簪とのありふれた日常とその周辺 (シート)
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簪との堕ちた一日

 閉まりきっていないカーテンの隙間から夕日が差し込み、薄暗い部屋を微かに照らす。それを見て夕方になったのを気だるくぼんやりとした眠りにあった意識の中で確認した。

 気だるいのは意識だけじゃない。体もだ。疲れているせいか体が気だるく、そして重く感じて動かすのが煩わしい。めんどくさい、出来れば閉じている目をこのままにしてもう一眠りといきたい。だるくて仕方ないんだ。

 しかし、そうさせてくれないものがあった。眠りにあった気だるくぼんやりとした意識を半ば無理やりにでも覚醒させるかのように、俺のすぐ傍で動いているもう一人の存在。それが原因だった。

 目を閉じていたかったがしぶしぶ目蓋を開け、それを確認した。

 

「んっ、んっ……あっ……やっと起きたんだ」

 

 目を開けると、すぐ目の前に簪がいた。何やってるんだ。

 綺麗な水色の髪のセミロングがとてもよく似合う簪は俺に寄り添い、俺の体に何度も何度も楽しそうに愛おしそうに唇だけが軽く触れるキスをしている。まるで愛撫のようだ。

 

「何、やってるって……んっ……ちゅっ、んっんっ……見ての通り、だよ」

 

 悪びれる様子もなく簪は体にキスするのをやめない。

 ふと下のほうを見れば、簪は何も身にまとってないのが分かり、それは俺も同じ。自分達の様子を見て、ゆっくりと前のことを思い出していく。

 普段学園生活の疲れを癒したり、日々代表になる為の訓練の息抜きにと俺と簪は大型連休を利用して、三日間泊りがけで観光地に二人だけで観光しにきたんだった。簪との始めての旅行。

 今はその観光二日目で宿泊している旅館の部屋にいることを思い出した。

 

 簪はキスするだけじゃなく、時には頬ずりしたりしている。何やってるんだかと思うが嫌な気持ちはしない。くすぐったいだけで、むしろ嬉しかったりする。

 そんな簪の様子を起きてすぐのぼーっとした頭で眺めていると。

 

「な、何見てるのッ……え、えっち……」

 

 恥ずかしそうに頬を赤く染めて、恥ずかしいのを隠すように俺の体に抱きつきながら顔を埋める。すると、一糸まとわぬ姿の俺達は必然的に肌と肌が触れ、また俺の腹部の辺りと簪の胸が触れ合うと簪は体を一瞬ビクっと震わせていたが、抱きついて顔を埋めるのをやめない。

表面上では恥ずかしそうにしているが、簪のやってることは真逆。むしろ、体の間に隙間なんてけっして存在させないかのようにぴったりと抱きついて、簪は足を絡めてきたりと恥ずかしくなるようなことをしている。

 

こんな風に密着しているのだから、必要以上に簪のその華奢な体、控えめではあるけれど決して小さいというわけじゃない、形の良い簪の美乳がさっきから当たっていて気恥ずかしさを感じ、意識し体が反応してしまう。具体的に何処が、とは言わないが。

 

「んふふっ……ん? どうかしたの?」

 

 俺の様子が気になったのか、簪は様子を伺ってきた。しかし、どう答えたらいいものやら。こういうことは初めてじゃないが、正直に伝えるのは何だか気恥ずかしい。一夏じゃないんだから馬鹿正直に今更胸が当たって照れているだなんて言えない。

しかし、そこは簪。出会い、付き合い始めてからまだそんなに長い月日は経ってはいないが、短いながらも濃密な時間を過ごした間柄。俺の考えていることなんてお見通しみたいだ。

 

「む、胸が……気になるの? えへへー嬉しい。こういうのは……あててんのよって言うんだよね」

 

 またえらく古い言葉を。大方、ネットや漫画から仕入れた知識からの台詞なんだろうことは分かった。そして、その言葉通りなので、俺はただただ気恥ずかしさから視線を簪からそらした。

 しかし、それが簪には気になったらしい。

 

「あ……ご、ごめんね。私の胸なんて嬉しくないよね。お姉ちゃんみたいに大きくないから……」

 

 悲しそうな簪。相変わらずちょっとしたことがあると悲観的になる。それに何かと楯無会長と比べる癖はまだ治ってない。楯無会長との確執が先のことで多少なりと解決したとは言え、簪にとって楯無会長は未だ大きな存在。比べてしまうのをそう簡単にやめられないのは分かるが、それで悲しい顔を簪にされるのは俺が嫌だ。

 

「きゃっ!?」

 

 簪の悲しいのが少しでもまぎれる様にと簪を抱き寄せる。簪は驚いた声を上げていたが、徐々に俺の腕の中で安心してくれたのが分かった。

 そして、少しの時が経つと俺と簪の目と目があう。どちらからともなくゆっくりと唇があわさった。

 

「っん、っちゅ……ん、はぁ……っ、ちゅっ、ちゅっ、んっんん、ちゅっ」

 

 最初こそはふれあう軽いキスで簪は緊張気味だったが、いざ舌と舌が絡みあい始めると簪は積極的だ。熱がこもった甘い吐息をもらしながら、簪の方が激しく舌を絡めてくる。簪は夢中なようで口端から唾液がすすり落ちるのも気にせず俺の頭を抱きかかえ、無我夢中で舌を動かす。

 どうやら俺は簪のスイッチを入れてしまったのかもしれない。部屋には舌が絡み合う音だけが響き――そしてどのくらいの時間が経っただろうか。

 一まず満足したのかどちらからともなく唇を離し、俺は簪から解放された。今だ気持ちがあかぶっているのか、簪の目は潤んでおり、頬は赤く、その姿は妖艶に見える。俺はそんな簪を落ち着けるように簪の髪をなでた。

 

「ありがとう、慰めてくれるんだね。あなたに抱きしめてもらえるととっても安心する。ダメだって……分かっているのに……ごめんね……私めんどくさくって」

 

 事実だから特に否定はしない。否定すると簪は返って気にする。ありのままの簪を受け入れる。

 それに簪のそういう一面も含めて簪のことを愛してる。愛の前には瑣末なことだ。

 抱き合い、俺は簪の髪を撫でながら、簪はまどろみながら二人っきりの時間が経っていく。そういえば、意識が覚醒してからどのくらい時間が経ったんだろう。時間が確認できないから正確な時間とその経過は分からないが、体感的にかなりの時間が過ぎている気がする。

 流石に夜も近い、というかもう夜だろうし、そろそろ起きなくては――そう思い体を起そうとするが、それはできなかった。

 

「ねぇ……あ、あのね」

 

潤んだ瞳、熱をおびたなまめかしい表情で見つめてくる簪。何だか悪い予感がする。

 

「……しよ?」

 

何を? なんて野暮なことは言わない。若い男女が一つのベッドの上で一糸まとわぬ姿でいれば、まあそういうことになってもおかしくはない。

 だけど――少し戸惑っていると簪はかまってほしそうに首筋にかみついてきたり、人の腕とっていじってくる。 ついには我慢できなくなったようだ。

 

「もう、我慢できないよっ……!」

 

 俺の下腹部に簪は手を伸ばし始めて、慌てて手を掴む。すると、案の定というかべきか悲しそうな表情をした。

 

「いや、なの……?」

 

 そういうことじゃないんだ、簪。

 

 嫌じゃない……だがここだけの話、“そういうこと”は寝る前、散々やった。これでもかってぐらいに。ぶっちゃけ、観光なんて二の次になってしまっている。観光はこの観光地に来た初日だけだ。本当は今日も昨日行ったところとは別のところを観光する予定だったのに……

 思えば夕べは食後、“そういう”雰囲気になり、夜何度もして、朝も朝で軽い朝食をとったら昼までぶっ通しでしたりと、観光しに来たのか、しにきたのか分からなくなってくる。

 

「観光なら明日は必ず観光しよう。だから……ね」

 

 さっきのキスで簪のスイッチを入れてしまったのは気のせいではなかったみたいだ。男の俺より、女の簪の方がこうも積極的だとは……まあ、今に始まったことじゃないか。

 簪は普段内気な性格だが……こういう時は人が変わったかのように積極的だ。“初めて”の時は確か簪からだったか。

 そう思えば、本当に簪はいやらしくなってしまった。

 

「……い、いやらしいって! ばかっ……私がいやらしくなっちゃったのはあなたのせいなんだから……」

 

赤くなってはずしそうに言うが簪はまんざらでもなさそうだ。

簪がより密着してくる。

 

「遠慮……しないで。あなたが完璧じゃなくて……そこがいいなんて言ってくれたから。今もこれからも私の全部あなただけのものだよ」

 

 ――だから、あなたの全部を私のものにさせて。

 と、簪は熱のこもった甘い声で言い、行為をし始める。

 

結局、今夜もか。観光しに来たのに薄暗い部屋でぴったりと寄り添いあい爛れに爛れた行為にまるで獣の様に励む。これじゃあ、いつも休日となんら変わらない気もしなくはない。

だけどこんなことを簪に言われれば、拒否する気も起きず、先ほどまで気にしていたことがどうでもよくなってくるのはやっぱり、惚れた弱みというものなんだろうなとふつふつと感じる。

 

「好き、好きよ。あなたを愛しているの。私のヒーロー」

 

甘く確かなキスをしながら、俺と簪は一つに混ざりあうように快楽の海へと溶けて行った。

 




簪可愛い!


今回は簪メインのお話
テーマは『依存しきった簪と薄暗い部屋の中でずーっとひっついている爛れに爛れた二人の一日』。

この簪は
・一見クールで口数少ない無口キャラだけど、割と激情型かつ個人的感情に従うタイプ
・すぐ悲観的になって、悲観的なことばかり言う
・依存体質かつ凄くおもくめんどくさい子
という、要素を念頭に置いて書きました。
めんどくさ可愛い簪可愛い。

発想は某スレからいただきました。
何かあれば、遠慮なくどうぞ。

感想やご意見、随時受け付けています。一言二言でも嬉しいので、お気軽に感想爛に書き込んでいただけると幸いです。

ちなみに簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と過ごした11月11日

 さくっ、さくっ……とポッキーを食べている音が木霊する。

後どれくらいなんだろうか。目を閉じているから、実際後どのくらい俺と彼女――簪との間にポッキーがあるのか分からない。

 しかし、目を閉じていても簪が目の前にいて、だんだんとお互いの距離が縮まっていることはよく分かる。

 

「んっ……んっ、んぅっ」

 

 ただポッキーを食べているだけなのに簪の吐息が色っぽく聞こえる。それはきっと目を閉じているせいだ。目を閉じ、耳しか使えない今。脳が耳から聞こえる音をいつもより意識して、聞こえた音をつい厭らしいと思ってしまうのは男の性。

 

 そろそろポッキーの長さ的に唇と唇が重なるのではないだろうか。簪とそういうことをするのは嫌じゃない、むしろ好きなぐらいだ。だが、いかんせん普段してないようなことをしている為、このままそうなってもよいものかとふとした迷いが脳裏を過ぎ去る。

 

 そもそも何故今、こんなことをしているのか、それは簪のある一言がきっかけだった。

 

 

 

「ねぇ」

 

 放課後。学校が終わった俺と簪は俺個人の自室で過ごしていた。

 二人共通の趣味であるDVDを見ている時、簪が問いかけてきたのだ。

 

「……今日がポッキーの日だって知ってるよね」

 

 俺は頷く。知っている。今日は十一月十一日。

 この日、日本では今日の日付に使われている数字の11が某お菓子会社から発売されているポッキーとプリッツに見えるということから、ポッキーの日――正しくはポッキー&プリッツの日と呼ばれることがあり、日本記念日協会でも正式に認定されている記念日だ。

 学校でもポッキーやプリッツを食べている人達を多く見かけ、一夏が多くの女子からたくさんポッキーを振舞われていたのを思い出す。

 

「それでね、ちょっとネットで調べたんだけど……ポッキーの日にカ、カップル同士でする……ポッキーゲームってのがあってね」

 

 頬を少し深く染め恥ずかしそうに言う簪。

 

 そういえば、ポッキーの日にカップルはよくそんなことをするってのは何処かで聞いた憶えがある。どんなことをするのかもちゃんと知ってはいる。

 もっともあれはパーティーゲームの一つでポッキーの日関係なく、そのお菓子さえあればやろうと思えばいつでも出来る。

 確か学校でもそれを知ったラウラが一夏に迫っていたっけか。

 

「ポッキーゲームをカップルですると盛り上がるらしくて……だから、えーっと、ね」

 

簪が何を言いたいのか分かった。したいってことか、と聞けば簪は目を輝かせて言った。

 

「うん!」

 

 やる気満々の様子の簪。

 

 確かにカップルでそういうことをすれば盛り上がるだろうけど、俺の部屋には肝心のポッキーがない。こんなことなら、購買で買っておけばよかった。

 そう思ったが簪の手元を見れば、ポッキーの袋が一つ握られていた。あ……最初からやるつもりだったんだな。

 

「あ……目は閉じといてね。絶対……終わるまであけちゃダメだから」

 

 はいはいと、言いながらポッキーの枝の部分を俺は簪に咥えさせられる。

 簪にはもうさっきまでの照れた様子はない。するということは自分の中での決定事項なんだろう。そうと決まったらそうする、自分の欲望に素直な簪らしい。

 

「じゃあ、ん」

 

 簪はチョコの方を咥え、お互いに食べ始めていく。

 

 ポッキー自体はそんなあるわけじゃないが、二人でこんな風に食べるといつもよりもポッキーがあるように感じてしまう。食べ進めているが目を閉じている為、実際どのくらいお互い進んでいるのか確かめることが出来ない。

 何より――

 

「んっ……んっ、んぅっ」

 

 さっきから聞こえる簪の微かな吐息がいやらしく聞こえてしまう。

 ただポッキーを食べているはずなのにおかしい。でも、目を閉じているせいか余計に聞こえてくる簪の吐息を意識しまう。いけないことをしている気分だ。普通にキスとかじゃれあうのは嬉しさがあっても今の様なやましさは感じないのに、普段しないことをしてポッキーゲームの結末――キスしようとしているのを更に意識して気恥ずかしい。

 

「あっ」

 

 ポッキーが折れてしまった。折れたっというよりかは……状況的に俺が折ったということになるんだろうな。しかし、折れた拍子に目を開けてしまえば、簪の顔は目の前にあり、同じ様に折れた拍子に目を開けた簪と目があってしまった。

 恥ずかしさから二人して少し離れる。

 

「……えへへ、私の勝ち、だね」

 

 折れて残ったポッキーを簪は食べ、恥ずかしそうにでも嬉しそうに言った。

 ポッキーゲームの一応のルール的に言うと先に折ってしまった俺の負けで、簪の勝ちとになる。

 しかし、俺としては一安心だ。ドキドキとして仕方ない。

 

「でも、残念……後、少しだったのにな」

 

 気のせいか簪は名残惜しそうな瞳をしている。

 気のせいってことはないな、経験則から言って……というか、すっかり簪のスイッチが入っていることは俺には容易に分かった。

 

「……ねぇ」

 

心なしか艶っぽい表情で簪は上目遣いで見つめてくる。

 

「まだポッキーはたくさんある……よ。次、しよ?」

 

 ポッキーのことだよな?と聞きたくなるほど艶っぽい声。簪を見ればポッキーを咥え、目をつぶって待っている。その表情がまた可愛らしく、俺には簪に従うしか選択肢が残されてないことを実感さられる。

待たせるのはよくないので俺も残るもう一方の端を咥えると再びお互い食べ始めた。

 

「んっ、んむ……んむっ……」

 

 だんだんとお互いの距離が縮まっているのが分かる。さっきよりお互い食べる速度が早いのは気のせいなんかじゃない。二人してポッキーゲームの結末――キスに辿りつきたいそんな思いがあるのは確かだ。

 簪の顔が近い。おそらく目を開ければ、簪の可愛い顔は本当すぐ目の前にあるだろう。むしろ近すぎて、簪の甘い吐息がかかっている。いつまでもこうしてたいと思える幸福を、嗅覚で感じていた。しかし、このままではいけない。この一時はそろそろ終わる。キスによって。

 

 ポッキーがなくなり、必然的にそっと唇同士が重なる。

 

「んんっ! ちゅっ、はぁっ……ぁっ、んちゅっ」

 

 触れ合うだけでは男のサガもあって我慢できなくなり、確かにするキスに簪は始め、体をビクっとさせていたが次第にキスを受け入れてくれ、触れ合うようなキスから舌を絡め、唾液のやり取りをする深いキスになっていく。

 ポッキーを食べてた後なので微かなポッキーの破片はあるが気にならない。それどころか、二人を隔ててある種の境界線となっていたポッキーがなくなったことで、二人が混じりあいそのまま溶けていきそうだ。

 甘く痺れるような長く深いキスをしてから、そっと唇を離す。

 

「んっ、ぁ……も、もう! 突然っ!」

 

 頬を赤く染めてポカポカと俺の胸板を叩きながら怒る。痛くはない。じゃれているかのようだ。怒っているのも照れ隠しの為だろう。決して嫌がって怒っているわけじゃないと分かっている。

 そんな簪が可愛くて、ちょっと意地悪っぽく聞いてみた――嫌だったかと……。

 

「い、嫌じゃない……むしろ、嬉しい」

 

 と、誰が見ても幸せだとわかるくらいの笑顔で簪は言った。

 簪は二人っきりの時だけだが、素直でちゃんと自分の思いを伝えてくれるのだ。

 それは恋人である俺だけが見れる特権。なんて至福。

 

「あ……で、でも、どうしよう……貴方のせいで、私……どんどんえっちに……なってる」

 

 確かに。簪は欲求に忠実な分、多分俺よりもそういう欲求が強いからなんだろう。

 

「だね、あなたの言う通りかも。だから……あなたの好きにしていいから。たくさん愛して……私を、私だけを。ちゃんと責任とってよ、ね」

 

 ここまで簪に言われて、断れば男が廃る。

 正直、もうポッキーゲームなんてお互いどうでもよくなってる。

 俺達の身体はどんどん熱くなって――ただ、好きな愛しい相手をむさぼりたいという感情一心。

 俺は返事をするように簪を抱き寄せ、今一度深いキスをした。

 

「ふっ……んちゅっ、んぅ……んんんっ、あなた……んむぅ、愛してる……ちゅっ……」

 

部屋の明かりで出来た二人の影が一つに触っていく。

そうして、俺と簪は一つになるかのようにまるでチョコのように甘く溶けていった。

 




11月11日の昼11時11分には流石に間に合わなかったので
11月11日の夜11時11分に投稿しました。

設定?は前作のお話と一緒です。
なので今回も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪に『お兄ちゃん』と呼ばれた日のこと

「お姉ちゃんと妹……どっちが欲しい?」

 

 そんなことを簪に尋ねられたのは、二人一緒に休日の時間をまったりしていたときのことだった。

 その日は朝から雨でISの訓練を室内型の競技場でしようと思ったが同じことを考える人は多くて、使用許可を貰う書類の段階でかなり人数を待たされることを教えられ、待っていたらその日にできそうにないのでISの稼動訓練はあきらめた。

 次に専用の部屋で体作りをしたが一通り終えてしまい、他にやることもなく手持ち無沙汰を感じながらも俺の個室で二人一緒に過ごしていた。

 

 突拍子のない突然の質問。内容がよく意味が分からない。

 どういう意味なんだ?

 

「えっとね……今あるツイートを見つけて。これ」

 

 俺の部屋のベッドに寝そべって端末を見ていた簪は体を起して、ベッドに腰掛けて雑誌を読んでいる俺に端末の画面を見せてくれる。

 そこには

 

『フォロワーに聞く。姉か妹、どちらが欲しい?』

 

 という二択のアンケート形式のツイート文が書かれていた。

 ちなみに簪は妹に票を入れているのが分かった。

 妹欲しいんだ。

 

「この二択ならね……お姉ちゃんはいるから」

 

 ああ……楯無会長がいるなら姉はいらないわな、まあ。

 あんなアグレッシブなお姉ちゃんが二人もいたら凄い大変そうだ。

 もう一人の姉が楯無会長と同じ性格とは限らないし、どう大変そうなのかは言わないが。

 

「それで……どっち? お姉ちゃん? 妹?」

 

 簪は再び問いかけてきた。

 そうだな……この二択なら妹かな。

 お姉ちゃんはいるにはいるし……

 

「妹かぁ……ってあれ? 一人っ子じゃなかった?」

 

 俺が一人っ子なのを知っている簪は不思議そうに聞いてくる。

 

 違う違う。言葉足らずだった。

 お姉ちゃんみたいな存在というのが適切な表現だ。

 いるだろう、楯無会長が。

 

「ああ……そういうこと」

 

 簪は納得してくれたみたいだ。

 楯無会長は俺にとって……というか、一年生にしたら上の学年の人なんて兄貴やお姉ちゃん的存在だ。

 実際、楯無会長はお姉さん的存在そのものだし。

 それに簪と結婚すれば……事実上、楯無会長は姉もとい義姉になる。そう言って自分がとんでもないことを言っている事を自覚した。

 

「け、結婚してくれるんだ……」

 

 両手を深く染まった頬に当て簪が嬉しそうしているのが分かった。

 流れでとんでもないことを言ってしまったが否定する必要はない。ゆくゆくはだけど……ちゃんと簪との将来を考えているのだから。

 

「嬉しい……すっごく。ありがとう」

 

 そう言ってベッドに腰掛けている俺に抱きついてくる。それを受け止めて、抱きしめる。

 

「ふふっ、えい……っ!」

 

 驚く間もなく押し倒すように簪は体重を全部預けてくる。上半身だけでは上手く受け止め続けることが出来ず、簪の狙い通りなのかはわからないが押し倒され、ベッドに二人して寝転がる。

 

「~♪ ~♪」

 

 鼻歌を歌いながら、俺の首筋に簪はすりすりと頬ずりをしてくる。くすぐったいが首筋が気持ちよくていい気分だ。簪の柔らかな体が密着し、女の子独特の甘い匂いがする。抱きしめあうなんてことは今まで何でもしているがやっぱりドキドキと鼓動が早くなる。しかしそれでいて同時に簪の優しい暖かな体温に安心感を感じてまどろむ。

 

「あ……そうだ」

 

 首筋にすりすりと頬ずりするのをやめて簪はこちらを見つめてくる。

 俺はどうしたんだと問いかける。

 

「あの二択以外にも選択肢があってもやっぱり妹が欲しい? 例えば、お兄ちゃんや弟を選べたとしても」

 

 そんな質問を問いかけてくる。

 どうだろうな……と少し考える。一人っ子だが兄妹が欲しいなんて考えたこともなかった。だからやっぱり、選ぶとすれば妹かな。特に深い意味はないけど。

 そう答えると簪は嬉しそうな顔をしていた。

 

「そっか……妹かぁ。そっかそっか……」

 

 簪はしきりに何か納得した様子。

 よかった。理由でも聞かれたら困っていたところだ。選んだ理由なんて本当に何となく。

 そんな風に思っている時だった。

 

「お兄ちゃん」

 

 時が止まった感覚を生まれて初めて肌で感じた。

 聞き間違えではないようだ。簪に『お兄ちゃん』と呼ばれた声が脳裏で反響して、嫌でも現実逃避なんてことはさせてもらえない。

 

「凄い顔してる」

 

 笑われながら言われてしまった。それだけ面白い顔をしてるってことなんだろうけど、突然『お兄ちゃん』なんて言われれば、驚くに決まっている。しかし、いきなりどうして……いや、前フリみたいなものは 思い返せばあったけど。

 

「ふふっ、お兄ちゃん」

 

 嬉々とした声で呼ばれる。誰かにその呼び名で呼ばれるのは初めてじゃないはずなのに、簪にその呼び名で呼ばれるのはなんだかむず痒い。

 

「顔、赤くなってますよ。お兄ちゃん」

 

 からかう様にまたその呼び方をしてくる簪。言われて俺は、顔が赤いことを自覚した。簪は俺が赤くなって照れているのが珍しくて楽しいんだろう。これじゃあからかわれるのも無理もない。可愛い反応をしてくれるからついからかってしまうけどいつもと逆だな、まったく。

 それに簪にそう呼ばれるのが今初めてなだけで悪い気分はしない、むしろ違和感みたいなものも感じない。多分それは簪が楯無会長の妹で妹がどんなものか知っているからなんだろう。

 

「お兄ちゃん~んふふっ」

 

 しきりに何度も『お兄ちゃん』と呼び、俺の胸に簪は頭を埋めてぐりぐりとしてくる。いつもとは違う甘え方。それは普段の恋人に甘え方ではなく、妹が兄貴に甘えるような甘え方。

 その甘え方をされるのは満更でもないが、何度も彼女に『お兄ちゃん』と呼ばれているとそういういかがわしいプレイでもしている気分になってくるのは男の性のせいだ。

 にしても、簪は急にどうしたんだろう。深刻な感じではないが、『お兄ちゃん』と呼ぶのには並々ならぬ思いがあるのを感じる。

 どうして急にそんな風に呼んだのか当たり障りのない様に聞いてみた。

 

「さっきのアンケートの二択以外でも妹選ぶのかってあなたに聞いたよね。私はね、あの二択以外ならお兄ちゃんが欲しかったの」

 

 そう答えてくれた簪。

 妹ではなく、兄が欲しかったのか……一般的にだが兄姉がいるひとは弟妹がほしくなるって聞くが姉がいても兄が欲しいと思うものなんだな。

 しかし、どうしてまたお兄ちゃんを欲しいだなんて。

 

「どうしてって顔してる。まあ……お兄ちゃんが欲しかった理由は簡単。甘えたかっただけ。更識の家は厳しいし、お姉ちゃんとは物心ついた時からもう自分との差を感じちゃって……誰かに甘えるなんてとてもじゃないけど出来なかったし、甘えようとも思わなかった。でも、お姉ちゃんじゃなくておにいちゃんならもしかして甘えさせてもらえるんじゃないかって」

 

 そういうことか。

 

「でも、お兄ちゃんがいても結局変わらないかもしれないね。私はダメダメだから」

 

 伏せ目がちな簪の表情は悲しそうにみえる。

 

「ごめんなさい、変なこと言って。変な甘え方しちゃったね、しかもこんな口実まで使って。また甘え過ぎちゃってごめんなさ……な、何?」

 

 そこまでだ、と言葉を止めるように抱き寄せて顔を埋めさせる。

 また簪の謝り続ける悪い癖が出ている。思い込みの激しい簪は自分のことをダメだと思い、ダメだと思っているを自覚しているから余計に自分のことが嫌になって謝ることしかできなくなる。

 甘えるのだってそうだ。甘えたいけど、甘えすぎてしまうことを自覚して、そんな自分ことがまた嫌になって罪悪感から謝ることしか出来なくなる。

 まったく、不器用だな、簪は。気にせず、何も気にせず甘えればいいものを。まあ、気にせずにはいられないから不器用になってしまうんだろうけど、その不器用さが簪のかわいいところだけども。

 

 落ち着かせるように抱き寄せて胸に顔を埋めている簪の頭をポンポンと優しく撫でる。

 簪の気持ち分かるから気にするなとは直接的にも言えないが、それでも存分に頼ってくれていい、好きなだけ甘えてくれればいい。

 付き合う前の一人で何でもしようとして冷たかった簪を知ってるからこそ、余計に素直に頼ってくれるのが嬉しい。自分の性癖じゃないが、頼られたり、信じてくれる人がいるといろいろ力が沸いてふつふつと「男としての幸せ」を感じる。

 嫌だったりしたらちゃんと言うし、頼りないかはちゃんと頼って甘えられる方がいい。それが許されるのが今の俺達なのだから。

 

 そんなことの思いを簪ちゃんと伝える。

 

「そう、だね……ごめんなさ……じゃなくて、ありがとう」

 

 引き合うように自然に俺達は優しいキスをする。

 

 それと簪に『お兄ちゃん』と呼ばれるのは悪くはないが、俺は簪の『お兄ちゃん』になりたい訳でもないし、なってもあげられない。

 

「どういうこと?」

 

 恋人だから、と言って照れくさくなったけど。

 

「ふふっ、そうだね。お兄ちゃん欲しかったけど、もういいかな。今は何よりも大切な恋人(あなた)がいるからね」

 

 簪は幸せそうに笑みを浮かべていた。

 そんな笑顔を見ていると、俺もまた幸せを感じて口元が緩むのが分かった。

 

 まあ、たまになら簪も『お兄ちゃん』と呼ばれるのは悪くなく、また満更でもないので捨てがたい。

 そんな風なことをぼやく様に漏らしてしまったようで。

 

「そうなんだ……ちなみに他に呼ばれたい呼び方ってある? お兄様とかにぃにぃとか兄様とか」

 

 兄様はヤバい感じがするのは気のせいだろう。

 他の『お兄ちゃん』の呼び方か……どれもおもしろそうでいいけど、やっぱりシンプル・イズ・ベスト。

 お兄ちゃんでお願いします。

 

「は~い、お兄ちゃんっ♪」

 




脳内で浮かんだ話を整理するためにこっそり投稿。
テーマはタイトル通り『付き合っている簪に突然お兄ちゃんと呼ばれたら?』
まあ、いつも通りの仲良しさんな二人ですが。
簪にお兄ちゃんと呼ばれたら、いろいろとヤバい感じがするのは確か。
簪の場合は実妹よりも義妹のほうが元から持っている妹属性が発揮される気がします。
まあ実際、簪‘みたい’な(←ここ重要)妹いたらめんどくさくて可愛い。

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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ドライデレな簪との一時

「二人ってさ付き合っているのに何だかドライなカップルだよね」

 

 そんなことを突然言われたのは放課後、学食のカフェテリアで簪と二人でお茶をしていた時のこと。

 言ってきたのは同じクラスの女子。仲はそこまでよくはないが見知った顔だ。

 突然のことにどういうことか分からず、俺と簪は顔を見合わせた。

 

「あっ、それ私も思った!」

 

 近くにいた女子までもがその言葉に賛同して、ますますどういうことかなのか分からなくなる。

 自分達で困惑していても仕方ないので、ほぼ無表情に近い簪が静かに聞いた。

 

「……どういうこと?」

 

「あ、更識さん、気を悪くしたのならごめんね。別に悪気があって言ったんじゃなくて、二人ってさ今みたいにいつも一緒にいるけど……何というか付き合ってるのにこう甘い雰囲気が少ないっていうかイチャイチャしてるの全然見ないなぁと思って」

 

 なんてことを言われ、周りにいる女子達がうんうんと頷いている。

 

 どうやら俺達は周りからドライだと見られているらしい。自分達がそうだなんて今、言われるまで考えたことなんてなかったし、簪との関係がドライってことは決してない。加えてドライなのをお互い自ら装っているつもりもない。自分達で言うのも恥ずかしいのは分かっているが、熱々なくらいだ。

 それに彼女達が言う甘い雰囲気やイチャイチャしているが一体どういうことを指して、そう言うのか分からないが俺達がドライなカップルに見えてそれが何か問題あるのだろうか?

 悪口……ってわけじゃないだろうし、そう言われても訳が分からないだけで嫌だとは思わない。

 別に誰かに対して自分たちが熱々なのを見せつけたいなんて考えはないし、そんなことはしてないつもりだ。俺も簪も今の付き合い方に不満があるなんてことは決してない。むしろ、今の付き合い方が一番性にあっているぐらいだ。

 だから余計にどうしてそんなことを聞かれたのか、ますます疑問でしかない。そう思っているのは俺だけじゃなく、簪もだったみたいで。

 

「……それが何か問題でもあるの?」

 

「えっ? えっと……問題はないんだけど、そんな二人見ないからもう少しぐらい二人がイチャイチャしてるの見てみたいなぁ……って思っただけで……」

 

「う、うん」

 

 静かに問いかける簪の雰囲気に圧されて彼女達はたじろいだ様子をする。

 

 そういうものなんだろうか。やっぱり、女子高でしかも年頃の女子。恋愛ごとに興味ある年頃で、俺と簪はIS学園で数少ないカップルだ。付き合っていることは自他共に認めていることだからこそ、話題になって彼女達にしたら興味がわいて他人の恋愛が気になるんだろう。

 例えるなら芸能人カップルがどんな付き合い方をしているのか気にするエンタメ的な感覚で。多分そんな感覚なはずだ。その気持ちが分からなくはないが、だからといってな。

 

「……別にドライなつもりはないし、イチャイチャなんてする必要ない」

 

 静かに簪は言った。

 

 俺も簪と同意見だ。人前で人目を気にせずイチャイチャなんてする必要ないし、しないからこそ傍から見てドライに見えたとしても今更変えるつもりはない。それは拒絶しているわけじゃない。外でそういうことは基本的にしないと、お互いの中である種の暗黙の了解となっているだけの話。暗黙の了解となってはいるが……そういう雰囲気になればするし、求められればちゃんと求め返す。本当にそれだけの話。

 

「か、更識さんはツンツンしてるというかクールだね。あっ、そうだ。彼氏さんとしてはどうなの? イチャイチャしないの?」

 

 矛先が今度は俺に向いてきた。

 俺も特にそこまでは……と答えておいた。

 

「本当、付き合ってるのにドライだね」

 

 そんなことを何度も言われてもな。ドライに見えるのがそんなに気になるものなのか。

 付き合ってるとは言え、IS学園はもちろん今の俺が置かれている状況で付き合っていることが少なからず公認されているのがありがたい話だ。よくある政治的圧力なんてものはないし、やっかみもほとんどない。

 だからといって、人前でも人目を気にせずってのはやっぱり気が引ける。やればこんなこと言われずに済むんだろうけど、やったらやったでそれをネタにからかわれたりするんだろうな……おそらく。

 それは嬉しい気がしなくはないが、やっぱり恥ずかしさから煩わしくも感じてしまういそうだ。

 

「何かもったいないな~……折角付き合ってるのに」

 

「そういう問題じゃないし……イチャイチャなんてしたくない」

 

「……は、はい」

 

  いつになくきつい口調で簪が言うと、たじろいだ様子で彼女達はそれ以上何も言わなかった。

  同じこと何度も言われて、流石の簪もいい加減しつこくなってきたみたいだ。機嫌悪くなってるのがよく分かる。が、だからって簪、凄むのはやめような。

 ともあれ、他人にどう思われようとも簪が言ったことが全てだとは思う。人前でイチャイチャする必要はやっぱり感じられないし、露骨にイチャイチャなんて人前でしたくない。恥ずかしいからな……。

 結局、恋愛の仕方や恋人との付き合い方は星の数あるだろうから気にしても仕方ない。

 

 

 

 

「さっきはごめんなさい」

 

 俺個人の自室のソファーにもたれながら、胡坐をかいている膝の上に向かい合うように座って抱きついてきている簪を抱きしめ、簪の髪を撫でている時、突然簪がそんなことを言い出した。

 さっき……そう言われてすぐにピンと来なかったが、今こうして夕食まで過ごすしている前のことを順を追って思い出していくとあることにつきあたった。

 ああ、さっきってカフェテリアでのことか……でも、謝られるようなことをされた覚えはない。何についてのごめんなさいなんだ?

 

「ほら、さっきイチャイチャしたくないとかする必要ないとか言っちゃって……あなたとしたくないわけじゃなくて! その……!」

 

 頬を赤く染め恥ずかしそうにモジモジとしている簪が可愛い。

 確かに「誰と」という主語がなかったから聞き方によっては誤解するかもしれないが心配しなくても、大丈夫だ。簪がどういう意図で言ったかぐらいは分かっている。

 そのことを簪の髪を梳きながら伝える。

 

「流石だね。よかった」

 

 安心したのか簪はほっと胸を撫で下ろして安堵に頬をほころばせる。

 

「でも、私達ってそんなにドライに見えるのかな?」

 

 気にしてたんだ。

 

「悪口じゃないと分かっていてもあれだけ散々言われたら嫌でも気になる。やっぱり、人前で見せつける様にキ、キス……とかしたほうがいいの、かな」

 

 その光景を想像して恥ずかしくなったのか、また頬を赤く染めて照れている簪。

 彼女達が言っていた甘い雰囲気やイヤャイチャってやっぱり、簪が今言ったようなことだったんだ。確かに人前ではそんなこと滅多にしないし、学園内ではもってのほか。しなさすぎて、言われたんだと今になって分かった。

 しかし、人前で見せつける様にキスか……あくまでそれは例えだが、これに近しいことをするのは嫌じゃないがやっぱり恥ずかしい。だから人前ではあんまりそんなことしたくないけど、簪が望むのならやぶさかでもない。

 

「ん、自分で言っといてアレだけど……やっぱり、私も人前じゃ恥ずかしいから人前ではしない。今のままがいい。付き合い方は人それぞれだからね」

 

 頷いて簪をぎゅっと抱きしめる。

 

 やっぱり、人前でそういうことをするのはお互いに恥ずかしい。

 恥ってほどじゃないが、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしくてお互いに出来ないから、他人に指摘されたからってするほどのことじゃない。あれだけ言われて急にやったらそれはそれで怖いだろうし、からかわれたりやっかみを言われるかもしれない。そうなったら、結局煩わしい。

 だから結局のところ、今のままが一番という結論にお互いたどり着くように戻る。

 

「それにあなたのキスしている顔とか出来れば他の人に見せたくない。表情だけじゃない。いいところも悪いところも。全部全部私だけのものに……私だけが見れて知っている特別なものにしていたい。独り占めしてたい。私だけのもの。感じる顔とか、もね」

 

 からかうように微笑み簪は言う。

 

 凄いことを言われたが嬉しい事には変わりない。俺も同じ思いだ。簪のたくさんの表情やいろいろな一面を自分だけものしたいと俺だって思う。それこそ、簪が言うようないいところも悪いところも。他の人には見せるのはもったいないと思うのはきっと独占欲みたいなものなんだろう。

 

「人前ではやっぱり、そういうことはしないけど……今みたいな二人っきりの時はその分たくさん愛し合おうね」

 

 そう言って簪は甘えるように対面の姿勢のまま抱きついてくる。それを俺は抱きしめる。

 

 今更、付き合い方を変える様な器用なことは俺も簪も出来ない。今のままが一番なのはお互いよく分かっていて、そこに不満はない。

 人前ではしない分、今みたいに二人っきりの時にたくさん恋人同士がするような甘いことをすればいいだけのこと。それなら人目なんて当たり前の如く気にしなくて済むから、時間が済む限りしたいことをしたいだけ出来る。

 

「あ……でも今回みたいなのはまだいいけど……ドライだって思われすぎてあなたにちょっかい出す子があらわれたら嫌だなあ」

 

 それは流石にないだろうなんて笑っていたが。

 

「甘い。甘々」

 

 諭すように言われてしまった。

 こう言われてしまった以上、普段よりも気をつけるしかない。前科がないわけではないことだし、簪に要らぬ心配はかけたくない。

 

「人前ではイチャイチャはしないけど……その代わりに」

 

 言いかけて、簪は唇を俺の首筋へと当てる。

 何をするつもりだろう……そう思っていると簪は首筋の同じところに何度もキスをする。

 

「んっ……ちゅっ……ふぅっ、ちゅっ……」

 

 いつもの触れるような優しいキスとは少し違い。首筋に軽く歯を押し当て首筋を吸うような、それでいて首筋を軽く噛むような感じのキス。首筋を吸ってから唇を離すときに軽く噛むキスを簪は何度も繰り返す。それはまるで印をつけるかのように。

 噛まれている感覚はあるが本当に軽いもので痛くはない。むしろ、くすぐったい。

 

「ん、ついた」

 

 俺の首筋を見ながら簪は満足げな声を漏らす。

 ついたのが何かなんて確認するまでもない。印……キスマークだ。首筋にあるのを確かに感じる。

 

「あなたが私のだって証、つけちゃった」

 

 頬を赤く染め、はにかみ笑いながら簪は言ったが自分で言ってまた恥ずかしくなってきたのか、消え入りそうな声。

 加えてばつが悪いのか、俺に顔を見られないように胸に顔を埋めて隠している。だけど、耳が真っ赤だ。

 その様子があまりにもおかしくて、何より愛おしかった。

 




今回のテーマは『二人っきりの時はベタベタなのが普段はツンケンしていて、そのことを二人っきりになったらツンケンしたことを謝ってきてデレデレする』
的なのです。このテーマはふろうものさんから提供していただきました。
ありがとうございます! 氏の作品もよければどうぞ!

簪を最初見たときはクーデレかなと思ったけど、何度も見てるとそんな感じしなかったのでこんな感じになりました。
人前ではドライだけど、二人っきりになるとデレデレ。ある意味ツンデレも含まれているかも。

1シーンだけでもその様子を思い浮かべていたただいて萌えたりしていただければ幸いです。
今回の簪が読んでて可愛く見えていたのなら更に幸いです。

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいるあなたかもしれません。

それでは~


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簪とあなたと楯無の一幕

「簪ちゃんと上手くいってるの?」

 

 放課後、楯無会長との自主訓練が終わり、休憩所で休んでいる時。タオルで汗を拭きながらISスーツに身を包んだ楯無会長が突然そんなことを言い出した。

 突然のことに訳が分からず、首をかしげてしまう。今に始まったことじゃないがこの人は突然何を言い出すんだろう。

 

「心配なのよ。簪ちゃんと弟君が上手くいっているかどうか」

 

 心配そうな表情を浮かべてそんなことを楯無会長は言う。

 楯無会長の言葉が本当に心配してのものなのか、はたまたいつものからかい半分なのか判断に困る。

 というか失礼な話、余計なお世話だ。楯無会長に心配されなくても簪とはとても上手くいっている。些細な喧嘩こそはたまにするが特にこれといって大喧嘩した憶えは最近ないし、二人揃って幸せだ。

 そうなのだが、どうして楯無会長はそんなことを聞いてくるのだろう? 

 そういえば前、クラスの子に……。

 

『――君と更識さんって付き合っているのに何だかドライなカップルだよね』

 

そんなことを心配した風に聞かれたことを思い出した。

その時もまた、突然言われたものだから訳が分からずどういことなのかと聞き返してみたら。

 

『いつも一緒にいるけど……何というか付き合ってるのにこう甘い雰囲気が少ないっていうかイチャイチャしてるの全然見ないなぁと思って』

 

 なんてことを言われたのを思い出す。

 楯無会長が心配していることはこういうことなんだろうかと聞いてみた。

 

「皆、貴方達カップルに思うことは一緒なのね。そうよ! そうなのよ! 簪ちゃんが幸せなのは分かっているのよ! でも、貴方達あまりにもドライだから心配になるっていうか……」

 

 やっぱり、聞くまでもなかったことだった。

 しかし、楯無会長にまでドライだと思われているのか。俺と楯無会長はそこまで交友が深いわけでもないし……簪と楯無会長の仲は兎も角、何だかんだで楯無会長は簪のことをよく見ている。

 だから、楯無会長がそういうのは相当のことなんだろうってことは分かる。だけど、今更付き合い方を変えるわけにもいかないし、はたしてそこまで心配になるほどのものなのか俺には分からない。

 仮に俺が楯無会長の立場だとして……俺達の立場に仮に一夏達を置き換えて考えても、そういうカップルなんだろうって思うだけで心配するほどのことじゃない気はする。

 

「分からないって顔してるわね、まったく。ラブラブなのは分かっているつもりだけど私はもっと簪ちゃんの幸せな顔が見たいのよ」

 

 拗ねたような口調で言われてしまった。

 まあ、そう言われたら言いたいことは分からなくはない。いくら幸せだと分かっていても、楯無会長にも俺達はドライなカップルに見えている。人前でイチャイチャだなんてしないし、何より外では簪表情硬いからな。無表情に近い。だから、余計に具体的なものが分かりにくいんだろう。

 それに簪は楯無会長との昔の因縁めいたものは解消して前よりかは仲はよくなりつつはあるけど、それでも全てが全ていきなりかわるものでもないから、簪から楯無会長に俺達の具体的な話しないだろうし。

 

「だから、これからはお姉ちゃんにちゃんと恋人同士らしい姿を見せなさい!」

 

 ビシっと指を尽きてまた無茶な言ってきた。

 一度、楯無会長にちゃんと説明しないといけないか、やっぱり。

 そう思い楯無会長にも人前ではそんなことはしたくない、しないという簪との約束に近いものがあるということを説明した。

 

「あら、そういうことなの。ふ~ん、変わってるわね。普通なら見せつけたいとか思いそうなものだけど」

 

 説明して楯無会長は一応納得したくれたみたいだ。

 変わっているだろうか……見せつけたいってのはそりゃ一般気に多いだけで、やっぱりそうしたいとは思わないし、それこそ付き合い方は人それぞれだと思う。

 

「それもそうね、変なこと言ってごめんなさい」

 

 謝られてしまい、謝るほどのことじゃと返す。

 

「それに簪ちゃんの性格よくよく考えたらしないわよね。あの子そういうの人前でそういうことするの恥ずかしがるだろうし」

 

 本当に何だかんだで簪のことを楯無会長はよく分かっている。

 常識や立場的な問題もあるが、恥ずかしいというのが一番の理由。

 恥ずかしい思いしてまでは流石に。

 

「簪ちゃんは分かったからいいけど、弟君はしたくないの?」

 

 は?と思わず聞き返してしまう。

 今さっき説明したばかりで分かってもらえたと思っていたけど、違うかったのか?

 というか、悪い予感がする。

 

「例えば……こんなこと、とか」

 

 言いながら、抱きつこうとしてくる。

 思わず俺は反射的に楯無会長を避けて、抱きつかれるのを回避する。

 すると、拗ねたように見つめてくる。

 

「もう~! 何で避けるのよ~!」

 

 何でも何もない。何でとはこっちの台詞だ。

 脈絡ないし、第一そんな格好……ISスーツのまま抱きつこうとするな。

 iSスーツじゃなければいいって話でもないけど、普通の服装よりもISスーツはいろいろと危ない。

 

「ふふんっ、お姉ちゃんの体意識しちゃった? 弟君はいけない子ね♪」

 

 からかう様な笑みを浮かべて、楯無会長は自分の腕で胸を隠すようぎゅっと抱きしめる。

 格好的には隠している格好だが、腕に隠している胸が強調されている。これはわざとやっているのは嫌でも分かる。

 だから俺は見ないように楯無会長から目線を反らす。

 

「今は私と弟君の二人っきりよ? 他に誰もいないし、誰の目も気にしなくてすむ」

 

 目をそらしたのがいけなかった。楯無会長がじりじりと歩みよってくる。俺はじりじりと後ろへ下がる。

 嫌な予感が悪寒に変わって止まない。

 楯無会長、恐いんですけど。

 

「怖いって失礼ね。それと楯無会長だなんて……他人行儀なのは寂しいわ。二人っきりの時はお姉ちゃんか刀奈って呼んでって言ったはずよ」

 

 楯無会長にじりじりと歩み寄られ、じりじりと後ろへ下がるしかない俺はいつしか背に壁が近づいてきているのが分かった。

 

 さっきまで割りと普通な話しをしていたはずなのに……どうしてこうなった。

 本当にこの人は一体何をしたいのか分からない。こんなことをされると楯無会長に対する苦手意識が強くなるばかりだ。

 正直、楯無会長のことはかなり苦手だ。簪と付き合っていることを認めてくれ、喜んで、手助けや後押しをしてくれたりや、俺のことを『弟君』と呼び、妹である簪と同じくらい弟として可愛がったくれたり。今みたいにISの自主訓練にも付き合ってくれたりといい人なのは分かっているが……何を考えてるのかまったく分からない。

 分からないし、考えが読めないから対応に困る。今だってそうだ。いつものようにからかっているだけなのか……はたまた、別の意図があってのことなのか分からない。

 別の意図があってもこんなことされても困るわけだが。

 

「私なら簪ちゃんが出来ないことをしてあげられるわよ? あなたが望むこと何でも」

 

 艶っぽい声でそう楯無会長は至近距離で言ってくる。

 近い。物凄く近い。吐息が若干かかっている。逃げようにも後ろは壁、左右には壁に手をついた楯無会長の両腕。逃げられない。

 本当どうしてこうなった。

 

『甘い。甘々』

 

 先日簪言われたことが頭を過ぎる。

 言われても仕方ない。警戒が今一つ甘かった。自主訓練終わったのなら、さっさと部屋に戻ればよかったと今更ながらに後悔する。

 しかし、どうやってこの状況を打破したものか。このままだと埒明かないし、早く簪に会いたい。

 

「ん? 首筋……」

 

 俺の首筋を見てそんなことを言う楯無会長。

 首筋? と思い楯無会長が見てる箇所に意識をやれば、そこは先日簪にキスマークをつけられた場所だった。

 あれから数日経っているのに、目につくほどまだ痕残ってるんだな……じゃなくて、さっさと抜け出さないと。

 

「へぇ~なるほどねぇ~」

 

 ニヤついた笑みを浮かべてる楯無会長。気づいた様子だ。

 まあ流石にこんなところに痕をつけていれば、簪がつけたキスマークだとバレてしまう。もっともバレてもかまわない。こんなところにキスマークがあるってことはつけた人が自分のだと主張するためのものだから。

 

「私もつけたあげよっか?」

 

 耳を疑った。何言ってるんだ、まったく。あまり手荒なことはしたくないが、仕方ない。

 ――悪いがお断りだ。そう言い腕を振り払って楯無会長と距離をとる。

 

「……」

 

 こんなことされると思っていなかったのか言葉を失ったように呆然としている。

 仕方ないとは言え、こんな反応されると少しばかり罪悪感を感じるが今は捨て置こう。

 こればっかりはおふざけが過ぎている。楯無会長のことだ。からかったら俺の反応が楽しくて度が過ぎたんだろうけど、こればっかりはこれ以上はいけない。

 ここから先のパーソナルスペースには簪しか許してないのだから。

 

 未だ呆然としている楯無会長を放っておくのは気が引けるが、今がチャンスと感じ、俺はお礼を言って休憩室を後にした。

 

 

 

 

「……それで遅くなったんだ」

 

 あの後、急いで着替えて簪の待つ俺の自室へと戻った。

 そして、休憩所であった楯無会長とのことを全て正直に話した。

 目の前にいる簪はそんな話をただ静かに聞いてくれだが、申し訳なさから正座して簪の反応を待つ。

 さっきの出来事は警戒の甘さが招いた事。ましてや彼女の姉が相手だ。他の人、友達とか以上にことが複雑になる。何より、簪に対して不貞を働いたみたいで罪悪感が増すばかりだ。

 

「ん、分かった。話してくれてありがとう」

 

 伏せていた顔を恐る恐る上げると目が合い、簪は笑った。

 

「もうっ、何で正座なんてしてるの」

 

 いや、あんなことあったわけで怒らせてしまったのやも。もしくは嫌な気分にさせてしまったんじゃないかと……

 

「へぇ~そんなこと考えてたんだ」

 

 静かな口調だが怒ったというよりかは拗ねたような感じの簪。

 どうやら俺は思い過ごしをしていたみたいだ。よかった。

 よかったんただけど……それでもやっぱり、あんなことがあった訳で、気にしないわけにもいかなくて。

 

「もう! あなたは気にしすぎ。私は別に怒ってもないし、嫌な気分にもなってない。気にしたりもしてない」

 

 気にしすぎな俺を元気付けてくれるように言ってくれる言葉がありがたかった。

 ずっと気にして重かった気が少し楽になったのを感じた。

 

「それに未遂で済んだんでしょう? ちゃんと自分から断ったって聞けて安心したし嬉しいよ。だから、大丈夫」

 

 優しい笑みを浮かべて簪は言った。

 

「ほら、来て」

 

 目の前で両手を広げている簪の胸へ倒れこむように抱きつく。

 簪は胸元にある俺の頭を抱くように抱きしめてくれて、頭を撫でてくれる。

 撫でてくれる柔らかな手。暖かな簪の体温、聞こえてくる簪の心臓の鼓動の音。聞いているとすごく安心できる感覚して、ずっと聞いていたい感じする。

 重たかった気がだんだんとほぐれていくのがよく分かる。心があったかくなる。

 

「ふふっ」

 

 小さな子供みたいな俺を簪は嬉しそうな笑い声を漏らしながら抱きしめ撫で続けてくれる。

 

「でも……お姉ちゃんには困ったな」

 

 確かに。

 あんな風にいつも人をくったような態度で人をからかった楽しんでいるけど、こんなことをまたされたら困ったものじゃない。どうしたものか。

 

「そうだね、こんなこと私だってされたくないし。うーん……私……一度お姉ちゃんと戦わないといけないね」

 

 濁点が思わずついてしまいそうなぐらいえっ?と聞き返した。

 戦うってまた物騒な。もしかしてISで戦う気じゃないんだろうなと聞けば、簪はあきれたように笑った。

 

「もう。馬鹿じゃないんだから私闘でISは使いません。もっと平和的な方法で、だよ」

 

 平和的な方法がどんなものなのか俺に検討が危ないものではなさそうだ。

 

「ISじゃまだお姉ちゃんには到底敵わないって分かってるし、ISだけが全てじゃないからね。もろちろん、あなたにも協力してもらうけどいいかな?」

 

 ああ、喜んでと簪を抱きしめる力をほんの少し強める。

 

「それにお姉ちゃんだからこそ、一度ちゃんと見せてあげないといけないのかもね」

 

 何をか何て聞くのは無粋だ。

 俺はただ静かに簪に抱きしめられる。

 

「人前でイチャついたりしてないせいで……あなたが満たされてないって、そんな風に見られているのは私が嫌だから」

 

 簪の瞳には確かな強い意思があるのが分かる。

 簪の言うこと……それは俺もそう思われてたら俺だって嫌だ。

 だから恥ずかしいのもやっぱりまだあるけど、一度ちゃんと目に見える形として示した方がいいのは確かだ。

 姉という近親者だからこそ楯無会長には余計に。

 

「お姉ちゃんだろうと誰だろうと何があっても私はあなたを絶対渡さないから」

 

簪は満面の笑みを浮かべながら、俺をそっと抱きしめた。

こんなかっこいいこと言われたら、男として立つ瀬がない。でも、嬉しい言葉。

簪にはかなわないなまったく……。

 




ととの。

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいるあなたかもしれません。

それでは~


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気になる簪ちゃんと妹の彼氏

簪と“あなた”が付き合い始めてちょっとぐらいのお話


「よし」

 

 目の前の鏡に向かって私は意気込む。

 鏡に映るのは、普段の私ではなく、妹である簪ちゃんの姿をした私。

 変装なんて生易しいものではない。顔は似たもの姉妹だと昔から評判で自分でも私と妹の簪ちゃんとよく似ていると思うから、メイクでちょっと簪ちゃんに似せるだけで簪ちゃんそっくり。

 髪型や声、口調やしぐさ。何を取っても、何処からどう見ても今の私は簪ちゃんそのもの。誰も私だとは思わない。見抜けない。友人や虚や本音、実の父親はもちろん、もしかする当の本人である簪ちゃんですら分からないかもしれない。それほどまでの完成度。

 まあ……正直なところ自分でも何やってるんだろうとは思わなくはない。

 でも、これは当主楯無として、何より姉として必要なこと。だから、間違った行動ではない断じてない。

 そう私は、自分の中で結論付けて自室を後にする。

 

「……」

 

 簪ちゃんの姿をした私がこれから向かうは、簪ちゃんの彼氏の自室。

 私の情報網によると彼は今、自室で一人っきり。簪ちゃんは別のことしているらしく、目的を果たすのにうってつけ。

 目的とは、彼が簪ちゃんに相応しい男かどうか確かめること。これもまた当主楯無として、何より姉として必要なこと。言うならば、そう使命。生徒会長として当主として姉としての使命なのだ。

 それに妹に彼氏が出来たなんて気になるじゃない。いや、男性として好きだからとかでは決してなくて、純粋に簪ちゃんが心配だから気になる。私達が生活するIS学園で男女のカップルが誕生するなんてありえないことだし。ましてや、あの簪ちゃんが男性と男女交際するだなんてありえない。ただでさえ、引っ込み思案な子なのに。まあだからって、二人を別れさすなんて無粋なことはしない。本当にただ確かめるだけ。

 

 簪ちゃんと彼は、つい最近付き合い始めた。

 虚と本音じゃなくて私の情報網によると、二人が出会ったのは五月頃。そこからISを通じて交流し、夏休みであった八月頃に交際をスタート。だから、夏休み本家に帰ってこなかったのね。専用機の完成のついでに彼氏を手に入れるだなんて我が妹ながらよくやるわ。

 というか、私が家の仕事や国家代表としての仕事とかを済ませる為学園を離れているうちにひっそり交際するだなんて……簪ちゃんにあまりよく思われてないのは分かっているけど、交際をしただなんて一言も簪ちゃん達からは私から聞くまで一切教えてもらえなかった。そんな素振り見せなかったから余計に気になってしまう。

 

 簪ちゃんの彼氏である彼。

 一夏君の次に発見されたISの男性操縦者。男性でありながらISを扱える点以外、特特質すべきところがない男性。勉強は平均以上には出来るみたいだけど、肝心のISの操作技術についてはとても平凡。一夏君のように目に見えて成長するわけでもなければ、特にこれといった潜在的才能が秘められている様子もない。同じ男性である一夏君と比べると彼は凄い地味。それはIS操縦者としては勿論、人としても。一夏君を太陽とするのなら、彼は太陽があってこそ存在できる暗い影の様。だから、私が気にかけるほどの男性ではない、はず。

 でも、彼がいたから簪ちゃんの専用機、打鉄弐式は完成した。もっとも彼ではなく、他の人が協力していても完成はしただろうけど。彼がいなければ打鉄弐式のお披露目として私の簪ちゃんが試合することもなかったはず。

 あの試合内容に不満は今でもない。姉として、先輩操縦者として簪ちゃんの成長や努力がよく分かる一試合だった。結果としては私の勝利だったけど、あの試合は私にしてみれば、試合に勝って勝負に負けたようなもの。

 それに、簪ちゃんの試合の簪ちゃんはとても感情的だったのは今でも鮮明に覚えている。それは暴走的な意味のものではなく、一つ一つの攻撃に簪ちゃんの強い感情が篭っているのを感じて、それは私が知らなかった、知ることのできなかった簪ちゃんの秘められた感情だった。

 私のほうが姉として家族としてずっと簪ちゃんと一緒にいたはずなのに。私ではなく彼のほうがあんな簪ちゃんの一面引き出せると思うと、取るに足らない男性だと思っていても恥ずかしながら、あの時のことを思い出すと苛立ちにも似た何かが再燃するのが分かる。 

 何だか悔しくて今でもあの時のことが忘れられない。

 

 悔しいといえば、私は簪ちゃんの専用機開発に結局最後まで何も手を貸すことができなかった。

 簪ちゃんによく思われてないことは分かっていたから、一夏君にでも頼んで開発を手伝ってもらって、一夏君経由で私も稼動データをひそかに送って、陰ながら協力しようと思っていた。裏から手を回すみたいでアレだけど、これが私のが出来る精一杯のこと。でも、出来なかった。

 私が気づいた時には、もう簪ちゃん達は自分達でやり始めていて、手出しする隙もありゃしない。

 彼経由で稼動データの提供も試みたけど、彼に断られてしまった。協力したしたければ直接簪ちゃんに言えばいいだなんてよく言ってくれるわ。そんなこと出来たら、私は彼になんて頼らない。それが分かってて言ってるぽいところが、ムカつく。

 

「……ッ」

 

 ハッと私は、我に返る。

 いけない、いけない。彼のことを思うとイラついたのは認めるしかない事実だけど、こんな感情的なのは私じゃない、楯無()らしくない。楯無たる者、常に冷静に、余裕を持て。よし。

 今からは目的を果たす大事な時。取り乱したりなんかできない。そう私は気持ちを一新して、彼の部屋、その扉の前に立つ。

 

「お邪魔しまーす」

 

 そう小声で言いながら、あらかじめ用意していた彼の部屋のルームキーカードを使って扉を開け、中へと入る。

 部屋の中は思ったよりも静かだった。人の気配は感じるが、賑やかさは感じない。奥で勉強でもしているのかしら。何にせよ、今のうちから気づかれたら台無しなので気配を殺し、奥へと進む。

 すると、部屋の主である彼は、ベットの上でお昼寝していた。

 

「はぁ~……」

 

 呆れて思わず溜息が出る。

 簪ちゃんほっといてこんな時間から昼寝だなんていいご身分だこと。

 安眠しているのか私の気配に気づく様子も起きる気配もない。でも、私にとって好都合なのは確か。再び気配を押し殺しながら、寝ている彼のベットへと近づく。

 

「よいしょっ、とっ」

 

 そのままベットへと上がり、彼に馬乗りになる。

 すると一瞬、むっと苦しそうな表情をしていたが、すぐに元の表情に戻る。

 これでも起きる様子はない。どんだけぐっすり眠っているのかしら。本当、呆れちゃうわ。

 だけど、これでじっくり彼を観察できる。

 

「……」

 

 不細工ってほどではないではないけど、美形ってほどでもない。有り体に言えば、整った顔立ち。まあ、顔は悪くはないと思う。

 それによくよく考えれば、寝顔ではあるけれど、こうして真面真面と彼の顔を見るのは初めてかもしれない。私、彼に嫌われていて何だか避けられてるぽいから。

 ぽいと私が勝手に思っているだけで、簪ちゃんほど露骨に避けられているわけでもなければ、失礼な態度取られているわけでもない。むしろ、彼は一夏君以上に礼儀正しい。嫌われていると感じるのは多分、簪ちゃんと一緒にいるから必然的に避けることになっているだけだと思いたい。

 もっとも礼儀いい態度取って体よくあしらわれている気もしなくはない。そう思うと邪険に扱われている気がしてきた。何だかムカつくわね。

 自分で言うのは気色が悪いけど、私は今までそんな風に扱われたことなかったし、それどころか周りの人間に愛されて大切にされてきたという自覚すらある。

 だから、余計に彼のことが気になってしまうのかもしれない。そこに他意はないけど。

 

 でも、本当に簪ちゃんが彼と付き合うなんてね。

 正直、妹に先に越された気がしなくはないし、羨ましいと思わないなんてことも言えない。羨ましいものは羨ましい。こんなこと絶対に口には出せないけど。

 これまた自分で言うのも気色悪いけど、私は何でも持っている。地位も容姿も力も何もかも。欲しいものは何だって自分の力で成し遂げてきた。

 何でも持っているけど、全部持っているわけじゃない。ない物だってある。特に大きいのが自由。刀奈()は楯無。家に全てを捧げ、家の発展の為に生きる。それが楯無という名を持つ者の生き方。楯無を望んで襲名したけど、その代わり多くのものを失った。今までの刀奈()、そして自由。

 私は、簪ちゃんの様に自由恋愛できない。簪ちゃんの場合は相手が彼だったから運よかっただけだけど、私は簪ちゃんの様にはいかない。家の為、家の輝かしい発展の為、好きでもない男性と結婚する未来が強い。自由恋愛なんて夢のまた夢。だから、羨ましいと思う。

 

「……欲しい」

 

 そう、羨ましいから欲しいと今感じている。

 生まれて初めて簪ちゃんにあって、私にはない明確なものが出来てしまった。

 こんなこと考えるだなんて私らしくないとは分かっている。簪ちゃんが交際していることは姉として嬉しい。交際によって簪ちゃんは変わっていっている。そのことも喜ばしいこと。でも、素直に喜びきれない。寂しいやら悔しいやら何とも言えない複雑な気分だわ。

 

 私は問いかける。

 そんなに邪険に扱わないで。ねぇ、どうしたら、あなたは私を見てくれるのかしら。

 ――私を見て。そう思うのは楯無()、それとも刀奈()か。

 

「……ッ!?」

 

 ふと、彼の小さな寝声が聞こえ、ビクッと驚いてしまった。

 起きては……ない。私はほっと胸を撫で下ろす。まったく、ビックリさせてくれちゃって。

 でもおかげで我に返れた。私、とんでもないことを考えていた。

 まったくらしくない。忘れよう。

 

 とりあえず今は、私がすべきことをしよう。

 このまま寝られっぱなしじゃ、事態は進展しないからとりあえず起す。

 今の私は誰が見たって簪ちゃんにしか見えない。それが馬乗りして、目の前にいるんだものきっと驚くはず。加えて、彼は寝起きだから絶対簪ちゃんと見間違えるはず。

 彼の驚いた顔が目に浮かぶわ。それでも見抜けるものなら見抜いてみなさい。見抜けたらあなたの負けだけど。そうワクワクしてくるのを教えながら、簪ちゃんっぽく彼を起す。

 

「ねぇ……起きて……」

 

 あれだけぐっすり寝ていたから、一度や二度体をゆするだけじゃ起きない。

 だけど、寝起きはいいみたいで何度かそうしていると彼は眠そうにしながらも、ゆっくり目を開けた。

 さあ、これで。

 

「――」

 

 彼の言葉を聞いて、私は言葉を失った。

 彼は確かに寝起きで完全に意識が覚醒しているわけではなさそうだけど、確かに呼んだ。簪ちゃんの名前ではなく、私の名前を。

 寝起きの声。言い間違いかと一瞬思ったが、そうじゃない。確かに彼は、私だと分かって名前を呼んだ。

 絶対に見間違えると高をくくったのに いとも簡単に見抜かれてしまった。それはそれで嬉しいような……でも、それ以上に私は今の自分のことが酷く滑稽に思えた。

 何やってるんだろう、私は……。

 そう私があっけに取られているうちに、彼は完全に目が覚めたようで周りと私を交互に見て、状況を冷静に確認していた。対する私は、完全に我に返ってしまい、その反動のようにあっけに取られたまま。

 すると彼は訝しげな目を向けながら、何しているんだと聞いてきた。

 

「そ、それは……ほ、ほら、うん。あ、おはよう、弟君」

 

 いつも彼を呼ぶ呼び方で呼んだ後に今の自分の格好を思い出した。この格好で弟君って呼んだら、意味ないじゃん。

 冷静に努めようとしたけどすればするほど、どんどんボロが出てしまいそうになる。

 何だか情けなくて、無性に恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 というか、慌てる私とは対照的に冷静な彼。これって普通、逆じゃないの。

 

「えっ? あ……うん、ごめんなさい」

 

 とりあえず退くように言われ、私は彼から退き、ベットからおりる。

 このままだと根掘り葉掘りいろいろと聞かれそうな気がひしひしとする。

 ここは戦略的撤退あるのみ。これは決して敗走ではない。仕切りなおしあるのみ。

 そう私はすぐさま判断しこの場、彼の部屋を後にしようとした。

 

「きゃっ!?」

 

 でも、出来なかった。

 思っていた以上に内心取り乱していたようで、足がもつれて倒れてしまった。

 しかも運悪く彼の方へ。何たる不覚。

 

「っ……ごめんなさい」

 

 格好としては私が彼を押し倒すような感じ。逆ならまだしも、これではあまりにも不恰好。

 視界が安定してくると、すぐ目の前に彼の顔があった。

 押し倒したのだから当たり前かもしれないけど、思った以上に近い。

 

「何、してるの……?」

 

 聞きなれた声。

 ハッと我にかえり、声が下した方向を振り向くとそこには簪ちゃんがいた。

 本当に運が悪い。何でこのタイミングで簪ちゃんが来るのかしら。私は何か罰が当たったのかもしれない。

 

「え? 私……?」

 

 信じられないものを見ているかのような簪ちゃん。

 一瞬どうしてかと思ったけど、そうか……今の私は簪ちゃんそのもの。驚いても無理はない。やっぱり、本人である簪ちゃんは私だとは思ってないみたい。だったら、何故彼は気づけたんだろう。

 簪ちゃんが困惑していると彼がこれは私だと教えた。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 何であっさりバラすのよ!

 こうなった以上、いずれバレるのは確実だけど、だからって言わなくてもいいじゃない。

 心底あきれ果てたような簪ちゃんの冷たい視線が今までで一番痛い。

 

「本当、何してるの。というか……早く彼から離れて」

 

「うっ……」

 

 言い訳も何も出来ないので大人しく彼から退き離れる。

 もう戦略的撤退も出来そうにない。進退窮まれり。

 そして、彼から何してたのか、どうしたこんなことをしていたのかと改めて問い詰められる。

 

「そ、それはほ、ほら、うん。そう! 簪ちゃんが心配で確かめに来たのよ!」

 

「心配? 確かめに?」

 

 不思議そうに簪ちゃんは、首をかしげる。

 嘘は言ってない。というか、これが今回の行動理由、のはず。多分。

 

「だって、簪ちゃんが彼と交際するって聞いたらいても立っていられなくて!」

 

「……そう。でも、余計なお世話。そんな格好までして……」

 

「っ……分かっているわ。でもね、弟君が簪ちゃんに釣りあうかどうか確かめたくて……私はお姉ちゃんとして本当に簪ちゃんが心配で!」

 

 これも嘘じゃない。

 心配だから私は今こうしているのだ。ただそれだけでしかないのに……。

 

「いい加減にして! なんでお姉ちゃんはいつもそうなの!」

 

 部屋に響く簪ちゃんの大きな怒鳴り声。

 見てみれば、私を睨みつけ怒っていた。簪ちゃんのこんな大声を聞くのも始めてだけど、こんな風に怒鳴られるのも初めて。その様子に私は思わず、ビクッとなる。

 

「都合がいい時だけお姉ちゃんぶらないで! 釣りあうとかそういうことじゃないの! 私は彼が好きだから付き合ってるの! 今更お姉ちゃんに心配される筋合いはない! だからもう、余計なことして邪魔しないで!」

 

 簪ちゃんのありったけの想いをぶつけられる。そんな想いを私は、受け止めてしまった。

 こんな感情的な簪ちゃんなんて私は知らない。今まで知ることができなかった。あの時……あの試合を嫌でも思い出させられる。胸の奥が嫌な締め付けられ方をして気持ち悪い。

 今みたいに簪ちゃんのありったけの想いをぶつけられるとショックなのか、私は頭の中が白くなる。何か弁解したい、言い返したい気持ちは確かにあるのに頭の中が言葉が浮かんでは消え、言葉が上手く口に出来ない。

 

「だって……私は簪ちゃんが……」

 

 ようやく口に出来た言葉がこれだ。

 これじゃあまるで、駄々をこねる幼い子供のよう。

 こんなの楯無()じゃない、私らしくない。こんなの望んでない。こんなことなるなんて思ってなかった。

 どうしたらいいのか分からず、感情的な簪ちゃんの姿を見て呆然としていると、彼は簪ちゃんを宥めるように抱きしめ、私に一言すまないと謝り帰ることを進めてくれた。

 

「……そう、ね」

 

 そう言うので私は今精一杯。

 私は大人しく彼の部屋を後にすることにした。

 去り際、簪ちゃんに一言謝りたかったけど、そんなこと言えばますます傷つけてしまうことは今の私にでもよく分かった。

 悔しさと情けなさが入り混じった思いで胸が一杯になる。

 

 本当、何やっているんだろう、私は……。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と楯無会長はお互いを思いあっている

 楯無会長が去った後、部屋に残された俺と簪。

 今更だけど、毎度のことながら嵐の様な人だった。短時間のうちにいろいろとありすぎて、状況整理にすぐには頭が追いつかない。何だかドッと疲れた気分。

 それは簪も同じなようで、加えて楯無会長がいなくなったことで気が抜けたのか、簪は泣き出してしまっていた。

 

「……ひっく……ぐすっ」

 

 立ったままも何なのでベットに腰掛け、簪を膝の上に乗せて背中をポンポンと撫でながら慰める。

 やっぱり、簪にしたら楯無会長の行動、そして何よりあの言葉はよっぽどショックだった様子。簪があんな大声出すぐらいだからなぁ……。今まで聴いたことがないくらいの大声で、思わず俺も驚いてしまった。

 

「なんでお姉ちゃんはいつもいつも……ひどい。ひどいことばかり……言う……っ」

 

 泣きながら涙声で言う簪。

 未だに簪の怒りは収まってない。まあ、普段姉らしいことしないのにあんないかにもなこと言われ、あんなことされれば、簪が怒って恨み言言うのはもっともだ。

 それに簪は、普段嫌なことがあって外に出さずに内に溜め込んでしまいがちだから、今みたいに吐き出せるものは早いうちに吐き出してしまった方がいい。俺でよければ、愚痴はいくらでも聞くから。

 そんな言葉をかけながら慰めること数分。落ち着いたのか、ようやく簪は泣き止んだ。

 

「もう大丈夫。ごめんなさい……迷惑かけて」

 

 まだ少しだけ目と鼻先を赤くしながら、簪は申し訳なさそうに言う。

 迷惑だなんてとんでもない。これはある意味、仕方のないこと。だから、あまり気にしなくても大丈夫だ。

 

「うん。本当……お姉ちゃん、何考えてるんだろうね」

 

 それは俺に聞かれても困る。

 初めて出会った頃から楯無会長は何考えてるのかよく分からない人。妹の簪でさえ分かってないんだ。赤の他人である俺に分かるわけがない。もっとも、何も考えてないってことはないはず。ただやっぱり、考える方向性はおかしい気はする。あんなことするぐらいだからなぁ。

 

「あー……アレね。部屋に入って見た時、流石に驚いた。自分がいるんだもん」

 

 そう言う簪は呆れ顔だった。

 それもそうか。簪に扮した楯無会長の変装、と言っていいのか分からないけど、アレの完成度は凄まじいほど高かった。流石はIS学園最強の生徒会長とでも言えばいいのか。やることの方向性も違えば、スケールも無駄に大きい。

 

「そう言う割りには、全然驚いてないどころか……凄い冷静だった。もしかすると最初から分かってたの?」

 

 まあな、と頷く。

 起きて目を開けたら、何故か簪の姿した楯無会長がいて驚いたことには驚いた。だが、驚きすぎて驚くの通り越して冷静になってしまったってのはある。人間、驚きすぎると変に冷静になることを身をもって体験した。

 それに第一、簪があんな雑な起こし方するわけがない。ということは、目の前の人は簪ではなくほかの誰か。ドッペルゲンガーなんてオカルトチックなことは現実でまずありえないし、そうなると誰かが変装とかしているのかもしれないという考えにたどり着く。そうであれば、そんなこと出来るのは知る中で楯無会長一人しかいない。

 幸い、その考えは楯無会長がすぐボロ出してくれたおかげですぐに正解だと分かった。

 

「……ん、そう。間違わなくて、よかった……」

 

 安心したような嬉しそうな笑みを浮かべながら、簪はぴとっと体をひっつけて預けてくる。

 安心したのは俺だって同じこと。疑われたり、怒られたりしなくてよかった。

 

「怒る? 疑う? 何、を?」

 

 分からないと簪は不思議そうに首をかしげる。

 こけた楯無会長に不可抗力で押し倒されたとは言え、部屋に入ってきた簪に最初見られたのがあんな姿だったんだ。理由はどうあれ、普通男のほうが疑われたり、怒られたりしてもおかしくなかった。

 すると、膝の上にいる簪は呆れように優しく笑った笑みをこちらに向けていた。

 

「ないない。あんなことで疑ったり怒ったりしない。それにすぐお姉ちゃんだって教えてくれたでしょう? そしたらいろいろと納得いったから大丈夫。心配するのは分かるし、こういうこと一々口に出したくないんだけど……私はあなたを信じてるからあんな多少のことで気に病んだりしない。だからそう考えるのは仕方ないことだけど……そんな風に思われただなんてちょっぴり悲しい」

 

 そんな悲しい表情をされたら、心が痛むからやめて欲しい。

 簪が言っていることはもっともで、余計な言葉だった。やっぱり、こういうのは勝手に一人で心配するだけ損というもの。

 それに簪に信じてもらっているんだ。簪の信頼に報いたい。もう二度とこんなことがないようにしなければ。

 でもあの時、万が一にでも簪と楯無会長を間違えていたらどうなっていたことやら。

 

「ん? それはもちろん……ね。ふふっ」

 

 わざっとらしく悪い笑みを浮かべて微笑む簪が怖い。

 冗談に冗談で返してくれているのは分かるけど、全部が全部冗談なのか怪しい。何が勿論なのか気になりはするが、これは詳しく聞かない方がよさそうだ。というか、何だか恐くて聞きづらい。

 それよりも大事なことはこれからどうするかということを考えなければならない。

 

「どうするって……何を?」

 

 例えば楯無会長との話し合いだ。

 簪が心配だったから、何か言いたそうにしていたけどあの時楯無会長を帰らせた。

 だけど帰り際の楯無会長が今にも泣き出しそうな顔をしていたのが、頭の片隅にあってこのまま放っておくわけにもいかない。

 もっと言えば、話し合いをして仲直りしなければいけない。いがみ合っている喧嘩をしたわけじゃないけど、このままじゃいがみ合いの喧嘩になりかねない。それにこういうのは時間が経てば経つほど、目には見えない溝みたいなものが出来て、お互い今以上に歩み寄れなくなる。

 簪にもこのままじゃダメだってことは分かっているはずだ。

 

「でも……」

 

 暗い顔をして簪は、言い淀む。

 今すぐにさっきのことを許して簡単に仲直りはではない。あんなことを言われたんだ簪が躊躇って当然。それは多分、楯無会長だって同じはず。

 だったら、まずは折り合いを一つずつつけていくってのもありかもしれない。

 

「折り合い……」

 

 全部を全部許せなんてことは言えない。俺だって少しは今回の楯無会長の行動に思うところはあるから。

 でも少しでも許せるところは許して歩み寄り、許せないところは話し合って歩み寄って、ゆっくりでも少しずつ仲直りしていく。そうやって折り合いをつけていくのもアリなんじゃないかって俺は思う。

 

 楯無会長は何もおもしろ半分、嫌味だけであんなこと言ったわけじゃない。

 言い方は気持ちのいいものじゃなかったけど、楯無会長が簪のことを本当に心配している思いはまぎれもなく本物。ただ少し不器用なだけ。

 

「それは……ちゃんと、分かってる。落ち着いた今なら、お姉ちゃんは本当に私のこと思ってくれてたんだって分かる」

 

 なら大丈夫。

 それに楯無会長が言ったことから考えるのに、知らないうちに俺達は楯無会長には必要以上に心配をかけすぎてしまった。だから、今一度話し合いをして安心させてあげたい。

 だから、そういったいろいろいな面も含めて話し合いしたいと考えているんだけど、簪はどうなんだろうか。

 

「うん……そうしよう。やっぱり、まだお姉ちゃんがしたことも言った事も許せない。でも、このままお姉ちゃんといたんじゃ……昔のままと変わらない。だから、私少し頑張ってみる」

 

 簪はそう言いながら、小さく意気込んでいた。

 話し合いをして仲直りするのが一番大事な目的だけど、もう一つ出来れば果たしたい目的がある。

 

「何かあるの?」

 

 話し合いで出来れば楯無会長に簪との仲を、交際を認めてもらいたい。

 認められてないわけじゃなさそうだけど、認められてるわけでもない。凄い曖昧な状態。だから、この際はっきりと認めてもらいたい。

 楯無会長は簪の実の家族であり実の姉。そうした人に認めてもらえれば、心強いし、何より嬉しい。認められないよりかは認められたほうがいいに決まってる。これは絶対。

 それと打算的なことも言ってしまえば、楯無会長は生徒会長で国家代表。そうした人に認めてもらえれば、今後も簪と交際していく上でプラスになるし、強力な後ろ立てといった味方になってくれる可能性は高くなる。敵みたいなものに回せば、楯無会長は厄介この上ない人な訳だし。認められなければ未来は暗いものになりうるけど、認められれば少しは明るい未来になるはずだ。未来は明るい方がいい。

 そういった二つの意味合いもあるにはあるから、話し合いで出来れば簪との仲や交際を認めてもらえたら嬉しい。あんなことがあった後だから、そう簡単には認めてもらえないとは思うけど、そこは頑張るし、誠意の見せ所だ。

 

「そう……だったら、尚更頑張らないと」

 

 そうだな。

 

「でも、あなたって相変わらずだね。いろいろと考えているし……何より、先々のことまでちゃんと考えている。凄いよ」

 

 まあ考え無しに行動するよりもちゃんとした考えがあって行動するべきだと思うからな。

 今はゆっくり考えられる時だから尚更、考えられるうちに考えておきたい。

 だけど、いろんな事態を想定するって大事だと思うんだが、なんか女々しい奴、見たいに思われるのも嫌だから、あんまり言いたくはないけど。

 

「女々しいだなんて、大丈夫。そんなことないよ。ちゃんと私のこと考えてくれているのはいつもしっかり分かっているから」

 

 それはありがたい限りだ。

 簪と遊びで付き合っているのなら、そんなあるかも分からない先々のことを考えるよりも今のほうを楽しむべきなんだろうけど、遊びで付き合っているわけじゃない。立場上、軽い気持ちで交際なんて出来ないし、するつもりは毛頭ない。何よりこの先、何十年も簪とずっと一緒にいたい。それこそ極端な言い方すれば、一緒の墓に一緒に入るまでそれなりにはちゃんと考えている。

 

「い、一緒のお墓って……っ!?」

 

 頬を赤く染め簪は驚いていた。

 突拍子なく。あまりにも極端すぎた。だけど、そういう気持ちは本物だ。

 本当、気が早すぎるとは思う。すまない。

 

「謝らないで。ちょっと驚いただけだから……それにね、私も実は少しそんなこと考えは、ある。だから、心配しなくてもいいよ。嬉しい……すごく。私もずっと早く一緒になりたい。そして……ずっと一緒にいたい」

 

 嬉しそうに簪は、はにかみながら言った。

 とんでもないこと。その言葉に気恥ずかしさみたいなものを感じて、それが簪にも伝わったのか、お互い顔を赤くして黙りあってしまった。

 何だこれ……このままだと話が進まないので、とりあえずと言って場を仕切りなおす。

 

 とりあえず、考えはまとまって、やることも決まった。ならば、行動を起さなければならない。でも、問題があった。どうやって、楯無会長と話し合いするかだ。今日の今でいきなり話し合いするってのも急ぎる。それにまず話し合いに応じてくれるかは不透明で、話し合いに来てもらうためには声かけないといけないけど、声かけづらい。楯無会長の連絡先なんて持ってないから、携帯でやり取りも出来ないわけだし。

 

「話し合いはしたいけど……私も自分からは話し合いしたいだなんてお姉ちゃんに言えない。ごめんなさい」

 

 仕方ないのことだ。あんなことあった後なのだから。

 しかし、場所と日は改めなければならないのは確かで、自分達で出来ないとなれば、第三者を頼る他ない。けれど、自分達と楯無会長と共通してる人となると思い当たる人は限られてくる。二年生の知人なんていないし、ましてや楯無会長の交友関係なんて知るわけがない。

 となると、一夏か本音あたりになるけども……。

 

「本音はダメ。あの子に頼むと返ってややこしくなるから」

 

 それは一夏も同じだ。

 というか、こんなこと男の一夏に頼めるわけがない。喧嘩しただなんて周りにもれて知られるのは嫌だから、なるべく穏便に済ませたい。二人がダメならどうするべきか……。

 

「虚に頼むのはどうかな? 三年生の布仏虚。私の家、更識に大体仕えてくれている家の人間で本音のお姉ちゃんでお姉ちゃんの従者。虚なら頼りになるし、一応身内ってことになるから連絡先も知っている」

 

 布仏先輩……確か楯無会長の傍に控えるようにいた人だったけか。何となく顔は思い出せる。

 そこまでちゃんと話したことはないけど、三年生らしくしっかり物の年上お姉ちゃんって印象を感じたのは覚えている。その人になら、気兼ねなく頼めるだろう。

 

「うん……任せて」

 

 考えがまとまって、やることとその具体的な案も用意できた。

 後は行動あるのみ。望んだ結果が得られるよう頑張らねばならない。

 

 

 

 

 翌日の放課後。

 簪に布仏先輩へ連絡を取ってもらい、直接会ってもらえることとなった。待ち合わせ場所は俺の部屋。既に簪と部屋で待っており、後は布仏先輩が来るのみ。

 携帯でのやり取りで済ませられる話だが、こういったことは面と向かってのほうがいい。それに本当なら談話室とかで話をするべきなんだろうが、ああいった場所は公共の場。他に利用する人も当然いるわけで、自分達だけで独占するわけにもいかない。隠し通すほどの話でもないが、知らない人たちに聞かれて気持ちのいい話ではない。万が一話が外に漏れて騒ぎになるようなことも避けれる為、こういう運びになった。

 

 部屋の扉がノックされる。どうやら来たらしい。

 扉を開け、出迎えに行く。

 

「こんにちは。遅れてすみません。布仏虚です」

 

 扉を開けた向こう側には眼鏡をかけた三年生の布仏先輩がいた。

 この人が布仏先輩。落ち着いた雰囲気の知的で綺麗な人だ。姉妹だからある意味当然かもしれないけど、何処となく本音に似ている。

 玄関先で立ち話のままというのは申し訳ないので挨拶をして、奥へと入ってもらう。

 

「ご丁寧にどうも。失礼しますね」

 

 中に案内すると布仏先輩は簪とも挨拶していて、とりあえず適当なところに腰を下ろしてもらった。

 

「それでお話というのは?」

 

「そっと……それは……」

 

 簪と一緒に今日来てもらった理由、昨日の出来事、これからどうしたいのかその具体的な案を説明した。

 話している最中、何か納得いのいくところがあってのかそういう頷き方をしながら、布仏先輩は黙って聞いてくれた。

 

「話は分かりました。楯無お嬢様と仲を取り持つないし話し合いに応じるようお嬢様を説得して欲しいと言う事ですね。分かりました」

 

「虚……協力、してくれるの……?」

 

「はい、もちろん。こんなこと他に本音などには出来ないことですから。私で簪お嬢様方のお力になれるのであれば喜んで」

 

「よかった。ありがとう、虚」

 

 安心したようで簪は、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 話が早くて助かる。

 

「ですが、それで昨日から楯無お嬢様は元気がなかったのですね」

 

 やっぱり、楯無会長は元気なかったのか。

 簪の言葉にかなりショック受けていたのは間違いなかったわけだし。

 

「私としてはこれぐらい大人しい方が助かりますけどね。自業自得ですし、あんなことするぐらいなら」

 

 あんなこととは多分、楯無会長の変装のこと言っているんだろう。

 まあ、布仏先輩の言う通り、あんなことするぐらいなら大人しい方がいいのは確かだけど、自業自得って布仏先輩は結構ズバズバ言う人なんだな。

 楯無会長の従者って言うぐらいだから、もっとこう主人である楯無会長をたてるものばかりだと思っていたけど。

 

「ただべた褒めして従順なだけでは従者は務まりませんから」

 

 と布仏先輩は優しげな笑みを浮かべながら言った。

 そのどこか黒さみたいなものを感じる綺麗な笑みだった。

 

「もっとも、流石に今回のことはかなり身に染みて反省していると思いますよ。ですので、情状酌量といいますか、双方にとって良い落としどころを得られることを願っています。楯無お嬢様は決して、悪い人ではないですから」

 

「うん……それは分かってる。……頑張る」

 

 

 

 

 そしてまた後日の放課後。

 ようやく迎えることが出来た楯無会長との話し合い。場所は再び俺の自室。

 布仏先輩に頼んでもことがことなだけに多少なりと手間取るだろうなとは考えていたが、思った以上にすんなり話し合いにこぎつけることが出来た。やっぱり、仲介役を頼んで正解だった。

 

俺の隣には簪が座り、向かい側には楯無会長と、その付き添いで来てくれた布仏先輩が座っている。

 「……」

 

 「……」

 

 部屋に集まってこうして向かい合うこと早数分。未だ話し合いは始まっていない。

 重い空気が部屋には流れていた。そのせいなのか、二人揃って俯いて気まずそうにしている。

 俺や布仏先輩が変わりに進めるべき話ではないし、話しづらいのは分かるがこのままでは拉致が明かない。そのことは分かっているようで、おそるおそる簪が先に話し始めた。

 

「……お姉ちゃん」

 

「うん」

 

 楯無会長は、冷静に努めようとしているが、それでも緊張ないし恐がっているのか、表情が強張っているのがよく分かる。

 こんな楯無会長を見るのは初めてだ。

 

「その……や、やっぱりまだ……お姉ちゃんがこの間したことも、言ったことも私は今はまだ許せない」

 

「……そう。それはそうでしょうね」

 

「うん。でもだからって、土下座しろだなんて言わない。私だって……お姉ちゃんにたくさんひどいこと言ったから。それはお互いとりあえず謝ってすむようなことじゃないと思うし、私だって簡単に謝られたって困る。その代わり、っていったら変だけど……私、お姉ちゃんに言いたいことがあるの」

 

「えっ?」

 

「その……今までずっとありがとう」

 

 予期せぬ簪の言葉に本気で驚いた様子の楯無会長。

 まさか簪がこんなこと言うなんて。思わず俺と布仏先輩も驚いていた。

 

「この間言ってくれた言葉は、本当に私のことを大切に思ってのことなんだなって分かったの。不器用だけど、本気で大切に思ってくれていると感じられたら、何だかその……嬉しくて」

 

「……」

 

「ううん、この間だけじゃない。お姉ちゃんは昔からずっと見守って、いつも守ってくれていた。でも、私はお姉ちゃんに劣等感を感じて、分かっていたはずなのにずっと言えなかった。だからこそ、刀奈お姉ちゃん。遅くなっちゃったけど今までずっとありがとう」

 

 簪の言葉に楯無会長は泣き出してしまった。

 だけどその涙は悲しい涙ではなく、嬉し涙。

 

「ありがとうだなんて私のほうこそありがとう。本当、私の知らぬうちに簪ちゃんは立派になったわね」

 

「立派だなんて……そんなこと」

 

「立派よ。ずっと手のかかる妹だと思っていたけど……私は本当の意味で簪ちゃんを見れなかった。だからこそ、成長している簪ちゃんを見て私は寂しさを感じたのね」

 

 そう楯無会長は寂しそうにしみじみと言った。

 

「私は寂しかった。お姉ちゃんだから何でもしてあげられると思い込んでいて結局何もしてあげられなかった。そのことに気づいた時には簪ちゃんのことが遠くに感じて、寂しさを感じて少しでも近くに繋ぎとめようとしてあんなことをしてしまった。まったく、我ながら馬鹿だったと思うわ」

 

「でも、そんなところも含めて、刀奈お姉ちゃんは私の大切なお姉ちゃんだよ。強くて、賢くて、綺麗な今でも尊敬する私のお姉ちゃん」

 

「簪ちゃん」

 

「だから……ちゃんと仲直りしたい。ごめんなさい」

 

「私のほうこそ、ごめんなさい」

 

 お互いに頭を下げて謝りあう簪と楯無会長。

 昨日今日ですべてが綺麗に丸く収まったわけじゃない。

 そうなるにはまだまだ沢山の時間が必要で簪に譲れないものがあるように、言わないだけで楯無会長にだってそういうものはきっとあるはず。

 それでもお互いの想いを伝えあい、二人が納得のいく落としどころを見つけ、落ち着くところに落ち着いたみたいだ。

 

 簪と楯無会長は照れくさそうに笑いあう。

 きっとその光景は昔あっただろう在り日の穏やかな姉妹の姿に再び戻れたようだった。

 それを見て俺はようやくほっと胸を撫で下ろすことができた。

 その後は落ち着いた雰囲気でのちょっとしたお話。こんな話の後で、男子俺一人に対して女子の方が3人と圧倒的に多いので、もっぱらどういう交際をしているのか、といったものばかり。話せる範囲のことを話してはいるが、恥ずかしいものがある。流石に今日は根掘り葉掘り聞かれる事はなかったが、そのうち聞かれるのだろうな。

 話が一旦途切れ、今度は別の話でもとなった時。

 

「ね、ねえ……お姉ちゃん」

 

「ん?」

 

 簪は緊張した様子で楯無会長に問いかける。

 ちらちらと俺を見る簪の頬は心なしか赤く染まっている。俺のことで何かあったりするのだろうか?

 今一つ意味が分からずにいると、楯無会長は何か察しがついた様子で言った。

 

「あーそういうこと。皆まで言わなくていいわよ、簪ちゃん。言いたいことは分かっているから、彼との仲をちゃんと認めて欲しいんでしょう?」

 

「う、うん」

 

 照れくさそうに簪は頷く。

 ああ、そのこと。忘れていたわけじゃないけど、すっかり頭の片隅に追いやられていた。

 

「認めるも何も最初から認めているけど、弟君」

 

 呼ばれて俺は頷きながら姿勢を正す。

 

「本当に今更だけど、簪ちゃんはね……私の大切な家族で愛しい妹。あなたになら安心して任せられる。だからこそね、本当に頼んだわよ? 簪ちゃんと幸せになってくれるのなら、私はどんなことでも慶んで力になるから」

 

 優しい声色でそう言う楯無会長は真剣な瞳で真っ直ぐ見つめる。

 言われずとも、もちろん。これからも俺は簪と生きていくのだから。

 

「よかった」

 

 頷いた俺に、楯無会長もまた満足げに頷き、嬉しそうに微笑んでいた。

 




ただ謝るのではなく、まずは感謝を。そんな話。


今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と過ごした聖なる夜

 12月24日。今日はクリスマス・イヴ。

 街はイルミネーションで彩られ、その雰囲気を一層にかもしだし、世間は聖夜を祝福するムードに包まれていた。

 IS学園とて例外じゃない。特に学生寮は明日25日のクリスマスにもクリスマス会をするのにイヴの今夜に託けて騒いでいた。

 

「静かだね」

 

 俺は頷く。

 騒がしい室内とは違い、今俺達がいる外……いつもの場所のいつものベンチの周りには人気はない。俺と簪の二人っきりでとても静かだ。外は冬なので当然寒いが、簪とこうして二人っきりでいられると思うと気にはならない。

 

「……」

 

 二人肩を寄せ合いながらイヴの夜を過ごす。俺達を照らしてくれているは月と夜空に浮かぶ星々の光。これはこれで中々ロマンチックではあるが、どうせ二人っきりで過ごすのならクリスマスイルミネーションがあるところのほうがよかったなぁ、とふと思う。

 イルミネーションだけじゃない。クリスマスと言えば、クリスマスツリーだ。立派なツリーでも見ながらこうして簪と過ごしたかったというのもなくはないが、立派なツリーとなると有名な場所……学校の外となる為、寮生である俺達は門限に縛られて、そういうわけにはいかない。

 寮のほうにもイルミネーションやツリーはなくはないが騒がしい室内にある為騒がしく、また沢山の人がいることもあって二人っきりというわけにもいかないし、何より周りに人がいてはこんな風に落ち着いて過ごすことは出来ない。

 

「ツリーとかもいいけど……私はこっちのほうがいい。この静けさが、いい」

 

 ゆっくりと言う簪。

 それはまるで二人きりの時間を、噛み締めるように。

 

「それに“あなた”と始めて過ごすイヴ。少しでもいいから二人っきりがいい」

 

 そう今日はイヴはイヴでも簪と知り合い、恋人になってから過ごす初めてのクリスマス・イヴ。

 イヴは毎年あるけど、簪と付き合い始めて過ごすイヴは今日が最初で最後で特別な日だ。

 特別な日だからこそ、特別なことをしてあげたいと思ってしまう。普通の高校生のカップルなら、イヴの夜はデートをしたり、一つ屋根の下で一緒に聖夜を過ごすものもらしいが、俺は立場が立場でそんな普通には過ごすことはできない。

 いつもの様に部屋からの外出禁止時間までの短い間しか一緒にいることはできない。それはそれで幸せなことだと分かっているがやってることは結局いつも通りだ。

 

「いつも通りでも私は充分。いつもの場所でも私にとって“あなた”と二人っきりでいられるだけで特別で幸せなことだから」

 

 そんなことを言われれば、これ以上どうしようもないことを今更言うのはもちろんのこと、考えることすら憚られる。今はただ簪と二人っきりで過ごせる限りある時を噛み締めよう。

 そういえば、一つ改めて言わないといけない言葉があった。

 

「メリークリスマス」

 

 微笑みながら言う簪。

 重なった言葉。聞いて、俺達は笑みを浮かべあった。

 しばしの間、夜空を見上げながら、俺達は無言。

 夜風に触れていたせいか、手先が冷たくなったのを感じて、何となしにポケットに手を入れる。

 すると、小箱が手に触れた。

 

 忘れていたわけじやないが、頭の片隅に追いやられていた。

 用意していたんだ。渡さないとな。

 渡すことに抵抗なんてい。 喜んでくれる自信もある。 それでも尚、何か得体の知れない緊張があるのは確か。声を出そうとすると、喉の奥が痛い。

 でも、渡さなければ。小箱を握り、簪の前へと出し、中を開けた。

 

「……」

 

 小箱の中を見て簪が息を呑んで驚いているのが分かる。

 

「指輪……これって……クリスマスプレゼント」

 

 頷いて俺は答える。

 小箱の中にあるのは二つの指輪。

 銀色の指輪でネックレスにも出来るようにチェーンが二つある。俺の今の経済状況からはかなり高いものだが、相場からすると安いもの。

 だけどこれが精一杯の俺の気持ちの形。簪に送るクリスマスプレゼント。

 

「いいの?」

 

 いいも何も簪の為のものだ。

 そんなことを頷きながら言って俺は簪に左手を出してもらうようにお願いした。

 左手、簪のしなやかな指先が見える。俺は指輪を手に取った。

 左手で簪の手首を支え、銀色の指輪を、そっと簪の左薬指へと近付けた。

 簪の指先は震えていた。

 

――これからも一緒に幸せになろう

 

ありふれた言葉。

沢山悩んで出せた言葉じゃなく思わず、すっと出たセリフだった。

簪の左薬指に嵌った銀色の指輪。

指輪が嵌った左手、薬指を何かに取り憑かれたように、ただじっと見つめていた。

すると、簪の頬に一筋の涙がしずくのように零れた。それが月の光や夜空に浮かぶ星々の光に照らされ、輝いているように見えるのは見間違いじゃないだろう。

 

「ありがとうっ」

 

 嬉し涙を流しながら、簪は嬉しそうに微笑んだ。

 

「大切にする。でも……忙しかったのにちゃんと用意してたんだね」

 

 まあな。

 ここ最近はいろいろとあって忙しい毎日だった。主に年度末試験だけど。

 忙しい合間をぬいながらも何とか用意できたのが今日のクリスマスプレゼント。

 

「ごめんなさい……私用意できてない」

 

 左手にある指輪を胸元で両手で抱きしめ、簪は申し訳なさそうに悲しげな表情をする。

 仕方ないさ。俺以上に簪の方が忙しいかったし。

 実際、今日まで忙しくてクリスマスなのにデートできなかったから。

 慰めの言葉をかけたが、簪は納得してない模様。

 クリスマスだからな……でも、手がないわけじゃない。

 簪にしかできないプレゼントを俺にくれればいい。

 

 「うんっ」

 

 頷いて簪は差し出した俺の左手を取り。

 

「これからも一緒に幸せになろう」

 

 俺がしたのと同じように薬指へそっと、指輪を通す。

 どこか、厳かな光景だった。 

 言葉なく熱っぽい視線で見つめあう俺達。

 引き寄せられるように、どちらからともなく唇を重ねた。

 

「……んっ」

 

 唇に冷えた感触。脳髄がジンと痺れた。

 ゆっくりと唇を離すと、俺達は抱きしめあった。

 

「私……凄く、今……幸せ」

 

 俺もだ。

 お互いに言葉を交わし、抱きしめあったまま、笑い合う。

 しばらくそうしていると。

 

「あっ……」

 

 何かに簪が気づいた。

 体を離し、簪が見た方向に視線を向けると。

 

「雪」

 

 夜空から雪が降っている。

 ひらひらと白い雪が世界を銀景色へと変えていく。

 この雪はまるで愛し合う俺達を天からののよう。

 

「綺麗……ホワイトクリスマスだね」

 

 二人は降り続く雪を見ながら、再び静かに唇を重ねた。

 ひらひらと降る白い雪はまるで二人を祝福しているようだった。

 



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簪はいない夜。野郎二人の会話

※注意
・今回タイトル通り簪本人は出ません(名前や話には出てきますが
・簪シリーズと同様の主人公と一夏のとある話題について話すお話です。
・いつも「」付けで話してない男主が普通に話しています。悪しからず。
・一読して下さり、読んで下さった方が今回の話の内容について何か考えて下さったら幸いです。


それはある日の出来。

 

「ただいま」

 

「おう、お帰り」

 

夜、外出から寮の自分の部屋へと帰って来るとルームメイトの一夏がそんな言葉と同時に出迎えてくれ。

 

「また、更識さんと会ってたのか」

 

「ん? まあ、な」

 

事実なので肯定の返事をする。

 

今日も今日とて夜、外出禁止時間まで彼女である簪と寮のラウンジであって他愛のない話をしていた。

本当はもっと一緒にいたいとお互いに思ってはいるが、自分達は寮生活をしている身。

規則は守らなければいけないし、仮に破ってしまえば織斑先生のきつい説教が待っているのは目に見えている。

まあ、明日も会えるんだ。こういう我慢も恋の醍醐味なんだろうと自分を言い聞かせ納得させるしかな。

 

それに一夏に対しても簪とのことは今更隠す必要はない。

自分と簪が付き合っていることは一夏はちゃんと知ってるからだ。

 

「そっか……な、なあ」

 

「何?」

 

「いやさ……何ていうか、聞きたいことがあるんだけど……いいか?」

 

明日の学校の用意をしていると一夏が問いかけてきた。

いつになく遠慮気味だ。遠慮気味というよりかは、戸惑っているといったほうが正しい気がする。

どうしたんだろうか? いつもなら遠慮なんて知らないかのように遠慮なしに物を言ってくる一夏なのに。

 

「お前さ、更識さんと付き合っているだろう?」

 

「そうだけど、それが?」

 

「ぶっちゃけ、女子と付き合うっていうか……恋人がいるってどんな感じなんだ?」

 

なん……だと……!?

 

一夏の質問を聞いて、言葉を失ってしまう。

聞き間違いかと思ったがそれはなさそうだ。

まさか、あの一夏がこんなことを聞いてくるなんて。

 

「変なもの食べた? というか、お前女子とかそういうことに興味あったんだな」

 

「食ってねぇよ! 失礼な奴だな。俺だって高一の男子だぞ。女子やそういうことに興味あるに決まってるんだろう」

 

そんなことを一夏から初めて聞いた。

驚きが収まらない。

だけど一夏もやっぱり、年頃の男子ってことか。

 

でもよく考えれば、恋愛は兎も角、一夏が女子に興味がないなんてことはなかったか。

唐変木とか鈍感とか散々言われていても、一夏のことを好きな女子達に迫られれば、困りつつも時には恥ずかしそうにして異性として意識しているみたいだった。

性欲についても織斑先生の水着に反応してたし、会長の際どい格好にも反応していたからないわけじゃない。まあ、同い年と比べて物凄く薄そうではあるが。

一夏にしたら女子の仲のいい子に対して友達感覚が強いだけで、女子を異性として見ているわけで、そういうことを踏まえて考えると一夏はやっぱり正常といったら適切なんだろうか、正常だ。

にしても、一夏が恋愛に興味あるとは。

何か心境の変化でもあったんだろうか。

 

「いや、さ……お前と簪が付き合ってこう……ラブラブしてるの見てたら、些細なことでも凄く楽しそうにしてて羨ましいっていうか。お前がそこまで夢中になる恋愛。好きな女の子……恋人がいたりして恋愛するのってどんな感じなんだろうって思ってさ」

 

「へぇ~なるほどな」

 

一夏の心境の変化にはよくも悪くも自分達が関係しているようだ。

それに一夏の言い方的に恋人がどんなものかは一応知っているようでよかった。

というか、一夏のこの言葉聞いたら、達……一夏のことがを好きな女子達は凄い喜びそうな気がする。

 

「一夏は恋人が欲しいのか?」

 

「お前ら見てると羨ましいって欲しいとは思うけど……好きな奴なんて今いないし、仲のいい女子はたくさんいるけどそれは異性でも友達だろう? 好きな女の子、恋人つくって付き合うってことが今一分からねぇんだ」

 

つまるところ一夏が言いたいのは‘恋人と友達の違い’ってことなんだろう。

難しい話だ。それは人によって定義が大きく異なるからだ。

恋人こそはいるけれど感覚でそういうものなんだろうと分かったつもりでいるだけかもしれず、自分自身実際この定義を聞かれてもよく分からない。

だから、上手く言葉にするのは難しい。しかし、一夏がこんなことを聞いてくるのは初めてのこと。

始めが肝心だ。何かしら上手いことをいってあげならいと……。

 

「そうだな……楽しいかな。簪と恋人になれて恋愛するってこと(毎日一緒に過ごすってこと)は」

 

「楽しい、なぁ……」

 

「うん、楽しい。些細なことでも凄く楽しくて幸せだ。まあ、楽しいことばっかじゃないけど、好きだと想える相手がいてまた自分のことを好きだと想ってくれる相手がいるってのは幸せだなあって思う」

 

簪の幸せそうな顔を思い浮かべながら自分は一夏に話していく。

 

「それに幸せそうな簪を見てるともっと幸せに、大切にしたいって思えるし。そんな簪がいるからもっとこれから頑張ろうって思える」

 

「惚気かよ」

 

「惚気だよ。頭いいわけじゃないからこう……実体験に基づいてしか、女子と付き合って恋愛するってのは説明しようがない」

 

恥ずかしいことを言っているのは自覚はしているが本当にこうとしか説明しようがない。

感覚みたいなもので理解しているつもりなだけに、もう少し上手く説明したいところだ。

しかし、聞いてきた一夏は「そんなものか」と納得している様子をしいるので何より。

 

「で、恋人を作って付き合うってことについてだけど……これは単純に一人の人とだけ友達以上に特別一緒にいたい、自分の傍にいてほしいって強く思うことだと自分は思う」

 

「特別か……」

 

「例えそう思う相手が友達だとしてもそう思うのなら友達以上のもの、恋人になるしかない。 相手のことが好きだからこそそう思うのであって、それが恋人関係になって付き合うってことだと思う」

 

これはあくまで自分の考え。

付き合うってことの意味はよく言われているが人の数だけあって、考え方は皆違う。

違う考え方が人の数だけあるのだから、意味なんて考え始めたらキリがないし、訳が分からなくなる。

結局は感覚の問題。自分が相手にどう感じるかが大切だと思う。

 

「……難しいな。だけど、何となくだが分かったよ」

 

「何となくでいいじゃないか。むしろ、一夏が女子や恋愛に興味あること知れて嬉しいぞ。一夏はホモ疑惑あるからな」

 

「なんだよ、それ。酷すぎだろ。俺は女子に興味はあるにはあるけど、そういう恋愛とか分からないだけで興味ないわけじゃないんだからさ」

 

一夏はいい意味でも悪い意味でも幼くて純粋なんだろう。

それは生まれ育った環境が大きく関係しているはずだ。

一夏は女子のことを異性として認識しているが、それ以上の認識ってのを分からない又は知らない。

だから、異性も同性の友達と同じ感覚で付き合うから一夏に対して好意を寄せている女子達の態度もああ鈍いものなんだろう。

今までははよ気づけと思っていたが、分からない知らないものを気づけってのは無理がある。

一夏にそういうことを教えたり、感じさせる知り合いや身内っていなさそうだからな……肉親である織斑先生は仕事や生活一筋で、恋愛経験多くなさそうだし。本人の前じゃ絶対に言わないが。

一夏のことを好きな彼女達にしても一夏に対する態度は傍から見たらあからさまでも、直接言ったわけじゃないし。

 

「だけど、俺が恋人見つけて恋愛するよりも先に千冬姉に早く恋人見つけて恋愛の一つや二つしてほしい」

 

「それは織斑先生だって思っているんじゃないか?」

 

待てよ、思ってなさそうな気もしてなくはない。織斑先生ブラコンの気があるからな。

それでも。

 

「織斑先生に恋人作って欲しいと思うのなら先に一夏が作るべきじゃないか? 相手に何かを望むのならまずは自分からだ」

 

「んなこと言ったって、やっぱり今そういう意味での好きな奴いねぇしなぁ。いないことには恋人作るなんて難しいだろ」

 

「まあ、そうだけど……幸い俺達は世界で二人だけの男性IS操縦者で学園には二人しかいない男子生徒。周りは女子ばかり、好きになりそうな子見つけられるんじゃないか」

 

可能性としてはなくはない。むしろ高いぐらい。

学園の女子は外見も中身もレベル高い子多いからな。客観的に見ての話だが。

第一、一夏は(篠ノ之)やデュノア達から好かれているわけだし。

それを教えようかと思ったが、やっぱり本人が自分で気づいた方がいいだろう。

彼女の為にも、一夏自身の為にも。知らないものや分からないものは自分で知っていたり、自分で分かっていくことに意味がある。何より、悩んだり迷ったりするのは恋の醍醐味なはずだ。

 

「見つかるか?」

 

「一夏次第だろ、それは。まあ、近いところで行くなら篠ノ之やデュノアとかいいんじゃないか? 一夏、彼女達によくされているだろ?」

 

「よくってなぁ……でも、箒は幼馴染でシャルは友達だぞ」

 

「例えばの話しだ。それにそれこそさっきの話だ。一緒にいればそのうち友達でも二人だけで特別一緒にいたい相手がみつかるかもしれない。行動あるのみだ」

 

「そうか……ああ、そうだな!」

 

今日の明日で一夏がいきなり変わるわけがないが今夜の雑談で何かしら一夏に今後変化があれば何よりだ。

同じ世界で希少なIS操縦者であり、朴念仁でも鈍感でも一夏は学園で出来た大切な男友達。

幸せになって欲しい。

 

……




今回の話のテーマは以下の通り

・オリ主がISヒロインの一人と恋人関係になり、そのことが与える一夏への影響
・恋話?する一夏を経て、一夏の今後の変化。
・オリ主が恋愛している姿を見て、一夏に恋愛感情や恋愛について考えさせる。
・一夏を歳相応の男子として描く
・一夏のホモ扱いについての個人的な答えじみたもの

です。
私が単に見てないだけかもしれないのですが、ISの二次小説でオリ主とISヒロインが恋愛して、その様子を見て一夏の心境とかに何かしら変化を起すってのは見かけないんですよね。
やっぱり、オリ主がいることでヒロイン達にも一夏にも変化はあると思うんです。
恋愛ごとでは特に。

一夏が恋愛ごとに疎いのは本編でも書いていますが、知識としては知っていても本当にそれがどういうものなのか理解できてないところにあると思うんです。
知らない、分からないことに気づけってのは無理がありますし、一夏にそういうことを教えるって言ったら偉そうですが、雑談形式で話す人物もいませんし。特に同性。

オリ主には一夏を踏み台にするのではなく、利用するのではなく、よき相談相手になったほうが同じ男性IS操縦者として深み、みたいなものが増すと考えています。

長くなってしまいすみません。
この話を読んで下さった方が、何かしら考えていただければ幸いです。

今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

ちなみにこの話題でもう少し話は続いていきます。
お楽しみにしていただければ幸いです。

それでは~


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簪達とあることを思いついた日

 放課後。自主訓練を終えた自分達は簪の専用機【打鉄弐式】などの整備で普段から使っている整備室の端で休憩がてらお茶をしていた。メンバーは自分、簪、本音のいつも一緒に行動している三人。

 そこで俺はつい最近、一夏が恋愛に興味を持ったあの夜のことを思い出して、簪達に話してみた。

 

「ふ~ん……あの織斑が」

 

「えぇぇっ!? あのおりむーが!?」

 

 興味なさそうにして手元の端末を弄っている簪と、目を見開いてかなり驚いている本音の対照的な二人。二人とも『あの』とつけて一夏のことを言っているあたり、やっぱり一夏が恋愛に興味をもったことは少なからず大変な出来事だということがよく分かる。

 

「私的には……織斑がそういう意味で女子に興味あること自体驚き。同性愛者じゃないかって噂よく聞く」

 

「あっはは……確かにおりむーには悪いけどよく聞くねー」

 

 やっぱり、簪達もその噂知ってたんだ。一夏の事情を知ってから、その噂のことを聞くと一夏がかわいそうに思えてくる。一夏にしたら性別分け隔てなく友達として接していて、デリカシーがなくても女子のことをちゃんと異性と認識はしているから、同性みたいにベタベタできず。

 やっぱり男なんだから女子とずっといるのも辛いものがあるわけで、同じ男子の俺といたくなる。その気持ちは同じ立場である俺でもよく分かるが、そのせいで仕方ないとは言え、そういうあらぬ噂が立ってしまう。女子高同然とは言え、男子が二人仲よくしていれば最近の女子ってそういうことを考えてしまうものなんだろうか。まあ、男子も女子が二人仲良くしてると勝手に百合認定してしまうから、ある種仕方ないのかもしれないが。

 

「……でも、これで貴方にも変な噂立たなくてすむ。人の彼氏で変な妄想されるの嫌」

 

 そうだな。

 一夏ほどじゃないとは言え、簪と付き合う前は一夏とセットでそういうことに巻き込まれていた。簪と付き合ってからは減ったけど、一夏もこれでそういう噂は減っていくのだろう。

 

「篠ノ之さんとかデュノアさんとかの気持ちに早く気づいたらいいね」

 

 紅茶を飲みながら簪は静かに言う。

 

 それはそうだな。時間かかりそうだが。

 恋愛に興味持ったんだ、興味というきっかけばできた今、その内気づくだろう。

 

「んーかんちゃん、それはどうだろう~? おりむーってさすっごい鈍感、にぶちんじゃん? 気づくのめっちゃ時間かかると思うんだけどー」

 

「それはそうだけど、時間かかっても……気づかないよりも気づいた方がいいと私は思う」

 

「でも、興味あるのと気づくのって別じゃない? 興味あってもあるままで気づかないままおりむーならおじいちゃんになっちゃうよ」

 

 それは言いすぎ……と言いかけて俺は言葉を抑える。

 

 確かに本音が言う通りだ。恋愛に興味が出てきになっても、所詮それは興味があるだけ。興味というきっかけがあっても気づくかどうかは別問題。興味あるままで鈍感な一夏だから凄い歳を取ってから気づくなんて容易に想像できてしまうあたり一夏が怖い。

 だとしたら、どうしたら……

 

「んーそうだなぁ~」

 

「難しい……あの鈍感め」

 

 真剣に考えこむ顔をして考えてくれる本音と毒舌を吐きながらも考えてくれる簪。

 

 難しいな……いっそ篠ノ之達からお前は男として好かれているんだ、あわよくば恋人になりたいんだって教えるか? いやいや、それは気づくとはまたちょっと違う気がする。

 女子を好きになるってことがどんなことなのか……好きな女子と恋愛していくということがどんなことなのかをやっぱり自発的に気づかないと意味がない。

 この間、「行動あるのみ」なんてことを言ったが……今思えば、無責任だったのかもしれない。いらぬおせっかいはよしとこうと思ったが……一夏は興味があって知っていてもそれは知識としての話。実際にどんなものなのかは知らないし分からない理解できてないんだ。知らないものを行動あるのみで行動させようにも肝心の始めの第一歩は踏み出せはしない。

 やっぱり、いらぬお節介だとしても背中ぐらいは押すべきなんだろうな。

自分らぐらいの歳で恋愛や好きな人がいるってのが感覚だけでもそういうものなのかって知らなかったり分からなかったりするのは大人になった時、かなりマズいって聞く。

 

 ここは一ついらぬお節介を焼くか……だがしかし、肝心のどんなことをすれば一夏が気づくのか分からない。

 そんな風に三人して悩んでいる時だった。

 

「あっ! そうだ~! ダブルデートなんてってどうかな?」

 

 本音が提案してきた。

 

「折角かんちゃん達カップルさんがいるんだから丁度いいかな~っと思って。二人に仲介役?っていうになってもらって、おりむーともう一人の女の子とで四人でデートするの! ダブルデートなら二人っきりでデートするより緊張感が和らいで普通のデートよりは緊張しないって聞くし、デートっていう恋愛の定番のことをすれば恋愛がどんなものなのか何となくにでもわかるじゃないかな?」

 

 ダブルデートか……。

 

 いいかもしれない。本音が言うようにデートっていう恋愛の定番を実際にすれば、例えそのとき分からなくても何となくでも雰囲気は感じてもらえるはずだ。行動あるのみだからな尚更。

 本音の話だと緊張も二人よりかはしないみたいだし、二人でデートするよりかは自然に一夏を誘い出せそうだし、相手の女の子も二人っきりよりかは安心してくれるはずだ。二人っきりになりたいのなら、途中カップルそれぞれで分かれればいいわけだし。

 

 こんなメリットもある分、デメリットもあるがそれはその場に応じて対応すれば済むだろう。

 いい案だと思う。俺は賛成だけど……簪は? そう聞くと。

 

「私もいい案だと思うよ。賛成……あなたがいいのなら私も協力するよ。面白そうだし」

 

 簪が賛成してくれてよかった。

 これでダブルデートするってことは一まず決まった……が次の問題が出て来た。

 

「よかった、参考になったみたいで。でも、そうなったらおりむーのデートの相手どうするかだよねぇー」

 

 そう相手のことだ。

 俺達が賛成で、一夏には了承させるとして、もう一人女子がいないことには始まらない。

 ダブルデートするなら知り合いの女子のほうが女子も一夏も初対面の子とよりかは気まずくなったりはしないだろう。

 となると、やっぱり……一夏のことが好きなあの五人から誰か一人誘うか?

 

「それはよしたほうがいいかな。あの五人のうち一人だけ呼んだりしたら面倒なことになる」

 

 簪の言う通りだ。

 あの五人の中から誰か一人呼べればいろいろな意味で一番いいけど、一人だけ呼んだりしたら面倒なことになる。あの五人、お互いライバル意識強いから一人呼んだら全員来そうな予感がひしひしとする。

 それにあの五人の一人呼んで、ダブルデートしても女子の方が一夏のこと意識しすぎていつもの感じになりかねない。それだったらあんまり意味なさそうだしなぁ。

 やっぱりデートするのなら仲はいいけど、デートなんてしない人のほうが一夏にとって新鮮味あっていいと思う。

 

「第一、私篠ノ之さんやオルコットさん達とあんまり仲良くないから誘いにくい。第一連絡先知らないし」

 

 それもある。俺も連絡先知らないや。五人とは知人関係にはあるけど、それは一夏を通しての繋がり。個人的に親しいかってなるとそうじゃない。だから、揉め事があった時止めるの一苦労して、疲れただけのデートになってしまうかもしれない。それも避けたい。

 となると……あの五人以外で誘えそうな女子。いるか?

 

「ん~! 楯無お嬢様とかは?」

 

「えぇぇっ……」

 

 凄い露骨に嫌そうな顔を簪はしてる。

 おもしろい顔だが、そこまで嫌がる必要ある?

 

「おもしろいって……あなた。だ、だって……! お姉ちゃん呼んだら押せ押せで……自分が楽しむだけ楽しんで今後のネタにしそうだもん! それであの五人に話して煽ったりだもん……!」

 

「か、かんちゃん……言い過ぎだよぉ」

 

「本当のことだからいい。それにお姉ちゃんは織斑より……まだあなたのこと狙ってるから絶対嫌」

 

「あぁ~……そう言われればそうかも」

 

 簪の言葉に本音は妙に納得して同情した目で俺を見てくる。

 

 ないでしょう、簪の言うことは流石にもう。そりゃ……最初こそはかなり迫られたけど、簪と付き合い始めてからは流石に弁えてるのかそんなことなくなったし。

 

「あなたは甘すぎるよ……お姉ちゃん絶対諦めてない」

 

 左様で。

 

 まあ、楯無会長呼んだら呼んだであの五人と同じことになりそうだし、簪の言うことはもっともだ。

 じゃあ次……ってなるといい人が思い浮かばない。

 虚先輩はダメだ。一夏の友達の弾だったっけか? その人といい感じだって聞いてるから邪魔するような真似は絶対出来ない。

 いっそクラスの子を適当にって言ったら語弊があるけど……呼んでもなぁって感じだ。となると……誘えそうな人いなくないか?

 

「困った」

 

「困ったねぇー」

 

 紅茶を飲みながらでも簪と本音は他にあてがないものかと探してくれている。

 呼ぶなら身近な人のほうがやっぱりいいなぁ……そう俺が言葉をこぼした。

 

「身近な人か……ん? あ、いた」

 

「え? かんちゃん~誰々~!」

 

「本音、貴女」

 

「ほえ?」

 

 簪は本音を見つめながらそう言った。

 ああ、そういうことか。俺は簪が何を言いたいのか分かった。

 

「えぇぇ~! 彼氏君までーどういうこと~?」

 

 本音は一人分かってない様子で知りたそうにしてる。

 なるほど、灯台下暗しとはこのこと。

 

「だから、本音。貴女がダブルデートで織斑の相手役」

 

「なぁ~んだ、私かぁ~……って、えぇぇっ!?」

 

本音にしては珍しく本気で驚いているようでいつもみたいな間延びした物言いはない。

 

「嘘ですよね? お嬢様」

 

「お嬢様言わないで。本音がダブルデート提案したんでしょう。言い出しっぺの法則って奴」

 

「そんなぁ~」

 

 本音ならこの話に始めっから参加しているからわざわざ誘う必要もないし、本音と一夏はクラスメイトで仲はいいけど、一緒に遊びに行くほどってわけでもないから、ダブルデートするなら相手同士新鮮さがある。

 一夏の周りにいる女子は押せ押せタイプの女子が多いが、通称「のほほんさん」というあだ名で呼ばれるぐらいのほほんとしている本音だ。一夏を優しく包んでくれるかもしれない。そうなると周りとの女子とのギャップで、一夏にまた別の変化が起きるかもしれない。

 それにこう見えてもって言ったら失礼だけど、本音は暗部の家の人間。本音から情報がもれることはない。一夏さえ俺が適当に話をあわせていたら、このことが当日終わるまで周りに情報が漏れるなんて事はまず起きない。

 

「もしバレても私はあなたの護衛で本音が織斑の護衛の為について行くことになってるってすれば説明はつく」

 

 確かに。簪、よく考え付いたなぁ。

 

 そうなると本音がダブルデートの最後の女子として適任じゃないだろうか。むしろ、本音以外適任な女子が思いつかない。

 もっとも強制は出来ないので本音が了承してくれればの話だけど、そこは簪とこれから説得していく。

 

「無理強いはあまりしたくないけど……本音は嫌?」

 

「い、嫌じゃないけど……」

 

「そういえば、前……織斑のこと、良いなぁとかおしもろい人とか言ってたけど?」

 

「そ、それは! お友達としてで……えっと、その、な、何というか……嫌じゃないよ? おりむーとデートしてみたいし……ああん! もぅ恥ずかしいよぉ!」

 

 真っ赤になった顔を両腕のぼたぼたの長袖で隠して恥ずかしそうにうずくまる。

 珍しいのを見てしまった。しかも、満更でもなさそう。むしろ、やる気すら感じられる。

 

「じゃあ、決まり」

 

「あい……」

 

 かくして俺と簪のカップル、一夏と本音のカップルでダブルデートすることが決まった。

 

「あ、分かってると思うけど本音。デートだからデートぽっいこと……恋人がするようなこともするかもしれないから」

 

「かんちゃん!?」

 

「返事」

 

「あい」

 

 簪には敵わないと思ったのか、うなだれながらも大人しい本音。

 何だかお嬢様といわれたとおりにするしかないメイドの図だ。

 実際、二人はお嬢様とメイドだから、その通りなんだけど。

 

 というか、簪がある意味一番楽しそうだ。

 出会ったばかりの頃は内気で自分に自信がなくいつも何処かおどおどしていたけど、付き合い始めてからはかなり明るい性格になった。大人しいところは変わらずだが笑顔も増え、冗談だって言ってくれるようになった。

 それはいいことだ。実際楽しんでいる簪は可愛いからいいけど楽しんでるでしょう? 簪。

 

「うん! 凄く!」

 

 そう笑顔で言う簪の表情は、何か悪巧みしてる時の楯無会長の不敵な笑みを思い浮かべさせられる。

 やっぱり、姉妹って何処かで凄く似るものなんだとしみじみ感じた。

 






で、今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と見守ることにした一夏と本音の様子

「寒っ。なぁ、まだ行かねぇのかよ」

 

 隣で一夏が寒さを紛らわすかのように両手をこすってる。

 確かに寒い。吐く息も白くなり、朝から冬の寒さが増しているの感じる。

 

 あれから三人……主に簪と本音の二人だが、デートプランをしっかり練って準備万端。

 そして今日は例のダブルデート当日。今朝から俺と一夏は、学園へと向かうモノレールがあるレゾナンス前の駅で待ち合わせの為に待っている。

 

「待ち合わせ? 他に誰か来るのか?」

 

 まあ、な……っと俺は適当にはぐらかして一夏に返答する。

 

 待ち合わせの相手は言わずもがな、簪と本音の二人だ。その理由もまた言わずもがな。

 正直、一夏には今日がダブルデートだということは勿論。行き先や簪と本音が一緒だということは教えてない。

 教えてもよかったのだが、簪と本音の二人に止められた。前もって今日のこと一夏を教えれば、ポロっとあの五人や周りに言いかねない。そうなれば、後の祭り。

 実際、今日は俺と二人で遊びに行くという体で寮を出てきたのだが、このことを一夏は食事の席か何かで言ったらしく。

 

『そういえば一夏から聞いたんだけど、今度の休日二人で出かけるんだってね』

 

 と、デュノアに何となしにだが聞かれた。

 まあ、俺と一夏が二人で遊びにいくなんてことは珍しいことじゃないので聞かれただけでそれ以上大した詮索なんてされなかったが、もしダブルデートだと一夏に教えてどうなったかと思うと想像するのも恐ろしい。

 待ち合わせ場所も悩んだ。始め、IS学園から外部に続くモノレールの駅がすぐに集まれてそこにしようとしたが学園生徒しか基本使わない為、行きに見つかって騒ぎにでもなったら面倒なのでわざわざ一旦レゾナンス前の駅でこうして待ち合わせしている。

 幸いなことに朝が早く休日だからか学生らしき年齢層の人影はすくない。いても他所の学校らしき人影で、後は老若男女ばかりだ。

 

 時間を確認する。俺達がここについてのは待ち合わせ時間の十五分前。そして今は待ち合わせ時間の五分前。そろそろ来る頃だろう。

 

「ごめ~ん~」

 

「お待たせ」

 

 来たようだ。

 

「ごめんなさい、待たせちゃった?」

 

 俺達の姿が見えて急いだのか息がほんの少し上がっている簪にまだ待ち合わせの時間になってなないことを教えると「よかった」と微笑んだ。

 

「そうだ……今日のどう……かな?」

 

 恥じらいながら簪は今日の服装を聞いてくる。

 簪の今日の服装は白のレーススカートに優しいグレーのハイネックローゲージニット。

 といったお嬢様コーデのようだ。今日もまた一番と可愛い。

 そんなありきりだが思った通りの「可愛くて似合っている」なんて感想を簪に伝えると。

 

「ふふっ、ありがとう」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。

 

「本音も凄いんだよ。ほら、織斑見惚れてる」

 

 そういえば簪達が来るまで寒い寒いと言っていた一夏がやけに静かだ。一夏達を見てると、簪が言ったとおりの光景が広がっていた。

 

「……」

 

「……」

 

 本音を見て見惚れている一夏とじっと見られて恥ずかししそうに顔を真っ赤にして固まってる本音。

 今日の本音の服装は、頭には白の耳付きニット帽上は白のロングセーター で下はショートデニムを履いて、セーターが長めのせいかショートデニムが隠れてすごいミニスカっぽい。全体的に普段の本音の雰囲気そのままだぼだぼというかゆったりとした感じだが、本音は普段だぼたぼの制服か気ぐるみっぽい服を来ているせいか、同じゆったり系でも雰囲気は随分と違ってみえる。普段よりも服装に気合が入っているのがすぐに分かった。

 本音にはデートに付き合ってもらっているが、あの満更でもなさそうな発言といい、今日の服装といい、デートに凄い気合入ってるのがわかる。

 

 というか、一夏見過ぎ。

 流石の一夏でもいつもとは違う本音の姿に思わず見惚れてしまっていることは分かるが言葉を失ったままそうじっと見つめたままだと本音がかわいそうなぐらい顔が真っ赤なままだ。

 

「織斑見過ぎ。今日の本音に何か言うことはないの?」

 

「え、えっと……!」

 

「お、おりむー……ど、どうかなっ?」

 

 流石の一夏でも何について言うかぐらいは分かっているみたいだ。その証拠に慌てた様子で一生懸命言葉を捜している様子。そして、長いようで短い思案が明け。

 

「……い、いいんじゃないか」

 

 今にも消えそうな小さな声で一夏はそう恥ずかしそうに言ったが、本音にはちゃんと聞こえたようで物凄く嬉しそうにしながら。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「お、おうっ……」

 

 嬉しさとその反動なのか二人ともおもしろいぐらい赤い。

 というか、もう二人は二人だけの世界に入っているな、これは。俺と簪が見ていることに気づいていない。 

 

「二人とも初々しいね」

 

 ああ、そうだな。二人を見てると初々しくて甘酸っぱい。このまま二人を見ていたい気もするが、まだ今日は始まってすらいない。スタート地点で二人にもう満足されては困る。楽しいのはいまから。

だから、そろそろ行こうかと皆に伝える。

 

「……っ!」

 

「ひゃっ!」

 

 俺の言葉で二人とも我に返ったのか、ばっと二人は距離をとるように離れる。つくづく面白い反応をしてくれる。

 

「い、行くってどこにさ! というか、俺達二人で遊ぶんじゃなかったのかよ」

 

 騙して悪いが、あれは嘘だ。 

 ここでようやく一夏に元々二人を呼んで四人で出かける予定だったことを告げる。

 

「まったく! 何で内緒にするんだよ!」

 

「ごめんね、おりむー」

 

「ああ、いや! のほほんさん達が嫌ってわけじゃないからな! うん!」

 

「えへへ~よかったぁ~」

 

 騒がしい一夏の相手はやっぱり本音に任せる判断は間違ってないようだ。さっそく上手く丸め込まれている。

 行き先とその場所の理由は一夏にはまだ黙っていた方がいいか。ついてからのお楽しみだ。

 

「そろそろ行こう」

 

 簪の言葉の後、俺達は目的の場所へと向かった。

 

 

 

 

「さくらパーク……ここって遊園地か?」

 

 頷いて答える。

 

 レゾナンス前の駅から出発して電車で揺られること約三十分。やってきたのはさくらパークと呼ばれるIS学園のある島とレゾナンスがある街からほんの少し離れた隣街の遊園地。

 ISが急激に普及したことに伴って日本各地では街開発や環境整備が盛んとなり、この遊園地はその一つ。出来てまだ2.3年しか経ってない様で、遊園地ということと休日ということもあって人の数は多い。

 デートと言えば、遊園地ということで決まったこの場所。飲食店やアトラクションが多く、自然と一体になっているらしく景色がまたいいとの評判。カップル向けの一面もあってカップルに人気なデートスポットらしい。実際、カップルらしきグループはちらほらいる。

 IS学園の近く、それこそレゾナンスでもデートスポットとしては申し分ないのだが学園に近い分容易に目撃されかねない。だが、ここでならIS学園からは離れているし存分にデートを満喫することができるはずだ。

 

「でも、なんでまた……遊園地なんかに」

 

「何でって……ダブルデート……デートの為に来たんじゃない」

 

「はぁ!?」

 

 簪の冷静な言葉に反応する様式美を感じさせる一夏の驚いた声。

 ここまでずっと黙っていたから、当然のリアクションだ。

 理由を知りたそうにしている一夏に漸くことの全貌を明かした。

 

「急すぎるだろ……」

 

「考えが甘い、織斑。貴方が恋愛やそういう意味で女子に興味持ったことは聞いてる。今回はそれをより感覚として明確にさせるものなの」

 

「恋愛に興味があるのはそうだけど……というか、更識さんが知ってるって……お前教えたのかよ」

 

 許せ、一夏。

 

 男としては同性なら兎も角、女子に恋愛に興味があるとか女子に興味があるとか知られたくないのだろう。多分。昔ながらの男の考えがある一夏なら尚更。

 しかし、相談され何かしら力になりたいと協力してあげたいと思っても男の俺にでは限度というものがあり、出来ないことも当然ある。だが、対象である女子なら男では思いつかないことを思いつくだろうし、何より女子にしか出来ないことがある。

 デートがまさにその一つだ。特殊じゃないかぎりデートの相手は女子しかできない。女子にしか出来ないからこそ、今こうしてデートが出来つつある。

 

「余計なお節介なのは私も彼も承知。だけど、こうでもしないと織斑は興味あるまま気づくことなく終わってしまいそうだからデートするの。だから尚更……貴方にはこのデートで恋愛がどういうものなのか好きな人がいるってことを少しでも理解して、好きな人とデートするっていうことがどういう感じなのか分かってもらわないと困る。その為に本音に協力してもらっているんだから」

 

「協力って……そんな」

 

「何、うちの本音じゃ不満?」

 

「そ、そうじゃないけど……」

 

 凄むのは流石にやめような、簪

 まあ、簪がそんな態度するのは仕方ないか。本音、一夏とデートするの満更でもない様子だからな……現に今もそわそわしている。だから、余計にこのデートで本音が一夏のことを……なんて思うといらぬお節介でも焼かずにはいられない大切な幼馴染、親友を思っての思いからなんだろう。

 

「なら……いい。私と彼と一緒のダブルデートだけど……織斑、これは二人のデートでもあるんだからそこはちゃんと意識して」

 

「い、意識……」

 

「うぅ~……」

 

 簪の気に押されてゴクリと生唾を飲み込む一夏と意識の意味をちゃんと理解して本音は恥ずかしそうに俯く。

 

 意識はしてもらわないと困るのは事実。

 今日はデート……異性の友達と遊びに来ているのとはわけが違う。意識しないまま一日過ごされたら意味がない。一夏と本音はまだ両思いでもないし……ましてや付き合ってすらいないが、それでもデートだということを、例え仮のものだとしても好きな人がいて恋愛して好きな人とデートをしているということを意識するのとしないのではまったく違う。

 その辺はちゃんと一夏に意識させてからデートに望んでもらわないと……それことをちゃんと一夏に言い聞かせる。

 

 何となくでもいい意識してくれ、一夏。

 

「お、おう! 何となく分かったぞ!」

 

 不安だ。

 だが、俺達から前もって言うと言わないのもまた違う。言ったんだ、大丈夫だと信じよう。

 幸いさっきから意識しまくっている本音がいることだし、それっぽい感じにはなるだろう。

 

「よし……じゃあ、そろそろ中に入ろう」

 

 そうだな、時間は限られているんだ……時間が潰れていくのは惜しい。

 前フリはしっかりとした。あとは二人の問題。実際、やってみないと分からないことだらけだ、こればかりは。

 俺は簪の手をとり、普段の様に指を絡めるように繋ぐ。

 

「あ……そうだ」

 

 そこで俺と簪の声が重なる。大事なことを忘れていた。

 

「本音と織斑もこんな風に手繋いで」

 

「うぇぇっ!?」

 

 俺と簪が繋いでいる手と手を二人に真似するように見せて、驚く二人。

 

「更識さん、それは恥ずかしいんだけど!」

 

「女たらしが何今更、恥ずかしがってるの。いつも女の子と簡単に手を繋いでるじゃない」

 

「いや! それとこれとは違うって!」

 

「まあ、それはどうでもいい。今日は恋人同士のデートっていう体なんだから手を繋ぐのは当たり前」

 

「かんちゃん、わ、私も! 流石に……」

 

「本音? 早くして」

 

「はいぃ……」

 

 可愛らしくも怖い笑みを本音に向ける簪は二人に有無も言わさない。仕掛け人とは言え、他人事だから余計に楽しいんだろう。

 思い出せば、手を繋ぐのにやたら時間かかった簪が懐かしい……。

 

「のほほんさん……」

 

「う、うん。おりむー、どうぞ」

 

 差し出されて本音を手を一夏は戸惑いながらも取り、繋いで指を絡ませていく。

 

「これは物凄く恥ずかしい……!」

 

「えへへ~! そだねーでも、おりむーの手大きくて暖かい。私は繋げて嬉しい~」

 

 本音の純粋な感想に一夏は赤く染まった頬を残るもう片方の手で気恥ずかしそうにかいていた。

 

 

 

 

「うわ~」

 

 さくらパークの中に入るなり、簪は無邪気な声をあげる。

 いくつになっては遊園地は楽しいみたいで、幼い子供の様にはしゃいでいる。

 そんな様子を見ているとまだ入ったばかりだがこっちまで楽しくなってくる。

 

 一方、一夏と本音はと言うと。

 

「……」

 

「……」

 

 二人揃って恥ずかしそうに顔を赤くして、俯いている。

 律儀に手こそは繋いだままだが、歩き方といい二人の間の雰囲気といいどこかぎもちない。

 まあ、理由は目に見えているだけに見ている分には初々しい二人の姿がおもしろい。

 しかし、簪にはほんの少しかわいそうになったのか心配そうに声をかける。

 

「二人とも……しっかり」

 

「だ、大丈夫だよ! お嬢様! そ、そうだ! ど、どれから遊ぼう?」

 

「あっ、ああ! えっと……そ、そうだな、う~ん。あっ……あれなんてどうだ? 少し並んでるけどまだそんなに人は多くないし、遊園地の定番だろ。後々になって凄い並んでから乗ることになるよりかはマシじゃないか?」

 

 顔は赤いが緊張を隠すように一夏と本音は会話する。

 そして一夏が指さしたものはというとそれはジェットコースター。ループ状のレールの上を乗り物が高速で走りぬけている。結構な高さとコースの長さがあり、途中一回転している。ががが、とコースターは駆け抜ける轟音。そして、乗客たちの楽しそうな声。迫力ありそうで楽しめそう。

 確かに定番でまだ人は少なめだ。今ならほんの少し待てばすぐ乗れるだろう。乗れるなら乗りたいが、初っ端からアレか……。

 

「……っ。わ、私はいい」

 

 物凄い勢いで簪は首を横に振る。

 そういえば、絶叫系苦手だったな。普段からISであのジェットコースター以上の高いところから急降下の訓練をしているが、あれとこれじゃあ別物だからな。ジェットコースターの急降下する時にふわっとした感覚が嫌なんだと昔聞いた憶えがある。

 まあ……簪が嫌なら俺もいいかな。また別の機会で乗ればいいもの。二人には悪いが……何だったら二人で乗ればいい。ダブルデートはそういう風に別々に別れることが出来るし、ジェットコースターなら早速恋人同士っぽいことできるだろうそう提案したが。

 

「うーん、私もいきなりジェットコースターはちょっとぉ……ね。ごめんね、おりむー」

 

「そっかー……仕方ないな」

 

 がくっとなる一夏。よほど乗りたかったんだな。確かに急降下気持ちで乗りたい気持ちになってくる。

 でも、女子二人が嫌がってるのに無理強いしないのはいいことだ。相手が楽しんでくれるものに乗るのが一番だからな。

 そんながくっとなっている一夏の姿を見て本音が優しく励ます。 

 

「じゃあ、おりむーまた後で、乗ろう。ね?」

 

「ああ!」

 

 一瞬で元気になる一夏。単純な奴。

 しかし、ジェットコースター以外ってなると他に何から乗ろうか。

 あたりを見渡していると。

 

「かんちゃん! かんちゃん! あれあれ!」

 

 本音が見つけたのは。

 

「ああ……メリーゴーランド。アレならよさそう」

 

 簪も存在にきづいて言葉をこぼす。

 まあ、アレならゆったりしてるし最初に乗るアトラクションとしては最適。

 ゆったりという一面だけの話だが。

 

「いこいこ!」

 

「うん!」

 

 乗り気な本音と簪。それぞれの相手に手を引かれて、俺と一夏はメリーゴーランドの前に連れて行かれる。

 到着して、そのあまりにもファンシーな佇まいに思わず一夏は固まってしまった。

 まあ、そうなるわな。目の前にするとファンシーな感じが凄い。

 

「……これに乗るのか? いや、流石にこれは」

 

「え~! おりむー、すごく楽しそーだよ! ほら、童話に出てくるお姫様みたいな気分になれそう」

 

 実際、そういうコンセプトなのは明白だ。

 幸いこのさくらパーク自体、カップル向けの一面があるから乗っている夢を持った幼い年頃の女の子中に若いカップルはいることにはいる。しかしいざ、自分があの中に入って乗ると思うと恥ずかしさを感じる。

 

 簪も乗りたい? そう聞けば。

 

「……うん、一緒に乗りたいな。嫌?」

 

  分かった、一緒に乗るか。判断は一瞬。返答に迷いはない。

  俺が恥ずかしがっているのを簪に悟られて遠慮気味に聞かれれば、断れない。断るという選択肢は最初かに存在しないのだ。

 

「即決かよ! すげぇな!」

 

 これも可愛い彼女のお願いだ。俺の少しばかり羞恥心なんて捨てる。

 俺が簪と一緒に乗ることを決めれば必然的に。

 

「ねぇ~おりむーも一緒に乗ろう?」

 

「ぐっ……わ、分かったっ」

 

「やったぁ~!」

 

 笑顔ではしゃぐ本音。

 そんな本音の笑顔を見たら流石の一夏でも乗ることへの抵抗は薄れていっているみたいだ。

 自分が即決したことで一夏の逃げ道をなくしてしまったが、それはそれでよかったかもしれない。

 ここはIS学園から遠く離れた遊園地。こんな時ぐらい体裁はもちろん知り合いの目も気にすることがない分、気が楽なのも確か。

 

「じゃあ、早速行こう!」

 

「……うん!」

 

 また手を引かれ、列へと並んだ。

 

「……メリーゴーランドなんてすごい久しぶりだけど楽しいね」

 

 そうだな。とすぐ目の前にいる簪に答える。

 

 ファンシーな音楽と共にメリーゴーランドはゆったりと回っていく。

 気恥ずかしさこそはまだほんの少しあるものの、目の前にいる簪が楽しそうなので俺も楽しい。

 このメリーゴーランドは並びはしたがほとんど待つことなく、あれよという間に自分達の番。まあ、近いのに乗って一人一頭ずつ馬だかに乗るだろうと思っていたら、係員の人に「カップルですか?」と聞かれれば、カップル用の大きめの白い馬一頭に二人でまたがることになった。もちろん、一夏と本音も二人で一頭の馬に乗っている。

 

 「ふふっ」

 

 幸せそうに笑う簪は俺の腕の中にすっぽりと納まるような形で白馬にまたがっている。いや、むしろ簪はポールこそは握っているが、俺に体を預けている。

 簪の甘い匂いが鼻を掠め、密着しているせいか伝わってくる簪の柔らかさで内心ドキドキだ。俺でこんなだから、前の白馬に乗っている一夏と本音は見てて面白い。

 

「のほほんさん、大丈夫か? 辛くないか?」

 

「う、うんっ! だ、だだっ、大丈夫だよー! おりむー、やっぱり優しいねー」

 

「お、男として当たり前だ! うん!」

 

 一夏は普段からオルコット達とあんな距離近くて平然としているのに、今目の前にいる一夏はおもしろいぐらいぎこちない。本音も普段では見られないほど動揺してぎこちないがやっぱり満更でもなさそう。

 一夏のこの様子はデートということを意識していることが現れ始めた証拠なのかもしれない。そうだったらいいのにな。

 

「本音、凄い真っ赤。おもしろい」

 

 確かに。でも、簪も最初のころはよくあのぐらい真っ赤なことが多かったな。いや、あれ以上だったかも

 なんて軽くからかってみれば。

 

「……もうっ、ばかぁっ」

 

 頬を赤く染めそっぽを向いて俯いてしまったが、声は幸せそのもので俺もまた幸せな気持ちになっていくのを感じた。

 

 

 

 

 始めにメリーゴーランドを乗ったのは正解だったみたいだ。あれを皮切りにある程度アトラクションで四人揃って遊んだが、一夏と本音はすっかりこの状況になれたみたいで最初ほどの露骨なぎこちなさはなくなっていた。

 

「そろそろかもしれないね」

 

 頃合か。

 

「織斑、本音。今から別行動しよう」

 

「かんちゃん!?」

 

 簪の言葉に本音が驚く。

 今の今まで四人で遊びまわっていたが、一旦カップルずつで別れてみることにした。四人でも充分楽しいけど、そろそろ一夏と本音を二人っきりにしてみてもいいかもしれない。四人のままだと平衡を保ち続けるが、二人っきりになれば今とは別の反応が二人に起きるだろう。それを期待したい。

 

「ふ、二人だなんて無理だよぉ~」

 

「そ、そうだ! もうちょっと二人いてくれよ」

 

「いつまでも四人だと変化なさそうだし。私も彼と二人っきりになりたいから、ごめんね」

 

 こうでも言わないとダメだろう。

 

「まあ……何かあれば、私か彼の携帯に電話して。それじゃあ、二人とも……ごゆっくり」

 

 そういうことで……っと二人を置いていくようで悪いが足早に二人の前を去る。

 そして二人が見えなくなったところで一旦立ち止まる。

 

「……どうしようっか?」

 

 別れたが正直、今からどこに行くかは決めてない。

 むしろ、今さっき残してきた二人のことがやっぱり気になる。

 

「別れたばかりで……あれなんだけど」

 

 簪の言いたいことは何となく分かる。俺も同じ気持ちだ。

 離れた場所で少しだけ一夏と本音の様子を見守るか。

 

「そうだね、もう少しだけ見守ろう」

 

 簪と俺は二人っきりにした本音と一夏を離れたところでほんの少し見守ることにした。

 




ついに始まったダブルデート。
一夏と本音の初々しさや簪とあなたの甘い感じを楽しんでいただけたのなら幸いです。


で、今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいるあなたかもしれません。

それでは~


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簪と見守る一夏と本音の様子

「いや~やっぱ、ジェットコースターは楽しいな!」

 

「だね~めっちゃ凄かったー。流石、おりむーが勧めてくれるだけあったね」

 

 当初の約束通り、いくつかジェットコースターを乗り回した一夏と本音。

 コースの内容はどれもありきたりではあったが、それでもジェットコースター独特のスリリングや爽快感があり、一夏と本音は満足していた。

 

「でも、ちょっと疲れたかな~」

 

「だな。おっ……のほほんさん、あのベンチで休憩しようぜ」

 

「おっけ~」

 

 辺りを見渡して一夏が見つけたベンチに向かい二人並ぶようにして腰を下ろす。

 疲れを抜くように深呼吸して息を吐く一夏を本音は微笑ましそうに見守る。

 二人の間には無言の空間が出来ていた。それは気まずさはなかったけど、少しばかりの気恥ずかしさを感じて、何か話題でもと二人して探していた。

 そうしていると二人の目に繋いだお互いの手が見えた。

 

「あっ……手、ずっと繋いだままだったね」

 

「あっはは、そうだったな」

 

 二人して繋いだまま一つになった手を見つめる。

 その手は今だ繋がったまま。もちろん簪に最初言われた通りの指が互いに絡まった繋ぎ方。

 今の今までずっと二人は手を繋いでいる。無論、アトラクションに乗る時など手を離さなくてはいけない時は離していたが、それでも終わればまたすぐに元のつなぎ方へと手を繋いでいた。

 二人の間で手を繋ぐことに対してまだ少しばかりの気恥ずかしさこそはあれど、最初の様な気恥ずかしさからくるぎこちなさはもうない。それほどまでに今では手を繋ぐと言うことは二人にとって自然なことになっている。

 しかし今は休憩。お互いに名残惜しさを感じながらも、休憩の為にと手を離した。

 

「……そうだ。のほほんさん、今日はありがとうな」

 

 流石に二人っきりの時、しかも本音相手に沈黙を続けるのは悪いと感じた一夏は何か話題でもと思った話題でも考え、ふと今日感じたことを言った。

 

「ほぇ?」

 

 のんびりと心身共に休んでいた最中に突然、一夏がそんなことを言うものだから、何のことかと本音は首をかしげた。

 

「……デ、デートだよ。今こうしてセッティングしてくれた二人にはもちろんだけど、のほほんさんには凄い感謝してる。今日の相手がのほほんさんでよかったって思うよ」

 

「またまた~おりむーはす~ぐ、女の子が喜んじゃうこと言うんだから~。謙遜でもそんなことは……」

 

「謙遜なんかじゃない。俺は本当にのほんさんでよかったと思ってるんだ」

 

「えゅ……」

 

 照れくさそうにしながらもちゃんと本音を見て言ってくる一夏を見て本音はいつものほかの女の子に言うような謙遜だと思っていただけに、一夏の言葉が本心だと分かってしまい嬉しさや恥ずかしさが混ざり合って変な言葉で出て頬を赤く染め、それを隠すように俯くことしかできなかった。

 

――のほほんさんでよかった。のほほんさんじゃなければ、こんな風に過ごせなかったなぁ。

 

 それは本当に本音以外の女の子に普段言うような謙遜でもなければ、軽口でもない。本心からそう思って自然と出た言葉であり、本音でよかったと身をもって感じている。

 一夏にとって本音はクラスメイト……友達だが、同じ様に友達のシャルル達五人とではこうはならない。彼女達五人ともが一夏のことを一人の男として好きで惚れているが、五人互いに一夏に惚れていることを知っているだけに、他の四人よりも先に一夏と結ばれようとしてあれやこれやとして、いつも押せ押せになってしまう。

 そうでなくても一夏をいざ目の前にすると、緊張からドタバタと慌しくなり、愛情の裏返しとも言えなくはない暴言や暴力を一夏は振るわれてしまう。

 

  しかし、本音はそんな皆とは違った。 皆のように押せ押せで一夏と過ごすのではなく、常に控えめな態度でそれでいて遠慮しすぎるということもない。自分の意見や思っていることをちゃんと伝えてくれて、嫌だと感じたことには嫌だとはっきりと言ってくれる。それでいて一夏の様子や意見をちゃんと聞いてくれた上で二人の意見を合わせた上で二人共が満足できそうな行動を進めてくれる。

 引っ張りまわされてドタバタとなることもなければ、愛情の裏返しだからと暴言や暴力を振るうようなことは決してない。本音の一夏に対する態度は自分の意思を持ちながらもちゃんと男である一夏を立ててくれるようでそれが一夏にとって嬉しい。

 だから、一夏は今もおだやかにデートを楽しむことが出来、そうしたことがあるから今楽しめているのは本音のおかげで本音じゃなかったら、こんな風には過ごせていないと感じていた。

 ただ、それだけに一夏にはある罪悪感を感じていた。

 

「でも、ごめんな」

 

 突然謝られ何のことか分からない本音は不思議そうに首をかしげた。

 

「今日、無理やり付き合わせちゃったみたいで……」

 

 本音が今も自分とのデートを楽しんでくれていることは一夏でも分かっている。しかし、今日のデートの理由が理由なだけに大方簪達二人に相談されて断るに断れなくなったか、巻き込まれてしまったのだろうと一夏は思った。そうなると自分のせいで無理やり付き合わせしまったみたいで申し訳ないとそんな罪悪感を一夏は感じていた。

 

「ストーップー! それ以上は言わせないぞ~おりむー」

 

 謝ろうとする一夏の口元に人差し指をやり本音は拗ねたような表情を浮かべ言葉を遮る。

 

「まったく、おりむーは酷いなー」

 

「え?」

 

「今日、おりむーとデートしようと決めたのは誰でもない私の意志。そりゃかんちゃん達には勧められはしたけど、それでも最後にそうしたいって決めたのは私。私、おりむーとは一度デートというか出かけてみたかったんだ」

 

「そうなのか」

 

「うん。おりむーはモテモテだからね、こんなこと滅多にできないし。だから、今こうしておりむーとデートできてて私すっごい嬉しい。それにおりむーと同じなんだよ」

 

「同じ?」

 

「私も今日の相手がおりむーで本当によかった。じゃなきゃ、こんな風に楽しいデートできなかったって思うもん。今、私とっても幸せ」

 

はにかみながら幸せそうな笑みを満開にさせながら素直に気持ちを伝える本音に一夏はただただ見惚れる。

 

――俺、凄い勝手な思い違いしてたんだな。

 

 自分がとんでもない思い違いをしていたことに一夏は気づく。それはそれでまた悪い気がするが、本音の笑顔を見ていると胸の中にあった罪悪感がゆっくりと和らいでいくのが分かる。

 本音が自分と同じ思いでいたことが嬉しくて、一夏もまた今とっても幸せ。同じ思いを分かち合っているのはどうしてこんなに胸が温かくなるんだろうと感じていた。

 

「だから、気にしなくて大丈夫。無理やり付き合わされたなんて悲しいこと言わないで。今こうしていられるのはおりむーのおかげでもあるんだから」

 

「そっか……ありがとうな、のほほんさん。気持ちが楽になったよ」

 

「どういたしまして♪ それにこのダブルデートをかんちゃん達に提案したの私だから」

 

「えぇぇっ!?」

 

 恋愛経験をつんでいる真っ最中の二人がてっきり今日のダブルデートのことを考えていたと思っていた一夏は驚いた。

 むしろ、本音がダブルデートをあの二人に提案していたことに更に驚く。

 

「かんちゃんの彼氏君におりむーが恋愛やそういうことで女の子に興味を持ったって聞いてね。おりむー一人だと興味は持てても実際どんなことか分からないし難しいと思うから、かんちゃん達に協力してもらってダブルデートすることで少しでもおりむーに知ってもらえたらと思って提案したんだ」

 

「そうだったのか……」

 

 へぇ~と感心した思いの一夏。

 女の子である本音に自分が恋愛やそういうことで女子に興味持ったってことはいまだに恥ずかしいけど、嫌な思いはしない。またお節介だとも思わない。むしろ、うれしいぐらいだ。本音達が自分のことをここまで考えてくれて、ダブルデートまで考えて手助けしてくれていることは。

 実際、自分一人ではいつもでも興味があるままで終わってしまいそうなことを一夏は身をもって知っている。

 

「そういえばさ、一つ聞いてもいい?」

 

「何?」

 

「おりむーが恋愛やそういうことで女の子に興味持ったのってやっぱり、かんちゃんと彼氏君が付き合ったことがきっかけだよね?」

 

「まあな。更識さん達がというよりかは、あいつが更識さんと付き合ったのがきっかけって言った方が正しいかも」

 

「あいつって……かんちゃんの彼氏君?」

 

「ああ。決して変な意味じゃないがあいつは俺にとって特別な存在だからな」

 

「特別……」

 

「ほら、あいつも男でISを操縦できるから」

 

 ああ、なるほどっと本音は思った。

 簪の彼氏もまた一夏同様男でISを操縦できる。つまるところの世界で二番目に男にしてISを扱える少年。確かに特別な存在だろう。

 

「俺はさ、手違いでISに触れて操縦できるようになってIS学園に入学させられて生活することになって今でこそ慣れたけど、最初はかなりキツかった」

 

 思い出すように一夏はポツポツと話していく。

 

「周りは女子だらけで女子高の中にいるような気分で気が休まることなんてないし、ただでさえ女尊男卑の今で女の力の象徴?のISを動かせるから客寄せパンダ扱いされるわで。それにあんまりこんな風に千冬姉のこといいたくないけど俺の姉はあの織斑千冬だろ? やっぱり、周りからあの織斑千冬の弟だからって期待を寄せられているのは何となくでも分かった」

 

 それは男でありながらISを使えるようになった故の必然的な悲劇。ISが急激に普及した今の世界では女にしか扱えないISは女の分かりやすい力の象徴となり、今まであった男女のバランスが崩壊し、ISを軸に国際社会が形勢されるなかで必然的に女が優遇され、おざなりにでも女尊男卑の社会風潮が広まった。そんな中でISを男が使えれば、好奇の目で周囲から見られるのは避けようのないこと。

 まして一夏の姉である織斑千冬はIS登場以来からずっとISに携わり、開発者である篠ノ之束と旧知の仲で半身ともいえる存在。知識、技術共に開発者である篠ノ之束に匹敵し、競技の枠を超えてブリュンヒルデ(世界最強)の名をほしいままにし、誰もが千冬の力や能力を認めている。

 そんな力のある女性代表織斑千冬の弟である一夏にはこれまた必然的に期待を寄せられる。

 

――私もおりむーにそんな期待してないなんて言えない。

 

 本音は一夏の話を聞いてそう感じていた。

 あのブリュンヒルデ(世界最強)の織斑千冬の弟だから漠然と何か凄いことをしてくれるんじゃないんだろうかと期待したり。あのブリュンヒルデ(世界最強)の織斑千冬の弟だから一夏も姉の偉業に相応しい力を持っているんじゃないかと期待したり。ましてや有史以来、女性と共に世界を作ってきた男という存在で女性にしか使えないISを扱えるのだ、彼は特別な存在で何か秘めた力を持っているんじゃないかといった沢山の期待を一夏に寄せる。

 

「別に期待されるのはいいんだ。期待されないよりかは期待されたほうがいいし、俺は男だから期待されたら応えたい。頼られてるって感じがするからな」

 

 事実一夏は周りから寄せられる期待に答え続けている。ゴーレム襲来しかり、VTシステム暴走しかり、福音事件しかり。どれも一夏がかかわった事件は全て一夏によって最終的に解決に導かれている。

 実力においても特訓やさまざまな相手との模擬戦、実戦を通じて驚異的なスピードで力をつけ、流石はあのブリュンヒルデ(世界最強)の織斑千冬の弟だと言わしめるほど期待に応えている。

 だが、一夏が周りの期待に応えれば応えるほど新たな期待を寄せられ、期待は強くなるばかり。

 

――おりむー、何だかその内壊れてしまいそう

 

 一夏は頼られていると言って期待され続けることに不満を吐かないが、それでも一夏は結局歳相応の男でしかない。どれほど英雄的に物事を解決に導こうとも、どれほど驚異的なスピードで実力を身につけようとも、一夏のキャパシティーを越える期待に応え続けていればいつかは壊れてしまう。

 本音にはそんな気がして怖いと感じている。

 

「でも、正直きついことには変わらないかな。そんなこと言えるような奴、友達なんてあいつと出会うまでいなかったし。あ、のほほんさんや箒達を友達って思ってないわけじゃないぞ? でも、のほほんさん達は女子だから、男が女子にこんな弱音みたいなの言うのは正直情けないって言うか。中学までの男友達はいるけど、学園は全寮制でそう毎日気軽には会えないし、会ったところでこんなこと言えないからな」

 

 つまりは一夏には胸のうちの奥深いところにある悩みを相談できる相談相手がいないということ。

 一夏にはたくさんの友達はいるが基本的に女の子ばかり。一夏にだって男としての意地があり、男としての意地があるからこそ女の子に弱みを見せるのは情けないと感じて気軽に悩みを打ち明けることは出来ない。

 かといった弾といった中学までの男友達に相談しようにも、住んでいる世界が違う。ましてやISを使えるのと使えるのでは価値観が違い始め、そうなれば一夏にとって自分の悩みはただの愚痴でしかなく、相手にとって嫌味にも聞こえかねない。

 故に他人に気安く愚痴を零したり、悩みを相談することがができない。だから――。

 

――ああ、そういうことか。

 

 本音は納得した。

 一夏は期待に応え続けているだけで精一杯なんだ。だから恋愛になんて興味向けてる余裕がなく、余裕がないからそういう対象で見れず女子に興味がないような鈍い行動をしてしまう。

 当然のことかもしれないのだ。期待に応え続けないとその期待に押しつぶされてしまいそうで、恋愛になんてかまけてられない。一夏は周囲からの期待と自分の中での悩みや愚痴との葛藤で板ばさみ。

 

――私達、ううん私はおりむーに過度な期待しすぎちゃって頼りすぎてる。本当は一番誰かを頼りたいのはおりむーなのかもしれない。

 

「あ、だからなんだね。かんちゃんの彼氏君がおりむーにとって特別なのは」

 

「ああ。俺はあいつに出会えてよかったよ。俺以外にISを動かせる男が現れるなんて思ってもいなかったから」

 

 一夏の発見により、全世界で一斉に一夏以外に男でもISを使える人物がいるのではないかと調査が行われ、それによって日本で見つかったのが一夏と同い歳である簪の彼氏だ。

 自分と同じ境遇でしかも同性で同い歳。現れるなんて思ってもいなかった自分以外の男でISを扱える人間がいたことに一夏は心底喜んだのを憶えている。これで漸く自分は一人ではないのだと、漸く同性の友達が出来ると思えたから。

 

「あいつと出会って俺達はすぐ友達になった。同じ男でISを使える者同士互いに何か共感みたいなのをしたのかもな。多少馴れ馴れしかったと今になって思うけど、あいつは邪険にはしなかったらな。それが嬉しかった」

 

 同じ様に男なのにISを使えるからと好奇の目で見られる苦しみやISを使える男だからというだけで寄せられる期待に応えつづけないと押しつぶされる苦しみを分かち合える喜び。

 異性の友達では出来ないような遊びや同性にしか話せない様な話なんかも出来る喜び。

 そうして喜びを感じ、今まで周りが女の子ばっかりで辛かった一夏だが、簪の彼氏がいることで気が楽になって、楽だからこそ少しでも一緒にいようとする。

 それが一夏が同性愛者と疑われる様な行動の理由であり、今までの反動の証拠だった。

 

「あいつと過ごせる時間は気が楽で疲れなくてよかった。その分、あいつには迷惑かけたみたいだけど。それでもIS学園っていう生活の場で同性の友達がいるっては本当に嬉しいし、助かってる」

 

 しかし。

 

「でも、あいつはあいつで辛い中でも気づいたら更識さんっていう彼女作って……それが何かな。別に更識さんに嫉妬なんて気持ち悪いことしてないけど、彼女が出来た途端冷たくなった気がして寂しかったんだ俺は」

 

「寂しかったか……私も分かるな~それ」

 

「のほほんさんも?」

 

「まあ、ね~かんちゃん、彼氏君できてから本当に彼氏君にべったりだから」

 

「ははっ、そっか」

 

 本音も一夏の言いたいこともその気持ちも同じ体験をしているだけによく分かる。

 

「恋人が出来た途端友達付き合い悪くなるって本当だったんだな」

 

「本当にねー。かんちゃん、彼氏できたことで明るくなって前よりもいい方向に変わったのはうれしいんだけど……かなり惚気話聞かされちゃったなぁ~」

 

「のほほんさんもか。俺もあいつにかなり惚気話されたよ。勝手に話す事はなかったけど、ニヤニヤ幸せそうにしてて俺から聞かないといけない感じになってさ」

 

「かんちゃんも同じだよ。部屋にいる時いつもニヤニヤ幸せそうにして聞かないといけない雰囲気っていうのかな? いざ聞いたら惚気話たくさんされてあれは面白かった半分困ったよー」

 

「俺もだ。本当あいつら似たもの同士だな」

 

「ねー、まったく」

 

 惚気たくなる気持ちは分からなくはないが、ああも惚気話をたくさんされると流石に……といった苦笑いにも似た同じ表情を浮かべる一夏と本音の二人。

 

「でも、あいつがあんなに幸せそうにしているんだ。そんなに夢中になるほど恋愛っていいものなのかと思って」

 

「で、おりむーは興味を持ったと」

 

「まあ、な。本当興味持っただけだけど」

 

 けど、一夏が興味を持てたことは出会ったばかりの頃の一夏を知っている本音にしたら驚くべきことで、興味を持てたのは簪の彼氏と出会い、同じ立場の人間がいるからこそ余裕ができたからこそなんだろうなと本音は思った。

 

「それでどうなの? おりむー。今日のことで……その、恋愛がどんなことなのか? 好きな人がいて好きな人と恋愛っぽいことするのってどういうことか分かった?」

 

「うん、まあ……少しは。言葉にしろって言われたら、流石に上手く言葉には出来ないけど。のほほんさんとデートしてさ、恋愛してるってこういうことなんだと好きな人がいるってこういうことなんだと何となくだけどこうなのかって思えるよ。何だかむず痒いけど、それはそれで悪くない。こういうの……幸せっていうのかな」

 

「幸せかぁ~そうだね、こういうのを幸せって言うんだよ。私、おりむーの役に立てたかな?」

 

「役に立てたってレベルじゃないぞ。言っただろう? のほほんさんじゃなかったらこんな風に過ごせなかったよ。こんな風に思えなかった。本当、のほほんさんのおかげだよ」

 

「ふふっ、それならよかったぁ~」

 

 簪の彼氏のように本音もまた一夏に何かしら変わるきっかけを与えることが出来て、今日のデートが無意味なんかじゃなかったと一夏の言葉からちゃんと知ることが出来ることが出来て嬉しくなる。

 何より、その一夏の幸せそうな笑顔を見れて、本音も嬉しくて胸が幸せで満ちていくのを感じた。

 




のほほんさんisGod


二人っきりになった一夏と本音の様子をお送りました。
ほぼ始めての三人称で書いたので長くなってしまい申し訳ございません。
何故一夏が恋愛に興味をもったのか、その具体的な理由と
そしてかなり拡大解釈でありますが、私なりに原作の一夏が何故あそこまで鈍感なのか、ホモっぽく見えるのかというのを考えてみました。
楽しんでいただけたり、何かまた別の考えをするきっかけになったりすれば幸いです。

ちなみに簪さんたちは出ていませんが、見守っているという体です。
まあ、最初の方で二人がいい感じなのを見て、見守るのやめましたが……


で、今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいるあなたかもしれません。

それでは~


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簪と見守った一夏と本音の様子

 きゅるる~

 なんとも可愛らしい音がした。

 

「あぅ~……お腹鳴っちゃったぁ~」

 

 顔を真っ赤にした本音が、恥ずかしそうにしながらお腹を抱える。

 そんな本音の様子が一夏にとって可愛くて思わず笑ってしまった。

 

「もう~っ! おりむー何で笑うのー!」

 

「やっぱ、のほほんさん可愛いなぁっと思ってさ」

 

からかうように一夏が笑うと、本音の顔はますます赤くなっていく。

 

「そう言えば、もう昼か」

 

 簪達と別れて別行動になったから今までずっと時間を忘れてしまうほど楽しく過ごしている二人。

 一夏がふと携帯で時間を確認すれば、時刻はもう十二時過ぎ。お昼時だ。

 この時間帯はどこも込む時間帯で、尚且つ一夏達が今いるのは遊園地。食事処の込み方が激しいと予想できるが、幸いさくらパークはフードコートが充実しており、飲食店の数が多いと簪達から一夏達は聞いている。

 だから、相席などになる可能性はあるが込んでいても探せば座って食べられる場所くらいはまだあるはずだ。

 

「ごめんな、のほほんさん。何か随分話し込んで……それも結局愚痴や弱音吐くみたいなこと言ってしまって」

 

 苦笑いしながら一夏は言った。

 

 本音が話を聞いてくれていると不思議と話しやすく、普段誰にも言わない……箒達女の子の友達は勿論、簪の彼氏にまで言わない様な話まで一夏はしてしまった。

 ふと思い返せば、自分が女の子相手に話すのを嫌う弱音や愚痴っぽかったと一夏は感じたが、それでも本音に聞いてもらえると楽になる。

 一夏の胸のうちにあるモヤモヤとした嫌な感覚が和らいでいくのが分かった。

 

「ううん、気にしないで~おりむー。私はおりむーが頑張ってるのちゃんと見て知ってるから。ただ、おりむーは無理して頑張りすぎちゃうところがあるから……私でよければいつでも話聞くよー!」

 

「のほほんさん……ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ。じゃあ、お昼ごはんでも食べ行こうぜ」

 

「うんっ!」

 

二人は再び指を絡めるように手を繋ぐと、お昼ごはんを食べる為にその場を後にした。

 

 

 

 

「席、空いててよかったねー」

 

「本当だな」

 

 一夏達が入ったのは屋内型のフードコート。人は多いが座れないほどではなく、特に相席もすることなく、二人ゆったり席につくことが出来た。

 

「本当はもっといいものをご馳走できればよかったんだけど」

 

「あっはは! 何だかおりむーらしくな~いっ!」

 

「今日は仮でもデートだからな。少しはカッコつけたいっていうか」

 

「気にしなくていいのに~遊園地なんだから仕方ないよ」

 

 一夏達の目の前にあるテーブルの上にはハンバーガーにチキンナゲット。ポテトフライに小さなサラダにドリンク。学生の昼定番とも行っても過言ではファーストフードがあった。

 二人がそれぞれお互いに好きなのを選んだ。しかし、一夏はほんの少し不満そうな様子だった。別にファーストフードが嫌いな訳でもなければ、ファーストフードそのものに不満があるわけでもない。

 ただ、仮とは言え、折角本音とのデートなのだ。一夏としてはご馳走するなら勿論のこと、少しでも雰囲気のいい落ち着いたところを、と思った。それにファーストフードはいつもでも食べられるのだから、と。

 しかし、今は遊園地。いいものを選びご馳走しようと思えば、値段が一気に跳ね上がる。一夏達

高校生の身では辛い値段設定がされており、ファーストフードといったリーズナブルな値段のものを選ぶ他なかった。

 

「それにおりむーにはこうしてご馳走してもらったんだしさ。気にしなくて、大丈夫~! ありがとうね、おりむー♪」

 

――ファーストフードでも喜んでもらえているみたいでよかった。流石は彼女持ちの意見。聞いといて損はなかったな。

 

 いつか簪の彼氏から聞いた『彼女とデートして金銭的に余裕があればご飯代を奢るのも手の一つ』という話をふと思い出し、今日のお昼ご飯は二人分の代金一夏が全て払った。

 決して安い金額ではないが、それでも本音は遠慮しつつも素直に一夏の好意を受け取ってくれて、その様子が一夏には嬉しかった。ご馳走して正解だったと感じた。

 

「まあまあ話はそこそこにして食べよ」

 

「そうだな。よしっ、いただきます」

 

「いただきま~す!」

 

 二人揃って手を合わせ食べ始める。

 一夏達がまず最初に食べたのはハンバーガー。口の中でハンバーグの肉汁とケチャップが混ざり合い、ファーストフードならではの味付けだがそこそこ美味しい感じさせられる。

 

「基本学食だからたまにはファーストフードも悪くないな。うまいうまい」

 

「ふふっ、そうだね~うまうまっ~」

 

楽しく美味しく食べる二人。

 

――よっぽど、おりむーお腹空いてたんだ。凄い食べっぷり。

 

 先にお腹を鳴らした本音より本当のところ一夏のほうがお腹が空いていたみたいで本音がハンバーガーをまだ少ししか食べれてないのに比べ、一夏はもうすぐしたらハンバーガーを食べ終えられる。

 ファーストフードでも美味しそうに食べる一夏を見て本音はその姿が何とも幼い少年ぽく見え、母性本能がくすぐられてか何だか可愛く思え微笑ましくなる。

 

「こんなことならお弁当でも作ってきたらよかったね」

 

ふと本音がそんなことをもらした。

 

「のほほさんって料理できるのか」

 

「出来るよ~かんちゃんのメイドだからねーかんちゃんの身の回りのお世話する為に家事全般は幼い頃から叩き込まれたんだ。ちなみに私はかんちゃんの料理の師匠なのだ~!」

 

「へぇ~のほほんさんの手料理一度食べてみたいな」

 

「えへへ~いいよ~機会があればねー」

 

「楽しみにしてる」

 

 そんな話をしつつ、本音がポテトに手を伸ばした時だった。

 

「あ~んっ♪」

 

「お、おい。こんなところで」

 

「照れない照れない。はい、あ~ん」

 

「くっ……んっ」

 

 隣の席のカップルが恋人に何から料理を食べさせていた。

 甘い雰囲気。そのカップルは一目を気にするどころか二人っきりの世界。周りもその様子を気になっているだろうと、周りを見れば特に気にしていない様子。むしろ、周りは周りでカップルづれが多く似たようなことをしているありさまだった。

 

「うわ……」

 

「……」

 

 周りのカップルから流れてくる甘い雰囲気に当てられてか一夏は恥ずかしそうにしており、何かを考える表情している本音。

 

――私とおりむーって周りからどう見られているんだろう? 友達……それとも……恋人? おりむーは私のことをどう思っているのだろう?

 

 本音の脳裏にはそんな疑問にも似た思いが浮かんだ。今日はデートだが、あくまで仮のデート。一夏にいろいろなことを学んで知ってもらう為のもの。自分と一夏は恋人ではないし、一夏は異性として好きなのかと聞かれるとやっぱり友達として好きとしか今は言えないが、それでも周りからどう見られているのか気になってしまう。

 友達同士に見えてたらその通りなので否定しようがない。だけど、もしも周りから恋人に見えているから何だか嬉しい気がする。

 

 それに一夏が自分のことをどう思っているのかも本音は気になる。一夏が自分のことを友達としてしかみてないことは分かっている。そうだとしても……万が一、一夏がそういうことで自分を好きだと思ってくれているのなら……あの五人には悪いけど、嬉しい。そんな気がする。

 

――ちょっと試すみたいでごめんなさいだけど……よしっ

 

「おりむ~、あ~ん♪」

 

 本音はポテトを一つつまんで一夏に差し出した。

 一夏がこういうのになれているのは知っている。あの五人によくされているのを本音は見かけるからだ。だから、今更恥ずかしがっても嫌がりは一夏はしないだろう。

 隣のカップルを見ても、周りに漂う甘い雰囲気を感じてもいつも通りの反応で一夏が食べるのならそこまでだが、いつもとは違う反応をしてくれるならもしかして……っと本音はそんな淡い期待をしてしまう。

 

「……あ、あ~ん」

 

 一夏は一瞬、戸惑った様子だか次の瞬間覚悟を決めたように口を開け食べた。

 

――あのカップル見て、まさかとは……思ったけど箒達に食べさせられるより恥ずかしいな、これ。

 

 そんな思いの証拠にいつもの何ともない様子とは違い、いつになく恥ずかしそうに顔が真っ赤に一夏。そんな一夏を見て、自分からやったはずなのに物凄く恥ずかしいことをしたんだと改めて実感させられてしまい顔が真っ赤な本音。二人は言葉を失い、いつにない酸っぱい沈黙が二人にはあった。

 

「……よくある奴だけど、これは……やっぱ恥ずかしいな」

 

「そうなの~? おりむーよくされてるのに?」

 

「あ、あれとこれは違うっていうか! 何と言うかその……相手がの、のほほんさんだから、かな」

 

「そうなんだぁ~えへへ、嬉しいな~♪」

 

 普段とは違う一夏の様子に本音は満足そうに笑顔を咲かせていた。

 

 

 

 

 別れてそれぞれのカップルで遊園地を周り遊んでいた簪達と一夏達の両カップルだったが偶然にもばったり出会い今こうして合流し、再び一緒に周ることになった。

 そして楽しい時間はあっという間に過ぎていく。気づけば、もう夕暮れ時。今日の終わりが近いことを告げている。

 最後に一つ何かアトラクションに乗ろうということになった四人は最後に観覧車を選んだ。

 さくらパークの目玉アトラクションの一つである観覧車。一夏達はそれぞれカップルごとに二つに分かれてゴンドラに乗り込む。ゴンドラはゆっくりと上に向かって上がっていく。

 

「……」

 

「……」

 

 気恥ずかしそうな様子でお互い沈黙する一夏と本音。

 当たり前だが観覧車がどういう乗り物でどういうものなのか知ってはいたが、いざゴンドラの中で二人っきりになると無性に気恥ずかしくなってる。このゴンドラは二人用で大して広いというわけでもない。加えて密室。今までのアトラクションは周りに人がいたが今はいない。本当に二人っきりの空間。

 そのことを意識してしまうと手を恋人繋ぎするよりも恥ずかしく思えて、向かいあっているせいなのか、相手との距離がないように思えてくる。

 

「け、景色! 綺麗だね!」

 

「あっ、ああっ! ほ、本当だなっ!」

 

 気恥ずかしさを紛らわすように二人してゴンドラから見える景色を眺める。

 ゴンドラから見える夕焼けの景色は何とも綺麗、幻想的で圧倒される。そして同時に寂しいと感じさせられてしまう。そう感じるのはやはり、沈みゆく夕日がそろそろ本当にデートが終わるということを意識させるからかもしれない。

 

「……そろそろ、デートおしまいだな」

 

「そうだね~名残惜しいけど。おりむー、今日はどうだった? 楽しかった?」

 

 昼前にも似たようなことを聞いた本音だが今一度、一夏の口から直接今日一日の感想を聞いておきたかった。

 

「ああ、楽しかった。すっごく、のほほんさんとデート出来て本当によかった。のほほんさんはどうなんだ?」

 

「私もすっごく楽しかったよ。おりむーとデートできてよかった。いい思い出になったよ」

 

「思い出か……そうだな」

 

「あ、そうだ。どうだった? 恋愛がどんなものなのか。好きな人がいて恋愛するっていうことがどんなことなのか少しは分かったかな?」

 

 これもまた今一度聞いておかなければならないこと。今日のデートはこの為にあり、これらを一夏に少しでも理解してもらわなければならない。

 

「ああ。本当にまだ少しで何となくだけど……やっぱり、幸せな気持ちになるんだなって感じた。そして幸せな気持ちで胸がいっぱいになって暖かくて楽しくて嬉しい。好きな人がいて好きな人と一緒に過ごすっていうのは多分こんな感じなんだろうなって」

 

「そっか……ふふっ、よかった」

 

――おりむー、少しは分かったみたいだね。よかった……これならおりむーのことが好きな子、例えばあの五人の気持ちにも近いうちにきづくなんだろうな……。

 

 微笑みながらも今日一日の成果は少しでも出てよかったと思うのに、思えば思うほど本音は胸が締めつけられるのを感じた。

 

 ゴンドラが頂上を越えて、今度はゆっくりと下へ降りていく。後、数分もしたら地上へとたどり着く。こうしていられるのもあと僅かで……観覧車が終われば、後はもう寮へと帰宅するだけ。

 

――寂しいって感じるのはきっと夕日のせいだけじゃない。

 

 夕日を眺めながら一夏はそんなことを考える。本音と別れるのが正直寂しいと一夏は感じている。別に永遠の別れじゃないことを分かっていれば、また明日学園でも会えることをちゃんと一夏は分かっている。なのに、このままデートが終わって、本音と別れると思うとやっぱり寂しいのだ。

 

――まだもう少しのほほんさんといたいな。

 

 居たりない。もっと一緒にいて、楽しいことを共に分かち合ったり、もっといろいろな本音の表情を見たいと一夏は切に思い始める。もっと一緒にいたい、傍にいてほしいと。

 

――そういえば、あいつが言ってたな。

 

いつ夜か簪の彼氏が言っていた『単純に一人の人とだけ友達以上に特別一緒にいたい、自分の傍にいてほしいって強く思うことだと』という言葉を思い出す。

 その言葉に当てはめていくと一夏の今の思いはぴったりとその言葉通りになっていく。

 

――そうか、そういうことか。

 

 今だ本音のことは友達だと思っているが、あの言葉のように友達以上に特別一緒にいたい、自分の傍にいてほしいって強く思っている。そして何よりその想いの先にある想いに一夏は気づいていく。

 

―― 一緒にいたいと想う気持ち。俺は……のほほさんのことが好きなんだ。

 

 まだ一緒にいたいと。友達以上にいたいと感じたらそれは好きということなんだと気づいた一夏。

 今はまだ好きがどういうものなのか自分の中ではっきりとはさせられないが、友達以上にまだ本音と一緒にいたいと一夏は強く思う。

 

だから、一夏は言った。

 

「なあ? のほほんさん」

 

「ん?」

 

「またさ、のほほんさんが嫌じゃなかったらだけど……遊びに……いや、俺とデートしてくれないか?」

 

「えっ?」

 

 一夏の言葉があまりにも一夏らしくなくて本音は信じられず間の抜けた返答をした。

 だけど次第に本音は言葉の意味を理解していく。

 一夏がいったデートは単に友達と遊びに行くというものではない。それは一夏自身がはっきりと否定した。一夏が本音を誘ったデートは恋人同士でする類のもの。

 それを本音は一夏の言葉からちゃんと理解していたが、あえて聞いた。

 

「それは今日みたいなダブルデート?」

 

「違う。今度は最初からのほほんさんと二人っきりだけで過ごしたい。デートしたい」

 

「どうして私なの? デートなら私以外にも出来るよ」

 

「俺はのほほんさんが好きだから」

 

 顔を赤くしながらも真剣な表情で一夏は言った。

 

――他の奴らじゃ、デートしてもこんな風にはならない。のほほんさんだからこんな風に思えるんだ。のほほんさんじゃないとダメなんだ。

 

 今日の日の別れは永遠じゃない。また明日も会える。会えるのなら、またデートをすればいい。今度はちゃんと二人っきりで。

 そんな単純な発想だが、それ故に一夏に迷いはない。一緒にいたいから好きだと思える本音が相手だからこそ言える言葉。

 

――どうしよう! 嬉しい……っ!

 

 泣き出しそうなぐらい嬉しい。嬉しくて顔はいつも異常に熱く感じるが、その熱さが本音にこれは夢じゃないと思わせてくれる。夢の様な言葉。一夏から聞けるなんて思ってもいなかった。

 しかし、本音の脳裏にあることが過ぎり、徐々に冷静さにも似た感覚が憶える。

 

――でも、ダメだよ。こんなの……抜け駆けみたいだ。今回はそうする必要があっただけで、本当にそうして欲しい子は他にちゃんといるんだから。後からあらわれたのに抜け駆けなんて真似できない。

 

「気持ちは嬉しいんだけど、ごめんね。それは出来ない……織斑君の気持ちは受け取れない」

 

 本音の言葉を一夏は疑った。

 

「今度は織斑君のことを好きだと想っている子がいるから、その他の子とデートしてあげて。そして、その子の想いにちゃんと向き合って。今の織斑君には出来るはずから。あせらなくても大丈夫。ゆっくりでもいいから……」

 

「俺は本当にのほほんさんのことが!」

 

「織斑君はまだ私しか知らないからすぐに好きだなんて言えるんだよ。他の子ともデートしたら……酷い話、また一緒にいたいと思える子が出来たら私への想いなんて変わるかもしれない。そんなものだよ」

 

 それはきっぱりと断られたことを告げる言葉。何より、いつもの間延びした口調のない真剣な口調で一夏のことを『織斑君』と呼ぶ本音の言葉が嫌でも現実なんだと分からせられる。

 

「……な、なんだよ……それ。俺のことが好きってそんな奴いるわけ」

 

「いないなんて酷いことは言わせない。いるんだよ、ちゃんと。篠ノ之さんもそう。オルコットさんもそう。凰さんもそう。デュノアさんもそう。ボーデヴィッヒさんもそう。皆、織斑君のことがただ一人の男として本気で好きなんだよ」

 

 変わらず真剣な口調で一夏に話す本音。

 

――私、嫌な子だな。酷い言い方して。それどころかおりむーに自分から気づかせず、突きつけるような言い方しちゃうなんて。でも、こうでもしないと。

 

 本音に告白した今の一夏では本音がこうでもしないとならない。今の一夏は恋という居心地のいい場所を見つけてある種盲目になっている。恋に恋しているにしか過ぎない。他に同じようなことをする人間がいればその方へ行ってしまうかもしれない。そんな危うさが今の一夏にはある。それを本音は本能的に今の一夏から感じたからこそ、言えた言葉。

 

――私はおりむーにとってその時都合のいい女になりたくない。好きだからこそ、ちゃんと周りも見てほしい。

 

 そしてゴンドラはゆっくりと地上へたどり着く。

 

「私もね、おりむーのこと好きだよ。好きだから、ちゃんと皆の想いに向き合って欲しい。皆の想いに向き合えなんて私のわがままだってわかってるけど、皆のおりむーへの想いは無駄にしたくないから」

 

 悲しげな笑みを浮かべて、本音はそう言ったのだった。

 




のほほんさんisGod

デートの話はこれにて終わりです。
いかがだったでしょうか? 楽しんでいただけたり何かを考えるきっかけになれば幸いです
私個人としては原作でも?母性溢れる本音を上手く表現できてたら嬉しいなっと思っています。

一夏の恋物語は今後も続いていきますが
続けていくのなら、この『簪とのありふれた日常』でやっていく予定です。
簪とあなたを絡めつつこの作品の外伝的な位置で話を進めていく予定です。
話によっては今回みたいに簪とあなたが出せなかったりすると思うのですが、この辺はご了承お願いします。

今回の一連の話、『簪とのありふれた日常』の発想元になった
『ラウラとの日々』や『IS-InfiniteSentinel- Will Of ALICE』を書いている
ふろうものさんにご協力とアドバイスしていいだきました。
この場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございました!
氏の作品、オススメなのでよければどうぞ。

それでは~


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簪はいない夜。野郎二人の会話再び

※注意
・今回タイトル通り簪本人は出ません(名前や話には出てきますが
・簪シリーズと同様の主人公と一夏のとある話題について話すお話です。
・いつも「」付けで話してない男主が普通に話しています。悪しからず。
・一読して下さり、読んで下さった方が今回の話の内容について何か考えて下さったら幸いです。


そろそろ日付が終わる時間帯。

今夜もまたいつものように部屋からの外出禁止時間ギリギリまで簪と会話した後、今の今までずっと部屋で勉強をしていた。

 いつもと変わらない日々の生活。新鮮味こそないがそれでも飽きたりは決してない。大変だった今までを思うと平和すぎて心地がいいと俺も簪も感じて満足している。俺達の生活には大して大きな変化はないが、また一人、身近な奴が大きな変化の渦の中心にはまっていた。

 

「う~ん……」

 

 唸り声を上げている同室の一夏。

 ベットの上で上にあぐらを組みながら、考え事をしているのだろう。凄いしかめっ面をしている。

 外では今ほどでもないが、部屋で一人にすると最近よくこんな感じで考え事をしている。

 いや、外でも様子が変と言えば変だったな。あの五人に対して妙に一夏の態度がぎこちなかった。

 

「う~~ん……」

 

 飽きずに一夏は唸り声をあげて考え事をしている。

 考え事……悩みの種はおおよそ検討はつく。悩み事を招いた原因が俺と簪にあることは分かっているし、理解している。

 が、だからといってこっちから一夏に救いの手を差し伸べるようなことはしない。差し伸べるのは簡単なことで、一人で悩むよりも誰かに相談して悩んだ方が解決早いのかもしれない。だけど、そうすることが……最初のうちから手助けするのが正しいこととは限らない。

 薄情者と思われるだろうが正直、一夏がここまで考え事をして悩んでいる姿を見るのは始めてだ。今まで見えてなかったものが見えたからこそ出来た考え事であり、悩み事なのだから今まで考えず悩まなかった分、一度ギリギリまでトコトンまずは一人で悩めばいい。

 傍から見てヤバく見えれば、勿論その時は手を差し伸べるが今はその時じゃない。う~んう~ん唸ってる間はまだ大丈夫だろうし、限界だと一夏が自分が感じたらおのずと言ってくる。最近の一夏はそんな感じだ。

 

「そろそろ寝るけど一夏は?」

 

 考えて悩むのもいいが今夜はもういい時間。寝る準備してそろそろ布団に入らないと明日も学校だから明日が辛くなる。

 

「あ、ああ」

 

 歯切れの悪い返事。迷っているのがもろ顔に出てる。

 

「なに」

 

「あ、いや……その、さ。相談……っていうか。うん、相談……があるんだけどいいか?」

 

 一夏にしては本当に珍しいほど歯切れが悪い。表情も浮かない。それだけ悩んでいることがよく分かる。

 俺は一夏の言葉に頷き、自分のベットに腰をかけ、話を聞くことにした。

 夜もいい時間でこれは何だか長話になる予感があるが致しかたあるまい。

 

「それで相談っていうのは?」

 

「いや……あのさ……何というか、最近……のほほんさんに……避けられてるような気がするんだ」

 

 深刻な雰囲気をかもし出すものだから、深刻なことを言い出すのかと思ったら、それほどのものじゃなかった。いや、本人にしたら深刻なことなんだろうけど、今の一夏がかもしだしている深刻な雰囲気と言ったことのレベルみたいなものがあってない気がした。

 一夏が本音に避けられている、か……そんな風には見えないが。今までと変わらない気がする。

 

「そんな感じには見えないけど、どうして一夏は本音に避けられてると思ったんだ?」

 

「何ていうか……距離みたいなものを感じて。遠いというか何というか」

 

 一夏はそう言うが俺にはそんな風には感じない。これまた今までと変わらない。

 本音は沢山の人に愛される人懐っこいタイプの人間だが決して馴れ馴れしいわけじゃない。相手のほどよい距離感……友達の距離をちゃんと弁えている。それは一夏に対しても言える。俺から、傍から見て、一夏と本音の距離は今までどおり友達の距離だ。決して近いというわけでもないが、遠いというほど遠いってことはないと思う。

 

「そんなこともないと思うけど。俺から見てだけど、今まで通りにしか見えないけど」

 

「そうか……でもな……」

 

 またしかめ面をして考え込む。

 他人からの客観的な意見を聞いても一夏は納得できない様子。それは分かる。悩み事なんて自分が納得できる答えを得ない限り、悩み続ける。

 しかし、このまま悩み続けられても埒が明かない。野暮なことはしたくなかったが仕方ない。もう少し踏み込んだことを聞いてみる。

 

「一夏、お前自分でどうして本音に避けられてると感じるのか、何か思い当たる節があるんじゃないか?」

 

「……そ、それは……!」

 

 少し驚いた様にビクっとなっている一夏。その態度が全てを物語っていた。

 やっぱり、一夏が本音に避けられていると感じる何か思い当たる節があるようだ。

 何となくだがそんな気はしていた。

 

「……」

 

 言いずらそうにして一夏は黙ってしまった。

 あの一夏がこんな風になるなんて……よほど自分でも思い悩むようなことをしたんだろうな、きっと。

 だからと言って、本音が一夏を避けるなんて事ないと思うが。

 

 一夏は何度か言葉にしようとして何度も躊躇った後、漸く決心したようで言い始めた。

 

「この間、ダブルデートしただろ? んで、最後観覧車に2グループ分かれて乗ったのを憶えているよな?」

 

「ああ、憶えてる」

 

「その時にさ……俺、のほほんさんに告白したんだ」

 

「告白ってあの付き合ってくださいっていう愛の告白?」

 

「そ、それ以外に何があるんだよ……!」

 

 愛の告白という言葉を聞いて、意味がちゃんと分かっているようで、恥ずかしそうに顔を伏せる一夏。

 

 一夏が告白か……今あの時の事実を聞かされて、驚きを隠せない。 

 一夏は知ったら、気づいたらいろいろと手が早そうだと簪と言っていたが、まさか一夏に恋愛がどんなものか知ってもらい、好きな人がいて好きな人と恋愛するってことが具体的にどんなものか知る為のあのダブルデートですぐ告白するとは……気づいたら一直線というか、予想を裏切らないというか。

 

 だけど、今聞かされていろいろと納得いったことも出てきた。

 観覧車が終わった後、二人の様子がどうも親密だった乗る前よりもぎこちなく見えたのはそのせいだったのか。

 何かあったんだろうと感じて、聞くのも野暮だと思い聞かずにいたが、そのせいだったとはな。

 結果は……。

 

「……はぁ」

 

 聞くまでもないか。思い出したのか小さくため息をつい凹んだ様子の一夏を見ると、わざわざ確認の為にでも聞くのは可愛そうだ。

 しかし、告白があったにもかかわらず、本音に変わった様子はない。告白があっただなんて、本音からは聞かされてなかったし、そうだとも感じさせられなかった。本当に今まで通り。一夏との距離も今まで通り友達の距離だ。

 

 逆に一夏のほうが様子が変だ。何かあったのは明らか。

 告白されたことを知った今思えば、一夏のほうが本音と距離を作って自ら遠くしていたんじゃないかと思う。告白をして振られたんだ。気にするなというほうが無理があって、一夏は今までの本音との距離感がどんなものだったのか分からなくなったしまったんだろう。

 それは本音との距離だけじゃない、一夏のことが好きなあの五人との距離も今までの様に自分なりの上手い距離をとりあぐるているみたいだった。

 

……ああ、そうか。

 

「なるほどな……」

 

「何がなるほどな、なんだよ」

 

「お前が本音に避けられてると感じた理由だよ。何となく分かった」

 

「本当か!? 教えてくれよ!」

 

 さっきまで凹んでいたのに顔をバッと上げて期待するような表情を一夏は浮かべている。

 

「一夏、お前は本音との友達の距離に我慢できなくなったんだ」

 

「友達の距離?」

 

「振られてもお前と本音が友達なのは変わらない」

 

「……あ、ああ」

 

「でも、お前は振られても本音と友達でいることを嫌だと感じているはずだ。だけど、本音とお前は今友達なのは事実でそこには当然距離感ってものが出来る。家族には家族の距離、恋人には恋人の距離があるように。だから、友達の距離である本音が遠く感じて避けられてると感じてるんじゃないのか?」

 

 一夏は告白して振られたが、まだ諦めるなんてことはできないんだ。だから、本音が保つ友達としての距離が一夏にはとって遠いように思え、また避けられていると感じんだろう。一夏は単純に本音と友達の距離で居るのが嫌になったんだ。そして本音と友達以上の距離でいたい、または傍にいたいと思っているはずだ。これだけで一夏が本音に惚れていることはよく分かる。

 

「言われればそうかもしんねぇ」

 

 納得はした様子だが友達ということを一夏に再確認されたようでまた一夏は落ち込んだ。

 

「でも、そうだとしてさ。どうしたらいいんだよ……はぁぁ……」

 

 深いため息をつく一夏。

 こう目の前でため息つかれては堪ったものじゃない。はっきり言うか。

 

「一夏、ため息つくのもいいがお前はどうしたいんだ?」

 

「どうって……何が」

 

「本音に避けられてる気がして嫌なんだろ? だったらいろいろとあるだろう。ただでさえ友達でいたくないって思ってるんだから。そうだな……例えばもっと仲良くしたいとか。もしくは、付き合いたいとか」

 

「なっ!? 付き合いたいっておまっ!」

 

 お前は恋する乙女か。付き合うって単語聞いただけで顔を赤らめて恥ずかしがるなんて。

 そんな反応をするってことはちゃんと意味を理解して、本音を好きな異性として意識してるってことで、朴念仁だった昔と比べたら成長したってことなんだろうけど。

 

「違うのか? とてもそうは見えないけど……もう一夏には本音と付き合いたいってのはないか? 振られて諦めついた?」

 

「んなっ!? ……ッ、諦められねぇよ! でも、ダメなんだ……」

 

 一夏は暗く沈んだ表情を浮かべる。

 振られたのを否定しないあたり、ちゃんとって言ったら変だけど、やっぱり振られたんだな。

 諦められないという気持ちも今の表情を見ていたらよく分かる。一夏はまだ諦めてない。

 しかし、一夏のこの暗く沈んだ表情を見るからして、かなりこっ酷い振られ方をされたんだな。本音なら一夏が傷つかないようにやんわり断りそうなものだが。

 というか本音、一夏のことを満更でもなさそうだったから告白されてすぐに受けるってことはなくても交際前提の友達付き合いみたいなものを提案しそうだが、一夏が傷つくと本音は分かっていてもきっぱり断ったってことは何か考えあってのことなんだろう。

 

「ダメか……一夏、こんなこと聞くのは悪いと思うんだけど、ちなみにどう告白して、どう振られたのか教えてくれないか?」

 

「えっ……か、観覧車で二人っきりになった時にさ、夕日見てるともう終わりなのかって急に実感わいてきたんだ。このまま分かれるのが寂しいなって……まだのほほんさんと一緒にいたいって思う自分が居ることに気づいてさ。こんな気持ち他の奴ら、友達じゃならないって確信は持てたんだ、その時。お前、言ってただろう? 『単純に一人の人とだけ友達以上に特別一緒にいたい、自分の傍にいてほしいって強く思うことだと』って。だから、また一緒にいたい過ごしたい……今度は二人でデートしたいって言ったら、のほほんさんにどうしてそう思うのかって聞かれて、好きだからって告白した」

 

 告白した理由としてはちゃんとしているとは思う。

 一夏が言いそうな友達感覚で好きだって言ったわけじゃなく、ちゃんと一人の異性として本音のことを意識しての好きを伝えた。悪くはないと思う。

 だが告白したのはいいが、これで振られたんだよな、一夏は。一夏の告白を聞いただけに、どう振られたのか余計に気になってしまう。

 

「で、どう振られたんだ?」

 

「やっぱ、言わないとダメか?」

 

「無理にとは言わないけど、言ってくれないと相談乗れそうにないし、ここまできたら言って楽になれ」

 

「くっ……分かった」

 

 苦い顔していたが覚悟を決めたのかしぶしぶ一夏は話し始める。

 

「俺はまだのほほんさんしか知らない。のほほんさんとしかそういうデートしてないから他の奴ともそういうデートしたら同じ様に感じるかもしれなくて、のほほんさんへの気持ちが変わるかもしれないって言われた」

 

「まあ、何だ……本音らしい言葉だな。それにその通りだと思う」

 

「なっ! お前!」

 

 本音への気持ちを疑われたと思ったのか、一夏は語気を荒げる。

 

「落ち着けよ。お前だっていくら友達でも一日デートしただけ好きだって告白されても気持ちは嬉しいけど困ったりするだろ」

 

「うっ……そ、それはそうだけど……」

 

「それに本音は一夏にもっと周りを見てほしいから言ったんじゃないか?」

 

 一夏の気持ちを疑いたくはないが、本音が言うことはもっともだ。

 本音としかあんな風なデートをしておらず、恋愛対象とした今の一夏はまだ本音一人しか知らない。一度のデートで惚れて告白するのは悪いことじゃないが、一夏の場合は生まれたてのヒヨコが始めて目にしたものを親と思い込む刷り込みのようなもの。

 本音が最初だったから本音に思いを寄せているだけで、本音以外の相手が本音と同じ様なことをすれば今の様になる可能性は否定できない。本音はそれを危惧して言ったのかもしれない。

 それに何より、本音はもっと周りを見てほしいんだろう。恋愛が……大きく言うと愛がどんなものか知っただろう今の一夏なら、篠ノ之達の気持ちに気づく可能性は前以上に高い。

 

「もっと周りをか……」

 

 何か思い出したような顔をしている一夏。

 やっぱり本音に何か言われたみたいだな。

 

「そういえばさ、俺……のほほんさんに告白した時に言われたんだ。俺のことを好きな奴が居るって」

 

 まさか……!

 

「俺ずっと知らなかった……箒達が俺のこと好きだったなんて……」

 

 マジか……本音の奴、一夏に言ったんだ。

 まあ男の俺からは言いにくいことだが、女の本音だから逆に言えることでもあったりする。それに本音なら抜け駆けしたくないとかで言いそうだ。恋愛を知っても一夏が自分からあの五人からの想いに気づくとは限らないし、知るのが遅い早いかだけの問題か。知るなら知るで早いことにこしたことはないことだし。

 

「って……お前、あんまり驚いてないな。もしかし……お前も知ってたのか?」

 

「まあ、な。というか、知らない奴の方が少ない。多分知らないの一夏ぐらいなもの」

 

「なっ!? そんなに!? 俺一人だけ知らないとか……」

 

 驚いたと思ったら凹んだ様子の一夏。

 あの五人の一夏への態度は傍から見てもあからさまに一夏のことが好きだと分かる態度だし、こういうのって案外好意を寄せられる本人は気づかないもの。第一、本人が気づいてたらこんなことにはなっていない。

 

 本音が一夏にあの五人のことを伝えたから、いつもよりあの五人に対する一夏の態度が困り気味だったんだ。

 

「俺……あいつらの気持ちと向きあわねぇといけねぇよな……」

 

「それも本音が?」

 

「ああ。のほほんさんはあいつらの想いを無駄にしたくないって……俺にあいつらと向き合ってほしいって」

 

 本音が一夏を振った理由に納得がいく。まったく、本音らしいというか何と言うか。

 

「でも、向き合うってどうするんだ? やっぱり、デート?」

 

「うーん、難しいな。でも、デートはちょっと危ない気が……」

 

「そ、そうだよな……う~ん、ああ~! 分からん!」

 

 布団へと倒れこむ一夏。

 何が危ないと聞かない辺り、一夏でも察しているみたいだ。別に馬鹿にするわけじゃないが、あの五人とそういう意味でデートとなったら、ドタバタして一夏がボロボロにされる未来の姿が容易に想像できてしまう。前科というか前例みたいなものがありすぎるからな、あの五人。

 というか、ぶっちゃけ。

 

「あの五人のこともいいが一夏は結局本音とどうしたい、どうなりたい?」

 

「どうって……」

 

「諦められないんじゃないのか? じゃあ結果は兎も角、やることは一つ」

 

「何だよそれ」

 

「言わないと分からないか? もう一度告白するんだよ。こ・く・は・く」

 

「告白!?」

 

 だから、ざわわざ言葉一つで顔を赤くするのやめろ。

 

「避けられている気がしてそれが嫌で、告白したけど振られて、だけど諦めきれない。なら、やることは一つしかないはずだ」

 

「で、でも、俺は……箒達の思いと向き合わなくちゃならねぇ。やっぱ、デートしか……」

 

 一夏らしくないうじうじとして悩んだ様子。

 ことがことだからそうなっても仕方ないのだろうけど、頭が固いというか本音の言葉に囚われすぎてる。

 それだけ本音に言われたことがインパクト大きかったってことなんだろうけど。

 

「本音の言うことも正しいのかもしれないけど、本音がいったからするってのも変じゃないか? 本音が言ったからするなんて言いなりになってるようなもの」

 

「まあ……確かに」

 

「それに何もデートするだけが向き合うってことじゃないはずだ。それに一夏はもう既に向き合ってるだろ?」

 

 俺の言葉に一夏は分からないと言った表情で首をかしげる。

 

「あいつらの思いを知ってお前は悩んでる。それはもうあいつらの思いと向き合うってことだと俺は思うよ。それとも何? あいつらの思いを知って本音への思いは変わった?」

 

「そんなわけねぇよ! あいつらの気持ちは嬉しい、それでも俺は本気でのほほんさんのことが好きだ!」

 

「なら、結局することは一つかないだろ。もう一度、告白だ。あいつらの思いを知ってそれでも本音を好きだという気持ちは分からないってことを伝えるしかない」

 

 一夏の気持ちが固まりつつある以上、やることは結局変わらない。今はそれを何度も一夏に伝え続けるしかない。

 

「流石は彼女持ち。経験が違うな」

 

「茶化すな。それでどうなんだ? それしかないだろ?」

 

「そうだけどさ……でも、あいつらの気持ち直接聞かなくていいのか?」

 

「聞きたいなら聞いたらいいと思うけどオススメはしない。下手すりゃ嫌味になるかもしれないからな。俺のこと好きなのか?なんて。好きという気持ちを受けるなら別にいいかもしれないけど五人ってなると普通そうはかない。少なくても4人は振ることになるし、振るかもしれないにそんなことしたら余計に傷つけることになる。まあ複数人と付き合う、俗にいうハーレムなら気にしなくてもいいけどさ」

 

「気にするわ。それはいくらなんでも無茶苦茶だろ。俺は一人としか付き合うつもりはない」

 

 きっぱりと一夏は言いきった。

 と思ったらまた一夏は悩み始めた。

 

「でも、振るか……俺でもこんなに辛いのに……あいつらを傷つけたくない……」

 

「はぁ……告白なんて受けるか、振るかの二択しかないだろ。振られたら多少なりと傷つくのは避けられない。それぐらいは覚悟しろ。ましてや本音以外の気持ちは受ける気ないんだろ?」

 

「そうはそうだ。俺が好きなのはのほほんさんだけだから」

 

「だったら……」

 

「いや、だけどさ……」

 

 うじうじと一夏は悩み続ける。

 はっきりしない奴だな……もう答えは出ていて、後は覚悟を決めるだけ。

 優しいというか……『守る』ことに固執してる一夏らしい悩みで、悩むのは結構だが。悩むだけ無駄だ、結局本音以外振ってあの五人の気持ちを受けられないのなら結果的に傷つけてしまう。

 もっとも、一夏が本音にもう一度告白して振られる可能性がないわけじゃないが。

 

「はぁ……お前が本当に欲しいものは何だ? 本音? あの五人? どっちも欲しいなんて言うなよ。二兎を追う者は一兎をも得ず。二つに一つ。覚悟を決めろ、一夏」

 

「覚悟」

 

「そうだ。お前がそううじうじ悩んでいる間に状況は変わっていく。本音がいつまでもフリーとは限らない。もう一度告白するなら今しかない」

 

 一夏を急かしているのも分かっているけど、一夏にこのまま悩ませていても事態は進展しない。その場で足踏みし続けるようなもの。これは俺個人的なことだけど、俺としては一夏には本音とくっついてほしいというのもある。一夏には早く幸せになってほしいから、こう急かすように余計なお節介をやいてしまっているのかもしれない。

 それに一夏にはもう既に答えは出ている。例え何かを犠牲にしようも本当に得たいものを得る為の覚悟をするだけ。

 後、俺が出来るのはそんな一夏の背中を押すぐらいのこと。結局行動するのは一夏自身だから。お節介なのは今更百も承知。一夏には今という絶好の機会を逃してほしくない。

 

 一体どれほど一夏は思案していただろうか。短いようで長い、長いようで短い思案の後、一夏は決心した顔で言った。

 

「そうだな。俺、もう一度のほほんさんに告白してみるよ。デートから日が経っても変わらない俺の気持ちを」

 

「そうか」

 

 一夏の決心は決まったようだ。

 後は一夏の頑張り次第で結果はどうにでもなる。真摯な一夏だ。ありのままの思いを伝えれば、きっと本音にも今度こそ思いは伝わり、結ばれるだろう。俺は一夏の告白を祈るばかりだ。

 

「あ、でも」

 

 漸く話が終わったと思い、やっと寝れると思ったのに話はまだ終わってなかったらしい。

 一夏は何かに気づいたように表情をしている。

 

「告白ってどうするんだ?」

 

 一夏の言葉の意味がよく分からない。何言ってんだこいつ。

 

「いや、どうするも何も本音に改めて気持ちを伝えるだけだろ。簡単のように思えて難しいのは分かるけど、一夏は一度告白したんだろ?」

 

「それはそうだけど……あの時はその場の雰囲気というか流れというかそんなんでしたからよ。改めて告白するってなるとどうしたらいいのか分からない」

 

 分からないって何だ。俺はお前の言っていることが分からない。

 

「一夏が本音に思ってることを想いを本音にありのまま全て伝える。それだけ」

 

「それだけって……告白の場所とかいろいろとあるじゃん? シチュエーション?とか……告白の言葉もそうだ。なぁ、教えてくれよ~!」

 

「アホか。告白の言葉は自分で考えろ。意味がない。というか、そんなことまで人に頼ろうとするなよ」

 

 えー!といった顔を一夏はする。

 余計なお節介でアドバイスしすぎたかもしれない。

 それにさっきまでわりと真面目な話しをしていただけにこう間の抜けた話をされると気が抜けて、疲れを感じてくる。いい加減眠くなってきた。

 

「まあ、告白の場ぐらいは俺と簪で設けてやる。だが、その場の雰囲気作りや告白の言葉は自分のことなんだから自分で考えろよ」

 

「わ、分かった……! だけどよ、いつ告白するのが一番いいんだ!? 明日かっ!?」

 

 相変わらず気が物凄く早いな。一夏の首根っこ攫んでいる様な今の状態でその首根っこ離したら本音へ一直線を猛ダッシュしてそうな勢いだ。

 

「明日って……ていうかもう今日だがそれはやめといたほうがいいんじゃないか? 気持ちが高ぶったままじゃ告白の言葉も上手くまとまらないだろ。日を置いて、いろいろと整理して考えたほうがいい。数日ぐらい日を置いてもお前の気持ちはぶれないだろう?」

 

「当たり前だ」

 

「が、あまり長く日を置きすぎるのもよくなさそうだし……今日は金曜日になったから明後日の日曜日にでも告白するのがベストじゃないか?」

 

「日曜日……分かった! そうする! 俺頑張る!」 

 

 告白からくる緊張でテンション上がっているだけなんだろうけど夜中なのにテンション高いな。

 まあこれで一夏の覚悟は決まり、告白の日にちも決まった。後はその日に備えるだけ。後は本当に一夏の頑張り次第だ。

 

「本当、助かったよ、お前にはこの間からずっと何から何まで世話になりっぱなしだ。お前がいてくれて、お前が友達でよかったよ、感謝してる。ありがとうな!」

 

「やめろ、改まってだなんて気持ち悪い。まあまた相談に乗るのはいいがこんな相談はこれっりな。一夏らしくなくうじうじ悩まれるのは疲れる」

 

「うっ……すまない」

 

「まあ、何だ。その……本音と結ばれることを祈ってるよ。頑張れ」

 

「おうっ!」

 

 一夏は元気よく頷いた。

 





今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~



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あなたはいない。乙女二人の恋話

 

 「ふわぁ~……」

 

 眠気からくる欠伸を噛みころすように抑える。

 今夜も彼とお話できた。話の内容は本当にありきたり。今日あったことや共通の趣味の話題。

 私はあまり自分から話をするのは得意じゃない。でも、彼は急かしたりすることなくちゃんと話を聞いてくれて、彼もまたたくさんのお話をしてくれた。部屋からの外室禁止時間までの短い時間だったけど、今夜もまた彼と同じ時を少しでも長く過ごせてよかった。

 いつもと変わらない夜の過ごし方で、些細なことだけどそんな些細なことが幸せ。

 幸せな気分のまま眠れそうだと思ったのに……。

 

「う~ん~……」

 

 お肌のお手入れとか歯磨きを終えて、いざ寝ようとベットに戻ってみれば、着ぐるみパジャマに身を包んだルームメイトの本音がベットの上にある枕に顔を埋めて、うーうー唸っていた。

 このところ、部屋にいると大体いつも本音はこんな感じで考え事というか悩み事してる。学校ではいつも通りだけど、部屋に戻ると唸りながら悩み始める。主人である私の前でもお構いなし。別にそれはいいし、本音が悩み事するぐらいなら私は気にしない。

 むしろ、本音とは幼馴染で幼い頃から知っているけど、悩み事とは無縁の生き方、いつもゆっくりのんびりとしているだけにこうして本音が本気で悩み事をしている姿を見るの初めてで、正直面白い。始めのうちは初めてみる本音の姿が面白かったけど、流石にこう何日も隣でうーうー唸りながら悩み事されるとイラっとくる。私や誰かに相談するわけでもなく、一人で悩み続けているから余計に。

 本音がこうなったのはあのダブルデートがあった日からだ。何について悩んでいるのかは大体察しがついている。

 

「……そろそろ寝るよ」

 

「う、う~ん……」

 

 返事なのか唸り声なのかどっちなのか分からない声をあげる。

 人が折角、幸せな気分に浸っていたのに本音のおかげでもうそんな気分じゃない。

 はぁ~……あんまり面倒ごとには関わりたくなったけど、明日もまたうーうー唸られて悩み事され続けたら堪ったものじゃない。それに本音には昔っから散々世話をかけているんだ、たまには私のほうが本音に世話を焼いても罰が当たったりはしないだろう。

 私は自分のベットに腰を降ろして、問いかけてみた。

 

「……本音、悩み事あるなら私でいいなら聞くけど」

 

「!? な、悩み事なんてないよ!?」

 

 ビクっと肩を震わせ、慌てた様子になる。あからさますぎる。

 隠すならもう少しマシな隠し方は思いつかなかったのか。

 

「何年一緒にいると思ってるの。隠し事しても無駄。どうせ、織斑のことで悩んでいるんでしょう」

 

「……ッ!」

 

 図星だったのか声も出ないほど驚いて、本音は耳まで顔を真っ赤に染める。

 こんな本音見るのは初めて。恥ずかしそうに目を泳がせて照れている本音のその姿は同性の私から見ても可愛いと思う。

 こんな反応されると、恥ずかしがるようなことが織斑とあったのかと気になってくる。それに本音の様子が可愛くて、おもしろくてついつい悪戯心が働いてしまう。

 

「にゃ、にゃんでお、おお、おりむーがッ!? わ、私、本当になにもっ!」

 

「ふーん……そんなこと言うんだ。へぇ~……」

 

「うぅ~……今日のかんちゃんいじわるだょ~っ!」

 

 本音は今にも頭から湯気が出そうなくらい真っ赤。

 かわいそうなぐらい動揺している本音が可愛くて、からかうのが楽しい。私はどっちかというとからかわれる側だから、こうしてからかう側にまわってからかってみるとその楽しさがよく分かってしまう。こんな可愛い反応されるとからかいたい気持ちが抑えられなくなりそう。

 でも、からかうのはここまで。本音の具体的な悩みはまだ聞けてない

 

「話を戻すけど、本音が悩んでるのは見ててすぐ分かる。こう毎日隣でうーうー唸られたら余計に」

 

「うっ……」

 

「無理に話せなんて私は言わない。でも、うーうー唸りながら一人悩むぐらいならさっさと言ってほしい。こういうのって誰かに言うだけでも楽になるものでしょう?」

 

「で、でも……」

 

 悩み事を話すことに本音は抵抗があるみたい。仕方ないか……悩み事の内容は兎も角、言うことを進められて簡単に言えたらこんなにも悩まない。

 

「私じゃ上手い解決案なんて思い浮かばないかもしれないけど……私でも話し聞くぐらいできるから。親友の悩み事ぐらい聞けるようになったし、聞きたい。だから……」

 

 私は今まで本音にずっと世話になりっぱなしで、そんな本音に感謝するわけでもなく顧みず、私はずっと自分のことばかりだった。でも、私は“彼”と出会え結ばれて変わることが出来た。

 昔よりかは少しだけでも強くなった。そう思っているし、だからこそ親友の悩みごとを聞くぐらいなんてことはない。

 むしろ、今まで主人らしいことはもちろん、友達、親友らしいことは出来なかったからこそ、今この時本音の悩み事を聞きたいとそう思う。

 

「……分かった。ありがとう、かんちゃん」

 

 優しげな笑みを浮かべると本音は決心したのかゆっくりと話し始めてくれた。

 

「かんちゃんの言う通り、私ね……今、おりむーのことで悩んでるの」

 

 それは知ってる。というか、本音が今悩むなら織斑のことぐらいしかない。最近、何かあったのって織斑しかいないのだから。

 そういえば、織斑も本音みたいに最近様子が変だった。周りとの女子、特に本音と距離を取りあぐねているようで、そしてまたあの五人とも距離を取りあぐねているようで、今までと比べて明らか様子が変。

 そうなったのは本音と何かあったからなんだろうことはすぐに分かったんだけど、本音でもこんなにもうーうー唸って悩んでいるから、織斑はもっと酷い悩み方してるんだろう。同室の“彼”も大変そう、明日にでもなぐさめてあげよっと。

 

「それは知ってる。というか、織斑のことで悩んでるのって……ダブルデートの日からだよね? 何かあったんでしょう?」

 

「えぇっ!? かんちゃん、気づいてたの!?」

 

 目を見開いてた本音はとても驚いた表情をしている。

 何故、気づいてないと思ったのかこっちが驚きたい。ダブルデートが終わったその日の夜から悩み始められて、隣でうーうー唸られたら私じゃなくても気づいているはず。この様子だと本音本人は隠していたつもりなんだろうけど、本音ってのんびり通り越してただの間抜けな気がしてきた。

 

「まあ、ね。それで……続きは?」

 

「えっとね……それでダブルデートの最後に観覧車乗ったの憶えてるよね?」

 

「うん」

 

「それで……ね」

 

 本音にしては珍しく要領を得ない。

 頬を赤く染め何処か恥ずかしがりながらも嬉しそう。その姿はまるで恋する乙女そのもの。どうしたんだろう?

 

「その時、おりむーに告白されたの」

 

「告白ってあの付き合ってくださいっていう愛の告白?」

 

「そ、そうだよ……ちゃんと告白してくれたから」

 

 恥ずかしそうにしながらも言う本音を見て、織斑が言いそうな軽口じゃなく本当の告白をされたんだと分かる。

 しかしあの織斑が告白か……正直驚きは隠せないし、始め聞いたとき聞き間違えなのかと思った。織斑は恋を知ったら、気づいたらいろいろと手が早そうだなんて話を“彼”としてたけど、まさかこんなに早いなんて。正直、これ以上どう驚いたらいいものやら。

 本音のことを前から好きだったのなら、まだ納得できなくはないけど、織斑に今までそんな素振りはなかった。本音を好きになったのはあのダブルデート中なのは間違いない。一度のデートで惚れて告白するぐらい珍しくもおかしくもないんだろうけど、あの織斑だと何故だか違和感を感じてしまう。

 早すぎ……私達ですら告白して付き合うのに二ヶ月近くかかったのに。

 

「でも、本音は……」

 

 言いかけて私は口を噤む。結果は言うまでもない。

 

「あっはは……やっぱ、かんちゃんには分かっちゃう? 気持ちは嬉かったんだけど、きっぱり断っちゃった」

 

 本音は苦笑いを浮かべながら何処か少し寂しそうに言った。

 思った通りだ。告白を本音が受けたら織斑と付き合うことになっていて、今日までみたいに平穏には過ごせていない。織斑が誰かと付き合うってことになったら、絶対一波乱も二波乱もある騒動になる。

 それに納得いったことがある。織斑のぎこちない様子の理由だ。本音に告白して振られたらショックの一つや二つ受けてあんな風に様子が変になっても無理はない。むしろ、ショックを受けず平然としてたら、私が一発頬を叩いているところ。こんなに可愛い本音に告白したのに平然としているなんて信じられないのだから。

 もっとも、織斑のあのぎこちなさは単に本音に振られたからじゃないと私は何となくだけどそう思う。

それに関係してか、私の中にある疑問が出来た。

 

「そうなんだ。だけど、本音……何で断ったの? 織斑のこと嫌い?」

 

 意地の悪い質問だと我ながら思うけど、聞かずにはいられない。

 ダブルデートは本音があの会話の場にいていろいろな都合がよかったからと半ば強引に本音には付き合ってもらったけど、傍から見てお似合いな二人だったし、織斑のことを本音は満更でない様子は見て明らかで、正直本音は織斑のことを好きになりつつあるなっていうのは見て感じた。

 だから、本音が織斑の告白をきっぱり断ったと聞いてびっくり。

 

「き、嫌いじゃないよ……そ、そのおりむーのこと正直……」

 

「好きなんだ。可愛いね、本音」

 

「好きだけど~……可愛いって! もう~っ! やっぱ、今日のかんちゃん意地悪だよ~!」

 

 恥ずかしそうにもじもじとしながら言う本音。

 一々赤くなってるものだから可愛くて、こんな姿の本音を見るとまたからかいたくなる衝動が沸いてくる。

 それに随分とあっさり認めたなぁ。まあ、今更否定したしたら結局認めるようなものだから、認めるしかないだけど。

 

「だったら、どうして」

 

 どうして本音は織斑の告白を受けなかったの?

 もちろん断った理由はちゃんとあるんだろうことは分かるけど、それでも好きなら告白を受けてもよかったのに……と、そう簡単に思ってしまうのは薄情にも結局他人事だと何処かで思っているからかもしれない。

 

「ダメなんだよ。そりゃ始めてデートしたその日に告白されてびっくりしたからってのあるけど、今のおりむーの気持ちを素直には受けられない」

 

「今の織斑?」

 

 少し考えてみたが本音が何を言いたいのか分からず私は首を傾げた。

 

「うん。デートでおりむーには目的だった恋をすることや好きな人がいて恋をすることがどんなことなのか分かってもらえたみたいでそれはよかったんだけど、分かったばかりなのにすぐ告白してくるのは盲目的というか……おりむーはまだ私しか知らないからあんな風に告白できた気がして。多分、私と同じようにおりむーにデートでもして一緒に過ごしたら、私じゃなくても誰でもいい気がしちゃったんだ」

 

 盲目的か……確かに言われればそうかしもれない。

 本音と織斑のデートはあの五人では考えられないほど優しく、暖かいものだった。普段体験しないような一日を一緒に過ごせば、本音は優しく気遣いの出来るいい子だから場の雰囲気もあって…あの織斑ですらころっといってしまうだろう。事実本音の優しい部分に惚れて告白したっぽいし。

 そしてあの日のデートは本音に惚れてもらうためのデートじゃなくて。恋がどんなものなのか、好きな人と恋をするのがどんなのか知ってもらうのが目的のデート。知ってもらってあの五人の気持ちに少しでも気づいてもらうのが最終目的なわけで……織斑が本音に惚れたのはその時に一緒だったのがたまたま本音だったという事と、優しくしてくれたのが本音だったからなんだろうな……。

 正直、場の雰囲気といつもと違って優しくされれば織斑は本音じゃなくても誰でも好きになってしまいそうなところがある。まるで某赤い彗星みたいに。立場が某白き流星だから余計にたち悪いけど。

 だから、織斑には悪いがこれは盲目的と言われても仕方ないのかもしれない。

 だって……。

 

「好きな人にはやさしいところをだけを好きになってもらうじゃなくて、やっぱり私自身を好きでいてほしいよ。変わりに好きになるかもしれない人がいるのって辛いから」

 

「そうだよね」

 

 本音が言うことはもっとも。

 別の誰かに変わられるぐらいの好きなら、こっちからお断りだ。

 

「それにおりむーは私の何処が好きで告白してくれたのかよく分かんなかったし……」

 

「言ってくれなかったんだ。本音の何処が好きか」

 

「うん。まあ、私が割りとすぐに断っちゃったから言えなかったと思うけど」

 

「でも、言ってほしかったよね、そういうのは特に」

 

「うん……ちょっぴりね」

 

「ああ……」

 

 少し凹んで様子の本音を見て、私は同情したような何とも言えない気分になる。

 『ねぇ、私の何処が好き?』みたいな定番ともいえる女特有のめんどくさい質問だ。

 めんどくさがられるだろうなと分かっているけど私も度々“彼”によく聞いてしまう。“彼”はその度にめんどくさがらず、ちゃんと日頃から感じていることや私の好きなところをたくさん言ってくれるから嬉しいからいいけど。

 本音の場合は告白だ。男にしたら好きだから告白したとかなんだろうけど、何処を好きになって告白しようとしたのかぐらいは聞きたいもの。それこそ、織斑の場合は本音が好きなのか、たまたま本音だったから好きになったのか分からないから聞きたかったはず、本音は。

 織斑が告白したのはもう驚きはしないけど、今一つ織斑は本音のことを好きになった決め手にかけてる気がする。

 

「第一おりむーには篠ノ之さん達のこともあるから……素直に受けられなくて」

 

「抜け駆けしたくなかったとか?」

 

「それも少しはあるけど、やっぱり皆のおりむーのこと好きだから皆の思いを無駄にしたくないっていうか。ちゃんと向き合ってほしいから」

 

 本音らしすぎて何も言えない。

 本音も織斑の事好きなんだから自分の気持ち優先したらいいいのに、他人に優しくて気遣い屋な本音にはそれができない。そんな本音だから皆に愛されて、私も何度も助けられるんだけども。

 っていうか、織斑にはあの五人のこともあったなあ、そういえば。本当めんどくさい人。

 

「ただ……ね」

 

 苦笑いを浮かべる本音。

 

「ただ?」

 

「余計なお節介というか何と言うか……凄い失言しちゃっておりむーに言っちゃったの」

 

 何だか嫌な予感というか何と言うか、本音が何言ったのか察しがついてしまった。

 この話しの流れからして本音が言いそうなこと。それは――。

 

「篠ノ之さん達がおりむーのこと好きってこと」

 

 やっぱりか……本音、織斑に言ったんだ。

 まあ、仕方ないか言ったものは。盲目的になってるだろう今の織斑じゃ恋を知っても、本音のことを好きになった織斑なら本音のことばかりに気が言って、それどころじゃなくなりそう。

 

「ほんとどうしてあんなこと私言っちゃったんだろ~! 頭にきてたとは言え、うぅぅッ!」

 

 後悔からなのかベットの上にある枕に顔を埋めてまたうーうー唸っている本音。

 本音はこのことでも悩んでたんだなあ、きっと。

 というか、頭にきてたって何があったんだろう、気になる。

 

「やっぱり、ダメだったよね!?」

 

「う~ん……どうだろう、私は言ってよかったと思う」

 

えっ!?と本音は驚いた表情をする。

 

「今の織斑じゃ恋とか知ってもとてもじゃないけど気づかない。本音が織斑のことで頭一杯なように織斑も本音のことで多分頭いっぱいだと思うから」

 

「うぅ~!」

 

「なら、いっそ言った方が早く織斑が知れることができていいと思う。前に本音が言ってた言葉通りだよ」

 

「?」

 

「下手したら大分歳いってから気づきかねない、特に今の織斑なら。それにどうせ、知るのが早いか遅いかの話。それなら早いことにこしたことはないよ」

 

 本当それだけの話。

 むしろ、今の織斑が早いうちにあの五人からの好意を知れてよかったんじゃないかと思う。

 恋を知っても気づかなかったら、見てるしか出来ない私達は織斑の鈍感っぷりに呆れながらも見せられることを強いられていただろうし。

 それに本音が織斑にあの五人のことを伝えたから、いつもよりあの五人に対する織斑の態度が困り気味だったんだ、と最近の織斑の様子に納得がいった。

 

「でもやっぱり、おりむーには自分で気づいてもらった方が……」

 

「言ったのに今更後悔しても遅い。というか、何度も言うけど鈍い織斑が自発的になんて無理」

 

「あっはは……」

 

 私の言葉に本音は苦笑いを浮かべている。

 

「本当どうしてあんなに鈍いのか」

 

 鈍いなんて言葉だけで片付けていいものかと思うほど鈍い。時々わざっと鈍いフリしてるんじゃないかと思ってしまうほどに。

 あの五人のことにしてもそうだ。直接言ってないとは言え、あんなにもあからさまに織斑への好意を示しているのに気づかないなんてどうかしている。

 

「鈍感かぁ……そうだね。多分、私が思うにおりむーのあの鈍さの原因は『自分をないがしろ』にして、自分は後回しで、他人のことばかり気にするからじゃないかな」

 

どういうことだろう?

 

「おりむーは相手のことばかり大切にして自分をないがしろにするあまり『自分がされたらどうだろう』って感覚が鈍いんだよ、きっと。それにおりむーってあんまり自己主張しないじゃん? 周りがおりむーに頼りすぎてそうさせないってのもあるけど、おりむーの中でも自己主張するのは甘えだと無意識にでも思ってるんだろうね。だから自己主張しないおりむーには『自分がどうしたいか』が抜けて、歪んでしまう。『自分がどうしたいか』を持ってない人が『相手がどうしたいか』を分かるのはとても難しいよ」

 

 確かに。

 織斑が自己主張している姿って私が見る限り見たことない。いつも話題の中心、沢山の人の中心に織斑はいるけど、それは基本的に巻き込まれて結果的にそうになっただけ。いつも誰かに、五人に引っ張られて、仕方なくってことがほとんど。

 そうだよね……自己主張しない人に自己主張する人の気持ちが分かるわけがない。特にあの五人は自己主張がとても強いから。

 

「……それだと普段からズレたり鈍感になったりするんじゃないの? でも織斑、普段はどっちかっていうと鋭い方じゃない?」

 

「それは「相手がどうしたいのか」がわからないから、「一般的にどうなのか」で判断するから大丈夫なんだよ。だから普段は困らない。でも、こと恋愛ごとになるとそうはかいない。第一、おりむーはつい最近まで恋愛ごとについて全くといっていいほど知らなかったんだよ? 知らないものを知ってるも同然と思って。『自分がどうしたいか』を持ってなくて『相手がどうしたいのか』がわからない人に鈍感だとか、早く気づけとかって……今更だけど、結構酷いこと、無茶苦茶なこと言ってるよね」

 

 なるほどね。

 本音の言葉に私はついつい関心してしまった。

 

「どうしたの? かんちゃん。急に黙っちゃって」

 

「……本音って本当よく織斑のことを見てるなって。それにちゃんと織斑のこと考えてるし」

 

「ううん、そんなことないよ。私はただ知った風な口利いてるだけだよ」

 

「そうかな? 本音が本気で織斑のこと好きなのがよく分かるよ」

 

「なっ!? もう、かんちゃん~! またからかわないでよ~!」

 

「からかってるつもりはないよ。ほんとのこといっただけ」

 

 好きじゃなきゃ、そこまで織斑のことを見て、考えたりはしないはず。

 それに私が知る限り、本音ほど織斑のことを想ってる人は見たことない。あの五人もそれぞれでは織斑のことを診て考えてはいるんだろうけど、何処か自分を見ているような気がしてならないっていうのは私が言えた事じゃないし、それに本音ばかりよく考えているのは身内かわいさに、良いように思っているだけなのかもしれない。

 とはいえ、好きっていうのを否定しないあたり、本音が織斑のことを好きなのはもう固まりつつあるみたい。

 だからこそ……。

 

「でも正直、本音は織斑に具体的にどうしてほしいの? そして、本音自身はどうしたいの?」

 

「私は……」

 

 思い悩んだ表情を本音は浮かべている。

 

「振ってもう織斑のことよくなった?」

 

「そんなことはないよ……!」

 

 決して大きな声じゃないけど力強い本音の言葉。

 本音はまだ織斑のことを諦めてない。織斑のことを思うばかりに今は一歩引いた感じだけど、本音がまだ織斑のことを諦めてないことは今までの本音の言葉の数々でよく分かる。

 だから織斑のことを思うばかりに今は一歩引いた態度をしているけど、諦められない織斑への想いの狭間でどうしたら一番いいのか分からず悩んでいる。そんな本音の具体的な悩みの内容は分かった。

 でも、肝心の本音は織斑に具体的にどうしてほしいのか、そして本音自身はどうしたいのが見えてこない。

 まあ、見得ないというか……決められないから今悩んでいるんだけど、それでも漠然とこうしたいというのはあるはず。こうしたいけどこれでいいのかと迷うようなものが。

 

「織斑にはあの五人の想いと向き合ってほしいって言ってるけど向き合うって具体的にどういうこと? まさか、五人一人ずつ私達がしたようなデートでもさせるつもりなの?」

 

「うっ……」

 

「ああ……言ったんだ」

 

「あ、あくまで例えばだよ~!」

 

 慌てて弁解する本音。例えでもそれはどうなんだろう。

 私、あの五人のことよく知らないから私見でしか言えないけど、あの五人一人ずつデートなんてしたらただ事ではすまなさそう。ただでさえ織斑はまだ本音のこと好きだと思うから、デートなんて私達の時ほど上手くはいかなさそうな気がする。

 第一、五人一人ずつデートなんて現実的にしんどいだけ。かといって五人まとめてなんてすると結果は怖いぐらいはっきりと見えてる。

 

「べ、別に私は何も本当にデートしてほしいだなんて思ってないよ。デートは一人の人とするのでさえ、大変なんだから。だからって、オルコットさん達の気持ちを確かめろ何てことも言わない」

 

「そんなことしたら織斑冗談抜きで確実に死ぬよね」

 

「……あっはは、そうかもしれないね。かんちゃん、私が言う向き合うってことはね……五人、皆の思いを知った今、篠ノ之さん達のことについてちゃんと悩んでほしい。『他の選択肢』を『ほとんど知らない』のに『盲目的』に私だけを見るんじゃなくて、おりむーにはもっと沢山の『他の選択肢』があるんだから、もっ周りを見てほしい。皆本当は優しくていい子ばかりだから。だから皆の好意を知ってたくさんたくさん悩んで、それでも私を選んでくれるのなら」

 

 本音は決心したような顔をして言った。

 

「私はもうおりむーの想いから逃げない。私もおりむーと……ううん、織斑君と付き合いたい(結ばれたい)。だから私もちゃんと織斑ーの想いに向き合う。だって私織斑君のことだ好きだから」

 

 本音の気持ちは固まったみたい。その証拠に本音の表情に迷いはもうない。

 

「何かすっきりしちゃった。ありがとう、かんちゃん。話聞いてくれて」

 

「お礼なんていい。本音がすっきりしのなら私はそれで」

 

「よぉ~し、私頑張るよぉ!」

 

「うん、頑張って。応援してる」

 

 私でも少しは本音の役にたてたみたい。よかった。

 後は本音の頑張り次第。本音ならきっと必ず織斑をものにできる。私に後出きる事は微力ながらの応援ぐらい。

 こんなにも織斑のことを見て、考えて、思ってるんだ。もしも織斑が本音を泣かして、悲しませるようなことがあったら、絶対許さないんだから。

 

「あ……」

 

「かんちゃん、どうしたの?」

 

「本音、頑張るのはいいけど、何も頑張るのは告白の時だけじゃない。というか、付き合ってからのほうが頑張ることは多いかもしれない。それは多少なりと覚悟はしておいたほうがいいよ」

 

「どういうこと?」

 

「本音はあの織斑と付き合うかもしれないんだよ。政治的な問題は抜きにしても織斑はモテるし、あの五人は織斑に恋人が出来てもそう簡単には諦めそうにないよ」

 

「ぁ……そう、だよね……返って叩きつけることになるよね」

 

 その辺ことはちゃんと本音は分かっているみたい。

 未来のそんな光景を想像してか、困った顔している。

 本音と織斑が付き合うとはまだ決まってないのに今のうちから不安を煽るようなこと言ってるのは分かっている。でもこれは先人として……じゃないけど、一応言っておかないと。

 世界で二人しかいない男性操縦者と恋人関係を続けるのは思っているよりも大変なこと。政治的な問題も勿論あるけど、アイドルを独占するようなものだ。周りから嫉妬や羨望とか様々な思いをたくさん寄せられる。事実私もそんなことは体験済みだ。

 それに織斑の場合はあの五人のことがある。織斑からケジメをつけようとしても彼女が出来ようとしても、あの五人はあきらめたりしない。ケジメなんてことで諦められるなら最初っから諦めてる。五人が特別ってわけじゃなく一般的にも女の子はあきらめたりしないはず。むしろ、余計に燃え上がって何とかして自分を見てもらおうと頑張ったりする。

 そうなったら大変さが大きくなる。

 

「あ……ちなみにね、かんちゃんはどうしてたの?」

 

「私?」

 

「ほら……楯無様」

 

 躊躇しながらある人物の名前を言う本音が何を言いたいのか分かった。

 私もその大変を現在進行形で私は目の当たりにしている最中。織斑のように五人なんて大人数じゃないけど、私の“彼”を付き合ってもお構いなしに狙っているどうしよもないくらい諦めの悪い人が一人いた。

 楯無、更識楯無――私の実の姉。私の“彼”を狙っていたのはお姉ちゃん一人だけど、お姉ちゃんは楯無の名を継ぐ人。しつこさは格別。あの五人のアレさ加減が一つになったような存在。

 私達の仲を認めてはくれているみたいだけど、その上で“彼”を狙っていた。まったくどうしようもなかった人。

 過去形。それは前までのこと。最近ではようやく諦めはじめたのか、私達に必要以上に近寄ってこなくなってきた。

 それを本音は知っているから聞いてきたんだね。

 

「私の場合は“彼”との仲を見せつけ、差に気付かせ、諦めさせたよ」

 

 至極簡単なこと。

 あんまり他人に見せ付けるような事はしたくはなかったけど、あればっかりはしないといけなかった大事なこと。

 

「『あれが居る限り手は出せ無い』と思わせられるように頑張り続けるしかない」

 

「そんなのでいいんだ。私、てっきりかんちゃんが楯無様を説得したんだと思ってた」

 

「そんなのって、本音。同じ様なこというけど説得して聞く人間なら最初から諦めてる。言っても分からない人には行動あるのみ。簡単なことのように思えるけど……見せ付けるのって結構勇気いるし、それにこれは根気が重要。途中でやめたらダメ」

 

 私は言い聞かせるように言うと本音はメモするようにうんうんと頷いていた。

 あれは大変だった。と今では懐かしめるけど、見せ付けるのは本当に勇気がいった。私達が人前でそういうことしないのも原因の一つではあるんだろうけど、物凄く恥ずかしい思いをした。

 これでもかってわざっとらしいこともしたし……本当に根気が重要。流石のお姉ちゃんも一度や二度見たら満足するか諦めるだろうと思っていたけど、逆に“彼”の寝込みを襲ってきたとかなり時間がかかったのが今ではいい思い出。

 実際、諦めさせるのは勿論、相手も相手で好きな人を諦めるのってかなり時間がいることだと思う。本当に想っていたのなら、想っていたぶんだけ時間はかかる。だから、途中でやめたりなんてできない。やめたらそれこそ、私の恋人の想いはそれまでって、逆にこっちのほうが恋人のことを諦めることになりかねない。

 もっともこんなことして諦めさせようとしたら逆上して暴力的なことをしてくる可能性が少しはあるかもしれないけど、そんなことしてくる人には話通じないし、その人は所詮それだの人っていうことを向こうが勝手に自己証明してくれる。

  だから、勇気を持って根気強く途中でやめたりしないで行動あるのみ。それしかないと私は思う。

 

「それに困難の一つや二つ二人で一緒に越えないと。後、困難を利用してしたらいい。そうしたらもっと仲を深められてラブラブになれるよ」

 

 私の体験談。

 本音に私がやったことを押し付けるつもりはなかったけど、何処か押し付けがましかったかな……と思っていると、本音はいつも感じで感心したような表情をして言った。

 

「何だかかんちゃん、とっても強くなったね」

 

「そうかな……昔よりも本当に強くなれてると嬉しいな。私は強い“彼”とずっと一緒に生きていきたいから」

 

「惚気だ~」

 

「なんとでも言って。本音も早く惚気られるように本当頑張ってね」

 

今まで散々私が惚気話を本音にしてきた。

 でも、これからはもしかすると本音に惚気話を聞かされるそんな未来がすぐ目の前にあるかもしれない。

 そうなることを望むのは私の我侭なのは分かっているけど、そうなる未来が私は楽しみ。

 だから、私は本音の幸せを思って祈る。

 

「もちろん。かんちゃんに背中押してもらったからね。そうなったら頑張る」

 

 笑みを浮かべて決心したように言う本音。

 本音が望み、納得できる未来が得られるようにと私はそっと本音の幸せを祈った。

 




この物語初めてになる女性視点&簪視点。
“あなた”は今回いませんでした。ご了承を。

さて本音も動き出して、某赤い彗星系男子の一夏も動き始めました。
なのでこの話題でもう少し話は続いていきます。
お楽しみにしていただければ幸いです。

それでは~


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簪と考えたお膳立て計画

 時間が刻一刻と過ぎていく。

 今夜はもう金曜日。約束の日曜日は明後日にまで迫っている。日曜日――その日は一夏が本音に告白する大切な日。

 想いが固まり、告白すると決まってから一夏はずっとそわそわとしていてテンションが上がりっぱなしなのがよく分かる。それ自体はある意味当然の反応だが、学校でもそうなのであの五人に告白が終わってもう一度結果が出るまで悟られないかヒヤヒヤしたのが今日の出来事。それでも今一夏は一人寮の自室で本音への告白の言葉をあれこれ考えているみたいだ。それはいい。部屋にいてくれているから思う存分悩めばいい。

 問題は俺のほうだ。『告白の場ぐらいは俺と簪で設けてやる』なんてことをかっこつけて言ったけど、実際どうしたらいいのか考え付かず、今こうして一人寮の外にあるいつも簪と二人っきり時に利用するベンチで一人悩んでいる。

 冬の夜だから当然、寒いが分厚い上着と中に着込んでいるおかげで凍えるほど寒くはない。むしろ、夜風が冷たく熱くなりそうな頭を冷やさしてくれて丁度いい。部屋で考えるのもいいが、部屋には同室の一夏が今考えていて、邪魔したくない。それに今は一人で考えたい気分。

 

 さて、どうしたものか。

 一夏が告白をするのが始めてのように俺もまた他人の告白をお膳立てするのは始めて。もちろん、告白の経験はあるにはある。簪へしたので一度きりだが。

 第一自分がする告白とは少しわけが違う。男に二言はない。今更前言撤回する気なんて毛頭ない。何より、大切な親友の一世一代の告白。結ばれるといういい結果を得てほしいと思うし、自分に出来ることなら自分の持っている力を尽くして協力する。そして、いい結果をより確実に得られるようにしてやりたい。

 そう何処か意気込んでしまっているからこそ、余計になのかもしれない。

 さて、本当にどうしたものか。そう思いながら夜空を見上げた。

 

「あ、やっぱりこんなところにいた」

 

 心地のよい愛しい声が聞こえる。

 声がした方向を向けば、俺の様に上着を着て、その上着の中も着込んだ簪がいた。

 白い息を吐きながら少しだけ寒そうにしている簪。

 どうしてここにと思っていると簪は少し飽きれたような表情を浮かべて言った。

 

「LINE送ったのに既読すらつかないから気になって。部屋に行ったら織斑しかいなくて外に出たって聞いたから……外にいるならここかなって」

 

 経緯を説明されて、携帯を取り出すと簪のいう通りメッセージが数件来ていた。

 マナーモードにしていたせいかまったく気づかなかった。ごめん、簪。

 

「いいよ……別に。隣、座ってもいい?」

 

 頷くと簪は俺の隣へとベンチに腰を降ろした。

 

「それで……どうしたの? こんなところで。朝からずっと考え事してたみたいだった。今もしてるよね」

 

 開口一番簪からそんなことを言われ、俺はびっくりする。

 隠していたつもりはないが、凄いあっさりと見抜かれてしまっている。

 

「もう、なんでびっくりしてるの。私へんなこと言った?」

 

 いいや、と首を横に振る。

 当然と言わんばかりの簪にうれしい様な恥ずかしいような気持ちだ。

 見抜かれている以上、今言わないわけにはいかない。

 簪には一夏のことを話してなかったので、改めて昨日一夏から悩みを聞いたこと、気持ちが決まりもう一度告白することを一夏が決めたこと、そしてお膳立てすると決めたことを話した。

 

「へぇ~織斑ようやく腹が決まったんだ。よかった……本音、上手くいくかもね」

 

 どういうことかと聞けば、簪はゆっくりと話してくれた。

 同じ様に本音から悩みを聞いたこと。本音が一夏のことをどう思っていたのか教えてもらったこと。そして本音が一夏のことが好きで気持ちが決まったということを。

 話をきいて驚いた。多少なりと一夏のことを振って気にしているとは思っていたけど、もしかあの本音が悩んでいたとは思わなかった。それに……。

 

「二人とも同じように悩んでいるなんて。ふふっ、付き合う前からもうこんなにも両思い……やっぱり、お似合いだね」

 

 微笑む簪に同意しながら俺も笑みを零す。

 おもしろいぐらい一夏と本音は同じ様に悩んでいることに簪と気づいてつい笑ってしまった。唸りながら一人悩んでいるのまで一緒だったなんてどれだけ似た者同士なんだか。

 でも、二人がお似合いで両思いなのは確かだ。本音は本当によく一夏のことを見ていて、分かってくれている。そしてちゃんと一夏のことを好きでいてくれている。

 それだけで二人が結ばれるのは確かだと確信させられる。

 

「でもね……何でそれをもっと早く言ってくれなかったの? ましてや告白の場を設けるだなんて大事なこと。私も本音のことがあるから余計に早く言ってほしかった。当然協力するから」

 

 少し拗ねた様な表情で簪に叱られてしまった。

 怒っているわけじゃないのは分かる。簪も本音には一夏と結ばれていてほしいと思っているのはよく分かっているから、こんな風に叱られても当然のことで言い訳はできない。

 簪に真っ先に言わなかったのはまず最初は自分一人で考えたかったからだ。いつくか案を用意した上で、簪に言おうとしたがそれがいけなかった。一人で考えようとしても、いつくか案は出来たがすぐに否定的な考えが思い浮かんで一つも案を決められるずにいるのだから、もっと早くいうべきだったと今更ながら反省する。

 

「日曜日か……ちょっと気が早い気がするけど……早いことにこしたことはないよね。特に今の織斑をそのままにしてるとおちおちしてると皆に気づかれかねないし」

 

 そうだな、簪の言う通りだ。

 ダブルデートあった日から一夏の様子が前までと比べて変なのは誰の目から見ても明らかで、気持ちが決まって告白することも決まった一夏はそわそわしていてますます変だ。

 今は適当に誤魔化しきれているけど、日を置けば置くほど一夏のあの様子なら確実に周囲にバレる。そうなったら面倒。特にあの五人にバレたら、絶対に何かしてくる。そうなってしまえば全てが台無し。

 俺達としてはあの五人に今更邪魔されたくない。だから早いことにはことしたことない。

 

「う~ん……だけど、どうしよう。お膳立てか……改めて考えると難しい」

 

 簪と二人して寒空の下頭を悩ます。

 

「大切な親友の告白だから何か特別なことでもしてあげたいけど……」

 

 そう俺も同じ様に思うがやっぱりいい案が思い浮かんではすぐ否定的な考えが思い浮かんでしまう。

 特別なことを、と意気込んでるのがいけないのか。言葉は一夏が考えるから兎も角、告白の場は俺達が設ける。告白ってどういうシチュエーション、場所でするのが一番いいんだろう?

 定番の公園とかか? しかし学校の周辺は勿論、レゾナンスの近くに公園なんてものはない。でも、やっぱり外――外でまたデートしながらのほうがいい気が……。

 

「それは……やめといたほうがいいんじゃない、かな? 今は適当に誤魔化しきれているとは言え、あの五人最近の織斑を見て気にかけてるみたいだし……外なんて出ようものなら確実に尾行されかねない」

 

 いくらなんでもそれは考えすぎじゃ……そう思ったけど否定しきれない。

 今は適当に誤魔化しきれているけど、一夏の様子が今までと比べて明らかに変で違っているのは紛れもない事実。それは誰からもそう見えて、あの五人ですら一夏の様子を気にかけているのは俺にも分かる。一夏を学校の外に出そうものなら確実に尾行されかねない、か……だったら、どうすればいいんだ。

 外がダメなら消去法的に中になるが……だからといって学校や寮のほうがかえって危ない気もする。詰んだ。

 

「あ、そうだ! だったらいっそあなた達の部屋は……どうかな? 日曜日に私達四人で遊ぶっていう体で一旦集まって……頃合を見て本音と織斑を部屋で二人っきりにして告白できるようにするの」

 

 部屋かぁ……

 

「部屋なら織斑を外に出さなくてすむ。それに周りなんて気にしなくていいから、落ち着いて二人もいえると思う。私達も私達で人払い程度で済む」

 

 それなら一夏を外に出さなくて済むから尾行される可能性はない。部屋から出ないから当然、見られる可能性もない。自分の部屋なら一夏も緊張を和らげることができるだろし、好きなタイミングで告白ができるはずだ。俺達も俺達でやることが人払い程度で済むのなら、それに越したことがない。

 でも、告白の場所が俺達の部屋なんかでいいのだろうか。うーん、好きな女子との告白ならもっと場所としてムードや雰囲気がある所のほうが場所としていい気がするけど……。

 

「部屋なんかっていうけど……女の子としては好きな男子の部屋で告白されるのって……いつの時代も憧れるものなんだよ」

 

 へぇ~そうなのか……始めて知った。簪の言うことなら信頼できるがしかし……と思ってしまう。

 

「部屋もちゃんと場所としてムードや雰囲気が充分あるから心配しなくても大丈夫だよ。それに」

 

 簪は口角をニヤとさせ、いたずらっぽく微笑んで言った。

 

「あなたは……私に何処で告白したのか忘れたの? 私はちゃんと覚えているけどな」

 

 もちろん憶えている。それを言われるともうこれ以上場所のことで何も言うことはない。

 やっぱり、場所の選択肢としては部屋以外ないか。となると、明日土曜日一日も一夏をなるべく部屋にいさせたほうがいいな。

 それに部屋でとなるとやっぱり俺達のほうでちゃんと警戒はしておいたほうがよさそうだ。

 

「そうだね。私達も部屋に入るまではなるべく見つからないようにするよ」

 

 一学期の頃みたいに万が一、何かの拍子にバレてあの五人とかに無理やり部屋に入り込もうされたら怖いな……。

 

「それは考えすぎじゃないかな? まあ……万が一そんなことあっても私が四人だけで遊びたいからって断る。それでも過激なことして入ろうとするならそれまでの人達。それに邪魔が入ったところで告白やめてしまうのなら、それまでの思いだったってことだよ。そんな思いの織斑に本音は任せられない」

 

 辛辣な簪の言葉。しかし、簪の言うことはもっともだ。

 仮にあの五人がいつもみたいな過激なことしてきたら、それまでの奴らだってことだし、一夏も本音と五人の違いをより一層はっきりと感じるはずだ。邪魔が入ったとしても、それでも告白するぐらいじゃないと意味がない。邪魔が入ったぐらいでたくさん悩んで考えた告白をやめるのならそれまでの思いだったってことになる。

 

「だけど……心配しなくても大丈夫だよ。二人ならきっと上手くいく。二人のことは二人に任せて……私達は私達でやるべきことしよう」

 

 それしかないよな。

 お膳立てとは言え、元々告白の場を設けるって話だったわけだし、出来るのはここまで。

 後は二人のことで、それは二人に任せるほかない。後、俺達できることは邪魔が入らないように人払いするぐらいか。

 なら、それで決まりだな。

 

「うんっ」

 

 そう頷く簪は夜空を眺めていて、その表情は何かを懐かしんでいるようだった。

 

「懐かしいね」

 

 懐かしい?

 

「ほら、告白。何だか……ついあなたに始めて告白された日のことを思い出しちゃった。懐かしい……夏休みの終わりに整備室で告白されたのが昨日のことみたい」

 

 懐かしむような表情を浮かべて簪は嬉しそうに言う。

 

 付き合う前。俺から告白してそれを簪が受けてくれて今に至る。だけど、俺達の告白の場は整備室――打鉄弐式や俺の専用機を整備、調整する時にいつも使う整備室だった。

 今では俺と簪の溜まり場になっている思い出の場所だけど、今思えば告白の場としてムードや雰囲気なんてないようなもの。だから、一夏達の告白の場として自室は整備室よりかは充分ムードや雰囲気があるのは分かる。それだけに今更後悔はしてないが、簪にはもっと告白の場として素敵なところでしたかったと思ってしまう。

 

「ま~た……一人難しい顔してる。どうせ……あなたのことだからもっと素敵なところで告白したかったとか思ってるんでしょう」

 

 うっ……まったく鋭い。難しい顔していたのは認めるが、そこまで顔に出ていたんだろうか。

 

「難しい顔してだけだけど私には分かるよ。場所はもちろん大切だけど……場所以上にやっぱり、言葉と気持ちが大切……でしょう? 私は整備室でも充分嬉しかった。それだけじゃない。あなたの告白の言葉、気持ち……全部全部嬉しい」

 

 難しい顔してた俺を励ますかのように簪は俺の手をそっと取って握ってくる。

 簪の手は夜風で冷えてしまったようで少し冷たいが、柔らかい簪の手は気持ちよくて心地がいい。

 

「それにね……ちょっとおもしろかったし」

 

 お、おもしろい……

 

「がーって私の不器用なところとか私の生真面目なところとかたくさん私の好きなところ言ってくれたと思ったら……急に黙って。と思ったら、『好きです。付き合ってください』って真剣な目で私の目を見て告白してくれて私すっごく嬉しかった」

 

 微笑みながら簪は嬉しそうに言いながら、握っている手にぎゅっと力が篭る。

 そんな簪に俺は見惚れてた。確かに懐かしいな……簪の言ってくれた言葉であの時、俺がどれだけ緊張したのか思い出した。一杯一杯で気恥ずかしいけど、本当懐かしい。

 

「……ッ」

 

 強めの夜風が一つ吹いて、寒そうに簪は身を縮こまる。

 目と目が合い、俺達は暖めあうようにどちらともなく抱きしめあった。

 厚着していても感じることができる落ち着く簪の暖かな体温。冬の夜風の冷たさなんて気にも止まらない。

 

「ふふっ」

 

 耳元で簪が小さく笑うのが分かる。こそばゆい。

 

「私……日曜日がとっても楽しみ。頑張るだろう二人の幸せを祈りながら……私達もちゃんと頑張ろう」

 

 ああ。頷くように抱きしめる力を少し強くする。

 俺も日曜日が楽しみだ。日曜日、一夏と本音には上手くいってほしい。幸せになってほしい

 だからそうなれるようにと俺と簪は寒い夜空に祈った。

 




最近は一夏の恋物語(仮)ばっかりだったので一夏の恋物語(仮)に絡めつつ簪と“あなた”のお話を一つ。
ずっと冬っぽい話を書きたくて、いつかの感想で二人の馴れ初めの話がほしいとか頂いた気がするので今回の話になりました。
馴れ初めは触り程度ですが
甘くないのでもう少し甘い感じにしてもっと冬っぽい感じにしたかったですね……


今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と見守った一夏と本音の告白 前編

 ついに迎えた日曜日。

 清々しい朝を迎えられ、部屋の窓から見える天気は快晴。天も今日のことを快く背中を押してくれているみたいだ。

 

「すぅー……はぁ……」

 

 深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしているが、身振り手振りはそわそわとしていて一夏は落ち着きがない。

 一夏の奴……いつも以上に緊張してるな。まあ、無理もない。

 今日は一夏の告白当日。泣いても笑っても今日が最後……ってわけじゃないが、今日という日を逃せば、おそらく次こういう場を設けるのは難しいだろう。

 一夏のこんな様子じゃ、もうこれ以上誤魔化しきるのは難しい。

 誤魔化しきれなくなったら周囲には確実にバレるだろうし、そうなったら特にあの五人はあれやこれやとしてくるはずだ。

 でも、そうなったら俺達にはこれ以上のこともう何も出来ない。今日みたいに追い払うような他人の恋路を邪魔することをするのはこれで最後。それこそ、その時は一夏本人が自分で何とかする問題。

 何より、今日がいろいろなことが上手く重なっているベストタイミング。今日以外で告白するなら他の日はない。そう断言できる。

 だから今日、無事に上手くいってほしい。

 

「な、なぁ! 変なところないか!? 今日の格好おかしくないよな!? やっぱもう一度!」

 

 もう何度目か分からないほど聞き飽きた一夏の台詞。

 俺の思いは他所に緊張からか落ち着かない様子で部屋をうろうろする一夏。そんな一夏を落ち着かせベットにでも座らせる。

 普段服装とか気にしない一夏の慌てっぷりは面白かったけど、流石に何度もそんな様子を見せられ、同じ事を聞かされれば、いい加減鬱陶しくなる。

 落ち着かない気持ちは分からなくはないけど今更慌てても、後数分で簪と本音は俺達の部屋にやってくる。

 男なら……じゃないが、もう無理にでもドンと構えて待っている方がいさぎいい。

 

 コンコンコン。規則正しいドアをノックする音が聞こえた。

 来たみたいだ。ドアに向かいながら、部屋の掛け時計で時刻を確認する。予定よりも少し遅いが全然大丈夫だ。

 俺は部屋のドアを開け、中に迎え入れた。

 

「お邪魔します」

 

「……お、お邪魔します」

 

 いつも通りの簪と緊張した様子の本音。

 二人に中に入ってもらってから、一応部屋の外の確認する。

 外には人影は見当たらない。周りに隠れるようなものはところはないから今のところは大丈夫そうだが心配だ。

 

「大丈夫。ちゃんと見つかれないように来たから。尾行もされてない」

 

 簪がそう言うなら心配いらないか。

 安心してドアを閉める。

 

「……ぅぅっ」

 

 初めて部屋に来たわけじゃないのに、本音はきょろきょろと不安げに辺りを見渡しながらおずおずとした足取りだ。

 部屋の入り口の角、緊張しながらベットに座っているだろう一夏から見えないところで本音は俯いたまま急に立ち止まる。

 背中からでも緊張して顔を赤くしている本音の姿は手に取るように分かってしまう。本当、本音も一夏のことを友達以上に恋愛対象として意識してるんだな。

 

「邪魔。早く行って」

 

「うっ……うぅぅっ」

 

「早く」

 

 簪に押されるように本音はまたおずおずとした足取りで進んだ。

 

「い、いらっしゃい……」

 

「おっ、お邪魔……します」

 

 お互いを見るなり、同じ様に顔を真っ赤にして恥ずかしそうに固まってる一夏と本音の二人。

 会って早々、こんなにも表情や動きまで同じだなんて。まったくどんだけ両思いなんだか。

 ただ、このまま立ったままだと落ち着かないままだろうから、簪と本音には適当に好きなところにでも座ってもらった。

 自分のベットに腰を掛ける俺の横に簪が座り、何故だかその横に本音も座る。

 

「……」

 

「……」

 

 三対一で必然的に自分のベットに座っている一夏と本音は向かい合う形になり、一瞬お互いを見て目が合っては恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯く二人。

 何でこの二人は向かい合って座っているんだろうか。無意識についつい向かい合って座ってしまったのだろうけど、それじゃあかえって余計に緊張するだけだ。

 それに一人用のベットで二人ぐらいならまだ横並びに腰掛けても狭くはないが、三人となるとちょっとした狭さを感じる。そう思っていたのは俺だけじゃないようで。

 

「本音、狭い。向こういって」

 

「む、向こうって」

 

「ん」

 

 簪が言葉で指したのは一夏の隣。それを聞いて本音は驚いた声をあげそうになったみたいだが、有無も言わさない簪の無言の威圧に押されてか、本音はおそるおそる一夏の隣に座った。隣といっても表現の仕方としてはそういうしかなく、実際は物凄く離れた所、ベットの端に座っている。

 

「本音……いくらなんでも離れすぎ」

 

「だ、だってぇ~っ!」

 

「慣れなさい」

 

 いつもより強い口調の簪だが言っている事はもっとも。それは本音も分かっているようでまたおそるおそる一夏との距離をほんの少しだけだが詰めて落ち着く。

 まだ一夏と本音の間には距離があるが、普通の距離感とギリギリ言えなくはない。

 

「~~ッ!」

 

「うぅ~~っ!」

 

 向かい合ってる時より距離が縮まって二人は同じ様にかわいそうなぐらい顔が赤い。そろそろ頭から湯気が出そうなくらい。二人とも揃って無言だが、内心いろいろなことを考えているのは表情を見ただけで分かってしまう。

 一夏が反射的や本能的以外にこうして意識して赤くなってるのは珍しいが、それ以上に本音が赤くなり恥ずかしがって何も出来なくなっている姿は本当に珍しい。

 前までは本音ののほほんとした雰囲気が一夏の緊張を紛らわしてくれていたが、もう前とは状況が違う。二人ともお互いのことを好きなのは傍から見てよく分かるし、それだけ意識しあってる。故に前までのようにはいかないのは仕方ないことなんだろう。

 正直、簪が今日のことを提案してくれたよかった。部屋に二人をさせてよかったとしみじみ感じる。もしも外でデートでもしてこんな今まで見たことないような二人の様子をあの五人に見られていたらと思うと怖い。だから、部屋なら思う存分今の様に意識してくれたらいいけど。

 

「私も体験あるから分からなくはないけど。正直……先が思いやられる」

 

 まったくだ。お互いのことを意識して緊張から気恥ずかしくなって動けなくなることは俺と簪も体験したことあるからその気持ちも分からなくはないけど、今の二人の様子だと先が思いやられる。

 まあ、今からいきなり告白させるような焦らすことはさせないつもりだ。だが、時間は限られている。それに今日の目的は告白。忘れてはないだろうが、変わった二人に慣れるだけに時間を費やしてもらっては本末転倒。こればっかりは無理にでも早く慣れてもらうしかないんだろうな。

 

「そうだね」

 

 俺と簪は二人の様子に少しあきれ気味な苦笑いを浮かべあった。

 

 

 

 

 いらぬ心配だったと感じたのはすぐだった。

 一夏本来の適応力の高さは勿論、ただ意識しあい恥ずかしがって黙っているわけにはいかないと一夏本人もよく分かっているようで、本音に普段どおり……それ以上に優しく接しようとしていて。

 本音もまたそんな一夏の思いを感じ、汲んで普段どおり接しようとしていた。

 その成果もあって今だぎこちなさこそは感じさせるものの、照れながらも話せるようになっていて普段に限りなく近い二人の様子。

 それを見て俺と簪はいらぬ心配だったと感じた。

 

「そういえば、そろそろお昼だな」

 

 部屋にある時計を見ながら一夏がそんなことを言う。

 時間はお昼過ぎ。俺も含めて皆そんなにお腹が空いている感じじゃないけど、今のうちに食べとかないと後で食べようと思っても今日は時間がなさそうだ。後ろにはいろいろと控えているわけだし。

 しかし、困った。お昼のことを考えてなかった。本当に考えてなかったわけじゃないけど、適当にすればいいか程度しか考えてなかった。

 予めちゃんとした昼ごはんを用意してればよかった話だけど、そんなものは当然ない。一応、部屋には給湯器とカップメンがいくつかあるからミネラルウォーターを沸かして食べることも一応できなくはないけど、彼女や告白する相手に出すような食べ物じゃない。

 一夏を部屋から出すわけにはいかないから、ここは一つ。簪に二人のことを任せて、俺が四人分の昼ごはんを購買部で買ってこようかな。そんなことを簪達に伝えると簪と本音の二人は持ってきていたバッグを膝の上に置いた。

 

「お昼ご飯なら心配無用。ね……本音」

 

「う、うん」

 

 言って二人はバッグの中からオシャレな手ぬぐいのようなのに包まれた大きめの物体を取り出し、俺と一夏のベットの間にある机の上に置いた。

 

「まさか……!」

 

 一夏は気づいたように声をあげる。

 何かに気づいたみたいだ。俺もそうだ。思い違いでなければ、包まれている物の正体は一つ。

 そんな俺達の様子を見て簪は嬉しそうに包みを開けた。

 

「どうぞ」

 

 包みの中にあったのは弁当。弁当の蓋を開けて見せてくれると、その中には食欲をそそる彩りのおかずが沢山。簪の弁当の中には俺の好物が沢山ある。量も見た感じちゃんと二人分ある。

 大変なのにわざわざ作ってきたくれてたのか。

 

「まあね。それで今朝は少し遅れたの。お昼用意してないと思って」

 

 それは助かるし、まさか弁当を用意してくれてるなんて思ってもいなかったからサプライズ的な感じで嬉しい。

 

「これ、のほほんさんが!?」

 

「うん、そうだよ~ほら、おりむー。この間、私の手料理食べてみたいって言ってくれたから……今日、折角だから作ってみたんだよ」

 

「マジで!? すげぇ嬉しい!」

 

 本音の弁当を見ながら目を輝かせている一夏を本音は微笑ましそうに見守っている。

 隣にいる本音の弁当も豪華だ。しっかりと彩りや食のバランスが考えられており、一夏の好物だろうか。それと思わしきものもちゃんと入っており、美味しそうに見え、一見するだけで手が込んでるのがよく分かる。

 そういえば、本音が簪に料理を教えたんだったけか。それならこれだけで出来るのも納得。

 

「じゃあ、食べよう」

 

 箸も二人分ちゃんとあるようで、一組貰い手を合わせる。

 

「頂きます!」

 

 そう元気よく言った一夏に続いて俺も頂きますと告げて箸をのばす。

 最初に食べたのは好物の一つである出し巻き卵。綺麗に巻かれている。

 作ってから時間がある程度経っているせいか、暖かくないけどそれでもダシがよく効いていていい感じだ。弁当にある白ご飯とよくあい箸が進む。凄く美味しい。

 

「よかった」

 

 素直な感想でもありふれた言葉でしか言えなかったけど、それでも簪は俺の感想は聞いて嬉しそうにしていた。

 こうして簪の手料理を食べるのは久しぶりだ。普段の昼食は学食や購買部ばかり。だから、余計に美味しく感じる。それに以前食べた時よりも料理の腕が上がっている気がする。

 

「経験つんでるからね。それにそんなに喜んでくれるのなら毎日作ろうかな」

 

 なんてうれしいことを言ってくれる簪。

 二人して一つの弁当を食べる。それは一夏達も同様だが少し様子が変だった。

 

「おりむー?」

 

 本音達も食べているが、一夏がやけに静かだ。

 まずいって言葉を失ってるなんてことはないはずだ。逆に感心したような顔で美味しそうに静かに食べている。

 静かに味わって食べているのはいいけど、感想とか何も言わないものだから本音が不安そうに一夏を見ている。

 そんな本音に視線に気づいたのか、一夏はハッと我に返った。

 

「……あっ、ごめん」

 

「ぼーっとしてたけど、もしかして……美味しくなかった?」

 

「ッ! そんなことない! 凄く美味い! 何か感動しちゃってさ」

 

「感動?」

 

「凄く美味くて食べてるとこう……心が暖かなくなって言うか。こんな暖かい気持ちになれるご飯食べたの久しぶりだ」

 

「大げさだよ~」

 

「そんなことないって。こんな風に感じられるのは作ってくれたのが他の誰でもないのほほんさんだからだと思うから」

 

「もうっ!」

 

 一夏の言葉に照れた様子の本音。

 言葉的にはいつもの無自覚な口説き文句のようだが、いつもとは決定的に違う。

 本音の瞳を見つめて真剣な表情で言う一夏はちゃんと他の人ではこんな風に感じないと分かっているよう。

 熱っぽい視線で見つめないながらご飯を食べている一夏と本音の二人は甘い空気に包まれていた。

 

 

 

 

 気づけば、時刻は午後のおやつ時。

 お昼ごはんを食べ終えた後。午前と変わりなく過ごしていたけど、今ではもうすっかり一夏と本音は打ち解けあいぎこちなさはなくなっていた。

 

「それでさ」

 

「うんうん」

 

 こんな風に今で二人とも楽しげに話してる。

 いい雰囲気の二人。落ち着けて話せている今ならそろそろ今日の本題に入ってもらっても大丈夫だろう。

 

「そうだね、そろそろ」

 

 簪も同じ考えだったようで一緒に立ち上がる。

 

「更識さん達、どっか行くのか?」

 

「おやつ時だから購買部とかでおやつでも買ってこようかと思って。二人は部屋で待ってて」

 

「ふ、二人!? か、かんちゃん! 私も……!」

 

「本音……織斑一人残したらかわいそうでしょう。大人しく二人で待ってなさい」

 

 落ち着けて話させるとは言え、流石にいざ二人っきりになることに抵抗があるようで本音は恥ずかしそうにしている。それは一夏も同様だ。

 俺達も俺達でお膳立てというかお節介が過ぎたのは自覚している。そのせいで今みたいに四人でいることに慣れはじめてしまっている。だから、今無理やりにでも二人っきりにしないと今日の本題に移れない。このままだと余計に二人っきりになることに抵抗を更に憶えて今日というベストタイミングを失ってしまいそうだ。

 第一、一夏の奴……忘れてないよな。そんなことを確認してみると。

 

「お、憶えてる」

 

 覚えているみたいでとりあえず安心だ。おそらく頭の隅に追いやられていた程度なんだろう。

 一夏のことがまだ心配ではあるが、これ以上の心配をしても余計なお世話か。いざ本番になれば、一夏も男。自分の力でどうとでもするはずだ。

 

「じゃあ、そういうことで。後は二人でごゆっくりと」

 

 そう簪と告げて俺達は二人を残して部屋を後にする。

 あんな風にいい雰囲気の二人ならきっといい結果を手に入れられるだろう。

 



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簪と見守った一夏と本音の告白 後編

静かな部屋の静けさをこんなにも嫌だと素直に感じたのはいつぶりだろうか。

 

「……ッ」

 

「……ぅッ」

 

 目の前にいるお互いの視線がふいに合ってしまうすると気恥ずかしさから一夏と本音の二人は揃って視線を揃って別の方向へと外す。

 簪達が部屋を出て二人っきりになった二人はずっとこんな感じだ。二人っきりだという事実に気恥ずかしさを感じている二人に間に会話はない。簪達がいた時は楽しげな会話が二人には何度もあったのにそれが嘘のよう。ただ一つあるとするのなら、部屋の静寂のみ。

 その静寂が二人には今一番辛いものだった。姿勢を維持するのが辛くなって変えようと体を動かそうものなら、普段は聞こえない聞こえても気にならない床と衣服がスレる音が嫌というほど耳について心なしか大きく聞こえて、恥ずかしさを強めてしまう。

 

――二人っきりになったらこうなるってアイツに言われて覚悟してたけど、いざなると辛い! 何か無性に恥ずかしいし。でもやっぱ、このまま黙ったままってのもよくないよな。

 

 ふと視線を戻すと一夏には気まずそうにして俯いている本音の姿が見えた。

 居心地が悪そうな本音。そんな風なのは何も一夏と二人っきりなのが辛いということではない。折角、二人っきりなのに二人っきりだということを意識してしまうとついつい気恥ずかしくなって、この無言の空間から自分から抜けることが出来ない。だから、結局無言でいることしかできない自分が情けなくて本音は居心地が悪い。

 そんな本音を見てると一夏は自分が居心地悪くさせているんじゃないかと考えてしまう。

 

――俺から話さないといけないよな。というか、告白か……でもな……

 

 簪達二人が自分達二人を残して部屋を出て行った理由が分からないわけでも、忘れたわけでもない。

 だがしかし緊張からか一夏は迷っていた。それに加えてこの無言の空間。自分から言い出すとなると、それも告白をとなると今の一夏にとってハードルが高い。

 

――いいや、迷うなんてらしくない! 言われたことも言葉もあれだけ考えたんだ。それに折角二人が作ってくれたチャンス。活かさないでどうする。漢を見せろ、俺!

 

自分に強く言い聞かせ、一夏は迷いを押し払う。

今自分がやるべきことは一つ。それに逃げ道や遠回りの道なんてものはない。

一夏は意を決して言った。

 

「のほほんさん」

 

「……は、はいっ!」

 

 俯いていたのと緊張のせいか、一夏の様子に気づけなかった本音は一夏に声をかけられて体をビクッと震わせ声をあげる。

 

「のほほんさんに話があるんだ。聞いてほしい」

 

「話……」

 

 そう一夏に振られて本音は頭の中で考える。

 

――は、話ってあれだよね……やっぱり。

 

 本音が思いあったのはただ一つ。告白だ。

 今日はただ遊ぶだけと簪に連れてこられ、まさか一夏から告白されるなんて誰からも聞かされてはなかった。だが本音はこうなるんじゃないかと薄々勘づいてはいた。

 今の二人っきりという状況、場の雰囲気、そしてつい最近一夏から告白されたばかり。その告白を自分が断ってあんな言葉を問いかけてしまい、ここのところ以前と比べて明らかに様子がおかしい一夏を知っていた。もう一度、告白される可能性だってなくはない。それを期待してなかったと言ったから嘘になる。

 むしろ本音は心の何処で期待していた。あの5人の思いと向き合った上で、もう一度自分の思いとも向き合ってほしいと思っていたから。

 何より、今真剣な表情をして問いかけてきた一夏を見てそうなのだと確信した。

 

 自分と今一度また向き合ってくれるのだと感じて、自分もそれ相応の態度を、と思い本音は身形を整えながら正座して一夏の言葉を待つ。

 

「――」

 

 一夏は緊張で今まで散々考えていた作戦や沢山の言葉が頭が真っ白になっていくのを感じた。

 人間って緊張するとこうなるって何処かできいたことあるけど、本当だったんだ。

 そんな冷静なことを一夏は頭のどこかでぽつりと考えながら、思っていたよりもすっと言葉を言えた。

 

「俺はやっぱりまだ、のほほんさんのことが好きだ」

 

 言えたのはよかったが緊張や気恥ずかしさはもちろん、なによりも怖かった。

 それでも一夏は逃げることなく本音の目を見つめて真正面から伝えた。

 言えたことで一夏の中である種の自信の様なものがついたのか、更に言葉を続けた。

 

「俺、あのデートの日からずっと考えてたくさん悩んだ。のほほんさんに言われたこと。俺のことを好きだと思ってくれる奴らのことを知ったけど、それでも俺が本当に好きなのはのほほんさんただ一人。他の誰でもない。のほほんさん以外じゃ、こんなにも一緒にいたいと思わない。のほほんさんだから俺は好きなんだ!」

 

 精一杯、今伝えたい気持ちを全て言葉にしきった。

 もっとシンプルに伝えようとしたはずなのに随分と長ったらしくなって要領を得なくなったかもしれないが一心不乱に一夏は気持ちを伝えた。

 

――告白ってやっぱり怖いな。

 

 本音の返答を待つ一夏の内心にあるのは変わらない緊張と、そして恐怖。

 告白。それは今までの人生で、自ら行ったのは一度だけ。しかもそれはつい最近、断られたばかり。済んだことだと引きずらないように割りきっているつもりでも、傷はあるものでそれは深く、癒えきってない。心の痛みは鮮明だ。それ故に恐くて二の足を踏んでしまいそうになる。

 再び断られたらどうする? 断れたら、今度こそ折れてしまいそうだ。

 心の傷が痛む気がする。本当に怖い。一夏は体が震えてしまいそうになるのを感じた。

 後ろ向きな考えばかり浮かびそうになる弱い自分の心に渇を入れ、本音の言葉を待つ。

 少しの沈黙のあと、ゆっくりと本音は言った。

 

「それで本当にいいの? 織斑君のことを好きだっていう皆の気持ちを振ることになるんだよ。そしたら傷つける。皆を守ってあげるんじゃなかったの?」

 

――……ッ、守るか。

 

 本音の言葉が一夏の胸に深く、そして強く突き刺さる。

 守る――それは幼い頃から千冬に守られてきたことから『誰か(何か)を守ること』に強い憧れを持ち、強くあこがれているからこそ固執しまっていること。守るということが一夏の主義であり行動理念。そして今の一夏をあらわす言葉。

 だというのに、今の一夏の行動はそれとは真逆。守るといっている人間が傷つけるなんて本末転倒だ。

 

――また酷い問いかけしちゃってるな。でもこれもちゃんと確かめないと。

 

 一夏が『守る』ということに固執しているのは誰の目から見ても明らかだ。ある意味、『守る』ということに囚われてると言っても過言じゃない。その一夏が『守る』ということをやめるようなことが出来るのか。それが今重要なこと。

 

――守る、まもる、守る……守る。

 

 眩暈がしそうな一夏。

 蓋をしたはずの触れてはいけないものが開きかけ、その中にあるモノに囚われそうだ。自分の内側――その深いところから恐怖が沸いてくるのが一夏にはよく分かる。

 これは蓋を今すぐにしないといけない。しないと自分が自分でなくなってしまいそうな気がしてならない。だけど、蓋をするということをは本音への思いをも蓋をするということになる。

 最中、一夏の脳裏に過ぎった。

 

――二つに一つ。自分が本当に欲しいものって何だ? ? それ以外?

 

 親友の一言が。

 

――本当迷うなんて俺らしくないよな。今更選択肢なんてわざわざ持ち出して迷うフリは必要ないか。俺が本当に欲しいものは今一つ。

 

 蓋をしたはずの触れてはいけないものが開こうとも、恐かろうとも一夏の覚悟は変わらない。

 恐いのは変わらないがそれでも、と一夏は本当にほしいものを自分自身で?みにいった。

 

「傷つけることになるかもしれない。覚悟はしてる。それでも俺ののほほんさんのこと好きだという気持ちはやっぱり変わらない」

 

 迷いが脳裏に過ぎったが、もう一夏が迷い続けることはない。

 

「のほほんさんの答えを聞かせてくれないか?」

 

 一夏は本音の目を見つめたまま、もう一度本音の返事を待つ。

 

「……ッ、本当に……私でいいの……?」

 

 その問いかけは一夏へのものであると同時に、本音自身への問いかけであるかのように。

 今更、本音は一夏の気持ちを疑うようなことはしない。

 自分が言ったことを一夏なりにちゃんと悩み考えた上で今こうして答えを出してくれている。

 そんな一夏の思いが痛いほど本音に伝わっている。正直、嬉しくて頭が熱くなって、視界が今にも歪んでしまいそうだ。

 

 だからこそ不安になる。だからこそ、自分自身への問いかけ。

 本当に自分でいいのだろうか。

 散々悩ませ、苦しめるようなことをして、試すようなことを何度もしたのに今簡単に手を取ってもいいのだろうか。

 そんな本音の迷いを打ち消すかのように一夏はいつもより一層優しげな笑みを浮かべて言った。

 

「言っただろ? いいや……何度だって言う。のほほんさんじゃないと俺はダメなんだ。こんな風に考えることなんて今までずっとなかった。ほんと、自分がどんだけ何も考えてなかったのか、鈍感だったのか気づけた。それはのほほんさんのおかげで、のほほんさんじゃなかったらこんな風には考えられなかった。柔らかくて暖かい雰囲気、実はしっかりしてるところ、物凄く気配り上手なところ。そして優しくて可愛いところ……そんなのほほんさんが大好きなんだ」

 

「……っ……!」

 

 本音の頬に涙が流れ落ちていく。

 その涙は悲しい涙ではなく、嬉しさから溢れるたくさんの涙。

 その証拠に本音は涙を流しながらも嬉しそうに頬を綻ばせ笑っていた。

 

「……私……おりむーが大好きだよ……っ!」

 

 通じあった想い。

 我慢できなくなったのは一体どちらなのだろう。

 抑えられない気持ちを溢れ出させ、それを体一杯で表すかのように二人は抱きしめあう。

 互いの体温は落ち着く暖かさ。

 

「……頑固で、優柔不断で、鈍感で……格好良くて……優しくて……! そういうの、全部ひっくるめて……知った上で、好き! そんなおりむーだから私は大好きなの!」

 

 一夏の胸で本音は嬉しそうに泣き続ける。

 

――笑ってみせる、筈だったのになぁ……

 

 涙が嬉しくて止まらない。本音は何度も、何度も拭っているのに、どんどん涙が溢れ出してくる。

 少しして落ち着いた本音は一夏からゆっくりと身を離す。

 一夏は本音が落ち着くまでの間、ずっと抱きしめていた。

 

「……もう大丈夫か?」

 

「うんっ……ごめんね」

 

「いや、いい。じゃあ、改めて……」

 

 一夏の真摯な瞳がまた本音を見つめる。

 

「俺と恋人に……俺と付き合って下さい」

 

「はいっ、喜んでっ」

 

確かな返事をして本音は信じきった表情で静かに目を閉じた。

その様子が何をさしているのか、分からない一夏じゃない。

一夏は本音の肩に手を沿え、そっと唇を重ねた。

 

「……んっ」

 

 唇と唇が触れ合うだけの軽いキス。

 だというのに、唇が重なった瞬間、本音は微かに体を震わせ、互いに頭が真っ白になる。

 お互いの唇の感触、吐息だけに思考は支配される。触れ合うだけだが、甘いキス。恋人の証。

 触れ合うだけで短いようで長くも感じられ、唇を名残惜しさを感じながらもそっと離すと、一夏の目の前には頬を赤く染めながらも幸せそうに笑っている本音の姿があった。

 

「これからよろしくなっ! のほほんさんっ」

 

「うん、こちらこそっ」

 

 幸せそうに笑う本音の笑顔を見て、一夏の胸は高鳴る。

 想いは通じあった。でもこれで終わりではなく、ここからが二人の本当の始まり。

 これから大変なことはいくつもある。まだ全てが全て終わったわけじゃない。

 でもこの先、どんなことがあってもこの笑顔があるなら大丈夫。この笑顔を守っていこう。本音と共に歩いていける。

 一夏にそう思わせ、守りの誓いを強くさせる……そんな本音の幸せな笑顔が咲き続けていたのだった。

 




これで漸く一夏と本音は結ばれました。
でも、これは作中にあるように終わりではなく、始まりです。
二人の本当の物語はここから始まっていく。
って感じでこれからも続いていく感じです。
まだあの五人とのことや書きたいネタもあるので書いていくつもりです。
もちろん、ここにある限りは簪達から見た話でですが。

感想と一緒に何かリクエストとかあれば絶賛受け付けてます。
簪の話は勿論。一夏と本音達の話などでも、これが見たいってのがあればどうぞ。
話作りの参考にさせていただきます。

それでは~


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簪と見守った一夏と本音の告白 オマケ

 一夏と本音の告白の件から一週間ほどが経った。

 俺達の願い通り、二人は無事付き合うことになった。晴れて正式な恋人関係だ。

 隠すなんて出来ない一夏。二人が付き合うことになったことは当然の如く、周りに知れ渡った。予想通り……いや、予想以上の反響があった。一夏と本音にどうやって恋人になったりだとかお互いの好きなところだとか質問攻めをしたり、泣いたりだとかいろいろと。今思えば、俺が簪と付き合うことになった時以上だ。

 世界、学園で二人しかいない男性IS操縦者。しかも一夏はアイドル的な扱いをされているところがあるからある意味当然の反応と言えば、当然か。

 

 反響……精神的ダメージが大きかったのはあの五人だというは語るまでもない。

 筋を通すと一夏はあの五人に本音を恋人として紹介したが、最初は言葉を失ったと思ったら、泣き叫んだりと阿鼻叫喚の地獄絵図。

 一週間経って周りの子達は受け入れたり慣れ始めたりしているけど、あの五人が皆全てを受け入れたり慣れはじめるのには、まだたくさんの時間がいる様子。

 こればっかりは本当にたくさんの時間が必要だ。時間が全て解決してくれるなんてことを言いきることは出来ないけど、まず最初に時間をかけなければならない。

 凰やオルコットは折り合いつけたら立ち直り早そうだけど……篠ノ之やボーデヴィッヒは難しそうだ。特にデュノアが一番危ない感じはした。

 

「何もなければ一番いいんだけどね」

 

 寮の外。夜、いつもの場所から寮へと戻る帰り道、隣にいる簪がそんなことを言う。

 

「もし仮に流血沙汰になったりしたら目覚め悪い」

 

 冗談半分で簪は言っているが半分本気だ。

 流血沙汰か……流石にありえないと思うけど、一概に否定できないのが怖い。前科ありすぎだからな……あの五人は。本当何もないのが一番なのは確か。今は何も起きないことを祈るばかりだ。

 

「でも、くっついて本当よかった」

 

 簪は嬉しそうだ。

 俺だって嬉しい。二人が付き合うことに、恋人関係になってよかったと思う。俺達が二人の為にした些細なことも無駄じゃなかったし、何より一夏も本音も今とっても幸せそうだ。

 付きあって間もないから幸せなのは当然かもしれないけど、俺と一夏は置かれている状況が状況なだけに幸せになりにくい。だから、一夏達の幸せも末長く続いてほしい。

 それに隣でうーうー唸られて悩まれることがなくなってよかったのが一番よかったかもしれない。仕方ないとはいえ、ずっと唸りながら悩まれるのは正直鬱陶しかった。

 もっとも、悩まれることはなくなったけど代わりに惚気られるようにはなったが。

 

「嫌そうだね。私も本音にここ最近ずっと惚気られてばかりだけど楽しいし嬉しいよ」

 

 それは女同士だからだろう。女子ってのは恋愛トークやらなんやらで何時間も楽しそうに過ごせる。

でも、俺と一夏は男同士だ。聞かれなければ話はしなかったが、俺も今まで一夏には散々惚気話を聞いてもらったから、聞く義務は当然あると思い聞くには聞いていたけど。一夏の奴、こっちが話を聞く気がなくても一方的に喋り続ける。更に聞いてないと分かると怒るからめんどくさい。

 付き合ったばかりだし話したい、聞いてもらいたい気持ちは分からなくはない。実際、一夏がそういう話をしている姿を見れるのは嬉しい。一夏は何処か絵に書いた英雄像臭くて人間ぽくない一面があるから、そういう歳相応の人間臭い一面を見れるのはいい。

 だが、うれしいだけで楽しくはない。男が男の惚気話を聞かされても退屈なだけだ。そもそも一夏とは今まで恋話どころか女子について深く話したことなんてない。話したことなんて精々好みのタイプぐらい。

 だから、こう毎日一夏に惚気られ続けのは辛いものがある。

 

 そんな話をしながら寮の中、ラウンジまで行くと。

 

「あ、かんちゃん! おかえりなさ~いー!」

 

「うん……ただいま」

 

「お前も帰ってきたんだな」

 

 ラウンジで出迎えてくれたのは一夏と本音の二人だった。

 夜、自室からの外出禁止時間までの間、俺達に倣ってか二人は付き合い始めてから今みたいによくラウンジで二人一緒にいる。ぶっちゃけイチャついている。

 ラウンジには当然他の生徒もいる。だが、一夏と本音は……というか、一夏は周りの目も気にしてないもよう。本音しか眼中にない。

 こんな大っぴらなところでイチャつくものだから当然見られるし、話題のカップルだ。皆、気になって覗き見してたがそれも最初の一日二日程度。誰もが一夏と本音のかもし出す甘い雰囲気にあてられ、見ているほうが恥ずかしくて見れなくなるという始末。今ではもう見て見ぬふりをするのが暗黙の了解。

 それを知ってか知らずか、一夏と本音は座っているのに仲睦まじげに手を繋いでいる。

 

「今夜もラブラブだね」

 

「う、うんっ」

 

 冷やかすわけでもなく事実を淡々と言う簪に本音は恥ずかしそうに照れながらも嬉しそうに頷いていた。

 そろそろ自室からの外出禁止時間なのに俺達が集まると目立つようだ。その証拠にまだラウジンジにいる沢山の生徒が、チラチラとこちらの様子を伺っている。

 一夏はまあいいとして本音もよくこんな人目のつくところで出来るな。人前でもイチャつくのは本音、満更でもなさそうというか……むしろ嬉しそうだからまあ本音もいいんだろうけど。

 

「おい、何やってる。そろそろ時間だぞ、お前達部屋に戻れ」

 

「やばっ! 織斑先生だ!」

 

 見回りでラウンジにやってきた織斑先生の姿を見て、ラウンジに残っていた生徒達は去っていく。

 すると、織斑先生は俺達を見つけて言葉をかけながらこっちへ近寄ってくる。

 

「お前達も部屋に戻……」

 

 絶句した織斑先生。視線の先に目をやるとそこには一夏と本音。相変わらず手は繋いだまま。

 

「もうそんな時間か……のほほんさんと分かれるの寂しいな」

 

「そ、そうだね……」

 

 能天気に口説き文句を言う一夏とは対照的に、本音は一夏の言葉は嬉しいが素直には喜べない様子。

 本音は複雑そうな表情を浮かべ、伏し目がちに織斑先生を気にしているようだった。

 

「……」

 

 戸惑いやら怒りやらなんやらが目の前の光景を見て全部吹き飛んだのか、どんな顔をしたらいいのか分からないといった何ともいえない顔をしている。

 鉄仮面といったらアレだけど、いつも凛々しい表情の織斑先生しか知らない。先生でもこんな顔するんだ。まあ無理もないか。こればっかりは。

 ラウンジ来たら、生徒とは言え弟が教え子とイチャついているんだからな。

 何ともいえない顔をしている織斑先生が本音を見ているけど、その目が心なしか怒っているように見えるのは気のせいなはずだ。そんな目で見つめるものだから本音は少し怯えている。織斑先生の目の雰囲気に気づいてないのは一夏だけ。

 そしてふと本音と織斑先生の目が合うと、本音は視線をそらし、織斑先生はハッと我に返ったようだ。

 

「い、一夏っ」

 

「?」

 

「お前、彼女出来たんだな」

 

 言葉ははっきりしているのに声が震えている。

 ショックを隠せないのが分かる。

 

「ああ、千冬姉……じゃなかった、織斑先生も知ってたんだな」

 

「まあ、な。生徒達が噂してたからな」

 

「そっか」

 

 当たり障りのない様に応える織斑先生を見て一夏は真剣な表情をして改まった様子でいった。

 

「じゃあ、言っとかないとな。織斑先生……いや、千冬姉。紹介するよ、一週間前から付き合うことになった彼女ののほほんさん、布仏本音さんだ」

 

「えっ? は、はい! 布仏本音です! お、織斑君とは一週間前からお付き合いさせていただいてまして! その! えっと! 織斑先生! 不束者ですが末永くよろしくお願いしますっ!」

 

 いきなり一夏に振られたものだから本音は慌てた様子で立ち上がり口早に言った。

 オマケに深々と織斑先生に頭を下げている。

 

「のほほさん、何だかそれ結婚の挨拶みたいだぞ」

 

「あっ……うぅぅっ」

 

 一夏は一夏で本音の緊張が少しでも和らぐように軽い冗談のつもりで言ったんだろうけど、本音は間に受けて顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯く。

 ちゃんと紹介したのはえらいと思うし、一夏らしいけど

 

「――」

 

 絶句し続けている織斑先生の笑顔凄い引きつってる。

 弟に彼女が出来たことは喜ばしいこと。弟の幸せを喜ばないといけないと分かってはいるみたいで、喜ぼうとはしている。だけど本心では複雑で素直に喜べない様子だ。それだけで内心物凄くショックを受けているのことがよく分かる。

 無理もないのかもしれない。一夏には年上好きと同時に相当なシスコン疑惑があるけど、織斑先生にも相当なブラコン疑惑がある。実際、織斑先生は一夏のことを物凄く大切にしていているのはよく知っている。

 だから弟に彼女が出来て、彼女が出来ることを覚悟していたとしても嬉しい反面戸惑ったり寂しいといったところなんだろう、おそらく。あの五人とは別レベルで織斑先生にも精神的ダメージは大きそうだ。

 

「噂は本当だったんだ。ねぇ……織斑が異様に鈍いのって織斑先生が原因の一つにあるよね」

 

 簪は耳打ちしながらそんなことを言ってくる。

 原因かどうかは分からないが、織斑先生が関係していることは確かなはず。

 織斑先生、一夏に対して過保護だからなぁ。一般的な過保護とはちょっと形は違うが、大切にしているのは確か。その影響だとはっきりとは言えないが一夏は変に物事を知らなかったりする。特に今の世の中一般常識化しつつあるISについて知らないことが多かったりことしたり、病的じゃないかって思うほど鈍ったりする。大切にするあまり、本当は教えとくべきことを織斑先生は頑なに教えなかったんじゃないかと思ってしまうほどだ。

 まあ、どんな形であれ過保護にされるとズレるってことはよくあることで今気にしても仕方ない。

 

「千冬姉? どうかしたのか?」

 

 引きつった笑みを浮かべている織斑先生の様子が流石の一夏にも変に見えたようで、心配そうに声をかける。すると、織斑先生はハッと我に返り、一間で気持ちを切り替えたように見えた。

 

「……あ、ああ、何でもないぞ、うん。それにしてもよくお前が恋愛できたものだ」

 

「ひでぇよ、千冬姉。まあ、言われても仕方ないのは分かっているんだけどさ。これがいろんなことを知れたのもこうして今のほほんさんと付き合えたのも全部あいつらのおかげなんだ」

 

 言わなくてもいいだろ、そんなことを。そう思ったが遅かった。

 織斑先生がこっち見てる。めっちゃこっち見てる。というかこれは見てるというより、睨んでいる。

 

「――ッ」

 

 俺と簪は同じ様に声ならない声をあげる。

 怖い。凄い怖い。嫌な汗が出ているのを感じる。正直今すぐ簪と一緒にこの場から逃げたい。世界最強に本気で睨まれているんだ、失神しないのを褒めてほしい。一夏の馬鹿野朗、余計なこと言うなよ。というか何で睨まれないといけない。

 睨んでいる織斑先生の目はこう言っているようだった。

 

――余計なことしやがって

 

 本当に言っているわけじゃない。

 だが、確かに織斑先生の目はこう言っているんだということがひしひしと伝わってくる。

 織斑先生の疑惑は本当だったと身をもって知った。

 

「千冬姉、やっぱり何かあったんじゃ」

 

「何でもないぞ、ああ、何でもない。何だ……その……一夏、おめでとう。そして、布仏」

 

「は、はい!」

 

「一夏はお前も知っての通りのやつだが、愚弟のことよろしく頼む」

 

 一応、割りきってはいた感じで大人な対応を本音にはしている織斑先生。

 睨まれたけど、流石に織斑先生は大人だ。あの五人と同じぐらい精神的ダメージがあると感じたのは気のせいだったか……そう思ったが。

 

「話が過ぎたな。お前達も部屋に戻れよ」

 

そうとだけ言い残して、立ち去る織斑先生の背中は頼りなく何だか泣いているように見えた。

 






今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それではよいお年を


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簪と過ごした冬休み 一

「冬休み……予定空いてたら……私の実家来ない?」

 

 そんな誘いを受けたのは冬休みに入る前、十二月上旬のこと。

 何でも更識家では新年一月一日一族関係者集まって行う年始行事が毎年あるらしい。特別な事情がない限りは一族関係者は必ず出席しないといけないらしく、簪も出るようで実家に帰省するとのこと。

 冬休み――IS学園でも普通高と同じぐらい十二月二十五日から冬休みがある。悲しいかな特にこれといって予定はない。まあ、本当にないわけじゃない。あるとすれば俺も実家に帰省するぐらい。

 それも帰れるのは、自分の専用機関係のこともあって年明けになりそうだ。だから、簪ほどにそんな特別な予定があるわけじゃない。

 しかし、簪と付き合ってはいるけども俺は更識家の人間じゃなければ、関係者でもない。俺が行ってもいいものなんだろうか。

 

「大丈夫。御館様……つまり、私のお父様があなたに会いたがってるの。今回連れて来いってお父様から直々に言われたから」

 

 簪の父親に会うのか……簪の家に行くってことなんだからそういうことになるんだろう。

 これはもしかして親に恋人を紹介するって奴になるんじゃないだろうか。

 

「そうだね。少しはあなたのことお父様に話したけど、一度ちゃんと会って紹介したい。ダメ……かな?」

 

 そう言われて、断るわけがない。俺は二つ返事で了承した。

 簪の父親、ひいては親族とも会うことになると思うと緊張してくる。だが、俺も一度ちゃんと面とむかって会って少しでいいから話ぐらいはしたい。

 簪と付き合っていることをちゃんと自分の口から言って、出来れば認めてもらえると嬉しい。今時、そんなこと一々しなくてもいい気はするが親公認であるのと、でないとではやっぱり違う。

 頑張ろう。

 

 そして今日三十日。

 俺と簪は夜、寝台列車に揺られていた。

 簪の実家で行われる年始行事に向けて、実家へついていけないとならない十二月三十一日に間に合うようその前日から向かっていた。

 

「ちょっとした長旅になるね。ずっと乗りっぱなしだけど」

 

 そう楽しげに言う簪の胸元にはクリスマスにあげた指輪がネックレスとなって光っている。

 簪の実家がある地元までは寝台列車で約八時間以上かかる長旅。寝台列車は疲れると聞いていたが、思ってた以上に快適。

 というか、今俺達が使っている客室は物凄く豪華だ。よくこんな部屋取れたな。

 

「ん。まあ……ね」

 

 簪が取ってくれた寝台列車の部屋は二人部屋だった。

 俗にいうスイートルームで内装は寝台列車とは思えないほど豪華で綺麗。ツインベッドに2人分のソファはもちろんシャワールーム、トイレなどを完備しているその様子はさながら高級ホテルの一室のよう。

こういうのって何年も前から予約一杯でいきなり取れるものではないだろうし、下世話な話になるが値段もかなりするはず。

 それこそ一般の高校生ではとても出せないような金額。まあ、IS学園に通ってる時点で一般ではないけど……。

 

「ちょっと値は張ったのは確かだね。それでも一泊六万ぐらいだよ」

 

 簪はなんてことのないように言ってるけど、た、高い……。

 相場的にはそんなものなんだろうけど、簪……それを俺の分も払ってくれたんだよな。

 彼女に宿泊費を持ってもらうのは何だか男としてはなさけない限りだ。そんなすぐには払えないけど。

 

「お金のことは気にしないで……って……言っても気にするよね。でも、気持ちだから。折角、遠い私の実家まで今こうして来てくれていることだし」

 

 この件についてこれ以上何か言うのは野暮というもの。簪の気持ちはありがたく受け取っておこう。

 そしていつか倍にして返せるようになろう。

 

 にしても豪華だ。

 簪がこんな高そうな部屋をさらっと選べるのは、やっぱり家が裕福だからなんだろう。

 IS学園にはオルコットのようなお嬢様は決して多くはないが珍しくもない。ISはいろいろとかかるからな。

 簪もまたそんなお嬢様の一人。楯無家は対暗部用の暗部の家系らしく、日本有数の歴史の古い名家。旧家のようなものだと楯無会長から聞いた。

 俺は簪の家、楯無家についてほとんど何も知らない。知っていることと言えば、さっき言ったことぐらい。暗部、つまりスパイや諜報的な家系だからそう簡単にぺらぺらとは言えないことのほうが多いことは分かってはいる。でも、具体的にどんなことをしているのか気になってしまう。

 

「私……自分の家が暗部だってのは知ってるけど、暗部としてどんなことをしてるのかはまったく知らない。知らされてないの」

 

 簪の言葉に俺は意味が今一つ分からず首をかしげる。

 

「私は当主の証である楯無の名を継いでないから。暗部としての更識については当主である楯無の名前を継いだものとその直轄の人間にしか知ることができない決まりなの。だから、私は何も知らないし知れない」

 

 淡々と言う簪。

 そういうことか……当主になる人間しか知れない、知らされないってのはありえる話ではある。

 暗部の家系だとやっぱり秘密主義的なところを持たないと情報とかを守れないから、実の家族に対してもそういうのは仕方ないことなのかもしれない。

 

「私が知ってるのことって言えば……表の顔として更識は企業経営してるってこと……ぐらいかな」

 

会社か……。

 

「大企業ってほど大きくはないけど……そこそこ大きい中規模企業を経営してるの。歴史も大分長いって聞いた」

 

 表の顔として企業経営……俗にいうフロント企業みたいなものか。言い方は悪くなるが。

 暗部としての更識を抜きにしても、簪は歴としたお嬢様。

 普段からの立ち振る舞いや礼儀作法はもちろん、私服や身につけているちょっとしたアクセサリーとかが高級感溢れていたりと前々からお嬢様だとは思っていたけど、まさかそれほどとは。

 実家はきっと大きいんだろうな。そう思うと何だか余計に緊張してくる。

 

「そう……だね」

 

 暗い表情を簪が浮かべ、胸元にあるネックレスをぎゅっと両手で抱きしめる。

 一瞬緊張からかと思ったけど、これは違う。何かを思い出しての顔だ。

 状況から察するに実家での何か嫌なことでも思い出させてしまったんだろうか。

 

「うん……ちょっとね。家じゃ楽しい記憶よりも辛い記憶や悲しい記憶ばかりだったから……家を離れて寮生活をしてまた戻るってなると何だか変な感じがして……つい思い出しちゃって。ちょっぴり不安」

 

 気が重たそうだ。

 無理もないか……簪から聞かせてもらった昔話は、いつも姉である楯無会長のようになることを両親達から期待と比較され続けた話ばかり。期待に報いようとしても楯無会長という偉大すぎる人の残した結果の前では、頑張って作った結果はないも等しいものと扱われ認められない。

 泣き言なんて誰にもいえない。いえる状況じゃない。ただ心を閉ざすようにしていなければ、心が当の昔に折れてしまいそうだった。そんな話ばかり。

 楯無会長はもちろん、簪の家庭の事情からしてそうになるのはある種当然のことなのかもしれない。不安は避けられそうにない。

 

「……」

 

 簪は列車の窓から見える流れる夜の景色を、不安そうな瞳でぼんやり見つめていた。

 避けられそうにないのなら、乗り越えるしかない。それに俺だって不安なことはある。

 

「不安……? あなたが……?」

 

 驚いたような目で言う簪。

 まるで俺には不安なことなんてない能天気な奴みたいだと云われてるようだ。

 

「そんなこと言ってない。でも、不安がるなんて珍しいね。いつもどっしり構えているのに」

 

 あのな……俺だって不安なことぐらい一つや二つはある。

 これから彼女の実家に行って、両親や親族と顔を合わせることになる。ましてやそこで簪とつき合わせてもらっていることを認めてもらおうとするんだ。不安になるだろ。

 言っても仕方ないが、現実問題として、簪はいいところのお嬢様。対して俺はISが使える以外は特にこれといってないただ一般家庭の一般人。一夏の様に姉がいて有名人で実力者なんてこともない。

 『お前と簪とは住んでる世界が違う。認めん』なんていわれたらと思うと……。

 

「ふふっ……何それ漫画じゃあるまいし……ふふっ、あははっ」

 

 ツボに入ったのか小さく笑う。

 笑い事じゃないんだけど……言葉は兎も角、認めてもらえなかったらと思うと不安だ。認めてもらえることに越したことはないのだから。

 

「だね……避けられそうにないのなら、乗り越えるしかない。あなたと一緒なら私は乗り越えられる」

 

お互いに、ふっと笑う。

 

「あ……でも、私もそういう不安ごとならまだある」

 

 まだ何かあるのか?

 

「忘れたの? 私だって……あなたのご両親に年明け挨拶しに行くんだよ。認めてもらえなかったらって思うと……私だって怖い」

 

 年明け一月二日頃の昼から今度は俺の実家へと簪と一緒に行くことになっている。その時には親に簪を紹介する予定だ。それはつまり、簪は俺の親に挨拶をするということにもなる。

 でもまあ、不安がるほどじゃないと思うけどな、ウチは。簪なら親も喜んで認めてくれるはずだ。というか、認めないっていう選択肢自体まずないだろう。

 

「そうは言っても初めて会うんだよ。緊張したりつい悪い風に考えてしまうものでしょう?」

 

 それもそうだな。

 不安な気持ちも、それを乗り越えようとする気持ちもは俺と簪は一緒だ。

 

「頑張ろう……ね」

 

 ああ。

 俺達はお互いに決意を新たにした。

 

「んっんん……」

 

 眠たそうにしている簪。

 時間を確認すれば、もう日付は変わって大分夜は更けこんでいる時間帯。寝台列車に乗った時間は大分遅かったから、本当はもう寝てないと明日が辛い。寝台列車は列車なわけだから当然駅に止まって、俺達は俺達でおりるべき駅で降りなければならない。だから、こうして起き続けて、寝るのが遅くなると寝過ごしかねない。そろそろ寝ないと。

 

「そうだね」

 

 俺はベットに入ろうとする。お風呂も明日の身支度も全て学校で済ませてきた。後は本当に布団に入って寝るだけ。だというのに簪は物言いだけな顔をしてる。

 

「あ……あの……ね」

 

 いつになく簪はもじもじとしている。

 心なしか頬がほんのりと赤く染まっている。どうしたんだろう?

 

「一緒に……寝てもいい?」

 

 それは一つのベットで眠るってことだよなと確認すれば、簪は恥ずかしそうに頷く。

 俺としては大歓迎だが、ベットは二つあって、ベットそのものは一人用。一人用ので二人で寝れば、狭くてぐっすり眠れないと思うんだけどそれでも簪はいいのか。

 

「うん。私はあなたの傍が一番ぐっすり眠れるから」

 

 うれしい事を言ってくれる。

 俺は喜んで簪を胸元へと歓迎する。かけていた眼鏡を枕元において、胸元にやってきた簪は嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

「あったかい……安心する。こうして二人一緒に寝るの久しぶり」

 

 胸元に顔をうづめながら、まるで猫の様にすりすりとしてくる。くすぐったい。

 言われてみればそうだ。基本俺達は寮生活で別々。こうやって二人一緒のべットに寝るのは本当に久しい。簪は間なんて存在させないようにぴったりとひっついてくる。すると、簪にある柔らかくいいものが俺の体に当たって、俺は俺で反応するものが生理現象的に反応してしまう。

 

「欲情してる。嬉しい。が、我慢できないのなら……今……襲ってくれてもいいんだよ?」

 

 俺の様子に気づくと簪は、いじわるっぽい笑みを浮かべて言う。

 欲情とか襲うって。まったく……いつから簪はこんなにもいやらしくなったんだ。どっちかというと嬉しいけども。

 

「私をこんな風にしたのはあなたなんだから……ね。好きなようにしていいんだよ」

 

 艶やかな声でいう簪にグッとそそられてしまう。

 理性の防壁みたいなものを今のでがっつり削られてしまった気がする。でもダメだ。明日は大事な日。そういうのは許されない。まあ、許されればまんざらでもないが……こういうのは機会が大切だ。

 

「そうだね。楽しみしてる」

 

 布団を被りなおす。

 

「ん……ちゅっ……」

 

 最後にキスをして俺達は漸く眠りについた。

 





今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と過ごした冬休み―二

 目的地の駅に着いた。

 時刻は朝の八時過ぎ。年末でも朝が早いせいか、周りの客はそこまで多くはない。

 

「後……ちょっとで迎えが来るって」

 

 駅から簪の実家まではかなりの距離があるらしく、迎えをよこしてくれるとのこと。

 いよいよだ。

 俺達は駅の一般車が入れるロータリーで迎えを待つ。

 

「寒い」

 

 言いながら簪は寒そうに手をこすり合わせる。

 

 そういえば、今日の実家の集まりには一族関係者が集まると聞いた。

 ということは楯無会長はもちろん、本音や虚先輩も来ているんだろう。彼女達は更識に仕える家の人間らしいから。

 もしかすると本音と付き合っている一夏も俺と同じ様に呼び出されているのかもしれない。俺達が学園を後にした時はもう本音も一夏も帰省していて、今どうしているか詳しくは知らないけど。

 

「織斑? さあ……そんな話は聞いてない。でも……本音と付き合っていることは布仏家はもちろん、更識家にも確実に伝わってるだろうから……もしかしているかもしれないね」

 

 ありえなくはないか。

 学園では有名人だけど、世界的に見ても有名人だからな一夏は。男でISを使えて、しかもあの織斑千冬の弟だ。世界裏事情に精通している家なら二人が付き合ってることも知らないわけはない。

 第一、一夏は隠すどころか大っぴらにしてるからな。俺達は聞かれない限り言わないだけだけど。

 そうこうしていると俺達の目の前に黒い高級車が一台止まり、中からスーツを着た男性が現れた。感じた雰囲気的この人は更識家の使用人のようだ。

 

「簪お嬢様、お帰りなさいませ。遠路はるばるご足労お疲れ様です。ささ、お荷物をどうぞ」

 

「……ありがとう」

 

 簪は使用人に荷物を渡す。

 

「お連れの方もどうぞ」

 

 声をかけられ、俺も使用人に荷物を渡す。

 そして俺と簪が車の後部座席に乗ると、車はゆっくり走りだした。

 着いたばかりの駅から簪の実家への道と外の景色。特に変わったものはない。

 そして車に乗ること三十分ぐらい経っただろうか。目の前には大きな門。その門の前で一旦止まると、閉まっていたゆっくりと門は開き中へと進む。

 通り抜ける時チラッと見たが、門の近くに人影はなかった。自動式だ。そういうちょっとしたことがこれからのことを意識させてくる。

 

「到着しました」

 

 門から長い道のりを走らせた車のドアを使用人に開けてもらい外へとおりる。

 すると、目の前には大きな洋館が建っていた。映画や漫画に出てきそうな佇まい。一目で豪邸だと認識させられる。あまりの大きさと豪華な外観に圧倒されて言葉を失っていると、そんな俺の様子を見て簪は小さく笑っていた。

 

「もう……何ぼーっとしてるの。早く入ろう」

 

 言われて俺は簪の後に続いて洋館の中へと入る。

 すると、そこもまた世界の違いというものを見せられた。

 

「お帰りなさいませ、簪お嬢様」

 

 入った矢先、左右一列綺麗に並んだ控える沢山の使用人が頭を上げながら出迎えてくれる。

 こんな光景、現実で、しかも今の日本で見れるものなんだ。ついついそんな感心をしてしまう。

 何だかこんな光景を見ていると、簪と住んでいる世界の違いというものを否応なく感じさせられてしまう。

 それにふと使用人の人達に目をやれば、男性の中に女性もいる。むしろ、女性の人のほうが多い。女尊男卑の世の中といわれている現代。まだこういう仕事についている人も多くいるんだ。

 

 現実離れした光景に若干戸惑いながらも使用人に中を案内される。

 そしてT字路に差し掛かった時。

 

「御親方様と楯無様はどちらに?」

 

「お二人とも奥の間に」

 

「そう。分かった……彼を連れてそちらへお伺いすると伝えて」

 

「畏まりました」

 

 いよいよか……場の光景や雰囲気もあってなのか、緊張から鼓動が早くうってるのが分かる。

 

「お荷物の方はお部屋に運ばさせていただきます。お着替えの方よろしくおねがいします」

 

「はい」

 

「お連れの方はこちらに。お着替えを用意してますので」

 

 一旦簪と別れ、別の使用人の後をついていく。

 広々とした個室へ案内される。そこには黒のスーツが一着用意されていた。

 これに着替えろということか。

 

「はい。恐れいりますが御館様とご当主様にお会いになられるのでお着替えの方よろしくおねがいします」

 

 一礼して部屋を出て行く使用人。

 やっぱり、偉い人に会うんだ。それ相応の正装をしなくてはいけないのは当たり前の話か。

 一応制服持ってきてはいるけど、学園の制服は白いし、一般的な制服と比べるとコスプレっぽくてこういう場や冠婚葬祭とかには似つかわしくないからな。

 スーツは着心地がよく、サイズがぴったり。多分、簪が事前にサイズを伝えてくれたんだろう。

 着替えをすませ、部屋の外に出ると使用人が外に控えてくれていて、再び案内される。そして先ほど別れたT字路で簪と再開した。

 フォーマルな洋服に身を包んでいる簪。とてもよく似合っていて可愛らしい。

 

「ふふっ……ありがとう」

 

 嬉しそうな笑みを簪は浮かべる。

 

「うん……似合ってる。あっ……ネクタイ曲がってるよ」

 

 簪にネクタイを直される。何だかこういうの気恥ずかしい。

 

 簪が使用人に「ここまででいい」と言い渡し、簪に案内されながら二人で目的地である奥の前へと向かう。

 その道中、ふと気になったことを簪に聞いた。御館様とはどういう立場の人なんだろうかということを。簪の父親であることは分かっているが、当主とはどう違うだろうか。

 

「うーん……先代の楯無がつく特別な地位で会社における会長みたいなものだよ。もっと簡単に言うならご隠居みたいなものかな」

 

 なるほど、そういうものなのか。

 

「権力的には当主である楯無よりはないけど、それでも更識では楯無の次に特別な存在。それに今は当主である楯無を補佐する形で変わりに実務的なことをしてるんじゃないかな? お姉ちゃんは歴代最年少として楯無の座についたんだけどほらまだ未成年だし……全てはお家の為、お国の為、ひいては世界の為にとはいえ、いろいろとやって忙しいから」

 

 それもそうか。

 実力もあって今の様々な地位にいるんだろうけど、IS学園の生徒会長、ロシアの国家代表、そして更識家の当主。様々な肩書きを持っていて、本当に楯無会長は忙しい人だ。

 全て楯無会長の実力があってこなせているけど、身体は一つ。当然手が回らないことだってある。

それを御館様という地位の人間がカバーする役割も担っているのか。本当、絵に描いたような構図だ。

 ただ暗部の人間が目立つ国家代表を、それも他所の国のをしているのは俺からすると変な感じだけど、それも一般人の俺では到底はかりしれないようないろいろと複雑な事情があるんだろう。

 楯無がやっぱり更識にとって特別なもの、地位であるのは再確認できたけど。やっぱり、簪もなりたかったんだろうか?

 

「んー……昔はね。お姉ちゃんに憧れてたから。でも、今はいい。だって、お姉ちゃん見てると大変そうでめんどくさそう」

 

 簪は少し皮肉っぽく言う。めんどくさそうって……でも、これが簪の本音なんだろう。

 そんな話をしていると、奥の間と書かれた部屋へと着き、中へと進む。

 部屋の中にはたくさんの人がいた。耳打ちして小声で簪が教えてくれたことによると、直系親族とその家に遣える高位の使用人の親族がほぼ全員揃っているとのこと。

 当主である楯無会長と御館様らしき人を中心に、沢山の人がくつろいでいる。

 その中には見知った顔がいくつかいた。本音と布仏先輩と、そして一夏だ。やっぱり、一夏も呼ばれていたか。布仏先輩は楯無会長の傍に静かに控えている。

 そして一夏と本音の二人は入ってきた俺達に気づくと目配せで挨拶してきた。そんな二人の様子に気がついた、他の人らはしていた談笑が微かに会話が途切れ、俺と簪を見る。むしろ、俺のほうが見られているのは気のせいじゃないだろう。いくら情報規制されて、顔写真とかは報道に出てなくても、俺のこと……俺がISを使えるというのは風の噂として知っているはずだ。

 まるで異質なものを見るような目。懐かしい。こんな目で見られるのは、ISが使えると発覚した時を思い出す。

 それにこっちを見ながら、ひそひそと小声でなにやら話し合っている。何だかなぁ。

 だが、気にしていても仕方ないので構わず、簪の後について楯無会長と御館様の下へと行く。

 

「楯無様、おはようございます。ただいま参りました」

 

 そう言った簪に続いて俺も挨拶をして頭を下げる。

 

「ええ、ご苦労」

 

 楯無会長もフォーマルな服装に身を包んでいる。いつもと変わらない余裕のある笑みを浮かべているが、いつもとは少し違う顔だ。格式のある一族の当主としての威厳のある凛々しい表情。雰囲気もいつもとは違う。

 

「御館様、ご無沙汰しております」

 

 今度は御館様――簪の父親に頭を下げて挨拶をする。

 この人が簪の父親。初老、いや五十過ぎぐらいだろうか。渋く、厳格な顔立ち。威圧感がある。

 着ている高級感溢れる黒い着物の上からも身体は屈強で鍛えられているのがよく分かる。

 御館様は威厳に満ちた顔つきの中に、思いのほか満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「うむ、簪は入学式以来か。また美しくなって以前とは見違えた」

 

「嬉しいお言葉おそれいります」

 

「して、そちらが簪の」

 

 先程のとはまた別に、改めて名前を名乗り、挨拶をする。

 品定めされるような視線を御館様から向けられる。娘が彼氏を連れてきたんだ。釣り合うかどうか品定めされるのは当然のこと。覚悟はしているが、厳格な人に見られるというのは肝が冷える。この手の人は織斑先生で慣れたと思っていたが、やっぱりレベルみたいなものが違う。言っては何だか織斑先生なんて比べ物にならないほど視線が怖いと今感じている。

 そして品定めが終わったのか満足そうな笑みを再び御館様は浮かべていて、俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。

 

「そうか。この度は遠路はるばるこの更識家に来てくれたこと感謝する。君とは一度直接会っておきたかった。なんせ」

 

「お父様、お話したい気持ちは分かりますがもうじき餅つきの準備が整います。二人とも動き易い服装に着替えて来なさい」

 

「そうだな。長旅で疲れているなら、ゆっくり見物しておればいい」

 

「はい」

 

 下がって良いと言い渡され、下がる。

 その後、親族に片っ端から挨拶する簪に習い俺も挨拶をしていく。

 挨拶を返す皆、当主の実妹である簪には丁寧で敬い、その彼氏である俺にも体裁は保っているが、目の奥が異質なものを見るような目なのは変わらない。それがひしひしと伝わってくる。隠す様子はない。というよりかは、隠せないんだろう。

 一夏の様に後ろ盾もなければ、何故男にISが使えるのか科学的に証明されてない本来ありえない存在。奇妙だと見られるのは仕方ない。

 しかし、そんな目を俺が向けられているのを簪は感じて、俺には心なしか表情が硬くなっているように見えた。それでも簪は相手に不愉快感を感じさせることなく、型通りの挨拶を済ませていく姿は場慣れしている感じがして流石はお嬢様だと感じさせられた。

 

 最後に一夏と本音に挨拶をした。

 布仏先輩は楯無会長の傍でまだ控えていた為、挨拶は出来ない。

 

「本音……やっぱり織斑連れてきてんだ」

 

「はい、簪お嬢様。織斑様とのことは御館様もご存知だったようで連れてくるようにと」

 

「同じ、か……本音と織斑はいつごろ本家に着いたの?」

 

「昨日の昼でございます。既に昨日の夜、私と織斑様と御館様は面会が済んでおります」

 

「そう……今夜は私達の番」

 

「かもしれません」

 

 そんな会話を小さい声です話す簪と本音。

 俺と一夏も小さな声で話す。

 

「お前もお疲れさん。何か別の世界だよな。慣れねぇわ」

 

 まったくだ。

 IS学園に来た時も女子ばかりで別の世界だと感じたが、今回の方がその度合いは大きい

 この場にいるメンツの中にはいつものメンツや顔見知りがいるのに、皆それぞれ立場があって、それ相応の立ち振る舞いをしている。本音の立ち振る舞いと口調が特に顕著だ。いつもみたいなのんびりとしたほんわかな雰囲気は今の本音にはない。簪に仕える使用人そのもの。

 場の雰囲気といい、何から何まで一から十の型に嵌っていて、来て間もないのに何だか息苦しくて肩がこる。簪達はこんな世界で生きてきたんだと思うと、俺自身の場違い感が物凄い。

 

 そういえば、一夏はもう御館様と話ししたんだよな。参考までにどんな話をしたのか聞いてみた。

 

「学校での生活やIS、後千冬姉とかについて聞かれたり話したりした。それとのほほんさんとだけこのまま交際していく覚悟があるかどうかって聞かれた。政治的な意味でもな。後は、のほほんさんとの交際状況?ってのを根掘り葉掘り聞かれたのが辛かった」

 

 結構いろいろなこと聞かれたんだな。

 政治的な意味で交際していく覚悟があるか、か……簪とは好きだから自分の意思で交際していて自分のものだけど、同時に自分だけのものじゃない。俺達が異性と男女交際するってことは必然的に政治的なことも絡んでくる。

 なぜなら俺と一夏は男でありながらISが使える。俺達のことを欲しい国や組織は沢山ある。手に入れようと異性である女子を使って、政治的な意味合いの強い交際または政略結婚だってなくはない。そうなったら個人では解決できないような複雑な事情がいくつも起きて絡み合っていくことは、俺にだって想像できる。

 更識家の娘と付き合ってるんだ。政治的な問題とかあるんだろうな、きっと。学園が保護してくれている身柄をどこにするかとかいろいろと。

 気が滅入りそうな話をされるのは間違いない。だが何があっても簪と別れるつもりはないし、手放すつもりもない。覚悟を強く持とう。

 

「俺もちゃんとのほほんさんとこのまま交際する覚悟を伝えられたんだ。お前なら大丈夫だよ」

 

 一夏の言葉は今はありがたい。

 

 その後、俺達は餅つきに参加した。

 

「織斑様。餅つき、よろしければとうぞ」

 

「は、はぁ……それじゃあ」

 

 周りに誘われて一夏は本音に見守られながら、餅をつく。

 俺も誘われはしたが、疲れているからといって丁重にお断りして、見物していた。

 蒸篭や釜の香り、蒸しあがったもち米の匂いが、食欲をそそる。

 本当に疲れているわけじゃないが、餅をつく気分じゃない。一夏が御館様と話した内容が頭の片隅でも思考の渦を巻く。

 簪は俺の隣にいて特に楽しそうという訳でもなく、ぼんやりと餅つきの光景を眺めていた。

 俺に話しかけてくる人はいない。一夏の様に姉という後ろ盾があるわけじゃないし、所詮は俗にいう庶民。話しかけるにしてもどう話しかけていいのか分からないのだろう。

 簪に話しかけてくる人ももういない。最初こそはいろいろな人が話しかけてきてはいたが、不愉快感は与えない程度だが反応はそっけなく事務的なので、だんだんと話しかける人はすくなくなっていった。

 二人してぼんやりと持ちつきを眺めていると、簪がそっと話しかけてきた。

 

「暇……だよね」

 

 まあな。

 暇だが餅つきが終わり、遅めの昼食が済むまでここから離れられない。変にこの場を離れて、何か言われるのも嫌だしな。

 ぼんやりと餅つきを眺めていると楯無会長の姿が見えた。

 

「……大変そう」

 

 凄い他人事の様にぽつりと簪は小さく言う。

 楯無会長は布仏先輩を連れて、現場や使用人を仕切ったりして甲斐甲斐しく働いていた。

 それと同時に親族やそこに仕える高位の使用人家の人達との談笑も欠かさずしている。学園では生徒会長をして学校行事や全校集会などを仕切っている楯無会長の姿は今まで何度も見てきているが、それとは雰囲気が随分と違う。威厳があって、その姿は当主なのだと改めて感じさせられる。

 知らなかった楯無会長の姿を見た。

 

 

 

 

 餅つきと昼食会が終わり、ようやく一旦この堅苦しいのから開放される。とは言え、あくまでも一旦。また夜には直系親族とそこに仕える上位の使用人家との宴会があるとのこと。堅苦しいのはまだ続きそうだ。

 それでもここからの開放なのは変わらない。今回寝泊りする部屋を用意しているとのことで今からそこに向かう。

 

「こっち」

 

 簪の案内で屋敷の中を歩く。

 慣れてるな……と思ったけど、IS学園に入学する以前はここに住んでいたんだ。当たり前か。

 

「……着いた」

 

 一部屋の前に着いた。何故だか簪は緊張した様子。

 ゆっくりと部屋の扉を空け、中に入る。最初に目についたのは綺麗に置かれた俺の荷物と、そして簪の荷物。中に進みながら、部屋を見渡す。

 客室にしては、テレビやパソコンがあったりと少し豪華な感じがする。そして使用感があり、目に入った本棚には教材やIS関連のほんの数々。そして漫画。

 もしかしなくてもここは。

 

「うん……私の部屋」

 

 やっぱり。ここが簪が生まれてから学園に入るまで過ごしていた部屋。寮の簪の部屋には何度も行ったことがあるが、あれは学園での部屋。今こうして本当の簪の部屋にいると思うと、緊張してしてくる。

 しかしなんでまた俺と簪を同じ部屋にするんだ。嫌じゃないが、いろいろとまずいだろ。いろいろと。

 

「……御館様……お父様が気を利かせてくれたみたい」

 

 簪は困ったような表情をしている。

 どういう気の利かせ方なんだ。からかわれているのか。はたまた試されているのだろうか。こういう意図の読めない感じは楯無会長を強く思い出させられる。流石は親子だ。

 まあ、信頼はされてないとしても信用はしているはずだ。多分。でないと付き合っているとはいえ、結婚前の愛娘を男と同じ部屋にはしないだろう。家柄がある家なら特に。

 その証拠……と言っていいのだろうか、ベットは一つしかない。上流階級の家らしく、ベットは高級感があって、ふかふか。サイズは大きく、二人一緒に寝ても余裕は充分ある。

 これもその気を利かせてくれてのことなんだろう。もしかして、床で寝たほうがいいのだろうか。

 

「い、一緒で……いいんじゃ……ない……かな」

 

 消え入りそうな簪の恥ずかしそうな声。

 頬が赤い。昨日も列車の中で二人一つのベットで一緒に寝たのに何を今更と思うが、俺も恥ずかしい。彼女の実家……しかも、彼女の部屋で二人っきり。緊張しない方がどうかしてる。

 まあ、折角気を利かせてもらったんだ。気持ちを受け取って、甘えない方が失礼になりかねない。

 それに夜の宴までは自由。ここには俺と簪の二人だけ。恥ずかしさからの緊張はあれど、慣れない場で疲れた体や気持ちを休めるにはこの場をおいて他はない。簪にならいらぬ気をつかわなくてすむ。

 

「疲れた……よね」

 

 床に腰を落ち着けて休む俺を見て、簪は隣に腰を降ろし心配そうな表情を向けてくる。

 まあ……と否定するわけでも肯定するわけでもなく曖昧に答える。疲れは顔に出ているみたいだから肯定しているみたいなものだけど、「疲れた」なんて言葉にするのはばかられる。

 今日の行事はまだ全部終わったわけじゃない。この後は夜の宴、そして御館様――簪の父親との話し合いがあるかもしれない。ここで「疲れた」と言葉に出して弱音を吐けば、本当に疲れてくる。だから、顔に疲れが出ていても、言葉にはしない。

 

「……大変な思い……嫌な思いも……させちゃった」

 

 今度は不安そうに申し訳なさそうな表情を簪は浮かべた。

 ああ……俺に向けられて周りの視線しかのことか。仕方ないだろう、アレは。別にああいうのは、初めてのことじゃない。それに大変なのは簪もだろう。俺を連れてきたんだ当主の実妹とは言え、いろいろと詮索されるだろう。それに当主の実妹として、更識家の娘としての役割がたくさんあるはずだ。だから、大変な思いも、はたまた嫌な思いもするのは簪のほうが多い。俺のなんて些細なことだ。一々簪が気にとめるほどのことじゃない。

 

「もう……強がって。かっこつけてる」

 

 しかたないなとでも言うかのように簪は小さく笑う。

 男の見栄なのは重々承知しているがかっこぐらいつけさせてくれ。折角、彼女の実家に来てるんだ。親族や親には、かっこわるい姿は見せられない。簪とのなかを公に認めてくれるかどうかがかかってきたりも、もしかしてあるかもしれないし。

 疲れたり、嫌な思いをして暗い顔はしてられない。

 

「……えっと……くる?」

 

 照れた様子で簪は両手を広げている。

 これは抱きしめて、癒してくれたり、勇気付けようとしてくれているということなのだろうか? 気持ちは嬉しいが今は遠慮した。

 すると、簪は少し悲しげな表情をしていた。簪が力になってわけでも、無理をしている訳でもない。疲れたり、嫌な思いをして暗い顔はしてられないと思ったばかりなんだ。今、簪に甘えてしまうわけにはいかない。俺はまだ大丈夫。

 それに流石に外で聞き耳を立てていたり、部屋の中にいる俺達の様子を伺っている人達はいないだろうけど、万が一のことがある。今はそういうことはよしたほうがいい。

 俺達はこれからもずっと一緒になんだ。そういうことは後でいくらでも好きなだけできる。

 

「それも……そうだよね」

 

 はにかむように小さく笑う簪。

 簪が勇気付けようとしてくれた。それだけで俺は元気をもらえて、夜の宴も大丈夫だと感じた。

 




今回の話に出ていた一夏は本音と付き合っている設定です。
気になる方は以前の話をお読み下さい。

今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と過ごした冬休み―三

 夜、直系親族とそこに仕える上位の使用人家のみの宴会。

 本当にそれだけの人達しかいないのに、やっぱり格式ある家。俺が知る宴会とはほど遠く、きっちりとして、席順がちゃんと決められていた。

 上座と呼ばれる一番偉い人が座る席に当主である楯無会長が座り、そこから中心にして、左右に別れて用意された席。

 上手の席から当主の次に偉い御館様が座り、その隣に三番目に偉い簪が座り、と偉い順に上手から下手にかけて座っていく。相変わらずの別世界感。いつの時代の年末風景何だか。

 親族でもなければ、上位の使用人家の人間でもない俺と一夏がその宴に呼ばれていること自体おかしな話。

座っても下手の一番端だろうと思っていたが、俺は簪の隣、四番目に偉い人が座る席に座らされ、一夏は上手にある上位の使用人家で五番目に偉い、本音の隣の席に座らされていた。

 こんなことは初めてなようで親族の方々や上位の使用人家の方々は動揺しているのは明らかだが、当主である楯無会長が俺達の席順を決めたとのこと。内心に不満はあったとしても、誰も文句どころか、不服そうな表情をし続けるものはいない。だが、俺としては居心地が今日一番悪かった。

 

「美味しいわ」

 

 宴の料理に舌鼓を打ち、そんな感想をもらす楯無会長。

 流石は名家の宴で出る夕食。楯無会長の言葉通り、どの料理も美味しく、豪華。下手したら一生お目にかかれそうにない料理ばかりだ。

 それに宴につき物なのがお酒。御館様を始めとする周りの大人は楽しげに酒を飲んでいる。俺や簪、一夏や本音、布仏先輩は未成年なので飲んではないが、当主である楯無会長はそうはいかないみたいだ。今夜は無礼講、加えて当主としてのメンツや付き合いというものがある様子。

 俺が見た限りでは、嗜む程度の量ではあるがお酒を飲んでいた。若くして、これほどの親族の上に立つ苦労は俺が諮れるものではないのだろう。

 しかし酒が作る陽気な雰囲気のおかげもあってか、俺も簪の親戚の方と当たり障りのない軽い世間話をしながら、宴を楽しむことが出来た。

 

 宴の夕食を食べ終えたが、宴そのものは年明けまで続くらしい。

 大人達は酒盛り。しかし、夕食を済ませた未成年組みは酒盛りするわけにもいかず、席を外すものも少なからずいる。席を外しても、年明け前にはこの場に戻っていればいいとのこと。またお風呂を貸してもらえるとのことなので、使用人へ「風呂を頂く」的な意味の言葉を掛け、簪に伴われて退出、部屋へ戻った。

 宴の席で少しではあるが御館様と会話をした。その時、特にこの後話があるようなことは言われなかった。見逃してもらえた、もしかすると思い違いだったのかもしれない。

 そう思っていたが、宴の部屋を出る時、御館様と目が合った。まさかな。

 

 部屋に戻り、着替えを用意してると、部屋の扉がノックされた。

 簪が扉を開け、対応する。扉の向こうには使用人らしき人がおり、簪と会話している内容が聞こえてきた。

 

「はい」

 

「お話があると御館様からのご伝言です。お二方ともお風呂が済み次第、御館様の私室まで来るようにと」

 

「……分かりました」

 

 伝言を伝え終えると、使用人は一礼して去っていった。

 

「やっぱり……呼ばれちゃったね」

 

 複雑そうな表情で簪はそう言った。

 

 見逃してはもらえなかったか。

 まあ、一夏は話を済ませていたし、宴で聞いた話によると他の親戚の方々も既に御館様または当主である楯無会長と話を済ませたとのことで、残すは俺と簪のみ。

 これは毎年ある決まりごとらしいから仕方ない。

 

「……頑張ろうっ」

 

 簪が勇気付けてくれるように手をぎっゅと握ってくれる。

 そうだ、頑張ろう。一夏に話されたようなことを言われると思うと、気が滅入ってくるが、これが今日一番の山場だ。乗り越えてしまえば、後のことなんて楽に感じてくるはずだ。

御館様を待たせるなんてことはできないので、いつ頃私室へ向かうのかはっきりとした時間を使用人から御館様に伝えてもらうようお願いし、風呂に向かった。

 風呂に入っていた時間は大体、二十分ほどだったと思う。もちろん、男女別で特に他の誰かと風呂が被ったということはなかった。一人で大きな浴室、浴槽を楽しむ。気持ちは落ち着けられたはずだ。

 そして風呂を済ませ、簪と二人一緒に御館様の私室の前までやってきた。

 

「……ふぅ……」

 

 簪は扉の前で緊張した様子で深呼吸を一つする。

 話すといっても一般的な親子の会話だけではすまないのは確か。それに今から御館様にどんな話をされるのか、簪も俺と大体同じ想像がついているはずだ。

ぎゅっと唇を噛み締め、簪は覚悟を決めたように、扉をノックした。

 

「入れ」

 

 低く、威厳のある声が部屋の中から聞こえ、俺達は部屋の中へと入る。

 私室は高級感ありながらもシックな雰囲気で落ち着いた部屋。俺達はソファに座るように言われ、反対側に御館様が座る。俺達と御館様の間には一つ机があり、その上には御館様のだろうか。ささやかな酒と肴が用意されていた。部屋には本当に三人だけ。気まずい雰囲気を俺は感じた。それは簪もらしく、顔こそは伏せてなかったが気まずそうに目を伏せていたのが横目に見えた。

 

「そういえば、君には自己紹介をしてもらったがワシの自己紹介がまだだったな。遅れて済まぬ。ワシは現御館、刀奈の先代にあたる第十六代目、『楯無』の――」

 

 と、自己紹介を御館様からされた。

 

「しかし、刀奈よりも簪のほうが先に男を連れて帰ってくるとはな。しかも、世界で二人しかいないあの男性IS操縦者の片割れとは。我が娘ながら、よくやったと言うべきか。簪よ、いい人を捕まえたものよな」

 

「……はい」

 

 恐縮した様子で簪は返事をする。

 御館様の言葉は、いろいろな意味がありそうだ。本当にただいい人という意味なのか、それとも更識家や国にとって政治的に他をおいて都合のいい人はいないという意味なのか、ということ。

 考えすぎな気はしなくないが、わざわざISのことを言ってから言うあたり、後者の意味も含まれている気がしなくはない。

 

「布仏の娘も織斑君と交際している。いいことだ。となると、心配なのは刀奈だ。刀奈は当主の立場あって大人をしているが、実際は生娘だからな」

 

 流石は父親。娘のことはよく分かっている。

 実際、御館様の言っている通りなんだろう。

 

「して、二人は夏頃から交際をしておると聞いているがどうだ」

 

 その通りです。お嬢さんとは夏頃から付き合わせてもらっています、と俺は肯定する。

 緊張からか言葉遣いが変に感じる。

 というか、そんなこと知っているのか。おそらく、簪か楯無会長から聞いてのことだろうけど。これ以上のことを知っていそうな気がするのが怖い。

 簪と付き合い始めたのは、夏頃。正確には夏休みの終わり頃。

 もう数ヶ月も前のことだ。懐かしく思える。

 

「そうか。それで簪は夏帰省しなかったのか」

 

「……ッ、夏の行事を欠席してしまったことは申し訳ございません」

 

 簪は深々と頭を下げる。

 

「よい。専用機の件があったのだろう。何より、学生の夏はいろいろと忙しいからな」

 

 含みのある御館様の笑みが気になる。否応なく楯無会長の似た笑みを思いださせられる。

 夏もやっぱり、更識家は行事があったのか。旧家だから季節ごとの行事が多いんだろう。

 夏は俺達が付き合い始めた季節だけど、同時に簪の専用機「打鉄弐式」が完成した季節でもある。

 

「婿殿。実際君は簪のどこに惚れたのか聞かせてはもらえないだろうか」

 

「なっ……!?」

 

 素で簪は驚いた声をあげる。

 婿殿って。旧家更識家の娘である簪と付き合ってるんだ。男女の交際関係にあるってことは、ひいてはそういう認識をされるものなんだろう。ISを使えれば尚更。

 それにしても随分と突っ込んだことを聞いてきたな。彼女の親に何処に惚れたのか言うなんて中々難易度高い。言えないわけじゃないが、親の手前。言い難さは物凄い。

 でも、言わないわけにもいかない雰囲気。言って減るものじゃないし、言わないままでいると印象が悪くなりそうな気がする。言うことで少しでもプラス印象を御館様に持ってもらえれば良し。俺は、意を決して言った。

 

「はっはははっ! そうかそうか! 簪や、愛されておるなぁ」

 

「は、はい……っ」

 

 俺の簪の何処に惚れたのかを聞いて、御館様は満足にニヤついた笑みを簪に向ける。

 簪は簪で、耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに俯いて顔を隠している。

 にぎやかな雰囲気。てっきり、難しい話や重い話などをされるものばかりだと思っていたが、今はそんな気配はない。正直、拍子抜けだ。まだ油断なんて出来ないとわかっているのに、にぎやかな雰囲気を前に入れた気合みたいなものが抜けそうになってしまう。

 

「時に婿殿よ。気が早いのは重々承知だが卒業後はどうするつもりか考えているか」

 

 突然の言葉だった。

 卒業後。それはあまりにも先のことで、漠然としている。いや、漠然となんてものじゃない。どうなってるか、まったく見えない。俺は卒業後、どうなっているんだろう?

 卒業後も簪と一緒にいたい……結婚だって考えてないわけじゃない。そうした思いはある。でも、そうする為には現実的な未来設計がなければ、ただの上辺だけのことだ。

 将来どうしていくのか。具体的にどんな職業につくのか。そうしたのが俺には見えない。男でありながらISを操縦できる身。普通には生きていけない。どうしてもそのことが先のことを暗くしていく。

 

 すぐに答えられずにいる俺に御館様は言葉を続ける。

 

「君は男でありながら、ISが使えようとも一般家庭の出。織斑君のように後ろ盾があるわけじゃない。いつまでも今のように上手く行くとは限らんぞ」

 

 御館様の言うことはもっともだ。

 俺は一夏じゃない。姉が世界最強でもなければ、知り合いにISの開発者がいるわけでもない。そうした後ろ盾ようなものが、すぐに頼れるものがあるわけじゃない。この先、そんなもの俺個人では到底作れないだろう。

 それに今は学生の身。政府やIS委員会が守ってくれているが、それがいつまでも続くという保証は何処にもない。様々な思惑が集まった集団に守ってらっているんだ。政治的にいいように使われる可能性だってないとは俺には言い切れない。

 俺がいいように使われるのは百歩譲っていいが、親にだって今以上に迷惑をかけるかもしれない。ただでさえ、今だって俺がISを使えたばかりに迷惑をかけてしまっているのに。

 最悪、簪にだって迷惑をかける可能性もある。ISが使える以外、力は勿論、コネも後ろ盾も何もない自分を無力に感じて。ないものを持っている一夏を羨ましいと一瞬でも思った自分が情けなくなった。

 

「君には、今後も他の誰でもない更識家の娘である簪とだけ付き合っていくという堅い決心が――更識家に入る覚悟はあるか」

 

 凄味のある眼光を向けながら、御館様は問いかけてくる。

 流石は、元楯無の名を冠していた人。貫禄と威圧感に溢れていた。

 今まで感じてきたプレッシャーなど、比較にはならない圧力だった。

 

「……」

 

 隣にいる簪は俯いたまま、不安げな表情で俺の答えを待っている。

 御館様が真意を確かめようとしているのは俺にでも分かる。

 更識家に入るということは、今日のような旧家特有のしきたりや行事ごとなどに深く関わることになる。当然、しがらみも増えていく。でも、それは更識家の一員にならなくても、簪と今後も付き合っていけば、ありうることだ。

 それだけのことで卒業後の身の安全は無論、両親のことを守れるのなら是非もない。

 更識家に入っても、俺がISを使えるということは充分に利用されることだろう。それも構いはしない。

 別に後ろ盾がほしくて簪を好きになったわけでもなければ、付き合っているわけじゃない。何だか、簪をいいように利用している気がして、気が引ける。だが、そうしたいろいろなことを知った上で、それでも更識家に入る、今後も簪は付き合い続ける覚悟はあるのかと、御館様に今聞かれている。

 

 それに御館様は意地悪な人だ。

 俺が簪と別れるつもりがないのを確信して、こんな選択肢のないことを聞いてきている。

 更識家に入れば、辛く苦しい大変なことがいくつも待っているだろう。それでも気持ちは変わらない。俺は簪と離れるつもりはない。

 俺は頷いて、自分の言葉で覚悟を御館様に示した。

 御館様は俺の言葉を聞いて、口角に笑みを浮かべた。

 

「そうか。誠に婿殿は決断が速い。それは早々できることではない。無論ただそれだけはないだろう」

 

 口角に笑みを浮かべたのは変わらず、問いかけてくる。

 簪とは今後も付き合っていく。将来的に更識家に入るのもいい。その上で男性IS操縦者ということを利用されるのも致し方なし。だが、一から十のように何から何までただ良い様に利用されるつもりはない。そう俺は気概を示す。それが今の俺に出来る唯一の抵抗。

 それを聞いて、御館様は楽しげに笑った。

 

「ただ良い様に利用されるつもりはないか! 生意気だがその気概気に入ったぞっ、婿殿っ! 簪よ、まったく気持ちのいい少年を見つけてきたな」

 

 御館様が笑い、胸を撫で下ろして俺も少しだけ笑った。

 

「簪」

 

「はい」

 

「お前も覚悟はあろうな。今以上に更識の人間として生きる覚悟が、彼と共に生きていく覚悟が」

 

「もちろんです。彼の隣は誰にも譲りません」

 

 簪は即答だった。

 瞳に強い覚悟を宿した簪を見て、御館様は嬉しそうに笑みをほころばす。

 その笑みはまるで一人立ちする娘の姿を喜ぶよう。

 

「強くなったなぁ簪。ISを使える男が我が更識家にくるんだ。都合がいいのは事実。元より、拒絶するつもりはないが一個人としてのお前達二人の仲を正式に認めよう」

 

 それは嬉しい言葉で、簪は嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 その後は、近況をあれこれ話したりして時間が過ぎた。

 特にこれといった内容はなく、やがてお開きとなった。

 

「では、御館様。そろそろ」

 

「うむ。……婿殿よ」

 

 席から立った時、御館様は言った。

 

「今なら刀奈も嫁にやるぞ。ISが使える君なら嫁の一人や二人抱えたところで皆が納得しよう。刀奈は、楯無だ。君にとって更識にとっても簪よりももっと都合が良い。どうだ?」

 

「……お、お父様!?」

 

 思ってもいなかった言葉に簪は動揺する。

 まったく、御館様は。表情は真剣なのに、目が笑っている。

 俺は一言、御戯れを。そんなつもりはない。簪だけで十分だ。そう返した。

 

「そういうと思ったわ。言わなかったらぶっ飛ばしていたところだ。いくら君がISを使えて嫁を複数人持てようともそのようなことをすれば、我が娘もどうかと、そこに漬け込む下賎な奴も必ず現れる。婿殿や織斑君は身持ちが固いほうが今の世の中丁度いい」

 

 そう冗談でも言うように楽しげに話す御館様は最後まで気の抜けない人だと感じさせられた。

 






今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と過ごした冬休み―四

 御館様との話が終わり、簪と共に宴会場へと戻る。

 年明けはまもなく。後、一時間もない。年明けの瞬間は、勢揃いで迎えたいということらしい。

 だからだろう。宴会場を離れていた人達が次々と戻ってきている。最初よりか、席順は曖昧になっていて、歳の若い人達は一夏と本音を囲んで何やら談笑している。

 この様子なら、ゆっくりしていても問題なさそうだ。俺達は適当なところに腰を落ち着ける。

 

「……お父様に……認めてもらえて……よかった」

 

 隣にいる簪が安心した声色で言う。

 表情は沢山の人の前もあってか普段どおりだが、嬉しさが隠しきれておらず、口元が小さく笑っているのが可愛らしい。

 よかった。今はこの言葉に尽きる。

 思っていたよりも随分あっさり、認めてもらうことが出来た。案ずるが何とやらなんていう諺があるけど、まさにその通りだった。昔の人はいいこと言ったものだと思う。

 でも、大変なのはこれからだ。更識家に入る覚悟を示した。それに御館様の前で俺みたいな若造が大口叩いたんだ。言葉をなかったことには出来ない。口だけなら誰でも叩ける。これからは行動で示していかないといけない。御館様だけに認められるんじゃなくて、更識家の人達にもちゃんと認めてもらえるように。

 

「……私も……頑張らないと」

 

 簪も決意を再認識しているよう。

 

「その様子ならお父様とのお話は上手くいったようね」

 

 突然の聞き覚えのある声に俺達は体をビクっと振るわせる。

 声の正体は楯無会長。楯無会長は俺達の隣に座る。俺達は当主の前ということもあって、崩れていた姿勢を正す。

 それを見て楯無会長は苦笑いを浮かべていた。

 

「いいわよ、楽にしてもらって。今はオフ。当主、楯無じゃなくて貴方達の先輩としているつもりだから」

 

 言われて、楽にする。

 オフという言葉通り、楯無会長の周りには布仏先輩どころか沢山引き連れていた他の使用人すら今はいない。

 そしてオフだからなのか、一息ついている楯無会長は何処か疲れている様に見える。当主とは言え、年齢は俺達と大して変わらない。流石の楯無会長でも、こういった宴ごとは疲れるみたいだ。

 

「当たり前よ。楯無の名前継いでから毎年のことだけど、流石にね。飲みなれないお酒飲まなくちゃいけないし」

 

 疲れを一瞬で引っ込めて、困ったように楯無会長は苦笑いする。

 それもそうか。

 労いもかねて、俺は手近にあった飲み物を注ぐ。

 

「あら、ありがとう。婿殿に注いでもらえるだなんて光栄だわ」

 

 その言葉にドキッとする。

 

「お姉ちゃん……まさか……聞いてたの?」

 

「やぁねぇ、そんなわけないじゃない。弟君か簪ちゃん、どちらか一人だけ呼び出したならまだしも。二人揃って呼び出してたのなら、お父様が何話すかなんて大体察しはつくわ。それに」

 

 楯無会長はニヤついた笑みを浮かべながら、簪の口元を指差す。

 

「簪ちゃん。口元、そんなに嬉しそうにさせてたらどうなったかなんて言っているようなものよ」

 

「――ッ!」

 

 顔を赤くして、簪は慌てて口元に手を当てて隠す。見られたのがくやしいようで簪は楯無会長を睨むが、睨まれている当の本人は楽しげに笑っている。

 いくら表情が普段どおりでも、口元を嬉しそうにさせていたら、言っているようもの。

 それだけで楯無会長が、ことの全てを察していてもおかしくはないか。

 

「おめでとう。簪ちゃん、弟君」

 

 そう一言楯無会長は嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

 

「ありがとう……お姉ちゃん」

 

 俺達はお礼の言葉を述べた。

 

「お父様が認めたのなら私、当主楯無からも異論はないわ。二人の仲を認めましょう」

 

 嬉しい言葉だ。

 御館様だけじゃなく、当主である楯無会長から簪との仲を認めてもらったのなら、これほど心強いことはない。

 

「知らない仲じゃないし、それに簪ちゃんの婿は弟君以外考えられないしね。何より、弟君は一夏君と同様非常に貴重な存在。護衛対象が近くにいてくれるのなら、更識としてはそれにこしたことはない。むしろ、更識に入ってくれるのならいろいろと都合が良いからありがたいぐらいよ。まあ、持ちつ持たれつってこと」

 

 言って楯無会長は何処からともなく広げた扇子を出し、口元を隠している。

 広げた扇子には「互助」との言葉が書かれている。

 楯無会長のいうことは分かる。

 

「でも、実際いろいろと都合いいのは確かよね。簪ちゃんには、そろそろ遠縁の親族の中からか交友のある名家から婚約者の一人でもって話が一族会議でも出てたから」

 

「……そうだね」

 

 少し暗い表情を簪は浮かべる。

 やっぱり、名家。俺からしたら遠い創作物上のことにように思えるが、そういうことは必要になってくるもので、避けられないものなんだろう。

 

「当たり前よ。更識に生まれた以上、人生は自分のものであると同時に更識の為にもあるんだから。家の発展の為に生きて、家の為に死ぬ。婚約だってその一つ。代々そうしてきて、それはこれからも変わらない。変えるつもりもない。人あっての家だけど、更識ほど大きくなると家あっての人になるからね。だからこそ本当、簪ちゃんは好きな人と婚約者になれてよかったと思うわ」

 

当主としててではなく、一人の姉としての顔をしている楯無会長。

ただ表情こそは普段と変わりないのに、何処か楯無会長の表情は複雑そうにも見える。

それを見ていたのに気づいて、楯無会長はおどけたような笑みを浮かべる。

 

「でも、個人としては複雑よ。妹に彼氏兼婚約者が出来て先越されちゃったんだもの。困ったわ~」

 

 何か言いたそうにじとっとした目を向けながら楯無会長は言ってくる。

 複雑ってのはその言葉の意味以外にも意味があるのは明らかだ。何のことかは大体察しがつくが、言葉にはしたくない。言葉にしたら面倒なことになる。

 楯無会長の言葉を適当に受け流していると、不服そうに口を尖らせる。

 

「もうっ、弟君ってばつれないわね! そうだ! 今なら楯無である刀奈()も一緒にどう? 囲ってみない? 当主だし国家代表だし、万能よ。家事だって大丈夫。ちゃんと出来るから。ねぇ、いい物件でしょう」

 

 公の場なのに、体を摺り寄せて迫ってくる楯無会長。

 押し返そうとしても負けじと押してくる。というか時と場合を考えろ。勧められたお酒の飲みすぎで酔っ払ってるのか、この人は。それに囲うってなんだよ……女子の口からそんな言葉聞きたくない。

 第一、簪の前でそういうことはしないでほしい。

 

「いいじゃな~い! 今夜は無礼講よ! って……簪ちゃん、今日は何も言わないのね。いつものなら絶対に何か言ってくるはずなのに」

 

「……呆れて何も言えないだけだよ……お姉ちゃん」

 

 簪は呆れたようような顔をしている。

 簪の言っていることはもっともだが、楯無会長の言っていることももっともだ。

 いつもならこの辺で簪が妬いたり、怒ったりする。それを狙って楯無会長は俺をからかっているんだろうけど、今の簪にはその様子はない。

 

「まあ……その、お姉ちゃんがやっぱりくっついてるの見るのは嫌だけど……私はあなたがお姉ちゃんに気がないの知ってるから大丈夫だよ」

 

 ね、と笑みを向けられる。

 その笑みが凄い信頼されてると感じると同時に、これは裏切れないと、裏切る気持ちなんてなくてもそう強く思わせられる。

 何だか、今の簪はいつもと違う。

 

「い、言うようになったわね、簪ちゃん」

 

 簪がそんなこと言うなんて思ってもいなかったようで、楯無会長も驚いている。

 驚いた隙に楯無会長から離れる。

 まさか、簪がこんなこというなんて俺も思ってもなかった。簪には悪いが、こういう時いつもの反応をしそうなものだとばかり思い込んでいた。

 今の簪は何だかとても頼もしい。やっぱり、さっきの御館様との話の中で簪にも何か思うものがあったんだろう。

 

「これでも私は更識の人間……それに彼の妻になる身ですから……それ相応の態度でいようと思っただけのことですよ……楯無様」

 

「あらやだ、身が固まったら強くなっちゃって。お姉ちゃん何だか悲しいわ。まあ、今更妹の婚約者に手を出すつもりはないから安心し……」

 

「お話し中に申し訳ございません。お嬢様、そろそろお時間です」

 

「もうそんな時間なのね。分かったわ」

 

 現れた布仏先輩の言葉を聞いて楯無会長は腕時計で時間を確認する。

 自分も時間を確認すれば、そろそろ日付が変わる約十分前ほど。

 

「ごめんなさい、二人共。そろそろ、行くわね」

 

「うん……いってらっしゃい」

 

 楯無会長は席を立つ。

 その時に「ああ、そうだ」と何かを思い出した様に呟くと俺達のほうを向き言った。

 

「私とお父様が貴方達の仲を認めたからって、それで安心したらダメよ。楯無と御館が認めたから他の人達も認めるしかないっていうのに甘えてないで。弟君がいくらISを使えようとも、更識に何の力もない一般家庭の子が婿入りするのはよく思わない人達だって当然いる。更識に入るっていってもそう簡単なことじゃないんだから。だから、私達のこと抜きで他の人達にもゆっくりでいいからちゃんと認めてもらうこと。それは楯無家一族もそうだけど、世間様にもね」

 

 それは先輩である楯無会長としてではなく、いち当主としての忠告。

 分かっている。その通りだ。二人が認めてくれたからと安心していたけど。それだけじゃ、やっぱりいけない。更識家に入るということは楯無会長達以外の一族の人達が当然いるわけで、その人達にも自分達の力で認めてもらわなくちゃいけない。

 そうでなければ、本当の意味で更識家に入るとは言えない。

 

「それと弟君。簪ちゃん泣かして不幸にしたらあなたが生まれ変わっても絶対に許さないから。簪ちゃんも私にさっきあんなこと言ったんだから、それ相応の態度は見せ続けてもらうわよ。 二人には私個人としても楯無としても期待しているんだから、その期待裏切りでもしたらどうなるかは分かっているわよね?」

 

 口元を広げた扇子で隠し、俺達を睨むように言う。

 楯無会長が漂わせる雰囲気は、いつもの知っている生徒会長の雰囲気ではなく、更識家当主の圧倒的な雰囲気。御館様から感じた雰囲気を髣髴とさせる。

 俺と簪は、楯無会長の言葉に静かに頷く。

 まあ、例に漏れず頷くだけなら誰にだって出来る。楯無会長にちゃんと期待していると言われたのだから、しっかりその期待に応えていかないと。

 

 俺達の答えに楯無会長は満足したのか、当主の席へと布仏先輩を引き連れて戻っていった。

 俺達も最初に座っていた席へと行き、全員が元いた席に座る。

 そして、年が開けた。

 

「楯無様。新年あけましておめでとうございます」

 

「ええ。新年明けましておめでとう」

 

 まず最初に新年の挨拶。

 宴の席にいる楯無会長以外の一同が挨拶を揃えて言い、当主の座に向けて深々と頭を下げる。

 何だかヤクザ映画のワンシーンみたいだ。後はまた宴会という名の酒盛りが再開した。

 この様子だと大人達は夜中まで飲み明かすんだろう。正直、付き合っていられない。 明日も明日で更識家は行事があるらしいから、それにも付き合わないといけない。

 そんなわけで楯無会長には悪いけど、俺と簪は先に休むと告げ、宴を後にした。

 

 

 

 

 部屋へと戻ってきた。

 人目がなくなったと思うと、一気に身体の力が抜けた。

 何とも情けない声を漏らしながら、俺は床へと腰を降ろす。今日はこれで終わり。後は明日に備えて早めに寝るだけ。ようやくゆっくり休める。

 始めよりかは更識家の雰囲気というか名家独特の雰囲気には慣れた気がするけど、やっぱり初めてなだけに精神的にかなり疲れた。肩が凝った感じがしたりと身体もあちこち悲鳴を上げている。 しかも、これが明日以降も続くと思うとやっぱり少しはキツい。

 

「……お疲れ様。……疲れたよね……」

 

 隣に座る労うような笑みを簪は見せてくれる。嬉しかった。

 まあ、流石に疲れた。こればかりは正直になるしかない。

 俺とは対照的に簪はさほど疲れてない様には見える。

 

「……私は毎年のことだから……疲れはもちろんあるけど……もう慣れた」

 

 苦笑いを浮かべながら簪は言う。

 慣れか……俺もその内慣れていくのだろう。というか、慣れないとこんな堅苦しいことはやってられない。

 更識家に入ると言ったからには、これから同じようなことが何度もあるような気がする。早く慣れていかないと。

 

「……だね」

 

 でも今回は明日一日乗り切れば終わる。後一日の我慢。

 

「うん。だから……もうゆっくり休もう」

 

 明日もまた朝早い。

 明日は明日で年始行事が控えている。俺と簪はさっさと寝ることにした。

 二人揃って、一つのベッドへ潜り込む。

 

「……おやすみなさい」

 

 そう言葉を交わし、俺達は寄り添いあいながら眠りにつく。

 こうして更識家で過ごした怒涛の一日目が終わった。

 




こんな風にじゃれあっている楯無姉妹の姿を原作でも見たかった人生だった……
楯無さんが二人に言っている事は、楯無さん自信にも言えてること。
強くなった簪ちゃんくっそ可愛い。 というか、簪ちゃん可愛い。


今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と過ごした冬休み―五

 目が覚めた。

 眠気はあるもののゆっくりと体を起し、辺りを見渡す。

 見覚えのない部屋にいる……そう寝ぼけ眼で考えていたが、次第に頭が冴えてきて更識家、それも簪の部屋にいるということを思い出す。

 枕元においてあるスマホで時刻を確認すれば、目覚ましをセットした時刻よりも少しばかり早い。もう二度寝をするつもりはないので目覚ましを止める。そして、ふと隣を見てみれば。

 

「……」

 

 気持ちよさそうに簪がまだ可愛らしい寝息を小さく立てながら眠っている。

 そういえば、こうして簪の寝顔を見るのは随分と久しぶりだ。気持ちよさそうに寝ている簪の寝顔があまりにも可愛くて、起さないように気をつけながら頭を撫でる。

 

「んっ……んん~っ……」

 

 声は上がったが起きてはいない。髪を梳くように撫でると口元を嬉しそうにさせ、今だ簪は気持ちよそうに眠っている。その寝顔はとても愛おしく。あまりにも無防備だから余計に守ってあげたいと優しい気持ちになる。

 簪の寝顔を見れるなんてことは滅多にない。今自分だけがこの寝顔を見れていると思うと嬉しくて、ちょっとした優越感に浸ってしまう。いつまでも眺めていたい。そんな気持ちになってくる。

 部屋の内線が鳴る。突然のことに驚きはしたが、受話器を取った。

 

「おはようございます。本日のご予定は……」

 

 モーニングコールを兼ねた連絡が入り、本日の流れを大まかに説明される。

 そして何でも朝食を部屋に持ってきてくれるとのこと。15分ほどしたら朝食を持ってくるとのことなので、とりあえず簪を起す。

 声をかけながら体をゆっくりとさすると、簪の眠たそうな目とあった。

 

「……んっんん~……おはよう……」

 

 寝ぼけ眼で簪は柔らかい笑みを浮かべながらそう言った。

 その可愛らしい簪の笑みに思わず見惚てしまう。

 内線の音で簪は起きたようで、二度寝する気配もないが、流石に起きたばかり。まだ眠たそうにしている。

 

「……んー……」

 

 両手を簪はだらっとこちらに伸ばしてくる。

 起せということか。普段お互い人前ではこんな風に甘えたりはしないが、今は部屋で二人っきり。しかも簪は寝起きで眠そう。こんな風に甘えられるのは嬉しいので、俺は簪の体を抱き寄せるように体をゆっくりと起した。すると、自然と抱きしめあうような体勢になる。伝わってくる簪の体温は暖かくて、心地いい。

 

「……んっ」

 

 軽く触れ合うようなキスをする。

 こうしておはようのキスをするのも久しぶりだ。

 

「……あっ」

 

 何か思い出した顔をして、簪はたたずまいを改める。

 

「新年明けましておめでとうございます。本年も相変わりませずお願いします」

 

 ベットの上で正座をして深々とお辞儀しながら新年の挨拶をされ、俺も新年の挨拶をする。

 そういえば、今日は一月一日。元旦だ。忘れていたわけじゃないが、こうして新年の挨拶をすると新年を迎えたんだと改めて実感する。

 

「新年の挨拶もだけど……新しい年になって始めに会えたのがあなたで嬉しい」

 

 そう簪は嬉しそうに、にっこりと笑みを浮かべて言った。

 そして起きた簪に今日の予定を伝えると、丁度朝食が部屋へとやってきた。

 メニューとしては軽いものだが、やはり見栄えはよく高級ホテルで出ていそうな料理だ。というか、こんな豪華な朝食を部屋で食べるのは何だか変な感じはするが、とりあえず朝食を済ませる。

 朝食が終わったらゆっくりできるわけでもなく、まず最初にある神事に向けて相応しい正装に着替えなければならない。俺は昨日と同じく黒のスーツ。そして簪は……。

 

「……おまたせ」

 

 着替えから戻ってきた簪は和服に身を包んでいた。

 艶やかな振袖が、小柄な身体にもよく似合っていた。

 髪は綺麗に結われており、いつもの眼鏡を外した顔には化粧がしっかりされていて、元々可愛い顔が更に映えていた。 起きた時よりも更に見惚れた。

 だからだろう。自然と綺麗だと素直な感想が口から出た。

 

「……あ……ありがとう」

 

 頬を赤く染め簪は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 それすら絵になる光景だった。

 

 神事は朝から昼頃まで続いた。

 最初のうちは初めてのことだけにどんなことをやるのかと見ているだけでも楽しかったが、それも本当に最初のうちだけ。神事は座って待つことが多くて、次第に飽きてきた。だが、飽きたからといって自由にできるわけでもなく、大人しく待つことしか出来なくて身体的にも疲れた。

 そして神事が終われば、昼食会。そして昼食会を終えた午後からは、わらわらと年始の挨拶客が楯無家へやってくる。 来ている挨拶客は地元の人や更識がフロント企業としてやってる会社関係の人が多くやってきているらしい。

 一夏と俺は立場上、挨拶の場にいれば騒ぎになりかねないので離れたところからその挨拶の様子を見ていた。簪は前当主の直系親族であり、現当主の妹なので、従者である本音を引き連れて挨拶をしている。何百というお決まりの年始挨拶を繰り返しはいたが、簪は嫌な顔一つせず、常に笑みを浮かべて挨拶に応じていた。挨拶客は夜まで途切れることはなく、それだけで一日が終わってしまいそうだった。

 夜は夜でまた宴会。集まったのは直系以外の親族や有力者ばかり。

 やっぱり、更識家としては午前の年始挨拶よりもこちらのほうが本番みたいなものなんだろう。宴会は昨日のものよりも豪華。

 

「なぁ、あの人って確か芸能人だよなぁ。テレビで見たことある」

 

 違うから。

 一夏が言葉で指した人は総理大臣。

 有力者の中にはテレビで見たことがある有名政治家どころか防衛長官や防衛大臣までいる。

 

「へぇ~、あれって総理だったんだ。知らなかったぜ」

 

 感心めいた言葉をもらす一夏。

 お前は物を知らなさ過ぎだ。自分の国の総理ぐらい知ってないとヤバいぞ。

 でもまあ、感心するのは分からなくはない。これほどの人達を呼べるのは、やっぱり更識家は暗部としての一面もあるから、そん所そこらの名家とは訳も違うし、確かに力のある家だということが分かる。

 この宴会には一夏と俺も列席させられていた。この場に俺達がいるということは他言無用とのこと。政治家の大人が素直には聞き入れないとは思うが、相手は更識家。まあ、大丈夫だろう。それに大人達は皆、一夏と俺が更識家にいることを喜んでいるよう。やっぱり、うれしいものなんだろうか、こういうことは。

 

「織斑さん、お姉さんの千冬さんは家ではどんな感じなのですか?」

 

「あ、私も聞きたいですわ」

 

「お、おう」

 

 ここでも一夏は人気者だ。もう沢山の人に囲まれて話をしている。

 姉である織斑先生のこともあって一夏のほうが話しかけやすいんだろうけど、話しかけやすいのはやっぱり一夏自身の人柄が一番大きい気がする。

 かくいう俺はというと話しかけられ、話はするが一夏ほど沢山の人とではなく、そういう意味では気楽だった。

 話もそこそこに普段では到底食べられそうにないご馳走や飲み物を堪能する。 しかし、腹が膨れ、特にこれといった話し相手がいなくなると、あっという間に片手間が暇になってくる。

 どうしたものか……そう思いながらあたりの様子を眺めているとふと、遠くにいる簪の様子が見えた。

 

「……ふふっ。ええ……それはありがとうございます」

 

 親戚の人だろうか。何人かの人達に囲まれて簪も話をしている。

 簪は人見知りのきらいがあるけど、今は笑みを浮かべて沢山の人と上手くやっている。思えば、午前の挨拶の時もそうだった。やっぱり、昨日のことが簪をそう強くさせているんだろう。

 そんな風に簪の様子を眺めていると目が合った。

 ……外に出るか。そんなアイコンタクトを簪に送れば、それに気づいて、周りにそれと悟られないように瞳だけで頷いた。

 

 宴会の席を後にして、外にある庭園へと出る。

 賑やかな中とは対象的に外は静か。人影もたまに通る使用人達ぐらい。

 

「……外はやっぱり……冷えるね」

 

 そう言いながら、簪はお付の本音を連れずに一人で現れた。

 そのまま俺の隣にやってきて、密着するほどではないが寄り添ってくれる。

 思っていたより、簪がやってくるのは早かった。抜け出してきたみたいだったけど、大丈夫だったんだろうか。

 

「うん……大丈夫。私も流石に疲れてきてたし」

 

 朝からずっと行儀よくさせられていたから無理もない。

 以前の簪ならいざ知れず、今日の簪は本当によく頑張っていた。

 

「そうかな? なら……頑張った甲斐があった。私……ちゃんと上手に更識の人間の務めを果たせてたってことだよね」

 

 立派だった。こんな頑張っているいい女がいるんだ。俺も負けていられない。

 庭園で夜空を眺めながら簪と一緒に一息つく。

 いつしかどちらからともなく手がふれあい、手を繋いでいた。

 

「いよいよ……明日だね」

 

 明日二日目の午後から、いよいよ今度は俺の家で残りの冬休みを過ごす。

 おそらく明日のことを考えているだろう簪の表情が、心なしかかなり緊張しているように見える。

 緊張するのは分かるけど、そこまでのことなんだろうか。俺の実家は更識家ほどきっちりしているわけでもなければ、豪勢なわけでもない。

 

「そういうことじゃないの。やっぱり……緊張するよ……明日だって思うと余計に。いろいろなこと考えちゃう」

 

 それは分からなくはないが……。

 

「だって……か、彼氏の……ご両親に挨拶するんだよ?」

 

 それもそうだな。

 頬を赤らめて恥ずかしく言われるとこっちまで何だか恥ずかしくなってくる。

 というか、こんな話前にも列車の中でしたな。そういえば。

 

「ふふっ……確かに」

 

 小さく笑みを簪は浮かべて笑う。

  

「そろそろ……戻らないと」

 

 宴会はまだまだ続いていく。

 流石に付き合っているとは言え、いつまでも二人だけ抜け出したままというわけにはいかない。

 

「ありがとう……元気出た。もうひと頑張りできそう」

 

 それならよかった。

 ほんの一時でもあの宴会での疲れや堅くるしさを忘れられたのなら何より。もうひとふん張りだ。

 庭園を後にして、俺と簪は宴会の席へと戻って行った。

 




着物の姿の簪ちゃん可愛い!ヤッター!
もっと! 簪をもっと可愛く。刹那、究極的に可愛く書かなければなけない……

この場を借りて、『簪とのありふれた日常』の推薦を書いていただいたふろうものさん、ありがとうございました。

今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と過ごした冬休み―六

 地元、俺の実家に着いたのは夜大分遅くなった頃。

 日が沈み、あたりは真っ暗。この時間帯に着くことは親にはもう連絡しているから、それは問題ない。問題があると言えば、簪だ。

 

「……すぅ……はぁ……」

 

 インターホンを前にして、緊張を落ち着かせるように、簪は深く深呼吸している。

 地元に着いてからの実家までの道のり。簪はずっと緊張しっぱなしだ。緊張する気持ちは分かるし、緊張するなとは言えないけど、流石に心配になってきた。簪は元々、気が強いタイプじゃないから余計に。

 

「大丈夫」

 

 緊張で瞳は揺れているが、簪がそういうのならそれを信じるほかない。

 インターホンを押した。

 すると、待ってましたと言わんばかりにすぐさま扉が開けられ、家の中から母さんが出てきた。

 

「やっと来たわね。寒いでしょう。中に入りなさい」

 

「……お邪魔……します」

 

 恐縮したように簪は言う。俺と簪は家の中へと入っていく。

 実家は閑静な住宅街にあるごくごく平凡な二階建ての一軒家。

 久しぶりの我が家。こうして帰ってくるのは、IS学園に入学する前以来。懐かしい。

 とりあえず、始めにリビングに入るとさっき会ったばかりの母さんと、そして親父がいた。

 

「おかえり。よく帰ったな」

 

 出迎えてくれた親父。

 母もそうだけど、両親共に元気そうだ。むしろ、以前よりも元気そう。

 ISが使える二番目の男として発見された時は、情報規制こそはされていたもののいろいろと騒ぎになった。その時、両親には大分苦労をかけてしまった。

 だから今、元気そうな顔を見て心底安心した。

 

「して、そちらのお嬢さんがお前の彼女の……」

 

 親父が簪に気づき、リビングの床に二人並んで座り、両親に簪を紹介した。

 俺の紹介が終わった後、改めて簪本人が自己紹介をした。

 

「改めまして新年明けましておめでとうございます。お付き合いさせていただいてます。更識簪と申します。ふつつかものではありますが、どうぞよろしくおねがいします」

 

 淀み無い自己紹介を終えると、正座した簪は丁寧に頭を下げた。

 さっきまでの緊張が嘘みたいに、今の簪は堂々としている。

 両親共に、簪の丁重さと可愛さに、ものの見事に面を食らっている。

 

「まあまあ、これは丁寧にどうも。本当、ろくに自分から近況報告しないこの子が彼女を連れて帰るって聞いた時は嘘かと思ったわ」

 

「まったくだ。それでご両人はいつから交際を?」

 

「えっと……な、夏休みの終わり頃から……です」

 

「ほぉ……それでお前、夏休み帰ってこなかったんだなぁ」

 

 それだけが決して、帰ったこなかった理由じゃないんだけども。

 というか親父のニヤついた顔が最高にムカつく。だが、ここはグッと我慢。

 母さんのいう通り、自分から近況報告したのなんて片手の指で数えても余るほどで、逆に母さんから近況報告を聞かれても適当に答えるだけ。もう高校生なのだから一々言うことじゃないと思ってそうしていたけど、彼女が出来たことを言ったのは去年の終わり頃だった。だから、変に詮索されたりしても仕方ないこと。そう思って我慢しているけど、その我慢しているのが親父達には分かっているようで、ますますニヤニヤされる。余計にムカついてくる。

 

「簪さん、でいいかしら?」

 

「……はい」

 

「簪さんもIS学園の生徒なのよね?」

 

 その通りだと答え、ついでに簪は国家代表候補の一人だということも伝える。

 

「それはまた。息子よ、いいお嬢さんを見つけてきたじゃないか」

 

「そう言えば、簪さんのご自宅にはうちの息子と伺ったと聞いたけど、どうだったの?」

 

「はい。私の親には二日前ほどに会って……その……ちゃんと交際の許可は貰いました」

 

「あら、そうなの。やることはちゃんとやってるのね」

 

 母さんから、俺に向けられる温かい目が今は何だか無性にむず痒い。

 

「簪さんの親御さんの許可があるのなら言うことは何もない。ウチとしても簪さんが息子の彼女なら大歓迎だ」

 

「そうね~早くお嫁に来てもらいたいぐらいだわ」

 

 笑いながら言う母さん。

 場を和ますつもりなんだろうけど、冗談ではすませそうにないのが母さんの恐いところだ。

 それを真に受けた簪が頬を赤く染めて、恥ずかしそうに俯いている。

 

「でも、簪さん。こう言っては大変申し訳ないんだけど、うちの子でいいの? 分かっていると思うけど、息子はほらいろいろと大変よ」

 

 何が、とは言わないのは母さんなりの気遣いなんだろうか。

 

「はい」

 

 簪は躊躇わず返事をした。

 

「大変なのは重々承知しています。私は彼を支えたい。支えられるようになりたい。どんな困難だって二人で乗り越えていきます。彼もそう思ってくれているから……私は彼がいいんです。彼じゃないとダメなんです」

 

「そう……」

 

 母さんはそう感心した声をもらしながらも、嬉しそうな笑みを浮かべて。

 

「なら、ふつつかな息子だけど」

 

「どうかよろしく頼みます」

 

 そう母さんと親父は言った。

 

 簪の紹介をそこそこに、その後は母さんが夕飯を用意してくれて四人で囲むことになった。

 夕飯のメニューは正月らしく、おせち料理。ただやっぱり、簪を連れて帰ると前もって連絡していたせいか、例年以上に気合が入っている。いつもは皿の上に適当に乗せられているだけに今回は重箱に詰められている。凄く豪華だ。

 今ではすっかり母さんも親父も簪を受け入れてくれ、馴染んでいる。というか、馴染みすぎて。

 

「いや~ISの騒動が起きた時は一時はどうなるかと思ったが、息子がこんな美人でいいお嬢さんを連れて来るとは! これで我が家も安泰だ!」

 

「もう~お父さん飲みすぎよ」

 

 酒を飲んだ親父は顔を真っ赤ににしてすっかりできあがっていた。飲んでいる量はいつもと大して変わらないはずなのに、よほど簪のことがが気に入ったのか、ずっと褒めちぎっている。母さんも母さんで口では親父を止めはするが、ずっと楽しげに笑っていて、やっぱり簪をずっと褒めちぎっている。

 そんな両親に簪はただうれしそうにしながらも恥ずかしそうに縮こまっていた。

 親父達、嬉しいのは分かるが流石に騒がしい。仕方ないとは言え、簪にこんな騒がしい両親の姿を見せるのは何だか申し訳ない。

 

「そう? 私はいいと思うよ。私……こんな風に賑やかに家族揃って夕食食べたことも……お正月過ごしたこともないから……楽しい」

 

 そう簪は楽しげな笑みを浮かべて言う。

 まあ、簪がそういうならそれでいいか。

 

「よいしょっと」

 

 笑っていた母さんは、一旦洗物でもする為にか立ち上がる。

 

「あ……わ、私も手伝います」

 

 簪が空いたお皿達をまとめて、母さんの後を追う。

 

「あら、ありがとう。本当、簪さんみたいないいお嫁が出来て嬉しいわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 頬を赤らめながらも簪は喜んでいる。

 会って初日だけど、嫁姑の仲は中々よさそうだ。

 

「なあ、息子よ」

 

 母さんと簪が台所へ消えると、親父がそう声をかけてきた。

 まだ顔は真っ赤だが、さっきみたいに酔っ払ってる気配はない。何だか真剣だ。

 

「あんないいお嬢さんなんだ。お前が大変なのは分かるが、絶対に二人で幸せになるんだぞ」

 

 言われるまでもない。

 

「男はカッコつけてなんぼのものだ。カッコつけるからには最後まで彼女の前ではカッコつけ通せよ。何、お前は俺の息子だ。出来るさ」

 

 肩に手を置いて親父はそう言ってきた。

 嬉しい言葉。その言葉は頼もしく、曇りなく言える親父が何だかカッコよかった。

 

 そして簪と母さんが洗物をしている間に俺は風呂を済ませ、その後に簪も風呂を済ませた。

 実家についたのも夜遅かったせいか、気づけば日をまたいでいた。

 明日特にこれと決まった予定があるわけじゃないが、学園を後にして、電車移動が長かったこともあって、そろそろ寝ることにした。俺の部屋で、簪と二人一つのベットに。

 てっきり、簪にちゃんと客間を一部屋用意していると思ったのだが、母さん達は俺達が俺の部屋で一緒寝ると思って用意しておらず、今まで通り一緒に寝ることになった。

 

「狭い……よね」

 

 遠慮気味にすぐ傍にいる簪はそう聞いてきた。

 狭いか狭くないかで言うと確かに狭い。部屋のベットはシングルベットだから、二人一緒に寝れば狭くなって当たり前だ。だが、簪が遠慮する必要はない。どんな形であれ一緒に寝るのはやっぱり、嬉しい。

 それに、ひっついていれば狭さなんて気にならない。そう俺は簪を抱き寄せた。

 

「そうだね」

 

 嬉しそうに頷いて簪は体を密着させてくる。

 

「素敵なご両親だね」

 

 簪にそう言ってもらえるのなら何よりだ。

 

「私……頑張らないと」

 

 何を頑張るというのだろうか?

 母さん達は、簪のこと大歓迎してくれて、めちゃくちゃ喜んでくれているのに。

 

「それは嬉しい。でも……もっとご両親とも家族……になれるように私は頑張りたい」

 

 顔を埋めていて表情は分からないけど、簪の声音は真剣だというのはよく分かる。

 好きな人の両親とも家族になりたいというのは分かる。俺だってそうだ。

 簪ならきっとなれる。大丈夫。

 

「うん……私頑張る。おやすみなさい」

 

 おやすみ。

 俺達は寄り添いあいながら眠った。

 

 

 

 

 翌日。一月三日。

 新年を迎えて、まだ初詣に行ってないことを思い出した俺と簪は、二人で実家の近所にある神社へと初詣をしにやってきていた。

 元旦を過ぎたとはいえ、今日はまだ正月三が日。参拝者はそこそこ多く、気を抜いてるとはぐれてしまいそうだ。なので、はぐれないように俺達は腕を組む。

 

「こうやってするの……久しぶり」

 

 ここのところはいろいろとあって手を繋ぐことすらままならなかった。

 確かに久しぶりだ。腕に当たる胸の感触も。

 久々の胸の感触を楽しんでいるとそれに気づいた簪は嬉しそうに笑う。

 

「くすっ……私の胸好きだね。好きなだけ……どうぞ」

 

 腕を胸の谷間で抱きしめる簪。

 大人しく俺はされるがままにする。まあ、人前ではあるが今日ぐらいはいいんだろう。別に騒いでるわけでもないのだから周りの人らは俺達なんて気にしてない。それに簪の胸が好きなのは否定しようがない事実なわけだし。

 ちなみに俺達はというと今、お参りをする為に賽銭箱のある神社本殿まで並んでいる。と言ってもそこまで長い列にいるわけじゃない。後五分ほどすれば、俺達の番。以前元旦に、かなりの時間並んだことを思えば、正月三が日とは言え、かなり進み具合は早い。

 本殿、賽銭箱の前までやってきた。自分達の番となった俺と簪は二人横に一列に並んで、賽銭箱へと小銭を投げ入れ、手を合わせてお参りする。

 ひとしきり神頼みが終わると、後ろで待っている次の参拝者に譲るように、その場から離れ、おみくじやお守りが売られている本殿横の売店近くへと行った。

 

「……なんてお願い事をしたの?」

 

 それを言うとお願い事した意味が薄れる気がしなくはないけど、簪一人ぐらいなら言っても問題ないか。第一、お願いごとをしてないのだから。俺がお参りの時、心の中で言ったのは神に向けての誓い。昔、どこかで元旦のお参りは本来、「お願いごと」ではなく、「誓い」をするものと聞いた覚えがある。神頼みしたいことならいくらでもあるが、それは神頼みして叶うようにするのではなく、やっぱり自分達自信の力で叶えたい。

 だから。

 

――去年一年も幸せだった。だから、今年一年も簪と共に幸せに過ごせるよう努力する。その姿を見守ってください。

 

 と、神頼みするのではなく、神に向けて誓いをたてた。

 そんなことを伝えたと教えると、簪は驚いたような顔をして、嬉しそうに小さく笑っていた。

 どういうことなのかと思えば。

 

「同じだね」

 

 そう簪は言った。

 

「私も……ね。神様に誓ったの。今年は幸せだった去年よりももっとあなたと一緒に絶対幸せになるから。どうか神様……その頑張りを見ていてください……って」

 

 こんな時まで、俺と簪の気持ちは一緒だった。

 こういうのは照れくさいけど、同じだということ。それがまた嬉しかった。

 そしてその後、売店で売り物でも適当に見ているとあるものが目に入った。

 

「あ……あれって絵馬……だよね」

 

 簪が指したのはたくさんの絵馬。

 そう言えば、去年高校受験の合格祈願で書いたな。

 初詣で神社に来たんだ。せっかくだから書いてもいいかもしれない。

 

「うん……そうだね。書いてみたい」

 

 ということで売店で、人数分買おうとした。

 

「カップルさんですか? よろしければ、こちらの絵馬がオススメですよー」

 

 売店の巫女さんに勧められた絵馬はいかにもカップル用の絵馬。

 裏面を見せてもらえれば、ピンク色で『縁結び』と書かれている。

 こんなのあったんだ……知らなかった。折角、勧められたて、値段も普通のものと比べて百円高いだけ。

 まあ、勧められたことだし……。

 

「そうだね。えっと……じゃあそれで」

 

 俺達はカップル用の絵馬を一つ買った。

 なんでも二人で一つの絵馬に書きたいことを書くものらしい。

 絵馬に書くスペースに場所を移す。さて、何を書いたらいいのやら。

 

「……うーん……ちょっと耳貸して」

 

 簪は耳打ちで絵馬に書く内容を伝えてきた。

 思わず、驚いてしまった。そんなこと書くのか?

 

「ダメ……?」

 

 ここぞとばかりに上目遣いできかないでほしい。ダメじゃないが、流石に恥ずかしい。

 だが、簪がいいのなら別にいいけど……そう言うと簪は嬉しそうにして、絵馬にその内容を書いた。

 絵馬に託すことを書き終えると最後、名前の欄に俺の下の名前と簪の名前を書いて、絵馬をかけに絵馬掛け所へと行く。

 ずらりとかけられた沢山の絵馬。かけられそうな場所を探していると、いくつかかけられた絵馬が見えた。この時期、定番の受験合格祈願が圧倒的に多いが、中には家族の健康祈願や就職祈願などいろいろな絵馬がある。その中には当然の如く、他のカップルもすすめられたんだろう俺達と同じ種類の絵馬がいくつか飾られていた。

 

「ここ……空いてる」

 

 簪が空いている場所を見つけてくれて、そこにかけた。

 

「まあ、こういうバカップルぽいの……本音と織斑のほうが書きそうな内容だよね」

 

 確かに、と俺達は苦笑いする。

 でも心なしか、簪は満足そうにしている。

 俺達のかけた絵馬にはこう書かれていた。

 

――二人一緒に幸せになる

 

 シンプルだけど、神頼みするのならこれに限る。俺達の嘘偽りない気持ち。

 正直、こそばゆいものがあるけど悪い気はしない。

 

「私も悪い気はしない。こういうのもいいよね」

 

 幸せを噛み締めるように言う簪に頷いて、俺は簪の手を取り繋ぐ。

 新しい年の時は、ゆっくりと流れていく。

 こうして俺達は新年改めて神に誓いを立て、互いを想うそれぞれの想いをちゃんと確かめあった。これからも迎えていく、ありふれているけど大切な人との日々に想いを思いを馳せて。

 




これにて冬休み編はおしまいです。
今回は婚約の挨拶みたいになったけど、またイチャイチャできてよかったです。
簪と過ごした冬休みは波乱万丈だったけど幸せだった……
簪可愛い 可愛い簪ヤッター!


誤字・脱字などの報告をしてくれた方々、ありがとうございました。
お手数おかけします。

今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪はいない夜。野郎二人が感じた嵐の前触れ

※注意
・今回タイトル通り簪本人は出ません(名前や話には出てきますが
・簪シリーズと同様の主人公と一夏のとある話題について話すお話です。
・いつも「」付けで話してない男主が普通に話しています。悪しからず。
・一読して下さり、読んで下さった方が今回の話の内容について何か考えて下さったら幸いです。


 

 二月。その月は一年のうちにあるいくつかのイベントごとの一つ、バレンタイデーがある。

 今日はそのバレンタインデーを一週間後に控えたとある日の夜。

 IS学園は一夏や俺といった例外を除けば、女子高そのもの。やっぱり、イベントごとが好きな女子が多く、IS学園も世間の例に漏れず一週間前だと言うのにバレンタインデー一色だ。

 今までバレンタインデーは縁遠いものだった。生まれたこの方、本命チョコなんてものは貰ったことがない。

 でも、今年は違う。今回の俺には簪という素敵な彼女がいる。くれると公言されたわけじゃないが、多分簪から本命チョコをもらえることだろう。期待してないなんてことは嘘でも言えない。今から楽しみで仕方ない。

 そんな期待を胸に今夜も簪と部屋からの外出禁止時間まで話をした帰り、ロビーで一夏を見かけた。

 最近では珍しく、今日は一夏は本音とではなくデュノアと二人でいた。

 

「ね、一夏。だから……」

 

「あ、ああ……」

 

 やけに体と体の距離が近い二人。一夏の奴、デュノアと浮気でもしているのかと思ったが、そういうわけじゃないらしい。珍しく困った顔をしていている一夏はデュノアに捕まっているように見える。

一夏と本音が付き合い始めて早二ヶ月近く。新年を迎えた今では、一夏と本音が付き合った当初よりかは大分周りは慣れて、落ち着いてきた。今では前みたいに二人の後をつけたりといったこともなくなり、一夏と本音が二人でいることが当たり前の風景に一つなりつつある。

 それは篠ノ之達とて例外じゃない。今では前みたいな地獄絵図を繰り広げることもなくなった。心の傷はまだ癒えきってない様子で、決して諦めたわけでもなさそうだが。篠ノ之達は一夏に本当の恋人が出来たこと、一夏が本音と付き合っていることをゆっくりとだけど、受け入れつつある。

 だけど、気がかりなのがデュノアだ。彼女だって、一夏に本当の恋人が出来たこと、一夏が本音と付き合っていることを受け入れつつあるとは思うけど、篠ノ之達以上に一夏のことをあきらめてないというのが男の俺にだって分かる。

 他人の恋路だ。そう簡単に割り込んでいいものじゃない。付き合っても尚一夏のことを思い続けるのはデュノアの自由で、それで苦しい思いをするのはデュノアの勝手。

 でも、今みたいにデュノアはやけに一夏と体の距離が近かったりして露骨な気がする。まあ、自分に振り向かせようと一生懸命なんだろうし、その気持は分からなくはないが、気にはなってしまう。

 皆を『守る』ヒーローでも、周囲の期待を常にこたえ続ける英雄でもない。本音と付き合っていることは一個人としての一夏が心から望んで手に入れた幸せなんだ。親友の一夏には幸せになって欲しいと思うのは当たり前のことで、大事な友達である本音にも同じ様に幸せでいてほしい。

 本音だって、自分以外の女子が自分の男にベタベタとしていてはいい気分はしないはずだ。嫌な思いをして、本音が悲しむかもしれない。そんな本音の姿は見たくない

 ここは一つ困っている一夏を助けるついでに、釘の一つでも刺して置いたほうがいいか。そう思い一夏に声をかけた。すると、デュノアにほんの一瞬だが睨まれた。

 

「……」

 

 こわっ。

 一夏と本音をお膳立てして結ばせたと周囲には知られているから、篠ノ之達に何度か睨まれはしたがあの五人の中でデュノアがやっぱり一番怖い。無言で睨まれただけに恐さはひとしおだ。

 

「じゃあ、ボクもそろそろ部屋に戻るね。一夏、バレンタイン。楽しみにしててね!」

 

「お、おう……」

 

 デュノアが去っていく。

 残された一夏はその場に疲れた様子で深く腰掛けていた。

 

「お疲れさん、一夏。俺達も部屋に戻るぞ」

 

「……ああ」

 

 疲れた様子の一夏を無理やり起すのは何か忍びないけど、もう外出禁止時間間際だ。こんなところで油売ってたら、寮長である織斑先生に怒られる。一夏を連れて、自分たちの部屋へと戻った。

 

「はぁ~~……」

 

 部屋について自分のベットに座り込むと、一夏は深い疲れた溜息をついた。

 

「んな溜息ついてたら幸せ逃げるぞ」

 

「分かってるけどよぉ……」

 

 浮かない顔の一夏。

 無理もないか。彼女がいるのに別の女子にあんな風にベタベタとされたらかなわない。だからと言って、好意を寄せられているのを知っているだけに、そう易々と邪険にすることも躊躇うものがある。俺だって楯無会長関連で経験あるから、その気持ちは分かるし。それに一夏の性格を考えるなら、その思いは一際大きいのだろう。

 

「まあ、なんだ。そう溜息つくなよ。一夏がバレンタインも相変わらず大変なのは分かるけどさ。正直、羨ましい話だけど」

 

  凰や篠ノ之から一夏が幼い頃からも、それはもう映画やアニメに出てくるキャラみたいにモテていたのはよく聞かされたし、実際一夏のモテ具合の凄まじさは今まで散々隣で目にしてきた。

 

「羨ましいってお前なぁ……バカ言え、ホワイトデーのお返し大変なんだぜ」

 

 疲れた顔で一夏はそう言った。

 もっと気の利いた言葉をかけられればよかったし、一夏の身の上を知っているだけに正直同情してるけど、今の言葉を聞いて一発殴ってやりたくなった。

 そりゃ一夏からしたらその言葉通りなんだろう。くれる全員からちゃんと受け取って、半端ない数になっても生真面目な一夏は律儀に一つ一つちゃんと丁寧にお返ししてそうだ。そんな風にお返ししてたら大変なのは当たり前だけど、そういう細かいところもちゃんとしているのが一夏のよさでモテる秘訣なのはよく知っている。だけど、今の一夏の言葉は最高にムカついた。そんな言葉一度でいいから言ってみたい。

 

「たくさん貰いはするけど基本は友チョコばっかで後はおもしろ半分だぜ、いつも」

 

「モテる男は言うこと違うねぇ」

 

「まあ、今年はお前もいるから安心だけどな」

 

 嫌な笑みを浮かべて言う一夏の言葉に何言ってるのか分からなかった。

 

「IS学園で男は俺とお前しかいないんだ。おもしろ半分でくれるなら俺だけじゃなくて、お前も沢山貰うはずだ」

 

「いやないない。ありえないって。俺一夏ほどモテねぇよ」

 

「お前はいい男なんだ絶対モテるって。でも、たくさんチョコ貰ったら更識さん怒ったりしてな」

 

 ニヤリと笑う一夏。

 おもしろ半分だとしても俺は一夏じゃあるまいし、そんなチョコもらえるわけがない。簪からのチョコ一つだけもらえれば、それだけで充分だ。

 それに何かの手違いで万が一そんなチョコを貰ったところで、簪がそんなことで怒ったりしてないだろう。多分。

 

「あ……でもバレンタインか……はぁぁ~……」

 

 思い出した様に言って、一夏はうな垂れてまた落ち込んだ。さっきまで散々憎まれ口叩いてた癖に忙しい奴だ

 

「俺……本当自分のこと馬鹿だなって思う。のほほんさんと付き合ってからさ……のほほんさんと過ごす毎日が新鮮で楽しくて幸せで。そしたら今まで見えてなかったいろいろなものが見えてきて、いろいろと考えるんだ。だから、余計に今まで俺深くも考えないで本当とんでもないこと言ってたって気づいたよ」

 

 今までの自分を悔いるように一夏は言う。

 まさか、一夏がこんなことを言うなんて。一夏が本音と付き合って、かなり変わった。まず第一に本音のことを思い、考えて、行動するようになった。本音と言う一夏にとっての一番大事なものが出来たからこそ、以前みたいな女ったらしなことをしないよう気をつけ始め、皆……特にあの五人と決して拒絶するわけではなく今の関係で丁度いい距離を保とうとしている。

 それにこの一夏の言葉はそれはきっとデュノアに向けての言葉でもあるんだろう。そんな気がする。

 いっそのこと「彼女が出来たのだからこういうことはやめてほしい」ときっぱり突き放せばいいんだろうけど、一夏はデュノアに対して多分何か大切なことを昔言ってしまって、そんなことはそう易々とはできないようだ。でなければ、今みたいなことにはなってないだろう。

 

「昔の俺に会うことが出来るなら思いっきりぶん殴りたい」

 

 また今までの自分を悔いるように一夏がそんなことを言うものだから、思わず笑ってしまった。

 

「おい笑うなよ。俺は真剣に」

 

「いや、悪い。お前があまりにも面白いことを言うものだからついな」

 

「何だよそれ」

 

 一夏は拗ねてしまった。

 

「でも、笑われても仕方ないよな……俺一人で何とかしないと。お前にも、のほほんさんにはもう迷惑かけられねぇ」

 

 こいつはまた一人で全部抱え込もうとしている。一夏らしいと言えば、一夏らしいけど。

 

「そう何でも一人で抱え込もうとするなよ、一夏。お前自身の力で何とかしないといけないことなのかもしれないけど、何も全部自分だけの力でどうにかしようとしなくてもいいだろ。周りをもっと頼れよ。俺ならいくらでも力を貸す。そりゃ勿論どこまで力になれるか分からないし、力になれないかもしれない。それでも、話……それこそ愚痴ぐらいいくらでも聞いてやる」

 

「お前……」

 

 一夏が変わっていく姿や新しいことを楽しんでいる姿を見れるのは、幸せになっている姿は、純粋に友達として嬉しい。そして変わっていくことで、新しい悩みや困難な壁ができるのはある種当たり前のこと。それを乗り越えようと悩んでいる今の一夏の力になりたいと思う。近くにいるのにただ隣で見ているのは歯がゆいものはがある。

 それはきっと――。

 

「俺じゃなくても、少しは彼女の本音ぐらい頼ってもいいじゃないのか?」

 

「でも、それは」

 

「何も全部、頼らなくてもいいし、一夏が自分のことに本音を巻き込みたくないってのも分かる。彼女の前では情けない姿見せずにカッコいい姿でいたいからな」

 

「それはな」

 

「男がカッコつけるからには最後までかっこつけ通さなくちゃならねぇけど、別に頼るのはダサくはないだろ。何でも一人でって意地張ってる方がかっこ悪い。一夏は少しぐらい周りに、それこそ本音に甘えることを知ったほうがいい」

 

 正直、一夏は誰かに甘えるということを知らないんじゃないかって思う。

 まあ、それは両親が居らず、唯一の肉親である姉の織斑先生は昔っから忙しくて、家にいないことが多かったといつか一夏から聞いたから、そんなんだと甘えるような相手がいないし、知らなくても無理もない。

 

「甘える、か……」

 

 随分と一夏は苦そうな顔をしている。

 

「いきなりは難しいだろうけど、ゆっくりでも知っていけばいいさ。それにあんまり男だからってカッコつけて一人で背負い込んでると彼女怒らすぞ」

 

「体験談っぽいな」

 

「まあ……体験談だからな」

 

「そうか」

 

 俺と一夏は苦笑いしあう。

 

「女子の本音に言いにくいことなら、男の俺がいくらでも聞くだけ聞くし。女子の意見がほしいなら、簪も聞いてくれるはずだ。口では凄い嫌がりそうだけど」

 

「ははっ……そうかもな。何か悪いな」

 

「気にするな。今に始まったことじゃないだろ、こういうのは」

 

「確かに。本当、お前と出会えてよかった。やっぱ、お前のこと好きだぜ」

 

 寒気がした。なんっつう気持ち悪いことを言うんだ、この馬鹿は。

 

「気持ち悪いこと言うな。そういうのは口にするんじゃなくて思ってればいいことだし、第一本音に言ってろよ。そういうのは」

 

 まあ……どういう意味の『好き』は分かるし、言葉は気持ち悪いが、その好意自体向けられるのは悪い気はしないと思わせられるのが、こいつの悪いところ。

 女ったらしは気をつけていても、根っからの人間ったらしはまだなようだ。

 

「そうだな。本当にありがとうな。でも、まずはもう一度、自分でじっくりどうするべきか悩んで考えるよ」

 

「そう。まあ、言いたくなったら言えばいいさ」

 

 結末としては二つに一つしかなくて、一夏の気持ちは結局悩んでも考えても変わらないんだろうけど、それでも悩まないよりかは悩んだほうがいいと思う。第一、悩まないのなら、もうとっくに答えは出て、一夏がこんなことにはなってない。一人でダメな時は、一人で背負い込むなと釘を刺したから、まずは大丈夫だろう。それこそ今の一夏には本音がいることだし。

 

「十四日、楽しみだけど出来れば、のほほんさんと平和に過ごせたら一番いいんだけどなぁ……」

 

「無理だろ。一夏は特に」

 

「即答かよ。はぁ……でも、俺もそんな気がするよ……」

 

 うな垂れる一夏。

 バレンタインは楽しみだが、俺達は確かに嵐の前触れを感じていた。

 




修羅場。

今回からバレンタイン編です。
まずは導入編、男子から。
次は女子。どうなることやら。


今回の話の男主もこれまで同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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あなたはいない。乙女二人の恋話その弐

 

 夜。部屋からの外出禁止時刻まで、彼といつも通り一緒に過ごした。

 そして、自室に戻った私は明日の授業に向けての予習復習をそこそこに、タブレットでネット検索していた。

 検索キーワードは『バレンタイン 手作りチョコ』。来週に控えた来る二月十四日。バレンタインデーに向けて、私は手作りチョコをどんな風にしようかと考えていた。

 渡す相手はもちろん、私の大好きな愛しの恋人。調理室の使用許可届けは用意した。後は具体的にどんなチョコを作るか決めるだけ。

 料理は苦手だけど、カップケーキといったお菓子作りは得意。それと大体要領は同じだろうし、基本的なチョコ自体の作り方も一通りは知っているから多分大丈夫なはず。

 

「……んー……たくさんある」

 

 検索の末、たどり着いた料理レシピのコミュニティウェブサイトで私はバレンタインチョコの項目に目をやる。

 バレンタインデーの時期らしく丁度特集されていて、オススメチョコの特設ページがある。いろとりどり様々なチョコが掲載されていて、パッと見どれも凝って、美味しそうに見える。正直どれを作ろうか迷う。こんな風に凝ったチョコじゃなくて、簡単なチョコでも本当はいいのかもしれない。どんなチョコだって、彼は喜んでくれるはずだ。

そう分かっているからこそ、やっぱり彼にあげるバレンタインチョコは今まで作ったどんなお菓子よりも美味しくて、凄いものを作りたい。

 何より、この年のバレンタインデーは私と彼が付きあって、初めて迎える日。やっぱり、初めてっていうのは私にとっても、彼にとっても大切な日になるし、大切な日にしたい。

 そう思うからこそ、レシピ選びにより熱が入って、迷いが強くなる。どれにしようか沢山悩んで大変だけど、例えばこんなチョコをあげたら、彼はどんな反応をしてくれるのかと何度も頭の中でたくさん想像するのは楽しい。

 

「……」

 

 ふと、隣の本音の様子を伺う。

 本音も同じ様にバレンタインに向けてどんなチョコにしようか、調べて考えているみたいだけど、様子が少しおかしい。端末を眺めてはいるが、心ここにあらずでチョコのことよりも何か別のことを考えいる。ううん、悩んでいるみたい。

 織斑と付き合い始めてから本音は本当に幸せそうだけど、同時に大変そうだ。男性IS操縦者と交際するってことはいろいろな面で大変。本音のその気持ちは分かる。実際、私も同じ様に男性IS操縦者である彼と付き合っていて、正直なところ大変なことは沢山経験してきている。

 何より、本音が付き合っているのはあの織斑。物凄くモテて、あの五人はいまだに織斑のことを好きでいる。そりゃチョコを考えるよりも、大きい悩み事の一つや二つ考えていても無理はない。

 でも、付き合う前……あの時みたいに唸ったりして露骨に悩んでる様子がないだけに、余計に本音の様子が心配になってくる。

 

「本音……悩みごと?」

 

「えっ?」

 

 私の声に驚いて、本音は体をビクっと震わせる。

 

「あ……うん。チョコ中々決まらなくて。どれもおいしそうだし、これだけ数多いとね」

 

 それは嘘じゃないのは分かる。本音がそれでも悩んでいるのは知っているし、私だって現在進行形で同じ様に悩んでいるのだから。

 でも、今私が聞きたいことはそれじゃない。

 

「それにバレンタイン心配で……」

 

「心配……?」

 

「ほら、おりむーって聞いた話だと毎年凄い数のチョコ貰ってるらしいから今更、私がチョコをあげても喜んでもらえるかな~って。今年も多分一杯貰うだろうし」

 

 この子は一体何を言っているんだろう。

 彼女が彼氏にあげないで一体誰があげるというのか。というよりも、彼女を差し置いて、他の女のチョコで彼氏を喜ばせるわけにいかないじゃない。

 

「本音……それ本気で……言ってるの? 本音からのチョコを織斑が喜ばないなんてこと絶対にない」

 

 断言できる。

 織斑なら誰からチョコを貰っても喜ぶだろうけど、やっぱり本音から貰うチョコを一番に喜ぶはず。

 でなければ私と彼とで織斑に説教してやる。

 

「それに沢山貰うって言ったら……それ、私もだよ」

 

「あ……それもそうだね」

 

 本音は、謝るように苦笑いする。

 織斑ほどアニメみたいに信じられない数貰うことは多分ないと思うけど、私の彼も今年のバレンタインデー沢山貰うんだろうな。

 私と彼が交際していることは誰もが知る事実。だけど、彼はIS学園に二人しかいない男子の一人。バレンタイン一色の皆は、おもしろ半分で渡すと思う。実際、私のクラスてある四組のクラスメイトや仲良くなった整備課の知り合いから彼に『友チョコ』としてチョコを渡してもいいかと聞かれた。おそらく、イベントごとやおもしろおかしいことが大好きな私の姉も渡してくるだろう。

 正直、彼が貰うだろうチョコの数を想像したらげんなりはするけど、別に彼が他の女子からチョコを貰うのはいい。聞いてきた子達にもいいと返事したし、そんな些細なことで独占欲みたいなものを表に出すのも何だか情けない。私は彼の彼女。どっしり構えてればいい。

 

「彼氏がたくさんのチョコを貰うかもしれないけど。だからこそ……自分のチョコを一番に喜んでもらえるように……頑張って作るんじゃないの……?」

 

 それが全て。

 彼への想いを少しでも、チョコという一つの目に見える形に出来るように。そして、そのチョコを少しでも美味しいと喜んでもらえるように、今悩んでいる。

 他の子が渡すからとかどうでもいい。自分のあげたチョコを喜んでもらう。本当にただそれだけのこと。

 

「……」

 

 驚いた表情をして、本音は嬉しそうに小さく笑った。

 

「かんちゃん……本当、強くなったね~」

 

 思わず呆れてしまった。強くなったって……。

 何で本音に温かい目を向けられて、しみじみと言われなきゃいけないのか。

 というか逆に、この子は何でこんなに弱気なんだろう。いけない。このままだとはぐらかされる。それにこれでさっき何で悩んでいたのかよく分かった。私は正直に聞いた。

 

「デュノアさん達のこと考えてるんだよね」

 

「……やっぱり、分かっちゃった?」

 

「当たり前。何年一緒にいると思ってるの」

 

「あははっ」

 

 苦笑いしながらも嬉しそうな本音。

 生まれた時から私と本音はずっと一緒なんだ。何考えてるのか、何で悩んでいるのかなんて大体分かる。それはお互いそうで、本音が悩むとすれば、最近だと織斑のことぐらい。織斑のことで悩んでなくても、それ関係で悩んでいるのはさっきの言葉達で察しがつく。

 

「やっぱり、昨日今日で全てが丸く収まるなんて事ないよね」

 

 織斑のことを好きなあの五人。未だに織斑のこと好きみたいだど、最近じゃすっかり落ち着いたもの。凰さんは元々、サバサバしたところもあったせいかすっかり割り切っているみたい。オルコットさんやボーデヴィッヒさんは、織斑に対して兄や父親に向ける異性への憧れのほうが強かったみたいで、割り切りつつある。篠ノ之さんはまだ目に見えて全然ダメージ大きそうだけど、まあ何とか言ったところ。

 一番の問題はデュノアさんだ。篠ノ之さんみたいに目に見えてダメージは受けている様子はない。むしろ、凰さんのように割り切っているみたいだけど、織斑のことを好きなのは変わってない。それどころか、前以上に織斑のことを想っている。何というか、全体的に露骨。

 織斑にはもう本音という彼女がいるのにも関わらず、気にせず織斑にベタベタしたりといろいろと酷い。織斑が珍しく困っていてもやめたりしない。

 私の彼は、デュノアさんのそんな様子を織斑に振り向いてもらおうと必死なんだろうと言ってたけど、そんな可愛い物じゃない。肉体的な繋がりを求めようとしているのが、嫌でも分かる。

 当人ではないけど、今のデュノアさんの行動は、見ていていい気分じゃない。好きでいるのならまだしも、彼女がいる男にちょっかいを出す神経が私には分からない。

 だけど、本音も本音だ。

 

「それはそうだけど……本音。どうして、デュノアさんに対してもっと強くでないの?」

 

 デュノアさんが織斑にベタベタしていたら、一言ぐらい本音はデュノアさんに言うけど、本当に一言二言程度。弱腰だ。

 本音にしたら、あの五人……デュノアさんの織斑への気持ちを知っているから、優しい本音は強く出にくいのかもしれないけど、それがデュノアさんにつけいれられる隙になっている。

 本音は周りのことを思うからこそ、自分を押さえていつも一歩引いている。そこが本音のいいところだけど、それが今仇となっているのは明白だ。

 

「……う~ん、やっぱり……負目、感じてるのかも。まあ、感じたところで今更どうしようもないことだとは分かっているんだけど、つい考えちゃうんだ」

 

負目か。

 そう感じるのは本音らしいと言えば本音らしい。織斑と付き合う前からあの五人の織斑への想いを知っているだけに、そう感じても無理はない。

 

「デュノアさんにあんな風にされて、本音は嫌じゃないの……?」

 

 私だったら嫌だ。

 私は今の本音と同じ様なことされた経験があるから、尚更。

 でも、本音は今みたいに困った顔しているだけで強く嫌がったりはしない。それは本音が言う負目があるからそうさせているんだろうけど、本当に嫌がるなりして、本音が織斑の彼女なんだからもっと強く出ないといけないと私は思う。このままでは、本音も辛いだろうし、デュノアさんの為にもよくない。

 それに今更、織斑が本音以外になびくとは思えないけど、万が一ということもあるわけだし。

 本当なら、私達がデュノアさんを止められれば一番いいんだろうけど、やっぱり本音と織斑をくっつけたことで嫌われているみたいだし、何より睨んでくるあの目が怖い。あれは同級生に向ける目じゃない。冗談抜きの殺気が篭った目。あんな目を向けられたら、簡単には二の句を告げにくくなる。情けない話だ。

 そんな私の心配を気遣うように本音は言った。

 

「嫌、だよ。このままじゃなくないってよくないってことも分かっている。ちゃんとケリつけるから、大丈夫!」

 

 私を気遣うように本音は笑ってみせる。

 まったく……この子って子は。本音を心配していたはずなのに、逆に私のほうが本音に気を使われているなんて本末転倒。

 だけど本音がそういうのなら、信じるしかない。ここで食い下がっても、余計に本音に気を使われてしまうだけな気がするし。

 

「本音がそう言うのなら分かった。でも……何かまた何かあったら言ってよね。解決は出来なくても、話ぐらい聞くことできる。それに今更、隠し事なんて水臭い」

 

「分かってるよ~かんちゃん。ありがとうね~」

 

 嬉しそうに笑う本音に何だか結局、上手くはぐらさかされた気分だ。

 でも、こればっかりは仕方のないことなのかもしれない。私じゃ頼りないかもしれないけど、また何かで少しでも力になろう。そして、今はデュノアさんのことが上手く解決するよう祈るほかない。

 

「あっ、そうだ。じゃあ、先輩カップルであるかんちゃんに一つ聞きたいことあるんだけどいいかな?」

 

「……?」

 

「あのね……彼氏君ってちゃんと甘えてくれる?」

 

 甘えてくれるか……。

 

「うん。まあ……ね。頻度としてはやっぱり私のほうが多いけど……それでもちゃんと甘えてくれてる」

 

「そっか~。ちなみにどんな感じ?」

 

「えっ?」

 

 思わず、ビックリしてしまった。

 

「えっと……二人っきりの時にお願いしてなくてもぎゅっとしてくれたり、髪を手で梳いてくれたり……かな」

 

 ただ事実を言っているだけなのに、恥ずかしい。

 いや、事実二人っきりの赤裸々なことを言っているのだから、恥ずかしいのは当たり前なんだけど、言葉にしている以上に恥ずかしい。顔が何だかとっても熱い。

 私達は人前ではそういうことしないし、彼はしっかりしていてクールだけど、二人っきりの時にはちゃんとそうやって甘えてくれる。こんなこと言ったら彼は拗ねるかもしれないけど、甘えてくる彼は可愛くて愛おしい。

 何より。

 

「……そうやって身を委ねてくれるのは嬉しい」

 

 ちゃんと信頼してくれているのを実感できて私はとっても安心する。

 

「かんちゃん、惚気だぁ~」

 

「っ……ほ、本音が聞いてきたんでしょう」

 

 恥ずかしいのを我慢して教えてあげたのに、からかわれるなんて心外だ。

 というか……。

 

「もしかして本音……織斑に甘えてもらえてないの?」

 

「少しね。あ、でも全然甘えてもらえてないってわけじゃないよ。ただ、彼氏君みたいに甘えられたことがなくて……ちょっと気になって」

 

「普段、あんなにベタベタしてるのに」

 

 普段の織斑の様子を思い出す。

 いつも本音といる時は距離が近くて、人前だろうと手をよく繋いでいたりと馬鹿ップルそのもの。

 二人っきりの時はもっとベタベタしてそうなのに、何だか意外だ。

 

「私から抱きついたら抱き返してはくれるんだけど……自分から抱きしめるのは何だか抵抗あるみたいで」

 

「なるほど……ね。でも、そうするだけが甘えてもらうってことじゃないはずだよ。その……キス、とかもそうだし」

 

「っ……」

 

 キスと聞いて、本音はぎゅっと堅く唇を結ぶ。

 

「もしかして……」

 

「うん……その、キスもね。付き合い始めた時に一回しただけでずっとしてないの……」

 

「嘘……」

 

 思わず、そんな言葉が出てしまった。

 男子の方から甘えてこないのはよくある話だと聞いたり、ネットで見かけたりするけど、本音と織斑が付き合って、1ヶ月以上経っているのに、キスがまだ一回なんて。織斑ならいろいろと済ませてそうなイメージが強いし、織斑からよく手を繋いでいるのを知っているだけに、何だか凄く変な感じがする。それを本音も思っているのが、不安げな顔によく出ている。

 

「それで……もっと甘えてほしいと」

 

 本音は静かに頷く。

 全く甘えられてないと分かっていても、キスや相手から抱きしめてくれたりと肉体的なスキンシップみたいなものがないと不安になるのはよく分かる。気持ちで繋がっているとしても、そういう肉体的なスキンシップがあったほうがより仲が深まるのは確か。

 

「そっか……でも、やっぱり……織斑に甘えてほしいっていうしかないじゃないのかな……?」

 

「言ったんだけどやっぱり遠慮してるみたいで。そういうのがないのは生まれもっての感性だったりして仕方のないことなのかもしれないし、私の我侭なのは分かっているけど……」

 

「我侭だなんて……そんなことないよ、本音。これはやっぱり、もっとお互い理解し合えるように、自分の気持ちも話して、織斑の気持ちも聞いてみるしかないよ」

 

 これは私の体験談。

 うじうじ自分の中で考え続けるだけじゃなくて、話し合うのが一番大切なんだと私は気づいた。

 想いなんてものは結局、言葉にしないと相手にはちゃんと伝わりはしない。

 

「そうだよね。うん、もう一度、おりむーと話し合ってみるよ。ありがとうね、かんちゃん」

 

「どういたしまして。でも織斑って案外、パーソナルスペース変に狭いんだね」

 

「あっはは……そうかも」

 

 人のパーソナルスペースにはズカズカと入り込んでくるような人なのに、あんまり甘えたりしてこなかったりと変にパーソナルスペースが狭い。

 

「あんまりおりむーから何がしたいとかって言ってくれないかな。私にはよくどうしてほしいって聞いてくれるんだけど」

 

「知らないのかもしれないね。甘え方も」

 

 こう話を聞いていると恋と同じで知らないだけなのかしもれない。

 お姉さんである織斑先生は昔からあんな風に厳格だったらしいから、織斑は甘える相手いなさそう。それだったら知らないものをやれって言われても遠慮したりするのは当たり前のことかもしれない。

 

「知らないか……」

 

 何か考え込むように呟く本音。

 

「本音?」

 

「あっ、ううん。何でもないよ! まあ、いろいろと頑張ってみるよ」

 

 気丈に笑って見せる本音の笑みが私には何だか痛々しく見えた。

 




修羅場。嵐の前触れ。
バレンタインデー導入編、女子の部。

この物語では度々ある女性視点&簪視点。
“あなた”は今回いませんでした。ご了承を。

この物語ではもう簪は原作よりも精神面強く成長しているので、強く……それでいて面毒差可愛いをテーマに。
のほほんさんは、マスコットキャラの位置から脱却し、一人の恋する乙女として悩んでいく姿をテーマにしています。
悩まず、一夏とイチャラブさせてればいいけど、それじゃあ他とやっていることと変わりないのでこうなりました。

シャルルどうしようか……

それでは~


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簪達はいない。暗雲立ち込めるバレンタイン

放課後。

 

『おりむ~ 生徒会終わったんだけど、自主練終わった~?』

 

『お疲れさん。俺も今丁度、終わったところ』

 

『よかった~じゃあ、迎えに行くね~』

 

『おうっ! 待ってる!』

 

生徒会の用事が終わった私は、そんなやりとりをメールでしたおりむーを迎えに、訓練場へと繋がる渡り廊下を一人歩いていた。

一週間前だと思っていたら早いもので、バレンタインはもう明後日にまで迫ってきている。

チョコの心配はもうない。仲のいい友達やクラスメイトにあげる友チョコはもちろん、おりむーにあげる本命チョコはどういう風にするか、かんちゃんのおかげもあって決まった。後は本当に作るだけ。心配はない、はずなんだけど……

 

「はぁ……」

 

まただ。

溜息をついていることに気づいて、私はハッと我に返る。溜息なんて私らしくない。気をつけているはずなのに、無意識みたいでついつい溜息をついてしまっている。いけない……こんな様子だと、またかんちゃんに心配をかけてしまう。きっと溜息ついている私の顔は暗いんだろうな。そんなの私らしくないや。いつも通りでいないと。

 

「はぁ……」

 

また溜息。それもさっきよりも深くついてしまい何だか自分に腹が立ってくる。

こんなにも溜息が出てしまうなんて。思っているよりも、心配しているみたいだ。

私の心配事……あるとすれば、バレンタインのこと。チョコのことじゃない。それはもう先程通り解決済みなのは確か。次に心配事があるとすれば、バレンタイン当日におりむーが貰うだろうチョコのことぐらい。

 おりむーはモテるからたくさんの女の子から一杯チョコを貰うはず。友達だった時ならまだ『こんなこと現実であるんだ~』って思うだけだったかもしれないけど、彼女になった今は正直、あまりいい気分しないのが正直なところ。おりむーは優しいから、どんな女の子のチョコでもきっと喜ぶ。その姿をつい思い浮かべてしまうと、むっとした気分になる。これが嫉妬というものなのかな。今まで誰かに対して羨ましいと思ったことは勿論あるけど、誰かに対して嫉妬したことなんてないから何だか新鮮な感じ。

 それにあまりいい気分がしないからといって嫉妬丸出しにはしていられない。仮に嫉妬丸出しにして、『おりむーにチョコ渡さないで』とか『私以外のチョコ受け取らないで』とかやってしまえば、例え彼女だとは言え、周りの子から反感買いかねない。そんなの嫌だし、何よりおりむーがモテモテなのは変えようのない事実。でも、逆にそれはそれだけ私の彼氏さんは素敵な男性だってこと。

 ここはかんちゃんみたいに彼女なんだからとどっしり構えていればいい。チョコはたくさん貰うだろうけど、それは仕方ないのことで、私のチョコをおりむーには一番に喜んでもらえるように頑張って作る。

 

「それだけのはず……なんだけどな……」

 

 溜息の変わりに、今度はそんな言葉がつい口から出た。

 チョコをたくさんもらうのなら、そこには当然チョコを渡す人がいる。バレンタインに渡すチョコには友チョコ、義理チョコ、そして本命チョコがある。きっとあの五人……デュノアさん達は、おりむーに本命チョコをあげるんだろうな。もしかすると本命チョコをあげて、改めて告白するかもしれない。バレンタインとはそういう日。

 それは構わない。そうするのは彼女達の自由で、それについてどうこういう気はない。何より、私はおりむーを信じている。告白されたとしても今更、他の人のところ行くなんてこと思っていない。それも心配はないはずだ。

 

――だったら……何を心配してるんだろう、私。

 

 だんだん訳が分からなくなってきた。

 改めて心配事について考え直して、頭の中を整理してみた結果、特に心配するようなことはない。そのはずなのにやっぱりまだ気づいてない別のことでも無意識に心配しているのか、気持ちは暗く沈んだまま。もしかして、これは心配というよりも。

 

『負目、感じてるのかも』

 

 かんちゃんにいった言葉をふと思い出した。

 この暗く沈んだ気持ちの原因を心配以外の言葉で表現するのなら、負目が一番ピッタリな気がする。

 私は確かに篠ノ之さん達五人に対して、負目を感じている。五人の想いを最初から知っていながら、私はおりむーと付き合っているのだから。

 おりむーと付き合って、五人とは必要なこと以外で口聞かなくなって仲違いみたいになっているけど、これは皆の好きな人と付き合っているのだから仕方のないこと。友情か恋か。二つに一つで、私は恋を自分自身で選んだ。その結果にある必然的なこと。

 おりむーと交際について不満はある一つのことを除いて、特にない。むしろ、毎日が幸せ。負目を感じているからと言って別れるつもりもない。

 だから今更、負目を感じたところでどうすることも出来ないのだから、いい加減割り切るしかない。

 付き合っていながら負い目を感じるなんて、酷いことしていて、私の身勝手なのは分かっている。本当なら、かんちゃんのように堂々としているべきだということも。

 だけど、篠ノ之さん達を……特にデュノアさんを見ていると、どうしようもなく負目を感じてしまっている。

 

『デュノアさんにあんな風にされて、本音は嫌じゃないの……?』

 

 かんちゃんのそんな言葉を思い出す。

 私とおりむーが付き合い始めてから、デュノアさんのおりむーに対してのアプローチは私達が付き合う前以上に激しくなってきていた。

 なるべく傍にいようとするのは当たり前、終いには体を密着させて寄り添うことまでしてくる。

 そんなデュノアさんに対して、おりむーは強く嫌がらないものの、ちゃんと嫌がってくれる。それは私のことも思ってくれてのことだと分かるし、おりむーがちゃんと私と交際してくれているという証拠で嬉しかった。でも、デュノアさんはそんなこと気にせず、むしろアプローチを激しくしていくだけ。

 私もデュノアさんに一言二言言いはするけど、本当に一言二言程度。傍から見たら私のほうが弱腰なのは自分でも分かっている。

自分の彼氏に別の女の子がベタベタしているのは嫌だけど、私に止めるなんてそんな権利ない。

 デュノアさんが本当におりむーのことを好きなのが痛いほど伝わってきて、自分に振り向いてもらおうと必死なのが分かるから。それが負目となって、私はデュノアさんに強く出れなくなっている。

 でも、このままなのはよくないってことも分かっている。私が嫌なのも変わらないし、このままだとかんちゃんや彼氏君にまで余計に心配かけちゃう。何より、このままだとデュノアさんの為にもよくない。

 

『ちゃんとケリつけるから、大丈夫!』

 

 あの時、かんちゃんの前では気を使わせないように偉そうなこと言ったけど、どうしたら一番いいのか私には分からない。気持ちは変わっていないし、このままなのはよくないと分かっていても、何一つ解決策を出せてない私は負目を感じながら、現状をズルズルと続けさせている嫌な女だ。自分でそう思う。

 何より、負目を感じているのは何もあの五人に対してだけじゃない。

 

「ぁ……」

 

 男子更衣室の前までやってくるとそこにはある人がいた。

 噂をすれば何とやら。その人はデュノアさんだった。

 

「……」

 

 向こうも私に気づいたみたいで、お互いに目があった。

 すると怖い顔をしたデュノアさんからキッと鋭く睨まれる。

 最近、デュノアさんはずっとこんな感じで睨まれてばかり。

 

「……その……どうしてここに?」

 

「へぇ~そういうこと聞くんだ。白々しい。分かってるくせに」

 

 冷たい声色。

 デュノアさんが言うことはもっともだ。聞かなくても大体察しがつく。

 でも、私が今デュノアさんにかけられる言葉はこんな言葉ぐらいが精一杯。

 

「どうしても何も一夏と少しでも一緒にいたいから、だよ。当たり前じゃない? 好きな人と少しでも一緒にいたいって思うのは」

 

「……」

 

「そっちこそ、どうしてこんなところにいるの?」

 

 冷たい声色と私を鋭く睨みつける視線は変わらない。

 凄い気迫。正直、怖いと強く感じている。だけど、ここで私が引き下がるわけいかない。

 ケリをつけるための第一歩であり、何より、私がおりむーの彼女なんだから。

 

「私はおりむーから自主練終わったってメール貰って、迎えに来たんだよ。私がおりむーの彼女だから」

 

「――っ!」

 

 デュノアさんの顔が青ざめ行くのが分かる。

 目を背けたくなるほど蒼白になっているデュノアさんは、きゅっと唇を噛み締めて、更に睨みつけてくる。

 わざわざ今更、『彼女』だなんて言えば、余計に傷つけるのは分かっている。でも、ちゃんと言葉にして伝えないといけないことなんだ、これは。例え、相手を怒らせるようなことになっても。

 

「彼女って……! 私の気持ちを知っていながら、見守るような顔しながら! 後からのこのことあらわれた癖に!」

 

 デュノアさんは、私に詰め寄ってきた。

 ぎゅっと自分の手を握って、先ほどの冷たい声色とは対照的な強い口調で言ってくる。

 

「私にはもう一夏しかいないの! 私の居場所を奪って楽しい!? 幸せ!? この卑怯者!」

 

 切実なデュノアさんの叫びの言葉が私の胸に突き刺さる。痛い。

 そうだ。私はデュノアさんの気持ちを知っていて、見守っていた。言われたとおり、卑怯者だ。それが私の彼女たちに対する負目になっている。

 でも、それはもう昔のこと。今は違う。

 

「それに一夏は前に言ってくれた。『ここにいろ』って!」

 

 前のおりむーなら言ってもおかしくない言葉。

 好きだとか、愛してるといった他意なく前のおりむーなら平気で言いそうで、今デュノアさんからその言葉を聞いて、少しショックだった。

 

 「だから、もう貴女に何か絶対一夏は渡さない! 例え貴女から奪うことになっても私は一夏に好きになってもらってみせる! 私のほうが一夏のこと好きなんだから!」

 

 デュノアさんの必死の叫び。

 

 「私は……」

 

 私は意を決して言った。

 

「私はおりむーのこと誰にも渡さない! 絶対に!」

 

「……っ!」

 

 強い口調で言うと、強気だったデュノアさんは体をビクっと震わせ、表情を強張せた。

 この言葉が今、私の想いの全て。

 けれど、デュノアさんは一呼吸置いて落ち着いたのか、言葉を告げた。

 

「……口ではお互い何とでも言える」

 

「えっ……?」

 

「布仏さん。抱いてもらうどころか一度しかキスしてもらってないでしょう?」

 

 どうしてそのことを。

 私は驚きを隠せなかった。

 

「一夏から特別に教えてもらったの。布仏さん、一夏に遠慮させてるんじゃないの?」

 

 遠慮……その言葉が私の胸に突き刺さり、二の句が告げない。

 確かにそうなのかもしれない。私が遠慮させているせいで、今の様なことになっている。

 遠慮なんてさせず、ちゃんとおりむーに甘えてもらえていれば、いろいろなこと、もっと上手くいけたのかもしれない。

 だけど――

 

「私なら一夏の為に身も心も全て捧げられる。一夏が望む全てをしてあげられる。一夏が私の全てだから……誰よりも好きだから」

 

「言わせない」

 

「え?」

 

「そんなこと言わせない」

 

 言葉こそはまだ弱腰なのかもしれない。

 それでも最後まで想いだけは決して弱腰にはならない。負けられない。譲れない。

 

「デュノアさんが何と言おうともおりむーの彼女が私なのは変わりない」

 

「……っ」

 

「もう一度告白するならしたらいい。それはデュノアさんの勝手だし、おりむーとデュノアさんの問題。私が横からどうこういえるものじゃない。だけど、今更デュノアさんが告白したところで結果は変わらないよ」

 

「そ、そんなことやってみなきゃ!」

 

「好きにしたらいいよ。私はおりむーのこと信じてるから。そして何より、おりむーのこと愛してる。だから、私は信じて待つよ」

 

「――」

 

 絶句した様子のデュノアさん。

 酷いことを言っているのは重々承知している。でも、このぐらい言わなければ、今のデュノアさんの耳には届かない。

 不思議なことに言うべきことを言ったおかげなのか、負目こそはまだあるもの、負目からかモヤモヤとしていたものがなくなって何だかスッキリとした気分。

 そうだ。負目を感じているからといって、気持ちまで弱腰になってどうする。かんちゃんのように堂々として、強くいないと。

 

「……っ、後悔させてあげるから」

 

 そうとだけ言い残すと、デュノアさんは何処かへ立ち去っていった。

 

「はぁ~……」

 

 いなくなって一人なのを確認すると、私は壁に体重を預け、脱力した。

 何か物凄く疲れた。言い争いをしたことなんてかんちゃんとどころか、お姉ちゃんともしたことないし、下手したら初めてな気がする。

 デュノアさん、凄い怖かった。それだけ必死なのは改めて確認できたし、デュノアさんに対する負目との折り合いのつけ方。そして、何より私のデュノアさんに対する想いは固まった。後は……

 

「のほほんさん、大丈夫?」

 

 突然聞きなれた声が聞こえ、気を抜いていたせいで、びっくりした。

 慌てて声のした方法を向くと、そこには着替えを済ませたおりむーがいた。

 

「う、うん。自主練お疲れ様、おりむー」

 

「ありがとう、のほほんさん」

 

 それからお互い無言になって、その場から動かない。

 何だか気まずいけど、おりむーのほうも気まずそうに慰している。

 多分、それはこの無言だけじゃない。おそらく、さっきの私とデュノアさんの会話をおりむーが聞いていたからだと思う。

 さっき割りと大きな声だしちゃったしたな。

 

「さっきのデュノアさんとの会話聞こえてたよね?」

 

 正直に問いかけた。

 すると、おりむーはドキっと体を震わせ、あからさまに聞いていた様子を見せた。

 最初は聞いてないことにしようかと思ったみたいな様子だったけど、おりむーは正直に言ってくれた。

 

「え……あー、うん。その、ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだ。ただ、出るにでられなくて……それで」

 

「ううん、気にしないで。仕方ないよ。私のほうこそごめんね。こんなところで」

 

 案の定、聞かれていた。

 まあ、仕方ないよね。あんな大きな声で、しかも男子更衣室の前で、言い争いみたいなことしてたら、嫌でも聞こえてくる。

 ちゃんと聞こえてたのなら、内容の方はかなり聞かれてちゃったんだろう。それが今のおりむーの気まずそうな顔からよく分かる。

 気まずい沈黙がまたやってくる。聞かれていたのがちゃんと分かっただけにますます私のほうも気まずい。

 どうしたものかと思っていると。

 

「ごめん、のほほんさん」

 

「え?」

 

 突然謝られたものだから何のことだか分からずにいると、おりむーは言葉を続けた。

 

「俺がシャルルにあんな無自覚なこと言ってしまったばかりに……のほほんさんに迷惑かけてしまって」

 

 後悔している表情で申し訳なさそうに言うおりむー。

 

「迷惑だなんてそんなことないよ。それにこればっかりは仕方ないよ……私は皆の好きな人と付き合ってるんだもん。皆好きな気持ちは誰にも負けないって思うから、ぶつかり合うことは仕方ないよ~」

 

 いつもの感じでこれ以上おりむーが背負いに過ぎないように声をかける。

 皆から好意に気づいたおりむーは、今までの自分の行いを悔やんでなのか、時々必要以上に一人で思い悩んで背負い込もうとする。

 過去を思いなおすってことはいいことではあるんだけど、おりむーの場合は度が過ぎることがある。

 正直、素直に甘えてほしいところで、それうしてくれないのがおりむーに対する唯一の不満だけどだからこそ、私がちゃんと支えてあげないと。

 

「あんまり気に病まないで、ね」

 

 あからさまに気に病んでいるおりむーを元気付けようと、肩に手をやると避けられてしまった。

 

「本当にごめん。これは俺の責任だ。シャルルのことは俺がなんとかするからっ」

 

「俺の責任って……勘違いしてない? これは私達の問題だよ?」

 

 このことは私達が付き合っているから起きたことであって、決しておりむーだけの責任じゃない。

 なのに。

 

「それは分かってる。だけどさ、原因は俺なんだ。だから、俺が、俺がどうにかしないと」

 

「何も分かってないよ。どうして一人で背負い込もうとするの」

 

 出会った時からおりむーのこんな一面だけは相変わらず変わってない。

 むしろ、何だか酷くなってくる気がする。

 何でも一人で背負い込もうとして、何でも一人でやろうとする。

 俺が、俺が、とまるで、何かに突き動かされているみたいに。

 

「遠慮なんてしなくていい。もっと誰かに甘えても……頼ってもいいんだよ」

 

  再び手を伸ばしたけど、結果は変わらず避けられてしまった。

  それどころか。

 

「……」

 

 一瞬おりむーの表情が酷く戸惑って怯えているように見えた。

  そうすることがいけないことだと思っているようで、怯えてしまっているようだ。

 

「え、遠慮なんかさてないさ。大丈夫だから。俺がのほほんさんを守るから。安心して」

 

 私に気を遣わせまいと笑ってみせるおりむーの笑みが私には見てられなかった。

 

 守る。

 まただ。おりむーの口癖の様な言葉。

 どうしてそうなの。どうして、一人で背負い込もうとするの。

 何だか、おりむーに距離を取られている気分。

 こんなにもすぐ近くにいるのに、触れられそうで触れられないこの距離がもどかしい。

 かんちゃんが言っていた『パースナルスペースが変に狭い』っていうことはこのこと。

 信頼されてないわけじやないことは今の変わりないけど、信頼の先にある肝心な部分に恋人である私すら入れさせてくれない。

 それが凄く悔しくて寂しい。

 




のほほんisGoD
初めてののほほんさん視点。そして本格的な修羅場。
女の戦いは怖い

そして、一夏の心の闇は深い……

それでは~


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簪達はいない。一夏が本当に求めていた温もりというもの

 二月十四日。ついに当日。

 その日、一夏達男二人組みの一日は誰もが予想していた通りだった。

 二人とも朝から誰かと出会うたびにバレンタインチョコを貰っていた。簪や本音が予想していた通り、おもしろ半分のチョコや友チョコばかりだが、なにせIS学園は男子二人に対して、残りは全員女子という男女の比率。二人が今日一日で貰ったチョコの数は少なくても二桁以上と数が多かった。

 一夏は毎年のことなので平然としていたが、簪の彼氏は初めての体験なだけに嬉しい反面、それ以上にげんなりともしていた。

 しかし、それも放課後まで。放課後になれば、ほとんど皆渡し終え、すでに落ち着いたものとなっていた。けれど、一夏は違った。

 

「……」

 

 学生寮のロビーのソファに腰掛け、暗く神妙な面持ちでスマホを見つめる一夏。

 液晶ディスプレイにはLINEのアプリが表示されており、そこにはこんなメッセージが書かれていた。

 

『五時に学校の屋上で待ってます。どうしても話したいことがあるので来て下さい シャル』

 

 というメッセージがシャルロットから来ていた。

 今日、放課後までに一夏はたくさんのチョコを女子達から貰った。その中には当然、箒達もいた。改めて告白こそはなかったが本命の様な義理チョコを貰ったが、一夏のことを好きな五人の中で唯一まだチョコを渡してない人物がいる。それがシャルロット。

 おそらく会いにいけば、チョコを渡してくることは勿論。

 

『どうしても話したいことがある』

 

 この一文を見て、どんなことを話されるのか分からない一夏ではもうない。

 決して自惚れているわけではなく、今までのこと。何より、最近の一夏に対するシャルロットの行動から、確実に告白されているということを一夏はちゃんと分かっている。

 メッセージが来たのはたった今。既読がついてしまったので見てみぬフリもできないし、まして逃げるつもりなんてもの一夏にはない。

 これはいい機会なんだ。自分に向けられているシャルロットの想いを断ち切って、今の曖昧な状態にちゃんとしたケリをつけるには。

 そう分かっているが、一夏の表情は暗く浮かない。おまけに暗い溜息までついてしまっている。

 

「はぁ……」

 

 約束の時間、会いに行くしかないのだが気が重たい。

 しかも、五時までまだ三十分以上もある。五時ちょっと前には向かうつもりだが、早く行くにしても 、まだかなりの時間がある。ゆえに約束の時間まで暇という長い時間があり、その長さから気の重たさは尚更大きくなる。

 だからなのか、ついつい一夏は考えても仕方のないことを考え悩んでしまう。シャルロットに告白されても、一夏は受けるつもりはない。二股とかなんてもってのほか。どれだけ悩もうとも答えはただ一つ。振るだけだが振れば必然的に、一夏はシャルロットを今以上に傷つけてしまう。それも避けられない仕方のないことだと分かってはいるが、一夏はシャルロットが傷ついている姿をつい思い浮かべてしまうと、胸が痛む。

 

「割り切らないとな」

 

 胸は痛むが、今は割り切らなければならない。気持ちは変わらないのだから。

 一夏の心の中にいるのはただ一人。本音だけだ。

 これからのことは一夏自身の為だが、同時に本音のためでもある。

 このままは本音の為にもよくない。

 

「のほほんさん……」

 

 ふと彼女の名前を呼ぶ。

 本音は今日も生徒会の用事や簪の専用機の整備の手伝いなどで今一夏の傍にはいない。

 一昨日から一夏と本音の仲は何だかぎこちない。別に喧嘩したわけではない。いつも通り何気ない会話をしたり、一緒にいたり、お昼ご飯も一緒に食べたりしている。だが、いつもとは違う確かなぎこちなさが一夏と本音、二人の間にはあった。その原因を一夏は分かっている。

 一昨日、本音とシャルロットが言い争っていたことで一夏は責任を感じていた。そして、責任を感じるあまりに思い込みすぎていることも一夏はちゃんと自覚している。そんな一夏を本音は気遣ってくれたが、一夏はその本音の気遣いを遠慮してしまった。それが原因で、これ関連の話題をお互い無意識に避けるあまり、ここのところ二人の間にあるぎこちなさを作っている。

 

「甘えろか……そう簡単にはいかねぇよ、やっぱり」

 

 親友や本音に言われた『甘えろ』と言う言葉が一夏の脳裏に過ぎり、悔やむように言葉をもらす。別に本音の気遣いが嫌だったわけじゃない。むしろ、嬉しい限りだ。

 しかし、今回のことは自分のふがいなさが招いたこと。自分がちゃんとしていれば、本音がシャルロットにあんなことを言われなくてすんだ。一夏はそう後悔するから、簡単には気遣いを受け入れられなかった。何より、今甘えてしまえば、決意や決心が揺らいでしまいそうになる。

 だから、簡単には甘えるわけにはいかない。

 

「俺がやらなきゃならないんだ」

 

 声こそは小さいが、語気は強い。

 甘えてなんいれられない。本音の気遣いは嬉しいが、自分ひとりでやらなきゃ意味がない。

 自分がまいた種の責任は自分できっちり取りたい。取らなくてはならない。自分はそれが出来るぐらいには成長したのだと思うからこそ、一夏の中で自分がという思いは強くなり、余計に甘えられなくなっていく。

 

――というか今更、甘えろなんていわれてもどうしたらいいのか分からねぇよ。散々、甘えさせてもらっているのに。

 

 周りからはあれやこれやと言われているが一夏本人にしてみれば、別に甘えてないわけではない。不器用なのかもしれないが、一夏は自分なりに甘えているつもりだ。それが周りには伝わってはない。

 

――遠慮も……してない、はず。だから、これ以上甘えるっってもなぁ……

 

 どうしたらいいのか今の俺には皆目検討もつかない。

 散々甘えさせてもらっているのに、伝わってないってことは今のままでは全然足りないってことも分かっている。それが周り……特に本音には、遠慮しているように見えてしまっている。  それは悪いと思うし、のほほんさんに心配かけてしまっているのは不器用な俺のふがいなさに尽きる。

 

――こんな俺が、方法は兎も角、今以上にたくさん甘えるってなったら……

 

 そんなことを考えてきた時だった。ふと、一夏はあることを思い出した。

 昔。忘れもしない第二回IS世界大会『モンド・グロッソ』決勝戦の日。誘拐された自分を、姉である千冬が確実視されていた優勝すらなげうって、助けに来たくれたことを。

 そして、助けに来てくれた姉、千冬の凛々しく、強く、美しい姿を。何より、自分がどれだけ……。

 

「――」

 

 一夏の背筋に悪寒が走る。何だか恐くて仕方ない。

 不意に胸の内に浮かび始めた不透明な想いがどんどん強くなるのを一夏は感じる。それはまるで蓋をしたはずの箱の中から何かがあふれ出ていくよう。ダメだ。これはダメだ。急いで蓋をしなくては。箱の中身を外に出してはいけない。箱に堅く蓋をするかのように一夏は自分の体を強く抱きしめていた。

 すると、ふと一夏はあることに気づいた。

 

――なんだこれは……暖かい。優しい感じがする。とっても。

 

 自分を包む暖かさ。その暖かさは優しい感じがしてもとても安心する。

 まるで陽だまりのような暖かさ。その温もりは一夏を堅くこわばらせていた様々なものを優しくゆっくりと解きほぐしていく。何かがこみ上げてきている感じがして、このままじゃ。

 

「っ!?」

 

 瞬間、一夏は我に返り、後ずさりするように体を起す。

 

「きゃっ!?」

 

 驚いた声が上がり、声をした方を見れば、そこには一夏がよく知っている人がいた。

 

「のほほんさん……なんで」

 

 今まで一緒にいなかったはずである愛しの彼女が目の前におり、一夏は目を疑う。

 どうした彼女がここにと、不思議で仕方なかった。

 

「えっ……用事終わったから会いに。LINE送ったんだけど、返事なくてここならおりむーがいるかなって」

 

 言われて一夏はポケットにしまったスマホを取り出し、確認する。

 スマホには彼女の言葉通りの文面が送られており、納得した。

 

「ごめん……気づかなかった」

 

「それはいいんだけど……おりむー大丈夫? 震えてたけど」

 

 一夏は返事に困った。

本音の言葉から自分が震えていたことを自覚した。そして、さっきの温もりは本音が抱きしめてくれていたからだということに気づいた。すると、一夏は何だか気まずさを感じ、とっさに誤魔化した。

 

「ああ、大丈夫。何でもないって」

 

「何でもないってあんなに震えていたのに」

 

「いや、もう落ち着いたよ。ありがとな、のほほんさんのおかげだよ。それで会いに来てくれて悪いんだけど、これからその……シャルルに呼ばれてて、会いに行かなくちゃならないんだ。終わったら、連絡するよ」

 

 言って、一夏はこの場から離れようとする。

 嘘は言っていない。この後、シャルロットに会いに行くのは本当のことだ。

 だが、先程本音のメッセージを見たときに時間を確認すれば、約束の時間までまだ二十分近くあった。向かうにはまだ少し早い。それでも一夏は少しでも早くこの場から、本音の前から離れたかった。

 あの温もりはダメだ。今の自分にとって危険すぎる。せっかくの決心や決意が緩んでしまいそうになって、堅く蓋をしたはずの箱の中から、不意に胸の内に浮かび始めた不透明な想いがどんどん強くなっていく。いけないこのままでは。そう感じて一夏はこの場から一刻でも早く離れようとしたが、それはできなかった。

 本音に腕をつかまれ、一夏は立ち止まる。

 

「のほほん……さん?」

 

 無言で腕をつかんだまま俯く本音。

 表情は俯いているせいで一夏からは伺えないが、腕をつかんだ手とは反対の手はぎゅっとよく握られおり、心なしか震えている。

 

「……か……」

 

「えっ?」

 

「馬鹿ぁッ!!」

 

 抑えられない感情を吐露するように叫ぶ。

 顔を上げた本音は、瞳に涙を浮かべている。そして悲しむような、怒るような、悔やむような、様々な感情が入り混じった目を一夏に向けていた。

 叫び声は大きく、今まで一夏は本音のこんな大声を聞いたことは勿論、こんな風に感情をあらわにしている姿を見るのは始めてで思わず怯んだ。

 

「おりむーは馬鹿。大馬鹿だよ。今だってあんなに震えて辛そうにしてたのに、どうしてすぐ平気な顔をするの! おりむーはいっつもそうだよ。いっつも一人で何でも背負い込もうとする! 一人で全部が全部出来るわけないじゃない! 何でも一人で背負いきれるわけないんだよ!」

 

 抑えていた想いを全て言葉に乗せて言った本音は、静かに泣いている。

 

「おりむーが誰よりも人一倍責任感強くて『俺がやらなきゃ』って思ってるのも知ってる。分かってる。男の子だからって素直になれないのも、おりむーにしたら遠慮してないのもちやんと分かる。でもね……やっぱり、頼ってほしいよ。甘えてほしい」

 

 黙って聞く一夏。

 

「今のままじゃ辛い。おりむーと一緒になったのに結局、本当は何もしてあげられてないのが悔しいよ」

 

 涙を流しながらそう本音は言った。

 本音はただ悲しくて泣いているのではなく、悔しくて泣いてもいるのでもあった。

 今もこうしてすぐ触れ合えるほど近くにいるのに、あんなにも辛そうにしている一夏に強がられて、素直に頼ってもらえず、甘えてもらえずにいるのが辛い。何より、頼ってほしいと、甘えてほしいと口では言っているが、ただ少しだけ遠慮されてたからといって、それで二の足を踏むようになってしまい踏み込めないでいる。遠慮しているのは、本当は自分の方なのではないかと本音は感じさせられて、無性に情けなくて泣いている。

 

「のほほんさん……」

 

 涙でぐじゃぐじゃになっている本音に、一夏は手を伸ばそうとした。

 悲しみにくれている彼女を今すぐに抱きしめたかったけれど、一夏は迷っていた。

 今の自分がこのまま抱きしめても本当にいいのだろうか。抱きしめてしまうのは卑怯なのではないかと。

迷いから宙をさ迷う一夏の手。それを見て、本音はあることを思い出す。

 

『知らないのかもしれないね。甘え方も』

 

 いつの日か簪が言っていた言葉。

 

――違う。そうだ。私、ずっと決め付けてた。おりむーは甘えるってことをちゃんと知っている。ずっと一人で生きてきたんじゃなくてお姉さんという家族がちゃんといて、ちゃんと甘えてきた。だから……。

 

 本音は宙をさ迷っていた一夏の手を優しく包むと、そのまま抱き寄せて胸元で一夏の頭を抱くように抱きしめる。

 本音は気づいた。どうして一夏がこんなにも頑なに大して誰も頼りもせず、甘えもせず、何でも一人で抱え込むのか。どんなに辛くても泣くこともせず、平気な顔をして頑張り続けるのか。その訳を。

 そして、薄々気づいていたはずなのに一方的にずっと決め付けていたことを。

 

「甘えることが本当にどういうことなのか。本当に甘えるということが甘えた相手にどんな影響をもたらすのか、おりむーはちゃんと知っているからこそ甘えることが恐くなって臆病になってしまったんだね」

 

 その言葉は一夏の中ですっと綺麗に当てはまっていく。

 

――ああ、そうかもしれない。

 

 一夏は知らないわけではなかった。親がどんなものか知らないし、いないがそれでも姉がいる。家族がいる。

 家族がいるからこそ、一夏は不器用なりにでも甘えてきて、頼ってきた。だが、自分が甘えて頼るばかりに、姉にたくさん迷惑をかけてることも一夏はちゃんと分かっている。

 頼るということ、甘えるということが相手にとって重荷になっているのではないかといつからから感じてしまい、必要以上に頼ることが甘えることが恐くなって、臆病になって今の様になっていた。

 

「ごめんね、おりむー。私はずっと決め付けてきた。おりむーが本当に頼ることも甘えること知らないんだって。おりむーの一面一つだけ見ただけで、おりむーの全部分かったような気でいて決め付けてた。それなのに自分のことばかり悩んで、おりむーのことちゃんと見て考えられてなかった。こんな自分のばっかりの人になんか、頼れない。甘えられないよね」

 

 本音は謝りながらも、一夏を優しく抱きしめる。

 やはり、遠慮されてたのではなく、自分の方が一夏に遠慮させてしまっていた。傷つけていた。

 今更、こんなこと言っても仕方ないとも本音は思う。でも、想いは言葉にして伝えなくては伝わらないとも思うから、一夏を心の底から強く想うからこそ、本音の想いは言葉となってあふれ出す。

 

「おりむーが、いっぱいっぱい頑張ってるの知ってる。男の子だもん、簡単には譲れないものたくさんあるよね。でも、強がって無理してるのもたくさん背負い込んでるのも私知ってる。自分ひとりで皆を何もかもから守って助けようとして全部一人で頑張るだけなんだって……誰にも頼らないで……頼ろうともしないで。頼ってもいいのに……甘えてもいいのに」

 

 本音は出会った時から一夏の頑張りをずっと近くで見ていた。

 一夏のことを想う五人よりも近くそれでいて遠い場所で。恋人になってからはより近く。

 だからこそ、他人が気づけないようなことに気づくことが出来て、今回新たに気づくことが出来たことがあった。

 

「遅くなっちゃったけど私はようやく気づけた。だから、ここから私と一緒に始めよう。辛いは、辛いっていうの。甘えたい時は、めいっぱい甘えるの。頼ったり甘えたり、弱音吐くことは悪いことじゃないんだから。それにおりむーだけがそうするんじゃなくて、私もちゃんとそうするから安心して。約束する。おりむーがたくさん頼っても甘えてもそれは重荷なんかにはなったりしない。もう恐がらなくても大丈夫。もう怯えなくてもいいんだよ」

 

 まるで母親が幼い子供に言い聞かせるように本音は、とても優しい声音で言う。

 

「私達は付き合って恋人同士なんだから私には、ちゃんと頼っても甘えてもほしい。素直に甘えて頼ってもいいんだよ。何も気にすることなんかない。思ってることをありのまま言えば。私は柔なんかじゃない。彼氏のことぐらいちゃんと受け止められる。私がおりむーのこと受け止めるから」

 

 一夏を包む本音の抱擁が強くなる。

 それに連鎖するように一夏は無意識に本音を抱き返していた。

 本音はそれを見て、優しい笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

「お互い心から向き合って助け合っていこう。それが一緒になるってこと。傍にいるってことなんだから」

 

 一夏は抱きしめられながら、無言で静かに頷く。

 本音から送られた言葉の数々が一夏にとって今までのどんなものよりも嬉しかった。

こんなこと言われるのは初めてだ。友達にはもちろん、家族である姉にすらこんなこと言われたことなかった。自分の頑張りを認めてくれて、ただ甘えていいというわけではなく、一夏も納得できる妥協点もちゃんと教えてくれている。誰よりも何よりも自分のことをよく見ていてくれて、よく考えてくれていると分かる言葉。

 言葉の一つ一つは確信をついていてむず痒いくもあるが、全てその通りで、 むず痒さは次第に嬉しさに変わっていく。もう強がろうなんて思いすら湧き上がってこない。むしろ馬鹿らしいとさえ思う。

 またもう一度甘えてもいいんだと思わしてくれる本音の暖かい優しさ。その優しさが全てを溶かされていく。一夏を背負い立たせていたもの。一夏を頑なにさせていたもの。そして、胸に内に押さえ込んでいたものすら。

 すると、一夏に変化が起きた。

 

「あ、あれ? なんだ……よ、これ。ごめん、俺」

 

 一夏の頬に一筋の雫が伝わる。

 胸の内に押さえ込んでいた不透明な想いがどうしようもないほど抑えられない。

 

「涙が、嬉しいはずなのに止まらないんだ」

 

 自分が泣いているのだと自覚した一夏は、少しばかり動揺した。

 それに嬉しいはずなのに、嬉しくて涙が止まらない。こんなこと始めてだ。

 

「大丈夫。それでいいんだよ。泣いてもいいんだよ。今までどんなことがあっても弱音はかなかった。それどころか泣かなかったんだもん。もう我慢しなくていい。無理に強がろうとしてなくてもいい。私が許すから……」

 

 泣くことを躊躇う一夏を本音は慰めるようにそっと優しく頭を撫でる。

 一夏はその優しく暖かな手の温もりに安心を感じ全てを委ね、声もなく静かに泣いた。

 たくさん泣きながら一夏は、自分はこんなにも泣けるのかと思った。こんなに泣いたのはいつ以来だろう。誰かの前でこんな風に泣いたことどころか、姉である千冬の前でも泣いた記憶すらない。何だか始めて泣いた気がする。

 満杯になった水が更に吹き上がるように一夏の涙が溢れる。小さな箱に無理やり押し込めていた感情が外側へと止め度なく流れ出す。

 

「おりむー」

 

 静かにたくさん泣き続ける一夏を本音は優しく抱きしめ、落ち着かせるように撫でる。

 一夏は誰にも頼らず、甘えず、強がり続けて我慢して。そうしていたら、いつかしか泣き方どころか、甘え方すら忘れた気でいた。誰も彼も守れる強い『織斑一夏』を演じることで、自分を守っていた。

 だけど、一夏はずっと求めていた。この暖かな温もりを、頼らせて甘えさせてくれる人を。そして、母性を。

 本当は誰よりも一夏のほうが甘えたかった。甘えることを本当に知っていたから。

 

――やっぱり、一番甘えたかったのはおりむーのほうだったんだね。

 

 ひとしきり泣いた一夏はすっきりとした気分だった。

 胸のうちにあった迷いや悩み、それら全てが涙となって流れたよう。

 一夏は本音から体を起すと、泣いて赤くなった目元を拭い、気恥ずかしそうに笑って言った。

 

「ありがとう、のほほんさん。それとごめん」

 

「いいんだよ。これでもうひと頑張りできそう?」

 

「ああ」

 

一夏は力強く頷く。

 本音が何のことを言っているのか一夏にはすぐ分かった。

 一夏自身も頭の片隅に追いやられていただけで、忘れたわけじゃない。

 今日これで全てが全て終わったわけではなく、一夏にはまだやらねばならないことがある。

 シャルロットとの待ち合わせ。それを乗り越えなければ、本当の意味で二人はここから先には進めない。

 

「よかった。頼っても甘えても欲しいけど、ただそうさせてあげるだけが優しさじゃないって私は知ってる。頑張らない時は背中を押してあげる。頑張らないといけないのにへこたれてるなら、お尻ペンペンしてでも奮い立たせてあげるから、もう一頑張り頑張って」

 

 本音の言葉は、とても頼もしい。

 まるで強い母親の様な言葉だと、一夏は感じた。

 こんなにも頼もしくて強い、そして優しい最愛の彼女が自分なんだと思うと一夏は嬉しくて、気持ちが奮い立つ。彼女に恥じない自分でいたい。彼女に恥じない結果を今から掴みに行く。

 そう決意を締めなおした一夏は、今一度立ち上がる。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 一夏は本音に見送られながら、約束の場所へと向かった。

 




のほほんさんisGoD

一夏が求めていたのは母性であり、一夏が誰よりも甘えると言うことやその意味、それが相手にとってどうなるのか知っていたからこそ、臆病になってしまったという話でした。
そして、一番甘えたかったと言う話です。
この物語ののほほんさんは母性に溢れていますが、ただ甘えさせるだけの母性ではなく、必要な時はちゃんと頑張らせる背中を押す『オカン』的な母性を目指しました。

今回の話もまた『ラウラとの日々』や『【恋姫†無双】黒龍の剣』を書いている
ふろうものさんとの話で原案が生まれ、
『IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~』や『セシリア・ダイアリー』を書いている若谷鶏之助さんのアドバイスと協力で完成しました。
この場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございました!
両氏の作品、オススメなのでよければどうぞ。


それでは~


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簪達はいない。ありがとうの向こう側へ

 

 約束の時間である五時。

 一夏は、約束の場所に指定された本校舎屋上へとやってきた。

 屋外がある屋上は二月の冬風が静かに吹き少しばかり肌寒い。加えて放課後ということもあり、人影はある一人を残してない。

 そのある人とは、シャルロットのこと。シャルロットは、屋上にやってきた一夏を見つけて、ぽつりと立ったまま静かに待っていた。

 

「よかった、ちゃんと来てくれたんだ」

 

「ああ。約束だからな」

 

「そっか」

 

 二人は短く言葉を交わす。シャルロットは寂しそうな笑みを浮かべると、一夏の前にあるものを出した。

 

「まずは……はい、これ。バレンタインチョコ、一夏の為に作ったんだよ。ちゃんと食べてね」

 

「……ああ」

 

 シャルロットから一夏が手渡されたのは、バレンタインチョコが入っているだろう紙袋。

 笑みを浮かべて紙袋を渡してくるシャルロットを見て、一夏は一瞬受け取るかどうか迷った。だが、今受け取らなければ、話が始まらない気がして、何より会って早々シャルロットから逃げてる感じがし、大人しく受け取る。

 一夏が受け取ってくれたのを見て、ホッとしたようにシャルロットは笑う。

 そのまま二人の間に沈黙が流れそうになるが、沈黙になっては話しづらい。それに話の主導権ぐらいは自分の方でも管理しておきたいと一夏は思い、ゆっくりと口を開いた。

 

「それでシャルル、話っていうのは?」

 

「シャルルか……」

 

 寂しそうにシャルロットは小さく呟く。

 もう自分のことを一夏は、一夏自身がつけてくれたこの世でたった一つだけの特別な愛称である『シャル』とは呼んでくれない。そのことが今の今まで目を背けていた沢山の嫌な現実を突きつけられているようで胸が痛いほど締め付けられ、また自分の一夏との間には『友達』としての距離しかないようで嫌になる。

 その距離をつめるように、シャルロットは唇を噛み締めてから言った。

 

「ねぇ、一夏」

 

 シャルロットは一夏を見つめ、瞳をキッと細める。

 燃え上がるような『本気』が、そこから感じられた。

 

「今の僕は何もない、何も持ってないけど」

 

「……」

 

「でもね、僕は一夏の為ならどんなことだって出来る。一夏の為にならどんな風にだって、一夏の望む僕にだって変われる。この気持ち、一夏への想いは誰にも……あの女にだって絶対負けない」

 

 静かに、それでいながら力強くシャルロットは言う。

 あの女……シャルロットが誰のことを指して言っているのか一夏にはすぐにわかる。

 そして、シャルロットの一言一言が一夏には、とても重くのしかかる。 

 そう感じている一夏を他所に、シャルロットは告げた。

 

「一夏、好きです。僕と付き合って、恋人になってください」

 

 一夏から目からそらすことなく見つめたまま、シャルロットの口から想いが言葉となってあらわれた。

 気丈な表情を浮かべているが、内心不安なのが一夏にはすぐに分かった。

 その証拠にシャルロットの瞳は一夏をしっかりと捉えているが、微かに不安げに揺れている。

 

「一夏が望むなら僕、どんなことだってする。一夏の為なら、僕の身も心、僕の全てを一夏に捧げられる」

 

「……」

 

「あの女……布仏さんのことだって、全て僕が忘れさせてあげる。誰にも文句言わせないくらい、最高の彼女になってみせるから」

 

 言葉はしっかりとしているが、シャルロットの声は不安から震えていた。

 告白。 予想してなかったわけじゃない。むしろ、予想としていた通りになった。シャルロットの言葉が一夏の胸を締め付ける。

 真剣なシャルロットの姿は心から愛おしく思えた。

 だが、それでも一夏が持つ答えは、一つしかない。

 

――……のほほんさん

 

 刹那、一夏の脳裏に本音の顔が思い浮かんだ。

 一夏の心にいるのは、ただ一人のみ。迷いはない。覚悟は今も変わらない。

 どういう結果を招こうと、それは所詮、自分の撒いた種だ。それは、自分で刈り取るしかない。

一夏は、答えるべき答えをシャルロットへ告げた。

 

「ありがとう。気持ちは嬉しい。でも、シャルルの気持ちは応えられない」

 

「……」

 

「俺が好きなのは、愛しているのはのほほんさんだけだ。それは今も、そしてこれからも変わることはない」

 

「……ッ……」

 

 シャルロットの表情が悲痛なほど曇る。

 一夏の言葉、想いに嘘や迷いなんてものがないことをシャルロットは決して変わらぬ事実なのだと、認めずにはいられなくなる。

 正直、今すぐにでもこの場から逃げだしたい。逃げだすことが出来れば、どんなに楽か。

 しかし、ここで逃げれば一夏から、そして疎ましく思っている本音に対して完全な敗北を自分で認めているようなものだと感じてシャルロットは、逃げ出したい一心の気持ちを抑え、震える声で一夏に問いかける。

 

「僕じゃ……ダメ、なの?」

 

「ああ」

 

「……ッ。ね、ねぇ、一夏。僕がもっと早く告白していたら僕達は恋人同士になれてたのかなぁ」

 

 一縷の望みをかけるようにシャルロットは言った。

 こんなこと聞いてももう手遅れなことは認めたくないがシャルロットはもう分かっている。それでも聞かずにはいられなかった。あったかもしれない未来に恋焦がれるから。

 しかし、一夏は。

 

「それもないよ」

 

 即答だった。

 

「俺が恋をすること。誰かを本当に好きになるってこと、他人から寄せられている想いの数々に気づけたのはのほほんさんのおかげなんだ。のほほんさんと出合って、一緒に過ごさなければ気づけなかったことなんて沢山ある。シャルルの気持ちだってそうだ。のほほさんのおかげで気づくことが出来た。のほほんさんでなければ、ずっと昔のまま変わらなかった」

 

 一夏は確信をもって言う。

 例えシャルロットがもっと早く、それこそ本音よりも早く告白してきたとしてもそんな未来はない。

 これは遅いか早いかの問題ではない。本音よりも早く告白してきても、どういう意味のものなのかなんて以前の自分では絶対気づかないと一夏は思う。例え説明されても理解できないでいるはずだ。今の様にシャルロットの気持ちを理解しない。理解使用ともしない。ずっと無自覚で無責任なまま。

 本音だからこそ、自分は変われた。変わることが出来た。今みたいにシャルロットを苦しめることはないが、今の様に今まで気づかなかったたくさんのことに気づいて考えたりはしない。

 そう思うからこそ一夏は即答した。

 

「……」

 

 唇が切れそうなほど強く噛み締めながら、シャルロットは悔しそうな表情を浮かべていた。

 

「なら、どうして……」

 

「シャルル……」

 

「どうして! 一夏は『ここにいろ』なんて僕に言ったのッ!」

 

 シャルロットは弾ける様に叫んだ。

 

「忘れたなんて言わせない!」

 

「この言葉だけが唯一の支えなの。お願い………傍に居てよ。お願い……お願いだから……僕を好きになって、愛してよ!」

 

「母さんが死んだ今、もう僕には誰も居ない。今更国になんて帰れない。帰ったところでまた昔みたいに父親にいいように使われて最後は捨てられるだけ。そんなの嫌!」

 

「僕には一夏しかいないの。一夏じゃなきゃ、ダメなの……ッ!」

 

「憶えてるさ。ちゃんとな」

 

 忘れられるわけがない。

 今でも一字一句、はっきりと昨日のことのように覚えている。

 無自覚で無責任な昔の自分が言ったこと。忘れたくても、あの時の自分のことを一夏は殺したくなるほど憎くて忘れられない。

 

「大切な友達が理不尽な目にあうんだ。助けたいと思うのは当然だろ。シャルルにここにいて欲しいと思う気持ちは今も変わらない」

 

「だったら……僕と」

 

「でも、俺はシャルルの居場所にはなれない。俺にとってシャルルは友達だからだ」

 

 ここまではっきりとしたことを言う必要はないのかもしれない。

 だが今まで曖昧にしていたからこそ、はっきりと言わなければならないと一夏は決意した。はっきり言葉にしなければ、今のシャルロットには届かない。

 言った通り、あの時一夏が言ったここにいたらいいという言葉に今も変わらない。

 シャルロットが絶望すら通り越して諦観している姿を見て、シャルロットを苦しめているたくさんの理不尽が許せなくて、友として救いたいと思ったから。あの時、言ったのはこの思いからだけのこと。それ以下でもそれ以上でもない。

 しかし、自分が思っている以上にその言葉にシャルロットは縋っていた。安心させてしまっていた。

 安心していたのは一夏とて同じだ。甘い言葉をかけるだけかけ、安心して、代替案の一つすら考えてなかった。

 

 そして自分の想い人に対する、シャルロットが抱いていた想いを知ってしまった今。

 一夏は改めて、自分の犯した罪を実感していた。

 結局、今シャルロットとの間に起きていることは全て、己の鈍さと曖昧さが、彼女の心を縛り付け……ずっと、立ち止まらせていた。こんな甘い言葉をかけてまで。

 何をどう繕おうと、それが真実なのだと、一夏は深く痛感していた。

 

「――」

 

 一夏の言葉を聞いてシャルロットは、言葉を失い動揺していた。

 

「フランスに帰れなくて日本にいたいのならいたらいい。シャルルが卒業後も日本にいてちゃんとした生活が送れるように俺が日本政府やIS委員会とかにかけあって絶対にしてみせる。それは約束だ。俺にはそれができるから」

 

 自分には何かをいきなり変えられるほどの大きな力はない。

 だが、自分が周りや大人にとって、世界にとってどういう存在なのか一夏にはもう重々分かっている。自分には世界を少しでも動かすことが出来る力があるのだと分かっている。

 言ったからには、やらなければならない。簡単なことではない。代償だって大きいはずだ。

 周りの人間にたくさんの迷惑をかけるのかもしれない。姉やそれどころ大切な恋人までに。

 それでも大切な友達が理不尽な目にあうのから助けられるのなら、きっと安いものだ。

 

「やめてよ! そんなこと聞きたくない!」

 

「分かれなんて言わない。だけど、ちゃんと聞いてほしいんだ!」 

 

「――ッ!」

 

 一夏の強い語気にシャルルが竦む。

 シャルロットが言ってほしい言葉はこれではないと一夏にも分かっている。

 でも、これもまたはっきりと言葉にしなければ、今のシャルロットには届かない。

 何よりこれは、 男以前に一人の人間として一夏なりのケジメのつけ方。曖昧にしすぎていた今までの自分や多くのことにきっちりと決別する為に。

 

「い、一夏が誰と付き合っているとか、誰のことを好きかとか、もうどうだっていい」

 

 シャルロットは自分に言い聞かせるように震えた声で呟く。

 その瞳には涙が浮かんでいた。

 

「僕は一夏のことが好きなの! 好きで好きでたまらないの! どんなことがあっても大好きなのッ!」

 

 シャルロットの瞳が涙で潤む。

 

「今はダメでも……絶対に僕が一夏のこと惚れさせてみせるから」

 

「……」

 

「この先どうなるかだった分からないよ? 一夏の気持ちだって変わるかもしれない」

 

「……」

 

「布仏さんのことが忘れられないのなら僕が忘れさせてみせるから。布仏さんがしてくれないようなことだって僕がどんなことでもしてあげる。だから、一夏」

 

 涙をポロポロと流しながらシャルロットは縋るように言う。

 泣いている目の前の彼女を見ていると一夏の胸は痛む。

 守りたいと思う大切な人達の一人であるシャルロットを今も自分が傷つけ続けている。守るという行為からは正反対の行為。

 泣いているシャルロットの姿を見ていると守りたいと気持ちが強くなってしまう。今の自分がシャルロットにそんなことしてはいけないと分かっているのに。

 

――こういうのがきっと依存されてるってことなんだよな

 

泣いているシャルロットの姿を見て、一夏は頭の片隅でおかしなぐらい冷静に考えている自分がいることに気づく。

 今自分はシャルロットに縋られている、依存されてると一夏には、はっきりと分かっている。

 このままではいけない。自分が傍にいても、もうシャルルにしてあげられることは『友達』としてのことしかないい。それ以上はできない。逆に自分が傍にいることでシャルロットは、いつまでも新しい道に、ここから先に進めない。一夏にはそんな気がしてならない。

 ちゃんと距離を置かなければならない。誰かの為にとかではなく。このままでは共倒れしかねない。

 もう昔には戻れない。前に進むと決めていたのだから、一夏が言える言葉はかわらなかった。

 

「どんなことを言われても、どんなことをされても俺の気持ちは想いは変わらない。変えさせない」

 

 変わらない一夏の意思の強い言葉。

 それを聞いて、ポロポロと涙を流していたシャルロットは、これ以上堪え切れなくなったかのように、、大粒の涙を流し更に沢山泣いた。

 

「……っく……ッ……」

 

 どんなことを言っても、どんな甘い言葉をかけても、もう自分の言葉は一夏の心には響かない。

 叫んでも、泣いても、もう自分の想いは一夏には届かない。

 悔しい。死にたいほど悔しくてたまらないけど、もうダメなんだ。自分では、一夏の心はつかめない。

 自分の知っている一夏のはずなのに、自分が知っている一夏ではないみたい。

 こんな風に一夏を変えたのは、彼女の力なのだろう。正直、今殺したいほど憎くてたまらないけど、もう認めるしかない。

 

「ダメ、なんだね……」

 

 そんな言葉が小さくシャルロットの口からこぼれた。

 

――……ダメだ。僕では……もうどうにもできない。敵わなかった、んだね……

 

 僕といても一夏はこんな風には変わらなかったはずなんだ、と拒絶していた事実を無理にでもシャルロットは、受け入れていこうとする。

 しかし、まだ認めたくない。諦められないという気持ちも強いからなのだろうか。

 認めたくない一心からなのかどうにはシャルロットにすらもうよく分からなくなっていた。

 無意識のうちにシャルロットの体は動いていた。

 

「……ぃッ」

 

 一夏の体に衝撃が走る。

 ドスッ、という物音が聞こえた気がして、胸元の辺りが痛む。

 引いていくじんわりとした痛みを感じながら一夏はふと自分の胸元に目をやると、そこにはシャルロットが一夏の胸元に顔を埋めていた。

 絶対に離さないと言わんばかりに、シャルロットは両手を一夏の背に回し、ぎゅっと力強く抱きしめられていた。

 

「……っ……うぅ……ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……!!! 一夏、一夏、一夏ぁ……!!!!」

 

 シャルロットは、心の箍が外れたかのように、一夏の胸の中で激しく泣き叫んだ。

 一夏の名を、何度も何度も呼びながら……。

 

「……やだ……嫌……やっぱり、嫌、だよ……!! 一夏、一夏ぁッ! ぅぅッぁあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 シャルロットの悲痛な叫びが、一夏の胸を引き裂く。

 

「好き……大好き……一夏ぁ、大好きだよ……っ!!!!」

 

 泣き叫び思いのたけをぶつけてくるシャルロットに一夏は強く強く、抱き締められる。

 シャルロットの本気が伝わってくる抱きしめる力。これほどまで強く自分のことを想ってくれているんだと一夏は改めて実感する。

 だからこそ、最後までシャルロットの想いと真剣に向き合うなければならない。

 一夏はシャルロットの想いを受け止めはするが、受け入れしない。そして、最後まで抱きかえすことはしなかった。

 ただ、泣き続けるシャルロットに胸を貸すだけ。

 

――甘いってことは分かっているんだけど、やっぱり……

 

 シャルロットとはこれからも友達の関係でいると決めた。

 しかし、今の距離は友達以上の距離。自分に依存しているだろうシャルロットを想うのなら、最後はきちんと突き放すべきなのだろう。甘い自分がいるとシャルロットはいつまでも甘えてしまう。先に進めない。

 だが、泣いているシャルロットを見ていると一夏は、どうしても突き放せないでいた。

 だからといって、抱きしめてしまえばそれは一夏とシャルロットにとって、受け止めていたままのシャルロットの想いを受け入れることになってしまう。それでは余計にシャルロットが先に勧めないようにしてしまう。

 ゆえに、甘いと分かっていても今一夏に出来ることは静かに胸を貸すことのみ。それが最後、一夏が送るシャルロットだけの優しさ。

 すると、自然と一夏の口から言葉が出ていた。

 

「ありがとうな、シャル」

 

「……」

 

「ありがとう」

 

 一夏のその言葉を聞いてシャルットの涙が溢れ出す。

 その涙は悲しみの涙ではなく、嬉しさから溢れ出る涙。

 

 たくさん偉そうな事言って思い上がっていたけど自分は結局、かなわなかった。

 だけど、今までずっと胸に秘め続けているだけで、言えずにいた想いをようやく一夏に伝えることが出来た。

 想いは確かに結ばれはしなかった。でも、一夏に自分の想いを知ってもらえた。それだけで充分。

 一夏への想いをまだ全部が全部あきらめられたわけじゃない。今でも好きな想いは変わらない。変えられない。

 けれど、ようやく一夏への想いに一区切りなんとかつけられそうな気がする。そう思うとシャルロットの心は軽くなっていく。

 

――……一夏が『ありがとう』って言ってくれてよかった。『シャル』って呼んでくれて嬉しい。

 

 自分の想いを一夏はちゃんと喜んでくれた。謝られでもしていたらそれこそどうなっていたのか、シャルロットにすら分からない。

 また、大好きな愛称で呼んでもらうことが出来た。本当に、これで充分だ。

 

 ほんの少しだったけど、同じ部屋で過ごしたあの頃の一夏は自分だけのもの。

 『ありがとう』って言ってくれた一夏は、泣き止むまで抱きしめてくれなくても静かにずっと傍にいてくれた一夏は、自分だけのものでいてほしい。

 今、この瞬間だけでいいかからとシャルロットは願うように強く思った。

 



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簪達はいない。一夏と本音のバレンタイン

 シャルロットが泣き止むのを見届けた後、一夏はシャルロットを一人残し、屋上を後にした。

 先程まであんなにも泣き叫んでいたシャルロットを一人にするのは不安ではあるが。

 

『今は一人にして』

 

 そう言われてしまえば、一夏からは何も言えない。

 一頻り泣いた今だからこそ、落ち着いて頭が少しは冷えてきたはずだ。そうなれば今一度、一人で考えたいことや見つめなおしたいことがあるのだろう。

 そんな風にシャルロットのことを一夏は考えるからこそ何も言わず、一人にした。

 屋上を後にした一夏は、寮へと戻りながら、スマホのLINEアプリで本音に用事が済んで帰っていることを伝える。するとすぐに返事がくる。

 

『分かった~ 寮のロビーで待ってるね~』

 

 といったメッセージが可愛らしいスタンプつきで送られてきた。

 一夏はそれを確認するとスマホをポッケにしまい足早に寮へと帰る。

 寮の中へ入るとメッセージ通り、ロビーに本音がいた。本音は、戻ってきた一夏に気づくと駆け寄ってくる。

 

「お帰りなさい、おりむー」

 

「ただいま、のほほんさん」

 

 優しい笑みを浮かべながら一夏を迎える本音。

 それを見て一夏は、シャルロットに悪いという気持ちは確かにあるが、ようやく肩の荷が降りたことを実感して、安堵を覚える。

 シャルロットとのことで自分が捲いた種が起したことが全て終わったわけじゃないけども、それでもようやく一つ区切りをつけることは出来た。

 それに本音は出迎えの言葉だけをかけてくれるだけで、それ以上は何も言わない。別に何も一夏は、『お疲れ様』や『大変だったね』とかを言ってほしいわけじゃない。その言葉通りだが、それだけで済ませられるのは嬉しくない。そんな心情を察してくれたのか気遣ってくれる本音の気遣いを一夏は、嬉しく感じていた。

 

「あっ、それ」

 

「ああ、これ。受け取ってきた」

 

「そうなんだ」

 

 一夏が手に持っていた紙袋の存在に本音が気づく。

 おそらく中身が何であるか本音が気づいたことは一夏には分かった。

 理由はどうあれ、彼女に他の女子からチョコを貰ったことを気づかせてしまい一夏は、ふとした罪悪感から一瞬誤魔化そうという考えが頭に過ぎったが、素直に答えた。

 すると本音は、特にこれといった反応はせず、いたっていつも通りだった。

 

「あ」

 

「ん~? どうかしたの~?」

 

「い、いや! 何でもない!」

 

一夏はあることに気づく。

 そういえば肝心の本音からまだ貰っていない。

 本音から貰うチョコは本命チョコで間違いなだろうし、自惚れ抜きにしても確実に貰えるはずだ。

 しかし、まだ貰ってないだけに今か今かと胸がドキドキしてくる。こんなにもチョコを期待したのは、生まれて初めてかもしれない。

 だからといって、自分から『チョコがほしい』なんてことを言うのは、言葉に出来ない気恥ずかしさがあり、中々言い出しにくい。どうしたら自然で恥ずかしくないものかと一夏は悶々と考えてしまう。

 

「ええっと……おりむー、この後はもう特に予定はないんだよね」

 

「えっ? ああ、そうだな」

 

 悶々とした思考の渦から、本音の声が聞こえ、ハッと我に返る一夏。

 この後は特に予定はないはずだ。あえて予定らしい予定をあげるとすれば、夕食と入浴ぐらいなもの。

 だから、特に予定はなく今日はもうゆっくりできるはずだ。

 

「だったら、ね」

 

「?」

 

 頬を赤く染めて本音が恥らいながら問いかけてくる。

 一夏がどうしたのだろうと思っていると。

 

「今からおりむーの部屋行ってもいいかな?」

 

「俺の部屋?」

 

「うん。ほら、部屋のほうがゆっくりできると思うから」

 

 それは確かにそうだと一夏は思う。

 このままロビーでゆっくりしていてもいいのだが、ロビーは公共の場。当然、ここには一夏と本音達以外にも他の生徒がおり、行き来する。普段の一夏なら一目なんて気にしないが、今日は少し訳が違う。本音からのバレンタインチョコを期待しているだけに何だか落ち着かない。人目もいつもより気になって、尚更。けれど、自分の部屋なら人目も気にせず、落ち着けるはずだ。

 

「それもそうだな。よし、行くか!」

 

「うん!」

 

 一夏と本音の二人は仲よくロビーを後にし、一夏の部屋へと向かった。

 

 

 

 

「お邪魔しま~す」

 

 本音のその声と共に、一夏の一人部屋へ入る二人。

 

「まあ、そのへん好きなところに座って」

 

「分かった~」

 

 そう言って本音は、一夏の部屋にあるベッドに腰をかける。

 続くように一夏も本音のその隣に腰をかけ、ベッドに座った。

 

「……」

 

「……」

 

 二人の間に沈黙が流れる。

 思ったとおり、部屋は人の目を気にせずに済み、二人っきりの空間なのでゆっくりはできる。

 しかし逆に二人っきりの空間だからこそ、余計にそれを意識してしまい一夏はまた言い表せない気恥ずかしさを感じてしまい、チョコを気にかけていることも相まって何だか落ち着かない。

 何も今みたいに一夏の部屋で二人っきりになることは何も初めてのことではない。何度も経験していることだが、落ち着かない理由が理由なだけにいつもと違う感じがする。

 

「……」

 

 一夏の緊張が本音にも伝わってしまったのか、頬を赤く染め恥ずかしそうにしている。

 折角、部屋で二人っきりになったのにこのままではいけない。ゆっくりするはずなのに、これでは体は兎も角、精神的にゆっくりできない。本音にリラックスしてもらわないと。

 

――俺から何か話すべきだよな。というか、こういうの前にもあったよな。確かのほほんさんに二度目の告白をした時もこんな感じだった。

 

 もう数ヶ月の前になったことを一夏は思い出す。

 今となっては懐かしい思い出。一度振られて、二度目の告白で想いは通じあった。あの時は、本当に嬉しかったという想いは、一夏の中に今も鮮明にある。

 あれから沢山の日々を共に過ごし、本音と過ごすうちに自分は変わっていくことが出来た。それでもやっぱりこういう些細な今のような状況、そして何より一夏の本音への想いは今も変わらない。むしろ、強くなっているのを一夏は実感する。

 そう思うと何だか嬉しい気持ちで胸が一杯になり、また熱くなる。一夏は、思わず小さく笑ってしまった。

 

「どうしたの? おりむー、急に笑って」

 

「いや何でもないよ」

 

「変なおりむー」

 

 二人して笑いあう。

 一緒になって笑ってくれる本音を見ていると、一夏にはその姿が堪らないほど愛おしく思えた。

 暖かい雰囲気が二人を包む。

 

「そうだ。はい、どうぞ」

 

 本音から一夏の前にあるものが差し出される。

 

「これってもしかして……!」

 

 差し出されたものが何であるか気づくと、一夏はパァッと嬉しそうな笑顔になる。

 それを見て本音も嬉しそうにして微笑む。

 

「もしかしなくてもそうだよ~ ハッピーバレンタイン! おりむー!」

 

 差し出されたチョコレートが入ってるだろう包みは丁寧かつ可愛らしいラッピングがされている。

 見ただけで気合が入っているのは一目瞭然で、一夏の胸は期待で高鳴る。

 

「開けてもいいか?」

 

「どうぞ~ おりむーの為に腕をふるったんだよ~」

 

 ラッピングを丁寧に解き、その中にある箱を開ける。

 すると中には、小さい小部屋に入った小さなチョコが並んでいた。

 

「すげぇ、これトリュフじゃん!」

 

「さっすが、おりむー! よく分かったね。嬉しいよ~」

 

 本音が作ったのはトリュフという名のチョコレート。

 形は全てハート型だが、一つずつデザインが違う。

 一夏は元々料理や菓子作りが出来るため、一目でトリュフだと分かった。

 トリュフは綺麗な見た目通り、作るのが難しい。様々な種類のトリュフがあるのを見ると、沢山の手間隙をかけて作られているのが、よく分かる。

 このチョコを自分の為に本音が作ってくれたんだと思うと、一夏はたまらなく嬉しい。

 

「ありがとうな、のほほんさん。大変だっただろ?」

 

「まあね~ やっぱり、見本みたいに綺麗に出来なくて、ちょっと不恰好になっちゃったから」

 

「そんなことないって」

 

 本音はそういうが一夏には充分すぎるほど綺麗に、そして美味しそうに見える。

 

「喜んでくれたみたいでよかったよ。さっきからおりむーずっとそわそわしてたから気になって」

 

「うっ……それはのほほんさんのチョコが楽しみで」

 

「そうだったんだ。なら尚更嬉しいよ」

 

 一夏の言葉に嬉しそうに頬を綻ばせる。

 

「じゃあ、早速」

 

「あ、ちょっとまって!」

 

 トリュフを一つ取り、食べようとした一夏に待ったをかける本音。

 何事かと一夏が不思議がってると、本音はトリュフを一つ取って、満面の笑みを浮かべながら一夏へと差し出してきた。

 

「は~い、おりむー。あ~んっ」

 

「えぇっ!? ちょっと! のほほんさん!?」

 

「早く早くぅっ! 落ちちゃうよ! ほら、あ~んっ」

 

「……あーん」

 

 本音に言われて、照れながらも一夏は大人しく口を開け、食べさせてもらう。

 口の中で広がる甘くて美味しいチョコの味。それと同時に何だか優しい味がすると一夏は暖かさを感じていた。

 

「どうかな? 美味しい?」

 

「もちろん、美味い。美味くできてる」

 

 嘘はもちろん、お世辞でもなく一夏の口から素直な言葉が出た。

 心からの言葉だが、もっと気が利いた言葉がなかったものかと一夏は思ったが、一夏の言葉を聞いて喜んで笑顔を浮かべている本音を見て、一夏も安心した。

 

「よかった~」

 

「本当、美味い。そうだ! のほほんさんも食べてみろよ! 食べさせてあげる」

 

「えぇっ!?」

 

「さっきのお返しだ。ほら、あ~ん」

 

「……あ~ん」

 

 ニッと笑みを浮かべると一夏はトリュフを一つ取り、本音の口へと運ぶ。 

 本音は驚き頬を深く染め照れながらも、ゆっくりと口を開け、一夏に食べさせてもらった。

 口を開けた瞬間、一夏の指が本音の口に触れたような気がした。

 

――自分でやっといてアレだけど、これ結構恥ずかしいなぁ

 

 自分のやったことをされてその恥ずかしさを本音再確認し、恥ずかしさを感じていた。

 だが、相手が恋人なら恥ずかしさ以上に、嬉しさで胸が一杯になる。

 

「美味いだろ?」

 

「うん! おりむーに食べてさせてもらったから尚更美味しい」

 

 本音はうっとりと目を細めて、はっーと幸せそうな吐息をもらす。

 つられて一夏も幸せな気持ちになってくる。

 

――幸せだぁ

 

 しみじみと一夏は感じていた。

バレンタインを今日みたいに過ごすのは初めてのこと。こんな風に過ごせたのは、本音だからなんだと一夏は実感する。胸のうちから熱いものがこみ上げてくる。

 幸せでたまらいなことを今無性に本音に伝えたい。それは押しつけなどではなく自分が幸せでたまらないことを知ってもらい安心して喜ばせてあげたい。

 そしてまた、本音にも幸せでいて欲しい。

 

――何かお返ししたいなぁ

 

 そう思いたった一夏は言った。

 

「のほほんさん、お礼したいんだけど何かしてほしいことないか?」

 

「ええ!? おりむー、気が早いよ。ホワイトデーはまだだよ?」

 

「それは分かってる。ホワイトデーはホワイトデーでちゃんとお返しするよ。けど、それとは別に今のほほんさんにお礼がしたくてまらないんだ。こんなバレンタイン初めてだからさ」

 

「そっか~。今……う~ん」

 

 一夏にそんなことを言われたら、本音は悩んでしまう。

 別に嫌だからとか、困っているからというわけじゃない。一夏が自分のバレンタインチョコを、一夏に捧げる自分の想いを、そして自分と今いるこの時間を幸せに感じてくれていることはよく分かっている。

 一夏の望みは叶えてあげたい。しかし、急にそんなことを言われても、一夏にしてほしいことなんてとっさに思いつかない。本音は今で充分だと感じてる。一夏とこうして恋人同士の一時を過ごせているだけで幸せでたまらない。これ以上、何か望むのがほんの少しばかり怖い。

 それでもやっぱり、一夏の望みは叶えてあげたい。これもまた一夏なりの本音への甘え方の一つなのだと分かっているから。

 悩んだ末に本音は一夏に言った。

 

「じゃあ、キス」

 

「ん?」

 

「キスしてほしいな」

 

 言って本音は、静かに目を閉じる。

 それは一夏から本音へキスしてほしいという合図。

 一夏はほんの一瞬だけ、気恥ずかしさから迷ったが、すぐさま迷いを断ち切る。

 

――あれ?

 

 目を閉じてキスを静かに待っていた本音だったが、思っているよりも中々一夏からキスしてもらえない。

 やっぱり、いくらなんでもキスなんてお願いは迷惑だったのかもしれない。そう不安に思い本音は閉じていた目を開けそうになったが瞬間、異変を感じた。

 

「んっ……」

 

 触れ合うような軽いキスをしあう本音と一夏。しかし、それだけではない。

 

――あっ……嘘。おりむーに抱きしめられてる

 

 本音は、キスと同時に一夏に抱きしめられているのを感じていた。

 一夏からしてくれたキスとハグ。キスは二度目で、一夏からのちゃんとしたハグは初めてかもしれない。もう自分からハグすることに一夏が抵抗を感じているのだとは、本音にはもう思えない。

 唇と唇が触れ合う程度のものだが、本音の唇に何度もキスの雨がふる。

 

――今、私おりむーに甘えられてるんだ。幸せ。

 

 ぎゅっと抱きつかれ抱きしめられながら、一夏から本音へ送られる甘えるようなキス。

 そのことが今、ようやく精神的にも肉体的にも甘えてもらえているんだと実感させられ、嬉しいと幸せだと感じる以上に一夏のことが愛おしくてたまらない。きゅぅと“何か”が締め付けられ疼き、母性本能が刺激されていた。

 名残惜しさを感じながらもお互いどちらからともなく唇を離すと、抱き合ったまま顔を見合わせ、笑いあった。

 

「チョコの味がしたよ、おりむー」

 

「それはのほほんさんもだぞ。チョコ食べたから当たり前だけどな」

 

「ふふっ、その通りだね~」

 

 幸せそうに笑いあう二人。

 チョコの様に甘くて幸せな二人だけの時間が、ゆっくりと二人の間に流れていた。

 



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簪と過ごしたバレンタイン

 今日は例年とは比べられないほどに忙しいバレンタインだった。

 案の定というか、物凄い数のバレンタインチョコを貰った。全部義理チョコや友チョコとかいう奴なんだろうけど、数がおかしい。

 IS学園に二人しかいない男の片割れ。全員おもしろ半分に渡してきて、特に上級生の先輩方は本命を渡すかのように芝居がけて渡してくるものだから、素直に喜べずただただ困った。

 隣に簪がいるのにも関わらず、堂々とそんな風に渡してくるものだから尚更困った。嬉しいというよりかは疲れた。

 ただ、簪は特に気にしてない様子だったのが印象的だった。

 

 そして夜の自由時間の現在。

 今さっき入浴を済ませ、同じく入浴を済ませただろう簪が俺の部屋に来るのを待つ。

 今日も今日とて入浴は部屋風呂で済ませた。

 一夏と俺、それぞれの男子の部屋には高級ホテルさながらのトイレや洗面所とが一体になったバスルームがあり、入浴などに問題はない。

 漫画やアニメであるお風呂場で女子とばったりなんていう逮捕物のことを未然に防げるのが何よりも助かるし、女子と違って好きな時間に好きなだけ入れるのがまたいい。いろいろなことを配慮されてのことだろうけど、至れり尽くせりだ。

 そんなことを考えていると部屋のドアがコンコンコンっとノックされた。はーいと言いつつドアを開けに向かう。

 

「……こんばんは」

 

 ドアを開けるとそこにはゆったりとした水色のパジャマに身を包んだ簪がいた。

 手に小さな紙袋とミニボストンバックを持っているのが目に入った。

 気にはなったけどドアの前で立ち話するのは何なので部屋へ迎え入れる。

 

「お邪魔します……」

 

 部屋に入り手荷物を置くと、ベットに腰掛けた俺の膝の上に簪が座ってくる。

 人前では簪はこんなことほぼしてこないし、俺もしないけど今は部屋で二人っきり。人目なんて気にせず、密着できる。手を絡ませ甘えるように体を預けてくれる簪を受け止め、後ろから抱きしめる。

 

「ん……」

 

 気持ちよさそうに目を細める簪。

 すると密着しているせいか、視線を少し下げれば、簪の首元が見えた。綺麗な簪の首元の素肌と綺麗なうなじ。簪も今しがた風呂を上がったばかりだからなのかは分からないが、艶っぽく見える。

 オマケに風呂上り独特のシャンプーだと思わしき髪のいい匂いまでしてきて、僅かながらこう……ムラムラっとくるものを感じていた。

 どうして風呂上りの女子ってこんなにもいい匂いがして、来るものがあるんだろう。それは好きな彼女だと尚更強い。

 

「どうかした……?」

 

 ぼーっと見すぎたようで、簪は不思議そうにこちらを見ている。

 すぐさま答えることが出来ず困った。どう答えたものか。彼女とは言え、風呂上り姿を見て、髪の毛のいい匂い嗅いで少しばかりムラムラしていました、なんて恥ずかしさを感じてそう簡単には言えない。

 だが、このまま返答に困っているわけにもいかない。俺は、当たり障りのないよういい匂いがするという他なかった。

 

「そう」

 

 言葉こそは淡白だが、簪は嬉しそうだ。

 その証拠に匂いを嗅いでと言わんばかりに体を預けてくれる。

 そこまで許してもらって今更遠慮するのは簪に対してよくないので、遠慮なく首筋に顔を埋めた。

 

「……ぁ……や……」

 

 くすぐったそうな声が上がる。

 埋めた首筋からする簪の匂い。大好きな匂いだ。先ほどはムラムラと来ていたが、それと同時に凄く心が安心する。簪以外じゃ到底こんな事は出来ないし、こんな気持ちにもならない。こうさせてくれている簪に感謝の気持ち一杯で、何より愛おしくてどうしようもない。

 だから、なのか俺は気づくと簪の首筋にキスを落とした。

 

「っん……くすぐったいよ……もう」

 

 声からして簪が笑っているのが手に取るように分かる。嫌がってもいない。むしろ、喜んでくれているようだ。

 

「本当……好きだよね」

 

 突然、簪がそんなことを言ってきた。

 否定しようのない事実だから認めるほかない。好きでなければ、今のようなことはしないし、好きだからついついやってしまう。

 ただ、簪がこんなことを言うということはやりすぎてしまったのかもしれない。

 

「あ……ううん。そういことじゃないの。私は嬉しいよ……私の匂い、好きでいてくれること。私も同じだから」

 

 同じということは考えるまでもなく匂いのことなんだろう。

 

「私もね……あなたの匂い好きだよ。いい匂いで……何だか癖になる」

 

 言って簪は、向かい合わせに座り、俺の胸元に顔を埋めて幸せそうにしてる。

 自分の匂いを自分ではいい匂いだなんて到底思えないけど、簪の匂いをいい匂いだと感じるように同じことなんだろう。それに癖になるのは確かにそうだ。俺の匂いでこんなにも幸せそうにしてもらえるのなら嬉しい。

 抱き合いながら二人して、お互いの匂いを嗅ぎあう。何だかこれって。

 

「変態みたい……ふふっ」

 

 声が重なり、二人一緒に笑いあう。

 変態だという自覚がありながらも、やめない辺りかなり重症な気がするけども、今は本当に二人っきり。気が済むまでお互いを堪能すればいい。

 そんな風に楽しんでいる時だった。

 

「ぁ……」

 

 簪が何かを見つけたような声をあげる。

 視線を追うとその先、冷蔵庫の近くには中に入りきらなくなった沢山のチョコが入った紙袋とかがあった。

 しまった。簪の前で今日散々受け取って今更隠す様なものおかしな感じがするけど、簪が部屋に来ることは前もって知っていたんだ。もう少し気を使うべきだったかもしれない。今更ながら反省する。

 

「凄い量だね……お返し大変そう」

 

 淡々という言う簪。

 お返しは量が量なだけに確かに大変だ。貰ったからにはちゃんと一人一人お返しするつもりだが、正直今はお返しについて考えたくはない。毎年これだけの量をちゃんとお返ししている一夏はやっぱり凄い奴だと関心してしまう。

 と、それは置いといて、今は他に考えなければならないことがある。

 簪はパッと見特に気にしてはない様子だが、内心ではいい気分ではないはず。すまないと思う。

 

「謝らなくていいよ……気にしてないって言ったら嘘になるけど……気にしないようにはしてる。これだけもらってるの見るともう……凄いとしか言いようがないよね。それに何だか……誇らしい」

 

 誇らしいか……。

 

「おこがましいかもしれないけど……あの沢山のチョコを見てると……私の彼氏はこんなにも沢山の人に想われてるんだって思えて……誇らしい」

 

 そういう風に思ってもらえているのなら助かるのは事実だ。

 

「それに……今のうちから慣れておかないとバレンタインは来年もある。こんなことで一々何か嫌味いったり、取り乱したりなんてしていられない」

 

 俺を見つめ曇りのない目でそう簪は言った。

 簪の言うことはもっともだとは思う。バレンタインはこれからも毎年あってその度に何か小言を言われたり、拗ねられたりすると、可愛いは可愛いが簪には悪いけどくるものがある。

 それに今からもう来年のことまで考えているなんて。去年の年末の帰省から簪が強くなったと改めて実感させられる瞬間はもう何度目か。今の簪からは強さと、そして頼もしさを強く感る。

 

「だから……謝ったりしなくてもいいよ」

 

 簪に結局、気を使わせてしまったけど、簪がこういってくれている以上、謝ったりするのはもうやめておこう。野暮ってものだ。

 それでも開き直りはせず、俺のことを誠実に思ってくれている簪に対して、これからもしっかり応えていこう。

 

「あ……そうだ」

 

 思い出した様に言って簪は、一旦俺から離れ、荷物を置いたところへと行く。そして荷物と一緒に置いてあった紙袋の中から箱を取り出し、それを持って再び膝の上に戻ってきた。

 

「随分遅くなっちゃったけど……どうぞ。ハッピーバレンタイン」

 

 簪から綺麗にラッピングされた箱が差し出される。

 そう言えば、まだ簪にチョコを貰っていなかった。もらえると思っていたから貰えない不安は感じなかったけど、今こうして貰えるとそんな不安が打ち消されたかのように、気持ちが高揚してくる。

 

「自信作……その……あ、愛情……たっぷり込めて作ったん、だよ」

 

 頬を赤く染め、簪は恥ずかしそうにしながらも笑みを浮かべて言う。

 恥ずかしいのなら言わなくてもいいのにと思ったが、折角のバレンタインだから言ってみたかったんだろう。こんな簪も可愛くて、抱きしめたい衝動に駆られる。が、その前に今は簪のチョコだ。聞くまでもなく手作りなのは分かる。早く食べてみたい。

 

「うん。……いいよ」

 

 簪に許可を貰い、ワクワクしながら箱を開けた。

 中に入っていたのは、小さなハート型のチョコの数々。

 普段菓子作りどころか料理すらしない自分でもとても綺麗に作られているのがよく分かる。

 しかし、意外だ。簪はお菓子作りが得意で趣味の一つなのは知っているから、てっきり凝ったものを作ってくるものばかりだと分かっていた。けれど、目の前にあるチョコ達は予想に反してシンプルだった。

 

「あ……うん。いろいろと考えたんだけど……シンプルのほうがいいかなって」

 

 なるほど、そういうことだったのか。

 作ってもらったのに文句なんてない。シンプルイズベスト何ていう言葉もあるわけだし、変に凝ったものよりもこういったシンプルなもののほうがいいのかもしれない。

 俺は一つチョコを取り、早速食べてみた。

 あっ……苦い。それが思わず、口から出た素直な感想。

 

「ビターチョコにしてみたんだけど……どう? 苦さは大丈夫?」

 

 俺は頷きながら、味わう。すると、簪は安心したかのように笑った。

 甘さを感じた匂いとは裏腹に、簪のチョコは苦味がする。といっても、声をあげるほどの強い苦味ではない。市販のビターチョコよりかは少し苦い気はするけど、ちゃんと苦味の中にもチョコの甘さがあって、口の中でゆっくりと広がるこのチョコの苦さが丁度いい。好きな味だ。

 

「よかった。そう言ってもらえて……喜んでもらえみたいで……嬉しい」

 

 頬を綻ばせて安心している簪を見つつ、二個目のチョコを食べようとすると。

 

「ちょっと待って……実はね……トッピングがあるの」

 

 トッピング……辺りにはそれらしいものがないのは確認済みだ。

 どういうことだろうと思っていると、チョコを簪に食べさせられた。

 

「口、開けて……あ、あ~ん」

 

 戸惑いながら言われるがまま口を開け、チョコを食べさせてもらう。

すると簪は、腰に回していた手を俺の頬に添えると、ゆっくりと顔を近づけ。

 

「んっ、んん……」

 

 簪と俺の唇があわさる。

 始めは唇と唇が触れ合うだけの軽いキス。数回も繰り返しているとどちらからともなく、口が開き、舌が深く交わりあう。

 

「んぅっ……ちゅぅ、んむ、ちゅっ……んぅんんっ、んちゅ、んふぅ……んっ、ちゅんんっ……ちゅ、ちゅぁっ……」

 

口内でまだ微かに残っていたチョコが深いキスの熱によって溶け、それをお互い舌を絡ませあいながら味わう。

 

「……ん……ちゅぅ、っちゅ、ちゅッちゅッ……んんァっ……」

 

 舌を絡ませ、唇を重ね、吐息を吹きかけ合う。

 瞬く間に動悸が速くなり、体温と共に性的興奮が高まっていく。

 

「ちゅっ……ど、どう……? お、美味しく……甘くなった、でしょう……?」

 

 伏せ目がちながらも簪はしっかりとこちらを見つめて言う。

 顔を真っ赤にして、その恥ずかしいのを我慢している姿がたまらなくそそられる。

 

 頷きながら答える。

 トッピングってこれのことか。確かに美味しくなったし、甘くもなった。

 まったくやってくれる……これではチョコよりも、簪のほうがもっと食べたくなってくる。

 

「私? ふふっ……いいよ、たんと召し上がれ」

 

 目を閉じ顔を上向かせている簪の唇を唇で塞ぐ。

 

「んぅ……ん、ちゅっ、んぅっ、ちゅぅ……んんぅちゅっ……んぅふっ……んむぅ……」

 

 たんと召し上がれ、なんて簪は言っていたけど、我慢できなくなりつつあるのは簪もらしい。

 熱心に舌を絡ませてくる。

 俺も負けじと簪にこたえ、深いキスを続ける。

 

「ふっ……んぅ、ちゅっ、んぅ……んんんっ、ん、気持ち、いい……んっむぅ、ちゅっ……好きぃ……んんぅ……」

 

 正直もう口内にはチョコはない。

 ただの深いキス。しかし、口内にはチョコのエキスが多少なりと残っていて、口内にしみこんだその甘さを吸い取るように舌が動き回りあい、互いの口内で唾液が循環しあった。

 チョコの苦味のある甘さを感じるには感じるが、正直頭の片隅。愛して止まない相手をむさぼりたいという本能的欲求に取り付かれた興奮する獣のようになってた。

 

「はぁ……はぁっはぁ……」

 

 呼吸すら忘れてキスをし合っていたが、流石に辛くなり、二人して荒く呼吸をしながら息を整える。

 簪は既に事後の様な恍惚と至福が入り混じった色っぽい表情をしている。だが、物足りなさそうにもしているのが簪に更なる色気をまとわせている。

 

「ねぇ……いいよね」

 

 懇願するような目で問いかけてくる簪。

 何がとは簪は言わないし、俺もまた聞かない。ただ頷くのみ。

 何を求められているのかなんて、簪のトロンとしたスイッチの入った瞳を見れば分かる。簪の奴、かなり興奮している。それは俺とて同じだ。

 俺としてもここまで興奮していると流石にキスだけでは満足できない。それは男のサガというもの。

 

「よかった。今夜は泊まりだからね……」

 

 そう簪は今夜俺の部屋に泊まる。その為のあのミニボストンバック。ちなみに明日は休みで、泊まるのは何も始めてのことじゃない。

 本来あまり許されることではないが、ご愛嬌ということで。一応、ちゃんとそれ相応のアリバイ工作はしているから抜かりはないはず。

 だから、気にすることは何もないし。あったとしても今の状況では野暮ってものだ。

 

「ふふっ」

 

 妖艶な笑みを浮かべて簪は俺のほうへ倒れてくる。

 すると俺は簪に押し倒されるような体勢になり、簪は艶めかしい表情で下になった俺を見る。

 

「今日はバレンタイン。だから、私に任せて……? 私が……たくさん尽くして気持ちよくしてあげる」

 

 そう言うのなら、今夜は簪の気がすむまで任せよう。

 今日はバレンタインチョコを貰ったり、簪まで貰えて至れり尽くせりな気分だ。

 嬉しい気分いるとそれが簪に伝わったのか、今だ色っぽい差を残しつつも満足そうに顔をほころばせた。

 

「じ、じゃあ……始めるね」

 

 そうして簪は衣服を脱ぎ乱しながら、俺に尽くし始めた。

 




簪とイチャイチャしまくっただけのバレンタインだった……

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~


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簪と体操服

 死ぬほど疲れた。

 ラウンジでそんなことを思いながら、放課後男二人して脱力しダレる。

 

「足いてぇっ」

 

 目の前にいる一夏がいつにもましてだらしなく机にうつ伏せへばっている。

 いつもなら小言の一つでも言ってやるのだが、あいにく俺も椅子の背もたれにもたれて一夏と同じ様にへばっている。

 同感だ。足が痛い。というかダルい。足どころか全身に凄い疲労感があって、何かするどころか喋ることすら、億劫でひたすら疲れた。

 明日に響くほどじゃないと何となく分かるし、人前でこんなだらしないのはよくないと重々分かっているが、今こうしてダレているが一番楽だった。

 

「わぁ~すっごいお疲れモードだね~」

 

「……大丈夫?」

 

 ダルさを感じながらも、声のほうを向くとそこには本音と簪がいた。

 

「おりむーしっかり~」

 

「うぅ~疲れたぜ、のほほんさん」

 

「もう~よしよし」

 

 一夏はうつ伏せていた体を起すと、すぐ傍で立っていた本音に抱きついて、腹の二人に顔を埋めて甘えていた。

 人前でよくやる。最近は人前でこんな風に一夏はよく本音に甘えている。何かあったからなんだろうけど、以前よりも酷い。まあ、今ラウンジは人少ないし、一夏なりに場所とかを弁えてやっているみたいだ。それに甘えられている本音も本音で満更どころか、今みたいにニコニコとして凄く嬉しそうだから、人前でも二人がいいのなら見て見ぬ振りしてそっとしておこう。簪もそうしている。

 

「……六限目……体育があったって聞いたけど……そんなに大変だったの……?」

 

 問いかけてくる簪は俺は言葉なくただ頷いた。

 一夏と俺がこんな風に疲れきっている原因は、六時目にあたる今日最後の授業であった体育が原因だった。

 ISを稼動させる訓練の授業が時間割の大半占めているから割合としては少ないがIS学園にも無論体育の授業はある。ただ一般的な学校の授業内容とは少し違い、体力、主に持久力をつける体作りや陸上運動の授業がほとんどだ。ボール運動などといったほかのことをしないわけじゃないが、それでも体作りや陸上運動の授業のほうが大きい。

 それはISを長時間稼動させる為に身体的に長い集中力や忍耐力、持久力が必要だからなんだろう。この学園はISの操縦者を育てる国際的な専門校。よくも悪くも最終的にISの為にならないことはしない。

 

「ちなみに……何したの……?」

 

「走りこみだよ~」

 

 俺より先に同じクラスで同じ授業を受けた本音が答えた。

 いつしか簪は俺の隣へ、本音は一夏の隣へ座っていた。

 今日やったのは走りこみ。走りこみの内容自体は一般的なものと何ら大差ないと思う。

 

「走りこみ……でも、そこまでしんどい思いすることじゃないよね」

 

 まあ、なぁ……と言いながら頷く。

 走りこみ自体はこんなになるほどしんどいものじゃない。だが、俺達一組の体育担当の先生は織斑先生なのがこんな風に疲れきっている原因の一つでもある。

 

「ああ……なるほど」

 

「今日の織斑先生、ちょー厳しかったよね~」

 

 納得した様子の簪と授業のことを思い出したのか苦笑いしている本音。

 普段から厳しい人ではあるものの、厳しいなんて言葉だけでは済ませられないほど、今日の織斑先生は特に厳しかった。それもこれも一夏が最大の原因だ。なんせ一夏の奴、女子達の体操服姿ガン見してたからなぁ。

 

「なっ!? ちょっ! お前なぁ!」

 

 声をあげながら一夏は驚いている。よほど驚いたのか、顔が赤い。周りから図星だと思われても仕方ないな、これでは。図星かどうかは兎も角、一夏が女子の体操服を見ていたのはまぎれもない事実だ。

 

「まあまあま~おりむー落ち着いて~。あ、でも、ガン見ってほどしゃないにしても、おりむー見惚れていたよねー。何度か目あったもんねー」

 

「ちょっと!? のほほんさん!?」

 

 確かに授業中、ガン見していた一夏と本音の目が何度かあっていた。

 ただ目が合うだけならまだしも、目が合うたびに最低限周りに気遣って小さく手を振り合って、一夏は鼻の下伸ばしていた。オマケにやらしい目をしていた気がする。

 そして、それを織斑先生に見つかったから大変だった。授業中の気の緩みを教師としては見過ごせんとか、もっともなことを織斑先生は言っていて、走りこみを厳しめにさせられた。見て見ぬふりしていた俺は、止めなかったという理由で連帯責任として一緒にさせられた。もう一夏絡みのことに巻き込まれるのは慣れてしまってなんとも思わないが、とばっちりだ

 まあ、織斑先生の言っている事はわからなくはないし、最もなのだが、多分根っ子の部分では彼女相手とはいえ、弟が鼻の下伸ばしていたのが気に入らなかったんだろうな。あの人、凄いブラコンだし。

 

「……」

 

「更識さん! 引かないでくれよ!?」

 

 簪は無表情だが、一夏に蔑むような目を向けて、凄いドン引きしている。だからなのか、一夏とは物理的な距離を取っている。それが妙な生々しさを感じさせる。

 

「ひでぇ……か、彼女がブルマ着てるんだぞ。見たいだろ。見ても仕方ないだろ」

 

 一夏の気持ちは分かるが、言っている事はあまり弁解になってない。

 

「お前だって見てたくせに、ずるいぞ」

 

 何故か一夏は拗ねるように言う。

 ずるいってなんだ。簪の前で変なことを言うのはやめて欲しい。ほんの一瞬だが、簪がピクっとしていたのを見逃してない。

 一夏ほどガン見してないし、見ていたといってもたまたま目に入った程度。本当にそれ以下でもそれ以上でもない。

 

「結局、俺だけ悪者扱い」

 

「まあまあ~おりむー」

 

「というか、何で体操服ブルマなんだよ」

 

 うな垂れながら一夏が愚痴をこぼす。

 今更言っても仕方のないことだが、これもまた愚痴る気持は分からなくはない。

IS学園の女子の体操服は全学年ブルマ。ブルマの伝統的なカラーであるらしい赤で統一されていて、IS学園創立から今日までずっとブルマらしい。俺達が生まれる前にはもうブルマは反対運動等によって廃止されていたが、IS出現以降は女尊男卑社会において、機能性の高さを見直され、何より女性本来の健康美観と尊厳を象徴するものの一つとされ、女性の熱い希望により復活し、ブルマをいち早く採用したのがIS学園だというのをいくつか座学で教わった憶えがある。

 ただ体操服とは言え、ブルマはやっぱりISスーツ並みに着衣部分の体型が強調されたりして、男の俺達からしたら際どいものには違いなく始めのうちは戸惑った。今でもふと、何で体操服はブルマなんだろうと一夏と同じ疑問を持つときがある。

 体育は男女一緒で、本来IS学園は一夏と俺という例外を除いたら実質的な女子の花園。異性からの性的な目を気にする必要はない。それでも恥ずかしいからとかで嫌がってる子はいるにはいるが。

 

「ねぇ」

 

 簪が小さな声で問いかけてきた。なんだろう。

 

「あなたはブルマ……好き?」

 

 一夏と本音に聞かれないようにまるで内緒話するようにそんなことを突然簪が言ってきた。

 どう答えて言えばいいんだ。好きか嫌いかで言えば好きだが、正直には何か言いづらい。

 というか、簪がこんなことを聞いてくるってことは一夏がさっき言ってたことを多少なりと気にさせてしまったようだ。こんなことを簪に聞かせてしまうってことは俺の落ち度も何かしらあるんだろうけど、一夏の奴が余計なこと言うから。

 まあ、好き好きちゃ好きだけど……。そんな風に若干、言葉を濁しながらしか言うことが出来なかった。

 

「そう」

 

 俺の答えに納得したくれたみたいだ。

 これ以上、簪が何も聞いてこないってことは質問そのもの以上に他意はないってことでいいんだろうか。どういう意図で質問してきたのか今一つさっぱりだが、あえて聞くのもはばかられる。

 ブルマと言えば、簪の体操服姿をあまり見たことがない。この四人の中で簪だけ、一人四組と別クラス。ISスーツは普段の自主訓練などやISの実習授業は合同でやることがあるのでよく見るが、体育は基本的にクラスごとなので見る機会が少ない。見ないわけじゃないが、休み時間の移動の時に見かけたりといった程度のもの。

 一夏がさっき言ったことはもっともで、正直簪のブルマ姿は見たい。だが、だからといってお願いとかまでして見せてもらったりするのも変な話。仕方のないことだ。

 

「うし、ここでこのままこうしてるのもなんだしそろそろ部屋戻るか」

 

 そうだな。

 馬鹿話とかしてある程度授業終わりよりかは楽になった気がする。それに部屋に戻って、シャワーで汗を流したい。

 

「じゃあ、また夕飯の時にな」

 

 俺達は自分の恋人に付き添われながら、それぞれ自分の部屋へと帰っていった。

 

 

 

 

 部屋に戻ると、すぐさまシャワーを浴びた。

 汗を流す程度だったのでいつもより早く数分ほどで上がり、髪や体をしっかり拭き、新しい服に着替えるとそのままベットへ倒れこんだ。シャワーを浴びたことで身体共にすっきりとして、ベットの布団の心地よさでまどろんでくる。

 簪は一度部屋に戻ってから俺の部屋へ来るとのことらしい。いい気分で正直、今すぐにでも寝てしまいそうだが幸い、簪には部屋のルームキーを渡してあるから幸い寝てても勝手に入ってきてくれるだろう。今だって、声かけずにそのまま鍵開けて入ってくれたらいいと伝えてある。心配はない。

 静かな部屋でドアが開けられる音が聞こえた。簪が来たんだろう。何となくだけど、気配で簪が来たのだと分かった。

 

「寝てるの?」

 

 目を瞑ったまま横になっているとベットの傍から簪の声が聞こえてきた。

 見ての通りだ。寝てる。

 

「もう、起きてるでしょう。あ……そうだ、お風呂場……借りてもいい?」

 

 軽い唸り声を上げ返事代わりにした後に、言われたことを漸く認識した。

 風呂場を貸すのは別にいいんだけど、何するつもりなんだろう。流石に風呂に入るってのはないだろう。となれば、考えれるのは風呂場と一体になっているトイレか洗面所を使うことぐらいか。

 簪が何の為に借りたのか気になってまどろんでる気分じゃなくなってきた。意識を起しながら、待つこと数分、簪が風呂場から出てきた。

 寝転がったまま、顔だけ風呂場の方に向けると衝撃的な目の前の光景に目を疑った。

 

「……うぅっ」

 

 俺と目があった簪はすぐそこで恥ずかしそうに固まって立っていた。

 目の前にあらわれた簪の服装はいつものと違い体操服、ブルマだった。

 風呂場を借りたのは着替えるためだったのか。さっきの行動に納得はいったものの、今度はどうして今ブルマを着ているのか気になった。

 しかしやっぱり、際どい。衝撃的なブルマ姿の簪から目を離せず、止むをえず真面真面と見てしまうと、体操服だと言うのにその際どさがより一層際立つ。

 トップスであるノースリーブシャツから見える肩から柔らかそうな二の腕。臀部にぴったりフィットしたブルマから見える丁度よく引き締まった簪の細く綺麗な太ももや生足。ブルマ姿の簪から見えるその全てがとても艶かしい。いつもとは違う服装で見ているだけに、正直かなり情欲がそそられる。

 いやらしい気持ちで見てはいけないと分かっているけども……。

 当の本人である簪はと言うと、体育でもないのに着るっていうのははやり恥ずかしいようで、頬を赤く染めながら身体をちぢこませていた。その姿は返ってエロい。

 

「だ、大丈夫。この体操服綺麗だし……その、もう今週体育ないから大丈夫」

 

 大切なことらしく二度言った。大丈夫という言葉に他意がある気がする。

 二度言われて念を押されたが、心配されずとも例えば汚すようなことはしないつもりだ。

 しかし、何でまた体操服なんて。

 

「あなたがブルマ、好き……って言ったから」

 

 確かに言った。ついさっきのことだ。よく憶えている。

 というより、ブルマを着たこと、そして簪の今の様子。思っていた以上に簪には気にさせてしまった。

 願ってもない簪のブルマ姿を見れて嬉しいと同時に、簪に気にさせてしまってすまないと思う。

 そんな思いが顔に出てしまったようで、簪は俺を見て不安そうにしていた。

 

「ご、ごめんなさい……変……嫌、だったよね。すぐ着替えるから」

 

 待て待て、嫌じゃない。言葉たらずだった。

 この際諸々の経緯や事情はひとまずおいといて、今は簪のブルマ姿を堪能しよう。滅多に見れる姿じゃないわけだし。

 再び風呂場へ着替えに行こうとする簪を引きとめ、手招きして近くに来てもらうと、膝の上に座ってもらう。

 真っ赤にした顔を少しでも見せない様にと俯く簪の長く美しい髪を好きながらブルマ姿を堪能する。

 ブルマは学園の正式な体操服だけど創作物などに沢山出る理由や、何より一回絶滅した理由になった性的な対象としてみる気持ちが何となく分かった。

 ボトムスだけどブルマって下着に見えなくはない。本来は思っちゃいけないけど、改めて思うと凄いマニアックだ。

 

「ま、マニアックって……確かに私もそう思うけど」

 

 数分してなれつつあるのか、まだほんの少し恥ずかしそうにしながらも、もう顔を赤らめて俯くことはなくなった。ちゃんと目を合わせてくれている。

 漫画やアニメとかでブルマ姿の登場人物を見てもただ服装が違ってるだけで、それ以上何も感じなかったが、実物は思っていた以上。これはとてもいいものだ。

 

「ん、喜んでもらえたみたいでよかった。疲れ……取れみたいだね」

 

 膝の上で簪は嬉しそうに微笑む。

 そう言えば、すっかり疲れは取れている。これもひとえにブルマ姿の簪に心身ともに癒されたからなんだろう。

 しかし何故、簪は今ブルマなんて着たんだろうか。俺が好きと言ったから着てくれたってのが大きな理由なのは分かった。だけど、別の理由もありそうな気がする。簪があれだけの理由で着てくれとはあまり思えない。この際だ。せっかくなので正直に聞いてみた。

 

「体操服着た他の理由? え、えーと……」

 

 僅かに言いにくそうにする簪。少し躊躇った後に簪は、ゆっくりと言った。

 

「その、あなたが織斑みたいに体操服姿の女の子を見てないのは分かってる。でも、どうせ体操服姿の女の子を見るのなら、私の体操服姿のほうを見て欲しいなって……」

 

 なるほど……そういうこどたったのか。

 

「ごめんなさい。変、だよね……嫌ってわけでもなくて大した理由でもないのに少し……焼きもち焼いてたのかも。めんどくさくてごめんなさい」

 

 申し訳なさそうに簪は何度も謝った。簪の悪い癖だ。

 何度も謝るようなことじゃないと思うのに、思った以上に思いつめさせてしまった。

 気にするほどのことじゃない。そういう理由で着てくれたことが分かった。それだけでありがたい。

 それに焼きもち焼いてくれたのか。簪に悪いけど、焼きもちを焼いてくれて実は嬉しい。

 

「わっ」

 

 膝の上に座っていた簪を抱き上げると、後ろから抱きしめられる体勢に座りなおさせてもらった。

 簪凄い軽い。ちゃんと食べてるのか心配になる軽さだ。

 焼きもちをやいたことをめんどくさいと気にしていたけど、普段気のない様子が多いだけに焼きもちやいてくれている簪は可愛い。

 そんな可愛い簪をもっと愛でたくなった。

 

「もうっ……愛でたくなったって。ふふっいいよ、あなたの為に着たんだから好きなだけ……ね」

 

 簪が体を俺に預けてくれる。

 すると、ブルマの上、トップスのノースリーブシャツが見えた。

 ブルマもそうだが、トップスであるノースリーブシャツもまたいい。ブルマほど特徴的なものじゃないが、肩口から見える肩から二の腕を撫でるように触れる。

 

「んぅっ、ん……な、なに?」

 

 突然のことに微かに声をもらしながら簪は小さく驚く。

 やっていることは変態行為だが、簪に嫌がってい様子はない。ずっと触れたいと思っていた。

 簪の二の腕はぷにぷにというわけではなく言葉にして表わすのなら「ふにゅ」とした感じで触りこご地がいい。何だか気分がいい。思わず笑みがこぼれた。

 

「あ……笑ってる。ふふっ、楽しい……?」

 

 ああ、物凄く。

 こうして触らせてもらっているのも楽しいが、簪がちょっとはにかんで嬉しそうにしてくれているのが凄く嬉しい。

 だからなのかつい欲が出てしまう。

 

「ひゃぁっ! ちょ、ちょっとっ」

 

 簪が驚いた声をあげていたのを聞き、俺は自分の手元を見た。

 手は半分無意識にブルマから露出している太ももを撫でていた。

 簪の太ももは営みでの行為なら何度も見てきたが、こういった場面で見るのは少ない。というか、ここまで太ももが露出してることはない。普段はスカートはいているわけだし。

 部屋の当たりがあって簪の太ももがよく見える。きめ細かく白く綺麗な肌。日々の訓練の賜物であるかのように細く引き締まっているが、決して堅いわけではなく、ふわふわとした柔らかさがある。

 簪が驚いているのは分かっているけど、触れば触るほど太ももを撫でる手が止められない。

 

「んっ……手つきやらしい」

 

 くすぐったそうにしながらも我慢した声をもらす簪。

 やらしいか……確かにそうだな。というか触りまくっているが、簪は嫌な気分になってないだろうか。ふとそんなことを思った。

 

「嫌じゃ……ない、よ。くすぐったい……だけ。んっ、んんっ……それに、何だか気持ちいい」

 

 安心した。

 喜んでくれているのがよく分かる。くすぐったいのを我慢している声を聞いていると、何かこう燃えてくるものがあるのを感じた。もっと聞きたい、もっと愛でたくなる。

 本当に簪は可愛い。こういう時、特にブルマ姿の簪は食べたくなるくらいに可愛い。

 そんな思いが簪にもちゃんと伝わっているのか、嬉しそうにしながら顔を蕩かせる。

 簪がここまで心を許してくれているという事実。それが、ただただ幸せだ。

 




ブルマ姿の簪にスキンシップしまくっただけの話になった感しかない。

今回は『【恋姫†無双】黒龍の剣』や『ラウラとの日々』の作者である盟友ふろうものさんからの「普段体育参加しない簪が部屋でブルマ履いてる」というクリエストにお答えしました。

簪のブルマ姿を拝んでクンカクンカしたい

それと活動報告の「リクエストについて」 https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=106250&uid=89 にてリクエスト受け付けています。よろしくおねがいします。

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪の素顔と瞳

 

 午前授業が全て終わった土曜日の昼下がり。

 コンコンコンッ、と自室のドアがノックされる音が聞こえる。ドアに向かって返事をしながら開けに向かう。ドアの向こうに誰が待っているのかは分かっている。俺はゆっくりとドアを開けた。

 

「ごめんなさい。遅くなちゃった」

 

 向こう側にいたのは恋人の簪。

 この時間に行くと前もって知らされていた。時間を少し過ぎてはいるがそれはいい。

 今日は特に具体的に何かするってのを決めているわけでもない。二人一緒にだらだら過ごそうと暗黙のうちに決まっている程度。

 ここで問題視をあえてするのなら簪の姿だ。別に問題ってほどのことじゃないし、ましてや変な格好をしている訳でもない。ただいつもとは決定的に違うところが一つだけあった。

 ほんの少し戸惑いながらも俺は簪を部屋の中に入れた。部屋の中へ案内しながら、気になっていることを聞いてみた。いつも簪は眼鏡をかけているのに、今の簪は眼鏡かけてない。何かあったんだろうか。

 

「眼鏡……? ああ……それで」

 

 俺がほんの少し戸惑っていたことに気づいていたようで、いつもの様に俺の膝の上に座った簪は納得した様子だった。

 今、簪は眼鏡をかけてない。だけど、今朝の朝食の時や、つい先ほどまで一緒にやっていた自主訓練の時はまだ簪は眼鏡をかけていた。訓練中に壊れたということもなかったはずだ。ここまで気にするほどのことじゃないが、普段簪はずっと眼鏡をかけていて、その姿が印象強いせいか、つい気になってしまう。

 

「ここに来る前にね……いつも使っているの定期メンテに出してきたの。サブもちょっと……調子悪いみたいだから一緒に」

 

 定期メンテ。ああ、そういえば、簪の眼鏡は視力矯正用のものではなく、眼鏡型のIS用簡易ディスプレイだったけか。簪は視力が悪いということはなく、むしろ視力はいいほうだと以前聞いた覚えがある。つまり、普段の眼鏡は一種の伊達眼鏡みたいなもの。

 簪が今眼鏡をかけない理由は分かったが、ほとんどずっとかけていたものを外したりして、違和感みたいなものはあったりしないんだろうか。

 

「もちろん……あるよ。見えにくいとかはないんだけど、弐式を任されてからずっとかけているからね。かけてないと……変な感じする」

 

 そう膝の上に座っている簪は小さく笑いながら言った。

 眼鏡型のディスプレイとは言え、眼鏡。眼鏡は体の一つというのはよく聞くし、やっぱり、そうものなんだろう。

 にしても。

 

「ひゃっ……! どうか、したの……?」

 

 膝の上に座っている簪と向かい合い転んだりしないように片手を腰に回し支えるように抱く。残るもう片方の手で簪の頬に軽く触れる。そして、簪の姿を見る。

 こうして眼鏡をかけてない簪の素顔を見るのは初めてな気がする。気がするだけで、営みの時、簪は眼鏡を外していることが多いし、一緒にお風呂に入った時なんかも当たり前だが外している。だから、実際に眼鏡を外している姿を何度も見ていることはちゃんと憶えている。

 しかし、今みたいな何もない、何もしていない時にこうして眼鏡をかけてない簪の素顔を見るのはやっぱり初めてな気がした。

 すべすべとしてながらも、もっちりとした柔らかい頬。綺麗で整った可愛らしい小さな顔立ち。眼鏡をかけているいつもの簪は、知的で凜とした感じだが、今眼鏡をかけてない簪はゆったりとした柔らかい感じがして、いつもとは印象が正反対。

 それに簪の目、瞳はとても綺麗だ。眼鏡のない簪の素顔、眼鏡によって遮られてない瞳をこうして見ていられるのも、何だか始めてな気がする。この瞳がいつも自分のことを見て、愛してくれ、沢山の感情を語ってくれる。哀しんだ時瞳は暗く濁ってしまうのに、喜びや愛しさに潤む瞳はどんな宝石よりも綺麗にキラキラと輝く。俺の大好きな瞳だ。

 

「そ、そんなに見つめられたら……は、恥ずかしいよ……っ。というか、近いっ」

 

 恥ずかしがっている簪の声が耳に届き、我に返る。

 簪の素顔、瞳に魅入られてしまっていたのようで気づけば、額と額を引っ付け間近で瞳を見つめていた。

 我ながらかなり近い凄いことをやっているなと思うが、これもまた眼鏡がある普段ならそう簡単には出来ないこと。恥ずかしいのは俺とて同じで、簪はただ恥ずかしがっているだけで嫌がっている様子はない。その証拠に、恥ずかしいと言いながらも、目をそらそうと思えば簡単に出来るはずなのに簪から先に目をそらすことはない。それどころか負けじと、じっと見つめ返してくれる。

 

 今は恥ずかしさで彩られているが、いつもこんな風に簪の瞳はいろとりどり沢山感情の色を映し見せてくれる。

 本当に綺麗な瞳だ。

 

「綺麗って、もう……っ!」

 

 思わず零した言葉で、また新たに簪の瞳は潤み輝く。

 簪の瞳は嬉しさでいろどられ、キラキラと輝きが増していくのが楽しくて、普段以上に口が滑らかになる。もっと簪の声が声が聞きたい、もっと簪の瞳が輝くのを見たくて、可愛い、綺麗だ、好きだ、愛してる、と言葉を囁く。

 

「……~ッ!」

 

 言葉にならない恥らう声をあげる簪。

 おもしろい。それに言葉を囁けば囁くほど、簪の瞳はキラキラと嬉しそうに輝き、それに自分が映って、こっちまで嬉しくなる。

 簪の瞳はただ綺麗なだけではなく、瞳の奥に確かな意志の強さを感じさせられる。簪には、強烈な意志の強さがある。根っこ部分では絶対に曲がることのない強さ。そんな簪の強さに俺自身、憧れているし、尊敬もしている。

 だからなのか、そんな気持ちと愛おしさで胸が一杯になり、簪への情景と愛情を込めるかのように柔らかな瞼にそっとキスをした。すると、簪はくすぐったそうに微笑む。

 

「んっ……もしかして、眼鏡かけてないほうが……好き?」

 

 別にかけてないほうが好きってわけじゃない。眼鏡かけているのも好きだ。

 単純な話、眼鏡をかけてない簪を見れるのは稀なことで、稀だからこそ特別なものを見ている気がしている。

 眼鏡をかけてない簪の素顔を自分だけが知っている気がして、そんな素顔を間近で見れるのは自分だけだと思ったら、何だかとてもむず痒くて、とても嬉しい。

 こういうのを征服欲とでも言うんだろう。出来れば、自分だけに見せて欲しいと思う。

 

「ふふっ、分かった。眼鏡外すの恥ずかしいけど、あなたがそう言うのならそうする。あなたになら私の全部見てほしいから」

 

 なんてことを簪は、恥ずかしがる様子は一切なく嬉しそうな笑みを浮かべて、堂々とした様子でさらっと言った。

 

「あ、照れた。可愛い」

 

 男に向かって可愛いってなぁ。

 第一、ついそっぽを向いてしまうような聞いているこっちの方が何だか恥ずかしくなるようなことをよく言えるものだ。

 まあ、恥ずかしいだけで悪い気はしない。むしろ、嬉しいほどだけど。

 

「本当……今日のあなたは、可愛い。ねぇ……」

 

 甘い声で名前を呼ばれ、キラキラと輝く瞳でじっと見つめてくる。

 熱の篭った熱い眼差し。何を訴えているのか、俺にはよく分かる。

 確か、『目は口ほどに物を言う』ということわざがあったような。簪を見てると、正しくピッタリだ。

 俺は簪の眼差しが求めるものをこたえた。

 さあ、今度はどんな感情の色で瞳をいろどり、どんな風に瞳をキラキラと輝かせてくれるのだろうか。楽しみで仕方ない。

 

… 




簪の素顔、瞳を愛で、簪を愛でるだけのお話。
簪=眼鏡キャラで、眼鏡姿の簪も語るまでもなくもちろん可愛いのですが、眼鏡のない簪もまた可愛いと思います。
というか、簪のワインレッド?の瞳凄く綺麗。ずっと愛でていたい。ああ、簪可愛い。


引き続き活動報告の「リクエストについて」 https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=106250&uid=89 にてリクエスト受け付けています。よろしくおねがいします。

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と仲を深め合った日

 

 休日の日曜だと言うのに、IS学園の学食は今日も今日とて賑やかだ。

 そんな喧騒の中で、簪と俺は静かに昼食を食べていた。ちなみに今食べているものは、日曜限定の和食ランチ。流石はIS学園。お金持ちのエリート学校なだけあって、味は確かで美味しい。限定ランチというだけでその美味しさが増している気がする。

 

「うん、美味しいね」

 

 目の前で同じものを美味しそうに食べている簪も満足そうな笑みを浮かべている。

 周りは賑やかだが、食事中に俺達が交わす会話は基本的に少ない。周りと比べると、とても静かな食事。

 少ないだけで、全く会話をしないわけじゃない。今みたいに『美味しい』だとかの料理の感想や、他愛のない話はするが、それでも周りの賑やかさと比べてしまうとやはり会話の少ない静かな食事だ。

 別に比べるようなものではないことは分かっているし、険悪で重い雰囲気があるわけでもない。これが俺達のいつもの食事風景。二人で過ごす食事の一時というものを楽しんでいる。

 しかし。

 

「……」

 

 小さな口でごはんを食べている目の簪は可愛らしいのだが、心なしか不機嫌なように見える。

 俺が怒らせたり、不機嫌にさせたといったことはないはずだ。思い返しても心当たりがない。喧嘩をしたということもない。第一、簪とはそこまでのことにはならない。しいて思い当たるとすれば、先日のアレか……。

 

「……」

 

 心なしか不機嫌なように見えるだけで、表情に出ていたり、雰囲気にその不機嫌さが出ているといううわけじゃない。八つ当たりなんてことはもちろんなく、いたっていつも通り。

 というか、おそらく簪も自分が不機嫌なのを自覚して、表に出てしまわないように我慢に努めてくれているのが分かる。それだけに、変に指摘したりするのも躊躇ってしまう。

 簪が不機嫌なのは気になるが、だからといってこっちまでそれで不機嫌になるようなことはない。今はただ。

 

「そういえば」

 

 ご飯を食べ終えた簪が聞いてきた。

 

「午後からそっちは……自主練だった、よね」

 

 俺もご飯を食べ終え、お茶を飲みながら頷く。

 午後からの予定はそれであってる。訓練場の使用申請は既に提出しているし、今日は最低でも二、三時間は訓練できそうだ。

 そう言う簪は午後、弐式のメンテナンスだったはず。多分、こっちが早く終わるだろうし、迎えに行くか。

 

「うん、ありがとう……私のほうは多分かなり時間かかると思うから。ごめんね、待たせちゃうことになるかもしれないけど」

 

 それは別に構わない。

 それにしても心なしか簪が不機嫌なように見えるのはやっぱり変わらない。

 簪が不機嫌なのは気がかりだが、先日のアレはもう済んだことだし、今はそっとしておくしかないだろう。

 

 

 

 

 ふぅ、と息をつきながら訓練場脇にあるベンチに腰を下ろす。

 今日も日課である訓練を一通り終えた。それに倉持から送られてきたテストして欲しいと言われていた新装備のテストも終わった。

 時間帯的には日が沈みかけている夕方。昼食を終えてからずっとやってたから、かれこれ四時間以上訓練していたことになる。

 今日の訓練をこのまま終えるには丁度いい時間だし、部屋に戻るか。汗をタオルで拭いベンチから腰を上げた時だった。

 

「やっほ~弟君」

 

 訓練で疲れた体に精神的に鞭打ってくるような聞きなれた楽しげな声が背後から聞こえてきた。

 確認するまでもない。こんな呼び方で呼んで来る人なんて一人しか心当たりない。

 無視するわけにもいかず、振り向くとそこには予想通りISスーツを着た楯無会長と、多分楯無会長の付き合いでいるのだろう虚先輩がいた。

 ここ以外にも訓練場は他にいくつかあるのにどうしてわざわざここに来たんだろうと思ったが、聞くのはやめとこう。別の話もされて長引きそうだ。

 嫌いじゃないし悪い人じゃないのは分かっているが、楯無会長と関わるとめんどくさい。出来れば、あまり関わりたくない人だ。

 軽く挨拶はしたし、さっさとこの場から去りたい。

 

「ちょっと、つれないわね~」

 

 楯無会長にガシッと手を掴まれ、引き止められた。

 掴まれて痛いってことはないが、凄い力だ。振りほどけない。華奢な体の一体どこにこんな力があるんだ。

 

「折角会ったんだから姉弟水入らずで一緒に過ごしましょうよー」

 

 楯無会長は腕を抱きしめようとしてくる。

 慌てて腕を引っ込め、楯無会長から離れる。

 何するんだ、この人は。普通、姉弟はそんなことしない。

 楯無会長曰く、親交の証としてのスキンシップらしいけど、毎回同じようにこんなことするのは困るしやめてほしい。本当に苦手な人だ。

 

「ふふっ、逃げられちゃった」

 

「お嬢様、やりすぎです。彼も困っていますよ」

 

 企みが未遂で終わったにもかからず、楯無会長は気にするどころか、とても楽しげに笑っている。

 虚先輩に注意されてるのに気にしてないし、虚先輩は呆れ果ててしまっている。

 

「困るだなんてそんなことないわよね、弟君。こんな美人のお姉ちゃんと触れ合えて嬉しいはずよね」

 

 さも当たり前かのように自信満々に言う楯無会長。

 聞かなかった。何も聞かなかったことにしよう。

 まあもっとも美人なのは事実だけど、自分で言ってしまったら意味ない気がする。

 それに嬉しい嬉しくない以前に何考えてるのか今一正確に読み取れず、ただただ困るばかりだ。

 

「あら、酷い。表情はいつも通りでも内心嫌そうにしてるのは分かるわよ。お姉ちゃん、傷ついてしまったわ」

 

 よよよ、と楯無会長はわざっとらしい泣き真似をする。

 人で遊ぼうとしているのが嫌というほど分かるだけに、内心凄くイラッとする。こういうところがこの人の苦手な原因の一つ。

 表情にはそれが出ないように努めているが、楯無会長にはおそらくそんな内心を読まれているのだろう。まあ、露骨に表情に出てなければいい。

 

「と、そんなことは置いといて。今日は簪ちゃんは一緒じゃないのね?」

 

 また、急に話題を変えて振ってきた。

 楯無会長の言う通り、今簪とは一緒じゃない。

 態々そんなことを聞いてくるってことは楯無会長は簪に用事があったのだろうか。

 だから、俺と一緒にいると思ってここ来たと考えれば、来た理由としてまた新たに納得できる。

 簪なら本音と一緒に整備室で整備科の子達の力を借りて、弐式のメンテナンス中だ。

 

「そうなの。あ、別に簪ちゃんに用事があるってわけじゃないんだけど……」

 

 楯無会長の言葉は歯切れが悪い。

 何かあるのだろうか。

 

「いやね、あなた達が一緒にいないの珍しいなって」

 

 そういうものなんだろうか。

 簪と一緒にいることが多いことは自覚しているけど、何も別に四六時中ベタベタと一緒にいるわけじゃない。一人で用事をすませることもあれば、一人でいることも無論ある。

 だから、改めて珍しいと言われるほどのことじゃないとは思う。

 それに楯無会長の言い方的にこの言葉そのまま以外の意味もありそうな気が。言い躊躇っているみたいだけど、楯無会長らしくない。はっきり言ってほしい。

 

「じゃあ、言わせてもらうけど、あなた達喧嘩してるでしょう」

 

「えっ? 喧嘩してるんですか?」

 

 虚先輩と似たような驚いた台詞が偶然にも重なった。

 喧嘩って感情的になって言い争ったり、最悪の場合は手が出てしまう奴だよな。俺と簪が喧嘩……またどうしてそんなことを言うんだろうか。

 俺の思い違いじゃなければ、女に手を上げるのは論外でしないのは当たり前だが、簪と感情的になって言い争うような口喧嘩を始めとする喧嘩はしてない。

 これを定義とするのなら最近どころか、付き合ってからこれまで特にこれといって思い当たるような喧嘩らしい喧嘩をした覚えはない。

 だからといって全部我慢しているわけじゃない。吐き出すべきものはちゃんと、『話し合い』でお互いに吐き出している。育った環境が違う者同士なのだから、価値観の違いがあるのは当然だ。理解し合ったり、歩み寄ったりするには、話し合いが不可欠。お互い相手を分かろう、受け止めようという気持ちがあるからこそ、相手の話を聞こうという気持ちになるのだと思う。

 その『話し合い』こそは先日にしたばかりだが、喧嘩をしているといわれて思い当たるような節はない。

 

「だったら、何でここのところ弟君と簪ちゃんはそんなに不機嫌そうなのかしら」

 

 痛いところをつかれた気分だ。

 言われた通り、簪はここのところ不機嫌だ。思い当たる原因は先の話し合い。話し合いでお互いの気持ちを確認しあって、一まず納得はしてそこで終わった。だが、全てが全て納得しきれるわけじゃない。だからこそ、今すぐには全てを完全に納得しきれなくて、不機嫌になっている。簪をそんな風に不機嫌にさせてしまっているのは俺だ。すまないと思う。

 それに簪は簪で自分が不機嫌なのを自覚しているだろう。自覚しているからこそ、相手に不機嫌なのを見せたりしたら、相手も不機嫌にさせてしまい、悪循環を招くことになると理解して、簪は内に溜め込み、更に不機嫌になってしまう。

 そして俺もまた言われた通り、多少なりと不機嫌だ。理由は簪と同様。自分が不機嫌なのを俺も自覚しているし、だからといって表立って不機嫌なのを見せたりはしたくない。そんなことされたら相手は嫌だろうし、自分がされたら嫌だ。

 だから、なるべく不機嫌なのを表立ってには出さないようにしていたのだけど、楯無会長には見抜かれてしまっていた。本当によく見ている。

 

「当たり前よ。歳は大差なくても私は楯無。あなた達の何倍も濃い人生送っているのよ、見抜けて当然。それに私はお姉ちゃんなんだからね」

 

 確かにそれは説得力ある言葉だ。

 でもだから、喧嘩しているように思われたのか。付き合ってもいる二人が揃って不機嫌だと、喧嘩してしていると思われても仕方ない。

 二人揃って不機嫌なのは事実だが、だからと言ってやっぱり喧嘩しているわけではないし、変に避けあっているわけでもない。いたって普段通り。一緒にご飯べたりするし、一緒に過ごしたりもする。

 あ、でも思い返してみれば、気持ち簪よりも私用を優先してしまっていたのかもしれない。

 

「あなた達……というか、弟君は物凄く理性的だから無意識にいろいろなものを我慢してしまっているのかもしれないわね。それは弟君に強く影響されている簪ちゃんにも言えたこと。あなた達は似たものカップルだから。その話し合い? で一まず納得はしてそこで終わったとか思っていたりしないからしら?」

 

 その通りだ。図星をつかれ返す言葉がない。そんな俺の様子を見て、楯無会長は呆れていた。

 

「はぁ~まったく、あなた達は。我慢は必要なことだけど、あなたたちの場合は我慢しすぎなのよ。その我慢もお互いのことを想い理解してなんでしょうけど」

 

 我慢しすぎ、か……。

 もしかしなくても、そうだ。俺は簪に我慢させすぎている気がする。だから実際、話し合いから数日経った今でも簪の機嫌はよくなっていない。

 しかしだからといって、今できることはないと思う。もう一度、簪と話し合いすれば済むだけの話なんだろうけど、それはそれで済んだ話を蒸し返すだけになってしまう。今は少しそっとしておくしかない。

 とは思うものの、それだと現状維持で何も変わらない。二進も三進もいかない現状だ。

 

「弟君はどうするべきか分かっているんでしょう。考え無しに行動するのもよくないけど、こういう時は考える前にまず行動」

 

 それは……。

 

「四の五の言わない。お互い変な意地張らずに、もう一度話し合いすべきだと思うのだけど。理解しあっていても、言葉にしなくちゃ伝わらないものってあるでしょう」

 

 それもそうだ。

 簪に不機嫌なのをぶつけてしまわないと、迷惑かけまいと、相手を想い我慢するあまり、お互い変な意地の張り合いになっていたのかもしれない。そうなれば、お互い不機嫌なのが長引くのもある意味当たり前のこと。済んだ話を蒸し返すことは分からないが、このままなのはよくない。言葉にしなくては伝わらない想いはやっぱりある。先の話し合いですんだと決め付けすぎていたのかもしれない。自分勝手だ。もう一度、簪と話し合ってみよう。

 楯無会長、虚先輩には要らぬ心配をかけてしまった。悪いことをした。

 

「要らぬ心配だなんて気にしなくていいわよ。喧嘩というより変な意地の張り合いしてる二人の面白い姿見れたことだし。本当、喧嘩なんてしちゃだめよ~」

 

「お嬢様……」

 

 言葉は心配している風なのに、声は嬉しそうなのが、いいこと言われたと思ったのに台無しだ。またもや、虚先輩は呆れている。まあ、楯無会長らしいといえばらしいが。

 それにどうあれ、楯無会長が俺達のことを心配してくれている気持ちは本物だ。

 

「心配ね……まあ今更、本気でお姉ちゃんぶりたくて心配してるわけじゃないわ。そんなこと本気でしたら簪ちゃん嫌がるだけだろうし。ただ先輩として後輩カップルが二人揃って不機嫌なのを見かねて余計なお節介やいただけのことよ」

 

  その余計なお世話のおかげで変な意地の張り合いをしていることに気づけた。純粋にありがたい。

  俺達は良き姉を持った。

 

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。そういう弟君の素直のところ、お姉ちゃん大好きよ」

 

 またとんでもない冗談を言ってきた。

 まあ、お世辞として受け取っておく。

 

「お世辞じゃないのに。まあ兎も角、仲良くね」

 

 楯無会長は優しい姉の顔をして、そんな言葉を送ってくれた。

 

 

 

 

 楯無会長達と別れた後、ISスーツから制服に着替え、簪がいるだろういつもの整備室に向かう。

 今から向かうとラインを送ったところによると、まだメンテナンス中らしい。

 もう一度、話し合いをすると決めたのはいいものの、どう切り出したらいいのか迷う。そんなつもりはないのだが、客観的に見てやっぱり喧嘩しているということになるのなら、仲直りするべきなんだろう。

 機嫌を直してもらおうにも、そもそもな話そこまで表立って不機嫌なわけではないし、機嫌をなおしてほしいだなんておかしい気もする。うーん、難しい。

 

『考える前にまず行動』

 

 さっき楯無会長に言われた言葉を思い出す。

 行動する前からあれこれ考えすぎだな。ここは一つ率直に聞いてみるか。

 気持ち少し歩く速度を早めると、整備室に着き、中へと入った。

 

「おっ~! 彼氏君だぁ~!」

 

「本当! 更識さんのお迎えかな。焼けるね~」

 

 入るなり出迎えてくれたのは本音と見知った同学年である整備科の子。

 俺も自分の専用機のメンテでよくお世話になっている子だ。

 来た理由が分かっているのか、その子は簪に声をかけてくれた。

 

「お~い、更識さん。彼氏君が迎えにきたよ!」

 

 割りと大きな声だったせいか、整備室に数人いるメンテを手伝ってくれている整備科の子達の視線が一気に集まる。

 慣れた光景だが、人の視線、それも同年代の女子の視線が集まるのは何度体験してもビクっとなる。あらあらまあまあといった感じの暖かい視線を送られるが、気にせず簪の元へ行く。

 

「ごめんなさい、まだ終わってなくて。もう少しで終わりそうなんだけど……」

 

 簪は申し訳なさそうに言ってきたが、気にすることはない。

 元々待つのを分かって来ていたわけだし、

 一瞬何か手伝おうかとも考えたが、かなり専門的なことをやっているようで、門外漢な俺がしゃしゃり出ても邪魔になってしまいそうだ。

 一言声をかけ、適当なところに腰を下ろして大人しく待つ。

 

「この調整ならスラスターの出力安定してきた」

 

「そうだね。でも、更識さん。これだとやっぱりここの数値が」

 

「あ……うん、だったらこことをこうしたら」

 

 目の前では変わらずメンテが進められている。

 こうして、弐式のメンテに立ちあうのは両手では数え切れないほどだが、すっかり簪は整備科と仲良さげ。会話こそは難しい専門的なものをしているが、雰囲気は和気藹々としていて、簪は楽しそう。

 初めの頃、簪は人見知りと内気全開で周りを警戒しまくっていたのが懐かしい。

 不機嫌さが幾分かマシになっている感じがする。

 

 そんな簪の様子見ていると待つのは苦じゃないけども、もう一度話をしようと思っていただけに、出鼻をくじかれた気分。

 すぐに話せるわけじゃないとは分かっていたが、思い立ってもすぐ行動に移せないだけに、また行動する前からあれこれ考えていても仕方ないことが頭の中で渦巻く。何だかモヤモヤする。

 そして待つこと一時間近く。ようやく弐式のメンテが終わり、今日のメンテナンスは解散の流れとなる。

 

「ありがとう、皆。今日、メンテナンスに付き合ってくれて……助かった」

 

「いいよ、そんなの水臭い。こっちとしては弐式のメンテナンスはいい勉強になるからね」

 

「そうだよ、更識さん。専用機なんてこうでもしないと関われないから頼ってくれてありがたいよ」

 

「うん、本当……ありがとう」

 

 片付けを手伝いながら、そんな光景を目にする。

 本当に和気藹々としたいい感じだ。簪の成長に胸がじんと熱くなる。

 

「じゃあ、お腹空いたしそろそろ帰るかな」

 

「だね~ かんちゃん、彼氏君。またお夕飯のときね~」

 

「アタシお腹ぺこぺこ。あ、後はカップルでごゆっくり」

 

 夕食時近くのいい時間なので本音やメンテを手伝ってくれた子達は早々に帰っていった。

 そして、その場に残される簪と俺。皆、気を遣ってくれたのかもしれない。感謝しないと。

 これで話せる状況にはなったが。

 

「……」

 

 場に立ち込める沈黙。

 簪は黙々と帰る準備とかをしている。それに何か言いづらそうにしている。

 俺もこの雰囲気で言いづらいが、それを簪に伝えてしまったかもしれない。ダメだな。ここで躊躇わず、さっさと言ってしまおう。

 

「あの……!」

 

 偶然、運悪くも簪と言葉が重なり、二人して顔を見合わせる。

 更に気まずい。どちらも余計に言い出しにくくなる。よくない。ここはやはり男の俺から言わないと。

 俺は、先日話したことについてなんだけど、と話を切り出した。

 

「先日……うん」

 

 何のことかは言わずとも伝ったらしい。

 先日の話し合いですんだとは言え、あれでやっぱり簪を不機嫌にさせてしまったのかもしれない。すまない。もう少し言葉を選ぶべきだったとか考えたが、言えたのはそんな言葉だった。でも、これが俺の率直な思いでもある。

 

「謝らないで。あれは済んだことだし……すんだことなのに私が一人で勝手にモヤモヤして不機嫌になってただけだから。というか、あなたも気づいてんだね」

 

 も、ってことは簪も。

 

「うん。あなたも不機嫌だったよね。でも、不機嫌でも八つ当たり何かせず、普段通りにしようと頑張ってくれて、その……ずっと我慢させちゃったよね。私のほうこそ、あなたを不機嫌にさせちゃってごめんなさい」

 

 申し訳なさそうな表情を浮かべると、簪は頭を上げた。

 頭を上げてほしい。というか、謝られても困ると……。

 俺のほうも済んだことなのに一人で勝手にモヤモヤして不機嫌になっていただけのこと。簪に何も非はない。

 

「じゃあ……お互い様……ってこと?」

 

 ああ、そうだな。俺達はお互い笑いあった。すっかり簪からは不機嫌さは感じられない。

 

「あなたのおかげだよ。私のことをちゃんと考えてくれていて、それが分かって嬉しかった。それにあなたも機嫌直ったみたいだね」

 

 俺の方もまた不機嫌さがなくなり、すっきりとした気分。

 結局、二人して同じ様なことで不機嫌になって、同じ様に考え合って謝りあった。おかしな話だ。

 でも、簪は不機嫌な時でも俺のことを考えてくれていて、それが分かってうれしいと俺も思う。

 やっぱり、これで簪と仲直りできたということになるんだろうか。

 

「ふふっ、そうだね。まあ……喧嘩してないのに仲直りってのは変だけど」

 

 小さく笑いながら言う簪に同意する。まったくその通りだ。

 そもそも先の話し合いの内容にしたって他人に聞かせでもしたら、あきれられてしまうような犬も食わぬ些細なこと。ここであえて言うまでもない。

 でもやっぱり、こうして簪と仲直りできてよかった。

 仕方ないとはいえ、不機嫌なままで簪といたくない。

 

「うん……私はありのままであなたといたい」

 

 そんな嬉しい言葉を簪はさらっと笑みを浮かべながら言ってくれた。

 

 …




今回の話のテーマは『喧嘩して深まる仲』。
といっても、二人は感情的に喧嘩するどころか、まず喧嘩しないのでこんな感じに。
相手を思うばかりに、意地の張り合いになるっていう感じ。

鼻血ブーちょろいんよりも、ちゃんと先輩やお姉ちゃんやっている楯無さんのほうが好き。
ヒロインの楯無さんも嫌いじゃないが、楯無さんにはお姉ちゃんでいてほしい。
後、今回の話もうちょっと虚先輩の出番増やしたかった。

今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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あなたと仲を深めあった日

 休日の日曜日だからなのか今日も学食は賑やか。というか、平日以上に騒がしい。別にそれほど気にならないからどうでもいいけども。

 今はただ、彼と一緒に過ごす静かな食事を楽しむだけ。ちなみに今日の昼食は、彼と一緒に選んだ日曜限定の和食ランチ。とってもヘルシーで、小食な私でも食べやすい。

 学園が選んだプロの料理人が作っているということもあって味は確かで美味しい。

 

「美味しいね」

 

 目の前の席で美味しそうに見ている彼を見ていると、そんな感想がふとこぼれ、彼も頷いてくれた。

 私達の周りの席はとても賑やかだけど、それとは対象的に私達の席はとても静か。基本的に私達が食事中に交わす会話は少ない。

 少ないだけで、全く会話をしないわけじゃない。今みたいに『美味しい』などといった食事の感想や、他に愛のない話はするけど、それでも周りの賑やかさと比べてしまうとやっぱり会話の少ない静かな食事。

 元々、彼はおしゃべりなタイプではないし、私もおしゃべりなタイプじゃない。むしろ私のほうが口数少なくて口下手なのが原因なのかもしれない。別に原因っていうほど大事じゃない。彼は私のそういうところをちゃんと理解してくれて、お互い会話が少なくても居心地のいい過ごしやすい雰囲気にしてくれる。

 だから、別に周りと比べるようなものではないってことは分かっているし、会話が少なくても険悪で重い雰囲気なんてことにはならない。これが私達のいつもの食事風景。二人で過ごす食事の一時というものを楽しんでいる。

 会話が少なく静かでも、彼と過ごせるこういうありふれた一時にちょっとした幸せを感じる。実際、一緒にお昼をしている今も楽しくて幸せ。

 だけど。

 

「……」

 

 私より先にご飯を食べ終え、スマホを弄りながら持ってくれている彼の傍で私は今だご飯を食べながら、彼の様子を伺う。

 心なしか彼が不機嫌に見えるのは私の気のせいじゃないはず。私が怒らせてしまったり、不機嫌にさせたといったこともないとは思う。私が気づいてないだけでだったら辛いけど……うん、思い返してみても心当たりがない。こういう時、カップルによくある喧嘩の可能性も一瞬考えたが、第一私と彼とじゃ喧嘩にならない。しいて思い当たることがあるとすれば、先日のアレかな……。

 

「……」

 

 心なしか不機嫌なように見えるだけで、表情に出ていたり、雰囲気にその不機嫌さが出ているということは一切ない。今の彼はいたっていつも通り。

 彼のことだ。私が気づけたぐらいなのだから、きっと彼も自分が不機嫌なのを気づいている。むしろ自覚しているからこそ、その不機嫌さを決して表に出さないように努めてくれている。それどころか少しでも私に悟られないようにしているのが私には何となくにだけど分かってしまった。彼はそういう人だ。

 私が勝手に気づいただけだから、変に指摘したりするのは躊躇ってしまう。彼の努力や気遣いを無駄にはしたくない。

 彼が不機嫌だからって、それで私も不機嫌になることはないけど、彼が不機嫌なのを気づいてしまうと、やっぱり気になってはしまう。

 

 うっ……一瞬、彼と目が合ってしまった。

 彼が不機嫌なのが分かっただけに、何だか気まずさが芽生えてくる。

 今はほんの少し沈黙が辛い。気まずさを紛らわす為に私は彼にふと思い出したことを聞いてみた。

 

「そういえば、午後からそっちは……自主練だった、よね」

 

 お茶を飲みながら、彼は頷く。

 朝、彼の今日一日の予定を聞いたら、そんなことを教えてくれた。

 ちなみに私は午後から本音を連れて整備室で整備科の子達に協力してもらいながら、弐式のメンテナンス。大掛かりなメンテナンスじゃないけど、かなり時間はかかりそう。

 すると、彼は迎えに来てくれるとのこと。

 

「うん、ありがとう……私のほうは多分かなり時間かかると思うから。ごめんね、待たせちゃうことになるかもしれないけど」

 

 私用で彼を待たせてしまうのは申し訳ないけど、こればっかりは仕方ない。

 彼も気にしなくていいって言ってくれたことだし、ここは素直にお言葉に甘える。

 それよりも今は、やっぱり彼の不機嫌さは変わってないのが気になってしまう。

 先日のアレが原因だとしても、アレはもう済んだこと。今更蒸し返すのもちょっとなぁ……。結局、今はそっとしておくしかないのかもしれない。

 

 

 

 

「よし……じゃあ、少し……休憩にしよっか」

 

「ん~疲れた~!」

 

 弐式のメンテナンスがキリのいいところまでいき一旦、休憩を入れる。

 お昼ごはんを食べ終え彼と別れてから、ここまで数時間ぶっ通しでやっていたせいか、皆の顔には疲労の色がある。ちょっと長めに休憩取らないと。

 

「ほい、かんちゃんもどうぞ~」

 

「ありがとう……本音」

 

 この整備室にいる皆の分の飲み物を買ってきてくれた本音から一本、ペットボトルのロイヤルミルクティーを受け取り、一口飲む。甘くて美味しい。

 さっきまで作業に集中していて考えることはなかったけど、こうして飲み物を飲みながら体や頭を休めていると、頭の片隅に追いやっていたことを……彼のことを考えてしまう。

 

 彼は不機嫌だった。原因といえるものがあればやっぱり先日のアレしか思い当たるものがない。

 アレとは、『話し合い』のこと。私達は殴りあったりはするのは当たり前にしないけど、言い争ったりする喧嘩もしたことがない。そもそも彼はとても理性的で自分の感情を上手くコントロールできちゃうから、感情的な喧嘩になったことは付き合って今まで一度もない。 

 喧嘩しないけど、だからって全部我慢してるってこともない。万が一感情的な言い争いにならないよう、私達は『話し合い』で解決する。といっても基本的に私のほうが言いたいことをばーっと言って、彼が黙って聞いてくれることがほとんどだけど。まあそれでも、私達は私達なりに上手く付き合っている。

 

「はぁ~……」

 

 だというのに、モヤモヤとして思わず溜息が出てしまう。よくないなぁ。

 私まで不機嫌になってしまいそう。私も自分の中で上手く解決しないと。

 彼が不機嫌な理由がおそらく先日の話し合いだとたどり着いたけど、アレはもう済んだこと。話し合いでお互いの気持ちを確認しあって、お互い一まず納得はしてそこで終わった。でも、全てが全て納得しきれるわけじゃない。それは私だってそう。だからこそ、今すぐには全てを完全に納得しきれなくて、彼は不機嫌になってしまっている。私が気づいてないだけで不機嫌にさせてしまったってこともあるかもしれないけど。

 もっとも八つ当たりされてるわけでも、不機嫌なのが表立って出てるわけでもない。話し合いから数日経っているけど、避けれるなんてこともなく毎日一緒に過ごしているし、パッと見普段通り。

 おそらく彼は彼で、その不機嫌さをゆっくりとでも解消しようとしてくれているはず。やっぱり、今はそっとしておくしかないのかな。

 

 そう分かってはいるけど、彼には少しでも早く機嫌を治してほしい。私の身勝手かもしれないけど、彼に不機嫌なままでいほしいくない。でも実際のところ、今私にできることはなく、ただ歯がゆさみたいなものだけが残る。どうしたらいいんだろう。あれこれ考えをめぐらしてみるけど、具体的な案が一向に思いつかない。

 

「か~んちゃん!」

 

「ひゃっ!」

 

 本音の大きな声が聞こえ、ハッと我に返る。

 

「どうしたの? ぼーっとして」

 

「え? あ……ううん、何でもないよ。うん何でもない」

 

 考え事をしすぎてぼーっとしてしまったみたい。

 適当に誤魔化してみたけど、このままじゃいけない。本音に気づかれてしまったんだ。このままだと彼には全て簡単に見抜かれてしまう。そしたら余計に心配とかかけちゃうかもしれない。平静でいないと。

 

「何でもないっていかにも悩み事してますって顔してたのに~ もしかして、彼氏君のことで悩み事かな?」

 

「なっ!」

 

 思わず、声をあげてしまった。わりと大きかったようで、本音以外の整備科の子達の視線も一気に私に集まる。

 これじゃあ、図星だと言っている様なもの。というか、図星だと取られて、目の前にいる本音がニヤニヤとして顔を向けてくるのが、内心すっごくイラっとする。

 ここは我慢しないと。何かリアクションでもしたりしたらもっと認めてるようなもの。本音にからかわれたくない。

 

「まあ、最近のかんちゃんが悩むことなんて彼氏君のことぐらいだよね~」

 

「っ……」

 

「彼氏君のことで悩み事か~ あっ、もしかして~! 喧嘩でもした~?」

 

「本音、声が大きい……!」

 

 視線が集まっている中で本音がそんなことを大きい声で言うものだから、整備科の子達も「何々、喧嘩したの?」と言いながら集まってきて、私は逃げるすべもなく野次馬に囲まれてしまった。

 

「更識さん達でも喧嘩するんだ」

 

「何かいが~い」

 

「や……その、喧嘩じゃないから」

 

「じゃあ、どうしてあんな風に悩んでたの~?」

 

 心配そうな視線を向けてくる本音と皆。

 皆心配してくれているのは私でも分かるんだけど、反面楽しそう。

 まあ、女子は恋話が好きってよく言うから、無理もないのかもしれない。昔は興味なかったけど、私も最近になって興味が少し出始めたから分からなくはない。特に他人の恋話なんていい話の種。学園で男女のカップルなんて私のところと、本音のところぐらい。あんなことあった後じゃ、いい話の種になるのは尚更。

 というか、どうしよう……この状況。出来れば話たくないけど、話さないってのはまず無理そう。言葉通り、取り囲まれてるから逃げ場がない。話すしかない。正直、私にはどうしたらいいのか思いつかないから、話すことで何か解決策みたいなものをもらえるかもしれないわけだし。ここは前向きに。

 

「えっと……その……」

 

「その?」

 

 皆の声が重なる。言いづらい。

 

「本当に喧嘩したわけじゃないんだけど……最近彼、ちょっと機嫌悪くて。別に喧嘩したり、怒らせたってことはない……とは思うの。そういう時、そっとしといたほうがいいってことは分かっているんだけど……早く機嫌治してくて。その為にどうしたらいいのか分からなくて……」

 

「それで悩んでいたと」

 

 こくりと私は頷く。

 

「あの彼氏君が不機嫌ね。いつも通りな感じにしか見えないけど」

 

「うんうん。そんな風に見えないからビックリだよ~」

 

 意外そうに整備科の子達と本音が言う。

 やっぱり、他の人には普段通りに見えているんだ。彼は同じ男子である織斑みたいに分かりやすいタイプじゃないしなぁ。話し合いがあったからこそ、私は気づくことが出来たけど、なかったら皆と同じ様に気づけずにいたのかもしれない。彼は隠すの上手だから。

 

「うーん、彼氏に機嫌なおしてもらうには、か……」

 

「やっぱり、何で機嫌悪いのか聞くとか?」

 

「そんな簡単に言われても……出来たら、もうやってる」

 

 出来ないから、こうして困って悩んでいるというのに。凄くモヤモヤする。

 

「でもさ、それか、話し合いするかなくない? 今時、女の方が男に変に気を使うのはおかしいじゃん。疲れるだけだし、ここは一つ強気に出ないと。それでもほっといてほしそうにしれたら、ほっとくしかないけどね」

 

「そうそう。男に舐められたらお終いよ」

 

 そんな自信満々に言われても。それに何かおかしい。いや言っている言葉の意味は分からなくはないけど。

 第一、そういうのじゃない。彼とは舐める舐められるって感じにはならない。

 でも、話し合い、か……そっとしておくのがやっぱり本当は一番だし、済んだ話を蒸し返してしまうようで気が引けるけど、このままってのはお互いによくない気がする。強気ってわけじゃないけど、ここは勇気を出してみよう。

 

「……まあ、そうだね。やっぱり、もう一度彼と話し合いしてみる。ありがとう……皆」

 

「お礼だなんていいよ。ね」

 

「うんうん。更識さんの話きけてよかったよ」

 

 結局、話し合いという初めからある答えにたどり着きはしたけど、私一人だったらずっとうじうじ悩んでいただけな気がする。 こんな風に決心しきれなかった。本当感謝しないと。

 そんなやり取りを皆としているとそれを見ていた本音が何故か微笑ましいそうに見ている。それこそ、子供の成長を見守る親みたいな感じで何か嫌なんだけど、それ。

 

「……何なの、本音」

 

「いや~かんちゃん、本当に丸くなったなぁと思って~」

 

 丸くなった? 

 自分ではそうは思えず、意味が分からなくて私は首をかしげた。

 

「あ、確かに。正直、こんなに素直に話してくれるとは思ってなかったもん」

 

 言わざるおえない状況だったから話したんだけど……とも思ったが、確かに以前の私じゃこんな話しなかったと自分でも思う。

 

「初めて会った時の更識さんは何ていうかこう凄いツンツンしてたもん。正直、昔の更識さんとじゃこんな風に仲良くなれよかったよ」

 

「確かに。でも、それが今じゃこんなに丸くなって。恋人が出来ると変わるって本当だったんだね」

 

「うんうん。今の方が親しみやすいよ。今の更識さんの方が可愛くて好きだなぁ」

 

 今度は本音だけじゃなく、整備科の子達にまで微笑ましいと言わんばかりの目を向けられる。むしろ、ニヤニヤされてる。

 自分でも彼女達と会ったばかりのころはツンツンしていた自覚はある。あの時は心に全然余裕なかったから。でも、それが彼と付き合い始めて変わった自覚もある。

 変わったってことはいい方向にってことでいいことなんだろうけど、こうニヤニヤされては居たたまれなくて素直に喜べない。それに何だか顔が熱い。

 

「おっ、更識さん。顔真っ赤~ひゅーひゅー」

 

「ふふっ。かんちゃん、可愛いね~」

 

「本当。更識さんは妹的可愛さがあるよね~ 更識会長が可愛がるのも何だかよく分かるわ」

 

「もうっ……や、やめてってば~」

 

 その後、作業再開を告げるまで私は皆に猫可愛がりするように遊ばれてしまった。

 

 

 

 

 スマホのバイブが鳴る。

 一旦作業の手を止め、スマホを手に取り、ディスプレイを見てみるとラインの通知が来ていた。

 内容は彼から訓練が終わったから今から迎えにいく、というものだった。

ディスプレイに映っている時間を確認してみれば、もうそんな時間なんだと思った。弐式のメンテナンスは終盤に差し掛かり、作業工程としては後少しだけど、時間はかかって彼を待たせることには変わりない。

 

「かんちゃん、どうかしたの~?」

 

「……うん、ちょっとね」

 

「ん~? それ彼氏君から?」

 

 ラインのことを指して言う本音に私は頷く。

 

「うん……迎えにくるって」 

 

「愛されてるね~」

 

「もうっ、そういうのいいから……さっ、作業作業」

 

 ニヤニヤしてる本音にまたおもちゃにされそうになったので、素早く逃れる。

 数分後、彼はここ整備室にやってきた。

 入ってくるなり、早速彼も本音や他の子達に遊ばれていた。

 

「お~い、更識さん。彼氏君が迎えにきたよ!」

 

 わざっと大きい声をあげて、私に声をかけてくる。

 何だか気恥ずかしい。それは彼も同じようで、少し気恥ずかしそうにしながらこっちへやってきた。

 

「ごめんなさい、まだ終わってなくて。もう少しで終わりそうなんだけど……」

 

 私が彼にそう言うと、彼は気にしなくて言いと声をかけてくれた。

 手伝いたそうにしていたけど、弐式のメンテナンスは今専門的なことをしている。彼には悪いけど手伝ってもらうようなことはない。それを彼も分かっているようで、邪魔にならない適当なところに腰を下ろして待ってくれた。

 

「この調整ならスラスターの出力安定してきた」

 

「そうだね。でも、更識さん。これだとやっぱりここの数値が」

 

「あ……うん、だったらこことをこうしたら」

 

 メンテナンスは続けているけど、その最中彼からの視線が痛い。

 睨むような悪い意味ものではなく、何というか……こう暖かい視線。まるで休憩中、本音から向けられた親が子供に向けるような暖かい視線で、嫌な気持ちになったりはしないけどむず痒い。本音といい、彼といい二人してそんな視線向けてくるほどのことじゃない気がするのに。

 それからメンテナンスは一時間近くかかってしまい、ようやく終わった頃には夕食時前になっていて、今日はそのまま解散の流れになった。

 

「ありがとう、皆。今日、メンテナンスに付き合ってくれて……助かった」

 

 皆を前にして、改めて皆に俺を言う。

 このメンバーに弐式のメンテナンスを手伝ってもらうのはもうかなりの回数になるけど、やっぱり腕がいい。何より細かい融通が利くのがいい。正直、倉持の正規メンテナンススタッフとメンテナンスにあたるよりもやり易い。

 私自身彼女達と仲良くなったと思う。彼女達には今回も感謝に尽きない。

 すると、真面目にしすぎたせいか、彼女達は照れくさそうに小さく笑っていた。

 

「いいよ、そんなの水臭い。こっちとしては弐式のメンテナンスはいい勉強になるからね」

 

「そうだよ、更識さん。専用機なんてこうでもしないと関われないから頼ってくれてありがたいよ」

 

「うん、本当……ありがとう」

 

 私はもう一度感謝の言葉を言った。

 いい雰囲気なのは確かだけど、何でまた彼と本音は子供を見守る親の様な暖かい視線を向けてくるんだろう。

 

「じゃあ、お腹空いたしそろそろ帰るかな」

 

「だね~ かんちゃん、彼氏君。またお夕飯のときね~」

 

「アタシお腹ぺこぺこ。あ、後はカップルでごゆっくり」

 

 夕食時近くのいい時間なので本音やメンテを手伝ってくれた子達は早々に帰っていった。

 すれ違い様、整備科の子達がウィンクしてくれた。きっと、気を遣ってくれたんだね。

 その証拠に、整備室には私と彼だけが残った。

 

「……」

 

 場に立ち込める沈黙。

 せっかく皆が気を遣ってれて、状況的にはもう一度話し合い出来るというのに、沈黙を作ってしまったせいか気まずくて言い出しにくい。

 少しでも気まずさを紛らわすために、黙々と帰り支度をしてしまっているけど、感じ悪いのは自覚している。このままじゃいけないことも。勇気を出すと決めたんだから、ここは躊躇せず早く言ってしまわないと。

 

「あの……!」

 

 間が悪く、彼と同じ言葉が重なり、二人して顔を見合わせる。

 どうしよう。余計に気まずくなってしまった。これからどうやって話し出そうか私が迷っていると、彼のほうから先日のことなんだけど、そう話出してくれた。

 

「先日……うん」

 

 彼が何を言いたいのかはすぐに分かった。

 彼もまた先日の話し合いについて何かまた話したいことがあるのかもしれない。そんな気がする。

 すると、先日の話し合いで彼が私を不機嫌にさせてしまったと謝ってきた。彼の様子は真剣そのもので、かなり気にしている様子。私は慌てて否定した。

 

「謝らないで。あれは済んだことだし……すんだことなのに私が一人で勝手にモヤモヤして不機嫌になってただけだから。というか、あなたも気づいてんだね」

 

 彼に私が不機嫌だと指摘されて、ずっと胸にあったモヤモヤの正体が何なのか、何でモヤモヤしているのか分かった。

 私も彼と同じ様に先日の話し合い関係のことで不機嫌だったんだ。でも、このモヤモヤ、不機嫌さは言った言葉通り、話し合いが済んだにもかかわらず私が上手く自分の中で解決できなくて、私が一人勝手にモヤモヤとして不機嫌になっていただけのこと。

 彼が謝る必要はないし、それでところかあの話し合いからずっと不機嫌だった私を気遣ってくれていたんだと分かって、私のほうが余計に申し訳ない気持ちで一杯。彼も彼で不機嫌なのを自分なりに自分の中で上手く解決しようとしてくれていたのに。

 

「あなたも不機嫌だったよね。でも、不機嫌でも八つ当たり何かせず、普段通りにしようと頑張ってくれて、その……ずっと我慢させちゃったよね。私のほうこそ、あなたを不機嫌にさせちゃってごめんなさい」

 

 申し訳なさ一杯で私は思わず、彼に向けて頭を下げた。

 頭を下げるような大げさなものじゃないけど、なんだか申し訳なさ一杯で頭を下げられずにはいられない。案の定、彼は困った顔をしていたけど、特に気にしている様子はなく。それどころか優しげな苦笑いの笑みを浮かべていた。

 

「じゃあ……お互い様……ってこと?」

 

 彼も微笑みながら頷き、私達は二人して笑いあった。

 何だか肩の力が抜けた気分だけど、それと一緒にモヤモヤとした不機嫌さはもうない。

 すっきりとした気分で、それは彼も同じな様子でよかったと言って安堵の表情を浮かべていた。

 

「あなたのおかげだよ。私のことをちゃんと考えてくれていて、それが分かって嬉しかった。それにあなたも機嫌直ったみたいだね」

 

 私はほっと胸を撫で下ろした。

 結局、二人して同じ様なことで不機嫌になって、同じ様に考え合って謝りあった。おかしな話。

 だけど、彼は不機嫌な時でも私のことを考えてくれていて、それが分かって何だか嬉しい。

 やっぱり、これは仲直りってことになるんだろうかと彼は言う。仲直りか……そ

 

「ふふっ、そうだね。まあ……喧嘩してないのに仲直りってのは変だけど」

 

 まったくだと彼は苦笑いしていた。

 こんな話も、それどころか先日の話し合いも他の人に聞かれでもしたら、呆れられて、それこそいい話の種にされてしまいそうな些細な話。

 だけど、例え喧嘩してなくても彼と仲直りできてよかった。

 だって……。

 

「私はありのままであなたといたい」

 

 いつだって、そう心から素直に思えるから。

 ありままであなたと幸せなありふれた日々を過ごしたい。 

 

 …




前回の話の簪視点。
整備科の子達というか原作で言うところのいわゆるモブ子達と和気藹々と仲良くしてる簪可愛い。
原作でも見たかった……
この物語の簪は、一夏に恋してないので、原作のヒロイン達との関係は原作以上に希薄で中がよくない(不仲ってことではない。
顔見知り程度で、その代わりに4組のクラスメイトや整備科の子達と仲がいい簪。
そんな感じです。

感想、ご意見などを随時受け付けております。些細な一言でも構いませんので、お気軽の書きこんでいただけると幸いです。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と出かけた日

 「~♪ ~♪」

 

 隣で静かながらも楽しそうにしている簪を横目にしながら、俺達は今いるショッピングモールを周る。

 曜日は日曜。時刻は午後一時過ぎ。

 休日、それも昼間なのだから当たり前のように人は多く、油断していると逸れてしまいそうなほどだ

 そんな今日、ここIS学園へと行ける最寄り駅前にあるショッピングモール『レゾナンス』に来ていた。

 目的はデートと言いたいところだが、なくなってきたシャンプーやティシュペーパーなどといった雑貨品を買いに来ているのが実際のところ。簪は俺の買い物に付き合ってくれて、デートはそのついでだ。

 

「でも、こうして外でデートするのって……久しぶり、だね」

 

 確かにそうだ。

 簪とは毎日一緒に過ごしているけど、こうして外でデートするのは久しぶりだ。いつも簪とのデートは学生寮にある俺の部屋での俗にいう家デートがほとんど。

 むしろ、こうして学園がある人工島から出るのすら久しぶりな気がする。今みたいに学園では買えないようなものを買いに出る以外は基本IS学園にある購買部で買い物すれば事足りる。

 

「ふふっ……何だか一緒に歩いているだけで、楽しい……幸せ」

 

 くすりと隣の簪が楽しそうに、そして幸せそうに微笑む。

 そんな簪を見ていると、俺の方もまた楽しく、幸せな気持ちになってくる。

 ついで、なんて言ってしまったが、付き合っている男女二人が外でこんな風に一緒にいれば、歴としたデートであることには変わりない。

 買い物の為に来たのだからもちろん買い物はしないといけないが、何も急ぐ必要はない。今は買い物よりも簪とのデートを優先だ。それを伝えるべく繋いでいる手に優しく力を入れる。

 

「ぁ……ふふっ」

 

 簪もぎゅっと握り返してくれた。

 

「何だか……見られてるね……」

 

 ジロジロ見られているわけじゃないが、ちらちら見られているのは俺も感じていた。

 無理もないのかもしれない。それは簪が日本の代表候補だからとかそういう無粋なことではなく。

 休日、それも外でのデートだから簪は可愛らしく、尚且つ綺麗にお洒落している。その姿がいつもとはまた違って凄くいい。

 それどころか簪は、そこらへんのアイドル顔負けの人形のように整った綺麗で可愛らしい容姿をしている。だから、お洒落しているのと相まって余計に人目を引く。

 ゆえに当然如くこの視線の数々は簪に集まっているのだが、当の本人である簪の視線は俺に向かっていて、自分に視線が集まっているなんて微塵も思っていない様子。それどころか。

 

「んっ……あなたは、私の恋人」

 

 俺にだけ聞こえる小さな声でそう言うと、その言葉を示すかのようにぎゅっと握りなおされる。

 表情はそうではないが、声色は心なしかむっとしている。

 どうやら簪は、この視線の数々が俺に集まっていると思ったらしい。

 この視線の数々は明らかに簪に集まっている羨望の眼差しだというのに。むっとした声から思うにもしかすると、焼きもちを焼いてくれたのかもしれない。そうだったら嬉しい。

 そんな視線の数々をこれ以上特に気にとめる事はなく、ショッピングモール内をぶらつく。

 

「あ……本屋」

 

 俺達の目についたのはレゾナンスの中にある大型書店だった。

 

「確かここって……前一緒に見たデート雑誌に載ってたよね」

 

 簪が言った通り、この書店はデート雑誌に載っていて、デートスポットの一つでもある。

 一般的な書店としても利用でき、脇には喫茶スペースがあるのでゆっくりできるのだとか。

 買いに来たものを急いで買いにいく必要はない。ぶらつくには丁度いいところだし、折角だから中に入ってみようか。

 

「うん、入ろう。前からちょっと気になってたの」

 

 実は俺もだ。

 早速店内へと入る。

 

「わぁ……凄い」

 

 驚いたような声を小さくもらす簪。

 のんびり穏やかな店内BGMが流れており、静か過ぎず煩すぎずと、店内は比較的落ち着いたいい雰囲気。

 雑誌にデートスポットとして乗っていた通り、カップルが多い。だがそればかりではなく、友達連れ家族連れなども沢山いて、賑わっているのが一目でわかった。

 立派な建物の外観と同様に品揃えも充実しているように見える。その中でも一際目立つのがIS関連のピックアップコーナー。IS学園近くだからというのもあるんだろうが、凄く大々的だ。男の俺でも知っているような有名操縦者の特集が組まれた専門誌などたくさんの書籍が並べられている。

 それらを脇目に俺達は、とりあえず漫画やラノベが置いてある方へと向かった。

 ここも品揃えが充実している。専門店並みの品揃えだ。こうして眺めているだけで楽しいものがある。 

「これ、新刊出てたんだ。これも」

 

 棚に置かれている本を簪はおもしろそうに物色している。

 新刊が置かれている棚にも沢山の漫画やラノベなどが置かれていた。

 その中には俺がIS学園に入学するまでは集めていたものがいくつかある。懐かしい。昔はよくいろいろな本を買っていたが、入学してからは最低限のものしか買わなくなった。後は全て電子書籍ばかり。

 

「あ……私もそうだね。本だと、かさばるから……」

 

 それが現実問題としてやっぱり一番大きい。

 俺達は寮生活をしている身。実家みたいに自由な置き場所があるわけじゃない。だから、紙書籍類は置き場所に困る。何より、漫画やラノベは一度買って新刊を見かけると続きが気になったりして欲しくなってしまう。結果、数が多くなってかさばってしまう。

 今も現に昔集めていた奴の新刊を見かけて欲しくなっているところだ。まあ、後のことを考えると諦めるしかない。紙書籍のほうが読んでいる感じがして好きだけど、この欲しいやつも電子書籍ですませるか。

 そういう理由で本は買わないが、それでも気になる本は沢山ある。中には俺と簪、どちらも知っている物語も多くあった。

 

「これ知ってるんだ。あのね、これってね」

 

 いつもの静かな様子とは対象的に、饒舌に簪はその作品について話し始める。

 簪がアニメや漫画、ラノベなどを好きなのは知っている。俺もまたそうで、簪が笑顔で今熱心に話してくれている物語についても知っているので、自然と俺達は話が弾む。

 周りの迷惑にならないように気をつけながら話題に花を咲かせた。

 

「ごめんなさい……私ばっかり、話しちゃって」

 

 話が一旦途切れると饒舌に話していたことを自覚したのか、簪はしゅんと表情を沈ませる。

 別に気にするほどのことでものないのに。確かにマニアックな話が多かったけど、なるほどとつい関心してしまうようなおもしろい話ばかりだった。それに本当に好きなんだなぁってのがよく分かった。いつもとは違う簪を、そして何より、楽しそうにしている簪を見れたんだ。適当に入ったとは言え、入った甲斐があるというもの。それだけで満足だ。

 

「ん……ありがとう」

 

 簪は安心したようにニッコリ微笑んだ。

 

 

 

 

 本屋で割りと長い時間を過ごした後、俺達は再びシッヨピングモール内をブラつく。

 その最中、喫茶店を見つけた。長いこと立ったり、歩きっぱなしだったので、折角だから休憩がてらその喫茶店でお茶をすることにした。

 店内に入ると、席に案内され、向かい合うように座る。案内された席は端のほうで、あまり人目のつかないところだった。

 簪は抹茶味のロールケーキとミルクティーを、俺はショートケーキとコーヒーを注文した。

 

「ん~……美味しい」

 

 ニコニコと満面の笑みを浮かべながら簪は嬉しそうに食べている。

 その言葉も仕草もなんだかやたらと可愛く、胸がこそばゆい。

 だから、なのかつい見惚れてしまう。

 

「? どうかした?」

 

 見惚れすぎていたようで、不思議そうに簪は問いかけてくる。

 本当に甘いもの好きなんだなと思って。

 そんな風に嘘ではないが適当に誤魔化し、俺も一口ケーキを食べる。

 

「うん。だから、こんな風なケーキ……自分でも作れたら素敵だなぁ……って」

 

 手作りケーキか。

 簪はお菓子作り上手だから、きっと美味しいのだろう。

 出来れば、ぜひ食べてみたい。

 

「いいよ……だったら私、腕によりをかけて頑張るから」

 

 小さく意気込む簪。

 そんな話や他愛のない話していると、ふと簪がちらりと俺の手元と俺の顔を交互に見てくる。

 俺の手元にはまだ半分残っているケーキがある。

 そういうことか……簪が何を思って見てくるのかすぐさま分わった。

 俺はケーキを食べやすいよう一口サイズにすると、そのまま簪へとそれ刺したフォークを向けた。定番の台詞もつけて。

 

「えぇっ……ぁ、あ~ん……」

 

 頬を赤く染め驚いた簪は、一瞬迷った様子だったが、ゆっくりとその小さな口を開けて食べてくれた。

 

「……ぉ、美味しいね……」

 

 それはよかった。やったことは幸いなことに的外れではなかった様子。

 顔を俯かせながら、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうにしている簪の様子を見れて、大満足だ。何だか大変気分がいい。

 簪の可愛い様子を楽しみながらお茶していると簪が。

 

「……じゃあ、あなたも。お返し」

 

 そう言って自分のケーキを簪は、俺がやったように食べさせてくる。

 一瞬戸惑った拍子に目が合ってしまった。向けられる凄いキラキラとした期待の眼差し。

 選択肢は食べるの一択のみなので、大人しく口を開けて食べる。

 

「美味しい?」

 

 言葉なく俺はただ頷く。

 やり返されることを予想してなかったわけじゃないが、まさか本当にされるとは。

 自分でやっていてアレだけが、こういうのは何度やっても気恥ずかしいものがある。

 

「む、ポーカーフェイスして……無駄なのに。ふふっ」

 

 簪が満足げに微笑む。してやったり、とでも言うかのよう。

 その様子は愛おしい。まったく、敵わない。そんなことをしみじみ思わさせられる。

 ただ、その愛でるような視線はやめてほしい。余計に恥ずかしくなってくる。

 

 

 

 気づけば、日が沈みかけ始めた頃。

 本来の目的であった雑貨品を最後に買った俺達は、門限近くになったので寮へ帰るべく、 IS学園のある人工島行きのモノレールに揺られていた。

 今日一日時間経つのが本当に早かった。素直にそう感じさせられる。

 楽しい時間はあっという間なんて言う暇がないほど凄まじい早さで過ぎていった。

 まあそれだけ、楽しかったということ。

 

「……すぅ……」

 

 隣で簪が気持ちよさそうに小さな寝息を立てて眠っている。

 久しぶりの外でのデートを簪も楽しんでくれたみたいだし、珍しくはしゃいでいたから、疲れてしまったんだろう。

 眠くなるのも仕方ない。駅に着くまでの短い間だが、ゆっくり寝かせといてあげたい。

 別の車両には学園へと帰る生徒が乗っている様子だが、幸いことに俺達が乗っている車両には俺達のみ。だから、こうして寝ている簪と寄り添っていても特に問題はない。

 

「んっ、ん……んんっ……」

 

 本当に気持ちよさそうに眠っている。

 だというのに、繋いだ手は握ったまま。オマケに口元が嬉しそうに笑っている。きっといい夢でも見てるのかもしれない。

 




一夏とのほほんさんカップルのデートの話は書いたのに肝心のこの二人のデートの話を書いてないなと思い脳内整理の為に投稿。
簪とはこんな風にデートしたい。しくたない? したい。

読者の皆様には可愛い簪を楽しんでニヤニヤしてもらたいけど
このカップルまたはこのカップリングで行われるひとコマを読んでいただき、二人のやりとりでニヤニヤして楽しんでもらいたい今日この頃。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。


それでは


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あなたと過ごすありふれた午前

 目が覚めた。

 まだ残っている眠気に煩わしさを感じながら、枕元に置いたスマホで時間を確認する。

 液晶ディスプレイ表示されていた時間は、朝の六時二十分。目覚ましをセットしていた時間より十分早い。何だか損した気分。

 寝ていたい気持ちはあるけど、寝なおしても十分も寝れない。さっさと起きてしまおう。どうせ、隣で今も寝てるあの子を起すのに苦労するし。

 そう思い私は、隣のベットで寝ているルームメイトをそのままにして、部屋の洗面所へと向かい身支度を始める。

 それをしながら、恋人である彼に『おはよう』のラインを送る。すぐには既読はつかない。まあ、いつものこと。時間的にきっと朝のトレーニングしてるはずだから、気にせず身支度を進める。

 

「あ……」

 

 顔を洗い終え、髪を梳かしていると、遠くで目覚ましが鳴ったのが聞こえた。

 そしてすぐさま鳴り止んだ。止まったってことは一応起きはしんたんだろうけど、あの子のことだから二度寝しているはず。今日もか……何だか気が重い。

 髪を梳かしおえると私はベットへ戻り、案の定二度寝しているルームメイトの姿を見て、溜息をこぼす。

 

「はぁ……本音、起きて。起きなさい」

 

「んんっ~! 後五分~」

 

 返事があって安心したのもつかの間、本音は布団を深く被る。

 目覚めてるんだから、無駄なことせずさっさと起きてほしい。めんどくさい。 

 

「何馬鹿なこと言ってるの。早く、起きて。朝ごはん食べれないからっ」

 

「う~! かんちゃん酷い~」

 

 朝から何言ってるの? 本当馬鹿じゃないの?

 何度声をかけても起きようとしない本音から最後布団を巻き上げ、無理やりにでも起して、洗面所のほうへ追いやる。

 ここまでが毎朝の流れ。毎度のことながら疲れる。自分から起きてくれることはあるけど、極稀。毎回こうだと慣れすら感じてしまう。嫌だなぁ。

 というか、主人の私が従者である本音起しているんだろう。本音、職務怠慢。

 自己責任ってことでほっといたら本当はいいのかもしれない。だけど、そんなことしたらこの子、本当に気がすむまで寝続ける。

 そうしたら遅刻は間逃れなくて、ルームメイトである私は助けなかったとかで連帯責任とらされてしまう。寮生活とはそういうもの。過去の一度だけそれがあったのはここだけの話。

 でも、これで本音は起きてくれたから安心。いや、今日も用心に用心を重ねておこう。

 

「本音……顔洗いながら、寝ないでね」

 

「寝ないよ~。かんちゃ~ん、朝から辛辣すぎだよ~」

 

 だったら、毎日自分からちゃんと起きて。

 何だか朝から疲れた。時間は六時五十分頃。そろそろ朝ごはんを食べに食堂行かないと。

 すると、ラインの通知が来た。そこには彼から。

 

《ごめん、ランニングしてた。おはよう》

 

 というメッセージが来た。思った通り。

 スタンプも何もないたった一言の質素なものだけど、それだけで嬉しい。今日も一日頑張ろうって気持ちになる。

 疲れてなんていられない。私もしゃんとしてないと。

 

「本音……行くよ」

 

「あ~! 待って~。待って~」

 

 朝の身支度を終え、部屋を出る。

 食堂に行くと、多くの寮生が朝食を食べていた。

 本音と一緒に食堂のカウンターで朝食を受け取ると、座れそうな適当な席を探しあたりを見渡す。

 すると、先に朝食を食べていた彼と織斑を見つけた。運よく同じテーブルの席は空いていたのでそこに向かう。

 

「おはよう」

 

「おっはよ~。おりむー、彼氏君」

 

「……ああ、おはよう。のほほんさん、更識さん」

 

 織斑に続いて、彼も挨拶を返してくれる。

 多分、ランニングの汗を流すためにシャワー浴びたのだろう彼はスッキリした様子だが、対象的に織斑は欠伸ばっかりしていてとっても眠たそう。

 

「おりむーとっても眠たそうだね」

 

「ああ、ちょっとな」

 

 織斑が言葉を濁す。織斑にはしては珍しい様子。怪しい。隠し事でもしているのだろうか。

 私どころか、本音まで疑っていると彼が教えてくれた。

 彼曰く、織斑は最近夜遅くまで勉強していて寝不足とのこと。

 

「ちょっ、おいっ。言うなよ」

 

 慌てた様子で織斑が少し声をあげる。

 

「なるほど~それでおりむー寝そうなんだね~。おりむーが頑張ってるのは知ってるけど、無理しちゃっダメだよ~?」

 

「……くっ、はい……」

 

 本音にたしなめられる織斑。

 ぐうの音も出ないようで大人しく本音の言葉に頷く。だけど、本音に知られたのが嫌だったみたいで、織斑は彼を睨むが、彼はさらりとその視線を流す。

 織斑が最近勉強に力を入れているのは勉強に付き合っている本音からよく聞かされて知っているけど、寝不足になるまでやるなんてらしいといえばらしい。でも、本末転倒。

 言われたくないのなら、寝不足にならないようにしなくちゃいけない。寝不足だとしても、ちゃんとしてないと。

 そういえば、彼は昔から夜遅くまで勉強をしてたりするみたいだけど、今の織斑みたいに外で眠そうにしている姿はあまり見たことがない。オマケに毎朝早くからランニングとかトレーニングしているみたいだから、無理してないか心配。

 

「ご馳走様」

 

 手を合わせて私は、そんなことを言う。

 朝ごはんを食べ終えると私達は一旦部屋に戻った。

 時間は七時三十分頃。この時間から部活に入っている人達は朝錬に励むみたいだけど、私は帰宅部。だからといって、暇なわけじゃない。洗濯物の整理をしたり、部屋を掃除をしたりとやることは朝から沢山。

 本音は、生徒会の用事があるから先に出た。いつものことながら申し訳なさそうにしていたけど、本音がいてもかえって邪魔になるだけ。私一人の方が進みがいい。

 それを終わらせると、時刻は八時頃。部屋を出る前に最後にもう一度鏡の前で身だしなみを簡単に整え、唇にリップクリームを塗り、部屋の鍵を閉めて、校舎へと登校する。

 

彼や本音、織斑は一組だけど、私だけ四組。

今更なことだけど、考えてしまうと少し寂しい。それでもクラスでは最近、仲のいい子も出来たから、以前ほど窮屈さとかを感じることはなくなった。

 

「おはよう」

 

「おっ、更識さん! おっはよ~! ねぇねぇこれ見て!」

 

「可愛いね、これ」

 

「でしょう~」 

 

 ファッション雑誌を見せられる。

 こんな風に授業と授業の合間の休み時間とかは仲のいい子と話すようにもなった。

 始業のチャイムが鳴ると、つい始まってしまった授業は基本的に退屈。ついていけないからとかそんなのじゃない。知っていることや習ったことを何度もやるというのは、やっぱり退屈。それでもサボらず真面目には授業を受ける。そうしてないと余計に退屈感みたいなものが増していく。

 

 そうこうしながら授業を受けていると四度目の終業のチャイムが聞こえた。

 ようやくのお昼。開放感からか体を伸ばしているとラインが来た。彼からだ。

 彼達も今からお昼を食べに食堂に向かうとのこと。サイフを持つと席を立ち、私も食堂へ向かう。

 

「あっ! かんちゃ~ん!」

 

 食堂への曲がり角を曲がると、タイミングよく彼と本音達に出会った。

 そのまま合流し、いつも通り一緒に昼食を取る。 

 今日もいい具合に込んでいる食堂の中で四人一緒に座れる席を探していると、ふと遠くの方にいる篠ノ之さんの姿が目に入った。私が名前を知らない子達と仲良さげに昼食を食べている。クラスメイト、それとも部活仲間かな。そういえば、最近はもう篠ノ之さん達が織斑に絡むことも少なくなっていった。それはいいことのはずだし、織斑は本音と付き合っていて、あれからもう何日も経っているからそんなものなのかもしれない。

 席を見つけると、私達は昼食を食べ始める。

 

「というか、あの時お前が」

 

 向かい側に座っている彼と織斑は談笑しながら食べている。

 本音と織斑が付き合い始めてから、最近ではこの四人で一緒に食事を取ることが多くなってきた。

 本音は楽しそうに聞いていたり、よくに会話に参加したりしている。私は、そんな光景を眺めながら静かに食べる。極稀に会話に参加したりはするけど、話のテンポみたいなのが速くて、のろい私じゃ中々ついていけなくて、聞いていることの方が多い。

 というか、この四人での昼食だとやっぱり賑やか。むしろ、騒がしい。でも、嫌いじゃない。こういうのもいいと思う。彼と私とじゃ、こんな風に賑やかな食事にはならないし。

 だけど。

 

「ははっ、そりゃそうだ」

 

 変わらず彼と織斑は楽しげに談笑しながら食べ進めている。

 私と食事してる時はとはまた違って、彼も凄く楽しそう。こんな風に彼を楽しくさせている織斑に何と言うか、妬けてしまうというか何というか。

 嫉妬……というよりは単純、織斑のことが羨ましいと思う。彼がこんな表情するってことは織斑だから、同性だからってことは分かっているけど、羨ましいものはやっぱり羨ましい。

 もっとも、こんなの何か恥ずかしくて誰にも言えない事。

 ただ、見つめすぎてしまった。運悪くといったらいいのか分からないけど、彼と目があってしまった。すると彼は、そんな私を見て、フッと柔らかく微笑した。

 

――ッ! 見透かされた……!

 

 彼は微笑はそうなんだと私にはすぐに分かった。

 

「……ッ」

 

 とっさに俯く。なるべく静かに。

 口に何も入れてなくてよかった。入れてたら、きっと咽ていた。

 はぁ~羨ましいからっていくらなんでも見つめすぎた。だから見透かされても仕方ないとは思うけど、何だかとっても恥ずかしい。顔が熱くなるのを感じる。

 すると、ニヤニヤした視線を向けてくる本音と織斑(馬鹿二人)

 

「何したのか知らないけど、彼女だからってあんまり更識さんで遊ぶなよな」

 

「そうそう~。仲いいのはいいけど、こんなところでイチャイチャしないでよ~」

 

「してないから……っ!」

 

 本音と織斑(馬鹿二人)にからかわれる始末。余計に恥ずかしくなる。

 

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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あなたと過ごすありふれた午後

「ふぁ……っ」

 

 口元に手を当て、欠伸を噛み殺す。

 相変わらず授業は退屈で、気を緩めると居眠りしそう。眠気を感じているのは、私だけではないようであたりに目をやると、居眠りしてる子すらいる。それを見てると、何だか私まで本当に居眠りしてしまいそう。いけない。

 眠気と戦いながら授業を受けること二限。ようやく授業、そして今日一日の学校が終わった。

 

「ん、んっん~……はぁ」

 

 体を伸ばすと、ドッと一日の疲れが押し押せた来た感じがする。それと座学が続いたせいか、体を伸ばすと体のあちこちが少しが痛い。でも、開放感を感じることが出来て、私はそれが好き。

 周りもそうみたいで開放感からか騒がしくなる教室。それを横目に彼へと終わったことを告げるラインを送る。すると、向こうも終わったらしくすぐさま返事が来た。それを見て私は、クラスの子達に別れの挨拶をして、教室を出る。

 

「あっ……お疲れ」

 

 廊下に出ると迎えに来てくれた様子の彼とすぐに会うことが出来た。

 そしてそのまま放課後の予定である訓練を一緒にする為、その場所へと迎う。今日はいつもの外での訓練ではなく、室内での訓練。途中、お互い一旦更衣室に行って制服からISスーツに着替えると、シミュレーター訓練をしにシミュレータールームへと行く。

 

「すみません。シミュレーター訓練を申請をしていた者なんですけど」

 

「はい。では、お名前の確認と申請書類の提示を」

 

 担当の人にそう言われ、私達は受付をする。

 受付を済ませると、宛がわれたそれぞれのシミュレーター機の中へと私達は入る。

 

 球体状のドーム内に設置され、様々なアームで固定された打鉄と同じ姿をした機械。

 これがISのシミュレーター機。IS操縦者に比べて絶対数が少ないコア、機体数を補うためにこれの雛形を開発者篠ノ之博士がじきじきに開発したらしい。

 ISを扱う多くの国や様々で機関などで最新型のシミュレーターは活用されており、IS学園でも非常に数多く設置されている。学園にあるシミュレーター機は訓練機と同様の打鉄タイプとラファールタイプの2種類あり、私と彼が選んだのは打鉄タイプ。

 基本的に専用機持ちは学園のシミュレーター機を使わない。その理由は単純明快で最適化による機体の設定の違いや、兵装の違いなどから使うことを避ける。

 ただ、私と彼の専用機は打鉄の後継機と同系機。特殊兵装が使えないという差異はあるけど、それでも操縦系統や操縦感覚は打鉄と大体同じなので操縦するのに大きく差し支えるような問題ない。

 

「よいしょ、っと」

 

 ヘッドマウントディスプレイを被り、シミュレーター機を装着すると、システムが立ち上がる。

 

『スキャン完了。VRシステム正常に起動。シミュレーターシステムスタンバイ』

 

 システムアナウンスが聞こえ、手元のコンソールを操作し、彼と通信する。

 

「準備できた。設定はどうする?」

 

 彼とシュミレーションの設定を再確認しあい、細かな調整をしていく。

 準備完了。機体がアームに持ち上げられ、いよいよシミュレーションが始まる。

 ヘッドマウントディスプレイに映し出されたアリーナの仮想映像。そこに彼の機体も映し出されていた。今日訓練内容はシミュレーター機を使った模擬戦。いつもの手合わせをシミュレーション機でやる。

 

「じゃあ……行くよ」

 

 彼の応答も聞こえ、ISの実機を動かす感じで操縦する。

 模擬戦が始まった。

 通常加速で彼との間合いを詰めながら、手に持ったアサルトライフルを放つ。 

 シミュレーター機なので実際に機体が前後左右に動いているわけじゃない。機体そのものその場で動いているだけだが、ドームの機体を繋ぐアームによって動きを再現している。

 武装もまた実際に持っているわけじゃない。アームにかかる圧力によって感触を擬似的に再現して、実際に持っているような感覚にさせてくれる。

 

「ッ……! はぁっ……!」

 

 迫りくるアサルトライフルの弾幕と日本刀を模した近接用ブレードから放たれる数多の剣撃。

 それを私は、スラスターを駆使し、最小限の動作でギリギリの間合いの回避を試みる。

 大きな直撃は避けられた。けど、全部避けられたわけじゃない。シールドエネルギーは割と多めに削られてしまった。彼の今の攻撃は中々際どいいい攻撃だった。

 

 彼は、ほぼ毎日時間を決めてかなりの自主練をしている。ISは知識や技術はもちろんだけど、稼働時間を重ねることがとても重要。今回みたいなシミュレーション訓練は話が別だけど、訓練は必要なこと。そして男性でありながら、ISを動かせるから彼は今こうしているけど、彼は元々一般人。男子は女子の様にISについて学ぶことを義務付けられてないし、何よりIS操縦者になる為の訓練を昔から受けているわけじゃないから、IS学園についていく為により自主練が必要になる。

 彼は正直、そこまでISでの戦闘が強いわけじゃない。あえて表わすのなら、操縦科の一般生徒以上、平均的なクラス代表よりちょっと上といったところ。だからって単に弱いわけでもない。最近では、代表候補生や国家代表といった私やお姉ちゃんですら、肝を冷やされる鋭い攻撃をよく打ち出すようになってきて、結果もちゃんと出ている。

 彼はそれに満足して止まるのではなくストイックに、そして時にはちゃんと人に教えを請い話を聞いて、ただ真剣に訓練と努力を重ね続けている。その姿はまるで求道者のようで、その様子を間近で見ている私はただ純粋に凄いと感じる。

 そして同時に尊敬すらしている。私も負けていられない。こんなにも頑張ってる素敵な彼氏がいるんだ。彼の様にもっともっと頑張らないと。彼とこれからあるだろう険しい道を共に進んでいく為にも。人は諦め続けない限り成長できると身をもって知ったのだから。

 ちなみに今日のシミュレーターによる模擬戦の結果は、十戦中私の七勝三敗という結果に終わった。

 

 

 

 

 二時間以上の訓練を終えると夕日が沈んで外はすっかり真っ暗。

 時間を確認すれば、夜の十八時過ぎ。夕食の食堂が開放されるのは十九時。

 それまでちょっとだけ時間があるので私は、彼の一人部屋で彼と一緒に時間を潰していた。

 ベットの上で寝転びながら二人一緒に、撮り溜まっていた日曜の朝にやってるスーパーヒーロータイムの某二番組を見る。

 その間、特にこれといった会話は相変わらず少ない。たまに感想をぽつぽつと言いあう程度。二人揃って静かに見る。

 もっとも、私も彼もそこまで真剣に見ているわけじゃない。むしろ、番組を見るのは片手間の暇を潰す程度で、私達は……その、イチャついていた。

 今更恥ずかしがるほど初心なつもりじゃないけど、人目がない部屋でイチャついていると思うと恥ずかしいものがある。その恥ずかしさと人目がないからこそ、イチャついているということを返って意識しているのかもしれないけど。

 

 ちなみにイチャつくと言ってもキスしあっているわけじゃない。

 テレビを見ながら、うつ伏せで寝転がっている彼の上に私もうつ伏せで寝転がって抱きつく。

 

「重くない……?」

 

 抱きつく何ていうのは綺麗な表現。

 彼の上に乗っかっているのだから、私の体重が彼に全部かかっている。体を彼に預けているのだから尚更。

 ふ、太ってないから重すぎるってことはない、はず。多分。IS操縦者として、何より彼に見られても恥ずかしくないように体系の維持は頑張っている。もっと、よくなろうとだってしている。

 でも、人間としての重みは当然あるわけで……なんて乗っかといて今更なことを考えてしまうけど、彼は「んー」と応えるてくれるのみ。「うん」の派生系の言葉なのは分かるし、声色からして苦しがっている様子は感じられない。

 私が返事に少し納得してないことを察したのか彼は丁度いい重さだと言ってくれて、私は凄く安心した。別に重くないだとかありきたりな言葉が聞きたいわけじゃなかったから。そういうの大体お世辞だし、重いものは重いとはっきり言ってほしい。はっきり過ぎてもそれはそれで逆に困るけど。

 でも、これで気兼ねなく彼に密着できる。私は、ぎゅっと抱きついた。すると、彼もお返しの様に足を絡めてくる。

 

「えへへ……」

 

 彼の首筋、うなじに鼻先を当てる。

 すると、彼の匂いがする。臭いなんてことはない。訓練の汗を流した後だからなのか、シャンプーやボディソープの匂いがほのかにして、それと彼の体臭が混ざった匂いを感じる。すごく好きないい匂い。とても安心する。そして、ドキドキもする。

 だからなのか思わず、口元がニヤけて笑ってしまったみたいで、彼に変態だなとからかわれてしまった。

 

「ち、違っ! うくは……ない、です……ぅぅっ」

 

 とっさに否定しようとしたけど、図星で否定しきれなく、凄い間抜けなことを言ってしまった。

 恥ずかしい。顔が熱い。

 そんな私の様子を知ってか、楽しげにフッと柔らかく笑う彼。それは反則だよ。間抜けなこと言ってしまったし、変態なのを認めてしまったようなものだけど、だからって笑わなくてもいいのに……。

 でも、変態でも今はいいや。彼の匂いを感じることが出来て、彼とこうしていられるのなら。

 そうこうしていると番組が終わり、私はある変化に気づいた。

 

「寝て、る……?」

 

 ふと彼の様子を伺うと、寝息らしきものが聞こえてきた。

 起さないようににそっと彼の上からおり、横に並んで見てみると、思ったとおり寝ていた。

 きっと疲れていて、ぼーっと見てしまっていたから、眠くなってしまったんだろうな。

 今日といい、毎日朝早くから夜遅くまで訓練や勉強を頑張っているから、寝ちゃっても仕方ない。

 食堂が開放されるまで時間は長くはないけど、ギリギリまでゆっくり寝かしといてあげたい。

 

「可愛い……」

 

 寝顔を見つめていると、そんな感想がふとこぼれた。

 相変わらずうつ伏せのまま器用に寝ているけど、顔は横向いていて、寝顔がよく見える。

 よっぽど疲れていて自室なのもあってか、彼はとても無防備な寝顔で寝ている。

 普段の彼は、人前でこんな表情しないから、何だかこんな寝顔をする彼が寝顔も含めて可愛くて愛おしい。この寝顔を今私だけが見れて、独り占めできていると思うと何だか得した気分。ちょっとした優越感。

 可愛いだなんて起きている時に彼に言ってしまえば、もしかして拗ねるかもしれないけど、本当に可愛い。それは否定しようのない事実。

 彼の寝顔を堪能しながら、起さないように頭を撫でていると、気づけば私は寝ている彼にキスをしていた。

 

「ん……」

 

 頬にするべきだったかもしれないけど、無意識のうちに引き寄せられるように唇の方へとしていた軽く触れ合うだけのキス。

 とても簡単なものだけど、今はこれで充分。というよりも、これが精一杯。

 普段、彼とはキスするけど基本的に場の雰囲気がいい感じになってどちらかともなくってのが多い。そうでなければ、基本的に彼から。私は受け身なことが多い。

 ただ受け身なだけじゃなくて、私からもキスできればいいんだけど、交際期間が長くても、いざ自分からとなると恥ずかしい。その、行為の最中となれば、話は別なんだけど……。

 それは置いといて、今みたいに彼が寝ている時にするのはどうなんだろうとは思う。お姉ちゃんほどは嫌だけど、お姉ちゃんの積極的なところは見習って私ももっと積極的にならないと。それこそ、次は起きている彼に私のほうからキスできるように。

 

「あっ……ふふっ」

 

 キスに反応してくれたのか、彼は相変わらず気持ちよさそうに寝ているけど、口元を嬉しそうにさせているのが分かった。何だか嬉しいな。

 そんなことを思いながら横に並ぶように寝転んで、時間まで彼の寝顔を堪能した。

 

 

 

 

 夕食を終えた八時半過ぎ頃。私と本音は、寮にある大浴場で入浴していた。

 体を洗い終え、髪を一つに束ねて、湯船に浸かる。

 

「ふぅ……」

 

 溜息にも似た安堵の声が出る。

 湯加減が丁度よくて気持ちいい。体が芯から温まっていくのが分かる。

 それに今入っている檜風呂は檜のいい香りがして落ち着く。

 人が多くなる夕食前と夕食直後を避けて、いつも通り空いていそうな頃合を狙って入りに来たけど、今日はいつもよりも人数が多い。といっても、混んでるってほどではなく、こうして足を伸ばしてゆっくり浸かることができる。

 

「ふにゃ~。気持ちいいね~。天国だよ~」

 

 隣に本音がやってくる。

 すると、本音の視線を感じた。

 

「何?」

 

「んーとね」

 

 本音は、意地の悪いニヤニヤとしたやらしい笑みを浮かべてきた。

 本音の視線の先を追えば、それは私の胸へと向かっていた。

 それに気づくと私は、とっさに両腕で隠した。何だか怖い。

 

「いや~かんちゃん、最近胸大きくなったなぁ~っと思って~」

 

「は?」

 

 思わず、聞き返してしまった。

 本音の言葉に釣られるように私は自分の胸を見て、そして本音の胸と見比べてしまう。本音の胸は大きくて綺麗。それを見ていると、私の胸の慎ましさが強調される気がする。

 本音の言う通り、確かに最近胸は大きくなった。だけど、本音の胸と比べてしまえば、些細な成長。だからなのか、本音に言われると凄い悔しい。私が胸にコンプレックス持ってることは知っているはずなのに……。

 

「もしかして……嫌味?」

 

「違うよ~」

 

 本音が困ったような顔して笑った。

 本音が本当に嫌味で言っているわけじゃないってことは分かっている。しかし、そう言わずにいられなかった。というか、何もこんなところで言わなくてもいいのに。

 そんなことを思っていると、本音はとんでもないことを言った。

 

「やっぱり、かんちゃんの胸が大きくなったのって彼氏君のおかげ?」

 

私は思わず声にならない声をあげそうになって押し殺した。

驚いて身じろいた為、湯船が音を立て揺れ、自然と周りの視線が私達が集まる。もっと厳密に言うと私の胸へと集まる。その中には同じ四組の子やお世話になって仲のいい整備科の子達がいて、「何々?」と近くに寄ってくる。この状況凄い既知感。

 本音の馬鹿。こんなところで、そんなこと聞かなくてもいいのに。本音のことだから特に考えないで深い理由もなく思わず聞いたんだろうけど、お陰で私は周りのいい話の種。

 かれかわれたくないから冷静に努めたいけど、突然のことに今だ驚いたまま。だからなのか、私の反応はどうやら本音には図星に見えたようでニヤニヤと笑っている。

 とりあえず何か答えるなり、言うなりしないと。このまま無言だと肯定と取られかねない。私よりも彼の名誉の為に言わないと、皆に彼がえっちだと思われてしまう。私は無理やり気持ちを落ち着かせながら言った。

 

「ちょ、ちょっと本音っ! な、何で、彼が出てくるの……!」

 

「だって~昔から言うでじゃん? 彼氏に胸を揉まれると大きくなるって~」

 

「あ、知ってる~! 女性ホルモンが分泌されてって奴でしょう」

 

「更識さん羨ましいー!」

 

「やぁっ、触らない、で……!」

 

 女同士だからなのか、その事実を確かめるように胸を触られる。

 抵抗虚しく結局おもちゃにされてしまう。なにこれ。最近、こんなのばっかり。

 幸い、かどうかは分からないけど、彼氏に胸を揉まれると大きくなるについては適当に誤魔化せることには成功した。

 お風呂で体は休められたけど、かえって気疲れしてしまった。

 

 

 

 

 部屋からの外出禁止までの僅かな時間。いつもの様に私と彼は、彼の自室で勉強していた。

 勉強といっても明日提出の課題を片付けたり、明日の授業に向けての予習復習をする程度。

 チラチラと見すぎて、彼に訝しげな顔されて、どうしたのかと聞かれてしまった。

 

「ううん、何でもない。ごめんなさい」

 

 とっさに何ともないフリして誤魔化してしまった。

 どうしたも何も私ははさっきからずっと気になっていたことが一つあった。それはお風呂でのこと。

 胸は確かに成長はした。でも、それは本当に些細なもの。尚且つ、お風呂であんなことを聞かれれば、成長してもやっぱり慎ましいままである自分の胸の大きさを自覚させられて、成長したても胸が小さい自分に自己嫌悪する。お風呂場で見た本音の大きい胸や、周りの子達の成長著しい旨を見てしまったから余計にそう思う。それに今、あんな話があったから、彼と二人っきりになると気になってしまう。 

 ペンを動かしながらも私は内心うじうじと答えの出ない考えをしてしまう。ちっとも集中できない。すると私は挙動不審だったのか、優しい声でどうしたのかともう一度聞かれてしまった。二度目になると誤魔化せない。私は思いきって気になっていることを聞いた。

 

「あ、あの……ね。胸……大きい方がいい、よね?」

 

 何だか恥ずかしくて思わず目をぎゅっと瞑ってしまった。

 聞くのは始めてのことじゃない。むしろ度々だけど、しつこいぐらい何度も聞いてしまってるかもしれない。そう分かっていても今聞かずにはいられない。恐る恐る目を開けてみると、彼はぽかーんとしていた。突然こんなこと聞きかれたんだ。無理ない。失言だった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいっ。えっと……その……っ」

 

 私が一人勝手に落ち込んでいると、彼は私を慰めてから、少し悩んだ。

 悩まれても困るけど、いつもの言葉じゃな私が納得しないと思ったんだろう。おそらくその通りで、私は彼を困らせてしまった。本当、最低だ。

 すると、彼はやっぱりと前置きしてから言ってくれた。「大きさなんて関係ない。簪の胸のサイズが好きなだ。手に収まる感じが安心する。それに簪のでないのなら大きかろうが小さかろうが意味がない」、と。

 照れくさそうに、それでいて真剣に言ってくれた彼の言葉を聞いて、肩の荷が降りたのが分かった。何より、彼は私の胸でなく私自身をも好いてくれているだと、分かって私は嬉しい気持ちで一杯になった。

 

 

 

 

部屋に戻れば部屋からの外出禁止時刻である二十三時過ぎ。

 寝る予定の二十四時までの約一時間。歯磨きやケアはもう済ませた。明日の学校の準備や目覚ましのセットもバッチリ。なので私は、ベットの上で眠くなるまで本を読みながら暇を潰していた。

 ぼーっと活字を追いながら、今日一日のことを何となくにだけど振り返る。今日も一日いろいろなことがあった。というか、いろいろありすぎ。その中でもからわかれたことばっかりが印象強くてつい思い出してけど、これは寝て忘れよう。うん。

 それ以外に印象強くて思い出せることと言えば、さっきの出来事。思い出してしまうと、嬉しくて嫌でも頬がニヤけるのが分かる。

 

「ん~かんちゃん、何ニヤけてるの~? 彼氏君のこと考えてたんでしょう~」

 

 私がニヤけてしまっていることに気づいて、目をこすり眠そうにしながら本音が言ってきた。

 

「うん、そうだけど本音には言わない。内緒」

 

「えぇ~ズルいよ~」

 

「はいはい、それでいいよ。もう寝よう」

 

 ニヤけているのにここで変に隠したら、またからかわれてしまう。

 それは嫌だけから、適当に流す。

 それに眠そうな本音を見てたら、私まで本当に眠くなってきた。今日はいつもより早いけど、さっさと寝よう。明日も学校なのだから。

 

 明日は今日よりも充実した幸せな一日になるといいな。

 そんなことを布団でぼんやりと考えながら、深い眠りへと誘われる。 

 これが私の毎日。

 彼がいる日常で過ごす私の、ありふれた日々の一幕。

 




簪の一日をお送りしました。こんな感じの一日送ってたらいいな
簪と彼氏君のやりとりで今回もニヤニヤして楽しんでいただけたら幸いです。

シミュレーター機は、本来こういう系統の物語に出すようなものではないとは思いますが
日常のひとコマにあるものなので、本来私のもう一つの作品に出すものなのですが、腐らないうちに登場させました。
私が見かけた作品の中でISのシミュレーター機はないのですが、こういうの悪くはないはず。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と髪飾り

 休日。普段なら学園でISの訓練か勉強、もしくは簪とまったり過ごすのが恒例。

 でも今日は違う。たまの息抜きとして一夏と二人で昼、レゾナンスにある焼肉店で焼肉の食べ放題を食べに行っていた。今はその帰り道。

 

「いや~食った食った~。美味かったな」

 

 その言葉に頷きながら、満足そうに腹をさする一夏を連れて道を歩く。

 どうせ学園の外に出るのなら簪や本音を連れ来てもよかったが、今日はたまの息抜き。

 こういうのは男同士の方が気兼ねないというもので、恋人と来る時はまた違った楽しさがある。実際、俺も楽しかった。

 都会、それも駅前にある店だったので地元の店や一般的な店と比べると食べ放題の割りには割高だった気がしなくはないが、美味しかったことには変わりない。

 俺もそんな満足感を感じながら歩いていると、様々な店が多く並ぶ店通りでとある店が目に止まった。

 

「どうした? ああ、あれか」

 

 俺達の目に止まったのはアクセサリーショップ。

 見たところ、百貨店とかによくある女性向けの店といった感じ。

 

「入るか?」

 

 そんな問いを平然としてくる一夏に呆れてしまった。

 そんなわけないだろう。俺達は男二人連れなのに、女性向けの店に入るなんて普通そう簡単には出来ない。目に止まったのは単に他の店よりもなんというかきらびやかで目を引かれただけのこと。

 それに自分から入りたいって思うほどの興味もなければ、何か買いたいものがあるわけでもない。

 足を止めて悪かった。そう言いながら再び歩き出そうとしていると、そのアクセサリーショップの女性店員と目が合ってしまった。明らか俺達をロックオンした店員はニコニコと笑顔を浮かべながら近寄ってきて、話しかけてきた。

 

「よかったら、店内で見ていきませんか?」

 

「えぇっ!?」

 

 流石のって言っていいのか分からないけど、一夏も実際に声をかけられて驚いている。

 困った顔を俺に向けるのはやめてくれ。俺だってどうしたらいいのか分からない。逃げようにも逃げられないこの雰囲気嫌いだ。

 困惑していると店員は相変わらず、ニコニコとした笑みを浮かべて更に言った。

 

「男性のお客様もいらっしゃいますので遠慮なさらずにどうぞ!」

 

 確かにチラっと見れば恋人連れでぽいけど、男性客はいる。

 それに遠慮しているわけでもない。どうしたものか。

 

「えっと……あ、はい」

 

 空気に呑まれて一夏は頷き言ってしまっていた。

 もう入るしかないな、これは。仕方ない。急いで帰る必要は特にないし、見るだけならいいか。男二人で女性向けのアクセサリーショップってのはとても変な気分だが。俺と一夏は言われるがまま、店に入った。

 店内もよくある女性向けの店といった感じ。眩く光るアクセサリーの数々を見てると、目がチカチカする。そんな中、目に止まったのがヘアアクセサリー。それも何か特集をしているようで、日本の伝統的な髪飾りとして簪、髪挿しがピックアップされていた。

 

 簪、髪挿し……彼女である簪と同じ名前。

 日本の伝統的な髪飾りとして紹介されているが現代風にアレンジして作られているのかいろいろなデザインのものがある。その中でも目に止まったのが水色の花柄の平打簪と呼ばれる髪挿し。

 男なのでこういうヘアアクセサリーについて疎く感覚でしかものを言えないが、いいデザインだと思う。

 この髪挿しを何となく見ていると、頭の中でふとこれをつけた簪の姿が思い浮かんだ。

 とてもよく似合いそうだ。

 

「それ気に入りましたか?」

 

 先程とは別の店員だが、急に声をかけられビックリした。

 気に入りはしたが買うつもりはない。

 というか、ショートカットでも髪挿しはつけられるものなんだろうか。髪挿し=長い髪の女性がつけている印象が強い。

 

「渡す相手はショートカットの女性ですか? それなら大丈夫ですよ。ショートカットの女性の方でもつけられる方法はありますから。ほら、これです」

 

 そう言って店員から掌ほどの小さな冊子を渡してきた。

 中を見てみれば、髪挿しを使った様々な髪型の結び方などが割りと丁寧に紹介されていた。そして店員の言った通り、ショートカットでも結べる髪の結び方も紹介されていた。

 こんな風に結ぶのか……これなら簪の髪の毛の量でも簡単に出来そうだ。方法自体も見た感じ、そこまで難しそうに見えない。

 

「いかがなさいますか?」

 

 どうしようか。

 お土産……と言ったら変な感じだけど、プレゼントするのには丁度よさそう。リーズナブル値段だし、これを一つ買って帰るか。

 

「お買い上げありがとうございます」

 

 店員にとびっきりの営業スマイルで言われてしまった

 この笑顔を見ていると何だか上手く乗せられた気がしなくはないが、押し付けられて無理やり買わされた訳ではないから、いい買い物したことには間違いない。

 もっとも、簪が本当に喜んでくれたらいいんだけど……。

 

 

 

 

 買い物を済ませてからは店員に捕まるということはなく、一夏と真っ直ぐ学生寮に帰ってこれた。

 

「おりむー達おっかえりなさ~い~!」

 

「お帰りなさい」

 

 寮のロビーに入ると出迎えてくれた本音と簪の二人。

 特にこれから予定はなくそのまま一夏達と別れ、俺の自室で簪と過すことになった。

 帰宅したから洗面所で外着から部屋着に着替えながら、ある不安が頭を過ぎった。

 はたして本当にあの髪挿しを本当に喜んでもらえるのだろうか。

 いくら彼氏からプレゼントされたからと言って、使わない、いらないものを渡されたって困るだけの話。

 困らせたくはない。買った時は不安はなかったけど、いざ簪を前にすると不安を感じてしまう。

 だけど、ここでこのまま渡さず腐らせるのも勿体無い。

 悩むのはらしくない。当たって砕けるつもりはないが、まずは行動。

 そう決心して、洗面所を後にし、ベットに寝転がってスマホを弄りながら暇を潰している簪に髪挿しの入った箱を渡した。

 

「これは……?」

 

 中に何が入っているか知らない簪は、体を起して不思議そうに箱を見つめる。

 何が入っているのかは開けてからのお楽しみ。とりあえず、あけて欲しい。

 俺の言葉に簪は変わらず不思議そうにしながらも頷き箱を開けた。

 

「これって……」

 

 箱の中から髪挿しを取り出した簪はそれを見つめ驚いている。

 

「でもどうして」

 

 不思議そうにしながら髪挿しと俺を交互に見る簪。

 予想の範囲内の反応だ。無理もない。今日は誕生日でなければ、特別何か記念日だったするわけでもない。だから、簪にしたら渡される理由がない。

 なのでアクセサリーショップでの出来事や、似合うと思って買ったことを説明した。

 すると簪は、頷いていた。

 

「……うん」

 

 何がうんなのか気になる。

 やっぱり、突然プレゼントしたのは迷惑だったのだろうか。

 

「もう、違うってば。……ありがとう、嬉しい」

 

 簪は嬉しそうにぎゅっと箱を抱きしめ、喜んでくれていた。

 それを見て俺はホッと胸を撫で下ろす。よかった。喜んでくれたし、それに気に入ってくれたようだ。

 

「でも、これって……私の髪でも、つけられるの?」

 

 それなら大丈夫だ。

 あの時貰った手の平サイズのあの小冊子を簪に見せた。 

 

「見た感じ簡単そう……これなら私の髪でも出来そう」

 

 冊子の内容を感心しながら簪は読む。

 これなら髪挿しを持て余すことなく、本来の用途として使えるはずだ。

 それに男の自分がこれなら簡単に出来そうだと思えたんだ。髪に触り慣れている女子の簪なら、もっと簡単につけれるはず。

 早くこの髪挿しをつけている簪を見たみたい。

 

「んー……だったら、あなたにつけて欲しいな」

 

 俺が?

 この髪挿しをつけるということは、結ぶということ。

 俺に出来るのだろうか。そりゃ冊子には結び方が紹介されてはいるけど、人の髪の毛、女子の髪の毛を結ぶなんて初めてのこと。不安だ。

 それに俺が簪の髪の毛、弄り回してもいいのだろうか。

 

「今更だよ……それは。いっつも……あれだけ私の髪、楽しそうに触ってるのに」

 

 飽きたように簪は小さく笑い言った。

 うっ……それを言われると返す言葉がない。

 やってみるか。

 

「ん」

 

 ベットに上がり、端に座っているの後ろへ行き、座る。

 格好としては後ろから簪を抱きしめるよう。

 後ろからの方がやりやすい。

 じゃあ、失礼して。

 

「どうぞ」

 

 人の髪の毛、ましてや女子の髪の毛を結ぶなんて初めてのこと、何だか緊張する。

 しかし、緊張していても何も始まらない。

 今の何もしてないままじゃつけられないので、髪挿しがつけられるようまず始めに土台を冊子を見ながら作り始めた。

 髪の毛を適量取り片方、上からきつめに編みこみを作る。この時、平たく編むことで、小顔効果も期待できるとか何とか。

 やってることは簡単なはずなのに、初めてだからなのか少し難しく感じる。でも、初めてにはしては中々上手く編みこめた気がする。

 どうなんだろう。簪の反応が気になって、簪が手に持つ手鏡を覗き込むと、そこに映った簪とふいに目があった。

 

「……っ」

 

 照れくさくて二人して思わず目をそらす。

 付き合ったばかりのカップルかよ、俺達は。

 だけど、簪の後ろに座っているおかげか、耳が真っ赤なのがよく見える。

 それが何だか面白くて笑ってしまった。可愛いな、まったく。

 

「な、何笑ってるの」

 

 別に。

 耳まで編んだので、耳後ろでアメピンを使いしっかりと固定する。

 これで土台は出来た。書いてある通りちゃんと出来たはずだから、解かない限りはそう簡単に崩れたりはしないはずだ。痛かったり、苦しかったりはしないだろか不安ではあるが。

 

「大丈夫……何ともない」

 

 なら、大丈夫か。

 最後に編みこんだ髪に髪挿しを挿して、完成だ。

 

「ん、ありがとう。それで……どうかな?」

 

 俺の膝の上に横向きで座りなおし、顔をこちらに向けて簪が聞いてくる。

 髪挿しをつけた簪。

 やっぱり思った通り、とてもよく似合っている。ああ、凄く綺麗だ。

 今まで"可愛い"と思う時は何度もあったのだが、それと比べて"綺麗"と思う事は少なかったのでじーっと、簪に見惚れていた。

 

「よかった」

 

 くすりと嬉しそうに簪は微笑む。

 本当に買って、プレゼント出来てよかった。

 それに普段、簪は髪を結ばないし、髪飾りらしい髪飾りをつけることもない。だから、余計に今の簪は何というか新鮮に見える。

 たまにこんな簪もいいものだ。

 




※この話では人物名の簪と、髪飾りの簪が混同しないように髪飾りの簪は「髪挿し」と表記しました。
誤字ではないのであしからず。
ちなみに髪挿しはかんざしの由来になった言葉です。

今回楽しんでいただければ幸いです。
髪挿しつけた簪も可愛い。
最初は未来設定でロングヘアーになった簪に髪挿しをつけてもらおうと思いましたが
それは何か違うとなったので、こんなお話に。
ショートヘアーでも髪挿しつけれるんですね……

今回『【恋姫†無双】黒龍の剣』や『ラウラとの日々』の作者である盟友ふろうものさんからのクリエストにお答えしました。
氏の作品、オススメなのでどうぞ!

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪との幸せまったりタイム

 風呂イスに腰をかけ待っていると、室内の無機質な音が静かに聞こえ、浴室のドアの向こうの物音を嫌でも強く意識させられてしまう。

 ドアの向こう側には簪がいる。

 

「……」

 

 距離があり、ドアを隔てているのに関わらず、簪が緊張しているのが、緊張したその息遣いが分かる。

 そしてドアには服を脱いでいる様子が影となって映っていて、余計に意識させられてしまう。

 やましいことは何もないはずなのに、何だかいけないことをしている気分だ。

 それに少しばかりの緊張と気恥ずかしさはやっぱりある。別に何も簪と風呂に入るのは今日が始めてというわけじゃないのに。

 

 この状況からから分かる通り、俺と簪は今から一緒に風呂に入る。

 どうしてこうなったかは深く語るまでもない。年頃の男女が二人っきりの部屋でイチャついていれば、場の雰囲気やその流れで“恋人同士の営み”をすることになる。

 お互いいい年齢でそういうことに興味あって、ある意味、俺達はそういうことをするのに関しては積極的と言っていいかもしれない。そうなる頻度的なものだって少なくない。

 しかし、そうなれば激しい運動になるわけで疲れもすれば、汗やら何やらいろいろ出る。実際、お互い汗やらなんやらでベトベト。それにウェットティシュで綺麗に拭き取ったけど、精子を簪の髪につけてしまったし。

 なので、それらを洗い流して、疲れも取る為に風呂に入ることにした。折角だから、二人一緒で。

 

「……お待たせ……」

 

 ようやく簪が入ってきた。

 ドアのほうを見れば、そこには眼鏡をしていないタオルで前を隠した簪がいた。

 緊張しているのか、恥ずかしいのか、多分どっちもだろう簪の頬は赤く染まっていて、恥ずかしそうに下のほうを見ている。

 

 前だけを長細いタオルで隠した簪。

 本当に前だけしか隠れてないので、普段衣服で肩や二の腕、くびれた腰などが見え、それらは行為の後だからなのか、汗で少しだけ光っている。そんな簪の姿はとても綺麗。そして、艶やかに見え、目を奪われてしまう。

 オマケに前を隠しているタオル、その下は先ほどまで見ていたものが隠されているのが分かるだけに、反射的にと言ったらいいのか、つい想像させられて思わず息を呑む。

 ガン見してしまっているだろうことは自覚しているし、あんまり変なこと考えるのは簪に失礼な気がするけど、目を奪われてしまうのはそんな簪も魅力的だからで、実際エロい。そそられるものがある。

 

「は、恥ずかしいから……じっと見ないで」

 

 恥ずかしそうに身を縮こませている簪にほんの少しだけだが、怒られてしまった。

 本気で怒っているわけじゃない。照れたように簪は笑みを浮かべながら言っていた。

 それにさっきまで今以上に恥ずかしいことに耽っていたのに何を今更……と思ったけど、じっと女子見るのは失礼なことには変わりない。怒られても仕方ない。こういう場でなら尚更。

 それに見惚れてのはどうしようもないけど、ずっとそのままってのもよくない。さっさと綺麗にし始めよう。

 まずは簪の髪から。

 

「ん、お願い」

 

 前にある風呂椅子に腰を下ろしてもらう。

 もちろん、前は変わらずタオルで隠したまま。

 目の前に簪の綺麗な髪の毛が広がる。簪の髪はふわふわとしていて細くて気持ちいい。

 オマケに光沢のある頭髪に出来る美しい天使の輪があって凄い。 普段から手入れを怠らず大事にしているのだと触る度に思う。

 だから、そんな簪の大切な髪を傷つけないよう丁寧を心がけながら洗っていく。痛かったり、痒いところとかないか心配だ。

 

「大丈夫。気持ちいいよ」

 

 それを聞いて安心。

 鏡に目をやると、シャンプーが目に入らないように目を瞑っている簪は、その言葉通り気持よさそうにしている。

 というか、自分に髪を洗われている簪と、簪の髪を洗っている自分が鏡に映っているのを見るのは何だか不思議な気分だ。自分たちの今姿が映るのは当たり前のことで、何もおかしなことはないのは分かってはいるが、本当にくっきり俺達を映している。鏡には俺からは見えない前からの簪の姿も。

 鏡に映る前から見た簪は、タオルで前を隠しているのは変わりないが、髪を洗う為頭にかけたシャワーのお湯がタオルにもかかってしまったようで、濡れたタオルは胸やお腹にピッタリと張り付き、特に胸の部分のは強調するような感じになってしまっていた。

 実際に胸は見えてないのだけど、その様子は見えている時以上に艶かしい。濡れていることも相まってか、尚更艶かしい。また、ついつい目を奪われてしまう。

 

「? どうかしたの?」

 

手が止まっていたのかもしれない。

簪は目を閉じたまま不思議そうに聞いてきた。

いけない。さっさと洗い終えてしまおう。

適当に言葉をごまかし視線ごと意識も反らした。

 

髪を綺麗に洗い終えると、次洗うのは体。

 しかし、流石に簪の全身、特に前を洗うようなことは出来ない。簪は恥ずかしがってさせてはくれないし、前ぐらいは自分で洗いたいとのこと。その気持ちは分かる。

 なので、二つあるうちのボディタオル一つ使って、簪の手が届かない背中を洗っていく。

 簪の背中は一言で表わすのなら、純白だ。もっと言うのなら、玉の肌。シミはもちろん傷なんてものはなく、美しくとても綺麗。髪を大事にしていると感じだけど、肌も同じぐらい大事にしているのだと感じる。

 それにボディタオル越しではあるけども、それでも肌の柔らかさを感じられて楽しい。

 

「……んっ、ふふ……」

 

 くすぐったそうにほんの少し身を捩じらせ、そんな声を小さくもらす簪。

 くすぐったくてそういう声をもらしているのは分かるけど、何だか喘ぎ声のように聞こえる。

 それが扇情的に聞こえ、おかげで理性の防壁みたいなのがガリガリ削られていくのを感じる。

 

 削られてると言えば、今更ではあるけれど、簪の姿もそうだ。

 今も後ろからしか見えてないけど、背中を洗っていれば、それにあわせて後ろからのいろいろなところに目をやらなければならない。

 すると必然的に腰やら脇やらが見える。特に横腹、そこから見える胸の横姿、横乳といったらいいのだろうか。それに目が行ってしまう。理性の壁も削られてしまえば、その横乳、胸に触れたくなってくる。とても魅惑的だ。

 でも、今は体を洗いあっている時。今はまだ早い。高まっているモノを沈めなければ。

 そろそろ簪も前しっかり洗い終わったみたいだし、シャワーで流していく。これでようやく簪が洗い終わった。

 後は俺だけ。簪には一足先に湯船に浸かってもらって。

 

「ダメ。交代」

 

 はい。

 後ろ前交代して、今度は俺が簪に洗われる番。

 手にシャンプーをつけた簪が俺の髪を洗い始めてくれた。

 

「……よいっしょ……ふふっ、お加減はどうですか?」

 

冗談っぽく簪が聞いてくる。

悪くない。それどころか気持ちいい。

一生懸命丁寧に洗ってくれているのが分かって嬉しい。

普段、風呂なんてサッと入ってサッと出る。髪や体も綺麗に洗っているつもりだが、結構雑。ここまで丁寧には洗わない。だから、他の人……簪に洗ってもらうのはいいものだとしみじみ感じる。

 

「じゃあ……次。ボディーソープつけて」

 

言われたとおり、ボディタオルにボディソープをつけて簪に渡す。

髪を洗い洗ってもらうと、今度は体。

簪と同じように前は自分で洗い、手の届かない背中とかを簪に任せる。

つい先ほどまでは自分が洗っていたのに、今自分が簪に洗われるというのはいつになっても多少なりにでも恥ずかしいものがある。何だか簪よりも照れている気がする。女々しいというか何とも情けない。

 男である俺は体洗うのに簪ほど時間はかかるものじゃない。さっさと前を洗い終えてしまおう。

 そう思いながら洗っている時だった。ふにゅっとした感触が背中に触れた。それが何の感触なのかは言うまでもなくすぐに分かった。だから思わず、声を出して驚いてしまった。

 

「……んふふ……」 

 

 俺が驚いたのが嬉しいのか、楽しそうにくすりと簪は小さく笑っている。

 簪が後ろから抱きついて来ているのが分かった。

 後ろでは珍しいことに簪はきっと悪戯っぽく小さな笑みを浮かべていはずだ。見なくても分かる。

 人肌って本当にあったかいんだな……というか、本当に柔らかい。

 ちゃんと目で確認してないけど、俺の背中と簪を隔てるものは何もない。おそらく、さっきまで簪が前を隠していたタオルは今つけてないはず。文字通り、肌と肌が密着している。

 どうしてまたこんなことを突然。

 

「嬉しくない?」

 

 嬉しい。

 少し不安そうな声で聞かれれば、そう正直に答えるしかない。

 

「ふふ、よかった。大きい」

 

 嬉しそうな簪。そのまま簪は、抱きつくようにもたれかかってくる。

 大きいって……背中のことを言っているんだよな。背中とは言えこれだけ密着しているのだから、下品な話ではあるが別のものは大きくはなっている。それはもう臨戦態勢といっていいぐらい。

 背中一杯で簪の胸の感触を楽しむ。嬉しいし、ふにゅふにゅとしていて気持ちいいけど、何だかこそばゆい。だから、身を捩じらすと。

 

「ゃ、あんぅっ、んぅ……っ。こ、擦れちゃうから……動いたら、ダメ……」

 

 何がこすれたなんて聞けない。半分、そうなるだろうなと思いながらもやったことでもあるし。

 それに簪は注意するようなことを言っているが、それでいて何処か期待しているような声色。

 さっきまでの行為で簪のスイッチはおもいっきり入っていたから、ここまでのことをしているとまたスイッチが入ったんだろうな。経験からそうなんだろうと想像できてしまう。

 

 それでも簪はしっかり背中を洗ってくれて、ようやく二人一緒に湯船に浸かることができた。

 




簪とお風呂はいる幸せ。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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ジューンブライドの簪に見惚れて

 

 五月某日。

 大事な話があると生徒会室に呼び出された日のことだった。

 

「嫌っ……!」

 

「そんなこと言わないで簪ちゃん! お願いだから、ね?」

 

 嫌がる簪と、そんな簪に手を合わせて頼み込む楯無会長。

 もう何度目か。さっきからとずっとこんな二人のやり取りが、俺の目の前で繰り広げられている。

 

「お姉ちゃんが受ければいいじゃない……」

 

「それじゃあダメなのよ。向こうは簪ちゃんをご指名で、そのことは私もお父様も了承してるんだから」

 

「だ、だからって……ウェディングドレス着て式場のモデルなんて……」

 

 楯無会長からの大事な話とは、式場のモデルをやってくれないかという話だった。

 何でも更識家が経営するフロント企業の傘下にある結婚式場が六月のジューンブライドの時期に向けて、それ用のパンフレットとかを作りたいとかで、そのモデルとして簪が選ばれた。向こうたっての指名らしい。

 流石は更識家のフロント企業傘下と言ったらいいのか、式場はこの筋では有名な式場みたいだ。今パンフレットを見ているが、よくある結婚式場よりも豪華なのは見てるだけで分かる。

 

「何で嫌なの? ウェディングドレス着たくないの?」

 

「着たくないわけじゃないけど……面倒で疲れるし、今以上に目立つことなんてしたくない。だから、嫌」

 

 面倒は言いすぎな気がしなくはないけど、そう言いたくなる気持は分からなくはない。

 パンフレットを見る限り、ただウェディングドレスを着てその姿を写真に取るだけじゃなく、式の流れを一通りやる模擬挙式も行うらしい。これは長時間拘束されて大変そうだ。

 

「面倒って簪ちゃん、ブライダルモデルは極端だけど、将来正式に国家代表になったら宣伝モデルとかいろいろとモデルの仕事をしたりするのよ? 今のうちから慣れてないと。それに目立つなんてこと気にしてたら国家代表なんて」

 

「……そうだね……お姉ちゃんの言う通りだと思う」

 

「だったら」

 

「でも、それとこれとは話が別。というかもう屁理屈だよ、それ。嫌なものは嫌」

 

 お互い自分の意見を断固して譲らない二人。

 姉妹揃って頑固というか何と言うか。そんなところ似なくていいのに。

 話がまったく進んでない。平行線の話し合い。それどころか下手すると、振り出しに戻っているかもしれない。

 

 そう言えば仮にだけど、簪がモデルを受けた場合、新郎役は誰がするんだろうか。

 やっぱり、更識家が関わる一流の結婚式場での模擬披露宴。それ相応のちゃんとした男性モデルの人が務めるのだろうか。そんなことが容易に想像できてしまった。

 いい気はしない。一夏なら昔のドラマみたいにカッコよく花嫁をさらって幸せにするんだろうけど、俺にはとてもじゃないがそんなこと出来ない。第一、このことは楯無会長どころか、親方様、簪のお父さんまで了承済み。出来ることは少ない。

 そもそも今、何するのか適切で得策なんだろう。そろそろ手持ち無沙汰のようになってきた。

 

「弟君」

 

 楯無会長が何かを訴えるように見つめてくる。

 簪を説得しろとでも言うのか。

 

「簪ちゃんを説得するよりも簡単なことよ。弟君は簪ちゃんのウェディングドレス見たくないかしら?」

 

 見たい。

 

「そ、即答……素直すぎるほど素直ね、弟君」

 

「見たいんだ」

 

 簪が嬉しそうにしているのはいいんだけど、聞いておいて驚くのやめて欲しいんだが、楯無会長。少し傷つく。

 簪のウェディングドレス。見れるものなら、見たい。照れ隠しや嘘でも見たくないなんて言えない。

 よく似合って、綺麗なはずだ。ウェディングドレス姿の簪は。

 だけどだからって嫌がっている簪に無理強いはさせられない。今見れなくても将来的には必ず見れるわけだし。

 

「ということだけど、どうかしら? 簪ちゃん」

 

「ど、どうしよう……」

 

 揺れる簪。

 嫌がっていたのから、一転して考えを改めなおしてくれたみたいだけど、俺としては複雑だ。

 簪のウェディングドレス姿が鮮明にイメージできてしまったからこそ、模擬挙式とは言え、新郎役が自分以外の男だと思うと、みっともない話ではあるがふつふつと嫉妬のようなものがわいてくる。

 

「何、難しい顔してるのよ。もしかして弟君、タキシード着たくないの?」

 

 タキシード? どうして着る必要があるんだろう?

 

「どうしてって、弟君も新郎役として出るんだから当たり前でしょう。でなければ、私もお父様も一結婚式場のモデルに簪ちゃんをなんて許可するわけないじゃない」

 

 何言ってるんだって顔してくる楯無会長。

 言われてみれば、その通りなのかもしれないけども。

 しかし、新郎役の俺だなんて一言も聞いてない。思いあがりでなく、考えてみると分かることなのかもしれないけど、呼び出されて突然簪にウェディングドレス着てモデルしてほしいとだけ話されても、分からなくても仕方ないだろう。

 聞かされてないのは俺だけではなく、簪も安心した様子だった。

 

「相手役ってあなただったんだ……よかった」

 

「簪ちゃんまで気づいてなかったの? もうっ」

 

「聞いてないから。というか、ちゃんと説明してないお姉ちゃんが悪い。いきなり、ウェディングドレスの話しかしてこなかったでしょう」

 

「あ~だって、弟君なら二つ返事くれることが分かっていたから、先に簪ちゃん説得した方が早いと思って。ごめんごめん」

 

 謝ってるけど、あまり悪びれた様子はない。

 まあ、これで不安に感じていたことは解消されたわけだし、後は簪次第ってことになる。

 相手役が俺だと判明しても了承してくれるかは不明だ。やっぱり、長時間拘束される上に、モデルやるからには目立つことは避けられないから、やっぱり簪は嫌がりそうな気がする。

 

「で、どう? 簪ちゃん。引き受けてくれるかしら?」

 

「えっと……その、あなたが……嫌じゃないなら」

 

 そう言いながら簪は、俺の様子を伺ってくる。

 嫌じゃない。むしろ、いいと思う。

 

「えっ? そんな即答してもいいの? だって、大変だよ……?」

 

 確かに大変だろうけどその分、簪のウェディングドレスという普段は見れない姿を見れるのだから、悪い話じゃないと思う。それに得られるものだってきっとあるはず。

 例えば……将来、ちゃんとした結婚式をする為の予行演習になるわけだし。

 

「将来の為の予行演習、か……うんっ、そうだね。その通りだよね」

 

 将来結婚式を挙げることとかを想像しているのか、何やら簪は楽しそうに想いを馳せている様子。

 どうやら、もっと乗り気になってくれたみたいだ。

 

「じゃあ、簪ちゃん、引き受けてくれるってことでいいかしら?」

 

「うん……引き受ける。でも、余計なことは絶対しないでね」

 

「そんな念を押すように言わなくても大丈夫よ! お姉ちゃんが妹と弟の為に最高の舞台にしてあげるわ!」

 

「しなくていいから……はぁ」

 

 呆れた顔して、簪は嫌そうに溜息つく。

 かくして簪と共にブライタルモデルを引き受けることを決めたが、何だか幸先不安だ。大丈夫なんだろうか。

 

 

 

 

 そして当日。

 その日は朝早くから指定された結婚式場へと足を運んでいた。

 

「大きい……」

 

 簪と一緒になって建物を見上げる。

 俺達の前にあるのは大きなホテル。結婚式場はホテルと一体になっているらしく、今見ている外観からも立派なのがよく分かる。

 呆気に取られながらも、建物の中へ入る。

 

「ようこそおいでくださいました」

 

 入るなり、このホテルの従業員男女問わず多くの人に出迎えられた。

 壮観にも思える光景だ。こうして沢山の人に出迎えられると年末に始めて更識家に言った時に出迎えられた光景を思い出す。それほど凄い。

 末端といったら失礼かもしれないが、やっぱ簪がモデルを引き受けて、今日やってくることは隅々の人たちにまでちゃんと伝わってるみたいだ。

 尚且つ、簪は更識家の人間。この場にいる従業員一様に物凄くかしこまっている。その証拠にここの支配人らしき人が前にやってきたが、その人ですらかしこまった様子だった。

 

「ようこそおいでくださいました、更識様。この度はモデルを引き受けてくださいまして大変ありがとうございます。私は当式場、ホテルの支配人の……」

 

「……はい。今日はよろしくお願いします」

 

 こういった場や大勢に出迎えられることに慣れている簪は特に驚いた感じはなく普段通りの様子でやりとりをしていた。

 式の説明や今日の簡単な流れを説明されたところで早速本題に移ってもらった。

 

「では、早々で申し訳ございませんがご準備の方を……こちらになります」

 

「分かりました」

 

 簪と俺、それぞれに人が付き、一旦簪と別れ、まずは写真を取る為に着替えと準備を始める。

 衣装はホテル側が用意してくれているのこと。

 更識家が経営するフロント企業傘下の式場。向こうも今日のことに一番と気合が入った様子で、用意されたタキシードは豪華なものだった。

 言われるがまま着たが凄い違和感。

 

「お似合いですよ」

 

 そうお世辞を言ってもらえたが、自分では似合っているなんて実感が持てない。鏡に映る自分は何だか馬子にも衣装といった感じ。

 着替えが終わると、髪をセットして貰い俺の準備は終わり、今度は今簪が着替えをしているだろう衣装室の前で待つ。その間、軽くもう一度今日一日の流れを説明してもらいながら、待つことしばしの間。

 

「どうぞ。新婦のご支度が終わりました」

 

 スタッフの人が中から出てきて、中へと案内され入る。

 すると見えたのはいつもとは違う、ウェディングドレスを着た後ろ姿。ただ後姿を見ているだけなのに、とっても神秘的で綺麗。そして、胸がドキドキとしてくる。

 この胸の高鳴りは緊張によるものでもあるけど、これはきっとウェディングドレス姿の簪は間違いなく綺麗なはず、その期待への胸の高鳴り。

 簪、と名前を呼びかける。すると簪はゆっくりと振り返った。

 

「え、えっと……」

 

 ただ呆然と言葉なく簪に見惚れている俺に簪はほんの少し戸惑っている。

 何か簪に言葉をかけなければと思うけど、中々らしいいい言葉が思いつかない。俺もまた戸惑うばかり。

 純白に身を包んだ簪のウェディングドレス姿。その姿を何度も思い浮かべはしたけど、頭の中で思い浮かべるのと実際に見るのでは受ける印象が全然違う。

 たくさん言ってあげたい気持ちはあった。けれど、綺麗だ、ようやく出た言葉はそんなもの。

 あまりにもありふれて何度も言ってきた本当に月並みの言葉。言った後に、もっと気の利いた別の言葉を言ってあげたい思いがあったが、どうやらこの言葉でよかったらしい。

 

「嬉しい……とっても」

 

 そう言って簪は、嬉しそうに微笑んでいた。

 ウェディングドレス姿の簪は本当に綺麗だ。ただその一言に尽きる。俺の月並みの言葉でも嬉しそうにしてくれている簪を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。

 模擬とは言え、こんな綺麗な簪と今から結婚式を挙げられると思うと、嬉しいのと同時に誇らしい気持ちになってくる。

 

「あなたもかっこいいよ。凄くいい」

 

 そうか。照れくさくて、ついぶっきらぼうな返事をしてしまう。

 そのことは簪にはお見通しなようで、ニコニコとされると更に気恥ずかしい。

 だけど、簪に褒めてもらうと、馬子にも衣装だと思えていたこの姿が満更でもない気分。

 

 二人して言葉もなくお互いの姿を見つめあう。

 ウェディングドレス姿の簪は綺麗で、魅力的。だからなのだろうか、魅入られて吸い込まれそうな感じがする。

 それは簪も同じだったようで、俺達はどちらからともなく引き合い。そして――。

 

「準備は済んだかしら……って」

 

「……っ!?」

 

 驚き、俺達はとっさに離れあう。

 凄い嫌な汗かいた気がする。

 誰かなんて確認するまでもない聞きなれた声。誰なのかは確信めいた物を持ちつつ、声のした方向を向く。するとそこには、楯無会長がニヤニヤした顔でこちらを見ていた。

 

「お邪魔だった? ふふっ、相変わらずね~でも、まだ誓いのキスをするには少しだけ早いんじゃない?」

 

 ニヤニヤとしながら楯無会長はそんなことを言ってくる。

 ニヤニヤされても仕方ない。場の雰囲気に飲まれて凄いことしてた自覚はある。嫌じゃなかったが。

 しかし楯無さん、本当にニヤニヤしてくる。仕方ないことだけど、腑に落ちない。

 それは簪も同じなようで、頬を赤くして恥ずかしそうにしていた。けれど、それ以上特に反応をしないようにしていた。ここでこれ以上照れて何かいったりすれば、余計にからわかれる。なので、いつものように受け流すにつきる。

 それを察してくれたのか、楯無会長はそれ以上からかってくることはなく、ゆっくりと簪の方へ近づいてきた。

 

「綺麗よ、簪ちゃん」

 

「ありがとう……お姉ちゃん」

 

 飾りっけのない心からの素直な楯無会長の言葉に、簪は嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 着替えを終えると、いよいよ本格的に始めていく。

 

「凄い……綺麗だねっ」

 

 スタッフに案内されて、やってきたのは模擬挙式を行う式場。

 式場は教会タイプ。ドラマや映画よく見るような。パンフレットで見るよりも豪華で、何だか神秘的だ。その神秘的とも言える式場の雰囲気に珍しく簪はいつもより興奮気味だ。可愛いな、簪。こういうところも女の子らしい。

 なんてこと言ってるけど、俺だってテンションが上がっている。

 

 式場を見渡す。

 式場は広くて大きい。そこには沢山のスタッフがせわしなく動いている。

 結婚式には沢山の人の力があって成り立っているのは知っていたけど、こんなにも沢山の人の力で成り立っていることを改めて再確認した。

 

「新郎新婦方、リハーサルを始めるのでこちらの方へ」

 

「分かりました」

 

 呼ばれたほうへ俺達は向かった。

 

 模擬挙式は二、三回のリハーサル、それ経て本番となる。

 チャペル、教会式の今回の内容とその流れ自体はよく知る結婚式と変わらない。入場し、神父が呼んでくれる聖書を聞いて、誓いの言葉に同意して、新婦のベールを挙げ、指輪を交換して、誓いのキスをするといった感じの。

 

 どこでもそうなんだろうけど、初めてということもあって、リハーサルはとても丁寧にしてもらえた。

 何となく知っている程度だったことも、本当にやってみるとより理解できる。指輪の正しい交換の仕方とか。

 そして何より、こうして実際にやってみるとより鮮明イメージが高まっていく。将来、簪と本当に結婚式を挙げるとき、ここはこうしたいとか、こんな風になるんだろうなぁということが。

 

 模擬とは言え、結婚式。

 指輪の交換もすれば、定番の誓いのキスもする。

 リハーサルだった今まではしたという体で次の工程へ移っていった。

 

「本番ですか? もちろん、唇にしてもらっても構いませんよ? 恥ずかしければ、頬やリハーサルのようにしたフリでもかまいませんので」

 

 そうスタッフの人に言ってもらえた。

 俺達の模擬挙式はブライダルフェアの一環として沢山の人が見学しに来るらしい。

 そんな中でキスをする。そう思うだけで恥ずかしい気持ちで一杯になる

 どうしようかと簪の様子を伺えれば。

 

「……」

 

 期待するような瞳で俺を簪はじっと静かに見つめてくる。

 何を期待してくるのかなんて言うまでもない。俺にはよく分かった。

 第一、恥ずかしいのは俺だけじゃないしな。

 

「では、いよいよ本番です」

 

 スタッフの一言で俺と簪は気を引き締める。

 簪が最後の身支度『ベールダウン』を終えるといよいよ本番だ。

 俺達の挙式の様子は見に来ている人達の今後の役に立つかも知れない。失敗は出来ない。

 

「上手く、できるかな……」

 

 不安そうな顔をする簪。

 俺まで不安になってどうする。少しでも勇気づけるように簪の手を握る。

 俺だって簪の前ぐらいカッコつけていたし、折角の晴れ舞台だ。簪にはとびっきりの笑顔でいてほしい。

 

「うんっ……そうだねっ」

 

 元気を取り戻した簪を横目に、ついに式は始まった。

 ウェディングドレス姿の簪と腕を組み、二人揃ってヴァージンロードを歩き出す。

 式場内にはフェアの模擬挙式を見学しに来たであろう見知らぬ大勢の人達がたくさんいる。

 その中にはもちろん見知った顔である楯無会長達や、そして。

 

「え……本音と織斑だ」

 

 簪が客席にいた本音と一夏に気づく。

 あいつらまで来ていたのか。もう写真に収めてきてるし。

 楯無会長以上に身近な友達や親友が見に来ていると分かると、追いやっていた気恥ずかしさをまた覚える。頑張らねば。

 そうして、ヴァージンロードを歩き終えると神父がいる祭壇前へとたどり着く。そこで神父が呼んでくれる聖書の内容を聞き、誓いの言葉を言ってもらう。

 

「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 二人、しっかりと結婚を誓約を交わす。

 ここまではリハーサルでやったこと。順調だ。

 

「では、指輪の交換を」

 

 模擬挙式用に向こうが用意してくれた結婚指を受け取る。

 そして、差し出された簪の手を取り、ゆっくりと嵌めていく。

 ちゃんと簪の左薬指に嵌ったのを確認すると、今度は同じ様に簪に結婚指輪を嵌めてもらう。

 

「ふふっ」

 

 お互いに結婚指を嵌めてもらうとベールの向こうで簪が嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。

 指輪の交換を終えるといよいよ最後。

 

「それでは、誓いのキスを」

 

 ベールを上げる。

 すると、表に出さないように努めているが、簪が緊張していることが俺にはよく分かった。

 誓いのキス……本番が始まるまでは迷っていたが、いざ本番が始まれば自然と腹は決まっていた。

 

「ん……」

 

 そっと唇を簪の唇に重ねた。

 どのくらいそうし続けていたのだろうか。現実的な時間で言えば、数秒なんだろうが、長くそうしていた気がする。名残惜しさを感じながらも唇と離せば、そこには幸せ一杯の笑顔の花を満開にしている簪がいた。今まで、今日一番の可愛く綺麗で、そして魅力的な簪。

 こんな素敵な簪と模擬とはいえ結婚式を挙げられたんだと、実感が沸いてきて、幸せだった。

 気づけば、式場はたくさんの惜しみない祝福の拍手で溢れていた。

 

 拍手を受け、客席に向きながら、簪はそっと俺に言った。

 

「将来、必ずこんな素敵な結婚式挙げようね」

 

 勿論。必ずだ。必ず、簪を幸せにしてみせる。今以上に。

 

「うん、幸せにしてね。そして、二人一緒にもっと幸せになろうね」

 




この話を投稿したのが2016年の六月なのでジューブライドのお話を。
公式にある簪の花嫁姿、尊い。結婚しよ。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪が熱を出して

 早朝、日課の寮周りを周回するランニングと筋トレを終えてた俺は、一度部屋へ戻ることにする。

 スマホで時間を確認すれば、皆が起きだすいい時間。

 いつもなら大体このぐらいに簪からメッセージが来ているのだけど、今朝は来ていない。まあ、いつも簪から先にメッセージが来るのではなく、俺からも先に送ることがあるから、そこまでおかしいという訳じゃない。ただ少し気になりはする。

 とりあえず、俺から先にメッセージ送っておくか。『おはよう』と短いメッセージを送ると、自室へ戻った俺は汗を流すために風呂でシャワーを浴びた。

 簡単に済ませた為、十分もかからずシャワーを済ませると、体を拭きながら登校の準備などを少しずつ始めていく。この間にも簪からの返事を待ったが、まだ来てない。それどころか既読すらついてない。

 流石に少し変だ。いつもなら、この時間にはもう起きているはずだ。簪の朝も忙しいといえば、忙しいけど、そこまでじゃないはず。返事が出来ないほどのことがあったのだろうか。少々気にしすぎな気がしなくはないけど、そんなことを思っていると、タイミングよく簪からメッセージが返ってきた。

 

《おはよう。ごめんなさい、返事が遅れて。今朝、熱が高くて体調が悪くて》

 

 それでか。

 昨日はそんな素振りなかったけど、ここ最近も割かし忙しめではあったから、そのせいかもしれない。気づけなかったのが、少し悔しいところではある。

 ちなみに熱ってどれぐらいあるんだろう。

 

《……38.1。だから今日、学校お休みするね》

 

 かなり高いな。学校に行ってられる熱じゃない。

 簪一人なら心配は尽きないけど、簪のルームメイトは本音だ。おそらく、本音が簪の身の回りのことをやってくれているばずだ。本音は普段のほほんとしていても歴とした簪専属の従者。簪に熱があるのなら尚更。

 だから、今行っても何かしてあげられるわけじゃないけど、様子ぐらいは見に行きたい。大丈夫だろうか。

 

《……分かった。いいよ、来て》

 

 よかった。

 簪からのメッセージに感謝の返事を送ると俺は足早に簪の部屋と向かった。

 着くとドアをノックして、中の様子を伺う。すると、中から本音が出迎えてくれた。

 

「もう来たんだ~早いね~おはよう~。ささっ、入って入って~」

 

 本音に部屋の中へと入れてもらう。

 本音は元気そうだ。簪は大丈夫なんだろうか。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ~かんちゃん、さっきお薬飲んだしね。かんちゃん、来たよー」

 

「……うん、おはよう」

 

 膝辺りまで布団をかけ、上半身を起してベットの上に簪はいた。

 パジャマ姿の簪は、おでこに熱さまシートを貼っている。

 顔色はそこまで悪いわけじゃない。だけど、やっぱり辛そうだ。熱があれほど高いし無理もないか。

 でも、一安心だ。

 

「ちょっと、かんちゃんのことお願いしてもいい? 私、先にご飯食べてくるね~」

 

 そう言って本音は、申し訳なさそうに両手を合わせながら、部屋を後にした。

 気を使わせてしまったな。

 

「……ごめんね、朝早いのに。あなたも朝食まだなんでしょう」

 

 申し訳なさそうな表情を浮かべている簪。

 そう言えば、まだ食べてない。

 でも、朝食なら後でいくらでも食べるし、今は簪の方が最優先だ。

 

「ありがとう……嬉しい」

 

 簪は嬉しそうに小さく笑みを浮かべた。

 部屋で二人っきりになった俺と簪。

 二人っきりにしてもらってのはいいけど、やっぱり、特にこれといって簪にしてあげられることはない。

 やるべきことはほとんど本音が済ませてくれたっぽいから、何だか手持ち無沙汰な感じ。 

 簪の看病が出来ればいいんだけど、いかんせん学校がある出来ない。いっそ学校を休んで看病できたらいいんだけど……。

 

「だ、だめだよ……! 学校はちゃんと行かないと。そこまで辛いわけじゃないから。それにほら、本音もいるし」

 

 分かってるって。

 看病はしたいけど、その為にだけに休めば、返って簪にいらぬ気をつかわせてしまう。今は簪に何も気兼ねなく療養してもらうのが大切なのだから。

 しかし何だ……こんな時でも簪の口からは本音の名前が出てくる。頼られてないってことじゃないことは分かっているし、簪と本音は幼馴染という長い長い付き合い。一々表すまでもない心からの信頼あったのことなのだと分かっているが少しだけ複雑だ。

 本音がいるとやっぱり俺がしてあげられることは何もないに等しい。

 

「決め付けよくない。そんなことないから……もう気をつかいすぎ。移るものじゃないけど万が一移ったらって心配だったけど……こうして様子見に来てくれたこと本当に嬉しい……凄く」

 

 嬉しそうな簪の表情がそれは嘘ではないのだと言葉と同じくらい伝わってくる。

 顔色もよくなった気がする。

 

「熱出して休むのなんて久しぶりだから……ちょっぴり不安だったけど……楽になったよ」

 

 どちらからともなく手が重なり、手を繋ぐ。

 熱のせいだろうか。ぽかぽかとしてあったかいけど、いつもの様に簪の手は柔らかい。

 握っている簪は、地よさそうにしている。

 

 決め付けだったな。

 様子見ることしかできないけど、それでも出来ることはある。だから、別に不安がる必要はない。

 簪には早くよくなってほしい。

 

「うん……療養に専念する。……時間そろそろ……」

 

 言われて、スマホで時間を確認する。

 そろそろ朝食を食べないと、まずい時間になっていた。

 名残惜しいけど、今朝はここまで。

 またお昼休みにでも様子見にこよう。幸い、俺達の学生寮は昼休みなら、寮に戻ってきてもいいことになっている。こういう時、寮生活だと便利だ。

 その時にスポーツドリンクやゼリーでも差し入れしよう。

 

「そんな悪いよ……」

 

 やっぱりダメか……

 すると、簪は慌てて笑みを含んだ少し困った顔をした。

 

「だ、だめなんて言ってない。もう……ずるい。そんな目されたら何もいえないよ」

 

 押し切った感はあるが、よかった。

 これで昼は簪と少しの間だけでも一緒に過せる。

 

「そうだね……楽しみにしてる。そうだ……鍵、サブだけど渡しておくね」

 

 簪に部屋の鍵、ルームキーカードを渡される。

 

「じゃあ、またお昼」

 

 鍵を受け取ると別れを告げて、簪の部屋を後にした。

 

 

 

 

 昼休み、俺は早速簪の部屋へと向かっていた。

 手には本音が手配してくれた寮の食堂の人が作ったお粥と、購買で買ったスポーツドリンクやゼリーとかを持って。

 簪の部屋の前まで着くと、まずはノックして中の様子を伺う。返事はない。

 一応ノックしたし、大丈夫だろう。朝貰ったルームキーカードで鍵を開け、中へと入った。

 

「……」

 

 穏やかに簪が眠っている。

 顔色がまたよくなっている。熱も下がっている様子だ。薬が効いて、ちゃんと体を休めてよくなった証拠だ。

 来たのはいいけど、眠っている簪を起すのはよくないし、気が引ける。書置きでも残して、また放課後出直そう。

 

「……ぁ……来てたんだ」

 

 タイミングよく簪が起きた。

 もしかして、起してしまったのやも。

 

「大丈夫だよ……お昼ごはん、持ってきてくれたんだ。ありがとう」

 

 お粥は消化にいいけど、少しぐらいは食べれそうなんだろうか。

 

「食べる」

 

 簪がスプーンとお粥、そして俺を順番に見る。

 俺を見る簪の目は、何かを期待しているようで、ねだる様な視線を向けてきていた。

 ……そういこうとか。

 頭の中で簪が何を考えたのか分かり、簪をチラッと見ると、目が合った。簪は、恥ずかしそうに目を伏せる。どうやら、正解らしい。

 俺はお粥を適量スプーンで掬うと、ふーふーと一度冷まして、こぼれないようスプーンのしたに手を当てながら、ゆっくりと簪の口へと運んだ。定番である『あ~ん』の台詞をつけながら。

 

「あ、あぅ……あ、あーん……」

 

 恥ずかしそうにしながら、簪は口を開き、ゆっくりと食べる。

 病人相手には悪いが、照れながら食べる簪は可愛いというよりもちょっとおもしろい。

 口の中のを美味しそうに食べ終えた簪の頬は、赤く染まっていた。

 

「美味しいけど……こんなことされたら……熱上がっちゃいそう」

 

 それは大変だ。

 なら、残りもしっかり食べないとな。食べたら満腹感で眠気が来てまた眠られるだろうし。

 そうすれば、早く治るに違いない。

 

「もうばか……あ~ん……」

 

 簪は満更でもない様子で口を小さく開けた。

 病人なんだから、このぐらい素直な方がいい。

 俺は再びお粥を適量掬い、冷ましてから、スプーンを差し出した。

 

「……はむ、もぐもぐ……美味しい」

 

 お粥が美味しいからなのか、食べさせてもらったのが嬉しいからなのか、それともその両方なのか。

 簪は、心の底から幸せそうに微笑む。

 その後、簪は自分でお粥を食べ、俺も持ってきていた昼食のパンを食べて、二人一緒に昼食を済ませた。

 

「……こういうのもいいね」

 

 突然、簪がそんなことを言った。

 

「……熱出して休むのも久しぶりだけど……こうして看病されるのも久しぶりだから」

 

 ああ、そういうこと。

 久しぶりに熱を出して休めば、不安になるもの。

 そんな時に誰かに看病、誰かが傍にいるというのは心強いもの。分かるような気がする。

 実家ではどうだったんだろうか。

 

「本音が看病してくれてた。ほら、専属だから」

 

 やっぱり、本音だったか。

 楯無会長とかはどうだったんだろう。

 

「お姉ちゃん……? ……うーん、ほら昔は私とお姉ちゃん仲よくなかったというか距離があったから……気にはかけてくれたみたいだけど、看病とか様子見にきたりとかそういうのは」

 

 まあ、そうか。

 昔からの簪と楯無会長の事情は詳しく聴かされて知っているから、何となくそのことが想像つく。

 でもやっぱり、昔から気にはかけていたんだ。楯無会長は、本当に不器用な人。 

 

「だからってのも変だけど……本音以外の人にこうして看病をしてもらえるのって何だか新鮮……特別な感じがする。何度も言うけど、あなたが傍にいてくれて本当によかった」

 

 そう言って簪はとても嬉しそうに微笑んでいたのだった。

 

「ん、ふぁ……」

 

 空きっ腹が満たされたことと安心して幸福感を得たからなのか、口に当てた手の下で簪が小さな欠伸をしているのが分かった。

 眠そうにしている簪。また眠気がやってきたな。

 

「うん……ごめんね、もう少しだけ寝るね」

 

 言って簪は、起していた体を寝かせ、布団を被る。

 よくなったとはいえ、まだ直りかけだ。少しといわずゆっくり寝て、しっかり治して欲しい。

 すると、簪の視線に気づいた。

 

「……」

 

 無言のまま、俺の手を見つめる簪。

 それが何を意図してるのか俺はすぐ気づき、手を差し出した。

 布団の隙間から簪がゆっくりと手を伸ばしてきて、手を取り、そっと握り合う。

 

「五時限目遅刻しないように少しだけでいいから……」

 

 分かってる。

 遅刻はしない。でも、簪が眠るまでちゃんと繋いでおくから。

 

「ありがとう」

 

 安心した様子で目を瞑り、簪は小さな寝息を立て始め眠った。

 それから俺は遅刻しない時間ギリギリまで、安らかに眠る簪の寝顔を眺め、授業へと戻った。

 

 

 

 

 今日一日の授業が全て終わった。

 この後、これといった必ずやらなければいけない前もって決めていた予定はない。自由な放課後。しいてあるとすれば、いつも自主練ぐらい。だけど、今日それはキャンセルだ。

 なので、俺は再び簪の部屋へとやってきた。ドアの前でノックして様子を伺う。

 

「……はーい。どうぞ、入ってきて」

 

 部屋の中からそんな簪の声が聞こえ、中へと入る。

 ベットの方までいくと、そこには上半身だけ簪が体を起していた。

 

「ごめんね……放課後も来てもらって」

 

 と簪は申し訳なさそうにている。

 何を言うんだと思ってしまった。

 まあ、こうして俺が来るのは簪にしたら、俺の負担になっているんじゃないかと不安に思っているみたいだ。

 らしいといえばらしいけど、そんなことはない。俺はいつも自分がしたいと思うことしかしてない。 

 放課後だって様子を見に来るのは行きたいと思ったからで、それは簪のことが大切で好きだからだ。

 だから、簪が気にする必要はない。

 

「よ、よくそんな恥ずかしいこと言えるね……嬉しいけど」 

 

 なら、よかった。 

 くさいこと言ったけど、満更でもない簪の様子を見て安心した。

 

 それにしても今簪は起きているけど、もう大丈夫なんだろうか。

 

「もう、大丈夫。……すっかりよくなった。逆に寝すぎて辛いぐらい」

 

 冗談めかしに簪が言ってことは、本当によくなったらしい。

 ならば、と言いながら俺は簪のおでこに自分のおでこを当てて熱を計る。

 

「ひゃぁ……!?」

 

 確かに熱は下がったようだ。

 よく知る簪の体温になっている。

 後はこのまま安静していれば、熱は上がることなく、明日から元気に過せるはずだ。

 

「……それは分かってるけど……汗かいてるから……ちょっと恥ずかしい」

 

 簪は恥ずかしそうに自分の体を隠すようにぎゅっとしていた。

 それもそうか。少し気が利いてなかった。

 だから、なんだろう。

 今の簪は、汗のせいだからか、いつになく色気みたいなものがあるように見える。

 

「それに……あまりくっついているとキス、したくなっちゃうでしょう」

 

 メッと叱るように簪は言う。

 その様子は、なんだか小悪魔っぽくて可愛らしい。

 

 別にキスしてもいいんだけど。

 と思ったが、よくなったとは言え簪は病人。

 明日ちゃんと治ってたら、簪のしたいことどんなことでもしてあげよう。

 

「私のしたいこと……? いいの……?」

 

 いいも何も、そうしてあげたいことが俺のしてあげたいことでもある。

 嘘は言わない。

 

「そっか……だったら、ちゃんと治す」

 

 満面の笑みで言った簪はとてもとても可愛かったのであった。

 






今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪達はいない。恋人の暖かさ

 「ふふっ、よしよし」

 

 「んー……」

 

 特に会話らしい会話もなく、一夏の一人部屋で静かに抱きしめあう一夏と本音の二人。

 厳密に言ってしまえば、服の上からではあるが本音の胸の谷間に一夏が顔を埋めながら抱きつき、本音に抱きしめられていた。

 

――可愛いなぁ~おりむー

 

 そんなことを思いながら本音は、嬉しそうにして抱きついてくる一夏を抱きしめ愛おしそうに頭を撫でた。

 一方の一夏はそうした本音の愛情を感じながら、一夏は心地よさそうにする。

 

 最近、一夏と本音の二人が一緒に過ごし、特にこれといってやることがなくなると、大体こういったことをしながら二人は過す。

 もっと言えば、一夏が本音に抱きしめてもらうことをよくお願いするように、甘えるようになってきた。

 流石に人前ではしない。今の様に部屋で二人っきりの時のみ。

 

「おりむーどう? 気持ちいい~?」

 

「ああ、凄く柔らかい。ごめんな、のほほんさん。いつもこんなこと頼んじゃって」

 

「それは言わない約束でしょう、おりむー。というか、気にしなくていいんだよ~私とっても嬉しいんだから」

 

 本音は、嬉しそうに微笑みながら一夏を抱きしめる。

 

 何故、一夏がこんな風に甘えるようになってきたのか、その理由は本音にはよく分かっていた。

 バレンタイン(あの日)のことを経て一夏に大きな変化があったからに他ならない。

 以前の様な変に片意地を張るようなことはやめた一夏。最初こそは自分から抱きつくこと、甘えることに抵抗がやはりあったようだが、徐々になれていき今ではこんな風に素直に甘えるようになってきた。

 形はどうあれ、こうして一夏がちゃんと素直に甘えてくれているのが本音はたまらなく嬉しい。一夏が変わっていってくれていることが嬉しい。

 

――あの日、おりむーとちゃんと向き合うことが出来てよかった。本当のおりむーを知れてよかった。

 

 そう思うのは一夏もまた同じ。

 あの日、本音のおかげで本当の自分というものに気づくことが出来た。

 自分が甘えることで相手の重荷になってしまうのではないかと恐がる必要なく。甘えることに臆病になることもなく。昔の様に言い表せない恐怖から必死に自分を守る為に強がる必要ももうない。

 ただ素直に甘えることが出来る。それがどれだけ嬉しくて、心の底から安心できるものか言い表せないほど。

 今までずっと足場がなく必死でいるしかなかった一夏だったが、ようやく地面に足をつくことが出来たような気分。

 甘えさせてくれている本音には感謝の気持ちで一杯だ。愛しくてたまらない。

 

「本当、こんな風に誰かに甘えることが、抱きしめてもらえることが出来るなんて夢みたいだ」

 

 独り言のように一夏は言う。

 こんなこと、昔だったら想像つかない。だからなのか、一夏は昔から秘めていたあることを思い出していく。

 相変わらず顔を半分本音の谷間に埋めたまま、視線を本音へと向ける。

 

「だからってのも変だけど、今だから言えるかっこ悪い話があるんだけどさ……聞いてくれるか?」

 

「ん、分かった」

 

「ありがとな」

 

 一夏は、本音に抱きついたまま、ぽつりと話し始めた。

 

「俺、ずっと小さい頃からこんな風に誰か抱きしめてもらうことに憧れてたんだ。女の人ってか、母さんに抱きしめられるのってどんな感じなんだろうって。正直、周りの奴らが羨ましかった」

 

 懐かしむようでそれでいて、何処か少しだけ寂しそうにして言う一夏。

 

―ーそっか。それでおりむーいつもこんな風に抱きしめてもらうことを頼んできたんだ

 

 本音は納得した。

 

 抱きしめてもらうこと。それは分かりやすい甘え方の一つ。本当は誰よりも、誰かに甘えたかった一夏だからこその頼みごと。

 特に幼い時、甘えた盛りの時に甘えることができなかったのなら、こんな風に憧れるのも無理ないのかもしれない。

 周りが普通に甘えている光景を見ているなら尚更。自分は強く望んでいるのに、周りが当たり前の様に出来ていることが、自分だけ出来ない。その辛さ、本音には何となくにだがうっすら想像がつく。

 

「そっか~……。だったら千冬さん、織斑先生には……無理だよね」

 

 一夏は天涯孤独というわけじゃない。姉が、唯一ではあるが家族がいる。

 甘えてないというわけでもない。一夏なりに不器用でも今までも千冬には沢山甘えてきている。

 それを分からない本音ではない。むしろ、一夏がどんな風に答えるのかある程度分かった上で本音はあえて聞いた。

 そしてまた、一夏も本音がそうなのだと分かった上で聞いたことを察したようで、同意するかのように苦笑いを浮かべていた。

 

「まあな。俺にとって千冬姉はそういう甘え方できる人じゃないし、ただでさえ俺は千冬姉に今もずっと甘えっぱなしで守られてるんだ。これ以上は流石に甘えられない。俺は強くて凛々しい千冬姉の背中にも憧れたんだから。千冬姉みたいに大切な人達を、弱い自分すらも守れるような強い人になりたい」

 

 一夏は変らないと本音は本音は思った。

 一夏という男にあるものの一つはやはり、『守る』ということ。それは変えようない一夏という存在を強く作り上げているもの。

 だが、話す今の一夏には以前の様な『守る』ということに固執や執着した様子はない。ただ純粋な思いから言っている。

 それは本当の自分というものに気づき、受け入れることで一夏はまた一つ人として強くなっている証拠なのかもしれない。

 強がるわけでも、相手に合わすわけでもなく。ただ素直に甘えることが出来るようになった一夏には広い心の余裕があるように本音には感じられた。その姿は頼もしく、かっこよく思える。

 

「というかむしろ、今まで甘えさせてもらってるんだから千冬姉には甘えてほしい。多分、千冬姉もきっと俺と同じで本当は千冬姉も誰かに甘えたいんだ」

 

「似たもの姉弟なんだね」

 

「だな。だから、こんな風に余計なこと考える必要もなく甘えられるのが嬉しい。いい年した男なのに小さな子供みたいでかっこ悪いってのは分かってるんだけどさ」

 

 照れ隠しするように一夏が苦笑い気味に言うと、本音は一夏を優しく抱きしめた。

 

「ううん、そんなことないよ。今こうして話くれたこと。そして、おりむーが甘えてくれているのが私で、こんな風に安心してくれているのが私で凄くうれしい。だから、大丈夫」

 

 ぎゅっと一夏を抱きしめる本音。

 

 一時期は一夏が甘えてくれないことに悩んだこともあったりしたが、ようやく自分たちはここまで来れたのだと実感できる。

 今の話だってそうだ。一夏が甘えてくれているからこそ、話してくれた。

 自分でよかったと思うのは女としての独占欲からなのかもしれない。それでも本音は、一夏が甘えてくれているのが自分でよかったと、ただただ嬉しくてしかたなかった。

 

「ああ。でも、別に俺はのほほんさんを母親代わりとかにしたいわけじゃないから」

 

「分かってるって。私もおりむーのお母さんの代わりしたいわけでもなければ、おりむーのお母さんになりたいわけじゃないからね~。私達は恋人なんだから」

 

「恋人……そうだな」

 

 ぎゅっと本音に抱きつく一夏。

 

 本音の胸の中は暖かで心が落ち着く。

 この胸の温もり、安心感にはやはり母親というものを感じてしまっていることは一夏は否定できない。

 だからといって、一夏は別に本音が母親であってほしいわけではない。一夏にとって本音は、やはり大切で愛しい“恋人”。こうして甘えてもいたいが、甘えた分、彼女に尽くして、本音にも甘えてもらえる自分でありたいと一夏は思う。

 甘えられる相手が、恋人がいるということがこれほどまでに自分をいい方向へ変えさせてくれるとは、一夏は思ってもいなかった。

  こんなにも母性が、包容力がある可愛い本音が自分の彼女でよかった。そう思わずにはいられない一夏だった。

 

「恋人と言えば……」

 

 思い出した様に一夏は言う。

 

「名前」

 

「名前? 名前がどうかしたの?」

 

「ほら、俺達って付き合ってからもあだ名呼びだろ。名前で呼ばないのかってよく皆言われるんだよな」

 

「ああ~それかぁ~。私もよく言われるね」

 

 一夏と本音が付き合い始めて早数ヶ月。

 付き合って間もない頃ならまだしも、二人のお互いの呼び方は友達だった頃と何ら変っていない。

 かといって二人だけの秘密の呼び方があるというわけでもない。昔のまま。

 そのことが周りには少し変に思えた。

 

「でも別にあだ名で呼び合うっておかしいわけじゃないじゃん。世の中にはそういう風に呼び合うカップルもたくさんいるしねー」

 

「だよな」

 

 あだ名で呼び合うカップルも当然いる。数も決して少ないというわけではない。

 ただ一般的にカップルとは親密度を示し感じる為に、下の名前で呼び合うカップルが圧倒的に多い。

 実際、一夏達の身近なもう一組のカップル。簪とその彼氏も付き合い始めてから、下の名前で呼び合うようになり、呼び方だけで周りから見てその親密度が分かった。

 故、余計に一夏達が友達だった頃と呼び方が変らないのは変に思えるのだろう。 

 それでもおかしいことではない。

 

「あっ……でも、流石にこのままの呼び方ってまずいよな……。下の名前で呼べるようにしておかないと」

 

「ん? どうして?」

 

 同じ意見だったと思っていたら、いきなり反対してきた一夏。

 しかも、何故だか真剣な表情をしている。

 一体一夏は何を言い出すのかと本音が思えば。

 

「だってさ将来、子供できた時……流石に子供の前であだ名呼びってのはまずいだろ」

 

 恥ずかしそうに言った一夏の言葉を聞いた瞬間、思わず本音は吹く様に笑ってしまった。

 

「あっははっ!」

 

「な、なんだよ?」

 

 何で笑われたのか分からない一夏は困った顔をする。

 しかし、本音の笑いは止まらない。

 

 言っていることは正しいと言えば正しい。それは間違っていないはず。

 だけど、あまりに一夏らしすぎる。

 普段、女ったらしを超越した最早人間垂らしの域に達した言葉や素振りを平然とするというのに、今恥ずかしそうに言っているものが、何だか可愛いくて、おかしくて笑いが止まらない。

 

――こんなところはやっぱり、変わらないな。

 

 一夏は確かに大きく変わった。

 それでも変わらないものだって沢山ある。これはその一つ。

 こういうことを急に言い出すようなところも本音は一夏が大好きでたまらない。

 

「わ、笑うなよ」

 

「ふふっ、ごめんね。うんうん、確かにそうだね。でも、子供の前ではパパ、ママとか。お父さん、お母さんでいいんじゃないのかな? もしくは、お前、あなたとか?」

 

「あ……それもそうだな」

 

「でしょう。でも、子供って……ふっ、ふふっ」

 

「お、俺が悪かったって」

 

 思い出してまた笑う本音に一夏はたじたじだ。

 真剣に言ったが、自分がどんなことを言ってしまったのか分からない一夏ではもうない。

 しまったと失言を心の内で認めたからこそ、ばつが悪い。

 

「嫌だったら」

 

「ううん、そんなことはないよ。絶対に。凄く嬉しいから。笑ってごめんね?」

 

「いいんだ。俺のほうこそごめん」

 

 優しい表情だが、真剣に言う本音を見て、一夏は安心した。

 

 突拍子のない一夏らしい言葉だったから、本音は嫌ではない。

 いつものようにほぼ無意識のうちに言ってしまったことは分かる。

 そこにどういう意図があったのかは正確なことは定かではない。未来のことを無意識にでも考えているからこそのことか、子供がいるためのそういうことを考えてのことなのか、とか。

 おそらくは前者。一夏かして後者はまずありえない。彼はそういう人ではない。

 

 無意識なのは間違いないが、無意識にでも自分達の将来のことを考えてくれて言ってくれたのなら、嬉しいと本音は思う。例えそれが違うとしては嬉しい事には変わりない。

 だから思わずとはいえ、笑ってしまったことに本音は内心で反省した。

 

「じゃあさー、一回やってみようよ」

 

「何を?」

 

「名前。下の名前で呼び合うことだよ~。子供がもし出来た時の為に備えよ! 備えあれば憂いなしっていう言うもんね」

 

「そうだな」

 

 そう言って二人は離れて、何故か正座して向き合う。

 

「こほん」

 

 わざとらしく咳を一つ本音が仕切り直すようにつく。

 仕切りなおしたからなのか、本音は少しばかり緊張を覚える。

 こうもかしこまるほど大したことではないが、あのままの体勢では名前を呼んでも味気ない。呼ぶならちゃんと呼びたいという思いが本音にはあった。

 それに緊張はただ仕切り直したからというだけではない。

 

――そういえば、おりむーの名前ってちゃんと呼んだのっていつだったけ?

 

 記憶を探るが思い当たらない。

 それほどまでにあだ名呼びに慣れてしまっている。悪いことではないのは確かだが、決していいことでもない気がするとか本音は思った。

 幸い、織斑一夏という彼の名前を忘れてしまったということはない。後は呼ぶだけの動作としては簡単なこと。

 しかし、久しぶりすぎて、尚且つ簡単だと思うからこそ余計に緊張するのは気のせいではないはず。

 言いだしっぺの法則というものがあり、自分から言わなければはこれは始まらないと本音は思う。

 

――やってみなきゃ分からないこともあるよね。よし、頑張ろー!

 

 本音は、決意を固め、一夏の名前を呼んだ。

 

「一夏」

 

 優しい声色で言う本音。

 噛む事もなく思ったよりもすんなり言うことが出来た。

 だが、言い終えると言いなれてない感覚と、言ったという実感から落ちつかなさを感じ、頬を赤らめるほどではないものの恥ずかしくなってくる。

 一夏はというと珍しく静かに喜んでいた。

 

――呼び捨てで呼ばれるのなんていつものことだけど、すげぇ嬉しい。

 

 今まで何度も呼ばれてきた今更なんてことのない呼ばれ方。

 ただ下の名前を呼ばれてただけのことなのに、他の誰に呼ばれるよりも嬉しい。

 今更すぎるが、本音と親密になれたということを、恋人になれたという事実を改めて実感し、感慨深いものを一夏は感じていた。

 呼んでもらえて嬉しいと感じたからこそ、一夏はこの嬉しさを本音にも伝えたい。喜んでもらえたら嬉しいと思った一夏は、返すように本音の名前を呼んだ。

 

「本音」

 

 はっきりと淀みなく名前を呼ぶ一夏。

 

――そういえば、初めてちゃんと下の名前呼んだな。

 

 始めてちゃんと彼女の名前を呼び、多少なりと緊張するだろうと思っていたが、意外にもこんなことはなかった。はっきりと呼ぶことが出来たことに一夏は安心した。

 だが、一夏も言い終えると呼びなれてない感覚と、言ったという実感から落ちつかなさを感じ、本音と同じく頬を赤らめるほどではないものの恥ずかしさを感じていた。

 

――普段あだ名で呼ばれてるから、下の名前で呼ばれると不思議というか、特別な感じ。ふふっ

 

 呼ばれたことを、その嬉しさを、胸の内でそっと本音は噛み締めるように喜ぶ。

 下の名前で呼ばれるのがこれほどまでにいいものだったとは驚きだ。それはやっぱり、呼んだのが他の誰でもない一夏だからこそ、こうして特別に感じるのだろう。

 

 互いに相手が喜んでくれていることも分かっており、また自分が照れていることも自覚しているからか、恥ずかしさで二人して黙りあう。

 そして、当然沈黙の空間。そこに重苦しい雰囲気はなかったものの、変りに気恥ずかしさがある。相手から視線をそらしていた二人の目が合う。

 すると、沈黙を我慢できなくなったかのように、苦笑いするかのように二人は微笑みあった。

 

「始めてだからかやっぱなれないね~何だか恥ずかしいや」

 

「だな。いきなりずっとってのはまだ難しいけど、これからゆっくりなれていこうぜ。な、本音」

 

「だね~、一夏」

 

 

 

 

「よし、じゃあ……本音」

 

 突然、一夏が両手を広げてた。

 たったそれだけで他に言葉はない。

 一夏の仕草が何を意味してるのかは本音には何となく分かったが、何故今そんなことをしているのかは分からずにいた。

 

「?」

 

「ほら、たくさん抱きしめてもらったり、名前を呼んでもらったり今日も沢山甘えさせてもらったからな、そのお礼っていうか。のほほんさんにも甘えてほしい。甘えてほしいっていう甘え方というか俺の我侭なんだけどさ」

 

「何それ」

 

 本音は、変なのとくすりと笑う。

 別に馬鹿にしている訳ではない。言っていることは一見矛盾しているようだが、言いたいことは本音には分かる。本音もまた同じだから。甘えてもらえることが自分にとっての甘えるということ。

 

 一夏は実は甘えたがり屋なのは今までのことで確かなことだが、同じぐらい一夏は甘えられたいという思いが強い。甘えた分、もしくはそれ以上のことを返したい丸元来一夏という男は、頼られ尽くすタイプなのだ。

 その一夏の気持ちが分からないではない本音だからこそ、素直にその言葉に甘えた。

 

「あったか~い」

 

 一夏が本音に抱きしめられていたように、本音は一夏の胸元に肩耳当てて抱きしめられていた。

 感じる一夏の温もり。姿としてはあまり変わりないはずなのに、自分から抱きしめるのと、こうして抱きしめられているのとでは、安心感や心地よさがこんなにも違うものなのと感じた。

 

「凄いドキドキしてるね」

 

「まあな。煩い?」

 

「ううん。凄い安心するよ~」

 

 耳元で感じる一夏の鼓動。

 ドキドキと一定のリズムで鳴っているが、いつもよりほんの少しだけ早く感じる。

 緊張してくれているのだろうか。そうだったら何だか嬉しいと本音は安堵の息をもらす。

 

 安心はもちろん。一夏の心音をしばらく聞いていると、いつしかだんだんと自分の鼓動のリズムが一夏の鼓動のリズムとあっているよう。

 一夏へと蕩けて堕ちていくような感覚。それはまるで……。

 

「ん~一つになっていく感じするー。何かダメになりそう」

 

「なんだそれ」

 

 とろけた幸せそうな顔をしている本音を見ながら、一夏は微笑む。

 幸せでゆっくりと時間が流れていく穏やかな時間。

 そこに溢れる変えがたい幸せを二人は共に噛み締めていくのだった。

 




のほほんさんisGod

久しぶりの一夏の恋物語。
甘えられるようになった一夏の変化をお送りしました。

簪と“あなた”のカップルが割りと爛れているので
一夏と本音のカップルは、ほのぼのまったり担当です。

一夏が守るというのに固執していたのは千冬に、その背中に憧れていたから。
そして、言いあらわせない内にある恐怖に負けないためのもの。
という解釈になりました。ご了承を。

それでは


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簪の甘い耳かき

 

 静かさに包まれる自室。

 そこにあるものと言えば、ノートを走るシャーペンの小さな音ぐらい。

 そして、テーブルの向こう側に視線を向ければ、そこには勉強をしている簪がいる。真剣な表情で教科書や参考書を見つめ、ノートに問題を解いていっていた。

 真剣な簪の表情は凛々しい。こういう表情の簪もいい。見ているだけで楽しい。

 

「? どうかしたの……?」

 

 ふいに簪と目が合った。

 特にどうかしたというわけではない。ただ何となく簪に見惚れていただけ。

 まあ、いくらなんでも見すぎか。勉強の邪魔してしまったみたいだ。

 

「ううん、大丈夫。そっちはもう、終わったんだね」

 

 その簪の言葉に頷く。

 簪と同じ様に俺もついさっきまで勉強をしていた。

 もっとも、宿題として出された課題を片付けた後に、少し予習復習をした程度。

 今夜はいつもより勉強量は少なめで、簪ほどガッツリしてないので早終わってしまった。

 

「じゃあ……私もおしまいにする。そろそろ時間だし」

 

 言って簪はキリがよかったのか、勉強道具一式を片付け始める。

 時間と言われてスマホで時間を確認すれば、夜も遅い時間。寮部屋からの外出禁止までは長いようで短い残り時間があった。

 夕食を食べ、風呂から上がってから、俺の部屋で一緒に勉強していたから、何だかんだ大分長い時間勉強していたことになる。やめ時には丁度いい。

 

 しかし、なんというか手持ち無沙汰だ。

 これといってやることがない。だからといって、無駄な時間を過すわけでもない。

 二人一緒に過ごしていれば、何かしてなくても楽しいはずだ。

 だが、手持ち無沙汰なのは変わらない。これを解消する為に何かないかと二人を何となく辺りを見渡す。すると、別の机の上にあった綿棒と耳かきが目に止まった。耳かきでもするか。

 以前は一応定期的に耳掃除していたけど、ここ最近は怠っていた。いい機会だ。思いついた今のうちに軽くにでもしておこう。

 俺は、容器から沢山ある綿棒を一本取り出し、耳の中に入れてコロコロと回す。こうしているだけでも気持ちいい。

 

「耳掃除……? かゆいの……?」

 

 いや、何となく。

 そんな風に答えると簪は、興味なさそうにして、その辺に腰を降ろす。

 彼女の前で耳掃除はいかがなものかと思ったが、まあこのぐらいなら許されるだろう。

 

「……」

 

 体育座りをして膝の上に顎をおいた簪が、じっーと見つめてくる。

 しかも、無言。そんなに見られても困る。

 ただ、表情こそはいつも通りだけど、何か悩んでいる様子なのは分かった。どう言おうか迷っている様子も感じられる。

 どうかしたんだろうか。そう思っていると簪が言った。

 

「そこの耳かき貸して」

 

 言われて、耳かきを簪に渡す。

 簪も耳かきしたくなったんだろうか。他人がしているのを見ていると、自分も何となくしたくなるってのはたまにあるから、そういうのだろう。

 けれど、簪は耳掃除する気配はない。それどころか、何故か正座している。おいでといわんばかりの様子だ。

 

「ん」

 

 たったそれだけ。他に言葉ないが、それが何を指しているのか、俺には分かった。

 その言葉が意味しているだろうことに従い、使っていた綿棒をゴミ箱に捨て動き始める。

 そして、簪のすぐ傍へ。床に寝転び、頭を恐る恐る簪の膝の上へ置。その行動は当たっていたようで、簪に頭を優しく撫でてくれた。

 

「耳かき、してあげるね……」

 

 耳かき持って、正座して待たれれば、そういうことだよな。

 何か悪いな。

 

「ううん、気にしないで。私がしたいだけだから……」

 

 なら、素直にお言葉に甘えよう。

 

 簪の膝枕に膝枕をしてもらうのは始めてのことじゃない。

 何度してもらっても簪の膝枕は、柔らかくて気持ちがいい。

 オマケに簪の今の服装は夜なのでパジャマ。女の子可愛らしいデザインだが、バジャマなので薄い。そのおかげというべきなのか、パジャマ越しに何とも言えない優しい暖かさを感じた。

 今の膝枕は耳かきをするためのものだけど、ただこうしているだけで癒される。

 枕で頭を置きなおすように身じろぐ。

 

「やっ、んっ……くすぐったい」

 

 そんなこと言いながらも簪は満更でもない様子。

 

「だめ……。もう……じっとしてるの」

 

 可愛らしく注意されてしまった。

 まあ、ふざけるのはこのぐらいしておこう。今から耳掃除してもらうわけだし、変なことしてられない。

 

「そうだね。あんまり……えっちなこと、してると刺さっちゃうかもね」

 

 なんてことを簪は、冗談めかしに言って、悪戯っぽく微笑んでいた。

 えっちなことってあのな……するわけないだろう。

 今は耳掃除。大人しくしている。終わったら、どうなるかは知らないが。

 とにかく、簪に任せよう。

 

「ん、任せて」

 

 耳かきを始めてくれる簪。

 

 カリカリと耳かきの先で中を掻いていく。

 手つきはゆっくりだが、とても丁寧に、それこそ労わる様にしてくれているのが伝わってきた。

 

「痛くない……? かゆいところとかない……?」

 

 心配そうに簪は言う。多分、誰かに耳かきするなんて初めての経験で不安だろうけど、大丈夫だ。

 くすぐったくて、むずむずするが、それかまた何というか気持ちいい。

 

「よかった」

 

 簪が安堵したのが何となく分かった。

 

 しかし、どうしてこうも誰かに耳かきをしてもらうのはこんなにも気持ちいいんだろうか。

 自分でするのも気持ちいいには気持ちいいが、今こうして簪にやってもらってるのとでは比べ物にならない。

 安堵はもちろん。リラックスして、夜も遅い時間帯だからなのか、だんだんまどろんできた。

 

「思ったよりも綺麗だね。あんまりない」

 

 簪の声でまどろみの中から少し意識を呼び起こされる。

 久しぶりの耳掃除とは言え、定期的にはやっていたから、そこまで耳垢がぎっしりということはないはず。それでも耳垢があるにはあり、簪が丁寧に掃除してくれているのが分かる。

 普段は綿棒で軽くする程度で、今みたいに耳かきですることない。それに他人にやってもらうことで、普段自分では気づかない、届きにくい奥とかもやってもらえるだろう。

 

「奥……? あっ、本当。ちょっと、溜まってるね。痛い時は痛いって言ってね? い、入れる、ね」

 

 遠慮気味に簪がそう言うと、耳の奥のほうでカリカリという音が耳いっぱいに広がった。

 簪が奥のほうで小刻みに耳かきを動かす度に、普段触れられないところなだけにゾワゾワと背筋に鳥肌が走り、何ともむず痒い。ちょっとづつ、耳垢が取れていっているのが分かる。

 なんだか、普段手の届かないところに手が届く感じがして、気持ちいい。すっきりした気分だ。

 

「よいしょ、取れた。多分これで大体綺麗になったと思う。残りは綿棒でやって、もっと綺麗にしちゃうね」

 

 今度は綿棒で耳の中を掃除してもらう。

 竹の耳かきよりも柔らかい綿棒の感触。これはこれで中々いい。

 耳の中でコロコロ左右に綿棒を回されたり、中をほじったりされる。そうすると耳かきで取りきれなかった耳垢がとれ、耳の中の綺麗さが満足いくものになったのか、綿棒が抜かれた。

 

 これでおしまいか……。気持ちよすぎて、もっとしてほしくなった気分。

 今終わったのが左耳。まだ、右耳のほうが残ってる。心なしか何だか待ち遠しい。

 そんなことを思っていると、簪の顔が耳元に近づいてくるのが分かった。

 簪は、仕上げとするかのように、耳元で穴にめがけて優しく息を吹きかけてきた。

 

「ふぅ~……」

 

 突然の不意打ちに我ながら何とも情けない変な声が出てしまった。

 

「ふふっ」

 

 簪は、くすくすと楽しそうに笑っている。

 恥ずかしい限りだ。

 

「可愛かったよ ほら、綺麗になった。次、反対側するから向こう向いて」

 

 いろいろと反論したいが、ここでは耳かきの気持ちよさが優ってしまった。

 言われるがまま俺は、大人しく反対側の左を向いた。

 すると、そこには目の前には簪のいい匂いが広がっていた。鼻先で感じるパジャマからした柔軟剤の匂いと、これは簪の甘い香り。包まれてる感じがする。心地よさを感じて、更にまどろみが強くなるのが分かった。

 こうやって考え事しているのも、正直辛いほど眠気が強い。気を抜くと寝てしまいそうだ。

 

「ん? 眠たい、の……? 夜も遅いからね。寝てもいいよ。終わったら起しちゃうけど……それまでなら」

 

 そう言って簪は、耳かきを動かす手はそのままに、頭を押さえていたもう片方の手で優しく頭を撫で始めてくれた。

 これは抗えそうにない。すまないな。またお言葉に甘えよう。

 そうだ。今度は俺がこんな風に簪に耳かきしてあげよう。

 

「ん、楽しみしてる」

 

 そんなことを思いながら優しい簪の手つきに誘われるように、眠ってしまった。

 

 

 

 

「――きて。起きて」

 

 遠くのほうから呼びかける声が聞こえ、身体を優しい揺すられているのがわかる。

 まどろみから夢の中にあった意識は段々と覚醒していき、ゆっくりと目を開けた。

 

「おはよう」

 

 最初に見えたのは顔の顔を優しく眺めている簪だった。

 そうだ。俺は寝てしまっていた。起してくれたということはもう時間か。

 

「うん。ごめんね、気持ちよさそうに寝ていたのに……」

 

 どうして簪の方がそう申し訳なさそうにするんだ。

 申し訳ないというのはこっちのほう。

 膝枕に耳かきしてもらった上に、少しとはいえ寝させてもらった。何だかしてもらってばかりで悪い。

 

「ううん、気にしないで。今日も大変だったからね……疲れ出ちゃっただけなんだよ、きっと。私にだけそういう顔見せてくれて、そんなあなたを私が労うこと出来てうれしい。それに……いつも、私の方が甘えっぱなしだから……たまには逆もいいね」

 

 本当に嬉しそうに柔らかい笑みを浮かべて簪がそんなことを言ってくれた。

 確かに今日も大変で疲れたけど、それは簪も同じはずだ。

 気にしすぎなのは分かっているが、簪にしてもらってばかりでは男として立つ瀬がない。

 今夜のこと、何かお礼したい。

 

「お礼……? ……じゃ、じゃあ……ぎゅっ、ってして……? 苦しいくらいに」

 

 頬を薄っすらと赤く染めながら控え目がちに簪はそう言った。

 そんなことでいいのか。そう思ったが、これが簪の望みなら喜んでする。このぐらいならいくらでも。

 俺は膝枕してもらっていた状態から体を起し、簪をぎゅっと抱きしめた。

 背中に回される簪の両腕を感じて更に自分の方へ抱き寄せる。

 

「ん~……充電。気持ちいい……ふふっ、これじゃあ何だか……余計に帰りたくなくなるね」

 

 確かに。俺も簪を帰したくなくなる。

 だけど、時間は時間。守らなければならない。

 それは簪も充分理解していて、今こうして抱き合っている瞬間を惜しむように、抱きつく決して痛くない力が篭るのが分かった。

 

「ん、ふっ……充電完了……。今日は私が甘やかそうと思ったのに……結局、甘えちゃった。でも、ありがとう。幸せ。ねぇあなた、大好き」

 

 そう簪に言ってもらえて、俺は、俺達は幸せな気分にもう少し浸った。

 




いつも感想、評価ありがとうございます。
この場を借りて改めて、お礼申し上げさせていただきます。

hirohirohr様のリクエストで「耳かきをする/される簪ちゃん」書かせて頂きました。

現在もネタは募集しています(いつやるかは未定ですが
よければ、活動報告の「リクエストについて」のほうでお気軽に書いて下さい。
くれぐれも感想のページでは書かないようにしてください。
リクエスもですが、沢山の方からの感想もお待ちしております。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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焼きもち妬きな可愛い簪

 無事二年生に進級することができ新学期である1学期も後1ヶ月ぐらいで終わる。

 進級した2年生の生活にも俺は大分慣れてきた。慣れが必要なほど劇的な変化はなかったが。

 クラスは持ち上がりな為クラスメイト全員知った人達ばかりで、勉強もこれまでの積み重ねが生きてきているのか、思ったよりも難しくはない。

 正直一年生、このIS学園に入学した時と比べれば、とても穏やかな日々を送れている。慣れは恐ろしいとよく言うけど、今は偉大だと感じる。

 

 そんな平穏な日々を送れているが、忙しい日々でもある。

 来年に向けての受験勉強をしたりだとか、以前と変らずISの訓練をしたりと、毎日やることが山積みだ。暇なんて言っている暇さえないほどに。忙しいが、忙しいからこそ余計に毎日が充実としていると感じられる。

 その一番の理由は、恋人である簪の存在が一番大きい。簪も忙しいのに、忙しい日々の合間を縫ったデートに付き合ってくれたり、ほぼ毎日二人だけの時間を共にしてくれては、愛してくれる。

 そして何より、献身的に俺のことを支えてくれている。それが嬉しくて幸せ。

 国家代表になるという目標に向けて頑張っている簪の姿は眩しいくらいに輝いていて、だからこそ俺もより一層頑張ろうと思えて、頑張れる。高め合える恋人がいるというのはこの上なく幸せなことだ。

 一緒にいればいるほど、前よりも更に簪に惹かれていく毎日。簪への愛情が増していくのを自分でも恥ずかしくなるくらい分かる。正直、怖いぐらい毎日が充実していると素直に実感できる。そんな日々を送れている俺達は幸せ者だ。

 

 二年生になって変ったことと言えば、やっぱり後輩のことになるだろうか。

 学年が上がって新一年生が入学してきたのだからそれは当たり前のことで、今まで通っていた学校でも当然後輩はいた。仲のよかった後輩のは男の方が多かったが、仲のよかった女子の後輩もいるにはいたし。

 だが、IS学園での後輩は全員女子。俺や一夏という例外を除いて女子ばかりの女子校で、言うなれば女の花園だ。だから、後輩が全員女子なのはここでは当たり前のことで、変なのは男である俺と一夏の方。

 なので当然、俺達男二人とあまり親しくない多くの後輩達は戸惑った様子の子が多い。女子校同然だと思って入学してきた子達の多くは、女子校上がりらしいし無理もない。

 それでも比較的友好的な感じを築かせてくれているのはありがたい限りだ。おかげで今のところは特にこれといった問題もなく新一年生達とも上手くやれているとは思う。

 特に一夏が当然の如く上手くやっている。相変わらずと言ってもいいのかもれない。一あの人間たらしオーラ全開で、まだ一学期だというのに凄い人気。

 

「織斑先輩、本当カッコイイよね~! 優しくて、男らしくて、オマケにイケメンとか素敵~! 惚れちゃいそう」

 

「ね~! 千冬様と姉弟で二人揃って美形だもん。付き合えたらいいのになぁ~」

 

「無理無理。彼女持ちだよ? 織斑先輩。彼女も美女だったじゃん。住んでる世界が違うって」

 

「あーね……でも、本当織斑先輩いいなぁ~」

 

 なんていう噂話を聞くのは最近では当たり前になりつつある。

 どこに行ってもどんな相手でも一夏の人気は本物だ。やっぱり、一夏はそこにいるだけで良くも悪くも人をひきつけ、魅了する。自然体で沢山の人と上手く付き合っていける。まるで太陽のような存在。一夏の様になりたいとは流石に思わないが、羨ましいとは思う。

 

 一夏の噂話だけで済んでくれたら一番良かったんだけど、そうは問屋が卸さないというか何と言うか俺も当然の如く噂話をされているようで、嫌でも耳に入ってしまう。

 

「もう一人の男の先輩はどうよ?」

 

「ああ、あの人。えーと、名前なんだったっけ……?」

 

「うーん、男前で織斑先輩みたいに優しいけど、なんと言うか……」

 

「暗いってわけじゃないけど、織斑先輩よりかは花みたいなものがなくて地味だよね」

 

「そうそう。地味だね」

 

 といった具合。

 この噂を聞いた時、運悪く一緒に聞いていた簪が物凄く何か言いたそうにしていたことのほうが俺の中では噂話より印象強い。

 実際、簪は散々な言われようとか言っていたけど、彼女達の言っていることは当てはまっており、反論する気は特にない。花がないというか地味だという自覚はあるし、一夏と比べられるとそう言われても仕方ない。

 だから、別に悪口ってことのほどじゃないのでそこまで気にもしない。ただのガールズトーク的なもののだろうし、好きな言わせとおけばいい。

 

 そんなことを気にするよりももっと気にするべきことに俺は、俺達は直面していた。

 

「先輩~!」

 

「先輩!」

 

 周りには沢山の後輩達。

 夜、 夕食や風呂を済ませて俺達にわざわざ会いに来てくれたらしい。そして俺達を上手く捕まえて、この現状。

 こういう状況は今まで何度か、それこそ俺達が一年生だった時にも似たようなのを経験したし、新一年生の子達に囲まれるのだって何度か経験している。

 だけど、何度経験しても慣れない。こういう囲まれてワーキャー騒がれるのは得意じゃない。そう思っているのは俺だけのようで、同じ様に後輩達に話しかけられている一夏は普通に楽しそうだった。

 

「織斑先輩! 今度、私にISの実技教えてください!」

 

「あっ~! ズルイ! 私も私も!」

 

「俺に教わるのもいいけど、ちゃんと先生やちゃんとした上級生の先輩に教わった方がもっといいぞ」

 

 なんてことを笑みを浮かべながら言える余裕があるらしい。凄い女子受けがよく、俺よりも沢山の子達に囲まれている

 もう流石としか言いようがない。一夏も何度も経験しているから、嫌でも慣れたってことなんだろうけど、それでもここまで出来るのは本当に一夏らしい。

 

「織斑先輩もいいけど、私は先輩にも教わりたいな」

 

「私も~!」

 

 逃がさないと言わんばかりに、次々と話しかけられる。

 一夏よりも人数が少ないのがせめてもの救いだけど、どう接したらいいのかよく分からず、思わず困り顔をしてしまう。相槌打つのが精一杯で、一夏みたいに上手く会話をすることが出来ない。

 だからと言って折角、夜も遅い時間に来てくれたから邪険にするわけにもいかない。慕ってくれているようだし尚更。だが、流石に辛い。

 

 速く部屋に戻って、簪と勉強したいんだけどな。

 横目で簪達のいるほうに少し目をやる。すると、簪は凄い顔をしてこっちを見ていた。

 

「じーっ」

 

 本当に怖い顔をしているわけじゃない。普段通りの表情。

 しかしそれが今の俺には怖い顔に見える。簪には悪いけど、凄く怖い。黒いオーラのようなものが見えそうなぐらい。怒らせてはないとは思うが、流石に嫌な気持ちにはさせてしまったに違いにない。

 待たせてしまっていることは勿論、後輩といえ沢山の女子に囲まれているんだ。逆の立場……もしも、簪が後輩の男子達にこんな風に話しかけられていたら俺だって嫌な気持ちになるだろうし、あんな顔されても仕方ない。上手くキリをつけてさっさと抜け出せない俺が悪い。

 

 怖い顔しているのは隣にいる本音にも分かったらしく、何やらこそこそと話しをしていた。

 そして、簪はバツの悪そうな顔をしていた簪とふと目があった。

 

「……ふんっ」

 

 目が合った瞬間、とっさにムッとした簪に目を背けられてしまった。

 簪の機嫌がどんどん悪くなっている。そんな気がするというレベルではないほどに。

 これはあれこれ思考を巡らすよりも早くこの状況から抜け出さないといけない。

 

 

 

 

 それから後輩達に解放されたのは数分後のことだった。

 慕ってもらえるのは嬉しいけど、これからは上手くやらないと。

 簪はと言うと、共に俺の部屋へ来た今終始無言。

 

「……」

 

 黙々と勉強をしている。

 無言なんてことはよくあることで簪は普段から口数の少ないほうだけど、さっきあんなに機嫌が悪かったから、気になってしまう。

 何か声をかけるべきなんだろうか。いや、変に心配するようなことを言ったり、したりすると簪は気にそうだ。おそらくだけど、機嫌悪いこと自覚していて、それを少しでも外へ出ないように努めているだろうから、今はそっとしておくのが一番いい。

 今夜は無理でも寝て明日になったら、簪の機嫌はよくなっているはずだ。そう願いたい。

 

 気になってしまう無言の雰囲気だけど、仕方ない。

 俺も勉強に専念しよう。

 

「……ねぇ」

 

 勉強を始めて数十分、ようやく簪が口を開いた。

 凄い躊躇って言った簪の視線の先には、小さめの紙袋が一つ。

 

「……一つ聞いていい? それ……後輩の子から……?」

 

 頷いて答える。

 この紙袋はさっきいた後輩の子から貰ったもの。

 中身は簡単な手作りのお菓子らしいけど。

 

「そう……よかったね」

 

 お菓子までくれるなんてよっぽど慕ってくれていることなんだろうから、よかったんだけど簪の言葉に毒を感じるのは何故なんだろうか。声色は普段通りのもので、俺にやましい気持ちとかがあるからそう思ってしまうのかもしれない。

 確かによくないよな。彼女がいるというのにこういうの他の女子から貰うってのは。だがしかし、これは下心とか打算抜きでただ慕ってくれたものだし、無碍にすることも出来ない。でもな……。

 自分では答えの出ない思考に囚われる。何だか愚痴っぽくなってきた。よくない。

 

「……」

 

 簪は再び黙々と勉強をしているが、さっき以上に無言なのが気になってしまう。

 流石に何か言わないといけないような気がする。でないとこの間を保てそうにない。

 しかし、いい言葉が浮かばない。何を言っても、簪を怒らせてしまいそうな気がしてならない。

 唯一言えた言葉は、すまない。そんな謝罪の言葉でしかなかった。

 

「……何で」

 

 震えた様子で言う簪。上手く聞き取れず聞き返してしまった。

 

「……何でそっちが謝るの? あなたは悪くないのに……どうして」

 

 キッと睨まれながら、簪に怒られてしまった。

 そうだよな。俺が悪いと思っただけで、簪にしたら理由がない謝られられても困らせるだけでしかない。結局、怒らせてしまった。何も言わなかった方がよかった。

 

「ずるいよ……いつもいつも」

 

 そう簪に言い責められ、俺は何も言うことが出来ない。

 本当、ずるいと思う。こんなことを言うなんて。

 だから、何を言われても甘んじて受けるしかない。

 

「……こっちへ来て」

 

 呼ばれて大人しく簪の前へと行く。

 目の前まで行くと簪が怒っているのが改めてよく分かる。普段こんなことないからつい身構えてしまう。

 

「……」

 

 俺を見て、思いつめた表情をする簪。

 何事かと思っていると。

 

「んっ、ちゅっ……!」

 

 俺は、簪に押し倒され、キスをされていた。

 簪が強引に唇を押し当ててくる。それだけ終わることはなく、驚いた拍子に空いた隙間へと簪は器用に舌を差し込んで、舌と舌を絡めてくる。

 

「……んんッ、んっちゅっ……んちゅッ、ちゅっ、ちゅっ、んんっ、ちゅゅっ……んんッ!」

 

 文字通り貪るような深いキス。

 それ自体は何も初めてのことじゃない。だが、ここまで激しく、一方的なのは初めて。だからなのか、始めて見る俺の知らない簪の姿に俺はただただ戸惑うばかり。

 そんな俺を他所に簪は舌を絡めながら、俺の上へと馬乗りになっていた。

 

「ん、んん……ちゅっ、ちゅゅゅっ……んはぁっ、ぢゅぅっ、ちゅゅぅっ……ちゅっ、ちゅっ、あむ、ちゅゅっ、んちゅっ、ちゅっ、あむちゅっ……ちゅゅっ、んんっ! ぢゅぅっちゅっ!」

 

 簪は、ただひたすら貪るような激しキスをしてくる。

 それに俺は必死に応じるしかなかった。やはり、簪がこんなことしてくるなんて、よっぽど怒らせてしまったに違いないのだから。

 しかし、突然押し倒されてからのキスだったので辛い体勢で、身を捩じらせ姿勢を楽にしようとする。その時、反射的に簪を抱きしめようとした。

 だが、その行動が読まれていたかのように抱きしめようとした手をつかまれ、元に位置に戻される。

 そして、キッと睨むように見つめて簪は言った。

 

「大人しくしてて。それと、さっきごめんなさいって……悪いと思ったから言ったんでしょう? だったら……悪い子には沢山お仕置きしないとね」

 

 小悪魔でも連想させるような意地悪な微笑を浮かべる簪。

 そんな簪の艶めかしい笑みに思わず、ゾクっとするものを感じた。

 すると簪は、ゆっくりと下半身の方に手を伸ばしてきた。

 

「……ここ、こんなに固くして。まったく……えっちなんだから」

 

 簪が言えた事じゃないだろと思ったが、反論の言葉を言うことも、抵抗することも許さないかのように、簪は再び口付けてくる。

 下半身の方をまさぐり、そして――。

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 ベットの上で体育座りした簪は、顔を伏せて深い溜息をついて、物凄く落ち込んでいた。

 部屋は明るいのに、簪の周りだけどんより暗いオーラみたいなものが漂っている気がするのは気のせいか。

 

「……最低だ、私。物凄いことを、それどころかとっても酷いことしちゃった……。はぁ……八つ当たりだなんて……本当最低。あんないやらしい意地悪なことまでして……ううっ、穴があったら埋まって二度と出てきたくない」

 

 ぶつぶつといろんなことを言う簪。

 夜の営み(・・・・)をして部屋のシャワーで汗とか流し合った後、先に出た簪は酷い自己嫌悪に陥っていた。

 俺は簪の隣へに腰を降ろし、肩を抱くようにして少しでも簪の気分が落ち着くようにする。

 

 まあ実際、今夜の簪は凄かったのは否定しようのない事実。いつもは俺がするばかりだけど、最初から最後まであんな小悪魔的に意地悪っぽく簪に責められるのは初めてだった。耳の穴まで舐められたし。

 だからこそ、簪の新しい一面、Sっ気むき出しなのを見れたのは、何だか斬新でよかったんだけど。

 

「うぅっ……そんなこ言ったって……八つ当たりしたのも、後輩にみっともなく焼きもち焼いたのも事実。明日も学校なのに」

 

 そうだったな。

 しかも、時間は日付が変った夜の十二時過ぎ。部屋からの外出禁止時間なんてとっくに越えていて、今更簪を帰すことはできない。休みでもないのにそれを破ってしまった。簪は変に真面目だから、余計に簪は自己嫌悪に陥っているのだろう。

 しかし、俺だって同罪だ。そう思い謝りかけようとすると簪に言われてしまった。

 

「謝らないでよ。というか……謝ったら、私次はもっと怒るから」

 

 そう言われて黙るしかない。それもそうだ。

 俺に今許されるのは少しでも早く簪の気持ちが落ち着くようにこうしてよしよしと背中をさすってあげるぐらい。

 

「もう、自分が嫌。めんどくさくて、すごい焼きもち妬き……こんじゃ、あなたに幻滅されてしまう……」

 

 時間が経てば経つほど簪の自己嫌悪は悪化していっている。

ってかやっぱり、さっきのは焼きもちからだったんだ。

 

「やっぱり、幻滅された……。そう、だよね……あの子達のこと知らないから万が一あなたのことを好きになったらって考えたらどうしようもなくて……自分が嫌になる。後輩、しかも年下の子に焼きもち妬くなんてみっともない女だよね……」

 

 幻滅なんてしない。

 というか、そんなこと思ったこともなかった。

 思ったことと言えば、嬉しいという思いぐらいなもの。

 

「嬉しいって……」

 

 怒っていた理由が分かって。

 焼きもちから、あんな激しくて意地悪なことをしたんだと分かると、簪が可愛くて仕方ない。

 一方的だったけど、何処かではちゃんと俺のことを思って行動なんだと俺にはそう思えて、嬉しい。

 

 いいように解釈しているってことは分かっているけど、それでもだ。

 それとまたずるい言い方になるだろうけど、そんなに自己嫌悪に陥られると、俺は結局謝ることしかできない。それはお互い嫌なことだ。

 だから、少しでいいから顔を上げて欲しい。

 

「本当に……幻滅しない……? 嫌いになったり……?」

 

 伏せていた顔をゆっくりと上げ、不安そうな表情をする簪。

 幻滅はもちろん、嫌いになるだなんてとんでもない。今夜のことで簪の新しい一面を知れて、更に好きになった。

 それにこのぐらい感情的な簪を受け止めるのが、男としての甲斐性だと俺は思う。なので、そんなにもう自己嫌悪しないでほしい。

 

「男の甲斐性って……何それ。ふふっ」

 

 ようやく簪が笑ってくれた。

 

「ごめんなさい。酷いことして……痛いところとかない……?」

 

 全然。

 焦らされて辛いものはあったがむしろ、何度も言うがあんな風に簪に一方的に攻められるのは斬新で、気持ちよかった。

 

「変態……」

 

 じとっとした目で簪が言う。

 簪が言えたことではないと思うがな。簪も変態だ。

 

「ぅぅ……そうかも。私達、変態カップル……になるのかな」

 

 多分な。

 そう言って二人で笑いあった。

 

 今夜のことは忘れられそうにない。

 簪のあんな凄い姿が今でも脳裏に鮮明に焼きついている。

 

「やだっ……! 忘れてよ……!」

 

 頬を赤く染め恥ずかしそうに俯く簪。

 忘れろだなんて難しい相談だ。

 あんな可愛い簪を忘れだなんて酷だともう。

 

「もうっ、馬鹿なんだから……っ。……はい」

 

 突然、簪が両手を広げていた。

 まるでそれは抱きついてこいと言わんばかり。

 

「酷いことしたのは事実だから……ぎゅっとしてたくさん癒してあげたい。それに今日はもうお泊りするしかないから、今はもちろん、寝ている時も起きた時もたくさん私に癒させて……?」

 

 と小首をかしげて簪が言う。

 上目遣いなのはわざったなんだろうか。そんな可愛らしく聞かれれば、頼むしかない。

 俺は、お言葉に甘え抱きつかせてもらった。

 そして、そのまま二人一緒にベットへと横になる。

 

「ふふっ……心地いい。幸せ……」

 

 ベットの那賀で二人寄り添いあいゆっくりとまどろむ。

 気持ちのいい暖かさ。

 これなら疲れも相まって、ぐっすり眠れそうだ。

 




ミカドン様のリクエストで「簪の嫉妬。可能ならR18で」書かせて頂きました。
リクエストをいただいたミカドン様はもちろん、他に読んでいただいた方にも嫉妬した簪さんとのやりとりを楽しんでいただけば幸いです。

読んでいたら分かると思いますが、簪さん達は進級しています。
何か思うところがあっても、適当に流してください。
この話から進級した簪さん達の話をやっていきます

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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嫌な私を受け入れてくれる素敵な恋人

前回の話の簪視点となります。ご了承を


 二年生になり、新学年度が始まって、早いものでもう一年の半分が終わろうとしている。

 進級した二年生の生活にも大分慣れてきた。もっともクラスは持ち上がりで、彼や本音達とは変わらず別のクラスのまま。授業内容については二年生用のものになっただけで、普段の生活は特に変化はない。

 だからといって忙しくないわけじゃない。来年に向けての受験勉強をしたりだとか、私更識簪が日本国の正式なIS操縦者国家代表になる為の訓練とかすることは山済み。

 忙しいけど、大切な愛しい恋人である彼とのお付き合いはとても順調。忙しい日々の合間を縫ってデートをしてくれたり、彼も同じくらい忙しいのにほとんど毎日二人だけの時間を作ってくれては、愛してくれる。

 それが嬉しくて幸せ。一緒にいればいるほどどんどん彼に惹かれていく。正直、怖いぐらい毎日が充実していると素直に実感できる。そんな日々を私達は送っている。

 

 あえて変化を一つあげるとすれば、後輩が出来た。

 学年が上がって新一年生が入学してきたのだからそれは当たり前のことで、今まで通っていた学校でも当然後輩はいた。本当にただ下の学年ってだけで大した関係も関わりもなかったけど。

 新一年生の中には顔と名前ぐらいは何となく知っている専用機持ちでないけど、同じ日本の代表候補生の子もちらほらいた。

 

 IS学園を彼の言葉を借りて一言で表すのなら、女の花園。

 そう思って入学してきた一年生もいるらしく、そんな女だけの学校に織斑や彼のような男子がいるというのは普通に考えてみるとおかしい。まあ、二人は事情が特殊だから仕方ない面はあるけど。

 それに私達や上の先輩達は、一年間以上も一緒に学校生活を送ってある意味慣れてしまった。だから今更、男二人がいることについて何か思ったりはしないけど、そうではない新一年生の子達の多くはまだ戸惑っていることが多い。

 それでも何だかんだで世渡り上手な二人。特にこれといって問題を起すことも巻き込まれることもなく、一年生とも上手くやっている様子。

 特に織斑は……何というか相変わらず。女たらしならぬ人間たらしオーラ全開でまだ一学期だというのにも関わらず、一年生にも大人気。

 

「織斑先輩、本当カッコイイよね~! 優しくて、男らしくて、オマケにイケメンとか素敵~! 惚れちゃいそう」

 

「ね~! 千冬様と姉弟で二人揃って美形だもん。付き合えたらいいのになぁ~」

 

「無理無理。彼女持ちだよ? 織斑先輩。彼女も美女だったじゃん。住んでる世界が違うって」

 

「あーね……でも、本当織斑先輩いいなぁ~」

 

 なんていう噂話は日常茶飯事。どこに行っても似たような噂話を聞くから最早聞きなれてしまった。

 だからこそ、織斑の人気は本物なんだと嫌でも分かる。正直、お姉ちゃん以上の人気があるかもしれない。

 いいことなのは確かだけど、ここまで人気だと本音が気の毒。

 

 いや、私も他人事じゃないけど。

 彼も織斑と同じくああいった噂話みたいなものはされる。

 その内容は悪い噂話ではないけど、織斑と比べてしまうとある意味対照的と言えなくはない。

 

「もう一人の男の先輩はどうよ?」

 

「ああ、あの人。えーと、名前なんだったっけ……?」

 

「うーん、男前で織斑先輩みたいに優しいけど、なんと言うか……」

 

「暗いってわけじゃないけど、織斑先輩よりかは花みたいなものがなくて地味だよね」

 

「そうそう。地味だね」

 

 といった感じ。

 花がないとか、地味だとか、散々な言われよう。私が思うに織斑がただ単に目立ちすぎな気がする。いい意味でも、悪い意味でも。

 この噂話について思うことは当然あるけど、彼女達がそう感じたことを否定は私に否定することはできない。それは自分のことを棚上げしているようなもの。付き合う前、まだ彼のことを全然知らない時、私も彼のことを花がないとか、地味だとか似たようなことを感じていたから。

 それにこの噂話のことを彼はちゃんと知っている。花がない、地味という自覚はあるらしい。でも、彼はこんな噂話は気にしてない。

 だから、私が一人勝手に彼女達何か言ったりするといったことはできない。彼が気にしないのだから、私も気にしない。

 これはこれでいい。これでいい……はずなのにそれよりも私に気になってしまうことがある。

 

「織斑先輩! 今度、私にISの実技教えてください!」

 

「あっ~! ズルイ! 私も私も!」

 

「俺に教わるのもいいけど、ちゃんと先生や上級生の先輩に教わった方がもっといいぞ」

 

「私は織斑先輩もいいけど、先輩にも教わりたいな」

 

「私も~!」

 

 夜。ついさっきまで夕食だったりやお風呂だったにも関わらず、態々二年生の寮まで来ている一年生の子達。お目当ては言わずもがな織斑と彼の二人。彼女達に囲まれ、騒がしく話しかけられている二人の様子は対照的だった。

 沢山の一年生に囲まれている織斑は、慣れたもので愛想よくいつものあの感じで一年生達とやりとりして、相変わらず女子受けがいい。

 数人の一年生に囲まれている彼はと言うと、いつになっても慣れないといった感じで困った様子ながらも一応無難に応じてはいる。その困り顔が一年生達にいいらしく若干黄色い声が上がっている。

 

 こんな光景もある意味では見慣れてしまったもの。

 私達が一年生だった時にも似たような光景は何度も見たし、今みたいに新一年生に囲まれる光景も今回が初めてじゃない。今更、気にする必要はない。

 でも、何だか落ち着かない。ううん、きっと勘違い。

 

「夜でもすっごい人気者~いいね~」

 

 隣にいる本音は、のんきなことを言っている。

 

 私達はというと、離れたところで二人の様子を見守っている。

 早く部屋に行きたいから、本当なら見てるんじゃなくて助けに行くべきなのかもしれないけど、今私達が入ったらややこしいことになりそうな気がする。

 彼女達は、おそらく多少の下心はあるだろうけど、二人が私達それぞれと付き合っていることは知っているみたいで、普通に先輩後輩の付き合いをしているだけ。それなのに彼女とは言え、こんな時でも私達が一々しゃしゃり出るってのはどうなんだろうと思わないこともない。

 それに本音が言うように人気者なのはいいこと。男子である二人がIS学園で生活していくなら、嫌われていたらいけない。人気がないよりかはあったほうがいい。

 今彼は後輩達と仲良く話をしてる。ただそれだけのこと。

 

 だというのになんだろうこの感じ。落ち着かなくて、凄いモヤモヤとした感覚。

 正体が何なのかは分かっている。ただ言葉にしてまうと、とても嫌な気分になってしまうそんな私の嫌いな気持ち。

 

「かんちゃん、顔怖いよ~?」

 

「……うっ」

 

 引きつった顔で言う本音を見て、私はバツが悪くて何も言い返すことが出来ない。

 

 気をつけていたのに、気づかないうちに顔に出てしまっていたみたい。情けない。

 認めたくはないけど、この落ち着かなくて、凄いモヤモヤとした感覚は焼きもち。更にあえて言うのなら、私は嫉妬している。おそらく彼女達に。

 先輩後輩の付き合いなんてことのないありふれたいつものことで、今更嫉妬するほどのことじゃないって分かっているのにどうして私はこうなんだろう。 私ってこんな感じだったかな。

 

「彼氏君がこっち見てるよ、かんちゃん」

 

 その言葉に釣られて、視線を彼のいる方へやると、運悪く目が合ってしまった。

 怖い顔している私に気づいてしまったのかと思ったけど、それだけじゃないらしく、助けを求めているような目をしていた。

 彼の気持ちは分かるけど、だからって私も助けを求められても困る。助けあげたいけど、そんなことしたらやっぱり厄介なことになりそうな気がする。酷い話なのはわかってるけど、自分でどうにかしてほしい。

 

「……ふんっ」

 

 ムッとした私は、とっさに顔を背けてしまった。

 やってしまった。いくらなんでもこれは無愛想過ぎた気がする。

 でも、やってしまったことには変えられない。

 

 いつもみたいにどんと構えていればいいのに、本当に情けない。

 どんといつも構えていたけど、自分では気づかないうちに溜め込んでしまっていたのだろうか。だから、今こんな風になってしまった気がしてきた。

 しかし、そうだとしても顔に出てしまうなんてみっともなくて自分で自分が嫌になる。こんなことじゃ、本音どころか彼にまで要らぬ心配されてしまう。

 こんな嫌な私なんて、本当大嫌い。

 本音も思うものはあるだろうけど、私から見て本当に普段と変らない様子だから尚更、自分が惨めに思えてくる。

 

「何か怒ってる?」

 

「……そうかも。だから、ごめん……本音、ちょっとそっとしといて」

 

「う、うん」

 

 本音を怯えさせてしまったけど、これ以上気にしてられない。

 モヤモヤがどんどん強くっていくのが嫌でも分かってしまう。

 このままはよくない。このままだと彼に酷い八つ当たりをしてしまいそうで怖い。

 どうにかして少しでも早く気持ちを切り替えてしまわないと。

 

 

 

 

 あれから彼が後輩達に解放されるのに数分の時間を要した。

 その後、再び彼が後輩に捕まるということはなかった。むしろ、そうならないように彼は気をつけていたようで、すんなり二人一緒に彼の部屋へと来ることが出来た。

 そして、いつも通りお互い黙々と自分の勉強をする。会話はない。お互い終始無言。あるのは沈黙のみ。

 

「……」

 

 向かい側にいる彼は黙々と勉強をしている。

 だけど、その内心では私の様子を気遣うように伺ってくれていることは私には痛いほど分かる。モヤモヤとしたのを何とか内でどうにかしようとしているけど、多分表に出てしまっているんだろうな。

 結局、彼に心配されて情けない気持ち一杯で彼には悪いけど、もう少し無言のままでいてさせてほしい。でないと本当に八つ当たりしてしまいそう。

 そうして無言のまま勉強を無理やり続けていると、ふと顔を上げた時、小さめの紙袋が一つ目に止まった。

 あれって確か彼が帰り側からずっと持っていたもの。誰から送られたものなのかはちゃんとは分からないけど、何となく察しがつく。ついてしまう。確認するまでもないけど、今は確認せずにはいられなかった。

 

「ねぇ」

 

 私の呼びかけに顔を上げた彼に聞いた。

 

「……一つ聞いていい? それ……後輩の子から……?」

 

 そうだと頷いて彼は答えてくれた。

 やっぱり……。ちなみに中身は簡単なお菓子らしい。それも予想の範囲内。

 別に彼が他の女子から何かを貰うのは嫌じゃないはず。後輩からということは彼を慕ってくれてのことだとは私でも分かる。これは慕ってくる好意を明確に示すもの。

 だけど、態々お菓子なんて渡すかな? 織斑にも渡してたのならまだいいけど、もし彼にだけ渡してたらと思うと何だかいい気はしない。そもそもこのお菓子、手作りなんじゃ……確証はないけど、勘みたいなものがそうだと告げている。

 ううん、よくないよくない。これはただの好意なのにいくらなんでも勘ぐり過ぎ。そう思っても、一度そう考えてしまったからなのか、その考えが離れない。何だかまたモヤモヤとしてきた。我慢しないと。

 

「そう……よかったね」

 

 そう言った自分が心底嫌になった。

 愛想がなさ過ぎる。それどころか、こんなんじゃ毒づいてるのと変らない。

 どうしよう。流石の彼も私の言葉を聞いて驚いてる。

 酷い言い方したから謝らないといけないのは分かっているけど、今何か言おうとしたらこのモヤモヤを彼にぶつけて八つ当たりしてしまう。

 とりあえず、気持ちが落ち着くまで勉強に集中しよう。そうすれば、きっといつもの私の戻れるから。

 私はそう決めたけど、それは私が勝手に決めたこと。先に彼は、申し訳なさそうにして謝ってきた。

 

「……何で」

 

 声が震えてしまう。

 

「……何でそっちが謝るの? あなたは悪くないのに……どうして」

 

 本当は何で謝ったかなんて聞くまでもない。

 生真面目な彼のこと。この場を手っ取り早く収める為にとりあえずで、謝ったわけじゃないことは嫌でも分かる。私の様子を見て、自分に非があるんじゃないかと考え、結論にたどり着いての心からの謝罪。

 でも、例え彼が自分に非があるという結論に辿りついても彼が悪くないことには変わりない。謝られたって困る。悪いのは私なんだから。あの後輩達に焼きもち焼いて拗ねている私が一番悪い。

 

「ずるいよ……いつもいつも」

 

 私が機嫌が悪い時、いつも謝って折れてくれるのは彼のほう。今回もそうなってしまった。

 こんな風に謝られてしまったら、本当は私の方が謝らないといけないのに、ますます謝りにくい。本当にずるい。

 そして何より、こんな風に自己中心的にしか考えられない私が一番ずるい。卑怯者。

 

 ふと彼を見る。

 やっぱり、自分に非があって、自分の方が悪いと思っている彼は、何を言われても甘んじて受けようとしている。相変わらず、生真面目すぎるほど生真面目。そこが彼の素敵なところ。彼の好きなところであるんだけど、その様子が今の私の癇に障った。

 そういう態度を取るのなら、こっちにも考えがある。

 

「……こっちへ来て」

 

 呼びかけに彼は素直に応じてくれる。

 私が怒っていると思っているみたいで、彼は私の前に来てくれたけど、身構えている。

 実際怒っているのは間違いじゃないけど、いくらなんでもそんな風に身構えられたら傷つく。

 というか、余計に癪に障る。だから、私は思いきって行動に出た。

 

「んっ、ちゅっ……!」

 

 私は彼を押し倒して、キスをする。

 かなり強引に自分の唇を彼の唇へと押し当てる。それだけでは終わらない。突然のことに驚き彼の口が開いたのが分かると、そこへとっさに舌を差し入れ、舌と舌を絡める。

 

「……んんッ、んっちゅっ……んちゅッ、ちゅっ、ちゅっ、んんっ、ちゅゅっ……んんッ!」

 

 熱に浮かされたように私は彼へと深く激しいキスを何度もする。

 こんな激しいキスをするのは初めてかもしれない。まるで何かに取り憑かれたよう。最早、唾液で口の周りがベトベト。

 しかし、それでもやめない。やめようとも思わない。それほどまでに粘膜同士が擦れる感覚が、ひどく気持ちいい。彼の唾液もまた、まるでご褒美のように美味。

 それに戸惑う彼が珍しくて、そんな彼の姿が私の興奮を高ぶらせる。

 いつしか私は彼の上へと馬乗りになるように上がり、キスを続けていた。

 

「ん、んん……ちゅっ、ちゅゅゅっ……んはぁっ、ぢゅぅっ、ちゅゅぅっ……ちゅっ、ちゅっ、あむ、ちゅゅっ、んちゅっ、ちゅっ、あむちゅっ……ちゅゅっ、んんっ! ぢゅぅっちゅっ!」

 

 まるで私は貪るかのように彼へとキスを続ける。

 彼は相変わらず甘んじて受け入れる気持ちは変わってないようで、受け入れては必死に応じてくれている。

 突然、私に押し倒されて体勢が辛かったみたいで上にいる私を気遣いながら、身を捩じらせ姿勢を楽にしようとする。

 その時、何となくにだけど彼が抱きしめてくるのが分かった。らしいといえばらしいけど、何だか往生際が悪い。甘んじて受け入れるのなら、大人しくしててほしい。

 抱きしめようと伸びてきた彼の手を掴んで元の位置へと戻すと、私は諭すように彼に言った。

 

「大人しくしてて。それと、さっきごめんなさいって……悪いと思ったから言ったんでしょう? だったら……悪い子には沢山お仕置きしないとね」

 

 自分でもとんでもないことを言っている気はするけど……今はいい。

 ただ今は困惑している彼の様子が可愛く思えて、そんな姿を私にだから見せてくれているのだと思うととても気分がいい。

 

 苛めるように彼の身体を触れていると、彼の下半身……とある場所がその存在を強く主張していた。

 責められているって分かっているのに、こんなになっているなんて。まったく、仕方ない人。

 

「……ここ、こんなに固くして。まったく……えっちなんだから」

 

 何だか彼は反論したそうな表情をしていたけど、ダメ。許さない。

 私は再び、彼へと口づけする。

 そのままゆっくりと下半身のほうを触れ、そして――。

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 もう何度目のなのか分からない深い溜息を私はつく。

 溜息ついていたら余計に気持ちが沈むだけなのは分かっているけど、こうしてベットの上で体育座りしているほうがまだマシ。

 というか、彼に対してバツが悪くて、顔が上げられない。

 

「……最低だ、私。物凄いことを、それどころかとっても酷いことしちゃった……。はぁ……八つ当たりだなんて……本当最低。あんないやらしい意地悪なことまでして……ううっ、穴があったら埋まって二度と出てきたくない」

 

 今更言っても仕方のないことが愚痴となってとめどなく溢れてくる。

 夜の営み(・・・・)をして彼の部屋のシャワーで汗とかを流すと、熱に浮かされていた頭がだんだんと冷えてきて、我に返った。そして、自己嫌悪に陥っている今へ至る。

 

 とんでもないことをしてしまった。

 いつもは彼にしてもらってばかりなのに、今夜は最初から最後まで私がしてしまった。ただ最初から最後まで私がしてあげられたのならまだよかった。

 でも、今夜は苛めて辱めるように責めてしまった。こんなの八つ当たり以外の何もでもない。

 耳の穴を舐めてみたりとか今考えると変態プレイでしかない。

 

 彼はというと隣に腰を降ろして、肩を抱いて少しでも私の気分が落ち着くように慰めてくれる。

 私のしたことを彼は特に気にしてない様子。私の新しい一面、Sっ気むき出しなのか新鮮でよかったなんて言ってくれているけど、それでも私の自己嫌悪は止まらない。

 

「うぅっ……そんなこ言ったって……八つ当たりしたのも、後輩にみっともなく焼きもち焼いたのも事実。明日も学校なのに」

 

 休みならまだしも明日も一日学校がある普通の日。

 オマケに今の時間はもう部屋からの外出禁止時間なんてとっくに越えている。今更帰ることなんて出来ない。休みでもないのにそれを破ってしまった。彼に余計な迷惑をかけてしまった。

 それでも相変わらず彼は気にしてない。それどころかまた自分も悪いと思っているようで、謝ろうとしているのが分かった。

 

「謝らないでよ。というか……謝ったら、私次はもっと怒るから」

 

 私の気持ちを察してくれたようで、彼は口を紡ぐ。

 

 今謝られたら、益々気が滅入ってしまう。

 だって、焼きもち妬いて我を忘れていたとは言え、本当にとんでもない馬鹿なことをしてしまったのだから。

 やったことは今更変えようのない事実。思い返せば思い返すほど、自分の馬鹿さ加減、みっともなさを改めて思いさせられる。

 

「もう、自分が嫌。めんどくさくて、すごい焼きもち妬き……こんなんじゃ、あなたに幻滅されてしまう……」

 

 自分勝手で八つ当たりしてしまうような女なんて彼に幻滅されても仕方ない。

 それに焼きもち焼いてたと白状すると、彼は納得したなことをぽつりと言っていた。

 私にはそれが幻滅されたように聞こえて凹む。

 

「やっぱり、幻滅された……。そう、だよね……あの子達のこと知らないから万が一あなたのことを好きになったらって考えたらどうしようもなくて……自分が嫌になる。後輩、しかも年下の子に焼きもち焼くなんてみっともない女だよね……」

 

 同年代にすら普段焼きもちなんて焼かないのに年下に焼きもち焼いた自分がみっともない。

 後輩達のことを同年代ほど知らないからってのは分かっているけど、それでもみっともない。

 

 だけど、彼は嬉しかったらしい。

 私のした事が、焼きもち焼いたことが。

 

「嬉しいって……」

 

 建前や嘘で言っているわけじゃないことは分かる。彼はそういうこと言う人じゃない。これは彼の本心からの言葉。

 顔をあげるように言われ、私は恐る恐る顔を上げた。

 

「本当に……幻滅しない……? 嫌いになったり……?」

 

 正直、今だって彼の顔を見るのが怖い。

 だから、恐くてこんなずるいことを聞いてしまう。

 そんな私の不安を打ち消してくれるかのように彼は冗談交じりなことを言った。

 

「男の甲斐性って……何それ。ふふっ」

 

 彼曰く、こんな私を受け止めてみせるのが男の解消って奴らしい。

 何だかおかしくて私はつい笑ってしまった。

 私が笑うと、彼もホッとした様子。私もホッとしたし、いつしかあのモヤモヤはなくなっていた。

 

 「ごめんなさい。酷いことして……痛いところとかない……?」

 

 傷や跡が出来るような本当に酷いことは流石にしないけど、万が一ってことがある。強く握ったりしちゃったわけだし……。

 手首とか見せてもらったけど、傷や痕はない。綺麗なまま。

 よかったんだけど、私にあんな風に攻められるのも斬新で気持ちよかったって……。

 

「変態……」

 

 彼ってたまにこんな変態チックなことをさらっという時があるから、ビックリする。

 でも……たまになら、今日みたいに彼を攻めるのもいいかもしれない。喜んでくれるみたいだし、本当たまにならだけど。

 そんなことを考えていると、私も変態だと言い返されてしまった。

 

「ぅぅ……そうかも。私達、変態カップル……になるのかな」

 

 言い返したいけど言い返せない。

 私達とは言ったけど、変態なのは私の方。

 むっつりすけべだと言われても仕方ない、耳舐めなんていう変態プレイまでしちゃったから。

 

 正直、今夜のことは忘れてしまいたい。

 なのに、彼は楽しそうにあの時のことを言ってくる。

 

「やだっ……! 忘れてよ……!」

 

 恥ずかしくては私は彼から顔を背けて、そっぽを向く。

 

 可愛いから忘れられないとか馬鹿じゃないの。

 そりゃ嬉しいけど、今は恥ずかしさの方が勝って、嬉しさを誤魔化すようなことしか言えない。

 

「もうっ、馬鹿なんだから……っ。……はい」

 

 誤魔化し続けに、私は両手を広げていた。

 

「酷いことしたのは事実だから……ぎゅっとしてたくさん癒してあげたい。それに今日はもうお泊りするしかないから、今はもちろん、寝ている時も起きた時もたくさん私に癒させて……?」

 

 都合のいいことばっかり言っているのは分かっている。

 でも、今日はたくさん彼に酷いことをしちゃったから、そのお詫びがしたい。

 それに彼に何かしてあげたい気持ちは今も変わらない。するならするであんな酷いことじゃなくて、たくさん癒してあげたりしたい。

 

 私のお願いに彼は、素直に甘えくれて抱きついてくれる。

 感じるずっしりとした彼の重み。やっぱりってのは変だけど、男の人なんだなって思う。

 体温もエッチの時とは感じ方が違う。優しい暖かさに今私が癒しているはずなのに、私の方が癒されて、彼へと溶けてしまいそうになる。

 

 そして、そのまま二人一緒にベットへと横になる。

 

「ふふっ……心地いい。幸せ……」

 

 腕の中で彼が気持ちよさそうにまどろんでいるのがよく見える。

 そういえば、休みでもないのに起きたら真っ先に彼と会える。

 そう思ったら、こんな日も悪くはないかな。

 

 

 

 

 遠くのほうで聞き馴れない音が聞こえる。

 でも、何の音なのか分かる。これは朝が来たことを告げる目覚ましの音。

 意識はおぼろげながらも起きてきたけど、眠気でまだ完全には冴えず、いつもスマホを置いてある場所に手を伸ばす。

 

「……あれ……?」

 

 でも、触れられない。何度そこに手をやってもスマホには触れられず、仕方なく目を開け、体を起す。

 スホマはすぐ見つかった。やっぱり、いつもとは違う位置にあった。

 スマホの画面を見ていると更に目が覚めてきて、まず始めに衣服の違いに気がついた。

 激しい乱れはない。ただ、いつものパジャマではなく、下着の上に薄いワイシャツを羽織っただけ。

 

「……これって」

 

 しかも、女物ではなく男物。オマケに辺りを見渡すとここは私の部屋じゃない。

 隣で寝ているはずの本音の姿はおろか、ベットすらない。

 

 ここはどこなんだろう。記憶を遡る。

 すると、頭が完全に覚めたおかげかすぐ答えにたどり着くことが出来た。

 そうだった……ここは彼の部屋。昨日の出来事があって泊まらせてもらったんだった。

 そして、これは彼のワイシャツ。今は履いている前に置いていった下着同様、ちゃんと綺麗に洗濯したなものだといわれた記憶はあるけど、衝動的にって言ったらいいのか、思わず匂いを嗅いでいた。

 

「……ん」

 

 鼻をクンクンさせる。

 当然の如く、柔軟剤とかの匂いがするばかり。でも、私にはそれ以外にも匂いが、彼の匂いを感じて、ドキドキしてしまう。

 学校の朝はいつも忙しくてゆっくりしている暇はないんだけど、ワイシャツをクンクンしていると、安心してまどろんでしまう。

 それほどまでに安心できる暖かないい匂い。

 

「―-っ!」 

 

 ふと、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

 すぐさま我に返り、音がした方向を向く。すると、そこには彼がいた。制服に着替えていて、髪がほんの少し濡れている。先に身支度でも終わらせたのかな。

 悪いことはしてないはず。今更恥ずかしがることもないんだけど、心臓がバクバクしてる。これは急なことにビックリしたからだけのこと。私は至って平静な態度をした。

 

「……おはよう。早いね、何時に起きたの……?」

 

 平静を装う私に彼はくすりと微笑んでから、答えてくれた。

 うっ……多分、いろいろバレた。

 聞けば、今の時間よりも三十分以上も早く起きたらしい。

 起きた今の時間はいつも起きる時間で遅くはないけど、彼は凄い早起き。本当にいつも早い時間に起きてるんだ。

 でも、彼が日課にしているトレーニングした様子はない。早起きしてたら、当然今の時間まで余裕が出来る。今まで何してたんだろう?

 

「なっ……!」

 

 聞いて思わず変な声が出てしまった。

 ついさっきまで私の寝顔を眺めてたって。

 恥ずかしい。というかそれ、私がしたかったのに……。

 

「……もうっ」

 

 恥ずかしがっている私を楽しそうに嬉しそうに見ている彼。

 どうせ、可愛いだとか変なこと思ってるんでしょう。

 別に嬉しくないわけじゃないけど。

 

「あ……」

 

 ふいに頬を触れられる。

 瞬間、何をされるのか分かった。私は、静かに目を閉じそれ(・・)を待つ。

 

「……ん」

 

 触れあう唇と唇。

 ただそれだけのことだけど、今はこれで充分。

 これ以上のことをすると、もっとしたくなっちゃう。

 

「……別にこんなことされても……誤魔化されないんだから」

 

 もちろんそういうのじゃないことは分かっている。

 嬉しいからこそ何だか恥ずかしくてつい照れ隠しでこんなことを言ってしまう。

 それは彼には案の定お見通しのようで、もう一度キスしてもらえた。

 

「んっ……ふふっ」

 

 つい嬉しくて小さな笑い声がこぼれてしまう。

 暖かなもので胸が満たされていくのが分かる素敵な朝。

 今日は一体どんな一日になるのか楽しみ。彼となら今日も素敵に一日なるはず。きっと……。

 




前回同様ミカドン様のリクエストで「簪の嫉妬。可能ならR18で」を簪視点で書かせていただきました。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と夏の訪れを感じて

 

「海、綺麗……」

 

 目の前に広がる水平線がどこまでも広がっている広大な海。

 沈みゆく夕日に照らされた水面を眺めながら簪がぽつりと言う。

 幻想的で来てよかったと思える景色だ。

 

「うん。……遠出した甲斐、あるね」

 

 そうだな。

 今日というか今はデートの最中。まあデートと言っても、実際は息抜きと生活必需品を買いに行くための買い物だが。

 ただいつもの様にレゾナンスに買い物に行くのではいつもと変らず、息抜きとしても少し味気ない感じだ。なので、折角だからということで俺達は遠出をすることにした。場所は夏なので一度は海をということで海の近い街へと来ていた。

 そしてそろそろ寮へ帰る頃。買い物を一通り済ませた俺と簪は、最後に当初の目的の一つである海を見に浜辺へと来ていた。

 二人砂浜に立って言葉なく静かに海を眺める。

 

「……いい風。何だか潮の香りがする」

 

 俺達の間に風が優しく吹く。

 海からだろう。確かに潮の香りがしなくはない。

 

「ん……」

 

 風で揺れる髪を押さえながら、簪は気持ちよさそうな表情を浮かべる。

 そこまで強い風ではなく、夏だからなのか風は温かい。それでも気持ちいいことには変らない良い風。

 

「誰も……いないね」

 

 周りに目をやれば、道路や歩道にはちらほら車や通行人が通っているが、今いる浜辺には俺達以外誰もいない。

 だからなのか、簪は繋いだ手を離しては、そっと腕を絡ませて、再び手を繋ぎ直してきた。

 いろいろな意味で熱い。

 

「でも……悪くはない」

 

 そう簪は嬉しそうにほんのり頬を綻ばせていた。

 確かに悪くない。

 この熱いと感じる熱さはきっと夏の暑さだけではないのだから。

 

「そろそろ……夏休み、だね」

 

 ぽつりと簪がそう言った。

 

 そういえば、そうだ。後何日もすれば、夏休みを迎える。

 簪と迎える二度目の夏休み。一年生の時(去年)は打鉄弐式につきっきりだった為、俺も簪も夏休みらしい過し方はしなかった。夏休みの外出なんて初デートの一度ぐらいなもの。

 だけど、今年は違う。去年と比べて遥かに落ち着いた日々を送れているおかげか、今年はゆっくりと夏休みを満喫できる。今から楽しみだ。

 

「ん、私も楽しみ。またあなたの実家に行くことになってるし」

 

 一日二日程度の帰省だが、その時にまた去年の年末のように俺の実家へ簪の連れて行くことになっている。まあ、実家に行く前に簪の実家にも行くことになっているんだけども。

 

 夏休みにちゃんと決まっている予定はその帰省ともう一つぐらいなもの。その他はほぼフリー。特に決まってない。

 だから、その空いている日を、今年の夏を簪とどんな風に過すのかと考えるのは楽しい。今日は流石にもう本格的な海水浴を楽しむことは出来ないが、また日を改めてくるのもいいのかもしれないけど。

 

「んー……海水浴はいいかな。熱いし、人混み凄そうだから。後プールとかもいい」

 

 前もって釘を刺されてしまった。

 まあ、簪ならそう言うと思っていたし、そう言われたからといって嫌な気持ちになることはない。

 それに言いはしたが、日を改めて来るとなると俺もいいかなって思う。理由は簪と大体同じだ。

 

「それにね……人前で水着とか……は、恥ずかしいから……」

 

 と、簪は恥ずかしそうに言った。

 何とも簪らしい言葉だ。

 ただ、そうなると今年もまた簪の水着姿は見れないのか。一年生の時(去年)あった臨海学校の時にも見れなったわけだし。

 

「見たいの……?」

 

 見たいと頷く。

 

「ふふ、相変わらず即答だね」

 

 簪はくすくす楽しげに笑う。

 見たいものは見たい。ただそれだけ。それに例え照れ隠しでも見たくないとか言えないし、言いたくもない。

 

「分かった。じゃあ……二人っきりの時になら見せてあげる。特別に」

 

 それはそれでどうなんだろうと思いはしたが、つっこむのは野暮か。

 見せてくれるというのなら、楽しみにしておこう。

 

 にしても、俺も簪も暑いのも人混みも嫌となると、下手したら引きこってしまいそうだ。人が極端に大勢集まる場所に行く必要はないが、折角の夏休みを無駄にするのは勿体ない。

 

「……だったら……私、行きたいところがあるんだけどいい……?」

 

 簪にしては珍しい問いかけ。

 

「人混みは嫌だけど……夏祭りに、行ってみたい」

 

 夏祭り……夏の定番イベントだ。いいかもしれない。

 ただ地元の祭りならいつあるのか覚えているが、近くの祭りがいつあってどんなものなのは知らない。行くとなると近くの方が何かとよさそうだから、帰ったら調べるか。

 

「うん。そうだ、浴衣……着てみようかな」

 

 艶やかな浴衣に身を包んだすらっとした綺麗な簪。

 言われて、思わず簪のそんな浴衣姿を思い浮かべる。

 こんな感じで似合いそうだ。そう思うと夏祭りが、夏休みがますます楽しみになってきた。

 

「……」

 

 夕日に照らされた海を静かに見つめる俺と簪。

 ザアッザアッという波打つ音が静かに聞こえる。

 夏休みのことを考えるのもいいけど、俺達の前にはあるべきことが一つある。

 

「あー……明日から期末テストだったよね……」

 

 心なしか簪の声色が暗いのは気のせいではないはず。

 俺だって明日からの期末テストのことを思うと、気が重たくないわけじゃない。別にテストに対する不安や心配があるわけではない。勉強は毎日欠かさずやっているから大丈夫なはずだ。ただ、めんどくさくて大変なだけとしか思えないから気が重い。

 

「ね。でも……結果は残さないと」

 

 確かな思いが伝わってくる。

 そうだ、結果は残さなければならない。俺も簪も。

 俺達の交際は認められているが、実際のところは学校やその他諸々関係各所に黙認されているだけにしか過ぎない。

 だから、黙認し続けてもらうには恋愛にかまけて腑抜けているのではないと、まずは勉強、わかりやすくテストでいい結果を出して証明していくことが必要だと思う。

 ただこれは言われたからそうしようとしているわけじゃない。というか、言われてすらない。これで黙認し続けてもらえるのかどうか本当のところは分からない。つまるところ結局は自分達がそうしたいからそうしているだけのこと。

 でも、何もしないよりかはきっといいはずだ。だから、まずはいい結果を残せるように明日からの期末テストを頑張ろう。

 

「ん……頑張って、何の心配もなく夏休み過したいからね」

 

 結果云々よりもまずはそれだ。

 補習や追試になったらそれこそ元も子もない。

 

「ふふっ」

 

 ぎゅっと絡めている腕に抱きついてくる簪。

 

 何はともあれ期末テストが終われば、夏休み。

 どんな夏休みになるのか分からない。それでも簪と一緒なら。 

 

「あなたと一緒なら楽しい時間になる……きっと」

 




簪と夏を過す楽しみ。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪と水着と水辺で

 半日授業が終わり、食堂で昼食を食べていた時のこと。

 

「かんちゃん、おめでとう~!」

 

 そんなことを前の席で食べていた本音が嬉しそうな笑顔を浮かべながら言った。

 何がそんなに嬉しいのかと思っていれば。

 

「期末テスト学年一位~! 流石だよ~!」

 

 そういえばそうだった。

 この間、期末テストが全部終わり、今日テスト結果が発表された。

 期末テストの総合成績結果は一学年合わせて上位十人までだがランキング形式で掲示され、そこでめでたく簪は一位に輝いていた。

 

「ああ、本当にすげぇよ。更識さん」

 

「ん、ありがとう……本音、織斑」

 

 確かに凄い。

 IS学園は俗にエリート高と呼ばれる学校。一般教科のレベルは非常に高く、それを学ぶ生徒の学力レベルも高い。

 そんな中で一位を取れるのは凄い。しかも簪は今までずっと一位をキープし続けているのだから、尚更だ。

 

「ありがとう。あれだけあなたと勉強したんだもの、このぐらい結果を出せないのならまだまだ……というか情けない」

 

 それもそうか。

 テスト期間前から今までずっと勉強をし続けていたんだ。それでこれだけのいい結果を残せないのなら全て水の泡。しかし、今回もそうならずに済んで安心している。

 

「そうだね……あなたもまた順位上がったんでしょう? 凄いよ」

 

 自分のことの様に簪が喜んでくれているのが嬉しいが、何だか気恥ずかしい。

 そう今回のテスト、俺もまたかなりいい結果を残すことが出来た。流石に掲示される上位十人には入れなかったが、前よりも順位が上がって、後もう少し頑張れば何とかギリギリ上位十人の中に入れなくはない程度にはいい結果。

 というか、俺と簪だけではなく、本音や一夏も今回のテストの結果はかなりよかったらしい。四人これで追試は免れた。実技の方も大丈夫だったのでこれで本当に自由の身。

 

「だな。やっとテスト終わったし、一段落だ」

 

 一安心した声でそんなことを言う一夏。

 まったくだ。テストが終わったことで、授業も大体夏休みに向けた短縮授業になっており、後は終業式、夏休みになるのを待つのみ。テストが終わった開放感もあって、ゆっくりしてられる。

 

「あ、そうだ~! じゃあさ~じゃあさ~」

 

 本音が何やら自分の鞄の中を探り始める。

 そして俺と簪の前に一つ封筒を出してきた。

 

「何これ」

 

「中見てみて~」

 

 ニコニコとしている本音に言われるがまま俺と簪は封筒の中を見てみる。

 すると、中には何やらペアの招待券が入っていた。

 

「これって……プールの招待券」

 

 それだった。

 詳しくその招待券を見てみると、学園からそんなに遠くないレジャーランドにあるらしい室内プールの招待券。

 本音、いつの間にこんなものを……というか、よく用意したな。

 

「従者として当然のことだよ~」

 

 ああ、そう。

 妙な説得力を感じて納得してしまった。

 

 これは聞くまでもなく誘ってくれてるんだろう。

 ということはテスト明けの気分転換にってことなのか。

 

「正解~! 今度のお休みの日にテストの打ち上げとかんちゃんの一位防衛成功を祝して、四人でプールに遊びにいこう~! ダブルデートだよ!」

 

 打ち上げでプールか……本当に夏って感じだな。

 四人ってことはこの面子でか……悪くない。わざわざ誘ってくれたのだから、俺は別に行くのは構わないんだけど……。

 

「……私は行かない」

 

 即答。言うと思った。

 まあ、前々からプールはいいと言っていたからな。室内プールは外よりも快適だろうけど、人混みは時期が時期だしやはり多いに違いない。

 それらを抜きにしても簪は元々インドア。行きたがらないのは変わりない。というか、いつものように興味なさそうに無表情でああ言ったのが、めんどくさそうに聞こえたのは俺の考えすぎか。

 

「なんで! 夏だよっ。プールだよ、プールっ! いろんなこと全部終わったんだからパーッと遊んで気分転換しないとっ! ね、おりむー(一夏)

 

「まあ、折角だからな。行こうぜ、二人ともっ!」

 

 簪とは対象的に行く気満々の二人。

 気持ちは分からなくはないが。

 そんな二人の様子を見て、しぶしぶといった様子ながら口を開いた。

 

「誘ってくれたのは嬉しい。ありがとう。でも、プールは人混み凄いから行きたくない。この時期は特に。知ってるでしょう? 私が人混み嫌いなの」

 

「ううぅっ~そうだけどぉ~」

 

 簪の意思は固い。

 

「お前は行くよな?」

 

「来るよね?」

 

 凄い期待して目で二人が見てくる。

 行くのは構わないけど、行くなら行くで簪と一緒でないと。簪を一人にするのは気が引けるというか何というか。簪と一緒に行きたいという気持ちは強い。

 

「あ……私のことなら気にせず三人で行ってきて。行きたいんでしょう」

 

 そういうわけにもいかないだろ。

 ペアの招待券、しかもダブルデートと言っていたのだから、このまま三人で行くのはいろいろとキツいものがある。

 

「じゃあ……お姉ちゃんとでも行ったら……? この時期だとまだ暇なはずだし」

 

 それは遠慮したい。何にもなく本当にただ疲れるだけになる。

 というか簪が楯無会長の名前を出すなんてどんだけ行きたくないんだ。

 しかし、折角招待券まで用意してまで誘ってくれたんだ。好意を無駄にするのは勿論、行ける時に行かないと損な気がする。引き篭もり癖つけない為にも。

 

 簪が本気で行くのが嫌なら無理強いするようなことはしない。

 ただ、ここの所ずっと勉強漬けで買い物ついでにしかデートできておらず、デートらしいデートもできてなかったから、ダブルデートにはなるが夏らしいデートを簪としたい。

 だが、簪の意思は固い。どうしたものか。

 

「……」

 

 俺の顔を見ては自分の手元に視線を戻して簪は何か考え込んだ様子。

 そして、何やら思案した後、観念したような表情をして簪は言った。

 

「……分かった。やっぱり、行く。いい……?」

 

「もちろんだよ~! かんちゃ~ん、ありがとう~! 一杯遊ぼうね!」

 

「うんうん……。分かったから抱きつかないで」

 

 嬉しそうに抱きついてくる本音に簪は困った顔している。

 

「よかったな。更識さんが行く気になってくれて」

 

 そうだな。

 説得といったら大層だが、行く気になってもらうのに苦労しそうな気がした。だけど、思ったよりすんなり簪は行く気になってくれた。 

 嬉しいが、本当にいいのだろうか。

 

「ん、大丈夫。まだ少し乗り気じゃないけど……皆が言う通り折角だから。デートもしたいから……それに」

 

 言いかけて、簪は照れたように言いよどむ。

 何を言おうとしているのかと待っていれば、本音を引き離した簪がそっと耳元で言った。

 

「やっぱり、早くあなたに水着姿見て欲しいから、ね」

 

 そういうことか。そういうことならますます益々楽しみになってきた。

 そんな俺の様子を見てか、簪は続けざまにこんなことも言った。

 

「うん。あ……二人っきりの時にもちゃんと見せてあげるから心配しないで」

 

  嬉しいが、この場ではどう答えるべきなのか困ってしまう。

  それはそれで楽しみにというか、期待が膨らまないわけではないが。

 

「なーに、二人イチャついてるの~」

 

「お前ニヤついてるけどいいことでも言われたのか」

 

 言えるか。ニヤニヤしてくる二人は放っておこう。

 

「じゃあ、今度お休みの日忘れないでね~」

 

「ん、分かった」

 

 こうして今度の休日、四人でプールへと行くことになった。

 

 

 

 

 ガラス越しに天上から差し込む夏を感じさせる強い日差し。

 辺りを見渡せば家族連れや友達連れ、カップルで賑わっている大きなプール会場。

 あの約束から数日経った休日の今日。約束通り、俺達はレジャーランドのプールへと来ていた。

 

「まだか……」

 

 きっとずっとそわそわとしていて落ち着きのない一夏。

 そうなってしまう気持ちは分からなくもないが、落ち着けと言わずにはいられない。一夏の奴、さっきから同じことを何度も言っているから余計に。

 

「だけどよ、やっぱ楽しみで」

 

 確かに俺もそうだ。一夏にはああ言ったが内心俺も落ち着かない。

 今か今かと気持ちが焦っているのを嫌でも感じてしまう。男である俺達は下を履きかえるだけで用意なんてすぐ終わって、一夏と今こうして簪達を待っているが時間が凄く長く感じる。それほどまでに俺も楽しみにしているという証拠なわけだが。

 

「おっ待たせ~!」

 

 聞きなれた声が聞こた。

 漸く来たかとその方向を向いてみる。

 するとそこには。

 

「どう~? どう~?」

 

 元気ハツラツといった様子で白のビキニに身を包んだ本音と。

 

「……うぅっ」

 

 両腕で隠すように身を抱いて恥ずかしそうにしている水色のビキニに身を包んだ簪がやって来た。

 

「……ッ、……」

 

 本音の水着姿に見惚れて一夏は言葉を失った様子。

 というか、生唾飲んでただろ、一夏の奴。まあ、無理もないのかもしれないことだけど。本音は、発育がいいというか、スタイルが物凄くいいからな。

 普段、本音はぶかぶかな服装ばかり着ているから、今みたいに全体的に露出の高い水着を着ていると、スタイルの良さを余計に感じさせられる。俺もついつい目を惹かれてしまうほどだ。

 だからって、生唾飲むのもどうかと思うけど。

 

「ね、ねぇ……」

 

 一夏達の様子を眺めていると、簪がちょんちょんとつついてきた。

 つついてきた腕とは反対の腕でまだ隠すように身を抱いて恥ずかしそうにしている簪。

 恥ずかしいと感じているのは診ていてよく分かるんだが、そういう風に隠されると返って、隠している腕で胸や腰が強調されることに簪は気づいてない。

 

「……その、ど、どうかな……?」

 

 隠すのをゆっくりとやめ、簪がちゃんと水着姿を見せてくれる。

 水色のビキニに身を包んだ簪。かなり露出が高い。

 だからこそ、白く透き通った綺麗な肌や、細い体のラインや美しい括れ、そして面積の少ない布で包み隠されている手に収まりそうなあの整った胸。それらがよく見え、魅了される。

 正直、目のやり場に困るほど簪の水着姿は刺激的だ。しかも、釘付けにされ、水着姿の簪から目を離せないでいる。

 

 言うべきことは決まっている。月並みの言葉になるがやっぱり、よく似合っている。

 加えて、プールだから当然のことだけど、眼鏡をかけてない素顔の簪の姿も水着姿に相まってとてもいい。

 何より、恥ずかしいのを我慢してまで着てくれたのが嬉しい。可愛い。最高だ。

 

「い、言い過ぎっ……もうっ、充分だからっ。……でも、ありがとう。嬉しい」

 

 簪は頬をほんのりと赤く染めて照れた様子だが、満更でもなく喜んでくれたみたいで安心した。

 

「じゃあ早速、遊びに行こう~!」

 

「お、おうっ」

 

 水辺へと向かい始める一夏と本音。

 同じ様に一夏も本音の水着姿を褒めたんだろう。

 嬉しい事でも言われたのか、本音は嬉しそうな顔をして、胸の谷間で一夏の腕を挟み抱きついていた。一夏はというと案の定、顔を赤くして恥ずかしがっているが、喜んでいるのが分かるだらしない顔をしている。

 相変わらず本音は凄いな。いろいろな意味で。

 

「本当にね。よく人前であんなに引っつける……」

 

 呆れたように言う簪。

 当然の如く、一夏達は目立っている。そんな一夏達から少し距離を取りながらも、追うように俺と簪も水辺の方へと行く。

 

 ここのプールは何種類ものウォータースライダーや水系のアトラクション、その他数多くの多種多様なプールがあるらしいとのこと。どれもおもしろそうだ。これだけ充実しているのなら一日思う存分遊びきれるだろう。

 

「んしょと……」

 

 まずは始めに水に慣れる為、簪と一緒に浅めのプールへと入る。

 簪が浸かっても簪の腰よりちょっと上ぐらいの深さなので安心して入れる。

 

「気持ちいいね」

 

 そう気持ちよさそうに微笑む簪。

 天上から差し込む暑い日ざしと、冷たすぎない丁度いい水温がいい感じに合わさって、確かに気持ちいい。

 それに周りにはたくさんの人がいるがここはかなり広いプールで何だか空いているように感じられて、ゆっくりすることが出来ていた。

 

「……ふふ、変な例えだけど……何だかお風呂に浸かってるみたい」

 

 確かに。

 他のところにあるプールへ泳ぎに行った一夏達とは違い、俺達はただただ水に浸かってまったりしてるからな。

 折角プールに入っているのだから泳がないと勿体無いとか言われそうな気もするが、これはこれで俺達は充分プールを楽しんでいるつもりだ。泳いだり、騒いだりしなくても雰囲気を楽しんでいるというか。

 

「泳ぐと疲れるし」

 

 簪、随分はっきり言うな。

 まあ、実際それが正直なところの一つではある。

 

「わ、わわ……」

 

 大勢の集団が近くに寄ってきたから、避ける為に少し遠くのところへ水中を歩いて移動することにした俺達。

 運動音痴でないのは知っているし、カナヅチでもなさそうだけど、水中を歩く簪はどこか頼りない感じだ。扱けてしまわないかと見ていて少し怖い。

 

「うっ……歩きにくい」

 

 簪でも足が着く水深だが、慣れてないのなら確かに歩きづらさは感じるかも知れない。

 そんなことを思っていると。

 

「……わっ」

 

 今度は別に移動してもないがよろめき本当に転けかけ、咄嗟に俺は簪の身体を前から抱くように受け止め支えた。

 

「……ご、ごめんなさい。どんくさくて」

 

 水の中へと転けなかったからいいんだけど、それよりも。

 

「? あ……」

 

 俺が何を言いたいのか簪は察して、頬を赤く染めているのが分かった。

 

 転けかけた簪を受け止め、簪も俺の体を支えにして持ち堪えた。

 だが、必然的に傍から見た格好としては前から抱き合うような形になっていた。

 浸かった体の周りには当然の如く冷たい水があって、その中であったかい簪の体温が感じられる。しかも、今の簪は水着姿。布で隠れてない露出した大部分の肌を、水着越しでの簪の胸の感触を、水着越だというのにとてもよく感じ、視線を下にやれば、無防備な簪。

 水着姿での濡れた谷間が見え、濡れた顔や髪、肌がとても色っぽい。そんな簪に目を離せなくなっており、熱が上がるのが分かった。

 ちょっとこれはまずい。いろいろな意味でまずい。もういつまでも抱き合っている必要はなくなったので、離れようとした。

 

「……ま、待って。もう少し……このままが、いい」

 

 静止され、固まる。

 人前、それも周りには沢山の人がいるから、てっきりこんな風に密着するのは嫌がると思っていた。

 

「嫌じゃ……ない。恥ずかしいけど……今なら誰も私達のことなんか気にしてないから大丈夫」

 

 そう言って簪はそっと更に密着してくる。

 周りを見れば、簪が言う通り、周りは俺達のことなんかまったく気にしない。というか、今の俺達みたいに密着して、あからさまにイチャイチャしているカップルぽいのもチラホラいる。

 別に目立ってるわけじゃないし、簪がいいならいいか。簪に応えるように俺も簪を抱き返してみた。

 

「ふふっ」

 

 腕の中で嬉しそうに微笑む簪。

 こんな風に冷たい水の中で抱きしめあうのは何だか不思議な感じだ。

 にしても、人前なのに簪がこんな風に積極的になるとは思いもしなかった。

 

「んー……夏の暑さが、そうさせてるの……かも」

 

 なんて簪が珍しく冗談めいたことを言う。

 だけど、若干照れ気味なのが簪らしさを感じた。

 簪の言う通りだな。夏の暑さがそうさせているのかもしれない。冷たい水の中にいるのに、冷めるどころか体温が上がっているのもきっと。

 




この後、めちゃくちゃ簪とプールを満喫した

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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夏夜の輝きよりも簪に目を奪われて

 

 日が沈みきり、辺りはすっかり暗くなっているというのに祭囃子と喧騒溢れる境内。

 辺りに目をやれば、浴衣とかを着た人が多くいる。そんな様子を見ているとやっぱり夏……というか、祭りに来ているんだという実感できる。

 

「何ぼーっとしてるんだ」

 

 ばったり会った知り合いと話していた一夏が戻ってきた。

 ここに来るまでもそうだったが、一夏は知り合いと思わしき人に話しかけられることが多い。

 

「そうか? いつもこんな感じだぜ。まあ、地元だからかもな」

 

 一夏の場合、地元だからと言っても多い。

 それだけ一夏はやっぱり多くの人に慕われているという証拠に他ならない。

 にしても簪と本音は大丈夫なんだろうか。心配で落ち着かない。

 

「何そわそわしてんだよ。やっぱ、楽しみなのか」

 

 二人が来るのは勿論楽しみだけど、この落ち着かなさはそれだけじゃない。

 

 八月上旬の今日。夏休みに入った俺達は一夏の地元、そこで行われる夏祭りと花火大会に参加する為、泊りがけで来ていた。

 今日もこの四人だともう定番となっているダブルデートなので基本四人一緒に祭りを周る予定。そして今、祭りの会場にいる俺と一夏は、簪と本音とその待ち合わせの最中。

 一夏の家では四人一緒にいたのだから一緒に出ればよかったんだけど、デートの醍醐味はまず待ち合わせからという本音と簪達の意見で待ち合わせをすることに。

 待ち合わせは別に構わない。醍醐味だというのはよく分かるし、女子は何かと準備に時間がかかる。

 だがしかし、一夏以外は初めての不慣れな土地。無事に合流できるか心配になってしまう。

 

「あー確かにな。道込んでたし。まあ、家に来るときには一応道教えたし大丈夫だろ。最悪、分からなかったらのほほんさん(本音)が連絡してくるだろ」

 

 それもそうか。

 一応、分かりやすいようこうして境内、神社の入り口前にいるわけだし。

 そうして待つこと少しの間。

 

「おっ、来た来た。こっちこっち」

 

 向こうからやってくる浴衣姿の簪と本音を見つけた一夏が手招きしてこちらへと呼ぶ。

 

「ごめんね~暑いのに待たせちゃって」

 

「いや、大丈夫。それにしても」

 

 と、一夏が目の前の本音を見て固まっていた。

 俺もまた、目の前の簪を見て言葉を失っていた。

 

「――」

 

 簪もまた何故だか、俺の姿を見て言葉を失っている。

 辺りが暗いが、よく見ると簪の頬が赤く染まり、照れているように見える。

 

「……」

 

 お互いに相手の姿に見惚れあっているのが分かり、しばしの間無言が続く。

 だからなのか、周りの喧騒が大きく聞こえてくる。

 若干、気恥ずかしい。

 

「……それ」

 

 一言、無言を破ったのは簪だった。

 言われて、簪の言葉が俺の格好を察しているのだと分かり、自分の姿を確認する。

 浴衣を着てきた簪に合わせて俺も浴衣を着てきた。この浴衣姿を見せあう前に家を先ら出たので、簪の浴衣姿を見るのは勿論、自分の浴衣姿を見せるのも初めてになる。

 変の変哲もない黒色の男性用浴衣。どこか変だったりするんだろうか。一言言っただけで、それ以上何も言わない簪の様子に心配になってしまう。

 

「ううん……そんなとこないよ、大丈夫。とっても素敵……。その……かっこいい」

 

 褒める前に褒められ、思わず照れてしまう。

 普段こういったのは着ない為着慣れない感じは強いが、簪に喜んでもらえたのならよかった。

 

 褒めてもらえたからこそ、俺も簪に感想を言ってあげたい。

 今一度、簪の浴衣姿を見てみる。

 淡い紺の布地に大輪の椿の花がちらほらと咲くようにデザインされ、白の帯もそんなに浴衣と上手く調和しており、モダンな雰囲気を感じさせる浴衣姿。

 そして、髪にはいつかあげた髪挿しがつけられ、髪が結われている。

 自分の語彙力のなさや言葉のたりなさに不甲斐無さを感じるが、それでも今夜の簪もまたいつも以上に綺麗で美しい。とてもよく似合っている。そんなにありふれた言葉を伝えることしか出来ない。

 それでも簪は嬉しそうに微笑んで喜んでくれた。

 

「ふふっ、嬉しい。ありがとう。暑いけど……そう言ってもらえるなら着た甲斐ある」

 

 汗を額に少し滲ませながらも簪の喜んでいる顔を見て、今更ながらある一つのことに気づいた。

 今夜の簪は、化粧をしている。

 決して派手な化粧ではない。浴衣に馴染むような艶っぽく、ナチュラルなメイク。

 

「変、かな……? 浴衣の着付けと一緒に折角だからって本音にしてもらったんだけど……」

 

 俺が一夏に着付けしてもらったように、簪はやっぱり本音にしてもらったのか。

 一夏は勿論だが、本音も何だかんだで多芸で器用だ。化粧に疎い俺でも簪の化粧の出来がいいことは分かる。

 だからこそ浴衣姿といい、化粧といい、それらは今夜の簪を引き立て普段よりも、より一層美しく見せ、そして静かながらも煌びやかな浴衣姿の簪。心の底から純粋にただ綺麗だと思う。

 俺は、そんな簪の姿に目を奪われていた。

 

「……?」

 

 簪に名前を呼ばれ、ハッとした。

 気づけば、俺の手は簪の頬を触れていた。

 無意識だったとしか言えない。多分、簪の浴衣姿あんまりにもよかったから、つい触れたくなったんだろう。

 引っ込めようとしたが、頬に触れた手を簪の手が触れ、出来なかった。

 

「もう少しこのまま……ふふ、すっごく喜んでくれてるみたいで何だか嬉しい」

 

 頬に当てている俺の手を簪自らも頬に当て、うっとりと心底嬉しそうに頬を綻ばせる。

 そんな簪の表情は、目が離せないほど艶めかしい。

 目を奪われるだけではなく、ゆっくりと目を閉じた簪へと引き込まれていくようで……。

 

「あの~珍しく人前でラブラブなのはいいんだけど、そろそろお祭り周ろうよ~」

 

「えっ……ッ」

 

 本音の声で俺達は我に返り、どちらからともなく離れる。

 人前という言葉で周りを見てれば、ニヤニヤして見てくる本音達や知らない人達がこちらを見ていて目立っている。

 夏の暑さというより、これは祭りに雰囲気に乗せられていた。人前だというのに簪にはすまないことをした。

 

「ううん……い、いいよ。祭りの雰囲気って怖いね」

 

 くすりと微笑みながら言う簪の言葉に頷く。

 

 気を取り直して、一夏達と祭りを周る。

 この祭りは一夏の地元で人気のある祭りと聞いていた通り、祭りが行われている境内には沢山の人が詰め掛けている。気を抜いたりでもしたらすぐはぐれてしまいそうな程だ。

 だから、はぐれないようしっかり簪と手を繋ぐ。簪は黙って繋がせてくれる。簪のほうから嬉しそうに指を絡ませてきて、はぐれない様に寄り添いながら。

 

「まずは腹ごしらえからだな。のほほんさん(本音)、何か食べたいものあるか?」

 

「そうだな~ん~あれもいいし、あっ! あっちのも美味しそう~! 本当にいろいろあって悩む~! むむむ~!」

 

 並ぶたくさんの屋台を見て割りと本気だ本音は悩んでいる様子。

 確かにこれだけたくさんあれば、いろいろと目移りして悩む。

 俺達もまず何から食べ始めようかと悩んでいる最中だ。

 

「む~よし、じゃあ定番のたこ焼き! あれがいい!」

 

「分かった。おっちゃん、一つ!」

 

 一夏が注文して、品を受け取ると、一夏が支払いを済ませていた。

 

「はい、たこ焼き。かなり美味そうだぜ」

 

「ありがとう~あっ、お金ありがとね。払うよ」

 

「いや、いいって。男が払うのが当たり前、って風潮には物申したいが今夜はかっこつけさせてくれ、な?」

 

「もう~相変わらずだね~。じゃあ、お言葉に甘えちゃうね~」

 

 一夏らしい台詞だが、言いたいことはよく分かる。

 俺も一夏を見習わないとな。

 

 簪の様子を伺ってみると、屋台の様子を見ては迷っている。 

 本音のようにあれもこれもといった感じだろうか。

 一度に全部は流石に無理だが、欲しい物があるのなら順に遠慮とかせず言って欲しい。

 

「遠慮しているわけじゃないだけど……その、いろいろあり過ぎてどれがいいのか分からなくて。こういうところ初めてだから。オススメ……ある?」

 

 オススメか……そう聞かれると悩む。祭りの屋台はどれもよさそうに見え、本音みたいにあれもこれもとなってしまう。それに簪にオススメするのなら、喜んで食べてもらえるものがいい。だが、一体何がいいのか。

 悩みながら屋台を見ているとフランクフルトの屋台が目に止まった。定番の一つであれなら簪も食べれるだろ。

 一つ買ってきて簪に手渡す。

 

「ありがとう。じゃあ、いただきます……ふぅ……ふぅ…」

 

 火傷するほど熱くないはずだが、それでもフランクフルトは出来たててで熱い。ふぅふぅと冷ましてから食べようとする簪の姿が何だか可愛らしい。

 

「……ん」

 

 フランクフルトを食べながら、開いたもう片方の手で前の方に垂れて汗で肌と引っ付いた横髪を掻き上げる。

 その簪の姿は何だか色気のようなものがあり、ただフランクフルトを食べているというだけなのに一枚の綺麗な絵のように思えた。

 

「そうだ。よかったら……どうぞ」

 

 ソースが垂れないよう下に手を添えて、簪はさっきまで食べていたフランクフルトをこちらに向ける。俺は大人しく簪に食べさせてもらった。

 よく知るありふれた味。だが、祭りの雰囲気、そして簪に食べさせてもらったか、いつもより美味しく感じる。自然と頬が綻ぶ。

 

「ふふっ」

 

 そんな俺の様子を見て嬉しそうにしている簪を見て、俺もまた嬉しくなった。

 

おりむー(一夏)、これ美味しいね~」

 

「だな! こっちも中々たぜ。ほら」

 

 一夏達を見ると、同じ様に食べさせあっている。

 というか、さっきまでたこ焼きを食べていたと思ったら、もう別の食べ物を何品も買っては食べている。

 

「折角お祭りだから沢山食べないと!」

 

「その為に晩飯食べなかったわけだし」

 

 俺達だってそうだ。

 祭りの出店でしか食べれないものも多いし、食べて楽しまないとな。

 

「ふふっ、本音楽しそう」

 

 次に買ったベビーカステラを食べながら簪はそう言った。

 食べる姿は何だか可愛らしい小動物を思い浮かべさせられた。

 本音を楽しそうと言った簪だが、簪だって楽しそうだ。

 

「うん、楽しい。……祭りって本当はこんなに楽しいものなんだね」

 

 そういえば簪は始めてといつか言っていた記憶がある。

 今時、祭り来たことない人っているんだな。

 

「祭り自体は来たことある。でも……こんな風に屋台を周るのは始めて。いつも、来賓客として招かれてずっとじっとしてたから」

 

 そういうことだったか。

 簪の家は名家だから、やはりそういうのってあるんだな。

 だけど、今夜は周りいる人達と変らないように俺達は一般参加。何も気にせず、心ゆくまで祭りを楽しめばいい。そうしたら、今夜はきっといい思い出になる。

 

「うん、もっとあなたと沢山思い出作りたい」

 

 

 

 

 出店で腹を満たし、祭りをぶらぶらして満喫しているとそろそろ打ち上げ花火が始まる時間が近づいていた。

 時間に余裕はまだあるが、そろそろ歩き疲れた足や体を休めい。なので、一足先に花火を見る為の場所取りへと来ていた。

 

「空いてるね~座れそう」

 

「ラッキーだな」

 

 俺達四人がやってきたのは川の土手。

 一夏の地元なら隠れたとっておきスポットみたいなものがありそうだが、運がいいのかここは割りと空いて、近隣住民らしい家族連れやらカップルやらがちらほらといる程度。

 見晴らしもよく、これなら座りながらゆっくり落ち着いて見れる。

 持って来ていたコンパクトサイズのレジャーシートを周りの邪魔にならないよう四人掛けできる分、敷きそこへ腰を落ち着かせた。

 

「……ふぅ」

 

 流石に疲れた様子を簪は見せる。

 人混みの中、ほとんど歩きっぱなしだったから無理もない。

 かく言う俺も疲れた。

 

「でも……楽しかった。とっても」

 

 確かに。

 一夏達と一緒だったとは言え、いつかした約束を果たすように簪と一緒に祭りを周って楽しむことが出来た。

 出店で同じものを一緒に食べあったこと。屋台を周るのが初めてな簪が見せる沢山の楽しく嬉しそうな表情。そして、簪と付き合い始めてから共に過した夏祭りの時間。

 どれもが充実していて、忘れたくない大切な思い出となっていく。だからこそ、このままが止まればいいとも思ってみたりした。

 

 花火が打ち上がる音が聞こえる。

 見上げた夜空に輝くのは、鮮やかな色をした巨大な花の火。

 

「おっ、始まったな」

 

「おっきい~!」

 

 次々と打ち上げられていく様々な模様の花火。

 見ているものを引きつけ、花火が夜空で咲くのに合わせて、あちこちで歓声が上がるのが聞こえる。

 

「たーまやー」

 

「かーぎやー」

 

 夜空を彩る眩い花火の数々に、本音と一夏が歓喜の声をあげている。

 子供の様にはしゃぐ二人。確かにはしゃぎたくなるほど花火は凄い。

 一方の俺と簪は、静かに花火を楽しむ。

 

「綺麗……」

 

 うっとりしたした声を小さくこぼしながら、簪はただ静かなまま夜空を照らすいろとりどりの花々に目を輝かせている。

 これもまた楽しい嬉しい、満ち足りた今も夜空に輝く花火の様な一時。

 

 ふと気づけば、簪は俺の方へと体を預け、肩に頭を乗せるように寄り添っていた。

 人前なのに、それなのに何故だか恥ずかしいとかそういう悪い気はしない。むしろ、花火を見ながら感じる簪の体温に安心を感じていた。

 

「こうして……あなたと花火、見られて幸せ」

 

 俺もだといいながら頷く。

 

「こんな風に……ずっとあなたと過せたら……素敵。来年も……ううん、これから先もずっと……お祭りを周って、花火を見たいな」

 

 できるさ、簪とならいつまでも、必ず。

 二人ならというシンプルな理由が、来年もそのまた先きもこんな風に楽しくて幸せで穏やかに過せると核心させる。

 

 今夜の祭りは大切な思い出となっていく。

 思い出はこれからもまた積み重ねていけばいい。来年も祭りを周って、花火を見ながら。

 

「そうだね。来年もまた」

 

 また一つ、夜空で咲く大輪の花。

 夜空を彩る鮮やかな花火に照らされた簪の微笑は、上がったどんな花火よりも美しい。

 俺は花火よりも簪に目を奪われていた。

 

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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夏の終わりは簪とまったりと

 

 今朝も訓練を終えた。夏は早朝が特に涼しく特自主練がしやすい。それに今はまだ夏休みだからなのか、ISの稼動訓練をする為のアリーナが比較的押さえやすかった。

 スマートフォンで時間を確認すれば、そろそろお昼時になろうとしている頃。簪からメッセージが来てないってことはこの時間ならまだ整備室にいるか。俺が早朝から自主訓練していたように、簪は早朝から整備室で打鉄弐式の調整をしていると言っていたから。

 それなら少し様子でも見に行くか。行って忙しそうだったらさっさ帰ればいい。ただ行くにしても黙って行くのはよくはない。メッセージで行っても大丈夫かと聞いてみた。ついでに差し入れとして飲み物を持って行きたいのでそこに何人いるのかを、も。

 

『大丈夫。五人いる』

 

 そんなに忙しいわけじゃないのかすぐに返事が返ってきた。簪らしい簡潔なメッセージ。俺もいつものように簡潔な返事を返しておいた。

 五人か……それならまだ全然買っていける数で持ち運びも簡単に出来る。整備室に向かう途中にあった自動販売機で適当に人気の高そうなジュースを買い、整備室へと向かった。

 

 整備室に着き、一声かけながら中へ入る。

 するとそこには、メッセージあった通り簪合わせて五人の整備科の子達がいた。

 

「いらっしゃい」

 

「あっ、それもしかして差し入れ?」

 

「マジ? いや~助かるわ~」

 

「ありがとう~!」

 

 簪は出迎えてくれたが、他の人らは差し入れを見つけるなり、そっちに意識が集中していた。

 差し入れを振る舞い、ふと室内を見渡してみる。

 部屋の中心には機体展開された状態で待機している打鉄弐式があり、沢山のコードで様々な機械やモニターと繋がっていた。

 だからなのか、この部屋は暑い。そう感じるのは俺がこの整備室に来たばかりだからなのだろうか。簪や整備科の子達は慣れているようで平気そうだ。

 

「うん。私達は慣れた。でも……普通に暑い」

 

「ねー、一応エアコンつけてるから耐えられなくはないんだけどあそこ開けっ放しだから」

 

 整備科の子があそこと指した方を見ると、この整備室のアリーナへと続く扉が文字通り開けっ放しだった。

 この整備室は調整した機体をすぐ試運転できるよう、アリーナと一体化するように隣接されている。だから、すぐ出られるよう扉は開けっ放しになっている。

 冷房の空調はちゃんと機能はしているが、これなら外の熱い空気が入ってきて暑くなるのも無理はない。

 

 暑さを少しでもマシにする為に、簪を始めとする子達は皆、上半身タンクトップで下つなぎの作業着姿。

 夏場の整備室では当たり前の格好。今まで何度も見てきた光景。見慣れたといえば、見慣れたと言えなくはないが、あまり見ていていいものではない。嫌とか見たくないとかそうのではなく。

 思い出せば一年生の頃()はよく情欲的なポーズを取られたりして、よくからかわれた。あれはあれで辛いものが、男である俺がいることに慣れられて今みたいに無防備なのもこれはこれで困る。

 今の方がふとした瞬間、ドキっとすることはやはりある。

 例えば今の簪の姿とかがそうだ。

 

「?」

 

 ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら不思議そうな顔をする簪。

 汗でタンクトップが肌に張り付き、額や顔、二の腕の滲み出ている輝く汗が滴り落ちる姿が艶っぽい。頑張る女性という感じが伝わってくる。

 

 見てて飽きない。見ていた姿だけど、見すぎるのもよくはないので視線を逸らす。

 すると、そろそろ休憩が終わりそうな気配だった。

 

「あっつ」

 

「熱いけどもう少し頑張ろう。お願いします」

 

「言われなくても、だよ。更識さん。差し入れ貰ったし頑張りますか~!」

 

「おっ~!」

 

 再び作業に戻る一同。

 調整、後どれくらい時間がかかるのだろうか。

 まあ、知ったところで手伝えることなんて雑用とかに限られてくる。むしろ、いるほうが邪魔になるかもしれない。

 差し入れ無事渡せたことだし、帰ろう。部屋に戻ることを簪に伝えた。

 

「分かった。作業、まだもう少しだけ時間かかるから終わったら連絡する」

 

 その簪の言葉を聞いて、俺は皆に別れの言葉を告げ、部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 ベットの上で一人寝返り打ちながらスマホを弄る。見ているのはSNSやネット。

 そこからの情報によれば、今外の昼間の気温は30℃以上とのこと。今日も相変わらずの暑さ。朝の涼しさが嘘のようだ。

 午後訓練しなくて正解だった。したところでどうせ、室内の訓練施設は満員だろうし、今日の訓練は朝やったからこのままゴロゴロしてよう。

 

 しばらくスマホで遊んでいると昼食食べた後だからか、こうしてエアコンの効いた部屋でゴロゴロしているとうつらうつらとして眠くなってくる。昼寝には丁度いい時間。このまま寝てしまいそうだ。

 そんなことを思っていると簪からメッセージが届いた。

 

『落ち着いたから今からそっち行ってもいい? 部屋だよね?』

 

 部屋にいるということ。いつも通り、渡してる合鍵のカードキーで勝手に入ってきてほしいことを返事で伝えた。

 すると、いよいよ本格的に眠くなってきた。簪が来るのだから、起きてないといけないけだけど、眠気がそれを拒む。もっとも、部屋には勝手に入ってきてくれるだろうし、今更昼寝していても怒られるようなこともないだろう。そう思いながら眠気に身を任せた。

 

 

 

 

 誰かに頭を撫でられている。

 今だ眠気は強いが、それに気づいてゆっくりと目を開けた。

 

「おはよう」

 

 目を覚ますと、すぐ隣にはベットに腰掛けながら、俺の頭を撫でている部屋着姿の簪がいた。

 手に持っていたスマホを見てみると寝る前に最後見た時間から約十五分ほど経っている。

 簪は一体いつごろ来たんだろうか。

 

「じゅ、十分前だった……かな」

 

 割りと前だ。

 すぐ起してくれてもよかったものを。

 というか、何故そんなに歯切れ悪いんだ。

 俺が起きるまで何をしていたのかと思えば。

 

「えっと、その……気持ちよそうに寝てたから寝顔見つめながら頭撫でてた。それで中々起せなくて」

 

 そうだったのか。

 別にそんなオドオドしながら言わなくても何もしない。寝顔を見られた恥ずかしさこそはあるけど、嫌じゃない。簪に撫でてもらえるのは好きだ。

 

「よかった。……疲れてる?」

 

 そういうわけじゃない。

 純粋に昼の陽気みたいなもので眠くなって寝ていた。それに十五分ほど寝れたおかげで眠気はマシになった感じはする。

 

「確かにこの時間は眠くなるね。……隣いい?」

 

 頷いて答えると、簪がベットの上へと上がってきた。

 横に詰め、二人してベットの上でうつ伏せになって横になる。

 何だか今日はこのままゴロゴロとしていそうだ。

 

「ん……外暑いし、私も今日はゆっくりしてたい……」

 

 確かにな。外の暑さは尋常なものではない。

 外に出かけるにしてもいろいろと準備がいって、正直めんどくさい。

 俺も今日はこのまま部屋で簪とゆっくりしていたい。

 

 そういえば、本音達は今頃ちゃんとやっているのだろうか。

 大した理由はないがそんなことが気になった。

 

「……本音、まだ何も言ってこないし、多分大丈夫、なはず。……本当、夏休み最後になってまだ課題終わってないだなんて」

 

 簪は呆れたように言った。気持ちは分からなくはないが。

 本音と一夏は朝から夏休みの課題を片付けているらしく今日まだ姿は見てない。夏休み最後になっても課題をやっているなんてご苦労様だ。そんなことなりたくなったから、俺と簪は八月になる前に全て終わらせた。

 もっとも、一夏達の残っている課題の量は一日あれば終わるほどらしい。俺の方も一夏からまだ何も言われなかったし、このまま何もなく終わっていてほしい。

 

「何言われても絶対に手伝わない……自業自得」

 

 手厳しい簪の言葉に苦笑いしつつも頷く。

 ふいに隣の簪を見た。簪は、何やらスマートフォンの画面を見ながら、一人懐かしむように笑っていた。嬉しそうにニヤついているようにも見える。

 

「ほら、これ」

 

 見せてもらった画面には、毎年やっている特撮物の映画を見に行った時に二人で撮った写真や夏祭りの時の写真などが映っていた。

 どれもこの夏休みにあった大切な出来事。この一ヶ月間のことだが、写真を見ていると昔のことの様に懐かしい気分になる。

 

「こうして見るといろいろなところ行ったんだね、私達」

 

 画面には簪と俺が二人だけで写った写真だけではなく、一夏達や楯無会長と撮った写真も映し出されていた。

 映画を始め、夏祭りやお互いの実家。更識家の避暑地なんかにも行った。場所の数としては数箇所になるが、どれも思い出深い。

 特に今見ている避暑地での写真。ここではいろいろあった。本当にいろいろと。

 

「……そう、だったね」

 

 あの日のことを簪は思い出してしまったのか、恥ずかしそうに頬を赤く染める。

 何を想像したのか大体察しはつく。だが、そこをツッコむのは野暮ってものか。

 こうして写真を見ながら振り返っていると、その時のことがより鮮明に思い出せる。それこそ昨日の事のように。

 

「……だから、こんな風に部屋でゴロゴロするのって久しぶり、じゃない……?」

 

 そう言われればそうだ。

 この夏休みはさっきあげたいろいろなところ以外にも、倉持といったIS関係の場所にも簪の用事で行ったりしていて、学園に居た日は少ない。

 ずっと学園に居た一年生(去年)の夏休みとは正反対だ。外でもゆっくりできなかったわけじゃないが、外でゆっくりするのとこうして部屋でゆっくりするのとでは感じ違う。外ではこんな風に密着することも基本しなかったわけだし。

 だからと言うべきなんだろうか。スマートフォンを仕舞って、簪はうつ伏せで寝ている俺の背中の上へと乗ってきた。

 

「んしょ……」

 

 背中の上に乗ってきた簪は、自分の体を預けるようにぎゅっと抱きついてくる。

 甘えてくれているのは分かる。

 けれど、重……苦しい。

 

「……重いって言いかけたでしょう」

 

 拗ねるように言う簪の声が上から聞こえる。

 おそらく、表情もそうなんだろう。

 言いかけたことは悪かった。しかし、あれは条件反射的なもので……と言ったところで言い訳のようなことを言っていることにしかならない。他に言うことも見つからず、誤魔化すようにただ黙っているほかなかった。

 一方で、その沈黙は肯定するようなものでもあった。

 

「……やっぱり、降りる」

 

 むすっとした声色。

 言葉足らずというか。ただ黙っているだけでは不安を煽るのは当たり前だ。

 申し訳なさを感じながら簪を止めた。

 

「いいの……? 重いよ……?」

 

 重みは当然あるが、改めて重いっていうほどじゃない。丁度いい重さ。むしろ、ちゃんと食べているのか心配になる。

 

「ん……無理はしないで。苦しくなったら言って……退くから」

 

 勿論だ。今も別に無理しているわけじゃない。

 背中から感じる簪の丁度いい重みが心地いい。それに背中にいろいろと柔らかいものが当たって気持ちいい。役得だ。

 

「んー……」

 

 幸せそうな声をこぼしながら簪が首筋に頬を当て頬擦りしてくる。くすぐったい。

 クンクンされている気もする。何となくだが。

 簪は時々、こんな風に抱きついてくることがある。好きなんだろうな。

 

「……うん、安心するから。前から抱きつくのも好きだけど、それだと恥ずかしい時もあって。に、匂いも嗅げるし……それに……」

 

 一瞬、簪は言い躊躇ったが、ゆっくりと言った。

 

「こうして背中の上に乗ってるとね……何だかあなたを征服している感じがして楽しい」

 

 思わず、聞き返してしまった。

 俺の反応が簪の思った通りの反応だったからなのか、簪は楽しげに笑っていた。

 

「ふふふ」

 

 わざとらしく不適に笑う簪が怖い。

 それに心なし背中から掛かる重みが増している気が。今も重いというほど重くはないし、苦しくもない。ただ、動きづらい。征服って言っていたから……そういうつもりで簪はしているつもりなのだろうことは分かるが。

 

「動いちゃダメ……じっとして……」

 

 首筋にふぅと優しく息を吹きかけられる。

 ぞくっとする感覚に、思わず変な声が漏れそうになるのを何とか我慢する。

 

「可愛い……」

 

 愛でる様に簪は言ってくる。

 やめてくれ。くすぐったくて仕方ないし、何だか恥ずかしい。

 こうして愛でられていると本当に征服されているかのようだ。

 

「ん……ちゅ、っ……ちゅ」

 

 首筋に口づけしては、再び頬擦りしてくる簪。

 それは艶っぽく攻め立てるようなものではなく、甘えるよう。まるで子猫が親猫に甘えているのを彷彿とさせられる。

 だが、同時に攻め誘われている気分にもなっていた。何だか避暑地でいろいろあったときのことを思いださせられる。あの時も確か攻め誘われていた。

 

 愛でられるのも嫌じゃないし、悪くもないがされっぱなしというのは釈然としない。

 やっぱり、愛でられる側よりも愛でる側でありたい。そう思うのは男の性というよりかは、ただの我侭なのだろう。

 

「……え」

 

 俺の下にいる簪は、何が起こったのか分からないという表情をしていた。

 

 それは一瞬のこと。俺と簪は反転してたのだ。

 先ほどとは逆の俺が簪を征服する姿勢。背中の上に乗っていた簪は下となり、そんな簪を俺は押し倒すような姿勢へとなっていた。

 

「……」

 

 自分の姿や自分が置かれている状況を簪は理解している様子だった。

 頬を赤く染め恥ずかしそうにしているが取り乱すことはない。それどころか、恥ずかしそうに潤んだ瞳でこちらを見つめては離さない。簪が何を期待しているのか。それは熱の篭った目がまざまざと語っていた。

 

 そんな簪の様子があまりにも愛おしすぎて、つい笑みをこぼしてしまった。

 

「……笑った。……どうせ、私はえっち……だもん」

 

 拗ねてしまった。それでも視線を離さないのがおもしろい。

 言わなくても馬鹿にした笑みではないことは簪にも分かっているだろうし、簪の言う事は何というか……今更だ。

 

 宥め、期待に答えるように艶やかな唇へと優しく口づけする。

 

「ん、ふぅ……っ、ん」

 

 それだけで、甘い吐息が聞こえた。

 触れるだけのキス。それを何度も愛撫するように繰り返す。

 しばらくそうしていると、いつしか誘う雰囲気は姿を隠し、すっかり受け身の様子な簪。

 

 もしかしなくても、この状況すらも簪の思惑通りなんだろう。

 すっかり手の平の上だ。

 

 「嬉しい……でも、物足りない……証が、欲しい……。だから……もっと、して」

 

 切なそうな声でつぶやく。

 彼女にこう言われて、応えないなんて男が廃るというもの。

 ただ応え、求め合うだけ。一つへと交わっていく。

 

「ん……」

 

 こうして俺達の夏休み、夏はもうじき終わる。

 だが、夏の暑さが持つ独特の気持ちを昂ぶらすこの熱はもう少しだけ冷めそうにはない。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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頑張り屋さんな簪

 厳しい残暑が続く秋。

 まだ残る夏の暑さを感じながら俺達は、二学期を迎えた。

 二年目になる今学期も普段の生活特にこれといった大きな変化はない。学校行事が多い為、相変わらず忙しい日々を送っている。

 いや、一つ訂正すべき事が……というよりかは、付け加えた方がいいことがあった。

 大々的に取り上げるほど大きな変化ではないが、小さくそして素晴らしい変化はある。

 

 二学期ともなれば、流石の新一年生も学園の生活に慣れてくる。

 そうなれば、交友関係はもちろん、先輩後輩関係も築かれていくというもの。

 後輩である一年生から慕われる同級生は多くいた。特に俺達の世代は例年と比べて、代表候補生ないし専用機持ちが例年と比べて多い。

 それ故に、代表候補ないし専用機持ちであるオルコットや凰達は、非常に多くの後輩達に慕われている。一部では、ドラマや漫画などでしかないと思っていた『御姉様』呼びして、何というか熱烈な想いで慕っている後輩達の姿もちらほらいるほどに。

 

 それは最愛の彼女である簪もだった。

 

「更識先輩、先ほどの実技の授業見学させてもらいましたが凄い勉強なりました! 素敵です!」

 

「う、うん……ありがとう」

 

「先輩! いつかでいいので、ISの実技ぜひ見てください!」

 

「あっ、私もお願いしま~す!」

 

「えっ? あっ、えっと……その内、ね」

 

「やった~!」

 

 渡り廊下で数人の一年生達に話しかけられている簪。

 流石に『御姉様』呼びされるほどのアレな慕われ方はされてない様だが、それでもかなり人気だ。

 楽しそうに話しかけてくる一年生に、簪は困った様子ながらも簪なりに一生懸命応じている。和気藹々とした雰囲気を感じなくはない。

 そんな簪の頑張っている姿を少し離れたところで見ているが何だかこの光景を見ていると、軽いデジャヴを感じる。俺も傍から見るとこんな感じだったんだろうか。

 しかし、あの簪がこんな風に後輩に慕われているとは。しみじみ感心してしまう。

 

「あっ~もしかして~」

 

「お前寂しいのか?」

 

 何所からともなく沸いて出てきた本音と一夏。

 何でそうなるんだ。俺は、そんな顔してるのだろうか。

 というか、二人揃ってニヤニヤと微笑ましそうな視線を向けるな。

 

「ニヤニヤ~」

 

 二人揃ってわざっとらしく言葉にして言うのもやめろ。

 まったくなんなんだ、こいつらは。

 

「でもさぁ~本当は寂しいんじゃないの~?」

 

 いつものふわふわとした口調の本音にそう問いかけられる。

 

 そんな訳ないだろとすぐさま否定しようとしたが本当のところはどうなんだろうと、ふと考えてみる。

 微塵も寂しくないと言えば、嘘になるかもしれないが、そもそもこれは寂しいとか寂しくないとか言う問題ではないだろ。

 沢山の後輩に慕われている簪を見ていると、寂しいというよりかは嬉しい気持ちになる。それは簪が頑張っているのが分かるからだ。

 昔、いや元々簪はこんな風にたくさんの人達とは勿論、歳の違う人達と接するのは苦手としているはずだ。嫌っているまでありうる。それは今も変らないだろう。

 だがしかし、今の簪はそれを克服しようと、今までの自分から変ろうと自ら一生懸命頑張っている。その成果が同級生との関係だったり、今の様に簪を慕う後輩達だったりする。

 頑張る簪の姿はやはり見ていて嬉しいものであり、応援している。むしろ、尊敬すらしている。そして、愛おしい姿でもあるのだ。

 自分もまだ後輩達と接するのは異性なだけに苦手だが、簪を見習って克服していかなければならないなと素直に思わさせてくれる。

 

「うわっ、からかったのに真剣に考えられた上に何だか、惚気られちゃったよ」

 

「本当、生真面目だな。お前」

 

 二人揃ってやれやれといった顔をしている。

 本音も一夏も好き放題言いたい放題言ってくる。

 特に本音。うわって酷い言われようだ。

 何と言われ様がこれが本心。他に言うことは見当たらない。

 

 一夏は兎も角。

 

「おい、何でだよ」

 

 そう言う本音は、どうなんだろうか。

 

「私~? 寂しいよ。というか、すっごく寂しい」

 

 本当に本音は寂しそうに即答したのだった。

 本音がそんな風に言うなんて、何というか意外だ。

 知る限り、普段はそんな風に寂しそうにしないからな、本音は。

 

「そりゃ、ね。あっ、当然だけど、かんちゃんのああいう様子見れるのは嬉しいことだよ。かんちゃんが頑張ってる証拠みたいなものだからね。もちろん、私も応援してる。でも、頑張るかんちゃんは凄すぎて離れていくのを感じるというか。もう、私が昔みたいに何から何までもう気にかける必要は本当になくなったんだな~って。……例えるなら、娘の巣立ちを寂しがる親みたいな感じかな~」

 

 と冗談めかしに本音は言った。妙な例えだが、この例えのおかげで本音の寂しさを少しぐらいは理解できた気がする。

 本音は、俺よりも簪との付き合い、一緒に過ごした時間は長い。

 だからこそ、本音の場合は嬉しさよりも寂しさのほうが勝ったのだろう。

 

「寂しいからって出来ることは少ないけどね。頑張るかんちゃんを影ながら応援するのと、かんちゃんが頑張りすぎないようにフォローするぐらい」

 

 その通りだ。出来ることなんて、本当にそれぐらい。

 出来ることを精一杯してあげたい。

 それに簪は頑張り始めると、結構無理するからな。

 

「そうだね~かんちゃんのこと、よろしく頼むよ。彼氏君」

 

 言われなくてもと俺は頷いた。

 

 

 

 

 夕食時。寮の食堂は今日、いつもより空いていた為、早く晩御飯を食べることが出来た。一緒に食べたメンバーはいつもの四人。

今晩も絶品だった料理に満足しながら、食後のお茶を啜りまったりする。

 

「風呂入ったらどうするかな」

 

 目の前の席にいる一夏がぼやく。

 晩御飯を食べたら、使用終了時間までに風呂を済ませていれば、基本自由。流石に学園の外には出かけられないが、寮生の自由に過していいことになっている。友達の部屋に行くのもいいし、自室で一人ゴロゴロするのもいいし、今日はもう早めに寝てもいい。

 一般的な寮生活なら自習時間にあたるらしいが、IS学園は校風が自由な為、好きにしてもいいのはありがたい。

 俺もどうするかとぼんやりと考える。

 

「お風呂済ませたら、おりむー(一夏)の部屋に行くね~」

 

「OK。分かった」

 

 一夏達は今晩も一緒に過ごすようだ。まあ、いつも通りだな。

 俺も人のことを言えない。

 簪も部屋に来るかと隣の席にいる簪に聞いてみたが、返事はない。上の空と言うよりかは、スマホを弄っていたせいからか、耳に届いてなかったみたいだった。

 誘いの言葉をもう一度声をかけてみた。

 

「え? あ……その、今夜もちょっと……用事があって、ごめんなさい」

 

 簪は申し訳なさそうにしていた。

 

「振られたな」

 

「振られた~」

 

 からかってくる一夏と本音の外野二人。

 楽しそうに、まったく飽きないな。早く部屋に行ってろよ。俺はお茶を啜りながら二人に飽きれるばかり。

 そんなんじゃない。今夜も、という簪の言葉でああもしかしてとすぐに思い当たった。

 

「うん。今夜も後輩の子に勉強見てほしいってお願いされてて……時間あるから引き受けた」

 

 毎晩ではないがここ最近、簪はよく後輩の子達の勉強も見てあげている。

 俺もたまにお願いされて見ることはあるが、最近は簪がひっぱりだこ。これも簪の後輩との交流。

 簪は、何だかんだ面倒見がいい。簪が慕われるのは専用機持ち、代表候補だからってのも大きいのだろうが、実のところはこういう面倒見のいいところが慕われる最もな理由なんだろうと思う。

 おそらくさっきスマホを弄っていたのは、その後輩達に連絡とかを取っていたのだと理解した。

 

「……行ってもいい?」

 

 今夜も簪は、俺にそう聞いてくる。

 いいも何も簪がお願いされているのだから、行ってきたらいい。俺のことは気にする必要はない。

 部屋に来てもらっても特にこれといってすることはない。いつも通り、二人で勉強するか、まったりするぐらい。後輩達の勉強を見てあげるほうが、よっぽど有意義な時間の使い方だ。

 

 さて今夜はもう一夏で遊べないし、一人でなにするかなと考えていれば、簪はちょいちょいと掴んだ服を引っ張る。

 どうしたものかと振り向くと、簪がじっと見つめてきていた。

 

「……」

 

 無言で俺の目を見つめてくる簪。

 何か探ってる様子みたいだったが、簪は何も言わないから何がしたいのか今一はっきりしない。

 ただ目を逸らすことは許していないようで、若干呆気に取られながら見つめ返していると、簪は少し残念がる瞳の色を写した後、ようやく睨めっこから解放してくれた。

 

「ん……分かった。じゃあ、もう行くね」

 

 簪は食べ終わった食器を持って、席を立つ。

 その様子を俺達三人は見送る。

 簪は、何か言いたかったんだろうか。流石にいろいろ足りなすぎて、疑問が募るばかり。

 いっそ、断られたのを残念がりでもすればよかったんだろうか。

 

「いや、案外そうかもしれないぜ」

 

おりむー(一夏)、鋭いね~」

 

 いや、まさかな……そう思うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 机に向かい、黙々と書類整理をしていく。

 ペースは順調だ。これならあと少しで終えられる。

 邪魔さえなければの話だが。

 

「暇ね~」

 

 退屈そうな声が目の前の席から聞こえてくる。

 その声の主は楯無さんだった。

 構ったら最後、作業の進みが悪くなるので適当に聞き流す。相手してられない。

 あしらわれた事を当然、楯無さんも分かっているようだが、気にした様子はなく更に絡んでくる。

 

「暇ー遊びましょうよー」

 

 甘ったるい声で甘えてくるかのように言ってくる楯無さん。オマケに前の席にいたのに、椅子を持ってきて隣に座ってくる。

 しかし、構うことなく黙々と作業を続ける。楯無さんは暇かもしれないが、俺にはやるべきことがある。暇じゃないのは見て分かるだろうが、楯無さんはそんなこと気にする人ではない。

 証拠に肩と肩をぴったりとくっつけて来てよりそってくる。邪魔なことこの上ないが、それでも構うことはない。ここで構ったら相手の思う壺だ。

 

「む~! つまんない。一夏君ならいい反応してくれるのに」

 

 一夏と比べられても困る。

 というか、一夏にもいい迷惑だからしないであげてほしい。

 

 そんなに暇ならこんなところで油を売らずに、友達と過すなり、勉強してたほうがいいだろ。

 というか、勉強しろよ。本当に暇でいいのか受験生。他の三年生の先輩達は忙しそうにしているのに。

 

「勉強しろって本当、生真面目ね。友達は皆揃って勉強してるから暇なのよ。私は推薦入試だから大丈夫だけど。それに今更、勉強しても知れてるわ」

 

 世の受験生が聞いたら、絶対怒られる。

 勉強は続けていくことに意味があるもので、こうして時間を無駄にして足元すくわれないといいが。

 

「ということで姉弟の仲を深めましょう。お仕事で疲れてない? お姉ちゃんに沢山甘えてもいいのよ? 二人っきりなのだから、照れ屋な弟君も安心よ」

 

 何が安心なんだろうか。不安しかない。

 嫌だな、この人と同じ部屋にいるの。何されるのか分かったものじゃない。

 誰か戻ってきてほしい。

 

「ふふっ、嫌そうな顔して可愛い。私に媚びず靡かないところ好きよ。愛してるわ」

 

 はいはいと聞き流す。

 何というか、楽しそうで何よりだ。

 適当に楯無さんをあしらい続けながらも手は止めず作業は続ける。

 

「でも、今日は本当に誰もいないのね。一夏君と本音はまた二人で遊んでイチャラブ?」

 

 何を言っているのかよく分からないが、別に二人は遊んでいるわけじゃない。

 生徒会と生徒会長を引退した楯無さんの後を継いで新生徒会長になった一夏と、その補佐として副会長になった本音の二人は、今別件の仕事を済ませているはず。

 まあ、仕事を済ませて問題さえ起さなければ、二人が遊んでいようが何してようがそれは本人達の責任。どうでもよくはないが、どうでもいい。

 

「そうなの。簪ちゃんは?」

 

 簪も別件でいない。

 おそらく、後輩の面倒見てるか、整備室で作業しているかのどっちかだろう。

 他も大体そんな感じで今日はいない。いつも賑やかな生徒会室は一応静かで作業しやすい。

 

 ちなみにだがこの様に俺も簪も生徒会に所属している。

 役職は簪が書記で、自分が虚先輩の後を継いで会計である。

 

「なるほど。べったりなのは一夏君達だけってことね。でも、いいの? 簪ちゃん放っておいて」

 

 何も別に放っておいているわけではないんだが。

 別行動が多いのも今に始まったことじゃないし。それはこの人も知っているはずだ。

 楯無さんは何を言いたいんだろうか。

 

「ほら最近、簪ちゃんの後輩人気凄いから寂しくないのかなって」

 

 楯無さん知っていたのか。まあ、妹大好きな人だから知っていて当然ではある。

 しかしまた、それか。本音にも言われたな、それ。

 

「本音が? あの子の方が寂しがっていそうなのに」

 

 楯無さんには本音のことはお見通しだった。

 よく分かったな。驚いた。流石と言うべきなんだろか、この場合は。

 

「付き合い長いからね。私と本音も」

 

 言われて納得した。

 それもそうだ。簪と本音が幼馴染なら、楯無さんとも幼馴染ということになる。

 ああいうのは付き合いが長いと分かるものだろうし。

 

 そう言う楯無さんは、寂しかったりするのだろうか。

 

「寂しいか……うーん、寂しいと聞かれれば寂しいけど、寂しいと言うよりかはへぇ~そうなんだって感じのほうが強いわね。当然、嬉しい事で姉として誇らしいけど」

 

 てっきり、楯無さんのことだから大げさなぐらい寂しがったり、嬉しがるものだと思っていた。

 しかし、今実際に聞けば楯無さんから出た言葉はそっけなさを感じるものだった。

 

「今更、簪ちゃんの成長一つでそんな大げさに寂しがったりしてられないわよ。姉離れはとっくの昔にされているわけだし、私も妹離れしなくちゃ。ね、弟君」

 

 その通りなのかもしれない。

 ただ、その意味深な視線を向けるのはやめてほしい。

 

「でも、あの簪ちゃんが後輩にモテモテだなんて意外よね。まあ、それだけ簪ちゃんが頑張ってるってことなんだろうけど。だからこそ、放っておいていいの?」

 

 その話題はさっき終わったものだと思っていたのにまた蒸し返してくる。

 反論したり、それについて何か言うのすらめんどくさくなってきた。

 

「そんなこと言ってると後輩に簪ちゃん取られるわよ」

 

 飽きれて何も言うどころか、思いも出来なかった。

 言うことかいてそれか。馬鹿らしい。

 

「馬鹿なのは弟君よ。IS学園は女子校なのよ。同性を好きになることなんてよくあるわ。出来る優しい良い先輩ってそれだけで魅力的なのだから」

 

 言ってることは分かるには分かる。

 出来る優しい良い先輩ってそれだけで魅力的だ。卒業した虚先輩とかがそうであるように。

 好きなったとしても、それは先輩を慕う後輩としての親愛的なもの。

 楯無さんが指して言っているのは別のことで、いくらなんでもそれは言い過ぎなのでは

 それにIS学園でなくても、普通の学校や共学でもそういうことはあるにはあることみたいだし。

 

「言い過ぎなんてことはないわ。自分で言うのは何だけど私だって、女の子に告白されたことあるわよ。ガチの奴を、何度もね。丁寧にお断りしてるけど……簪ちゃんは今モテ期なのだから、後輩から熱烈な告白を受けていてもおかしくない。私の勘がそう告げているわ」

 

 何故だか自信満々な様子で楯無さんは言い切った。

 信憑性が凄い薄い。

 ガチの告白か……そんなものは好きにしたらいいとしか言えない。俺がしゃしゃり出るようなものではないし、出てもいけない。受けるかどうかは簪次第。

 

「相変わらずね~。でも、女の子ってあなたが思っている以上にエグいから気をつけたほうがいいわよ」

 

 何をどう気をつけたらいいのか。そもそも気をつけようがないが、先輩からの忠告だ。頭の片隅にでも忘れないようにしておこう。

 

「気をつけたほうが言えば、もう一つ。弟君は寂しがってないみたいだけど、簪ちゃんはどうかしらね」

 

 言われて、作業の手が止まり、先日の夕食時にあった出来事を思い出す。

 じっと見つめてきたこと。その時に見た少し残念がる様子を写した簪の瞳。

 楯無さんまでこう言ってくるってことは、やはりそういうことなのだろう。

 

「心当たりがあるみたいね。簪ちゃんを大切にしてね」

 

 言われなくてもとまた頷く。

 簪については何となく察しはついていたが、前もって楯無さんに忠告してもらえてよかったのかもしれない。ありがたい限りだ。

 

 

 

 

 日課である自習が一区切りつき、外出禁止時間までの残り時間を自室でまったりしていた。

 ベットのうちに凭れながら座っている俺の股の間に座っている簪と一緒に。

 撮り溜めていた番組を流しているが、簪にとって興味を引きつけるほど面白い内容ではないらしく、片手間で持て余した暇を潰すように、繋いだ俺の手で遊んでいる。

 

「ふふっ」

 

 下のほうからから嬉しそうな簪の声が聞こえ、どうしたのかと聞き返す。

 

「こうやって過すの……久しぶりだから、何もしてなくても楽しくなっちゃって……」

 

 口角を緩ませ、簪は嬉しそうにはに噛む。

 確かにこうやって、夜二人っきりでのんびり過すのは久しぶりだった。

 ここ最近、簪はずっと後輩達の勉強を見てあげたりと忙しく、俺の方も何だかんだと忙しく、こうして夜今までの様に過すことは少なかった。

 簪が言う通り、何もしなくても楽しい。忙しいことは充実していることでもあったりするが、こうしているのが一番充実している気がする。

 楽しいと言えば、俺から見て後輩の勉強を見ている簪は楽しそうにしている。

 

「楽しい……楽しいというよりかは、遣り甲斐を感じるかな。皆、真面目には聞いてくれて、楽しそうに教えたこと自分の力にして言ってる姿を見るのは何だか嬉しい。そういう意味では楽しい。これからも続けたい」

 

 簪にしては珍しく能動的で、前向きな言葉。

 簪がそう思えるのなら、やはり後輩達との交流は簪にとっていいことなんだろう。

 それから簪は他に沢山後輩達の出来事を話してくれた。勉強の教え方だとか、教えている内容、後輩達のことなどいろいろいと。

 より詳細な簪のがんばりを知ることができて俺は何だか安心した。凄いな、簪は。これからも簪の頑張りを応援したくなった。

 

「ありがとう」

 

 髪を梳くように頭を撫でると嬉しそうに簪は頬を緩める。

 

「あ……でも……ううん、何でもない」

 

 何でもなくはない。

 何か言いかけた後にそんな気まずそうな顔されたら余計に気になる。

 後輩と何か問題でもあったんだろうか。

 

「問題はない……ただ、その……後輩達からの抱きついたりされて……スキンシップが激しくて大変。何だか本音が増えたみたい。中には好きって言ってくる子もいて……多分、冗談だろうけど」

 

 簪は苦笑いしていた。

 

 自信満々な様子で言いきった楯無さんの言葉をふと思い出してしまった。

 あの時は話し半分に聞き流していたし、簪が後輩に言われたときの様子を見てないから、何ともいえないがまさかな。

 このまま冗談で済んでいればそれにこしたことはないんだろうけど、こういうのって大体思ってる方向とは真逆に行くもの。

 事前に忠告してもらってやっぱりよかった。だからって何かしておくべきことはやはりないが。

 

「……」

 

 しばしの沈黙の後、簪は俺の名前を呼ぶ。

 こちらのほうに体を向きなおして簪は、いつかのようにまた無言で見つめてくる。

 瞳が何かを訴えかけていることはよく分かった。その何かも。

 簪はゆっくりと話し始めた。

 

「私ね……実はちょっぴり寂しかった。自分が望んでやってることで一々寂しがるようなことじゃないんだけど……平気そうなあなたを見たら、ついね……」

 

 寂しそうでいながらそれでいてバツが悪そうな表情を簪は浮かべる。

 やっぱり、そうだったか。まさかと思っていたことは、当たっていた。

 本音や楯無さんに言われなくてもと言っていた自分が少し情けない。寂しくさせてしまったこととかについていろいろと簪に言いたいことはあったが言わないようにした。

 謝りでもしたら簪は気にしてしまう。だから、今は何も言わず励ますように後ろから抱く力を強めた。

 

「ん……ありがとう」

 

 思いは通じたのか、簪は嬉しそうな声を零しては、体を預けるようにもたれかかってくる。

 俺からしたら簪は小柄、小さい。この小さな体でたくさんのことに自ら挑戦して頑張っている。

 久しぶりに一緒の時間を過し、簪から話を聞いて、簪が頑張っていることを知ることができた。

 頑張る簪は輝いているけど、頑張り過ぎないか心配だ。

 寂しいと簪が言っていたのも頑張りすぎから来ているものであるし。

 

「大丈夫。こうやって一緒に過せてるだけで……凄い元気沸いてくるから」

 

言ってることは分かる。

 忙しい日々だが、俺もまた今夜こうして一緒に過ごせているだけで、簪から元気をもらえた。

 ただ簪は頑張りすぎるから、本当かとついつい疑ってしまった。

 

「心配しすぎ。じゃあ、今夜みたいにまた……いろいろと充電、させてほしいな」

 

 遠慮気味に簪は言った。

 充電とはまた何とも可愛い言い方である。

 それぐらいならお安い御用。

 

 心配しすぎか……そうだな。

 俺がすべきことは、頑張る簪を応援し、頑張り過ぎないようにフォローするだけのこと。

 だけどもう少し、二人の時間も取る様にしよう。

 

「そうだね。もう少し、ぎゅ……ってしてほしい」

 

 せがまれるまま、後ろから抱きしめる力を痛くないように気をつけながら強める。

 すると、手が丁度簪の首あたりにあって、何となしに簪の喉を撫でた。

 

「ん……」

 

 喉を撫でられ可愛がられる猫がリラックスして喉を鳴らすように、簪が気持ちよさそうな声を出すのを聞いた。

 簪は目を閉じ、喉を撫でられる気持ちよさを満喫しているかのようだった。

 無防備な姿でくつろぐ簪の様子を見て、こうして二人っきりの時ぐらいはやっぱり日頃の疲れを和らげてほしい。

 そうあれるように俺も努めなければ。

 

「ふふっ、幸せ」

 

 幸せそうな優しい声をもらす簪。

 久しぶりの二人っきりの時間は、いつもと変らないように過ぎていく。

 






今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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私とあなたの百合色恋受難

 

 二年生になって後輩ができ、慕う立場から慕われる立場になり、私にも慕ってくれる後輩ができた。

 大人気のオルコットさんやデュノアさん達ではなく、私なんかを慕ってくれているのは、多分私が代表候補生であり専用機持ちだからだと、つい思ってしまう。

 それでも、慕ってもらえるのは純粋に嬉しい。慣れないことも多くていろいろと大変。自分が慕われる立場になって、彼の大変さがよくよく分かった。

 

 つい最近では、夜の外出禁止までの時間を使って後輩達の勉強をよく見てあげるようにもなった。

 放課後の時間を使えれば本当はいいんだけど、放課後は放課後でISの自主練や今年(二年生)になって本格的に参加した生徒会などで忙しく、勉強を見上げられるほどの時間は取れない。だから、夜の自由時間を使っている。

 きっかけは後輩達に勉強を見てもらえないかとお願いされたことだった。正直、始めは全然乗り気じゃなかった。

 今まで先輩後輩の付き合いなんてしてこなかったし、ただでさえ私は人が、人付き合いが苦手。ましてや歳の違う後輩と上手くコミュニケーション取れるか心配だった。

 適当な理由をつけて断ろうかとも考えた。でも、それじゃあ今までと変らない。私は思いきって引き受けてみた。

 

 勉強を見上げるのは思っていたよりも難しかった。

 教える内容が変らないとか理解が浅いとかそういう教える以前の話ではなく。私は口下手で、普段通りの説明だと後輩達には難しいらしく、分かりやすいように説明するのがとても難しい。

 何となく理解する本音や元々理解力の高い彼がどれだけ教えるのに楽だったのか毎回痛感する。

 分かりやすいよう気をつけてはいるけど、まだ難しく説明してしまうのが私の課題。それでも私の拙い教え方でも彼女達は真剣に学ぼうとしているのは見て取れて嬉しい。

 大変ではあるけれど、遣り甲斐を感じる。自分の至らなさや理解力の低さを改めて知ることができて、より的確に補える。

  何より、後輩達ができるようになっていく姿を見れるのはとても気分がいい。

 

 夜の自由時間を使っているから当然、彼と過す時間は減る。

 毎日見てあげているわけじゃないし、元々彼と毎日夜を過していたわけじゃないけど、正直寂しい時がある。

 でも彼と会えば、この寂しさを和らげてくれて、私に沢山の勇気をくれる。応援だってしてくれている。

 だから頑張ろうって気になれて、これからも続けていきたいと思える。

 

 例え一歳でも歳の離れた子達とコミュニケーション取るのは私にとって難しい。問題がないわけでもない。というか、困ったことがあった。

 後輩からのスキンシップが激しい。抱きついたりされるのは日常茶飯事。『可愛い』と愛でらたりする。私に先輩としての威厳みたいなものがないのは自覚しているけど、それでも舐められているんじゃないかって思わなくはない。

 愛でたり抱きつぐらいなら私はよく知らないけど女同士なら普通のことみたいで、本音みたいにじゃれついてきているだけだからまだいい。もっと困るのは……。

 

「ふふっ」

 

「あの……」

 

「何ですか? 先輩」

 

 目の前の席にいるこの子は、嬉しそうに凄いニコニコとして私を見つめてくる。凄いやりづらい。

 いつもは二、三人の勉強を見てあげているけど、今日は他の子達が別の用事があるらしく彼女と二人っきり。

 

「そんなに見られると……困る。というか、やりづらい……」

 

「すみません。困ってる簪先輩が可愛くてつい見惚れちゃいました」

 

「……馬鹿言ってないで、さっきの問題終わったの……?」

 

「はい、この通り。答え合わせお願いします」

 

 課題を渡され、答え合わせをしていく。目立ったミスも特になく全問正解。これ、結構難しい問題ばかりなのに。

 こうして勉強を見てあげているけど、この子に座学で教えることはもう何もない。そもそも、教えている子の中でもこの子が一番出来がいい。1年生でトップクラスの成績だと聞いた覚えもある。実技の成績だって私が知る限りトップクラスに入る。

 なのにまだ私に勉強を見てもらおうとする。それにこの様子ならもっと前に問題は解けていたはずだ。

 

「全部合ってる。……はい」

 

「ありがとうございます。ふふっ」

 

 含みのある嬉しそうな笑みを彼女は浮かべる。

 

 正直、私はこの子が苦手。

 後輩の中で一番親しい子。時々、態々二年生の教室までやってきて会いに来てくれたりする。

 顔立ちがよくスタイルもいい。頭がよく、客観的に見ても品行方正でいい子なのは分かっているけど、何を考えているのか分からない。まったく読めない。

 いつもニコニコとして嬉しそうな顔で私を見てくる。視線が何というか……熱っぽい。他意はないと思いたくなる。

 この子が一番スキンシップが激しい。今は流石に勉強中ってことをちゃんと理解しており、弁えて最低限のことは守れているけど、そうでない時この子は抱きついてくる。凄い密着してくる。

 それはもう友達にじゃれつくようなものではなく、例えるなら恋人にじゃれつくような感じ。

 

「ねぇ、先輩」

 

「何……?」

 

「好きです」

 

 今自分が凄い怪訝な顔をしているのがよく分かる。

 彼女はいつもこう。いつも好きだと言ってくる。こういうのが抱きつかれるよりも何よりも一番困る。

 

「わぁ~簪先輩、凄い顔。そんなところも可愛いです、やっぱり。というか、もう前にみたいに驚いてくれないんですね」

 

「……驚くわけないでしょう。何度も言い過ぎ」

 

 初めて言われた時は当然驚いた。

 そして、好きだと言ってきた彼女に私は真面目に答えてしまった。

 

『ありがとう。気持ちは嬉しい。でも、気持ちには応えられない』

 

 といった感じに、本気で付き合いたいと言われたものだと思って。

 真面目に答えて断ったのに、この子はそれからも懲りることなく私に何度も好きだと言ってくる。そのうちからかわれているのだと私でも分かった。

 この子が言う好きってのは先輩として。私があまりにもいい反応をしてしまったからからかわれ続けている。まったく、冗談が過ぎる。やっぱり、舐められてるんじゃないかな。

 冗談ではなく万が一交際的な意味合いのものだとしても答えは変らない。余計困る。今時気にする方が稀だけど、私達は女同士で私にはそういう気はない。私にとって彼女は、親しい後輩の一人。

 というか、この子私が彼と付き合ってるの知っている。そう紹介したし、何度もあって会話だってしている。

 今日もきっと軽口。冗談。付き合ってられない。

 

「何度だって言いますよ。本当に好きですから、簪先輩のこと」

 

「……本当、からかわないで。今日は大目に見るけど……あんまりからかうようなら今後勉強見ること……考えさせてもらうから」

 

 言って私は帰る用意を始めていく。

 もう今日は教えてあげるようなことも、見てあげるようなものもない。ここにいるだけ時間の無駄……は言いすぎかもしれないけど、ここにいる理由は見当たらない。早く部屋に帰って明日の用意しないと。

 

 そういえば、彼女の雰囲気ずっと誰かに似ていると思ったけど。そうだ、お姉ちゃんに似てるんだ。人の気持ちで遊ぶところが特に。

 

「ちょっと……頭、冷やして……」

 

「先輩は思い違いをしてますよ。からかってなんかいません。私はいつだって本気ですから」

 

「そうだとしても応えられな――」

 

 帰り支度が終わり、顔を上げた時だった。

 彼女は前の席からいつしかすぐ隣へとやってきていた。

 そして彼女は、私へと手を伸ばし頬を撫でてた。

 

「先輩」

 

 いつもとニコニコとした嬉しそうな表情ではなく、真剣な表情で彼女は私をじっと見つめる。

 彼女の視線が熱い。まるで情熱で燃え上がる炎を秘めているかのよう。普段感じていた冗談なんてものは一切感じない。

 彼女は本気。こんな状況になれば嫌でもわかる。

 真剣な彼女の様に呆気に取られ、言葉を失っていた。

 

「簪先輩があの男の先輩と付き合っているのは分かっています。私を後輩としか見てない事も」

 

「……っ」

 

「今はそれでいいです。後輩として一緒にいられるだけでも嬉しいですから。でも、私は簪先輩のことが好きなんです。先輩としてじゃなく、一人の女性として好きです」

 

 彼女からの好きという言葉今まで何度も聞いてきた。

 ずっと冗談だと、先輩としてだと思っていた。でも、冗談で言うことはあってもその言葉の想いはいつだって本物だった。純粋に嬉しい。

 だからこそ、今まで聞き流すしかなかったけど、聞き流していたことに今更になって罪悪感を覚え始める。

 

 本気の告白。言葉や声はしっかりとしたものだったけど、彼女が緊張しながら言ってくれたことがよく分かる。その証拠に彼女は真剣な表情のままきゅっと口を噤んでいる。

 私も彼に告白した時、凄い緊張した。その後どうなってしまうのか凄い不安だったのを今でも覚えている。

 だからこそ、私はちゃんと彼女に答えを言ってあげないといけない。このまま聞き流すわけにはいかない。

 返事を言わなきゃと思うのに、言葉が出ない。

 

「……」

 

「――」

 

 いまだ私を見つめて離さない彼女の視線に私は何かを言うどころか、身動き一つ出来ないでいた。蛇に睨まれた蛙とはこのことか。

 頬を一撫でし、見つめ続ける彼女は一体、今何を思っているのだろう。何を考えているんだろう。

分からない。分からないからこそ、今時分が置かれているこの状況が、彼女のことが段々怖くなってきた。

 私はこれからどうなってしまうんだろう。怖い。助けて……! ――いつしか私は、彼の名前を強く胸の内で叫んだ。

 

「大丈夫ですよ、そんな怯えてなくても。安心して下さいと言っても難しいかもしれませんが安心してください。怖がらせるようなことはしませんから。まあ、そんなに怯えられていると可愛くて何かしたくなりそうですが」

 

 私の様子に彼女は気づき、場の雰囲気を和らげるように優しい笑みを浮かべていた。

 それで私はようやく我に返り、硬直みたいなものから開放され、ようやく返事を返せそうになった。

 

「あの」

 

 言いかけたところで頬に触れていた手が唇の前へとやってきて、私の唇に人差し指を当て、言葉を遮る。

 

「言わなくてもいいです。というか、何言われるか分かってますから聞きたくないです。簪先輩の答えが変らないように私の気持ちも変りません」

 

 普段と変らない様子で彼女は言葉を続ける。

 

「恋人がいようが私は簪先輩が好きです。頑張って私に振り向かせて見ますから、覚悟しといてくださいね、先輩」

 

 嬉々とした声で彼女は小悪魔のような笑みを浮かべてそうはっきりと宣言したのだった。

 

 

 

 

 あの後、私は逃げ帰るように自分の部屋へと向かっていた。

 

 本当にあの子、なんてことを言うの。本当に告白だなんて……私達は女同士なのに。おかげで胸がざわついて仕方ない。モヤモヤする。

 でも、もう冗談では済ませられない。冗談抜きで彼女が本気だってことは嫌でも理解している。

 これからどういう顔をして、彼女と会えばいいのか分からない。会えば気まずくなる。

 告白された私がこんな風に考えているんだ。きっと彼女は、気まずくなることや今後のこといろいろ覚悟した上で言ってきたに違いない。

 

 しかし、こんなこと誰かに相談することは勿論、話すことできない。彼には特に。

 でも、一人じゃこれからどうしたらいいのか分からない。考えが上手くまとまらなくて、何か頭の中がぐるぐるしてきた。

 

「かんちゃん~おっかえり~」

 

「……あ、うん。ただいま……」

 

 気が重たいまま部屋に帰るとルームメイトの本音が出迎えてくれた。

 明日の用意はもう済んでいるみたいで、いつもの着ぐるみパジャマを着た本音は、ベットの上でダラダラしている。

 相変わらず暢気な本音がこんな時羨ましくなる。いや、こんなの八つ当たりみたいだ。私もさっきと明日の用意して、早く寝るようにしよう。

 

「はぁ……」

 

 いけないと分かっていても溜息が出てしまう。

 別のことしてたら気が紛れるかとも思ったけど、全然だめだった。むしろ余計に考えしまい、更に頭の中がごちゃごちゃになるだけ。

 

「かんちゃん、何かあったの~?」

 

「ッ!? 何でも……ない」

 

 考え事に意識が集中している時に突然、本音に声をかけられたから、びっくりしてしまった。

 とっさに取り繕う言葉を言ってみたけれど、これじゃあすぐに嘘だと分かってしまう。

 

「何でもなくないよ~さっきからずっとこぉ~んな難しい顔してるじゃん。溜息も何度もついてるしさ~」

 

 本音は精一杯、私がしていたらしい難しい顔を作ってみせる。

 私、そんな顔してたんだ。凄い不細工。自分で思っている以上に溜息ついていたみたいだし。

 そんな様子で取り繕う言葉を言った方が、余計肯定しているようなもの。バツが悪くなるばかり。

 

「凄い解決できるわけじゃないけど、よかったら話してみてよ。そしたら少しは気が楽になるかもしれないよ~?」

 

 本音に話したところで何か事態が解決できるわけじゃない。でも、本音の言うことは一理ある気がする。

 このまま誰かに言うこともできずにいたら、この気が重たいのを引きずったままになってしまう。そんな姿彼には極力見られたくないし、悟られたくもない。

 それに話すなら本音以外、話せるような相手は私にはいない。こんなことだと特に。

 

「ありがとう……本音」

 

「どういたしまして~それでそれで一体何があったの~?」

 

 本音に感謝しつつ、私は先ほどのことを説明した。

 

「というわけなんだけど……」

 

「へぇ~それでかんちゃんはあんな感じだったんだね。大変なことになっちゃってまあ~あははっ」

 

 言葉は心配するものだけど、声が明らかに楽しんでいる。というか、笑ってる。

 笑い事じゃないし、笑えるところはないのに。

 説明しながらこんな事話されても困るだけだと気遣っていたのが馬鹿らしくなってきた。こんなことなら、やっぱり言わなきゃよかった。

 

「いや~かんちゃんにモテ期到来してとは思ってたけど、まさか告白されるとはね~しかも相手は女の子」

 

「ふざけないで、本音。私……困ってるんだから」

 

 本音に話して確かに少しぐらいは気が楽になった。

 その点については本音に感謝しかない。一人でずっとモヤモヤしてるよりかはよかった。

 でも、事態は何も変ってない。それどころか、事実として事態の深刻さみたいなものを再確認するだけだった。

 

「ごめんごめん。それでかんちゃんはどうしたいの~?」

 

「どうって……それが分からないから悩んでいるんだけど……」

 

「いやいや、いろいろあるじゃん。諦めてほしいとかもういっそ後輩ちゃんとも付き合っちゃうとか」

 

「それは……諦めてくれるのが……嬉しい。でも……」

 

「まあ~かんちゃんの話聞く限りは難しそうだよね~。彼氏持ちに一回振られた上でまた告白だもん。凄い勇気あるよね~」

 

 諦めてくれたらそれにこしたことはない。一番嬉しい。

 でも、あの子が諦めてくれるなんてことはなさそう。頑張って振り向かせてみる、なんてこと言ってたし。

 本当、これからどうしたら……。

 

「かわいそうだけど……やっぱり……距離、置くしかないかな」

 

「んーそれは今後の様子次第でいいんじゃないかな~折角、慕ってくれる後輩できたのに寂しくない? というか、告白しただけで距離とられるっていくらなんでもそれはかわいそう」

 

「それはそうだけど……顔合わせにくいし」

 

「それは向こうも一緒じゃん。とりあえず、現状維持でいいと思うよ。向こうが本当に諦めるまで待つしかなさそうだし。当然、脈なしってことは示さないとね。最近のかんちゃん、結構隙多いから」

 

「そ、そんなこと……ない」

 

 自分で思い当たる節がないからはっきり言うべきだったのに、何故だかしどろもどろになってしまった。

 自分ではそんなつもりないんだけど……私、傍から見るとそんなに隙が多いのかな。

 そういうことでいくと私は隙が多いから、僅かながらでも脈ありだと思われて告白されたのかもしれない。とりあえず、もっとしっかりしよう。

 

「……当面は現状維持でいってみる。流石にあんまり目にあまることしてくるようならお話してもう一度お断りさせてもらうけど」

 

 彼女からの告白には正直困っているけど、だからって嫌いになったわけじゃない。

 気持ちの整理みたいなものがついたのなら、今後も先輩後輩の関係は続けていきたい。

 いっそのこと距離を取った方が彼女の為にいいのかもしれないけど折角、慕ってくれる後輩が出来たんだ。私はそうしたい。甘いとか優柔不断とか言われるかもしれないことは重々承知している。

 

「ん~まあ、それが無難かもね~角立つようなことは極力避けるべきだし。女同士でこういうことは特に」

 

「……だよね」

 

 事態を大きく解決するような名案を得たわけではないけれど、それでも今後どうしていくべきなのかは分かった。

 後はこれ以上、拗れたにならないように上手くやっていくしかないよね。

 

 

 

 

 どうしたいのか決めたところで昨日の今日で全てが全てすっきりするわけもなく……朝彼と会った時バツの悪さからぎこちなくなってしまった。

 それを乗り越えて登校したのはよかったんだけど、皆と別れて自分の下駄箱から上履きを出した時、下駄箱の中にあるものが入っていた。

 

「何これ……」

 

 物騒なものじゃない。入っていたのは小さな封筒だった。

 中に手紙が入っているだろうと思えるほどの薄さ。

 普通には差出人の名前は書いてない。始めは何なのか分からなかった。誰かの悪戯かとも思ったけど。

 

「あっ……」

 

 どんな内容の手紙が入っているのか。差出人が誰なのか。すぐに思いあった。

 こんなことする人なんて、私の知る中で一人しか思い当たらない。

 私は、急ぎ足で一旦教室へ向かう。挨拶してくれるクラスメイトの人達に挨拶を返しながら自分の席に鞄を置くと、すぐさまお手洗いに向かった。

 内容は兎も角、こんなもの教室で見ているのを見たらめんどくさいことになる。個室に入り、一息つくと内容を確認した。案の定のもの。あの子からの手紙だった。

 

『突然の手紙。そして昨晩のこと、すみません。今日の放課後、改めてお話したいことがあります』

 

 場所は人気のない屋上を指定してきている。

 改めて話って何話してくる気なんだろう。昨日の彼女から告白のことが頭をよぎって不安になってしまう。

 どうしようと思っていると最後の一番が目に止まり、絶句するしかなかった。

 

『PS、同じ内容の手紙を彼氏さんにも送っているので逃げないで下さいね』

 

 本当、何なのあの子。何考えてるのかまったく分からない。よりにもよって、彼を巻き込むなんて。

 彼女とのことをずっと黙っているつもりはないけど、もう少し頭の整理がついてから、説明しようと思っていたのに。これじゃあ、すぐにでも説明しないといけなくなった。

 

「はぁ~……」

 

 朝から私の気は、再び重たくなるばかりだった。

 






今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは


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簪との百合色恋受難

 簪の様子が変だった。

 

 それに気づいたのは朝、寮の食堂で会ったときのこと。

 いつも通り朝食を共に取っていたが、その時簪は一度も目を合わせてはくれなかった。それどころかバツの悪そうな顔をしたり、気まずい顔をしたりするばかり。

 しまいには、朝食を食べ終えると足早に去っていく。露骨過ぎる変な様子。

 何かあったのは確実だが、その何かが分からない。自分では気づかぬうちに俺は、簪に何かしてしまったんだろうかとも思ったが、心当たりがない。

 昨日最後会った夕食時はまだ以前と変らず普通だった。となると、何かあったとすればその後。確か後輩の勉強を見てあげてると教えてもらった。

 だとすればその時、後輩絡みのことか。後輩と喧嘩……という感じではないし、まずありえない。他となると、後輩同士の厄介ごとに巻き込まれたとか。考えたくないが、普通にありえる。

 同じ代表候補生であるオルコットやデュノアを慕う後輩グループもよく誰が先輩と隣に座るかとかで揉めていたりするのをたまに見かける。まあ、本当の喧嘩ではなくてじゃれあっているようなものだが。

 しかし、厄介ごとに巻き込まれたとしてもあんな表情をする必要はあるのだろうか。分からない。ますます謎が深まっていく。

 

「何難しい顔してんだよ。眉間にシワできてるぞ」

 

我に返り、適当に誤魔化す。

 考えるあまり顔に出てしまったようだ。

 

「考え事か?」

 

「あっ、もしかして~さっきのかんちゃんのこと~?」

 

「更識さん? ああ、確かに何というか挙動不審だったよな」

 

 一夏達も気づいていたようだ。

 いや、気づいて当然か。誰から見てもあからさまだったのだから。

 本音は何か知っていたりしないのだろうか。同室なのだから気づくこともあるとは思うのだが。

 

「ん~まあね~でも、今はそっとしといてあげて。そのうちかんちゃんから言ってくるだろうし~」

 

 それもそうか。

 簪の後輩関係。ひいては女子同士の問題に生半可な気持ちで関わっていいものではない。

 そのうち、簪から話してくれることを待ちながら今はそっとしておくべきか。

 流石に今日の様子が長引くようなら、俺の方から少し強めに聞いてみなければいけないが。

 

 そうこうしていると昇降口に着き、上履きへと履き替えようとした時だった。

 下駄箱の中にあるものが入っていることに気づく。

 絶句した。入っていたあるものとは封筒。手紙が入っているだろうほどの厚み。下駄箱に入っている封筒。頭の悪い方程式が思い浮かんでしまった。

 

「おい、どうした。凄い顔して……おまっ、それってもしかしてラブレ……っ! ……ごめん、静かにするから睨むなよ」

 

 騒ぐ一夏を睨んで黙らせる。

 こんな人の多いところでそんな言葉を大声で言うな。俺を殺したいのか、こいつは。

 

「いや~かんちゃんといいモテますな~」

 

 今度はニヤニヤとしてあからさまに楽しんでいる本音がすぐそばにいた。

 聞き捨てならない言葉があったが、今はさっさとこれを鞄の中へしまい、さっさと教室へ向かった。

 クラスメイトと挨拶を交わしながら、自分の席に荷物を置くと手紙をポケットに入れ、トイレへ一人向かう。

 目的は言わずもがな。あんなもの教室で確認したら内容はどうあれ、めんどくさいことになる。一夏が着いてきそうになったが適当にあしらっておいた。

 

遠い道のりを経て着くと個室へと入り、中身を確認した。

思った通り手紙だった。差出人は後輩。確かこの後輩は簪を慕っている後輩の一人。何度か挨拶程度に話したことはある。一年生でトップクラスの成績で凄い簪を慕っていような。

 そんな子が俺に一体何の用が……とりあえず、読んでいく。

 

『突然の手紙、すみません。今日の放課後、お話したいことがあります。少しでいいのでお時間を下さい』

 

 そう綴られ、彼女は屋上を話し合いの場として指定してきた。

 話とは一体何についてなんだろうか。それについてはやはりおよそ見当もつかないが、わざわざ手書きの手紙を寄越すということはよほど重大な話をするつもりということだけは見当つく。

 

『PS、同じ内容の手紙を簪先輩にも送っているのでどうかよろしくお願いします』

 

 という一文が加えられているほどなのだから。

 簪にもこれを送ったのか。随分と豆というか真面目な性格なんだろう。彼女は。

 となるとやはり、後輩絡みのことか。大事の予感がしてきた。

 俺を呼ばれても一夏じゃあるまいし、大した力にはなれない。呼ばれる意味がやはり分からないが行ってみる他ない。

 

 正直、手紙の内容を確認するまでは突拍子のないことが書かれていると思っていたが、割かし普通の内容で安心した。

 昼飯の時に簪と会えるし、その後にでも少しばかり詳しいことを聞いてみよう。

 

 

 

 

 休み時間になると開放感からか教室は騒がしくなる。

 二年目ともなれば流石に慣れはしたものの、授業内容は相変わらず難しい。

 だが後一限乗りきれば昼休み。もう一頑張りだ。

 

 そんなことを思っていると、簪からメッセージが来た。

 珍しい。昼休みや放課後でないのに簪の方から送ってくるなんて。内容を確認してみる。

 

『話したいことあるからお昼二人で食べたい』

 

 話ってのはあの手紙のことについてなんだろうなとすぐに思いあたった。

 あれには簪にも送っていると書かれてあったわけだし。

 なら丁度よかった。俺もあの手紙について話したいことがあった。

 分かったと返事を返すと簪から返事が来た。

 

『場所はいつもの整備室で』

 

 この話は聞かれていいものではない。周りに人がいては話したくても話せない。

 しかし、そこなら落ち着いて話ができる。

 再び分かったと返しチャイムが鳴り、始まる授業に集中した。

 

 そして、つつがなく授業は進み終わる。

 チャイムが鳴り、先生が出て行くのを見届けるや否や一夏がいつもの様に誘ってくれた。

 

「飯行こうぜ」

 

 誘ってくれて早々に悪いが断らせてもらった。

 

「かんちゃんと~?」

 

 本音は察しがいい。

 やはり、本音は大体のことを知っているみたいだ。簪と二人で何をするのかも気づかれているかもしれない。

 一夏は残念がっていたが、訳を説明すると納得してくれた。

 

「そっか。それなら仕方ないな」

 

「じゃあ~かんちゃんによろしくね~」

 

 一夏達に別れを告げ、簪に今から行くことをメッセージで伝えると整備室へと向かった。

 勿論、途中に昼ご飯を購買で買って。

 整備室の前まで来ると自動ドアが開いた。中に入ると簪がすでにいた。少し待たせたか。

 

「ううん。大丈夫……お昼ご飯先に買ってただけだから」

 

 そういうことならよかった。

 簪の隣に腰を降ろすと、持ってきたあの手紙を見せながら、これについての話かと早速聞いた。

 すると頷き、簪も手紙を見せてくれた。

 

「うん。……やっぱり、あなたにもこれ来てたんだね。中身読んでもいい……?」

 

 見られてはいけない内容や恥ずかしい内容ではないので、素直に渡して見せる。

 静かに手紙を読む簪。

 普段通り、無表情だが安心しているのが分かった。

 

 今度は俺も簪が後輩から貰ったという手紙を読みたくなった。

 俺のには呼び出しの内容しか書かれてなかったが、簪宛ならことの詳細が書かれているかもしれない。

 そう思い読んでいいか聞いてみたが、簪は慌てた様子だった。

 

「ま、待って……その前に、話さないといけないことが……ある、の」

 

 簪は口ごもりながら言った。

 間違いなくこの件についてのことだろう。

 手紙で確認するよりも直接簪から聞いたほうがいい。

 俺は簪が話し始めるのを待った。

 

「……」

 

 だがしかし、いくら待っても簪は黙ったままで中々話し出さない。

 気の重たそうな表情をしたり、何やら考え事をしているのか悩む顔をして、言いにくそうにするばかり。それだけ難しい問題を簪は後輩絡みで抱えているということなんだろう。

 大した力にはなれないのは無論充分承知しているが、それでも簪を助けてあげたい。

 

 いまだ話し出さず、苦しそうにする簪。

 買ってきた昼飯を食べながら待っているが、数分そうしているものだから流石に大丈夫かと心配になってきた。

 

「だ、大丈夫……心配かけてごめんなさい……そろそろ言えそうだから」

 

 いろいろなものを流し込むかのように簪は一口飲み物を飲むと、ゆっくり言い始めた。

 

「その……私、この後輩に告白されたんだ」

 

 告白か……一体、どんな告白をされたのやら。

 

「分からないの……? 告白だよ、告白」

 

 俺の反応がお気に召さないのか、簪は不服そうな顔で頭を抱えていた。

 ああ、そういうことか。すぐさま簪が何を指して言ったのか分かった。告白ってそういう意味の告白だったのか。

 

「うん。昨日の夜、勉強見てあげてた時にね……告白された。先輩としてじゃなく、一人の女性として好きだって……」

 

 言っていることは分かるし、理解はしている。しかし、話に頭がついていかない。

 簪は女子で後輩も女子。同性同士。おかしい気が……いや、待て今時そういう恋愛はおかしくもなければ、珍しくもなんともない。

 そもそもここは女子校。よくあることだと聞かされていたし、実際に女子同士でも恋愛交際している人達はいる。現三年生のとある先輩達がそうだ。

 

 事実そうだとしても、やはり驚かないわけではない。混乱する。

 前々からまさかとは思っていたが親しい人が、しかも自分の彼女が同性に告白されるだなんて思ってもいなかった。

 そう言えばこの間、楯無さんが変なこと言ってたな。本当にあの人が言う通りになってしまった。更識さんの末恐ろしさを今改めて感じる。

 忠告してもらっていたから気構えこそはしていたが、現実問題として俺は、どうすればいいのだろう。簪に俺は、どうしてあげられるだろう。

 異性恋愛以上にデリケートな問題だ。かなり難しい。変に拗れたりして大事になるなんてことはよくないしな……と、ついあれこれ考えてしまう。

 

「大丈夫……? ごめんなさい。こんな話聞かされても困るよね……」

 

 心配そうな顔して簪がこちらの様子を伺ってくる。

 馬鹿か俺は。いくらなんでも驚きすぎだ。ましてや簪に心配かけるなんてもっての他。

 一番困っているのは簪の方なのに俺の方が動揺してどうする。もっと、しっかりしなければ。

 

 呼び出して話したいこととは、このことで間違いない。

 何を話されるのかは今一つ分からないが、これもまた気構えだけでもしておくべきだろう。

 で次に、これからどうするのかを決めていかなければならない。

 簪としてはこの後輩のことをどうしたいんだろうか。

 

「勿論諦めてほしい。気持ちは嬉しいけど、応えることはできないから……」

 

 当然と言えば当然か。それを聞いて何だか安心してしまった。

 そういうことなら、簪からもう一度断りを入れればいい。簪で足りないのなら俺からも断りを入れてみるが。

 しかし、簪の表情は浮かない。

 

「それができたらいいんだけど……でも、私には情けないけど無理。二回……断ったけど、それでも昨日『頑張って私に振り向かせて見ますから、覚悟しといてくださいね、先輩』って……」

 

 凄いこと言うな、あの子。

 二度も断られてもこれとは……ある意味、筋金入りだ。

 だからこそ、後輩がどれだけ本気なのかがよく分かる。

 普通告白をするというのは勇気がいる。しかも同性にというのは思っている以上に勇気があってのもの。二回断られてもめげず頑張ろうとする。それは凄いことだ。それだけ簪は後輩に想われている証拠なのだから。

 

 確かにこれは一筋縄ではいきそうにないな。俺が何か言ったところで彼女の気持ちは変らないだろう。むしろ、想いは強くなるかもしれない。

 だが、こちらとて引き下がるわけにはいかない。

 後々いろいろありそうなのは覚悟の上。俺の方からも後輩が簪への想いに一区切りつけられるように説得というほど偉そうなものではないが、話してみようと思う。それが俺のやるべきことだ。

 だから、簪は安心してほしい。

 

「ありがとう。嬉しい……心強いよ。……本当、ごめんなさい。こんなことにあなたを巻き込んでしまって……」

 

 謝る必要も気にする必要ない。

 俺としては今回のことがある程度丸く収まり、簪が再び平穏に過せるようになるのならいい。

 それに今回のことに形がつけば、また先輩後輩の付き合いは続けていくことは出来るだろう。

 後輩はどうか確認しようがないが、簪にはその気があるはずだ。

 

「うん、出来れば、ね……最初はもうこれっきりの付き合いにしようって思ったけど……それじゃあいくらなんでも寂しいから。勿論、私が断っといてそれは虫がよすぎる。私のエゴだったことは分かってるけど……」

 

 それは仕方ない。

 そのことが簪はちゃんと分かっていて頭にあるのなら、充分なはずだ。

 あれこれ考えていたって、結局なるようにしかならない。

 ただ、少しでもいい結末。簪が望むその結果を得られるように、俺は力の限り事に当たろう。

 

 

 

 

 ついに放課後を迎えた。

 あの手紙の果たす為、簪と俺は屋上にやってきていた。

 人気のない静かの屋上。そこに彼女はいた。

 

「よかった。来てくれたんですね。安心しました。ありがとうございます」

 

 一礼して嬉しそうに彼女は微笑んだ。

 久しぶりに見るけど、この子が簪に告白を……。

 告白をして断られた後だというのに凄い余裕を彼女から感じる。

 何というか楯無さんに似てた雰囲気を感じるのは気のせいであってほしい。

 

「それで……話って何……彼まで呼び出して」

 

 どことなく緊張した強張った表情を浮かべながら簪は問いかけた。

 

「そうですね……先輩」

 

 彼女は俺の方を向き佇まいを正す。

 真剣な様子が伝わってきて、俺もまた佇まいを正した。

 

「話ってのはですね……簪先輩から聞かされて知っているかもしれませんが、昨晩私は簪先輩に告白させていただきました。私は簪先輩が好きです。それは恋愛感情として。そのことを先輩にも知っておいてもらおうと思い簪先輩と一緒にこうして呼びさせてもらいました。言う必要は当然、言われたところで先輩が困るだけだということは分かっています。ですが、彼氏である先輩にも直接一言どうしても言っておきたかったので」

 

 真面目。いや、この子は根が物凄く正直なんだろう。いろいろと様々な意味で。

 実際言われたところでどういう反応が一番正しいのかよく分からず、困る気持ちはあるが、変に周りからあれこれ言われるよりも彼女から今の様に直接聞けてよかった。

 

「簪先輩には悪いことをしてしまったと反省しています。正直もう告白するつもりはありませんでした。ただ、その……気持ちを我慢できなくなってしまったといいますか。すみません」

 

「謝る必要はない……やっぱり、応えることは出来ないけど……その、気持ちは嬉しいから」

 

「そう言ってもらえる嬉しいです。ちゃんとした私の想いを簪先輩にしっかり分かっていただけただけで充分です。頑張って振り向かせてみせるなんていいましたけど、何も今すぐに付き合いたいとかそういうわけじゃないですし……だから、簪先輩との本気で仲を邪魔したりや寝取ったりはしないので安心してください、先輩」

 

「寝取……? 何……えっ……?」

 

 彼女の言葉が今一つ分からないのか、簪は不思議そうな表情を浮かべた。

 簪はそのままでいてくれ。というか、凄いこと言うなこの子。

 まあ、軽口叩けるぐらいなら心配する必要はないか。一まず彼女の言葉を信じよう。

 

「気持ちはやっぱりそう簡単には冷めそうにはないですが私はこれで充分です。ちゃんと区切りはつけられそうです」

 

 彼女の顔にはどこか少しだけ辛そうな表情が見えた気がした。

 

「……ねぇ……」

 

「何です?」

 

「貴女はまだ辛いかもしれないけど……よかったらこれからもまた前みたいに……親しくさせてもらってもいい?」

 

「えっ? いいんですか? こんなことの後だからてっきり私」

 

 彼女言うことも驚きも当然ものであった。

 普通以上にデリケートなことであるから、そういう選択肢あったにはあった。

 だがしかし。

 

「別にいい。あれはあれ、これはこれ。お互い頭と気持ち冷やして区切りはつけないといけないけど、それだけで縁を切るなんてことはしたくない。これからも私は貴女と親しくしたい」

 

 簪の言うことはよく分かる。

 告白の後、気持ちが通じ合わなかったとしても、以前の関係。友達なりでいようというのはよくあることだ。二人の場合でも例外ではないだろう。

 これが簪の望みであるから、俺としても異論はない。昼間の時と変らず賛成だ。簪に親しい人が変らずいるということは素敵なことであるし、見守るだけ。

 

 すると、後輩は飽きれた様な笑みを浮かべていた。

 それは決して何かをあざ笑ったり、馬鹿にしたりするものではないということは分かった。

 

「甘っちょろいですね、簪先輩は。まあ、そういう優しいところが好きなんですけど」

 

「自覚はある。でも、私はどんなこと言われたってどんなことされたって靡かない。貴女は私にとって大切な後輩であることは変らないから」

 

「はっきり言いますね。先輩はいいんですか?」

 

 彼女は今度、俺にも聞いてきた。

 いいも何も二人が納得するのならそれでいい。彼氏だろうが何だろうが俺の意見は関係ない。

 俺は後輩の言葉を一まずとは言え信じている。

 何より、俺は簪を信じている。こんなことで俺達の仲は今更そう簡単に揺らぐものではない。

 

「うわぁ~ビシッと言ってきますね。でも、何だか安心しました。では、お言葉に甘えてこれも後輩として親しくさせてもらいますね」

 

「うん……あ、でも抱きついたりするのは……ちょっと、控えて」

 

「あーそれは善処します」

 

「もう……」

 

 調子のいい彼女の返事に簪は仕方ないなといった感じの笑みをこぼす。

 話は上手くまとまったようだ。俺が出しゃばるまでもなく、こうしてとりあえず丸く収まってよかった。

 




『簪とのありふれた日常とその周辺』は後数話、2・3話ほどで一まず終わらせる予定です。
だらだらやってますが、今後ともお付き合いよろしくします。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは~


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簪と夏の避暑

 蝉の鳴き声が遠くで聞こえた。耳にしただけでしみじみと夏を感じる。

 空いた窓から入ってくる風は、夏の昼間らしからぬ涼しげな風であり、午後からも過しやすそうだ。

 外へ出かけるには丁度いい。折角、いつもと違う特別なところにいるのだから。

 だというのに――。

 

「……」

 

 ソファに腰掛け、お互いに無言でスマホを弄りながらダラダラと過す簪と俺。

 普段、部屋にいる時と変らない怠惰な過し方。別に悪くはないのだが、勿体無さは感じる。

 折角、避暑地に来ているのだから尚更。

 

 更識家の盆の行事が終わった夏休みも終盤になった今日。俺と簪は楯無さんの勧めで更識家所有の別荘に来ていた。

 目的は避暑。勿論、二人で。

 ちなみにだが、ここに来たのは昨日の夜。ここ最近、いろいろと忙しくてゆっくり寝ることすら出来なかったから、昨日は着くなり早く眠り、二人揃ってぐっすり寝てしまった。そして、今日起きたのがついさっき。真昼間。

 朝昼兼用で食事を済ませたが寝すぎて疲れが取れきってないのか、二人ともダラダラしてしまっているのが現状だ。

 だがしかし、流石にこうしているのは勿体無い。

 

 そうだ。確か、この別荘の近くにはひまわり畑があると言っていた。

 こうしてだらだらしているほうが返って疲れが増すばかり。

 気分転換にひまわり畑に散歩するというのはどうだろう。

 

「嫌」

 

 スマホでなにやらずっと調べごとをしている簪。

 誘ってみたがたった一言で即答されてしまった。

 言うと思ったし、別にそんなショックでもないが、そう言われると立つ瀬がなくなる。

 避暑地にいるのだから、それらしいことはしたい。明日の昼頃には帰るわけだし。

 

「動きたくない。ゆっくりしていたい……ここ最近、忙しかったから」

 

 と簪はスマホを弄りながらダレている。

 この夏休みは簪の代表候補生評価会から始まり、倉持技研に行ったり、俺の実家へ帰省、簪の実家へ帰省。そして更識家の盆行事へ参加したりと目まぐるしい忙しさだった。

 充実こそしていたが落ち着くに落ち着けなかった。簪が言うことはもっともだ。ここでならゆっくり出来る。避暑地とはその為にもあるものだから。

 故に無理強いは出来ない。だが、俺としては外に出たい。正直なところ、こうダラダラしているのが辛くなってきた。簪には悪いが、一人で外の空気を吸いに出かけよう。

 一声かけ、出かけようとした時だった。

 

「……待って」

 

 服の裾を握られ、簪に呼び止められた。

 やっぱり、一人残して出かけるなということなんだろうか。

 

「そうじゃない。その、気持ちが変ったの……やっぱり、私も行く。用意するから待ってて」

 

 そう言うと簪は着替えに行った。

 顔には出てないが、折れてくれたということなんだろうと察した。

 ゆっくりしていたいだろうにすまないことをしたという気持ちがなくはないが、ここは簪の気持ちに素直に甘えさせてもらおう。

 そして、俺も外に出る用意をすること数分。

 

「ん……」

 

 目の前に現れた身支度を済ませた簪。

 その身には薄手で淡い水色の半袖膝丈のワンピースを着て、頭には麦わら帽子を被っている。

 今日の簪も可愛い。清涼感みたいなものが感じられていい。

 

「ありがとう……じゃあ、行こう」

 

 口角を嬉しそうに緩める簪を連れ、ひまわり畑へと向かった。

 ひまわり畑へと続く舗装された野道を二人並んで手を繋ぎながら歩く。隣にいる簪はもう暑そうにしていた。

 

「……暑い」

 

 隣でそう言い零す簪に思わず苦笑いした。風はあるが確かに暑い。お互い額にはじっとりとした汗が輝く。

 帽子を被り、冷却スプレーで暑さ対策。日焼け止め等で日焼け対策はしているが、それでも暑さは暑い。だが、ここは避暑地だけあって他のところと比べて涼しいほうだ。簪に無理をさせるつもりは勿論ないが、これならよほどのことがない限りは大丈夫だろう。

 

「頑張る」

 

 そう言ってくれる簪に感謝の意を示すように手を握りなおし歩くこと数分。目的の場所であるひまわり畑へと着いた。

 

「わぁ……凄い……」

 

 瞳を輝かせ、感心した声をもらす。喜んでくれているみたいだ。よかった。

 まあ、こんな壮大な光景を見たら喜ばずにはいられない。それほどのひまわり畑が俺達の目の前には広がっている。壮観だ。

 華々しく咲いた沢山のひまわりをのんびり眺めながら俺達はひまわり畑の中を歩く。更識家の避暑地だけあって俺達以外に人はおらず、静かでいい。まぶしいぐらい黄色に輝くひまわりを見ているだけで何だか元気をもらえているのを感じる。

 暑い中、歩いているのだから当然体力的には疲れるが、新鮮の外の空気を吸えてダルい気分は一新でき気持ちがいい。

 

「だね……正直、最初は乗り気じゃなかったけど……来てよかった。何だか、気分がすっきりして……元気でた。誘ってくれてありがとう」

 

 簪は嬉しそうに微笑みながらそう言ってくれた。

 わざわざ感謝されるほどのことでもないがどういたしましてと素直に返した。

 本当に喜んでくれているみたいでよかった。誘った甲斐があるというもの。この絶景も相まっていい思い出になった。

 

「思い出……」

 

 何か考えるように小さく呟くと、ちょいちょいと服の袖を引っ張ってきた。

 

「ね……折角だから、ここで写真取らない……? その……いつもみたいに夏の思い出と記念に」

 

 今年の夏休み、簪と俺は写真をよく撮るようにしていた。

 取り決めがあったというわけではない。どちらからともなく自然とこの夏休みにあった嬉しい出来事や楽しい出来事、幸せな出来事などを写真で残すようになっていた。

 もっともスマホのカメラだが、そうすることでいい思い出をより鮮明に振り返ることが出来る。

 

 俺が頷くと簪は持っていた手提げ鞄からスマホと自撮り棒を取り出し、セットするとひまわり畑を背景に写真を撮った。

 

「……いい感じ」

 

 嬉しそうな声色で言う簪。

 二人でスマホを覗き、今さっき撮ったばかりの写真の出来を二人で確認する。

 太陽に向かって元気よく咲く綺麗なひまわりをちゃんと背景に入れることができ、その前では頬が合わさりあうぐらい寄り添いあいながら笑顔を浮かべている簪と俺がバッチリ写っていた。照れくさいがいい写真だ。

 

 まだ大丈夫だろうが、時間が経ったことで太陽は更に登っており、暑さは来た時よりも増していた。

 この辺で記念の写真も取れたことだし、そろそろ戻るとしようか。いつまでもこうしているわけにはいかない。

 

「うん」

 

 俺達は元来たひまわり畑の道を帰っていく。

 

「あ……」

 

 何か思い出したような声を簪がもらした。

 し忘れたことでもあったりしたのか。

 

「ううん、そうじゃない。その……凄いつまらないことなんだけど……」

 

 簪はもじもじとして口ごもる。

 その頬は微かに赤い。

 つまらないこと……無論、それが何か分からないが気になってきた。

 

「笑わないでね……絶対。……ひまわりの花言葉って知ってる……?」

 

 確か『私はあなただけを見つめる』とかだったような気がする。

 すると、簪は帰る足を止め正解と言ってから俺の目を見つめて更に言った。

 

「私もね……ひまわりのように、あなただけを見つめてる……」

 

 突然のことに反応できなかった。

 嬉しいが、簪はこんなこと言ってくるなんて。

 

「……って言いたかったの。っ、う……だ、黙られる方が困るんだけど……もうっ、言わなきゃよかった……」

 

 頬を薄っすら赤く染めながらも後悔する表情を浮かべる簪を見て、とっさに謝った。

 言ってもらったのに固まるなんてよくない。それに嬉しいのは確かだから安心してほしい。

 簪からこんな素敵な言葉を聞けるなんて、改めてひまわり畑に来てよかったと心から感じる。

 

 俺だって、いつどんな時でも簪をだけを見つめる。太陽の光みたいに輝くひまわりのような情熱を捧げる。

 臭い台詞だが、詰まることなく素直な気持ちですらっと返すことが出来た。

 

「う、っ……ぁ、相変わらず恥ずかしいことをよく言えるね……まったく」

 

 口調は飽きれていたが、満更でもない様で嬉しそうには簪はにかんでいた。

 お互い様だろ、それは。

 オマケにまだ、簪の頬は赤い。

 

「……暑いから」

 

 ポーカーフェイスを纏う簪ではあるが、被っている麦わら帽子を深くして、歩く速度は心なしか早かった。

 

 

 

 

 ひまわり畑から戻った後、シャワーで汗を流し、また部屋で二人揃ってダラダラしてしまっていた。

 隣の簪は調べ物を再開したのかまたスマホを弄っており、俺は適当な電子書籍で読書している。

 出かける前と変らない怠惰な過し方であるが、先ほど散歩程度に体を動かしたし、不健康過ぎるというわけでないはずだ。ここ最近は忙しかったから、ゆっくりしていてもいいだろう。

 

 ここはゆっくり過しやすい。

 冷房などの空調はつけていなくても、網戸から入ってくる夏の風だけで充分涼しい。丁度いいくらいだ。

 オマケに昼間の陽気が相まって、涼しさと気持ちさに包まれているせいか、うつらうつらとして眠くなってきた。

 このまま昼寝するのもありかもしれない。そう思っていると、うつ伏せで寝転んでいる俺の上に簪が同じようにうつ伏せで寝転がるように乗ってきた。

 もう調べ物は済んだか飽きたかして、甘えてくれにきたといったところか。

 

「……そんなところ。……き、気にしないで」

 

 ならいいが。

 重みを感じこそするが、邪魔とかではないので言われたように気にせず、読書を続ける。

 

「……ん」

 

 気にせず読書を続けている間、まるで子犬か子猫が甘えるかのように、簪は俺のうなじ辺りにスリスリと頬ずりをしていた。

 あからさまなのでじゃれて甘えてくれているのは分かる。読書をやめて、構った方がいいな、これは。

 だが、それだけではなかった。

 

「んっ、んん……ん、ちゅ、ちゅ、んちゅっ……ちゅ、ちゅ、ちゅっ」

 

 先ほど頬ずりしていたうなじ辺りに今度簪は啄むようなキスを何度もしてくる。

 これもじゃれて甘えているといっても無理はないが、もっと別の意味合いがあると感じた。

 もしかして簪は誘っているのか。

 

「……う、うん」

 

 恥ずかしそうな声が上から聞こえた。

 体勢的に顔を見ることは出来ないが、恥ずかしそうにしているのは顔を見なくても分かる。

 

「ほら……最近、いろいろありすぎてずっと出来なかったでしょう……? 折角、今は本当に二人っきりで邪魔が入らないわけだし……その、ね……」

 

 簪はその単語をはっきり言葉にしないが、俺も言葉にしない。それはあえてであり、簪が何を言いたいのは分かった。

 簪の言う通りだ。最近、簪としてない。最後にしたのは夏休みに入る一ヶ月以上前。随分と久しい。

 

「それに……あんなこと言われたら、胸がきゅってなってぽかぽかして……つい我慢できなくなった」

 

 あんなこととはさっきのひまわり畑でのことなんだろう。それほどまで喜んでくれていたとは嬉しい。

 ああだから、それでずっと誘っていたというわけか。何とも健気な簪。その健気な様子がたまらなく愛しい。

 

 こんなにも可愛らしく誘われて、その気にならならいわけがない。

 というかより、ここで何もしなかったら男が廃るというもの。

 正直、俺も簪としたい。

 

「よかった……あ、あの、今日は……は、裸のままでゆっくりイチャイチャしたいなぁって思ってるんだけど……」

 

 ゆっくり……それって具体的にどんな……。

 

「それはね……」

 

 

 

 

 心身共に全体的な気だるさを感じながらベットの上で目が覚めた。

 

「ん……んゅ……」

 

 隣にはシーツを一つかぶっだけーの一糸まとわぬ姿の簪が幸せそうな顔して眠っている。

 そうだった。あの後、疲れて二人で寝てしまったんだった。

 窓の外、辺りは暗い。寝る前は確か夕方頃。まだ明るかった。

 今は何時なんだろうと枕元に手をやりスマホを探し当てた。時間を確認すれば、夜もいい時間。

 まあ、昼頃から夕方までたっぷり時間を使ってゆっくりとしていたから、これは暗くなっていても仕方ない。

 

「んん……おはよう」

 

 簪が起きた。

 まだ眠そうにしている。

 体のほうは大丈夫だったりするんだろうか。

 

「大丈夫……ちょっとダルいけど……一回に二時間以上かけたの初めてだから……」

 

 照れくさそうにそう簪は言う。

 確かにそうだ。あんなにたっぷり時間を使ってゆっくりしたのは初めてのこと。いつもと一味違う快感を体験した。

 だがおかげで、愛し合うことは勿論、お互いに癒しあうことが出来た。体の疲れは当然ながらあるが、胸の内は満たされ、元気になったように感じる。

 

「だね……何だかまだ、ぼーっする……それにまだここに、あなたの熱が残ってるみたいで幸せ」

 

 簪はまだ余韻が長続きしているようで幸せそうに微笑みながら、下腹部を大切そうに撫でていた。

 暗がりでもその仕草は何で色っぽく見えた。

 本当に、怖いぐらい充実していて幸せだ。すると、簪が寄り添うように抱きついてきた。

 

「……もう少しだけでいいからこのまま……ぎゅってして……?」

 

 少しと言わず、いくらでも。 

 互いに感じる幸せを噛み締めるかのように、俺は簪を抱き寄せた。

 大好きだ、簪。

 

「私も大好き……ん」

 

 簪からそっと触れるだけのキスをされる。

 お返しと言わんばかりに次は俺からキスを返すと、簪は蕩けたように幸せそうな笑みをほころばせていた。

 

 久しぶりに何もなく、二人でゆっくりと過す幸せな時間。

 もうしばらく二人一緒にまどろんでいた。

 




もう夏はとっくの昔に終わっていますが、間にあわなかったのでここで。
美少女×麦わら帽子×ワンピース=至高。
ひまわりを見て笑顔を浮かべる簪を見つめていたい人生だった……

ここには乗せられない情事についてはこっちの『ゆっくり簪と交わって』をよろしければぜひ

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは~


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簪との学園祭 一

 秋深まる頃。二学期も半ばに差し掛かる。

 今日も今日とて俺達は生徒会室で仕事に追われる。来週に控えた学園祭の為他ならない。

 去年一度経験したおかげなのか、勝手が分かってクラスの準備は順調。学園祭運営の準備の方も順調だ。大分前から少しずつ準備を進めた甲斐もあって、間近になってバタバタ慌てることもない。

 後はこのまま残った雑務を処理していけば、無事学園祭は迎えられるだろう。

 

「暇ね~」

 

 真面目な空気を破ったのは楯無さんだった。

 相変わらず、この人は暇そうだ。こんなところで何してるんだか。

 

「え~後任の一夏君やあなた達後輩がしっかりやれてるか見守っているのよ」

 

「何、もっともらしいこと言っているの。それは言い訳」

 

「あら手厳しい」

 

 楯無さんは全然気にしてない。むしろ、楽しんでいる節がある。

 簪は、いつも通りただ飽きれていた。

 

 まあ、楯無さんが言っていることは嘘ではない。嘘では。

 学園祭運営は一夏を中心とした俺達新生徒会でやっているが、今回楯無さんにいろいろとアドバイスをしてもらったり、ちょっとした手助けをしてもらった。

 だから、そう簡単に邪険には出来ない。隣で暇暇言われるのは邪魔だが、物理的に邪魔をされてないからもう少しだけ放って置くしかないのが現状だ。

 

「でも、楯無さん本当にいいんですか? こんなところで油売ってて。クラスの準備とかは……」

 

 一夏がもっともなことを言った。

 暇暇言っているが、この人にもクラスの準備があるはずだ。こんなところで油売っていて言い分けないだろう。

 そうじゃなくてもこの人の学年は忙しい時期。本当に暇って訳じゃないはずだ。

 

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。この更識楯無がいてまだ準備が終わってないなんてことはないわ!」

 

 と力強く言う楯無さんの口元を隠す扇には『準備万端』と書かれていた。

 冷たいようだが、全員楯無さんに対して『あっそう』と思っていた。

 本当にそうだとしてもこんなところで油売っていていい理由にはやはりならない。

 

「簪ちゃんといい弟君といい手厳しいわね、まったく。休憩ぐらいさせてよ」

 

「ここは休憩所じゃない」

 

 まったく簪の言う通りだ。

 特に気にする様子もなく、楯無さんはあることを言った。

 

「あ、そう言えば、一夏君達のクラスは去年と同じもの出すんだ」

 

「ええ、まあ」

 

 学園祭で配るパンフレットの見本を見て言う楯無さんの言葉に一夏が頷く。

 

「去年やった執事・メイド喫茶、大反響だったからクラス全員満場一致でまたやることになったの~」

 

「ああ、なるほど。確かに去年凄い人気だったわね」

 

 納得している楯無さんに同意せざるほど、確かに凄い人気だった。

 だからこそ、今年も俺達のクラスは執事・メイド喫茶をクラスの出し物とすることになった。

 去年と見てくれは変らないが、一度経験を経て内容はグレードアップしているから、今年は去年よりも更に成功すること間違いない。

 

「本当、何で今年もなんだよ……」

 

 愚痴垂れながら遠い目を一夏はしている。

 まあ、分からんでもない。去年、一夏は本当に大変だったからな。あれが今年もとなると気が参る。

 しかし、俺ら男がいればなってある意味当然だ。その分、利益は大きいのだから一夏には頑張ってほしいところだ。

 

「お前な、他人事みたいなこと言ってるけど、お前も道連れだからな」

 

 言われなくても分かっているし、覚悟もしている。一夏一人だけにはしない。

 

「だよな! お前って奴は本当に……!」

 

 一夏が一人が感極まっているが放っておこう。

 第一、クラスで一つの意見として決まったのだから愚痴たれず真面目にしっかりやる。ただけそれだけ。

 

「何言ってるの。単に何も考えないようにして思考停止してるだけでしょう」

 

「あっ……そういう。まったく相変わらずだな、お前」

 

 簪には痛いところをつかれ、一夏には呆れられてしまった。

 うるさい。仕方なくはないが、仕方ないだろう。こればっかりは。

 

「そういえば、かんちゃんのクラスも喫茶店やるんだよね~?」

 

「コスプレ喫茶って書いてあるわね。簪ちゃん、どうことするの?」

 

「見ての通り、そのまま。店員のコスプレして接客する。1組と被るから、コスプレの種類はメイド系以外でいろいろだけど。後、追加料金払えば、少しの時間だけお客さんもコスプレできる。衣装を着て、小物つける程度の簡単なものになるけど」

 

 当たり前だが、ウチのクラスと完全に被らないようちゃんと考えられている。

 実際、どんな感じなのか気になる。それに……。

 

「なるほど~ちなみにちなみに~かんちゃんはどんなの着る予定なの~?」

 

「まだ決まってない。いろいろあるから考え中」

 

 沢山ありすぎて悩んでしまうっていったところか。

 

「へぇ~そうなんだ。兎に角、楽しみ~」

 

「そうね。簪ちゃんのコスプレ姿、バッチリ撮ってお父様に送らなきゃ!」

 

「やめて。というか、そんなことするならお姉ちゃん来ないで」

 

「え~! 何でよ~!」

 

 わいわいと賑やかな生徒会室。

 それから更に学園祭について話に花が咲いてしまい結局作業が滞ってしまった。

 まあ、それだけ学園祭が楽しみだという証拠だ

 

「だな、大変だろうけどいろいろと頑張ろうぜ」

 

 一夏の言う通りだ。頑張って学園祭成功させなければ。

 それに簪のクラスの出し物も楽しみだと思っていると、一瞬簪と目が合った。

 

「……」

 

 『来ないで』と言葉なく目が必死に訴えかけてきているように思えたのは気のせいであってほしい。

 そういうネタ振りかとも思ったが、そういうわけではなさそうだ。

 俺がそっちに様子見に行くのはそんなに嫌なのか。

 

「違う。そんなんじゃ……ない、けど……」

 

 簪の歯切れは悪い。

 本気で嫌というわけじゃなさそうなのがせめてもの救いだが、やはりあまり来てほしくなさそうなのは変らなかった。

 一体、どうしたというのんだろうか。簪のクラスが一体どんなことをするのか益々気になってきた。

 

 

 

 

 そして、無事学園祭当日を迎えられた。

 初日である今日は生徒だけものであり、外部のものはいないが、それでも生徒だけで大変な賑わいと活気に溢れていた。

 クラスの出し物は予想通り大反響。今も長蛇の列を作っている。

 

「やっぱ、織斑君達男子の執事姿いいわ~萌えるっ!」

 

「正統派ロングスカート姿のメイドな篠ノ之先輩最高オブ最高~!」

 

「セシリア御姉様のメイド尊い。泣きそう。永久ご使命したい。むしろ、仕えたい」

 

 とまあ、この通り。

 去年以上の賑わいだが、俺達男二人よりも篠ノ之やオルコット達目当ての客、とりわけ後輩達が多い。

 だから、人がそっちに分かれて仕事量的には去年よりも軽い。それでもクラス以外にも生徒会の学園祭運営の仕事とかもあって忙しいのは変らないが。

 すると、クラスメイトの子が話しかけてきた。

 

「あっ、そうだ。男子二人とのほほんさんはそろそろ休憩してきていいよ。私達女子は順番に入っているし」

 

「えっ、いいのか。だってまだ、なぁ……」

 

 一夏と共にクラスの様子を見渡す。

 今だ多くの人が来て、休憩に入れるような感じではない気がする。

 これで今俺達が休憩に入ったら大変なことになるんじゃないんだろうか。

 

「大丈夫大丈夫。気にしないで。二人一緒でいいから」

 

「そうそう。でないと私達も落ち着くに落ち着けないから。このまま二人片方でもいたら客足ずっとこのままで辛いし」

 

「嬉しい悲鳴なんだけど流石にね。人手も足りてるし気にせずゆっくり休憩してきて。勿論、戻ってきたらガッツリ稼いでもらうけど」

 

 体のいい厄介払いされている風に感じなくはないが、言うことはもっともだ。

 このままのスペースで客足続くのは流石にきついものがある。無論、稼げるだけ稼いでいた方がいいのだろうが、今日はまだ一日目。売り上げもいいようだし、これ以上焦ることもないだろう。

 それに俺達が抜けても人気どころであるオルコットやデュノア達もいるから、その点も問題ない。

 今休憩しておかないといつ休憩できるか分からないし、ここは素直に甘えさせてもらおう。

 

「そうだな。ありがとう、ゆっくり休ませてもらうよ」

 

「どういたしまして。後、休憩はそのままの格好でしてね」

 

「えっ……」

 

 一夏が固まっていた。

 燕尾服姿(この姿)で休憩か……目立つのが余計に目立つ。

 まあ、クラスに来ている客の中にも自分のクラスの衣装で来ている人達は割りと多いし、宣伝も兼ねてといったところか。

 

「そういうこと。のほほんさんもそのままでね」

 

「戻ってきたら三人にはすぐに入ってもらうから、汚したりしないでね」

 

「しないよ~というか、含みのある言い方しないで~」

 

「あっはは」

 

 ということでこのまま休憩に入った。

 休憩をもらったのはいいが、どこに行こう。というか、どうしよう。事前にこれといって特に決めてなかった。

 

「かんちゃんから返事あった?」

 

 本音の言葉に首を横に振る。

 簪にメッセージを送ってみたが、返事は返ってこない。おそらく、まだクラスの出し物をやっているんだろう。簪と休憩時間が合えばいいが、それがいつなのか分からない。

 二人の邪魔をするわけにもいかないし、宣伝も兼ねて連絡が取れるまで見て周るか。

 

「じゃあさ、更識さんのクラス見に行かないか?」

 

 今度は俺が固まった。

 何言ってるんだ、こいつは。いや、普通なことなのは分かっているが。

 

「え~見に行きたくないの~?」

 

 そんなこと言ってない。

 むしろ見たいが、『来ないで』っていうあの目を簪を思い出して行く気が引ける。

 マジな目だった、アレは。

 というか、こいつら二人と一緒に行きたくはない。簪、嫌がるだろうし……。

 

「めんどくさい奴だな、お前は。往生際が悪い。ぐだぐだ言わずにほら、行くぞ」

 

「れっつごーご~」

 

 燕尾服の一夏とメイド服の本音に両脇抱えられて、有無も言わせてもらえず連行される燕尾服の俺。

 本当に目立ちまくりで道中、周りの視線が痛かった。

 

「わぁ~四組も凄い人気だね~」

 

「うちに負けてられないな」

 

 ようやく開放され、四組の様子を確認する。

 確かに凄い人気で活気に溢れている。これは油断しているとウチはあっさり負けてしまいそうになるほどだな。

 幸いまだ並ばずには入れそうなのはありがたい。

 

「えーと、更識さんは」

 

「ん~……あっ、あれって楯無様じゃない~?」

 

 本音が指した先、そこには確かに楯無さんがいた。

 一夏と同等、いやそれ以上のカリスマ性を有しているあの人は、相変わらず沢山の人に囲まれている。そしてほとんどの人達が楯無さんに羨望の眼差しを向けている。流石だ。

 すると、楯無さんもこっちに気づき、周りの人達に一言つげ、手を振りながら俺達のほうへとやって来た。

 

「あなた達も休憩なのね。というか、凄い格好」

 

「まあ、宣伝も兼ねてそのまま」

 

「なるほど。ここに来たってことはそういうことよね。OK、分かった。お目当ての人呼んで来てあげる」

 

 そう言い告げると楯無さんは、教室の中へと消えていった。

 待つこと数分足らず。楯無さんは、お目当ての人を俺達の前まで連れてきてくれた。

 

「ようこそ、おいでくださいま……」

 

 一礼しながら歓迎の言葉を言っていたが、途中で俺達に気づき簪は絶句して固まっていた。

 

「かんちゃん! ネコミミ! すっごく可愛いっ! 何々どうしたの!」

 

「確かに凄いな。和風メイド? って言えばいいのか?」

 

「そうね。大正時代にあった女給とも言うけど」

 

 着物の上に白の長いエプロンをしており、頭には猫耳を模したカチューシャをつけている。

 オマケに腰には猫の尻尾があって、服装そのものはモダンな感じなのだが、猫耳猫尻尾のせいでてんこ盛り具合をひしひしと感じさせられる。

 見ている分には可愛くて、露出もすくないから凄くいいと思う。

 しかし、そんな簪の姿を見ていろいろと察するものがあった。この姿を見られたくなくて、あんな目をしていたんだな、きっと。

 給仕の姿は兎も角、猫耳猫尻尾は流石に簪の趣味ではなさそうだから、おそらくクラスの子に半ば無理やりつけられたといったところか。その光景が容易に浮かんでしまう。

 

 衝撃から立ち直った様で簪は我に帰ったが、時既に遅し。楯無さんにバシバシ写真を取られていた。

 

「簪ちゃん、本当可愛いわね」

 

「ねね、楯無様、後で私のスマホにも送ってください」

 

「いいわよ」

 

「ッ……よくないから。撮らないで、消して。というかお姉ちゃん、その写真誰かに見せたら祟るから。後、本音もふざけるなら帰って……」

 

「か、かんちゃん睨まないで」

 

「本当、怖い怖い」

 

 簪の一瞥をひらひらかわすように楯無さんは楽しげに笑う。

 こんな風に外で騒いでいるものだから、道行く人たちにはちらほら見られ、教室からは何やらぞろぞろと簪のクラスメイトが出てきた。

 コスプレ喫茶の名の通り、皆コスプレしている。メジャーなコスプレだったり、アニメキャラのコスプレだったりと統一感はないけど、全員クオリティは高い。

 

「簪さんどうかしたの……って、織斑君達じゃない! お客様って織斑君達だったのね」

 

「ってか凄い格好。あ、一組の衣装なんだったけ? それ」

 

「ほら、更識さん。何してるの、織斑君達を中にお通しして」

 

「え……」

 

「何で嫌そうなのよ。てか、簪さんスマイルスマイルっ!」

 

 クラスメイトに諭され、簪はぎこちない笑みを浮かべていた。

 何はともあれようやく、中へ入れることになってよかった。

 ここでこうしても仕方ないしな。もっとも、簪は物凄く嫌そうだが。

 

「じゃあ、私もご一緒してもう一息つこうかしら」

 

「お姉ちゃん……さっきいたじゃん」

 

「いいじゃない、別に。お金はちゃんと払っているわけだしね。ほら、お客様」

 

「ッ……ッ、失礼しました。ご案内します」

 

 腹の中がいろいろと煮えくり返っているだろうに、飲込んで中へと案内してくれる。

 簪の表情の裏に、この状況、俺が来たことを後悔している様な、それでいてどこか喜んでいるような複雑な表情が見え隠れしていた。

 




卵特売!!様のリクエストで「なぜかネコ耳を付けた簪と本音が一夏と彼に偶然見られてしまう的な話」
にお答えする形で今回の話を(都合上、簪だけにはなりましたが

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪との学園祭 二

 簪のクラスで一息ついた後も休憩は続く。

 とはいっても学園祭運営をしている生徒会所属の身。ゆっくりと学園祭を周れる余裕はない。

 楯無さんの代と比べて落ち着いたものにしたが、それでも生徒会に相談事は持ち込まれる。

 そうしたことたちのを解決を生徒会室でおこなっていた。今さっきそれがようやく一段落ついたところ。

 

 ちなみに今、生徒会室では一人。

 一夏と本音の二人には、簪のクラスを出た後、デートもとい見回りに出てもらっている。

 今日の二人にここにいられても落ち着いて仕事ができないからな。

 

 簪はいうと、まだクラスのことをしていてここにはない。

 時間的にそろそろ終わることだとは教えてもらった。

 そう言えば、簪のクラスに訪れてから一度もちゃんとした言葉を交わせなかった。理由は分かっている。仕方ない。

 あれから少しとはいえ時間は経った。それで少しは気持ちが落ち着いてくれるといいのだが……そう思っていたときだった。扉がノックされた。返事を返すと、ある人が入ってきた。

 噂をすれば何とやら。簪だった。ようやく休憩に入ったのか。

 

「うん……本音にあなたがここにいるって聞いて。後これ……小腹の足しにでもと思って」

 

 なるほど。

 簪の姿をよく見てみると、手には何やらモノが入った袋を持っており、格好は給仕の格好のまま。

 それでここまで来たのか。目立っただろうに。

 

「仕方ない……休憩終わったらすぐ戻らないといけないし……それに宣伝の為。ってか……あなたは人のこと言えないでしょう」

 

 ごもっともだ。

 俺の格好も以前燕尾服のまま。

 給仕姿と燕尾服姿の男女いる一室。学園祭ならではの光景だなと何となくだが思った。

 簪には適当のところ、隣の席へと腰を落ち着けてもらった。

 

「はい……これおにぎり。中身……鮭。ウチにきた時には飲み物しか頼んでなかったし……それにまだ何も食べてないはずだよね……?」

 

 頷き、差し出されたおにぎりを受け取り食べる。

 簪のクラスに行った時に注文したのは飲み物だけだった。食べ物も当然メニューにはあったが、あの時は何か食べたい気分ではなかったし、食べれる雰囲気ではなかった。

 丁度今小腹は空いていたからありがたい。

 

 簪も同じものを食べているが、その間会話はなかった。

 さっきのことが尾を引いているようで、微妙に気まずい。

 耐えられず何か適当な話題でもと思ったが、今一つ思い浮かばない。

 そうして困っていると、同じことを考えていた様子の簪が話し始めてくれた。

 

「……仕事、一人でさせてしまってごめんなさい」

 

 態々謝られるようなことじゃない。

 仕事というほど大したものじゃなかった。

 それに明日になれば、今日以上に忙しくなるだろうから、その時には簪にも働いてもらう。

 

「うん……」

 

 そこで会話は途切れた。

 再び気まずい空気が流れる。

 折角、簪といるのにこれではなくない。こんな空気で簪といたくない。

 

 謝るようなことではないことは承知済みだが、ひとまずクラスに押しかけたことを謝罪した。

 

「ううん、いい。あなたが謝る必要はない。仕方のないことだから。ただこんな姿は見られたくなかった」

 

 好きで着ているのならまだしもただ来ているだけなら、そういうものなんだろう。

 俺だって燕尾服姿を見られて、あまり嬉しいものじゃないし。

 簪の場合は、猫耳と尻尾をつけているのだから尚更そうなのかもしれない。

 

「ああ、これ? 猫耳と尻尾(これ)もね……本当はつける予定じゃなかった。朝、着替えてたら無理やりつけさせられて……それで余計……」

 

 そうだったのか。

 そういうことなら先ほどの簪の態度にいろいろと納得がいく。

 

「納得されたらされたでいろいろ辛いんだけど……でも、折角来てくれたのに愛想悪い態度とっちゃってごめんなさい……」

 

 隣に座っている簪は、座ったままこちらへ体を向け、深々と頭を下げる。

 謝ることではないのはもちろん、そんなことする必要もない。

 簪自身はそう思えないだろうが、俺としてはその給仕姿はいいと思う。素敵だ。

 

「そう、かな……自分じゃ、何か芋っぽいとしか……それに猫耳と尻尾つけたら色物以外何物でも」

 

 悲観した表情で簪はそう言った。対する俺は苦笑いすることしか出来なかった。

  芋っぽい、色物って……気持ちは察することはできるが少し言い過ぎだ、それは。

 自信……と言うのは大げさだが、似たものを多少なりと持ってほしい。いいと、素敵だと思ったのは紛れもないなのだから。

 

 すると簪は納得して、嬉しそうな笑みを見せてくれた。

 

「そうだね……ごめんなさい。あっ……じゃなくて、うん……ありがとう。嬉しい。その……あなたも似合ってるよ」

 

 そう言ってもらえるのなら、嬉しい。

 正直、我ながら馬子にも衣装。服に着せられてる感が拭えなかったが、そういうことなら自信を持てる。休憩明けのことにも性が出せそうだ。

 

 ふと今一度、真面真面と簪の様子を見てみる。

 着物の上に長く白いエプロン。そして、猫耳に尻尾の姿。

 学園祭ならではの凄い格好ではあるが、本当によく似合っている。

 着ているエプロンも着物は本物だ。素人視線だが高級品に見える。というか、実際そうなんだろう。

 

「そうかも……よく知らないけど……」

 

 簪はよく知らないまま着ている様だ。

 それにエプロンもネコミミも尻尾もよく出来ている。雑貨店などで売られている安っぽいものではなく、これまた本物みたい。無駄に質感がよく見える。

 

「えっと……触ってみる……?」

 

 座ったままの簪が姿勢を低くして、触らせてくれる。

 そういうことなら……と俺は手を伸ばし、触った。凄いな、これ。本当によく出来ている。触りこご地がよく、まるで綺麗な毛並みの猫のものを触っているかのようだ。

 

 触っていると簪は、擽ったそうにしてる。

 これ、作り物だよな?

 

「当たり前。ふふ、でも……何かくすぐったい」

 

 そういうものなんだろうか。

 しかし、本当に今の簪は給仕であり、猫娘そのものだ。

 簪の性格的にも一般的に言われる猫の性格に近い。だから、猫っぽいとそういってもあながち間違いではないはず。

 だからなんだろうか。俺は簪の喉を撫でていた。まるで猫の首や首周りを撫でるかのように。

 

「な、なに……? ど、どうしたの……?」

 

 脈絡のない突然のことに当然驚く簪。

 どうもしてない。特に深い理由もない。

 これは本当に何となくの行動。

 

「そ、そう……楽しいの……?」

 

 楽しいか聞かれれば、楽しい。

 猫の様に擽ったそうにしつつも、うっとりと気持ちよさそうに簪はしているのだから。

 加えて、今日の格好の簪相手なら余計にな。

 

 しばらく簪の喉を猫可愛がるように喉をなでていた。

 すると流石に我慢の限界が来たようで簪は口を開いた。

 

「……~ッ、も、もうっ……やめて……」

 

 言われて、手を止め離す。

 何となくとは言え、流石にやりすぎた。それも結構長く。

 簪に嫌な思いをさせてしまってすまなかった。

 

「えっ……あ……」

 

 名残惜しそうな顔をする簪。

 この場合、物足りないといっているのが正しいか。

 

 本当は簪の奴、もっとしてほしいのだろう。

 さっき嫌がったのは、ただ単に恥ずかしかっただけなんだ、簪は。

 意地悪いのは承知済みだが、分かって手を止めた。

 

 事実、手を出すと。

 

「……」

 

 無言のまま、顎を突き出し、喉を撫でてくれと言わんばかりだった。

 苦笑いしつつも、こしょこしょと喉を撫でた。

 すると案の定、満更でもない表情をしていたが、頬を膨らませ拗ねていた。

 

「……分かってやめたでしょう。からかっている」

 

 まあまあ許せ、簪。

 しばらくこうさせてほしい。

 慣れない接客をして疲れているだろう簪を少しでいいから癒してあげたい。

 

「癒してって……それはあなたもでしょう。むしろ、あなたのほうが疲れているんじゃ……」

 

 疲れてないと言えば嘘になるが、今はこうさせてほしい。

 簪を癒すことが俺に癒しになる。屁理屈なのは分かっているが。

 

「分かってる……いいよ、ほら」

 

 笑みを浮かべて簪は体を預けてくれる。

 構図こそは簪が俺に甘えてくれているものだが、実際のところは俺が簪に甘えている。

 このことに自分でいろいろと思うところがなくはないが、今日は学園祭。しかし、まだ初日。そういうのは無粋という奴だ。

 

 俺は、簪の体を抱き上げると自分の膝の上に乗せた。

 こう可愛がっていると猫みたいだ。

 

「猫……」

 

 何か考えるようにそう呟くと、しばしの沈黙の後、簪は恥ずかしそうにしながらか細い声で言った。

 

「……にゃ、にゃぁん」

 

 湯気でも出てしまいそうなほど、簪は耳まで真っ赤にしていた。

 恥ずかしいなら無理に言わなくてもと思ったが、簪なりに場のノリに合わせてくれだろう。

 その思いを汲まないわけにはいかない。更に猫可愛がるように俺は、喉や頭を撫でた。

 

「……にゃー」

 

 一回言って吹っ切れたのか、特に恥ずかしがった様子もなく、言いながら胸板に擦り寄ってくる。

 照れながら言ってくれるのはそれはそれで赴きみたいなものがあって可愛いが、素直に言ってくれる簪もやっぱり可愛い。

 

 しばらくこうしていると、休憩時間は残すところ後少し。

 結局、学園祭は周らなかった。今更過ぎるが、少し勿体無い気も……。

 簪だって周ってないだろうに。

 

「いい……別に。行きたい所特に思いつかないし……どうせ時間ない」

 

 それはそうだな。

 ただ、これではいつも通りだ。

 現状に文句や異論なんて態々言うまでもないが何だかなぁ……。

 

「いいじゃん……いつも通りで。というか、お互いこんな格好してるのにいつも通りはないでしょう」

 

 言われて納得した。

 やってることはいつも通りだが、いつもとは格好が違う。こんな格好できるのは学園祭だからこそ。余計なことは考えず、残り僅かな時間、簪だけに集中して堪能していよう。

 

「うん……どうぞ、堪能して。もうしばらくだけこうさせて。 んんっ……くすぐったい、にゃ」

 

 くすぐったそうに笑い猫のように甘えてくる簪を俺は時間が許す限り愛でていた。

 こんな学園祭の過し方もありだろう。

 そう思いながら。

 

… 




簪の大正給仕姿+猫耳・猫尻尾=最高オブ最高
皆さんの反応次第では女給猫耳簪とのセッ――もワンチャンあるかもしれない。
自分が見たいので、誰か書いて。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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キスで紡ぐあなたとの朝模様

 穏やかな空気を感じる。部屋の明るさを感じる。今日もよく晴れているのが何となくだけど分かる。

 それのおかげで朝が来たんだと分かって、私は気だるさを感じながらのそのそと体を起した。

 う~んっと体を伸ばし、意識を更に目覚めさせていく。ここ私の部屋じゃない。ああそうだ……と、ずっと隣に感じている気配へと視線を落とす。

 隣では彼がまだ気持ちよさそうに寝ている。珍しい。

 そういえば、今は何時ごろなんだろう。気になって、寝る前枕元に置いたスマホを手にとって時間を見てみた。

 時刻は平日の朝九時半前。いつもならもう起きて登校してなければ、遅刻している時間。

 だけど、今日は昨日までやっていた学園祭の振り替え休日。昨日のうちにやらなければいけないことは全部終わらせたから、朝からやらなければならないことはない。

 だから、こんな風に彼もゆっくり寝ているんだと分かった。

 

「……」

 

 起していた体を再びベットへと寝転ばせ、彼と向き合って様子を観察してみる。

 折角、彼より先に起きれたんだから。

 

 本当に彼はよく眠っている。気持ちよさそうだ。

 いつもならとっくに彼は起きているだろう。早く起きるって決めてたら、どんなにしんどくても眠くてもちゃんと起きる人だから。もっとも、起きないと決めたら、自分から起きない限り早々のことじゃ起きないけど。

 そしてどうやらそのようで、今日は完全休日と決めているからなのか熟睡中。

 やっぱり、疲れているのかな。昨日までやっていた学園祭の間、彼はずっと動きっぱなし、働きっぱなしだった。学園に二人しかないの男子の一人で、男でありながらISを使えるのだから、当然ひっぱりだこになる。それにクラスの出し物以外に生徒会の仕事もやっていたから、本当に忙しそうだった。

 おかげで学園祭見回り以外で一緒に周れなかったことはちょっぴり残念。

 彼の言い分としては一ヶ所にいて客寄せパンダになりたくはないからずっとあれこれしていたらしい。じっとしてられないわけじゃないけど、彼はじっとしてるよりかは動きまわってるほうが好きな人なのは知っているから、今更だけど。

 それでもあれだけ頑張れば、疲れてが溜まって当然。

 

 昨日の夜はたくさん……えっち、しちゃった訳だし。

 

「……っ」

 

 昨夜のことを思い出してしまい、顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。

 終わって休憩してからシーツを変え、お風呂に入って昨日は二人一緒に寝た。あれから大分が経っているけど、ついさっきのことの様に思いだすことが出来、熱が蘇る。

 身体が、特に子宮がじんわりと熱くなる。子宮(ここ)で彼の熱をたくさん感じて受け止めた。

 

 昨夜は本当によかった。とっても気持ちよかった。

 買い取ったクラスの出し物の衣装を着てえっちしたけど、彼の喜びようが、興奮しようが凄かったな。着た甲斐ある。

 なんていう私もすごく興奮しちゃった。口には出来ないことだけど。

 疲れた彼を癒す為にたくさんご奉仕できて、私のご奉仕で彼が気持ちよくなってくれたのが嬉しくてたまらない。こういうのを与える側の喜びというのかな。私のご奉仕で感じてる彼は、とっても可愛かった。

 もちろん、彼も私をちゃんと愛してれた。相変わらず、甘くて濃厚。えっちする度に増していっている。そのうち本当に甘さで溶けてしまいそう。彼は生真面目だからいろいろと勉強してくれているんだろうな……それが伝わってきて嬉しい。

 可愛さのある彼だけど、やっぱり男子。攻める彼からは雄々しい雄っぽさを感じた。そのギャップみたいなものに昨晩の私はずっとキュンキュンしっぱなし。昨夜はずっと満たされ続けていた。

 まあおかげで体には気だるさが残っているけど、この気だるさこそが幸せの証なのかもしれない。そう思えて幸せだ。

 

「……」

 

 相変わらずぐっすり熟睡している彼の観察を続ける。

 そろそろ起してあげた方がいい気もするし、隣でずっと寝てられるのも寂しいけど、もう少しこのまま。遅い時間にならない限りは彼が自分から起きるまでそっと寝かせてあげよう。

 その間、このいい機会に私は彼の寝ている姿を更に堪能する。

 

 寝顔こそは昨日も見たけど、こうして朝見るのとでは何だか感じ方が違う。新鮮。第一、昨日は昨日で疲れた様子で寝ていたし。

 そういえば、こうやって朝同じベットで過すの久しぶりだ。最近は忙しくて泊まるなんてできなかった。

 なのでちょっとしてみたいことをやってみた。

 

 寝ている彼を起してしまわないよう気をつけながら、そっと髪を撫でてみる。

 見た以上に髪、結構柔らかい。何度触れても触り心地がよくて楽しい。

 いつもこうして撫でていると寝ていても彼は気持ちよさそうにしてくれる。ほら。

 

 今笑ったかな……?

 

 彼の頬が緩み、気持ちよさそうに笑っているように見えた。

 何だか嬉しい。それに寝顔、可愛い。

 じっと見てて思うけど、いつ見ても綺麗な肌してる。朝だからか尚更。男子なのにって言うのはよくないかもだけど、男子なのに凄い肌綺麗。化粧水とか使ってお手入れしている訳でもなさそうなのに、何か悔しい。

 やっぱり、早寝早起きして毎日運動して健康的な生活しているからなのかな。多分、そうだと思う。

 私もトレーニングは定期的にやってるけど、し足りないのかな。それともいいやり方があったりするんだろうか。いや、それよりも見れてないアニメを遅くまで見てるのが原因かもしれない。

 健康的な生活ともっと入念なケアを心がけよう。私は心の中でそう秘かに誓った。

 

 髪触ってもおきないし、もうちょっとぐらいなら……

 

 ベタベタ触る過ぎるのはよくない。触りすぎると起してしまうかもしれないけど、何だか触れ足りなくなってしまった。起さないように気をつけつつ、そっと頬に触れてみた。

 

「わっ……すべすべ。もちもち……」

 

 小さい声だったが思わず声が出てしまい、もう遅いけど慌てて声を押し殺す。

 触れた彼の頬はすべすべのもちもち。なにこれ、ズルい。うらやましい。ますますケアを頑張らないと、このままじゃ何だか負けた気がする。

 地味地味言われる彼だけど、整った顔立ちしてる。これも羨ましい。目や鼻、口とかといったパーツからいいからなんだと私は考察染みたことを考える。

 素敵だな、本当に。

 

「……ッ!?」

 

 びっくりした。

 起こさないように気をつけながらもう少し頬や鼻を触って楽しんでいると、突然彼がくすぐったそうに身を捩じらせた。

 起きたかと思った。だけど、身を捩じらせてだけで相変わらずぐっすり眠っている。つい感心してしまうほどよく寝ている。

 そんなことを思いながらも寝顔観察をやめずにいると、ふと彼の唇が目に止まった。

 

「……っ」

 

 彼の見つめながら、自分の唇を指先でゆっくりと撫でる。

 ふと昨日のことを思い出していた。昨日、いっぱいえっちして、いっぱいキスした。

 彼にはキス魔とよく言われる。恥ずかしいけど、否定は出来ない。むしろ、私自身強い自覚すらある。

 好きなんだから仕方ない。だって、気持ちいいんだもん。何より、幸せな気持ちになれる。

 キスをするたびに彼への想いが胸の内で熱く膨らんで、胸の奥が暖かくなって、もっとキスで好きを伝えたくなる。そして、彼がキスでそれに応えてくれたら私の胸は幸せな気持ちできゅぅと一杯になる。

 

 だからなのか、キス……したくなってきちゃった。

 というか正直なところ……朝からキスしたくてムラムラとしている。

 どんどんいらやしい子になっちゃてるな、私。こんな私でも彼は可愛いと言って好きで、愛してくれるけど、私自身としては複雑だ。こんな子じゃなかったしずなのに……と。

 

 で、でも、ちょっとぐらいならキス、してもいいよね。

 

 そんな言い訳にもならない下手な言い訳を心の中でしながら、引き寄せられるように私は寝ている彼の唇にそっとキスをした。

 

「……ん」

 

 唇が触れる軽いキス。何度もしているはずなのに。

 

「……っ~~!……」

 

 無性に恥ずかしくなって悶えそうになるのを必死に我慢する。

 ただ触れるだけのキスなのに凄くいい。幸せ。

 やっぱり、今みたいに唇と唇が触れ合うようなキスが好き。ディープキスも同じぐらい好き。

 どっちのキスが好きかなんて選べない。彼とのキスが大好きだから。

 

 でも、ちょっぴり寂しい。

 キスは好きだけど、私が好きなのは彼とのキス。

 本当はこんな一方通行のキスじゃなくて、彼とキスをし合いたい。

 けど今寝ている彼にキスしたから無理なのは分かっているけど……。

 

「……あ……」

 

 そこで私は急に我に返った。気持ちが沈んでいく。

 私、最低だ。寝ている彼にキスするなんて、こんなの寝込みを襲っているのと変らない。ふしだらで、本当に最低だ。

 キスをしたことを彼が知っても怒りはしないと思うけど、それでもこんな寝込みを襲うようなことされたら困って当然。朝から彼を困らせたくない。

 というか、朝から勝手に凹んでいるの知られたら、ますます彼を困らせてしまう。彼に触れるのはこの辺にして早く気を持ち上げよう。

 そう思った矢先。

 

「……えっ? ちょ、ちょっと……」

 

 急に抱き寄せられた。

 もしかして起こしちゃった? というか、近い近い。

 抱きしめられているせいか、ついさっきよりも真近で彼の体温を、匂いを感じる。

 安心するにはするけど、突然のことにドキドキしてしまう。さっきまで考えていたことが消し飛んで、頭が真っ白になっていく。顔が熱い。

 

 一人困惑していると抱き枕を手繰り寄せるかのように抱きついてきて、更に密着する。

 そして彼は抱きしめながら、私の胸へと顔を埋めていた。

 

「……ぁっ、うぅぅ、んんっ……やっぁ……」

 

 変な声が出てしまう。

 パジャマはちゃんと着ているけど、服の上からでも彼の寝息が胸にかかってくすぐったい。

 つい反射的に逃れようと身を捩じらすけど、また抱き寄せられ、胸に顔を埋められる。逃れられない。それどころか足を絡められ、身動きが取れない。

 なのに相変わらず胸に寝息はかかってくすぐったくて……何だか感じてしまう。

 

 これじゃあ何だか。

 

「生殺しだよ……」

 

 そんなことを言うしかなかった。

 

「あ……お、おはよう……?」

 

 もぞもぞと身動きしながら彼がようやく起きた。

 顔の半分を胸に埋めたまま眠そうな眼で私をじっと彼は見つめてくる。

 朝の挨拶をしたけど今の体勢のこととかもあって気恥ずかしくて、戸惑いながら朝の挨拶をしてしまった。しかも、疑問系。

 でも、特に彼は気にした様子なく返事してくれた。

 

 彼が起きたのと同時に私の「生殺し」発言を聞いていたらしく、どうしたのかと聞かれてしまう。

 

「えっ……それは、あの……ね、寝息が……胸にかかってくすぐったくて……というか、そろそろ離してほしいんだけど……」

 

 随分誤魔化した言い方になってしまったけど、嘘は言ってないから大丈夫なはず。

 彼は納得してくれたけど、きっと誤魔化したことは気づかれてしまっているんだろうな。

 で、相変わらず私は彼に抱きしめられたまま。

 寝ぼけてというわけじゃないはず。明らかにちゃんと起きてる。その証拠に私の感触でも確かめるようにぎゅっぎゅっと抱きしめてくれている。

 嬉しいのは嬉しい。でも起きて彼に朝からこんな風に抱きしめられるの何度体験しても恥ずかしい。

 

「ほ、ほら……お腹空いてない……? 朝ごはんたべよう……? うっ……そんな目で見ないで……」

 

 恥ずかしさから適当な言い訳していると彼にじっと見つめられる。

 熱いまなざし。それでいて寂しそうにも見える。

 そんな目で見つめられると言い訳していることに物凄い罪悪感を感じる。おそらくそういう意図でも彼は見つめているんだろう。意地悪だ。

 

 もう少しこのままがいい。

 寝起きだからか少し掠れた声で甘える様に言われるともう私には何も言えない。

 私だってもう少しだけこのままがいい。

 

「……うん、もう少しこのまま……」

 

 抱き枕よろしく抱きしめられたままだったけど、抱きついてくる彼を私からも抱きしめた。

 まだ恥ずかしさあるけど、幸福度みたいなもの方が勝った。

 

 わっ、彼が珍しく甘えた声を出している。

 抱きついてきて私の胸の中にいる彼は、私に頭を撫でられながら気持ちよさそうにしている。

 そんな姿を見ていると、胸がきゅうぅっと疼く。母性本能がくすぐられるってのはこういうことを言うんだろうか。

 朝からこんな可愛いのズルい。でも、普段寝起きでもしゃんとした人だけに彼から甘えてくるなんてことは頻度が低いから、普通に嬉しい。

 喜びを秘かに噛み締めながら、少しばかりまどろんでいると、私はあることを正直に言った。

 

「ごめんなさい……私、実はね……寝ているあなたにキス、しちゃったの……」

 

 別にわざわざ言うようなことじゃないのは分かっている。

 でも、正直に言っておきたかった。いや、違う。彼を困らせると分かっていても、言わずにはいられなかっただけなんだ、私は。

 ただ言っておいてなんだけど、やっぱり悲しい気持ちになる。私朝から何してしまったんだろう。

 

「こんな、ふしだらだよね……ごめんなさい」

 

 つい謝ってしまう。

 謝ったところで何か変るわけでもなのに。

 

「わっ……」

 

 すると今度は私の胸に顔を埋めていた彼の胸元に抱き寄せられる。

 されるがまま私は彼に抱きつくと、頭をぽんぽんとされながら撫でて貰った。あっ……これ落ち着く。

 

 ああそれで落ち込んでいたのか。

 そんな風に彼は納得していた。どうやらとっくに見抜かれていた。

 それはそれで嬉しくない訳じゃないけど、やっぱり何だか自分が情けない。私の心は晴れない。

 

 そんな私に優しく微笑み漢ながら彼は真面目にこう言ってくれた。

 寝ていても私がキスしたいのなら好きなだけしても構わない。でも、俺はキスしてくれるのなら、起きている時に二人でする方が好きだ。

 と。ああ、なんでこの人はこんなにも私が思っていることと一緒のことを言ってくれるんだろう。ズルいズルい。でも、大好き。

 

「でも、そう言ってくれるのは嬉しいけど……キスしたら一回じゃ止まらないよ……? いいの? 私めんどくさいし、その、私……キス魔、だし」

 

 素直に喜んでいればいいのに喜べないどころか、ぐちぐち言ってしまう。

 可愛くない。こんな時本音なら……お姉ちゃんなら、もっと可愛くいられたんだろうな。

 

「……んんっ……!」

 

 ふと顎をクイっと軽く持ち上げられると、彼が唇に軽くキスをしてくれた。

 それは一度だけじゃなく、何度も何度も熱いキス。

 

 気にするな。俺だって簪とのキスは好きだから一回じゃ止まりそうにない。これが証拠だ

 言って彼は、また情熱的なキスを私に唇に何度もくれる。

 ここまでしてもらえたのなら、気にしちゃダメだよね。

 

「ありがとう……ありがとう。大好き……!」

 

 そう言って衝動のまま、ちゅっ、ちゅ、と彼の唇にキスを返す。

 いつしか二人のキスは、舌と舌が交わるような濃密なものになっていく。

 

 朝から部屋に熱い吐息と舌が絡み合ういやらしい音が広がる。

 やっぱり大好きだな、彼とのキス。

 

 案の定、一度や二度じゃ止まらなくなってる。ずっとこうしていたい。

 特にディープキス気持ちよすぎて、本当に病み付きだ。この一つになってしまいそうな感覚好き。

 気持ちが落ち込んで一度治まったと思ったのに、またむらむらしてきた。というか、さっきよりもむらむらしてる。でも、それは幸い私だけじゃなく。

 

「ふふ……ここ、大きくなってますね……」

 

 わざっとらしく言ってディープキスと朝の生理現象でも大きくなっているそこを撫でると彼に手首を掴まれた。

 嫌がっているわけじゃないのは知ってる。手首掴んだだけで撫でるの止めないし、それに彼は、困った顔しながらも気持ちよさそうにしているから。いいな、この彼の表情。

 前にもこんなあった気がする。確かあの時は二人で始めて旅行した日。私達が本当の意味で一つになった日。懐かしい。あの日からたくさんのものを彼から貰った。

 

 だからこそ、私は与えられる側の人間なんだなと改めて思う。それはもう今更どうしようもないけど、与えてもらった分、倍にしてたくさん彼に返していこう。それが今なのかもしれない。

 

「遠慮……しないで……していいんだよ。あなたが好きなように」

 

 またわざっとらしく彼に尋ねると、簪もしたいんだろと見抜かれてしまっていた。

 

「バレた……まあ、今日はお休みなんだから……ね」

 

 その言葉が合図のように彼から深いキスをしてもらい、押し倒された。

 

 本当、朝から幸せだ。

 おかげで、私の心はもう今朝の空のようにすっかり晴れ渡っていた。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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こんな簪とのハロウィンはいかが?

 女子って本当にイベントごとが好きなんだと毎度のことながらしみじみ感じる。

 ついこの間、学園祭があったばかりなのに皆凄い元気だった。わざわざ仮装まで用意して。

 今日が休日。ハロウィンだからなんだろうけど。

 

 楽しかったのは楽しかったが、疲れのほうが大きい。

 ハロウィンに託けたいつも通りのお祭り状態だったからな。

 会う人会う人にお菓子を貪り取られた。本当、多めに用意していてよかった。

 

「お疲れ様」

 

 ベットに腰掛けていると、隣に同じ様に簪が腰をかけてきた。

 同じ言葉を簪に返す。表情には少し疲れが見えた。

 簪も大変だったから当然か。後輩達、凄かったからな……。

 

「うん……そうだね……」

 

 珍しく疲れた様子で何処か遠くのほうを見つめていた。

 例の後輩にイタズラされまくっていた簪。お菓子上げたのにもかかわらず。

 まあ、それはノリみたいなもので、そのおかげでまた簪の可愛いコスプレ姿を見ることが出来たから、俺としてはよかった。

 

「よくないから……今日見たの忘れてね」

 

 難しい相談だが、前向きに検討するということで。

 

「もう……まったく」

 

 そう言って簪は、飽きれた様に微笑んでいた。

 

「で、これ……どうしよう」

 

 簪の手元には、沢山のお菓子が入った紙袋があった。

 後輩からだろう。結構な量もらったんだな。

 見た感じ種類は沢山あるから食べ飽きることはないだろうが、この様子だと食べきるの結構大変。

 

「これでも本音に少し貰ってもらって減ったんだけど……市販だし、よかったらでいいから一緒に食べてくれない……?」

 

 そういうことなら喜んで。

 気持ちは嬉しいが、こうも沢山貰うと後が大変だ。

 ちょろっと貰う程度で済んでよかった。本当、あげる側でよかったとも思う。

 

「それが正解だと思う……男子が羨ましい」

 

 女同士はお菓子交換し合ったりしてたから余計に大変だな。

 そうだ。お菓子と言えば、まだ簪から貰っていない。確か後輩達と手作りのお菓子を交換していた。

 いやしい自覚はあるが、欲しいものは欲しい。

 

「心配しなくてもちゃんと用意してあるから……でも、あの言葉言ってほしいな……」

 

 トリック・オア・トリート。ハロウィンの決まり文句。

 今日飽きるほど聞いたその台詞を簪へと言った。

 

「よろしい。はい……ハッピー・ハロウィン」

 

 満足した様子で簪はお菓子をくれた。

 悪戯をしたい気持ちがないわけではないが、まあそれは追々。

 

 簪からのお菓子は黄色のシフォンケーキだった。

 一番上にはハロウィンらしく、ジャック・オ・ランタンを象ったクッキーがデコレーションされていた。

 味はかぼちゃ味だろうな。せがんどいてアレだが、食べるのがもったいない。

 

「褒めてくれるのは嬉しいけど……食べてほしいな」

 

 いただきますと言って、食べる。

 口の中に広がる甘いかぼちゃ味。

 クッキーもサクサクとしていてビター味がケーキの甘さを押さえてくれて、丁度いい。

 上手い。簪の手作り菓子は度々食べるが、また上手になったように感じる。

 

「本当? えへへ……嬉しいな」

 

 本当に嬉しそうに笑う簪が可愛い。

 惜しみながらも美味しさのあまりあっという間に食べてしまった。

 よかった。これはまた次も楽しみだ。

 

「お粗末さまです。ね……トリック・オア・トリート」

 

 そう言った簪はいつも通りすまし顔をしているが、瞳の奥が悪戯っぽく笑っているのが分かる。

 簪の奴、これはきっと俺がお菓子用意してないと思ってるに違いない。

 甘いな。そんな訳ないだろ。

 

 俺は用意していた手作りのハロウィンクッキーを渡した。

 普段料理なんてしないから、レシピサイトを見よう見真似で作って、結構不恰好になってしまったが、味は悪くないはずだ。

 

「うん……ありがとう。頂きます。あっ……写真、取っていい……?」

 

 頷くと簪はお菓子を写真に収め、食べてくれた。

 

「美味しい……」

 

 そういってくれて安心はした。

 しかしお世辞ではないだろうが、あまり嬉しそうに見えない。

 大人しく食べながら簪はシュンと沈んでいた。

 どうかしたのか……。

 

「何でも、ない……ごめんなさい……」

 

 残念そうな簪の様子を見て、俺の中である一つの仮説にたどり着く。

 まさか……やっぱり、俺がお菓子用意してないと思っていて意地悪するつもりだったけど、お菓子渡されて、ショック受けているとか。

 

「っ!? こっほこっほ!」

 

 正解のようだ。

 耳まで真っ赤にした簪は恥ずかしいのかクッキーを慌てて口の中に詰め込むと、咳き込んでいた。

 渡した水を飲んでもらい落ち着いてもらう。

 

「気づいてたのなら……わざわざ言わなくてもいいのに。いじわる」

 

 そんなこと言われても気づいたのは今だ。

 というか簪の方こそ、悪戯したかったなら最初からそう言えばよかったのに。

 愛する彼女の気持ちを察するのが紳士的なのかもしれないが、言ってくれないと分からない。

 今だってそう。言ってほしい。

 

「あ、うぅっ~……っ、悪戯、させて……」

 

 葛藤の後、簪は恥ずかしそうにぽつりと言った。

 素直が一番。

 

「言わせといてそれ言うんだ……あなたって本当、いじわる」

 

 好きに言ってくれ。

 それより今はどんな悪戯をしてくれるのか楽しみだ。

 

「……胡坐かいて」

 

 胡坐?

 不思議に思いながらも言われたとおり、ベットの上に上がり胡坐をかいた。

 すると簪もベットの上に上がっては、そのまま俺の膝の上へ、向かいあうように座った。

 座っている位置的に自然と膝の上にいる簪に見下ろされ、楽しげな笑みを浮かべながら言われた。

 

「あなたへの悪戯は……生殺し」

 

 また随分なことを弾んだ声色で言う。

 だが、それが悪戯か。軽いな。というか、簪の方が先にギブアップしそうだ。

 

「そ、そんなことない……あなたのほうこそ、明日学校あるんだからギブアップしても我慢してね」

 

 今日はやけに煽ってくる。

 確かに先ほど以上に近くにいるせいか、簪の甘いいい匂いと体の柔らかさを感じて、生殺しと言えなくはないが、これなら余裕で耐えられそうだ。

 勝った。勝負している訳でもないのにそう思ってしまった。

 悪戯したいってか、単純に甘えたいだけじゃないのか。

 

「違……わないけど……違う。……そうだ。これ、オススメされたものなんだけど」

 

 簪が手渡してきたのは包み紙に包まれたチョコレート。

 さっきお菓子食べたばかりなのに、大丈夫か。

 

「別腹だからいいの」

 

 そんなに沢山食べるわけじゃないしまあいいか。

 しかし、このチョコレートの形はビン状。

 これってもしかしすると……。

 

「何してるの。これ、美味しいよ。食べて。……んっ」

 

 怪しんでいるとしびれを切らした様子の簪にチョコを食べさせられた。

 口移しで。

 

「ちゅっ……んちゅっ、あむっ……ちゅっ、れろ、くちゅっ……」

 

 口の中にチョコを含んだ簪は、一回二回と唇に優しくキスをすると、そのまま俺に口の中を開かせ、舌でそっとチョコを渡してきた。

 反射的にというべきなのか、俺も舌でチョコを受け取ると舌と舌が絡みあった。

 チョコを味わいながら、ゆっくりと口で互いにチョコと唾液を渡しあう。

 

「んっ……ちゅ、んうっ、れろ、ちゅ……んんっ……」

 

 溶け出したチョコによって唾液は甘さを帯び、それによって更に興奮したのか、舌を絡ませあいながら、口の中を隅々までまさぐった。チョコは簪を経て官能的に甘く、口の中で溶けて消えたチョコのように脳から解けていく感覚。

 口の中に残ったのはチョコの甘さとほんのりとした酒の味だった。

 

「ふふ、どう悦かった……?」

 

 小首をかしげながら妖艶に微笑み、問いかけてくる。

 悦かった。しかし、これはどう考えてもウィスキーボンボン。

 実際、容器の原材料の覧にはウィスキーと書かれている。お菓子ではあるが、そこそこの度数はある。これ以上は流石に食べさせられない。

 

「食べないよ、もう。一杯になったもの……お腹も心も、ね」

 

 目を細め、嬉しそうに言っていた。

 頬が薄っすらと赤みかがってるように見えなくもない。これは若干にでも酔ってる。

 本気で酔ってるいるわけじゃないから、雰囲気酔いみたいなものだろうが。

 

「ん~~っ ふふふ、うふふふっ、えへへ~……」

 

 抱きついてきて、嬉しそうな声をもらしながら簪は俺の首元へと顔を埋める。

 くすぐったい。抱きしめ返すと、ぎゅっと簪が抱きついてくる。

 向かい合って抱きしめあっている為か、柔らかなふくらみを胸板で真面真面と感じ、鼻先には安らぎを感じさせてくれる簪の匂いが擽る。

 

「ふふ、んん~……癒される……」

 

 うっとりと幸せそうな声で言う簪。見ることは出来ないがきっと表情もそうなのだろう。

 普段ならこのぐらい何ともないはずなのに、反応してしまうものがある。

 キスのせい。はたまた、さっき食べたチョコのせいなのか。

 

 当然、それは簪にも伝わってしまい。

 

「あ……凄いことになってる」

 

 簪は自分の下腹部に当たっているそれを確かめるようにぎゅっと抱きつく。

 勝ったなんて思っていたが、雲行きが怪しくなってきた。

 我慢しなければならないというのは中々辛い。

 

 簪ものことは分かっているが、だからこその行動に出てきた。

 

「んっ……ふっ、ぺろ、ちゅ……」

 

 顔を埋めていた首筋に簪は、抱きながら唇を這わせ、時折後を残すかのように強めに吸い付く。

 背筋に走る痺れた感じに耐えながら、情けないことにどうしても声が漏れてしまう。

 凄まじい煽りの愛撫。流石にこれはやりすぎだ。

 抵抗してようとしたが、ぎゅっと抱きしめられ叶わなかった。

 

「だーめ……たくさん悪戯ちゃうんだから。あなたは、じっとしてる」

 

 耳元で甘く囁いた。

 そうだ。抵抗が許されてない以上、俺からこれ以上のことはできない。

 

 しかし、こんなにも煽られてじっとしてるのは辛い。それもうかなり。

 否応なく性欲が沸き上がるのを分かる。でも、手は出せない。

 脳裏で理性と欲望が鬩ぎ合う。

 

 待てよ、激しくしなければいいんじゃないか。

 明日に響かないようにすれば、簪だってきっと答えてくれるはず。

 そう思い両肩に手をかけた。しかし。

 

「……くぅ……くぅ……」

 

 聞こえてくる幸せそうな簪の寝息。

 葛藤を他所に簪は寝ていらっしゃった。

 寝ている相手に手を出す気は流石に起きない。

 仕方ない。疲れが溜まっていたものな。

 しかし、俺はかなりの生殺し。

 

「んっ……好、き……」

 

 起さないように抱きしめるとそんな寝言の様な言葉が聞こえた。

 

 本当、してやられた。これはとびっきりの悪戯。

 簪にはいいように化かされた。

 これはそんなハロウィンでの一幕。生殺しは何時まで続くのか。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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これからも変わらず続く簪とのありふれた日々

 進路。

 進む道。将来の方向。

 それについて今一度、考えなければならない時に直面していた。

 

「では各自、今渡した進路希望調査書に記入し必ず期限までに記入するように。以上だ、解散」

 

 そう言い残して担任である織斑先生は放課後のショートホームルームを締めくくった。

 そして山田先生を連れ先生達が教室を後にすると、開放感から教室は騒がしくなる。

 聞こえてくる会話の内容はこの進路希望調査、進路について。

 

「あっ、もう書いたんだ。やっぱり、その学校志望なんだ」

 

「まあね~行きたい学科があるからね」

 

といったり、他には。

 

「ここもいいよね~」

 

「分かる~ここ結構、卒業生行ってるみたいだしね」

 

 などといった感じ。クラスにいる大体の人がもう進路を真剣に固めている様子。

 進路としてほぼ全員が進学希望。中には家業を継いだりするものもいるらしいが、ごく少数。

 難関高であるから全員どの学校を選んでも学力的にはまず問題はない。そして卒業後、IS関係のことに携わらなくても、IS学園を卒業したというだけで、引く手数多であり、推薦なども多くあって、比較的進学しやすい。それは国内国外問わず。

 ゆえに、進学する人の方が圧倒的に多い。

 

 皆和気藹々としているが隣の席の奴は難しい顔をして唸っていた。

 

「う~んっ」

 

 進路希望調査書を眺めながら一夏は何やら考え事をしていた。

 何考えているのかは容易に察しがつく。進路……もっと言えば、進学か就職かといったところで悩んでいるのだろう。

 おおよそ進学するべきなのは分かっているが行きたい学校がなく、織斑先生を楽にしたいから就職したいと考えているが、それもあまり現実的ではないということも理解していて、どうするべきか悩んでいるといったところだろ。

 悩むのは結構だが、俺達には今やるべきことがある。

 

「あ……ああ、そうだな。お~い、のほほんさん(本音)

 

「は~い」

 

 一夏と本音を連れて、教室を後にする。

 向かうは生徒会室。今日は生徒会活動がある日。

 道中、タイミングよく簪と合流することが出来た。

 そのまま生徒会室へ入ると、そこには既に先客がいた。

 

「遅いわよ~」

 

「今日もいるし……」

 

 溜息交じりに簪が嫌そうに言った。

 先客とは言わずもだかな、楯無さんだった。

 引退したのにもかかわらず今日も我が物顔で部屋にいる楯無さん。何か言っても今更聞くような人ではないし、気にしたら負けという奴なので構わず作業を始める。

 

 作業は順調。いつも通りのいいペースで進んでいく。

 幸い楯無さんはスマホで遊んでおり、邪魔してくることはない。もっとも邪魔してきたら、追い出すだけだから、邪魔してこないのなら触らず放って置く。

 

 しかし、気になる人は気になる。

 近くで一人だけ遊んでいるのだから当然か。たまらず一夏が定番のことを聞いた。

 

「楯無さん、その……いいんですか? こんな所にいても」

 

「あら? 心配してくれるの。大丈夫よ。もう、受験には受かって暇してるから」

 

 予想通りの返答が返ってきた。

 楯無さんはつい最近、受験に受かって無事第一志望に合格した。

 早い時期での合格発表だが、推薦入試だからこそのこと。

 大変喜ばしい、めでたい事だが、だからってこんなところで暇潰してるのはいかがなものか。

 

「いいじゃない。別に」

 

「……」

 

 気にしてない楯無さんに無言の簪が内心あきれているのが分かった。

 

 滞りなく作業は進んでいく。これならそろそろ終わりそうだ。

 だからなのか終わりかけの頃を見計らって、楯無さんが話しかけてきた。

 

「そう言えば、この時期って二年生、進路調査よね?」

 

「楯無様、よく知ってますね~」

 

「まあ、私も去年このぐらいの時期に書いたからね。もっとも、この時期には大体進路が決まりきっている人がほとんどだけど」

 

 そういうものなんだな、やっぱり。

 毎年そうなんだろう。

 

「で、あなた達は進路は? 何所に進学するつもり?」

 

「進学か……」

 

「どうしたの、一夏君。まさか、まだ進路決まってないの?」

 

「……はい」

 

 一夏は苦々しく頷く。

 何だか一夏の表情には焦りの様なものが見える。

 もしかしなくても一夏は焦っているのか。

 

「そりゃ焦せるだろ。周りがこんだけ進路ちゃんと考えてるなんて思ってもみなかったからよ」

 

 だろうな。

 ウチのクラス、普段賑やかでお祭り騒ぎ大好きな騒がしい人ばかりだが、何だかんだ真面目な人が多い。進路考えてなさそうな人でもちゃんと考えている。それもかなり真剣に。

 だからこそ、一夏は余計焦っているのだろう。

 

「そういう弟君はどうなの? 進路は決まってる?」

 

 頷いて答える。

 進路は周りと同じく進学。

 あくまで今のところただの希望で本当に進学できるかは定かではないが、下手に就職希望するよりかは幾分いいだろう。俺達の身の上なら尚更。

 

「それは……そうだけど……」

 

 一夏もそれは分かっているようで難しい顔をしている。

 

「ちなみに進学先は何処?」

 

 言われて正直に答えた。

 すると案の定な反応を楯無さんはしていた。

 

「は~なるほどねぇ~うんうん」

 

「……」

 

 ニヤリとして俺と簪をからかってくる楯無さんに簪は必死に無視を突き通していた。

 

 進学先は簪と同じ学校。

 あまり楯無さんには言いたくないし、簪も知られたくないだろうが、どうせいつかは知られてしまう。下手に隠すよりもさっさと言ってしまった方がいい。どうせいつ言ってもからかわれる。

 現に今、予想通りの反応をしているわけだし。

 

「ここを卒業しても同じキャンパスで変らずイチャつくのね、我が妹と弟は」

 

「下品な言い方やめて」

 

「本当のことじゃない。羨ましいわ~。今からそっちの学校受けなおそうかしら」

 

「絶対止めて……来ないで。それに別にそういうつもりで選んだわけじゃないから」

 

 苦しい言い訳にも聞こえてしまうが、事実だ。

 二人で選んだ大学だけど、それぞれいきたい学部があったから選んだまでのこと。

 一緒の学校の方がいろいろと都合がいいのは確かだが、何も楯無さんの言っているようなことだけではないと言っておきたい。

 

「はいはい、分かってますよ」

 

 分かってなさそうな表情を楽しげに浮かべる楯無さん。

 もういいや。適当に流しておこう。

 

「うん……その方がいい」

 

 そう言う簪の口調は至極飽きれたものだった。

 

「でも、そうなると……進路が決まってないのは一夏君だけになるわね」

 

「えっ……のほほんさん(本音)は?」

 

「私もかんちゃんと同じところだよ~」

 

 本音の進学先も俺達と同じだった。

 行きたい学部こそ本音も見つけているが、本音の場合は簪が行くからという理由が大きい。

 それも従者だからということなんだろう。実際、虚先輩が進学した学校も楯無さんが進学する学校と同じだ。

 今時古臭いと思わなくはないが、部外者である俺が何か言うべきことではなく、本音と簪の両人は多少なりと納得しているみたいだし、今これ以上言及すべきではない。

 

「マジか……」

 

 焦っているというよりかは一夏は落ち込んでいた。

 周りの人だけではなく身近な人、恋人までちゃんと進路を決めているのに、自分だけ考えてなかったという現実をつきつけられたからといったところだろう。

 

「言っといて何だけど、焦りは禁物よ、一夏君。ただ、ゆっくりもしてられないけど……一年はあっという間なのだからね」

 

 確かにそうだ。

 来年の今頃には俺達も受験生。下手すると、合否が出ている頃だ。あまり悠長にしてはられない。

 一夏をこれ以上焦らせるつもりはないが、どのみち三年生になればすぐに進路はきっはりさせないといけないしな。

 

「だよな……将来のことって将来過ぎてあんまり考えたことなかったけど……進路ぐらいは真面目に考えないとヤバいよな」

 

「んー何ならおりむー(一夏)も同じところに進学する~?」

 

「それもありっちゃありだよな……」

 

 何はともあれ、これで一夏も真剣に進路を考えるきっかけにはなったみたいだ。

 後は決めて、期限までにあの用紙を提出すれば、ひとまずはことなきをえる。

 本決まりの雰囲気はあるが、これはあくまでも希望調査書なわけだし。

 

「だな」

 

 一夏は力強く頷いていた。

 

「もっとも、二人の将来こそはある意味安定よね」

 

「どういうことですか?」

 

「そのままの意味よ、一夏君。簪ちゃん達と付き合ってる二人は将来的に名実ともに更識家の縁者になるわけだし。弟君にいたっては、更識の本家の人間になる。当主である私と姉弟になるのだから」

 

 こんな身の上だ。

 そうなればある意味、安定とは言える。平穏とは程遠くなりそうだが。

 

「弟君が正式に弟になってくれるのが楽しみね。妹もいいけど、弟もほしかったもの。簪ちゃん共々可愛がってあげるわ。たっぷりとね」

 

 楯無さんは、含みのある嬉しそうな笑みを浮かべている。

 嫌だなその表現と言い方をしてくるのは。

 何だか悪寒までしてくる。

 

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいのに。というか、今のうちから当主様に愛想振りまいたほうがいいんじゃない?」

 

 愛想悪いのは認めるが、だからってそんなことはしない。

 いくらなんでも下心が見えすぎろ、それは。

 というか今更、俺がそんなことしても楯無さんは失望するだけ。そういうことされるの楯無さん、実際好きじゃないだろうに。

 

 そんなことを言うと楯無さんは、感心した後、また嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「あ……そう。お見通しってわけね。弟がこんなにもお姉ちゃん理解してくれていて嬉しいわ」

 

 ああそう。

 楯無さんが楽しそうで何より。

 

「兎も角、進路選択は焦らず慎重かつ迅速にね。たかだか目先の選択かもしれないけど、貴方達男子二人にとってはこれからの全部を決めるような決断になりかねないからね。例えば、学業を卒業した後将来的やり続けたいこととか、夢とか」

 

「やりたいこと……」

 

 夢か……。

 

 

 

 

 「ねぇ……」

 

 自室で夜の日課である二人での自習をしている時だった。

 簪に呼びかけられ、手を止め、顔を上げる。

 どうかしたんだろうか。

 

「どうかしたって……それはこっちの台詞。ずっと考え事しているみたいだけど……どうかしたの……?」

 

 鋭い。

 確かに考え事していたけど、顔に出ていたのか。

 

「ううん、別に……でも、何だかそんな雰囲気感じたから」

 

 そういうこと。

 考え事と言っても難しいことを考えていたわけじゃない。

 何となく、将来について、将来の夢のについて考えていた。

 

「将来の夢……ああ、お姉ちゃんが言っていたこと?」

 

 そうだと頷く。

 進路、進学先は決めたが、学業を卒業した後将来的にやり続けたいことを、夢をあまりちゃんと考えたことがなかった。

 一夏のように将来のことすぎるからってのもあるが、今いい機会なんだ。考えといて損はない。

 それに楯無さんが言ったようにある意味では将来安定かもしれないが、だからといって更識家に、簪に甘え続けるつもりはない。男なのだからしっかりしていなければならない。

 

「ふふ、相変わらずだね」

 

 そう言う簪は、将来やりたいこと、将来の夢があったな。

 

「うん……将来、私はちゃんと正式な国家代表選手になる。そして、一つの大きな結果を、モンド・グロッソで優勝する。あなたと一緒に学んだことを活かし、この打鉄弐式で」

 

 待機状態である打鉄弐式を抱きながら、簪はそう力強く言った。

 

 これが簪の将来やりたいこと、夢。常々聞いていたが、いい夢だ。

 目標をかかげ前向きに頑張り続けている簪の姿は、やっぱり眩く光輝いている。そんな簪が好きだ。

 だからこそ、これからも俺は力の限り、それ以上に全力で簪のサポートはしていきたい。

 

「ありがとう……それはこっちからもお願いしたいな。そう言うあなたのやりたいこと、夢って何……? 分かってると思うけど、私のサポートとかはなしだから」

 

 将来やりたいこと、夢か……。

 簪ほど明確ではないが、今後もISに関わり続けたいと考えている。

 

「ISに……?」

 

 簪の言葉に頷く。

 ISに関わったことで今の生活、今の俺が出来た。普通の生活を送っていたままなら体験しできなかった大変なことや辛いことを沢山体験してきた。だけど、悪いことばかりじゃない。

 ISのおかげで、簪と出会うことが出来、ISがきっかけでこうして簪と交際するまでに至った。

 感謝はすれど恨みはしない。俺にとってISは大切な存在だ。

 

 それに今、バイト扱いで倉持の武装テスターをしているが、それに遣り甲斐を感じて楽しくなってきた。ISに乗るのが楽しい。出来れば今後も、将来的にも続けていけたらいいなと思う。

 それは自分でなくても出来ることだが、こんな身の上だからこそ、自分が出来ることをやり続けたい。

 ゆくゆくはもっと知識や技術を身につけ、様々な事柄に役立てられるようになりたい。これが俺が将来的にもやり続けたいこと。将来の夢だ。

 

「そう……あなたらしい夢だね。その……私のほうこそ、サポートさせてね……?」

 

 ああ、もちろんだ。こちらからもお願いしたい。

 しかし、こうして夢とかを言葉にすると照れくさいものがある。

 照れくさいと言えば、もう一つあった。

 

「……?」

 

 言いかけて躊躇する俺を簪は不思議そうに見る。

 ここで言葉を惜しむべきではない。むしろ、愛する者には言葉を尽くさなければ。

 

「――っ、……!」

 

 伝えると簪は、顔を真っ赤にして俯いた。

 言った言葉とは、もうひとつの夢。簪を幸せにするということ。簪と幸せな家庭を築くということ。

 夢と言うよりかは目標に近い。

 青臭い。いや、恥ずかしいことを言っているが、言葉にしなければ伝わらない。

 

「嬉しい……でも、それだけじゃ嫌……」

 

 思わず、間の抜けた声で聞き返してしまった。

 言葉通り、簪は確かに喜んでくれていて、それは嘘ではないのは俺にも分かるが、ダメだったか。

 言葉を尽くしたが、それはまた尽くしたつもりになっただけで、結局は言葉足らずに。

 

「もうっ、違うってば……あなたが私を幸せにしてくれるのは嬉しい。でも、それだけじゃ嫌。あなたが私をしてくれるのなら、私もあなたを幸せにするから」

 

簪の言葉が心に響く。

 そういう意味だったのか。安心した。嬉しい。

 簪が幸せにしてくれるのなら、もっと簪を幸せにしてあげたい。

 

「私だって、もっともっとあなたを幸せにしてあげるんだから」

 

 二人して張り合ってしまう。

 それが何だかおかしくて二人して笑いあった。

 

「ふふ……私はね、あなたと出会えて本当によかった。あなたと出会えたことで前向きになれることが出来た。そのおかげで私は今も頑張り続けることが出来ている。ありがとう」

 

 目を見つめ、真剣な表情で真摯に気持ちを伝えてきてくれる簪。

 

「私はあなたが好き。あなたの優しさに、暖かさに、強さに触れて、私の中であなたという存在が大きくなった。これほど誰かを愛おしく、大切に感じて思えたのはあなたが始めて」

 

 簪の言葉、一つ一つが胸の中へと溶けていき、暖かくなる。

 惜しみない言葉がこんなにも嬉しくて、幸せな気持ちにさせてくれる。

 

 そして、簪はとっておきの言葉を言ってくれた。

 

「あなたを愛している。これからもずっと一緒に生きていこうね」

 

 まるでそれは誓いの様な言葉。

 しかし、それが簪が伝えくれる本心ありのままの言葉。

 

 ならば、俺がすべきことは、伝えるべきことは一つ。

 俺も簪を愛している。これからもずっと一緒に生きていこう。

 これが俺が簪に伝える惜しみない真実の言葉。

 

「嬉しい」

 

 そして、ゆっくりと唇と唇が近づいていく。

 

 「んっ……」

 

 結婚式でするような永遠の愛を誓うキスを交わした。

 簪の柔らかな甘い唇を確かに感じる。

 唇と唇がただ触れ合うだけキスだったが、今はこれで充分だった。

 

 そっと離すと、何だかくすぐったくて二人して笑いあった。

 脈絡がなく、少々大げさだったかもしれない。

 

「そうだね……でも、これでいい。幸せだから」

 

 そうだな。

 

「私を幸せにしてなんて言わない。だから、二人一緒に」

 

 二人一緒に幸せになっていこう。

 

 将来、未来なんてものは気づけばすぐそこだ。だからこそ、今までと変らないこの時間を、これからも大切に育んでいけばいい。

 誰でもない俺達自信がそう望み、歩んでいけば、きっと。

 これからも変らず続き輝いていく。簪とのありふれた日々は――。

 




去年の11月3日から始め今年の11月3日で丁度一年。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
最終回と銘打ちましたが、あくまでも区切りの意味合いでの最終回ですので、今後もおそらく続いていきます(季節ネタなどや馴れ初め、リクエスト消化していきたいので

今後ともお付き合いしていただける嬉しいです。
要望などや話的なリクエストなどかあれば、活動報告のほうにどうぞ。
感想お待ちしております。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪に看病してもらって

 今日、風邪を引いてしまった。

 節々の痛みや咳が出たりすることはなく、そこまで酷いものではない。

 ただ少し鼻水が出て、熱が高くて体が少しダルいぐらい。

 今さっき診察してもらった寮の医務室の先生曰く、ちょっとした過労と急な季節の代わり目による風邪とのこと。最近、多いらしい。

 確かに秋だと思ったらもう冬が始まっている。場所によっては雪がもう降るほどの変りようだ。朝、トレーニングしてた時、かなり寒かった。

 それでも風邪を引いてしまうとは体調管理がなってない。我ながら情けないな、まったく。

 

 ここで無理をするわけにもいかないから、大事を取って今日学校を休むことにした。

 担任の織斑先生には休む連絡をして、了承を得ている。

 気休め程度ではあるが常備してあった風邪薬を飲んだから、後は一日寝て体を休めるだけ。

 たくさん着こんでひとしきり寝て、汗をたくさんかけば、明日にはよくなっているはずだ。

 

 寮食の人にお昼のお願いしたから、後は寝る。

 と、その前にやることがもう一つあった。簪達へ一言言っておかなければ。

 一夏か本音に授業のノートとか頼まないといけないし。

 そう思い今朝二度目にスマホを見た。すると、いつものように簪からのメッセージが来ていた。

 随分と時間が経ってしまっているが。

 

《山田先生から風邪で休むって聞いたけど調子はどう?》

 

 山田先生、わざわざ伝えてくれたのか。おかげで説明の手間が省けた。

 まず先に一夏や本音がいる四人のグループで今日休むこと、理由、症状を簡単に説明して、今日のことをお願いした。

 それから簪へ返事を返す。なるべく心配させないように。

 

《そう。今から様子見に行ってもいい?》

 

 来ると思ったその言葉。

 気持ちは嬉しい。簪の顔を見たいが、今から寝るところだし遠慮してもらった。

 

《じゃあ、お昼休みは?》

 

 それも遠慮してほしい。

 というか、治るまで来ないでほしい。

 もちろん、お見舞いに来てくれるのは嬉しい。よくよく考えれば、風邪を引くなんてIS学園入って初めて。数年来ぶりのこと。心細さみたいものがないわけではない。

 しかし酷くないとはいえ、風邪は風邪だ。鼻水出るから、移るかもしれない。

 元はと言えば、俺の体調管理不届き。だからこそ、こんな弱った姿は簪には見られたくない。

 

 既読がついただけで返事がこない。

 しぶしぶにでも納得してくれたか……。

 そう思っていると返事が来た。

 

《お昼休み行くから。必ず》

 

 ただ文字だけなのに、凄い力強さを感じてしまった。

 怒らせたか? しかしな、来てもらっても……といろいろ考えてしまう。

 これ以上どう言えばいいのか分からず、そこで俺はスマホを置いた。

 とりあえず、今は寝よう。

 

 

 

 

 額にひんやりとしたものがあたっている。

 それを感じて、ふと目を覚ました。

  

「ごめんなさい……起しちゃったね」

 

 目を開け、聞き慣れた愛しい人の声が始めに聞こえた。

 声のほうへ向くと、そこにいたのは簪だった。

 マスクをして、俺の額に手を当ててくれている。少しひんやりしたその簪の手が気持ちいい。

 

 簪が来たと言うことはもう昼。それも昼休みか。

 もう少し早く起きるつもりでいたが、風邪のせいか思ったよりも寝すぎてしまった。

 

「体調の方はどう……? 少しはマシになった……?」

 

 風邪薬が早く効いて、たくさん寝て汗をかけたおかげで、朝よりかは大分マシになった気がする。

 まだちょっとした体のダルさや熱っぽさはあるが、これなら明日の朝にはよくなっているはずだ。

 

「そう。よかった」

 

 マクス越しでも簪が安心してくれているのが見て取れた。

 

 しかし簪、本当に来てしまったか。

 嬉しいのは勿論だが、マシになったとは言え、まだ風邪が完全に治りきった訳じゃない。

 マスクをしてくれているが、絶対に移らないわけではない。

 だから、素直に喜ぶことが出来ず、つい強めの口調で何で来たと言ってしまった。

 

「……」

 

 は?それを聞くの?

 とでも言わんばかりに、ただ静かに簪はキッと睨んでくる。

 

 聞かないわけにはいない。言わずにはいられなかったことではあったが、やはりこうしてわざわざ聞く必要もなかった。風邪の身であっても何で来たかなんて聞かずとも分かる。

 心配してくれているからこそ、来るなと言われても来てくれたまでの事。

 

 だから、んなことを言えば、怒らせてしまうのは当然のこと。

 実際、静かに睨みつけている簪は確かに怒っていた。

 

「……」

 

 一瞬、目を閉じ、それで気持ちを切り替えたように簪は言った。

 

「心配してるからに決まってるでしょう。ただそれだけ。これは私の我が侭。風邪を引いてる時ぐらい……風邪を引いている時だからこそ、私を頼ってほしい。風邪の時にも何でも一人でしようとしないで」

 

 悲しい表情の簪に心が痛む。

 別に頼ってないわけじゃない。

 ただやっぱり移したくないのと、男として風邪だとしてもこんな弱った姿を簪には見られたくなかった。それだけなんだ。

 でも、それが独りよがりになって、今こうして簪を哀しませている。悪いことをしてしまった。

 

「気にしないで。来るなって言われたのに我が侭で来て迷惑かけてるの、私なんだし……」

 

 迷惑だなんてそんなことは決してない。

 素直に嬉しい。ありがとうの気持ちで一杯だ。

 

「どういたしまして」

 

 言って簪が撫でてくれた。少し冷たい簪の手が体温の高い今の俺にとって凄く心地がいい。

 手の感触が気持ちいい。だからなのか、簪の手に擦り寄ってしまった。

 

「ふふ……可愛い」

 

 撫でてくれる手付きが幼子をあやす様だ。

 照れくさいことこの上ない。

 撫でてくれるのは嬉しいけど、部屋出るときにはちゃんと手洗いうがいするように。そんな照れ隠し言うことしかできなかった。

 

「分かってる。予防はちゃんとしてるから心配しないで……そうだ、お昼ごはん食べれそう? あなたが頼んでたお粥、寮食の人から貰ってきたんだけど」

 

 今だ熱そうなお粥が入った小さい鍋が出てきた。

 そうだ。お粥頼んでたのをすっかり忘れてた。

 吐き気はないし、朝食べてないから食べられる。というか、かなりお腹が空いている。

 

「そう。じゃあ……」

 

 スプーンを持った簪から受け取ろうとしたが、持った手を引っ込められた。

 素手で食べろってことなのか。

 

「そんな訳ないでしょう。……ふぅふぅ……はい」

 

 掬ったお粥を一度冷ますと、簪は下に手を添えそのままスープンを向けてきた。

 これってまさか。

 

「……あ~ん」

 

 戸惑っているともう一度、スプーンを向けられる。

 そのまさかだった。有無を言わさないように簪はじっと見つめてくる。これは大人しく食べるしかなさそうだ。

 口を開けるとそのままスプーンが運ばれ、食べさせてもらった。

 

「ふふっ……よろしい」

 

 満足げな簪。

 結構だが、するのは好きでも、されるのには慣れてない。

 だからなのか、あまり食べた気がしない。自分で食べさせてほしい。

 

「だめ。今日は私が食べさせてあげる」

 

 と言って、再びスプーンを差し出される。

 今日の簪はしたがり屋のようだ。だったら、仕方ないな。今日ぐらい、甘えさせてもらおう。

 そうして簪に食べさせてもらい物の見事に完食した。

 

 しかし、何だ。

 こうして食べさせてもらうと、以前簪を看病した時のことを思い出す。

 こんな風にお粥を食べさせたな。あの時は俺が食べさせる方だったが。

 

「そうだね。あの時のあなたが私に看病してくれたように上手く看病できるか分からないけど……私も上手く看病できるように頑張るから」

 

 そう簪は意気込んでいた。

 別にそこまで意気込まなくても簪は充分よくやってくれている。

 不器用ながらにでも一生懸命にあれこれ励んでくれている簪は甲斐甲斐しい。

 不謹慎かもしれないが今日風邪を引いて、簪が彼女でよかったと真摯に思う。

 

「お、おだてたって……何もでないんだからね……」

 

 照れ隠すようにベットへと誘導され、布団の中に入る。

 すると、簪が布団を掛けなおしてくれた。

 ご飯を食べて、薬も飲んだからまた寝るだけ。満腹になったから、眠気はある。

 頭では分かっているが、そうなるとここで簪と別れになる。変に名残惜しく感じてしまうのは風邪のせいなのか。

 だからって、簪は午後から授業あるのに長居されてもそれはそれで困るが。

 

「学校終わったらまた来るから……まだ、何かしてほしいことはない……?」

 

してほしいことか……。

俺は何も言わず、簪へと手を伸ばした。

 

「……? ああ、そういうこと。分かった」

 

 何を望んでいるのか簪は察してくれて、手を取って握ってくれた。

 これならまたよく眠れそうだ。

 

「うん……おやすみ。早く良くなってね」

 

 開いたもう片方の手で頭をなでてくれる。

 優しい手付きに誘われるように眠りへとついた。

 

 

 

 

「もうすっかり熱は下がったみたいだね……よかった」

 

 体温計に表示された平熱を指し示す数字を見て、簪が安堵の表情を浮かべた。

 

 夜もまた簪が様子を見に来てくれている。

 ちなみにだが、ついさっきまで一夏と本音達もお見舞いに来てくれていた。

 熱はすっかり平熱まで下がり、風邪的な体のダルさも引いてほぼ全快。

 しいて何かあるかと言えば、寝すぎてダルいくらいか。

 

 本当なら風呂に入るべきだろうが、今日は大事を取って体拭くだけにしておこうと思う。

 

「わ、私が拭く……! 拭かせてください……!」

 

 物凄い勢いで簪がせがんで来た。

 思わず後ろへたじろいでしまった。何もそんなにがっつかなくても。

 

「だ、だって……今日、看病らしい看病、何も出来なかったから……」

 

 そんなことはないと思うが、簪の気がすまないようだ。

 やりたいようにやらせてあげよう。

 ということで、上の服を脱ぎ、上半身を用意してもらったタオルで拭いてもらった。

 

「よいしょ……よいしょ……えっと、お加減? はどうですか? かゆいところありませんか……?」

 

 おもしろい。何だか美容室で髪を洗われている時によく聞く台詞だな、それ。

 いい感じだ。手の届かない背中から隅々までしっかり拭いてくれる。少しくすぐったいが、それがまた気持ちいい。

 

 拭いてもらっていると、ふと簪の手が止まった。

 そして、背中に頭を当て、後ろから抱きしめてくる。

 どうかしたんだろうか。様子を確認しようと、振り向こうとしたがそれがそれは叶わなかった。

 

「本当によかった……よくなって」

 

 声が震えている。というか、明らかに涙声だ。

 見えなくても簪が泣いているのが分かった。しかし、何故。

 

「だって……あなたが風邪を引くなんて初めてで正直私不安だったの。けど、よくなったあなたを見たら安心して何だか嬉しくて涙が止まらないの」

 

 感極まっての嬉し涙らしい。

 大げさだなと思ってしまうが、それだけ簪は俺のことを心配してくれたという証拠に他ならない。

 嬉しい限りだ。

 

「ごめんなさい……泣いちゃって。看病だって何もしてないのに……」

 

 相変わらず後ろから抱きしめたまま、簪は落ち込む。

 何もしてないわけないだろう。昼ごはん食べさせてくれもしたし、今だって体を拭いてくれた。

 何より、簪が会いに来てくれたおかけで早く元気になることが出来た。それが凄い効いたと実感する。病は気からとも言うしな。

 

「ありがとう……そう言ってくれると嬉しい……」

 

 簪の声が明るくなり、元気を取り戻してくれたことが分かった。

 離れてもらうと服を着て、簪の方へと向き直る。

 泣いてバツが悪いのか、目をそらされる。

 

「やだ……見ないで。そんなに見つめられると……」

 

 見つめられると?

 

「その……うぅ……キ、キスしたくなるのっ……」

 

 簪は恥ずかしそうに言った。

 さっきまで泣いてたのに、キスとは。まあ、寂しい思いさせたし当然か。

 だけど、まだ治りかけだ。用心していたい。

 

「分かってるってば……あなたは風邪なんだから本当に甘えてほしいのに……」

 

 これでも充分甘えてるつもりだ。

 甘えるついでにそうだ。明日にはいつも通りの生活に戻れているだろうから、今日のお礼も兼ねて週末にデートしよう。

 

「いいの……?」

 

 もちろんと頷く。

 だから、もう少しだけ看病してほしい。

 

「うん……! 任せて……私、頑張るから……!」

 

 笑顔を見せてくれる。

 やっぱり、簪にはどんなときでも笑顔でいてほしい。

 甲斐甲斐しく看病してくれる簪を見ながら、そんなことを思ったのだった。

 




XIWEI様のリクエストで「簪を庇って事故り、寝込んでいる主人公の側で簪が看病をしており、主人公が目覚めた時に感極まって…」
にお答えする形で看病ネタでした。
時間かかった上に事故ってのは添えませんでしたが、こんな感じです。

という感じでリクエストはお答えしていきます(一夏と本音カップルの話とかも
リクエストは相変わらず募集中です。
もしかしたら出来ないかもしれませんが、感想を書いてからお気軽にリクエストどうぞ。


今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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惜しみない口づけを簪に

22箇所のキスの意味
髪の毛:思慕。額:祝福・友情。瞼:憧憬。耳:誘惑。鼻:愛玩。頬:親愛、厚意、満足感。唇:愛情。喉:欲求。首筋:執着。背中:確認。胸:所有。腕:恋慕。手首:欲望。手の甲:敬愛、尊敬。手の平:懇願。指先:称賛。お腹:回帰。腰:束縛。太もも:支配。脛:服従。足の甲:隷属。つま先:崇拝


 雨が降って冬の寒さが増す休日。

 今部屋で簪と二人で映画を見ながら過しているが、これがまた面白い。

 面白いってのは映画の内容がではなく、一緒に見ている簪の様子がおもしろい。

 

「うわぁ~……」

 

 とか。

 

「え……そんなに激しく……」

 

 など言って俺を背もたれにして両足の間にいる簪は、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。

 言葉だけ聞くと何だかいかがわしいアレなのを見ていると勘違いされそうだが、見ているのはいたって普通の映画。

 もっと詳しく言うなら、今見ている映画は一昔前に流行ったらしい古い洋画。ジャンルは恋愛物だが、恋愛物だからと言うべきなのか、洋画ゆえになのか恋愛描写、特にキスシーンやベットシーンは情熱的かつ過激だ。

 ディープキスが物凄くいやらしく表現されているのが、また凄い。洋画って凄いな。

 ストーリーはおもしろいが見ていて、俺も結構恥ずかしい。思わずなところもあるし。

 

「あ、あぁ……すごい……」

 

 簪は両手で顔を隠して見ないようにしているが、指の隙間から覗いて魅入っているのが分かる。

 直視できないだけで、本当はそのシーンが気になって仕方ないといった様子。

 そんな様子を見ているとエンジンかかった簪は、あれ以上に凄いのにやっぱり恥ずかしいんだなとつい思ってしまった。……まあ、それとこれとは別なのもちゃんと分かる。

 映画よりも恥ずかしがりながらも魅入っていろいろな様子を見せてくれる簪をしている方が楽しい。

 俺は映画よりも簪に魅入っていた。

 

 それから物語はハッピーエンドで締めくくられ、映画は無事終わった。

 

「……」

 

 二人して無言になる。あんなシーン見た後だからどう話したらいいのか分からない。

 とりあえず内容そのものはよかった

 

「……う、うん。そうだね……よかった。それとその……す、凄かったね……」

 

 まあ確かに凄かった。

 しかし、それだけ言われるとベットシーンやキスシーンの感想を言ってるんじゃないかと、つい思ってしまう。

 全体的にってことなんだろうが、終わった今も簪は恥ずかしそうにしているから尚更。

 

「うぅぅ……」

 

 下の方を向いて恥ずかしそうにしている簪。

 顔はちゃんと見れないが、見なくても顔真っ赤なのは分かる。

 部屋に気まずい空気が流れる。これからどうするかな……。

 

「……」

 

 ぎこちなく振り向いた簪と目があう。

 あのシーンのことがまだ脳裏に焼きついているのか、恥ずかしそうにしていて、何だか瞳が艶やかに潤んでいる。その姿はやけに色っぽい。

 それに簪はじっと俺を、俺の唇を見つめてきている。ああ、そういうことか。簪が何を考えているのかよく分かった。というか、そんなに見つめてたら嫌でも分かる。

 でも、ここはあえて何も知らない、気づいてないフリをする。そして平然を装って、どうかしたかと問いかけた。

 

「……っ、べ、別に何でも……ない……」

 

 ぷいっとそっぽを向く。

 しばらくするとまたすぐ、何か言いたそうな目でこちらを見つめてくる。何だか面白い。

 他の誰かに聞かれる心配もないんだから、言いたいことがあればはっきり言えばいいのに。

 

「だ、だから……別に何でもないって言ってるでしょう」

 

 そう言ってまた簪は、ぷいっとそっぽを向いた。

 簪がそういうのなら、本当に何でもないんだろう。

 しつこく聞くのも悪いから、これ以上は聞かないでおこう。

 

「今日のあなた何だかいじわる……」

 

 拗ねてしまった。

 確かにいじわるが過ぎたな。

 でも本当、言いたいことがあれば言ってくれればいいし、言いたくなければ言わなくてもいい。

 簪次第だ。

 

「……言う。でも、笑ったりしないでね。絶対にだよ」

 

 そんな念を押す様に言わなくても分かっている。

 

「あ、あの……ね。キス、したい……」

 

 恥ずかしそうにそう簪は言った。

 それは知ってた。キスぐらい勝手にって言ったらアレだが、キスぐらい好きにしたらいいのに。

 

「そういうのじゃなくて……ディープキス」

 

 ディープキスか……まあ、それも好きにしたらとしか。

 そう思ったが簪は、何だか躊躇っている様子。

 

「やっぱり、いい……い、今キスすると我慢、できなくなるから……」

 

我慢?

 一体何を我慢するというんだろうか。

 

「えっ? えーと……それはその――」

 

 恥ずかしそうに小声でごにょごにょ言っていて上手く聞き取れない。

 つい聞き返してしまった。

 

「……えっちな、こと……」

 

 消え入りそうな声で顔を真っ赤にして恥ずかしそうに答えてくれたが、俺は一瞬言葉を失ってしまった。

 まあ、簪の今の様子やさっきの映画の内容とか諸々のことを考えれば、今我慢するってのはそれぐらいか。言ってもらって何だけど、反応しづらい。

 

「だから、キス我慢する。それにまだ昼間だし、替えの用意もしてないし……」

 

 それはもっともだ。簪の言う事は正しい。

 

「でも……その、あなたのほうがキス我慢できなくなったら言ってね……? その時は考えるから」

 

 何故か気遣われてしまった

 そんな変に気をまわさなくても大丈夫。

 簪が我慢するのなら俺もそういう気になったら我慢する。

 

「えっ……」

 

 簪が悲しそうな表情を浮かべる。

 そんな顔されても……最初に我慢するって言ったのは簪の方だ。

 

「うっ……それは……そうなんだけど……」

 

 複雑そうな顔してまだ我慢しようとしている。

 そして、しばらくするとぽつりと言った。

 

「ごめんなさい……私の方がもう我慢できません」

 

 だと思った。

 仕方ないか。あんなシーン見たらな……。

 

「うん……映画見終わってもあのキスシーンが頭に焼きついてて、ずっとあなたとキスしてるのを思い浮かべてました……ごめんなさい」

 

 別に謝らなくても。

 キスぐらい人前でするわけじゃないのだから、我慢しなくてもいいとは思うけど。

 正直、俺だって簪とキスしたい。

 

「私もあなたとキスしたい……でも、ディープキスするといやしい気分になっちゃう。だから……」

 

 だから?

 

「ディープキスは禁止。でもその代わり、お互いの全部に……キスしあいたい」

 

 魅力的な提案。

 だがしかし、そっちのほうが余計我慢できなくなりそうな気がする。

 そんな言葉が喉まで来たが。

 

「だめ、だよね……?」

 

 しゅんとして言われたら、断れない。

 ずるいな、まったく本当に。

 簪の気がすむように、付き合うおう。それを示すように俺は、簪をひょいと抱き上げ、お姫様抱っこする。

 

「な、何?」

 

 こんな床よりかはベットのほうがいいと思ったんだが、ベットは嫌なのか。

 

「ううんっ、ベットのほうが、いいです……」

 

 伏し目がちでそう恥ずかしそうに言った簪をベットへと連れて行くのだった。

 

 

 

 

「……っ」

 

 緊張した様子で簪はベットの上で横になる。

 そんな緊張しなくても大丈夫。

 俺は、簪がかけているメガネを取り、脇へと置くと緊張が少しでも和らぐようにと、頭を撫でる。

 

「ん、大丈夫……きて」

 

 簪の了承を得てキスをしていく。

 横になっている簪に多いかぶさるようにして、まず最初に髪へと口付けをする。

 すると、鼻先に髪の毛のいい匂いがして、簪のことが愛おしくなる。

 その思いが少しでも簪に伝わるようにと次は額へ口付けた。

 

 そして次にだんだん下へと降りて、今度は瞼に唇で軽く触れる。

 いつも頑張る簪を褒めて癒すように。

 

「んっ……くすぐったい」

 

 その言葉通り、簪はくすぐったいそうに身をよじらせた。

 気持ちよさそうにリラックスしてくれているのがよく伝わってくる。

 ならばと、耳へと口付ける。ついつい甘噛みして簪の反応を楽しみたくなるが、今日はグッと我慢。

 しかし、キスだけというのは物足りなさを感じたので一言囁いていた。愛している、と。

 

「ひゃぁ……み、耳元でそんなこと言わないで」

 

 嫌だったのか。

 残念がるように鼻と頬に口付けた。

 すると、簪はジトっとした目で見つめてくる。

 

「わざと聞いてるでしょう……? そんなことないって分かってるのに。本当、今日のあなたっていじわる」

 

 好きな子ほど苛めたくなるって奴だな、これは。

 

「もう、何それ……でも、私も好き。愛してる」

 

 何度言われても嬉しい。愛しい人に好きだって言われるのは。たまらないものがある。

 俺もまた愛の言葉を返すと、二人の唇と唇は重なり合った。

 ついばむように口付けあって、くすぐりあうようにチュッ、チュッと音を立ててキスをしたりする。

 ついつい舌が伸びそうになって、歯止めをかけるように喉に口付けていく。

 

「んっ、やぁ……んんぅ」

 

 艶っぽい声をあげる簪。

 感じているのだろうか。頬は昂ぶったように紅潮しているが。

 

「い、言わない……」

 

 残念だ。

 言わせてやりたくなるが、趣旨を変えてしまいそうなので今はあきらめよう。今は。

 

 簪に体重がかからないように両膝で立ちながらも馬乗りになって右手を取る。

 そして指先から手の甲。指の腹、手の平に満遍なくキスを落としていった。

 簪の手は綺麗だ。

 

「そう……?」

 

 自分ではそうだとは分からないようで、照れた様子で尋ねてくる。

 とても綺麗だ。それにこうふわふわとしていて、優しい温もりみたいなものを感じる。安心する手だ。

 いつもまで触れていてくなる。独り占めしたくなる。

 そんな欲望が溢れてか、指と指を絡めながら手首に口付けていく。

 

「あ、はっ……くすぐったい」

 

 腕にキスをすると、服に手をかけた。

 

「ま、待ってっ。服脱がすつもりなの……?」

 

 そのつもりだ。

 というか、脱がさないとまだキスしてないところに出来ないだろう。

 まだキスし足りない。何より、全部にキスしろって言ったのは簪の方だ。ここでお預けはなしだ。

 

「それは分かってる。ってっ……! もうっ、脱がさないで……!」

 

 恥ずかしくて今更ながらにでも迷うのは分かってあげられなくないが、簪を待ってると時間かかるし。それにどうせ脱ぐのなら、脱がせたい。そう思い簪の服を脱がせた。

 とは言っても全部脱がした訳ではなく、シャツのボタンを外して前のみを(はだ)けさせた。

 露になる下着姿の簪。目尻に涙を薄っすら浮かべて恥ずかしがっている今の簪の様子はとても魅惑的で正直かなりそそられる。

 

「そんなに、じっと見ないで……え、えっち……」

 

 なんとでも言ってればいい。男の正しい反応だ。

 というか、こんなこと誘ってきた簪が言えたことではないな。本当はどっちがそうなんだか。

 

 少しばかり叱ってくる簪をするりとかわして胸元へと再び口付けを再開した。

 ブラジャーをしていても胸は胸。先ほどとは違う柔らかな感触が唇を通して伝わってくる。

 普段はこういったところにキスしないが、こうしてただ胸元にキスしているだけでも充分楽しい。

 というか。

 

「きゃっ、な、なに?」

 

 ふと、俺は簪の谷間に顔を埋めていた。

 匂いがする。

 

「そう、なの……?」

 

 簪の匂いはどこもいい匂いで癒されるけど。

 ここだけ何か違ういい匂いがする。すごい落ち着く。

 オマケに顔で感じる胸の感触は気持ちいい。

 

「や、ぁ……私の胸、小さいのにいいの……?」

 

 いいもなにも、簪の胸だからこうしている。

 大きさなんて関係ない。

 

「そうなんだ……ありがとう。嬉しい。あなたの胸なんだからその……好きなだけ、ね」

 

 言って簪は、谷間に顔を埋める俺の頭をなでてくれた。

 このまま先のことに及びたくなる気持ちも当然沸いていたが、今はこうしているほういい。

 好きなだけか……だったら、ずっと独占していたい。

 俺はまるで独占の証でもつけるかのように胸元に少し強めにキスを落とした。 

 

「……んッ」

 

 簪がいやしい声をもらす。

 それを聞きながら横っ腹、腰へと、そしてお腹へと後をつけた時、とある変化に気がついた。

 簪のお腹が熱っぽい。平熱よりもほんの少しだけ熱く、興奮して火照っているかのようだった。

 

「ひゃっ! あ、んん……おへそ、だめ……くすぐったくてっ、ッ、あっ、んふぅ……」

 

 瞳を潤ませ、熱い吐息を漏らしながら、嬌声をもらす。

 その表情は艶かしい。感じているのがよく分かる。

 流石にこれはやりすぎた。ヤバいな……これ以上やると、簪のスイッチを完全に入れてしまいそうだ。

 やめようとすると、腕を掴まれた。

 

「やめちゃ、だめ……まだ大丈夫だから最後までして……ここままだなんて切ない」

 

 熱の篭った瞳でおねだりされたら、止める訳にはいかない。

 

 再開して、右足を持ち上げた。

 すると下はスカートを履いているせいか、スカートはするすると降りていき、下着が見えそうになる。

 ギリギリのところで簪がスカートを押さえていて、後一歩のところで見えない。

 

「今はちょっとヤバいから……み、見ないでっ」

 

 そんなに必死に言わなくても大丈夫。

 というか、見なくてもどうなっているのか想像がついてしまう。

 

「うぅ~……」

 

 うらめしそうに見てくるのを他所に俺は、靴下を脱がして、太股を撫でる様にキスしていく。

 簪の太股も綺麗だ。競技者らしく鍛えられ日増し待った健康的な太股。それでいて柔らかいとバランスがいい。

 

「やっ、んっ……」

 

 感じて力すらもう入らないのか、反射的な抵抗すらない簪の身体にキスをしていると何だか少し支配した気分になってくる。

 でも支配しつくたい訳じゃない。また服従するように脛や足の甲へと降りていき、つま先に軽くふれさせた。

 

「はぁー……はぁ……ん、はぁー……」

 

 キスをする度に快感が走りぬけているかのようにビクビクと身体を震わせていた簪は、気持ちを落ち着けるかのようにグッタリとしながら肩で息をしている。

 途中何度も手が出そうになったが、身体のいろいろなところにキスするのは楽しかった。提案に乗ってよかったな。

 

「激しすぎ……もうっ」

 

 飽きれた様に言いつつも簪は満更でもない様子。

 まあ、あれだけ気持ちよさそうにしていればな。

 

「言わない……ん、だっこ」

 

 両手を伸ばし、だっこたをせがんできた簪を抱き上げる。

 

「ちょっと待って、服直すから……」

 

 言って後ろを向いて服を直そうとする。

 動いていたせいか、服は完全に脱げてしまっていた。

 ここからじゃ当然前は見えないが、背中がよく見える。

 

 誘われるように気づけば背中に口付けていた。

 

「んんぅ、もう待ってって言ってるでしょう……こらえ性のない人、めっ」

 

 可愛く叱れ。

 

「さっきたくさんされた分、いっぱい仕返ししてやるんだから……ふふんっ」

 

 脱げていた服を着るだけ着て前も止めないままの簪に俺は押し倒されていた。

 その表情はいたずらを考える幼い少女のように無邪気な悪戯な笑みを浮かべていた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪と冬デート

 新年を向かえ、早数十日経った休日の今朝も冬の寒さは相変わらずといったところ。

 昼頃になれば、いつもよりかは寒さがマシになるとのことだが、それでも寒いものは寒い。

 しかし、学園から駅まで行くモノレール駅で待つ今は不思議と気にならない。何故なら、期待で胸が高鳴っていて、それどころではないからだ。

 その理由は今日簪と久しぶりに遠出デートをするからに他ならない。今は駅でその待ち合わせ中。

 簪が来るのを今か今かとワクワクしながら待つ。

 

「お待たせ」

 

 簪の声だ。どうやら来たらしい。

 俺は、声がした方向へと振り向いた。

 

「待たせてごめんなさい……寒かったでしょう?」

 

 簪は気にかけてくれたが、そんなことよりも気を取られていることがあった。

 今日の簪の服装だ。ノーカラコートというらしいベージュ色のコートを羽織り、中は黒ニットとグレーのスカートに身を包んだ簪。首には白のマフラーを巻いている。大人な上品さを感じさせられる姿。

 それに簪は薄っすらとだが、化粧をしている。それだけで今日はまた一段と気合が入ってるのが見るだけで分かる。

 可愛い。綺麗だ。そんな月並みの感想しか今の簪の姿を見ても思い浮かばなかったが、それは心の底からの本心だった。

 簪のあまりの姿に言葉を失っていたが、ハッと我に帰り感想を言った。

 

「そ、そう? えへへ……嬉しい、ありがとう。でも、そうストレートに言われると照れちゃうね」

 

 照れくさそうに笑う簪。

 ここが学園の近く、外でなければ抱きしめていた。

 それほどまでに照れ笑う簪は可愛い。

 

 だが、いつまでもここでこうしているわけにもいかない。

 朝早くからこうして待ち合わせしたのだから、そろそろ目的地へ行くか。

 

「うんっ」

 

 簪と共に目的地へ向かいだす。

 まずはモノレールに乗って学園からレゾナンス前の駅に行き、そこから電車に乗る。

 向かうは東京都内某所。

 

「人多くなってきたね……」

 

 簪のその言葉通り、目的地に近づくにつれ電車に乗る人が増えてきた。

 まあ、当然だろう。人の多い都会であり、休日とは言え通勤ラッシュの時間帯なのだから。

 人の波に押され、窓際へと追いやられる俺達。

 すると、わざっとやっているわけじゃないが、簪が潰されてしまわないように俺は自然と簪の壁になっていた。

 

「ありがとう……辛かったりしない……?」

 

 それは大丈夫だ。

 むしろ、簪の方が辛かったりしないだろうか。窓際へと追いやるようになってしまってるし。

 

「ん、大丈夫……あんまり褒められたことじゃないってことは分かっているけど、こういうの憧れたから」

 

 遠慮気味ながらも密着するように簪が俺に掴まる。

 何だかそんな姿が子猫などといった小動物を連想させられる可愛さがあった。

 オマケに身長差があって、簪が上目遣いで見つめてくる。これといいシチュエーションといい結構な破壊力があるな、これは。

 

 そうして電車に揺られること約一時間ほど。

 ようやく目的地近くの最寄り駅に着いた。

 そこからまた目的地にへと歩いて向かうのだが、駅から目的地まで5分とかからない。

 建物へと入り、7階までエレベーターで登ると目的地にたどり着いた。

 

「わぁっ……ここがコラボカフェ」

 

 テンションが上がったのか、簪は嬉しそうに目が輝いている。

 俺達がやってきたのは、記録的な興行収入を出した某アニメ映画のコラボカフェ。数回ほど簪と見た。

 映画自体もそうだが、このカフェの評判もいいらしく簪も俺も気になっていたのでデートでここに行こうということになり、今日やって来た。

 人気な店だけあってもうたくさんの人が店の前に列を作っている。しかし早く来たおかげか、これなら思ったよりも早く店内に入れそうだ。

 

「楽しみだねっ」

 

 まだ全然テンションの高い簪。ずっと行きたいと行っていて、目の前にあるのだから無理もないか。

 でもそのおかげでというべきか、そんな簪を見ているだけでこの待ち時間は退屈せずにすみそうだ。

 束の間待つとようやく俺達の番になり、店内に案内してもらい席に着いた。簪と向かい合って座る。

 

「このBGMってあのシーンのだよね……ほら」

 

 店内に流れるBGMに耳を傾けながら、映画のことを話し合う。

 そうしていると、店に入る前にあらかじめオーダーしていた料理が出てきた。

 

「パンケーキ……まんまだ」

 

 簪が注文したのは、作中でキャラ達が食べていたパンケーキを再現したパンケーキだった。

 再現度というか、クオリティ高い。特にモナカで再現された携帯が何だか面白い。

 

「あ、写真取らなくちゃ……ふふっ」

 

 スマホを取り出し、ニコニコと笑顔を咲かせた簪は写真にパンケーキを収める。

 ちなみに他にもドリンクも注文し、それもまた簪は楽しそうに撮っている。

 折角、長いこと並んだんだ。俺も写真取っておくか。

 簪と同じ様に俺もまた注文した料理を写真に収めていた。いい具合に撮れている。これは一夏達に自慢できそうだ。

 

「ねぇ、それでよかったの……?」

 

 少し申し訳なさそうに簪は言う。

 

 俺が注文したのは抹茶パフェ。これもまた作中のものを再現したものなのだが、店の時で注文の品を考えている時、簪はずっとパンケーキにしようか抹茶パフェにしようか迷っていた。

 そこで俺が抹茶パフェを注文するから、簪はパンケーキを注文すればいいと提案し、今に至る。

 何を今更。俺も食べてみたかったし、簪が気にする必要はない。

 

「ありがとう」

 

 嬉しそうに微笑む簪に俺もまた嬉しくなった。

 さて、話もそこそこにしてそろそろ食べてしまわないと。

 人気店なだけに料理を注文してから1時間ほどで出ないといけないのが中々世知辛い。

 

「そうだね……頂きます」

 

 早速俺達は目の前の品を食べ始めた。

 

「うん~っ。甘くて、モチモチしてて美味しいっ」

 

 パンケーキの美味しさに舌を唸らせる。

 

 俺が食べている抹茶パフェも美味しい。

 他のコラボカフェでよくある見た目や雰囲気だけのものではなく、味が結構しっかりしていて、コラボ商品にしては凄い出来だ。

 値段は割高な気もしなくはないが、それでも満足いく一品だった。

 

「本当に美味しい。はぁ~幸せ……」

 

 簪は幸せそうに頬をほころばす。

 それを見ているだけで何だかパフェの美味しさが3割増した気分だ。

 

「あ、そうだ。……よし、あ、あ~ん」

 

 周りに注意し、人をはばって、簪は遠慮気味に一口サイズのパンケーキが乗ったフォークを差し出す。

 遠慮なく頂く。

 

「どう……? 美味しい……?」

 

 それはもちろろん。

 人前で恥ずかしさは当然多少なりとあるがこうして食べさせてもらったし。

 

 しかし、作中に出いたのを再現しただけあってかなり甘い。

 結構胃に来そうだ。というか、太りそう。

 

「太らないもん……ケーキは別腹だから大丈夫」

 

 そういうもの……なんだろうな。うん、きっと。

 

「……」

 

 自分のケーキを食べながら、簪がちらちらと俺の手元にある抹茶パフェを見ている。

 それが何を意図しているのか俺には容易に分かった。食べさせてもらったんだから、お返ししないとな。

 スプーンに一口サイズの抹茶パフェを掬うと、簪がしてくれたように差し出す。もちろん、あ~んの言葉つきだ。

 

「あ、あ~ん……」

 

 少し照れくさそうにして小さな口を開けて、パフェを食べた。

 

「んん~っ、ほろ苦くてほしい」

 

 喜んでくれているようで何よりだ。

 もう一口どうかと再びスプーンを簪へと向ける。

 

「いいの……? ありがとう……あ~む」

 

 パフェを食べるとまた簪は満足げに笑う。

 こんなにも幸せそうにしてくれるのなら、来た甲斐があるというもの。俺はパフェよりもそんな簪を堪能していた。

 

 

 

 

「はぁ……美味しかったね。ありがとう楽しかった」

 

 お礼なんて水臭い。

 俺もまた楽しかった。

 

「でも、これ買ってもらったのに……」

 

 そう言った簪の腕の中にはぎゅっと抱きしめられたハリネズミのぬいぐるがある。

 これもまた作中のものを再現したものらしく、グッズショップで売られていたのを今日の記念にとプレゼントしたものだ。

 他にもあれこれ買ったが、簪はこのぬいぐるみが一番気に入っている様子。きっとこれからこのぬいぐるみは簪に大切にされるのだろう。そう思うと羨ましく思わないわけでもない。

 

「あなただと思って大切にするね」

 

 簪は冗談めかしに言って悪戯っぽく笑った。

 それはそれで恥ずかしいというか何と言うか。

 

 さてと、そろそろ次の場所に行くか。

 腹が満たされたとはいえ、まだデートは途中なのだから。

 とは言っても、この辺りを二人でブラつくだけ。俗にいうウィンドウショッピングという奴だ。

 簪へ手を差し伸べる。すると、嬉しそうにして手を取ってくれる。そうして、指が絡まり恋人繋ぎとなった。

 知り合いの目がないからか、人前でも簪は積極的だ。それがまた俺には嬉しくもあった。

 

 一応この辺りのことは前もって下調べこそはしていたが、俺はもちろん、簪も初めてとのこと。

 いくつかデート先の候補はあるが、そこへ行くのに結構苦労した。

 本当なら、もっとスムーズにエスコートしたかった。

 

「今でも充分だよ……それに何か冒険しているみたいで楽しい」

 

 冒険か……確かにそうかもしれない。

 東京都内、今俺達がいるここなんかは結構入り組んでいたりいて、迷路みたいだ。

 反面、店が所狭しと軒を連ねており、種類も豊富だ。よく利用する近所のショッピングモール『レゾナンス』にはない有名ブランド店やテレビなどでよく見聞きする有名店があって、どの店に行っても新しい出会いばかりで楽しい。

 

「……えへへ」

 

 隣で簪が楽しそうに笑ってくれている。

 ウィンドウショッピングの間ずっとニコニコしていた簪。かなり上機嫌の様子で何より。

 それだけで、俺の中でも楽しさが増していくのをしひしひと感じていた。

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる、とはよく言ったものだ。

 気づけば、もう夕方。そろそろ、寮へと帰らなければならない時間となっていた。

 だから最後にと、夕日に染まる街並みが一望できる展望台へやって来た。

 

「綺麗……」

 

 二人で展望台から景色を眺める。

 空は茜色に染まり、街に明かりが灯り始め、そんな街並みが何だか幻想的で綺麗だった。

 デートの終わりを実感させられる。寂しくもあるが、楽しい一日だった。簪はどうだったんだろう。

 

「私も楽しかった……今日はデートに誘ってくれて本当にありがとう。すごく幸せだよ、私」

 

 そう言ってもらえると凄く嬉しい。よかった。

 

 しかし、何だ。

 

「?」

 

 歯切れの悪い俺の言葉に簪が不思議そうに小首をかしげる。

 繋いでいた手はいつしか離れていて、簪から腕を組んでいた。

 

「嫌、だった……?」

 

 不安そうに聞いてくる。

 最近の簪は意地悪になってきた。わざっと聞いてるだろう。まあ、それ自体は別に構わないし、

簪と腕を組むのが嫌だなんてことはまずありえない。

 

「よかった……まあ、周りのカップルもやってて、折角だから」

 

 安心したほうに微笑んで簪は、ピタっと寄り添う。

 ここがデートスポットだけあって、周りにはカップルが多い。そして簪のいう通り、ほとんどのカップルが腕を組んでいて二人だけの甘い世界へと入っている。

 

 そういう場所だからいいんだが、密着しているせいか腕に簪の胸が当たっている。幸せなのことこの上ない。

 

「そ、そういうのは言わないものだよ……それに、こ、これは……あ、当ててるのっ」

 

 と言った簪の頬は赤い。

 

「それは夕日のせい……」

 

 可愛い照れ隠しだな、まったく。

 そうことにしといてあげよう。

 更に密着されてぎぅゅゅっと腕に抱きつかれながら、俺達はもうしばらくの間展望台から夕日を眺めていた。

 

 ある時、ふと簪の名前を呼んだ。

 何の疑問もない様子で簪が振り向いてくれると、少しかがんで唇にそっとキスをした。

 

「……」

 

 当然と言うべきか、呆気にとられている。

 俺からこんなことするとは思ってもいなかったんだろう。

 

「うん……ふふ、珍しいね。人前のに」

 

 そういう気分だったんだ。

 周りの人達は自分たちの世界に夢中で周りのことなんて気にしてないからまあ問題はないはず。

 というかやっておいてなんだが、今更ながら多少の気恥ずかしさみたいなものを感じてきた。

 

「あ……顔真っ赤」

 

 くすりと笑って簪に指摘される。

 夕日のせいだ、きっと。

 

「もうっ……。ねね、もう一回いい……?」

 

 仕方ないなと笑ってから、少し恥ずかしそうに聞いて簪は上目づかいで唇をつきだす。

 身長差的に自然とそうなったんだろう。

 こう可愛くねだられたら仕方ない。答えるように、俺はそっと簪に口づけをした。

 

「ん……」

 

 どちらからともなくゆっくりと唇が離れる。

 たった数秒のキス。

 

「外で……キス、しちゃったね」

 

 照れくさそうに簪がはにかんで見せる。

 

「ね……また、こうやって遠出してデートしてほしいな。いい……?」

 

 それはもちろんだと頷きながら答えてみせる。

 

「やった……じゃあ、約束。指きり」

 

 差し出された小指を小指で握り、決まり文句を言いながら指きりする俺達二人。

 

「指きったっ」

 

 幸せいっぱいに笑う簪の笑顔が綺麗に思えたのは、夕日に照らされたからだけなさそうだ。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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簪と手と手を合わせたら幸せ

「……ふふん~……ふんふふ~……」

 

 俺を背もたれにして両足の間に座っている簪が、珍しく鼻歌を歌っている。

 えらく上機嫌。実に楽しそうだ。

 それこそは別に構いはしないのだけど、何と言うか……。

 

「あ……ごめんなさい。テレビ見てる邪魔、してるよね……」

 

 それは別に気にしなくてもいい。謝るようなことでもない。

 

 今俺の部屋で二人一緒にテレビ、撮り溜まっている日曜朝8時の特撮番組を一緒に見ているのだが、簪はテレビよりも別のことにご執心の様子。それはそんなに楽しいんだろうか。

 というか、テレビ見るの止めるか。

 

「いいよ、そこまでしなくて。私も見たいし、ちゃんと見てるから……」

 

 そう言いはするもののいまだ片手間遊んでいる簪を見て、つい何となく疑ってしまった。

 

「本当。だってほら、このシーンなんだけど」

 

 巻き戻してつい先ほど見たシーンについて語り始める簪。

 しまった。簪のスイッチを変に入れてしまったみたいだ。

 

「と、私は思う」

 

 な、なるほど……あまりの力説っぷりに思わず関心してしまった。

 一緒に見ている俺よりもちゃんと見ていた。むしろ、何となく見ていた俺の方が申し訳なくなった。

流石というべきか、簪の話は深くておもしろい。高々一話でこれほどまで話せるのはやっぱり特撮とかが好きだからなんだろう。めちゃくちゃ饒舌だった。その分、10分近くマシンガントークされていたわけだが。

 

 そして話してる間も簪は俺の手を握っては、指でずっと遊んでいた。

 俺がずっと気にしていたことがこれだ。

 一通り見終わった今も楽しそうに簪は指を弄って遊んでいる。何がそれほどまで楽しいのか俺にはさっぱりだ。

 

「ん、そうだね……一番は好きな人の手だからこうしているだけでも凄く楽しい」

 

 そう言われても自分の手をそんな風に思えない。

 俺が簪の髪を触っていると楽しいみたいなものなんだろうか。

 

「そんな感じかな……。あなたは握られるのは……嫌?」

 

 何処か不安げに簪が見つめてくる。

 嫌なんてことはない。しかし、こう握られてはくすぐったくて仕方ない。

 

「ふふっ、よかった」

 

 安堵の表情を浮かべてまた簪はぎゅっとぎゅっと握る。

 やはり、俺の手を触るのがそこまで楽しいのか分からない。

 女子の手みたいに柔らかいわけでもなければ、すべすべとしているわけでもない。

 男らしく無骨と言えばいいのか、ゴツゴツしている。オマケに日々のトレーニングなどで出来た血豆の跡や小さな傷だらけだ。

 

「分かってない。このゴツゴツしてるのがいい。男らしくて綺麗で素敵」

 

 手を握っていた簪は俺に手を開かせて、厚みを確かめるように触ってみたり、骨や浮き出る血管を撫でる。やはりと言うべきか、くすぐったい。

 次第に簪は、俺の手の平にある血豆の跡や傷の跡を優しく、愛しむかのように撫でてくれる。

 

「傷だってそう。あなたの頑張ってる大事な証拠。私、好きだよ」

 

 思わず、ドキッとしてしまった。

 今は二人っきりだからなのか、普段恥ずかしがり屋な癖して簪は時々こんな風に恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなく平気で言ってくる。だから、普通に照れてしまった。

 

「あ……ふふ、照れてる、ね」

 

 案の定簪に微笑まれてからかわれている。

 よしてくれ。そう言うかのように俺は無表情、無言を貫き照れ隠した。もっとも、簪の前では意味のないことだが、これは条件反射のようなもの。男が照れ顔だなんて見せられないからな。

 だけど、簪に手を褒めてもらって純粋に嬉しい。むしろ、何だか誇らしい。

 トレーニングを続けてよかった。これからも続けていこうと強く思える。

 

「本当、手おっきいね」

 

 簪が俺の手と自分の手を合わせながら、関心した様子で言った。

 当然だろ、それは。男なんだから。

 

「もう……そういうことが言いたいんじゃないの」

 

 言って簪は、俺の手を取って自分の頬へと当てた。

 

「……この手がどんな時でも私に勇気をくれる。私を愛してくれる。考え深い……こうやってると、何だか幸せ」

 

 振り向き様に顔を見せてくれた簪は、うっとりと心底幸せそうな顔をしている。

 

 手の平から伝わってくる柔らかな頬の感触。

 すべすべしているのにモチモチともしていて気持ちいい。

 触れれば触れるほど可愛くて愛しいという思いが増していく。

 

 流れ的にとは言え、こうして遠慮なく頬に触れさせてくれるのは嬉しい。

 何だか今簪が可愛くて仕方ない。

 心地よい重みや温度が逃げていかないように、いまだ俺を背もたれにして両足の間にいる簪を抱き寄せた。

 

「ふふっ」

 

 くすぐったそうに笑う簪。

 

 その時ふと、簪の手が目についた。

 俺の手が大きいというのなら、簪の手は小さい。細く、小さく、繊細な女性らしい手。しっかりと手入れがされていてとても綺麗だ。

 感じる手の温かみからは簪の日々が頑張りがこれほどかと伝わってくる。強い手だ。

 

 簪は俺の手を好きだと言ってくれたが、俺もまたそんな簪の手が大好きだ。

 尊敬と愛情を示すように俺は、簪の手を取って手の甲にそっとキスをした。

 

「あ、ぅう……」

 

 聞こえたのはそんな言葉にもならない小さな声。

 俯くばかりで簪の表情は伺えない。

 このままの状態でしばしの間無言になる。二人っきりとは言え、これはいくらなんでもやりすぎたか。そうならば、申し訳ないことをした。

 

「ち、違うっ……急に凄いことしてくるんだもん。ビックリ、した」

 

 先ほどまで触れていた頬が恥ずかしそうに赤く染めている。

 ああ、なるほど。何だこれは照れているだけなのか。よかったと安心したが。

 

「よくない。私は今も……ドキドキ、してるんだから……心臓に悪い。あなたって、本当恥ずかしくなるようなこと平気でするよね」

 

 そうは言うが簪は、少し声が弾んでいて何処か嬉しそうだ。満更でもない様子。

 恥ずかしいことをしている自覚はある。これでは一夏をタラシだのなんだのとは言えない。

 でもだからと言って一夏のように平気な訳じゃない。恥ずかしさはもちろんあるが、今は二人っきり。人目を気にする必要なんてどこにもない。

 だからこそ言える事でもあって、こんな時ぐらい愛する女への愛を惜しむ気もまたない。

 

「もうっ、ばかっ……」

 

 言葉とは裏腹に手を握る簪。

 

「ねぇ……」

 

 名を呼ばれ、視線を簪へと向ければ。

 

「んっ……」

 

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 簪の唇が、俺の唇に触れた。そのことを次第に理解して、呆気に取られた。

 どうしてまた。

 

「手だけじゃ物足らなかったのと……後は、さっきのお返し」

 

 悪戯っぽく笑う簪。

 やられた。そう俺は笑うしかなかった。

 だけど、やられたままというのは少しばかり癪だ。そこで俺からも簪へと口付ける。キスの報復だ。

 

「ん……。……むぅっ」

 

 口づけて、唇を離すと目の前には簪のむっとした顔。

 すると、また簪に口付けられる。そしてまた悔しいから俺からも口づけを返す。

 子供じみたやり取りだが、こんなやり取りが只々幸せだ。

 

 今だ手は恋人繋ぎで握り合ったまま寄り添いあう。

 触れ合う手から感じる温もり。目があって二人で交わす微笑み。たったそれだけで言葉が必要ないほどの想いを伝え合う。

 そんなありふれた、でも確かな幸せで満たされた贅沢な一時。

 

「愛してるよ、あなた」

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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【リクエスト】簪にお世話をしてもらえるなら幼くなるのも悪くい気もする

 まどろみの中、意識が覚めていくのが分かる。朝が来たんだ。

 いつもの朝のいつも通りの起床。そのはずなのだが、今朝は違和感を感じた。何かがいつもと違う。

 違和感で眠気が消え、ひとまず先に身体を起こしてみたものの、強くなる違和感をひしひしと感じる。目を開け、ふと両手を見てみたが小さい。というか、寝巻きがダボタボだ。それに心なしか、座高や視線が低い気がする。

 マズいな、これ。身の危険を覚え、今自分がどうなっているのか確認する為に部屋に備え付けている鏡の前へと慌てて向かった。

 

 そして絶句と絶望。鑑に映る自分を見て、頭が真っ白になった。

 訳が分からない。なんだこれは。俺は頭おかしくなったんだな、きっと。

 そう思わずにはいられない。なんせ、鏡に映る自分は小さく幼い姿になっていたのだから。

 見た感じ、小学生低学年……もっと幼い幼稚園年長ぐらいか。

 

 本当嘘だろ。いくらなんでも非科学的すぎる。

 昨日、特にこれといった変なことがあったわけでもない。何かされたということもない。しっかり戸締りして寝た。

 あまりこう考えたくないが、男の身でありながらISを使い続けたせいなのか。男の俺がどういう理由で動かせるのかもちろん。そもそもISやそのエネルギーについては謎が多い。

 ISエネルギーは一般的に人体には害がないといわれているが、何処まで本当なのか分からない。だとしても、こう姿が幼くなるのは意味不明だが。

 どうしてこうなったのか考えても分からない。考えはまとまらないどころか、あれこれ考え過ぎて余計に混乱してしまう。

 不幸中の幸いというべきなのか、姿だけが幼くなっただけで記憶はしっかりしている。本当に幼くなっただけみたいだ。

 

 やはり、これは夢なんだろうか。冴えているし嫌なことに現実見はしっかりとあるが、同時に何故だが不思議とこの今が夢だという自覚がある。

 明晰夢、胡蝶の夢という奴なんだろう。それはそれで都合がいいというか。現実的にこんなことあったら、堪ったものじゃないから助かったが。

 

 そうだとしても、これからどうするか。夢だとしても覚める気配が一向にない。むしろ、現実感も増していく。となると、ジッとしている訳にも行かない。

 いつも通りの時間に起きたはずだからまだ朝だ。今日も平日。学校がある。いつまでも部屋にいたら、問題になるだろうし、かといってこんな姿で外に出ても問題になる。

 だから、助けを求めるほかない。とりあえず、まず始めは簪以外にいない。枕元においてあるスマホで部屋に来てほしいとメッセージを送った。身体が小さくなったからか、文字打ちにくいな。

 

《分かった》

 

 すぐ返事が返ってきた。まずはこれでよし。

 驚かせたり、迷惑をかけたりしたくはないが仕方ない。隠し通せるようなものでもないし、変に隠すよりかはこの状況をちゃんと伝えて、しっかり知ってもらったほうがきっといいはず。

 

 数分後。控えめなノックと共に簪が部屋に来てくれた。

 

「おはよう……えっ?」

 

 玄関先で俺の姿を見るや否や簪は目を丸くして驚いている。

 信じられないものを見てしまったかのようだ。

 実際その通りで、驚くのは当然だろう。

 

「えっ? も、もしかして」

 

 俺の名前を呼んで本人かどうか確認する簪に俺は頷いて答えた。

 やっぱり、こんな姿ではそう簡単に信じられないよな。

 

「あなただってことは間違いなく分かるけど……えっ? 嘘……え? え?」

 

 驚きが一向に治まらない様子の簪。むしろ、余計に混乱している。

 それでも俺だということは分かってくれただけでも幸いだ。

 折角来てもらったのだから、いつまでも玄関先で立ち話も何だ。ひとまず奥へと簪を招き入れた。

 

「本当に大丈夫なの? しんどかったりしない? 痛いところはない? 辛かったりしない?」

 

 心配してくれながら驚きあわてふためく簪。

 おかげで俺の方はかえって冷静になることが出来た。と同時に夢だという感覚がなくなった訳じゃないが、紛れもない現実だという感覚を嫌でも覚えた。

 

 身体が縮んだだけで、しんどくもなければ、痛みや辛いところもない。

 いたって健康。むしろ、いつもより調子いいぐらいだ。だから、そこまで心配する必要はない。

 

「無理だよ……でも、他はなんともないんだね。よかった」

 

 ホッとした表情を簪が浮かべている。

 とりあえずこれで簪に現状を知ってもらい理解してもらうことは出来た。

 となると、次はこれからどうするか考えなければならない。

 

「そうだね……う~ん、病院行くとか?」

 

 至極真っ当な提案だが、何科に行ったらいいんだ。

 そもそも病院行ってどうにかなるのか、こんなの。病院行ったら行ったで大事になるのもそれはそれで嫌だ。

 

「どうしよっか……」

 

 二人して唸りながら考える。

 ことがことだけに全然考え浮かばない。ここはやっぱり、大人に相談すべきだろう。

 

「大人……あ、そういうこと」

 

 簪も分かったようだ。

 学校のこともあるし、担任である織斑先生と山田先生にはちゃんと今の状況を伝えて、どうしたらいいか聞くべきだ。後は医務医の先生もいたらベストだな。

 

「その三人を呼んで来たらいいんだね」

 

 こんな姿で外に行くわけにも行かないから、悪いが簪に頼むしかない。

 

「ううん、気にしないで。分かったっ……任せてっ」

 

 意気込む簪に頼むと、足早に部屋を後にして先生達を呼びに行ってくれた。

 

 

 

 

「なるほど、大体分かった」

 

「はぇ~こんなことってあるんですね」

 

 来てもらった先生方三人にこの状況を説明すると、織斑先生は冷静に状況判断をしていて、山田先生は驚きを通り越してしまったようで関心した様子で真面真面と幼くなった俺の姿を見ている。

 医務医の先生に簡単な診察をしてもらったが、診察上は何処もおかしなところはないとのこと。そして案の定、身体が小さくなった原因は分からず、医務医の先生でも検討つかなかった。

 やっぱり、病院行くことになるのだろうか。

 

「それはそうだろう。そんな身の上になったのだからな。だが、今日今にもという訳にはいかないぞ」

 

「ですね。彼の身体が小さくなった原因は不明ですし。精密検査は必須でしょうが、いろいろと考慮すると病院探しは状況が状況なのでことは慎重に選ばないといけませんね。時間はかかりますが」

 

 医務医の先生の言う事はもっともだ。

 

「大切な教え子だ。悪いようにはしない。お前の状況、心のあたりがないわけでもないしな」

 

 それは本当だろうか。

 

「気休め程度だ。期待するな。では、今日の所は学校は休め。そして部屋からの外出は厳禁だぞ。騒ぎになっては仕方ないからな」

 

 織斑先生の言う事もまたもっともだった。

 俺だって騒ぎを起こしたくないし、第一こんな姿で部屋の外出たくない。

 

「お前のことは理事長達には報告させてもらうぞ。それ以外は一まずここだけの話ということで。先生方二人と更識もそれでよろしいな?」

 

「わっ、分かりましたっ!」

 

「了解です」

 

「はい」

 

 山田先生、医務医の先生、簪が頷いて返事する。

 

「あえて言うが病院が決まるまでお前も上手く隠し通せよ。仮にバレても絶対に騒ぎを起こさせるな。バレた相手にはこのことを外に漏らさせないようことを厳守させろ。いいな」

 

 俺も頷いて返事する。

 今日の所は自宅療養か。それは別に当然のことでいいのだが、上手くやれるだろうか。小さくなったおかげで少し不自由だ。

 

「そうか……そうだな」

 

 思案顔を浮かべる織斑先生。数秒で何か思いついた様で言った。

 

「更識……お前のクラス今日は実技はあるか?」

 

「いいえ、今日は一日座学だけです」

 

「そうか。なら更識、お前も休んでこいつの世話をしろ」

 

「え?」

 

 簪と一緒に俺も驚いた。

 熱風邪じゃあるまいし、そこまでするようなことじゃ。

 

「念には念をだ。風邪や怪我じゃないにしろ体が小さくなるなんて普通のことではない。今は元気そうにしていても万が一更なる異変が身体に起きた時一人では辛かろう。かといって、私達が休んで付きっきりになるのも難しい。その辺、更識なら私達より幾分か融通が利く。1日ぐらい休んでも勉学に何ら影響ないはずだ。何より、お前も更識のほうがいいだろう」

 

 明らか織斑先生には気を使ってもらった。嬉しい限りだ。

 他の人よりも簪にフォローしてもらえるのなら、気持ちの面でそれにことしたことはない。

 

「更識は構わないか?」

 

「それはもちろん。彼が心配ですし」

 

「なら、決まりだ。四組の担任には私の方から伝えておく。それと生真面目なお前達に一々言う必要はないだろうが、一応言っておく。ハメを外さないように。私の方から二人っきりにさせておいて何だが、この件とは別に別の問題が明るみになった時は分かっているよな」

 

 それはもちろんと俺は返す。

 その時はそれ相応の処罰は覚悟しているということも頭を下げながら伝えた。

 

「ならいい。節度ある行いを期待している……後、その姿で頭下げるの止めてくれ。絵面が悪い」

 

 俺は慌てて頭を上げた。

 

「では、私達はそろそろ戻る。何か起きたら必ず報告するように……上手いことやれ。安静にしとけよ」

 

「えっと、お大事に? でいいんですかね。こういう時って」

 

「さあ? あ、何かあれば私にも遠慮せず言ってくださいね」

 

 織斑先生、山田先生、医務医の先生は口々にそう言い残すと部屋から出て行った。

 状況がよくなったわけじゃないがこれでするべきことはしたはずだ。後のことは先生方に任せよう。

 問題さえ起こさないようにすれば、後はどうにかなる。するしかない。

 

「そうだね、よかった……とりあえず、朝ごはん貰ってくるね。お腹空いたでしょう?」

 

 そこでようやく腹の空きを感じ始めた。

 いろいろあってまだ何も食べてない。それは簪も同じなはず。

 とりあえず朝ごはんにしよう。

 

 

 

 

 朝食を部屋で食べた後、簪は一旦部屋に戻ってパジャマから私服へと身だしなみを整えてから、また部屋に来てくれた。

 俺も私服に着替えたが、今に体型にあう服なんてあるわけなくダボタボの状態。上はTシャツ一枚で下は野ざらし。Tシャツの裾が長くて太股の辺りまであって下は見えないがなんと言えばいいのか、いろいろと心もたない。

 

「これからどうしよっか」

 

 隣でベットに腰掛けている簪がそんなことを聞いてくる。

 どうしたものか……安静しているべきなのは分かっているが、風邪や怪我じゃないだけに正直暇だ。元気なのにジッと寝ているのも中々辛い。何より、折角簪がいるのにそれでは申し訳ない。

 ふと時間を確認すれば、朝の8時半前。そろそろ学校ではSHが始まる頃か。ひとまず始めは自習でも……。

 

「こんな時でも勉強って……相変わらず生真面目だね……」

 

 簪が俺に若干呆れている。

 いやだって、元気だったら勉強するべきだろう。一日休んでも最近はどうにか授業についていけるが、本当なら今日もう学校に行っているわけだし。

 

「どうせなら好きな事とかしたいことすればいいのに……」

 

 そう言われてもすぐには思いつかない。困った。

 じゃあ、室内で出来るトレーニング筋トレとかを。

 

「あなたって本当……」

 

 今度は頭を抱えて本気で呆れられた。

 残念発言している自覚はあるがこれだって必要だろ。元の身体より明らか筋力落ちているだろうし、今の身体になれるのは必要だ。

 

「それはもっともだけど……織斑先生に安静にするように言われたの忘れたの……?」

 

 忘れてたわけじゃない。だがしかし。

 

「大人しく一緒に映画か深夜のアニメでも見てよ。ほら、今日木曜日だからアレの最新話来てるはずだよね」

 

 やっぱり、そうなるか。

 それも考えてないわけじゃないが、休日の部屋デートみたいな過ごし方だ。これはいいんだろうか……何だかズル休みしてるみたいな気分。

 

「ズル休み……まあ、そうだね。そういう時はアレだよ、気にしたら負け」

 

 そう言われると弱った。まあ、そういうものか。ここは療養の一種ということで納得しておこう。

 タブレットと部屋にあるテレビモニターを繋いで早速その深夜アニメを見始めた。

 

 内容はよくあるweb小説から書籍化された人気ラノベのアニメ。

 毎週見てるからそこそこ面白いのだが会話も特になく見ていると隣にいる簪の様子の方が気になった。

 

「……っ」

 

 そわそわしていて何処か落ち着きのない簪。

 度々俺をチラチラと見ている。

 もう落ち着いたとはいえ、俺の姿はいつもと違うんだ。やっぱり、気になって仕方ないといったところか。

 

「それもあるんだけど……あ、あのね…お願い、みたいなことあるんだけどいい……?」

 

 どんなお願いだろうか。

 

「抱っこ……」

 

 意味が分からず、聞き返すと。

 

「抱っこさせてほしい……」

 

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 抱っこって……俺をだよな。それが分からないほど馬鹿じゃないし、とぼけるつもりもないがな……。

 

「ごめんなさい、やっぱり嫌だよね……望んで小さくなったわけじゃないし……」

 

 寂しそうな簪の表情に胸が痛む。

 わざとでも冗談でもなく素でそうなのだから、少したちが悪い。

 何か恥ずかしいから気が進まないのが本音だ。

 

「いつも私があなたに抱っこしてもらってばかりだから……なりたくてなった訳じゃないってことは分かってるんだけど……折角だからね」

 

 折角と言えばその通りだ。こんなこと普通ありえない訳だし。

 仕方ない。今回だけ特別に。

 

「本当? いいの? ありがとう!」

 

 さっきまでの寂しそうな顔はどこに行ったのやら、一変して簪は嬉しそうに頬を綻ばす。

 

「じゃ、じゃあ……はいっ」

 

 ポンポンと簪が自分の膝の上を叩く。

 そこへ俺はおかなびっくりしながら座った。

 

「ど、どうかな……? 座り心地」

 

 よすぎて、これ以上の上手い表現が思いつかない。

 簪の太股気持ちよくて尻が不思議な感じだ。

 まあ、思っていた以上に恥ずかしくて今度は俺の方が落ち着かないけども。

 

「よかった」

 

 簪のほうこそどうなんだ。重かったりはしないんだろうか。体が小さくなったとは言え、それ相応の重さは当然あるはず。痛かったりしたらすぐ降りる。

 

「大丈夫。気にしないで。やっぱりほんの少し重いけど……小さくなったおかげ、なのかな。あんまり気にならないよ。それに重いけど、思いがあるから……な、なんちゃって」

 

 珍しく詩的なことを言うものだから笑ってしまった。

 

「笑わないでよ……恥ずかしくなってくるでしょ」

 

 そうは言われてもツボにハマったらしく、笑いが止まらない。面白すぎる

 

「も、もうっ……笑わないでよっ! 笑う悪い子にはこうなんだから」

 

 一瞬で笑いが止まった。頭の中も一瞬止まった。

 簪さんや何してらっしゃるんですか。

 

「ふふっ、悪い子にお仕置き。ぎゅっ~の刑。ほら、ぎゅっ~」

 

 後ろからぎゅっと抱きしめられる。

 ただ後ろから抱きしめられるのではなく、後ろから包まれる様な感じ。これまた初めての感覚だ。背中から簪の心地よい体温をよく感じる。

 後、背中に当たってる胸の膨らみも。

 

「こらっ、そういうことは言わない……あ、当ててるの」

 

 何だか楯無さんが言いそうなことを言うな。

 

「ごめんなさい。前言撤回するからそれだけは言わないで」

 

 すぐさま謝ってきた簪。

 いや、俺の方こそ簪と楯無さんを一緒にするようなこと言って凄く申し訳なくなった。

 

「ん、いいよ、別に。このままでいさせてくれたら」

 

 言って簪はぎゅっと抱きしめてくる。

 

「何か不思議……」

 

 確かにこの状況は不思議だ。

 

「そういうことが言いたいんじゃなくて、あなたにも本当にこんな小さい頃あったんだなぁって」

 

 当たり前の言う簪。

 今思い出したが、俺のこの姿を見るのは初めてではないはずだ。

 実家でアルバムを見ていたような。

 

「確かにあなたの実家でお義母様に小さい頃の写真見せてもらったけど、写真と本物は違うでしょ」

 

 それはそうだが……。

 というか、簪さんや。いつまで俺を膝の上に乗せてるつもりだ。もういいだろ。

 

「えっ? 今日はずっとこのままだけど?」

 

 簪が何言ってるのという顔をする。

 嘘だろ。冗談……じゃないな。本気で簪はそのつもりだ。

 物珍しくて手放したくないとかそんなのだろうけど流石にずっと乗せてたら痺れてくるだろ。だから、そろそろ降ろしてほしいんだけど。

 

「痺れてきたらまた抱きなおすから大丈夫。気にしないで……というか、もしかして……あなた、恥ずかしいの?」

 

 その言葉にビクッとなる。

 

「へぇ~……」

 

 声色がニマァっと楽しげに笑っているように聞こえるのが気のせいであってほしかった。

 

「今更過ぎない? 散々私を抱きしめたり、胸……触ったり、も、揉んだりしてるのに」

 

 それはそうなんだが精神は肉体に引っ張られるとでも言えば一番いいんだろうか。

 この幼い姿でいつもとは違う感覚に無性に恥ずかしさを感じているのは紛れ事実。

 例えるならまるで憧れの年上お姉ちゃんに抱きしめられているような嬉しさと恥ずかしさ。

 

「そうなんだ。あなたが照れるのって珍しいね……この姿だから余計に可愛い。よしよし」

 

 またも後ろからぎゅっと抱きしめら、あまつさえ頭を撫でられる。

 気持ちよくて嬉しいんだけど、恥ずかしさで落ち着かない。

 やはり今日はもうずっとこのままなんだろう。

 

「もちろんっ。今日は私がつきっきりでたくさんお世話して愛でさせて」

 




泣き虫シロクマ様のリクエストで「彼が何らかの影響で小さくなって、そんな彼の世話をする」
お答えしました。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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【リクエスト】簪お姉ちゃんと騒がしい友人達と、後々、おっぱい枕

中途半端になっていた奴の完成品。
話自体は前回の続きです


「あ……お腹の音」

 

 お腹が鳴ってしまった。恥ずかしい。

 

「もう、お昼だね」

 

 時刻は昼の12時過ぎ。学校の方でもそろそろお昼休みになる。

 結局ずっとアニメ見たり映画見るだけで午前を過してしまった。

 ちなみに見てる間、本当にずっと俺は簪の膝の上に座らされ、後ろから抱きしめられていた。今も現在進行形でそうだ。

 幸せだし嬉しい事には変わりはないのだが、変な恥ずかしさのおかげで見るのに集中できず内容もほとんど頭に入ってこなかった。

 

「そろそろ食堂の人にお願いしてたお昼ご飯出来てるはずだから貰ってくるね……」

 

 言って簪は膝の上から俺を解放して、昼ごはんを取りに行ってくれた。

 

 身体の方はというと、相変わらず幼く小さな姿のままだ。元に戻る気配もなければ、相変わらず確かな現実感と夢の様な感覚がある。

 まあまだ午前しか時間が過ぎてないわけで、病院にも行けてないから結論を求めるのは早すぎるか。このままずっとこの姿だったらどうしようって不安もなくはないが、今は変に考えるのはよそう。

 

「お待たせ」

 

 簪が二人分の昼ごはんを持って戻ってきた。

 今日のご飯も美味しそうだ。

 ふと、ある考えが頭をよぎった。まさか、昼ごはんも膝の上に俺を乗せて食べる気じゃないだろうな。

 

「流石にそんなことしない。お行儀悪いでしょ」

 

 それはその通りだ。安心した。

 流石にご飯ぐらいは落ち着いて食べさせて欲しい。

 ということで早速食べたいからその箸が欲しいと手を伸ばしたのだが。

 

「えっ? 何で?」

 

 きょとんとする簪。

 それは俺の台詞なんだ。

 手で食べろってことなのか。

 

「違う。そんな訳ないでしょ……私が食べさせてあげるから大丈夫!」

 

 何が大丈夫なんだ。説明してほしい。…いや、されても困るが。

 

「だ、だってっ……ほらっ、織斑先生にあなたの世話任されたわけだし……私のあなたのお世話したい。だから、ね?」

 

 もっともらしい理由を言ってきたが、それとこれとは別だ。

 世話なんて朝食や今みたいに昼ごはんを部屋に持ってきてくれるだけで充分。ありがたい。凄く助かっている。

 だから、世話だからってそこまでしなくても。というか、普通に食べさせてくれ。

 

「むぅ~……」

 

 頬を少しぷくぅと膨らませて、納得のいかない不服そうな顔でむくれる簪が睨めっこをしかけてくる。

 譲る気はないようだ。その証拠に俺の箸まで握って渡してくれない。

 こういう時の簪は何というか変に頑固だ。仕方ない……少しだけならと折れた。

 

「ごめんね……ありがとう」

 

 謝りながらもそう言った簪は凄くうれしそうだった。

 抱っこといい今といい今日の簪は凄くしたがりだ。

 

「じゃあ……あ~ん」

 

 口へ料理が運ばれ、大人しく食べる。

 

「どう……? 美味しい……?」

 

 頷いて答える。

 美味しいのだが幼いこの姿であ~んをさせているせいか、いつもは感じない恥ずかしさを感じていた。

 後、いつもみたいな恋人の雰囲気とかではなく、何だか餌付けされている気分。

 

「よかった。じゃあ……もう一口どうぞ」

 

 でも、そのことは嬉しそうに食べさせてくれる簪には言えない。

 食べたらゆっくりしたい……。

 

 

 

 

「ぶっはははっ!」

 

「すごーい! なにこれ? こんなことあるんだ~アニメみたいでおもしろ~い!」

 

 腹抱えて大笑いしてる一夏と興味津々な様子で俺の周りをグルグル周って見てくる本音の二人。

 

「ごめんなさい……!」

 

 そして隣には正座までして本当に申し訳ないといった様子で深々と頭を下げる簪。

 

 見ての通り、一夏と本音の二人が俺のこの幼い姿を知った。

 寮の食堂へ簪が食べた昼ごはんの食器を返しに行った帰りに、俺達の様子を見に帰ってきた一夏達と出会ったらしい。

 簪はどうにか二人を撒こうとしてくれたみたいだが上手くいかず、部屋の前で言い争いしていたのを見かねて俺は二人を中へと入れた。

 

「本当にごめんなさい……私がもっと上手く二人を撒いていられれば……」

 

 大爆笑したり面白がる二人を横目にして簪が何度も謝っては反省するかのように落ち込む。

 簪が気にするようなことじゃないだろ。

 そもそも部屋に入れて、この幼い姿を見せたのは他の誰でもない俺自身だ。だから、大丈夫。

 

「そう言ってくれると助かる……ごめんなさい、ありがとう」

 

 簪に納得してもらうことはできた。

 それにこういうのはいつまでも隠し通せるものじゃない。いずれはバレる。だったら、早いうちに自分から教えた方がいいだろう。キツく言いつけて織斑先生の名前を出させてもらったし、一夏達もそう簡単にはこのことをバラさないはずだ。

 

「大丈夫。誰にも言わないって。俺とお前の仲だ。男に二言はない。そうだろ? くくっ」

 

 そうなんだが、一夏はいつまで笑ってるつもりなんだ。

 一夏のことは信じているが、不安になってくる。

 

「いやだって笑うしかないだろ。そんな摩訶不思議なこと起きたの知ったらなぁ」

 

「まあそうだよね~ふふっ、か~わい~!」

 

「くくっ、普段無愛想なお前がこんな幼くなってまあ。あははっ、可愛いなー」

 

 本音は頭撫でまわして来るし、一夏は半笑いで愛でてきやがる。

 一夏には煽られている気分だ。お前が俺の状況になったとき覚えてろよ。

 

「かんちゃんはどうなの?」

 

「どう……?」

 

「自分の彼氏がいつもと違う姿なんだよ~? こ~う、くるものがあるじゃない?」

 

「何馬鹿なこと言って」

 

「幼い姿の彼氏君を抱きしめて楽しんだり、胸当ててみたりして反応を楽しんだりしたんじゃないの?」

 

「っ!」

 

 一瞬で耳まで真っ赤になる簪。

 

「あ、図星なんだ」

 

 ぽつりとそう本音がもらした。

 そんな反応すれば、そう言われても仕方ない。実際事実だ。ここまで言い当てる本音はエスパーか何かなのか。

 後一夏、こっち見るな。

 

「かんちゃんって分かりやす過ぎだよ~本当えっちだね~」

 

「うるさいっ……! そんなことないからっ」

 

「またまた~ご冗談を~」

 

 結局、簪は本音にからかわれる始末。

 今更ながらこの二人に教えてよかったものかと後に立たないと分かっていながらも後悔し始めた。

 

「そう落ち込むなよ。知ったのが俺とのほほんさん(本音)でよかったろ? これがもし楯無さんだったら……なぁ」

 

「それ言っちゃダメな奴ッ」

 

 簪が慌てて言う。

 おいばかやめろ。そんなこと思うこと自体危険なのに、口に出したら現実になる。

 一夏は尊敬できるいい男なのだが、こういう状況を理解してない発言をするのが本当に傷だ。

 

「ひでぇっ、大丈夫だって。そんなことは――」

 

「呼ばれて飛び出てジャジャジャっジャ~ン! 私、参上!」

 

「えっ?」

 

 間抜けな声を出す一夏。

 部屋は静寂に支配される。

 

「お姉ちゃん……」

 

「はぁい、皆! おもしろいことになってるって聞いて遊びに来たのよ!」

 

 嫌そうな声を上げる簪とは対照的に、楽しそうに目を細めて笑う楯無さん。

 口元を隠すように開かれた扇には『愉悦』と書かれた。

 

「そう言えば、弟君の姿が見えないわ……ね」

 

 楯無さんと目と目が合う瞬間、終わったと気づいた。というか、察した。

 反射的にこの場から逃げ出そうと体が動いた。だがしかし。

 

「きゃっー! なにこれっ可愛いっ!!」

 

 簪も目を丸くてビックリしてる。

 目の前にいる一夏達の後ろにいたはずの楯無さんは、瞬間加速(イグニッション・ブースト)でも使ったかのように一瞬で目の前に現れ、抱きついてきた。

 

「ちょっとお姉ちゃんっ!」

 

「はぁ~これ本当に弟君なの!? 可愛すぎるんだけど!」

 

 テンションの高い楯無さん。正直うるさい。

 やっぱり俺この人果てしなく苦手だ。頬ずりしてくるなよ。若干痛い。

 というかその口ぶり、いろいろと知っている。この人どこで知ったんだ。知ってる人は限られているはずなのに。

 

「えっ? 弟君が体調悪いから休んでいるのを簪ちゃんが看病する為に休んでるって山田先生に口割らせ……じゃなくて教えてもらったのよ。いろいろとね」

 

「まやちゃんェ……」

 

「山田先生ェ……」

 

 サラッと教えてくれた楯無さん。

 そして頭を抱えている一夏と本音の二人。

 

 山田先生が悪いみたいな雰囲気だが間違いだろ。きっと山田先生は聞かれたことをただ答えたはず。第一仕方ないとはいえ、俺達が一緒に休んでること自体怪しすぎる。

 

「そう怪しいから確かめに来た見たのよ! 弟と妹が心配だからね!」

 

 えっへんといった感じの楯無さんだが、この人また普通に不法侵入してきた。

 もう何度目だ。また部屋のオートロック無理やり突破してきやがった。

 

「いいじゃない。そういう細かいことは。それよりもどうしてこんな姿に?」

 

 ここまで来て流石に誤魔化すのもおかしいので、仕方なくどうしてこうなったのか掻い摘んで説明した。

 

「なるほどね、それで。身体は大丈夫? 辛くない? 痛いところない? 何かあるなら、お姉ちゃんに遠慮せずに言ってね!」

 

 説明に納得してくれながら、楯無さんは本気で心配してくれた。

 この人いつもこうならただのいい人なんだが、そうじゃないのが楯無さんだ。

 説明してる間も俺のことをずっと抱き人形扱い。何度も俺から離れようとしているけど、離してくれない。

 

「……」

 

 見てる。凄い見てる。簪が静かにジッとこちらを見てる。

 怒りを我慢しているのかわなわなと震えながらも静かに黙ってる簪が怖いからそろそろいい加減離してほしい。

 めっちゃ怖い。そして、楯無さんが気にしてないのがもっと酷い。

 

「嫌よ。簪ちゃんは散々楽しんだでしょう。だから、私にもね。ちょっとぐらいは姉弟(きょうだい)のスキンシップとらしてよ。お姉ちゃん寂しいわ。よよよ~」

 

 うわ……また楯無さんの悪い癖だ。

 簪煽って俺とまとめて遊ぶつもりだ。明らかこのよくない状況を楽しんでる顔をしてる。

 

「……馬鹿言ってないで彼をとりあえず離してあげて。苦しがってる」

 

「あら……」

 

 勤めて冷静な話す簪に楯無さんが一瞬つまらなさそうにしたのを見逃さなかった。

 簪は大人な対応をしているが我慢に我慢を重ねているのはよく分かった。

 楯無さんの挑発に乗ったら思う壺なのは簪もよく理解している。だから、凄い無理させてしまっている。

 俺の方からも少しでも早く離れたいのだが、中々上手くいかない。ちっょと本気で苦しくなってきた。

 

「そんなことないわよね? お姉ちゃんの方がいいわよね、弟君。ほ~ら、お姉ちゃんの胸ですよ~よちよち」

 

 俺の頭を抱え込んで楯無さんは自分の胸へと抱き寄せては頭をなでてきた。

 

「……くっ!」

 

 見なくても簪が今にも楯無さんを掴みかかろうとするのを必死に我慢してる姿が分かった。

 そこまで力強くはないのだが、やっぱり何故か楯無さんの腕は振りほどけない。加えて今度は息苦しくなってきた。

 こんな聞き分けのないお姉ちゃん嫌だ。お姉ちゃんならやっぱり簪の方がいい。

 

「なっ!?」

 

 言い過ぎたと思ったが、ショックを受けてガックリ落ち込んで力の緩んだ隙に楯無さんからようやく解放された。

 

「お姉ちゃんにするなら私の方がいいの……?」

 

 それはもちろん。頷いて答える。

 

「酷いわよ二人揃って。ほら、弟君。また私のふかふかのお胸でぎゅってしてあげるわよ」

 

 両手を広げておいでをする楯無さん。

 そんなことされてもさっきの息苦しさはもちろん、この幼い姿のせいなのか何されるか分からなくて楯無さんにはいつもとは違う怖さを感じた。

 それから逃れるように俺は、簪の後ろへと隠れた。

 

「~ッ! 怖がらないで。大丈夫。悪いお姉ちゃんから簪お姉ちゃんが守るから……!」

 

 優しい笑みを見せてくれる簪に勇気づけられる。

 やっぱり、お姉ちゃんにするなら簪の方がいい。

 

「諦めましょう。楯無さん」

 

「流石に楯無様には勝ち目ないですよ」

 

「ううっ……」

 

 一夏と本音にそう言われ、ガチ凹みする楯無さんの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

「じゃあ、何かあれば遠慮なく言ってくれ。力になるからな」

 

「お大事にね~」

 

「またね」

 

 一夏、本音、楯無さんの三人は口々にそういい残して部屋から出ていた。

 後ちょっとで午後の授業が始まる。

 何だか無駄に濃い昼休みを時間を長く感じてドッと疲れた。

 

「そうだね……」

 

 簪も疲れた顔している。

 あの二人に加えて、楯無さんまで来たんだ。そりゃ疲れる。

 

「ごめん……私のせいで騒がしくしちゃって」

 

 暗い顔で申し訳なさそうに簪が謝ってくる。

 気持ちは理解してあげられるが、簪は何でもかんでも自分のせいにして謝りすぎだ。

 仕方ないだろ、あれは。楯無さんにいたってはもはや自然災害みたいなものだ。さっき簪も言っていた。気にしたら負けだ。

 

「だけど、あんなのでも私のお姉ちゃんだし……」

 

 あんなのって……。

 言いたくもなるだろうけど。

 

「……ふぅ~ん……そう、お姉ちゃんのこと庇うんだ……そうなんだ。さっきは私の方がいいって言ってくれたのに……」

 

 何故か簪は拗ねている。

 どうしてそうなるんだ。

 

「だって……お姉ちゃんの胸よさそうにしてた」

 

 そこなんだ。ついそう思ってしまった。

 そんなはずはどう考えてもないのだが。

 

「してたもん……ふんっ」

 

 ぷいっとそっぽを向く簪。

 簪にはそう見たのなら簪にとってはそれが事実なんだろう。

 そんなことで拗ねているのかと一瞬思ってしまったが、その考えはすぐに振り払った。

 本気の本気で嫌がれば楯無さんが離してくれた可能性だってなくはない。俺はそれを怠った。今は簪に謝るしかない。そしてどうすれば機嫌直してもらえるのだろうか。

 

「じゃあ……私のこと……その、ね。お姉ちゃんって呼んでほしい」

 

  そう簪は何処か遠慮気味に言ってきた。

  この幼い姿で言うのは……いや、本来の姿で言うのも結構恥ずかしいが、それで簪が機嫌を治してくれるのならば構わない。

 恥ずかしさをグッと堪えて呼んだ。簪お姉ちゃん、と。

 

「うんっ……えへへっ」

 

 嬉しそうに微笑を咲かす簪が見れてよかった。

 

「ごめんなさい……めんどくさい我が侭言っちゃって。私が頑張ってお世話しないといけないのに。しっかりしないといけないのに」

 

 充分すぎるほどよくやってくれている。気にする必要はやはりない。

 頑張ってもくれている。さっき楯無さんに掴みかかろうとしてのを最後まで我慢できたのは凄い。正直、今にも喧嘩するんじゃないかとヒヤヒヤした。

 

「あれは自分でもよく頑張ったって思う。お姉ちゃんに遊ばれてるって分かっても正直かなり頭にきた」

 

 だからこそ、最後まで我慢できた簪のことを無性に褒めたくなった。

 丁度、今二人でベットに腰掛けていて俺の方が座高低くても何とか頭に手が届く。

 褒めるように俺は簪の頭を撫でた。何というかまるで姉を褒める弟になったかのような気分だ。

 

「ありがとう……ねぇ、もう一回お姉ちゃんって呼んでほしいな。後、また抱っこさせて」

 

 簪お姉ちゃんは仕方ないな。

 そんなことを言いはしたものの満更でもから、言う通りにする。

 

「~ッ! お姉ちゃんって呼ばれるの癖になりそう……可愛い、よしよし」

 

 再び簪の膝の上に座ると、後ろからぎゅっと抱きしめられ、頭をなでてくれる。

 気持ちいい。いつもはこうする側だが、いつもとは逆にしてもらうのもかなりいい。

 そう思えるのはやっぱり、簪だからなんだとしみじみ思った。

 

「ん、今ならお姉ちゃんがあなたのこと弟君弟君って猫可愛がる気持ち何となく分かる。今みたいに幼い姿なら尚更ね」

 

 そうなんだ。俺にはよく分からないが。

 というかやっぱり、簪はいつもの俺より、今の幼い姿が嬉しそうだ。少し納得いかないこともない。

 

「もう、拗ねないで……身体が小さいといろいろといつもより頼ってくれるのが嬉しくて」

 

 その言葉に俺は何も言い返せなくなる。その自覚があるからこそ尚更に。

 

「でも、ちゃんと元に戻ってほしいよ……やっぱり、寂しいものがあるから。でも、許してくれるのならもう少しこのまま」

 

 こうされているのが別に嫌な訳じゃないから、許すも何もない。俺ももう少しこのままでいたい。

 我ながらめんどくさいことを簪にと反省しているが、ただちゃんと言葉で簪がどう思ってくれているのか確認したかっだけなんだ。それが出来た。

今ではもう果たしてこれが現実なのか、それともやっぱり夢なのか曖昧になっているが、どっちにせよこういう過し方も幸せの一つだと思う。

 

 だからなんだろうか。簪に抱きしめられると安心してからなのかうつらうつらとしてくる。

 昼ごはん食べた後は眠くなるもので、あんな騒ぎがあった後なんだ。その二つが相まって眠くなってきた。

 ついあくびをすると、簪にも移った。

 

「ふぁ~……眠い」

 

 手で欠伸を隠すように口元を押さえる。

 確かに眠いな。部屋の陽気がいい感じに眠気を誘う昼のポカポカ陽気。自宅療養だからとは言え、ダラダラと過してるせいか眠気が凄い。いっそ昼寝したしまいたい気分だ。

 

「ん、じゃあ……今から本当に二人で昼寝する?」

 

 と後ろにいる簪が言った。

 俺からでアレだが、それはどうなんだろう。学校では今丁度午後の授業中。ズル休みしてるという思いがあるから、本当今更気にしても遅いだろうが気が引ける。

 

「そうなんだ。私はあなたと……寝たいのに」

 

 その言葉にゾクッと来る。

 というか、耳元で言うのはやめてくれ。身長差とか諸々あってそうなっているんだろうが、半分わざっとのでもやってるだろ。

 

「ふふっ、ごめんね。でも、あなたお昼寝したいのは本心。自宅療養は寝て休むのも大事。だから、今日ぐらいは……ね」

 

 そこまで言うのならいいだろう。

 これもまた療養だ。

 

「それでいいんだよ……ほら」

 

 先にベットへと寝転んだ簪に招かれる。

 俺はそこへと寝転んだ。俺と簪は横に並んで向き合うようになる。

 すると、ぎゅっと抱き寄せられた。小さいこの身体のせいか、いつもとは反対に俺は簪の腕の中にすっぽりと納まっている。

 そして、顔には柔らかな二つのものが当たる。

 

「こ、こう……すると気持ちよく寝られるよ? まあ、その……お姉ちゃんみたいにいいものじゃないけど」

 

 いやいや、何を言うんだと。簪のだからいいんだ。

 これはヤバい。ヤバすぎて具体的に上手く説明できないのが悔しい。それほどまでにヤバい心地よさ。

 おっぱい枕最高。

 

「そ、そう? 喜んでくれるのならいいけど……ってあっはっ、あんまり動かないでくすぐったい」

 

 無理な話だ。こんな素晴らしいものを当てられて、ジッとなんてしてられない。もっとこの柔らかさを感じていたくなる。ぎゅっと簪にしがみ付くように抱きつく。

 おっぱい枕をしてもらうのは初めてのことじゃないが、以前とは違う。

 おっぱい枕してもらいながら簪に抱き枕にされるこの暖かく包み込まれる優しい感覚。怖いぐらい安心する。

 

 凄い幸せだけど、簪のほうはどうなんだろう。

 

「ん……もちろん、幸せ。あなたの身体凄いポカポカしてる……小さい子の体温が高いって本当何だね。ぎゅっ~」

 

 ぎゅっと優しく抱きよせられると、簪から鼻歌が聞こえてきた。

 

「ふ~ん、ふふ~ん、ふ~ふふ」

 

 優しい子守唄。

 その優しい唄に誘われるように俺は眠りへ落ちていく。

 魔不可思議で騒がしくも楽しい幸せな時間。眠りに落ちていくにつれて、この夢から覚めて行くのが判った。

 いい夢だった。この夢が覚めても、目の前に簪がいてくれたら、ただそれだけでこの夢にも勝るだろう。

 

「ん、大丈夫。起きても私はあなたのそばにいるよ……離れるわけない。こんなにも大好きなんだから」

 

 眠りへ落ちる最後の瞬間。

 そんな嬉しい言葉が聞こえたのだった。

 






今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪先輩の幸せ、私の幸せ

 私は、更識簪先輩が今でも好き。

 

 先輩の容姿や声とかはもちろん。努力家なところ、勤勉なところ、物静かで控えめな性格。あんなことがあっても変わらず後輩として接してくれるところ何だかんだ面倒見がいいところ。

 後、弄るとかわいい反応をしてくれるところがたまらなく可愛くて大好き。まだまだ好きなところ愛しいところはたくさんある。それこそ、この世にある言葉では語りつくせないほど。

 あれこれ好きなところをあげてみたけど、一言で言い表すのなら先輩はこの上なく素晴らしい女性だっていうこと。

 大好きで愛しい簪先輩。一人の人間として、女性として愛しているけど、私の恋は一度破れてしまった。それ自体もういい。叶わぬ恋には私の中で踏ん切りはもうついている。

 恋に敗れても私の簪先輩への想いは変らない。我ながら未練がましいかなとも思うけど、それはそれだ。

 

「何、ぼーっとしてるの。簪先輩待たせてるんだから、着替え終わったら早く行くよ」

 

「ほら、早く」

 

「もう、待ってよ」

 

 友達達の声でハッとになって、急いでISスーツの着替えを済ませる。そうだ。今私達絶賛遅刻中なんだった。ほんの数分程度だけど。

 今日は簪先輩との週に1~2回ある放課後の訓練日。ちなみに今日はシュミレーターでやるらしい。

 もう何回目にもなるけど簪先輩に訓練をつけてもらうのは私の一週間の楽しみの一つになっている。

 

「あ、更識先輩!」

 

「すみません!」

 

「簪先輩っ、遅くなりました!」

 

 いつもの待ち合わせ場所に行くとそこにはもう私達と同じ様にISスーツに身を包んだ簪先輩がいた。

 元々今日のホームルームが長引いてしまったから遅れた訳なんだけど、それでも先輩を待たせるというのはIS学園では結構マズい。

 一見緩いお嬢様学校なIS学園だけど、上下関係は思った以上にしっかりとある。それに教えてもらう側なんだから、理由があっても遅刻はマズい。

 簪先輩は大丈夫だろうけど、以前今日とは別の子達と大人気の一人であるボーデヴィッヒ先輩の訓練受けた時には今日みたいに遅刻して、それはもうこってり絞られしまった。厳しいって聞いていたけど想像以上だったなあ、アレは。

 

「ん、大丈夫。ホームルーム長引いたんでしょ? ちゃんと前もって連絡くれたんだから気にしなくていいよ」

 

 ホッとひとまず安心した。

 

「ありがとうございます」

 

「さすが更識先輩! 今日も可愛くてお綺麗です!」

 

 そう隣の子が言った。釣られて私は簪先輩を見てしまう。

 

 この子の言う通り、確かに今日も簪先輩は可愛くて綺麗。

 ISスーツを着ているせいか、身体の綺麗なボディラインが出ていて惚れ惚れしてしまう。いつ見ても小柄だけど理想的で羨ましくなるスタイルのよさだ。

 それに一つ見ていて気づいたことがある。心なしか前見た時よりもまた大きくなっている気が。何がと言えば、胸が。

 

「今それ関係ある? というか、そんな調子いいこと言っても手加減しないから」

 

「ちぇ、ダメかあ~」

 

「馬鹿言ってないでほら……って、ジッと見て何……?」

 

「いえ、本当に簪先輩は可愛くて綺麗だなあって」

 

「もう……貴女まで……。はいはい、分かったから早く訓練始めるよ」

 

 本心を言ったのにあっさりスルーされてしまった。

 残念。まあ、いつものことだ。今更こんなことで落ち込んでいられない。気にせずアタックあるのみ。

 

 簪先輩とシュミレータールームへ向かいシュミレーターを起動させ私達は訓練をつけてもらう。

 基本的には簪先輩と私達三人一人一人、先輩と模擬戦を行い、悪いところを指摘してもらったり、いいところを更によくなるようにアドバイスしてもらいながらあれこれ実践していくといった感じ。

 簪先輩の説明は時々難しすぎて理解できない時も多々あるけど、それでもちゃんと聞けば、もうちょっと噛み砕いて説明してくれる。

 あんまり人に教えるのは得意じゃないみたいで、教え方に苦労して悩む先輩もまたいい。

 

「お疲れ様」

 

「うぅ、お疲れ様です。あ~また負けた!」

 

「ドンマイっ」

 

 たった今模擬戦を終えたばかりで落ち込む私は、友達に励ましてもらう。

 自分は結構いい線いっていたと思ったけど、結局今回も負けてしまった。自信あっただけに結構くやしい。

 シュミレーターだから量産機しかお互い使ってないのにこうも勝てないとは流石は代表候補生。 

 もう勝率なんてないに等しい。一番削ってる私でもまぐれで一回勝てるかどうか。まあ何度やっても得るものが多いし、楽しい。貰えるアドバイスも確かだからいつまでも凹んでられない。

 

 模擬戦して思うのはやっぱり簪先輩は強い。私達1年生からしたら、そりゃもう反則級の強さ。

 日本の代表候補生だから当たり前なんだろうけど。他の代表候補生、デュノア先輩や篠ノ乃先輩達だって強いし。そう考えるとやっぱり、代表候補生だらけの先輩達の学年はいろいろとおかしい。

 学園最強であるあの更識楯無先輩の妹さんってのも関係あるのかも。聞いた話だと元生徒会長、今まで一度も負けたことないらしい。う~ん、姉妹揃って可愛くて美人で強いだなんて本当反則だ。

 

「じゃあ……次」

 

「はいっ!」

 

 今度は私を励ましてくれた子とは別のもう一人友達が模擬戦を始める。

 といった感じでその後も私達は簪先輩にフルボッコにされながらも、予定時間たっぷりと指導してもらった。

 

「はい、じゃあ今日はここまで。皆、お疲れ様」

 

「お疲れ様でした! ありがとうございました!」

 

 私達三人の声が重なる。

 

「今日もよかったよ、皆。特に貴女、どんどんよくなっていってる」

 

「そうですか? えへへっ、ありがとうございます!」

 

「うわっ、嬉しそうな顔しちゃって」

 

「デレデレ。更識先輩、本当好きだねぇ」

 

 うるさいな。いいじゃない。嬉しいものは嬉しいんだから。

 でも、ヤッバい。本当に嬉しい。好きな人に頑張りを褒められるって凄い力がある。幸せ。

 確かに自分でも良くなってる感じあるし、先生にもよく褒められる。簪先輩様様だ。もっと褒めて貰える様に、もっともっと頑張ろう!

 嬉しすぎてたまらなくなって私は簪先輩抱きついた。

 

「簪先輩、大好きです!」

 

「ちょっ、離れて……! 訓練終わって汗臭いいんだから……っ」

 

「そんなことないです! いい匂いです!」

 

 気にしなくてもさっきシャワー浴びたんだから大丈夫なのに。いや、簪先輩の汗の匂いが流れたと思うとそれはそれとちょっとおしいかもしれない。

 でも、本当に制服の上からでもいい匂い。オマケに凄く柔らかくて暖かくていい感じ。

 私は今前から抱きついているから、胸に顔を埋めているけど幸せ。正直、ちょっぴりだけムラムラくる。

 というか、やっぱり胸大きくなってる。今確かめているから間違いない。恋人に揉まれると大きくなるって迷信じゃなかったんだ。やるな、彼氏さん。

 

「あ~! ズルい! 私も更識先輩ハグする~!」

 

「私も~!」

 

「貴女達まで……! ひゃっ! やぁっ、む、胸はダメっ」

 

 困った様子の簪先輩が可愛い。恥ずかしいのか頬が赤いのが余計にまた。

 こうやって弄ると可愛いいい反応してくれるから大好き。食べちゃいたいぐらいだ。どういう意味ではは言うまでもない。

 もっとも本気で怒られるからさすがにしないけど、私達が簪先輩に四方八方から抱きついて反応を楽しんでいる時だった。

 聞き慣れたふわふわした声が聞こえてきた。

 

「かんちゃん、モテモテだね~」

 

「ほ、本音……助けて」

 

 現れたのは布仏先輩。

 今日も一回り大きいダボダボになっている制服着て、ゆるふわな雰囲気を放っている。見ていると不思議とのほほんとしてしまう人だ。

 こんな人だけど、意外と抜け目ない。なんせあの織斑先輩の彼女なのだから。

 

「え~楽しいそうじゃん、かんちゃん」

 

「馬鹿なの? 馬鹿だったね……本音、私が困ってるの見て分からないほど馬鹿だったね」

 

「かんちゃん、ひどーいよ~! ……ごめんなさい、睨まないで。えっと、かんちゃん苦しそうだから離してあげて?」

 

「仕方ないですね」

 

 充分簪先輩を堪能したことだし、布仏先輩の言葉通り私達は離れた。

 

「ほっ……助かった」

 

 簪先輩がホッと胸を撫で降ろしていた。

 

「改めて、皆やっほー。皆は今ご飯待ち~?」

 

「はい、そうです」

 

 今日の訓練を終えた私達は夜ご飯までまだ時間がある今、それまでの時間を潰そうとここラウジでお喋りしていた。

 

「私も混ぜてもらっていい~?」

 

「はい、もちろん」

 

「どうぞ! どうぞ!」

 

 布仏先輩もお喋りに参加してもらう。

 布仏先輩も好きな先輩の一人だ。このゆるふわな雰囲気はのほほんとして一緒にいるだけで落ち着く。

 何より、布仏先輩は簪先輩の幼馴染。だからよく簪先輩を弄るネタをくれて、一緒になって簪先輩を弄ってくれるから一緒にいて楽しい。

 

「のほほん先輩は今日、織斑先輩と一緒じゃないですね」

 

「珍しい。いつもあんなに一緒でラブラブなのに」

 

「そ、そうかな~? そんなことないと思うんだけど……」

 

「またまた~、私昨日の放課後見ましたよ。のほほん先輩と織斑先輩が学校の外にあるベンチでイチャついてるの」

 

「あっはは、見られちゃったんだ。恥ずかしいな~」

 

 布仏先輩が顔を赤くして照れる。

 私も結構な頻度で二人がイチャついてるのはよく見かける。本人達は一応周りに配慮してるみたいだけど、あの甘い雰囲気かもし出していたら意味ない。

 最初は布仏先輩と織斑先輩が付き合ってるのはかなり驚いた。こういったら悪いけど、織斑先輩はいかにもハーレム作りそうな人なのに普通のお付き合いしてるってこともそうだけど、学園に男の人がいるってことが驚きだった。それは簪先輩の彼氏さんもそう。

 最初は男の人ってだけで怖かったし、正直IS学園に男の人がいるってのはあまりいい気はしなかった。でも、話せばいい人達でかなり紳士的だから安心できた。だから今では男の人二人がいるのは気にならないし、布仏先輩と織斑先輩がイチャついてる光景は最早学園名物だ。

 

 でも、この話はしたらいけなかったみたい。

 

「へぇ~……本音、また織斑と外でイチャついてたんだ。だから、仕事中途半端だったんだ。外でもちゃんと二人仕事してると思ったのに……ふぅ~ん、そう。私達が生徒会の仕事してる時にいいご身分だね。関心する」

 

 凄い簪先輩が布仏先輩見てる。鋭い目つきだ。

 

「えっと……それはその~何と言うか~ごめんなさ~い」

 

「はぁ~……イチャつくのはどうでもいいけど、副会長なんだから仕事だけはちゃんとして」

 

「はい、すみません。だから、かんちゃんっ睨まないで~」

 

 飽きれる簪先輩と反省する布仏先輩。

 何だか幼馴染二人の力関係を垣間見た。

 

「そういう簪先輩は彼氏さんと一緒じゃなくていいんですか?」

 

「いいよ、別に。やることやるって言ってたし」

 

「今日はね~おりむー(一夏)と第8アリーナで先までずっと実機の模擬戦してたよ~」

 

「また、してたんだ。本当好きだね、模擬戦」

 

「趣味みたいなものだからね~二人とも。彼氏君にいたってはマニアの域だし」

 

 飽きれるのを通り越したかのように簪先輩は関心したようにそう言った。

 簪先輩は本当に気にしてない様子。今更なことだけど、外野の身だからこそ気になるものは気になる。いいんだろうか、それで。

 というか。

 

「布仏先輩と簪先輩カップルって本当対照的ですよね」

 

「そうかな」

 

「そうですよ。更識先輩と先輩一緒にいるところ学校じゃあんまり見ないですし」

 

「本音達がベッタリしすぎなだけ。付き合ってるからっていつも一緒じゃないとってことはないんだから」

 

「よ、余裕ある大人の発言だ。くっ、これがリア充の余裕か」

 

 凹む友達を尻目に、私はそれもそうかと思った。

 布仏先輩と織斑先輩が二人一緒にいてイチャついている姿をよく見るから、余計そう思うのかもしれない。

 一方で確かに簪先輩と彼氏さんが学校で二人一緒にいるところはあんまり見ない。まあ、お昼は毎日一緒みたいで食堂で一緒に食べているのはよく見かけるけど、大体はお昼ぐらいだけだ。

 布仏先輩と織斑先輩達みたいにイチャついてる姿は見たことない。

 何というか二人の距離感は仲いい男女の友達みたいに感じる。だからって今更、二人の仲を疑うようなことはもうしない。

 あんな聞いてるこっちの方が恥ずかしくなるようなこと目の前で言われたら流石にね。

 

 やっぱり、周りに気を使ってるんだろう。布仏先輩達以上に。

 私達が別になんとも思わなくても、織斑先輩や彼氏さんのことをよく思わない人もまだ当然少なからずいるし。

 何より、あの先輩くっそ生真面目な人だからなあ……まあ、先輩のあの生真面目さが私達も好きで慕っているわけだけど。

 何だかんだ布仏先輩達以上にいろいろ自分達でも周りのことを気にしてるんだろう。それも全て先輩が簪先輩を想うからこそだと分かるから、彼氏さんにはちょっぴり妬けちゃう。本当愛されてるなあ、簪先輩。

 

 そこでふと私の頭に気になることが思いついた。

 

「そうだ、簪先輩」

 

「ん、何……?」

 

「簪先輩は彼氏さんのどんなところが好きなんですか?」

 

「へ?」

 

 きょとんとした顔する簪先輩。

 

「だから、彼氏さんのどこが好きなんですか?」

 

「き、聞こえてるから。言っておくけど言わないから……貴女達が期待するようなこと、私言えないし。というか、何で急に」

 

「丁度今彼氏さんの話もしてたじゃないですか。ほら、皆も布仏先輩も聞きたいよね」

 

「聞きたーい!」

 

「気になる~!」

 

「かんちゃん、そういう話してくれないから楽しみ~」

 

「えっ? ちょっと……い、言わないからね……!」

 

そんなこを言っているけど、簪先輩が迷っているのが見え見え。

簪先輩はお堅く見えて何だかんだで押しに弱い。言わなきゃいけない雰囲気と場所さえ作れば、後は意外と押しきれる。後もう一押し。

 

「お願いします、簪先輩」

 

「あ、うぅぅ……分かった。ちょっとだけ、だからね……他の人に言わないでよ」

 

 キタコレ勝った。

 しぶしぶといった様子だけど簪先輩が話してくれるのを皆今か今かと待つ。

 

「その、ね……」

 

「うんっうんっ!」

 

「正直分からない……ううん、どこがなんて理由はないよ……」

 

 その言葉に私達は思わず、ズッコけそうになった。

 何それ。勝手に期待していたとは言え、凄い肩透かしされた気分。

 

「えぇ~」

 

「先輩、そんなもったいぶらないでくださいよ~!」

 

「別にもったいぶってる訳じゃない。そりゃ誠実だとか努力家だとかは上げられるけど、それは好きなところっていうよりかは彼の素敵なところであって、好きなところとは少し違う気がして……」

 

「そういうものなんですか?」

 

「私はそう思う。それに大好きな彼のどこが好きかなんてたった何文字の言葉には出来ないし、私自身そんな簡単に言えるような言葉にはしたくない。どんな彼であってもどんなところがって理由が必要がないほど、簡単には言葉に出来ないほど私は彼のことがただ好きでしかない。いいところも悪いところも全部好きだから一緒にいる。それだけ」

 

 はっきりと簪先輩は言ってのけた。

 

「う、ぉっ……」

 

 最初に誰が言ったのか。誰でないだろうし、話を聞いた全員が言ったのかもしれない。

 本当何それ。

 

「ほら、貴女達が期待するようなことじゃなかったでしょ……というか、何で聞いた皆の方が恥かしがってるの。本音まで顔赤くして」

 

「いや~かんちゃんって本当に凄いよね」

 

「更識先輩本当に凄すぎます」

 

「えっ……え? 何が?」

 

 自分がどんだけのことを言ったのか分かってない簪先輩は不思議そうにしてる。

 そりゃこんな高威力の惚気をされたら、皆赤くもなる。

 普段惚気ない人が惚気るとこんなに凄いんだ……油断してた。こうシンプルだど好きなところたくさん言われるよりもくるものがある。おかげで何か背中がむず痒い。

 これが噂に聞いていた聞いてるこっちのほうが恥ずかしくなるって奴か……どうしよう、聞いておいて何だけど本当に凄い恥ずかしい。耳まで熱い。

 

 それでも、こうやって聞けてよかった。

 簪先輩が彼氏さんのこと本当に好きなのがこれでもかと伝わってくる。疑いようなんてない。簪先輩本当に彼氏さんのこと愛してるんだね。

 失恋した身だから話聞いて辛いものがないと言えば嘘になるけど、これはいいことを聞けた。

 

「ぁ……」

 

 私はあることに気づいた。

 どうやら他の皆も気づいたらしい。

 存在感あるから気づいて当然か。というか、あちらさんはいろいろと我慢の限界みたいだ。

 

「? 皆どうした……の……」

 

 後ろの入り口の方へと振り返った簪先輩が固まった。そりゃもう見事に。

 流石、簪先輩。どんな時でもいい反応してくれる。

 

「ぶっはっ! よかったなぁ、お前。更識さんにめちゃくちゃ愛されてるじゃんか」

 

「あっ、おりむー(一夏)達だ」

 

 後ろには気持ちいいぐらいニヤニヤしている織斑先輩と、そんな織斑先輩に肩を抱かれ、顔を赤くして恥ずかしそうに口元を手で隠して、そっぽを向く彼氏さんがいた。

 

 私達の誰かが呼んだってことはないはずだから、偶然来たんだろう。それにしたら凄い偶然だけど。

 ってか、簪先輩ってやっぱり弄られる星の元に生まれているんだなあ。

 だって織斑先輩達の様子からして、さっきの話聞いていたはずだから。どころから聞いたんだろう。気になるところだ。

 

「お~い、かんちゃ~ん! しっかりー」

 

「……ハッ!」

 

 よほどショックだった簪先輩は布仏先輩呼ばれて長いフリーズからようやく復帰した。

 そして簪先輩が震える声で言った。

 

「……なんで二人が……?」

 

「ほら、もう夕飯だろ? だから、こいつと二人でのほほんさん(本音)達迎えに行こうってことになったんだけどさ」

 

 まだニヤニヤしている織斑先輩。気持ちはよく分かる。私達も楽しくなってきてる。

 ニヤニヤしてても織斑先輩は絵になってる辺り、この人本当にイケメンだ。

 

 彼氏さんはというと申し訳なさそうにしてるし、弄られたくない簪先輩は冷静でいようと必死に努めているのが、また返っておもしろくてとっても可愛い。

 

「……そう。えっと……さっきの話聞いてたよね……あっ、やっぱり。ううん、気にしてない大丈夫、これは事故だから、そう事故。ち、ちなみに……どの辺りから? あ……ほとんど最初から。……そう」

 

 言葉こそは冷静だけど、凄いショック受けて沈んでいるのが誰の目から見ても明らか。

 というか、恥ずかしいようで簪先輩は顔を真っ赤にして涙目だった。やっばい、可愛い。どうしよう。

 

 ちなみに先輩達がきいていたのは私達が簪先輩に彼氏さんの何処が好きか聞いた辺りからだった。大事な部分を全部聞いてる。

 幸い彼氏さんは満更どころか、無愛想装っていても嬉しそうなのがバレバレだから、これは怪我の功名的なものじゃないだろうか。

 

「ごめんなさい……人前でこんな。……嬉しい? 本当に?」

 

 不安そうに彼氏さんへ問いかける簪先輩に彼氏さんはたった一言本当だと言う。

 

「よかった」

 

 たった一言だけでさっきまでショックを受けて沈んでいたことなんてなかったかのように、簪先輩は幸せそうな笑顔を顔いっぱいに咲かせていた。

 

「簪先輩、よかったですね」

 

「うんっ」

 

 私にもその幸せそうな笑みを向けてくれる。

 

 やっぱり、胸が痛い。

 私ではこんな幸せそうに簪先輩には笑ってもらえないとはっきり分かってしまう。

 だけど、大好きな先輩が私と一緒でいるよりもこんな幸せにいてくれるのなら、ずっとそのままでいてほしい。

 身勝手だとしても、私の一番の幸せはこうして簪先輩が幸せでいくれることなのだから。

 

 簪先輩の笑顔を見ながら私は一人心の隅でそっと願う。

 いつまでもお慕いしています、簪先輩。いつまでも先輩の幸せが続きますように、と。

 




大分遅くなってしまいましたが、さとッチ様からの
『簪と本音が、彼氏のいないところで二人して自分の彼氏のいいところ自慢を繰り広げ
実はそれを、一夏とおり主(簪彼)が聞いてしまい、二人の興奮が高まり・・・。みたいな話』
にリクエストお答えする形で、後輩というモブ視点から見た二人の関係などについてのお話をお送りしました。
一夏と本音達のをやると話がそれたので今回は簪とあなただけとなりましたご了承を。

この後輩ちゃんについては『私とあなたの百合色恋受難』『簪との百合色恋受難』に登場した百合後輩と同じ子です。


今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪「ぁ……んっ…んぁ…あっ…ぁ…あっんっ…」

 

「はぁ~……」

 

 夜いつもの様に部屋で一緒に勉強をしている時だった。

 目の前にいる簪が小さく溜息をついていた。

 その溜息からは疲れを感じさせれる。大丈夫なんだろうか。そう思わずにはいられなかった。

 

「ん、大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから、心配しないで」

 

 簪は俺に気を使わせないように小さく笑っていた。

 そうは言うが顔色はよくない気がする。やっぱり、疲れている。無理もないか。

 相変わらず学園生活は忙しい。特に簪は俺達のように学校や生徒会の仕事、日々の自主練だけではなく、代表候補生のことがあったりと大忙し。

 それ自体は今に始まったことではなく、簪も自分で折り合いをつけているだろうが、それでも溜まる疲れはある。

 勉強は今日ここまでにして、後はゆっくりするか。

 

「えっ、いいよ。そんなまだ始めたばかりでしょ……本当に大丈夫だから」

 

 心配なんだ、やっぱり。

 勉強なんて毎日やってることだし、いつだってできる。

 疲れていて、休める時はゆっくり休んだ方がいいはずだ。

 何より、俺が簪とゆっくり過したい。そういう過し方も悪くないはずだ。

 

「……分かった。あなたがそう言うのなら、そうしよっかな」

 

 納得してくれたように簪はペンを置いて、手招きした俺の元へやってくれる。

 半ば無理やり説得した気分だが、強めにでも言わないと簪は納得してくれない。

 

「ふぅ……」

 

 後ろの俺を背もたれにして、両足の間で寛ぐ簪が一息つく。

 勉強をやめたことで簪のスイッチがオンからオフへと切りかわったようで、ドッと疲れが出た様子だった。

 これは随分溜め込んでいたな。こんなに傍にいたのに気づけなかったのが悔やまれる。

 

「もうっ、大げさだよ……でも、疲れてるからなのか肩がちょっとね……」

 

 自分の肩へと手をやる簪。

 凝っているみたいだ。

 そうだ、ここは一つ肩揉みでもしてあげよう。決して肩揉みが上手いわけでもなければ、肩揉み一つで簪の疲れがすぐによくなるわけじゃないだろうが、それでもしないよりかはマシなはず。

 というよりも、疲れている簪に何かしてあげたい。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えてお願いしてもいい?」

 

 もちろんだとも頷いた。

 失礼して簪の肩を揉みはじめる。

 そう言えばこうやって誰かの肩を揉むのは随分と久しぶりだ。力加減はこんな感じで大丈夫だろうか。

 

「ん、大丈夫。丁度いい力加減」

 

 うっとりと気持ちよさそうな声をもらす簪。

 大丈夫みたいで何より。

 にしても、簪の肩は大分凝ってる。疲れている証拠だ。同時にそれは頑張っている証拠でもある。

 簪は本当によく頑張ってる。偉い。頑張る簪の姿はやっぱり、綺麗だ。

 

「も、もうっ、どうしたのっ。褒めてくれるのは嬉しいけど……褒めても何もでないよ」

 

 照れくさそうに簪は言う。

 別にそういうじゃない。ただ単に頑張っている簪を褒めたくなっただけのこと。

 

「ふふっ、そっか。あ、そこそこ……いい感じ。上手だね……ん~、気持ちいい」

 

 そう言って気持ちよさそうにしてくれると、マッサージ冥利に尽きる。

 好きな人の為にしたことがこんな些細なことでも喜んでもらえるのは嬉しい。

 

 大体10分ぐらい経っただろうか。

 このぐらいでもう肩は充分なはずだ。

 

「ん、大分よくなった……ありがとう」

 

 簪は嬉しそうに微笑んでくれている。

 マッサージはこれで充分なはずだ。簪も喜んでくれているし、さっきより少しは疲れが取れて顔色もよくなっている。

 だがしかし、したりないと思ってしまうのは何故だろうか。

 

「したりないって……あなたの方こそ疲れたりしてない? 私はもう充分だから」

 

 そうだよなあ。

 実際本人に充分と言われてしまうと何か凄いショックだ。

 

「そんなしょんぼりした顔しなくても」

 

 そうは言われても。

 このままでは今度俺が簪にマッサージされてしまう。

 

「えっ……うん、そのつもりだけど……」

 

 ほら、この通り。

 嫌なわけじゃないが、それじゃあいつものパターンだ。悪くはないんだけど、今日は簪にいろいろしてあげたい気分。我ながらめんどくさいなとは思うが。

 

「ううん、そんなことないよ。私のほうがめんどくさいだろうし……それはいいとして、今日のあなたは本当にしたがりなんだね……じゃあ、もう少しマッサージお願いするね」

 

 簪の言葉に力強く頷く。

 やっぱり、簪にお願いされるのはどうあれ嬉しい。

 はりきって頑張ろう。

 

「まったく、嬉しそうにちゃって……で、次はどんなマッサージを……?」

 

 肩揉みの次となれば、やっぱり全身マッサージだろう。

 今さっき肩を揉んで肩の疲れが取れたとはいえ、まだ疲れが残っているところはあるはず。

 この機会に溜まってる疲れを全部取り除いて、簪にはスッキリしてもらおうと思う。

 

 じゃあ、失礼してと。

 

「ひゃっ!?」

 

 簪を抱き上げ、お姫様抱っこでベットへと連れて行く。

 今のまま床がするよりベットのほうがいいだろう。

 

「お、重くない……?」

 

 お姫様抱っこされている簪は不安げな顔で見つめてくる。

 そう言えば、こうしてお姫様抱っこするの久しぶりだった。

 ちゃんと重みはあるが、それは安心できるもの。相変わらず、心配になるぐらい軽い。

 

 ベットまで運ぶと一旦眼鏡を外してもらってからうつ伏せで寝てもらう。

 そこからまず背中や腰からマッサージしていく。

 始めはゆっくりと指圧してみたり、手のひら全体で揉みほぐしてみたりする。 

 

「んぅっ……!」

 

 簪が悲鳴めいた声をあげる。

 思わず手を止めた。

 痛がらせてしまったか。

 

「だ、大丈夫。続けて」

 

 気を取り直して続けていくのだが……。

 

「ひゃぅっ……んっ、あぁ……んんっ」

 

 悲鳴は最早、甘い声と化していた。

 これはもしかすると。

 

「くすぐっ、たいよ……。あっ……そこっ、やぁぁんっ」

 

 またも簪が甘い声をあげる。くすぐったさを感じているよりかは、性的な快感を感じているようだ。

 確かにマッサージされているとくすぐったさを感じるのは分かるが、こうも艶っぽい声を出されるといけないマッサージでもしている気分。正直、ムラムラして辛い。

 そんな声まで出してくすぐったいようなら、やめるのも選択肢の一つだ。

 

「や、やめないでっ……声、我慢するから……お願い、……ね」

 

 枕に半分顔を埋めながら言う簪の頬は深く紅潮し、瞳は濡れていて、何だか色っぽい。

 仮にまだわざとだったら聞き流せるが、簪の場合は冗談ではなく素でやっているからある意味性質が悪い。本人に自覚なさそうだし。

 興奮で喉が渇く。だがしかし沸き上がるものグッと堪え、マッサージを続ける。

 

「んっ……はぁ……っ、んんっ……はっ……あぁっ」

 

 言ってた通り確かに簪は声を我慢してくれている。

 けれど、声を我慢しているせいで余計に艶っぽくなっている。

 

 今夜はただのマッサージのはずなのに、無性に手を出したくなる。

 ダメだ。ダメだ。集中、集中。

 呪文でも唱えるかのように、そう念じるばかり。

 

「あっ! あそっ、待って! ダメっ!」

 

 丁度、太もものマッサージをしている時だった。

 簪の反応が変った。

 さっきまでの性的な快感を感じているような甘い声とは違い、純粋にくすぐたがっている。

 そう言えば、簪は太ももとか足の裏弱かったな。

 

「分かってるならやめて……あはっ、あっはははっ!」

 

 くすぐったいのを我慢できず、珍しく簪が大きな声で笑い声を上げる。

 ついでに若干だが抵抗するようにジタバタと暴れてもいた。

 

「降参! 降参するから許して~……もうっちょっ、やぁんっ、足の裏くすぐった……あっはははっ! ひぃんっ!」

 

 おかしな声まであげてる始末だ。

 降参って言われてもな……くすぐったいと感じるのは凝り堅くなっている証拠の一つだと何処かで聞いた覚えがある。

 くすぐったいのはもうすぐ終わるから我慢してくれ。

 

「我慢、って……馬鹿ぁ、楽しんでるでしょ……!」

 

 否定はしない。

 くすぐったがっている簪がひんひんいい声で鳴いてくれているのは聞いて見て楽しいものがある。

 しかし、マッサージはマッサージ。最後までやり遂げた。

 

「身体が軽くなったのは感謝するけど……降参って言ったのに~……馬鹿」

 

 簪は枕に顔を埋めたまま、拗ねたようにそんなことを言った。

 ヘソを曲げてしまった簪。

 楽しんでしまったとは言え、マッサージはちゃんとしたのだから機嫌直してほしい。

 

「うるさい……」

 

 一言そう冷たく言われてしまった。

 もしかして怒らせてしまったか?

 不安になっていると。

 

「ねぇ」

 

 名前を呼ばれ、顔を伏せたまま手招きする簪の方へ身を屈めて近づく。

 

「えいっ」

 

 景色が反転した。気づくと手を引かれて、ベットへと引きずり込まれる。

 ベットで横並びになって向かい合う俺達。

 目の前では簪が何か悪巧みでも考えているかのように意地悪な笑みを浮かべている。

 

「ふ、ふ、ふっ! 仕返しっ」

 

 人に触られると弱い部分である脇を簪がくすぐってくる。

 突然のことにくすぐったくて堪らず、俺は声をあげて笑ってしまった。

 反則だろ、それ。やめてほしい。というか、くすぐったくて力が上手く入らないせいか、簪を引きはがせない。オマケに簪の奴、足絡めてガッチリホールドまでしてきやがってる。

 

「どう? ふふん、参ったかっ。こしょこしょこしょっ」

 

 簪が凄い勝ち誇った顔してる。

 無性に悔しい。このまま簪にやられっぱなしは尺だ。

 くすぐったいのを全力で我慢して、俺も簪の脇をくすぐって仕返しをした。

 

「ちょっ!? あっは、卑怯ッ今、私の番なのにぃっ! あっははははっ、くぅっ……ま、負けないっ」

 

 くすぐったくて笑いが止まらないのに簪はムキになってくすぐるのを続けてくる。

 かく言う俺もムキになって簪をくすぐり続ける。

 そうして、ぐったりするまでお互い一歩も譲ることなくくすぐりあった。

 

「つ、疲れた……」

 

 ぐったりして寝転ぶ隣の簪に同意する。

 こればっかりは本当に悪乗りが過ぎた。最早マッサージした意味がなくなってしまった。

 簪の疲れを取ろうとしたのに逆に疲れさせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

「あなたが気にしなくても大丈夫。くすぐり始めたの私が最初だし……それに楽しかったよ、私」

 

  横で寝転んでいる簪は笑顔で言った。

  俺も楽しかった。くすぐったかったからとは言え、こんな風に大笑いすると疲れもするがすっきりした気分にもなる。まあやっぱり、馬鹿のことしたなあって思うけど。

 

「だね。でも、この馬鹿なことがすごく楽しかった……マッサージもしてもらって、身も心も元気になった……ありがとう、あなた」

 

 微笑む簪にドキッとする。

 そして抱きついてくる簪を抱きしめる。

 あんな拙いマッサージでも簪の為になったなら嬉しい。次またやるかもしれないし、マッサージ勉強してみようかな。

 

「私も勉強してとびっきりのマッサージしてあげるね」

 

 それは楽しみだ。

 

「あ、後……次は私、絶対に負けないからね」

 

 またって。

 どうやら簪はまたくすぐってくるつもりだ。

 いいだろう。受けてたつ。またひんひん可愛らしい声聞かせてもらう。

 

「言ったな……ふふっ、ふふふっ」

 

 何だかおかしくなってどちらからともなく笑いあって、抱きしめあう。

 癒して、馬鹿なことして、二人で笑いあう。

 こういう過し方もいいな。

 




簪にマッサージして、馬鹿なことしてじゃれあってイチャイチャしたいだけの人生だった……

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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酔いどれ簪

ちょっと未来の話


「今年一年もいい年にしていきましょう……ってことでじゃあ、かんぱーい!」

 

「乾杯っ!」

 

 楯無さんの音頭に続いて言った皆の声が重なり、俺達は酒が入ったグラスを悪く合わせあう。

 

「いや~やっと新年の行事が一段落ついたわね。さあッ、今夜はじゃんじゃん飲むわよ!」

 

 酒の入ったグラスを煽り楯無さんがグッと一気に飲み干す。

 

「楯無さん、飛ばすな」

 

「ペース早っ」

 

「何他人事みたいに言ってるのよ。今夜は無礼講! ほら、一夏君も弾君もグラス空じゃない!  今日はたっくさんおつまみもお酒用意したんだからほら飲む飲むっ」

 

「楯無の姐さん、アザッすっ!」

 

「ちょっ、楯無さん入れすぎ!」

 

 楯無さんに酒を進められた弾と一夏の二人はそれぞれの反応をしながら酒をグイッと飲んでいく。

 

「ひゅーひゅー! 流石男の子! いい飲みっぷりね!」

 

「あ、この酒旨い」

 

「マジだな、一夏。すげぇ飲みやすくってドンドン進むわ」

 

 楯無さんに煽られるように一夏と弾の二人の飲むペースは速い。

 ガブガブ、ジュースでも飲んでいるかのようだ。

 これは今年も早々に二人揃って早く潰れそうだな。

 

「早く静かになっていいよ……私達はゆっくり飲めばいい」

 

「だね~。でも、楯無様達本当に飛ばすなあ~」

 

「まあ、楯無様は今夜の為に政頑張ったんですから多めに見てあげましょう」

 

 簪、本音、虚さんの三人は楯無さん達の光景を見てまったり酒を楽しみながら皆一様に言う。

 一夏と弾を楯無さんに差し出して生贄としたんだ。楽しんで飲んでいるのだから、これ以上何も言うまい。

 

 といった感じに今年の今日も更識家の本邸で小さいながらも飲み会をやっていた。

 毎年、更識家の新年行事や季節の行事を終えた日の夜飲み会をやるのが恒例行事みたいなものになっている。

 メンツは楯無さんと簪と俺。一夏と本音、虚さんと虚さんの旦那さんであり俺達の友人でもある弾。この約7人が基本的なメンツ。前は弾の妹さんである蘭ちゃんが。そのもう一個前は千冬さんが参加したりもしていた。まあぶっちゃけ身内の集まりだ。

 身内だからこそ、IS学園を卒業して数年たった今でもこうして深い付き合いがあるんだろう。

 

「おらっ、お前も飲め飲めっ」

 

「そうだぞ! 相変わらず我関せずな顔しやがって。もっと楽しめよ!」

 

 簪や本音達と静かにゆっくり飲んでいたのも束の間。

 一夏と弾が近寄ってきた。楯無さんに大分飲まされてかなり出来上がってる。酒臭いのは仕方ないが、声がデカい。

 そして二人から肩を組まれ、酒を注がれ、飲まされる。またそんな大量に進めなくても……俺なりに充分楽しんでいるし、結構飲んでいるのだが。

 

「そう言われれば、結構飲んでるな」

 

「でもよ、お前全然平気そうじゃん。相変わらず、酒強いよな」

 

 弾と一夏の二人はそう関心したように言う。

 そりゃ。

 

「そりゃあれだけお父様と毎回飲めば、強くなるわよ。ね、弟君」

 

 俺の言葉に被せるように言って楯無さんが前の席にやってきた。

 今気がついたが、左右には一夏と弾(野朗二人)。そして、前には楯無さん。これ完全に取り囲まれた。

 やっぱり、俺が次の生贄枠か……簪達は簪達で三人ガールズトーク楽しんでいるみたいだし。

 

「あ~そういえば楯無さんの親父さんによく飲まされてるな」

 

 一夏のいう通り、おかげさまで簪と楯無さんの父親である御館様には気に入れているみたいで酒を一緒に飲む事が多い。季節の節目節目に更識家には来るがその度にサシで飲む。つい最近だと大晦日の夜に飲んだっけか。

 御館様はかなり豪酒で何度も付き合っていれば、嫌でも強くなる。だがおかげで酒には詳しくなったし、強い酒たくさん飲んでもそう簡単には酔うことはなくなった。

 

「お父様様々よね。おかげでこうやって長く一緒にお酒飲めるのだから、ね」

 

 言って楯無さんは酒を注いでくれる。

 普段みたいな政の場ではなく、こうした気のおける身内の場だからなのか、楯無さんも結構酒が回っているみたいだ。その証拠に珍しく顔がほんのり酒気を帯びたように赤い。

 

「さあ、弟君ももっと飲んで飲んで!」

 

「よしっ! じゃあ、飲み比べといくか!」

 

「おおー!」

 

 勝手に盛り上がる馬鹿二人。

 仕方ない。付き合ってやるか。俺は注いでもらった酒をグイっと飲み干した。

 

 

 

 

 結構飲んだ。量的にも、時間的にも。

 それは皆もそうだ。すっかりお開きの流れ。周りはほとんど酔いつぶれていた。

 

「おりむ~えへへ~」

 

「のほんさ~んっ」

 

 まず最初に潰れたのは一夏と本音カップル。

 酔って騒ぎまくった一夏は早々に潰れ介抱していた本音を抱き枕にして眠っている。

 本音も本音で結構飲みながらも一夏の介抱をしていたが釣られるように今は眠っている。

 そして二人は部屋の隅で抱きしめあいながら、幸せそうな顔して二人だけの夢の世界へと旅立っている。夢中でも互いの名前を呼び合ってる二人。こいつらは何年経っても甘々バカップルなのは変らないな。

 

「虚さん、俺本当に虚さんと結婚で出来て幸せッス! もっともっと幸せにしますから!」

 

「ふふっ、ありがとうございます。二人でもっともっと幸せになりましょうね」

 

 次に潰れたのは弾と虚さん夫妻だ。

 弾も一夏と一緒になって散々騒いだ挙句早々に潰れた。弾はまだ起きているみたいが、半分寝ているようなもの。虚さんに膝枕してもらいながら介抱されている。

 虚さんはというと珍しくかなり酔ってるみたいで弾を介抱しながらも、普段見ないデレデレの顔しながら弾の頭を愛しそうにに撫でている。二人も幸せそうだ。

 

「ね、家族の皆が幸せそうで私個人としても楯無としても嬉しい限りだわ」

 

 嬉しそうに頬を綻ばせて言う楯無さん。

 この人だけはまだは酔いつぶれてない。相変わらず回ってほんのり顔は赤いが、それでも意識ははっきりしているし、まだまだ全然大丈夫だ。

 

「それはあなたもでしょ。まだまだいけそうじゃない」

 

 そうは言うが俺も酔ってはないだけでもう限界だ。お腹一杯。

 量こそは結構飲んだが酔いつぶれてないのも一重にペースは抑え気味だったのと、水を結構飲んだからなあ。

 

「ねぇ、弟君。毎回思うけどそれ辛くないの?」

 

 楯無さんは前から俺に抱きついている簪を見てそう言った。

 

「んふ~んふふふっ」

 

 幸せそうに笑いながら猫がすりすりと擦り寄ってマーキングするかように俺の首筋に顔を埋めて遊ぶ簪。

 ごらんの通り、簪も見事に酔いつぶれている。簪は酒強い方だが、これは早いペースで結構な量を飲んだな。

 酔うと簪は甘え上戸と言えばいいのか、いつもこんな感じだからもう慣れてしまった。だから辛くはないのだが、引き剥がそうものなら。

 

「やー! このまま~!」

 

 駄々をこねて暴れる始末。

 それに酔っているのに簪の奴、結構力強い。そう簡単には引き剥がせない。

 まあ簪は幸せそうだから別に構いはしないが。

 

「ふふっん、あむあむ……」

 

 だからって簪さんや、首筋を甘噛みするのやめてほしい。

 くすぐったくて仕方ない。

 それに楯無さんの前だぞ。

 

「まあ見せ付けちゃってくれてお暑いことで何より。でも本当簪ちゃんって酔うとこんなにも幼くなるなんてね~……というか、猫みたい」

 

 猫か……言い得て妙だ。

 

「猫? ふふっ、にゃーんっ、にゃ~んっ」

 

 猫の鳴き真似しながら簪が鼻と鼻をくっつけてスリスリしてくる。

 くすぐったいし……人前だからかなり恥ずかしい。後ほんの少しだけお酒臭い。それはこの際いいとして。

 楯無さんがめっちゃ見てる。楽しそうに見てらっしゃる。

 

「そんな目の前でイチャつかれて見るなって方が無理あるわよ。私のことは気にせず、続けて続けて」

 

 楯無さんの気遣いが一番辛い。

 優しさを見せてるようで、絶対に明日これをネタにからかってくるに違いない。

 歳をとっても他人にイチャついてる姿見られる恥ずかしさは変らない。

 

「嫌なんだ……私はこんなに好きなのに……」

 

 しょんぼりしたトーンで言った簪を見る。

 え、嘘だろ。これぐずってないか?

 

「あ~あ、弟君サイテ~! 簪ちゃん泣かせたー! いーけないんだ! いけないんだー!」

 

 楯無さんはちょっとうるさい。皆起きるだろ。折角、虚さん達も寝落ちしたのに。

 しかし、簪が本当にぐずりだした。目尻に涙を浮かべていて、泣き方がちょっと幼く見えるがこれは結構マジ泣きだ。

 酒が変なほうに回ってると分かっていても、泣かれると弱った。たじたじになるばかり。いつの時代も男は女の涙に弱い。

 

 とりあえず、機嫌直してもらわないと。

 恥ずかしいだけで決して嫌な訳じゃない。むしろ、簪とイチャつくのは好きだ。そう説きながら。

 

「じゃあ……証拠見せて」

 

 言って簪が両手を広げる。

 それが何を意味しているのは分かった。それぐらい安い御用なのだが。

 

「ほら、き~す! き~す!」

 

 楯無さんが凄く楽しそうに捲くし立ててくる。何だ、それは。

 そのせいでじっとこちらを見つめてくる簪は期待するような目をしている。

 

「……」

 

 キスを求めている目だ。

 これでは引くにいけない。いや、ここで引くのは男の恥。覚悟は決まった。俺は簪を抱き寄せ、見せ付けるような濃厚なキスをした。

 

「はぅ~……」

 

 変な声をあげながら腰に力が入らなくなったのか簪がしなだれかかってくる。

 やりすぎた。どうやら俺も自覚ないだけで大分酔いが回っているらしい。

 

「ふふっ、ありがと~……だーいすきっ。スリスリっ~」

 

 でも、簪の機嫌は直るどころか、前よりも上機嫌になっている。

 ぎゅっと抱きついて、嬉しそうな声をもらしながらまた首筋に顔を埋めてスリスリしてくるのか気持ちいい。よかった。

 

 でも、これ楯無さんの前でやってしまったんだよな。

 幸いこれだけ騒いでても皆もう寝てしまっているから、ある意味傷は小さくて済んだが。

 

「わわっ……や、やるわね、お、弟君」

 

 煽ってきた癖に楯無さんが一番照れてる。めちゃくちゃ顔赤い。何でだよ。

 

「うるさいわねっ、お、お酒せいよ……何か無性に負けた気がする。はぁ~自爆した気分だわ。飲みすぎかしらね」

 

  そして一人勝手に落ち込む楯無さん。

 

  大人になると楽しいことが増えて、こうやって馬鹿騒ぎしながら酒飲むのも楽しいが、本当お酒はほどほどに。

 




わいわいわいわい様のクエストで「ほろ酔い簪にたじたじになる話」
泣き虫シロクマ様のリクエストで「彼と簪の未来の話」
の二つにお答えする形でお送りました。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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あなたの匂い/簪の匂い

「お邪魔します……」

 

 合鍵で鍵を開け、一応声をかけながら部屋の中へと入る。

 返事は返ってこない。それは分かっているから、別に気にはとめない。

 この部屋の主である彼は今留守にしている。

 朝は一緒に実機訓練をして、つい先ほどお昼ご飯を一緒に食べたところまでは一緒だったけど、いざ彼の部屋へ行こうとした時、彼は織斑先生に捕まり何やら手伝いごとを頼まれていた。

 それを彼は引き受け、手伝い自体はすぐ終わるとのことなので私は一人一足先に彼の部屋へと今やって来ていた。

 

「相変わらず綺麗な部屋……」

 

 ひとまず私はベットに腰掛けながら、ふと部屋を見渡す。

 

 先に部屋へ来たから、日頃の感謝に部屋の掃除でもと思ったけど、彼の部屋はいつ来ても綺麗。

 世間一般的に男子の部屋って散らかっているものだと聞いていたけど、同じ男子でも違う。彼はこまめに掃除しているみたいで、整理整頓されていて清潔。

 別に感謝を押し付けたかったわけじゃないけど、これじゃあ彼に何もしてあげられない。それがちょっぴり悔しい。後、手持ち無沙汰。彼が来るまで何して待ってよう。

 

「ん……ん? あれって……」

 

 何しようかぼんやり考えていると、椅子の背もたれにかかったワイシャツが目に入った。近づいて、それを手に取ってみる。

 男子達が、彼が普段制服の中に着ているワイシャツ。出しっぱなしなんて珍しい。いや、もしかすると洗濯し忘れたのかな。でも、パッと見普通に綺麗だ。

 

「というか、これ……彼の、だよね……」

 

 彼の部屋にあるのだから、彼ので間違いはず。

 自信はある。でも名前が書いてあるわけじゃないから、確かではない。だったら、ここは確認しないと。だってほら、他の人……織斑のだったら、いろいろとまずいから。

 方法は……やっぱりアレしかない。

 

「……っ」

 

 何故かゴクリッと息を呑んでしまった。

 そしてだんだんと恥ずかしさまで感じ始めてくる。

 これは確認。そう確認。ただの確認。それ以上でもそれ以下でもない。変なことじゃない。大丈夫。

 心の中でそう唱え、彼のワイシャツかどうか確認した。

 

「……くんくん……」

 

 ワイシャツに鼻を埋めて匂いを嗅ぐ。

 

「ああ……~ッ、この匂い……」

 

 間違いない。間違えるわけがない。大好きな彼の匂いだ。

 洗濯した後だからなのか、柔軟剤の匂いのほうが強いけど、それでもちゃんと残っている彼の匂いがたまらない。

 いい匂い。凄く安心する。私、やっぱり彼のこの匂い大好き。

 

「……く、くんくん……~ッ、ふふふ」

 

 だめ。いい匂い過ぎる。幸せ。変な笑い声まで出ちゃう。

 彼の匂いを嗅いでいるだけで頭がクラクラしちゃう。

 確認の為にしているだけなのに、くんくん匂いを嗅ぐのが止まらない。

 

「……あれ? 確認……? ――ッ」

 

 ハッと我に帰る。

 反射的に辺りを、入り口玄関を見て、彼がまだ帰ってきてないことにひとまず安心した。

 でも、だんだんと自分のした事にとてつもない恥ずかしさを覚えた。

 

「あぁ~! 何やってるんだろ、何やってるんだろうぉぉぉ……!? うぅぅっっ!」

 

 そう叫ばずにはいられなかった。

 私、なんてはしたないことを。これじゃあ、まるで変態みたい。……今更な気もしなくはないけど。

 ただ確認するためだったのに、本当何やってるんだろう私。

 

「と、とりあえず……離れよう」

 

 私は元いたベットへと腰をかける。

 

「……あっ」

 

 手にはしっかり握られたワイシャツがあった。

 私は馬鹿だ。こんなんじゃもう私、本音のこと何も言えない。

 ワイシャツ、元の位置に戻さないと。匂いを嗅いでいなくても、持っているだけでもおかしい。

 

「……」

 

 でも、私は名残惜しさみたいなのを感じてワイシャツを手放せずにいた。

 もうちょっとだけ、このワイシャツに残る彼の匂い堪能したい。

 

「……だめ……だめ、私」

 

 頭を振りかぶって邪な考えを振り払う。

 自分で自分のこと変態だと思ったばかりじゃない。

 もうそんなはしたない真似できない。仮に万が一見られてもこんなことで彼は流石に怒らないだろうけど、私が恥ずかしさで死にたくなる。

 でもまだ彼が帰ってる気配はない。

 

「……っ、う~ん……っ、うーん……う~んッ……く、くんくん……」

 

 ワイシャツに鼻を埋めて匂いを嗅ぐ私。

 結局、私は自分の欲求に勝てなかった。彼にも昔指摘されたけど、私は変なところで欲求に忠実。幼い子供のように我慢弱い。思い返すと自分で自分のことが嫌になる。

 でもやっぱり。

 

「いい匂い」

 

 匂いを嗅いで私はうっとりしていた。

 どういう匂いなのかはうまく説明出来ないけど、本当にいい匂いで癒される。凄く安心する。

 いつまでもこうして嗅いでいたい気持ちになってしまう。

 

「そうだ……」

 

 魔が差した。いや、変態みたいなことして私はどこかで開き直ってしまった。

 ワイシャツを広げ、袖に腕を通す。

 

「……着てしまった」

 

 私何やってるんだろうと一瞬思ったけど、それを上回る達成感が胸いっぱい。

 

「大きい……」

 

 彼のワイシャツを着てしまったけど、私にはサイズが大きかった。

 体格差があるから当然なんだろうけど、ぶかぶか。袖から手が出てない。

 着ると私の匂いがついちゃって、彼の匂いが薄れる気がしてたけどこれはこれでいい。彼に包まれている様な感じがする。

 

「~ッ」

 

 えも言えぬ衝動に身悶え私はベットに倒れこんだ。

 

「そう言えば、このベットも……」

 

 彼が普段から使っているものだ。

 よじ登って枕の顔を埋める。

 

「あいた……」

 

 眼鏡を取るのを忘れていた。

 眼鏡を外し壊さないよう枕元において、今一度枕に顔を埋める。

 

「くんくん……はぁ~」

 

 ワイシャツ以上にいい匂いがするこの枕。

 

「ッ~、ダメになる」

 

 はしたないと分かっていながらもやめられない。止まらない。末期かもしれない。

 でも、女性が彼氏の匂いをいい匂いだと感じるのにはどうやら遺伝子レベルの深い理由があると聞いたことがあるし、多分、きっと、ギリギリセーフなはず。

 

「早く帰ってこないかな……」

 

 こうして匂いを嗅いでいるだけでも満足なはずなのに、欲深な私は彼が恋しいという気持ちが少しずつ沸いてきた。大好きな私の彼氏。彼に抱きしめられて直接匂い嗅いだら、どうなるのか分からない。でも、それはそれで楽しみ。

 

「ん……」

 

 欠伸を噛殺す。

 そう言えば、時間帯的にまだお昼。今日外は快晴で過ごしやすいぽかぽか陽気。だからなのか、こうやって安心していると眠気が段々強くなってきて。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 いつしか私は眠ってしまっていた。

 

 

 

 

 ようやく織斑先生から頼まれた手伝いが終わった。

 すぐ終わると言われていたし、俺もすぐ終わるだろうと思っていたけど、思ったよりも時間がかかってしまった。まあ仕方ないことだが、簪を待たせてしまっていることにも変わりない。暇してるのだろうか。

 そんなことを考えながらも部屋に着き鍵を開ける。中には先に簪がいるのだから、ただいまと声をかけてみたが返事は返ってこない。

 どうしたのかと部屋の中へ入ると。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 ベットの上で気持ちよさそうに寝ている簪の姿がそこにはあった。

 今は昼時。ちょうど眠くなる昼寝にはもってこいの時間帯。しかも、今日はいい天気。眠くもなるし、昼寝していても全然いいのだが、何で簪はワイシャツを羽織っているんだろう。

 アレは俺のシャツだ。洗濯し終わってしまい忘れていた奴。理由は検討つかないが興味本位で着たくなったんだろうか。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 簪は相変わらず気持ちよさそうに寝ている。

 意味は分からないものの、いいな。彼女が自分のワイシャツを着ている姿を見れるというのは。

 昔ながらの定番シチュエーションだが、定番だからこそいつの時代もグッとくるものがある。体格差で簪にサイズがあっておらず、どこかダボダボな感じが更にポイント高い。

 これで下が洋服ではなく、裸だったらさぞそれは夢のような光景だったんだろう。

 

「ん……んんっ……」

 

 ビックリした。

 頭の悪いことを考えていて気が抜けていたから、身じろいだ声にドキッとした。

 幸い簪はまだ起きてない。相変わらず、ぐっすり熟睡中。

 

 さて、どうするか。起こす……のは可哀想だ。起こしたところでやるべきことがあるわけでもない。

 それにこんな気持ちよさそうに寝られたら、起こすのは気が引ける。

 となるとここはやっぱり、簪の寝顔を眺めるのがベストな選択だろう。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 寝顔までこんなにも綺麗でかわいい。俺にはもったいない彼女だ。つくづくそう思う。

 

「……えへへ……」

 

 そっと頭を撫でると幸せそうに笑って頬を緩める。

 やっぱり、簪のこと好きだなあとしみじみ思う。

 いつもまでも幸せでいてくれるように、俺は頑張っていかないとな。

 

「ん……」

 

 頭を撫でていると、簪がゆっくり目を開ける。

 しまった。起こしてしまった。

 とりあえず、声をかけてみた。

 

「……うん……おは……よう」

 

 寝起きでまだ頭が寝ているのか、ぼーっとしている簪。

 何か俺を見て辺りを見て自分を見てってのを繰り返している。

 

「――ッ」

 

 突然、カッと目を見開く。

 そしてみるみる簪の顔が赤くなる。

 

「う……」

 

 意味が分からず、釣られて同じ言葉で聞き返す。

 

「うぁあああっ!!」

 

 慌てた声を大きくあげて、簪は布団を頭まで被って丸くなる。

 ビビった。というか、何故丸まっているのかまったく意味分からん。どうしたんだ。

 

「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ」

 

 何に対して謝っているんだ。ますます謎は深まる。

 

「いや、そのっ……あなたのワイシャツ勝手に着ちゃって。に、匂い嗅いじゃったから……って! あっ、あぁああっ! い、今の忘れてっ!」

 

 俺のワイシャツにそんなことしてんだ。

 口が滑ったのは分かった。けれど、そんなこと言われると恥ずかしいものがある。洗濯してたのはある意味不幸中の幸いというべきなんだろうか。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい! はしたないことして」

 

 もう訳なさそうに言って凹んだ声をあげる簪。

 なるほど、そういうことか。いろいろと納得がいった。

 匂いを嗅がれていたのは恥ずかしいが別に咎めるほどのことでもないから、出てきてくれると嬉しいんだけど。

 

「むりぃ~ッ恥ずかしくて顔見れないぃぃっ……はぁぁっ、何で私あんなことを」

 

 直接見なくても簪が今布団の中で過去の事を思い出して悶えている簪の姿が目に浮かぶ。

 穴があったら入りたいといった感じか。

 ここはそっとしておこう。ひとまず俺はベットに腰掛けた。

 

 そもそもそんなに嗅いでしまうほどいい匂いなんだろうか俺。自分では分からない。

 

「まあ、それは……よかったです、すごく」

 

 控えめながらも簪は答えてくれた。

 そっか。好きな人に匂いまで好かれているのはそれはそれで嬉しいものがあるような。

 簪の匂いはいい匂いで凄く癒されて、俺も好きだからそういうものなんだろう。

 

 簪はさっきまで俺の匂いを堪能していたが、俺は堪能できてない。

 何か卑怯だ。

 

「ひ、卑怯って……」

 

 それはそうだろう。起きたと思ったら、丸まったまま布団の中にずっと篭っているのだから。

 出てくれたら、好きなだけ匂い嗅いでもいいのに残念だ。

 

「うっ……」

 

 簪が揺らいでいるのが分かる。

 何だかんだ簪は欲求に素直なのは知っているから、まあわざとそんな言い方をした。

 これはもう一押しといったところか。でも、まだ気持ちが落ちついてないだろうし、そっとしておくべきか。 

 

「ね、ねえ……」

 

 ぽつり簪が問いかけてくる。

 

「変態みたいなことして幻滅してない……?」

 

 いつしか簪は頭だけ布団から恐る恐る不安そうに聞く。

 ビックリはしたものの、幻滅なんてしてない。

 あれは好きだからこその行動。好きでもない相手にする訳ない。簪なら特に。そのことはちゃんと分かっている。 

 もう落ち着いたみたいだ。

 

「うん、もう大丈夫。ごめんなさい、毎回毎回めんどくさいことして……」

 

 まあまあと俺は簪を宥める。

 すると、ようやく簪は布団から出てきてくれた。

 

「いい……?」

 

 何を、と確認するまでもない。

 俺は歓迎するように両手を広げた。

 

「はぁ~……」 

 

 胸に飛び込んできた簪を受け止めて抱きしめる。

 腕の中にいる簪はうっとりした顔をしている。

 

「あなたの匂い好き。落ち着く……」

 

 鼻をすんすんしているあたり、本当に匂いかいでる。恥ずかしいが微笑ましい。

 お返しってわけじゃないが、俺も簪の匂いを堪能する。

 

「恥ずかしいよ……」

 

 何を今更。

 香水や柔軟剤とかといったいい匂いとは少し違う、簪のいい匂い。

 変態チックなのは重々承知だが、嗅いでいると心地よくて落ち着く。

 癖になるな

 

「ふふっ、そうでしょ」

 

 得意げに言う簪は、いつしか首元に顔を埋めてスリスリしてきていた。

 くすぐったいが、それがまたよかったりする。

 

「~♪」

 

 まだくんくん首元の匂いをかいでる簪。

 何ともまあ、幸せそうな声もらして。

 でも、そんな簪もまた可愛い。

 俺はそんな思いながら、じんわりと幸せを噛み締めた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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4月1日~簪はこんな嘘を言った

 夜、いつもの時間。

 部屋で簪とくつろいでいた時のこと。

 

「今日、そう言えばエイプリルフールだったよね」

 

 隣に腰を降ろしている簪がふいにそんなことを言った。

 そう言えば、そうだ。今日、4月1日はエイプリルフール。嘘をついてもいい日。

 でも、何かあったわけでもなく普通の一日だった。朝から夕方までは簪や一夏達と一緒に訓練をして、ついさっきまで簪と勉強をしてと平穏そのもの。

 それで充分だ。エイプリルフールだからって突然変な嘘言われたり、ドッキリさせられるのは心臓に悪い。そういうのは全部一夏の担当だ。

 エイプリルフールはやはり、企業とかのSNSや公式サイトで行われるエイプリルフール企画を見て楽しむのに限る。今年も無駄に力が入ってるところが多くてよかった。

 

「うん、そうだね」

 

 頷いてくれる簪。

 しかし、その表情は何処か不服な様子。

 もしかしてつまらなかったんだろうか。結構楽しんでいたと思ったんだが。これ見てって簪が結構見せてきたてたし。 

 

「楽しかったよ。でも、そうじゃなくて……その」

 

 もじもじとして簪が口ごもっている。

 何だか歯切れ悪い。言いたいことがあるのは見ていて分かるけども。

 

「きょ、今日……エイプリルフール、でしょ?」

 

 肯定するように頷く。

 さっき確認したばっかりだからその通りだ。間違いない。

 それがどうかしたのかと疑問に思うばかり。

 

「1年に1度しかない折角の日、だから……何かしたいなぁって」

 

 そう簪が遠慮気味に言ってきた。

 女子って本当こういうイベントごと好きだなあ。それはそれで別に構わないが。

 それで何かしたいということだが、簪は何かしたいことあるんだろうか。

 

「えっと……う~ん……」

 

 ふと簪は首をかしげて考え出す。

 

「あっ……そうだ」

 

 少し考えた後、何か思いついたように声をあげた。

 

「エイプリルフールだから、あなたがドキッとするような嘘言うね……!」

 

 自信満々に簪はそう言った。

 俺がドキッとするような嘘か……。エイプリルフールだからそういうのだろうと思っていたけどもだ。

 これは正直に言ってあげるのが優しさになるんだろうか。黙っているべきか。

 

「どうしたの……? 私変なこと言っ……あっ」

 

 簪も気づいたらしい。

 簪のことだ。つい言ってしまったんだろう。けれど、やろうとしていることをここまで正直に言ってしまったら、こっちも身構えてそう簡単にはドキッとしなくなる。

 実際、もう身構えてしまっている。

 

「で、でも……予め言っておけば、変な誤解されずに済むでしょ? ね」

 

 それはもっともではある。

 エイプリルフールに軽い気持ちで冗談めいた嘘をついたら誤解され、嘘を本気で取られてしまい喧嘩になったなんていう話を聞いたことがある。

 だから、予め言っておいてもらったほうがある意味では安心出来る。それでももうドキッとすることは早々ないだろうが。

 

「うぅっ……」

 

 よほどドキッとさせたかったようだ。

 簪はしょんぼりとして少し凹んでいた。やる気をなくしたようにガックリ肩を落としている。

 ということはもう簪のエイプリルフールはネタはおしまいか。ドキッとする嘘を簪が言ってくるってことが分かっただけで、具体的にどんなことを言うのかは当然まだ知らない。

 内容次第ではまだワンチャン、ドキッとする可能性はなくはない。

 

「そんなフリされると余計言いづらい……」

 

 それもそうか。

 じゃあ、やっぱりもう簪のエイプリルフールはネタはおしまいか。どんなことを言ってくれてるのか期待していたが残念だ

 今度は俺のほうがしょんぼりして見せた。

 

「うっ……し、仕方ないな……そこまで言うのなら特別に言ってあげる。……ドキッとして、腰抜かしても知らないんだからっ」

 

 意気込む簪の姿を見て、俺は内心よしっとガッツポーズ。

 上手く簪を乗せることに成功した。

 ここまで言われたんだ。折角だから言ってほしい。

 さて、今から簪が一体どんな嘘を言ってくれるのか楽しみだ。

 

 簪は正座して姿勢を正し、俺と向き合うようになる。

 

「実はね、私……」

 

 俺はうんと頷き、次の言葉を待つ。

 

「あなたのことが好きじゃ、な……っ」

 

 いざ言葉にしようとすると簪の声は震えおり、最後までちゃんと言葉に出来ないでいる。

 でも、おかげで何を言いたいのかはよく分かった。

 そういう嘘だったのか。なるほどな……確かにそれだと嘘だと分かっていても、突然言われたらドキッとする。

 

「……あなたのこと、好き、じゃ……ない、の……」

 

 かなり言いためらいながらもそれでも頑張って簪は最後まで言いきった。

 エイプリルフールと託けでもしなければ、言いたいものではなかったんだろう。無理をしたからか目尻にはうっすらと涙が浮かんでいるのが分かった。

 その姿が何だか微笑ましくて、つい小さく笑ってしまう。

 

「わ、笑ったっ……うぅ~」

 

 真っ赤な顔で悔しそうに簪が精一杯睨んでくる。

 仕方ないだろ。そんないじらしい姿を目の前で見せられたら、堪ったものじゃない。

 言うのよく頑張ったと褒めたいぐらいだ。いや、現に俺は簪の頭を撫でて褒めている。

 

「頭撫でないで……折角言ったのに何か馬鹿にされた気分……」

 

 そんなつもりは全くない。

 というか、そんなこと言いながらも簪は頭を撫でられていることには満更でもなさそうにしている。

 本当によく頑張った。けれど、あんな無理するぐらいなら、言わなくてよかったのに。

 

「だ、だって……言わないとエイプリルフールにならないし……」

 

 それはそうなのだが、俺が言いたいのはもっと別の嘘があったのではなかろうかという話。

 予め嘘つくと言っているんだから、嘘をつくという嘘でよかった気はする。

 

「あ……」

 

 それだという顔をする簪。

 どうやら、そこまで頭が回らなかったみたいだ。さっきの嘘も精一杯考えた上でっぽいし、無理もないか。

 しかしこれならエイプリルフールにもなるし、さっきみたいな無理してまで嘘つく真似せずにすむ。

 

「そう、だよね……というか、こんなこと冗談でも言うべきじゃなかった。考えたらずで……ごめんなさい」

 

 しょんぼりとした簪は申し訳なさそうに謝ってくる。

 冗談でも大切な恋人に嫌いだと言われたら、大多数の人は少なからずショック受けだろう。

 けれど、今日はエイプリルフール。今日ならではの可愛い嘘、軽い冗談だとは理解しているし、気にしてない。

 何より、いじましい簪を見れたんだ。それだけでお釣りがくるというもの。

 

「ん、ありがとう。そう言ってくれると助かる……よかった」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、簪は安心している。

 それを俺は見逃さなかった。

 

 しかし、アレだな。簪があんな嘘つくとは……そうかそうか。知らなかった。

 わざとらしく腕を組み俺はうんうんと唸る。

 

「へっ……? な、何…、何でそんなことしてるの。あれはう、嘘だからね……エイプリルフールの冗談だって分かってるでしょ……?」

 

 もちろん、それは分かっている。

 しかしだ。簪の嘘があれなら、俺はさっき気にしてないとか言ったけども騙して悪いがあれは全部嘘だ。

 

「う、嘘なのっ……!? もしかして実は怒ってる……!?」

 

 あわあわとする簪が可愛くて面白い。

 怒ってはいない。本当は全部嘘ってのが嘘だ。

 

「嘘? どういう……? ん? ……あぁっ!」 

 

 混乱した様子だったが、次第に騙されたことに気づいたらしい簪は声をあげた。

 嘘はこうやってつくもの。今回は俺の方が簪より一枚上手だったな。

 こちらからのエイプリルフールは大成功だ。

 

「むぅ……騙された……悔しい……」

 

 悔しがる簪の様子に大満足したエイプリルフールだった。

 




季節ネタ。
簪とあなたの4月1日がこんなにも幸せだったら、今日も簪とあなたの一日は明るく素敵。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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【リクエスト】簪とお花見を

「お花見、ここみたいだね」

 

 平日の昼時。簪とやってきたのは桜の花見が出来る都内某所の公園。

 つい最近桜の開花宣言がされ、時間に余裕があるこの時期に花見をしようという運びになった。

 ちなみに二人っきりというわけではない。

 

「えっと……二人、本音達は……」

 

 俺達は辺りを見渡しながら、花見の会場を歩く。一夏と本音の二人を探して。

 今日のメンツは一夏達二人を合わせたいつもの四人。本当はもう少し多かったはずなのだが、他の人達とは予定がつかず、場所が取れてしまったので今日のところは先に俺達四人だけということになった。

 開花宣言されて間もない花見のシーズン真っ盛りだからか平日の昼間でも花見しに来ている人達は多い。

 

「ん、だね。ここ、名所だからね」

 

 そうなのか。道理で人が多いわけだ。

 名所と言われてみれば、確かにいい場所だ。本当よくこんな場所が取れたな。

 そんなことを思いながら二人を探しているとようやく一夏と本音を見つけることが出来た。

 

「お~い」

 

「やっと来たか!」

 

 公園に咲くたくさんの桜達の中でも一際大きく目立つ桜の木の下で一夏と本音がぶんぶんと手を振って俺と簪を手招きする。

 そこへ俺達は歩いて向かう。

 

「ごめん。待たせたよね」

 

 隣の簪がそう二人の声をかける。

 俺達よりも早くここへ場所取りしに行ってくれていた二人を随分待たせてしまったかもしれない。

 

「まあまあ、気にすんなって」

 

「そうそう~さぁっ、座って座って~」

 

 広げられたシートへ俺達は横並び、一夏達と向き合うように腰を下ろし、桜の木を見上げる。

 本当に立派な桜だ。こうして間近で見ると圧倒されるほど美しい。

 

「うん、綺麗」

 

「だね~やっぱり桜っていいよね~」

 

「まったくだ。日本人は春に桜を花見してこそ、だからな」

 

「でも、こんないい場所よく取れたね」

 

 桜が間近なだけじゃなく、天気のいい今日。ぽかぽか陽気が丁度いい感じに差し掛かっていて、ここはまさにベストポジション。

 花見会場にありがちな前の人の花見後の汚さもなく、綺麗に清掃されている。周りの人達も賑やかではあるが、騒がしくなく品のいい人達が多い。

 場所取るの大変だったのではなかろうか。

 

「まだお昼だし何とかね~」

 

「流石に夜はやっぱ一杯だってここの人が言ってたな」

 

「そう。ありがとう、二人とも」

 

 そう俺達はお礼を二人に伝えた。

 

「どういたしまして~。じゃあ、そろそろお昼食べよう~!」

 

「だな」

 

 本音と一夏の二人は大きな包みを取り出し、開いていく。

 出てきたのは、大きめの弁当箱が一つずつ。

 何だ一夏も作ってきたのか。

 

「折角の花見だからな。久しぶりに腕を振るいたくて」

 

 こいつ、そう言えば料理好きだったな。

 

「おぉ~! かんちゃんのお弁当綺麗~!」

 

 キラキラと目を輝かせて弁当を覗く本音に釣られるようにして、俺も簪の弁当を覗く。

 確かに綺麗だ。二人分の様々な料理がたくさん敷き詰められているがちゃんと肉や野菜のバランスが考えられており、色合いがいい。特に桜の花びらを模したソーセージがあったりと凝っている。

 これは春をイメージしてといった感じか。

 

「うん、そう。私も折角の花見だから腕を振るいたくて……いつも通りだと味気ないから」

 

 簪が作ってくれる弁当はいつも凄いのに、今日は一層凄い出来だ。

 何より、二人で食べる弁当だろうに俺の好物のほうが多い。

 

「私、そんなに食べられないけど……あなたはよく食べるでしょう? だからたくさん食べて欲しくて、つい……あっ、量多かったら残していいから」

 

 いや、全部残さず食べよう。

 こういう些細な気遣いがとても嬉しい。むしろ嬉しすぎて、食べるのがもったいなくなるほどだ。

 

「ふふっ、ありがとう。たっくさん召し上がれ」

 

 じゃあ遠慮なく食べるか。

 持ってきた紙コップにジュースを注ぎ、全員に配る。

 これでよし。

 

「じゃあ、春の桜に」

 

「かんぱーい!」

 

 一夏の音頭に続いて全員の声が重なり、俺達はコップを合わせた。

 そして俺は早速簪の弁当、好物のから揚げを食べた。

 

 口の中で旨味がじゅわっと広がって美味しい。

 ありきたりではあるがその一言に尽きる。味付けが俺好みになっていて、嬉しい。当然冷めてしまっているが、それでも柔らかくて美味い。箸が進む進む。

 

「喜んでくれて嬉しい。ありがとう……ん、美味くできてる」

 

 簪も自分で一口食べ、出来に満足した様子。

 

「ねぇねぇ、かんちゃん。一口いい?」

 

「あ、俺も」

 

「うん、どうぞ」

 

 一夏と本音達もからあげを頬張る。

 

「いい味付けだな。こりゃ美味い」

 

「本当~! かんちゃん本当、お料理上手になったよね」

 

「そうかな……えへへ……」

 

「うんうん。これも一重に愛の力だね~」

 

 皆に褒められて照れくさそうに笑う簪をからかう本音。

 愛の力か……確かにそうかもしれない。簪の料理の腕はどんどん上がっている。美味しかったのが更に美味しくなるほどに。

 料理から簪の愛をしみじみと感じる。

 

「あなたまでもうっ」

 

 照れる簪が更に最高の調味料のようだ。

 

 すると、ふいに一夏の弁当が見えた。

 久しぶりに腕を振るいたと言っていただけあって、凄い気合入っているのが見るだけでよく分かる。

 男料理にありがちな肉ばっかりではなく栄養バランスが考えられており、色がたくさんあって綺麗だ。相変わらず料理し慣れている。美味そうだ。

 

「そうだろそうだろ。遠慮せず食べてくれ」

 

「じゃあ、いただきま~す」

 

「わ、私も」

 

 今度は俺と簪、そして本音が一夏の弁当を一口食べてみる。

 

 一夏とももう長い付き合いで、何度も手料理食べたことあるが相変わらず美味い。いい味付けだ。

 家事が出来て、オマケに料理が美味い。つくづくスペックの高い男だ、一夏は。

 

「そんな褒めるなよ。照れるだろ」

 

 男の照れ顔はいらない。

 

 しかし簪と本音、女子二人が静かだった。

 美味しそうに食べているが、何処か複雑な様子。

 その二人の様子に流石の一夏も心配になったように声をかけていた。

 

「美味しくなかったか?」

 

「ううん。すっごいおいしいよ! でも、こんなに美味しすぎると逆に自信なくしちゃう。ね、かんちゃん」

 

「うん……女の立場がね」

 

「んな大げさな。そういうものなのか? なぁ」

 

 俺に振られても困るが、そういうものなんだろう。

 

「そうか……うーん、でもなのほほんさん(本音)。俺はのほほんさん(本音)の作ってくれる料理が世界で一番美味しくて大好きだぜ。そんな美味しい料理を振舞ってくれるのほほんさん(本音)の為に俺も美味しい料理を作りたいだけなんだ。だから、自信もってほしい」

 

「そうかな~? じゃあ、あ~ん」

 

 ごく自然、当たり前のように本音は一夏に料理を食べさせる。

 

「どう~?」

 

「ああ、旨いよ! ありがとな、のほほんさん(本音)

 

「ふふっ、どういたしまして~!」

 

 太陽に眩しい笑顔の一夏にお礼を言われ、それだけで本音は心底嬉しそうな顔をしていた。

 本音のが自信を取り戻してくれたのはよかったのだけども。

 

「本当、人前でよくやるね……」

 

 苦笑いして飽きれるように言う簪の言葉にはまったく同意見だ。

 満開の桜が霞んでしまいそうなほどのイチャついてる二人に周りの人達が気づかないわけもなく、当然の如く注目の的だ。あらあらまあまあといった暖かい視線が突き刺さる。

 

「今更、恥ずかしがるようなことでもないだろ。ほらのほほんさん(本音)、お返しだ。あーん」

 

「あ~むっ」

 

 一夏に料理を食べさせてもらい幸せそうに本音は頬張っている。

 どういう理屈なんだ、それは。

 周りからの暖かい視線のおかげで簪と俺のほうが恥ずかしい限りだった。

 

 

 

 

「はぁ~食った食った。動けねぇ」

 

「満腹だよ~」 

 

「ん、ごちそうさま」

 

 皆一様に満腹げな顔をしている。

 あれだけたくさんあった料理も全部なくなり、弁当は一つ残らず綺麗に空。

 いいお昼だった。

 

「さて、これからどうっすか」

 

「ど~しよう~」

 

 飯を食べ終えた今、この後特に予定は決まっていない。

 ぶっちゃけ花見自体、桜を見ながらピクニックするぐらいなものだ。

 しかしかといって、このまま弁当を持ってピクニックでお終いというのは何だか味気ない。

 折角こんなにも桜は綺麗なのに。

 

「じゃあ、よかったらなんだけど……一緒に散歩、しない……? ほらここ、そういうところあるみたいだし」

 

 見せてきた簪のスマホ画面にはこの公園の案内が映し出されていた。

 どうやら、今いるところからすぐ近くのところに散歩コースがあるらしい。

 散歩か……花見の続きと食後の腹ごなしにはもってこいだ。

 俺は簪からの喜んで了承した。

 

「よかった。本音達も一緒に行く……?」

 

「んーそうだな。俺としてはもう少しだけここでゆっくりしときたいな」

 

「だね~荷物は私達が見とくから二人で行ってきて~後で交代ね~」

 

「分かった。ありがとう」

 

 一夏と本音の気遣いに感謝して、俺達は散歩へと向かった。

 

 

 

 

 手を繋ぎながら散歩コースである桜並木を二人で歩く。

 人はそこそこいるが広々としており、ゆったりと花見が楽しめる。

 

「凄い……桜の絨毯みたい」

 

 そう簪は目を輝かせながら声を弾ませて言う。

 ひらひらと宙を舞っていた桜の花びらは足元を覆い尽くし、確かに桜の絨毯みたいになっている。

 風情があっていいな。

 

「うん。桜もそうだけど……花びらが散って足元をこうやって彩っているのを見ると本当に春だなぁって思う」

 

 まったくだ。

 するとふいに、俺達の間を少し強めの風が通り抜けた。

 

「わっ……」

 

 風に驚きながらも風で揺れる横髪を簪は抑えた。

 風にあおられた桜の花びらが舞い散る。

 

「綺麗……」

 

 目の前に広がる桜吹雪。

 それは幻想的な光景だった。

 

「絨毯の次は桜のカーテンみたいだね」

 

 カーテンか……言えて妙だ。いいものを見れた。

 しかし何だ。今日の簪は詩人みたいことを言う。

 それが何だかおかしくて俺は小さく笑ってしまった。

 

「詩人って……もうっ、笑わないで。きょ、今日はそういう気分だったの……」

 

 からかって恥ずかしがる簪を連れてもうしばらく歩くと池の辺に着いた。

 果てしなく広がる水面に映る桜。ここも風情があって綺麗だ。

 本当、今日花見来てよかった。そう思える景色だ。

 

「ん、だね。さっきみたいに皆でわいわいしながらお花見するの悪くない」

 

 だなと俺は頷く。

 これはこれで結構楽しかったしな。

 

「でも、次……機会があれば、その時はやっぱ、二人っきりがいいなぁって思うんだけど……」

 

 俺を伺うように簪はそんなことを言った。

 二人っきりか……皆とわいわいするのも確かに楽しいが、それも悪くない。

 いや、俺達らしいとも言えよう。

 

 そうだな……その時は二人静かに夜桜を花見する、なんてのもいいかもしれない。

 夜桜の見える静かなカフェとか雰囲気あってよさそうだ。

 

「夜のカフェで夜桜の花見かぁ……! オシャレ……うん、いいねっ!」

 

 簪も大賛成の様子。

 

「じゃあ、約束しよ」

 

 差し出された小指。何を意図してのものなのかはすぐ分かった。

 細く小さな簪の小指と自分の小指とを絡ませて。

 ゆびきりげんまん。

 

「指きったっ」

 

 声を弾ませて簪は唄う。

 楽しげな簪の笑顔は、視界に広がるどの桜よりも美しい。

 




izu様のリクエストで花見をする簪達四人をお送りしました。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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今夜、簪と○○にて

「……ど、どうする……?」

 

 困った顔で俺をチラッと見た簪。

 その視線の先を追えば、そこには大きめのパネルが沢山あり、パネルには様々な部屋の様子が映し出されている。

 どうしようか。凄い興味引かれる凄い部屋がいくつしか映し出されているが、いくらなんでもこれは後々気まずくなる奴だ。

 ここは無難なのが一番。その分値は張るがちゃんとしているはずだ。無難かつ良さそうな部屋を選ぶと、案内カードらしきものが出てきて、それを取って部屋へと向かい始める。

 

「……」

 

 道中、俺達は無言だった。

 というか、お互い露骨に視線を逸らしてしまい、かなり気まずくなっていた。

 部屋に着いた。中へと入る。

 いい部屋だ。パネルで見たときよりも広くて、綺麗で豪華な感じがする。

 

「……うん」

 

 隣にいる簪は静かにこくりと頷く。

 緊張しきっているな。無理もない。俺も緊張して普段みたいに話せないでいる。

 

 部屋には入れた。ここは後で払うシステムらしい。金の心配もない。

 さて、どうするか。隣の簪を見れば、俯いたまま。濡れていたところは拭いてほぼ乾いたとは言え、豪雨に晒された身。このままでは寒い。もしかすると、風邪を引くかもしない。

 最初は風呂だな。思い立ち、俺はそれらしきところを見て驚いた。風呂はガラス張りだった。ベットのほうから風呂の様子がよく見える。

 何だかエロい……。

 

「……っ」

 

 簪も見たらしく、顔を真っ赤にして俯く。

 俺達にしたら今更だろうが、ホテルがホテルだけに変な緊張がどうしても生まれてしまう。

 幸いスクリーンみたいな間仕切りがあり、外から見えないようには出来るみたいだ。

 いつまでもこうしていたところで埒が明かない。風呂でも沸かすか。

 

「どこ、いくの……?」

 

 風呂のことを伝えると。

 

「……っ!? お、お風呂!? な、な、何で!?」

 

 凄い驚きながら更に簪は顔を赤くする。耳まで真っ赤だ。

 何でも何も寒いだろ。このままでは本当に風邪を引く。シャワーのほうが手っ取り早いが、風呂沸かして湯船に使ったほうが疲れも取れるだろうし、緊張も少しは和らぐ。

 それ以外、他意はない。例えば、簪が今考えたこととか。

 

「っ、わ、分かってる! 何も考えてないから……そう、お風呂……私が沸かそっか……?」

 

 いいやと断った。

 沸かすのは俺がやる。その間、簪は体を温めながら、座って体を休めていて欲しい。

 

「分かった」

 

 風呂場に行き、スクリーンを降ろして、一度浴槽を流してから湯をためていく。

 高層ホテルの高い一室取っただけあって綺麗で風呂は広い。これなら二人で入っても充分余裕ありそうだな。

 ぼんやり浴槽に貯まるお湯を眺めていると、ふとこの状況、簪と所謂ラブホテルに泊まる事になった経緯を思い出していく。

 

 休日の今日、簪とのデートにちょっと遠出したのがそもそも始まりだった。

 デート自体は楽しかった。だが、いざ帰ろうとなった時、突然の豪雨。それにより、移動手段に使っていた電車がストップ。そのまま今日は運休となってしまった。

 タクシーも考えたが、流石に金がかかり過ぎるのとそもそも同じことを周りも考えているようで中々掴まらなかった。

 最後ISで帰る手段も考えたが、すぐに考えを振り払った。外での使用は禁止されているし、何より豪雨にあわせて風も強い。危なすぎる。

 

 天気がよくなるのを一旦待ってみたが、悪化していくばかり。

 帰れるに帰れない状況になり、止まる場所を調べて見つけたこのラブホテルに泊まる事を余儀なくされた。

 本当、どうしてこうなったんだと考えられずにはいられない。仕組まれたかのような悪い状況。日頃知らぬうちに悪いことをしてその罰があったのか。

 

 ちなみにだが、ホテルに泊まる事は織斑先生に伝えてある。ラブホに泊まるとは流石に言ってないが。

 先生は俺と簪の仲を知っているから、状況を聞くと苦い声していたが、深くは聞かれなかった。

 それでもまあ、『節度ある行いを期待する』といつもの言葉で一応釘はさされてしまったが。

 

 ふと、湯船に湯が半分まで貯まっている事に気づく。

 そろそろいいだろう。簪に先使ってもらっている間に貯まりきる。

 そう考え風呂場を出て、簪の元へ戻った。

 

「……」

 

 ベットに腰掛け、何やら簪が興味深そうに読み耽っているのはメニュー表だった。

 ファミレスとかでよくあるような奴。

 おそらく、部屋の機器の使い方とかが書いてあるんだろう。ラブホなんて初めてきた場所だし、気になるのは分かる。俺も何書いてあるのか見てみたい。

 しかし簪は読み耽り過ぎてこっちに気づいてない。読ませてあげときたいが、早く風呂に入って体を温めるほうが先決だ。

 とりあえず、声をかけてみた。

 

「はい!?」

 

 ビクッとしながら、背筋を伸ばして固まる簪。こっちも驚いたが、それ以上に驚かせてしまった。

 湯がそろそろ沸くこと。先に簪に風呂に入ってほしいとのことを伝えた。

 

「う、うん……ありがとう」

 

 そうは言うがメニュー表を抱きしめたまま離さない。

 何やってるんだ。風呂に持っていくつもりか。

 

「そんな訳ない……」

 

 それきり簪の言葉は続かない。

 黙っているが、何か言いたそうにしているのは見ているだけでよく分かる。

 隣に腰を降ろして、優しく聞いてみる。言いたいことがあるのではないかと。

 

「……。……うん。その……ええと」

 

 頷いて簪の言葉を待つ。

 

「怒らないでね……あの、今私達がいるのラブホテルでしょう」

 

 確かに今俺達がいるのはラブホだ。

 

「よくないってことは分かってる。非常事態なのに……でも、でも……ね」

 

 もじもじしだして言いにくそうにする。

 顔は真っ赤だ。恥ずかしさを我慢している顔。

 もしかしなくても……。

 

「う、うん……えっち、したい、です……ごめんなさいっ」

 

 相変わらずメニューを抱いたままだが、簪は深々と頭を下げてきた。

 いや、謝らなくていいんだけどもだ……ふと困ってしまった。

 簪の言う通り、今は確かに非常時だ。織斑先生に釘を刺された以上、セックスするのはよくない、気がする。

 もちろん、したくないわけじゃない。正直言えば、したい。だがしかし、理性と欲望と鬩ぎ合ってる。

 

「……」

 

 しゅんと不安そうにして簪を俺を見つめて答えを待ってくれている。

 分かった、するか。

 しばらく悩んですえにそう答えた。

 

「本当!?」

 

 今更嘘は言わない。

 俺も簪としたい。非常時ではあるが、折角夜の今一緒にいてラブホテルにいるんだ。しないというのは損というものだ。

 言葉にするとどうしても軽くなってしまうが、万が一何かあれば責任を取ればいい。後、今夜のことは他言無用はもちろん。絶対に悟られないようにしなければ。

 

「それはもちろん……ふふっ、嬉しい。やった、ありがとう……変なこと言ってごめんなさい」

 

 誘ってくれたのは嬉しいから構わない。

 というか、さっきまでしゅんとしていた簪はどこへ行ったのやら。凄い嬉しそうにしている。スケベだなあ。

 まあそうと決まれば、風呂は更に必要だろう。気持ちの準備とかいろいろ。

 

「そうだね……あ、もう一つお願い……あるんだけどいい……?」

 

 言って見せてきたのはさっきまで隠していたメニュー表だった。

 開かれたそこにはいかにもなコスプレ衣装が数多く載っていた。

 なるほど、そういうことか。注文したいと。だから、さっきあんなに興味深そうに読み耽っていたのか。

 もう決まっていたりするんだろうか。

 

「うんっ……これっ」

 

 簪が指差したのは、白を基調とした青い某神戸屋風のウェイトレス衣装だった。

 こんなのあるんだ。可愛いな、良さそうだ。

 

「でしょ! ……こういうの可愛いから、一度着てみたかった。いい……?」

 

 もちろんと俺は頷いた。

 注文は部屋にあるタッチパネルの機械でして、部屋の入り口近くにある受け取り専用の棚に外から入れてくれるらしい。ちなみにちゃんと洗濯、クリーニングしてあるらしくその辺安心だ。

 注文は俺の方でしておこう。その間に簪が先に風呂入ったら丁度いいだろう。

 

「ありがとう……じゃあ、お風呂先に頂くね」

 

 ここに来る前コンビニで買った替えの下着が入っただろう袋を持って簪は風呂へと向かった。

 

 そしてふと、この部屋にある窓からその様子を見れば、相変わらず激しい雨が降り続けているのがよく分かる。

 残った俺は注文する前にパラパラとメニュー表を眺めていた。

 衣装だけではなく、料理やアメニティグッズも注文できるらしい。写真で見るこのホテルの料理は随分豪華だ。この手のホテルはどこもこんな感じなんだろうか。

 

 読み進めていると、あるページに目が止まった。

 これは……まあ、アレだ、アレ。本当にあるんだな、まあ当たり前なんだろう。何度も言うがここはラブホな訳だし。

 凄い気になるな、コレ。ここだけの話、一度使ってみたいと思っていた。

 しかし、これは流石に簪に引かれるかもしれない。けれど、使ってみたい気持ちがふつふつと高まっていく。

 

 今夜は折角の機会だ。

 注文してしまおう。簪の反応がダメだったらダメだったらで使わなければいい。

 注文するときめてそれと簪が言っていた衣装とを注文した。

 

 後は部屋に届くのを待つだけ。

 さて一体、今夜はどうなってしまうのか。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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だらだらっと簪

 誰にでも、たまになんだか何もやる気がでない気分の日があると思う。

 俺だって、例外ではない。今日凄く何もやる気が出ない。そんな気分の日。

 別に病気というわけではない。疲れているわけでもないし、元気だ。早朝のトレーニングもいつも通りちゃんとした。

 だがしかし、朝食を食べた後からどうもやる気が起きない。だから今、何をするわけでもなく一人部屋のベットでゴロゴロしてしまっている。

 幸いこうしていてもまだ今日の予定は特に決めてないから、こうやっていても許される。

 勉強や訓練とかやったほうがいいことは相変わらずたくさんあるが、やらないといけないことはないから、今日はもうこのままだらだらしていたい。そんな気分。

 

 ベットで寝転んでいても眠くないから何となくスマホを見ていると、簪からメッセージが届いた。

 

《今日どうする? アリーナ使うなら私の方で一緒に申請するけど》

 

 どうやら簪は今日アリーナで訓練するみたいだ。

 誘いは嬉しいが断った。

 やはり、どうにもそういう気分になれない。やる気が出ない。

 

《体調悪いの?》

 

 当然の心配。

 相変わらず、やる気が出ないの以外元気だ。今一つ身が入らない。

 

《分かった。じゃあ、今からそっちの部屋行く》

 

 そうメッセージが来てやりとりは終った。

 今から簪が部屋に来る。別に嫌じゃないが、何だかなあ。

 それでも簪が来るのなら、しゃきっとしなければ。そうは思いはするが思うだけで、動く気になれない。何かめんどくなさいなぁっと。今日は本格的にダメみたいだ。五月病って訳じゃないんだがな。

 

 部屋に誰かが入ってくるのが分かった。簪だ。

 

「お邪魔します……疲れてるの?」

 

 気遣ってくれているが、同時に俺のこの様子を見て少し驚いていることも分かった。

 だらだらした姿を見せること自体は別に初めてのことではない。

 だが、こんな風に朝からだらだらしている姿を見せるのは久しぶりだ。それでだろう。

 元気は元気。やる気は出ないが。

 

「ふーん……そう。珍しいね」

 

 そう言って、簪はベットの脇に腰を降ろした。

 

「でもまあ、たまにはそういう気分の日もあるよね。頑張りすぎなあなたには丁度いいのかも」

 

 そんなつもりはないのだが、まあ今みたいに休むのに今日が丁度いいのは確かだ。

 忙しい日々は変らないから。

 ところで、簪は今から訓練なのだろうか。おそらく後輩達か一夏辺りとやるのかもしれない。

 

「ううん、まだ誰とやるかは決めてない。アリーナとかまだ借りてないし」

 

 そうなんだ。

 相手の問題なら俺でも引き受けられる。

 散々やる気ないだの言っていたが、それは今俺が本当に何もしてないからだ。

 とりあえず訓練の一つでも始めれば、おのずと気分も乗ってやる気も沸くだろう。

 

「いいって。あなたは今日ゆっくりしてるの……めっ、だよ」

 

 ちょっとドキッとした。

 叱られてるのにそういう可愛い言い方されると嬉しくなってしまうのはきっと男の性なのだろう。

 もう一回言ってほしい。

 

「は? 何言ってるの……?」

 

 低いトーン。今度はわりかし本気で叱られた。しょんぼりだ。

 

 まあ、簪は子供ではない。心配しすぎというか気の使いすぎか。

 相手が必要なら自分で見つけるだろうし、好きにもする。

 本当に相手がいなくて頼まれた時はやる気出すぐらいでいいか。今日は。

 

「今日本当にどうしよう……う~ん」

 

 今になって悩みだす簪。

 てっきり何かしら訓練するものだと思っていた。違うのか。

 

「そのつもりだったんだけど……何かあなたを見てるとやる気が、ね」

 

 そんなこと言われてもと思うのと同時にそれは申し訳ないことをしたとも思った。

 だらだらしてる人見るとやる気なくなるってのはなくはない話だ。

 それでも言われたところで俺にはどうしようもない。やる気を出す出さないは本人次第だ。

 

「それは分かってる……でも、どうしよう」

 

 まだ簪は迷っている。

 迷うぐらいなら、いっそ簪も今日丸々一日休みにしたらいいんじゃないか。

 簪の日々も相変わらず忙しい。だからこそ、簪の方が休むべきだ。

 

「んー……それもそうだね……やらなきゃいけないこともないしそうしよっかな」

 

 気持ちは決まったようだ。

 じゃあ、もう俺がとやかく言うことはない。

 部屋に戻って好きなことするだろう。何かあれば連絡してくれればいいし。

 そう思っていたが。

 

「よいしょっと……お邪魔します」

 

 部屋に戻ると思っていた簪がベットに上がってきた。

 

「もうちょっとそっち寄って」

 

 ベットの真ん中を陣取っていた俺は端へと追いやられる。

 せまい。何で入ってくるんだ。

 

「ここで今日はゆっくりしようと思って……私がいるの嫌なの……?」

 

 そんな訳ない。酷いことを聞くもんだ。

 いつもみたいに構ってあげることはできないが、それでもいいなら好きにしたらいい。

 

「元々そのつもり……好きにする」

 

 それを聞いて俺は寝返りをうち、電子書籍で適当な物語を読み始める。

 すると簪もスマホでも弄りだしたんだろう。隣で寝返りをうって向こうを向くのが分かった。

 そして、簪が背中に自分の背中をくっつけてきた。これはどういう意味があってものなんだ。

 

「別に……まあ、お構いなく」

 

 お構いなくって……。

 妙に落ち着かないがまあいいか。

 読むのに夢中になり始めると思ってたよりも気になることはなく。むしろ、安心して読書に没頭できた。

 

 大体1時間ぐらい経っただろうか。単子本クラスの話丸々一冊読みきることが出来た。

 おもしろかった。だが、夢中になりすぎて硬くなった目と肩を肩を解きほぐす。

 体を伸ばしたりしていると、背中のことに気づいた。また何やってるんだ。

 

「ん、何もしてないけど……」

 

 とぼけたように言う簪。

 そうは言うが、向こうを向いて背中合わせだった簪は気づくと背中の方を向き、俺の背中に指を這わせて絶賛遊んでいる。

 どんな言葉を書いているかまでは分からなかったが、何か文字を書いていることだけは分かった。

 くすぐったくて仕方ない限りだが、本当何やってるんだ。暇だからなんだろうけども、簪も本でも詠んでいればいいのに。

 

「最初は本、適当に読んでたよ。途中で飽きたけど……あなたの背中でこうしてたらこっちの方が楽しくなってきちゃって」

 

 それでやっていたと。

 この様子だとかなり前からやっていたんだろ。

 読書に夢中になっていたとはいえ、俺はよく今まで気づかなかったものだ。

 

「あ、ダメ。まだそのままでいて」

 

 簪のほうを向こうとしたら、止められた。

 そして相変わらず、背中には何か書いている。

 

「当ててみて」

 

 また凄いふりを。

 何だかこういうのバカップルっぽくて何と言ったらいいのか。

 

「何恥ずかしがっているの。というか今更でしょ、それ……ほら、早く」

 

 最近の開き直った簪には強さを感じる。

 恥ずかしがる様子もなく簪はまたさっきと同じ言葉と思わしき言葉を背中に書く。

 女の簪がある意味堂々としていて、男の自分が恥ずかしがっていては立つ瀬がない。

 これはおそらく『好きだよ』あたりだろうか。

 

「ん~? 内緒」

 

 はぐらかした簪はぎゅっと背中から抱きついてくる。

 言わせたかっただけじゃないのか。そう思わなくはないが、それは呑み込んでおいた。

 まあ、簪が楽しいならそれで。

 

「うん。楽しいよ、とっても」

 

 なら、よかった。

 この後はじゃれあったり、最近ハマっているスマホのカードバトルで対戦したりして過した。

 

 

 

 

「いただきます」

 

 簪と一緒になって手を合わせながらそう言うと早速昼飯であるカップ麺を食べていく。

 

 昼飯時。簪も俺もお腹が空いたが、俺が食堂に行くのをめんどくさがった為、簪のリクエストで部屋に買い置きしてあるカップ麺を今日の昼ごはんにすることにした。

 かやく、具材を入れて湯を入れるだけのこんな簡単な手間なのにいつ食べても美味い。

 

「ね。初めて食べた時はこんな簡単で美味しいものあるんだってビックリした」

 

 そう言えば、簪は付き合うまで存在は知っていたがカップ麺食べたことなかったんだったけか。

 初めて食べさせた時は凄い驚きながら喜んでいた。意外だったなあ。

 

「意外って……それはどういう意味よ」

 

 こう……簪は夜な夜なカップラーメン食べながらアニメ見てそうなイメージがあった。

 

「何、それ。不健康って言われてるみたいで嫌……まあ、実際不健康な生活送ってたこともあるけど……」

 

 不貞腐れながらも簪は麺を啜りながら部屋のモニターで今期のアニメを見ていた。

 それは俺もだがカップ麺、本当に美味い。無限に食ってられる。

 

「美味しいのは分かるけど、食べ過ぎはダメ。あなた放っておくと毎日食べてそう……こういうところだらしないよね。私がしっかりしないと」

 

 簪が面倒見てくれるってことなのか、それは。嬉しい限りだ。

 

「あ、当たり前でしょう」

 

 言って簪は照れ隠すようにカップ麺を忙しなく食べていた。 

 

「ね、そっちの貰ってもいい? 私のあげるから。と言っても、もうちょっとしかないから全部食べちゃって」

 

 分かったと頷き、俺達は自分の相手のカップ麺を交換して食べあう。

 ちなみに簪が食べているのは某メーカーのカップヌードルシーフード味で、俺が食べているわかめラーメン。

 

「このメーカーのラーメン……わかめ本当多い」

 

 それがこのカップ麺の売りみたいなものだ。

 ぶっちゃけ、主役はラーメンじゃなくわかめみたいなところがある。

 だが、そんなところも好きな理由の一つだ。あとスープが美味い。ゴマ入りのしょうゆ味。

 

「だね……ちょっと濃いけど美味しい」

 

 簪はカップの端に口をつけ、スープを静かに啜る。

 何でもない普通の光景なのに、絵になってる。凄い魅力を感じた。

 こういうの何かいいな。

 

「何……ジロジロ見て」

 

 見すぎたようで俺をいぶかしむ簪に適当な返事をして、俺も簪からもらったラーメンを食べる。

 シーフードも美味い。定番なだけはある。

 しかし何だ。こうやってカップ麺食べてると腹は満たされるが、ラーメン屋でちゃんとしたラーメン食べたくなってくる。

 

「じゃあ、今度のお休みに行く……?」

 

 今度と言われて、頭の中でスケジュールが巡る。

 再来週の休み。機体関係のことで倉持技研に出頭するから、その時が丁度いいかもしれない。

 ちょっとしたラーメン屋デートだ。

 

「ん、楽しみ……その時はちょっとさっぱりしたラーメンがいいな」

 

 なら、探して行ってみるか。

 そんな次のデートの予定を立てながら二人の昼を過していく。

 

 

 

 

 「暇」

 

 ふいに簪がそんなことをぼそっと言った。

 食後も相変わらず、俺達はベットで一緒になってだらだらしている。

 確かに暇だ。まあもっとも暇というのなら何かすればいいだけの話だが、言うだけで結局何もしない。

 こうやってゴロゴロしてるのが一番楽で、何だかんだこうしているのが病みつきになっている。

 

「ん? もう急にどうしたの……?」

 

 何となく背中を向けて寝転がる簪を抱き寄せた。

 そしてまた何となく、服の上から簪のお腹を撫でる様に触れた。

 

「ちょっ……!?」

 

 抱きしめているおかげで簪が驚いているのがよく分かる。

 簪のお腹柔らかいな。こうして触っていると癒される。

 

「やっ……ヤだぁっ。何でお腹触るのっ」

 

 やっぱりそれは触りたいからに他ならない。

 触っていると凄く安心感が湧く。

 しかし、簪は嫌がってる。気持ちは分からなくはないが、減るようなものじゃないだろうし別に触ってもいいんじゃないか。

 

「そういう問題じゃない……遠まわしに痩せろって言われてるみたいで嫌」

 

 言ってない言ってない。思ってすらない。

 というか、簪は平均よりも充分痩せている。むしろ、ちゃんと考えて体を鍛えているから、綺麗な体型だ。俺は好きだ。

 

「ま、またそういうこと言うっ……」

 

 背中から抱きしめている為、表情を確認することは出来ないが、満更でもなさそうにしていることは見なくてもはっきりと分かる。どうやら許されたみたいだ。

 じゃあ甘えさせてもらってとお腹を触る。

 ぷにゅっと軽くつまんでみたり、時にはツンツンと指でつついてみたりしながら。

 

「やぁ、んっ……ふふっ、くすぐったい。というか、つまむのだけはやめて」

 

 ご無体な。思わず、抗議の声をあげてしまった。

 このぷにぷに感が気持ちよくてたまらなくいいのに。

 

「ぷにぷに……その言葉は嫌なのに、こんな風に甘えてもらえたら何もいえないよ。……複雑」

 

 悩む簪が面白くてくすくす笑ってしまう

 口ではそう言っていたが簪は振りほどいたり、暴れたりはしない。

 大人しく抱きしめられ、されるがまま。

ここまで好きにさせてもらっているのなら、服の上からではなく直に触りたくなってきた。

 

「ええっ!? 変態すぎ」

 

 そこを何とかお願いしたい。

 この際プライドとかかなぐり捨てて拝み倒す勢いだ。

 

「うぅ~……し、仕方ないなぁ……特別、だからね」

 

 していないが、思わずガッツポーズをしてしまいそうになった。

 許可を貰ったところで、早速服の中へと手を滑り込ませていく。

 

「ん……」

 

 俺も驚きの声が出てしまった。

 直に触った簪のお腹はすべすべで揉んでみると服の上からでは比べ物にならないほどぷにぷに。

 触り心地最高だ。幸せをしみじみと感じる。

 

「こんなことで幸せって……安上がりな幸せだね」

 

 何とでも言えばいい。

 簪はどうなんだ。

 

「どうって……まあ、悪くはないかな。お腹撫でられてるのは変な感じするけど落ち着くし……ぎゅって抱きしめてもらえているのは幸せ」

 

 安上がりな幸せだな。

 

「何とでも」

 

 そうして、しばらく好きにさせてもらっているとあることに気づいた。

 

「ん……」

 

 色っぽい息を小さくこぼす簪。

 そして、何処か紛らわすように足に足を絡めてくる。

 何だ。お腹なでられるのが気持ちよくなってき過ぎてじれったくなってきたのか。

 

「……」

 

 黙って何も言わない。

 けれど、図星なのがまざまざと伝わってくる。無言の肯定だ。

 自分ではそんなつもりでお腹を撫でていた訳ではないし、そういう気分になったものは仕方ないがお腹を撫でられただけでそういう気分になるなんて。しかもまだ昼だ。

 

「あなたが変なところ触ってくるからでしょう。それも、やらしい手つきで。だから、私は悪くない」

 

 背中から抱きしめられていた簪は布団の中で器用に寝返りをうつと、こちらを向いてそんなことを言った。

 俺が悪いといわんばかり。言いがかりだ。

 

「あなたが悪い……だから、何されても文句は言えないよ、ね……?」

 

 小首をかしげる簪は妖しく笑う。

 本当に何をする気なんだか。くわばらくわばら。

 

「ちょっ、それお化けに言う奴。私はお化けか何かなのっ……まったく、もうっ」

 

 不貞腐れながら簪はぎゅっと寄り添ってくる。

 ああ、ほのぼのした。

 




ツイッターで貰ったリクエスト?『今期アニメチェックしながらカップラーメン食べる簪ちゃんSSください』と
『春の休日に彼女と冬用布団の中でごろごろする堕落した生活を送りたい』というツイートを合体させました。
この物語の簪のキャラデサはMF版(アニメ版)なんですが、MF版の7巻P169のシャワー浴びている簪の挿絵。
あの簪のお腹ぷにぷにしたいという話でした。
シナリオ上の必要なイチャラブよりも、二人の日常が垣間見えるイチャラブのほうが好き。

最近たくさんのお気に入りと評価ありがとうございます。
励みになります

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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【リクエスト】簪と喧嘩をして

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 放課後。生徒会室は静寂に包まれていた。

 重苦しく、何処かトゲトゲとした嫌な静寂。

 この静寂の原因が何なのかは、誰からなのかははっきりとした。

 それは皆、同じ生徒会役員の一夏や本音も分かっているようで、自然と皆の視線は俺か簪へといく。

 俺は、チラッと横目で隣の簪の様子を伺った。

 

「……」

 

 視線が集まるのを気にも留めず、簪は黙々と生徒会の仕事を進めている。

 無表情だがまとう雰囲気は不機嫌そのもの。

 どうしてそうなのか訳の分からない一夏と本音はおどおどと怯えながら困っていた。

 

「ねぇ、ちょっと」

 

 本音が俺に救いを求めてきたが、今回ばかりはどうしようもない。

 

「えぇ~」

 

 本音達には悪いが情けない声だされてもどうしようもないものはどうしようもないんだ。

 

「な、なあ……更識さ」

 

 堪らず一夏が簪に声をかける。

 すると簪は顔を上げ一夏を見るが、目つきの鋭さがいつもの3割り増し。

 簪本人にしたらそんなつもりはないんだろうが、不機嫌さで睨んでいるみたいになっている。

 流石の一夏も思わずたじろいでいた。

 

「生徒会長」

 

「お、おうっ」

 

 役職名で呼ばれ、一夏はピンと背筋を伸ばす。

 

「はい、これ。確認すんだからサインお願い。別のと一緒に職員室へ持って行きたいから早くしてくれると嬉しい」

 

「わ、分かった……」

 

 一夏は書類を受け取ると急かされるようにそそくさとサインしていく。

 それを待つ簪の表情は相変わらず変らない。

 一夏を威圧みたいになっている。

 

「で、出来たぞ」

 

「ありがとう……ん、大丈夫。じゃあ持っていく。外出たついでに後輩達の様子見に行くから、戻ってくるの遅くなるかも」

 

「分かった」

 

「は~い、気をつけてね~」

 

 簪は書類を持ち、そのまま生徒会室を後にした。

 すると部屋は静寂のままだが、雰囲気は少しは和らいだ。

 そして責めるような一夏と本音の視線が俺へと集まる。

 理由は承知しているので、俺はただただ謝るしかなかった。

 

「謝るぐらいなら早く更識さんの機嫌直せよな。一昨日からずっとああじゃん」

 

「本当だよ~私なんか部屋一緒だからずっと機嫌悪いかんちゃんと一緒なの本当に大変なんだから。聞いても何も言ってくれないし」

 

 それは本当に申し訳ない限りだ。

 でも、どうしようもなくて手をこまねいているというのが現状。

 

「お前も更識さんほどじゃないけど不機嫌そうだしさ」

 

「やっぱ喧嘩したの? 珍しいね~」

 

 あれを喧嘩と呼べるのだろうか。

 いや、喧嘩なんだろう。

 一応話し合いをして謝りもしたが、簪の機嫌を直せていないわけだし。

 

「久しぶりすぎて仲直りの仕方下手になったんじゃないの~?」

 

 かもしれない。

 実際、一昨日から簪と普段みたいな会話してない。挨拶とか必要最低限みたいな感じ。

 普段からお互い話す方ではなく会話量的には変らないが、ぎくしゃくしてる感じはある。

 こんなことは久しぶりだ。いつ以来かも思い出せない。

 

「お前達でも喧嘩するんだな。で、原因はなんなんだよ?」

 

 一夏に聞かれて、俺は言い躊躇った。

 というか、あまり言いたい気分ではない。

 それは人に言えたようなことではないからだ。

 

「言いたくないって……もう~ここまで言わないのは卑怯ってものだよ」

 

「そうだぜ。言ってくれれば、一緒になって何かいい仲直りの仕方考えられるかもしれないしな」

 

 それはあるかもしれない。

 ここで言わないのはやはりよくないか。

 現在進行形で二人には迷惑をかけている訳だし。

 

 俺を意を決して二人に打ち明けてみた。

 

「……」

 

「……」

 

 二人して言葉を失っている。

 何か言ってほしいんだが。

 

「いや、何か言えって言われてもなぁ……くくっ」

 

「ダメだっておりむー(一夏)。堪えなきゃ……ふふっ」

 

「そっちだって堪えろよ。いや、もう無理だわっ。くくっ、あっはははっ」

 

「あはははっ」

 

 二人して笑う。大笑い。本当、楽しそうだ。

 笑われるのは覚悟していたが、ここまで馬鹿笑いされると結構頭にくる。遠慮ってモノがあるだろう。まったく。

 今更だが言ったことに対して後悔の念がこみ上げて来る。

 

「いや、これで笑うなって方が無理あるだろ。更識さんが楽しみにしてたデザート勝手に食べて喧嘩したとか」

 

「ね~もっと深刻な理由かと思ったけど、こんな子供っぽい理由で喧嘩したとか意外すぎて逆におかしくなっちゃって」

 

 まだ二人は笑っている。

 確かに笑いたくなるほど馬鹿らしい理由だが、そろそろもういいだろう。

 本当、この場に簪がいなくてよかった。喧嘩の時よりも怒っていたに違いない。

 こいつら本当に仲直りの方法考えてくれる気はあるんだろうか。疑わしくなってきた。

 

「大丈夫だよ~任せて~!」

 

「おうともさ。しかし、更識さんが楽しみにしてたのを食べられたぐらいで怒るなんてなあ……」

 

 正確には俺と一緒に食べようと簪が楽しみにしていたデザートを俺が勝手に食べて怒らせた。

 知らなかったとは今更言い訳にしかならない。

 

「かんちゃんが怒ったの君のそういうところかもだよ。君は悪いと思ったらすぐ生真面目さんになるから。大方、かんちゃんは一瞬イラッした勢いでバッって君を責めるようなことを言って、それを君が黙って聞いてひっこみつかなくなったんだろうね。いつもの自己嫌悪だよ、今のは」

 

 まるで見ていたかのようだ。

 だが、不思議と説得力を感じていた。

 

「当たり前。私、何年かんちゃんと一緒に居ると思っているの。君のこともよく知っているつもりだよ」

 

 それはそうだ。

 しかし、ちゃんと話し合ったし、謝りあったりもした。

 

「どうせ君の方から先に謝ったでしょう? 先に謝られたらかんちゃんの立つ瀬ないよ。私が悪いのに私が悪いのに何で先に謝るのってまた凄い自己嫌悪してるからあの不機嫌オーラ全開。間違いない。君はそれに当てられて不機嫌オーラ全開ってところじゃないのかな~?」

 

 その通りではあるんだろう。だが、余計に難しい話になってきた。

 どうして簪が不機嫌なのかは改めてよく分かったが、ますますどうしたらいいのか。どうしたら簪の機嫌を直せるのか分からなくなってきた。

 もう一度、謝ると振り出しに戻るとなると。

 

「いや、もう一度腰をすえて話し合えよ。カップルなら尚更さ」

 

 それしかないか。

 簪とはこのままではいたくないし、それしかあるまい。

 やってみるか。

 

「言っとくけど、ただ話し合うだけじゃダメだからな。ちゃんと仲直りの印は用意してけよ。こういうのは形で大切だからな」

 

「流石、おりむー(一夏)。本当、そういう女の子扱いだけはよく分かってるよね~関心関心」

 

「酷い言われようだな。でも、勝手に食った事実はあるんだから代わりのは用意しないとマズいぞ。それは流石にお前も分かって……」

 

 そこでハッとなる。

 簪が怒ったのと不機嫌さが気になりすぎて、すっかり頭から抜けていた。

 間抜けすぎる。

 

「本当だぜ。お前たまに抜けてるよな。なら、尚更必要になる。特別なのが」

 

 特別か……。

 食ってしまったのはただでさえ限定品だったみたいだし、ここも難しい点だ。

 

「限定品ね~……あっ、そうだ。私にいい考えがあるよ~」

 

 本音からの提案を聞くとそれは本当にいい考えだった。

 

「ね、でしょでしょ~」

 

「冴えてるな。それなら俺も手貸せるぜ」

 

 一夏も協力してくれるらしい。

 ありがたい限りだ。

 

「気にしな~い、気にしな~い。ま、貸し一つってことで~」

 

 

 

 

 そして夜になり、簪を部屋に呼んだ。

 目的は簪ともう一度腰をすえて話しあう為だ。

 それを部屋に呼ばれて分からない簪ではなく、案の定今簪は固くなっていた。

 

「……」

 

 不機嫌とも取れる気まずそうな顔をしている簪。

 部屋の空気は重い。それにやはりというべきか、簪とはぎくしゃくしてしまっている。

 向き合ったままの俺達は今だ言葉を交わしていない。

 とても話し出せるような感じではないが、ここは俺から話しだすべきだ。

 話を切り出した。

 

「この間のこと……? ああ……うん」

 

 更に簪の表情は暗くなる。

 この間のことを強く思い出したのだろう。

 簪にはこんな表情をして欲しくはない。だからこそと話を続けようとしたが。

 

「ま、待って……!」

 

 簪に待ったをかけられた。

 

「私も話したいことが……ある。この間のこと、もう一度謝りたい。今度は私からちゃんと」

 

 ゆっくりと、そして確かに簪は言葉を続ける。

 

「この間は酷いことたくさん言ってごめんなさい。たかがプリン勝手に食べられただけでつい怒鳴ちゃって、私凄い子供だった。なのに、先にあなたが謝るから余計に情けなくてあなたに謝ってもらった自分が許せなくてずっと自分にイライラしてた」

 

 次第に簪の声は泣き出しそうになっていく。

 

「八つ当たりもしてたかも。本当にごめんなさい」

 

 そう言って簪は深々と頭を上げていた。

 本音の言う通りだったな。俺は知らないうちに簪を追い詰めていたらしい。

 何より、この一連のもやもやを解消するのを怠っていた。

 悔しいとか情けないとか、いろいろな思いが胸一杯になる。

 俺は簪に頭を上げてもらった。

 

「はい……」

 

 簪の背中に腕を回し抱きしめた。

 少しでも簪の気持ち和らげればといつも以上に、優しく、抱きしめた。

 

「……嫌わないで、くれる……?」

 

 もちろんだとも。簪のことは好きなままだ。大好きだ。

 だから、簪。自分を許してあげて欲しい。

 いつまでも簪がそうやってるの俺は嫌だ。簪と普段通りでいたい。

 

「ん、それは私も。ごめんなさい……」

 

 もう謝らなくてもいい。

 そういわれても謝るしかないのだろう。それは俺もだ。

 簪の気持ちはちゃんと聞けた。それで充分。それでこの話はおしまいにしたい。

 

「分かった、おしまい……ねぇ、もう一度聞かせて……? 私のこと」

 

 勿論ありきたりな物言いだが、世界で一番愛してる。

 簪の目を見つめ、俺はしっかりと伝えた。

 

「ありがとう、私も愛してる」

 

 簪は笑ってくれた。

 幸せ一杯に。

 

 話し合いが済んで、仲直りが出来た後のこと。

 俺は仲直りの印にあるものを簪に差し出した。

 

「プリンだ……」

 

 簪はテーブルの上に置かれた目の前のプリンを見てきょとんとした。

 

「これどうしたの……? 手作りっぽいけど……」

 

 そうこのプリンは手作り。

 仲直りの印として俺が作った。

 と言ってもこの手作りプリンの案は本音が提案してくれて、一夏と本音の二人に力を貸してもらった。

 俺はインスタント麺作るかパスタ簡単作るかぐらいしか料理できないから、一人ではプリンなんかとてもじゃないができなかった。

 

「そうなんだ……本音と織斑が」

 

 このことも一緒にお礼言わないと。

 後、迷惑かけたことも。俺達が喧嘩して一番迷惑かけたのは二人なのだから。

 

「そうだね。ちゃんと言わなきゃ……あなたにも気を使わせちゃったね」

 

 というよりも、食べたまま代わりのものを用意してなかった俺が悪い。

 これはその代わり。限定品の変わりになるとは思えないけども。

 それに一夏達に力を借りて作ったとは言え、今回初めて作ったからどこまで美味くできているか。もちろん、味見はちゃんとした。

 

「味は大切だけど、あなたが作ってくれたということ。気持ちが大切で嬉しい。あんな酷いこと怒鳴っちゃったのに……」

 

 過ぎたことをまた言う。

 簪はひどいことを言ったと言っていたが、言ったのは『何で食べたの』と『確認してくれてもよかったじゃん』だけ。結構語気強かったから怒鳴っているとも取れなくないが、簪でもこんな大きな声が出るんだとつい関心してしまった。

 

「関心って……まあ、自分でもこんな声出るんだってビックリしたけど。本当ありがとう……食べても、いい……?」

 

 頷いた答える。ぜひ、食べてほしい。

 

「頂きます」

 

 一口スプーンで掬い簪はそっと口に運び食べてくれた。

 反応、感想が出るまでのこの一時。やけに緊張する。

 

「美味しい……! 甘くて美味しいよ……初めてでこれって凄いよ」

 

 嬉しそうに感想を言って、もう一口食べる簪。

 その様子を見て俺はほっと一安心した。

 

「はい、あーん」

 

 プリンが乗ったスプーンを差し出される。

 食べさせてくれるのか、というのは一々聞くまでもないことだった。

 だが折角簪の為に作ったんだ。一人で食べてくれればいいのに。

 

「忘れたの? 私が買ってきたプリンは元々あなたと二人で食べようと思っていたものなんだよ。だから、このプリンを一緒にね」

 

 そうだったな。

 素直に俺は簪に食べてせもらう。

 口の広がるプリンの甘さ。二人の力あってのものだが我ながらよく出来ている。

 

「わ、自画自賛だ。でも、美味しいのは確かだから無理ないね。ん、食べさせてくれるの? ありがとう。あーん」

 

 お返しに今度は俺から簪にプリンを食べてさせた。

 

「ん~甘くていいね。ねぇ、これってどういう風に作ったの? 話、聞かせて」

 

 それはだな……と簪を膝の上に乗せながら今日のことを話していく。

 喧嘩していた時を埋めあうように。

 仲直りできてよかった。

 




例に漏れず大変遅れてしまいましたが陸のトリントン様のリクエストで「勘違いが原因で起こった簪と彼のちょっとしたケンカ」を話のベースにさせてもらい書かせていただきました。

ちょっとずつリクエスト話書いていっているので活動報告にて、お気軽にどうぞ。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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あなたの生まれた日に私が出来ること

 スマホの画面に映るカレンダー。

 そこにある『彼の誕生日』と書き込まれた日を見て私は、自室のベットに寝転びながら悩む。

 

「う~ん……」

 

 悩みすぎて、そんな言葉がつい口からこぼれてしまう。

 考え事はもうじきやってくる彼の誕生日。その日どうやってお祝いするのか、どんなプレゼントをするのかについて。

 私一人では考えつかず、ネットで参考になりそうなのを調べまわってはいるけど、中々これだと思えるようなものは見つからない。

 

「う~ん……」

 

「かんちゃん、またそれ。いつまで悩んでるの~」

 

 気の抜けた本音の声が隣から聞こえてくる。

 見かねて声をかけてくれたんだろうけど、本音の声を聞いていたら何だか気が抜けた。

 

「だって、中々決まらなくて……」

 

「それもさっき聞いた。ここ最近、ずっと悩んでるじゃん。難しく考え過ぎじゃないの~?」

 

「……うっ、それは……そうかも、しれない……」

 

 言われて、私は自分がそうなのだと自覚する。

 難しく考えすぎなんだろうけど、だからって簡単に考えることは出来ない。

 そもそも簡単にってどうやって考えるんだろう?

 簡単に考えて手抜きみたいなことになったら嫌だし、そう思うとまた唸り声が出てしまう。

 

「う~ん」

 

「本当、飽きないね~かんちゃん。去年の誕生日はそんなことなかったじゃん」

 

「去年は付き合って初めての誕生日だったから私からデート誘ったけど……今年も同じなのはなぁっと思って」

 

 デート自体、ついこの間したばかり。

 誕生日の日にまたデートすると被りに被ってしまう。

 それと誕生日の日が平日なのがちょっとだけネックに感じている。デートするには時間ない。それはまあ別に日にすればいい話。去年はそうしていた。

 後、誕生日の夜は夜で寮で彼の誕生日会するみたいだし、どうしたらいいか。

 だけどやっぱり、折角の誕生日。デートみたいな特別なことをしてあげたいから答えもなく悩む。

 

「プレゼントもまだ決まってない……」

 

「わぁ~それは相当だね~まあ、何プレゼントしても喜んでくれるから難しいよね」

 

「うん……」

 

 喜んでくれるのはもちろん嬉しい。

 プレゼントしても喜んでもらえないのは辛いし、悲しい。

 でも、もっと喜んでほしいと思ってこれでもかと悩む。贅沢過ぎる悩みなのは分かっているけども。

 

「もうダメ。休憩……」

 

 そう言って私はスマホを枕の脇に置き、ベットへと体を仰向けで預ける

 

 彼の誕生日に向けてあれこれ悩むのは何だかんだ楽しい。

 だけど、流石に頭が疲れた。決まるどころか、何一つ思い浮かぶどころか決まってないけど、このまま考え続けても変らない。

 いい案を考える為にもここは一度休憩をして頭を休めたら、きっと思いつくはず。

 まだ誕生日までは数日あるし、焦ることはない。大丈夫。

 

「かんちゃん、お連れ様だね~」

 

「ん……」

 

 私の気遣ってくれる本音のゆるい声がやけに心地いい。

 本音はのほほんとしてこんな時だけ羨ましく思う。

 私、やっぱり難しく考えすぎなのか……でも、もう癖みたいなところがあるし、そう簡単には考えられない。

 そう言えば、本音はどうするんだろう。

 

「ねぇ、本音」

 

「どったの~?」

 

「本音は誕生日どうするの? 彼に渡すんだよね」

 

「渡すよ~いつもおりむー(一夏)共々お世話になっていることだしね。今のところは入浴剤セットにしようかな~って。これだとお部屋のお風呂でも使えるし、無駄になりにくいからね。今度レゾナンスに買いに行く予定だよ~」

 

「なるほど……」

 

 考えていないようで本音はちゃんと考えていた。不甲斐無いな、私。

 やっぱり、普段使いできるモノの方がいいか……。

 去年はアクセサリーをプレゼントしてみたけど、今思えばちょっとダメなプレゼントだったかもしれない。もちろん、喜んでくれていたしデートの時にはよく身に付けてくれているけど、寮生活だから頻度的にはつける低い。

 

 普段から使えそうなもの。

 ふと彼の姿や使っているものを思い浮かべる。

 そう言えば、スマホのカバーが大分痛んでいたような。となると、スマホカバーかな。

 

「誕生日プレゼントにスマホカバーってどう……?」

 

「いいんじゃないの~。気持ちの問題だよ、結局のところはね~。まあ、そんなに気になるんならいっそ裸になってリボン巻いて私を好きにしてって……」

 

「本音、それ下品。嫌、それは……でもじゃあ、スマホカバーにしようかな……レゾナンス行くの一緒に行ってもいい……?」

 

「もちろんだよ~」

 

 さっきまであんなに悩んでも思いつかなかったのは一体なんだったんだろう。

 当たり前のことだけど、いくら誕生日プレゼントでも簡単に使えないものを貰っても困るだけ。大切なのは気持ちだ。私をそこを見落としていた。

 

 ああでもプレゼントとは別にもう少しだけ何かしてあげたい。

 何がいいかな。そんなことをつらつら考えていると私はいつしか眠ってしまっていた。

 

 

 

 

 誕生日の前日。

 学校の放課後、私は本音と二人でレゾナンスに買い物に来ていた。

 目的は言わずもがな。彼の誕生日プレゼントを買う為だ。

 プレゼントに予定していたものは私も本音も既に買い終えた。本音が入浴剤セットで私がスマホカバー。

 買ったスマホカバーは黒色をしたシンプルなデザインの手帳タイプの奴。きっと気に入ってくれるはず。

 そして最後。私はとあるお店へとやってきた。

 

「食品売り場? ん? 何買うの? 作るの?」

 

「ちょっとね……」

 

 やってきたのはレゾナンス一階にある食品売り場。

 時間が時間なだけに人数は多い。おそらく、今ここにいる人達のほとんどが夕食の買い物なんだろう。

 

「もしかしてケーキ?」

 

「ううん、違う。本当はケーキも作りたかったんだけど今年も食堂の人達が夕食と一緒に出してくれるみたいだからやめた。代わりに明日の昼ご飯作ろうと思って」

 

「ああ~なるほど~! お弁当か~。だから、あんなの買ってたんだ。考えたね、かんちゃん」

 

「うん。お昼のお弁当なら被らないし、久しぶりにいいかなって」

 

 我ながらいい考えだと自負している。

 普段は学食か購買でお昼済ませてしまうけど、久しぶりに腕を振舞いたい。

 何より、誕生日の明日ならちょっとしたサプライズになると思う。

 

 これはそのための買い物。

 使用許可を前もって取った調理室に具材はあるにはあったけど、本当に簡単なものだけ。

 今回はちょっと手の凝ったものを作りたいから、買いに来た。

 

 カートにカゴを乗せて、食品売り場を見て回る。

 

「メニューは決まってるの~?」

 

「もちろん」

 

 そう言って私は、スマホで用意したメモを確認する。

 作るのはもちろん彼の好物。ステーキとかからあげとかお肉ものばかり。

 

「いいな~私も明日おりむー(一夏)にお弁当作ろうかな~」

 

「いいんじゃないの。帰ってすぐに使用許可取ればまだ間に合う。きっと織斑も喜ぶはず。でも、明日の朝、私は本当に早起きしないといけないから自分で起きてね」

 

「うぅ~が、頑張るよ~」

 

 そんな話をしながら私達は買い物をしていく。

 途中で本音も簡単にだけど、お弁当のメニューを考えていた。

 

「本当、いろいろあるね~。悩んじゃう」

 

「うん」

 

 流石はレゾナンスというべきか。普段食品売り場なんて滅多に来ないけど、ここの品揃えが凄くいいのが一目でわかる。

 メニューはちゃんと決めたのに、よさそうな食品を見ると別の一品が思い浮かんでは本音と揃って、あれやこれやと目移りしてしまっている。

 

「う~ん、どっちがいいんだろう」

 

 今見ているお肉一つにしてもそう。

 高めのにするか、手ごろな値段のにするのか迷っている。

 高ければいいって訳じゃない事は分かっているけど、手ごろなのだと何か今一つ。

 折角の誕生日なのだから、やっぱりいいものを使って作ってあげたい。

 だけど、予算というものを決めていて、この高いお肉を買うと少しオーバーてしまう。お金は余裕あるけど、予算はきっちり守りたい。

 そうした考えもあって、私は頭を悩ませていた。

 

「どうしよう……うーん」

 

「ふふっ」

 

 悩んでいると隣の本音が楽しげに笑っていた。

 

「何がそんなにおかしいの」

 

「いや、世の中本当に分からないことだらけだなあって。まさかこんな風に一緒にお買い物するのとかお肉で悩むかんちゃん見れるなんて思ってもいなかったからさ」

 

 それはそうかも。

 自分でもこんな風に食品売り場で悩むなんて昔の私を思えばありえなかったに違いない。

 本当世の中分からないことだらけだ。

 こうなれたのもきっと――。

 

「って、無駄話してる場合じゃない。奮発して、やっぱりこっちの高い奴にする。本音もそんなこと考えてる暇あるなら早く買い物済ませて」

 

「分かってるよ~」

 

 

 

 

 そして誕生日当日。

 

「エプロンよし……準備、よし」

 

 エプロンを着て、髪を手でまとめ、咥えていたヘアゴムでまとめると私は意気込んだ。

 食材や道具も用意し終え、準備万端だ。

 早朝。予定通り、今から私は寮の調理室でお弁当を作っていく。

 

「頑張ろうっ、うんっ」

 

「かんちゃん、張りきってるね~。ふぁ~眠いー」

 

「本音……」

 

 私は思わず飽きれた声が出た。

 隣では昨日話していたように本音が織斑への弁当を同じ様に作ろうとしている。

 

「しゃきっとしないと怪我するよ」

 

「うん~……」

 

 本音は眠そうにして生返事を返してきた。

 さっきから欠伸しっぱなしだけど、大丈夫なんだろうか。

 昨日寝る前に散々言い聞かせから、本音は自分で起きたけど、そのせいで眠くて仕方ないんだろう。

 まだ朝6時にすらなってなくて、私も正直まだほんの少しだけ眠気がある。

 だけど、隣で怪我なんかされたら堪ったものじゃない。

 

「怪我だけはしないでね、本当に……面倒だから」

 

「は~い」

 

 分かっているのか分かってないのか曖昧な生返事を返される。

 言うことは言った。後のことはもう知らない。

 今は自分のことに集中しなきゃ。私はようやく、お弁当の料理を作り始めた。

 

 そしてお弁当の品が完成したのは、それから約1時間ほどくらい経った頃だった。

 

「よしっ……完璧」

 

 お弁当に作ったおかずを綺麗に詰める事ができ私は一人その様子に満足する。

 片付け抜きで一時間近くかけてしまったのは時間のかけすぎだと思うけど、そのかいあって見た目も味も納得のいくものが出来た。

 二人分。量的にもたくさん詰めたから、よく食べる彼も満足してくれるに違いない。

 後は二段弁当の下の段、白ご飯を詰めて、私はそこに最後の一工夫を加える。

 

「お~! かんちゃんがやりたかったのってこれか~」

 

 ひょこっと隣から顔を出して本音が私の弁当を覗き込む

 どうやら本音は既にお弁当を作り終え、片づけまで終らせているみたいだ。

 普段とろいのに相変わらず要領はいい。

 

「流石かんちゃん! 器用~凄いね! これならきっと喜んでくれるはずだよ~!」

 

「そ、そう……? ありがとう、本音」

 

 本音に褒めてもらうと俄然自信が沸いてきた。

 これならきっと喜んでもらえるはず。

 早く彼の喜ぶ顔がみたいな。

 




今日5月10日が誕生日なので簪に誕生日祝ってほしくてかきました。
当日のお話は今日の20時に投稿します。よろしくおねがいします

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません
あなたの誕生日は読んでくださっているあなたの誕生日です。誕生日おめでとうございます

それでは


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簪に祝ってもらった素敵な一日

『ねぇ……今日、お昼お弁当、作ったから……二人で食べない……?』

 

 簪にそう誘われたのは朝のことだった。

 何故弁当と言われた時始めそう思ったが、今日が何の日か。そして朝早くから簪が本音と一緒になって何かしていたので、どういう意図のものなのかはすぐに分かってしまった。

 今日は俺の誕生日。朝から会う人会う人に『誕生日おめでとう』と言われたら、流石に気がつく。

 普段学食なのに、今日弁当に誘ってきたということはそういうことなんだろう。

 俺は二つ返事で了承した。それから昼休みまでの間、柄にもなくずっと楽しみでそわそわと落ち着かなかった。

 

 そして今。待ちに待った昼休み。

 一夏達に一言告げると俺は飛び出すように教室を後にした。

 向かうは第二整備室。簪が指定してきた場所。そこは二人で弁当を食べるのにはうってつけの場所。二人で昼を過すなら、そこ以外ないだろう。

 

「あっ……タイミング、バッチリだね」

 

 整備室へと続く道に差し掛かった頃、運よく簪と合流することが出来た。

 ふと、簪の姿を確認すると手には大きめの袋を持っている。この中に……そう思うと自然と期待に胸が膨らむ。

 

「ふふっ、凄い期待してる顔。嬉しい……さ、早く行こう」

 

 嬉しそうに小さく笑う簪を連れ、一緒に整備室へと向かう。

 そして整備室の前まで来ると簪に開けてもらい、中へと入る。

 がらんとした室内。人っ子一人おらず、まさに二人っきりだ。俺は昼飯を食べる為、椅子とテーブルを用意する。

 

「……はい」

 

 椅子に腰掛けると簪は持っていた袋から弁当を取り出し、俺の前へと出してくれた。

 2段弁当。しかも、通常サイズのよりも大きい。簪と俺とで二人一緒に食べるから大きいサイズなのだろうが、貸し出し用の弁当にこんなサイズの奴があっんだと思わず関心してしまった。

 

「違う。これは寮の奴じゃない。昨日買ってきたの。今日のお弁当たくさん食べてほしくて。だって今日は特別な日、だから」

 

 そうだったんだ。わざわざそこまでしてくれたのか。

 これは嬉しい。更に期待が高まっていく。

 さー早く中を見たくなり、開けてもいいかと簪に聞いてみた。

 

「どうぞ」

 

 言われて弁当の上の段である一段目をまず最初に開けてみると、そこにはからあげやミニハンバーグ、ウィンナーやだし巻きたまごなどたくさんのおかずがぎっしりと詰められていた。

 凄いボリュームだが見栄えがよく、どれも俺が好きなのばかり。

 

「ふふん、これで驚いてもらっては困る。本命はこっち」

 

 簪は1段目を外しすぐ傍に置くと、下の段である2段目を開けた。

 するとそこには白ごはんの上に敷かれた海苔の上に、『HAPPY?BIRTHDAY』とチーズで象られた文字達が描かれていた。

 簪が器用なのは知っているが、ちゃんと文字になっている。凄いな、これは。

 

「でしょっ……自信作。普段こういうことするの苦手だけど……ちょっとしたサプライズ。今日ぐらいは、ね」

 

 そう簪は照れくさそうに言った。

 折角作ってもらったのだから、食べたい気持ちも勿論あるが、やっぱり食うのがもったいない。そう素直に思うほど、俺は今感動している。

 嬉しい。このまま食べるのはもったいなく感じた俺は、記念にとスマホのカメラで弁当を写真に収めた。

 これならまた今日の感動を振り返る。

 

「ちゃんとサプライズになったみたいでよかった。喜んでくれてありがとう。こほん、じゃあ改めて……お誕生日おめでとう」

 

 満面の笑みを浮かべて祝いの言葉を言ってくれた簪にありがとうと感謝した。

 嬉しい。やはり、この一言に尽きる。胸がいっぱいだ。何だか幸せ者過ぎて怖いほど。

 

「もう、大げさ。さ、食べよ」

 

 簪から話を貰うと手を合わせる。

 

「いただきます」

 

 一緒になって言い、二人で一つの弁当をつつく。

 まず始めに俺が食べたのはミニハンバーグ。

一口サイズで食べやすく、ジューシー。それと食べてみて分かったことだが確信があるわけではないがこのミニハンバーグ冷凍食品ではない。これは手作りか。

 

「正解。よく分かったね……誕生日プレゼントのつもりでもあるから、冷凍食品じゃあんまりだと思って」

 

 朝早くから料理に励む簪の姿脳裏に浮かぶ。

 わざわざひと手間かけて作ってくれた。至れり尽くせりとはまさにこのことだ。

 

「ん、このだし巻きたまごもよく出来てる」

 

 簪も弁当、だし巻き卵を美味しそうに頬張っている。

 黄金色に輝くだし巻き卵も美味そうだ。

 

「ん? 食べる……? はい」

 

 簪は新しいだし巻き卵を箸で挟むと落ちないよう下に手を沿えて、食べさせてくれた。

 口の中で出汁がじゅわ~っと広がる。フワフワとしていて、出汁の丁度いい按配で美味い。

 流石だな、簪は。

 

「お褒めいただき光栄です。その……将来一緒、になったら毎日でも食べさせてあげること……できるよ」

 

 一緒、という言葉がどういう意味を持っているのかは一々聞く必要はない。

 将来か……それはきっと今よりも幸せなんだろう。楽しみだ。

 

「私も楽しみ」

 

 そうして、二人で昼飯を食べ進めると、あれだけ沢山あった弁当はあっという間に綺麗に空となった。といってもほとんど俺が食べてしまった。

 

「大丈夫。このお弁当はあなたの為に作ったものだから……それに私元々小食でしょう? 朝味見にいっぱい食べちゃったし。あなたが喜んでくれただけでお腹いっぱい」

 

 満足そうな顔をする簪を見て俺も更に大満足だ。

 

「ん、お茶どうぞ」

 

 お茶のお代わりを入れてもらい一息つく。

 昼飯は食べ終えたが昼休みはまだ10分ほどの時間の余裕がある。

 教室に戻るにはまだ少しだけ早く、このまま簪と別れるのは惜しい。

 だから残りの僅かな時間、普段と変らず特に何かをするわけではないが、二人静かに過していた。

 

「……」

 

 隣にいる簪の手がすぐ近くにある。

 そっと手を取ると、簪はすぐに握り返してくれた。

 

「ふふっ、どうしたの?」

 

 別に何でもない。

 ただ何となく簪と手を繋ぎたくなった。

 ここなら人目を気にせず、好きな時に自由にこうやって手を繋ぐことが出来る。ここは静かでいい場所だ。

 

「だね……折角誕生日なんだから外もいいかなって思ったんだけど……ここならゆっくり出来ると思って。それにここは私とあなたにとって大切な場所だから今日お昼一緒に過ごすなら、やっぱりここかなって」

 

 それはそうだな。

 整備室という色気のない場所ではあるが、簪とはここから全てが始まった大切で思い出深い場所。学園で簪と二人っきりで過すのなら、ここ以外ない。そう断言できる。

 何よりここは慣れた場所で、鍵の関係上自由に出来る。今みたいに何の気兼ねもなく、簪と触れ合える。

 

「外だとどうしても人目について、からかわれるからね。誕生日だと特に。本音達みたいに肝っ玉強いわけではないし」

 

 まったくだ。

 この場所のおかげで落ち着いて過すことが出来た。弁当共々簪には感謝しかない。

 本当にいい誕生日だった。

 

「喜んでくれるのは嬉しいけど、これで誕生日を満足してもらったら困る。まだあるんだよ。もう一つとっておきが」

 

 とっておきと俺は首をかしげる。

 

「そう、とっておき。まだあるんだよ……夜、楽しみに期待してて」

 

 

 

 

「お邪魔します……」

 

 夜。夕食を済ませた後、部屋に来たいといった簪を部屋に招いた。

 適当なところ、いつもの定位置に腰を落ち着けた簪にとりあえずお茶を出すと、その隣に俺も腰を落ち着ける。

 

「……い、いただきます」

 

 出されたお茶を飲む簪は何処となく緊張した様子。

 そわそわとして落ち着きがない。まるで昼間の俺みたいだ。

 緊張した簪は何か言いたそうにしているのは分かるが、なんだろう。

 

「えっと……その……きょ、今日の晩御飯凄かったよね」

 

 そうだったな。

 誕生日だから寮の食堂の人達も凄い気を使ってくれて、今日の夕食は凄い豪華だった。

 おかげで一夏達が開いてくれた誕生日パーティーも盛り上がって、美味しいご飯やケーキを楽しく食べれてよかった。

 でも、簪が言いたいことはこれではない気がする。

 

「……」

 

 それは正解だったみたいで、簪はしまったという顔をして、また緊張した様子だった。

 緊張するものは仕方ないけど、今更緊張するような仲でもないだろうに。

 

「それはそうなんだけど……いざプレゼントを渡そうとなると……何か緊張しちゃって」

 

 プレゼント……昼の弁当だけでも充分嬉しかったのにまだあるのか。

 

「うん……これ」

 

 姿勢を整えると簪は綺麗な紙袋を俺へと差し出してきた。

 受け取ると開けてみてもいいのかと尋ねた。

 

「もろちん、どうぞ」

 

 そう言ってもらい俺は袋を開けてみる。

 すると中から出てきたのは透明の包装に包まれたスマホカバーだった。

 包装を外してよく見てみると、スマホカバーは黒色をしたシンプルなデザインの手帳タイプ。

 いいな、これ。

 

「よかった……ほら、あなたのスマホカバー痛んでいたしょう? これなら普段使いできるし無駄にならない」

 

 確かに今使っているスマホカバーは長い間使っていて所々痛んでいる。

 よく見ている。正直こういう普段から使えるものをプレゼントしてもらえるほうが嬉しい。

 大切に使おう。

 

 するとまだ紙袋の中に何か入っていることに気がついた。

 中を探って取り出すと、それは二つ折りになった手紙のようなもの。

 

「メッセージカード……読んでほしい」

 

 開いて中を読んでみる。

 

『お誕生日おめでとう。私をいつも側で支えてくれてありがとう。

 あなたのおかげで私はヒーローになれた。強くいられる。

 あなたと恋人になれて、ずっと一緒にいられて私はとっても幸せです。

 私去年のあなたの誕生日をお祝いした時より、今のほうがあなたのことをもっと大好きになりました。また来年のお誕生日もまた一緒にお祝いさせてください。だから、これからもよろしくね。

 今日は本当におめでとう。そして生まれてきてくれて本当にありがとう』

 

 とバースデーケーキをあしらったメッセージカードに手書きでそんなメッセージが書かれていた。

 嬉しい、素直に感動した。プレゼントも嬉しいが、手紙もとっても嬉しい。

 

「こっちこそ喜んでもらえると嬉しい……でも、改めて手紙となると何か変な感じ」

 

 だから、さっきあんな風に緊張していたのか。

 

「うん、そう」

 

 簪は照れくさそうに笑った。

 

 もう一度文章に目を落とし、また読み返す

 温かみと簪の想いを沢山感じる。言葉にして伝えてもらうのも勿論嬉しいけど、こうして手紙にして伝えてもらえるのも凄く嬉しい。

 このメッセージカードもまた素敵な誕生日プレゼントだ。大切にするのは当たり前のことだが、誕生日とは言え今日は簪にプレゼントを貰ってばかりだ。

 嬉しいし、喜んでいる。でも、簪に感謝の気持ちを伝えきれてない気がする。だからせめてもと。

 

「わっ……急にどうしたの……?」

 

 驚いた声をあげる簪の声を聞きながら、感謝の意を表すように俺は簪を抱きしめた。

 思っていることを全部を伝えきるのは難しいことだけど、こうすることで少しでも沢山簪に感謝が伝わればいいなと思う。

 本当に今日は素敵な誕生日だ。ありがとう、簪。

 

「どういたしまして」

 

 やさしく笑い簪はそっと抱きしめ返してくれた。

 暖かい。ふわりふわりとした心地いい幸福が体に満ちる。

 

「ふふっ」

 

 二人抱き合いながら幸せを噛みしめるように笑いあう。

 幸せだから笑いあうことが出来て、笑うからまた幸せな気持ちになれる。

 今日はそんな誕生日だった。

 




作者の今日5月10日が誕生日なので簪に誕生日祝ってほしくてかきました。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
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簪と溺れた日

 明かりに照られた室内。そこにあるのは吐息と音がもう一つ。

 布団に寝転ぶ俺の上にうつ伏せで乗っかる簪がキスをする度にぎしぎし、とベッドが微かに軋む音が響く。

 

「んっ……ちゅ……」

 

 簪の唇が俺の唇へそっと触れる。

 息を飲んだ拍子に声が漏れると、微かに開いた唇と唇の間に簪は器用に自分の唇を滑り込ませ、唇で唇を甘噛みするように口づけてはまた離して触れ合う。

 さながらキスの雨みたいだ。唇には甘さが残る。

 

「ちゅ……ん、むぅっ……ちゅ」

 

 これが2、3回目というわけではない。

 先ほどから簪はずっとキスを繰り返ししてくる。いつもみたいに深いキスだけはせず、唇で唇を甘噛みするようにキスしてきたり、時には軽く吸いついてきたりするキスを何度も繰り返す。

 薄く柔らかな唇が離れたかと思えば簪は顔を上げ、簪は熱に浮かされたような瞳でじっとこちらを見つめ、乱れた息を整えながらふんわり微笑した。

 

「……ふふっ、ちゅ……んっ」

 

 くすりと笑うと簪は、唇だけでは物足りないようで鼻先や目元、頬や喉にもキスを落とす。

 それでも簪はやはり唇にするのが一番気に入っているようで、最終的には唇へと口付ける。

 

「ん、ぅっ……」

 

 その一連の流れを簪はまた飽きずに幾度も幾度も重ねる。

 まるで丁寧で甘美な愛撫されているようで、段々と変な気分になっていく。

 キスと唇から伝わってくる簪の熱い熱で戸惑いで硬くなった体が芯からほだされていっている。

 

「ふっ……んっ、ちゅ……ん、ちゅっ……」

 

 漏れ聞こえる簪の吐息と声が脳を溶かしてしまいそうで苦しい。

 というよりも、息苦しい。先ほどから何度も息苦しいさを伝えているが、上手く伝わっていないのか無視して唇を押し付けられていたが、流石に限界だ。

 たまらず簪からのキスを制止した。

 

「嫌」

 

 一言でそうバッサリ言いきられそうになる。

 嫌って。そんなこと言われても一旦、一旦でいいから待ってほしい。

 再度制止をかけると、何か押し留まってくれた。

 

「もう……まだ全然、物足りないのに」

 

 拗ねた顔する簪に俺は思わず唖然としてしまう。

 さっきあれほどしたのに全然物足りないだなんて。

 しかし、一旦休ませてほしい。疲れた。

 

「ん、分かった……でもまた、キス、させて……?」

 

 その言葉に俺はただただ頷くしかなかった。

 簪は元気だな。まあ、簪とこうやってキスするのは嫌ではないからいいけどもだ。

 今日の簪は一体どうしたんだろうか。

 

「ん~……」

 

 キスの変りに今度簪はぎゅっと抱きつくように引っ付き、頬ずりしながら凄い甘えてきている。

 嬉しいが、普段以上甘えてくる簪には困惑するばかり。

 この甘えっぷりは何かの裏返しではないのだろうかと、逆に怖くなってくる。

 

「何でそうなるの……今日は何月何日か分かる?……?」

 

 突然質問に意味が分からず戸惑いながらも答えた。

 今日は5月23日。ちなみに今は夜の八時過ぎ。

 何かあったけか今日。もしくは記念日……と考えてみたが、思い当たるものはない。普通の日だ。

 

「今日はね、キスの日っていうの……」

 

 キスの日……そうなんだ。知らなかった。

 

「うん。まあ、私も朝にSNSで見かけて知ったんだけど」

 

 そんなことだろうとは思った。

 しかし、たったそれだけの理由でこんなにも沢山のキスをしてきたのか。

 他に理由は……。

 

「ない。本当にそれだけ……しいていえば、キスの日ってのは建前でもあって、今ただ凄い甘えたい気分なの。本当、大した理由はないけどね」

 

 平然とした声で正直に話してくれたけど、こちらを見ようとしない簪。

 顔を横に向けて胸板に預けたまま。

 どんな顔してるのか少し気になる。

 

「ん……」

 

 抵抗は肯定だと理解しているようで大人しく顔を見せてくれる。

 だがせめてもの抵抗のように平然とした顔しているのが愛おしい。

 内心精一杯恥ずかしさとかを我慢しているのがよく分かり、一旦休憩したのも関わらず、簪の瞳の奥は熱く燃える様に潤んでいる。

 一旦休憩したのがむしろ焦らしたみたいになってしまったようで、瞳の燃えようは先ほどより激しい。

 

「……もう、いい……?」

 

 遠慮気味にわざわざ尋ね、俺の答えを待つ様がいじましい。

 頷いて答えると、簪はベッドを軋ませながら器用に上へとよじ登って、顔と顔を近づける。

 唇へ仄かにかかる簪の浅い息が熱い。

 

「っん……ふっ……ちゅ」

 

 再びの口付けは当然一度だけでは終らない。

 2回、3回と繰り返しキスしては、目の前には満足げな簪の顔がある。

 

「私、キスする時、抱き合ってするの好き。特に今みたいなに感じだと身長差気にしないでいいから楽」

 

 それはその通りだ。

 俺と簪とでは伸長差があり、基本的に俺が屈むか、簪が少し背伸びする必要がある。

 だが、俺の上に簪が乗っている今のような姿勢なら、それを気にしなくて済む。

 

 顔同士が近いおかげで柔らかな髪からは甘いシャンプーの香りがして、少しくらっとするが安心できていい。

 簪の重みもまたそうだ。体の温もりと共に簪は確かに自分の腕の中に居るのだと強く実感できて幸せだ。

 俺も抱き合ってするが好きだと再確認することが出来た。

 

「好き……。ね……私、は……?」

 

 期待に瞳を彩らせながら尋ねてくる簪の問いに恥ずかしげもなくはっきりとした言葉で伝える。

 好きだ。言葉にできる感情なんてそれだけ。

 ただ言葉だけで伝えるのでは何だか物足りなくて、深いキスのオマケ付きで。

 

「んんッ……」

 

 突然のことにビクッと体を震わせ息継ぎが上手くいかずふっと笑ったような声をこぼす簪。

 それすらも口内へ吸い込むように口づけて舌先が触れ舌全体だ簪の可愛らしい舌を絡めとる。

 

「っ……は、ぁ……ちゅ…あ、む……っちゅっ、はぁ…」

 

 絡みあう舌と交わす唾液。

 走る刺激と感じる快感。絡めて感じる舌の柔らかさや唾液の熱や甘さで思考はとろとろに溶けていく。

 そうなっても深く甘いキスをするのはやめたくなくて、快感に取り付かれたように交わし続ける。

 最初のうちは驚いていた簪も行為に没頭して積極的な様相で悩ましげに舌を動かす。

 

 ゆっくり唇が離れていく。

 唇と唇には細い唾液の話が後を引き唇へと落ちる。

 

「ん……ふふん、私も好き。だーいすきっ」

 

 瞼を開いた先には頭の両横に両手をついて馬乗りになった簪が目を細めくすくすと幸せ一杯に微笑む。

 

「こんなに一杯キスしてもられえたら幸せすぎてもっとしたくなる」

 

 聞き慣れた簪のお決まりの台詞。

 だがその台詞は癖で言っているのではなく熱く燃えあがる欲求からの言葉。

 だろうなとは思った。悪くない。俺だってそうなのだから。もっと簪としたい。

 キスの日(今日という日)が尚更そう思わせるのかもしれない。

 それは簪とて同じだろう。

 

「うん、悪くない。むしろ、キスの日のキスは何だか特別。溺れてしまいそう。だから、このまま」

 

 次の言葉の意図をキスに込める様に簪はちゅ、と一つ優しく唇に口づける。

 再開の合図。

 それに俺からは舌先で唇をなぞるように舌を這わせて答えた。

 

 舌で絡み合い一つに蕩けていくキスの日。

 二人で甘いキスに溺れていく。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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簪とヒーローショーに行って

 休日のテーマパークは人が多い。

 はぐれてしまわないよう簪と手を繋ぎながら、テーマパーク内の野外ステージへとやってきた。

 

「やっぱり、前の見やすい席はもう埋っちゃってるね」

 

 簪が言う通り、まだ時間があるのにも関わらず、前の方はぎっちり埋っていた。

 ああいうのはきっと早くから場所取りしているのだろう。

 荷物番も兼ねて一人場所取りをしているお父さんらしき人がぽつぽついるのがその証拠である。

 休日のお父さんは大変だ。

 幸い場所こそはまだ真ん中から後ろの方の席が開いている。

 ゆったり座ることは出来そうだ。尻の下にレジャーシートを二人引いてそこへ座ることにした。

 

 太陽の昇りが高くなる時間帯。

 夏の近づきを感じさせる日差しは今日も暑い。こうして座っているだけでもこの日差しの下では疲れやすくなる。

 対策はバッチリしてきているが、それでも心配なものは心配だ。

 簪は平気だろうか。

 

「ん、ありがとう。大丈夫。あなたこそ、疲れてない? さっきまで結構アトラクション乗ってたでしょ」

 

 それを言うと簪もだが、言うほど疲れない。大丈夫。

 

「よかった……ヒーローショー、楽しみだね」

 

 今日このテーマパークにある野外ステージ。

 ここに来た訳はデートというのも勿論あるが、一番の目的はヒーローショーを見る為。

 簪たっての希望だ。

 

『あのね……私、これ行きたい!』

 

 と簪がタブレットを見せながらそんなことを言ってきたのが数日前のこと。

 よく見るとそれはこのヒーローショーの案内。

 一見よくあるヒーローショーで、それなら近くのデパートでやっているのでもいいんじゃないかと思ったが、簪がここまで積極的に行きたいと言ってくるのは珍しい。

 興味がないわけでもなく、折角なので遠出にはなったが今日こうして簪と見にやって来た。

 

 ちなみに今日やるのは毎週日曜朝にやっている特撮仮面の奴。

 ここのヒーローショーは特撮ファンの間でも有名のこと。

 家族連れだけでなく、同じ年齢かちょっと上ぐらいの人達もいるからその様だ。

 

 簪からは有名と聞かされているが、どういう類の有名なんだろう。

 

「ここのヒーローショーはね……まず基本今やっているのと過去作とのクロスオーバーなの」

 

 言われて確認する。確かにタブレットで見た案内やテーマパークに入場した時にもらったチラシには今期の特撮ライダーと第5作目の特撮ライダーが出る書かれてある。

 第5作目の特撮ライダーは簪と俺が好きなライダー作品の一つであり、それが出るというのは嬉しい。だが、クロスオーバー自体ヒーローショーでそう珍しいことではない気がするが。

 

「それはそうだね。でも、ここの目玉は質の高い脚本なの。二つの作品が上手く合わさって、興奮できたり感動できる話にちゃんと短く纏まってる。特にね、本編でちゃんと使われなかった設定や未登場の設定も各所にちりばめられていて、それはもう最高なのっ」

 

 興奮した様子で教えてくれる簪に俺は思わず、たじろいでしまう。

 そうなのか。簪にここまで言わせるのなら、よほどの出来なんだろう。

 俄然興味が湧いてきた。

 

「……そろそろ始まるみたい」

 

 司会のお姉さんが出てきて、ヒーローショーが始まっていく。

 挨拶から始まり、会場の説明、注意事項。

 そしてお決まりのヒーローの呼び出し。

 

「じゃあ早速、皆で元気よく呼んでみよう! いくよ~? せーのっ――」

 

 お姉さんに合わせて、会場にいる小さい子達が大きな声でヒーローを呼ぶ。

 ファンと思わしき大人達と混ざるように、恥ずかしながら俺も呼んでみた。

 ヒーローショーは幼い頃に数回行った程度の曖昧な記憶ではあるが、どこも最初の流れは似たような物なんだな。1回呼んだだけではヒーローが出てこないのもそうだ。お姉さんはまた会場の人達にもっと声を出すように何度か呼びかけ、それに応じるように小さい子達は声をあげる。

 

 それを簪は眺めている。

 今日のショーにあんなにも想い入れがあった様子だったから、てっきりノリノリで参加すると思っていた。

 折角だから簪も声出して呼べばいいのに。

 

「えぇ……いいよ。恥ずかしいし……」

 

 そりゃ一人だったら恥ずかしいだろうが、周りの人、女性も一緒になって呼んでいる。

 ここは折角なんだ。ほらと簪を諭して。

 

「ううっ……――」

 

 最後簪と一緒になってヒーローの名前を呼んだ。

 するとBGMが流れ、ヒーローと敵役が出てきた。

 そこからはアクションシーン。始めは今期のライダーと敵がアクションしていたが、観客が人質にっていうお決まりを助けてくれたのが第5作目に登場したライダーだった。

 てっきり主役が出てくると思ったが、出てきたのは主人公のライバル的存在のライダー。予想外の登場に会場は盛り上がった。

 それはもちろん俺達、簪とて例外ではない。

 

「わぁ……!」

 

 目を輝かせながらライバルライダーの登場を喜んでいる。

 驚かせる展開はそれだけじゃなかった。

 何と敵役として、第5作目に登場した主人公ライダーが出てきた。

 このライダーは最終回、度重なる強力な力の使いすぎでモンスターとなってしまい無用な戦いを避ける為、皆の前から姿を消した心優しい主人公。

 まさか、彼がこんな形で出てくるなんて。知っているキャラクター。何となくではあるがその登場にいろいろと考えながらも納得できるので、この話はどういう設定なのか。どうなっていくのか興味をそそられる。

 

「……!」

 

 今期の主役ライダーと第5作目のライバルライダーが正気を失って襲ってくる第5作目の主人公ライダーを止めに入るシーンを簪は手に汗握りながら見入っている。

 

 簪があれだけ言うことあって話の内容はいい。

 ちゃんと二つの作品が喧嘩することなく高い完成度で合わさっている。

 

「あの設定も使うんだ……凄い。嬉しい」

 

 と簪が小さく呟いては舌を巻くほどだ。

 作り手側のそれぞれの原典への愛が伝わってくる。見ているだけで楽しいとはまさにこのことか。

 

「ね……細かな仕草や口調もちゃんとリスペクトされていて。台詞も言いそうなものになっている……いい」

 

 簪も満足の様子だ。

 脚本の完成度が過ぎて、正直これじゃあヒーローショーなのに小さな子達を置いていきぼりじゃないかとも思ったが、それは杞憂のようだ。登場人物がしっかりと分かりやすく説明してくれる。

 何より、スタントが凄くて、純粋にかっこいいと感じさせ、見惚れさせてくれる。

 小さな子達は大喜びだ。当然俺達もそうだ。

 

「頑張れ……!」

 

 最初の恥ずかしがり様は何処へ行ったのやら。

 簪自ら声をあげ、会場の人達と一緒になって声援をヒーロー達に送る。

 

 簪の奴、凄い嬉しそうだ。

 それを見ているだけでこっちらまで嬉しくなってくる。

 今日、簪とこのヒーローショーにこれてよかった。そう心から素直に思った。

 

 

 

 

 今期のライダー達は目一杯の活躍を見せてくれ。

 ショーの最後、第5作目のテレビ版最終回で主人公ライダーとライバルライダーが交わせなかった再開を約束する言葉を交わし、ヒーローショーは熱狂と感動のうちに終った。

 感動のあまり、中には泣いている人もいる。

 いいショーだった。

 

「うん……最高」

 

 ショー自体は終ったが、まだ終わりではない。

 サイン会、撮影・握手会をやっている。

 小さな子達からやっていて、人の数が数なだけに結構待つことになりそうだが、ちょっと参加してみたい気もしなくはない。

 折角あんないいモノを見れた後なのだから尚更。

 

「ふふっ、いいよ。行こ」

 

 よかった。じゃあ、並ぶとするか。

 簪から了承を貰い、サイン用の色紙を買うとしばらく並んで待つに。

 こういうのは本当に久しぶりだから年甲斐もなくワクワクしてしまう。

 

「何だか小さな子みたい……ふふっ。並んどいてアレだけど、凄い列……サイン大変そうだね」

 

 簪と同じく苦笑いせずにはいられない。

 ヒーローの過酷さをこういう場面でも目の当たりにした。

 でも、ちゃんと務めを果たすその姿はヒーローそのもの。かっこいい。

 それからは順番がやってきて、今期の主役ライダーにサインと握手をしてもらい、残るライダー達と握手。

 間近で見るライダーの迫力は本物。

 テレビで見るのとは違うと分かっていても、いざこうして握手してもらえると凄く嬉しい。

 それは簪も同じらしく。

 

「わぁ……あ、ありがとうございますっ……!」

 

 嬉しそうにお礼を言いながら、簪はライダー達と握手していた。

 

 本当の最後。撮影会では本当に沢山の写真を撮った。

 ちゃんと作中で使われていた決めポーズも取ってくれ、ここでも再現度が高い。

 嬉しい限りだった。

 

 その後、テーマパークのアトラクションで一緒に遊んだりしていると、いい時間になり帰ることに。

 帰りの電車の中で隣にいる簪は、嬉しそうに今日取ったヒーローショーの写真を何度も見返している。よほど楽しかったんだろう。

 

「凄く……。あなたはどう……? 楽しかった……?」

 

 勿論だ。そう確かに頷く。

 今日一日簪とテーマパークで過して、お目当てのヒーローショーを見ることが出来た。凄く楽しかった。

 それにヒーローの良さ、と言えばいいんだろうか。それを再確認することが出来た。

 やっぱり、ヒーローの勇姿はいくつになっても胸に来るものがある。

 

「私もそう思う……私もあんなヒーローになりたいってますます思った。雄々しく、心優しい光のヒーロー……ただ憧れて誰かに守られ続けるんじゃなく。大切な人と助け支えあいながら、前へと向かって共に頑張れる存在に」

 

 簪ならきっとなれるさ。

 共に頑張って、一緒になってみよう。

 例えヒーローショーのモノだとしても今日の活躍を見せてくれたあのヒーロー達の様に。

 

「うんっ……必ず一緒になってみせようね!」

 

…  





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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暑熱と汗と簪と

「熱い……」

 

 俺を背もたれにして背中合わせに座って読書をしている簪がぽつりとまた言った。

 今日何度目も聞かされる言葉。

 正直聞き飽きたが、言いたくもなるのも分かる。今夜はそれほどまでに暑い。

 

 夏が段々と近づいてきて、暦の上ではもう初夏だからなんだろうか。

 日中の照りつける暑さとは違い、夜の暑さはむわっとした蒸し暑さで嫌になる。

 服以外にもそろそろ夏用の寝具一式や扇風機、クーラーを部屋にも用意しなければいけないな。

 

「だね……でも、寒い夜もあるし……今暑くても深夜から朝にかけは一気に冷える。めんどくさい季節」

 

 けだるくぼやく簪に苦笑いで同意する。

 寒暖差が大きい今日この頃、暑いからといって暑さ対策している時に限って寒くなって冷えたりと調節がいろいろと大変だ。

  この暑さだともうタオルケット一枚でもいい気はするが、これから段々と冷え込んでいくと思うとその辺の加減がだるいな。

 

「……熱い」

 

 再び簪が言った。

 そんなに熱いなら離れればいいのものを……。

 

「ん、そうだね」

 

 曖昧な返事をして、簪は離れた。

 かと思ったが、今度は背後から抱きしめてきた。

 何やってんだ。熱いから離れてほしい。

 

「なら、振りほどいたらいい……」

 

 俺がそうしないと分かって言っているだろ。

 

「うん……」

 

 頷いて簪は更に後ろからぎゅっと抱きついてくる。

 すると、当然密着度は上がる。

 背中には押し当てられた柔らかな胸の感触が感じられ、簪の体温がよく分かる。

 おまけに吐息まで伝わってくるのだからむず痒い。

 こうしてくっついているのは暖かいと言えなくもないのだが、やっぱり普通に熱い。

 

「うん、熱い熱い……ふふっ」

 

 楽しそうだな。

 

「ん、楽しい……あなたは、楽しくない?」

 

 そう聞かれると何だか変な感じだ。

 楽しいってのとはちょっと違う。

 あえて言うなら、嬉しいって感じが一番あっている。

 

「嬉しい、か……そうだね、私も嬉しい」

 

 耳元で嬉しそうに笑って簪は抱きつく力を強めた。

 

 そして、そのままの状態で読書をまた始めた。

 後ろから抱きついてきてる簪は横から顔を覗かせ、一緒になって読んでいる。

 しばらくそうやってくっついていたが、流石にこのむわっとした暑さの中でくっついていれば、互いの体温が合わさって新たな暑さを感じさせられる。

 いつしか背中や額にはじんわりと汗が滲み出ているのを感じた。

 

「本当……汗出るね」

 

 と言うだけで離れようとしない。よっぽどだ。

 だが、流石にそろそろ離れないとどんどん汗が出てくる。首筋の汗が滴り落ちるのが分かる。

 これは後で風呂に入ってさっぱりしたほうがいいかもしれない。

 なんてことをぼんやり考えていると、簪が静かにしていることに気がつく。

 

「……」

 

 というよりも、首筋に視線を感じた。

 どうしたんだ。様子が気になり、振り向こうとした瞬間だった。

 

「ぺろぺろ」

 

 生暖かいぬるっとした感触を首筋に感じた。

 正体はすぐに分かった。これは舌だ。舌で汗を舐め取るように首筋を舐められている。

 しかし、突然のことに体がぞわっとして、恥ずかしいことに妙に甲高い変な声まで出てしまった。

 

「ひゃって……凄い声」

 

 そんなこと言われてもだな。普通こんなことさされば声出るだろ。

 確かに凄い声ではあるけどもだ。

 というか、簪は何で突然こんなことを……。

 

「んー……何となく……」

 

 とぼけられても困る。

 綺麗なものではないし、やめた方がいいと思うが。

 

「大丈夫……あなたのなら汚くない」

 

 断言されてしまった。しかし、そうは言ってもだな……。

 再度抗議しようとしたが、それよりも先に簪はまた首筋を舐めるものだから、堪えようとしても変な声がどうしても出てしまう。

 

「ふふっ、いい声……んっ、ぺろぺろ」

 

 完全におもしろがってる。

 抵抗しようにもマウントを取られているせいか上手くいかず、絶妙な加減でこう何度も首筋を舐められるのはなれないくすぐったさを感じて、たまらず変な声を出してしまう。

 するとますます簪を喜ばせて、また舐めてくる。この繰り返し。

 嬉しそうに簪は舐めているが、そんなにいいものなんだろうか。

 

「うん……何だか病み付きになる。後、ちょっと美味しい、かも……」

 

 なんだそれ。

 ああ、最近愛しの彼女が変態になっていく。

 ……いや、簪が変態なのは昔からだったな。

 

「むぅっ……がぶっ」

 

 簪さんや。何で噛み付くんだ。

 甘噛みの範囲ではあるけど、わりと痛い。

 

「絶対、今失礼なこと考えてたの分かったもん……」

 

 不服そうな声。

 人の心を読まないでほしい。

 いや、俺が分かりやす過ぎるんだろうか。

 

「今のただの勘。でも、その気になればあなたの考えなんて大体分かるんだから……ほら、反省」

 

 はい……反省した様子を見せてみた。

 

「よろしい……あっ、歯形ついちゃった。ごめんね」

 

 謝りながら簪は今しがた甘噛したところをチロチロと舐める。

 よほど舐めるのが気に入ったらしい。

 むわっとした暑さ、汗ばむ簪の体温を感じながらも離れることもなく大人しくされるがままになる。

 もう諦めたから今更やめろとは言わないが、こう舐められているとくすぐったさを通り越して変な気分だ。もどかしくて、じれったい。

 ……我慢の限界だ。ここは仕返しの一つでもしてやろう。

 

 バタンという音が部屋に響いた。

 そして、訪れる攻守逆転。

 簪を押し倒す形で今度は俺がマウントを取っていた。

 

「……」

 

 簪に驚いた様子はない。

 むしろ、俺がこうしてくると狙っていたようだった。

 こちらを見る簪の瞳が期待と情欲できらきらと潤んでいるのがその何よりもだ。

 上手く誘われたな、これ。

 

 ふと簪の様子を見てみると、暑さで火照った様に頬は赤く染まり、額に前髪が汗で張り付いている。

 それが何処か気持ち悪そうに見え、指で取って楽にしてあげた。

 

「ん、ありがとう……」

 

 嬉しそうに言って少しはすっきりとした様子になってくれたが、それでもまだ気持ち悪そうだ。

 簪はまだ汗凄いからな。

 まあ、あれだけべったりくっついていれば当然。かく言う俺も同じくらい汗をかいている。 

 おかげで……と言うべきなのか、汗で香り立ち簪のいい匂いが鼻先を擽って何だか心地いい。

 

「や……もう、そんなくんくんしないで」

 

 そうは言うものの体を軽く捩じらす以外、嫌がる様子は勿論、抵抗すらしない。

 好きにさせてくれるということだろう。

 喉に滴る一筋の汗を舐めとった。

 

「ひゃっ」

 

 体をビクッと震わせ、可愛らしい悲鳴めいた声をあげていた。

 凄い声。続けざまにまた何度か舐めてみる。

 するとまた、おもしろいぐらいいい声で鳴いてくれる。

 

「むぅ……さっきの仕返しのつもり? 綺麗なものじゃないし、舐めない方がいいよ」

 

 言うと思っていたから、さっき簪が俺に言った言葉をそっくりそのまま返す。

 簪のなら汚くなんかない。

 それにさっき散々やられたんだ。このぐらいは許されるだろう。相変わらず抵抗されてないわけだし。

 

「ひゃぁ、んんっ……。もう……ね、近くに」

 

 下から抱き寄せられる。

 腕に引かれるまま額と額をくっつけた。

 本当にすぐ目の前には簪がいて、感じるお互いの熱い吐息に誘われるように。

 

「ちゅっ……んっ……ふふっ、んっちゅ、はぁうっ……ん、ちゅぅっ……んちゅっ……」

 

 唇を甘噛みしつつ唇と唇が軽く何度も触れ合わせる。

 時には愛の言葉もしっかり交わす。

 

 キスは唇を触れ合わすだけではない。キスするようにスリスリと鼻と鼻をあわせ愛を確かめ合う。

 そうしていると何ともくすぐったくて幸せだけど、密着していることで生まれる暑さと二人で作った熱で汗が滴る。

 暑い……おかげで体が火照る。

 

「うん、暑い……でも、幸せ……あなたともっとこの暑さを、熱を感じてたい」

 

 滴る汗が混ざり合うように一つになりながら、二人の熱は更なる激しさを魅せていくのだった。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪ととっておきの一瞬を

 

 とある日。

 俺は一夏に呼ばれ、こいつの部屋へとやってきていた。

 何でも渡したいものがあるとかなんとか。

 

「ほい、これ」

 

 ドンッと目の前に出されたのは大きめの箱だった。

 これは……とついつい訝しげにその箱を見てしまう。

 

「見たら分かるだろ? デジカメだよ」

 

 それは分かってる。

 箱の上には絵と文字でそう書かれてあるのだから。

 俺が言いたいのはそういうことではなく。渡したいものってのはこれなんだろうが、どうしてまたこんなものをということだ。

後、よく見て気づいたことだが、これって一夏が前に使っていた奴じゃないか。数回ほどだが見たことがある。

 いいのか、これ。一夏が写真取るのが好きってのは知っているが、これを貰うと一夏が撮れなくなるんじゃ。

 

「大丈夫。心配すんなって。俺にはこれがあるからよっ」

 

 にやりと笑って一夏は今度、もう一つデジカメを取り出してきた。

 新品のように見える。デザインはいい。かっこいい。しかし、高そうにも見える。

 これを一夏は買ったんだよな。

 

「そうだぜ。ほら、この間のほほんさん(本音)と出かけた時のこと話しただろ? その時にな」

 

 ああ、あの時かと惚気られたことを思い出す。

 思い出せばいろいろと思うことが出てくるが、それよりも今はこの高そうなデジカメを一夏が買ったことが意外で気になった。

 今までお金のことを結構気にしていたから、そんな大きな買い物をするなんて思わなかった。

 まあおおよそ、店員に気良く進められて押し売りされたってところだろう。

 

「エ、エスパーかよお前。よく分かったな」

 

 驚きたいのはこっちの方だ。

 容易に想像がついたとはいえ、適当に言ったのが当たってしまった。

 一夏は押しに弱いかららしいと言えばらしいが。

 

「金なら倉持のバイト代で余裕があるし、いろいろつけて元の値段より安くしてもらったんだよ。それにこれはいい奴なんだって!」

 

 別に必死に弁解しようとしてくてもいい。

 どうでもいいと言ったらそれまでだが、正直どうでもいい。押し売られたって買うと決めたのは一夏本人な訳だし、他人がとやかく言うことじゃない。

 それとは別で、新しいデジカメを買ったから古いデジカメをくれるってのがちょっと分からない。これ使っているところを数回しか見ておらず、箱から取り出してみたがコンパクトサイズで見た目はかなり綺麗だ。新品同様。金払ってことなんだろうか。

 

「金? そんなのいいって、別に。タダでやるよ」

 

 凄い太っ腹発言だ。

 物の状態は勿論。今電源入れて簡単に機能を確認しているが、写真だけじゃなく動画まで撮れるらしい。本当に貰っていいのか。

 

「気にすんなって。俺とお前の仲だ。遠慮は必要ねぇよ。それ小学生のころから愛用してるカメラの代わりに学園来る時に持ってきたんだけどさ。両手で数えるぐらいしか使ってねぇし、中学の頃地元

の商店街の福引で当てた奴だから元々タダ同然。な、何も気にすることないだろう」

 

 タダ同然ってのはちょっと違う気がしなくはないが、これ以上のことは無粋か。

 くれるって言ってるんだ。ここは貰っておこう。

 また別のことでこの恩を返せばいい。

 

「おう、貰ってくれて助かるよ。流石にデジカメ二つってのはちょっとな……」

 

 貰うのはいいが、これの使い道がどうにも思いつかない。

 どう使えばいいのやら。

 

「どうって写真取るしかないだろ。風景とか記念写真とかさ……後は、デートの時とかに使えるだろ。何なら、いっそ更識さん撮ってあげたらいいんじゃねぇか」

 

 一夏は気楽に言ってくれる。

 嫌がるだろ。それは流石に。

 

「最初はな。でも、その内乗り気になってくれて。こう……ポーズ撮ってくれたりするものだぜ」

 

 そんな上手くいくのは一夏だからだろう。

 俺だったら失敗しそうだ。相手は簪だから余計に。

 というか、一夏のそれ何だか体験談くさい。ポーズって一体どんなポーズを取らせたのやら。

 

「……」

 

 気まずそうな険しい顔をしてそっぽを向く一夏を見て、いろいろと察してしまった。

 そんな顔するってよっぽどのポーズ取らせたんだろう。エロいとのかいろいろ。

 気になるが、ここは聞かずにそっとしておこう。

 

「助かる。まあ、アレだ。お前は難しく捉えすぎるから、もっと気ィ楽にして撮りたいもの撮れよな」

 

 それはそうだ。

 折角一夏からこのデジカメを貰ったんだ。腐らせず、気軽に撮ってみるか。

 

 

 

 

 その後。

 自分の部屋に戻ると、一夏から貰ったデジカメを説明書片手に実際に動かしながらいろいろ確認していた。

 型的にはもう何年のものになるが、それでも高性能だ。今でも全然に使える。というか、ネット検索したらかなりの値が今でもする。 

 これが商店街の福引にあったということも驚きだが、それを当てた一夏の運にも驚かされる。本当あいつはこういう運はいい。

 

「それ……デジカメ、だよね……どうしたの……?」

 

 すぐ傍にいてタブレットで読書をしている簪がふいにそんなことを聞いてきた。

 隣で見慣れないものを見ていたら気にもなるか。もしかすると興味を持ってくれたのかもしれない。

 とりあえず、これの入手経緯を説明した。

 

「ふぅ~ん……そう。織斑、凄い太っ腹……よかったね……」

 

 とだけ言うと簪は手元のタブレットに視線を戻し、再び読書を始めた。

 凄い興味なさげだ。まあいい。こっちはこっちで好きにする。

 そうして、もうしばらく操作確認していると一段落ついた。

 

 使い方は大体分かった。

 後は実際に何か試し撮りをしたいところだが、やっぱり何を撮ったらいいのか分からない。

 部屋を見渡しても、試し撮りに丁度いいものはない。

 しいて言えば。

 

「……」

 

 今だ読書に集中している簪を見て、一夏に言われたことを思い出す。

 簪で試し撮りか……試し撮りの被写体としてはうってつけだろう。読書する眼鏡美女な彼女。絵にはなる。撮ってみたい。

 だがしかし、やっぱり撮られるのは嫌がりそうだ。でも折角だから、試し撮りはしておきたい。タイミング失って後々になってしまいそうだし。

 ここはダメ元で聞いてみるか。

 

「写真の試し撮り……? ……嫌」

 

 素っ気なくすぐさま断られた。

 そう言うだろうと思っていたからショックではないが残念だ。

 あくまでも試し撮りなのだから変にこれと決めずに、この際適当に部屋の窓から見える景色とか空の様子とかでいいか。

 

「……ねぇ」

 

 ふと簪に呼びかけられた。

 じっとカメラを見ては何か言いたそうにしているが何か。

 

「何で私撮ろうと思ったの……?」

 

 そんなこと聞かれるとは思ってもみなかった。

 何でか……一夏に言われてたのと、何となくというのが正直なところだ。

 

「何でもいいんだ……」

 

 何だか拗ねたようにも聞こえなくない風に言われると、すぐには反論できない。

 そう言われるとそうだ。でも、簪なら絵になると感じて撮ってみたいと思った。

 

「……そう……分かった」

 

 と頷く簪。

 やっぱり、何でもいいというのが気に障ったか。

 そう思っていると。

 

「そういうことなら特別にその試し撮り? に付き合ってあげる」

 

 これまた思ってもみなかったことを言われた。

 嬉しい。ありがとう、簪。

 じゃあ、早速一枚と普通の撮影モードにして簪へと向けた。

 

「ちょっ……ま、待って。心の準備させて」

 

 待ったをかけると簪は身なりを整えていた。

 試し撮りなのだから、わざわざそこまでしなくても。

 

「だって、変なところ撮られるのは嫌……よし……大丈夫」

 

 いや、大丈夫って。

 体こそはカメラの方に向けてくれているが、俯いたままだと撮るに撮れない。

 カメラを構えたまま顔を上げてくれるのを待ってみたが一向に顔を上げる気配はない。

 むしろ、カメラを向けたままでいると。

 

「や、やっぱりもうちょっと待ってっ」

 

 まだ心の準備とやらが出来てないのかカメラに映らない様に片手で遮ってはもう片方の手が顔を覆っている。

 恥ずかしがってるのは見て明らかだが、その格好だと余計に恥ずかしい……いや、何だかいやらしい格好になっている気が……。

 

「そう言う変なこといわないっ……」

 

 そうは言われてもだ。

 今更写真撮られる程度でそこまで恥ずかしがられると困る。

 スマホのカメラではあるが今まで散々撮ってきただろうに。

 

「分かってる……もう……大丈夫だから。撮っていいよ」

 

 手で遮って隠すことも俯くこともなく簪はようやくカメラと向き合ってくれた。

 しかし、恥ずかしいのは相変わらずのようで肩を縮こませ、恥ずかしさを耐えて表情が仏頂面になっていた。

 流石に仏頂面過ぎる。笑顔の一つでもほしいところだ。

 

「笑顔ってそんなこと言われても……難しい……えっと、こう……? にっにぃ……」

 

 簪は頬を引きつかせながらも何とか笑顔らしいのを作ろうとしている。

 ぎこちない笑顔ではあるが、仏頂面よりかはずっといい。

 これ以上要求しても無理だろうから、さっさと一枚試し撮りをした。

 

「もういい……?」

 

 頷いて返事すると撮った写真を確認する。

 綺麗に撮れてる。それにこのデジカメで初めて撮ったにしては上手く撮れたんじゃないか。

 簪はぎこちない笑顔だが、可愛くてこれはこれで味がある。思ったとおり、とてもいい絵になった。

 ひとまずロックして、後でスマホに送っとこう。

 

「私にも見せて」

 

 隣から顔を覗かせ簪も写真を確認する。

 すると隣で凄いしかめっ面しているのが分かった。

 

「……やっぱり、変な顔……不細工」

 

 そこまで言うほどではないと思うが、何なら撮り直しするが。

 

「嫌、もう撮らない……逆に今度は私があなたを撮ってあげる」

 

 必要ないだろう。試し撮りは済んだ。

 

「いいから……ほら」

 

 デジカメを取られると、向こう側へと追いやられる。

 仕方ない。一枚ぐらいなら簪にも取らせてやろう。

 

「表情ほしい……笑顔」

 

 仕返しのつもりなんだろうか。

 言われて、笑顔作ろうとするとぎこちなくなるのが分かった。

 やってもらって自分はやらないのは流石によくないから笑顔を作るが、今変な顔しているんだろう。

 簪が笑いを堪えているので分かる。

 

「……後、ピース、して」

 

 凄い注文が飛んできた。

 それは流石にちょっと遠慮したい。男がピースするのは変とかそうではないが、自分がするとキャラじゃないというか何と言うか。

 

「そう言うのいいから……ピース」

 

 拒否権はないようだ。

 こうなった簪と張り合うのは骨が折れる。半ば半分あきらめ言われた通り、笑顔を浮かべ、ピースしてみせた。

 

「ふふっ……いいよ。じゃあ、撮るね。はい、チーズ……」

 

 そして一枚撮ってもらえた。

 余り気は進まないが、写真の出来を確認しにいった。

 すると案の定と言うべきか、不恰好な自分が映っていた。ゾワッと嫌な鳥肌が立つ。似合わないピースなんてしているから、余計に不細工だ。

 

「そう……? 私は可愛いと思う……ふふっ」

 

 笑いながら言われても説得力ない。

 

「笑いたくなるほどの可愛さなの。そうだ、後でこれスマホに送ってもらえる……?」

 

 送れるけど、嫌な予感がする。

 送ってどうするつもりなんだ。

 

「どうって見るに決まってるでしょ。たまにだけど。後は……待ち受けにするとか……」

 

 複雑な気分になった。

 嫌だけど、本当に嫌かと言えば言いきることが出来ず。嬉しいかと言えば、嬉しいような違うような何とも微妙な気分。

 待ちうけにされるなら、せめてもう少しまともな格好の方がいい。

 

「そんな顔しなくても冗談……待ち受けにして誰かに見られるのは嫌。私だけのとっておきにしたい。あなたもさっき撮った私の写真そのつもりなんでしょう……?」

 

 見抜かれていたか。

 同じ様なことを考えていた。ああだから、簪は消せとは言わなかったのか。納得した。

 お互い様だな。

 

「そういうこと……それにしても凄い。何年も前の物なのにスマホより綺麗に撮れてる。デジカメも悪くないね」

 

 本当に綺麗に撮れてる。

 これだったらデートや何処か出かけた時に使ったらきっといい写真に出来るだろう。

 改めて一夏には感謝しないとな。

 簪も気に入ってくれた様で何よりだ。

 

「うんっ、気に入った……これってタイマー機能、あるよね」

 

 あるのは確認した。まだ使ってないが。

 

「なら、それ試してみない……? ……二人で」

 

 何で二人と一瞬疑問に思い首をかしげたが、すぐさまある答えが思い浮かんだ。

 簪はツーショットを撮りたいらしい。

 

「折角だからね……」

 

 そうだな。折角だ。

 実のところ、1枚ずつ撮り合うだけではちょっとした物足りなさを感じていた。

 タイマー機能を試すことが出来て、一石二鳥。

 

 撮る準備を始めていく。

 まずカメラを机の上に置き、簪にはその向かい側にあるベットに座ってもらう。

 距離や高さは丁度いい。後はどんな風に撮るかだ。

 

「どんなって……普通でいいでしょ。二人一緒に並んで」

 

 無難ではあるが、それだと普通すぎる。

 

「何か考えでも……?」

 

 ふと思いついた考えを打ち明ける。

 すると当然の如くと言うべきなのか、簪は頬を赤く染めながら驚いた。

 

「ええっ!? それ本気なの!?」

 

 本気も本気。大真面目。

 撮った写真は別に誰かに見せるわけでもないんだ。たまにはこういうのも悪くはないだろ。

 折角なんだからな。

 

「もう、それただの都合のいい言い訳になってる。でもまあ……折角、だよね……いいよ、分かった」

 

 仕方ないなと優しい飽きれた笑みを浮かべながらも簪が了承してくれて、俺は心の中でガッツポーズをした。嬉しくて柄にもなく喜んでしまった。

 準備の方は滞りなく完了している。カメラの位置や高さ、タイマーのセットと全て完璧だ。

 俺は簪の隣へ行くと腰を下ろし肩に腕を回して、自分の方へと抱き寄せる。

 

「……」

 

 すると簪は、俺の首の後ろへ腕を回し抱きつくようにして、待つようにそっと目を閉じ。

 そこへ俺は、簪に口づけをした。

 唇と唇は少し交差する形で重なりあい、しんなりと押しつけていく。

 なんてことのない挨拶の変わりのようにいつもする触れ合う程度のものなのに、撮っていると分かっているから、ほんの少しばかり体を強張らせて緊張している簪が愛おしい。

 けれどぎゅっとこちらを抱き寄せ、唇を押し当てる簪。それがまた何とも心地よかった。

 

 タイマーが0になるまでの数秒間。

 じれったさを感じながらも、何だかこの瞬間が終ってほしくないような気さえする。

 

「ん……」

 

 シャッター音が聞こえ、名残惜しさを感じながらも離して写真を確認する。

 

「わぁ……凄い」

 

 簪が関心したような声をあげるのも納得だった。

 ディスプレイには、軽くキスしている俺達二人の姿が綺麗に収められていた。

 本当によく撮れている。偶然入った日の光が微かに二人をほんのりと照らしていて、味わい深さみたいなものを出していた。

 

「素敵な一枚だけど……これはちょっとバカップルみたいで……恥ずかしい、ね」

 

 恥ずかしがっているが、今更過ぎる。

 それにみたいではなく、バカップルそのものだ。

 

「ふふっ、そうだった」

 

 簪が照れくさそうにはにかむ。

 そして「ね、またしてほしい」と小さく呟くと、先ほど撮った写真と同じ様に俺達はまた口づけあった。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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暑い夏だからこそ簪達とひんやりと

 今年の夏はどういう風に過ごそうか。何処へ旅行に行こうか。どんな美味しい夏料理を食べようか。

 そんな風に周りではいよいよ始まる夏休みに向け、期待と賑やかさが増していく。

 けれど、今日も俺達のやることは普段通り変らない。夏休み前だと言うのに、いや夏休み前だからこそ、夏休みに持ち込まないよう生徒会室で仕事をこなしていた。

 

「はぁ~今日で三日目。ずっと書類仕事とか飽きてきた。というか、これ本当に今日までに終るのかよ。あ~白式動かしてスッキリしてぇー!」

 

「頑張って~! 一夏(おりむー)! 大丈夫っ今日で必ず終るよ~!」

 

「……ありがと。愚痴ってても仕方ない。もう一頑張りするか!」

 

「その意気だよ~!」

 

 ダレる一夏を本音が励ますと、一夏はすぐにやる気を取り戻し、再び自分の仕事を始めていく。

 相変わらず、調子の良い奴だ。

 しかし、一夏がダレるのも分からなくはない。それほどまでにこの時期の生徒会長の仕事は多い。

 思えば、先代の更識さんはこの量を平気で、しかも素早くこなしていた。出来る人だからなのだろうが、それでも一夏を見ていると更識さんの凄さを改めて実感する。

 

 だがこれが1回や2回ならまだしも、最早回数を数えるのすらやめてしまったほど聞き慣れた。

 本音や隣で黙々と仕事をやっている簪、俺と生徒会メンバーは勿論。ここのところ手伝いに来てくれている委員会役員でもある谷本さんや四十院さん、夜竹さん達ですら、またかという反応すらしない。

 聞こえてないかのように気にせず皆それぞれの仕事をこなしている。

 今みたいに唯一本音だけ一夏の相手しては毎回ちゃんとやる気にさせ、手を止めた分しっかり仕事進めさせているのだから恐れ入る。

 

「でね、結構本格的みたいで……」

 

「へぇ~何それおもしろそう」

 

「はい。怖そうですけどそれはそれでおもしろそうですね」

 

「絶対楽しいって! あっ、でも、怖くて夜一人で寝られなくなりそう」

 

「ありえるわ~神楽、結構ビビりだもんね」

 

「なっ!? 私はそんな子供じゃありません! まったくもう~!」

 

 何やら谷本さんと夜竹さん、四十院さん達は賑やかだ。

 

「……」

 

 気になるのか、簪の手は止まっており、チラッと顔を向けては聞き耳立てている。

 

「あっ、ごめん。もしかして煩かった?」

 

「ううん……大丈夫。盛り上がってるみたいだけど……どうしたの……?」

 

 興味を持った簪が尋ねた。

 

「いやね、レゾナンスにこの夏限定のお化け屋敷が出来たみたいでさ。おもしろそうだから皆で行こうって話ししてたのよ」

 

「聞いたことある。学園で結構評判の奴だよな。めちゃくちゃ怖いけどその分楽しいとかって」

 

「そうそう。有名なお化け屋敷プロデューサーとかいう人が手がけてるみたいでかなり手が込んでるらしいんだ」

 

「わぁ~おもしろそうだね~」

 

 一夏と本音も聞いていたのか、話に入ってきては興味津々な様子。

 俺もそのお化け屋敷の話は聞いたことある。学園ではちょっとしたブーム。

 しかし、今時珍しい。お化け屋敷というのは基本、遊園地やテーマパークとかにあるものでお化け屋敷単体では見かけないことの方が多い。

 本当レゾナンスは何でもあるし、何でもやる。

 

「利用してるこっちとしてはありがたい限りだけどね。そうだ! どうせなら織斑君達も一緒にいかない?」

 

「いいの~?」

 

「もちろん。明日行くんだけど大丈夫かな?」

 

「今日中にこれ終るし、明日は何も予定ないから行けるな。あっ! だったらさ、今回手伝ってくれたのお礼したいから、お化け屋敷の後何かスイーツでも奢るよ。ほら、レゾナンスの1階にケーキバイキングの店があったはず」

 

「ありますね。いいですね」

 

「やったー! 織斑君の驕りでケーキだー!」

 

一夏(おりむー)太っ腹~!」

 

 わいわいを賑やかな皆。

 お化け屋敷の後はケーキバイキングと次々と予定が立てられていく。

 ここのところはクーラーが効いて他の部屋よりも快適とは言え、ずっとこの生徒会室で仕事をしていたから、お礼と息抜きには丁度いい。

 

 ということは明日の生徒会は確実に休みか。

 ここのところずっとこうだったから、漸くゆっくりできる。

 

「いや、お前も行くからな。というか、奢るのは俺とお前とでだ」

 

「折角なんだから一緒に行こうよ。楽しいよ」

 

「ケーキバイキングが嫌とか?」

 

 ケーキバイキングは別に嫌ではない。

 ただお化け屋敷が得意じゃない。行くのが久しぶりなのと、どうもにも意識してないところから突然驚かされるのが苦手だ。心臓止まりそうになる。

 

「あ~それ分かる。お化けとか別に怖くなくてもヒヤッとするよね」

 

「まあ、だからこそこの暑い夏にこういう化け屋敷ってヒピッタリなんだよ」

 

「ある意味ひんやり涼しくはなりますからね。でも苦手なら……」

 

 気を使わせてしまった。苦手なのは分かりないが折角誘ってくれたんだ。

 ここで行かないのも悪いだろう。興味がないわけではないし、実際行ってみないと本当にそうなのかは分からない。

 俺も皆と行くことに決めた。

 

「え……」

 

 悲しげな声でぽつりとそう一言言ったのは簪だった。

 本気で行く気なの、とじっとこちらを見つめる目が訴えかけている。

 察するに簪は、行きたくない様子だ。

 

「そうなの? 更識さんも行こうよ」

 

「そ、そういうわけじゃない、けど……」

 

「もしかして、お化け屋敷苦手?」

 

「あ~! そういえばかんちゃん、小さい頃からお化けとか苦手だったような~?」

 

「!!」

 

 簪は両肩を震わせビクッとなる。

 そう言えば、最初一夏達が誘われた時、反応してたな。

 皆は簪の反応を見て静かに察してくれた様子だったが。

 

「あっ……」

 

 わざと言っているだろうってぐらい定番の察したような声を漏らし、一夏は少し驚いていた。

 それが無性に恥ずかしかったらしく簪は、顔を赤くしながら抗議した。

 

「ち、違うから……! 本音変なこと言わないで!  こ、怖かったのは昔の話! 今は怖くない!」

 

 凄い必死だ。かわいそうなぐらい。

 だからこそ、聞いているこっちとしてはますますそうなんだろうと思うし。

 苦手ではなく怖くないと言ってしまっているあたり、よっぽどダメなんだろう。

 無理させるのは勿論させないが、かと言って一人置いていくのも今更一緒に行かないというのも。

 

「だ、大丈夫……私も、行く」

 

 本当にいいのか。声が震えているが……そんな無理しなくても。

 

「してない。私がお化け大丈夫って皆の前でしっかり証明しなくちゃならない。このままは嫌。それに所詮お化け屋敷なんて作り物だから」

 

「おっ、言うね~。じゃあ、更識さんも行くの決定だね」

 

 結局、簪は周りに上手く乗せられた。

 無理させているだろうが、こう言った以上引き下がることも出来なさそうだ。

 もう行くしかないが、大丈夫だろうか。心配になってきた。

 

「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だよ~。万が一、かんちゃんが泣いたら彼氏である君が慰めればいいだけだしね~」

 

「だね。彼氏なんだからそういうところちゃんとしないと」

 

「泣いてしまった更識さんを優しく抱き慰める。その優しさにときめき更に惚れ直した更識さんはそっと唇に……」

 

「きゃ~!」

 

「泣かないっ! もうっそういうのやめてってば!」

 

 最近では簪の弄られ役が定着してしまい賑やかさが増す生徒会室。

 笑い話になっているが、はたしてどうなることやら。幸先不安だ。

 

 

 

 

「やっぱ、人気だね。凄い人だ」

 

「でも、それだけ評判は確かってことですよね」

 

「ね~楽しみ~」

 

 行列に並びながらも、並ぶことすら楽しんで笑顔を浮かべている皆。

 約束通り、レゾナンスのお化け屋敷に来てからはずっとこんな様子だ。

 周りで同じ様に並ぶ人やお化け屋敷から出てきた人達が口々に言う楽しかったや怖かった感想を聞いて期待が高まる。

 それは俺もまた同じ。久しぶりだからか、苦手意識よりもワクワク感のほうが今勝っている。

 しかし……隣を見てみる。

 

「……」

 

 ぎゅっと口を噤み静かに黙ったまま簪は不安げに顔をこわばらせている。

 皆とは対照的でまだ中に入ってないにも関わらずずっとこんな様子だ。

 若干顔は青ざめているし……やっぱりやめたほうが。

 

「乗せた私らが言えた口じゃないけど、無理しなくていいんだよ? 今ならまだ」

 

「ううん……ありがとう。気使ってくれて。でも、大丈夫……私は負けない」

 

「そ、そう?」

 

「分かりました。ですが、あまり無理なさらないでくださいね」

 

「もちろん、分かってる。四十院さんもありがとう」

 

 簪のあまりの様子を見て心配になったのか、皆は気にかけてくれたが。

 怖いのを我慢しながらももしっかりと揺るぎなく力強い目を向けられると、皆はそれ以上何も言わなかった。

 何かまた変なスイッチが入っている簪だが、本人がそう言うなら俺からも強くも言えない。

 けれど、中では手ぐらいは繋いでおきたい。

 

「いいよ……あなたも気にしなくても。本当……大丈夫だから」

 

 気丈に振るまって簪は遠慮してきたが、別にそういうのではない。

 ただ単に俺が簪と手をつなぎたいだけのこと。

 今はワクワク感のほうが勝っているが、苦手なものは苦手。いざ入ってみるとどうなるか分からない。

 そんな時、簪と手を繋いでいたらきっと心強い。だから、手を繋ぎたい。

 

「何か上手く言われた気分……ん、分かった。手……繋ごう。あっ……でも、中でね」

 

 それはもちろん。

 

「ふふっ」

 

 恐怖なく嬉しそうに小さく笑う簪。

 少しぐらい気持ちが和らいだみたいで俺としても嬉しい。

 

「ほら、イチャイチャしてないで早く行くぞ」

 

「そうそう。更識さん達がイチャつくと織斑君達よりもたち悪いからそういうのは帰ってからにしてよね」

 

「してないっ」

 

 なんて風にからかわれながらも自分達の順番が来て、俺達は中へと入った。

 人数はここに来た時と変らず7人同時。一夏と本音、谷本さん、四十院さん、夜竹さん。そして簪と俺といったメンツ。

 お化け屋敷として使っている場所そのものが広く、お化け屋敷の中は大きくこんな大人数で入っても大丈夫なようだ。

 正直、こんな大人数で入ったら風情崩れるんじゃ中とも思ったが。

 

「ひぃっ!?」

 

「うぁわわっ!?」

 

「ひゃあああっ!?」

 

「きゃあああっ!?」

 

 悲鳴を上げながらも身を寄せ合い恐る恐る進んで楽しんでいる。

 言われていただけあって結構雰囲気あって怖い。

 やたら作りこまれているし、恐怖心を煽ってくる物音や音楽は勿論。中の何とも言えない微妙な空気の温度が余計怖い。やったことないが、まるで夜中の廃墟にハンディーカメラ片手に入っているかのような気分だ。それぐらいの怖さ。

 脅かし方はよく知る定番的なものだが気合が入っていて、ここにくるまで何度ビクっとさせられたことか。やっぱり、意識してないところから突然驚かされるのはヒヤヒヤする。

 これは全員で入って正解だったかもな。2人とか3人とかだと怖くて仕方なかっただろうことが用に想像ついてしまう。

 

「の割りには結構平気そうだな、お前。もっと怯えるかと思ったのに。小鹿みたいにさ」

 

 馬鹿言え。そんな姿一夏、お前の前で見せたらこれネタにしてずっとからかってくるつもりだろ。

 一夏の浅い考えは見え見えだ。

 というか、一夏も怖いなら正直になるべきだ。さっきから我慢しているのは暗がりでもよく見える。

 

「はっ、馬鹿言うなって。お化け屋敷は昔祭りの時によく行ってたから慣れて――のぉわぁぁっ!?」

 

 一夏が隣で変な越えだして驚くからこっちまでその声に驚いた。

 お化けに驚かされるるよりも隣で驚かれる方が余計怖い。

 

「ね、ねぇ。さ、更識さんは大丈夫?」

 

 心配して谷本さんが声をかけてくれた。

 

「大丈夫……平気」

 

 いつもと変らない声色の簪。

 その様子に心配してくれている皆は意外そうだ。

 

「ありゃ~本当にかんちゃん平気そう」

 

 そう言う本音も普段と変らず平然としているが、正直なところ簪は全然平気ではない。

 皆みたいに声をあげて驚いたりもしなければ、声も震えてないし、怯えた顔もしてない。だから一見平気そうに見えるが、これはある意味無我の境地に達しているようなもの。

 中へと入った時点で簪の怖さは限界以上に振り切って、一周回って冷静になっている。

 だが怖いものは、やっぱり怖いらしく。

 

「更識さん、めちゃくちゃ抱きついてますけど……その、腕大丈夫ですか?」

 

 簪に聞こえないよう四十院さんが心配してくれたが、大丈夫だと言ってのける。

 

 中へ入ったはじめはのうちは普通に手を繋いでいたが、いつしか簪は俺の腕に抱きついていた。

 普通に抱きついてくれるだけならまだいいが、最早しがみ付くよう。そして、結構力強い。

 それだけ奥底では恐怖を堪えているのだろうことがよく伝わってくるが、力強すぎて、正直腕が痛い。

 おかげでというべきなのか、痛みに意識をとられてあまり怖さを感じなくて済んでいる。

 

 しかし、腕を楽にしようと動かそうものなら。

 

「ちょっと」

 

 低い声で言われ結構本気で咎められる。

 これは無理だ。腕を動かすことすら出来ない。

 体勢的に腕に胸が当たっているが、痺れてそれどころではない。

 だけどまあ、簪は悲鳴を上げながらも楽しんでいる皆を邪魔しないよう我慢しているんだ。出るまではもうこのままでいいか。

 

「きゃあああ!」

 

「うわああああっ!」

 

「ううぅっ~!」

 

「もぉ~! 本当怖すぎなんだけど!」

 

 先に進んでくれている谷本さん達は一夏と本音は、演技とか抜きでびっくりして怖がっている。

 怖がりすぎて、逆にお化け役のエキストラの人を驚かせているほど。

 おそらくそろそろ出口だからなんだろう。演出は勿論、脅かし方にも今まで以上に気合が入って、これでもかというぐらい恐怖のどん底へと陥れてくる。

 

 ここまでされると簪の前だというのに情けないことに俺もビクビクと驚きっぱなし。

 俺でこうなのだから、隣の簪はというと。

 

「……ッ!」

 

 声をあげることが叶わないほど驚いて怖がっていた。

 暗がりだから確かではないだろうが、顔が青ざめているのが何となく分かる。

 さっきまでの平然とした様子はもうない。おそらくこの恐怖のラストスパートで冷静だったのが一周して恐怖心が蘇ってしまったんだろう。

 相変わらず結構な力強さでしがみ付くように抱きついてくるものだから、前に進みにくい。

 

「だ、だって……!」

 

 泣きそうな声で言わなくても、簪の言わんことは分かる。

 これは怖すぎる。というか、たちの悪さすら感じるほど。

 

「……!」

 

 そうそうと無言かつ高速でぶんぶんと簪は頷く。

 出口は近い。後少し頑張ろう。

 

「う、うんっ……私、絶対に最後まで頑張るっ」

 

 そう決意を新たにする簪は声は強い。

 

「今更後戻りできないし……何より、途中で投げ出すようなことはしたくない。私はもう逃げない。この困難に必ず打ち勝ってみせるっ」

 

 困難って……高々お化け屋敷に大げさだと思わなくはないが、簪らしいと言えば簪らしい。

 簪にしてみたら、それほどのことなんだろう。

 頑張る簪を見るのは好きだが、やっぱり無理はしてほしくない。

 散々驚きまくって説得力に欠けるだろうが、簪は自分がついている。だから、無理せず安心してほしい。そう思う。

 

「あ、ありがとう……とっても心強い」

 

 暗がりでも簪がほっと安心した顔になってくるのが分かった。

 

 そうしてお化け屋敷の中を進み続けるとようやく。

 

「はぁー! やっと終った!」

 

「もー無理! 死ぬほど怖いよ! これ1回で充分!」

 

「だね~めちゃくちゃ怖かった~」

 

「のほほんさん、凄い全然平気そうじゃないですか」

 

 お化け屋敷から皆で出た一様に一息つく。

 短かいようで長かった。だからこそ、出た時の達成感みたいなものは一入。

 あれを体験しても楽しそうにしている本音は流石としか言いようがないが、皆出たばかりでまだ怖そうにしている。

 特に目立つのが。

 

一夏(おりむー)、外だよ。ほら、もう大丈夫!」

 

「うぅ……まだこえぇよ」

 

 途中までのあの様子はもうない。

 へっぴりで本音に手を握ってもらっている一夏は何とも情けなかった。

 何というか母親に慰められている小さな子供みたいだ。

 

「お、織斑君でもそうなるんだね……」

 

「し、仕方ないだろ。あれは本当に怖すぎるだろ」

 

「いや、それは分かるんだけどさ……」

 

 普段一夏のかっこいい姿ばかり見て、こんな情けない姿を見るのは多分初めてだろう谷本さんや夜竹さんは何ともいえない微妙な顔している。

 本音と四十院さんが苦笑いにとどめてくれているのが一夏にとってまだ救いだろう。

 怖いものしらず。見てるこっちの方がヒヤッと怖くなるようなことを言ったりする奴なのに一夏でも怖いものあったんだな。

 

 ふと腕に抱き疲れていた力が弱まっていることに気がついた。出てからずっと簪は静かだ。

 どうしたんだろう……そう思いながら隣を見れば。

 

「……った」

 

 簪が何かを言ったのは分かった。

 しかし、肝心のなんと言ったのかが声が小さくてよく聞こえず、聞き返すと。

 

「やったよ! 私、最後まで諦めずに乗りきれた。泣かなかったでしょ……!」

 

 顔一杯に笑顔の花を咲かせ、凄い喜んでいる。 

 簪、昨日言われてたことずっと気にしていたんだ。

 ああだから、あんなに頑張ろうとしていたのか。健気というか何と言うか。

 目尻に見える涙の跡らしきものはきっと喜びのあまりものなんだろう。

 

「ね!」

 

 いつになく嬉しそうに目で見つめられる。

 まるでその目は、褒めろといわんばかり。

 そういうことなんだろう。

 

「ほら、褒める褒める」

 

「ハ~グっ、ハ~グっ」

 

「いっそキスしろ~」

 

 と口でははっきりと言ってないが、皆から向けられる視線の数々はそう言っていると変らない。

 こんな人前ではちょっと躊躇うものがある。

 だがしかし、ここで褒めないというのも簪の頑張りを認めてないみたいで悪い。そもそもそれは俺が嫌だ。大げさかもしれないが、簪のこの頑張りを褒めてあげたい。

 俺は、簪の頑張りを労い褒めるように頭を優しく撫でた。

 

「えへへ」

 

 嬉しそうに笑って簪は頬を綻ばす。

 苦手なことでも諦めず乗り越えようとする簪の姿はいつでも輝いていて綺麗。

 そんな姿、嬉しそうに簪を見ているだけで、俺もまた嬉しかった。

 

「おーい、お熱いのはいいけどそういうのは帰ってからしてくれよな」

 

「そうだぞ~」

 

「更識さん達、人前なのにだ、大胆っ」

 

「う、うんっ。見ちゃったこっちが恥ずかしくなるよ」

 

「はい。でも、更識さんとても幸せそうで羨ましいです」

 

 言葉でからかってくるのは皆だけだが、ここはレゾナンス。見知らぬ大勢の前。

 熱いねといった視線や暖かい視線が向けられ、簪と俺は恥ずかしさで顔を赤くしたのはお約束。

 

 ちなみに後日知った話なのだがあのお化け屋敷。

 元々よかった評判が更によくなったらしく、その理由が何でもとあるジンクスのようなものが生まれたかららしい。

 「あのお化け屋敷へ一緒に行き、リタイアすることなく出れたカップルの愛は永遠のものとなる」というそんなジンクスが。

 




DF【無価値】様からのリクエスト「彼と簪と一夏と本音とその他もろもろで肝試しに行く」をおこたえしました。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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かんざしのにらむ!こうかはばつぐんだ!

心機一転、初心に返って簪とあなたが付き合った頃の話を。大体一話後あたり


 夜の自由時間。

 それはこのIS学園に入学し、寮生活に慣れて習慣づいたもので最近では大切な時間となっている。それは最近付き合い始めた女の子、更識簪。大切で愛しの彼女と過す恋人の時間。

 ……恋人の時間と表現するのは我ながら恥ずかしい気もするが、この表現が今のひと時を表すのに一番しっくりくるのだから仕方ない。

 夕食や風呂を済ませ、寮部屋からの外出禁止時間まで俺の部屋で簪と二人一緒に過ごす。

 これといって特筆すべき会話があるわけでもなければ、2人で何か一緒にするという訳でもない。いつもそんな感じ。してい言えば、今は適当なテレビ番組片手間にまったりしている。

 交際を始めて早1ヶ月、二ヶ月経つが順調そのもの。幸せそのもの……そう思う。それは俺だけなんだろうか? 最近、そんな一抹の不安を感じることが多くなった。

 それもこれも今の簪の様子が理由の一つなんだろうか。

 

「……」

 

 見られてる。凄い見られている。いや、最早これは睨まれていると言ってもおかしくない。

 隣に座ってテレビを見ていたはずの簪はいつしか、両膝を抱えながら座り、脚に顔を少し埋めるようにして、鋭い視線をこちらへ向けていた。

 始め気のせいかとも思ったが。

 

「……」

 

 やはり、簪はまだこちらを睨んでいる。

 何を言うわけでもなく、ただじっと睨まれているのは簪には悪いが正直不気味だ。

 しかも、これが今日初めてのことならよかったものの、度々こうなのだから余計不安を感じる。

 簪がこんな風になったのはおそらく、あの日からだろう。あの日……つい最近あった連休を利用して行った初めてになる簪と二人っきりの旅行から帰った日のこと。

 この日から簪に睨まれることが多くなってきた。

 

 旅行は簪が企画して予約まで取ってくれ、とても楽しく、幸せな旅行だった。

 何せ、そこで俺は簪のはじめて(・・・・)を貰い、俺達はあの日身も心も深く一つになったのだから。

 思い出深く充実した旅行だったが、あの時俺は気づかないうちに何かとんでもないことを簪にしてしまったのだろうか。

 ……いや、それはない。簪もとても楽しそうに、幸せそうにしてくれていた。それだけは確信を持てる。

 だとしたらやはり、旅行から帰ってきて今日までに何かあったか……脳裏を巡らせここ最近のことを振り返ってみたが、思い当たるようなことはない。

 もうしばらく考えてみたものの、結果は同じ。分からない。一人悩んでもしんどくなって来るだけだから、簪に何かあったのかと聞けばいいだけの話なのは分かっている。

 しかし、とうの昔にそれはもうやっている。

 

「……えっ……!? ……ッ、何でも、ない……」

 

 返ってくる言葉は大体いつもこんな感じ。

 何でもなくはないだろう。簪はビクッと驚いては、何かあったと言わんばかりに睨んでいた視線を気まずそうに逸らす。

 俺の聞き方もよくなった。何かあったのか、では当たり障りなさ過ぎる。はっきりと聞くべきだな。

 睨んでいた訳について簪に聞いてみた。

 

「睨んで!? 睨んでない。えっと……そう見えた……?」

 

 頷いて応えると、簪はハッとした顔をして申し訳なさそうにしていた。

 

「ご、ごめんなさい……睨んではない」

 

 睨んで()ない。

 となると、こちらを見ていたのは間違いないようだ。

 簪のことだからおそらく何か考え事してるうちにそうなってしまったんだろう。

 こんな含みのある言い方をするということは何かあることには変わりない。

 このままでは気になるし、言いにくいこともあるだろうがこの際だ。遠慮なく言ってほしい。直してほしい悪いところとかあれば頑張って直す。

 

「い、いや……そういうのじゃなくて……その…あの……」

 

 簪は言いにくそうに口ごもる。

 

「……~ッ、分かったっ。言うけど、その前に一つ言っておくことがある」

 

 なんだろう。

 簪は真面目な面持ちで両膝抱えて座っていたのから、身なりを正しこちらに正座して向き直る。

 

「変なこと言うの間違いないから……今から言うことは他言無用。むしろ、変だって感じたらすぐ忘れてほしい……」

 

 凄い予防線を張ってくる簪。

 懐かしいな、それ。付き合う前、学年別トーナメントでそんなことを簪に言われたのを思い出す。

 確かにあの時は変な……というよりも突拍子もないことを言われたが、あの時と似たようなことだろうか。

 けれど簪の真剣な様子に釣られて、こちらも身なりを正し正座して向き合う。

 

「……キ、キ、キ」

 

 口ごもらせながら壊れた機械みたいに簪は同じ言葉を繰り返す。

 正座して両膝の上についた両手をぎゅっと力強く握り、顔を真っ赤にしながらも言おうと頑張っているのは見て分かる。

 けれど、肝心のなんて言おうとしているのかが分からず、首をかしげることしか出来ない。

 

「……キっ、――もうっ! ここまで言ったら分かるでしょ……!」

 

 体を前のめりにさせながら急に怒ってきた今日の簪は理不尽だ。

 まだ何もちゃんと言ってないのにそれで分かったら、凄すぎる。

 

「鈍感……織斑みたい」

 

 それは罵倒の言葉なんだろうか。だとしたら、これ以上ないぐらい酷い言われようだ。

 また、簪の俺を見みる目が怖くなってる。

 これ以上聞くのは酷だろう。簪は一杯一杯だ。き、き……昨日のこと? または嫌い、とか?

 

「なっ!? な訳ないでしょ! 私はあなたとキスしたいのっ!」

 

 何故か怒られてしまった。

 キとはキスのことだったんだ。

 ああ、なるほど。見ていたのは様子を伺っていたからと。

 

「う、うんっ」

 

 コクコクと首を立てに何度を振って簪は頷く。

 そういうことだったのか。最近の不安にいろいろと納得がいき一安心することが出来た。

 しかし、キス……そこまで構えるほどのことだろうか。急にされたら流石にビックリするだろうがキスぐらい気軽にしたらいいのに。

 

「気軽に出来ないからどうしようかこうやって迷ってたのっ。……後、恥ずかしい……」

 

 俯いて簪は両肩を縮こませる。

 今どんな顔しているのかははっきりと確認することは出来ないが、顔真っ赤にして恥ずかしそうにしているだろうことは容易に分かる。

 今更恥ずかしがるようなことでもない気がしなくない。俺達は一線を越えているのだから。

 

「……~ッ!」

 

 悪かった。俺はそうすぐさま謝った。

 だから、言うなと言わんばかりに睨みながら二の腕グーでポカポカ叩くのはやめてほしい。結構痛い。

 

 簪がキスをしてほしいというのは分かった。

 だったら、キスするか。

 

「えぇっ!? ほ、本当にするの……!?」

 

 したいと言ったのは簪だろうに何で驚く。

 嫌ならしない。

 

「い、嫌じゃないっ。――っ、よ、よろしくお願いしますっ」

 

 正座したまま身構えられる。

 そんな風にされるとしにくいがこの際仕方ない。

 顔を真っ赤にしながら目を瞑って待つ簪へ少し前屈みになりながら頬に右手を置き、腰に左手をやる。

 そして、そっと口づけた。

 

「……ん」

 

 唇と唇が触れ合うだけの何の変哲もない普通のキス。

 初めてという訳でもないのに、今無性に恥ずかしくて割りとすぐ唇を離す。

 すると、目の前には簪の顔があって目があった。

 

「あはは……」

 

 二人同時にぎこちない笑い方と顔しては、二人して顔を赤くしながら目を伏せ照れ合う。

 何だこれ。俺達は付き合ったばかりのカップルかよ。まったく恥ずかしい。

 おかげでドキドキ、ソワソワして落ち着かない。無性にむず痒い気分だ。

 けれど。

 

「ふふっ」

 

 簪が幸せそうに嬉しそうに笑ってくれている。

 なら、この恥ずかしさやむず痒さもそう悪いものじゃない。

 これで簪も満足してくれただろう。

 

「え……1回だけなの……」

 

 凄い悲しい声と顔された。

 1回だけではなかったのか。まあ、確かに1回だけとも言ってないが。

 だがしかし、そう何度も俺からするのは恥ずかしくてもう無理だ。

 

「じゃ、じゃあ、今度はわ、私からするっ」

 

 今だ頬を赤らめたままの真剣な顔で言って簪は俺の両腕を掴む。

 そして、ゆっくりと目を閉じた簪の顔が近づいてくる。

 それを俺は体を強張らせながら、目を閉じただじっと待つ。

 

「ん……」

 

 優しい口づけ。

 満足だと思う反面、二回目だからだろうか。物足りなさ、もっと簪とキスしていたいという思いが奥底で強くなるのが分かる。

 ところが思ったよりも早く唇は離れさた。

 

「~ッ!」

 

 声にならない声をあげて、簪はまた縮こまる。

 どうやら簪も恥ずかしくて、すぐ離してしまったようだ。

 顔は見れないが、見える耳が凄い真っ赤。された俺よりも恥ずかしがってないか、それ。

 

「恥ずかしいものは恥ずかしい……」

 

 でもよかったんだろ。

 

「うん……凄くよかった」

 

 顔を上げた簪は頷いて噛みしめるように手で口元を隠す。そして、指先でそっと唇をなぞる。

 瞬間胸が高鳴った。

 なんて色っぽい仕草がをするんだ簪は。無意識にやっているのだから、ある意味恐ろしい。

 

 絵の様に綺麗で見惚れていると、また目があった。

 

「あはは……」 

 

 また二人揃ってぎこちない笑い方と顔しては、もう一度バカみたいに二人して照れ合う。

 こっぱずがしいことこの上ない。

 それもこれもキスしなれていないせいだろうか。滅多にしないというわけではないが、頻度は少ない。盛り上がった時とか1度の回数は多いけど。

 

「うん、そう。普段あまりしないでしょ……だから、したくなって……」

 

 キスがしたくなった理由はそういう理由だったのか。更に納得した。

 簪にそう言われると特に理由があるわけではないが、キスしなさすぎだった気がしてきた。少し悪いことしたな。

 頻度や回数が多ければいいって話でもないし。いくら気持ちが通じ合っているとしても、ちゃんと行動が伴ってないのなら想い半減。

 キスはお互いの愛情を確かめ合うための大切な行為。これからはもっと大切にしていこう。

 

「だね……だから……」

 

 目を閉じて何かを待つ仕草をする簪。

 いや、何かなんて確かめるまでもなくこれはキスをしろという無言のサイン。

 これからはもっと大切にしていこうとは言ったが、それはこれからのことであって今すぐというわけでは……。

 

「んっー……」

 

 いいから早くと言わんばかりに一つ小さな唸り声で催促される。

 ここまでされて待たせるのは流石に悪い。覚悟を決めろ。

 俺はまた簪に口づけた。

 

「……ん」

 

 最初の頃よりかは長く口付けていたと思う。

 けれど離れてみると思ったよりもあっという間だった。

 

「もう、まだ照れてる……キスぐらい気軽にしたらいいって言ってたのは何処の誰……?」

 

 それは俺だけど……照れるものは照れる。

 というか、照れが変なところ入ってる。

 これではもう、最初の頃とは攻守が逆転。たじたじだ。

 

「仕方ない人……じゃあ、いっぱいして慣れましょう」

 

 体重をかけられ、ふわっと俺は簪に押し倒される。

 そして、上になった簪からたくさんキスされる。

 

「ん……ちゅ、ん、は……んぅ……ちゅっ」

 

 簪の奴、本当にキス好きなんだな。

 

「うん……好き。胸の奥がじわり温かくなって、凄い幸せな気持ちになる。だから、あなたとキスするの大好き」

 

 照れた様子なく向けられる真っ直ぐな言葉。破壊力ありすぎだ。効果は抜群といったところ。

 そこまではっきり言われると照れとか恥ずかしさとか通り越してだだ嬉しい。

 本当に想われている。彼氏冥利に尽きる。

 

 まあ、それとは別に簪がキス魔なだけってのもあるだろうな。

 セックスした時もしきりにキスを求められたのは記憶に新しい。

 

「ん?」

 

 不思議そうにする簪に適当言って誤魔化す。

 簪がキス魔というのはとりあえず飲み込んでおいた。

 

「そう……。ねぇ……今私からいっぱいしたから、今度はあなたからいっぱいして……?」

 

 そう言うのは分かっていたからお望み通り今度は俺から、その唇を塞いだ。

 

「んふふ……もう、照れたりはしないんだ」

 

 一度にこんな沢山されれば、流石に照れもなくなる。

 今はどんと来いといった感じだ。

 

「慣れる為のものだったけど……こうあっさり慣れられると何だかもったいない。照れるあなた珍しくて可愛いから好きなのに」

 

 可愛いって何だ。

 からかい半分で言う簪は楽しげだ。残るもう半分が本心でそう思っているのが見てて分かるから、何だか悔しい。

 そういうことを言われて喜ぶ男なんて少ない。そういうことを言うのなら、こちらにも考えがある。

 

「? んんっ……!」

 

 簪を黙らせるように抱き寄せ、俺はその唇を唇で塞いだ。

 突然のことに当然驚く簪だったが、もう一押しと簪に深く口づけすれば、簪にある変化が表れた。

 驚きで強張っていた体から次第に力が抜けふわふわとした唇のように柔らかくなっていく。

 変化はそれだけではない。簪も精いっばい情熱的なキスで応えくれた。

 というか最早、情熱的なキスではなく、官能的なキス。お互い舌を差し入れあい、舌で激しい抱擁を交わす。

 2人の吐息や舌、唇が一つに溶け合う。

 息継ぎの為、一度唇からゆっくりと唇を離す。

 冗談が過ぎたかと思ったが、どうやら効果抜群らしい。

 俺の上でうつ伏せになっている簪のこちらを見つめる瞳の奥が情熱の炎で燃え盛る。 

 

「こんな熱いのされると……止まらなくなる」

 

 こちらとて確かに盛り上がったものはある。だが、残念。

 まだ約10分ほど前ではあるが、そろそろ寮部屋からの外出禁止時刻。

 今日はもうお別れしなければならない。時間は時間だ。

 

 それを分からない簪ではないようだが、今日は不服らしい。

 

「うぅ~……じゃ、じゃあ、5分間だけ」

 

 ぽつりと簪が提案してきた。

 

「5分間だけ最後にキスしてたい。もう残り5分もあれば部屋には余裕で戻れるし、規則も守れる。時間遵守。だから……」

 

 やけに必死なのが少しおもしろい。

 そこまで必死にならなくても大丈夫。

 そうだな。一応保険の為5分後にアラームはセットしておくが、あと少しだけは俺もそうしていたい。

 

「やったっ……んっ」

 

 嬉しそうに微笑むと俺の頬に手を添え、簪から顔を近づけ口づけた。

 あらかじめ示し合わせていたかのようにすぐさま舌が絡み合い、甘美な味が口いっぱい広がる。

 深いキスではあるがただ激しく求め合うのではなく、短い時間を堪能するゆったりとして濃厚なもの。

 心地いい。その一言に尽きる。

 

「ん……やっぱり、あなたとの好きいい……もっとハマりそう」

 

 ハマりそう、か……。

 約束の5分間、最後までたっぷりと愛し合いながら、ぼんやりと感じたことがあった。

 深みにハマるっていうのはこんな感じなんだな、と。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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今年の夏は簪とこんな場所で月を

 ……ここが簪の言っていた……。

 今目の前にある古くから続く伝統の歴史を感じせられる大きく厳かな日本旅館を驚きながら、俺は見上げる。

 予め簪にこの旅館のホームページを見せられ、どんな感じなのかは知っていたが、こうして実際に実物を見ると、まさに老舗旅館といった感じで圧倒される。

 建物の時点から凄すぎて、凄いの一言に尽きてしまう。

 

「ふふっ、喜んでる」

 

 俺の様子をくすくす嬉しそうに隣の簪が笑う。

 やはりこういうところに来た経験があるようで簪はなれた様子だ。

 凄いのは建物だけではなく。

 

「お待ちしておりました。ようこそおいでくださいました」

 

「おかえりなさいませ」

 

 外で俺達を待ち構えていた女将だろう年配の女性を筆頭にした和服に身を包んだ従業員一同が出迎えてくれた。

 何だか感激だ。ドラマや映画とかでよく見る光景そのまま。笑顔で出迎えられるのは気分いい。

 そのまま従業員の一人に伴われて中でチェックインをすることに。

 中も当然の如く凄い。和風らしく落ち着いた感じではあるが、何処か煌びやか。柄にもなく置物や絵などに目を奪われる。

 

「予約している……――ですけれども」

 

 今なんと。辺りをグルグル見ていた俺はバッと簪を見る。

 フロントでチェックインしてくれている簪から聞き慣れた名前が聞こえてきた。

 聞き間違えだろうか。簪の苗字である更識ではなく俺の苗字を簪は名乗っている。

 

「はい、確認しました。――ご夫妻、2名様ですね」

 

 フロントの人が言った名前も俺の苗字。

 聞き間違えではなかった。思ってもみなかったことに驚く。

 というか、ご夫妻って。

 

「はい」

 

 驚く俺とは打って変わり、簪はさも当然の如く頷く。

 予約間違いの線も一瞬考えたがそうではないらしい。ここを探して予約してくれたのは簪だから、素で間違える訳ないだろうし、わざと俺の苗字にしたんだろう。

 ただ少し驚きすぎてフロントの人に不思議そうに見られてしまった。

 どういうつもりで簪は俺の名前で予約したんだ。疑問に思いつつもチェックインが済み、予約していた部屋へと案内された。

 

「ん……思った通り、いい部屋」

 

 簪の満足げな表情。そのようだ。

 予約した部屋は和室8畳の客室。特段広いというほどではないがそれでも充分な広さで、何より綺麗で静かな雰囲気のいい部屋。

  これならよくある高級旅館で終わりだが、この旅館にはとある名物がある。

 

「あっ、そうだ……部屋風呂見にいこ」

 

 簪と一緒に部屋の外にあるテラスへと出てみる。

 するとすぐ横には名物の一つであるこの部屋専用の露天風呂があり、そしてもう一つ。

 

「わぁっ……凄いねっ」

 

 簪が思わず声をあげるぐらいの大海原、素晴らしい見晴らしがテラスから広がって見えた。

 この景色の綺麗さなら簪が声をあげるのも納得だ。それほどの良さ。

 口コミは本当だった。この景色を独占しながら、誰にも気兼ねすることなく露天風呂に入ってゆっくりできるのは中々の贅沢。

 まだ来たばかりで風呂にも入ってないが、こうしてテラスから海を一望しているだけでも何だか楽しい。

 

「ね……何だかそれだけで夏休みに来た甲斐感じる」

 

 そう。簪と俺は夏休みを利用して今この旅館に来ている。

 目的は言わずもがな。この旅行が終ったらすぐいつもの生活に戻るが、少しでも夏の余暇を楽しむ為。

 更識家の盆行事やその他諸々が終ったこの時期。これまでは毎年、数ある更識家の避暑地を使っていたが、たまには旅館にでもということになり現在に至る。

 そういえば、場所は違うがこうして旅館に来るのは簪と初めて旅行した時以来か。懐かしい。

 

「懐かしい。そう言えば、そうだったね」

 

 部屋や景色の確認が済み、俺達は一旦腰を落ち着ける。

 

「とりあえず、お茶でも飲む? 私入れるね」

 

 言って簪はお茶を入れ始めてくれる。

 聞くなら今か。一息つけたので気になっていたことを聞いてみることにしてみた。

 少しばかりわざっとらしいが一つ咳払いの前置きをして。

 

「? どうかした?」

 

 入れてくれたお茶を出してくれながら、目の前の席に座る簪は首をかしげる。

 聞くのはもちろん、フロントでご夫妻というか予約の名前について。

 

「何か問題でも?」

 

 問題あるほうが問題とでも言わんばかりの様子の簪。

 問題は……ないな。今はまだそうではないけども、いずれ将来はご夫妻と呼ばれてもおかしくない。

 

「ん、問題なかったでしょ。それとも……嫌だった……?」

 

 それはない。きっぱり否定する。

 ただ簪がこういうことをするとは思ってなかったから、驚いたのと気になっただけ。

 何かあったんじゃないのかと。

 

「別に何かあった訳じゃないけど、ここの予約してる時にふと思いついて。あなたの名前で予約するの。もしかしたら、夫婦って呼ばれるかもと思って。後……一度でいいからあなたの苗字で呼ばれてみたかったし……。まあ、その、ほんと何となくだけど……って何笑ってるの……」

 

 簪は眉を顰める。

 何となくと言った割りには可愛い理由だった。

 だから、微笑ましくてつい笑ってしまった

 

「もうっ……納得いったでしょう。これでこの話はおしまい。……こほんっ、で……これからどうする……?」

 

 咳払いで無理やりにでも話題を変えられる。

 まあ納得はいったし、可愛いことも聞けたから充分だ。

 

 で、これからどうするか。

 今は昼飯時が済んだ昼過ぎ。朝昼兼用で飯済ませてから来たから、少しばかり微妙な時間。

 このままじっとこうしているのはもったいない。何かしたいところではあるが……ここは散歩がてら旅館周りの観光でも。

 

「太陽の下出ると嫌な暑さだから嫌。後、観光は明日する予定でしょ」

 

 それは最もその通りなのだが、そこまでばっさりと嫌がらなくても。

 言うと分かってはいたが。

 他となるとなんがあるだろう。もう一度考えをめぐらせ頭を悩ます。

 

「じゃ、じゃあ……一つ、私から提案なんだけど……」

 

 提案とは。

 

「お風呂、入らない……?」

 

 風呂か……何もすることがないのならそれも大いにありだ。

 部屋風呂もそうだが、ここは数多くの風呂があるらしく、それらに入るのも今回の目的の一つでもある。昼から風呂というのも中々優雅。

 いいと思う。どれから入るか迷うところだ。

 

「そうじゃなくて……部屋風呂、一緒に……入りたい。折角だもん」

 

 ということは混浴か……この旅館で混浴をしようと思ったら、家族風呂とかがあるが前もって予約などをしておかなければならい。

 だが、俺達の部屋には部屋風呂がある。これならそんなことをせずとも何も気にすることなく、好きなだけ二人ゆっくりできる。

 簪の言う通り、折角だ。一緒に入らない手はない。

 

「じゃあ、決まりだね。ぱぱっと着替えとか用意して入ろう」

 

  そういうわけで露天風呂である部屋風呂へと入ることになった。

 着替えとかを用意すると、かけ湯を済ませ一足先に湯船に浸かり、後から来る簪を待つ。

 この部屋風呂、露天風呂はヒノキで作られ、優しい樹の香りがして、海から潮の香りと相まって安らぐ。

 

「……湯加減どう……?」

 

 簪がやってきた。

 手に持ったタオルで今は前を隠している。

 湯加減は普段慣れているのよりかは熱いが、丁度いい感じだ。

 

「そう……あ、隣……ありがとう」

 

 かけ湯をして入ってくる簪に中央を陣取っていた俺は横へずれる。

 そしてそのまま簪は空けた横に腰を落ち着け湯船に浸かった。

 

「ん~……気持ちいい」

 

 足と手を伸ばしてリラックスする簪。

 旅館の露天風呂というだけあって結構広い。こうして簪と二人並んで浸かっていてもまだまだ余裕ある。

 こうしてお互い足を自由にしていても邪魔にらないのは楽でいい。

 

「ね……それに今日は外、涼しくてラッキー」

 

 ここ最近、暑い夏の日が続いていたが今日は涼しくて過しやすい。

 おかげでこうして露天風呂に入っていても、外の空気の方が熱くていられなんてことがなく済んでいる。

 それに風呂のあるところは建物で日陰の下にあるのもありがたい。涼しいところで言い景色を眺めながら、こんないいお風呂にゆっくり浸かれるなんて本当に至れり尽くせりだ。

 

「ん……極楽~……」

 

 もたれながら肩まで浸かり、ゆっくりする。

 その間、会話はなかった。今に始まったことではなく、それはそれで悪くない一時だった。

 

「ねぇ……」

 

 ふいに声をかけられた。

 充分温まったからそろそろ出たいんだろうか。そう思ったが、何か別のことを言いたそうにしてるから違う。何が言いたいんだろう。

 

「いや、その……そっち行ってもいい……?」

 

 簪が視線で指したのは俺の膝辺りだった。

 もしかすると、普段みたいな感じにしたいのか。

 

「……うん。嫌ならこのままでいいけど……」

 

 風呂は大きいのだから、普段一緒に入っている時みたくくっつかなくてもと思いはするが。

 風呂の広さは堪能したし、簪がそうしたいなら構わない。

 膝へと簪を招き入れる。

 

「ありがとう」

 

 湯船の中を四つんばいで動くと簪は、両膝の間にやってきて腰を落ち着け、後ろ俺を背もたれにするようにして浸かりなおした。

 これが普段一緒に入っている時の状態。まあウチのユニットバスは縦長な為、必然的にこれになってしまうだなのだが。

 

「でも、私は並んでよりもこっちの方が好き。落ち着く」

 

 そう言った簪は体を俺に預けリラックスしきっている。

 確かに落ち着くな。こっちだったら、密着してるおかげで簪を近くで感じられるし、簪の体に触れていても何も問題ない。

 

「いや、問題あるって……触りすぎ。ん、手付きらやしい……」

 

 こんなに魅力的なものがすぐ目の前にあれば、触りたくもなる。

 ある種の男の嵯峨というもの。大目に見てほしい。

 というか、触って……もとい今みたいに後ろから抱きしめてないと拗ねるだろ。

 

「流石に拗ねはしないけど、それはそれで寂しいから嫌。でもここ、ちゃ、ちゃんとした旅館だよ……え、えっちなことはよく……ない……うん」

 

 簪の声は次第に弱弱しくなる。

 口にしないが、本当簪は雰囲気とかに弱いな。

 ここが旅館でそういうことがよくないってのは言われずとも理解している。

 もう少し見晴らしのいい大海原の景色眺めながら、ゆっくり浸かってたいから何もしないつもりだ。

 

「うん……そう……私も……うん」

 

 さっきから頷いてばかり。

 落ち込んだ様子で簪は肩を落としては、湯船に深く浸かる。

 そんな様子が可愛らしくてくすりと笑ってしまう。

 

「何よ……」

 

 拗ねてしまって可愛いな、まったく。

 そんな可愛いことされたら、もっと触れたくなる。

 拗ねる簪の頬に手を添え、唇を合わせる。触れ合わせ、少し啄み、顔を離す。

 未だ簪は拗ねた感じを装っているが、口角がニヤけて嬉しそうなのを簪は我慢中。ここでそれを指摘すると本気で拗ねられるから言わず、俺はもう一度許しを乞うように唇へと口づけた。

 

「何もしないつもりって言ってたの忘れたの」

 

 忘れた。もう綺麗さっぱり。

 今頭の中を占めているのは簪ともっと触れあいたい。愛し合いたいということぐらい。

 無論簪さえよければだが。

 

「聞くまでもないよ。私も同じだから……もっと強引でいいのに」

 

 強引すぎるのは趣味じゃないが、簪がそうお望みならば強引なのはこれからだ。

 

「もしかして、このままお風呂でする気じゃないよね」

 

 する気満々だ。

 出てからでは手間になるだろうし、何より興ざめだ。

 こんな素敵なところなんだ。風呂でするのも悪くないだろう。

 

「え……あの、ここ、外なんだけど」

 

 知っている。

 強引なのがいいと言ったのは簪だから、強引に外でするつもりだ。

 この普段とは違うところでなら、きっと最高の寛ぎを得られること間違いなし。

 楽しみだな。

 

「へっ!? あっ……ま、待っ――」

 

 

 

 

 素敵で優雅な露天風呂。そして簪を満喫した後、俺達は部屋でゆっくりとしていた。

 

「本当に外でしちゃった……信じられない、まったく。鏡の前とかでもするしっ」

 

 風呂から上がってから簪はずっとこんな感じで怒ったり、拗ねたりしている。

 にも関わらず、俺の膝の上から降りようとしないのだから、おもしろい。

 というか、そんなこと言いながらも簪は結構気持ちよさそうにしていたな。誰かに聞かれるかもと分かっているからか、声とかいろいろと凄かったし。

 

「……」

 

 いい訳しなければ、否定もせず。かと言って肯定もしない簪は、顔を真っ赤にしながら図星をつかれたかのように気まずそうに顔して、視線を彼方へとやる。

 それは肯定しているのと変らないが、今はそっとしていてあげるか。 

 

 そんな風にじゃれあいながら火照った体を冷ましていると時間は過ぎる。

 時間は夕食時。丁度時間になったので夕食をすることに。

 ここの旅館は料理を部屋で食べさせてくれるとのこと。最初のうちは仲居さんがついて、よそったりしてくれるサービスがあるようだ。

 ついてくれた仲居さんは受付と部屋までの案内をしてくれた人と同じ。だからなのか。

 

「今日は新婚旅行ですか?」

 

「えっ!?」

 

 いきなりそんなことを聞いてくるものだから簪と二人して驚いてしまった。

 新婚旅行……二人揃って同じ苗字で予約して、フロントでご夫妻と呼ばれていたから、そう言われてもおかしくはないのか?

 

「あら? 違うんですか? これは失礼を。お似合いのお若いお二人さんですから、夏の休暇利用してお越し下さったと思ったんです。すみません」

 

「い、いえいえっ」

 

 微笑みながら言われ、俺達は恐縮するばかり。

 料理の説明をしてもらいながらも、他愛の話は続く。

 

「つかぬ事をお伺いするんですがお二人は何年目なんですか?」

 

 付き合ってということだろうか。

 だったら、もう一年……いや、二年三年以上になるか。

 

「そんなになるんですか。凄いですね。旦那さんはお若いのに偉いしっかりしてますし、奥さんは凄く可愛らしい……お子さんとかいたりするんですか?」

 

 どうして子供の話しに。そんな歳でもないのにいるように見えるのか。何か話がかみ合ってない。

 もしかして、結婚してると思われていたりしてな。だとしたら、何年目というのは結婚して何年目ということを聞かれていたことになる。

 なら納得だが、俺達はまだ結婚していない。

 

「え!? そうなんですか? すみません! わたしてっきり! 申し訳ございません」

 

 素でビックリしているってことは、例えとかじゃなく本気で夫婦に見えたってことなんだろうか。

 

「ええそれはもう。仲のいいご夫婦ですよ」

 

 そこまではっきり言われると照れる。

 隣にいた簪は先に気づいたようで、恥ずかしそうに両肩を縮こませ、ずっと顔を赤くしている。

 

「あ、ありがとうございます……嬉しいです」

 

「そう言ってもらえると助かります。でもしっかりした旦那さん……じゃなくて、彼氏さんでいいですね」

 

「は……はい……」

 

「ふふっ、お節介ついで一つ。今夜は空が澄んでいるので旅館すぐ近くの砂浜で月見するのオススメですよ。ご夫婦さん、カップルさんに人気です。では、そろそろお暇させてもらいますね。お代わりなど何かありましたら、 そちらの電話でおねがいします。それではごゆっくり」

 

 俺がお礼をいうとニッコリ微笑んで仲居さんは部屋を後にした。

 

「……」

 

 仲居さんがいなくなると、俺達は静まりかえる。

 嫌な静けさということではなく、あんなことがあってあんなこと言われてお互い照れてしまっての静けさ。

 あっという間の出来事だったのに、凄い長かったような……兎に角、驚いた。

 

「うん……びっくり。仲のいい夫婦だって……ふふっ」

 

 ふにゃふゃとだらしない顔して、簪は嬉しそうだ。

 

「うんっ……嬉しい。あなたと一緒の苗字で予約してよかったって心底思う」

 

 けど、夫婦じゃないって知られたから少しマズいんじゃないかと思わなくはない。

 チェックインのこととか、そもそも予約のことか。

 

「あっ……それはまぁ、大丈夫……だと思う。そこまで悪いことしてるわけでもないし、お金はちゃんと払ってる。それにあながち嘘じゃないっていうか……将来的にはそうなるわけだし……? ね……?」

 

 それもそうだ。

 何か問題あれば、言ってくるだろうからその時対応すればいいか。

 今は奥さんとの食事を楽しまないとな。

 

「もうっ……からかわないで。あっ……でも、そうだ」

 

 ぽんと両手を合わせ、簪は何か思いついた顔をする。

 

「そんなこと言うんだったら、奥さんとしてあなたのお世話するね。全部私がやるから」

 

 お世話って……具体的には何をどうするつもり何だ。

 

「マッサージやお給仕は当たり前だけど、ご飯食べさせてあげる」

 

 最初の二つは嬉しいけど、最後のはちょっと……。

 

「いいの。奥さんは旦那様のお世話するものでしょ。あなたはドンっと構えてればいい」

 

 無茶苦茶な。

 奥さんと呼ばれたせいか、簪はすっかりその気になっている。

 よほど嬉しかったんだろな。

 

 

 

 

 あの後結局、簪に食べさせられた夕食。

 大変美味しかった。満足のいくもので、時間としてはいつもの食事の時間としては長いこと食べていた。

 しかし食後の予定が決まっているわけでもなく暇を持て余していた俺達はとあるところへと来ていた。

 

「夜の海って始めてきたけどこんな感じなんだね」

 

 関心した様子であたりを見る簪やってきたのは砂浜。

 旅館から目と鼻の先にあるこの場所は、夜。それも時間も時間だから、俺達以外人の姿はなかった。

 ちょっとした貸切状態。

 

「運いいね、私達」

 

 確かにな。

 外でも今夜は涼しい。むしろ、少しばかり肌寒いぐらいでここ最近の夜の暑さと比べれば大分運がいい。

 おかげで暑さに参ることなく、こうしてゆっくり出来ている。

 

「……」

 

 道路と砂浜を隔てる防波堤の上に上がって、並んで腰を下ろし夜の海を静かに眺める。

 ここまでの道もそうだったように暗がりで確かではないが砂浜は綺麗だ。

 そして何より綺麗なのが海。月の光に照らされた夜の海面には月が淡く映り、同じ様に水面に映った月の光が帯のようになってこちらへと伸びている。

 

「綺麗……昼間の時は全然違う」

 

 昼間見た海は明るく青々として壮大できらびやか。

 けれど今二人で見ている夜の海は深い青色一色で月も相まってとても幻想的。

 考えてみれば当たり前のことだが、海一つでも昼と夜で感じる印象がこんなにも違うものなんだな。

 あの仲居さんから教えてもらったことを思い出し、暇つぶしと食後の腹ごなしついでに来てみたけが、来て正解だった。

 

「だね。今だから言うけど正直夜って暗いだけでしょって侮っていたけどそんなことない。ただひたすらに美しい。来てよかった」

 

 そう簪は嬉しそうに言った。

 

 教えてもらった通り、今夜は夜空が雲ひとつなく晴れ渡り澄んでいる。おかげで丸い月がくっきりと見える。

 綺麗だ。月は勿論のこと、瞳を楽しそうに輝かせながら嬉しそうに夜景を眺める簪は月よりも綺麗。

 月が綺麗だ。こんな風に愛しの人と月を見ている時、昔からよく使われる遠回しな愛の告白。

 そんな言葉をふと言ってみた。

 

「……」

 

 すると簪は俺の顔を見て、案の定というべきなのかきょとんとしていた。

 この言葉とその意味を知らないはずはないだろうから、突然すぎたのかもしれない。

 しまったと思っていれば、簪はくすりと笑って。

 

「ふふっ、ずっと月は綺麗だよ」

 

 艶のある唇から紡がれた囁きには、しっとりと色を帯びていた。

 凄いことをさらっとそんなことを言ってのけられ俺は驚く。

 この言葉はただ言葉通りの意味だけではなく、「自分もずっと前から好き」という意味が込められていると以前どこかで知った覚えがある。

 おそらくそれを簪も知って言ってんだ。でなければ、驚くを俺を見てくすくすと達成感いっぱいの顔で微笑んでいたりはしない。

 上手い返し。これは一本取られた。

 

「えへへ、取っちゃった。でも、急にどうしたの……? 急にこんなロマンチックなことを言うなんて」

 

 何かがあったというわけではなく、何となくそういう気分だっただけ。

 まあ、あの言葉に隠された意味と想いが伝わり、照れでもしてくれるかとは思っていた。その点については簪の方が一枚上手だったけどもだ。

 今夜は月が綺麗。そんな月を簪と見られているのはとてもいいこと。また見たい。

 

「うん……約束。次も一緒に見ようね」

 

 隣り合った手と手を重ねあい、指をそっと絡める。

 それはまるで指きりをするみたい。

 次はどんなところで見ようか。そんな風に次の予定を俺達は夜空の下、月の光照らされながら話し合っていく。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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足元美人な簪

 伸びて不揃いになった手の爪が目に止まった。

 こまめに爪は切ってはいるものの、大分伸びてきている。そろそろ切った方がよさそうだ。

 こういうのは気がついた時にやらないと後で後でなってやらずじまいになる。爪きり取り出さないと……。

 

「どうしたの……? 探したもの……?」

 

 爪切りを探していると隣で読書していた簪に聞かれ、爪切ることを説明する。

 

「あ、本当……伸びてる」

 

 簪の爪を見れば、綺麗に切り揃えられていた。

 ただ綺麗にしているわけじゃなく、きちんと手入れされているのが性格出てる。

 

「ん……」

 

 爪きりを取り出すと、簪が手を差し出してきた。

 貸せといわんばかりだ。

 簪も爪が切りたいのだろうか。手は切ってあるから足の爪とか。

 

「違う。私が切ってあげる」

 

 思わず、濁音がついてしまうぐらいの声で聞き返してしまった。

 すると、ムッとした顔をする簪。

 

「何……不満なの」

 

 不満というより、不安。正直言えば怖い。

 だって簪に爪切ってもらうのは初めてのこと。

 大丈夫か心配だ。

 

「何よそれ……いいから、ほら」

 

 爪きりを取られてしまう。

 まあ時間はあることだし、折角だから切ってもらうか。

 おそるおそる俺は手を簪に差し出す。

 

「そんなことされたら、爪ごと肉切っちゃうかも」

 

 怖いこと言うから、愛い笑顔が何だか怖い。

 やめてくれ。

 今度はちゃんと手を差し出すと、少し飽きれた表情を浮かべながらも簪は手を取った。

 

「もう、始めから大人しくしてて……ん、じゃあ、切っていくね」

 

 そうして簪は下にゴミ箱を持ってきて爪を切り始めてくれた。

 パンチ、パチンと爪を切る音が部屋に響く。

 変な心配していたのは本当失礼だった。器用かつ綺麗に切ってくれる。

 しかし当の簪は、真剣な顔している。そんな顔しなくても大丈夫だろうに。

 

「そうなんだけど……人の爪切るの始めてだから……何かね」

 

 慣れない、的なものだろうか。

 真剣な簪を眺めながら、ぼんやりと切り終わるのを待つ。

 こうして簪に爪を切ってもらうのは始めてだが、自分以外の誰かに爪を切ってもらう何ていうのは凄く久しぶりだ。小さな頃以来か。

 自分でするのが当たり前すぎるほど当たり前になってきていたから何かアレだ。

 

「……」

 

 眼鏡のレンズ越しに見える真剣な簪の瞳は綺麗に輝いている。

 それに簪は案外、まつ毛が長い。綺麗にゆるやかなカーブを描いている。

 瞬いて動くたびにキラキラとして、何だか可愛らしい。

 小さなことだが、こうして爪を切ってもらえているからそうして些細な気づくことが出来た。

 こういうのもいいな。

 

「どうしたの……? 笑ってるけどいいことでもあった……?」

 

 まつげが長いことをそれなく伝える。

 

「そう……? 自分ではそんな風に思えないけど。っと……はい、終った。仕上げしておくね」

 

 爪切りについているヤスリでまだ少し角ばっているところを削って仕上げまでしてくれる。

 至れり尽くせりだ。

 

「これでよし……こんな感じになったけど、よかった……?」

 

 勿論。

 というか、普段はただ切るだけでここまでしないから今日は一段と爪が綺麗。

 やってもらってよかった。

 

 手の爪が終ったから、簪から爪きりを返してもらう。

 まだ足の爪が残っているから、こっちもこの機会に切ってしまわないと。

 

「ん? このまま切ってあげるけど」

 

 足までお願いするのは何だか気が引ける。

 足の爪は頼まれても切りたくないって人がいるとどこかで聞いたことがあるし。

 

「他の人はそうかもしれないけど、私達は今更でしょ。手も足も変らない……ん、爪切り貸して」

 

 簪がそこまで言ってくれるのならお願いしよう。

 もう一度爪きりを簪に渡した。

 

「足の爪も結構伸びてるね」

 

 足も手の爪と同じぐらい切ってなかったからな。

 というか、簪のそれは一体。

 

「ああ……これ?」

 

 簪の足の爪は手の爪と同じ様に綺麗に切り整えられているが、足の爪には色が塗られていた。

 ほんの少し白みかがった水色。

 マニキュアとかいうのだったけか。

 

「正解。どうかな……? 変?」

 

 変なんてことはない。むしろ可愛い。器用に塗れていて綺麗だ。

 だが、簪はいつの間にこんなものを。前……と言っても大分前になるが、その時は爪を見た時はこんな色塗ってなかった気がする。

 

「この間本音と相川さんと四十院さん達と遊んだ時にいろいろと教えてもらった。これはその時自分でやった奴」

 

 なるほど、そういうことか。納得した。

 相川さん達ならそういうの詳しそうだ。

 しかし、簪がマニキュアなんて……本当…女の子なんだな。

 

「どういう意味……もしかして嫌味? はい、右終ったから次左の足の出して」

 

 言われた通り、左の足を出す。

 嫌味な訳ない。ただ簪がマニキュアをするなんて何というか……意外。そう意外だった。

 そういうの興味ない。嫌がってたからな……と一緒に出かけた時、店で出来る簡単なマニキュアとかメイクの無料体験を店員に進められた時、凄い嫌がっていたのを思い出す。

 

「あれは知らない人に遠慮してるのにグイグイ勧められるのが嫌いなだけ……別に興味ない訳じゃない。最近は皆からいろいろ教えてもらって勉強してるんだから……」

 

 どうして勉強を、なんてその理由が分からないことはない。

 聞くのは野暮ってものだ。

 手の爪だけではなく、足の爪まで綺麗にできているのは凄い。

 足元美人。簪は日に日に可愛く、綺麗になっていくなとしみじみと思う。

 

「そういうのいいから」

 

 素っ気ない口ぶりだが、しっかり耳は赤い。照れてる。

 自分では爪切る程度でやろうとすら思わないから、ある意味尊敬だ。男女の差という奴なんだろうか。

 

「ん……じゃあ、あなたも塗ってみる? やってあげる」

 

 男がマニキュアってどうなんだろうか。

 時代錯誤だとは思うが、女々しいような気もしなくはない。

 

「それはあるかも……でもまあ、やっても足の爪。見せびらかすようなこともしないし、手は流石に私もね」

 

 手は普通に見られるからな。

 足の爪だったらサンダルを履いていたり、素足を晒してない限りは見られるようなことはないはず。

 

「嫌だったらいいよ、別に」

 

 いや、折角だ。

 爪切ってもらったついでにこのままやってもらおう。

 ただし一夏達には内緒にしといてほしい。

 

「言わないって……じゃあ、用意するね」

 

 簪は立ち上がり、自分のバックを持ってくると中からあれやこれやと取り出す。

 色のだけかと思ったら、他にも透明っぽい奴が二・三個ある。

 いろいろあるんだな。

 

「うん……まずこれが爪の表面にある油を取るのでね」

 

 一つ一つこれはどういうものなのか説明してくれながら、簪はまず俺の足の爪に下準備をしていく。

 まだ色はついていないが、爪に何かを塗られるのは初めての体験。少しぞわぞわとする。

 

「じゃあ、塗っていくね」

 

 そして爪に色が置かれるように塗られていく。

 ちなみに色は簪と同じ色。

 所謂おそろいという奴だ。

 

「次は……」

 

 最初、爪の油を拭き取るのに使っ液体に浸したコットンを巻いた細長い棒ではみ出したネイルを拭き取り、最後に仕上げ用の液体を色の上に塗る。ツヤ出しと保護の為の奴だとか。

 その一連の流れをもう片方にすると。

 

「よしっ……出来た」

 

 満足そうに簪は呟く。

 

「どう……? 自分の爪にやるより綺麗にできたと思うんだけど」

 

 両足の爪全部に塗られたほんの少し白みがかった水色。

 勉強したと言っていただけあってムラがない。器用に、そして丁寧な仕上がり。

 ただ色を塗っただけだというのに、見違えたよう。何だか自分の足ではないみたいだ。

 

 女々しいと思っていたが、こうしていざ完成したのを見ると嬉しいものだ。

 

「ふふ、よかった。お揃い……何だか気恥ずかしいね。でも二人だけの秘密ならもっと嬉しい」

 

 あまりにも嬉しそうだからこちらまで余計嬉しくなって笑みを溢す。

 簪が言ったことと同じことを思いながら。

 




爪や足にまつわる話を考えることにハマってる今日この頃。
というか、彼氏彼女が相手にマニキュアを塗ってあげるという構図が性癖。
後、もっと日常感がほしい……。


今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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冬にあった簪とのありふれたやりとり。その詰め合わせ

最低文字数3000文字にも見たずお蔵入りしていた小話を3つほど詰め合わせました。



【寒い冬には】

 

 

「寒っ」

 

 ふと隣から聞こえた簪のその声に振り向く。

 寒空の下、耳あて付きのニット帽を被り、首にマフラーを巻いた可愛らしい簪の姿があった。

 厚手の上着を羽織って厚着をしているが身体を冷やしてしまったんだろうか。

 夕日が沈んでいき、時間はそろそろ夜となる頃。このぐらいになると最近ではもう寒いことが多い。時期的にはまだ秋と言えなくないのに。

 雨やら何やらが多くて今年はあんまり秋を感じはなかった。

 

「ね、あっという間にもう冬。……はぁ~」

 

 寒さを紛らわすように簪は、手に息を吹きかけながら両手を合わせて擦る。

 吐いた息は白くなって消える。

 そこまで寒そうにするならマフラーとかだけではなく手袋も用意するべきだった。

 まあ、ないものは仕方ない。なくても簪の寒さを紛らわすことは出来る。

 大した意味はないこれはただの思いつき。

 自分の手で暖める為に簪の手を取って握った。

 

「わっ」

 

 驚いて。

 

「どうしたの、急に」

 

 きょとんとする簪。

 当然の反応なんだろう。我ながら突拍子がない。

 だが、こうすれば少しは寒さもマシになるだろと思ってだな。

 

「ふふっ、変なの。あなたって時々急にこういう事するよね」

 

 くすりと簪に笑われてしまった。

 ガラではないよな。こういうのは。

 何だか自爆した気分。周りに人がいないのが本当に救いだ。

 

「でも、あなたの手暖かい」

 

 温まってくれている簪の手は思ってたよりも冷たい。

 大分、冷えてしまったんだろう。

 部屋に着いたらしっかり暖かくしなければ。

 

「そんな握って大丈夫? 私の手、冷たいでしょう……心が冷たいから」

 

 また簪はそういうこと言う。

 冷たいのは単に冷えたからだ。

 後それを言うなら、手が冷たい人は心が温かいだろ。

 もう充分暖かくなって冷たかった簪の手は温い。

 

「ふふっ、ごめんなさい」

 

 言葉のわりには悪戯っぽく笑う簪に悪びれる様子はない。

 まあいいだろう。少しでも寒さを紛らわせて暖まってくれたのなら。

 

「うん、ありがとう。おかげで凄く暖かい……あなたの手、ぽかぽかしてて気持ちいい」

 

 そう言って簪は温める俺の手を握り、指と指を絡めてくる。

 手が暖かい……簪が先ほど言ったことに倣えば、手の暖かい俺は心が冷たいということになるんだろうか。

 

「またあなたはそういうこと言う。大丈夫……あなたは手も心も温かいよ」

 

 その言葉と共に簪は繋いだ手をぎゅっと握りなおした。

 合わさった手の平から伝わってくる簪の体温もまたぽかぽかと暖かく。

 簪の心の温かさを直に感じられているかのようだ。

 

「ん……」

 

 幸せそうな簪を隣に分け合った体温が二人の間で一つになるぽかぽかとした幸福感じる冬の訪れ。

 

 

 

【簪との寒くなってきた朝のひとコマ】

 

 

 寒い。

 目が覚めて一番最初に感じたのはそれだった。

 眠気に襲われながらカーテンのほうを見るとまだ暗いまま。だが、この暗さは朝のもの。

 日が昇る前に起きてしまった。

 

 ふいに寒さを感じる。

 普通に寒いよりもこういったちょっとした寒さのほうが堪える。

 布団は冬用のものを使っているがそろそろ暖房器具の用意も必要かもしれない。

 

「う、んんっ……さむ、ぃ……」

 

 隣で寝ている簪が暖かさを求めるように寄り添ってきた。

 布団をかけなおしてやる。

 早い時間の為当然簪は眠っているが、寝ていてもしっかり寒さは感じるものなんだな。

 

「ん……」

 

 暗さに目が慣れ簪の寝顔が暗がりでも見えた。

 よく眠ってる。俺で暖を取って暖まったのか気持ちよさそうだ。

 寝顔はあどけなくて可愛い。ここだけの話簪って寝顔は幼い。それを知っているのはちょっとした優越感。

 だからなんだろうか。眺めているとつい触れたくなって簪の頬を指の外側で優しく撫でた。

 

「えへへ……」

 

 簪は気持ちよさそうに頬を緩める。

 可愛いな。ただ眺めているだけなのに不思議と微笑ましく幸せな気分一杯になる。

 

 さてしかし、ここからどうしたものか。

 結構まだ眠いが段々覚めつつある。

 枕元においていた携帯で確認したが起きる予定の時間ではない。というより、早すぎる。

 オマケに今日は休日。起きる時間は普段よりも遅くと考えていた。

 二度寝もよさそうではある。

 

 けれど、地味な寒さは続いていて体が冷えてきた。

 トイレ行きたい。二度寝するにしてもトイレ行ってからにしよう。

 そう思い立ち布団から抜け出そうとしたが抜け出せなかった。

 

 腰を抱き枕のように抱きしめれ、足は足と絡められガッチリホールド状態。

 寝てるよな。眠っていても流石と言うべき、力強さ。

 だが眠っているのは確かで次抜け出そうとしたらすんなり抜け出せた。

 寒さからそうしたんだろう。可哀想ではあるがトイレには行きたい。

 

 手早く向かい済ませ素早くベッドに戻るとぎょっとした。

 

「む~……」

 

 暗がりの中起き上がった簪と目が合う。

 ビックリした。さっきまであんなに気持ちよさそうだったから、まさか起きるなんて思ってもみなかった。

 起こしてしまったのかもしれない。だから、眠そうにしながらも不機嫌な顔しているのだろう。

 

「何処……行ってたの……?」

 

 何とも言えぬ気迫に怯えたのかトイレに行ったことを言い訳染みた説明をした。

 

「そう……ん」

 

 納得してくれた様子だが、先ほどまで俺がいた簪の隣を示す。

 言われた通り、隣に入って寝転ぶ。

 

「寒かった……」

 

 そう言って簪は再び寄り添うように抱きついてくる。

 なるほど、それで寝起きも相まって機嫌悪かったのか。

 安心すると簪は目を瞑る。また眠るようだ。

 

「だってまだ早い……眠い……あなたも一緒に二度寝しよ……?」

 

 抱き寄せられるように布団の中へ引きずり込まれる。

 休日の二度寝はある意味醍醐味とも言える。いいかもしれないな、それは

 

「でしょ、それにこうすれば暖かい……ぬくぬく……」

 

 胸元には安心しきった顔を浮かべる簪がいる。

 こうしたらもっと暖かくなるかもしれない。

 今度は俺の方から抱き寄せた。

 

「あ……ふふっ」

 

 嬉しそうに笑みを溢しながら簪は身を委ねてくれる。

 こうして2人くっついてると幸せな気分は増していく。

 またよく眠れそうだ。

 

 

 

 

【こたつにまつわる簪とのやり取り】

 

 

 ここ最近夜はずっと足先から冷たくなる寒い日が続く。

 だが、それも昨日まで。

 今日は冬を乗りきるとっておきのものを用意した。

 

「はぁ~……」

 

 隣の席では簪が心地よさそうにしながら机に突っ放して炬燵で暖まっている。

 とっておきのものとは炬燵。

 簪と今の生活をするうようになってこの炬燵は何度目かの出番を迎えた。

 

「ん~炬燵いいね。最高」

 

 簪がタレてるパンダみたいになっている。

 普段シャキっとしている簪でもひとたび炬燵に入ればこうなるのだから炬燵の効果は絶大だ。

 今年も初日の今日から大活躍。

 

 今までよりも早めだったが出してよかった。

 簪の言う通り炬燵はいい。

 このままずっとこうしていたい。出たくなくなる。

 

「本当にね。あ……炬燵と言えば、んーんー」

 

 簪が取ろうとしたのみかん。

 冬と炬燵と言えば、これは外せない。

 だがしかし手を伸ばしたがギリギリのところで届かず、代わりに取ってやる。

 ついでに皮をむいてやる。

 

「ありがとう」

 

皮を剥き一つちぎって少し白い筋を取るとそのまま簪に食べさせてあげた。

 

「あーん。……ん、美味しい」

 

 ふにゃと頬を緩ませる簪。

 もう一つと簪にみかんを差し出してみた。

 

「食べる。あ~む」

 

 小さく開けた口の中へみかんを放り込んでやると簪はまた美味しそうに食べた。

 まるで親鳥から餌を貰う雛鳥。

 こういっては何だが餌付けしている気分だ。

 

「みかんそのまま頂戴」

 

 言われて残りのみかん全部を渡す。

 流石にもう残りは自分で食べたくなったか。

 また新しいのを食べるかとみかんの入った籠に手を伸ばそうとすると。

 

「はい」

 

 と残りの束から一つ取られたみかんを差し出された。

 これは確かめるまでもなくこのまま食べろと言うこと。

 大人しく口を開けるとそのまま食べさせられた。

 

「美味しい?」

 

 頷いて答える。

 美味い。こたつで暖まりながら食べるみかんはまた格別。

 

「よかった。じゃあ、もう一つ」

 

 また一つみかんを差し出され、口を開けて食べる。

 

「ふふっ」

 

 何故か微笑まれた。

 笑う要素なんてないだろうに。

 

「いや、何か小さなどうぶつに餌付けしてるみたいで楽しいなあって。後可愛い」

 

 同じことを考えていたらしい。

 それはいいが可愛いって……聞かなかったことにして新しく取ったみかんを食べる。

 美味しいし早々に飽きはしないが、それでも口の中がみかんで一杯になると別のものが欲しくなってくる。

 

「はい」

 

 そう言って簪は俺の前に熱いお茶の入った湯飲みを出してくれた。

 

「そろそろ欲しくなるだろかなって思って」

 

 よく分かってくれている。

 というか、ちゃっかり簪は自分の分も用意している。

 折角頂こう。入れてもらったお茶を飲んで一息。

 

「はぁ~……――あ……ふふ、重なった」

 

 幸せな溜息が簪と重なる。

 隣り合う簪と俺はこたつで温まりながらそっと肩を寄せ合う。

 愛する彼女とコタツを囲む幸せ。やはり、こつたとこうして冬に食べるみかんはいいものだ。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪とアニメを見る夜は楽しいものである

最近、ハマッたので簪とのやり取りを一つ。


 

「あの……一緒に見たいアニメあるんだけどいい……?」

 

 簪がそう言ってきたのは夜の暇な時間。

 夕食や風呂、やらないといけないことも全部済ませて何しようかと考えていたから丁度よかった。

 こんな風に簪がアニメとかを一緒に見ようと進めてくれることは昔からよくあったが、今日はどんなのを見るんだろうか。

 

「これ何だけど……」

 

 見せられたタブレットには可愛い和風系の戦闘服みたいな衣装に身を包んだ中学生ぐらいの女の子四人が勇ましく並んでいるアニメ絵が映っている。

 簪お得意のヒーロー物だろうか。ヒーロー物でも日曜朝にやってるプリティでキュアキュア的っぽい感じがする。

 

「多分そんな感じだと思う。私も見たことなくて……ヒーローもの探してたらSNSでフォロワーさんが勧めてくれたんだけど」

 

 それで見る気になったのか。

 作品紹介や絵を見た感じは簪の好きな王道系だろうから普通におもしろそうだ。

 とりあえず見てみよう。

 

「うんっ……見よう見よう」

 

 何だか簪のテンションは高めだ。

 準備を済ませると早速始めた。

 

 内容はこう。

 主人公の女の子は中学生。ボランティア部に所属して、先輩後輩同級生の3人と仲良く部活する毎日。

 そんなある日、不思議な力に目覚め人類滅亡を企む敵と戦う毎日に変化していく。

 その中で部活仲間や新しく部活に入ってきた女の子と絆を深めながら、皆全員で頑張っていくという見る前思った通りの王道的な話。

 

「ふぁぁ……!」

 

 簪の目がキラキラと輝く。

 

「おもしろいっ。話もいい話だし……何より戦闘シーン凄くいいね」

 

 簪もご満悦の様子。

 戦闘シーンは確かに凄い。かなり動き回り、迫力満点。

 戦闘シーンだけでも充分楽しめるのは個人的にはポイント高い。

 ただ……。

 

「……何かあった?」

 

 楽しんでいる簪の前でこういうのもアレだが話が進めば進むほど話の端々から不安な空気を感じる。

 この先嫌な展開が待ち受けていそうで怖い。

 だからこそ先の展開に気にもなるわけでもあるが。

 

「ん~……まあ、分からなくはないけど……考えすぎじゃない……?」

 

 かもしれない。

 アニメはもっと気楽に見るべきだな。

 

 とりあえず今日のところはこのぐらい。話数で言うと五話まででいいだろう。

 結構な話数続けてみいていたから時間を日を跨いでいる。

 このまま全話見るのは流石に厳しい。

 

「あー……そうだね、今日はこの辺で。もう寝ないと」

 

 寝る用意を済ませると俺達二人はいつも通り一つの布団に潜る。

 続きはまた明日。

 

「付き合ってくれるんだ」

 

  もちろんだと頷いてみせる。

  続きは気になる。簪だけ一人先に見てネタバレでもされたら嫌だ。

 

「しないってば。でも、明日も一緒に見れる……楽しみ。はぁ~……いいよね、あのアニメ」

 

 部屋の明かりは消している為、ちゃんと確認はできないがあのアニメに簪が想いを馳せているのは分かる。

 よっぽどあのアニメ気に入ったんだな。話もそうだが、何よりキャラ一人一人が皆いい子ばかりであの子達のやり取りは見ていて楽しい。

 あの子達の中で簪が好きそうなのはやっぱり主人公であるあのピンク髪の女の子だろう。

 

「分かった? あの子が一番好き。どんなときでも前向きで友だち思い。まっすぐなところがあって責任感が強い。誰かの為に勇気を振り絞れて頑張れる……私はいつだったそんな人に憧れてる。私もあの子みたいになれたらなってつい思っちゃた」

 

 憧れる気持ちは俺にもよく分かる。

 ああいう人は眩しくてかっこいい。

 簪だって俺からしたら彼女と同じぐらい輝いている。だからこそ、尊敬して憧れているんだ。

 

「ふふ、ありがとう。そういうあなたはどのキャラが好き? あっ、やっぱり待って。私にも当てさせて。えぇっと……うーん、部長かな」

 

 見事に当てられしまった。

 主人公の子も好きだが、しいて言うなら部長やってる子が好きだ。

 快活な性格で部の皆を部長として、戦闘では指揮官として上手くまとめている。

 何より、部の皆一人一人をしっかりと見、それぞれの良さを引き出している。

 主人公もそうだが輪の中にああいう人もいると頼もしい。

 

「分かるな……話してると何だか余計楽しみになってきた。早く続き見たいね」

 

 その通りだな。

 明日が待ち遠しい。寝て早く明日を向かえよう。

 

「うん……おやすみ」

 

 

 

 

「早く早く……!」

 

 簪にせかされるようにテレビの前に腰を下ろす。

 約束通り、今夜もアニメの続きを見る。

 

「続きわくわくするねっ」

 

 今はまだ始まったばかりだが昨日の熱はまだ冷めてないのか簪は興奮気味。

 

「フォロワーさんに五話まで見たって報告したら、ここからもっとおもしろくなるって言われて楽しみなの」

 

 俺も楽しみなのだが、昨日感じていた先の展開への不安が強まっていく。

 それにそういうことを言われてた時は大体……いや、とりあえず見進めていこう。

 

 前回強敵を倒す為に開花した新たな力を使った。その疲労で主人公達は視力が下がったり、声が出なくなったり、耳が聞こえなくなったりと変調が出つつある。

 それでもそんな不安を吹き飛ばすぐらい和気藹々とした雰囲気で更に絆を深めて物語は進んでいく。

 だが、やはり嫌な予感は的中した。

 問題の8話終盤と9話。

 変調は治ると言われていたが、治ることはない。変調は強力な力を使った代償であり、それを組織の大人達は知っていて黙って使わせていた。

 そして数年ほど前主人公達と同じ様に戦っていた先代が現れ、語られていく真実。という回だった。

 確かにもっとおもしろくはなってきた。気になっていたことをようやく知ることは出来た。

 だが、真実の衝撃があまりにも大きすぎて消化不良を起こしているみたいだ。8話までほんわかしていだけに真実が悲しく重い。

 幸い主人公はそれでも戦い続けると決意しているが、当然立ち直りきっていないキャラどころか、苦しみの連鎖を断ち切る為に世界を破壊しようとするキャラまで出てきてと物語は急展開の様相を見せていく。

 

 心へのダメージが本当にデカい。

 俺でこうなのだから明るい展開を期待していた簪は……。

 

「……」

 

 簪が凄い遠くを見る目を。というより、目から生気の光が消えるほどショックを受けている。

 俗にいう死んだマグロのような目。

 まあ、そうなるだろうな。知ってた。あれだけの期待をこういう展開で裏切られれば。

 今日はこの辺りでやめたほうがいいかもしれない。このまま見続けるのは辛いだろうし、時間も時間で最後まで見てもいい時間ではない。

 

「……うん……そう、する……」

 

 言葉に覇気がまったくない。

 アニメを見てこんな風になる簪を見るのは初めてだ。

 俺が思ってる以上にショックは大きい様子。

 

 フラフラする簪を介抱しながら歯を磨かせ、布団の中へと入る。

 

「……ちょっとでいいから……ぎゅってして」

 

 ぎゅっと簪を抱きしめる。

 

「ごめんなさい……アニメ一つでこんな……」

 

 仕方ない。あの展開は流石に堪える。

 

「うん……しんどい……無理……でも、ちゃんと最後まで見る。ハッピーエンドに……なるよね」

 

 分からない。

 先の読めない展開ばかりだったからなあ。

 だが、ハッピーエンドになってほしい。あんないい子達が悲しいままで終ってほしくない。

 

「そうだね……あんなに一生懸命頑張ってるんだもん……報われて、幸せになってほしい」

 

 簪の言葉は言葉以上に切実だった。

 

 

 

 

 そして翌日の夜。

 気を取り直し、アニメを最終回まで無事見終えることができた。

 

「よかった……本当に」

 

 ほっと一安心している簪。

 この様子から分かるように物語のラストはハッピーエンドだった。

 途中相変わらず辛い展開はありつつも、全てが解決した訳ではないがそれでもいいラストだった。

 

「うん、ハッピーエンドで最高だった……本当……うぅ」

 

 な、泣いてらっしゃる。

 

「だってっ……! ハッピーエンドなんだよっ……戦いで終ったのに主人公は一人だけ意識が戻らなかった時はどうしようかと思ったけど、あの子の言葉で主人公が目覚めて二人がまた抱きしめあえた時は本当に感動して……本当、本当によかったよ」

 

 涙ながらに熱弁されてしまう。

 簪の気持ちは分からないことはない。頑張ったあの子達が笑顔であの結末を迎えられたのは本当によかった。

 

「……よし」

 

 涙を拭って眼鏡をかけなおす簪。

 気持ちはひとまず切り替えられたようだ。

 最終回をやって見終わったわけだが、これで終わりだと思うと寂しいものがある。

 

「だね……もう一回12話見直そう」

 

 まだ見るんだ。

 いいものは何度見てもいいけども。

 簪のこのハマりようからすると12話見たら、また最初から見たくなって見始めてしまいそうだ。

 

「それはあるかも……でも、明日からはこの作品のね、前日談に当たるお話があるらしくて進められて……それも見てから、このアニメの2期見ようと思ってるんだけど……」

 

 てっきりこのアニメはこれで終わりだとばかり思っていた。

 ちゃんと2期あるのか。それに前日談。結構なシリーズものなんだな。

 

「そうなの……他にも300年前、初代の人達の話を描いたのとか外伝作品もいいろいろ沢山あるらしくて……気になってるんだけど……その、よかったら一緒に……」

 

 誘ってくれるのは嬉しいし、いろいろ気になるところもなくはない。

 見てみよう。

 

「やったっ……ありがとう!」

 

 そういうわけでまた見ることになったのだが。

 このアニメの前日談がどういう雰囲気なのかは知ってのとおり。

 見た簪がどういう反応になったのかは……言うまでもない。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪と幸せな聖夜

ありがとうアキブレ


 

 クリスマス。

 街はイルミネーションで彩られ、今日という日を各々それぞれの形で世間の人達は祝い楽しんでいる日。

 それは簪と俺とて例外ではなかった。

 

「メリークリスマス」

 

 同じくそう言葉を交わし、グラスを軽く持ち上げ乾杯する。

 一般的なクリスマスの賑やかさとは打って変わって、簪と家でささやかなクリスマスを静かに過す。

 テーブルの上には簪と一緒に用意した料理の数々が並んでいる。

 

「ん、美味しい」

 

 俺が作った料理を一口食べ簪は頬を綻ばせる。

 味見はしていたがそれを見て安心した。美味くできているようだ。

 俺も簪の作った料理を食べた。いつも通り。いや、今日のクリスマス用に作ってくれた気合の入った料理だからいつも以上に美味しい。何度も箸が進む。

 

「ふふっ、よかった」

 

 また簪は嬉しそうに頬を綻ばす。

 簪と迎えるもう何度目かになる静かなクリスマス。毎年こうというわけではない。

 去年は一夏や本音、虚さんや弾、楯無さんなどという身内メンツで賑やかにパーティーをした。

 ただ成人して大人になるとそれぞれの生活というものが出来、中々都合のつけ難くなるのという現実問題もある。

 2、3年に一度はイヴも含めてこういう過し方をすることも増えてきた。それがたまたま今年というだけの話。

 ただ――。

 

「IS学園に通ってた頃のクリスマスが懐かしい?」

 

 思っていたことを言われてしまった。

 懐かしいな。あの頃は寮生活ということもあって毎年毎年本当に馬鹿騒ぎしていた。

 何より、学園生活は俺達にとってかけがえのない今も輝く眩しき日々。

 簪とのこのクリスマスをないがしろにするつもりもなければ、クリスマスなのに感傷に浸るように思い出すのはよくないとは分かっているが、つい懐かしんでしまう。

 そんな思いを察してか、簪き微笑みながら言ってくれた。

 

「ふふ、そうだね。学園生時代みたいに馬鹿騒ぎするのも楽しかった。ああいうのも好きだな」

 

 意外な言葉が簪から出た。

 

「何で驚くの。私だって楽しいのは好き。ただやっぱり静かにあなたと過すほうが好き。だって……」

 

 だって?

 

「だって、こうしてあなたを独り占めできるから。とても嬉しい」

 

 頬を赤く染めながらも簪の真っ直ぐな瞳は俺から離れない。

 熱い視線。

 そしてあまりにもストレートな言葉と想いに気恥ずかしさを覚え俺はたまらず降参した。

 

「反らした。私の勝ち。ふふっ」

 

 したり顔の簪。

 何故勝ち負けの話になってるのかは疑問だが、簪の勝ちだ。敵わない。

 勝った簪には勝利品を上げなければならないか。

 

「……?」

 

 きょとんとする簪に俺はクリスマスプレゼントを差し出した。

 

「クリスマスプレゼントっ……あ、開けていい……?」

 

 頷いて答えると簪は包みを解いていく。

 

「あっ、スマホケースっ……!」

 

 今年のクリスマスプレゼントは手帳型のスマホカバー。

 毎年渡してるからプレゼント選びは難しかったが今簪が使っているのは古くなっているから丁度いいと思って選んだ。

 

「ありがとう……大切に使うね」

 

 喜んでくれているようで幸いだ。

 

「じゃあ次は私」

 

 簪はプレゼントが入ったと思わしき紙袋を手渡してくれた。

 サイズは小さめだ。

 何が入っているんだろうか。楽しみだ。

 

「開けていいよ。その間に私、ちょっと用意してくる」

 

 用意?

 

「内緒。楽しみにしてて」

 

 そうとだけ言い残すと簪は部屋を後にした。

 行くとしたら自分の部屋だろうから、何か取りにいったのだろうか。

 とりあえずプレゼントを開けながら待つことにした。

 中に入っていたのはオシャレながらも落ちついた感じのハンカチだった。

 普段使いできるし嬉しい。

 そうして待つこと数分ほど経った時。

 

「お、お待たせ」

 

 何故か遠慮気味の声と共に簪が戻ってきた。

 何をしていたのかと振り向いてみれば、言葉を失う光景が広がっていた。

 それは一体。

 

「どう、かな」

 

 恥じらいながら聞いてくる簪の姿は先ほどの私服とは変って所謂サンタコスチュームを身にまとっていた。頭にサンタ帽子のオマケ付き。

 いろいろ聞きたいことはあるがまずは感想だ。

 正直こんなこと予想してなかったが、実際にこうして見ると嬉しい。何度も見ても可愛い。

 

「ありがとう……はぁ、よかった」

 

 そう言って安心した様子の簪は隣へと腰を下ろした。

 しかし、どうしてまたそんな格好を。

 クスリマスだからというのは聞かなくても分かるけども、よくサンタコスチューム用意してあったな。

 買いに行った気配はなかったし、そうだとしても……。

 

「覚えてない? ほら、昔……」

 

 と言われて思い当たるのは学生時代。それもIS学園時代のクリスマスパーティー。

 そうか。そのコスチュームはあの頃のものか。確かに着ていた。

 

「部屋のタンス整理してたら出てきて……折角のクリスマスだから」

 

 なるほど、それで着たのか。

 あの時のものだと分かれば、気になっていたことにも納得がいく。

 道理で羽織っているフード付きケープ。その下に着ているワンピースの丈が短いはずだ。

 昔の服を無理した様子なく難なく着れているのは流石だが、丈の長さはどうしようもないらしく座るとどうしても上に上がってくるらしい。

 裾先が心持たないのか簪はスカートの裾を精一杯伸ばしているのが、それがかえって欲情的な様を作っていた。

 

「いやらしい目してる……すけべ」

 

 すかさずツッコまれてしまった。

 仕方ないだろ。隣でそんなことされてたら。

 それはいいとして改めて簪にはお礼を伝えた。いろいろいな意味でいいもの見せてもらった。

 

「何それ。それにいいよ、お礼なんて。その……クリスマスプレゼント、なんだから」

 

 もうハンカチ貰ったけども。

 でなければ、サンタコスチュームを見せてくれたことがだろうか。

 

「そうじゃなくて……私がもう一つのクリスマスプレゼント……」

 

 自分の体を差し出すように簪は両手を広げている。

 当然その頬は赤く染まっている。

 ここまで言われてわからないわけがない。

 本当に可愛いな、簪は。今日は輪をかけて可愛い。

 

「ちょ、そんな微笑ましそうな顔しないでよ……余計恥ずかしくなる……ん、ほら、受け取ってくれないの……?」

 

 受け取らないわけない。

 抱き寄せ、抱きしめあう。

 今年もまた簪とこうしてクリスマスが過せて幸せ者だ。来年もその次も変らず過そう。

 互いのぬくもりを感じながら簪と俺は誓いの言葉のようにある言葉を交し合った。

 

「メリークリスマスっ」

 




簪のクリスマス衣装イラスト、ありがとうアキブレ。
本当にありがとう。

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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冬にあった簪とのありふれたやりとり。その詰め合わせ2

簪とゆたんぽ使って足が絡み合う話……

 

「何してるの……?」

 

 夜、寝る前。

 一足先に歯磨きを終えベットの上であることをしていると、遅れて歯磨きから戻った簪に声をかけられた。

 やっていたのは布団の中に暖房器具の用意。

 

「それ、なんだっだけ?」

 

 簪が指したのは電機あんか。

 コードレスタイプの充電式だ。

 これを中に用意していた。

 

「ああ……それ。足元暖かくなる奴だよね」

 

 その通り。

 これは寝るとき足元に置くと足元から暖めてくれる優れもの。

 変らず寒い夜が続くのこの頃。上は布団を被って二人一緒に寝てるから寒くはないが、足元は冷えて困っていた。

 特に簪は寝ていると冷えるようで辛そうにしていることが多い。だから、用意した。

 後辛いと言えば、寝てる時にその冷えた足をこちらの足に絡めてくるからビックリする。

 

「あ、あれはわざとじゃないからっ……寒いし、あなた足先まで小さな子供みたいにぽかぽか暖かいから仕方ないの」

 

 責めているわけではない。

 無意識だろうことは分かっている。ただ寝てる時にあんなことされると驚くと言う話。

 けれど、それも今夜まで。今夜からはこの電気あんかがあるから寒くはなくなるはずだ。

 

簪を布団の中へと手招き、早速使い心地を確かめてもらう。

 

「あったかい……いいね、これ。ありがとう、私の為に用意してくれて」

 

 頬を綻ばして簪は気に入ってくれた様で何より。

 今から朝起きる時まで暖かさは続くということなのでこれでぐっすり眠れる。

 後は寝るだけ。

 明日の予定と目覚ましの確認をし、布団を被ると部屋の明かりを消けす。

 温かい状態で足元に置いといたからか、足元だけではなく布団の中全体が暖かい。

 これは丁度いい。

 

「ぽかぽか~……」

 

 簪がうとうとしながら言ったのが分かると、釣られるようにうとうとしてきた。

 もう寝よう。眠気に引きづられる様に眠る。

 はずだったのだが……。

 

「ん、どうかした……?」

 

 しれっとしてやがる。

 こっちは暖かかった足先に感じたことのあるぞわっとした違和感を感じ、思わず変な声が出てしまったのに。

 

「ふふっ、だって……ひゃぁって……ふふ」

 

 してやったりと楽しげに笑っているが誰のせいでこうなったと。

 というか何でまた足を絡めてくる。

 

「特に理由はないけど……して言うなら、人肌が恋しい……から?」

 

 聞かれても困る。

 今夜はもう暖まって簪の足先はいつもみたいに冷たくはないが、それでも触れた簪の足はすべすべとしている。

 だからこうしているとこれまでは冷たさが先にきて特に意識しなかったが、今は簪の足の感触を意識して眠気がしだいにおいやられ何処か落ち着かない。

 寝れなくなったらどうしてくれるんだ。

 

「大丈夫……こうしたらぐっすり眠れる」

 

 簪は俺の頭を抱くようにぎゅっと俺を自分の胸元へと抱き寄せた。

 目の前には柔らかな感触。

 これだと余計に眠れなくなるだろ。

 

「気にしない気にしない……よしよし」

 

 抱きしめられながら頭を撫でられる始末。

 もちろん足は絡み合ったまま。

 奇妙な状態ではあるものの不思議なことにだんだんとまた眠くなってきた。

 鼻先をくすぐる簪の甘くやさしい匂いに包まれ、撫でられているのがそうさせてくるのだろう。

 冬の寒さなんて感じさせない暖かさ。

 おやすみ簪。

 

「うん……おやすみ」

 

 

 

簪と動物タワーバトルする話。

勝ったほうが一つ言うことを聞くということに。

 

「凄い風……」

 

 簪が見つめる窓の外は窓を揺らすほどの風が吹いている。

 風の強さもそうだが、風が冷たすぎて出かけられたものではない。

 出かけようと思っていたが残念だが今日は家で大人しくするしかない。

 

「そうなるね……それはいいんだけど……さっきから何してるの……?」

 

 何とは手元で弄っているスマホのことだろう。

 暇を持て余して最近ハマってるゲームをしている最中。

 

「どんなの……?」

 

 簪は隣に腰を降ろしてスマホを覗き込んできた。

 やっているのはどうぶつを縦に積み上げ、枠外に落ちたほうが負けという対戦パズルゲーム。

 最近、話題になっている。

 

「そうだなんだ……おもしろい……?」

 

 最初は疑問だったが、やってみればこれが結構おもしろい。

 暇つぶしには丁度いい。

 

「へぇ~……」

 

 返事こそは気のないものだが、気になるらしく画面をじっと見ている。

 何なら一緒にやってみるか。

 

「できるの……?」

 

 このゲームアプリをダウンロードしてプライベート対戦にすれば二人一緒にできる。

 

「分かった」

 

 簪はアプリをダウンロードし、それが終るとアプリを起動した。

 そして対戦部屋へと簪に入ってもらうと実際にプレーしてもらう。

 

「こういう感じなんだ……内容自体は簡単。暇つぶしにはよさそう……おもしろい」

 

 ただひたすらどうぶつを積み上げていくだけのゲームだからそこまで操作が難しいこともない。

 そういうところも暇つぶしにやるには丁度いい。

 何戦かやってみたからもう簪もある程度は慣れただろう。

 

「うん……これならちゃんと対戦できそう」

 

 なら一度、ちゃんと対戦してみるか。

 

「いいよ……私も大分慣れたから。あっそうだ、罰ゲームアリにしよ。とりあえず3回」

 

 別に構わないがいいんだろうか。

 俺はやりこんでるというほどやっているわけではないが、簪は慣れたとはいえまだ始めたばかり。

 結果は目に見えている気もしなくはない。

 手加減、ハンデしてあげたほうがいいのだろうか。

 

「一つ言っておくけど手抜いたらダメ。本気で来て」

 

 釘を指されてしまった。というより、簪の変なスイッチ入れてしまったような。

 とりあえずやってみて、いい感じの対戦になるようにしよう。

 手を抜いているわけではないからセーフ。……のはず。

 そんなことを考えながらゲームを始めた。

 

「むぅ……」

 

 まず1戦目は難なく勝利。

 

「むむむっ……!」

 

 2戦目も勝利。

 

「……」

 

 結局3戦目全部勝ってしまった。

 別に簪が弱かったってこともなかったのだが本当にストレート勝ちしてしまってのは流石にマズかった。

 簪は唸り声を上げることもなく無言だ。

 そして悔しそうな顔をしている。これは簪の負けず嫌いに火をつけてしまったかもしれない。

 

「後……」

 

 簪が何かを言いかける。

 

「後一戦だけ相手して」

 

 火は確かについていた。

 まあこのまま終るのもどうかと思っていたから丁度よかった。

 最後の一戦を開始した。

 よほど悔しかったのか対戦中、簪は終始無言で集中しきっていた。本気も本気だ。

 そして結果の方は。

 

「あ……勝った」

 

 簪の勝ちだった。

 もちろん手加減なんてしてない。

 普通にやって普通に負けた。

 簪、大分上手くなった。

 

「やったっ。勝った勝ったっ」

 

 よほど嬉しかったのか珍しくはしゃいでいる。凄く嬉しそうな顔してる

 これで簪も気は済んだだろう。

 何だかんだ野良とやるよりも楽しかった。

 

「負けてた時は凄い悔しいけど勝つともっと楽しいね。じゃあ、罰ゲーム」

 

 簪が俺にするみたいな言い方しているが勝ち数が多いのはこちらのほうだ。

 するなら俺の方じゃないか。

 

「い、いいでしょ。3回勝負とは言ったけど勝ち数が多い方が勝ちなんか言ってないもん」

 

 また横暴なことを言ってくる。

 

「だったら、それにちょいちょい私の知らないテクニック使ってきたのはいいわけ?」

 

 気づかれていた。

 いつもの癖でやっていだけでわざとやっていたわけじゃないが、今思うと始めたばかり相手にやったのはよくなかった。

 

「そうそう。だから、あなたに罰ゲーム」

 

 嬉しそうに言われると困る。

 楽しげに目を輝かせられても困る。

 仕方ない。そこまでの罰ゲームはされないだろうし今回は簪の勝ちということにしておこう。

 

「ありがとう。じゃあ、罰ゲームはね――」

 

 と罰ゲームでその後も盛り上がった。

 風の強い寒い日は家で簪とゲームでもして過すに限る。

 

 

 

「ふぅ……」

 

 一息ついた簪が外にある休憩所の長椅子に腰を下ろす。

 お疲れ様と労う。

 

「ありがとう。あなたもお疲れ様。やっぱ、今年も凄いもてなされちゃったね」

 

 二人そろって苦笑いする。

 年明けの正月。今日、俺達は更識家で行われる恒例の年始行事に参加していた。

 内容は例年通り更識家本邸に新年の挨拶をしに訪れる地元の有力者や政治家。果ては新年の挨拶の為だけに来た世界的な有名人や大物の接待。

 毎年参加して今年でもう数年目。慣れはしたが肩の凝る由緒正しい行事。

 失礼のない対応をしなければならないが疲れる。

 

 一段落して休んでいたら今度はこっちから挨拶周り。

 更識家当主。簪の姉であり、今では俺の義姉でもある更識さんの言いつけであれこれ近所を周り、最後にやって来たのがここの大社。

 地元で一番大きい。というより、日本でも有名な神社で更識家とは古くから続く深い付き合い。

 実際挨拶しにいったらここの神主様じきじきに出迎えられ、凄いもてなされた。

 それがたった今お開きになって堅苦しいお役目から解放されたところである。

 今頃、同じ様に挨拶周りしている一夏と本音も同じ感じなんだろうな。

 

「だね……っと、よし。もう大丈夫。動ける」

 

 そう言った簪に手を差し伸べ手を掴むと簪は立ち上がった。

 マシににはなっただろうが疲れが抜けきらなくてもいつまでもここでこうしているのも何だ。

 役目も果たしたから家に帰るか。

 

「それもいいけど……あのね、折角だからここで初詣、お参りしてから帰らない? ほら、神主様もぜひと言っていたし」

 

 それもそうだな。

 折角だ。今簪は水色の帯に黄色の布地の晴れ着。俺は黒のスーツ。と、折角初詣らしい正月の正装に身を包んでいるのだから。

 

「うんっ……行こっ」

 

 嬉しそうに歩き出す簪と共に参拝へと向かう。

 夕方ともなれば初詣が混むピークを過ぎているからか人は少ない。

 スムーズに賽銭箱前まで行けた。

 

「……」

 

 お互い小銭を賽銭箱へ入れて手を合わせ拝む。

 俺達は神社にお参りした時、神様にお願いするのではなく神様に約束するのが恒例。

 言うなれば、一年の抱負みたいなもの。

 

「今年はなんて神様に約束したの?」

 

 いつも通り。言うほどでもないというか、簪は何約束するか知ってるだろ。

 

「知ってる。でも、あなたの口からちゃんと聞きたいの」

 

 本当にいつもと変らない。

 去年も幸せないい一年だったので今年も変らず、去年よりももっと幸せでいい一年にするので見守ってて下さい。そういうの。

 言葉にするといつもと変らないが、約束への思いは去年よりも強い。

 そういう簪はどうなんだろうか。

 

「私も大体そんな感じ。去年よりも今年は楽しくて素敵な一年にする。そしてね、大晦日に今年は去年よりも幸せだったなぁってあなたに言わせるのが目標」

 

 なんだそれ。

 大晦日って妙に具体的なのがまたおもしろい。

 

「あ~笑った~……絶対心の底から言わせてやるんだから」

 

 それはそれで楽しみにしておこう。

 とまあ、そんなやり取りをしつつ今度は社務所に向かう。

 目的はお守りとかを買う為。

 この大社は縁結びの神様として有名で、現金な話にはなるが折角だからそれに肖っておこうといった感じだ。

 

「やっぱ女性に人気だね……」

 

 簪が感心するのも無理ないほど夕方でも買いに来ている女性の比率は高い。

 やはり、恋愛成就を期待してだろう。

 ただそれだけではなくて、仕事の縁や友人、家族の縁といった様々な縁を取り持ってくれるとのこと。

 

「ああ、神主様が毎年挨拶の度に言って下さるよね。それ」

 

 おかげでこうしてすぐ思い出せた。

 実際売っているものも恋愛成就的なものが多いが、それ意外のものもちゃんとある。

 定番の破魔矢と健康守は外せないとして他は……。

 

「んーどれがいいかな……あ、これ……」

 

 簪が何か見つけたらしい。

 

「こ、これいい……?」

 

 手に取っていたのはお守りに書かれてあったのは子授守という文字。

 意味は言葉の通り。

 そういうこと……でいいんだろうか

 

「……!」

 

 コクコクと言葉なく簪は頷く。

 

「お父様やお姉ちゃんとか最近よく急かされるでしょっ? それにほらっ、生活の方も落ち着いてきたからそろそろ……ね」

 

 それはそうだな。

 必要だ。だったら買うべきだ。

 

「うんっ。じゃあすみませんっ、これお願いしますっ」

 

 お守りを買う簪は何処か楽しそうだった。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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夜遅く簪の帰りを出迎えて

 

「ただいま」

 

 夜遅く玄関の戸が開く音と共に声が聞こえた。

 簪だ。帰ってきた。

 玄関に行き、お帰りと出迎える。

 

「ん……ただいま」

 

 出た時と変らず、眼鏡にスーツ姿の簪。

 膝丈ほどのタイトスカートから伸びるストッキングを履いた足が魅力的だ。

 今日、簪は雑誌取材を受けていた。

 だから、こんな格好をしている。

 

「んふふっ」

 

 玄関に座って靴を脱いだ簪がふにゃと柔らかく笑った。

 ああ……これは酔っ払ってる。

 取材の時間が夜だったからそのまま夕食を一緒にどうかと誘われ、お呼ばれしたと連絡があった。

 こういうのはよくある。仕事の付き合いだ。

 ただ、飲めるような歳になると進められることも多くなる。

 今夜もきっとたくさん飲まされてしまったんだろう。

 

「んー……最初はセーブしてたけどあれよあれよという間に」

 

 すぐさまその光景が目に浮かぶ。

 簪は外では気を張って飲むから酔っ払って帰れないとか言う心配はないのが安心できる。

 楯無さんは兎も角、本音とか虚さん外でも酔っ払う時は酔っ払うからな。

 この簪の様子からして帰ってきて気が緩んだみたいだ。

 

「当たり。あなたの顔見たら安心して酔い戻ってきたのかも。んふふっ」

 

 また簪はふにゃふにゃと目を細めて笑っている。

 酔いは相当のようだ。

 このまま玄関にいてもどうしようもない。風呂は沸かしてあるが、とりあえず中に。

 

「ん……」

 

 座ったまま簪がこちらに向けて両手を伸ばす。

 そういうこと。酔っ払って転けられでもしたら大変だ。

 簪に掴まってもらい部屋まで連れていくことにした。

 

「ごー、ごー」

 

 奥まで連れて行くとソファーに座らせる。そして今度は台所から水を取ると渡した。

 

「ありがと……ん、ふぅ」

 

 水を一杯飲んで簪は一息ついていた。

 これで少しは楽になるだろ。

 

「ほぁ~……」

 

 テーブルに水を置くと簪はソファーに深く腰掛けた。

 間の抜けた凄い変な声。そして、ふにゃとなってる。思わず、たれてるあのパンダを思い浮かんだ。

 おかげで玄関ではキリッとしていたスーツ姿は崩れている。まあ、これはこれでいいが。

 

 しかし、機嫌よさそうに嬉しそうな顔してる。

 今日の取材は楽しかったようだ。

 

「うん……楽しかった。黛先輩の出版社だったからね。いろいろ話聞かせてくれた……最近、オルコットさんはどうしてるのかとか」

 

 と簪は今日あったことを沢山話してくれた。

 相手が黛薫子さん。学園時代の先輩だったということもあって懐かしい名前が結構出てきた。

 そうしてゆっくりしているとしきりに簪はスーツが着苦しそうにしていた。

 

「服……脱ぎたい……」

 

 今度はそんなことを言ってきた。

 変な感じでもするんだろう。また煩わしそうにしている。

 一人ではまだ部屋までいけないだろうし、連れて行くか。

 

「や、ここがいい……あなたが脱がせて」

 

 いつものか。

 酔うと簪はさせたがりというか甘えたになる。

 いつも通り上だけ。下は自分で脱いでもらう。

 

「けち……上も下も変らないのに」

 

 簪は不服そうだが俺としては変るものは変る。

 まずはスーツを脱がして、ソファーにかけて置く。

 そして次にワイシャツのボタンに手をかける。これもだよな。

 

「ん……お願い」

 

 ぽちぽちと一つ一つボタンを外していく。

 すると段々。そしてちらりとワイシャツの隙間から下着が垣間見えた。

 

「……? んふふっ」

 

 視線を上げたとき、目と目が合いきょとんとした顔をしてから、ふにゃりと簪は笑う。

 こっちの気を知ってはいるっぽいが、相手は酔っ払い。下手なことは出来ない。

 それでもこうして見ているだけしかできないというのは何とも生殺しされている気分だった。

 

 兎も角ワイシャツのボタンは一番下まで全部開けた。

 後は脱ぐのみ。流石にこのリビングで脱がれたら風邪引くかもしれないが、これなら脱衣所に行けば簡単に脱げる。

 もうこれでいいだろう。

 

「ありがと……んっーんー……!」

 

 自分で脱ごうとしてくれたがストッキングが脱げないらしく苦戦してる。

 動き回るからワイシャツがはだけあられもない姿が余計あられもない姿になっていた。

 やっぱり手伝おうかと思った矢先。

 

「脱げない……もういいや」

 

 そう言って簪はビリビリとストッキングを破り始めた。

 しかも、結構荒い。

 いいのかそんなことして。

 

「いいの。替えならあるし大丈夫……それよりも」

 

 簪がしなだれかかってくる。

 

「ダメ、かな……?」

 

 小首をかしげるようにして見つめてくる簪。その瞳は潤んでいる。

 ここで何が、と聞くのは間抜けすぎる。言わずとも、聞かずとも分かることだ。

 何より、はだけて下着が見えている状態。そして、着崩れたスカートから覗く裂けたストッキング。

 

 その姿を見て理性は吹き飛んだ。

 先ほどまであれこれ思っていたがここまでされたら我慢する必要はない。我慢は返って毒だ。

 というかここで我慢できる自信のあるやつがいれば、そいつはもう学生時代の一夏レベルの逸材だ。

 加えてこの後簪を風呂に入れるのなら、一人で入れさせるよりも二人で入ったほうがいろいろ安心できる。

 据え膳食わぬは男の恥。

 

「ふふっ」

 

 くすりと微笑むその艶笑みはまるで悪巧みが成功したかのよう。

 簪に上手く誘導された。

 開始を告げる合図の口付け。触れ合った唇からそっと体温を分け合い、深い夜を更に深くしていった。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪からの最高の癒しを

「大丈夫……?」

 

 突然の声にビクッとなる。

 ヤバい。うつらうつらとして眠ってしまっていた。

 我に返って隣の簪を見ると申し訳にそうな顔で心配してくれている。

 

「ごめんなさい……眠いのに付き合ってもらって。凄い眠そう……やっぱり、もう寝る……?」

 

 首を横に振って断る。

 眠いのは確かだがまだ起きてられる。

 というより、起きていたい。ここ最近ずっと仕事が夜まで長引き、帰ってきても簪が寝ている頃だったりした毎日。

 顔を合わせるのも朝ぐらいで簪には寂しい思いをさせてしまった。

 折角、今日それがようやく終って早く帰ってこれ、久しぶりに二人の時間を過しているのに寝てしまうのはおしい。俺だって簪と一緒の時間を過せなくて寂しかったんだ。

 それに帰ってきて簪の料理を食べ風呂に入って安心したからとは言え、テレビを一緒に見ているのに寝てしまったのはよくない。反省しなければ。

 

「それは別にいいけど……無理だけはしないで。お仕事、大変だったんでしょ……?」

 

 まあ、大変だったがあの大変さは今まで何度も経験してきた。

 ある程度は慣れたから、今日明日と休めばこの疲れはおのずと取れるだろう。

 だから、そんな心配するものでは……と言ったところで簪は納得しない。現に今、そんな顔している。

 

「んー……あ、そうだ。じゃあ、見るのはやめて別のことしたい」

 

 別のこと……構わないがなんだろう。

 ゲームとかそういう。

 

「違う。マッサージ」

 

 今一意図が分からず首をかしげた。

 実は簪のほうが疲れていたりするのだろうか。

 

「そうじゃなくて私があなたにマッサージしてあげる。ほら……寝室行くよ」

 

 手を引かれ、有無も言わさず俺は簪に寝室へと連れて行かれた。

 

「ん」

 

 着くなりベットに寝転べと催促してくる簪。

 これはもしかしてなくても寝かせる気満々だろ。

 

「あっ、気づいた? ふ、ふ、ふ……今夜はぐっすり眠らせてあげる」

 

 どこかできたような言葉を捩った台詞。

 いかにもなわざとらしい悪い笑い方だなそれ。

 やっとくれるというならお願いしてみよう。

 

「うん、任せてっ」

 

 俺はうつ伏せになって寝転んだ。

 そしてその上に簪が跨ってきた。

 

「重くない……?」

 

 心配しているが気にはならない。

 丁度いい背中の重みが心地いいぐらいだ。

 

「よかった。じゃあ、始めるね」

 

 まず始めに簪は、指の腹で首の付け根を小さな円を描くようにグリグリと押してほぐしてくれた。

 しばらくそうしてほぐしてくれると次は肩のマッサージ。

 内側から外側に向けて三日月を描きながらスライドさせ、指や手の平全体で揉み解してくれる。

 

「よいしょっ……よいしょっ……どう、かな? 上手くできてる……?」

 

 上手いし、気持ちよくて気の抜けた返事をしてしまう。

 

「ふふっ、よかった。じゃあ……お、お客様~? 他にお辛いところはありませんか~? って、そこ笑わないのっ」

 

 軽く噴出してしまった。

 マッサージ師の真似なのは分かっているが、言い方が美容師のそれみたいでツボに入った。

 

「もうっ……んっしょ、んっしょ……っと」

 

 うつ伏で寝ているのと一定のリズムで繰り返させられる丁度いい強さのマッサージのなんだろう。

 覚めたはずの眠気が再び蘇り、またうとうとしてきた。これはヤバい。これは本当に寝かしつけられてしまう。

 

「いいよ、寝ちゃっても。今日までの疲れを取ってスッキリした気分で寝てもらうためにやってるんだから」

 

 何ていうかこうしてマッサージしてもらいながら優しい言葉を言ってもらえるだけで今日までの疲れが吹き飛んでいく。今それを凄く実感してる。

 幸せ者だ。しみじみそう感じた。

 

「大げさ……はい、おしまい。一通りすんだけどこんな感じよかった?」

 

 首の付け根から始まったマッサージは全身隅々までしてくれた。

 跨っていた簪が降りると俺は身体を起こし、グッと身体を伸ばしてリラックスする。

 マッサージ前とくらべて明らかに体が軽い。おかげさまで随分楽になった。

 

「ん……じゃあ、最後の仕上げするね」

 

 そう言って簪は乱れたベットを綺麗に整えていく。

 寝るみたいだが、仕上げとは一体。

 歯磨きなどといった寝る支度は予めテレビを見る前に済ませてあったから、すぐ寝れるには寝られるが。

 

「よしっと……布団入ろ?」

 

 枕元に眼鏡を置き先に布団へと入った簪に呼ばれ、続くように布団に入る。

 そして部屋の明かりが消された。やはり、寝る流れのようだ。

 夜ももういい時間だからそろそろ寝たほうがいいな。

 

「それもそうなんだけど……はい」

 

 ぎゅっと抱き寄せられた。

 しかも、顔は簪の胸元へと頭を抱えるようにして寄せられていた。

 必然的に鼻先に簪の優しい匂いを感じた。

 これが簪の言う最後の仕上げだということは何となく分かる。しかし、どういう意味があるのかは分からない。

 

「……え、えっと、その……ほらっ、これはアロマテラピーの一種」

 

 また取ってつけたような言い方をする。

 アラマテラピーって確か、香りを楽しみながら癒されるとかいう奴だったけか。

 

「そうそれ。後この前、ネットの記事で恋人の匂いを嗅いだり、恋人とハグするとストレスが減るって見たから……」

 

 なるほど、それで。

 確かにこれは効き目を感じる。簪の匂いに包まれて、抱きしめられている感覚が凄い癒される。

 俺からも簪を抱き寄せ、胸の谷間辺りへと更に顔を埋めた。

 

「ふふっ、よしよし。今日は本当にお疲れ様。おやすみ、ぐっすり寝てね。また明日」

 

 ああ、また明日。

 背中をぽん、ぽん、と軽く一定のリズムで擦ってくれるのと、優しい鼻歌が子守唄となって穏やかに眠りへとつく。

 

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪との共通点

 簪と風呂から出た後、俺達は各々家事をしていた。

 俺は食器洗い。簪は洗濯物を畳むといった分担。

 食器洗い機に入れて乾燥までした食器をしまって、簡単に台所を拭く程度なのでそんなに時間はかからない。

 さくっと終らせると台所からリビングに戻った。そこでは簪がソファに座りテレビを見ながら、洗濯物を畳んでいた。

 手は動いているがいつもより進みが悪い。どうやらテレビに気を取られているみたいだ。珍しい。

 何見てるんだ。とりあえず簪の隣に座って、畳むのを手伝う。

 

「ああ……お疲れ様。これ」

 

 簪の視線の先では何やらバラエティー番組がやっていた。

 内容は家族や夫婦についての特集。よくある感じのだ。

 

『家族や夫婦、生活時間を一緒にするほど似てくるところが多くなってくるんです!』

 

『へぇ~』

 

「へぇ~」

 

 簪まで同じ反応をしていた。

 言ったら元もこもないがわざわざ取り上げるほどのことか。

 

「えー……」

 

 凄い残念なものを見る目を向けられた。

 同じ時間が増えれば似てくるのは普通のことで同じになっていくものだろうそういうのは。

 実際、スタジオの女性陣は盛り上がっているが男性陣は結構ぽかんとしている。

 

「はぁ、分かってない……」

 

 そんな溜息混じりに言われても困る。

 

『食べ物の好みだけでなく、服装などの好み。はたまた仕草や口癖などが似てきていることはありませんか?』

 

「私達はどうなんだろう……?」

 

 仕草や口癖はパッとすぐには思い浮かばないが、していえば食べ物の好みとかは似てきた気がする。

 昔はそうでもなかったが、簪と出会ってからは抹茶味が好きになってきた。今では迷ったら取り合えず、抹茶味を選ぶほどだ。

 

「あー……そういうことなら私もそうかも。私も麺類好きになってきた。特にラーメン。おかげで昔よりかは沢山食べれるようになったし」

 

 言われてみれば、そんな気もする。

 学園卒業後、同棲するようになったから家、外問わず麺類を食べることは多い。

 昔の簪はラーメン半分だけでも大変そうだったが、今ではラーメン一杯はもちろん、ラーメンセットやサイドメニュー付きまで食べれる様になってきている。

 簪が候補から正式な代表になっていろいろと食事面改善しあったから、それが大きいんだろう。

 

「あなたが現役時代、いろいろと食事サポートしてくれたからね」

 

 後は特撮関係だろうか。簪と俺を繋げてくれた大事なの物。

 付き合う前は本当にただ知っていた程度だが、付き合うようになってからはかなり詳しくなって、今では趣味の一つになるほど好きになった。

 これは変化の一つとして外せない。

 

「だね。今でも毎年映画見に行ってるほどだし……あ、そうだ」

 

 何か思いついたようだ。

 

「いや、ね。最近、本音や虚、それからお姉ちゃん達に言われたこと思い出したんだけど……私達、同じタイミングで同じ言葉言うこと多いらしい」

 

 そ、そうだったんだ。

 たった今自覚……と言えばいいのか、自覚した。

 いやでも思い当たる節はあるような? 言おうとしたことを簪に言われたり、物を取って欲しい時言わなくても取ってくれたりするから、そういうことなんだろうか。

 となると、似てきたところは多い。

 

「ふふん、だね」

 

 簪はどこか得意げに嬉々としてふにゃと笑った。

 似てきたと思えるところがあるといえばあるが、やはりただ単に同じ時間を共有してるから同じになったとしか思えない。

 

「もう……またそういうこと言う」

 

 そう呆れられてもな。

 いつしか洗濯物を全部畳み終えた俺達は続きを見る。

 

『相手の癖が似るというのは『ミラーリング』と呼ばれています』

 

「なるほど……ミラーリングか……上手い言い方だね」

 

 鏡に映したように同じことをするということか。

 中々洒落が効いている。そう思わず簪と関心してしまった。

 

『一重にこれは同じ相手と同じ時間を過しているから起きるというわけでありません。お互いを愛し、想いあってなければ、相手の仕草や口癖を知っていても無意識にはしないものなのです』

 

「だって……ふふっ」

 

 何だその含みのある笑い方は。

 当てはまるのは簪もだろうに。

 

『故意的に相手を真似て親近感を産むというコミニケーション術でミラーリングが使われることもありますがその場合露骨になってしまい逆効果。関係を悪くすることが多いのです』

 

「あー……確かに……」

 

『真のミラーリングとは意識していないふとした時に起き。それに気づけた時仲はより深まること間違いなし! カップル、ご夫婦ならきっと素敵なおしどり夫婦になることでしょう!』

 

 そう締めくくられ、番組は次の話題へと移った。

 

 似てくる一つでもここまでの理由や現象名があったとは。

 ただ同じ相手と同じ時間を共有していればいいというわけでもなく。

 相手のことを想っていなければ似てこないということは言われれば当たり前だと思うことだが、こうして改めて確認できてよかった。

 好みが似てきたり、同じことを言うほど簪に愛されているんだなぁとしみじみする。

 

「一人でしみじみしてるけど……それ、あなたも当てはまるからね」

 

 もちろん分かっている。

 簪を愛している。それは好みが変ろうとも、考えが似ようとも変らない。変るとしても、それは簪を想う強さぐらいだろう。

 あ……簪、赤くなった。照れてる。

 

「あ、当たり前でしょ。あなたからのその言葉何年経っても慣れないのは変らないんだから。でも、何度言ってもらえても嬉しいのも変らない。ありがとう……愛してる」

 

 脈絡もなく始まった深夜の告白大会。

 学生時代思い出すな。

 

「そう言って誤魔化しても無駄。照れてるのお見通しなのも変らない」

 

 一緒の時間が増えるといいこともあるがこういう時適わない。

 くすくすと楽しげに笑う簪には俺は無言を貫き通すばかり。

 

「ふふっ……これからももっと二人の共通点、増やしていこうね」

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
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簪と昼を

 腹の空きを感じたのは休日自室で一人過している時だった。

 時間を確認すれば、昼時。

 朝食食べてから大分経ったから、腹が空いてくる頃だ。

 

 何もしてなくても腹が空く時は空く。昼飯にしよう。

 そう思い立ち、部屋を後にして台所へと向かった。

 台所、リビングに簪の姿はない。部屋を出たとき、向かい側の簪の部屋から気配がしたからまだ部屋にいる。

 そろそろ簪もお腹を空かせて、出てくるところだろう。

 

「もしかしてお昼……?」

 

 噂をすれば何とやら。

 簪が台所にやってきた。

 頷いて答え、簪の食べたいものを聞いた。

 

「簡単なのでいい……というか、私が作るよ」

 

 提案してくれたが、今朝は簪が朝食を作ってくれた。

 だから、今日は昼は自分で作りたい。

 とは言っても簪はあまり納得してない様子だ。

 

「だって今朝、たまたま私が先に起きただけだし……」

 

 変なところ拘るのはいつになっても変らない。

 ならこっちでメインのものを作るから、簪には付け合せでも作ってもらおう。

 

「分かった……ちなみに何作るの? もしかしてまたパスタ?」

 

 物の見事に当てられてしまった。

 考えればすぐ分かることか。麺類、パスタは作るのが簡単でよく食べている。

 今日のは市販のソースを使ってではあるがカルボナーラのパスタを作ろうと思っていた。

 簪は別のがよかった?

 

「ううん、いいよそれで……じゃあ、私は付け合せに野菜スープでも作ろうかな」

 

 カルボナーラによくあいそうだ。

 簪はインスタントとかではなく、冷蔵庫にあるものを使って作る様子。

 何だか付け合せのほうが凝ったものになりそうだな。

 

「そんなことないって……有り合わせのものだし。あなたこそ、また凝ったトッピングするんじゃない?」

 

 俺のほうこそ、そんなことはない。

 トッピングはするけども、半熟卵を乗せる程度。

 湯がくのもパスタを沸かした湯を使うからそこまで手間がなく簡単。

 

「半熟卵か……おいしそう。……本当、こうやって二人で料理するの久しぶり。何か楽しいね」

 

 簪はくすりと笑って言った。

 確かに。

 今みたいに料理を共にできるのは楽しい。こういう一時があるというのはいいことだ。

 これからはもう少しこういう機会を増やすのもアリかもしれない。

 

「いいね……賛成」

 

 簪のその言葉に次の機会が待ち遠しくなった。

 

 

「いただきます」

 

 向かい合って座る二人の言葉が重なる。

 早速、机に並ぶ料理を食べ始めた。

 まずはメインのカルボナーラから口へと運ぶ。

 

「美味しい……ん、半熟卵黒コショウ効いてて濃いけどまろやか」

 

 よくあるトッピングではあるが、これが一番合う。

 コクが引き立てられて美味い。

 

「このソースはやっぱりコレに限るね……昔、二人であれこれ試したの懐かしい」

 

 学園を卒業して同棲するようになって、自炊を始めてから結構試した。

 最終的に今日使ったソースにたどり着いた。

 これもある意味、二人の思い出みたいなものなんだろうか。

 

「そうだよ……外れも結構あったことだし……そうだ、また新しいパスタソース探しに行きたい」

 

 いいな、それ。おもしろそうだ。覚えておこう。

 それと。

 

「ん? あ……あ、ありがとう」

 

 口元に少しついていたソースをティシュで拭いてやると照れていた。

 今度は簪の作ってくれた野菜スープに口をつける。

 少し不安そうに簪は、感想を待つ。

 

「……どう……?」

 

あっさりして美味い。

カルボナーラが濃いだけに余計そう感じる。

好きな味付けだ。

 

「よかった」

 

 安心した様子で胸を撫でおろした簪は嬉しそうに頬を綻ばす。

 野菜の他に小さめの鶏肉も入っている。

 これなら毎日でもいい。

 

「ふふっ……それって、もしかして……プロポーズ?」

 

 簪はおもしろがっている。

 その証拠に口元が笑ってる。

 

 なるほど。今言ったのは昔からある有名なプロポーズの言葉に似ている。

 プロポーズのつもりではなかったけど、プロポーズなら簪の答えはどうなんだろうか。

 

「それはもちろん決まってる。喜んでお引き受けします、旦那様」

 

 冗談めかし言っているが、心からそう思っているのがわかった。

 今でもはもう簪もすっかり堂々としたもの。しっかりこちらの目を見つめて離すことを許してくれない。

 だから嬉しさが大半。少々の照れくささから笑ってしまうと簪も釣られて笑った。

 

「お腹もだけど、胸もいっぱい……はぁ、幸せ」

 

 いつの間にか二人揃って皿は綺麗に空いていた。

 二人一緒に料理するのは楽しく。そうして出来たものはいつもと一味違って美味しい。

 更に愛する人と食事をするというのは当たり前だと思いがちだが、この上なく幸せな一時。

 腹も心も満たされ幸せいっぱい。

 簪、今日もご馳走さま。

 

「お粗末さまです。私もごちそう様でした」

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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簪との差

 ――ドタン!

 

 何がこける大きな音が聞こえた。

 簪の部屋のほうからだ。駆け足で向かった。

 扉の前でノックして一声かける。

 

「だ、大丈夫っ……ちょっと躓いただけだから」

 

 の割には痛みを堪えているような声だ。

 とりあえず中に入ってもいいだろうか。

 

「う、うん……」

 

 中に入ると尻餅をついた簪がいた。

 目尻にはうっすとら涙が浮かんでいる。

 どこか痛めたりしているんじゃ。

 

「大丈夫だって……本当、ただ躓いただけだから。ごめんなさい、騒がしくして」

 

 簪が無事なら構わない。

 にしてもあんな物音出るようなこと。一体何していたんだ。

 躓いたと言っていたが、クローゼットの前では椅子が倒れている。

 何か上にあるものを取ろうとしていたのか。

 

「うん……あれ、取ろうとして」

 

 椅子を起こしながら簪が指指していたほうへ目をやる。

 クローゼットの上の方には大きめのダンボールがあった。

 あれを取るには椅子に乗っても簪の身長ではギリギリ届かない。

 無理して取ろうとして転けたなこれは。

 

 そもそもあのダンボール、以前簪にお願いされて俺があそこに置いたものだったはず。

 言ってくれれば取ったのに。

 

「いや、だって……休んでるの邪魔したくなかったし」

 

 気持ちは分かるがそれで怪我でもしたら元も子もない。

 起こした椅子の上に乗ってそのダンボールを取る。

 

「おおぉ……」

 

 何故か関心されてしまった。

 何なんだ。そんな関心するようなことでもないだろうに。

 こうして高いところのものを取るのも初めてのことではないし。

 

「それはそうなんだけど……高いところのものスッと取ってくれたの何か凄く素敵だなぁって」

 

 これは褒められたということでいいんだよな。

 若干戸惑いながら取ったダンボールを簪の前に置く。

 素敵と思うものなんだろうか。自分ではよく分からない。

 

「そういうものなの。いいな……私、もう少し身長欲しかった。まあもう……伸びる様な歳でもないけど」

 

 確か簪の身長は154cmだったはず。

 

「それは学園時代の身長。あれから少しは伸びたもん……」

 

 具体的にはどのくらいなんだろう。

 

「ひゃ……155cm……」

 

 そう言った簪の言葉尻は小さかった。

 

「あ~っ! 小さいって思ったでしょ……1cmって結構大きいんだから。ほら、立って背比べ」

 

 思ってないし、大きい方のは分かる。

 しかし、簪は納得がいかないようで腕を掴まれて立つことを催促される。

 仕方ない。言われた通り、立つ。

 すると向かい合い簪に抱きつかれる。

 

「ほら……どう……? 伸びたでしょ」

 

 確かに伸びた気はする。こうするとそういう実感はある。

 でも、わざわざ抱きつく必要はあったのか。

 

「こうしないと分からないでしょ」

 

 別の方法も思いついたがややこしくなりそうなので黙っておいた。 

 やっぱり、いつになってもそういうのは気になるものなんだろうか。

 

「気になるよ……周りの代表候補や代表選手、皆背高い人ばっかりだったし……あなたも私の背、もう少し高い方がいいでしょ……? あなた結構背高いから……」

 

 と離れ、向かい合うようにしながらまた床に座り合い簪が言った。

 

 確かに俺の身長は結構高い。

 さっき言ってくれた簪の身長と大体20cmほど身長差がある。

 キスをするときとか屈まないと正直辛い。

 しかしだからといって、簪の身長が高い方がいいというわけというわけでもない。

 今ぐらいの身長の簪が一番いい。

 抱きしめた時、腕の中にすっぽりと収まる感じが好きだ。

 

「うっ……ま、まあ、あなたがそこまで言うなら今のままでいいのかな……」

 

 満更でもない様子でそう簪は言った。

 どうやら納得してくれたみたいだ。

 

「あ、でも……高いところのものぐらい自分で取れるようにならないと……」

 

 どうしても取れない時は呼んでくれればいい。

 それぐらいお安い御用だ。

 

「ありがとう。さてと……」

 

 簪がダンボールの中を開けようとする。

 中って何が入っていたっけ。

 中を見たという記憶だけあるが肝心の中身の内容が思い出せない。

 

「これだよ」

 

 出てきたのはDVD。

 ちなみに青いタイプのほう。

 他にも中にはPCにデータを移して見なくなった初回限定版円盤が

 タイトルはかなり懐かしい特撮ライダーの劇場版だった。

 

「ネットしてたら急見たくなったけど映像のデータ見つからなくて円盤出そうと思ったの……よかったらだけど……一緒に見る……?」

 

 そんな簪からの提案。

 折角の誘い。見てみるか。

 

「やったっ……見よ見よ」

 

 手早く見る用意をすると簪は定位置に座った。

 床に座る俺の膝と膝の間。

 腕の中にすっぽりと収まるところに。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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夜遅く簪に出迎えられて

 人でひしめく夜の改札口を抜け、家へと続く帰路に着く。

 ここ最近、仕事が長引き帰夜遅い続いたが、今日は終電帰りと一際遅くなってしまった。

 日付変わってしまって簪はもう先に寝ているだろう。最近ずっとそうだ。

 本当は起きて帰りを待っていたかったみたいだが、無理してもらうのも悪い。眠くなったら寝ててほしい。

 

 家に着きドアを開けてから、中へ入る。

 家に着いた安堵からか、ドッと疲れが押し寄せてきた。

 疲れた。けれど、夜飯は食ってきたから後は風呂に入れば寝るだけ。あと少し。

 などと考えていたら、リビングのほうから足音が聞こえてきて。

 

「お疲れ様。お帰りなさいっ……あなた」

 

 パジャマ姿の簪が笑顔で出迎えくれた。

 驚いた。てっきり今日も寝てるものだとばかり。

 

「今日連勤最後の日でしょ? ここ最近はずっと先に寝ちゃってたから最後の日ぐらいは起きてちゃんとお出迎えしたしたいなぁ……って」

 

 何だか悪いなと思う反面

 こうして出迎えてもらえるのはやっぱり嬉しい。

 ただこれだけで疲れが和らぐ。

 

「まあ、その……本当はさっきまでうとうとしちゃってて、玄関の音で起きたんだけど……」

 

 恥ずかしそうに白状する簪に俺は苦笑いした。

 

「じゃあはい、スーツ貸して。お風呂、用意してあるから……夜ご飯は食べてきたんだよね。あ、お風呂上がって晩酌するなら付き合う。おつまみのリクエストあるなら作るし」

 

 早速、簪はあれこれしてくれようとする。

 嬉しいが申し訳なくもある。

 今日はもう風呂上がったら寝るつもりだったし、出迎えてくれただけで充分。

 

「……ん、分かった……」

 

 言葉では納得してくれたがしょんぼりされてしまった。

 そんな顔されると胸が痛む。

 もう先に寝てろとも言いづらい。

 よし、分かった。風呂上がったら、簪には髪でも拭いてもらおう。

 

「っ! うんっ、任せてっ」

 

 しょんぼりしていたのは何だったのやら。

 簪は凄く嬉しそうだった。

 まったく、仕方のない奴。とそんな簪に苦笑いした。

 

 

 風呂から上がって、リビングに向かう。

 早く出ようと思っていたが、思った以上に疲れていたようでいつもより遅くなってしまった。

 簪を待たせただろうな。

 リビングを入ると簪を見つけた。

 

「……ん、んんっ……ん……」

 

 ソファに座って簪がうつらうつらと眠そうにしている。

 待たせてしまったからまた眠くなったんだろう。

 起こすのは可哀想だがこのままにして風邪でも引いたらこともこもない。

 それにソファ前のテーブルにはドライヤーと櫛が置かれてる。やる気満々だ。

 とりあえず声をかけて起こす。

 

「あ……ごめんなさい……また寝てた……」

 

 申し訳なさそうにしているが仕方ない。

 やっぱり、先に寝たほうが。

 

「ううん……大丈夫。髪乾かすんでしょ……? やる」

 

 ドライヤーをコンセントに繋いでいた。

 そういうことなら、もう約束した通りに髪乾かしてもらおう。

 ソファに座る簪の前、その床に腰を下ろす。

 まあ、軽くサッと乾かすぐらいでいい。むしろ、全然適当でも。

 

「やるからにはちゃんとする。あなたは疲れてるだろうし適当にくつろいでて」

 

 そう言って簪は髪を乾かし始めてくれた。

 ドライヤーの音が聞こえ、暖かい風を感じる。

 次いでそっと髪を触られた。

 優しい手つき。こうやって誰かに髪を乾かしてもらうのは随分久しぶりのことで、だからなのか安心する。気持ちいい。

 

「ふふ、よかった。そう言って貰えるとした甲斐あるね」

 

 と嬉しそうに言いながら簪が櫛で髪を梳き始めた。

 結局、そこまでするんだ。

 

「もちろん。やるからにはちゃんとするって言ったでしょ」

 

 普段、自分ではここまで丁寧にしないから凄い不思議な気分だ。

 適当でいいのに。 

 

「こうしたほうが寝癖つき難いんだよ。それにサラサラにもなるし」

 

 簪は楽しそうだが、男の髪をサラサラにして何が楽しいんだか。

 

「楽しいのに……それにこうすると、ほら」

 

 髪が梳き終わり、簪はドライヤーのスイッチを止めた。

 そして次の瞬間、後ろから抱きしめられた。

 というより、旋毛の辺りに顔を埋めて匂いをかがれている。

 風呂上りなのが幸いだが、恥ずかしいものがなくはない。

 

「んふ、んふふっ」

 

 柄にもなくだらしのない笑い声が頭の上から聞こえてくる。

 幸せそうだから、振りほどくほどのことではないけどやっぱり風呂上りでもそんなに嗅がれると匂いが気になってしまう。

 まあ、似たようなことまたに自分もするから強くは言えないけど。

 

「心配しなくてもいい匂いだよ……ん、癒される……って、私が癒されてたらダメだね」

 

 誤魔化すように苦笑いする簪だがやっぱり疲れが抜けてないみたいだ。

 それにここ数日の連勤で簪にはまた寂しい思いをさせてしまった。

 ここでこのまま簪の好きにさせるのもいいが、それはそれで簪が返って気にしてしまう。今はそういう感じがする。

 なので向きだけ変えさせてもらった。

 

「向き……? 別にいいけど……」

 

 簪はソファに座ったままで対するこちらも床に座ったまま前から簪の腰に抱きつき、太ももの間に顔を埋めた。

 瞬間、簪が身体をビクッと震わせた。嫌だったか。

 

「ううん……ちょっとくすぐったかっだけ。でも、どうしたの……? 突然こんな」

 

 聞かれてしまうと答えに困る。

 しいていなら、俺も癒されたくなった。

 それだけのこと。

 

「そう……いいよ。いっぱい甘えても……よしよし、いい子いい子」

 

 頭を撫でられる。

 後、簪の声が笑ってる。

 これじゃあ、まるっきり小さな子ども扱いだ。癒されるけど腑に落ちない。

 

 そう言えば簪はいっぱい甘えてもいいといった。

 証言は取った。なのでせめてもと太ももの間に埋めた顔をぐりぐりと動かした。

 

「きゃっ! こらっ、変なことしてないのっ。んんっ……もう、悪い子にはお仕置き」

 

首の後ろをくすぐられ、思わず変な声が出た。

 

「ふふっ、いい声。ってっ……んんっ、いつまでするの。負けないんだからっ……こしょこしょこしょ~!」

 

 負けじと簪の太ももを顔でくすぐっていると簪も負けじとまた首の裏をくすぐってきた。

 そこをくすぐられると弱い。

 しかし、負けるわけにはいかないとじゃれあうと流石に疲れてきた。

 何やってるんた。早く寝る予定だったのに。

 

「あ……そだね、髪の毛終わったしもう寝よ」

 

 馬鹿やめて、俺達は寝室へと向かうことにした。

 

 

 

 

 布団に入って部屋の明かりを消す。

 ここ最近はずっと倒れるように布団へ入っていたから、こうやってゆっくり布団に入るのは久しぶりだ。いつも以上に落ち着く。

 さっきまで簪に髪を乾かして貰って、じゃれあっていたおかげなんだろう。

 

「余計、疲れちゃったけどね」

 

 それを言われると弱い。

 今更ではあるが、何であんな子供じみたことしたんだと思う。

 疲れていると変なことをするって本当だったんだ。身をもって体験してしまった。

 

「でも……楽しかった」

 

 それはについては同意見だ。

 簪がそういうのならああいうのも悪くない。

 

「よいしょ……っと」

 

 ふいに簪のほうへと抱き寄せられる。

 そのまま胸、その谷間に顔が埋まった。

 これは一体。

 オマケに背中をポンポンとしていくれているが。

 

「別に子供扱いしてるわけじゃなくて……こうすれば安心して寝られるかなって。今週ずっと大変そうで本当に疲れてるみたいだから少しでも癒されてほしいな」

 

 そんな気を使わなくても散々癒されてるのに。

 本当に自分にはもったいない。よく出来た奥さんだ。

 

 こうしていると妙に落ち落ち着く。

 今夜はこのまま眠りたい。

 

「ん……よかった。いいよ……今夜はこのままで。私も癒される」

 

 安心しきった声でそう簪は言った。

 

 一定のリズムで背中をポンポンされてるとどんどん深い眠りに向かっていく。

 本当に寝そうだ。

 でも、まだ何か簪に話すべきことがあったような。話……明日のことだ。

 

「ん……? 明日……?」

 

 明日は二人とも休み。

 だから折角なので何処か出かけようと思っていた。

 

「お出かけ……? いいね……日用品結構切らしてるのあったから買わないとって思ってたところなの」

 

 それは丁度よかった。

 後買い物に行くついでと言ったらアレだがデートしたい。

 

「デートっ……! 行くっ」

 

 簪の食いつきがおもしろいぐらいにいい。

 ここ最近はデートも禄にできてなかったら、明日はちゃんとデートしたいと考えていた。

 しっかりお洒落して、待ち合わせでもすればらしくなるだろう。

 

「そういうの久しぶり……というか、どうしよう」

 

 何かあったんだろうか。

 

「明日あなたと久しぶりのデートだって思ったら、楽しみで眠れそうにないね」

 

 可愛いことを言ってくれるものだ。

 このテンションの高さからして、本気で楽しみにしてくれている。

 嬉しい限りだ。

 

 当然、自分も明日が楽しみ。

 だからこそ、今夜はもう寝て明日に備えたい。

 明日、たくさんの時間を簪と過すために。

 

「そうだね……早く明日しよ。おやすみなさい」

 

 おやすみと返事を返し、俺達は寄り添いながら眠りに着いた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪に妹が出来た日

『会わせたい子がいるから指定の日に本邸へ来なさい』

 

 そんな連絡を楯無さんから貰ったのがついこの間のこと。

 突然の連絡だった。しかも、一方的な。予定をあわせるのに苦労した。

 

「申し訳ありません。もう少しとのことなので、またしばしここでお待ちを」

 

 更識家に従事する女性の人が申し訳無さそうに言って部屋を出る。

 楯無さんはいろいろと忙しい人だ。仕方ない。

 今日呼ばれたのは簪と俺の二人のみ。

 楯無さんと会うのは久しぶりだ。近況報告を兼ねた連絡ぐらいは交わすが、こうして直に会うのは更識家で行われる季節の行事ぐらいなもの。

 昔は向こうから勝手に会いにくることはあったが、最近はめっきりだ。

 本音情報によると何でもお気に入りの子が出来たとか。

 

「ねぇ……やっぱり、あの噂の子なのかな」

 

 小声で話しかけてる簪に頷く。

 そうだろう。更識家ではここ最近、『ご当主の楯無様が養子を迎え入れた』。そんな噂が流れていた。

 それ自体は本音に確認してもらったところ事実だった。

 細かく調べてはないから分かったのはそのぐらいだが、その子で間違いないだろう。

 

「あのお姉ちゃんが養子にまでするってどんなの子なんだろう……ちょっと楽しみ」

 

 凄く分かる。

 あの楯無さんが養子にするってことはよっぽどの事だ。

 それほどの子なんだろうか。

 勝手ながらにも期待が高まっていく。

 

「待たせたわね、二人とも。ごめんなさい、支度に手間取っちゃって」

 

 その言葉と共に現れた楯無さん。

 後ろには小さな女の子らしき人影が隠れている。

 

「ああ、紹介するわ。この子が今日の主役。ほら、クー。挨拶頑張って」

 

「う、うんっ……」

 

 背中に隠れていたクーと呼ばれた子がおずおずと前に出てくる。

 クマのぬいぐるみを抱き白のワンピースを着た幼い金髪の女の子。

 日本人じゃない。外国の子だ。

 

「は、はじめましてっ……えっとっ、そのっ、ク、クーはクーリェっていいますっ。よ、よろしくお願いしますっ」

 

 たどたどしい日本語を使い深々とお辞儀する。

 何でだろう。この子を見てると既知感みたいなものを覚えはじめた。

 一連の様子を見て、楯無さんは誇らしげ。どころか、嬉しそうな顔しながら頭を撫で褒めている。

 

「よくできました! 偉いわ! 流石よ!」

 

「そ、そう? よ、よかった、えへへっ~……」

 

 相変わらず大げさな褒め方だが褒められた方は頬をふにゃりと緩ませ凄く嬉しそうだ。

 

「わぁー、だらしない顔……でも、仲よさそうだね」

 

 養子と聞いて、いろいろ勘ぐってしまったが仲良さそうでひとまず安心した。

 

「それでお姉ちゃん……どういう事情でその子を養子に……?」

 

「そうね。改めて紹介するわね。この子はクーリェ・ルククシェフカ。ロシア出身で元々孤児、孤児院育ちだったの」

 

 更識さんが優しげな眼差しを向ける先ではクーリェちゃんは虚さんが出してくれたお菓子を笑顔で頬張っている。

 

「ロシアは定期的にISの適正値を全国民を対象で調査しててそこで適正値Sを出したのがこの子だったの」

 

「S!?」

 

「ひゃっ!?」

 

「こら簪ちゃん、クーちゃんを驚かせないの」

 

「ご、ごめんね……? ク、クーリェちゃん」

 

「う、うん……」

 

 思わず大声を出した簪にクーリェちゃんは驚き肩を縮めては怯えたように小さくなった。

 簪は申し訳無さそうにしているが、声を上げてしまう気持ちはよく分かる。

 適正値Sなんてそう目に出来るものでない。いてもブリュンヒルデ、ヴァルキリーといった歴代トップ選手ぐらいなもの。

 先天的なのなんて織斑先生ぐらいしか知らない。

 その適正値で幼い年齢。しかも、天涯孤独。いろいろよくないことに巻き込まれそうなのが想像つく。

 

「そうなのよ。期待の新星、ロシア人初のブリュンヒルデをって期待する分にはまあ仕方ないけど期待のあまりいろいろ手荒なことをしちゃいそうな連中が多くてね。見かねて私が保護責任者になったのよ。最初は」

 

 凄い尾ひれがつく言い方だ。

 しかも呆れ顔。それだけではダメだったいうのは伝ってくる。

 

「私がいくら元ロシア代表。ロシアに多大な貢献をしたとは言え、結局は更識の人間で日本人。素質ある子を私に任すのは納得いかないっていう困った人達が多くてね。いろいろあったのよ、いろいろ」

 

「いろいろ……」

 

 簪と一緒にぼんやりそのいろいろを想像してしまうが、よくないのしか思い浮かばない。

 まあ、本当にいろいろあるだろうな。

 

「だったら、いっそ私楯無の家族にして内外共に手出し出来なくすればいいじゃんって思ってしちゃったわけよ」

 

「しちゃって……そんな簡単に」

 

 なんでもないかのように言うが話を聞いていてそう簡単に出来るとは思えない。

 だが同時に楯無さんなら出来るという確信も覚えるから末恐ろしい。

 

「この子の競技者としての育成。将来、必ず高レベルの国家代表に仕上げなきゃいけなくはなったりと当然いろいろ些細で面倒な代償はあったけど些細なものだわ」

 

「まあ、それはそうなるね……」

 

「ええ。まあ、これは追々ゆっくりとね。クーちゃんは争ったりするの嫌いだし、嫌がることは私もさせたくないし。でも、家族が増えるのは嬉しいわ。私は結婚しないとは言え、本当に独り身は寂しいもの」

 

 相変わらず更識さんにこういうこと言われると返事に困る。

 でも、更識さんに家族が増えることは喜ばしい。

 

「……えっと、それで経緯は分かった。今はどうしてるの? 生活とか」

 

「今までは手続きとかでロシアだったけど、これからは日本よ。更識の拠点は日本だし、ロシアにいるとどうしてもクーちゃんに柵つけてしまうから。後は将来IS学園にも通わなくちゃいけないし、日本の生活にも早めになれたほうがいいでしょ」

 

「それはそうだね。うん……あ、住むところは実家……?」

 

「そうね。ここが一番細かいところまで融通利くし、お父様も隠居して暇だから面倒見るって楽しみにしてるし」

 

 なら安心だ。

 親方様、簪のお父さんの喜ぶ姿が容易に目に浮かぶ。

 初孫ってことになるんだろうか。これで孫孫せかされなくてすむのなら、俺達としては何も異論はない。

 

「だね」

 

「あら、それとこれとは別よ。更識家には跡継ぎが必要なわけだし、お家問題にくーちゃん関わらせたくもないし。そういうの抜きにしても貴方たちの子供は皆楽しみにしてるんだから」

 

「……それこそ追々の話。でも、クーリェちゃんはその……日本住むのいいの……?」

 

 話題をそらす様に簪はクーリェちゃんに問いかける。

 さっき驚かせてしまったので今度は気をつけながら優しく口調で。

 

「どう? クーちゃん、やっぱり……」

 

「ううん……いい、よ。思い出いっぱいのロシアとバイバイするの寂しい。けど、また行けるって言ってくれたし、わ、わたしにはル、ルーちゃんとお姉ちゃんがいるからだ、大丈夫。お姉ちゃんいっぱいクーの為にがんばってくれたの知ってるから、クーもにっぽんで頑張るっ……!」

 

「クーちゃん! お姉ちゃん嬉しい、大好きよ!」

 

「ク、クーも大好きっ……」

 

 感極まった様子の更識さんに抱きしめられたクーリェちゃんも更識さんに抱きつく。

 何だか寸劇を見せられてる気分ではあるが、仲がいいのは本当みたいだしこういう感じなんだろう。

 にしても。

 

「私も気になった。お姉ちゃん、クーリェちゃんにお姉ちゃんって呼ばせてるんだ」

 

「私の籍に入れて書類上はクーちゃん私の娘になったけど、私お母さんって呼ばれる年齢でもまだないし、お姉ちゃんはお姉ちゃんだもの! ね!」

 

「そ、そう……ヘ、へぇ~……」

 

 いろいろ言いたげな簪だったが、面倒くさくなったのか適当なところで納得して流していた。

 

「もう連れないわね~。簪ちゃんもクーちゃんのお姉ちゃんなのに」

 

「え……私が……?」

 

「ほら、クーちゃんは私の娘なわけで簪ちゃんからは姪っ子になるわけでしょ? なら、おばさん呼びされるよりお姉ちゃんってほうがいいじゃない」

 

「叔母さん呼びされるのはアレだけど……そういうもの、なの……かな」

 

 半信半疑の様子だが、そう言われればそういうものなのかもしれない。

 クーリェちゃんは姪っ子になる。つまりは、叔母と姪っ子の関係だ。

 クーリェちゃんが簪を叔母さんと呼んでもなんら問題はないが、言葉の響きとしてはおばさん。

 まだ若いのにおばさん呼びは嬉しいものではないから、お姉ちゃん呼びのほうがいいのかもしれない。多分。

 

「クーちゃんにお姉ちゃん増えると素敵だと思うんだけどなぁ~ね、クーちゃん」

 

「またそういうことを……」

 

「……う、うんっ……クー、お姉ちゃんいっぱいでうれしい、よ。あ、あのっ……クーがお姉ちゃんって呼んだら、迷惑……ですか……?」

 

「うっ、ううんっ……迷惑じゃないよ。むしろ、お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいな」

 

「うんっ……簪お姉ちゃんっ」

 

「簪お姉ちゃん……いい」

 

 お姉ちゃん呼びされ簪は、ふにゃりと頬を緩める。

 簪も人のこと言えないほどだらしのない顔で嬉しそうだ。

 今まで後輩はいても妹というのはいなかっただろうし、無理もない。

 

 それに二人の様子を見ていると気づいたことがあった。

 

『気づきましたか』

 

 とでも言いたげな虚さんと視線と合ったから的外れではないだろう。

 簪とクーリェちゃんは似ている。

 雰囲気というか、仕草というか。ほっとけないところとか。

 そういうところがあって楯無さんがクーリェちゃんを迎え入れたような気がした。

 




アキブレキャラを出してくれという電波を受信ししたのでこの話を。
アキブレ世界線ではないので多少関係性や年齢などが違っていますがこの簪物語でもアキブレキャラは全員います。
他のキャラも追々出していければと思ってネタは用意してます。
コメット姉妹やロランは何か出しやすそう。


今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪と涼むひと時

 そろそろ蝉の鳴き声が聞こえてきてもおかしくないような暑さ。

 突き刺さるような日差しを背中いっぱいに浴びながら、ようやく帰宅した。

 帰宅を告げながら、リビングに向かう。小用で少し外出ただけなのに額に汗が滲んでいる。

 

「あ、おかえりなさい」

 

 リビングに入ると、そんな言葉と共に簪が出迎えてくれた。

 出かけた時と変わらず、簪は扇風機に当たりながらソファの上に寝転びスマホを弄っている。

 風邪引きそうだ。

 

「これぐらいなら平気。……それ、どうしたの?」

 

 持っていた袋に気づかれ、中の物を見せる。

 

「アイス……わっ、ありがとう。抹茶味だ」

 

 簪の分も買ってきたのでスプーンをつけて渡す。

 暑い日にはこれだ。

 手洗いを済ませると一度冷凍庫にしまった自分用のアイスを取り出し、簪の隣に座って食べ始めた。

 

「ん、んー美味しい」

 

 アイスを一口食べ、簪は幸せそうに頬を綻ばす。

 見てるこちらまで幸せになってくる笑顔だ。

 続いて自分も一口。

 まだまだ冷たく甘くて美味しい。

 

「ね、高級な味がする」

 

 二人で今食べてるのは所謂ハーゲンのアイス。

 安いアイスなら二個は買えてしまういい値段で高級と言えなくはないが、簪がそんなこと言うなんて。

 それが面白くて変な壷に入り笑ってしまった。

 

「もうっ、何で笑うの。私、そんな変なこと言った……?」

 

 変なことは言ってない。

 ただ簪もそんなことを言うぐらい、庶民感覚が身についたんだと思うとつい笑いが。

 

「庶民感覚って……私、そんなお嬢様してたつもりはなかったんだけどな」

 

 と言いつつ簪はまたアイスを一口。

 

「そっちは……コーヒーバニラ味か……」

 

 俺が食べてるのはコーヒーバニラ味のアイス。

 所謂期間限定商品。

 そうとだけあって結構美味い。

 

「……」

 

 視線を感じる。

 確かめるまでもなく簪の視線の先にあるのは俺のアイス。

 それが意味するところもまた確かめるまでもなく明白。

 一口コーヒーバニラのアイスを掬って、簪の口へと運んでやる。

 

「ん」

 

 待ってましたと言わんばかりに簪は、小さい口を開けて食べた。

 

「コーヒーの味だ。ふふっ、美味しいね」

 

 幸せそうに笑うから釣られて笑う。

 すると今度簪は自分の抹茶アイスを一口掬うと、こちらの口へと運んだ。

 

「はい、お返し。あ~ん」

 

 口を開け、アイスを頬張った。

 口の中に広まる抹茶の風味。抹茶やコーヒーバニラのような甘さ控えめは美味い。

 

「ふふっ、ここ最近一番の贅沢だ」

 

 大げさな。

 そう思いはするが、扇風機に当たりながら高いアイスを食べまったりするのは思えば、中々に贅沢だ。

 そして、そのまま食べ進めると一足先にアイスが空になった。少し食べたりない。もうちょっとだけ食べたかった。

 

「んー? ん、ちょっと待って」

 

 後少し残っているアイスをゆっくり食べる簪と目が合えば、そんなことを言ってきた。

 そして、スプーンでアイスを掬い始めた。

 もしかして、くれるのかと思ったが。

 

「あ、むっ」

 

 とそのまま簪は自分で食べてしまった。

 くれるわけじゃなかったのか。まあ、仕方ない。くれと言ったわけではないし。

 茶が欲しくなり立とうとすると簪に服の袖を掴まれ引き留められる。

 

「待って……んっ」

 

 少し顎をあげ、唇を軽くを突き出す簪。

 まるでそれは何かを催促しているかのよう。

 その意味が何なのかは分かるが本気か。

 

「んっー」

 

 急かされる。

 俺は腰を落ち着け言われるがまま、そっと口付けた。

 

「ん……ふっ、ちゅっ……」

 

 薄っすら抹茶アイスの味がする。

 そう思ったのも刹那、簪の舌が入ってきた。

 しかも、アイスのオマケ付き。

 大分溶けてはいるが今まだ形をギリギリ保っていてほんのりと冷たい。

 

「ふっ……ん、んっ……」

 

 舌と舌が絡み合い、二人の間でアイスは溶けていく。

 口の中には抹茶アイス、それから簪の味が広がった。

 冷たいものを取り込んだはずなのに、それとは裏腹に情熱の炎は燃え上がり、体は熱を帯びる。

 たまらずといった様子でいつしか簪は俺の背に腕を回して抱き着いてきていた。

 

「っふ……どう……? 美味しかったでしょ」

 

 簪は悪戯な笑みを浮かべてそう尋ねてくる。

 それはアイスが、なのか。このキスが、なのか。あるいは両方なのか。

 美味しかったのは確かだ。物足りなかった分、満足した。

 しかし、それとは別の物足りなさみたいなのが大きくなっていくが分かる。

 折角アイスで涼んだのに、これでは逆効果だ。

 

「そう……? アイスで体冷やしちゃったら元も子もないから丁度よくなったと思うんだけど」

 

 なんだそれ。

 学園時代から一緒になってもう随分長いが簪にはこういう茶目っ気が増えてきた。

 仮に丁度よくなったとして、この高ぶりはどうしてくれようか。

 

「あなたさえよかったら……買ってきてくれたこのアイスのお礼させてほしいな……なんて」

 

 そう言った簪のアイスもすっかり空っぽになっていた。

 遠慮気味であるが誘ってくれているのは分かる。

 お礼だなんて大したこともしてないが、そこまで言うのならお願いしよう。

 

「うんっ……任せてっ。あなたの高ぶり、私が責任もってすっきりさせてあげるね」

 

 と、簪が得意げに言って笑顔を見せた。

 そして、そのまま腰かけてたソファに二人でなだれ込む。

 アイスが溶けるように二人は溶けて一つ。汗と情熱が二人の時間を続けていく。

 そんな早い夏日であった。

 




今年もまたいくつか夏っぽい話が書きたい

今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪と過ごす2018年の夏

 照りつける夏の日差し。

 輝く広大な白い砂浜。その先に絶え間なく広がる青く澄んだ海。

 そして聞こえてくるさざ波の音と人々の賑わい。

 

 これだけで充分すぎるほど夏を満喫できてしまうほどの光景。 

 今年の夏休み、珍しく海に来ているがこの光景は来た甲斐あると思える。

 後は隣に簪がくれば。

 

「お待たせ」

 

 噂をすれば、簪があらわれた。

 着替えを済ませ、水着に身を包んでいる。

 ビキニタイプにフリルがあしらわれた紺色の水着。

 初めて見る奴だ。おそらく新しい水着だろう。

 

「正解。折角久しぶりに海行くから新しいの用意してみたけど……どう、かな……?」

 

 こちらの感想を期待して待っている。

 そうだな。水着の紺色が髪によく映えてとても似合ってる。綺麗だ。

 ありきりな感想だけど、これが一番強く思った感想だった。

 

「ふふっ、嬉しい」

 

 嬉しそうにハニかむ簪の笑みが可愛らしい。

 そして簪の手を取って、ひとまずパラソルの下にあるビーチチェアへと行き腰を落ち着ける。

 

「ここ落ち着いてていいね」

 

 泊まりに来た更識家のフロント企業傘下のホテル専用のビーチだけあって、砂浜は綺麗で、人もホテル利用客しかいないので過ごしやすい。

 のんびりできそうだ。

 

「でも、このままただのんびりするのは勿体ないくない?」

 

 勿体ないとは思う。

 のんびりするのは部屋にいるのとあまり変わらない。しかし元来、簪と俺はインドア派。

 海にも勧められたから来ただけなので、特に何をするかは決めてきてない。

 まあ、海に来たとなるとすることは限られてくる。

 折角だから海に足つけるぐらいはするか。

 

「だね。そうなると……また日焼け止め塗らないと。……ん」

 

 カバンの中から日焼け止めを取り出すと突き付けてくる。

 塗れと言ってきてる。

 とりあえず、日焼け止めを受けった。

 

「前は自分でするから後ろの方、ーお願い。後で私もあなたの後ろ塗ってあげる」

 

 そう言って簪はビーチチェアの上でうつ伏せになった。

 クリームを手の平に乗せ、少し温め塗っていく。

 いつになっても張りのある滑らかな肌に触れると、慣れ親しんでいても簪が水着を着ているということがあるからか、正直興奮を掻き立てられなくはない。

 

「ん……ふふっ」

 

 オマケにくすぐったそうに微笑む簪。

 声が妙に艶めかしい。

 そして、ムラなく背中に日焼け止めを塗り終えることが出来た。

 

「ありがとう。前すぐ終わらせるからそしたら次はあなたね」

 

 今度簪は自分で前のほう、腹や足などに日焼け止めを塗り、その間に同じく俺も前を塗った。

 それから、手の届かない背中俺の背中も塗ってくれた。

 これで準備よし。体を慣らし浮き輪とか必要なものを持って海へと向かう。

 まずは足から海水へとつけてみた。

 

「わっ……ふふっ、気持ちいい」

 

 ほどよい冷たさが気持ちいい。

 更に進んで丁度簪の腰のあたりまで海水に入った。

 日差しは照りつけてくるが、海水の冷たさもあってさほど暑くもない。俗にいう絶好の海水浴日和といったところ。

 

「いい日に来れたね……えいっ」

 

 掬った水をかけられた。

 突然のことに面食らう。

 急に何やって。

 

「ふふんっ……ほらほら」

 

 顔を拭うと目の前にはしたり顔の簪が。

 そういうことか。やられたままではいられない。受けて立つ。

 掬った水を簪にかけた。

 

「わぷっ……私よりたくさんかけた……むー、えいえいっ」

 

 また水をかけられる。

 しかも、先ほどより量が多い。

 そしてまた俺からも簪に水をかける。

 そんな風に浅瀬で水をかけあい幼い子供みたいにじゃれあった。

 

 

 楽しい時間は長く続いた。

 水の掛け合いから始まり、軽く泳いだりとこんなにも体を動かして外で遊んだのは久しぶりだ。

 

「ね……楽しかった」

 

 そう隣で簪は、嬉しそうな顔を見せてくれた。

 おかげでもう夕暮れ。

 まだ周りでは遊んでいる人達はいるが、一足先に海から上がった俺達はホテルに戻る前、最後に浜辺へ腰を下ろし夕焼けを眺めていた。

 

「綺麗……」

 

 ぽつりとそう零す簪。

 海と砂浜が夕日に照れされ、キラキラと輝く景色は確かに綺麗なものだ。

 何より夕日で輝く砂浜に照れされた水着姿の簪のほうが景色以上に綺麗で目を奪われた。

 神秘的というのが一番あっているのだろうか。

 いつまでも見ていたくなるそんな姿だった。

 

「ん……?」

 

 簪がこちらの視線に気づき、眩しい微笑みを見せてくれる。

 そしてこちらを見つめ、簪の瞳の奥で情熱を燃え上がっていた。

 目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。こちらもこの後……夜が待ち遠しい。 

 

 だから今はこれで。

 

「ん……」

 

 簪からこぼれる吐息。

 夕日に照らされ海から砂浜に伸びる二つの影は重なり、いつしか一つの影となっていた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪は強がりが過ぎる

 

 耳を疑った。

 今、簪はなんと。

 

「だから、この映画見に行きたい。このホラー映画」

 

 指さした先ではタブレットに映し出されている映画の情報。

 聞き間違いではなかった。

 何でまたそんなものを。

 簪、ホラー得意じゃないだろうに。どころか、苦手だろ。

 

「それは……そうなんだけど……で、でもっ、本音達が面白いから是非見ろって。後、今話題作だし……」

 

 確かに最近よく聞く映画名ではある。

 この夏一番怖いとかいう評判だ。けれど、勧めてきた相手が相手だ。

 記憶違いでなければ本音もホラーだめだったような。

 本当に見たのか疑問だ。

 

「それは大丈夫。ちゃんと確認した。怖いけど面白かったって……本音以外も同じようにこと言ってたし、だから……」

 そういうことならまあ……。

 でも、一人で身に行く勇気は無いと。

 一緒に来てほしいと。

 

「……っ」

 

 コクコクと頷く簪。

 ホラー映画、そんな得意ではない。今一つ気が乗らない……。

 

「そうだ。ほら、まだまだ暑いでしょう。だから、ホラー映画見て涼しくなろ……? ね……?」

 

 簪がここまで粘るのは珍しい。

 見る気満々だ。

 ……仕方ない。見に行くか。

 

「やった……! ありがとっ……!」

 

 笑顔で喜んでいる簪とは反対に俺の不安と心配は膨らむ。

 大丈夫か……いろいろと。

 兎も角、ホラー映画を見に行くことになった。

 

 

 

 

 人達の流れに乗ってロビーへと出る。

 今しがた映画を見てきたが、話題となるだけあって凄い怖かった。

 

「ね……本当とっても怖かった」

 

 という割には簪はケロっとしてる。全然平気そうだ。

 そう言えば、見てる最中も全然平気だった。怖がってた様子なんて見てない。

 怖くはなかったのか?

 

「怖かったって。でも、まあ……って感じ。それより、次買い物でも行こ」

 

 見たかったものを見れて満足したのか、もう気持ちを切り替えてる。

 あれ見た後でもう唾のこと考えられるなんて凄いな。

 

「あ……もしかして、あなたのほうが怖すぎて動けない、とか」

 

 くすりと笑って煽ってきた。

 そんな訳ない。簪の手を取って映画館を出て買い物へと向かう。

 今の簪はいつになく強気だ。怖いと評判のホラー映画見て平気だったから変に自信ついたか。

 人前だからただの強がりかとも思ったけが今は微妙なところだった。

 

 

 

 そして、買い物をこそこそにしてから帰宅した。

 買い物の間も特に怖がっていた様子はなかった。

 仮に強がっていたとしても流石にもう今頃になったら大丈夫か。

 家の中へと上がって、買い物した荷物を置く。

 まずは手洗って着替えなければ。

 

「……ん」

 

 リビングを後にしようとした時、簪に服の裾を掴まれた。

 何かと思えば、もじもじした様子。

 察した。

 

「……き、来て……」

 

 消え入りそうな弱々しい声。

 やはり、強がりだったか。怖いなら怖いと言えばいいものを。

 

「……。は、早くっ」

 

 手を引かれ、後をついていく。

 まったく仕方ない。

 目的地に着くと外で待つ事にする。

 これなら安心するだろう。

 

「ダメ……そのまま一緒に来て」

 

 耳を疑った。

 一緒にって中に入れってことか。

 

「そう……中で一緒にいて……」

 

 困惑した。

 百歩譲って手をつないで外で待つぐらいは全然かまわないが、中に一緒はいろいろとあるだろ。いろいろと。簪も気になするはず。

 混乱していろいろと言い訳じみたことを並べてしまう。

 

「あなたならいいから……お願い……早く、もう無理っ……ッ」

 

 目じりに涙がうっすらと浮かぶ簪の辛そうな顔を見ては慌てて中に駆け込んだ。

 時間にしてそれほど長くはないはず。

 なのに映画よりも長く感じたのは気のせいであってほしい。

 手を繋いだまま外に出る。

 

「……ごめんね」

 

 いや、間に合ってよかった。

 ちょっと間でいろんなもの乗り越えた気がする。疲れや脱力感と似て異なるものを感じた。。

 でも、何というかアレだ。ある意味、今回のことで簪のことで知らないことなどなくなった。

 

「あっ……」

 

 弾んだ声。

 何で嬉しそうなんだ。

 

「ち、違うっ」

 

 怪しいな。

 それからも悲鳴を上げたり、毛布かぶったりだとかあからさまな怖がった様子は見せない。

 しかし。

 

「……っ」

 

 キョロキョロと部屋のあちこちをしきりに見渡す。

 オマケに、さっきのことで何か吹っ切れたようで近くから離れようとしない。

 離れようとしようものなら。

 

「ん……!」

 

 必死なぐらいひっつい正直腕が痛い。

 そんなに怖いのか。さっきまでは平気そうだったから後から怖くなってきた系だろう。

 怖いなら怖いって言えばいいものを。

 

「そういうのじゃ、ない……」

 

 強情だ。

 煽ってきたりした手前、今更素直になれないといったところか。

 まあ、そろそろ素直になってくっつく力を緩めてくれないといろいろ辛くなってきた。主に腕が。

 

「うっ、それは……ごめんなさい……でも、離れたらっ……!」

 

 必死だ。

 離れると言っても力を緩める程度だから大丈夫なのに。

 と言うか、一体いつから怖かったんだ。

 

「……劇場の椅子座って予告始まる前からずっと……」

 

 ほとんど最初だった。

 そこからずっと我慢していたと。

 

「だ、だってっ……」

 

 まったく仕方のない。

 けれどもう、怖がる必要はない。

 きっと今日はこのままなんだろうし。

 

「当たり前。寝る時もだけどお風呂も一緒だからね?」

 

 まったく簪は強がりが過ぎる。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪と夏の終わりを

 

「あ、後どの……ぐらい?」

 

 後少し。

 声をかけへばる簪を隣で支えながら、日陰の下をゆっくり歩く昼下がり。

 目的の店は見えてきた。もう少しの辛抱。

 

「う、うん……」

 

 簪を連れ、店の中に入る。

 そして席に案内され、ようやく席につけた。

 

「はぁ……疲れた……」

 

 椅子の背もたれに凭れながら、簪は汗をぬぐい一息つく。

 暑い中、歩かせ過ぎてしまったかもしれない。

 

「ううん、そんなことない。ただ涼しくなったって言われてても昼間こうも暑いとね……ん、はぅ」

 

 同じように俺も水を一口飲んで一息つく。

 もう夏の終わり。所謂、残暑の時期で朝方や午前は以前と比べて大分涼しくなった。

 しかし、それでも昼間はまだまだ暑い。今だって30℃ちょっとある。

 買い物疲れもあって、疲労は一入だろう。

 

「買い物楽しかったけど疲れた。本当、近くにお店あってよかった……あ、注文しよ」

 

 メニューを開き、一緒になって見る。

 入った店は喫茶店。休むのにはうってつけの場所だ。

 

「かき氷か……」

 

 夏らしくかき氷が一押しされている。

 種類は様々。定番のいちご味やレモン味などがあれば、コーヒー味やチョコレード味などの変わった味もある。中でもイチオシされているのが……。

 

「ブルーハワイ……確か、舌が青くなる奴だよね」

 

 そうだったはず。

 イチオシとだけあって飲み物と合わせて頼むと他のと合わせて頼むよりも安くなってお得だ。

 気になってるなら頼めばいい。

 

「そうしよっかな……そっちは何頼む?」

 

 抹茶味を頼もうかと考えているところ。

 ブルーハワイ、どんなのか俺も気になっているから少し食べさせてほしいが。

 

「いいよ。というか、私が好きなのわざわざありがと」

 

 感謝されてしまった。

 たまたま今日は抹茶味を食べたい気分だっただけのことなのに。

 

「ふふっ、そういうことにしといてあげる」

 

 腑に落ちないものがあるが早速注文をした。

 待つ事数分、目の前に運ばれたそれぞれのかき氷。

 

「わぁぁ……真っ青だ」

 

 素の声でその感想は卑怯だ。

 思わず、吹きそうになった。

 ブルーハワイなんだから青色でなかったらそれはそれでいろいろ問題だろう。

 

「それはそうなんだけどね……っと、食べよ食べよ」

 

 簪がスプーンを手に持つ。

 溶けないうちに食べてしまおう。

 二人でいただきますを言ってから、食べ始めた。

 

「ん……ん~ッ、冷たいっ。そして、美味しい」

 

 美味しそうに頬を綻ばす。

 美味い。冷たさが暑くなった体に染みる。

 そう言えばブルーハワイ、味はどうなんだろう? モノによって多少なりと味が違うと聞いたことがある。

 

「ラムネ風……なのかな。はい」

 

 一口掬ったスープンを向けられ、食べる。

 確かにラムネ風だ。以前食べたのがどんなのだったか思い出せないけど、これはこれでアリだ。

 後、舌が。

 

「ん、どう? 青い?」

 

 簪は遠慮気味にチロリと舌を出す。

 案の定、舌は青い。綺麗な青さ。

 

「?」

 

 記念に写真を一枚撮った。

 

「ちょっ、何で撮るの」

 

 何でと聞かれても記念にとしか。

 スマホに画面にはチロリと舌を出すきょとんした顔をした簪。綺麗に撮れてる。可愛らしい一枚だ。

 

「可愛らしいって……確かに綺麗に撮れてるけど。じゃあ、私も。ん」

 

 明確な言葉ないものの、舌を出すように催促される。

 自分だけ撮っておいて撮らせないのは筋が通らない。なので大人しく催促された通りにする。

 そして、一枚。

 

「ん……上手く撮れた。ほら」

 

 満足げな顔をして簪は自分のスマホを見せてくる。

 そこには何とも間抜けな顔して青くなった舌を出している自分の姿が映る。

 俺だとここまで絵にならないのか。

 

「そう……? 可愛いのにな……ふふっ」

 

 なら含みのある笑いは一体なんだというのだ。

 

「違うってば……いかにもな写真撮り合ってるのが本当いかにもだなって思ったらおかしくて」

 

 はぐらかして言っているけども簪が言いたいことは分かった。

 言われてみれば、確かにそうだ。いかにも馬鹿ップルっぽい。

 

「もう、折角言わないでおいたのに。でもまあ……今更だけど」

 

 二人で見れるよう簪は自分のスマホを机の真ん中に置いて画面をスライドする。

 

「今年もいっぱい撮ったね」

 

 すると移り変わるこの夏いろいろなところでいろいろと撮った写真の数々。

 流石にあからさまなのはないけど、二人で写る写真は簪が言うところのいかにもな写真。

 今年は夏らしいところに出かけたのは少なかったが、その分撮った写真はいつもより多く撮った。

 なので、簪も度々撮っていたのは知っていたが、こんなのまで撮っていたのかという写真まである。

 正直、消してほしいのがチラホラと。

 

「えーやだ。折角夏の思い出なのに……あっ、これとかいい感じでしょ」

 

 他にも出てくる写真。

 まあ、門外不出にしてくれればいいか。

 

「ふふっ」

 

 写真を見る簪はしみじみ笑う。

 そんなおもしろい写真でもあったのか。

 

「そうじゃなくて、こうやって写真見てると夏終わるんだなって思ったらつい」

 

 確かにそうだ。

 しみじみと夏の終わりを感じる。

 まあ、こうして夏の終わりに撮った写真見返して懐かしむのは毎年のことだけど。

 

「もう毎年のお約束になってるよね。でも本当、今年の夏も楽しかった」

 

 満足げに頬を綻ばせ簪はかき氷を一口。

 頷いて同意し、こちらもまたかき氷を一口。

 

「んーっ、キーンってする」

 

 同じ言葉が重なり、二人揃ってアイスクリーム頭痛を味わう。

 夏は確かに過ぎていく。

 そんな夏の終わり。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

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簪に髪を切ってもらって

 

「お前、髪伸びたな」

 

 寮食で朝飯を食べていると向かいの一夏が突然言ってきた。

 相変わらず、突然変なことを言い出す。

 

「いや、伸びてるのは事実だから変じゃないだろ。なぁ? 更識さん」

 

「え……う~ん……い、言われてみれば?」

 

 隣で同じく朝食を食べている簪は微妙そうな様子だった。

 自分どころか簪でも気づいてないのことを、一夏が気づくのはちょっと怖い。

 けれど俺も言われてみたら長くなった気はする。そろそろ切りに行かないといけない頃か。

 前に髪を切ったのは学園入学する前だった。

 

「随分時間空いたな」

 

 そういう一夏はどうなんだ。

 出あった頃とまったく変ってないが。

 

「そりゃ夏に帰省した時、地元のいきつけの店で切ったからよ」

 

 なるほど。

 こいつはこういうところちゃんとしてる。

 だったら、俺もちゃんとしておくべきか。

 でも問題がある。学園近くの髪切るところを知らない。

 帰省した時にとか考えていたら忘れてしまいそうだし、切るなら切るで早めに切っておきたい。

 

「あーそうだなぁ。あ、レゾナンスに美容室あっただろ? あそこどうだ。いい感じだと思うんだけど」

 

 あった気はする。何となく覚えている。

 だが、美容室か……。

 渋っていると簪の向かい側の席、一夏の隣で朝食をゆっくり食べていた本音が口を挟んできた。

 

「いいお店だよ~腕も確かだし~でも、あそこ完全予約制だから今日今すぐってわけにはいかないよ~」

 

「マジか……」

 

 予約制なのはまあいい。

 引っかかるのはそこが美容室だということ。

 

「何か嫌なところでもあるの……?」

 

 嫌というわけではないが、一言で言うなら苦手だ。

 今までは地元の散髪屋だったから都会のレゾナンスみたいなところにある美容室だと妙に話しかけられたりとか。担当の人が女の人だったり、女の人ばかりするんだろ?

 気が引けてしまう。

 

「ちょ! 今更すぎだよそれ~」

 

「本音笑いすぎ」

 

 本音は大爆笑していて、こんな生活して俺も今更だと思うが苦手なものは苦手だ。

 

「まあ、気持ちは分かる。女の人多いところっていつになっても慣れん」

 

 同じ男である一夏が分かってくれただけいいか。

 よくないが段々めんどくさくなってきた。

 わざわざ学園近くの別のところ探して行くのも手間だ。

 そこまで伸びてないのだからいっそ自分で切るほうがいろいろと楽かもしれない。

 

「えー失敗とか怖くないの~?」

 

 失敗したらその時はその時。

 切ると言っても軽く整える程度だから失敗してもそこまで変にはならないだろう。

 となると道具が必要だ。レゾナンスに買いに行かなければ。

 

「別にわざわざ買いにいかなくても寮の購買行けば、梳きバサミとか櫛が入った一式売ってるよ」

 

 本当ここなんでもあるな。

 便利だからいいけど。 

 

「あ、あの……!」

 

「かんちゃん?」

 

 簪が遠慮気味に手を上げた。

 どうかしたんだろうか。

 

「よかったら、なんだけど……私が切るよ……? 手先には自身あるし、自分で切ると後ろとか大変でしょ。梳く程度にはなるけど」

 

 簪が言うことはもっともだ。

 後ろはもちろん、横とか自分で上手いこと切るのは難しい。

 ここは簪にお願いしよう。

 

「うんっ、任せてっ」

 

 

 道具達を揃え、髪を切る準備を整える。

 場所の方は乾いた風呂。

 本当はリビングとか広い場所のほうがいいが、風呂なら姿見もあって便利だということでこの場所に。

 排水溝にはネットをかけてあるから、切った髪の毛は流してネットでうけとめれば楽に捨てられる。

 ついでに髪を洗えるから便利だ。

 

「よしっ」

 

 後ろ。

 鏡越しに映る簪の姿は俺し同じく汚れてもいい服を着ている。

 所謂、学校指定のジャージ。

 その手には梳きバサミを持っている。

 

「じゃあ、切ってくね」

 

 頭の上の髪を取り、そこにハサミの刃先を持っていく簪。

 震えていないが心なしか手の動きが固い。

 気になって鏡越しにでも目が行く。

 

「そ、そんな心配しなくても大丈夫」

 

 心配がないかと言えば嘘になるが大丈夫。

 ひと思いにやってほしい。

 

「言い方……もう。切るから」

 

 と言って簪は切り始めてくれた。

 

 ゆっくりとハサミが入れられ、髪が切られる。

 ジョキンッという心地いい音が浴室内に響き、パラパラと落ちていく髪の毛。

 まだ手つきは恐る恐るではあるものの、簪は真剣な顔つきで切ってくれた。

 

「……うんっ」

 

 後ろの左右の髪の長さや感じを鏡で確認して簪は満足げに頷く。

 ようやく自信を持てたようだ。それからは慣れた手つきとなり、また手を動かした。

 

 髪を切ってもらっている間、二人の間に会話はない。

 あるのは浴室に響くハサミが髪を切る音と髪の毛が落ちる音。

 静かではあるが悪くない。心地いい。

 簪もそのようで髪を切っている簪の口元は笑っている。楽しそうだ。

 

「ん? うん、楽しい。こうやって誰かの髪切るの初めてだし、付き合っててもこういうことしなさそうでしょ」

 

 まあ、確かに。

 普通はめんどくさがってもちゃんとした店に切りに行くから家で切るなんてそうない。

 

「それに私、あなたに頭を撫でられるの好きだけど逆はそんなにないからいろいろな発見がある。髪こんな柔らかいんだとか、つむじはこんな感じになってるんだとかいろいろ発見あって楽しい」

 

 そう言って簪は髪を指に絡めながら撫でたり、つむじをくるくると触ったりする。

 くすぐったい。というか、変な恥ずかしさがある。やめてほしい。

 

「何照れてるの……もう、ふふっ」

 

 櫛で髪を梳きながら簪はからからうように微笑んだ。

 

「はい……じゃあ、今度は前の方切るね」

 

 簪が前の方へと行き、前髪を切り始めてくれた。

 髪の毛が目に入らないよう俺は目を瞑った。

 閉じいてもすぐそこに簪が気配で分かる。

 というより見えてないせいか、音と気配に意識が集中する。

 おかげで簪の息遣いが分かる。変な緊張を覚えた。

 

「出来た……ん、いい感じ」

 

 ハサミが離れていくのが分かり、目を開ける。

 すると間近で簪と目があった。近い。

 

「……っ」

 

 バッとすぐさま目をそらした。

 今更何照れてるんだ。

 

「照れてない……近いのはただ観察も兼ねていたからだけ。まつげこんな長いんだとかいろいろ観察」

 

 苦しい言い訳がまた可愛らしかった。

 

「笑ってないで……ほら、どう……? こんな感じになったけど」

 

 簪がまた後ろへと回り、鏡に姿が映る。

 髪型こそは大して変わってないが、髪の毛の量が減り随分スッキリとした。

 後ろまで確認したが変なところもない。これはまた随分と上手に切ってくれた。

 

「よかった。自分でも上手くできたって思ってけどあなたにそう言ってもらえて安心した」

 

 これならまたお願いしたい。

 

「いいよ……また、切ってあげる。初めは慣れなくて大変だったけど途中からコツつかめてきたからもっと上手くできそう」

 

 それは期待が高まる。

 さながら専属美容師といったところか。

 

「専属か……いいね、ふふっ」

 

 嬉しそうに笑う簪が鏡ごしに映って見えた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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秋を簪と 一

「今度のお休み明けといて」

 

 そう言われたのがついこの間のこと。

 そして休みになった今日、簪に連れて来られたのが今現在のこと。

 目の前には以前連れてこられた時とはまた違う立派な日本旅館が聳え立っていた。

 以前来た時は前もって説明があつたけども今回は朝起こされて、意識が完全に覚醒しないまま連れてこられたので今一つ着いていけてない。ここもいい温泉があるところだったりするんだろうか。

 

「とりあえず先に受付すませよ」

 

 呆気に取られながらも簪の後を追い受付へと向かう。

 

「すみません。予約している更識ですけど……」

 

「はい。更識ご夫妻様ですね。確認しました。ようこそ御出で下さいました」

 

 一緒になった今の名字が聞こえた。

 ここで正解なんだ。そのまま旅館の人に部屋と案内され、簡単に部屋や設備などの説明をしてもらった。

 今回の部屋も内風呂がついた和室タイプ。なんでも内風呂は疲労や肩こりに効能があるようで秋の紅葉と綺麗な大海原が同時に楽しめるようになっている。

 ようやく気付いた。これはもしかしなくてもサプライズ的なものか。

 

「正解。ほら最近、肩凝り酷いみたいだったし、疲れも溜まってるみたいだからどうかなと思って」

 

 そういうことか。

 これは気を遣わせた。悪い気がするが同時に嬉しい。感謝しなければ。

 

「感謝なんていいよ。私がしたかっただけだから。それに私は……あなたの奥さん、なんだから」

 

 自分から言っておいて照れるのは何というか反則だ。

 こっちまで照れくさくなる。

 

「えっと……お茶でも入れるね」

 

 誤魔化すように簪は立ち上がり、部屋に備え付けられてるのでお茶の用意をし始める。

 俺は部屋をぐるりと見渡した。

 落ち着いた和室から見える景色も絶景なのだが、これから何かするべきなんだろうか。

 例えば観光とか? ここ辺りのこと全然知らないけども。

 

「そんなあれこれ考えなくても、ゆっくりしてればいいの。何かあれば、私が全部してあげるから」

 

 と言われ、入れてもらったお茶が出てきたので一口飲む。

 ゆっくりか。ここ最近はゆっくりする間もなかったから、いい機会なのか。

 けれど、ゆっくりってどうするものなんだろう。久しぶり過ぎて分からなくなってきたのと、このままボーっとし続けるのも勿体ないような。

 

「う~ん、それなら……お風呂、入ろ……? 折角あんなに立派な内風呂あるんだから」

 

 それもそうだ。

 風呂に入りながら、ゆっくりしてればいい。

 入るなら、その言い方的に簪も一緒に。

 

「もちろん。お供させていただきます」

 

 悪戯っぽく言った簪と内風呂へと向かった。

 

 

「ふぅ~……ふふっ、被っちゃった」

 

 湯舟に肩まで浸かって一息ついた声が重なる。

 丁度いい湯加減とヒノキの香り。青々と光る大海原と秋の紅葉が一度に拝める。

 そよ風に揺れる紅葉の様子が、秋の風情を醸し出していた。

 

「綺麗……紅葉が湯舟に落ちて流れてくの乙だね」

 

 隣で風呂から見る光景に見とれる簪。

 いい湯、絶景を今この時だけは二人だけのものとできる。そして隣には簪。贅沢の限り。

 

「大げさだなぁ……でも、そうかも。凄く贅沢」

 

 くすりと笑う簪の隣で時がゆっくり流れていくのが分かる。

 湯が疲れたところに染みるこの感じ。ゆっくりするのが本当に久しぶりなんだな。

 ふと簪の名前を呼ぶ。

 

「ん? ああ」

 

 何を言いたいのか分かってくれたようで簪は足の間へとやってきてくれた。

 そんな簪を俺は後ろから抱きしめた。湯のせいも当然あるんだろうが暖かい。                                                     

「ん……安心する」

 

 簪は自分の身体を預けてくれていることも心地いい。

 簪が体に巻いたタオルが届いてない部分と肌と肌が触れ合いそこから体温が直に伝わってくる。熱がある。湯で温まったからだろう。温かいとも言うべきそれは何よりも安心させてくれる。 

 こんな時間を過ごせること簪には感謝しないと。

 

「もう……相変わらず気が早い。まだ旅行は始まったばかり……一々感謝してられないほどいっぱいお世話して今日はたっくさんあなたに羽伸ばしてもらうから」

 

 そういうことなら感謝をするのはほどほどにする。

 

「それでよろしい。本当、何かしてほしいことあったら言って。私……もっとたくさん色んな事をしてあげたい」 

 

 振り向き様に目を見つめられ、少し困った。

 簪はすっかりもっと何かをしたいという様子一色。

 だが実際、俺は簪に充分すぎるぐらい尽くされているので、今のままで大満足している。わざわざこんな素敵な旅館を用意してくれて、こうしたゆっりとした時間をくれているし。

 けれど適当にごまかしたり、何も言わないでおくというのは平行線を繰り広げるのは何度も経験済み。

 簪がいろいろとしてくれるのは嬉しいし、その気持ちでいてくれるのも嬉しい。

 なので簪の気持ちに今日は存分に甘えることにした。

 

「任せてっ。ドロドロに溶けるぐらい甘やかしてあげる」

 

 なんて簪が小さく笑って言う冗談と共に重なる唇。

 唇が離れると顔を見合わせて二人揃って微笑んだ。

 そして細い簪の腰を抱いて自分の方へと寄せ、また唇を重ねる。湯舟が揺れる。

 湯が溢れるかと錯覚するぐらい数え切れないほど唇を重ね合った。

 

 

 別に疑っていたわけではないが風呂での言葉は本当だった。というよりかは言葉通り。

 内風呂から上がると何も言わずとも、浴衣を羽織らせてくれる。

 ありがたい。

 

「どういたしまして」

 

 と嬉しそうな顔を簪はする。

 内風呂から出て居間で休んでいるけども、夕食の時間までまだ大分ある。

 

「六時頃にしたからまだあるね。どうする? オススメしてもらった見晴台とかお庭見に行く?」

 

 部屋の説明をしたもらった時にオススメされたっけか。

 時間を潰すにうってつけだろうし、健康的な時間の使い方。

 だが、しかしだ。

 

「ふぁぁ……」

 

 手で口を押える簪と欠伸が重なった。

 風呂上がりで身体がポカポカしているのと、昼間の眠くなる時間が相まって正直かなり眠い。部屋から出たくない気持ちが強い。

 

「分かる。ねむい……寝ちゃう……?」

 

 昼寝は選択肢として大いにありだ。

 この旅館は予め隣の寝室に布団が敷かれており、いつでも寝ころべる状態。

 ちなみに布団は二つ並びでくっつけられている。

 旅先に来てまで昼寝と言うのは勿体ないと感じる反面、これはこれである意味贅沢の一つか。

 六時の夕食前に内線をくれるとのことなのでそれまではゆっくりしてられる。 昼寝、簪に付き合ってもらおう。

 

「ふふっ、分かった」

 

 二人で布団の方へ向かう。

 布団は二つ並んでいるからそれぞれ一つずつ布団に落ち着いたのだが、少し物足りなさを感じた。

 

「実は……私も」

 

 ならばと簪にこちらへ来るよう手招きした。

 

「そんな近かったら邪魔にならない?」

 

 むしろ、近くにいてくれないと困るぐらいだ。

 

「そういうことなら」

 

 言って簪は近くにやって来てくれた。

 すかさず簪を自分の方へ抱きよせる。

 伝わる簪の温もりと感触。風呂上りだから柔らかないい匂いが鼻先をくすぐる。こうして引っ付いているだけで落ち着く。

 言うならば、これはぐっすり安眠間違いなしの安眠枕だな。

 

「抱き枕って……じゃあ、私はあなた専用の抱き枕だね」

 

 冗談に冗談で簪は乗ってくれた。

 これで今すぐにでも俺は寝れるが、これだと簪は寝づらいか。

 やっておいてなんだが簪にも昼寝してもらって体を休めてほしい。

 

「大丈夫。あ……でも……」

 

 でも、なんだろう。

 

「こんな風にぴったり引っ付いて寝るの久しぶりでしょ? だから、何だかドキドキして寝れないかも」

 

 なんだそれ。おかしくてつい笑ってしまった。

 普段一緒に寝ているけれど、ここまでぴったりくっついて寝ることはなかった。

 だからまあ……言われてみれば、分からなくはないような。

 

「ね。あなたの心臓もドキドキ、音してる」

 

 聞かないでくれ。

 苦し紛れではあるが誤魔化すように簪を抱き寄せ、目を閉じた。

 静かに流れる時間の波に乗せられ、眠りにつく。

 

 本当にぐっすり眠れたのは簪のおかげだ。

 目覚めがよく、スッと起きれた。

 少し寝ただけでも大分違う。風呂で癒され、昼寝で休めれたからか体が軽い。

 結構な時間寝ていたと思ったが、起きようと思っていた時間の十分ほど前。割と早く目が覚めた。

 

「……すぅ……すう……」

 

 なので一緒に昼寝してる簪は、寝息を立てながら隣でまだ寝ている。

 まずは目覚ましを止めた。二度寝する気はないし、内線が来るまで簪をゆっくり寝かしといてあげたい。

 俺の為にいろいろしてくれているが、疲れが溜っているのは簪も言えること。簪にもちゃんと疲れを取ってほしい。

 

 で、内線来るまでどうしたものか。

 そんな長いこと時間を持て余しているわけでもないので一人内風呂に入って時間を潰すとかはできない。

 何より、寝る前は俺が簪を抱き枕にしていたはずなのにいつの間にか俺が簪の抱き枕になっている状態。

 離れようものなら。

 

「……ん、んん~……」

 

 離れるなと言わんばかり、嫌そうな唸り声を小さく上げられる。

 なので完全に動けないわけではないものの動くに動けない。それにここで離れるのは何だか気が引ける。このままでいるべきか。

 

「……すぅ……すう……」

 

 視線を簪に向ければ、変わらず気持ちよさそうに熟睡中。

 幸せそうな寝顔を浮かべている。

 そう言えば、こうしてゆっくり簪の寝顔を見るのは久しぶりだ。

 あどけない表情。無防備な寝姿が愛おしくて、簪の頬に触れた。触れた指から伝わる確かな体温と柔らかな頬の感触。本当に軽く指で頬を押すとふにっと沈み、ぷにっと元に戻る。ふにふにのぷにぷに。触るのが結構気持ちいい。起こさないように気を付けながらもツンツンつてしまう。

 柔らかいし、すべすべなのは凄い。いつ触ってもこうだ。いや、触る度によくなっているようなそんな触り心地。普段からしっかり肌のケアをしているから、その弛まぬ努力の成果だ、これは。

 

「……ぅ、ん~……」

 

 簪が身を捩らす。

 気持ちいいからってついつい触りすぎた。

 このぐらいにしておかないと起こしてしまう。時間までは寝かしておいてあげたいし、後少しだけ寝顔を眺めていたい。

 

「ん……――……」

 

 寝言で簪に名前を呼ばれた。

 ただそれだけのことなのに胸の中で愛おしさでいっぱいになった。

 頬をつつきたい衝動にまた駆られたが、堪えて代りに頭を撫でるに留める。

 いつまでもこんな時間が続けばいいと思った時ほど終わりが来るのが早いのは何故か。内線がかかってきた。名残惜しさを感じながらも簪の抱き枕からうまいこと抜け出し、内線に出る。

 後、十分ほどで夕食を持ってきてくれるとのこと。手短に話を済ませ、内線を切った。

 

「……ん、ぅ……あれ? ぁ……ごめんなさい、結構寝ちゃってた……?」

 

 内線と話し声で簪が起きた。

 意識が覚醒しきってないのか眠そうな目をしながら、のそのそゆっくりと上半身だけ起こす。

 俺は簪におはようを言い、内線が来てたこと、後少しで夕食が運ばれてくることを伝えた。

 

「そう……分かった。ごめんなさい、私の方が凄い寝ちゃって」

 

 先に起きるつもりだったのだろう簪は申し訳なさそうにしているがまあ気にしないことだ。

 それより、簪は体の疲れとかが少しは取れたか気になる。

 

「うん、おかげ様で」

 

 ならよかった。安心した。

 二人揃って寝起きなので顔を洗い、夕食を迎えた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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秋を簪と 二

「旅館の方は楽しんでいただけてますでしょうか?」

 

 夕食のお膳を並べ終えた仲居さんが、にこやかに尋ねてきた。

 

「はい、もちろん。ね」

 

 と簪が言葉をかけてきたので頷いて同意する。

 部屋もいいし、風呂もよかった。そして目の前に並ぶ料理の数々もよさそう。これは美味しいに違いない。

 

「それはよかったです。では、お料理の説明をさせてもらいますね」

 

 料理の簡単な説明をしてもらい、お膳を下げる時間を告げられた。

 ここは最初のうち仲居さんがついて、よそったりしてくれるサービスがあるようでその片手で話に花を咲かす。

 

「お若いくてご夫婦で旅行だなんて素敵ですね」

 

 合図を打ち、ここに来た経緯を簡単に説明する。

 

「奥様の提案で当旅館に……それはありがとうございます。素敵な奥様ですね」

 

「そ、そんな……!」

 

 簪は恐縮と謙遜しているが、仲居さんの言う通りだ。

 素敵な奥さん。俺にはもったいないくらい良くできた奥さん。

 こうして他の人にも簪が褒められるのは自分のことのように嬉しい。

 

「あらまあ、お熱い。素敵な旦那様で羨ましいです、奥様」

 

「は、はいぃ……」

 簪は顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに縮こまっていた。

 

「ふふ、ではそろそろ私はお暇しますね。何かあればお気軽にそちらのお電話からどうぞ。ごゆっくりお過ごし下さいませ」

 

 軽く頭を下げると仲居さんはゆるりと部屋から下がる。

 出ていく時まで上品な立ち振る舞い。いい旅館に来ただけのことはある。

 よし。二人っきりになったのだから、冷めないうちに食べたい。

 

「あ……そうだね」

 

 我に返った簪と料理を食べ始めようとする。

 流石にもう顔を赤くして恥ずかしがった様子はない。だがしかし。

 

「えへへ」

 

 だらしなく頬を緩ませる。

 凄い笑顔。幸せそのものと言わんばかり。

 ご飯が美味しいからというわけではないだろう。

 そんなにさっきのが嬉しかったのか。

 

「当たり前だよ。仲居さんにあなたのこと褒めてもらったのも嬉しかったし、あなたにあんな風に言ってもらえたの凄く嬉しい」

 

 これはまたいい顔しながら言う。

 まあ、それだけ喜んでくれたのはこちらとしても嬉しい。

 

「飲む……? 入れるよ」

 

 簪は空いたグラスにビールを注いでくれた。

 今度は俺から簪に……。

 

「いいよ……酔っちゃったら大変だし、お世話したいから」

 

 酔うほど飲むわけじゃないし、別に簪は弱くないだろ。よく知っている。

 それとお世話というのなら、少しぐらいは付き合ってほしい。

 お互い飲める年齢になって飲む機会も多くて強い方だが、折角の旅先。一人だけ飲むのは寂しい。

 

「それもそうだね。じゃあ、改めて遠慮なく……」

 

 遠慮気味に出された簪のグラスに今度こそ俺からビールを注ぐ。

 そして、俺達は乾杯をしあった。

 

「乾杯」

 

 ビールを一口。

 

「あっ……美味しい。飲みなれた味なのにいつもより美味しく感じる」

 

 簪もか。

 旅先だからってのもあるんだろう。

 肝心の料理はまた格別。絶品だった。

 

「んー……美味しい」

 

 簪は嬉しそうに頬を綻ばす。

 この旅館がある土地のもの、旬の海産物がふんだんに使われているだけあって美味しいし種類も豊富で食べるだけで楽しい。

 これで種類豊富だと中でも気に入るものが見つかり、それを簪に勧める。

 

「こっちのもこれも美味しいよ」

 

 と簪からもまた新たな逸品を勧められる。

 普段とは違う料理を二人で囲みながら食べるのは本当に美味い。

 ビールもいい感じに進み、酒が進めば箸も進む。あっという間に皿は空く。

 

「あ……お代わり入れるね」

 

 差し出された手に皿を渡すといくつか料理を取り皿に盛って渡してくれる。

 いつもとは違う旅先でもこういうところは変わらない。

 

「ごちそうさまでした」

 

 二人分にしては多かったけど無事料理を食べ終えることをできた。

 こんなにお腹いっぱい。正直苦しいぐらい食べたのは久しぶりだ。

 たくさん食べたし、たくさん飲んだ。

 

「ね……やっぱり酔っちゃった、ふふっ」

 

 そう言った簪はほんのり赤い。

 酔っていい気分なのか向かいに座る簪は終始ニコニコとしている。

 酔いを醒ました方がいいか。腹ごなしもしたい。

 

「ん~……外に涼みに行く? あれだけ見晴台勧められたんだし」

 

 お膳を下げに仲居さんが来た時、また見晴台を勧められた。

 夜は夜で夜景が綺麗のようだ。

 昼間は見に行けなかったし、折角進めてもらっのだから涼みに行ってみるか。

 先に立ち上がり、手を差し伸べ簪の杖となる。

 

「ありがとう」

 

 貴重品を持ち、外に出るからと羽織を着て部屋を後にした。

 

「お外に?」

 

「はい。あの見晴台へ酔い覚ましに行こうかと」

 

「かしこまりました。足元は暗いのでお気をつけていってらっしゃいませ」

 

「いってまいります」

 

 フロントで担当の仲居さんに出会い上品に見送られる。

 酔ってるのもあってつられて上品に返事する簪が微笑ましい。

 外に出てみると旅館の周りにはチラホラと人影はあるが、案内に沿い見晴台へと向かうたびに人影はだんだん減り、二人っきりになった。

 夜もいい時間。秋の夜は冷える。羽織を着てはいるけども簪は寒くないだろうか心配だ。

 

「ん……大丈夫。こうすれば暖かくなるし」

 

 腕を組んでぴったりと寄り添ってくれる簪。確かに暖かくなった。

 見晴台へと続く道は少しばかり坂となっており、危なくないよう足元が照らされ、そこにある紅葉が照れされて風情があった。

 

「素敵だね。私、こういうの結構好き」

 

 静かながらも弾んで言ったその言葉に頷く。

 見晴台に行く間までもこうして楽しませてくれる。こういうの好きだ。

 そしてようやく見晴台へと着いた。

 

「綺麗」

 

 見晴台から見える光景を見るなり簪がぽつりとそんな感想をこぼした。

 俺達が見ているのは夜の海。暗い中でも青色がはっきりと見て取れ。今夜は雲一つない快晴。満月だ。

 海から昇った月が水面を照らし、細長い光の道が海面に現れていた。綺麗。幻想的だ。二人して見晴台から光景に目を奪われる。

 

「ねぇ……」

 

 しばらく言葉を交わすことなく景色に見とれているとふいに簪が声をかけてきた。

 頷いて聞き返す。

 

「大したことじゃないんだけど……今日はどうだった……? 楽しかった……? ちゃんとリラックスできた……?」

 

 そんなことを簪は不安そうに聞いてきた。

 それに対する返事はただ一つ。もちろんだと首を縦に振った。

 今日は久しぶりに思う存分リラックスできた。おかげで身体が来た時と比べものにならないぐらい軽い。

 感謝に尽きる。当然今日は楽しかった。だが、まだ楽しかったと終わりにしてしまうのには少々早すぎるし、まだもう少し今日を楽しみたい。

 

「ん……私も」

 

 後は会話を交わすことなく二人ただ静かに夜景を眺める。

 手を繋ぎながら。

 見晴台、晴天の夜空。その二つが合わさったおかげで月がよく見える。絵に描いたように丸さ。

 ふいに簪を見て名前を呼んだ。今夜は一段と月が綺麗だ。

 

「うん……綺麗、あなたと見る満月。……ああ、今ならこう言うべきかな」

 

 そう言って簪は続けざまに言った。

 

「私、死んでもいい」

 

 秋を彩る紅葉の落ち葉たちに囲まれた見晴台。

 月明かりの中で、うれしそうに笑っていた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは


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簪と懐かしむ

 飲み物を飲みにリビングに行くと、そこに簪の姿があった。

 てっきり自分の部屋にいるとばかり思っていた。

 

「ふふっ」

 

 ソファーの上で仰向けになりながら、簪はタブレットを眺めている。

 そして、何やら笑っていた。懐かしむようなそんな笑み。

 何を見ているんだろうか。

 気になって、飲み物を飲んだ後、簪に声をかけてみた。

 

「ああ、これ……? データ整理してたら昔の写真見つけて」

 

 納得した。

 だから、あんな懐かしむ顔をしていたのか。

 

「私そんな顔してたんだ……まあ、どれも本当に懐かしいから。あっ……そうだ」

 

 簪は何か思いついた顔になる。

 

「どうせ暇でしょ……だったら、一緒に見よ……? 隣、座って」

 

 身体を起こすと空いた隣を軽く叩いて手招きしてくる。

 言い方はアレだが、暇なのは事実。

 どんな写真があるのか気になるので、言われた通り簪の隣へと腰を下ろした。

 

「ほら、見て見て」

 

 簪の指のスライドに合わせて、画面に代わる代わる写真が映し出される。

 まずは最近の写真達がずらり。最近の力作料理やスイーツ。デート先で撮った景色やそこで二人一緒に写る写真など様々だ。

 

「わぁ……懐かしい」

 

 懐かしいと言えば、懐かしい。

 まあ、最近のモノも結構あるが……最近のだけでも結構な写真の数がある。

 

「小さい頃はそうでもなかったけど……付き合うようになってから写真撮るようになったからね。いいでしょ……こうやって見返せるのも」

 

 それはそうだ。

 こうして見返していると撮った日の出来事をより鮮明に思い出せる。

 

「あっ……ここっ。よかったよね、ほら……――」

 

 こんな風に思い出話に花が咲く。

 思い出話に盛り上がりながらも、まだまだ写真を漁っているとこれまた懐かしいのが見つかった。

 

「これ……現役最後に出たモンド・グロッソの。こっちはロシアで行われた格闘技部門のだったけ」

 

画面に映るのは簪が今まで出た大会での活躍を収めたもの。

モンド・グロッソを初め、現役時代に簪が出た大会や試合は多い。モンド・グロッソだけでも三回にもなる。

 

「それは皆も同じだったけどね」

 

 大会三回連続出場はオルコットや凰、楯無さん。昔馴染みの連中もだったな。

 というか、毎回顔ぶれはほとんど変わらなかった。それでもそれぞれの人気が凄くて毎回凄い盛り上がりだったが。

 

「こうして見てると凄い量の写真だね」

 

 なんだその含みのある言い方と温かい視線は。

 まあ、言わんとしてることは分かるが。

 この写真達は参加している簪をサポートする公式チームとして撮ったものとは別に俺が個人的に撮った。

 どの大会、どの試合も簪の試合姿は惚れ惚れするほどよかったのだからこの量にもなる。どれも我ながら上手く撮れているし。

 

「自分でそれ言っちゃうんだ……実際、上手く撮れてるからいいけど」

 

 と言って簪は続けてこうも言ってくれた。

 

「それに仕事のもだけどこうやって上手に撮ってもらえるの嬉しい。撮ってくれたのがあなたなら尚更」

 

 なら頑張った甲斐がある。

 これからも頑張ってみるか。そんな気持ちになった。

 

「これからも写真よろしくね」

 

 その言葉に頷いてみせた。

 しかし、こうして見ていると本当に懐かしいのばかりだ。

 特にこれなんて懐かしい。

 

「うわっ、古い……これ第三回目のでしょ。やめてよもう」

 

 言い方。それに嫌そうな顔までして。

 第三回目はIS学園在学中に出場した簪初めてのモンド・グロッソ。

 数年前のことになるか。今と変わらず若い。

 

「そう……? 自分だと幼い感じしかしないけど……やっぱり、学生時代の写真は幼過ぎて恥ずかしい」

 

 分からんでもない。

 最近のものならまだしても、ここまで昔になると自分の若さとか幼さとかが堅調に見るだろうし。

 だからこそ、この時……簪がモンド・グロッソ初出場した時のことはよく覚えてる。

 

「私も。というか、忘れられないよ。初めてだったからね……結果は三位入賞だったけど」

 

 自虐気味に言うがそれでも初出場で三位はメダル入手もの。

 充分凄い結果だ。

 後確か、この時の優勝者は楯無さんだった。

 

「というか、何度も言っちゃうけど本当私が一回だけじゃなくて何度もモンド・グロッソ出るなんて昔だったら想像すらしなかったな」

 

 この言葉は今まで何度も聞いた。

 それだけ簪にとってモンド・グロッソ連続出場は予想外なことだったんだろう。

 実際、連続出場を果たしているのは今のところ簪達の世代ぐらいなもの。それだけ国家代表は入れ替わり頻度が多く、何年も代表候補で在り続けた簪達の実力は絶対的と言ってもいいほどだった。

 

「学生時代だとやっぱりIS学園が一番覚えてる……」

 

 それは俺も同じだ。

 大学時代は競技生活と更識家のことがメインでその合間に大学という感じだったので、大学は最低限行くだけだったから大学生活って印象は薄かった。

 反対にIS学園は三年間の寮生活。濃い面々と過ごした濃密な日々。そして、簪と出会えた大切な思い出。忘れられるわけがない。

 

「それはそうだね。昨日のことのように思い出せる出会った頃のこと……ふふっ」

 

 簪は懐かしむように笑った。

一年の春に簪と出会い、簪と過ごす時間が増え、夏休みの出来事。たった一瞬でこんなにも思い出せる。本当いろいろあった。

出会った頃の簪もまた懐かしい。話しかけるなオーラが凄く、近寄りがたい冷たい印象が強かった。

 

「もう、からかわないで。あぁ……改めて言われると黒歴史感強くなってくる」

 

 蹲ってしまった。

 もっとも、初対面な上にあの頃の簪はいろいろと抱え込んでしまっていたから当然と言えば当然か。

 

「……まあ、あの頃があったからこそ私は変わることが出来て今の私になれた。嫌な思い出ではあるけどあれも私。欠かせないことだよね」

 

 その通りだ。

 楽しい思い出ばかりでなく嫌な思い出も確かにあるが、どちらもあったからこそ今がある。

 何一つ欠かせないものだ。

 

「あっ! 欠かせないと言えば……」

 

 何か思い出した顔をする簪。

 心なしか口元が笑っている。

 

「夏休み最後に行った初デート……そして告白。これは欠かせない」

 

 言われて曖昧な反応をするしかなかった。

 忘れたわけじゃない。しっかり覚えている。嫌な記憶と言うわけでもないが、今になっても……いや、今だからこそ恥ずかしさの方が強い。

 

「そういうもの……? 初デートのプランを一生懸命考えてくれて、一生懸命エスコートしてもらって、顔真っ赤にしながら告白してくれたの凄く嬉しかったよ」

 

 そう言われてしまうと今更恥ずかしがってもいられない。

 写真から今までのこといろいろ振り返っているが、様々なことが沢山積み重なっているから地に足つけて先へと進んで行ける。

 

「これからもいっぱい思い出、作っていこうね。悲しいことも嬉しいことも積み重ねながら二人一緒に」

 



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眠れない冬の夜は簪と

 眠れない。

 布団に入って早数十分。こんなことを思うのも数回目。

 普段はそんなことないのに今日に限って寝つきが悪い。

 眠気は布団に入る前あったはずなのに。

 

「……んん」

 

 寝返りをうった先では簪がぐっすり眠っている。

 思えば、寝返りも数回目。ごそごそするのもよくない。起こしてしまいかねない。

 体をリラックスさせ、心を無にする……が、眠れない。むしろ、意識がさえてきた感じすらある。いっそ起きるか。正直、寝付こうと布団の中でジッとしているのが辛くなってきた。

 上半身だけ起こしてみたが、今の季節は冬。布団の中は暖かかったが、外は寒い。冷える。

 起きてはみたもののこれからどうするか。していこともなければ、するようなこともない。それにまだ夜は深い。

 

「ん……どうか、したの……?」

 

 ぼんやりしていると隣から簪がそう言ってきた。

 眠そうな声。起こしてしまったか。悪いことをした。

 

「ううん……大丈夫。眠れない……?」

 

 言うよりも早く気づかれた。流石だ。簪の言葉に頷いてみせた。

 簪の邪魔をするのは悪い。まだ眠気はこないことだし、布団から出よう。

 

「どこいくの……?」

 

 どこ……そうだな。

 とりあえずリビングに行こうかと思っているが、その後どうするかだ。

 今一つこれといってすることは思いつかない。しいて言うなら、散歩か。

 

「え……今から? 外寒いよ」

 

 それは知ってる。

 冬の夜、真夜中の人はよく冷える。

 まあもっとも、家の近くのコンビニに行く程度の散歩。ちゃんと厚着していくし、そんな長いこといるわけでもないから心配無用だ。

 

「なら、いいんだけど」

 

 そう言いながら簪は体を起こし、布団から出ようとする。

 何か用事か? 

 まあ、簪は気にせずゆっくり寝といてくれたらいい。

 

「や……私も着いてく」

 

 ちょっと耳を疑った。

 この季節の外は寒い。

 

「知ってる。ちゃんと着込んでいくから心配無用、ね」

 

 言ったのと似たような感じで返される。

 起こしてしまって、少し話しているうちに目が冴えてしまったか。

 特にこれと言って止める理由もない。好きにしたらいい。

 

「うん、好きにする」

 

 暗がりの中でもそう簪が何処か嬉し気に言ったのが分かった。

 そうと決まれば、早速でかける用意を始める。

 まずは外へ出る服に着替え、防寒対策し、財布や携帯など必需品を持った。

 

「戸締りよし」

 

 鍵がしっかりかかっているのを確認すると俺達はエレベーターで下へ降り、住んでいるマンションの玄関をくぐる。

 

「寒っ」

 

 軽く吹いた夜風が頬に伝って簪は縮こまる。吐いた息が白くなって、消える。

 案の定の寒さ。簪は大丈夫か。

 

「ん……平気。今夜はいつもより寒さマシ。それにほら、朝から暖かい一日になるって天気予報で言ってたしね」

 

 そうだったな

 それでも寒いものは寒い。下手に遠出したら大変そうだ。

 とりあえず散歩コースは、少し遠回りしてコンビニでいいか。

 

「了解」

 

 俺達はコンビニへとゆっくり散歩を始める。

 時間が時間だから当然、自分達以外の人影はない。あるのは電柱の明かりぐらいなもの。

 自分達の住んでいるところは静かな住宅地。いつも静かだが、夜中の静けさは何だか違ったものを感じる。狭い道。広い道。上の地区へと続く階段。公園。まるで普段住んでいるところをそっくりそのままコピーした裏世界にいるみたいなそんな感じ。

 

「あ~……分かる。何だか冒険してるみたい」

 

 そう言った簪の足取りは軽く楽しそうだ。

 いつもとは違った雰囲気があっても見知った場所。その安心感があるから、いつもと違っていても夜の散歩を楽しめる。

 

「やっぱり、着いてきて正解だった。まあ、あなたの邪魔しちゃったかもだけど」

 

 どっちでもよかったというのはアレだが一人でもよかったけども、二人で出かけられるのなら二人の方がいい。

 夜出かけることは今までもあるが、こんな夜中に出かけるのは初めだ。

 

「ふふっ、不良だ」

 

 簪が楽しそうに変な冗談言うからつられて笑ってしまう。

 なんだそれ。でもまあ、そういう感じか。

 

「そうそう。そういう感じ」

 

 そして夜の街を二人歩いていると目的のコンビニに着いた。

 早速中に入る。店内にはレジにいる定員以外人はいない。

 というより、入ったのはいいが何買うか。

 

「冷蔵庫の中、何もないから朝ごはん買わないと」

 

 そうだったか。

 なら、朝ごはんだ。食べたい惣菜パンをいつくか選んでカゴに入れる。

 

「好きだね、それ」

 

 惣菜パンを買う時、いつも同じのを選ぶから言われてしまった。

 嫌いなもの選んでも仕方ないし、朝は好きなもの食べて力つけたい。

 簪もそうだろ。手に取ってるのは簪がいつも選ぶ惣菜パン。

 

「朝は好きなもの食べて力つけたいからね」

 

 とおどけるような笑みを浮かべ、同じ言葉を返された。

 簪も自分が食べるのを同じカゴへと入れる。

 他に買うものはないか。

 

「牛乳とかまだあったよね」

 

 あったと頷く。

 欲しいものも特にない。

 

「だね。じゃあ、会計してくる」

 

 そう言った簪にカゴを渡し、会計が終わるのを待つ。

 いつものことだ。

 

「ん……終わったよ」

 

 待つ事数分、会計を終えた簪が来て共にコンビニを後にする。

 この後はもう帰るのみ。いい夜更かしになった。

 

「だね。あ、そうだ……最後に公園寄ってもいい……?」

 

 公園と言うと家からコンビニまでの間にあるところか。

 構わないが何かあったりするんだろうか。

 帰り道を歩きその公園へと着いた。電柱の明かりがあるだけの夜の公園。

 

「よいしょ……っと」

 

 ベンチに二人並んで腰をかける。

 人のいない静かなここは返る前の一休憩にはちょうどいい。

 

「はい、これ」

 

 その言葉と共に渡されたのは肉まん。

 暖かい。出来立てだ。会計の時に買ったのか。

 

「そう。わたしのが豚まんで、あなたのがピザまん。丁度小腹空いてきたころでしょ」

 

 言われてみれば、確かに。

 これはありがたい。冷めないうちに食べてしまうか。

 その前に半分にして片方を簪に渡す。すると、同じように簪から豚まんの半分を渡された。

 

「ん……いただきます」

 

 二人の声が重なった。

 頬張った肉まんは美味い。寒空の下で食べているからか格別だ。

 

「罪の味がする」

 

 変なことを言いながら食べる簪は満面の笑みだった。

 まあ、言いたいことは何となくわかる。味が体に染みる。

 

「お茶もあるよ」

 

 ついで小さめの熱いペットボトルを渡された。用意がいい。

 一口飲むとまた温まる。落ち着く。吐いた息が真っ白だ。

 散歩でいい感じに疲れて、小腹も満たされた。これならもう寝れるな。

 

「よかった。夜のお散歩、楽しかったからたまになら行ってもいいかも」

 

 本当夜の街を歩いただけだったが楽しかったからたまにならアリかもな。

 ただ次は春頃。暖かくなってからにしたい。

 

「ふふっ、そうだね」

 

 簪は温かな笑みを見せてくれた。

 



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簪とこたつ

 年明けからもう数日。

 毎年恒例の年始行事を終え、ようやく正月らしい平穏な時間を過ごせている。

 だからか。

 

「はぁ~……」

 

 溶けてる。

 こたつに肩まで入っている簪は、目を閉じて見事なまでにだらけきっている。

 家ぐらい好きにしたらいいが、こたつで寝たら風邪ひくぞ。

 

「ん~大丈夫……目を瞑ってるだけだから」

 

 一緒なのでは。

 まあ、いい。簪の真向かいへと同じようこたつに入る。

 

「洗い物ありがとう」

 

 体を起こしながら、簪がそんなことを言う。

 つい先ほどまで洗い物をしていた。

 簪が朝ごはん担当で俺が洗い物担当なので。

 

「あ……お茶。持ってきたくれたんだ」

 

 簪が見つけたのは持ってきた熱いお茶の入った急須と二人分の湯飲み。

 

「お茶淹れるね」

 

 簪がお茶を入れてくれる。

 それを取ってようやく一息つく。

 

「落ち着く……」

 

 同じようにお茶を飲んだ簪は、一息ついてまた溶けてる。

 この様子だとしばらくこのままか。

 

「今日はもうずっとこたつにいる。こたつと結婚したから」

 

 へにゃへゃした声。また変なことを言って。

 でも、こたつの魔力は凄まじい。

 出たくないという気持ちにされられてしまう。

 

「でしょ……あなたも一緒にゆっくりしてよ。それが一番」

 

 追い打ちをかける小悪魔の誘惑。

 まあ、そうするかな。

 例年通り、年末から年明けは忙しい。明日からもう普段通りの日々が始まる。ゆっくりしていられるのも今のうちだ。

 

「はふぅ……のどか」

 

 のどかな時が流れてゆく。

 そうだ、忘れていたものがあった。

 

「ん……?」

 

 ふと立ち上がり、急須を持って台所に行く。

 お茶を入れ直し、あるものを取ってまたこたつへと帰ってきた。

 

「みかん」

 

 取ってきたのはみかんだった。

 

「あなたのご実家からもらった奴だよね……?」

 

 その言葉に頷きで答えた。

 このみかんは実家に帰省した時、もらったもの。

 なんでも上物らしい。

 楽しみだ。こたつと言えばみかんは外せない。

 

「定番だからね。はい、どうぞ」

 

 急須から湯飲みにまたお茶を注いでくれる。

 その間にみかんを剥く。

 

「はい、どうぞ」

 

 湯気の立ったお茶が目の前に置かれる。

 みかんが剥き終わり、とりあえず半分にした。

 そして実を一つ取る。

 

「んー……」

 

 取るなり、顔だけ少し乗り出して簪が口を小さく開ける。

 そのまま口の中へ放り込んでやった。

 

「ん、美味しい」

 

 向かいにいる簪は満足そうに頬を綻ばせる。

 俺も一つ食べてみたが甘くて美味い。

 その後に飲むお茶がまた一段と美味しく感じる。

 

「もう一個ちょうだい」

 

 そう言ってまた口を開けて待つ簪。

 わざわざこうするってことは食べさせろという合図に他ならない。

 しょうがない。また一つみかんの実を取って食べさせた。

 

「っ……ん」

 

 みかんを摘まんだ指の先が簪の唇に触れ、みかんを頬張ったと同時に指先をチロりと舐められた。

 得も言われぬ妙な感覚。喉が渇く。

 というか、舐めるんじゃない。

 

「いいでしょ……さっきよりも美味しくなった」

 

 くすくすと楽しそうに小さく笑う簪は何処か小悪魔的だった。

 

 二人で一つのみかんを食べ終えると、満足してまたまったりした時間に戻る。

 しかし、正月の昼間。おもしろい番組がやってなければ、興味を引くような目新しいSNSの更新もない。

 つまるところ。

 

「暇だね」

 

 簪と気持ちは同じみたいだ。

 しかし、暇と言ってもすることはもちろん、したいことも特にない。

 それどころかやっぱり、こたつから出たくない。夕飯を準備する時間になったらいずれは出ないといけないし、時間まで暇しつつぼーっとして……。

 

「……」

 

 ふいに簪と足が軽くぶつかった。

 たまたまたか。そう思ったが、また軽くぶつかった。

 今度はわざとだ。足先でつついてきたり、足を絡ませたりしてくる。

 

「……」

 

 しかし、簪はまるでそんなことないような顔をしている。

 おもしろくない。

 子供の挑発ではあるが、やられたままというのは性に合わない。

 

「……っ!?」

 

 再び足先でつついてきたところを上から足で抑え、捕まえる。

 流石のこれには驚いた顔をする簪。

 しかし、もう遅い。押さえた足の裏を足の指先でそっとなぞる。

 

「ひゃあっ!」

 

 とてもいい鳴き声が聞けた。

 してやったり。

 簪からは睨まれているが何のことやら。

 

「むぅ……」

 

 で、飛んでくる反撃。

 それに対する反撃。反撃の繰り返し。

 終わりのない本当に幼稚な争い。だからこそ、自分からはやめるにやめられず、変にヒートアップする。

 絡めようとした足が目標を見失いからぶり。そのまま行き過ぎてしまい簪の股の間に当たる。

 運がいいのか、悪いのか今日の簪の部屋は厚手のパーカーにショートスカート。

 その格好でそうなるとどうなる。

 

「あっ……」

 

 小さく声が上がった。

 まあ、こうなる。

 俺の気のせいかもしれないが、簪のさっきの声は妙に色っぽい。

 幼稚なことをして我に返ったからの恥ずかしさから来るものなのか。股の間に足が当たった恥ずかしさなのか、簪の顔はほんのりと赤い。

 

「……っ」

 

 照れた簪と目が合い、何とも言えない変な気分になる。

 場の空気は妙だ。

 そして、そして、そして――。

 




簪との馴れ初め
IS 〈インフィニット・ストラトス〉〜ここから、そしてこれから〜
を更新しています。1月8日の20時からまた毎日更新再開しますのでよろしければ、そちらも読んでいただけると幸いです


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簪へ送る関白宣言

馴れ初め完結記念。
エピローグ的なの。


 前略。

 

 自分は同級生で四組の更識簪さんと付き合い始めた。

 八月三十一日からのことだ。

 生まれて初めての彼女。どうして冷静でいられようか。柄にもないほど浮かれている。

 だがしかし、浮かれてばかりもいられない。俺達の生活環境は特殊だ。寮生活な上に実質女子校。その中で男女交際を続けていくのは大変なことだろう。

 だからこそ、打算的だとは思うが地盤固めは重要。ということで、まず初めに簪としたことはまず第一に皆、一夏達友人達に付き合うことになった報告から。

 

「……」

 

「……」

 

 皆にロビーの談話スペース、そこの端の方に集まってもらった。

 そして、簪と俺を中心に皆で取り囲むような形になった。

 何だか取り調べ。いや、尋問を受けているみたいだ。

 

「……」

 

 あまりの圧に隣の簪は、両肩を縮めている。

 皆の気持ちは分かるし、ここに集まってもらったのは俺達なんだ。

 言えば済むし、手早く言ってみた。

 簪と付き合うことになったと。

 

「なりましたっ……」

 

 続いて簪も言うと再び訪れる沈黙。

 ただ皆の目は口ほどに物を言う。皆、目をキラキラと輝かせと報告を喜んでいる。それは次第に言葉にも出てきた。

 

「おおっ!」

 

「おめでとう!」

 

「よかったね!」

 

「わ~い! お赤飯炊いてお祝いしなきゃ~!」

 

 と言葉でも報告を喜んでくれた。

 こうして皆に喜んでもらい、祝ってもらえるのは中々どうして嬉しい。

 

「まさか、本当にこうやって報告してくれるなんてな」

 

 意外と言わんばかりの一夏の言葉に皆が頷く。

 そんなにか。

 

「だって、こういうのって普通隠すものじゃん?」

 

 まあ、それはそういうものなのかもしれない。

 言って回るようなことはしないけれど、それでも簪と付き合うことを隠すようなことはしたくない。

 それに皆にはそのうち気づかれたりするよりも、自分の口から言いたい。そのほうが安心できるというもの。

 

「あなたの言う通りだね。大切なことだからちゃんと自分の口で報告したかった。その、皆は……大事な友達、だから」

 

「かんちゃ~ん!」

 

「簪ー!」

 

「ちょっ!? 本音! 皆まで!」

 

 簪の言葉に喜び、感極まった本音と皆が簪を抱きしめていた。

 当然、簪は驚いていたがどこか嬉しそうだ。

 

「かんちゃんがそんなこと言ってくれるなんて嬉し過ぎだよ~!」

 

「うんうん! それだけ私達のこと信頼してくれてるってことでしょ!」

 

「嬉しくないわけないじゃない!」

 

「喜んでくれて私も嬉しいけど……これから迷惑かけるかもしれないから……」

 

「かんちゃんは気にしすぎだよ~」

 

「そうそう。その時はその時よ。何かあれば、助けるから!」

 

「だね。友達なんだからさ!」

 

「皆……本当にありがとう」

 

 嬉しそうな簪、皆の顔。

 本当、報告してよかった。

 

 皆への報告が終わったが、まだ報告は続く。

 次の相手は先生方。

 

「ことがことだもん……黙っていて問題視されたり、万が一何か問題になったりするよりも先に自分達から言っといたほうが心証は良いだろうからね」

 

 簪の言う通り、そういうことだ。

 なので担任であり、寮長である織斑先生と副担任の山田先生、簪のクラスである四組の担任の先生達に報告をした。

 

「それはまた……」

 

「え、ええ……何といいますか……」

 

 報告をすると困った様子で山田先生と四組の先生は驚いていた。

 この反応は言えば、当然と言えば当然か。

 いきなりこんなことを言われ、内容が内容だ。困らせてしまうのは分かっていた。

 しかし、それでも違う反応をする人が一人。織斑先生は、とても楽しそうに笑うのを堪えていた。

 

「くくくっ、いや、すまん。あまりにもらし過ぎてツボに入ってな。大方こいつの提案だろ? 更識」

 

「そ、それはそう、ですけど……」

 

「くくっ、やはりそうかそうか。本当に生真面目なお前はいい意味で予想を裏切らないから安心できる。くくっ」

 

 まだ堪えながら織斑先生は笑い続ける。

 褒められてるのか、これは。

 いや、これは褒める褒めないの問題ではない。

 単純に予想が当たったことを織斑先生は楽しんでいる。

 

「まあ、報告しに来てくれたのは私達教員としても助かるには助かる。ありがたい。お前達二人は立場が特殊なだけにな」

 

 その言葉に他の先生方も頷いていた。

 これは予想通り反応だった。

 織斑先生ならこう言うと思った。それにこの後に続く言葉もそう予想からは外れてないはず。

 

「だが、私の口からはお前達の仲を認めるとは言えない。これは私の一存ではどうにも言えないからな」

 

「はい」

 

「だが、だからといってお前達の仲を引き裂くつもりもない。まだ何も起こってないのにわざわざ恨みを買いに行くのも馬鹿らしいし、生徒の悲しむ顔は見たくない。ただ」

 

 一つ間を織斑先生。

 その口角は笑っていた。

 

「黙認するわけでは決してないが、さんざん笑わせた貰った礼だ。元ブリュンヒルデ、織斑千冬の名前の下に安心するといい」

 

「はいっ」

 

 嬉しそうな簪と一緒に頷いた。

 ただ黙認されるよりもこういった貰った方が安心度は高い。

 織斑先生の言葉に流石の山田先生たちも仕方ないと言わんばかりの顔をしている。

 

「無理を言っていますが、先生方もよろしいですか?」

 

「まあ、織斑先生がそういうのなら仕方ありませんね……異存はありません」

 

「私もです。ただ健全なお付き合い、慎重なお付き合いをお願いします。もしもの時は庇いきれませんから」

 

 山田先生の言葉に簪と静かに頷いた。

 それは勿論、分かっている。だが、今一度肝に銘じた。

 

「そういうことだ。上手くやれよ」

 

 それはこれからを進む俺達の背を押してくれる頼もしい言葉だった。

 

 学園、先生方へと報告も済んだ。

 となると最後は更識会長への報告だ。

 

「本当にするの……?」

 

 困った顔をする簪。

 皆、先生達と報告をしたのにお姉さんに報告してないのはよくないだろう。

 重要度だけを言えば、皆へ報告するのと同じぐらい大切だ。

 もしかして嫌なのか。

 

「それはない。ないけど……昨日の今日で報告をするのって……その、ね……」

 

 ねって言われても分からない。

 

「も、もうっ、は、恥ずかしい……のっ……」

 

 恥ずかしそうに顔を赤くしながらやけくそ気味に言われた。

 そういうもの……なのか。

 一夏達に言うと変わらないと思うが、実の姉だからなんだろうか。

 

「でも、お姉ちゃんにもちゃんと報告しておかないとね……よしっ」

 

 意気込むとスマホを取り出す。

 おそらく更識会長に連絡するつもりなんだろう。

 

「もしもし、お姉ちゃん。うん……私、簪……いきなり、電話してごめんなさい」

 

 簪は更識会長に電話をしていた。

 

「その……直接会って話ことがあって……うん、お姉ちゃんは今学園か寮にいる? そう……十五分。ううん、十分でいいから時間もらえない? 今から……? 分かった、行くね」

 

 そう言って簪はスマホを離す。

 終わったみたいだ。

 

「うん……今からお姉ちゃん、時間作ってくれるみたいだから生徒会室に来てだって」

 

 頷いて学園の方へと向かう。

 生徒会室にはすぐに着いた。

 ここには始めてきた。報告のことと合わさって、緊張は増す。

 

「私も……っ」

 

 簪の顔を見るだけで緊張しているのは見て取れる。

 先人をきって自分が生徒会室の扉をノックした。

 

「どうぞ」

 

 中から更識会長の声が聞こえ、中へと入った。

 

「いらっしゃい」

 

 出迎えてくれた更識会長は奥の席にかけていた。

 更識会長以外の人の姿、布仏先輩は見えない。更識会長ただ一人。

 

「虚ちゃんなら下がってもらったわ。大事な話があるみたいだからね……さ、かけて」

 

 言われるがまま、簪と更識会長に近い席へ腰を下ろす。

 ふと更識会長の机を見ると仕事をしていたと思わしき後がある。

 本当に忙しい人なんだろう。

 今だ緊張はするが貴重な時間を割いてもらっている。お礼を言ってから、簪と付き合うことになったことを報告した。

 

「彼と付き合うことになりました」

 

 緊張しながらも簪もはっきりと報告した。

 それを聞いて更識会長は嬉しそうに優しい笑みを浮かべて言う。

 

「そう……よかったわね、簪ちゃん。おめでとう……でいいのかしら」

 

「あ、ありがとう。それに時間割いてくれてありがとう。お姉ちゃんにもちゃんと自分の口で伝えたかったから嬉しい」

 

「大げさね……でも、嬉しいわ」

 

 更識会長にも喜んでもらうことが出来た。よかった。

 

「認める認めない云々は兎も角、事実として受け止めなくちゃならないわね」

 

 まるで更識会長は、自分に言い聞かせるように言う。

 そして、ふいに更識会長の視線が飛んできた。

 心なしか目が笑ってる。何だ。

 

「いや、ね。そうなると貴方は私の弟になると思って。丁度、弟欲しかったのよね」

 

「お、弟……?」

 

「妹の彼氏なんだから弟みたいなものでしょう」

 

 考えとしては分からなくないけど。

 

「今は比喩的な言い方だけど……将来的に貴方が更識家に婿入りすれば名実共にそうでしょう……?」

 

「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん……!?」

 

 簪が顔を真っ赤にして驚いてる。

 更識会長の遠回しな言い方から想像したんだろう。

 相変わらず唐突な人だな。

 

「あら、簪ちゃん。もしかして……そんなつもりはないと」

 

「そ、そういうわけじゃないけど……お姉ちゃん気が早い」

 

「そんなことはないわ。更識家の女が男女交際をするってことは将来決まったようなものなのよ。ちゃんと将来のこと考えておきなさい」

 

「う、うん……将来、か……」

 

 突然そんなことを言われてもピンとは来ない様子の簪。

 簪が言われたとなると。

 

「貴方もよ。更識家の女と付き合って、将来のこと考えてないと。貴方の覚悟はそんなものなの」

 

 案の定、言われてしまった。今度は何故だが問い詰められる。

 急にそんなこと言われても流石にそこまで考えてはなかったが、そうだな。

 ゆくゆくは将来的なことはしっかり考えていかないと。覚悟は変わらないのだから。

 

「その顔なら心配無用ね。ということはやっぱ、弟になるわよね。これから本当に長い付き合いになるだろうし、末永くよろしくね。弟君!」

 

 喜々と弾む更識会長の声。

 また随分と変わった呼び方をするもんだ。

 

「可愛いくないかしら? 弟君って呼び方。弟君もいつまでも敬語使ってないでこうして身内の場ぐらいは楯無お姉ちゃんって呼んでくれていいわよ。っていうか、呼びなさい!」

 

「……ごめん」

 

 楽しそうな楯無会長に申し訳なさそうに小声で謝る簪。

 両極端な光景だ。

 でも、こういう光景はこれから何度も見ることになるんだろうな。末永い付き合いになるだろうから。

 

 ちなみに呼び方は楯無さん、楯無会長で許してもらった。

 楯無さんはめちゃくちゃ不服そうだったけど。

 

 

 

「はぁ~……」

 

 気どころか魂すら抜け出してそうな脱力感いっぱいの声を上げながら簪は部屋に床に座り込む。

 疲れた顔してる。お疲れ様だ。

 報告が終わった後もいろいろあったから仕方あるまい。

 

「本当いろいろありすぎ。デートのこと結局、ほぼ全部話すことになったし」

 

 思い出したくもない出来事だ。

 簪だけじゃなく俺まで二人一緒にデートで何をあったのか皆に話さなくちゃいけなくなった。

 本当に大事なところは言わなかったけど、改めて二人変える形で皆にどんなデートだったか言うのはかなり堪えた。

 

「お姉ちゃんまでいつの間にかいて死にたくなった」

 

 言葉はアレだけど気持ちは分かる。

 これでこれから長いこと更識会長に弄られるんだろう。

 本当いい顔してた。

 

 そうだ。

 簪の渡したいものを渡さないと。

 その為に簪を部屋に呼んだんだった。

 

「何々」

 

 簪がぐったりしていた体を正す。

 そんな簪の前に渡したいものを出した。

 

「カード……これって……!」

 

 簪は気づいたようだ。

 カードの形をしているがただのカードではない。

 これは部屋の鍵、カードキー。合鍵だ。

 

「い、いいの……?」

 

 恐る恐るといった様子の簪に俺は頷いて答えた。

 これはからは何かと部屋に呼ぶことも増えるだろう。逆に簪が来ることも。

 その時に部屋の鍵があればいろいろと便利なはず。

 後、合鍵を渡すというのは恋人関係になった証。信頼の印に他ならないと思っている。

 

「そっか……ありがとう。大切にするっ」

 

 そう言った簪は、嬉しそうにカードキーを握っていた。

 

 もう一つ、簪とこれから付き合っていくにあたって言っておきたいことがある。

 かなり厳しい話をするが、俺の話を聞いてほしい。

 

「う、うん。分かったけど……きゅ、急にどうしたの? 関白宣言みたい」

 

 言われて、あっとなる。

 そんなつもりはなかったが言われてみれば、関白宣言みたいだ。

 指摘されると恥ずかしくなってきた。

 というか、関白宣言知ってるんだな。

 

「小さい頃、お父様が好きでよく聞いてたから。それで」

 

 と、話がそれた。

 咳払いを一つ小さくして、切り替える。

 まず学園では恋人らしいことはしない。今まで通りでいることを心がけようということ。

 

「今まで通り……?」

 

 付き合うことになり、皆には喜んでもらえて、祝福はしてもらえたけども。

 親しくない人、上級生の人達とかは俺達の仲をよく思わないかもしれない。環境が環境なだけに。

 そんな人達が見ているかもしれないところで恋人らしいことをすれば、どうなるかは想像に難くない。

 見ず知らずの人達のことまで考えだしたらキリはないが、気を付けるにこしたことはない。だからこその心がけ。

 後はまあ、他人に見せるようなものでもないし、見られてもいいことはないだろう。

 

「確かに……うん、それはあなたの言う通りだね。後、私も恥ずかしいからね」

 

 そういうことだ。

 納得してくれてよかった。

 だだあくまでも心がけるだけで無理はしてほしくない。無理は心の毒だ。

 学園ではしないが部屋にいて今みたいに二人っきりの時は恋人らしいことをするというか。

 

「こ、恋人らしいことって……?」

 

 それ聞いてくるのか。

 漠然としすぎているというのは分かるが。

 例えば何だ。抱きしめ合ったり、くっついたりとか甘えたり、甘えられたりするということ。

 二人っきりの時ぐらいはそういうことを受け止められる度量はあるつもりだ。

 

「な、なるほど……ぁ、っ、ぅ……」

 

 目の前の簪は俯き加減にこちらの様子を何度も伺ってくる。

 付き合ってから……と言うより、長い付き合いになるから分かったことがあるが、簪は言いだせないことがあるとこんな風に見てくることがある。

 言葉では理解したが、実際にやってみないと分からないこともあるか。

 簪にこっちへ来るよう手招きした。

 

「う、うん……ひゃぅっ……!?」

 

 簪を両脇から抱き上げると膝の辺りに簪を前向きで乗せ、後ろから抱きしめた。

 何て言えばいいんだ。実際にするとこういう感じになる。

 

「何でやったあなたが照れるの。もう……でも、こういう事なんだ。いいね……悪くない。こういうことができる仲になったもんね」

 

 そう言って簪は、体をこちらへと預けてくれる。

 高まる密着度。

 落ち着く。そういう仲になったんだ。これからは好きなだけ触れ合える。

 

「うんっ! ……って結局、関白宣言じゃないね」

 

 また言う。

 はなっからそんなつもりじゃないといったのに。

 でもまあ、関白宣言をやるとすれば、これから大変なことはたくさんあるだろう。どちらか片方だけが苦労したりするんじゃなくて、二人手を取り合いながら乗り越えていきたい。

 そんな風に幸せは二人で育てていくものだろうから。

 

「そうだね……手を取り合いながら一緒に嬉しいことも悲しいことも」

 

 簪と手を重ね合う。

 

 一緒だからいい人生だってお互いが思えるように必ずするから

 忘れないでほしい。いつだって愛しているのは生涯簪ただお前ひとり。

 

「――ッ、あなたってそういうところずるい。私だって愛しているのは生涯あなたひとり」

 

 



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真夜中に簪と

 最終チェックをして、ミスがないことを確認。

 保存をして、バックアップを取る。

 そして一息。ようやく作業が終わった。

 時間を見れば、もう夜中。随分、長いこと作業をしていたのか。

 いつもならもう寝ている時間だが、作業のし過ぎだからか眠気はない。頭は冴えている。

 それよりも、腹が空いた。このこともあって、とりあえず布団に入ったところで寝付くのに時間はかかる。

 何か食べるものでも見繕って……部屋の扉がノックされた。返事を返す。相手は確認するまでもなく簪しかない。

 

「うん……私、簪。悪いけど開けてもらえる……?」

 

 声の主はやはり、簪だった。

 席から立ち上がると、部屋の扉を開けた。

 そこには簪がいた。手にはお盆を持っていて、更にその上にはおにぎりとだし巻き卵、お茶が乗っていた。

 

「お夜食持って来たんだけど邪魔だった……?」

 

 なんと。いいタイミングだ。

 丁度、何か食べ物をとリビングに行くか考えていた。

 

「そう……よかった」

 

 簪に中へ入ってもらうと簪は部屋の真ん中にある机にお盆を下ろし、適当なところに座る。俺は簪の前へと座った。

 先に寝てろと言ったし、いつも寝てる時間から大分経ってるからてっきりもう寝たものだと思っていた。

 

「寝たよ……三十分ぐらい。それからずっと目が冴えて寝付けなかったら、あなたに夜食でもって思って作ってた」

 

 だから、妙に手が込んだ感じになってるのか。

 丁度いい量で旨いからすきっ腹と疲れた身体には染みる。

 幸せだ。

 

「ふふっ、何それ変なの……はい、お茶」

 

 渡されたお茶を飲んで一息。

 よほどお腹が空いていたのか全部綺麗になくなった。

 ご馳走様でしたと手を合わせた。

 

「お粗末様です」

 

 すきっ腹がいい感じに膨れて、身も心も満足感でいっぱいになる。

 食べている間、簪はお茶を飲むだけで食べてなかった。

 よかったんだろうか。

 

「大丈夫……お腹空いてないし、味見した時にちょっとつまんだから。それにあなたが美味しそうに食べてるの見てたら私までお腹いっぱいなった」

 

 そうか。なら、よかった。

 

「あ……お茶、お代わりいる……?」

 

 お茶を注いでもらいまた一息。

 いい感じに疲れはなくなってきた。だからか、ぼーっとしてしまう。

 腹も膨れたことだし、そろそろ寝て……。

 

「……な、何っ」

 

 それはこちらの台詞だ。

 さっきからこちらを何度も見てくる。

 気づかれてないと思っていたみたいだが、簪は相変わらず分かりやす過ぎる。

 手招きして膝元に呼ぶ。

 

「うんっ」

 

 嬉しそうにしながら来ていつもの定位置。

 同じ方向を向いて、簪は膝の上に座った。

 やっぱり、いつものだったか。

 

「ってっ! これじゃない……!」

 

 違うかったらしい。

 いつもの如く何度も見てくるから、甘えたかったものだとばかり。

 

「それは……違わない、けど……私がしたかったのは逆なの」

 

 言ってることの意味が分からず不思議がっていると簪は妙膝で立って向かい合ってきた。

 そして、自分の方へとぎゅっと抱き寄せてきた。

 顔が簪の胸に埋まる。突然のことに変な声が出てしまった。

 

「ふふ、凄い声」

 

 仕方ないだろ。

 急にどうしたんだ。

 

「頑張ったあなたをもっと労いたくなって。こうすれば少しは癒されるんじゃないかって思ったけど……嫌ならやめる」

 

 嫌じゃないです。

 と、俺は簪に言葉なく身を任せた。

 すると、簪は頭を抱きしめたまま後頭部を撫で満足そうにしていた。

 

「よろしい」

 

 まったく、分かってやってるだろ。

 けれど、癒されてるのは事実だ。

 簪があんなこと言ってこんなことして来るということは寂しい思いをさせてしまったんだろう。

 今日はずっと作業をしていて、顔を合わせたのは昼と夜の飯時ぐらいだったからな。

 

「寂しい……そうかも……寂しかったのかも。こういうことは今まで何度もあったけどさっき起きて隣にあなたがいくて寂しかった。もうそんな歳じゃないのにね」

 

 苦笑交じりに簪は言うがそんなことはないだろう。

 歳をとっても寂しい時は寂しいものだ。

 簪と俺は、それを恥ずかしさとかはあれど、決して言えない仲ではないはず。

 

「そうだね……あなたはどうだった……?」

 

 どうとは聞くまでもない。

 勿論、寂しかったが寂しいからこそ少しでも早く終わらそうと作業を頑張れた。

 そして、今はこうして触れ合えるのだから寂しくなくなった。甘えられているしな

 

「ん……たくさん甘えて。私もたくさんあなたに甘えちゃうから……話したいこと、聞いてほしいこといっぱいある」

 

 簪のその言葉に頷いた。

 今日話せなかった分沢山話そう。たくさん話を聞こう。

 

「じゃあ、食器持って一緒に歯磨いたらベット行こう。あなた疲れているみたいだからそっちのほうが落ち着けるから」

 

 眠気はないが疲労はある。

 嬉しい気遣い。

 ベットの中なら落ち着ける。夜は深いが夜は長い。

 続きはベットの中で。

 



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簪と考えるこれから進む路

「進路希望用紙は全員に行き渡ったな。一週間後のHRで回収するのでそれまでしっかりと書いておくように」

 

 ある日の放課後、HRに配られた進路希望用紙。

 この学園でもこういうのはやっぱりするんだな。

 

「あくまでもこれは簡単なものだ。書いたから確定というわけではないから、その点は安心するように。ただし、書くからにはよく考えて書け。進学するものは進学先があると助かる。以上だ」

 

 その言葉を最後に帰りの号令をして、今日のHRは終わった。

 先生方がいなくなるとざわつく教室。

 

「進路調査だって」

 

「やるのって感じだよね」

 

「とりあえず進学でしょ」

 

「まあ、折角IS学園に入ったんだからね。でも、どこ行くのか決めてないなぁ」

 

「国内、海外の学校もいいよね」

 

「分かる。どこにしよっかな」

 

 といった感じで盛り上がる教室内。

 耳に入る話からして誰もが進学。就職という選択をあげている子は全くと言っていいほどいない。

 進学先を探す感覚も遊び目的の旅先を探す感じ。受験の心配はしてない。

 IS学園に入ったのなら相当特殊な専門分野へ進まない限り、将来安泰なようなものだから当然と言えば当然か。

 

「進路か……急に言われると困るよな。将来のこと、ちゃんと考えるいい機会なんだろうけど」

 

 まあ、確かにそうかもしれない。

 しかし、そういう一夏はもう決まっているのではないのか。

 元々、就職をしたくて就職に有利な藍越学園に通うはずだっただろう。

 

「まあ、それはな。でも、このIS学園来たからな就職ってのは難しくねぇか」

 

 卒業後すぐ就職ってのは難しいのかもしれない。

 周りが進学ばかりだから、就職を選んでも結果的に就職前提の進学とかになるだろう。

 一般的な商社とかへの就職もIS学園を卒業したのだから、もっと別のところにすべきだとかで逆に決まりにくくなりそうな感じも少なからずある。

 それでも本人が本当に強く望めば、就職はできるだろうが。

 

「そういうお前はどうなんだ?」

 

 俺は進学予定だ。

 やっぱり、最低限大学ぐらいは卒業しておきたい。

 

「お前ならそう言うと思ったよ。進学先はどうするんだ?」

 

 そこまでは決まってないな。

 この機会にその辺、そろそろ考えないと。

 

 

「そう言えば、貴方達進路調査あったんだって?」

 

 放課後、生徒会室で生徒会の活動をしていると会長である楯無会長がそんなことを言ってきた。

 

「ありましたね。進学ばかりでしたけど」

 

 俺達を代弁して一夏が言う。

 他のクラスでも同時に進路調査用紙が配られたようで生徒会室に来る間、耳に入って来た進路関係の話はどれも進学についての話。

 就職するにしてもより専門的な勉強をしてからいう考えが多いようだ。

 

「そりゃ折角、この学園入ったんだから進学先選び放題だし、進学した方が後々いろいろ都合いいからね」

 

「まあ、確かに。鈴とかセシリアはもう進学先の学校までちゃんと決めてたなぁ」

 

 凰やオルコットは母国の有名大学に進むと言ってたのを聞いた。

 ちゃんと考えている奴はちゃんと考えている。

 

「男二人は何だかぼんやりしているわね」

 

「呆れるのやめてくださいよ。なぁ?」

 

 一夏、お前はこっちに振るのをやめろ。

 そういう楯無会長さんは進学するんだったけか。

 

「そうよ。楯無ですからね。というか進学先どころかもうその後の生き方、死に方まで決まっているわ」

 

 声は明るいから軽いブラックジョークなのは分かるが反応しづらい。

 しかし、楯無の役割があるだろうが先々のことを考えられているのは流石というべきか。

 楯無さんがこうなら簪も。

 

「簪ちゃんはどうなの?」

 

「どうって……聞く必要ある?」

 

「あるわよ。ちゃんと本人の口から聞きたいじゃない。ねっ」

 

 楯無会長もこっちに振るのをやめてほしい。

 気になるけども。

 

「私も普通に進学。経済学と経営学とか学べるスポーツ学科のあるほらあの――」

 

 簪が名前を挙げた進学先は国内の有名難関校。

 

「それってやっぱり、将来のことも考えて~?」

 

「うん、そう……進学先でも国家代表しながらになるだろうから役立ちそうなことをと思って。それに引退後、セカンドライフ困らないようにもしたいし、更識家の諸々でも役に立つと思うから。家のことお姉ちゃんに任せっぱなしにはしたくない。私も更識の人間なんだから」

 

「簪ちゃん……! お姉ちゃん嬉しいわっ!」

 

「お姉ちゃん、暑苦しい。こっちこないで来ないで」

 

「ほぇ~かんちゃん、ちゃんと考えてる~」

 

 ただ目先の進路だけでなく遠い将来のことまで考えての進路。

 皆と同様に簪もしっかり考えてる。

 眩しいな。見習わなければ。

 

 簪にはまず目先の目標として国家代表になり、各大会に出場し、モンド・グロッソに出て優勝するというものがある。

 対する俺はそんな簪を支えたいと思いはすれど、簪ほど具体的な目標があるわけでもない。

 どうして行くべきか……。

 

 

「あなたは、どうするつもりなの……?」

 

 夜、寮の自室からの外出禁止時間まで俺の部屋でいつものように過ごしていると簪がそんなことを言っていた。

 どうやって何がだ。

 

「ほら、進路調査あったでしょ……あなたことだから進学だろうけど、どこ行くのかなっと思って。学校は決まってなくても進んでみたい分野とかはあるんじゃないの。理系とか文系とか」

 

 それなんだが進学先はとりあえず決めていた。

 簪と同じころへ進もうと考えている。

 

「私と同じところ……? やっぱり、ISの競技者……正式にテストパイロットになりたいから……?」

 

 そうではない。

 ISを動かすのは好きだけど、それはあくまでも趣味というか。

 簪と同じ進学先ならスポーツ栄養学などやスポーツ選手のマネージャーの勉強などスポーツ選手を支える分野について専門的に学べる。

 ここでなら簪のようにセカンドライフに必要なことも学べる。だから、ここにしようと考えている。

 

「それって……つまり……そういうこと、でいいんだよね」

 

 何処か呆気に取られた様子の簪に頷いてみせた。

 

 公私共に簪を傍で支えたい。

 その思いは変わらずあるが、現実問題として俺が簪を支えられることは少ないと思っていた。練習相手になるにしても限界があるし。

 しかし、それは決めつけと思い込みだった。

 簪の進学先を知り、そこを自分でも調べてみてスポーツ栄養学などやスポーツ選手のマネージャーのノウハウを学べることを知った。視野が広がった瞬間だった。

 方法は一つじゃない。簪を支えるにしてもいろいろな手段がある。

 

「そっか……進学……同じ学校……はぁ~」

 

 安堵の息をつく簪。

 安心してくれて何よりだが、そんなにか。

 この考えに至ったのは今さっきのことで、それまでは本当にぼんやりしてたから心配かけてしまったのやも。

 彼氏がぼんやりしてたら嫌だもんな。

 

「そうじゃなくて……進学先一緒でよかったなって。遠距離になったらやだもん……」

 

 あ、そっちか。

 まあ、確かに……遠距離は遠距離でいろいろあるって聞くしな。

 一緒のところに行けるのならそれにこしたことはない。

 受からなかったら恥ずかしいどころではないが。

 

「心配しなくてもあなたなら大丈夫。私が絶対、受かるように教えるから……ねっ」

 

 嬉しいけど、その笑顔は怖いな。

 ここは頼もしいと受け取っておこう。

 やりたいこと。進みたい先が明確に見え、すっきりした気分だ。

 

「あ……じゃあ、進路調査一緒に書こ……折角だし」

 

 そう言った簪は自分の進路調査用紙を取り出してきた。

 持ってきていたのか。それにまだ白紙のまま。

 

「一週間後提出だからね……ほら、あなたも」

 

 簪に促され、俺も用紙を取り出した。

 書いておくか。

 空欄に進学と書き、進学先の学校名も書いた。

 

「書けた」

 

 満足げな簪の声。

 手元を見れば、同じように書かれた進路調査用紙。

 何か。

 

「恥ずかしいね」

 

 二人の声がハモった。

 書いたからにはちゃんとそこへ行けるよう、目標にたどり着けるよう頑張らないと。

 

「うん、頑張ろうっ」

 



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一夏と本音が考えるこれから進む路

「やっぱ、皆進学なんだな」

 

「ん~? もしかしなくても進路調査のこと~?」

 

 ある用紙を眺めていると思わず出てしまった呟きに部屋で一緒に過ごしている恋人のほほんさんが反応してくれた。

 

「そうそう。超難関校ってだけあるな~と思ってさ」

 

 進路調査が配られた。

 もうそんな時期なんだな。

 就職を選ぶ子は話を聞いた限り誰一人いなかった。むしろ、就職なんて単語を聞くことすら稀。

 誰もが進学を選んでいる。理由は理解できるけど何だかな。

 

「働き始めるのは大学卒業してからで全然いいからね~」

 

「まあ、確かに……」

 

 就職先やそこの環境にもよるだろうけど、今でも大学卒業しといたほうがいいってのはどこでも聞くには聞く。

 それに大学に行きながら働いたり、バイトぐらいはできるだろう。またIS学園みたいなところに行ったら話は別だけど。

 

「う~ん、悩ましい……」

 

「おりむーは就職希望だったけ?」

 

「いや、半々かな。就職して千冬姉を楽させたいってのは変わらず思うんだけど、皆の話聞いてると就職するのは進学してからでもいいなとも思ってるけど……」

 

「お金のことで悩んでるとか~?」

 

「よく分かったな」

 

「おりむーのことなら何でもわかるよ」

 

 嬉しいような恥ずかしいような気分だ。

 

 別にお金に困ってるってわけじゃない。

 IS学園に来て、白式に乗っているおかげで、テストパイロット扱いになりその分の給料みたいなものは貰ってる。俺の知る限り、そこらのバイトよりも遥かに給料はいい。

 だけど、進学ってなるとまとまったお金が結構いる。貰った給料は貯金してるし、無駄遣いしてない。

 けど、まとまったお金ってほど貯まってもない。

 

「織斑先生にお金の苦労させたくないなら奨学金っていう選択肢があるよ」

 

「奨学金……!」

 

「もう忘れてた顔して~」

 

「ははっ、面目ない」

 

 言われて気づいたから笑ってごまかすしかない。

 奨学金なら確かに千冬姉にお金の苦労や心配をかけなくて済む。

 

「でも、そう簡単に借りれるものなのか? それって」

 

「う~ん、種類がたくさんあるから調べてみたいなことには。でも、おりむ~ならどこでも喜んで支援してくれると思うよ~」

 

「いいのか、それ」

 

「私はいいと思うよ~使えるものは使えばいいし、気になるなら後々恩返しすればいいしね」

 

「確かに一理ある」

 

 えり好みできるような立場じゃないしな。

 支援は兎も角、奨学金は選択肢として全然アリだ。

 

「でも、おりむーが進学も考えてるなんて何か意外~」

 

「そうか? まあ、いろいろ話聞いてるうちにそっちもアリだなって」

 

「なるほどね~何か進学先で勉強したいことあるの?」

 

「そうだな。まだちゃんと決まってないし、本当漠然としてるけど、もっと世界のことを勉強して、人と人を繋いで困っている人がいたら力なって助けられるようになりたい」

 

 俺が今まで見て知っていた世界は本当に小さくて。

 この学園に来て、ISに白式に乗るようになって、見える世界は大きく変わって広がった。

 まだまだ世界は広くて、俺の知らないことばかり。今まで俺は知ろうともしなかったけど、これからは沢山のことをもっと自分から知っていきたい。

 大切な皆が幸せにいられるように人と人を繋いで、困っている人がいれば力になって助けられるようになりたいと今でも思う。

 そして、そのことを現実として実際にやっていかないと意味がないことを親友、あいつから何度も沢山学んだ。

 だからこそ、進学をしたいって思ってる。

 

「言葉にすると何か気恥しいな。子供っぽいこと言ってるのは分かってるけどよ」

 

「ううん、そんなことはないよ。おりむーのその思い。とっても素敵だと思う。かっこいいよ」

 

「ありがとうな、のほほんさん」

 

 素直に褒められると照れくさいけど嬉しい。

 やっぱ、進学にしてみようかな。

 けど、そういう……。

 

「のほほんさんは進路どう……」

 

 聞きかけて、途中でやめた。

 皆と同じように進学だろうし、進学するならきっと更識さんと一緒で……。

 

「私も進学~おりむーさえ、よければおりむーと同じところに行きたい」

 

「え……俺は全然いいけど、更識さんとかその家のこととかはいいのか……?」

 

 のほほんさんの家が更識家に仕える代々続く従者の家系ってのは知ってる。

 てっきり、従者として更識さんと同じ学校に行くと思っていた。

 

 のほほんさんの予想外の返事に俺が戸惑っていると、のほほんさんはあっけらかんとしていつもと変わらずのほほんとした笑みを浮かべて言った。

 

「いいよ~家のことは大事だけど私、次女だから家継わけじゃないし、家のことはお姉ちゃんが継ぐってもう決まってるから。おりむーに着いていくってなら、家の人も納得してくれるだろうからね~それにかんちゃんには彼がいるし」

 

「まあ、確かに」

 

 更識さんにはあいつがいる。

 のほほさんとタイプ似てるからな、あいつ。こう陰で支える的な。

 あいつが更識さんの隣にいるのなら安心か。

 

「それに私の人生だもん。家がそういう家でも私のしたいことしたい。私がしたいことはおりむーを支えること。ほらおりむー、一人にすると突っ走りすぎちゃいそうだし、進学先で女の子落としちゃいそうで嫌だし」

 

「ひでぇ」

 

 勿論、重くとらえていた俺を和ますのほほんさん流の冗談なのは分かった。

 

「大好きな人が出来て、素敵な恋人関係になれて、今こうして大好きな人と一緒に居られるのに離れちゃうのは寂しくて嫌だよ。いつも傍に居たい。隣に居たい。離れるのは待つのは嫌。我が儘言ってるのは分かってる。おりむー、それでも私を連れて行ってほしい」

 

 そう言ってのほほんさんは俺に手を伸ばしてきた。

 

「私、こうみえても結構頑固なんだよ。この想いは譲れない。もし、ダメって言われても勝手に着いて行っちゃうから」

 

 いつもののほほんとした声だけど、目は真剣な強い目。

 のほほんさんの気持ちは揺るぎなく硬い。本物だ。

 そんなのほほんさんへの答えは一つ。俺は、その手を受け取った。

 

「ありがとう。俺に着いてきてくれって、のほほんさんっ」

 

「もちろんだよ、おりむーっ」

 

 折角、出会うことで出来て、好きになって、恋人して今一緒にいられているのに離れ離れになるのは寂しい。

 のほほさんは俺にたくさんのことを気づかせてくれたかけがえのない人。

 のほほんさんが隣にいてくれるのなら心強い。

 

「よしっ。じゃあ、とりあえず進路調査用紙に書いておくか」

 

「そうだね~」

 

 のほほんさんも用紙を取り出して、二人一緒に書いておく。

 

「書けた。書いたからには頑張らねぇとな!」

 

「頑張るぞ~!」

 



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簪との海外ロケ。そして、懐かしき友人

「いいよ! いいよ! 最高よ! 更識さん!」

 

「……」

 

「その何とも言えないっていうアンニュイな表情が夕日に照らされたオランダの街並みによく映えてエモいわ! これは私史上最高の写真達! 売れるわ!」

 

 と言いながらカメラのシャッターを目にも止まらぬ速さで切る。

 この女性カメラマンとは長い付き合いになるが、いつにも増してテンションが高い。

 久しぶりに海外ロケってのが一番大きいのだろう。

 今日一日ずっとこんな感じだから、表情以上に簪の心は死んでる。

 けれど、ここでの撮影が最後。頑張れ、簪。

 

「よし、これでいいでしょう! お疲れ様、更識さん!」

 

「お疲れ様です……」

 

 撮影が終わったみたいだ。

 簪の傍へと行き、お疲れさまと飲み物を渡した。

 

「ありがとう……ん、ふぅ……」

 

 一口飲んで一息つく簪。

 今は夕方で一日がかりだったから大分お疲れの様子だ。

 

「あの人、凄い張りきっちゃったからね……本当、いつになってもこういうタレント活動苦手。まあ、ドラマとかバラエティーに出たりしなくちゃいけないよりかは遥かにいいけど……」

 

 国家代表および候補生は、国の宣伝塔の役目を持っており、国家公認アイドルという立場にもある。なのでモデル、タレントといった仕事も兼任している。

 選手活動以外にもこういった写真撮影やテレビ出演などをしなくてはいけない。しかし、簪はこういうのが好きではないのだが、立場上しないわけにもいかない

 こういう仕事が来ると簪はよく渋る。なのでマネージャーの俺は折り合いに苦労している。

 特に最近はタレント活動の依頼が多い。

 

「うん……本当多い。オフシーズンだから訓練とかには差し支えないけど、何でなんだろう……?」

 

 簪は不思議がっているが、理由は単純明快に人気だからだろう。

 候補生の頃から人気だったが、そこに第四回世界大会優勝、日本の悲願だった織斑先生以来の日本人ブリュンヒルデとくれば、人気具合はより一層高まった。

 おかげでこの忙しさ。

 

「そういうものなのかな……」

 

 当の本人である簪は、今一つ腑に落ちないの様子。

 そういうものだ。実際、簪の出た番組の視聴率や評判はよく、インタビュー記事や写真の乗った雑誌は飛ぶように売れる。

 おそらく今回のも。

 

「更識さん達、写真のチェックお願い!」

 

「はい」

 

 カメラマンに呼ばれ、チェックしに行く。

 

「どう! どれもいい写真でしょう! 銘仙の着物着て聖バフォ教会で撮ったこれなんて素晴らしくないかしら?」

 

「そうですね……大丈夫だと思います。綺麗に撮ってもらえましたし」

 

「もうっ、更識さんは相変わらず淡白ね! マネージャーさんはどう? これは売れるでしょう!」

 

 グッとタブレットを押し付けられ、俺も確認する。

 オランダを舞台に撮った様々な写真。さっき言っていた銘仙の着物を着た写真を初め、他にもゴスロリメイド服など様々な衣装を着て撮った写真の数々。

 結構な量だが、どれもいい写真だ。確かにこれなら今回の雑誌も売れるだろう。

 

「あなたまで……もうっ」

 

「でしょう! これなら今回も売り上げ一位間違いなしね!」

 

 簪には呆れられてしまったが、いい写真なのは確かだ。

 これは個人的にも欲しいぐらいだ。

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃない! 製本されたら一番に送るわ!」

 

 それは楽しみだ。

 

 

 撮影が終わった後、今日は解散になった。

 といっても仕事は今日で終わりではなく、明日は明日で対談インタビューがある。

 むしろ、これが今回の本命だったりする。

 

「ロランツィーネ・ローランディフィルネィ選手だよね」

 

 ホテルのベットで寛ぐ簪に頷いて肯定する。

 対談相手はオランダ代表のロランツィーネ・ローランディフィルネィ選手。

 第四回世界大会の決勝戦で簪が戦った相手で、その縁あって今回対談インタビューということになった。

 

「決勝戦の会見以来になるのかな……楽しみ」

 

 そうだな。

 どんな対談になるのだろうか。

 

 そして、時は過ぎ。

 当日。泊まったホテルにある小さな会議室で対談インタビューは行われていた。

 

「それでは更識簪選手、ロランツィーネ・ローランディフィルネィ選手。今日はよろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

「初めの質問ですが……」

 

 お互いの印象や決勝戦の思い出、選手生活についてや第五回世界大会に向けての意気込みなどを話し合っていた。

 会話は弾み、予定の時間を少しオーバーして、対談インタビューは終わった。

 

「仕事とは言え、こうしてまた簪と話すことが出来て嬉しいよ」

 

「私もです。ローランディフィルネィ選手とは決勝戦の会見以来ですからね」

 

「むっ、言いにくいだろ。ロランで構わないさ、簪。敬語も必要ない。私達はもう友人同士だ。なんせ、熱くぶつかり合った仲なのだからな!」

 

「もう……相変わらずだね、ロラン」

 

 対談インタビューは終わったが、スタッフが帰っていった後も部屋に残って、二人は旧交を温めていた。

 

「何というかロラン、前とは雰囲気少し変わったね。あなたもそう思わない?」

 

 確かにローランディフィルネィ選手、彼女はもっと華々しく情熱な人だったけど、今日の彼女は前より何処か落ち着いた雰囲気がある。

 それにここ最近、彼女の色恋沙汰の話も聞いてない。

 

「君もロランで構わないよ。私が落ち着いたか……そう感じたのなら傍から見ても私は腰を落ち着けられているということだな」

 

「それって……」

 

 意味深な言い方だ。

 色恋沙汰の話を聞かくなったということはそういうことなのか。

 

「それはそうと簪達はオランダを楽しんでくれてるかな? いつまでいる予定なんだい?」

 

「明日一日休んで明後日のお昼には日本に帰る予定。撮影でしか見れてないけどオランダはどこも風景がよくていいね。明日はそれを愉楽しむつもり」

 

「そうか、そうか。存分に楽しんでくれたまえ。ちなみに夜、この後予定はあるかい? なければ、君達二人を夕食に招待したいのだが」

 

「予定はない。あってるよね?」

 

 頷いて答える。

 仕事は先ほどので全部終わった。

 後はもう全部オフになっている。スケジュールも確認したから間違いない。

 

「なら、折角だからお呼ばれしちゃおうかな」

 

「ありがとう。フィアンセも喜ぶ」

 

「あ……やっぱり、そうだったんだ」

 

 簪も同じ考えをしていたようだ。

 

 ホテルを後にして、夕食にお呼ばれした俺達は彼女の自宅へと来ていた。

 何でもフィアンセの方が夕食を用意してくれているとのこと。

 

「さあ、入ってくれ。帰ったぞ」

 

「ああ、お帰……りィ!?」

 

「えっ!?」

 

 家の奥から出てきた人を見て簪と驚いた。

 

「さ、更識……」

 

「篠ノ之さん……?」

 

 紛れもなく彼女は篠ノ之箒。

 懐かしい同級生だった。

 

「君達は知っているだろうが、改めて紹介するよ。フィアンセの篠ノ之箒だ!」

 

「久しぶりだな……更識。それにお前も」

 

「う、うん……久しぶり」

 

 呆気に取られる俺達二人。

 異国の地。しかも、彼女の家で会えるだなんて思ってもいなかった。

 それにフィアンセというのは比喩とかそういうのではなく。

 

「あ、ああ、そういうことだ。それよりも中へ入ってくれ。夕食はもうできているぞ」

 

 言われて簪と共に家の中へと上がらせてもらった。

 

「世の中、本当何が起きるか分からないね」

 

 そんなことを簪が小声で言うがまったく同意見だ。

 ここにいたというのもそうだが、女性である彼女のフィアンセになったとは。

 今時、同性同士はそう珍しくはないが、あの篠ノ之が……と思うと驚きを禁じ得ない。

 

 そして、夕食はというと篠ノ之お手製の日本食、和食だった。

 外国に来てまで食べてる和食は何だか不思議な感じもしたが、篠ノ之の手料理は美味かった。

 

「だろう! だろう! 私の箒は料理上手なんだ。オマケに器量もいい。こういうのを日本では良妻賢母と言うのだろう」

 

「お、おいっ、ロランっ」

 

 叱る様な言い方だが、満更でもない様子の篠ノ之。

 たった一瞬のやり取りだけど、仲の良さは伺える。

 

「こほん……にしても、更識達は元気そうで何よりだ。活躍もよく目にしている。今日は急だったから驚いたが」

 

「箒と簪達があのIS学園で生活を共にした学友だったと聞いていたからね。サプライズをと思ってね」

 

 と彼女がウィンクをこちらに飛ばしてきた。

 サプライズ……まあ、確かにとっておきのサプライズをしてもらえた。

 俺達も元気そうな篠ノ之の姿を見れてよかった。現在進行形で珍しい姿も見れているわけだし。

 

「だね……でも、篠ノ之さん。どうして、オランダに? 確かご実家の神社継ぐ為の学校に行ってたはずじゃ……」

 

「ああ、行ってた。ちゃんと卒業したし、資格も取ったんだが……いざ、継ぐとなった時、これでいいのかと思うようになってな」

 

「どういうこと……?」

 

「私は敷かれたレールを敷かれた通り進むだけだった。両親と離れることになったこともIS学園に入ることも。実家が神社だから継ぐのもただ実家がそうだからと言うだけで自分では何も決められてないような気がしてな」

 

 ぽつりと篠ノ之が話し始めてくれる。

 

「それにもっといろいろなことに自分から触れるべきだと思って、海外留学をしてみたんだ。まあ、立場が立場だからそう簡単には行かないから、姉の名前を出したり、楯無さんにも協力してもらったんだ」

 

「お姉ちゃんが……?」

 

 知らなかったと簪と顔を見合わせる。

 そんな話は聞いてなかった。

 

「まあ、行ってもただの留学だしな。それに何か気恥しくて言ったのは留学を後押ししてくれた雪子おばさん……今実家の神社を管理してくれている親戚の人ぐらいだ」

 

「なるほど……で、その留学中にロランと……?」

 

「あ、ああ……出会いは美術館だった」

 

「そうだとも! あの時、初めて見た絵画を見つめる箒は女神だったよ!」

 

 興奮気味に言うロランを見て察した。

 彼女が篠ノ之に一目惚れして、猛アタックしまくったと。

 

「それで押しに弱い篠ノ之さんは押し負けたと」

 

「くッ……抗議したい気持ちは山々だが、事実なだけに出来ないのが悔しいッ」

 

「ははっ、流石は箒の学友! よく分かってるじゃないか!」

 

 彼女が愉快気に笑う。

 本当、その光景が容易に想像つく。

 けれど、気になることはまだある。

 

「フィアンセっていうのは……?」

 

「箒が付き合うなら、自分一人だけを愛して結婚を前提でなければダメだというものでな」

 

「あ~……言いそう」

 

「くッ……」

 

 篠ノ之は恥ずかしがっているが、確かに言いそうだ。

 簪とリアクションが被ってしまった。

 

「し、仕方ないだろ。私はそっちの気がないのに、そこまでロランが言うなら覚悟を見せてもらわなければならん。不埒なのは許せん!」

 

「ということだ。箒の真剣さに私のハートは射抜かれてしまった。何より私も本気だからな、皆の恋人ロランツィーネ・ローランディフィルネィは惜しまれながら引退。箒一筋のロランになったわけだ」

 

「だからそれで……」

 

 簪と共に合点がいった。

 ホテルで気になった変わりようはこれが理由だったんだな。

 フィアンセということは行く行くはそうなるのだろうか。

 

「行く行くはそうなるさ。ただ今は流石に各地での試合や世界大会があるからそうすぐには行かなくてね」

 

「確かにそうだよね……というは篠ノ之さん、もう日本には戻らないの?」

 

「いや、次の世界大会が終わって少ししたら帰国する予定だ。やっぱり、実家を継ぎたいという気持ちは異国の地に来ても変わらなかったと分かったからな。ただ今、私は近所の学校で日本語の教師をやっていて、それの引継ぎとかをしてからだ」

 

 今、篠ノ之はそんなことしているのか。

 学校の先生……似合いそうだ。

 しかし、そうなると二人は離れ離れに。

 

「私も日本に行くぞ。IS選手は次の世界大会をもって引退する。定年だしな。簪もそうだろう」

 

「うん……私も次で最後だね」

 

 IS競技者の定年は大体25歳前後。

 最高で28歳のIS操縦者もいるが、それは規定に見合う後継者がいなかったりなど止むに止まれぬ事情などがある場合のみ。

 大体が25歳前後で現役選手から引退する。

 

「箒の話を聞いていたら住んでみたくなってな。日本の神の下で箒と慎ましやかに生きる。最高ではないか!」

 

 そう言う彼女の脳裏にはもう未来の光景がはっきりと見えているかのよう。

 

「国家代表である私が日本に住むのはいろいろと難しいだろうが、愛の前には小さな石ころ同然。我が愛は止められんよ!」

 

 逞しい。

 彼女ならどんな困難も乗り越えられると強く感じさせられる。

 

「更識、お前達二人に頼みがある」

 

「頼み……?」

 

 何だろう、急に。

 

「大したことじゃないんだがな。ロランとのこと皆には黙っていて欲しい」

 

「いいけど……それはなんでまた……」

 

「知られた分にはいいが、まだゴタゴタしている時期だからな落ち着いてからにしたい。ロランのほうも公表しておらんし」

 

「箒との仲は既成事実化しているが、公式の場で公表するのはいい時期と言うものがあるからな」

 

「うむ、それに大切なことだ。皆には私の口からちゃんとロランとのことは言いたい」

 

 その気持ちはよく分かる。

 

「ロランと結ばれた私はこんなにも幸せなんだとな!」

 

 そう言った篠ノ之は幸せそうで輝いていた。

 



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簪に零れ桜

「あ……桜咲いてる」

 

 ふいに隣で一緒に歩く簪がそんなことを言った。

 釣られて視線の先を追うと道の脇に桜が咲いた。

 もうそんな時期か……満開して綺麗だ。

 

「ん……綺麗。そう言えば花見、今年はまだやってない」

 

 そう言えば、そうだ。

 毎年いつもこの時期にはちゃんと場所取って花見していたが、今年はまだ花見できてない。

 したいのは山々だが時間がない。場所を取る様な暇もないし。

 

「次の休み大分先だからね。あ、そうだ……! 場所気にしないなら、今から花見しない?」

 

 すぐには言葉の意図が変わらず、首を傾げた。

 場所に拘ってないし、この後予定があるわけでもないがどこで花見するつもりなんだ。

 

「これから行くスーパーからちょっと回り道で家に帰る途中に公園あるでしょ。そこなら花見ちょっと出来そう。スーパーで飲み物と三色団子でも買って」

 

 それはいい考えだ。

 その公園ならちょっとした花見はできる。

 そうするか。

 

「決まり。じゃあ、スーパー早くいかなきゃ」

 

 スーパーへと更に足を進める。

 元々スーパーに向かって歩いていた為、すぐ着くことが出来た。

 

「お花見の前に先、夜ご飯。生姜焼きでいいんだよね」

 

 頷いて答える。

 今日の晩御飯は簪が担当。リクエストを聞かれたので生姜焼きをリクエストした。

 ここ最近は肉が食べたい気分だ。

 

「メインは決まり。野菜は生姜焼きの付け合わせのでいいとして後はお味噌汁と……うーん……」

 

 店の中を歩きながら考え悩む簪の姿を後ろから眺める。

 簪のこの姿、やっぱり好きだな。

 昨日、国家代表として仕事をしていた人間とは思えないほど主婦している簪。あまりにも自然なその様に国家代表更識簪がいるなんて周りの人達は気づいてない。

 気づいてそっとしてくれているというのもなくはないが、それでも普段仕事の時みたいに目立つ気配もない。

 どこにでもいるありふれた主婦の姿。普通のことなのに何故だか見惚れてしまう。

 

「わかめの味噌汁とひじきの煮物にしようと思うんだけど後一品、何か食べたいのある……?」

 

 尋ねられ我に返る。

 見惚れるのはここまで。もう一品、ポテトサラダでもリクエストした。

 そして、夜ご飯と花見の用意を買い終えると遠回りに家への帰り道を歩き、目的の公園に着いた。

 

「わぁっ……!」

 

 公園に入るなり、桜を見て簪が感動した声を上げる。

 公園を囲むようにいくつも咲いている桜もそうだが、中でも感動的なのがひと際大きな桜。満開だ。

 オマケにご飯時が過ぎた中途半端な時間だからなのか、俺達以外に人影はない。

 

「運いいね」

 

 なんて話しつつ近くのベンチに二人並んで腰を下ろす。

 荷物担当の俺は袋から花見用の三色団子と飲み物を二人分袋から出して簪に渡す。

 

「ありがとう……いただきます」

 

 桜を眺めながら、三食団子を一口、飲み物を一口。

 昼の暖かい日差しが心地いい。

 

「ん……ぽかぽかしていい感じ……。わっ……!」

 

 まったり花見を楽しんでいると強めの風が吹いた。

 

「桜吹雪……」

 

 桜が風で舞い上がり、ひらひらと舞い落ちる。

 辺り一面にピンク色が広がていく。

 さながら桜吹雪が出来た桜の絨毯みたいだ。

 

「桜の絨毯……ふふっ、言えてる。はぁ、綺麗」

 

 そう楽しげに笑う簪の髪には舞い落ちてきた桜の花びらがついていた。

 桜の髪飾りだな。

 よく似合っている。綺麗だ。

 

「えへへっ、ありがとう」

 

 簪が嬉しそうに笑う。

 そしてまた二人の頭上には桜の花びらが舞う。

 陽だまりのような幸せなひと時は桜色に染められ、舞い落ちる花びらのようにひらひらと過ぎていく。

 



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悩む簪の傍に

 鍵を開け、家の扉を開き、ただいまの一言。

 家に帰って来た。

 

「……ただいま……」

 

 隣の簪も同じく言う。

 しかし、声は小さく、覇気はなかった。

 

 靴を脱いで家の中へと上がる。

 向かうはリビング。

 着くと荷物を一旦置いて手洗いうがい。その後は一旦置いた荷物をもって、お互いに着替えに行く。

 着替えに終えるとリビングに戻って、お茶の用意をしつつ、夕食の用意を始める。

 いつもより早く帰ってこれたけども、時間的にはそろそろ夕食時。ゆっくりと準備していれば、丁度いい時間になるだろう。

 

 そう思って夕食を作っていくと、遅れて簪が出て来た。

 静かにテーブルに着いた簪に用意していたお茶を出す。

 これで少しは気持ちが落ち着くだろう。

 

「ん……」

 

 受け取ったのを確認すると、台所に戻って再び調理を始める。

 簪は渡した飲み物を一口飲んだだけで、こちらを見つめている。

 うちのリビングは台所と対面式な為、遮るものなく視線が直に刺さる。

 もっとも視線がこっちに向いてるだけで、簪にしたら見てるつもりはないんだろう。考え事してる顔になってる。

 もしかしなくても、今日のことだろう。

 

 今、簪は連続出場数回目になる世界大会モンド・グロッソに向けて特訓の日々を送っている。

 忙しく、厳しい訓練だがそれ自体には慣れたもの。しかし、今回はこれまでとは違うものがあった。

 今、簪はスランプに陥ってる。

 

「はぁ……」

 

 深い溜息。

 スランプだというのを如実に物語ってる。

 こうやって早く帰ってこれたのもコーチである織斑先生、もとい織斑コーチに帰されたからに他ならない。

 国家代表である簪は前回の世界大会モンド・グロッソに優勝した。一度優勝したことで更なる期待がかけられている。前回も優勝したからきっと勝てる。今回もまた凄い試合を見せてくれる。そんな期待の数々。

 言葉にするとよくあるものことにも思える。だが言われて、期待をかけられる簪本人にしてみれば、感じる責任感やプレッシャーは計り知れないだろう。

 だからこそ、今まで以上に頑張ろうとするがその頑張りがから回っている。簪もそれを自覚してないわけじゃないが、簪は気負うと自分を追い込む嫌いがある。

 心身に無理がない程度までは見守っていたが、流石に追い込みが過ぎて織斑コーチからストップがかかり今へと至る。

 

 そうこうしているとひとまず夜ご飯が出来た。

 早い時間にはなるが、簪は食べれるだろうか。もう少し後のほうが。

 

「ん……大丈夫。今、食べる」

 

 それを聞いて、夕食を並べていく。

 今夜はたまご雑炊ときんぴらごぼう、それから漬物。

 並べ終えると簪の前の先へと座る。

 

「いただきます」

 

 手を合わせて二人一緒にそう言うと食べ始めた。

 疲れてるはいるだろうが、ガッツリしたのは食べれなさそうだったから軽めのものにした。

 

「ありがとう……助かる。ん……美味しい」

 

 ゆっくりながらもしっかり食べてくれている。

 よかった。

 軽めのものだったから、すぐ食べ終えた。ちなみに簪はまだ食べている。

 

「そうだ、洗い物そのままにしてといて……洗い物は私がしておく。今は何かしてたい」

 

 なら簪に任せよう。

 その間、風呂の用意でもしていればいい。

 

 

 食後、洗い物した簪には先、風呂に入ってもらっていた。

 のだが……今日の簪はいつもより長風呂だ。

 おまけに物音もしない。寝落ちでもしてないかと心配になって外から扉越しに声をかけた。

 

「……大丈夫、起きてる……考え事してた」

 

 長風呂するぐらいの考え事。

 訓練ができないからこそ、考えずにはいられないといった感じなんだろう。

 気分転換してほしいところではあるが、こっちらから無理やり気分転換させるようなものでもない。

 訓練ができないのなら、せめて考え続けることぐらいはしておきたいというのは俺もよくするから分かる。

 とことん考え抜けばいい。のぼせない程度に。

 

「んー……分かってる。ありがとう……もう少ししたら出るつもりだから」

 

 その言葉通り、簪は風呂から上がって来た。

 しかし、今度入った俺が風呂から上がるとリビングでも簪は考え事をしている感じだった。

 今回は長引きそうだな。飲み物を片手にソファで寝転びながらタブレットとにらみ合いをする簪の隣に腰を降ろす。

 

「んしょ……」

 

 器用に簪がよじ登ってた。

 簪は俺の膝の上に頭を乗せ、膝枕する形に。

 

「ほっ……」

 

 安心した様子の簪。

 男の膝枕なんていいものではないだろうに。

 

「これがいいの……落ち着く」

 

 簪がそう言うのならそうなんだろう。多分。

 そっと簪の髪を撫でた。

 

「ん……」

 

 時は過ぎていく。

 夕食時からゴールデンタイム、日付が変わる前へと。

 

 立ち上がったり、別のところに行ったりはしたものの戻る度に簪に膝枕をし続けていた。安心してくれていたが、それでスランプが解決するようなものでもない。

 

「うーん……」

 

 タブレットに映る練習光景の映像やデータと睨み合いを続ける簪は、今だスランプの真っ只中。

 のようだが、ふいに画面から目を離し、タブレットを置いた。そして、一言。

 

「ねぇ……どこか遠くに行きたい……」

 

 どこか遠く……特にこれといって行きたい場所があるわけではなさそうだ。

 単純に場所を変えて、気分転換したいといった感じなんだろう。

 だったら、行くか。

 

「いいの……? 遠くだよ……? しかも、夜も遅いのに……」

 

 大丈夫と力強く頷いてみせる。

 確かに夜は遅いが咎められるような年齢ではないし、それで簪の気分転換になるのならお安い御用だ。

 

「ありがとう」

 

 簪は嬉しそうに小さく笑みを見せてくれた。

 

 

「わぁ……暗いっ、広いっ」

 

 目の前に広がる夜の海を見て簪が感動する子供みたいな感想を上げている。

 やってきたのは家から車で大体一時間ほど走ったところにある海岸。

 夜、遠くに行くとなれば定番ではあるが海がいいだろうと連れてきた。

 

「ちょっと肌寒い……」

 

 昼間は汗が出るぐらい暑かったりするが夜は昼間の暑さが嘘みたいに寒い日があったりする。今夜も冷える日で海のすぐ近くにいるから少し肌寒い。

 少し厚着してきたし、水筒に熱いほうじ茶を入れて持ってきている。

 コップに入れて簪に渡すと、砂浜へと続く階段に二人並んで腰を降ろした。

 

「はぁ……」

 

 お茶を一口飲んで簪が安の息をこぼす。

 人の影は当然ない。夜の海は静かで、さざ波だけが小さく聞こえてくる。

 

「落ち着く……吸い込まれそう」

 

 隣に座る俺へと身体を預けながら海を眺める簪は、何だか吹っ切れた顔をしていた。

 

「ありがとう……海、連れてきてくれて」

 

 ぽつりと一言。

 何もしてないから礼を言われるほどではないのに今日はよく感謝される。

 

「そっとしてくれて本当にありがたかった。変に元気づけられたり、気分転換に何かされてたら余計落ち込んでたかも。理解されてるなぁってしみじみ」

 

 一緒になってから随分経つからな。

 そこらへんはよく理解してるつもりだ。

 後は更識簪専属のマネージャーだから仕事のうちってのもあるが、それ以上に立ち直してくれてよかった。

 

「昔からこうなると目の前のことばっかりになっちゃって周り見えなくなるの成長できてないな……これは織斑コーチに視野が狭いっていつも叱られるわけだよね」

 

 昨日までの自分を笑い飛ばす様に簪は苦笑いする。

 視野が狭いとは織斑コーチが簪を叱り飛ばす時によく言うお決まりの台詞だ。

 そこにいろいろな意味が込められていて、今回のことにも言えること。

 

「次のモンド・グロッソは優勝しなきゃいけないし、優勝する気だからプレッシャーに何か負けてられない。あなたっていう一緒に戦ってくれるヒーロー仲間もいるからね」

 

 笑顔を見せてくれた簪は迷いを断ち切っていた。

 と同時に。

 

「あ……あぅ……」

 

 簪のお腹が小さく鳴った。

 食べてから大分時間は経ち、今夜は軽めだったからな。

 腹が減ってもおかしくはないだろう。にしては定番的ではあるが。

 

「わ、笑わないでよっ……もう、せっかくかっこつけてみたのに締まらない」

 

 ちょっぴりガックリしている簪が微笑ましい。

 簪の腹の音を聞いたからかこちらまで腹が減ってきた。

 何か食べて帰りたい気分。例えば。

 

「ラーメン?」

 

 思いついたことを簪が先に代弁した。

 

「あなたならそう言うと思って。私もガッツリ食べたい。あ……でも、何だかんだまだ訓練期間だからダメかな……?」

 

 訓練期間。しかも、夜中。

 気になるところではあるが、日頃の食事サポートはバッチリだ。

 多少の贅沢は効くようにしてあるし、明日も変わらない食事をすれば問題ない。

 

「やったっ……行こ行こっ」

 

 簪は俺の腕を掴むと二人で駐車場へと続く砂浜の階段を上がっていく。

 夜はまだ明けそうにない。

 



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簪は狼なりや

『オオカミはもっと強い雄雌のペアが群を率いれます』

 

 夜、やることを終えてまったりとした時間。

 リビングにあるテレビでは何やら動物番組がやっている。

 バラエティー系ではなくガッツリ真面目な教育系の番組だ。ちなみに紹介されているのはオオカミ。

 

「……」

 

 それを簪は体育座りしながらじっと見ている。

 真剣な表情。

 興味津々な様子。ヒーローものでもないのに、簪がこうなのは珍しい。

 

『このことから分かるようにオオカミはとても愛情深い生き物です。それは同族だけでなく別の種の生き物、私達人間にもその深い愛情を示してくれます』

 

「ふんふん」

 

 思わず、声を上げるほどの関心っぷり。

 そう言えば、好きな動物とか改めて聞いたことなかったがオオカミ好きなんだろうな。

 

「うん……好き。動物の中だと一番気に入ってる。気高くて賢くてとっても愛らしいから」

 

 そう言う簪はいい表情だった。

 なるほどな……確かにそうかもしれない。

 ああ……だからといって言いのか分からないが、昔ハロウィンでオオカミのコスプレしていたのはそういうことか。

 

「うわ、懐かしいこと覚えてるね……あれはお姉ちゃんに着させられただけで、あのコスプレは若干犬っぽかったような」

 

 そうは言うがあの時の簪は結構ノリノリだったような。

 

「オオカミ、本当いい……よくある話だけど、もしも人間以外で生まれ変われるのならオオカミがいい。あなたはそういうのない……?」

 

 どうだろう。考えたことなかった。

 好きな動物がいなくはないけれど簪みたいにこれが一番というのはない。

 でも、しいて言うなら同じくオオカミだな。

 しかしやはり、人間も捨てがたい。

 

「人間以外でって言ったじゃない」

 

 それはそうなのだが……やはり、人間は捨てがたい。

 簪がオオカミになるのなら飼ってみたいからな。

 

「ああ、そういう……あなたに飼ってもらえるのならそれもありかも」

 

 結構ノリノリだ。

 簪って案外そっちの気あるからな。

 なんて思っていたら、首筋を甘噛みされた。それこそ、オオカミが甘えるように。

 

「あなたが変なこと考えてる顔してたからお仕置きっ。って、ふふっ、喉はくすぐったいっ」

 

 飼い主が自分のオオカミを可愛がるように喉を撫でてやると簪はくすぐったそうにしていた。

 

 

 遠くで誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。

 

「起きて……」

 

 その言葉と共に体を軽く揺すられる。

 聞き慣れた声。

 間違えるわけがない。これは簪だ。

 

「ほら、起きて」

 

 促されるままに意識を覚醒させていき、目を開いた。

 

「おはよう……って、どうしたの。固まってるけど」

 

 固まる俺を見て簪は不思議そうな顔をした。

 そりゃ固まりもする。

 何せ、簪の頭に獣耳に生えているのだから。

 

「耳……? どこか毛、跳ねてたりする?」

 

 跳ねてなどない。綺麗な毛並みだ。

 ではなく、何で獣耳が。それに獣耳の衝撃強くてそこばかりに目を奪われていたけど、尻尾もある。自然に動いている。

 本物なんだろうか。まあ、こんな朝から簪がコスプレするとは思えないし……。

 

「本物……? えっ、ちょっと、な、ひゃんっ……!」

 

 ピンっと立った獣耳。凄い本物だ。

 ふわふわふにふにとした耳の感触、もふもふとした尻尾の感触もそうだ。何より、簪のこのくすぐったりそうにしている反応が本物だという紛れもない証拠。

 

「あ、んん……ん、どこ……さわって、ぁんんっ」

 

 しかし、なんでまたこんなことに。夢なんだろうか。それにしてはやけに現実感がある。だからといって夢でないとも言いきれない。

 

「こ、こらっ」

 

 簪の声で我に返る。

 夢だろうが何だろうが、流石にこれはベタベタと触りすぎた。

 そのせいなのか簪の頬は赤く、息が荒い。肩で息をしている状態。

 申し訳ないことをした。

 

「落ち着いてくれたならそれで大丈夫。さ、朝ごはん食べよ」

 

 そうだな。

 リビングに向かうためにまずはベットから起き上がろうとする。

 けれど、肝心の簪がへにゃりと座ったままだった。

 

「……その……腰が抜けて足に力が……」

 

 あれだけすれば、そうになるか。

 恥ずかしそうに言った簪の手を取って、一緒に立ち上がった。

 

 

 朝ごはんを食べた後はまったりした時間を過ごす。

 どうやらこの夢では休日らしい。

 それに耳と尻尾があるだけで他は現実世界と変わらないようだ。

 夢だから都合よくそうなっているだろうか。便利なものだな、夢って。

 にしてもだ。

 

「……?」

 

 不思議そうに簪は、小首をかしげる。

 獣耳はピコピコと跳ねて動き、尻尾はゆらりと揺らめく。

 状況は飲み込めたものの、不思議で興味を惹かれるのは変わらない。

 もう一度触ってみたい。

 

「また……? う~ん……優しく、触ってくれるのなら、いいよ……?」

 

 許してくれた簪に感謝した。

 隣に座る簪は体を少しこちらに向けてくれ、俺は手を伸ばして再び触ってみる。

 まずは耳から。

 

「んん、ふふっ」

 

 やはり、くすぐったそうに笑う。

 ふわふわふにふにとした耳の感触は何度触ってもいい。病みつきになりそうだ。

 別にしっかりと見分けがつくわけではないがこの耳はオオカミのものだろう。それに太くてしっかりとした尻尾もオオカミの尻尾のようだ。

 耳を触っていると気になってしまうのが尻尾。触ってみたい。

 

「えぇ……こっちも……? 手つき、やらしいんだけど……」

 

 ジト目を向けられる。

 超一級品の毛皮を束にしても敵わない毛並みのいい尻尾を見せられたら、こうなる。

 

「もうっ……仕方ないな。特別だからね」

 

 そう言って隣に座る簪は、俺の膝上へと尻尾を乗せてきた。

 感謝しつつ、触れてみた。感触はもふもふとして柔らかさもありながらも、弾力もある。撫でれば、さらさらとしていて綺麗な毛並み。よく手入れがされている証拠だ。

 

「ありがとう……じゃあ、交代。私の番……ん」

 

 尻尾を引っ込めると両手を広げる簪。

 抱きしめろというポーズ。

 仰せのままに抱きしめると抱き返される。オオカミな簪の抱きしめる力はいつもより強い。

 なんだ抱き合いたかったのか……そう思ったが首筋を甘噛みされた。

 何やってるんだ。

 

「あむあむ……何って……甘えてるの。普段からやってることでしょう」

 

 この夢では普段からこんなことをしているのか。

 犬歯か八重歯でも当って甘噛みにしては痛いが、オオカミは甘噛みが愛情表現とあの時やっていたあの番組でも言って、やめささないほうがストレスにはならないと言っていた。

 それにこれ以上痛くしないようにという気遣い。甘えてくれているのが分かる。

 

「……」

 

 横目でちらっと見えた簪は安心したように目を閉じてすまし顔。

 しかし、ぶんぶん尻尾を嬉しそうに振っているから間違いない。

 尻尾は口ほどに物を言うといった感じだな。

 

 夢だからこその光景。

 いい夢だ……。

 

 

 どうやら眠ってしまっていたらしい。

 微睡を感じつつ、体を起こす。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 すぐ隣に人の気配を感じて、目をやると簪が気持ちよさそうに眠っていた。

 何だろう、強烈な違和感が。そうだ、頭に獣耳がない。

 いや、違う。あれは夢の中での出来事。簪にオオカミの耳と尻尾が生えてる夢を見ていたんだ。

 今は朝。昨夜、オオカミ特集していたあの動物番組を見た後、寝たんだった。

 

 少し名残惜しい気もしなくはない。

 いい夢だったから。

 

「ん、んー……」

 

 一つずつ頭の中を整理していると簪がのそのそと起きてきた。

 朝の挨拶をしてみたが起きたばかりで反応は鈍い。

 

「ん……」

 

 眠気いっぱいの呂律の回ってないふにゃふにゃ声で俺の名前を呼ぶと両手を広げた。

 抱きしめろというポーズ。

 仰せのままに抱きしめると抱き返される。馴染み深い抱きしめ加減。

 珍しいな、簪が朝からこんな。寝惚れているのか。

 どうやら、それは正解のようだ。抱きしめた途端、首筋を甘噛みされる。

 何やってるんだ。

 

「あむあむ……何って……甘えてるの。普段からやってることでしょう」

 

 そんなこと普段からは……。

 ちょっと、待てよ。このセリフ何処かで聞いた覚えがある。

 

「あれ……?」

 

 簪は何かに気づいて、次第に意識の覚醒していったのを見て分かった。

 

「あ……ご、ごめんなさい。その、夢を見てたから寝惚けて……ああ、くっきり歯型が」

 

 慌てふためく簪を宥める。

 いろいろとビックリはしたが、寝惚けてのことだろうとは思った。

 一体のどんな夢を夢を見ていたのやら。

 

「何て言うか……オオカミになる夢だった。正確には本物のオオカミじゃなくて、耳と尻尾だけがオオカミのものになって。その、あなたに……甘える夢」

 

 恥ずかしそうに教えてくれた簪は最後、言葉を濁す風だったがハッキリと聞こえた。

 驚いた。まさか、同じ夢ないし似たような夢を見ていたとは。

 

「あなたも……?」

 

 頷いて俺が見た夢のことを教えた。

 

「すごいね……こんなことあるんだ」

 

 簪も驚いた様子。

 一から十まったく同じでは流石にないだろうがこうなった原因は間違いなくあの動物番組を見たからだろう。

 

「そうかも。ね、ねぇ……オオカミになった私はどうだった……?」

 

 そうだな。

 いつもより何というか激しかったな。甘噛みといい尻尾とかといい。

 それはそれで斬新でよかった。

 

「そっか……なら、コスプレにはなっちゃうけど近いうちに正夢にしてあげる……なぁんて」

 

 照れながら簪は言う。

 近いうちにというのは本当に近かった。

 その日の夜、夢で見たオオカミの耳と尻尾を生やした簪と再びじゃれ合う正夢を見たのだ。

 




オリジナルのほうも更新続けてます。一読よろしくお願いします


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簪「一人ってこんなに寂しいものなんだ……」

 彼が家を空けて今夜で三日目。

 一昨日から彼は地方へ出張に出かけている。

 何でも仕事関係の講習会にいくつか呼ばれたとか。

 私はというとお留守番。とはいっても一昨日と昨日は訓練、今日明日はおやすみ。

 昨日一昨日は織斑コーチや山田コーチといて。今日は朝から本音や谷本さん達と遊んでたから気にしてなかったけど……。

 

「一人ってこんなに寂しいものなんだ……」

 

 ベッドの上でタオルケットに包まりながらぽつりと呟く。

 一昨日昨日は訓練を終えて、お二人と食事をして帰ってきた。

 その後、お風呂に入って疲れてたからすぐ寝たけど、今日はまだこうして起きてる。

 何かネット配信で映画とか番組でも見てれば少しは気が紛れるんだろうけど、そんな気分になれずこうして包まってる。

 包まっていると余計、寂しさを感じてしまう。

 

「そう言えば、こんな風に何日も一人で寝るの……久しぶり。というか、同棲してからは初めての気が……」

 

 彼の帰りが遅いとかで今まで一人で寝ることは何度もあった。

 けど、こうして連日一人で寝るのはほぼ初めて。

 二人用のベッドがいつも以上に大きく、広く感じる。

 

「電話……いや、メッセ……」

 

 声が聞きたい。それが叶わないなら、メッセでも。

 と思ったけど、思いとどまった。電話するにしても時間はもう遅い。

 メッセを送るにしても、昨日一昨日と来てたのに寝てて返事返せなかったから、何だか申し訳ない。

 そもそも彼は仕事をしに行っているんだ。遊んでた私とは違う。自分勝手すぎる。

 

「寂しいなんて子供じみたこと言ってたらだめ」

 

 自分に言い聞かせる。

 今日声が聞けなくても話ができなくても、明日には帰ってくる。早くてお昼頃らしいけど。

 それに私にはとっておきのアイテムがあったんだ。

 

「……これでよしっ」

 

 自分の部屋から持ってきたとっておきのアイテム。

 彼のワイシャツを着る。ちなみに洗濯前のもの。出張に行くことは前もって聞いていたから洗濯物の中から回収して私の部屋に隠しておいた。

 理由は勿論、もしもの時の為にと思って。そのもしもが今。

 

 持ってきたのはワイシャツだけじゃなく、たくさんある彼の服。

 当然、これも洗濯する前のもの。

 パジャマを抱き枕代わりにして、他の服は周りに置く。

 そんな量があるわけじゃないけど、一人だと広く感じていた二人用のベッドがいい感じの狭さになった。

 ここまで来たら当たり前だけど枕は彼が普段使ってる枕を使わせてもらってる。最強装備の完成。

 

っ、くんくん

 

 鼻をくんくん動かして匂いを堪能する。

 洗濯する前だから彼の濃い匂いがたくさん残ってる。いい匂い。彼に抱きしめられてるみたい。

 何か物足りない気もしなくはないけど、これなら一人寂しい夜は何とか乗り越えられるかも。

 お行儀はよくないけど、このまま眠ってしまおう。丁度、眠気もやって来た。

 

「ぁ……洗濯物……起きてからでいい、か……」

 

 帰ってくるまでには起きるからその時に洗濯もの回せば、とりあえずセーフ。バレない。

 やっぱり、こんな姿は見せられないもの……。

 

 

「ん……んん……」

 

 誰かに身体を揺すられる。

 優しい揺すり方。覚えがある。

 それに声も覚えがある。彼だ。彼の声。

 

「あ……おかえりなしゃい……」

 

 寝起きだから呂律が回らなかった。

 でも目を覚ましたら、彼がいた。

 ワイシャツ姿。帰ってきたのかな。

 

「……あれ……?」

 

 ちょっと待って。帰ってきた……?

 その事実を飲み込んでいくと寝惚ける頭がみるみる強制的に覚醒していく。

 もしかして寝坊した? 家の中でだけどお出迎えしようと思っていたのに。

 

「えっ……? あ……朝一で帰って来たんだ……本当だ、まだ朝」

 

 スマホで時間を確認すると起きようと思っていた朝の遅い時間帯。

 よかった。寝坊じゃなかった。

 それに早く私に会いたくて予定よりも早く帰って来たとか……嬉しい。にやけちゃう。もしかして彼も寂しかったのかな。そうだと……。

 

「んふふっ……え? 惨状……?」

 

 何のことか分からない。

 きょとんとしながら、彼の指さした先を目で追う。

 するとそこにはベッドの上で繰り広げられてた惨状があった。

 

「う、あ、え? あ……あッ、あぁぁああぁぁ……!?」

 

 ガバッとタオルケットを頭から被る。

 酷いはしたない声を出してしまったけど、今はどうでもいい。

 それよりも気になるのがある。彼の洗濯前ワイシャツを着て、洗濯前の服を抱き枕代わりにして、周りに洗濯前の服を囲むように置いたこの惨状を見られたことが。

 

 失敗した……!

 なんで早く帰ってくるの! いや、それは言い過ぎで早く帰って来てくれたのは嬉しい。でも、一言先に言って欲しかった。こんな……!

 

「わぁぁぁぁぁんっ……!」

 

 恥ずかしい、恥ずかしいっ。

 顔が熱い。顔、見せられない。見せたくない。

 なのに。

 

「せ、説明……!?」

 

 彼はからかってくる。

 私からこの惨事ができた理由を説明してほしいだなんて。鬼畜。

 そりゃ私のことを心配してくれる優しい声色だけど、どこか喜々としたものを感じなくもない。

 言いたくないけど言わずにいて、そっとされるのもそれはそれで何だか寂しい。

 この惨状を見られたんだ。

 

「うぅ……かっ……だもん」

 

 もう自棄だ。

 

「寂しかったんだもん! 昨日だけはなんかすごく寂しくて。でも夜も遅かったし、電話もメッセもするのも気が引けて。だからせめてもと思ってやっちゃっただけで、起きたら洗濯するつもりだったもん!!」

 

 言い訳にもならない言い訳。

 本当に自棄。しかし、怒鳴っちゃって怒ったみたいになちゃった。怒ってないのに。

 正直に言ってみたけど、恥ずかしさだけが増した気がする。

 

「……なによぉ」

 

 彼は私の名前を呼んで、隣をぽんぽんと叩く。

 仕方なく私は被ったタオルケットから顔だけ出す。

 すると優しい顔で両手を広げて手招きしてくる。抱き着いて来いと言わんばかり。オマケにおかしなことまで言って。

 

「匂い嗅ぎ放題って……もう、おかしいなことって言って。あなたがそういうなら仕方ない」

 

 なんてせめてもの強がり。

 本当に強がり。言い終える前に私はタオルケットから出て抱き着いた。

 しかも、首に鼻を埋めちゃってる。

 

「ふふんっ、はぁ……いい匂い」

 

 ワイシャツやパジャマとは比べ物にならない濃くて新鮮な匂い。

 そして、ワイシャツ達にはない体温の暖かみと彼の存在感。安心具合が段違い。

 

「そっか……昨日の物足りなさってこれだったんだ」

 

 そりゃ物足りなさを感じるわけだ。

 



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見上げてごらん、簪と天の川を

更新日の日曜が七夕と重なったので七夕の話を一つ


 簪とショピングモールで店を見て回り、最後ご飯の買い物をしようと一階に降りてきた時のこと。

 あるものが目についた。

 

「短冊だ」

 

 笹に吊るされた短冊。

 そう言えば、今日は七夕だったか。

 完全に忘れていたわけではないが、そこまで気にも留めてなかった。

 

「毎年のことだからね。そこまで重要でもないし」

 

 言ってしまうとアレだがイベントとしては重要度は低い。

 でも今日が七夕だと気づいたからか、懐かしいことを思い出した。

 七夕と言えば、その昔学園の生徒だった頃、楯無さんが七夕の日に何処からか巨大な笹を持ってきて短冊を吊るしたことがあった。

 

「あーあったね、そんなこと。笹が大きいからって稼働許可取ってきた辺り、お姉ちゃんらしいよね」 

 

 懐かしみながらも呆れて言う簪。

 懐かしい、そんなこともあった。

 稼働許可取ってISを使ってまで巨大な笹に短冊を吊るすことに拘っていたな。

 

『空に近い方が願いが届きやすいじゃない!』

 

 だとか言っていたのも思い出した。

 言いたいことは分かるがそれでもISを持ち出すのはどうなんだろうかと今になっても思う。

 後そう言えば、あの時も短冊を書いたけど簪がどんなことを書いたのか分からずじまいだった。

 

「よかったら短冊書いていきませんか?」

 

 懐かしんでいると店員に声をかけられた。

 辺りを見渡すと同じように声をかけられたのか、短冊を書いている人がちらほらといる。

 それこそ小さな子供からその親、カップルや大人の人まで様々。

 どうしようか。時間はあるが……。

 

「折角だから書いていこ……いいよね」

 

 異論はない。

 しかし、簪がこんなこと言い出すなんて珍しい。

 店員に案内され、短冊が置かれた机の前に行く。

 

「こちらでお書きください。書けましたら、あちらの笹の好きなところに吊るしてください」

 

 そう言って店員は去っていった。

 さて、何を書こうか。

 短冊か……思えば、学園で書いたっきりだ。

 

「私も……何書いたらいいのか迷うね」

 

 すぐには出てこないよな、こういうのは。

 短冊……願い事か。

 時間をかけるのも変な話だし、ここはシンプルに。

 書くには書けた。本当にシンプル、というか少々照れくさい内容になったが。

 ここは下の名前だけ書いておこう。

 

「私も書けた」

 

 なら、吊るしに行くか。

 ちなみに簪はどういうことを書いたんだろう。

 

「んー……ふふっ、秘密」

 

 そう言って簪は、俺からは見えない位置に短冊を吊るしていた。

 内緒……無理には見ないが、内緒にするほどのこと書いたのか……気になる。

 

「じゃあ、夜ご飯の買い物行こう」

 

 俺も短冊を吊るすと簪と共に買い物へと向かう。

 七夕らしいことはこれで終わり。七夕らしい事って言うと短冊書くことぐらいか。

 後は七夕祭りに行くとか思いついたが、そんなもの都合よくやってない。

 折角七夕だと気づいて、短冊まで書いたんだ。もう一つぐらい七夕らしいことをしたい。

 学生の頃は短冊に願い事を書いて巨大な笹に吊るした後、夜になったら外で天の川を見たな。

 天の川……そうだ、思いついた。

 

「どうかした……?」

 

 不思議がる簪にある提案をした。

 今は夕方だが夜になったら天の川を見に行こうという提案。

 少し遠出にはなるが、高台にある公園のことを思い出した。あそこなら穴場的なところで丁度いい。それに今夜はすっきりと晴れて夜空が綺麗に見えるという。

 

「それって……」

 

 つまるところ、デートのお誘い。

 今夜は時間に余裕がある。

 簪さえよければの話になるけども。

 

「すごくいいっ……そのデート行きたいっ」

 

 嬉しそうに了承してくれた。

 よかった。ほっと一安心した。

 

 なら、弁当でも作ってもらっていこう。

 七夕にちなんだものとかよさそうだ。

 

「おしゃれ……夜に星見って何だか小さな子の遠足みたい」

 

 言えてるな。

 もっとも小さな子は夜には遠足は行かないけども。

 

「ふふっ、そうかも。大人ならではだね」

 

 くすくすと楽しげに隣で簪が笑う。

 その日の買い物は普段よりも楽しかった。

 

 そして、約束の夜。

 

「準備よし。忘れ物なし」

 

 二人で荷物を確認して出かける用意をする。

 弁当の用意に時間をかけすぎたが、そのおかげで目的の場所に着くころには丁度いい時間となっているはずだ。

 よし家を出るか。

 

「うんっ……!」

 

 荷物を持ち、最後に鍵を閉めると行動開始。

 まずはエレベーターに乗って住んでる建物を出る。

 そこからは手を繋いで歩く。

 

「結構時間かかるの……?」

 

 近所の公園に行くよりかは大分かかる。

 坂道を登って、登り切ったらそこからまた少し歩いて住んでるところよりも高いとこに行くから。

 

「もしかして……」

 

 簪は目的の場所がどこかなのか気づいたのかもしれない。

 ついてからのお楽しみということにしているので、教えてないから言ってあげられないのが申し訳ない。

 

 申し訳ないついでなのが簪が背負う荷物。

 歩かせてしまっているから重くてしんどい気持ちにさせてるのやも。

 

「大丈夫。私は日本のIS操縦者、鍛えてますから」

 

 どこぞで聞いた台詞を言う心配は杞憂だと簪は平気そうだ。

 

 ならいいが、鞄の中何入れてるんだろう。

 モバイルバッテリー入れるなら、今も持っている愛用の手提げ鞄で充分。

 箱みたいなのを入れてる感じはするが……。

 

 歩くこと数分。

 ようやく目的の場所に到着した。

 

「わぁっ……すごい」

 

 目的の場所は見晴台。

 名称に公園とついているから公園と呼んでいたが、ここからは住んでいる街が見晴らせる。

 

「綺麗」

 

 眼下の街の光は綺麗な模様になっている。

 綺麗なのはそれだけではなく。

 

「天の川だ」

 

 晴れた夜空を横切るように乳白色に淡く光る星々が川のようにかかっている。

 住んでいる地域は都会だから心配ではあったが時間帯と場所、何よりすっきりと晴れたおかげでよく見える。昔、学園で見たのと勝るとも劣らないほどだ。

 

「……」

 

 その綺麗さに簪は言葉を失って見つめていた。

 かける眼鏡のレンズ越しに見えた目が夜空の星々のように輝いている。

 喜んでくれている。成功かな。

 

「大成功だよ……でも、どうしてここに?」

 

 近場で見るならここだろうし。

 それとここは済んでいる場所よりも高いところにある。

 何より、空に近い方が願いが届きやすいだろ。

 

「あ……それ聞いたことあるセリフ。お姉ちゃんが昔言ってたよね」

 

 どうやら簪も覚えていたようで懐かしむように小さく笑った。

 

「ありがとう……今日のこと絶対に忘れない」

 

 噛みしめるように簪は言っていたが気が早い。

 まるでこれでデートが終わりみたいだ。

 感謝の気持ちと言葉は嬉しいけども、まだまだある。

 

「そうだった……お弁当食べないとね」

 

 作ってきた弁当を広げる。

 今夜の弁当は二人で作ったもの。

 メニューは遠足といっていたからそれっぽい感じのものにした。

 

「いただきます」

 

 手を合わせ、挨拶をすると食べ始めていく。

 今夜も中々の出来。綺麗な夜空の下で食べているからか、いつも以上に美味しく感じる。

 

「ね……あっ、そうだ。これも忘れちゃいけない」

 

 そう言って簪は背負っていた鞄の中から何やら取り出す。

 まず出て来たのは小さめのクーラーボックス。

 続いてその中から出て来たのが缶チューハイが二本。ちなみに冷えてる。

 だから、クーラーボックスが出てきて鞄背負っていたのか。

 

「今日の七夕は大人になったんだもん。これは欠かせないよね」

 

 そう言う簪はいい顔している。

 確かに星見しながらの夕食に酒は欠かせない。

 これもまたならではだ。

 

「ふふっ……じゃあ改めて、乾杯!」

 

 缶と缶を軽く合わせて乾杯。

 そして一口。格別だ。

 

「ん……ごくごく……ぷはっ」

 

 簪もいい飲みっぷりだ。

 というか、そんな一気に飲んでいいのか。

 

「大丈夫……もうあと二本ずつある。私、お酒強いの知ってるでしょ。こんな時ぐらいしか酔っ払えないし、それにここなら酔っ払っても大丈夫」

 

 それはもっともだ。

 普段、酒を飲まないわけじゃないが飲んでも付き合いで飲むことの方が多い。

 そこで酔うほど気を楽にはできないが、ここでは俺達以外人はいない。気兼ねなく酒を楽しめる。

 

「そういう事」

 

 酒が進めば、料理も進む。

 持ってきた弁当はあっという間に空っぽになった。

 後はもう一缶開けて、酒を片手に二人横並びに座りながら夜空に浮かぶ天の川を楽しむ。

 これだけ晴れてるなら、今頃織姫と彦星は会っているんだろう。

 

「きっと会ってる。ずっと会えないよりかは一年に一回でも会える方がいい。まあ、あの伝説の通りならちょっぴり自業自得だとも思うな。毎日一緒に居たいのは毎日二人で楽しく過ごしたいってのは凄く分かるけど」

 

 そう言って簪は缶チューハイを煽る。

 

 そうだな。

 二人がああなった気持ちは理解できるが、仕事を怠ってはいけない。

 

「毎日一緒にいたいなら仕事しながらも一緒に居られる方法なんていくらでもあったのに。今が楽しいとそれだけで満足して先々のこと考えることやめちゃって……一緒にいるっていう結果も大事だけどその為の過程も大切にしないと……ん、ぷはっ」

 

 そう言って簪は缶チューハイをまた煽る。

 一口は小さいがよく飲む。

 無理するほど飲まないだろうとは分かっているが、大丈夫か。

 

「だいじょーぶ。あ……」

 

 何か思いついたような反応。

 口角がニヤリと笑ったような。

 オマケにしなだれかかってきて、向けてくる目は流し目。

 

「ふふっ、酔った女房をどうするつもり……?」

 

 からかうような艶っぽい声。

 耳元で簪に囁かれ、柄にもなくドキっとした。

 これは相当の酔いが回ってる。お互いに。

 

「そうかも。んふふっ~」

 

 ご機嫌な様子で笑いながら座っていた簪は、街を見下ろせる石で出来た転落防止柵のほうへといく。

 トテトテと歩く足取りは酔っているからかおぼつかなくヒヤヒヤさせられる。転ばないでほしい。落ちないでほしい。

 

「心配無用っ。今日は本当にありがとう。凄く素敵なデートだった。だから、内緒にしてた短冊に書いた願い事教えてあげる」

 

 お礼にならないだろうけどといつものように謙遜しながら教えてくれた。

 

あなたと離れることなくいつまでも一緒にいられますように

 

 照れくさそうに笑う簪は、星の光に照らされその姿に目を奪われた。

 簪が教えてくれたそれは奇しくも同じ願いだった。

 



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私と、先生と時々、彼

「今週の課題も無事達成。よくやったな、簪。だいぶ良くなってるぞ」

 

「は、はいっ……!」

 

「それでは今日はここまでとしよう」

 

 織斑コーチから終わりを告げる声をかけられる。

 それを聞いて私は機体の展開を解く。

 すると機体からの身体補助も解け、ドッと押し寄せてくる疲れを感じつつも絶え絶えとなった息を整えながら、一礼する。

 

「ありがとう……ございました……っ」

 

 今日のトレーニングはこれで終わり。

 普段通り、ハードなトレーニング。凄く疲れた。このハード具合は毎回のことなのに全然慣れない。慣れたと思ったら、新しいトレーニング始まるんだから当然と言えば、当然かもしれないけど……。

 対する織斑コーチはいつも平気そう。今の私みたいにバテバテになった姿を一度も見たことがない。私と同じぐらい動いているはずなのに。

 体力面は兎も角、気力面でもそうなのだから末恐ろしい。現役引退してからもう随分と経つけどそんなことコーチの前では関係ないんだろうな。

 

「腐っても初代ブリュンヒルデだからな。現役を退いても後進にはそう簡単に遅れは取らん」

 

「……心、読まないでください」

 

「読んでなんかいないさ。見れば何考えているのかなんて分かる。お前が学生の頃からの長い付き合いだからな、簪。だろう?」

 

 それはそうかもしれない。

 付き合いの長さがあるからこそ、見れば分かるのはある。

 最近、私も織斑コーチが何を考えてるのか分かるようになったし、当てられるようにもなった。

 

「さてと……」

 

 いつまでもこうしてはいられない。

 今日のトレーニングは終わったのだから帰る準備をしないと。

 帰る用意が出来るとスタッフの皆さんにお礼を言ってから、汗を流しに織斑コーチとシャワールームに向かう。

 

「そうだ、簪」

 

 道中、織斑コーチが声をかけてきた。

 またいつものかな。今週のトレーニングも今日で終わり。明日は土日休みだし。

 何言ってくるのか分かった。

 

「また今夜、飲みに?」

 

「よく分かったな。今週はこれで終わりだし、折角だからな」

 

「折角って……ほぼ毎週言ってますよね、それ」

 

 毎週のように言ってきたら分かる。

 察するとか以前の問題。

 

「まあ、いいですけど……行きます。今夜は彼も遅いみたいですし」

 

「では、決まりだな。店はいつものところでいいだろう。今日はめいっぱい飲むとしようか!」

 

 いい顔してる。

 織斑コーチ、本当にお酒大好きだな。

 心の中ではほんの少しだけ呆れつつも、夜を楽しみにした。

 

 

 約束の夜。

 いつもの馴染みの店で夜ご飯を食べながら、お酒を楽しむ。

 愛用しているこのお店は和風の落ち着いた雰囲気の居酒屋で、料理もお酒も美味しい。織斑コーチとトレーニング終えた週末に通っていたらいつのまにか常連客になり、こうして人目に付きにくく、いい感じの個室の席を用意してくれる。オマケにいろいろとサービスしてくれるようにまでなった。ありがたい限り。

 おかげでこうして織斑コーチと飲んでいても騒がれず、ゆっくりとお酒や料理を味わえる。

 実際、楽しみまくってる。言うまでもなく織斑コーチが。

 

「ぷはっ、生き返るッ!」

 

「初っ端から飛ばし過ぎじゃ……」

 

 豪快。気持ちよさそうに織斑コーチはお酒を飲む。

 まだ始まったばかりなのに凄い飲んでる。

 

「何を言っている。このぐらいまだ序の口。言っただろう。めいっぱい飲むと」

 

 また飲んでる。

 この姿見たら、ファンの人達はどうなるんだろう。

 素の部分見れたって喜ぶのかな。

 まあ、間違いなくクールでカッコイイヒーロー像は木っ端みじんになるだろうけど。

 お酒好きもそうだけど、結構だらしないし……。

 

「というか、簪も飲め飲めっ!」

 

「ちょっ!? あぁ~!」

 

 グラスが空いているのに目をつけられ新しくお酒を注がれてしまった。

 このお酒、コーチが好きな強めのお酒。しかも、量が多い。溢れそうになって焦っちゃった。

 注がれたからには飲まないと。断れないとかそういうのじゃなくて勿体ないのと、単純にこのお酒は美味しい。

 一口飲んでみる。

 

「……」

 

「どうだ?」

 

「美味しいです……」

 

「だろう。ふふっ」

 

 満足そうに笑ってコーチも同じお酒を飲む。

 このお酒、美味しくて飲みやすいけどアルコールが強い。飲み過ぎないように気をつけないと。前勧められて飲み過ぎて凄いことになった。口にはしたくないありさまに。あれは恥ずかしかった。

 料理とお水を挟みながらちびちびと飲んでいく。その間もコーチの飲むペースは速いまま。これで潰れないんだから凄い。

 

「本当、不思議なものだ……」

 

 日本酒を煽りながら、ふと目の前の席に座る織斑コーチがしみじみと言う。

 最早耳馴染みとなったよく聞く台詞。

 お酒がたくさん進むと織斑コーチは言うことが多い。

 自覚しているようで苦笑する織斑コーチ。

 

「っと、すまん。いつも悪い癖が」

 

「いえ……不思議ですからね。こうしてコーチと二人で飲んでるのとか、本当に」

 

 言いたくなる気持ちはよく分かる。

 こうして織斑コーチと飲んでいるのはもちろん。

 教える側と習う側、先生と生徒の関係にまたなるなんて思ってもいなかった。

 

「まったくだ。ドイツからの付き合いのあるボーデヴィッヒや小さな頃から知ってる篠ノ之、凰といった一夏の幼馴染連中。オルコットやデュノアといった担任クラスの生徒ならまだしもお前が学園の学生だった時はここまで深い関係になるなんて全く思ってなかった」

 

 私もそうだと頷いてお酒を一口飲む。

 

 学生の頃、織斑コーチ、織斑先生は初代ブリュンヒルデということもあって先生達の中で一番存在感のある先生だったのは確か。

 でも、黄色い声を上げていた子達みたいにファンというほどでもなく、担任の先生ではなく、クラスは持ち上がりだったから関わりが少なかった。

 代表候補生関係のことで関わる機会はあるにはあったけど、それ以外で関わる機会はなかったし、私は自分から先生に関わっていくタイプでもなかった。

 なので織斑先生は大勢いる先生の一人でしかなく、それは先生にとっても同じことだろう。大勢いる生徒の一人でしかなかったはず。日本の代表候補生だとしても。

 でも、正式に国家代表になってからは一変した。

 

「お前が私に指導者をやってくれと言ってきた時は本当に驚いた。今でもよく覚えてるぞ」

 

「そんなにですか……?」

 

「まさかあの更識簪が言ってくるなんて全く思ってなかったからな。指導者は必要なのはよく分かっていたが」

 

 たくさんの期待を寄せられ、様々な思惑と責任を感じ、国の威信がかかっている国家代表は優秀な成績、あるいは各大会での優勝などを収めることを求められる。

 その為、代表候補生時代よりも更に高度な訓練などをしなくちゃいけなくなる。他のスポーツ競技と同じく、IS競技にも指導者は必要となる。

 そこで私が指導をお願いしたのが織斑先生だった。もう、かれこれ数年前のことになるのか。

 

「でも、最初織斑コーチかなり渋ってましたよね」

 

 お願いしたものの二つ返事でとはいかなかった。

 かなり渋られたのをよく覚えている。

 

「正直、山田先生のほうが私より遥かに適任だと思ったからな。彼女はぽやっとはしているが、実力は確か。教えるのは非常に上手い。加えてサポートも手厚い」

 

「それはまあ、そうですね」

 

 たまに山田先生もIS学園から出張という形で指導に来てくれる。

 学生の頃から実力の高さは感じていたけど、1対1の指導を受けてより実感した。何より、物腰柔らかなのもあって分かりやすい。

 代表候補まで上り詰め、あのルクーゼンブルク近衛騎士団長が堂々とライバル宣言するほどの人、実力は確かじゃないわけがない。もっとも本人はやっぱり謙遜するし、何処か黒歴史扱いしているみたいだけど。

 

「聞いたことなかったが、私を指導者に選んだ決め手は何だったんだ?」

 

「決め手……? そうですね、やっぱり……私が知る限り、織斑コーチは世界最強の人で同じ日本の国家代表。偉大な先代である織斑コーチを超えたい。その為には織斑コーチに指導を受けるのが一番の道だと思ったのが決め手ですね」

 

「一番の道……お前らしい。アイツの影響か。越えなければならないではなく、超えたい……言ってくれるな、まったく」

 

 口角を嬉しそうに尖らせ、またグイッとお酒を呷る。

 そのせいでどんな顔してるのかはちゃんと確認できない。

 でも、きっと照れてるんだろうな。ふふっ、付き合いの長さが生きた。

 

「まあ、コーチに指導者になってもらうのにはいろいろありましたけど」

 

「あー……それはすまんとしか言えんな。いつになっても立場のややこしさは解決せん。私はもう過去の人間だと言うのに」

 

 織斑コーチはそう言うけど、世間はそう思ってない。嫌がるコーチにはちょっぴり悪いと思うけど、私だってそう。

 生ける伝説、織斑千冬。日本にとっては勿論、世界にとっても特別な人。

 織斑コーチに教わりたい人は世界中にいてIS学園という中立の場だからこそある意味公平に教えられるわけだけど、そんな人を同じ国の人間だとしても世界大会に向けて専属コーチとするのはいろいろとある。うるさいところは本当にうるさい。

 彼が各方面にかけあってくれたからこそ、今が実現しているのは本当に感謝してる。

 でなきゃ何年も専属コーチになってもらうなんて無理だったわけで、ましてや簪と呼ばれる仲にまではなれなかっただろう。

 

「そう言えば……」

 

 ふいに思い浮かんだことを言ってみる。

 

「この間、学園に帰ってましたよね。どうでしたか……?」

 

 織斑コーチも学園から出張という形でコーチ業をやってくれている。

 なのでたまにIS学園に顔を出しに行っているみたい。

 

「相変わらずだな。ただ帰ってきただけでお祭り騒ぎはやめてほしいが……私がいない穴もちゃんと山田先生とデュノア先生が上手く埋めてくれている」

 

 デュノア先生。

 まだ聞き慣れないな。不思議な感じがする。

 デュノアさんは今IS学園の先生をやっている。なったのはもう大分前のことだけど。

 

「不思議な感じがします。同級生が母校の先生をしてるなんて」

 

「それを言うなら私のほうが不思議なことだらけだ。教え子が弟の嫁に、お前とも遠縁ながらも親戚になるかもしれんしな」

 

「あー……それは確かに」

 

 苦笑いする織斑コーチに私も苦笑いした。

 

 織斑コーチの弟、一夏(織斑)と本音は学生の頃から変わらず今も付き合ってる。

 そろそろ結婚も視野に入れているとか何とか。

 そうなると更識と布仏は親戚関係にあるから、織斑コーチとも遠縁ではあるけど親戚関係になるのかな。

 

「一夏はもう一人立ちしてもう大人になった。いつまでも私が構い続けるべきではない。一夏に私の将来のことで心配されるのも癪だ。だから、私もそろそろ腰を落ち着けるべきか」

 

「おっ……!」

 

 思わず声を上げてしまう。

 織斑コーチからこの手の話題は初めて聞いた。

 今までずっと仕事一筋だったらしいけど、織斑と本音のことで織斑コーチにも何か心境の変化が生まれたのかな。それはきっといいこと。なんて私が思うのはおこがましいのかもしれないけど。

 

「まあ、相手なんていないわけなんだが」

 

「でも、コーチなら引く手数多……」

 

「だと思うか? そう言ってくれるのは嬉しいが、私みたいなのと一緒になろうと思ってくれる奴なんてそうはおらん。何より、私のことなのに周りがうるさくなるのは目に見えている」

 

「それはまあ……」

 

 初代ブリュンヒルデが、ともなれば周りが放っておかない。

 所謂、ありがた迷惑なお節介を焼かれるのは間違いなし。

 その光景が容易に浮かんでしまう。

 

「その点、お前らは上手くやったな。私も教えが生きて嬉しいよ」

 

「あはは……」

 

 わぁ……凄い皮肉たっぷり。苦笑いするしかない。

 でも、我ながら上手くやったとは思う。彼の立場とか付き合い始めた頃がまだ代表候補生時代だったからといろいろ運がよかったっていうのが大きいだろうけど。

 私も織斑コーチみたいにありがた迷惑なお節介を焼かれてた未来があったと思うと織斑コーチの心情は察するに余りある。

 

「なぁ……簪」

 

「は、はい……」

 

「誰かいい人はいないのか。紹介してくれてもいいんだぞ」

 

「えぇ……」

 

 突然の無茶ぶりにこんな反応しかできなかった。

 言ってくるような気は薄々していたけど。それ、私に聞くの。

 というか、織斑コーチ若干目が座っているような。いつの間にか新しいお酒を注文していて、飲むペースがまた早くなっているような。

 

「競技関係以外で男性の知り合いなんてほとんどいませんし、ましてや男性の友人なんて……女性のほうがいいってわけじゃないんですよね」

 

「それはそうだ。簪のそういうところは学生の時となんら変わってないな」

 

「そりゃ女ばかりの環境ですし、大学もやっぱり女の友達や知り合いの方が多いので……うーん、あっ! そんなに紹介してほしいならいないわけじゃないですけど……」

 

「おっ! どんな奴だ?」

 

 凄い喰いつき。

 そこまで興味あったんだ。

 酔いが相当回ってるのもあるんだろうな、これは。

 

「織斑、一夏さんの中学の頃の友人……」

 

 紹介できるとは言えば、この人達。

 競技関係以外でなら交友がある。会った回数が多いってだけだけど。

 これも織斑と彼がいての交友なので、私個人ってなると居ない。

 期待を見事に裏切ったからか、コーチはさっきの反応が嘘みたいに意気消沈している。

 

「それは……複雑だな。かなり、うん……というか、上げて落とすな」

 

「ふふっ」

 

 笑いながらお酒とおつまみの料理を口に入れる。

 

「だったら、アイツならば……」

 

「彼に聞いても同じ返答をすると思いますけど」

 

「だろうな。はぁ、身内でもこれか。思った以上に前途多難だな、これは」

 

「まあ、コーチに紹介できる素敵な人がいれば紹介します。いろいろサポートしますし」

 

「うむ、それは助かる。私はいい教え子を持ったものだ」

 

 流れていく穏やかで楽しい時間。

 ちなみにこの後また強めのお酒を飲んじゃって、顔を覆いたくなる恥ずかしい黒歴史を生んだのはまた別の話。

 




箒や鈴、ラウラだと近すぎて姉や先生の面が強く出て
セシリアやシャルロットだと、所属してる国の都合上、ここまでの関係にはならず。
楯無さんだと裏のややしい事関係でお互い一線引いた大人な付き合いになると感じて
簪とならこういう関係になれば、こんなふうになるのかなぁと。簪は千冬さんの周りに居なかったタイプでしょうし。


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簪とプール、そしてラムネ

 八月某日。

 毎年続く記録的な暑さが最早お馴染みとなった夏。

 今日も外は真夏日、猛暑だろうがそれは外の話。室内は涼しく、過ごしやすく快適だ。なにせ、目の前には広々としたプール。

 少し遠出した今日、室内プールへと遊びに来ていた。勿論一人ではなく、恋人の簪と二人で。

 着替え中だったが、丁度今やって来た。

 

「ごめんなさい……待たせちゃった」

 

 その言葉と共に現れたのは水着に身を包んだ簪。

 トップスとボトムスの間、へその辺りが網目状に結ばれた黒いワンピースタイプの水着。

 胸元が見えない露出の少ないその水着は簪にとてもよく似合っている。こうして水着姿の簪を見てると夏なんだなとより実感する。

 

「ふふっ、何それ。でも、似合ってるって言ってくれて嬉しい」

 

 くすくすと嬉しそうに簪が笑う。

 

 着替えが済んだ。

 となれば、後はもう存分にプールを楽しむだけ。

 

「で、始めはどこで遊ぶの……?」

 

 それは決めてある。

 遊びに来たここは少しお高めの室内プール。予約制ということだけあって設備は充実しており、プールも種類豊富。

 いきなり激しい系のプールは疲れてしまう。だから、初めは流れるプールにでもしようと思っている。

 

「流れるプール、いいね……あっだから、浮き輪持ってるんだ」

 

 簪の視線の先には俺が肩に掛けている浮き輪。

 流れるプールと言えばこれだろう。欠かせない。簪が着替えている間に借りておいた。

 

「ありがとう。じゃあ、行こっか」

 

 頷いて簪と共に流れるプールに向かう。

 値は張ったが予約制のここに来てよかった。目の前の流れるプールには人はいるが、混んではない。ゆっくりと過ごせそうだ。

 

「ね……んしょ、っと。はふぅ、冷たい」

 

 準備体操をして体をほぐしてから水の中に入っていく。

 同じ方向に流れるプール水。冷たいが丁度いい冷たさ。逆らえないほど強い流れでもないが、流れに身を任せれば難なく流れていけそうだ。

 簪に浮き輪を渡すと流されないよう掴まっていたプールサイドから手を離し、流れに加わる。

 

「これは楽……ぷかぷか」

 

 浮き輪の外から掴まり流される簪は目を細めまったりしている簪。

 早速、楽しんでくれているようで安心した。

 今は本当に流されているだけだが、それに飽きたら別のプールもある。ジェットプールとかウォータースライダーとか。果てはプールではなくなるけど天然温泉やワイン風呂まである。

 

「いっぱいあるね……楽しみ。来てよかったかも」

 

 簪から嬉しい言葉が聞けた。

 元々、簪は遊びに出かけるのを嫌がっていたから尚更嬉しい。

 まあ、暑い日にわざわざ外に出かけるのは勿論、出かけたところでどこも混んでいるのは目に見えているからな。

 けれど、ずっとクーラーの効いた家にいるのもそれはそれで体が弱ってしまいかねない。

 ならばと、ここを見つけ予約してみたけど無事予約が取れ、これてよかった。

 

「ふふっ、ふわふわぁ」

 

 すっかり流れるプールにハマった様子の簪。

 この様子なら他のプールに行くのは大分後になりそうだ。

 今は思う存分、流れるプールを楽しんだ。

 

 

 

 

 思っていた以上にはしゃいでしまったようだ。

 時間も忘れて簪とプール巡りに精を出してしまった。

 楽しかった分、それ相応に疲れてしまうもの。

 

「疲れた……休憩、しんどい」

 

 まあ、あれだけ流れるプールを周回すればそうなるだろう。

 

「絶対、あなたが連れまわしたウォータースライダーのせい」

 

 ジト目を向けられるが気にしたら負けだ。

 強制したわけではないし、簪が自分で行くと言ったからな。

 きゃぁきゃあ声上げて、楽しそうにしていたのも覚えている。

 

 とは言え、疲れたのは確か。

 ということで一旦プールから上がって休憩を取る。

 

 ここは水着のまま飲食ができるフードコートが端に隣接されている。ここで簪と休むことにした。

 ちなみにここは軽く摘まむ程度のものから、ガッツリ食べれるものまでメニューは豊富とのこと。

 まあもっとも、そんなに腹は減ってない。

 

「私も食べるのはいいかな……飲み物だけで」

 

 簪と飲み物を選んでいく。

 屋台で見る様な氷水で満たされたアイスボックスの中にはたくさんの飲み物が入っている。

 俺はお茶を選び、簪は。

 

「私は……あっ、ラムネ」

 

 簪が見つけたのは瓶ラムネ。

 こんなものまで売っているんだ。夏だからだろうか。

 それにするのか。

 

「でも、これだと後で喉乾きそう……」

 

 炭酸ジュースだからそれはあるかもしれない。

 しかし、俺がお茶を買うから喉が渇けばそれを飲めばいい。

 今更気にするようなことでもない。

 

「あなたがいいならお言葉に甘えよっかな……すみません、お茶とラムネを一つずつ」

 

 飲み物を買い、適当な席に腰を降ろすと一息ついた。

 

「よしっ」

 

 何故か簪は意気込みながらキャップについたラベルを剥がしていく。

 そして、付いていた道具で栓になっているビー玉を押す。

 すると、ポンっと響く音と共にビー玉が落ち、炭酸が泡立った。

 

「いい音……いただきます」

 

 律儀にそう言ってから簪はラムネに口をつける。

 

「ん、ふっ……」

 

 ごくごくと喉の音が聞こえる。

 美味そうに飲んでる。そんなにか。

 

「美味しいよ……あなたも一口どうぞ」

 

 瓶の中のビー玉が揺れてカランと音を立てる。

 差し出されたラムネを受け取って、一口飲んでみた。

 口当たり爽やか。本当に覚えのあるラムネの味だ。

 

「ふふっ、また変なこと言ってる。当たり前でしょ、ん……」

 

 ラムネを返すと簪はまた一口。

 よく飲む。それに今度は飲んだ量が多い。

 そんな好きだったけか。

 

「別に大好物ってわけじゃないけど……久々に飲んだら美味しくて。こういう機会にしか飲まないでしょ? スーパーとかで見かけても買わないから」

 

 確かにその通りだ。

 スーパーとかで見かけても、買わないことのほうが多い。買うならこういう機会になるか。

 何より、祭りの屋台で買うものみたいな特別感あるしな。

 

「そう、それそれ。……ねぇ、これってビー玉取れると思う?」

 

 空になった瓶ラムネを見ながらそんなことを言ってきた。

 このタイプの飲み口なら開けられるだろうけど、何の為に。

 

「思い出にいいかなぁっと思って。瓶持って帰るわけにもいかないからね」

 

 それはそうだな。

 手を差し出し簪から瓶を貰うと飲み口を捻った。

 力は要ったけども思ったよりも簡単に開いた。

 

「流石、ありがとう」

 

 瓶を返すと簪は開いた飲み口を外し、瓶の中からビー玉を取り出す。

 そして、用意していたらしいハンドタオルでビー玉を拭くと親指と人差し指で持ち上げ、簪はビー玉を見上げた。

 

「綺麗……ね、そう思わない?」

 

 何でもないものに宝物の輝きを見つけた小さな子みたいに目を輝かせる簪の方が綺麗に思える。愛おしい。

 見上げるビー玉にはまるで今日の思い出が詰まっているみたい。

 




暑い夏は簪とプールにでも行って涼んで、ラムネを楽しむ姿を見ていたい。

後で1シーン追加するかもしれません。


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2019年ハロウィンイベントとコスプレした簪

国家代表or代表候補生として広告塔の仕事を頑張る簪を無限に見たい今日この頃。
千冬さんが崇められる系なら、簪は親しまれる系だと思う。
後ハロウィンなので一緒に。


「それではお呼びしましょう! 本日のメインゲスト! 日本の国家代表IS選手、更識簪選手の登場です!」

 

 簪が呼ばれた。

 出番がやって来た。

 

「じゃあ、行ってくる……っ」

 

 舞台袖から一人出ていく簪をマネージャーとして見送る。

 

「どうも……日本代表の更識簪です。本日はよろしくお願いします」

 

 司会の人の声と共に舞台袖から簪が姿を出す。

 姿を見るなり、巻き上がる拍手と黄色い声。

 今日はやけに黄色い声が多い。

 

『魔女っ子コスプレ可愛い~!』

『素敵~!』

「観客の皆さんの反応分かります! 更識選手のハロウィンコスプレ本当に可愛いですね!」

「ありがとうございます……照れちゃいますね。本日はこんな素敵な衣装にコスプレさせてもらえて嬉しいです」

「今回のイベント盛り上がること間違いなしですね! では、改めて今回の説明を」

 

 司会の人が仕切り直し、イベントは進んでいく。

 

 日本代表、その広告塔として簪がハロウィンイベントにゲスト出演するのが本日の仕事。

 しかも、黒の魔女っ子コスプレを着ての出演で反響は凄まじい。コスプレ姿が受けたというのもあるだろうが、簪の人気も当然ある。

 

「皆さん、まだまだ更識選手に質問したいことあるとは思いますが本日のメインイベントがやってまいりました! お菓子交換の時間です!」

 

 予め抽選で選ばれた人からの質問に答えるコーナーが終了して、メインイベントが始まる。

 お菓子交換の時間。とは言っても、本当に交換し合うわけじゃなくイベント側が用意したハロウィンにちなんだお菓子を簪が渡すというもの。

 

「トリック・オア・トリート。今日は来ていたき嬉しいです」

「わぁ~どうしよう! 更識選手からの手渡しだ! 食べるの勿体な~い!」

「ふふっ……次の方、どうぞトリック・オア・トリート。今日は来ていただけてありがとうございます」

「私こそ、抽選してくださってありがとうございます! あの……ちなみに悪戯してくれないんですか?」

「い、悪戯……えっと、これからも元気に過ごさないと枕元に立ちますよ?」

「ぷっははっ、枕元って……でも、更識選手になら立たれてもいいかも」

「天然だ」

「可愛い」

「あれ……? あ……つ、次の方っ」

 

 簪の天然発言で会場は盛り上がる。

 見慣れた光景。簪のファンはイベントがある度にこれを楽しんでいる節がある。

 簪本人はこういう仕事にまだまだ全然慣れないとのことだが、無茶ぶりにも何だかんだ対応できるようになったし、フリーズしていた頃が懐かしい。

 

 

 

 

「ふぅ~……」

 

 風呂から上がり、髪を乾かし終えた簪がソファーに腰かけ一息つく。

 身体の疲れは幾分か楽になったみたいだが、まだまだお疲れのようだ。

 

「身体はお風呂入って楽になったけど……気疲れがね。ああいうイベントはいつになっても慣れない」

 

 人前だから、気を張るだろうしそれはそうか。

 それでも、イベントは大成功。

 簪の天然発言といい大反響の手ごたえがあった。また、こういうイベントに呼ばれるだろう。

 

「天然発言……あれでも結構頑張ったつもりなのに……次あるならもっと頑張ろう……うんっ」

 

 慣れないだけで嫌がってない。

 むしろ、やる気は充分。

 

 そんな今日一日頑張った簪をしっかり労わなければ。

 用意したのが、お茶と。

 

「ケーキだ」

 

 ハロウィンにちなんでカボチャのケーキ。

 あいにく手作りではないが、この時の為に結構いいモノを用意しておいた。

 トリックオアトリート。ハッピーハロウィンといったところだ。

 

「ハロウィン……ハッ、そうだ……!」

 

 何か思いついた顔をしている。

 どうかしたのか。

 

「ちょっと、ね……すぐ戻るっ」

 

 止める間もなく簪はリビングから姿を消した。

 自分の部屋に行ったんだろうが、何しに……。

 とりあえずケーキ達にはキープフードネットにかけておく。少し待つとリビングの扉が開いた。

 

「じゃ、じゃ~ん……! トリックオアトリート……! お、お菓子くれなきゃイタズラしちゃうよ……っ!」

 

 との言葉を言う簪の姿は変わって、魔女の衣装。

 それはイベント会場で見たものだった。いなくなったと思ったら、着替えてきてたのか。

 そう言えば、衣装貰ったんだったな。

 

「凄く似合ってるから記念にどうぞって」

 

 黒の鍔が広い三角帽子、カボチャがモチーフとなった黒いローブのついたワンピース。

 イベントで見た時は周りにたくさんの人がいて、じっくり見ることはなかったが改めて今じっくり見ると、本当に凄く似合っている。

 ただ衣装を着ただけでこの映え様。流石だ。というか、驚いた。

 

「ふふん……私の勝ち、イタズラ成功だね。やった……!」

 

 可愛いポーズのオマケ付き。したり顔で微笑む簪が愛おしくなった。

 何故か勝ち誇っているけどもまさかこの衣装をまた着てくるとは思ってなかったから、これは一本取られた。

 これはおもてなしに腕を振るわないといけないな。

 

「ケーキ用意してくれたのに……そのままにしちゃったね。ごめんなさい」

 

 気にすることはない。

 簪のその姿はケーキ以上の価値がある。

 お茶も淹れ直したし、今から食べればいい事だ。

 

「そうだね……じゃあ、座って……いただきます。……ん~、美味しい」

 

 隣に座って頬を綻ばす簪を見て心がほっこりする。

 いいものが見れたことだし、何かお礼をしないと。

 そうだ。あることを思いつき、簪に仕掛けた。

 

「わっ、ビックリした……お礼? と言う名の仕返しでしょ……負けず嫌いなんだから、もう……あ~ん」

 

 呆れたように笑いながらも口を開け、差し出した一口分のケーキを食べてくれた。

 何と言われようともビックリさせられたのだから、イタズラ成功だ。

 

「負けず嫌い…… でも、自分で食べるよりも美味しいというか、幸せだね。ありがとう」

 

 ああ、まったくだ。

 

「今日のイベントは大成功でイタズラも成功、美味しいケーキ一緒に食べられて幸せだし……正しくハッピーハロウィンだね……!」

 




活動報告に記事書いたので一目通していただければと思っています


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簪とおはようからおやすみまで

シチュエーションぽさよりもどこにでもあるような日常感を追求したくて書きました


「おはよう……うぅ~ん……朝……ん~」

 

 朝8時2分。

 眠る簪の名前を呼びながら軽く揺すること3回。ようやく目を覚ました。

 しかし、意識が起きただけで目は閉じたまま。このまま二度寝してしまいそうだ。起きてくれ。簪が楽しみにしてる日曜朝の時間がやってくる。

 

「分かってる……んー……」

 

 簪がふらふらと手を伸ばしてきてた。

 抱き上げろのポーズ。

 用意した朝ごはんのこともある。仕方ない。どっこいしょの勢いで抱き上げた。

 

「洗面台までお願いします……あ、眼鏡忘れないで」

 

 枕元の眼鏡をかけてやり、タクシーの如く運んでやる。

 寝室と洗面所までの道は若干冷える。

 大分前から起きている俺でこうなのだから、起きて布団を抜け出したばかりは尚更だろう。

 

「冷えるね……あなたの体温高くてよかった」

 

 人の身体で暖を取る始末。

 身体を預けるように密着してきた分、腕に感じる体重が増したような。

 

「失礼な……っと、着いた。ありがとう」

 

 洗面所に着いて簪を降ろす。

 ここも冷える。

 サクッと身支度済ませて、リビングに来るように。

 

「ん~……」

 

 背中で簪の生返事を聞きながら、一足先にリビングへ。

 簪が来るまでの間に用意した朝食を食卓。今日からはこたつの上に並べる。

 これでよし。

 

「さむ……こたつこたつ」

 

 丁度簪がリビングに入ってきた。

 やってくるなり、こたつへと駆けこむ。

 簪も来たことだし、食べるか。

 

「ん……いただきます。今日はピザトースだ」

 

 時間に余裕のある日曜の朝は少し手間のかかったものになることが多い。

 今日のも結構、自信作だ。今自分で食べても美味い。

 

「美味しい……でも、これ少しって手間じゃないよね。早起きもいいけど、お休みなんだからゆっくり寝てればいいのに。身体壊さないでね」

 

 それは肝に銘じている。

 かく言う簪は日曜日の朝でこそ、見たいテレビがあるから早めに起きるがそうでない休日は予定がないと朝遅くまで寝ている。

 

「眠いんだもん……はむはむ」

 

 のそのそとパンをかじる簪。確かに今も眠そうだ。

 身支度した程度では眠気を完全に拭うことはできなかったらしい。

 

 朝ごはんの片手間では8時30分過ぎて変身ヒロインものの女児向けアニメがやっていた。

 

「ふぅふぅ……」

 

 パンを3口ほど小さく食べたところで簪は飲み物を手に取った。

 ホットココアはまだ湯気立ち、簪は冷ましてから口をつける。

 

「あちゅ……ん、ん、はぁ……」

 

 まだまだ熱かったようだが、飲めない熱さではないようで飲むと一息ついてほっこり顔の簪。

 また目が眠そうに蕩けてきた。けれど、視線はテレビに釘付け。それにお楽しみへと近づくにつれて簪はシャッキリしてくる。

 

「あ……っと、そろそろ……ごちそうさまでしたっ」

 

 最後、一口サイズになったパンを口の中へと放り込むと簪は完全に見る体勢に入る。

 

『スーパーヒーロータイム!』

 

「始まった」

 

 9時、2作品連続で特撮番組が始まる時間。

 毎週この為に簪は起きる。

 前日どれだけ大変でもリアルタイム視聴。まあ、俺が起こすのだけど。

 

「……!」

 

 タブレット、スマホ完備。

 今日もSNSで実況しながら見るようだ。

 

 視線は画面に向いているが、手元では高速入力が行われてる。

 これで誤入力が基本ないのだから、いつ見ても凄い器用だ。

 まるで別々の生き物のよう。

 

 そんな簪の様子を横目に一緒になって見る。

 簪ほど真剣に見るわけではないが、変身ヒロインものの女児向けアニメもだけどさっきの何だかんだ毎週欠かさず見ている。

 もうすっかり日曜朝のルーティンと化しているな。

 

「終わった……んー……あぁぁ……っ」

 

 10時になって一連の番組が終わり、一時間ものの映画を見終えた後のように簪はぐっと硬くなった身体を伸ばす。

 出た声がちょっと色っぽかった。

 

「さてと……」

 

 二人一緒にこたつから出た。

 番組が終わった後は見るものはなく、次のルーティンへと移る。

 俺は台所へ皿洗いに、簪は洗い場からベランダの方へ洗濯物を干しに行った。

 

 何か合図があるわけでもなく、各々の役割を果たす。

 俺は簡単なものだ。軽く流したり洗ったりして、食器洗い機に入れる。

 その後はこたつの上や台所を綺麗にしつつ、自分の部屋からモノを取ってきたり、ココアを入れながら簪が戻ってくるのを待つ。

 

「さむ……こたつこたつ」

 

 聞き覚えのある言葉と共に簪が登場。

 こたつへと駆けこむさまは見覚えがあった。

 

「あっ、と……ありがとう。ふぅ……落ち着く」

 

 差し出したココアを飲んで一息。

 さて、これからどうするか。この後、これといった予定はない。

 

「お買い物も昨日のうちに済ませちゃったからね……」

 

 昨日のうちに食材関係の買い物は済ませてしまった。

 わざわざ買い物に出かける必要はない。

 

「出かけなくていい……洗濯物干してる時に外見たけど、風強めだった」

 

 この時期の風は冷たい。

 尚且つ風が強いとのことだから、外出は大変そうだ。

 

「お休みなんだからゆっくりしてくのが賢い」

 

 それはそうだ。

 かく言う簪は、もうすっかりゆっくりする体勢。

 寝転がって深くまでこたつに籠って、座布団を二つ折りにして枕代わりにしながらタブレットを弄ってる。

 これはどう見ても出る気は……。

 

「ない……今日はこのままこたつと一緒になる……むしろ、一生一緒がいい……」

 

 とんでも発言だな。

 まあ、言いたくなる気持ちは分かる。

 

「でしょ……あなただってこたつから出ないわけだしね」

 

 折角、昨日こたつを出したのだから使わないのは勿体ないだろ。

 

「ふふっ……そういうことにしといてあげる」

 

 そういうことにしといてほしい。

 自分の部屋から持ってきたノートPCのこたつの上で開いて、共に同じ時間を過ごす。

 

 こたつの吸引力というか、魔力は凄い。

 立ち上がったりはするもののその度にこたつへと引き寄せられて、こたつに戻る。こたつは恐ろしい。

 そうしていると11時、12時、昼の1時と時間は過ぎいった。

 

「ん~……」

 

 呻きだす簪。

 身体を伸ばして、腹が空きでもしたか。

 

「んー……何か食べておきたいけど、こたつから出たくない」

 

 相変わらずのようだ。

 俺も腹が空いた。

 しかし、よくないことではあるが今から何か作るのはちょっと面倒だ。食べに出かけるのも右に同じ。

 

「でしょ……だったら」

 

 簪の言いたいことは分かった。

 こたつから出て、湯を入れたあるものを持ってきた。

 

「面倒な時はこれこれ」

 

 これとは3分で出来るカップ麺のこと。

 これなら作る手間もないし、カップ麺も捨てるだけだから後片付けは簡単だ。

 面倒な時はつい頼りがちになってしまう。

 

「いいの……楽できるところは楽しないと。3分経ったよね……いただきます」

 

 カップ麺を食べ始める簪。

 美味しそうに食べてはいるが、これといったリアクションはない。

 簪が初めてカップ麺を食べた頃は最早遠い過去。

 

「や、実際遠い過去でしょ……おじいちゃんみたい」

 

 懐かしんでいたら茶化されてしまった。

 印象的な思い出だったから懐かしみたくもなる。

 おじいちゃんには優しくしてほしい。

 

「してる。というか、おじいちゃんでいいんだ。ファンキーなおじいちゃん……そんな濃いの食べて。ワカメの好きだね」

 

 食べているのはわかめとゴマの醤油ラーメン。

 カップ麺を食べるは大体これ。

 そう言う簪だっていつもと同じのを食べている。カップ麺のヌードルタイプ、その塩味。

 麺のタイプこそは変われど、味はいつも大体これ。あの時のまま。

 

「ふぅふぅ……はふ、はふ……」

 

 ずるずる、つるつると麺をすすり、静かにカップ麺を食べる。

 思ったよりも腹が空いていたようだ。俺は一足先に食べ終えた。

 簪はまだ食べている。もう半分ぐらいか。

 ゆっくりと減っていく麺が穏やかな時間の流れのようで何というか。

 

「わっ……大きな欠伸……食べてすぐ眠くなるなんておじいちゃんの次はあかんちゃん、かな」

 

 いい感じに腹が満たされ、時間は昼の2時4分。

 眠くなる時間だろ。

 窓から入るぽかぽか陽気が眠気に拍車をかけてきてる。

 

「じゃあ、ご飯の後はお昼寝だね……ごちそうさまでした」

 

 ぽんと手を合わせながら簪はそう言う。

 昼寝……選択肢としてはありだろう。だが、いいのか。食べてすぐ寝るなんて。

 

「いいの……よいしょ、じゃあ」

 

 俺の食べたのまで台所で捨ててきてくれた簪がこたつに入るとまた横になる。

 本当に寝る気か。待ってほしい。

 こたつで寝たら風邪をひきかねない。小言臭くなるが、そういうところから気をつけなければ。

 

「それはそうだね……」

 

 納得してくれた。

 かと思ったが、身体を起こしてこちらの腕を掴んで立ち上がろうとする。

 一体何を。

 

「何って……お昼寝に。一人だと人肌恋しいでしょ……はい、立って立って」

 

 言われるがまま、立つと手を引かれてリビングから連れ出される。

 で、連れて行かれた先は言うまでもなく寝室。

 理由もまた言わずもがな。

 

「ほら」

 

 先にベッドへと上がった簪が空いた隣をポンポンと叩く。

 ここまできたら、選ぶべき選択は一つ。

 何も予定のない休日なんだ。少しぐらいならいいか。

 

「布団の中、冷たい」

 

 簪の隣に入ると足元がひんやり。

 こたつが温かかった余計に冷たく感じる。

 昼寝していれば温かくはなるだろうが、昼でこの冷たさ。夜はもっと寒くなりそうな感じがする。

 

「湯たんぽとかあるといい感じになりそう……」

 

 むにゃむにゃとした声で言う簪は目を閉じて後は寝るのみといった状態。

 目覚ましは……いいか。

 今は2時15分。15分ほど昼寝して、2時半には起きれるはず。遅くてもその10分後には。

 

「そんなの気にせず寝たいだけ寝ればいいのに……私はそうする」

 

 それでいいのか、日本代表。

 

 この時、俺はいろいろと甘く見ていた。

 満腹から来る満たされた感じ、昼の眠気と空気、布団の気持ちよさ、そして簪と昼寝するという人肌の温かさ。

 1時間、2時間、3時間、と眠ってしまい起きた時は5時47分。途中起きた記憶がないから見事なまでの爆睡だった。

 昼寝する前明るかった部屋はすっかり真っ暗。寒い。

 それに簪の姿もない。これだけ爆睡してたら、先に起きているのが当たり前か。

 スマホを持ってベッドから抜け出し、リビングへと向かう。

 

「あっ……起きたんだ、おはよう」

 

 挨拶を返しながら、状況を把握する。

 エプロンをつけた簪はもう夜ご飯の準備を始めていた。

 この様子なら随分前から起きているか。起こしてくれればよかったものを。

 

「あんな気持ちよさそうに寝てたら起こすの気が引ける。起きたのは5時頃だけど寝顔眺めてたら時間潰しちゃってリビング来たの今さっきだから気にしないで。それにより、洗濯物直すのとお風呂洗って沸かしてきて」

 

 途中、凄いことを言われたような。

 とりあえず、言われたことを済ませる。

 まず先に風呂を洗い沸かしている間に朝に簪が部屋干した洗濯物を取り込み、それぞれの場所になおす。

 時間がかかるものではないから、済ませてリビングに戻る。

 

「ふんふんふ~ん、ふふふ~ん」

 

 簪が鼻歌歌いながら料理をしている。

 楽しそうだな。ちなみに鼻歌は今日の朝やってた特撮ライダーの主題歌。

 手伝えることはなさそうだ。こたつの上綺麗にして、出来るまで大人しく待つか。

 

「ふふ~ん、ふんふふ~ん」

 

 熱唱。機嫌いい。

 うちのキッチンは対面式だから、いろいろと通る。

 簪の鼻歌、トントンとリズミカルな包丁とまな板が当たる音、出来上がる料理の匂い、そして料理する簪の姿。これはお味噌汁の匂い……いい匂いず食欲をそそる。

 休日毎週日曜の夜、簪が晩御飯を作ってくれている姿をぼんやり見てると一緒に生活している実感が無性に湧く。いいな。

 

「ん……? どうしたの、そんなじっと見て。出来たから、運んで」

 

 呼ばれて出来た料理を運ぶ。

 今日は……焼き鮭、だし巻き卵、ほうれん草のおひたし、豆腐と玉ねぎの味噌汁、そして白ご飯。

 the日本食。簪が作るのは大体、日本食が多い。今日も美味しそうだ。

 

「お茶をここ置いとくね。よし……じゃあ、手を合わせて。いただきます」

 

 二人一緒に手を合わせて言うと食べ始める。

 焼き鮭におひたし。今夜も簪の飯は美味い。月並みの感想だがこれに尽きる。

 

「よかった。いい食べっぷりで嬉しい。だし巻き卵綺麗に巻けてるでしょう」

 

 ドヤ顔で言うのに頷けるぐらい綺麗に巻けてる。

 プロみたいだ。

 

「プロって……ふふっ、変な例え。でも、プロになるぐらい鍛えられてたからね。あれだけたくさんリクエストされたら」

 

 簪手作りのだし巻き卵はよくリエクストする。

 これだけ美味いものを用意されたらそりゃ何度も食べたくなる。

 そういうものだろう。控えた方がいいなら控えるが。

 

「そこまでじゃないよ。そこまで好きでいてくれるのは嬉しい。これからも旦那様の為にプロの一品作らさせていただきます」

 

 冗談めかしに言って簪は味噌汁をすする。

 俺も一口。温かい汁で身体が温まって、ほっこり落ち着く。

 傍らでは無人島を開拓したり、0円で食堂を開くバラエティー番組が簪との食卓を賑やかしてくれていた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 手を合わせ、二人でそう言うと晩御飯は終わった。

 米粒一つないほど綺麗に完食。

 

 7時前からに食べ始めて、今は8時に近づこうとしている頃。

 大体いつもこの時間になる。

 この後は風呂だ。簪が先に入って、その間に洗い物とかをするのがいつもの流れ。

 

「今日お風呂、一緒に入らない?」

 

 だが今夜は簪の提案もあって、二人で洗い物を済ませた後一緒に入ることに。  

 洗い合いっ子をしてから、向かい合いながら湯舟へと浸かる。

 温かい湯が身体に浸透するようで、心地よさから濁音だらけの情けない声が出た。

 

「ふふ、凄い声。ふぅ……気持ちいい……」

 

 ここでもまったりしてしまう。

 間違ってはないが、何だか今日はまったりしてばかり。

 朝起きてご飯を食べてゴロゴロして昼ご飯を食べて昼寝をして夕方起きて夜ご飯を食べて、今こうして二人でお風呂。

 これはまったりと言っていいものか。思い返すと我ながら見事までにだらだらした一日を過ごした。

 本当食べてばっかりだ。しかも、何もしてない時の方がおなかの空きがいい。

 

「分かる……不思議。逆に疲れてるとお腹は空く時は空くんだけど妙にお腹の空いた感じが鈍いがするというか」

 

 分かる。その気持ちが強い。深く頷く。

 全然お腹が空いてないは別として、その他はいつもと似たような時間に食べたほうがいい。体内リズムが崩れる。

 

「後々の時間に食べると時間が押した分、お腹めちゃくちゃ空いていつもより食べたくなっちゃうからね。そこでセーブするとその後また変にお腹空くし嫌な悪循環」

 

 その通りだ。

 そう思えば食べてばっかりではあるけど、いつもと似たような時間には食べていた。

 

「癖だよね、最早。普段からあなたがきっちり生活リズム整えてくれてるから 癖づいた」

 

 俺だって簪に癖づけられたようなものだ。

 

「二人で暮らし始めて出来た癖だ。って……何の話してたんだったけ?」

 

 今日一日のこと。ご飯の時間についてだが中身があるようでない話になってしまった。

 まあ、たまにはこんな日もいいだろう。こんな話でも何だか楽しい。

 

「私も。ね……たまにはいいよね、こういうのも。これはこれで充実してるというか……ふふん」

 

 それはそうだ。

 時に簪は何故、仕切りに何度も繋いだ手を握る。

 握られる度に湯舟が静かに波紋を描いた。

 風呂の中でまた何とも不思議なことをする。

 

「いいでしょ……減るものでもないんだし。うん……ちゃんと暖まってる」

 

 体温を確認されている。

 合わさった手のひらは暖かく、簪もしっかり暖まっているのがこちらにも伝わってきた。身も心もあった。と言うことはこういう物なんだな。

 

「うん……」

 

 そうして、まったり時間を過ごして風呂から上がったのは夜9時を過ぎた頃だった。

 

「いつもより長風呂になっちゃったね」

 

 新しいパジャマに着替えた後、リビングでドライアーと櫛で髪を梳かしながらそう言う。

 手を繋いだまま、とりとめのない話、今朝やっていた特撮番組について盛り上がったのが原因なのは明らか。

 

「いや、仕方ないでしょう。冬映画の予告来たんだから。突然あれは反則」

 

 あれは突然だった。

 1分半の間にあれこれ気になる映像を見せられたら、ついいろいろ考察してしまう。

 

「だよね。あの四人ってどのエンド後からなんだろう。やっぱり、テレビシリーズ……ワンチャン、どのエンドにも関係ないまったく別のパラレルという線も……」

 

 風呂の熱気が冷めていくのに対して、簪の特撮熱は冷めることを知らない。

 髪を梳かし終え頭にタオルを巻くと、考えを巡らせながら風呂上りのスキンケアまで始めている。

 慣れた手つきで手は動いていて見慣れた光景だが。

 

「ん……どうかしたの? あなたもする?」

 

 遠慮気味に断った。

 そういうことで見ていたわけではない。

 ただ相変わらず器用さに見とれていた。

 

「ほぼ毎日やってるから慣れかな、慣れ。後今は疲れてないから丁寧にやってるけどいつも結構、簡単にやっちゃってるし」

 

 言われてみれば、いつもより丁寧にやってるような感じはする。

 正直、いつもより時間かけてるなぐらいしか思えなかったけども。

 

 こたつ机の上に並んだ化粧品達。

 簡単にとは言え、ほぼ毎晩やってるの改めてすごいよな。

 こうやって簪の綺麗なもちもち肌は保たれている。頑張りを感じる瞬間だ。

 

「ふふん、褒めても何も出ないよ。そういうあなたは明日の確認?」

 

 ドヤ顔していた簪に頷く。

 簪の傍で明日の予定を確認していた。

 明日は月曜日。また一週間が始まる。国家代表選手である簪の日々は忙しく、それを支える俺もまた多忙の日々。

 

「明日って午前に倉持立ち合いで稼働データの簡易蒐集で午後から織斑コーチといつもの訓練だったけ」

 

 あっている。間違ってない。

 今週は数件ほど雑誌取材があり、戦術勉強会も数件、それ以外は訓練の予定。

 

「今週も大体、いつも通りだね。あ、私も明日の確認しよ」

 

 朝、バタバタしたくないから時間に余裕のある今のうちに明日の確認や用意をしに自分の部屋に行こうとすると簪は続いて確認し始めた。

 

 荷物の確認、必要な書類のチェックは簡単に済む。

 用意はバッチリ。これで明日の朝、バタバタすることはないはずだ。

 リビングに戻ると先に終えた簪はまたこたつに籠っていた。

 

「お帰りなさい……何かいつもより時間かかってたね」

 

 こたつに籠ってタブレットを弄りながら疑問に思ったことを口に出す。

 数分ほどで戻ってこれるのをいつもより少しオーバーして俺は戻ってきた。

 寝室に湯たんぽの用意してから遅くなった。

 

「湯たんぽ……? ああ……お昼寝の時言ってたの覚えてくれてたんだ」

 

 覚えているとも。

 また体温奪われたらかなわないからな。

 

「そんなことしてたっけ……? まあ、外冷えたでしょう……早く身体温めて。冷たいの嫌」

 

 とぼけているが、これはまた湯たんぽにするつもりだな。

 まったく。

 まあ、確かにリビングの外は冷えた。簪と左斜めのところに座ってこたつへと入った。

 

「そうそう、ツイスタ見てたら見かけたんだけど……ほら、ロランの投稿。篠ノ之さん写ってる。めっちゃいい顔してケーキ食べてる……ふふっ」

 

 本当にいい顔してる。篠ノ之もこんな顔するんだな。

 なんて簪とSNSを一緒に見たり。

 

「その理屈で言うと、変わった味するウニできそう。チョコ味とか……ん~あ、あのゲーム発売1週間で全世界600万本だって。凄い……」

 

 ネットニュースについて話したりする寝るまでの時間。

 日曜の夜に限らずいつもこんな感じ。

 ちなみに簪は御三家選ぶなら3属性どれ選ぶんだろう。

 

「御三家って言うと炎、水、草の3タイプだよね……今作、どんなのだろ……あった、これか……う~ん、ビジュアルなら水タイプ……いやでも、序盤で積みたくないしから出てくる野生のモンスターとの兼ね合い……?」

 

 簪らしいな。

 時間はまったりと流れていき、近づいてくる寝る時間。

 それを知らせるように。

 

「ふぁぁ~……んん。あ……ふふ、フフフッ、被った……ふふっ」

 

 大きな欠伸が二つリビングに舞った。

 それがツボに入ったようで簪はくすくす堪え笑う。

 欠伸が出たことだしそろそろ寝るか。丁度、寝る時間だ。

 

「この時間に眠くなるのも習慣だね……じゃあ、歯磨いて寝よ」

 

 こたつから出て、電源を切ると二人で洗面所へと向かった。

 二つ並んだ歯ブラシを自分の分、取って。

 

「ん、はい……歯磨き粉」

 

 簪から歯磨き粉を取って歯を磨く。

 鏡には二人して並びながら歯磨きする姿が映っている。

 やはり、リビングの外は冷える。寒さの程度は肌寒さぐらいではあるが、この感じだと明日の朝はもっと冷えそうだ。

 

「やだな……寒いと気が滅入る。ただでさえ月曜なのに」

 

 隣で歯を磨きながら簪がぼやく。

 言ってることは分かる。

 寒さ対策もう少しだけして乗り切るしかないだろうな。後は昼の弁当好きなもの多めにするとか。

 

「エビシュウマイがいい……ほら、昨日買ってきた。冷凍の高い奴」

 

 じゃあ、それを中心に弁当を作るか。

 

「やった。お弁当楽しみに頑張る」

 

 歯磨きを終えると、寝室へ。

 布団の中は湯たんぽのおかげで温かい。

 これならぐっすり眠れそうだ。

 

「うん、温かい……もっとこっち寄って」

 

 目覚ましのセットに問題がないことを確認して布団をかぶると簪に呼ばれた。

 やはり、湯たんぽにするのか。これでは最早、抱き枕ではあるが。

 

「ふふんっ」

 

 笑ってる。気持ちよさそうというか幸せそうと言うか。

 まあ、簪がいいならいいか。

 おやすみ簪。

 

「おやすみ」

 



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私達の新婚模様

遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。
2020年もよろしくお願いします。

活動報告から『未来編で2人の新婚生活』『正式に籍を入れた後の話』を。


 結婚。

 一般的には人生の節目や人生のゴール、もしくは人生の墓場とかって呼ばれたりする。

 墓場は兎も角、ゴール……いや、節目って表現が一番しっくりくる。実際私自身、彼と結婚してみて結婚は節目だなぁっと実感した。

 来月で結婚してから一年。結婚から何だかんだ慌ただしかったけど最近、ようやく落ち着てきた。新婚真っ只中。変らなかったこと、変わったことが連続する毎日。

 

 新婚生活、その生活スタイル自体は変わらなかったことの一つと言えるのかも。

 以前から使っていた家具とかを新婚ということで新しいものに変えたことで新生活なんだという認識はあるけど、劇的な変化はない。

 IS学園一年生の頃から付き合い始め、大学入学を機に始めた同棲生活。交際期間は勿論、同棲期間が長かったからなんだろうな。生活リズムも変わってないし。

 

 後、変わらなかったことを言えば、私だけ苗字が変わらなかった。

 彼は更識家に婿入り。今時珍しいけど、私が産れた更識家は特殊な家系。それとちょっとした事情もあって、婿入りの形になった。

 同じ苗字にはなれたけど、正直なところ彼の名字がよかったと思はなくはない。今更言っても仕方ないことではあるし、あまりとやかくいう事でもないけど、それでも好きな人の名字を名乗りたいと思ってしまう。まあ、それはそれ。

 

 だからってほどのことじゃないけど、呼び方を変えみたりはする。

 普段は結婚する前と変わらず名前で呼んでいるけど時々。

 

「旦那様」

 

 と新婚らしく呼んでみたりしてる。

 呼ばれ慣れてないようで意外にも照れくさそうにしてくれるのがまた愛おしくなる。

 新婚らしく玄関で三つ指ついて出迎える時に呼ぶとポイント高くなるのはここだけの話。

 そうやって反応を楽しんでいると、彼は私のことを奥さんと呼んでくる。嬉しいけど、照れくさいってほどじゃない。それよりも彼が私を人に紹介してくれる時

 

「うちの妻」 

「うちの家内」

 

 と言って紹介してくれ。

 

「更識君の奥さん」

「更識さんの奥様」

 

 こんな風に周りの人から呼ばれるのは中々慣れない。

 照れくて、やっぱり嬉しい。

 おかげで彼が私のことをちゃんと妻だと思ってくれているのは当然、周りの人からしても私はちゃんと彼の奥さんなんだって思われてるのが分かって、誇らしくなる。

 

 私は彼の奥さんで、彼は私の旦那さん。

 けどそうなると責任というものが付きまとってくる。

 夫婦の一般的な責任は言わずもがな。更識の人間としても責任も。

 これも面倒なものだけど彼は気にしてない。これよりも厄介なのが

 

「早くお二人のお子様を見たいものですね」

「お世継ぎが楽しみです」

 

 なんてことを言われるようになった新婚一年目の年末年始。

 これもある意味結婚してから変わったことなのかな。まあ何と言えばいいのか。一度や二度じゃなくて、親戚や更識家と縁深い人達と会うことの多い新年行事は特に大変だった。

 うちは歴史を重んじる昔ながらの家だからまだまだ古いところがあるのは分かってたし、言われるとは思ってた。

 だとしても気が早い。早すぎる。交際期間が長いのは周知の事実だから余計言われるんだろうけど、だとしてもだ。こういうのは、授かりもの。それまでは彼との新婚生活を楽しませてほしい。

 

 でも、彼との子供か……もちろん、どういう感じなんだろう。

 う~んっと先のことを思い浮かべてみる。想像できない訳じゃないけど、何だか漠然としか想像できない。

 女の子も男の子もいいなって思う。となると、子供は二人ぐらいかな? どんな子に育つんだろう? 子は親に似ると言う。苦労はしてほしくないから私には似てほしくない。彼に似て、真面目で優しい子に育ってほしい。

 

 私一人だとまだまだ妄想の域を出ない。

 結婚する前、付き合っていた頃にも彼と話したことはあるけど、冗談混じりだった。

 でも結婚した今、彼と経済事情や年生活状況を踏まえながら話す度に現実味を帯びていくし。

 これから実際、実現させようと二人であれこれしていくにつれてもっと家族になったなと感じていく。そんな予感で一杯。

 

 不安はある。

 例に挙げればキリがないほどあれこれ。 

 それでも夫婦、家族としてこれから何年何十年彼と一緒に生きていく。

 むしろ、楽しみ。

 だって、彼と私は付き合っていた頃よりももっと幸せになっていくんだから。

 

 私達は誰よりも幸せな夫婦に家族になる。ね、旦那様(あなた)

 



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激撮!更識簪密着24時

スポーツバラエティーのアスリート密着ものを思い浮かべながらお読みください


 大空を疾走と駆け抜け優雅に舞う姿。

 両手で薙刀を携え、強敵を薙ぎ倒していく勇姿。

 

 日本代表IS競技者、更識簪選手。

 今回、番組が決死の交渉をしたところなんと大人気選手の一日を紹介してもらうことに成功しました。

 番組が渡したハンディカムによって更識選手目線で見せてくれる現役国家代表選手の一日は一体どんな感じなのでしょうか。では早速更識簪選手の一日を覗かせてもらいましょう。

 

「お、おはようございます。日本代表IS選手の更識簪ですっ。今日は私の一日を紹介とのことで、少しでも楽しんでもらえれば嬉しいです」

 

 カメラの前に姿を現した更識選手。

 起きてそう時間は経ってないのでしょうか。

 水色のパジャマを着ているのが素敵です。しかも、ヘッドギアつけてない更識選手は何だか新鮮。

 しかし、緊張している様子。ぎこちない表情をしていますが、周りの方から指摘があったようです。どうやら更識選手のマネージャーである旦那様から。

 

「堅いって言われても……まあ自覚はあるけど。えぇぇ、もっと柔らかくなんて難しい。こんな風に自分にカメラ向けたことないし……あっ、失礼しました。ここカット?でお願いします」

 

 砕けた感じで話してらっしゃいます。

 更識選手は凛としたイメージが強いので、何だか新鮮ですね。

 ちなみにカットの部分はバッチリ使わせてもらいました。

 

「こほん、改めまして……えと、今は朝の七時過ぎ。大体私はこのぐらいの時間に起きます。まず起きてすることは愛機、打鉄二式のチェック。ベッドの上で軽いストレッチ。それから五分ほど二式と精神統一します。それから顔を洗って朝食を食べます」

 

 テーブルに並ぶ朝食を見せてくれました。

 白ご飯、半分に切られた焼き鮭、ひじき煮、お味噌汁、一口サイズのチーズ、果物といったメニュー。

 

「朝ごはんはこんな感じ。食事サポートしてくれる夫が毎朝作ってくれて、基本うちは和食メインです。あまりたくさん食べれるタイプではないので、一つ一つの量は少なめですがそれでもこれだけの種類はしっかり食べるようにしています」

 

 朝食は一日のエネルギーを作る源。

 更識選手の身体への気遣い。そして、旦那さんのバランスが行き届いた食事サポート。

 これらが更識選手の強さの秘訣の一つかもしれませんね。

 

 朝食を食べ終えた更識選手は席を立ちました。

 

「ごちそうさまでした。朝ごはん食べた後は軽く家事をして、化粧や着替えとか身支度すると八時半前には家を出ます」

 

 更識選手も朝は慌ただしい様子。

 何だか親近感が湧く光景です。

 そして、景色と更識選手の服装が変わりました。

 水色のジャージ、練習着のようです。

 

「朝の九時過ぎです。練習スタジアムにつきました。今日は一日練習の日なのでここで過ごします。午前はトレーニング。午後からはisを使った実機訓練といった予定です」

 

 何処へ向かいながら説明してくれる更識選手。

 カメラを再び更識選手から別のところに向けるとトレーニングルームについたようです。

 流石は国家代表が使う施設。室内は広々として、充実した機材の数々。そして、更識選手が紹介してくれるトレーニング専門で専属のトレーナーな面々。更識選手といえばあの人の姿も。

 

「そして最後がISの指導をしてくれている織斑コーチです」

 

 カメラの前に姿を見せてくれたのは初代ブリュンヒルデ、織斑千冬さん。

 更識選手の専属コーチでありながら今も変わらずIS学園で教鞭を取り続け、我々が姿を拝見できるのは稀。貴重です。

 白いジャージ姿が似合っていて素敵ですね。

 

「コーチも自己紹介を」

「必要か? 今更過ぎるだろ」

「そうめんどくさがらずに……ほら、コーチ」

「仕方ない。こほん……カメラの前の皆さん、こんにちは。更識簪のコーチをしている織斑千冬です」

 

 シーンとなる画面の向こう。

 周りの皆さんは言葉の続きを待っている様子。

 織斑千冬さんならもっと聞かせてくれるはず。

 

「以上だ。皆してこっち見るな」

「本当に終わりですか?」

「本当に以上だ。他に言うこともないだろう? 何だ、アリーシャみたいに名乗れってか」

「あ、それはそれで見たみたいかも」

 

 アリーシャとは二代目ブリュンヒルデ、アリーシャ・ジョセスターフの愛称。

 

(テンペスタ)のアーリィと言えば私のことサね!』

 

 などという名乗りが有名な選手です。

 アリーシャ選手のように名乗る織斑千冬さん見れるなら見てみたいです。

 

「馬鹿言うな。そんなことを言う可愛い教え子には朝からみっちり可愛がってやらんとな」

「別に意味にしか聞こえないんですけど……と、とりあえず、今からトレーニング始めるのでカメラはこちらのスタッフさんにお願いします」

 

 カメラは更識選手から施設のスタッフへと渡り、トレーニングは始まりました。

 基礎的なトレーニングは勿論、より専門的なトレーニングや変わったトレーニングなど様々。

 専用のアプリや機材を用いて心拍数を始め数値としてデータ化した身体の状態を様々計測し、動きもまた映像に納めデータと理論に基づいて徹底的に行わられるのが更識選手のトレーニング風景。

 そうして途中何度か小さな休憩はあるものの、時間の許す限りトレーニングを行うとやってくるのが昼食時。

 カメラは更識選手の元へと戻り、昼食風景を紹介してくれました。

 

「昼の十二時になったので今からお昼ごはんを食べます。いつもお昼はお弁当を食べていて……えと、こんな感じです」

 

 朝食と変わらず、色合いがよくバランスがよさそうなお弁当。

 お昼ご飯にも気を使っているのが伺えます。

 

「昼飯の時までカメラを回すとは仕事熱心だな」

「まあ、お昼の様子もぜひ撮ってと言われてたので」

 

 どうやらお昼は織斑コーチと一緒のご様子。

 織斑コーチも同じく弁当。これは手作り弁当でしょうか。

 

「織斑コーチのお弁当はこんな感じです」

「私のまでいるか? 拙い手作りだ」

「そんなことないですよ。毎回ちゃんと考えて料理してるじゃないですか。私こそ、このお昼ごはんとか彼に頼りっきりですし」

「仕方ないだろ。そういうことを含めてお前のサポートがアイツの仕事だ。それにお前は別に料理できない訳でもない。休みの日に返せばいいだけだろ」

「はい」

 

 真面目な話をしながら進むお二人の食事。

 しかしそこには張り詰めた雰囲気はなく、むしろ信頼しあっているからこそ話し合える。

 そんな素敵な時間が流れているのがよく分かります。

 

「弟が一人立ちして自分の人生を歩んだからこそ家事が出来ない姉だといつまでも心配かけたくはないが為に苦手でも始めた料理で始めたばかりの頃よりかは上達したと思うが正直な話、恋人の手作り弁当は憧れなくはない。いいものだろう」

「それはまあ……はい」

 

 小さく頷く更識選手は幸せそうです。

 

「はぁあ~幸せそうな顔しよってからに。私生活と仕事、実益を兼ねるのといいアイツは昔から抜け目ない奴だ」

「彼のそういうところには本当助けられてます」

「また惚気。そういう意地悪なところ、更識姉に似てきたな」

「別に惚気たつもりは……というか、やめてください、コーチ。その言葉は私に聞きます。……凄く」

 

 和やかなお昼が終わると午後からはまた訓練。

 

「午後は大体十八時頃までISで実機訓練をします」

 

 IS専用の大型スタジアムにて予定を紹介してくれた更識選手の姿はジャージ姿からISスーツ姿へと変わっていました。頭にヘッドギアをつけている姿はなじみ深さを感じます。

 同じく織斑コーチもISスーツ姿です。

 

 お二人が向かい合う実機を用いした午後の訓練は始まりました。

 激しくぶつかり合うお二人。

 

「対処が甘い! 受けるだけで済ますな! 次の手に繋げろ!」

「はいっ!」

「返事だけは一人前前か! 試合状況を起きてること以上に意識しろ! 先の先まで考え続けろ!」

「ッ、はいッ……!」

 

 厳しい指導の声が飛び交っています。

 この時もまた専用のアプリや機材を用いて蒐集したデータを参考にしながらの訓練。

 やはり驚かされるのが練習量とその密度。午前のトレーニング以上に激しく濃密な訓練が繰り広げられています。

 休憩はあるものの午後の時以上にぐったりした様子が見受けられます。

 

「だらしない、こんなのいつものことだろ。カメラが回っているからといって手加減すると思ったか」

「いえ、まったく。むしろ、張り切ると思ってました。それが現実のものに」

「なら、現実を受け入れろ。三分後には再開だ」

「……はい」

 

 訓練を再開すると、やはり厳しい訓練の連続。

 IS学園で教師を始めた頃からスパルタで有名な織斑コーチ、先ほどの言葉通り手加減をする様子はありません。

 しかし、更識選手はただ厳しい訓練を一方的に受けているだけではありません。

 

「今の戦法、またお願いします。もう少し強めで構いません。後ちょっとで掴めそうなんです」

「よし、いいだろう」

 

 積極的に自ら指導を請い、自発的に改善していく姿。

 それは納得がいくまでも何度も見受けられました。

 更識選手のストックな一面に圧倒されました。

 

 そうしてその日の訓練は最後まで密度を落とすことなく夜まで続きました。

 訓練を終えた更識選手が次にカメラを向けてくれたのは何やら料理中の光景。

 

「帰って来て今は夕食の準備をしています。朝と昼は夫に頼りっきりなので夜はなるべく私が作るようにしています。疲れて結局夜も任せちゃうこともありますが」

 

 そう言いながら更識選手は食卓に料理を並べ、旦那さんと二人一緒に食べました。

 

「お味のほうはどう?」

 

 不安そうな更識選手に美味しいと答える旦那さん。 

 更識選手ご自身でも栄養バランスを気にしているというのが本当に分かる夕食。

 確かに美味しそうです。

 

「本当? よかった。カメラ回しながら作るとかって初めてだから変に緊張しちゃって」

 

 夕食の後、家事は分担。

 先に更識選手がお風呂に入り出て来た姿を見せてくれました。

 朝と別のパジャマ姿です。

 

「一時間ほどお風呂入ってました。お風呂はたっぷり全身入浴派で入っている間にアニメや特撮が好きなので撮ったのを流しながらタブレットで簡単に書類チェックしたりリラックスタイムを満喫してます」

 

 忙しそうにしていた朝とは違いゆっくりとした時間を過ごしているご様子。

 

「風呂を出たらマッサージがてらストレッチをしてます。これが結構重要で怠ると次の日の身体の調子に出ます。お風呂上りにやってるスキンケアも紹介したほうがいいんでしょうか? いらなかったからカットお願いします。ええっと……」

 

 一つ一つ丁寧に更識選手は紹介してくれます。

 美人アスリートとしても人気のある更識選手がどんな風にスキンケアをして、その時どのような道具を使っているのか気になっている人も多いはず。

 これは嬉しいですし、見ている側として勉強になります。

 

「その後はフリータイム。好きなことをしたり明日の準備をして寝る直前に弐式と二人で瞑想します。今日一日を振り返ったり、反省点を見つめたりしながら明日に向けて精神統一をして遅くても大体二十三時には寝るようにしてます。八時間睡眠を意識していて、睡眠の質を高めることで次のパフォーマンスもよくしていきたいので」

 

 身体を気遣った食事に圧倒かつ濃密な練習量。

 そして、眠る時までパフォーマンス向上を意識した睡眠。

 怒涛のスケジュールを更識選手が過ごしているのがよく分かりました。

 

「といった感じに一日を過ごしてます。日によって取材とかの仕事をする日もありますがこういう感じの日がほとんどです。自分でカメラを回して一日を紹介するというのは初めてで拙くお見苦しいところがあったと思いますが、見ていただけた皆さんが少しでも楽しんでいただけりすると嬉しいです。日本代表IS選手の更識選手でした。本日はありがとうございました。おやすみなさい」

 

 いかがだったでしょうか?

 今回、更識選手の目線で見る一日密着をお送りました。

 何だか親近感が湧いたひと時。これからも頑張ってほしいですね。応援してます!

 




定期的にメカ以外の側面のISを追求したくなる結果こうなった
ちなみに簪と千冬さんのやり取りが特に視聴率よかったです


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【車窓と旅情と簪の隣にて】更識簪

緑色、夏色、車窓からホームにて

 

 

 ガタン、ゴトン。

 電車が揺れる。目的地へと向けて走る。

 

 カタン、コトン

 窓から見える景色は続く。田畑が綺麗な緑の絨毯を作り、いくつもある雲の隙間から見える青空、太陽の光が心地いい。

 

「のどかで綺麗。天気もいい。遠回りして正解だね」

 

 向かいに座る簪がぽつりとそう言った。

 

 今、簪と旅行している最中。

 ここ最近はいろいろなことがあり、オフの日に遠出してなかった。休日の今日ぐらい普段みたいに過ごすのではなく久しぶりに遠くの方へと旅行でもしようということになった。

 今回は目的地の宿に行くのだけが目的ではない。旅の途中も楽しそもうということで新幹線とタクシー一本で済むところをあえて遠回りして向かっている。

 時間もかかって、乗り換えも何度かすることはになるがこういうのも旅の醍醐味。というわけでで今はこうして電車に揺れている。

 

「そう言えば旅行もだけど……こうやって乗り物乗りながらゆっくり外の景色眺めるの久しぶりだよね」

 

 言われてみれば確かに。

 

 乗り物に乗って遠出しても飛行機や新幹線が多く、移動中は簡単に出来る作業をしていたりだとかで景色なんてほとんど見ない。

 見てもチラっと程度。こうしてゆっくりじっくり外の景色を眺めるのは本当に久しい。

 

「今緑いっぱい続いてるけどさっき見た川も綺麗でよかったなぁ。山と山の間に川が流れてて風流っていうか」

 

 ここに来るまでに川も通ってきた。

 山と山にかかる鉄橋。その下には川が流れ、今見ているここの青々とした緑とはまた違った青々とした緑が水面に映っていてよかった。都会にいると中々見れない光景。そういう所を走って見れる景色は電車ならではだ。

 これからはただの移動でももう少し外の風景に意識を向けてみるか。

 

「意識してなかっただけで素敵な風景いっぱいありそうだもんね」

 

 今回の旅行だってまだまだ違った景色は車窓から沢山見れる。

 

「そうだね、宿の近くは海だったけ? 着いたら夕方頃のはず……楽しみ――……あっ」

 

 聞こえてきたのは停車駅を告げるアナウンス。

 そこで降りた。当然着いたわけではない。また何度目かの乗り換えがある。

 とは言え、次の電車が来るまで結構な時間がある。待つしかない。

 しかし、外は暑い。季節的には初夏と言えなくはない。しかも、梅雨の時期はまだやってきてないのにこの暑さ。日陰にいるおかげで直接太陽の日差しを浴びてないからマシではあるがそれでも暑いものは暑い。

 

「電車の中快適だったせいか余計に暑く感じちゃうね。朝出た時ちょっぴり寒かったし、調節できる服着てきてよかった」

 

 そう言う簪の服装は白のノースリーブにベージュ色のスカート。そして、麦わら帽子。

 先ほどまでは透明感のあるカーディガンを羽織っていた。今日の服装いいな。可愛い。

 

「えへへ、ありがとう。久しぶりの遠出デートだからね、気合入れたもの」

 

 嬉しそうにはにかむ簪の笑みは服装によく映えて可愛い。

 

「でも、まだ二十分ちょっとしか経ってないのか。何というか……ね」

 

 暇だな。

 ホームのベンチに座りながら簪とぼやく。

 

 暇と言えるほど待ち時間があり、スマホとかで時間を潰すのは早々に飽きが来ている。加えて外は中々の気温。ぼーっとしてるのもそれはそれで……といった感じ。

 どう待ち時間を潰そうか。辺りを見渡す。

 のどこな田舎にある静かな駅。ホームには同じように電車を待つ人達がちらほらと居ている。

 そして、珍しくホームの中に売店がある。きっちりしたものではなく、夏祭りの出店のような感じでテントの下にクーラーボックスが置いてある。

 幟には『飲み物・アイス! 冷えてます!』という文字。アイスか……見てると何だか。

 

「食べたくなってたってところでしょ。ふふ、実は私も。あーでも、一つ丸々食べきれる自信ない……」

 

 なら、アイスは一つだけ買って半分こだ。

 ちょっと食べたいだけたからそれでいい。

 

「そういう事ならお言葉に甘えて。じゃ、買いに行こ」

 

 二人一緒に売店へと向かう。

 

「いらっしゃ~い」

 

 店主はお年を召した女の人。

 クーラーボックスには飲み物、 アイスケースにはアイスが冷やされ置かれている。

 たくさん種類があって味も豊富。どれにしようか、二人で食べることだしここは簪に任せよう。

 

「私が? んーじゃあ、すみません。これとこれ飲み物と、後このカップのバニラアイス一つ」

「はいよ。お兄さんの分は?」

 

 聞かれて、今選んだアイスを二人で食べることを説明する。

 

「二人でか~仲良し夫婦やね。だったら、こっちのほうがええと思うよ」

 

 そう言って出してくれたのは某アイスが二つくっ付いて一つになったミルクキャンディー。

 地方限定アイスらしい。こういうタイプって今でもあるところにはあるんだ。そんなに大きくはないからこれだと二人で半分こにしても丁度いいサイズになる。

 

「今日は暑いから溶けるのには気を付けんさい。お二人さん見てるだけでラブラブのアツアツやから早よ溶けてしまうかもしれんしね」

「はぅ……ど、どうもっ」

 

 突然の不意打ちにはまだまだ弱い簪。

 驚いて照れたように頬は赤い。

 なんてからかわれたりしたが無事購入。

 元いたところに戻って早速開けてみる。

 

「本当に二つくっ付いてるんだ……」

 

 不思議そうに見てくる簪を横目にアイスをパキンって割り半分こに。

 

「いい音。ん、ありがとう。じゃあ、いただきます……はぁ~、冷たくて甘い」

 

 受け取ったアイスを一口食べるなり簪は頬を蕩けさせた。

 口の中に広がるミルクは甘くて優しい。つられて口角が上がった。

 

「こうして暑い日に駅のホームでアイスって何だか乙だよね」

 

 簪が嬉しそうに笑っていうものだから、こちらまで嬉しくなって笑う。

 遠くの方から聞こえる蝉の鳴き声、夏の音。

 ただ外でアイスを食べているだけなのに、他のことで時間を潰しているよりも二人でこうしているほうがどこか楽しい。

 

 

 

 

茜色、車窓から簪までを染めて照らして

 

 

 ガタン、ゴトン。

 電車が揺れる。目的地へと向けて走る。

 

 カタン、コトン

 窓から見える景色は続く。外はもうすっかり夕暮れ時。夕日が景色を茜色に染める。

 

 アイスを食べた後電車に乗り、また乗り換えを繰り返してようやく最後の電車。

 次で目的地の駅に着く。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 長旅で疲れてしまったのか隣にいる簪は眠ってしまっている。

 こちらの肩に頭を預け寝息を立てながらぐっすりだがそろそろ着く。可哀想ではあるが起こさないと。

 見てほしい景色もある。

 

「ん……んんっ、ぁ……ごめんなさい、寝ちゃってた……」

 

 すんなり起きてくれただけで充分。

 それよりも外の景色を見てほしい。窓の外を指した。

 

「外ぉ? わぁっ……!」

 

 眠そうな目をしている簪だが外の景色を見るなり、ぱぁっと目を輝かせた。

 

 車窓から見える海は夕日に照らされ、水面がキラキラと宝石みたいに輝いている。

 水面に映った夕日が一筋の柱のように伸びて綺麗だ。幻想的な光景がそこにはあった。

 

「……」

 

 あまりの絶景に言葉を失うほど簪は見惚れている。

 楽しみにしてたもんな。見せられてよかった。

 

 こちらに気づくと簪はくすりと笑う。

 

「海……凄いね、本当幻想的で綺麗。凄すぎてあんまり言葉出てこない。こんな風にオレンジ色で染まるんだ」

 

 本来青いだろう海はオレンジ色のスプレーを吹きかけたように色づき目を奪ってくる。

 だが、それよりも目を奪われるものがあった。

 

「宿からの景色もいいらしいから楽しみだね」

 

 夕陽の光で受けてキラキラと輝く簪の瞳のあまりに綺麗さから目を反らせないでいた。

 




活動報告に書き込みの合った旅行途中の旅情をテーマに描きました。
旅行、旅先で云々はたくさん書いた気がするのでこんな旅の途中だったらいいなってな感じで。


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簪達とIS学園のプールを

アキブレでスクール水着の簪が出てきた時は感動した

後、もう少し学生時代の話も書きたい今日この頃です


「プール入りたくねぇか?」

 

 一夏がまた突拍子もないことを言い出した。

 無視する。ここで相手をすれば折角今生徒会室でしている生徒会の仕事が止まる。

 同じくメンバーである簪も無視。このまま相手しなければいいが、そうは問屋が卸さない。反応してしまう奴はいる。

 仕事が回されず一人暇していた本音が喜々として食いついてしまった。

 

「おープ~ルいいね~! 今年からこの時期の体育、プールになったもんね! 楽しいよ~!」

 

 一夏がプールの話題を出したのはこれが関係しているだろうな。

 IS学園は一年生であらゆる基礎を学ぶと二年生からは本格的且つより専門的にISについて学ぶ。

 それは操縦科、整備科に別れるISの分野だけでなく一般教科においても言える。

 本音が言ったように今年からこの今の時期だけ体育の授業内容がプールになった。基礎体力の向上だとか多次元的な動きを学ぶ為だとかいう学習目的らしい。

 

「いいよぁ、プール。男子だけ別で自習……模擬戦だし」

 

 体育の時間、男子はプールではなく別に自習。自習という名の模擬戦漬け。

 そうなった理由はまあ、言うまでもない。

 

「ってことでプール入りたくねぇか?」

 

 同じことをまた言ってきた。

 しかも、今度は明らか簪と俺を見ながら。

 本音が食いついてしまった以上、無視したところでガンガン絡まれる。ここは一言で済ませる。

 

「別に入りたくない」

 

 奇しくも簪と言った言葉が重なった。

 

「こんなところまでカブるなんてかんちゃん達ラブラブ~! ひゅーひゅー!」

「茶化さない。私は授業でプール入ってるから別に必要ないもの」

「あーそれは一理ある。だったら、お前はなんでなんだよ。俺と一緒に模擬戦漬けだろ」

 

 別に深い理由はない。

 一夏みたいに連日猛暑が続いているからプールにでも入ってさっぱりしたいというのもない。IS学園はどこにも空調が行き届いていて快適。

 女子がプールに入って体育の授業を受けている間、男子は模擬戦漬けなのもそれはそれ。中学では男女別々だった、女子がプールの時男子は体育。 俺達二人だけに授業の時間を割けない。

 むしろ、機体を動かす時間が増えたのはありがたい。

 一夏も俺も一応納得していたはずだ。

 

「それはそうだけどさ……やっぱり、入りたいじゃんかプール」

「だったら、本島にあるウォーターワールドに行けばいいでしょう? 本音と二人で」

「かんちゃん、つれな~い! 生徒会の皆で行こうよー!」

「皆で行かないと楽しいものも楽しくないだろ。というか、この時期あそこいつも混んでるっぽいから行くなら人数多いがいいしな」

 

 何にせよ目の前の仕事を片付けないことには始まらない。

 

「そうだけどさぁ……プール……」

 

 諦めきれない一夏がぼやいた時だった。

 

「その願い、私が叶えてあげましょう!」

 

 聞き覚えのある声がした。

 反射的に振り向くとそこには見覚えのある姿があった。

 

「この更識楯無に任せない! 私にいい考えがあるわ!」

 

 生徒会室の入り口に凭れながらいたのは楯無さん。

 口元を隠すように開かれた扇には『奇策名案』の文字が。

 ああ……何だろう……。

 

「どうせまた変なことを」

 

 奇しくもまた簪と言った言葉が重なった。

 もうお互い苦笑いしするしかない。

 

「妹も弟も冷たいわね~折角、頑張ってる可愛い後輩たちにご褒美もってきたのに」

「ご褒美!?」

 

 また本音が食いついたのは、そして一夏もだった。

 

「まあ、便宜上は仕事なんだけどね。ほら、第二プールの整備点検が終わったでしょう?」

 

 第二プールは業者が入って整備点検が行われていた。

 

「実際にプールに入って問題ないか確かめましょう! パーッと遊んでね!」

「おお! 流石、楯無さんだぜ!」

「私達に出来ないことを平然とやってのける! 痺れる!」

 

 大盛り上がり。

 ちょっと待ってほしい。いいのか、そんなことをして。

 

「問題ないわ。ほら」

 

 楯無さんがつき出してきたのは一枚の書類。

 そこには第二プールの使用許可が書かれており、使用目的は整備点検後の安全性の確認。メンバーは楯無さんを入れた俺達の名前が書かれており、きっちりと学校側の許しを得た印まで押されている。

 

「本物だよね……偽造じゃない」

「酷くない? 折角、ご褒美貰って来たのに。まあ、いいわ。ということで新しいお仕事よ! おもっきり遊びましょう!」

 

 何だか矛盾したことを言ってる。

 

「うわぁっ! ちょ、ちょっとっお姉ちゃんっ!」

「善は急げ。さっさとプール行くわよ!」

 

 動こうとしない簪と俺にじれったくなったのか楯無さんは俺達二人の手を掴んで連れていこうとする。

 まだ仕事が残ってるんだが。

 

「急ぎの仕事じゃないでしょ? 早く仕事を終わらせるのも大事だけど息抜きも仕事のうちよ」

「そもそも着替えの水着が!」

「心配ご無用! 簪ちゃんの水着だとかは本音ちゃんに持ってきてもらうし、一夏君や弟君の海パンは私の方で用意したから問題なし! この更識楯無に抜かりないわ!」

 

 左様で。

 

「では、ゆくぞー!」

「おおっー!」

 

 簪と俺は本音と一夏それぞれにもう片方の腕を掴まれ逃げ道を掴まれたまま連行されていく。

 ここまで来たらどうしようもない。

 流れに身を任せるしかしかない。プールだけに。

 

「上手い……人生、諦めが肝心な時もあるからね……」

 

 そのうち簪と俺は考えるのをやめた。

 

 

 

 

「IS学園のプールってこんな感じなんだな」

 

 海パン姿で一夏は物珍しそうに辺りを見渡す。

 無理もない。

 あの後着替えて第二プールへとやってきたのだが、ここは勿論IS学園のプールそのものに来るのは初めてだ。

 

「流石IS学園って感じだよな。綺麗で何か豪華っぽいしよ」

 

 言ってることは漠然としているが言わんとすることは分かる。

 ここにも金がかけられているのが見ているだけで分かる。

 最新鋭の多設備が充実して、水温は自由自在に調節可能。オマケに天井が開閉式だ。

 

「皆来るまで準備体操しとかないとな」

 

 そう言った一夏と準備体操をしながら簪達がやってくるのを待つこと数分。

 

「おーまたーせ~」

 

 本音を先頭に簪達がやってきた。

 

「おおっ」

 

 感心した声をもらす一夏の視線の先には本音。

 本音の一部分に一夏は釘付けだ。目立つから目を奪われるのも無理ないが見すぎだ。

 オマケに鼻の下伸びてるぞ。

 

「や~ん、おりむーのえっち~」

「なっ!?」

「一夏君もちゃんと男の子よね」

「た、楯無さんまで……お前なぁ」

 

 抗議の視線が一夏から向けられたがどこ吹く風で躱す。

 

 俺が視線を向けるのは簪。

 本音や楯無さんと同じく学校指定の黒いスクール水着を身に纏っている。

 何度か見たことはあるが本当に何度か程度なので新鮮でいいな。しかし、簪は見られ慣れてないのか照れくさそうにモジモジとしている。可愛い。

 

「そ、そういう可愛いはいらないからっ。まあ、その、ありがとうっ……」

 

 こういう簪を見るのは久しぶりかもしれない。

 この点については楯無さんに感謝しなければ。

 

「もうっ、そこはすぐイチャイチャしないのっ。準備体操したら遊ぶわよ! 浮き輪にビーチボール持ってきてるんだから」

 

 本当にビーチボールに浮き輪などいろいろ持って来てある。

 相変わらず用意いいな。

 

 簪達も準備体操を終わらせると早速プールに入っていく。

 肌に感じる水は冷たい。ぞわっとするこの感覚懐かしい。

 簪に手を差し伸べ杖代わりにしてもらう。

 

「ちゅめたっ」

 

 足先から水につけて簪は肩まで入るとぶるっと身を捩った。

 冷たいがわりとすぐに慣れてきた。水温調節が効いてきたんだろうか。

 生徒会室も涼しくて快適だったがプールはまた違った涼しさと快適さがある。

 

「ん……気持ちいい。プールでゆっくりするの久しぶり」

 

 簪は仰向けでプールに浮かびながらそう言う。

 俺も同じように簪の隣で浮かぶ。

 授業で入るプールはゆっくりできないのか。授業だから当たり前と言えば当たり前だが自由時間あると簪から以前聞いた事がある。

 

「ここのところ担当の先生、織斑先生だから」

 

 すべて理解した。

 基本的に時間いっぱいに授業をするのが織斑先生。

 結構ハードな為、授業終わり10分自由時間があってもヘトヘトで遊ぶどころじゃなくなる。それでも人気があるのだから、織斑先生は凄い。

 

「山田先生とか他の先生だと皆ふざけたり遊んだりしちゃうから丁度いいのかもね」

 

 飴と鞭みたい、正しく。

 

 二人で並びながらぷかぷかと浮かびプールを漂う。

 別に別に流されてはぐれないように手を繋ぎながら。

 思えば、プールをこんな少人数だけで入ったの初めてだ。

 レジャーランドは勿論、学校のプールなんてまさに。

 

「ちょっぴり特別な感じだよね」

「そう言ってもらえるのなら連れてきた甲斐あるわ」

 

 いつの間にかぷかぷか浮かぶ俺達の頭上に楯無さんがいた。

 上から覗き込まれるとビビる。そうも笑みを向けられると余計に

 というか、頭掴まないでくれ。離してほしい。

 

「ふふっ、だ~め。妹も弟もお姉ちゃんほっといてイチャイチャするんだから」

「じゃあ、あれはいいの……」

 

 簪が何かを見ながら言った。

 何かとは一夏と本音達以外いないし、騒いでいるのが聞こえてくる。

 頭を離してくれたので身体を起こして、簪が見た方向を見てみる。

 

「あはは~おりむ~こっちこっち~」

「待て、待てえ! アハハ~!」

 

 泳いで追いかけ合いっこをしていた。

 また何ともというか。

 

「ね……こってこてというか」

「いいじゃない、二人が幸せそうなら……うん」

 

 楯無さんの顔には疲れが見えたな。

 

「逃げてきたんだ……」

 

 簪と同じことを言った。

 まあ、あの二人体力無尽蔵だからな。

 軽い気持ちで付き合うと結構な確率で地獄を見る。ソースは簪と俺。

 

「そ、そんな目で見ないでよもうっ! さあ、簪ちゃん達もたくさん遊ぶわよ!」

 

 バシャと波打つ水面。

 プールの水を顔面にかけられた。

 

「あははっ、いい顔になったわよ!」

「大丈夫!?」

 

 心配してくれる簪と楽しそうに笑う楯無さん。

 いいだろう。相手になってやる。

 

「ぷはっ! やったわね! この更識楯無容赦しないわ! ほら、簪ちゃんも!」

「ちょっ! もう、お姉ちゃん! ひゃん!? あなたまでちょっ! あはははっ! やめてやめてっ、冷たいって!」

「あら? 簪ちゃん、更識の女がやられっぱなしでいいのかしら?」

「言ったねお姉ちゃん、後悔しても知らないから! あなたもずぶ濡れにしてあげる! えいえい、えいっ! あはっ、ふふっ!」

 

 何だかんだ嬉しそうに笑って簪も楽しんでくれた。

 その後一夏と本音も合流して、ビーチボールで遊んだり、誰が一番早く泳げるのか競ったりしてIS学園のプールを満喫したのだった。

 




一夏と本音カップル出してダブルデート的なノリをしようとしたら
いつの間にかスクール水着簪可愛い!最高!で書き終えていた件について
恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…


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簪と雨と傘と虹

最近、雨の日が多いのでこんな話を

ハーメルンにここすきボタンというものが実装されたのでお気軽に連打していただければ幸いです。


「本当、ついてない」

 

 隣で簪が愚痴る。

 愚痴りしたくなる気持ちはよく分かる。俺だってそうだ。

 折角の遠出からIS学園への帰り道。突然雨が降ってきてずぶ濡れになったのだから。

 

「天気予報じゃ晴れだったのにね……」

 

 晴れも晴れ、一日中大晴れの予報。

 確かにIS学園と寮を出た時は晴れていたが、帰り道を歩いていると振り出してきた雨。それも一瞬で大雨へと変わり、今こうして適当な屋根の下で雨宿りという名の避難を余儀なくされている。

 激しく降りしきる雨。雨粒自体大粒で遠くの様子が見えづらくなっている。

 

「少しはマシになってくれるといいいけど……」

 

 マシになってくれないことにはどうしようもない。

 今はこの屋根下で様子を見守るしか。

 

「はぁ……」

 

 溜息にも似た声を漏らしながら簪はタオルで濡れた身体を拭く。

 

「ん、何……?」

 

 ぼんやり簪の姿を見ていたら声をかけられたので適当なことを言いごまかす。

 髪、頬、そして身体。雨粒が滴るのを拭く簪の姿、その仕草は何だか艶っぽい。

 ドキッとして見惚れていたわけだが、そんなことを口にするのはどうか。言われてもってところだろう。だがしかし。

 

「えっち……」

 

 ジト目を向けてそう言う簪。

 言わずとも気づいたようだ。

 そうなると観念して苦笑いするしかなく、簪からは悪戯な笑みが返ってきた。

 

「ふふっ……そうだ、ちょっと屈んで」

 

 言われた通りに屈む。

 何をする気だ。次に感じたのは頭、髪を何かで触られる感触。

 それはタオルだった。先ほどまで簪が自分を拭いていたタオルを使って簪に髪を拭かれている。

 

「タオル一つしかなくて私の後で悪いけど濡れたままはよくないから」

 

 周りに人がいなくても外で頭を拭かれるというのは少々気恥しいが悪くはない。

 身をゆだねる。

 

「ふふ~んっ」

 

 髪が終わると服の上からではあるが体まで拭いてくれる。

 楽しそうに歌う簪の鼻歌がしとしと降り続く雨の音と合わさって心地いい。

 

「よし、拭けた。あ……雨、大分マシになってきたね」

 

 未だ雨は降り続いているが、ここへ避難してきた時よりも小雨になってきている。

 これならもう少し待てば止む可能性も出てきた。たた雲の様子は結構怪しい。また振り出してきそうな感じもある。

 

「動くなら今がチャンスだよね」

 

 今なら傘を指して帰りの駅まで行ける。ここからそんなに距離はない。ただし傘は折り畳み傘が一本のみ。

 となると選択肢は一つになってくる。タオルを鞄にしまうと簪と二人で一つの傘を指して、屋根の下から出た。

 

「もっと中に入って。また肩濡れる」

 

 傘を持つ腕を組まれると内側へと軽く引っ張られる。

 おかげで濡れることは少なくなった。

 二人で傘を指すこと自体そんな経験もなければ、そもそも傘を指す機会が少ない。

 

「最近、雨降ってなかったし。そもそも学園生活というか寮生活だと傘指すそんなに機会すらないからね」

 

 基本的な生活は学園や寮がある島で完結している。

 それに建物と建物が中で繋がってたり、外出ても小走りで済んだりとかそういうのが常。

 傘はあるにはあるけど返って邪魔になり、邪魔くさく感じてしまう。

 

「それでも折り畳み傘はちゃんと持つようにしないと。あなたが持ってなかったらどうなってたことか」

 

 いまだ小雨ではあるがそれでも傘がなければ歩けなかった。

 

 雨が強まる気配はない。

 雨の中を二人一つの傘に入りながら歩いていると駅までの距離が段々短くなる。

 傘があるとは言え、いつまでも雨の中にはいられないからいいことではあるはずなのに何だか。

 

「ね、ちょっぴり名残惜しいというか。もうちょっとこうしてたいよね」

 

 同意するように頷く。

 雨の日に傘を差すことはあっても、二人で一つの傘をさすことはない。

 「何だか私達二人だけの雨の世界って感じする。って、もうすぐ笑う。確かにポエムみたいなこと言っちゃったけど もうっふふふっ」

 

 楽しそうに笑う。

 連れてこちらまで楽しくなって笑う。

 簪の表現は言い得て妙。雨の日さまさま。

 

「たまにならこういう雨の日も悪くないよね」

 

 弾むような声と共に腕は組み直された。

 ずぶ濡れになって嫌気がさしていた雨でも状況と感じた、考え方を変えるだけでこんなにも楽しいものになる。

 

 そうして歩いていると駅に着いた。

 名残り惜しいが傘はここまで。閉じて傘に着いた雨を払っていると簪に肩を叩かれた。

 

「ねぇねぇ」

 

 上の方を指していて、空を見上げると。

 

「ほら、虹」

 

 空にかかる大きくて綺麗な七色の虹。

 つい先ほどまで大雨だったが嘘みたいに晴れ空は青く澄み渡っていた。

 

「綺麗……!」

 

 虹は日の光に照らされてキラキラと輝く。

 空を見上げて虹を見る簪の目もまたキラキラ輝いて綺麗だった。

 いつぶりだろうか。虹なんて久しぶりに見た。

 

「私も。虹なんてそんなに見られないからね。見れてよかった。ずぶ濡れにはなっちゃったけどいろいろあって本当雨さまさまだね」

 

 雨宿りに相合傘、そして虹。

 雨の帰り道も出来事は豊富。

 何だかんだ簪と一緒に楽しめたそんな雨の日。

 




※追記 ここすきボタン押してくれた方ありがとうございます!どの部分を好きになってくれたのか可視化できるので凄く嬉しいです!まだの方いましたら連打お待ちしております


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あなたじゃなくてもよかったかもしれなくても私はあなたがいい

「でその時おりむーがしてくれたことが本当に嬉しくって!」

「相変わらずアツアツなことで」

「ねーってか、学生の頃より惚気レベルアップしてるよ」

「うん、久しぶりでも変わらない」

 

 本音の惚気話を聞いて皆で楽しく呆れる。

 皆というのは清香とさゆか。

 今日集まれたのはこの二人。IS学園卒業以来、今みたいにこうして喫茶店とかでお茶をすることが度々ある。前回から久しぶりに集まって、まずはお互いの近況報告。話していくうちに恋バナみたいなものになっていく。

 皆恋人がいるので内容はもっぱら恋人とのこと。今話してる本音みたく惚気話になるのがお決まりの流れ。

 

「そう言えば、清香はどうなの? 文通でやりとりしてたらしい中学の同級生とは」

「簪、それ聞いちゃう? 聞いちゃうか~まあ折角だから話してあげちゃうか~」

「めっちゃ話したそうじゃん」

「折角だから話しちゃいなよー!」

 

 聞いてほしそうな顔をする清香。

 それを見て笑うさゆか。催促する本音。

 これもいつもの流れ。

 

 1年1組の人達……というか、本音の友達として知り合った皆とはもうすっかり友達。

 今では下の名前で呼び合う仲となった。

 

「ずっと聞いてばかりだけど簪はないの?」

「ないのって……私も惚気ろってこと?」

 

 私がそう言うと皆言葉なく一斉に頷いた。

 いい顔してる。言葉がないからこそ無言の圧を感じる。

 早く惚気ろと圧が凄い。

 

「そう言われても……」

 

 困った。急に惚気話なんて出てこない。

 惚気話しろって言われてするものではないはず。

 皆が聞きたいのは何気なく話したことが惚気に聞こえるって話だろうし。

 

「惚気話……うーん……」

「悩みだしちゃったよ」

「まあ、簪達は昔から控えめだったからね。本音と織斑君達のほうが目立ってたってのはあったけど」

「そーかな~? そんなことなかったと思うけど~」

「いやあったから! あんだけイチャついてたのに今でも自覚ないとかコワっ!」

 

 清香のツッコミにさゆかと一緒になって頷く。

 自覚ないのがまた本音らしい。

 でも、ツッコミたくなるほど本音と織斑はイチャついていた。おかげでそっちに注目がいって私達が目立たなかったのはありがたかったけど。

 

「というか、同じくらい織斑君達男子二人の仲もよく注目の的だったじゃん」

「あったね。同級生には本音や簪との仲は有名だったけどそうじゃない上級生とか下級生には織斑君達男子二人はいい妄想のタネだったよね」

「あ~懐かしいねー」

「あー……」

 

 本音は笑って懐かしんでいるけど、私は何とも言えない声を出すしかなかった。

 そんなことあった。確かに懐かしい。

 そういう性癖に理解がないわけじゃないけど、私の性癖には刺さらない。というか、そもそも自分の彼氏でそういう妄想は何とも言えなさがある。だからこそのこの反応。

 

「まあ、男の子はおりむー達二人しかなかったしそういう風に見えるのも仕方のなかったのかもね~IS学園みたいなところだとしぜーんと仲は深まるだろうし、かんちゃんの彼氏君がおりむーの友達でいてくれてよかったって今でも思うな~」

「それは確かにそうだね」

 

 私も織斑が彼の友達でよかったって思う。

 IS学園みたいな異性ばかりの環境だと同性の存在は大きく、ありがたいものだと彼は言っていた。それはよく分かる。

 それに私が同性の本音なら話せる話があるように、彼にも同性の織斑なら話せる話はある。だから、そういう存在は大切。

 

 なので学園を卒業した今でも変わらず彼と織斑は仲がいい。

 ついこの間も二人でご飯食べたり、遊びに行ってたりしてたほど。

 

「おかげでおりむー昔と比べてよくなってきたもん」

「例えば?」

「気づいてほしくないことには敏感なのに自分の向けられる気持ちには鈍いところとかね。それでいろいろあったんだよー」

「あーなるほど」

「確かに織斑君そういうところありそう」

 

 清香もさゆかも満場一致で納得していた。

 

 そこが織斑の良さではあるけど、本音にすれば心配の種。

 優しいと言えるんだろうけど、私にしてみれば甘いだけ。

 まあだからこそ今でも変わらず織斑はモテるのだろう。相変わらず女たらしだけど。

 

「自分のこと一番後に後回しにして、他の人のことばかり気遣って人一倍自分以外の人の為に頑張るのに、自分のことで他の人が苦労するのとか凄い嫌うからそれでいろいろ揉めたりとかあったんだよね~。おりむー本当幸せになるのが下手な人だから」

「へぇー何か以外」

「本音と織斑君がそういう風になってるの全然想像つかないや。でも、よくなったんだ」

「もちろ~んっ! かんちゃんやかんちゃんの彼氏君達のおかげでね。おりむー自身がどうしたいのかちゃんと考えるようになってくれたし、自分が幸せになることもちゃんと望んでくれるようになってくれてるから。幸せになるのならまずは自分からでしょ? 私がおりむー幸せにするから!」

 

 本音が懐かしんで言うものだから私まで懐かしくなってきた。

 織斑がそうなるまでいろいろあったなぁ。本当にいろいろと。

 

「何か簪まで懐かしんでるけど簪は彼と出会って変わったこととかないの?」

「私……? それは勿論あるよ」

 

 変わったことだらけ。

 例を挙げればキリがないけど強いて言うのなら。

 

「ちゃんと進んでいけるようになれたかな。それから柔軟になれた。こういう考え方もこういう方法あるんだって。許せるようになったってのとは違うんだけどどんなことに対してもそういうものなんだって思えるようになった」

 

 昔の私はあまりにも視野が狭かった。

 目の前のことしか見えなくて、これはこうしなくちゃって思いでいっぱいだった。

 でも、彼と出会っていろいろな考えや考え方があることを改めて認められるようになって凄く柔軟になれた。世界が広がったって言えばいいのかな。

 だから、私は進んでいけるようになれた。前にはもちろん、後ろにだって進んでいける。時には右に行ったり、左に行ったりしながらも渡しく進んでいく。前の進むだけが全てじゃないと彼と出会って知れたから。

 

「彼は隣を一緒に歩いてくれる人だから自分以外の人と考えを話したり共有できるし、意見を聞いて新しい考え方に気づける。こうしてみると変ったこと多いね」

「考え方似てるもんね~かんちゃん達って」

「そうかな。まあ、付き合い始めてもう何年にもなるから自然と似てくるのかも……こんな感じでいい?」

「全然OK! むしろ、そういうのだよ!」

「そうそう! そういう惚気もっと聞かせて!」

「えー……」

 

 一人だけ惚気話をせず黙秘を続けるのは悪い気がして話したけどやっぱり罠だった。

  そもそも自分から惚気話するっていうのは何かこう……言い表せないものを感じる。

 今の話はフリがあったから話せたけど、フリもなく自分から惚気るのはちょっと……。

 

「ドキドキ! ワクワク!」

「焦らさないで早く早く!」

「ほらほら!」

 

 本音を始め皆からの催促が激しい。

 一度惚気話をしたから逃げ道はない。

 いつまでも黙っているわけにもいかないし、こういう時は素直に話すに限る。彼が私と同じ状況なら話すだろうし。

 惚気……例えば……。

 

「惚気話かは分からないけど……彼の優しいところとか真剣で生真面目なところには助けられてる」

「ほうほう」

「例えば?」

 

 私はゆっくりを話しだす。

 

「私……頭の中では考えてることとか思ったこととか沢山あるけど表に出すの苦手で」

「うんうん」

「一緒に暮らしてる彼にも上手く伝えられなくてモヤモヤしちゃうことあるんけど、その度に彼は伝えられなかったことをちゃんと待ってくれて、どんな言葉でもはしっかりと受け止めてくれる。時には笑っちゃうような馬鹿なことでも一緒になって真剣に彼らしく生真面目に考えてくれる。彼の誠実さと優しさには助けられてよく嬉し泣きさせられちゃうな……って」

 

 彼と出会ってから昔よりかは自分の思ってることを伝えられるようになったけどそれでもマシになった程度。

 今言ったみたいに上手く伝えられなくてモヤモヤしちゃうことは今でもある。いつでも彼は隣で寄り添ってくれる人だから話を聞いてくれて、一緒に考えてもくれる。

 その度に私の好きな人が彼でよかった。隣にいるのが彼でよかったと心底思う。

 

「ほお~ん」

「おおっ、中々威力のある惚気するねぇ~簪」

「いいね! いいね!」

 

 本音、さゆか、清香から微笑ましいものを見るような視線を向けられる。

 それどころにめちゃくちゃニヤニヤされてる。

 こうなるのはなんとなく分かっていたけど、恥ずかしいやらなんやらでいたたまれないなぁ。

 

「でも」

 

 本音がぽつりと話を切り出す。

 

「こうやって惚気話聞いてるとかんちゃんは本当に彼に助けられてるんだなってしみじみ~」

「確かに。打鉄弐式の完成とかも彼氏君がいなきゃダメだったんだよね?」

「それは……まあ、うん……」

「あら、意外な反応」

 

 清香の言葉を聞いて彼に言われたある言葉を思い出し、つい微妙な反応をしてしまった。

 

「確かに打鉄弐式が完成できたこととかいろいろ彼のおかげだと私も思うんだけど……彼に言われたことのあるの」

「なんて?」

「別におかげって言うほどのことはしてないし、きっかけさえあれば簪は自分がいなくても打鉄弐式を完成させて救われてたって。言われた時私納得しちゃった」

 

 言われて驚いたけど、彼ならこんなこと言ってもおかしくない。

 何よりも納得が強かった。

 

「えっ? 納得しちゃったんだ」

「だって私、諦め悪いから」

「あー……なるほどね」

 

 皆納得した。

 

 私は諦めが悪い。

 打鉄弐式の完成やお姉ちゃんに追いつくとかいろいろと目指していたことはあの時の私にとって全てだった。そう簡単には諦められない。なんとしてでも絶対に成し遂げようと必死になっていた。

 だから彼と出会わなくても救われなくても、私はどうにかして完成させてた。そうすれば代表候補として経験を積み、今と同じように国家代表だってなっていたかもしれない。そう私自身思えるからこそ言われた時、素直に納得することが出来た。

 それこそ極端な話、助けてくれたのが彼じゃなくても私は救われていたのかもとすら思う。それでも。

 

「だとしても私を救ってくれたのは彼だった」

 

 彼じゃなくてもっていうのはもしもの話。

 もしもの話は嫌いじゃないけど、結局考えの範疇を越えない。もしもの話だとしてもそれを今すぐ現実にできるものでなければ、もしもを確かめるすべもない。何より、私にとっての現実は今。

 あの時整備室に来たのは彼だったし、彼に話しかけたのは私からだった。それは今へと続く代えがたい大切な事実。

 

「今こうして隣にいてくれてるのが彼でよかった。生真面目な彼だけどやらなきゃいけないことはちゃんとやれて、今をよくしてこれからをもっとよくしていける尊敬できる人。これからも彼と一緒に生きていきたいって私はそう思うな」

 

 彼と出会わなくても私は打鉄弐式を完成させていたとしても。

 彼じゃなくても私は救われていたとしても。

 私は彼がいい。彼の隣が私が今いる幸せの場所だから。繋いだ彼の手を離したくない。何度だって彼と手を繋ぎ続けたい。そして、今をよくしてもっと彼と幸せになっていくんだ。

 それからちょっとした我が儘が許されるのなら彼も私がいいって思ってくれてたら嬉しい。

 

「……って……」

 

 ハッと我に返り、周りの様子に気が付いた。

 どうやらすっかり語ってしまったみたい。

 皆静かだ。というか、皆して口を手で覆って何してるんだろう?

 

「何やってるの?」

「何ってこっちの台詞だよ!」

「本当それ!  今日一番、いや過去一の惚気聞いた!」

「何だか聞いてるこっちのほうが恥ずかしくなっちゃうよー!」

 

 皆悶えながら一様に好き勝手言ってくれる。

 別に惚気たわけじゃないけど、そう言われると段々恥ずかしくなってくるけど。

 

「何とでも言って。別に隠すようなことじゃないもん」

「おおっ! 言うね!」

 

 茶化されるけど今更もう恥ずかしがったりはしない。

 それに言うなら言うでちゃんと言っておきたい。

 

「だって、大切のことだから」

 

 言いかけて誤魔化すようなことは大切にできてないみたいで嫌だ。

 言うならちゃんと言って大切にしていきたい。

 言うことで彼との今を、そして彼を大切にできるから。

 



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簪との変化

新年あけまくっていますけど今年もよろしくお願いします。
短くなっちゃいましたが新作をどうぞ。


 簪は綺麗だ。

 そう思わず、口にしてしまう。

 昔から簪は綺麗だが最近は更に綺麗になった。

 

「どうしたの、急に……」

 

 突然言ったものだから簪が訝しげな目を向けられてしまった。

 夜、風呂上りにしているスキンケア途中の手が止まるほどだ。

 確かに変なことを言っている自覚はある。だが、言いたくなった。それほどに簪は綺麗だ。

 

「もうっ、言いすぎ……でも、ありがとう」

 

 はにかみながら言う簪の綺麗さには可愛らしさもある。

 

「そうやってちゃんと言ってくれるの嬉しい。毎日スキンケアとかいろいろ頑張ってる甲斐ある」

 

 それはそうだ。

 簪は毎日、欠かさず頑張ってやっているのはよく見ている。

 ただやっているわけではなく使う化粧品や方法までこだわっているな。

 

「適当なものは使いたくないから。あーでも……」

 

 簪が何かポツリと何か思い出したように言った。

 

「昔の私じゃ考えられなかったな。こんな風に毎日スキンケアしてるのとか」

 

 昔はやってなかったとかそういうのではなくそもそも興味すらなかったかのような言い方。

 そう言えば、簪がこんな風にやるようになったのはいつからなんだろうか。IS学園を卒業して同棲するようになった頃にはもうしていたような。

 

「あなたと付き合うようになった頃からだね。それ以前は気にする余裕すらなかったってのもあるけど、あなたの前では綺麗でいたいからやるようになったかな」

 

 照れくさそうに簪は言ってくれた。

 そう思ってやってくれているのは嬉しい。

 

「化粧とかもそうだし、服とかでもお洒落するようになって好きになったのも付き合ってからだ」

 

 今では簪は自他共に認めるお洒落好きだ。

 それもよく調べて研究している。スタイルにまで気を使っているほどだ。

 

「そうやって考えると付き合ってから変わったこと多いかも」

 

 スキンケアを終えた簪がしみじみと言った。

 言われてみれば、俺も簪と付き合って変ったことは多いかもしれない。

 簪ほどではないが身だしなみはIS学園に入学した頃よりも付き合い始めてからの方が気にするようになった。俺も昔では考えられなかった。

 

「それからあなたは男子から男になったよね」

 

 どういう意味だ。

 

「いや悪い意味とかじゃなくて、あなたの身体つき初めてあった頃よりもがっしりとして逞しくなってるもの。学園卒業した今でも現役スポーツ選手レベルで鍛えてるし」

 

 そういうことか。

 入学していた頃からトレーニングをやるようになったが受動的だった。だが、簪と付き合い始めてからはトレーニングするにしてもより明確な目標を持って受動的にするようになった。

 意識改革があったのも付き合って変ったことだ。

 

 そういった内面的な変化は数知れずだが、身体のことで言うと料理もそうだ。

 簪と付き合い始めてしっかりした料理を始めるようになった。

 それどころか栄養面に気を遣うようにもなった。

 

「ああー……それは私もそうかも。同棲するようになって自分たちでやらなきゃいけなくなったのもあるだろうけど。まあ、今じゃあなたのほうが料理上手だけどね」

 

 そう拗ねないでほしい。

 俺の場合は簪のおかげで仕事にまで繋がっている。

 いい変化ばかりだ。

 

「ね。こうして変わっていけるのはさっき綺麗だって言ってくれたみたいにあなたが変化に気づいてくれて喜んでくれるおかげ。だから、もっと変わっていきたいって思える」

 

 簪の言う通りだ。

 変わっていくのは楽しくて、嬉しくて、気持ちいい。

 相手が気づいてくれて喜んでくれるのなら尚更。

 

「これからも変ったこと増やしていきたいね」

 



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