吸血鬼始祖は真祖と踊る (後日)
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第一話

 

 

 ――ユグドラシル。

 

 日本のとあるメーカーが満を持して発売した空前絶後の大ヒットを記録したDMMO―RPGである。

 

 数百の多種多様な種族、数千を超える職業、個人の好みによっていくらでもカスタマイズが出来る外装、北欧神話を下敷きにした九つの広大なマップ。それらの豊富な要素に加えて、同種のゲームとは比べものにならない程の圧倒的な自由度の高さは、多くのプレイヤーから爆発的な支持を得ていた。

 ユグドラシルがこれほどの人気を博したのは、これらプレイヤーが望むだろう全ての要素が揃っていたからに他ならないだろう。

 

 ――しかし、時代が変わるようにどんなゲームにも必ず、終わりの時が訪れる。

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

 ――ナザリック地下大墳墓。

 

 かつて1500人という人数で構成された、サーバー始まって以来のギルド連合軍の大侵略をはね除けた伝説のダンジョン。

 ユグドラシルにおいて最高峰のギルドとしてその名を轟かせる、総勢四十一人からなる「アインズウールゴウン」の本拠地である。

 その内部は白亜の城を彷彿させ、部屋の一つ一つは最高級の調度品が置かれている。

 

 そんな豪華絢爛としたナザリック地下大墳墓の第九階層には円卓と呼ばれる部屋がある。

 

 部屋の中央に置かれた黒曜石の如き輝きを放つ巨大な円卓には四十一人分の豪奢な椅子が備え付けられていた。

 その席に座っているのはたった二つの影。

 豪奢なアカデミックガウンを羽織った、白い骨が剥き出しとなった骸骨。

 そして、もうひとつはコールタールを思わせるどろどろとした黒い塊。

 

 前者は魔法使いが究極の魔法を求めアンデッドとなった、リッチの中でも最上位者である死の支配者(オーバーロード)。

 後者はスライム種の中でほぼ最強の種族である古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)である。

 

 両者共に共通しているのは、最高難易度のダンジョンで時折見かけるモンスターであり、どちらもプレイヤーの間ではひどく嫌われていることだ。

 しかし、この二者はAIで動くプログラムによって構成されたモンスターという訳ではない。

 彼ら二人は紛れもなく、この広大な面積を誇るユグドラシルの世界の中でロールプレイを興じるプレイヤーなのだ。

 

 二人はその凶悪な外見とは裏腹にとても平凡で平坦な口調と声色で、共に思い思い現実での愚痴などを語らっていた。

 

 骸骨の外見をしたオーバーロード――モモンガは、友人である目の前の黒いスライム――ヘロヘロの会社での過酷な労働内容に対する愚痴を真摯な態度で聞いていた。

 

「それは大変ですね、ヘロヘロさん」

「そうでしょ、モモンガさん。本当にブラック企業ですよマジで」

 

 ヘロヘロが疲れたようにため息を吐く姿に、モモンガは大丈夫ですかと、労いの言葉を掛ける。

 ギルドの構成員は全員がモンスターの外見をした異形種であると同時に、リアルの世界で生活を持つ社会人である。

 モモンガはヘロヘロがリアルの世界で送っている私生活の日々の内容やその愚痴に相づちを打ちながら聞き続ける。

 

 しばらくして一通りの会話を終えて一段落ついたところで、ヘロヘロが思い出したかのように唐突に呟いた。

 

「それにしても、このアインズ・ウール・ゴウンがまだ残っていたことに驚きましたよ」

 

 不意にヘロヘロから漏れたその言葉に、モモンガは「えっ?」と衝撃を受けたように固まった。

 そんなモモンガの様子に気づいていないのか、ヘロヘロはなおも変わらず言葉を紡いでいく。

 

「このギルドを維持するのは楽じゃないのに、これもギルマスであるモモンガさんのおかげですかね」

 

 ナザリック地下大墳墓は広大な面積を誇る十階層にも分けられた巨大なダンジョンである。

 その運営維持は並み大抵のものではなく、そこに住まう多くのNPC達の管理も含めれば、とてつもない労力と時間を強いられるのは必至だ。

 中にはリアルマネーが発生する部分もあるというのに、それをたったの一人たけで采配しているモモンガの手腕に、ヘロヘロは純粋に賞賛の念を浮かべていた。

 そんなヘロヘロの心中を察したモモンガは苦笑い混じりに「大したことではないですよ」と答える。

 

「それに俺一人だけじゃなくて、“アカツキ”さんにも色々と手伝ってもらっているんですよ? トラップの配置やNPCの管理とか」

「……なるほど、そうだったんですか、あの人もナザリックに来ているんですね。最近会っていないですけど」

「一応メールは送ったんですけど、今日のところはまだ来ていないですね」

 

 モモンガはリアルでも面識があり、ギルド内で一番の深い友好関係にある友人の姿を思い浮かべる。

 毎日欠かさずナザリックに訪れているモモンガはギルドを維持するために様々な雑務を行っている。

 それはアインズ・ウール・ゴウンを去ってユグドラシルを引退していったかつての仲間達が、このナザリックにいつでも帰って来れるようにと配慮してのこと。

 

 それはモモンガが皆のことを想っての独りよがりな自己満足であった。

 皆が安心してこのナザリックという家に帰って来れるようにと、モモンガの身勝手な我が儘である。

 

 それを嫌な顔ひとつせず、「水臭いなぁ」と手伝ってくれる親友には感謝の念が絶えない。

 

 最近課長に昇進したと言っていた彼は忙しいだろうに、時間を無理やり作ってはモモンガを常に支えてくれていた。

 

「それではモモンガさん。色々とありがとうございました。またどこかでお会いしましょう」

 

 ヘロヘロは最後となる別れの言葉をモモンガへと送ったところで、その姿を消した。

 ログアウトしたのだ。

 今ごろ彼はリアルの世界で仕事で溜まった疲労を癒すために睡眠を取っていることだろう。

 

 モモンガは今しがたヘロヘロが座していた席を静かに見つめた後、周囲をぐるりと見回す。

 かつて全ての席が埋まっていたそこには、モモンガ一人を除いてもう誰もいない。

 

「またどこかでお会いしましょうか」

 

 寂しげに呟くモモンガは、隣の空席に視線を向ける。

 

「アカツキさん」

 

 モモンガはギルドメンバーの一人であり、自身の親友たる仲間の名前をポツリと呟く。

 静寂に包まれたナザリックの奥で淡々とギルド運営維持の作業をしているモモンガに協力してくれた親友。

 モモンガの傍にいつもいて、共にナザリックで過ごす時間を最も多く共有した大切な仲間。

 

 ギルド内で最も親しい友人の影は、そこにはなかった。

 

 それが、とてつもなく悲しかった。

 

 リアルの世界で唯一面識のある友人。

 両親も友人もいないモモンガの素顔を知るたった一人の親友と呼べる存在。

 モモンガがアインズ・ウール・ゴウンに入る切っ掛けとなった“異形種狩り”の時に、PKに合っていたモモンガを発見してそれを助けるためにたっち・みーを呼びに行った帳本人。

 

『なんでも一人で抱え込むな。みんなのアインズ・ウール・ゴウンだろ』

 

 ケラケラと笑いながら、閑散としたギルドを維持するために感情を押し殺して黙々と作業するモモンガを手伝ってくれた仲間。

 ナザリックから一人、また一人と去っていく仲間達の後ろ姿を寂しげに見つめるモモンガの肩を叩いて励ます親友。

 自分だって悲しいだろうにそれをおくびにも出さずに、モモンガを支えてくれた最愛の友人の温もり。

 

 それが今、なくなろうとしている。

 

 リアルでも会えることは会えるが、しかし――。

 

 このナザリックで出会うのは、これが最後の時である。

 

 せめてサービス終了の最後の日ぐらいは一緒に過ごしたかった。

 モモンガは胸中に湧き上がる寂寥感を振り払うように、椅子から立ち上がる。

 

 向かう先は壁に掛けられた一種の芸術品のごとき見事な造りの黄金の杖。

 

 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 

 ケーリュケイオンをモチーフに色とりどりの七つの宝石をそれぞれの口にくわえた蛇が複雑に絡み合って出来たスタッフ。

 ギルドメンバー全員が総出で、各チームに分かれて競い合うようにして作り上げた至高の結晶。

 この武器を作るに至って様々な口論が繰り広げられた。

 莫大な時間と労力を強いる上に、膨大な量のクリスタルデータや必要素材、資源、経費といった様々な問題が山のように積み上げられた。

 しかし、それら数多の難題を仲間と共にクリアしていった。

 素材集めにダンジョンをさ迷っているところへ凶悪なモンスターや敵対するギルドやプレイヤーと遭遇した。

 家族サービスやリアルでの生活時間を削ってまで製作に取り組んだ。

 数え切れない程の困難を乗り越えて、このスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは皆の手で一から作り上げられた。

 このスタッフが完成した時は全員で盛大なパーティーを開いて祝った。

 皆が苦労して完成させたスタッフのその性能は破格といっても良かった。

 その力はかのワールドアイテムにも匹敵する強大な能力を秘めている。

 

「最後の時ぐらい、いいよな?」

 

 少しの逡巡の後。

 

 モモンガはギルドの結晶たるスタッフを手にして歩き出す。

 スタッフから発せられる過剰といえる程のエフェクトオーラに「作り込みすぎ」と苦笑いを漏らしながら。

 

 部屋の入り口にある巨大な両開きの扉を開け放って、円卓の間を後にする瞬間。

 

 モモンガは背後を振り返る。

 

「……」

 

 視線の先にあるのは空席の椅子。

 

 最愛の親友が座っていた席。

 

「…はぁ……」

 

 落ち込んだように肩を落としたモモンガはそれを最後に、今度こそ部屋を後にした。

 アカツキさんと、寂しそうに友の名を呼びながら。

 

 

 

 

 ――そして、モモンガが部屋を去ってから数十分の時間が経った頃。

 

 四十一の豪奢な椅子のひとつに突如として姿を現す人影。

 

「遅れてすみません、皆さん。いやぁ、部屋にリアル恐怖公が出てきて妹と一緒に金属バット片手にバトッてましたわ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるのは思わず息を呑むような端整な顔立ちをした男である。

 年齢はちょうど二十歳といったぐらいだろうか。

 少しクセのある肩に掛かる程度まで無造作に伸ばされた白い髪に、ルビーを彷彿させる紅い瞳。蝋燭じみた病的なまでに白い肌。身長は百八十センチを超える長身。引き締まった筋肉は無駄な肉を全て削ぎ落としたようにしなやかだ。四肢にはそれぞれ漆黒の籠手と具足を纏い、その上から身体全体を覆う豪奢な真紅の外套を羽織っている。

 

「あれ? 誰もいない? もしかして俺が最後だった?」

 

 おかしいなと、困惑げにキョロキョロと周りを見回す青年ーーアカツキは首を傾げる。

 

 彼こそアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターであるモモンガを補佐する立場にあるサブギルドマスター。

 その正体は全ての吸血鬼の起源である始祖(オリジン・ヴァンパイア)である。

 

 純粋な肉弾戦ならギルド内最強のプレイヤーであるたっち・みーにも引けを取らないほどの圧倒的な実力を有する。

 さらに近接戦闘のみならず魔法戦にも長けるアカツキのバランスの取れたアバターは、彼の独特の戦闘スタイルも合わさってギルド内だけに留まらず、ユグドラシルプレイヤー全体でもトップクラスの武力を誇る。

 また、吸血鬼の起源という特性上、彼は配下となる様々な種類の吸血鬼を生み出し、使役、強化することができる特殊能力を数多く保有している。

 経験値を消費すればレベル九〇台の吸血皇帝(ヴァンパイアエンペラー)や不死王(ノーライフキング)といった強力なアンデッドを生み出すことだって出来る。

 

 アカツキはメールの差出人であるモモンガがこの場にいないことに困惑を隠せずにいた。

 今日はサービス終了という大事な日。

 モモンガが最後まで仲間達をこの場で待つとばかり思っていたアカツキは怪訝げに空となっている席を眺める。

 

 そして、ふと視線がある場所で止まる。

 

 普段は壁に飾られているスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン――それがないことにアカツキは驚愕に目を見開く。

 

 ギルドマスターであるモモンガですら触れることがついぞなかった黄金の杖。

 それを一体誰が持ち出したのか。

 アインズ・ウール・ゴウンは多数決を重んじるギルドである。

 ギルドメンバーの誰か一人が勝手に物事を決めることを良しとせず、必ず皆で意見を交換して議論を通してから決定を下すのだ。

 ましてやスタッフはこのアインズ・ウール・ゴウンの象徴であり、ギルド武器であるそれが破壊されることはギルドの崩壊を意味する。

 それが誰かの手によって持ち出された事実に、アカツキは盛大な衝撃を受けたのだ。

 

(…一体誰が……、もしかしてモモンガさん?)

 

 アカツキはリアルでも面識があり、ギルド内で深い交遊関係にある友人の姿を思い浮かべる。

 ギルドマスターである彼ならば、ギルドの象徴であり皆の想いの結晶たるスタッフを持ち出しても不思議ではない。

 今日はユグドラシルのサービス終了の日。

 むしろ、スタッフを持ち歩きたくなるのは当然のこと。

 何故なら今日は最後の日だから。

 

 しかしこれは裏を返せば、スタッフが持ち出されたということは、モモンガがこのギルド内にまだいることの証明になる。

 

 どこへ行ったのか分からないモモンガに向けて、自分が今来たことをメッセージで連絡を入れるべきだ。

 

 しかし、その前にどうしても確認しておきたいことがあった。

 

 幸い決して多いわけではないが、それでも時間はまだ残っている。

 

 アカツキは心の中でモモンガに謝罪をしながら、籠手の下に隠れている六つある指輪の内のひとつを使う。

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 

 ギルド内であれば何のリスクや制限もなく自由に好きな場所へ行けるマジックアイテムである。

 

 視界が変わる。

 

 部屋の約八割を締める円卓から、クリーム色の壁をした部屋へ。

 

 そこは第ニ階層にある、シャルティア・ブラッドフォールンと名付けられたNPCの自室のひとつだ。

 

 シャルティアは第一階層から第三階層までの階層守護者と呼ばれる役職に就き、ナザリック内にいる一部を除いた全てのアンデッドモンスターを統べる真祖(トゥルーヴァンパイア)である。

 

 彼女は同じギルドメンバーであるペロロンチーノが製作したNPCだが、実際は彼一人で作り出した訳ではない。

 シャルティアを生み出すのに必要なクリスタルデータや課金アイテムの類いなどの様々な素材はアカツキが持ち寄ったのだ。

 外装データや性格、その他の各詳細な設定はペロロンチーノが担当したが、そのための必要素材を提供したのはアカツキである。

 シャルティアはペロロンチーノとアカツキの二人が協力して生み出したNPCなのである。

 

 そして、シャルティアのある一部分の設定を変える切っ掛けを作ったのはアカツキであった。

 

 当時、完成間近に迫ったシャルティアに最後の仕上げをしようとするペロロンチーノに向けて、アカツキが唐突にある言葉を投げ掛けたのが始まりだった。

 

『ロリ巨乳ってどうよ?』

 

 ペロロンチーノに激震が走った。

 

 エロゲにありがちな無数の設定をふんだんに盛り込んだシャルティアはペロロンチーノの最高傑作といってもよかった。

 エロゲイズマイライフを豪語するペロロンチーノにとっては、まさにシャルティアの存在そのものこそ彼の在り方を具現化させた芸術と|男のロマン(エロス)の結晶だった。

 

 それだけにアカツキからポツリと呟かれたその言葉は、ペロロンチーノの中にあるエロスハートに火を付けた。

 人生をエロゲに掛けるペロロンチーノは、そのキーワードを胸に抱いて、天を仰ぎながら心の中で叫んだ。

 

 その発想はなかった、と。

 

 貧乳はステータスだとかまな板こそ男のロマンだとか、そんな数多のペッタンコ説を考えて製作に取り組んでいたペロロンチーノにとっては、まさに天啓が舞い降りた聖人のような気分であった。

 彼の姉であるぶくぶく茶釜から隠れてアカツキと熱烈なエロトークを繰り広げていたペロロンチーノは、彼を自分に匹敵する猛者だと認めていた。

 自分の性癖と彼の好みが何となく似ていることから親近感も抱いていた。

 そんな彼の言葉を素直に受け止めたペロロンチーノは、すぐさまシャルティアの外装の一部分を変更した。

 そして、自身に天啓を授けてくれた友人(とも)に深い感謝と厚い抱擁を交わしたのだった。

 

 どちらも徹夜で残業をやり遂げたサラリーマンのような達成感に満ちた顔だったのは言うまでもない。

 

「あの時はペロロンチーノさんとシャルティアについて色々と語ったよな」

 

 昔の記憶を思い出すように、アカツキはどこか遠い目をして染々と呟いた。

 アカツキは目の前で静かに佇んでいるシャルティアの姿を眺める。

 

 外見年齢は十四才ほど。アカツキと同じ蝋燭じみた白い肌とルビーを彷彿させる真紅の瞳。腰まで艶やかに伸びる銀髪は綺麗にひとつに纏められて後ろに流している。身体を包むのは漆黒のボールガウン。スカート部分は大きく膨らんでおり、フリルとリボンがふんだんにあしらわれたボレロカーディガンを羽織っている。さらには手にフィンガーレスグローブをつけている。そして、胸の部分のみはその年齢と身長に釣り合わないほど不自然に盛り上がっている。これは胸パットの類いではなく、ましてや詰め物を入れたニセ乳などでは断じてない。これは正真正銘、本物の実乳である。

 

 ロリ巨乳最強とか呟いている目の前の紳士(ヘンタイ)と、エロゲ最高と公言する駄目人間(ペロロンチーノ)によって生まれた男の夢が詰まった奇跡の結晶なのだ。

 

「……しまった。ついうっかりしてて時間を忘れてた」

 

 じっとシャルティアの姿――主に胸部――を凝視していたアカツキは慌てた様子で時計を確認する。

 

「……やっば…」

 

 時計の針はすでにサービス終了の三秒前を刻んでおり、どんなに急いでもモモンガに出会うどころかメッセージを送ることだって出来ないことをありありと物語っていた。

 まさかシャルティアの胸を見ていて遅れてしまったとは、なんともカッコ悪い失態だった。

 アカツキは心の中でナザリックのどこにいるかも分からない友人に謝罪の言葉を送った。

 

 すみませんモモンガさん。

 本当なら直ぐにあなたを探して一緒に最後の時までいようと思っていたのに。

 

 アカツキは激しい後悔に苛まれながら、時計の針がゼロを刻むのを見届けた。

 

「さらばユグドラシル。さようならナザリック地下大墳墓。本当にごめんなさいモモンガさん、許して下さい。そして、シャルティア」

 

 悲しみと後悔に曇った顔で、アカツキは天井を見上げて、そっと両目を瞑った。

 ナザリックの仲間達との楽しかった日々の光景が目蓋の裏に浮かび上がる。

 誰もが笑っていた懐かしい光景。

 未知と財宝を求めて強靭なモンスターが徘徊する広大なダンジョンに潜った時に発見した宝の山に歓喜した記憶。

 戦場の中で傷ついた仲間を庇いながら、怒濤のごとく押し寄せる敵と戦った日々。

 どの思い出も、アカツキのかけがえのない宝であり、アインズ・ウール・ゴウンが最も輝いていた黄金時代の記憶である。

 

 もう一度みんなと一緒にプレイしたかった。

 最後の日ぐらい皆で過ごしたかった。

 他にもまだまだやりたいこと、やり残したものがたくさんある。

 

 ――それから。

 

「マジすんませんモモンガさん。でも許して、おっぱいには勝てなかった。おっぱい最高。いやほんと」

 

 アカツキは強制的にログアウトされる瞬間をなんとも言えない気持ちで待った。

 

 ――しかし。

 

(あれ? どうした? まだログアウトしてない?)

 

 時が過ぎれど、何の変化も起こらない事態に気がつく。

 

 目蓋を持ち上げると、そこには先ほどと変わらない天井が見える。

 いつもの黒い染みだらけのボロアパートのそれではない。

 

「……なんで?」

 

 サービス終了の時間はとうに過ぎたというのに、未だに自分はゲームの中にいる。

 その事実に戸惑うアカツキの元に、鈴の音を転がしたようなソプラノボイスが響いた。

 

「アカツキさま」

 

悲しみに満ちた嗚咽混じりの声に、アカツキは弾かれたように正面を向く。

 

「それはどういう意味でありますか。さようならとは一体どういうことでしょうか」

 

 そこには涙で頬を濡らしたシャルティアの姿があった。

 

 

 

 




名前 アカツキ

種族レベル。
吸血鬼(ヴァンパイア)――10lv
真祖(トゥルーヴァンパイア)――10lv
始祖(オリジン・ヴァンパイア)――10lv

職業レベル
サムライ――10lv
ダイケンゴウ――15lv
ラセツ――10lv
ロードオブヴァンパイア――10lv
ソーサラー――10lv
ほか


お読みいただきありがとうございました。
処女作です。完結まで精一杯頑張らせていただきます。


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第二話

 

 

「……えっ」

 

 アカツキは信じられないとばかりに目を見開く。

 

 あまりの不可解な現象に頭の思考回路が止まったようで、身動きすら取れぬほど身体が硬直してしまった。

 

「アカツキ様」

 

 シャルティアは形のよい柳眉を悲しげに寄せて、切なそうにアカツキの名前を呼ぶ。

 その声が硬直した身体に徐々に染み渡っていき、シャルティアの頬から流れ落ちる涙の雫を見て、ようやく頭が再起動をしていく。

 アカツキは目の前で涙を流すシャルティアの姿に戸惑いを隠せずにいる中で、混乱する頭を無理やりに働かせる。

 シャルティアはプログラムによって構成されたNPCである。

 そこに意思はなく、ある一定のルーチンワークを繰り返すだけのAIで動くただのマネキン人形である。

 それなのにどうして、悲しげに顔を曇らせて涙を流しているのだろうか。

 これではまるで本当に生きているようではないか。

 

「……どうしてそのようなことをおっしゃるのですか、アカツキ様」

 

 宝石を思わせる綺麗な紅い瞳からボロボロと涙を流すシャルティアの儚げな姿は、アカツキに何故か罪悪感にも似た気持ちを抱かせた。

 

 別にこれといってアカツキがシャルティアに対して何か悪いことをした訳ではないはずなのだが、こんなにも可憐で美しい少女が泣いているという状況は、勝手に自分が悪者だと思わせてくる。

 突然の異常な事態に思考が上手く纏まらないアカツキだが、とりあえずはシャルティアを泣き止ませようと優しく語り掛ける。

 

「落ち着け、シャルティア。俺はどこにも行かないし、これからもここにいるから安心しろ」

 

 アカツキは出来るだけ穏やか口調でシャルティアを宥める。

 

「本当でございますか、アカツキ様」

 

 豊満な胸元に両手を寄せて、心配げにこちらを見上げてくるシャルティアにアカツキは盛大な衝撃を受けた。

 ぷるんと揺れた胸にではない。

 今、シャルティアと確かに会話をしたという事実にだ。

 シャルティアは先ほど述べたようにただの生命なきプログラムである。

 それなのに何故こうも人間らしい自然な反応を返してくるのだろうか。

 アカツキは驚きに目を丸くしながらもシャルティアの瞳から溢れる涙を外套の袖で優しく拭う。

 

「あぁ、もちろんだシャルティア。お前を置いて俺はどこにもいかない」

 

 だからだろうか。

 あまりの不可思議な事態に頭の処理が追い付かずに、意図して言ったわけではない言葉が口からつい出てしまった。

 本当ならナザリック全てを差すために“お前たち”と言おうとしたにも関わらず、シャルティア個人を差すような言い方になってしまった。

 未だに混乱する頭ではその間違いに自分から気づくことが出来ない。

 

 シャルティアがアカツキの「お前を置いてどこにもいかない」というあからさまな言葉に、真っ白な肌を一瞬で赤らめて「ふわぁ!」と、驚きの声を上げて華奢な身体を震わした。

 しかし、そのおかげでシャルティアの瞳から涙は止まった。

 その事にアカツキはほっと胸を撫で下ろした後に、改めてシャルティアに向き直った。

 じっとアカツキに見つめられたシャルティアは恥ずかしげに視線を反らした。

 そのあまりにも人間らしい自然な仕草や反応に、アカツキはこれはゲームではないのかと疑問を抱き始める。

 

 ユグドラシルでは表情の変化はプログラムを組めば出来ないことではないが、涙も含めて会話に合わせて自然に顔の造形を変えるのは、圧倒的に自由度の高いユグドラシルの高度な技術やシステムを持ってしても不可能だ。

 それと先ほどからシャルティアの身体より立ち上る香水の良い香りが、アカツキの混乱する頭に拍子を掛けていた。

 

(顔の表情の変化といい、自然な仕草や反応といい、どれもデータ容量的にありえない。それにこの香りは何だ)

 

 人間の五感のひとつである嗅覚、それに加えて触覚はゲームの世界では完全に消去されている。

 しかしながら、触覚はともかく嗅覚は完璧に再現がされている。

 

(……何なんだこれは。それにサービス終了の時間はとっくに過ぎたのに、強制排出がない)

 

 サーバーダウンが延期になったのならGMが何かしらの発表をしているかもしれない。

 アカツキはすがるような気持ちでコンソールを開こうとして――手が止まる。

 普段なら即座に立ち上がるコンソールが全く開かないのだ。

 

(どうしてだ!)

 

 アカツキはコンソール以外にもチャット機能やGMコールなどといった様々なシステムを使おうとしたが、結果は先ほどと同じで失敗に終わった。

 

(おかしい。新しく追加パッチを当てたのか、それとも新種のアップデートの途中なのか……全然分からないな)

 

「アカツキ様」

 

 アカツキがあれこれと頭を悩ませているところへ、シャルティアの心配するような声が響いた。

 

「どうかされましたか? 何かお困りなことでもあるのでしょうか?」

 

 上目遣いで気遣うように視線を向けてくるシャルティアの姿を見て、アカツキの脳裏にある妙案が浮かび上がった。

 それは確認であった。

 ここがゲームの世界なのか、あるいはもっと別の何かなのか。

 それを確かめる手っ取り早く確実な方法を思い付いたのだ。

 しかし、それを言ってしまってもいいのだろうか。

 アカツキの頭の中でそれに対する様々な意見が飛び交うが、今は緊急事態なのだから仕方ないと頭を振るう。

 アカツキは意を決してシャルティアに向けて口を開いた。

 

「シャルティア……む…、胸を触ってもいいか?」

 

 空気が凍ったようだ。

 シャルティアが表情を固まらせて呆然とアカツキを見つめてくる。

 アカツキは自身のセクハラ紛いの下衆な言動に吐き気を覚えて激しい嫌悪感に陥る。

 自分は一体何を言っているのか。

 ユグドラシルの禁則事項に触れる事柄を咄嗟に考え付いた案とはいえ、あまり深く考えようとはせずにそのまま口にしてしまった。

 いくら確認のためとはいえ、もう少し違うやり方があったはずである。

 そう……例えば、手の脈を見てみるとか……。

 

(あっ、それを言えばよかったんだ。何してんだ俺は……)

 

 改めて考えてみたら、最もまともでいい案が浮かび上がってきたことに、アカツキは唖然とする。

 

(……まあ、冷静に考えればそうだよな。むしろ、その答えにたどり着いて当然か。何だ、やればできるもんじゃないか)

 

 流石は俺だと、自画自賛にも等しい気持ちを抱いて何度も満足げに頷く。

 しかしそれにしても、いくら手っ取り早く確実な確認とはいえ、友人と二人で手塩に掛けて作り出した実の娘とも言えるシャルティアに向かって、己は何ていう発言をしてしまったのだろうか。

 アカツキは先ほどの発言を思い出して激しい後悔に襲われた。

 良い案も出たところなので今のはなかったことにしようと、アカツキが口を開こうとした矢先に、シャルティアの嬉しそうな声が遮った。

 

「はい! 喜んで!」

 

 えっと、驚くアカツキの眼前に豊満な双丘が突き出された。

 アカツキは知らぬ内に息を呑んだ。

 シャルティアを見れば喜色満面の笑みでさあどうぞと言わんばかりに豊かな胸を何度も差し出してくる。

 アカツキは怖じけついたように後ずさる。

 先ほどの発言を撤回しようにも、目の前に現れた豊かな胸を目にしたら、何故だか知らないが舌がもつれて上手く喋ることができない。

 自分はこれに触るのか。

 服の下から押し上げるようにして自己主張する豊満な双丘を前にしてアカツキは思った。

 シャルティアの顔をチラリと伺えば、頬を紅く染めながら潤んだ瞳でこちらを上目遣いで見つめていた。

 そこにいるのは可憐な少女ではなく、妖艶な雰囲気を醸し出す女のそれである。

 恥ずかしげに、されど期待した瞳でこちらを見上げてくるシャルティアに、アカツキはゴクリと喉を鳴らした。

 自分で言った手前、いまさらもう後には引けない。

 アカツキは一瞬だけ躊躇う素振りを見せた後に、漆黒の籠手を外しておそるおそるといった様子でシャルティアの豊満な胸に手を伸ばす。

 

「ふわぁ」

 

 アカツキはこれで確信した。

 柔らかい!……ではなく、ここは間違いなくゲームの世界ではないと。

 ユグドラシルではこのように十八禁に触れる行為は御法度である。

 このルールを破れば運営側から厳しい処置を施されて、公式ホームページに名前が載せられた後にアカウントを抹消される。

 しかし、いくら時間が経っても、そのような気配が全くしない。

 これはつまり、ここがゲームの世界ではないということの何よりの証明だ。

 先ほどから右手より伝わる何とも柔らかく、そして大きいマシュマロのような感触がその現実をありありと物語っていた。

 

(……って、揉み過ぎだろ俺)

 

 アカツキは素早く手を引っ込める。

 その途中で心底残念そうな声を漏らしたシャルティアの姿をなるべく見ないようにして、アカツキは素直に頭を下げて「すまない」と謝罪した。

 

 アカツキにとってシャルティアは娘みたいな存在である。

 それをアカツキの身勝手な行動で汚してしまった。

 

……すみませんペロロンチーノさん。そして、ありがとうございますペロロンチーノさん。

 

 心の中で友人に謝罪をしているアカツキの耳にシャルティアの熱が籠った声が届いた。

 

「ここで私は初めてを迎えるのですね」

 

……えっ、初めてって何? ナニのこと?

 

「服はどういたしましょうか? やはり脱いだ方がよろしいでしょうか? 別に私はそのままでも……むしろアカツキさまに無理やり脱がされる方が興奮するというか。……いやでもアカツキ様が見ている前で自分で脱ぐのも捨てがたいような……きゃ!」

 

 可愛らしい悲鳴を上げて真っ赤に染まった頬に両手を当ててモジモジと身をくねらせるシャルティアに、アカツキは自身の顔が紅潮するのを感じた。

 アカツキはどこにでもいるような平凡で冴えたい普通のサラリーマンである。

 とある中小企業で家畜のごとくこき使われているアカツキは、過酷な労働に身を粉にして毎日汗水流して働き続けている。

 休みを取ることさえ一苦労する厳しい激務に明け暮れるアカツキに、女性との関わりは滅多になく当然ながら免疫も付いていない。

 今まで女性と付き合ったことすら一度もなかったアカツキがまだ子供とはいえ、まさに絶世と呼ぶに相応しい美貌を誇るシャルティアの可愛らしい仕草にどぎまぎするのは仕方のないことであった。

 恥ずかしげにモジモジとするシャルティアが「今こそが正念場ね」と、徐々に淫靡な雰囲気を纏い始めたことに頭のどこかで警鐘が鳴り響いたのを感じた。

 このままシャルティアを放っておいたら間違いなくとんでもないことに発展してしまいそうだ。

 男としてそれはむしろドンと来いと言いたくなるような状況だが、相手が相手である。

 逆に背徳感やら罪悪感の方が遥かに大きい。

 アカツキは混乱と困惑で今にも頭がパンクしそうだった。

 しかし、突然冷水を浴びたかのように急に頭が冴えてくるのを感じた。

 先ほど動揺していたのが嘘のよに、感情が抑圧されるように平坦なものになった。

 その急激な感情の変化に戸惑いながらも、目の前で淫靡な雰囲気を放ち出すシャルティアに声を掛ける。

 

「待て、シャルティア。今はそれよりも優先するべきことがある」

 

 アカツキの雰囲気が変わったことを感じ取ったのか、シャルティアは弾かれたように姿勢を正すと真剣な表情を作り出す。

 自身の感情が落ち着いたものになったことで、冷静に思考を巡らせるようになったアカツキは果たすべき優先事項に意識を向ける。

 

「シャルティア、何か身体に変化はないか? どんな些細なことでもいい。以前と比べてどこか違和感を感じないか?」

「……いえ、特にはありんせん」

 

 自分の身体を見回したシャルティアは特に何もないと首を横に振るう。

 アカツキは籠手を腕にはめ直した後に顎に手を当てると考え込むような仕草をする。

 今のところはまだ分からないが、別にシャルティアだけが変わってしまったという訳ではないのだろう。

 それに今気づいたことだが、自身の五感が以前にも増して鋭くなったことを含めれば自分にだって当てはめることができる。

 シャルティア以外の人物に会えば、もっと色んなことが見えてくるかもしれない。

 そういえばモモンガはどうしているのだろうか。

 やはり自分と同じような状況に陥っているのだろうか。

 それとも既にログアウトをしていて、このナザリックにはもういないのだろうか。

 

 アカツキが思考に耽っていると、シャルティアが突然顔を伏せて何やら呟いた。

 アカツキはシャルティアの奇抜な行動に怪訝そうに眉を寄せる。

 

「どうした、シャルティア?」

「はい、アカツキ様。アルベドから連絡がありんした。一時間後に六階層のアンフィテアトルムに来るようにと」

 

 第六階層は広大な面積をジャングルなどで覆われた光景が広がっている、シャルティアと同じくアウラとマーレという二人の階層守護者が守っている領域だ。

 

(……シャルティア以外にも意思を持つNPCがいる。これは急いで見に行った方がいいか)

 

「なら俺は先に行かせてもらおう。それとシャルティア、お前に渡すものがある」

 

 アカツキがアイテムボックスから取り出したのはひとつの指輪だった。

 ギルドサインが入ったそれはギルドメンバーなら誰もが持つリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンである。

 ナザリックの中を移動するならこの指輪を使った方がいいだろうと思って、アカツキはそれを取り出したのだが……。

 

「…! …い…いけません! アカツキ様! それは間違っています!」

 

 シャルティアに渡そうとして、ひどく慌てた様子でそれを拒否してきた。

 

「間違い?」

 

 普段の奇妙な言葉遣いが吹き飛ぶほどに驚愕したシャルティアが慌てたように声を荒らげる。

 

「それは至高の御方しか持つことが許されない、ナザリックの至宝です!」

「いやでも、どうせ移動するなら、こっちの方が手っ取り早いだろ?」

「しっ、しかし! 私ごとき僕風情が至高の御方だけに許される持ち物を所持するなど!」

「落ち着けシャルティア」

 

 何でそんなに驚くのか、アカツキは内心で首を傾げるが、あわてふためくシャルティアを宥めて指輪を渡そうと試みる。

 

「シャルティア、今ナザリックは未曾有の危機に晒されている……かもしれない」

「……はい」

「ならば直ぐにでも動かなければならない状況下で、移動に手間取るようなら手遅れになってしまう可能性だってある……はずだ」

「…そうかもしれませんが……」

「ならこれを使え。これは命令だ」

 

 シャルティアの白魚のような細い手を取って、指輪を無理やり握らせる。

 そこまでくればシャルティアも抵抗らしい抵抗を見せずに戸惑うような表情で、しかしどこか嬉しそうな様子で指輪を壊れ物でも扱うように受け取った。

 アカツキはそれに満足げに頷くと、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使って第六階層へと移動する。

 

 そして、視界に飛び込んできたのは暴れ狂う炎の巨人と、色とりどりの数多の魔法群が飛び交う光景であった。

 

「……へ?」

 

 思わず間の抜けた声を上げる。

 どうしてなのかは分からないが、視界一杯に広がるのは激しい攻防の嵐が繰り広げられている激闘の光景であった。

 身を焦がすようなとてつもない熱量を持った熱風が真紅の外套をパタパタとはためかせる。

 轟々と燃え上がる猛火で身体を構成した巨人がこちらに向かってやってくる。

 

「うっひゃあ!」

 

 我に返ったアカツキは慌てて炎の巨人とは逆の方向へと全力疾走する。

 何故だか分からないが遥か背後の上空から雨あられと降り注ぐ無数の魔法群の中をがむしゃらに掻い潜りながら、アカツキは分け目も降らず一心不乱に足を動かす。

 

「なんじゃこりゃ! ランボーか! 痛っ! どこの戦場だ! いたっ! スネェーク! 痛っ! いや待てよ……あの巨人は見たことがある。確か“根源の火精霊(プライマル・ファイヤーエレメンタル)”だよな?」

 

 首だけを後ろに向けて背後を伺うアカツキは人の形を取る灼熱の巨人を観察する。

 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの複雑に絡み合った蛇の口にくわえられた宝石のひとつに、最上位の精霊を呼び出す能力がある。

 もしかしたらその能力によって召喚されたモンスターなのではないだろうか。

 アカツキは無数の魔法群の嵐の中で時おり被弾しながら、あっちへこちっへと逃げ回って思考を巡らす。

 

 やがて、炎の巨人が空中に溶けるようにして消えていくのと同時に、空から降り注ぐ数多の魔法群の豪雨も自然と止んでいく。

 アカツキがほっと胸を撫で下ろそうとした矢先。

 軌道を逸れた魔法群の塊がアカツキ目掛けて飛来してきた。

 

「……えっ?」

 

 目を見開いて足を止めてしまったアカツキは直撃こそしなかったものの、すぐ手前で落ちた魔法の余波によって簡単に吹き飛ばされてしまった。

 

「……ぎゃふん!」

 

 土煙を巻き上げながら、顔面で大地を削るようにして急停止したアカツキは、砂利で擦った顔を痛そうに押さえる。

 

「……死ぬかと思った」

 

 アカツキは立ち上がって、口に入った砂利を吐き出しながら、土埃が付着して汚れた外套を手で払い落とす。

 そして背後を振り返れば、そこには二人の幼い子供が目をこぼれ落ちんばかりに見開いてこちらを凝視していた。

 

「アカツキ様!」

「アカツキ様!」

 

 見事にハモった子供は二人ともが薄黒い肌の色をした十歳くらいの幼子であった。

 上下共にピッチリとした皮鎧を纏い、その上から胸の部分にギルドサインが入った白地のベストを羽織っている。長ズボンもベストにあわせた白地で、首には黄金色のドングリの形をしたネックレス。腰、右肩に鞭を束ね、背中には異様な装飾の巨大な弓を背負っていた。

 

 アウラ・ベラ・フィオーラ。

 

 幻獣や魔獣などを使役するビーストテイマー兼レンジャーの第六階層守護者の一人である。

 

 そして、もう一人の方はねじくれた黒い木の杖を持つアウラの双子の“妹”であるマーレ・ベロ・フィオーレだ。

 アウラと同様の白色の服装ではあるが、マーレの場合は長ズボンの代わりにやや短めのスカートを身に付けている。さらにその上から藍色の銅鎧を着込み、短めのマントを羽織って、首には銀色のドングリのネックレスを掛けている。

 マーレもアウラと同じこの第六階層の階層守護者の一人である。

 

 アウラとマーレはダークエルフというエルフの近親種で、絹糸のような黄金の髪の間からは長く尖った耳が伸びている。

 

「どうしてアカツキ様がここに!」

「はわわわわ!!」

 

 グリーンとブルーの左右違った色の瞳をアカツキに向けながら、アウラとマーレは驚きに身を固くしている。

 アカツキはそんな二人の姿に苦笑いを浮かべる。

 アウラとマーレはペロロンチーノの姉であるぶくぶく茶釜が作り上げたNPCである。

 天真爛漫で元気溌剌なアウラと、その逆でいつも何かに怯えるようにビクビクとしている臆病なマーレ。

 性格が真逆な双子の“姉妹”は、実を言うと元々は姉と弟という関係の設定であった。

 何故、姉弟から姉妹へと設定を変更したのかというと、それはペロロンチーノの時と同様にアカツキのある発言が原因であった。

 

『姉妹丼っていいよね』

 

 その言葉がぶくぶく茶釜の何かに触れたのか、この発言を切っ掛けにマーレは男から女へと性別を変更して、二人ははれて姉妹へとなったのだ。

 

 アカツキは未だに驚きを隠せない二人に歩み寄ろうと足を踏み出した。

 その時に聞き慣れた声がアカツキの元まで響いた。

「アカツキさん!!!」

 

 アウラとマーレの後方から驚いたように声を張り上げる人物に、アカツキははっと顔を上げる。

 視線を向けたそこには骸骨の外見をした最愛の親友にして、アインズウールゴウンのまとめ役であるモモンガの姿があった。

 

 

 




諸事情により更新と感想が遅れました。
申し訳ありません。
次回はアカツキの戦闘描写が入る予定です。

ちなみにモモンガさんもアルベドの胸を堪能してます。


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第三話

 

 

「…アカツキさん。あぁ……良かった、アカツキさん」

 

 モモンガは感極まったように声を震わしながら、ぽっかりと空いた眼窩の奥に灯る赤黒い炎を大きく揺らめかせる。

 まるで長い間会っていなかった親しい友人と久しぶりに再会するように喜びを見せるモモンガは、感動に打ち震えた様子で何度もアカツキの名前を呼ぶ。

 

「……モモンガさん」

 

 アカツキも口元を緩めて安心したように微笑みを浮かべる。

 それは自分ひとりではなかったという安堵した気持ちからくるものだった。

 このような不可思議な現象が起こっている中で頼れる友人がいてくれたことはアカツキとっても非常に心強い。

 

 モモンガは骨しかない右手に持っていたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをその場所に置き去りにしたまま、弾かれたように地面を勢いよく蹴って走り出す。

 まるで誰かが持っているかのように空中に浮かぶスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、早く友の元に行ってこいと言わんばかりにその七つの宝石を一際眩く輝かせる。

 

 モモンガは漆黒の豪奢なローブをはためかせながら、アウラとマーレの横を素通りしてさらに速度を上げてアカツキの元へ駆け寄る。

 

「本当に……良かった、アカツキさん」

 

 そして、二人の距離が十分に縮まると、モモンガは両手を広げてアカツキを力一杯抱き締めた。

 

「ちょっ! モモンガさん!」

 

 アカツキはモモンガの突然の熱い抱擁に驚いて目を白黒させる。

 遠目ではこちらを伺っているアウラとマーレがモモンガの行動に驚いたように目を見開いていた。

 

 モモンガといくら親しい間柄とはいえ、さすがに人の目があるところでこうもきつく抱き付かれるのは流石に気恥ずかしいものがある。

 しかし、離れようにも「良かった、良かった」と歓喜に満ちた様子で肩を震わしているモモンガを強引に引き剥がすようなことなど出来なかった。

 アカツキは照れ臭そうに頬を少し赤らめると、モモンガの気が済むまでこうしていようと、震える友人の背中を安心させるようにポンポンと優しく叩いた。

 やがて、落ち着きを取り戻したモモンガは恥ずかしそうに視線を逸らしながら、アカツキからゆっくりと離れた。

 

「すみませんアカツキさん。見苦しいところをお見せしました」

「いやいや、別に気にするようなことじゃないですよ」

 

 ポリポリと恥ずかしそうに頬を掻くモモンガに、アカツキは何でもないと笑いかける。

 アカツキもこのような異常な事態に遭遇した時に、たった一人だけというのはどうしても不安や心細さを感じてしまう。

 先ほどの抱擁で焦燥感と寂寥感で圧迫されていた心が幾分か楽になったのは事実なのだから。

 

「…それで……アカツキさんも気づいてますか?」

 

 真剣な雰囲気を纏ったモモンガがアカツキに尋ねる。

 

「ということはモモンガさんも?」

 

 モモンガが何を言いたいのか、最後まで言わずともアカツキには分かっていた。

 

「ここは一体何なんでしょうか?」

 

 サービス終了の時間はとっくに過ぎているというのに、未だに運営からの知らせはおろか強制排出のない現状。

 それだけに留まらず、命なきNPC達が意思を持ち出して動き始める事態。

 その他にもゲームでは有り得ない現象が数えきれないほど起きている状況。

 

「……分かりませんが、少なくともここがゲームの中ではないことだけは確かです」

 

 アカツキは確信にも似た気持ちで答える。

 ここがユグドラシルの世界ではないことは第六階層にくるまでのシャルティアとのやり取りである程度予想できるように、ゲームにおいてご法度とされる十八禁に触れる行為をした時点でそれは確信に変わった。

 

「……やはりそうですか」

 

 モモンガが力なく項垂れる。

 その気持ちはアカツキにも十分に共感できる。

 全く予想だにしない異常事態に晒されれば、冷静な状態を保てる方がおかしいのだ。

 

「私も色々と考えてみましたけど、ここがユグドラシルではないことは確実です。一番可能性が高いのは……異世界ですかね」

「……異世界ですか。確かにその方が納得しますね」

「私は先程まで色々と実験を兼ねた確認をしていました。GMコールやチャット機能などは使えなくなりましたが、魔法やアイテムの類は問題なく使えます」

 

 そういえば先程シャルティアの自室からこの第六階層へ移動するのに普通に魔法が使えたよなと、アカツキはモモンガの説明を聞きながら思い出す。

 

 どうやらアカツキの知らないところで、モモンガはユグドラシルと同じように魔法やスキル、アイテム等の使用が変わらずに出来るのかを色々と確かめていたようだ。

 なるほどそれで各階層の中で最も面積が広い第六階層を選んだのかと、アカツキは感心したように頷いた。

 さらにそれだけではなく、NPCの忠誠心や命令などの確認も行っていたというのだから、モモンガの優れた行動力と判断力にアカツキは驚くばかりだ。

 

 モモンガはなんの前触れもなく突然発生した異常な状況下の中で、冷静に優先すべき物事を見極めて行動をしている。

 

 それに比べて自分はどうだろうか。

 

 ここが現実の世界なのか、あるいはまだゲーム中なのか。

 それを調べるためにシャルティアの胸を揉んでいたとか、改めて振り返れば自分は一体何をしていたのだろうか。

 モモンガは至極真っ当で現実的な方法で様々な確認をしていたというのに、己は実の娘といえるシャルティアに堂々とセクハラを行っていた。

 アカツキは自分がひどく情けなくてみっともない男に思えてならなかった。

 自身の浅はかな考えと軽薄な行動を省みて激しい自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 すみませんモモンガさん。俺は本当に最低な男です。まさかNPCに対して胸を揉むとか、人間としてどうしようもないクズ野郎です。

 アカツキは暗鬱とした気持ちになりながら、心の中でモモンガに謝罪をした。

 

「それで今度はNPC達のことなんですが……って、どうかされましたか、アカツキさん?」

 

 言える訳がない。

 まさか現実かゲームかを確かめるためにシャルティアの胸を揉んでいたなんて。

 

「……いえ、何でもないです。続けて下さいモモンガさん」

 

 暗鬱とした面立ちでひどく落ち込んでいる様子のアカツキに、モモンガは心配するように声を掛けた。

 しかし、アカツキは何でもないと首を横に振るうと、話の続きを促すようにモモンガに言った。

 モモンガは怪訝そうな素振りを見せるが、アカツキに話の続きを促されたので心配そうにしながらも言葉を紡いでいく。

 

「それでNPCなんですけど、一時間前にこの第六階層に来るように、アルベドから全階層守護者に向けて連絡を入れるように言い付けました」

「なるほど、それでこの第六階層ですか」

 

 アカツキは納得したように頷くと、しばらくの間モモンガと様々な事柄を話し合った。

 

 そして、モモンガとの話し合いが一息着いたところで、アカツキは背後でこちらを伺うアウラとマーレに意識を向けると、二人の元へ歩み寄る。

 アカツキが二人の前に立つと、開口一番にアウラが謝罪を口にしてきた。

 

「申し訳ありません、アカツキ様。まさか後ろにアカツキ様がいるとは知らずに」

「申し訳ありません」

 

 アウラは罪悪感に暗く曇る表情で勢いよく頭を下げる。

 隣にいるマーレも目に涙を溜めてアウラに続くように謝罪をする。

 

「いやいや、謝るのは俺の方だ。いきなり来た俺が悪い」

 

 慌てて頭を上げるように言うと、二人の幼い姉妹は申し訳なさそうにアカツキを見上げる。

 そして、また頭を下げそうになった姉妹を押し止めるために、アカツキは二人の頭の上に手を置いて少々強引に撫で回す。

 

「それよりも二人とも凄い戦闘だったぞ。お互いがお互いをサポートし合って凄い戦いぶりだった」

 

 アカツキはアウラとマーレに賞賛の言葉を送る。

 逃げ回りながらもアカツキは二人の戦闘の姿をしかと見ており、その見事なコンビネーションに感心を覚えていた。

 絶妙なタイミングでここぞという大事な場面でお互いをフォローし合えるスタイルは、二人の技術の高さにくわえて深い信頼関係を築き上げていなければ非常に難しい連携である。

 それを見事に成し遂げているアウラとマーレには、アインズウールゴウンで仲間達とチームプレーを長い間していたアカツキを持ってしても思わず感嘆するほど完成されていた。

 そんなアカツキからの純粋な賞賛に、アウラとマーレは照れたように頬を赤らめる。

 アウラとマーレは気持ち良さげに目を細めて、アカツキにされるがままに撫で回される。

 まさに至福の時を味わうように心底嬉しげに笑顔を浮かべる幼い姉妹の顔には、先程までの暗い表情が嘘のように明るく輝いていた。

 そこへ鈴の音のようなソプラノボイスが響き渡る。

 

「遅くなり申しわけありんせんでありんした」

 

 まだ幼さの抜け切れていない少女特有の若干高く澄んだ声の正体は、先ほど第二階層で別れたシャルティアであった。

 

 シャルティアは身体をくねらせるようにして動かしながら、アカツキの元まで歩み寄ろうと足を踏み出した時に突然ぴたりと動きを止めた。

 何事かとシャルティアを見ればその真紅に染まった瞳は、アウラとマーレの頭の上に置かれているアカツキの手に睨み付けるようにして向けられていた。

 その眼光は鋭く、見るもの全てに恐怖を植え付けて萎縮させるような殺意にも似た危険な色を宿していた。

 しかし、それは一瞬の出来事で、シャルティアの表情は何事もなかったかのようにいつの間にか元通りになっていた。

 アカツキは目をぱちくりと瞬かせると、見間違いかと思い軽く流した。

 

「あらあら……誰かと思えばシャルティアじゃない」

 

 アウラが嘲笑混じりの底冷えするような低い声をシャルティアに投げ掛ける。

 そこには先程までの明るい太陽のような笑みはなく、まるで長年の宿敵に向ける溢れんばかりの敵意であった。

 アウラの急激な態度の変化にマーレのみならずアカツキも怯えたように僅かに距離を取る。

 

「おや、いたでありんすのチビすけ。影が薄すぎてわかりんせんでありんした」

 

 さっきガン見するほど見てたじゃんと、アカツキは心の中だけでひとり突っ込みを入れる。

 アウラは邪悪な笑みを浮かべると、嘲笑うかのように口角を吊り上げる。

 

「腐ったような臭いを撒き散らしてる奴に言われたくはないわよ。何? もしかして嫉妬してるの?」

 

 はて、嫉妬とは一体どういう意味なのだろうか。

 アカツキは眼前で火花が散りそうなほど互いに鋭い視線をぶつけ合うアウラとシャルティアの姿を見て、やや現実から目を反らし気味に思った。

 

「はぁ? 嫉妬? この私がぬしみたいな低能なチビに向けて? 随分とおかしなことを言うでありんすぇな」

「それ本気で言ってるわけ? さっきから鬱陶しい目で羨ましげに見ているくせにどの口が言うんだが。ねぇ、あまりにも白々しいんじゃないの?」

 

 邪悪な笑みをさらに深めるアウラ。その挑発じみた笑みに怒りを滲ませるシャルティア。

 

「喧嘩売ってんのか、このやろう」

「あらぁ、何? やけに短絡的ね。いきなり怒っちゃって馬鹿みたい」

「あ?」

「お?」

 

 シャルティアのグローブに包まれた手から黒い靄のようなものが滲み出る。

 アウラはそれを向かい撃とうと鞭に手を伸ばす。

 

「調子に乗るのもいい加減にしろよ、この耳なが」

「死体が腐敗臭出して臭いのよ、汚物が」

 

 まさに一触即発な雰囲気を纏う二人の元に、人でない何かが無理やり声を発しているような歪んだ硬質な声が響く。

 

「騒ガシイナ」

 

 その声の発生源を辿ると、そこには二五〇センチはあるだろう二足歩行の昆虫を思わせる極寒の冷気を纏った異形が悠然と立っていた。

 蟷螂と蟻が融合したような外見。全身はライトブルーの強固な鎧を彷彿させる外骨格に覆われ、身体の各所からは氷柱のような鋭いスパイクが無数に突き出していた。身長の倍以上はある雄々しい尻尾に、巨大な下顎は鋼鉄ですら容易に断ち切れそうな程の力強い印象を受ける。

ナザリック地下大墳墓の大五階層守護者のコキュートスである。

 

「至高ノ御方ノ前デ遊ビスギダ」

 

 四本ある腕の内のひとつに持った白銀のハルバードを地面に叩きつける。

 すると周辺の大地がゆっくりと凍りついていく。

 

「御方ガ見テイル前デソレ以上ノ無礼ハ許サレルモノデハナイゾ」

 

 その声にはっとした様子でアカツキと、それからモモンガを見たアウラとシャルティアは慌てたように頭を下げた。

 

『申し訳ありません』

 

 アカツキは二人の謝罪を受け入れたように頷くと、自身の隣まで移動してきたモモンガに顔を向ける。

 

「モモンガさん。二人とも反省しているようなので」

「ええ、分かっていますとも。二人の全てを許します」

 

 モモンガの言葉にほっとしたように息を吐くアウラとシャルティア。

 そこへ唐突にコキュートスが「オヤ、デミウルゴス、ソレニアルベドガ来タヨウデス」と呟く。

 アカツキはコキュートスの視線を追いかけるように首を巡らすと、丁度闘技場の入り口から入ってくる二つの人影を捉えた。

 先に立つのは非の打ち所がない傾国の美貌を誇る美しい女性であった。腰まで艶やかに伸びる黒髪に、瞳孔が縦に割れた黄金の瞳。左右のこめかみから突き出す山羊のような太い角。腰の辺りからは黒い天使の翼が生えていた。汚れが一切ない純白のドレスは豊満な身体を包み込み、首には蜘蛛の巣を思わせる黄金のネックレスを掛けていた。

 サキュバスと呼ばれる種族の彼女こそ、全員で七人いる階層守護者を束ねる守護者統括のアルベド。ナザリック地下大墳墓全てのNPCの頂点であり、ユグドラシルに二〇〇しかない究極のアイテムである世界級アイテム――アインズウールゴウンが保持する十一個の内のひとつを保持することを許された唯一の存在である。

 

 そして、もうひとりの方は百八十センチほどある長身の男性だ。顔立ちは東洋系であり、肌は日に焼けたような色で、漆黒の髪をオールバックに固めている。着ている服は三つ揃えで、しっかりと締められたネクタイと、糸目よりもなお細くほぼ開いていないと言えるような瞳には丸メガネが掛けられている。

 ナザリック地下大墳墓の第七階層の守護者であり、最上位悪魔のデミウルゴスだ。

 

「遅くなり申し訳ありませんでした」

「いや、丁度いい時間だ」

 

 アルベドの謝罪とそれに続くように頭を下げるデミウルゴスに、モモンガは軽く手を上げることで答える。

 そして、各階層守護者が全員集まったことにより、アルベドが皆を見回してから口を開く。

 

「では皆、至高の御方に忠誠を」

 

 隊列を整えて横に一列に並んだアルベドを始めとした守護者達は、片膝を着いて頭を垂れると臣下の礼を取る。

 

 アカツキはその光景に感動した。

 皆が手塩を掛けて生み出したNPCがひとつの命と意思を持って忠誠を示してくれている。

 ギルドメンバーの大半が辞めていき、もはや廃墟と言っても過言ではなかったアインズウールゴウンの遺産は確かにそこに存在している。

 全員の想いの結晶は今もなお確固として燦然と輝いているのだ。

 視線を隣に向ければ感動したように肩を震わすモモンガの姿があった。

 どうやらモモンガもこの光景に感動をしているらしい。

 

「では……よく集まってくれた、皆に感謝をしよう」

「感謝なぞお止めください。我らは至高の御方に絶対の忠誠を捧げる者。至極当然でございます」

 

 アルベドの返答に、他の守護者達も同意するようにこちらを真摯な瞳で見つめてくる。

 

「素晴らしいぞ。守護者達よ。お前達ならばどんな困難な状況下でも必ず突破できると、今ここで強く確信した」

 

 モモンガの言葉にアカツキもそうだというように頷く。

 守護者達の鋼の如く固い決意と意思に満ちた瞳を見れば、例えどんな困難な状況に陥ろうが乗り越えられるという気持ちを感じさせられる。

 

「現在ナザリックはこれまでに類を見ない異常な事態に陥っている。何かそれに思い当たる者はいるか?」

 

 全員の顔を見回すように視線を巡らすモモンガ。

 

「いえ、申し訳ありませんが私には思いあたる節はございません」

 

 アルベドを皮切りに各階層守護者達も各々口を開いていく。

 

「第七階層に特に異常はございません」

「第六階層もです」

「お……お姉ちゃんの言う通り。な、なにもないです」

「第五階層も同ジグ何モアリマセン」

「第一階層から第三階層まで異常はありんせんでありんした」

「なるほど、そうか。ということは恐らく第四、第八階層もか。さて、そろそろセバスが戻ってくる頃合いだが……」

 

 モモンガがぽつりと漏らした矢先に、小走りで駆けてくる者が一人いた。

 その者はオーソドックスな執事服を完璧に着こなした老人であった。髪の毛は白く、口元に蓄えた髭も同様に真っ白に染まっていた。堀の深い顔立ちは温厚そうに見えるが、その目付きは鷹を思わせるほど鋭利であった。

 戦闘メイド“プレアデス”を直属の部下に率いるハウス・スチュワードの仕事まで引き受ける執事――セバス・チャンである。

 

 セバスはモモンガに視線を向けて、その隣にいるアカツキに移すと一瞬だけ目を見開いた後に、守護者達の列に加わり片膝を着く。

 

「遅くなり申し訳ありません」

「いや、構わん。それより周辺の情報を聞かせてくれないか?」

 

 セバスはモモンガの言葉に了解の意を示すと、この場にいる全員に聞かせるようにやや声を大きくして静かに語りだす。

 

 そして、セバスの報告が終わると満足げにモモンガは頷く。

 

「セバスの言うようにナザリックは以前の沼地から草原へと移動した。この異常事態に対して警備のレベルを上げると同時に警護を厚くする。詳細はまた順をおって伝える。それでは皆、今後とも忠義に励め」

 

 モモンガは隣にいるアカツキに視線を送ると、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使って転移する。

 アカツキもその後を追うように同じ方法で移動をした。

 

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

「草原ですねアカツキさん」

「ほんと草原ですね、モモンガさん」

 

 モモンガの自室へと移動した二人は、豪奢な椅子に座りながら直径一メートル程の大きさの鏡に映る景色を眺めていた。

 遠隔視の鏡と呼ばれるこのマジックアイテムは、指定したポイントを映し出すものであり、外の風景を見る分には何かと便利な代物である。

 但しあくまで風景を見る限りだけの話であり、PKプレイヤーや敵対するギルドに対しては対情報系の魔法で簡単に隠蔽されたり、攻性防壁で手痛い反撃を食らうので、使いどころが難しいアイテムでもある。

 

 遠隔視の鏡に映る景色はどこまでも緑が続く草原であった。

 ナザリック周辺の地表を見渡してもそれは同じで、以前の薄い霧が立ち込める毒の沼地だった地形が跡形もなく消えていた。

 

 モモンガは遠隔視の鏡の操作に苦戦しながら、何とか制御しようと試行錯誤を繰り返す。

 この作業がなかなかの曲者で、この操作に携わってから決して短くない時間が経過している。

 

「なかなか難しいですね。せめて説明書とかがあれば良かったんですけど」

「仕方ないですよ、モモンガさん。こういうのは地道に行くしか……おっ!」

 

 モモンガが四苦八苦しながら必死に手を動かしていると、急に景色が変わった。

 

「やりましたね! 流石はモモンガさん」

「いやいや、それほどでもないですよ。さて、これでナザリックから離れたところまで幅広い場所を見れますね」

 

 モモンガが達成感に満ちた様子で満足げに頷く。

 そして、細かい操作をする中でコツを掴んできたのか、遠隔視の鏡を器用に操りながら景色を拡大していく。

 

「……? 祭りですかね、モモンガさん?」

 

 そこに映し出されたのは何やら忙しない様子で、建物から出たり入ったりを繰り返す村人達の姿であった。

 

「……いや、違います」

 

 村人全員の顔は恐怖に歪んでおり、まるで何か恐ろしいものから逃げようとするように必死に足を動かしていた。

 

「……これは…」

 

 モモンガが独り言のようにポツリと呟く。

 見れば逃げ惑う村人達を追い回すようにして、甲冑を着込んだ騎士風の集団が剣を携えながら馬に乗って、村の中を荒々しく駆け巡っていた。

 騎士風の男が右手に握った剣を天に向けて高々と掲げて、近くにいた村人の背中を目掛けて勢いよく降り下ろす。

 それは殺戮であった。

 無防備な背中を切られた村人は鮮血を撒き散らしながら地面に倒れる。

 騎士風の男は事切れた村人を放置して、次の獲物を探すように手慣れた手付きで馬を操ると、逃げ惑う村人達を追い掛けていく。

 

「……ちっ」

 

 モモンガは嫌なものを見たといわんばかりに舌打ちをする。

 しかし、はっとしたように顔を上げると、隣にいるアカツキに視線を向けた。

 アカツキはなんの感情もこもっていないような無機質な瞳で、目の前の殺戮を静かに見つめていた。

 

「……アカツキさん?」

 

 恐る恐るといった様子でモモンガは、表情の動かないアカツキに声を掛けた。

 

「……モモンガさん。俺は今……凄く怖いです」

 

 アカツキが暗い表情で顔をしかめる。

 

「目の前の殺戮にではなく、それを見ても何も感じない自分に対してです」

 

 アカツキは人が目の前で殺されているというのに、何も感じない自分にひどく驚いていた。

 普段ならとても平常心を保つことなど出来なくて、あまりの残虐な光景に卒倒してもおかしくないだろうに動揺の一つも起こらない。

 そんな自分自身に対して、アカツキは得たいの知れない薄ら寒いものを感じていた。

 

「モモンガさんはどうですか? 目の前で人が殺されているのを見て……」

 

 アカツキの問いにモモンガは言いづらそうに口をモゴモゴと動かしながらもゆっくりと答えた。

 

「俺も……アカツキさんと同じで何も感じなかったです。まるで画面越しに動物や虫同士のそれを見るような……そんな気分です」

 

 次に映し出されたのは騎士風の男に追われている二人の少女の姿であった。

 

 恐らく姉妹なのだろう、栗毛色の髪を三つ編みにした少女が妹らしき幼い子供を庇って、剣を携えた騎士の男に背中を切られていた。

 このままでは二人とも殺されるのは時間の問題だろう。

 姉らしき少女は背中から血を流してもなお、男たちの魔の手から妹を守ろうと必死に自身の腕の中へ隠そうとしている。

 その時にアカツキはふと、その幼い女の子が自身の妹の姿と被って見えた。

 自分の後ろにいつも付いて回っていた年の離れた妹。

 高校生になってからもそれは変わらず、アカツキに何かと甘えていた可愛い妹の姿。

 

『誰かが困っていたら助けるのは当たり前』

 

 ギルドメンバーの一人であるたっち・みーの言葉が脳裏を過ぎる。

 

「……」

 

 気がつけば考えるよりも先に身体が勝手に動いていた。

 

「すみませんモモンガさん。ちょっと行ってきます」

「えっ? ちょっ!? アカツキさん!!」

 

 モモンガの制止の声を振り切って、アカツキはアイテムボックスから自身の愛刀の一つを取り出すと、あるひとつの魔法を発動する。

 

『転移門(ゲート)』

 

 距離は無制限で、失敗の確率が非常に低い転移系の魔法だ。

 

 視界が一瞬だけブラックアウトした後、先ほど遠隔視の鏡で見ていた景色へと変わる。

 

「なっ、何だ貴様は!?」

 

 突然現れたアカツキに、騎士風の男が驚愕と困惑の声を上げた。

 それに構うことなく、アカツキは何の感情も浮かばない無機質な瞳を騎士に向けたまま魔法を行使する。

 

「血液逆流(ブラッド・リフラックス)」

 

 第十位階ある魔法の中でも第九位階という高位に位置する、体内に流れる血液を逆流させる即死系の魔法だ。

 アカツキが無数に習得している即死系魔法のひとつで、これを選んだのは例え抵抗されたとしても出血状態とそれによる追加ダメージを与える他に、敵を一瞬だが硬直状態にする付随効果があるからだ。

 アカツキはこの魔法が効かなかったら、背後にいる少女達を連れて未だに開いている転移門(ゲート)を使って即座に逃げるつもりでいた。

 しかし、それは無意味に終わることとなる。

 

 甲冑を着込んだ騎士風の男の全身から血が噴水のように一斉に吹き出る。

 全身鎧の至るところの隙間から止めどなく溢れ出てくる血液によって、身体全体を赤に染めた男はどさりと大地の上に力なく倒れ込む。

 

 アカツキは無表情のまま地面に横たわる男を見つめる。

 やはりある程度は予想をしていたが、何の揺らぎも起こらない自身の心の動きを見て確信した。

 

 ――人間を殺しても何も感じない。

 

 身体が吸血鬼へと変わってしまったことで、心まで異形の化物に変貌したのだろうか。

 

 アカツキはもう一人いる騎士風の男に視線を向ける。

 先ほどまで嬉々として剣を振るって村人達を殺し回っていた男は、アカツキが向けたその視線だけで怯えるように後ずさった。

 そんな男の様子を特に意に介することをせず、アカツキは今度は魔法ではなく、スキルによる追撃の一手を与える。

 アカツキが初手で使った『血液逆流』はパッシブスキルによる後押しを受けて通常よりも高い威力と効果を発揮していた。

 しかしそれでは、この騎士風の男の強さを量ることや、こちらの魔法がどれぐらいのダメージを相手に与えるのかさえ分からない。

 

 それにアカツキは魔法戦にも長けているが、どちらかと言えば刀剣を使った近接戦闘の方が得意だ。

 

 故に魔法やスキル等による強化をせずに純粋な素の威力を確かめるためと、尚且つ自身の剣の技量がどこまで通用するのか。

 その両方を同時に調べるために自身が保有するスキルの中から最も最適だろうひとつを発動した。

 

「破壊の眼力(インサイトブレイク)」

 

 アカツキの血のように紅く染まった瞳がぐわっと、大きく見開かれる。

 

 アカツキが刀剣での近接戦闘を行う際に多用するスキルのひとつで、不可視の衝撃波で対象の体勢を崩す効果がある。

 敵との距離を詰めるために、強引に体勢を崩して隙を作らせるこのスキルは、いわば威嚇や牽制用といってもよい能力だ。

 相手が自分よりも遥かに低位の者だったのなら、体勢を崩すのみならず、追加ダメージを与えた上で対象を吹き飛ばす効果を発揮する。

 

 アカツキは敵の体勢が崩れる瞬間を見極めようと目を細める。

 重心を低くして大きく踏み込む右足に力を込める。

 右手に握る愛刀を下段に構えて、体重を乗せるように身体を前へと傾ける。

 そして、踏み込んだ右足で地面を強く蹴ろうとした瞬間――男の上半身は弾けるように吹き飛んた。

 

「っ!」

 

 アカツキは驚いたように目を見開く。

 自分が思い描いていた予想図とはあまりにもかけ離れたその光景に、踏み込んでいた右足に力が入りすぎて前につんのめりそうになった。

 『破壊の眼力』は相手の体勢を崩すために第三位階魔法に匹敵する威力の不可視の衝撃波を放つ効果を有するスキルだが、別にダメージを期待するようなものではない。

 確かに低位のモンスターを蹴散らすのに使い勝手のよいスキルだが、攻撃手段としてはあまり用いることはしない。

 

 アカツキの構成図では体勢が崩れたと同時に自身の刀の間合いに入らせるように距離を詰める心算でいた。

 しかし、現実は違っており、ただの牽制用のスキルだけで敵の上半身を吹き飛ばした。

 

 全身から力が抜ける。張り詰めていた緊張感が一気にほどけるのを感じた。

 弱い。あまりにも弱すぎる。

 自分があれほど警戒していたのが滑稽に思えるほどの脆弱さだ。

 戦場で気が緩むのは最も危険な状態だが、それでも一度抜けた緊張感を再び戻すのは難しい。

 

(……何も考えずに来たけど、少し不用心過ぎたかな。せめてフル装備で来れば良かったか)

 

 そんなことを考えていたアカツキのすぐ隣から蒼白い閃光が走り抜ける。

 蛇のようにのたうつ眩い燐光を放つ蒼白い雷光は、建物の角から現れた騎士の身体を鎧ごと貫いて全身を焼き焦がした。

 

 アカツキは弾かれたように背後を振り返った。

 

 そこにはやや怒ったような刺々しい雰囲気を纏うモモンガが佇んでいた。

 モモンガは伸ばした右手の人差し指を下げると、二人の少女の横を通りすぎてアカツキにずんずんと歩み寄ってくる。

 

「アカツキさん! 勝手に一人だけで行くのは止めてもらえませんか! 何かあったらどうするんですか!」

 

 勢いよく捲し立てるように言うモモンガだが、そこにあるのは怒りだけではなく、仲間に対する確かな気遣いと心配であった。

 

「敵がどれほどの戦闘能力を有しているのかも分からない状況で勝手に! それもたった一人だけで飛び出していくんですから!」

「すみません、モモンガさん」

 

 純粋に自分の身を案じてくれている故に真剣に怒っているモモンガに、アカツキは申し訳なさげに頭を下げて謝罪をする。

 

「……まったくもう、心臓が止まるかと思いましたよ」

「……もう止まってるじゃん」

「こら!」

 

 ぷりぷりと怒るモモンガをアカツキは必死に宥める。

 確かにモモンガの言う通りだ。

 未知の世界にやって来たアカツキ達は、自分達がどれ程の力を有しているのか全く分からない。

 そんな状況で何の備えも用意もしていない状態では、何かあったときに十分な対応や適切な対処などは難しいだろう。

 

「目玉が飛び出るかと思いましたよ」と言うモモンガの言葉に、アカツキが「目玉ないじゃん」とぼそりと呟く。

 それを聞いたモモンガがまた怒りだすという展開は、端から見ればまるで一種の漫才のようで、ここが今も殺戮が行われている現場とはとても思えないほど緊張感に欠ける光景だった。

 

「本当に反省しているんですか! アカツキさん!」

「してます! してますから指をこっちに向けないで下さい! さっき魔法を使った後にそれをされると洒落にならな……! ちょっ、モモンガさん! ギルド武器持ってる今じゃヤバいっすよそれ!」

 

 モモンガの突きだした指先にチリチリと蒼白い電流が集まり出したのを見たアカツキは、顔を一瞬で青ざめると、何度もペコペコと頭を下げる。

 先ほど屈強な騎士を一瞬でほふった人物とは到底思えないほど今のアカツキの姿は頼りないものだった。

 

 モモンガがここまで過剰ともいえるほど怒気を露にするのは、本当にアカツキのことを思って心配をしているからだ。

 自身の命よりも大切な親友にもしものことが起こらないように、アカツキの身を案じているからに他ならない。

 ギルド内で一番付き合いが長く親しいからこそ、モモンガは唯一最後までナザリックに残ってくれた無二の親友を何があっても絶対に失いたくないのだ。

 

 そして、モモンガの怒りもようやく収まったところで、アカツキは改めて二人の少女に意識を向ける。

 華奢な肩を震わせて怯えたようにこちら――主にモモンガ――を見つめる少女達は血の気が引いたように顔を青ざめさせていた。

 

 まるでまだ脅威は去っていないと訴えるかのように、姉妹は顔を恐怖にひきつらせて身体を寄せあっていた。

 

 可哀想に。そんなになるまで恐怖を植え付けられたのか。

 

 アカツキは彼女達の心中を察して同情をした。

 

 平凡な日常を壊されて、いきなり命を襲われれば、こうも化け物を前にしたかのように怖がるのは当たり前だろう。

 

 もう大丈夫だ。命を狙う危険な輩はどこにもいない。

 アカツキは安心させるように穏やかに微笑んだ。

 しかし、、何がいけなかったのか、姉妹はさらに身体を強ばらせた。

 

 アカツキは怪訝そうに眉を潜めて、ふと自分の愛刀を見て気がついた。

 確かに抜き身の刀を持って近づいてきたら、警戒を抱くのは当然だ。

 ましてや、先ほど騎士達に襲われたばかり。

 刃物を持った相手に警戒を抱くのは当たり前だろう。

 

 アカツキはアイテムボックスの中に愛刀を仕舞うと、改めて少女達に向き直る。

 

 だが、少女達は相も変わらず怯えた視線を向けてくるだけだ。

 

 …な……何がいけないんだろう。刀は仕舞ったぞ?

 

 動揺するアカツキは何気なしにモモンガをちらりと見やると、ああそうかと納得したように息を吐いた。

 

 モモンガの外見は白い骨が剥き出しとなった骸骨。

 ユグドラシルでは別に珍しくもなんともないが、ゲームが現実となった現在では違う。

 現実の世界に骸骨がいたら確かに怯えるのは当然といえるだろう。

 アカツキはモモンガに視線を向ける。

 

「モモンガさん。今の外見はヤバいですよ」

「あ」

 

 言われて始めて気がついたというように、モモンガは間の抜けた声を上げた。

 慌ててアイテムボックスの中に腕を突っ込むと、目当ての物を見つけたのか、あるアイテムを素早く取り出す。

 

(そ…それは!)

 

 怒っているような泣いているような奇妙な装飾が施された仮面。

 クリスマスイブにある一定の時間の間にユグドラシルの中に入れば問答無用で運営から貰えるイベントアイテム。

 嫉妬マスク。

 アカツキがそれをもらった直後に『俺は人間を止めるぞぉ、モモンガさぁん!』と叫んで勢いよく被って見事に滑った黒歴史を持つ、恐怖の仮面である。

 しかもその場に他のギルドメンバーがいたことに最後まで気づかなかったアカツキは、その後に皆から散々弄られたという痛い思い出があった。

 

(何でよりにもよってそれを……)

 

 アカツキは苦虫を噛み潰すような表情で顔をしかめると、わざとらしく咳をひとつ漏らして心を落ち着かせる。

 

「……さ…さぁ、早くこれを飲むんだ」

 

 アイテムボックスを開いて、ひとつの背負い袋――ショートカットに登録することができる無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)を素早く取り出すと、その中から一本の赤いポーションを探り当てて少女に突き出す。

 

「急げ。こうしている間にも俺が……村人皆が危険に晒されているんだぞ。早く飲め、いいから飲め、さっさと飲め」

 

 急かすように何度もポーションを突き出すアカツキの鬼気迫る気迫に、三つ編みをした少女は自身の腰にしがみつく妹と一緒に呆けた様子でポカンと口を開く。

 そして、はっと我に返ると慌ててポーションを受け取って一息で飲み干す。

 

「……うそ」

 

 少女は背中の傷が癒えたことに驚いているのか、右手を後ろに回して何度も確認するように触っている。

 

「どうだ? 痛くないか?」

「はっ……はい!」

 

 驚きの表情を浮かべた少女は、信じられないといわんばかりにアカツキを見上げる。

 

 どうやらあれぐらいの傷であればポーションでも十分に回復することが出来るようだ。

 アカツキは少女の傷が癒えたことにほっと胸を撫で下ろした。

 ユグドラシルの回復アイテムはこの世界でもその効能を問題なく発揮する事実は、アカツキにとっては大きな収穫である。

 そして、安堵したように息を着くアカツキの隣にやって来たモモンガは少女に向けて質問を投げかけた。

 

「お前達は魔法というものを知っているか?」

「…えっ? …は……はい。魔法が使える友人がいますので」

 

 モモンガはアカツキに視線を送る。

 その意味は自分達が何者なのかを姉妹に伝えてもよいかという確認である。

 アカツキは同意するようにゆっくりと頷く。

 

「私達は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。襲われているお前達を見つけて助けにきた者だ」

 

 モモンガは右手を掲げると魔法を発動する。

 

『生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)』

『矢守りの障壁(ウォール・オブ・プロテクションフロムアローズ)』

 

 姉妹を中心に蜘蛛の巣状のドームが広がる。続いて発動した魔法は視界には現れないが、確かに空気の流れが変化したのが感じられた。

 

「それと……これをくれてやる」

 

 モモンガは二つの角笛を取り出すと、姉妹に向けて無造作に放り投げる。

 それは多少強い小鬼(ゴブリン)を召喚するマジックアイテムである。

 モモンガもそうだが、アカツキから見てもそのアイテムはそれほど価値のあるものではなく、精々時間稼ぎぐらいにはなるだろうという程度の物であった。

 

 モモンガは何を思ったのか、ふと騎士の遺体に視線を向ける。

 そして、少し考え込むような仕草をした後にあるスキルを発動した。

 

「中位アンデッド作成・死の騎士(デス・ナイト)」

 

 それはモモンガの持つスキルのひとつで、様々なアンデッドモンスターを生み出す能力だ。

 中空より黒い靄が滲み出ると、騎士の遺体へと覆い被さるように重なった。

 そして、騎士の身体が人間とは思えないギクシャクとした動きで立ち上がる。

 全身を包み込む靄は膨れ上がると、一気に流れ落ちるように消え去っていく。

 そこには二三〇センチはあろう、黒い全身鎧を着込んだ異形が立っていた。身体の半分以上は覆い隠せるだろうタワーシールドを左手に持ち、右手にはフランベルジェを握り締めていた。甲冑の各所に走る血管のように脈打つ紅いラインが爛々と輝いており、ぽっかりと空いた眼窩の奥には赤黒い炎が灯っていた。

 死の騎士を生み出したモモンガのみならず、アカツキもユグドラシルとは違う仕様で誕生したアンデッドモンスターに目を見開いた。

  ……もう何がなんだか。

 アカツキが乾いた笑みを浮かべている間に、モモンガは死の騎士に命令を言い渡した。

 死の騎士はその命令に答えるように聞く者の肌が泡立つような雄叫びを上げると、守るべきモモンガを置いて颯爽と村の方へ駆け出していった。

 

「……さて。……行こうか」

 

 モモンガは一瞬呆けたように死の騎士の後ろ姿を見送った後、この場所での用は終わったとばかりに踵を返すと、そのまま歩き出す。

 アカツキもそれに続こうと足を踏み出そうとした矢先に、少女から声がかかる。

 

「……あ…あの! 助けてくださってありがとうございます」

「ありがとうございます」

 

 感謝の言葉を口にする姉妹は涙を滲ませながら頭を下げる。

それにアカツキとモモンガは気にするなと短く答える。

 

「お名前を伺ってもよろしいですか」

 

 ごくりと喉を鳴らしながら少女が口を開く。

 それにアカツキとモモンガはお互いに視線を合わせると、大きくゆっくりと頷く。

 

「我が名はモモンガ」

「同じくアカツキ」

 

 モモンガとアカツキは少女に向き直って自身の名前を口にする。

 

「我らはナザリック地下大墳墓を支配する」

「総勢四十一人から成る」

 

 モモンガとアカツキは声を合わせるように息を吸い込む。

 

『アインズ・ウール・ゴウンだ!』

 

 モモンガとアカツキの声が重なるように重々しく響き渡る。

 そして、周囲が静寂に包まれた中で、アカツキとモモンガはどこか違和感を覚えるようにお互いの顔を見つめ合う。

 

「……なんというか」

「……そうですね」

 

 モモンガとアカツキはさっと同時に視線を逸らす。

 お互い長い付き合いで口に出さなくても、相手のタイミングを示し合わせることぐらいは簡単に出来るが、しかし――。

 先ほどの言動は……。

 

「……何か恥ずかしい」

「やるんじゃなかった……」

 

 二人とも恥ずかしげに目元を手で覆うと、天を仰ぎ見ながらポツリと呟いた。

 

 

 

 




風邪を引いてしまい更新と感想が遅れました。
申し訳ありません。
今年の風邪は頭と喉にきてなかなか治らなくて、かなり厄介ですね。

次回で一巻を終わらせれるようにしたいと思います。


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第四話

 

 

 地鳴りのような雄叫びが、大気をビリビリと震わす。

 そこでは狩る者が一転して狩られる者となっていた。

 

「オオオオオォォォォォ!」

 

 聞く者の肌が粟立つような獰猛な咆哮を上げながら、死の騎士(デス・ナイト)は右手に握るフランベルジェを軽々と振るって騎士の首をはね飛ばす。

 空中を舞った首は辺りに鮮血を撒き散らしながら、地面の上にぼとりと落ちる。

 

「クゥゥ」

 

 ありとあらゆる生命に激しい憎悪を抱くアンデッドである死の騎士は、自身よりも脆弱な人間を蹂躙することに喜びを感じているかのように愉悦に満ちた声を漏らす。

 そんな死の騎士を取り囲んでいる騎士達は、ガタガタと恐怖に震える身体を叱咤しながら、なけなしの戦意をかき集めて必死に目の前の絶望と対峙する。

 

 死の騎士がその豪腕に持つフランベルジェを一回、二回と振るえば振るうほど、その数に合わせるように騎士達の命がいとも容易く散っていく。

 

 先ほどまで村人達を好きなように追い立てて殺し回っていた屈強な騎士達でも、目の前の絶対的強者を前にすれば赤子の手を捻るかのごとく簡単に蹴散らせる存在に成り下がるのだ。

 

 この部隊の隊長であるペリュースは死の騎士によって無惨に斬殺され、先程まで皆を纏めていたロンデスも奮戦するも空しく首を跳ねられて死亡した。

 

 まだ生き残っている騎士達は恐慌状態に陥り、指揮官を失った集団はもはや蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げながら無様に逃げ惑うしかなかった。

 

 身体だけではなく心までも過度な恐怖や絶望によって激しく消耗して、もう立っているのも億劫なほど満身創痍な騎士達に向かって、死の騎士が幽鬼のようにゆらりとにじり寄る。

 

 誰もが死を予期したまさにその時--。

 

「そこまでだ、死の騎士よ」

 

 上空より制止の声が響き渡る。

 

 場違いなほど軽い声の発生源を辿るように空を見上げればそこにはいつからいたのか、お揃いの奇妙な装飾が過多に施された仮面を被った二人組が宙に停滞しながら、騎士達を静かに見下ろしていた。

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 アカツキとモモンガは地上へゆっくりと降り立つ。

 

「はじめまして。私はモモンガ」

「同じくアカツキ」

 

 開口一番にモモンガが自らの名前を言い、続けてアカツキが口を開く。

 

「武器を捨て投降しろ。そうすれば命の保証はしよう。まだ戦いたいというなら」

 

 モモンガが最後まで言い終える前に、一本の剣が地面に投げ出された。

 それに続いて次々と剣が地面に転がる。

 

「……うむ。よほどお疲れの様子だな」

 

 モモンガは手前にいた騎士のひとりに歩み寄ると、スタッフを持っていない手で器用に両頬付き兜(クローズド・ヘルム)を剥ぎ取る。

 仮面越しに疲労に濁った瞳と目を合わせながら、モモンガが口を開く。

 

「この辺りで騒ぎを起こすな。もしまた騒ぐようなら今度は貴様らの国まで死を告げにいくと……そう主人に伝えろ。確実にな」

 

 顎でしゃくると騎士達は前につんのめりそうな勢いで一目瞭然に駆け出す。

 小さくなっていく騎士達の後ろ姿を見送ったモモンガは踵を返すと、アカツキを伴って村人達の元まで歩き出す。

 村人達の恐怖に染まる表情がはっきりと視認できる。

 その視線が死の騎士から一時も離れていないことも。

 あまり近付きすぎるのはかえって彼らに警戒や恐怖を与えてしまうだろう。

 眼前で人間が殺される光景を目の当たりにしたことや死の騎士を連れ歩いている姿からそれは容易に想像できる。

 なのである程度の距離を置いてから立ち止まり、出来るだけ相手に警戒をされないように優しい口調で話しかける。

 

「君達はもう安全だ。だからどうか安心してほしい」

「あ……、あなた方は一体……」

 

 村人達の中から代表者らしき人物が前に出てくる。

 

「この村が襲われていたのが見えてね。助けにきたものだ。むろん、ただという訳ではないが」

「おぉ……」

 

 ざわめきが起こり、村人達の顔から安堵の色が浮かび上がる。

 ついで“金銭的な目的”で助けに来たという世俗的な理由が、村人達の間にあった懐疑的な色を薄れさせた。

 

「し、しかし……。いま村はこんな状態でして……」

「すまないがそこらへんについて話をするのは後にしてくれないか。先ずはここに来る前に助けた姉妹を連れてきたい。少々待っていてくれないか?」

 

 モモンガとアカツキは村人の返事を待たずに歩き出す。

 あの二人にモモンガの正体を秘密にするように口止めをするたに。

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

『なんじゃそりゃ!』

 

 モモンガとアカツキの声が合わさって、室内に響く。

 あれからモモンガとアカツキは姉妹を連れてきてその道中に口止めを行ってから、広場のすぐそばにあった村長の家へと移動した。

 村を救った報酬として村長にどれぐらいの金額を出せるのか交渉を持ち掛けた。

 その間にこの世界で使われている貨幣やユグドラシルの硬貨がどれ程の価値があるのかも一通り調べを終えた。

 そうして村長と話し合いをした結果、村の働き手と物資を多く失ったために、その代わりとしてこの近辺の情報を報酬として貰った。

 すると、衝撃的な事実が判明した。

 先ずは周辺国家だ。

 それはどの国も全く聞いたこともないものであった。

 リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国。

 そんな国家はユグドラシルには存在しなかった。

 続いて国家間の領土関係やモンスターの存在なども問いただして様々な情報を得た。

 モモンガとアカツキが思ったことは厄介だということだ。

 もし仮にどこかの国家とアインズ・ウール・ゴウンが敵対した場合、ナザリック地下大墳墓の現有戦力でどこまで対抗できるのか色々とその時の対策を練らなければならない。

 無論、戦闘行為になることは極力避けるつもりではいるが、どうしても戦うことになった時は対抗策を用意して置かなければいけない。

 モモンガとアカツキがこれからどうしようかとお互いの顔を見合わせたその時に、木製のドアをノックする音が響いた。

 村長はモモンガとアカツキに頭を下げると立ち上がり、ドアの方へ歩いていく。

 ドアを開けるとひとりの村人が陽光を背に立っていた。

 

「村長。葬儀の準備が整いました」

「おぉ、そうか」

 

 村長が許可を求めるように視線を向けてくる。

 それに答えるようにモモンガが頷く。

 

「構いませんとも。私達のことはお気になさらずに」

「ありがとうございます。では直ぐに行くと皆に伝えてくれ」

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 村はずれにある共同墓地で葬儀が始まる光景を、少しばかり離れた場所でモモンガとアカツキは静かに眺めていた。

 モモンガの手には象牙でできた先端部分に黄金がかぶせられ、持ち手にルーンを彫った神聖な雰囲気を放つ一本のワンドが握られていた。

 蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)と呼ばれるこのマジックアイテムは、死者復活の魔法効果を宿している。

 無論この一本だけではなく、この村の死者全員を蘇らせても十分すぎる程大量のストックを持っている。

 村長の話ではこの世界に死者を蘇らせる魔法は存在しないと聞いたので、この死者復活の効果を宿す蘇生の短杖がどれ程の価値があるのか容易に想像ができる。

 しかし、モモンガもそうだがアカツキもそれを使おうとは思わない。

 彼らには悪いが、どう考えても厄介ごとに巻き込まれることは明らかであるからだ。

 死から復活できる力など、誰も喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 状況が変われば話は違ってくるだろうが、情報が圧倒的に不足している現状で、おいそれとなにも考えずに軽はずみに使用するべきではない。

 アカツキはモモンガの傍らに佇む死の騎士を眺める。

 ユグドラシルでは召喚されたモンスターには制限時間が定められている。

 そしてなんら特別な手段を用いずに召喚した死の騎士は、定められた召喚時間に則って既に消えているはずなのだ。

 にもかかわらず未だにそこに存在している。

 やはりゲームが現実となったことで、ユグドラシルのシステムが知らぬ内に色々と変化をしているようだ。

 これはアカツキが習得している吸血鬼を生み出す魔法やスキルにも同じことが言えるだろう。

 今度時間がある時にじっくりと確かめた方がいいだろう。

 あれこれと思考を巡らすアカツキの背後に、ふと何かの気配を感じた。

 振り返って見ると、そこには人間大の大きさを持つ忍者服を着た黒い蜘蛛にも似た外見のモンスターが立っていた。

 

八肢刀の暗殺蟲(エイト・エッジ・アサシン)? モモンガさん、これは……」

 

 アカツキが隣にいるモモンガに視線を向ける。

 

「えぇ……。アカツキさんがナザリックを出た後に色々と後詰の用意をしていまして……」

「なるほど。それで不可視化が行える八肢刀の暗殺蟲を選んだんですね。さずかモモンガさん」

 

 アカツキの賞賛にモモンガは微妙そうに首を傾げながら仮面の上から頬を掻く。

 

「いや……、私はあくまで連絡を取ったセバスに伝えただけで……。……えっと、お前達は何人で来た?」

モモンガが八肢刀の暗殺蟲に訝しげに尋ねる。

「はっ。私以下、八〇〇のシモベ達がこの村に襲撃を行えるように準備を整えております」

「八〇〇! 何でそんな大人数で?」

「はい。至高の御方が二人も外に急いで出られたので、当初の想定していた四〇〇から二倍に引き上げさせていただきました」

 

 ぴっしゃりと答える八肢刀の暗殺蟲にモモンガは頭を抱えて唸った。

 アカツキもモモンガの気持ちが理解できる。

 助けた村に想定していた数の倍の人数を動員されて、しかも襲撃をするように準備を整えていれば頭も抱えたくなるだろう。

 

「……はぁ。それでお前達を指揮しているのは誰だ?」

「はっ。アウラ様とマーレ様です。デミウルゴス様はナザリック内において警備、コキュートス様はナザリック周辺の警備に入っております。それからアルベド様とシャルティア様は、モモンガ様とアカツキ様の護衛に間もなく到着する予定です」

「何? アルベドはともかくシャルティアもか?」

 

 モモンガが疑問の声を上げる。

 防御能力に特化したアルベドが護衛に付くのは分かるが、何故シャルティアがナザリックの警備に入らずにこちらに付くのか。

 アカツキもそれが分からずに困惑の表情を浮かばせる。

 

「……まぁ、いいか。だが、あまりにも数が多い……。アウラとマーレ、それからお前達を除き、他のシモベ達は撤収させろ」

「承知いたしました、モモンガ様」

 

 恭しく頭を垂れる八肢刀の暗殺蟲を置いて、モモンガとアカツキは背後に死の騎士を伴って歩き出す。

 

 

 そして、モモンガとアカツキは周辺の一般的な知識や常識を得るために村の中を歩いて回った。

 夕日が空に浮かび上がる頃、一通りの情報を収集したモモンガとアカツキは後からやって来た完全武装のアルベドとシャルティアと合流した。

 

「お待たせして申し訳ありません、アカツキ様」

 

 アカツキの目の前で血に濡れたような真紅の全身鎧を着込んだシャルティアが深く頭を下げる。白鳥の頭のような形状をした顔の部分が開いた兜を被っており、その左右からは鳥のような羽が突き出している。胸から肩を経由して、鳥の翼をイメージしたような装飾が垂れ下がっており、腰には真紅のスカートを巻き付けていた。片手には料理で使いそうなスポイトの形に酷似した巨大で奇怪な槍を握りしめいる。

 

 それは明らかに完全戦闘態勢の呈を成したシャルティア・ブラッド・フォールンの姿であった。

 

 アカツキはポカンと口を開きながら、呆然とシャルティアを見つめる。

 

「……シャルティア。どうしてお前がここにいる?」

「アカツキ様の護衛に付くためです」

 

 頭を上げたシャルティアが答える。その顔は真剣そのもの。固い意思の輝きを真紅の瞳に宿していた。

 しかし、答えになっていない。

 アカツキは何故護衛に付いたのかを聞いているのだ。

 

「何でナザリックの警備じゃなくて、俺の護衛に付いたんだ? アルベドならともかく」

「アルベドがナザリック最高の守り手なのは承知しています。しかし、アルベドが一人なのに対してアカツキ様とモモンガ様は二人。それではアルベドが十全の力を発揮は出来ても、やはり集中力はその分どうしても割けなければいけない。そうしてはいざという時に対処が遅れる場合が生じてしまう可能性があります」

「確かにそうかもしれないが……」

「そうなればアルベドが集中出来るように、もう一人の御方をお守りする護衛が必要となります」

「だけど、やっぱり守護者が二人というのはいくらなんでも過剰戦力の気が……」

「お嫌ですか?」

「えっ? いや、そういう事を言っているんじゃなくて」

「私では力不足ですか? ご不満ですか?」

「えっ? そ、そんな事はないと思うぞ?」

「ならよろしいのではないでしょうか?」

「……えっ?」

「愛する人を守りたいと思うのは女だってそうです。私は至高の御方の僕として、階層守護者として、女としてアカツキ様を守りたいのです」

「……」

「お分かり頂けますね?」

「あ、はい」

 

 シャルティアの有無を言わせぬ気迫に、アカツキは上手く言いくるめられてしまった。

 それにシャルティアの言い分も納得できる。

 敵がどれ程の戦闘能力を有しているのかも、まだ明確には確認できていない現状で念には念を入れる考えは十分に理解できることだった。

 断じて鬼気迫るような表情のシャルティアが怖かったからという訳ではない。

 アカツキがちらりと隣に視線を向ければ、モモンガも似たようにアルベドに何やら迫られている光景が見てとれた。

 どうやらモモンガも女のそれには敵わないようだ。

 

「……ごほん。それじゃあ、撤収するか。ここですることはもう無いみたいだからな」

「承知いたしました、アカツキ様」

 

 アカツキはシャルティアを背後に従えて、どこかぐったりした様子のモモンガと漆黒の全身鎧を着込んだアルベド共に村長を捜した。

 村長は直ぐに発見できたが、なにやら真剣な表情で村人達と話し込んでいた。その顔には緊迫感が浮かんでいる。

 アカツキは何やら言い知れない胸のざわめきを感じながら、村長に声を掛ける。

 

「どうかされましたか、村長殿」

「おお、アカツキ様にモモンガ様。それと……」

 

 村長が全身鎧に身を包んだアルベドとシャルティアに目を向ける。その視線はどこか怯えが混じっていた。

 アカツキは落ち着かせるように優しい口調で答える。

 

「私の仲間です。村の外に待機していたところを呼びに行って連れてきました。それで、どうかされましたか? 何か問題でも起こりましたか?」

「それが……、実はこの村に馬に乗った戦士風の者たちが近づいているそうで……」

 

 アカツキは怯える村長を安心させるように軽く手を上げた。

 

「任せてください。村長殿の家に生き残りの村人達を至急集めてください。村長殿は私たちと共に広場に」

 

 村人達を集める一方で、死の騎士を村長の家の近辺に配置して、アカツキはモモンガと並んでアルベドとシャルティアを自身の後ろに立たせる。

 アカツキは怯える村長を落ち着かせるように優しく宥めながら、広場の中央にて待ち構える。

 

 

 やがて集団の先を走る騎兵の姿が見えてきた。騎兵たちは隊列を組み、一糸乱れない動きで広場に入ってくる。

 アカツキは違和感を覚える。

 彼らの武装は統一性がなく、かなりのアレンジが施されていたからだ。先ほど村を襲った騎士達とは比べる間でもなく、装備のまとまりがない戦士集団だった。

 数にして二十人。その中からリーダーと思わしき屈強な男が進み出てくる。

 男は村長を軽く見た後、死の騎士に視線が留まり、アルベドとシャルティアへと動く。そして釘付けになるように視線が固定した。

 そして、最後に射抜くような鋭い視線をアカツキとモモンガに向けた。

 男は重々しく口を開く。

 

「私は、リ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らし回っている帝国の騎士達を討伐するために王のご命令を受け、村々を回っているものである」

 

 村長の家からざわめきが起こり、隣にいる村長が「王国戦士長……」とぼそりと呟く。

 

「どのような人物で?」

 

 アカツキが村長に口を寄せる。

 

「商人達の話では、かつて王国の御前試合で優勝をはたした人物で、王直属の精鋭兵士達を指揮する方だとか」

「では目の前にいるこの方がその……?」

「……分かりません。私もうわさ程度の話しか聞いたことがないもので」

 

 アカツキが視線を走らせてみると、確かに全員の胸に同じ紋章が刻み込まれている。

 

「この村の村長だな」

 

 ガゼフの視線が村長に向かう。

 

「横にいるのは一体誰なのか教えてもらいたい」

「それには及びません。はじめまして、王国戦士長殿。俺はアカツキ。そして俺の仲間のモモンガ、アルベド、シャルティア。この村が騎士に襲われておりましたので助けに来た魔法詠唱者(マジック・キャスター)です」

 

 アカツキは軽く一礼し、自身とモモンガ、アルベド、シャルティアの自己紹介を始める

 それに対してガゼフは馬から飛び降りた。

 

「この村を救っていただき、感謝の言葉もない」

 

 ガゼフはそう言うと重々しく頭を下げる。

 空気がざわりと揺らぐ。

 王国戦士長という決して低い地位ではないだろう、おそらくは特権階級の人物が、どこの馬の骨とも知れないアカツキ達に頭を下げたのだ。

 ガゼフという男がどういう人柄なのか、それを雄弁に物語っていた。

 

「頭を上げてください。俺たちも報酬目当てですから、どうかお気にされず」

「ほう。そうか。とすると君たちは冒険者か?」

「それに近いものです」

「なるほど。かなり腕の立つ冒険者とお見受けするが、その名は存じ上げませんな」

「旅の途中でして。たまたま通りかかったもので、あまり名が売れていないのでしょう」

「……なるほど。それではお時間を奪うのは少々心苦しいが、村を襲った不快な輩について詳しい説明を聞かせていただきたい」

「もちろん喜んでお話しさせていただきます」

「それでは私の家でお話しできれば」

 

 村長が最後まで言い終える前に、一人の騎兵が広場に慌ただしく駆け込んできた。

 騎兵は大きく乱れた息を整えもせずに、声を張り上げて告げる。

 

「戦士長! 複数の人影が村を取り囲むような形で接近してきています!」

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

「なるほど……確かにいるな」

 

 家の陰から報告された人影を窺うガゼフがぼそりと呟く。

 各員が等間隔を保ちながら、ゆっくりとだが確実に村に向かって歩んでくる。

 彼らの横には光り輝く翼を生やした者が付き従っている。

 

 天使。

 

 様々な特殊能力に加え、魔法もいくつか使い、さらには接近戦もできることから、ガゼフの中ではかなり厄介な敵として認識している。

 

「彼らは一体何者なのでしょうか?」

「アカツキ殿に心当たりはないか。ということは奴らの狙いはただひとつ」

 

 アカツキとガセフの視線が交差する。

 

「ガゼフ殿……」

「王国戦士長という地位にいる以上、仕方のないことだ。さて、あれだけの魔法詠唱者を揃えられるところをみると、相手はおそらくスレイン法国。それも特殊工作部隊群……六色聖典の者たちか…」

「スレイン法国? 六色聖典?」

「人間至上主義を掲げる宗教国家だ。そして、六色聖典こそ……そんなスレイン法国が誇る最強の戦闘集団のことだ」

 

 ガゼフは厄介だと言わんばかりに肩をくすめる。

 

「まったく……貴族どもを動かし、武装を剥ぎ取ってまでとはご苦労なことだ。それにしてもスレイン法国にまで狙われる日がこようとは」

 

 ガゼフは力強く拳を握る。ぷるぷると震えるまで力を入れるようは、彼の感情がどれほど怒りに高ぶっているのかが伺い知れる。

 

「……あれは炎の上位天使(アーク・フレイム・エンジェル)? 外見は似ているが、同じモンスターなのか?」

 

 ポツリと呟いたアカツキの言葉に、ガゼフは鋭く反応する。

 

「アカツキ殿。良ければ雇われないか?」

「……。仲間と相談したいので少々お待ちください」

 

 アカツキはガゼフから離れると、モモンガとアルベド、シャルティアを伴って建物の外へと出る。

 そして、会話が聞こえないように声を潜めながらモモンガが口火を切る。

 

「情報が少ない現状では迂闊な手は取れません。敵がどれ程の戦闘能力を持つのかも分かりませんし、何らかの奥の手がある可能性も考慮しないと」

 

 視覚で確認する範囲内には炎の上位天使だけであったが、もしかしたらもっと別の強力なモンスターを召喚できる可能性だってある。敵の人数も不明で周辺に伏兵が潜んでいるかもしれない現状では、無闇に正面から挑むのもあまり得策とは言えない。

 

「私たちは一先ず様子見をして、先に出たガゼフ達が戦闘を行っている間に少しでも敵の詳細な情報を引き出すのに徹するべきだと思います」

 

 モモンガの言い分は最もである。

 先ずはガゼフが率いる戦士集団が戦いに挑んで、その戦闘風景から敵の情報を収集して対抗策を練るのが安全と言える。

 しかし、それではガゼフ達の中から決して少なくない数の犠牲者が出るのは明白である。

 武具や装備品の類からも確認出来るように、とても正面から戦って敵うような相手には思えない。敵がガゼフを暗殺するために様々な誘導工作をしたようであるのは話を聞く限りで十分に分かる。そうであるならば、確実にガゼフを仕留めるために万全な準備を整えているだろう。

 しかし、それでもガゼフは戦いに挑むだろう。

 ガゼフと関わった時間は少ないが彼の人柄に触れたアカツキは、村人を置いて自分達だけ逃げるような行為はしない男だと確信できる。

 誰一人としてガゼフ達には死んでほしくはないというのがアカツキの本音だった。

 

(……どうするか)

 

 ここにはアカツキを含め、完全武装をした上にギルド武器を持って劇的なステータス上昇を果たしたモモンガ、同じくフル装備のナザリック内で最高峰の防御能力を誇るアルベド、最後に完全戦闘態勢の守護者最強の存在であるシャルティアがいる。

 

 この面子(メンバー)でどれほど敵に対抗することができるのか全く分からないが、少なくとも誰か一人が欠けることを想定して動かなければならないだろう。

 今この瞬間がまさにアカツキ達の戦闘能力が試される正念場である。

 

(すまない、皆。俺が身勝手な行動をしたばかりに、皆を危険な目に晒すことになってしまった)

 

 アカツキは激しい罪悪感に苛まれる。自らの勝手な行動で自分のみならず仲間にも危険を晒して迷惑をかけているのだ。

 やはりここはアカツキが責任を持ってたった一人だけで、最後まで事にあたるべきだろう。

 

「……モモンガさん。俺が一人で戦います」

「何を言っているんですか!! アカツキさん!!」

「正気でごさいますか! アカツキ様!」

「何をお考えなのですか! アカツキ様!」

 

 モモンガ、アルベド、シャルティアの三人が物凄い勢いでアカツキを責める。アカツキはしゅんとなる。そこまで怒らなくてもと……。

 

「敵の戦闘能力が分からない現状で! そんな馬鹿なことを言わないで下さい!」

「でも」

「黙らっしゃい! もしかして自分一人だけで飛び出して行ったことに責任を感じているのですか? だったら見当違いも甚だしい!」

 

 モモンガの真剣な瞳がアカツキを見据える。

 

「私たちは仲間です。こういう状況だからこそ力を合わせて協力しなければいけないんです」

「でもモモンガさん」

「やかましい!」

「痛っ! スタッフで殴らなくてもいいでしょう……それもギルド武器で」

「アカツキさんが聞き分けがないのがいけないんです。なんならもう一発いっときますか?」

「すみませんでした、モモンガさん」

「よろしい」

 

 モモンガは突き出したスタッフを引き戻して満足げに頷く。

 

「報酬としてこの世界の硬貨も手に入れておきたいですし、王国に恩を売る良い機会でもあります」

「モモンガさんあなたは……」

「一体何年アカツキさんと付き合っていると思っているんですか。アカツキさんが彼らを助けたいという事は、言われなくても分かります」

 

 仮面に隠れて表情が分からないが、モモンガは確かに今笑った気がした。

 

「それにアカツキさんの事です。一度彼らを助けた手前、途中で放り出すようなことをしないのは分かっていますとも」

 

 そうやって俺も助けられましたからね、とモモンガは誰にも聞こえないように小さく漏らす。

 

「ではモモンガさん……」

「ええ。この依頼を引き受けましょう」

 

 モモンガは敵がいる方向に視線を向ける。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに敵対する者がどういう最期を迎えるのか。それを存分に思い知らせてやりましょう」

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 ニグン・グリッド・ルーインは、スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群、六色聖典のひとつ。主に亜人の殲滅と掃討を任務とする陽光聖典の隊長である。

 

 陽光聖典に所属する者は一人一人が最低でも第三位階魔法を行使でき、さらに近接戦闘も行える選りすぐりの超エリートともいえる人材で構成されている。

 そんな陽光聖典の隊長を務めるニグンは困惑げに眉を潜める。

 王国の腐敗しきった貴族達を上手く思考誘導させて、武装を剥ぎ取ったガゼフをこの村に追い立てるように仕向けたのは良かった。

 しかし、ニグン達の目の前に現れたのは見たこともない四人組だった。しかもその装備品の数々はどれもが一級品と思えるマジックアイテムだろうことは一目見ただけでも容易に分かる。

 どうして姿を見せるのが村に追い詰めたガゼフではなく、こんな正体不明のもの達なのだろうか。

 

「お前達は一体何者だ!」

 

 ニグンは怒りに顔を歪ませながら、苛立たしげに叫ぶ。

 

「はじめまして、スレイン法国の皆さん。私はアカツキ。こちらにいるのが私の仲間であるモモンガ、アルベド、シャルティアです」

 

 真紅の外套を羽織った謎の人物が前に出てきて、軽く一礼をする。

 

「ほう。それで貴様らの目的はなんだ? まさか命乞いをしにきたとでもいうのかな?」

 

 嘲笑を浮かべたニグンが見下すようにアカツキ達に侮蔑の視線を投げ掛ける。

 

「そうではありません。私たちはこの村を救うために来ました。なので、あなた達をここで止めに入りたいと思いまして」

「ふん。話しにならんとはまさにこの事だ。貴様らはそんな下らない理由で我らの前にノコノコとやって来たのか。全く持って理解に苦しむ愚か者どもだな。貴様は馬鹿か?」

 

 アカツキの後ろに控えている真紅の甲冑を着込んだ人物--シャルティアが前に出ようとするのを、漆黒の全身鎧に身を包んだ者--アルベドと漆黒のローブを纏った者--モモンガが止める。肩を激しく震わすその姿は侮辱されたことに対して激しく怒っているというのが、遠目から確認しただけでも手に取るように分かる。

 それはシャルティアを押さえ付ける二人も同様だ。特にモモンガの方はニグンを睨み付けるように鋭い視線を向けている。

 そんな光景をニグンは嘲笑うようかのように口元を吊り上げながら、挑発じみた口調で言い放つ。

 

「なら、どうするのだ? ここで無様に我々に殺されるか? 今なら地面を這いずり回りながら許しを請えば、助けてやらんこともないぞ?」

「それには及びません。こう見えて多少腕には自信がありまして、そう簡単には負けないという自負があります」

「ふん、ならば死ね。ガゼフもろとも無様にその汚い臓物をぶちまけろ!」

 

 ニグンの号令の元、二体の炎の上位天使がアカツキ達に襲い掛かる。

 アカツキが動く前にモモンガが勢いよく進み出る。

 

「あったまきた! 〈負の爆裂(ネガティブ・バースト)〉!」

 

 モモンガを中心にして発生した黒い光の波動が周辺に解き放たれて、その範囲内にいた天使をかき消した。

 

「ばっ、馬鹿な!」

 

 ニグンが驚愕する一方で、アカツキがモモンガに詰め寄る。

 

「モモンガさん! 後衛であるあなたが勝手に前に出ないで下さい! 危ないじゃないですか!」

「あいつらがアカツキさんを侮辱するからいけないんです。俺の大切な仲間を馬鹿にする奴は絶対に許しておけない!」

「いいから……、ここは前衛である俺に任せて下さい。打ち合わせどおりに不測の事態に備えて後で待機していて下さい。シャルティアもスポイトランスを下げて後ろにいっててくれ。アルベド、モモンガさんとシャルティアを頼む」

 

 必死に宥めるアカツキに渋々といった様子で従うモモンガ、アルベド、シャルティア。

 ニグンは何が起こっているのかさっぱり分からなかったが、彼らの無防備な姿を見て我に返る。

 今が彼らを仕留める絶好のチャンスだと確信して。

 

「全天使で攻撃をしろ。急げ!」

 

 命令に従い、弾かれたように全ての天使が一斉に襲い掛かる。

 しかし--。

 横一文字に迸った一条の銀色の光が、周辺を取り囲むように展開していた天使を切り裂く。

 

「はっ?」

 

 光り輝く無数の粒子となって消滅していく天使達を、ニグンは訳が分からないと間の抜けた声を漏らしながら眺めた。

 視線を向ければアカツキの右手にはひと振りの剣が握られていた。銀色の刀身に精緻な細工が施された見事な造りの剣は、魔法的な輝きを放ちながら淡い光を灯していた。

 恐らくはその剣で天使達を切り裂いたのだろう。

 しかし、あの天使達をたったの一撃でほふることなんて出来るのだろうか。

 召喚した天使達は魔法を付加した武器でなければ有効的なダメージを与えることができない。

 あの一級品のマジックアイテムの類であろう剣ならば、確かに天使達を切り裂くことはできるだろう。

 しかし、それだけでは天使達を切ることは出来ても倒すまでには至らない。

 だが、アカツキはたったのひと振りだけで全天使を消滅せしめた。それは単純にマジックアイテムの力だけではなく、アカツキの実力も非常に優れていることに他ならない。

 ニグンは背筋に寒気が走るのを感じると、焦燥感に駆られたように声を荒げて次の命令を下す。

 

監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)よ! かかれ!」

 

 片手に大きなメイス、反対の手に円形の盾を持った全身鎧に身を包む監視の権天使がニグンの命令に従い動き出す。

 監視の権天使はアカツキの元まで辿り着くと、光の輝きを宿すメイスを大きく振り上げる。

 ニグンはアカツキが監視の権天使の一撃によって潰される姿を予期していたが--。

 一閃。

 袈裟掛けに走った一条の銀光が、上位天使である監視の権天使を容易く両断してしまう。

 

「そんな馬鹿な! あり得ないぃぃ!!」

 

 ニグンが目を剥くのを尻目に、部下達は天使が意味をなさないと知ると、悲鳴にも似た絶叫を上げながら様々な魔法をアカツキに向けて行使する。

 しかし、その全てがアカツキを打ち付けても当の本人は全く堪えていない様子で悠然と立っている。

 

「こっ、こうなればぁ!」

 

 ニグンは震える手で懐からクリスタルを取り出す。

 

「見るがいい。これこそかつてこの大陸を蹂躙した魔神をも倒した最高位の天使が封じ込まれている至高のマジックアイテムだ。貴様らは良くやった、我らが召喚した天使達を前に奮戦して見事に打ち倒した後に、この奥の手である最高位天使を使わざるをえない状況まで我らを追い詰めたのだから。その頑張りは賞賛に値する。しかし、そこまでだ。お前らがどれ程優れた力を持つ者なのか、先の戦闘で十分にわかった。正直、お前らには敬意すら感じる。誇るがいい。我らエリート中の超エリートである陽光聖典を相手にここまで戦い抜いたのだからな。だが、これまでだ。最高位天使を出す今、お前達の奮闘も運命もここで終わりなのだ。これより先は神聖なる最高位天使の大いなる威光に身も心も魂でさえも焼かれるのだ。安心するがいい。慈悲深い私がお前達が悲しまないようにお前達を殺した後にガゼフも! 村人達も! 皆共々にあの世に送ってやるからな。フハハハハ!」

「戦闘中なのに、よく喋るねあんた。危ないですよ? いいからはよ、はよ」

「アカツキさん。気持ちは分かりますが、取り合えずアルベドの後ろまで下がってくれませんか? 一応警戒した方がいいですよ?」

 

 ずいぶんと呑気なアカツキ達の様子にニグンは額に青筋を浮かばせながら、声高らかに叫ぶ。

 

「我らの祈りに答え、今こそ顕現せよ!」

 

 天に向けて高々と掲げたクリスタルが砕けて、眩い輝きが放たれる。

 

「刮目せよ! 大いなる最高位天使の荘厳たる尊き姿に! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 

 それは光り輝く集合体だ。翼の塊の中から現れたそれは異様な外見をしているが、清浄な空気を纏うその姿は見れば紛れもなく聖なるものだと感じ取ることができる。

 

「これが俺たちに対する切り札なのか?」

「威光の主天使だと……。ショボすぎだろ」

 

 ニグンは訝しげに眉をよせる。

 人間では絶対に勝てない最高位天使を前にして、どうしてそんな余裕の態度でいられるのかと。

 ニグンは自身の顔が紅潮するのを感じた。

 もはや相手にするのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりのアカツキ達に、腸が煮え繰り返るような激しい怒りを抑えることができなかった。

 

「くらえぇぇぇ! 善なる極撃《ホォォォリィィィスゥマァァイィトォォォォォ》!!」

 

 人間では決して到達することができないとされる領域にある第七位階魔法を行使する。

 スレイン法国では大掛かりで行う大儀式でようやく始めて使用できるようになるそれを、この威光の主天使は単体で発動することが可能なのだ。

 

「やれやれ、どうしますモモンガさん?」

「どうするもなにも……あれじゃあ…なぁ……。はぁ……、アルベド、それにシャルティア。お前達はいいから下がっていろ」

 

 アカツキとモモンガが気だるげに前に進み出ると、何をするわけでもなく棒立ちのまま威光の主天使の究極の一撃を受け止める。

 

 悪しき存在を浄化する神聖なる光の柱が天を貫かんばかりに立ち上る。

 ニグンは己の勝利を確信して嘲笑った。

 魔神さえも滅ぼす最高位天使の一撃に人間程度が堪えられる訳がない。

 それなのに避けようともせず、真正面から堂々と受けた愚か者に軽蔑と侮蔑の視線を送った。

 

 そして、光の閃光が徐々にかき消えていく。

 その光景を眺めていたニグンの顔が--固まる。

 

「ふははは。属性が悪に傾いているだけあって、流石にダメージはあるか。しかし、これが痛みを負う感覚か」

「妹の片ぱんよりは全然痛くない。まあ、俺のカルマ値はそんなに高くないからな」

 

 神々しい光の柱の中から平然とした姿で現れた二者は跡形もなく消滅するどころか怪我のひとつも負っていないように見える。

 呑気に肩を回す仕草を取る姿は痛みすらあまり感じていないようにも思える。

 

 ニグンは信じられないとばかりに目を見開く。

 何故、最高位天使の超絶とした領域にある究極の魔法を受けて無傷なのか、と。

 ひきつった笑みを浮かべるニグンを尻目に、絶叫ともいえる声が空気を切り裂く。

 

『か、かとうせいぶつがぁぁぁ!!』

 

 その声の発生源はアカツキとモモンガの背後に立つアルベド、そしてシャルティアだ。

 

「私の大切なぁぁ、御方にぃぃぃ、痛みを与えるなどぉぉ!」

「絶対に許さねぇぇぞぉ!! このブタどもがぁぁぁ!」

 

 身体をかきむしるように暴れるアルベドとシャルティア。

 そんな二人を止めるようにアカツキとモモンガが優しく声を掛ける。

 

「なっ、なんなのだ一体」

 

 ニグンが声を震わしながら、何か邪悪で巨大な化け物が蠢くような気配を放つアルベドとシャルティアを眺める。

 その時だった。

 威光の主天使の胸に三メートルを超える巨大な戦神槍が突き立つ。

 

「へっ?」

 

 ニグンが呆然としながら、威光の主天使が光の粒子となって消えていく姿を眺める。

 

「せ、清浄投擲槍! シャルティア!」

「だ……だって、あいつらが悪いんです。私の愛しい御方に無礼を働くから」

 

 もじもじと身体をくねらせるシャルティアをアカツキが頭を抱えながら叱りつける。

 まるで小さい子供が何か悪いことを仕出かした時に怒る親のような光景が広がっていた。

 

「お前達は何者なのだ」

 

 ニグンは得たいの知れない恐怖に身体を震わす。

 

「だから、何度も言っているだろう」

 

 モモンガがやれやれと肩を竦める。

 

「ただの魔法詠唱者だ」

「そんなわけあるかぁぁぁ!」

 

 ニグンはぶんぶんと狂ったように頭を振るう。

 

「あっ、あり得ないぃぃぃ。最高位天使を、魔神すらも超える最高位天使を、人間を超越する最高位天使を、倒せる者などいるはずがないぃ!」

「だが、こうして倒されているが?」

 

 モモンガの冷たい声が静寂とした草原に響き渡る。

 

「さて、お遊びもそろそろ飽きてきたころだし……これぐらいで終わりにするか?」

 

 弾かれたように我に反ったニグンは部下達を切り捨てて、自分だけ助かるためにアカツキ達に命乞いをする。

 しかし、そんなニグンに返ってきたのはどこまでも冷めきったモモンガの冷たい突き放すような声であった。

 

「お前達は俺の大切な仲間を侮辱した。俺が何よりも大切にする仲間をだ」

 

 モモンガは怒りに肩を震わしながら、宣言する。

 

「それだけは絶対に許さない。生まれてきたことを後悔するような絶望と、苦痛の中で死んでいけ」

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 アカツキは夜空に浮かぶ星々の輝きを感動したように見つめながら、隣に寄り添うように付き従うシャルティアに声を掛ける。

 

「シャルティア、今日はお前達に迷惑を掛けた」

「そのようなことはありません。至高の御方に尽くすことが、私達の存在理由です」

 

 夜の帳が降りた草原には人工的な灯りが一切なく、星の明かりだけが唯一の光源であった。もっとも、暗視(ダーク・ヴィジョン)のスキルを持つアカツキとシャルティアには関係のないことであったが。

 

「それにしてもよろしかったのですか? あの人間達に貴重なアイテムをお与えになられて」

「そこは大丈夫だ。モモンガさんと話し合って、将来の布石として渡したものだからな」

「さすがはアカツキ様。その深遠なるお考えに、私は感服するばかりです」

 

 シャルティアが感心したように頭を深々と下げる。

 アカツキは軽く手を上げることでそれに答える。

 

 村に戻ったアカツキ達を迎えたのは惜しみない賛辞や感謝の言葉であった。

 村人総出で感謝の念を浮かべ、そしてガゼフからはお礼の言葉と共に厚い握手を交わしてきた。

 あの時の輝く瞳は今でも鮮明に思い出すことができる。

 

 

 アカツキは隣にシャルティアを連れ歩きながら、星が煌めく夜空を見上げて思った。

 

……シャルティア、さりげなく腕を組むのはやめてくれ。スポイトランスの端が当たって地味に痛いから、と。

 

 

 




年末に投稿しようと思って急ぎましたが、遅れてしまいました。
申し訳ありません。
中途半端な書き貯めをしていたら、間に合いませんでした。

不定期更新ですが、今年もよろしくお願いします。
皆様が楽しんでお読み頂けるように、精一杯頑張りたいと思います。


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