地上探検家の天界探訪記 (ぞなむす)
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一日目:来訪
西暦2032年9月22日
今日は記念すべき旅の始まりの日である。この旅で得たこと、学んだことを忘れないために、手記として残すことにする。
この手記の序章として、まずは私がこの旅を思い立った経緯を書き記しておく。
この5年間で世界は大きく変わった。『開門』と呼ばれる出来事によって、『天界人』が住む『天界』と我々『地上人』が住む『地上』は繋がったのだ。
原因はいまだ不明、一番有力とされている仮説は「天界と地上の存在による空間圧迫の波長が同調し、そこに偶然天界に存在する魔力による干渉が起き、空間が同期したことによって世界は繋がってしまった」というものだ。
専門家で無い私には如何ほども理解が出来ないところであるが、未開の土地が開けたというのはとても素晴らしい事に思われた(各世界の上層部の人々は慌てているようであったが)。彼らの慌てふためき様とは逆に、探検家である私の心が大いにときめくのも致し方の無いことであった。
それから5年もの間互いの世界による調整が行われ、そしてついに今日。私は天界の地に降り立った。
私としては早く冒険に駆け出したかった。しかし地上と天界を結ぶ『転移ゲート』というのはどうも相当に体力を消耗する代物であるらしい。
また天界のゲートと地上のゲートでは半日分のズレがある。つまり地上のゲート付近で昼ならば、天界のゲート付近では夜である。私は地上時間で夜の9時にゲートを通ったので、天界の時間は朝の9時ごろである。
そんなわけで私は疲労感と眠気でいっぱいだった。このような体調で未知の地を歩こうと思えるほど私は素人探検家ではない。
どうせ一日目は冒険の準備も必要であると自分を納得させ、私は地上と唯一繋がる町『ミッドガルド』で宿をとることにした。
この町は、球ではなく円の形をしていると言われている天界において中心付近に立地しており、地上に繋がる土地であるということもあってかなり栄えている。
地上と繋がる土地であるが故に、背中に白い翼を持つ小柄な天界人と、彼らより少しだけ体格のいい地上人(もちろん天界人にも大柄な人はいるし、地上人にも貧相な体つきのものもいるが)が入り混じっているのが見て取れた。
地上にしかみられない物質や技術が流れ込み、一部は地上の建築物と見紛う程の施設も存在する。
しかし5年程度ではそこまで文明化は進んでおらず、大半は天界の町並みを残しており、この町を巡るだけでも私の好奇心をくすぐられた。
本日宿泊する宿にチェックインして荷物を置き、少し町を探検することにした。
天界の町はさながらRPGの一場面のようで、なんとなく既視感を覚えたのは私が地上のゲーム文化に染まっているからだろう。
まず私は、天界で使えるように手持ちの金のほとんどを換金し、手近にあった雑貨屋で旅の必要物資を調達した。
天界に来るにあたって、旅に必要な最低限の道具(すなわち寝袋やライター、ナイフといった類のもの)は地上から持ち込んでいる。よって私が新たに買い足したのは食料品、それも保存食の類だった。
天界の食料はさして地上のものとは変わらなかった(この町が地上との接点であるからかもしれないが)。多少変な形をしたものはあったが、地上世界の各地を旅した私には大した驚きも無かった。
買い物を終えた私がまたしばらく歩いていると、今度は剣の形が彫り込まれた看板を見つけた。
聞いた話によると天界には魔物が出るらしく、それに相対するために武器の類も一般に販売されているという。私も護身用に銃の一つでも持ち込もうかと思っていたのだが、天界と地上界の間に結ばれた条約によってそれは叶わなかった。
少しの興味と、護身に役立つものがあるといいなという願望に押され、私は試しに中に入ってみた。
「いらっしゃい、ゆっくり見ていってくれよ」
と、歳は40過ぎであろう男性が声をかけてくれた。小さいながらもがっちりとした体つきと、大きく立派な翼を持った彼に軽く会釈をし、店の中を見渡した。
店には剣、斧、槍など、様々な武器が所狭しと並べられていた。こういったものは現代では美術品や歴史的資料としてしか存在せず、実用性重視の現役であるそれらに思わず目移りしてしまった。
しかし私は生まれてこの方そのようなものを振るったことがなく、そうしたものを買っても金の無駄にしかならないし、邪魔になるだけだ。
が、ナイフ程度ならと思い一つ購入することにした。実を言うと、サバイバルナイフは使い古した物を持っているのだが、やはり天界の物というのが私に興味を抱かせた。つまるところ、衝動買いである。
ということでかなり値が張ったが、刀身が赤いナイフ(『サラマンドラ』というらしい。大方私のようにこの町に来た地上人を対象にした商品なのだろう、無駄に名前が仰々しいのはご愛敬か)を購入した。
ナイフの柄は握りやすいよう凸凹がついており、刀身は真っすぐ、鞘は天界製の物質『ミスリル銀』で出来ているらしい。
しかし、なんといっても最大の特徴は、握った親指の辺りにあるボタンを押すと、刀身から火が吹き出ることだ。
店主曰く、この刀身は炎の魔石でできているらしい。ボタンを押すことで極小の魔方陣を生み出し、炎の力を具現化することが出来る技術を用いたものだそうだ。
天界の住民には余計なボタンかもしれないが、魔力など扱えない(研究によると地上人にも魔力が備わっているらしいが、今までそんなものとは無縁の世界に生きてきた我々にとって、それを操ることは至難の業であるそうだ)私には大変ありがたいものである。ライター付ナイフを手に入れたようなものだ。
また、この炎の魔石は一定量の力を具現化するとそれ以上は力を発揮できない。ちょうどガスが切れたライターのように。その時は刀身を火に突っ込むことで炎の力を充填することが出来るらしい。まったく、便利なものだ。
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一日目:魔法
購入した荷物を置きに一度宿に戻った後、また街を散策していると見慣れない看板の店があった。
入ってみると、まず感じたのは独特のニオイだった。香草や乾物、中には何かの死骸の臭いも混じっているのもわかったが、多種多様の臭いによってそれ以上のことはわからなかった。
店内は小さい窓から取り入れられるわずかな光のみで満ちていた。そんな中でも、彩り鮮やかな宝石のようなものや、気味の悪い骨董品のような物が置かれているのが見て取れた。
どうやらここが噂に聞く『魔法屋』なのだろう。
魔法屋とは読んで字のごとく、魔法に関する物を扱う店である。魔導書から呪物まで、少しでも魔法に関わるものならば全てこういった店に置かれているそうだ。
「いらっしゃい、何が欲しいんだい?」
物珍しさにあちこち見ていると、奥にいた老婆が声をかけてきた。どうやらこの店の主らしい。
歳はいくつだろうか、顔には深いしわが刻まれており、羽も艶を失っているようなに見えた。
私は興味本位で入っただけなので、特段買いたいものがあるわけでもなかった。それを素直に老婆に伝えると、彼女は私を頭のてっぺんからつま先までじろりと眺めて、
「……この本を読んでみな。特別に500Gで売ってやるよ」
と言った。
Gというのは「ゴールド」と読み、この世界の体外の場所で使える通貨である。ちなみに、この時の相場は「50円=1G」であり、つまりこの本は日本円にして2万5千円もするという。
流石にそれだけのものを衝動で買うだけの余裕はなかった。しかし無碍に断るというのも躊躇われたので、中を少し見てから決めることにした。
美しい刺繍が施された表紙をめくると、得体の知れない文字が記されていた。
私は天界に来るにあたって、ある程度こちらの言語は学んできたつもりだった。しかし、こんな表記は見たことが無い。
老婆は私の困惑を表情から読み取ったのか、
「それはルーン文字だよ。その文字に含まれる意味を知り、正しく理解することで魔法が使えるようになるのさ」
ルーン文字。私は前述したとおり子の文字に全く見覚えが無く、なんと読むのか皆目見当も付かなかった。しかしどうだろう、読めもしないのに意味だけが頭に流れ込んでくるではないか。
私はまだその本を購入してもないというのに、しばらく夢中になって読みふけった。
やがて一つの章を読み終えた時、体の中に力が巡るのを感じた。今までに感じたことの無い感覚に悶えながらも、私の口は勝手に、口笛でも吹く程度の感覚で文字を流した。
それはルーン。
気付けば、私の手から風が吹き、目の前にあったなにかの骨でできた置物を吹き飛ばしていた。
私は驚きで頭が一瞬真っ白になってしまった。しばらくしてようやく一つの実感を伴う確証を得た。これが『魔法』なのだと。
「そう、それが魔法だよ」
老婆はにたりと笑みながら短く言葉を紡いだ。すると、先ほど私が吹き飛ばし破壊した骨の置物がみるみるうちに修復されていく。これもやはり魔法なのだろう、なんとなく力の流れのようなものを感じることができた。
新たに生まれた感覚、視覚聴覚嗅覚触覚味覚のどれをも超越した、第六感とも違うそれに戸惑っていると、老婆が一枚の紙切れを投げてよこした。
「その力はきっとあんたの助けになるよ」
彼女はそう言うと、部屋の闇に紛れて消えた。いや、まだそこにいたのかもしれないが、少なくとも肉眼では確認できなくなってしまった。
私は部屋の闇に一礼をして、本の代金を置いてその店を後にすることにした。
その後、特に物珍しい光景に出くわすこともなく、宿に戻った。
荷物を整理しながら今日の出来事を反芻する。まさか私が魔法を使うことになろうとは思いもよらなかった。
老婆のよこした紙切れを見る。それによれば知識を得て、鍛錬すればもっと大きく様々な力が使えるとのことらしい。
しかし私は勉学のほうはあまり芳しくなく、加えて鍛錬する時間も惜しいので、時間があれば魔道書を読み返すにとどめることにした。
それから私は明日の準備を整え終えると、質素なベッドに体を横たえた。
さて、明日からいよいよ天界探検が始まるのだ。私は胸を期待に踊らせながら眠りについた。
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二日目:旅立ち
西暦2032年9月23日、天界暦1531年火の月第13日
カーテンの隙間から陽光が差し込み、朝の訪れを告げる。自然の呼びかけに答え目覚めた目は、寝起きとは思えないほど冴えていた。
それはそうだろう、今日から私の冒険が始まるのだ。
未知との出会いを前にして心が震えない人間はいないだろう。人に備わる知的探究心はそう易々とは抗えないものだ。
着替えを済ませ、きしむ廊下を歩いて階段に向かう、その動作さえわずらわしく思えた。一刻も早く冒険に出発したかった。
だが、飯を食わねばなんとやら。私は一階に併設された酒場で軽い朝食を頼んだ。
出てきたのは、地上世界を旅した私でさえも見たことの無い料理であった(まぁ、当然といえば当然なのだが)。
パンのようなものにトカゲのような生き物の姿焼き、そしてとろりとした真っ黒なスープ。これはなんなのかと店主に問うと、どうもこの地方ではよく食べられている朝食らしい。恐る恐るそれらを口に運ぶと、意外にも美味であった。
朝食を済ませた私は部屋に戻り、荷物をまとめた。といっても、リュックサックに最低限外に出してあった物を詰め込むだけなのでさほど時間はかからなかった。
期待と不安が入り混じるこの独特の感覚はいまだに飽きることがない。そういった点でも私は探検家に向いているのだろう。
宿の店主に別れを告げ、針路を北に取った。
天界は人間界のように町と町を繋ぐ道路が舗装されているということは無く、あってもせいぜい石畳ぐらいである。酷い場所では、道が途中で途切れていて、見渡す限りに草原が広がっている。
また、天界には正確な地図が存在しない。正確な距離を測る術が開発されていないためである。
別に私にとってはさほど苦という訳ではない。様々な遺跡を探検した私にとってこの程度の道は難なく渡っていけるし、方位磁針と適当な地図を合わせれば寸分の狂いも無く街に辿り着けるので問題は無い。
しかし、そういったスキルの無い一般の市民は、お互い大体の場所しか分からないので、毎年行方不明者が後を絶たないそうである。
そこで今回の旅の目的の一つに『地図の製作』がある。正確な距離を図ることは出来なくとも、私には世界を渡り歩いてきた経験がある。自分の歩幅の正確さは知っているし、方角を知るためのコンパスも、辺りを見回すだけでだいたいの距離、勾配を知ることが出来るだけの目もある。
そんな適当な物でも、あるとないとではまた随分と違ってくるだろう。本当に正確な地図は測量士にでも任せればいい。
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二日目:魔物
天界の生態系は人間界と大きく違っている。例えばそこらに生える植物にしても、色鮮やかな葉っぱを持つものがあったり、かと思えば見事なまでに毒を主張する植物も見られたりした。ここでは私のサバイバル技術は通用しなさそうだ
私が道を歩いていると奇妙なものを見つけた。周りより草が少ないだけの獣道の端に緑のぶよぶよしたものがあった。
これが話に聞くスライムというものであろう。天界ではポピュラーな生物で、地上においてはモンスターと呼ばれる類のものである。。
この世界の生物(モンスターと呼ぶことにする)には一定の法則がある。
この世界はミッドガルドを中心として広がっている(とされている)。中心付近、すなわちミッドガルド近郊ではいわゆる下級モンスター、スライムやゴブリンといった者たちが生息する。逆に世界の果てでは上級モンスター、ドラゴンやリッチといった、いわゆる化け物が生息する。
さて、スライムの話に戻るが、下級モンスターにもかかわらず世界の果て付近にまで存在するらしい。それはスライムの持つ特性が大いに関係している。
スライムは組成によってずいぶんと性質が異なる。火山の付近で育てば火を吐くスライムが出来上がるし、水分の多い土地で育てば普通よりもゆるゆるのスライムが出来上がる。
それによって性格も変わってくる。大抵は温厚な性格で、こちらから攻撃を仕掛けない限りは向こうが危害を加えてくることは無いが、前述した火山育ちのスライムなどは気性が荒く好戦的であるそうだ。
ここは草原である。そんな気性の荒いスライムは存在しないだろうと思い、すぐそばを通り過ぎようとした。
ブン!!
その認識は甘かったらしい。そのスライムは勢いをつけて突進してきた。とっさに反応しこれをかわしたが、明らかに敵意を持っているのが見て取れた。
私は本来殺生を好まない。無論生態系を出来るだけ崩さないように探検をするのが私のポリシーであるし、なにより折角生まれてきた命をこの手で刈り取るのは、自らが食すためでなければなるべくしたくない。このスライムという生き物は、煮ても焼いても食えそうにない。
だがそうも言っていられなかった。今にも飛び掛ってきそうである。こちらの武器は先ほどの店で買ったナイフと持ってきたサバイバルナイフくらいである。迷わず買ったナイフを手に取った。
スライムが再び飛び掛ってきた。私は上半身を横にずらして避け、すれ違いざまにナイフで切りつけた。
ぬるり、という感触と共にナイフがスライムの体を切り裂いたかに見えた。が、スライムには傷が出来た様子は無かった。
そもそもスライムに刃物など効くのだろうか?
相手は軟体生物である。ナイフで切りつけたところですぐに元に戻ってしまう。生物なので死は訪れるのだろうが、刃物で対処できない生物がいるとは思いもしなかった。
スライムの体当たりを交わしながらどうしようかと頭を悩ませていると、ふと思い出した。そういえばもう一つ武器があるではないか。
『魔法』
そう、風を起こす魔法が私にはあったのだ。
スライムは懲りずに突進してきた。しかし、私は避けなかった。ナイフを前にかざし、ボタンを押して点火した。そして私は、脳に刻み込まれたルーンを、唱えた。
ごぅ!!
私の手から風が吹き荒れ、それは炎を巻き込んでスライムに襲い掛かった。炎と風はあっという間にスライムを包み込んだ。
さしもの軟体生物も炎には弱いらしく、ほんの数秒で灰になってしまった……。
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二日目:魔物②
自分で使っておきながら言うのもなんだが、魔法とは恐ろしいものである。もしこれを人に向けていたら、もしこれが自分に向けられたなら……想像したくはなかったが、容易に想像できてしまった。
骨も残らない
そう思うと、自分は何とも愚かしいことをしているのではないか、という気分になってくる。魔法に対し何の準備もしないままこの世界にやってきて、行き当たりばったりに魔法を覚え、そしてそのおかげで命を拾った。
対魔法には魔法障壁というものがあるし、スライムも知っていればもう少し冷静に対処できたかもしれないというのに。
そしてその後は特にモンスターに出会うこともなく、平穏無事に旅を続けることができたのだが、反省ばかりが頭に残り楽しい行程とはならなかった。
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三日目:河川
西暦2032年9月24日、天界暦1531年火の月第14日
朝、私はやわらかな陽の光で目を覚ました。
すがすがしい朝であった。空気は澄み渡り、草木や土のにおいが意識の覚醒を促しくれる、そんな朝であった。
だというのに私の寝起きは最悪だった。いまだに自分の不用心さを悔いていたのだ。
私はあまり過ぎてしまったことを引きずらない性質なのだが、そう言っていられない時もある。
なんせ自分の命の危機に直結するのだから。
……だがいつまでも引きずっていても仕方がないのも事実である。いくら悩んだところで手持ちの道具が増えるわけではないし、少年漫画の如くいきなり強くなったりもしない。
どんな事態に遭遇したとて今ある全ての中で対処しなければならないのだ。そう割り切ることにした。
そうと決まればさっさと支度をしてしまおう。幾分か軽くなった心持ちで朝食をとった。
昨夜眠ったところから数時間ほど歩くと、それなりに大きな川に着いた。
幅は大体50メートルくらい、深さは一番深い所でも1メートルもなく、ほとんどが30センチくらいであったし、流れもそれほど速くなかった。川縁には小魚が泳いでおり、きれいな水であることが分かった。普通なら歩いて渡りきれるだろう。
そう、普通の川ならば。
ここは天界。このような川にも得体のしれない生き物が住んでいるかもしれない。私は思った。昨日の一件で学んだ私は、この世界が油断ならないものであることを理解していた。
ならばそのまま川に入り渡る愚は犯すまいと辺りを見回した。
そこで都合よく人が見つかれば良かったのだが、あいにくそんな都合のいいことは起きるはずもなく。結局は自力で調査せねばならなかった。
まずしなければならないこと、それは観察である。人体で最も鋭敏な知覚器官は視覚であるといわれている。故にどんな物事もまず見なければおぼろげにしかわからない。
川をじっと見た。川縁から川の中央まで、浅い所も深い所も余す所なく観尽くした。が、特に異常は見られなかった。
次に河原にあった石を投げ込んでみた。
ひゅーん、ぽちゃ。……ざっぱーん!
……唖然とせざるを得なかった。川の中央付近に石を投げ込んだら、明らかに全長3メートルはあるナマズが出てきたのだから。
いや、あれはナマズと言ってよいのだろうか?形こそはナマズに似ていたが、あんな生物は少なくとも地球上には存在しなかったはずだ。
捕獲して調査してみたいとも思ったが、さすがに自重しておいた。私の危機感知が、こっちの命がいくつあっても足りないと警報を鳴らしていたからだ。第一、私の本業は遺跡調査であって生態調査ではない。
さて、そうはいっても目の前の問題は依然としてあるわけで、とりあえずは近くの橋を探してみることにした。
しかし今立っているところから見える範囲で橋は見つからなかった。だから私はとりあえず下流に向かって歩くことにした(こういった川の上流は高確率で森林となっているので)。
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三日目:天界人
小一時間歩くと、ようやく人影らしきものを見かけた。
どうやら女性のようだった。吊り目でも垂れ目でもないスカイブルーの瞳は一見冷たく、近寄りがたい感じがした。
しかしながら、その人が発する柔らかな雰囲気がそれを打ち消していた。その上、美しい鼻梁、少し丸みを帯びた輪郭、うっすらとウェーブのかかった金の髪、陽光を浴びてほのかに輝く純白の翼。服の上からでもわかる、他の天界人と比べても小柄ながら豊かな体つき。そして何よりも、その透きとおるような白い肌が人目を引き付ける。そんな人であった。
地界であったなら間違いなくモデルになれるであろう。
思えばミッドガルドを歩いている時も、美男美女が多かった気がする。天界の特色であろうか。羨ましい限りである。
閑話休題、未だ橋は見つからなかったが、とりあえずその人に話を聞こうと声をかけた。
「はい、何かご用でしょうか?」
私は、旅をしていること、そしてこの川に辿り着いたが、橋が見つからなくて困っていることを告げた。
「橋……ですか? そんなものこの川にはありませんよ?」
橋がない? 私は耳を疑った。あんな危険な魔物がいる川を、まさか泳いで渡るつもりなのか?慌てた私は彼女に問いただした。
「? 飛べばいいじゃないですか」
再度私は耳を疑った。そして思ったそれができるなら苦労はしないと。すると、口に出していたのか、彼女は言った。
「え? 飛べないんですか?」
……まさか、天界人は空を飛べるのか?
いや、確かに羽はあるが、それで飛べるとは到底思えない。人が空を飛ぶには2mほどの厚さを誇る胸筋を身に付けなければいけないという話を聞いたことがある。私の目には彼女が、そして天界人達がそのような筋肉をつけているようには到底見えなかった。
また口に出していたのか、それとも私に羽根が無いことに気付いたのか、彼女は言った。
「……もしかして、地界人の方ですか?」
問われた私は頷いてみせた。
「あ、すいません。そうとは気付かずに……地界人の方なら知らなくて当然かもしれませんね。天界と地界がつながって5年は立ちますが、今だに交流は完全とは言えませんからね」
そう、たとえ世界がつながってもすぐには交流は始まらないのだ。異文化交流は慎重にしなければ、双方に多大な被害をもたらす。
実際、世界がつながった当時はひどかったそうだ。私はアマゾンの奥地に探検に出ていたので、その時のタイムリーなニュースは見ていないが、話を聞くだけでもその時の様子は想像できる。
門がつながった場所は、いきなり空間に穴が開いたことでパニックに陥り、更にはそこから翼を生やした人が出てきたことにより更にパニックを引き起こすこととなった。
地元の警官は未知の生物に対して銃を向け、銃というものが分からずとも、敵意を向けられたことが分かった天界人は呪文を唱え。そのことで危険を感じた警官は銃を発砲し、それによってダメージを受けた天界人は魔法で応戦し。そのあとはトントン拍子に争いが大きくなり、あわや戦争かというところで地界の首脳陣と天界の長達(天界は明確な国というものが無く、地域ごとに長がいる。長は地域すべての町をまとめる役割を担っているが、それは町の総意を決定し、他の地域との交渉を行う代表という役であり、統治するものではない(もちろん例外はあるが))がストップをかけた。あれらは隣人であり、決して敵ではないと。ここまでかかった時間はおよそ半年にも及ぶ。世界のトップも突然の事態に混乱し、未知に対する恐怖と警戒心あったからだ。
そして4年の歳月をかけてようやく敵対感情は薄らいでいった。どちらの住人も相手の土地にそれほど深く入り込めなかったことにより、(門は軍隊が通れるほど大きくなかった)土地を蹂躙するということはなく、怨恨もそれほど残らなかったことが大きかった。
そこからさらに1年かけて世界間条約を制定し、地界は科学技術を、天界は魔法技術を提供することになった。そこで世界間交流を促すために、それぞれの門を建物で覆うことにした。これが異世界交流センターである。
作業は急ピッチで進められ、地界は伝えられてくる魔法技術と自分たちの持つ科学技術を駆使して、天界はその逆に提供された科学技術と自分たちの魔法技術で、たった1年でその建物を築き上げたのだった。
そうして建物ができたことにより、本格的な交流が始まった。3ヶ月の間は行き来に厳しい制限がかけられていたが、そこからは人が海外に行くのと変わらず異世界に行くことができるようになった。
ここで重要なのは、そうやって自由な交流ができるようになったのはほんの3ヶ月前だということだ。それまでは不確かな情報しか得られず、相手を想像するしかなかった。中には天界人を化物のように書いてある雑誌まであった。(無論、すぐにお国から規制がかかったが)故に、3ヶ月前の交流自由化の時も一悶着あったのだが割愛する。
たった3カ月ではほとんど情報が入ってこない。何せ未知の土地である。その上ライオンよりも凶暴な生物が闊歩している地域もある世界とあれば、行きたがる人間はほとんどいなかったのが現実である。3ヶ月たった今でもあまりこちらに来ている人間はおらず、来てもミッドガルドの町から離れることはまれである。(町の外には魔物がおり、護衛の雇い方も暮らし方もわからぬ人間では仕方ないのであろうが)護衛も付けずに外に出た私のほうが特異なのである。
今までごちゃごちゃ書き連ねたが、結局言いたいことは『こちらの常識とあちらの常識は違う』ということである。わからない者は一度海外にでも行ってみるといい、文化の違いに驚くであろうから。
「とにかく、翼をもつ天界の人はほとんどが空を飛べるんです。原理的にはこの翼に浮遊の魔法がかかっているからだそうです。私もよく知らないんですが、天界の人は物心つくころには飛べるようになるんですよ」
そう言うと、彼女の体がふわりと浮かびだした。その時の驚きといったら、冒険中ふと後ろに振り向いたときに虎がいた時の比ではなかった。
「こういう風に飛ぶんですよ。ふふ、驚きました?」
彼女はコロコロと笑った。こちらはまだ驚きから抜けきれず、反応もできなかった。
「飛ぶのも結構疲れるんですけどね。まぁそういうわけで橋はいらないんです。飛べない種族の人達はそのほとんどが身体能力が高くて、この程度の川ならひとっ飛びで行けますから」
さらなる驚愕。こちらの世界の住人はどれほど規格外なのか。その時の私の頭にはオリンピックなどはどうするんだろうというどうでもいいことが浮かんでいた。
「そもそもここに橋を立てたらすぐに魔物に壊されちゃいますよ」
それもそうだ。あれだけのナマズ(?)がいたならちょっとやそっとの橋などすぐに壊されて終わりだろう。それこそもっと頑丈な、巨大な河川に立てるような橋でないと。そもそも必要が無いのに橋を建てるのは費用と労力の無駄遣いである。
「この川を渡りたいんですよね? なら私が運びましょうか?」
渡りに船ならぬ渡りに天使であった。喜んでお願いしたいところだが、あいにく私の体重は80kgを超えている(別に私は太っているわけではない。冒険に必要な体力と筋力をつけたら、自然とこうなっていたのだ)し、荷物の重さもそれなりにある。それをこんな小柄な女性が運ぶのはきついだろうと思ったので、丁重にお断りしたが、
「大丈夫ですよ。天界の人間ならそれくらいの重さは余裕です」
と言われた。もう驚かなかった。自分より一回り以上小さな女性が私より力持ちだからといって。
「今、失礼なこと考えてませんか?」
滅相もない。私はあわてて首を振った。にこやかに尋ねる彼女の顔が妙に恐ろしかった。
「一応言っておきますけど、私が筋肉質なわけじゃないですよ。魔法の力で筋力を上げてるだけです」
なんだ、そうなのか。私はなんとなく安心してほっと息をついた、がそれを彼女に見られていたらしく、彼女は黒いオーラを漂わせてきた。
何とか取り繕って機嫌を直してもらうことに成功した私は、早速彼女に運んでもらうことにした。
彼女は私の背後にまわり、背中から力強く私を抱きしめた。私はその豊かな感触に柄にもなく赤くなっていると、
「それでは、行きますよ!」
私は空を飛んだ。
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三日目:不意打ち
「……すいません、大丈夫ですか?」
大丈夫ではなかった。断じて大丈夫ではなかった。
飛行の際彼女は、私が失礼なことを考えていた腹いせだろう、ものすごい速度で空中遊泳をさせてくれた。それはもうこちらの顔が真っ青になるほどに。
ジェットコースターに乗っていた気分だった。いや、まだジェットコースターのほうがましであると思う。ジェットコースターはまだ安全が保障されている(100%とは言えないが)が、こちらは彼女に抱きしめられているだけであった。彼女が何かの拍子に手を離してしまえば一発でジ・エンド。あんな思いは二度としたくないものである。
まだうずくまっていた私は深呼吸してなんとか気分を落ち着かせ、彼女の方を見た。その表情には申し訳なさがいっぱいに広がっていた。
内心もう少しだけ蹲っていたかったが、これ以上彼女を心配させるわけにもいかなかった。納得いかないところもあるが、原因を作ったのは私なのだ。私はその報いを受けただけ。断じて彼女のオーラが怖いから反論できなかったわけではない。
私はなんとか立ち上がり、平気であることを示した。
「よかった……私のせいで倒れられたらどうしようかと思いました」
事実、倒れていたが。
「そういえば自己紹介もしてませんでしたね。私の名前はフローラ=ノースウィンドといいます。よろしくお願いしますね!」
私も自分の名と、自分が天界の遺跡などを見るために探検をしているということを告げ、彼女に握手を求めたところ、
「?」
きょとんと首をかしげられた。
その姿も容姿と相まって様になっていたが、握手が拒否されたのかと少しばかり落ち込んだ。
「あの……この手は一体どう意味でしょうか?もしかして地界の風習だったりします?」
……失念していた。そう、ここは天界なのだ。街で出会った人たちの対応から、天界の作法も地界の作法も同じなのだと思っていた。いや、そもそも地界であっても握手の風習がない地域があるというのに、つい癖でやってしまった。
私は、これは地界の一部の風習で、お互いの手を握り合うことで挨拶や友好の情を表わすものだと伝えた。
「へぇ~、地界にはおもしろい風習があるんですね。こっちの世界にはそういった風習はどこにもないと思います」
とはいっても、自分の住んでいる町の周囲しか知らないですけど、と彼女は付け加えた。
「代わりにこちらの世界で親愛の情を示すにはこうするんですよ」
そう言って彼女はいきなり抱きついてきた。突然の行動に驚くも、踏ん張って何とかこらえた。
身長差から、彼女はこちらの胸に顔をうずめる形となっている。ふと、彼女がこちらを見上げてきた。
「大体の地域ではハグすることで親愛の情を表わすんです。普通は初対面の人にはしないんですけどね」
それはいいから早く離れてほしかった。彼女の一部突き出た部分が、私の体にあたってひしゃげていた。その光景と感触に加え、彼女の見上げる姿は、それはもうかわいらしく、必死に自制をしていなければとっくに彼女を押し倒していただろう。
彼女は私にそういう耐性が無いことを見抜いていたのか、私がしどろもどろして赤面している様をニコニコしながら見ていた。きっと彼女は自分の魅力に自覚的なのだろう。とすればこれは先程の詫びのつもりなのだろうが、むしろ心労の方が溜まりそうである。
私はなんとかこの状況から脱しようともがいていた。が、
不意に背筋に冷たいものが走った。
この感覚は、何度も経験している。冒険をしていて、クマに襲われた時、頭上から岩が降ってきた時、橋が崩れそうになった時。
そう、これはつまり、死の危険。逃げなければ死ぬぞ、という第六感からの警告。
私はその警告に従って、彼女を抱えて右前方に飛び込んだ。
「え、ちょっ、そんな、私そんなつもりじゃ……」
とかなんとか彼女は言っていた気がする。その時の私にはその言葉を聞いている余裕はなかった。なぜなら、私達がほんの数瞬前に立っていた場所には、
銀緑色の体毛を持つ巨大な狼が居たのだ。
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三日目:対峙
私はすかさず体勢を立て直し、彼女を後ろに庇った。いくら体調が悪いといっても女性を盾にするほど私は礼儀を欠いてはいない。そうしてから彼女に注意を促した。
「え? あ!?」
私が声をかけたことでやっと気がついたようだった。彼女も体勢を整えた。
「気を付けてください。あれは『エアウルフ』といって、下級の魔物ながら風の魔法を行使する厄介な相手です」
幸いにも相手は一匹しかいないようですが、と彼女は呟いた。
エアウルフ、後で聞いた話だが、彼女の言った通り風の魔法を使う下級魔物である。全長はおよそ1.5mにおよび、その生態はほとんど狼と同じで、一匹のボスを中心に2,30匹で集団を作る魔物である。一匹一匹の強さはさほどでもないが、集団で現れた時は非常に厄介な存在と成りうる。ボスのもとで統制された動きを見せ、見事なコンビネーションで獲物を狩る。時には中級の魔物でさえ餌となるほどそのコンビネーションは凄まじく、一人のときはなるべく接触を避けたほうがよいとのことだ。
しかし今回は、こちらが二人であり、かつ相手のエアウルフは一匹だ。周りに仲間がいる様子もなかったし、恐らく集団からはぐれたのだろう。
だからといって油断できる相手ではない。できる限り無傷で仕留めたいものだ。
私と彼女はアイコンタクトをとり、私が自然と前に出て、彼女は後ろに下がった。前衛、後衛の立ち位置だった。私と彼女は今日会ったばかりなのに、まるで幾度も共に戦った戦友のように自分の役目を把握した。
私はサラマンドラを右手で逆手に持ち、左手を柄頭に添える構えをとった。彼女もまた、いつでも魔法を発動できるように、両手を前に突き出す構えをとった。
エアウルフが雄叫びを上げると、風の刃を生み出された。私は身を低くして避け、エアウルフに向かって駆けた。
エアウルフはサラマンドラから出る炎に怯えもせず、更に風の刃を生み出そうと雄叫びを上げようとした。しかし、その動作を読んでいたフローラが牽制に氷の刃を生み出し、エアウルフに放った。エアウルフは予想していなかったのだろう、突然の攻撃に驚き、体勢を崩しながらも回避した。
当然、私はその隙を見逃さなかった。右の足で深く踏み込み、体勢の崩れたエアウルフに、体のひねりを加えた一閃を放った。
私のナイフはエアウルフの目を深く抉り込み、両の目を潰した。あまりの激痛にエアウルフは悲鳴を上げ、のたうちまわった。フローラが追撃をかけようとしたが、私がフローラとエアウルフの間に入り、エアウルフから目を離さぬように後ろに下がった。
「ちょっと! 邪魔です、どいてください!!」
私は了承できなかった。ここは止めをさす場面ではないと判断した。
だから私は言った。これ以上私達に危害を加えないのならば見逃してやる、と。
言葉が通じるわけではないが、人間は言葉に出すことで、言葉に出した通りの雰囲気を纏うことができる。殺すと言えば殺気が伝わるように。
その雰囲気を察知したのか、はたまた本能で私達に勝てないことを悟ったのか、エアウルフは一目散に逃げ出した。
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三日目:投合
後に残された私達の間には気まずい雰囲気が流れていた。
「……どうしてあそこで見逃したんですか? あのエアウルフ、いつか復讐に来るかもしれないのに」
彼女は言葉に険を隠さなかった。が、それで怯むほど軟弱ではない私は肩をすくめてみせた。
私があのエアウルフを見逃したのは、あの獣が可哀そうだとかいう甘い理由ではもちろんない。
追いつめられた獣ほど、怖いものはないのだ。
あれは確か2年前だったか、アマゾンの奥地で巨大なアナコンダと戦わざるを得なかった時だ。全長10mにも及ぶその大蛇は、恐るべきスピードで私を追いかけてきた。私は仕方なく手にしていた銃でその顔面を撃った。
蛇はエアウルフと同じようにのたうちまわり、所構わず体をぶつけた。私はその姿を見ているのが忍びなかったので、射撃の腕がよくない私は、確実にとどめの一発を撃ち込むために近付いた。
その判断は間違いだった。
いつの間にか背後に回り込んでいた蛇の尻尾に打たれ、蛇は意識が朦朧とした私に巻き付き、一気に締め上げたのだ。
あの時、近くにいた部族の者が助けてくれなければ、今頃私は墓の下だったろう。
その時の教訓が『手負いの獣に近づくな』というものだ。
私はそのことを彼女に告げた。本当に必要な時以外、殺そうとすべきではないと言外に含ませて。
「なるほど、確かに言うことは一理ありますね。それも経験からくる言葉ならより信用できます」
うん、うん、と頷きつつ納得してくれた。とりあえずあの黒いオーラをもう一度見ることが無くてほっとしている。
「それにしても戦い慣れてましたね。どこか軍隊にでも所属してたんですか?」
今までの冒険の成果だ、と言っておいた。本当はそれだけではないのだが。
「そうなんですか……でも、なんというか。あなたと一緒に戦っていると凄く動きやすかったです。まるで体がもう一個増えたみたい」
それは私も感じたことだ。あのアイコンタクトの時、自然と前衛後衛に分かれられた。それぞれの得意分野を考えれば当然なのだが、あの時はそもそも自分たちの戦闘スタイルを教え合っていなかった。それなのにあれだけの動きができたのは不思議であった。どうしてだろうと考えていると、
「私達って意外と……相性がいいのかもしれませんね」
ウインクしながらそう言われてしまった。
他意はないのだろうが、そんな容姿と態度で言われてしまったら男はみんな勘違いしてしまうのではないかと私は思った。
意識してやっているのか、それとも天然なのか。先の出来事のせいで判断がつかなかった(もっとも、先の出来事がなければ、勘違いしていただろうが)。
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三日目:悪寒
一連の騒動が収束し、ようやく一息ついた時には、もう日が暮れていた。
「さて、これからどうするんですか?」
とりあえず今歩いてきた道を地図に書き込んでいると、彼女が聞いてきたので、どうするも何も、とりあえずは「ミストラル」に行くつもりだと答えた。
「『ミストラル』ですか……ここからだと二日は歩かないといけませんよ?」
やはりこの世界の地図はアバウトだと感じた。もしかしたら測量技術も発達していないのかもしれない。ある程度学問が発達して初めて利用させる技術なので、技術が未発達なこの世界では仕方ないのかもしれない。
「とりあえず今日は『ボーラ』に行きませんか?私の家もありますから、歓迎しますよ!」
それは有難かった。野宿に慣れているとはいえ、やはりしっかりとした建物の中で寝られるのは安心感が違う。野宿をすると、どうしても野生の動物に対して警戒しなければならない。しかも天界では、夜になると魔物たちが凶暴になり、より一層の警戒を必要とする。その上、火を恐れない魔物がいるので、焚き火をしていればひとまず安心というわけでもない。むしろ、自分の居場所を教えているようなものだ。
その他もろもろの理由で近くに町があるのなら迷わず行きたいのである。その時の私の心境も似たようなものであったので、二つ返事で提案を受けることにした。
「決まりですね。今日はごちそうを用意しましょう!」
不意に背筋に冷たいものが走った。
……なぜだろう、私は思った。彼女がご馳走を用意すると言った瞬間、先ほどのエアウルフに襲われた時と同じ悪寒がしたのだ。
「?どうかしました?」
幸いにも彼女には気づかれていないようだった。私は長年培ってきた勘を信じ、彼女の説得を試みた。今日はいろいろあって疲れているだろうから、食事は店で取ろうと、そう言った。
「あ、大丈夫ですよ。私これでも体力に自信ありますから!帰って料理を作るくらいなんともないです」
一晩世話になるのに、それ以上負担をかけたくはない、食事代は私が持つから店で食事をとろう、と言った。
「そんな、奢ってもらうなんて悪いですよ。あなたはお客さんなんですから、遠慮なんてしなくていいんですよ」
……説得は無理なようだった。私の悪寒は所詮勘であるし、そもそも彼女の厚意を無碍にするわけにもいかないので、折角だからと彼女のもてなしを受けることにした。
振り返ってみるに、私はなぜこの時粘らなかったのだろう。後に悔いると書いて後悔。先に立たないのが恨めしい。
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