ウチのカルデア事情 (ネイキッド無駄八)
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オジサンとの約束

ヘクトールおじさんへの愛が迸ったどうしようもないお話。
主人公の一人称は「ボク」ですが、いちおう男女どっちで解釈してもオッケーという感じで書きました。


 『冠位指定』――グランドオーダー。 

 

 それは、滅びの運命を『証明』されてしまった人類史の救済のため、時空の歪みである『特異点』を修正し、未来を護るための戦い。

 そんな厳しい戦いに身を投じるのは、『人理継続保障機関』――カルデア所属、48番目のマスターである『』。

 そして、『』に付き従う『盾兵』のクラスのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライト。

 彼らの戦いにいまだ終わりは見えず、人類の明日にも、いまだ光明は見い出せないままなのであった――――

 

 

 それはさておき。

 

 「……マシュ。準備は万全かな?」

 「はい、すべて滞りなく。先輩のタイミングで、いつでもいけます」

 

 カルデアのセクターの中のひとつ、通称『召喚の間』。

 床面に描かれた複雑な文様の前にたたずむ緊張した面持ちのふたりは、まったく同じタイミングでごくりと唾を飲み込む。

 眼鏡の少女をマシュと呼んだ若者――『』は、厳かな仕草で一枚の金色に光る札をポケットから取り出すと、床の陣に向かって一歩を踏み出した。

 

 「もはや触媒はこれだけ…… この、ログインボーナスで今朝配布されたばかりの呼符一枚のみ……!」

 「はい…… 先日支給された百日記念ログボの聖晶石は、すべて星3礼装へと変わってしまいました……」

 

 もう誰も泣かない世界のために。

 クッソまずいガチャで血涙を流すのは、昨日の自分だけで十分だ。

 終わらぬ連鎖を終わらせる、そのための召喚。

 朗々と紡ぎ出される召喚の口上に呼応するように、『』の右手に掲げられた呼符と召喚陣が強い光を発し、召喚の間に霊気が満ち満ちていく。

 マナの円環が目まぐるしく輪転し、ついに臨界を迎えて収束したその瞬間。

 『』は、声も枯れよとばかりに最後の言葉を謳い上げた。

 

 「いざぁ! 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よぉ!! できれば星5のサーヴァントでお願いします!!」

 

 先輩、それ死亡フラグです。マシュが呟くのもつかの間。

 立ち昇る光の柱から生まれ出たそれを目にした『』は、膝からがくりと崩れ落ちた。

 

 「……『槍兵』。しかも、銀、だと……?」

 「先輩! 落胆する気持ちもたしかに理解できますが、さすがにまだ姿も現してない英霊に向かってその言い草はいくらなんでもあんまりだと思います!」

 「あ゛~、やってられねぇ、やってられねぇよ~。テンション下がるわ~、つらいわ~。グランドオーダーとかマジど~でもい~わ~。マシュ~、おっぱい揉ませて~」

 「うわぁ、先輩が過去最高にやさぐれている…… 十連召喚したらサーヴァントが一騎も当選しなかった上に、唯一出たのが『原始呪術』だったあの時以来のやさぐれっぷりを発揮している……」

 

 しまいには地面に仰向けになってダイナミック五体投地を始める『』と、おろおろするマシュ。

 

 「……くくっ、ふはは」

 

 そんなふたりを前にして、参上の台詞すら口にするのも忘れて所在なさげに突っ立っていたその男は、やがてこらえきれなくなったようにくつくつと小さな笑いをこぼした。

 それを聞きつけるに至って、ようやく召喚されたサーヴァントの方へと注意を向けた『』とマシュは、これまたふたりそろって目をまんまるに見開いた。

 

 「あ、あなたは……」

 「お前は……」

 

 

 「いやぁ、相変わらずいいリアクションするねぇご両人。オジサンもサーヴァント冥利に尽きるってもんだ」

 

 ひとしきり笑って満足したのか、ゆるい物腰もそのままに、その英霊はふたりの方へと進み出た。

 長身を猫背に丸め、無造作に伸ばしたぼさぼさの髪を後ろでひとまとめに括った、無精ひげの中年男。

 いまいち覇気の感じられない、しかしどこか底知れないしたたかさを湛えたそのサーヴァント――ヘクトールは、真正面から己の召喚主である『』を見つめ、懐かしそうに顔を緩くほころばせた。

 

 

 「――どうだい。約束、ちゃんと守っただろ? オジサン、また来てやったぜ」

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 まず最初に若者が知覚したのは、異様な喉の渇きだった。

 

 「よっ、目ぇ覚めたかい」

 

 肌に感じる空気の熱に不快感を覚え、うーんと唸りながら半身を起こした『』へと、その男は瓦礫の上に腰掛けたままの姿勢で、気安そうに声をかけた。

 意識がはっきりしないのか、『』はすぐには男の声に反応を示さずにうんうん唸り続けていたが、数呼吸おいた後、覚醒に至ったのかおもむろにガバッと立ち上がると、

 

 「うおおぉ!? ここはどこだ!? てか熱っ!? 空気まっず!? はっ、そして周囲はなんだか見覚えのあるファスト風土! そして、こちらに呼びかける謎のオッサンX! 誰なんだチミは!」

 

 と、一息にまくし立てた。

 ひとまず元気はありそうだなと『』の様子を検分しながら、男はひとつずつ、発せられた質問に答えていった。

 

 「ここは…… そうさなぁ、若者にも分かりやすい言い方をするなら、『炎上汚染都市冬木』ってとこだな。熱いのも空気が不味いのも、まぁ炎上して汚染されてるから当然だぁな。見覚えあるのは、お前さんがここに来たのがはじめてじゃないから……あぁまぁ、厳密に言えば? はじめてには違いないんだが。んで、できれば一番最初に聞いて欲しかった質問だけど、オジサンの名前はヘクトール。『槍兵』のクラスのサーヴァントさ」

 

 謎のオッサンX、もといヘクトールの答えを聞いた『』は、それを反芻するようにしばらく瞑目しながら黙考していたが、やがて顔を上げると、今度は実に手短な問いを彼に向けてもう一度返した。

 

 「『はじめてには違いない』って、どういうこと?」

 「いいねぇ、実に的確な質問だ」

 

 ぱっと見は天然が入った抜け作だが、その実、見るべきところはきちんと見ている。

 『』に対する認識を改め直し、ヘクトールはその疑問に対する答えを返した。

 

 「若者の手で、既に冬木の特異点は修正し終わってるんだろう? だから、ここはいわばバグの残骸の寄り合い所。修正からこぼれた時空の狭間のゴミ置き場、ってところだな」

 「ゴミ置き場……」

 

 しかめっ面でヘクトールの言葉をオウム返しにした『』は、改めて周囲を見回し、次に瞑目してなにやら内心の集中に入り始めた。

 その様をなんとはなしに眺めやっていたヘクトールの前で、きっかり三十秒経ってから目を開いた『』は、忌々しそうに舌打ちをこぼした。

 

 「カルデアと連絡がつかない…… マシュとも交信が取れない…… 参ったなあ、完全に孤立無援で放り出されたのか。大方レイシフトの誤作動だろうけど、これは帰ったらドクターはテキサスクローバーホールドだな……」

 

 なにやら物騒なことをぶつぶつ口走りながら、その場でコツコツと小さく歩き回る『』。

 この世界で目覚めた時とはややニュアンスの異なる唸り声をうんうんと発しながら動き回る若者の横顔を、ヘクトールは仔細に観察する。

 

 (どうしようもなく困りきっている…… が、諦める気はまったくない。そんなとこかね)

 

 それはある意味、当然だろう。

 この若者は、見かけよりもずっと強い。いくつもの修羅場をくぐってきたし、これからももっとたくさんの戦場に赴くことになる。

 立ち塞がる壁はあまりに高く、その道のりは艱難辛苦を極めるだろう。

 

 (だからこそ……)

 

 華奢な双肩に懸かった大きすぎる責任――人類史の救済という、極大の願いを叶えるための闘い。そのためには、こんなところで立ち止まっている道理なんてどこにもない。

 こんなところで諦めている暇も弱さも、この若者には許されていないし、自身に許してもいないのだろう。

 ヘクトールは、己がここにいま、こうして立っている意味に思いを馳せる。

 本来なら、自分の出番はもう少し先のはず。

 この若者の前に大いなる壁として立ちはだかるのは、また別の世界線――あの、果て無き閉じられた大海原のはずだ。

 それがここに、こうして立っている意味。

 ヘクトールは考え、そして、結論づけた。

 

 「――やれやれ」

 

 『』の視線がこちらに向いていないのを確認して。

 ヘクトールはほんの一瞬、厳しく真剣な内心の感情を、己の顔に浮かべるのを許した。

 

 彼にとって、軽佻浮薄な普段の面構えは、常にあらゆる事態を推測して警戒を怠らない切れ者である己の本性を覆い隠す仮面に他ならない。

 天才を自称するバカより、バカを演じる天才の方がずっと厄介だ。

 いつだったか、とある男を評するのに用いたその表現は、そっくりそのまま自身にも当てはまることだった。

 だらしなさの仮面をほんの少しだけ外し、それを以て己への喝と成す。

 己の内で静かに覚悟を固めたヘクトールは、再び仮面を被り直して眼前の若きマスターへと顔を向けた。

 

 「なぁなぁ、若者よ」

 「なんですかオジサン。知らない人にはついて行っちゃダメ、言うことも聞いちゃダメだって昔教わったんですけど」

 「そりゃたいそう立派な心がけだけどねぇ、現状そうも言ってらんないんじゃないの? どうだい、ここはひとつ、オジサンと契約してみる気はないかい?」

 「マジっすか!? 是非お願いしたいっス!!」

 

 即決も即決、一切の逡巡もない返事。瞳に星でも浮かべているかのように、きらきら輝く瞳で『』はズイズイッと瞬く間に距離を詰めてきた。

 まさか断る手はないだろうとたかをくくってはいたが、こうもあっさりと承諾されるとまではさすがに思ってもみなかった。

 いくらなんでも不用心すぎやしないかと、ヘクトールは若干この若者が心配になってきたのであった。

 

 「……まぁ、即断即決できるってのは、ある種の美徳か。アンタ意外と肝も座ってるみたいだし、今度のマスターはなかなか出来ると見えた」

 「よせやい褒めるな。照れるじゃないか」

 「…………」

 

 やっぱり、不安だ。

 

 「……んじゃまぁ、改めてよろしくな」

 

 そう言ってヘクトールは立ち上がり歩を進め、『』に向かって右の手を差し出した。

 それに応えるように、『』も立ち上がって、ヘクトールに己の右手を差し出した。

 

 「サーヴァント・ランサー。これより我が槍はお前さんと共にあり、お前さんの運命は我と共にある。ってな」

 「ん。よろしくお願いします、オジサン」

 「いちおう形だけはシリアスっぽく行ったんだから、そこは『ヘクトール』なり、『ランサー』なりで言って欲しかったなぁ……」

 

 右手どうしの握手が、彼らふたりの契約の証。

 ここに、即席のサーヴァントとマスターの主従契約が成立したのだった。

 

 

 

 「ところでオジサン、ちょっと聞きたいんだけどさ」

 「ん~?」

 

 迫り来る骨で形成された魔術人形――竜牙兵を槍のひと突きで吹き飛ばしてから、ヘクトールはマスターの方へと振り返った。

 手元の魔力製の札を操作して指示とブーストをかけながら、『』はずっと感じていた疑問を発した。

 

 「んーとさ、このゴミ置き場的ファスト風土、炎上汚染シティ冬木のことなんだけど」

 『Quick Quick Arts!』

 

 突きとなぎ払いで竜牙兵三体をまとめて跳ね飛ばしながら、ヘクトールはその質問に答える。

 

 「言いたいことは見当がつくぜ。この世界がどのくらい持つのか、聞きたいのはそういうことだろ?」

 「そうそう、それそれ。実のところ、どうなってるの? そこらへんは」

 『Quick Quick Buster!』

 「バスタァーッ!!」

 「うるさいね…… そんなに叫ばんでもちゃんと分かってますって」

 

 短いタメの後、強烈な横薙ぎを繰り出してシャドウサーヴァント・アーチャーを後退させながら、唐突に叫び声を上げたマスターへとヘクトールは切り返す。

 

 「聖杯の力もないこの世界は、どうせ長く持ちゃしない。正味、もう次の瞬間には崩壊してもおかしくないくらいだ」

 「はっはー! どうやら事態は思っていたよりはるかに悪いらしいね! とかドクター風に言ってみたり! ちなみに、この世界が崩れたらオジサンとオジサンのマスターであるところのボクはどうなっちゃうのかな!?」

 『Buster Arts Buster! BRAVE CHAIN!』

 「バスタァーッ! もいっちょ! バスタァーッ!!」

 「うるせぇ! 聞こえてるっつってんだろ!!」

 

 槍を大上段に掲げ、高く跳び上がってシャドウサーヴァント・アーチャーへと急転直下、そのままコンビネーションへと持ち込みながらヘクトールは反駁する。

 

 「当然、世界の崩壊に巻き込まれて、誰からも観測できない時空の狭間のノイズに均されちまうって寸法だ。もっとも、オジサンは英霊の座に帰るわけだから、消えちゃうのはマスターだけってことになるかなぁ! はっはっは!」

 「笑いごっちゃねぇよクサレオヤジ! こちとらこんなどこかも分からないような場所で消えるのなんて、まっぴらごめんだ! ちゃんと帰るための算段とかあるんだろうね!?」

 「いちおう、それっぽい目星はあるぜぇ! そうら、おかわり要るかい……っと!!」

 

 いい加減でありながら狙いは堅実そのものな槍さばきの連撃でシャドウサーヴァントを影の塵へと還したヘクトールは、大儀そうに伸びをして首をコキコキと鳴らした。

 

 「ったく、人使いの荒いマスターだねぇ…… こちとら得意は防衛戦だぜ? 攻めは苦手なんだよってに」

 「そのわりには、けっこう生き生きと動いてたように見えたけど? たまには身体を動かすのも悪くないんじゃない、オジサン?」

 「へっ、言いやがる」

 

 くつくつとニヒルに笑いながら、ヘクトールは槍を小脇に抱え直し、再び歩みを進め始める。

 そのまましばらく、互いに言葉を交わすことなく冬木の町並みを歩き続けるふたり。

 迷いなく歩を進めるヘクトールに追従する『』は、しばし無言で己の臨時サーヴァントを見上げていたが、やがて、

 

 「ずっと聞きたかったんだけどさ」

 

 と、唐突にそう切り出した。

 足の動きは止めずに、なんだぁと首だけ巡らせてヘクトールはマスターである若者の方を見遣った。

 

 「オジサンはさ、こんなゴミ置き場でいったいなにしてたの?」

 「ふむ、もっともな疑問だが……さてねぇ」

 

 槍を抱えていない方の手でボリボリと頭を掻きながら、ヘクトールは少しの間、躊躇うように間を持たせた。

 

 「ところでマスター、話は変わるけどよ」

 「いや変えんなよ。質問に答えろよ」

 「ごめんごめん、言葉の綾ってやつだよぉ。そんなに怒んなって」

 

 そうさな、とヘクトールは悪戯っぽく笑って、質問に質問で返した。

 

 「マスターは、『守る人間』と『攻める人間』、自分がどっちのタイプの人間かについて、考えたこととかあるかい?」

 「ん? タイプ……? それって、SとかMで答えればいいの?」

 「いや、そーいうんじゃなくて…… あー、まぁ、極端な話、つまるところはそういうことなのかもしんないね。うん」 

 

 自己完結すんなよとぼそりと洩らしながらも、いちおうは考える素振りを見せた若者は、それほど間を置かずにヘクトールに向かって答えた。

 

 「激Sだね。バーサーカーでバスターバスターするのが一番ラクだし、なにより楽しいし。てか、オジサンの攻撃力しょっぱすぎ。もうちょっと火力出せないの?」

 「はっは、こりゃ手厳しい。せいぜい善処するよ。でな、そういうオジサンはと言えば……ま、言うまでもないだろ?」

 「うん、ガッチガチの守備タイプ。ボクとはまったく合わないタイプってわけだ」 

 「くくっ、そういうこったな」

 

 それが答えなのさ、そう韜晦するように締めくくったヘクトール。

 それが答え、と若者はヘクトールの言葉を反芻して、首をひねりつつ思索にふけり始めた。

 

 「――おっと、考えごとはそろそろ終いにしといたほうがいいと思うぜマスター。そら、見てみな」

 「んーん? ……おおっ!」

 

 見れば、いつの間にここまで歩いたのやら、そこはかつて冬木で戦った折の最後の戦場。

 黒き卑王が聖杯を守護していた場所、大空洞であった。

 そして、ヘクトールが指差す先を目で追った『』は、すぐにそれに気づくことが出来た。

 

 「おぉ、あの露骨に時空の裂け目っぽい亀裂は、まさか……!」

 「そ。十中八九、帰り道だろうさ。いやぁ、良かった良かった。オジサン、無事にミッションコンプリート出来そうだねぇ」

 「ヒューッ! なんだかんだやることやっちゃって! このこのぉ!」

 

 その場でぴょんぴょんと大袈裟に跳ね回って喜びを全身で表現する『』の姿に、目尻を下げて相好を崩すヘクトール。

 どちらからともとなく両手を掲げ、ハイタッチの構えに入ったふたり。

 しかし、その喜びのムードは残念ながら、一瞬にして霧散することになってしまった。

 

 「……あーらら。こいつは、ちっとばかし……」

 「わぁ、実に分かりやすい絶体絶命……」

 

 大空洞の入口から、雲霞のごとく押し寄せる骨の波――無尽蔵の竜牙兵の大群が、雪崩込んでくる。

 さらに、その大軍団の最前列。

 竜牙兵の一団を従え、さながら将軍のごとき威容を放つ黒甲冑。

 見間違えようもないその姿は、黒き卑王。

 

 「セイバーオルタ……!」

 

 熾烈を極めた過去の戦いの記憶が、覚えず『』の身体に戦慄を走らせる。

 気圧されるように後じさりした若者に対し、ヘクトールは落ち着き払った佇まいで静かにマスターの前に進み出た。

 

 「なに、ビビるこたぁないさ。もうここまで来りゃあ、あとはその帰り道にダッシュするだけでオッケーだ。オジサンのことはいいから、早く行きな、マスター」

 「なっ……! おいおい、そりゃないでしょオジサン!」

 

 思わず後じさった距離をそのまま引き返し、『』はヘクトールのマントを引っつかんだ。

 

 「てめっ、この……! ……はぁ、いいかマスター」

 

 一瞬だけ気だるげな仮面を被り忘れて険しい眼差しを投げかけてしまってから、ヘクトールは思い直して緩くへらりと微笑み直した。

 

 「言ったよな。オジサンは、守るタイプの人間だって」

 「だからなんだよ! 早く行くぞ! 今ならまだ間に合うかも……!」

 「そいつは確実じゃない。あぁ、まったく確実じゃない。あの黒甲冑が宝具なんてぶっ放そうもんなら、裂け目ごとマスターが吹っ飛びかねん。オジサンは、奴を止めにゃあならねぇのさ」

 「うるさい! 命令だ! ボクといっしょに、カルデアに帰還……!」

 「――――マスター」

 

 若者の言葉を遮って、ヘクトールは背を向けた。

 猫背気味な背を伸ばし、槍を身体の真ん前に垂直に突き立てた。

 大きな背中だと、『』は場違いな感想を抱いた。

 

 「――指示をくれ」

 

 たった一言、静かにキッパリと。

 ヘクトールは、それだけ言った。

 

 「…………っっ!!」

 

 ギリギリとこれ以上ないほどに歯噛みして、『』は地団駄を踏んだ。

 踏んで踏んで、そして。

 帰り道の裂け目へと、踵を返した。

 返しながら、声の限りに叫び散らした。

 

 「――スキル発動! 『軍略』!!」

 「了解! そら、よっと……!!」

 

 『』は、振り返らなかった。

 足を止めれば、彼の思いを無為にしてしまう。だから、振り返らずに、裂け目へとひた走った。

 

 「標的確認、方位角固定――!」

 

 彼は言った。自分は守るサーヴァントだと。

 彼はいま、全力で己の使命を全うしようとしている。

 なれば、ボクはボクのサーヴァントに報いるために、全力で己の身を守らなければならない。

 それが、彼が望んだことならば。

 彼が全力で守ろうとしているボクを、ボクは全力で守るだけだ。

 

 走る背に、宝具解放の文言を謳うヘクトールの声を受け。

 ただただ、『』はひた走った。

 

 

 

 「――――『無毀の極槍』――――!! 吹き飛びなぁ!!」

 

 

 

 

 

 「…………ああああああっ!!」

 

 凄まじい熱量と爆風に後押しされるように、『』は最後の一歩を踏み出して、裂け目の中へ飛び込んだ。

 それを合図にするように、裂け目はみるみる内にその隙間を閉ざしていく。

 荒く息を吐きながら、『』はようやくそこで後ろを振り返った。

 振り返って、後悔した。

 

 

 「――――ヘクトール!!」

 

 

 

 その叫びが届いたのか、ヘクトールは緩慢な動作で、だるそうに『』の方へと顔を向けた。

 

 ――――笑っていた。

 

 出会った時と同じく、どこかくたびれた空気を纏いながら。

 とても満ち足りた顔で、彼は穏やかに笑っていた。

 その身体を盾として、卑王の刃を受け止めながら。

 ヘクトールは、静かに笑っていた。

 

 

 「約束だ! ヘクトール! ボクは必ず、もう一度お前を召喚する!」

 「…………」

 「だから、これはお別れなんかじゃない! さよならなんて、言わないし言わせない!」

「…………」

「命令も聞かないダメなサーヴァントを、わざわざ召喚してやるって言ってるんだ! ありがたく思えよ! 絶対に忘れるなよ!」

 「………………」

 「ありがとう! ボクのことを守ってくれて! 本当にありがとう! トロイアの英雄!!」

「…………………」

 

ちゃんと言葉が届いたかどうかは分からない。

ヘクトールが命を懸けて稼いでくれたその距離は、あまりにも遠かった。

 

あるいはそれは、単なる錯覚に過ぎなかったのかもしれない。

しかし、『』の目には、最後の瞬間のヘクトールの唇が、こんな風に動いたように思えた。

 

そう、思いたかった。

 

 

「――――へいへい」

 

 

-------------------------------------------

 

 

 

「お前は……」

 

ヘクトールは、目を見開いて固まる『』の言葉を、黙して待った。

なんと言ってくれるのかと、期待しながら待っていた。

やがて、見開いた目を今度は細めて、『』はぼそりと呟いた。

 

 

「…………誰だ?」

 

「……へっ?」

 

 

あまりに予想の斜め上を行くその返事に、ヘクトールは素で間抜けな返事を返してしまった。

慌てた様子で、マシュと呼ばれた少女が割り込んでフォローを入れてくる。

 

「せ、先輩! いくらなんでもそれはないでしょう! ほら、ヘクトールですよ! ヘクトール! オケアノスで我々と戦った、トロイア戦争の英雄ですよ!」

「んー? んー…… あぁ、あの胡散臭いオッサンか」

「えっ、あぁ、いや、それはたしかにそうだけどもさ…… ほら、他にもっとあるだろ? 遠い日の約束みたいな感じのアレとかさ!」

「なにぶっこいてるんすかオッサン、もしかしてナンパのつもり? お呼びじゃないんで、星5のサーヴァントとチェンジでプリーズ」

「いい加減にしないと殴りますよ先輩! 盾でガツンと!!」

 

なぁんだ、とすっかり拍子抜けしたヘクトールは、今度は呆れたように乾いた笑いを零した。

 

(そりゃそうか。言ってみりゃ、あの出会いも異常な空間のバグみたいなもんだったのかもな)

 

バグが世界の強制力で修正――均されたのなら、あの世界の記憶が残っていないのもある意味当然の帰結というわけらしい。

異様な疲れとやるせなさ、それにかなりの気恥ずかしさがこみあげてきて、なんだかヘクトールは無性に帰りたくなっていた。

英霊の座でもトロイアでも、もうここ以外ならどこだっていいや。

せっかく浮き足立って駆け付けたのに、馬鹿みたいじゃないか。

自分ひとりだけ覚えてて、当の本人の言いだしっぺが忘れちまったなんて、そんな不条理な話があってたまるもんかと。

 

「…………ん?」

「ん? じゃないよ。ったく」

 

ふと顔を上げると、目の前には差し出された右手。

召喚主である若者の、差し出された右手があった。

 

「呼んじゃった以上は、オッサンもボクのサーヴァントだ。よろしくしてくれって、そう言ってんの」

「……っは。ははは」

「なに笑ってんのさ、気色悪い」

「いやなに、つくづく面白いガキだと思ってさ」

「わけが分からないオッサンだね。呼符に還すぞコノヤロウ」

「おーおー、やれるもんならやってみやがれ」

 

どうでもいいか、とヘクトールは最終的に自分の中でオチをつけた。

覚えてようが忘れてようが、どうだっていいじゃないかと。

これからは、この若者が己にとってのトロイアだ。

全力で愛し、守っていけばいいだけだと。

 

 

右手どうしの握手が、彼らふたりの契約の証。

 

ここに再び、契約は成立した。

 

 

 



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星の声 ~悪漢王は嗤わない~

だいおうさまかわいいなぁって動機から書いたカルデア防衛戦線。
でも前編の本稿ではビリー多め。


 声が、聞こえる。

 囁くでもなく、がなるでもなく。流れるままに流れる声が、私という器を満たす。 

 

 ――――均せ、均せ、均せ。

 

 声はいつも、紅い空から降ってきた。

 紅い空から降り注ぐ指令(こえ)が、私という器を操作(うごか)した。 

 

 ――――平らかなるべし、根絶やすべし、駆除すべし、踏み均すべし。

 

 そうやって、私はずっと動作してきた。

 受信して、実行する。

 そうすることしか知らなかった。

 そうすることでしか、私は、私を続けられなかった。

 

 ――――蹴散らして、絶滅させて、一掃して、灰燼と帰して。

 

 森を焼き、地を踏みにじり、川を干上がらせ。

 家を焼き、街を踏みにじり、国を干上がらせ。

 ただひたすらに、壊して壊して壊して壊した。

 馬も羊も狼も牛も、男も女も青年も老人も赤子も。

 私が壊した文明と共に、あまねくすべて死に絶えていった。

 

 ――――破壊せよ、破壊せよ、破壊せよ。

 

 装置のように、機構のように、理屈のように、理論のように。

 紅い空から降り注ぐ声に従って、私は眼前の大地を紅く染めた。

 緑の草を濡らして、青い川を汚して、白い骨を踏み潰して。

 私はこの星を、紅く染め上げた。

 

「――――目標」

 

 願わくばと、今の私はそんな風に思考してしまう。

 英雄としての私ならば、抱こうはずもなかった感情(バグ)

 英霊となった私が覚えてしまった、致命的なエラー。

 冷たい装置であるはずの私が、灯してしまった小さなゆらめき。

 

 願わくば、あぁ、願わくば。

 誰か、私を。

 

 

「……破壊、する」

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 下腹に響く衝撃が遥か遠雷のように低く轟き、断続的な余震に似た振動によって、白亜の壁と天井が休むことなく揺さぶられ続ける。

 揺れで天上から落ちてきた埃を手で払いのけながら、リボルバーの銃身でくせっ毛気味の髪の毛を弄る少年は、人懐っこい笑顔を隣で控える少女へと向けた。

 

「……えー、それで? 状況はどうなってるわけ?」 

「はい、ビリーさん。現在、目標は第7セクターを突破。第1から第6までの防衛ラインは総崩れで、非戦闘要員が負傷者の救護に当たっている最中です」

 

 大楯を携えたデミ・サーヴァントの少女、マシュ・キリエライトは投影された戦況図を繰りながら少年の質問に答える。それを聞いた少年――悪漢王ビリー・ザ・キッドは、あららと気の毒そうに呟く。

 

「そりゃ大変だ。まぁ、簡単に足止め出来るわけはないだろうって踏んでたけど、よりにもよって全滅かぁ。さすが、カルデアが誇る最強戦力はひと味もふた味も違うってことか」

「今回に限ってはあまり手放しで喜べませんが、ビリーさんの言う通りですね。目標……()()は、こと戦闘においては他のサーヴァントの追随を許さない強大な戦力。味方としてはこれ以上ないほどに頼もしい存在です。それと同時に、敵として立ち塞がった場合の脅威は……」

 

 険しく、そして沈鬱な面持ちのマシュの様子に、ビリーは小さく「ふーん」と同意とも否定とも取れない微妙な声を発して、また髪を弄り始めた。

 そうやって言葉を交わしている間にも、途切れ途切れの地響きは間断なく続き、内壁や天井をぶち抜いているであろう重く低い破砕音はふたりが待機している場所へと明白に近づいて来ている。

 目標が、近づいているのだ。

 迎撃に当たるため、急拵えで築かれたバリケードの陰に背を預けているふたりの様子は、いかにも対照的だった。

 

「~~♪ ~~、~~~~♪」

 

 髪を弄る動作に合わせてハミングを取っているビリーの方は、表面上さして気負ったところのない自然体であるが、

 

「……っ」

 

 撃砕の音がひと際大きく響く度に、時折反射的にぴくりと身じろぎを繰り返すマシュ。

 不安そうに唇を噛んでいる彼女の方はと言えば、お世辞にもリラックス出来ているとは言い難い有様だ。

 ちらと横目でそれを窺ったビリーは、生真面目だなぁと心中で小さく感嘆して見せた。

 別に彼女を馬鹿にするような意味などない。彼は素直に感心していたのだ。

 既に少なくない場数を潜り抜けているはずの彼女は、しかし一向に「慣れ」を見せようとはしない。

 が、彼女のそれは、臆病風に吹かれたとか及び腰だとか、そんな悪いニュアンスを含んだスタンスとは違っている。

 良い意味で、初心を忘れない。ベテランでさえ時たま見失うその才覚を、彼女はしっかり身をもって実践しているのだった。

 

(とは言え、ちょっとは力抜かないとねー。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか)

 

 マシュから視線を外すと、ビリーはなんとはなしに天井を見上げた。

 

()()ってさ、あんまり笑わないじゃない?」

「えっ? あ、はい。彼女、ですか?」

 

 出し抜けに始まった会話に、豆鉄砲を食らったような顔をしたマシュは微妙に付いていけずに微妙な相づちを打った。そんな彼女を見て、緩く笑いながらビリーは続ける。

 

「いやさ、たとえば僕っていっつもニコニコ笑顔だろ? この顔がデフォっていうかさ」

「はぁ、まぁたしかに。ビリーさんが笑顔を絶やすことは、あまりないことだと思われます」

 

 ややアイロニカルに笑うビリーに、マシュは嫌味の無い調子で返した。その反応に、ますます自嘲的な表情を深めた彼は、眉を八の字気味に歪める。

 少しだけ困ったように、腕を束ねて彼は言う。

 

「ぶっちゃけ言うと、僕って特に面白くなくても笑ってるんだよこれが」

 

 口調はあくまでも軽く、天気を話すようになんでもない調子でビリーは言う。

 

(ビリーさん……)

 

 マシュは、ビリーのさらっと流すような言葉から、たしかな重さをしっかりと感じ取っていた。

 感じ取ったからこそ、その告白に驚きながらも、マシュはしっかりと言葉を返した。

 真摯に、虚飾なく、心の底から返した。

 

「……そうだったんですか? ビリーさんは、カルデアでも随一のムードメーカー。その笑顔と軽妙なトークでみんなを和ませる清涼剤のような方だというのが、私の認識だったのですが」

「あはは、嬉しいこと言ってくれるねマシュちゃんは。そっかそっか、そう思われてたのか」

 

 マシュの言外の意を汲み取ったのだろう。ならいいんだよ、と今度こそ嫌味なくビリーは言った。

 不思議ちゃんで生真面目な、彼女の真意を彼もまた汲み取ったのだった。

 

「付け加えると、『カルデア女性サーヴァントが選ぶ女装が似合いそうなサーヴァント』ランキングでは、ラーマさんと常に熾烈なトップ争いを繰り広げている期待の新星です」

「あはは、そっかそっか照れるなぁ……って、ちょっと待って今なんて?」

「さらに付け加えると、『ケルトの元気男フェルグス叔父貴が選ぶプロレス(夜)対戦相手希望』ランキングでも、最近メキメキと頭角を現し始めている麒麟児……」

「マシュちゃん頼むからちょっとそこらへんで勘弁してくんないかな」

 

 露骨にげんなりした顔色へと変わったビリーは、ノーセンキューだと疲れた様子で手を振った。

 そうですか、とマシュの方もそれ以上はカルデアの闇を徒に語ることなく、口を閉ざした。

 

「……でもね、マシュちゃん。今の僕は、案外そうでもなかったりするのさ」

 

 陽気なアウトロー、悪戯好きな少年悪漢。

 生前の彼は言わずもがな、召喚されたサーヴァントとしても。ビリーはそんな己のスタンスを、処世術を、ずっと曲げられないでいた。

 日陰者だった彼が、無法者の彼が、自らに課した金科玉条。

 それが、陽気な少年悪漢王としてのビリー・ザ・キッドだったのだから。

 薄暗い夜の闇の方が、自分の性には合っている。それは今でも変わらない。

 だけれども、少しだけ。ほんの、少しだけ。

 日の当たる場所も悪くないと、そう思える自分が居る。

 そう思えるようになりつつある、中途半端なアウトローがここに居る。

 

「嬉しくなくても、楽しくなくても。殺す時も、殺される時も。いつもいつでも笑ってた僕だけど、今はちょっとだけ……うぅん。かなり、かな? とにかく、わりと素直に心の底から笑えるようになってるんだ」

 

 だからこそ、と彼は腰を上げ、音を立ててパンツの尻部分を叩きほろった。

 ビリーの様子から何かを察したのだろう、同じく座り込んでいたマシュも大楯を拾い上げながら立ち上がった。

 

「だからこそ、ちゃんと笑えるようになった僕だからこそ、分かるようになったんだけどさ」

「……そんな、まさか」

 

 気づけば、いつの間にか轟音は直接肌を震わすほどの距離にまで接近してきていた。

 音が、壁を揺らす。衝撃が、身を揺るがす。

 破壊が、足音も高く迫り来る。

 

「あんまり笑わない彼女が笑う時って、本当に嬉しい時だけなんだよね」

 

 嬉しいから、笑う。

 人間なら当たり前のシステムが狂っていた彼が、生前は忘れてしまっていた至極簡単なロジック。

 笑顔の安売りばかりしていた彼だからこそ身に染みて実感する、その笑顔に懸けられた重み。

 

「君の笑顔に乾杯、掛け値なしに僕は君の笑顔が大好きなんだよ、ベイビー」

 

 ――僕だけじゃない、マシュも、ドクターも、ダ・ヴィンチちゃんも、他のサーヴァントたちも。

 ――そしてなにより、僕らのマスターである『』も。

 ――みんなみんな、君のことが大好きなんだ。

 

「それがさぁ、なんてツラしてるのさ。いっぺん鏡、見てみなよ?」

 

 ――あぁ、今の君は、とても見るに堪えないや。

 

 

 

「――――目標……破壊、する」

 

 

 ――なんて痛ましい、物騒な顔をしてるんだい?

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

「そ、そんな! 第7防衛ラインまで突破されたなんて……!」

 

 大いに焦り、もつれ気味になる指を繰って、マシュは眼前の目標からは目を離さぬままに戦況図を横目だけで確認した。

 彼女らが控えていた第8防衛ラインは、言わば申し訳程度の予防線のような代物であり、本命だった主戦力はすべて第1から第6までの防衛線に投入されていたのである。

 特に、第7ラインには目標を制圧するのに最適解だと判断された『弓兵』のクラスのサーヴァントたちが多く投入されており、実質的な阻止限界点は第7であるというのが作戦本部の見立てであったのだ。

 それが、失敗した。突破されてしまった。

 絶望感が、膝からガクガクとこみ上げてくる。腹にずしりと圧し掛かるプレッシャーに、マシュはごくりと喉を鳴らした。

 

「なんて、強さ……」

 

 はじまりは突如、カルデアセクター第2層で発令された物々しいアラーム。すべてはそこから始まった。

 カルデアに召喚されていたサーヴァントのうちの一騎が、突然マスターの制御を離れて暴走。

 事態を察知したドクター・ロマンが対象への魔力供給を8割までカットしたものの、目標の暴走は一向に終息を見せないまま継続。目標の進路はカルデア最奥の最重要機構、レイシフトを管制するラプラスとトリスメギトス。マスター候補たちを冷凍保存しておくための霊子筐体。そして、人類史を映した巨大地球儀・カルデアス。

 それらすべての破壊。目標の破壊活動の対象は以上のように断定された。

 暴走する目標を鎮圧するために、カルデアは保有するほぼすべてのサーヴァントを投入して防衛線を構築。これの制圧にあたるも、甲斐なく防衛線は瓦解の一途を辿った。

 

(……これが、戦闘王の力。軍神の力……!)

 

 ――――フンヌの大王、アルテラの圧倒的な力。

 

「やれやれ、まったく恐れ入るね。殺気だけでちびりそうだよ、僕」

 

 言葉とは裏腹に臆した雰囲気などまるで皆無なビリーは、呑気そうに愛用のリボルバーでガンスピンをキメている。堂に入ったその態度に、少しだけ緊張を忘れて脱力したマシュだったが、すぐに気を引き締めなおしてアルテラの姿をじっと観察した。

 

(無傷……ではありませんね、さすがに。ここまでの防衛線に阻まれて、かなりのダメージを負っているようです)

 

 実際、彼女の身体はあちこちが傷だらけの酷い有様だった。切り裂かれ、穿たれ、焼け焦げて、無事な部位など何処にもない。それでもなお、彼女は進軍を止めようとしない。歩むことを、決して止めようとはしていなかった。

 己の損傷を顧みずに、ただオーダーを実行するのみの戦闘機械。

 そんな在り方を容認してしまっている今の彼女こそが、何よりも一番むごたらしい。

 マシュは、そう思わずにはいられなかった。

 

「アルテラさん! 目を覚ましてください! 正気に、戻ってください!」

 

 彼女の必死の叫びに、軍神は答えない。

 

「目標、破壊する……」

 

 どこか遠くを見るような眼で。

 紅く輝く瞳で、操られるように指令を繰り返すのみ。

 

「うーん、こりゃどう見ても普通じゃないね。いや、分かってたけど普通じゃない。あからさまに、どこかの誰かに操られてるっぽいじゃあないか」

 

 面白くない、と鼻から短く息を吐いたビリーは、ガンスピンをキメたまま、アルテラとマシュ、両者の間へと割って入る位置に歩を進めた。

 すれ違いざま、ポンと軽くマシュの肩に手を置いたビリーは小さな声で一言、

 

「急いで、マスターのところまで走るんだ」

 

 それだけ言って、アルテラと向かい合ったまま動かなくなってしまった。

 彼の意図を図りかね、無茶だと反駁しようとしたマシュを遮るようにビリーは高らかに言い放つ。

 

「さぁさぁ、天下の軍神様。ここは素晴らしき最後の砦(ラストスタンド)。この先には冷たい棺桶(コフィン)と大きな大きな地球儀(カルデアス)! 背負って立つは、男一匹孤独なガンマン! 相手に取って不足と思うかい?」

 

 いや、違う。マシュは即座に、理解の修正を迫られた。

 戦力の優劣、勝敗の如何。どこをどうひっくり返しても、手負いの軍神を相手にしてこちらが勝てる見込みは一切存在しない。

 ただ、彼女が理解したのは、たったひとつの明確な危険。

 

『食い殺されたくないなら、邪魔立てするな』

 

 飢えた狼のようにギラギラと輝く眼。背中越しでもはっきりと感じる、獰猛な獣の息遣い。

 沸き立つ血を抑えきれない、死地への渇きを望んでやまない、アウトローの野蛮な情熱。

 この場から離れなければ、眉間に風穴を開けられるのは自分の方だ。

 マシュは、一目散に踵を返して戦線を離脱した。振り返りざま、叫びながら付け加えるのも忘れなかった。

 

「待っていてくださいビリーさん! 少しだけ、どうかあと少しだけ踏ん張っていてください!」

「うーん、出来るだけ急いでねー」

 

 後ろは見ずに、手だけひらひらと振り返してビリーはほうっと溜息をひとつ吐いた。

 その間ずっと、眼前のアルテラからは視線を一瞬たりとも外していなかったビリーは、ここに来てようやくと言うべきか、牽制するように翳していたリボルバーを腰のホルスターへと戻してしまった。 

 一見して隙だらけの態勢へと変じたビリーに対し、アルテラの方はこれを好機とは判断せずに、彼と同じく不動の姿勢を崩さない。

 無理からぬことだ。一流の英霊ともなれば、彼の今の立ち姿に対して、隙だらけなどと間違っても判断すまい。

 わずかにでも判断を誤れば、小指の一本でも動かせば、即座に頭蓋を持っていかれる。

 音よりも速く、雷よりもさらに刹那的に。

 『壊音の霹靂(サンダラー)』が、寸分の狂いもなく無数の風穴を穿つだろう。

 

「どうも、いろいろ鈍っちゃったかなぁ? やんなるよね、ホント」

 

 困ったなぁ。

 へらへらと笑んだビリーは、左腰のすぐ近く、銃把のすれすれ直上でぶらぶらと左手を遊ばせた。

 

(何かを守るアウトローだって? 笑い話にもなりゃしないじゃないか)

 

 守るものなど何もない。身一つで荒野を彷徨い歩き、腰の銃だけを頼りに生きていく。

 首に懸かった懸賞金が命の価値。くたばったら何一つ残らない。

 闇に生きて闇に死ぬ、それこそがアウトローの不文律だったはずなのに。

 笑っちまうような半端者、甘っちょろい糞ガキ(キッド)

 でも、なぜだろう?

 

「なんだかいつもよりずっと、負けられないテンションになっちゃったな……!」

「…………!」

 

 耳まで裂けよと笑った獣が、飛び掛かる力を溜めるように足を引いて腰を低く落とした。

 相対した軍神も、眼前の獣を誅戮するために、携えた剣を眼前に構えた。

 

(ま、思い返せば今さらか。以前の僕は、アメリカを守るために呼ばれたんだっけ)

 

 少年悪漢王、世界を救う。

 そんなフレーズを思い浮かべ、ビリー・ザ・キッドは今度こそ、腹の底からこみ上げてくる得体の知れない「なにか」を感じた。

 

「安心しなよアルテラちゃん。スマートに終わらせられるなんて、これっぽっちも思っちゃいないからさ」

 

 なんて、笑える。なんて、可笑しい。なんて、愉快な。

 至上の快楽が、ここにはある。究極の悦楽が、ここにはある。

 最高にして絶好の、これ以上は望めないほどの晴れ舞台。

 魂を震わす、壮絶な果し合いが始まろうとしているのだ。

 

 

「――――撃って撃って撃ちまくる、OK牧場の決斗と行こうじゃないか」

 

 

 




水を差すようでアレですが、全快のだいおうさまならたぶん決闘する前にほとんれいで終わりだと思います。


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