すずかお嬢様のお風呂事情 (酒呑)
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すずかお嬢様のお風呂事情

 ――これは実に全裸だ。

 

 少年は眼前に広がる光景を魂と記憶に焼きつけながら、心内でそう評した。

 ……と言うよりも、全裸など見たままに全裸と評するしかないのだが。

 

 そんな少年を、まるで道端の塵でも見るかの様な冷ややかな目で無言で見つめているのが、今し方少年に全裸だと評された少女であった。

 年齢にしては育ちの良い豊満なバスト、すらりと締まった柳腰が形を成す絶妙なくびれが非常に美しいウエスト、引き締まっている事が見て取れるのに非常に美しい丸みと大きさを誇り立派に揺れるヒップ。

 そんなセクシーダイナマイツなわがままなボディを惜しげも無く少年の前に晒し、隠す事もしない少女の名は、月村すずかと言った。私立聖祥大付属女子高等学校に先日から通い始めたぴっちぴちの十五歳だ。

 並み外れた美貌と美しい紫紺の長髪、大和撫子然とした柔らかな物腰が男女ともに人気を博す、海鳴市が誇る五人のスーパー美少女の内の一人である。

 余談ではあるが海鳴市の健全な男児達が口を揃えて『多分一番エロいと思う』とも評している。

 

 そんな美少女が世間の極々一部の者達がありがとうございます、と叫び出しそうな養豚場の豚を見る様な目付きで無言のままに少年を見据えている。年頃だと言うのに少年の股間で揺れるそれなりに立派なソーセージが視界に入っても照れすらしない。ただただ無言、弛む事も顰める事も無い無表情な顔に絶対零度の瞳を湛えて少年を見つめていた。

 

 対する少年もまた無言で少女を見つめていた。尤も、少年の方は少女のわがままボディをじっくりと観察する事に集中していたから無言だったのだが。呼吸に合わせて上下しぷるんぷるんと揺れるバスト。矛盾する様な表現になるが、むっちりとしていながら余分な肉が付いていないすらりとした素晴らしいふともも。綺麗に浮き出た鎖骨。引き締まったお腹の中心にある縦にやや長い形の良いお臍。それら全てが少年の視線を釘付けにする。

 

 暫くの間、少女と少年の間に沈黙が降りる。少女の方が何を考えているかは分からないが、存分に美少女の裸体を楽しんだ少年は冷静に現在のこの状況について考えを巡らせ始めた。無論、少女の裸体から目を離さずにガン見しながらだったが。

 

 なぜ少女が全裸か?

 ――此処が風呂場だからだ。ナイスおっぱい。ちなみに少年も全裸である。

 

 そもそも何故風呂場に?

 ――少年が月村邸のメイドであるファリン・綺堂・エーアリヒカイトに仕事の汗を流して行っては如何かと言われたからだ。ちなみに彼女はドジっ子と良く言われている。ナイスおっぱい。

 

 ナイスおっぱい?

 ――ナイスおっぱい。

 

 うむ、ナイスおっぱいである。そう結論を出した少年が目を瞑り、何かを確認するかの様に一つゆっくりと頷く。思考が凄まじい勢いで逸れていたがそれも仕方ない事だろう。十五歳の男子と言えば性欲の塊と言っても過言ではないのだから。

 

 少年が再び目を開き、さてどうしたものかと考えようとしたその時だった。

 いつの間にか少年に近づいていた少女が、左手をそっと少年の顔に添える。そして、今の今まで無言で冷酷な目を湛えながら少年を見つめていた少女が口を開いた。

 

「パンチとキックのどっちか、選ばせてあげる。……それと、何か言い残す事は?」

「あ……あ~っと……その……」

 

 少女の口から普段と変わらぬ音で発された端的な処刑宣告に身を震わせる少年。焦りの表情を浮かべ、なんとかこの後の惨劇を回避すべく己の言葉で引き延ばした僅かな時間で思索を巡らせる。

 しかし『あ、無理だこれ』と悟るとスッキリとした顔つきで少年はこう言った。

 

「デリケートゾーンが見えるかもしれないからハイキックで頼む。それと……」

「それと?」

「すずかのアンダーヘアってちゃんと地毛と一緒で紫色なんだな!」

「馬鹿ぁ!!」

「クケェーーッ!?」

 

 ――少年はミドルキックで吹き飛んだ。

 

――――――――――――――

 すずかお嬢様のお風呂事情

――――――――――――――

 

「って言う事が昨日あったんだよねぇ。アリサちゃん、どうしたらよかったと思う?」

『アンタ良くそれで平然としてるわね』

「うーん、何だかんだで小学校の間……三年前くらいまでは一緒に入ってたし。まだお互いに毛も生えてなかったけど。まぁそんな感じで割と今更かなぁって思っちゃって」

『や、いくら幼馴染だからって言ってもそれはそれでどうなのよ。まぁでもいいんじゃないの、一発殴ったんでしょ?』

「殴ったんじゃないよ、蹴ったの」

 

 携帯電話を肩と頭で支え、私――月村すずか――は親友のアリサちゃんにそう訂正しながらお気に入りの薄紫のブラを外し洗濯籠に入れる。電話口ではアリサちゃんがもう少しお淑やかにしなさいよ、なんて笑いながら言っているがアリサちゃんがそれを言うのかと思いながらそれは軽く聞き流す。

 また少し大きくなったかなぁ、なんて思いつつ自分の胸をもにもにと少し揉んでみる。また気に入るブラを探して買わなくちゃいけないのかと思うと、知らない内に少し鬱屈とした息が出ていた。アリサちゃんみたいに小さいままなら楽なんだけどなぁ。

 

『ねぇすずか。今何か凄い不愉快な気分になったんだけど』

「ん? あぁ、うん。アリサちゃんおっぱい小さいもんね」

『よーしアンタ覚えてなさいよ。明日ぶっ飛ばすから』

 

 ぷりぷりと怒るアリサちゃんにごめんごめんと謝りながらパンツに指をかける。ブラと同じく、お気に入りである薄紫のパンツをするりと下ろし、足を抜いてこちらも洗濯籠の中へ。

 全裸になって手が空いたので肩で挟んでいた携帯を左手に持ち直す。そのままあれやこれやとしょうもない雑談を続けながらお風呂場の扉をスライドさせて中へと入る。

 

 幸い、この携帯電話は防水性が高い機種でお風呂でも問題なく使える物なので安心してお風呂に持っていけ――

 

「うーむ、腹筋がやっと六つに割れて来たか……お?」

 

 ――昨日も見た全裸が鏡の前でポージングしていた。運の悪いことに鏡越しに視線も合ってしまった。ついでに言うと鏡に映った下半身で揺れる椰子の木も視界に入った。

 

『あれ? 今アンタお風呂なんじゃなかったの? なんか声が……』

「ごめんアリサちゃん、ちょっとやる事が出来たからまた後で」

『え? ちょっ――』

 

 電話口で困惑しているアリサちゃんを無視して通話を切断する。先程手を離した事で自動的に閉まったスライド式の扉を後ろ手にもう一度開け、私は左手を下ろすついでにそのまま携帯電話を背後の洗濯籠の辺りに放り投げた。携帯電話が洗濯籠とぶつかる軽い音が響いたが、その後に落下音が聞こえなかったから狙い通り服の上に携帯電話が落ちたのだろう。

 

 さて、どうしたものか。

 とりあえず不埒な幼馴染を逃がさない様に歩み寄る。身体など……おっぱいなど今更隠さない。見たければ見ればいい。そんな事を考えながら堂々と歩く。彼の方も彼の方で、一切身体を隠したりせずにポージングを続けている。

 

 昨日と同じく私と彼との間には無言が流れている為、壁にある獅子頭のレリーフから流れ落ちるお湯が奏でる水音と私がぺたぺたと歩く音、それと彼がポージングを変える度に短く漏れる呼気だけがお風呂場に響いていた。

 

 彼が新たに取ったこの腹筋を強調するポーズは、アブドミナル&サイだろうか。本職の方と比べて絶対的な筋肉量が足りてないせいか、どこか物寂しさを覚える。だが腹筋は確かにうっすらと六つに割れている様だ。

 

 手を伸ばせば届く距離まで近づいた所で、彼の方がまたしてもポージングを変えながら口を開く。

 

「先に言っておくが」

「……?」

 

 訝しみながら、彼の言葉の続きを待つ。その間も彼はポージング再び変える。今度は僧坊筋等を魅せつけるモストマスキュラーだった。というかポージングを変える度にその股間のヤシの木の様な物をぶらんぶらんさせるのはやめてほしい。これでも私は夜の一族なのだ。視野も常人よりは広ければ視力も良いので見たくも無いのに見えてしまう。夜の一族の身体能力をフルに活用して握り潰したくなってうっかり実行してしまっては拙い。

 

「今日の俺は何も悪くないぞ」

「…………」

 

 そう言われ、少しだけ考えて見る。

 確かに、知らなかったとはいえ今日彼が先に入浴しているお風呂に後から勝手に入って来たのは私だ。昨日の事があったのに大して確認もしないでタオルも持たずに迂闊に服をクロスアウッ(脱衣)して風呂場に入って来たのは私である。更に言えば我が家の誇るドジっ娘メイド(2X歳独身)が昨日彼が入浴してる事を伝え忘れていたのにも関わらず、今日は大丈夫だろうと確認しなかったのも私の落ち度と言える。

 なるほど、確かに今日の彼は悪くない。が、だからと言って年頃の女の子の裸を見て置いて何も無しと言うのも何となく納得がいかないのもまた事実。しかし不満はたらたらだったが、彼が間違ったことを言っていないのも事実ではあるので私は彼のその意見を肯定する。

 

「……まぁ、そうだけど」

「おう、分かればよろしい。そんなわけで体が冷えて来たからサクッと体洗って俺は湯船にもう一回浸かるべ」

 

 そう言うと、私の幼馴染はポージングを解除してシャワーの前へと移動していく。その後ろ姿を目で追えば、勝手知ったるなんとやらと言わんばかりにボディタオル(彼専用の少し目の粗い物)を片手に椅子に座っていた。そしてこれまた彼専用のデオドラントボディソープを二度ほどプッシュして適度に泡立てると全裸で立ち竦む私を尻目に身体を洗い始めた。

 

「なーんか、納得いかないなぁ……」

 

 溜息を一つ吐いて、私はついついそうぼやいてしまった。まぁいいや、とりあえず私も髪の毛を洗って湯船に浸かるとしよう。

 

 □ □ □ □

 

 洗い終えた髪の毛をお湯に浸ける事がない様に後頭部で纏め、無駄に豪奢で広い我が家の自慢の浴槽に肩まで入る。少し熱めに沸かされたお湯の気持ちよさに、自然と私の口からは吐息が漏れていた。この気持ちよさを更に享受すべく、私はだらしなく湯船の中で手足をおっぴろげ、背中を浴槽の縁に凭れさせてゆったりとお風呂を楽しむ。アリサちゃん辺りが見たらはしたないって突っ込まれそうな体勢だった。

 

 その体勢のまま、少しの間何も考えずにぼうっとする。時折両手でお湯を掬っては顔をぱしゃぱしゃと洗い、再びぼうっとする。そんな事をしていると、体を洗い終えたらしい幼馴染が私の隣へと入浴してきた。尤も、隣とは言っても身体一つ分程の距離は開いていたが。

 

 隣から心地良さそうな息が漏れる音が聞こえてくる。すぐ傍にこんな美少女が全裸で居るというのに、平時と変わらない様子で(しかし平時よりもややふとももの辺りに視線を感じるが)彼は彼なりに我が家のお風呂を楽しんでいる様だった。

 

 そのまま数分程二人揃って間の抜けた顔でぼへーっとお風呂に浸かっていると、不意に彼が言葉を投げかけてきた。

 

「なぁ」

「んー?」

「最近へこんだ顔してたけど、高町達が引っ越したからか?」

「あー……うん……。顔に出してないつもりだったんだけど、やっぱり分かる?」

「そりゃーもう普段お前が隠してる本性くらい分かりやすい」

「張っ倒すよ?」

「ほら見ろそういう所だよ馬鹿馬鹿ばーか。学校でお前のことかわいいとか大和撫子とか言ってる奴らは騙されてることに気が付いてないんだよなぁ。それなのに……」

 

 小学生の様な罵倒を披露した後、そのまま愚痴を続ける幼馴染を放置して最近『引越し』た親友三人の事を思い浮かべる。

 

 どことなく男らしいものの、多分私達の中で一番女の子らしかったなのはちゃん。

 今思えば魔法を使ってたんだろうけど、私の身体能力と良い勝負を繰り広げるフェイトちゃん。

 小さい頃からの読書仲間で、お互いに本を薦め合ったりしたはやてちゃん。

 

 彼女達は中学校を卒業すると同時にエスカレーター式の聖祥大付属の学校を辞めた。元々進路の話になった際に自分達の才能、魔法の力で色んな人の力になりたいんだと言っていたし、周囲の大人の人達ともしっかり話し合ってその進路を納得させてもいたし、私達もそれを受け入れていた。

 そしてつい先日彼女達はその力が活かせる場所へと……魔法と科学が発達した世界ミッドチルダへと引っ越していった。

 地球とは文字通りの意味で次元が違う場所へと行ってしまったため、中々会うことは出来ない。なのはちゃんが前に大きな怪我を負った時でさえ、魔力を持たない一般人であり、親友と言えど所詮ただの友人でしかない私とアリサちゃんは殆ど会いに行けなかった。それ程までに、次元を超えた場所へ赴くことは難しい。

 

 小学校、中学校と五人で毎日賑やかに過ごしていたのに、彼女達が引っ越した今ではアリサちゃんと二人きり。別にアリサちゃんに不満があるわけではない。律儀に突っ込みを入れてくれるし、からかうと面白い。

 ただ、寂しくないと言えば嘘になる。

 それくらい濃密な友人関係を築き、過ごして来たつもりだった。

 

 なんて考えていると、私のほっぺに何かが刺さった。ちろりと視線を向けると、幼馴染の指が私の頬に突き刺さっている。とりあえず何かむかついたのでその指を噛もうとしたら素早く引き戻されて噛み付くことは適わなかった。

 

「おう、またへこんだ顔になってるぞ」

「ん、ごめん」

「別に謝って欲しいわけじゃねーよ。ケツとおっぱい揉むぞコラ」

「えー? 揉んでも良いけどそのポークビッツが再起不能になっちゃうかもしれないよ?」

「んだとぉ? お前このジュニアがポークビッツに見え……」

 

 彼の発言を遮る様に右手を湯船の中から出し、彼に良く見えるように中空に伸ばしてキュッと何かを締める動作を行う。

 すると、彼は途端に引き攣った笑顔を浮かべながらほんの少し私から距離を取って先の発言を撤回した。

 

「丁重に遠慮させていただきます……」

「うふふ」

 

 人一倍興味がある癖に(男子中高生的には平均的かも知れないが)、肝心な所でヘタレな幼馴染のその様子が昔から何一つ変わってなくて、つい笑ってしまった。

 

 友人関係なんて物は流動的なものだ。時と場合によって簡単に変動する。

 今まで毎日と言っても過言ではないくらい一緒に居たなのはちゃん達との友人関係は『中々会えないけれどいつまでも親友』というものに変わってしまったが、こうして私と彼の様に全く代わり映えしない友人関係もある。

 

 隣でまだ縮こまっている幼馴染を横目で眺めていたら、ちょっと距離が離れたくらいでしんみりしていた事が馬鹿らしく思えてきた。

 今は多少会いにくくなったが、人生は長いのだ。そのうち気軽に会いに行けるようになるだろう。大丈夫、何とかなる。

 そうして私は考えることをやめ、月村家の誇るこのお風呂をゆったりと楽しんだ。

 

 

 

 □ □ □ □

 

 十分程が経った今、私と彼はほぼ同時に風呂を上がって脱衣所へと全裸で戻り、タオルで濡れた身体を拭いていると再び彼から声がかかった。

 

「そういえばなんだけどさ」

「どうしたの?」

「すずかって紫色のパンツ好きなん?」

「セクハラだと思うよ?」

「今更じゃねーのそれ」

 

 間違いない。今更である。

 セクハラ幼馴染の問いを適当に聞き流しながら身体を拭いていたタオルを洗濯籠に入れ、もう一枚持ってきていたタオルを広げて髪の毛の水分を丁寧に拭き取る。

 

「いやまぁお前のお気に入りのパンツは別にどうでもいいんだ」

「じゃあ何で聞いたの」

「いやー今月金欠だからもう要らないんだったらお前の使用済みパンツって言ってその辺の男子に売り飛ばそうかなって」

 

 頭に被るくらいなら辛うじて許せたかも知れないが、流石に売却となると許されない。有罪(ギルティ)である。

 

「よーし、親愛なる私の幼馴染君。ちょっと君のその粗末なおちん(ポー)を切除しよっか。ノエルー?」

「待て、話せば分かる。いいか、俺は先週――」

「お呼びでしょうか、お嬢様」

「おわぁ! どっから来たんだよ! お呼びじゃないですよノエルさんは!」

「おやおや、随分とご立派なご子息に成長なされた様ですね。ノエルは感動を抑え切れません」

「笑ってるじゃん! 突っつくな! もういいから早くどっか行ってよノエル姉ぇ!」

 

 ぎゃーぎゃーと喚く幼馴染と我が家の出来る方のメイド――ファリンの姉のノエル・綺堂・エーアリヒカイト――のやり取りを無視してパンツとブラをつける。

 全く、昨日に続いて今日も我が家の風呂事情は騒がしい。明日はもう少し静かだと良いんだけど。




長編の構想を練っていたら変なものが出来上がっていたもの。
下半身事情の方とはまた別の世界線の話です。


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すずかお嬢様のお風呂事情 そのに

 ――ぱちり、ぱちり。

 小気味良い音を響かせながら、とある豪邸――月村邸の前庭で花の剪定作業を行っている青年がいた。

 剪定の仕方を教えてくれた祖父から貰った編み笠を被り、黒のタンクトップと軍手を汗で濡らしながら一心に仕事を熟している。枝の様子を見て切るか切らないかを適切に見極め、葉の様子を素早く観察しては病気の有無や萎れ具合等を瞬時に判断して剪定して行く。特に不備の無い花でも庭園の趣を損なう物を見付けると、やや渋い表情を浮かべながらも無慈悲に切り落としていった。

 

 胸元に下げた籠に切り落とした端材を入れ、籠が一杯になったら端材を集める場所へ移動して籠を空にして剪定作業へと戻る。そんな作業を、青年は気温が上がり始める午後から四時間ほど続けていた。

 

 先程まで剪定していた場所まで戻ると、再びぱちりぱちりと剪定を始める。時々天道虫や芋虫などの害虫を見つけては放送禁止用語に抵触しかねない様な物騒な単語を叫びながら駆除してはいたが、概ね静かに仕事を続けている。

 

 やがて、庭園に遠くから古時計(アンティーク)の奏でる鐘の音が響き始めた。古めかしくはあるが、味のある音が六度響く。青年はふと花から眼を上げ、背後の音の発生源……庭園の奥に聳え立つ屋敷へと眼を向けると、もうそんな時間か、と独り言ちながら軍手を外して道具を腰に装備していたポーチに収納する。鋏などの刃物をしっかりと片付けると、青年は掃除をする為に花壇から離れた。

 

 屋敷のメイドさんから借り受けた庭掃除用の竹箒を用いて花壇の周囲に落ちていた端材を集め、一通り集め終えたら端材を纏める。花弁や葉っぱなどは厚手のビニール袋に詰め込み、枝や茎などの棒状の物は積み上げて紐で縛る。青年は慣れた手付きで縛り上げて行き、数分程で全ての端材を纏め終えるとその内の袋の一つに腰掛けて一息吐いて空を見上げた。

 

 雲一つ無い見事な五月晴れ。そんな空が黄昏色に染まり、魔と出逢ってしまうとされる大禍時。仕事の疲れを癒してくれるかの様な柔らかな風に気を良くしながら、青年はとりとめの無いことを考えていた。

 

 ――そういえば、幼馴染の女子は血を吸うし魔物の範疇に含めても良いんだろうか。

 

 学校の友人達には言えないな、などと思いながら青年は呵々(かか)と笑った。一頻り笑い終えると青年はそろそろ片付けるかな、と呟いて立ち上がる。腰掛けていた袋も含め六つの端材の束を器用に全て持ち上げ、屋敷の奥にある焼却炉へと置きに行こうと踵を返して歩みを進める。

 

 青年が無駄に広大な月村邸の前庭を数分程歩いていると、屋敷の正門から一人の女性が出てきた。艶やかで深い紺桔梗色の長髪を真っ直ぐに伸ばし、額のやや上の位置でアクセントとなる白いヘアバンドを巻いている。服装は休日らしくラフな物で、細めの白いスラックスに黒い半袖のインナーを身に纏っただけの簡素なスタイル。しかしそのシンプルなスタイルが却って彼女の魅力を引き立たせていた。

 

 彼女の名は、月村すずか。

 青年が剪定作業をしていたこの豪邸の持ち主であり、地元海鳴の街で有名な美女である。

 

 そんな彼女が、覚束無い足取りでふらふらと青年の方へと近づいて来る。普段の様子と違う彼女に違和感を覚えた青年はその場に端材を置いて彼女に近寄った。

 青年が近づいて来ていることを確認したのか、彼女の方はその場で足を止めて俯く。青年と月村すずかの距離が縮まると、青年は違和感の正体に気がついた。

 

 酒臭い。それも尋常じゃない程に。

 

 青年が疑わしげに眺めていると。彼女の方が徐に口を開いた。

 

「……ろ」

「は?」

 

 青年はすずかがぽつりと呟いた一言が聞き取れなかったのか、端的に聞き返す。その反応が気に入らなかったのか、すずかは唐突に怒り出しながら青年との距離を詰めてタンクトップを掴みながら叫んだ。

 

「お風呂!!」

「うるせぇ! 酔っ払ってるだろお前!」

「お風呂! お風呂! おふっ……ぅう゛っ、くぷっ……」

「んっ? あっ、おい待てすずかお前」

「うう゛ぉえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛」

「オギャァァァァァァァァァァァ!?」

 

 青年も幼馴染の女性の口から瀑布の様に流れ落ちる乙女パワー汁を浴びて叫ぶのであった。

 

 

 

――――――――――――――

 すずかお嬢様のお風呂事情

――――――――――――――

 

 

 

 ――物事には限度や限界と言ったものがある。

 

 人間が生身で宇宙空間に出ると死んでしまう様に。

 熱に強いとされるタングステンが摂氏三千四百度前後で融解してしまう様に。

 水を与え過ぎた木が腐り落ちてしまう様に。

 薬も度を過ぎれば毒となり得るし、何かに強いとされる物体にもやはり耐えられる限界と言う物はあるのだ。

 

 さて、何故唐突にこんな他愛も無い事実を確認したかと言うと。

 一般的な人類よりも高い身体能力を持ちやすい傾向のある少数の人間、通称『夜の一族』と呼ばれる人間にも……私にもやはり限界はあるのだ、という事を再確認したかったからだ。

 

 ■ ■ ■ ■

 

「どうかなさいまし……うっわぁ……」

「うぉぉっ、酒くせぇ上に酸っぺぇ……。あ、ノエル姉」

「今はまだ勤務時間中ですのでどうぞノエルと」

「あーうん、今はそんな事どうでもいいよ。こいつ(すずか)赤黒いゲロ吐いたけど大丈夫なの?」

 

 失礼な。ゲロでは無い、ちょっと饐えた香りを発するだけのただの私の体液だ――などと言う華の女子大生である私の矜持を守る為の反論は、現在進行形で襲い来る吐き気と酩酊感と不快感によって遮られて言の葉とならず、内心で思うだけに留まった。お酒に酔っている事を自覚できる程度には頭も重く、握り締めた彼のタンクトップから手を離したら恐らくもう立っていられないだろうと言う駄目な確信さえも今なら持てる。とりあえず過去と比べて筋肉量の増えた幼馴染にしがみ付いているとしよう。

 

 地面に撒き散らしてしまった私の元乙女の誇り(じょしりょく)から立ち上り来る芳しい香りが更なる不快感を煽り、不快感が増すことで再び口からダイレクトに乙女の誇りを消失してしまいそうになるという負のループに魂を囚われそうになる。さり気無く背中を擦ってくれている手とほのかに香る幼馴染の汗の匂いが、認めたくは無いが現状の唯一の癒しだった。

 

 あぁ、立っている筈なのに地面が揺れる。世界が回る。幾らか乙女パワーを放出して少しだけすっきりしたはずなのに。

 そんなグロッキーな状態の私を放置して幼馴染とノエルは会話を続けている。鬼か。

 

「あぁ、その赤い色素は恐らく先程飲んでいたワインの物と思われるので大丈夫かと思います。とりあえず私はこの場の処理を行うのですずかお嬢様をお風呂場へとお願いしてもよろしいですか?」

「今のこいつがちゃんと服脱げるか怪しいもんだけど」

「そこは貴方様のお得意のいやらしい……そう、とてもいやらしい手付きでですね」

「いやらしいの部分強調しないでくれない?」

「大丈夫です。今なら介抱するって言う名目でおっぱい触っても合法です。お尻も行けますよ。役得ってヤツです」

 

 いや、それは流石に許さない。

 

「あーはいはい。揉むかどうかは適当に判断するよもう。とりあえず裸にひん剥いて風呂に投げとけばいいの?」

「すずかお嬢様のこと、よろしくお願いします」

「へいへい……」

 

 不承不承、と言った態度で返事をすると、幼馴染の彼は長年鍛えてきた上腕二頭筋を駆使して軽がると私を肩に担ぎ上げた。お腹のおへその辺りに腕を回し、まるで荷物を扱うかの様に扱われていることに不満を感じないでもないが、大人しくされるが儘にしておいた。……のだが、彼が歩く度に立派に膨れ上がった僧坊筋が私のお腹にめり込み、一歩毎に吐き気が再び諸手を挙げて走り寄って来る。あっ、無理、出る出る。二度目の乙女パワーがこんにちはしちゃう。

 

「うぐぅ……けぷっ。おろろろろろろ」

「うぉぉぉ!? なんとなく予想してたけど結局前も後ろもゲロまみれかよぉ! クソぉ!」

 

 ゲロでは無い。

 

 

 

 場所は変わって月村邸(うち)のお風呂。

 あの後幼馴染にまるで米俵の様に運ばれながらお嬢様ビームを地面に向けて発射する事二回。吐き気その物と胃の中の重たさと酩酊感は比較的スッキリとした物の、代償に支払った物が大きすぎる気がしてならない。失った物の大きさを噛み締め嘆き苦しみながらとりあえず髪の毛を手早く洗い、まだ少しふらふらする頭を擡げて千鳥足を披露しながら湯船へと入る。幼馴染の彼の方をちらりと眺めてみると、背面も前面もお嬢様ビームの犠牲となってしまった為か念入りに身体を洗っていた。その気持ちも分かるし、私があの立場だったらきっと同じことをしていると思うのだが、何となくそんなに一生懸命洗うことも無いじゃないか、なんて思ってしまったのはきっとお酒のせいだ。

 

 そんな事を思いつつ、そういえばお酒を飲んだ後にお風呂に入るのってあんまり良くなかったよなぁなんてぼんやりとする頭で考えながらお湯に浸かっていると身体を洗い終えた幼馴染が定位置へと入浴してきた。

 首を左に捻って彼の様子を窺って見ると、若干不機嫌そうな表情を浮かべていた。それもそうだろう。然もありなん。誰だってそうなる。私もそうなる。

 

 そっと首を正面に戻し、視線を外す。わざわざ藪を突く必要もあるまい。

 湯面から出ていた肩を改めて湯の中へと入れ、大人しくする。もう少しゆったりしてからお風呂を上がろう……なんて考えていたら、彼の声が耳に届いた。

 

「……何か申し開きは?」

「あー……、えぇっと……」

「…………」

「その……。ご……」

「ご?」

「ごめーんね? えへっ♪」

 

 返答に窮した私は普段彼と交わす時のトーンよりも意識して高くした声でそう謝りつつ、ウインクしながら舌を出す……世間一般で言う所のてへペロと言う奴を精一杯かわいくあざとく行った。これで話が逸れてくれたら御の字だ。呆れられてもそれはそれで良い。

 さぁ、私の幼馴染はどうでる。

 

 ――それ程時を置かずに私の顔面にお湯が飛んできた。現実は非情であった。

 

 □ □ □ □

 

 事の始まりはっきりと思い出せる。あれは……、全ての元凶は自室で思うがままに愛猫のアインをかわいがっている時に届いた一通のメールだった。

 胸の中で抱いてもふもふしていたアインを左腕だけで支えられる様に抱えなおし、ベッドの上に放り投げられていた携帯電話を右手で拾ってロックを外す。メールフォルダを開くと親友と名の付けられたフォルダに新着の通知が表示されていた。

 何時もの様にアリサちゃんからのメールかな、なんてのほほんと構え胸元のアインに頬擦りしながらフォルダを開く。ぺしぺしと私の頬に猫ぱんちをしているアインをそのままにメールの送り主を見ると、私の予想とは違った名前がそこには表示されていた。

 

 高町なのは。

 

 先日次元を隔てた遠い遠い世界、ミッドチルダにて世界の崩壊の危機を救った救世の英雄。どんなに大きな怪我を負っても決して諦めず、どんなに不利な状況になっても絶対に屈しない不撓不屈の少女。その後姿は後塵を拝するあらゆる人々を勇気付けると言う。

 管理局員であるかどうかや男女の性別、年齢などを問わず世間一般で絶大な人気を誇り『管理局のエース・オブ・エース』と呼ばれている。……と、昨年の十一月ごろにはやてちゃんが次元間通話で「いやーこの間おっきい事件解決してもーてなーははは」なんていう軽いノリで言っていた。

 そんな彼女は来る日も来る日もそれなり以上の激務を熟しており、日中に連絡をくれる暇などまず無い為、こうして連絡が来る事は非常に珍しい事だった。

 

 もしかしたら三人揃って休暇が取れることにでもなったのだろうか、久々に皆揃って女子会が出来るかな、と勝手に前向きに受け取った私は携帯電話の画面をタップしてそのメールを開く。

 添付された何かを読み込む僅かな時間が終わり、簡素で短い文章と一枚の画像のサムネイルが画面に映ったその瞬間。かつて無い程の衝撃が私を襲った。

 

『子供が出来ました』

 

 ――その一文のあまりの衝撃に、頭が一瞬で真っ白になる。

 

「えっ……? あっ、えっ……?」

 

 動悸が激しくなる。驚愕と困惑が冷静さを押し流す。

 

 一体どういうことだ。どういうことなのだ。

 なのはちゃんは先日まで生死を掛けるレベルの激闘を繰り広げていたのでは無かったのか?

 どう見ても画像に一緒に写っている女の子は五歳くらいにしか見えないのだが?

 時系列がおかしい、向こうに行ってすぐに子供が出来たのか?

 そもそもこの女の子パツキンなのだが旦那はまさかフェイトちゃんなのだろうか?

 向こうの世界では女の子同士で子供が出来るのか?

 

 分からない。何もかもが分からなかった。理解したくなかったとも言えるかもしれない。

 親友の突然のおめでた報告(しかも娘さんは金髪)も。

 華の女子大生である私が、一種の軍隊の様な物でもある管理局勤めで男っ気の無いであろう日々を送っている筈の親友に遅れを取っているという現実も。

 

 そうして私は困惑したままよく分からないノリと勢いと全身に広がる敗北感で自棄酒へと走るのであった。

 

 □ □ □ □

 

「っていう流れなんだけど……」

「お前……」

 

 数分前の思い返したくも無い忌まわしきてへペロ事件の後、幼馴染に説明を求められた私は幼馴染から視線を逸らしつつ湯船の中で体育座りしながら大まかな流れを説明した。今思い返せばなんだかなのはちゃんに凄く失礼な思考をしていた気がするが、まぁ概ねこんな流れで私は考えることをやめて自棄酒に走ったのである。敗北感ヤバい。

 大学での飲み会の様に自制する事など一片も考えずにワイン、ラム酒、ウイスキー、ウォッカ、テキーラと言った代表的な洋酒をかぱかぱとちゃんぽんした結果、前後不覚になるまで酔っ払ってしまったのだ。そうでなければいくら幼馴染と言えどもこの歳にもなって異性にお風呂などと叫んだりしない。そう、あれは酔っていたから乙女理論的にセーフだ。

 

 ……とまぁ、これがお嬢様ビームを乱射すると言う今回の騒動の真相だった訳である。

 お酒って怖い。

 

「とりあえず次に高町に会ったら謝っとけよ」

 

 呆れた様な声が聞こえてきたのでこっそりと隣でお湯に浸かっている幼馴染の様子を窺うと、右手で顔を抑えながら天を仰ぎ「俺はそんなしょーもない事の為にゲロ塗れに……」と呟き溜息を吐いていた。

 

 会話が途絶え、私と幼馴染の二人が仲良く肩を落として意気消沈する。暫しの間沈黙が流れた。

 そういえば何時ぞやにこの幼馴染が私が入浴してる風呂場に闖入して来た時もこんな風に静まり返っていたっけなぁ。

 

「でもまぁ」

「うん?」

 

 などと昔のことを思い出していると、一際大きな溜息を吐いた幼馴染が顔を覆っていた右手を離し、天井の方を向いたまま会話を再開させた。

 

「子供の年齢はともかくとして、高町くらいかわいけりゃ男の一人くらい居てもおかしくは無いだろ。めっちゃかわいいのに時々無防備だし」

 

 しかし彼の口から放たれたその言葉は何故か少しだけ私の気に障り、つい私の口からは不機嫌そうな音の声が出てしまったが、これもきっとお酒のせいだという事にしておく。

 

「……それは暗に彼氏いない私がかわいくないって言いたいの?」

「お? なんだなんだ、高町がかわいいって聞いて嫉妬したのか? ん?」

 

 にたりといやらしい顔で笑う幼馴染の表情が一々私の怒りを加速させる。さっきまで二人して落ち込んでいた暗い雰囲気など瞬時にどこかへと消えてしまった。やはり私とこの幼馴染との間ではそういう雰囲気を持続させることなど出来ないらしい。

 

「目と鼻の先にすっぽんぽんの女の子がいるんだよ!? 普通そっちコメントしない!? エロいとかさぁ! ちん○んが勃ったとかさぁ!」

「はぁ!? 俺のジュニアはさっきまで全力でゲロ吐いてた奴に欲情する程歪んだ性癖はもってねーよバーカ! バーカバーカ!」

「さっき服脱がせた時はちゃんと私のお尻触ってたくせに!」

「いや馬鹿お前そこは触るだろ」

「うるさい馬鹿ぁ!」

「うるせぇ! おっぱいも揉むぞこら!」

「ご自由に! でも歪んだ性癖は持ってないんじゃなかったっけ!?」

 

 気づかぬ内に口論がヒートアップし、湯船の中で立ち上がった私と彼は互いの額を突き合わせながら馬鹿みたいなことを大声で言い合っていた。互いに全裸でタオルなどで隠すこともしていないが、十何年と一緒に風呂に入ってきた為お互いに気にした様子など無い。

 だからだろうか。彼の私のおっぱいを揉むぞという売り言葉に対し、私があんな買い言葉を返してしまったのは。

 

「言ったなぁ!? 揉むぞ! 揉むからな!」

 

 そう言いながら両手を伸ばした幼馴染は私のおっぱいを正面からダイレクトに掴むと下手な手付きで揉み始める。

 

 十秒程存分に揉ませた後、私は無言で右手を平手の状態で高く掲げた。

 それに気付いた幼馴染は私のおっぱいから手を離し、瞬時に青褪めた表情になりながら私を止めにかかった。

 だがもう遅い。確かにご自由にとは言ってしまったがそれとこれとは別問題なのだ。実際に乙女の柔肌に触れた者には制裁を加えなければならない。

 

「おい待てすずか、いくら俺が筋肉を鍛えたと言ってもお前の一撃は流石に無――」

「死んじゃえ馬鹿ぁ!」

「クケェーーーー!?」

 

 私の――夜の一族の――全力のビンタを頬に受けた私の幼馴染は、水面を二度ほど跳ねた後にお風呂の中に沈んでいった。

 とりあえず後でファリンを呼んで水揚げしておいて貰うことにしよう。

 

 

 

 全く、やはりと言うかなんと言うか。今日も今日とて、月村家(わがや)のお風呂事情は騒がしい。



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すずかお嬢様のお風呂事情 そのさん

 ――おっぱい。

 

 青年は己が視界にくっきりと鮮明に映る女性達のおっぱいをそれはもう凝視していた。

 

 ――あぁ、おっぱいだ。

 

 視線を左へと動かせば茶の短髪の女性の平均よりやや小さめのおっぱいが。

 そこから右に少し動かせば隣の女性よりもやや明るいライトブラウンの長髪をストレートにしている女性の大きさ、美しさ共に非常にハイレベルなおっぱいが。

 

 青年は更に視界を右へと動かす。

 

 途中、湯に濡れて非常に艶めかしい雰囲気を醸し出している紫紺の長髪の女性のおっぱいが目に入ったが、青年はそれを『なんだ何時もの奴か』と小さく舌打ちをしながら華麗にさらりと流して視線を動かし続ける。

 視線の先、紫紺の女性の右横には色合いこそ違う物の、見る物の目を奪う美しい金の長髪を湛えた二名の女性がいた。片方の女性は非常に大きく、絶大な包容力を秘めた柔らかそうなおっぱいを。もう片方はこの女性人の中で一番小さな……しかしながら確かに青年の目を惹きつける魅力を持った小さなおっぱいをその胸に装備している。

 

 ――桃源郷は此処にあった。海鳴の全男児が望む理想郷は存在し得たのだ。あぁ、素晴らしきこの五対のおっぱい達よ。

 

 などと青年が無駄に壮大な台詞回しで脳内で叫んでいると、対面している女性達が動きを見せた。

 余りの事に呆然とした様な、今の今まで理解が追いついていない様な、そんなきょとんとした表情を浮かべていた彼女達がまずその表情を朱に染め上げた。次いで、先程まで全員が何一つ隠す事無く、それこそ前述した通りの様々な素晴らしいおっぱいや下腹部にあるデリケートなバミューダトライアングル、その内のアンダーな髪の毛や神秘の裂け目すら隠さずに惜しげも無く解放していたその美しい光景を、足や腕で素早く隠し、更に湯船に肩までしっかりと入る事でより隠そうとした。

 ちなみにその際も腕に抑えられ行き場を失ったおっぱいが形を変えるその姿も素晴らしい物だ、湯の玉が表面をなぞるふともももまた素晴らしいなどと雑念だらけな事を想いながら青年はその様子を眺めていた。

 

 五名の女性達の内の四人、青年が見慣れていないおっぱいを持つ美女たちがその様な行動を見せる中、ただ一人落ち着き払っている者がいた。

 浴槽の縁に腰掛け、おっぱいやお尻などを隠す事もせず、ただ脚だけを湯に入れたまま果てしなく深く昏い、決して人間が触れてはいけない類の深淵を瞳に湛えながら青年を見つめる女性。

 彼女の名は、月村すずか。この理想郷を構成する一員であり、同時に女性の入浴中の理想郷(おふろ)へと入り込んで来たこの闖入者……青年の幼馴染でもある。

 

 青年が眼前のおっぱい達を存分に堪能していたその時、ぱしゃり、と小さな水音がなった。彼女が浴槽の縁に手をかけてゆるりと、しかし育ちの良さを感じさせる所作で美しく立ち上がったからだ。小さな音だったが、女性だけの秘密の花園に男性が突如乱入すると言う珍事が起きてしまったこの場には静寂だけが流れており、その音は青年の耳へと届いた。

 

 音に反応し、青年はつい視線をそちらへと向けてしまう。そして、その視線の先で音の発生源であり、毛先や指先から湯の雫をぽたりぽたりと垂らしながら無表情で今もこちらを睨めつける女性と瞳が合ってしまったが故に、瞬時に理想郷へと旅立っていた意識を現実へと引き戻された。

 

 ――アレは、拙い。

 

 ぞわり、と全身の皮膚が恐怖で粟立つ。

 過去の記憶と経験が警鐘を鳴らす。

 本能がこの場から逃げろと叫びだす。

 

 ――あの目は、拙い。

 

 事実、月村すずかがこの様な瞳を浮かべる事は滅多に無い。

 それこそ幼馴染たる青年が彼女と過ごして来た約二十年の月日の中でも、三本の指で数えられる程しか記憶になかった。ちなみに以前彼女がこの様な瞳を浮かべたのは、金欠の青年が無断で彼女の魅惑の三角巾(おぱんつ)(使用済み、未洗濯)を一枚学校の男児達に売り払ったと言う事実が明るみに出た時である。価格は七万と三千二百五円だった。

 

 話が逸れたので本題に戻そう。

 彼女がこの様な瞳を浮かべる時は、往々にして青年に人誅が下る。

 前回の時で言えばまず最初に全力の張り手が青年の頬に飛んだ。その絶大な威力によって青年が空中を華麗に何回転も舞った後、多大なダメージで地面にダウンしている所に追撃の爪先での前蹴り……見事なフォームでのサッカーキックで黄金に輝く一対のボールを蹴り上げられ、青年は泡を吹いて失神。鍛えられた筋肉が無ければ生命を生み出す球体はしめやかに爆発四散していてもおかしくは無かったそうだ。

 

 そんな過去の経験から、青年は今この場から何としてでも逃げ遂せなければならないと瞬時に判断する。そして、青年が無事にこの場から逃げる為には、まずは状況を確認しなければならない。その後、最適解を導き出して動く必要があった。

 

 命の危機からか、青年は状況確認を素早く済ませる。その際、透明な湯の中にてライトブラウンの長髪の女性のデリケートゾーンが整えられている事を目敏く見つけてちょっとテンションが上がっていたりもした。この間、僅か一秒にも満たない刹那の早業である。()に恐ろしきは男の本能であった。

 

 さて、そんな欲望丸出しの青年が導き出した最適解。その行動は。

 

「こりゃまた失礼しました……」

 

 普通に軽く謝りながら数歩後退り、最後の最後まで美女たちの裸を楽しみながら何事も無かったかの様にバスルームと脱衣所を隔ててくれるスライド式のドアを閉める事だった。

 

 直後、四名の女性の黄色の悲鳴と地の底から響いて来たかの様なくぐもった怒りの声がドア越しに青年の耳に届いたのだった。

 

 

 

――――――――――――――

 すずかお嬢様のお風呂事情

――――――――――――――

 

 

 

 全力の殺意(チョップ)逆鱗(のどもと)に突き立ててやろうか。

 

 そんな事を考えながら私達の女子会に闖入してきた幼馴染へと近寄ろうと腰掛けていた浴槽の縁から立ち上がると、あれだけなのはちゃん達のおっぱいやふとももをガン見していた幼馴染がまるで何も無かったと言わんばかりの対応でそっとドアを閉めた。日頃から我が家の誇るメイドさんによる手入れが行き届いているスライドドアは今も音も無く滑らかにすっと脱衣所とお風呂を隔てる。今はその高級感とでも言うべき物が鬱陶しく感じられた。

 

 最後の最後まで私達の裸(視線的には多分アリサちゃんの小さなおっぱいだと思う)を堪能した幼馴染がドアの後ろへと消えると、私は皆には聞こえない程度に小さく舌打ちをして再び浴槽の縁に腰掛ける。そして私と目が合うなり死に直面したかの様な顔で素早く撤退していった幼馴染に後でどんなお仕置きをするか考えようとした所で、お風呂場の空気に震えが走った。

 

「「「「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」」」

 

 震えの正体は、私以外の皆の悲鳴だった。

 そうだよなぁ、これが一般的な女の子の反応だよなぁ……なんてしみじみと思いながらとりあえず耳を両手で塞ぎ、聞こえてくる音量を抑えて悲鳴が鳴り終るのを待ってから私は親友達の様子を窺った。

 

 アリサちゃんは顔を真っ赤に染め上げ、両手で自分の身体を抱く様に自らのおっぱいを隠し、眦を吊り上げながら私の幼馴染に怒りを露にし。

 はやてちゃんは叫んで少し落ち着いたのか、貧相なもんを見せてもうたかなぁ、と頬を赤らめたまま小声でぼやきつつ自分の胸を揉んで溜息を吐き。

 なのはちゃんは既に切り替えたのか、まだ若干赤い頬をぽりぽりと掻きながらにゃはは、と苦笑を浮かべていた。

 

 おちん○んなんて見たのお父さんとお兄ちゃん以外で始めてだよ、と言いながら笑うなのはちゃんにアリサちゃんとはやてちゃんが賛同していたが、日頃からしょっちゅう幼馴染のポークビッツを見ている私は言葉を曖昧に濁しながらとりあえずノーコメントを貫いておく。お嬢様は不用意な発言はしないのだ。

 

 そんなやり取りをしている途中、はたと何かが足りていないことに気が付いた。

 そう、先程からフェイトちゃんの姿が何処にも見えないのだ。個人的にはこの面子の中でなら一番顔を赤くして慌てふためいていそうなイメージがあるんだけど。

 彼女は一体何処へ? そう思ってぐるりと周囲を確認すると、たったの数秒程で無事にフェイトちゃんを見つけることが出来た。

 

 何を隠そう、フェイトちゃんは真っ赤な顔でお湯の中に水没して体育座りしていた。なるほど、見つからない訳である。どうしてそうなった。

 いや、本当にどうしてそうなった。そこは女の子らしく皆の様な反応をするべきところなのではないのか。

 

 分からない。なにもかもが分からないが……まぁ多分大丈夫だろう。魔法使えるし。

 そう判断した私は未だにお湯の中に綺麗な金髪を揺蕩わせながら口からぽこぽこと空気を吐きつつ(とてもかわいい)水没しているフェイトちゃんから視線を外し、幼馴染が消えていったドアの方に改めて目を向けながら徐に手を二度程叩いた。

 

「お呼びですか、お嬢様」

「ノエル。私達のお風呂を覗いた粗末な御子息をぶら提げた不埒な男の子(そちんやろう)を縛りあげてきて」

「かしこまりました」

 

 数秒ほどで天井から颯爽と現れた己の女中をさらりと刺客として送り出し、私は未だに男性の珍宝の事についてあれこれと話している三人(アリサちゃん、なのはちゃん、はやてちゃんの三名)に適当な相槌を打ちながら十数分程前までの平穏だった女子会へとを思いを馳せるのであった。

 

 □ □ □

 

「そんな感じであたしと、あと一応すずかも未だに彼氏いないけど、そっちの方はどう? 職場とか周りにかっこいい男の人とか良い感じの男の人とかいないわけ?」

「私は一応じゃなくて普通に彼氏いないよ、アリサちゃん。アレはただの幼馴染だから」

「あーはいはい、そうね。で、どうなのよそっちの三人は」

「そうやなぁ。いないって事はないんやけどな。ただちぃと……年齢差がなぁ。なのはちゃんはどうなん?」

「うーん、教導隊も基本的には熟練の職員さん達だからねぇ。やっぱり親子くらい歳が離れてると中々……。それに、今は(ヴィヴィオ)もいるしね」

 

 ……嫌な事件だったね。失った乙女パワーが、まだ見つかってないんだろう?

 一部の単語にどきりと内心で反応したが、そんなくだらない事を考える事で平静を保ちつつ親友達と女五人で楽しく姦しく、そして騒がしくお風呂を楽しむ。

 皆で入浴してから既に凡そ二十分程。その間の話題は近況から世間話まであちらこちらへと凄い勢いで飛び回り、今は各人の恋愛模様の話へと変わっていた。所謂コイバナと言うヤツである。

 

 自分で言うのもなんだが、美女美少女と十二分に呼べるであろう私達五人が全員彼氏出来た事すらないって言う状況は中々に海鳴市及びミッドチルダの男性に対する損失なのではないだろうか。単純に私達個人個人の目に適ってないというだけかも知れないが。頑張れ未来の私達のだんな様達。

 

 足先でぱしゃぱしゃとお湯を弄びながら、我ながらくだらない事を考えているなと一人微笑む。その間に話はフェイトちゃんの恋愛事情へとシフトしていたが、フェイトちゃんは私も捜査であちこちへ飛び回るからそういう人はいないかなぁ、と言っていた。

 

 ……その時だった。

 全員彼氏いないのか。そう安心してまだまだ私達の春は遠いね、なんて話をしていた私やアリサちゃん、はやてちゃんを絶望のどん底へと叩き落す爆弾発言がなのはちゃんの口から投下されたのは。

 

「え? フェイトちゃんって彼氏いるでしょ?」

「ふぇ?」

 

 私の心に甚大なダメージが発生したのは言うまでもなかった。

 

「そっ! そそ、そんな事、ないよぉ? い、一体! 何を言ってるのかな! なのは!」

 

 そしてフェイトちゃんは取り繕おうとしたのだろうが、とても露骨だった。

 こんなにも慌てていては暗に自分彼氏いますと言っている様な物だ。自慢か。

 内心で毒づきつつも目を丸くしながら驚いていると、アリサちゃんとはやてちゃんは獲物を見つけたと言わんばかりのあくどい表情を浮かべながらフェイトちゃんへとにじり寄っていた。爆弾発言を投げ込んできた人物の方を向いて必死に弁明しようとしていたフェイトちゃんは当然ながら音もなく静かに這い寄ってくるその二人に気付く事が出来ず、簡単に背中を許してしまう事になった。

 

「違うんだよ!? 彼とはただ一緒に捜査してるだけで――へっ?」

 

 その無防備な背中にアリサちゃんが羽交い絞めを掛けて拘束し、しっかりと極まっていることを近くで確認したはやてちゃんがフェイトちゃんの正面へと回った。

 はやてちゃんは両腕をまるで手術前の外科医の様に自分の胸の前に掲げ、指先をどこかいやらしくうねうねさせながら微笑み、フェイトちゃんに顔を近づける。

 

 その光景を見て、この後何時もの様にはやてちゃんがおっぱいを揉むんだろうなぁと予想しつつ私はその光景を無言で眺める。別に止める必要性も感じられないし、はやてちゃんがおっぱいを揉むのも今更だろう。

 

「ほーう」

「ほほーう」

「あ、あの……どうしたの? アリサ、はやて、離してくれると嬉し……ひゃっ!?」

 

 精神的なダメージが回復してきた私がのほほんとしながらはやてちゃんの凶行を眺めていると、案の定フェイトちゃんのおっぱいへと手を伸ばしていた。暴れるフェイトちゃんをアリサちゃんが抑え、はやてちゃんは思う存分フェイトちゃんの大きなおっぱいを揉む。絶妙なコンビネーションである。小さい者同士、波長が合うのだろうか。

 

「この乳か! この乳で捕まえたんか!」

「アンタは良いわよね! あたし達みたいにおっぱい小さくなくて!」

 

 そんな若干失礼な事を考えながら眺めていると、なのはちゃんがそそくさと私の近くへと避難して来た。にゃはは、と昔と変わらない満面の笑顔を浮かべながらはやてちゃんはアレが無ければ今頃彼氏くらい出来てそうだよねぇ、なんてキツイ事をさらりと言ってのけた。

 確かにその意見には同意するのだけれど、なにもそんなに良い笑顔で言わなくても良いんじゃあないだろうかとも同時に思う私であった。

 

 □ □ □

 

「うおぉぉぉぉ!?」

 

 ……幼馴染が乱入してくる前から既に平穏ではなかったのではないだろうか。

 少し前の出来事の回想に耽っていると、私の前に何か大きなものが落ちて来たことが切欠となり現実へと引き戻された。盛大に跳ねたお湯が顔にかかって鬱陶しかったが、回想するに当たって目を閉じていた為に然したる問題ではなかったのが救いか。

 

 何が落ちてきたのか何となく察しは付いているものの、一応確認する為に目を開けて視線をお湯の方へと向ける。目を開けた時に視界の端の方で今度はちゃんと前を隠しながら四人で固まっていた為、やはりそういうことなのだろう。そこにいたのは――

 

「死ぬぅ! 風呂場で溺れ死ぬぅ! いや待てよ、高町とバニングスの残り湯……!? んごぼぉっ!?」

 

 ――変態的な言動が一瞬聞こえた為、条件反射的な速度で無意識の内に後頭部を足で抑えてしまった。

 

 いや、流石に筋肉を鍛えている私の幼馴染と言えどもこれは死ぬな、なんて思いながらすぐに抑えていた足をどかし、浮かんできた人物を確認する。そこにいたのは案の定というかなんと言うか、やはり彼だった。尤も、四肢を背面で縛られ、更に目隠しまで付けられた状態ではあったが。

 

 いや、うん。確かに縛り上げておいてくれとは命じたけれども。

 だからと言って風呂場に投げ込んでくれとは一言も言っていない筈だ。

 

 またアレで悪戯好きのノエルの悪癖でも出たんだろうか、なんて足元でじたばたと溺れない様に奮闘する幼馴染を眺めながらぼんやりと考える。とりあえず湯面にうつ伏せになっている幼馴染が溺れない様左足のつま先で仰向けにひっくり返しておいた。その際、この足はすずかか、なんて言っていたのが聞こえて来たが何故分かるのだろうか。

 あ、いや、分かるかも知れない。この間月村邸(うち)でノエルとファリンも含めて一緒にお酒呑んでた時に王様ゲームの罰ゲームで足舐められたし。(舐めさせたわけではない。ここは非常に重要である)

 

 閑話休題。そんなことはどうでもいいのだ。

 

 私がひっくり返したことによって体勢が安定し、呼吸する事が可能となった幼馴染は縛られていると言うのに何故かあまり気に留めず、どこか慣れた様子でぷかぷかとお湯に浮かんでいる。

 斯く言う私も異性が全裸で縛られていると言うのに(とは言っても腰にタオルは巻いている。ノエルの最後の良心だろう)こんなにも悠々閑々と構えながら彼のことを観察しているのでお互い様といえばお互い様である。

 

 正直なところ、今更な話ではあるのだ。月村邸(うち)にお姉ちゃんが住んでいた頃、私も彼も何回か縛られたこと自体はあるし。落ちてきた時はうつ伏せで着水したから慌てていただけだろう。

 

 幼馴染がすっかり落ち着いた頃を見計らい、私は彼に声をかけた。

 

「お仕置きは後で考えるとして……。ねぇ、覗き魔さん」

「はい、何でしょうかすずかお嬢様」

「誰のおっぱいが一番だった?」

「いやお前それをこの場で聞くの? アホなの? ねぇアホなの? 俺見えてないけどその辺にまだいるでしょ?」

「まぁまぁ。そう言わずに」

 

 つれない返事を返してくる幼馴染の椰子の木をつま先で何度かつっつきながら答えを待つ。離れたところでなのはちゃん達がひそひそと話をし始めたが今は気にしないでおく事にする。

 

「おい馬……! やめろぉ! 人のジョニーを虐めるなジョニーを! ……お?」

「あ」

「「「「え?」」」」

 

 

 

 不慮の事故だった。

 

 はらり、と彼の視界を塞いでいた筈の目隠しが外れてしまった。

 その結果、私の親友達は再び彼に全裸を晒すことになった。先程は入り口と浴槽と言う若干離れた距離で全裸を見られたのでまだ良かったのだが、今回は同じ浴槽の中と言う至近と言っても過言ではない距離だ。幼馴染の視界には先程よりも数段鮮明なおっぱいが映し出されていること間違いなしである

 次の瞬間、諸々――そう、それはもう諸々な物がモロ出し状態となっていた彼女達が再び黄色い悲鳴を上げるのであった。

 

 あぁ、やっぱり今日も我が家のお風呂事情は騒がしい。

 私は一体何時になったら落ち着いてお風呂に入れるのだろうか。

 

 ■ ■ ■

 

「ったく、散々な目に遭ったわ」

「一番恥ずかしいのは私だよぉ! 皆して私の後ろに隠れるんだもん!」

「まぁまぁ。それだけ私達はなのはちゃんの事を頼りにしてるって事やで?」

「…………」

「納得いかないよっ!」

 

 月村邸の脱衣所にて。

 月村すずかの親友達ことアリサ・バニングス、高町なのは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン、八神はやての四名は顔をほんのりと朱に染めながら会話をしながらタオルで身体を拭いていた。その表情の赤さには入浴したことによる血行促進効果以外の要因も多分に含まれていたが、異性に自分の全裸を見られたのだ。成人を迎えたとは言えどまだ二十歳の女性。その反応もむべなるかなと言った所であった。

 

 全員が身体を拭き終わり、それから下着の着用を済ませるまでのほんの僅かな間、彼女達の間に沈黙が流れる。

 その沈黙を打ち破り、言葉を発したのはアリサ・バニングスだった。彼女は少し落ち着いた色合いのブラウンの服に袖を通しながら口を開く。

 

「……ねぇ。すずかってさ、アレで『付き合ってない』とか『ただの幼馴染だよ』とか何時も言ってるんだけど、どう思う?」

「そらまぁ……なぁ?」

「あー、うん……ねぇ?」

「でしょ!? 何なのよアイツ等! さっさとくっつけってーのよ! 何であたしが『今日も風呂で遭遇したんだけどどうしたら良いかな』とか相談されなきゃいけないのよ! 知らないわよそんなん! こちとら男の影があった事すら無いわよ!」

 

 がるるる、と言う擬音が付きそうな程犬歯を剥き出しにしながら激しい剣幕で怒るアリサを宥めつつ残りの三人はそれぞれの服に身を通して行く。先程から上の空で行動しているフェイトを除き、アリサとなのは、はやての三人は概ね同じ意見ではあった。

 事実、異性とあれ程まで気軽に接することなどこの場にいる彼女達には不可能であった。ボディタッチは……まぁ、必要性があれば彼女達にも出来なくはないが、男性の御立派様をあぁも気軽に、それも足で突っつくことなど以ての外である。

 

 その後もあれやこれやと親友の恋愛事情に対して三人で話しながら着替えを進めていたのだが、その間も浴場から時々聞こえてくる「やめろ、お前のビンタは死ぬ」「この前は大丈夫だったから」などと言う乳繰り合い――本人達は否定するだろうが――が耳に入り、最終的にそれぞれの口から漏れ出たのは溜息だった。

 

 そして、彼女達は私も頑張って彼氏作ろう、と決意するのであった。




活動報告にて皆様のご協力をお願いしています。
よろしければ一目見て頂ければ幸いです。


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すずかお嬢様のお風呂事情 そのよん

 ――最近、告白されることが増えた。

 

 ぼんやりとそんなことを考えながら、わしゃわしゃと頭を洗う。

 頭皮に爪を立てない様に、自慢の髪の毛を傷めない様に気を付けながらのんびりと両腕を動かし、適度に洗えたかなという所で私はシャンプーを洗い流す為にバルブを捻った。

 

 流れ落ちる泡が目に入らない様に瞳を閉じ、頭からシャワーを浴びる。頭頂からやや熱めのお湯が泡と共に流れ落ちていく感触が心地良く、泡を流し終えた後もしばしシャワーを浴び続けた。

 

 適度に楽しんだところでシャワーを止め、近くに置いておいたボディタオルを手に伸ばす。タオルを少し濡らし、愛用のボディソープを適量垂らして泡立ててから身体に当てる。左腕から順に洗い、タオルを持ち替えて右腕、両足、お腹、背中と全身を洗った所でまたシャワーを浴びて泡を流した。

 

 身体から一通り泡を洗い流し、髪の毛を頭部で纏めた所で我が家の自慢のお風呂へと入る。変わらぬ心地よさにほっと一息吐きながらも、やはり考えるのは先程のことだった。

 

 ――増えた、と言うよりは昔と同じくらいに戻ったと言う感じかな。

 

 自惚れでは無いと思う。事実聖祥大の三年時へと進級してからの数ヶ月で既に六人の男子から告白を受けた。まぁ、付き合ってもいいかなぁと思える男子がいなかったので今のところは全てお断りしているが、好意的に思ってもらえているということ自体は嬉しい物である。

 

 しかし、どうしてこの時期に増えたのかと疑問に感じるのもまた事実。

 自慢ではないが、私は中等部と高等部で受けた告白を悉く断っている。その過程でやれ月村は百合だの本当はアリサ・バニングスと付き合っているだの大穴で幼馴染と付き合っているなどと囁かれていたが、家で幼馴染と二人で笑い飛ばしながら放置していたら知らない内に「月村は今のところ誰かと付き合うつもりはない」という比較的私に都合のいい噂が残ったのでそれとなく肯定しておいた。

 

 その結果、大学に入ってからの二年間はその噂のおかげで告白を受けることは減っていたのだ。大学入試で学園外部から少なくない人数が入学して来たが、その大半も噂を聞いたのか若干名の男子が告白して来ただけで比較的少なかった。その若干名も別に好みのタイプではなかったので丁重にお断りしたのだが、何処から聞いたのか噂は真実だったと勝手に信頼性が増していき、どんどんと告白を受ける回数は減っていった。

 

 それが、どうして最近になって増えてきたのか。

 謎である。

 

 浴槽にもたれ掛り、手足から力を抜いてお湯の中に揺蕩う様にぼへーっとしながら、まーでも何か実害があるわけでもないし別にいーかー、とそんなことを考えているとお風呂場の入り口から声がかかった。

 

「お嬢様ー」

「ノエルー? どうしたの?」

 

 勤務時間を終え、口調がやや柔らかくなった我が家のメイドの声に返事をする。私が返事をした後、やや間があってからぺたぺたとお風呂場の床の上を裸足で歩く音が耳に届いた。

 

 おや、と思い私は何の気無しに空中に彷徨わせていた視線を首ごと後方へと向ける。首を基点にして浴槽にもたれていた為、後方へと首を曲げたことによって私の視界は天地が逆転したが、珍しい光景が私の視界に入って来たので然程気にはならなかった。

 

「私もご一緒しても?」

「……そういうのは入る前に言うものじゃない?」

 

 笑いながら、私はそう答える。

 上下の逆転した視線の先。そこにいたのは、タオルで大事な所を上手く隠しながら微笑む全裸のノエルだった。

 

 

 

――――――――――――――

 すずかお嬢様のお風呂事情

――――――――――――――

 

 

 

 ノエルと一緒にお風呂に入るのも、なんだか随分と久しぶりな気がする。小学生の頃は私と幼馴染とノエルの三人でよくお風呂に入ったものだが、中学生以降で一緒にお風呂に入った記憶は中々に少ない。いや、でも冷静に考えたらそんなものだろう。

 

 そんなことはさておいて。

 メイドと言う現代日本では比較的特殊な職業に就いてはいるが、それでもメイドとしての月村家の勤務体制は雇用主の私が言うのもなんだがかなり緩い。住み込みで私より早くに起きて朝ご飯を作る所から勤務時間となり、夜は晩御飯を作ったら勤務終了である。

 時間で言うと大体朝七時から夜七時までの勤務だが、昼休憩やティータイムの休憩があることもあり実質的な労働時間は世のサラリーマンの方々とあまり変わらないのだ。それでいてお給料はお父さんが雇用時に適当に決めたとされる八桁にほど近い金額。

 

 やだ、もしかして月村家って超ホワイト――なんてくだらないことを考えていると、素早くシャワーを浴びたノエルが浴槽に入って来た。

 

「隣、失礼しますよ」

「いらっしゃーい」

 

 比較的近い距離まで寄って来たノエルに対し、片手を上げてのほほんとしながら適当な相槌を返す。そんな気の抜けた私の姿を、ノエルは微笑みを苦笑へと変えながら見ていた。

 

 私の肩とノエルの肩とが触れ合いそうな程の距離で、ノエルはお湯の中へとゆっくりしゃがみ込む。形の良いお尻を下し、しっかりと腰を据えた所でノエルは腕を軽く伸ばした後に短く溜息を漏らした。

 そんなゆったりとしたノエルを眺めていると、ノエルは溜息と共に下した腕をお湯の中へと入れて肩までしっかりとお風呂に入り、その後に鼻歌を奏で始めた。

 

 そうそう、ノエルは昔お風呂の中ででも喧嘩する私と幼馴染の間に入って鼻歌を歌いながら仲裁してたっけ。

 

 上機嫌そうにハミングするノエルの様子を眺めていると、そんな古い記憶を思い出してどことなく懐かしさを覚えた。

 あの頃から変わらず、ノエルは今でも私と幼馴染の良いお姉さんとして在り続けている。何ならお姉ちゃんよりもお姉さんらしい気もする。実姉とは一体。

 

 いや、お姉ちゃんが残念美人なのは仕方ない。

 あれは私や幼馴染君よりもよっぽど悪戯好きだったし。お姉ちゃんではあってもお姉さんでは無かった。ただの残念美人だ。

 

 一人で納得し、うむうむと首を縦に振っていたが今はそんなことはどうでも良いのだ。

 

 そんな頼れる姉が近くにいるのだ。折角だから先のことを相談してみてもいいだろう。

 そう思った私は相談する為にノエルに声をかけた。

 

「ねぇノエル。相談があるんだけど」

「はい。なにかありましたか、お嬢様」

 

 私がそう声をかけると、奏でていた鼻歌を止めていつもと変わらない微笑みを浮かべながらノエルは顔をこちらに向けてくれた。

 

「いや、最近学校で告白されることが増えたんだけど……どうしてかなぁって思って」

「ふむ……。そうですね……」

 

 先程考えていたことをノエルに伝えると、彼女は少し視線を下げて考え込み始める。

 むむむ、と何かを考えていたノエルだったが、数十秒ほどで答えが出たのか再び視線を上げて私の方を見た。

 

「お嬢様が大学三年生になった、という事は多少あるかもしれませんね」

「三年生にー?」

 

 ノエルの意見を聞いて、純粋に疑問に思う。

 なぜ卒業や就職といった物が見え始めるタイミングでなのだろうか。

 私がそう首を傾げていると、ノエルはそんな私の様子を見て笑いながら話を続けた。

 

「学生である内にお嬢様とお付き合いしたいと、そう考える男子生徒が増えたのではないかと。学生デートなんて言葉もあるくらいですしね」

 

 楚々と笑いながらノエルは私にそう告げる。

 私はそんなもんかなぁ、なんてなんとも言えない言葉を返しつつ今度は首を逆方向へと傾げる。学生デートなんて言っても既に制服で学校へと通う様な若々しい時代は過ぎ去ってしまっているし、社会人よりもやや時間のある程度のものだと思うんだけどなぁ。

 

 ゆるい思考を巡らせながら、私はノエルに相談する為に戻していた首を再び浴槽の縁にかけた。そのまま首から力を抜くことで頭をぐでっと後ろに倒し、そのついでに程よく温まった両腕も浴槽の縁に乗せる。身をもたれさせ、体重をかけた部分が感じる大理石のひんやりとした冷たさが気持ちよかった。

 

 身体で感じる極楽気分な湯加減と首や二の腕で感じる大理石の冷気を瞑目しながら楽しんでいると、ノエルが再び話し始めた。

 

「あとは……そうですね。お嬢様が受けている講義と若様が受けている講義が殆ど別になったのもあるかもしれませんよ。お嬢様と若様は馬鹿……あ、いえ。アホ……、そうアホの様に仲がよろしいですから」

「へーいへーいノエルー、私雇い主ー」

「今は勤務時間外ですので」

 

 お風呂に入ってから今までで一番の笑顔を見せながらさらりと勤務時間外だと言ってのけるノエルに何も返せず、私は口を閉じる。

 そんな私から視線を外し、空中を眺める様に視線を上げたノエルがぼそりとお嬢様も忍様に似てきましたね、と呟いた。やめてくれノエル、その呟きは家の外では大和撫子な私に効く。やめてくれ。

 

 内心で一人勝手にダメージを受けていると、そういえばとふとした疑問が沸き上がる。

 相談のついでに聞いてみるのも一興か。そう思った私は浴槽に預けていた身を起こし、ノエルへと声をかけた。

 

「そういえばなんだけどさ」

「はい」

 

 私の声に反応し、即座に私の方へと視線を戻すノエル。

 その対応に感謝しつつ、私は先程沸き上がった疑問をノエルに投げかけた。

 

「ノエルっていつの間にか若様って言ってたけど、いつから若様って呼ぶようになったの? 昔みんなでお風呂に入ってた頃は普通に名前で呼んでたと思うんだけど……」

「あぁ、それですか」

「うん。こんなこと聞くのも今更かもしれないけどねー」

 

 はっはっは、と声を上げて笑いながら私はそんな風に軽く茶化しながらノエルの言葉を待った。どうせある程度年齢が上がったからとか幼馴染だからとか、そんな程度だろうなぁと軽く考えていたのだが、次の瞬間思いもよらぬ発言がノエルから飛び出した。

 

「私が若様に告白されてから、ですかねぇ」

「へぇあ?」

 

 えっ、あっ。えっ?

 

 ――告白?

 

 □ □ □

 

「はぁ……」

 

 下着姿のまま月村家の廊下を歩いていた私の口から、溜息が知らず知らずの内に漏れた。

 

『私が若様に告白されてから、ですかねぇ』

 

 ノエルのその言葉を聞いた後、私は下着だけ着用して逃げる様にお風呂を後にした。

 いや、勿論ノエルの話が一段落つくまでは話を聞いた――聞いたはずだ――のだが、しっかりと覚えているのはこの部分だけだった。

 

 いつ?

 受けたのか?

 それとも断ったのか?

 それじゃあ、今の二人の関係は?

 

 色々な疑問が沸き上がってくる。そんな風に悶々としながら歩いていると、いつの間にか自分の部屋の前までたどり着いていた。ドアを開けて自室へと入り、照明のスイッチも入れずに愛用のベッドに腰掛ける。とにもかくにも、今は考える時間が欲しかった。

 

 普通に考えるなら、祝福するべきことなのだろう。

 幼馴染に春が来た。同時に、姉のような人にもだ。上手くいって欲しいとも思うし、応援したいとも思う。

 

 だが同時に……なにかこう、得も言われぬ気持ちが胸中にあった。

 もやもやとした、漠然とした、やり場のない……あぁ、なるほど。分かった。

 

 これは、不快感だ。

 

 はは、と乾いた笑いを上げながら私はベッドに背中から倒れ込む。このままでは乾かしていない髪が寝具を濡らすだろうが、今は気にならなかった。仰向けに倒れ込んだ私をぼふりとやわらかく受け止めてくれたベッドにうつ伏せになり、もぞもぞと楽な体勢探す。その際にショーツが半分くらいお尻からズレた気がしたが、まぁ部屋の中は暗いのですぐには気付かないだろう。誰かが来たら直せばいいや。

 

「あー……」

 

 右の頬を布団に押しつけ、言葉になってないような言葉を発する。

 なんだかなぁ、どうしたもんかなぁ。

 

 そんな取り留めのないことを考えていると、猫の鳴き声が私の耳に届いた。この声はアインの鳴き声だなぁなんて思いながらも放置していると、ずっしりとした重みが私の頭に加わった。そしてあいている左の頬にぺしぺしと猫ぱんちが飛んできた。

 

 どうやら私の愛猫はお怒りの様である。たぶんさっきまでベッド下にでも居たんだろう。

 ごめんごめんと内心で謝りつつ、頭の上に乗ってるアインを両手で捕まえてそっと胸元へと抱き寄せる。私のおっぱいの中で拘束から逃れようとアインがもぞもぞ動いていたが、私に離す気がないことを悟ったのか自然とおとなしくなった。

 

「……ほんと、()な女の子だよね」

 

 胸元のアインだけに聞こえる様な声で、そう独りごちる。

 聞こえていなかったのか、それとも興味がないのか。肝心の愚痴り相手であるアインは私のおっぱいの谷間で眠たげな表情をしていたが、まぁ猫だしそんなものか。

 

 そんなアインを眺めていたら、私も眠くなってきた。

 気分もへこんだことだし、とりあえず寝るのもいいだろう。

 そう思った私はズレたままだったショーツだけ直し、今度はズレないように気を付けながらもぞもぞと布団の中へと入る。

 

 そういえば、今日のお風呂は静かだったなぁ。

 そんなことを考えながら、私は眠りに就くのであった。




次話完結予定


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すずかお嬢様のお風呂事情 おわり

 ――二、三日程前から何処か様子がおかしい。

 

 青年は二十年来の幼馴染である女性――月村すずかを前にして、内心でそう感じていた。

 いつもなら自分が誘えば特に何も考えずにほいほいと話に乗ってきて、二人でバカな事をして騒いではすずか付きのメイドに窘められる。そんな事を日々繰り返していたのだが――先にも述べた様に二、三日程前からはたとその誘いに乗って来なくなった。その上、それに何か関係があるのかやたらと青年とメイドを二人にしようとする。

 

「今日は図書館に私の読みたかった本が入るから、花札はノエルとやっててー」

 

 今回もそうだった。青年は祖父の持っていた花札を自宅から持ち寄って遊ばないかと誘っていたのだが、やはりすずかは青年に自分のメイドと花札をやる様に勧めてそそくさと外出する準備をし始める。

 

 本を入れて持って帰る為であろうショルダーバッグを右肩から左の腰へと斜めに提げると、上機嫌そうにそれじゃあ行ってきますと間延びした声で青年に告げて正門から出て行った。すずかのその後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、青年は軽く息を吸い、やや溜めてから深く溜息を吐いた。

 青年は手に持っていた花札の箱を小脇に挟み、右手で後頭部を何度か掻くと空を見上げる。あいにくと、初夏の候を迎えたというのに今日の空は今一ぱっとしない晴れとも曇りとも言える様な空だった。そんな何とも言えない空を見たからか、青年は再び溜息を漏らす。尤も、今度は言葉も付いていたが。

 

「あいつ、まーた何か考えてんなぁ……」

 

 先程出て行った幼馴染の様子を思い返しながらそうとだけ呟くと、青年は小脇に挟んだ花札の箱を手に持ち直してその場で振り返り、歩き出す。月村邸の前庭を抜け、素朴でありながらもどこか豪奢な木製の扉を開けると、青年はそのまま月村邸へと入っていった。

 

 持っていた遊び道具をエントランスホールのテーブルの上に置くと、青年は勝手知ったると言わんばかりに月村邸の奥へと進んでいく。ゲストルーム、ダイニング、リビングといくつかの部屋を回り、最終的にキッチンで目的の人物を見つけると青年はその人物へと歩み寄って声をかけた。

 

「おーい、ノエル姉ー」

「今は勤務時間中ですので、どうぞノエルと」

「あぁうん。はいはい」

 

 青年が探していた、キッチンを掃除していた人物――(くだん)のメイドであるノエルはお決まりとなった台詞を青年へと返し、微笑みながら顔を上げる。青年はノエルのその台詞をおざなりに聞き流して会話を続ける。

 

「で、ノエル姉。今度は何したのさ」

「お嬢様のことですか?」

 

 ノエルは掃除道具をエプロンのポケットへと仕舞いながら青年に聞き返す。

 

「先日一緒にお風呂に入った時にむかし私が若様に告白された、ということをお話ししたくらいですかね」

「はぁ?」

 

 ノエルの予想外の返答に、青年は怪訝そうな表情を浮かべる。告白なんてしたっけかな、と青年は呟くと、両腕を組んで考え込み始めた。青年がしばらくの間記憶を遡りつつ唸っていると、思い出せないのを見かねたノエルが何処か悪戯っ子の様な笑みを浮かべながら青年に声をかけた。

 

「忘れてしまったのですか? 忍様に良い様に踊らされて私に『のえるおねーちゃん大好きー!』って言ったことを」

「んん? んー、あー……。その後『しのぶおねーちゃんはふつー』って言ったらしの姉がふて寝した時? いやあんなの流石にノーカンでしょ……」

「女性の心をもてあそぶとは……。若様もご立派になりましたね」

「うぐっ」

 

 思い当たる節があったのか、青年は組んでいた腕を解いて右手でばつが悪そうに首の裏を掻く。その様子を見ていたノエルは大きくなっても目の前の男の子の癖は変わらないな、と先程よりも笑みを深くして見守っていた。

 

「……あれ、じゃあもしかしてあいつ今勘違いしてる?」

「途中から様子がおかしかったので、その可能性は非常に高いかと。私としてはそれはそれで、と思ったので放置してありますが」

「おーけー、ノエル姉が原因ってことは分かった。とりあえず――」

 

 

 

――――――――――――――

 すずかお嬢様のお風呂事情

――――――――――――――

 

 

 

「はぁ……」

 

 一応の目的地である海鳴市立図書館を目指して海鳴の街を歩きながら、私は溜息を漏らす。この間お風呂でノエルの話を聞いて以降、私の気分は未だ晴れていなかった。

 

 暗澹とした気分を胸の内に湛えながら、私は一路図書館へ向けてのそのそと歩き続ける。暫く歩いていると、今のテンション相応な下向きの視界の端に見覚えのある石畳が見えた。ふと周囲を見回してみれば、いつの間にか海鳴商店街まで辿り付いている。

 

 どうやら、時間の経過も分からなくなる程度には私の気分は落ち込んでいるらしい。

 それもそうだろうな、と私は自嘲気味な笑いを浮かべる。これでも女の子の端くれだ。一応、自分ではこんな気持ちになっている理由は分かっているつもりだ。

 

『ただの幼馴染だよ』

『付き合うなんてないんじゃないかなぁ』

『だから、アレはただの幼馴染だってば』

 

 アリサちゃんや大学の友人たちには、普段はそんな風に言っている。そんな言葉が簡単に思い起こすことができるくらいには常日頃からそう言っていたし、事実そう思っていた。

 

 でも、違った。

 ノエルに告白されたと聞かされた私が感じたのは――どちらかと言えば仄黒く、後ろめたい類の感情だった。

 

 ノエルに大事な幼馴染がとられてしまうと思ったから?

 その気持ちは、無いと言えば嘘になる。いつまでも二人揃って騒いでいられるんじゃないかと、漠然とだがそう思っていた。私と彼、そのどちらかの気が向けばその時から適当に誘って遊び、どちらかが風呂に居る可能性があっても互いにまるで気にせずに風呂へと突入し、夜になれば時々一緒に酒を飲んで馬鹿話と罰ゲーム付きの遊びに興ずる。

 そんな毎日が――月村すずか(わたし)にとっての日常が、無くなってしまうのではないかという不安。

 

 逆に、幼馴染に大事なメイドをとられてしまうと思ったから?

 これも、無いと言えばやはり嘘になる。それこそ、彼よりも長い時間を共に過ごしてきたのだ。血は繋がっていないと言えど、主従の関係はあれど、家族に等しい存在。二人目の姉の様な人が自分から離れてしまうのでは無いかという、そんな嫌悪感。

 

 けれど、それらの感情よりも何よりも私が嫌だったと感じたものは。

 普段あんな風に言っておいて、いざその時が来たらこうして二人に対して嫌悪感を覚える自分(・・)だった。

 

 ――全く、笑えて来る。

 一番滑稽なのは、私じゃないか。本当に……面倒臭くて、嫌な女だ。

 

 のろのろと動かしていた足を止め、肩を落としながら再び大きく息を吐き出す。私の口から出てきたのは、もちろん溜息だった。長い溜息を吐き終えた所で、いつまでも人通りの多い商店街の真ん中で立ち止まっている訳にもいかないな、と思った私は適当なお店の近くへと移動する。

 

 適当に選んだ、特に覚えのないお店の入り口横にあったベンチへと腰を下ろし、一休みする。

 歩いている時は全く気付かなかったが、近くに喫茶店でもあるのか周囲にやたらと珈琲の良い香りが漂っていた。

 普段自宅や喫茶店では基本的に紅茶を飲む私ではあるが、別に珈琲が嫌いな訳ではない。むしろ、自主的に飲むことが少ないだけで香り自体は好きな部類である。

 

 そんな心地よい香りに囲まれながらベンチに座ってぼうっとしていると、お店の扉越しに二名の男性の声が聞こえてきた。扉越しと言うこともあり、聞こえてくるのはくぐもった声だったがどちらとも聞きやすい声だった。……というか、片方の声は非常に聞き覚えがある声である。

 

 店内で行われていた二言三言の会話が終わったのか、お店の扉が開く。からんころんとドアベルが鳴らす音を聞きながら出てくる人物を待っていると、やはり覚えのある人物が両脇に樽を一つずつ抱えてお店から出てきた。

 

「じゃあ店長、豆が切れそうになったらまた来るよ! ……っと、すずかちゃんじゃないか。珍しいね、こんなところで会うなんて」

 

 ベンチに座っていた私に気付き、朗らかな笑みを浮かべながらそう声をかけてくる目の前の男性は、私の親友である高町なのはの父親にしてこの近辺にある喫茶店「翠屋」のマスターこと――

 

「……ふむ。どうだい? 今ちょうど新しく豆を仕入れた所なんだけど、良かったら寄っていかないかな?」

「そう、ですね。折角なので、お邪魔します」

 

 ――高町士郎、その人だった。

 

 

 

 翠屋の入り口を開けて店内に入り、適当に空いていたカウンター席に座ってから数分が経った。

 カウンターの奥では士郎さんが古めかしい手動式のミルで楽し気に珈琲豆を挽いている。そんな様子を、私は頬杖を突いて考え事をしながらぼんやりと眺めていた。

 

 考え事自体は大した物ではない。家に帰りたくないなぁ、なんていう年頃の女の子の様なことを考えていただけだ。後でアリサちゃんに泊めてって頼んでみようかな、とかエイミィさんも泊めてくれるかもしれないなぁ、とか。

 

 そんなことを考えていると、唐突に目の前に白い珈琲カップが置かれた。

 挽き立ての豆から淹れられたそのカップの中身は、非常に芳醇な強い香りを漂わせている。その素晴らしい香りは、私の下がりきっていた気分を少しだけ持ち上げてくれる様だった。

 

「ブルーマウンテンのストレートさ。グアテマラやブルーマウンテンの香りにはリラックス効果があるそうだよ」

「そうなんですか? 私、あんまり珈琲は飲まないので全然知らなかったです」

「さて、そんなわけで……。何があったか分からないけど、少し落ち込んでいたみたいだからね。すずかちゃんも偶には珈琲でも飲んで、落ち着くといい」

 

 ありがとうございます、と私が返事をしていると、入り口の方からドアベルの音が聞こえてきた。入り口の方を確認した士郎さんはまた珍しいお客さんが来たねぇ、と微笑みながら呟くとお客さんの応対をする為に歩いて行く。

 

 士郎さんという話し相手もいなくなり、手持無沙汰となった私はとりあえず珈琲を一口啜った。先程から漂って来ていた香りを今度は口内で感じ、香りに続き上手に抽出された珈琲の味わい深い旨味と苦味を楽しむ。

 ……思っていたよりも苦かった。深炒りだったのだろうか。つらい。

 

「はーい彼女ー、お茶しなーい?」

 

 想定以上の苦味に私が眉根を寄せていると、背後からそんな声がかかった。士郎さんに引き続き、またしても非情に聞き覚えのある声である。

 ……というか、このとても元気そうで悪戯好きそうな声は私の中では一人しか該当しない。苦味とは別の理由でより私の眉間の皺が深くなったが、相手をしないと面倒な事態になるのもまた長年の経験で簡単に予想が出来るので、私は溜息を吐きながら振り返った。

 

「……何やってるの、お姉ちゃん」

「あれ、ちょっと待って。流石にすずかのその凄い嫌そうな顔はおねーちゃんが思ってたタイプの姉妹の再開じゃないよこれ」

 

 案の定、そこにいたのは私の実の姉であり、ドイツにいる筈の月村忍だった。

 なんでも、仕事の都合で数時間だけこっちにいるらしい。

 

 □ □ □ □

 

「――って具合で、今自己嫌悪してる所」

「うーん、おねーちゃんはむしろそこまで行っててまだ付きあって無かったってことにびっくりかな」

 

 不本意な再開をした後、お姉ちゃんが普通に私の隣へと座って沈んでる理由を聞かせろとしつこく絡んできたので一通り経緯を話したところ、こんな返答が帰ってきた。

 言外にこの姉は意外と役に立たないな、という意味を込めて私は露骨に溜息を吐いたが、お姉ちゃんは特に気にせずに言葉を続ける。

 

「だって美少女のって言ってもゲロだよ? 中々ゲロの処理を手伝ってくれる人なんていないよ? よく言うでしょ、ゲロの処理を手伝ってくれる人はしっかり捕まえろって」

「ちょっとお姉ちゃん、一応美人にカテゴライズされる見た目してるんだからそんなゲロゲロ連呼しないでよ。それと場所も考えて。あとそれは多分男の人が自分のゲロの処理をしてくれた女の人を逃がすなって感じの使われ方だったと思うんだけど」

 

 そうだったっけ、とけらけら笑いながらお姉ちゃんは珈琲を一口啜る。ナチュラルに私の珈琲を飲むのはやめてほしい。それは私が士郎さんからサービスしてもらった物だ。

 珈琲が取られたので、私は仕方なくお冷を口に含む。良く冷えたお冷はそれだけでも十二分に美味しかったが、珈琲の方が美味しかった為にどうしても物足りなさを感じる。

 

 素直に紅茶でも頼もうかなぁ、なんて思っていると珈琲カップを手元に置いたお姉ちゃんが笑ったまま再び口を開いた。

 

「まぁでも、実際もう答えは出てる様な物だよね」

「……え?」

 

 あっけらかんと、私の姉はそんなことを言った。

 

「だってすずか、あの子とノエルがくっ付くのが嫌なんでしょ? じゃあもう答え出てるじゃない」

「……でも」

「でももクソも無いわよ。どうせすずかがくっ付いてもアリサちゃんとか周りは『やっとくっ付いたのか』って思うだけだろうし。幼馴染専用ツンデレみたいなもんでしょ」

「えぇ……?」

 

 私がそんな風に言葉を濁しながらうだうだしていると、お姉ちゃんは唐突に両手で私の顔を抑える。突然のことに困惑する私にそのまま顔を近づけて視線を合わせると、お姉ちゃんは今度は真面目な表情で言葉を発した。

 

「それとも何? ここまで言っておいて、まだあの子のこと嫌いとか言うの?」

「…………好き、だけど」

 

 真正面からのそんな質問に、私は目線を逸らしながらも小さく返事を返す。頬の辺りがほんのりと熱を持っている気がする。きっと今の私の顔はちょっと赤くなっているんじゃないだろうか。

 

「あれ、妹の反応が想定以上にかわいい。まーそんなわけで、さっさと押し倒して一発セックスでも決めてきなさい。大体それで何とかなるから。なんならノエルも入れて三人でヤっちゃいなさい」

 

 数秒前までの真面目な雰囲気は何処へやら、お姉ちゃんは真面目だった表情を破顔させてにやにやといやらしい笑みを浮かべながらそんなことをのたまう。

 いつもこうだ。昔から私が何かに悩んでいると無理矢理相談にのって頼りになりそうな姿を見せて、結局毎度毎度最後にはこんな風に茶化してくる。そんなんだから何時までも私や幼馴染から適当に扱われていると言う事に気付いてほしい。

 

 一気に弛緩した空気の中、何時までも顔を抑えられているのも何となく癪だったので頭を左右に振ってお姉ちゃんの手から逃れる。抑えられて少しだけ崩れた髪の毛を手櫛で適当に直すと、私は隣で下卑た笑みを浮かべているお姉ちゃんを半目で睨みながらとっておきの言葉を返した。

 

「……流石にそんな昔のお姉ちゃんみたいなことはしないけど」

「流石のお姉ちゃんだってそんな事しないよ!?」

「でも昔ノエルのこと襲ったんでしょ? 本人から聞いたよ?」

 

 私がそう返すと、お姉ちゃんは途端に真顔になって口を閉ざす。私に黒歴史を知られているとは思っていなかったのか、お姉ちゃんは冷や汗を流しながらあれこれと必死に弁解の言葉を探している様だった。

 そのまま数秒程待っていると、私が誤魔化そうとする時に浮かべる顔に良く似た表情をしながら口を開いた。

 

「…………興味本位って、恐ろしいものよね……。しかも関係性も主人と従者とか……ね?」

「そのエロ親父みたいな嗜好何とかならない?」

「いやー、無理かなぁ……」

 

 やはりこの姉は『お姉ちゃん』ではあっても未来永劫『お姉さん』ポジションにはなれないだろうな、と私は思うのであった。

 

 

 □ □ □ □

 

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 唸れ俺の筋肉ぅぅぅぅ!」

「いい加減にっ、諦めたらぁ!?」

 

 ――月村邸(わがや)の風呂場に、そんな叫び声が響き渡る。

 風呂場という場所に相応しく、双方ともに何も隠さない生まれたままの全裸姿で私と幼馴染は正面から手を組み合って力勝負を行っていた。私のおっぱいにしろ彼のポークビッツにしろ、モロだしの状態でぶらんぶらんと揺れまくりである。すっぽんぽんである。

 

 中学生の頃から今の今まで鍛え上げて来た彼の筋肉と、根本的に若干種族の異なる私の膂力がぶつかり合う。足を踏ん張り腰を入れ、私は全力を持って彼を捻じ伏せに掛かる。彼の方は彼の方で、この状況から逃れる為に必死の形相で力を振り絞っていた。

 通常であれば男性であり、身体を鍛えている幼馴染の方が優勢であったのだろうが――しかし現状、優勢なのは私の方だった。伊達に人の外へ半歩程踏み出しているわけではないのだ。

 

 さて、どうしてこんなことになっているのか……。それを説明するには、時は少々遡る必要がある。

 

 

 

 ――じゃあお姉ちゃんはドイツに帰るから甥っ子が生まれたら教えてね!

 

 お姉ちゃんのうざ絡みお悩み相談室の他にも色々と雑談し、最後の最後でそんな風に私が幼馴染を押し倒すこと前提で翠屋から出て行ったお姉ちゃんを私は冷ややかな目で見送った。その後、士郎さんに礼を伝え(と言っても私の珈琲はお姉ちゃんに飲まれてしまったんだけれども)、出かける時にカモフラージュの為についた嘘の用事を図書館で済ませて家に帰った。

 

 予想外かつ面倒な来客ではあったが、そのお蔭で私の気分は晴れた。その切っ掛けがお姉ちゃんという点だけが些か釈然としないのだが、その上で解決策も見えたし覚悟も完了したので文句は言うまい。

 

 雑談の時にお姉ちゃんとも話をしたけれど、そもそも単純な話だったわけで。

 私が開き直ったらそれで終わってしまう、そんな程度の話でしかなかった。

 

 細かい話は乙女の尊厳を守るために割愛させてもらう(ゲロを始めとした沢山の下品な言葉が飛び交っていたのだ)が、結局の所私が幼馴染とくっ付いてしまえばノエルも幼馴染もとられないのだ。

 いくら考えても個人的にはこれが一番の結末だ。よし、じゃあさくっと押し倒そう。うん、大丈夫、一人くらいなら月村家の財産で養えるし。

 

 ……とまぁ、そんな感じの軽いノリで帰宅の途を歩みながら私は幼馴染を押し倒すと決意したのである。

 冷静に考えたらお互いに何も考えないで風呂入ったりしてる関係が今更過ぎて覚悟も何もあまりなかったのだが、乙女として多分決意したと言っておいた方が良いだろう。

 

 そうと決めた後の私の行動は早い物で、自室のベッドに本の入った鞄を放り投げて替えの下着だけを持って風呂へと直行。そして身体を入念に洗っている時に案の定月村邸の園芸仕事を終えた幼馴染が全裸で現れてこうなったわけである。

 以上、回想終わり。

 

「うおぉぉあぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 そんな回想をしている間に、私と幼馴染の勝負の大勢は決しつつあった。

 拮抗しつつあった力比べは徐々に私が押して有利な体勢になり、最早私が幼馴染押し倒すまで秒読みと言った状況にある。この戦いに決着を付けるべく、私は今よりもなお全身に力を込めて押し倒しにかかった。

 幼馴染の上腕二頭筋を蹂躙し、ぐんぐんと両腕を押し込む。数秒程耐えたが、ある瞬間幼馴染が悟りを開いた様な表情を浮かべて食いしばっていた口を開いた。

 

「む……無理ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 次の瞬間、幼馴染の悲痛な絶叫が風呂場に響き渡り、拮抗が完全に崩れた。

 

 ずるりと足が滑り、幼馴染が背中の方へと倒れ込む。

 私も一緒にバランスを崩して倒れ込んだが、とりあえず幼馴染が頭を打たない様に片腕を振りほどき、そのまま腕一本で頭を胸元へ抱き寄せて後頭部にしっかりと腕を回す。

 

 そういえば、彼の頭を胸元に抱き入れるのは先々月に罰ゲームでパフパフを命じられた時以来だったっけ。

 

 なんてことを考えながら重力に引かれ、びたん、となんとも締まらない音を出しながら私と幼馴染は重なるようにしてその場に倒れ込んだ。

 

 私は素早く身体を起こし、幼馴染が呆然としている間に彼が逃げられない様に下半身の辺りに跨る。

 無事にマウントポジションが取れた所で、私は達成感や昂揚感、捕まえたことによる征服感などから来る感情を隠すことができなくなった。

 

 

 

 きっと、今の私はしたり顔というか、にやりとした笑顔というか――

 

 ――そう、きっとお昼頃にお姉ちゃんが浮かべてた様な、そんな顔を浮かべているのだろう。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■

 

「い、嫌だぁぁぁぁ! 初めてが幼馴染にレイプされるなんて嫌だぁぁぁぁぁ!」

「ちょっと! 人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」

「うるせぇ! 俺の貞操はお互いに初めてで俺が優しくリードするのが夢だったんだよぉ!」

「流石に童貞拗らせすぎじゃないかなぁ!? でも良かったね! 私処女だから! 半分くらい夢叶ってるじゃん!」

「シチュエーションが違うだろばーかばーか!!」

「はぁ!? いいじゃん! 美人幼馴染に筆おろしされるんだよ!? 何が不満なわけ!?」

「エロいことするにしてもせめて俺が攻めでありたかった!」

「どーせ肝心な時にへたれる癖に! あーもう、こんなんじゃ何時もと変わんないからセックス始めるよ!」

「あっおまっ、ちょっと待って! まだ心の準備が……アーーーーーーーーー!?」



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すずかお嬢様のお風呂事情 番外

 海鳴市の辺縁部、山に程近い場所のとある温泉宿の露天風呂に三名の男性たちが入浴していた。時期をやや外しているということもあってか、客は非常に少なく露天風呂はこの三人の貸切状態となっている。

 温泉に浸かってからの数分、各々が無言で湯の心地や露天風呂から見える夕暮れの景観を楽しんでいると、男性達の内の一人が徐に右腕を動かす。露天風呂を構成する岩の上に置いてあった木桶へと手を伸ばしたのだ。

 木桶の中には砕いた氷がこれでもかと詰め込まれており、その中で冷やされている瓶と盃が彼の目的であった。彼は木桶を一旦湯面に浮かべ、氷を左右へと退かしながら目的の物を取り出すと、生来の人好きのする笑顔を浮かべながら隣に座って温泉を楽しんでいるもう一人の男性へと声をかけるのであった。

 

 

 

―――――――――――

 野郎どもの男湯事情

―――――――――――

 

 

 

「一献、どうだい?」

「かたじけない」

 

 とく、とく、と鮮やかな青色の酒瓶の注ぎ口が緩やかな音を奏でる。今時分では中々に珍品である朱塗りの盃に注がれていく酒精を、三人の入浴客の一人であるユーノ・スクライアはなんとなしに呆と眺めていた。少しずつ杯に酒が溜まって行くその様は、未だ飲酒の出来る年齢では無いユーノをして何処か趣のある物だと感じさせる物であった。

 

 盃に酒を注ぐ壮年の人物の名は、高町士郎と言う。男臭い精悍な顔付に、短く切った黒髪を無造作にしている男性である。

 そして、注がれる酒を無言で受けている青年の名はザフィーラ。士郎よりも短い蒼銀の髪を携える、これまた男臭い精悍な顔付をした男性だ。

 

 眺めていたとは言うものの、実際には目を奪われていたと言う方が正しかった。酒精が酒器を満たすまでのたったの数秒ではあったが、常日頃からユーノが尊敬し、己も将来あんな風になれたら、と漠然とした憧れを抱く二名が目の前で酒――"酒"と言う物はユーノにとって未だに触れられない、ある種の大人の世界を意味する物であった――を酌み交わそうとしているのだ。ユーノの目が自然にそちらに惹きつけられるのも、仕方のない事と言えた。

 

 士郎が注ぐ為に傾けていた右手を下ろすと、ザフィーラは盃を持っていた左手を少しだけ高く掲げ、士郎に向けてほんの僅かに頭を下げる。そののち、ザフィーラは盃に口を付けてなみなみと注がれた酒を一息に呷った。それを間近で見ていた士郎は先程から浮かべていた笑みを一層深め、呵々と笑いながら良い呑みっぷりだね、と賞賛を送る。

 

 盃を空けたザフィーラは数秒ほど余韻を楽しむと、一つ大きな息を吐いて手に持った盃を士郎に返盃する。士郎が盃を受け取ると、今度はザフィーラが氷の中へと戻されていた酒瓶を手に取って口を開いた。

 

「士郎殿も一献」

「ありがたく頂戴するよ」

 

 酒瓶の傾け方が悪いのか、時折り勢い良く中身が注がれる。その度に士郎が上手いこと盃を動かして酒を溢さない様にして対処する。慣れていないからか、ザフィーラの手付きは士郎と比べて拙い物であった。しかし、二人はそれらも楽しんでいるかの様に口角を上げながら笑んでいた。

 盃に酒精がなみなみと注がれると、士郎はザフィーラに礼を示してから同じ様に一息で酒を呷る。自分よりも早く飲み干した士郎の姿を見ていたザフィーラは見事、と一言だけ発し、笑みを深めてくつくつと笑った。

 

 呵々と笑う士郎と、静かに笑うザフィーラ。

 両極端な楽しさの表現だった。しかしそこには互いに共通する確かな“愉快さ”があったのだろう。十数秒程笑った後、二人はどちらからともなく会話を始める。

 

「士郎殿、この酒は香りが――」

「あぁ、こいつは北雪と言う銘柄で――」

 

 ――格好良いなぁ。

 

 並んで座り、楽しげに呑み交わしながら酒の話をするそんな二人の様子を、ユーノはそんな事を想いながら眺め続けていた。そして同時に羨ましさも感じていた。士郎は別として、普段滅多な事では笑顔を浮かべないザフィーラがこうも楽しげに笑っているのだ。ユーノは自分が未だ酒の飲めない年齢である事を少し悔しく思った。

 

 そういえば一族(かぞく)大人たち(みんな)も発掘が終わる度に大勢で酒を飲んで騒いでいたなぁ。まぁあの頃は酒を飲むことを羨んだりしていなかったんだけど……とユーノが一人郷愁にかられていると、それに気付いた士郎がユーノへと声をかけた。

 

「ユーノ君、そんな離れた所にいないでこっちに来ないかい?」

「えっ、あっ、はい」

「なぁに、今ならちょっとくらい呑んだって大丈夫さ。さっきからこっちを見ていたみたいだしね」

「士郎殿、流石にそれはいかがなものか」

「はっはっは、なぁに気にするな」

 

 右手で酒瓶を掲げながら未成年への飲酒を勧める士郎をザフィーラが宥める。しかし士郎はそれをカラカラと大笑しながら笑い飛ばした。その様子を見たザフィーラはやや肩を落としながらも、どこか楽しげな表情で諦めた様に軽く溜息を吐いている。

 

 士郎の手招きに応じ、ユーノは一度立ち上がって己が股間をタオルでそれとなく隠しながら士郎とザフィーラの近くまで移動した。手を伸ばせば触れられる程の距離まで歩くと、ユーノは股間を隠していたタオルを適度な高さの岩の上に乗せて再び肩まで湯に浸かる。ユーノが座ったのを確認した所で士郎が盃を渡そうとしたが、それはザフィーラが横から回収する事で冷静に阻止していた。

 

 そんないけずな対応をするザフィーラにやいのやいのとじゃれつく士郎の姿を横目に眺めつつ、ユーノは近くに寄ったことでより鮮明に見えるようになった彼らの肉体と自分の身体とを見比べる。口から出てくるのは溜息ばかりだった。

 

 身長も体格も二人と比べるのもおこがましく感じる薄い身体。

 色白で線が細く、見様によっては少女然とした己の綺麗な身体と、至る所に刻まれた傷跡が目を引く筋肉質な体躯。戦闘において大切な人を護ることで刻まれたのであろうその傷跡は、ユーノの目には勲章の様にも映った。

 

 ネガティブな思考を追い払おうと、ユーノは両手で湯を掬って顔を何度か洗う。気持ちが落ち着いたところで顔を上げると、隣に並んでいる二人はまだいちゃついていた。これも酒の魔力かなぁ、と目を逸らして景色を眺めつつ内心でユーノがそんなことを考えていると、数分後に一段落ついたのか士郎が大人しくなった。

 

 ちらりと視線を向けると、ザフィーラがその大きな掌で士郎の顔を抑えていた。顔を掴んでいない(アイアンクローじゃない)ところを見るに、ただの張り手で士郎の顔を遠ざけているだけの様だ。流石のザフィーラも大人の対応を続けるには鬱陶しかったのだろうな、とユーノがうむうむと頷いていた。その動作にやけに実感が籠っているのはひとえに彼も似たような経験を――とは言ってもユーノの場合は漢に絡まれたザフィーラと違い、美少女たちに揉みくちゃにされるというある種男性の理想の具現の様な経験だったのだが――したことがあるからだろう。

 

 突き放されたことで素直にザフィーラとの密着状態を解除した士郎が抑えられていた頬を擦っていると、ユーノがそういえば、と口を開いた。

 

「前から思っていたんですけど」

「む?」

「どうかしたかい、ユーノ君」

 

 ユーノの方に顔を向けて話を促す二人。何を聞いてくるのだろうか、と言う期待が込められた視線に込められている気がしたが、しっかりと自分の疑問を聞いてくれる体勢になってくれた大人達に感謝しながらユーノは続きを話した。

 

「お二人って、すごく声似てますよね」

 

 もっと別のことを聞かれるのかと思っていた士郎とザフィーラは意外そうな表情で顔を見合わせ、今度は二人揃って声を上げながら笑った。

 

 □ □ □ □

 

「全く、あんなに笑って父さんは一体何をしているんだか……」

「僕からしてみればザフィーラがあんなにも楽しげにしていることの方が気になるんですがね」

 

 同じ温泉宿の大浴場で、二人の男性が露天風呂で騒ぐ三人組を眺めながらそんな会話を交えていた。

 

 露天風呂で楽しそうに笑っている高町士郎に良く似た外見の人物。士郎の息子である彼の名前は高町恭也と言う。男臭い顔つきの士郎と比べ、少しだけ爽やかな顔つきの青年だ。

 もう一人の方の、彼と会話を交えていた紺青の短髪の青年の名はクロノ・ハラオウン。恭也とどこか似た雰囲気の青年で、更にいえば顔つきもどことなく似ている。

 そんな似た者同士の二人組だ。

 

「まぁ、他のお客さんがいないことが救いですかね」

「そうだな……」

 

 クロノが周囲を確認しながらそう言うと、恭也は同意を示しながら内風呂の浴槽に背を凭れさせながら呆れた様に息を吐いた。自分も母やエイミィの悪ノリを見ている時に同じような反応をする為か、クロノは苦笑しながらその様子を見守っていた。

 

 気分を変える為か、恭也は頭を軽く左右に振るう。その後、クロノにも聞こえる程度の大きさでよし、と言うと突然立ち上がった。そのまま浴槽の縁に置いてあったタオルを手に取ると、未だに湯船に浸かっているクロノに向かって声をかけた。

 

「クロノ君、サウナにでも行かないか?」

 

 そう声をかける恭也の顔には、どこか挑発的な笑みが浮かんでいる。その顔を見上げていたクロノも同種の笑顔を浮かべて立ち上がると、タオルを手に取って返事をした。

 

「もちろん」

 

 □ □ □ □

 

 ――熱い。

 

 その感情が、二人を支配していた。だが同時に、その熱さの中に存在する確かな心地良さもまた感じていた。頭、胸、脚といった全身の至る所から玉の様な大粒の汗を滝の様に流しながら、しかし両者共微動だにせず黙々と座り込んでその熱を味わっていた。

 

 そんな中、職務上で鍛え上げられて力強さと同時にどこか美しさを感じさせるクロノのうなじを、汗がつぅ、と流れ落ちて行った。流れた汗はそのまま鎖骨を辿り、隆起する程に鍛え上げられた左右の大胸筋の谷間を潜り抜け、最終的に股間を申し訳程度に隠しているタオルへと到達して吸収され消える。

 

 首元を流れる汗を切欠にしたのか、黙々とサウナを楽しんでいたクロノが会話を切り出した。

 

「恭也さんは」

「……?」

 

 クロノの呼び掛けに反応し、瞑目しながら熱を楽しんでいた恭也が目を開く。

 視線をクロノの方へと動かした恭也だったが、クロノが正面を向いていることを確認すると再び瞑目して言葉の続きを待った。

 

「"こちら"では月村さんと付き合っていらっしゃるんですね」

「そういう君こそ、"こちら"ではなのはとではなくエイミィさん、と……?」

「どうかしまし……た?」

 

 あまり意識しないで互いの言葉に返事を返したクロノと恭也だったが、奇妙な違和感を覚えた為に言葉尻が途切れ途切れになった。

 何かがおかしい。クロノも恭也もそう感じていた。知らない筈なのに、何故か互いが互いの女性関係に付いて軽口を叩いている。

 クロノはなのはと付き合ったことなどないし、恭也も今の恋人以外に付きあったことなど無い。しかし、両者共にそれらを"知っている"物として先程会話した。

 

「「……"こちら"?」」

 

 同時に違和感の答えに辿り着いたのか、二人の呟きが重なってサウナ室に響く。互いの声に反応したのか、クロノと恭也は顔を見合わせた。奇しくも、それは露天風呂で士郎とザフィーラがユーノの質問を受けて顔を見合わせているタイミングと同じだった。

 

「恭也さんもですか?」

「あぁ。……しかしそうか、なのはとクロノ君が結ばれる未来もあったのか」

 

 恭也が何処か含みのある笑みを浮かべながらクロノを見遣る。面白い物を見たと言う様なその視線に、実際に思い当たる節があった――出会った頃に彼女の笑顔に魅了されそうになったことがある――クロノは肩を竦めることで応じた。

 

「随分と落ち着いていますね」

「なのはや君達みたいな魔法使いがいるんだ。そういう事もあるだろうさ」

「それも確かに」

 

 仮にも魔法を使っている僕が言うことではなかったな、と苦笑しながらクロノが頷く。恭也もそうだろう? と疑問形でクロノに続きながら微笑んだ。

 

 一頻り二人が静かに笑っていると、クロノが再び会話を切り出した。

 

「僕がなのはと結ばれる可能性があったというのはさておいて」

「うん?」

「恭也さんもなかなか“あちら”ではプレイボーイだったようで」

「ぐっ」

 

 クロノの言葉に、痛いところを突かれたと言わんばかりに恭也が短く苦悶の声を上げた。つい先ほどまでからかっていた相手からの手痛い反撃に、つい空中に視線を彷徨わせる恭也であった。

 

「世界の歌姫さんに地元の巫女さん、活発で修行大好きな一人目の妹分に家庭的でのんびりやの二人目の妹分。良家のお嬢様とそのお付きのメイドさん、果てには銀髪ロリっ子の美人医師に美由紀さんまで……」

「むぐぐぐ……」

 

 更なる追撃に唸る恭也。クロノは自分から視線を外し、苦し気な声を発しながらどこか居辛そうにする恭也をしたり顔で見ていた。先程の意趣返しに成功したからだろうか、普段の冷静で落ち着いた表情からかけ離れた悪戯っ子の様な表情で笑っている。

 

「いやぁ、実におモテになっていたようで」

「……クロノ君、これ以上この話題を続けるのはやめよう。ほら、父さん達も露天から出てくる様だ。そろそろ合流しよう」

 

 露骨に、そして無理やりに話題を変更しようとする恭也の姿を見てクロノは声を上げて笑いながらサウナを後にするのであった。

 

 ■ ■ ■ ■

 

 ――かこん。

 

 インテリアとして何故か備え付けられたシシオドシが、心地よい音を大浴場へと響かせる。一説によると温泉宿の支配人が『温泉らしい温泉』を目指した結果、真っ先に取り付けられたのがこのシシオドシであるそうだ。この温泉宿の支配人は一体何処を目指しているのだろうかと問いたくなる気持ちをそこそこに、ユーノは近くにある竹で出来た装置に興味を向けた。尤も、未だに酒を呑みかわしながらいちゃついている士郎とザフィーラから目を逸らす意味も込められていたが。

 

 カケヒと呼ばれる装置からシシオドシの竹筒へと注がれる水を目で追いかけ、シシオドシがゆるりと傾きだせばその一瞬の分水嶺に注目し、竹筒の底と石桶の淵が奏でる音を耳で楽しむ。木材と石材が奏でる、なんとも味わい深いこの音を現地の人達は趣があると表現するのだろう。

 

 以前読んだ本から得た知識を記憶の底から引っ張り出しながらユーノがそんなことを考えていると、水風呂で涼んでいたクロノと恭也が揃ってユーノの近くへと移動して来た。クロノは特に何も言わずにユーノの右隣で浴槽の中に腰を落ち着けると、どこか熱っぽい息を零しながら手足を伸ばしてゆったりと湯を楽しみ始める。恭也はクロノの更に隣でいつの間にか座していた。

 

 シシオドシから目を離し、ユーノは視線を戻す。その際ちらりと自身の左側の様子を窺うと、先程よりも酔いが進んだ様子の士郎が今もなおザフィーラにじゃれついている。内心でお疲れさま、とザフィーラに向けて唱えると、自分は巻き込まれないように少しだけクロノの方へと移動するユーノであった。

 

「ユーノ君。そっちはそっちで楽しそうだったけれど、父さん達と一体どんな話をしていたんだ?」

「士郎さんはともかくとして、ザフィーラがあぁも楽しそうにしていたのは僕も気になったな」

 

 そそくさと移動しているそんな時、恭也からユーノへと声がかかった。

 先程から湯の中でゆったりと弛緩しきっているクロノもそれに便乗したのか、疑問を重ねて来た。

 

 しかし、そんな風に聞かれても実のある話など何一つない。三人で話したのは酒の話と士郎とザフィーラの声が似ているという雑談だけである。

 二人が期待している様な答えは返せないんだけどなぁ、とユーノは指で頬をぽりぽりと掻きながら答えを返す。

 

「うーん、お酒の話と……あとは士郎さんとザフィーラの声がすごく似ているよねっていう話かなぁ」

「あぁ……」

「言われてみれば確かに」

 

 ユーノのその答えに恭也は深い同意を、クロノは言われて見れば、と少し驚いた様子で頷いた。同意を示していた恭也が何かを思い出したかの様にゆっくりと深いため息を吐き、右手で目を覆って天を仰いだ。少し期待を込めた眼差しでユーノとクロノの二人が恭也の様子を見ていると、恭也は天を仰いだまま口を開く。

 

「以前、父さんに恭也殿と呼ばれてからかわれたことがあってな……。あの時はすっかり騙されてしまったよ」

「士郎さんにですか?」

 

 問い返すクロノに短くあぁ、と応えて恭也は話を続ける。

 

「去年のクリスマス商戦の時、ザフィーラさんが一日だけ助太刀に来てくれたんだ。去年はチーフ他数名のウェイトレスさんが諸般の事情により参加出来なくてな」

「デートですかね」

「良いかユーノ君、『諸般の事情で』だ」

「そうだぞユーノ。『諸般の事情で』だ。恋する乙女に刃向っても碌な事にはならないからね」

「あっ、はい」

「……まぁその時の話なんだが、如何にザフィーラさんと言えどウェイトレスは流石に不慣れだったようでね。色々と質問に答えていたんだが……」

 

 ちらり、と恭也はすっかり出来上がっている士郎の方を確認する。ザフィーラの肩に腕を回して浮かれた表情で酒を呷っている士郎の姿を見ると、やれやれと諦めた様に首を左右に振り、また話を続けた。

 

「まぁ、あとは察しの通りあそこの酔っ払いに一日中からかわれたと。本当に別人なのかと疑ってしまう程声が似ていたな。……というか、本当に別人の声なのかあれは」

 

 そんな風に締め括り、上を向いていた首を戻して恭也は緩慢な動作で立ち上がる。恭也は自分の分の持ち込みタオルをしっかりと回収すると、まだ湯船に浸かっているユーノとクロノに顔を向けて三度口を開いた。

 

「さて、俺はそろそろ上がらせてもらうが二人はどうする?」

「ふむ……」

 

 クロノは少し逡巡するも、恭也と共に一足早く温泉から上がることに決めたのかタオルを手に取って立ち上がる。

 

「では僕も上がりますかね。ユーノは?」

「僕は――」

 

 

 

 こんな風にして、野郎共の騒がしい入浴時間は過ぎていく。

 

 この後、完全に出来上がった士郎に捕まって酒を呑まされ、クロノが吐いたり恭也が吐いたりすることになるのだが――それはまた別の話である。




抽選王に全て入れて5分間ほどランダムに選択し続けた結果選ばれたのは男湯でした。
なぜだ。

追記
指摘を頂きましたので形式を短編から連載へと切り替えました。


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