渡る世間はヤンデレばかり (トクサン)
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俺の彼女は
俺の彼女は嫉妬深い


 

 俺の彼女は嫉妬深い。

 

 彼女と付き合い始めたのは何時だったか、小学校三年生位だったと思う。特別これと言った特徴の無い出会い方で、母方同士が幼馴染で家も近く、その子どもである俺達もそれなりに小さい頃から面識があって、気付けばいつの間にか隣に居るのが普通になっていたという馴れ初めだ。

 その時はまだ恋人と言うよりも「兄妹」と言った方が良かったかもしれない。歳も同じだし、どっちが兄でどっちが姉だとかそういう部分は酷く曖昧だが、結局は好意と呼ぶ感情ならば家族愛と言うべきものだったのだ。

 告白してきたのは彼女の方から、今でも覚えているその一言は「私のお婿さんにしてあげる!」だ。

 最初は面食らった、と言うかこのセリフを突きつけられて驚かない男は居ないに違いない。当時の俺はそれなりに普通な少年だったと思う、思考も態度も趣味趣向もそこいらに居る活発な少年。故に惚れた腫れたと言う類の事に関して何ら興味を抱いていなかった、だからこそ彼女の発言に対して「突然何言ってんだコイツ」的な思考をしてしまった訳だが。十歳そこらの少年に恋を理解しろと言う方が無謀だとは思うが。

 兎も角、その言葉に対して俺は「是」と答えた。理由は「何となく」

 そもそも当時の俺に明確な行動理由などある筈も無く、強いて言うなら面白そうか否か程度のモノである。要は頭空っぽにして生きていたのだ。

 

 今思えばこれが致命的なミスであったのかもしれない。

 

 翌日から彼女は俺に引っ付く様になった。というか、以前もある程度近くには居たのだが、もう離さないと言わんばかりに腕に引っ付き俺を拘束するのだ。一体何をしているんだと思いつつも、予想以上の力に引き剥がす事も出来ない。というか彼女が引っ付いている為クラスメイトからは冷やかされるわ、休み時間に遊びに行けないわで、子ども心にこれは「面白く無い事」だと思ったのを覚えている。

 故に当然の帰結として俺は彼女に向かって「昨日の話は無かった事にして」と言い放った。とどの詰まり、彼女の告白を受けなかった事にしようと思ったのだ。

 それを告げた放課後、彼女は薄暗くなった教室で俯きながら、こくんと一つ頷いた。

 これで自由だと、意気揚々と家に帰ったのを覚えている。

 そしてそれを後悔したのは次の日、彼女を冷やかしたクラスメイトが事故にあったと聞いた時だ。皆がその話題でひそひそと語り合っている中、机に座ってぼうっとしている彼女を見た。そしてその瞳がすっと俺を捉え、ゆっくりと笑ったのだ。俺は確信した、彼女が事故の原因だって。

 だがそれを此処で叫んだとしても、一体何になるのだろうかと。少なくともニ三言話しただけの存在と昔からの馴染みである彼女を天秤に掛ければ、彼女の方に傾くのは当然だ。だから俺は口を噤み、何故こんな事をしたのかと問い詰めようと思った。

 

― 今考えるのならば、彼女はあの時クラスメイトから冷やかされたから告白を無かった事にされたのだと思ったのかもしれない。

 

「だって優君が振り向いてくれないんだもの」

 彼女はそう言って悪びれもせずに笑った、一応人並みの倫理観やら道徳は備えていた俺だ、そんな彼女が歪に映ってしまったのも仕方ないと言えば仕方ないだろう。誰も無い放課後の教室で笑う彼女は続けて言う。「婿さんになってくれないなら、邪魔な人をもっと消す」と。夕焼けをバックに影を抱える彼女は、その瞳の光だけが不気味に輝いていた。その姿を見て俺は、「魔王みたいだ」なんて思った。

 その日から俺は、彼女の彼氏となった。

 

 中学校に入ってからはある程度、何というか「彼女の扱い」と言うモノが分かってきた。他の女子と話さず、彼女だけを見て、彼女を優先し、それとなく彼女に頼る。そうすれば彼女は良き友であり、良き隣人であり、良き恋人である。一度(ひとたび)それを破れば鬼神も隠れる魔王が如き面を見せるが、厳守さえすれば何ともない。そう理解して日々を生きていたのだが。

 

 中学生になると成長期の為、小学校からは考えられぬ程成長する。声が変わり背が変わり、顔つきすら変わって来る。小学校の頃はやんちゃな坊主だった俺だが、その頃になると落ち着いた雰囲気を纏う様になった。

 小さかった体は一年と少し経てば百八十を超え、女子と間違われる程に高かった声は低く、幼い童顔は凛々しも男らしい顔へ。中学三年になる頃には、久しく逢う親族に「誰?」と言われる程度には変わった。

 

 そしてそれは、予想外の(わざわい)を呼び寄せる。

 

「あの、優君‥‥これ」

 世はバレンタインデー、世界中の男女がチョコレートをやり取りする中で俺は「今年も彼女と母からの二つだな」と高を括っていた訳だが、学校の昼休み、廊下を歩いていると同級生の女の子から包み紙を渡された。

「? あぁ、ええっと、何これ」

 俺はそれを受け取りつつ疑問符を浮かべる、綺麗にラッピングされたそれは授業用プリントでも無く、本気で理解出来かねている俺に対し彼女は「ほ、本命だから」とだけ言って踵を返した。

 本命。

 その言葉を聞いて漸く俺はそれが俺に対してのバレンタインデーのチョコだと気付いた。中を見ればご丁寧にも手紙が同封されている、なんと言う事だろう苦節数年余り、よもや彼女と母親以外の人からチョコを貰おうとは。

 柄にもなく感傷に浸って、何となしに男の喜びを噛みしめていたが、俺は程なくそれを後悔する事となる。

 その女子生徒とのやり取りを他の生徒が見て居たのだ、そして後から聞いた話ではあるが「俺はモテていた」

 というのも、彼女が常に俺の傍に待機し教室に戻ればすぐに隣を独占、他の女子生徒を近づけず「優は私の彼氏」と常日頃言っていたのだ。だからモテると言った所で誰もアタックしないし、素直に好意を見せる事はしない。だが何と言うか、自分で言うのもアレだが、俺はそれを加味しても魅力的な人物だったらしい。

 成績優秀、容姿は良し、性格は寡黙で気配りが出来る、スポーツも無難に熟す、自分ではそんなつもりは無いが、周囲から見た俺の評価はそんなものだった。

 結果、最初に俺にアタックした女子生徒を皮切りに次々と俺の元にチョコレートが舞い降りる事となる。一個だけなら何とかなっただろう、それは俺も一つだけのチョコレートなら隠す自信があったから感傷になど浸っていれたのだ。だが数が増えればどうか、廊下を歩く度に呼び止められ下駄箱に溢れるほどのチョコレート、最終的にはコレは彼女の罠なのではないかとすら疑い始めた。そして帰宅時、既に教材全てを机に突っ込んだとしても尚収まり切らない量のチョコレートを詰め、更には紙袋にも十数個の煌びやかな箱群が。それを隠すなど無理があるだろう、物理的に。

 勿論それは彼女に見られる訳で、そうなれば彼女の機嫌はみるみる悪くなる訳で。

 

 その日俺は、自らの貞操を散らす覚悟を決めた。

 

 翌日、そこには妙に肌の艶が良い彼女と若干やつれた俺の姿があった。何があったのかは記憶も朧気だ、ただ彼女を部屋に招いた後にシャツを脱ぎ捨て「俺と、シて欲しい」と上目遣いにねだった所までは覚えている。それから彼女の表情がみるみる高揚し獣の如く怪力に押し倒され‥‥‥そこからはあやふやだ、良く覚えていない。何か途轍もなく恍惚とした表情を浮かべ、自分の上で腰を振るかの‥‥うっ、頭が。

 兎に角気付いた時にはつやつやの彼女が隣で寝息を立てており、その日程両親が出張で居ないことを助かったと思った日は無い。軽薄な男と罵りたくば罵るが良い。彼女が暴走すれば割を食うのは俺だ、ならば体で繋ぎ止めて何が悪い。取り敢えずそれくらいには俺も彼女を想っているのだ。別に彼女が何をしでかすか怖いからでは無い、いや本当に。

 さて、晴れて身も心も結ばれた俺達ではあるが、高校に進学してからは更に大変な事となる。中学の頃は緩やかな曲線を描いてモテていた俺だが、高校では既にマックス状態からのスタートだった。どこぞの漫画やアニメの主人公は人の好意に鈍感な奴が多いが、俺はそんな高等テクを持ち合わせて居ない。いや別に俺が主人公と言う訳では無いのだけれど。

 つまり人並みには俺も向けられる好意と言う奴に敏感だったのだ、または人伝に「誰々がお前の事好きらしいぜ」と何とまぁ青春を謳歌していた訳で、そんな事が一年生開始時から繰り広げられた。幸いなのか不幸なのか、中学校で開花した俺の才能は高校で進化した。これ以上は無いと信じたい。

 よく漫画や小説、アニメで「俺は普通の高校生だ」と言う奴がいるがそういう奴は大抵普通じゃないし、普通だとして後々から普通じゃなくなる。つまりあの言葉は嘘と言う訳だ。だから俺は最初から宣言しておこうと思う、多分俺は普通じゃない、こう言っておけば後々普通に戻れると信じている。戻れない? いや、諦めんなよ。

 兎に角高校は日々が戦争だった、隙あらば彼女から俺を奪おうとする肉食系女性、何だかんだで接点を持とうとする草食系女子、先輩、同級生、二年に上がってからは後輩もアピールして来た。日々彼女と俺に好意を持つ女性の板挟みにあっていた俺は、ある日ふと気付く。

 主人公たちが何故女性の好意に鈍感なのか、それは多分そうしないと精神が壊れるからだ。常人がコレをやると胃に穴が空く、というか今空きかけている、羨ましいと思うなら変わってみろ、日々が選択の強制だ。

 下駄箱には週に一度、二度、恋文が入っており発見次第瞬時に隠す反射神経と行動力を求められる。見つかれば無言の圧力と万力でぐしゃり、彼女が手紙を握り潰し次いで俺の手も握り潰す。恋文を見た瞬間、懐に瞬時に隠すスキルを俺は高校二年間で完全なモノとした。今では「え、何今の、残像?」と友人に言われる程度には素早く隠せる、それを目で捉えられる彼女は一体何者なのだろうか。

 下駄箱をクリアしてもまだ油断は出来ない、魔物は何処にでも潜んでいる。登校してから机に座る瞬間だ、教材をそのまま入れてはいけない。まず初めに机の中に手を入れるんだ、すると何か紙のざらついた感触。

そう、また恋文だ。

 第二の関門、悲しい事に恋文は至る所に隠される。下駄箱、ロッカー、机、鞄、室内シューズ入れ‥‥‥俺が利用するタイミングを見計らってそれらの策は発動する。一度それを目撃されれば彼女の機嫌はみるみる悪くなり、放課後の家で俺は貪り食われる事になる。

 それらのトラップを回避してひと段落、取り敢えず今日のトラップは解除し終えたと一安心‥‥してはいけない。寧ろここからが本番と言って良い。この学校の全校生徒は約千人に上るマンモス校だ、更に悪い事にその9割は女子生徒で構成されている。元々が女子高であった為に男子生徒が少ないのだ、クラスも女子40人男子3人とかもザラにある。

 当初彼女はこの学校に入学する事を反対していたが、都内でもそれなりに名の通った学校であり優秀な生徒には学費免除の制度もある。学費が免除されれば親から送られる仕送りを自分の好きなように使う事も出来る、などと言うとても不純な動機と単に家がある程度近いからと言う理由でこの学校を選んだ。勿論彼女にもある事無い事ペラペラと喋り言いくるめた、その際に翌日足腰が立たなくなるほどシたのは内緒だ。

 その女子生徒の割合が高い為、人的トラップもこれまた多いのだ。廊下の曲がり角、屋上、校舎裏、体育倉庫、何でも良い。そういった場所で見知らぬ女子生徒、或はある程度交友のある女子生徒が顔を赤くしながらこちらをじっと見つめてきた時は要注意。ダッシュで逃げるか彼女が周囲に居ないことを素早く確認しなければならない。怠れば翌日の学校は欠席だ。そしてもし近くに彼女がいれば。

「ふぅん‥‥」

 死角から此方を除く二つの瞳、その絶対零度の冷たさを誇る眼光に射抜かれれば、たちまち背筋が凍ってしまう。指がミシミシと壁に食い込みそうな程力強く躍動し、それが自分に向かうのだと理解してまえば感動に咽び泣きそうになる。それを理解しない目の前の女子生徒は彼女が居る事になど気付かず決定的な言葉を俺に吐き出し。

「す、好きです、どうか私と付き合って貰えませんか‥‥?」

 ショートボブの似合う女子生徒、水泳部と言う引き締まった肉体を持ちスレンダーな見た目を誇る女子生徒は上目遣い&潤んだ瞳コンボで俺の精神力をガンガン削る。同時に彼女の視線が一層強くなる、強いて言うなら俺は悪くない。

「わたしの‥‥私の優にッ‥‥」

 途轍もない怨念の籠った言葉が俺の鼓膜を打ち、頭の中で「どうしよう」がリフレイン。そしてその怨念が目の前の女子生徒に行く前に、目線で注意を促す。俺の目をじっと見つめる女子生徒は俺の眼球が忙しなく一ヵ所を行ったり来たりする事で異変に気付く、即ちその合図は彼女がこの場に居ると言う事で。既に彼女との修羅場を経験した告白経験者がその合図を広めてくれた。

「ごめんね」

 その言葉が合図となり、目の前の女性生徒は少しだけ顔色を悪くしながら走り出す。その表情は名残惜しそうなものだった。

「待ちなさい、このッ、雌猫‥‥ッ!?」

「やぁ奇遇だね、てっきり教室で待っててくれているものだと思ってたけど!」

 飛び出そうとした彼女の前に体を割り込ませて進路を塞ぐ、既に慣れたもので彼女に告白の現場を見られるのはこれで二十八‥‥いや三十だっけ。目の前で俺を睨めつけながら後ろを走り去る女子生徒に恨めしい視線を送った彼女は、息を荒く吐き出しながら言った。

「‥‥退いて優、アイツ殺せない」

「いや殺しちゃダメでしょ」

「でも、アイツ優を私から‥‥ッ!」

 最近ではあまりにも俺に言いよる女子が多く彼女もストレスが溜まってきている、正直野放しにしたら本当に殺しかねないと思っている。実際俺を見る目は充血しているし、彼女の上着をひっくり返せば色々と出て来ちゃいけないモノが出て来そうで怖い。刃物とか。

「殺したら俺達、暫く会えなくなるよ? それは俺、嫌だな」

 俯きながら背の低い彼女を見降ろす、ただ僅かに眉は下がり目が潤む。彼女曰く「捨てられた子犬の様な表情」、もう何度繰り返したかも覚えて居ない芸の一つだ。どうにも彼女は俺のこの表情に弱いらしい、彼女は俺の表情をみるや否や「っ‥‥」と唇を固く結んで俯く。その間も俺の表情は崩れない、これで退いてくれ、じゃないともうお手上げだ。

「‥‥‥分かった」

 そう言って顔を上げた彼女は、僅かにむくれた頬を隠しもせずに言う。おぉ神よ、私の祈りが届いたか。取り敢えずは安堵、彼女は約束を破らない人間である事を俺は知っている。だからこそ、彼女が肯と言った言葉に口は挟まない。「ありがとう」と言いつつ満面の笑み、此処まではテンプレート。

後はそう、地獄の沙汰を待つだけだ。

「‥‥今日は寝かさない」

 まぁだろうと思ってました。

 表情には出さずに胸中で溜息を一つ、これは明日も欠席だなぁと思いつつ欠席日数大丈夫かなぁ何て頭の片隅で思った。

 

こんな生活を三百六十五日×3セット繰り返し。

 

え、学校休みの日は大丈夫だろうって?

休日こそ彼女が俺の傍を離れる筈が無い、寧ろ学校の時間よりもべったり隣に引っ付いている。トイレと風呂‥‥いや、最近は風呂も段々と怪しくなってきた、入っていると素知らぬ顔で乱入して来るし。兎に角一人の時間が無い、酷くなったらトイレにまで付いて来られるようになるのだろうか、考えたくはないが。そして最終的にはいつも二人一緒、なにそれ怖い。

告白してくる女子生徒と彼女の板挟みにあいつつ学業に勤しみ、早三年。高校を卒業し大学進学へ、そして此処で運命の分かれ道が現れた。

 

つまりはそう、彼女との別れである。

 

別に交際を解消したとかそういう訳では無い、進学先の不一致である。彼女と俺は同じ大学(半強制)を受験し、両方とも受かっていた。これで四年間は一緒だねと言って笑った彼女の顔は忘れられない、その時は満面の笑みで「そうだね」と受け流したが良く考えれば十中八九「同棲」する事になる訳で。

俺卒業するまで生きてるかな? とか真剣に考えた位にはヤバかった。

そこで俺は一手打つ事に決めた。

そう、大学をもう一つ受けたのである。

 地元から大分離れたF県F市、その国立大学。地方の片隅にある寂れた大学、そこに態々足を運び受験をして来た。この為だけに彼女の両親に協力を取り付け、俺の両親に頭を下げ、その他様々な策を弄して来たのである。彼女は俺がその大学に合格した事、そもそも受験した事すら知らない。これも両親が協力してくれたお陰だろう、バレてしまえば是が非でも彼女と同じ大学に進む事になる。

 彼女に恨みは無い、無いが不満はある。

 束縛結構、拘束結構、嫉妬結構、だが限度を知ってくれ限度を。俺は生まれてこの方十八年碌な自由を味わっていないのだ。この世に生まれ落ちてから幼馴染として育ってきた、その間彼女の顔を見なかった日など一日も無い。だからこそ憧れてしまうのだ、たった一人の空間で何もかも自由と言う環境に。

 これはたった一度のチャンス、彼女と言う檻から逃げ出す千載一遇の機会なのだ。

 

 と、その時の俺はそう思っていた。

いや、実際そうだったのだろう。あの時のチャンスを逃せば未だ俺は彼女と共に寄り添い、同棲し、仲睦まじく暮らしていたに違いない。第三者から見たらだが。

そして卒業式を終え、悠々と春休みを満喫しつつ引越しの準備。彼女の両親からは「優君と隣同士の部屋を借りたよ!」と言われ、それを疑いもしない。どうせ引っ越しが終わったら片方の部屋は倉庫にでもなるのだろう、何だかんだ言って入り浸るに違いない。

俺は最大限の注意を払い、何でも無い様子を装いつつ着実に計画を進めていた。既に地方の大学周辺の一室を借りている、後は引っ越せば彼女とはオサラバだ。どの大学に進学したかも悟られない様部屋の処理は完璧。向こうの両親にはそもそも進学先を教えて居ないし、俺の両親には絶対漏らさない様言ってある。後はパンフレットや資料で場所が露見してしまう可能性だが、それらは既にシュレッダーによって細きれになってしまっていた。後はこれを纏めてごみの日に出してしまえば完璧。

因みにそれを持ってゴミ出しに行こうとしたら「なんか、今日はごみが多いね?」と言われて冷汗を掻いたのは内緒。

 

そして出立の日。

早朝五時、彼女は毎朝七時~八時の間に俺を起こしに来る。早朝の町は静かで人っ子一人居ない、僅かに冷える春先の朝は空気が澄んでいた。二時間以上早い時間に俺は起きた、これなら彼女と鉢合わせないだろう‥‥。

 

 

何て高を括るのは三流以下だ。

 

 

彼女の超感覚を舐めてはいけない、彼女達病んだ女性には対象をどこまでも追尾するための第六感(シックスセンス)が存在する。故に「これなら大丈夫だろう」何て甘い考えで臨むのは愚の骨頂。彼女達を欺くにはそれ相応の準備と想定が必要なのだ。

俺の恰好はジャージ姿に運動していても外れないイヤホン、iPod、ランニングシューズに肩掛けのごく小さなバッグ。

どこからどう見ても普通に早朝ランニングする恰好である。これでもし彼女が来て「どこ行くの‥‥?」と設問されても「ちょっとランニング!」と白い歯を見せて疾走する事が出来る。なんという事だろう、一部の隙も無い。

これぞ正しく完璧な作戦、非の打ち所がない‥‥。

 

 

何て思っている奴は二流以下だ。

 

 

成程、早朝ランニング。それならば分かる、怪しまれる事は無いだろう。

だが普段彼女に起こされるまで惰眠を貪り体を動かすなど滅多にしない人間が、突然朝早く起きて「ランニング行ってくる!」など言って走り出しても疑うだろう。俺は疑う。彼女はきっと疑うだろう、確信がある。

だからこそ俺は予め二週間ほど前から早起きし、朝五時に起床してランニングをしていたのだ。そう、つまりは早朝ランニングを日課とすることで違和感を払拭した。例えここで彼女が出てきても「あ、今日もランニングか」程度にしか思わない。いつも通り一時間程してから帰宅する事を疑わないだろう。家の前で準備体操をしながら「うーん、今日は天気が良いなぁ、こんな日は少し遠くまで行こうかなぁ」なんて言ってしまえばもう完璧。多少遅くなっても「今日は遠くに行くって言ってたしなぁ」と自己解釈してしまう。

完璧、無敵、最強。

これこそ全てを超越した神なる計画‥‥‥。

 

 

と思っている馬鹿野郎が居たならソイツは一流では無い。

 

 

予防線を張り違和感を消し更に追及出来ない恰好をする。素晴らしい、ここまで予測した事に自画自賛する。だが、だがしかし。彼女達はそれすらも凌駕する可能性があるのだ。

例えば、そう例えばだが。

全てが上手く行き、そのまま駅に到着するとしよう。そして切符でホームに入り車両を待っている間、背後から。

「ねぇ」

という彼女の声。

「何か嫌な予感がしたの、だから来てみたんだけど、ねぇ‥‥何で優が此処に居るの?」

はい、BAD END確定です。

彼女は「何か良く分からない感覚」を覚え、「何となく」早起きし、「何となく」家を出て、「何となく」駅のホームで待っていた。結果そこに俺が来ると言う、ある意味人外染みた力で俺を追跡して来る。

 

かもしれない。

 

そう、かもしれないだ。

此処まで俺は考えた、考え過ぎ? 彼女達を相手に考え過ぎなど無い、考えて考えて考えて更に考えた計画を「何となく」で潰す彼女達相手に幾ら策を弄した所で安心等と言う言葉とは縁遠いのだ。だからこそ俺は更に予防線を張る。

今まで走ったルートと入ったお店などを全て書いたノート、それを俺は持っている。勿論毎回ルートを変え店を変え、今日走るルートも勿論ノートに書き込んである。電車に乗って二駅分移動し、そこから家まで走って帰ると言うルートだ。仮に何でこんな場所に居るの? と問われても「ルート通りだから」とか何とか言って逃れられる。もし車内まで付いて来ても適当に途中で分かれて駅に戻れば良い、そこで更に遭遇しても「いや、疲れちゃって‥‥」とか言って電車で帰ろうと提案すれば‥‥。

「イケる」

寧ろこれで駄目だったら俺は一生彼女に敵わない、逃げる事など不可能だろう。

適度に解した体はこれから実行する計画の緊張で既に冷汗が流れている、素早く周囲に目を走らせるが彼女の姿は無い。ランニングを始めてから数日間は「こんな朝早くからどうしたの?」と顔を見せていた彼女だが、流石に日課に組み込んだと理解して今日は来ていないのか。だが油断は出来ない、或は駅で待ち伏せも有り得る。

「ん~‥‥今日は天気が良いし、少し遠出するか」

何とも棒読みだが問題無い、そう呟き走り出す。ペースは心なし早めで、駅へと駆け出した俺は不安半分期待半分で賭けに出た。駅は家から徒歩三十分、走れば二十分前後と言った所。走りながらも周囲の索敵を行う俺の体力はいつもより大分減りが早い、だがそれを悟られない様にいつも通りを演じる。走り、探し、走り、探し、走り、それを淡々と繰り返す。心境は走るロボット、内心は絶対に表情へと出さない。

そして駅が見えた瞬間に立ち止まる、僅かに上下する肩を落ち着かせつつ時計を確認。電車が来るまであと十分、丁度良いと言えば丁度良い。流石に早朝なだけあって人はまばらだが、その中に彼女の姿は見えない。或は見落としているだけか‥‥。

後は普通に駅へと入り、売店でスポーツドリンクを購入。眠たげなバイトからお釣りを受け取って、そのお金で切符を買った。切符はきっちり二駅分、本来の切符は既にバッグの中で待機している、抜かりはない。

素知らぬ顔で改札を潜り二番線へ、後はなるべく目立たない様隅っこの椅子を確保して音楽に集中している感を出す。その間にも心臓はバクバク音を立てた、恐らく近くに人が居たら聞こえるだろうと言う位。

 

彼女は居るのか、呼び止められないか、バレて無いか。

 

人生で最も長い十分だった。

目を閉じて音楽に集中している風を装っているが全く曲は耳に入ってこない、周囲の僅かな雑踏と雀の鳴き声、それから列車のアナウンス。それらに全神経を注ぎ時間の経過を待った。そして待って待って待って待ち続けて。

 

― 二番線、列車が入ります、黄色い線よりお下がりください。

 

来た!

歓喜した、列車が来たのだ。少しずつ瞼を空けて薄目を空ける、視界を開いたら目の前に彼女が居たとかそういうフラグを消すため足元から見る。誰かの足が見える事は無い、俺の前は無人のホーム、誰も居ない。それと無く周囲を見渡せばこちらを伺っている人も、怪しい影も無かった。居ない、彼女は居ない。

やがて列車が音を立てて止まり中からまばらだが人が降車する、それらの人を暖かい形で迎え入れながら俺は車内へと踏み込んだ。

 

歓喜、圧倒的勝利!

俺は内心でガッツポーズを取る。計画は成功した、彼女は周囲に居ない。ガラガラの車内を見渡して二人席を確保、ふんわりとしたクッションが尻を押し返し仄かに暖かいそれが自分を祝福している様に感じた。

「っし! っし!」

 口から洩れる歓喜の声、分からない程度に拳を固めて嬉しさを滲ませる。これから訪れる自由な暮らしを夢見て、縛られない人生と言う未知に歓喜して、閉まるドアを万感の思いで見送った。

 

― ドア閉まります、ご注意下さい。

 

 そうして走り出した列車は目的地に向かって一直線。俺は躍る胸を抑えつつ、流れていく風景を笑いながら眺めていた。

 

 

 その選択が正しかったのかどうか、それは今の俺が知っている。

 

 

 

 




 ヤンデレ! 圧倒的ヤンデレ!ヾ(*´∀`*)ノ

 初コメディ作品!(`・ω・´)

 これコメディか? と言う突っ込みは無しで。(´・ω・`)

 クスリとでも笑ってもらえたらきっとコメディ。

 本文はヤンデレです。


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俺の彼女は料理が上手い

 俺の彼女は料理が上手い。

 

「おはようございます」

 朝起きてリビングへと足を運ぶと随分と凝った朝食が用意されている、それは此処最近毎日見る光景であり、今ではもう殆ど日常風景となりつつある。まだ春の兆しも訪れない冬の半ば、冷え込む朝に暖かみのある食事。湯気を発する白米とサバの味噌煮、味噌汁と漬物、野菜和えに湯豆腐。それらが二人分並び姿勢よく正座で待つ彼女、後ろで一つに括られた髪型は活発な印象を与えるが、凛とした佇まいを見せる彼女と合わさるとお淑やかにも見えた。

「朝食、出来ていますよ」

「‥‥あぁ」

 未だ寝癖のある髪を手で解しつつ、自分の定位置へ。食欲をそそる朝食の品揃えはきゅうと腹を鳴かせた。前を見ればこちらをニコニコと眺める彼女、それから朝食に視線を落として手を合わせた。

「頂きます」

 箸を手に取って白米を一口、程よい甘みと熱さ。噛みしめるとぎゅっとした旨みを感じ、鯖の味噌煮に箸を伸ばす。左右に身を裂けば中から食欲を掻き立てる匂い、一口サイズを口に放れば何と美味な事か。甘く深い味わい、甘さと少しの辛さが調和し噛めば噛むほど味が滲み出る、白米と合わさり互いが互いを引き立て、飲み込んだ後に「ほぅ」と溜息を吐き出したくなる程度には美味かった。それから二、三口と箸を進めて行く。すると何か熱い視線を感じ、「もっと」と叫ぶ腹を無視して顔を上げれば、こちらをじっと見つめる彼女。しかしそれも、ここ最近で慣れた事。その何かを求めて光る瞳を見て一言。

「美味いよ」

 そう言えば花が咲いた様に笑って「良かった」と返す。それから漸く箸を取った彼女は「頂きます」と食事を開始した。上品に少しずつ食を進める彼女を見ながら、俺もまた箸の動きを再開させた。昨日の夜から何も入れて居ない胃袋は美味い飯を前に嬉しい悲鳴を上げている、これを食べてしまえばコンビニ弁当などと言う味気ない食事は、食べられなくなってしまうのではと心配になってしまう程だ。これが「胃袋を掴まれる」と言う事なのだろうかと思った。まぁ気付いた所で、既にどうしようもない所まで来てしまったのだが。

「‥‥済まない、醤油を」

「あっ、はい」

 彼女側にあった醤油瓶を指差し取って貰う、彼女が手にしたそれを受け取ろうとして、不意に手が合わさった。

「あ‥‥」

 するとさっと手を引っ込めてしまう彼女、俺の手に残った醤油瓶。僅かに頬を赤くしながらこちらをチラチラと伺い、目が合うと恥ずかし気にはにかむ。

「‥‥わるい」

 俺はその様子に頬を掻きながら謝罪する、「い、いえ」と返事をしながらも触れた手の部分を大事そうに撫で、嬉しそうにする彼女を何気なく盗み見た。

醤油を垂らしながら既に何度も考えて、それでも答えの出ない疑問を浮かべる。この疑問は彼女が家に来てからずっと考えている事で、既に数ヶ月の月日が過ぎ去っているというのに答えが出ない。それでも考えてしまうのはそれが決して無視できない類の疑問だからで、嬉しそうに微笑む彼女を見ながら思った。

 

 

 

― はて、何故彼女は此処に居るのだろうか と。

 

 

 

 俺は彼女に飯を作ってくれと頼んだ覚えはないし、一緒に住もうと言った覚えも無かった。

 既に彼女が此処に住み始めて三ヶ月、いや四ヶ月だろうか、もう少しで半年が過ぎ去ろうとしている。彼女とは大学からの付き合いであり、お互いに就職した後もそれなりに交流を続けていた。元々は入学式に知り合った同級生であり、それから何となしに行動を共にする様になって、それが今でも続いている。

 職場が近いから(たま)に食事を作って上げようという彼女の提案を受け入れて、それから月に数回彼女が家に出入りする様になり、それがいつの間にか週に二回程となり。

 本当に気付けばいつの間にか、ほぼ毎日彼女が食事を作りに来る様になった。

「二人分も一人分も一緒」そう言ってキッチンに立つ彼女の作る料理は本当に美味しくて、迷惑になるのではと思いつつも拒むことが出来ず今日に至る。

 最初はキッチンだけだった彼女のスペースも、いつの間にか彼女の歯ブラシが洗面台に並び、いつの間にか布団が隣に並び、いつの間にか部屋に居る事が当たり前になった。彼女の居る空間が当たり前になった今では、彼女が居ないと遂探してしまう程だ。

 外に出れば「あらぁ藤堂さん、おはようございます、奥さんはお元気ですか?」と大家さんに夫婦扱いされるという始末。というか俺の苗字は藤堂では無いんですけど、なんて言う言葉は意味を成さず、役所に行けば俺の苗字はいつの間にか『藤堂』になっていて、家の表札は『藤堂』にすり替えられていた。気付かない内に職場にも知られており、「なんだよお前、何時結婚したんだよ? 水臭い奴だなぁ」と同僚に揶揄(からか)われる。世間体では婿入りした事になっているらしい。

 いや結婚どころか、告白した覚えも無いのだけれど。

 

 味噌汁を啜りながら目の前で食事を再開した彼女を眺める。今では家の半分近くが彼女の私物で占拠され、2LDKのマンションは二人と言う丁度良い人数になった。無骨で飾り気の無い部屋はしかし、彼女の私物によって華やかさを持ち、今では自分の部屋ですら殺風景に感じる。同居を許可した覚えはないが、今更出ていけと言えるほど俺は顔の皮が厚く無い。それに多分彼女が居なくなれば俺は生きていけないだろう、今や家事は全て彼女が担っている。

 実際問題、彼女が家に居て悪い話ばかりではないのだ、というか悪い話どころか良い話しかない。

 あれ、じゃあ寧ろ居てくれて何も問題ないじゃん。

 疑問終了。

 

 と言った風に、結局こういう結論に落ち着く為、答えは保留。

だが朝起きると寝ぼけた頭がどうしても疑問を浮かべてしまい、毎回こうした意味の無い結論を出すまで思考は回るのだ。

「御馳走さまでした」

 彼女が食べ終わり、それを見て残り少ない白米を口に掻き込む。「慌てなくても大丈夫ですよ」と微笑む彼女に、いや手間は掛けられないとモグモグ頬張った。空になった椀を重ねて洗面台まで持っていく、「私がやりますよ?」と何処か所在なさげにする彼女に向かって「いや、これくらいはやらせてくれ」と言い張る、事実俺は家事が上手く無いのだ、寧ろこんな雑用しか出来ない事を心苦しく思う。

「折角の休日なんですから、ゆっくりして下さい」

「それは、お前もだろう」

 私は貴方のお世話が生きがいなんです、なんて満面の笑みで言われては何と言い返せば良いのか分からなくなる。俺はリビングのソファに座り、彼女がカチャカチャと食器の後始末をする。ぼうっと彼女の後ろ姿を眺めて行くと、その華奢な腰や細い手足に目が行ってしまう。自分の男がむくむくと頭を擡げそうになるが、流石に朝から行為に及ぶなど節操がないと理性を総動員させた。

 実際、俺達は何も知らない純真な子どもと言う訳も無く、俺は彼女の味を知っているし、彼女も俺の味を知っている。それでも結婚していないのかと言われれば少し心苦しい部分もあるが、苗字を変えられた事に抗議しない事が俺なりの答えだったりする。彼女がどう考えているのかは分からないが‥‥。

 きゅっと、水道の蛇口を閉める音が響いた。それから手を拭いながらリビングに足を運ぶ彼女、電源を入れたままのテレビニュースなど微塵も気にしていなかったが、さもニュースを見て居た様に視線を固定して彼女から視線を逸らした。

「何か、気になるニュースがありましたか?」

「‥‥いや、何も無いよ」

 ソファに座る俺の隣に腰を下ろす彼女、ふわりと甘い香りが鼻腔を擽り心臓が高鳴った。肩が触れ合いそうになる距離、いつもの距離と言えばそうだが未だに慣れない。

「貴方は警戒心が強過ぎです、もう少し気を楽に、ほら笑顔ですよ」そう彼女に何度言われた事か、大学に居た頃はこの性格故か余り友人も出来なかった。一度友人にその事を相談した事があるが「いや、それはお前のせいじゃなくて、お前の彼女が‥‥」と言いかけて、その後に「いや、何でも無い」と顔色悪く呟いたのを鮮明に覚えている。まさか顔色悪くする程俺はどうしようもないのかと思ったが、その後合流した彼女に慰められた。

そう言えばあれ以来彼の姿を見て居ない。風の噂で何でも退学したという話を聞いたが、唐突な事でとても驚いた事を覚えている。

「何でもご実家の方で何かあったみたいですよ」

 そう彼女は言っていた、彼女も友人伝に聞いた様だった。

 

「今日はどうしましょうか?」

 俺の手にそっと自分の手を重ね、肩に頭を預けながら此方を見上げる彼女。僅かに色づいた頬が俺の男性としての本能を刺激するが、至って何でも無い様なフリをしつつ「今日は一日、ゆっくりしよう」と言った。

「はい」

 特に反対する様子も無く頷いた彼女、今日は休日であり特にこれと言った予定も無い。偶にはのんびり家で羽を伸ばすのも良いだろうと思った。

「あの」

 今日一日どうやって過ごそうかと考えていると、唐突に彼女の声が思考を遮った。彼女を見降ろしながら「どうした?」と問えば、少し恥ずかしそうにしながら何かを言い淀む彼女。口を開いたり閉じたり、何度かそれを繰り返した後顔を真っ赤に染めながら言った。

「き、キス‥‥して、下さい」

 直球勝負である、思わせぶりな態度も何もない。その言葉を聞いて思わず硬直してしまった俺は悪く無い、だが何と言葉を返せば良いのかと逡巡している間にも「駄目ですか‥‥?」と悲し気な表情をする彼女を放っておける筈も無く。彼女とキスをすることは嫌か? いや、そんな筈はない。俺だって男だし人並みの欲求はある、こんな美人に求められて嬉しく無い筈が無い。じゃあ何で迷うのか、それは俺と彼女の関係が酷く曖昧なモノであるから‥‥。

 いや、そもそも結婚(したことになってる)済だし。

 え、じゃあ別に良いじゃん。

俺の抑えていた本能が再び暴れ出し、理性の枷が次々と外れる。思わず彼女を押し倒してしまおうか何て思ってしまうがギリギリで踏みとどまり、彼女の頬に手を添える。それを恍惚とした表情で受け入れる彼女は、潤んだ瞳で俺を射抜いた。

「‥‥‥はっ‥‥ふぅ」

 僅かに漏れる吐息、そこから甘い香りがして二人の唇が。

 

『pi pi pi pi pi pi pi pi pi pi pi pi pi pi』

 

 鳴り響く電子音、それは彼女のポケットの中から。何時までも鳴り止む素振りを見せない様子からメールでは無く電話である事が分かる。もう少しで触れそうだった唇を離し、名残惜しそうにしながらも彼女はソファーから立ち上がる。俺も何となく気恥ずかしく思い、頬を掻きながら視線を外した。

「はい、藤堂です」

 携帯を片手に席を外す彼女の背を眺めながら、何とも性欲を持て余す、とか思ってみる。実際股の間にそそり立つモノは雄々しく戦闘準備万全なのだが、それを悟られない様するのが紳士と言うものだろう。

「七子野? お屋敷から持って来てと言っていた筈ですが‥‥お父様が? その話は随分前に済ませました、今更蒸し返すなど‥‥」

 壁一枚隔てた向こう側から僅かにくぐもった声が聞こえる、壁が厚いとは言えないが薄いとも言えないマンションでは聞こえそうで聞こえないと言う現象が発生する。いやそもそも人の電話を盗み聞ぎするモノでは無い、俺は彼女の電話を意識の外に追いやり未だ音声を垂れ流すテレビへと意識を向けた。

 

「既に入籍も済ませました、大学の方も問題無く、職場は既に財閥の手中です、これ以上一体何に文句を言うつもりですか‥‥は? 家政婦? 家事はソイツに任せろ‥‥?  

私とあの人の場所に『見知らぬ女』を入れろと‥‥そう仰るので?」

 

 そう言えばこのマンションも彼女の紹介で入ったんだよな。敷居金も安かったし、家賃も何故か通常の半分近くになったし。大学時代からこんな良い場所に住めるのも運が良い、そう言う意味だと彼女には感謝しなければならないだろう。

 

「引っ越せ? お屋敷に戻れと仰いますか‥‥断ります、この家には監視カメラ、盗聴器、防犯センサー等全てが揃っているのです、今更戻る必要性を感じません、家事は全て私が行っていますので、申し訳ありませんがこればかりは譲れません」

 

 でも一つだけ不思議に思う事がある、それはこのマンションに引っ越して来てから未だ他の住民を見た事が無いと言う事だ。十二階建てのマンションにはこの部屋以外にも複数部屋が存在する。当たり前だが俺だけがこのマンションに住んでいる訳では無い、他にも住んでいる人が居る筈なのだが。

 このマンションに住んで早五年、だと言うのに未だ廊下や駐車場で鉢合わせる事が無い。ご近所付き合いと言うものが皆無なのだ。唯一出会うのは大家さん位なもので、他は全く影も形も見えない。

 

「マンションは既に買収していますし、他は撤去済みです、家政婦を送って来ても追い返すだけです、大家さんの美佳子さんは私の直轄ですので‥‥兎に角、これ以上私の手を煩わせないで下さい、いい加減子離れしないと母様に呆れられますよ?」

 

 それとも避けられてるのか‥‥。何てネガティブ思考に浸っていると、彼女が携帯を片手に戻って来た。その表情はどことなく不機嫌そうだ、「誰から?」と聞きたい欲求を抑えつつ、藪蛇が出ない様「おかえり」とだけ口にした。

「すみません、その、良い所で‥‥」

 恥ずかしさ半分、申し訳無さ半分と言った表情で頭を下げる彼女に「気にしてない」と告げつつ、無言で隣をポンポンと叩く。それを見て嬉しそうにしながら隣へ腰を下ろす彼女、何と言うか愛らしいと思う。流れるニュース、零れる吐息、心臓の音が聞こえる部屋の中で、どちらからと言う事も無く見つめ合い。

 触れ合った唇から一気に愛おしさが込み上げてきた。

 

 ― この時、俺は彼女を愛しいと思ってしまっていたが、それが実は間違いであり。

実際は彼女が朝食に仕込んだ媚薬が原因だったと言う事を後日知る事となる。

何でも態々アメリカ合衆国の裏ルートから密輸された純性のモノだとか何とか、詳しくは知らないけれども。

 

 行為が終わって胸を支配していた恋慕の情が引いて行き、何となく虚無感に駆られながらも「あぁ賢者モードか」と自分で納得してしまっていた俺を殴りたい。それ違うから、一服盛られているからと。

 そうとも知らずに何となく体が目当て見たいで嫌だと思い、隣で寝息を立てる彼女の頬にキスをした。すると突然彼女がびくんと反応し、飛び起きた彼女と唐突な第二ラウンド。あれ寝ていたんじゃ、何て口に出す事も出来ず体を貪り食われた。あんなに積極的な彼女は初めて見た。

 

媚薬の効果が切れた後なのに、自分からキスをしてくれたという事実が彼女の理性を壊したと、俺は後から聞いた。七子野さん曰く、物凄い喜び様だったとの事。

 

 再び目を覚ました時、彼女は隣に居なかった。僅かな暖かさが残る布団と全裸の自分、カーテンの隙間から降り注ぐ光は僅かに赤色を含んでいるため時間は既に夕方か。枕元の携帯を手に取ると夕方の5時である事が分かった、随分寝ていたなと思いつつ体を解す。彼女によって鍛えられた強靭な腰がパキパキと音を鳴らした。

布団を退けて寝床から抜け出し、そのままリビングへと向かう。しかし其処に彼女の姿は無く、テーブルの上には作り置きの食事と紙が一枚、それを手に取って眺めた。

『食材が切れそうなので買ってきます、お腹が空いたらテーブルの上にあるご飯をレンジで温めて食べて下さい、なるべく早く帰って来ます』

「‥‥律儀と言うか何と言うか」

 だが好意は有り難く受け取ろう。言われた通りに食事をレンジで温め、もそもそと食べる、作り置きだが美味い。十分もすれば全て平らげてしまい、腹八分目まで満たされた。食器を全て片付けた後は手持無沙汰だ、それだけで自分が無趣味な事が分かる。大体自分が家に居るときは彼女が隣に居たし、実は俺一人で留守番と言う状況は中々珍しい。本でも読もうかと一瞬思ったが、手元にあるものは全て読んでしまったし、本屋に向かう程読みたいと言う訳でも無い。娯楽と呼べるものは大よそこの家には無く、結局いつも通りソファに身を委ねつつテレビを眺める。だが元々テレビが好きな訳でも無い俺は十分もすれば飽きてしまう、隣に彼女が居れば別だが今は一人。

 テレビの電源を消した俺は溜息交じりに自室の片付けをしようと思い立った、ここ最近は使っていなかったし埃も溜まっているだろうと。だが俺の予想に反して部屋はピカピカに掃除されており、平積みだった本も全て整理整頓され本棚に仕舞われていた。彼女が知らぬ内に掃除をしてくれたのだろう、何とも完璧過ぎて何も言えない。

しかし男の部屋と言うモノは誰しも宝物(トレジャー)を隠しているもので。本棚の一角、専門書シリーズで偽装された俺の宝物はものの見事に見破られていた。

「‥‥‥」

 表紙を捲って中を見てみれば、無残にも引き裂かれた(ページ)が次々と現れる。二枚目も三枚目も、一貫して裸体をカッターで切り取った様な跡。俺のお気に入りだった所など特に酷い、まるで恨みを持った相手を切り裂く如く無残に裂けていた。そして最後の一枚を捲り終えれば、其処に彼女が写った写真が一枚。何時撮ったのか、水着やら裸エプロンやらシャツ一枚やら。

 これを代用品にしろと言う事なのだろうか。いやまぁ、別に構わないのだけれど。自分の宝物が無残にもズタボロになった悲しみと、新たな宝物の出現に複雑な気持ちを抱きつつ、俺は部屋に設置された椅子へと腰を下ろした。そして『元』宝物シリーズを次々と捲っていく、中身は全て切り裂かれている為、彼女の写真を見つけては取り出す作業を繰り返した。

得られた彼女の写真は十五枚、失われた宝物は五冊。彼女の目を盗んで買い揃えていたソレは、まだ彼女と情を交わす前のモノ。思い出の品と言えばそうだが、見つかる度に処分されていた為、既に慣れたと言えば慣れた。部屋に置かれた机の引き出しを開ければ、中から彼女の写真が大量に出現する。その数は実に百枚以上、俺と彼女の戦いの歴史であり、処分されては買い揃え、また処分されては買い揃えを繰り返していた。最初こそ何故そこまで口出しされねばならないのだと思った時期もあったが、彼女は嫉妬深いのだと理解してからは余り気にならなくなっていた。

じゃあ買わなければ良いのに、と思うかもしれないがそう言う問題では無いのだ。確かに彼女は可愛く、美しく、甲斐甲斐しく世話もしてくれる素晴らしい女性ではあるが、悲しい男の性が言うのだ。偶には別な刺激が欲しいと。

インスタントな食べ物が食べたくなる時もある、つまりはそういう事だ。

しかし、実際に他の女性とそういう関係になってしまうと、昔ならいざ知らず今では不倫になってしまう。いや、結婚した覚えは無いのだけれど。だからこそ俺はこういった宝物で我慢している訳であり、彼女もそう言う意味では部分的に許容しているのだろう。買って来ても見つければ処分するが、買うなとは言わない。

そこに優しさを感じる、誰かとは大違いだ。

 

「よし、終わった」

 処分された本をゴミ箱に投げ捨て、彼女の写真を引き出しに仕舞う。この写真集も何時かとんでもない量になるのだろうかと想像する。飽きもせず買う俺も俺だが、それに付き合う彼女も中々だよなぁ何て考えた。

さて本格的にやる事が無くなったなぁと思っていると、携帯に着信。ポケットから取り出して見てみれば彼女からメールが来ていた。

『もし所在無ければ、貴方の部屋に新しい本を置いておきました、よろしければ一読なさってみて下さい』

 実にタイムリーな内容、本棚の一番上の棚、右端に入れられていた一冊の本。確かにその表紙と題名は見た事が無いものだった。偶に彼女は予知能力でも持っているのでは無いかと思う程、俺の行動を先読みする事がある。例えば手持無沙汰になった時。

『新しい本を買っておきました』

 例えば探し物が見つからない時。

『もしテレビのリモコンをお探しなら、ソファのクッションの下にあると思います』

 例えば彼女に内緒でご飯を作ろうと奮起した時。

『お腹が空きましたか? 冷蔵庫に作り置きがあります、温めて食べて下さい』

 例えば彼女に内緒で出かけようとした時。

『お出かけでしょうか? 一体どこに?』

 例えば一人で行為に及ぼうとした時。

『私の写真を使って下さい』

 

 何とも此方を何時でも見て居るのではと錯覚してしまう程、非常にタイムリーなメールを寄越すのだ。最初の頃は不思議で「何故分かるんだ?」と聞いていた、その度に「愛の力です」と恥ずかしそうに頬を染めながら言う彼女は可愛らしい。あ、いや、そうじゃない。

 兎も角、彼女の予知能力めいたそれは今に始まった事では無く、既にそれなりの時間を共に過ごした結果、まぁ彼女だもんな、と言う半ば思考放棄に近い形で決着がついた。別に「愛の力」と言う形も何も無い存在を信じた訳では無いが、何となく彼女なら予知出来ても不思議では無いと思ってしまうのだ。

 

 それはさておき新刊だ、手に取った本は包装を剥がして間もないのか非常に綺麗なままだ。表紙はコートを着た男がバックに時計塔を背負ったシンプルなモノ、題名は「γ(ガンマ)の証明」

あらすじを読む限り、女癖の悪い主人公「ガンマ」が二又、三又を繰り返し、嫉妬深い女達から逃亡すると言う単純明快な物語らしい。それぞれの女があの手この手でガンマを独占しようと試みるが、それを次々と躱す主人公。何とも性欲の権化みたいな男だ、まったくけしからん。

 だが彼女が帰って来るまでの暇潰しには丁度良いと、早速(ページ)を捲った所で。

― ピンポーン

 電子音が家の中に木霊した。

思わず本を捲る手を止めて「彼女が帰ってきたのだろうか」と思考。しかし次いでポケットの携帯が振動し、着信を知らせた。自室から退室しつつ携帯を手に取る。その間にも三秒に一度チャイムが鳴らされていた。

「‥‥彼女じゃない、宅配か?」

 そもそも彼女だったら自分で鍵を開けて入ってくる筈、では宅配か友人が来たと言う線が濃厚だろう。俺は鳴りやまないチャイムに非常識な奴だと思いつつ、携帯をテーブルの上に置いて玄関へと向かった。

 

 

 その時、彼女からのメールを見て居れば(あるい)は、結末は変わったのかもしれない。あの瞬間が正しく分岐点であり、今の俺を決定付けている。分岐点に立ったのは、あそこで二度目だった。

ある意味俺は浮かれていたのかもしれない、しかし人生が変わる瞬間とは何の前触れも無く訪れるモノで、事前に察知しろというのは無理がある。

 両親や恋人の死、失恋、リストラ、交通事故、なんでも良い。自分のこれからの人生が大きく変わる出来事、そのターニングポイントを俺は見誤った、或は気付いていなかった。たった一つ、玄関のドアを開けると言う行為、それを果たす事によって俺の人生は大きく変化した。

 テーブルの上に放置された携帯。

 

 彼女から送られてきたメールの内容。

 

 

『出てはいけません 逃げて 相手は貴方の』

 

 

「今出ますよっと」

 玄関に取り付けられた鍵、上と下に一つずつ。更にはチェーンも備え付けられていると言う徹底した防犯。流石にやり過ぎてはと思う事もあったが、彼女の「安全は何物にも代えがたいのです」と言う言葉に頷き、許容していた。

 それを家主自ら解除する。

 そうして鍵もチェーンも全て取り外し、もう拒むモノは何も無いと言う扉を押し開けた。

 ガチャリと音が鳴り、外から僅かに冷気が入り込んで来る。部屋が暖かい為か、その冷気が肌を舐めた瞬間に鳥肌が立った。妙に寒い、それが最初に思った事。

「あの、藤堂さんのお宅でしょうか?」

「えっ、あ、はい」

 藤堂と言う苗字にすぐさま返事を返せたのは日頃の慣れか。

外に居た人物が、扉から数歩下がった場所に佇んでいた。フード付きのパーカーで帽子を被っている。その両腕はポケットに隠れており、目元は隠れて見えなかった。だが長い髪が肩まで伸びて居る為、女性だろうと言う大まかな予想を立てる。胸を押し上げる二つのモノも証拠となった。

「そうですか、良かった‥‥あの、一つお聞きしたいのですが」

 そう言って彼女はパーカーのポケットから片腕を取り出し、被っていた帽子を取った。伸びた髪がハラリと滑り落ち、それを見て俺の表情が固まる。

目の前の女性が鋭い眼光を俺に向け、そして言った。

 

 

 

「優って男の人、此処に居ますよね‥‥?」

 

 

 

 

『 元彼女 』

 

 

 

 

 

 

 

 




 ヤンデレふぉおおおおヤンデレ、ヤンデレ!? ヤンデレっ!嗚呼(あぁ)ヤンデレッ! ヤンデレえええええええええええええええええ!

 世界にヤンデレが溢れたら争いは無くなると思うんです(真顔)
ほら、皆愛され、愛し、アァ何て素晴らしい世の中。ヾ(*´∀`*)ノ
きっとそこがユートピアね!

 短編で出したのに気付いたらヤンデレ続編を書いていた、何を言っているか分からないかもしれないが、俺も何を言っているか(ry

 これもヤンデレなのが悪い。

 皆さんもヤンデレ書いてみましょう?
ほら、一行だけ、一行だけでも良いから、ほらほら‥‥。

PS:Twitter再開しました! 宜しければどうぞ!
『@solalial01』→トクサン@ヤンデレ大好き


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俺の彼女は「もしも」が多い

(かける)さん、朝ですよ? ほら、起きて下さい」

 早朝、僅かな冷気が布団の隙間から俺の体温を奪う中、布団を手繰り寄せようとした手が暖かい何かに触れて意識が覚醒する。それから自分を呼ぶ声を認識し、未だ霞む視界の中で此処半年見慣れた顔が映る。

「朝ごはん、出来てますよ?」

 整った顔立ちに長く艶やかな黒髪、彼女に似合った和服は一週間前に俺が送ったモノ。段々と靄が掛かった思考が回転数を取り戻し、彼女の顔を見て「おはよう」と告げた。そして自分が未だ寝床で横になり、彼女が起こしに来たのだと理解する。

「はい、おはようございます」

 全くだらしない俺を起こしに来た彼女は、しかし全く嫌そうな顔一つせず寧ろ嬉しそうに微笑みながら俺を見て居た。上体を起こして伸びを一つ、彼女は俺が起きたのを確認した後に退出、布団を捲ると冷気が自分の肌を舐めるがもう慣れたモノ。寝床から抜け出すと手早く布団を片付けてしまい寝室を後にした。後は洗面所で顔を洗って、相変わらず酷い寝癖だと確認しつつ彼女の居る和室へ。

「今日はオムライスを作ってみました」

 和室に入った俺に声を掛けながら配膳をする彼女、和室の木製テーブルの上に並べられたのは新鮮なサラダと少し大きめのオムライス、それにコーンスープだった。彼女は見た目が如何(いか)にも大和撫子と言った風なのに和食が苦手だったりする、最初は何となく違和感を抱いていたが、今ではもう寧ろ洋食に慣れてしまって稀に練習で和食が出ると「あれ」と思うほどになってしまった。慣れと言うのは怖いモノである。

「中にチーズも入れてみました、お口に合うと良いのですが」

 振り向き、にっこりと笑みを浮かべる彼女。俺は頷きながら座布団の上に座る、彼女も続いて俺の隣に腰を下ろした、彼女は何故か俺の隣が好きだった。

「頂きます」

 スプーンを手に取って出来立てのオムライスを一口、熱々のソレを噛みしめながらオムライスの上に書かれた文字に目をやる。

上に赤色で書かれた文字はー「浮気は絶対に許しません」

 浮気とは何だろうか、俺に彼女は居ないのだけれど。

確認の意味合いも兼ねて隣の彼女に視線を飛ばす、にっこりと意味ありげに微笑む彼女。

― 見なかったことにしよう。

というか端から端までびっしりと書かれた文字に赤色が不気味だ、そう思うのは俺だけだろうか、そうか俺だけか。

 もぐもぐと口を動かしつつ浮気、彼女、浮気、彼女、と思考が空回り、やはりまだ寝ぼけているのだろうかと他人事の様に思う。それから隣でじっと俺を見つめる彼女に気付いて、半ば反射的に「美味いよ」と声を出した。

「あっ‥‥」

 ぱぁ、と。

 彼女の顔に花が咲く。

結構気丈に見えるがこの彼女、かなり心配性なのだ。

 俺がこの旅館に流れ着いて既に半年が経とうとしている。時の流れは早いもので、彼女の好意で住まわせて貰ってからは一気に時が加速した感じだ。最初は住み込みで働くと言う条件で雇って貰っていたと言うのに、何故俺は彼女の家で一緒にご飯を食べている、不思議だ。

 そう、最初は本当に住み込みで働いていた。

 彼女の一族が経営している旅館に流れ着き、彼女の好意で旅館の従業員となり住み込みで働き、しかし何故か彼女は毎日俺の部屋を訪ねて来て、何かと「不便はありませんか?」と聞いてきたのを覚えている。自分にとっては衣食住全てが揃っているので不便な事など無いと言い続けていたのだが、ある日唐突に「そうだ、私の家で一緒に暮らしましょう! 貴方もそれが良いですよね!」と言われ俺の預かり知らぬ所で元より少ない荷物が全て彼女の家に運ばれ‥‥あれ、本当に何で俺は此処に居るんだろう?

 気付けば彼女の家の一室が俺の部屋になり、気付けばその部屋は半ば彼女の部屋にもなり、気付けば隣に布団を敷いて一緒に寝ていた。

訳が分からない。

それどころか掃除洗濯炊事まで全て彼女がやってしまうのだ、最早居候というよりも客人の域である、申し訳無くてしょうがない。だが「俺がやります」と進言しても「私の仕事を取らないで下さい、これは義務なのです」と頑なに譲らない。何が彼女を駆り立てているのか俺には分からない。

誤解の無いよう言っておくと、一緒に寝ると言う部分では最初こそ俺は反対した、確か一人で寝るが最近寂しいので一緒に寝て欲しいと言われたのを覚えている。流石に男女が一つ屋根の下で寝床を共にするのは拙いのではないかと思ったし、口にもした。他人の家に住まわして貰っている身でどうこう言うのは非常に気が引けたが、これは貴女の為でもあると追い出される覚悟で進言したのだ。しかし返ってきた答えは「とても誠実な方なのですね‥‥」である。尚、頬を紅潮させて潤んだ瞳もセットだ。それ以降何を言っても似た様な反応しか返ってこなかった。

結局、渋々承諾して一緒に寝る様になったのだが彼女には何と言うか、少しだけ変わった趣味(?)があった。

 俺が寝付くまで、じっと此方を見つめ続けるのだ。

 最初は顔に何かついているのかと思ったが、そう問うても「いいえ」と返してくるので俺は実はとんでもなく警戒されているか、(あるい)は嫌われているのではないかと推測していた。しかし、訝しんでいるのが分かったのだろう、彼女は顔を赤くしながら「違うんです!」と捲し立てた。曰く、人の顔を見て居ると安心して眠れるとの事。

 珍しいと思ったし、少しだけ変だとも思ったが、別段そういう理由なら気にしなくて良いかと自己完結。まぁ俺の顔で良いなら別に幾らでもどうぞと言うと、彼女は本当に、それはもう、本当に嬉しそうに眺め続けた。最近では彼女の視線を意識しなくなり、布団に入ればどれだけ見られていても()ぐ眠れるようになった。良い事なのか悪い事なのか分からないが、まぁ良い事だと思っておこう。うん、きっと良い事だ。

 彼女自身、若くして両親を亡くし人肌恋しい時期だと思えば納得も出来る。若女将としての重圧とか責任とか、家に居る時くらいは忘れて欲しいと思ってしまうのは彼女とそれなりに長い時間を過ごしたからか。

 オムライスを口に運びながら彼女の方を盗み見る、自分の料理を噛み締めながら「うん、今日も上手くできた‥‥」と小さく呟く彼女は、旅館に出れば若女将として忙しなく働くのだろう。家では年相応に振る舞う事が出来ているだろうか、ちゃんと休めているだろうか、そう聞いてしまえば早いのだろうが、何となくこういうのは押し付けるものじゃないと思って胸の奥に仕舞った。

 

「今日は五時くらいに終わると思うので、お昼には一度帰って来ますから」

 彼女が支度を終え玄関に立つ、姿は和服のままで手には手提げ袋が一つ。彼女の家は旅館本館から数分程歩いた離れにある一軒家で、彼女の一族が住んでいた場所でもある。元々一族経営だった為近い場所に家を構えたかったのだろう、幸い職場が近いと言うのは便利で出勤近くまで家でのんびり出来る。通る道も全て彼女の所有地、旅館の敷地内だ、何と言う贅沢。

「分かった、何か手伝いが欲しかったら言ってくれ、すぐ行くから」

「はい‥‥では、行って参ります」

 いってらっしゃい、そう言って俺は玄関で彼女を見送る。扉の向こうに消えた彼女を確認して扉の鍵を閉めた。元々は鍵など掛けない家だったらしいのだが、何故か俺が来てからは彼女に「防犯はしっかりして下さいね、鍵は掛ける事、後は何かあれば旅館の警備の方が飛んできますから」と言われた。何故かは知らない、けれどまぁ彼女には彼女の考えがあるのだろう。

 さて、今日も一日何をしようか。

 誰も居ない家の中を見渡しながら、俺はそう思った。

 ― 言い訳をさせて貰えるのならば、別に俺はヒモになる気持などサラサラなかった。

 俺は悪く無い、いや()しかしたら少しは俺が悪かもしれない、うん、二割とか三割とかその位。

 先に話した通り、俺は最初こそ本館の住み込みで働いていた。住み込み従業員用の部屋が本館三階に用意されており、六畳一間の小さな部屋で俺は二週間ほど過ごした。仕事そのものは然程難しくも無く、以前の職場で経験したスキルなども発揮しそれなりに働けていたと思う。しかし、何と言うか旅館の仕事は何かと人手が足りなくなる事がある。人気があるならば尚更だ。

 結果、当初表の仕事をやる予定が無かった俺が運悪く応援で駆り出され、裏方の仕事しか覚えていないと言うのにぶっつけ本番で接客。当時の焦りと言えばそれはもう凄かった、内心「ヤバイ」を連呼していた位には焦っていた。妙齢の女性を部屋まで案内し、新規のお客様だったので旅館の事を説明、具体的には温泉の位置や食事の時間帯など。この辺りは俺も最近説明を受けていたので何とか切り抜けられた。

 問題はその後だった。

 自分で言うと少々ナルシストっぽくなるのだが、俺は顔が良い。取り敢えずぱっと見て「かっこいい」と言う程度には整った顔立ちらしいのだ。おまけに背も高く全体的に細身で見栄がある、これのせいで今まで色んな厄介事があったり無かったりするのだが、今回はそれが悪い方に働いた。

 そう、俺の事を気に入った女性が指名して来たのだ。

 食事を運んで来たり、お酌をしたり、接客の仕事と言うのは存外多岐に渡る。そして俺を気に入った女性が俺を寄越せと要望を出した。旅館にそんなキャバクラ(まが)いシステムは存在しないので「知るか」と一蹴する事も可能だったが、旅館と言うのはサービス業だ。俺を拾ってくれた恩もあるし、自分がやれる事をやらずに旅館の評判を下げるのは嫌だったので、俺は自分から「やります」と声を上げた。

 それが悪かったと言えば、まぁ悪かった。

 食事を運んで、お酌をして、何かと話しかけてくる女性に相槌を打ちつつ、接客というのも中々大変だと前職場の営業の辛さを噛み締めていた所でその日は解放された。しかし、表に出た事で俺の存在がお客様に知れてしまったのだ。

 新規のお客さんには「きゃ、イケメン」常連さんには「イケメンの新人さん」と認識され、十代後半から七十代まで広い年齢層の女性客に何かと呼びつけられる様になった。一週間程掛けてそれなりに覚えた裏方作業は終わりを告げ、気付けば料理を片手に客室を行き来し、お酌をして話相手となる。それから明らかに何でも無い用事で呼びつけられたり、具体的には温泉の場所が分からないので案内して欲しい等。流石に案内を見ろと頭ごなしには言えないので、案内した後客室にあるパンフレットをご覧下さいと言っておいた。兎に角俺の本来の仕事は放りっぱなしで接客に奔走する結果となったのである、それには俺も参った。客である以上あまり強く言う事も出来ない、殆ど表の仕事に従事し一週間ほど経過した頃、唐突に彼女が俺の元へとやって来て例の「一緒に住もう」発言をした。

 最初こそ戸惑い慌て、一体どうしたのだと遠回りにお断りの言葉を投げかけてみたのだが、半ば強引に同居は成立した。

 そしてその後は知っての通りヒモ男よろしく、家で怠惰に日々を過ごす生活。この生活を続けてどれ程の時間が経っただろうか、既に旅館の仕事仲間からも「若旦那」と呼ばれ、いい加減洒落(しゃれ)にならない所まで来ている。仕事もせず家事も出来ない、毎日ごろごろし本を読むだけの生活。もとよりアウトドアな趣味など持ち合わせていないが日にちすら把握出来なくなる程堕落するのは間違っている、彼女に寄生して‥‥これではダメ男では無いか。いや、実際の所ダメ男なのだろう、きっと彼女はダメ男生産機に違いない。

 この家に来て一ヵ月程経過した頃だろうか、流石にこんな生活をずっと続けるのは間違っていると思った俺は彼女に直談判した事がある。仕事をさせてくれと、今こそ巣立ちの時だろうと。最悪旅館でなくともアルバイトでも良いから働かせてくれと。

 一瞬で却下された。

「翔さんはこの生活に不満があるのでしょうか? 何かあるのであれば言って下さい、何でも要望は聞きますから、お金が必要であれば用意します、食事が気に入らないのならば厨房の料理人に教わります、掃除が未熟であるならば今以上に努力します、住居が良く無いのであればリフォームします! ですからどうか、どうか此処から出ていく何て言わないで下さい‥‥ッ!」

 いや、別に出ていくとは言っていないのだけれども。

 しかし既に彼女の耳は俺の言葉を聞きとらず、嫌々と首を振りながら俺に縋りつく彼女。一向に俺の弁解は聞き入れられない、俺の腰を抱き衣服に顔を埋めながら泣き喚く彼女、一体何が彼女をそこまで突き動かすのか。結局その日は俺が折れて、一日中彼女を慰める羽目になった。

「うっ‥‥ぐすっ‥‥もう、家を出たい何て言いませんか?」

「言わない、言わないから」

「わ、私の言う事、ちゃんと聞いてくれますか‥‥?」

「お、おう‥‥聞く、ちゃんと聞くよ」

「ぐすっ‥‥本当に‥‥? 私の事、裏切りませんか‥‥?」

「裏切らない、大丈だよ‥‥」

「じゃ、じゃあ、これって、事実婚って事で良いですよね!」

「そうだな‥‥ん?」

 その日、最底辺だった彼女の機嫌は何故か一気に最高潮に達した。

その日を境に彼女は俺を執拗に構う様になり、何処に行くも一緒になり、より一層仕事を得る事が困難になり‥‥。気付けば「仕事が欲しい」と再度挑戦する機会を完全に失い、ダメ男が一人。

 どうしてこうなった。

 いや、実際問題彼女は非常に優秀な『ダメ男生産機』(女性)なのだ。気配り上手と言うか、痒い所に手が届くと言うか。旅館の仕事で養ったスキルを家でも遺憾なく発揮した結果、ついつい甘えてしまう癖が俺に付いてしまった。

 例えばお腹が空くと、丁度良いタイミングで「ご飯、出来ていますよ?」と言ってくれたり。

 例えば風呂場のシャンプーが切れていたりすると、補填しようとして風呂場の外に出た瞬間、代わりのシャンプーを持った彼女が居て「こちらを使って下さい」と手渡してくれたり。

 例えば朝起きた瞬間に「おはようございます、着替えを用意しておきました」と朝の準備をしてくれていたり。

 例えばテレビのリモコンが見つからずに右往左往していると、お目当てのモノを持った彼女が「これですか?」と微笑んでくれたり。

 まぁ兎に角、彼女は非常に気が利くのだ。

 何故風呂場の扉前に居たのかとか、いつから枕元に座っていたのとか、色々疑問に思う事はあるけれど、彼女のそのスキルに俺はすっかり骨抜きにされてしまった。唯一探し物で見つからなかったモノと言えば昔のスマホ位か。大事な人達の連絡先が入っていたのだが、まぁ失くしてしまったのなら仕方ない。それも又、神様の(おぼ)()しと言う奴なのかもしれない。家の管理はお手の物、全く以て俺がダメ人間になった理由が分かると思う。そう仕方ない、仕方ない事なのだコレは。

 

― そう決めつけて、堕落したら本当のダメ男だ。

 

 俺はリビングを素通りし家の奥へと向かう。そこは数多の本で埋め尽くされた書斎、彼女曰く生前父親が使用していた部屋らしい。本の匂いが充満する部屋の一角、四方を本棚に囲まれた中にポツンと佇む木製机と座布団。その上に小さなタブレットPCが畳まれていた。

 家の外に出れないなら、中で稼げば良いじゃない。

 そう思い付きこの仕事を始めたのが二ヵ月程前からだろうか、専業主夫の様に家事も出来ず、かと言って外に出る事も許されない。しかし今の時代は家に居ながら仕事も出来る「IT」と言う素晴らしいツールが存在するのだ。幸か不幸か、こういった老舗旅館の女将である彼女はてんでこう言った情報ツールの存在に疎く、ネット環境が欲しいと言ったところ旅館の方から態々有線を引いて来てくれた。こう言ったネット上の色々は旅館事務員に任せているらしい、まぁ確かに適材適所と言うものがあるし何でも完璧だったら寧ろ俺が居た堪れない。彼女の用意してくれたネット環境を有り難く頂戴し、ネットで金銭を得る方法を模索したのが二カ月と一週間前。

幸いにして大学時代にPCを頻繁に使用していたので特に問題も起きる事無く、何とか現在まで漕ぎ着ける事に成功する。ネットで稼ぐ方法と言えばFXや株取引等などが代表的だが、元手が無く十分な知識も無かったのでその辺りは敬遠した。アフィリエイトも軌道に乗るまでが大変だし、ましてや人を沸かせる様な記事を定期的に書く才能など俺には無い。さてどうしたものかと考えている俺の元にふと一つの広告が目に入った。

 

― 電子書籍、貴方も物語を書いてみませんか?

 

 小説か、などと俺は柄にもなく考え込んだのを覚えている。

 元々本を読むのは好きだったし、何か文字を書くと言う事が苦痛であると言う訳では無い、寧ろ好きだと言う部類に入るだろう。しかし読むのが好きでも実際物語を書くとなれば話は違う、ましてやそれで金銭を得るなどと。しかし元手がゼロで始められると言うのは魅力的だったし、仮に失敗しても損失も無い、幸いにして必要な時間は腐るほど有った。

モノは試しだ、駄目だったら他の方法を考えよう。

 そう思い俺は素人ながら小説を書き始めた、ジャンルは自分が興味のあった「ホラー系」、SFやファンタジーにも何となくチャレンジしてみたかったが敷居が高そうに思えて断念した。小説を書くとなると大筋の物語が必要になってくるが、特に面白い話を持っている訳でも無い俺は自身の体験をそのまま綴る事にする。ジャンルがホラーなのかは非常に微妙なところではあるが、まぁ別段ホラーに拘っている訳では無いので完成次第ジャンルを決めても良いだろう、目指すはホラー、完成品は行き当たりばったり。そうして書き出した小説ではあるが、自分の予想に反し驚く程滑らかに筆は進んだ。大学の論文や中学の読書感想文を書くよりも遥かに早く指はキーを叩き、頭に浮かぶ文字を書き起こしていく。小学校での出来事、中学校での出来事、高校での出来事、大学での出来事、そして今に至るまでの経緯。全てを文字に書き起こし一ヵ月掛けて俺は一本の小説を完成させた。

 だが所詮は初心者の書いた「なんちゃって」小説だ、売れる筈が無い。俺はそんな事を思いながらダメ元で小説を投稿、審査を終えて適当な写真を表紙に張り付けた俺の一冊はモニタの中に並ぶ事となった。期待もしない、売れるとも思っていない、そんな一冊だったのだ。

 しかし、何と言うか。

 世間と言うのは中々どうしてイロモノを好むと言うか。

 小説の投稿を終えてから一週間、あまり期待もせずに執筆した小説の事は既に頭の中から抜け落ちて、ある種の達成感に浸りながら自堕落に過ごした日々。しかし、いい加減達成感に浸るのも飽きて来て。さて新しい金策を探そうと思いたち、ふとweb履歴から小説の事を思い出した。一冊位は売れてたりするかな、何て淡い期待を抱きながらマイページを開いた俺は

「マジか」

 素でそんな言葉を口にする事となった。

 マイページに張り付けられているたった一冊の小説、その下に表記される販売冊数カウンター、その数字が「3000」と言う文字を表示していたのだ。いや流石に何かの間違いではと思い購入者推移を確認してみれば、初日で数人が購入し翌日から徐々に増え、今日に至っては800人が購入していた。

「マジか」

 同じ言葉を繰り返す位には衝撃であった。こんな小説初心者、なんちゃって小説を購入した人が三千人も居るとは、小学校時代では全校生徒が千人前後だった、と言う事は何かアレの三倍か、あれだけの数が自分の小説を読んでいるのかと。そう考えると何かむず痒い様な、嬉しい様な、何とも表現し難い感覚を覚えた。

 しかし成果は成果である、兎にも角にも三千冊が電子書籍として販売されたのだ。俺の小説は販売価格を二百円と設定していた、それが三千冊売れたので‥‥頭の中で計算機を叩く。

 六十万だ。

「マジか」

 三度目の驚愕、しかし内三割は税として徴収されるので十八万円が天引きされる。手取りは四十二万、だとしても十二分な額だろう。いやもう驚きを通り越して呆然とした、数冊売れてまぁこんなものだよなと苦笑いを浮かべる自分を想像していただけに、まさかこれほどの金を生むとは予想だにしていなかった。慌ててネットから銀行口座を確認してみれば、お金がキチンと振り込まれていた。棚から牡丹餅(ぼたもち)、まさか生きている内に経験する事になるとは。

 しかし、しかしである。

 これで俺はダメ男脱却なのではないだろうかと、俺はその時思った。内職で食っていけるだけの金を自分で稼いだのだ、それはつまり彼女に寄生しているのでは無く共生であり、そうしたらもうダメ男などと言う言葉とは無縁となる。これはその第一歩であると、俺の中の誰かがそう叫んだ。

そうして俺はその購入者数に後押しされる形で小説家デビューを決め、面白い話の作り方やら文章の書き方を学ぶために本を読み漁ったり実際に書いたり、今までの生活とは一線を画す多忙な日々を送った。

そんなこんなで一週間が過ぎ、一ヵ月が過ぎ、二カ月経って今に至る。

静謐な書斎でキーボードを叩き、いつもの如く仕事を始める。マイページに表示される小説はこの二カ月で三冊に増え、それぞれが俺の収入源となっていた。下手すると過去のどの仕事よりも収入が良い、ある意味コレが俺の天職なのかとすら思い出し始めた。購入者は徐々にだが増え初め、何となくそれなりに名前が売れて来たと実感できる程度にはなった。この二カ月の間に俺は多額の金を手に入れ、同時にダメ男脱却を果たしたのだ、笑いが止まらないとはこの事か。

とまぁ、言ってしまえば俺はその時「調子に乗っていた」。

ヒモ同然だったダメ男が職を手に入れ、それなりの金額を稼げる様になったのだからある程度天狗になってしまうのはしょうがないと、そう思って貰えるのなら幸いである。しかし問題はソコ(天狗)では無く、その書籍の存在を知ってしまった人に有った。

小説を書き始めて二カ月と少しが経ったある日。その日、いつも通りの時間に帰ってきた彼女を玄関で出迎えた俺は彼女の纏う雰囲気がいつもと違う事に気付いた。見た目はいつも通り美しく凛としている彼女、だが何故だろうか。

その背後には真っ赤な般若の怒り顔が見えた。

俺のその時の心の声を言い表すのであれば「あっ、殺される」である。

 

「少しお話があるのですが、(よろ)しいですね?」

 

ここで断れる人間が居るのであれば連れてきて欲しい、そいつを生贄に俺は生きる。

 彼女に手を掴まれて居間に連行された俺は、彼女と対面する形で座布団の上に正座で座り、重々しい空気に唯々耐えていた。そうして余所行き姿の彼女と数分の沈黙を守った俺は、彼女の第一声に心臓が凍る事となる。

「『()()の記録』」

 思わず肩が跳ねたのは小心者である自分の(さが)か、笑っているのに目は本気(マジ)な彼女は俺のその動作に「ふふっ」と声を漏らし、それからゆっくりと身を乗り出した。

「この小説、とあるお客様が面白いと(すす)めてくれたのです、何でもリアリティのある生々しい人間関係が何とも読み応えがあるって‥‥この本、作者は貴方ですよね?」

 「いいえ」と答えたら信じてくれるのだろうか、そう思考するが彼女の目は殆ど確信を抱いている人間の目だった。こちらの腹の中どころか、臓物全てをぶち抜いて思惑ごと引っこ抜きそうな眼光だ。ここで悪足掻きをするよりも正直に白状してしまった方が罪は軽くなるだろう、そうに違いない、そうであって欲しい、そうですようにお願いします。

 消え入りそうになる程小さな声で「‥‥はい」と答えた俺に対し、彼女は口元を三日月の様に歪めながら「そうですか」と言った。殆ど確定事項だったのだろう、それ程大きな反応を見せる事無く彼女は淡々と語り始めた。

「私は別に怒っている訳では無いのですよ(かける)さん? 貴方が私の預かり知らぬ所で作家として活動している事も、お金を稼いでいる事も、見知らぬ誰かの為に労力を割いている事も、えぇ少しも怒ってなどいません、本当にこれっぽっちも」

 激怒している様に見えるのは俺だけなのでしょうか、俺だけですか、はい、そうですか。聖母の様に手を胸に添えて語り掛ける彼女はパッと見れば実に優しそうだ、けれどその瞳を覗き込めば炎の如く激しい感情が見て取れる。俺が理解出来る事実は一つだけ、彼女はとても「怒っている」

(かける)さん、私は何も小説を書くなと言いたい訳では無いのです、貴方には貴方の人生があるんですもの、それでお金を稼ぎたいと言うのであれば私は応援致します、けれど一つだけ、そう一つだけ教えて頂きたいのですが‥‥」

「な、なんだ」

 すっと目を細めた彼女の気迫に呑まれながらも言葉を返す。固唾を呑んで見守っていた俺は、唐突に顔を突き出して来た彼女に面食らう。突然の事に思わず仰け反りながら、視界一杯に広がる彼女の顔と甘い香りに一瞬意識が真っ白になった。

 そして紡がれる一言。

「これは、貴方の実話ですか?」

 凍てつく様な冷たい声色と、しかし裏腹に満面の笑みで放たれた言葉に俺は硬直せざるを得なかった。その態度で分かったのだろう、すっと部屋の温度が数度下がった錯覚を覚えた。

そして、彼女の顔から表情が抜け落ちる。 

「えぇ、えぇ、十分に理解はしております、例え実話だとしてもそれは既に過去の話、今現在私と愛を育む貴方に微塵も未練など残ってなどいないと私は確信しています、しかし、それでも残る嫉妬心とでも言うのでしょうか、その女どもが貴方の手に、足に、胸に、頬に、唇に触れていたのだと思うと、抑え切れぬ程に大きな殺意が湧いて来るのです、例え今、この私と婚約し愛し合っていると理解していても!」

「愛、え? なに、婚約?」

 何か聞き逃してはいけない単語が彼女から出ている気がするのだけれど、ギリギリと歯を擦り合わせ、瞳孔を開いた彼女に口を挟むのは無理だった。

「もしも、もしもですよ? えぇ、えぇ分かっています、貴方は私を裏切らない! そう理解しています、けれどもしも、貴方が何らかの気の迷いで過去の女の元に去ってしまったら、或は連れ去られてしまったら、脅されたら、脅迫されたら、心変わりしたら、惑わされたら、もしも、もしも、もしも! そんな『もしも』に私は耐えられないッ!」

彼女は大きく身を乗り出して俺にどんどん迫って来る、既に俺は背後に手を着き半ば反る様な体勢になっていた。それでも彼女は迫って来る、お互いの吐息が感じられ、逃がさないとばかりの彼女の手が肩に掛かる。再度覗き込んだ瞳は、未だ(かつ)て無いほどに濁っていた。

「過去であっても割り切れない、ねぇそうですよね? 貴方だってそうでしょう? だから、そう、これは仕方のない事なのです、ですよね? そうですよね? (かける)さん? 仕方ない事ですよね? そんな『もしも』は必要ない、不要で、絶対にあってはならない事なんです! だから、そう、仕方ないんですッ!」

 俺に問いかけると言うよりは、自分に言い聞かせている様な言葉だった。ブツブツと何事かを呟きながら彼女が背後から何か大きなモノを取り出す、何時(いつ)の間にと驚くのも束の間、それを見て俺は自分の一生を予期した。

― あっ、ヤバイ と。

 

「これで、ずっと一緒です」

 

 能面の様な顔からすっと、喜色に染まった表情に。

 紅潮した頬、潤んだ瞳、垂れ下がった目じり、つり上がった口元、甘い吐息に少しだけ汗ばんだ肌。

 そうして彼女が手に持つのは (のこぎり)

 

「もしも足が無ければ勝手に何処かへ行ってしまう事は無くなりますよね? もしも腕が無ければ私無しでは生きていけませんよね? 私が居れば全て万事解決です、ね、そうですよね? もしも貴方が心変わりしても私が居れば問題ありません、もしも貴方が惑わされても私が居れば問題ありません、もしも貴方が、もしも貴方が、もしも貴方が、全部問題ありません、だって」

 

「私が居るんですから、ね?」

 

 うっとりと(のこぎり)を見つめる彼女を見ながら、俺は自身の結末を悟った。

 

 




 → 「待て、はやまるな!」 逃げ出す

     √A へ




 → 「分かった‥‥好きにしてくれ」 全てを受け入れ諦める

     √B へ





2015/12/24 追記

 何だか随分伸びるなぁと思っていたら短編ランキング日間一位になってました‥‥
(;゚Д゚)ガクブルガクブル

 い、良いんですか、こんな「ヤンデレぇ!ヤンデレぇ!」しか言って無い様な小説が一位で!? しかも見たら週間にも食い込んでるし‥‥もしかしてハーメルンさんには存外ヤンデレ好きが多いのでしょうか!? まさか此処がヤンデレ好きの理想郷(ユートピア)ッ!?Σ(゚Д゚)

 いやはや、こんな作品が評価されたのもヤンデレ大好きな皆様方のお蔭です<(_ _)>

 どうかこれからもヤンデレ共々、宜しくお願いします(*´▽`*)

 



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俺の彼女は自分を知らない

 

悪運だけは強い奴

 

それは果たして誰が言った言葉だったか。遠い昔に置き忘れた記憶の何処か、朧げに覚えている靄の掛かった誰かの顔。そいつは俺に向かってそう言った後、居なくなってしまった。小学校の時だろうか、それとも中学? 高校の記憶は既に段々と薄れてきている。最近の記憶はどこまで覚えているだろうかと考え込む、しかしその前に思考に割って入る異物があった。

(かける)‥‥?」

 ぼうっとしていた思考に誰かの声が聞こえてきた、頭の中に居た誰かが瞬く間に霧散(むさん)し掻き消える。はっとして視線を下に落とすと自分の肩程の身長を誇る小柄な女性が俺を見上げていた。

「何してるの、早く行こう?」

 ぐいぐいと俺の裾を引っ張る女性、いや、()()

 背中を流れる長い髪、長い睫毛(まつげ)、大きく見開いた瞳、白い肌に夏らしい(よそお)い。整った顔立ちはそれだけで周囲の注目を引き、自分と彼女が周囲の流れから取り残されている事に気付いた。彼女を認識した瞬間に世界が色を取り戻して、周囲の人々の雑踏や喧騒、生活音が一気に鼓膜を刺激し始める。

「あぁ、ごめん、少しぼうっとしてたよ」

 額に手を当てて空を見上げる。アーケードのアーチ越しに見上げる青空はいつもと同じで、太陽に照らされた雲の影が妙に美しく見える。指先に張り付いた髪を払って、汗を拭った。

()しかして熱中症? どこか涼しい所に入ろうか?」

 下から心配そうに俺を覗き込む彼女はこの猛暑だと言うのに汗一つ掻かずさっぱりしたモノだ。何やら俺の首やら胸やらを細い手でぺたぺた触り、「やっぱり体温が高い‥‥」と呟いている。そのまま汗塗(あせまみ)れの体を触られ続けるのも何なので、彼女の手をやんわりと取って笑いかける。

「いや、別に熱中症では無いよ、ただこうも暑いとね」

 そう言えって微笑めば、彼女は「今日は三十度だってさ」と苦笑い、そうか今日は正に炎天下か。日陰でもコレでは辛いと、俺は彼女の手を握り直して「行こう」と言った。

「アーケードを抜けたら、どこか喫茶店でも入って涼もう」

「‥‥うん」

 お互いに手をぎゅっと握って、人々の雑踏に紛れる。俺の汗ばんだ(てのひら)は彼女の手を少しだけ湿らせて、繋いだ手を彼女は嬉しそうに指でなぞった。少しだけ吐息を漏らす彼女、「どうかした?」と俺が問うと「ううん」と首を振る。別に何でも無いと口にするけど、それから少しだけ考えて

「ちょっとだけ、幸せ」

 と彼女は笑った。

 

 

 俺は運が良かった。

 それが悪運なのか、それとも女運なのかは分からない。少なくとも女運が良いと言う事は無いと思うが、兎にも角にも彼女(今の)に逢えたのは望外の幸運だった。

海が近くにある地方の寂れた都市、都市と言うには少しばかり田舎過ぎる気もするが、人口は十万人程度で今は海辺の近くに彼女と住んでいる。主に観光や漁業で成り立っている街で海辺の近くには港が並び活気ある声が浜辺まで聞こえて来る、朝方少しだけ早起きさせられるのが玉に(きず)だがお蔭で早寝早起きの習慣が身に着けられた。

この町に来てもう二年以上が経過している、最初は潮風、海の匂い、市場の活気に慣れず苦労したが、今は寧ろ心地よく感じられる程になった。近隣の住民や町の人々とも随分打ち解ける事にも成功し、山も谷も無い実に平和な日々を過ごしている。こんな日常は何時ぶりだろうか、大学の為に引っ越して独り暮らしを始めた時以来な気がする。自分が求めていたのは、こういう何もない、縛られない、自由な暮らしだったのでは無いかと思う。遅まきながら、過去の幼い自分が願っていた夢が(ようや)く叶った気がした。どれもこれも、全て彼女のお陰だろう。

 

「ん?」

 

 隣で嬉しそうに微笑みながら歩く彼女を見る、その視線に気付いたのだろう「なぁに?」と何処か照れたようにはにかむ彼女。風に髪が遊ばれて、頬を(くすぐ)るひと(ふさ)を耳に掛ける。そんな何気ない動作に見惚(みほ)れてしまう。「いや」と首を振って、何でも無いと言いかける。けれど、ふと胸に彼女に対する愛おしい感情が浮かび上がって「まぁ、何だ」と言葉を濁した後、照れ笑いしながら言った。

「少し、いや、結構、幸せだなぁって思った」

 彼女の言葉を真似(まね)た精一杯の愛情表現、滅多にこんなセリフを口にしない俺は自分の言葉に何となく羞恥心を抱いて頬を赤く染めてしまう。そんなレア台詞(せりふ)を聞いた彼女と言えば、もとよりぱっちりと見開いていた目をまん丸にして、それからにやけそうになる口元を必死に抑えながら「なんだよぅ」と顔を(そむ)けてしまった。

「ごめん、嫌だったか?」

 俺が問いかけて彼女の顔を覗き込めば眉を八の字にした彼女が不満げに、けれど柔らかい微笑みで言った。

「‥‥分かっている(くせ)に、意地悪(いじわる)

 俺だって恥ずかしいんだ、照れ隠しで飛んだ問いかけは彼女の赤い頬に叩き落とされる。少しだけ熱を持った彼女の手が俺の手をニ、三度強く握った。

「私だって幸せだよ? その、少しじゃなくて‥‥一杯(いっぱい)

 俯いたまま発せられる言葉、それに頬を緩めるのは俺の番。何となく此処(ここ)で頬を緩めてしまったら負けてしまう様な気がして、なけなしの気力を振り絞り頬の筋をピンと張り詰める。けれどやっぱり、嬉しいモノは嬉しいのだ、完全に言葉の破壊力に負けた頬は中途半端に緩んだまま、だらしのない口角を維持した。彼女がそんな俺を見上げて、「ふふっ」と笑う。

「今、(かける)の顔が凄い嬉しそうだよ」

 繋いだ手とは反対の手で彼女が俺の頬をつつく、柔らかい指が頬の表面に触れて更に頬が緩みかけた。

「そう言うそっちこそ、頬が緩みまくりだ」

「うるさい、嬉しいんだから、これで良いの」

 嬉しいなら仕方ないか、この微笑みはきっと自然なものなのだ。お返しとばかりに彼女の頬を(つつ)けば「わっ」と俺から距離を取ろうとする、それを阻止すべく手を引っ張って「何で逃げるのさ」と問うた。

「私は(かける)の頬を(つつ)いても良いけど、翔は駄目!」

 それは不条理と言うものでは無いだろうか、断固として異議を申し立てる。俺の射程範囲に入ろうとしない彼女は、少しだけ目を伏せて唇を尖らせる。

「最近また、ちょっと、ほんのちょっとだけ! ふ‥‥太った」

 そう言ってお腹の辺りを手で(さす)った、何と言うかまぁ普通らしい女性の悩みと言うか。別段太ったからと言ってどうだこうだ言うつもりも無いし、パッと()変化した様子も見られない。「気にし過ぎだ」と苦笑い、それでも彼女にとっては重大事項らしく「気にし過ぎじゃない! ちょっとの油断が大敵なの!」と不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。恐らく男には永遠に理解出来ない事柄なのだろう、そっぽを向いてしまった彼女を見て「さてどうしたものか」と溜息を一つ。すると俺と彼女の歩く方向に運良く喫茶店が見えた、彼女の機嫌を取るには丁度良いだろう。

― pace それが喫茶店の名だった。

「少し休憩しよう、(おご)るよ」

 そう言ってカフェを指差せば、彼女はその指先を見た後「私を太らせる気でしょう?」とジト目を飛ばした。別にそんな気は毛頭無いし、君は小食だろうに。そんな事を言ってもどうせ聞き入れて貰えないと分かっていた俺は、黙って肩を竦めた。

 店内に足を踏み入れると小さなベルの音が鳴り、ウェイターから「いらっしゃいませ~」と間延びした声が上がる。内装は落ち着いた配色で木材が多く使われていた、仄かに香る自然の匂いが心を落ち着かせる。とても心落ち着く場所だ、素直に好ましいと感じた。

「二名様ですね、お好きな席へどうぞ」

 客の姿はまばらで、余り混雑している様子はない。俺は近くにあった四人席かカウンター席か迷い、彼女に目配せした。後ろ手で扉を閉めていた彼女は俺の目を見て「どっちでも」と答え、客足も疎らだし彼女の顔が見たいという理由で四人席を選んだ。対面に座るべく遠い方の席に腰掛けると、彼女が隣に来て「もう少し詰めてよ」と言う。その顔は当然といった風で微塵も俺が詰めることを疑っていない。

「……対面が空いているけど」

「嫌、翔の隣が良いの」

 そう言われては詰める他ない、俺が窓側に体を寄せると滑り込む様にして彼女の体が俺に密着した。「ふふん」と満足げに鼻を鳴らしてラミネート加工されたメニュー表を手に取る。そんな彼女を嬉しいような、少しだけ呆れたような目で見ていると額に少しだけ皺を寄せた彼女が唇を尖らせた。

「アメリカでは全てのメニューにカロリー表記が義務付けられているのに、日本も見習うべき、食べたいものが何カロリーかも分からない」

 彼女の目線を辿ってみると「おすすめパフェ」と書かれた一品に熱い視線が注がれていた、どうやら食べたいのにカロリーが気になるらしい。その他のメニューにもざっと目を通すがどうやらパフェがどうしても頭から離れないのか、何度もパフェのページを行き来しながら唸っていた。そんな彼女を隣で笑いを堪えながら眺める、何というか、とても普通だった。カロリーを気にして太る太らないと唸る彼女、そんなに太っていないのにと内心思うも、彼女の反応が予想出来て口に出せない男。何とも世の中に有り触れた、ごく普通のカップルの様ではないかと。

「決めた、このイチゴパフェと……えっと、珈琲が良い」

 メニューをテーブルに伏せて頷く彼女、どうやら長考の末決定したらしい、俺は手を挙げて近くのウェイターさんを呼び出すと「イチゴパフェ一つと、珈琲と紅茶、一つずつお願いします」と注文した。メモを取りながら礼をして厨房に消えていくウェイターさんを眺めながら俺は彼女に視線を戻す、すると膨れっ面の彼女が目に入った。

「私が注文考えている時、別に太ってないじゃんとか思ったでしょ?」

 ジト目の彼女を視界に入れながら俺は「どうだろう」と言葉を濁す、この質問は彼女の口癖みたいなものだ。「そんなことない」と言えば「やっぱり太ったと思ったんだ!」と拗ねられ、「そうだよ」と言えば「私の事をちゃんと見てない!」と怒られる。正解の無い問答ほど難しいモノはこの世にない。けれどまぁ、そう言った面も含めて俺は彼女を可愛いと思っているのだ。

「……散々見た癖に」

 ぎゅっと自分のお腹の前で手を組みながら俺を下から睨めつける、その頬は若干赤く染まっていて羞恥心が見て取れた。確かにお互い良い歳の男女だ、そういう行為も勿論致している訳で。特別そういった性欲が強い彼女は何かと俺を求める事が多い、一応するときは夜と決めているし電気も消しているのだが、まぁ目が慣れれば自然と彼女のプロポーションが目に入る。だから本心として俺は、彼女のプロポーションは完璧だと言いたいのだけれど。

「……ここ、外だぞ」

 少しだけ熱くなった顔を見られないようにそっぽを向く、好きだとか、愛しているとか、褒めるとか、そういった事を長年してこなかった弊害か、思いの他強い羞恥心が俺の行動を縛って結局何も言えない。けれど彼女はそんな俺を見て、嬉しそうに、それから少しだけ意地の悪い顔をして「ん? ん? 照れたの?」と顔を覗き込もうとしてくる。それを上手く避けながら彼女の視界から逃れる。

 

 そう、何ていうか、幸せなんだ。

 それ以外に、今を言い表す表現を俺は知らない。

 

 

 

 彼女の診療所は海沿いにある小さな建物だ、小さいと言っても普通の民家よりは大分大きい。けれど何十人も入れられる様なスペースもないし、多分三十人くらい入れば待合室はパンパンだ。俺はそこで彼女と二人、たった二人で仕事をしている。

 彼女は医者だ、それも飛び切り優秀な。

 幼いながらに米国の大学を飛び級で合格、十代にてUSMLE(米国医師国家試験)を突破、晴れて米国での医師免許を取得する。その後日本に帰国し医師国家予備試験を受験して合格、一年の研修後医師国家試験を受験し突破、二年の研修勤務を終えて晴れて母国での医師免許を取得した。この時、彼女はまだ二十三歳だったらしい。彼女の両親はどちらも医者で、この診療所は彼女の母親の病院だったとの事。父親は米国の総合病院で働く勤務医、それなりの地位に就いている人らしいが詳しくは聞いていない。どうにも、その父親が嫌で日本に来たと言っていた。

「私の目指す医師の姿が、あそこ(アメリカ)には無かったの」

 そう言って寂しげに笑う彼女の気持ちを、俺は察する事も出来ない。きっと彼女には青い血が流れているのだろう、逢ったばかりの時は毎日そう思っていた。優秀すぎるというのも考えものだ、そんなに優秀なのにこんな片田舎の診療所で働くなんて、もっと都会の、それこそ大きな病院に行ったほうが良いんじゃないか。そう思った事もある、医者の世界なんて良く知らない俺だが彼女のこれからを考えればそうした方が良いのは素人目にも明らかだった。けれど、そういう世界が嫌で彼女は父親の元を離れたのではないかと、ふとそう思った。それからそんな考えをする事はなくなったし、口に出さなくて良かったと思う。診療所で最近孫が活発過ぎて困ると話すご婦人に「元気なのは良い事ですよ」と笑う彼女を見ていると、猶更(なおさら)だ。

 元々この診療所には俺の他に看護婦が三人ほど居た、けれど俺が厄介になると入れ違いで辞めてしまったらしい。一時期はそこまで嫌われていたのかと町の人々に対して戦々恐々としていたが、どうやら彼女が手を回して町の総合病院に回って貰ったらしい。看護婦はどこでも人手不足なんだとか、「それと、貴方と二人きりが良かった……なんて」本気かどうか分からない台詞を真っ赤な顔で言う彼女、最初は本当に冗談だと思っていた。人手が三人も居なくなって更には素人が一人、これで病院が回るのかと過労死を覚悟した俺だったが、そこは流石の彼女。「最初は一人だったもの」と自信満々に発言し、その言葉通り殆ど自分一人で病院を回してしまった。俺のやる事と言えば点滴を受ける患者の見回りとか、清算のレジ打ちとか、カルテの整理とか、細々として事務処理全般と医療器具を整える程度の事だけだ。看護師の資格は持っていないので注射も出来ない、医療行為をするには免許が必要なので俺は殆ど役に立っていない。一時期看護師免許を取ろうか? と彼女に持ち掛けた事があったが「いいよ、その時間が勿体ないし、それに離れたくないもの」と一蹴されてしまった。それ以来俺の仕事は変わっていないし、彼女は疲れた素振りも見せず日々患者と向き合っている。

 何とまぁ情けない、まるでヒモだと自嘲した。けれど一応お情け程度には働いてはいるので良しとしよう、なんて自堕落思考まっしぐらな事を思ったり。これでも日々少しでも彼女の負担を減らそうと自分なりに色々と頑張ってみてはいるのだ、それが実際彼女の負担をどの程度和らげているかは甚だ疑問ではあるが、今以上に俺が出しゃばってしまうと法律に触れるか或いは彼女の足手まといになりかねない。人の役に立つというのは存外、自分の思った以上に難しいものだと感じた。それが好意を抱く人物の為ならば、猶更。

 しかし幸か不幸か、俺のそんな泥臭い姿を見てくれていた人達が居た。俺の地道な努力は毛ほども彼女の負担を和らげる事は出来なかったかもしれないが、その過程を見て俺という人となりを知ろうとしてくれた人が居たのだ。

「いつもありがとうねぇ」

 診療所で働く様になって一か月程か、膝が悪いと診療所に通っていたご婦人からそんな言葉を言われた。社会人になると人から感謝される事が少なくなる、勿論素直に「ありがとう」と言える人がいない訳ではない、今の世の中でも気持ちよく感謝を伝えられる人はいるだろう。けれど仕事だからと割り切った世界に生きていると「やって当たり前」という感覚が染みついてくる、俺だって別段そのご婦人に感謝の言葉を貰いたくて働いている訳ではない、彼女の負担を少しでも減らすようにとか、明日を生きるための金銭を得るためにとか、そんな俗物的な理由で働いていたのだ。けれどふと、そんな何気ない感謝の言葉に「あぁ、彼女が欲しがっていたのはこういう何気ない感謝とか、もっと単純で純粋な、この言葉だったのかもしれない」なんて思ってしまった。日々を生きる為にはお金が必要だ、綺麗ごとでご飯を食べていけるほど世の中は善意に満ち溢れている訳ではないし、寧ろ往々にして悪事を働く奴の方が豊かな暮らしをしている何てことも珍しくない。彼女はそんな世界に嫌気がさして、こんな辺境の片田舎の、母親が残してくれたというこの曖昧なものが全くない世界に来たのではないかと、そう思った。

「いえ」

 俺はそうご婦人に返事をして、ご婦人に手渡された千円札をぎゅっと握った。彼女のもっとも深い部分に触れたのは、それが最初だったと思う。

 それから俺は彼女の負担を減らすべく、この街に馴染むべく、日々を懸命に生きた。この診療所に転がり込んできた時とは違う、明確な目的も意思もあった。漠然とした恩返しでも惰性で生きる為でもない、自分でも「こうすべきだ」と胸を張って行動できたのは後にも先にもあの時だけだろう。診療所を閉めるときに「何か良いことあった?」と彼女に聞かれて、何となく自分の感じたことを言葉にするのは気恥ずかしく。

「いや、特には」

 なんて言葉を濁した。

 

 あれから既に二年、俺も、彼女も、その関係も変わった。

 居候から同居人に、同居人から同棲相手に、同棲相手から主夫に、主夫から助手に。未だ助手どまりだし、きっとこれからも彼女の職業柄これ以上を望むことは出来ないだろうけど、カフェから帰って来て自宅で(くつろ)ぐ彼女が。自宅の広いベランダから海を眺め、潮風に髪を遊ばれながら「そろそろ結婚相手にランクアップかな?」なんて顔を赤くして聞いてくるから。どこか冗談めかして、意地悪気に笑って、けれどどこまでも真剣で、イノセントで、じっと見つめられるとこちらが恥ずかしくなってしまう程に輝く瞳で見つめてくるから。

彼女と俺なんて月と(スッポン)、釣り合う以前に比べるのも烏滸(おこ)がましいレベルだけれど。嬉しさと照れを隠すために背を向けて、「珈琲で良い?」と彼女の視線から逃れるために逃げ場を探した。頬が赤く見えるのは夕焼けのせいにしよう、そう決めて。

「うん、お願い」

 波の音に交じって聞こえてくる微かな笑い声、きっと彼女のものだ。俺が照れている事なんてお見通しだろう、彼女は外見こそ幼く見られがちだが内面は酷く老成している。

 彼女の珈琲を淹れながら考える、きっとこれからも代り映えのしない、けれど普通な日々を送れることだろう。それは何年も前の自分が切望した未来で、きっとここに立っている自分は幸せなのだと。

(かける)、そろそろ時間だけど……どうしようか?」

 彼女の珈琲を丁度淹れ終えた時、彼女がふと声を上げた。その声に反応して時計を見れば確かに丁度良い時間だった、あまり手間も掛けられないし放置すると疼いてしまう。「あぁ、じゃあお願いするよ」と言ってソファに腰掛け、それから上着を脱ぎ棄てて彼女に背中を晒した。「任された」と彼女、常備してあるボックスを手に俺の背中に回り込むと手早くボックスから必要な物だけ取り出す。

「ねぇ、翔?」

「うん?」

 ペタペタと俺の背中を触診しながら、彼女は言った。背中越しの声はいつもより鮮明に、それから力強く聞こえる。ベランダを背にした彼女が夕焼けに照らされて、部屋の壁に長い長い影を落とした。

「私、幸せだよ……凄く」

 何かを噛み締める様な声、それは幸福なのか、それとも別な何かなのか。

 俺には分からない。

 ただ、俺が言えるたった一つの事は。

「あぁ、俺もさ」

 

 

 ただあるがまま、この幸福を伝える事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 勇気とは何だろうと、私は考える。

 

 言葉的な解釈を述べるのであれば、此処でいう勇気と言うのは「勇ましさ」と言うよりも、新たな一歩を踏み出す強さの事を指している。物事を変える勇気、誰かに手を差し伸べる勇気、言葉を口にする勇気、何でも良い。人生を生きて行く中でふと躊躇ってしまう様な、或は誰もが目を背けてしまう事実から逃げずに、ただ一歩踏み出す勇気。その行動によって自分の人生が大きく変化してしまうと理解していても、それでも尚踏み出す力。

 それは一体何だろうと、私は考える。

 

 普通と言うのは存外難しい。出来て当たり前、皆が出来ているから、世間一般だから、そういう理由で行われるあらゆる物事の平均が「普通」、多少の誤差はあれどそういう事になっている。その平均点と言うのは存外、自分が思っているよりも高いのだ。その普通である平均値を下回った時、世間はその人間に「劣等」と言うレッテルを貼る。それがどういう影響を生むかは実際に貼られてみれば理解出来よう、ここ日本でいう普通と言うのは小中学校に通い、最低高校を卒業し、大学を出て良い企業に就職し、結婚して一般的な家庭を築く。それが少なくとも私が知る世界の「普通」と言う奴だ。きっとこんな事、一度は誰でも考えるのだ。普通の在り方とか、勇気の有無だとか、このままの人生で本当に良いのかとか。

 大抵の人間は普通の中に埋没して行くのだと思う、自分なりに頑張って挫折を味わって自身の身の程を知って、普通の学校生活に普通の学歴、大した大企業でも無い会社に就職し本当にやりたかった訳でも無い仕事。夢破れた後は日々を惰性で生き、頑張って昇進しても一番上にはいつも手が届かなくて、もっと上へ上へと目指してもいつかは限界が来てしまうのだ、そして限界(ソレ)が訪れた時、人は妥協して「まぁ、人生ってこんなものだろう?」と肩を竦める。本当にやりたい事、本当に手を伸ばしたいモノに背を向けて、今の環境から抜け出す勇気も気力も無く‥‥世界に住む人々の大半にとってはソレが『普通』なのだ。

 

 ― 普通って悪い事なの?

 

 普通というのは存外難しい、だから普通が悪いだなんてそんな筈は無い。普通とはつまり堅実なのだ、それがどうして悪いなどと言えようか。しかし中には、普通である事がまるで悪い事の様に言う者もいる。

一度しかない人生だから諦めたくないとか、やらずに後悔したくないとか、夢は諦めない事とか、努力は報われるとか、そんな事を考えている奴だ。

一度しかない人生だからこそ失敗は許されないのだ。自分の身の程を知らずに突っ走った代償が、本当ならば進めた筈の平穏な生活である事に気付く。やらずに後悔する事よりも、それを成す実力も才能も無いのに挑戦してしまった後の後悔ほど凄まじいモノは存在しない。夢敗れた喪失感、失った時間と金銭、そしてこれから歩む死ぬまで続く険しい、恵まれない生活に対する絶望感。

夢と言うのは誰も諦めないし、誰も努力を怠らない。「成功した人は夢を諦めなかった」では無い、「成功した人も夢を諦めなかった」「成功した人は努力していた」では無い、「成功した人も努力をしていた」

才能ある才人も、才能無い凡人も、皆同じように必死に努力するのだ。同じ努力をするのだから、才能ある才人と凡人との間にある差は絶対に埋まら無い。その才人に敗れ普通である事すら出来なくなった人間の手に残る希望はどれ程か?

目指す機会(チャンス)があるのならば、挑んでみるのも良いだろう。けれど私は言うだろう。

夢を追う、普通の道から外れると言うのは、残りの人生全てを捨てると言う事だ。そんなものを目指さなければ手に入っていた筈の、その人なりの幸福は以後絶対に手に入らない。持ち直したとしてもソレは結局、最初からそんな夢を追わなければ手に入っていた幸福の、ほんの欠片(かけら)程度なのだ。

最後に悲惨な結末が待っているかもしれないのに、黙って居れば平穏で堅実で、何もせずとも日々を「それなり」(普通)に過ごせる。

そんな今から、一歩踏み出す()()

普通である事は悪くない、けれど普通である事が妥協の証明であるならば、それは本当に正しい人生なのだろうか。いや、きっと人生に正しいだとか正しくないだとか、そんな正当性は不要なのだ。要はその人がどうしたいのか、何をしたいのか、踏み出す勇気が無いのか、有るのか、きっとその違いなのだ。

 

― 私は考える、勇気とは何なのか。

 

 私は例えこれからの人生を棒に振っても、夢破れて絶望しかない余生を送る事になっても、普通である事から逸脱しても、その勇気(チャンス)が欲しいと思った。

 今を抜け出すたった一歩、その一歩を踏み出す勇気を。

 

「私、幸せだよ……凄く」

 今の幸福と、そしてこれから起こるであろう人生の転機を覚悟して、色んな感情を押し込めた一言。

けれどそれは、紛れもない私の本心。

「あぁ、俺もさ」

 彼の低い声が響き、広い背中越しに彼の笑った顔が脳裏に浮かぶ。不意に、先ほどまで私自身を鼓舞していた()()が消え去りそうになって、彼への自分でも理解出来ない深い愛情と、もし失ってしまったらという恐怖で何とか持ちこたえた。こんなの絶対普通じゃない、自分の望む結末と言えど余りにも異常、だけど、そう、だけど。

私は心の底から望んでいるのだ、そんな未来を。

ここで夢を追わなければ、私は一生後悔する。

 

 肉が抉れた痕、切り傷というよりも(のこぎり)か何かで無理やり傷付けた様な醜い傷跡が無数に存在する彼の体。もう二度と消えないその傷に何度となく私は治療行為をしてきた、時には治療と称して彼の背に舌を這わせたり、匂いを堪能したりした。彼の濃い汗の匂いや、舌に感じる甘味に意識を飛ばしかけたのは一度や二度ではない。彼と体を重ねてからは、何とも制御し難い嫉妬心が時たま私の理性を壊す、彼の体を好きなように貪りたい、独占したい、誰にも渡したくない、目にも触れさせたくない! 自分でもまずい、このままではいけないと何度も思った、けれど彼の食事に媚薬を盛って初夜を迎えてからは、日々歯止めが効かなくなっている。

 彼は容姿が優れている、だから気付いていた、彼目当てで診療所に通う女、婦人、少女がいる事に。人によっては堂々と私に翔の事を根掘り葉掘り聞いてきた人もいた。診療所で共に働いてきた三人もそうだ、私の目を盗んでは何かと彼の写真を撮ったりして盛り上がっていた。それが我慢ならなかった、まるで自分の大事なものを汚された気分だった。

 今から私は全幅の信頼を寄せ、無防備にも背を晒す彼の信頼を裏切る事になる。その先にあるのは彼と私だけの誰にも邪魔されない最高に幸せな世界。呼吸は乱れない、これは医療行為だと自分に強い暗示をかける、感覚は初めて手術台の前に立った時に似ていた。けれどその時と決定的に違うものがある、それは私が圧倒的な興奮と幸福に支配されているという点だ。

 これから彼を自分ひとりで独占できるという幸福、何をしても許されるという興奮、それらの事実が私の胸を強く打ち付け、大きな緊張として体を震わせるのだ。

 

 手元には一本の注射器、中身の薬品は診療所から彼に見つからない様に持ち出したモノ。夕焼けの光に照らす様にして掲げれば内容量が確認できる、成人男性一人分には十分な量。

 震える手を抑えて、小さく深呼吸、それからゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、翔」

 いつもより遅い処置に、少しだけ肌寒いのか、小さく身震いをした彼の背に手を当てて囁いた。これから先、何があろうと変わらない、不変の想いを。

 

「愛してる」

 

 きっと私は狂ってしまったのだ。

 この煮え滾った炎の様な感情を表す言葉を、私は知らない。

 

 けれど、何故だろうか。

 

 この感情はとても心地良かった。

 

 




 主人公はどっちの√を選んだのでしょうねぇ…

 えっ、今回の話は前の彼女に迫られた場面から始まるんじゃないかって!?
いやヤンデレから逃げられるわけないじゃないですか、というか私だったら嬉々として自分から捕まりにいく(ゲフンゲフン
 書いたら明らかにR18だったので投稿できないです(´・ω・`)
 
 大まかな流れ

 好きにしてくれ→大好き大好き大好き大好き→だるまさんができた→天国\(^o^)/

 にーげるんだよぉ~!→捕まる→何で逃げたんですか?→ 尋問拷問→天国\(^o^)/

 おわり。

 今回のタイトルは「無自覚な彼女」と迷いました、けれど今更変えるのもな~ということでこの路線です。今回はヤンデレというよりも無自覚拘束というか、そもそも病むという概念を知らない彼女の葛藤を入れてみました、女性視点もたまには乙なものですヾ(*´∀`*)ノ

 突発的にはじめたこの小説ですがもう四話ですか、戦これで十万文字位で、これ一話一万文字目安なのであと一話で半分ですよ、短編ってなんだっけ(´・ω・`)
まぁいいや、ヤンデレが書ければ私は満足なのです、ヤンデレヤンデレ!うっひょいヤンデレ万歳!イヤホォオオオ重い愛最高ぉおお✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌

 次回の更新は二月以降になると思います!
では皆さん、良いヤンデレライフを!


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俺の彼女は素直になれない

 

「ちょ、ちょっと、本当に大丈夫なの?」

 俺の目の前で右往左往しながら心配そうに見つめる小柄な女性、それに対し「大丈夫、大丈夫」と言いつつ纏まった荷物を肩に担ぐ。それなりの重量を誇るそれらに、少しだけ体が悲鳴を上げるが特に問題も無く、病み上がりの運動としては最適とも言えた。

「あんまり無理しないでよね‥‥べ、別に心配してる訳じゃないけど」

 そっぽを向きながらも心配げな視線は外さない、チラチラと此方を盗み見る『女性』‥‥‥いや、『彼女』は実に愛らしい。

 色素の薄い髪は僅かに白が混じり、ツインテールに結ばれた髪が動きに合わせて揺れる。碌に外に出ない為か肌色も白く、見る者全てに儚げな印象を与える。だがその実、性格は非常に負けず嫌いで気が強い。初めて逢った時はそのギャップに暫く呆然としたものだと少しだけ懐かしく思う。

「何よ‥‥?」

 じっと見過ぎたためか僅かに頬を赤くした彼女がじっと此方を見つめる、「あぁ、いや、何でも」と誤魔化しつつ、見惚れていただなんて恥ずかしくて口に出せない。照れ隠しに荷物を指定された場所へと運び出す為、歩き出した。

「あ‥‥そ、そうだ、きょ、今日の夕食は何が食べたい? 私からコックに言っておくわ!」

 俺が歩き出すと、()かさず後を追って隣に並ぶ彼女。最初の頃はそれ程一緒に居なかった俺達だが、最近は彼女の方から俺に寄って来る。俺みたいな奴と一緒に居ても楽しいとは思えないのだが、一度そう口にしたら「そんな事無い!」と声を大にして否定されたので今は何も言わない。

「夕食? うーん‥‥特に食べたいものとかは無いなぁ」

 実際一緒に居て何か悪い事がある訳でも無いし、別に良いかなぁと思っている。

「そう‥‥貴方、本当に食事に頓着しないのね」

 俺の答えに満足しなかったのか、少しだけ寂しそうにする彼女。だが実際何か食べたいものがあるかと言われても、コレが食べたいという欲求が湧いて来ないのだ。

「そうだな、既に満たされた感じがすると言うか、何と言うか‥‥」

 俺は自分でそう口にする、だが容量を得ない言葉に対し彼女は首を傾げ「‥‥良く分からないわ」と言った。

 実際、俺自身も良く分かってないんだ、そう言って笑う。

 元来そういう性格だったのか、或は何かしら自分の知らない所で既に満たされていたのか。それを知る術はもう無いのだ。

「あっ、此処(ここ)よ」

 彼女が不意に立ち止まり扉を指差す、どうやらこの部屋が目的地らしい。彼女が開けてくれた扉を潜り、荷物一式を床に置く。久々の肉体労働に体が早くも疲労感を感じるが、中々どうして清々しい気持ちだった。やはり体を動かすのは良い、もしかして俺はスポーツとかが好きだったのかもしれない。

「ありがとう‥‥でっ、でも他人の仕事を奪うのは感心しないわ!」

 お礼の言葉を口にしつつも、次いで直ぐに説教を吐き出す。何処かツンツンした態度はしかし本当に心を許した人間にしか見せない顔だった、それを俺は知っている。

「ははは、いやでも、ただ飯食らいってのも居心地が悪い、これくらいはやらせてくれ」

 この荷物は元々召使(めしつかい)さんが運んでいたものだが、女性には辛かろうと俺が譲り受けたものだった。実際それなりに体格が良い俺でも疲労感を覚えるのだ、女性では小分けにしても大分疲れる仕事だろう。ましてや運んでいたのは線の細い女性だったのだ、手を貸して然るべきだろう。

「~~~っ!」

 彼女はそんな俺を睨めつける様に見上げながら、その場で足を踏み鳴らす。

「何で、私だけに優しくしてくれれば、それでッ‥‥!」

 何やらぶつぶつと言葉を漏らすが、声が小さい為俺の耳には届かない。彼女は(たま)にこうした独り言を呟く癖がある。本人は直さなくてはと言っていたが、別に独り言くらい良いじゃないかと言うと、それ以来特に直す直さないと言った話題は出なくなった。

「‥‥そろそろ日も沈むし冷えるだろう、部屋に戻って暖かくしよう」

 窓の外を見てやれば既に水平線の向こう側へと太陽が沈んでく所だった。海辺の高台に建てられたこの別荘から見える風景は実に美しい。時間があれば何時までも眺めていたいが、此処に住む主にとっては別段珍しくも無い風景だろう。

「えっ‥‥あ、うん、そうね‥‥」

 一人思考に没頭していた彼女が俺の言葉で顔を上げる。

 退出する為に彼女の背を押しながら扉を潜ると「ちょ、ちょっと」と非難の声が上がる、しかし振り解かれる事は無い。そのまま彼女の部屋へと向かい、道中は無言。頬を赤くして俯く彼女は口をもごもごさせたまま視線を忙しなく動かしていた。何か言いたい事があるのだろうなぁと思いつつも、それを口に出さないのは彼女が思いの他口下手(くちべた)だからか。性格に反して本質は内向的、そんな所も彼女の魅力だと思う。

 部屋の前に到着すると、何やら言いたげだった彼女は諦めたのか「ありがとう」とだけ呟き、それから俺の裾を掴んだ。

「また、その‥‥あ、後で来てよね、貴方は、そのっ、わ、私の専属、なんだし‥‥」

 視線は俺を捉えておらず壁に向かって注がれているが、握られた裾を離す素振りは無い。首を縦に振るまで逃がさないと言う言外の主張なのだと、少しばかりだか同じ屋根の下で過ごした俺は知っている。

「分かっているよ、また後で」

 そう言って彼女の頭を撫でると彼女は花が咲いた様な満面の笑みを見せ、それから我に返った後「な、撫でないでよぅ」と拗ねたフリをする。最初は本当にスネているものだと思っていたが、彼女に仕えていた女性の一人から「実は嬉しがっているのを隠しているだけ」と言う話を聞いて以来、途中で手を止める事は無くなった。何だかんだ言って振り解く事も無く、手を離すと寂しそうな目で俺を見るのだ。今ではすっかり可愛がりたくなってしまっている。

「それじゃあ、すぐ戻りますから、仕事を片付けたらね」

 彼女の頭からゆっくり手を離すと「約束だからね? 破ったら分かってるよね?」と何度も念を押す、それに対し穏やかな笑みを浮かべたまま俺は踵を返した。その背に彼女の熱い視線を感じながら。

 

 

「あ、(かける)さん、お疲れ様です」

 屋敷の奥にある搬入口へと向かうと幾つかのクーラーボックスと一人の女性が佇んでいるのが見えた、女性は俺に気付くと手に持っていたボードを胸に抱きながら腰を折る、俺も女性に近付きながら頭を下げた。

「お疲れ様です優子さん、俺の分の仕事は残ってますよね?」

「はい‥‥でも、良いんですか? 病み上がりだと言うのに‥‥」

 優子さんは背後に積み上げられたクーラーボックスに目を向けながら、続いて申し訳なさげな顔をする。

「ははは、動かないと体も鈍ってしまって、治るものも治りませんよ」

 彼女の気遣いを笑みでやんわりと流しながらクーラーボックスの前に立つ。これらは週に一度から二度程この屋敷に運び込まれる食材で、優子さんはその点検を務めている。前は何人か複数の女性でこれらを厨房まで運んでいたらしいのだが、一つでも結構な重さになる。それを往復何度もと言うのは少々辛いだろう。

「一、二、三‥‥‥五つですか、今日は少ない方ですね」

「はい、何でも輸送船が一隻海賊に襲われたとか‥‥」

「海賊、ですか」

 何とも聞きなれない言葉に俺は思わず顔を顰めた。この文明時代に海賊とは、一体全体どういう事なのか。

「この辺りは日本と大分離れた諸島ですから、結構危険な海域みたいです、一応この島周辺は安全です、ご本家が警備の者を雇っていますから」

「そうなんですか」

 初耳だ、何とも貴重な情報だった。

「さて、じゃあさっさと終わらせますか、時間が経つと鮮度も落ちますからね」

 優子さんとの会話を打ち切りクーラーボックスの取っ手を掴む。中にぎっしり詰まった食材の重さは俺の筋肉を引き裂こうとするが、何とか持てない重さでは無かった。両手に一つずつ、二つのクーラーボックスをぶら下げながら厨房へと歩き出す。

「置き場所は大型冷蔵庫の前で良いそうです、詳しくは厨房の方に!」

 背後から優子さんの声が聞こえたので「分かりました!」と返事をして、えっちらおっちら厨房まで歩く。途中何度か立ち止まりながらも厨房のあるホールまでたどり着くと、コック姿の女性が待機しているのが見えた。こちらに気付いた女性は俺に手招きをする。

「あぁ、翔さん、ありがとうございます、ボックスは此方に置いて頂ければ後は私達がやっておきますので」

「分かりました、じゃあ残りも全部運んじゃいますね」

「はい、お願いします」

 後はボックスを置いてまた戻る、それを繰り返して三往復。腕が少しだけ痛くなってきた所で終了、後は厨房の人達に任せて俺は退散した。頼まれていた仕事はこれで終わり、いや頼まれたと言うよりも無理矢理取った様なものだけど。流石に寝床と食事を貰っている身で働かないなど日本人としての良心が咎めるのだ。

 元々俺の仕事は彼女の相手をする事なので基本的に行動を制限されたりはしていない、強いて言うなら余りお屋敷から離れない事だが、別段外に出る事に対して小言を言われる事も無かった。

「あぁ、お疲れ様です翔さん、お散歩ですか?」

「はい、綺麗な貝殻でも探してこようかと思って」

「分かりました、ですが‥‥」

「大丈夫です、近場で済ませますし、余り遠くには行きませんよ」

 屋敷の警備を任されている女性に挨拶しつつ、浜辺の方へと向かう。屋敷の出入り口は合計で三つ、表門と裏門、そして搬入用の入り口が一つ。俺が(もっぱ)ら使っているのは河岸方面から近い裏門であり、そこの守衛さんとはそこそこ話す仲である。彼女の前で話すと何故か咎められるが。

 しかし、大きい。

 歩きながら背後を見てやれば高台に建つ大きい屋敷、普通の民家二十軒分位のスペースを取っているのでは無いだろうか。それでいて住んでいる人間は俺を入れて二十人程度しか居ない。それで成り立っているのだから個人個人の能力が高いのだろうけど、外から改めてみた屋敷は圧巻であり、庶民感覚を有する俺にとっては正に(きら)びやかという言葉を体現した様な場所だった。

「さて、と」

 高台にある屋敷から舗装された階段を下って数分、海岸へと辿り着いた俺は少しばかり歩く。この辺りは良く彼女と散歩で訪れていた、滅多に外を出歩かないと聞いて俺が半ば無理矢理連れ出したのだ。最初の頃は少し歩いただけで疲れ切っていたが最近では二日に一度海岸まで降りてきている、その為この辺りの地理にはそこそこ詳しい。

 階段を下りた後に真っ直ぐ西へ、三分ほど歩くと切り立った崖の側面に辿り着く。此処まで来たら引き返すのが彼女との散歩ルートであるが、俺はその崖に『ある秘密』を隠していた。

「ふっ‥‥っ、よいしょ」

 崖の一角、切り立った岩肌の隅っこに盛り上がった砂と草木、流木や波で押し出された砂に混じったそれは違和感なく見えるが、それは俺が意図的に作った壁。それらを取り除くと中には大人二人が入れそうな空洞、その中心にソレは鎮座していた。

「良し‥‥大丈夫だ」

 全体を黒色で統一してあるゴムボート。

 通常のゴムボートより一回り程小さいそれは、二週間前から俺が作っている唯一の秘密だった。

 

― 俺の名前は(かける)、性別は男、生まれは日本だが彼女の家系に血の繋がった親族が居て、その繋がりで彼女の世話係り兼お目付け役と言う役職に就いている。

 

 

 という事になっている。

 

 

 俺は彼女の親族でもないし、本当は世話係でもお目付け役でも無い。普通に庶民的な暮らしを営んでいた一般人であった。それが気付けばこんな豪邸に住み、日本ではない何処かで暮らし、全く見知らぬ家系に名を連ねている。

 

 そしてこの島に来た当時、俺は記憶も失っていた。

 

 意味が分からない。

 その時の心境はその一言。

 記憶を失っていた時、俺は何故か海辺に打ち上げられた状態で発見された。脱力して動かない体をそのままに呆然と一時間程過ごしていた所を、この屋敷の警備に発見され回収されたのだ。そして、あれよあれよと屋敷に運ばれ、屋敷の人たちがあーでもないこーでもないと言いあっている内に、偶然部屋にやってきた今の彼女が一言。

 

「その人は、私のよッ!」

 

 意味が分からない、二度目の驚愕である。

 だが意味は分からなくとも、それは俺にとっては幸運だった。気付けばどこかも分からない場所で、記憶も無くし、財布も携帯も無く一人。そんな状況で発見された人達の保護に入れるなんて願っても無い事だ。

 

 何て思っていたが、どうやら俺は元々この屋敷の人間らしかった。

本当は違うが記憶の無かった俺は目の前に居た親切な人達を信じる他無かったのだ。人間心理的に参った時に囁かれる都合の良い言葉というのは、無条件で信じたくなる。

 その言葉を放ったのは他でもない彼女、身分は先程の通り。

 何でも数日前から行方不明になっていて、屋敷の人総出で探していたらしい。

 記憶が無かった俺は「そうなのかー」とホイホイ彼女の言葉を信じ、それから徐々にこの屋敷へと馴染んでいった。最初こそどこか人見知りらしく話す度に赤面したり、何かと後をつけては俺をじっと見つめて居たりしていた彼女だが、一ヵ月もすれば隣に来て笑いあう仲になった。

流石に朝起きて部屋の入り口を見たら、半開きの扉越しにじっと俺を見つめる彼女を見つけた時は驚いたが。何でも昨日の夜からずっと居たらしい、勿論次の日は風邪をひいた、何をやっているのか。その他にも朝起きたら隣に寝ているとか、三日に一度は不思議な味のするクッキーを焼いて食べさせてくるとか、そう言えば最近は俺が隣に居ないと不安がる様になったと傍仕えの人から聞いた気がする。まぁ、概ね良好な関係を築けていたと言えるだろう。

屋敷の人達も最初こそ他人行儀だったが、俺が無理を言って仕事を譲り受けてからは共に働く仲間と言う認識が強まった。それからは気兼ねなく接する仲になったし、スムーズにこの屋敷へと入り込めたと思う。

そんな日常が当たり前のように感じ、徐々にここでの生活が馴染み始めたなぁ思い始めたある日。

 

 階段から滑って落ちた。

 

 そう滑って落ちたのだ、それはもう盛大に。

 運が無かったと言えばそれまでだが、屋敷の絨毯が一部汚れてしまいクリーニングしようと話が上がった翌日、絨毯が取り除かれ大理石が剥き出しの踊り場で、ものの見事に滑った。ついでだから磨いてしまおうとか思った俺が悪かったのか。

まず手すりに後頭部を強く打ち付け、その後ゴロゴロと階段を転がり落ちた。その音を聞いた召使さんの一人が様子を見に来たところ、階段の下で力なく横たわった俺を発見、悲鳴を上げてしまったらしい。そして何だ何だと駆けつけた数人によって直ぐに医務室へ搬送、幸い怪我自体はそれほど大したものでは無く後頭部は若干切れた程度の傷で済んだ。

これは騒動の後で皆に聞いた話だが、駆けつけて来た彼女の表情はそれこそ青白いを通り越してほぼ真っ白だったと言う。この世の絶望を見たと言わんばかりに俺に縋りつき、この屋敷で行える最高の治療をしろと何度も医者に怒鳴ったとの事。後頭部の傷も幸い縫う程でも無く、全身の打ち身も骨折する程酷いモノでも無かったと説明したが、念には念をと言う彼女の言葉でそれはもう今回の怪我とは全く関係ない所まで検査された。

階段から滑り落ちて二時間ほど経過した所で俺は目が覚めた、俺の手を握って涙の痕も隠さず「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」とブツブツ呟いている彼女が目覚めて一番最初に目に入った光景だ。一瞬俺は死んだのかと思った、冗談抜きで。

「‥‥‥あの」

 ブツブツ呟いていた彼女に向かって声を掛ける、すると彼女は視認も難しい速度で顔を上げると俺に真っ直ぐその瞳を向けた。充血して涙の痕が見える目元、その奥底には薄暗い何かが見え隠れしていたが俺を視界に捉えるや否や一気に抱き着いてきた。

「ッ! お、起きたっ、起きたぁッ!」

 悲鳴とも歓声とも聞き取れる声、それを上げつつ俺の首元へと縋りつく。とても十五歳の少女の力とは思えない強い抱き締め攻撃を受け俺は打撲した箇所の痛みに呻いた、勿論それを悟られるような事はしなかったが。俺の首元に顔を埋めすすり泣く彼女、暫くすれば彼女の叫びを聞いた何人かの仕事仲間が駆けつけて来て、半狂乱の彼女をまず俺から引っぺがす作業に入る。それはもう、万力の如く締め付けだったとだけ言っておこう。

 後は彼女を何とか説得して、それから暫く安静にする様にと医者の説明を聞く。騒がしい喧騒が遠のき医務室が自分一人になった所で漸く一息()けた。自分一人の空間となるとそれまで機能を停止していた思考が周り始め‥‥。

 

― 俺、(かける)じゃねぇじゃん、(かがり)だよ

 

 後頭部を打ったお蔭か、或は他の要因があったのか、それは知らないが兎に角俺は忘れていた事の一部を思い出した。それはもう、何があってどうなって何故自分が此処に居るかとか。少なくとも自分が翔と呼ばれる人物では無いことは明らかであった。

 俺はあの日居酒屋から真っすぐ家に帰宅途中だった、まだ新米の俺は先輩に嫌というほど酒を煽らされ酔っぱらって研究所の資料を読んでから寝ようとか考えていたんだ、それから……。そう、突然横合いから真っ黒な車が突っ込んできた、最後の記憶は甲高いブレーキ音とサングラスを掛けた運転手、ボンネットに乗りあがる俺の体、浮遊感。そこでプッツリと全てが途切れていた。

 後は消化試合と言うべきか、俺は俺自身の本当の名前を思い出し、元の場所に戻るべく記憶を取り戻した事を内密に再度『翔』として日々を過ごしている。皆に内緒でボートを調達し、今か今かと機会を伺っていた。何故秘密にしているかと言えば、正直な所ただの(かん)である。

 どことなく嫌な感じがするのだ。

 そう、彼女に俺の秘密がばれる、或は記憶を取り戻した事を悟られる、どちらでも良い、そのどちらかが知れてしまった時点で俺はこの島から一生出られなくなる気がする。

 考えてみれば何故彼女は見ず知らずの俺を手元に置いたのか、態々(わざわざ)屋敷の人間全てに言い含めてまで。少なくとも俺は彼女の親族であった記憶など無いし、そもそもこんな大金持ちと縁があるとは思えない。

 それと彼女の行動だ。

 これはハッキリと言える、彼女は元彼女達と同じ感じがする。俺の今まで付き合ってきた女性は皆等しく異様に嫉妬深い女性ばかりであった、自慢になるが俺の顔は中々どうして整っている。学生時代は何人もの女子生徒に告白されたし、社会人になってからも幾度となくそういう色恋沙汰に巻き込まれた。

そして俺に言い寄ってくる女性というのが彼女に似ているのだ、何処となく危うげと言うか、激情を胸に秘めていると言うか。この感覚ばかりは言葉にする事が難しい、兎にも角にも彼女達と少なくない時間を過ごして来た俺には分かる、彼女も又それらの同類であると。

 本当なら数ヵ月此処に置いてくれた恩人を裏切る様な真似はしたくないが、如何せん不自然な点が多過ぎた。結果俺は行動に出て、逃亡の準備も万全にしてある。

 そして今に至ると。

彼女と一緒に居る時は最大限の注意を払い、内面も記憶を失ったままという自己暗示を掛けた。自分は篝では無く翔だと言い聞かせる、それは存外上手く行っている様で、今の所勘付かれた様子は無かった。

 

この島には驚くべき事に空港がある、勿論彼女の本家が個人的に作ったモノだが、最初その空港の飛行機に潜入して脱出する事を考えた。

 しかし、遠目で見ただけで大分警備が厳重であり、仮に上手く行っても航空機が何処に行くかも不明、着陸後に誰にも見つからず抜け出すなど不可能に思えた。故に海路での脱出を考えたのだが。

 良く考えなくとも自分は此処が何処かすらも知らなかった。

 しかし定期船に潜り込もうにも担当が違うので自分が近場をうろつけば不自然だ。とまぁ色々考えたのだけれど、一番確実なのが小型ボートでの脱出だった、最悪死ななければ何とかなるだろうと言う俺の楽観的な性格が出ているのかもしれない。夜間ならば視認は難しいし、その為に色も黒一色にした。あとは実行するだけ。

 

 毎日の散歩も終えて海岸を歩きつつ綺麗な貝殻を適当に拾い集める、理由を付けて出てきているのだから手ぶらでは帰れないだろう、ついでに彼女の機嫌を取ると言う下心もある。何故か俺がプレゼントしたものは無条件に喜ばれるので此方としては助かる、この前など俺が作った失敗クッキーをとても嬉しそうに頬張っていた。いつも貰ってばかりで悪いと思い厨房のコックに頼んで作り方を教えて貰った、しかし今まで付き合ってきた彼女に頼っていた弊害か(あるい)は俺に料理の才能が皆無だったのか、お世辞にも美味いとは言えない若干焦げたクッキーが出来上がった。流石にそれを差し出すのは悪いと思い内密に処分しようと思っていたのだが、そのコックが彼女にクッキーを焼いた件を話してしまった様で、満面の笑みで俺の部屋へと突撃して来た彼女に対して内心戦々恐々としながらクッキーを渡したものだった。それを「美味しい!」と言いながら頬を紅潮させて食べる彼女にも驚いたが。

 取り敢えずそれなりの数を拾い終えたら階段を上りそのまま裏門を潜る、砂場で僅かに汚れてしまった靴を外に設置されている水道水で洗った後、予め用意していたタオルで拭いて室内へ。そのまま彼女の部屋へと直行し、扉をノックした。

「翔っ!」

 そして僅か数秒で扉は開け放たれる、尚この時扉から数歩下がるのがコツだ。でないと勢い良く開いた扉に顔面を強打する羽目になる。因みに経験済みである。

「お待たせ、ごめん、少し遅くなったね」

「ほ、本当よ! もう、四十三分二十一秒も待ったわ、ほら早く来て、退屈で死んじゃう所だったわ」

「ははは、ごめんごめん」

 こんなバラバラの数字を咄嗟に言えるなんてきっと彼女は俺より頭が良いに違いない、俺ではきっと舌が絡まる。

「あ、それ‥‥」

 部屋に踏み入ろとした彼女が俺の手に視線を向ける、そこには砂浜から拾ってきたばかりの貝殻が乗っかっていた。様々な色に模様も違う、出来るだけ被らない様な貝殻を選んで持ってきた為色とりどりだ。

「あぁ、うん、お土産、綺麗だったから」

 そう言って差し出すと、彼女はどこか呆れたような、でも嬉しそうな表情を隠さず「貴方も好きね‥‥」と言って受け取った。

「このままじゃ、私の部屋が貝殻だらけになっちゃうじゃない」

 彼女は俺に背を向け部屋に入ると、少し大きめのこれまた豪華な装飾が施されているボックスの元へと近付く。部屋の一角に鎮座するそれは豪華な室内の中でも一際目立って見えた。その蓋を開け、中に貝殻を大事そうに仕舞う。あそこには俺が今までプレゼントしたものが入っている、一度だけ彼女に内緒で見た事があるのだが中には貝殻とか作ったクッキーの一枚とか、あと誰かの髪の毛や赤い液体の入った小瓶なども入っていた。最初は黒魔術でもやるのだろうかと(おのの)いた、しかしまぁ彼女も十五歳、色々な多感な時期だろうと俺の中では既に決着がついている。その内ケガもしていないのに眼帯や包帯を巻いたり、突飛な事を言い出したりするのだろうか。だとしても温かい目で見守る自信がある、大丈夫。

「んー‥じゃあ次はもう少し別なプレゼントを考えてみるよ」

 と言ってみるものの、俺には何かを作ると言う技能がある訳では無い。料理も駄目だし裁縫も駄目、日曜大工の真似事すら出来ないし彼女にプレゼントするものを作る術がない。この島には店だって無いのだ、現地調達も不可能だった。

 さてどうしたものかとウンウン唸っていると、彼女が「じゃ、じゃあ!」と声を上げた。

「そ、その、欲しいものが‥‥ある、ん‥だけど」

 顔を真っ赤にしながら、俯いて上目遣いに俺を見上げる彼女。その瞳は心なしか潤んでいる様に見える。珍しい、彼女からおねだり(なん)て。彼女は病弱体質故に療養の為此処に住んでいるが、基本甘やかされて育った為かとても我儘だ。しかし、満たされていると言う事は基本「欲しいモノが既に揃っている」と言う事でもあり、元々娯楽の少ないこの島で「あれが欲しい」とか「これが欲しい」と言った事は全く無かった。

 そんな彼女からのおねだり、一体何が欲しいのだろうと思ってしまうのは無理も無いだろう。

「俺に出来る事なら‥‥一体何だい?」

「そ、その‥‥」

 俯いたまま、腹の前で組んだ手を弄ばせる。恥ずかし気に目を伏せて言い淀む彼女に俺の疑問はますます深まった。言い出しにくいと言う事は、それなりに高価だったり得難い物だったりするのだろうか。一応彼女から給金は貰っているが果たして自分で手に入るものだろうか、作る事も買う事も此処では出来ないと言うのに。今更だが安請け合いしてしまった事に僅かな後悔を覚えた。

「あ‥‥あの」

 ぐっと両手を拳にして、口を強く結んだ彼女が一層強い目線で俺を射抜く。一体何を強請(ねだ)られるのか想像もつかない俺は、何を言われても大丈夫なように心に踏ん張りを入れて、さあ来いと気持ちを入れ替えた。

「わ、私」

 覚悟の色を瞳に灯した彼女が、胸を反らして俺を見つめたまま、口を開いて。

 

「‥‥貴方が欲し‥ッ」

 

「お嬢様」

 しかしその言葉半ばで遮られる。

丁度良いタイミングで部屋に訪れた傍仕えの一人が彼女の声を掻き消してしまったのだ。出鼻を挫かれた彼女は呆然とするが、立ち直るや否や厳しい視線を今しがた部屋に訪れた傍仕えに向ける。向けられた傍仕えと言えば何か自分が邪魔をしてしまったのかと俺と彼女とを交互に見て「‥‥お邪魔、でしたか」と肩を竦めた。

「あぁ、いや、それで何か用でしたか?」

 一向に視線を逸らさない彼女に代わって俺が問えば、傍仕えは自分に向けられる視線に苦笑しながらも「ご本家よりお電話が」と手に持った受話器を差し出した。それを聞いた彼女が「‥‥家から?」と怪訝な顔をする。

「はい、大旦那様からです」

「お爺様から‥‥分かったわ、少し席を外して」

 傍仕えから受話器を受け取った彼女はそれから俺に申し訳無さそうな顔をする、これは俺も席を外した方が良いなと判断し気にするなと手を振ってから傍仕えに続いて部屋を後にした。

「‥‥はい、今代わりましたわ、お爺様」

 彼女の声を背に扉を閉じる、それから隣の傍仕えの女性と顔を見合わせ、どちらからと言う事無く頭を下げた。お互い大変ですね、なんて幻聴が聞こえてきそうだ。

 

 

 夜 

 皆が寝静まった夜中二時、黒一色に染まった海は朝と違い恐怖感を見る者に与える。耳に届く波音は同じというのに、夜と朝というだけで海はその姿をガラリと変える。時折灯台のライトが海を照らし、透明な海水が光を反射する。俺はそんな海辺に一人で立ち、すぐ脇にはこの時の為に用意していたゴムボートがあった。

 計画を実行する時が来たのだ。

 

 大旦那と言う人から電話が来て、彼女は今日一日部屋から出なかった。その電話の内容がどんなモノだったのか俺は知らないが、どこか屋敷の人達が浮足立っているのは理解していた。何やら彼女の傍仕えの人が従者を集めて電話の内容を話したらしい、俺も聞きたかったのだが男子禁制と言われてはどうしようもない。どうにも、「これは女性の問題ですから、翔さんは聞かないでおいてください」と恥ずかしそうな表情で言われてしまったのだ。こう、少しデリカシーの無い想像ではあるが、生理用品の搬入が遅れているとか、そういうのを俺は想像した。若しかしなくても男性の聞けない話というのはそういう類のモノだろう、確かにそういう話題に首を突っ込むのは気が引ける。間違っていたら間違っていたで、まぁ別段俺の気にする話でもあるまい。

 どうせ俺は、今日ここを去るのだから。

「……あとはタイミングだな」

 ゴムボートに手を掛けて俺はじっと待つ、此処で不用意に飛び出して灯台のライトに照らされては一巻の終わりだ。ライトが一周するタイミングを見計らって行くのが良いだろう、俺はその間ゴムボートに積む荷物を確認する。緊急時用の浮輪、発煙筒が二本、食料や水が大量に入ったバッグが二つ、毛布が一枚、双眼鏡や薬などが入ったポーチ。どれもこれも厨房や倉庫から無断拝借したものだ、窃盗ではあるが宇宙の偉い人は言いました「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」と。

「……よし」

 周囲を念入りに確認し、人影が無いことを確認する。そもそも灯台のライト以外広範囲を照らす光源が無いことから、遠くから俺を視認することは困難だ。海に出てある程度離れてしまえば灯台のライトも届かない、黒塗りのゴムボートは海に紛れて見つけることも出来ないだろう。背後を振り返ると、短い間ではあったが住んでいた本邸が見える、僅かな室内の明かりと小さな街頭のみが外壁を照らし昼間の印象と違って物静かな慎ましい印象を見る者に与える。そういえば夜の本邸を外から眺めるなんて事は今まで無かったな、なんて独りでに思った。良くも悪くもあの場所で過ごした時間は濃いものだった、何だかんだ言ってあの場所での暮らしを俺は気に入っていたのかもしれない、いざ離れるとなると此処での記憶が脳裏を過っていく。

けれど俺は元々此処の住人では無かった、俺には俺の生活があったし、暮らしがあったのだ。

俺はそれを取り戻さなければならない。

灯台のライトがゆっくりと回転し光が目の前を過ぎる、その瞬間にゴムボートを押し出して海に繰り出す。その間にエンジンを始動させ低い重低音が海の中に鳴り響いた、エンジンは元々廃棄寸前の物品だった為動くかどうかぶっつけ本番だったが、どうやら神様は俺に味方したらしい。振動と共にボートは前進を始める、エンジンは確かに役割を果たしていた。

「っ、ふっ!」

 波に乗ったボートに合わせて俺もボートに飛び乗る、あまり広くもない大人二人が乗れば手狭になるボートは多くの荷物を載せた為そこそこ狭い。けれど贅沢も言っていられない、海水を掻き分けて進むボートは灯台のライトを避けて広大な水平線へと進んでいく。振り返ると段々遠ざかっていく本邸、あの場所には未だ何も知らず同僚が、彼女が眠っているのだろう。自分が消えたと知ったらどう思うだろうか、悲しむだろうか、それとも怒るだろうか、一抹の寂しさが胸を突くが深く息を吐きだして気持ちも一緒に体の外へと押し出した。

 そうして色々な未練とか、想いとか、諸々を全て断ち切って。

 まだ見ぬ水平線の先、ただ前を見据えエンジンをひと際強く吹かした瞬間。

 

(かける)っ!」

 

 叫び声が聞こえた、それもとても耳に馴染む聞き覚えのある声が。その声は波の音が支配する海辺に良く響き、思わずといった風に振り返れば肩で息をしている彼女が浜辺に立っていた。服は寝間着のままであった、恐らく気付いた時点で着の身着のまま走ってきたのだろう、如何にこの島が温暖気候であるといっても夜の寒さには心許ない恰好だった。実際、その体は小刻みに震えている。

「何で……」

 彼女の姿を視界に捉えた俺は愕然とする。

俺が確認した時浜辺には誰も居なかったし、見つからない自信もあった。けれど浜辺に立つのは他でも無い彼女で、離れた位置からでも分かる悲壮感漂う表情で彼女は叫んでいた。

「行かないでっ! 翔ッ!」

 そのまま彼女は大粒の涙を流し、海に向かって、俺に向かって走り出す。

「なっ」

 バシャバシャと彼女の足元から水飛沫が上がり、一歩一歩彼女の身が海に沈んでいく。夜の海に薄着のまま入水、尚も「お願いっ、お願いッ!」と叫びながら俺を追っていた。

「馬鹿っ」

 ただですら体の弱い彼女だ、こんな冷たい海に薄着で入水などすれば(たちま)ち体調を崩すだろう。それでなくとも彼女は泳げない、水泳などやった事もない。それでも彼女は俺を追おうとする、届かない手を必死に伸ばし何時(いつ)もの面影など微塵も感じさせない、悲痛に歪んだ表情で泣き叫ぶ。常日頃見せるどこか高圧的な態度も、上から見下ろす尊大な姿勢も、今の彼女からは少しも想像出来ない。そこにいるのは涙を流して「行かないで」と懇願する幼い少女が一人。

 俺の思考は混迷を極めた、このままボートに乗って遠ざかれば彼女は海に呑まれてしまうだろう。けれどここで俺が島に戻れば、恐らく、いや絶対に二度と島から出る機会を失う。それは予想というよりも、半ば確信に近いものだった。

 これが島から逃れる最後の機会(チャンス)なのだ、これを逃せば一生後悔するかもしれない。

 けれど。

 

 

「翔っッ!!」

 

 彼女の体が、波に呑まれた。

「くっそぉッ!」

 体良く逃げられて、彼女が仮に死んでしまったら俺は耐えられない。目の前で自ら危機に飛び込もうとしている親しい人を見捨てるなんて、そんな事出来るハズが無かった。

 ゴムボートが勢い良く前進する、俺はその勢いに逆らって全力で跳躍した。

勿論島の方向へと。

足から入水した俺は一気に極寒の海水に体全体を包まれ、きゅっと心臓が締め付けられる。それを気合で押し込め、人生でも最も力強く水を押し退けた。背後でボムボートが豆粒ほどの大きさになって行く、比例して彼女の姿が段々と大きくなり、殆ど溺れかけている彼女の脇下に手を入れて思い切り引き寄せた。

「けほっ、げほっ、かけっ、翔っ」

「馬鹿ッ、大馬鹿だっ、クソ」

 普段の自分なら絶対口にしない様な汚い言葉が口を突く、俺にしがみ付く彼女は二度と放さないとばかりに俺の首に強く抱き着いた。幸い彼女はそれほど岸から離れた場所まで流されなかったので、すぐに俺と彼女は陸に打ち上げられる事になる。人を一人掴んで泳いだ経験の無かった俺は、何とか彼女だけでも助けようと必死になっていた。無茶な泳ぎを続けた結果、何度も盛大に海水を飲んでしまう。

「げほっ、かはっ」

 砂利と共に体を横たえ、俺は塩辛い海水が気管に入り何度も咽た、同じく打ち上げられた彼女は俺の体にしがみ付いたまま白い息を吐きだしている。その体は小刻みに震えていて触れる体は驚くほど冷たかった。

「けほっ、お前、っ、死にたいのか……っ」

 彼女に向けて言い放った初めての文句だった、彼女の先ほどの行動は明らかに自殺者のそれであり、危うくこの少女の命を失うところだったと思うと全身から血の気が引く。けれど彼女は何を言い返す訳でもなく、ただ俺の首元に顔を埋めて震えていた。

「はぁ…はっ……」

 久々の全身運動に体が悲鳴を上げる、カクカクと震える腕、未だ整わない息、何とか助かった安堵感に浸っていると、唐突に彼女が動いた。殆ど体力の残っていない俺を砂の上に押し倒し、ずいっと俺の顔に自分の顔を近づけた。

「っ!」

 その表情は涙に濡れていて、真っ赤に充血した目は海水が染みたとかそういう訳ではあるまい、紫色になった唇を震わせて彼女は叫ぶ。

「っ……翔が居なくなるなら、死んだほうが、良いッ!」

 ぐにゃりと歪む表情はとても悲しげで、ぽたぽたと彼女の瞳から涙が零れる。それは俺の頬を流れて前髪から垂れる海水と混じった、血の気の失せた顔で彼女は叫ぶ、それはいつもの高圧的な命令では無く心からの懇願。

「お願いっ、私から離れないで、私を捨てないでっ! 一人じゃ何も出来ないのッ、貴方がいてくれなきゃ駄目なのぉっ! お願いっ、お願いしますっ、なんでもするから、貴方の言うことなら何でも聞くから……っ!」

 震えながら俺の首元に顔を埋めて「お願い、お願いします……」と何度も繰り返す彼女。俺はそんな豹変した彼女に、どう対応すれば良いのか分からずに戸惑っていた。俺の知っている彼女はこんな卑屈になる人物では無かったし、こんな弱音も、人に真っ向から感情を吐露する様な性格でもなかった。けれど幾ら否定の言葉を重ねても目の前にいる女性は俺の見知った彼女であり、首元に力一杯しがみ付く彼女は不遜で尊大で、いつも胸を張っていた人で。

 

 そんな涙を流して体を震わせ必死に懇願する彼女を見て俺は、あまり褒められた感情ではないのだろうけど。

 

―「嬉しい」と感じてしまった。

 

それは彼女がこんなにも取り乱して、恥も外聞を捨てて縋りつく要因は全て俺にあると分かっているから。それだけ彼女が俺の事を想い、引き留めようとしてくれているから。それがどうしようもなく嬉しく、愛おしいと思ってしまったのだ。

「っ」

 そんな感情を俺は押し殺す、泣いて縋りつき、お願いしますと懇願する彼女をみて歓喜するだなんて、とんだ畜生じゃないかと。

「ほら、顔を上げてくれ、そんな姿見たくないんだ、いつも通りにしてくれよ……」

 やんわりと彼女の体を押し返すが、それよりも強い力で彼女は俺にしがみ付く。

「嫌っ、いや、嫌っ!」

 死んでも放さないとばかりの締め付け、震えながら懸命に縋り付く彼女の姿に引き離そうとした手が止まる。僅かばかりの逡巡を経て俺の腕は彼女を抱きしめる為に動いた。抱きしめると一層彼女の体温の低さと小刻みな震えが伝わってくる、俺自身の体も酷く冷たくなっているので彼女を温めることは出来ないけれど、このまま放っておくという選択肢は無かった。大きく息を吐きだす、白い靄となって宙に消える俺の吐息を見ながら自身の中で覚悟を決める。最も、彼女を助ける為に海に飛び込んだ時点で分かり切っていた事だけれども。

「はぁ……分かった、分かったよ、どこにも行かない、約束する」

 そう言って濡れた彼女の髪を撫でれば、ひと際大きく震えた彼女が恐る恐るといった風に顔を上げる。その顔は涙と海水に濡れて真っ青で、多すぎる感情にごちゃごちゃになっていた。

「……本当に?」と彼女は掠れた声で問う。これでも約束するという言葉一つ捻り出すのに俺は多大な覚悟を要した。

「本当に」

 そう言ってぎゅっと彼女を強く抱きしめる、そうすれば彼女の表情に段々と喜色が滲み出し、「えっ……えへへ」と笑顔が溢れた。笑いながら俺の体に全身を擦り付ける、ぐりぐりと濡れた服を圧迫する彼女を見て、あぁこれで本格的に後戻り出来ないなと思った。

「わ、分かってた、翔が私を捨てるなんて、そ、そんなのっ、ありえないって! 信じてたよっ!」

 まったく調子が良い人だ、けれど俺の言葉に嬉しそうに、安心したように笑う彼女を見ていると何か自分が正しい選択をした様に思えてくる。ゆっくりと上体を起こしてか引っ付いた彼女も起き上がらせる、二人共ずぶ濡れで夜の風は冷たい。いつまでもこんな場所で寝っ転がっていては二人して風邪をひくだろう。

「本邸に戻ろう、風呂にも入って温まらないと風邪をひくぞ」

 顔に笑顔が戻っても彼女の体は寒さに震える、カタカタと震えながら「心配してくれるの?」と嬉しそうにはにかむ彼女、「当たり前だろう」と答える。でなければ一人でこの島を今頃去っていただろうさ。

「ねぇ、翔、一緒に入ろう? 背中、流すよ? それ以外にもして欲しいがあるなら言って! 何でもするから」

 ぐいぐいと迫りながら舌を回す彼女、その言葉には純粋な好意だけが含まれている。俺だって男だ、女性にそういった誘いを受ければ男性的な部分が刺激される。けれど流石にこんな純粋な少女に欲情してしまってはまずいだろうと、聞かなかった事にして起き上がった。途端、さっと彼女の顔から血の気が失せる。俺が気を悪くしたと思ったのだろうか、忙しなく視線を彷徨わせながら手を俺に伸ばす。

「あっ……翔、ご、ごめんなさ」

「……ほら」

 全てを言い切る前に言葉を被せて、彼女の目の前で屈んだ。背中を見せて手を後ろに回す、いわばおぶされのジェスチャー。

「えっ」

「いいから、ほら」

 背後から戸惑う声が上がる、彼女とくっついていたからか何か物足りなくて、自分でも恥ずかしいことを口走った。

「……くっついてないと、寒い」

 誰から見ても分かる、明らかな照れ隠しだ。けれど彼女には効果が絶大で「……う、うん!」とそれはもう嬉しそうに俺の背中へと飛びついた。未だ成長途中の小さな二つの弾力を感じながら煩悩滅殺を胸に立ち上がり、本邸に向けて歩き始めた。

 その俺の脳内はブラもしてない彼女の胸は柔らかないなぁとか、あぁこれで俺の元の生活は無くなったなぁとか、明日からどんな顔して仕事すれば良いんだとか、いろいろな事に埋め尽くされていた。けれど、唐突に「翔」と名を呼ばれて意識を現実に戻せば。

「……大好き」

 と彼女に呟かれた。

途端、頭の中を駆け回っていた雑多な思考は霧散した。

耳に聞こえるのは波の音、それから自分と彼女の息遣い、それから高鳴る心臓の音。息が詰まって一瞬なんと返事をすれば良いんだとか俺も結構好きだとか色々な言葉が胸中を巡ったけれど。今は兎に角、背中に密着する彼女に自分の早鐘を打ち鳴らす心臓の音を聞かれたくなくて、「(かがり)」と大分ぶっきらぼうに口を開いた。

(かける)じゃなくて、(かがり)、それが俺の本当の名前だよ」

 そう言うと、背後から息を呑む音。少しの沈黙、それから耳元で囁かれる「…知ってた」という声。今度は俺が驚く番だった。

「お爺様とお父様から聞いていたもの……」

「お爺様と、お父様…」

 

(かける)は私のお父様の名前」

 

 もう居なくなっちゃったけど、そう言って寂しそうに俺の首筋に顔を埋める。「私とお母様を置いて、いなくなっちゃった」と話す彼女の顔は見えないけれど、きっと悲しそうな顔をしているのだと分かった。

 

 

「藤堂(ゆう)がお爺様、(かける)がお父様、そして私のお父様は、貴方のお父様でもあるの、貴方のお母様はお医者さんでしょう?」

 

 

「……あぁ」

 海の見える診療所、そこで俺と母さんは一緒に暮らしていた。元々は俺と母さんと父さん、それから三歳離れた妹と暮らしていたのだけれど、母さんと妹の不仲が原因である日突然、父さんと妹は姿を消してしまった。母さんは「あの子が私からあの人を奪った」と妹を恨んでいた、俺は父さんが妹を連れて出て行ったのだと思っていたが、母さんの考えは違う様だった。

「じゃあ俺達は……同じ血筋、最初に言ってたアレは本当なのか」

「うん、一緒、だから最初に言った事、全部が全部嘘って訳じゃないんだよ?」

 それにしても驚かないんだね、と彼女は少しだけ残念そうに言う。いやこれでも結構驚いてはいるのだ、あの父さんに隠し子が居たなんて。いや、この場合は俺の方が隠し子になるのだろうか? では俺におぶさっている彼女は腹違いの妹という事になる、何とも信じられない気持ちになるが、恋人という響きよりは大分健全に思えた。

「…そっちの家族は、何でこの島に居ないんだ?」

 俺の親父が彼女の母親と恋仲であったのなら、今彼女の母親はどうしているのか、それが気になった。自分の父を憎んでいないだろうかとか、結局肉親の情というものは中々捨てきれないものらしい。

「……私のお母様はね、旅館を経営しているの、そこそこ名前の知れた老舗旅館で、きっと今もそこで働いているよ。けれど私は小さい頃に重い病気に罹っちゃって、どうしようってなった時にお爺様が来て藤堂財閥の血筋だからって手を貸してくれたの」

 お爺様ったらお嫁さんが二人もいるの、そう言って彼女は笑う。それは親父にも確かに受け継がれている様だった。

「……お母様は、きっと今でもお父様の事が好きだと思う」

「…そっか」

 親父は世間一般からしたら女房子どもを捨てて蒸発したクソ男という事になるのだろうか。不倫か、駆け落ちか、いや、どんな理由にせよ事実は変わらない。彼女は俺の親父が捨てた女性の子供で、俺はその後結ばれた女性の子ども。何とも、自分の父親への目が大分変ってしまった瞬間だ。

「それで……俺が此処に来たのは、ただの偶然なのか?」

 俺は満を持して、一番知りたかった疑問を彼女にぶつけた。日本という大分離れた島国から生きた状態でこの島に辿り着き、その島の主は自分の腹違いの妹で、所有主は消えた父の肉親。これが全て偶然だと考える方が難しい。

 彼女は俺の疑問に対して「多分……」と自信なさげに答えた、彼女の母親が恨み辛みで俺を島流しの刑にしたとか、そんな有り得ないだろう被害妄想が頭に思い浮かぶ。

「流れ着いた貴方を見た時は、まさかって思ったもん、写真では見た事があったけど、実際に会ったのは初めてだったし」

 俺が覚えているのは車に撥ねられる場面まで、その後何故この島に流されたのかは分からない。殺したと思って加害者が俺を海に投げ捨てたのだろうか、だとしてもこの島まで運よく流れ着いたなどと、どんな確率だよと鼻で笑う。一番ある可能性はその藤堂優というお爺様とやらが俺を此処に運んできたと言う線だが、何故連れてきたのか皆目見当もつかない、俺を此処に連れてくる理由が分からなかった。

「…じゃあ、俺もその『優』爺さんからすれば孫に当たるのか」

 こんな贅沢な、島丸ごと所有している人物の孫、何とも実感の沸かない事実だった。

「……今日、お爺様から電話があったでしょう? けれどアレはお爺様というより、お婆様からの電話だったの、お爺様の幼馴染だったっていうお婆様」

「電話の要件は何だった?」

 俺は女性の生理用品の搬入が遅れるだとか何とか、アホらしい事を考えていたが彼女の声色から察するに全く違う要件だったのだろう。

「詳しいことは私も、お爺様から電話を代わった後『盲目的に追い続けなさい』とだけ……良く分からなかった」

 

 俺はそれだけで全てを察した。

 

「……まぁ大丈夫、多分、そのアドバイスは血に染みついているよ」

「…?」

 首を傾げる彼女、けれどまぁ多分だけれど、全てはそのお婆様とやらの手の上だったのだろうと。俺はまだ見ぬ自分のお婆様にため息を吐き出した、恐らく孫可愛さにとかそういうのなのだろうと、俺も一応孫のハズなのだけど。

 

「……ねぇ、篝」

 本邸へと続く階段を登り切り、裏門に差し掛かったところで彼女は唐突に俺の名を呼ぶ。「何だい」と答えれば、少しだけ不安げな声で彼女は問いかける。

「本当に、どこにも行かない? 私のこと捨てない? 私、体は弱いし、何も知らないし、出来ないし……」

 掛けていた腕の一本を外して「む、胸も…」と泣きそうな声を出す彼女、まだ十五やそこらの年齢で何を言っているのか。それに今更そんな事言われても困る、だから俺は「じゃあ帰るって言ったら、帰らせてくれるのか?」と意地悪をした。

「や、やだっ、帰っちゃ()だ!」

 途端に涙を滲ませる彼女、震える声が夜に響く。「冗談だよ」と言って彼女を背負い直し、「帰らない」とだけ零す。

「どうにも、俺にはやっぱり親父の血が流れているらしい」

 病的なまでに自分を求める女性に惹かれる、別に構わないと思ってしまう、許してしまう、ある意味寛大とも器が大きいとも言えるが一般的な感性の持ち主からすれば異常。そして俺は彼女が自分の血族だと聞いて妙に納得してしまったのだ、それは自分の母や本当の妹に何処か類似する部分があったから。その瞳の暗さに、独占欲に、行動に既視感が存在した。そしてソレを愛おしいと愛でられるだけの才が俺の血には含まれていたのだ。

「逢うべくして逢ったのか、それともお婆様とやらの手によるものか、まぁ大事なのはそこじゃないんだ」

 結局俺も、少なからずこの小さな彼女に惹かれていると言うことで。

 それを口にするには大分、いやかなり羞恥心が勝ったので曖昧な言葉で誤魔化した。

「……私、凄く嫉妬深いよ?」

「知ってる」

 それはきっと藤堂の(さが)だろう。

「……他の(ひと)と話しただけで嫉妬するよ?」

「それも知ってる」

 俺と同僚が和気藹々(わきあいあい)と話している時、背後の角から暗い瞳でじっと見つめていた事を俺は知っている。

「……一日一回はシてくれなきゃ拗ねるよ?」

「……それは要相談という事で」

 流石にそれは倫理的、道徳的に何とも危ないから保留させて貰う。

 

「あとあと、いつも私の傍から離れちゃ嫌だとか、出来れば一日中くっついていたいとか、お風呂とトイレも一緒が良いとか、一日に百回は愛してるって言って欲しいとか、私以外の女とは話して欲しくないし目も合わせないで欲しいとか、他の女と話しただけで私の部屋に閉じ込めておきたくなるとか、貴方の胃に入れるモノは全部私が作ったモノにして欲しいとか、もう誰にも貴方の姿を見せたく無いとか、浮気なんてしたら多分相手の女性をズタズタにしちゃうとか……」

 

 良くもまぁそんなにポンポンと要望が出て来るものだと俺は感心する。幾つもの願望を吐き出した後、彼女は不安げな声で「……私、絶対、面倒くさいよ」と自己評価を下した。けれどそう自分でいえるのならば、きっとまだ大丈夫なのだろうと思う。それが抑え切れないだけで、客観的に自分を見る事は可能なのだから。その抑えられ無い事が駄目なのだろうけど。事俺達の血筋に()いて言うならば、別に抑える必要も無いだろう。

「……それとね、(かがり)

「うん?」

 まだ要望が言い足りないのだろうかと声を返せば、彼女が半ば身を乗り出して俺の耳元で酷く申し訳なさそうに、けれど喜色の滲んだ声で言った。

「言って無くてごめんなさい、けど、最悪私を捨てても、貴方には此処に居て欲しかったから……」

 最初は意味が分からなかった、けれど彼女が言い終わるタイミングで本邸の明かりが一気に灯り、無数の人影がホールに設置された窓から見えた。その人数はこの本邸に住んでいる人間が勢揃いしている、明らかに(あらかじ)め待機していた手際の良さ。

 

 これは……。

 

「……お爺様からの電話、多分今日、(かがり)が逃げるだろうって」

 最初から知られていた訳だ。

俺は肩の力を抜いて溜息を吐き出す、俺の必死の逃走準備は全て筒抜けで決死の覚悟も全てお爺様達の手の上だったという事だ。

「ごめんなさい……」

 彼女の謝罪が鼓膜を震わせる、けれど怒りは湧いて来なかった。別にだからと言って何が変わる訳では無いし、全てが只の偶然で流れに身を任せたとしても、きっと俺は彼女の傍に留まる事となっただろう。

「いいさ」

 力の抜けた声で答える、彼女の方を見ずに笑って空を見た。日本では見られない爛々と光る星々、人工の明かりの少ない場所でのみ見られる空の輝き。

きっと俺は不自由な生活を送る事になるだろう、首輪をつけて一生鎖に繋がれた生活だ。彼女以外を好きになる事は許されないし、傍から見れば囚人の様な扱いかもしれない。

けれど……。

「………」

 悲し気に目線を落とす彼女をそっと見る、俺に背負われた彼女の顔は直ぐ間近だ。彼女の優しい匂いも憂いを帯びて目も全てハッキリと見える、自分を客観的に見れるからこそ自分の行いがいけない事だと分かっている。そんな自責の念に駆られる彼女に顔を近づけて。

その風にゆらゆら揺れる前髪の上から、そっと口づけをした。

僅かに触れた彼女の額、その先からビクンと彼女が跳ねる振動が伝わった。

「ッ!?」

 ぱっちりと目を見開いて、一体何をしたのと驚きに身を反らした彼女を見て。

「これからもよろしく」

 俺は微笑んで見せた。

 

 

 

 俺達(優 翔 篝)にとって、渡る世間はヤンデレばかり。

 

 

 

 この後、好感度がカンストした彼女に押し倒され危うく貞操を奪われかけたり、妹と一緒に行方不明になっていた親父が見つかったり、優爺さんの修羅場日記なるモノが見つかったりしたのだけれども。

 

 それはまた、別のお話 ―

 

 




 
 本編完結ッ!(多分)

 短編ですから!今回二万文字書きましたし二話分! 最終回と言う事で!

 もうちょうっとヤンデレにしたかったけど力不足でしたゴメンナサイ!

 ヤンデレが足りんのじゃ! ヤンデレアァァァッァア監禁されたいストーカーされたい媚薬飲まされたいハイライト消えた瞳で永延と「貴方は私のモノ」とか囁かれたいいあああああいあいあいあいあいああアアアア(゚д゚)
 大学のテスト勉強なんてやってる場合じゃないんですよヤンデレが無くなったら死んじゃうんですから病弱ヤンデレ強気ヤンデレメイドヤンデレ無口ヤンデレヤンデレヤンデレヤンデレああぁぁぁあヤンデレ成分がガガガガガガがヤンデレが‥‥光が逆流するウワアアアアアアア!!


 (´・ω・`)ふぅ

 (´・ω・`)みんなヤンデレになれば幸せなのに

 (´・ω・`)そう思うだろう?

 (´・ω・`)えっ、思わない?

 (´・ω・`)そうか、じゃあ君は既にヤンデレという事だね

 (´・ω・`)ハラショー

 
 以下真面目な後書き

皆様のお蔭で短編の累計11位という分不相応な評価を頂きました‥‥(゚Д゚;)
おまけに日間、短編共に一位という記録も頂けて……感無量です。
どうかこれからも、ヤンデレ共々宜しくお願いします!

ヤンデレに栄光あれっ!\( 'ω')/ヒョォオオオオオオオオ
うひょおおおおおおヤンデレ万歳ああぁぃあぃい!!ヾ(o´∀`o)ノ

 私は大真面目です。


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私の彼女は
私の彼女は冷たい


 少しお前は真面目すぎると、昔父に頭を小突かれながら言われた。

 もう少し肩の力を抜いて適当に生きた方が良い、そう言って笑った父は五年前に死んでしまった。私は父の言った通り適度に力を抜いて生きようと努めたが、どうにも私には母の血が濃いらしい。生来の楽天家である父の(さが)を受け継がなかった私は生真面目だけが取り柄のつまらない男になってしまった、反対に妹は父と母の良いところを詰め合わせた様な丁度良い加減を知る美しい女性となった。

 母が死んで十年、父が死んで五年、既に二人の温もりを忘れた手は代わりに妹の手を取る様になった。四人家族が当たり前だったのが三人に、三人家族が当たり前になってから二人に、そうして私と妹だけになってしまった家は酷く寂しい。今年で二十一歳を迎えた私は里の中で一番若い男手として猟師を営んでいた、妹は幼い頃より体が弱く、何かと体調を崩しやすいので家で内職をしている。兄ばかりに負担を強いるのは心苦しいと、手慰(てなぐさ)みに始めた編み物を生業とした。幸いにして、里で衣類の修繕や縫物に詳しい者も多く無かったので、妹の生業も私達の生活をする上で十二分に助かっている。

 この里の人口は百人程度、人も寄り付かぬ山奥にひっそりと佇む集落は、その殆どがご老体で三十過ぎでも里の中では若い方。十代なんて言えば子どもも同然で、ついこないだまでその地位に甘んじていた私は子どもという無力者の辛さを良く知っている。妹は今年で十五になる、私とは六歳離れている可愛い妹だ。母に似て艶やかな黒髪を持ち、日の下で動けぬ体は雪の様に真っ白だ。集落の若い男集に人気の妹だが、当分嫁に出すつもりは毛頭ない。妹自身も家から離れたがらないので、少なくとも成人するまではこのままで良いと私は思っている。

 

「帰ったぞ」

 ※合掌造(がっしょうづく)りの家、どっさりと積もった雪を踏みしめながら玄関を開けると、部屋の奥からトタトタと軽い足音が聞こえて来る。

「お帰りなさい、兄様」

 そうして顔を出したのは私の妹、名を小雪と言う。真っ白な ※(つむぎ)に袖を通して私に微笑みかけていた。

「寝ていなくて大丈夫なのか?」

 家の中でも寒さは肌を刺激する程だ、体の弱い小雪は暖かくしていなければすぐに体調を崩してしまうだろう。雪に塗れた狩猟用のブーツを脱ぎ捨てるとひんやりとした板の冷たさが足裏に染みた。

「寝てばかりでは逆に体を弱らせてしまいます、兄様は少し心配し過ぎです」

 どこか呆れた様な顔で小雪は俺に言う、学の無い俺は「そういうものなのか」と彼女の弁に頷くほか無かった。俺が父から学んだのは狩猟のイロハと必要最低限この里で生きていくための方法だけだ、元々閉鎖的なこの里では周囲の住人も手助けしてくれて一人で生きていくというよりは群として生きている感覚だった。餅は餅屋と言う訳ではないが、それぞれの分野で分担できれば生活は順調に営める。俺の役割は定期的に動物を狩り里に食料を届ける事だ。

「今日は調子が良いのか」

「はい、不思議な事に……ふふっ、夏はあれだけ体調を崩していたのに、雪が降った途端良くなるなんて、私の体はどうにも冬が好きな様です」

 ころころと笑う小雪は名前通り、雪が降ると体調が快復するらしい。名付け親は母だったらしいが、やはり母もそうだったのだろうかと考える。居間に入ると中央に掘り炬燵(こたつ)が私を待っていた。そっと中に足を入れると、じんわりとした熱が爪先から私を温めてくれる、「ふぅ」と体から力が抜けて心地よい微熱に包まれる。そのままもぞもぞと腰まで炬燵に入り込むと、小雪が茶を用意してくれた。

(おさ)は何と?」

「……里の備蓄(びちく)が不安だと、一応一週間は問題無いらしいが、それ以上吹雪が続くとなると厳しい、少しばかり狩りに出かけるかもしれん」

 湯呑をコトリと置きながら問うてくる小雪に、私は()を答えた。

 先程私は里の長に呼び出され、ここ数日続いている猛吹雪が【雪女】の仕業であると聞いた。眉唾物(まゆつばもの)の話だと最初は怪訝な顔で聞いていたが、何でも数十年に一度こう言った災害が里を襲っていたらしい。どうにもその度に村の若い男を生贄にしてきた歴史があると、実際問題生贄を捧げた翌日には吹雪は止むと古来より長が残してきた文献に綴られており、私はソレを信じる他無かった。そしてこの里に()いて最も適当(てきとう)である年齢の人間は自分の他に無かった。それでなくとも、この猛吹雪の中で山を歩ける人間など歩きなれた狩猟者くらいしか存在しない。白羽の矢が立った私は村長の家に招かれ、「どうか、その命を諦めてくれないか」と言われた訳である。

 命を諦めてくれと言われて、簡単に頷ける筈が無い。第一、自分が死んでしまったら小雪はどうなるのか。

 そう問うと小雪は長の家族が責任を持って面倒を見ると言い切った、長の妻である嘉代子(かよこ)さんと一人娘の紗世(さよ)さんにも、力強く頷かれてしまった。元より生贄に捧げられた一家は里で優遇するというのが(なら)わしであるらしい。確かに家族の中で貴重な男手、それも若い男をくれてやるのだ、それくらいの見返りがあって当然だろうと私は思う。

 

 そして今回の話を、私は受ける事にした。

 

 迷いに迷った、この話は私だけの話ではない、小雪の今後も左右する話であり、同時にこの里の存続にも関係する話だった。この里には恩義がある、父と母が他界してから小雪と二人で何とかやっていけたのも、この心優しい里の住人が手を差し伸べてくれたからに他ならない。だから自分一人の命でこの里が救われるのならば、仕方あるまい、差し出す事も構わないだろう。けれど残された小雪は一人では生きていけない、だれかの助けが必要だった。

 私は何度も念入りに長へと頼み込んだ、どうか小雪をよろしく頼むと。

 心苦しいとばかりに、「あぁ、あぁ、必ず、必ず小雪さんは幸せにしてみせよう、何が何でも」と潤んだ瞳で力強く答える長に、そして奥方と娘に深く、深く頭を下げた。

 

 

 帰宅後の夜。

 二人で掘り炬燵に入り、他愛も無い会話に花を咲かせていると腹が鳴ったので、丁度良いから飯にしようと相成(あいな)った。

 

 小雪の作ってくれた夕餉(ゆうげ)を頬張りながら目の前で嬉しそうに味噌汁を(すす)る我が妹を見る。美しく育ったものだと、自分でも身内贔屓が過ぎるとは思うが、確かにそう感じた。私も里では随分男前などと()(はや)されるが、この妹と比べれば(かす)んでしまうだろう。

 

 そしてこんな妹の姿を見るのも、最期(さいご)となる。

 

 手元の椀に注がれた味噌汁に反射する己の顔を見ながら、情けない事に私は涙ぐんでしまった。

 私の歪んだ視界に、今まで生きてきた人生のあらゆる場面が映し出される。これが走馬灯という奴か(なん)て、やけに静かな気持ちでそれらを眺めた。もう顔も朧気(おぼろげ)な母、寡黙(かもく)だが情に厚い父、幼い頃の小雪、自分を育ててくれた里の面々、私の命は多くの人の助けがあって存在している。

「……兄様?」

 箸が止まっている事に違和感を覚えたのか、小雪が「何か味付けに問題が……?」などと問うてくる。

「あぁ、いや、何、少し湯気が目に染みてな、ははは」

 我ながら酷い大根役者だ。けれど小雪は「そうですか」と幸せそうに微笑むのだ、これは私達の幸せ、平穏な日々の一場面。そして私は今日、それを(みずか)ら手放さなければならない。

 夕餉(ゆうげ)を平らげて、人生最後のまともな食事をとことん味わい、風呂で極楽を堪能(たんのう)した。それから寝間着(ねまき)に着替えた小雪に「お休みさない、兄様」と挨拶をされて、その背を見送った後。

 

「さて、では()くとするか」

 

 私は一人、覚悟を決めた。

 背負う小さな背嚢(はいのう)には雪女のいるとされる場所に行く分だけの食糧、傷薬、水筒(すいとう)、それだけ。水は一応持っていくが、この寒さでは氷になってしまうのがオチだろう。だから今の内にたらふく飲んでおいた。

 帰りの食糧や水は無い、これは冥府(めいふ)への片道切符(かたみちきっぷ)であり、二度とこの場所に戻って来る事は無いだろう。家を出る際に愛用の猟銃を掴んで外へと出る。弾薬は二発、予備は無し、この命は雪女にくれてやるのだ、道中でもし獣に遭遇した場合の予防策だった。

 相も変わらず吹雪は猛威を振るう、肌に付着する雪は酷く冷たくぶるりとその身を震わせた。着こんだ毛皮の防寒着をきゅっと締め直し、その打ち付ける様な雪に目を細めながら開け放たれた玄関からそっと小雪を想い、そして呟いた。

「どうか勝手な兄を許してくれ」

 これは自己満足だろうか。

 小雪を守ろうと、里を守ろうと正論を主張し、一番大切な小雪自身に真実を教えず、その本心から目を(そむ)けるのは。

 なれど今をおいて他にないのだ、この血肉、命を懸けて何かを守る時など。

 

― これは使命、これが【命】を【使う】という事

 

 静かに玄関を閉める。

 赤子の時から何度も見続け、既に日常の風景となった愛着ある家をしばし眺め、私は一面の白に足を踏み出した。

 

 

 

 

 雪で埋もれた山は、いつもと全く違う景色を私に見せていた。白に塗りつぶされた木々や地面が方向感覚を失わせ、数メートル先すら見えない暗闇は恐怖感を煽る。この時期は殆どの動物が冬眠していると理解しているが、それでも根源的な恐怖が色濃く残る。ざっく、ざっくと自分が雪を踏みしめる音だけが響き、吹雪きの中を一歩一歩確実に進んで行った。背負っていた背嚢から少量の干し肉を取り出して(かじ)りながら前進する、既に体は氷の様に冷たくなって水筒の中身も氷と化してしまっているが、不思議と絶望感というのは感じられ無かった。

 過去日本に於いて、死兵(しへい)となって特攻して逝った者達の心情はこんな感じだったのだろうかと自分の感情と比較して考える。大事の前の小事と言うか、いざ自分が助からないと分かってしまうと、思考がクリアになって広く物事を見渡せる様になるのだ。

 そこには自分の死とか、自分を縛っていたあらゆる束縛、鎖が存在しなくて、何をどう成せば良いのかだけが点々と続いていた。

 私は最後の干し肉を口に含むと水筒と薬の入った背嚢を(おもむろ)に投げ捨てた、茶の背嚢は雪に埋もれて見えなくなり、その上から大量の白が重なる。

「……もう少しか」

 吹雪は里に居た頃よりも激しく、強く私を打ち付ける。

 長より教えられた雪女の住処(すみか)まで、あと僅かだった。

 

 

 

 

 

 兄は私にとって、何にも代えがたい存在だった。

 兄は昔から優秀だった、物心ついた頃には既に里中で兄は愛され、その思慮深(しりょぶかい)い性格と逞しい体つきから次代の狩猟者は傑物(けつぶつ)だと言われていた。父も誇らしかったに違いない、十を超える頃になると父と共に狩りに出かけ、大物を仕留めては私に嬉しそうに報告していた。

 その父が死去してからも、兄は涙一つ見せる事なく「小雪は必ず幸せにしてみせる」と私の前で誓ったのだ。この病弱な体を持つ私を見捨てず、いつまでも隣で私を守り続けてくれた兄。年相応に遊びたかったに違いない、里の若者の様に外の世界に足を運ぶ事もせず、この狭い世界の中で私と共に歩んでくれた。不自由を強いただろう、面倒も多かっただろう、けれど兄は愚痴ひとつ(こぼ)す事無く私を見続けた。

 

 これで惚れるなと言う方が無理な話だろう。

 

 恩義もある、感謝もある、けれど何より愛情が(まさ)った。

 自分を(いつく)しんでくれた兄に対する無尽蔵の愛情、それは父が死去してから

 五年、母が死んでから数えれば十年育まれた愛情だ。今や兄に対する愛情はごく当たり前の感情であり、それを異常と捉える心など遠の昔に消え去った。

 この想いは私だけが知っている、他の誰にも知られていない、それは本人である兄にさえ。

 

 兄は里の女どもに言い寄られている、けれどそれを兄は「自分には勿体(もったい)ない」と断り続けていた。兄は魅力的な人物だろう、顔つきは凛々しく、体も逞しい、自分では「学が無い」と言っているが本来兄の頭は良い。一度言った事を忘れず、物事を理解しようとする姿勢も好ましい。

 兄の鎖となっているのは私だ、私が理由で兄は己に色恋沙汰(いろこいざた)を固く禁じている。あの真面目な兄の事だ、病弱な妹を放って自分だけ色恋に(うつつ)を抜かすなど許されない、なんて固く考えているに違いない。

 それが私にとってはどうしようもなく嬉しく、そして同時に申し訳無かった。

 自分が居なければ人並みの幸福は得られただろう、(わずら)わしい面倒ごとも負わずに済んだだろう、けれど私の幸福は兄の傍でしか得られぬモノだったのだ。だから私は死ぬまで兄に尽くそうと決めた、私は兄の傍に居られれば幸福を得る事が出来る。

 

 では兄の幸福は?

 

 兄の幸福、それが何であるかは分からない。けれど私と共に居る事が兄の幸福になるように、私そのものが兄にとっての幸福で有りたいと、そう私は強く願っていた。

 例えそれが私の独りよがりな願いであっても、酷く我儘で自分勝手な欲望だとしても。

 

― 私には兄が必要なのだ。

 

 

 

「兄様?」

 早朝、朝日が差し込むみ幻想的な風景に包まれる部屋、外に見える雪は光を反射して爛々と輝いている。そんな中、朝の冷たさに白い吐息を吐きながら私は兄の居る部屋へとやって来ていた。

 起床した私は、珍しい事に兄が寝坊した事を知った。いつも私が起きる頃には居間でぼんやりと雪景色を眺めているものだが、その兄の姿が無かった。

 珍しい事もあるものだと、しかし貴重な兄の寝顔が(おが)めるのは嬉しいと喜々(きき)として兄の部屋へとやって来たのだが。布団は綺麗に(たた)まれ部屋の隅に(かた)されており、兄が居る気配は微塵(みじん)も感じられなかった。

「……冷たい、起きて直ぐって温度じゃない」

 兄の布団を手に取ってみるが、冷気に晒されたそれに人肌の温もりは感じられない。という事は兄は大分前に起床して既に何処かに出掛けたと言う事になる、一体どこに行ったのだろうかと考えて、ふと外の吹雪が止んでいる事に気付いた。

 ここずっと鳴り響いていた風の音もなく、ごく小さな(すずめ)の鳴き声だけが耳に届く。

「吹雪が止んだから、狩りに出掛けたのかしら?」

 昨日兄は里の貯蔵量に不安が残ると言っていた、大方(おおかた)次の吹雪が始まる前に一匹でも多く狩猟しておこうとでも考えたのだろう。相も変わらず行動的と言うか、何と言うか。

「……まぁ、遅くとも昼頃には帰ってくるでしょう」

 私はそう呟いて、兄が帰宅した時の為に料理を作っておく事にした。朝食は軽いモノで済ませて、久々に大物が獲れるかもしれない、前祝いとでもしておけば兄も怒らないだろう。そう思い早すぎる昼餉(ひるげ)の準備に取り掛かった。

 陰鬱な吹雪が過ぎ去り私の心も少しだけ憂鬱から解放されたからだろうか、いつもは使わない貴重な食材を多めに使って、私は兄の帰りを待ち続けた。

 

 

 決して帰って来る事の無い、兄の帰りを。

 

 

 

 

 

 痛い位の寒さで目が覚めた。

 最初に視界に入ったのは木目の天井、古びたそれを眺めながら自分が床に()せている事を理解した。歪んだ視界は段々と鮮明さを取り戻し、ようやく木目がハッキリと目に映る様になってから思考が回転数を取り戻す。ゆっくりと両手を動かすと僅かに鈍い反応を見せながらもちゃんと動く、覆いかぶさった布団を退かして(てのひら)を眺めた。

「………生きてる」

 呟かれた言葉は実感を持って自分の胸に浸透した、あの吹雪の中で自分は意識を失ったのだろうか、最後に見た光景(こうけい)は真っ白な雪景色だった。雪女の家まであと少しという所で自分は力尽きたのだろう、だがまだ生きているとなると里の人間が助けてくれたのだろうか?

 未だ寒さに震える体を叱咤(しった)して起き上がれば、見慣れない景色が目の前に広がった。里の誰の家とも違う構造、室内を見渡しながら呆然としていると、ふと人の気配を感じた。自分が寝かされているのは和室の一室、その唯一の出入り口である(ふすま)がゆっくりと開かれて。

「……っ」

 思わず息を呑んだ。

 

「目が覚めたんですね」

 

 美しい女性だった。

 (いま)(かつ)てこれ以上の美を見た事が無いと、そう言い切れてしまう程に美しい。

 

 

まるで、雪の様な人だった。

 

 

髪、肌、着物、全てが白で統一されたその人は、純白と言う文字がそのまま当てはまる位に(けが)れを知らず、恐ろしく整った顔立ちに透き通る声。私はその姿を見た瞬間に、心臓がドクンと一際強く鼓動を鳴らしたのを感じた。

あぁ、畜生。

自分の中の何かが悪態を吐く。

呆然と上体を起こしたまま凍り付く私に向かって彼女は笑いもせずに言葉を放った。

「家の近くで倒れていたので此処まで運ばせて貰いました、半日ほど寝込んでいたのですが……お加減の方は?」

「あっ……え、えぇ、大丈夫です、問題ありません」

「そうですか」

 そっけなく、それでいてピクリとも動かない表情。それは氷の様で、彼女の周りからどんどん温度が奪われていく様な錯覚に陥る。否、それは錯覚などでは無かった。パキパキと、彼女の足元から何かが割れる様な音がする。そして盗み見る様にして彼女の足元に目を向ければ畳に薄い氷が張っていた。

 あぁ、成程 と。

 どこか呆気ない程に容易(たやす)く私は確信した、目の前にいるこの、無表情で美しく雪の様な、この女性が。

 

 

―【雪女】なのだと。

 

 

 

 







~ 合掌造(がっしょうづく)
 豪雪地帯に見られる「人」の字に屋根を造った民家、傾斜角度は家によって異なるが雪下ろしの作業負担を軽くしたり、水はけを良くするために考えられた昔ながらの住宅建築様式

~ (つむぎ)
 着物の一種、和服の普段着、正式な場所以外で殆ど着用できる




 活動報告で雪女の話を書きたいとか言っていた私です、迷った末にこちらに投稿させて頂きました!\( 'ω')/

 ヤンデレという括りでは一緒です!(多分)

 最早短編じゃなくなっていますが、突っ込んだら負けなんですよきっと恐らく。
ほら、ファイナルじゃないファンタジーとかドラゴンが出ないクエストとかもありますしおすし、だから(多分)大丈夫!(`・ω・´)

 まだテスト期間なので投稿間隔は空くかもしれませんが‥‥と言いつつ書いてしまう気がするのが私の予想です。

 単位は来る(信仰心)

 雪女はクーデレ半分ツンデレ半分な感じにしたい(願望)

 では皆さん素敵なヤンデレライフを!ヾ(*´∀`*)ノ


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私の彼女は美しい

短編→連載(完結済み) に変更しました。


 一面の白―

 

 吹雪が通り過ぎて、晴れ晴れとした青空の元、僅かに固くなった雪の上に転がって十数分。新雪では無いそれらの表面には氷が張り、半ば埋もれる様にして息を殺していた私は、来るべき時に備えて冷たい手を顔に当てて温めていた。白い雲が太陽の光を僅かに遮った瞬間、私の目の前に小さな毛の塊が姿を現す。

 来た、と内心で歓喜した。

 その毛の塊、(うさぎ)は私に気付く事無くキョロキョロと辺りを見回していた。その兎に気付かれる事無くそっと上体を起こし、私は弓の弦を引き、放つ。一連の動作を滑らかに、音も無く完了した私の前に一本の矢が風切り音を鳴らして飛び去った。

 ストン、と軽い音が耳に届く。そして兎の首辺りを射抜いた矢は、確かにその命を奪った。ぐったりと動かなくなる兎、そして雪の上に小さく広がる赤。

()し」

 私は立ち上がると体に載せていた雪を払って、それから大きく伸びをした。十分そこらとは言え全く動かずに気配を殺すのは疲れる。固まった筋肉を解し、次いで仕留めた獲物(えもの)の元へと駆けた。

 雪の上で横たわる兎、その首元には穴が空いている、矢はどうしたものかと兎の耳を持って持ち上げると丁度射抜いた穴から水が滴り落ちた。

「切れたか……丁度良い、そろそろ帰るとしよう」

 今日の成果は兎が一、狐が一、運が良い方だろう。

 兎の首元を縄で括って肩に縄を担ぐ、先程仕留(しと)めた狐は匂いで潜伏(せんぷく)場所が割れない様に僅かばかり遠くへ置いたため、数分ほど雪の上を歩き獲物を回収。そのまま新居へと足を向けた。

 

 片手に弓を、片手に矢筒と獲物二匹を担ぎながら歩く事三十分、周囲を木々に囲まれた雪景色の中に、ひっそりと佇むようにして一軒の家が見えてきた。外装は木材を使用した温かみのあるもの、その殆どは雪で隠れてはいるが決して小さくは無い。周囲の樹に(まぎ)れて日差しも中々差し込まない、初見では決して見つけられない秘境(ひきょう)

 それが私の新居だった。

 家の前に来ると木製の扉が見える、そして私が扉を叩くよりも早く、ゆっくりとその扉が独りでに開いた。

 そして、そこから顔を覗かせるのは。

 

「お帰りなさい」

 

 ピクリとも表情を動かさない、氷の仮面。

 真っ白な肌に真っ白な髪、服も白となれば真っ白な雪を連想する。

 瞳は私をじっと見つめて、未だなれない感情が胸に渦巻く。

 

 恐ろしく整った顔立ちで私を迎えた、愛しい彼女。

 

「あぁ、ただいま」

 

 私は自然と笑みを浮かべ、目の前に立つ彼女 ―【雪女】に獲物を見せた。

「今日は運が良かった、兎と狐が一匹ずつ」

「そう」

 それだけ言って彼女は体を反転させる、彼女はその氷の風貌(ふうぼう)通り私に対する態度も冷たい。既にこの住居に居候(いそうろう)して一週間程が経過しているが、段々と彼女の口数が減っている気がした。

 最初の彼女の態度は、所謂(いわゆる)お客様対応と言う奴なのだろうか。そう考えると少しだけ悲しくなるが、元々は彼女に捧げられた命なのだ、最早なにも言うまい。

「血抜きと内臓はどうしようか? 今日は自分が」

「いい、私がやる……貴方は休んでいて」

 獲物を持って処理は自分が済ますと言おうとするが、彼女に遮られて手元にあった二匹の獲物もパッと彼女に取られてしまった。「あ」と口から声が漏れる時にはもう遅く、彼女の背が家の奥に消えていく。

「……しまった」

 後頭部を掻きながらまた駄目だったと息を吐き出す、この所全く働いてない自分に何だか悲しくなってきた。

 私の専門は狩猟である、しかしそれ以外も全く出来ない訳では無い。妹の小雪の体調が優れないときは全ての家事を任されていたし、人並みの出来は保証する。だから最初こそ炊事、掃除、洗濯、何でもござれと彼女に言い放ったものだが。

 

()りません」

 

 と一蹴されてしまった。

 だからこうして狩りに出ている間は良いものの、それ以外の時間はまさに(ひま)の極みであった。

 靴に張り付いた雪を外で払い、綺麗に揃えたら居間へと足を向ける。広々とした居間には囲炉裏(いろり)があり、雪女である彼女が持っている数少ない(だん)を取れる手段の一つだ。

 恐らく私が帰って来て直ぐにあたれるようにだろう、既に囲炉裏には火が起こされており暖かい熱が感じられた。その近くに腰を下ろして冷え切った手を温める、そうこうしている内に考える事は彼女の事。

 

 こういった気配りをされている私は、少なくとも歓迎されていないという訳ではないのだろう。

 

 実際、半ば人柱(ひとばしら)としてこの地に(おもむ)いた私ではあるが、彼女に食われる事も、殺される事も無く、のうのうと今日まで生きている。しかし私が此処に来たことで長い間続いていた吹雪は止み、そして彼女自身も雪女その人であった。

 

 彼女は雪女だ、それは疑いようがない。実際私が狩りで使用した矢は彼女の作り出した氷だった。どういう原理なのかは分からない、恐らく自分の想像もつかない妖術とか、そういうモノなのだと思う。材質は氷、しかし羽の様に軽く確かな殺傷性を持つ氷矢は標的を射ると溶けだし、それが全て無くなったら帰宅すると言うある種の規則に似た約束事があった。

 

 狩りをさせたくて自分を呼んだのだろうか? ふとそんな事を考えるが、指定されたのは私自身では無く若い里の男だ。来る人間が狩人であるかどうかなど分かる筈が無い。そもそも彼女は里の若い男を差し出されて、一体何をしようとしているのだろうか? 勝手な想像で申し訳無いが、私はてっきり美味しく食べられてしまうものとばかり考えていた。勿論私の血肉を食らうと言う意味で、だからこそ(おさ)も「命を諦めてくれ」などと言ったのだろう。

 

 彼女は何の為に自分を欲したのだろう?

 

 生贄は自分、欲したのは彼女、差し出したのは里。

 

 私と言う個人を指名したのではないだろうが、結果来たのは一番彼女の条件に一致した自分だ。もしや気に食わなかったのだろうか、いやそれならば吹雪を止める理由が無い。

 無い知恵を絞ってうんうん唸っていると、居間の扉がすっと開き私の思考を占めていた彼女が現れる。突然の事に思わず肩が跳ねてしまうが、当の彼女は気にも留めず「空腹加減は?」と無表情で問うてきた。

「…い、いや、今はそれほど」

「そう……なら昼餉はもう少し後にする」

 それだけ言って彼女は扉を閉めようとする。けれど私はそれを(さえぎ)って「すまない、少し良いか?」と声を掛けた。ぴたりと彼女の動きが止まって、再度扉が開かれる。

「……何か?」

「その、少し聞きたいことがあるんだ、隣に来てはくれないだろうか?」

 内心戦々恐々としながら聞いてみると、彼女は少しの間を置いてから静かに私の隣へとやって来た。そのまま正座で座り込み、「……聞きたい事と言うのは」と問うて来る。ひとまず話が出来た事にほっと胸を撫で下ろした、それからぐっと下腹部に力を入れて口を開く。

「……私の事なんだが」

 いざ質問する時となって、少しばかり鼓動が早くなる。もし彼女の気紛(きまぐ)れで生かされているのであれば、私がその事を蒸し返す事によってこの命が絶たれるかもしれない。だが、いつ死ぬかビクビクしながら生きるのも嫌だった。

「私は、何をする為に捧げられたのか、それを教えて欲しい」

 私は自分の中で(くすぶ)る恐怖心を抑えながら、何とかそれを口にした。彼女は私の言葉に何ら反応を返す事無く、ただ沈黙する。居間を沈黙が包み彼女の言葉をじっと待っていると、「貴方は」と彼女が私を見据えた。その瞳から発せられる色は相変わらず冷たいものだったが、気のせいだろうか、その奥に何か言い様のない執念の様なモノを感じられた。

 

「何もしなくて良い、ただ傍にいるだけで」

 

「えっ」

 私が思わず言葉に詰まると、彼女は立ち上がって私に背を向ける。

「……昼餉の準備をしてくる」

それだけ言って居間の扉の向こう側に消えていく彼女の背を呆然と見ていた私は、暫くの間彼女の言葉を反芻(はんすう)していた。それだけ彼女の言葉は衝撃的だったのだ。

「傍にいるだけって……」

 呆然と呟く言葉、それは私の予想していた言葉では無く、欲していた言葉でも無い。

 これではまるで、恋人の様な ―

 

 私は軽く頬を叩く、いや、そんな筈は無いと。

 流石に幾ら何でも自分の都合の良い様に考え過ぎだ、彼女の傍に自分が居る事で何かしらの利益が生まれるのだろう。そう自分を納得させた、あの美しい女性が自分を想うなどと、そんなのは天地がひっくり返ってもありえない。

「……喰われるよりは、マシだと思おう」

 兎にも角にも、傍に居るだけで良いのなら取って食われる事も無いだろう、それが分かっただけでも儲けものだ。

 

 だが私は、そんな言葉で誤魔化しつつも妙に騒ぐ胸に自分が喜んでいる事を自覚した。あの彼女に、ひょっとしたら、万が一にも、想われているのではという可能性に歓喜した。それは儚い幻想であり、きっと夢物語に違いない、けれど人間というのはどこまでも単純で、希望があれば何となく日々を生きる気力が湧いて来る。

「……掃除でもするか」

 彼女が居間に来たら驚く位にピカピカにしてやろう。

 昨日まで自発的に動けなかった私は、その日初めて自ら行動を起こした。

 自分でも笑えるほど、まったく、単純な生き物だ。

 私と言うのは。

 

 

 

 

 私には母が居た。

 自慢の母だ、美しく、(したた)かで、誰よりも優しい心を持った人だった。この地に生を受けてからの十年間、共に過ごして来た唯一の肉親。けれどその母は、とある猟師と共に人里へと下りた。

【雪女】は、雪と共に生きる。

 私達には適した環境というものがあるのだ、万年雪の残る山頂に住む私達は春や夏を残雪で(しの)ぐ、それを捨て母は想い人を選んだ。

 勿論私は反対した、自分の命を(おびや)かしてまで添い遂げる必要はないと。しかし母は止まらなかった、聞き分けの無い私の頭を撫でて言ったのだ。

『貴女にもいつか分かる日が来るわ、私達の嫌う(ねつ)……けれど人の持つ熱は、一度知ったら二度と離したくない、そんな暖かい熱なの』

 雪女は(よわい)が十を超えた所で成体(せいたい)となる、母が里へと下りた翌日に私の体は急激な成長を遂げた。小さかった背丈は伸び、凹凸の無い体は女性らしい体つきへ、未だ幼さの残る顔立ちは凛々しくも美しい、母に似た顔立ちとなった。

 母は私が成体になるまで待っていたのだ、そして時が来たから人里へと下りた。

 私は捨てられたのだ。

 そう思うと悲しみが胸を支配した、どうしてと思う反面、今まで愛情を込めて育ててくれた母を憎んだり嫌ったりする事はどうしても出来なかった。だから私は、時折母の事を思い出しながらも平穏に、何事も無く日々を過ごした。

一年、二年と時は過ぎ、春が来て夏が来て、秋を越してまた冬が来る。それを何度繰り返しただろうか、気が付けば私の手は既に母の温もりを忘れ、雪山で一人もの静かに暮らす事が当たり前になっていた。そんな月日を忘れ日々を過ごす事幾年(いくねん)、今日も今日とて何もなく日々が終わるのだろうと思っていると、急な吹雪に見舞われた。その吹雪は生まれてこの方一度も見た事がない程に強く、荒々しいものだった。

私達雪女はある程度の天候を操作する事が出来る、冷気や雪は私達の味方であり良き隣人であるのだ。けれどその吹雪は、まるで私の意思を聞かなかった。今日は調子が悪いのだろうか、そんな日もあるかもしれないと私は然程気にしていなかった、しかし二日経って三日経って、一週間が過ぎる頃には流石におかしいと思い始めた。雪は時間と共に私達へと馴染む、それは新雪でも例外は無くどんな吹雪だろうと時間が経てば私達の支配下へと置かれるのだ。

 雪女も(かすみ)を食べて生きている訳では無い、この一週間で家の備蓄も大分消費してしまっていた、故に食料調達へと出掛けたいのだが。

「……また、強くなってる」

 窓から外を覗いてみれば、その勢いは日に日に強くなっている。寒さには強い雪女も風はどうする事も出来ない、視界が遮られる中ひたすら歩き回るのは嫌だった。しかし待っていても食料の備蓄が増える事は無く、暫くの間空腹に耐える事と一時の疲労を天秤に掛け、渋々外へと出掛けたのだった。

私の家の周りには母の代から続く小さな畑がある、そこは私達雪女の力を使って雪を退(しりぞ)け幾つかの野菜を作っていた。何でも私達の様な【妖】(あやかし)と呼ばれる者から(ゆず)り受けた種を撒いたそうで、通常の野菜と異なり成長が速いらしい。一週間すれば畑にある野菜は殆どが食べられる程に成長し、そのサイクルで私も畑に足を運んでいる。『らしい』と言うのは私がその畑以外を知らないからで、私にとっては大根やジャガイモが一週間で出来るのが当たり前だった。

 私はいつも通りの服装で手元に小さな明かりだけを持って外へと出る、自分の周りにごく薄い氷の膜を張って風を防ぐが、それでもそよ風が手元の蝋燭をゆらゆらと揺らし、一寸先も見えない事に変わりは無かった。畑は私の家から数分ほど歩いた距離にある、足元の雪を嫌々(いやいや)ながら払い歩いて行くと、私はふと白一面の中に別の色を見つけた。

 

「……人間?」

 

 盛り上がった雪の隙間から覗く茶色、吹雪が視界を遮るがその中にも辛うじて識別できる色が地面より顔を覗かせていた。服の切れ端だろうか、私が恐る恐る近付いてみると雪が異様に盛り上がっている事に気付いた。上に積もった雪を払えば予想通り、真っ白な顔をした若い男が雪の下から現れた。その顔立ちは凛々しく美青年と言って差し支えないだろう、その顔立ちは何処となく母の想い人と似た雰囲気を醸し出していた。

 何故こんなところに人が居るのか、私は最初疑問に思ったが時間が経てば経つほど目の前の人間が白くなっていくので、慌てて担ぎ上げ家へと引き返した。私はただ食料を調達しに来ただけなのに何故人間を拾って来る羽目に……そう思わない訳でも無かったが、別段人間が嫌いと言う訳ではないのだ。けれど私から母を奪ったという事実が消える事は無く、どっちかと言えば苦手という表現が当て嵌まった。

 

「取り敢えず温めれば良いの……?」

 家へと引き返した私は居間に人間を寝かせ囲炉裏に火を(とも)す、料理する時以外は黙ったままの囲炉裏は久方(ひさかた)ぶりの客人に喜んでか、素直に熱を人間へと届けた。ぱちぱちと燃え始める炭を眺めながら人間に毛布を掛けるとようやく一息つく。そして結局野菜を収穫できず仕舞いで、尚且(なおか)つ厄介な種を抱えてしまった事に今度は溜息が出た。

しかし抱え込んでしまったからには仕方ない、このまま見殺しにしては目覚めも悪い、私は随分と寂しくなった備蓄に手をつけて食事を作る事にした。基本的には野菜メインの食事だが、米や魚も少ないがある事にはある。(ごく)限られた環境で生活する【妖】同士の交流、そういう妖の中には人間に擬態(ぎたい)する者も居る、人間社会に適応出来た者が異形の姿故に人と関わりを持てぬ者、または私達雪女の様に特殊な環境下でなければ生きられない者に数ヵ月に一度穀物(こくもつ)や野菜を売りに来るのだ。大抵は日持ちするものを持ってくるのだが、私達は生物(なまもの)であっても冷凍して保存する事が出来る。雪女だからこそ出来る芸当だ、それを使って行商でもすれば一財産作れるのにと言われていたが、結局私達は雪が無ければ生きられない、ましてや行商など三日で倒れる自信があった。

残り物で何とか食事の準備を済ませ、いつでも食べられる様に準備を万端にしておく。後は居間で今も横たわっている人間の傍に腰かけて、静かに上下する胸を見つめていた。一応家にある毛布を片っ端から上に掛けて囲炉裏の傍に寝かせてある、胸が動いているという事は生きてはいるのだろう、その事に一先(ひとま)ず安堵して、さてこの人間はいつ頃起きるのだろうと暇な時間を過ごした。

しかし、いつもはじっと外の景色を見て時間を潰したり、たまに来る妖相手に数十分話す程度なので、こんな交流とも呼べない一方的な関わりが楽しく感じられたりする。一人では無い時間を過ごすのはどれ位ぶりだろうか、それも行商相手ではなく人間相手になど。人と関わりを断ってから随分経つが既に遠い昔に感じられる、いや実際二十年程と考えれば遠い昔なのだろう。しかし二十年程度など妖としてはまだまだ若輩(じゃくはい)、妖の中には既に数百年から千年を超えて生きる者も居ると言う。しかし未だ数十年しか生きていない私からすれば二十年という時間は遠い昔に感じられた。

「一体何をしに此処へ……」

 横たわった男の頬を突きながら考える、指先から伝わる熱は雪女である自分と違い暖かく、不思議と暑いのが苦手な自分でも気分の和らぐ丁度良い体温だった。徐々に体温が戻って来ているのだろう、これなら近い内に目を覚ますかもしれない。

 それはそうとこの人間がこの地にやって来た理由だ、普通の人間が吹雪の日に(ろく)な準備も無しにやって来るなどと、死にたかったのだろうか? 自殺志願者、もしそれが正解だとすれば私のやった事は無駄骨以外の何でも無い。

 もしそうなら一発殴ってから放り出してやろう。

 そう心に決めて私は人間の顔を眺め続けた。

 

 別に頬を(つつ)くのが楽しい訳では無い、決して。

 

 

 ……たぶん。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女― 【雪女】との生活は順調だった、少なくとも命の危険が無くなって幾分か気が楽になった結果、張り詰めていた空気が抜けたようにある程度楽観的に日々を過ごせる様になった。前よりも気軽に彼女へ話しかける事も出来るし、他の様々な事柄に()いても協力的になった事だろう。人ならざる者と人間の共同生活、既に俺がこの場所に来てから一ヵ月近くが経過しようとしていた。

 奇妙と言えば奇妙な、彼女と私の生活は一定の安定期を迎え始めた。

 

 そして事件が起こったのも、その安定期に入ってからである。

 

「……」

「……」

 対面するのは私と雪女である彼女、そしてその間には一組の布団が敷かれている。

 いつもは布団を二つ用意し(何でも、彼女の母が使用していたものらしい)少し離れた場所に別々に敷くのだが、今私達の前には一組の布団しか無かった。大の大人が一人入れば七割埋まってしまうその面積に私と彼女の視線が集中する。

 

 事の発端(ほったん)は不意の事故であった。

普段、洗濯物は外で干すと凍ってしまうので部屋で干している、その干している布団に私が盛大に味噌汁をぶっかけてしまったのだ、字面にすれば何とも間抜けな話である。

 別にやろうと思ってやった訳では無く、居間に続く扉を(くぐ)った瞬間段差(だんさ)に足を取られ盛大に転んだ結果だった、手に持った椀が芸術的な()を描き干されていた布団に中身をぶちまけたのは正に奇跡の様な瞬間だったと言っておこう。あれだけ離れた位置にあったと言うのに何故精確(せいかく)に布団まで飛んでいったのか、正直なにか自分の理解出来ない力が働いたとしか思えない、ただの言い訳でしかないのだが。

 彼女には「気にしないで」と言われているが、その氷の様な風貌で気にするなと言われても責められている様にしか感じなかった、実際彼女は何とも思っていないのかもしれないけれど。

これが自分の被害妄想であるならば幾分か救われる。

 

そういった事故が起こった結果、布団は結局洗い直す羽目になり、味噌汁の匂いに包まれて眠るのは流石にという事で現在も干している最中で、二組しかない布団の片方が使えないと……。

 

必然、一緒に寝る事に(こう)なる。

 

「……」

「……」

 沈黙が痛い。

 部屋は既に明かりを消しており月明かりだけが周囲を照らしている、その中でぼんやりと浮かぶ彼女の容姿。

 彼女は美人である、それも私が生きてきた人生の中で飛び切りの、目も眩むほどの美貌を持っている。更には体つきも完璧であった、引き締まる所は引き締まり女性特有の豊満さも持ち合わせると言う(まさ)に魔性の女性だ。

 そんな女性と添い寝だと? 

 正直なところ寝れる自信が無かった、いやそれどころか下手をすると手を出してしまいそうになる。

 私とて男である、恥ずかしながらこの年まで小雪の世話ばかりを焼いてきた、結果惚れた腫れたの色恋沙汰にはとんと無縁で、未だ女性の味を知らぬ身(童貞)だ。けれど興味が無い訳ではない、人並みの欲求も興味も存在している。

 だからこそ理性の枷が外れる事を私は恐れた、相手は私一人簡単に殺せるような存在である、煩悩に打ち負け手を出した挙句(あげく)(しかばね)を晒しましたなどと、向こう(天国)で父と母に何と弁解すれば良いのだろうか。

「……その、私は居間で寝るよ、床でも寝れるから」 

 私はどうにかしてこの場を逃れようと腰を上げた、毛布にでも(くる)まれば床でも寝れるだろうと考えたのだ。彼女に手を出して氷漬けにされるよりも、一晩寒さに震えながら冷たい床に転がった方がマシに決まっている。しかし、腰を上げるよりも早くひんやりとした手が私の肩をぐっと捉えた。それは万力の様な力で私を床に押し付け、そのまま立ち上がりかけた体は再度姿勢よく座ってしまう。

「……一緒に、寝る」

 その手の主は彼女、そして相変わらず絶対零度の視線を私にぶつけながら有無を言わせぬ圧力を加えて言い放った。こうされてはもう何も言えない、反対する権利を私は持ち合わせて無い。ただ胸中に羞恥とか恐怖とか期待とか、そんな色んな感情を押し殺して首を縦に振ることしか許されなかった。

「風邪でも引いたら看病するのは私」

「……そう、だけれど」

 だから風邪を引かない様に一緒に寝ろと、そういう事なのだろうか。彼女の善意に戸惑いつつも結局断らなかった私は半ば手を引かれる形で布団の中に引きずり込まれた。ひんやりとした彼女の体に私の熱が奪われる、けれど不思議と冷たいとは感じなかった、無事だった枕を二つ並べて寝る私達、風邪を引くとは言うが雪女と一緒に寝た方が風邪を引くんじゃないだろうか、なんて思った私だったがいざ彼女と寝てみるとその考えは吹き飛んだ。

 対面する様に横になった私達、その美貌をすぐ間近で見ていると勝手に体が火照ってきた、単純に緊張しているのだ、あぁ成程これなら暖かいと納得する、暑過ぎる位だ。

月明かりに照らされ幻想的な雰囲気を醸し出す彼女は、あまりにも神々(こうごう)しい。

「……」

 目の前の彼女は私を布団に引きずり込んだ時に取った手をそのまま、何度も確かめる様に握る。

それからじっと私の顔を見つめて一言。

 

「……少しだけ、母様の気持ちが分かった」 と。

 

 それが何を意味するかは分からなかった、けれど私はその時初めて彼女の笑った顔を見た。

 ほんの少しだけ口角を上げて、きっと本人はちょっぴり微笑んだ程度だったのだろう。けれど私にとってその表情は何よりも価値のあるモノに見えた。僅かに朱の差した頬に細まった目が、滅多に変わらない表情が崩れる(さま)は、私に強烈な印象を植え付けるには十分過ぎたのだ。

「人は、(あたた)かい」

 そっと私の手を頬に添える彼女、その頬の感触に私の心臓は鼓動を早めてますます体温を高くする、私は恥じらう様を彼女に見られたく無くて、「貴女が、きっと冷たいんだ」と言って目を逸らした。

「冷たい女は嫌い?」

 彼女は聞く。

 それは性格か、それとも容姿か、それとも体温か。

「いや」

 何であれ私はそれに否と答えた、嘘偽りの無い本心から出た答えだった。

「……そう」

 どこまでも淡泊に彼女は答える。けれどその表情はいつもの氷の様な、ピクリとも動かぬ表情では無くて。

 

嬉しそうな、綺麗な微笑みで答えるのだ。

 

「なら、良かった」

 ぎゅっと握られた手から彼女の体温が伝わり、それから自然に寄り添った体が火照る。布団の中で動く彼女の素足が私の足に触れた、気のせいだろうか、彼女の体が少しだけ暖かく感じる。

「訂正する」

 私は背けていた目を彼女に向けて言う、いつも感じる氷の様な視線はそこには無く、彼女から送られる視線に籠る熱は親愛を感じさせた。

「今の貴方は暖かい」

 そう言うと少しだけ驚いた表情を浮かべる彼女、それから恥ずかしそうに視線を彷徨わせて、自分の手をそっと頬に当てた。

「……雪女、なのにね」

彼女は少しだけ困った様に笑った。

「関係無いさ」と呟いて私はもう一つの手を彼女と重ねる、雪女が冷たいだなんて誰が決めた。

「一つ、言っても良いだろうか」

「なに?」

 横になった彼女の頬からさらりと一房(ひとふさ)の髪が滑り落ちる、その光景を目に焼きつけながら一度大きく深呼吸。バクバクと鳴り響く心臓を自覚しながら、一世一代の覚悟を決めた。

 こんなタイミングで口にするのも何だが、そう前置きして私は息を吸い込む。いつもより大分血色の良い彼女の目を真っ直ぐ見据えて、玉砕覚悟の言葉を放った。

 

「どうにも、私は貴女に惚れているらしい」

 

 

 

 

 

 この日から私と彼女 ―【雪女】の関係は大きく変化した。

 それは心情的なモノでもあり、パッと見は全く変わらないだろう。けれど根本に何か相手に対する信頼とか、そういった目に見えない変化が起きていた。あの日を境に私は彼女の本質に少しだけ触れ、彼女は私の熱を知ったと話した。

 その変化は私達にとっては良いモノで。

 

― そしてある人にとっては望ましく無いモノだった。

 

彼女と共に暮らし始めて一ヵ月を超えて、季節は冬を脱し徐々に春へと近付く。

仄かな暖かさと春の香りが漂い始めてきた頃、その日々の終わりは私に気付かせぬ形で刻一刻と近付いていた。

そしてその終わりは、残念ながら私にとって最も大切な人によって齎される事となる。

 

 最愛の家族であり、最も大切に想う人

 

 私が出会った恩人であり、惚れた相手

 

 

 この時代には無い言葉だが、バタフライ効果という言葉がある。

 なんとなしに積み重ねた小さな行動が、大きな現象となって返って来る、それは正に私の行動を指していた。

もし私がもっと()()に気を配っていれば。

山を登るときに無駄な用意をしなければ。

あの時に行動を起こさなければ。

 

(あるい)は結末は別なモノとなっていたのかもしれない。

 

 ― 私の人生の大きな分岐点となる時まで、あと二日であった。

 

 






 えっ、完結してないって?
やりたい方の話は簡潔したからこまけぇ事は良いんだよ!\( 'ω')/
こっちは外伝的な扱いでお願いします、そのうち俺の彼女シリーズのアーッんなシーンやコーンッなシーンを投稿するかもしれないので。

 さてさて皆さまお久しぶりです、メタルギアとか地球防衛軍とか何か色々やってたら執筆を疎かにしてしまった私です、最近は夢でヤンデレにお腹を裂かれる夢を見てひゃっふうしていました、私です。プレステーションのトロフィーレベルがもう少しで16になりそうです、プレステもやりますがxboxも好きです、vitaと3ds、wiiUも好きです、ただそろそろモンハンはグラフィック何とかしてください。(切実)

 そんな事よりヤンデレですよ、ヤンデレ。

 今回は基本的に雪女さんプッシュでした、次回は主人公が告白したところから始まります(多分)。 
 あと当たり前ですが私の作品のヒロインは全てヤンデレですので悪しからず。
 次回辺りから激おこ妹さんが猟銃持ってランボーするんじゃないですかね、基本ストーリーのプロットとか無いので行き当たりばったり、許してください何でもし(ry

 今回の話と前回の話でヤンデレ成分あんまりないから死にそう……もっと、もっとヤンデレをくれ‥‥いや、今は雌伏の時なのです‥‥!(;゚Д゚)

 次回はヤンデレ爆発修羅場じゃあああああ\(◎o◎)/

  
 



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私の彼女はーーー

 ヤンデレじゃない話を投稿したら読者の皆様からヤンデレ足りねぇと怒られた私です。
 皆さん本当にヤンデレ大好きですね、嬉しくなって「同志がこんなに居る!」と喜んじゃいました、ヤンデレはこんなにも素晴らしい。
 お待たせしました、もう少しで最終回です。


 「どうにも、私は貴女に惚れているらしい」

 

その一言に、私の心臓が一際強く脈打った。そして体中からぼっと熱が生み出されて、いつもは不快に感じるそれらが全身を覆っていく。蝕んでいく熱の感覚はどこまでも深く、今まで味わった事の無い様な酩酊感(めいていかん)にも似た気分だった。

けれど不思議とそれを嫌だとは感じなかった、(むし)ろ心地よい感覚として受け入れられる。

「……」

 目の前の男、彼はそれきり口を(つぐ)んでしまう。顔は真っ赤で耳など先まで熱が籠っていそう、羞恥で真っ赤になっているのだと理解した時には私も同じく顔を真っ赤にしていた事だろう。

 そしてぎゅっと強く手を握られて、その行動に何となく嬉しさが込み上げ。

 

 あぁ、これが【愛】なのかと自覚した。

 

 どことなく彼に惹かれていた、母と似た雰囲気を持つ彼に、人間でありながら私を受け入れる彼に、そしてたった今人の温もりを教えてくれた彼に。

 私は母からの愛しか知らない、けれどその愛し方を母の背中を見て知った。

 

『貴女にもいつか分かる日が来るわ、私達の嫌う熱……けれど人の持つ熱は、一度知ったら二度と離したくない、そんな暖かい熱なの』

 

 これがそうか。

 この彼の手から伝わる熱、この微熱が私を焦がす。母が言っていた人の持つ熱、一度知ったら離したくない、成程。

 確かに一度この熱を知ってしまったら、手放したく無くなる。

 私達の間には沈黙が降りる、恐らく彼は私が戸惑っていると思っているのだろう。実際彼の目は忙しなく動き回り、何かを話そうとしては口を閉じるという動作を繰り返していた。そして意を決した彼が何かを話そうと息を吸い込む、けれどその口に私は指を重ねて塞いだ。

 

【雪女】(私達)は嫉妬深い」

 

 彼の口を塞いだまま私は語る。

「他の女性(おんな)に目を向けても駄目、近付くのも駄目、話しても駄目、触っては駄目、匂いを嗅ぐのも駄目、二人きりになるのも駄目、すれ違うのも駄目、声を聴くのも駄目、全部駄目、ましてや私以外を愛せば貴方は永遠に氷の中」

 多くを口にしない私にしては饒舌(じょうぜつ)だ、けれどこれは実際の雪女全てに言える事だった。私達は雪の中でしか生きられない、だからこそ縄張り意識がとても強い、そしてそれは自分の愛する者へも当て嵌まる。

【雪女】(私達)は人では無いの、だから貴方たち人間と同じと考えてはいけない、愛は永遠、決して切れない縁、後から断ち切る事は決して出来ない」

 妖は人と違い長い時を生きる、だからこそ軽々しく(ちぎり)を交わしはしない、長い時を共に生きる生涯の伴侶(はんりょ)は何事にも代えがたく重い存在でなければならない。

「……それでも尚、貴方は同じ言葉を口にする?」

 これは私なりの忠告であり、そして最終確認だった。

 

 彼は目を大きく見開いたまま驚愕の表情を張り付ける、それはそうだろう、突然こんな事を突然言われれば驚くに決まっている。けれどこれで彼が首を横に振るのであれば、私は何も言及せず素直に身を引こうと思っていた。いや、実際本当に身を引けるかは分からない、人肌の熱を知ってしまった私は無理やりにでも彼を傍に置こうとするかもしれない。

 けれど、今ならまだ取り返しがつく。

 明日の朝にでも彼に食料と水を持たせて里まで下りて貰えば良い、あとはいつも通り、平穏な独りきりの日常に戻るだけだ。雪の傍でしか生きられない私は彼を追う事も出来ないのだから。

 そんな明日の事を考えて、私は少しだけ、ほんの少しだけ胸が痛んだ。彼と過ごしたこの一月足らずの日々が知らず知らずの内に私の渇いた心を潤していたと言う事実を知る、そうなると増々彼への執着が湧いてきた。

「……私は」

 彼はぐっと何かを飲み込むようにして私を見る、その眼はまっすぐ澄んでいて、どこまでも愚直に突き進む彼らしい瞳であった。迷いは見えない、決意の籠った声色で彼は言い放つ。

 

「それでも貴女を愛したい」

 

 殺し文句だ。

 そう思った。

「そう」

 私はそれだけ返す、そして彼を抱き寄せた。

「っ」

 胸元から彼の息を呑む音が聞こえる、彼の体温は暖かく私の体を溶かしてしまいそうだった。いつもは見上げる私が彼を抱きかかえる、中々良いものだ。

「これで私は貴方のモノ、そして貴方は私のモノ、雪女は嫉妬深い、それを知って尚貴方は私を愛すると言った、二言は聞かない、撤回も了承しない、拒否は許さない、逃げる事も隠れる事も許さない、貴方は私のモノであり、私は貴方のモノだから」

 彼の頭を抱きかかえるようにして口にする言葉、それは自分の独占欲の現れ。彼の匂いを肺一杯に吸い込んで、それから黒い髪に口付けを落とした。真っ黒な彼の髪に自分の白髪が混ざる、それは(かつ)ての母と……そして()彷彿(ほうふつ)させる光景だった。

「……貴女を置いて逃げも隠れもしないさ」

 彼はそう言って私の腰に手を回す、ぐっと力強く抱き締められる感覚に自然と笑みが零れた。

「そう」

 素っ気ない一言、けれどその一言に私は最大限の愛情を込めて。

 

 彼は私の手の中に ー

 

「んむっ」

 彼の顎を持ち上げてその唇に吸いつく、こういった行為は初めてであったが、やってみれば胸中に何とも言えない幸福感が生まれた。表面で触れ合うだけの、それだけの接吻。けれど得られる幸福はその比では無い、彼の抱きしめる力が一層強まり私の体が熱に侵される。

 それは先程以上に甘美(かんび)な感覚。

「っ、突然だな」

 顔をゆっくりと離すと彼が頬を赤くして言う、口ぶりは強がっているが初めてなのは誰の目にも明らかであった。その事にじんわりと喜びが広がる、彼の初めては私、そして私の初めても彼に。

「貴方は私のモノと言った」

「……なら貴女は私のモノでもある、と言った」

 唇を尖らせる彼に私は額を当てる。彼の熱と私の熱が混じり合って、ほど良い温度が頭を巡った。

「好きにすれば良い」

 少し挑発気味にそう言うと、彼は若干面食らった後にきっと目つきを鋭くして私の唇に吸いついた。思わず呻き声が漏れてしまうが、それ程に求めてくれていると思えば寧ろ幸福感を得られる、先程とは違う男性らしく荒々しい接吻。僅かに開いた唇から吐息が漏れ、ぬるりとした舌が唇の表面に触れる。

 びくりと震えたそれを、私は逃さず口の中に含んだ。

「んぐ‥‥っ」

 食い付いた唇、暖かい(した)を甘噛みして吸いつく、僅かに甘味(あまみ)のある唾液が口内に流れ込み、それを舌の上で絡めた。

 ゆっくりと口を離すと二人の間に透明な橋が架かる、それを恍惚(こうこつ)と眺める私。それから興奮で顔を赤くする彼に体を密着させる、互いの吐息が掛かる距離、溶けそうになるほどの熱を持つ彼の体を冷ましながら、私は微笑んだ。

 

「……夜はまだ長いから」

 

 

 

 

 

 

 

 兄様が死んだらしい、山へ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃と背嚢を見つけた。

 

 兄様が死んだらしい、山へ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃と背嚢を見つけた。

 

 兄様が死んだらしい、山へ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃と背嚢を見つけた。

 

 兄様が死んだらしい? 山へ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃と背嚢を見つけた?

 

 兄様が死んだ? らしい 山へ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃と背嚢を見つけた?

 

 兄様がしんだらしい 山へ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃と背嚢を見つけた?

 

 兄様がしんだらしい、やまへ山菜を取りに行った里の住人が兄様の猟銃とはいのうをみつけた

 

 兄様がしんだらしい、やまへ山菜を取りに行った兄様が猟銃と背嚢をみつけた

 

 にいさまがしんだらしい、山へ山菜をとりにいったにいさまが猟銃と背嚢を見つけた

 

 にいさまが死んだらしい、山へ山へいった兄様が猟銃と背嚢を見つけた

 

 にいさまがしんだらしい、やまへさんさいにいさま猟銃と背嚢を見つけた

 

 にいさまがしんだらしい、やまへにいさまりょうじゅうと背嚢を見つけた

 

 にいさまがしんだらしい、やまにいさまりょうじゅうはいのうみつけた

 

 にいさまがしんだらしい、やまにいさまりょうじゅう

 

 にいさまがしんだらしい、やま

 

 にいさまがしんだらしい、

 

 にいさまが

 

 にいさま

 

 にい

 

 に

 

 に さ が

 

 

 

「嫌だ嫌だ嘘だ嘘だ兄様が死ぬ筈が無い嘘に決まってる兄様は死なないおかしい兄様が死ぬなんて嘘に決まってる嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ私を騙そうとしているんだ私から兄様を奪おうとしているんだ兄様を奪うんだ私から私から私から許さない絶対許さない兄様を返せ今すぐ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ」

 

 

 

 兄様が   らしい、やまでりょうじゅうとはいのう

 

 兄様が   らしい、山で猟銃とはいのうをみつけた

 

 兄様が   らしい、山で猟銃と背嚢を見つけた

 

 兄様が生きているらしい、山で猟銃と背嚢を見つけた

 

 兄様が生きている! 山で猟銃と背嚢を見つけた!

 

 兄様が生きている! 私の助けを待っているらしい! 山で猟銃と背嚢を見つけた!

 

 兄様が生きている! 私の助けを待っているらしい! 山で猟銃と背嚢を見つけた! これで助けてくれと言っているのだ!

 

 今助けに行きます、兄様!

 

 

 

 (おさ)にとってその日は人生で最悪の日となっただろう、長の目の前には血溜まりに沈む自分の娘と妻、頭部を吹き飛ばされた亡骸は直視できない程に酷いモノだ。壁や床にこびり付いた肉片と飛び散った血肉は赤黒く部屋を染めている、先程まで平穏そのものであった室内が地獄に変わった、脳髄(のうずい)をぶちまけて転がる死体が二つ、しかもそれらは()()自身が愛してやまなかった存在だ。嗅ぎ慣れない生臭い匂いが鼻を突いて思わず胃が(うごめ)く。

 そして長は震える自分の体を抱きしめながら、この惨劇を引き起こした人物を見上げ叫んだ。

「お、お前の兄は死んだッ、人柱として吹雪を止めっ」

 しかしその言葉は最後まで続かない、パァンと火薬の炸裂音に続き尖った何かが顔面を粉砕した。勢いに負けた体はそのまま後ろへと倒れ、顔面の上半分が消失した長だったモノがゆっくり仰向けに倒れる。粉砕した頭部だったモノはべっとりとその残滓を床と壁に残しドロドロと零れる。そして長の顔面を吹き飛ばした猟銃を手に、薄笑いを浮かべる人物が一人。

 勿論、(ワタシ)

 空薬莢を捨てながら新しい弾を込める、カランと空薬莢が音を立てて地面に転がり、それから長の言葉に首を傾げた。

「兄様が死んだ(なん)て、(おさ)も嘘吐きですね、だからこうなるんですよ」

 嘘を吐いていなくても兄様を人柱などに出したのだからこうしていただろうけど、それを口にする事は無かった。所詮(しょせん)死人だ、語った所で何も得るモノは無い。

カチンと音を立てて猟銃の再装填が完了し、私は(おさ)の死体を放置して周囲を見渡した。

比較的小奇麗な室内は里の長だけあって広い造りになっている、その為収納棚も多いが問題は無い。私は静謐(せいひつ)な空間となった長の家の中を徘徊(はいかい)し、ガサゴソと(たな)を荒らして回る。下着棚だろうが食品棚だろうがお構いなしだ、そして半刻程経った頃ようやくお目当てのモノを見つける事が出来た。恐らく長の私室だと思われる一室、その一角に鎮座する古びた箪笥(たんす)

その底に不自然な穴を見つけた私は指を引っ掛け思い切り手前に引っ張った、途端(とたん)ガコッと音と共に木材が外れる、薄く切られた木の板は明らかに後付けの仕切りだった。

「あった、これですね」

 中から出てきたのは丁寧に布で包まれた一冊の本、表紙も裏表紙も薄汚れ何も書いていない。埃を手で叩き落とし、パラパラと捲る。それは代々長が管理する里についての書物だった。

そしてその最後の(ページ)に私から兄様を奪った存在、【雪女】について|綴ってある。細かい場所は書いていないが十分、山の山頂付近にひっそりと存在する秘境の場所が大雑把(おおざっぱ)な地図と文字で記されていた、雪女そのものについての記述は一切無い。

その隣にはズラリと並ぶ人名、一番上の人名は既に擦れて読み取る事も難しく比較的下側の名前ですら既に文字が崩れていた。しかし一番下、その名前だけはハッキリと明確に読み取れる。

何故ならそれは遂最近追加された名前だから。

 

 

― 藤堂(とうどう) 雪宗(ゆきむね)

 

 

「ふふふ……待っていて下さい、兄様」

 雪女とやらがどれ程の存在かは知らない、里から人間を人柱に出させているのだ。雪女と呼ばれているがその実、(みにく)い化け物なのかもしれない。けれど今の私には全く関係無かった、例えどんな姿形をしていようと、どんな存在だろうと、天上人であろうと恐ろしい怪物だろうと。

「私から兄様を奪ったんだもの」

 

 是が非でも殺す

 

 兄様の愛銃にそっと唇を付けて脳裏に兄様との再会を思い浮かべる、良くあるお伽噺(とぎばなし)では私が兄様に助けられるのが王道だけれど、まぁこの際細かい事は気にしない。それに私が兄様を助けるという状況も中々悪くはないではないか、これを期に兄様に私の想いを知って貰うのも良いかもしれない、断られる筈は無いのだからきっと喜々として受け入れてくれるに違いない。また誰とも知らない化け物に兄様を奪われてはたまったものではない、寧ろ今まで何故想いを秘めてきたのだろうか、今の私には理解できない事だった。

 私は手に持った書物を無造作に投げ捨て、そのまま部屋を去る。

 今日か明日辺りでこの里を(おびや)かす雪女は死ぬのだ、雪女の場所も覚えた、既にこの書物は不必要なモノとなり下がった。

 長の死体を(また)いで外へと出る、もうすぐ春だと言うのに空からひらひらと降って来る白色、雪。普段ならば余りの寒さに身震いし、肌を刺す様な痛みに(うめ)く所ではあるのだが。

 

「なんだか、とっても気持ちが良いんです、兄様」

 

 母に似た艶やかな黒髪、そう兄に褒められた自慢の髪が風に吹かれて流れるー

 

 その髪は、殆ど真っ白に染まっていた。

 

 今まで鉛を詰め込まれていた様に重かった体は羽の様に軽く、そして視界はどこまでも広がって寒さを全く感じない。まるで世界そのものが変わった様に、(あるい)は私自身が変わってしまったかの様に。

 普通ならば恐れるべきだろう、髪とは言え自身の体の一部が変わってしまい寒さも感じなくなってしまったのだから、けれど私はこの事実に歓喜した。

 兄様を助けるのに病弱な体など必要ない、丈夫な体を得られるのであれば髪色などどうでも良い、必要なのは兄様に愛される外見と私自身であるという事実のみ。

「もう少しです、兄様」

 血に塗れた長の家を後にして、私はゆっくりと歩き出す。

 里には人気(ひとけ)が無い、その中を私だけがゆっくりと歩いて行く。

 

 目指すは怨敵(おんてき)の居る雪山、その山頂へ。

 

 天が私を祝福する様に一際強い風を送った。

 

 

 

 

 

 朝目が覚めたら、身震いする程の美貌がすぐ近くにあった。起きた瞬間に心臓が心拍数を上げ息が詰まる、霞んだ目を擦って頭を振って、それから天井を見上げる事で理解する、あぁ此処は彼女の家ではないかと。

 そして思い出すのは昨夜の情事。

 全裸になった私の体を布団の感触で確かめ、それから彼女の方へ視線を向ける。剥き出しの肩に閉じられた瞼と口、その寝姿は絶妙な色香と儚さを放っており見る者全てを魅了する、まったく寝顔一つでも美人とは恐れ入る。

いつもは吐息が白くなって震えるほどに寒いというのに、今朝は全く寒さを感じなかった。彼女が寒さを打ち消してくれているのだろうか、だとすれば有り難い。そんな事を考えながら、たまには私が朝餉を作ろうと上体を起こす。しかし、それよりも早く彼女の腕が私を捕らえた。

「ッ!?」

 ガクンと肘が曲がって彼女の方へと傾いてしまう、見れば私の腕を彼女の手が掴んでいた。その力はある程度鍛えられた私でも振り解けない程であり、昨夜彼女の力強さを身を(もっ)て体験していた私は早々に振り解く事は不可能だと悟る。

()しや起きているのかと思い彼女の顔を覗き込むと、しかしその瞼は確かに閉じられていた。

「……無意識か?」

 私が離れようとしたから、無意識に掴んで留めたのだろうか?

 だとすれば執念深いと言うか、何と言うか、いやこれも愛の現れだと思えば可愛いモノだろう。

 そう自分を納得させ、少しずつ暖を取る様に私へと引っ付いて来る彼女の肌を感じながら、そそり立つ愚息に拳をちらつかせ強引に収めた。

 欲は勿論あるが、分別は大切である。

 

 結局彼女が私の腕を解放したのはそれから半刻程後の事で、大分遅れてしまったが彼女と食べる朝餉の準備に取り掛かる事にする。寒さを感じない為いつもより大分薄着で台所へと立つと、料理するのが実に久しい事に気付いた。

 ここ一カ月、彼女の傍で料理の手伝いをする事はあっても一から自分で作るのは小雪と一緒に暮らしていた時以来だ。私は備蓄を確認しつつ献立を頭の中で考える、彼女の雪女としての力は食材保存の為にも発揮され、例え生物(なまもの)であっても長い時間保存が可能である、その為選べる献立が大分増えていた。

「米は結構あるな、野菜は大根と白菜と……」

 氷漬けにされた魚と野菜を眺めながら台所に包丁や俎板(まないた)を準備する、しかし準備する最中に若干材料が不足している事に気付いた。彼女の言う行商も未だ私が来てから訪れた事は無いし、そう言えば畑にも足を運んでいなかった。米はあるようだがそれ以外の備蓄に不安が残る、どうせなら彼女が寝ている内に野菜の収穫も済ませてしまおう、そう思い立った。

 彼女だけに家事を押し付けるのは個人的に不満が残る、だからこそ今は好機であった。私一人で家事を片付けてしまい、彼女に家事を任せても大丈夫だと言外に伝えられれば御の字。

 そう考え、上着を羽織って収穫用の(かご)を担ぎ玄関へと急いだ、善は急げ、いや善であるかどうかは分からないけれども。

 雪靴を履いて外へと踏み出す、今日は春の訪れも近いというのに空は灰色で雪がちらちらと降っている。寒さは相変わらず感じられない、心なしか体がいつもより軽く感じられた、まったくもって彼女には頭が上がらない、だからこそこういった力になれる時に動かなければ恩の一つも返せまい。いつもより大分軽い足取りで僅かに積もった雪の上を歩き近場の畑へと向かった。

 彼女に畑の位置は教えて貰っている、「貴方は行く必要が無い」と聞いても断られていたが、行商の件も含め彼女が何らかの理由で不在の時の対応を理由に色々と聞きだした。どうにも弁に関しては彼女より私の方が立つ様だ、小雪に鍛えられた結果だろうか、小雪は小さい頃から何かと理由をつけて私の傍について回った、それを退けるのにも苦労したものだ、まさかこんな形で役立つとは思っていなかったが。

 人生、何が起きるか分からないものである。

 

 家から数分ほど歩いた場所、ひっそりと佇むその畑は遠めにもハッキリわかる。そこだけは彼女の力で雪が退けられているから、茶色の土が白一面の中で確かに自己主張している。近くまで来ると十二分に成長した野菜が顔を覗かせていた、種類は芋に白菜、大根と様々、それぞれ少量ずつ場所を分けて育っていた。

「……重労働だな」

 それ程大きくない畑といえ、これを全部一人で収穫するとなればかなり大変だろう。これを今まで一人でやってきた彼女はやはり私よりも体力がある、雪女とはいえ女性に力仕事を押し付けていたという事実は私に「これからは是が非でも手伝おう」と決意させるには十分だった。兎にも角にも収穫だ、持って来た籠を地面に下ろし一番近くの大根から引っこ抜こうと意気込んだ瞬間。

 

 ふと、何か違和感を覚えた。

 

 茎を掴もうとしていた手は途中で止まり、中腰のまま周囲を見渡す。しかしそこに見えるのは雪を被った木々にブッシュ、地面だけ。

 この畑は家から数分ほど歩いた場所にあり周囲を木々に囲まれている、此処からの見通しは悪い、樹やブッシュが視界を遮って遠くまで見通す事が出来ない。そんな畑に足を踏み入れている私は、違和感、いや、もっとハッキリ言うのであれば。

 そう、誰かに見られている様なー

 

 

「兄様」

 

 

 その声は私の背後から聞こえた。

 家へと続く小道、周囲を雪に塗れたブッシュに挟まれ、人ひとりなら容易く隠せてしまう場所。透き通る様な高い声、聴き覚えのある、懐かしい声だった。

 たった一ヵ月聴いていないだけでこうも懐かしく感じるものなのか、私はゆっくりと背後を振り向き、そして驚愕を覚えながらも自分の予想が正しかった事を理解する。

「……小雪?」

 そこに立っていたのは忘れもしない、私が家族として愛するただ一人の人物。

真っ白な着物に相変わらず雪の様な肌、私を真っ直ぐ見つめながら微笑む小雪はいつも通り、美しく儚いたった一人の妹、一ヵ月前と何ら変わらないー いや、一つだけ明確な変化があった。

「どうしてここに……それに」

 その髪はどうしたんだ。

 

 風に(なび)く、雪の様に白い髪

 

「兄様、帰りましょう?」

 小雪は私の元へと一歩一歩進んで来た、私はと言えば未だ驚愕から抜け切れずにおり、何故小雪が此処に居るのかとか、その髪はどうしたんだとか、何故そんな薄い着物で山なぞ登ってきたのかとか、口にしたい事が沢山あった。

 けれどそれら一つも口にする事は叶わず、ゆっくりと近付いて来た小雪が私の前に立ち、すっかり変わってしまった髪を一房手に取って、それから惚ける様な甘い笑みを浮かべ。

 

「兄様、私に合わせて下さったのですか? ふふっ……嬉しいです、お揃いですね」

 

 と言った。

「は?」

 小雪の手が私の髪に触れる、此処に来て無造作に伸ばしっぱなしだった髪に触れ、優しい手つきで梳かされた。さらりと流れる私の髪、もう少しで目にも触れそうだ。

 

 お揃い、とは。

 一体何の事だろうか。

 

「さぁ、兄様帰りましょう、私達の家に」

 小雪の手が私の首から胸に、それから腕に伸びた。いつもより強い力で引かれ思わず前に踏鞴(たたら)を踏む。

「お、おい、小雪」

「小言ならば家で聞きます、ですから帰りましょう兄様、でないと」

 

 

「でないと、何?」

 

 

 目の前に居た小雪が、唐突に背後を向いた。私の腕を痛いほどに握りしめ、後ろ手に持っていた私の()()を突きつける。

「なっ、小雪!?」

 私は思わず叫ぶ、それは最愛の人物に銃口が向けられていたから。

 彼女の後から続く様に姿を現したのは【雪女】― 私の隣で寝ていた筈の彼女だった。そして小雪は私と話していた間もずっと自身の体の後ろに隠し持っていた猟銃を彼女に突き付ける。何時の間にそんなモノを、そんな言葉を飲み込んで小雪に制止の言葉を投げかける。だがそんな事は気にも止めず、小雪は憎悪に染まった目を彼女に向けた。

「……アナタが【雪女】?」

 小雪は猟銃を突きつけながら問う、対する彼女は私を掴む小雪の腕をじっと見つめ、それから顔を盛大に歪めた。

 

「その汚らわしい手を退けて」

 

 瞬間、私と小雪の周囲の雪が弾けた。意思を持った雪と氷が私と小雪の間を分断し、思わず小雪の手が私から離れる。そのまま数歩後ろに後退した私は舌打ちを零しながらも照準を彼女から外さない小雪を見つめる事しか出来なかった。

「……この雪、やっぱり、アナタが私から兄様を奪った元凶ですか」

「……そういう貴女は誰?」

 彼女は忌々しそうに小雪を眺め、小雪は憎悪の視線を彼女にぶつける。二人の間に見えない何かが弾け、その重圧は私の両肩を押し潰さんと迫った。

 

 なんだこれは、一体どうなっている。

 

 私は混乱の極みに居た。

「私は兄様の最愛の妹です」

「……妹?」

 小雪の言葉に彼女は眉を下げる、確認する様に私を見る彼女に、間違いないと私はぎこちなく首を縦に振った。それを見届けた彼女は「そう」とだけ呟く。

「その妹が、何の用?」

 彼女が気怠(けだる)そうに首を傾げながら聞くと、小雪は力強くハッキリとこの場所へと足を運んだ理由を吐き出した。

「兄様を返して貰いに来ました」

 小雪がそう言うと彼女の表情が目に見えて曇る、対する私はその言葉を聞いて何とか再稼働を果たした。

「小雪! 私は大丈夫だ、(おさ)に人柱の件を聞いたのだろうが、何もされていない、こうして生きている!」

 私は小雪が長から人柱になったという件を聞いて単独で私を救助に来たのだと思った、病弱な小雪がこんな行動を取るとは思っていなかったが、そもそも人柱の件からして誤解なのだ。彼女は私を殺したりしない、それに雪女も伝え聞いていた程の恐ろしい存在でも無い。私はそれを必死に小雪に伝えようとするが、対する小雪は私の方を振り向き(ほう)けた笑みを見せ。

「何も心配ありません兄様、全て私に任せて下さい、全部、全部この【雪女】(おんな)が元凶なのですから」

 全てを吸い込んでしまう様な、濁った瞳。

 澄んだ小雪の瞳は一体どこへ、今まで見た事もない程に(よど)んだ小雪の瞳が私を捕らえた。それを見て私は、思わず口を噤んでしまう。何か小雪が自分の知らない何者かになってしまった様な、そんな錯覚を覚えた。

「それで、雪女さん、兄様、返して頂けますか?」

 あくまで気軽に、まるで友人に貸したモノを返して貰うかの様な軽さで小雪は問う、笑顔で、猟銃を突きつけながら。対する彼女は大きく息を吸い込んだ後、一ヵ月前から見慣れた、いや、それよりも冷たい風貌を見せながら答えた。

 

 

「絶対()だ」

 

 

 瞬間、双方の表情が憤怒の形相に染まってー

 

「逢って早々で申し訳ありませんが、私、アナタが大嫌いです」

「……それには同意する」

 

 二人の間で膨らむ怒気、威圧感、それらが絶頂を迎え。

 

「この感情を表現する言葉を、不本意ながら持ち合わせていまして」

「……そう、で?」

 

 

()()()()って言うんですよッ!」

 

 

 銃声が鳴り響いた。 

 







 どう考えてもヤンデレハーレムエンドは無理だった(小並感)

 いや、無理では無いんですよきっと、でもそうなると「あれ、ヤンデレ?」となるコレじゃない感を覚え始めると言う、そもそも好きな人に関して妥協を許さないヤンデレが複数OKとか想像出来ないじゃないですかヤダー(´・ω・`)

 でもヤンデレが報われないのはもっとヤダ\( 'ω')/

 殺伐としたヤンデレバトルが勃発しそう。
戦車これくしょんみたいにヒロイン同士がある程度交友を持っていればもっと動かしやすいのに‥‥雪女と妹じゃむつかしい(´・ω・`)

ヤンデレ、ヤンデレ……もっとヤンデレを、ドロドロしたヤンデレを……。
 
 ………ハッ!(゚д゚)←エンディングを思いついた顔

 


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私の彼女は雪女

 

 私は彼女を愛している、それは覆しようのない事実であり一目見た時から魅入られてしまった。惚れた弱みという奴だ、この感情ばかりはどうする事も出来ず荒れ狂う台風の様に私の身を焦がす、だから私は私自身よりも彼女の事を優先するだろう。

 

 私は小雪を愛している、幼い頃より共に育ち両親が死去してからも互いに支え合ってきた唯一の家族、それをどうして愛していないなどと言えよう? 私は小雪の幸せを願っており、生まれてきてから育んできた愛は本物であると胸を張って言える、小雪の為なら私は幾らでも頑張れる。

 

 

 けれど、その二人を天秤に掛けるのならばー

 

 

「同族嫌悪って言うんですよッ!」

 

 目の前で小雪が私の猟銃を彼女に突き付けた、一際強く心臓が脈打って、数歩前に居る小雪が途轍もなく遠く感じられる。周囲の景色が色を失って、それから遠目に彼女が宙に氷の矢を作り出しているのが見えた。その矛先は無論小雪、双方が牙を見せ(はらわた)を食い千切ろうと動き出す、その動きは嫌にゆっくりで、まるで世界が動きを止めた様だった。

 

― なんだ

 

 自分の鼓動が鼓膜を揺らす、限りなく停止に近付いた世界で視界には二人しか入らない、その他のモノは何も無い、極限の集中の成せる技か、色褪せた景色の中で思考だけが高速回転を始める。

 

― なんだ、これは

 

 目の前で愛しい人同士が傷つけ合おうと、各々の武器を突きつけ合う。

 片やこの一月を共に過ごし、私自身が惚れ、愛した女性。

 片や生まれた時から共に過ごし、苦楽を共にした愛しい家族。

 好意の方向は違えど共にこの身よりも大切な、大切な人達だ。

 

 そんな人達が今まさに、命を奪い合おうとしている。

 

 何か身体中の血液が沸騰したかのような熱を覚える、煮え滾ったそれらが自分の中で暴れまわり鋭い刃物が内側から生え出る様な感覚だ。それが自身の喪失感なのだと理解するよりも早く、一歩、足が前に出た。

 小雪の猟銃は既に彼女へ向けられ、彼女の氷は矢を象り終わっている。

 

― 何でもいい

 

 速度を失った世界で一歩を踏み出すのは恐ろしく困難だった。今まで感じた事のない様な激痛と苦しさ、呼吸も満足に出来ず食い縛った奥歯が砕けた。まるで水の中で鉛を呑んだ様だ、それでも体は前に進もうとする。

 

― 何でも良いから

 

 色を失った世界でも、彼女と小雪の瞳の色だけはハッキリと見えた。憎悪を体現したような赤い色、それらが二人の瞳に張り付き轟々と燃えている。それを見るたび胸中に湧き上がる焦燥感、ブチリと足元から嫌な音が鳴り響き、それでも尚足は止まらない。ただ前へ、小雪の凶弾に彼女が撃たれる前に、彼女の凶刃に小雪が穿たれる前に。

 

― 救わなければ

 

 小雪の指が引き金に掛かる、彼女の指先が氷矢の尾を捉える、それぞれの動作が完了する直前、私の脳裏を記憶と言う名の光が照らし、生きて来た人生全てを一瞬で振り返らせた。

走馬灯だ、この世に生を受けてから両親と共に過ごした時間、小雪と共に過ごした時間、初めて狩りをした時も、初めて獲物を狩った時も、両親が死んだ時も、それから過ごした小雪と二人きりの時も、彼女との一ヵ月も、全て余さず振り返る。

 停止した時間の中では一瞬だ、それらの光景が光の点滅と共に現れては消えていく。そうして自分の人生を一瞬の内に追想した私は、ただ思った。

 

 存外、悪い人生では無かったと。

 

 

 銃声が鳴り響く。

 

 氷矢が放たれる。

 

 

 そのどちらもが互いの命を奪うモノ、散弾は彼女へと迫り、氷矢は小雪を穿つべく飛来しー

 

 二人の間へと、飛び込んだ私に命中した。

 

散弾は私の右半身をズタズタに引き裂き、側頭部を掠めた銃弾が彼女のすぐ傍の樹に窪みを刻む。氷矢は私の背に突き刺さり、胸を圧迫し抉った。半ば飛び込むようにして入り込んだ私は、そのまま氷矢と散弾の勢いに呑まれて雪原へと転がる。強く地面に叩き付けられ背中に突き刺さった矢が一層深く食い込んだ。

 

「ぁ」

 

 (ほう)けた声だった、或は何が起きているかも分からないといった、呆然とした声だった。飛び込んだ場所は運悪く傾斜になっておりブッシュを突っ切って雪の坂を転がり落ちた、視界が何度も回って地面に叩き付けられ仰向けに転がる、灰色の空からちらちらと降る積もる雪は私を嘲笑っている様だ。

 息を吸い込もうとしたら()せた、口から血が噴き出した。

 ちょっとした高低差を超えた向こう側に、彼女と小雪の姿が見えた。二人の目は私を向いており、その顔はこの世の終わりを見た様な表情だ。何とか起き上がろうとして、私は右腕が全く反応しない事に気付いた、ゆっくり首を動かせば穴だらけになった腕が視界に入る。小雪の放った弾丸は私の腕の肉と骨を削ぎ、二度と使えない程に傷つけていた。それを見ただけで自分の状況が分かる、きっと今の私は、肉塊に近い状態なのだろうと。

そして遂に視界まで暗転、体そのものから追い出されてしまう、私と言う存在が終わりかけているという事だけは分かった。

 

 恐怖は無かった、後悔も無かった、痛みさえも無かった。

 

 ただ二人を守れた、安堵感にも似た感情だけがあった。

 

「嘘、嘘嘘嘘ウソうそッ!」

 

 叫び声がする、同時に誰かが駆け寄って来る音がした。木々の枝を折り、雪を蹴り飛ばしながら駆け寄る音だ。何かが転がり落ちる様な音と葉が揺れる音、荒い呼吸音と雪を踏み締める音が近づき、やがてソレは私の近くへと辿り着いた。

「兄様、兄様ッ!」

 小雪か、涙声で叫ぶ愛しい妹の声に少しだけ沈みかけた意識が浮上した。うっすらと落ちかけた瞼を開けば、私の愛銃を放り捨て此方を覗き込む、酷い顔をした小雪が居た。

「……どうしてっ」

 小雪が私の頬に涙を零しながら問う。

「どうして庇ったりしたのッ、あんな、あんな女ッ……」

 小雪の瞳から際限なく零れる涙、妹が泣いた時、私は理由が何であれ何時(いつ)も目元を拭った後、抱きしめていた。けれど今はそれすらも出来ない。

どうして庇ったのか。

 どうして、どうして。

 そんなの決まってる。

 

 二人が自分の命より大切な ー本当に大切な人だから。

 

 小雪が咽び泣き、僕の胸元を掴む。何度も揺すられる体、それに反し段々と思考が鈍くなっていった。

 そんな私達に影が落ちた、それは私を見下ろすように()()が立っているから。

「………」

 彼女の表情はいつもと同じ、あの氷の様な、美しくも冷たい風貌。それは一見何の感情も見せない無機質なモノに映る、私の死を前にして何ら感情を揺さぶられない、無感情で無感動な。

 けれど彼女と過ごした一月で私は学んだ、今彼女が激情を堪えている事を。その瞳の奥では涙を流している事を。

「……許さない」

 彼女がポツリ呟く、蚊の無く様な声で。その声は泣き叫ぶ小雪の声に殆ど掻き消されてしまう程小さい。

けれど私の耳にはちゃんと届いた、愛しい人の言葉を聞き逃すなんて事はしない。

「勝手に死ぬなんて、絶対に許さない」

 彼女の声が聞こえる、その声は聞き間違えでなければ僅かに震えていた。

あの気丈で滅多に感情など現さない彼女が、僅かとは言えど感情を押し殺せずに露呈していたのだ。

その事に私は、本当に場違いではあるけど。

 

 

― 嬉しいと感じてしまった。

 

 

 許さないか、じゃあきっと、私は一生許されないのだろう。

 それでも良い、それでも、貴方が生きているのなら。

 

段々と瞼が落ちてしまう、もう二人の顔が見えない。自分の体から大切なモノが刻一刻と失われていく感覚、体が冷えて凍えそうだ。彼女の隣に居る時は、こんなに寒いとは思わないのに。

 私は死ぬのだろうか、死は怖くない、元より彼女に捧げられた命だ。それがほんの少し、一ヵ月だけ伸びた、それだけの事。

 だけど、そう、怖くは無いが。

 

 惜しい。

 

 もう一月、いや数日でも良い、彼女と居られたら。

 やっと想いを伝えられたのに、これからはもっとお互いに分かり合えたのに。

 小雪にだって、紹介してやりたかったんだ。

 だから私は

 

 私は

 

 

 

― 私は

 

 

 

 

 

 

 

 ふと目が覚めた。

 薄ぼんやりとした視界に見慣れた木目が映る、徐々に焦点が定まり思考に掛かった靄が消えていく。数秒ほどぼおっと天井を眺めた後、周囲を見渡せば自室である事が分かった。積まれた書物(しょもつ)に書きかけの紙、座布団に畳の匂い。大きく深呼吸すると嗅ぎ慣れた安心する匂いがする。自分の体を見下ろせば布団にすっぽりと覆われていた、上半身を起こせば布団がずり落ち、冬の肌寒さが首元を撫でる。

「……寒いな」

 口から吐き出した吐息は僅かに濁る、名残惜しさを感じつつ布団を退け、枕元に畳まれていた上着をそっと羽織った。そのまま立ち上がり、壁を伝って扉まで歩く。自室唯一の出入り口である木製の引き戸を開けると中庭が視界に広がった。

手入れの行き届いた美しい庭だ、生憎と植物を育ててはいないが、石と砂で表現された美しさは自然そのものの力強さを感じる。

 しかし、今の中庭には砂や石を覆い隠す白色があった。私はそれを追って空を見上げる。

「………」

 吐き出した吐息が虚空に消える、灰色の空がぽっかりと瓦屋根の中から顔を覗かせ、空からはちらちらと雪が降っていた。

通りで寒い訳だ。

もうそろそろ秋から冬に移り変わろうとしている、秋の紅葉も落ち、木々は丸裸となった。ゆっくりと縁側に腰を下ろし、しばしその風景を眺める。腰かけた尻がひんやりと冷たいが、今は何となくその冷たさが恋しかった。

 

「……起きたなら、言って」

 

 ふと、聞きなれた声が聞こえた。

 声のした方を振り向けば、一人の女性が此方を見て佇んでいる。

 その姿を確認すると、思わず鼓動が一つ高鳴り吐息が漏れる。

 それ程に美しい女性だった。

 

 凛とした佇まい、絹の様に滑らかで、風に揺れる長い白髪、相変わらず白装束を好む私の愛しい人。その氷の様な風貌を僅かばかり不機嫌そうに染めて、私の元へと歩いて来た。見上げる私、見下ろす彼女。

 彼女の揺れる髪から、ふわりと優しい匂いが漂う。

「今日は雪が降っているから……そんな薄着では風邪を引く」

 そう言って私の隣に屈む彼女、私は「少しだけ、すぐ居間に行くから」と言って彼女の手を取った。相変わらずその体温は私より低い、体そのものが氷の様だ。突然手を取られた彼女は、しかし嫌がる素振り一つ見せず「……どうしたの?」と首を傾げた。

「……いや、なに、何となく貴方の体温が恋しくなったんだ」

 恥ずかし気に、けれど嬉しそうに口をつく言葉。そう言うと彼女は照れた様な、素っ気ない様な、「そう」とだけ言って顔を背けた。けれど小さく握り返される手、自然と口角が上がってしまう。それを悟られない様に「雪は、積もるだろうか」と問うた。

「きっと積もる、春、夏、秋って待ったから、そうでないと困る」

「……そうだな」

 冬は私達の季節だから、巡り来るのを待っていたのだ、積もってくれなければ困る。

 

 雪が積もったら何をしようか。

 彼女達と何かを作るのも良い。

 しかし冬以外には出掛けられないのだ、(たま)には外出なんかも良いだろう。

彼女は未だ他の世界を知らない、これを機会に見聞を広めるのも一興か。

 

「雪が積もったら、少し遠出でもしてみようか?」

 少し考えた末、私がそう聞くと彼女は少しだけ顔を強張らせた。未だ住み慣れた場所ではない町や村に足を運ぶ事に抵抗があるのだろう、けれど私達とて一生此処に籠り続ける事は出来ない。

何より目の前の女性に広い世界を見せてやりたかった。

「……具体的には?」

「そうだな……東北の方に私達が見た事も無い大山があるらしい、何でも万年雪が積もっている場所だとか」

 そう言うと彼女は驚いた表情を張り付け、「万年、雪が?」と聞き返して来た。どうやらこの話に興味が湧いたらしい、私はこの機会を逃さんとばかりに書物で得た知識をつらつらと語って聞かせた。

「あぁ、その土地は広く、寒く、極寒の地で、山々が連なっているらしい」

 山の頂には万年雪が積もり、それは春だろうと夏だろうと消える事が無い。遠目から見た山の頂は白く、それはまた美しい風景なのだとか。そう言って聞かせると彼女は何処か嬉しそうな顔で「……そんな場所が」と感慨深そうに息を吐いた。

「どうだろう、私達の為にある様な場所だ、一度は足を運んでみたい」

「そう……確かに、興味はある」

 彼女がそう言う、珍しい事に彼女は遠出に賛成していた。すかさず私が「なら……」と後押しする、しかし彼女が唐突に立ち上がり「でも、その前に」と私の言葉を遮った。

「朝餉、小雪が呼んでる」

 

「兄様」

 

 立ち上がった彼女を見上げ、次いで目の前の彼女より幼い声が飛んでくる。そちらの方に視線を向けると、廊下の向こう側から私の妹― 小雪が顔を覗かせていた。

 その髪は肩口に切りそろえられ彼女と同じ全て白色、肌も髪色も。唯一違うのは整った顔立ちの中に「美しい」とは違う「可愛さ」が混じっている事だろうか。それと着物だ、小雪は彼女の白に対抗すべく黒色の着物を好んで着ていた。

 小雪がふわりと髪を靡かせながら私の元へ駆けて来る。

「ちょっとアナタ、兄様に何もしていないでしょうね?」

 そして私を嬉しそうな表情で見た後、隣に居る彼女へキッと厳しい視線を投げかけた。この愛しい妹は、どれだけの時間が過ぎようと態度だけは変わらない。いや、これでも大分柔らかくなった方なのだろう。

「……別に少し話しただけ、言いがかりはやめて」

「じゃあさっさとその手を放してっ!」

 言うや否や、ずっと繋いでいた手を強引に放す小雪。余りにも心地よくて、繋いでいるという事実を忘れていた。彼女の手が離れ、少しだけ物足りなさを感じる私。それを埋める様に小雪の手が私の手を取った。

「さぁ兄様、今日の朝餉は新鮮な魚を使ったんです、きっと美味しいですよ」

 私に半ば抱き着く様な形で立たせ、そのまま連れ去ろうとする小雪。私は勢いに呑まれ「お、おい」と流されるままに小雪と歩く。それを彼女が「待って」と前に立ちはだかって止めた。

「何故、貴女が雪宗に抱き着いているの、それは私の役割」

 そう彼女が小雪を睨め不機嫌そうに顔を歪める、すると小雪はどこか勝ち誇ったように言い放った。

「何を言っているんですか? これは私、兄様の愛しい愛しい妹の特権です」

「なら私は()

「ふん、兄様の幼少期を共に過ごしていない家族など、姉とは認めません」

「それと伴侶」

「黙りなさいッ!」

 今度は彼女が勝ち誇った様に笑みを浮かべ、小雪が憤怒に表情を染めた。既に見慣れた光景である。見慣れた光景ではあるのだが……仲良くしろとは言わない、けれどもう少し関係を改善できないものかと頭を悩ませるのだ。この二人はどこか根っこの部分で似ていると個人的には感じている、それも姉妹だから当然なのだろうけど。何やら不穏な空気を醸し出している二人に対し、私はワザとらしく咳払いを一つ。

「……小雪、折角の朝餉が冷めてしまう、冷めても美味いのだろうけど温かい内に食べたい、雪凪(ゆきな)、埋め合わせは夜に、だから今は抑えてくれ」

 言いたい事を言い放つと、二人は顔を見合わせた後それぞれそっぽを向いて歩き出した。小雪は私の腕を強く掴みつつ、「まぁ、兄様が私の食事を楽しみにしているのは当然です」とすまし顔で、けれどその口元は僅かに笑みを象っていて。

 一方彼女 ―雪凪(ゆきな)は私達の前を歩きつつ、ふっと私を振り返り「……いつもの倍」と小さく呟いた。その表情は相変わらず無表情で、どことなく不機嫌そうに見えるのだが。

 その実、付き合いの長い私は分かる、アレは期待している顔だと。

「お手柔らかに頼むよ……」

 心からの願いであった、それが叶うかどうかは別として。

 

「兄様、今日は私が食べさせてあげますからね!」

 隣の小雪が私の腕を引っ張りながら声を上げる、それは雪凪ばかり構わないでと言っている様にも聞こえた。しかし内容が内容だった、「いや、(たま)にはひとりで…」と口を開くも「雪宗は私に食べさせて欲しい、そう思っている」と雪凪が小雪とは逆方向から抱き着いて来た。

 突然の事に思わず言葉が途切れる。

「いや、待て雪凪、私は一人で」

「言う事を聞く」

「………」

 私を下から覗き見る瞳、その表面は妖しく光り妙な威圧感を湛えていた。

 こうなった彼女を止める術は無い、私は大人しく頷いて身を引いた。私とて彼女の助力は有り難いが、少し位一人で食べる日があっても良いと思うのだ。そうこうしている間に二人の間で再び口論が繰り広げられる。それを私は半ば諦めに近い感情で眺めていた、人は慣れる生き物であると書物には書いてあった、毎日似た様な事が起きていれば自然と適応もする。

 しかし、こうやって二人に支えられ、どちらに食べさせて貰うかで争う、我ながら何と情けない事かと自嘲の吐息が漏れる。

 二人の好意は素直に有り難いのだ、全ては私を想っての行動である、有難迷惑という言葉も存在しているが私にとって唯一無二の存在である二人からの好意は何物にも代えがたい。

しかし、しかしである、【こう】も思わずにいられないのだー

 

私に ()()()()()() 不要な事なのだろうと。

 

じっと自分の体を見下ろす。

最愛の彼女と妹、その二人に支えられて立つ足は ()()、そして私の肩にぶら下がる腕もまた、()()

私は最愛の存在を守るために、一人一本、四肢を失った。

腕は二本、足も二本、二人の為ならば惜しくないと胸を張って言える、しかしそれで二人に迷惑を掛けてしまっては立つ瀬がない。どうにかして一人で生活しようと努力しているものの、その前に二人が私の手を取ってしまうのだ。

どうか無理をしないでと、二人で泣きそうな顔をして。私はその顔に弱い、だからついつい手を握り返してしまう。

有り難いと思う、嬉しいと思う。

けれどそれと同時に罪悪感を感じた。

「兄様に対する愛は私の方が大きいです!」

「……違う、私」

 最早朝餉の番の事など脇に置いて、どちらが私を深く愛しているかで喧嘩を始める二人。これもそう、慣れた事なのだろう。ちらちらと視界を舞う雪を眺めながら私はふっと、小さく笑った。

 

 この十年で私達は良くも悪くも、大きく変わった。

 失ったモノもある、得たモノもある、少なくとも私達は二度と人の世で生きる事は出来ない。妹はそれだけの事をしてしまった、村の惨状は既に周囲の村、街まで広まっている。だから私達は一生ひっそりと暮らしていくしかない。

 どちらにせよ雪凪、今では小雪もだが雪の無い環境で生きていくことは出来ない、私もこんな体だ、人里へと下りる機会は無いだろう。

 けれど、そう。

 私達の子どもは、その子どもである孫は、或《あるい》はもっと未来の子ども達はー

 

 人と同じ営みをしているのかもしれない。

 人と同じく生き、人と交わり子を育むかもしれない。 

 だから ー

 

「渡る世間に鬼はない」

 まだ見ぬ未来の子に、私は託そうと思った。

 

 中庭の地面に少しずつ積もっていく雪、それが自分達の始まりの様に見えて。一人雪景色に見惚れていた私の服を誰かが引っ張る、見れば雪凪と小雪がどこか怒ったような表情で私を見ていた。

「兄様、聞いていますか?」 

 頬を膨らませる妹の姿に私はどこか安らぎを覚える、その視線を遮る様に雪凪が私の胴体にしがみ付き、「……私が食べさせる」と訴えた。

「だから、アナタには譲らないと何度もッ!」

「私も言った筈」

 全く以て嫉妬深い二人、その性質は水と油だ。けれど今だけは、その二人の声がどこか心地よい。

 そんな二人に連れられて、私は暖かい居間へと踏み入れる。少し古びた部屋は既に見慣れたもので、最初こそ落ち着かなかったが今では我が家と胸を張って言える。温かそうな湯気を放つ朝餉に、綺麗に整えられた室内、敷かれた座布団は三枚で朝餉も三膳用意されている。何だかんだ言って小雪も雪凪の朝餉を作ってくれる、喧嘩する程仲の良いと言う奴だろう。

 私が真ん中で右が雪凪、左が小雪、これは最早暗黙の了解。何だかんだ言い合いつつ席に座った二人は、しかし私が腰を下ろすと口を噤む。食事の挨拶はちゃんとする、そんな事を繰り返し口にしていた私と二人の約束だった。二人は私との約束を決して破らない、それがどんな些細な事であっても。

 二人が黙ったのを確認し箸を持つ、そして小さく息を吸い込んでー この後、多分二人の壮絶な食べさせ【愛】が始まるのだと思うと、かなり気遅れしたが ー万感の思いを込め言い放った。

 

「頂きます」

 

 

 

 ― 今日も家には、最愛の二人の声が木霊する

 

 

 

<了>

 

 





 お知らせー

 一応これで渡る世間はシリーズは完全完結と言う事で、多分もう書かないと思います。(恐らく、書いたらゴメンナサイ)

 他の小説の更新についてなのですが、これからはかなりスローペースでの投稿になると思います。若しくは突然帰って来て、ドバーーッと更新してまた消える、みたいな事を繰り返すかもしれません。(´・ω・`)

 なるべく何日かに分けて投稿したいと思いますが、一日に二話、三話更新する可能性も……ただし出没頻度は余り高くないです。

 ナメクジ更新の私ですが、どうかこれからも宜しくお願いします!<(_ _)>


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IF話 ※コメディ
IFストーリー ※コメディです


 何かデーターで入ってたので投稿してみました。
シリアス皆無のコメディ作品です。


IF話

 

※ もしも「渡る世間はヤンデレばかり」のシリアスさを好み、「俺はこんなヤンデレが良いんだ!」と言う方がいらっしゃいましたらブラウザバックをお勧めします。今回の話は完全なコメディ回であり、キャラ崩壊、世界線無視のストーリー展開です。

 

※ 凄く簡単に言うと主人公がヤンデレに詳しかったら そういう話です

 

 

 シリアスブレイク 

もしも主人公がヤンデレの扱いを心得ていたら‥‥

 

 

 「ねぇ、優君、今日も‥‥してくれるよね?」

 目の前に居る彼女は俺の部屋で何の躊躇いも無く上着を脱ぎ捨て、恍惚とした表情で迫って来る。机に座り今まさに課題を解いていた俺は、彼女の方に視線を向けつつ辛うじて男性の性を抑え込んでいた。はらりと上着が地面に落ちて、そこから現れるのは下着一枚のみ。何でシャツも着て無いんだよと言いたくなるが最近の彼女は俺の部屋に来る時のみ異様な薄着であった。

 高校に進学してから更に大きさを増した胸や女性らしい体つきに目線が吸い寄せられそうになるが、今の俺にとってその魅力は半減。冷静な顔つきで溜息を一つ、それだけで彼女は俺がいつもと違う事に気付いた。

「……なぁ、一つ聞いていいか?」

「……なぁに?」

 怪訝な顔をする彼女。いつもの様に慌てふためくか、観念して手を伸ばしてくると思っていたのだろう、しかし、しかしである。

 

「俺達の愛は、体を重ねなきゃ伝わらないモノなのか?」

 

「ッ!?」

 彼女の表情がさっと変わる、自分の愛情が疑われたからだろうか。「そ、そんな訳ないじゃない!」とムキになって彼女は叫んだ。

「わ、私は何時だって、優君だけをッ‥‥!」

「でも今君は俺と体を重ねようとした……それはつまり、体を重ねないと俺の愛も伝わらないと言う事だ、あぁ、なんということだ、俺はそんな事しなくても、十二分に君を愛していると伝えていたと思っていたのに‥‥」

 大げさに天井を仰ぎ、悲しみの絶頂にいるのだとばかりに崩れ落ちる。すると彼女は慌てて「つ、伝わってるわ! 凄く伝わってるの!」と叫ぶ。それを俺は下から見上げ、涙目のまま「……本当に?」と問うた。すると彼女は何度も首を縦に振る。

 

「じゃあ、別に体を重ねなくても良いよね?」

 

「…………………う、うん」

 大分長い間があった。けれど彼女も観念したらしい。

 とても残念そうに、それはもう殆ど泣きそうな顔で、いそいそと服を着始める彼女。

 それを見ながら俺は内心ガッツポーズを決めた。

 あぁ、帰って来て一発トイレで発散してて良かったと。

 

 賢者モードとはかくも素晴らしい。

 

 

 

 

「優君の机に……こんなに、一杯手紙が」

 俺が授業開始直前、忘れ物を取りに急いで教室に戻って来ると、瞳からハイライトを消した彼女が黙々と俺の机の上で大量の手紙を破り捨てていた。その光景に思わず声が出てしまう。

「なっ……お前っ」

「あっ、優君」

 くるりと振り向いて俺を見つめる彼女、その手には今も手紙が握られており、まるで親の仇の様に何度も執拗に破っていた。

「あのね、優君の机に薄汚い女どもからの手紙が一杯入ってから、全部全部全部全部全部私が破っておいたよ? あと残りは数枚だけ……ふふっ、ねぇ私偉いでしょ、ねぇ偉いよね、ねぇ?」

「お、お前………」

 彼女から発せられる威圧感に思わず冷汗が垂れる、無意識の内に一歩退いた所で彼女が俺に手紙を突き出して来た。

「私の優に、こんなもの送る女なんて……邪魔だよね?」

 その瞳はどす黒く、顔は真剣そのもの、俺に好意を抱くのは自分一人で良いと言う圧倒的な独占欲を感じられた。その事実に俺は慄き、そして震える手でその手紙を掴み……。

 

 

「これは俺が書いた手紙だ」

 

 

「えっ」

 するりと手紙を彼女の手から抜き出すと、ぺらっと中身を見せた。そこには彼女が如何に可愛いか、どれだけ愛しているかを綴った文がずらっと並べられている。

「えっ、えっ?」

「これは俺が夜なべして書いた、どれだけお前が好きかを書いたラブレターだ‥‥サプライズでお前に渡すつもりだったのに‥‥」

 しょぼくれた声を出して項垂れると、涙目になった彼女が「ごっ、ごっ、ごめんなさい!」と頭を下げた。その焦燥ぶりはいつもの彼女からは全く見られるないほどで。

「ま、まさか優君が私に用意していたラブレターだったなんて、そんな、嘘、私それを自分で……あぁ、本当にごめんなさいッ!」

 泣きながらもどこか嬉しそうに、蒼褪めながらも頬は紅潮して、全く器用な事この上ないが、俺はそんな彼女に「気にしないでくれ」と言葉を送った。

「手紙は駄目になってしまったけれど、俺の想いは本当さ‥‥いや、そもそもこんな紙切れに頼ろうとした俺が悪かったんだ、こんなものは」

 そう言って俺は彼女の目の前でソレを破り捨てる。そうして「あぁ‥‥」とどこか勿体無さそうにソレを眺める彼女に向けて笑いかけた。

「こんなもの無くても、俺達は想いあえる……そうだろう?」

「……う、うん!」

 先程の表情が嘘の様に、喜色に染まる彼女。それを見ながら俺はほっと胸をなで下ろした。

 

 書いた手紙は殆ど印刷だけどね。

 

 

 

 

From 亜希だよ~ヾ(*´∀`*)ノ

本文:元気してた~? 私は貴方に逢えなくてすっごく寂しかったよ‥‥しょんぼり(´・ω・`)

 また逢いたいな‥‥いつでも連絡待ってます!(((o(*゚▽゚*)o)))

 

 

「………この、女ッ」

 お風呂から上がったら何やら般若の形相で彼女が俺のスマホを握りしめていた、メキメキッと外形に(ひび)が入る。明らかに人間の握力を超越している音が響いた。

「……ど、どうしたんだ」

 躊躇いがちに俺が声を掛けると、すっと笑顔を浮かべた彼女がスマホの画面を俺に向けた。そこに表示されているのは一通のメールで‥‥。

「ねぇ、この女……誰?」

「ッ!」

 件名にはこれでもかと分かりやすい女の名前が書かれていた。

「そ、それはっ」

 思わずたじろぐ俺、最悪の可能性が頭を過り風呂を上がったばかりだというのに異様な寒気が全身を包んだ。

「ねぇ、この女、誰? やけに親しそうだね‥‥それにまた逢いたいって、何? 私に秘密で逢引してたって事……ねぇ、どうなのっ、ねぇッ!?」

 ギンっと鋭い目つきで此方を睨みつけて来る彼女、俺が答えられずに冷汗を流していると唐突にふっと表情を緩め、けれど目だけは真剣に俺を見つめた。

「まぁ、いいよ、許してあげる、優君は私のものだから、けど、この女には『二度とメールしてくるなクソ女』って返信しておいたから」

 俺はその言葉を聞いて、愕然としてしまった。

「な、なんてことをしたんだっ!」

 そう叫んでしまう程に衝撃的だった、俺の言葉を聞いて彼女は嬉しそうに口元を歪めて「優君が悪いんだよ」と言い放つ。

「私だけを見てればいいのに、こんな女とメールして………」

「そ、そのメールは‥‥」

 震える体を彼女の前に晒して、俺は勝ち誇る様に笑う彼女に向かって叫んだ。

 

 

「サクラメールなのにッ! 返信したらまた来るじゃないかッ!」

 

 

「えっ」

 俺は彼女の手からスマホを取り上げると直ぐに送信内容を確認した。見れば本当に一文字一句、同じように送信されている。あぁ、これで俺のメールアドレスが割られてしまった。

「えっ、あっ、サクラメール……えっ」

「………わざと放置していたのに」

 ぼそりと俺が呟くと、背中から彼女が抱き着いて来て「ご、ごご、ごめんなさいっ!」と叫んだ。

「わ、私、優君が知らない女と親しくなったんだと思ってっ、それでっ!」

 涙をポロポロ零しながら謝罪する彼女、まぁ送ってしまったものは仕方が無い。息を大きく吐き出すと、彼女の頭をポンポンと叩きながら「仕方ないさ」と笑う。

「それに、俺の事を想った行動なんだろう? なら、何も言わないさ」

「ゆ、優……」

 涙目で俺を見上げる彼女、そんな彼女の額にキスを落しながら……。

 

「あ、でも今度からは女の子からメールが来ても、絶対に勝手に返信しちゃ駄目だぞ?」

「う‥‥うん」

 

 メールアドレは俺に告白してきた女子生徒達のものである。

 

 

 

 こんな世界なら、きっと何も失わなかった。

 

 

 

 

 

 



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