、ちょっとあんた達。こんなばあさんの戯言なんて、聞き流しなさいって」

「……独り占めする気?」

「……それは駄目」

「……私もお姉様と愛し合いたい」

「……心も身体も一つに」

 かくして、シイスターズによるシイ争奪戦が勃発した。全く同じ身体、同じ知性、知識を持つ少女達の戦いは、完全な泥仕合へと変わっていく。

 言葉には力がある。それが実証された瞬間であった。

 

 

 戦い続けるシイスターズを尻目に、ファンクラブの面々はシイの安全確保と、ゲンドウ達の救出を行う。色々と問題はあったが、どうにか無事に事態を収束できそうだと、誰もが安堵のため息をついた。

 因みに腰痛を再発させた冬月は、青葉と日向によって病院へ運ばれている。

「ふぅ、助かりましたわ。危ないところをありがとう」

「君達の働きに感謝しよう」

「いえ、ゼーゲンの職員として当然の事をしたまでですわ」

「……ところで、君達はどうしてこの事態に気づいた?」

 司令室は一切の盗聴盗撮を許さない、完全な機密保持を約束されている空間。外部からここでの出来事や会話を知る事は不可能だと、ゲンドウは眉をひそめた尋ねた。

 すると何故かリツコは冷や汗を流しながら、そっと視線を逸らす。

「……赤木君、正直に言えば情状酌量の余地はある」

「そ、その……ちょっとした茶目っ気で、こっそり監視カメラを設置してたり……」

「君の独断かね?」

「はい。処罰は覚悟しています」

 鋭い視線を向けるゲンドウに、リツコは観念したように小さく頷いた。

「ち、違います! 私も、私も協力しました。だから私も処罰を受けます」

「良いのよマヤ。全ては私の独断。それが真実なの」

「先輩はいつもそうやって、自分だけ責任を負って……私にも背負わせて下さい!」

「マヤ……」

「先輩……」

「そう。なら二人とも減給30%ね」

「「……はい」」

 上手く誤魔化せたかと思えたが、残念ながらユイには通じず、二人は無念そうに頭を下げた。もっともそのお換えで助かったのはユイも認めているので、実際に処分を下すつもりも無かったが。

 

「後は、あの子達をどうするかだけど……」

「ら、乱暴は駄目ですよ」

「ええ、勿論よシイさん。ただ世の中には暴力よりも、もっと怖い物があるって教えてあげるだけ」

 怪しく微笑むリツコに、この場にいる全員が少女達の末路を察した。

「……まあ良い。冬月の読み通り、ここにレイが居なかった事だけが救いだ」

「間違い無く暴走したでしょうからね」

 ユイが苦笑したその時、小さな振動がゼーゲン本部を襲う。地震かと初めは気にする事も無かったのだが、次第に振動は大きくなっていく。

 まるで……リリスの怒りを表すかの様に。

「これって、まさか……」

 ゴクリと息をのむ一同。彼らの脳裏をかすめた最悪の予感は、残念ながら現実の物となってしまった。開かれた司令室のドアから彼らは見てしまう。長い本部の通路を悠然と歩く、残酷な女神の姿を。

 

 

 血の様な赤い瞳に暗い光を宿し、全身から真っ黒なオーラをまき散らしながら、碇レイは司令室へと辿り着き、この騒動を終局へと導いた。

 シイスターズと、この場に居た全員の心にトラウマを残して……。

 

 




何だか久しぶりにアホを書いた気がします。

レイクローン達にも、無事シイスターズとニックネームが付き、さあこれからと行きたい所ですが……実質的に出番は次回でラストを予定しています。
流石に二十人は多すぎるので……。

次でアダムとリリス編の後始末を終えて、日常編に移行します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《姉と家族と天敵と(前編)》

~存在価値~

 

 彼我戦力差は一対二十。普通なら勝ち目など無い無謀な戦い。正常な思考が出来るのであれば、回避するべき状況。だがそんな常識を碇レイと言う少女は、いとも容易く崩壊させて見せた。

 荒れ果てたゼーゲン本部司令室には、全身ボロボロで正座をしているシイスターズの面々と、全くの無傷で彼女達を見下ろすレイ、そして困った顔で両者を見ているシイの姿があった。

 

 姉妹水入らずで話がしたいと言うレイの希望通り、他の面々は席を外している。レイが居ればシイは安全であり、シイが居ればシイスターズが消される恐れが無いからだ。

 お通夜会場の様な空気の中、レイはそっと口を開く。

「……何か言い残す事はある?」

「も、もうお姉様ったら、こんな軽い冗談にマジになっちゃって……あ、あはは」

 スッと目を細めたレイを前にしては、賑やかな少女も引きつる笑みを浮かべるしか無かった。普段怒らない人が怒ると怖いと良く言われているが、今のレイはまさにそれだ。

 感情を爆発させる事も無く、怒声を浴びせる事も無い。だが、それが逆に怖い。

「あの、レイさん。みんなも反省してると思うし、その辺で……」

「……ええ、分かっているわ。でも一つだけ確認しておきたい事があるの」

 シイのフォローに頷くと、レイはシイスターズへと視線を向ける。

「……どうしてこんな事したの?」

「だから、シイお姉様と愛し合いたかったからで……」

「……本当は?」

 思いがけない問い返しに、シイスターズは気まずそうに視線を逸らす。その態度を見て、レイは自分の想像が間違っていなかった事を確信した。

「……不安だったのね」

「不安?」

「そう……自分達が他の人と違うのを理解しているから、受け入れて貰えるのか、愛して貰えるのか不安だった。だからシイさんを求めた。愛して欲しかったのね」

 淡々と言葉を紡ぐレイに、シイスターズは無言のまま頷いた。

 レイのパーソナルを引き継いでいる以上、彼女達は自分の置かれている現状を把握出来ている。世に認められていないクローンで、しかも同種の個体が二十体も居れば、どんな事態を招くのかも。

 ひたすらにシイを求めたのは、産みの親とも言える存在であるシイから愛して欲しかったから。自分達は生まれてきても良かったのだと、認めて欲しかったのだ。

 

「……気持ちは分かるわ。私も同じだったから」

 レイもかつては己の存在価値を見いだせず、人形の様に過ごしていた。だがシイと出会い、初めて人に必要とされているのだと実感し、アイデンティティーを確立する事が出来た。

 だからレイには少女達の気持ちが痛いほど分かる。

「……でも、今回の行動は見逃せない」

「そりゃ強引だったのは認めるけど、だって仕方ないじゃん。シイお姉様の特別な存在になるには、積極的にこっちが動いて、それこそ既成事実でも作らないと無理って感じだし」

「え?」

「……シイお姉様は誰にでも優しくて甘い」

「……平等に愛を向ける」

「……だから誰もシイお姉様の特別にはなれない」

「……シイお姉様は好意を区別しない」

「……LikeもLoveも同じ」

「……だから誰もシイお姉様の特別にはなれない」

 勿論シイにも特別な存在、例えば家族であるゲンドウやユイ、レイが居る。アスカやカヲル、トウジにケンスケ、ヒカリも彼女にとっては特別な存在だろう。

 だが男女の恋愛に見られるような、ただ一人をオンリーワンとして愛する事は無かった。シイスターズが自らの存在価値として欲していた特別な存在とは、まさにそのオンリーワンを指していた。

「……お姉様に好きと言われて、とても嬉しかった」

「……友達になりたい。家族になりたい。でも」

「我が儘なのは分かってるけど、私だけを見て欲しいって気持ちもあるんだよね~」

 親の愛を独り占めしたいと思うのは、子供が抱く当然の感情。だから彼女達は直接的な手段で、シイからの愛を独占しようとしたのだった。

「それでも私達の行動が非常識だってのは確かだし……お姉様」

「「ごめんなさい」」

 シイスターズは揃って頭を下げ、シイに心からの謝罪をした。

 

「ううん、謝るのは私の方」

「シイさん?」

 悲しげな表情で首を横に振るシイに、レイは少し驚いた様子で問いかけた。

「みんなの気持ちを考えもせずに、ただ自分がみんなを救ったんだって……勝手に自己満足して喜んで、浮かれててた。一番貴方達を理解して無くちゃいけないのに、何も分かって無かった」

「…………」

「不安なのは当然だよ。私だってお父さんに捨てられた時、自分が必要無い存在だって思って、凄く悲しくて怖かったんだから」

 誤解が解けてもなお、ゲンドウとの決別はシイの心の傷として残っていた。シイも少女達と同じく、自身の存在価値を求め、それが博愛主義に繋がっている面もある。

「……私は馬鹿だね。こんな大切な事に今気づくなんて」

「……なら、もう一度やり直せば良いわ」

「そう。今レイお姉様が良いこと言った」

 シイも少女達も自らの行動を悔いているのなら、出会いからやり直せば良い。そんなレイのフォローに、リーダー格と思われる快活な少女が即座に反応した。

「勿論みんなも良いよね?」

「……ええ」

「……望むところ」

「OK。それじゃあ早速行ってみよ~」

 レイに促されて立ち上がったシイの前で、シイスターズは礼儀正しくお辞儀をする。

「初めましてお姉様。私達は貴方に生きる力を貰った、名前も無い存在です」

「……私達はお姉様に感謝している」

「……お姉様のお陰でこうして生きていられるから」

「……でも、私達は不安」

「……ヒトでは無い私達は、誰からも愛されないのでは無いかと」

「……ヒトでは無い私達は、誰からも必要とされないのでは無いかと」

「……ヒトでは無い私達は、生きて良いのかと」

「……だから、安心したかった」

「……必要だよと、生きていても良いと、愛していると認めて欲しい」

「……他の誰よりも、お姉様に認めて欲しい」

 少女達の心の叫びを、シイは目を逸らさずに真っ直ぐ受け止める。

「……私達はレイお姉様と同じ身体を持ってる」

「……知識と記憶を引き継いでいる」

「……でも心は私達が持って生まれた、私達だけのもの」

「……お姉様を愛おしいと想う気持ちは、誰かに与えられたものじゃ無い」

「……私達は私達。レイお姉様とは違う存在」

「……だからお姉様。私達を見て」

「……レイお姉様のクローンでは無く、一人の人間として見て欲しい」

「……もっとお話をして、色々な事を知りたい。知って欲しい」

「……それが私達の望み」

「……こんな我が儘な私達を、妹として、家族として受け入れてくれますか?」

 二十名の少女達からシイに伝えられたのは、純粋な気持ちと願い。それを確かに受け止めたシイは、何度も自分の心を確かめてから、想いに応える。

「初めまして、私は碇シイです。弱虫で泣き虫で臆病で……みんなに助けて貰ってばかりの子供。情けないって思うかも知れないけど、私が私らしく生きていくには、みんなの協力が必要なの」

 微笑みを浮かべながら語りかけるシイの姿を、少女達の赤い瞳は一時も視線を逸らさず見つめ続ける。

「レイさんのクローンとか関係無いよ。私は今、目の前に居る貴方達に生きて欲しいって願ったんだから、貴方達がここに居る事を嬉しいと思ってるし、感謝してるの」

「…………」

「だからこれだけは胸を張って言えるよ。みんなを必要としている存在が、この世界には少なくても一人は、碇シイって言う頼りないお姉さんが居るって、二十人の妹が出来た事を喜んでるって」

 微笑みは満面の笑顔へと変わり、シイは少女達に右手を差し出す。

「もし良かったら、情けないお姉さんと一緒に未来を生きてくれる、妹になってくれませんか?」

「「……はい……お姉様」」

 自らを必要な存在として受け入れてくれたシイに、少女達ははにかみながら近づき、順番に小さな身体を抱きしめ、暖かく優しい温もりを確かめる。

 この瞬間、シイと少女達との間には仮初めでは無く、確かな絆が結ばれたのだった。

 

 少し離れた場所で見守って居たレイは、満足げに頷く。

「……良かった」

「いや~ホントだよね~。やっぱお姉様は凄いって感じ?」

「……貴方は良いの?」

「へへ、だって最後なら目一杯お姉様をハグ出来るしね。待てば海路の日和ありって言うじゃん」

「……微妙に違うわ、それ」

 レイは他のシイスターズとは一線を画している少女に、何とも言えぬ違和感を覚えていた。僅かに顔をしかめるレイの様子を見て、少女はからかうように笑う。

「あ、ひょっとして焼き餅焼いてるとか? なんならレイお姉様も混ざっちゃえば? 多分ばれないと思うよ~って、シイお姉様なら気づくかな~」

「……無理よ。私は制服だから」

「も~マジで答えないでよ。まあレイお姉様らしいけどね」

 楽しそうに笑う少女を見て、レイにある疑惑が浮かんだ。何故この少女だけは他の面々と違って、確かな自分を持っているのかと。

 そんな伺うような視線に気づいたのか、少女はにやっと口元を歪める。

「あれ、ひょっとしてレイお姉様ってば、私の事気になる感じ?」

「……ええ」

「あはは、そんなに魅力的かな~? って、それじゃあお姉様がナルシストになっちゃうじゃん」

 何処までも軽いノリの少女だったが、レイの真剣な眼差しを前にして、小さくため息をついた。

「ま、冗談はこの辺にしておいて……まあ気になる筈だよね。私は特別だし」

「……どう言う事?」

「OKOK。なら私がお姉様に説明してあげましょう」

 他のシイスターズがシイとの抱擁を続けている間に、少女はレイとの対話を続ける。

 

「本来魂って無色透明なもので、生きていく間にその人特有の色に染まっていくの。まあいわゆる人格とかそう言う感じの奴ね」

「……ええ」

「だから赤ちゃんは無色透明で、周囲の環境とか諸々の影響を受けて色が決まっていく。良い子悪い子普通の子、み~んなスタートラインは一緒なんだけど……ここまではOK?」

「……続けて」

 頷くレイに促され、少女は説明を再開する。

「それはあの子達も一緒。まあ、お姉様のパーソナルを持った肉体に宿った影響で、最初っからほんのりと色が付いちゃってるけどね。色物と無地のシャツを一緒に洗って、色が移っちゃった感じかな」

「…………」

「あ、でもまだ全然修正効く感じだから、お姉様が気にする事無いよ。スタート地点が少しずれただけで、これから自分の色を見つける事は出来るし」

 レイが少し落ち込んだ気配を察して、少女は笑いながらフォローを入れた。

「さてさて、ここからが本題だよ。本来無色透明な筈の魂だけど、神様のちょっとした気まぐれで、初めから色が付いてたとしたら?」

「……それが貴方だと言うの?」

「そう。シイお姉様が開けたガフの部屋から、私達に宿った二十個の魂。だけどその内の一つ、私に宿った魂だけは他とは違う特別製だったの。ま、ネタばらししちゃうと大して面白く無いオチだけどね」

 少女の説明は確かに筋が通っているが、レイにはどうしても納得出来ない点があった。

 

「……シイさんが気まぐれを起こしたと言うの?」

 少女達に魂を宿したのはシイ。ならば少女の言う神の気まぐれは、シイの意志という事になる。それがレイには信じられなかった。

 しかし少女は首を横に振って、レイの言葉を否定する。

「違う違う。シイお姉様はそんな事してないってば」

「……でも他に貴方達の魂に干渉出来た存在は居ない筈よ」

「も~とぼけちゃって。目の前にいるじゃん」

 まだ気づかないのかと、少し苦笑しながら少女はレイを見つめる。

「神の自我たるシイお姉様に、唯一干渉出来た存在。神たるリリスお母様の魂……まあぶっちゃけて言っちゃうと、私を産みだしたのはレイお姉様なんだよ」

「……私?」

「イエ~ス。シイお姉様はあくまで自我だから、実際にガフの部屋に干渉したのはリリスお母様な訳で、魂であるレイお姉様の意志だって反映されちゃう」

「……私は…………」

 何もしていない、と言いかけてレイは口を閉ざす。あの時、シイがガフの部屋から魂を取り出そうとしていた時に、ある事を思ってしまったのだから。

 自分と同じ容姿をした存在が、魂を宿らせて生を受ける。そこでレイは『もしも自分が生まれ変わるなら』と言うifについて想像していた。

 無口で無表情、気持ちを素直に伝えられずに居る自分が、もし今と違う性格だったら。大切な友人達の様に明るく陽気で、感情をストレートに表現出来れば、もっとシイと仲良くなれたのでは無いかと。

 本気で考えた訳では無い。それこそ誰もが一度は思ったことがあるだろう。自分がもし〇〇だったら、見えている世界は違っているかも知れない、と。

 

「……貴方は私が望んだ私?」

「や~っと気づいてくれたね。シイお姉様の意志に沿いながらも、それにほんの少しだけ干渉したレイお姉様の想いが、私の魂を彩ったの。だから特別。なんたって、お姉様二人分の魂だからね」

 レイが答えに辿り着いた事を、少女は満足げに笑いながら喜ぶ。だがレイの心中は複雑だった。

「ん? どうしたのお姉様?」

「……ごめんなさい」

「ちょ、ちょっと待って。何でいきなり謝ったりするの」

 突然頭を下げて謝罪したレイに、少女は面食らってしまう。

「……私は貴方を特別にしてしまったわ」

「あ~そう言う事」

 ようやく得心がいったと、少女は小さく頷く。本来自由に生きられる筈の存在を、自分が縛ってしまった。レイは悔いているのだ。

「あのね、お姉様は何か勘違いしてるって。生まれた切っ掛けはどうであれ、私は最初からこうだったんだから、別に辛いとも悲しいとも思うわけ無いじゃん。寧ろラッキーって感じだし」

「……ラッキー?」

「そっ。リリスお母様のお陰か知らないけどさ、私は自分がどうして産まれたのかを理解出来てたんだよね。だからお姉様達がどんな気持ちで私達を救ってくれたのか……それも分かってる訳。普通やらないよ? 折角の平和を壊すリスクを負ってまで、クローンの私達を助けようなんてさ」

「……そうね」

「だからそれを知ってる私はラッキーって訳。自分達がどれだけ望まれた存在か、分かってるんだからさ」

「…………」

「ホントに感謝してるよ。そして愛してる。シイお姉様もレイお姉様もね。これはマジだから」

 にかっと快活な笑みを浮かべる少女に、レイは安堵したように小さく頷いた。

 

「さ~て、そんじゃそろそろシイお姉様と、熱いハグを交わしに……」

「……待って」

 シイ達の元へ近づこうとする少女を、レイがその腕をガシッと掴んで引き留める。

「え、何々? あ~ちょっとしてお姉様ってば、自分もハグして欲しいって思ってたりする? も~言ってくれればいくらでもやっちゃうのに」

「……貴方は自分達が望まれて生まれた存在だと、知っていた」

「そうだけど」

「……なら、どうしてあんな事をしたの?」

 不安が暴走した結果、強引にシイを求めた。それがあの一件の回答だった筈だが、少女が全てを知っていたとなれば話は違ってくる。キチンとシイスターズに話しておけば、何も焦る必要など無かったのだから。

 そんなレイの指摘に、少女は冷や汗を流しながら目線を逸らす。

「あ~えっと、それは~……あわよくば既成事実を、な~んて思ってたり……」

「……そう」

「!? い、痛たたたた!! お、折れる。レイお姉様、マジで手が折れるって!」

「……平気よ。私の身体はそれ程やわじゃないもの」

 ある意味で本家本元の関節技を受け、少女は押し倒されながら必死に床をタップする。が、レイは絶妙な力加減で決して傷つける事無く、少女にお仕置きを継続した。

 

「あれ? 二人とも何してるの?」

 十九人との交流を終えたシイは、二人の様子を見て首を傾げる。他のシイスターズも同様に、不思議そうな視線を向けていた。

「救いの女神!? お願いシイお姉様。レイお姉様を止めて~」

「えっと……一体何があったのかな?」

「……問題無いわ。姉妹の愛情を確かめ合っているだけだから」

「ゆ、歪んでるって。その愛情は歪んでるってば」

 慌てて否定する少女だが、シイはあっさりとレイの言葉を信じてしまう。

「そっか。でもそれならみんな一緒の方が良いよね」

「え゛」

「私も混ざるよ。えいっ」

 少女とレイがじゃれ合っていると勘違いしたシイは、二人に思い切り抱きつく。そして姉の行動に十九人の妹達も続き……予期せぬ乱入者によって、レイが維持していた絶妙な力加減は崩れてしまう。

「……あっ」

「痛っっっっっっっ!!??」

「……ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすれば良いのか分からないの」

「……レイお姉様。悲しい時は泣けば良いと思います」

「泣きたいのはこっちだって~のぉぉ!」

 少女の涙混じりの絶叫が響く司令室で、シイとレイに二十人の妹が誕生した。彼女達がこれから先、どの様にして未来を生きるのかは、まだ誰も知らない。

 少女達の世界は水槽と言う鳥籠から、母なる地球と言う大空に広がったのだから。

 

 そして。

「……引っ越しか」

「良い物件があると良いですわね」

 リツコが設置した監視カメラの映像を見ながら、ゲンドウとユイも新たな家族を迎え入れると言う、覚悟を決めるのだった。

 




区切りの関係で、前後編に分けました。と言いつつも、後半のノリがあまりに場違い過ぎたので、苦肉の策です。すいません。
注目のカードの、カヲルVSシイスターズは後半に持ち越しと言う事で。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《姉と家族と天敵と(後編)》

 

 

~大切なもの~

 

 シイに呼ばれて司令室へ戻ったゲンドウとユイに、シイスターズは深々と頭を下げて謝罪した。そして自分達を家族として受け入れて欲しいと二人に頼み込む。

 そんな彼女達に、ゲンドウ達は幾つかの条件を出す。と言っても意地悪な物では無く、シイスターズを特別扱いしない事と、シイとレイに普通の姉妹として接する等、常識的なルールだった。

「これらを受け入れられるのであれば、私達は新たな家族を喜んで迎え入れよう」

「どうかしら?」

 断る理由などあるはずも無く、シイスターズは揃って頷いた。

「はぁ~良かった。お父さんとお母さんが怒ってなくて」

「ふっ、覚えておけシイ。親の愛情は海よりも深いと。あの程度で怒っていては、親は務まらない」

「それにこの子達はキチンと謝れたもの。怒る理由が無いわ」

 優しく微笑むゲンドウとユイに、シイは圧倒的な包容力を感じた。そして自分が二人の娘である事を、改めて誇らしく思うのだった。

 

「……すいません。疑問があります」

「ん、何だ?」

「……お姉様達はお二人を、お父さん・お母さん、司令・ユイさんとお呼びしてますが、私達はどの様に呼称すれば良いのでしょうか」

「あら、そう言えばそうね。貴方達の好きな呼び方で良いのだけど……」

「……パパとママで良い」

 ボソッと呟いたゲンドウに、この場に居る全員の視線が集まる。しかしゲンドウは気にした様子も無く、咳払いをしてから更に言葉を紡ぐ。

「お前達はリリスをお母様と呼んでいたな。だとしたら、ユイをお母さんと呼ぶのに抵抗があるかもしれん。だが家族である以上、堅苦しい呼び方は避けたい。妥協案だと思え」

「そんな事言っちゃって、ホントは呼んで欲しいだけだったりして~。ね、パ~パ♪」

「あんまり親をからかうものじゃ無いわ」

「は~い、ごめんなさい。でもパパとママか~。うん、何か良い感じかも」

「貴方達はどうかしら?」

「……問題ありません」

「……以後、パパとママとお呼びします」

「ええ。……その言葉遣いは今後の課題ね」

 何はともあれ、家族としての第一歩を踏み出せたことに、ユイは安堵していた。だから隣に立つゲンドウが、とてつもない程上機嫌だった事に、気づく事は無かった。

(……ふっ。良い。全てはこれで良い)

 サングラスを軽く直しながら、ゲンドウは緩む頬を必死に隠し続けるのだった。

 

 

~名前~

 

「それではあなた。この子達をみんなに紹介しに行きますか?」

「いや、その前にやっておく事がある」

「……名前、ですね」

 レイの言葉にゲンドウは頷いて見せる。少女達は認識番号こそつけられているが、まだそれぞれの名前を持っていない。だからか、シスターズの面々は何処か嬉しそうにゲンドウの言葉を聞き入る。

「そうだ。名は単に個体を区別するだけの記号では無い。全ての存在は名前を与えられる事で、初めて存在を示す事が出来る。命名という行為はそれ程大切なのだ……特にこの子らの場合はな」

「ええ、そうですわね」

 家族になる手続きこそ済んでいるが、彼女達の名前は仮のもの。これから家族として暮らしていく少女達に、キチンと名前をつけてあげるのは、大切な儀式でもあった。

「……そこで、だ。こんな事もあろうかと、密かに私が皆の名前を――」

「私、お姉様に名前を決めて欲しい~」

「「……私も」」

「「え゛?」」

 まさかの展開に、ゲンドウとシイの言葉が綺麗にハモった。ゲンドウは胸ポケットからメモを取り出そうとした姿勢で硬直し、シイも戸惑いから動きを止めてしまう。

「ねえねえ、良いでしょ?」

「そうね……大体は親が決めるのだけど、貴方達が望むならそれも良いと思うわ」

「やったね。じゃあお姉様、可愛い名前をお願いしま~す」

「「……お願いします」」

「う、うん。頑張ってみるね」

 期待の眼差しを浴びながら、シイは目を閉じて真剣に名前を考え出した。

 

 一人立ち尽くしていたゲンドウに、そっとレイが近づく。

「……司令」

「レイ?」

「……私は司令がつけてくれた、レイと言う名前が好きです」

「そ、そうか」

 シイはゲンドウとユイの共同命名だったが、レイはゲンドウ独自のネーミング。それを本人に好きだと言われれば、悪い気がする筈も無い。

 さっきまでの気落ちした様子も何処へやら、ゲンドウは自信満々の表情でサングラスを直す。

「すまない、レイ。余計な気を遣わせてしまったな」

「……いえ。本心ですから」

「あの子達はシイの行動の成果だ。ならばシイが決めるのが相応しい、か」

「……はい。なので司令が考えたその名前は、この先産まれてくる子供にとっておいて下さい」

「!?」

 ボソッと周りに聞こえない声量で告げるレイに、ゲンドウは驚きの表情を露わにする。

「……夜は静かですから」

「す、すまない」

「……司令とユイさんは夫婦なので、謝る必要はありません」

「だが」

「……因みにシイさんは就寝が早いので、気づいていません。安心して下さい」

 娘からの優しさ溢れるフォローに、ゲンドウは何とも気まずい表情で頷くしか無かった。

「……希望を言えば、弟が欲しいです」

「ん?」

「……姉と妹、それに……一応兄も居ますから」

 少し照れたように視線を逸らすレイの頭を、ゲンドウは苦笑しながら撫でる。自分のエゴが生み出した少女は、心優しく成長しているのだと、嬉しくてたまらなかった。

 

 

(名前……あ、確か前にゼーゲンの名前を決めた時、相田君が言ってたっけ)

 シイはまだ中学三年だった頃の会話を思い出す。

 

「そうそう、名前って言えばさ、ネルフの人達に意外な共通点があるのを知ってるか?」

「共通点?」

「はん。どーせ下らない事でしょ」

「相変わらず惣流は手厳しいな。まあ確かに大した事じゃ無いけど」

「へぇ、聞かせて欲しいね」

「実はネルフの人は旧日本海軍の船と同じ名前が多いんだ」

「ほ~。そら知らんかったわ」

「……彼以外に気づかないと思う」

「お船って、例えばどんな名前なの?」

「蒼龍級航空母艦「蒼龍」に吹雪級駆逐艦「綾波」だろ。赤城級航空母艦「赤城」と雲龍級航空母艦「葛城」もそうだね」

「ふ~ん、母艦ねぇ……駆逐艦さんはどう思う?」

「……今は碇だもの」

「そんなに一杯お船があるんだね。ねえ相田君、碇は無いの?」

「あ~それは流石に……」

「ふふ、シイさんは彼女達が暴走しないよう引き留める、船の錨を担っているのさ」

「お、上手いこと言いよったな」

「ねえ相田君。他にどんなお船があるのか教えてよ」

「おっ、碇も興味があるのか?」

「ううん。他にも同じ名前の職員さんがいるかも知れないから」

「そっか……同好の士が増えたと思ったんだけど……ま、良いか」

 

(うん、覚えてる。冬月先生も、マヤさんも日向さんも、青葉さんもそうだった)

 シイは自分の記憶が確かだと頷くと、わくわくした様子で自分を見つめる少女達と向き直る。そして声高らかに名前を口にした。

「じゃあ行くよ。まず貴方が天城ちゃん。貴方は飛竜ちゃん。貴方は三笠ちゃんで、貴方は時津風ちゃん。常磐ちゃんに、高砂ちゃん」

 全員の予想を遙か斜め上に裏切った、シイのネーミングに一同は思わず活動停止してしまう。何と言うべきか、とにかく全ての名前が無骨なのだ。

「…………で、貴方は金剛ちゃん」

「え、えっと……ねえシイ。その名前には何か由来があったりするの?」

「うん。実はね」

 引きつった顔で問いかけるユイに、シイは満面の笑みでケンスケとのやり取りを説明する。事情を理解したユイは、娘の記憶力に感心しつつも、やんわりと訂正を申し出た。

「そうだったの……。とっても素敵だと思うけど……貴方が言った人達はみんな名字が同じなのよ。例えば碇金剛とか、碇飛竜ってしてみたらどうかしら?」

「あっ……何だか変かも」

「碇と言う名字を前提に、考えてみると良いわ」

「うん」

 シイは少女達にもう少し待ってねと断ってから、再び思考を巡らせる。

 

(名前……あ、そう言えばミサトさんと加持さんが前に……)

 

「うわぁ~ちっちゃくて可愛い」

「……そうね」

「ねえミサト。この子男の子なんでしょ?」

「ええ。因みに名前はリョウトよん」

「リョウトちゃん……格好いい名前ですね」

「うふふ、ありがと」

「……由来は二人の名前から?」

「そっ。リョウジとミサトでリョウト。良い人に育って欲しいってのもあるけどね」

「何だか素敵ですね。あ、じゃあ女の子だったら……ミサジ?」

「シ~イ~ちゃ~ん。言わなかったかしら。思った事を直ぐ口に出しちゃ駄目よって」

「ひゅ、ひゅひひゃへん。ひゅひひゅひひゃひゅひぇひぇ」

「……すいません。つい口が滑って、と弁解してます」

「それが分かるレイも凄いわね。……って、アスカ?」

「…………十六才差か」

「なっ!? あ、アスカまさか、この子を」

「ち、違うわよ。別に何でも無いって」

「……青田買いね」

「青田買い?」

「……将来有望そうなものに、唾をつけておく事よ。この場合光源氏作戦とも言うわ」

「言わないわよ!!」

「だ、駄目よアスカ。まだこの子は子供。そう言うのはせめて……リョウジに相談した方が良いのかしら」

「あ~も~いい加減にしなさ~い!!」

 

(……そう、ミサトさん達は自分達の名前を、子供につけたんだった。でも私とレイさんは、名前が似てるからそれは無理だし、二十人分もつけられない。じゃあ……)

 ミサトの忠告を思い出し、口に出す前に今度はしっかりと頭の中で考えを纏める。そして問題無いと判断してから小さく頷くと、再び少女達へ向き直った。

「待たせてごめんね」

「何か浮かんだのかしら?」

「うん。色々考えたんだけど、やっぱり私達に繋がりがある名前が良いと思うの」

 シイの言葉にユイは成る程と頷く。

「でね、私達の名前って、みんな数字が関係してるの。レイさんは数字の零だし、シイは四。お父さんのゲンドウはドウをとうで十。お母さんのユイだけど、ユは百合とかで百って読める。どうかな?」

 レイとシイはともかく、ゲンドウと特にユイはかなり苦しいこじつけだが、言いたい事は分かる。だからこそ、ゲンドウ達は突っ込む事無く見守る事にした。

「ええ、良いと思うわ。それでどんな数字を名前にするのかは、決まってるの?」

「うん。……まず貴方はイブキちゃん」

 シイは順番に少女達の手を握りながら、命名という儀式を始めた。

「フタバちゃん」

「ミツキちゃん」

「イツワちゃん」

「ムツミちゃん」

「ナミちゃん」

「ヤエちゃん」

「クウちゃん」

「チカちゃん」

「マナちゃん」

「ナユタちゃん」

 宣言した通り数字を含む名前を、シイは少女達に伝えていく。先程の名前とは違い、少女達は自分だけの名前を噛みしめるように、満足げに頷いていた。

 ここまでで十一人。だがチカで千、マナで万、ナユタで那由多と数を重ねており、この後は一体どうする気かと、ゲンドウ達は固唾を飲んで見守る。

「……貴方はムツキちゃん」

「ヤヨイちゃん」

「サツキちゃん」

「ハヅキちゃん」

(成る程。陰暦を用いたか)

(……後五人。シイさん、頑張って)

「貴方はコヨミちゃん」

「トキちゃん」

「ヒヨリちゃん」

「ツキノちゃん」

(コヨミは暦、トキは時、ヒヨリは日、ツキノは月かしら。よく考えたものね)

 直接的な数字では無いが、それでも密接に関わっている名前をつけたシイに、ユイは苦笑しながらも感心してしまう。本気で少女達の事を想っていなければ、ここまで拘れないと。

 そして残るは一人、あの快活な少女だけとなった。

 

「うんうん、さっすがお姉様。これは私も期待しちゃっても良い感じかな?」

「あのね、貴方だけは私じゃ無くて、レイさんに名前をつけて貰おうと思うんだけど」

「……私が?」

「うん。だってこの子は……」

 レイの想いを反映させた少女だから、とシイは視線で伝える。

「……話したの?」

「いや~シイお姉様にだって、知る権利はあると思ったりする訳で……許して、お姉様」

 両手を合わせてぺろっと舌を出す少女に、レイはため息をつきながらも頷いた。そもそもこの少女の性格は、自分の願望が反映されている為、文句を言うわけにもいかないだろう。

「あ、ひょっとして余計なお世話だったかな?」

「……いえ、問題無いわ」

「じゃあ話もまとまった所で、さあレイお姉様。私に相応しい名前をプリーズ」

 両手を大きく広げて待ち構える少女を無視して、レイはあごに手を当てて悩む。名前をつける事など、今まで一度も経験が無かった為、改めて考えるとその難しさを実感する。

 暫しの沈黙の後、レイは小さく頷くと口を開いた。

「……決まったわ。貴方は碇金剛ね」

「ちょ、ちょっと待って!? マジでそのネタ……」

「……冗談」

「ま、真顔で冗談は勘弁してよお姉様。笑うに笑えないから」

「……トワ。碇トワ」

 改めて告げられた名前に、少女は一瞬驚いた表情を見せたが、直ぐさま嬉しそうな笑みを浮かべる。

「トワ……私の、私だけの名前。えへへ、何か良いね」

「うん。とっても可愛いと思うよ」

「……ありがとう」

 自らの零に対して、時間という概念での無限を意味する永久。そこにどんな想いが込められていたのかは、レイの心の内に秘められる。

 

 命名と言う儀式を終え、シイスターズは正真正銘、碇家の一員として迎え入れられる事となった。

 

 

 

~交際は順調です~

 

 高校の休憩時間に、カヲルは教室でシイと携帯電話で通話をしていた。

「……勿論さ。ふふ、こちらこそ楽しみにしているよ。じゃあ放課後に」

「シイは何て言っとったんや?」

「今日の放課後、君と僕に本部へ来て欲しいそうだ。会わせたい人が居るらしい」

「ほ~。そらやっぱり、あいつらやろな」

 あの少女達が魂を宿して目覚めたと言うのは、カヲルもトウジも聞き及んでいる。このタイミングで自分達を呼ぶなら、十中八九間違い無いだろう。

「ちゅう事は、レイが鬼の形相で出て行ったんも、それ関連か」

「ふふ、おいたが過ぎたんじゃないかな。まあシイさんの口ぶりから、全て解決済みの様だけどね」

「なら一安心や」

 クラス中が凍り付くほどの怒気をまき散らし、無言で早退していったレイ。どの様な経緯でそうなり、解除されたのかは知らないが、胃痛の種が一つ減ったとトウジは安堵する。

「ああ、勝手に約束してしまったけど、放課後は空いているかな?」

「勿論や。わしもあいつらの事が気になっとったし、丁度暇…………」

「トウジ~。今日のお買い物、やっぱり繁華街の方へ行きたいんだけど」

 冷や汗を流しながら固まるトウジに、ニコニコとご機嫌なヒカリが近づいていく。その後ろには呆れ顔のケンスケが、何やってんだと言う視線を向けていた。

「おやおや、先約があったみたいだね」

「え? あ……ひょっとしてトウジ、何か急用が出来たの? ならお買い物は今度に」

「お、男が一度した約束を破れるかっ!! いくで、ヒカリ。何処へでも付きおうたるわ」

 大声でデートします宣言をしたトウジに、クラスメイト達はまたお前達かと、優しさと嫉妬が入り交じった視線を向ける。クラス中の注目を浴びた二人は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

「はいはい、ご馳走様」

「愛は良いね。リリンの生み出した感情の極みだよ」

「……すまん渚。悪いんやけど」

「ふふ、気にする事は無いさ。シイさん達には僕から説明しておくよ」

 恋人達の邪魔をシイも望む筈が無いと、カヲルは優しい微笑みで頷いて見せた。

 

 

~天敵VS天敵~

 

 放課後。カヲルは一人、ゼーゲン本部に訪れた。

(さて……僕の予想が正しければ、少し愉快なことになりそうだね)

 これから自分を待ち受けているであろう展開を想像し、カヲルの口元に笑みが浮かぶ。だがそれは普段見せる優しい物では無く、腹に一物を抱えたような黒い笑みであった。

 本部の中を進み、やがて指定された部屋へと辿り着くと、ノックをしてから入室する。中で彼を待っていたのは、予想通りの光景であった。

 

「あ、来てくれたんだね、カヲル君。急に呼んじゃってごめんなさい」

「ふふ、君の呼び出しとあらば、僕は地球の何処に居ても駆けつけるさ」

「……なら今度は宇宙に放り出すわ」

「君が言うと洒落にならないから止めて欲しいね」

「……そう」

「ああ、一応言っておこう。あの後先生には緊急招集と伝えて、早退扱いにしておいたよ」

「……ありがとう」

 部屋で待っていたシイ達と、カヲルはフレンドリーに会話を交わす。それは三人の様子をジッと見つめている、二十人の少女達への牽制だったのかも知れない。

「それで、僕に会わせたいと言うのは……その子達かな?」

「うん。実はみんな、私とレイさんの妹になったの」

「……名前も決まったわ」

「ふふ、なら紹介して貰おうかな。君達の自慢の妹達を」

 カヲルの言葉に頷くと、シイはシイスターズを順番に紹介していく。名前を呼ばれた少女達は、警戒心むき出しの様子で、カヲルに軽く会釈をした。

(やはり僕に対しては、警戒心、あるいは敵対意識を持っているか……)

「それでこの子がトワちゃんだよ」

「は~い、初めましてカヲルさん。碇トワです。今後ともよろしくね」

 トワと紹介された、明らかに他とは様子の異なる少女に、カヲルは僅かに眉をひそめる。

「……何か問題があった?」

「いや、とても魅力的な子達だと思ってね。少し戸惑ってしまっただけさ」

「も~お上手なんだから。でもカヲルさんだって、思ってたよりもずっと素敵だよ」

 表面上は極めて和やかに会話を交わす両者。現にシイは二人が早速仲良しになったのだと、安堵の笑みさえ浮かべていた。だが……。

(成る程ね。この子は少々厄介な存在になりそうだ)

(渚カヲル。お姉様にとって危険極まりない存在。予感は確信に変わったよ)

(この手のタイプは手段を選ばない。恐らく今この場所で仕掛けてくる筈)

(手強いのは百も承知。でもシイお姉様の貞操を私が奪うためにも、必ず排除する)

 穏やかな微笑みの裏では、激しい火花が散っていた。

 

 大きめの会議室にはカヲルの他に、シイとレイ、そしてシイスターズの面々が居るだけ。ゲンドウとユイは手続きのために、席を外しているとの事だった。つまり……この場にカヲルの味方はシイ以外に存在しない。

「ねえシイお姉様」

 猫なで声でシイに呼びかけるトワに、カヲルは動いたかと警戒を強める。

「どうしたの、トワちゃん」

「カヲルさんって、お姉様達のお兄さんなんだよね?」

「うん、そうだよ」

「それなら私達のお兄さんって事だよね。……ちょっと遊んで貰っても良いでしょ?」

 チラッとカヲルに向けられたトワの視線は、獲物を狙う狩人のそれだった。外堀を埋めてから、獲物の逃げ道を塞いだ上で、確実に仕留める。そんな計算高さをカヲルは本能で理解する。

「ん~カヲル君の迷惑になっちゃうし……」

「ふふ、僕なら大歓迎だよ。こんな可愛い妹達にお願いされたら、断れる筈も無いしね」

「さっすがカヲルさん、話がわっかる~。じゃあ、プロレスごっこしようよ」

(そう来たか……)

(これならお姉様に叱られずに、数で圧倒できる)

(でもまだ甘いね)

「分かったよ」

「オッケー。みんな、カヲルさんに突撃~!」

「「……了解」」

 こうして表向きは兄妹のじゃれ合い、実際にはシイを巡る真剣勝負のゴングが打ち鳴らされた。

 

 機敏な動きでシイスターズはカヲルを包囲し、有利な陣形を築いていく。一方カヲルはポケットに手を入れたまま、少女達の好きなようにさせる。

 その無防備さが気味悪く、シイスターズは中々飛びかかる切っ掛けを掴めない。

「ふふ、どうしたのかな? さあ、兄の胸に飛び込んでおいで」

「……やるしかないわ」

「……ええ」

「……カウントお願い」

「……スリー」

「……ツー」

「……ワン」

「……ステーンバイ、ステーンバイ……ゴー」

 カヲルの挑発を受け、シイスターズは意を決してカヲルに飛びかかる。圧倒的な彼我戦力差は、カヲルに抵抗すら許さないと思われたが……光の壁が戦力差をひっくり返した。

 全方位に展開されたATフィールドに、少女達は為す術無く弾き飛ばされる。

「……ATフィールド」

「……忘れてたわ」

「残念だけど、君達では役者不足さ」

 シイスターズは人の魂を宿しているので、ATフィールドを展開出来ない。今地球上でカヲルと対等に戦えるのは、碇レイただ一人なのだ。

「とは言え、まさか君も僕と遊びたいなんて言うはずがないね」

「……ええ」

「ならこの遊びはお開きかな」

「……いえ。貴方は私達の妹を、あまり侮らない方が良いと思う」

 レイの言葉にカヲルはすっと目を細める。ATフィールドがある限り、自分に負けが無いのは確実な筈。ではレイの自信は一体何処から来るのかと、思考を巡らせていた。

 そんなカヲルの思考を終わらせたのは、沈黙を守っていたトワだった。

 

「さっすがカヲルさん。アダムの器、タブリスってのは伊達じゃ無いね」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「ATフィールドがある限り、私達に勝ち目は無いね。でもさ、もしそれが無くなったら……果たしてカヲルさんは私達を捌ききれるのかな?」

 意味深な事を告げるトワに、カヲルは言いようのない不安を感じた。そう、自分がATフィールドを持っている事を、この少女達は知っている筈なのだ。ならばその攻略法すらも考えているのでは、と。

「面白い意見だね。でも心の壁はそう簡単には失わないよ」

「モチのロン。そんなの百も承知だってば」

 赤い瞳で見つめ合う両者。プロレスごっこは最終ステージへと突入した。

 

 

 

~世界で一番優しい天敵~

 

 カヲルからの視線を受けながら、トワは事態を見守っていたシイの元へと歩み寄る。そしてポケットから取り出したメモを手渡し、そっと耳打ちをした。

「シイお姉様。お願いがあるんだけど……ごにょごにょ」

「?? 別に構わないけど、どうして?」

「カヲルさんと、もっと仲良くなる為に必要なの。ね、良いでしょ?」

「うん。よく分からないけど、そう言うことなら」

 イマイチ理解出来ていないシイだったが、仲良くなる為と言われれば断れない。渡されたメモに目を通し、不思議そうに首を傾げたが、それでも真剣に内容を確認していく。

「……何が書いてあるのかな?」

「あっれ~? ひょっとして焦ってたりする?」

「僕がこの世で恐れているのは、暴走したレイと……予想出来ないシイさんの行動だからね」

「ATフィールドってさ、生きようとする意志、つまりリビドーが原動力なんだって。って事はだよ、もしそれを失ったらどうなっちゃうんだろうね~」

「……まさかっ!?」

 トワの意図を察し、カヲルは赤い瞳を大きく見開く。だが時既に遅く、シイはメモに書かれている言葉を、大きな声で言い放ってしまった。

 

「あのね、私、好きな人が出来たの」

 何て事は無い言葉。だがそれをシイが口にした事で、とてつもない破壊力を持って周囲に伝わる。

「ぐっっ!」

 予期せぬ強烈な一言に、カヲルの身体がぐらりと揺れる。しかし真剣にメモを見ているシイはそれに気づかず、更に次の言葉を紡いでいく。

「ごめんなさい。これからもお友達でいてね」

「……うぅぅ、何だか歩きづらいよ」

「虫刺され? あ、これは違うの」

「……来ないの」

「来月式をあげるの。来てくれるかな?」

「大きくなってきたでしょ。もう四ヶ月なんだよ」

「ほら、この子の目元。あの人に良く似てて……えへへ」

 当の本人は、自分が何を言っているのかを理解していないだろう。巧妙に直接的な表現を避けた、トワの台本はシイに不信感を抱かせず、しかし絶大な効果を上げた。

 

「……ぐふっ」

 リビドーを根こそぎ奪われ、デストルドーを与えられ続けたカヲルは、力なく膝をついた。ATフィールドはとっくの昔に失われており、まさしく抜け殻の様な状態で動きを止める。

 トワの策は大成功。これで数による蹂躙が可能かと思われたが……彼女はある失態を犯した。シイの言葉を自分達も聞いてしまったのだ。

「「………………」」

 結果としてシイ以外に無事なものはおらず、シイスターズ全員とレイも、生きる気力を失った様に力なく床へと座り込み、負のオーラが室内に充満していた。

 

 

 そして、シイ達の様子を監視モニターで見ていた発令所もまた、同じ末路を迎えていた。

「あ、アンチATフィールドの発生を……確認」

「個体生命の形を維持……しなくても良いっすよね」

「……み、みんなのATフィールドが……消えていく」

「これが罰なの?……神様に手を出した人類の……罰」

 デストルドーに支配された面々は、抜け殻の様に光の宿らぬ瞳で、ただモニターを見つけるだけ。このまま補完されてしまいそうな彼らを、

『み、みんな! お願いだから返事をしてよ』

 シイの声が蘇らせた。

 

「変な事を言っちゃってたら謝るから……私を一人にしないで!」

「……し、シイさん……」

「……僕は……まだ、終われない」

 涙混じりに叫ぶシイの声に、レイとカヲルがふらつきながらも応える。アダムとリリス、始祖としての絶大な精神力と、シイへの限り無い愛情が二人の身体を突き動かしていた。

「……私は何時までも、貴方と居るわ」

「君が望む限り、僕はそれを裏切らないよ。約束する」

 微笑む二人を見てシイは心底安心したように頷くと、温もりを求めるようにレイに抱きつく。そんな二人の姿を満足げに見ながら、カヲルは首謀者の元へと歩み寄る。

「さて……何か言いたいことはあるかい?」

「こ、今回は……引き分けにしてあげる………………マジでごめんなさい」

「くれぐれも頼むよ。世界を終わらせたくは無いからね」

 謝罪を受け入れたカヲルは、苦笑しながらトワの頭を軽く撫でた。

 

 

 その後、カヲルとシイスターズの間に紳士協定が結ばれ、天敵同士の対面は幕を閉じた。

 

 




投げっぱなし気味ですが、シイスターズメイン回は一応終了です。
今後もちょいちょいと出てくるかも知れませんが……。


次からは日常編……の予定だったのですが、使徒復活編もやりたいなと思っています。
諦めていたのですが、良いアイディアを頂戴したので。
どのタイミングかは分かりませんが、可能なら投稿したいなと。
ただ『アダムとリリス』の様に長いシリアスには、ならないと思います。

五月は投稿ペースが少々不規則になるかも知れません。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《ある日の出来事》

 

~ささやかな願望~

 

 京都大学への入学を目指すシイは、学校だけでなく自宅でも勉強に励んでいた。元々真面目な彼女にとって自習は苦にならず、寧ろ楽しんでいる位だ。

「うん、今日の分はこれで終わり。ん~もうちょっとやろうかな。でもヴァイオリンも……」

 パイロットの時とは比較にならない程、自由に使える時間が増えた事は、やりたい事が沢山あるシイにとって、嬉しい悩みだった。

 時計と睨めっこをしていた時、不意に部屋のドアがノックされる。

「……シイさん。リンゴを剥いたけど、入っても良い?」

「うん。丁度一息入れようと思ってたから」

 シイの答えを聞いてからレイは部屋に入ると、手にした皿を小さなテーブルに皿を置く。そこに乗せられた見事なウサギ型のリンゴに、シイは思わず感嘆の声を漏らす。

「凄い。これレイさんが?」

「……ええ」

「いつの間にこんなに包丁が上手くなったの? ひょっとしたら私よりもお料理出来るんじゃ……」

「……包丁は使ってないわ」

「?? ならどうやって剥いたの?」

 不思議そうに首を傾げるシイ。その問いかけに答えず、レイは一度部屋から出ると、剥いていないリンゴを持って戻ってきた。

「……まず、右手にリンゴを持つわ」

「う、うん」

「……後はこうして」

 レイが呟いた瞬間、不可視の刃がリンゴを八等分に切り分けた。それもご丁寧にうさぎさんカットで。

「えぇ!? い、今どうやったの?」

「……ATフィールドを圧縮して、刃にしたわ」

「はぁ~凄いんだね、ATフィールドって」

 感心したように頷くシイだったが、不意に何かに気づいたのか目を輝かせる。

「……どうしたの?」

「あのね、ATフィールドはみんなが持ってる心の壁なんだよね?」

「……そうとも言えるわ」

 解釈には色々あるだろうが、カヲルの言っていた心の壁は最も理解しやすい形かもしれない。自らの存在をリビドーによって支える、心の壁。他者の侵入を拒絶する、不可侵の領域なのだから。

 

「なら、私もレイさんみたいに出来るのかな?」

「……え?」

「だって私はレイさんのお姉さんだし、カヲル君の妹でもあるから」

 否定するのは簡単だ。群体生命と単体生命の違いを説明すれば良いのだから。しかし期待に満ちた眼差しを向けるシイを前に、無理だと切り捨てる事が出来るはずもなく。

「……そ、そうね。試してみたら?」

「うん! えっと……ん~ATフィールド全開!!」

 ばっと右手を差し出すシイだが、当然何も起こるはずも無く、微妙な沈黙だけが流れた。プルプルとシイの手が悲しげに震えるのを見て、レイはとある事を思いついた。

「……もう一度やってみましょう。今度は手を上に上げたらどう?」

「上に?」

 それで何が変わるのかは分からないが、それでもシイは言われた通りに両手を上に掲げる。そして精神統一の為に深呼吸をしてから、意を決して叫ぶ。

「ATフィールド全開!」

「……えい」

 その瞬間、シイの頭上に光の壁が出現した。オレンジ色の輝きを放つそれは、まごう事なきATフィールド。シイは目の前の光景が信じられず、惚けたようにそれを見つめていたが、やがて満面の笑顔に変わる。

「嘘……出来た。レイさん、私にも出来た!」

「……ええ、良かったわね」

「うん。今でも信じられないよ。だってまるで勝手に……」

 喜ぶ自分に慈しむ様な視線を向けるレイに、シイはある違和感を抱く。そして少し考えた末に、今起こった事の真相を理解した。

「……ありがとうレイさん」

「え?」

 照れたように微笑みながら抱きついてきたシイに、レイは一瞬驚いたが、直ぐに察した。今のATフィールドが自分の物だと、シイは気づいたのだと。

「レイさんは優しいね……嬉しかったよ」

「……シイさんは他者に対する心の壁が、弱いのかもしれない。けどそれは素敵な事」

「そうなのかな……」

「……どうしてATフィールドを使いたかったの?」

「もし使えたら、守られるだけじゃなくて、私もみんなを守れるのかなって」

「……もう十分よ。私はシイさんに心を守って貰っているもの」

 結局ATフィールドは出せなかったが、シイには周囲の人を笑顔にする、シイフィールドとも呼ぶべき物がある。それを確認し合った二人は、穏やかな時間を過ごすのだった。

 

 

 

~ゲンドウパパの初仕事~

 

 忙しい業務の間をぬって、ゲンドウは単身京都の碇本家を訪れていた。

「お久しぶりです、お義父さん、お義母さん」

「ふん。正月以来やっと来たかと思えば、お前だけか」

「あらあら、ゲンドウさんが来ると聞いて、あれだけ喜んでいたのに」

「メイ! 余計な事は言わなくて良い」

 応接間でイサオとメイと対面を果たしたゲンドウは、変わらぬ二人の姿に安心してしまう。数回しか訪れていないこの家が妙に落ち着くのは、この二人が本心から自分を受け入れてくれているからだと。

「それで、お前がわざわざ来たのだ。それなりの用件があるのだな?」

「……はい。お二人に報告すべき事があります」

 鋭い観光を向けるイサオに、ゲンドウは『女神からの福音騒動』について全てを語った。長い話になったが、イサオとメイは黙ってそれを聞き続ける。

 やがてゲンドウが語り終えると、イサオは腕組みをしながら小さく頷いた。

「成る程な。先の一件、そう言った事情だったか」

「全てに福音を……シイらしいわ」

「発端となったのは、私の浅はかな判断です。弁解のしようもありません」

 頭を下げるゲンドウに、イサオは片手を挙げてそれを制する。

「ふん、世界を巻き込む巨大な流れは、お前ごときがどうこう出来る物では無い。いずれは起こっていた事柄が、幾分早まっただけだ」

「……そう言って頂けると助かります」

「それにしても……シイスターズと言ったか」

「はい。ユイと相談して、私達の娘にする事にしました」

「うふふ、新しく二十人も孫が出来るなんてね」

「事後報告は気に食わんが、まあ良いだろう」

 生まれの事は気にしないと以前レイに告げたように、イサオにとって大事なのは、家族を愛しているかどうかだった。まだ直接会っていないが、ゲンドウの話を聞く限りそれは保証済みの様だ。

 ならば反対する理由は無いとイサオは、ゲンドウの判断に賛成の意を示した。

 

「時にゲンドウ。これだけ大所帯だと、住む家にも難儀するだろう」

「はい。現在ユイと共に新居を探していますが……苦戦しております」

「あらあら、それならみんな揃って家に来たらどうかしら?」

 この屋敷ならば、それこそシイスターズの一組や二組、余裕で住めるだろう。何処まで本気か分からないメイの提案に、ゲンドウが答えに窮していると、イサオが呆れ顔で割って入る。

「あまりからかうな。……まあいずれはお前に譲るつもりだが、今は仕事に支障が出るだろう」

「きょ、恐縮です」

「そこで、だ。お前達にちょっとした手助けをしてやろうと思う」

 イサオが指を鳴らすと、相変わらず神出鬼没の使用人が応接間に姿を見せる。そして手に持ったアタッシュケースを、そっと机に置いた。

「これは?」

「ゲンドウ。探して見つからなければ、作れば良い」

「……!?」

 イサオが開けたアタッシュケースには、まばゆい光を放つ金塊が敷き詰められていた。それがどれだけの価値を持つのかは、ゲンドウの頬を流れる汗が物語る。

「わしが持っていても使い道は無いが、お前達の家を作るには十分だろう」

「し、しかし……これ程の物を受け取るわけには……」

「あのね、ゲンドウさん。失礼とは思ったけど、貴方達の資産調査をしていたの」

「お前とユイならば、娘が二十二人になろうとも養う事は可能だろう。だがそれだけの人数が住む家を建てるとなると、厳しいのでは無いか?」

 イサオの言葉にゲンドウは反論できない。国際機関の上級職員であるゲンドウとユイは、相当の給与を貰っているが、それでも大勢が住まう新築物件を建てるとなると、かなりの痛手だからだ。

「子を甘やかすのでは無く、本当に困った時に手を差し伸べるのが親だと、わしは思っている」

「それにゲンドウさんには責任があると思うわ」

「責任ですか?」

「将来ゼーゲンのトップに立つシイ。リリスの魂を宿しているレイ。そしてゼーゲンの技術の結晶であるシイスターズ。わしの孫に手を出そうとする不埒な輩は多いだろう。それらから可愛い孫を守る為に、最高のセキュリティーを誇る家を用意する責任がお前にはある」

 イサオの言う事は事実であり、碇家には重要人物が集まり過ぎていた。レイとシイスターズを捉えて、未知の技術を得ようと考える人間も居るだろうし、シイに万が一があれば人類の未来は暗い物となる。

「家族を守る為なら、あらゆる手段を用いるべきだ。違うか、ゲンドウ?」

「……仰る通りです」

「決まりだな」

 ゲンドウは姿勢を正すと深く頭を下げ、イサオの好意を素直に受け取る事にした。

 

「これは家の者に、お前の家へ届けさせよう。ところで、お前の用件はこれで終わりか?」

「はい。お忙しい所をお邪魔しました。これにて退散しようと思います」

「……メイ。飯と風呂の用意を。酒も忘れるなよ」

「畏まりました」

 ゲンドウの言葉をスルーするイサオに、メイも心得ていると頷く。わざわざやって来た息子をそのまま帰す程、イサオは冷たくない。

「付き合え、ゲンドウ」

「……お世話になります、お義父さん、お義母さん」

 かくして京都碇本家で一晩を過ごす事になったゲンドウは、シイ達の近況報告などを肴に、愛すべき両親との安らかな時間を過ごすのだった。

 

 

 

~不屈の闘志~

 

 惣流・アスカ・ラングレー。『女神からの福音』騒動で両腕と右足首の複雑骨折という、大きなダメージを受けた彼女だったが、その視線は常に未来へと向いていた。

「はぁ~。流石に今日のはしんどかったわね」

「うふふ、お疲れ様、アスカちゃん」

 リハビリ室から病室までの廊下を、キョウコに車椅子を押して貰いながら、アスカは大きなため息をつく。

 彼女は先日、クローニングを応用した難易度の高い手術に挑み、周囲の不安を一蹴するかの様に見事それを乗り越えて見せた。その結果、骨折は早期の完治が見込まれていたが、手指に軽度の麻痺が残ってしまい、現在は元通りの動作をさせるためのハードなリハビリに取り組んでいた。

「でも、少しずつ戻ってきてるのが分かるわ。このまま行けば……」

「アスカちゃん完全復活ね」

「まあね。でもとりあえずは車椅子から卒業しなくちゃ」

 左足は無事だが、手の麻痺がある為に松葉杖は利用出来ない。短い距離の移動でも、こうして誰かの助けを必要とする現状に、アスカは内心歯がゆい思いをしていた。

「あらあら、アスカちゃんはママと一緒に居るのが嫌なの?」

「べ、別にそんなんじゃ無いけど……私のせいでママの時間を奪っちゃうのは嫌だし」

「ん~も~アスカちゃんったら本当に可愛いんだから~」

 照れたようにそっぽ向きながら呟く娘を、キョウコは花が咲くような笑顔で抱きしめるのだった。

 

「ん、あれって……」

「あら~、冬月先生ね」

 二人は休憩スペースでくつろぐ冬月の姿を見つけ、挨拶しようと近づいた。その気配を察したのか、冬月はそっと視線を向け、優しい笑顔を浮かべる。

「おや、アスカ君とキョウコ君か。奇遇だね」

「こんにちは」

「お久しぶりです~」

「……午前中に会議で一緒だったが……まあ良いか」

 相変わらずのキョウコに冬月は苦笑を漏らす。

「副司令は誰かのお見舞いですか?」

「いや、先日痛めた腰の経過観察だよ。もういい歳だからね」

「シイちゃんを抱え上げたんですよね~」

「……ママ」

 察してあげて、とアスカは何とも言えぬ視線でキョウコを見つめた。流石に女の子を抱え上げて、腰を痛めたと言うのは、男のプライドに関わるだろう。

 だが冬月は気にするなと軽く手を振る。

「まあ事実だからね。とは言えいい歳なのも確かだよ。昔はあれ位何とも無かったのだが」

「でも冬月先生は、あの時からずっと変わりなく見えますよ」

「……ねえ、ママって副司令と知り合いだったの?」

「私が大学の教授だった時に交流があったんだよ。論文を読ませて貰ってね、一目で天才だと分かった。ただユイ君ともナオコ君とも違うタイプだったが」

 セカンドインパクト以前に、冬月は京都大学と交流のあったドイツの大学から、優秀な学生が居ると聞いて興味を持ち、論文を読んでから単身ドイツを訪れ、キョウコと個人的な交流を持つに至った。

 ナオコやユイと言った秀才タイプの天才とは一線を画す、純粋な天才の彼女との交流は、冬月の価値観に大きな影響を与える事になる。

「あの頃は私もぴちぴちだったわ~。まだパパとも出会う前で…………」

「ママ……」

「うふふ、ちょっとお手洗いに行ってくるわね」

 笑顔で二人から離れていくキョウコだが、その胸中にどんな思いが渦巻いていたのかは、アスカと冬月には痛いほど分かった。

 

「すまない。無神経な発言だったね」

「いえ、副司令は何も悪く無いわ。悪いのは全部……あの男なんだから」

 親の敵を憎むように実の親を憎むアスカを、冬月は悲しげに見つめる。

 アスカの父親は、キョウコが自己で精神を病んで直ぐに、別の女性と再婚した。それを受け入れられずにアスカは家を飛び出し、ネルフで幼少期から過ごしてきた。

 今では完全に縁は切れているのだが、それでもアスカの心に大きな傷として残っている。

(無理も無いが、子が親を憎むと言うのはやり切れない物があるな)

 復縁することは不可能に近く、それはアスカも望んでいないだろう。ならばせめて、新たな幸せを見つけて欲しいと、冬月は祈らずにはいられなかった。

 

「……あ、そう言えば、聞いてみたいことがあったんだけど」

「ふむ、何かね?」

 突然なアスカの言葉が、嫌な空気を変えるためだと察した冬月は、否定すること無く続きを促す。

「どうしてミサトを作戦部長にしたの?」

「おやおや、これは予想外の質問だ」

「悪く言いたくは無いけど、正直ミサトには向いて無かったと思うのよ」

「そうかね? 彼女の功績は素晴らしい物があるよ」

「それは結果論だわ。割と無謀な作戦も……作戦と言えない様な物もあったし」

「……アスカ君。人にはそれぞれ求められる役割があると、私は思っている」

 冬月は一度立ち上がり、自販機でジュースを買ってから再び席に戻る。パックにストローを刺してからアスカに手渡すと、静かに話を続けた。

「ネルフには当然入職試験がある。それは全部署共通の基礎学力以外に、各部署で異なる専門的なものもあってね、作戦部はあらゆる状況を想定しての作戦立案がそれに当たる」

「……ミサトはそれの成績がよかったの?」

「逆だよ。受験者には五十通りの戦況を提示したが、彼女はその内八個に対して素晴らしい作戦を立案しただけだ。正解数ならば下から数えた方が早い」

「なら何で採用したのよ。それも作戦部長なんて」

 意味が分からないと眉をひそめるアスカに、冬月はお茶を啜ってから答える。

「彼女が正解した八つの戦況は、他の受験者達が全員ろくな作戦も立てられない様な、絶望的な物だった。だがミサト君は我々が想定していた答えよりも、遙かに高い勝算を期待出来る作戦を提示したよ」

「…………」

「使徒との戦いが厳しい物になるのは分かっていた。私達が求めていたのは、そんな絶望的な状況でも諦める事無く、不屈の闘志を持って希望を見いだせる才能の持ち主だ」

「だからミサトを選んだ」

「それだけでは無いがね。作戦部は優秀な人材が沢山居るが、自分の作戦が人類の未来を握っているとなると、どうしても尻込みしてしまう」

 ネルフの作戦失敗は人類の滅亡を意味する。そう思えば自分の作戦を押し通すには、相応の覚悟が必要なのだが……それが出来る人材は限られる。

「彼女は信念があった。それは使徒への復讐というネガティブなものかも知れないが、責任に押しつぶされない強い意志を持っている彼女こそ、作戦部長に相応しいと思ったのだよ」

 実の所、ミサトが単独で作戦を決定した事は多くない。大体が部内で提案された作戦を、彼女が自分の責任で承認するという形を取っていた。

 作戦部長に求められる資質は、作戦立案能力以上に強靱な精神力なのかも知れない。

 

「ところで、何故ミサト君の事が気になったのかね?」

「あの一件があってから色々考えたのよ。エヴァに乗れないあたしに価値があるのかって」

 彼女を特別な存在にしていた弐号機を失い、アスカは普通の少女になった。飛び級するほどの頭脳を持っているが、それでも以前の様な希少価値は無いと、自分で認めている。

「シイはアレだけど、組織のトップに相応しい求心力を持ってるわ。レイもあのナルシストも、シイを補佐するに十分な戦闘力と頭脳を備えてる。でもあたしは……ママの様な天才じゃ無い」

「確かに、科学者としてキョウコ君に並ぶのは難しいかもしれないね」

 キョウコにユイ、ナオコやリツコと言った面々は、常識外れの天才と呼べる存在だ。アスカも優秀ではあるが、それは常識の枠に収まってしまう。

 ゼーゲンの科学者として活躍する事は可能だろう。だがそれがアスカである必要は無く、彼女にしか出来ない事では無かった。

(……成る程。だからミサト君の話を聞いたのか)

 自らの価値に疑問を抱くアスカにとって、ミサトの話からヒントを得ようとしていたのだろう。

 

 

「……エヴァンゲリオンチームのリーダーとして、強いリーダーシップと統率力を発揮し、他のチルドレン達をまとめ上げ、一人の犠牲も出さずに戦い抜いた。熱い心と冷静な思考を併せ持ち、合理的な判断をしつつも人の心をないがしろにしない。それが私の君への評価だよ」

「買いかぶりすぎよ」

「なら君は自分を過小評価し過ぎているな。一番身近で共に戦い抜いたシイ君とレイは、君に強い信頼を寄せている。それが何よりも答えだと思うがね」

 補完計画等を度外視した場合、冬月がチルドレンで最も評価していたのはアスカだった。戦力としてもリーダーとしても、チルドレンの要であり続けたのだから。

「だから何よ。もうエヴァは無いんだし……」

「私は君にリーダーとしての資質を認めている。それはエヴァは無くても変わらない」

「は?」

「それこそ……ゼーゲンの支部長になれると思うほどには」

 アスカは目を見開いて冬月を見つめる。だが冬月の表情は真剣そのもので、決して冗談やお世辞を言っている様には見えなかった。

「驚く事はあるまい。優秀な頭脳と判断能力、強い統率力と弱い面を見せない精神力。その全てが人の上に立つに相応しい能力だ」

「…………」

「まあ老人の戯言と聞き流して貰って構わないが、これだけは覚えておいてくれ。人の価値というのは、一つの方向から見ては図れない。あらゆる方向からその人を知ってこそ、真価が分かるとね」

 冬月の言葉にアスカは答えない。だがその目には先程とは違う輝きが宿っていた。

 

「うふふ、お話は終わった?」

「ま、ママ!? 何時からそこに……」

 不意に背後から聞こえてきたキョウコの声に、アスカは思い切り狼狽する。

「ゼーゲンの支部長さんか~。なら将来はママの上司になるのね」

「ぐっ。がっつり聞いてたのね……」

「未来を選択できるのは若者の特権だ。贅沢に悩み苦しみ、羨ましいほど光溢れる未来を選ぶと良い」

 冬月の助言は何処までも優しく暖かい他人事であった。その気配りに感謝しつつ、アスカはキョウコに車椅子を押して貰い、短くも有意義な一時は幕を閉じる。

 

 人類の未来の為に、自分の能力をフルに発揮出来る使命が……あの弱く優しい少女の力になれる道が、アスカにはようやく見えてきたのだった。

 

 

 




短編集チックな話をイメージしてみました。

シイとレイのエピソードは、以前お蔵入りしていた物です。これからもこうした話を、ちょいちょい挟んでいこうと思っています。

ゲンドウのエピソードは、流石に扶養家族が多すぎると思ったので、名家と評判の碇本家に少し出張って貰いました。
シイスターズを家族として迎える為の、第一歩ですね。

アスカのエピソードは、大幅に改変予定の最終話への布石です。
それと……作者が思っているミサト像を出してみました。反論は沢山あると思いますが、冬月の言うとおり見方を変えれば、違った印象なのかなと。


ご報告を一つ。
日常編に入る前に『使徒救済編』をやろうと思います。
少し設定などが難しいエピソードなので、時間を掛けて話を練り込みます。
一度投稿を止めて……そうですね、大体一回分飛ばさせて頂こうと考えています。以前のアダムとリリス編の様に、長期間のブランクはありません。
連休明けくらいには、投稿を再開する予定で執筆を行っています。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。




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後日談《リリンと使徒(葛城報告書)》

再開します。


~チルドレン再集結~

 

 とある日、ゼーゲン本部の会議室にチルドレンが全員集合していた。病院でリハビリ中のアスカも含め、全員が招集命令を受けたのだが、その理由を知らされなかった為、何があるのかと一同の表情に緊張の色が浮かぶ。

「うぅぅ、怒られるのかな?」

「あんた馬鹿ぁ? いきなりネガティブな事言ってんじゃ無いわよ」

「けどな、惣流。わしら全員来いって言われても、理由なんてそれ位しか浮かばんで」

 既にチルドレンを解任され、エヴァも完全に失われた今、五人はごく普通の高校生に過ぎない。それをわざわざ全員揃って呼び出す理由など、皆目見当がつかなかった。

「君は何か知っているかい?」

「……いえ。ただ怒られる可能性は低いと思うわ」

「どうして?」

 首を傾げるシイに、レイは視線をアスカに移して答える。

「……それなら、アスカだけ呼び出せば充分だもの」

「な、何ですってぇぇぇ!!」

「あらあら、相変わらず仲良しね」

 怒り心頭のアスカが怪我を忘れて、レイに飛びかかろうとした丁度その時、会議室のドアが開かれて白衣姿のユイが微笑みながら入室してきた。その後にはゲンドウ、冬月、リツコなど主要スタッフが続く。

「少し遅くなったわね。ごめんなさい」

「ううん、それは良いんだけど……」

 答えながらもシイの視線は、自分達の向かいに座るゲンドウ達へと向かっていた。これだけのスタッフが集まった以上、今回の招集は大事なのだと嫌でも理解してしまう。

「そう固くなる必要は無いよ。君達を呼んだのは、意見が欲しかったからなんだ」

「伊吹さん。例の物を」

「はい」

 ユイの言葉に頷くと、マヤは手に持ったファイルをシイ達へと配っていく。分厚いファイルの表紙には極秘の文字と『葛城報告書』と言うタイトルが記されていた。

 

 

~戦いの軌跡~

 

「これって、ミサトさんの報告書ですか?」

「ええ。作戦本部長を務めた彼女による、対使徒戦の戦闘記録よ」

「へ~。ミサトって真面目に仕事してたんだ」

 茶化すように報告書に目を通すアスカだったが、中身を見た瞬間驚いた様に感嘆の声を漏らす。ミサトの報告が自分の予想以上に綿密かつ丁寧で、これを作成するのに相当の時間が掛かった事を理解したからだ。

「伊達や酔狂で作戦本部長なんてやってないって事よ」

「……本当にミサトさんが全てを?」

「無論我々が修正した箇所もあるが、概ねはそうだ」

 冬月の発言にシイ達は改めてミサトへの評価を高めるのだった。

 

「では本題に入ろう。今日お前達を呼んだのは、この報告書に対して意見を求める為だ」

「彼女はあくまで観測者としての立場で、これを記録してるの」

「直接使徒と対峙した君達の意見も、是非取り入れたいと思ってね」

 観測者としての報告書に、当事者としての意見や見解を補足する。冬月達の説明を聞いて、シイ達はようやく自分達が呼ばれた訳を理解し、少しだけ安堵した。

「良かった~。怒られるんじゃ無いかったんだね」

「あら、シイは何か怒られる心当たりがあるの?」

「う、うん。私はエヴァを何回も壊しちゃったから……」

 申し訳無さそうに答えるシイに、一同は苦笑を浮かべる。確かに初号機は最も修復回数が多く、莫大な費用がかかったが、それは最初から最後まで最前線で戦い続けた証でもあるのだから。

「でもさ、今更過ぎない? 使徒との戦いなんて、もう大分前じゃん」

「ああ、そう言えば説明して居なかったね」

「先日のリリスの一件について、世界各国からゼーゲンに説明を求める声があがっているの。特別審議室とも相談して、正式に回答するつもりなのだけど、その為には使徒についての真実も明らかにする必要があるわ」

「その資料として、この報告書を提出する事になった。これで良いかしら?」

 纏めたリツコの言葉に、アスカだけで無く他の面々も成る程と頷く。

「疑問が解決されたところで、そろそろ始めましょうか。……マヤ?」

「はい」

 マヤが手早く端末を操作すると、会議室のモニターに報告書と記録映像が映し出された。

 

 

 

~葛城報告書・第三使徒~

 

 西暦2015年、第三使徒襲来。

 個体名『サキエル』は、戦略自衛隊とUNによる防衛線を突破し、第三新東京市市街地へと到達。

 同日着任したサードチルドレン『碇シイ』により、汎用人型決戦兵器『エヴァンゲリオン初号機』の起動に成功。そのまま実戦へと移行した。

 訓練経験無しのサードチルドレンは苦戦を強いられ、左腕部及び右眼部、頭部を損壊。

 初号機は完全に沈黙、後に暴走。左腕の自動修復、ATフィールドの発生を確認。

 サキエルに対し白兵戦を挑み、自爆へ追い込む。

 第三新東京市市街地A7区画からB5区画まで消滅。初号機は中破するも健在。

 後日の聞き取り調査により、サードチルドレンに戦闘の記憶が無いと判明。精密検査を実施したが、精神汚染の可能性は否定された。

 

「……何か補足はあるかしら? 今回はシイさんのみだけど」

「えっと……一つ気になった事が」

「何でも言って欲しい。どんな些細な事でも構わないよ」

「この暴走……ですか? これって、その、お母さんが戦ってくれてたの?」

 シイの言葉を受けて、会議室に集まった面々の視線が一斉にユイへと向けられる。パイロットの意識が無い状態で、エヴァを動かせるのは宿っていた魂だけの筈。

 その当事者の答えに期待が集まる中、ユイは静かに口を開く。

「私は貴方を守りたいと願っただけよ。そしてその思いにエヴァが応えてくれたのね」

「ふむ、ならあの戦いはエヴァ自身の、或いはリリスの本能的な行動と言う事か」

 それならばあまりに荒々しい戦いぶりにも納得出来る、と冬月はあごに手を当てて頷いた。娘を守る為に使徒を倒すと言うユイの意志を受けて、エヴァが殲滅行動をとったのだろう。

「母は強し、ですね」

「それに関しては全面的に同意するよ」

 マヤの言葉にカヲルは苦笑しながら頷いた。

 

 

~葛城報告書・第四使徒~

 

 第四使徒、個体名『シャムシエル』襲来。

 UNによる防衛ラインを突破し、目標は第三新東京市市街地へと到達。

 初号機によりエヴァンゲリオン専用重火器を初使用。ただし効果は認められず。

 戦闘区域へ民間人の侵入、外部電源供給線の切断とアクシデントが重なり、戦闘続行は困難と判断。

 民間人三名をエントリープラグへ緊急避難させ、一時撤退を試みるもパイロットは拒否。

 内蔵電源により戦闘を続行し、プログレッシブナイフによる白兵戦にて目標を殲滅。

 初号機は両手、右足首、腹部損壊するも健在。

 シャムシエルは形状を保ったサンプルとして、技術開発局に管轄を移行した。

 

「……反省しとります」

「私も……」

 トウジとシイは二人揃って頭を下げた。結果として使徒を殲滅する事は出来たが、自分達の軽率な行動で、下手すれば全てが終わっていたのだ。

「この件に関して、今更お前達を責めるつもりは無い」

「あくまで結果論だが、貴重なサンプルを得る事が出来たからね」

 そして後のフォースチルドレンを失わずに済んだ、と冬月は心の中で続けた。

 

 

~葛城報告書・第五使徒~

 

 凍結解除された『エヴァンゲリオン零号機』の起動実験と同時刻、第五使徒、個体名『ラミエル』襲来。

 初号機による迎撃を試みるも、発進直後を加粒子砲で狙い撃たれ敗退。初号機は胸部第三装甲板まで到達する損傷を受け、サードチルドレンは意識不明で緊急入院。

 目標は本部直上にて停止。ドリル状の物体にて地面を掘削、本部への直線侵攻を計る。

 加粒子砲と強力なATフィールドを有する目標に対し、作戦部は超長距離からの一点突破を提言。即時採用される。以後本作戦を『ヤシマ作戦』と呼称した。

 起動実験を終えた零号機とファーストチルドレン『綾波レイ』の実戦投入を決断。修復を終えた初号機との、初の共同戦線と相成る。

 戦略自衛隊より長距離狙撃用ライフルを借り受け、エネルギー源として日本中の電力を集める事に成功。

 双子山山頂より作戦を展開。

 初弾を外し使徒の反撃を受けるが、防御役の零号機の活躍により作戦は継続。第二射にて目標を殲滅。

 零号機は大破。ファーストチルドレンも負傷するが、大事には至らなかった。

 

「こりゃ……えらいギリギリの戦いやったな」

「うん。レイさんが居なかったら、負けちゃってたと思う」

 使徒の加粒子砲から、身を挺して自分を守ってくれたレイ。その後ろ姿は今でもシイの脳裏に焼き付いていた。

「勝算は8.7%。良くやってくれたと言うのが、私達の本音だよ」

「ああ。だが作戦立案をした彼女の功績も大きいだろう」

 エヴァの破損やチルドレンの負傷など、ミサトの作戦が裏目に出ることも勿論あった。だが追い詰められた状況下で起死回生の策を提示した彼女の功績は、決して軽んじられるものでは無い。

 

「ちょっと気になったんだけど」

「何かしら、アスカ」

「この使徒さ、あんな強力な加粒子砲があるなら、何でそれを下に撃たなかったの?」

 兵装ビルを飴細工の様に溶かしてしまう破壊力。それを使えばヤシマ作戦発動前に、本部へ侵攻することも出来たはずだ。

「それは使徒に聞いてとしか言い様が無いわね」

「……何故?」

「ふふ、やはりそう来たか」

 使徒に聞いての言葉通り、レイはカヲルに質問をぶつける。

「僕にも他の使徒の考えは分からないけど……仮説で良いなら話そう」

「興味深いわね。聞かせて頂戴」

「使徒は生命の実、君達がS2機関と呼ぶ永久機関を持っている。しかしリリンの様な知恵の実……そうだね、知性や何かを生み出そうとする力、あるいは心。そう言った物は無いのさ」

 繁殖も文明も持たないが無限の動力源を持ち種を存続させる使徒。限りある命だが知性と文明を持ち、繁殖する事で種を存続させる人類。

 姿形では無く、それこそが両者の最も大きな差違であった。

「データを見る限り、ラミエルは加粒子砲を自己防衛にしか用いていない。彼の中では加粒子砲はあくまで防衛手段であり、それを攻めに転用する発想が無かったのかもしれないね」

 あくまで仮説と念を押すカヲルだったが、反論する者は誰も居なかった。

 

 

~葛城報告書・第六使徒~

 

 零号機の全面改修を受けて、ドイツ第二支部より『エヴァンゲリオン弐号機』及び専属搭乗者である、セカンドチルドレン『惣流・アスカ・ラングレー』を本部へ招集。

 太平洋艦隊による護衛を受けての海上輸送中、第六使徒、個体名『ガギエル』の襲撃を受ける。

 艦隊指揮艦の許可を得て、弐号機による使徒殲滅戦を実行する。

 B型装備での水中戦闘に苦戦を強いられるが、海中にて使徒内部のコアを破壊。殲滅に成功した。

 なお本戦闘において、セカンド、サード両チルドレンの同時搭乗を確認。

 使徒のサンプルと共に、技術開発局『赤木リツコ博士』にデータを譲渡した。

 

「よ~やくあたしの出番ね。どう、この華麗な戦いぶりは?」

「……釣りのえさ」

「おっ。やっぱレイもそう思うやろ?」

 自分と同じ考えをしたレイに、トウジは嬉しそうな声を漏らす。口にこそ出さないが大人達も同じ事を考えており、上半身をぱっくり使徒に食われた弐号機は、やはり釣りのえさに見えて仕方なかった。

「あんた達ねぇぇ。ふん、B型装備で水中戦をやるなんて、あたし以外には出来ないわよ」

「ふふ、だろうね。そんな無謀で無茶で馬鹿な真似をするのは、君以外にはいないよ」

 からかうようなカヲルの物言いに、ヒートアップしたアスカが飛びかかろうとして、車椅子から転げ落ちそうになってしまう。それをそっとレイに支えられて、アスカは何とも気まずそうに視線をそらした。

 ある意味でいつも通りの子供達の中で、一人シイだけが何かを考え込むように黙っていた。

 

「あら、シイは何か気になる事があるの?」

「……うん。ガギエルさんは、何で私達を襲ったのかなって」

 使徒は第三新東京市を目指して居ると、シイはミサトから教えられた。そしてそれが、本部の地下にある巨人と接触する為だと、真実を追う過程で知った。

 だがこの使徒に関しては、その目的には当てはまらないとシイには思えてしまう。

「……碇」

「ああ。この海上輸送には、加持監査官にある物を輸送して貰う目的もあった。それを狙ったのだろう」

「ある物って何?」

「……南極で回収し、ドイツで復元を行っていた『アダム』のサンプルだ」

 何かを探し回るような使徒の行動も、全ては加持の手にあったアダムを求めての事だった。

「人類補完計画の要であったが、既に処分した」

「そうなんだ……」

「てかさ、このガギエルっての、どうやって第三新東京市まで来るつもりだったのかしらね」

「……空を泳いで」

「「…………」」

 レイの小さな呟きに、一同は大空を悠然と泳ぐガギエルを想像してしまい、同時に顔をしかめる。何と言うか、とてつもなく恐ろしい光景だったのだ。

 彼らの思いはただ一つ。そうならなくて良かった、であった。

 

 

~葛城報告書・第七使徒~

 

 セカンドチルドレン着任より間もなく、第七使徒、個体名『イスラフェル』襲来。

 零号機の改修作業は間に合わず、弐号機も修復後のフィードバックに誤差が認められた為、初号機による単独作戦を実施。

 同時に技術開発局は新型装備『マステマ』の実戦投入を決断。

 テスト無しでの稼働となったが、全領域兵器は実戦に十分耐えられる性能を示す。だが一時は使徒を両断するも、二体に分離する特異性に苦戦を強いられる。

 N2ミサイルにより使徒の構成物質の79%を焼却。しかし初号機も余波を受け中破。

 痛み分けに終わった戦闘は、六日後に再戦の機会を迎える。

 作戦部は二機のエヴァによるコンビネーション作戦を提案。副司令により承認され、ファーストチルドレン、セカンドチルドレンは即日訓練を開始。

 当初は両者のユニゾンを不安視する声もあったが、実戦において零号機、弐号機は見事な連係攻撃を披露し、使徒の殲滅に成功した。

 

「ふふ~ん。どうよ、あたしの本当に華麗な戦いぶりは」

「凄いと思うで……最後以外はな」

「そうだね。最後以外は素晴らしいと思うよ」

「無様ね」

「……ぷっ」

「何他人事みたいな顔してんのよっ! あんたも当事者でしょうが!」

 終わりよければ全てよし。逆もしかり。使徒を殲滅した後、無様に絡み合う零号機と弐号機の姿は、それまでの華麗な戦いぶりを忘れさせてしまう程のインパクトがあった。

 

 

 

~葛城報告書・第八使徒~

 

 浅間山地震観測所より、浅間山火口に正体不明の影を確認したと報告あり。

 報告者『葛城ミサト一尉』が現地へ赴き、それが羽化前の使徒であると判明。第八使徒、個体名『サンダルフォン』に対し、使徒捕獲作戦(A-17)が発令された。

 作戦担当の弐号機はD型装備にて火口へ侵入。バックアップに初号機を火口付近へ配備。

 予想深度を超え、搭乗者の生命に危機が及ぶも、作戦責任者である葛城ミサト一尉の指示により作戦を継続。限界深度間近で、休眠中の使徒を発見する。

 弐号機は一時使徒の捕獲に成功するも、羽化を始めた為に作戦継続は困難と判断。殲滅作戦へ移行。

 極限状況下での戦闘に苦戦を強いられるも、セカンドチルドレンの機転により無事殲滅。

 回収中に安全パイプが切断されるトラブルが起きたが、初号機により弐号機の救出に成功。

 初号機は中破。弐号機は小破するも、両チルドレンは無事だった。

 

「これって、使徒はまだ赤ちゃんだったんだよね?」

「私達の認識で言うと、そうなるわね」

「……何か気になるの?」

「うん。カヲル君から使徒はずっと昔に産まれてたって、教えて貰ったから」

 使徒の誕生は、地球に黒き月が衝突する前まで遡る。ならばサンダルフォンは、ずっと赤ちゃんだったのかと、シイは疑問だった。

「そう言やそうや。そこんとこどうなん?」

「おかしな事は無いさ。例えば蝉は、成虫としては一ヶ月程度しか生きられないけど、幼虫で居る期間は数年以上だよ。サンダルフォンも同じ性質を持っていたのかも知れないし、マグマと言う特異的な環境が羽化を遅らせていたとも考えられる。使徒はリリンの常識では計り知れないのだろ?」

「悔しいけど、その通りだわ」

 カヲルの流し目に、リツコは頷いて彼の言葉を肯定した。

 

 

 

~葛城報告書・第九使徒~

 

 ネルフ本部の全電源が落ちるという、未曾有の事態が発生。

 幸いにして技術局の『時田シロウ』により電源が確保された為、大事には至らなかった。

 電源復旧直後、第九使徒、個体名『マトリエル』の第三新東京市への接近を確認。エヴァンゲリオン三機による迎撃作戦を展開する。

 作戦行動を円滑に進める為、セカンドチルドレンをリーダーとするチームを結成。目標の溶解液に苦戦を強いられるも、三機による協力攻撃により目標を殲滅した。

 なお本作戦で命令違反を犯したセカンドチルドレンには、一日懲罰房入りを命じた。ファースト、サード両チルドレンも同じ罰を望んだため、作戦部長権限にてそれを認める。

 

「これって、時田が居なかったら結構やばかったんじゃない?」

「うむ。彼は赤木君の提案でネルフに引き込んだが、思いがけず働いてくれたよ」

「……自己顕示欲の強い男ですから、上手く煽てればそれなりの成果を挙げて当然です」

「姐さんは結局、時田さんを認めとるんやな」

「先輩は才能のある人は、個人的な感情を抜きにして認められる、素晴らしい人ですから」

「ふふ、ありがとうマヤ。でも別に嫌いじゃ無いの。ただあの人が活躍すると、無性に苛立つだけだから」

(対抗意識バリバリやな……)

(先輩、それって……)

 不敵な笑みを浮かべるリツコを、トウジとマヤは黙って見守る事にした。

 

「懲罰房か。寝心地はどうだったんだい?」

「……狭かったわ」

「あはは、でも暖かかったよ」

 この一件がシイ達の絆を深めたのは間違い無いだろう。そしてアスカの成長にも一役を買った。

 結成こそごり押しだったが、アスカをリーダーとしたエヴァンゲリオンチームが、最終戦まで誰一人欠けること無く戦い抜けたのは、成長した彼女の存在が大きかったのは間違い無いだろう。

 

 

~葛城報告書・第十使徒~

 

 衛星軌道上に突如として、第十使徒、個体名『サハクィエル』が出現。

 ATフィールドを攻撃手段に用いる目標は、身体の一部を地球に向けて投下。落下エネルギーをも利用したその攻撃は、N2兵器を凌駕する威力を我々に示した。

 数回に分けて行われた攻撃により、使徒は落下誤差を修正したと思われる。

 本体ごとネルフ本部へ向けて落下するとの予測に対し、現場責任者である『葛城ミサト三佐』は特別宣言D-17を発令。半径50km以内の民間人を退避させ、エヴァ三機による迎撃作戦を実行する。

 極めて成功確率の低い作戦であったが、落下直前で受け止め使徒を殲滅する事に成功した。

 本作戦で初号機は中破。サードチルドレンも両腕を負傷するも、大事には至らなかった。

 

「これは私と碇が不在時の使徒襲来だったな」

「ああ。彼女は独断だと詫びたが、最良の結果をもたらした」

 作戦成功率は1%未満。無謀と言われても反論できない作戦であったが、シイ達はミサトの期待に応えて見せた。人の意志の強さをリツコが思い知らされた戦闘でもあった。

「無謀と勇敢は紙一重とは言え、流石にこれは分が悪かったんじゃ無いかな?」

「そやな。ミサトさんは怖く無かったんやろか」

 自分の判断が大勢の命を、大切な人達の命を左右する。それがどれだけのプレッシャーなのか、トウジにはとても理解出来なかった。

「あんた馬鹿ぁ? 怖いわけ無いでしょ。あたし達が居たんだから」

「……ミサトさんは、私達を信じてくれたわ」

「だから私達も信じたの。ミサトさんの作戦なら、きっとやれるって」

 ミサトとシイ達の間に結ばれた強い信頼関係。それが奇跡とも思える可能性を引き寄せた。ミサトの判断に批判はあるだろうが、結果を残した以上英断と言う評価は覆らないだろう。

 

 

~葛城報告書・第十一使徒~

 

 チルドレン三名によるオートパイロットの実験中、本部内に謎の侵食が発生。範囲を拡大する侵食は、実験中のプリブノーボックスへ到達。

 責任者である赤木リツコ博士は実験の中断を決断。パイロットを安全区域へ強制射出すると同時に、侵食に対して攻撃を加えるが、ATフィールドによって防がれる。

 以後侵食を第十一使徒、個体名『イロウル』と認識。

 イロウルはサブコンピューターへハッキングを行い、MAGIシステムへの侵入を果たす。ネルフは本部全域を巻き込む自律自爆を迫られるが、赤木リツコ博士が自滅促進プログラムを送り込み、殲滅に成功した。

 なお今回の一件については碇司令の指示により、最終戦後まで秘匿事項とされる。

 

「思い出したわ。これ、あの最悪のテストの時ね……」

「最悪? そないきつかったんか?」

「……全裸でテストしたの」

 レイの言葉に、カヲルがガタッと椅子から立ち上がる。

「それはシイさんもかな?」

「う、うん」

「そうか……」

 気圧されるように頷くシイを見て、カヲルはあごに手を当てて思案顔になる。

「どうせ映像を探そうとでも思ってるんでしょうけど、お生憎様。当然カメラは全部プライバシー保護の為に、切ってあったのよ。だから映像も何も残って無いわ。そうよね?」

「え?」

「……え゛?」

 リツコに確認を求めたのだが、予想外の反応にアスカは困惑する。勿論よ、と言う返答がくるものだとばかり思っていたからだ。

「あ、あんた……まさか……」

「……赤木博士」

「ち、違うわ。急に話を振られて驚いただけよ。私はMAGIに細工なんて……あ゛」

 その瞬間、全てが終わった。

「赤木君。君には失望した」

「誤解です碇司令。どうか弁解の機会を」

「ええ、勿論ですわ。たっぷりと……お話を聞かせて下さい」

 満面の笑みを浮かべるユイに連れ出されたリツコが戻ってきたのは、数十分経ってからであった。

 

 

 

~葛城報告書・第十二使徒~

 

 第三新東京市直上に、突如として謎の球体が出現。

 富士の電波観測所は存在を観測できず、目標の移動経路等一切は不明。

 目標の波長パターンはオレンジ。使徒とは認識出来ず、攻撃の着弾を認められなかった。

 民間人の避難完了後、エヴァ三機による情報収集並びに迎撃作戦を展開。

 初号機による牽制射撃と同時に目標は消失し、初号機の直下にパターン青を確認。第十二使徒、個体名『レリエル』は漆黒の影を広げ、初号機と兵装ビルを飲み込んだ。

 以後の分析により、使徒の本体は影と判明。ATフィールドを内向きに展開し、極薄の空間を維持していると推察された。なおその空間を赤木リツコ博士は『ディラックの海』と呼称。

 零号機、弐号機のATフィールドと、現存する全てのN2爆弾を使用し、使徒の殲滅と初号機の救出を計画。

 実行直前で、初号機が内部より自力で脱出。同時に使徒の殲滅をも果たした。

 

「この件に関して、ユイさんに伺いたい事があります」

「何かしら?」

「これまで初号機が自律行動を取ったのは、全て電源が供給されている状態でした。ですがこの時、初号機の内蔵電源はほぼゼロ。動力源が無い以上、どんな生物も活動できない筈です」

 使徒のコピーであるエヴァだが、生命の実は持っていない。なのでその代わりの動力源として、外部から供給される電力を用いていた。

 それが無い状態で何故動けたのか。リツコは科学者としてユイに疑問をぶつけた。

「……あの時、確かに初号機に残された電力はごく僅かでしたが、動力源は残っていました」

「あり得ないわ。他に動力源なんて……」

「成る程ね。S2機関でも電力でも無い動力源……命か」

 カヲルの言葉にユイは小さく頷く。

「シイを一時的に初号機へ取り込み、その命を動力源として初号機を動かしたの」

「な、ならシイがユイお姉さんに会ったって言うのは……」

「私がシイを取り込んだから、姿を認識出来たのね」

 シンクロテストなどでシイは初号機に何かの存在を感じていたが、姿を見る事や声を聞くことは叶わなかった。だがあの時、シイは初めてユイの姿と声を確認した。

 それは二人が一時とは言え、エヴァの中という同じ領域に居た事を意味する。

「……だからお母さんは言ったんだね。良かったって」

「ええ。貴方が生きる事を望まなければ、あの空間を脱出する程のエネルギーは得られなかったから」

 動力源に加え、生への執着を得たからこそ、初号機はディラックの海を破壊する程の力を持つことが出来たのだろう。生きようとする意思は、何よりも強いのだから。

 

 

~葛城報告書・第十三使徒~

 

 『エヴァンゲリオン四号機』の実験事故により、ネルフ米国第二支部が消滅。

 同国で所有権を主張していた『エヴァンゲリオン参号機』は、所有権をネルフ本部へと移行する。

 参号機の本部輸送と時同じくして、マルドゥック機関はフォースチルドレン『鈴原トウジ』を選抜。参号機の専属搭乗者として、松代第二実験場で行われる起動実験への参加を要請し、受諾される。

 起動実験中に突如参号機が暴走。内部に高エネルギー反応を確認した直後、そのエネルギーが放出され、松代第二実験場は壊滅した。

 制御不能の参号機は第三新東京市に向けて侵攻を開始。碇司令により、エヴァンゲリオン参号機は第十三使徒、個体名『バルディエル』と認識され、殲滅命令が下された。

 野辺山にてエヴァ三機による迎撃戦を開始するも、パイロットは殲滅を拒否。エントリープラグを回収し、フォースチルドレンの救助を実行した。 

 作戦は成功するも、初号機の左腕損傷、サードチルドレンの左腕神経不全と言う大きな被害が残った。

 なおバルディエルは米国からの輸送中に、参号機へ寄生したと推察される。

 

「鈴原君……」

「はは、話には聞いとったが、こうして見るんは初めてや」

 トウジは当初、参号機の暴走事故だと伝えられていた。彼が事の真相を知ったのは、シイがサルベージされてからだ。その時は特別な感情を抱かなかったが、改めて映像を見ると複雑な気持ちになってしまう。

「えらい迷惑かけてもうたな。すまん」

「ううん、私達こそ嘘ついちゃてごめんね」

「……あん時聞かされてたら、わしはビビってエヴァに乗らへんかったわ。せやさかい感謝しとる」

 嘘をつかれた事を怒るつもりは毛頭無い。自分の気持ちの整理がつくまで、待ってくれていたとトウジは思う様にしていた。真意はどうであれ、その優しい嘘で自分は再び戦う事が出来たのだから。

 

 

~葛城報告書・第十四使徒~

 

 エヴァンゲリオン参号機の破棄命令は取り下げられ、正式にネルフ本部管轄となる。また同日、命令違反を犯したサードチルドレンに対し、入院先の病院にて無期限の謹慎が決定された。

 参号機の再起動実験は無事終了し、搭乗者は赤木リツコ博士考案の戦闘訓練を受ける。その最中、第十四使徒、個体名『ゼルエル』が襲来した。

 第三新東京市市街地にて零号機、弐号機、参号機による迎撃戦を展開するも、目標は地下特殊装甲板を突破。ジオフロントへの侵入を果たした。

 弐号機は両腕、頭部を切断され戦闘不能。シンクロカット処置により搭乗者は生存。

 使徒の攻撃を受け、ネルフ本部外壁装甲板は全て融解。使徒はメインシャフトへ侵入しようとするも、謹慎命令を解かれたサードチルドレンが搭乗した、初号機によって阻止。

 内蔵電源が切れ、初号機は窮地に陥るも突如再起動。使徒を殲滅した。

 なお本戦闘において、初号機はシンクロ率400%オーバーを記録。使徒を捕食すると言う特異的な行動を見せ、完全に制御下から離れた。

 

「まさかこんな方法で、生命の実を宿すとはね」

「この時初号機は生命と知恵を兼ね備えた、神に近しい存在になったと言う訳だ」

 冬月の呟きにアスカが反応する。

「ならあたし達のエヴァも、使徒を食べればS2機関を持てたって事?」

「理論上は可能だと思われるわ」

「でも恐らく、初号機以外には出来ないと思うよ」

「なんでよ」

 納得出来ないと、アスカはカヲルに視線を向けて答えを求める。自分とシイ、弐号機と初号機に何の違いがあるのかを確かめずには居られなかった。

「答えは簡単さ。エヴァは電力を動力源としている以上、本来捕食行為を行わない」

「わしらが電気で充電したりせんちゅうのと、同じ事か?」

「その通りさ。食事という行為は、命を持った生物だけが行うものだからね」

 S2機関を持つ使徒のコピーであるエヴァには、元来捕食すると言う性質は無い。だが、それならば初号機も同じだろうと言うアスカに対し、カヲルは更に説明を続けた。

 

「君達が食べ物を欲するのはどんな時かな?」

「えっと……お腹が空いた時?」

「そう。つまりは飢え。生物は活動する事でエネルギーを消費し、それを補うために食事をする。でもエヴァには飢えは無く、電力が切れれば活動を停止するだけだ。例外を除いてはね」

「何よ、例外って」

「命を動力源にした時さ」

 カヲルの言葉を聞いて、会議室の面々はようやく理解した。

 この戦闘中に、初号機は内部電源を使い切り活動を停止していた。S2機関捕食までの間動けたのは、先の時と同じ様にシイを取り込み、命を動力源としたからだろう。

 人一人の命では、エヴァの膨大なエネルギーを維持出来ない。だから飢えていた。獣の様に使徒を貪り喰らい、その飢えを満たそうとする程に。

「初号機以外は不可能と言うのは、他のエヴァに宿る魂は、ユイさんの様に身体ごと取り込まれていないからね。パイロットを引き込むほどの干渉が出来ないんだよ」

 子供を守ろうと、魂となった母親が暴走を引き起こす事はあるだろう。だが一体化、捕食と言った領域に達するには、魂の量がユイに比べて少ない為、干渉力が足りなかったと推察された。

 

 

 

~葛城報告書・第十五使徒~

 

 衛星軌道上に第十五使徒、個体名『アラエル』出現。

 出現以降動きを見せない目標に対し、凍結命令中の初号機を除く、三機のエヴァが地上より狙撃するも、アラエルは弐号機に対し可視光エネルギー波を照射。

 光を浴びたセカンドチルドレンは一時精神汚染危機に陥り、弐号機は活動停止。碇司令は零号機に『ロンギヌスの槍』の使用を命じる。

 しかしセカンドチルドレンは自力で弐号機を再起動。強力なATフィールドを展開し、使徒の可視光エネルギー波を完全に遮断。同時にATフィールドを用いて、衛星軌道上の使徒を殲滅した。

 なおセカンドチルドレンに精神汚染の心配が無い事は確認されている。

 

「何だか、この使徒は違う感じだったね」

「そうなのよ。出てきて動こうともしないし、本当にリリスを狙ってたのかしら」

「……使徒博士はどう思う?」

「妙な肩書きは止めて貰いたいね。……まあ僕の推測だけど、使徒は人類という存在に気づいたんだと思う。そして自分達以外の生命体に興味を持ち、理解しようとアプローチしたのかも知れない」

 以前の使徒は、自分の邪魔をするものを排除するだけで、エヴァも含めた人類に直接危害を加えては居ない。積極的に人類にアプローチをしたのは、レリエルとアラエルの二体。

 この二体に共通する特徴は、リリスへの接触しようとする行動を見せなかった事だ。なのでカヲルの言うとおり、目的が人類の理解であった可能性も否定出来ないだろう。

 

 

 

~葛城報告書・第十六使徒~

 

 第十六使徒、個体名『アルミサエル』襲来。

 強羅絶対防衛戦を突破した目標は、大涌谷上空にて定点回転を継続し、以後移動の気配は無し。

 凍結解除された初号機を加え、エヴァ四機による迎撃戦を展開。

 マステマのN2ミサイルにより大打撃を与えたが、残った身体の一部を用いてエヴァへの侵食を試みる。

 参号機の右腕に侵食を許したが、進行前に切断することで使徒の行動を封殺。

 零号機と弐号機により、右腕ごと殲滅に成功した。

 エヴァ零号機、初号機、弐号機の損壊は軽微。参号機は右腕損失するも、フォースチルドレンは無傷。

 

「これも……」

「アラエルが精神的、アルミサエルが物理的なアプローチをしたと、推測出来るかな」

「使徒は私達を知ろうとしていた……なのに私達は……」

「異なる生命体は滅ぼし合うようにプログラムされていた筈。気に病む必要は無いよ」

 落ち込むシイに、カヲルは優しく言葉をかける。気持ちは理解出来るが、この状況では既に相互理解を望む段階を過ぎていたのだから。

 

 

 

~葛城報告書・第十七使徒~

 

 人類補完委員会より、フィフスチルドレン『渚カヲル』が派遣された。

 搭乗出来るエヴァが無い為、予備パイロットとしてネルフ本部に着任となる。

 後日、本人の証言により第十七使徒、個体名『タブリス』と判明。

 意思疎通が可能な目標と、ネルフ本部職員による話し合いがもたれ、本人は人類との共存を望んだ。

 以後渚カヲルは、タブリスではなくフィフスチルドレンとして認識される。

 

「ふふ、やっと僕の出番だね」

「ミサトも相当頭を悩ませたんでしょうね。明らかに他の使徒に比べて報告し辛そうだもの」

「使徒と分類して良いのかも、難しいですから」

 待ってましたと言うカヲルに、リツコとマヤは微妙な表情で呟く。戦闘にすらならず、話し合いで仲間になりましたでは、素直に報告するのは憚られたのだろう。

「まあ渚は使徒っちゅうより、やっぱ渚の方がおうとるわ」

「ありがとうトウジ君」

 今この場に、カヲルをタブリスとして認識している者は居ないだろう。直接戦闘を行わなかった事もあり、彼らの中ではシイを狙う変態……一人の男の子としてカヲルを見ていた。

 

 この後、軽い意見交換を行い、葛城報告書は完全な形で公表される事となった。

 




長らくのブランク、大変失礼致しました。

『アダムとリリス編』の流れで、少しシリアスな『リリンと使徒編』が始まりました。
別名使徒救済編……そのままですね。
あまり長くならないように、4~5話で纏める予定です。



五月は出張や研修が多く、予定通りの投稿が出来ないとお伝えして居ましたが……作者の予想を遙かに超えておりました。
ただ執筆は続けておりますので、その点だけはご安心下さい。

次回もお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(それぞれの思惑)》

~戻れない過去~

 

 会議室を後にしたシイ達は、揃ってゼーゲン本部の食堂へとやって来ていた。既に夕食の時間を過ぎている事もあり、折角なのでみんなで食事をしようと、シイが提案したからだ。

「惣流の奴は残念やったな」

「うん。でも病院の規則なら仕方ないよね」

「……その代わり、退院したらシイさんの手料理を死ぬほど食べるって」

「おやおや、折角落ちた体重が戻るのも時間の問題かな」

 以前と変わらぬ食堂の味に、自然とシイ達の会話も弾む。本部に来る機会が減った子供達は、先程の出来事も相まって、あの苦しくも掛け替えのない日々を思い出していた。

 話題は自然と、使徒との戦いや中学校での出来事がメインとなり、シイ達は懐かしみながら、カヲルは自分の知らない彼女達の思い出を、興味深そうに聞く。

 そんな時、不意にシイがある事をカヲルに尋ねた。

「ねえカヲル君。前に黒き月は、魂の還る場所だって言ってたよね?」

「そうさ。正確にはその一部、ガフの部屋がそれにあたるね。魂が産まれ、そして帰る場所。輪廻転生を司る魂のゆりかごだよ」

「……何か気になる事があるの?」

「うん。あのね、それなら使徒の魂はどうなっちゃうのかなって」

 セカンドインパクトで、南極大陸の白き月のガフの部屋は、機能を失っていた。ならば還る場所を失った使徒の魂は、一体どうなってしまったのだろうか。

「還る場所が無い魂は彷徨い続け、やがて消滅してしまうよ。それが一日なのか、一年なのか、あるいは十年百年と彷徨うのかは、僕には分からないけどね」

「……人も同じ。強い未練を持った魂は、ガフの部屋へ帰らずに彷徨うわ」

「そら、幽霊っちゅう奴か?」

 トウジの確認に、レイは小さく頷く。輪廻の輪から外れた魂は、消滅して二度と転生出来ない。幽霊とは何とも悲しい存在なのだ。

 

「そっか……魂があるなら、もう一度やり直せるかも」

「シイさん。仮に可能だとしても、それがどう言う意味を持つのか、理解しているね?」

「だけど、今度はちゃんとお互いを理解出来るかも知れないし……」

 食い下がるシイに、カヲルは大げさに肩をすくめてため息をつく。

「前に言ったはずだよ。使徒とリリンは滅ぼし合うように、『何か』が決めてしまったと」

「でもカヲル君とは」

「僕はリリンの遺伝子を持っているから、そのルールの例外だったんだろう。どちらの味方にも敵にもなりうる存在……ふふ、まるで昔話のコウモリの様にね」

 自嘲気味に答えるカヲルの姿に、シイは幼き頃に祖母から教えて貰った話を思い出していた。鳥と獣が敵対する状況で、コウモリは有利な方に仲間だと訴えかけて、裏切りを繰り返す。そして両者が和解した時、コウモリは孤独になり、みんなの前から姿を消したと。

 裏切りを除けばカヲルとコウモリは、確かに似ているのかも知れない。

(あれ? でもこのお話、まだ続きがあったよね……確かその後……)

 思考を続けるシイだったが、カヲルの言葉によって、答えが出る前にそれを中断させられる。

「リリンと使徒の共存を望む君の気持ちは分かるよ。もし実現出来るのなら、それはとても素晴らしい事だ。でも、理想と現実は違う。……全てが思い通りにはならないのさ」

「それは……分かってるけど」

「ま、この辺にしとこや。そもそも、あない話を聞いたらシイがそう思うても、しゃーないで」

「……なら原因は貴方ね」

「ふふ、可憐な少女の心を惑わせてしまったなら、心から謝罪をしよう」

 レイの突っ込みに便乗して、芝居がかった口調でカヲルは頭を下げる。暗くなりかけた空気を変えようとするカヲルの姿に、シイは小さく頷くと、自分でも我が儘だと思っている感情を押し殺した。

 だが胸に産まれたしこりは消える事が無かった。

 

 

 

~リリスの不安~

 

 その夜、シイが寝たのを確認してから、レイは碇家をそっと抜け出して、芦ノ湖のほとりへとやって来た。そこには、月の光を浴びて満足げに微笑むカヲルが、一人レイを待っていた。

「月が綺麗だね。そうは思わないかい?」

「……プロポーズ?」

「生憎と妹に手を出す程、節操無しじゃ無いさ」

 ならばシイもだろうと言う突っ込みを抑え、レイはカヲルの隣に立つ。二人は視線を合わせること無く、ただ美しい月を見つめながら言葉を交わす。

「君が僕を呼び出すなんて、どう言う風の吹き回しだい?」

「……さっきの話」

「ん? ああ、あの事か」

 言葉足らずのレイの発言に、カヲルは一瞬考えたようだったが、直ぐさま察する。食堂でのやり取りについて、何やら物申したい事があるのだと。

「……わざとシイさんに厳しくしたわね?」

「場所が場所だからさ。一部を除いて、今もリリンにとって使徒は敵だ。それを助けたいと思っている事が周囲に漏れるのは、シイさんにとってマイナスでしかないからね」

 ゼーゲンの次期総司令にして、人類を使徒から守り抜いた英雄。多くの人にとって、シイは特別な目で見られる存在だ。そんなシイの発言は、本人の意思に関わらず多大な影響を与えてしまう。

 ゲンドウがそうであった様に、立場のある人間は己の発言に責任と自覚を持つ必要がある。

「……でも、シイさんは納得してない」

「ふふ、それが彼女の魅力だからね。困難に直面しても、簡単に引き下がるような子では無いさ」

「……器があれば、使徒の魂を宿らせる事は可能だわ」

「だろうね。僕は一度も不可能だとは言っていないよ。……ただ、おすすめもしない」

 カヲルは赤い瞳を一瞬揺らめかせ、寂しそうに呟いた。仮に意思疎通が可能となっても、滅ぼし合う様にプログラムされていれば、本能に抗うことは出来ないだろう。

 再び戦いの歴史が繰り返されるだけ、と半ば諦めているようだった。

 

「さて、それだけで僕を呼び出す訳が無いし……本題は何かな?」

「……相談があるの」

「明日は雨かな。傘を用意しなくては」

「……降るなら今夜よ」

 血の雨がね、と凄むレイにカヲルは両手を挙げて降参の意を示した。

「すまない。僕にと言う事は、リリス絡みだね?」

「……そう」

「お義母さんは何だって? シイさんの願いを叶えてやると、過保護ぶりを発揮するのかい?」

「……不安に思っているわ」

 思いがけないレイの発言に、カヲルは眉をひそめた。どうやら自分の想像以上に深刻な話なのだと理解し、話を聞く姿勢をとって先を促す。

「……リリスは、地球と融合する事でその歴史を自らの物にしたわ。そして、自分の子供達が築いてきた歴史が、戦いに彩られた物だと知った」

「否定は出来ないだろうね。リリンの歴史は戦いの歴史でもあるのだから」

「……ええ。だからリリスは不安を抱いたわ。今は落ち着きを見せていても、いずれ人類が同じ過ちを繰り返してしまい、滅んでしまうのではないかと」

 使徒と言う共通の敵が現れてもなお、人類は完全に協力しあえなかった。表向きは手を組みながらも、水面下では様々な思惑が交差し、足の引っ張り合いすら起こる始末。

 そんな人類が使徒と言う分かりやすい敵を失った世界で、果たして平和を築けるのかは疑問だ。

 

「成る程ね。その為のゼーゲンだけど、既に他の干渉を受けている以上、盤石とは言いがたい。シイさんの魅力に期待しようにも……リリンである彼女には限界がある」

「……意図的に平和を崩そうとする人も居るわ」

「ふふ、戦いが起こる事で得をする連中か」

 戦争が起これば兵器などによって莫大な金が動く。歴史を紐解いても、戦争や紛争の影には、常にそれによって利益を得る者達が存在している。

 彼らにはシイの唱える平和など、邪魔以外の何者でも無いだろう。

「……人が死ねば、そこに必ず負の感情が生まれてしまう。小さな火種もやがて大きな戦火へと繋がり、世界は憎しみに包まれる。それはシイさんの望む未来では無いわ」

「だけどリリスは積極的に子供へ干渉出来ない。例え滅亡の道を進んでいると分かっていても、指をくわえて見ているしか無い、か。不安に思うのも当然かな」

 カヲルはリリスへ同意するように、ため息をつきながら頷いた。

 

「それで話題が元に戻る、と」

「……ええ」

「リリンの意識改革の為か、それとも抑止力として利用するつもりか。……いずれにせよ、リリスは使徒をこの世界に存在させたいんだね?」

 確認を求めるカヲルの視線に、レイは小さく頷いて答える。

「……でも、その為には魂の受け皿が必要だわ」

「ふふ、君が僕に声を掛けた理由がやっと分かったよ」

「……量産機のダミープラグは貴方のデータだった。なら」

「察しの通り、ソ連支部には僕のダミープラントが存在してる。キールに聞かなければ確かな事は言えないけど、恐らくまだ残っているだろう」

 カヲルもレイと同じ様に、クローンが製造されていた。だがそれはスペアとしてではなく、あくまで量産機に搭載するダミープラグの為だったが。

「僕の身体も完全な使徒では無いけど、彼らの魂を受け入れる事は出来るかもね」

「……ええ」

「だけどリリスは、子供達が望まなければ手を出せない。違うかな?」

「……ええ」

 シイスターズの時は子供であるシイが自我だった為、魂を宿す手助けが出来た。だが今のリリスは決定権を持つ自我を持たない為、リリンが使徒の復活を望む、あるいは受け入れると意思表示する必要がある。

 

「シイさんは望んでいるけど……今回に関しては、他のリリンの意思も必要か」

 群体生命であるリリンは、個々で異なる意見や意思を持つ。だからこそ人類は繁栄する事が出来たし、だからこそ戦いが無くならないのだろう。

 全人類が一致団結して使徒の復活を望めば、リリスも喜んで手を貸すだろうが、それはまずあり得ない。

「……だからリリスは試す事にしたわ」

「試す?」

「……ええ」

 一連の流れに違和感を覚えたカヲルだったが、あえて突っ込む事をせずに先を促す。

「……その結果次第で、リリスは判断する」

「リリンは使徒を受け入れる事が出来るか否かを、か」

「……そう」

「話は分かったよ。それで結果は何時出るのかな?」

「……今夜中に」

 予想外のレイの返答にカヲルは少し驚くも、リリスが何を持って人類を試すのかを理解し、納得したように軽く頷いて見せた。

 人の本心を知るには、心の壁を除かなければならないのだから。

 

(リリスも随分としたたかだな。まあそれも当然か)

「了解だ。なら明日、もう一度ここで会おう」

「……ええ」

「ふふ、また君から電話を貰えると思うと、今から楽しみで仕方ないよ」

「……次はメールにするわ」

 からかうカヲルに素っ気なく返事をすると、レイは自宅へと足早に戻っていった。その背中を見送りながら、カヲルは一人月を見上げる。

(リリスの子供達……どうか良い夢を)

 

 




少しではありますが、物語が動きました。

使徒の復活、思っていた以上に障害が多そうです。
まあ一般の感覚からすれば、『何で苦労して倒した使徒を復活させんのよ』でしょうから。

シイは純粋に、リリスは自らの望みの為に、それぞれ使徒の復活を願っています。
果たしてどの様な展開を見せるのか。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(あるいはこんな世界も)》

~???~

 

 けたたましく鳴り響く目覚ましを手探りで止めると、シイは大きなあくびをしながら上半身を起こした。寝ぼけ眼をこすりながら立ち上がると、手早く着替えを済ませて部屋を出る。

「ふぁ~。おはようお母さん、お父さん」

「ああ、おはようシイ」

「おはよう。随分と眠たそうね」

 ダイニングには朝刊を読んでいるゲンドウと、朝食の支度をしていたユイの姿。いつもと変わらぬ朝の光景に、シイはあくびをしながら加わる。

「……夜更かしをしたのか?」

「ううん。ただ何だか眠たくて」

「そうか。まあ、そう言った時もあるだろう」

「うふふ、貴方も会議中は何時も眠たそうですものね」

「……冬月教授の話は無駄に長いからな」

「あら、でしたら今日の会議は短めに済ませるよう、私から言っておきますわ」

 楽しげに会話をしながら、ユイはテーブルに朝食を並べていく。ゲンドウとユイが並んで座り、その向かいにシイの席がある。

「…………あれ?」

「どうした?」

「家にもう一人居なかった?」

 いつも通りの光景の筈なのだが、シイには何とも言えない違和感があった。しかしそんなシイの言葉に、両親は不思議そうに首を傾げる。

「いや、我が家は私とユイ、そしてお前だけだ」

「そうだけど……」

「家族が増える夢でも見たのか?」

「あらあら、シイは姉妹が欲しいのかしら」

 微笑むユイの横で、ゲンドウが思い切りむせる。

(う~ん……何か忘れてる気が……でも私は一人っ子だし、夢を見たのかな)

 違和感をぬぐい去る事こそ出来なかったが、実際に両親が言うとおり碇家は三人家族なのだから、きっと自分の勘違いなのだと、シイは自分を納得させた。

 

 朝食が済み、ユイと並んで片付けをしていると、来客を告げるチャイムが鳴った。

「お友達が来たみたいね」

「うん。じゃあお母さん、お父さん、行って来ます」

「行ってらっしゃい」

「……車に気をつけろ」

 両親に見送られながら、シイは玄関へと向かう。するとそこでは、アスカ達が笑顔でシイを待ち構えていた。

「おはようみんな」

「グーテンモルゲン、シイ」

「おはよう、シイちゃん」

「はよ~」

「おはよう碇」

 挨拶を交わしてから、五人は揃って学校へ歩いて行く。たわいない雑談をしながら通学路を進んでいると、不意に背後から誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。

「あれ、まだ時間は大丈夫だよね?」

「あたしが居るんだから、そんなの当然じゃん。どーせ日直でも忘れてたんでしょ」

 ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認するシイに、アスカは呆れたように答える。そんな会話をしている間にも足音は近づいて来て、やがてシイ達を追い越していく。

 その瞬間、彼女達は思わず足を止めて、自分の目を疑った。今通り過ぎていったのは、人と同じサイズではあるものの、明らかに人とは違う存在だったからだ。

 緑色の身体に盛り上がった肩。首から上は無く、顔の代わりなのか胸に仮面の様な物がついている。

「……今の……って」

「どうやら眼鏡の度が合ってないみたいだね。ははは、放課後に眼鏡屋に行かなくちゃ」

 思わず鞄を落とすほど動揺するヒカリとケンスケの後ろで、シイ達は小声で会話を交わす。三人には今の存在に心当たりがあった。

「のう。わしは今の奴を、ごく最近みた記憶があるで」

「奇遇ね、あたしもよ。ねえシイ、あれって確か」

「う、うん。私覚えてる……。第三使徒、サキエルさんだよ」

 未だに事態が飲み込めずにいるが、これだけは全員の共通認識だった。

『この世界は何かがおかしい』

 

 

 どうにか心を落ち着けて、五人は再び学校へと向かう。見間違いだったのかもしれない、と必死で自分を納得させていたのだが、そんな希望は校門でいとも容易く打ち砕かれた。

「「…………」」

 校門の前では、風紀委員による服装チェックが行われていた。それ自体は何もおかしくは無いのだが、風紀委員の中に、明らかにおかしい存在が紛れ込んでいるのだ。

「どう見ても……使徒よね?」

「おう。あいつはわしも直接見たさかい、間違いあらへん」

「第四使徒シャムシエルさんだと思う」

 制服姿の生徒達と共に立つイカを思わせる赤紫色の使徒は、さも当然と言った様子で服装チェックを実施していく。そして更にシイ達の頭を悩ませるのは、自分達以外の生徒達はそれをまるで気にしていない事だ。

「あんな人、うちの高校に居たかしら?」

「委員長も良い感じで混乱してるね。居るわけ無いよ。僕が証明する」

 高校でも変わらず名カメラマンとして活躍しているケンスケは、全校生徒の顔を全て把握していた。そんな彼が居ないと言う以上、それは間違い無いのだろう。

「どないする?」

「今のとこ、何かしでかす感じじゃ無いわね……」

「…………」

 シャムシエルを警戒するトウジとアスカの隣で、シイは少し考える。この世界は何かがおかしい。だが自分は使徒と共に生きる世界を望んでいたのだから、これは神様がくれたチャンスかもしれないと。

 やがて何かを決めたように小さく頷き、シイはシャムシエルの元へと近づいていく。

「おはようございます」

『あら~シイちゃん。おはよう。今日も元気ね』

 予想外のハスキーボイスで、シャムシエルは身体をくねくねさせながら挨拶を返した。見た目とのギャップに戸惑いながらも、自分を知っていて友好的に接してくれる相手に、シイはホッと胸をなで下ろす。

「はい。服装チェックお疲れ様です」

『うふふ、みんなシイちゃんみたいにキチンとしてくれれば、あたし達も楽なのにね~』

「あはは……あの、ところでシャムシエルさん」

 苦笑しながらシイが呼びかけた瞬間、シャムシエルの空気が変わった。ぴりっと張り詰める緊張感に、慌ててアスカ達も二人? の元へと駆け寄る。

『……シイちゃん。今、何て?』

「え、えっと、シャムシエルさんって……」

 シイの答えと同時に、シャムシエルの特徴とも言える、二本の光る触手がシイ目掛けて大きくしなる。兵装ビルを楽に切り裂いたそれは、無防備なシイの身体を……傷つけず、悲しげに手に絡みついた。

『酷いわシイちゃん。そんな他人行儀な呼び方するなんて~……何時もみたいに、シャムって呼んで?』

「あ、ご、ごめんね。ちょっと寝ぼけてて……シャム」

『も~焦っちゃったじゃないの~。でもそんなシイちゃんも可愛いわ』

 誤解だったのだと喜ぶシャムシエルの心を表す様に、ピンク色の触手が一際強く輝く。かつては初号機の手を焼いたそれは、しかしシイの手に暖かい温もりを与えるだけ。

『さあ、もうHRが始まる時間よ~。遅刻しないようにお行きなさい』

「うん、ありがとう」

 ひらひらと触手を振るシャムシエルに手を振り返し、シイ達一行は教室へと向かった。

 

 廊下には使徒の姿は無く、少しだけ安心して教室のドアを開けた五人は、目の前に広がる光景に絶句する。自分達のクラスに多数の使徒が在籍していると分かれば、それも当然と言えるだろう。

「ここ……よね?」

「流石に自分のクラスを間違えたくは無いけど……委員長の気持ちは分かるよ」

「こいつは、ちょいとした無法地帯やな」

「うん……凄く……個性的だね」

 さっき見たサキエルやシャムシエルがまともに思える程、教室で自分の席に着く使徒の姿はシュールであった。そしてやはり、他のクラスメイトは何の疑問も違和感も無く、普段通りに振る舞っている。

 違和感を確信に変えたアスカが、四人に小さな声で呟く。

「……色々あると思うけど、まずは状況を理解する事が必要よ。ひとまずごく普通に生活しながら、さり気なく情報収集をして、昼休みに屋上で緊急会議を開く。それで良いわね?」

 こうした事態に対して、アスカの対応能力は特筆する物がある。事実を確かめた上で対応を決めると言う彼女の決定に、シイ達は素直に従う事にした。

 

 

 そして昼休み。シイ達は互いに得た情報の交換を始めた。

「じゃあまず僕から。あの使徒に関して、僕達以外の奴らは何もおかしいと思ってないね。……で、まさかと思ってカメラのデータを見てみたら、撮った覚えの無い使徒の写真が、しっかり入ってたよ」

「次は私。職員室で名簿とかを見てみたけど、キチンと名前が載ってたわ。それと他の子達だけど、使徒の事以外は何も変わってなかった。昨日の話も覚えてたから、これは間違い無いと思うの」

「あたしはこの世界について調べて見たけど……この世界はセカンドインパクトが起こって無いの。使徒もエヴァもネルフも無い、まさしく平和な世界ね」

「私はシャムと少しお話したの。あの子は私が倒したのに、そんな事を全く知らなくて、本当の友達みたいに接したくれた」

 集まった情報を整理していく内に、この世界は自分達の知っている世界とは、ある一点のみ違っていると判明した。それは『使徒が敵では無く、人類と手を取り合える存在』である事だ。

「これはひょっとして……」

「夢なのかしら」

「可能性は大ね。まあ妙にリアル過ぎるのが気になるけど、あたしの怪我も治ってるのも、使徒絡みの事は全部無かった事になってるって思えば説明がつくわ」

 納得したように頷きながら言うアスカだったが、首を傾げたシイが問いかける。

「あれ? アスカって何で怪我をしてたんだっけ?」

「あんた馬鹿ぁ? そんなの…………」

「わしも惣流が怪我しとったんは知っとるが、何で怪我してたんかが思い出せんのや」

 ケンスケもヒカリも同じ意見らしく、シイの視線に揃って首を横に振った。

「あたし達の記憶にも、何か干渉されてるって事?」

「にしちゃ、使徒の事は覚えとるし、中途半端過ぎるやろ」

「ひょっとして僕達は、この世界を救うために選ばれた、とかどうかな?」

「ゲームのし過ぎだと思うわ」

「……この世界が夢なのかは分からないけど、私はちょっと嬉しいの」

 思いがけぬシイの発言に、四人は驚いた様に視線を向ける。

「私達の世界だと使徒とは戦うしか無かったけど、この世界は違う。友達になる事が出来るかも知れない。例え夢だとしても……私はこんな世界を望んでたから」

「はぁ。あんたね、博愛主義も程々にしないと……って、もう無駄ね」

「馬の耳に念仏っちゅう奴やな」

「いや、碇の場合は、案外釈迦に説法かも知れないよ」

「シイちゃんだもんね」

 何処までも前向きなシイの姿を、友人達は微笑みを浮かべながら見つめる。どうせ夢ならば、あり得ない体験をするのも良いかと、全員がシイの意思に賛同した。

 

 

~美しき声の天使~

 

 音楽室で合唱の練習が行われる中、ソロパートを担当したイスラフェルが美しい歌声を披露する。正しく天使の歌声と称するに相応しいそれに、思わずシイ達も聞き惚れてしまった。

 授業が終わった後、シイはそっとイスラフェルに歩み寄る。

「凄いねイスラフェルさん。とっても綺麗な歌で、私感動しちゃった」

『えへへ、そう言って貰えると嬉しいよ。まあ本当はソロよりもデュエットの方が得意なんだけどね』

 笑顔で賞賛するシイに、イスラフェルは満更でも無さそうに答えた。

「私は歌が苦手なんだけど、上手に歌うコツとかあるの?」

『そうだな~……シイちゃんは女の子だから、やっぱ女の子に聞いた方が良いね』

「え?」

 言うや否や、イスラフェルはシイの目の前で、肉体を白と燈の二体に分離して見せた。そう言えばこれで痛い目にあったのだと思い出すシイに、ネルフで乙と認識された白色の個体が声を掛ける。

『あのね、シイちゃんはお腹から声を出す練習をした方が良いと思うの』

『腹式呼吸って聞いたこと無いかな?』

「えっと……名前だけは前にちょっとだけ」

『そんなに難しい事じゃ無いから、少しやってみようよ』

 戸惑うシイの手を引いて、イスラフェル達はピアノに近づくと、即席のレッスンを始めた。音楽に精通しているらしき二人の指導は的確で分かりやすく、シイも次第にのめり込んでいく。

『うんうん、良い感じだよ』

「はぁ、はぁ……本当?」

『音楽に関する事で嘘はつかないよ。あ、そうだ。折角だし三人で歌でも……』

『盛り上がっている所悪いけど、もう教室に戻る時間だよ』

 休憩時間と言う事を忘れていた三人に、サキエルが歩み寄りながら声を掛けた。

『え~折角テンション上がってるのに~』

『ねえサキエル。ちょっとだけ、ちょっとだけ見逃してよ』

『授業をサボるのは見逃せないな。……どうせなら昼休みとか放課後に、たっぷりやると良いさ』

 食い下がるイスラフェル達を、サキエルはやんわりと窘める。

「う~ん、仕方ないね。また今度教えてくれる?」

『勿論大歓迎だよ』

『何時でも声を掛けてくれ』

 休憩時間という短い間だったが、シイとイスラフェル達はすっかり仲良しになっていた。カヲルの言うとおり、音楽には国や人種、あるいは種の壁を越えて心を繋ぐ力があるのかも知れない。

(サキエルっちゅうんは、何や兄貴的な立場なんかな)

(第三使徒だから、ある意味で長兄なんじゃ無い?)

 真っ先にリリスへの接触を試みたサキエルは、責任感の強いお兄さん。二体で一つのイスラフェルは、名前の由来通り音楽を愛する双子。

 そう考えていくと、使徒をこれまでとは違った視線で見る事が出来た。

 

 

~水を司る心優しき者~

 

 体育の授業でプールへにやって来たシイ達だったが、そこには何故か水の張られていないプールと、サキエルの姿があるだけ。

「あれ?」

「何よこれ、水が無いじゃない」

『おっと、シイちゃんに惣流さんか。悪いけど少し待っていて貰えるかな』

 二人の存在に気づいたサキエルは、そう断ってからプールに両手を向ける。すると空っぽだったプールに、みるみる水が溜まっていった。

「え、え、えぇぇ!?」

「あんた、一体何したの?」

『何って……プールに水を張ってるんだよ』

「そうじゃなくて、どうして水が勝手に増えてるのかって聞いてんの」

『空気中の水分を凝縮してるだけさ。これは僕の役割だからね』

 得意になる様子も無く、サキエルは淡々とプールに水を供給していく。この光景もお馴染みらしく、他の生徒達は気にした素振りも見せずに準備運動を始めていた。

「サキエルさんって凄いんだね」

『はは、ありがとう。でも大した事じゃ無いよ。こうして水を操る位しか取り柄が無いから』

「ううん。だってそれは私には出来ないし、他の人にも同じだと思うよ。ならそれが出来るサキエルさんは、やっぱり凄いんだもん」

『……そう言って貰えると、僕も嬉しいよ。ありがとう、シイちゃん』

 少し照れたように頷くサキエル。心なしか水の勢いが先程よりも増したように感じられた。

 

 

~海原とマグマの王者~

 

 満水となったプールで水泳の授業に挑むシイとアスカは、使徒の圧倒的な力を再確認する事となった。

「ぜ~は~ぜ~は~」

「アスカ、大丈夫?」

「ど、どう考えても……あいつらは反則よ」

 荒い呼吸を繰り返しながら、アスカは今さっきまで競争をしていた二体の使徒を指さす。ガギエルとサンダルフォン。どちらもアスカとの戦いに敗れた使徒なのだが、この場では見事にリベンジを果たした。

『ふふん、口ほどにも無いね』

『アスカちゃん弱~い』

「うっさい! 息継ぎ無しで五十メートル泳ぐのは、非常識だっつ~の」

 ガギエルは言わずもがな、サンダルフォンも水中での行動に適正を持っていたらしく、アスカがターンをする前に両者は既にゴールを決めていた。

 圧倒的な泳力の差に加え、相手が呼吸不要とあらば、アスカに勝ち目が無くても当然だろう。

『お、負け惜しみだ』

『アスカちゃん情けな~い』

「むき~。良いわ、今度こそ叩き潰してやるんだから」

『OK。何度でも返り討ちにしてあげるよ』

『わ~い。勝負勝負~』

 あっさりと徴発に乗ったアスカは、ガギエルとサンダルフォンに再び戦いを挑む。演技なのかもしれないが、シイにはそれが仲の良い友人の姿にしか見えなかった。

 

 

~霧の勇者と雨の苦労人~

 

 翌朝、教室に昨日は姿の見えなかったマトリエルが現れた。何故か身体のあちこちに包帯を巻いている彼に、クラスメイト達が心配そうな顔で駆け寄っていく。

「あれって確か……停電の時に来た奴よね?」

「うん。マトリエルさんだけど、怪我をしてるみたい」

『嫌な事件だったね』

 ひそひそと会話を交わしていたシイ達に、そっとサキエルが加わる。どうやら自分達の知らない何かがあったのだと察したアスカは、さり気なく情報を引き出す。

「らしいわね。生憎あたしは直接それを見てないんだけど、本当の所はどうなの?」

『本当も何も……登校中に空から落ちて来たサハクィエルと衝突して、全治一週間の重傷ってだけだよ。まあ全面的に悪いのはサハクィエルなんだけど、マトリエルも運が無いと言うか……』

 呆れと同情の籠もったため息をつくサキエル。シイ達に置き換えると、登校中に暴走した車と交通事故に遭うような感覚なのかも知れない。

『ま、サハクィエルにはたっぷりお灸を据えたし、マトリエルもこうして大事に至らなかったんだ。もう昔の話をするのはよしとこうや』

「お、おまっ!?」

 不意に現れたエヴァ参号機に、トウジは思わず立ち上がって指さしてしまった。この世界にエヴァは存在しない。ならば漆黒の身体を持つ彼は、参号機に寄生したバルディエルと言う事になる。

 トウジにとっては因縁の相手。失礼な反応も仕方なしだろう。

『おいおい兄弟、随分な挨拶だな。怖い夢でもみたのか?』

「あ、ああ、すまん。ちょいと寝ぼけとったみたいや」

『しっかりしてくれよ。まあ、しっかりしてるトウジってのも、不気味だけどな』

「確かに」

 快活に笑い飛ばすバルディエルに、こっそり便乗するケンスケ。そんな三人のやり取りに、思わずシイ達も笑みを零してしまう。

(何だかバルディエルさんって、鈴原君に似てるね)

(あいつが寄生した参号機とシンクロしたんだし、影響あったんじゃ無い?)

 粗雑そうだが無礼者でも無い。それがアスカのバルディエル評だった。

 

『やあみんな。久しぶり』

 談笑するシイ達の元に、蜘蛛のように細い足を引きずるようにして、マトリエルが近づいてくる。

『もう大丈夫なのかい?』

『どうにかね』

『あん時は驚いたぜ。ぺっしゃんこに潰れてたから、ああこりゃ死んだってマジで思った位だ』

『元々平面だから助かったのかもね』

 皮肉に冗談で返し、使徒三人は笑い合う。この組み合わせは相性が良いのだなとシイ達が感じる程、仲の良さがにじみ出ていた。

『大体お前は動きが鈍いんだよ。俺なら軽々と避けてみせるね』

『無茶言わないでくれよ。普通に登校してたら、いきなり上から……』

『――遅刻遅刻~』

『そうそう、こんな声が聞こえてきて……え゛!?』

 苦笑いしながら話していたマトリエルだったが、不意に聞こえてきた声に身体を強張らせる。それは他の面々も同じで、互いに真剣な表情で顔を見合わせた。

「今の声、空から聞こえてきたよね?」

『あの馬鹿……まさか』

『否定したい所だけど、残念ながら相手が彼女ならあり得るね』

 頷き合いながらサキエルとバルディエルは窓際へと動く。シイ達もそれに続き、窓から空を見上げると、自らの身体を使い落下攻撃を仕掛けた使徒、サハクィエルが学校目掛けて急降下してきていた。

 

 

~天空の支配者VS夜の女王~

 

「ななな、何よあれ!」

「こ、こっちに落ちて来よるで!!」

『はぁ~。本当に懲りないというか、何と言うか……』

『気を遣う必要は無いぜ。あいつは単に何も考えてないだけだ』

 そんな会話をしている間にも、サハクィエルの姿はみるみる大きくなってくる。人間サイズになっている為、以前の様な迫力こそ無いが、それでもあの速度でここに激突すればタダでは済まないだろう。

『あ~も~、停学明けで遅刻なんて、マジやばい感じだよね~』

「停学?」

『マトリエルの件で、一週間の停学だったんだよ。今日が停学明けなんだけど』

『ったく、流石に今度は見逃せねえな』

 バルディエルは面倒くさそうに言い放つと、急接近してくるサハクィエル目掛けて、両腕を思い切り伸ばした。ゴムのように伸びる腕は、落下中のサハクィエルの身体を見事に捕らえる。

 激しい衝撃が校舎を襲うが、バルディエルは意にも介さずにサハクィエルを受け止めて見せた。

『くぅ~。痺れるぜ~』

『ん? あ、バルディエル。おっは~』

 事態を理解したサハクィエルは、教室の窓から身を乗り出しているバルディエルに、何ともお気軽な挨拶を送る。その脳天気な態度に、呆れたようなため息があちこちから聞こえてきた。

『おっは~、じゃねぇ。お前、自分が何で停学になったのか、ちっとは考えろ!』

『だって遅刻しそうだったんだもん』

『マトリエルを怪我させたこと、もう忘れたのかよ』

『それはそれ。これはこれって事で』

 反省の色が全く見えないサハクィエルに、バルディエルが本気でお灸を据えようと思い始めたその時、全校生徒の背筋が凍るような冷たい声が聞こえてきた。

『……バルディエル、ご苦労様でしたね。後は私が引き受けましょう』

『れ、レリエルの姉御……』

 思わずバルディエルですら震える程、怒りに満ちた声。それはかつて初号機ごとシイを飲み込んだ、ディラックの海を操るレリエルのものであった。

 見ればサハクィエルの直上に、しましま模様の球体が何時の間にか浮かんでいる。そしてその下には、漆黒の影が大口を開けて待ち構えていた。

「うぅぅ、こ、怖い……」

「洒落になんないわよ、これ」

「僕はホラーとか平気な口だけど……うん、これは無理だ」

 本能的な恐怖に身を強張らせるシイ達を余所に、事態は収束に向かって動いていく。

『ま、待ってよレリエル。私別に悪いことしてないってば』

『……成層圏からの落下による登校は禁止。校則違反は悪いことよね?』

『それは、だから、えっと……そう。ルールは破るためにあるって偉い人が言ってたから』

『…………バルディエル』

 もはや擁護の余地すら残されていなかった。レリエルの言葉にバルディエルは頷くと、捕縛したサハクィエルの身体を、ディラックの海目掛けて放り投げる。

『う、裏切り者~!!』

 捨て台詞を叫びながら、サハクィエルはディラックの海へと消えていった。後には心地よい風と、何とも言えぬ後味の悪さだけが残った。

 

 

~光り輝く鳥~

 

『風紀の乱れは心の乱れ。皆さんもどうか、自らを律して下さいね』

 何事も無かったかの様に語りかけるレリエルに、全校生徒は揃って頷いた。今のやり取りを見て、逆らおうとする愚か者など居るはずが無い……と誰もが思っていたのだが。

『遅刻遅刻~』

 空高くから再び声が響いてきた。一体何事かと全員が空を見上げ、声の正体を認める。全身を発光させた鳥、アラエルであった。

 まるでサハクィエルの行動を真似るかのように、アラエルは急降下を続ける。

『ほらほら~、激突しちゃうよ~。早く捕まえないと大変だよ~』

「あれは、フリなんか?」

「何だか捕まえて欲しいみたいだけど……」

『はぁ~。あいつも相変わらず馬鹿って言うか、アホって言うか』

「今度は手を出さないの?」

 何故か傍観を決め込むバルディエルに、アスカは訝しげに眉をひそめる。同じ行動をしているのに、対応がまるで違う事に違和感を覚えたのだ。

『どうせアラエルだからな。心配するだけ無駄だ』

「でも危ないのよね?」

『大丈夫だよ洞木さん。サハクィエルと違って、アラエルがぶつかってもそんなに危なく無いから』

『そもそも彼女は飛べるんだよ』

 マトリエル達の言うように、アラエルに対しては誰も危機感を抱いていない。窓際に張り付いていた生徒達も席に戻り、授業の準備を始める位だ。

 その間にもアラエルはみるみる地面へと近づいていき……何処か寂しげに空中で制止した。

『何で? 何で誰も慌てないの? サハクィエルばっかり構ってずるいよ!』

 ふて腐れたように叫ぶアラエルを見て、シイ達は悟った。単純に構って欲しかっただけなのだと。

『……アラエル』

『あ、ほらほらレリエル。私も校則違反だよ? ちゃんと成層圏から落下してきたよ?』

『……貴方は飛べるでしょう。ならば落下では無く急降下。飛行による登校は認められているので、私が咎める理由はありません。遅刻する前に教室に行きなさい』

 必死のアピール空しく、レリエルは気にもとめずにその場を離れてしまった。残されたアラエルは暫くの間寂しそうにその背中を見送っていたが、やがて力なく校舎へ向かう。

 

「なんだか……寂しそう」

『もうすぐ始業時間だから仕方ないさ。時間がある時は、レリエルだって相手をしてるからね』

『何だかんだで仲良いもんな。アラエルがあの性格以外は優等生ってのもあるけど』

「そうなんか?」

『うん。毎回あんな感じだけど無遅刻無欠席。よく授業をサボろうとするけど、結局全部出席して成績は優秀。校則違反して目立とうとするけど、一度も指導された事が無い模範生徒だよ』

「つまりは寂しがり屋の小心者って事ね」

 アスカにとっては精神攻撃を受けた天敵だったのだが、あの姿を見ては怒りが沸く事も無かった。相手の心の動きに敏感で、自分に興味を持たれない事を恐れる。

 変な言い方をすれば、実に人間くさい使徒であった。

 

 

~恐怖を司る天使?~

 

 昼休み、シイ達は何時もの屋上では無く、教室で昼食を食べる事にした。折角の機会だと言う事で、使徒との交流を深める為だ。特異的な外見にもようやく慣れ始めた為か、昨日に比べて会話が弾む。

 そんな中、意気投合する使徒とリリンの姿があった。  

「へぇ~、そんな裏技があったのか」

『意外と知られてないけど、割と便利なんだよ』

「ならこっちのプログラムはどうかな? レスポンスが気になるんだけど」

『ふむふむ、ここの部分をこうしたら……』

 カメラとミリタリー、そしてパソコンをこよなく愛するケンスケは、JAの身体に宿っているイロウルと熱く意見を交わし合っていた。

 ケンスケにしてもイロウルにしても、自分と同じ趣味を持つ友人が周囲に居ない為、遠慮無く自分の知識を語れる相手を、心の底で求めていたのかも知れない。

「……ねえアスカ。二人が何を言ってるのか分かる?」

「少しだけね。正直リツコとかでも無ければ、全部は理解出来ないと思うわ」

「相田君、楽しそうね」

「まあケンスケには自分と対等に語り合える奴なんか、おらんかったからのぅ」

『それはイロウルも同じだよ』

『うんうん、こんな上機嫌なイロウルなんて久しぶりだね』

『俺にはパソコンなんて何処が良いか分からないな。ま、人の趣味に口出しはしないけどよ』

 完全に自分達の世界に入っている二人を、シイ達は微笑ましく見守っていた。

「ならこれはどうかな? 自慢のファイアーウォールなんだよ」

『う~ん、こいつは堅いね。でもここから侵入出来ちゃうかな?』

「おっと、盲点だった」

『今日の放課後は空いてる? パソコン部で一緒に修正しようよ』

「おぉ、心の友よ。勿論OKさ」

 がっしりと握手を交わすケンスケとイロウル。これもまた、相互理解の一つの形であった。

 

 

~神の言葉と雷の管理者~

 

 昼休みも中盤に差し掛かった頃、不意に教室のスピーカーから音楽が流れ始めた。放送委員によるお昼の放送が始まる合図なのだが、何故か音楽が終わってからも声が聞こえてこない。

 不思議そうにスピーカーへ視線を送るシイ達。するとほんの僅か、耳を澄まさなければ分からない程の大きさではあるが、女性の声が流れて来た。

『……皆さん……こんにちは…………お昼の……放送です……』

「な、何よこの、今にも消えそうな放送は」

『ん~ラミエルは相変わらずだね』

「ラミエルさん?」

『おいおい、幾らまともに仕事しないからって、仮にも放送委員長なんだぜ?』

 首を傾げたシイに、バルディエルが肩をすくめながら答えた。どうやらこの小さな声の主は、かつてシイを危機的状況に追い込み、ヤシマ作戦の末に殲滅したラミエルらしい。

「とっても綺麗な声だけど……少し小さすぎるかも」

『これでも大分ましになった方だよね。最初の頃なんて、本当に無言放送だったんだから』

 サキエルのフォロー通り、ラミエルは小さな声ながらも放送を続けて行く。行事の予定や連絡事項、アンケート結果の発表など、ボリューム以外では立派に役割を果たしていた。

『……では……お天気……予報です……』

『全校生徒の皆さんこんにちは。一週間ぶりの天気予報、担当のマトリエルです』

 先程教室から出て行ったマトリエルの声がスピーカーから響く。どうやらお馴染みのコーナーらしく、生徒達は話を止めて放送に耳を傾けている。

『今日の天気ですが、午後三時から十一時まで雨が降ります。傘は購買で購入出来る他、貸し出し用の物もあるので、お気軽にクラス委員の人に声を掛けて下さいね。因みに明日は一日雨は降りません』

「えらいアバウトやのに、具体的な内容やな」

「そうね。普通は降水確率とかで表現するんだけど……」

「あたるのかしら?」

『おいおい、マトリエルの異名を忘れた訳じゃ無いだろ? 歩く天気予報士は伊達じゃねえって』

『まあ天気予報士はみんな歩くけど、雨に関しての彼の予報は信頼できるよ』

「へぇ~。凄いんだね」

 周囲を見回せば、クラスメイト達は今の放送を聞いて、傘の有無を確かめ合っている。雨を司る天使というのは伊達では無く、マトリエルの天気予報は生徒達に絶大の信頼を得ていたのだった。

 

 昼休み終了間際、放送を終えて教室に戻ってきたラミエルに、シイはそっと歩み寄る。直接話をしてみたいと思ったのだが、何故かラミエルはビクリと身体を震わせ、シイから距離を取った。

「ラミエルさん。とっても素敵な放送だったよ」

『!? ……あ、ありが……とう』

 まさか褒められると思っていなかったのか、ラミエルは一瞬驚いてから恥ずかしそうにお礼を述べる。だが依然としてシイとの距離を詰めようとはしない。

「放送委員なんだよね? 綺麗な声だからピッタリかも」

『……そんな事……無い……私……口べただから』

「ん~勿体ないな~。私はラミエルさんの声が好きだから、もっと聞きたいと思うんだけど」

『っっっ~~~』

 シイの褒め言葉で恥ずかしさの限界を超えたのか、ラミエルは高エネルギーを体内で収束させると、ノーモーションで加粒子砲を放った。シイの僅か数センチ横を突き抜けた光は、彼女の髪を軽く焦がす。

「……え?」

『ご、ごめん……なさい』

『あはは、相変わらずラミエルは恥ずかしがり屋だな~。シイちゃん、大丈夫だったかい?』

 申し訳無さそうに正八面体を傾けるラミエルに、サキエルが笑いながら近づく。このラミエルの行動も日常茶飯事らしく、シイ達以外のクラスメイトはまたか、と苦笑を浮かべていた。

「う、うん。私は平気……」

『ラミエルも悪気がある訳じゃ無いんだ。ただ何て言うか、対人恐怖症の気があってね……今みたいに褒められるとつい暴走しちゃうんだよ』

「そうだったんだ……ごめんねラミエルさん」

『……ううん……私こそ……ごめんなさい』

「でも、私はもっとラミエルさんと仲良くなりたいの。迷惑じゃ無ければ、これからもお話して貰える?」

『!? ……うん……とっても……嬉しい』

 満面の笑みと共に差し出されたシイの手に、ラミエルは恐る恐る自らの身体を触れた。サキエルは自分の知るラミエルではあり得ない行動に驚きつつも、確かな成長への手応えを感じて頷く。

 

 そんな二人の姿に教室中の視線が集まる。だから彼らは気づく事が出来なかった。今の加粒子砲は窓を突き抜けて、のんびりと空中散歩を楽しんで居たアラエルを直撃していた事に。

『……誰か……私を見てって言うか……助けて』

 願い空しく、アラエルは誰にも注目されずに、力なく校庭へと墜落していくのだった。

 

 

 

~R18を司る天使~

 

 放課後、マトリエルの予報通り外は雨が降っていた。ケンスケはイロウルと共にパソコン部へ、シイはイスラフェルと一緒に音楽室へ向かった為、教室に残ったアスカ達は窓から降り続く雨を見つめる。

「帰るにしても、この雨はうっとうしいわね」

「けど、あの天気予報だと夜まで止まないって言ってたし」

「傘でも借りて帰るしかあらへんな」

『あらあら~、それってやっぱり相合い傘かしら?』

 背後から会話に割り込んできた声に、三人は揃って振り返る。そこには光りの紐と表現するのがぴったりの使徒、アルミサエルがくねくねと身体を蠢かしていた。

「えっと……アルミサエルだっけ? 何か用?」

『うふふ、とっても素敵な会話が聞こえてきたから、ちょっとね』

「傘を借りて帰るだけや。何もおもろいことあらへんやろ」

 そんなトウジの言葉に、アルミサエルはチッチッチと舌を鳴らす。

『分かって無いわね。良い? この雨は横殴りなの。なら傘があっても、身体が濡れちゃうわ』

「まあ、そうかも知れへんな」

『一つの傘に男と女が身を寄せ合う。冷たい雨を避けようと触れ合う身体がお互いの体温を伝え合う。ちょっと意識して視線を向ければ、雨で濡れた服から肌が透けて見える……はぁ~良いわ』

 うっとりと身もだえするアルミサエルに、アスカ達は呆れたような視線を送る。だがアルミサエルは意に返さず、ますます妄想を悪化させていく。

『一度意識したらもう止まらないわ。若い二人は異性への興味と関心を抑えきれないで……』

 

「ヒカリ、うちで雨宿りして行かへんか?」

「え?」

「濡れたままやと、風邪引いてしまう。わしの家はここから近いさかい……な」

「でも、お家の人に迷惑じゃ」

「あんな……今日は夜まで誰もおらへんのや」

「トウジ、それって……」

 

『うんうん。ヒカリちゃんはやっぱり少し悩むわよね。でもトウジ君の意図を理解した上で、その誘いを受ける事にするの。それでトウジ君の家に着いたら、ヒカリちゃんはシャワーを浴びて……』

 

「ヒカリ。すまんが女物の服、サクラのしかあらへんのや。……乾くまでわしのシャツでええか?」

「う、うん。ありがとう」

「ここに置いておくさかい、ゆっくり暖まれや」

「でもそれじゃあトウジが風邪を引いちゃう……」

「気にすることあらへん。自分の女に風邪を引かせんで済むなら、喜んで熱でも出したるわ」

「……ねえトウジ。それなら……一緒に入ろう?」

 

『くぅ~。普段は大人しくて清楚なヒカリちゃんからの誘いに、トウジ君は驚きつつもゴクリと唾を飲んで覚悟を決めるの。小さなお風呂に年頃の男女が入れば……』

 

「あ、あんまり見ないでね」

「おう、分かっとる……」

「……アスカみたいにスタイル良く無いから」

「何言ってるんや! わしはヒカリみたいな綺麗な身体、今まで見たことあらへん!!」

「~~~! ほ、本当?」

「こない事、冗談や嘘で言わへん。……ホンマに綺麗や」

 

『むふふ、お互いの愛情を確かめ合いつつも、そこでは何もしないの。でもお風呂から上がった二人は、乾燥機に入れた服が乾くまでの間、気まずい空気の中無言で隣に座って……』

 

「……ねえトウジ」

「何や?」

「どうして私と付き合ってくれたの? 料理くらいしか得意な事も無いし、それだってシイちゃんには叶わない。アスカみたいに魅力的でも無いし……口うるさくて、可愛くも無いのに」

「……お前がヒカリやから。そんだけや」

「え?」

「料理が得意で魅力的で、わしを何時も気にしとってくれて、最高に可愛い。……そない女に惚れない理由なんかあらへんやろ」

「トウジ……」

「ヒカリ……」

 

『でへへへ~。そして二人は生まれたままの姿で重なり合って……』

「いい加減にしなさい! このエロ大王がぁ!!」

 堪忍袋の緒が切れたアスカは、アルミサエルの身体を掴むと、ジャイアントスイングを仕掛けて思い切り教室の壁へと叩き付けた。

 ATフィールドによってダメージを免れたアルミサエルは、不満そうに再び三人の元へと近づく。

『も~酷いじゃ無い! ここからが一番盛り上がるのに』

「それはこっちの台詞だって~の。妄想なら口に出さないで、一人でやってなさいよ」

『ふふ、妄想、ね。果たして本当にそうかしら?』

 怒りをぶつけるアスカに、しかしアルミサエルは意味深な言葉を呟くと、顔を真っ赤にして俯いているトウジの耳元に身を寄せる。

『……女の子の身体は柔らかいわよ~。絹のようになめらかで、甘い香りがするの。ヒカリちゃんはとっても綺麗な肌をしてるのに、それを知らない何て彼氏失格かもね~』

「そ、そうなんか?」

『ええ。だってヒカリちゃんはトウジ君の事が好きなのに、デートだけで満足出来ると思う? 女はね、好きな男の人と一緒になるのが一番幸せなのよ』

「…………」

 黙り込んでしまったトウジに頷くと、今度は同じく赤面しているヒカリの耳元へ。

『男の子は浮気者よ。一途なトウジ君だって、何時他の子に心移りするか分からないわ。でもそれは仕方ないの。種を残すために、男はそう造られているんだから』

「そ、そうなのかな……」

『うふふ、でもヒカリちゃんは魅力的だから、ちゃんとトウジ君の想いを受け止めてあげれば大丈夫よ。年頃の男の子はどうしても、性的な事に興味があるの。それは分かってあげてね』

「トウジも……?」

『勿論そうよ。だって大好きな女の子を前にして、我慢出来る男の子なんて居ないもの。それがヒカリちゃんの様に魅力的な子ならなおさら、ね』

 言葉巧みに二人の心理を揺さぶったアルミサエルは、身体の先端に結びつけた一本の傘をヒカリとトウジの前に差し出す。

 最後の後押しを受けた二人は、無言でそれを受け取ると教室を後にするのだった。

 

『うふふ、これで良し』

「じゃ無~い!! あんた一体何考えてんのよ」

『奥手な恋人の後押し、かな?』

「あ~も~。とにかくヒカリを止めないと……」

 話していても意味が無いと判断したアスカは、二人を止めようと駆け出す。だがそんな彼女の行く手を、アルミサエルが塞いだ。

『恋路の邪魔をすると馬に蹴られるわよ。良いじゃ無い。あの二人は恋人同士なんだから』

「まだ早いって~の。そういうのは……ごにょごにょ」

『あらあら、ひょっとしてアスカちゃんって、まだお子様なのかしら?』

「あ、あんた馬鹿ぁ? このあたしが子供な訳ないじゃん」

 アルミサエルの挑発に思わず乗ってしまったアスカ。それが彼女にとって、最悪の展開を招く。色恋の方面に初心だと確信したアルミサエルは、とっておきの猥談を披露し始めたのだ。

 大見得を切ってしまった手前、それを聞かざるを得なかったアスカは、ある種の精神的陵辱を無抵抗で受ける羽目になる。

 

 十分後、真っ赤な顔で体育座りをするアスカと、満足げに身体を螺旋状にして輝くアルミサエルの姿があった。

「加持さん……私、汚されちゃったよ……」

『うふふ、やっぱり性教育って大切ね~。あの二人は大丈夫そうだし、ケンスケ君は耳年増っぽいから、やっぱり次はシイちゃんに……!?』

 更なる獲物を求めたアルミサエルだが、不意に身体をビクリと震わせる。

『……分かってるってば。冗談よ。そんなに怒らないで』

「ママ……私、悪い子になっちゃった……」

 何処か怯えたようなアルミサエルの様子に、しかしアスカは気づく事が出来なかった。

 子宮を司る天使。その圧倒的な知識量と情感豊かな語り口によって紡がれる猥談は、健全な少年少女にとって刺激が強すぎるのだった。

 新たな生命の誕生を心から望む優しき天使。ただその想いは時に暴走する。

 

 

 

~力を持つ者の想い~

 

 イスラフェルとの楽しい歌声教室を終えたシイは、傘を差しながら一人帰路に就いていた。するとその途中である使徒の姿を見かけ、思わず足を止める。

(……ゼルエルさん)

 かつてネルフ本部を壊滅寸前まで追い詰めた、力を司る最強の使徒。シイ自身が彼と対峙した時間は短いが、強烈な印象が残っていた。

 この世界においても、他の使徒より大きく無口な彼は、何処か近寄りがたい空気を纏っており、今まで会話を交わす事が叶わなかった。

 道ばたで何かをしている彼の背中を見て、シイは小さく頷くと自分から声を掛けることにした。

「あの~、ゼルエルさん」

『ん? ……ああ、シイか』

 のっそりとした動作で振り返ったゼルエルは、シイの姿を認めて小さく呟いた。大柄なゼルエルは正面で見るとかなりの威圧感だったが、それでもシイは怯まずに言葉を紡ぐ。

「何をしてるの?」

『こいつが雨に打たれてたから、家に連れ帰る』

「……猫さん?」

 ゼルエルの両手には、小さな猫が抱かれていた。長い時間雨に打たれていたのか、身体を小さく震わせており、大分弱っているようにも見える。

『……朝からここに居た。恐らく捨て猫だろう』

「助けてあげるの?」

『そんなつもりは無い。ただ……丁度猫と居たい気分だったから、こいつに付き合って貰うだけだ』

 素っ気なく言い放つゼルエルだが、その仮面の様な顔が赤く染まっているのをシイは見逃さなかった。

「ゼルエルさん……優しいんだね」

『違う。俺はただ、自分の為にこいつを利用するだけだ』

「そうなんだ~。あ、ゼルエルさんのお家って、動物が何匹くらい居るの?」

『犬が十二匹、猫が八匹、それにウサギが……むっ!?』

 つい素直に答えてしまったゼルエルは、ニコニコしているシイに自分が乗せられたと気づく。

『……おかしいか?』

「どうして?」

『こんなでかい身体で、番長なんて呼ばれてる俺が、動物を好きなんて……おかしいだろ?』

「ううん。とっても素敵だと思うよ」

 自嘲気味に問いかけたゼルエルに、シイは首を横に振ってそれを否定する。慰めでは無く本心から、シイはゼルエルに対して好意的な感情を抱いていた。

「動物を飼うのって大変なのは、私も知ってるよ。それだけ大勢の子達の面倒を見てるゼルエルさんは、本当に動物が好きで優しい心を持ってるんだから、おかしいなんて思う必要は無いよ」

『……そうか』

「今度、ゼルエルさんの飼ってる子達と遊んでも良い?」

『好きにしろ。……シイならあいつらとも、仲良くなっちまうだろうからな』

「うん。じゃあ約束だよ」

 シイは右手を差し出し、ゼルエルは帯状の手を伸ばして握手を交わす。冷たい雨の降る中だったが、シイの心は暖かな気持ちに包まれるのだった。

 

 

 

~可能性~

 

 この不可思議な世界で幾日も過ごすうちに、シイ達は使徒と言う存在を少しずつ受け入れていった。外見こそ自分達とは異なっているが、会話を重ね、同級生として接していく内に、ある事を想い始める。

 人間と違うのは見た目……それだけでは無いのかと

(……人は自分と違う存在を怖いと思っちゃうんだよね。弱くて臆病だから、自分を守ろうとして、遠ざけて傷つけて、無くしてしまおうとする)

 自室の布団に横になったシイは、蛍光灯の明かりを見つめながら思考を続ける。

(だから戦争が起こるのかな? 同じ人間でも、産まれた国とか言葉が違うから。信じているものや価値観が違うから、それを否定したくて)

 静かな夜には、シイの思考を妨げるものは存在しない。心ゆくまでシイは自分の中で考えを巡らせ、手を取り合うと言う意味を追い求める。

(なら少しずつでも、お互いを理解する事が出来れば……みんな仲良くなれるかも知れない。人も使徒も一緒に笑い合えるかも知れない)

 知らないから怖い。なら知れば良い。理解出来ないから恐ろしい。なら理解すれば良い。最もシンプルにして困難な結論にシイは到達した。

 

「……うん。私は使徒も人間もみんな仲良く生きる世界が良い。だからその為のお手伝いが出来る様に頑張る」

『でもそれには長い時間が必要よ?』

「私が生きている間に無理でも、バトンを繋ぐ事は出来るから。何年、何十年、何百年掛かったとしても、ゴールに辿り着ければ良いと思う」

『リリン同士は手を取り合えても、使徒を拒絶するかも知れないわ?』

「人も使徒も、みんな同じ地球で生きてる。少しの間だけど一緒に過ごして分かったの。お互いに戦う事しか出来なかったけど、次はきっとわかり合えるって」

『本当にそう思える?』

「難しいのは私も分かってる。けど信じられなければ、何も出来ないよ。きっと出来るって信じ続けて、その為に精一杯頑張るの。何もしないで後悔するのだけは、絶対に嫌だから」

 脳内に聞こえてきた声とのやり取りで、シイは己の意思と覚悟をハッキリと宣言した。子供の夢物語と受け取られるかもしれない。だが、飛行機で空を飛ぶ。宇宙へ進出する。そうした不可能と思われていた事を、人類は決して諦めない不屈の意志で成し遂げてきた。

 人類と使徒の共存も、諦めなければきっと出来る。少女が抱く決意は、今はまだ小さな灯火に過ぎない。しかし人類の歴史を知った声の主にとって、確かな希望を与えるのだった。

 

 




使徒さんいらっしゃい、とばかりに全員集合しちゃいました(例外あり)。
久しぶりに後日談っぽい話だな、と思っていたりします。

意思疎通可能な使徒と、共存の可能性を示したシイ達。
ただ使徒の復活を果たす為には、それを他の人類に認めさせなければなりません。
使徒救済編、いよいよ大詰めです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


※誤字を修正しました。ご指摘感謝です。


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後日談《リリンと使徒(世界首脳会談)》

 

~リリスの答え~

 

「はっ!?」

 目覚めたシイは、布団をはねのけて立ち上がると、着替えもせずに自室を飛び出した。そして隣にあるレイの部屋へと一目散に駆け込む。

「レイさん!」

「……おはよう、シイさん」

 既に着替えを終えていたレイは、ノックを忘れたシイのマナーを咎める事も無く、いつもと変わらぬ様子で彼女を出迎える。

「はぁ~良かった。レイさんが居てくれて……」

「……覚えているの?」

 リリスは夢という形で、人類に使徒と共存出来る可能性があるかを問うた。そして結果に関わらず、混乱を招かぬように、その記憶を失わせる筈だったのだが、何故かシイはハッキリと覚えているらしい。

「うん。あの夢はリリスさんが見せてくれたんだよね。最後にお話した時に、やっと分かったの」

「……そう」

 シイの答えを聞いて、レイは事情を理解したと頷いた。舞台だけ用意して見守る予定のリリスが、自分に一番近い子供であるシイにだけ干渉したのだと。

「……シイさんの想像通りよ。あれはリリスが人の可能性を確かめる為の夢」

「私達が使徒と一緒に生きていけるか、それとも同じ事を繰り返しちゃうのかを、だね?」

「……ええ」

 記憶が残っている以上、隠す理由は何も無い。レイは約束していたカヲルへの報告に、シイも同席して貰う事にするのだった。

 

 

 チルドレン御用達のファミリーレストランの一角で、シイはレイとカヲルから事の次第を聞いた。

 リリスは人類の未来を憂いている。その為の抑止力として、もしくは人類が隣人と手を取り合える生命へ進む為に、使徒の魂を宿した存在を生み出すつもりだと。

「……リリスは使徒を再びこの世界に存在させる為に、力を貸してくれるわ」

「勿論、新たな隣人として迎え入れられれば一番だけど、抑止力としての意味合いも持っている。どちらの存在になるかは君達リリン次第さ」

「リリスさんは、私達の事を本当に心配してくれてるんだね」

「ふふ、子供が可愛くない親は居ないよ。まあ、些か過保護にも思えるけど」

 カヲルは苦笑しながらチラリと視線をレイに向ける。リリスがここまで子供に干渉するのは、間違い無く魂であるレイの影響だろう。本来ならば、神は簡単に救いの手を差し伸べないのだから。

「えっと、それならあの夢みたいに使徒さんは生まれ変わるの?」

「……使徒の肉体は既に失われているわ。再構成するのは難しいと思う」

「だから彼らの魂の器には、僕と同じ身体を用意するつもりだよ」

 首を傾げるシイに、カヲルは自分にもレイと同じクローン体が存在すると告げる。

「ただその為には……キールを説得する必要があるけどね」

「キールさんとお話するにはどうすれば良いの? お父さんにお願いするとか?」

「……ゼーゲンを通さない方が良いわ」

「立場が立場だからね。下手に情報が漏れてしまえば、邪推する連中も居るだろう。時期が来るまでは、僕達だけで動いた方が得策さ」

 リリスの一件で、世界は使徒に対して敏感になっている。それはゼーゲンへの情報公開要求を見ても明らかだろう。この状況下において、迂闊な行動は命取りになりかねないのだ。

「ここは僕に任せて貰おう。極秘回線でキールと直接やり取りが出来るからね」

 自信満々に告げるカヲルに、シイとレイは素直に頷いた。

 

 

 

~キール・ローレンツ~

 

 ファミレスを後にした三人は、芦ノ湖のほとりへとやって来た。周囲に人が居ないことを確認すると、カヲルはキールとのホットラインを接続する。

 待つこと数十秒、シイ達の前に漆黒のモノリスが姿を見せた。

「……シイとレイ? カヲル。これは一体何事か?」

「ふふ、少し訳ありでね。構わないだろ?」

 カヲル専用の回線に同席者が居た事にキールは驚く。シイとレイならば、ゼーゲンを通して自分とコンタクトを取ることが出来る。それをしなかった時点で、この通信が極秘であると告げているのだから。

「それ程の案件と言う訳か……」

「まだ公にしたくないだけだよ。さて、簡単に説明させて貰おうかな」

 警戒するようなキールに軽口を叩くと、カヲルはこれまでの流れを話し始める。シイの望みとリリスの願い、そしてその実現には、使徒の魂を宿せる肉体が必要であると。

 カヲルが話終えた後も、キールは暫しの間無言を貫いた。漆黒のモノリスでは彼の姿を窺い知る事は出来ないが、何かを悩むような雰囲気は伝わってくる。

 返答を催促する事も急かすこともせず、三人はキールの出す答えをただ待っていた。

 

「……話は理解した。実現可能な事も認めよう。だが……私の一存では決めかねる」

「随分と弱気じゃ無いか。セカンドインパクトを引き起こした男の台詞とは思えないね」

「カヲル君!」

 慎重なキールへの挑発のつもりだったのだろうが、シイはカヲルに険しい表情を向ける。それは彼が自らの行為を悔い、償いをしている事を知っているが故の反応だった。

 だがそんなシイをキールはいさめる。

「いや、良い。カヲルの言うとおり、あれは私にとって永遠に背負うべき罪なのだから」

「でも……」

「使徒の覚醒前にアダムと白き月を処理し、人類の滅亡を回避した英雄。だけど同時に、セカンドインパクトによって人類の半数を殺した悪魔でもある。功罪がここまでハッキリとしているのも珍しいよ」

「…………」

「行動には常に責任が問われる。自分が正しいと思った行動も、取り返しのつかない過ちに繋がるかもしれない。これは今回の僕達にも言える事さ。……どうか覚えておいて欲しい」

 カヲルは意気消沈するシイの頭を軽く撫でながら、自分の思いを伝えた。

 

「……話が逸れてるわ」

「おっと、失礼したね。君の一存では決めかねると言う事だけど?」

「ああ。事は人類の行く末に関わる。リリス……神が例え望んでいたとしても、全世界規模に及ぶ問題を我々だけで決めるのは傲慢だろう」

 使徒の復活は可能としても、それを自分達だけで押し通してしまうのは、違うのでは無いかとキールは三人に告げる。リリスが確かめたのは人の可能性であり、意思では無いのだから。

「何か考えがあるのかい?」

「特別審議室は世界各国とのパイプを持っている。極秘裏に各国首脳と直接話が出来る場を用意しよう。そこでお前達が彼らを納得させられた時は……全面的に協力すると約束する」

 リリスのフォローがある以上、ゼーゲンが独断で使徒の復活を成し遂げる事は可能だ。だがそれを周囲が納得しないまま行ってしまえば、後々に禍根を残すだろう。

 そうなれば不満が不審へと繋がり、新たな隣人を受け入れるどころでは無くなってしまう。それは人類の未来を憂うリリスが望む形では無い。

「リリスの不安は尤もだ。私もそれに全面的に賛成しよう。ならば我々は使徒を受け入れる前に、それに相応しい心の土壌を用意する必要がある」

「だ、そうだけど、君達はそれで良いのかな?」

「……問題無いわ」

「うん。使徒さんと一緒に生きていけるって、みんなに伝えたいもん」

「それでこそ、だ」

 力強く頷くレイとシイに、カヲルは満足げに微笑む。

「日時は調整が付き次第、追って連絡をしよう。それで良いな?」

「朗報を期待しているよ」

 モノリスは頷くかのように一瞬瞬くと、その姿を消した。キールがやると言った以上、必ずそれは成し遂げられるはず。ならば自分達に出来る事は、貰ったチャンスを絶対に無駄にしない事だけだ。

 シイ達は決意を込めて頷き合うと、揃って芦ノ湖を後にするのだった。

 

 

 

~ゼーゲン特別審議室~

 

「……さて諸君。此度の案件、理解して貰えただろうか」

 暗闇の会議室で、キールは緊急招集に応じたメンバー達へ、事の次第を説明した。

 彼らは長い歴史で培った人脈やコネ、合法非合法を問わずに築き上げた莫大な資産、そして裏社会での地位等その他諸々含めた力で、世界を裏で操っていた。ゼーレという肩書きを失った今も、自分の国への影響力は強く残っている。キールの言うとおり、世界各国の首脳陣を集めることも充分可能であった。

「使徒の再生……いや、新生と言うべきか。何にせよ、我らの予想を超えた提案だ」

「それもシイちゃんだけで無く、まさかリリスの望みでもあるとはな」

「驚きを通り越し、情けなさすら感じるよ」

「左様。使徒を利用しなくては我らは存続できぬ。リリスにそう判断されてしまったのだからね」

「だが否定は出来ぬ。現に今も水面下では、戦いの火種がくすぶっている」

 特別審議室の面々は、それぞれが私的な特殊部隊を有している。かつては世界を操る為に用いていたそれは、今は世界の安定を目的に活用されている。

 だからこそ、平和に見える世界が脆く壊れやすい事を、誰よりも理解していた。

「これは神から与えられた試練であり、チャンスなのかも知れん」

「どう言う意味だ?」

「人類は進化の限界を迎え、互いに滅ぼし合う事で滅亡への道を辿っていた。それを阻止する為の人類補完計画であったが……シイとリリスは別の可能性を提示したのだ」

「使徒との共存か」

「うむ。行き詰まった人類への刺激、とでも言うべきか。我々の科学力は進化の終着点へと近づいており、肉体も同様だろう。だが心は、未熟な精神だけは進化の可能性を残している」

 使徒との共存によって、人類は他者を理解して受け入れられる心を持てるかも知れない。それは目に見えるものでは無いが、確かな進化と言えるだろう。

 不完全な生命体であるからこそ、無限の可能性を秘めている。シイとリリスはアプローチこそ違えど、どちらも人類を愛し、未来を生きる事を望んでいるのだ。

 キールの言葉を通してそれを理解した審議室の面々は、納得したように大きく頷いた。

 

 その後、特別審議室は各方面へ働きかけ、世界首脳会談の開催準備を整える。先の『女神からの福音』騒動で使徒への関心は強くなっており、その復活に関しての議題となれば、無視出来る国は無い。

 更に提案者である碇シイは名は、使徒殲滅の英雄、ゼーゲンの次期総司令、リリスに認められた神の子として、本人の与り知らぬところで広まっており、首脳達の参加に大きく役立った。

 そして一週間後、人類は選択の時を迎える。

 

 

 

~人類の選択~

 

 世界首脳会談の開催地に選ばれたゼーゲン本部は、警戒レベルを最大限に引き上げた警備態勢が敷かれていた。保安諜報部と警備隊だけでは無く、戦略自衛隊へ応援を要請して特殊部隊を派遣してもらい、あらゆる危険要素の排除を徹底する。

 そんな厳戒態勢の中、ゼーゲン本部の大ホール、かつてシイの誕生パーティーが開かれた場所に、首脳陣が集結した。円形に並べられた机は、全ての国が平等であると言う無言のメッセージであった。

 決して全ての国が仲良しな訳では無い。過去の因縁や現在の利益争いなど、険悪な関係の国同士もある。それでもこの場に集まったのは、シイや旧ゼーレの影響力だけでなく、議題が使徒の復活と言う人類共通のものであったからだろう。

 緊張感が張り詰める会場に、制服姿のシイとレイ、そしてカヲルが入場する。様々な感情が入り交じる視線を浴びながらも、三人はそれに動じる事無く席に腰を下ろす。

 シイは気持ちを落ち着かせる様に深呼吸をしてから、そっとマイクのスイッチを入れた。

「皆様、本日はお集まり頂き、ありがとうございます。議題提案者の碇シイです」

「……同じく碇レイです」

「渚カヲルだよ」

 まずは自らの呼びかけに応えてくれた面々に、三人は頭を下げて感謝の意を告げる。首脳陣から見れば、シイ達は子供、あるいは孫と言える年齢の為、明らかに見下す視線を向ける者も居た。

 だがほとんどの者は、この三人が議題を提案するに相応しい存在であると認めた。シイ達に共通する特徴である赤い瞳。リリンにあり得ないそれこそが、リリスの代弁者だと何より雄弁に語っているのだから。

「事前にお伝えした通り、本日は使徒の復活、そして私達人類との共存について、提案させて頂きます」

 シイが本題に入ると、会場の空気が一層引き締まった。誰もが理解しているのだろう。今日この日この時この場所で、人類の未来にとって重要な選択が行われるのだと。

 

 かつて地球に二つの月が落ちてきた。一つは白き月と呼ばれ、始祖であるアダムが存在し、使徒と呼ばれる自らの子供達を産み落とした。一方黒き月にも始祖たるリリスがおり、身体から溢れ出た体液から無数の生命が誕生し、進化の終着地点が人類である。

 本来は一つの星に繁栄する生命体は一つ。だが地球には二つの異なる起源を持つ生命体が存在してしまい、生存競争が起きる。それは生命の始祖を生み出した『何か』が定めたルールであった。

 そして人類は生存競争に勝利する。アダムの肉体は既に消失しており、リリスは真に神となり地球と融合を果たした。人類は地球で繁栄する生命に選ばれたのだ。

 

 確認の意味も込めて、配布した資料の内容をシイは首脳陣に告げる。ゼーゲンによる情報開示は既に行われており、これに関しては意見や反論は無かった。

『ふむ、報告の通りだが……これで良いじゃ無いか。あえて敵である使徒を蘇らそうなんて、まるで意味が無いように思えるが?』

『そうだ。折角殲滅した敵を、何故わざわざ蘇らせる必要がある?』

『このまま我々は地球で繁栄を続ける。何も問題無いだろう』

 数名の首脳が、予想通り使徒の復活に疑問を投げかける。それはもっともな発言で有り、口に出しこそしないが、会場に集まったほぼ全ての首脳陣は、同意するように頷いていた。

「使徒は私とは異なる進化の可能性を持った生命体です。生存競争の為に戦う事を決められていましたが、人類にとって純粋な敵ではありません」

『同じ事だよ。大体君はサードチルドレンとして、多くの使徒を殲滅したのでは無いのかね?』

『そんな君が使徒の復活を提案するなど……何か裏があると思わざるを得ないな』

 咎めるように、試すように、首脳陣はシイの答えを待つ。思惑と陰謀渦巻く政治の世界でのし上がり、国のトップに立った彼らには、シイの言葉をそのまま信じる様な事は到底出来なかった。

「仰る通り、私は使徒と戦い続けました。その時は皆様と同じ様に、使徒は敵であり、仲良く出来るなんて、思いもしませんでした。……でも、使徒と共に生きられると、私に信じさせてくれた人が居たんです」

 シイの言葉に、隣に座っていたカヲルがスッと立ち上がる。

「改めて自己紹介を。元フィフスティルドレンの渚カヲルだよ。ただこの場では『第十七使徒タブリス』と言う名も持っている事を伝えておこうか」

『し、使徒だと!?』

『あの報告書にあった最後の使徒か……』

 あっさりと自らの正体を明かすカヲルに、会場は慌ただしい空気に包まれる。先の葛城報告書によって、人類との共存を望んだ使徒が居る事は、彼らも知っていた。

 だがそれが、まさか自分達の目の前に居た少年だとは、誰も予想していなかったからだ。

 

「僕の身体は君達リリンと使徒の遺伝子で出来ている。ヒトと使徒のハーフと表現した子も居たけど、その特性によってルールの対象外となり、自らの意思で君達との共存を願ったのさ」

『本当に使徒、なのか?』

『話を合わせるために嘘をついている可能性もある』

『そ、そうだ。使徒であると証明出来るのかね?』

 疑ってかかる首脳陣達に、カヲルは小さくため息をつくと、自らの前にATフィールドを展開してみせた。使徒とエヴァのみが有するそれは、何よりも明確な証拠として効果を発揮する。

 勢いを失った彼らに、カヲルは自らの出生について説明した。南極でアダムと人の遺伝子を掛け合わせる実験が行われ、その結果が自分であり、肉体を失ったアダムの魂を内に宿していると。

「これから先は、僕が語る事では無いけど、一つだけ言っておくよ。『何か』が決めたルールが無ければ、人類と共存を望む使徒も居るんだとね。そして勝者が決まった今、その呪縛は解かれているんだ」

 カヲルは自分の役目は一端終わりだと、再び腰を下ろす。議題となっている使徒の存在がこの場に居る事で、会談のムードは大きく変わりつつあった。

 

「私達は使徒とも手を取り合う事が出来ます。お互いに理解し合い、共に生きていく未来を作れるんです」

『夢物語だよ、そんなのは』

『彼が例外であり、他の使徒が人類に敵意を持っている事は否定出来ない筈だ』

『大体だ、そいつが本当に共存を望んでいるかも怪しい。寝首を掻く機会を伺っているかも知れん』

「皆様もご存じの通り、ATフィールドは普通の武器では破ることが出来ません。無限に動けるS2機関も持っています。もしカヲル君がそのつもりなら……私達はもうこの世界に居ないでしょう」

 シイのこの話は半分嘘だった。確かにエヴァを失った人類を滅ぼす事は出来るだろうが、神であるリリスの魂を宿すレイがいる以上、実際にはほぼ不可能であった。

 それでもシイはあえてカヲルの力を誇示する。普段の彼女を知る者ならば、その口ぶりに違和感を覚えるだろうが、首脳陣が気づくはずも無い。

『だったらなおさらだ! そんな危険な存在を復活させる訳にはいかん!』

『その通りだ。彼が人類との共存を望んでいるのは認めるとしても、他の使徒は分からんだろう』

『敵意を持って復活したら、我々は滅びを免れないのだぞ!』

 ヒートアップしてきた首脳達は、使徒の脅威について大きな声で叫ぶ。だがそちらに意識が向かった為、彼らの中では既に、カヲルが本心で共存を望んでいると認識されていた。

 

「では、使徒が敵意を持たずに復活すると分かっていれば、受け入れる事は出来ますか?」

『そんな仮定の話に意味は無い!』

「いえ、とても大切な事です」

 激昂する一人の首脳へ、しかしシイは落ち着いた声色で答える。ここまでの展開は彼女も予想しており、この先こそがシイにとっての本題なのだから。

「私達人類は、戦いの歴史を繰り返してきました。どうしてでしょう? 相手は使徒では無く同じ人間なのに、どうして戦いは起こったのでしょうか」

『急に何を言い出すかと思えば……』

「……私達はみんな弱くて臆病なんです。だから正体や考えている事が分からない相手が、言葉が通じず理解出来ない相手が怖いから、自分を守る為に戦おうとしてしまうんです」

 静かに語るシイの真意を読み取ろうと、首脳達は鋭い視線を向けながらも耳を傾ける。

「だけど、戦いたいと心の底から思っている人は居ますか? 誰かを傷つけたいと願う人は居ますか?」

『『…………』』

「みんな本当は戦いたくなんか無いんです。仲良く平和に生きていけるなら、そっちの方が幸せだって知っているのだから。違うと言う方は居ますか?」

 繰り返されるシイの問いかけに、首脳陣は無言のまま答えない。現実にそれが困難であるのは百も承知だが、誰もが一度は夢見ただろう。戦いの無い平和な世界を。

「私が言っている事は、現実を知らない子供の夢見ごとかも知れません。この世界には沢山の国があって、大勢の人が生きています。時に対立する事もあるでしょうし、喧嘩もするでしょう。でもそれを戦い以外の方法で解決しなくちゃ、私達はいつまで経っても前に進めません」

『……何が言いたいのかね?』

「前に進みませんか? お互いを否定し合って、傷つけ合って生きていく歴史を終わりにして……銃を握っていた手は握手をする為に、冷たい言葉を発していた口を対話の為に使いませんか?」

『まさか使徒復活の議題で、平和論を説かれるとは思わなかったよ』

「それが私達のお母さん、リリスさんの願いでもあるからです」

 皮肉を口にする首脳にシイが答えると、隣に座っていたレイが静かに立ち上がった。

 

「……私はリリスの魂を宿しています」

 たったの一言で、レイは会場の視線を一身に集めた。それだけ『女神からの福音』騒動が世界に与えた影響は大きかったのだ。

 一挙手一投足を注目される中、レイは淡々と言葉を紡ぐ。

「……リリスは地球と同化して、人類の歴史を知りました。そして不安を抱きました。このまま年月を重ねていけば、人類は再び戦いの歴史を繰り返し、滅亡へと進むのではないかと」

 本来であれば、誰もレイの言葉を信じないだろう。だがカヲルが使徒であったと言う事実が明らかになった今、そんな彼と同じ赤い瞳を有するレイもまた、特別な存在であると認めざるを得なかった。

 実際にはクローン体の特徴であるのだが、リリスと融合を果たしたシイが、黒と赤のオッドアイになっている事で、赤い瞳は始祖と関わりのある証なのかも知れないと、彼らに思わせていた。

「……人類が滅ぶのを、リリスは望んでいません。だからその為に使徒を復活させようと思いました」

『何故だ?』

「……弱く未熟な人の心を、使徒と言う新たな隣人を受け入れる事で、成長させたいと願ったからです。そしてもしも滅びの道へと進もうとした時は、それを阻止する為の抑止力として」

『ふん。随分と物騒な抑止力もあったものだな』

『その気になれば、我々を滅ぼす事も容易な連中が、抑止に止まるとは思えん』

「……リリスが必要だと判断した時以外は、人と変わらぬ存在として使徒を蘇らせます。私達が誤った道を進まない限り、使徒は人類に危害を加えません」

 自分たちが責任を持って平和を維持すれば、シイが望むような未来を歩んでいけるのなら、抑止力である使徒は人類の友で在り続けるのだ。

 

 レイの話を聞き終えた首脳陣は、真剣な表情で思考を巡らせる。国を代表している彼らは、軽々しく結論を出すことを許されない。

 使徒が復活した場合、どの様な事が起こりうるか。それは自分の国に対してどんな影響を及ぼすのか。提案を受け入れた際のメリットデメリットを検討する。

 直ぐに賛成して貰えるとは思っていなかったシイ達は、黙って首脳達の答えを待つ。焦りは無い。取り付く島も無かった先ほどとは違い、彼らに悩んでもらう事が出来ているのだから。

 

 やがて、一人の首脳が口を開いた。

『……結論を出す前に、確認したいことがある』

「はい」

『仮に使徒を復活させた場合、どの様な対応をするつもりかを聞きたい。……いや、回りくどい言い方はやめよう。使徒と言う抑止力を何処が所持するのか、それが私の疑問であり不安だ』

 有事の際以外は発揮されないとは言え、使徒の力が絶大である事は周知の事実。もし何処かの国が保有することになれば、他国にとって脅威となるだろう。

「ゼーゲンで受け入れようと思っています」

『具体案を聞かせてくれ。我々が納得を、安心を出来る形でなければ意味が無い』

「はい。ゼーゲンに抑止力部署を設立して、使徒のみんなは有事の際にのみ力を振るって貰います。そして世界各国の代表の方を集めた査問機関で、活動を監督してください。見極めて下さい。使徒が人類と共存できるのか……ゼーゲンが祝福の名に相応しいのかを」

 最終確認ともとれる首脳の問いかけに、シイは自分の気持ちも込めて答える。会談が決まってから一週間の間に、多くの人から助言を貰い、考え抜いた末に導き出した結論だった。  

 

『……まだ詳細を詰める必要はあるだろうが、私は君の提案を飲もう』

 問いかけていた首脳は、シイに向かって大きく頷いて見せた。大国のトップである男の反応に、他の首脳達が驚いた様に真意を確かめる。

『本気で言っているのか?』

『全てを受け入れた訳では無い。だが彼女の提案は我が国にとって、デメリットよりもメリットが勝っていると判断した。ならば反対する理由は無い』

『ゼーゲンを信用するのかね?』

『少なくとも、今ここに居る彼女は信頼出来ると思った。ならゼーゲンが信ずるに値する組織か否か、見極める機会を持っても良いだろう』

 彼らも伊達に今の地位に就いている訳ではない。碇シイと言う少女が本心から、使徒との共存を望んでいる事は、これまでのやり取りで充分過ぎるほど分かっていた。

 他者を信じて受け入れ、純粋に人類の平和な未来を望む心。それこそがリリスの求めているものであり、自分達に欠けているものであり、それを持っているシイに彼らは人類の希望を見た。

 

 

 

~リリンの見る夢~

 

 使徒復活に賛成の空気が流れるが、まだ彼らの中には使徒への不信や不安が残っている。首脳達が信じようとしているのはあくまでシイであり、使徒そのものでは無いのだ。

 そんな首脳達の心中をカヲルは見抜いていたが、時間を掛けて理解を深めるしか無いとも思っていた。実際に使徒と接していない彼らに、シイと同じレベルの理解を求めるのは酷なのだから。

 するとレイが静かに立ち上がり、首脳達に声をかける。

「……使徒と共に生きる世界がどの様なものか、見てみませんか?」

『君は……何を言っているのかね?』

「……以前、リリスは使徒が人類の友として存在する世界を、夢と言う形で見せました。貴方達が望めば、それを今見せる事が出来ます」

『ほ、ほう。それは魅力的な提案だが……危険は無いのかね?』

「……ありません。白昼夢の様なものと思って下さい」

 冗談のような提案だが、レイは至って真面目に告げる。首脳達は暫しお互いに顔を見合わせ、どうするかと考えていたが、やがてそれを受け入れる事にした。

 リリスとレイの力を確かめてみたいと言う打算以外に、報告でしか知らない使徒を詳しく知る機会だったからだ。

「……では、目を閉じて下さい」

 レイの言葉に従い、首脳達は揃って目を閉じる。そんな彼らにリリスは干渉し、二つの夢を見せた。

 一つは客観的な夢。碇シイと言う少女が使徒と楽しそうに学校生活を送る姿を、まるで映画の様な感覚で彼らは見届けた。

 そしてもう一つは……主観的な夢。自分の生活に使徒が存在していたら、と言う『もしも』を彼らはリアルに体験する。人外の姿を持つ使徒に、初めは恐怖や嫌悪感を抱きつつも、言葉を交わして共に生活する中で、少しずつその気持ちは薄れていく。

 例えとしては適当で無いかもしれないが、彼らが持つ使徒への感情は、食わず嫌いに近いと言えた。与えられた情報や報告から『人類を滅ぼそうとしている正体不明の敵』と言う固定観念を持ち、既に生存競争の相手では無く、隣人として存在出来るのだと言われても、心の底では理解しようとしなかった。

 リリスの見せる夢はあくまで夢だが、彼らの固定観念を解すには充分な効果を発揮した。

 

 

 夢の世界では幾日も過ごしたが、現実の時間では十分程しか経過していない。だが夢から覚めた首脳達は、先程までとは顔つきが変わっていた。

 記憶がハッキリと残っているので、あれが夢だったと言う実感が沸かない程に、使徒との共存体験は彼らに強烈な印象を残した。

「……どうでしたか?」

『そうか……今のが夢か』

『何と言うか、随分と現実感のある夢だったな』

『ああ。まだこの手に……使徒と握手をした感覚が残っているよ』

 二つ目の夢は主観的であるが故に、それぞれ違う形だったのだろう。だが共通している事は、全員が何処か名残惜しげな表情を浮かべている事だ。

『君。もう一度見せて貰う事は出来るかな?』

「……その必要は無いと思います」

『何故だ?』

「……現実は夢の続き。貴方達が見た夢は現実となるから」

 レイの言葉に首脳達は成る程と頷く。今のはある種のシミュレーションなのだ。使徒は自分達の隣人として、共に生きていける存在。そう受け入れる事が出来たなら、夢の続きは現実で見る事が出来る。

 もうこの場に使徒の復活に異議を唱える者は存在しなかった。誰もがシイの言っていた、使徒と手を取り合う未来を、本心から望んだのだから。

 

『碇シイ。決を採ると良いだろう』

「……はい。それでは私達の提案に賛成の方は、起立をお願いします」

 シイの言葉と同時に全ての首脳が同時に立ち上がる。満場一致での決定に、シイは封印していた笑顔を解き放ち、深々と感謝のお辞儀をする。

 自然と沸き起こった拍手が鳴り止むまで、シイの頭が上がる事は無かった。

 

 

 使徒復活の詳細日程、特設部署についての取り決め等は、今後話し合いの場を持つ事で決定し、首脳会談は幕を閉じた。

 首脳達は帰路につくまえにシイ達の元へと歩み寄り、未来を共に作ろうと握手を交わす。解決すべき問題は山積みだが、彼らにとって大きな意味を持つ会談だったのだろう。

 そんな中、最初に賛同してくれた首脳がカヲルに声をかける。

『ところで君に聞きたい事があるんだが』

「ふふ、何かな?」

『君が人類との共存を望んだ理由、差し支えなければ教えて欲しい』

 興味深げに問いかける首脳に、カヲルは少し考えてから言葉を返す。

「……貴方は歌は好きかな?」

『ん? まあそれなりには、だが』

「音楽、絵画、風呂、リリンの生み出した文化は、どれも心を潤す優しいものばかりだよ。リリンの歴史は戦いだけでは無く、素晴らしい文化を築き上げてきたんだ」

 何が言いたいのかと首をかしげる首脳に、カヲルはくすりと微笑みながら答える。

「答えは簡単さ。僕はそんなリリンに好意を持っている。……君達が好きなんだよ」

『……ありがとう』

 男の差し出した手をカヲルは握り返した。

 

 

 

~仮面を脱ぎ捨てて~

 

 会談が終わり、三人は控え室代わりの会議室へと戻った。ドアを閉めた瞬間、緊張の糸が切れたシイはその場にへたり込んでしまう。

 真っ青な顔で身体を小刻みに震わせ、瞳からは意図せぬ涙が溢れ出る。それが彼女の感じていたプレッシャーと、責任の重さを何より雄弁に語っていた。

「立派な立ち振る舞いだったよ。本当に良くやったね、シイさん」

「……大丈夫?」

 優しく声をかける二人に、しかしシイは答えられない。口の中がからからに乾いて、唇が震えてしまい声が言葉にならないのだ。

「少し休んだほうが良いね」

「……医務室に行きましょう。掴まって」

 シイは小さく頷くと、レイに支えられて医務室へと向かった。

 

「……本当に良く頑張ったね。シイさんの頑張り、決して無駄にはさせないよ」

 あの小さな身体で、曲者ぞろいの首脳たちと真っ向からやり取りをし、自らが望んだ未来への道を切り開いたシイに、カヲルは心の底から賞賛を送った。

 あらかじめ決めていた段取り通りの展開だったとは言え、それを成し遂げるのは並みの精神力では、到底不可能なのだから。

 結果的にリリスからのフォローが決め手だったが、その段階まで事を運んだのは間違い無くシイの力だ。それを認めたからこそ、リリスもつい手助けをしてしまったのかも知れない。

(それにしても……思いがけず役にたったね)

 カヲルは苦笑しながら、手に持った端末を見つめる。それはかつてシイに赤木親子がプレゼントした物と同じ、高性能翻訳機であった。

 成績優秀の二人も世界中の言語を操れる訳では無いので、意思疎通の為には必要だと無理を言って、自分とレイにも用意して貰った。これが無ければ今回の会談は失敗に終わっていただろう。まさに影の立役者であった。

(ふふ、今度相田君に貰った秘蔵写真でも贈るとしよう)

 頼りになる眼鏡の友人を思い浮かべながら、カヲルは会談の結果報告をしに部屋を後にした。

 

 

 この日、人類は新たな隣人と歩む未来へ向かって、第一歩を踏み出した。それが二歩、三歩と続くのか、それとも足並みが乱れてしまうのかは、神も知らない。

 全ての未来に可能性があり、決めるのは他でも無いリリン自身なのだから。

 

 




使徒の新生は可能だけど、それがみんなに望まれる形で無ければ、人類にとっても使徒にとっても、不幸な結末しか残らないでしょう。
ただ今回の会談で、リリンは新たな道を見つける事に成功しました。

ゼーレが人類補完計画を望んだのも、進化に行き詰まった人類がやがて滅亡すると思われたからです。でも進化の可能性は、未熟な精神の部分で残されていたと言う事で。
目に見える形ではありませんが、これがトゥルーエンドえの条件でしたね。

※首脳達の台詞が『』なのは、翻訳機を使っているからです。読み辛かったら申し訳ありません。

さて、どうにか使徒救済編の山場を乗り越えました。
後日談ぽくないシリアスも、少しずつアホタイムにシフトして行く予定です。

使徒救済編は週一ペースで、その後は少しペースアップするつもりです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(使徒、新生)》

 

~変わる世界~

 

 先の首脳会談を切っ掛けに、世界は変化を見せていた。

 まずゼーゲンは世界各国の同意を受け、全世界へ向けて使徒の情報を公開した。全ての切っ掛けとなったファーストインパクトから、セカンドインパクトの真実と、避けられなかった生存競争。そして今、人類が未来を生きる為に、新たな隣人として使徒の復活させ、迎え入れようとしている事等、全てを明かした。

 突然の情報公開に加え、これまでの認識を翻させられる真実を知った事で、世界各地で困惑や動揺が見られ、ゼーゲンに多数の問い合わせや事実確認が相次いだ。

 ゼーゲンと各国首脳陣は協力態勢を敷いて、それらの声に丁寧に対応し、理解を求める事に尽力する。

 そしてそんな子供達の姿勢を認めたのか、半信半疑の人類達にリリスは手を差し伸べた。

 会談での首脳達と同様に、全世界の人々の夢へと介入し、共存する世界を体験させたのだ。『可能性の世界』を体験した結果、多くの人類は自らの認識を改めた。

 実際の所、使徒と直接対峙したのはシイ達を除けばごく僅か。特に日本以外の国に住む人達は被害を受けなかった事もあり、あくまで間接的な情報で使徒を驚異と判断していた。

 だからこそ、リリスの見せる夢は絶大な効果を発揮する。風評に左右されること無く使徒と向き合った結果、人類の大多数は使徒の新生に賛成の意を示すのだった。

 

 そして首脳達とゼーゲンは、使徒との共存に向けて世界各国が足並みを揃える為に、幾度となく意見交換の場を持ち、長い時間を掛けて慎重に議論を重ねる。

 その結果、ゼーゲンにリリスの抑止力部署を設立し、世界各国からの代表者で構成される査問機関を置くと言うシイの提案が採用される運びとなった。

 

 

 

~いざソ連支部へ~

 

 首脳会談から一週間後、ゼーゲン本部の司令室でシイ達はゲンドウと向き合っていた。

「……キール議長から連絡があった。お前達にソ連支部へ来て欲しいとの事だ」

「ソ連支部?」

「ふふ、以前話した僕のダミープラントがある支部だよ」

「あっ!」

 カヲルに言われてシイは表情を輝かせる。そこへ自分達を呼ぶと言う事は、キールが進めていた使徒復活の準備が整ったのではと察したからだ。

「お前の想像通りだ。魂の受け皿となる肉体が、ようやく準備出来たらしい」

「リリン達の反応はどうだい?」

「問題無い。全てはシナリオ通りに進んだ。……お前達のな」

 会談直前まで一切相談されなかったゲンドウは、シイ達の成長を感じ取っていた。特別審議室の助力こそあれ、各国首脳を集め提案を通した娘は、自分の想像以上に大きく育っていたのだと。

 秘密にしていた事を後日謝罪されたが、その必要は無いと三人の働きを褒めたのは、彼の本心だ。もし自分達ゼーゲンが最初から絡んでいたら、少なからず事態は拗れていたのだから。

「既にVTOLを用意してある。直ぐにでも出発出来るだろう」

「ありがとう、お父さん」

「ふふ、なら早速向かおうか。今から発てば休日の間に事が済みそうだからね」

「……ええ。でも」

 意気揚々とする面々を余所に、レイは一抹の不安を感じていた。すっかり記憶の片隅に追いやっていたが、そう言えば目の前の少女は確か、飛行機が苦手では無かったかと。

 そんなレイの視線に気づいたのか、シイは苦笑しながら頬を指で掻く。

「えっとね、私はもう飛行機大丈夫だよ」

「!? ……本当に?」

「うん。飛行機がどうして飛べるのかを、ちゃんと勉強したから」

 シイの恐怖癖の原因は、何故鉄の塊が飛行できるのかが理解出来ないと言うものだった。理解出来ないもの程怖い物は無い。彼女はその持論をある意味実体験していたのだ。

 だがここまで自信満々に言い切るからには、相当調べ上げたのだろう。今後の立場を考えても、最大の不安が取り除けたことに、レイは安堵した……のだったが。

 

 ソ連に向けて絶賛飛行中のVTOL内で、シイはシートの上で体育座りをして身体を震わせていた。

「……うぅぅ……揚力、揚力……エンジン、エンジン……うぅぅ」

「レイ。僕にはシイさんが、飛行機恐怖癖を克服してるようには見えないんだけど?」

「……理論と実践は違うもの」

 震えるシイの隣に座るカヲルの問いかけに、レイは予想通りだといった様子で答える。どれだけ理論武装していても、あれだけ苦手だった飛行機に直ぐ慣れるはずが無いと思っていたからだ。

「……回数を重ねて、少しずつ苦手意識を除くしか無いわ」

「これからのシイさんの立場を考えれば、飛行機恐怖癖はかなりの痛手だからね」

「……ええ」

「なら、少し手助けをしようかな」

 カヲルはシイの耳元に口を近づけると、そっと囁くように励ましの言葉をかける。

「シイさん。飛行機は良いね。リリンの生み出した文化の極みだよ」

「うぅぅ……そ、そう……だよね……こんな重いのが飛ぶなんて……凄いよね……はは」

(これは思っていたよりも重症だね)

(次、余計な事を言ったらたたき落とすから)

(分かっているよ)

 レイと視線で会話を交わすと、カヲルはシイを安堵させる為の情報を提供する事にした。

「ところで知っているかい? 飛行機が事故を起こす可能性は極めて低いと」

「わ、分かってるの。分かってるんだけど……」

「事故の原因は大抵整備不良だ。でもこのVTOLはゼーゲンの物だよね。技術局のスタッフが全力で整備をしてくれている。シイさんは彼らを信じられないのかな?」

「そんな事無い!」

 カヲルの挑発をシイはハッキリと否定する。エヴァで戦っていた時も、一度だって整備不良など無かった。大勢のスタッフ達の尽力があってこそ、今の自分が在るのだから。

「なら怯える必要なんて無いさ。君は大勢の仲間に支えられて、空を飛んでいるのだからね」

「……うん。ありがとうカヲル君」

 頷くシイの顔には、少しだけ余裕が生まれていた。勿論直ぐに改善される物ではないだろうが、それでもカヲルの言葉が彼女に良い影響を与えたのは間違い無い。

(ふふ、どうだい?)

(……たまには役に立つのね)

(酷い言いぐさだな。僕は何時だって、シイさんの為なら何だってするさ)

(……知ってるわ)

 三人を乗せたVTOLは順調な飛行を続け、無事ソ連支部へと辿り着くのだった。

 

 

~新生を待つもの~

 

 シイ達を乗せたVTOLは、ゆっくりとゼーゲンソ連支部発着場へ着陸する。開いたハッチから降りていく三人を出迎えたのは、まさかの特別審議室フルメンバーだった。

「み、皆さん!?」

「おやおや、キールだけかと思ったけど、意外と暇なのかな?」

「……こんにちは」

 老人達の登場に動揺しながらも、シイは順に握手をしながら挨拶を交わす。シイとの対面に喜びつつも、彼らは真剣な表情を崩さない。

 それが、これから先に待ち受けている事の重大さを物語っていた。

「良く来たな、シイ、レイ、カヲル」

「キールさん。色々とありがとうございました」

「お礼を言う相手が違うな。それにまだ事が済んだ訳では無い」

「……準備が出来たと聞きました」

「うむ。では案内するとしよう」

 レイの言葉に頷くと、キールは施設へと三人を誘った。

 

 ソ連支部。そこはかつてのゼーレにとって、お膝元とも言える拠点であった。ゼーレの発祥はドイツであるが、カヲルの誕生と生育、ダミープラグと量産機の開発など、ゼーレの公に出来ない闇を支える施設として、広大な土地を持つこの支部は重用されてきた。

 他の支部とは設立目的自体が異なり、正しく研究開発施設として特化されていた。因みに現在は、地球環境再生と食糧問題解決の為の研究が進められている。

 

 キール先導の元、シイ達は本部のそれと同等かそれ以上のセキュリティを通過し、地下へ地下へと進む。そして一行はソ連支部の最深奥へと辿り着いた。

 重厚な黒いゲートを前に、キールは立ち止まるとシイ達に振り返る。

「……ここがダミープラントだ」

「ふふ、懐かしいと言うべきかな。まさかもう一度ここに戻ってくるとは、思っていなかったけどね」

「カヲル君……」

「気にする必要は無いさ。僕という存在が君達の役に立てる。それは喜ぶべき事だよ」

 辛そうな顔を見せるシイの頭を、カヲルは微笑みながら優しく撫でた。決して良い思い出が残る場所では無いが、ここがシイの望みを叶える要となるなら、それ以上の事は無いのだから。

「では入るぞ」

「……ちょっと待って」

 カードをリーダーに通そうとしたキールを、ふと何かに気づいたレイが制止した。この期に及んで一体何かと、一同の視線がレイに集まる。

「どうしたの?」

「……この先に、彼のクローン体が居るのね?」

「うむ」

「……服を着てる?」

 その言葉を聞いて、シイ以外の全員がレイの意図を察した。つまりは、シイに男性の裸体を見せる事になる、とレイは危惧しているのだろう。

「ふふ、僕は構わないよ」

「……私は構うわ」

「君だって僕やトウジ君に見られたのに?」

「…………」

 軽い挑発を切っ掛けに、レイとカヲルは同時にATフィールドを展開し合い、一触即発の空気が流れる。魂のせいなのか、どうしてもこの二人の相性は悪いらしい。

「えっと、喧嘩は駄目だよ」

「レイが難癖をつけてきてるのさ」

「……この変態が悪いわ」

「おやおや。自分の事を棚に上げて良く言うね」

「……その台詞、そっくり返すわ」

「も~駄目だってば」

 シイは二人の間に立つと、頬を膨らませて場を治めようとする。これから使徒を迎え入れようとしているのに、自分達が喧嘩していては話にならないと、少し怒ったように二人を見つめた。

「カヲル君とレイさんは、使徒さんのお兄さんとお姉さんなの。二人が喧嘩してたら、使徒さんだって困っちゃうでしょ? だから……」

 真っ直ぐなシイの視線を受け、二人はばつの悪そうな顔で頷き合うと、仲直りの証の握手をして見せる。そんな二人の様子に、喧嘩にならずに済んだとホッと安堵するシイは気づかなかった。

 笑顔で握手を交わすカヲルとレイの手には、骨が砕けそうな程の力が込められていた事に。

 

「……そろそろ良いか?」

「あ、ごめんなさい」

「いやいや、シイちゃんが謝る事では無いよ」

「左様。そこの二人の問題だからね」

「……レイ。良いな?」

 こくりとレイが小さく頷くのを見てから、キールはIDカードをリーダーに通してゲートを開いた。

 

 

~可能性の子供達~

 

 重々しく開かれたゲートを通り、シイ達はカヲルのダミープラントへと足を踏み入れる。中央に無数のパイプが繋げられた円柱状の水槽が配置され、周囲の壁に埋め込み型の水槽があり、本部地下のそれと酷似していた。

「ここがカヲルのダミープラントだ」

「ヒトに在らざるモノを生み出す、我らの罪の証」

「ヒトの業、欲、悪意、それら全ての象徴」

「左様。しかし今、この場所は神の子の意思により、希望を生み出す揺りかごへと変わった」

「……では迎えるとしよう。我々人類の新たな隣人達を」

 キールはそう言うと、手にした端末を操作して水槽に明かりを灯す。壁に埋め込まれた水槽がオレンジ色に照らし出され、そこに存在する者の姿を露わにする。

 だがそれは、シイ達の想像とは少し違っていた。

 

「えっ!?」

「……これは?」

「おやおや」

 目の前に広がる光景に、三人は動揺を隠しきれない。だがそれも無理は無いだろう。カヲルと酷似した個体が居ると思っていたが、水槽の中で目覚めを待っていたのは、まだ小さな子供であったのだから。

「き、キールさん。この子達は……」

「カヲルと同じ遺伝子を持つクローン体だ。誕生したばかりだがな」

「……説明して」

「お前と違い、カヲルには魂の受け皿を用意する必要が無かった。いや、存在してはならなかった。故に必要最小限の個体のみしか生み出しておらず、此奴らは今回の話を受けてから用意した」

 レイとカヲル。どちらもクローン体が生み出されたが、その理由が大きく異なる。

 万が一の際に、リリスの魂を受け継ぐ器としてクローンを用意されたレイと違い、カヲルの場合はダミープラグ製造の為だけにクローンを製造された。

 第十七使徒として殲滅される予定だったカヲルに、バックアップがあってはシナリオが狂う。だからこそ、ゼーレはダミープラグに必要な数しかクローンを製造しなかったのだ。

「だが、理由は他にもある」

「レイのケースとは違い、カヲルの身体は使徒の魂の受け皿として、完璧では無い」

「左様。純粋な使徒の身体では無いからね」

「適応の可能性がある、と言ったレベルだろう」

「故に我らは、魂の受け皿として相応しい身体を用意する術を模索した」

「そして、この結論に達したのだ」

 老人達の言葉を聞いて、カヲルとレイは彼らの意図を察した。

「……僕と同じ道を辿らせるつもりなんだね」

「お前は赤子の身体にアダムの魂を宿し、成長する事で魂に相応しい肉体を得た」

「ならば使徒の魂も、同じ事が可能である筈だ」

 この世界で唯一使徒の魂を扱い、カヲルを誕生させた彼らの言葉には説得力があった。オリジナルの死海文書から得た知識と、莫大な資金を元にした研究成果は他の追随を許さないのだから。

 

「まあ言いたい事は分かったよ。それに魂を宿してしまえば、直ぐに成長するだろうからね」

「……そうなの?」

「サンダルフォンのデータは見ただろ? 使徒の成長速度は爆発的だよ。まあ僕の身体だから緩やかにはなっているだろうけど、それでもリリンとは比較にならないさ。経験した本人がそれは証明するよ」

 カヲルにそう言われてしまっては、レイに反論する余地は無い。ベースがヒトであるレイも、他のリリンに比べて成長が早かった事もあり、納得出来てしまったからだ。

「他に何かあるか? 無ければこの時この場所にて、リリスに新たな隣人を授けて貰うが」

「ふふ、僕からは何も」

「私もです。よろしくお願いします」

「ではレイ。頼む」

 キールの言葉に頷くと、レイは目を閉じて意識を集中する。碇レイという肉体を超えて、地球そのものと化したリリスの肉体へと、子供達の意思を伝えて力の行使を承認した。

 それを受けてリリスは、既に管理下に置いていた使徒の魂を、用意されたクローン体へと宿していく。魂を見る事は叶わない為、傍目には何の変化も起きていないように見える。

 だがシイには確かに見えた。淡い輝きを放つ光が、確かにクローン達へと吸い込まれていく様が。そのあまりに美しく神秘的な光景に、シイは感動と同時に決意を新たにする。

 どれだけ時間が掛かっても、産まれてくる全ての命が祝福される世界を目指す、と。

 

 

「……終わったわ」

「ふふ、お疲れ様」

 少し疲れた様な声色で告げるレイをカヲルは労った。時間にしてほんの数分程度の出来事だったが、途方も無い力が行使された事は、想像に難くない。

 如何に神と言えども、生命の生死に介入する事は容易では無いのだから。

「……さて、この後は僕に任せて貰えるのかな?」

「こちらから頼むつもりだった。我らが担当するのでは、問題もあるだろう」

「?? 何の話?」

「目覚めたばかりのこの子達を、直ぐに人類の隣人として紹介は出来ないからね。彼らの肉体には僕のパーソナルは移植されていない以上、少し育成期間が必要なのさ」

 首を傾げるシイにカヲルは微笑みながら答えた。シイスターズとは違い、今の使徒達は肉体的にも精神的にも未熟。だからこそ、彼らには親の役目を持つ存在が必要だった。

「リリンと使徒を繋ぐ架け橋役。僭越ながら務めさせて貰うよ」

「……そう」

 素っ気なく答えたレイだが、その役目にカヲル以上の適任者は居ないと確信していた。人類と使徒のどちらにも理解を示し、客観的な視点も持ち合わせ、何よりこの世界で誰よりも使徒に対し公平な存在なのだから。

「シイさんも良いかな?」

「うん。カヲル君なら……ううん、それはきっと、カヲル君にしか出来ない事だと思う」

「ふふ、ありがとう。どうやらコウモリにも役に立てる事があったみたいだ」

(…………あっ、そうだ。あのお話の続きは……)

 カヲルの言葉を切っ掛けに、シイは以前食堂で思い出せなかった昔話の続きを思い出す。裏切りを繰り返し、居場所を失ったコウモリのその後を。

「……ねえカヲル君。前に本部の食堂で、自分は昔話のコウモリだって言ってたよね」

「ふふ、今でもそう思っているよ。ただ同じ末路は辿りたく無いけどね」

「あのお話、私はお祖母ちゃんから教えて貰ったんだけど、続きがあるの」

 そう言ってシイはカヲルに思い出した昔話を語り始める。

 

 獣と鳥が和解し、居場所を失ったコウモリは寂しく森を去った。だがその後、行く当ても無く彷徨っていたコウモリは、人間達の会話から大きな嵐が迫っている事を知る。

 天気は穏やかそのもので、コウモリには嵐の気配は全く感じられ無い。だが 嵐に備えて家の補修などを行う人間達は、真剣そのものだった。

 森に住む獣も鳥は、嵐の訪れなど想像だにしていないだろう。ならばもし本当に嵐が来てしまったら、彼らは甚大な被害を被ることになる。

 直ぐにみんなに伝えなくては、と森に戻ろうとして、しかしコウモリは躊躇する。

 本当に嵐は来るのだろうか。もしかしたら、人間達の早とちりかもしれない。嘘つき呼ばわりされるリスクを負ってまで、自分を追い出したみんなに伝える必要があるのか、と。

 このまま逃げてしまえば良い。誰に咎められる事も無いのだから。

 そしてコウモリは決断し、全速力で空を飛んだ。仲間達の暮らす森へと。

 

 森に戻ったコウモリは、ふらふらの身体で獣と鳥達に事の次第を告げた。裏切りを繰り返したコウモリの言葉を、彼らは素直に信じられなかった。だが、飛ぶこともままならない程疲れ果てながらも、信じて欲しいと繰り返すコウモリの姿を見て、獣と鳥達は嵐に備える事にした。

 備蓄していた食料を洞穴に運び込み、自分達もそこに身を潜める。

 そしてその夜、次第に天気が崩れ始めて大きな嵐が……訪れなかった。軽い雨が降った程度で、コウモリが訴えたような大嵐など全く無かったのだ。

 騙された、嘘つきだ、と糾弾しようとする彼らだったが、『良かった。嵐が来なくて本当に良かった』と満足げに微笑むコウモリの姿にハッとする。

 裏切り者と追放した自分達を守る義理など、コウモリには無い。それでもコウモリは力を振り絞って、訪れるかもしれない危機を伝えてくれたのだ。それにどれだけの覚悟が必要だったのだろう。

 疲れて眠るコウモリに、彼らはただ感謝するしか無かった。

 翌朝、コウモリは黙って去ろうとしたが、獣と鳥は共に住もうと引き留める。彼らは気づいたのだ。共に生きようとする気持ちさえあれば、例え種族が違おうとも仲間であると。

 こうしてコウモリは仲間達と共に、末永く森で幸せに暮らした。

 

「カヲル君は卑怯なコウモリじゃ無くて、勇敢で優しいコウモリだよ。だから孤独な結末じゃ無くて、みんなと一緒に幸せに生きる未来が選べる筈なの」

「シイさん……」

「……私はカヲル君と出会わなければ、多分使徒さんと仲良く出来るって思えなかった。カヲル君が居なかったら、こんな素敵な世界は無かった。だから私はカヲル君に感謝してる」

「ふふ、ありがとう」

 カヲルの自虐的な発言の裏には、自分が孤独であると言う気持ちがあったのだろう。それを本能的に理解したシイは、それを少しでも癒やしたかった。

 果たしてストレートなシイの想いは、確かにカヲルの心に届いたのだった。

(……私の読んだ話とは違うわ)

(恐らくメイがシイの為に改変したのだろう。あれはそう言った気配りの出来る女だ)

(……会ったことがあるの?)

(それなりに長い付き合いだ。歳をとって穏やかになったが、若い頃はユイ以上に手に負えなかった)

(……そこを詳しく)

(やるべき事を全てやり終えたら語ろう。志半ばで倒れるのは本意では無い)

(……そう伝えておくわ)

(お前も碇の娘か……)

 レイとキールはひそひそ話をしながらも、親愛の抱擁をするシイとカヲルを見守っていた。

 

 

~さよならカヲル先生~

 

「さて、後の事は僕に任せて貰おう。君達は先に日本へと戻っていてくれ」

「……どれ位かかるの?」

「まだ何とも言えないけど、最低でも二週間は欲しいね。結局はこの子達の成長次第さ」

 使徒の親代わりとして、先生役としてカヲルはソ連支部に残らなくてはならない。長い間シイと離れる事になるが、それでもカヲルは嬉しそうに微笑んでいた。

 それは彼が、自分にしか出来ない役割を見つけた証なのかも知れない。

「次に君達と会う時は、新たな隣人を紹介する時さ」

「寂しいけど……楽しみにしてるね」

「その言葉だけで、僕はどんな困難にだって立ち向かえるよ」

 暫しの別れを惜しみつつも、互いの信頼を確かめる様にシイとカヲルは握手を交わした。

「……帰ってこなくても良いわ」

「そう言われると意地でもシイさんの元に戻ろうと思えるね」

「…………ノートはとっておくから」

「ふふ、ありがとう。シイさんの事を頼むよ」

 相性最悪な二人だが、根本では互いの力と存在を認め合っていた。カヲルが不在の間は、レイがシイを守る。小さく頷き合う両者には奇妙な信頼関係があるのかも知れない。

 

 そして、カヲルと特別審議室の面々に見送られながら、シイとレイはソ連支部を後にした。後に来るであろう、新たな隣人との出会いを楽しみにして。

 

 

 

~こちらはこちらで~

 

 新居完成まで本部の宿舎に仮住まい中のシイスターズ。今日も揃って食堂でご飯を食べていたのだが、その席で不意にトワが立ち上がった。

「ふむふむ、成る程成る程」

 まるで誰かと話しているかの様に、頷きながら声を発する彼女を、姉妹達は不審そうに見つめる。

「……呆けた?」

「……壊れたのかも」

「……ラーメン美味しい」

「……それなら元々」

「……それもそうね」

「……オムライス美味しい」

「……誰かと話をしている?」

「……それは誰?」

「……肉が入ってた……」

「……見えない誰かが居るのかも」

「……幽霊?」

「……幻覚と考えるのが妥当ね」

「……ピーマン嫌い」

「……あげれば良いと思う」

「は~い、言うとおりにしま~す。え? ええ、お姉様には迷惑掛けませんってば。それじゃ。……ってあんたら、好き勝手言ってくれちゃってさ、私を何だと思ってるのよ」

 何かとの会話を終えたトワは、言いたい放題の姉妹達をキッと睨む。何時の間にか自分の皿に、大量のピーマンが入っていた事も含め、ご機嫌斜めのようだ。

「……突然今の行動を取れば、誰だって変人だと思うわ」

「言ってくれるわね、イブキ」

「……それで何をしてたの?」

「そうそう、大ニュースよ。何とリリスお母様からメッセージが来たの」

 えへんと自慢げに胸を張るトワであったが、姉妹達の反応はイマイチだった。

「ちょっとちょっと、何でそんなにテンション低い訳?」

「……トワに伝える事なら、大した事では無いと思ったから」

「あんた達の中で私がどんな存在なのか、少し話し合う必要がありそうね」

「……リリスお母様は何を伝えたの?」

「もう少し言葉のキャッチボールをしなさいよ!」

 とことんマイペースな姉妹達に、トワはすっかり主導権を失ってしまった。

 

「はぁ、まあ良いわ。お母様から、お姉様達が使徒の新生を終えたって連絡があったのよ」

「……お姉様達なら当然」

「……それだけ?」

「まさか。何とあの渚カヲルはソ連支部に残って、お姉様達だけ戻ってくるんだって」

「……朗報ね」

「……吉報だわ」

「……祝杯を挙げましょう」

「「……乾杯」」

 十九個のグラスが澄んだ音色を奏でた。誤解の無いように言っておくと、彼女達は決してカヲルを嫌っては居ない。ただ自分達の姉に手を出そうとしている危険人物として、油断出来る相手でもない。

「気持ちは分かるわ。で、こっからが本題。……ゼーゲンに使徒達を集めた、抑止力部署を作るってのは知ってるわね。リリスお母様は私達にも参加して欲しいみたいだけど、どうする?」

「……構わないわ」

「……同じく」

「……お姉様達の役に立てるなら」

「……喜んで引き受ける」

 トワの言葉に、姉妹達は一斉に賛成の意を示した。母に望まれて姉の役に立ち、世界の為に尽力する。彼女達に反対する理由など何も無かった。

「オッケー。なら早速、この事をパパに言ってくるから」

 手早く食事を済ませたトワは、食堂から小走りで去って行った。

 

 

~大人達の仕事~

 

「失礼しま~っす」

 ノックもせずに司令室へと入っていったトワは、ゲンドウが誰かと電話中であったことに気づき、ばつの悪そうな顔で両手を合わせて謝罪した。

「……失礼しました。いえ、問題ありません。お転婆な娘がおりまして」

 ゲンドウはトワに軽く頷くと、電話の相手との会話を再開する。どうやら他の組織との連絡らしく、ゲンドウは丁寧な口調で話を進めていた。

「……ええ、受け入れは予定通りに。追って担当の者から連絡を入れますので。それでは」

「えっと……ごめんね」

 話を終えて電話を置いたゲンドウに、トワは舌を出して謝る。相変わらずの娘にゲンドウはため息をつくが、特に強く咎める事をしない。

「ノックをして、入室許可を得てから入れ。次から気をつければ良い」

「は~い」

「それで、私に何か用があるのか?」

 ゲンドウの問いかけに、トワはリリスから抑止力部署に参加を求められたと伝えた。自分達も全員揃って賛成しており、それを許可して欲しいと訴える。

「ねえ良いでしょ? 私達もお姉様の役に立ちたいし、ね?」

「クローンである事に負い目を感じていて、役割を求めているなら……」

「ちょっと、いくらパパでも私達を馬鹿にしすぎだってば。私達は人形じゃ無いんだよ? 自分で考えて自分で決める事くらい出来るから、それは分かって欲しいな」

「……そうか、そうだな」

 頬を膨らませて不満を露わにするトワに、ゲンドウは少し微笑みながら頷いた。

「シイとレイが戻り次第、抑止力部署設立の最終会議を行う。お前達もそれに参加しろ」

「へへ~ん、そう来なくっちゃ」

「時間になったら連絡をする。あの子達にも伝えてこい」

「了解! それじゃまたね~」

 トワはビシッと敬礼をすると、笑顔で手を振りながら司令室を後にした。まるで嵐が通り過ぎたかのように静かな室内で、ゲンドウは一人物思いにふける。

(子供はいずれ親を超えるものだが……ふっ、隠居の時はそう遠くないのかもしれんな)

 シイ、レイ、そしてシイスターズ。自分の娘達の成長と覚悟を実感したゲンドウは、何処か寂しそうな、そして何処か嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。

 




どうにか、使徒の新生まで辿り着きました。
とは言えまだまだ、本当に生まれたての子供。登場まで今暫くお待ち下さい。

アスカに続き、カヲルが一度シイ達から離れます。
使徒の再登場までの間に……あるキャラクター達に登場願おうと思っております。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(インプレッション)》

 

~来訪者達~

 

 使徒の復活に抑止力部署設立の為の会議と、激動の週末を乗り切ったシイは月曜日の今日、高校の教室で普段と同じ様な生活に戻っていた。

 友人達との会話を楽しむシイは、慌ただしい日々が嘘のような平穏に、緊張が続いていた気持ちがほぐれるのを感じる。

「ほ~。そんなら渚のやつは、ソ連に居残りかいな」

「使徒の先生……嘘みたいな話だけど、渚君なら出来るものね」

「うん。だから暫くは学校に来られないと思う」

「さよか。ならしゃーない。わしがあいつの分まで、ノートを取ったるわ」

「……それは私がやるわ」

「大体トウジのノートじゃ、汚くて誰も読めないわよ」

「ぐっ……字なんかどうでもええんじゃ。大事なのは気持ちや、気持ち」

 変わらぬ二人の様子にシイとレイが苦笑していると、朝から姿の見えなかったケンスケが、凄まじい勢いで教室に飛び込んできた。

「みんな! 大ニュースだよ」

「ど、どうしたの相田君?」

「今日の一限で小テストでもやるんか?」

「そんなちっちゃな事じゃ無くて、大ニュースなんだ」

 興奮冷めやらぬ様子のケンスケに、一同は眉をひそめつつ言葉を待つ。大体の場合、彼の大ニュースは世間一般のそれとはズレている事が多いため、内心それ程期待していなかった。

「……聞かせてくれる?」

「さっき職員室を通った時に聞いたんだけど、今日このクラスに転校生が来るんだよ!!」

「それが……大ニュースかいな」

 ケンスケの情報に、トウジは呆れたように呟く。今の第三新東京市は要塞都市から人が暮らす為の都市へと変化してるので、転校生はそれ程珍しくは無いのだ。

 しかしケンスケはそんなトウジに、不敵な笑みを浮かべつつ首を横に振った。

「勿論それだけじゃ無い。転校生は二人、それも……どっちもかなりの美少女だったんだ」

「「!!??」」

 クラスの男子生徒達が一斉に立ち上がり、ケンスケに視線を向ける。彼らは知っているのだ。相田ケンスケと言う少年の見る目が、恐ろしく正確である事を。

「えっと、女の子が二人転校してくるだけだよね?」

「碇は何も分かって無い! 美少女が二人も同時に転校してくるなんて、これは大事件だよ」

「そ、そうなんだ……」

 かつて無い迫力のケンスケに、シイは気圧された様に愛想笑いをするしか無かった。見れば他の男子生徒も、ケンスケの主張に同意しているのか、何度も頷いていた。

「一人はショートカットの快活そうな子。もう一人はロングヘアーの大人しそうな眼鏡っ子。見事にタイプの別れた転校生……これは神が授けたチャンスだね」

「……何もしてないわ」

 チラッとシイとトウジに視線を向けられたレイは、勿論リリスは関与していないと否定する。

「ま、男でも女でも構わんやろ。新しいダチが増えるんは良いことや」

「そうね。分からない事とかあると思うし、協力しなくちゃ」

「転校生か~。私がここに来てからもう二年経つなんて、何か信じられないな」

「……いえ、寧ろまだ二年しか経っていないのかと、みんな言うでしょうね」

 使徒との死闘、ゼーレとの対決とゼーゲンの設立、ユイとキョウコのサルベージ、リリスの覚醒、そして使徒の新生。それらは全て、シイが第三新東京市に来てから二年の間にあった出来事。

 本人に自覚は無いのかも知れないが、彼女の過ごした二年間は、恐ろしい程中身の濃い日々であった。

 

 やがて予鈴が鳴り、生徒達は慌ただしく席に着く。教師の後に続いて教室に姿を見せた二人の少女に、生徒達は興味と好奇心、そして男子生徒は少しばかりの下心を込めた視線を送った。

「え~今日からこのクラスに新しい仲間が増える。……順に自己紹介をしなさい」

 教師に促されて、二人はシイ達に向かって挨拶をする。

「初めまして、霧島マナです。よろしく」

「や、山岸マユミです……その、よろしくお願いします」

 栗色のショートヘアで快活そうな印象を与えるマナは、人前に立っても堂々としていた。対して黒いロングヘアーに眼鏡を掛けた内気そうなマユミは、目立つことが苦手なのか終始うつむき加減。

 ケンスケの情報通り、どちらも美少女と呼んで差し支えない容姿をしていたが、性格面では正反対の転校生コンビであった。

「二人ともご両親の仕事の都合で、ここに越してきたばかりだ。慣れない内は色々と困る事もあるだろう。クラスメイトとして、出来る限り助けてやってくれ」

「「は~い」」

「よろしい。それで席だが……霧島は碇の隣、山岸は洞木の隣に座りなさい」

 教師は教室にある空席の中から、シイとヒカリの隣を選んだ。特に他意は無く、単純に面倒見の良い二人に転校生のフォローをして貰おうと、思っただけなのだろう。

「えっと、よろしくね」

「こちらこそよろしく」

「私は委員長も務めてるから、分からない事があれば何でも聞いてね」

「は、はい。よろしくお願いします」

「それじゃあ出席をとるぞ」

 転校生以外に特に大きな連絡事項は無く、HRは終わりを告げた。

 

 

 昼休み、屋上で食事をするシイ達の話題は、やはりマナとマユミの事だった。

「転校生なんて、珍しくも無いと思っとったんやけどな~」

「凄い人気だよね。霧島さんと山岸さん」

「そうね。お昼を誘おうと思ったけど、もう先約が入ってたから」

「……もぐもぐ」

 二人同時の転校生、それもどちらも可愛い女の子とあって、朝から休憩時間はクラスメイト達の質問攻め、きっと今この時間も同じ様な光景が繰り広げられているのだろう。

「ちゃんとお話出来るのは、もう少し後かも……」

「しゃーないやろ。ま、その内落ち着くやろし、少しの我慢や」

「あまり度が過ぎるようなら、私からも注意しようかしら」

「止めとけ止めとけ。こらある意味、転校生への洗礼や。こうしてみんな、仲間になるんやから」

 好奇心が先走っているとは言え、あの二人がクラスに馴染む為には、こうした触れ合いは大切だ。無視されるよりは断然マシだと、トウジは冷静に告げる。

「そう、ね。シイちゃんの時も凄かったし……」

「……そうなの?」

「レイちゃんは居なかったわね。シイちゃん、直ぐにエヴァのパイロットって知られちゃったから、暫くの間はずっと質問攻めだったの」

「あ、あはは、そうだったね……」

 当時の自分を思い出し、シイは恥ずかしさと情けなさから、引きつった笑みを浮かべた。まるで珍獣扱いだとミサトに言った事もあったが、あれが切っ掛けでクラスのみんなと仲良くなれたとシイは思う。

 人と人との付き合いは、相互理解から全てが始まるのだから。

 

「そう言えば、惣流の奴はぼちぼち退院出来そうなんか?」

「うん。早ければ来週にでも学校に来られるって」

「ふふ、良かった。アスカが居ないと、やっぱり何か物足り無いから」

 何時も自信に満ちあふれ、周囲に活力をもたらすアスカ。不在の間も表面上は変わらず過ごしていたシイ達だったが、やはり大切な何かが足りないと感じていた。

 中学から築き上げられた絆は、七人を親友と呼ぶ存在に変えていたのだ。

「……相田君は?」

「あ~ケンスケは、今日は忙しいさかい勘弁したってや」

「忙しい? 何かあったの?」

「……かき入れ時やからな」

 校舎裏で副業に精を出しているであろう友人を思い浮かべながら、トウジは小さく呟いた。

 

 

~ファーストコンタクト~

 

 翌日の昼休み、食事を摂るために屋上で輪を作る馴染みの面々に、二人の転校生が加わっていた。初日に比べて二人への質問攻めが緩んだ隙を見計らい、ケンスケが見事食事の約束を取り付けたのだ。

 物怖じせずに輪へと飛び込むマナとは対照的に、マユミは戸惑っているのか落ち着かない様子を見せる。

「どうしたの山岸さん?」

「……あ、いえ、その……ごめんなさい」

「何や? 何で謝るんや?」

「ご、ごめんなさい」

 突然の謝罪に首を傾げるトウジの言葉で、再び謝罪を口にするマユミ。すっかり萎縮してしまった彼女を気遣い、ケンスケが呆れたようにフォローを入れる。

「駄目だよトウジ。山岸さん、怖がってるじゃないか」

「ただ聞いただけやないか」

「それが怖いと思う人も居るって事さ」

 トウジの勝ち気な外見と言葉遣いは、彼を知らない人に誤解を招く事も多い。そんなケンスケの言葉に、トウジは納得いかない表情をみせたが、やがてマユミに頭を下げる。

「まあ、あれや。すまんかったな、山岸」

「こ、こちらこそ……ごめんなさい」

 今のはどうだ、と視線で尋ねるトウジに、ケンスケは苦笑しながら頷いた。どうやら山岸マユミと言う少女は、変な言い方だが謝罪が癖になっているらしい。

(随分と内罰的な子みたいだね……ま、その辺は深入りすべきじゃ無いけど)

 プライベートが関わる事だと、ケンスケはマユミからマナへと会話のターゲットを移す。

 

「霧島さんも、急に誘っちゃって悪かったね」

「ううん、素敵な食事会へのお誘い、ありがとうございます。なんてね」

 マユミの隣に座るマナは、快活な笑顔でおどけた受け答えをする。昨日出会ったばかりとは思えない程、この面々に馴染んでいる彼女に、ケンスケはふとある事を思った。

(惣流と碇を足して割った様な子だな。どことなく外見も碇に似てるし)

「みんなは何時も一緒にご飯を食べてるの?」

「予定が合わない時とか、教室で食べる事もあるけど、大体はそうかしら」

「仲良いんだね」

「ま、腐れ縁っちゅうか、不思議な縁やけど、切れる気がせんわ」

 中学二年の時、シイの転入から始まった絆は、トウジの言うとおり何時までも途切れる事は無いと、ここにいる全員が確信していた。

 

 その後、改めて自己紹介を済ませた一同は、談笑しながら昼食を楽しむ。緊張していたマユミも、ATフィールド無展開のシイと話す内に、少しずつではあるが笑顔を見せる様になっていた。

「じゃあ山岸さんは、お父さんと一緒に引っ越して来たの?」

「うん」

「親父さんはどんな仕事しとるんや?」

「く、詳しくは分からないけど、国連の職員を……」

 明らかにシイとトウジで反応が違うが、それでも会話が成立するだけ打ち解けた証拠だろう。

「ほ~そら立派な仕事やな」

「この街に来たって事は、ゼーゲン絡みかも知れないね」

 マユミの父親がどの様な立場なのか不明だが、直属機関であるゼーゲンへの出向や、何らかの人材交流などの可能性は高いとケンスケは予想する。

「ねえねえ、そんなにゼーゲンって身近な組織なの?」

「元々ここにはネルフ関係者が多く住んでいるから、親がゼーゲン職員って奴は多いよ」

「ふ~ん……そうなんだ」

 ケンスケの答えに、マナは指を顎に当てて思案顔をする。

「霧島さんもご両親の都合でここに越してきたの?」

「え、あ~……私は違うの。ちょっと訳ありで、ね」

 ぺろっと舌を出して笑うマナだったが、その笑顔の裏には気軽に話せない理由があるのだろう。それを察したシイ達は、それ以上追求する事をしなかった。

 

 趣味などの雑談に興じながら、シイ達は二人と親睦を深めていく。マユミは本が好きと言う点でレイと話が合い、他の面々がついて行けないレベルの会話を楽しむ。

 一方のマナは弁当を自作している事から、シイとヒカリと料理の話題で盛り上がる。トウジが食べているのがヒカリの愛妻弁当で、二人が恋仲であるとマナが知ってからは恋話へ。

 予鈴が鳴る時まで、シイ達の楽しげな声が途切れる事は無かった。

 

 

 

~リリスに招かれた少女~

 

 その夜、マユミは自室で本を読んでいたが、まるで読書に集中出来ていない自分に気づく。昼に初めて言葉を交わした少女の事で、彼女の頭は埋め尽くされていた。

(……碇レイさん……本当に会えた。あの人の言うとおり……)

 青い髪と赤い瞳に、透き通るような白い肌。他に類を見ない特異な容姿を持つレイの姿が、脳裏に浮かんで消えようとしない。

 それは恋する乙女の様であったが、マユミの抱く思いはそれとは大きくかけ離れている。

 

 やや内向的で本が好きな山岸マユミは、ごく普通の高校生であった。だが彼女はある日を境に、同じ夢を繰り返し見始める。

 使徒と呼ばれる存在と共に生活をし、現実よりも楽しいと感じる世界で生きる夢。そして最後に必ず、レイにそっくりな少女が現れて、こうマユミに伝えるのだ。

『この夢の続きを見たく無いか』と。

 最初は驚きのあまり返答すらろくに出来なかったが、幾度と繰り返す内にマユミは少しずつ慣れていき、少女と言葉を交わせるようになった。

 そしてマユミは、少女が人類の母たる存在であると知る。子供達の未来が祝福で満ちあふれる事を願い、その為にマユミの協力が必要であり、こうして夢に干渉しているのだと。

 半信半疑のマユミに少女は、転校先の高校で自分と同じ姿をした碇レイと出会うと告げる。もしそれが事実であったのならば、自分の言葉を真剣に考えて欲しい、と。

 

(……本当だった。私は本当に神様から声を掛けられたんだ……)

 元々の読書好きが影響しているのか、マユミは非現実的な出来事を本気で受け止めた。そしてリリスが告げた言葉を、約束通り真剣に考える。

(私が何かの役に立てる訳無いけど…………もし、必要としてくれるなら……)

 そっと本を閉じて眼鏡を外すと、マユミは部屋の明かりを消してベッドに横になる。きっと自分の答えを待っていてくれるであろう相手に、素直な想いを伝えようと決めて、静かに眠りに就いた。

 

 

~リリンに招かれた少女~

 

 第三新東京市の外れにある小さなアパート。その一室でマナは窓から外を眺めつつ、携帯電話で誰かと連絡を取っていた。

「……はい。予定通り、対象と接触する事が出来ました」

『感づかれてはいないな?』

「今のところ問題は無いと思われます」

『よろしい。では引き続き対象と交流を持ち、情報収集を行え』

「了解しました」

 シイ達と接していた時とは違い、事務的で堅い声色のまま、マナは通話を終えた。大きく息を吐いて電話を座布団に放り投げると、窓を開けて外の空気を味わう。

(碇シイ。ゼーゲンの次期総司令……には見えなかったな~)

 使徒殲滅で輝かしい功績を挙げた英雄にして、ゼーゲンの設立に多大な影響を与えた人物。先の『女神からの福音』騒動を解決に導き、使徒の新生を成し遂げた偉大な存在。

 マナの知る碇シイ像は、昼間の一件で完全に崩れ去っていた。

 自分よりも小さく幼く、守ると言うよりも守られる方が似合う少女。お世辞にも戦いが出来る様には見えず、ましてや世界規模の組織を率いる人物とは、到底思えなかった。

(父親のコネじゃ説明がつかないし、私の知らない何かがあるって事ね)

 恐らく自分に求められているのは、それを調べる事なのだろうとマナは理解する。文章や数値では伝わらない、碇シイの実態を掴みたいのだろうと。

 

(それが終わればお役御免、か。……折角面白い友達が出来そうだったのにな)

 憧れていた学生生活も、役目と共に終わりを迎える。マナは一瞬寂しげな表情を見せたが、軽く首を振って気持ちを切り替えると、最低限の荷物が詰め込まれた鞄から、黒光りする拳銃を取り出す。

(仕方ないよね。私はみんなの友達に相応しく無いもの)

 まるで自分に暗示を掛けるかのように、マナは冷たい人殺しの武器を見つめ続ける。暖かな出来事に解れかけていた心を無理矢理殻に押し込め、迷いを消すと拳銃を再び鞄にしまう。

(私は出来る事をやるだけ。それがきっと……みんなの為になるんだから)

 暗い部屋の窓から美しい月を見つめつつ、マナは決意を新たにするのだった。

 

 

 

~カヲルとレイ~

 

『へぇ、転校生かい?』

「……ええ。霧島マナと山岸マユミ、どちらも女の子よ」

 レイは就寝前に、自室でソ連に居るカヲルと連絡を取っていた。

『ふふ、それは何よりだ。僕の居ない間に、シイさんに悪い虫が付いたら困るからね』

「……平気。悪い虫は海外に居るから」

『おやおや。まあ君が着いている以上、余計な心配か』

 悪い虫の話は冗談にしても、レイがいる限りシイの安全は確保されるだろう。カヲルがシイの元を離れているのも、そんな信頼があってこそなのだから。

『それで、わざわざ僕に電話をしてきたんだ。その二人に何か問題があるのかな?』

「……山岸マユミ。彼女はリリスに選ばれた子」

『ん、どう言う事だい?』

「……リリスは夢を見せながら、自分と波長の合う子供を探していたわ」

『波長……成る程。使徒とは別に、自らの意思を受け継いでくれる相手を求めたのか』

 レイの端的な説明に、しかしカヲルは納得したように電話の向こうで頷いた。

『でも当の本人はどう思っているのかな? 大切なのは本人の気持ちだからね』

「……分かってるわ。彼女にその意思が無いのなら、リリスに関わる記憶を消去するだけ」

『まあそれが妥当か』

 リリスの意思を受け継ぐ。それは新生した使徒やゼーゲンとの関わりを意味する。例えリリスが選んだとしても、本人が望まない限り強制すべきでは無い。

 祝福の為に犠牲となる存在が出る事を、シイもリリスも望んでいないのだから。

 

『……レイ。僕が戻るまでの間、くれぐれもシイさんの事を頼むよ』

「言われなくてもそのつもり」

『用心しすぎるに越した事は無いさ。君も気づいて居るのだろ? 世界はより良い方向へ変わろうとしているけど、それはシイさんの存在が要になっていると』

 カヲルの言葉にレイは無言で肯定を示す。

『彼女は自覚の有る無しに関わらず、既に世界にとって不可欠な存在さ。勿論僕達にとってもね』

「……分かってるわ」

『既にシイさんの暗殺や拉致を企てた組織もある。それらはキール達の部隊に対処して貰ったけど、一番確実なのは君が彼女を守る事だ』

 シイがお飾りのゼーゲン次期総司令で無いと証明した結果、彼女の存在を邪魔と思う人間が現れる。勿論シイには保安諜報部の護衛が付いているが、それでも完全に身の安全を守れないだろう。

 だからこそ、カヲル不在の今、レイがシイを守らなくてはならない。

『大切な妹の事をよろしく頼んだよ。大切な妹』

「……ええ」

 カヲルとの通話を終えると、レイは静かに立ち上がり、シイの部屋のドアを開く。

「……貴方は死なないわ。……私達が守るもの」

 幸せそうな寝顔で熟睡しているシイに、レイは小さく呟くのだった。

 




長らく間を空けてしまい、申し訳ありません。

新生した使徒達が成長するまでの間、シイ達は新たな出会いを経験しました。

転校生二名、恐らく知らない方はほとんど居ないかなと思いますが、一応元ネタを。
霧島マナはゲーム『鋼鉄のガールフレンド』の、山岸マユミもゲーム『2nd Impression』のどちらもヒロイン(?)です。
基本的に設定改変はしていませんが、手元に資料が少なく、特にマユミに関しては昔やったゲームの記憶だけが頼りですので、キャラ崩壊があった場合はご容赦下さい。


少々トラブルがありましたが、執筆は変わらず続けております。
投稿ペースに関してはお約束出来ませんが、可能な限り早く出来る様努力致します。

転校生二名の物語は、次回で完結を予定しております。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(セカンドインプレッション)》

 

~歯車の止め方~

 

 使徒と言う新たな隣人、そして抑止力の誕生は必ずしも全ての人類に受け入れられてはいない。特に一部の者達、戦いという行為によって利益を得ていた者達にとっては、平和な世界を提唱しているシイの存在を危険視し、排除しようとする動きもある。

 着々と使徒を受け入れる体制を整える一方で、全ての鍵を握っているシイを巡る戦いは、水面下で激しさを増していた。

 

 ゼーゲン特殊監査部主席監査官である加持は、本部に与えられた執務室で業務に励んでいた。過去に三重スパイとして活躍し、各方面にパイプを持つ彼はに内部監査では無く、他組織と非公式な情報交換や協力体制の構築等、多種多様な任務が与えられている。

 そんな加持は今、目の前のパソコンに表示された情報に表情を曇らせていた。

「シイ君の身柄を狙う連中、か」

 つい先程、保安諜報部からリークされた極秘情報に、自然と加持の視線が鋭さを増す。短くなった煙草を灰皿に押しつけると、更に報告を読み進めた。

 どうやらあるテロ組織が、シイの身柄確保を狙って日本に侵入したらしい。こうした手合いは隠れ蓑となる表の顔を持っている事や、その国の公的機関の一部と繋がりを持っている事も多く、入国を完全に阻止する事は困難であった。

 時間を掛ければ正体を掴む事も可能だろうが、その時には目的を達成されているケースが多い。現に保安諜報部からの情報も、肝心のテロ組織については調査中とあった。

 

(万が一、シイ君が奴らの手に落ちれば……不味いな)

 この世界情勢でシイを失うリスクは、想像出来ない程大きい。平和な世界を訴えた少女に何かあれば、人類は踏み出そうとしていた未来を見失うだろう。

 シイ自身に特別な力があるわけでは無い。だが碇シイと言う存在は、輝かしい戦績と実績によって彩られた、ある種の象徴であり要であるのだ。

 だからこそ、彼女の安全確保はゼーゲンにとって最優先にすべき問題であった。

(まず司令達に報告して護衛の人数を増やすか。ただ本格的な戦闘になれば、うちの連中だと分が悪いな……戦略自衛隊にも応援を頼むとして……)

 加持は即座に対策を打ち立てると、実行に向けて動き出す。

(こりゃ、ミサトとリョウトに会えるのは当分先だな)

 暫くは帰宅できないだろうと覚悟を決め、加持は愛する妻と息子を思い浮かべながら、小さくため息をついた。

 

 

 

~邂逅~

 

 賑やかな第三新東京市の繁華街を、マユミは一人歩いていた。やはり昨晩も同じ夢を見て、いよいよレイに問いかける決意をしたは良いが、生憎と今日は学校が休み。

 まだ連絡先の交換もしていない為、仕方なく本を買いに街に出てきたのだが、心にモヤモヤが残っているせいか、その表情は何処か浮かない。

(はぁ……せめて電話番号を聞いておけば良かった)

 迂闊な自分を責めるが、実際レイの連絡先を知っていても、自分から電話を掛けられるかと言えば疑問だ。これまでクラスメイトに電話をする事など、連絡網くらいしか無かったのだから。

(休日に電話したら迷惑かも知れないし……うん、月曜日に会えるからその時にしよう)

「あれ? ひょっとして山岸さん?」

 気持ちを切り替えて本屋に向かおうとしたマユミの背後から、呼びかける少女の声が聞こえてきた。自分に声を掛けてくれる人など居ないと、マユミが驚きと戸惑いを感じながら振り返ると、そこには同じ転校生であるマナの姿があった。

 

「あっ……き、霧島さん」

「やっぱり山岸さんだ。おはよう。今日は買い物?」

「え、えっと……はい」

 親しげに歩み寄るマナに、マユミは気後れしたように俯きながら返事をする。友人に対する態度では無いのだが、マナは欠片も気にせずに微笑む。

「こんな都会に来たんだし、やっぱ色々見て回りたいもんね」

「……その、霧島さんも……」

「半分正解かな。まだお店とかよく知らないし、案内して貰おうと思って」

「案内?」

「うん。あ、丁度来たみたい。こっちだよ~」

 大きな声で手を振るマナに周囲の視線が集まる。当の本人はまるで気にしていないが、隣に立つマユミは居心地悪そうに身を縮め、マナの視線の先を追う。

 するとそこには、お揃いのワンピースを着たシイとレイの姿があった。

 

(れ、レイさん!?)

 会いたいと思い、しかしそれは果たせないと諦めていた人物の登場に、マユミは思わず目を疑う。だが独特の容姿を見間違うはずも無い。自分達の元へ近づいてくるのは、確かに碇姉妹であった。

「おはよう霧島さん。それに山岸さんも」

「……おはよう」

「おはよう、シイちゃん。レイちゃん。今日はよろしくね」

 笑顔で挨拶を交わす三人から少し離れた位置で、マユミはレイを見つめる。予期せぬチャンスの到来に、何と声を掛けて良いのか迷っていたのだが、それをマナは違う意図で読み取った。

「ねえ山岸さん。もし良かったら一緒に行かない?」

「え?」

「ほら、私と同じでまだ不慣れだと思うし、時間があれば。二人も良いよね?」

 マナの問いかけにシイとレイは勿論だと頷く。新しい友人との交流を深める事が目的なので、シイ達に断る理由は無い。

「わ、私は……その」

「迷惑じゃなければ、一緒に遊んでくれると嬉しいな」

「……用事があるのなら、断ってくれても構わないわ」

「へ、平気です。よろしくお願いします」

 こうして碇姉妹と転校生達は、共に休日を過ごすことになった。

 

 

 

~交流~

 

 第三新東京市には多くの施設があり、セカンドインパクト後の日本では一際栄えている都市であった。生活必需品から娯楽品まで、繁華街を歩けば一通り手に入る。

 シイのおすすめのお店や、ディスカウントストア、そしてマユミの希望通り本屋などを回った四人は、チルドレン御用達のレストランで休憩を兼ねて昼食を摂ることにした。

 ランチセットを堪能しながら、マナは満足げに隣に置いた買い物袋を叩く。

「流石は第三新東京市だね。良い物が安く手には入って、助かっちゃった」

「あそこのお店は私も良く行くの。洗剤とかは特売がおすすめだよ」

「碇さん……主婦みたい」

「……あながち間違いでも無いわ」

 家事能力が欠如していた葛城家を支えた小さなお母さんは、今現在もユイと共に碇家を支えている。ゼーゲンのお嫁さんにしたいランキングでトップに輝いたのは、そう言った家庭的な面も大きいだろう。

(家庭的な女の子……どう見ても英雄の姿じゃ無いけど)

 笑顔を崩さないまま、マナはこの機会に少しでもシイの情報を得ようとする。何気ない会話を装いつつも、シイの人となりや趣味趣向、幼少期から今に至る経歴や経験を、実に自然な流れで聞き出す。

 それは彼女が明らかに普通とは違う、訓練された話術の持ち主である事を何より雄弁に語っていた。

 

「へぇ~。シイちゃんの妹にも、マナって子が居るんだ」

「うん。他にイブキちゃんにフタバちゃんに……」

 総勢二十名のシイスターズの名前を挙げるシイに、事情を知らないマユミは思わず驚いてしまう。

「ぜ、全員妹さん……なの?」

「そうだよ」

「……ご両親、仲が良いのね」

「……養子よ。私も含めて」

 感心したように呟くマユミに、レイがそっとフォローを入れる。すると複雑な家庭事情があると思ったのか、マユミは申し訳無さそうに頭を下げた。

「ご、ごめんなさい」

「?? どうして謝るの?」

「……気にする必要は無いわ。血の繋がりは無くても、家族は絆で繋がっているもの」

 ユイの遺伝子が元になっている為、血縁関係が全く無いかと言えば微妙だが、それでも碇家でそれを気にしている者は居ないだろう。家族とは血では無く絆で結ばれた集合体なのだから。

「山岸さんはちょっとだけ、気を遣いすぎかもね」

「そう……かしら」

「友達と喋ってる時位、もう少し気楽にしても良いんじゃない?」

 怒られたくない、嫌われたくない、そうした想いが謝罪を口にする。マユミのそれは他者との関係に臆病であるが故の、防衛行動なのだろう。

 マナは鋭い観察眼でそれを見抜いていたが、同時に改善は難しいだろうとも思っていた。こうしたものは、育ってきた環境などの要因が大きく影響している事が多いからだ。

「ん~山岸さんは、私達と居るのは嫌?」

「そ、そんな事無い。……私、友達が少なかったから、こんな風に遊べるなんて嬉しくて……」

「私も山岸さんとお話するの凄い楽しいよ。もっと山岸さんの事を知りたいし、自分の事を知って欲しいって思ってる。迷惑かな?」

 力強く首を横に振るマユミに、シイは嬉しそうに微笑む。

「えへへ、ならこれからは遠慮無く山岸さんの事を聞いちゃうね。だから山岸さんも遠慮しないで、色々お話しようよ。そうすればきっと、今よりもっと楽しくなると思うから」

「碇さん……」

「改めてよろしくね……マユミちゃん」

「……こちらこそ、よろしくお願いします。シイちゃん」

 名前を呼びながら差し出されるシイの右手を、マユミは初めて見せる柔らかな笑みで握り返した。シイの向ける暖かな好意は、強固なマユミの心の壁を崩す切っ掛けとなりえるだろう。

 

「あ~ずるい。私の事もマナって呼んで欲しいな」

「えっと……マナちゃんだと一緒だから、マナさんで良い?」

「それなら呼び捨てで構わないからさ」

「うん、それじゃあ……マナ」

 何処か言いづらそうなのは、シイが同級生であっても基本的に呼び捨てをしないからだろう。レイですらさん付けであり、唯一呼び捨てなのはアスカだけ。

 名前が同じと言う理由があったにせよ、特別な呼び方をされるマナを、レイは少しだけ羨んだ。

 

 その後も追加のドリンクバーで粘り、四人は心ゆくまで交流を楽しんだ。シイは純粋に友人と触れ合える事が嬉しく、マナにはシイの情報を得られる絶好の機会。マユミは友人と同じ時間を過ごすと言う経験に喜びを感じ、レイはシイが楽しんで居れば問題無いと、全員の意思が揃った結果でもあるだろう。

 充分に堪能した四人がファミレスから出たときには、赤い夕日が街を照らす時間となっていた。

「う~ん楽しかった。今日は付き合ってくれてありがとうね」

「私もすっごい楽しかったよ」

「噂の惣流さんが退院したら、また遊びたいな」

「……そうね」

「それじゃあまた学校で。ばいば~い」

 満足げな笑顔で手を振りながら、マナは雑踏の中へと消えていった。

「……私達も帰りましょう」

「うん。夕ご飯の支度をしないと。じゃあマユミちゃん、また来週だね」

「……さよなら」

「ま、待って」

 別れを告げてマンションに帰ろうとしたシイとレイを、マユミが呼び止める。何処か思い詰めたような表情で右手を伸ばす彼女の様子に、二人は足を止める。

「えっとマユミちゃん。何かあったのかな?」

「ごめ……ううん。その、レイさん。お話をしたい事があるの。時間を貰えませんか?」

 咄嗟に出かかった謝罪を飲み込み、マユミは真っ直ぐにレイを見つめながらお願いをした。するとレイはその言葉を予想していたのか、さほど驚いた様子も無く小さく頷いた。

「……構わないわ。場所を変える?」

「出来れば静かな所が……」

「……なら家に行きましょう。着いてきて」

 ゆっくりと日が沈む中、三人は揃って碇家へと向かった。

 

 

 

~真相への到達、そして~

 

 家に戻ってくると、シイは素早く二人分のお茶を用意して、自らは台所で夕食の準備に取りかかる。正直マユミの話に興味はあったが、彼女がレイと一対一での会話を望んでいる事を察したからだ。

(きっと大切なお話だもんね……あ、折角だしマユミちゃんにもご飯を食べて貰いたいな)

 閉じられた襖の向こうから意識を切り替え、シイは手際よく調理を進める。一方のリビングでは、テーブルを挟んでレイとマユミが向かい合っていた。

 マユミは話し出す切っ掛けを掴みかねていたが、お茶を一口飲むと意を決して言葉を紡ぎ始める。

「レイさんに聞いて欲しい事があるの」

「……ええ」

「実は――」

 レイが頷くと、マユミは自分の身に起こった事を語った。毎晩見続ける同じ夢と、必ず登場するリリスを名乗るレイそっくりの少女。そして自分がリリスに選ばれた存在と告げられたのだと。

 自分が客観的におかしな事を言っているのは、マユミも自覚している。突然夢の内容を語り出し、しかもそれが神様に選ばれたとあらば、変な子だと思われて当然だろうとも。

 それでもマユミは悩み抜いた末に、レイに全てを伝える事を選んだ。それは彼女が心の何処かで、自分を変えたいと望んでいたからかも知れない。

 

「教えて、レイさん。あの夢は私の妄想? それとも……」

「……私に話をした時点で、もう答えは出ているのでしょ?」

「それは……そうだけど」

「……貴方が私に本当に伝えたかった事を聞かせて」

 リリスの呼びかけに対し、マユミはどう答えを出したのか。全てはその一点に集約しており、その答えによってレイは対応を変える必要があった。

「私は……私を必要としてくれるのなら、役に立ちたいと思ってる」

「……本当に?」

「これまで私は、居ても居なくても良い存在で、それが自分だって諦めてた。……でも誰かに必要とされたら、変われるかもしれない。そう思うから」

「……そう」

 マユミの答えを聞いたレイは、小さく頷く。目の前の少女はリリスに選ばれ、それを受け入れた。ならば全てを伝えなければならないと、今度はレイが話をする番となった。

 

 世間一般に公表されている情報に加え、リリスと自分の関係等の最重要機密を、レイは惜しげも無くマユミに伝える。あまりにスケールの大きな話に、マユミは驚いた様子を見せていたが、それでも真剣な表情で最後まで聞き続けた。

「……この話を聞いても、意思は変わらない?」

「はい」

「……貴方の人生を、人類の為に使う事になるわ」

「そんな生き方が出来るなら、それはとても嬉しい事だと思うの。きっとこのままだと、何も出来ずに何の役にも立てずに、終わっちゃう気がするから」

「……後悔はしない?」

「何もしない方がきっと後悔する。そう思います」

 真っ直ぐに自分を見つめるマユミの姿に、レイはリリスが彼女を選んだ理由の一端を察した。この少女はより良い方へ変わろうとする、意思を秘めていたのだ。

 リリスが人類に求める変化を、等身大で体現しようとする少女だからこそ、自らの意思を受け継いでくれると思ったのだろう。

 魂の波長が合った等、他の要因も当然あるだろうが、山岸マユミという少女の成長と変化に、リリスは人類の姿を重ね合わせて居るのかも知れない。

「……ありがとう。それと、これからもよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 差し出されたレイの手を、マユミは微笑みながら握り返す。内気な少女が自分の殻を破り、未来へ羽ばたく翼を得た瞬間であった。

 

 

 

~寝耳に水~

 

 その夜、帰宅したゲンドウとユイに、レイはマユミを紹介した。リリスが選んだ少女と聞かされ、流石の二人も戸惑いを隠せなかったが、共に夕食を摂りながら少しずつ事情を理解していく。

「リリスが選んだ人類の代表……か」

「あなた。女の子をそんな風にジッと見ては駄目ですわ」

「……司令。山岸さんが怯えています」

「むっ、すまない」

 強面のゲンドウに見つめられ、萎縮したように俯くマユミをレイ達がフォローする。本人に悪気は無いのだが、無意識に相手を威圧してしまう癖は抜けないらしい。

「大丈夫だよ、マユミちゃん。お父さんは本当は優しいから」

「う、うん」

「……彼女にはゼーゲンへ参加して貰おうと思います。良いですか?」

「席を用意する事は可能だ。リリスとお前の推薦ならば、反対する者は居ないだろう」

 今現在、レイはゼーゲンの準職員という身分に過ぎない。だが先の一件によって、リリスの代弁者たるレイの発言力は、無視出来ない程大きくなっていた。

 一般人であるマユミの抜擢も異例ではあるが、不可能では無い。

「でも貴方は良いの? 変な言い方をするけど、普通の生活は難しくなるわよ」

「はい。こんな私を必要としてくれるなら、頑張りたいんです」

「……手続きを進めよう。可能な限り学生生活に支障が出ないよう配慮するつもりだ」

 不器用ながらも優しさを感じさせるゲンドウの発言に、マユミは頭を下げて感謝した。

 

 

 

~来訪者の憂鬱~

 

 シイ達がマユミと共に夕食を摂っている時、マナは一人暗い部屋で定時連絡を行っていた。会話の内容は何時もと同じ、シイに関する情報の提供だった。

 経歴や趣味趣向、考え方や信念等を自分の所見を交えつつ報告する。レストランでのやり取りで、マナは多くの情報を得る事に成功しており、報告相手を喜ばせた。

『どうやら順調みたいだな。碇シイとも大分親しくなったのでは無いか?』

「はい。彼女には友人として、認識されていると思います」

『結構な事だ、が』

 報告相手の男は上機嫌に笑うと、しかし急に声色を真剣な物へと変える。

『分かっていると思うが、君の任務はあくまで諜報だ。信頼関係を築く事は大切だが、一線を越えてしまうと別れが辛くなるぞ』

「……承知しています」

『……いや、私にこんな事を言う資格は無いな』

 自嘲気味に呟く男に、何処か違和感を覚えたマナだが追求はしない。上司が伝えない事は、自分が知らなくても良い、知ってはいけない事なのだから。

『とにかく、報告ご苦労だった。残りの期間もこの調子で頼む』

「はい、了解しました」

 報告を終えたマナは携帯を置くと、ペットボトルのお茶を飲んで喉の渇きを潤す。何度経験しても、上官への業務報告は緊張するものだった。

 

「はぁ……」

 明るく元気で誰とでも直ぐに仲良くなれる少女。そんな霧島マナを演じているマナだったが、少しずつ心にモヤモヤが育っているのを感じていた。

 理由は分かっている。シイ達と過ごしている間に、自分にある感情が生まれているのだ。仮面を被らない本当の霧島マナとして、一切の思惑無く友人になりたいと。

 いっそ全てを打ち明けてしまえたら、どれだけ楽なのだろうか。

(でもそれは許されない。組織間の関係もあるし……)

 シイのスパイをしていたと明らかになれば、ゼーゲンとマナの所属する組織の関係に、少なからぬ影響を与えてしまうだろう。

 世界の中心になりつつあるゼーゲンとの関係悪化は、避けるべき事態であったが、マナが恐れている事はもう一つ。

(シイちゃん達に……嫌われたく無い)

 情報収集の為に近づいていたスパイだと知られたら、あの友人達は自分を嫌悪して離れていってしまうに違いない。それがマナには耐えられなかった。

 無事に任務を果たせば、仮初めであっても友人として終わることが出来る。伝えたいけど伝えられない。そんなジレンマがマナを苦しめていた。

 

 暗い部屋で一人悩むマナを、窓から差し込む月の光だけが優しく包み込むのだった。

 

 




投稿期間が空いてしまい、申し訳ありません。

タイトル通り、今回は山岸マユミのエピソードです。
原作ゲームではルートによって、その役割が大きく変化した彼女ですが、本作品ではリリスの意思を受け継ぐ人間として、頑張って貰います。

次はもう一人の転校生、霧島マナの出番ですが……彼女の場合は事情が少々ややこしく、どうやら一筋縄ではいかなそうです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(鋼鉄の刺客)》

 

~アスカ、登校~

 

 マユミとマナの転校も過去の話となり、生徒達の話題が夏休みへと移り変わる頃、シイ達に嬉しい出来事があった。アスカが長い入院と厳しいリハビリを乗り越え、遂に退院を許されのだ。

 朝の爽やかな空気の中をシイとレイ、そしてアスカが並んで歩く。一度失ったからこそ分かる日常の大切さを、三人は噛みしめていた。

「……何よシイ。ニヤニヤして」

「えへへ、アスカと一緒に居るのが嬉しくて」

「ほぼ毎日お見舞いに来てたじゃない」

「うん。だけどやっぱり、こうして並んで歩けるのって……凄く嬉しいの」

 本心から自分の復帰を喜んで居るシイの頭を、アスカは感謝の意を込めて軽く撫でた。

「ま、安心しなさい。あたしは最後まで、あんたに付き合ってあげるから」

「……最後まで?」

「一々拾うんじゃ無いわよ。どうせあんたも同じでしょ?」

「……ええ」

「大体シイは放っておいたら、何をしでかすか分かったもんじゃないわ。あたしみたいなブレーキ役が必要なのよ」

「……踏むと加速するブレーキね」

 レイの挑発にアスカは分かったと小さく頷き、恒例行事が始まった。ただそれは、あの時の様な悲しい物では無く、互いの信頼を確かめ合う様な優しい行為。

 あの出来事にケリをつける為に、レイはわざと挑発してアスカはあえて受けた。だからシイも笑顔で二人の戦いを見守る事が出来る。

(やっぱり二人は仲良しさんだよね。……うん、もう大丈夫)

 自分達の関係が変わっていない事を確信し、シイは大きく頷いた。

 

 

 教室に到着すると、アスカは直ぐにクラスメイト達に囲まれる。長期入院明けの彼女を心配する友人達だったが、アスカの変わらぬ様子に一様に安堵した。

「おっ、来よったな」

「やあ惣流。久しぶり」

「おはようアスカ」

「グーテンモーゲン、ヒカリ。それと馬鹿二人も」

 欠けていたパーツが嵌まるように、アスカは居心地良さそうにヒカリ達と挨拶を交わす。と、何時もの面々に見慣れぬ顔の生徒が混じっている事に気づいた。

「アスカ。この二人は……」

「大丈夫よヒカリ。シイから聞いてるもの。転校生が居るってね」

「あ、あの、山岸マユミです……その……よろしくお願いします」

「霧島マナです。よろしく」

 ジッと視線を向けるアスカに、マユミとマナはそれぞれ自己紹介をする。二人の事は入院中に聞かされており、アスカは戸惑う事無く右手を差し出した。

「惣流・アスカ・ラングレーよ。仲良くしましょ」

「っっ!?」

 しかし、何故かマユミは怯えたように身を竦ませ、握手を拒んだ。大人しい子とは聞いていたが、あまりに露骨な態度にアスカは表情を曇らせる。と、代わりとばかりにマナが握手に応じた。

「あはは、ごめんね。山岸さんって真面目過ぎるから」

「どう言う事よ」

「……惣流さんが右手を出したら気をつけろ。握手のフリをして腕を掴まれ、関節技を極められるぞって言われたのを、信じちゃってるみたいなの」

 ボソッと耳元でマナが真相を伝えると、アスカは納得したように頷く。そして元凶である人物を、無表情でピースサインをしているレイを睨み付ける。

「あんた……一体何を吹き込んでくれたのかしら?」

「……アスカの想像通りよ」

「へぇ~。人を危険人物扱いしたって訳?」

「……自覚はあるのね」

 予鈴のチャイムをゴング代わりに、再び二人のバトルが始まる。

 

「お~やっぱ、二人おると賑やかやな」

「騒がしいの間違いだろ?」

「二人とも。先生が来る前に止めなさいね」

「え? え?」

 激しい攻防を前にしながらも、全く動じていない友人達の姿にマユミは戸惑う。クラスメイト達も止めるどころか、被害が広がらないように慣れた動作で机を移動させている。

「どうしてみんな止めないの……?」

「そら、ガチでやっとる訳やないし、まあ久しぶりやさかいな」

「惣流とレイは、何だかんだで仲良しだからね。これもじゃれ合ってるだけだし」

「アスカが居ない間はレイちゃんも寂しかったと思うから、今日くらいは」

 ヒカリ達はマユミに、これが二人にとっての親愛表現であると伝える。にわかには信じられなかったが、確かにアスカとレイは何処か楽しんでいる様にも見えた。

「私が変なの……かな」

「ん~世間一般では、山岸さんの方が正常だと思うな。けど愛情の伝え方って人それぞれだし、これがあの二人にとってのそれって事じゃない?」

「……そうなんだ」

(惣流さんは訓練受けた動きね。レイちゃんはよく分からないけど、素人じゃ無いっぽいし……ひょっとしてシイちゃんも?)

 マユミと会話を交わしながらも、マナは己の任務を果たすのだった。

 

 

 

~正体不明~

 

 ゼーゲン本部発令所。かつて使徒との戦いにおいて、指揮系統の中枢であったその場所も、現在は世界各国との連携と各地の異変察知に役目をシフトしている。

 だが今、発令所にかつての緊張感が蘇っていた。

「情報は確かなのか?」

「はい。五分前に富士の電波観測所が確認しています」

「他はどうなっている?」

「強羅警戒ライン、駒ヶ岳警戒ライン、共に異常なしとの報告です」

「付近を観測中のヘリからも、それらしき物体は発見できずと連絡が入りました」

 少し前、事務作業中だった冬月の元に、緊急連絡が入った。正体不明の物体が、第三新東京市に接近するのを感知した、と。

 慌てて発令所にやって来たのだが、既に物体の反応は完全に消失しており、その後の足取りを掴むことすら出来なかった。

「観測所の誤察知の可能性もありますが……」

「ふむ、MAGIの判断は?」

「データ不足による回答不能を提示しています」

「誤認か、あるいは我々の観測技術では補足しきれない何かが存在しているか。いずれにせよ、ここが目的地である可能性がある以上、無視するわけにもいかん」

 エヴァは既に失われているが、ゼーゲン本部にはMAGIのオリジナルを始めとする、独占技術がまだ存在している。そして第三新東京市にはゲンドウやシイ等、重要人物も多く生活しており、万が一を決して起こしてはいけない場所でもあった。

「……各観測所、並びに警戒ラインへ通達。これより第二種警戒態勢へ移行し、二十四時間体制で周辺の監視と観測を継続させろ」

「了解!」

「保安諜報部は第三新東京市全域に探索網を形成。MAGIのバックアップを受けながら、不審な物体や痕跡を捜索しろ。護衛対象への警戒を一層強化するのも忘れるな」

「了解」

 声を張り上げて指示を出す冬月に、スタッフ達もまた打てば響く鐘のように答える。長らく実戦から遠ざかっていたゼーゲンだが、職員の能力は一級品。

 平和な時を過ごしていてもなお、彼らの業務に一切の陰りは見られなかった。

「……少し席を外す。何かあれば最優先で報告してくれ」

「了解です」

 冬月はそう言い残すと、ゲンドウ達への報告の為に発令所を後にした。

 

 

 

~水面下~

 

 ゼーゲン本部が警戒態勢へ移行する中、加持は執務室である相手と連絡を取っていた。通常回線では無く、盗聴不可の極秘回線を用いている事から、会話の重要度が推し量れる。

「……成る程。内通者が居る、と」

『ああ。情けない限りだが』

「そこまで分かっているなら、そちらで処理する事も可能では?」

『奴は狡猾だ。決して物的証拠を残さず、我々に尻尾を掴ませない』

「状況証拠だけでは追い詰められない相手……将官クラスですかな?」

『察しの通りだ。身辺調査すら簡単に許可を得られない。他の上層部も組織の浄化を望んでいるが、やはり自分の首が掛かっているとなれば、どうしても及び腰になってしまう』

 加持の電話相手の男は、とある組織に属している。その組織の上層部に、テロ組織と繋がっている内通者がおり、情報を流しているらしい。

 他の上層部はそれに気づいていたが、相手が相手だけに迂闊に追求出来ない。そこで内通者の部下である男に証拠を掴むよう命じたのだが、今のところそれは果たせていなかった。

 

「スパイを送り込んだ事は証拠になるのでは?」

『奴は自分の管轄下に居る少年兵を、各地に研修の名目で派遣している。たまたまあの子の研修先が第三新東京市であったと、言い逃れされてしまうさ』

「本人と貴方が揃って告発すれば?」

『……その素振りを見せた瞬間、あの子は不慮の事故に遭うだろう。奴は部下を駒としか、それも捨て駒としか見ていない男だ』

 男の沈んだ声に、加持は事態が不味い方向へ進んで居る事を察した。

「目的は世界の混乱ですか?」

『正直理解出来ないが、それが妥当だろう。元々奴はエリート思考が強く、かねてよりネルフに対して強い敵対心を抱いていた。使徒による抑止力部署が設立されれば、我々の組織の規模は縮小されるだろう。それを嫌って、各国が軍事力を保有し続ける世界を望んでいるのかもしれん』

「……だからシイ君を消すつもりか」

 自らの欲望を果たす為に、他者を害する事を躊躇わない相手だと理解し、加持は嫌悪感を隠そうともせずに吐き捨てた。

 

『いずれにせよ、碇シイの身に危険が及ぶ可能性は高いだろう。だが様々な事情により、第三新東京市に我々が部隊を送り込んで護衛する事は難しい』

「こっちでシイ君の護衛を強化します。ただ……ゼーゲンは元々使徒殲滅の専門機関。本格的な対人戦闘では、そちらやテロ組織には遅れを取るでしょう」

『テロ組織が動いていると分かれば、それを口実に即座に応援を派遣する。……情けない話だが、これが我々に出来る最大限の事だ』

 身内の尻ぬぐいをさせる事に、男は負い目を感じているのだろう。口調から伝わる申し訳無いと言う気持ちに、加持は男の苦悩を感じ取った。

「いえ、情報提供に感謝します。今後も情報交換を頼みたい所ですが」

『こちらこそ頼む。……やっと目指していた世界に手が届きかけているのだ。それを下らない連中の馬鹿げた望みで、潰されるわけにはいかない』

「ええ……ではまた」

 男との連絡を終えた加持は大きく息を吐くと、胸ポケットから取り出した煙草をくわえ、気を落ち着かせるように火をつける。身体に悪いからとミサトに禁煙を勧められていたが、この仕事を続けている限りは手放せそうにないと、加持は半ば諦めていた。

(状況は芳しくないな。例の件で人員を割かれている所に、テロ組織への警戒。どちらも重要だが、どちらもフォロー出来る程余裕は無い。……さて、どうしたものか)

 現状で打てる手を模索した加持は、煙草を灰皿に押しつけると席を立ち、事態の報告の為に司令室へと向かった。

 

 

 

~一時の平穏~

 

 昼休み、アスカと転校生組の交流を図る意味もあって、一同は第一高校の屋上で昼食を摂ることにした。そんな中、アスカは実に久しぶりとなるシイの弁当に舌鼓を打つ。

「ふ~ん。ま、腕は鈍ってないみたいね」

「……言葉と行動がかみ合って無いわ」

「そないがっついとって、良く言うでホンマ」

 余裕の発言とは裏腹に箸が止まらないアスカは、友人達が呆れ顔で見つめる中、あっという間にお弁当を平らげてしまった。

「ふ~。まあまあね」

「そ、そんなに病院の飯って不味いのか?」

「ちょっと薄味だけど、美味しく無いって事は無いよ。……はいアスカ、お茶」

 引き気味に尋ねるケンスケに答えると、シイは水筒のお茶をアスカに手渡す。どんな形にせよ、自分の作った料理を美味しいと言って貰えるのは嬉しい事だった。

「惣流さんって、良く食べるのね」

「でなければ、あんなナイスバディーしてないでしょ」

「確かに……凄い」

「羨ましい限りだよね~。あ、そう言えば惣流さんってハーフなの?」

 圧倒されるマユミと話していたマナは、何気なくアスカに問いかける。

「ん? あたしはクォーターよ。ハーフなのはママね」

「成る程」

「何か気になる事でもあったの?」

「ううん、やっぱりあの魅惑のボディーは、遺伝なのかな~って思っただけ」

 マナの発言を受け、一同は視線をアスカに集中させる。そしてヒカリ、マユミ、マナ、レイ、最後にシイへと視線は移ろい、やがて何とも言えぬ気まずい空気が流れた。

「うぅぅ……これから成長期がくるもん」

「せ、せやな。わしもこの一年で大分背が伸びたさかい、シイもこれからや」

「そうだよね! 私だってきっとお母さんみたいに、大人の女の人になれる筈だよね」

 トウジの励ましに、目を輝かせて食いつくシイ。だが他の面々は知っていた。男子の成長期がこれからなのに対して、女子の成長期はもう終わりに差し掛かっている事に。

(そろそろ教えてあげた方が良いんじゃ無い?)

(……まだ可能性は残ってるわ。成長には個人差があるもの)

(本気で思ってる?)

(…………)

(ごめん、あたしが悪かったわ)

 ほんの一瞬だが、レイの無表情が崩れたのを見て、アスカは素直に謝った。

 

 

 その後、成長に関しての話題を避けながら、一同は雑談に興じる。迫りつつある期末テストや、その先に待っている夏休みなど、とりとめの無い会話が続く。

「今年は海に行きたいわね。沖縄とかどう? あたしの華麗なスキューバを見せてあげるわ」

「あ~シイ達は修学旅行、行けへんかったもんな」

「うん。でもアスカはマグマに潜ったよね?」

「あんた馬鹿ぁ? あんなのノーカンに決まってんじゃん。このあたしに相応しいのはあんな暑苦しいマグマじゃ無くて、透き通る様な青い海なのよ」

「ま、マグマ……?」

 勿論生身では無くエヴァに搭乗してなのだが、事情を知らないマユミは、驚きの声を漏らしながらアスカを凝視してしまう。

 その視線に気づいたのか、アスカは苦笑しながら手を軽く振る。

「勘違いしてるみたいだけど、別に生身で潜った訳じゃ無いわよ」

「……特別な乗り物に搭乗してたわ」

「そ、そうだよね……ほっ」

 安堵したようにマユミは胸をなで下ろした。

「あ、でも近いうちに単独でも、マグマに潜れるかもしれないわね」

「どう言う事?」

「リツコと時田が協力して、局地作業用のスーツを開発してたのよ。低温高温高圧対応で、さらに防弾防刃、対衝撃に対核仕様とか言う巫山戯た奴。んで、あたしがリハビリを兼ねてそのデータ収集を手伝ってたんだけど、この間プロトタイプが完成したわ」

 天才の紙一重先を超えてしまったリツコと、秀才型の天才である時田。この二人が手を組んで生み出したスーツを想像し、シイ達は何とも言えぬ表情で唸ってしまう。

「……予算の無駄遣い」

「時田はその辺しっかりしてるわ。キチンと決められた予算内で、アホみたいな高性能のスーツを作り上げたんだから。……ま、作業用にしては無駄が多いのは認めるけど」

「どうしてそんなスーツを作ったんだろう?」

「元々はゼーゲンの月面基地建造に備えて、宇宙空間で作業する様だったらしいわ。けど予算縮小で無期延期になったから、せめて地球環境の調査なんかに役立てたいって」

「ん~流石赤木リツコ博士。特殊スーツは男のロマン。分かってるな~」

「姐さんだけやったら不安やけど、時田のおっさんも一緒なら安心や」

「……録音したわ」

「ま、待てやレイ! わしは別にそないつもりで言ったんや無い!」

「リツコに言っておくわ。あんたがまた特訓を希望してるって」

「勘弁してや~」

 青空の下で、トウジの割と本気な絶叫が響き渡るのだった。

 

 どうにかトウジの失言は闇に葬られる事となり、シイ達は置き去りにしてしまったマユミとマナに、ゼーゲンの職員について軽い紹介をした。

 機密情報に触れないよう、あくまで名前と公に出来る肩書き、それに主観が大いに入った人物像程度のものであったが、二人は興味深げに聞き入る。

「面白い人達ばっかりなんだね、ゼーゲンって」

「あはは……でもみんな良い人だし、凄い人達ばかりだよ」

「ま、それは否定しないわ」

 ゼーゲンのスタッフが皆優秀である事は、アスカも認めていた。それだけの人材が一致団結したからこそ、人類の未来は守られたのだから。

「ちょっと聞きたいんだけど、噂の渚君もゼーゲンの人なの?」

「一応ね。……もう一回言うけど、一応ね」

「惣流さんは、その渚君が嫌いなんですか?」

「別に嫌って無いわ。ただ好きにはなれないけど」

 相変わらずな物言いをするアスカに、シイ達は苦笑する。確かに相性などは決して良く無いが、アスカがカヲルを仲間として認めている事は、誰もが知っているのだから。

「興味あるな~。ねえ、その渚君ってどんな子なの?」

「ただの変態ナルシストよ」

「えっと、ちょっと変わった雰囲気の男の子で、歌が好きなの」

「碇の事を溺愛してる銀髪赤目の男子生徒さ。美形に分類されると思うよ」

「良い奴やで。ま、ちょいと変わっとるんは否定せんけど」

「女の子に人気があるわ。ファンクラブがあるって噂も聞いたことがあるもの」

「……敵よ」

 口々にカヲルに対しての印象を答えるシイ達。その情報を元に、二人は渚カヲルと言う少年のイメージを脳内に作っていく。

 銀髪で赤い目をした、ちょっと変わった男子生徒。歌とシイを好み、ファンクラブが出来る程容姿端麗だが、変態ナルシストの敵である。

 無茶苦茶な人物が出来上がってしまったが、実はかなり的を射ていた。

「あ、会ってみたいような、会いたくないような」

「うん……そうね」

「きっと直ぐお友達になれるよ。もう直ぐ夏休みだし、みんなで一杯遊ぼうね」

「その前に期末試験でしょ? 分かってると思うけど赤点だったらずっと補習よ」

「だってさトウジ。一人寂しく補習なんてならない様に、頑張った方が良いんじゃ無いか?」

「わ、分かっとるわい」

 からかわれるトウジに笑い声が起こり、賑やかに昼休みは過ぎていった。

 

 

 

~不穏の足音~

 

 それから数日、ゼーゲンは正体不明の存在について、重要な手かがりを掴む事に成功した。第三新東京市で、不審な人物を二名、保安諜報部が発見したのだ。

 人間離れした運動能力を見せる不審者達に翻弄され、捕まえる事はおろか、姿をハッキリと捉える事すら叶わなかった。だが間違い無く事態の鍵を握ると判断し、保安諜報部の総力を挙げて、その人物の捜索と身柄確保が今も行われている。

 

「くそっ、またか」

「例のハッキングか?」

「ええ。大した事無いレベルなんですが、こう頻度が多いと」

 青葉の報告に冬月は渋い表情を浮かべる。以前から本部へのハッキングはあったのだが、ここ数日でその件数が爆発的に増えていた。

 どれも浅いレベルで撃退出来るのだが、次から次へとひっきりなしに続いた為、MAGIも対応せざるを得なくなり、不審者捜索のフォローに影響が出ていた。

「ハッキング元は何処だ?」

「それこそ全世界からです。一般家庭のパソコンを経由してるケースもあり、正確なハッキング元の補足には時間が掛かりそうですね」

「組織的な犯行……不審者のフォローが目的か、それとも別の狙いがあるのか」

 失敗すると分かっているハッキングを繰り返す以上、その行為自体に何らかの意味があるのだろうと、冬月は顎に手を当てて思考を巡らせる。

「とにかく対応だけはしっかりしておけ。万が一にもMAGIへのアクセスを許すな」

「はい。現在赤木博士と伊吹二尉が、自動防衛プログラムの調整中です」

「各支部にハッキング元の探知の協力を依頼しろ。今はこちらにも余裕が無いからな」

「了解」

 自分の指示を即座に実行する青葉に頷くと、冬月は再び思案顔になる。

(謎の観測体に正体不明の不審者。そして急増したハッキング。……嫌な予感がするな)

 

 

 

~牙を剥く者達~

 

 アスカが退院してから初めての休日。碇家ではアスカの退院を祝うべく、パーティーの準備が進められていた。

 ヒカリとマユミがアスカを街に連れ出し、その間にシイとマナがご馳走の用意をする。レイは会場となる部屋の掃除をしており、トウジとケンスケは飾り付けの道具を買って合流予定だ。

 難しい手術と長いリハビリを乗り越えた友人の復帰を祝いたい。そんな思いが一つになり、準備は順調に進んでいた。

「うん、これは大丈夫だね。後はお肉と……」

「シイちゃん。ジャガイモの皮、むき終わったよ」

「ありがとう。マナが手伝ってくれて凄い助かっちゃった」

「私は下ごしらえ位しか出来ないって」

 謙遜するマナだが、シイ以外にヒカリしか料理が出来ない面々では、大切な戦力だった。

「じゃあ次はお野菜を切って貰える? ポテトサラダにするから」

「お安いご用よ」

「えっと、私はそろそろケーキを……あっ、生クリーム買うの忘れてた」

「……私が買ってくるわ」

 シイの言葉を聞いてレイが即座に反応する。

「え? でも忘れたのは私だから」

「……問題無いわ」

「れ、レイさん!?」

 呼びかけ空しく、レイは財布を手に玄関を飛び出していってしまった。あまりにアクティブなレイに、シイは戸惑いを隠せない。

「どうしたんだろう……」

「……買いに行ってくれたのはありがたいし、戻ったらお礼を言わなきゃね」

 マナはレイの行動が、自分に対しての嫉妬からだと察していた。だが本人が気づくべき事だと、あえて教える事はしなかった。

 

 二人が料理を再開すると、不意に玄関のチャイムが鳴る。モニターで来客を確認すると、そこにはミサトが笑顔で立っていた。

「ミサトさん」

「こんにちはシイちゃん。アスカのお祝いするんだって?」

「知ってるんですか?」

「鈴原君から聞いたのよ。んで、私からもちょっち差し入れをね」

 そう言うとミサトは、お菓子が詰まった袋をシイに手渡す。ビールで無かった事に安堵しつつ、シイはお礼を言いながらそれを受け取った。

「良かったらミサトさんも参加して下さい」

「ん~魅力的な提案だけど遠慮しとくわ。今日は若い子だけの会なんでしょ? 流石に赤ん坊を抱いて参加出来ないからね」

「むぅ~。ならお茶だけでも飲んでいって下さい」

「相変わらずね。……リョウトもまだ寝てるし、少しだけなら」

 半ば強引に誘うシイに苦笑しながらも、ミサトはその提案を受ける事にした。ダイニングへとやって来たミサトは、そこで料理をしている少女に気づく。

「あら、お友達?」

「霧島マナちゃん。この間転校してきたの」

「初めまして。霧島マナです。加持ミサトさんですよね?」

「ええ、そうだけど……」

「シイちゃんから色々と聞いています。優しくて頼りになる、姉代わりの女性だって」

 随分と美化されて伝わっているなと、ミサトは照れ臭そうに頬を掻く。

「そう言って貰えるのは嬉しいけど、ちょっち褒めすぎじゃない?」

「お酒さえ飲まなければ、ミサトさんは素敵な大人の女性ですから」

「ぐっ、痛いところを突くわね」

 珍しく皮肉を言うシイに表情を歪めながらも、ミサトは懐かしい日々を思い出していた。二人の妹分と過ごした、あの賑やかで楽しい時間を。

 

 シイが用意したお茶を飲みながら、料理をする二人とミサトが雑談をしていると、玄関のドアが開く音が聞こえる。

「レイちゃん帰ってきたのかな?」

「ん~それにしては早すぎるし……お父さんかお母さんかも」

 玄関のカードキーを持っているのは碇家の人間だけ。時間的にレイでは無いと判断したシイは、両親のどちらかが何かの用で戻って来たのだと予想する。

 だが、足音を響かせてダイニングに姿を見せたのは、ゲンドウでもユイでも、そしてレイでも無く、見ず知らずの大柄な男達であった。

 一目で分かるほど鍛えられた肉体を、ラフなシャツに包んだ五人の男。顔をマフラーの様な布で隠しているが、肌の色から外国人も混ざっていると思われる。

 彼らはダイニングの入り口を塞ぐように並び立ち、手にした機関銃をシイ達に向ける。そして男の中の一人が、くぐもった声で言葉を発した。

「……碇シイだな?」

「そ、そうですけど……」

「我々と一緒に来て貰おう」

 返事を聞くつもりは無い、と男達はシイに近づいていく。するとミサトが椅子をはね飛ばして立ち上がり、シイとマナを庇うように男の前に立ちはだかった。

「随分と礼儀知らずね。女の子の誘い方をちょっちは勉強してきなさい」

(……シイちゃん。私が隙を作るから、貴方は逃げなさい)

 ミサトは包丁を手に取って男達を威嚇しながら、小声でシイ達に脱出を促す。殺さずに連れ去る事が目的なのか、男達は銃を使う事無くミサトとの間合いをじりじりと詰める。

(で、でも)

(こいつらは貴方を狙ってるのよ。……お願いだから言う事を聞いて)

(私だけ逃げるなんて、出来ません)

(……霧島さん。頼めるかしら?)

(分かりました)

 問答をしている時間は無いと、ミサトはマナにシイの逃走を委ねた。そして男達が更に一歩近づいて来た瞬間、左手に持った包丁を投げつけ、男に向かって突進する。

 ゼーゲンでも屈指の白兵戦技能を持つミサトの反撃に、男達は包囲陣系を崩す。その隙を逃さず、マナはシイの手を取ってダイニングの出口へと駆け抜けた。

「マナ! ミサトさんが、ミサトさんが!」

「良いから逃げるの!」

 そのまま玄関へと向かう二人の耳には、ミサトと男達が争う物音がハッキリと届いていた。引き返そうとするシイに一喝して、マナはそのまま玄関を飛び出す。

 だが次の瞬間、玄関前で待ち構えていた男達の仲間に殴られ、力なくその場に崩れ落ちた。

「マナ、マナ……っっ!」

 倒れたマナの身体を揺さぶり、必死に呼びかけるシイだったが、首筋に強い衝撃を感じたのと同時に、意識を失いマナに被さるように倒れた。

 

「……こちらα。ターゲットの確保に成功」

『サブターゲットは?』

「両名とも確保」

『了解。ルート504を使い、直ちに帰投せよ』

「α了解」

 気絶したシイとマナ、そしてミサトを抱き上げると、男達はマンションの外へと移動する。そして宅配便の車に三人の身体を放り込み、自身は複数の車に分乗してその場から離れた。

 

 

 

~憎悪~

 

 碇家に戻って来たレイが見たものは、無残に荒らされた無人のダイニングだった。テーブルと椅子はひっくり返され、調理途中だった料理が床に散乱している。

 そして床に落ちている包丁と血痕、破壊されたシイの携帯電話を見つけた時、レイはここで何が起こったのかを察し、ツメが食い込むほど強く拳を握りしめた。

(……誰かが襲った。連れ去った。シイさんを……私の家族を)

 シイ達と触れ合い、レイは人間らしい感情を得た。だが今彼女の胸に渦巻いている感情は、これまで一度たりとも抱いたことの無い物。心からの憎悪と殺意。

(……ゼーゲンに連絡。犯人の場所を突き止めて……)

 携帯電話を取り出すレイの赤い瞳には、危険な色が浮かんでいた。

 




使徒救済編も佳境に突入しました。
この一連のエピソードをもって、完結の予定です。

嫌な引きになってしまったので、次話の投稿を早めに致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(鋼鉄の絆)》

~奪われた宝物~

 

 シイの拉致。それは大きな衝撃を持ってゼーゲンに伝えられた。次期総司令、英雄、そうした肩書きなど関係無く、シイは彼らにとって大切な存在なのだから。

 報告を受けたゲンドウと冬月は、全ての業務を止めて発令所へと駆け込んだ。

「一体どうなっている? 詳しい状況を報告しろ!」

「本日の昼前、自宅でシイちゃんが何者かに拉致されました。現場にはシイちゃん他、クラスメイトの霧島マナ、そして加持元三佐が居たようですが、同じく拉致されたと思われます」

「犯行グループは逃走。現在追跡部隊を派遣していますが、足取りは掴めていません」

「……保安諜報部はどうした?」

「マンション周辺の護衛班は全滅。相手はかなりの武装をしていたと想定されます」

 ゼーゲンの保安諜報部は厳しい訓練を受けた手練れ揃い。正体不明の侵入者捜索に人員を割いていたとは言え、シイの周辺は複数の保安諜報部員が常に護衛していた。

 その彼らが異変を本部に伝える暇無く消されたのは、今回の犯行を企てた連中が人を殺す事のプロフェッショナルである事を示していた。

 

「報告のあったテロ組織か」

「……その可能性は高いだろう」

「狙いはシイ君の命、では無いな」

「殺さずに拉致した。奴らにとってシイは、世界を誤った道へと向かわせる鍵なのだろう」

 ゲンドウは己の感情を押し殺して、絞り出すように冬月に答えた。彼の中では、犯行グループの目的が既に予想出来ているのだろう。

 愛する娘がこの先、どの様な扱いを受けるのかも。

「彼女の友人とミサト君を拉致したのも、シイ君を鍵として働かせる為と言う訳か」

「……ああ」

「何としても阻止しなくてはならん。碇、大丈夫だな?」

 自宅を襲撃され、娘とその友人、かつての部下を拉致された。ゲンドウには想像を絶する程の絶望と怒りが渦巻いているだろう。

 だがゲンドウはそんな冬月の心配を一蹴する。

「……問題無い。奴らの目的が我々の予想通りなら、少なくともシイ達はまだ無事の筈だ。事を起こす前に救出すれば、全て片が付く」

「そうか。そうだな」

 奪われた宝物ならば、奪え返せば良い。まだ絶望するには早すぎると冬月は気合いを入れ直し、声を張り上げて部下達に指示を送った。

 この時から、ゼーゲンは第一種戦闘配置へと移行するのだった。

 

 

 

~囚われの姫君~

 

 意識を取り戻したシイの視界には、見知らぬ灰色の天井が広がっていた。無機質な蛍光灯の明かりにまぶしさを感じ、手で顔を覆おうとして、自分が縛られている事に気づく。

「……あれ?」

「おはようシイちゃん」

 事態が把握出来ないシイに、女性が優しく声を掛けた。誰か居るのかと声の方を振り向けば、そこには自分と同じ様に手を腰の後ろで縛られている、ミサトの姿があった。

「ミサトさん、その傷……」

「あはは、あいつらレディーの扱いがなってなくて、ちょっちね」

 何でも無いと笑うミサトだったが、その顔と身体のあちこちには打撲や切り傷が残っており、素人目にも無事では無いと分かる。

「ま、あんな手合いを相手にして、命があるだけ儲けものかしら」

「そ、そう、あの人達って一体……私達はどうなってるんですか?」

「あいつらは多分、テロ組織か傭兵の集まりだと思うわ。明らかに実戦慣れしてたし。で、私達は簡単に言うと、拉致されたのね」

 さらっと恐ろしいことを告げるミサトに、シイは驚きと戸惑いを隠せない。

「拉致……どうして」

「あのねシイちゃん。自覚が無いかも知れないけど、今の貴方は世界中から注目されてるのよ」

「良い意味でも、悪い意味でもね」

「マナ!?」

 背後から聞こえた声に振り返れば、やはり自分達と同じ様に手の自由を奪われたマナが、ゆっくりと身体を起こそうとしていた。

 殴られた左頬は酷く腫れ上がり、その影響からか左目は閉じたままだった。

「女の子に容赦ないわね……大丈夫?」

「平気です。殴られるのは慣れてますから」

「慣れてるって……」

 信じられないとマナを見つめるシイだが、ミサトは納得したように頷く。

「やっぱり貴方、何処かで訓練を受けてたわね?」

「……分かりますか?」

「立ち振る舞いとか纏ってる空気が、ちょっち普通の子とは違ったから」

 思えばあの時ミサトは、マナにシイを連れて逃げる様に頼んだ。普通の女学生ならば竦んで動けない様な状況で、何故そんな事を言い出したのか。

 それはマナを一目見た時から、彼女が普通の高校生で無いと理解していたからだろう。

「私もそれなりに場数踏んでるし、何となくだったけど」

「……その通りです」

 ミサトの言葉にマナは観念したように頷くと、シイの正面に座った。

 

「シイちゃん、私は貴方に隠してた事があります」

「マナ……?」

 まるで壁を作るように敬語で話し出すマナを、シイは不安げに見つめる。

「転校してきたのも、貴方に近づいたのも、全部……任務の為でした。碇シイの情報を集めて報告するのが、私に与えられた任務」

「い、いきなり何を言い出すの?」

「私は…………戦略自衛隊から派遣された、スパイです」

 懺悔のように紡がれるマナの言葉に、シイは何も答える事は出来なかった。

 近い将来、ゼーゲンの次期総司令として世界の中心に立つ少女。その情報を集め、今後のゼーゲンと戦自の関係を円満な物にする為、自分は送り込まれたとマナは話す。

 全てを打ち明けたマナに、沈黙を守っていたミサトが訝しげに眉をひそめる。

「変ね。少なくても私の知る限り、うちと戦自の仲は決して悪く無いわ。なのに関係を拗らせるリスクを冒してまで、貴方を送り込んだ。……何か裏があるのかしら」

「詳しい事情は分かりません。私にはそれを知る権利は無いので」

 ここに至って嘘をつく理由が無い為、恐らく本当にマナは何も知らされていないのだと、ミサトは理解した。

「えっと、マナは戦略自衛隊の人で、任務で第三新東京市に来た。目的は私の事を調べる為。それであってるのかな?」

「うん。騙していてごめんなさい」

 確認する様に言うシイに、マナは深々と頭を下げて謝罪した。

「ん~マナは何も謝る事をしてないと思うんだけど」

「だって私はシイちゃんを、みんなを騙してた」

「戦略自衛隊の人だって言わなかった事? でもそれなら、私もゼーゲンの職員だってマナに言わなかったし、おあいこだよ」

 大した事では無いと笑うシイを、マナは信じられないといった様子で見返す。

「だ、だけど私は、任務の為にシイちゃんに近づいたんだよ?」

「その後は? お友達になって一緒に遊んだのも、全部任務で仕方なく?」

「それは違う! 近づいたのは任務の為だけど、シイちゃん達と一緒に居て凄く楽しかった。本当に友達になりたいって……そう思ってた」

 本心をさらけ出したマナに、シイは満足げに頷く。

「私にとってマナは大切な友達だよ。それはマナが戦略自衛隊の人だからって変わらない」

「……ありがとう」

 シイが自分の行為を正しく理解しているのかは分からない。だがそれでも、全てを知った今も自分を友達だと受け入れてくれるシイが、マナには本当に嬉しかった。

 

 

~名コンビ~

 

 シイが拉致されたと連絡を受けたアスカは、友人達と別れてゼーゲン本部に急行した。

(あの馬鹿……散々自分の立場を弁えろって言ってたのに)

 アスカは同居していた時から常々、シイの無防備さを指摘していた。不安が現実となった今、不満をぶつけずにはいられない。

 もっともアスカにも、自宅を襲撃されたシイに非が無い事は分かっているのだが。

(白昼堂々自宅を襲撃? ミサト達も一緒に拉致? 舐めた真似してくれるわね)

 シイ達が自分の為にパーティーを開こうとしていた事は、ヒカリ達から教えて貰った。ご馳走を食べながら、気心知れた友人達と楽しく過ごす筈だった時間を、優しい少女の想いを、無粋な連中が奪い去ってしまった。

 襲撃者に強い怒りを抱きながら発令所へと向かうアスカは、その途中の休憩スペースに座る、ユイとレイの姿と出会った。

「アスカちゃん……」

「えっと、この度は何て言うか」

「そんなに気を遣わないで大丈夫よ。……でもありがとう」

 娘を拉致された母親の心境は、アスカには想像出来なかった。だが普段通りに振る舞うユイの姿も、また母親としての強さなのかもしれない。

 

「シイの居場所はまだ?」

「ええ。第三新東京市の外に出たのは間違い無いのだけど、その後の消息は不明のままね」

「そう……ですか」

 何か進展があるかもと期待したアスカだったが、現実はそう甘く無いらしい。

「それでユイお姉さん達はここで何を?」

「レイが捜索に参加すると言って聞かないから、少し落ち着かせていたの」

 困り顔で答えるユイに、アスカは成る程と頷く。ユイの隣に座るレイは落ち着き無く身体を揺すり、今にもここから飛び出して行きたいと言う意思が見て取れた。

「ちっとは落ち着きなさいよ。あんたが焦ったって、状況は好転しないわ」

「……アスカは落ち着いていられるの?」

「少なくともあんたみたいに、闇雲に飛び出していかない位にはね」

「……シイさんが拉致されたのは私のミス。助けようとするのは当然よ」

「だったらまず、その血が上った頭を冷やすのね」

 気が昂ぶっているのか、冷静さを欠いているレイをアスカは突き放す。それを冷たい対応だと受け取ったのか、レイは鋭い視線をアスカに向けた。

 しかしアスカはそれを意にも介さない。

 

「迂闊にシイから離れたあんたが責任を感じるのは構わないわ。なら次にあんたがすべきなのは、シイ達を無事助け出す事でしょ?」

「……だから私は」

「あんた馬鹿ぁ? 闇雲に動いたって意味ないじゃん。良い? 今はシイ達の居場所を突き止める段階なの。迷子を探すのと訳が違うんだから、今はまだあんたの出番じゃ無いわ」

 レイの反論を封じ込めながら、アスカは更に言葉を紡ぐ。

「あんたは強いわ。多分人間相手ならほぼ無敵よ。それはあたしが保証してあげる」

「…………」

「だからこそ、今は待つ時なの。シイ達の居場所が特定できたら、それこそ誰よりも先に現場に急行して、シイ達を救出する為にね」

 アスカが伝えたいのは人の持つ役割だった。比類無い戦闘能力を持つレイは捜索行動では無く、居場所が判明してからの救出作戦に力を発揮すべきであると。

 そして、周りの人間をもう少し信じるべきであるとも。

「シイ達を助けたいって思ってるのは、あんただけじゃ無いわ。ここの奴らがみんなそれなりに有能なのは知ってるでしょ。……ちっとは周りを信じて頼ってみなさいよ」

「…………」

「舞台が準備されてからが役者の出番よ。囚われのお姫様を救い出す騎士の役を、他の奴に演じさせるつもり?」

 黙ってアスカの言葉を聞いていたレイの表情に、落ち着きが戻った。暗い光を宿していた瞳には、強い決意の光が灯る。

 

 やる気を削ぐ事無く、それでいて勝手な行動を防ぐ。暴走気味だったレイのベクトルを、最善と思われる方向にコントロールしたアスカに、ユイは思わず感心してしまう。

 恐らく自分が同じ事を言っても、レイを納得させる事は出来なかっただろう。共に実戦をくぐり抜けてきた信頼関係と、アスカ自身のリーダー資質があってこそだとユイは確信する。

(良いコンビね。……シイは友達に恵まれているわ)

 と、不意にユイの携帯電話が着信を告げる。

「はい碇……え!? ……ええ、直ぐにそちらに」

「何かあったんですか?」

「進展があったそうよ。私はこれから発令所に向かうけど」

 二人も来るか、と聞くまでも無かった。力強い視線を向けるアスカとレイに頷くと、ユイは二人を引き連れて発令所へと急ぎ向かった。

 

 

 

~悪意との対峙~

 

 窓一つ無いコンクリートの部屋。出入り口は鋼鉄製のドアが一つあるだけの、完全な密室。それがシイ達の得た結論だった。

「ん~こりゃちょっち脱出は難しそうね」

「ドアの鍵も外にしかついてませんし、体当たりじゃどうにもならないと思います」

「……そもそもここって何処なんだろう」

 部屋の中央に集まって話し合うシイ達。するとタイミングを見計らったかのように、ガチャガチャとドアの鍵が開く音が聞こえてきた。

 何かが起こる、と三人はゆっくりと開くドアに視線を向ける。そして開いたドアから室内に、一人の男が入ってきた。

 歳は四十代、あるいは五十代だろうか。軍服の様な服を着た小太りの男は、三人を見下したように見つめると、大仰に一礼する。

「この度は手荒なお招きをしてしまい、申し訳無く思っています」

「……全くよ。もう少しレディーの扱い方を勉強して欲しいわ」

「血の気の多い連中ばかりでしてね。ご容赦頂きたい」

 男はミサトの軽口に、慇懃無礼な態度で応じる。碇家を襲撃した彼らの様な肉体は持っていないが、それとは別の怖さを三人は感じ取った。

「で、あんた達は何者なのかしら。シイちゃんが狙いなのよね?」

「おお、流石は元ネルフの作戦部長殿。慧眼をお持ちの様だ」

「そりゃどーも」

 大嫌いなタイプだ、とミサトは嫌悪感を隠さずに相づちを打つ。人を小馬鹿にしたような、口が達者な男は、ミサトが苦手とするタイプだった。

「さて、我々が何者なのか……そうですね、些か語弊はありますが、世間一般でテロリストなどと呼ばれている集団と思って頂ければ結構かと」

「テロリスト……」

「武力で目的を達成しようって言う、ろくでもない連中よ」

「いやいや手厳しい。目的の為に犠牲をいとわず、あらゆる手段を用いる組織。ネルフやゼーゲンと何処が違うのでしょうかね?」

 セカンドインパクトと人類補完計画。人類の為と言いながらも、その人類に大きな犠牲と驚異をもたらした事件を暗に告げながら、男は嫌らしく笑いながら皮肉る。

 

(シイちゃん。こうした奴の言葉を真に受けちゃ駄目よ。自分を強く持って)

(は、はい)

「……で、テロリストが何でシイちゃんを拉致したのかしら?」

 シイに小声でフォローを入れてから、ミサトは男に尋ねる。あえて自分が会話を受け持つ事で、シイ達に冷静さを保たせる為だ。

「え~簡単に言いますと、碇シイさんが邪魔なんですよ」

「!?」

「こんな可愛い子に酷いこと言うわね」

「見た目通りなら良かったのですが、世界は碇シイさんを中心にまとまりつつあります。平和を目指して一致団結し、争いの無い世界へと向かおうとしてるのですよ」

 苦渋の表情を浮かべる男に、シイは首を傾げる。

「みんなが仲良く出来るなら、それが一番だと思います」

「それが一番で無い者も居ると言うことです」

「……要は戦いが無くなったら、自分達が金儲け出来ないってんでしょ?」

「戦場は我々の仕事場です。それを守ろうとするのは当然の権利ですよ。漁師から海を取り上げる様に、我々から戦場を奪おうとしている。流石に見過ごせません」

 傭兵の様に戦いを生業としている者。武器商人の様に戦いによって利益を得る者。彼らにとって世界を平和に導こうとするシイは、邪魔な存在であった。

「現に今回の計画には、世界中から賛同者と協力者が集まっています。世界を在るべき姿に戻す為、我々は一致団結して事を成し遂げる覚悟です」

 男の言葉通り、今回のシイ拉致計画は複数のテロ組織が協力して行った。平和な未来と言う共通の目標で人類が手を取り合った様に、シイの排除と言う利害の一致がテロ組織に手を結ばせた。

 どちらにもシイが深く関わっているのは、皮肉としか言い様が無い。

 

「……で、これから私達をどうするつもりかしら」

「我々の拠点へとご案内しますよ。そこで全世界に向けて、碇シイからメッセージを発信して貰います。使徒は変わらず人類の敵で、平和な未来など所詮は夢物語だと、ね」

「嫌です!」

 男の言葉をシイが即座に拒否する。この状況で徹底拒否の姿勢を貫くシイに、しかし男は全く動じた様子を見せない。

「貴方は臆病の様に見えて、その実自分の意思を押し通す強さを持っている。例え断れば殺されるとしても、素直に従ってはくれないでしょう」

(こいつ、シイちゃんの事を調べ上げてるの?)

 近しい人にしか見せないシイの本質を理解している男に、ミサトは嫌な予感を抱く。それでも計画を実行したのなら、その先の一手を持っている筈だと。

「かといって、貴方を殺すだけでは駄目です。平和を求めた少女が志半ばで、テロ組織によって命を奪われた。我々はその意思を継がなければならない。そんな出来の悪いシナリオで人類が一致団結してしまう可能性がありますから」

 死は終わりであると同時に永遠も意味する。今ここでシイが命を失えば、その名は平和への道を提示した英雄として、歴史に刻まれるだろう。

「なので貴方を殺すにしても、その前にやっておく事があるんですよ」

「……何よ」

「碇シイを英雄から、ただの小娘に引きずり下ろす事です。見苦しく命乞いをして、我が身大事さに自分の理想を否定する。世界が碇シイに幻滅し、象徴と出来なくすれば良い」

「シイちゃんはそんな脅しに屈しないわ」

「そうですかね? 心優しい少女には辛いと思いますよ。大切な人達が自分のせいで傷つき、殺されていく姿を見るのは」

 ニヤリと笑う男の真意に気づき、ミサトは思わず息をのんだ。

 そう、そもそもシイが目的の連中が、何故自分達をも拉致したのか。口封じならその場で殺せば事が済んだ筈なのに。

 自分達はシイを精神的に追い詰めるための、生け贄なのだ。自分よりも他者が傷つく事を恐れるシイにとって、それはあまりに適切で残酷な行為だった。

 チラリと視線を向けると、シイも男の考えを察したのか青い顔で小刻みに震えている。

(最悪ね……でもどうしてこいつらは、シイちゃんの弱点をここまで的確に……)

「少し長居してしまいましたね。拠点へ移動するまでは、ここで大人しくしていて下さい。くれぐれも逃げようなどと考えない方が良いですよ。では」

 ファーストコンタクトで圧倒的優位に立った男は、満足げな表情で一礼すると、部屋の外へと出て行った。

 

 

「シイちゃん大丈夫?」

「はい……」

「ま、いきなりあんなヘビーな話聞かされちゃ、無理も無いわね」

 明らかにショックを受けているシイをミサトは気遣う。明確な敵意を向けられ、暗に自分とマナに危害を加えると宣言されれば、精神的に相当辛いものがあるだろう。

「ごめんなさい……私のせいでミサトさんとマナを」

「それは違うわ。悪いのは全部あいつらよ」

「でもあの人、テロリストにしては、何か変な感じでしたね」

「ああ言った連中は兵隊以外にも、武器の調達とか報酬の交渉とかをする奴が必ず居るわ。そうした事務型なのか、あるいは幹部クラスかもね」

 マナの疑問に答えつつも、ミサトの思考は事態の打開へと向いていた。

(逃げの一手ね。ゼーゲンも動いてるだろうけど、間に合う保証は無いわ。拠点とやらに移される前に、どうにかしてここから脱出しないと)

 時間を掛けるほど状況は悪くなる。リスクは承知でここからの脱出を図るべきだと、ミサトは自分の考えをシイとマナに伝えた。

 二人も覚悟を決めていたのか、ミサトの提案に即答で賛同する。

「まず手を自由にして、あのドアをどうにかする。後は速やかにここから脱出って感じかしら」

「はい。でもこの縄、中々解けそうに無いです」

「……何とか出来るかも」

 マナはそう呟くと、視線をドアへと向ける。鋼鉄製のドアには小さなのぞき窓があり、そこから大柄な男が背中を向けているのが見えた。

「葛城さん。服を噛ませて貰っても良いですか?」

「へ? そりゃ構わないけど…………まさか貴方」

「大きな声を出すと、あいつに気づかれちゃうんで」

 驚き目を見開くミサトにマナは苦笑しながら頷くと、這いつくばる様な姿勢でミサトのスカートの端を噛む。そしてマナは縄抜けを実行に移した。

 

 

「はぁ~ふぅ~ふぅ~」

 真っ赤な顔に脂汗と涙を流し、荒い呼吸を繰り返すマナ。関節を外して縄の拘束から逃れると言う荒技は、彼女に凄まじい激痛を与え続ける。

 だがその成功報酬は大きく、マナの両手は無事縄から抜け出せた。

「ま、マナ……痛い、よね?」

「正気の沙汰じゃ無いわよ。失神してもおかしく無いし、下手すりゃ障害が残るわ」

「で、でも、これしか無いって……思ったから」

 声を出すのも辛い状態で、しかしマナは二人に笑って見せる。

「初めて、じゃ無いのね?」

「訓練で……何度か……その時は失神しちゃったけど……上手く行って良かった」

(戦自は子供に何を仕込んでるのよ)

 年端もいかない子供が、自分でも躊躇する様な事を実行する。そう出来る様に訓練させた。ネルフともまた違う戦自の底知れぬ闇の一端に、ミサトは触れた気がした。

「……でも今は感謝するしか無いわね。手は大丈夫?」

「はい……少し待てば、感覚が戻ると思うので、二人の縄を外せます」

「OK。ならその間にあのドアを開ける方法を考えましょう」

 思うところはあれど、マナの機転で状況が改善されたのは事実。ミサトは頭を切り換えて、鋼鉄製のドアをどう攻略するか思案する。

「力で壊すのは無理。鍵は外にしか無い。ドアの前には見張りが居る。ちょっち厳しい状況ね」

「あの~ミサトさん」

「どうしたのシイちゃん?」

「ひょっとしたら、あのドアを開けて貰えるかもしれません」

 自信なさげに告げるシイに、ミサトとマナは驚きの視線を向ける。難攻不落のドアを突破する方法が、二人には全く思いつかなかったのだから。

「ほ、本当なのシイちゃん?」

「成功するかは分かりませんけど……」

「聞かせて。例えそれが無理でも、何かヒントがあるかも知れないわ」

「はい。リツコさんから教えて貰ったんですけど、前に……」

 シイの告げる脱出案を、ミサトとマナは真剣な表情で聞き入った。

 

「……どうでしょうか?」

「正直、素直に賛成は出来ないわ。脱出法としては定番だから、相手も疑ってかかる筈。相当のリアリティーが……それこそ血を流す覚悟が無いと」

「覚悟はあります。それに痛い思いをしたのはマナも同じですから」

「私のとはレベルが違うけど……葛城さん、勝算はあると思いますよ」

「……本当の良いのね?」

 念を押すミサトに、力強くシイは頷いた。覚悟が出来ているシイに、これ以上の問いかけは無意味だと、ミサトもまた覚悟を決める。

「私達の命運、貴方に託すわ。……じゃあ、始めるわよ」

 囚われの姫君達の脱出劇は、静かに幕を開けた。

 

 

 

~脱出~

 

「あぁぁぁぁ」

「シイちゃん! 止めなさい!」

 ドアの前に見張りをしていた男は、室内から聞こえてきた大声に慌てて小窓を覗き込む。そこには大事な人質であるシイが、勢いよく壁に頭を打ち付ける姿があった。

「おいっ、何をしている!」

「見て分かるでしょ。シイちゃんがここで死ぬって聞かないの」

「駄目だよシイちゃん。自棄にならないで!」

「どうせ殺されるなら……あいつらの思い通りになんかならないもん!!」

 マナの制止を振り切って、シイは何度も何度もコンクリートの壁に頭突きを繰り返す。二人は止めようとするのだが、手を縛られた状態ではそれもままならない。

(恐怖でとち狂ったか? 自棄になったか? とにかく一度報告をして……!?)

 どう対応するか迷う男だったが、背中を向けて壁に頭を打ち付けるシイの足下に、血が零れているのを見つけ、大いに慌てる。

 彼らの目的を果たすためには、この段階でシイを失う訳にはいかない。報告して指示を仰ぐ間にシイが命を絶つような事があれば、わざわざ拉致した意味が無くなってしまう。

(ちっ、面倒かけさせやがって)

 男は舌打ちをしながら、ドアの鍵を開けて室内へと立ち入った。自分一人でも、拘束された女子供に後れを取るはずが無いと言う油断が、彼の警戒心を緩めてしまう。

「おい、今すぐ止めないとお仲間を殺す…………」

 シイの肩を掴もうとした男の首筋に、ミサトの回し蹴りが直撃した。全く予想していなかった不意打ちに、男は一撃で意識を刈り取られて床に倒れた。

 

「シイちゃん、もう良いわよ!」

「……うぅぅ」

 ミサトの声が届いたのか、シイは頭突きを止めてその場に崩れ落ちた。額は赤黒く変色しており、幾筋もの血が顔を伝って流れ落ちている。

 意識がもうろうとしているのか、目の焦点が合っていないが、それでも自分が役目を無事果たしたと理解して、満足げに笑って見せた。

 仮病を使って看守を誘い込むのは、様々な娯楽小説でも登場する古典的な方法だ。以前シイスターズが同じ様な事をしたと、リツコから教えて貰ったシイは、それをアレンジする事を思いついた。

 応援を呼ばれない様に、頭への自傷行為という一刻を争う事態を生み出す事で、見張りの男一人だけを誘い込もうとしたのだ。

 相手にとって今はまだ、碇シイは五体満足で、最悪言葉を話せる状態で無ければならない。そんな思惑を逆手に取った作戦だったのだが、払った代償は大きい。

「や、やりました……。私だって……演技出来る……」

「良いから喋らないで」

「出血は額からなので直ぐ止まると思いますけど、頭へのダメージが大きいですね」

 マナは破ったスカートの切れ端をシイの額に巻きながら、冷静に状態を分析する。脳が相当激しく揺れたため、自力で立つことすらままならないだろう。

「私が背負っていくわ。シイちゃん、ちょっと我慢しててね」

「はい……」

「もう気づかれててもおかしくありません。急ぎましょう」

 ぐったりしたシイをミサトがおんぶする横で、マナは男の持っていたマシンガンを奪い取る。これで戦えるとは思わないが、無いよりはマシだろうと。

 三人は慎重に急ぎながら、捕らわれていた部屋から抜け出し、外への脱出を目指した。

 

 

 シイ達が捕らわれていたのは、ビルのような建物だった。壁や床はあちこちに亀裂が走っており、放置された廃墟を思わせる。

 あの部屋だけが特別だったのか、通路には一切の明かりは無く、ガラスの無い窓から差し込む明かりだけが、唯一の光源だった。

 窓から外を見渡してみたが、暗闇に覆われていて場所を特定する事は難しい。

(こっから行ける?)

 ミサトはイヤリングを外して、窓から下に落としてみる。だがその落下音が彼女に教えたのは、ここが少なくとも飛び降りられる高さでは無い事と……窓の下が水で満たされている事実だった。

(水の音……廃墟みたいな建物……まさかここは)

 得られた情報からミサトは、現在位置の予想を立てる。そしてもしその予想が当たっていた場合、脱出は困難を極めるだろうと、苦い表情を浮かべた。

「加持さん?」

「……とにかく、こっから飛び降りるってのは無理ね。下に進むしか無さそうだわ」

「了解しました」

 見つからぬように、極力音を立てずに建物を移動する三人。しかしそんな彼女達の耳に、複数の人間が慌ただしく動く足音が聞こえてきた。

「見つかった!?」

「あそこから逃げ出したのがばれたのね。こうなりゃ多少強引にでも行くしかないわ」

 ミサトは小さく舌打ちすると、マナを伴って下へ進むルートを探す。訓練から離れて久しい身体は、シイを背負っての走行に早くも悲鳴を上げていた。

 だが泣き言を言うつもりは毛頭無い。子供達があれだけの覚悟を見せたのに、最年長の自分が真っ先に脱落するなど許されないと、ミサトは震える膝を一喝して進んだ。

 

 

 

 

~死に至る病と、生に至る薬~

 

 建物の構造を把握していない状況に加え、武装面でも人数面でも圧倒的な差がある中、ミサトはかつての経験を生かし、必死に脱出ルートを模索した。

 だが彼我戦力差を覆す事は遂に出来ず、三人は通路の真ん中で前後を塞がれてしまった。無数の銃口がシイ達を捕らえる中、あの男が姿を見せる。

「全く、面倒を掛けないで欲しいですね」

「随分と大所帯じゃない。一体何人くらい居るのかしら?」

「本隊は拠点に集結しているので、まあ百名程度ですよ」

 あえてミサトの問いに答えたのは、戦力差を自覚させて無駄な抵抗をさせない為だろう。マナの持つマシンガンは、玉砕覚悟で使えば自分達数名を道連れに出来るのだから。

「脱出が無理だと分かりましたか?」

「……そうね。例え突破出来たとしても、周りが海じゃ逃げ切るのは難しいだろうし」

「ほぅ」

「ここ、旧東京でしょ。上層階が水没を免れたビルの一つ、ってとこかしら」

 ミサトの言葉に男は少し驚いた様な表情を浮かべる。

 かつて日本の政治と経済の中心であった東京都は、セカンドインパクトとその後に起きたテロによって大部分が水没。日本政府は再建を放棄した。

 以前ミサトが上空からその荒廃した姿を見た時、完全に水没しなかったビルがあった事を確認している。勿論それらも放棄されていたのだが、隠れ蓑としては利用価値があったのだろう。

 

「名目上は政府直轄地だから、ゼーゲンの目を逃れやすい。周りが海だから人質の脱走は困難で、逆に国外への移動は潜水艦でも使えば容易。こりゃ最高のロケーションって訳ね」

「……どうやら貴方への認識を改める必要がありそうだ」

「そりゃどーも。んで、水没した部分はちゃっかり改修してたりするの?」

「ええ。この国からも武器や物資の援助を受けてますから、その為の輸送拠点です」

 もう隠すつもりもないのか、男はミサトの言葉を全面的に認めた。ミサトがそこまで察した事は予想外だったのだろうが、知られた所で現状は変わらないと判断したからだ。

「さて、時間稼ぎのお喋りはもう良いでしょう。……潜水艦の到着は遅れていますが、それでもゼーゲンがここに気づく前に事は片付く」

「…………」

「女子供だからと、少し甘くしたのが間違いでした。今度は身動きが出来ないよう、手足をへし折っておきましょう」

 銃口を向けながら、じりじりと距離を詰める男達。流石に万策尽きたと、諦めの気持ちがミサトとマナに浮かんだ時、不意にシイが口を開く。

「……諦めちゃ駄目です」

「シイちゃん?」

「諦めたら……全部終わっちゃいます。だから駄目なんです」

 まだ意識がもうろうとしているのか、シイの声は小さくおぼつかない。そんなシイの言葉を男は一笑に伏す。

「楽観思考にも程がありますね。自分で立つことも出来ないのに」

「……そう。私は……弱いから……何時もみんなに支えられて、助けられて……みんなが居たから、みんなと一緒だから……ここまで来られました」

 ミサトの背中越しにうっすらと開いた目で男を見つめ、シイは言葉を紡ぐ。

「……だから、私は最後まで……絶対に諦めない。……それが信じて力を貸してくれたみんなに……私が出来るただ一つの事だから」

「他力本願は結構ですが、それがどうしたと言うんでしょうか」

 シイの言葉を男はバッサリと切り捨てる。どれだけシイが諦めないと宣言しても、この状況が覆る筈も無く、彼にはただの戯れ言としか思えなかった。

「諦めなければ奇跡が起こると、本気で思っているんですか?」

「……諦めたら……奇跡は起こせません。……奇跡は神様の贈り物じゃ無くて……最後まで諦め無かった人が勝ち取った……結果だから」

「下らない夢見事ですね。一つだけ教えてあげましょう。起こらないから奇跡と言うんです」

「ふふ、それはどうかな」

 男の言葉に答えたのは、澄んだ少年の声だった。

 

 

 

~天使の帰還~

 

 窓の外から聞こえてきた少年の声に、男達は目を見開いてその方向を凝視する。そこには月を背にして銀髪の少年が、彼らにとって最悪の敵である渚カヲルの姿があった。

「ば、馬鹿な!?」

「な、な、渚カヲル……!? 本物の……使徒」

 予想外の人物の登場に戸惑う男達を尻目に、カヲルは優雅にシイ達の元へと舞い降りる。その姿はまるで天使が降臨するかの様な神々しさに満ちていた。

「えへへ……おかえり……カヲル君」

「シイさん、遅くなってすまない」

「……ううん……来てくれて……ありがとう」

 痛々しいシイの姿を見て、辛そうに詫びるカヲルにシイは首を横に振る。

「少し待っていてくれ。直ぐに終わらせるから」

「……うん」

 カヲルは優しくシイの頭を撫でると、スッと赤い瞳を細めて男を睨んだ。

「さて……覚悟は良いかな?」

 普段は聞くことの出来ない、本気で怒ったカヲルの冷たい声。そこには大切な存在を傷つけられた事に対する、激しい怒りに溢れていた。

 

「ま、待て。何故お前がここに……ソ連に居た筈だ」

「姫の危機に騎士が駆けつけるのは当然さ。それがどれだけ離れていたとしても、例え地球の裏側だとしてもね」

「あり得ない……お前の動向は常に監視していた。ソ連から出た報告など無かった!」

「ふふ、そこは想像にお任せするよ。……僕は早くシイさんに治療を受けて欲しいんだ。無駄話にこれ以上付き合うつもりは無い」

「くっ、全員一斉射! こいつを殺せ!!」

 男のヒステリックな叫びと同時に、カヲルに向けて無数の銃弾が降り注ぐ。だがそれらは全て、ATフィールドによってあっさりと防がれてしまった。

 響き続ける銃声。しかし男達が全ての銃弾を撃ち尽くした後も、カヲルはポケットに手を入れた余裕の姿勢を崩さず、冷たい視線で彼らを見下す。

 たった一人の援軍によって、戦況は完全に覆った。

 

「ば、化け物め……」

「否定はしないよ。僕が人にあらざる存在であるのは事実だからね」

「ふん……どうせお前のような化け物が、人類に受け入れられる筈が無い。いずれ気づくだろうよ、使徒は危険な存在で、共存など決して出来ないと。そしてまた世界は戦いを始める」

「それもまたリリンが選ぶ事さ。ただ僕は可能だと信じているけどね」

 男の挑発にカヲルは動じる事無く、チラリとシイに視線を向ける。

「ただ一人でも信じてくれれば、希望は生まれる。ただ一人でも諦めずにいてくれれば、希望は決して消えない。例えそれが奇跡と呼ばれる程儚いものであってもね」

「……カヲル君……」

「シイさんは何も特別な事をした訳じゃ無い。ただ彼女が信じてくれた事で希望が生まれた。そして小さな希望は今、リリンの意思と言う大きな力となって世界を動かしているのさ」

 この場に居る全員に語りかけたカヲルは、ポケットから黒い通信機を取り出す。

「……こちら渚カヲル。シイさん他二名を無事確保。始めて構わないよ」

 カヲルが通信機に向けてそう告げた瞬間、建物の下層から爆発音が響き渡った。何事かと戸惑う一同の耳に、続いてけたたましい発砲音が届く。

「何だ、何が起こった!?」

「これってまさか」

「ふふ、ゼーゲンと戦略自衛隊の人質救出部隊さ。君達の安全を確保するまで待って貰ったけど、もう遠慮はいらないからね。張り切っている様だ」

 激しい戦闘音が響く中、カヲルはミサトに笑って見せた。

 

 

 

~獅子奮迅~

 

 世界でも屈指の戦力を保有する戦略自衛隊は、ゼーゲンと違い対人間戦に長けている。完璧に統制の取れた屈強な兵士達は、テロリストと交戦しながら次々に建物を制圧していく。

 一方のゼーゲンは加持を筆頭に、保安諜報部と特殊監査部から選りすぐられた精鋭部隊が、伏兵や隠し通路などの探索を担当し、戦略自衛隊の戦闘行動をサポートする。

 そんな中、先陣に立って突破口を開く二人の少女が居た。

「……邪魔」

 一人はレイ。姫を守れなかった騎士は、その奪還に燃えていた。ATフィールドを攻守にフル活用して、問答無用で相手をなぎ倒していく。

「雑魚は引っ込んでなさい!!」

 そしてもう一人は、真っ赤なスーツに全身を包んだアスカであった。かつてJA事件でミサトが着ていたスーツと形状こそ似ているが、性能はまるで別物。

 恐るべき防御力を誇るスーツを得たアスカは、銃を持ったテロリストを白兵戦で倒していく。レイの様な攻撃力こそ無いが、突破するだけならば充分であった。

 

 通路を駆け抜けながら、アスカはカヲルへ通信を繋ぐ。

「変態! シイ達は全員無事なのね?」

『久しぶりの挨拶がそれとは……君は変わらないね』

「良いから、こっちの質問に答えなさい」

『……加持さんは暴行を受けたらしく、全身を負傷しているよ。シイさんは額から血が出ている。頭部にダメージがあるかも知れない』

 カヲルの答えを聞いた瞬間、アスカの全身に怒りが満ちあふれた。共同生活を送った二人は、アスカにとって家族同然の存在。傷つけられて黙って居られる筈が無い。

「……殺してやる……殺してやる。殺してやる」

『……アスカ……私は大丈夫』

「シイ!?」

 弱々しくもハッキリと聞こえたシイの声に、危険な思考に陥りかけたアスカを踏み留める。

『……来てくれてありがとう……でも無理しないで……』

「ったく、それはあんたに言う台詞よ。あたしが行くまで大人しくしてなさい。良いわね?」

『うん……待ってる』

 短いやり取りだったが、シイとの会話はアスカの頭を冷静にし、それでいて戦いへのモチベーションを最大限に高めた。

「レイ! 一直線にシイのとこに行くわよ。……邪魔すんなゴラァ!!」

 立ちはだかる障害をなぎ倒し、アスカとレイはシイの元へと突き進んだ。

 

 

 

~決着~

 

「やれやれ。暫く会っていなかったけど、変わらないね、彼女は」

「……アスカだもん」

「相変わらずシイちゃんもさり気なく酷いわね。ま、その通りなんだけど」

「ふふ、下の方もじき片付くだろうし、これで幕が下ろせそうだ」

 カヲルは通路に折り重なる様に倒れる男達を一瞥し、小さく息を吐いた。窓の外にはゼーゲンと戦自の輸送ヘリが飛び回り、ビルの周辺には小型の艦艇が待機している。

 テロリストを取り逃がす心配は無い無いだろう。

「一安心ね。……渚君、本当にありがとう。貴方が来てくれなかったら今頃は……」

「ふふ、麗しの姫君を守れるのは騎士の名誉さ」

「…………」

「おっと済まない。君とは初対面だったね。僕は渚カヲル。シイさんのクラスメイトにして兄、そして一生を添い遂げる者さ」

 自分をジッと見つめるマナに気づき、カヲルは爽やかに微笑みながら自己紹介をした。

「霧島マナです。……聞いていた通りで安心しました」

「口の悪い友人が多くてね。話半分で聞いておいてくれると助かるかな」

 主にアスカとレイが吹き込んだであろう、自分の評価を想像してカヲルは苦笑を浮かべる。と、マナが手首を気にする仕草をしている事に、スッと目を細めた。

「……君も負傷していたのか」

「私のは自分でやったので」

「霧島さんは関節を外して、縛られていた縄から抜けたの。そのお陰で脱走出来たのよ」

 ミサトは捕まってから今に至るまでの出来事を、順序立ててカヲルに説明する。それを全て聞いたカヲルは、何かを考え込む様に眉をひそめた。

 

「……霧島さん。一つ聞いても良いかな?」

「はい」

「君に与えられた任務は、シイさんの情報を集める事だけかい? 例えば……エヴァやゼーゲン本部についての機密、あるいは使徒の新生についてはどうだったのか、聞かせて欲しい」

「目的は将来ゼーゲンとの関係を良好に保つため、シイちゃんの人となりを知る事です。交友関係のある人もある程度は情報収集しましたけど、機密情報に関しては指示されていません」

 マナの答えを聞いて、カヲルはある疑惑を抱いた。

「何か気になる事でもあったの?」

「貴方も気づいてる筈だよ。そんな目的ならば、わざわざ極秘裏に潜入させる必要は無いってね。適当な名目をつけて、公に彼女を派遣すれば良いのだから」

「そりゃ……確かに私も変だと思ったけど」

 戦自とゼーゲンは現在協力関係にあり、交流を妨げる要因は無い。なのにマナは身分を隠して、シイとの接触を命じられた。裏が無いと疑わない方がおかしいだろう。

「他に目的があると考えるのが妥当だろうね」

「私は嘘なんかついてません」

「ああ、言い方が悪かったかな。別に君が嘘を言っていると疑っているのでは無いよ。ただ君も知らされていない、別の狙いがあると思っただけさ」

「……貴方はそれの見当がついてる感じね」

「ええ。この件については僕に任せて貰おう。適任者を知っているからね」

 カヲルはミサトにそう告げると、それっきりこの話を追求する事をしなかった。

 

 

~エンジェルズ~

 

 頭部を負傷しているシイを、カヲルは一刻も早く本部へ連れて行き、治療と精密検査を受けさせたかった。だがレイとアスカがここに来るまで待つと、シイは聞き入れない。

 結局状態が急変したら問答無用で連れて行くと約束をして、カヲル達はシイの意思を尊重する事に決めた。

「全くこの子は……頑固と言うか意地っ張りと言うか」

「アスカに待っていると約束していたからね。それを守りたいんだろう」

「でもアスカはきっとこう言うわよ。あんた馬鹿ぁ? 良いからさっさと病院行きなさいよ、って」

「ふふ、間違い無いね」

 壁に背中を預けて座るミサト。その膝を枕にして横になるシイは、緊張が一気に解けた反動からか安らかな寝息を立てていた。

「あいつらは、私達を拠点に連れて行くつもりだったわ。ここの連中は氷山の一角。何時また今回みたいな事が起こるか分からない。……いえ、今度は始めからシイちゃんの命を狙うかも」

「リリンがリリンであり続ける以上、それは避けられない宿命だろうね。ただ少なくても、今回シイさんを狙った連中は、完全に処理してしまうつもりだよ」

「どう言う事?」

「ふふ……二人とも入って来なよ」

 ミサトの問いかけには答えず、カヲルは窓の外に向かって呼びかける。すると先程のカヲルの様に、二つの人影が空から静かにミサト達の前に舞い降りた。

 

 ゼーゲンの制服を纏った二人の子供。どちらもカヲルと同じ銀髪と真紅の瞳を持ち、何者であるかを瞬時にミサトに悟らせる。

「使徒……」

「その通りだよ。この子がサハクィエル、こっちがアラエル。二人ともシイさん達とリリスによって、新たな命を宿した使徒さ」

「も~カヲル兄さんってば待たせ過ぎ」

「うん。シイちゃんは寝てるし、紹介のタイミング悪いと思うな」

「ふふ、正式な紹介は後日するさ。……そもそも君達がキチンと働いていれば、こんな事にはならなかっただろ?」

 拗ねたように突っかかる二人だったが、カヲルの一言で気まずそうに押し黙ってしまう。

「……女の子?」

「僕達に性別の概念は無いよ。ただ魂の在り方に肉体は影響を受けるから、この子達の様に身体的に女性となった使徒も居るね」

 見ればサハクィエルとアラエルは、顔の作りなどはカヲルによく似ているが、全体的に女性的な印象をミサトに抱かせる。

「何でもありね……で、この子達とさっきの話はどう繋がるの?」

「ふっふ~ん。聞いて驚いて下さい」

「私達以外のみんなは、テロリストの拠点を襲撃してます」

「……は?」

 あっけらかんと言い放つ二人に、ミサトは間の抜けた声を出すしか無かった。

 

 

 カヲルがシイ達の元に駆けつけたのとほぼ同時刻、テロリスト達の拠点を突き止めた使徒達は、襲撃の機会を伺っていた。

 周囲を森に囲まれたテロリスト達の拠点。表向きは正式な研究所として登録されているが、自衛にしては物騒過ぎる装備をした男達が巡回している時点で、それが仮初めのものだと分かる。

「カヲル兄さんはもう?」

「ええ、ちゃんと送り届けたわ。あちらは問題無いでしょう」

「……じゃあ僕達も役目を果たすとしよう」

 拠点から数キロ離れた森で、使徒達は最後の打ち合わせを行う。カヲルと共に居るサハクィエルとアラエル他、何人かが欠けているが、その穴埋めとばかりに二十名の少女が同席していた。

「ただその前に……初めまして。リーダーを務めているサキエルです」

「シイスターズリーダーのトワよ」

 使徒達の中で最もカヲルに近い容姿をしたサキエルと、トワは握手を交わす。と、トワの背後から不満の声が続々と上がる。

「……リーダー?」

「……決めた?」

「……自称だと思う」

「……言った者勝ちね」

「……なら私は隊長をやるわ」

「……キャプテン」

「……ボスで我慢する」

「……リーダには責任だけ押しつければ良い」

「「……賛成」」

「うるさ~い! あんた達、いきなり舐められちゃったらどうすんの!!」

 全く協調性の無い……ある意味で協調性のあり過ぎる他の面々に、トワは声を荒げる。

「あ~この子達の言う事は気にしないで、話を進めましょう」

「う、うん。今回は急に呼び出してしまってすまない」

「瞬間移動は流石に驚いたけど、気にする事は無いわ。私達も貴方達と一緒、リリスお母様から抑止力としての役目を受けたんだから」

「そう言って貰えると助かるよ。……じゃあ襲撃作戦を始めるけど、準備は良いね?」

 サキエルの言葉に、緩んでいた場の空気が一気に引き締まる。これから始まるのは遊びでは無く、命がけの戦いだと全員が理解していたからだ。

 

 

 そして、襲撃作戦が幕を開けた。

 口火を切ったのはラミエルの加粒子砲。闇夜を切り裂きながら、桃色の閃光がテロリストの拠点を一撃で崩壊寸前まで追い込む。

 敵襲かと、武装して屋外に姿を見せるテロリスト達。そんな彼らを待っていたのは、サキエルが降らせた雨とバルディエルの雷という感電コンボだった。

 奇襲と呼ぶにはあまりに強烈な攻撃を受け、テロリスト達はその数を大幅に減らす。そして統制を完全に失いながら、姿の見えぬ襲撃者を探した。

 まとまりを欠いたテロリストに、イスラフェルが音で追い打ちを掛ける。爪で黒板を引っ掻くような不快音を大音量で奏で、彼らがまともな精神状態でいる事を許さない。

 それでも使徒達は攻撃の手を緩めない。シャムシエルが光の鞭で、マトリエルが溶解液で、ゼルエルが強力なATフィールドで直接攻撃を仕掛け、テロリストを各個撃破していく。

 敗勢を悟ったテロリストの一部は、基地の外に広がる森へと逃げ出す。だがそこにはシイスターズが配置されており、ATフィールドによって彼らを無力化する。

 

 新生使徒とシイスターズの前に、テロ組織は一時間と持たずに全滅した。リリスの抑止力は、その圧倒的な力を誇示してデビュー戦を終えた。

 

 

 

~ひとまずの終焉~

 

「し、襲撃って……マジなの?」

「嘘をつく理由は無いさ。っと、噂をすればだね」

 カヲルが呟くと同時に、彼の隣に黒い影の様な物が出現する。そしてそこから、長い銀髪の少女がゆっくりと姿を見せた。

「な、な、な……」

「お帰りレリエル。君が来たと言う事は、片付いたのかな?」

「はい。そのご報告と、ご友人が万が一負傷していた場合に備えて、コレを連れてきました」

 レリエルと呼ばれた少女は、しゃがんで影に手を突っ込むと、そこからもう一人の少女を引っ張り出した。

「……もう何でもありね」

「加持さん。私夢を見てるんでしょうか?」

「深く考えない方が良いわ。頭が痛くなるから」

 呆然とするマナに、もう理解を諦めたミサトがやけっぱち気味に答える。そんな二人を余所に、カヲルは少女達と言葉を交わす。

「良い判断だよ。アルミサエル、彼女達の治療を頼めるかな?」

「は~い。うふふ~、貴方お名前は?」

「き、霧島マナです」

「可愛い名前ね~。そんなに緊張しなくても平気よ~。痛くない、ううん、寧ろ気持ちいいから」

 妖艶な雰囲気を漂わせるアルミサエルは、獲物を狙う目でマナを見つめる。そこに込められた何かにマナが気づいた時には、既に遅かった。

 アルミサエルは獣の様な俊敏さで、いきなりマナと唇を合わせ……つまりキスをした。

「ん~ん~」

「……うふふ~ご馳走様」

 満足げに舌で唇をなぞるアルミサエル。一方のマナは自分の唇が奪われたショックに、涙目になりながらガックリと肩を落とした。

「ちょ、ちょっと渚君。この子いきなり何してるのよ!!」

「……アルミサエルは対象と融合を果たす事で、傷を癒やすことが出来るのさ。ただその為には今のような肉体的接触、一番効率的な粘液同士の接触が必要だけどね」

 カヲルの言葉が真実である証明として、うなだれるマナの手首はすっかり元通りになっていた。払った犠牲はあまりに大きかったが。

 

「さ~て、次は貴方ね」

「……私は大丈夫。こんなのほっとけば治るから」

「傷跡が残ったら大変でしょ? ほらほら遠慮しないで」

 逃げようとするミサトだったが、シイに膝枕をしている状態では動きようが無く、マナに続いてアルミサエルの毒牙に掛かってしまった。

 精神的には猛毒だが、肉体的には特効薬。ミサトが全身に負っていた打撲や切り傷は、魔法のように消失した。

「大人のキスね。また今度続きをしたいわ」

「……二度とごめんよ」

 満足げなアルミサエルとは対照的に、ミサトは傍目にも分かる程落ち込んでいた。夫のある身で唇を奪われたのだから、それも無理ないだろう。

「ねえアラエル。大人のキスってどんなのかな?」

「きっと大人の人とキスをする事ね」

「……お兄様?」

「ふふ、その時が来れば自ずと悟るさ。あえて真実を教える必要は無いよ」

 同じ使徒でありながらも、精神的成熟度には大きな差があり、アルミサエルと比べてサハクィエル達はまだお子様であった。

 

「……ご苦労アルミサエル。もう充分だよ」

「え? だってまだメインディ……もとい一番やばそうなシイちゃんが」

「アルミサエル。再び殲滅されたく無ければ、お兄様の言う事を聞きなさい」

 窘めるカヲルとレリエルに、しかしアルミサエルは不満顔。邪な気持ちがあるかもしれないが、実際にシイにこそ自分の力が必要だと思ったからだ。……多分。

 だがカヲルがちょいちょいと指さす方を見て、何故二人が自分を止めたのかを理解する。

「…………うん、無理」

 アルミサエルの視界に映ったのは、真っ赤な全身スーツの人物と並んで立っている、碇レイの姿だった。もしシイへの治療行為を行えば、問答無用で殲滅されていただろう。

「もう少し周りへの注意を払いなさい。……お兄様、皆様は私が本部へお連れしても?」

「そうしてくれると助かるかな」

「畏まりました。お二方――」

 シイの元へ駆け寄るアスカとレイに声を掛けるレリエル。冷や汗を掻きながらそれを見つめるアルミサエルと、まだ大人のキスについて議論しているサハクィエルとアラエル。

(これにて一段落かな。ただ、大団円にはもう少しやることがありそうだ)

 カヲルは窓の外から月を眺め、小さくため息をつくのだった。




最大の危機を迎えたシイでしたが、無事それを乗り越えました。

出番が先延ばしになっていた使徒達も、ようやく登場させる事が出来ました。投稿間隔が空いていたせいで、かなり昔の話になっちゃいましたが……。

次の話で今回説明出来なかった部分の補足、そして残されている問題を解決出来れば、使徒救済編は完結となります。

役者が全て登場し、舞台は終幕へと進んでいきます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《リリンと使徒(鋼鉄の天使達)》

~おかえりカヲル先生~

 

 シイ達の拉致事件解決から一夜明け、ゼーゲン本部の大会議室にはゲンドウを始めとする主立った職員と、カヲル率いる新生使徒達が始めて顔を合わせていた。

「ふふ、みなさんお集まりの様だね」

「……ああ。まず我々はお前達に礼を言わなくてはならない」

「渚君。それに使徒のみんな。シイを……シイ達を助けてくれてありがとう」

 席から立ち上がり、ユイは深々と頭を下げた。そんな彼女に続いて、この場に居たゼーゲン側の人間全てが、同じ様にカヲルと使徒達に感謝を告げる。

 ゼーゲンも戦自と協力して突入部隊を派遣したのだが、それすらもカヲルからシイ達の居場所について情報提供があったからこそ。今こうして居られるのは、間違い無く彼らのお陰なのだ。

「お礼は不要だよ。姫を守るのは騎士の務め。僕は当然の事をしただけさ」

「でもさ、何であんたはシイの居場所を知ってたのよ」

「私もそれを聞かせて欲しい。国内に居た我々でも掴めなかった情報を、何故ソ連に居た君が掴めたのかを」

「そうだね……折角の機会だ、始めから順を追って話をしよう」

 アスカと冬月からの質問に、カヲルは小さく頷いてから答える事にした。

 

「まず発端だけど、キールを始めとする特別審議室の面々はそれぞれ、独自の情報網と私兵部隊を持っていてね。シイさんを狙う連中を秘密裏に排除していたんだ」

「……それで?」

「そんな時、複数のテロ組織や傭兵集団なんかが、妙な動きを見せている事に気づいてね。それを詳しく調べていく内に、シイさんを狙う計画を掴んだのさ」

 世界の裏で動いていた者達は、これまで立場や目的の違いから共同戦線を張る事は無かった。だがそんな連中が突然足並みを揃えて動き出した事で、カヲルは何か大きな目的があるに違いないと更に情報を集め、シイの身柄を狙うと言う彼らの計画を暴き出した。

「ふむ……ならその情報を我々に伝えなかったのは何故かね?」

「あまり気分の良くない話をするよ。彼らは構成員を様々な組織に送り込んでいて、何処から情報が漏れるか分からなかったのさ」

「何よそれ。あたし達にスパイが居るって~の?」

「可能性の問題だよ。ゼロで無い以上はあると思って動く。事はシイさんの命に関わるから、悪いとは思ったけど極秘裏に行動させて貰ったよ」

 疑われていい気はしないが、それでもカヲルに不満をぶつける者は居なかった。彼の行動が全てシイを考えての事だったと分かったからだ。

 

「ただ肝心の計画の詳細までは、この時点ではまだ掴めていなかったんだ。けど危険が迫っているシイさんを放置出来ない。そこで万が一に備えて護衛役を送る事にしたのさ」

「……ふむ」

「既に教育を終えた使徒達の中から、飛行能力を持つサハクィエルとアラエルを、極秘裏にシイさんの護衛として第三新東京市に送り込んだのだけど……予想外の事態が起こってしまってね」

「まさかとは思うが……あの謎の侵入者の正体は」

「察しの通りこの二人さ。くれぐれも内密に行動しろと言ってあったのだけど、まさかいきなりドジを踏むとは流石に予想出来なかったよ」

 カヲルは渋い表情で失態を悔やむ。今回の件でカヲルが読み違いをしたのは、サハクィエルとアラエルの行動だけだった。ただそれが思いの外大きな失敗となってしまう。

「これは僕のミスだ。シイさんを守る筈の二人が、真逆の結果をもたらしてしまったのだから」

「ま、確かにゼーゲンは侵入者の捜索に力を割いちまった。その影響でシイ君を護衛する人数が減った事は、奴らにとって追い風だっただろう」

「当の二人も、ゼーゲンからの捜索から逃れる為に、シイさんの元を離れてしまった」

「見事なまでな悪循環だったって事ね」

「ああ。これがシイさんが拉致されるまでの、僕達の動きさ」

 情報を掴んで極秘裏に対策を打ったが、それが悪手となってしまい、結果的に敵の行動をサポートする形になってしまった。

 だがシイ達が拉致された事で、事態は急展開を迎える。

 

「彼らの計画の全貌が掴めた時には、シイさんは既に拉致されてしまった。もちろん直ぐに救出へ向かいたかったけど、僕の動向は監視されていたからね、表だっては行動出来なかった」

「刺激してしまう可能性がある、と?」

「その通りだよ。僕がシイさんの救出に動いたと伝われば、彼らも焦るだろう。下手をすれば本来の目的を諦め、シイさんに危害を加えるかもしれない。だから慎重になる必要があった」

 使徒であるカヲルは、彼らにとって最も警戒すべき存在。ソ連支部から日本に向かったと分かれば、計画を変更する可能性は充分にあった。

 その為、カヲルはソ連支部から迂闊に動くことを許されなかった。

「では渚。その状況下でお前はどう言った打開策をとった?」

「ゼーゲンがシイさん捜索に総力を注いだから、サハクィエル達が自由に動ける様になった。まずこの二人に、シイさんの居場所を特定させたよ」

「どうやってよ?」

「人の精神に干渉出来るアラエルに、空から探知させたのさ。国外に連れ出すのに空路はリスクが高いから、恐らく海を使うだろうと予想して、海に面した場所を中心にね」

 事前に第三新東京市を訪れていた二人は、テロリスト達の警戒から逃れていた。悪手と思われた一手が、思わぬ布石として力を発揮する。

「同時進行で、彼らの拠点を突き止めたよ。イロウルに情報戦で勝てる相手は居ないからね」

「ふむふむ、ならあいつらの計画やらを掴んだのも、そのイロウルさんの力ですかな?」

「その通りさ。電脳世界はイロウルの領域、ヒトの身で抗う事は叶わない」

 かつてMAGIへの侵入を成功し、ある意味でネルフを最も追い詰めた使徒。その常識外れの能力を知っているからこそ、リツコも険しい顔で頷くしか無かった。

 

「アラエルとイロウルが、それぞれシイさんの監禁場所と彼らの拠点を掴んでくれた。後は如何にして気づかれない様に、僕達がその場所へ赴くかが問題になる」

「まあそうよね。結局そこがネックで、あんた達は動けなかった訳だし」

「どんな魔法を使ったんです?」

「……夜が来るのを待ったよ。世界が闇に包まれる間、レリエルはディラックの海を自由に操る事が出来るからね。簡単に纏めれば、レリエルの力で瞬間移動したと言った所かな」

 カヲルの説明に、しかしアスカは納得いかないと反論する。

「ちょっと待ちなさいよ。確かあんたも、そのディラックの海を使ってたわよね? 四号機もそこから持ってきたって言ってたし、シイのプレゼントだって出したじゃない」

「僕とレリエルではレベルが違いすぎるよ。僕は使うことが出来るだけだが、レリエルは使いこなす事が出来る。その差は大きいよ」

「ふむ……ならば夜限定ではあるが、レリエル君は世界中を時間差無しで移動出来るのかね?」

「ディラックの海を出現させる場所が夜であれば、ね」

 地球には時差が存在し、仮にレリエルがいる場所が夜であっても、移動先が昼ならば移動は出来ない。世界中を瞬間移動出来ると言うのは、少々語弊があるだろう。

「それに、使徒達の力はリリスによって制限を受けている。その状態であれば、小規模なディラックの海を出現させてその場で物の出し入れをする位が限度かな」

 カヲル以外の全ての使徒に共通する制限として、リリスが抑止力を必要としない限り、本来の力を発揮する事は出来ない。

 だからこそ使徒達は人類の抑止力でありつつも、隣人となりうるのだから。

 

「全ての条件をクリアして、僕達は行動を始めた。ガギエルとサンダルフォンを海に送り、シイさんを連れ出そうとするテロリストの潜水艦を沈めて貰ったよ」

「潜水艦か……奴らもよく考える」

「目視が難しい潜水艦は、秘密裏に動くには適しているからね。イロウルがその情報を掴んで居なければ、後手に回ってしまう所だったよ」

 用意周到なテロリスト達の行動に、冬月とカヲルは呆れたように苦笑した。

「テロリストの拠点近くにこの子達を移動させてから、最後に僕をシイさんの元に送って貰った。後は君達も知っての通りさ」

「……あの子達を連れて行った理由は?」

「彼女達もリリスの抑止力だからね。作戦の成功をより完璧にする為に、参戦して貰ったよ」

 使徒の力は絶大だが、相手は実戦経験豊富な強者揃い。万が一にも失敗を許されないとあって、カヲルは万全を期した。

「僕から語れる事はこんな所かな」

「ふむ、お陰で事態の把握が出来たよ」

「ああ。渚、良くやってくれた」

 ゲンドウの労いに、カヲルは微笑みを浮かべると、恭しく頭を下げた。

 

 

 

~人類の隣人~

 

「さて、この子達の紹介をしたい所だけど……」

「遅くなりました」

 カヲルの呟きと同時に、頭に包帯を巻いたシイが会議室に姿を見せた。足取りも口調もしっかりしており、昨日のダメージは回復した様に見える。

「ふふ、グッドタイミングだよ。検査の結果はどうだったのかな?」

「異常なしだって。血も止まってるから、包帯も直ぐに取れるみたい」

 シイが笑顔で報告すると、会議室に居た全員が安堵のため息をつく。頭に強い衝撃を受けていたとあって、脳にダメージが残っていないかと不安だったのだ。

 この結果を持って、ゼーゲンは大切な宝物を無事取り戻したと宣言できるだろう。

「ったく、あんたはどうしてやることが極端なのよ」

「そうかな? 良いアイディアだと思ったんだけど……」

「まあ脱出の為とは言え、自傷行為は中々出来る事では無いですからな」

「人には防衛本能があるから、普通は血が出る程強く、頭を打ち付けるなんて出来ないわ」

 ミサトから当時の状況を聞いてはいたが、それでもシイの行動は一同にとって信じられないものだった。極度の興奮状態だったならばともかく、シイは冷静にそれを選択したのだから。

「シイ君は怖く無かったのかね?」

「怖かったです。もし失敗したら、ミサトさんとマナが危ないって分かっていたので。だけど私は演技が下手だってみんなに言われてたから、本気で頑張りました」

「あ、あんた……」

「……ユイ」

「ええ。少し考えなければいけませんわね」

 シイの自己犠牲精神は、エヴァでの戦いを通して改善されつつあった筈。だが根本的な部分で、大きな問題が残っているのではと、疑わずにいられない。

 そんな一同の反応に気がついたのか、シイは慌てて手を振ってそれを否定する。

「あ、でもでも自分がどうなっても良いなんて思ってないからね」

「……本当に?」

「うん。私が傷つく事で悲しい思いをする人が居るって、ちゃんと教えて貰ったから。だけどあの時は他に方法が無かったし、マナだって痛いのを我慢して頑張ってくれたもん」

 決して自分を軽視していたのでは無く、助かるための最善を追求した結果だとシイは告げる。本人にそこまで言われては、ゲンドウ達は信じるしか無かった。

「まあ後遺症が無くて何よりさ。……さて、主役も登場したところで、この子達の紹介をしようと思うけど良いかな?」

 全員が頷いたのを確認してから、カヲルは後ろに並んで立つ使徒達の紹介を始めた。

 

 シイスターズとは異なり、使徒達はオリジナルのカヲルと容姿が酷似していない。銀髪赤目という特徴こそ共通しているが、顔立ちや体つきなどは大分ばらつきが見られる。

 それがどの様な理由からなのかは不明だが、ゼーゲンの面々は内心安堵していた。正直、碇家以外はまだシイスターズの区別がついていないのだから。

「順に自己紹介と挨拶をしなさい」

「では僕から。……ゼーゲンの皆さん初めまして。サキエルと申します。色々とご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」

 一番端に立っていた少年が、礼儀正しく一礼した。

「サキエルは使徒達のまとめ役を担って貰って居るんだ。少々問題児が揃って居るからね、彼のように落ち着いた存在は貴重だよ」

「そう言えば夢の中でも、サキエルさんは委員長っぽかったよね」

「ふ~ん。第三使徒だったから、やっぱ長兄って感じなのかしら」

「まあ今後リリンと交流をするにしても、サキエルは欠かせない存在さ」

「期待に応えられるよう頑張ります」

 使徒の中で最もカヲルに似た顔立ちのサキエルを見て、シイを除く全員が同じ感想を抱いた。渚カヲルがもし真面目だったら、きっとこんな感じなのだと。

 

「次に行こうか」

「はぁい。皆さん初めましてぇ、シャムシエルって言いますぅ。よろしくねぇ」

 シャムシエルの言葉に一同は思わず固まった。見た目はウェーブの掛かったショートヘアに、愛らしい顔立ち。声も男のそれでは無く、それが余計にゼーゲンの面々を惑わせる。

「お、女の子……かね?」

「性別の概念は無いのだけど、肉体で判断すれば女性だよ。ここに居る全員が、それぞれ自分が望む形へと肉体を進化させたからね」

 戸惑う冬月にカヲルが頷きながら解説を入れる。

「駄目ですよ冬月先生。女の子に女の子なのか、なんて聞いたら」

「む、むぅ、しかしだね……」

「それにシャムシエルさんはこんなに可愛いんだから」

「嬉しいわシイちゃん。でも私の事はシャムって呼んでねぇ」

 夢でのやり取りを再現するかの様に、シイは歩み寄ってきたシャムシエルと握手を交わした。暖かく柔らかい手の感触は人のそれと全く同じだ。

「彼女は特別優れた力を持っている訳では無いけど、何でも器用にこなすよ。特に昼間であれば、とても頼りになる存在さ」

「……夜は?」

「夜更かしはお肌の天敵だものぉ」

 シャムシエルはウインクを送りながら、レイの言葉に遠回しに返答した。

 

「……さあ、怖がらずに挨拶をしてごらん」

「は、はい……その……ら、ラミエルと……申します」

 小柄な少女は、見た目に負けず劣らない小さな声で、絞り出すように自己紹介をする。だが顔を赤くして俯き、一度もシイ達と目を合わせようとしない。

「ご覧の通り人見知りが激しい子でね、容赦して欲しい」

「何か似てるわね。あの山岸って子に」

「……そうね」

「ただ有事の際における力は、先の一件で証明した通り絶大だよ。だから今後は少しずつでも、リリンと接する事に慣れて欲しいと思っている」

 カヲルの言葉には、ラミエルに対しての思いやりに溢れていた。彼にとってラミエルは妹と言える存在であり、彼女が人見知りを克服する事を願っているのだろう。

「…………」

 ふと、シイは無言で立ち上がり、ラミエルの元へゆっくり歩み寄ると、少し離れた位置で立ち止まって右手を差し出す。

「碇シイです。ラミエルさん、よろしくね」

「あ……」

 始めて視線を上に上げたラミエルは、敵意ゼロの微笑みを浮かべるシイと目を合わせた。あえて距離を空けてくれたのは、自分を気遣っての事なのだろう。

 差し出された手を握り返すには、自分から一歩を踏み出さなければならない。ラミエルは恐怖心とシイの笑顔の間で暫く悩み、やがてシイと握手を交わした。

「……よ、よろしく……お願いします」

「うん。これから一緒に頑張ろうね」

 ATフィールドを溶かしてしまうシイフィールドを目の当たりにして、カヲルは嬉しそうに小さく頷くのだった。

 

「っと、なら次は僕の番だね。ガギエルだ、よろしく」

 カヲルに促される前に、加持の様に髪を短く後ろで束ねた少年が、快活な笑みを浮かべて挨拶をする。こちらはラミエルと正反対に、かなり社交的な性格らしい。

「ガギエルは水中での活動に特化していてね、水中では文字通り敵無しさ。海洋生物とも意思疎通が出来るから、地球環境の再生にも役立てると思うよ」

「ふむ。それは確かに力強いな。丁度海洋調査と環境改善に取り組む計画があるのだよ」

「餅は餅屋、海の事なら僕に任せて良いよ」

 冬月の発言に、ガギエルは自信満々な様子で親指を立てる。魚を司る天使に名を由来するだけあって、その分野には絶対の自信を持っているのだろう。

「それは良いけどさ……あくまで水中に拘るって事は、陸上じゃからっきしなの?」

「冗談じゃ無い。水陸両用に決まってるだろ」

「ふふ、まあ本人はこう言っているけど、活躍出来るのは水中に限るかな。普通に生活するには不自由ないから、その点は安心して欲しい」

 何かに特化すると言う事は、他が犠牲になってしまう。ガギエルは水中でこそ真価を発揮する、水のスペシャリストなのだ。

「何か文句があるのかな?」

「ん? 別に無いわよ。水中ならあんたが一番なんでしょ? ならそれを生かして貰えば良いんだし、寧ろそんだけ得意な事がハッキリしてる方が、分かりやすくて良いわ」

 馬鹿にされたとご機嫌斜めだったガギエルだが、あっさりとアスカが自分を認めた為、拍子抜けしたようにポカンとした表情を浮かべる。

「な、なら良いんだ」

「変な奴ね」

 アスカにしてみれば、純粋に水中以外でのガギエルについて知りたかっただけだった。ただ口調が相変わらずなので、少々誤解を招いたが、そこに悪意は欠片も無い。

 苦手な分野を把握しつつ、得意な分野で活躍してもらう。アスカがこれまでの経験で学んだ事であり、リーダーとして必要な素質でもあった。

 

「じゃあ次は僕かな。イスラフェルだよ、どうぞよろしく」

 男とも女とも判断が付かない、中性的な容姿のイスラフェルが挨拶をする。柔らかな笑みを浮かべるイスラフェルに、しかしゲンドウと冬月は厳しい表情を崩さない。

 一体何事かと首を傾げる一同に、二人のひそひそ話が聞こえてきた。

「碇、どう思う?」

「……間違い無い、男だ」

「私は女だと思うがね」

「冬月、奴は今僕と言った」

「呼称など当てにならんよ。子供であれば、自分を僕と呼んでもおかしくは無い」

「ふっ。歳をとりましたね、冬月先生。娘を持つ父親が男と言ったら男ですよ」

「年月を重ねた分、人は成長出来ると私は信じているよ。数多くの教え子に教鞭を奮ってきた私が女と言ったら女だ」

 実に下らない事で火花を散らすトップ二人に、会議室の面々は心底呆れたようにため息をつく。別に性別など気にすべき事では無い筈だが、どちらも意地になっているのか譲るつもりは無いらしい。

「お父さん……冬月先生……」

「はぁ、全くこの人達は子供なんだから。……渚君、ハッキリ言って貰えるかしら」

「ふふ、どちらも正解でどちらも間違いかな」

 ため息混じりに頼むユイに頷くと、カヲルはイスラフェルに合図を送る。すると次の瞬間、イスラフェルは二体に分裂して見せた。

「も、目標は二体に分裂しました!」

「見れば分かるわよ。少しは落ち着きなさい、マヤ」

「あ~そう言えばそうだったな」

 二体に分裂する特性に苦戦を強いられた過去を思い出し、一同は成る程と頷く。

「イスラフェルは両性だよ。こうして男女に別れる事も出来るけどね」

「改めてよろしくです」

「同じく」

「二人は音を操る事が得意でね、癒やしから攻撃まで幅広く対応出来るよ。音楽をこよなく愛するから、リリンとの交流も問題無いだろう」

 分裂したイスラフェルが再び融合するのを見ながら、ゲンドウと冬月は無言で頷き合い握手を交わす。ゼーゲン空中分解の危機は、何事も無かったかの様に去って行った。

 

「さあ、次は君だよ。ご挨拶出来るね?」

「は~い。はじめまして、サンダルフォンです。よろしくおねがいします」

 カヲルに促されて挨拶をしたのは、使徒達の中でも一際小柄な少女だった。その体躯はシイを比較してもなお小さく、舌っ足らずな口調と相まってサンダルフォンの幼さを強調する。

「ち、ちっさ」

「同時期に誕生したにしては、随分と成長度合いに差があるようですが?」

「ふふ、この子達は肉体の成長や変化を魂に影響されているからね。サンダルフォンの魂は、まだ成長途中だったと言う訳さ」

「ふ~ん。良かったじゃ無い、シイ。あんたよりちっこいのが出来て」

 軽くからかったつもりだったのだが、シイが予想外に深刻な表情で何かを考え込んでいるのを見て、アスカは少し戸惑う。

「ど、どうしたのよ」

「……カヲル君。サンダルフォンちゃんは、成長途中なんだよね?」

「その通りだけど、何か気になる事でもあるのかな?」

「……シイさんはこの一年で身長が伸びてないわ。後は察して」

 レイの静かな答えに、全員が同時に理解した。成長が止まった者は、成長を続ける者にいずれ追い抜かれてしまう。そうなればゼーゲン最小の称号は、再びシイの元に戻ってくるのだと。

「ま、まあそんな気にする事は無いってば。ほら、成長期なんて人それぞれだし」

「そうだぞ、シイ君。二十歳過ぎてから背が伸びる例だって、世の中にはあるんだ」

「成長期はあくまで目安。前後する事もありますよ」

 腫れ物に触るように、慎重にシイを励ます面々を見て、サンダルフォンは不思議そうに首を傾げる。

「ね~カヲルおにいちゃん。シイちゃんどうしたの~?」

「ふふ、彼女にも色々と悩みがあるんだよ」

「ん~」

 カヲルの答えに何かを理解したのか、サンダルフォンはトテトテとシイの元に近づき、俯くシイの頭をたどたどしく撫でた。

「シイちゃんはわらってたほうが、かわいいよ~。いいこ、いいこ」

「さ、サンダルフォンちゃん……」

「えへへ~」

 まさしく天使の笑みを見せるサンダルフォンを、シイは力一杯抱きしめる。そして真剣な表情でカヲルに向かってお願いした。

「カヲル君! サンダルフォンちゃん、私の妹にしちゃ駄目かな!?」

「……大歓迎だよ。まさかシイさんからプロポーズをして貰えるとはね」

「はぁ!? ……あ~そう言う事」

 間の抜けた声を上げるアスカだったが、一瞬でその意味を理解して呆れる。確かにシイがカヲルと結ばれれば、サンダルフォンはシイの義妹となる。ただそれをプロポーズと受け取るのは、相当無理のある曲解だったが。

「ん~? シイちゃん、わたしのおねえちゃん?」

「お姉ちゃん……えへへ」

「アホくさ。ほら、良いの? あんたのポジションが奪われるわよ」

「……お、お姉……お姉ちゃ……」

 カヲルへの突っ込みすら放棄して、必死にシイを姉と呼ぼうとしているレイに、アスカはもういいやと両手を挙げて匙を投げた。

 

 

「……突っ込まれるよりも、スルーされる方が辛いんだね。ふふ、勉強になったよ」

「そりゃ何よりだわ」

「まあこの件については今後の課題として、紹介を続けようか」

「ええ。初めましてみなさん。マトリエルと言います。どうぞよろしくお願いします」

 どことなく大人しい雰囲気の少年が、礼儀正しく自己紹介をする。使徒の中でも常識人の部類らしく、立ち振る舞いも落ち着いている。

「何か地味な奴ね。マトリエルってどんな使徒だったっけ?」

「……貴方が醜態を晒した使徒よ」

「思い出したわ。そう言えばあん時、銃弾を貰った借りを返して無かったっけ」

「……安心したわ。まだ呆けてなかったのね」

「お生憎様。こちとらリツコみたいに、若ボケしてないのよ」

 静かに火花を散らす二人から離れた席で、リツコは肩を震わせながら手にしたペンをへし折る。まさか自分に飛び火してくるとは、予想していなかったのだろう。

「お、落ち着いて下さい先輩。先輩はまだまだ大丈夫ですから」

「まだ? まだって何? ねえマヤ?」

「おいおい、そんな怖い顔するなよりっちゃん。軽いジョークだろ」

「……私への連絡が全てメモ付きなのも? 口頭報告で充分なのに、わざわざ文章にしてくるのも? 実験の前に確認の電話がくるのも?」

「……ごめんなさい」

「ホントに悪かったわ。ごめん、リツコ」

 過去に数回だけうっかりしただけで、広がってしまった風評被害に、リツコは苦しんでいたのだろう。それが分かるからこそ、アスカとレイも素直に頭を下げて謝罪した。

「……いえ、私の方こそ熱くなってしまったわ。進行を妨げてしまってごめんなさい」

「ふふ、気にする事はないさ。じゃあ次に行こうか」

「!? か、カヲル兄さん。まだ僕は全然紹介されて無いですよ」

 さらっと自分の存在をスルーされたマトリエルが、大慌てで待ったを掛ける。このやり取りだけで、彼の立ち位置を全員が理解した。

「溶解液で戦う事が出来るよ。ご覧の通りの存在感で、潜入任務もお手の物さ。以上」

「あ、あんまりだ……でもあまり時間を掛けるのもあれだし、これで良いのかな」

 おざなりな紹介にマトリエルはガックリと肩を落とすのだが、それも一瞬のこと。直ぐさま思考を切り替えて、けろっとした表情で一礼するのだった。

 

「じゃあ次は――」

「みんな~サハクィエルだよ。よろ~」

 カヲルの言葉を遮って、サハクィエルは片手を挙げて軽く挨拶をした。

「彼女は浮遊能力を持っていてね、空からの落下による大規模破壊が得意だよ。……いや、正直に言えば、それ以上の事を求められないのだけど」

「どう言う事かね?」

「何分大ざっぱな性格でね、細かな作業や複雑な指示を実行するのは、少々難しいのさ」

「そう言うのは、サキエルとかレリエルにお任せって感じかな。私はもっとこ~、ひゅーんドカーンって分かりやすい方が楽しいし」

 そんなサハクィエルの言葉が、ゼーゲンの面々にカヲルの説明が正しい事を理解させた。

「一つ聞いても良いかしら?」

「おや、何かな?」

「浮遊能力と言ったけれど、飛行能力とは違うの?」

「あくまで浮遊だよ。自分の意思でかなりの高度まで上れるし、ある程度は移動も出来る。ただアラエルの様に自由自在に空を飛行出来る訳じゃ無いのさ」

「成る程……ATフィールドを利用しているのかしら……ふふ、興味深いわ」

 分かりやすいカヲルの答えに、リツコは満足げに頷いた。科学者である彼女にとっては、空を飛ぶ使徒は強く興味を抱く対象なのだろう。

「出来れば戦い以外の分野で、リリンと共に平和の為に力を発揮して欲しいと思っているよ」

 カヲルの言葉には兄としての優しさが籠もっていた。

 

「では次に行こう」

「僕ですね。皆さん初めまして。イロウルと申します。よろしくお願いします」

 眼鏡を掛けた少年が軽く頭を下げて名乗った。切れ長の目と落ち着いた雰囲気から、理性的な印象を周囲に与える。

「彼はコンピューターに長けていてね、特にネットワークを介しての情報収集能力は特筆すべきものがあるよ。今回の一件も、彼が居なければこう上手くは行かなかっただろうね」

「兄さんの言うとおり、僕にはみんなの様な戦闘能力はありません。ただ電子世界に関しては、他の誰にも負けない自信があります」

 そっと眼鏡を直しながら語るイロウルには、言葉通りの自信が溢れていた。かつてネルフの職員達を圧倒し、MAGIの乗っ取りを成功させた彼の発言だけに、説得力は充分だろう。

「これはまた、随分と頼もしいですね」

「今後の世界情勢を考えれば、今まで以上に情報戦が重要度を増すからな」

「……一つ聞いても良いかしら?」

 イロウルが頷くのを確認してから、リツコは気になっていた事を問う。

「シイさんの誘拐前に、本部へのハッキングが多発したのだけど、貴方では無いのよね?」

「ええ。僕ならハッキングを一度で成功させるので」

「言ってくれるわね……」

「因みにそのハッキングは例のテロ組織の工作ですよ。恐らくそちらの監視システムを、少しでも邪魔する事が目的だったのでしょう」

 イロウルの冷静な分析はリツコの予想とほぼ同じであった。あえての確認で確証を掴んだリツコは、納得の表情を浮かべる。

「イロウルには世界中のネットワークを監視して貰い、今回の様な不穏な動きがあれば事前に対応出来る様にするつもりさ」

「どうぞよろしく」

 最後にもう一度眼鏡を直してから、イロウルは一礼した。

 

「では続けようか」

「畏まりました。ゼーゲンの皆様、お初お目に掛かります。私はレリエルと申します。以後お見知りおき下さい」

 恭しく自己紹介をするレリエルは、他の使徒達に比べて非常に大人びた雰囲気を纏っていた。長い銀髪と整った顔立ちは、深窓の令嬢の様な印象を与える。

「彼女もサキエルと同じ様に、この子達のまとめ役をやって貰っているよ」

「僭越ながら、サキエルの補佐を務めております」

「な、何か堅苦しい子ね」

「……礼儀正しいの間違いよ。貴方は少し見習った方が良いわ」

「……ええ、そうですわねレイさん。ワタクシも今後はレリエルさんを良き模範として、お淑やかな女性を目標に一層精進致しますわ。ご指導の程、よろしくお願い致します」

「…………ごめんなさい」

 まさかのカウンターを受けたレイは、全身に鳥肌を立てながら本気で謝った。

「ま、まあ……アスカ君にはアスカ君の良さがあると言う訳だな」

「ふ、副司令の言うとおりだわ。貴方は今のままで良いの。ううん、そうじゃなきゃ駄目よ」

「アスカ。……自分の色を大事にするんだ」

 他の面々も気持ちは同じだったのか、次々にアスカへ言葉を掛けた。暗に自分にレリエルの様な振る舞いは似合わないと言われ、アスカはこめかみに血管を浮かべて拳を震わせる。

「あんた達ねぇぇ、全員表に出なさぁぁい!!」

 やっぱりアスカはこうでなくては、とゼーゲンの面々は暴走するアスカから逃げつつ、全員が同じ事を思うのだった。

 アスカが落ち着くのを待ってから、カヲルはレリエルの紹介の締めに入る。

「レリエルに関してはさっきも言った通り、ディラックの海を操れる事に尽きるよ。普段は制限されているけど、それでも極めて有用な力だからね」

「微力を尽くしますので、なにとぞよろしくお願い致します」

 サキエルが長兄役ならば、レリエルは長女役なのだろう。途中でアスカの暴走があったにも関わらず、最後まで大人の対応を崩さなかったレリエルに、ゼーゲンの面々は関心と安堵するのだった。

 

「次は俺か。バルディエルだ。よろしくな」

 快活に笑いながら自己紹介をするバルディエル。使徒の中で唯一髪を短く刈り込んでおり、活動的な雰囲気を漂わせている。

「彼は見た目通り、身体能力に優れているよ。泳ぐ、走る、投げる、そう言った運動能力は飛び抜けていてね、ATフィールドに頼らなくても充分戦える存在さ」

「難しい事考えるのは苦手だけどよ、身体を動かす事なら任せろ」

「ふ~ん。何かあのジャージ馬鹿に似てるわね」

 口調こそ異なるが、バルディエルの立ち振る舞いがどことなくトウジに似ていると、アスカ達に感じさせた。

「バルディエルはトウジ君がシンクロしていた参号機に寄生したから、彼のパーソナルが魂に影響を与えたかもしれないね」

「ほほう、やはり魂というのは、まだまだ未知の分野の様ですな」

「ま、小難しい話は勝手にやってくれ。俺は俺の出来る事で協力するつもりだ」

 あまりこういった場が得意で無いのか、バルディエルはそれだけ言うと直ぐに後ろに下がった。

 

「じゃあ次はゼルエル、君の番だよ」

「……ゼルエルだ。よろしく頼む」

 使徒の中で一番大柄の少年、いや、青年と呼ぶに相応しい体格をしたゼルエルは、ゆっくりとした動作で礼儀正しく頭を下げた。

 がっしりとしたその姿からは、威圧感にも似た風格すら感じられる。

「…………」

「…………」

「…………」

「……あぁ~、何か喋りなさいよっ!!」

 無言のまま佇むゼルエルに、耐えきれなくなったアスカが叫びながら突っ込みを入れる。するとゼルエルは困ったように頬を掻きながら、カヲルに助けを求める視線を送った。

「ああ、すまない。彼はとても無口でね。必要な事以外は滅多に話さないんだ」

「だ・か・ら、今は必要な時でしょうが!」

「……兄。自己紹介は名乗れば良いのでは?」

「まあ最低限はね。そうだな、好きな物や趣味、好みの女性のタイプでも話したらどうだい?」

 カヲルからのアドバイスに頷くと、ゼルエルは暫し腕組みをして思案する。

「……小さな動物は好きだ。趣味は今の所無い。好意的な意思を持って接する女性は…………人を指ささない、やかましくない女性だ」

「へぇ~。何であたしを見ながら言うのかしら?」

「……分かりやすいからだと思うわ」

「え!? ゼルエルさんって……アスカの事が好きなの?」

 一触即発の空気を、本気で尋ねるシイがあっさりと打ち消した。言いようのない脱力感が漂う中、カヲルが苦笑しながら口を開く。

「ふふ、まあそれは今後の展開に期待するとしよう。ゼルエルは戦闘に特化していてね、制限が無い状況では彼に傷をつける事すら難しいよ」

「力を司る天使に偽りなし、と言う事か」

「そうだね。普段はご覧の通り温和な性格だけど、非常時には頼りにしてくれて良いよ」

「……戦いは嫌いだ。出来ればこの力、使う事の無い世界であって欲しい」

 使徒の中でも屈指の戦闘力を持つゼルエル。彼は誰よりも平和を望む、心優しき天使であった。

 

「さて、次は――」

「アラエルだよ。やっと私の番だね。みんなよろしく!!」

 待ってましたと、小柄な少女がカヲルの紹介を遮って前に飛び出した。両手を挙げて存在を全力でアピールする姿に、一同は面食らったように押し黙ってしまう。

「あれ? あれ? 何で黙っちゃうの? ほらほら、みんなみたいに色々質問とかしないの?」

「…………」

「えっとえっと、好きな物は空で、趣味は空を飛ぶことで、好きな女性のタイプは空を飛べる人! それから、何かあったっけ……」

 反応が無い事に焦ったのか、アラエルは顔を真っ赤にして必死にアピールを続ける。そんな彼女の様子を見ながら、ようやくゼーゲンの面々は理解した。

 この少女は注目されないと寂しいのだと。

「……ほら、あんた。何かフォローしてあげなさいよ。ちょっと可哀相になってきたわ」

「まあ見ての通りとしか言い様がないかな。若干目立ちたがり屋な面があるけど、飛行能力と精神介入能力と言う特異的な力を持っているんだ」

「精神介入?」

「!? はい、そうなんです! そうなんですよ!!」

 ボソッと問い返したリツコに、アラエルは本当に嬉しそうに反応する。

「色々出来ちゃうんです! 凄いんです!」

「渚君、お願い」

「ふふ、他者の精神に介入して情報を読み取る。あるいはこちらから情報を流し込む。レーダーの様に固有の精神パターンを探索するなんて事も出来るね。捕らわれたシイさんの居場所を特定出来たのも、その力のお陰さ」

 カヲルの説明を聞く限り、凄まじい能力を保有しているのは確からしい。ただ手を腰に当てて胸を張るアラエルからは、そんな凄さを欠片も感じ取れなかったが。

「使い勝手の良い能力だけど、如何せん本人がまだ幼い。色々と迷惑を掛けてしまうかもしれないが、よろしく頼むよ」

 アラエルの頭をそっと押して、共に頭を下げるカヲル。年少組の面倒を見る彼は、シイ達と接する時とは違う兄の顔をしていた。

 

「次で最後かな」

「アルミサエルよ。よろしくね」

 最後に紹介されたのは、セミロングの少女であった。一見清楚可憐な美少女に見えるのだが、全身から漂っている妖艶な雰囲気に、ゼーゲンの面々は戸惑いを隠せない。

「彼女は他者と一時的に融合を果たす事で、外傷などの治癒を行う事が出来るよ。先の一件でも加持さんや霧島さんに治癒を施したから、それは知っているかな」

「ああ、本人から聞いたよ。アルミサエル君、妻が世話になった。本当にありがとう」

「良いの良いの。こっちも美味しい思いが出来たし、ね」

 感謝の言葉を告げる加持に、アルミサエルは艶めかしく舌を唇に這わせた。ミサトからは詳細を聞いていなかったのか、加持はその反応を不思議に思いつつも追求はしない。

 どんな形にせよ、大切な妻の身体に傷が残らなかったのは、アルミサエルのお陰なのだから。

「ね~シイちゃん。傷跡が残ったら大変だから、今からでも治療しない?」

「自殺願望があるのなら止めないけど、一応忠告だけはさせて貰うよ。止めておいた方が良い」

 そんな二人のやり取りを聞いて、一同は不思議そうに首を傾げる。事情を知らない彼らは、どうしてカヲルがシイの治癒を止めるのかが理解出来ないのだ。

「……渚。お前がシイの治療を拒むのは何故だ?」

「場所が場所ですからね。女の子の顔に傷が残るのは、避けたいところですな」

「うむ。何か理由があるのなら教えて欲しいね」

「アルミサエルは融合の為に、相手の遺伝情報を必要とするんだよ。それに最も効率が良いのは粘液同士の接触……ふぅ、もうハッキリ言おう。相手と口づけをしなければならないんだ」

 カヲルが真実を告げた瞬間、場の空気ががらりと変わった。好意的だったアルミサエルへの視線は、警戒のそれへと変化し、シイを守ろうと緊張感が会議室に漂う。

「……渚。良くやってくれた」

「貴方が居てくれて助かりましたよ。ええ、本当に」

「何処の馬の骨ともしれん輩に、シイ君のファーストキスを奪わせる訳にはいかんからな」

 ころっと手の平を返し、一同はカヲルの判断を支持した。しかし状況を理解出来ないシイは、不思議そうに首を傾げて問いかける。

「?? 口づけってちゅーの事だよね?」

「……ええ。他にも接吻やキス、様々な呼称があるけど意味は同じよ」

「それっていけない事なの?」

「む、むぅ……」

 非常に答えづらいシイの問いかけに、ゲンドウは思わず腕組みをして悩んでしまう。親愛を示す行為なのでいけない事とは言えないが、かといって推奨する訳にもいかない。

「シイ。それは後でゆっくり教えてあげるわ。そろそろ知らないで済まない年頃だものね」

「うん」

 優しく語りかけるユイにシイは素直に頷き、どうにか場の空気は元に戻った。

「ふふ、全く無防備だね。だからこそ惹かれるのかも知れないけど」

「うふふ~同感。真っ白なシイちゃんを、私色に染めたいわ……」

「あんた、ちゃんとその変態の手綱を握っておきなさいよ」

「……万が一の時は、実力で排除するから」

「だ、そうだ。くれぐれも迂闊な行動をしないように」

「は~い」

 決して油断ならない。そんな危機感を一同に抱かせたまま、アルミサエルの自己紹介は終わった。

 

「これでこの子達の紹介は済んだね。因みに今後についてだけど……」

「抑止力部署の一員として、正式にゼーゲンに所属して貰う形になるな」

「ああ。ただ本格的に活動を行う前に、一度各支部と各国首脳達に顔見せが必要だろう。抑止力以前に、我々は使徒を隣人として迎え入れたのだから」

 使徒達に期待される役割は、単なる抑止力では無い。人類が精神的に成長する為に、隣人として共に生きていく事が、シイが全世界に提唱した平和への道標だ。

「それが良いだろうね。焦らず少しずつでも、僕達はリリンと相互理解を果たすべきなのだから」

「実はもう、使徒のみんなと会いたいって要望が、世界各国から寄せられているの」

「ふふ、それは嬉しいね」

 使徒が脅威となる存在か否か、それを確認したいと言う意味合いがあるのだろうが、興味を持っていると言う事実にカヲルは笑みを浮かべる。

 好意の対義語は無関心。相互理解の第一歩は、相手に興味を抱く事から始まるのだから。

「シイさん。君の望み描く未来へ向かって歩み出す準備は出来た。争いの無い、誰もが笑顔で居られる優しい世界……是非君と共に歩ませて欲しい」

「うん、ありがとうカヲル君。この先、大変な事は一杯あると思うけど、みんなで力を合わせればきっと出来ると思うから……これからもよろしくお願いします」

 固く握手を交わすシイとカヲル。人類と使徒の共存、そして優しい世界を目指す長い旅は、今この時第一歩を踏み出すのだった。

 

 




投稿間隔が空いてしまい、申し訳ありません。
リアルでのトラブルが全て片付いたので、投稿を再開させて頂きます。

新生使徒達も無事登場でき、これにて一件落着……とは問屋が卸さず。
まだやり残しがありますので、それを解決してシリアスの締めとさせて下さい。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《リリンと使徒(鋼鉄のガールフレンド)》

 

 

~後始末~

 

「ところで、例の山岸さんは来ていないのかい?」

「うむ、彼女はまだIDカードの発行が済んでいなくてな。手続きは近日中に終わるだろうから、その時に改めて顔見せをすれば良いだろう」

「成る程。なら今日はこれで解散で良いのかな」

「ああ。……全員ご苦労だった。それぞれ持ち場に戻り、業務を再開してくれ」

 ゲンドウの言葉を受けて、スタッフ達は席を立って会議室を後にする。

「シイも今日は家に帰って休みなさい」

「えっと……もう少し使徒さん達とお話しちゃ駄目かな?」

「あんた馬鹿ぁ? 病み上がりなんだから、大人しくしてなさいよ」

「レイ、アスカちゃん、お願いね」

「……はい。責任を持って安静にさせます」

 名残惜しげなシイだったが、レイとアスカによって強制的に帰宅させられる事となった。

「み、みんな~。今度ゆっくりお話しようね~」

「シイちゃんばいば~い」

 サンダルフォンを始めとする使徒の面々に手を振られながら、三人は会議室の外へと消えていった。そして会議室には、ゲンドウと冬月にユイと加持、そしてカヲル達だけが残される。

 

「では例の件についてだが」

「戦自の上層部に居る内通者……難しい問題ですわね」

「加持君。その後の進捗は何かあるか?」

「内通者の副官と情報交換を続けていますが、芳しくないですね。相当に用心深い性格らしく、未だに尻尾が掴めないそうです」

 加持の報告にゲンドウ達は表情を険しくする。このまま事件が処理されれば、内通者は一切の責任を負わずに変わらず戦自の上層部に居続けるだろう。

 強い権限を持つ存在が、卑劣な武力行使も厭わないとなれば、シイや他の重要人物の安全が何時脅かされるとも分からない。ここで決着を着けるべきなのだが、事はそう簡単にはいかない。と思われたのだが。

「ふふ、そこで僕達の出番と言う訳だね」

「正直なところ、君が何か掴んでいる何かが頼りだよ」

「それ程大げさな物でも無いさ。ただその内通者とテロ組織の通信記録を、既に入手していると言うだけだからね」

 事も無さげに言ってのけるカヲルに、ゲンドウ達は驚きの表情を浮かべたが、先程の自己紹介を思い出して成る程と頷く。

「イロウル君か」

「ご明察。彼にテロ組織の情報を探って貰っている内に、厳重にプロテクトと偽装工作が施された端末から、何者かが情報を提供している事を掴んでね。一応データを保存して貰ったのさ」

「……失礼します」

 イロウルは断りを入れてから、会議室の端末を手早く弄る。すると巨大なスクリーンに、内通者が送ったと思われるメールの映像が浮かび上がる。

 マナが集めたであろうシイのデータから、テロ組織の活動を裏で支援する様な文面など、今回の件に関わっている事が誤魔化せない内容であった。

「こいつはまた……決定的だな」

「送信端末の特定は出来ているのかしら?」

「抜かりは無いよ。幾つかの端末を経由してカモフラージュしていたけど、大本は戦略自衛隊の端末からだった」

「決まりだな。後はこのデータを元に、その内通者を問い詰めれば全て片が付く」

 懸案だった決定的な証拠を掴んだ以上、二の足を踏んでいた戦自の高官達からも協力を得られるだろう。後は如何にしてチェックメイトまで持っていくかだ。

「……加持君。早速その副官を通じて戦自に連絡を取ってくれ」

「了解です」

「ユイ。霧島マナとコンタクトを取れ。一時的ではあるが、こちらの指揮下に入って貰う」

「分かりましたわ」

「冬月は老人達に事情説明を頼む」

「やれやれ、厄介ごとばかり回しおって……心得ているよ」

「渚。そして使徒の諸君にも力を貸して貰いたい」

「ふふ、言われるまでも無いさ」

「……決着を着けるぞ」

 何時ものポーズで力強く告げるゲンドウ。その堂々とした佇まいは敵対者には威圧感を、仲間に絶対の安心感を与える、組織のトップに相応しい物であった。

 

 

 

~終幕~

 

 戦略自衛隊本部。日本各地に基地や研究所を有する戦自にあって、本部に配属されているのは現場に出る機会の無い、高官達が多数を占めている。

 そんな本部の執務室に、一人の将官の姿があった。

 歳は五十代だろうか。神経質そうな顔立ちの男は、何処か苛立った様子で、先程からしきりに煙草を吸っては、一杯になっている灰皿に押しつけると言う行動を繰り返している。

(何故だ……何故あの男が……)

 男が苛立っている理由はハッキリしている。間もなくこの場所に、ゼーゲンの本部司令碇ゲンドウがやって来るからだ。

 友好的な関係を築いている以上、ゲンドウが戦自に顔を出す事はおかしく無い。現にこれまでにも幾度も、彼はここを訪れているのだから。

 だが男にとっては、テロ組織と内通していた男にとっては、このタイミングでゲンドウが訪れる事に、何か裏があるのではと思わずに居られなかった。

(……だが無駄だ。証拠の隠滅は完璧……奴には何も出来ん)

 テロ組織との情報交換は全てデータで行い、そのデータは完全に消去してある。仮に端末を調べられたとしても、何一つ証拠は出てこないだろう。

(私がボロを出さなければ問題無い……)

 男も伊達に戦自の将官まで上り詰めてはいない。ありとあらゆる手段で他者を蹴落とし、コネクションを築き、陰謀や思惑渦巻く世界をくぐり抜けて、現在の地位を得たのだ。

 その経験と自信が、男に冷静さを取り戻させた。

 

 やがて約束の時間を迎え、静かなノックの音と共にゲンドウが室内に姿を見せる。

「……失礼します。この度はお時間を頂き、ありがとうございます」

「いやいや、ゼーゲン本部司令直々の来訪だ。それ位の融通は利かせられる。まあ立ち話もなんだ。座ると良い」

 社交辞令を済ませてから、ゲンドウと男は応接ソファーに向かい合って腰を下ろす。

「さて……私に何か話があると言う事だが」

「ええ。まずは先日の、ゼーゲン次期総司令拉致事件解決に部隊を派遣して頂いた事について、改めて感謝させて下さい」

「はは、随分と律儀だな。我々とゼーゲンは協力関係にある。幸いにも人的被害は皆無で、憎きテロ組織は壊滅。君達の次期総司令も無事保護出来たんだ。それで良しとしよう」

 これは半分男の本心でもあった。彼の目的を果たすことは出来なかったが、全ての責任をテロ組織に被せる事は出来た。これ以上ほじくり返さないで欲しいのだ。

「まさかそれだけの為に、多忙の合間を縫って来たのかね?」

「いえ……その拉致事件について、事後の調査で明らかになった事があったので、協力して頂いた貴方方にも伝えるのが筋と思いましたので」

「……わざわざ君が、直接、か?」

「はい」

 表面的だが和やかだった空気が変わり、ぴりっと緊張感が二人の間に張り詰めた。

 

 女性士官が運んできたお茶を一口飲むと、ゲンドウは静かに口を開く。

「……例のテロ組織ですが、どうやらある人物から情報提供を受けていた様です」

「おかしな事ではあるまい。あれだけの規模の組織ならば、情報源も豊富だろう」

「ええ。ところがその人物から彼らが得た情報は、碇シイに関しての物でした。それも到底拉致には役立たないような、個人的な情報ばかりを」

「ほぅ、残念ながら私にはそいつらの考えが検討もつかんが、それが分かったのかね?」

「はい。奴らは拉致したシイに、世界中へ向けて自らを否定する様な声明を出させようと、目論んでいた。とは言えシイが素直に従うはずも無い。だから奴らはシイに対して最も有効な脅迫法を調べる為、情報を集めたのです」

 従わなければ殺す、と言う脅しはある条件下で効果を発揮しづらい。それは例え従ったとしても、その後殺される事が濃厚、あるいは確定している場合だ。

 今回の場合はそれに該当し、更に声明を出させるまでは死なせる訳にいかない。だからテロ組織は肉体的では無く、精神的な脅迫を行う必要があった。

「シイにとって最も効果的な脅し、それは近しい人間を傷つける事です。あれは自分が傷つく事は耐えられても、他者が傷つく事は耐えられない」

「報告では他に二名拉致されたとあったが、それはその為と言う事かね?」

「これは拉致された本人がテロ組織の人間から直接聞いているので、間違い無いでしょう」

「卑劣な事を考える……改めてそんな連中を壊滅させられて良かったと思うよ」

 大げさに安堵のため息をつく男に、しかしゲンドウは表情を崩さずに頷く。こうした場では、感情を制御出来ない方が不利なのだから。

 

「……簡単なプロフィールならともかく、この様な内面的な情報は通常知り得ない物です。それこそシイと親しい者で無ければ」

「だろうな。私も今初めて知った位だ」

「ではテロ組織は……いえ、その情報提供者は如何にしてシイの情報を得たのか」

「さてな」

「親しい者しか知らないのならば、そこから情報を引き出せば良い。例えば……シイの級友ならば、容易にその情報を得る事が出来るでしょう」

 この時点で男は、ゲンドウが自分を内通者と認識している事を確信する。それでも動揺を全く見せないのは、証拠が無いと自信を持っているからだろう。

「確かに道理だな。それで?」

「……霧島マナ。この少女をご存じですね」

「霧島……ああ、私が各地に研修目的で派遣した士官候補生の中に、そんな名前の子が居たな」

「では彼女がシイのクラスに編入したのは、研修が目的だったと?」

「そうだ。戦自という組織から離れ、多感な思春期に同世代の子供と触れ合い、視野を広げると共に自分を見つめ直して今後の糧とする。特に問題が無いと思うがね」

 ゲンドウの問いかけに男は淀みなく答える。マナ以外の士官候補生が実際に各地へ派遣されている事から、男は今の名目で研修を命じたのだろう。

 

「……今の回答は正式な物として受け取ってもよろしいですね?」

「どう言う事かな?」

「さる人物からは、貴方とは異なる回答を貰っています。霧島マナの派遣は、碇シイに近づいてその情報を得る為だと」

 ジャブの応酬を繰り返してきたゲンドウは、ここで大きく踏み込んでみせる。

「……妙な事を言う輩が居た者だ。一体何者かね?」

「貴方の副官ですよ。霧島マナが得た情報を、貴方に報告していた人物ですから、その証言には充分な説得力があります」

「…………」

「そして霧島マナ本人からも、碇シイの情報収集が目的であったとの証言を得ました。この矛盾に対する納得のいく回答をお願いします」

 丁寧な口調とは裏腹に、ゲンドウは視線鋭く男を射抜く。それでも男は動じる事無く、わざとらしく大きなため息をついた。

「……何と言う事だ……。まさか私の信頼していた彼が……」

「??」

「碇司令。どうやら私の副官は裏切り者だった様だ。私の与り知らぬところで、士官候補生に独断で碇シイの情報収集を命じたのだろう。恐らく目的は君の言った通り、テロ組織への情報提供……よもや戦自に内通者が居たとは思いも寄らなかった」

 ここまで聞いてゲンドウは男の意図に気づく。男は自分の副官に全ての罪をなすりつけ、スケープゴートとして処理するつもりなのだと。

「……彼は貴方に全て報告していたと言っています。それでも知らなかったと?」

「残念ながら、私には一切報告は上がってきていない。大方責任逃れのための嘘だろう」

「…………」

「ふむ、これは由々しき事態だな。早急に身柄を確保し、真相を突き止めなければ。すまないが私はこの件を処理しなくてはならない」

 男は立ち上がり、強引にゲンドウとの話を打ち切ろうとする。恐らくこの後、地位と権力を使って無実の罪で副官を処罰し、今回の一件を全て終わらせるつもりなのだろう。

 そんな巫山戯た事を押し通せるのが、戦自における男の立ち位置であった。

 

「……認めるつもりは無いのですか?」

「部下の不始末については、申し訳無く思っている。後日正式に謝罪を入れよう」

「自らの行いを認め、反省の余地があればと思ったが……どうやら無駄のようだ」

 残念そうにゲンドウが呟いた瞬間、それを待ちわびていたかの様に執務室のドアが勢いよく開かれ、

廊下からぞろぞろと人影が姿を見せる。

 戦自の高官達を筆頭に、渚カヲルとアラエル。それに加えて加持と男の副官にマナまでもが、ずらりとゲンドウの背後に立ち並ぶ。

「……これはどういうつもりだ?」

「見ての通りです。我々は始めから貴方が内通者であると確信していました。ただ出来る事ならば、自分で罪を認めて欲しかったのですが……残念です」

「証拠も無く人を罪人呼ばわりするのか?」

「……貴方がテロ組織と交わしたメールの記録は入手してあります。戦自の情報局にデータの調査を依頼しましたが、偽装無しの本物であるとの鑑定結果が出ましたよ」

 娯楽小説に出てくる探偵のように、ゲンドウは淡々と男を追い詰める事実を口にする。

「貴方の副官とは拉致事件の前から情報交換を行っており、彼が内通者である事を否定出来ます。……もう認めて欲しいものですが」

「……知らん。私はそんな事一切知らん。そのデータが本物だと鑑定されたと言っていたが、鑑定した者が真実を言っていると誰が証明する? 私を陥れようとする狡猾な罠かも知れんだろ。貴様らが何を言おうが、私は潔白だと主張を続けるぞ」

 堰を切ったように男は口早にゲンドウ達をまくし立てる。と、それに反応したのか、カヲルの隣に居たアラエルが不思議そうに首を傾げながら口を開く。

「ん~ねえカヲル兄さん。どうしてこの人はずっと嘘をついているの?」

「ふふ、自分の保身のために悪あがきをしているのさ。罪を認めたら、今まで築き上げてきた地位や権力を失うからね。それが耐えられないんだろう」

「ふ~ん。偉い人ってのは大変なんだね~」

「何を……こいつは何を言ってるんだ」

「彼女は先日新生を果たした使徒、アラエルです。相手の精神に干渉する能力を持っており、心の中を覗き嘘を暴く事も可能ですよ。……今、貴方にしたように」

 訝しむ男にゲンドウはサングラスを直しながら答える。アラエルの指摘によって、冤罪というほんの僅かだが存在していた可能性は、完全に否定された。

「ば、馬鹿馬鹿しい。そんな戯言、信じられるわけが無い」

「どうだいアラエル?」

「えっとね~、『使徒だと? 確かにあの化け物共ならあり得るかもしれんが……だが結局それを真実と証明する手段は無い。状況は何一つ変わっていない』って考えてる」

 ズバリ言い当てられたのか、男は唖然とした表情で絶句する。男の言うとおり、ゲンドウ達にはアラエルが本当に心を読んでいるのかは分からない。だが、男の反応が全てを語っていた。

 

「で、でたらめだ!」

「やれやれ、往生際が悪いにも程があるね」

「……失礼を承知で、一つお伺いしたい事があります」

 ため息をつくカヲルに代わり、深刻な表情のマナが男へ問いかける。

「何故、平和な世界を目指すシイちゃんを狙ったのですか? 私達戦略自衛隊は平和の為に……その為に存在していたのでは無いのですか?」

「その通りだ。私が碇シイを消そうとする理由などありはしない!」

「アラエル?」

「ん~『ふん、使徒とゼーゲンに管理される平和など願い下げだ。大体戦いが無くなれば、戦自の存在意義が無くなってしまうだろうが』だって」

 男の心を代弁するアラエルの言葉に、一同は悲しそうな、寂しそうな表情を見せる。

「どうやら平和の為の戦いが、貴方の中では目的に変わっていた様ですね」

「ふふ、それこそがリリンが背負った罪なのかもの知れないね。戦いを求めてしまう本能が、目的と手段を入れ替えてしまう。永遠に戦いという悲しい歴史を繰り返す……これこそが知恵の実を得たリリンに神が与えた罰なのかもしれないね」

「……ま、今回は自分の地位や権力が弱くなるのが耐えられない、ってのもあるだろうがな」

 国家間の緊張があったからこそ、世界最強の呼び声高い戦自は日本政府にとって、自国の平和を守る切り札として重要視されていた。

 だが平和な世界が実現されれば、規模の縮小などの影響は避けられない。それが男には耐えられない屈辱であったのだろう。

「そんな事の為にシイちゃんを、人の命を奪おうとするなんて……」

「貴様に何が分かる……セカンドインパクトの後、この国がどんな惨状だったか知っているのか?」

「……水位が上昇して幾つもの都市が水没、旧東京がテロによって壊滅した、と」

「首都を失い政治機能が麻痺し、正常な国家運営が出来なくなった日本は、諸外国から併合と言う名の支配に脅かされていた。国連に庇護を求めたものの、代償として自衛隊を強制的に国連軍へ奪われ、独立国家としての地位が大きく揺らいだ」

 もはや内通を誤魔化せないと悟ったのか、男は腹をくくったかのように落ち着いた様子で、胸の内をさらけ出しながら語り続ける。

「そんな窮地に立たされた日本が今日まで存続出来たのは、我々戦略自衛隊が世界最強の軍隊として、紛争とテロの鎮圧で世界中にその力を示したからだ」

「……否定はしませんよ。実際戦自の存在が無ければ、日本は今の形で存在出来なかったでしょう」

「私も幾多の戦いに参加した。数え切れない程の敵を殺し……味方の命も失った。そしてその結果、私は今の地位に居る。誇りにこそ思えど、そんな事呼ばわりされるいわれは無い!」

 マナの言葉が棘となったのか、男は感情を露わに言い放つ。鋭い視線で一同を睨む男からは、強い自負心から産まれる凄みが感じられた。

 

「……平和の為に戦ってきた筈なのに、いざ平和な世界が現実になるとなったら、それを拒絶する。どれだけ理屈を並べても、結局貴方は自分が可愛いだけなんです」

「それは碇シイも同じだろうが。何だかんだと理由をつけてはいるが、結局は我が儘を強引に押し通し、自分にとって都合の良い世界を求めているだけだ」

「半分正解、かな。シイさんが我が儘なのは間違い無いけど、後半は否定させて貰うよ。彼女は常に他者を中心に物事を考えるからね。……悪く言えば歪んでいるのさ」

 吐き捨てるような男の言葉に、カヲルは苦笑しながら反論する。

「そもそもそんな自己利益に走るようなリリンが、あれだけ多くの友人や仲間、賛同者を得る事が出来ると思うかい? アダムとリリスに認められると思うかい? 特別な力も特出した頭脳も持たない少女が世界を動かす存在になったのには、それなりの理由があるんだよ」

「シイちゃんの意見や考えに反対するなら、貴方はちゃんと正面からぶつかるべきだったんです。暴力に訴えた時点で……貴方の言葉は意味を失ってしまうのだから」

「…………」

 男は何も答えず、ただ疲れた様にソファーへと腰を下ろした。口から零れる大きなため息に、どの様な感情がこもっていたのかは、本人以外には分からない。

 と、一連のやり取りで男が内通者であると認めた事を受けた戦自の高官達が、武装した隊員達に拘束するように指示を下す。

 男は抵抗する事も無く、隊員達に両脇を固められて連行されていく。その姿をゲンドウ達は、何とも言えぬ複雑な気持ちを抱きながら見送るのだった。

 

 

 事後処理の為に戦自の高官達が退室していく中、一人残った老年の将官がゲンドウに向かって頭を下げる。

「……碇君。今回はこちらの不始末で、君達に迷惑を掛けてしまった。すまない」

「いえ、戦自の部隊派遣が無ければ、シイ達の救出はもっと難航していたでしょう。咎められるはあの男であって、戦自には感謝しております」

「そう言って貰えると助かるよ」

 高官の一人である老将官は今回の一件で、ゼーゲンとの関係が再び悪化する事を危惧していた様だが、ゲンドウの言葉に表情を和らげて頷く。

「事後処理が済んだら、正式に報告を上げさせて貰う。……仮にも戦自の将官、裁くにもそれなりの手続きを踏まねばならないからな」

「構いません。……ところで彼女の事なのですが」

 ゲンドウからチラリと視線を向けられ、マナは全身を緊張させて姿勢を正す。

「霧島士官候補生だったか……まあ知らされていなかったとは言え、直接碇シイから情報を得たのは事実。彼女にも処罰は必要か」

「……はい。私の行動によって、シイちゃ……碇シイ次期総司令を危険に晒しました。どの様な処分も受ける所存であります」

「ふむ……」

 両手を腰の後ろに組み、直立不動の姿勢で処罰が下されるのを待つマナ。自分が大切な友人を裏切ってしまったと言う後悔の念が、彼女に今も強く残っているのだろう。

「では霧島候補生に…………ゼーゲンへの転属を命じる。以後は戦略自衛隊の指揮系統から外れ、ゼーゲンの職員として任務に励むように」

「え?」

「不服かね?」

「い、いえ……決してその様な事は……」

 慌てて否定するマナだったが、予想外の処罰に内心相当動揺していた。いや、そもそもこれが処罰と言えるのかすら怪しいだろう。

「……君の責任は謹慎や降格、減給でとれるものでは無い。碇シイを危険に晒した事を悔いるのならば、今度は彼女を守る事で汚名を返上してみせろ」

「…………」

「ん、どうした。返事が聞こえないぞ?」

「はっ! ゼーゲンへの転属命令、謹んで拝命致します」

「よろしい。正式な辞令は本日中に用意する。君はここで転属の手続きを済ませてから、第三新東京市に戻ると良いだろう。……では碇君、彼女の事を頼んだぞ」

 姿勢を正して敬礼するマナに返礼すると、老将官は優しい笑顔でゲンドウに頭を下げ、静かに部屋から出て行くのだった。

 

 

 

~親心~

 

 その後ゲンドウとカヲル、アラエルは加持にマナの事を任せ、一足先に本部へ戻る事にした。能力を使うと疲れるのか、アラエルはカヲルの膝枕で安らかな寝息を立てている。

 立派に役割を果たした妹の頭を優しく撫でながら、カヲルはゲンドウと言葉を交わす。

「これで決着、かな?」

「ああ」

「あの男の処分はあれで良かったのかい? 僕は存在を消滅させるつもりだったんだけど」

「……それはシイの望む結末では無い」

「ふふ、まあお義父さんがどんな気持ちだったのかは、アラエルから教えて貰って居るけどね」

 男に対してゲンドウは最後まで丁寧な態度を貫き通した。それは気を抜けば男を殴ってしまう程、心の中に渦巻く怒りを抑える為だったのだろう。

 感情の赴くまま男を糾弾する事も、暴力を振るう事もシイは望まない。そんなゲンドウのシイに対する深い理解を感じ、カヲルは微笑みながら頷いた。

 

「ところで、霧島マナについては予定通りだったのかい?」

「ああ。事前に戦自と転属の話はついていた」

「もしそれがシイさんの友人にする為だとしたら、相当な親馬鹿だと言わざるを得ないね」

「戦自は当事者をゼーゲンに委ねて遺恨を無くしたい。我々は正式な訓練を受けた軍人を、自然な形でシイの護衛としておける。……それだけだ」

 ゲンドウの答えが本心で無い事は、アラエルが居なくてもカヲルには分かる。護衛ならばレイとカヲルが居るだけで充分な以上、それ以外の理由がある筈なのだから。

 だがあえて追求する必要も無いと、納得した素振りを見せておく。

「まあ良いさ。シイさんの支えとなる友人が増えるのは、喜ばしい事だからね」

「……ああ」

「新生した使徒達に加えて、山岸マユミと霧島マナと言う新たな翼も得た。ようやくこれで、シイさんが望む未来への第一歩を踏み出せた、かな」

「……ああ。全てはこれからだ」

 大空を力強く羽ばたく鳥の姿を見つめながら、ゲンドウは小さく呟くのだった。




転校生編マナパート、これにて決着です。

次回で使徒救済編も完結となり、予定しているシリアス部分は消化し終えます。
本来の肩の力が抜ける後日談へと戻りつつ、終幕に向けて詰めていく予定です。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《三歩目》

 

 シイの拉致事件解決から数日が過ぎた。事件はゼーゲンと戦自双方の意向により、公にする事無く内密に処理された為、世界に影響を与える事は無かった。

 事後処理も問題無く進み、シイ達は元の穏やかな日々へと戻っていく。

 

~初出勤~

 

 とある休日の朝、制服姿のマユミは緊張した面持ちで自宅の前に立っていた。落ち着かないのか、しきりに髪や服装を気にしている彼女の前で、黒塗りの車が停車する。

 ゆっくりと運転席から姿を見せたのは、無精髭を生やした男……加持リョウジだった。

「やっ、おはよう。山岸マユミさんだね」

「は、はい……そう……です」

「そんなに緊張する事は無いさ。俺は加持リョウジ。ゼーゲンの職員で、君を迎えに来たんだが……聞いてるかな?」

「はい……その……よろしくお願いします」

 顔を真っ赤にしてお辞儀をするマユミを、加持は苦笑しながら助手席にエスコートする。紳士的な対応だったが、それがマユミの緊張を助長してしまう。

(こいつはまた……手強そうだな)

 助手席で身を固くするマユミに、加持はどう接したものかと悩む。女性の扱いに定評がある事から送迎役に選ばれた加持だが、実はマユミの様なタイプを相手にした事が無い。

 車を走らせながらも話題を考えてはみるが、上手い切り出し方が浮かばず、車内に嫌な沈黙が流れる。と、そんな空気を感じ取ったのか、予想外にマユミから加持に声を掛けた。

「あ、あの……加持さんとお呼びしても……良いですか?」

「ああ。シイ君達もそう呼ぶからな」

「……その、ゼーゲンの職員と言う事は、加持さんも凄い方ですよね?」

「俺か? まあそれなりに長いことこの世界には居るが、そんな大した男じゃ無いぞ」

 質問の意図が読めなかったが、加持はひとまず無難な答えを返す。主席監査官の肩書きこそあるが、ゼーゲンに居並ぶ天才達の様な特出した存在では無いと、本人は自己評価をしていた。

「シイちゃんから……とても頼りになる方だと聞いています。レイさんも鈴原君も同じ事を言っていましたし、あの惣流さんが素直に褒めるなんて……きっと凄い人なんだなと」

「そいつは光栄だな」

 アスカの扱いに内心苦笑しつつも、加持は僅かに頬を緩めて答える。一切の打算無く人から褒められると言うのは、純粋に嬉しい事なのだから。

「だけどな、俺なんかよりも凄い才能や技術を持った職員は沢山居るぞ」

「……ゼーゲンはそうした人達が集まっていると聞きました」

「不安かい?」

「……はい。私は本当に何も出来ない子供なんです。レイさんに大丈夫だと言って貰っても……どうしても怖くて……」

 マユミの手が小さく震えている事に気づき、加持は少し思案してから慎重に口を開く。

 

「俺の勘違いだったら悪いが、君の不安は自分がゼーゲンでやっていけるか、では無くて、ゼーゲンの職員に受け入れて貰えるかだったりするか?」

「……そうです」

「成る程な。確かに君は正規の採用試験を受けていない。あえて悪い言い方をすれば、コネで入職したみたいなもんだ。それを快く思わない奴も居るだろう……普通なら、な」

「普通なら、ですか?」

「そうだ。少なくともゼーゲンの職員で、君の入職に懐疑的な奴は居ない。何せあのレイが直々に推薦をしたんだ。文句が出るはずも無いさ」

 加持の言葉を何処まで信じて良いのか、マユミは横顔から表情を伺う。

「それは……レイさんがリリスさん、神様だからでしょうか?」

「まあ関係無いとは言わないが、それ以上にレイがゼーゲンのみんなに認められているからだ。レイが薦めるならば、と納得してしまう位にな」

「…………」

「そんなレイも最初から信頼を得ていた訳じゃ無い。使徒との戦いでの働きと、日々の触れ合いの積み重ねで、少しずつみんなから認められていったんだ」

 元々レイはゲンドウ子飼いのチルドレンで、謎の多い人形の様な少女として職員達からは、腫れ物に触るような扱いを受けていた。

 それが今ではゼーゲンに欠かせない人材として、職員達に信頼されている。信頼関係の構築は一朝一夕では、決してなしえないものなのだ。

「切っ掛けなんて大した問題じゃ無い。大事なのはその先……分かるか?」

「……何となく、ですけど」

「それで充分だ。自分で言った通り君はまだ子供、誰も始めから完璧な仕事を求めたりはしないし、無理することを望まない。焦らず出来る事からやっていけば良い」

「私に出来る事……」

「必ずある。だから君はここに居るんだ」

 力強く断言する加持の言葉を、マユミは何度も心の中で反芻する。それは自己暗示のように、マユミの不安を少しずつ打ち消していく。

「やれる事をやっていれば誰かが見いてくれる。認めてくれる。そうして信頼を得ていけば、それは君の自信になって、もっと良い仕事が出来るようになるさ。……ちょいと説教臭かったかな」

「いえ……ありがとうございます」

 加持が真摯に助言してくれた事に、マユミは心からの感謝を伝えるのだった。

 

 

 

~ルーキーズ~

 

 ゼーゲン本部に到着した二人を出迎えたのは、シイとマナと言う珍しいコンビだった。まさかマナが居るとは思っていなかったのか、マユミは驚いた様子で声をかける。

「き、霧島さんも……ゼーゲンの人だったの?」

「あはは、まあ色々と訳ありでね。入りたての新米だけど」

「一応マナは俺の直属の部下だ。まだアルバイトみたいなもんだがな」

 ゼーゲン所属となったマナは、加持の部下としてシイの護衛を任されていた。とは言え定時報告の相手がゼーゲンに変わった事と、心を偽らずにシイ達と付き合える様になったと言う違いはあれど、マナの生活に大きな変化は無かったが。

「やっぱ知り合いがいると安心するでしょ?」

「うん……本当に」

「ま~偉そうな事言ってるけど、同じ新人同士よろしくね」

 笑いながら右手を差し出すマナと握手を交わしながら、マユミはマナの変化を感じていた。何処か壁を作っていた様な彼女が、今は本心から笑っているように思えたのだ。

「霧島さん……何かあったの?」

「へ?」

「ご、ごめんなさい。ただ前よりも……暖かい感じがしたから」

 マユミの言葉にマナだけでなく、シイと加持も驚いて彼女を見つめてしまう。確かにあの一件からマナは心に被っていた仮面を外したが、表面的な態度はほとんど変わっていない。

 ほんの僅かな変化も見逃さないマユミの洞察力に、三人は本気で感心していた。

「あの……私何か変な事言ってしまいましたか?」

「ううん。ありがとうね、山岸さん」

 何に感謝されたのか分からないマユミは首を傾げるが、マナは何も言わずに微笑んでいた。

 

「ところでシイ君。あの二人は一緒じゃないのか?」

「えっと……ですね。使徒のみんなと、シイスターズのみんながちょっと喧嘩しちゃいまして、その仲裁をしてます」

「そいつは穏やかじゃ無いな。原因は何なんだ?」

「抑止力部署の名前を決めようってなったんです」

 マナの言葉が全てなのだろう。恐らく収拾が付かない状況まで行き、カヲルとレイが実力であの面々を黙らせる光景が容易に想像出来てしまい、加持は困ったように頭を掻いた。

「また施設管理部が悲鳴を上げるのか……」

「泣きそうな顔で近づいて来た方々には、先に私とシイちゃんで謝っておきました」

「良い気配りだ。ならあいつらとの対面は最後に回すとして、予定通り碇司令に挨拶に行くか」

 一同は加持の言葉に頷くと、着任の挨拶をする為に司令室へと向かうのだった。

 

 

~着任報告~

 

 司令室でマユミを待っていたのは、執務机に肘をついているゲンドウと、その脇に姿勢正しく立つ冬月だった。

 ゼーゲンの実質トップ二名を前に、緊張するマユミに変わって加持が第一声を発する。

「失礼します。本日着任の山岸マユミを連れてきました」

「は、初めまして。山岸マユミと申します……その、お世話になります」

「話は聞いているよ。私は冬月コウゾウ、ゼーゲン本部の副司令を務めている。君の配属を受理すると共に、今後の活躍に期待しよう」

 穏やかな物腰で語りかける冬月に、マユミは安堵した様に胸をなで下ろす。威圧感たっぷりのゲンドウと並んでいると、冬月が与える安心感は非常に大きなものであった。

「君はゼーゲンの抑止力部署に配属となるが、当面は学業を優先して貰って構わない。まずは少しずつこの環境と仕事に慣れて行くことだな」

「はい……ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします」

 元教師の冬月はマユミにとって親しみやすい存在なのかも知れない。人見知りをする彼女にしては珍しく、早くも打ち解けつつあった。

「碇。お前からも何か言葉を掛けてやったらどうだ?」

「……山岸マユミ」

「は、はい」

 低く威厳のある声で呼ばれ、マユミはびくっと身体を震わせて返事をした。初対面では無いのだが、司令としてのゲンドウはオフの時とはまるで別人で、自然とマユミの身体に緊張が走る。

「君はこれから使徒と言う、ヒトにあらざる者達と接する事となる。使徒達はそれぞれ強い戦闘能力や、人類に無い特別な能力を有している故に、劣等感や無力感を感じるかもしれん」

「……はい」

「だが我々は君に使徒達と同じ役割を求めてはいない。君は特別な力を持たない人類の代表として、使徒とヒトを繋ぐ架け橋となって欲しい」

「私に……出来るでしょうか?」

「それは君次第だが、成果を焦る必要は無い。責任を感じて無理をする必要も無い。君が諦めない限り、我々も全力で協力する。思う様にやりたまえ」

「はい……ありがとうございます」

 言葉の中に潜む優しさを感じ取り、マユミは深々と頭を下げた。

 

「まあ何にせよ、君が常識人で良かったよ。どうかそのままでいて欲しい」

「え……?」

「言って無かったが、ここは変わり者が多いんだ。使徒達は言わずもがな、職員達も癖の強い奴が揃ってる。そうだな……アスカがゼーゲンでは常識人だと言えば、少しは分かりやすいか」

 加持の言葉にマユミの表情が引きつっていく。彼女が想像していたゼーゲンは、選ばれたエリートが揃うお堅い組織なのだから。

「そ、そうなの?」

「大丈夫だよマユミちゃん。みんな優しくていい人だから」

「あはは、因みにだけどシイちゃんは相当癖が強い部類に入ると思うな~。ううん、寧ろ元凶かも。みんなシイちゃんが絡むとおかしくなるし」

「わ、私は何も変な事してないよ……多分」

 シイを知る者ならば、間違い無くマナの意見に賛同するだろう。彼女は輝かしい戦績とは裏腹に、命令違反、施設の私的使用、エヴァの私的専有、施設破壊の脅迫等、問題を起こす事も多かった。

 またアルコールと薬物の摂取で、本部をある意味で危機的状況下に追い込んだ事例もあり、真面目なトラブルメーカーという極めて厄介な存在である事は否定出来ない。

「……山岸君。君には期待している」

「うむ。色々と大変だとは思うが、よろしく頼むよ」

「後で俺のとっておきの場所に案内する。辛くなったら何時でも来てくれ」

「は、はい……頑張ります……」

 自分はとんでもない所に来てしまったのでは無いか。イメージしていたゼーゲン像が音を立てて崩れ去る中、マユミは顔を引きつらせながら頷くのだった。

 

 

 

~オペレーターズ~

 

 司令室を後にしたマユミ達は、発令所へと足を向けていた。本来ならば使徒達と対面する予定だったのだが、騒ぎの事後処理にまだ時間が掛かるとの連絡があり、先にスタッフ達へ顔見せをしようとなった為だ。

 ゼーゲンの発令所は戦艦の艦橋の様な、他では見られない独特の構造をしており、マユミはそのスケールの大きさに思わずため息を漏らす。

「凄い……」

「ここが第一発令所だ。かつては対使徒戦の司令部として用いられ、今は世界各国との連携や各地の平和維持が主な役割となってるな」

「何だかここに来るのも久しぶりかも」

「あら?」

 話し声が聞こえたのか、リツコは書類をチェックしていた手を止めて後ろを振り返った。そんな彼女に加持は軽く手を上げて挨拶する。

「やっ、りっちゃん。仕事中に悪いな」

「別に構わないわよ……貴方も仕事中みたいだし」

 加持の背後に立つマユミの姿を見て、リツコは生徒を引率する先生のようだと小さく笑う。

「紹介しておこうか。彼女が山岸マユミ、例の抑止力部署に配属された子だ」

「や、山岸マユミです……よろしくお願いします」

「技術開発部第一課所属の赤木リツコよ」

 リツコは緊張するマユミに大人の余裕を漂わせて自己紹介をする。白衣姿に眼鏡を掛けている彼女は、マユミのイメージする出来る女性そのものであった。

「あの子達がちょいとトラブってるらしくてな、予定を繰り上げさせて貰ったよ」

「ええ、知っているわ。……中々派手にやらかしてくれたからね」

「そんなにか?」

「幸いにも負傷者は出なかったけど、第八区画の実に二割が損壊。今頃碇司令は、修繕費の捻出に頭を悩ませているんじゃないかしら」

「困ったもんだな。ま、この子が来てくれた事で、改善されると良いんだが」

 加持の言葉にリツコも苦笑しながら頷く。

 

「ま、そんな訳で先に挨拶回りをしてるところさ」

「ならここにいるスタッフ達に紹介するわね」

 リツコは真剣な表情で作業をしていた日向達に声を掛け、一人ずつ順に紹介をしていく。

「まずは一番先輩からね。この眼鏡をしているのが、日向マコト二尉よ」

「情報部情報連携室所属の日向マコトだ。主に世界各国の政府や機関との連携を担当している。大変だと思うけど、頑張ってくれ」

「山岸マユミです。よろしくお願いします」

「あれ? 日向さんって戦術作戦部の所属だったんじゃ」

「もう作戦を立てる必要も無くなったからね。作戦部は解体されてそれぞれ違う部署に連続したんだよ。俺は加持監査官の推薦もあって、情報部にお世話になってるんだ」

 元々日向はミサト直属の部下ではあったが、直接作戦の立案に携わる事は無く、情報処理やオペレート業務が主であった。

 その為情報部の所属となった今も、戸惑うこと無く業務を全う出来ている。

 

「この長髪の彼が、青葉シゲル二尉よ」

「よぉ、俺はゼーゲン中央作戦室所属の青葉シゲル。まあ副司令の部下って覚えて貰って構わない。趣味はギター、特技はギター、好きな物はギターだ。よろしくな」

「は、はい……よろしくお願いします」

 軽薄な印象を与える青葉に苦手意識があるのか、マユミは少し緊張した様子で頭を下げる。

「へぇ~青葉さんってギター弾けるんですね」

「おう。バンドも組んでてな。お、そうだ、今度ライブやるから良かったら来てみるか?」

「あら青葉君ったら、シイちゃんから霧島さんに乗り換えたの?」

「か、勘弁して下さいよ」

 リツコの皮肉たっぷりの突っ込みに、青葉は参ったと頭を掻いて苦笑した。

「ライブか~、実はちょっと興味あったりして。二人はどう?」

「わ、私は……その……少し怖いかなって」

「らいぶって、演奏会の事だよね。みんなで行ったら楽しいかも」

 意外と乗り気なマナとシイの様子を見て、加持とリツコは同じ想像をし、表情を歪める。

 シイ達が揃って青葉のライブに行き、そこで柄の悪い連中に絡まれ……レイとカヲルによって処分される未来が、恐ろしい程鮮明に想像出来てしまったのだから。

「……ま、その話は追々するとしよう」

「そうね。そもそも司令が許可するとも思えないし」

 青葉の話を早々に切り上げ、リツコはマヤの紹介へと移る。

 

「この子は伊吹マヤ。私直属の頼りになる部下よ」

「からかわないで下さいよ先輩。……えっと、技術開発局所属の伊吹マヤです。主にシステムの管制を担当しているの。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 女性と言う事もあってか、マユミは安心したようにマヤに微笑み返す。

「マヤさんはね、お菓子作りがとっても上手なの」

「そう言えばレシピを貰ってたっけか。シイ君の先生だな」

「シイちゃんは元々料理が出来たから、少しだけコツを教えただけですって。……それに早くも追い抜かれちゃいましたから」

 軽くからかう加持に、マヤは何とも複雑な表情で答える。シイはあれから何度もマヤに手作りのお菓子を評価して貰い、師匠越えを果たしていたのだ。

「好きこそ物の上手なれ、ね」

「山岸君は何か好きな物や趣味はあるのか?」

「わ、私は……本を読む事が」

 恥ずかしそうに俯きながら答えるマユミに、大人達は成る程と頷く。眼鏡にロングヘアーと、マユミは彼らのイメージする文学少女像そのものだったからだ。

「文章を読むことで語学力と、そこに秘められた作者の意図を読み取る洞察力、更には集中力も鍛えられる良い趣味だと思うわ」

「相変わらず堅いな~りっちゃんは。ま、否定はしないけどな」

「私はあんまり読まないけど、シイちゃんは最近何か読んだ?」

「ん~最近だと……あ、聖書を読んだよ」

 事情を知らない一同は、まさかの回答にポカンと口を開けてシイを見つめる。そしてマユミは少しだけ理解した。碇シイが変わり者だと言うのは、あながち間違いでは無いのだと。

 

 

 

~苦労人~

 

 発令所のスタッフ達との顔合わせを終えると、加持は施設を案内がてら各部署にマユミの紹介を行っていく。人脈作りと言うほど大げさな物では無いが、マユミにとって自分の顔を知って貰う事は、今後の仕事においても大きな意味を持つ。

「直接関わることが少ない相手でも、こうして交流を持っておいた方が良い。いざって時に思いがけず助けて貰える事もあるし、何より敵を作らないって意味でもな」

「……はい、頑張ります」

「って言っても、無理をする必要は無い。挨拶をキチンとする事と、苦手だと思う相手にもそれを表に出さずに接する位で充分だ。ま、人付き合いの基本だな」

 人見知りがちなマユミに、加持は優しくアドバイスを送る。と、そんな一同の前から白衣姿の男がゆっくりと近づいて来た。

「おや、皆さんお揃いで」

「時田さん、こんにちは」

「やっ。今日は実験か何かか?」

「ええ。太陽光発電に用いる新素材のテストでしてね。中々良いデータが取れましたよ」

 満足のいく結果が得られたらしく、時田は上機嫌で加持の問いかけに答える。専門分野で力を発揮出来る喜びからか、以前にもまして生き生きとした表情を見せていた。

「ところでそちらのお嬢さんは噂の?」

「ああ。丁度良いから紹介しておこう。本日付で配属された山岸マユミ君だ」

「山岸マユミです……よろしくお願いします」

「これはご丁寧にどうも。私は時田シロウ、技術開発局第七課の課長を務めております。こちらこそよろしくお願いしますよ」

 頭を下げて挨拶するマユミに、時田も穏やかな笑みを浮かべてお辞儀する。中途採用の彼がゼーゲンで今の地位を築けたのは、元々の才能と使徒戦での実績だけで無く、こうした物腰の穏やかさも大きな要因だろう。

「見た目は冴えない中年親父だが、ゼーゲンでも屈指の科学者だ。人生経験も豊富だから、何か困ったことがあれば相談するのも良いだろう」

「時田さんには私も一杯助けて貰ったの。エレベーターを細工して貰ったり、病室から抜け出すのを手伝って貰ったり……」

「へぇ~時田さんやる~」

「か、過激な方なんですね……」

「ははは、まあ事実なだけに否定出来ないのが辛いですが……司令には黙って居て下さいね」

 少し引き気味のマユミに、時田はおどけた様子で似合わないウインクをしてみせる。そんなおどけた姿に、マユミも思わずクスリと笑みを零してしまう。

「あっ、すいません……」

「いやいや、とても可愛らしい笑顔が見られて嬉しいですよ。私達が目指すのはみんなが笑顔で居られる世界。率先してどんどん笑ってきましょう」

 時田の言葉は何処までも優しく、マユミの緊張を暖かく解かしていった。

 

 

~天才達との邂逅~

 

 時田と別れた一行は、施設の案内を再開する。利用頻度が高いであろう場所を巡り、やがて食堂へと訪れたシイ達は、思いがけない人物と遭遇した。

「お母さんとナオコさん?」

「あら、シイ。それに……ああ、そう言えば今日だったわね」

「こんにちはシイちゃん。それと加持君もお疲れ様」

 テーブルに書類を広げて何やら話し合っていた二人は、加持に引き連れられる子供達の姿を見て、事情を察したのか笑みを浮かべて挨拶をする。

「お二人とも休憩ですか?」

「ええ。実験が一段落したから、考察を兼ねてね」

「ホントここに居ると退屈しないわ。次から次に興味深い研究対象が現れるんですもの」

「何よりです。休憩中に申し訳無いですが、少しお時間よろしいですか?」

 加持がマユミの紹介をしようとしているのだと察し、二人は直ぐに頷く。

「本日付で配属された、山岸マユミ君です」

「はじめまして、山岸マユミです。よろしくお願いします」

「あの子達のまとめ役って聞いていたから、どんな子かと思っていたけど……普通の子ね」

「そ、その……ごめんなさい」

「ふふ、そんなに素直に受け取らないで。別にガッカリしたとか、そう言う訳じゃ無いの」

 普通と言う言葉をネガティブに受け取る人は、自分に劣等感を持っている事が多い。ナオコはマユミのそんな気質と生真面目な性格を理解し、苦笑しながらフォローを入れた。

「何せ問題児揃いだから、貴方までそうだったらどうしようかと思ってただけだから」

「は、はい……」

「じゃあ改めて。赤木ナオコよ。技術開発部に所属しているけど、引退間際のおばさんよ」

 何処まで本気か分からないナオコの自己紹介に、ユイと加持は困ったように苦笑する。ゼーゲンでも年輩の彼女だが、その頭脳には一辺の陰りも無いのだから。

「赤木さんって……もしかして」

「ああ、さっき会った赤木リツコ博士のお母さんだ」

 マユミの疑問を察して加持が補足説明する。事情のあるユイとキョウコは比較対象にならないが、ナオコも三十を過ぎた子供が居るとは思えない程、若い外見をしていた為、母親と言うイメージが繋がらなかったのだろう。

「あまり似てないかしら?」

「そうでは無くて……ごめんなさい、お姉さんだと思いました」

「あらあら、お世辞が上手ね。……お腹空いてない? 何でも好きな物頼んで良いわよ」

「私もずっとお姉さんじゃ無いのかな~って思ってました!」

「……水でも飲んでなさい」

 便乗しようとしたマナを、ナオコはバッサリと切り捨てる。そんな二人のやり取りに、一同は笑みを浮かべるのだった。

 

「私も改めて自己紹介をしておくわね。ゼーゲン本部司令補佐官の碇ユイです。司令の補佐業務の他に、技術開発部のお手伝いもしているわ」

「はい。よろしくお願いします」

「私のお母さんだよ」

「良く似てるよね~。じゃあシイちゃんが成長したらユイさんみたいに……」

 マナの言葉を聞いてマユミ達は大人になったシイを想像し、同時に挫折した。どれだけ頑張っても、シイがユイの様な女性になっているイメージが出来なかったのだ。

 ただ一人、シイ本人を除いては。

「……こう背がもっと伸びて……胸も大きくなって……うん、良いかも」

「し、シイちゃんの想像力って凄いと思う」

「信じてる事は……素敵な事と思います」

「それにシイちゃんの場合は、神頼みが本気で実現されかねないから、あるいは」

「……レイにはキチンと言っておきますわ」

「ま、答えは時が運んでくれるだろう」

 目を閉じて幸せそうに微笑むシイを、一同は複雑な表情で見守るのだった。

 

 その後暫し談笑していると、レイから後始末が終わったと連絡が入り、シイ達はユイとナオコに別れを告げて食堂を後にした。

 

 

 

~神と天使と人間と~

 

 指定された会議室へとやって来た一同が目にしたのは、全身ボロボロで着席しているカヲルと使徒達にシイスターズ、そしてただ一人無傷のレイの姿だった。

「こいつは……凄まじいな」

「私達が出て行った時は、こんな酷く無かったよね?」

「うん……ねえレイさん。一体何があったの?」

 戸惑いを隠せない様子で、シイは唯一無事なレイへと問いかける。と、レイが答える前に満身創痍のカヲルが口を開く。

「ふ、ふふ……文字通り神の怒りに触れたのさ……」

「順を追って説明してくれ」

「切っ掛けは……些細な事だったよ。この抑止力部署の名前が味気ないから、何か良い名称は無いかと話し合ってね。単なる雑談……山岸君が来るまでの時間つぶしだった」

 そこまでは加持もシイから聞いていた。恐らくそれがエキサイトして、乱闘まで発展したのだと思っていたのだが、どうやら事はもっと複雑らしい。

「始めは和気藹々としていたのだけど……提案よりも批判が増えてきてね。使徒達とシイスターズの対立がハッキリしてしまったんだよ。どちらが優れているのかと」

「ま、分からない話でも無いな」

 本来は使徒達もシイスターズもリリスの抑止力として、優劣の無い関係なのだが、感情問題として自分が相手よりも優れていると思いたくなるのは無理も無い。

「これから仲間として協力しあう以上、変な遺恨は消しておきたかった。……良い機会だから思う存分腹の内をぶつけ合えば良いと思っていたんだ」

「一度本音でやり合えば、相手の事も分かるからな。それも一つの手だろう」

「前に借りた娯楽書物にも、殴り合って友情を深めるなんてシーンがあったから、気の済むまでやらせるつもりだった。勿論被害が出ないよう、僕とレイがATフィールドで周りをガードしてね」

 カヲルの説明を聞いて、加持はんっと眉をひそめる。施設の損壊は乱闘の結果だと思っていたが、二人がATフィールドで守っていたのなら、あそこまでの被害は出ない筈だからだ。

「……何があった?」

「目論見通りみんな全力でぶつかった。リリスの制限が掛かっているから、使徒とシイスターズの能力はほぼ互角でね、次第に疲れたのか悪口合戦になったんだ」

「……!? おい、まさか……」

「ご明察。何を思ったのか、全員が相手の親を罵倒してしまったんだよ」

 疲れ果てたカヲルの言葉で加持は事情を察し、視線をレイへと移す。ポーカーフェイスを貫いているレイだが、その頬を流れる汗が全てを物語っていた。

「使徒達の親は言わずもがな、リリスだ。そしてシイスターズの親はリリスでありシイさんであり、司令とユイさん。愛すべき両親と姉を罵倒されたレイの怒りと、可愛い子に罵倒されたリリスの嘆きがシンクロしてしまったらしくてね……神の怒りが降り注いだよ」

「神の逆鱗に触れたって訳か……」

「僕もどうにか被害を抑えようとしたけど、流石に本気のリリスには力及ばずさ」

 カヲルの言葉に偽りが無い事は、そのボロボロな姿と、普段なら即座に反論するレイが無言を貫いている事からも明らかであった。

 

「だが、毎度この調子だと困っちまうな」

「……問題無いわ」

「そうだね。その為に彼女がここに来ているのだから」

 加持の呟きにレイとカヲルは揃って視線をマユミに向ける。するとそれにつられたように、使徒とシイスターズ達もまた、あまりの惨事に言葉を失っていたマユミを見つめた。

 突然注目を集め、戸惑うマユミだったが、勇気を振り絞って自己紹介をする。

「や、山岸マユミです……。私には皆さんの様な力はありません。足手まといだと分かっています。でも私に出来る事を探して、精一杯頑張ります。だから……どうぞよろしくお願いします」

「……起立」

 小さなレイの言葉に反応して、使徒とシイスターズ達は一斉に椅子から立ち上がる。

「……山岸さん。私達は貴方を歓迎します」

「ご覧の通り癖の強い子が揃っているけど、よろしく頼むよ」

 事前に打ち合わせをしていたのか、カヲルとレイがマユミに向かって頭を下げると同時に、使徒とシイスターズもまたお辞儀をする。

 神と天使、そして人間が共に手を取り合う事を決めた瞬間であった。

 

 

 その後、レイがシイスターズを、カヲルが使徒達をマユミに紹介していく。合わせて三十名を超える大所帯だったが、マユミは一人一人と真摯に向き合う。

「これだけの人数だ。少しずつ顔と名前を覚えて貰えて行けば良いさ」

「……大丈夫です。もうちゃんと覚えましたから」

「それって名前だけじゃ無くて、顔とも一致してるって事?」

 まさか一度の紹介で、全員を把握出来るとは思わなかったのか、マナは驚きの声を漏らす。

「使徒のみんなは名前が天使の由来なので覚えやすいし、シイスターズのみんなも法則性が、多分数字だと思うけど……それがあったから」

「こいつはまた、驚いたな」

「そうだね。僕も彼女達を完璧に判別するのに、少し手こずったのだけど……ふふ、ならこの子は誰かな?」

 悪戯心が生まれたのか、カヲルはシイスターズの側に歩み寄ると、立ち上がる様に促す。そして立ち位置をシャッフルして再度座らせてから、端の一人を指さした。

「ヤエちゃんです。その隣がハヅキちゃん、ヒヨリちゃん…………」

 流石にこれは無理だろうと誰もが思う中、しかしマユミは迷うこと無く名前を告げていく。答え合わせの必要など、嬉しそうに表情を緩ませるシイスターズを見れば不要だろう。

 見事全員の名前を言い当てたマユミに、カヲルは微笑みながら拍手を送る。

「完敗だよ。でも一つ聞かせて欲しい。容姿の酷似した彼女達をどうやって見分けているんだい?」

「その……ハッキリとは言えませんけど、私は本を読むのが好きで、良く物語の登場人物を想像しているからなのか、人の顔と名前や特徴を覚えるのが得意なんです」

「でもさ、名前はともかくこの子達ってみんな同じ顔だよね?」

「確かに似てるけど……みんな少しずつ違ってるから。視線の動かし方とか雰囲気、何気ない動作もそうだけど、全く同じ人は居ないもの」

 シイスターズが完全に個性を得るには、まだ時間も経験も足りていない。それが分かっているからこそ、彼女達もシイやレイ以外の人が自分達を見分ける事を諦めていた。

 だからそんなシイスターズにとって、マユミの言葉は何よりも嬉しいものだろう。

 名前は個を表す大切な物。それを尊重した事でシイスターズとマユミの距離は一気に縮まり、早くも打ち解けムードに包まれていた。

 

「さて、それじゃあちょいと仕事の話をさせて貰おうかな」

 少しだけ声色が低くなった加持の言葉に、会議室の空気が自然と引き締まる。全員が自分を注目している事を確認してから、加持は業務的な説明を始めた。

 説明自体はそれ程難しい物では無く、普段はどんな活動をして、非常時にはどういった行動を取れば良いのかを具体的に示していく。

「……まあこんな所だ。と、最後になっちまったが、一応リーダーを決めておくか」

「それは今更聞くまでも無いだろ?」

「……ええ」

「OK。なら抑止力部署の代表は山岸マユミ君にやって貰う。これで良いな?」

 確認の意味も込めて告げる加持に、当たり前だと一同は頷く。ただ一人、選ばれた当人だけが驚きの表情を浮かべたまま絶句していた。

「おや、どうしたんだい?」

「む、む、無理です! 私なんかがリーダーなんて……」

「……貴方以外に居ないわ」

「だけど……」

 ここに集まっている面々が特別な存在だと理解している。だからこそマユミは、自分がそんなみんなを率いるに値しないと思っていた。

 俯いてしまうマユミに、顎に指をあてながらアラエルが不思議そうに声を掛ける。

「ん~ねえマユミちゃん。私達は別に強かったり、頼れるリーダーが欲しいんじゃ無いよ」

「え?」

「ずっと自分は相応しく無いって思ってるけど……それは私達が決める事じゃ無いかな?」

 心を読めるが故にアラエルの言葉は核心を突き、マユミの心を強く揺さぶる。

「そりゃそうだよね~。正直このメンツに勝てるのって、レイお姉様かカヲルさん位だし」

「うん。だから僕達のまとめ役に必要なのは、力では無いんですよ」

 アラエルの言葉に、トワとサキエルが頷きながら肯定を示す。

「僭越ながら、貴方はご自身を過小評価されていると見受けられます」

「だな。まず俺達を見て全くびびらない時点で、結構度胸が据わってると思うぜ」

「そして、使徒である僕達を偏見無く、一個人として認識してくれました」

「……私達を分かってくれた」

「……とても嬉しかった」

 使徒達とシイスターズからの言葉に、マユミは顔を赤くして戸惑う。ここまで素直に自分を評価される事に、慣れていないからだ。

「この子達を理解し、愛し、共に成長していける。それがリーダーになる唯一の条件さ。そしてそれを君は十二分に満たしているよ」

「…………」

 一同が見つめる中、マユミは車中での加持とのやり取りを、ゲンドウと冬月から掛けられた言葉を、何度も心の中で反芻する。

(……これは切っ掛け。私に出来るか分からないけど、やる前から諦めるのは駄目。だって私は……自分の意思でここに来たのだから)

 やがてマユミは小さく頷くと、決心したように顔を上げた。

「……自信はありません。みんなの期待に応えられないかも知れません。けど、全力で頑張りますから……やらせて下さい」

 吹っ切れた表情で深く一礼するマユミに、会議室中に響き渡る様な大きな拍手が送られた。

 

 国際機関ゼーゲン特殊部門抑止力部署。数々の問題と苦難を乗り越えた末に誕生したチームは、正しく平和への道標となるべく、第一歩を踏み出すのだった。

 

 

 

~真なる決着~

 

 その日の夕方、シイはゼーゲン本部から家に帰らず、加持とマナと共に戦略自衛隊の本部を訪れていた。あの一件に本当の意味でケリをつける為に。

 受付で手続きを済ませると、かつてのマナの上官が姿を見せる。

「今回は無理を言ってしまってすまない」

「いや、こちらもシイ君が是非にと言っていたからな」

「そう言って貰えると助かる。何の気まぐれか知らんが、碇シイと面会させろと言い出してな。本来なら聞き入れる必要は無かったのだが……」

 罪人からの要望は通常却下される。だが男は独断で非公式に加持へとシイとの面会を要請した。越権行為を承知で男を動かしたのは、事件を真に決着させたかったからだ。

「気持ちは分かる。確かに彼の罪を暴いて事件は解決したが、どうにもすっきりしないからな」

「本人を同行させなかったのは碇司令の配慮だろう。事件の解決という意味でそれは正しい判断だと思うが、決着にはやはり直接言葉を交わす必要があると私は思っている」

「だから彼の要望を受け入れた、か」

 事件は既に幕を降ろしている以上、この行動は蛇足かも知れない。だが例え蛇足であったとしても、最後までやりきる事に意味があると男は考えていた。

 

 男は三人を戦自本部の特別隔離施設へと案内した。罪を犯した戦自隊員は一時的にここで身柄を拘束され、刑が下された後は軍事刑務所へと収監される。

「……ここが面会室だ」

「彼はもう?」

「ああ。無論手錠はつけているし、部屋の様子は別室のモニターで監視している。万が一の時は直ぐに駆けつける事が出来るが……くれぐれも油断しないように」

「じゃあシイ君。俺達は監視モニターで部屋の様子を見ているよ」

「はい……ありがとうございます」

「気をつけてね、シイちゃん」

「うん、ありがとう。それじゃあ行って来ます」

 三人に見送られながら、シイはノックをして部屋の中へと足を踏み入れた。

 

 面会室と名前こそあるが、実際には椅子が二つ置かれているだけの小さな部屋。窓は無く、二つのドア以外には出入りは出来ない構造になっている。

 無骨なカメラが天井から吊され、室内の様子はモニタールームで監視されていた。

「……来たか」

「初めまして。碇シイと申します」

「……ふん。座れ」

 ドアを閉めてから、シイは椅子に腰掛けている壮年の男に一礼する。ねずみ色の服を着た男は鋭い視線を向けると、シイにも座るよう促す。

 自分から呼び出したとは思えない態度の男だが、シイは気にする事も無く椅子に腰を下ろした。

「事の顛末は知っているな?」

「はい」

「ならば何故、自分の命を狙った相手の呼び出しに応じた?」

「私も貴方とお話したいと思ったからです」

 即答するシイの目を男は観察する様に見つめる。黒と赤の特異な瞳はどちらも澄み切っており、嘘や偽りを言っているとは思えない。

「余程図太いのか、あるいは単なる馬鹿か……いずれにせよ愚か者だな」

「あはは……」

「そんな愚か者が目指す世界、果たして本当に目指す価値があるのか?」

 男から口火を切って、シイと元高官との対話は始まった。

 

「私がお前を狙った理由……聞いているな?」

「はい」

「俗物的な考えだと、自分が大切なだけだとお前達は蔑むだろうが、私にとってはお前という存在を消してでも、守るに値する物だ。それは今も変わらない」

「……人にはそれぞれ譲れない物があって、それを守ろうとするのは当然です」

 先の一件を肯定する様なシイの発言に、男は僅かに眉をひそめる。

「では碇シイ。私がお前の殺害を試みた事もまた、当然だと認めるのか?」

「私は私の望む世界を目指し、貴方はそれに反対だった。自分の譲れない物を守る為に、衝突するのは必然ですから。でも……」

「ん?」

「貴方がその手段に暴力を選んだ事は、間違いだと思います」

 シイの言葉に男の視線が鋭さを増す。だが憎しみと怒りが籠もった視線を受けても、シイは目を逸らさない。

「……貴方は自分の意見を表に出しましたか?」

「出来るわけが無い。世界がお前を支持している以上、私は裏で動くしか無かった」

「いえ、戦自の高官という貴方の立場なら、少なくとも私に直接意見をぶつける事は出来た筈です。自分はお前の意見に反対だ。それはこう言う理由からだ、と」

「…………」

「なのに貴方は自分の思いを隠して、話し合いよりも先に暴力を選んでしまった。……戦う事から逃げたのに勝とうとした、卑怯者です」

「小娘が……」

 シイの言葉は本心からの物であり、それ故に男の心に容赦なく突き刺さる。自分の半分も生きていない子供からの叱責に、男は苛立ちを露わにした。

「貴様のような子供に何が分かる! 大人の世界は貴様が考えている程単純でも、優しくも無い。貴様が言っているのはただの綺麗事だ」

「自分の思っている事を言わないのに、分かって貰えるなんて思っちゃ駄目ですよ。そんなのただの駄々っ子と同じ……余程子供じゃ無いですか」

「なら私が正面から貴様に意見を言って、それで何かが変わったと言うのか? 変わる筈が無い。少数の意見は押し殺されるのが世の常だろう!」

「諦めたらその瞬間、可能性は無くなります。暴力に訴える前に貴方にはやれる事が、やらなきゃいけない事があったのに、それから逃げたんです」

 今にも飛びかかってきそうな男にも、シイは怯える素振りを見せずに意見を述べ続ける。普段は臆病な彼女だが、一度覚悟を決めてしまえば引くことは無い。

 一触即発の空気の中、両者は暫し無言で視線をぶつけ合った。

 

「貴方はもっと……自分がこれまでやって来た事に誇りを持つべきだったと思います」

「何?」

「戦略自衛隊の皆さんが頑張ったから、こうして平和な世界へと踏み出す事が出来る。自分達が未来への磯を築いたんだと、もっと胸を張って誇って良かったんです」

「ふん。その誇りを奪おうとしている貴様が何を言う……これまでこの国を守ってきた者を切り捨て、使徒などと言う存在に頼って平和を維持する。そんな未来は願い下げだ」

「頼るつもりはありません。使徒のみんなは私達の友達として新生しました。平和な世界は私達が自分達で築いていくんです」

 予想外なシイの発言に男は眉をひそめる。

「どう言う事だ?」

「抑止力で無理矢理に戦いを無くすだけじゃ、根本的には何も変わりません。人類が自分達で戦いは必要無いんだと気づける様に成長する。その為に使徒のみんなが居るんです」

「…………」

「確かに使徒のみんなは強い力を持ってますけど、それに頼っちゃ駄目なんです。抑止力部署は補助輪……私達がキチンと自分の力で前へと漕ぎ出す為の補助輪なんですから」

 平和な世界を生きるには人類はまだ幼い。初めて自転車に乗った子供の様に前へ進むのもおぼつかず、ちょっとした事で直ぐに転んでしまうだろう。

 だからリリスは我が子に使徒と言う補助輪を与えた。人類が成長して真っ直ぐ進める様になるまで、抑止力という形で転ばぬよう支えさせる為に。

 そしていつの日か、補助輪の役割を終えた使徒は、人類の隣で共に平和な世界を進むだろう。正しく友人として。

 

「誇って下さい、貴方達が守ってきた世界が平和への道を歩み始めた事を。信じて下さい、人類はもっと優しくなれると……使徒とだって友達になれると」

「それはお前の理想だ。世界中の人間が同じ事を望んでいると思うか?」

「いいえ、これは私の我が儘ですから」

「……それを知ってなお、お前は自分の意思を押し通すのか?」

「はい、だって私は我が儘ですから」

 ギロッと眼光鋭く睨む男にも、シイは怯まずに頷いて見せた。世界中に笑顔が溢れ、生まれる命全てが祝福される世界。それは多くの人の賛同を得たが、元々はシイ個人の望みなのだから。

「本気で実現出来ると信じているのか?」

「はい。私一人では絶対に出来ない事ですけど、支えてくれる多くの人がいます。共に歩んでくれる人達がいます。使徒のみんなが助けてくれます。だからどれだけ時間が掛かっても、必ずゴールに辿り着けると信じています」

「…………」

「今はまだ理想です。けどそれが実現出来たら……きっと素敵な事だと思いませんか?」

 シイの問いかけに男は無言のまま腕を組んで、何かを思案する様に瞳を閉じる。その脳裏に何が浮かんでいるのかは、本人以外に知る事は叶わない。

 

「……私が軍に入隊したのは十五の時だった」

 沈黙を破って男はポツリと呟いた。そのまま男は少年時代から今に至るまで、自分が経験した事を淡々とシイに語っていく。

「生き残る為に戦った。守る為に敵を殺した。友を、仲間を、部下を失った。味方同士での昇進争いも蹴落とし合いにも勝ち抜き、地位と権力を得た。それが目的になっていた事は否定しないが、純粋に平和を求めていたのも確かだ」

「…………」

「…………そう、私は悔しかったんだろう。何も知らないお前の様な小娘が、人類を平和へと導こうとしている事に」

 シイとの対話を通して男が気づいた自分の本心。戦争経験も無い子供が平和な世界を目指すと宣言して、それが世界に受け入れられた事が、男の自尊心を傷つけていたのだろう。

 自分の地位を守りたい。使徒を受け入れたく無い。それも確かに男の動機だったが、根底にあるのは嫉妬に似た感情だ。

「私がどれだけ手を尽くしても動かせなかった世界が、お前が一声掛けただけで動く。神に認められたからと言う理由だけで、お前は特別な存在に上り詰めた。……世界は不公平だな」

「…………」

「そんな顔をするな。お前が何もせずに今日まで生きてきたとは、私も思っていない。エヴァの搭乗者として戦い抜き、ゼーレとやらの悪巧みを打ち破ったのはお前自身の功績だ。……ただ素直に認めるには私は歳をとりすぎている」

 本心を吐露する男はどこか疲れた様にシイへ告げた。

「……碇シイ。私はお前の目指す未来をまだ信じていない。出来る筈が無いと思っている。もし私を認めさせたかったら結果を残して見せろ」

「はい」

「話は終わりだ。もう行け」

 男の言葉にシイは頷くと、椅子から立ち上がって一礼し、静かに部屋を後にした。

 

 

 部屋から出たシイは、ドアを背にその場にへたり込んでしまう。そんな彼女の元へ、別室で監視していた加持達が駆け寄ってくる。

「大丈夫、シイちゃん」

「あはは……気が抜けたら力も抜けちゃって」

「立派だったと思うよ」

 シイの手を握りながら告げるマナに、加持と副官もまた同意する様に頷く。今回の対話が何かを変える訳では無いが、それでも互いの本心をぶつけ合った事に意味はあるだろう。

「これにて決着だな」

「ああ。自己満足かも知れないが、それでも私は二人を会わせて良かったと思う」

「シイ君にとっても良い経験になっただろう。ただちょいと疑問なんだが……そもそも何で奴はシイ君との面会を望んだんだろうな?」

「……地位や権力で目が曇っていたが、元々は純粋に平和を望んでいた男なんだろう。だから全てを失った今、碇シイが希望を託すに相応しい存在か否か、直接確かめたかったのかも知れない」

 あくまで推測に過ぎないが、と副官は付け加える。そして歴史にifは禁物だが、もしも事前にシイと男が対話をしていたら、違う結末があったのでは無いかとも。

「相互理解、その為の対話か。……言葉など所詮は武力の前では無力だと思っていたが、その認識を改めなくてはなるまい」

「シイ君の言うとおり、人類は少しずつそれを理解していくべきなんだろう。やがて全ての人間がそれを真に理解した時、正真正銘の平和が訪れるのだから」

「今回の一件は私にとっても貴重な経験となった。……感謝する」

「こちらこそ」

 差し出された副官の右手を、加持は微笑みながら握り返した。

 

 

~自覚~

 

 戦略自衛隊の本部を後にしたシイは、加持の運転する車で直接自宅へと向かっていた。無事に決着が着いた安堵感からか、車内の空気は行きに比べて大分柔らかい。

「で、どうだった? サシでああ言った手合いとやり合った感想は」

「まだどきどきしてますけど、勉強になりました。色々な考えを持つ人が居るって改めて分かりましたし、教科書でしか知らなかった戦争のお話とかは特に」

「セカンドインパクトの後は、まあ確かに酷い状況だった。ガキだった俺ですらこの世界が地獄に思えてな……生き残る為に手段を選んで居られなかったよ」

 加持は視線を前から逸らさずに言葉を続ける。

「民間人の俺ですらそんな気持ちだったんだ。軍人として戦っていたあの男は、それ以上の地獄を経験しているだろう。同じ人間同士で殺し合わなければ平和が守れない。そんな矛盾の中で生きていく内に少しずつ心が摩耗したのかもしれないな」

「……歪んでいった、と言う事ですか?」

「ああ。だからこそ地位や権力にも固執したんだろう。無数の犠牲の上に得たそれは、奴にとって自分の行動が正しかったと証明する誇りであり……目を曇らせる呪いでもあった訳だ」

「頑張れば頑張るほど、本来目指していた物を忘れてしまった……」

「割と良くある話さ。人間ってのは忘れる生き物だからな。ま、だから人は生きていけるんだろうし、人生は面白いんだろう」

 夕日が差し込む車内に沈黙が流れる。だがそれは決して気まずいものでは無く、それぞれが何かを感じて思案する心地よい時間だった。

 

 その後、シイを自宅まで送ってから加持とマナは本部へと向かう。恐らくは知っていて見逃したであろうゲンドウ達に、謝罪と報告を行う為だ。

「どうせなら、ちゃんと許可をとってから行けば良かったんじゃ無いですか?」

「それだと色々面倒だからな。あくまで俺の独断でシイ君を連れ出した事にして、それを事後報告した方が今回の場合はスムーズなんだ」

 大人の事情なのだろうと、マナはそれ以上の追求をしない。

「はぁ~主席監査官への道のりは、まだまだ遠いって感じです」

「なに、これから徹底的にこき使って鍛えてやるさ」

「……お手柔らかにお願いしますね」

 何処まで本気か分からない加持の発言に、マナは引きつった笑みで答えた。加持が自分を補佐につけているのも、恐らくは自分をみっちりと鍛える為なのだから。

「でもこれで一件落着。やっと平穏な日々が送れるますね」

「ん? もうすぐ期末試験らしいが、その様子だと余裕みたいだな」

「……あ゛」

「シイ君達は海に行く計画を立てているらしいぞ。当然護衛として同行して貰うが、赤点で補習なんて事態になったらどうするかと心配していたが……安心したよ」

「……あの、加持さん。お願いが……」

「ふぅ。勉強なら俺よりもレイや渚、アスカに教えて貰うと良いさ」

「そうじゃ無くて……特殊監査部仕込みのカンニング術を伝授して欲しいな~って」

 両手を合わせて可愛らしくお願いするマナに、加持は呆れながらどう説教したものかと、無言でアクセルを踏み込んだ。

 

 二人を乗せた車を照らす夕日はゆっくりと沈み、人類と使徒が共に手を取り合い未来への一歩を踏み出した日が、静かに終わりを告げる。

 遙かな未来を目指す翼は、見事に大空を羽ばたくのか。あるいは失意に飲まれて墜ちていくのか。それはまだ誰にも分からない。

 ただ、その鍵を握る少女は困難を乗り越え、また一つ成長した。

 

  




アダムとリリス編から続いていたシリアス部門、これにて完結です。

山岸マユミ、霧島マナは作者の妄想が多分に入っている為、ゲームファンの方にはお叱りを受けるレベルのキャラ崩壊ですが、暖かく見守って頂けると嬉しいです。

シイ達だけで無く、ようやく全てのベクトルが前へと向きました。
ここからは比較的穏やかなエピソードや、アホタイムを展開しつつ、物語の完結へ向かいます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《未来の息吹き》

 

~青田買い?~

 

 抑止力部署発足から数日後、ゲンドウは特別審議室に呼び出しを受けていた。

「来たか……」

「急な招集だが謝罪をするつもりは無い」

「左様。事はあまりに重大にして急を要するからね」

「はぁ……それで今回は一体何事でしょうか?」

 元々このメンツに謝罪や労いの言葉を掛けて貰う事など期待して無いゲンドウは、自分を招集した理由について問う。

「先日のシイ拉致事件、並びに抑止力部署発足については、報告書の通りですが」

「拝見したよ。シイちゃんの件はイレギュラーだが、それ以外については順調と言えよう」

「君達の対応に関しても咎めるつもりは無い」

「では?」

「ここ暫く多忙だった為に気づかなかったが、シイが誕生日を迎えたな?」

「……ああ、ご安心下さい。キチンと誕生パーティーは行いました。今回は身内だけでしたが、誕生日を忘れてシイに悲しい思いをさせてはおりませんので」

 先読みをして答えるゲンドウだが、老人達はそうでは無いと首を横に振る。

「碇君。我々はその心配はしていない」

「あの碇ユイが娘の誕生日を忘れる訳が無いからな」

「……では一体何が問題だと言うのです?」

「碇……此度の誕生日を迎え、シイは幾つになった?」

「十六才です」

「そうだ。そして十六才になったと言う事は……特別な意味を持つ」

 深刻な面持ちで告げるキールに、老人達が同意する様に頷いて見せる。ゲンドウは十六才で可能となる、様々な事柄を思い浮かべた。

(……確か日本では原付の免許が取れる年齢の筈だが、この様子ではそれは答えでは無いな。もっと我々の活動に関する事…………ふっ、アルバイトか)

 例外はあるが日本の法律では、十六才になれば労働を行い報酬を得ることが許される。恐らく特別審議室の面々はシイをゼーゲンでバイトさせ、次期総司令となる為の準備を進めておくべきだと主張しているのだろうと、ゲンドウは理解した。

 国際機関であるゼーゲンにアルバイト制度は無いが、シイは既に準職員として登録されているので、変則的な形になってしまうが可能だろう。

 

「……成る程。確かにしっかりと決める必要があるでしょう」

「無論我々は本人の意思を尊重するが……父親として君はどう考える?」

「個人的な意見を言えば賛成です。今後を考えれば、早ければ早いほど良いでしょう」

「「!!??」」

 サングラスを直しながら答えるゲンドウに、老人達は目を見開いて驚愕の表情を浮かべる。彼らにとって、その回答は完全に予想外の物だったからだ。

「ほ、本気で言っているのか?」

「冷静に考えて見たまえ! まだ十六才だぞ」

「おかしな事は無いでしょう。確かにシイは歳よりも幼く見えますが、ご存じの通り芯はしっかりとした子です。充分にやっていけると思いますが」

「む、むう……それはそうだが」

「君はそれで良いのか? 我が子が自分の手から離れていくのだぞ」

「この成長を喜ばぬ親は居ませんよ。ひな鳥はいずれ大空へと巣立つ物。……全く寂しくないかと言えば嘘になりますが、それは父親としての感傷なのでしょう」

 シイはゼーゲンの総司令として、自分を超えていくだろう。父親として娘が自分以上の存在となる事に、プライドが揺さぶられるのは確かだが、それ以上に喜びが勝る。

「ユイもきっと、賛成してくれる筈です」

「……そうか。いや、そもそもこれは我らが口出しするべき話では無かったな」

「シイちゃん本人はどう思っているのか……そう言った話をしたことはあるのかね?」

「軽い雑談の中ですが、意欲は持っています。ただシイは高校生ですので、学校生活に支障が出ないよう配慮が必要かと」

 ゲンドウの答えに老人達は深く頷いた。

 

「……シイだけと言うのもあれですので、レイと渚も一緒にするのも良いでしょう」

「な、何だと!?」

「それはつまり……あの二人が、と言う事かね?」

「ええ。一人も三人もさほど変わりませんので、良い機会だと思いますよ」

 将来的にレイとカヲルも、シイを補佐する為にゼーゲンで働く事になる。ならば一緒にバイトとして、今から仕事を覚えていった方が良いとゲンドウは判断した。

「碇君……流石にあの二人は不味いだろう」

「左様。神をも恐れぬ所行だよ」

(……アダムとリリスをアルバイトさせる事が不味いのか? だが既にゼーゲンの職員である以上、何も問題は無いはずだ)

「いえ、問題無いでしょう。あの二人も恐らくは即答で賛成すると思います」

「我々の知らぬ所で……そんな関係になっていたのか」

「むぅ、だがあり得ない話では無いぞ。この世界で唯一対等な存在だからな」

「……諸君、話が些か逸れている様だ。まずはシイについて、であろう」

 困惑する老人達を窘めるように、キールが威厳の籠もった声で話を戻す。

「碇。シイだが……相手はもう決まっているのか?」

「ゼーゲンの職員ならば不足は無いでしょう。冬月に担当させても良いですし、私が直接と言うのも考えております」

「「何っ!?」」

 優秀なゼーゲン職員ならば、シイの教育も任せられる。冬月や自分が直接教育するのも、有効な手段だとゲンドウは思っていたのだが……何故か老人達は口を開いたまま硬直してしまう。

「……何か問題でも?」

「も、問題しか無いだろう!」

「左様! 正直、君の正気を疑わずには居られないよ」

「ゼーゲンの職員は百歩譲って良しとしても、だ。君と冬月先生は駄目に決まっている!!」

 硬直が解けた老人達は、唾を飛ばす勢いで次々にゲンドウを非難していく。何故叱責されているのか理解出来ず首を傾げるゲンドウの姿を見て、キールは、んっと何かに気づいた。

「碇……お前は何について話をしている?」

「シイをゼーゲンでアルバイトさせる、と言う話ですが」

「アルバイト、だと?」

「誰もそんな話はしていないぞ」

「「……ん?」」

 ここに至ってゲンドウと老人達は、互いの認識が食い違っていた事を知る。

「ふむ……どうにも妙だと思っていたが、そう言う事か」

「キール議長。貴方達は一体何について話していたのですか?」

「十六才で可能となる事……それは結婚だ」

 全く予想していなかった回答に、ゲンドウの思考は完全に停止するのだった。

 

 

「……一言言わせて下さい。貴方達は馬鹿ですか?」

「な、何だと!」

「シイはまだ十六才。どう考えてもあり得ないでしょう」

 呆れたようにため息をつくゲンドウに、しかしキールは真顔で首を横に振る。そして手元の端末を操作して、ゲンドウの前にディスプレイを表示させた。

 何かの名簿だろうか。国籍も年齢も異なる人名がずらりと並んでいる。

「キール議長。これは一体何ですか?」

「……見ての通りリストだ。シイに結婚を申し込んだ者のな」

「はい?」

「誕生会でシイは世界に顔見せをし、先の世界会談でその名を轟かせた。無論本人の魅力もあるのだろうが、ゼーゲン次期総司令の夫となる事を望む者は多い」

 重々しく告げるキールに、老人達も渋い表情で頷いた。シイを孫のように愛する彼らだからこそ、純粋な好意以外で求婚する輩が忌々しいのだろう。

「先にも言った様に、本人の意思が最も重要だ」

「左様。シイちゃんが望めば、我々はそれを祝福するだけだからね」

「……私もです。シイが真に愛する男と添い遂げる事を望めば…………よ、喜ん……喜んで……」

 唇を噛みしめながら、ゲンドウは言葉を絞りだそうとするが、最後まで言う事は叶わなかった。小刻みに震える手が、彼の心中を雄弁に語る。

 彼の脳裏には若い男が、シイを連れ去っていく光景が浮かんでいるのだろう。

「分かるぞ碇君。男親と言うのはそう言うものだ」

「ああ。私も娘が結婚したいと言った時は、相手の男を殺そうと心底思った」

「……イサオの気持ちが理解出来たのでは無いか?」

 キールの言葉にゲンドウは素直に頷く。想像だけでもこれだけ堪えたのだ。イサオが自分に敵意を抱いてもおかしくは無いだろう。

 普段とは違い、この時の会議室は奇妙な一体感に満ちていた。

 

「話を戻すぞ。そのリストに乗っているのは全て、我らに仲介を頼んできた連中だ。各国の政府や機関と繋がりのある我々を通した方が、直接申し込むよりは勝算が高いと踏んだのだろう」

「君とユイが一筋縄ではいかない事は知れ渡っているからな」

「そして、十六才の少女に公に求婚するのは、世間の目が厳しいのも事実だ。シイの容姿を鑑みれば、政略結婚目当てか、少々危ない嗜好があると公言するも同意だからね」

 ゲンドウ達の元に結婚の申し出が無かったのは、彼らの言うとおりなのだろう。知り合いを通して対象と接触するのは、ある意味で常套手段なのだから。

「……状況は理解しました。対応が難しい事も」

「うむ。例え権力目当てだとしても、他人が勝手に断るのは筋違いだ。それに心からシイを愛している者がいれば、その気持ちを踏みにじる事になる」

「だがシイちゃんに全てを委ねるのは、相当な負担を強いてしまうだろう」

「人の思いを断る。あの子には少々堪えると思える」

「そこでまずは父親である君と、今後の対応も含めて話をする為に呼び出したのだ」

 大分遠回りをしたが、ゲンドウは何故自分が呼び出されたのかを理解した。

「改めて問おう。どう対応すべきだと考える?」

「……シイの意思が最優先、それは変わりません。ですがシイはまだ恋も知らない子供……恐らくこの話をしても答えを出せないでしょう」

 頷いて同意する老人達に、ゲンドウは言葉を続ける。

「なのでまず、シイが結婚をどう思っているのかを聞いてみます。そこでまだ興味が無いと答えれば、結婚の意思無しと判断し、来ている縁談は断っても構わないでしょう」

「……それが妥当か」

「シイがきちんと恋を理解出来る日が来るまで……その時までは」

 遠い目をしながら寂しそうに告げるゲンドウに、老人達からの反対は無かった。

 

 

「では、君からの報告を待って対応をしよう」

「……お手間をとらせます」

「君が気にする必要は無い。全てはシイちゃんの、ひいてはゼーゲンの為だからな」

 ぷいっと顔を背ける男に他の面々は苦笑する。

「それにしても、シイちゃんが結婚する日が来るのは想像出来ないな」

「結婚……出来るのか?」

「相手には困らないだろう。だが……」

 彼らの脳裏には愛くるしいシイの姿が浮かぶ。それでも誰一人として、シイのウエディングドレス姿を想像する事は出来なかった。

「これは……少々不味いのでは無いか?」

「跡継ぎが無ければ、碇家も困ると思うが」

「……その心配は不要だろう。なあ、碇」

 ニヤリと笑うキールにゲンドウは答えない。他の面々は何の事かと暫し沈黙し、同時にある答えへと辿り着いて驚きを露わにする。

「なっ、ま、まさか……」

「それはつまり、そう言う事なのか?」

「…………」

「碇君。どうなんだ?」

「正直に答えたまえ。ここでの偽証は死罪に値するぞ」

「…………」

「事は碇家だけに留まらない」

「左様。場合によってはゼーゲンに、世界にも影響を与えると知り給え」

「…………」

 口々に質問をぶつける老人達に、ゲンドウは黙秘で対応する。そんな光景を見守りながら、キールは満足げに微笑みながら頷くのだった。

「……祝福されし未来。良い、全てはこれで良い」

 

 

~シイの答え~

 

 その夜、ゲンドウは自宅でユイに事のあらましを説明した。夕食の支度をしていたユイは、驚きつつも相変わらずの面々に苦笑を漏らす。

「あらあら、そんな事が?」

「……ああ」

「確かにシイもそんな歳ですものね。浮いた話の一つや二つ、あってもおかしくありませんわ」

「君もそうだったのか?」

「うふふ、どうだったかしら」

 ゲンドウの問いかけをさらりと流し、ユイはクスリと微笑んだ。

「……ところでシイとレイはどうした?」

「お友達と期末テストに向けての勉強ですわ。そろそろ戻ってくる頃ですけど……」

「ただいま~」

「……ただいま戻りました」

 ユイが答えを言い切る前に、玄関からシイとレイの声が聞こえてくる。図ったようなタイミングの良さに、苦笑し合う二人の元へ制服姿の娘達が姿を見せた。

「……お帰り」

「二人ともお帰りなさい。遅くまで頑張ってるわね」

「うん、最後の追い込みだよ」

「……旅行が掛かっているので」

「ご飯も直ぐ出来るから、手を洗ってから着替えていらっしゃい」

 二人は返事をすると並んでリビングを出て行く。忙しい日々を過ごしてきたゲンドウとユイにとって、こうした何気ない日常が何とも嬉しく思えた。

 

 久しぶりにユイが腕を奮った夕食に舌鼓を打ちながら、シイ達は家族の団らんを楽しむ。

「そう、夏休みにみんなで旅行へ行く計画を立てているのね」

「うん。マユミちゃんとマナも一緒なの」

「……現在海か山かで意見が分かれています」

「そうか……」

 大変な仕事をこなし、辛い経験もした娘達がごく普通の子供として日々を満喫している事に、ゲンドウは安堵した様に頷いた。

「でも赤点を取っちゃうと夏休みはずっと補習だから」

「……万全を期して毎日勉強会を開いています」

「うふふ、頑張ってね」

「良い結果を期待する」

 頼もしい娘達の姿に、ゲンドウとユイは優しい微笑みを浮かべた。

 その後、学校での出来事などたわいない雑談に興じつつ、ゲンドウは頃合いを見計らってあの話題をシイに振ってみる。

「……ところでシイ。お前は結婚について考えた事はあるか?」

「!? ごふっ、ごふっ、ケホケホ」

「だ、大丈夫レイさん?」

「……え、ええ。少し気管に入っただけ」

「はぁ。あなた、いくら何でも急すぎますわ」

 本人はさり気なく尋ねたつもりなのだろうが、如何せん話題転換が急すぎた。ユイのジト目に反省しつつ、ゲンドウは改めて問いかける。

「大した意味は無い。ただお前も十六才になり、結婚できる年齢になったからな」

「そうなの?」

「ええ。ただ出来る様になったからと言って、しなくてはいけないと言う訳では無いわ」

「ん~考えた事も無かったな~」

 シイの答えはゲンドウ達の予想通りだった。既に心に決めた相手が居たり、許嫁でも居るのなら話は別だが、この歳で結婚を意識する事はほとんど無いのだから。

「そうか……ならば良い」

「……司令。まさか」

「心配するな。シイにその気が無い以上、何も起こりはしない」

 言葉の裏に潜む意図を察したのか、不安げにレイはゲンドウを見つめる。だがゲンドウは小さく首を横に振り、レイの不安を一蹴した。

「?? ねえお母さん。二人は何を言ってるの?」

「うふふ、シイも少しずつ大人の女性にならないとね、ってお話よ」

「むぅ~私だってちょっとは大っきくなってるもん」

「身体じゃ無くて心の方よ。大丈夫、ちゃんと理解出来る時が来るか…………ん゛」

 優しくシイの頭を撫でていたユイだが、突然口元を抑えながら立ち上がって台所へ向かい、水を流しながら嘔吐した。

 

「お、お母さん!?」

「ユイさん!」

 苦しそうな呼吸を繰り返しながら、力なく流し台に身体を預けるユイに、シイ達は椅子を倒して立ち上がると、大慌てで駆け寄った。   

 何時も冷静で凜々しく優しいユイが、初めて見せる弱々しい姿。何か悪い病気では無いかと、シイとレイは気が気では無い。

「はぁ、はぁ、大丈夫よ……心配しないで」

「嘘! お母さん顔が真っ青もん」

「……直ぐに救急車を呼びます。……いえ、レリエルを呼び出して……」

「その必要は無い」

 混乱する娘達に、落ち着いた様子でゲンドウが声をかける。

「だって、だってお母さん……」

「……ユイ」

「ええ……もう話しても平気だと思いますわ」

「二人とも落ち着いて聞け。ユイのそれは病気では無い。……悪阻だ」

 ゲンドウの言葉にレイはああ、と頷き、シイは涙目で首を傾げるのだった。

 

 

 ユイが落ち着くのを待って、ゲンドウは娘達に説明をする。

「……今、ユイの身体には新たな命が宿っている」

「え? それって……」

「……妊娠しているのよ」

「お母さんに赤ちゃんが……」

 突然の告白に頭がついて行かず、シイは必死で理解しようと何度も言葉を反芻する。ミサトの時とはまた違い、不思議と心が落ち着いてくれなかった。

「まだ初期の段階と言う事もあり、安定するまではあえて話していなかった」

「三ヶ月を超えたら、って考えていたの。黙っていてごめんなさい」

「……気にしないで下さい。私は知っていたので」

「え?」

「……アルミサエルが教えてくれたの。とても嬉しそうだったわ」

 彼女にとって新たな命の誕生は尊ぶべきもの。恐らくはユイの妊娠に気づき、喜々としてレイにその事実を伝えたのだろう。

「むぅ~私だけ知らなかった」

「……意地悪した訳では無いわ。それは分かってあげて」

 頬を膨らませて不満を表すシイを、レイが優しく窘める。安定するまでシイに伝えなかったのは、ゲンドウ達の配慮なのだから。

「うん……我が儘言ってごめんなさい」

「ありがとう、シイ」

「……今後はどうしますか?」

「当面はこれまで通りだ。影響が出始めたら、産休に入って貰う」

「貴方達にも迷惑を掛けると思うけど……」

「ううん、そんなの全然迷惑じゃ無いよ。私に出来る事なら何でもやるから」

「……任せて下さい」

 力強く胸を叩く娘達に、ゲンドウとユイは嬉しそうに微笑むのだった。

 

 

 色々あった夕食が終わり、シイはレイと共に食器洗いをする。家族が増えると言う幸福に、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で、手際よく作業を進めていく。

「赤ちゃんか~。楽しみだね」

「……シイさんは弟と妹、どっちが良いの?」

「ん~やっぱり弟かな」

「……何か理由があるの?」

「あのね、お姉ちゃんって呼んで欲しいから、弟が良いな~って」

 成る程と頷いたレイだったが、んっと眉をひそめて手を止める。弟にせよ妹にせよ、シイが姉なのは変わらないだろうと気づいたからだ。

「ふんふふ~ん……シイお姉ちゃん……えへへ」

(……言わぬが花ね)

 幸せそうなシイの横顔を見て、レイは突っ込みを放棄した。わざわざ水を差す必要も無いだろう。どちらにしても新たな家族をシイは喜んで迎えるだろうし、その望みは叶うのだから。

 

 建築中の碇家新居も、新たな家族の誕生までには完成するだろう。ゲンドウとユイ、シイとレイにシイスターズ、そして赤ん坊。賑やかな生活はもう直ぐそこまで近づいていた。

 

 




実に久しぶりの日常編、リハビリしつつ再開です。

以前にもチラッと話が出ていましたが、碇家に子供が増えます。もうオチが読めている方が多数だと思いますが、誕生の時まで生暖かく見守って下さい。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《子供達の旅行(その1)》

 

~夏休み開幕~

 

 魔の期末試験を一人の脱落者も出さずに乗り切ったシイ達は、第三新東京市のファミレスで夏休み中に計画していた旅行について打ち合わせをしていた。

「行き先は海で良いとして、場所はどうする?」

「あんま遠くやと予算が掛かるさかい、手頃な場所でええんちゃう?」

「あんた馬鹿ぁ? 折角の旅行なんだから、ケチってどうすんのよ」

「そうは言うけどさ、割と切実な問題だと思うよ」

 ケンスケの言葉にヒカリとマユミが頷く。ネルフから給料を貰っていたシイ達はともかく、普通の高校生に旅行費用はかなりの負担である。

「まあ無理する事じゃ無いから、予算と折り合いをつければ良いんじゃ無い?」

「そうだね。えっと……旅行ってどれ位お金が掛かるのかな」

「……試算してあるわ」

 レイは鞄から取り出した紙を、みんなに見せる様にテーブルへ置く。そこには幾つかの旅行先と、そこに何泊すればどれ位の費用が掛かるかが、分かりやすい表で纏められていた。

「ふふ、随分と準備が良いじゃ無いか」

「……旅行は事前の準備が大切だと、ユイさんから言われているもの」

「適切なアドバイスだね。さて、リリンのバカンスはどれだけの対価が必要なのかな」

 そっとレイの用意したリストに目を通すカヲルだが、彼には記されている金額が容易に支払えてしまう為、それが高いのか安いのかが判断出来ない。

 だが真剣な表情で検討しているヒカリ達の様子から、これが普通の高校生にとって安くない出費である事は理解出来た。

「旅行って……大変なんだね」

「わしも正直甘く見とったわ。こら偉い高くつくのぅ」

「ヒカリ、どう?」

「貯めてたお小遣いがこれ位で……」

「ケンスケはどの辺りがラインや?」

「あっちの利益も全部突っ込んだとして、こんな感じかな」

 ヒカリとケンスケの予算を考慮しつつ、旅行先と日程を検討する一同は頭を悩ませながら、あーでも無いこーでも無いと案を出し合う。

 だが決して苦痛では無い。大人の助けを借りずに自分達だけで何かを成し遂げる。それはシイ達にとってとても楽しい経験なのだから。

 子供達の賑やかな会議は、日が暮れるまで続くのだった。

 

 

 

~父親の不安~

 

「ほぉ、シイ君達は旅行を予定しているのか」

「……ああ。海に行くらしい」

「海、か。……修学旅行には参加させてあげられなかったからな。このところ、次期総司令として拘束してしまっていた事もある。せめて友人達と羽を伸ばしてきて欲しいものだ」

 ゼーゲン本部司令室で、冬月は詰め将棋を指しながら優しく微笑む。だがそれとは対照的に執務机に肘を着いたゲンドウは、何故か深刻な表情をしていた。

「ん、どうした碇。何か問題でもあるのか?」

「……今回の旅行はシイと友人達だけで行く」

「心配なのは分かるが、レイと渚が居る限りシイ君の安全確保は万全だろう」

 拉致事件の記憶も新しい今、ゲンドウの不安ももっともだが、あの二人とマナが一緒に居れば何も問題無いと冬月が諭す。

「……冬月。シイ達は海に行く。恐らくは皆で泳ぐだろう」

「まあ海に行けば当然だな」

「だがシイもレイも渚も海は初めてだ。もしシイが溺れた時、手を差し伸べる余裕があるか……」

「事故の可能性はゼロに出来無いが、アスカ君達もいる以上無理はしないだろう。それにシイ君なら恐らく浮き輪を使うと思うぞ」

 カナヅチを克服したシイだが、泳ぎは決して上手く無い。それを友人達も理解しているので、きっと浮き輪などの道具を用意する筈だと冬月は答える。

「……問題は他にもある。泳ぐと言う事は、シイは水着に着替える」

「それも当然だろう。……ん」

「……そうだ。不特定多数の面前で、シイが水着姿を晒すことになる。夏の海と言えば……」

 ゲンドウの言わんとしている事を察したのか、冬月がああ、と頷きながら駒を指す手を止める。彼らの世代で夏の海と言えば、出会いの定番であった。

「ナンパ、か。確かに想定できるアクシデントだが、レイがいれば問題あるまい」

「冬月。親馬鹿と言われるかも知れないが、私はレイの魅力もシイに引けを取らぬと思っている。自分に降りかかる火の粉を払いつつ、シイを守る余裕があるか……」

「ふむ、だが友人達と一緒に行動していれば、そうそう声を掛ける輩も居ないだろう。それでも不安なら、シイ君に前もって知らない人に着いていくなと注意しておけば良い」

 冬月の冷静な回答に、ゲンドウは不機嫌そうに黙り込んでしまう。

「はぁ……。碇、結局お前は何が言いたいんだ?」

「……ここに麦わら帽子と釣り竿がある。私の有給休暇も溜まっている。そこで、だ」

「駄目だぞ」

「な、何故だ!」

 こっそり着いていって、子供達を見守りたいと言うゲンドウの希望を、冬月は即座に却下する。そして麦わら帽子を被ったゲンドウに、真剣な眼差しを向けた。

「お前が有給をどう使おうかは勝手だが、シイ君達の旅行に介入する事は許されないよ。子供達が自分達で企画立案し、実現させた旅行……大人が邪魔をしては何の意味も無い」

「…………」

「もうあの子達も高校生、大人への階段を上っている年頃だ。私達の役割は、間違った道に進もうとした時に正してやる事と、壁にぶつかった時に支えてやる事だよ」

「そう……だな。すまない冬月」

「子を思う気持ちを恥じる事は無い。何、あの子達ならきっと大丈夫だ」

 ゲンドウが冷静さを取り戻した事を確認してから、冬月は再び詰め将棋を指し始めた。この時ゲンドウは違和感に気づく事が出来無かった。

 普段はシイに過保護な愛情を注いでいる冬月が、今回に限っては妙に素っ気ない事に。

(海、か。……さて、どんな一手が効果的かな)

 

 

 

 

 

~母親の気持ち~

 

 シグマユニットで実験を行っていたナオコは、ユイからシイの旅行について聞かされ、少し驚いた様に眉をひそめた。

「シイちゃん達が海に旅行?」

「ええ。お友達と一緒に沖縄へ行くそうですわ」

「私も行きたいって言ったのに、アスカちゃんに駄目って言われたの~」

「今回は子供達だけで、と言ってたからね。また別の機会に行けば良いと思うわ」

 頬を膨らませて不満を露わにするキョウコに、ユイは苦笑しつつもフォローを入れる。恐らく自分やゲンドウが同行を希望しても、今回に限っては拒否されてしまうだろう。

 大人の監視も手助けも無く、自分達の力だけで旅行に行く事は、あの年頃の子供達にとって憧れなのだろう。そして親離れの第一歩にもなる。

「むぅ~だってアスカちゃんったら、私がドイツから帰ってきても全然相手してくれないんだもの。反抗期って言うのかしら」

「……単にキョウコが戻って来たのが、期末試験の前だっただけよ」

「アスカちゃんが不良になっちゃったらどうしましょう」

「あれだけ良い子に育ってて、今更何を言うのよ」

 本気で心配するキョウコにユイは呆れ混じりのため息を返す。母親を大切にし、社交的で大勢の友人を作り、文武両道のアスカが、どうやったら不良になるのかを逆に聞いてみたい位だった。

「仕事が忙しかった私に愛想尽かしたのかも……」

「それはあり得ないと思うけど。はぁ、ナオコさんからも何か言って……ナオコさん?」

 フォローを求めたユイだが、先程から沈黙を守っていたナオコは、顎に手を当てた姿勢で難しい顔をしていた。

「何かありましたか?」

「……シイちゃん、子供だけで海に行くのよね?」

「え、ええ。そうですわ」

「参加メンバーに、渚カヲルは含まれているのよね?」

「そう聞いていますけど」

 自分の中で何かを確認する様に、ナオコはユイの言葉を聞いて何度も頷く。そのただならぬ様子にユイも自然と緊張した面持ちに変わって、彼女の言葉を待つ。

「も~どうして怖い顔してるの?」

「……私の予想が正しければ……シイちゃんの貞操が危ないわ」

「!?」

 いきなりとんでもない事を言い放つナオコに、ユイは思わず立ち上がってしまう。

「な、何を言い出すんですか」

「別におかしな理論じゃ無いわ。統計的に見ても、男女で泊まりがけの旅行へ行けば事が行われるケースは多いの。日常から離れた事で精神は開放的になるし、遊びで昂ぶった気持ちは恋愛感情を生み出しやすくなるものよ」

「あらあら~、ならシイちゃんは大人の階段を上っちゃうのね~」

「……あ、あり得ませんわ。旅行にはレイも着いていきますから」

 ショックを受けた様子のユイだったが、もう一人の娘が最後の砦となって彼女を支える。レイがいる限り、シイは絶対安全だと言う信頼がユイにはあった。

 

「確かにレイは頼りになるわ。でも……本当に渚君を抑えられるのかしら?」

「どう言う事でしょう」

「彼と一度直接話をした事があるけど、私好みのとても面白い子だったわ。悪知恵が働くって言うのかしら……多分レイとは相性が悪いタイプでしょうね」

 真っ向から直接対決をすれば、今のレイにカヲルは及ばないだろう。だがそれを理解しているからこそ、カヲルはあらゆる策略を駆使して直接対決を避け、目的を達成する筈だ。

「でも渚君って、シイちゃんに手を出すイメージが無いけど」

「ええ。これはあくまで私の勝手な想像よ。ただ……私がもし渚君だったら、この機会を逃す事はしないわね。どんな手段を用いても、既成事実を作ってしまうわ」

「…………」

「だってシイちゃんには知識が無いもの。どれだけアプローチをしても、無知が故に通用しない。だけど裏を返せば、それだけ既成事実を作りやすいのよ。そして作ってしまえばこっちのものね」

「っっ、ちょっと失礼します」

 ユイは引きつった表情で足早に実験室から出て行ってしまった。恐らくは司令室へ行き、ゲンドウと相談をするのだろう。

 

「……ふふ、少し脅かしすぎたかしら」

「ナオコさんったら悪い子ね~」

 悪戯っ子の様な笑みを浮かべるナオコに、キョウコもまた和やかに笑う。

「シイちゃんの教育を疎かにしてるみたいだから、ちょっと背中を押しただけよ」

「やっぱりわざと大げさに言ってたのね」

「可能性はゼロじゃ無いけど、多分渚君はシイちゃんに手を出さないわ。シイちゃんから望めば話は別だけど、それはあり得ないもの。ただ」

「ただ?」

「何かするとは思うわ。だってこんな面白い機会に、何もしないなんて考えられないじゃない」

 ニヤリと悪い笑みを見せるナオコ。それは本来相反する子供の様な無邪気さと、魔女の様な邪悪さを併せ持つ、彼女特有の表情だった。

 娘からも困った人と表現される程、一般的なリリンの思考からずれたナオコ。そんな彼女だからこそ、ゼーゲンで一番カヲルを理解出来ているのかも知れない。

 

 

~???~

 

「ふふ、計画は完璧。後は時を待つだけだね」

「渚も懲りないよな~。成功しても失敗しても、レイ達に制裁されるって分かってるのにさ」

「それを言うなや、ケンスケ。男には譲ったらあかんモノもあんねん」

「ま、付き合ってる僕も同じ、か」

 眼鏡を直しながらニヤリと笑うケンスケに、カヲルとトウジもまた良い笑顔で頷き合う。数々の苦難を共に味わってきた三人には、言葉は必要無かった。

「ただ碇にはレイがべったりだし、惣流だって居る。計画通りに行くのか?」

「……トロイの木馬を知っているかい?」

「神話の奴? まあ概要くらいなら知ってるけど……って、まさか」

 カヲルが言わんとしている事を察し、ケンスケは驚きの表情を浮かべる。そんな彼にカヲルは滅多に見せない、邪悪な笑みで無言の肯定を示した。

「……今回は本気って訳か」

「やられっぱなしでは情けないからね。たまには良いだろ?」

「悪い顔しとるのぅ。お前や無かったら絶対に信用出来へんで」

「確かにね。渚だからってのはあるかも」

 渚カヲルは大切な人を決して傷つけない。トウジとケンスケはそんな信頼を持っているからこそ彼に協力し、カヲルもまたその信頼を裏切る事は無い。

「ふふ、ありがとう」

「その台詞は計画が成功してから、だろ?」

「今回はわしらに勝ち目がある。気張りや」

 三人の少年達は右拳をくっつけ合い、決意を固めるのだった。

 

 

 様々な思いが交錯する中、シイ達は旅行の日を迎える。 

 




シリアスに別れを告げて、日常編をそろそろ本格的に再開します。

前々からちらほら話題に出ていた子供達の旅行。色々な出来事が続いた事もあり、今回は平和に楽しく過ごして貰いたいのですが、何かを企てている面々も居る様で……。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《子供達の旅行(その2)》

 

~いざ沖縄へ~

 

 旅行当日、シイ達は空港へとやって来た。中学の修学旅行ではクラスメイト達を見送ったここから、今度は自分が飛び立てる。目の下に真っ黒な隈を作ったシイの表情にも、自然と笑みが浮かぶ。

 搭乗手続きを済ませて荷物を預け、一同はロビーでフライトの時間を待つ。

「ん~楽しみだね」

「ふふ、その顔を見ればシイさんがどれだけ楽しみなのか、充分に伝わってくるよ」

「ごっつい隈やな。何時まで起きとったんや?」

「……一睡もしてないわ。ずっと旅行の話をしてたもの」

 同じ様に隈を作ったレイがトウジの問いに答える。興奮して眠れないシイに一晩中付き合っていたのだが、それでも眠そうな様子を見せない辺りは流石だ。

「あんた馬鹿ぁ? 向こうで眠くなったらどうすんのよ」

「シイちゃんらしいと思うけど。私も何だかんだで中々寝付けなかったし」

「その……実は私も。友達とプライベートで旅行なんて……初めてだから」

「全くお子様ばっかね」

 呆れたように肩をすくめるアスカだったが、先程からしきりにあくびを繰り返す様子から、彼女もまた寝不足なのは明らかであった。

「ふふ、まあ時間はたっぷりあるんだ。向こうに着いたら少し休憩をしても良いだろう」

「そうね。……そう言えばシイちゃんは飛行機大丈夫なの?」

「え?」

「ああ、山岸さんは知らなかったっけ。碇は飛行機恐怖症なんだよ」

「そうなんだ……」

 ケンスケの言葉にマユミは心配そうな視線をシイに向ける。だがシイは余裕の笑顔を崩さず、自信満々に頷いて見せた。

「お、なんや、ひょっとして克服したんか?」

「まだちょっと怖いけど……もう前みたいに泣いたりしないよ」

「な、泣いたの?」

「……まあ、察してやってくれや」

 ミサトと共にシイの飛行機恐怖症を目の当たりにしていたトウジは、その時の胃が痛くなるような緊張感を思い出しながら、しみじみとマユミに答えた。

 

 やがてフライトの時刻が迫った時、不意にマナがにやっと笑いながらシイに話しかける。

「そうそう、シイちゃんってゼーゲン以外の飛行機って乗った事ある?」

「え? 初めてだけど……」

「なら教えておくね。普通の旅客機は乗るときに靴を脱ぐのがマナーなの」

 真剣な表情で告げるマナだが、勿論そんな事は無い。飛行機が苦手だと言うシイの緊張を解こうと言う、彼女なりのジョークだった。

 シイが知っていればそれで良し。もし脱ごうとしても、それをからかってしまえば笑い話になると目論んだのだが……マナはこの面々を甘く見すぎていた。

「そうなの? 知らなかった……ありがとうマナ」

「リリンは変わったルールを持っているんだね」

「……勉強になるわ」

「へぇ~。まあ日本人って家でも靴を脱ぐし、やっぱ変わってるわね」

 普通なら直ぐに気づくマナの嘘。だがシイだけでなくレイとカヲルも、アスカも日本に来てからは一般の旅客機を利用するのは初めてで、それを素直に信じてしまう。

 まさかの展開にネタ晴らしをする機を完全に失ったマナは、いそいそと靴を脱ぐ四人を前にして、冷や汗を流しながら困惑の表情を浮かべる。

(うわ~こりゃやばいって……みんな、助けて!)

(き、霧島さん。早く誤解を解かないと)

(そりゃ分かってるけど、今更何て言えば良いか……)

(とにかく、正直に謝った方が良いと思うわ)

(軽い茶目っ気やったって言えば、別に怒るような奴らやあらへんって)

(そうそう。てか早くしないと搭乗が始まってるよ)

 マナが友人達とひそひそ話をしている間に、搭乗時刻がやって来てしまった。

「あ、もう乗れるんだよね。みんな、行こう!」

「ちょ、ちょっと待――」

 必死の制止も空しく、シイは靴を手にしたまま搭乗ゲートへと向かう。そして……係員から何かを言われ、顔を真っ赤に染めながらそそくさと靴をはき直した。

「………………」

「……霧島さん。ちょっと良い?」

「ふふ、少し僕達とお話しようか」

「因みに拒否権は無いから」

 背後から両肩を掴まれたマナは、両手を合わせるトウジ達に見送られ、ロビーから引きずられるように姿を消した。

 

 その後、緊張を解そうとしたんだと言う必死の弁解と、シイへの全力謝罪によって、マナは出発前にリタイアという最悪の事態を避ける事に成功する。

 そしてシイ達は第三新東京市から、沖縄へ向けて飛び立つのだった。

 

 

~バカンス~

 

 機内で仮眠を取った一同は、軽いあくびをしながら沖縄の地へと降り立った。肌に感じる風すらも、第三新東京市のそれとは違う地に、自然とテンションが高まる。

「ねえねえアスカ。海が見たい、海に行こうよ」

「ちっとは落ち着きなさいってば。そんな目で見なくても、ちゃんと後で行くから。ただその前に旅館のチェックイン済ませて荷物を置くわよ」

 はしゃぐシイを宥めつつ、アスカ達はバスに乗り込む。セカンドインパクト前から現役のバスに揺られること十数分、一行は予約してある旅館へと到着した。

 年季の入った佇まいであったが、自分達の予算からすれば破格の宿と言える。そんな宿を見事探し当てたヒカリを皆で賞賛しながら中に足を踏み入れ、手続きを済ませた。

「お待たせ。予約したのは二部屋だから、男子と女子で一部屋ずつね」

「おや、僕はシイさんと一緒じゃ無いのかい?」

「はいはい。先に言っとくけど、勝手に入ってきたら殺すわよ」

「……許可を出すつもりも無いけど」

 シイを守る様に、アスカとレイはカヲルの前に立ちはだかる。警戒心むき出しの二人に、カヲルは苦笑しながら両手を軽く上に上げた。

「やれやれ、ここまで信頼されて無いとはね」

「シイが絡まなかったら、それなりに信用してるわ。絡まなかったら、ね」

「話には聞いてたけど、やっぱ渚君ってシイちゃん大好きなの?」

「勿論さ。愛していると言っても過言では無いよ」

「で、そんな熱烈な求愛を受けたシイちゃんはどう?」

「え? 私もカヲル君の事好きだよ」

 キョトンとした表情で、あっさりと言い放つシイ。その言葉に込められた意味を察し、マナは気の毒そうな視線をカヲルに送った。

「その……何かごめんね」

「ふふ、慣れたものさ。嫌いと言われない限り、僕は何度でも立ち上がるよ」

「……言われてしまえば良いのに」

「でもシイちゃんが嫌いって言うのは、想像出来ないわよね」

 何気なく告げたヒカリの言葉に、一同は自分がシイに嫌いと言われる光景を想像してしまう。博愛主義の権化とも言えるシイから拒絶される。それはある種の恐怖でもあった。

「……部屋に行こうか」

「そうね……海に出ましょ」

 テンションを一気に下げた一同は、重い足取りでそれぞれの部屋へと向かった。

 

 

~初めての海~

 

 旅館から徒歩数分の場所に、白い砂浜と青い海が広がる海水浴場があった。更衣室で着替える女子達を待つ間に、カヲル達はシートとパラソルなどの準備を進める。

「かぁ~、ホンマにええ天気やな。絶好の海日和やで」

「折角来たのに雨じゃ洒落にならないもんな」

「海は良いね。リリスの生み出した安らぎの極みだよ」

 眩しい日差しに目を細めながら、カヲルはご機嫌な様子で微笑む。普段通りに振る舞う彼も、やはり初めての旅行に心を躍らせているのだろう。

「正直に言えば、海を侮っていたよ。知識としては理解していたけど、まさかここまでとは」

「そんなか?」

「ま、開放的になるって言われてるしな」

「全ての生命の源たる海と接触する事で、リリンは無意識に心の壁を解放するのかも知れないね。水着と言う露出の多い服装も、それを助けていると思うよ」

 あくまで自分の考えだけど、とカヲルは補足をする。

「水着って言えば、あいつら遅いのぅ。着替えにどんだけ掛かっとるんや」

「仕方ないだろ。海パン一丁の僕らとは掛かる時間が違うんだから」

「ふふ、こうして女神の登場を待つ時間も悪く無いさ」

「せやけど……」

「ま、早く愛しの委員長の水着を見たい気持ちは分かるけど」

 冷やかすようにニヤリと笑うケンスケに、トウジは顔を真っ赤にして動揺を露わにする。

「な、な、何言ってんねん。わしは別に……」

「委員長の水着姿に興味は無いの? 修学旅行の時とは違って、今回は自前の水着なのに?」

「ぐっ……」

「あ~あ、委員長も可哀相だな。相当気合い入れて水着を選んだらしいのに」

「……見たい」

「ん、何か言ったかい?」

「見たいって言ったんや! わしはヒカリの水着姿が見たい! 何か文句あるんか!!」

 ケンスケの挑発に乗ってしまい、トウジは大声で自らの欲求を叫んだ。と、何故かケンスケはニヤニヤしながらトウジの背後を指さす。

 訝しげに後ろを振り返るとそこには……顔を真っ赤にしたヒカリが立っていた。

 

「け、ケンスケ……お前……ハメよったな!」

「え? 何の事?」

「ぬぅぅ、後で覚えとれよ」

 覆水盆に返らず。策略にはめられたとは言え、自分が叫んでしまったのは事実。トウジは恥ずかしげに俯くヒカリに、何とかフォローをしなくてはと必死に頭を回転させる。

「あ~その、何や……似合ってるで、その水着」

「……うん、ありがとう」

 着やせするタイプなのか、ヒカリのスタイルはアスカに引けを取らない。そんな魅力的な肢体を黄色のビキニで包んだ姿は、純情なトウジには刺激が強かった。

(あ、あかん、こらあかんで。何やこれ……マジかいな。ヒカリってこないスタイル良かったんか。それにビキニっちゅうんか、この水着。普段とのギャップがありすぎて…………あかん)

 思考回路がパンクしたトウジの鼻から、つぅ~と血が流れ落ちる。

「と、トウジ。鼻から血が……」

「大丈夫や。ちょいと予想を超えとっただけやから」

「駄目よ、早く手当しないと。ほら、こっちに来て」

 ヒカリはトウジの手を引いて、パラソルの下に置かれた荷物に近づく。そして取り出したティッシュで、優しく血を拭いた。

 

「やれやれだね。トウジは相変わらずか」

「全くよ。折角人がお膳立てしてあげたって~のに」

 ケンスケに同調するように、アスカが呆れた声を出しながら姿を見せる。それに続いて、女子達がカヲル達の元へと歩いてきた。

「惣流の仕込みか?」

「ま~ね。あの二人の関係を進展させてあげようとしたんだけど、大失敗だわ」

「ふふ、そうとも言えないよ。あれはあれで良い光景じゃ無いか」

 パラソルの下で寄り添うヒカリとトウジは、すっかり恋人同士の空間を作っていた。結果的にはアスカのお節介が成功した形だろう。

「鈴原君大丈夫かな?」

「幸せそうだし、気にしなくても良いでしょ」

「……イチャイチャしてる」

「れ、レイさん。そんなハッキリ言わなくても……」

「う~ん。これは素晴らしい光景だね」

 ずらりと並ぶ女性陣を前に、ケンスケは何度も頷きながらカメラを回す。

 赤いビキニを大胆に着こなすアスカと、白いビキニに身を包んだレイは、その容姿とプロポーションも相まって、浜辺の視線を釘付けにする。

 青白ストライプのビキニ姿のマナは活発な魅力を、薄緑のワンピースを着たマユミはお淑やかで儚げな印象を与え、やはり人目を引く。

 そして……燈色のワンピース水着姿のシイは、また別の意味で注目を集めていた。

 

 

「目標を最大望遠で確認! 距離、およそ5万」

「衛星回線を経由して観測データの受信を開始します」

「受信データを照合。主モニターに回します」

 その瞬間、ゼーゲン本部発令所は歓喜の声で溢れかえった。巨大なメインモニターに、水着姿のシイ達がハッキリと映し出されたのだ。

「素晴らしい……明るいシイ君にぴったりの燈色。清純なイメージに沿ったワンピースタイプの水着。申し分ないな」

「ええ、全くです」

 ティッシュを鼻に詰めながら、冬月とリツコは本当に良い笑顔でモニターを見つめる。学校指定の水着は何度も見ているが、やはり自前の水着にはそれとは違う魅力が溢れていた。

「欲を言えば、もう少し近くで撮影をしたい所ですけど」

「レイがいる以上、それは難しいだろうな。リリスの目が届かぬ宇宙からの、観測衛星の映像だけが我々に許された救いなのだ」

「無念です。……日向君、相田君との交渉は出来ているの?」

「かなりの条件を提示しましたからね。戻って直ぐにデータをコピーする手筈になってます」

「うむ、これで士気も上がるだろう」

「はぁ~やっぱりシイさん、良いわ…………え!?」

 うっとりとモニターを見つめていたリツコが、不意に何かに気づいた様に目を見開く。

「まさか……あり得ないわ……でも……」

「先輩?」

「どうかしたのかね?」

「……シイさんの胸が……大きくなってます」

「「!!??」」

 愕然とした様子でリツコが告げるや否や、発令所の全職員がモニターを凝視する。だが衛星からの映像はロングアングルの為、それを確認する事は出来無かった。

「か、勘違いでは無いのか?」

「いえ……間違いありません。私が保証します」

「青葉! 衛星を大気圏ギリギリまで移動させろ。少しでも良い、映像感度を上げるんだ」

「え、衛星の保持に支障が生じますが……」

「構わん、最優先だ」

 事シイに関しては、リツコの保証は絶対の信頼を得ている。その彼女が間違い無いと言うのなら、シイは確実に成長しているのだろう。

 それを見逃す手は無いと、冬月はギリギリの決断を即座に下す。

「了解。観測衛星、移動を開始します」

「カウント……4万8千、4万6千……」

 少しずつだが、シイの姿が大きく鮮明に映し出されていく。だがそもそも映像から胸の成長を見抜くのは至難の技。リツコ以外の面々はまだそれを確認出来ない。

「4万4千、4万2千……限界安全高度到達、これ以上は危険です!」

「まだ確認出来ていない。後4千だ」

「しかしっ!」

「壊れたら補正予算でも何でも出す! 後4千降ろせ」

「そんな訳にはいかないでしょ。少し落ち着いて下さい」

 すっかり暴走状態に陥っていた冬月に、背後から呆れたような声が掛けられる。一同が慌てて振り返ると、そこには苦笑を浮かべるナオコの姿があった。

「母さん……」

「青葉君、衛星の高度を戻しなさい。良いわね」

「りょ、了解」

 やんわりとした口調ながらも有無を言わせぬ迫力で、ナオコは青葉に指示を下す。

「ナオコ君、何故止める? 君も真実を知りたくは無いのか?」

「お言葉ですが冬月先生。この後に待ち受けている絶好の機会を、一時の感情で失うつもりですか?」

「どう言う事だね?」

「シイちゃんの成長、それはこちらに戻って来てからじっくりと確かめれば良いんです。それこそたっぷりと時間と労力を使って」

 ナオコの淡々とした語り口に、冬月は少しずつ冷静さを取り戻していく。

「ふむ、確かにそうだ。では絶好の機会とは……まさか」

「ええ。シイちゃん達の宿泊先には、露天風呂があります」

「覗き防止用の柵があったとしても……」

「私達の前では無力です」

 もうそれ以上の言葉は必要無かった。かつて慰安旅行では成し遂げられなかった悲願が、今まさに叶おうとしているのだから。

「……総員第三種特別警戒態勢へ移行。勝負は今夜だ」

「「了解」」

 幾多の戦いを乗り越えてきた優秀なスタッフ達。その心が一つになった時、どんな困難をも打ち破る事が出来るだろう。

 ファンクラブの戦いはまだ終わらない。

 

 

~遠泳対決~

 

「絶対あたしの方が上手いわ」

「……いえ、私よ」

「あんた海で泳ぐの初めてでしょ? 何でそんな自信満々なのよ」

「……経験で補えない実力差があるから」

「へぇ~言ってくれるじゃない。なら勝負しましょう」

「……良いわ。あそこのブイに触って、先に戻って来た方が勝ち」

「上等! じゃあ行くわよ!」

 勢いよく砂浜を駆け抜け、海へと飛び込んだアスカは、華麗なフォームでブイを目指して泳ぐ。自信が決して過信で無い事を示すように、それはしっかりと訓練された見事な泳法だった。

(はん! こちとら水中行動の訓練を受けてんのよ。今回は勝たせて貰うわ)

 やがてブイに辿り着き、手を伸ばしてタッチしようとした瞬間、海中からスッと白い手が浮上し、アスカよりも先にブイに触れた。

(なっ!? 今の……)

 動揺する心を必死に抑えながら、アスカはブイにタッチしてから浜辺へと戻る。だが海から上がった彼女を待っていたのは、息一つ乱していないレイだった。

「はぁ、はぁ、あんた……ホントに泳いでたの? 姿が……見えなかったけど」

「……ええ。ずっと海の中を泳いでいたわ」

「せ、潜水してたって~の?」

「……その方が泳ぎやすかったから」

 いともあっさり言い放つレイに、アスカは脱力したように砂浜に座り込む。

「じょ、常識を守りなさいよ。あんた人間辞めてんじゃ無いの?」

「……知らなかったの?」

「あ~そうだったわね……って、ちょっと待って。リリスは地球と同化してるって事は」

「……自分の身体で負ける筈が無いわ」

「は、反則よ。あ゛~でもそれに気づかなかった自分にも腹が立つ~」

 リリスと地球が同化した今、地球上でレイに優しく無い場所は存在しない。圧倒的な地の利、あるいはホームアドバンテージを握られていた時点で、アスカの負けは確定していたのだ。

「こうなったら勝つまでやるわよ。次は別ので勝負しましょ」

「……受けて立つわ」

 二人は頷き合うと、新たな戦いを求めてシイ達の元へと並んで戻る。何だかんだ言いつつも楽しそうなレイとアスカの姿は、海を満喫する親友のそれにしか見えなかった。

 

 

~死闘~

 

 ゴム製のボールに空気を入れ、地面に落とさないように打ち合う。マユミの知っているビーチバレーは砂浜で楽しむ遊戯であり、決して犠牲者など出ない筈の物だった。

 その筈だったのだが……。

「鈴原君、相田君、大丈夫?」

「お、おう……この位何でもあらへん……」

「予備の眼鏡を持ってきてて……良かったよ……」

 パラソルの下で大の字に倒れるトウジとケンスケに、マユミは心配そうな視線を向ける。二人の顔面には真っ赤なボールの痕がついており、二人を襲った悲劇を容易に想像させた。

「動いちゃ駄目よトウジ。ほら、また鼻血が」

「すまんのうヒカリ……格好悪いとこばっか見せてもうて」

「そんな事無い! 一生懸命に頑張るトウジは……いつも格好いいから」

 またもや二人だけの空間を作るトウジとヒカリに、ケンスケは巻き込まれまいと重い身体を起こして側から離れた。

「動いて大丈夫なの?」

「あのまま二人の側に居る方が、よっぽどダメージが大きいよ」

「……鈴原君と洞木さん、とっても仲が良いのね」

「お似合いだよ、この二人はさ。出来ればこのままゴールまで行って欲しいな」

 半分ふさがったまぶたで、トウジとヒカリを見つめるケンスケの眼差しは、彼の言葉が本心からの物である事を証明するかのように優しさに溢れていた。

「相田君は、二人と昔からの友達なの?」

「そんな長い付き合いじゃ無いよ。でも色々あったし、ただ長い間一緒に居るだけの友達よりも、ずっと大切な友達だって思ってるけどね」

「……そう、なんだ」

「どれだけの時間を共に過ごしたかよりも、どんな時間を共に過ごしたかが大切だ。僕のパパの言葉だけど、ようやくその意味が理解出来たかな」

「…………」

「だから山岸も遠慮しなくて良いよ。言いたい事言って、やりたい事やって、一緒に馬鹿やろうぜ。少なくても僕はそうしたいって思ってるから」

 ケンスケのさり気ない気配りを察し、マユミは小さくありがとうと呟く。恋人同士のそれとはまた違う、友人同士の穏やかな空気が二人の周囲を包む。

 と、そんな空気を吹き飛ばす様に、また新たな犠牲者が現れた。

「マナ、しっかりして」

「ぐえぇぇ……」

「霧島も犠牲になったのか」

 シイに肩を借りながら、ふらふらとパラソルに舞い戻ってきたマナ。彼女は顔こそ無傷だが、露出した健康的なお腹にくっきりとボールの痕が刻まれていた。

「き、霧島さん……」

「まあ、あの連中に良くここまで付き合ったと思うよ。うん、本当に」

 呆れたように呟きながら、ケンスケは視線を浜辺へと移す。そこにはレイとカヲル、アスカがもはやビーチボールと言う名のドッチボールをしている光景があった。

 強力なスパイクに破裂音を奏でつつ歪むボールは、風切り音を響かせ相手を襲い、しかしそれは決定打になり得ない。

「はぁぁぁ、アスカスパァァイクゥゥ!」

「ふふ、まだまだ」

「どぉぉぉりゃぁぁぁ、アスカアタァァァクゥゥゥゥ!」

「……甘いわ。ATフィールド全開!」

 勝利条件が相手を倒すへと変貌した戦いは、更に激しさを増していく。

「あいつらって、手加減とか何時になったら覚えるんだろうな」

「す、少なくとも……覚えるつもりは無いと思うな」

「三人とも凄い上手ね……」

「僕はあそこに違和感なく溶け込んでる惣流に驚きだよ」

「マナ、早く冷やさないと。あ~でもお腹冷やしたら駄目だし……うぅぅ、どうしよう」

「海って……危険が一杯……だね」

 熱い浜辺で行われる熱い戦いは、まだまだ終わる気配を見せなかった。  

 

 

~砂の城建設計画~

 

 延々と続いていたビーチバレーだったが、三人よりも先にボールが限界を迎えた為、結局引き分けという形に終わった。

 流石にはしゃぎすぎたと、今度は落ち着いた遊びをする事にする。

「砂のお城?」

「うん。砂を使ってお城を作るの。これなら誰も痛い思いをしないと思うけど」

「へぇ、中々面白そうじゃないか」

「ちょっと疲れたし、休憩がてら丁度良いんじゃ無い?」

 マユミからの提案に反対する者はおらず、砂の城築城計画が始まった。競争にすると妨害などで犠牲者が出るとの判断から、今回は全員で協力して一つの城を作ることにする。

「まず場所だけど、海から近くも遠くも無い所が良いの。……うん、ここが良いかも」

「砂を詰んでいけば良いのかな?」

「最初に地盤を固めた方が安定するわ。水を軽くまいて踏み固めるの」

 唯一の経験者であるマユミの指示に従って、シイ達は作業を進める。しっかりと固めた場所に、水を含ませた砂を次々と積み上げていく。

 ぱらぱらと乾いた砂をまぶし、その上にまた泥状の砂を重ね、乾いた砂をまぶす、と言う単純な行程だが友人との共同作業ならそれも楽しい物だ。

 やがて大きな砂の塊が完成すると、マユミが次なる指示を下す。

「この後は、自分達が作りたい形に削っていけば良いの」

「お城だよね。……あれ?」

「何よ?」

「お城って、どんな形だっけ?」

 顎に指を当てて問いかけるシイに、何を今更と苦笑した一同だったが、いざ具体的な城の形となると思いの外浮かばないもので、揃って頭を悩ませてしまう。

「こ~あっちこっちに煙突みたいんがあるやろ?」

「屋根の先端が尖ってるイメージかな」

「城門があって……」

「……屋根にしゃちほこが乗ってるわ」

「あんた馬鹿ぁ? それ日本の城でしょ!」

「でもお城って一口に言っても色々あるし」

「ふふ、制作前に全員のイメージを統一する必要があるね」

 そんなカヲルの言葉を待っていたのか、マユミは荷物の中から一冊のスケッチブックを取り出し、一同の前に開いて見せる。そこには中世の欧州を思わせる城の絵が、丁寧に描かれていた。

「うわぁ~上手。これマユミちゃんが書いたの?」

「う、うん。海に行くって決まった時から……みんなでやりたいって思ってて。発案者がいい加減だと迷惑を掛けちゃうから、完成予想図を書いてみたの……」

 恥ずかしそうにスケッチブックで顔を隠すマユミ。旅行が楽しみで仕方なく、勝手に一人で盛り上がって絵まで用意した自分が恥ずかしいと、彼女は今更に後悔する。

 だが、友人達の反応はマユミの予想とは大きく違っていた。

「まあまあね。あたしならもっと上手に書けるわ」

「ちっとは素直に褒められんのか。こら良う出来とるで」

「うん、いかにも城って感じだし良いと思うよ」

「……グッド」

「大仕事になりそうだね。パーツごとに役割を決めた方が良さそうだ」

「じゃあ山岸リーダー。指示をお願いします」

 ニカッと笑いながら軽いノリで敬礼をするマナを、一同も笑いながら真似をする。やる気満々と言った様子の友人達に、マユミは今日一番の笑顔で頷いた。

 

 数時間後、夕暮れの砂浜で子供達は一枚の写真を撮った。

 全身砂まみれの姿だったが、達成感と満足感に溢れた笑顔で写るシイ達は、どんな着飾った格好よりも眩しい輝きを放ってフィルムに収まる。

 その背後には渾身の一作『マユミキャッスル』が、十人の変わらぬ友情を示すように、誇らしげにそびえていた。

 




学生時代に友人と行く旅行って、何をやっても楽しい不思議なテンションになりますよね。
執筆しながら、ふとそんな気持ちを思い出しました。

色々と企んでいる面々も居ますので、このまますんなりとは終わらなそうです。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《子供達の旅行(その3)》

諸事情により投稿を休止しておりましたが、落ち着きましたので再開致します。


 

~密告者~

 

 旅館に帰ってきたシイ達は、夕食までの時間を使って温泉に入る事にした。夕食の時に広間に集合すると確認し合い、男女それぞれの部屋に戻る。

「で、今回はのぞきはしないんやな?」

「警戒されたく無いからね」

「渚って変なとこでストイックだよな」

 風呂支度をしながら、ケンスケは呆れつつも感心した様な言葉を掛ける。

「ふふ、勿論興味が無いと言ったら嘘になるけどね。ただ目的達成の障害になる可能性があるのなら、それを切り捨てるのは当然さ」

「裸見るんよりも、大事な事があるっちゅう事やな」

「そうだね。それに洞木さんの裸は、トウジ君だけのものだろ?」

 クスリと微笑むカヲルに、トウジは何ともばつの悪そうな顔でそっぽを向いた。水着姿のヒカリがまだ脳裏に焼き付いているからか、妙に意識してしまっているのだ。

「はぁ。奥手にも程があるよ。付き合って結構経つのに、まだこれだからな」

「うっさい」

「ま、トウジらしいけどね」

 奥手で純情な友人の変わらぬ態度に、ケンスケは何処か嬉しそうに呟く。

「準備出来たよ。それじゃあ温泉に行こうか」

「……少し待ってくれるかい? どうやら予期せぬ客人の様だ」

「客? そんなん誰も来てへん……」

 カヲルの言葉にトウジとケンスケが訝しげに首を捻っていると、不意に部屋の畳に真っ黒な影が出現した。その影から少女がぬるりと現れたのを見て、二人は驚きのあまり言葉を失ってしまう。

「ご旅行中に申し訳ありません。急ぎお知らせしたい事があり、失礼を承知で参りました」

「しゃ、喋りおった……」

「人間……なのか?」

「ああ、君達とは初対面だったね。驚かせてしまってすまないないが、そんなに警戒しなくて良いよ。彼女は僕の妹、レリエルさ。……ただ、この旅行に参加する予定は無かった筈だけど」

 戸惑う二人とは対照的に、カヲルは余裕の態度を崩さない。だが予定外のレリエルの登場に何かを感じ取ったのか、その視線は鋭くレリエルを射抜く。

「君が力を使ってまで来たんだ。それなりの用件と思って良いんだね?」

「はい」

「なら聞かせてくれ。一体君は僕に何を伝えたいんだい?」

「……シイ様を狙っている者達がいます」

「へぇ」

 カヲルの赤い瞳にスッと冷たい光が宿る。何より大切なシイと、友人達との貴重な一時。それを壊そうとする相手を決して許さない、そんな意思がハッキリと感じ取れた。

「おい! そらホンマか? ホンマにシイの命を狙っとる奴がおるんか?」

「シイ様を狙っている者が居るのは事実です。ただ、その狙いは命ではありません」

「は?」

「ん?」

「……どう言う事かな?」

「イロウルが得た情報によりますと、ゼーゲン本部が観測衛星を用いてシイ様の入浴姿を撮影、つまり全裸の映像を狙っています」

 真面目な表情を一つも変えずに、レリエルは何とも間抜けな事を報告した。

 

「あ~つまり、あれか。盗撮しようとしとるっちゅう事か?」

「語弊を恐れずに言えばそうなります」

「それ本当なのかい? だとしたら情報のソースは何処から」

「イロウルが観測衛星の不自然な挙動を掴み、その原因を探っていたところ……シイ様達の水着の映像データが本部に送信されていました。それだけならば周辺警護の可能性も否定出来ませんが、現在衛星の観測座標がこの宿の温泉に合わせてありましたので、恐らく間違い無いかと」

 淡々と報告するレリエルに、三人はもう呆れるしか無かった。本来なら怒るべきなのだろうが、そこまでするかと言うゼーゲンの執念に、そんな感情はすっかり吹き飛んでしまう。

「ホンマに……何ちゅうか……」

「やる事のスケールが大きすぎるよ。観測衛星まで持ち出すなんて普通考えつかないし、考えても実行に移さないって言うより移せないから」

「ふふ、よく知らせてくれたね。とても貴重な情報だ」

 すっかり警戒を解いたカヲルに頭を撫でられ、レリエルは頬を染めてはにかむ。登場から圧倒されていたトウジとケンスケだったが、そんな姿を見て彼女の印象を改めた。

「何や、そない顔で笑えるんやな」

「クールビューティーって感じだったけど、笑った方が可愛いと思うよ」

「!? し、失礼しました」

 二人の言葉に自分の状態を察したレリエルは、大慌てでカヲルの元から離れる。

「おや、もう良いのかい?」

「……はい……」

 言葉とは裏腹に、名残惜しそうな顔でカヲルの手を見つめるレリエル。トウジ達は悪いことをしたと、すまなそうに両手を合わせる。

「いや、二人が気にする必要は無いよ。レリエル、君にはまとめ役を任せてしまっているけど、僕にとっては君も妹なのだから遠慮しなくて良い。覚えておいてくれ」

「勿体ないお言葉です。……報告は以上です。どうかお気をつけて」

 深く一礼すると、レリエルは再び現れた影の中へと消えていった。

 

「えらい真面目な感じやったな。ホンマにお前の妹か?」

「定義が難しいけど、とりあえずはね。良く出来た妹だと思っているよ」

「前に碇が話してた新生した使徒、か。他にも居るんだよな?」

「ああ。そうだね……今度君達にも紹介させて貰うよ」

 カヲルは二人に微笑みながら告げると、スッと思考を切り替える。邪な陰謀が明らかになった以上、それを阻止するのは自分の役目なのだから。

「リリスの干渉を受けない衛星軌道からの覗き、か。露天風呂の弱点である直上の空白を狙った、良く出来た作戦だね」

「ま~副司令に姐さんが居るさかい、そん位の無茶はやってもおかしくあらへん」

「で、どうするんだ? あの子に頼んで覗きを止めて貰うか?」

「その必要は無いさ。この程度の問題、僕一人居れば充分対処出来るよ」

 自信に満ちた様子でトウジとケンスケに言い放つカヲル。彼がこう言った以上、確実に覗きは失敗に終わるだろう。

「ま、そんならお前に任せるわ」

「僕達はのんびり温泉を堪能させて貰うよ」

「ふふ、それで良い。さあ行こう」

 三人の少年は頷き合うと、露天風呂へと向かうのだった。

 

 

~リリンの矛、アダムの盾~

 

 ピリピリと張り詰めた空気に包まれた発令所では、刻一刻と迫る作戦時刻を前に、最終確認が行われていた。

「第六観測衛星、予定高度を維持」

「衛星とのデータ送受信、問題なし」

「MAGIシステムは正常に稼働中。システムリソースを本作戦に回します」

「作戦開始時刻まで、後五、四、三、二、一」

「開始して」

「了解。映像データの受信を開始。主モニターに回します」

 マヤが端末を操作すると、巨大な画面に露天風呂の映像が現れる。無人のそこに、間もなく目標が現れると思えば、ゴクリと唾を飲む音が聞こえても無理は無いだろう。

「座標の固定完了。作戦終了まで現状維持」

「MAGIによる映像補正を行います……データリンク成功、作業スタート」

「順調ね」

「碇とユイ君は問題無いな?」

「はい。司令、補佐官共に本日は業務を終え帰宅済みです」

 全てが自分達のシナリオ通りに進んでいる事を確信し、冬月は小さく頷いた。

「後は待つだけか……さて、上手く行くかな」

「私の見立てでは、成功確率は五割と言った所でしょうか」

「五割? そんなに少ないのかね?」

「レイと渚カヲルがあちらに居るだけで、あらゆる不確定要素を考慮する必要があります」

「不確定要素か。確かにイレギュラーは常に起こりうるが……」

 具体的に何か考えられる事はあるのかと、冬月がナオコに問いかけようとした瞬間、それは起こった。観測衛星から送られている映像が、突如砂嵐へと変わったのだ。

「一体どうなっている!?」

「か、観測衛星は正常に稼働しています」

「こちらのシステムも同様です」

「違う……こ、これは…………ATフィールドです!!」

 青葉の絶叫が発令所に響き渡った。それとほぼ同時に発令所のサブモニターには、使徒の出現を意味するパターン青の感知が表示される。

「これまでに無い、強力なATフィールドが露天風呂周辺に展開! 光波、電磁波、粒子すらも遮断しています! 何もモニター出来ません!!」

「パターン青……彼なの?」

「馬鹿な。衛星軌道からの視線に気づいたと言うのか」

「神の子を守るアダムの盾。まるで結界ね」

 予想外の展開に、冬月は動揺を隠しきれない。それは他のスタッフも同様で、カヲルの力を改めて知らしめられ、愕然とした表情で砂嵐のモニターを見つめている。

「くっ、何か他に手段は無いのか……MAGIはどうだ?」

「全館一致で作戦断念を提唱しています」

「人類には手の届かぬ神の領域ですもの。それこそ同じ神でしか破れないでしょう」

「レイか…………」

 唯一現状を打破できるレイは、絶対に協力を得られないだけでなく、自分達の企みを知られたら生命の危機が及ぶ存在。もはや彼らに策は無かった。

「……現時刻をもって、作戦の続行を断念する。全員事後処理に移れ」

「了解……」

 力なく下された冬月の指示に、意気消沈した様子でスタッフ達は作業を始める。

 科学というリリンの矛は、ATフィールドという神の盾の前に敗れ去ったのだった。

 

 

 同時刻、温泉につかりながら、カヲルは二人に自分のとった対策を説明していた。最大出力のATフィールドで、この一帯を包み込んだのだと。

「ほ~ATフィールドはそない事も出来るんか」

「でもさ、前に僕が使徒とエヴァの戦闘を撮った時は、普通に撮れてたぜ?」

「そう言えばそうやな。本部でもちゃんとモニター出来とったみたいやし」

「ひょっとしてATフィールドって、強さに個人差があるのか?」

「ふふ、そうだね。ATフィールドは心の壁、同じ心を持つ者が居ないように、その強さは皆違っているよ。同じ個体であっても、その時の精神状態で強さが左右される事もあるからね」

 ケンスケの推測にカヲルは頷いてそれを肯定する。

「心の壁か~。なあ渚」

「何かな?」

「人間にも心があるのに、何でATフィールドが出せないんだ?」

「そらお前……そう言うもんって決まっとるからやろ」

「でもエヴァに乗ったら使えるんだぜ?」

 ATフィールドは使徒かエヴァにしか使えない。そう理解していたトウジは、ケンスケの問いに改めて疑問を抱く。

「そう言われると……そもそもATフィールドって何なんやろ」

「Absolute Terror Field。絶対恐怖場、あるいは絶対恐怖領域と表現出来るかな」

「恐怖?」

「そう。自らの存在を保つために、他者の侵入を恐怖して拒絶しようとする排他的精神領域、それが君達リリンがATフィールドと呼ぶ物の正体だ」

 頭にタオルを乗せたカヲルは、折角だからと二人に詳しく話をする事にする。

「自分が自分である為に、絶対に守らなくてはいけない部分。それは理解出来るかい?」

「ま~何となくはな」

「それを守る為の力がATフィールドさ。ただリリンは元々群体生命、他者との共存を前提に存在しているから、使徒に比べて拒絶する力が弱いんだよ」

「なら僕達も……」

「ATフィールドは全ての生命が持っている。単体生命体の使徒は自分だけで完結しているから、他者を拒絶する力が防御壁を展開出来る程強い。群体生命体のリリンは自我境界線を維持する、人としての形を保てる位の強さしか無い。これでどうかな?」

 丁寧に説明してくれたカヲルに、成る程とケンスケは頷いて見せた。

 

「せやけど、わざわざお前が頑張る必要はあったんか?」

「どう言う事かな?」

「姐さん達が覗きを企ててるって司令かユイさんにチクれば、一発やったやろ」

 トウジの疑問にカヲルはその事かと微笑む。

「これは彼らに対しての牽制だよ。君達の考えなど僕はお見通しで、簡単に阻止出来る。一線を越えた行為は今後しないように。次期総司令と言えども、プライバシーは守られるべきだからね」

「あ~、あの人達はその辺暴走しがちやもんな」

「まあそんな訳で今回は実力行使させて貰ったよ。勿論戻ったら釘を刺しておくさ」

「お前がそう言うんなら、それが一番なんやろな。ま、今は温泉を堪能しようや」

「ふふ、夜空を見上げながらのお風呂と言うのも良い物だね」

 三人がまったりと温泉を楽しんでいると、女風呂から賑やかな声が聞こえてきた。

 

 

「温泉、温泉、楽しみだな~」

「はしゃぐのは良いけど、泳いだりしないでよね」

「え?」

「何であんたが反応すんのよ」

「いや~広いお風呂って、泳ぐのが基本かなって」

 ぺろっと舌を出すマナに、アスカは頭を抑えながらため息をつく。常識人だと思っていたマナも、実はシイと同じくずれた思考をしていると、今回の旅行で改めて思い知らされたからだ。

「その……他の方の迷惑になるから……め、だよ」

「え~でも誰も居ないよ。なら泳いでも良いよね?」

「それは……えっと……」

「まともに相手すると疲れるから、適当にあしらっておきなさい」

 マナにとって真面目なマユミは、からかいがいのある相手なのだろう。困惑するマユミに、アスカは肩をすくめながらアドバイスをする。

「洞木さ~ん。惣流さんが私に冷たいよ~」

「よしよし。でも海で沢山泳いだから、温泉ではゆっくりしましょうね」

「ヒカリちゃん、お母さんみたい」

「そんだけあんた達がお子様って事よ」

 ポツリと呟いたシイの頭を軽く叩きながら、アスカは呆れたように答えた。ヒカリは家庭での立ち位置からか母性が強く、シイ達と並ぶとそれが一際強調される。

「ぶぅ~。あ、でもそう考えると結構バランス取れてるよね」

「バランス?」

「うん。シイちゃんに私がお子様なら、洞木さんと山岸さんがお母さん。惣流さんとレイさんが……お姉さんって感じでさ」

「あ、確かにそうかも」

「……自覚してんなら、少しは大人になる努力をしなさいよ」

 マナの言葉にポンと手を叩いて同意するシイ。お子様二人組を前にして、アスカは疲れた様にため息をつくのだった。

 

 温泉につかってリラックスする一同。身体の疲れと同時に、日々の生活で知らず知らず溜まっていたストレスも、湯に溶けるように消えていく。

「はぁ~極楽極楽。やっぱお風呂は命の洗濯だね」

「前にミサトさんも同じ事言ってたな~。あ、マナとミサトさん、ちょっと似てるかも」

「加持さんと?」

「うん。普段は少しだらしないけど、いざって時はとっても頼りになる所とか」

「あ~何となく分かるわ」

 シイの言葉にアスカが同意を示す。ミサトは仕事と日常の切り替えがしっかり出来るタイプで、だからこそ二人の保護者役を務めることが出来た。

 マナからはそんなミサトと同じ空気が感じられたのだろう。

「あの、……加持さんってあの加持リョウジさんの?」

「……ええ。加持主席監査官夫人。元ネルフの元葛城元三佐。同時にシイさんとアスカの保護者役を務めた人」

「ああ、そう言えばあんたはミサトと会った事無かったっけ」

「とっても綺麗な人よ。シイちゃんの三者面談で学校に来た時は、男子生徒が大騒ぎだったもの」

「あはは、そんな事もあったね」

 当時は相当恥ずかしい思いをしたが、今となっては懐かしい思い出の一つ。まだ距離があったミサトと、家族として一歩踏み込む事が出来た大切な思い出だ。

「は~い、提案。今度みんなで加持さんの家に行くのはどう?」

「それは……流石に迷惑じゃ無いかしら」

「ミサトなら大歓迎すると思うけど。久しぶりにリョウトの顔も見たいし」

「リョウト?」

「加持さんとミサトさんの赤ちゃんだよ」

「……アスカが狙っている男の子」

 ボソッとレイが呟いた瞬間、視線が一斉にアスカへと集中する。

「へぇ~流石惣流さん。有望そうな子には唾をつけておくって訳ね」

「アスカ……」

「……まるで源氏物語みたい」

「ちょっ、ち、違うって……あんた達も本気にするんじゃ無いわよ!」

 慌てて否定するアスカだが、その動揺ぶりがレイの言葉の信憑性を増してしまう。勿論ジョークなのは分かっているが、あり得ない年齢差では無いのだから。

「生憎とあたしはモテるの。それこそガキの相手をする必要が無い位にね」

「……でも一度も付き合った事は無いわ」

「それは、このあたしに相応しい男が居なかったからよ」

「ふ~ん。因みに惣流さんが思う、自分に相応しい人ってどんな感じ?」

「……そうね……格好良くて頼りがいがあって、頭も良くて何時も余裕を持っていて、それでいてユーモアを忘れずに、気配りが出来て優しい……」

 マナの問いかけに、アスカは割と本気で理想の男性像を語っていく。その余りに高すぎるハードルを聞いて、一同は察した。

 アスカが結婚するのは、シイとは別の意味で困難だろうと。

 

 貸し切り状態の露天風呂は心の壁を取り払い、互いの距離を縮めるのに充分な効果を発揮する。盛り上がる女子達の会話が終わったのは、実に一時間も後の事だった。

 

 

 

~レイの弱点~

 

 温泉を満喫した一同は、大広間で揃って夕食を堪能する。ゼーゲン慰安旅行の時の様な豪華さは無いが、それでも予算以上の料理に子供達は大満足だった。

「あ、シイちゃんグラス空だね。ジュース貰ってくるけど、何が良い?」

「ううん、自分で持ってくるよ。さっきからマナばっかりにお願いしちゃってるし」

「まあまあ良いから。どんどんこき使っちゃってよ」

「へぇ~、随分殊勝ね。何か悪いもんでも食べたんじゃ無い?」

「あはは……空港での事もあるし、ここらで一丁汚名返上しておかないとね」

 アスカのからかいに、マナは苦笑しながら頭を掻く。流石にはしゃぎ過ぎたと思ったのか、彼女は夕食が始まってからずっと、かいがいしく世話を焼いていた。

「そんなの気にしなくて良いのに……」

「……本人が望む様にさせてあげましょう」

「ふふ、それが良いだろうね。なら霧島さん、僕はワインを貰おうか」

「だ、駄目よ渚君……お酒は……本当に駄目」

「洞木さん?」

「翌朝の苦しみは、正直洒落にならんからな」

「トウジ?」

「……あれは悪魔の飲み物よ」

「レイさん?」

 アルコールに関して苦い思い出しか無い面々は、顔を引きつらせて俯く。事情を知らないケンスケ達は、そんな友人達の様子に首を傾げた。

「あ~まあ色々あってね。とにかく、アルコールは絶対に駄目。不許可よ」

「その……飲酒は不良だから、駄目です」

「ま、揃って退学なんて洒落になんないから、大人しくジュースで我慢しといてね」

「ふふ、ならぶどうジュースを頼もうか」

 カヲルは参ったとばかりに両手を挙げると、苦笑しながらマナに注文をした。

 

 それから暫く、シイ達は広間で食事と会話を楽しんだ。ボケ役と突っ込み役が勢揃いの面々だけあって、話題は尽きること無く笑い声が響き渡る。

 と、そんな中、シイは隣に座っているレイの異変に気づく。

「あれ、レイさん……眠いの?」

「……いえ、問題無いわ」

「だけど……」

 心配そうなシイの言葉にレイは問題無いとアピールするのだが、半分落ちかけているまぶたを擦りながらではまるで説得力が無かった。

「ちょっと本気で眠そうじゃない。シイより先にって、どんだけお子様なのよ」

「むぅ~酷いよアスカ。……でもこんなに眠そうなレイさん、初めて見るかも」

「ふふ、大分はしゃいでいたからね。疲れが出てもおかしく無いさ」

 アスカとの水泳勝負に始まり、レイは表にこそ出さなかったが旅行を満喫していた。温泉で心身共にリラックスした今、それが一気に現れても不思議で無いだろう。

「疲れと無縁のレイが?」

「日頃積み重なった小さな疲労が、今日みたいにリラックス出来た時にまとまって出るのは、別に珍しい事じゃ無いよ。何だかんだでレイは疲れを表に出さずにため込むタイプだからね」

「確かにレイって何時も張り詰めてる感じだもんな。それが緩んだって事か」

「なら今日はゆっくり休ませてあげた方が良いかも」

 ヒカリの提案に反対する者は居なかった。まだ就寝には早い時間であったが、この状態のレイを放置して騒ぐ気にもなれないからだ。

「ま、充分過ぎる程楽しんだし、今夜はこれでお開きっちゅう事でええな?」

「だね。無理して体調を崩したんじゃ本末転倒だし」

「私も……それが良いと思う」

 シイの肩に寄りかかり、完全に眠ってしまったレイを見ながら、子供達は頷きあった。

 

「さて、なら眠り姫を運ばなくてはならないね。霧島さんと君で、レイを部屋まで運んであげて貰えるかな? 僕達だとレイは嫌がるだろう」

「あはは、まあ確かにそうかも」

「ま~男に身体を触らせたくないだろうし……全く世話が焼けるんだから」

 レイに気遣いをしたカヲルの提案に、アスカとマナは賛同する。カヲルなら一人で抱きかかえて行けるだろうが、それをレイは望まないだろう。

「……ふん!」

「おぉ、惣流さん力持ち~」

 俗に言うお姫様抱っこでレイを持ち上げたアスカに、マナはからかい混じりに賞賛する。脱力した人間を持ち上げるのは、中々に骨の折れる事だと知っているからだ。

「別に大した事じゃ無いわ。レイはそんなに重く無いし…………ん?」

「何かあった? ひょっとして腰をやっちゃったとか? その若さでぎっくり腰はちょっと……」

「……何でも無いわ。ほら、馬鹿な事言って無いで、さっさと襖を開けなさいよ」

「はいは~い。じゃあ私達は先に部屋に戻ってるね」

 シイ達に見送られながら、三人は大広間を後にする。

「……さて、今日はこれでお開きにしよう。気分が高揚しているから自覚していないけど、僕達もそれなりに疲労が溜まっている筈さ」

「ま、無理をしても仕方ないからな」

「そうね。私達も部屋に戻りましょう」

 カヲルの言葉に反対する者はおらず、一同はそれぞれ部屋に戻ろうとする。と、カヲルはシイにそっと近づいて声を掛けた。

「……シイさん、ちょっと良いかい」

「どうしたの?」

「これから少し付き合って貰えないかな?」

 微笑みながら誘いをかけるカヲルに、シイは不思議そうに首を傾げた。もう休もうと提案したのは、カヲルなのだから無理も無い。

「ふふ、寝る前に少し散歩をして気持ちを落ち着けたいのさ。ただ一人では寂しいからね、君と軽く話でもしながらと思ったんだよ」

「お散歩? うん、私で良ければ一緒に行くよ」

「ありがとう」

「ちょっと渚君……」

「まあまあヒカリ。シイの事は渚に任せとけば安心やさかい、好きにさせてやろうや」

 大広間から外へ向かおうとする二人に、待ったを掛けようとしたヒカリをトウジが遮る。マユミも何か言おうとしていたが、ケンスケが無言で頷くのを見てそれを押し止める。

 友人達のフォローを受け、カヲルはシイと二人きりで外に出る事に成功した。

 




真冬なのに夏のお話……季節感って大事ですね。

旅行編は5話構成ですので、折り返し地点を越えました。
執筆は終了していますので、添削終了次第投稿致します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。





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後日談《子供達の旅行(その4)》

 

~カヲルの願い~

 

 シイとカヲルが退室した大広間で、ヒカリはトウジに訝しげな視線を向けた。

「トウジ……」

「すまんのうヒカリ。ただ今回だけは見逃してやってくれ。頼む」

 必死に頼み込むトウジの姿に、ヒカリは困った様に眉をひそめる。カヲルとシイは狼と羊の関係に似ており、羊飼いか猟師が居なければどうなるかは、容易に想像がつくのだから。

「でも渚君とシイちゃんを二人きりにしたら……」

「それは大丈夫。渚の目的は碇と二人だけで話をしたいってだけだよ」

「お話?」

「そや。あいつはシイとサシで話す時間が欲しいだけなんや。シイの側には何時もレイが居るさかい、こない機会でも無いとそれは不可能やろ」

 危険人物として認識されているカヲルは、シイと二人きりになる事自体が難しい。過去に何度かそのチャンスはあったのだが、いずれも保安諜報部の監視が付いており、純粋に二人きりで落ち着いて話をした事は、これまで一度も無かった。

「だけどこんな時間に男女が二人で居たら……も、もし、その、間違いがあったら……」

「渚はシイが悲しんだり、嫌がる事は絶対にせん。それは確実や」

「だから僕達も渚に協力したんだよ」

 トウジとケンスケの言葉に、ヒカリは反論できない。カヲルを知る人間ならば、彼がシイに対しては無条件で味方であり、決して傷つけない男だと理解しているのだから。

「……でも、アスカとレイさんは許さないと思うわ」

「承知の上や。後で怒られるんも、ボコボコにされるんも覚悟しとる」

「それでも僕達は渚の力になろうって決めたんだ」

 きっぱりと言い放つ二人。もしヒカリとマユミが納得せず、無理矢理にでもカヲルを止めようとすれば、それを全力で阻止するだろう。

「ヒカリと山岸は、わしらに力ずくで止められたって言っとけばええ」

「だから今夜だけは、渚の思い通りにさせてやってよ」

 責任は自分達が全て受けると言うトウジ達に、ヒカリは悩んだ末に頷いた。

「サンキューな、ヒカリ。……山岸もええか?」

「……うん。だけどレイさんは寝ちゃったけど、惣流さんはどうするの?」

「シイちゃんが戻って来なかったら、アスカは探しに行くわよね」

「ああ、それは心配いらへん」

「渚はちゃんと惣流への対策を考えてあるからね」

 ニヤリと笑う男子二人の姿に、ヒカリとマユミは首を傾げるのだった。

 

 

 

~トロイの木馬~

 

「どっこいしょっと」

「お疲れ様、惣流さん」

 部屋に敷かれてある布団にレイを寝かせると、アスカは大きく息を吐く。比較的身軽なレイだったが、それでも力の入っていない人間を運ぶのは、中々に骨の折れる作業だった。

「洞木さん達も戻ってくるだろうし、私達も寝ちゃおっか」

「……その前にやることがあるけどね」

「歯磨き?」

「あんた達が何を企んでるのか、白状して貰うのよ」

 真剣な視線を向けるアスカに、マナは何の事かと首を傾げる。

「企んでるって……何を言ってるのか分からないけど」

「レイを酔いつぶしておいて、何も企んでないってのは都合が良すぎるわね」

「ん~何の事やらさっぱりだよ」

「レイを抱き上げた時、アルコールの臭いがしたわ」

「勘違いじゃ無い? だってレイさんはお酒なんて飲んで無かったし」

 マナの回答に、しかしアスカは動じずに追求を続ける。

「そうね。レイも自分が飲んでいるのがジュースだと思ってた筈。だけどもしそれが、お酒にすり替えられていたとしたら?」

「あはは、流石にそれは気づくと思うな~」

「全部お酒じゃ無くても良いのよ。例えばオレンジジュースに、オレンジベースのお酒を混ぜたら、余程飲み慣れて無ければ気づかないからね」

 確信を持っているのか、アスカの言葉に迷いは無い。

「あんたはあの時、珍しくみんなの世話を焼いたわよね。本来やる必要の無い、ジュースのお代わりを持ってきたり。……それはレイにアルコールを摂取させる為だった」

「……確かに私なら惣流さんの言う通りに出来るけど、それをする意味が無いかな」

「あんたにはね。ただレイがお酒に弱くて、飲むと直ぐ眠る事を知っている奴には、レイを無力化する事に充分過ぎる程の意味があるわ」

「…………」

「無言は肯定と見なすわよ。あの変態に……渚カヲルに協力していたってね」

 鋭い眼光を向けるアスカに、マナの表情から笑みが消える。それはアスカの言葉が真実である事の、何よりの証明であった。

 

「企みも大体予想が出来てるわ。レイを眠らせてあたしに運ばせ、その隙にシイを連れだそうって魂胆っでしょ? 散歩に付き合って欲しいって言えば、シイは簡単に誘い出せるからね」

「……惣流さん、特殊監査部か諜報部に就職したらどう?」

「遠慮しとくわ。で、何であんたはあいつに手をかしたの? あの馬鹿二人はともかく、あんたには手伝う義理も何も無いと思ったけど」

「あはは……実は期末テストの時にちょっとお世話になっちゃって」

 悪びれた様子も無く笑うマナに、アスカは表情を険しくする。

「冗談を聞くつもりは無いわ。悪いけどあたしはあんたをもう少し買いかぶってるから」

「ま~半分はそれが理由だけど……後の半分は何て言うか……借りを返したいからかな」

「借り?」

「私にとって、渚君は命の恩人だったりするの。誘拐事件の時、渚君が居なければ私は間違い無く死んでたからね。彼にとってはシイちゃんのついででも、それは変わらない」

 テロリストに囲まれて万策尽きたマナを救ったのは、空から舞い降りたカヲルだった。表にこそ出していないが、その恩は忘れてはいない。

「だから渚君から頼まれた時、私は迷うこと無く承諾したよ」

「ま、分からなくも無いわね。それであの変態があんたに頼んだのは、レイに酒を飲ませて眠らせる事?」

「うん。それと……きっと真相に気づくであろう、惣流さんの足止め」

 マナの言葉を切っ掛けに、二人の間に流れる空気が張り詰める。両者とも既に臨戦態勢に入っており、じりじりとすり足で間合いを計っていく。

「……今すぐ邪魔を止めれば、加持さんに報告するのは勘弁してあげるけど?」

「それなら最初から手を貸さないってば。作戦が始まったら、成功に導く事しか考えない。加持さんからの懲罰も、レイさんからのお仕置きも、叩きのめした惣流さんにどうやって謝るかも、全部終わってから考えれば良いんだから」

「OK。……なら、病院のベッドでたっぷり反省しなさい」

 もう二人に言葉は必要無い。部屋の窓から外へと飛び出したアスカとマナは、暗闇の中で己の持つ白兵戦技術を駆使してぶつかり合った。

 

 

 シイと二人きりで話をしたい。そんなカヲルの望みを果たすには、レイの存在が最大の障害として立ちはだかる。例え正直に頼んだとしても、レイは決してそれを許さないだろう。

 そこでカヲルはレイがアルコールに弱いと言う弱点を突き、眠らせて無力化する事を画策した。海と温泉であえてシイへのアプローチを抑えた事で、レイの警戒心は僅かながら緩む。そしてレイの警戒対象外である女性陣から、マナと言うトロイの木馬を得た事で、見事それは果たされた。

 同時に厄介なアスカもマナに足止めを頼み、ヒカリとマユミはトウジ達に任せた。ゼーゲンの衛星監視は予想外だったが、レリエルの密告によりATフィールドで妨害出来る。

 これだけの下準備と、友人達からの惜しみない協力によって、カヲルは初めてシイと本当の意味で二人きりになる事が出来たのだ。

 

 

~月下の語らい~

 

 旅館を抜け出したカヲルは、シイと並んで砂浜を歩く。穏やかな月の光を浴びながら、優しい波の音をバックに散歩と言うのは絶好のロケーションではあるのだが、カヲルとシイにそうした雰囲気は生まれない。

「夜の海は怖いってお父さんは言ってたけど……とっても素敵だね」

「そう言って貰えると、誘った僕も嬉しいな。ただお義父さんの言う事も正しいよ」

「え?」

「見ての通り、夜は人が居ないだろ? もしトラブルが起きても助けて貰えないのさ」

 カヲルに言われてシイは周囲を見回す。昼間は多くの人が居た浜辺は、今はシイとカヲルの二人だけであり、他に人の気配は無い。

「確かに……溺れたら大変だもんね」

「それと、悪い狼が獲物を探しているのもあるかな」

「狼さん? 狼さんって夜行性だったんだ……」

「まあ何にせよ、これからも夜の海に行く時は、絶対に一人で行っては行けないよ」

「うん」

「ふふ、良い子だ」

 素直に頷いたシイの頭をカヲルは優しく撫でる。そしてゆっくりと歩きながら、シイとの会話を楽しむ事にした。待ち望んでいた夢の時間を、じっくりと噛みしめるように。

 

「……ところでシイさん。こんな話を知っているかい? 昔、日本のとあるリリンは『I love you』と言う英単語を『月が綺麗ですね』と訳したらしいよ」

「英語が苦手だったのかな?」

「ふふ、その人は英語の先生を務めていてね、生徒が『我、君を愛す』と直訳した時に、先の訳を伝えたと言われているんだ」

「どうして? だって生徒の方があってるのに」

「僕も書物で得た知識で申し訳ないけど、当時の日本人は奥ゆかしい性質だった様でね、愛していると言う言葉はあまりに直接的すぎて、受け入れられにくかったらしい」

 納得いかない表情を見せるシイに、カヲルは苦笑しながら言葉を紡ぐ。

「貴方を愛している。そんな台詞を伝える様な状況ならば、月が綺麗ですね、なんて遠回しな表現でも意味が通じたんだろう。察しと思いやりが日本人の心情、と加持夫人も言っていたよ」

「ん~何か難しいね」

「ふふ、これはずっと昔の話だからね。愛していると素直に伝えられる今では、文字通り時代遅れなのかも知れない」

「私がもし月が綺麗ですねって言われても、気づかないでそうですねって答えちゃうかも」

 ストレートな表現ですら通じないのだ。遠回しな愛の告白がシイに通じる筈も無く、カヲルはシイの答えに苦笑しながら頷いた。

「やはり君はハッキリと愛を伝えられた方が良いのかな?」

「うん。だって好きって言って貰えるのって、とっても嬉しい事だから」

「……愛の言葉も君にとって好意でしかない、か」

 シイに聞こえない小さな声で、カヲルはそっと呟いた。

 

「シイさん。君が僕の事をどう思っているのか、聞かせて貰えるかな」

「ん~優しくて頼りになって、時々悪戯をする悪い子だけど、私の大切なお友達でお兄ちゃんで、ずっと一緒に居て欲しいって思ってるよ」

 顎に指を当てて少し考えてから、シイはカヲルに抱いている想いを伝える。

「ありがとう。ではもう一つ、僕とレイのどちらがより大切だい?」

「そんなの選べないよ。レイさんもカヲル君も、私にとっては大切な人だもん」

「どちらか一人としか一緒に居られず、選ばれなかった方と会えなくなるとしたら?」

「うぅぅ……」

 困った様に眉をハの字にして唸るシイに、カヲルは優しく笑いかける。

「ふふ、ごめんよ。少し意地悪な質問だったね」

「む~どうしてこんな事聞くの?」

「……確かめたかったんだ。そして僕の予想は確信に変わったよ」

「え?」

「シイさんにとって、僕もレイも大切な存在。同じ位好きだと思って良いのかな?」

 問いかけにシイが頷いたのを確認すると、カヲルはその小さな身体を突然抱きしめる。予想外の行動に、シイは驚いた様に目を見開いた。

「ど、どうしたのカヲル君!?」

「レイと君は良くハグをしているだろ? シイさんにとって僕とレイは同じ位大切な存在。なら僕が君を抱きしめてもおかしく無いよね」

「でも……」

 困惑しているのか上手く言葉が紡げず、カヲルの腕の中でシイは頬を赤く染めた。

 

「もし嫌ならそう言って欲しい。僕は君が嫌がる事をしたくは無いから」

「い、嫌じゃ無いけど……その……」

「ふふ、どうしたんだい?」

「……変な気持ち。嫌じゃ無いけど……落ち着かないの」

 素直に自分の心中を開かすシイに、カヲルは自分の行動が正しかった事を確信し、次の段階へと進む事を決意した。

「レイやお義父さんに抱きしめられた時、今と同じ気持ちだったかな?」

「……ううん」

「どうしてだろうね。僕もレイやお義父さんと同じ、君の大切な人なのに」

「…………分からない」

「頭で理解しようとしなくて良い。自分の心から溢れる感情と素直に向き合うんだ。……そうすれば自然と、君は心に掛けられた鍵を開く事が出来る」

 どこまでも優しい声色でカヲルはシイに語りかける。それは子供の成長を見守る親のような、慈愛に満ちた物だった。

 月明かりが照らす砂浜で、シイとカヲルは無言で抱擁を続ける。

 

「…………違う」

「ん?」

「カヲル君は……レイさんとは違うの。お父さんとも違う……」

「大切な人では無い、と言う事かな?」

「ううん、そうじゃ無くて……でも違うの」

 恐らくシイにとって、今自分が抱いている感情は未知の物なのだろう。だから言葉にする術を持たない。だが違いを理解した。それは大きな一歩であった。

「どうしてだろう……こんな風に思った事は無かったのに……」

「ふふ、それは僕が男。君にとっての異性だからだよ」

「でもお父さんやお祖父ちゃん、冬月先生に抱きしめられた時は全然思わなかったよ?」

「その人達は君にとって、異性を意識する対象では無いからさ」

 子供に教える教師の様に、カヲルは焦る事無くシイに語りかけた。

「限りある命を持つリリンは、異性と愛を育む事で種を存続させる。お義父とユイさんや加持夫妻の様に、愛する人と結ばれて子を成して親となり、次世代へのバトンを繋ぐ。ここまでは良いかな?」

「うん」

「だからリリンは異性を意識する。これは遺伝子に刻まれた本能で、一部の例外を除いて全てのリリンに共通しているだろう。何せ種の存続に関わる事だからね。……だけど異性を全員意識するかと言えば、それはNOと言える」

「どうして?」

「種の存続に関係の無い、仮に愛し合ったとしても子供をつくれない相手には、その感情が生まれにくいんだよ。勿論例外があるのは否定出来ないけどね」

 直接的な表現を極力省き、カヲルは自らの理論を展開していく。極論とも言える程のかなり強引な話だが、それが嘘か真かは問題では無く、シイを納得させる事が重要だった。

「自分と近い遺伝子を持つ肉親、歳の離れた相手は異性を意識し辛いのさ。シイさんの言った人達はその条件に当てはまるだろ?」

「……カヲル君は? カヲル君は私のお兄ちゃんだよね?」

「ふふ、僕はユイさんとアダムの遺伝子で出来ているからね。純粋な肉親とはまた違うのさ」

 どちらも碇ユイに繋がりを持っているが、兄妹とは言えない。かといって赤の他人でも無い。シイとカヲルの関係は何とも複雑な物だった。

「そしてそんな僕だから、君に掛けられた鍵を解き放てる」

「鍵?」

「そう。碇家の教育で君の心には鍵が掛けられていた。異性を意識しないように、恋を理解しないように、無知と言う名の鍵で恋心を封じ込めていたんだ」

 抱きしめていたシイの身体をそっと離すと、カヲルはシイの肩に手を置いて顔をじっと見つめた。

「だけど鍵は開かれた。僕に抱きしめられた時に君が感じた気持ち……それは異性に対しての物さ。友達とも家族とも違う、ね」

「そうなの……かな?」

「僕が君に嘘を言った事があるかい?」

「ううん……」

 実際にシイの抱いた感情が異性への恋愛感情か否かは判断出来ない。だがカヲルは強引にシイの思考を誘導していく。結局はシイにそうだと思わせてしまえば良いのだから。

 

「少し混乱させてしまったかな」

「大丈夫……だと思う」

「ふふ、そんなに難しい顔をしないで欲しい。心配しなくても、これから自然と理解していくさ」

「そうなの?」

「ああ。僕の知る限り、リリンは成長の過程で異性への恋愛感情を理解していくらしいからね。シイさんだってこれから少しずつ分かっていく筈だよ」

 シイを安心させる様にカヲルは微笑みかける。

「うん。ありがとうカヲル君。色々教えてくれて」

「礼には及ばないさ。僕にとっても君が恋を知る事は嬉しい事だからね」

「どうして?」

「恋をして女性はより美しくなる。シイさんがもっと魅力的になるのは大歓迎さ。兄役としても、君に恋心を抱く一人の男としてもね」

 伝えたい事は全て伝えたと、カヲルはシイの肩からそっと手を離した。

「長い話に付き合ってくれてありがとう。名残惜しいけど、夢の時間はもう終わりかな」

「夢の時間って……お話しただけだよ?」

「ふふ、君と二人きりで話を出来る機会なんて無いからね。僕にとって本当に嬉しかったんだ」

「そんな、言ってくれれば何時でも付き合うのに」

「君の側にはいつもレイが居るだろ? 彼女は僕と君が二人きりになるのを嫌がっているのさ」

「…………」

 カヲルの言葉に何か思ったのか、シイは唇に指を当てて思案顔を見せる。

「ん~そんなのおかしいよ。カヲル君と私がお話するのは、悪いことじゃ無いんだから」

「レイは過保護だからね。君が心配なんだろう」

「でもカヲル君と一緒なら、どんな危険な事があっても大丈夫だもん」

 心配の論点がずれているシイに、カヲルは思わず苦笑を浮かべる。レイの気持ちを真に理解するには、まだまだ時間がかかりそうだと。

「だからカヲル君がお話したいって思ってくれたら、私は喜んで付き合うよ」

「二人きりで、と言ってもかい?」

「うん」

「ふふ、ありがとう。是非誘わせてもらうよ」

 小さな一歩だが、確かに前へ進むことが出来た。そんな手ごたえに喜びを感じながら、カヲルはシイと握手を交わして宿へと戻る。

 友人達がくれた夢の時間は、夢を現実に変えてくれる魔法となって幕を下ろした。

 




これまでを思い返してみても、シイとカヲルが二人きりになる事はほとんど無かったです。レイのサプライズパーティー準備の時は、結局保安諜報部の監視付きですし、ジオフロントでの対話もその他大勢が見守って居ましたから。

カヲルがシイに言った説明は、恐ろしくいい加減なのでさらっと流して下さい。『シイを納得させる』事が目的なので、かなり言いたい放題になってます。

シイの枷外しともう一つ、旅行編のテーマがあります。それを次回で片付けて、長引かせてしまった旅行編は完結となります。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《子供達の旅行(その5)》

~初勝利~

 

 宿に戻ったカヲルは、睡魔に襲われているシイをアスカとマナに任せると、トウジとケンスケが待つ男子部屋へと足を踏み入れた。

「やあ、今戻ったよ」

「お、案外早かったんやな」

「その様子だと、上手く行ったみたいだね」

「ふふ、君達の協力のお陰さ。本当にありがとう」

 もう遅い時間にも関わらず、布団の上に座って自分を待っていてくれた友人二人に、カヲルは本心からの感謝を伝える。

「わしらがやったんは、ヒカリ達の足止めだけや。大した事はしてへん」

「そうそう。お礼を言うなら身体を張った霧島にだろ?」

「勿論彼女にも明日お礼を伝えるよ」

 中庭で死闘を繰り広げていた二人は、シイと共に女子部屋へと戻っていた。もし負傷していたらアルミサエルに治療を頼む予定だったが、幸い両者とも怪我は無いらしい。

「明日か~……無事で済むかな?」

「ホンマに怒った時のレイは、正直エヴァでも勝てる気がせぇへんからな」

「ふふ、出来る限り君達に矛先が向かない様にするよ」

 口ではそう言いながらも、トウジとケンスケは既に覚悟を決めて苦笑している。恐らくは明日、自分達は揃って制裁を下されると知っていてもなお、そこに後悔は無い。

「ま、それは良いとして……碇と何処まで行ったんだ?」

「ん?」

「こんな強引な手段で二人きりになったんだからさ、キス位は済ませたりしたんだろ?」

「……ああ、そう言えばまだ話していなかったね」

 興味津々な様子で探りを入れるケンスケに、カヲルは自分がシイとした話の内容を伝える。それを聞いた二人は、何とも言えぬ表情でカヲルを見つめた。

 

「本当にそれだけ? だって話をするだけって言うのは建前だろ?」

「とても大切な事だよ」

「いや、それは分かるけど……え? 夜の浜辺に男女二人で居て、話だけ?」

「僕にしか出来無い事だからね」

 満足げに語るカヲルに、しかしケンスケは不満顔だ。彼にしてみれば、この機会でカヲルとシイの関係がより深まると思っていたのだから、正直肩すかしの結果だった。

「……お前にしか出来へんっちゅうんは、どう言う事や?」

「自惚れじゃ無く、シイさんは他の男性よりも強い好意を僕に抱いている。それは僕がユイさんの遺伝子も持っているからだろう」

「まあ、お前とシイは兄妹みたいなもんやからな」

「でも兄妹では無い。肉親に近い愛情を向けられる異性……そんな僕だからこそ、シイさんの鍵を開く事が出来たのさ」

 カヲルはシイが自分に抱く親愛を利用し、言葉と行動で恋愛感情を理解させた。それはカヲルにだけ可能な裏技と言えるだろう。

「レイは過保護だし、お義父さん達もイマイチ積極的では無かった。あまり先延ばしにして良い問題では無いから、この機会を利用させて貰ったよ」

「そう言うお前が一番過保護とちゃうか?」

「でもその割に何て言うか……ずれてる所もあるし、渚は本当に碇の事が好きなの?」

「愛しているよ。ただし君達リリンのそれとは、少し違っているかも知れないね」

 愁いを帯びた表情を見せるカヲルに、トウジとケンスケはそれ以上の追求を避けた。彼の出自を知っているからこそ、その言葉の重さが嫌でも分かる。

「ま、本人が満足してるなら、僕達がとやかく言う事じゃ無いね」

「せやな。……渚、良かったな」

「ありがとう。次は君と洞木さんの為に、僕も惜しみない協力をすると約束しよう」

「頑張れよ、トウジ」

 からかうような二人に、トウジはぷいっと顔を逸らす。記念すべき初勝利の夜を、悪友達は達成感に包まれながら過ごした。 

 

 

 同時刻、シイがヒカリ達と布団に入ったのを確認したアスカとマナは、貸し切り状態の露天風呂に並んで入り、戦いの疲れを癒やしていた。

 そこに険悪な雰囲気が無いのは、戻って来たシイからカヲルの潔白が証明された事と、マナとアスカの両名とも無傷だった事が大きいだろう。

「はぁ……何かどっと疲れたわ」

「まあこう言う事もあるって。ドンマイドンマイ気にしない」

「……何でちゃんと戦わなかったのよ」

「だって私の役目は足止めと時間稼ぎだもん。惣流さんと本気で戦う気は最初から無いし」

「その割には随分と挑発してくれたじゃない」

「惣流さんは頭が良いからね~。少しでも苛立たせて注意をこっちに向けないと、隙を突いてシイちゃんの所へ行っちゃうから」

 マナの言う通り、彼女はアスカと真剣に戦おうとはしなかった。のらりくらりとアスカをいなし、たっぷりと時間を稼ぎきった。

「戦自仕込みの戦闘技術とやらで、あたしを倒せば楽だったんじゃ無いの?」

「……それは友達相手に使う物じゃないから。悪ふざけは好きだけど、超えちゃ駄目な一線は分かってるつもりだよ」

 スッとマナの表情が陰ったのを見て、アスカは自らの失言に気づく。

「……悪かったわ」

「ううん。全然気にしてないよ。戦自で人を殺す技術を学んだのも事実だし……ま、私は情報部志望だったから基礎しかやってないけど」

「そうなの?」

「うん。基礎訓練はみんな一緒だけど、その先は適正と希望で専門的な訓練に別れるの」

 静かな露天風呂で二人は会話を続けていく。

「ふ~ん。でも何で情報部志望だったの? あんたの柄に合わない気がするわ」

「あはは……まあ大した理由じゃ無いけどね。人と戦うのが苦手って言うのもあるし」

「なら何で戦自に入ったのよ」

「……守りたかったから」

 何処か淋しそうに呟くマナに、アスカは黙って話の先を促す。マナの本心を知る機会であり、彼女に全てをはき出させようと思ったからだ。

 

「私の両親は旧東京に住んでたけど、セカンドインパクトが起きて直ぐに田舎の実家へ避難したの」

「……確かその後」

「うん。新型爆弾が投下されて、旧東京は死の都へと変わった。私も聞いた話になっちゃうけど、その後もテロやらで割と危機的な状況が続いたんだって」

 政治と日本の主力企業が拠点を失った事で、日本の政治と経済は大混乱に陥り、他国の侵略を許す一歩手前まで陥った。加持曰く、その日を生き残る事に必死な日々を、多くの人達が過ごしたのだ。

「そんな中、お母さんは私を産んでくれた。赤ん坊なんて足手まといなのに、自分が生きるだけでも大変なのに、堕ろさずに産んでくれたの」

「…………」

「必死に仕事を探して、身を粉にして働いて、私を育ててくれた。……記憶にある両親はね、何時も笑ってたの。辛いはずなのにね」

「…………」

「あ、今も両親は元気だよ。ちゃんと生きてるから心配しないで」

 暗くなったアスカの雰囲気を察して、マナは笑いながら補足を入れる。

「で、そんな両親の愛情を受けながら成長した私は、学校で一連の流れを知ったの。戦略自衛隊の存在を知ったのもその時ね」

「……それで戦自に?」

「何の取り柄も無い自分だけど、みんなを守れるかも知れない。平和な世界が来れば、もう両親にも辛い思いをさせなくて済む。悩む理由は無かった……大反対されたけどね」

 ぺろっと舌を出しておどけるマナだが、彼女の両親がどれだけ本気で反対し、意見を変えるよう願ったのかは想像に難くない。

「まあ説得には時間が掛かったけど、何とか入隊を許して貰えたの。まだ子供だったから少年兵育成の兵学校に入って、やっと去年士官候補生として本入隊って感じかな」

「…………」

「情報部を選んだ理由は本当に大した事じゃ無いの。単純に前線に行ける程身体が強く無かったし、向いてないって言ってくれた人が居たから」

「上官とか?」

「ううん、同期の男の子。戦うって事は相手の人を殺す事もある……もしその人に家族が居たらって考えちゃって、どうしても割り切れなかったのを見抜かれてね」

 苦笑しながら答えるマナだが、その言葉には何処か嬉しそうな響きが混じっていた。もしかしたらその男の子は彼女にとって特別な存在では、とアスカは推測する。

「情報部を薦められちゃった。人を傷つける事だけが戦いじゃ無い。マナにはそもそも戦いを起こさない戦いの方が向いているって」

「情報戦って訳ね……」

「適正もあったみたい。それで情報部の士官候補生として訓練を受けて……シイちゃんに接近する目的でここに来たの」

 語り終えたマナは、気を落ち着ける様に大きく息を吐いた。今まで誰にも話さなかった事をはき出したせいか、何処かすっきりしたような表情を浮かべていた。

 

「な~んて、ちょっと柄にも無く格好いい事言っちゃったかな?」

「……別に茶化さないわよ。あんたは自分の信念をしっかり持ってて、その為に努力してる。尊敬こそすれ、馬鹿にするなんてあり得ないわ」

「あ、あはは、惣流さんにそこまで褒められると、流石に照れちゃうな……」

 思いがけない賛辞に、マナは照れ臭そうに頬を掻く。

「あんたがゼーゲンに入ったのは、ある意味で必然だったのかもね」

「え?」

「大切な人を守りたいってあんたの考えは、シイの望みと似てるわ。人の縁は巡り合わせ……あんた達は惹かれ合う運命だったのかも」

「へぇ~、惣流さんって意外とロマンティストだったんだ」

 からかうようなマナに、アスカは苦笑を浮かべる。幾多の奇跡とも思える出来事を経験し、神様が身近に居るのこの世界だから、自分の考えもあながち的外れでは無い筈だと。

「まあ私もゼーゲンに移籍したのは、チャンスだと思ってるけどね。人類の平和を守るための組織で働ける機会なんて、普通なら滅多に無いもん」

「単に変わり者が集まってるだけよ」

「あはは、まあシイちゃんファンクラブなんてある時点で、それは何となく分かったけどね」

「……何よ、その巫山戯たクラブは」

「あれ、惣流さんは知らないの? 本人非公認、ゼーゲン公式のファンクラブで、本部職員の実に九割が入会してるらしいよ。各国の支部にも会員が居るんだって」

 マナから明かされた衝撃の事実に、アスカは頭痛を堪えるように頭を押さえる。自分の知らぬところで、いい歳した大人達がそんな事をやっていると分かれば、それも無理は無いだろう。

「……はぁ。ホントに馬鹿ね」

「そう? 私は面白いアイディアだと思うな~」

「どう言う事よ?」

「ネルフは使徒と戦ってたんだから、命を落とす危険性は常にあった訳だよね。そんな中で生きる為のモチベーションって言うか、やる気を出させるのに『アイドル』を用意するのは合理的だし」

 呆れているアスカに向けて、マナは真面目な考察を披露する。

「エヴァのパイロットのシイちゃんは、そのアイドルに適任だったと思うよ。元々庇護欲をそそる子だし、最前線で命がけで戦ったからね。シイちゃんをアイドルに仕立てれば、仕事への不満とか死への恐怖なんかを、少しでも和らげられるって考えたんじゃ無いかな?」

「……考えすぎよ」

「でもファンクラブの設立者は副司令だから、そう言う狙いがあってもおかしく無いよね。クラブって形にしたのも、職員同士の連帯感を強める為なら納得出来るし」

 意外とまともなマナの考察に、しかしアスカは可哀相な人を見る目をして首を横に振った。

「あんたの意見、確かに筋が通ってたわ。でもゼーゲンで働くならこれだけは知っておきなさい」

「え?」

「司令夫妻と加持さん以外の職員は全員、シイが絡んだ場合に限っては絶対に信用しちゃ駄目よ。副司令とリツコに関しては特にね」

「……本気?」

「残念ながらマジのアドバイスよ」

 何せあのサルベージの時ですら、救出直後の隙を狙った連中なのだ。優秀なのはアスカも認めるところだが、シイが絡めばその能力を無駄遣い事に躊躇しない。

「じゃ、じゃあファンクラブも……」

「本気で単純に他意無くシイを愛でる為に設立したんでしょうね」

「変わり者が多いって……冗談とかじゃ無くて、本当だったんだ……」

「……ようこそゼーゲンへ」

 自分を歓迎してくれているアスカの言葉を、マナは素直に受け取ることが出来ず、ただ強張った笑みで頷くしか無かった。

 

 

 

 

~過保護と束縛~

 

 翌朝、目覚めたレイはアスカから事情を聞き、カヲルを海辺へと呼び出した。昨晩の出来事について、確認しておきたい事があったからだ。

「ふふ、君からデートの誘いが来るとは思っていなかったよ」

「……昨晩、ここにシイさんを連れ出して何をしたの?」

「話をしただけさ。それは彼女に確認を取って貰って構わない」

 鋭いレイの眼差しを真っ向から受け止めてなお、カヲルは余裕の態度を崩さない。

「……私とアスカを動けなくして、話だけ?」

「二人きりの方が都合が良い話だったからね」

「……何を話したの?」

「シイさんが異性を意識出来る様に、碇家の呪いから解き放っただけさ」

 予想外なカヲルの言葉に、レイは驚いた表情を見せる。てっきり強引に口説こうとしたり、無知を利用して何らかの約束を取り付けたと思っていたからだ。

 そして何よりも、シイが恋愛感情を理解出来たと信じられなかった。

「そんなに意外かい?」

「……ええ。本当にシイさんは理解したの?」

「ああ、そっちか……。完全にとは言えないけど、少なくとも鍵は開いたよ」

「……信じられないわ」

「それはこれからの彼女を見れば分かるさ。それに元々鍵は開き掛けていたからね、僕は背中を軽く押してあげただけだよ」

 訝しげな視線を向けるレイに、カヲルは真剣な表情で答える。

「……どう言う事?」

「お義父さんとユイさん、加持夫妻、そしてトウジ君と洞木さん。彼女は愛を間近で見てきたんだ。例え知識が無くとも、心の奥底では少しずつ愛を理解していた筈さ」

「…………」

「心と体は密接な関係にある。シイさんは異性を意識出来無かった影響のせいか、身体の成長が同世代の子と比べて遅れていた。……でも最近になって変化があったよね?」

 カヲルの言葉をレイは無言で肯定する。ここ最近になって、一度終わった筈のシイの成長は、再び始まりの兆しを見せていた。

「因果関係は証明出来無いけど、無関係では無い筈だ。彼女の心の成長が肉体にも作用した。そう考えるのが自然だろ?」

「…………」

「君やアスカに対しての行動については、一切の言い訳をせずに罰を受けよう。ただ、僕は自分の行動に後悔も反省もしていない」

「……そう」

 開き直った様な態度を見せるカヲルに、レイは短い返答だけして動きを見せない。直ぐにでも制裁を加えられると思っていたカヲルは、少し意外そうに彼女を見つめる。

 

「……シイさんは貴方の言葉を受け入れたのね?」

「恐らくは、としか言えないけど」

「……なら私からは特に何も無いわ」

 思いがけないレイの発言に、カヲルは珍しく驚きを露わにする。

「どう言う風の吹き回しだい?」

「……お酒を飲まされた借りは何時か返すけど、シイさんへの行動は……必要だと思ったから」

「てっきり反対すると思っていたよ」

「……あのままだと、シイさんは無自覚に他者を傷つける。それは誰も望まないもの」

 他者からの好意を一括りにしてしまうシイは、純粋に女性として好意を向ける相手に応えることが出来無い。是非以前に、好意を受け取られない事は人を酷く傷つけてしまう。

「感情のやり取りは相互理解の基本だからね」

「……ええ。だからシイさんがそれを理解する事に、私は賛成よ」

「ふふ、君は少し変わったね。以前の君なら、盲目的に守ろうとしただろう」

「……シイさんは人形じゃ無いもの」

 誰にも渡したくない、自分と共に居て欲しい。その為には恋愛感情はない方が良い。独占欲に似た気持ちがレイにあるのは事実だが、それでシイを縛るのは本意では無い。

「……それに、シイさんが特定の男の人を愛するとは限らないから」

「確かにね。独身で通す女性も多いし、何より彼女の愛は広く深く重い。それを理解した上で受け止められる男は、そうは居ないだろう」

「……だから何も変わらない。シイさん自身に変化があっても、関係は何も変わらない」

 レイの言葉はカヲルに向けてと言うよりも、自分に言い聞かせる様であった。その胸中に渦巻く環状を察したカヲルは、真剣な声色で告げる。

「君と彼女の間には強い絆がある。例えシイさんに恋人が、人生の伴侶が出来たとしても、それは決して揺るがない。だから不安になる必要は何処にも無いよ」

「……不安なんて感じて無いわ」

「おっと、それは失礼したね」

 ムッとした表情を見せるレイに、カヲルは慇懃に一礼する。

「……私はシイさんを守る。それは今までもこれからも変わらない。シイさんに大切な人が出来たなら、その人も守る。私の願いはシイさんの幸せだから」

「ふふ、ありがとう。君に守って貰えるとは光栄の極みだよ」

「…………」

「…………」

「……貴方はシイさんのお兄さんでしょ?」

「禁断の愛と言うのも、また心惹かれる物だと思わないかい?」

「……あり得ないわ。絶対に、確実に、万が一にもあり得ない」

「ほぅ。なら賭けをしよう。彼女がゼーゲンの総司令に就任するまでに、僕がシイさんの大切な人になれるか否かを」

 ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべながら、カヲルはレイに賭けを提案する。

「……良いわ。私は否に賭ける」

「僕は当然なるに賭けるよ。掛け金はそうだな……負けた方が勝った方の言う事を何でも一つ聞く、でどうかな?」

「……構わない。私が勝つから」

「ふふ、では結果を楽しみに待つとしよう」

 この勝負、既に結果は見えていた。恋人か否かならば話は別だが、カヲルが提示した条件は大切な人か否か。そしてカヲルは昨晩、シイから直接大切な人だと伝えられている。

 ポケットに忍ばせたICレコーダーをさすりながら、カヲルは爽やかな笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 子供達の短い旅行は幕を降ろした。彼らが得た物は大きく、互いの絆を強く結びつけた。これからも彼女達は沢山の思い出を作り、日々を過ごしていくだろう。

 いずれ来るであろう別れの時を笑顔で迎えられる様に。

 

 

 




旅行編、これにて完結です。

メインテーマはシイへの干渉と、マナの掘り下げでした。
ゲームと書籍を読んでも、どうしてマナが戦略自衛隊に所属しているのかが明記されておらず、少ないヒントから勝手に妄想しました。
性格も相当改変しちゃってますが、どうかご勘弁を。

ここ暫く、シイの未熟さや恋愛話が続いていましたので、次は気分を変えて夏休み短編集でもやろうかと思って居ます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。



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後日談《夏の日々》

 

~加持家、来訪~

 

 夏休みのある日、加持夫妻宅を訪れたシイ達は、赤ん坊のリョウトとの対面を果たした。一挙手一投足にはしゃぐ女性陣とは対照的に、男性陣は落ち着いた様子でミサトと会話を交わす。

「大人数でお邪魔して、こんなに煩くしてすいません」

「良いのよ相田君。みんなの元気な姿が見られて、私も嬉しいわ」

「いや~やっぱミサトさんは大人の女性やな。……あいつらに見習わせたいですわ、ホンマ」

 キャッキャと楽しげな声を発する女性陣をちらりと見て、トウジは用意されたジュースを飲む。

「ふふ、男性と女性では赤子に対しての感性が違うんだろうね」

「母性本能って奴か……」

「わしにはよう分からんのぅ」

「鈴原君も結婚して子供を授かれば、自然と分かるわ。私もリョウジもそうだったもの」

 腕組みをして顔をしかめるトウジに、ミサトは優しい声で答えた。子供を守り育て慈しむ気持ちは、誰に教えられる事無く、自然と理解するものなのだから。

「そんなもんですかね」

「僕達の中で一番早くそれを体験できそうなのはトウジだし、是非体験談を聞かせて欲しいね」

「あらあら、洞木さんとの仲はそんなに進んでたの?」

「なっ、そ、そない事……」

「照れなくても良いじゃ無い~。その辺りの話、お姉さんに聞かせて頂戴」

 ニヤニヤと笑うケンスケとミサトに詰め寄られ、トウジは顔を真っ赤にして動揺しながら、助けを求める様にカヲルに視線を送る。

「ふふ、何も恥じる事は無いだろ? 互いに好意を持つ者同士が惹かれ合い、結ばれて子を成すのは祝福されるべきだからね。さあ、目一杯惚気てくれ」

「か、勘弁したってや……」

 退路を完全に塞がれたトウジは、くせ者三人に散々弄られながらも、ヒカリとの恋路を祝福されて、何処か嬉しそうであった。

 

 その後、眠ったリョウトを起こさない様に、シイ達も会話へと加わる。

「へぇ~特殊監査部に入ったの? 期待されてるのね」

「加持さんが手を回してくれただけですって」

「?? 特殊監査部って凄いんですか?」

「あんたね……仮にも次期総司令が言って良い台詞じゃ無いわよ、それ」

 呆れたようなアスカの言葉に、ミサトは苦笑する。

「まあ簡単に言えば、ゼーゲンの職員がちゃんと仕事をしてるかチェックする仕事ね。機密情報や技術を扱う組織だから、私的に利用したり悪用する人が居ないか、厳しく監視する必要があるのよ」

「身内の見張り役っちゅう事ですな」

「ええ。だから信頼出来る優秀な人にしか、その役割は任せられないわ」

 ミサトはあえて説明を省いたが、実際の特殊監査部はゼーレによってネルフを監視する為に設立された部署であり、補完計画の進捗状況とゲンドウの行動を報告する役割を負っていた。

 所属する職員にも当然ゼーレの手が回っており、正しくネルフを監視する存在と言えただろう。もっとも今では本来の役割をこなす部署へと変わっているが。

「はぁ~、加持さんもマナも凄いんだ」

「因みに保安諜報部は副司令の直轄だけど、今の特殊監査部は司令の管轄よん。だからシイちゃんが総司令になったらリョウジと霧島さんの上司になるわね」

「……シイちゃん。是非私の給料アップを」

「ミイラ取りがミイラになってどうすんのよ」

 自ら監査に引っかかる発言をするマナに、アスカはため息混じりに突っ込みを入れた。

 

 相変わらずなミサトの様子に、初対面で気後れしていたマユミも次第に打ち解け、持参したお菓子を口にしながら軽いお茶会のノリで会話は弾む。

「ペンペンが!?」

「そうなのよ~。あっちで彼女を見つけたって話を前したでしょ? あれからずっとアプローチを続けててね、遂に粘り勝ちでゴールインって訳」

「ペンペン?」

「ミサトが飼ってたペットのペンギンよ。温泉ペンギンって言って……」

 一度もペンペンと会った事の無いマナとマユミに、アスカが簡単な説明をする。毎朝コーヒーを飲みながら新聞に目を通す知性を持ち、お風呂が大好きな希少動物で、かつてこの部屋で暮らしていたが、一目惚れした雌の温泉ペンギンをアメリカで口説いていたと。

「ふふ、自分の恋心を偽らず貫き通す。中々出来る事じゃ無いね。……僕は彼の行動と意思の強さ、そしてその結果に心から祝福を送るよ」

「相変わらず渚は大げさだな」

「そうでも無いさ。話を聞けば、元々相手は乗り気じゃ無かったんだろ? それでも決して諦めず、家族と離れる覚悟で愛を紡いだ。僕も見習いたいね」

「……貴方は諦めた方が良いわ。望み、無いもの」

 感心した様に微笑みながら頷くカヲルと、それをバッサリと切るレイ。変わらぬ二人のやり取りに、ミサトは懐かしそうに苦笑するのだった。

「ミサトさん。ペンペンはいつ頃戻ってくるんですか?」

「ん~まだちょっち先かしらね」

「戻って来たら歓迎会しましょう。私、頑張ってペンペンの好きな物沢山作りますから」

 満面の笑みで拳をぐっと握るシイに、ミサトは嬉しそうに頷いた。

 

 

 

~見知らぬ音楽~

 

 決して得意では無いが、碇シイは音楽が好きだ。カヲルからバイオリンを贈られて以来、自分で演奏するだけで無く、クラシックのCD等も聞くようになった。

 そんな彼女はこの日、これまで全く知らなかった音楽と出会った。

 煌びやかなステージで数名の男女が演奏するそれは、荒々しくも何処か心を熱くする不思議な力を持っていて、観客は大きな声援で応える。耳がおかしくなりそうな爆音も、テンションが上がってしまえば全く気にはならない。

 熱狂。そんな言葉が相応しいこの場で、長髪を振り乱して激しくギターを響かせる青葉の姿は、他の誰よりも輝いて見えた。

 

 第三新東京市の繁華街にある小さなライブハウス。そこからぞろぞろと出てくる人混みの中に、シイ達の姿があった。

「……はぁ~、凄かったね」

「まあそれなりには良かったんじゃ無い? まだ耳が遠い感じがするけど」

「ふふ、リリンの生み出した音楽の派生……堪能させて貰ったよ」

「こらぁ、青葉さんにお礼言わなあかんな」

 今回シイ達は青葉からの招待で、このライブへとやって来ていた。ギターが趣味だとは聞いていたが、ここまで本格的な物だとは思っておらず、驚きと賞賛の気持ちで一杯だった。

「高校生がこんな所に来て……本当に良かったのかしら」

「……校則では問題無いわ」

「うんうん、それに保護者だって一緒だし」

「……あれ? その加持さんは何処行ったんだ?」

 心配するゲンドウを納得させる為、保護者役兼護衛として加持に同行して貰ったのだが、ケンスケの言葉通り彼の姿が見えない。キョロキョロと辺りを見回していると、小走りでライブハウスから加持が手を振って出てきた。

「っと、みんなここに居たのか」

「ど、どうかされたのですか?」

「いや、青葉二尉に挨拶してたんだが、折角来てくれたんだから控え室にどうかと誘われてな……時間があればで構わないが」

 加持の言葉にシイ達は迷うこと無く頷いた。

 

 ライブハウスの控え室では、演奏していたメンバーと関係者がライブの成功を喜んでいた。シイ達が入室すると、汗だくの青葉が嬉しそうな笑顔を浮かべて歩み寄る。

「おお、みんな来てくれたのか」

「招待してくれて、ありがとうございます。……素敵な演奏でした」

「はは、そう言って貰えるとマジで嬉しいよ」

 シイの賞賛を素直に受け取る青葉。その顔はゼーゲンであまり見せない、満足感に溢れた物だった。

「まあ悪く無かったわよ」

「……良く分からないけど……嫌いじゃ無いわ」

「随分と堂に入っていたけど、何処かで習ったのかい?」

「あ~……元々趣味でずっとやっててな、大学ん時にプロデビューの話もあったんだが……」

 カヲルの問いに青葉は気まずそうに頭を掻きながら、談笑しているメンバーへチラリと視線を向ける。そこに複雑な事情がある事は想像に難くない。

 と、空気を変えるように加持が話題を逸らす。

「……これから打ち上げか?」

「え、ええ。加持監査官もわざわざ来て貰ってすんません」

「俺も充分楽しんださ。……あまり長居しても邪魔になるな。俺達はお暇させて貰うよ」

「あ、はい。みんな、今日はありがとな」

 笑顔で手を振る青葉とバンドメンバーに見送られ、シイ達は控え室を後にした。

 

 帰り道、並んで歩くシイ達に加持は静かに語る。

「……セカンドインパクトの影響でな、娯楽分野の職業ってのは厳しい状況だったんだ。勿論存在はしてるが、それでも昔よりも規模は縮小されてた」

「加持さんが言ってた、生きるのに必死だったって奴?」

「状況は大分改善されてたが、まあ爪痕はな。……人はパンのみに生きるにあらず。されどパン無くは生きられず。生きる事に力を注ぐのは当然っちゃ当然さ」

 実際に経験してきた加持の言葉は重く、シイ達は黙って聞き入る。

「青葉二尉はミュージシャンを夢見ていたらしい。そして努力と才能で実現の一歩手前まで来て……夢から現実へと引き戻された。夢を押し通す事も出来ただろうが、彼は違う道を選んだ」

「……生きる為、ですか?」

「どれだけの葛藤があったかは、彼にしか分からないがな」

「じゃああそこに居た人達は」

「当時からのメンバーだそうだ。青葉二尉を外してデビューする事も出来たらしいが、彼らも彼と同じく違う道を選んだ。因みに全員ゼーゲン関連企業の職員だ」

 夢を叶える事がどれだけ難しいか。そして手が届く所まで来て、その手を引っ込める事がどれだけ辛い事か。青葉の心情を考え、シイ達は一様に俯いてしまう。

「……ま、違う道を選んだとしても、夢への道が閉ざされた訳じゃ無いけどな」

「え?」

「彼らにデビューの話が来てるんだ。世界的に復興が急速に進んでる今、娯楽関連の需要も高まってるからな……当時とは状況も大きく変わってるさ」

「ふふ、シイさん達が頑張った結果、かな」

「ああ。使徒との戦いが終わり、平和な世界ってのが具体的になってきたからこそだろう。シイ君が提唱した未来へ向けて、世界は変化し始めているんだ」

 笑顔を守る仕事から、笑顔を生み出す仕事へ。身近な出来事から世界の変化を感じ、シイは瞳を閉じて小さく頷いた。

「安定した職に就いている今、再び夢に挑むかは分からない。だが諦めないで道を歩み続けたからこそ、彼は運命の分岐路でもう一度道を選ぶ権利を得た。その決断は尊重されるべきだ」

「辞めないでって駄々こねたりすんじゃ無いわよ」

「……しないよ。だって青葉さん、凄く楽しそうに笑ってたもん」

「確かに、スポットライト浴びとる青葉さんは、えらい格好良かったからのぅ」

「……人にはそれぞれ輝ける舞台があるわ」

「僕達に出来るのは、彼が挑戦を選んだ時に笑顔で送り出してあげる事だね」

 冬月の直属として働いていた青葉は、オペレーター組のリーダー格として活躍してきた。気さくな性格からムードメーカ的な役割も担い、チルドレン達とも親しく接していた。

 そんな青葉の決断を心から応援しようと、シイ達は頷きあうのだった。

 

 

 

~鳴り止まない電話~

 

 ゼーゲンの職員には、業務用の携帯電話が支給される。抑止力部署配属となったマユミも例外ではなく、主要職員の番号が登録された電話を受け取った。

(携帯電話……ちゃんと使えるかな)

 人と話す事が苦手だったマユミは、これまで携帯電話を持っていなかった。シイ達と出会い、初めて携帯電話の購入を考えていた位だ。

(これは業務用だから、私用で使ったら駄目だよね)

 自室の机で真新しい白い携帯電話を、意味も無くパカパカと開け閉めする。早速使ってみたいが、真面目な彼女には大した用も無く使う事が躊躇われた。

 と、不意に手の中の電話が震えだし着信音を奏で出す。

「!? で、電話……着信? 誰から…………シイちゃん?」

 ディスプレイに表示された名前を確認し、慣れない手つきで通話ボタンを押した。

「も、もしもし、山岸です」

『こんばんはマユミちゃん。シイだよ』

「うん……どうしたの?」

『マユミちゃんが電話を貰ったって聞いたから掛けてみたんだけど、迷惑だった?』

「う、ううん、全然そんな事無い。……電話して貰って嬉しい」

 携帯電話で友人と会話をする。自分とは縁の無い話と諦めていただけに、マユミはシイとこうして話せることを本心から喜んでいた。

 シイとの会話は世間話程度の、全くゼーゲンの業務とは関係の無いものだった。暫く話をした後、マユミは不安げにシイへ問いかける。

「あ、あのねシイちゃん。この電話、業務用だけど……使って良いのかな?」

『?? 私もそうだよ』

「え?」

『プライベートで使っても良いって言われてるから、マユミちゃんも大丈夫だよ』

「そう……なの?」

『うん。あ、だけど会話は全部諜報部さんが記録してるから、機密情報とかを話そうとすると切られちゃうんだって。そこだけ気をつけてね』

 さらっと怖いことを告げるシイに、マユミは苦笑いするしか無い。それを気にしないシイは、本人の自覚無しにやはり普通とは感覚がずれているのだろう。

「う、うん、気をつける」

『またお話しようね。じゃあお休みなさい』

「お休みなさい」

 見えないとは思いながらも、マユミはお辞儀をして通話を終えた。私用での使用が認められている事にほっと胸を撫で下ろしてると、再び携帯が着信を告げる。

「も、もしもし、山岸です」

『山岸って……家の電話じゃ無いんだから、別に名乗らなくても良いわよ』

「ご、ごめんなさい」

『別に誤る必要なんて無いわ。それよりもあんた、あたしの番号は登録してるの?』

「一応……ゼーゲン関係者の人は、最初から登録してあるから」

『なら良いわ。どうせ真面目なあんた事だから、仕事以外で使っちゃ駄目って思ってるだろうけど、別にプライベートで使って良いんだからね。てかどんどん使いなさい』

「う、うん。それを教える為に電話くれたの?」

『べ、別にあんたの為じゃないわよ。ただ……そう、みんなで集まる時とかに、携帯使えるとあたしが連絡するのが楽だから』

 電話越しにもアスカが照れているのが分かる。アスカなりに自分を気遣ってくれているのだと察し、マユミは嬉しそうに微笑む。

「ありがとう惣流さん」

『お礼なんていらないわ。ま、何か困った事があれば電話しなさい。暇なら相手くらいしてあげるから』

「うん、ありがとう」

『だから……もう良いわ。充電するのを忘れないのよ。じゃあお休み』

「お休みなさい、惣流さん」

 やはりお辞儀をしながら、マユミはアスカとの通話を終えた。

 

 貰ったばかりの携帯に友人達が直ぐに連絡をくれる。マユミは幸せそうに携帯電話を撫でていたのだが、彼女の携帯はまだまだ休むことを知らない。

『……携帯電話、貰ったのね。何かあれば連絡して』

『ふふ、携帯電話は良いね。離れた場所に居ても声を聞ける。リリンの生み出した文化は素敵だ』

『洞木です。アスカから番号を教えてもらって……もし良かったら私の番号も登録してね』

『よう山岸。渚から聞いたけど、携帯貰ったんだって?』

『あ~鈴原や。わしも携帯もっとるさかい、困った時は遠慮せずに連絡せえよ』

『やっほ~。ねえ知ってる? この携帯って料金はゼーゲン持ちなんだって。ただでしゃべり放題だから、暇なときはじゃんじゃん電話してね』

『夜分にすまない。加持リョウジだ。君に支給された携帯電話は業務用だが、常識の範囲内なら私的な利用も認められている。ま、上手く使ってくれ』

『こんばんは、山岸さん。サキエルです。僕達も業務用の携帯電話を支給して頂いたので、貴方との連絡が容易となりました。今後ともよろしくお願いします』

『山岸さんこんばんは。トワで~す。私達も携帯貰ったから、どんどん――あ~うっさい。私が話してるんだから、ちゃんと順番守りなさいって』

 友人達だけでなく、加持や使徒の面々、シイスターズからもひっきりなしに電話がかかってきて、マユミの携帯電話は鳴り止む様子を見せない。

 普段の終身時間を過ぎ、予定していた読書も諦めざるを得なかったが、それでもマユミの顔からは微笑が消えることは無かった。

 

 

 

~冬月、逃げ出さぬ覚悟~

 

 碇ゲンドウの妻にしてシイの母。端から見れば碇ユイが司令補佐官の地位に収まっているのは、縁故によるものだろう。だが実際にはユイの能力は優秀を極め、本業である科学者を兼任しながらも補佐官の仕事をこなす傑出した存在として、ゼーゲンの職員に認識されていた。

「この件はこれで終わりね。次は……」

 両手一杯に書類を抱えながら、ユイは本部内を急ぎ足で移動する。士官服に白衣を纏う独特の着こなしは、ユイの容姿と相まって自然と男性の目を惹く。

 もし彼女が独身であったのなら、間違い無く第二のシイ(おかしな話だが)になっただろう。

 

 と、トレーニングルームの前を通り過ぎようとした時、ユイは不意に足を止める。ガラス越しの室内に、珍しい人物の姿を見つけたからだ。

 チラリと視線を腕時計に落とし、若干の余裕がある事を確認してから、ユイはトレーニングルームへ足を踏み入れ、その人物へと声を掛ける。

「お疲れ様です、冬月先生」

「ん……おお、ユイ君か。随分と珍しいところで会うな」

「ええ全くですわ」

 冬月は手にしたダンベルを床に置くと、汗を拭きながらユイと向き合った。貴重な冬月のジャージ姿に、ユイは思わず笑みを浮かべる。

「今日はどうされたんです?」

「デスクワークばかりで身体がなまっていてね。少しいじめていたんだよ」

「相変わらず自分に厳しいのですね」

「何もせずに怠けていては、この先長く働く事など出来無いよ」

「まだ先生はお若いですわ」

「……自分の事は自分が一番分かっている。昔なら容易に出来た事が出来無い……認めたくは無いが、私も確実に老いている様だ」

 葛城家の大掃除、そしてシイスターズとの戦闘で冬月は腰を負傷した。どちらも若き日の冬月ならば、苦も無く乗り越えられたであろう。

「肉体の衰えは頭の衰えにも繋がる。だから暇が出来たらこうして、鍛えているんだよ」

「……冬月先生は、まだ働いて下さるのですね」

「ん?」

「ゲヒルンからネルフ、そしてゼーゲンまで冬月先生は働き続けて下さいました。……正直、先生をこのまま縛り続けて良いのかと迷ってしまいますわ」

 本来ならば冬月は退職を考えても良い年齢なのだが、いまだ現役で働き続けている。欠かす事の出来無い人材ではあるが、何時までもと言う訳にはいかないだろう。

 そんなユイの気持ちを察したのか、冬月は少し考えてからベンチへと腰を下ろす。そして隣に座ったユイに向けて、静かに語り始めた。

 

「……勿論ずっと働く事は出来無いだろう。ただ私にも区切りがあってね」

「区切り、ですか?」

「ああ。ゴール、あるいは目標と言っても良いかもしれん。それを成し遂げれば、私は満足して身を引くことが出来るだろう」

「……聞いてもよろしいですか?」

「私がゲヒルンに参加を決めた時、碇の奴はこう言った。『冬月、俺と一緒に人類の歴史を作らないか』とね」

「それは……」

「あの時は人類補完計画の事だったかも知れないが、今は違う。人類は確かに新しい歴史を、平和な世界を作ろうとしている」

「……はい」

「その総決算がシイ君だろう。彼女が総司令として表舞台に立った時、新たな人類の歴史は始まると確信している。私はそれを見届けたい……だからそれまでは身を引くつもりは無いよ」

 静かに紡がれる冬月の言葉は、しかし強い決意が込められていた。

「……それに、だ。私が居なくては碇のお守りが大変だろ?」

「うふふ、そうですわね」

「さて、私はまだ続けるが、君はどうする?」

「生憎と仕事が残っていますので、失礼しますわ」

 冬月に一礼して、ユイはトレーニングルームを後にする。

(……冬月先生……ありがとうございます)

 夫と娘、そして自分も冬月に支えられて来た。ならば彼の望みを叶える事こそが、その恩に報いる唯一の手段だろう。

 本部を早足で歩くユイの表情には、力強さが満ちあふれて居た。

 

 

 夏休みが終わり……また新しい日々が始まる。




夏休みがあまり関係ありませんが……あまり出番の無かった方々の近況報告ぽい短編集でした。

ペンペン、青葉、冬月の男三人衆。シイの身近な彼らは、それぞれの未来へ向けてしっかりと歩みを進めています。恋に身を賭け、夢に身を捧げ、信に身を尽くす。
彼らの選んだ道の果て……願わくば後悔の無い物で有りますように。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《安寧の地》

 

~お引っ越し~

 

 夏休みが終わり季節は秋へと移る。と言っても四季の失われた日本では、相も変わらず暑い日が続いているのだが、そんなある日、碇家に嬉しい知らせが舞い込んできた。

「新しいお家が出来たの!?」

「ふっ、そうだ。今日連絡が入って、内装工事も全て完了した」

「……おめでとうございます」

「あら、レイ。貴方のお家でもあるのよ?」

「……おめでたいです」

 夕食の途中でゲンドウが伝えたニュースに、シイとレイは驚きながらも喜びを露わにする。これでようやく、シイスターズと一緒に生活する事が出来るのだから。

「お父様達にも連絡しましたわ。とても喜んでいました」

「ああ、後日正式に礼を伝えに出向く。お義父さんの支援無しには厳しかったからな」

「そうですわね。折角ですから、新居に招いては如何ですか?」

「……ご足労願うのも悪いと思うが」

「喜ぶと思いますわ。沢山の孫達とも会えるのですから」

 ユイの提案にゲンドウは暫し考え、確かにと頷く。新居を直接見て貰いつつ、孫達とも会える。大勢で押しかけるよりも、よほど礼を逸しないだろう。

「そうだな。日取りと連絡は任せる」

「うふふ、任されましたわ」

「引っ越しの準備は合間を見て進めてくれ」

「は~い」

「……了解です」

 ようやくシイスターズの面々とも共に暮らす事が出来る。シイは新居への期待を胸に、満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

~変化の兆し~

 

 碇シイがリリスに働きかけた事により、この世に生を受けた二十人の少女達。シイスターズと呼ばれる彼女達は、現在ゼーゲンの本部で生活していた。様々な問題から学校に通うことは難しかったが、レイのパーソナルを引き継いでいる為に学力は問題無く、抑止力部署所属の常駐職員として日々を過ごす。

 とは言え行動に制限がある訳でも無く、数人ずつに分かれてシイ達と買い物に出たり、使徒の面々や職員達と交流を深めるなど、充実した毎日を送っていた。

 

 抑止力部署に割り当てられた一室で、シイスターズの面々は机に広げた本を見ながら、何やら相談をしていた。

「……私は赤色」

「……同じく」

「……私は緑色が好みね」

「……賛成よ」

「……青。薄い方が良い」

「……私は紺に近い色が好み」

「あら、みんな揃って何を見てるの?」

 と、部屋に現れた制服姿のマユミが、そんな面々の様子に驚きながら問いかける。

「あ、マユミさん。お疲れ~」

「……お疲れ様です」

「うん、トワちゃんとトキちゃんもお疲れ様。それで一体何をしてたの?」

「……話しても良いの?」

「……問題無いと思うわ」

「……要人の引っ越しは機密情報かも」

「……そう言われるとそうね」

「……マユミさんはゼーゲン職員よ」

「……でもお姉様達の引っ越しは、職員にも告知されていないわ」

「……つまり、秘密って事?」

「……その可能性は高いと思う」

「……なら私達から話すのは駄目なのね」

「……安全策をとりましょう」

「……お茶を濁すのがベターね」

「えっと……シイちゃん達、お引っ越しするの?」

「「!!??」」

 申し訳無さそうに言うマユミに、シイスターズは一斉に驚きを露わにする。

「……知っていたの?」

「その、今の会話で何となく分かっちゃったり……」

「……そう」

「……失敗ね」

「……責任はリーダーが取るわ」

「……後はよろしく」

「あんた達……ホント都合の悪いときだけ、リーダー扱いするのね。ま、良いけどさ」

 すっかりまとめ役になっているトワが、ため息混じりにマユミと向かい合う。シイの友人であり職員のマユミなら、別に隠す必要も無いだろうと。

「マユミさんの想像通り、お姉様達は引っ越すの。で、パパが頑張って大きな家を建ててくれたから、私達も一緒に暮らせちゃったり」

「……みんな良かったね」

 表に出さないが、シイスターズがシイとレイの事を愛しており、離れて暮らす事に寂しさを感じているのは、マユミも察していた。そして今も分かりづらいが、喜びを露わにしている事も。

 

「しかも何と、私達一人一人に自分の部屋があるのですよ!」

「……マイルーム、ゲット」

「……年頃の女の子には欠かせないって」

「……プライベートは完璧ね」

 グッと親指を立てるツキノに、マユミは苦笑しながら頷く。最低でも二十四部屋以上の家、ゲンドウがどれ程頑張ったかは聞かずとも分かる。

「そうなの……じゃあみんなが見てたのは?」

「……家具のカタログです」

「……ゼーゲンの部屋は備え付けなので」

「……これを機に、パパが買ってくれると」

「……今はカーテンの色を決めてました」

 そう言いながら、ヤエはカタログの脇に置かれた書類の束を指さす。それはオーダーシートで、家具の細かな形違いを個別に選べるようになっていた。

 カーテンの色も、青色は誰と誰、緑色は誰と誰と言った具合に、個人の好みが現れている。

「そうだったのね」

「引っ越しが済んだら、是非マユミさんも来てよ」

「……歓迎します」

「……お持てなし」

「……料理とお菓子」

「……お姉様に頼んでみるわ」

「……自分が食べたいだけ?」

「……否定はしないわ」

「……奇遇ね。私も同じよ」

「……大切なのは気持ちだってお姉様が言ってた」

「……流石お姉様ね」

「……リーダー。交渉よろしく」

「はいはい。まあそんな訳だから、絶対来てよね」

「うん、楽しみにしてる」

 客人を自宅に招く。それは信頼の証であり、親愛の表現でもある。初めて自分の家を持つ彼女達からの誘いに、マユミは本心からの笑顔で応えるのだった。

 

 

 

~汎用住居型決戦住宅~

 

 昼休み、シイは友人達に引っ越しの事を伝えた。保安上の問題から無闇に口外するのは不味いのだが、この面々ならば誰も文句は言わないだろう。

「ほぉ~引っ越しかいな」

「うん。今度はシイスターズのみんなとも一緒に暮らせるの」

「しい……すたーず?」

「ああ、そう言えばヒカリ達は知らなかったっけ」

「……私とシイさんの妹」

 機密情報を巧みに隠しながら、レイはシイスターズの紹介をしていく。自分と同じく人工的に生み出された存在で、自分と酷似した容姿をしていると。

「へぇ、碇の家は大家族なんだな」

「あれ? 思ってたよりも驚かないんだね?」

「変な言い方だけど、シイちゃん達とも大分長い付き合いだから……慣れちゃったかも」

 マナの問いかけにヒカリとケンスケは揃って苦笑する。エヴァから始まり、レイとユイ、そしてカヲルと常識外の出来事と向き合ってきた二人にとって、シイスターズも特別な事では無かった。

「……みんなとっても良い子だよ」

「おっ、そうか。今は山岸と一緒に仕事しとるんやったな」

「うん」

「しかしレイが二十人もおったら、渚はたまらんとちゃうか?」

「それは違うよトウジ君。レイは一人しか居ない。例え姿形が似ていたとしても、彼女達は全員違う存在だからね」

「……せやな。すまん、ちょいと無神経やったわ」

「……気にしてないわ」

「ふふ、それにもしレイが二十人居たら、僕はもうシイさんに近寄る事すら出来無いよ」

 肩をすくめておどけるカヲルと、そんな彼を鋭く睨み付けるレイ。変わらぬ二人の姿にシイ達は笑みを漏らし、トウジはカヲルのフォローに内心感謝した。

 

「で、引っ越しは何時なの?」

「今月の末だよ」

「そう……丁度予定は空いてるわね」

「??」

「あのねシイちゃん。惣流さんは引っ越しを手伝いたいって言ってるんだよ」

「あ、あんた馬鹿ぁ? 別にそんなつもりは無いわよ! ただ隣でバタバタやれるのが迷惑だから、それならちょっと手を貸して早く終わらせようってだけで……」

 頬を赤らめながら必死に否定するアスカに、一同は微笑ましげな視線を向ける。引っ越しの業者を使うのだろうが、それでも男がゲンドウしか居ない碇家を思っての事なのだろう。

「はいはいごちそうさま。あ、因みに私も手伝えるから、遠慮無く声かけてね」

「わしも行けるで」

「えっと、僕も大丈夫かな。記念撮影なら是非任せて欲しいね」

「私も。あんまり力になれないけど、お手伝いなら」

「ふふ、僕もさ。シイさんの荷物は僕が預かろう」

「……貴方はタンスと机と冷蔵庫ね」

「えへへ、みんなありがとう」

 優しい友人達の力強い言葉に、シイは笑顔でお礼を述べる。実際に手伝って貰うかは分からないが、さり気ない気遣いが嬉しかった。

 

「そう言えばさ、新しい家ってどんな感じなの?」

「シイ達とシイスターズが住むんやから、相当でかいんやろな」

「うん。えっとここに資料が……」

 鞄をがさごそと漁り、シイは分厚いファイルを取り出す。表紙に思い切り部外秘と記されている点については、全員が気づきつつも見て見ぬ振りをした。

 ファイルをシートの上に置き、シイが捲るページを全員で見つめる。敷地面積、部屋数共に普通の家を遙かに凌駕しており、小さなお城とも言うべき豪邸であった。

 それだけでも驚くべき物なのだが、彼らは所々に現れるおかしな物に注目する。

「不審者探知用レーダー?」

「熱源探知センサー……CO2感知センサー……」

「侵入者撃退用武装って……このレベルだと殺害用だぞ」

「……塀及び壁の素材に、エヴァに使用していた特殊装甲を流用」

「全方位監視カメラの映像は、ゼーゲン本部保安諜報部へリアルタイム転送可能」

「簡易MAGIシステムにより、非常時は各方面への自動連絡及びシャッターの閉鎖……」

「耐水耐熱耐圧対核仕様……宇宙線の遮断可能なガラスを採用」

「……地下保管庫に非常食を収納可能」

「電源系統は正、副、予備、緊急の四系統。通常時は太陽光と風力地熱発電による自力供給可」

「……対渚カヲル専用疑似ロンギヌスの槍射出装置……お義父さん……」

 あまりに仰々しい防犯設備の数々に、一同は何とも言えぬ表情を浮かべる。確かに要人一家なのだからそれなりの設備は必要だろうが、これは流石にやり過ぎだろうと。

「これって、司令とユイお姉さんが考えたの?」

「ううん。あのね、リツコさんとナオコさん、それに時田さんが協力してくれたんだって」

「……うん、OK。それだけで充分だわ」

 シイの答えにアスカは納得したと頷く。シイ大好きなゼーゲンの頭脳二人と、マッド気味なナオコが噛んでいるのなら、この結果はある意味で妥当だろう。そしてこれだけの設備を、外観を一切損なわずに装備させたのも、優秀すぎる三人の力あってこそだとも。

「……ま、そこんとこ無視すれば良い家なんじゃ無い?」

「そ、そうね。素敵なお家だと思うわ」

「えへへ、ありがとう。引っ越しが終わったら、みんなも遊びに来てね」

「お、おう……せやな」

「防犯設備の誤作動が無いって分かったら、是非お邪魔させて貰うよ」

(……ふふ、トワちゃん。交渉しなくても大丈夫だよ)

 汎用住居型決戦住宅、碇家。実戦稼働の日は、直ぐ近くまで迫っていた。

 

 

 

~家族~

 

 新居への引っ越しは業者に加えてシイの友人達、シイスターズの協力もあって、極めてスムーズに終了した。まだ細かな荷ほどきや整理等は必要ろうが、後はそれぞれで片付けていけば良い。

 協力してくれた人達に感謝と、後日新居祝いに招待すると伝え、碇家の引っ越しは幕を降ろす。

 

 その夜、碇家は初めて全員揃っての夕食を迎えていた。シイとユイの料理が並べられた食卓に、シイスターズの面々も喜びを隠しきれぬ様子を見せる。

「レイさん。こっちのお皿も運んでくれる?」

「……任せて」

「簡単な物しか用意出来無くてごめんなさい」

「いや、充分だ。二人とも疲れている中、良くやってくれた」

 満足に食材も器具も無い状態で、ここまでの料理を用意してくれた二人にゲンドウは素直に感謝する。最悪インスタント食品に頼る事も考えていたのだから、喜びこそすれ咎める理由など無い。

「……お姉様とママの手料理」

「……家族の手料理」

「……美味しそう」

「……こんな時、どんな顔をすれば良いの?」

「まずはよだれを拭いてから、笑えば良いんじゃない?」

 ゼーゲンの食堂で食事を済ませていたシイスターズにとって、最愛の姉であるシイとユイの手料理は、ただの食事以上の価値がある物だった。

「みんな席に着いたわね。それではあなた、お願いしますわ」

「ああ」

 ユイに促され、ゲンドウはコホンと咳払いをしてから、全員に向かって声を掛ける。

「今日はご苦労だった。全員の協力のお陰で、無事引っ越しを終える事が出来た。……腹を空かせてる所悪いが、新たな暮らしを始める前に言っておく事がある」

「うん……」

「世間一般の価値観からすれば、我々は異質な家族だろう。悲しい事だがそれが原因で、言われ無き避難や差別的な視線を向けられる事があるかもしれん」

「…………」

「だがお前達は私の子供だ。血の繋がりも生まれも関係無く、全員が私とユイの大切な子供だ。決して自分を軽んじないで欲しい。お前達は私とユイの宝物なのだから」

「パパ……」

「私はお前達を愛している。全力でお前達を守る。……父親として、それを誓おう」

 自らの意志を継げたゲンドウに、シイスターズは嬉しそうに頷いて見せる。今日の引っ越しで自分達が周囲の人達からどう思われていたのか、それを察していたからこそ、ゲンドウの言葉が嬉しかった。

「……話は以上だ。では新たな住居と家族の始まりに」

「「乾杯」」

 ゲンドウの音頭に合わせ、全員のグラスが高々と掲げられる。碇家が新たな一歩を踏み出した、記念すべき夜であった。

 

 




話が出てから沈黙を守っていた新居、ようやく完成しました。
二十四人の大家族、それに一人プラスされる事を加味すれば、それはもう相当の家で無いと無理だと言う事で……汎用住居型要塞の出来上がり、と。
シイとレイは今後の展開上、この家に長く住む事は出来無いので、実質シイスターズと生まれてくる子供の為に用意された家ですね。

そのシイスターズ。少しずつですが、それぞれに個性と言いますか、違いが現れて来ています。環境が大きく変化した事で、これからそれが顕著になれば嬉しいですね。

次はこちらも沈黙を守っていた、抑止力部署の面々に触れたいと思います。
あまりに放置状態だったので、まずは現状などの解説になりますが。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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後日談《意志》

 

~抑止力部署改め……~

 

 とある日の夕方、マユミはゼーゲン本部を訪れていた。正式に職員となったマユミが学校帰りに本部へ来るのは珍しく無いが、今日は少し勝手が違う。

 彼女は抑止力部署の執務室では無く、司令室に呼び出されたのだから。

「し、失礼します。山岸マユミ、招集により参上しました」

「ご苦労だったね。ただ、そんなに堅くなる必要は無い。我々は軍隊では無いからね、無礼にならない程度に態度と言葉遣いに気をつけてくれれば充分だ」

「……ああ。急に呼び出してすまない」

「いえ……それで私にご用との事ですが」

 多少和らいだとは言え、まだ緊張の残る表情でマユミは問いかける。職員が司令室に呼び出されるのは、生徒が職員室に呼び出されるそれと似て、無条件で警戒してしまうのだ。

「うむ、実は君に相談したい案件があってね」

「私に……ですか? その、正直お力になれるとは……」

「抑止力部署に関わる事だ。リーダーである君にも無関係では無いよ」

「……夏休み、君達は各国の支部を回ったな?」

 ゲンドウの言葉にマユミは頷く。夏休みの間にマユミは抑止力部署の面々と共にゼーゲン支部を訪れ、各国の関係者と顔合わせした。表向きは使徒と人との交流、挨拶だったが、各国の管轄地域で抑止力部署が活動する許可、その際に出た被害の補填や後始末の打ち合わせと言った面もあった。

 とは言えそれらは全て無事終了し、報告も全て済んでいる筈だが。

「……あの、報告書に不備があったとか」

「いやいや、初めてにしては充分良く出来ていたよ。内容書式共に問題は無い」

「ありがとうございます……では?」

「……先日、ゼーゲン特別審議室からある報告があった。君達の訪問の後に非公式で意見を聞いた所、各国の政府関係者は概ね君達を受け入れていたが、抑止力部署と言う名が気になっているらしい」

 思いがけない指摘に、マユミは思わず首を傾げてしまう。

「名前、ですか?」

「うむ。簡単に纏めると、シイ君は共に手を取り合う存在だと表明したのに、抑止力と言う名称で活動するのは好ましく無いのではないかと」

「……そして部署と呼称するのも、ゼーゲンの私的戦力と誤解を招くとも言っていた」

「まあ言いがかりに近いのだが、折角順調に進んでいる交流に水を差す恐れもある。そこで、だ。この機会に部署名を新たにしてはどうかと君に相談したいのだ」

 名前一つでそこまで神経質になるかと思ったが、マユミは口に出さずに頷く。自分が知らない大人の世界で大人のやり取りがあるのだと。

 

「お話は分かりました。私個人としては、名称を変更しても問題無いと思います」

「そうか、なら新たな名称の決定も任せて良いね?」

「はい…………へっ!?」

 勢い余って返事をしてしまったマユミだが、何を言われたのかを理解してポカンと間抜け顔を作ってしまう。

「おや、どうしたのかね?」

「わ、私が……名前を決めるって……」

「おかしな事ではあるまい。君は抑止力部署のリーダーだ。使徒の諸君もシイスターズも、君を慕っていると聞く。ならば君が決めるのが最善だろう。なあ碇」

「……ああ、問題無い」

「そそそ、そんな……私にそんな大役……無理です」

 活動期間はまだ長くないが、抑止力部署が世界から注目されているのは充分理解している。その名称を決めるのは、マユミにとって大きなプレッシャーであった。

 慌てて首と手を振るマユミに、ゲンドウは静かに声を掛ける。

「難しく考えるな。名は体を表す……君達が今後どう活動していくのか、その在りようや理念を、名前にすれば良いだろう」

「例えば我々のゼーゲンと言う組織名は、ドイツ語で祝福、幸福から名付けられた物だ。名付け親はシイ君……彼女の理想が込められている名だね」

「私達が決めてしまうのは容易い。だが君が決める事に意味があると私は思う」

「……分かり、ました」

 ゲンドウと冬月の説得に、マユミは覚悟を決めた表情で頷く。自信は無いが、出来無いと逃げる事は自分を信じてくれた全員への裏切りに思えたからだ。

「おお、そうか。そう言ってくれると助かるよ」

「無論、一人で悩めとは言わない。助言や意見を求め参考にすると良いだろう」

「急かすつもりは無いが、そうだな……三日後に結論を聞かせて貰おう」

「はい……頑張ってみます」

 一礼をして、マユミは司令室を後にした。

 

 

 翌日、登校してきたマユミの顔には深い隈が出来ていた。何事かと心配するシイ達に、マユミは昨日の一件を伝える。

「何か……前にも似たような事があったわね」

「そうなの?」

「ああ、霧島達がまだ転校してくる前だよ」

「あん時はシイやったな」

「……状況も同じ」

「ふふ、ゼーゲンと決めるまでに、シイさんも随分と悩んでいたからね」

 友人達の言葉に、マユミはそうなの、とシイを見つめる。するとシイは当時の苦悩を思い出したのか、引きつった笑みで頷いた。

「ま、シイの場合はネーミングセンスが絶望的だったから、余計に苦労しただけよ」

「む~酷いよアスカ」

「人類未来防衛組織なんて言い出すあんたに、反論の余地があるの?」

「うぅぅ」

 今聞くと自分でもおかしいと思えるネーミングを掘り返され、シイは恥ずかしそうに唸る。

「ふふ、だけど最終的にはゼーゲンと言う立派な名前をつけただろ? それにシイスターズ全員に素敵な名前を挙げたのもシイさんだ。それは誇るべきさ」

「えへへ……そうかな?」

「ホンマ、渚はシイの扱いが上手いのう」

「口が上手いってだけじゃ無くて、碇の事を知り尽くしてるんだろうね」

「ふっ、僕はシイさん研究の第一人者だからね」

「……聞き捨てならないわ」

「はいはい、馬鹿やってないの。今はシイじゃ無くてマユミの話でしょ」

 自分から脱線させた事を棚に上げ、アスカはしれっと話題を元に戻す。この辺りのふてぶてしさは、流石はアスカと言うべきか。

「……名前、悩んでるの?」

「うん……何かに名前をつけるの、初めてだから」

「確かにあまり機会は無いわよね」

「うんうん。で、同じ様なケースを経験したシイちゃんに、アドバイスを貰いたいって感じ?」

 マナの問いかけにマユミは頷く。

「その、シイちゃんはどうやってゼーゲンって名前を決めたの?」

「えっとあの時は……」

 シイはマユミと同じ様にみんなに相談し、名前の付け方を習い、カヲルから言葉の持つ意味を教わり、後は自分が目標としている事と同じ意味を持つ単語を探してつけたと説明する。

 

「こんな感じだったよ。あんまり参考にならないかも」

「……シイちゃんは怖く無かった? みんなに自分のつけた名前を受け入れて貰えるのかって」

「怖い? どうして?」

「私が変な名前をつけたら……あの子達やゼーゲンの人達に迷惑を掛けちゃうかもしれないから」

 ここに至って、一同はマユミが何に悩んでいるのかを察した。

「はぁ~。あんた馬鹿ぁ?」

「え?」

「あのね、司令達はあんたにしか出来無いって任せたんでしょ? んで使徒もシイスターズもあんたの事を認めてるのよね? ならそんな事考える必要ないじゃん」

 バッサリと切って捨てるアスカを、マユミは驚いた様に見返す。

「これは惣流に賛成やな。山岸はちょい難しく考えすぎやで」

「そりゃ適当につけた名前なら話は違うけどさ」

「山岸さんが隈つくる位悩んで考えて、頑張ってつけた名前なら文句なんて言われないって」

「もし文句を言われたとしても、君は堂々と胸を張っていれば良い」

「……何か言われたら私が相手をするわ」

「大丈夫だよマユミちゃん。きっと上手く行くから」

 友人達からの暖かい言葉に、マユミの心を覆っていた不安は消えていく。そう、今回マユミが挑む事に失敗はあり得ないのだ。どんな名前であっても、それが唯一の正解なのだから。

 深々とお辞儀をした後のマユミは、吹っ切れた表情で微笑むのだった。

 

 

 そして約束の期日、マユミは司令室でゲンドウと冬月の前に立つ。

「ふむ……どうやら決めたようだね」

「はい。沢山悩みましたけど、私なりの答えが出ました」

「……聞こう」

 ゲンドウに促され、マユミは一呼吸置いてからその名を伝える。

「抑止力部署は……『ヴィレ』の名称で活動をしていきたいと思います」

「ヴィレ、か。ドイツ語のWILLEだとすると……意志、あるいは意欲と訳せるな」

「由来はそれか?」

「そうです。私達ヴィレは異なる生命体の集まりですが、その意志は一つに纏まっている……平和な未来を目指す仲間なのだと伝えたかったので」

 マユミの解説に二人は納得したように頷く。抑止力として、隣人として存在するヴィレは、滅びを免れ未来を得ようとする人類の意志を体現するに相応しいチームだと。

 黙ってしまったゲンドウ達に、マユミは駄目だったのだろうかと不安顔を見せる。

「あ、あの……」

「ふっ、成る程。良い名をつけたな」

「正直我々の予想を超えていたよ。君に任せて正解だった。ありがとう山岸君」

「あっ……ありがとうございます」

 二人が見せた笑顔に、マユミもつられて微笑みながらお辞儀をする。悩み苦しんだ分、それが認められた喜びもひとしおだ。

「早速特別審議室を通じて、世界各国に通達するよ」

「君は他のメンバーに新名称の伝達を頼む」

「はい、それでは失礼します」

 意気揚々と司令室を後にするマユミ。命名を頼んだ時とは打って変わり、誇らしげな後ろ姿を見せた彼女を、ゲンドウと冬月は頼もしげに見つめるのだった。

 

 

 

~特務部署ヴィレ~

 

 ゼーゲンに所属しながらも、独立した命令系統を持つヴィレは、リリンの少女、山岸マユミをリーダーに、新生した使徒とリリスの体現者であるシイスターズを有する特異な部署である。

 色々な意味で注目を集める彼女達は、世界各地で燻る戦争や紛争の火種を処理する抑止力として、人類が新たなステージへ進化する為の隣人として日夜活動を続けていた。

 

 ゼーゲン本部セントラルドグマの一角、かつて戦術作戦部が利用していた作戦室は今、ヴィレの活動拠点となっていた。常にメンバーの誰かがここに待機しており、有事に備えている。

「お疲れ様です」

「あ、お疲れ様ですマユミさん」

 作戦室に姿を見せたマユミに、サキエルが笑顔で応じる。副リーダーに任命された彼は、学校などでマユミが不在の間、ヴィレのまとめ役を務めていた。

「留守中も特に問題はありませんよ」

「そう……良かった」

「一応各員の状況を報告しますね」

「うん、お願い」

 サキエルは素早く手元の端末を操作し、メンバーの活動状況をモニターに表示する。

「まず、ガギエルですが、ゼーゲンの調査チームと共に、北極海域の調査を継続中です」

「様子はどうかな?」

「定時報告では順調との事ですね。帰還予定は二週間後です」

 地球環境改善計画の一環として、ゼーゲンが取り組んでいる北極海の調査。深海でも活動可能なガギエルの存在もあって、順調に成果を上げていた。

「レリエルはシャムシエル、マトリエル、イスラフェル、バルディエルを引率して、各国への遠征を続けています。今はドイツ支部を拠点に欧州諸国との交流を行っていますね」

「私も参加出来れば良かったのだけど……」

「ふふ、夏休み中に一緒に回れたので充分ですよ。あれのお陰で、僕達と会ってみたいって申し出が増えましたから」

 一度ヴィレとカヲルがゼーゲン支部を回り交流の輪を広げた事で、使徒達は意思疎通出来る危険な存在では無いと証明され、結果として直接会いたいと言う声が次々に寄せられた。

 人類と使徒との相互理解は、順調なスタートを切ったと言って良いだろう。

「ラミエルとサハクィエル、アラエルの三人は、本部で勉強を続けていますね。サハクィエルとアラエルは精神的な成熟を、ラミエルは対人恐怖症の克服が目標です」

「……大変そうだね」

「ええ。あの二人はある意味でサンダルフォン以上にお子様ですから……。カヲル兄さんやゼーゲン職員の方にご助力頂き、少しでも自重を覚えさせるつもりです」

「ラミエルちゃんはどう?」

「…………」

 マユミの問いかけに、サキエルは初めて即答を避ける。言葉を探すような視線の揺らぎに、マユミは答えを聞かずとも状況を把握した。

「ラミエルちゃんは恥ずかしがり屋さんだもんね……」

「……何とかします。不意に放つ加粒子砲を避けられる人は、そう多く無いので」

「うん。後で少しお話してみるね」

「是非お願いします。……後はイロウルですが」

「呼んだかな?」

 サキエルの言葉に、作戦室の奥から返答が聞こえてきた。マユミが声の方へ視線を向けると、そこには多数の端末を操るイロウルの姿があった。

 

「イロウル君、今日もお疲れ様です」

「マユミさんも。……僕の方はいつも通りですよ」

 ネットワーク上で不穏な動きが無いかを監視し、ハッキングやクラッキング等のサイバーテロを防ぐイロウルは、争いを未然に防ぐヴィレの土台を支えていた。

「ここの所は厄介ごとも減ってきたな」

「無くなった訳じゃ無いけど、火種が起こしにくい状況になってるのは確かだろうね」

「少しずつ、良い方向に向かってるんだよね」

「その為のゼーゲンとヴィレですから」

 イロウルは気取った動作で眼鏡を直す。自信に満ちた表情が慢心で無い事を、これまで彼が挙げてきた実績が示していた。

「頼りにしてるよイロウル」

「でもちゃんと休んでね。ずっと働いてると疲れちゃうから」

「ええ、ありがとうございます」

 基本的に使徒達は病気になる事は無く、食事や睡眠を取らなくても問題無く活動出来る。効率だけを考えれば、彼らに休みは必要無いのだ。

 それでも普通のリリンと同じ様に接してくれる事が、イロウルには嬉しかった。

 

「報告を続けますね。サンダルフォンは情操教育の一環でカヲル兄さんと同居中。ゼルエルとアルミサエルは、本部で有事に備え待機しています」

「あの二人は一緒に居る事が多いけど、やっぱり相性が良いのかしら」

「戦闘に特化したゼルエルと、治療行為可能なアルミサエルは、非常時に頼りになる存在ですから。それに……ゼルエルにはアルミサエルの猥談が通用しないので」

 困った様に告げるサキエルに、マユミはほんのり頬を赤らめて納得した。

 面倒見が良く社交的なアルミサエルだが、猥談好きという困った癖があり、マユミも以前その身をもって味わっていた。単なる下品な話では無く、妙にリアルと言うか……性的欲求を刺激するのだ。

 仕事自体は真面目に取り組む為、何とも悩ましい存在であった。

「そ、そうね……ゼルエルさんなら安心だものね」

「ええ。あいつは朴念仁と言うか、そっち方面に興味が無いので、ある意味でアルミサエルの天敵でありベストパートナーでもあります」

 妖艶に身体をしならせながら猥談を口にするアルミサエルと、それを全く意に返さないゼルエルの姿を思い浮かべ、マユミは思わず笑みを零してしまう。

「二人は控え室で待機してますから、もし時間があれば声を掛けてやって下さい」

「うん、そうせさせて貰うね」

 今現在、マユミに任されている仕事は多くない。平時にはこうしてサキエルから現状報告を聞き、重要な案件があればそれを皆と相談し、使徒の面々と触れ合う事位だろう。

 それでもマユミは与えられた自らの役割を全力で全うする。まだ自分は無力であると自覚した上で、出来る事をしっかりとやろうとする姿勢は、加持から最初に学んだ事だ。

 友人達との交流とヴィレでの日々を通じて、マユミもまた変わりつつあった。そんなマユミの成長は、リリスに人類の可能性を示すに足るものだろう。

 

 使徒と人とが手を取り合って、共に平和な世界を生きる。実現不可能な夢物語は、一人の少女の理想から目指すべき目標へと姿を変えた。

 どんな困難があろうとも、必ず乗り越えられる筈だ。

 人類に決して諦めぬ意志が……ヴィレがある限り。

 




かつて使徒とシイスターズの抗争の火種となった、抑止力部署の新名称、決定しました。

元ネタはアレですが、名前を借りただけなので空中戦艦が出てきたり、ゼーゲンに反旗を翻したりはしないので、ご安心下さい。

使徒達を表に出す前に一度状況整理が必要だと思い、今回は説明回にしました。
これからは少しずつスポットライトを当てていく予定です。


次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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