少女Aの憂鬱 (王子の犬)
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入学式~クラス代表決定戦とその後
★1 入学式


 IS学園の校則をくまなく探しても女子校という文字はない。そうかといって共学という文字もなかった。ISが女性にしか扱うことができないという事実から、世間では我が校は女子校という認識で一致している。

 先日オリムライチカなる健全な青少年が何を血迷ったか、IS学園の試験会場に迷い込むという離れ業をやってのけ、挙げ句の果てにISを動かしてしまうという前代未聞の荒業をやってのけた。

 全世界を揺るがす一大事と話題になったが、無事IS学園に合格した私は事前課題をこなすことに精一杯で新聞記事を流し読みするぐらいの興味でしかなかった。

 まさか男の()ということはあるまい、と私は下衆の勘ぐりをして入学式に臨んでみたのだけれど、男子用の制服を着ていた事に安心する一方で、とても残念そうに大きなため息をついてしまった。

 あれがうわさの、といったささやきが聞こえる。

 隣に並んでいた女子などは、私を見て、

 

「タイプじゃなかった?」

 

 と声を潜めて話しかけてきたので、あいまいな笑みを浮かべて小さく首肯した。

 渦中の人であるオリムライチカは見ていて気の毒になるほど緊張していて、視線のやり場に困っているのか落ち着きがない様子だった。

 もし私が、男子校に入学することになって他に女子がいない、という異常な光景を目の当たりにしたらそれはもう怖いに違いない。彼の気苦労が分かるというものだろう。

 さて、入学式が終わって引率の先生の後にくっついて教室へ向かっているのだけれど、このIS学園とやらは私がいた中学校とは違って設備からして豪華なので、物見遊山のつもりで先生の説明を話半分に聞きながらじろじろ見回していた。老朽化でくすんだ灰色の塗装がひびわれしていて、さらに卒業生がいたずらのつもりでスプレーで落書きをするので、用務員がクリーム色の塗料を使って消して回っていたら校舎が砂漠仕様の迷彩模様みたくなってしまった母校とはあまりにも異なった。

 教室の引き戸が自動ドアという時点で、もはや何も言うまい。

 

「皆さん、早く席に着いてくださいね」

 

 と先生が急かす。

 黒板代わりに設置された投影型モニターなど、多額の予算が投じられたと分かる設備の前にぼうぜんと立ち尽くしていたらしく、入学式で声をかけてきた生徒に、

 

「ほら、いくよ」

 

 と手をひかれて一歩を踏み出していた。

 生徒机に置かれた三角柱型の表札に氏名が表示されていたので、自分の名前を探してそのまま席に着く。

 私の席は廊下側で、さきほど手を引いた生徒は偶然にも隣の席だった。

 

「よろしくねー」

 

 と言うその生徒はとてもノリが軽かった。四方八方に屈託のない笑みを振り向けるので、幸先が良いなと考えながら、よろしく、と返事をしたら、彼女は突然顔を赤らめてはにかみながらもじもじとしたしぐさから、初日だから緊張しているのかな、と独りごちた。

 一息ついて、正面を見ると、そそくさと中央の一番前の席について小さく背中を丸めたオリムライチカの姿があった。

 彼の席は、わざと配置したのではないか、と疑いたくなるような絶好の配置だった。教壇の前なので居眠りは不可能だろう。しかも私を含む好奇の視線が彼に集中しているのだから、さぞかし居心地が悪いことだろう。

 引率の先生は全員が席についた事を確認してから自己紹介を始めた。

 

「皆さん、入学おめでとう。

 私は副担任のヤマダ(山田)マヤ(真耶)です」

 

 沈黙が教室を支配した。先生は童顔で大きなフレームの眼鏡をかけていて、背丈の割に大きな胸を強調した服装に、大層抱き心地が良さそうな、しかも優しそうな雰囲気の女性だったが、教壇の手前を注視する生徒たちのあまりの反応のなさに困惑の表情を浮かべた。副担任という事は別に担任がいると思い、辺りを見回したが、壇上の山田先生以外に大人の気配はなかった。

 

「あ、えーっと……あ。

 今日から皆さんはこのIS学園の生徒です。

 この学園は全寮制、学校でも放課後も一緒です。仲良く助け合って楽しい三年間にしましょうね」

 

 やはり周囲の反応がなかったので、さすがにかわいそうな気持ちになってきたものの、山田先生を視野の裾に留め置きながら、己の場違いさに小さくなった少年の背中に焦点を合わせ続けた。

 

「じゃ、じゃあ、自己紹介をお願いします。

 えっと出席番号順で」

 

 山田先生は、とりあえず乗り切った、みたいな表情を浮かべ、なんだか扱いの難しいクラスを受け持ったのではないか、という一抹の不安を隠しきれない様子だった。

 あいうえお順で進む自己紹介に、さすが全国津々浦々から学生を集めているのだなと感心しつつ、おとなしそうな顔をしてエリートだらけじゃないか、どうしよう、と心臓の鼓動が早まる。話題の彼がどんな自己紹介をするのか期待しつつ、私は緊張で余裕がなくなって膝が笑い出すのを止めることができずにいた。

 

「オリムラ、イチカくん」

 

 教壇の手前に配されたタワー型の表札のてっぺんが赤くなり、回答者という文字が表示される。彼はというと山田先生に呼ばれて返事をしたが、虚を突かれたと言った風情で間抜けな表情をしている。

 緊張で頭がいっぱいになった私が気がついたときには、既に彼の出番になっていた。

 オドオドとした様子で自己紹介を促す先生の猫なで声に、大人のあざとさを感じずにいられなくて、両腕で挟むようにして強調された胸部を後ろからわしづかみしたらどんな声で鳴くのか、と考えた私の下衆加減につかの間自己嫌悪に陥っていたところ、

 

織斑(オリムラ)一夏(イチカ)です。よろしくお願いします。

 以上です」

 

 と世界唯一の男性IS操縦者は、期待していたよりもずっと簡素な自己紹介を終えていた。

 いつの間にか現れたのか、そっけない織斑の態度に憤って鉄拳制裁する、生の織斑(オリムラ)千冬(チフユ)は美女だった。

 IS学園の新入生は彼女にあこがれて厳しい試験を突破した者がほとんどで、私のように動機があいまいなまま合格してしまった生徒もいるにはいたけれど、少数だと信じたい。

 私はクラスメイトが我先にとあげる十代女子の声の洪水に飲み込まれるものかと両耳を手でおおった。

 女性から見て男前な顔立ちなのだけれど、黄色い声を上げるほどなのか、と我ながらクラスメイトの熱狂振りに驚いた。耳を慣れさせつつ、ゆっくり手を下ろした私は隣席の生徒を見やったところ、お互いに目があって、同級生の元気の良さに引きつった笑みを浮かべていることを確認し合った。

 織斑(オリムラ)は珍しい名字なので、日本国内にそう何人もいないと推測でき、すぐに彼らのやりとりをみて、姉弟だと察した者がヒソヒソとささやきあう姿が見えた。

 親しげに、千冬姉(ちふゆねえ)と呼ぶ姿は、家族の気安さなのだろう。

 それにしても千冬様。騒がしい中で誰にも聞こえないようにしてつぶやくと、これがどうしてしっくりくるのだ。お姉様、と軽々しく口にするのは良くないと己の不純な考えを振り払おうとしたが、周囲の騒ぎように小さな頭を悩ませる事が愚かではないか、とも考えが浮かぶ。

 その考えを打ち消そうと山田先生に視線を移せば、彼女が織斑千冬を見る目は信頼の二文字だと言って良いだろう。織斑先生が君付けで呼んだことから、先生が今の外見のまま男性だったらなあ、と考えるに至って妄想が止まらなくなった。

 しかし現実は無情なので、再び大きなため息をついてしまう。

 

「やっぱりタイプじゃない?」

 

 隣の生徒が話しかけてきたけれど、その言葉が誰を指しているのかほとんどを聞き取ることができず、条件反射で首肯してしまった。

 そうこうしているうちに私の番が回ってきた。

 隣の生徒――彼女は自己紹介で(ケイ)と名乗った――は、

 

 「がんばれ」

 

 と緊張で顔が強ばらせた親指を立てて応援する。

 

「××××」

 

 ついに私の名前が呼ばれ、勢いよく席を立ったけれど、気負いすぎて頭の中が真っ白になって、クラスメイトの視線が気になるあまり慌てて自己紹介の第一声を放った。

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

 声が裏返った――。

 

 



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★2 男の子はとにかく実弾を撃ちたがるから!

 私は己の至らなさについてひどく腹を立てていた。

 最初こそつまずいたが、自己紹介は順調だったと自賛しているものの、着席時にうっかり椅子の位置を確かめる事を忘れて尻餅をついてしまった。

 (ケイ)などは、

 

「えーちゃんはおっちょこちょいさんなんだねえ」

 

 と明るく純真で無邪気な笑みを浮かべるので、周囲の失笑が気にならなくなったのは幸いと言えたのだけれど、それでも気恥ずかしさは消えなかった。

 私がオリエンテーションなど早く終わってしまえと呪いの文句を念じているうちに、山田先生が教壇でISの概要説明を始めた。

 事前課題として手渡された参考書の【はじめに】と【ISの歴史】に記された数ページ分の重要な部分を抜粋した説明で、一般的に知られた内容でもあるから、おさらいとして聞いておくとしよう。

 

「皆さんも知っているとおりISの正式名称はインフィニット・ストラトス。

 日本で開発されたマルチフォームスーツです。

 十年前に開発された当初は宇宙空間での活動が想定されていたのですが、現在は停滞中です。

 アラスカ条約によって軍事利用が禁止されているので、今はもっぱら競技種目、スポーツとして活用されていますね。

 そしてこのIS学園は、世界唯一のIS操縦者の育成を目的とした教育機関です。

 世界中から大勢の生徒が集まって、操縦者になるために勉強しています。

 さまざまな国の若者たちが自分たちの技能を向上させようと日々努力をしているんです。

 では、今日から三年間しっかり勉強しましょうね」

 

 クラス一同の元気のよい返事に山田先生は満足そうにほほえむ。しかし彼らの中でただ一人の男子である織斑が不安のあまり顔を青ざめさせていた事を、私は見逃さなかった。

 さて、次の授業までの小休止である。

 超難関で知られるIS学園に、肉親や友人の類が何らかの形で在校していることは、とても確率が低いとされていたのだけれど、先だっての織斑姉弟のような例外がいるものだと実感した。

 機密に触れられるという特典がついて、さらには生徒に巨額の教育費が惜しみなく投入されていることは周知の事実であり、何事にもまず勉学に励まねばならないと決意を新たにした。

 既に奨学金という形で某軍需企業とずぶずぶの関係にある私は、それこそ中退などという憂き目に遭ったときには、一般企業に就職したとしても毎月の給料から自動的に数万円の天引きがなされるという悲しいお知らせが待っていて、もちろん税金や厚生年金とは別会計である。多少誇張して表現するのだけれど、現在の大卒の平均初任給をもらったとしても、実家暮らしにもかかわらず手取りが両手の指で収まり、その上数本余るんじゃないかという計算になった。

 つまりどういうことかと言えば、中退したら人生が詰んでしまう。

 卒業すればお礼奉公で某軍需企業でISのテストパイロットとして優先的に採用されるかもしれない、という特典の方に目がくらんだ事実は否定できない。

 ずっと緊張したままだったので背筋を伸ばしているとあくびが出た。

 何気なく教室の様子をうかがうと、(ケイ)が猫のようにすり寄ってきて、懐き方が打算的であざとい感じがするのだけれど、彼女自身はその気が毛ほどもない様子で、

 

「ISにまた乗りたいなー」

 

 と欲求不満気味につぶやいてしなだれかかってきた。

 彼女を見ていると雨にぬれた柳が風に揺られる様を思い出し、とても同い年には見えない妖しさを醸し出していたので、ストレートの私でも変な気分になってくるのだ。私の色気が足りていない、と言えばそれだけなのだけれど、見えない何かに負けた気がするのは思い込みに違いない。

 (ケイ)が孤独にため息をつく異邦人織斑は眼中にない様子だったので、一日で友だち百人できるかなを地で行くような彼女にしては変だと思って、

 

(ケイ)は織斑に話しかけないの? 今ならチャンスだと思うんだけど」

 

 と疑問をぶつけてみると、苦笑しながら私から体を離し、指先で肩をたたいて、廊下に注意を向けさせた。

 

「えーちゃんは外の様子が気にならないのかにゃ?」

 

 そこにはたくさんの野次馬が群がっていたので、彼女らの声に耳を澄ます。

 

「あの子よ、世界で唯一ISを使える男性って」

「入試の時にISを動かしちゃったんだってねえ」

「世界的な大ニュースだったわよね」

「やっぱり入ってきたんだ」

「話しかけなさいよ」

「私いっちゃおうかしら」

「え、まってよー。まさか抜け駆けする気じゃないよねー」

 

 最後の発言がとても重要である。

 

「この状況で抜け駆けするとみんなからハブられる気がして、さすがに無理があるわけにゃ」

 

 私と同じ気持ちなのか(ケイ)が腕を組みながら独りごちた。

 

「よくわかりました」

「えーちゃん。試しに一号さんやってみ?」

 

 (ケイ)の口調が、命令することに慣れている人種独特の酷薄さを漂わせたのが、とても意外に感じたけれど、

 

「すみません。無理でした」

 

 と強がる気持ちなどこれっぽっちもなかった。

 異邦人織斑の懐柔は後日行うとしよう。クラスメイトAぐらいに思ってもらえるのが私の最善の立ち位置に思えた。

 まだ初日なので仲良しグループが固まっていないのだけれど、他の子とも話をしてみたいなと思うので、残りの休憩時間はクラスメイトの観察にとどめよう。

 個人的な見解を述べさせていただくと、篠ノ之さんの外見はとても好みだ。ぜひ男装させてみたいという私の下衆根性かもしれないが、初対面の人間に欲望丸出しの発言をしては私=変態という等式が成り立ってしまうかもしれないというリスクは避けるべきなので、文化祭の時までこの案を温存するべきだろう。

 

「おおおっ」

 

 (ケイ)が驚きの声を上げている。何事かと思って教壇まで視線を動かしたその先には、途方に暮れる織斑の前に篠ノ之さんが立っていた。

 

「ちょっといいか」

 

 織斑は気の抜けた声を発すると、篠ノ之さんに誘われるままに屋上へと消えていった。

 残された私たちは、彼らの姿が消えて数名の生徒が後を尾けていくのを見送り、しばらくしてから、教室は驚愕の叫びに包まれた。

 

「何ですの、今のは何でしたの!」

 

 よどみない日本語で取り乱しているのはセシリア・オルコット嬢だった。縦ロールがかかった金髪に青い瞳。美しい白い肌。紳士淑女の国、英国(イギリス)から派遣された留学生である。

 

「篠ノ之さん、だったよねぇ……」

 

 オリエンテーション中からずっとのほほんとしていた布仏(のほとけ)本音(ほんね)さんも驚きを隠すことができなかった。

 みんな一番駆けを警戒するあまり、織斑に声をかけることができなくて、私もその一人なのだけれど、誰も篠ノ之さんに注意を払っていなかった。

 みんながあっけにとられているうちに、速やかに織斑を屋上に連れだして、二人だけの空間にしけこんでしまったのだから、計算してやったのだと疑うならば篠ノ之さんはずいぶんと策士ということになる。

 真面目そうに見えて男をかっさらう手腕に恐ろしさを通り越して、尊敬の気持ちすら生まれてくる。困っているときに身近で親身に接してくれる女子がいれば、案外男はコロっといってしまうものだ。しかしながら、一年女子の大半を敵に回すことを意に介さないとなれば、篠ノ之箒という女は大物に違いないので、決して敵にしてはいけない女と覚えておくことにした。

 いつの間にかセシリア嬢の隣に移動した(ケイ)がちょっかいを出そうとしていた。

 

「セシリーってば悔しそうにして、まっさかー」

(ケイ)!」

 

 腕が脇の下から伸びていることに気がついて、(ケイ)が次にとるであろう行動を見抜いたセシリア嬢は、名を鋭く言い放ち、一瞬だけ彼女の動きを封じて、胸を両手で隠しながら身をよじって隙間を作ると、軽やかなステップで私の隣まで逃げてきた。

 

「冗談だってー」

 

 悪びれもせずに謝る(ケイ)の指先は優しくなめらかにもみしだくような動きだったので、反省の気配がないことを確かめたセシリア嬢は深いため息を吐いていた。そこで、セシリア嬢に知り合いなのかと尋ねると、彼女はさも不服そうな仏頂面になって、

 

「昔、取引先のパーティで知り合ったのですわ。不愉快ですけれど」

 

 と親の敵を見たかのような風情で舌打ちした。何かあったのか、と思ったけれど、他人の領域に入って無理矢理に聞き出すのは失礼に当たるので、この場で話題を打ち切って、その代わりに織斑を観察した成果についてみんなで議論したいと考えた。

 

「さっきの織斑の様子なんだけど、篠ノ之さんに声をかけられてほっとしてなかった?」

 

 私の意見に(ケイ)が頷いた。

 

「わたしもえーちゃんと同じ意見ー。旧知の仲って感じだったよね」

「千冬様以外の姉妹、親戚とか」

「千冬様に織斑くん以外に親戚っていたっけ。選手時代の公式データにはそんなことのってなかったよー」

「あ・や・し・い、ですわ。状況証拠以外にも情報が欲しくなりますわね」

 

 みんなの食いつきが良いので、私は誇らしげに胸を張った。

 二人の後を尾けていった生徒が戻ってきたら何か聞けるのかもしれないけれど、セシリア嬢が言うように邪な推論に必要な材料がほしいというものだ。

 観察による情報収集にも限界がある。しかし、織斑を観察し続けるということは常に彼を意識し続けなければならないことであり、まさしく変に意識しているなどと、恋と愛の区別を知らない未熟者であるわれわれの勘違いを煽るに違いない。

 篠ノ之さんと織斑の接点について知らねばならないという意見が、われわれ全員で一致した見解であり、まさか男女の仲ではあるまいと思いたいのだが、何しろ情報が少なすぎる。

 誰か、情報をもって参れ、と叫びたくなるのだけれど、現実には誰かが織斑と口をきかねばならないのである。

 クラスメイトという利点を持ってしても、生粋の日本人だが目立ちたがり屋ではない私は、誰かが言わねばならないその一言を口にしていた。

 

「織斑に声をかけたい子は挙手してほしい。自薦他薦は問わないよー」

 

 みんなで支援するから、と言葉を足すと、全員がうなずいたので不服はないと考えてよかろう。

 誰が手を挙げてくるか楽しみである。

 私は議長になったつもりで、クラスメイトの反応を待った。

 いってみたら、いきなさいよ、とお互いに譲歩しあう、見慣れた光景が繰り広げられていて、誰も言い出さなければ、だったらあなたがやればいいじゃない、と丸投げされる前にこちらから指名してやるつもりだった。

 

「はーい。セシリーがいいと思いまーす」

 

 元気の良い声がして、みんなが(ケイ)とセシリア嬢を交互に見やった。

 

「なんのつもりですの」

 

 厳しくとがめる声。もしかして(ケイ)が苦手なのだろうか。

 

「ここは英国の代表候補生として、わたしたちに手本を見せてほしいなあ、と」

 

 周囲がにわかに騒がしい。そういえば、という声が聞こえてきた。

 

「オルコットさん、あなたしかいないの!」

 

 鷹月が神に祈るかのような切実とした口調でセシリア嬢に頼み込んだので、他の生徒も後に続けと言わんばかりにすがりついた。

 

「お願い、セシリアさん」

「クラスのために、みんなのために!」

 

 最初はとまどっていたセシリア嬢だったが、誇らしげに腕を組んで仁王立ちになり、

 

「そ、そう……。そうこなくてよ。

 わ、わたくしに任せておきなさい。わたくしがお二人の関係を聞き出して見せますわ!」

 

 みんなのヨイショに気を良くしたのか、高らかに汚れ役を買って出ると宣言してみせた。

 あまりのチョロさに涙を禁じ得ない。これからはチョロコットさんと呼びたくなる光景だった。

 

 

 初めての授業は、事前課題の参考書の内容をなぞるものだった。

 今のところ座学ならついていけると実感したものの、実技の方は早くも不安である。オリエンテーションにて織斑先生が速成教育をする、と宣言したものだから、どんなスパルタ教育が待っているのか考えるだけでも恐ろしい。

 入試の模擬戦試験は、緊張でよくわからないまま終わってしまった。素人にISを着せて、とりあえず戦おうか、などと言われてまともに動かせるわけがない。記念受験のつもりだったけれど、その時はまちがいなく不合格だと思ったから、学園から分厚い通知書が届いても何かの罰ゲームかと疑ったくらいだった。

 一通り説明を終えた山田先生が猫なで声で質問はないか、と織斑に問う。彼女はIS操縦者として先輩にあたるので、初めての男子の後輩に期待しているのではないかと推察する。私も部活の後輩にはよく構ってやったもので、先生だから、と強調したくなる気持ちに大いに共感できた。

 織斑は一度教科書に目を落としてから山田先生を見上げ、元気よく先生と一声発したので、彼女はどんな質問が来ても答えてあげましょう、と豊満な胸を張った。

 

「ほとんど全部分かりません」

 

 期待外れとはよく言ったもので、案の定織斑が降参したのだが、事前課題をこなす前に同じ説明を受けたとしたら織斑と同様の反応するに違いない。

 

「全部ですか……」

 

 とはいえ山田先生の落胆する心中が手に取るように分かる。すぐに彼女は、他にも同じような生徒がいるのではないか、と周りを見渡し、

 

「今の段階でわからないという人はどれくらいいますか?」

 

 と挙手をうながした。

 一人も手を挙げない。平均的な難度の問題だが、問題数と比べて解答時間が短すぎるために、一つミスをすると取り返しがつかなくなるという、あの入試を突破した優秀な生徒たちのことだから、この反応は当然と言えた。

 山田先生の目が泳いでいる。副担任の焦燥を感じ取ったのか、時間割の前で足を組んで座っていた織斑先生が席を立って、出席簿を片手に弟の机に歩み寄った。

 

「織斑、入学前の参考書は読んだか」

「えーと、あの分厚いやつですか?」

「そうだ。必読と書いてあっただろう?」

 

 織斑は言いにくそうに下を向いていたが、意を決して姉を見上げる。

 

「間違えて捨てました」

 

 すぐさま織斑先生が出席簿で弟の横っ面を張った。動作に迷いがない。どうやらこの答えを予期していたらしい。

 大きな音がしたけれど、痛そうにしていないところから察するに、手加減を心得ているように思えた。姉弟でなかったら体罰で騒がれそうなところだけれど、身内の恥さらしを何とかしたいという織斑先生は心中穏やかではないのだろう。

 

「後で再発行してやるから。一週間以内に覚えろ。いいな」

「いや! 一週間であの厚さはちょっと」

「やれと言っている」

 

 織斑先生は暗に反論は認めない、と鋭い表情で言い切った。

 騒ぎの主は観念したのか、背を丸めて頭を垂れた。

 さて、織斑がらみの一幕があったものの、その後の授業は滞りなく進んだ。チャイムが鳴って休み時間になると、セシリア嬢が席を立った。

 私を含めたクラスメイトは篠ノ之さんが頬づえをついたまま窓の外を眺めていることを確かめてから、セシリア嬢に向かってうなずいて見せた。

 

「セシリー、グッドラック(Good luck.)

 

 (ケイ)は見事なクイーンズイングリッシュを口にして、らんらんと目を輝かせてセシリア嬢を送り出す。

 ふん、と鼻を鳴らして(ケイ)から視線を外し、堂々とした足取りで教壇前の織斑席へ向かった。

 それにしては、まるでこれから織斑にけんかを売りに行くような調子だった。

 

「ちょっとよろしくて」

 

 織斑は頬づえをついてシャープペンシルをもてあそんでいたが、セシリア嬢に声をかけられてもぼんやりとした様子で、眠たそうな表情で振り返った。

 気が抜けた声を漏らし、興味ないと言わんばかりの風情がセシリア嬢の気に障ったらしい。

 

「まあっ、なんですの、そのお返事!

 わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるというのではないかしら?」

 

 高圧的に話を進めようとするが、織斑はなぜ自分が話しかけられたのか飲み込めていない様子で、

 

「悪いな。俺、君が誰なのか知らないし」

 

 と素直に答えたところ、セシリア嬢は息をのんで絶句した。

 するとすぐに威圧するように机を叩いて、身を乗り出して織斑に向かってまくしたてる。

 

「わたくしを知らない? セシリア・オルコットを?

 イギリスの代表候補生にして入試主席の、このわたくしを!」

 

 セシリア嬢は金髪碧眼の絵に描いたような美少女で、男ならば一目見たらその姿をまぶたに焼き付けようとするのが道理だと思うのだが、それを知らないと言うのは、本当に余裕がなかったのだろう。

 

「あ。質問いいか」

 

 その声を聞いて、鼻息荒ぶるセシリア嬢が口をつぐみ、一息おいてから、

 

「下々の者の要求に答えるのも貴族のつとめですわ。よろしくてよ」

 

 と息巻いた。

 織斑は真剣な面持ちでセシリア嬢を見つめて、ゆっくりと口を開いた。

 

「だいひょうこうほせいって、なに」

 

 しばしの間。セシリア嬢が織斑が言いはなった単語をゆっくりかみ砕きつつも、額から冷や汗が流れ落ちるのを止められなかったようである。

 私は高圧的な態度で接するセシリア嬢が、実は舞い上がって目的を見失っているのではないかと感じていたのだけれど、織斑は予想の斜め下を行く逸材であると感じ、成り行きを見守ることにした。

 

「信じられませんわ!

 日本の男性というのはみんなこれほど知識に乏しいものなのかしら。

 ……常識ですわよ。常識」

 

 どうやらセシリア嬢は下手な冗談と受け取ったらしい。

 

「で、代表候補生って?」

 

 そんな織斑に代表候補生について解説するセシリア嬢の背中に、英国旗がたなびく幻が見えたのは気のせいだろうか。しきりにエリートを強調するけれど、織斑の横顔はたるんだ間抜けな様子で、本当にISに興味がないといった風情である。

 

「バカにしていますの」

 

 真面目にとらえない様子に、セシリア嬢の声音が一段と冷えこんで、織斑が口答えするものの、その言葉ですらセシリア嬢の揚げ足を取ろうとしたようにも感じ取られ、後は惰性で進んだ。

 

「大体何も知らないくせによくこの学園に入れましたわね。唯一男でISを操縦できると聞いていましたけど期待外れですわね」

「俺に何かを期待されても困るんだが」

「まあ、でも、わたくしは優秀ですから、あなたのような人間でも優しくしてあげますわよ。

 わからないことがあれば、まあ泣いて頼まれたら教えて差し上げてもよくってよ。

 何せわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから」

「俺も倒したぞ。教官」

「はあ?」

「倒したっていうか、いきなり突っ込んできたのをかわしたら壁にぶつかって動かなくなったんだけど」

 

 別に大したことではない、と言わんばかりの様子にセシリア嬢は激高する。

 

「わ、わたくしだけと聞きましたが」

「女子では、というオチじゃないのか」

「あなた! あなたも教官を倒したって言うの!」

「落ち着けよ、なあ」

「これが落ち着いていられ――話の続きはまた改めて。よろしいですわね」

 

 チャイムが鳴ったのを機に肩を怒らせて歩き去るセシリア嬢だったが、クラスメイトの不満げな視線に気付いて、一度教壇を見やって織斑がぼうっと前を眺めている事を確かめてから、両手を顔の前で合わせてごめんなさいと身ぶりで謝った。

 人選ミスをしたのは間違いない。(ケイ)などは親指を下に向けて拳を上下に振って見せ、山田先生たちが姿を見せるまで唇をとがらせてぶーぶー言っていた。

 

 

「これから寮まで引率します。用事がある生徒以外は先生についてきてください」

 

 放課後、特に用事がない私は、学生寮まで引率する山田先生についていくことにした。

 見取り図が配布されていたとはいえIS学園の敷地は広大であるから、初めての場所で迷子にならないとも限らないので、初日から織斑の後をつけていくようなまねは控えたかった。

 それにしても広い。日本のどこにこれだけの敷地が確保できたのか、いささか疑問が募ったが、施設を使う身としては豪華さがまぶしすぎるというものだ。

 いったい何畳あるというのだ。二人部屋ということを差し引いても、実家の私室より一人あたりの面積に差がありすぎて泣きたくなってくる。国や学園の補助が入っていなかったら家賃が大変なことになっていたのではないか。

 どこぞのホテルのスイートなのか、と私は驚喜していた。

 荷物を置いた私はベッドに腰掛けてルームメイトを待っていると、

 

「ここかー」

 

 と(ケイ)がドアを開けて入ってきた。

 私は改めて部屋割りを見なおし、どうやって読むのか分からない名字の生徒が(ケイ)であることに初めて気がついた。

 

「えーちゃんじゃないですか。二組にも同じ名字の子がいたから、てっきりその子だと思ってたよ。よかったー」

 

 内装をじろじろと見回してから学生カバンを壁際に置いて、

 

「これからはルームメイトだね。よろしく」

 

 と握手を求めてきたので、私ははにかみながら小さな声で、よろしく、と答えて握り返した。

 (ケイ)の手は見た目と比べて皮膚が硬くなっており小さな切り傷の痕がたくさん見受けられ、案外苦労人なのかな、と思った。

 

「トイレは室内にないんだねー」

 

 (ケイ)がシャワー室をのぞき込みながらスイッチ類を指でなぞっている。

 

「そーだ。さっき聞いたんだけど。織斑の部屋なんだけどさー。篠ノ之ちゃんと同室なんだってーすごいよねー」

「そうなん、だ……。それって」

 

 私の頭にひらめくものがあった。部屋割り表をひっくり返して、篠ノ之の文字を探した。一二〇五室に織斑の文字もあった。これはつまりむにゃむにゃな状況である。

 織斑は参考書の再発行してもらいに行ったはずだから、到着が遅れるはずなので、たまらなくなった私の決断は早かった。

 

「売店の場所わかる?」

「んー? 一階のロビーと寮のそばに一件あったけど。外の方が大きいし、ドラッグストアも兼ねていたみたいだからそっちがいいんじゃない?」

「ありがと」

 

 (ケイ)は首をかしげていたもののすぐに合点がいったのか、相づちを打って性根の曲がった意地悪なにやけ顔に変わった。

 制服のまま早足で飛び出したが、どうってことはない。織斑と篠ノ之さんが同室になったので、下衆の勘ぐりをした私は、ベッドの中の戦争においてもっとも重宝されるという戦略級重要物資を入手すべく、見取り図を片手に売店に向かった。生理用品の隣に置かれていたそれは、片手に収まる程度の小さな箱にすぎなかった。

 私は早速一箱十二個入りのそれを手に取って、絆創膏と一緒にお金を払った。

 十五歳のいたいけな少女と自他ともに認める私ではあるが、実はかの戦略級重要物資の補給活動に携わったのは初めてではなかった。私は年頃の男子と寝所をともにした経験が無く、生涯をともにしたいと感じた男性以外に体を開くつもりはなかったのだけれど、中学時代の同級生に強く請われてドラッグストアまで付き合ったことがある。

 売り子のお姉さんの営業スマイルに胸を痛めたが、これぐらいの犠牲はつきものだと考えた。現実に事故が発生してからでは遅く、われわれの育成には世界中から巨額の資金が注ぎ込まれているので、これは万が一のための保険(ポカヨケ)なのだ、と自分自身を納得させる。

 私には懸念があった。織斑の外見はいい男である。中学時代ならば恋愛の話題の中心にすえてあれこれ語り合うこともできたかもしれない。

 篠ノ之さんが手を出す分には特にややこしい問題が起こらないのだけれど、もしもセシリア嬢に手を出されたら日英戦争が起きかねず、殴り合いに勝てたとしても、我が国は尻の毛までむしり取られている状況を容易に想像することができる。

 学園側は国際問題に発展しかねない状況を作り出していることに気付いていないのか、あるいは、気付いているのか全く意味がわからない。篠ノ之さんは策士だから、織斑先生と裏取引した可能性が大いにあり得る、と勘ぐりたくもなった。

 肩で息をしながら寮に戻ったところ、廊下で部屋着に着替えた(ケイ)やセシリア嬢、鷹月らその他のクラスメイトに出くわしたので、これから篠ノ之さんをたずねるつもりだけど一緒にこないか、と誘ってみると、面白そうの一言で全員の意見が一致した。セシリア嬢も、「け、(ケイ)がろくでもないことをやらかしたらいけませんから、わたくしもついていきますわ」と金髪を優雅にかきあげながら答え、見え透いた好奇心を隠そうと強がっていた。

 早速一二〇五室へ行くと、ドアにいくつか穴が空いており、何をどうすればこうなったのかさっぱりわからない。

 気を取り直して篠ノ之さんを呼び出し、木刀を片手に廊下に出た彼女に向かって、群衆が取り巻く中でその物資を渡した。

 

「何だ、これは」

「篠ノ之さん。よーく聞いてね。これは大事なことだから」

 

 不審に思う篠ノ之さんを無視して、私は箱を空けて、数珠つなぎになった中身のうち、一つをちぎって彼女の目前に掲げた。

 

「篠ノ之さん。女の子にとって、とーっても大事な事だから」

 

 大事なことだから二度言って強調する。私の顔はリンゴみたいに真っ赤になっていて用意してきた言葉を口に出そうと、何度も深呼吸してみせた。

 

「た、弾込めの前に安全装置をつけなきゃダメだよ!」

 

 意味が分からなくてきょとん、とする篠ノ之さん。周囲の様子をうかがったところ、内容をすべて知っていてにやにやする(ケイ)に、全身の血が沸騰したかのように朱色に染まっていくセシリア嬢がいた。理解が早くてよろしい。さすが貴族として英才教育を受け、代表候補生として訓練を受けていただけのことはあると感心した。

 ここが勝負所と踏んで言葉の飽和攻撃で同意の言葉を得なければならない。知識(火力)はこちらが上だと思いたい。

 

「十代の男の子はとにかく実弾を撃ちたがるから! 学生で夢をあきらめるなんて!

 安全装置なんて不要だよって言いくるめられて許して一発必中して夢をあきらめるなんて、退学する篠ノ之さんを私は見たくない!」

 

 私は目に涙を浮かべて言い切った。自由自在に涙を流すことができるからこれくらいの演技は造作もない。隠語を連発するのは恥ずかしいのだけれど、結婚できる年齢に達していない私にはこれが精一杯なのだ。言わんとしていることは伝わったに違いない。

 

「退学? だから何を言って」

 

 私の必死の努力もむなしく篠ノ之さんは内容を理解できていなかった。

 

「えーちゃん、だめだよ。はっきり言わないと! 篠ノ之ちゃんは純粋(ピュア)なんだから!」

 

 (ケイ)がふがいないと言わんばかりに両手を大きく左右に広げて、大げさに首を振った。セシリア嬢や鷹月などは目を伏せながら口を手で押さえ、体を小刻みに震わせ、笑いをこらえている様子だった。

 

「何のことだ」

 

 篠ノ之さんはなおも食い下がる。無知を装い自分をかわいらしくみせる様には心底ほれぼれするのだけれど、まさか素なのでは、と一瞬だけ思いもしたが、篠ノ之さんの演技に騙されまいと踏ん張る。

 

「篠ノ之さんは織斑と同室になっちゃったとはいえ、年頃の男の子を部屋に連れ込むなんて!

 ……そういうことはするな、という方が無理なんだろうけれど、私にできることはこれを渡すことくらいだと思ってる。

 これ、絶対必要になるよね?」

 

 私は大層下衆な勘ぐりをする女だ。

 十五歳の浅学非才の身で国際問題に立ち向かっているのだが、ここまでするのは理由がある。

 中学時代、仲が良かった同級生から検査薬の結果が陽性だったことを打ち明けられ、渋る同級生を引きずって怒る親御さんを説き伏せて一緒に産婦人科の待合室までついていったことを未だ鮮明に覚えている。

 中学生ならプラトニックな付き合いまでにしておきなさい、と折に触れて忠告したけれど、深夜に鳴り止まない携帯電話の着信音に起こされて、この世の絶望を一身に背負ったかのような表情で相談されるのはとても心臓に悪かった。

 しばらく沈黙が訪れて、ようやく私のいらぬお節介に気付いたのか、篠ノ之さんは声を荒げた。

 端正な顔が白から朱に染まり、羞恥と怒りが混ざっている事がはっきり見て取れる。

 

「馬鹿なのかお前は!」

 

 いきなり木刀を振りかざし、照れ隠しにしては本気で面を打ちこんできた。有段者が殺気を込めて放った一手はまさしく私の眉間へと吸い込まれていった。

 



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★3 本当はもっとハンデが欲しいのではなくて?

 天地がすがすがしく明るい空気に満ちる中を、磯の香りに誘われるまま、島と本土をつなぐモノレールを遠目に眺めながら、桜が咲き誇る間道をゆっくりと走っていた。

 山吹にアケビ、庭桜といった植物たちを目にしながら、腕に巻き付けた携帯端末が今私たちがどこにいるかを教えてくれる。

 隣を走るのは(ケイ)だ。早速学園支給のジャージに身を包み、後ろにひとつ縛りの髪が潮風に揺らいでいる。私が走りながら横顔を眺めている事に気がつくと、思いもかけずにっこりと笑いかけてきたものだから、つられて笑顔がこぼれ落ちた。

 早朝のランニング。学生寮の付近の道を覚えるために軽く流すつもりだった。

 学生寮まで戻ったころには息があがっていて、一階の談話スペースにおかれたソファーに背中を預け、呼吸を整えながら携帯端末を指でタップすると、案の定復路のタイムが予定時間よりも早まっていたので、どうやらペース配分を誤ってしまったらしい。

 ハンドタオルを取り出した(ケイ)を見れば、ずっと一緒に走っていたにもかかわらずまったく呼吸が乱れていないので、どんな鍛え方をしたのだろうかと疑問が浮かぶ。

 入り口にジャージ姿の生徒が他にもいて、頬が上気しているところから察するに彼女らもランニング帰りなのだろう。途中で見かけなかったのは別のコースを選択したためか。

 

「えーちゃん。部屋に行こうよ。柔軟するよー」

 

 (ケイ)が呼ぶので、もう一度携帯端末をタップして画面を閉じ、ふかふかの感触を名残惜しむようにゆっくりと立ち上がった。少しだけ落ち着いてきたのか、学生寮に到着したばかりの頃と比べて呼吸が楽になっていた。

 自室で柔軟を終えてベッドにうつぶせた私は、昨日のお節介を思い出して、つくづく生きていることはすばらしいと神仏に感謝した。

 篠ノ之さんが有段者だったことをすこぶるうれしく思った。

 というのも、木刀が眉間に触れる直前で寸止めしてくれたおかげで、恐怖のあまり腰が抜けただけで済んだのだ。篠ノ之さんが真っ赤な顔でばつが悪そうに物資を懐にしまったので、私は達成感に満たされながら無事床に就くことができたのである。

 下手を打ってIS学園の敷地内で死者が出たなどと言ったら、前代未聞の不祥事として全世界から非難の的にされるか、あるいは両親に多額の示談金が提示されて闇へと葬り去られるに違いない。

 

「おまたせー。シャワー空いたよー」

 

 シャワーを終えた(ケイ)は真っ白なバスタオルを巻いただけのあられもない姿で、クローゼットに向かって歩いていく。

 織斑と同じくらいかそれ以上の背丈に、均整が取れた体つきをうらやましく思う。胸もおしりも大して大きくないのだけれど、同じ女性とは思えないほど長くすらりと伸びた足、しなやかな細腕、しかも鍛え上げられた筋肉の上に適度の肉をのせた理想形で、ところどころに生傷のあとがあるのにまったく気にならない。

 (ケイ)からいつかスタイル作りのコツを聞き出そうと心に決め、ベッドから体を離してシャワーを浴びた。

 制服を身につけて(ケイ)と一緒に食堂に向かおうとする途中で一二〇五室の前を通りかかると、ちょうど制服姿の篠ノ之さんがドアを閉めたところに出くわした。

 

「おはよう篠ノ之さん」

 

 私は昨日の件もあってか、いささかぎこちなくあいさつをしたのだけれど、篠ノ之さんは私に声をかけられてびっくりとした様子で目を丸くした。憂鬱な表情で髪をもてあそびながら小さな声で朝のあいさつを返した。

 

「おはよう……」

「昨日はごめんね。あれからどうだった?」

「どうもこうもない。お前のせいで変に……その、意識してしまって……」

 

 目をそらして口ごもる篠ノ之さん。何度も髪に指を絡めてはほどいてを繰り返している。

 この様子ならば織斑は一線を越えるようなことはしなかったのか、と感心したけれど、少し残念ではあった。

 

「お、お前のせいだぞ。……あいつの顔をまともに……見られなくなった」

 

 頬を染めてつぶやく様子に、策士疑惑をかけていたことを棚に上げて、初心な反応が実にかわいらしい子だと胸を打たれ、いつもの下衆の勘ぐりではなく純粋に彼女の恋心を応援したいという気持ちがふつふつとこみあげてきたのだった。

 私には男と付き合った経験はないけれど、少しばかりの勇気を与えるくらいならできると思って、篠ノ之さんの目をまっすぐ見つめて、

 

「篠ノ之さん。いいかな」

「何だ」

「男の子を落とすのはココしだいだよ」

 

 とにっこり笑って、その左胸を人差し指で小突いてみせた。

 するとどうしたことか、耳まで赤くなった篠ノ之さんは、私の人差し指から無理に逃れようとして体勢を崩し、後ろに倒れかけたので、思わずその手首をとって引き寄せていた。

 篠ノ之さんを抱きかかえるように受け止めた私は、突然のことに舞い上がってしまって、かわいい、と思って抱きしめたくなったのだけれど、彼女の肩がかすかに震えたことに気がつくや、すぐに体を離した。

 シャンプーの残り香が鼻をくすぐる。案外締まった体つきをしているんだな、などとぼんやり考えていたら、突然一二〇五室の室内から織斑の声がしたので、私と篠ノ之さんは真っ赤になったままお互いに半歩ずつ距離をとった。

 

「すまん箒。待たせた……あれ?」

 

 廊下に現れた織斑は篠ノ之さんの様子に首をかしげている。そして私の姿に気がついて少し考え込む素振りを見せてから、ああ、と声を漏らして私の名前を呼んであいさつをした。

 私はすぐあいさつを返して、ふとした疑問を口にした。

 

「名前を覚えてくれてたんだ」

「まあ、ね。印象が強かったからさ」

 

 織斑は頬をかきながら言いにくそうに答えた。私は昨日の失敗を思い出して、急に恥ずかしさがこみあげてきたので、きびすを返して(ケイ)の姿を探すことにした。

 数歩進んだところで、私は篠ノ之さんに念を押しておこうと思って足を止め、振り向きざまに、

 

「それじゃあね篠ノ之さん。がんばってね」

「それが余計だというのだ!」

 

 と去り際の余計な一言に、篠ノ之さんは声を荒げて怒鳴った。

 (ケイ)の姿はすぐに見つかって、案の定セシリア嬢と一緒にいた。セシリア嬢の後をそそくさと子犬のようについていく生徒に見覚えがあったはずなのだけれど、印象が薄くてなかなか思い出せない。セシリア嬢と言えば、(ケイ)がまとわりつこうとするのを邪険にしつつも、一緒に食事に行こうと誘われて、仕方ないから、とわざわざ口に出して結局承知した様子に、存外嫌っているわけではないのだと安心する。

 子犬のような生徒はセシリア嬢と(ケイ)の間に挟まれるようにして、二人の顔を交互に見比べておろおろとしている。声に出せば良いのにと思って、よくよくその子を見ていたら、セシリア嬢のルームメイトだと思い出した。同じクラスのはずなのに、彼女の自己紹介の記憶がすっかり抜け落ちている。

 セシリア嬢と比べても小柄で、とにかく子犬っぽい雰囲気をまとっている。クラスに一人はいそうな少し落ち着きのない女の子。目が大きくて日本人形みたいに色白で癖のないまっすぐな髪。ローティーン向けファッション誌のモデルとしてやっていけそうな華やかな顔立ちなのに、なぜかとある部位が気になってたまらない。あまりにも大きいので思わずつばを飲み込んでしまった。一度気になったら顔よりもその下に注意がいってしまって、そこから目を離すことができない。腰なんてセシリア嬢よりも細いのに、出ているところは出ているときて、この子は本当に同級生なのか疑わしく思えてきた。何を食べたらそうなるのか。誰か教えて欲しい。

 金髪に対する過剰なスキンシップにこらえかねたか、セシリア嬢の肩が怒りで小刻みに震えている。見かねた私は背後から(ケイ)を注意した。

 

(ケイ)ったら! セシリアさんがいやがってるよ」

 

 縦ロールを引っ張って離してを繰り返していた(ケイ)が両手を頭の後ろに組んで、唇をとがらせ文句をこぼす。

 

「ちぇー。縦ロール面白かったのに」

「人の髪をおもちゃにしないでくださいまし」

 

 セシリア嬢が頭を振り、手の甲で金髪を払った仕草は、化粧品メーカーのシャンプーのコマーシャルみたく堂に入ったものだった。

 

「あなたって人は小さい頃と何にも変わってないのね」

「えー。変わったよ-。背も伸びたし。いっぱい勉強したよ。それに大人っぽくなったと思ってるんだけど」

「わたくしが言いたいのは立ち振る舞い方の事ですわ。少しは自重しなさい」

「きーをつけまーす」

 

 と(ケイ)口にするものの、まったくその気がないのかへらへら笑っている。セシリア嬢は朝から深いため息を漏らした。

 

「幸せ逃げるよー」

 

 と(ケイ)が構うが、セシリア嬢は片手を額にあてて、物憂げな瞳をたたえていた。

 

 

 食堂にて私は三角巾を巻いた品の良さそうなおばさまから朝食を受け取って、先んじて席を確保した(ケイ)たちの後を追った。

 窓辺に近い円形のテーブルに(ケイ)、セシリア嬢、そのルームメイトの順番で座っていて、私が一番端の(ケイ)の隣に座って正面を見れば、ちょうど中央のテーブルで織斑と篠ノ之さんが二人で朝食をとり始めたところだった。

 私はセシリア嬢に遅くなった事について詫びをいれた。

 

「ごめん。待たせちゃった?」

「わたくしたちもさっき席についたばかりですわ。気になさらないで」

 

 セシリア嬢は同意を求めるようにルームメイトに視線を流すと、彼女もうなずき返した。

 私は手を合わせて、いただきます、と言い終えるや、早速箸をとって魚の塩焼きをつつき、セシリア嬢は器用に箸を使って白米を口にしている。

 もぐもぐ食べながら、何気なく中央のテーブルを眺めていると、篠ノ之さんが私に気付いたらしく、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。織斑の姿を認めて近づこうとした他クラスの生徒が、その近寄りがたい雰囲気を敬遠して、右へ左へとそれぞれのテーブルに散っていく。私はそんな篠ノ之さんをぼんやり見つめて、美人さんは怒った顔もきれいなのですね、と感慨にふけった。

 みそ汁をすすってお椀を置いた私は、セシリア嬢に話題をひとつ振ってみることにした。

 

「セシリアさん」

「何ですこと?」

 

 (ケイ)と話すときとは違って穏やかな口ぶりで、箸を置く動作も音を立てず上品な仕草だった。

 

「織斑が入試で教官倒したって本当かな」

「事実なら運が良かっただけですわ。ブリュンヒルデの血統とはいえセンスを受け継いでいても技術は素人なのですから。対IS戦をセンスだけで勝てるなら誰も苦労しません」

 

 セシリア嬢はお茶を一口すすってから、自信を持ってそう言い切った。そして思い出したように私の目を見た。

 

「あなた。日本人は銃に慣れていないと聞きましたけれど」

「ないない。近所の男の子がおもちゃの拳銃持って走り回っていたのを見るくらいで」

「入試の模擬戦はどう乗り切ったんですの」

「入試の時は、打鉄って言うんだっけ? 初めてIS着てよく分からないまま会場に放り出されたら、試験官のISが銃を構えて戦えって言うんだもの。銃口がこっち向いているのを見ただけでさ。足がすくんで指一本動かせなかったからね。何で私が受かったのか今でも不思議だよ」

 

 セシリア嬢のルームメイトも私と同じような内容だったのか、何度も首を縦に振っていた。ふと気になって(ケイ)を見ると、

 

「はーい。銃撃ったことあるけど」

 

 と意外な言葉を口にした。けれどもセシリア嬢の反応は違っていて、

 

「あなたなら当然でしょう。(ケイ)には最初から聞いていませんことよ」

 

 眉間にしわを寄せてむしろ撃った事がない方がおかしい、と言わんばかりの様子に私は驚きを隠せなかったので、

 

(ケイ)って、あんな怖いもの撃ったことあるの?」

 

 とおそるおそる聞いてみると、あっけらかんとした様子で胸をたたいて見せた。

 

「昔じいさまに頼み込んで一発だけ猟銃撃たせてもらったけどさ。ドン! って音が怖かったのなんの。ものすごい衝撃で腰が抜けちゃったよ」

「そう。おじいさまはお元気?」

「ぴんぴんしてるよー。元気すぎて殺しても死なない気がするね」

 

 (ケイ)は明るく笑って大したことがないかのような素振りだった。

 セシリア嬢はそんな(ケイ)にすぐに興味を失ったようだ。それにしても(ケイ)のおじいさんとセシリア嬢は知り合いなのか。二人の関係が謎だらけだった。

 お茶を一服するためにセシリア嬢から視線を外す。周囲が妙にうわついた雰囲気を醸し出しているのが気になって食堂中を見回したら、みんなの視線が中央のテーブルを注がれていることがわかった。

 織斑がしきりに、ずっと仏頂面のまま箸を進める篠ノ之さんをなだめようとしていたので、募る好奇心に負けて私も聞き耳を立ててみることにした。

 

「いつまで怒っているんだよ」

「怒ってなどいない」

「顔が不機嫌そうじゃん」

「生まれつきだ」

 

 篠ノ之さんが不機嫌になるようなまねを織斑がやらかしていたのだろうか。彼女が怒っているのは昨日の一件も絡んでいるので少し申し訳なく思う。

 魚の塩焼きを何気なく口にした織斑は舌鼓を打って、その気持ちを素直に篠ノ之さんに告げる。

 

「箒。これうまいな!」

 

 前後して、やっぱり彼も強いのかな、という声がこちらにまで聞こえてきた。

 織斑も同じ声に気付いたのか一瞬だけ後ろを振り返ったかと思えば、すぐに篠ノ之さんを名前で呼んだ。

 

「なあ箒」

「名前で呼ぶな!」

 

 織斑が懲りない様子だったので、篠ノ之さんが机を強くたたいて鋭い口調で抗議した。突然の音に私もびっくりしたものの、それ以上に先ほどまで織斑に注意を払っていなかった生徒からの注目を集める結果となった。

 

「えっと、篠ノ之さん」

 

 篠ノ之さんの刺すような視線に耐えかねたのか、織斑が頭をたれて降参した。

 ふと入り口の方から歩み寄るのは、黒髪ロングで顔の左側を二本の赤いヘアピンで髪を留めたのが特徴の鏡さん、髪の毛を後ろで二つに結って長いおさげにした谷本さん、キツネらしき動物を模しただぶだぶ着ぐるみを身につけた布仏さん。彼女ら三人は一度足を止めて互いに顔を見合わせてどの席に座ろうか相談している様子だったけれど、場所が決まったのかお互いにうなずきあってまっすぐ中央のテーブルへと歩いていった。

 みんなの視線が集まる中、あろうことか篠ノ之さんの隣ではなく織斑の隣を陣取った。

 

「織斑くん、隣いいかな」

「ああ。別にいいけど」

 

 織斑が快諾すると布仏さんが谷本さんと手を打ち合った。

 織斑は篠ノ之さんの困ったような表情に気がつかないまま三人が席に着くのを待っている。

 

「私も早く声をかけておけばよかった」

 

 と誰かが嘆く。

 まだ焦る段階じゃないわ、という声は大多数の女子の気持ちを代弁しているかのようだった。

 三人は織斑の朝食の量に気付き、中でも布仏さんがびっくりした様子で、

 

「織斑くんって朝すっごいたべるんだ」

 

 と口にしたので、織斑はそのことを不思議に感じたのか女子はどうなのか、と逆に問い返したら、鏡さんと谷本さんは苦笑しながらお互いの顔を見合わせた。年頃の女の子なので理由は聞かなくとも分かるというもので、織斑はわざと意地悪な質問を返したのかとうがった見方をしてしまう。

 

「おかしよく食べるしー」

 

 布仏さんが思いつく理由を挙手しつつ脳天気な口ぶりで答える。

 その間篠ノ之さんは不機嫌な様子で残った朝食を口に運び終え、先に行くぞ、と席を立ち、トレーを持って足早に去っていった。

 三人と織斑は篠ノ之さんの後ろ姿を見送ってから朝食へと視線を戻し、谷本さんがみんなが気にしていた問題に触れた。

 

「織斑くんって篠ノ之さんと仲がいいの?」

「お、同じ部屋だって聞いたけど」

 

 騒がしかったはずの食堂が静寂に包まれたので、みんなが次の言葉を待っているのが分かった。

 三人も目が輝かせて織斑が口を開くのを待つ。

 

「まあ幼なじみだし」

 

 大したことではないと言わんばかりの口調だったけれど、驚きと悲喜こもごもの声が漏れ聞こえて食堂全体がにわかに騒がしくなってきたところで、三人は一斉に顔を見合わせて、

 

「幼なじみ!」

 

 と見事に息を合わせた。

 私は心の中で拍手する自分を思い浮かべた。セシリア嬢が引き出せなかった情報をいとも簡単に聞き出してしまった。私の中で鏡さん、谷本さん、布仏さんの株がうなぎ登りとなり、もし困ったことがあったら手助けしてやろうと心に誓った。

 それに引き換えセシリア嬢はどうだろう、と彼女に流し目を送った。

 

「な、何ですの」

 

 微妙な視線に気がついたセシリア嬢は、私が深いため息をもらしたことに対する不服を口にしたが、既に事情を理解していた(ケイ)がセシリア嬢の肩に軽く手を添えた。同情なんて、とそれでもまだ不満をもらしていたけれど、腕をからめてきた(ケイ)が慈母のようにほほえむ姿を見て、

 

「納得がいきませんわ……」

 

 と虚勢を張る気力も失せたように語尾がしぼんでいき、しまいにはがっくり肩を落としてうなだれてしまった。

 それにしても幼なじみとはまた絶妙な立ち位置ではないか。気心知れているだけに肉親の次に身近な存在だから、もしも織斑が他の女の元へ走ったとしても、その恋が破れる事あれば幼なじみの元に帰ってくる。もしも失意にうちひしがれたら同情し、優しく慰めの言葉をかけてやることで、彼は自分の居場所に気付いて幼なじみを友ではなく女として見るようになり、いつしか二人は互いの情欲を求め合う、というストーリーを思い描き、今はまだ、と秘めた心がいじらしくて私の胸も切なくなってきた。

 がんばれ、と私は篠ノ之さんに向かって激励していた。

 

「ああ。小学校一年の時に剣道場に通うことになってから四年生まで同じクラスだったんだ。

 でも、あんまりよく覚えていないんだよな……昔のこと」

 

 織斑は騒がしさから一人取り残されたように、誰に聞かせるともなく遠くを見ながらつぶやいていた。

 思い出に浸る織斑の表情は憂いを帯びているようにも見て取れた。私は視線の先に何があるのかとても気になったけれど、いつの間にか移動してきたジャージ姿の織斑先生が時計を見つめる姿が目に入った。

 織斑先生は大きく息を吸ってから、手をたたいて食堂に残る生徒の注意を自分に向けさせた。

 

「いつまで食べている。食事は迅速に効率よくとれ。

 私は一年の寮長だ。遅刻したらグラウンド十周させるぞ」

 

 全体を見回して、凛々しい顔つきで食事の手を止めていた生徒を注意した。

 織斑は姉の姿を驚いたように見ていたけれど、すぐに何かに納得したのか一人でほほんえでいた。

 

 

 ホームルームの時間。織斑先生が教壇に立って全員が着席していることを確かめ、一斉に全員の視線が集まったことを感じ取ってか鋭い目つきのまま口を開いた。

 

「これより来週行われるクラス対抗戦に出るクラス代表者を決める。

 クラス代表者とは代表戦だけではなく、生徒会の会議や委員会への出席など、まあクラス長と考えてもらって良い。

 自薦他薦は問わない。誰か居ないか?」

 

 時期からしてクラスの代表者を決めるのは予想がついたけれど、聞き捨てならない単語も耳にした。代表戦とは何か。言葉からしてISに乗って他のクラスの代表者と戦え、ということだろう。当然経験者を選ぶのが筋だし、他のクラスもIS搭乗経験者を出してくるのは容易に想像がつく。四組にはわが国の代表候補生がいると聞いたから間違いなくその子が選ばれるだろう。つまり私のような素人がISに乗っても勝ち目がない。良心的に考えて英国代表候補生のセシリア嬢を推薦するのが妥当、と考えていたところ、一人の生徒が挙手したので誰の名前が出てくるのか期待して待った。

 

「はい! 織斑くんを推薦します」

 

 想定外の名前が出たので私の目が点になった。私は心の声で織斑を選ぶ発想はおかしいだろうと抗議する。今朝セシリア嬢が言っていたではないか。ブリュンヒルデの血統とはいえ技術は素人だと。確かに入試の試験官を倒したのは学年に二人しかおらず、我が国の代表候補生も試験官に勝てなかった事を考慮すると、四組の代表候補生よりも二人の実力があると考えられるけれど、本国で訓練を積んだセシリア嬢なら納得できようものなのに、ISにまるで興味ない様子だった織斑に期待をかけるとはどうかしているのではないか。

 

「わたしもそれがいいと思います」

 

 この流れはおかしい。いつものように学級委員を押しつけるのではない。対IS戦をやれなどと、あんな怖い目に遭わせるなんてできっこない。仮にもクラスメイトの織斑くんに、どうか死んでください、なんて言えるわけがない。自分と織斑くんの立場を置き換えて考えてみたら、すぐにわかることなのに。

 

「お、俺?」

 

 推薦を受けた理由がわからない、といった風情で織斑は動揺を隠そうともせず、推薦者たちの顔を交互に見て、最後に織斑先生の顔をすがりつくように見上げたが、

 

「他にはいないのか。いないのなら無投票当選だぞ」

 

 と他の候補者を募るだけで助け船を出すことはなかった。見捨てられた事を感じ取った織斑の顔色がオリエンテーションの時と同じような青に染まった。

 

「ちょっと待った。俺はそんなの納得が」

 

 場の流れを変えようと織斑が抗議のために立ち上がったけれど、反対の声が上がろうはずもない。

 私は意を決してセシリア嬢を推薦しようと、膝においていた手を机の上に出したちょうどそのとき、誰かが机に拳をたたきつけたので、驚いて弾かれたように音がした方を向いた。

 

「納得がいきませんわ!」

 

 セシリア嬢が激しい怒りをあらわにして椅子を蹴って立ち上がり、語気を強めて織斑先生をまっすぐにらみつけてた。対する織斑先生は場の雰囲気に一石を投じたセシリア嬢を見て笑みを浮かべるだけだった。

 

「そのような選出は認められません」

 

 抗議を続けようと二の句を継ごうとした織斑は、背後からの怒声を聞いて虚をつかれたように口をあんぐりとあけて振り返った。

 偶然私の視界に、額に手をあてて顔を伏せた(ケイ)が初めて見るような真剣な表情を浮かべていたのが気になって、一瞬だけそちらを見たら彼女のつぶやきが耳に入った。

 

「セシリーのやつ。完全に血がのぼってら」

 

 その声に、このまま行けば昨日の二の舞になるのでは、と私は危機感を募らせた。

 

「男がクラス代表なんていい恥さらしですわ。

 このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年間味わえとおっしゃるのですか!

 大体、文化としても後進的な国に暮らさなくてはいけないという事自体、私にとっては耐え難い苦痛で……」

「イギリスだって大してお国自慢ないだろ。世界一まずい料理で何年覇者だよ」

 

 肩を震わせて声高に力説する姿に、織斑がたまらずかみついた。

 

「おいしい料理はたくさんありますわ。あなた! わたくしの祖国を侮辱しますの!」

 

 織斑が激高するセシリア嬢をにらみつけ、二人の対立によってクラスの雰囲気は次第に張り詰めたものに変わっていった。

 織斑先生は沈黙を守っており、目を輝かせながら口論の行き着く先を見守っていた。

 (ケイ)に至ってはこの後の展開に予想がついているのか机を見つめながら頭を抱えていた。

 

「決闘ですわ」

「ああいいぜ。四の五のつけるよりわかりやすい」

 

 鷹月席の隣に移動したセシリア嬢は相手を射殺さんばかりの視線を送り、織斑に人差し指を突きつけて見せたので、

 

「やっちゃったか」

 

 とその様をのぞき見ていた(ケイ)が観念したようにつぶやいた。

 私は混乱した頭でどうやって事態の収拾をつけようか考えを巡らせたけれど、解決策を思いつく前にセシリア嬢がプライドの高さを鼻にかけたような物言いで火に油を注いでいった。

 

「わざと負けたら私の小間使い……いえ、奴隷にしますわよ」

 

 あんまりな言いように顔をしかめた織斑だったけれど、突然余裕の笑みを浮かべて、

 

「ハンデはどのくらいつける」

 

 というものだから、セシリア嬢は毒気を抜かれたような吐息を漏らして、

 

「あら、さっそくお願いかしら」

 

 と慈悲に満ちた面持ちでほほえんでみせたものの、織斑はセシリア嬢が発した言葉の意図を理解していなかったらしく、

 

「いや、俺がどのくらいハンデをつけたらいいのかなって」

 

 とそれが当たり前であるかのように言ったので、ISに対する無知にクラス中が笑いに包まれた。

 

「織斑くん、それ本気で言っているの?」

「男が女より強かったのってISができる前の話だよ」

「もし男と女が戦争したら三日もたないって言われているよ」

 

 私は口論の落とし所に悩んでいたばかりに笑いの波に乗り遅れてしまった。

 織斑は自分の発言を笑い飛ばされたことに戸惑っていたが、ISを使えるのが原則女性だけであることを思い出して肩を落とした。

 私はつい余計な勘ぐりをしてしまいクラスメイトが使った、この男が女より強いという論理に対しておかしいと思ってしまった。

 ISは世界で最大四六七機存在して、ISを使えるのは原則女性だけ。世界に数十億いる女性のうちISを使えるのはごく少数で、そのすべてが何らかの組織によって管理されている。ISを使えない女性や私たちのような未熟なIS操縦者が男たちに勝てるとどうして言えようか。仮に私が自由自在にISを使いこなすことができたとして、今はISに対して通常兵器による攻略は不可能という常識がまかり通っているけれど、この常識を絶対に覆すことができないと決めつけるのは浅慮に過ぎる。

 私たちはまるで、ISという得体の知れない魔法の杖を振りかざして悦に入るだけの虎の威を借る狐だ。

 それに男と女が戦争したら、というのは極端な仮定の話で、実際には()()()()()()()()()()()が出てきてもおかしくないはずだから、男がどうの、女がどうのと言って簡単に笑って済ませられる問題ではなかった。

 

「むしろ、わたくしがハンデをつけなくてよいのか迷うくらいですわ。

 日本の男子はジョークセンスがあるのね」

 

 セシリア嬢はあえて猫なで声を出すことにより、あえて織斑を逆上させるような発言を行った。

 私は助けを求めて(ケイ)に視線を落としたけれど、彼女は片手で頭を抱えたまま、もう話題を振らないで、と手で追い払うような仕草をし出した。

 

「織斑くん、今からでも遅くないよ。ハンデをつけてもらったら?」

 

 織斑は両方の拳を強く握りしめるあまり小刻みに震えていたので、彼の一つ後ろの席に座って丸い眼鏡をかけた岸原さんが見かねて提案したものの、頑なに意思を変えるつもりはないと宣言してみせた。

 

「男が一度言ったことを覆せるか。なくていい」

「えー。それはなめすぎだよ」

 

 岸原さんはしきりに後ろの様子を気にしていたけれど、セシリア嬢は彼女の顔を一顧だにしなかった。

 双方が対決の意思を固めたところで、織斑先生が楽しくてたまらないといった様子で、クラスメイトを見渡してから異論がないことを確かめる。

 

「話はまとまったな」

 

 しかし、セシリア嬢は思案に暮れる物憂げな顔になって、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、

 

「この選択は貴族のあり方として正しいのかしら」

 

 と自問しているのを偶然耳にした。鷹月も聞き取ったらしく、不思議そうにセシリア嬢を見上げている。

 

「それでは勝負は次の月曜。第三アリーナで行う」

 

 織斑先生が話をまとめようとしたところを、セシリア嬢が張りのある声で遮った。

 

「先生。ちょっとよろしくて」

「オルコット。何だ」

 

 織斑先生はにやけ顔のまま話の続きをうながした。

 

「やはりフェアではありませんわね。私は経験者ですからISの扱いには一日の長がありますの。

 織斑くんは素人でしょう? ですから……そうですわね。制空権を差し上げます」

 

 セシリア嬢は先ほどと打って変わって努めて冷静な声を出していながら、私はほっとするよりもむしろ、明らかに雰囲気が異なる様に薄ら寒さを感じずにはいられなかった。

 

「待てよ。俺はハンデなんかいらないって言ったんだ」

 

 織斑は前言撤回する意思はない、と繰り返した。

 セシリア嬢は反論は認めないと言った風情で、

 

「しつこいですわね。素直にもらっておきなさいと言いましたの。それに、これはわたくしの心構えの問題ですわ。それとも何か? 本当はもっとハンデが欲しいのではなくて? 膝が震えていましてよ?

 土下座しながら僕には覚悟が足りませんでした。だからもっとハンデをください! と泣きながらすがりついてきたら考えてやらないこともありませんけれど」

 

 とあからさまに演技がかった物言いで織斑をあざけるように見下ろした。うっすらと口の端をつり上げ、悪意に満ちた顔つき、それでいてまるで獲物を見定めるような残酷な目つきのセシリア嬢に、私はおびえていたのである。

 

「ああ。それでいい。負けて泣いても俺は慰めてやらないからな」

 

 織斑は強がって言い負けまいとしたけれど、セシリア嬢は鼻で笑って返したにすぎなかった。

 二人の険悪な雰囲気に、私は頭を抱えてしまった。

 

「よし。織斑とオルコットはそれぞれ準備をしておくように」

 

 織斑先生が淡々とした口調で言い終えて出席簿を脇に抱えると、ちょうど終わりのチャイムが鳴って、ようやく緊張を解くことを許されたクラスメイトたちはひどく疲れた顔をしていた。

 



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★4 試作機ですもの。不具合があって当然ですわ。

 教室の後方。私たちはセシリア嬢を取り囲むように並んで立っていた。

 クラス代表が織斑になりかけた流れをセシリア嬢が自ら断ち切ったまでは良かったのだが、はじめからけんか腰だったために頭に血が上って決闘を言い出す始末。セシリア嬢の言い方があまりにも辛辣だったので、取り囲むクラスメイトの中にはこころよく思っていない者がいるはずである。

 早速というか、さっきのはちょっと酷い言い方じゃない、と真っ先に(ケイ)になじられて、

 

「やりすぎましたわ」

 

 どうしてこうなった、といった風情で頭を抱えるセシリア嬢に私たちはかける言葉もなかった。

 おそらくだけれど、織斑の中でセシリア嬢の印象は高慢で勝ち気でかわいげない女、ということになっているのだろう。織斑は篠ノ之さんと話をしていて、こちらには見向きもしていない。

 

「わ、わたくしも最初はハンデなしの戦いを考えていましたの」

 

 セシリア嬢は動じない様子でいたけれど、私たちに目を合わせようとせずに、その声音は小さくかすかに震えていた。

 

「あれは……お、織斑先生が悪いんですわ」

 

 私を含めたみんなは織斑先生の名が出てきたことで、とっさに事情が飲み込めなくて意外に感じていたけれど、すぐにセシリア嬢が責任転嫁を試みようとしているのではないかと考え、

 

「何でそこで織斑先生が出るの? 納得のいく説明をお願いしたいなー」

 

 と(ケイ)は表情こそ笑っていたが冷たい声音で続きをうながした。

 

「わたくしが決闘するといったら織斑先生の目が輝いてましたわ。それを見たわたくしは、うっかり調子にのってもっとたきつけてやろうと思いつきましたの。そこで、一見するとわたくしの方が不利に見えるよう制空権を差し上げる、と言ったらとても楽しそうな顔をしていましたわ」

「そんな見え透いた嘘」

 

 誰かが口にした。突き放したような冷たい声音だった。しかし私は先ほどの織斑先生の様子を思い浮かべ、セシリア嬢が言ったことには間違いがなかったので、

 

「いや、セシリアさんが言ってること嘘じゃないよ」

 

 と擁護してみせた。私はセシリア嬢が卑怯な悪者という立場に堕ちてしまうのではないかという懸念があって、彼女をかばって見せた。

 

「いつもの織斑先生がするような表情じゃなかったよ」

 

 いつもすました表情をしているか、不機嫌そう、それとも呆れたと言わんばかりの表情を浮かべている織斑先生が楽しくて仕方がない、という様子でいたのがとても印象的だったので覚えていたのだ。周囲を見渡すと、鷹月が胸の前で両腕を組んでしきりにうなづいてから言った。

 

「私も覚えてる。織斑先生ってクールな女って感じであまり笑わないって思っていたけど、あのときは妙に楽しそうだったな」

 

 私は(ケイ)とルームメイトのためかセシリア嬢の取り巻きの一人と思われている節がある。だから私の擁護は根拠に欠けるものと思われる恐れがあって説得力が弱い。しかし鷹月は中立でしっかり者として印象づけてきているので私よりもよほど説得力があった。その証拠にみんなはまだ鮮明な記憶を掘り起こして、織斑先生の表情を思い出そうとしている。

 場の雰囲気が悪くなるような流れを変えて、セシリア嬢に勝ち気なお嬢様から、相手をおとしめる悪者のような態度をとった理由を聞きたかった。考えを変え、声色を変えた理由をこの場で問うてみたい衝動に駆られた。あの言葉は何だったのか、セシリア嬢の中で貴族のあり方という言葉として集約されたものが何であるか、しばしのためらいを経た私はそれとなく聞こうと口を開いたのだけれど、鷹月の方が少しだけ早かった。

 

「貴族のあ……」

「よりにもよって制空権はいらないって言っちゃうのはどうかと思います」

 

 横から鷹月が指摘すると、セシリア嬢はますます頭を垂れた。鷹月は制空権の意味を分かって発言しているのだけれど、他の生徒の中には聞き慣れない単語に首をかしげている者もいた。

 

「制空権ってなーにー」

 

 一人が手を挙げて質問し、鷹月が説明した。

 

「ええっと。作戦空域の支配権またはその空域における航空部隊が行動可能な度合いの事だったかな。今回の場合は織斑くんはセシリアさんの頭の上を自由に飛んでもよいことを認める権利だね」

 

 その説明で合点がいったのか、質問した生徒は相づちを打った。さすがにみんな頭の回転が速い。

 

「それってすごく不利なんじゃない?」

 

 空を飛ぶ織斑。地面から見上げるセシリア嬢。高速でかつ複雑な機動。銃を構え未来位置へ弾丸を発射する。いくら経験があるからといって簡単に打ち落とすことができるものではない。セシリア嬢が差し出したハンデの重さにみんなは気づき、普段自信に満ちた態度のセシリア嬢をして、やりすぎた、と言わしめた理由を悟った。

 みんなの視線に耐えかねたのか、セシリア嬢はばつが悪そうになって目をそらした。

 

「何も考えなしに言ったのではありません。そもそも物事を殴り合いで解決しよう、というのが男性的な発想で」

「決闘しようって言ったのはセシリーじゃ……」

 

 すかさず(ケイ)の突っ込みが入る。啖呵(たんか)を切ったのはセシリア嬢に違いなかった。それは一年一組の生徒や織斑先生が証人だった。

 

「どう対応するつもりなの?」

 

 鷹月がセシリア嬢に問う。その場の勢いがあったとしても、怒りにまかせて無謀極まりない選択をするような人間には見えなかった。今は未熟であったとしても、きっかけさえ有れば冷静な判断を下せる人材だと私は考えていた。むしろそれだけ実力があるからこそ英国本国も代表候補生として選び、専用機まで与えるほどセシリア嬢の能力を買っているのだ。

 

「考えはあるにはあるのですけれど……」

 

 セシリア嬢は鷹月の質問に対して言いよどんだ。そして助けを求めるように(ケイ)に向かって視線を寄越す。(ケイ)は酷く意地悪な表情になって、なにやら視線だけで会話をしているらしく二人は何度も軽く首を横に振ったり、縦に振ったりしている。やがてセシリア嬢が折れた様子だった。

 (ケイ)は音もなくセシリア嬢の隣に移動し、こっそりと耳打ちする。

 英語を使うものだからすべて聞き取ることはできなかった。分かったのは歴史に学べ、という言葉。セシリア嬢の目が急に活気を取り戻して、考え込む素振りを見せたので、待つ間みんなは好き勝手に話をすることにした。

 

「ねえねえ。織斑くんは訓練機で来るのかな」

「学園の訓練機といったら打鉄かラファール・リヴァイヴだよね」

「ないっしょー。たぶん織斑先生が専用機を用意してるんだよー」

「それこそないって。一介の教師にそんな権限ないない」

「打鉄に織斑くんかー。打鉄ならどちらかと言えば篠ノ之さんの雰囲気だよね」

「何でここで篠ノ之さん?」

「甲冑だけに武士かなって。篠ノ之さんったら中学で剣道全国大会覇者なんだよね」

「月刊誌に実家が道場やってたって書いてあったよ。その名も篠ノ之道場」

「よく覚えてるわー。さすが剣術マニア」

「剣術じゃなくて時代劇だって。そうそう、この前織斑くんが篠ノ之さんと幼なじみで同門だって言ってた」

 

 セシリア嬢が顔を上げるのを待って、鷹月が聞いた。

 

「そこでトリガーハッピーなオルコットさん。実際戦ってみたらどうなのでしょうか」

「聞き捨てなりませんわね。わたくしはトリガーハッピーではありません」

「言い直します。実際戦ったらどうなるのでしょうか」

 

 真顔で言うものだから笑うべき所なのか判断しかねた。セシリア嬢も真顔で言い切った。

 

「接近戦ならばわたくしの勝ち目はありませんわ」

「え」

 

 みんなが驚いている。私も驚いた。セシリア嬢は気位が高いから、圧勝ぐらいは言ってのける、と思っていた。威勢が良く素人の織斑を歯牙にもかけない様子だったので、制空権を失っても自分の勝利を疑っていない位のつもりだったけれど、その予想があっさり覆されたのがとても意外だった。

 セシリア嬢は顔を上げて鷹月や(ケイ)、みんな、そして私を見て一度咳払いした。

 

「情報開示許可が出ているのでこの場で言ってしまいますけれど、わたくしのブルー・ティアーズは射撃戦を得意としていますの。敵がこちらの位置を知らない、あるいは敵に位置を知られている場合は彼我の距離が遠く離れていることを前提にしていますから、接近戦では他のISや支援車両、それに歩兵と連携して、というのが原則。単独行動中に懐に入り込まれたらわたくしでは勝ち目がありませんわ」

「つまり織斑くんの方が強いってこと?」

「彼の実力がどこまでか分かりませんけれど、接近戦ではそうなりますわね。ネットに落ちている動画を参照していただけるとおわかりになると思いますが、ブルー・ティアーズが接近戦で使える装備はインターセプターと呼ばれる近接ショートブレードのみ。打鉄が相手の場合、様々な装備が選択可能です。たとえば槍やロングブレードなどの装備の方がリーチが長いので、彼にも勝機がありますわ」

 

 私は(ケイ)と互いに顔を見合わせた。まるでセシリア嬢は接近戦が苦手のような口ぶりである。それならばお互いの近接武器では届かないような位置にいたらどうなるのだろうか。

 鷹月が同じ事を考えていたのか言葉を続けた。

 

「距離が開いていたら?」

「射撃戦ならわたくしの方が上手ですから、近づかれる前に撃ち墜としてみせますわ。とにかく接近させなければよいのです」

 

 セシリア嬢はみんなの顔をチラと眺め、すぐに自信に満ちた声音を発して胸を張ってみせた。

 織斑に接近戦を許さない、と暗に宣言しているわけだけれど、その自信の根拠がどこにあるのか。私たちは織斑の事を何も知らないのだ。それどころか、織斑先生が使用許可を出したアリーナがどのような設備か、IS学園そのものですらよく分かっていなかった。

 私は袖口を少しずらして、視線を左手首につけた時計に落とした。休み時間が残り少ないことを確かめ、口を開いた。

 

「はい。私から提案」

 

 みんなの視線が一斉に集まったので、私は続けた。

 

「そこで皆さんにお願いがあります。

 われこそはと思う人は織斑くんのサポートに回ってあげてください。そうでなくとも授業で分からないことを教えるとかトレーニングに付き合うでもいいです。学校生活に慣れなくて大変だと思うけどクラスのためだと思ってお願いします。残りの人はセシリアさんをサポートします。彼女はずいぶんクラスになじんでいるのでみんな気にしなくなってきているけれど、留学生ですから細かな所で不便を感じているかもしれません。こちらも有志で構いません」

 

 セシリア嬢をダシにして織斑と仲良くするチャンスだと言った。今のまま何もしなければ篠ノ之さんの総取りで終わるのは目に見えているからだ。気心知れた幼なじみと数年たって再開し、見違えるような美少女になっていたのだから、私が織斑ならばなんとしても落としてみせる。下衆な考え方だけれど初心だから手取り足取り私好みに仕込んでみせよう。

 私の邪な考えに気付いたのか鷹月がじっと見つめてきたので、その眼力に負けまいと見返した。そして最初に鷹月が私の考えに賛同の意を示した。

 

「もちろんそのつもり」

 

 一拍遅れてみんなも、当たり前だと言わんばかりの笑顔で答えた。

 

「もちろんだよー」

「ねー」

 

 しばらくなにがなんだか分からない様子を見せていたセシリア嬢だったけれど、やがて得心がいったのか、突然顔が真っ赤になった。傍目からみても落ち着かない様子だったので、(ケイ)がにやにやしていた。

 

「こ、こちらからもお願いしますわ」

 

 おそるおそるといった風情だけれど美人の留学生にお願いされるのは、胸がときめくものだ。悪い気はしなかった。以心伝心というやつで私たちはまったく同じタイミングで声をそろえた。

 

「まかせて!」

 

 授業開始のチャイムがなってすぐ、織斑先生から弟に専用機が与えられるのだと告げられた。理由は、

 

「予備の機体がない。だから学園で専用機を用意するそうだ。本来なら専用機は国家あるいは企業に所属する人間しか与えられないが、お前の場合は状況が状況なので、データ収集を目的として専用機が用意される」

 

 ということらしい。

 周囲がざわついて、わたしも専用機が欲しい、という声がまばらに聞こえてきた。政府の支援がついたんだ、とも聞こえてきた。素直に言ってうらやましい。打鉄は無骨で野暮ったいし、ラファール・リヴァイヴは特筆すべきところがない。専用機がデータ収集を名目にしているのでどんな不具合が潜んでいるのか分からない不安を差し引いたとしても、自分が特別視されている気分になれて気持ちよいだろう。駄作機をつかまされる危険もあるけれど。

 それにしても織斑先生の口ぶりからして、ISの男性搭乗者に対して裏でとんでもないお金が動いているのがわかって、私は素直に浮かれることができなかった。セシリア嬢を一瞥しようとしたところ、手前で鷹月がなにやら思案顔をしているのが見えた。そして鷹月がふと何かを思いついたように手を軽く上げた。

 

「あの先生。篠ノ之さんは、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか」

 

 まさか、あるいは、と思っていた事だけれど、みんな織斑の一件や篠ノ之さんの近寄りがたい雰囲気に聞けずじまいの事で、大体篠ノ之などという名字が津々浦々に散らばっていると考えようもなく、十中八九そうなのだろうと期待して耳を傾けた。

 織斑先生は山田先生と一瞬だけ目配せしてから答えた。

 

「そうだ。あいつは篠ノ之の妹だ」

 

 教室が一斉に騒がしくなった。織斑だけでなく篠ノ之博士の血縁者もクラスにいるのだ。もちろんセシリア嬢といった外国の代表候補生もいる。私はとんでもないクラスの一員になったのでは、と驚きを隠せなかった。

 

「篠ノ之博士って世界中の国や企業が探しているんでしょ」

 

 岸原さんの高い声が聞こえてくる。

 

「どこにいるのか分からないの?」

 

 篠ノ之さんの隣の席にいた生徒が聞くと、こらえかねた様子で突然篠ノ之さんが一喝した。

 

「あの人は関係ない!」

 

 クラスの浮ついた雰囲気が篠ノ之さんの一言によって一蹴された。古傷に触れられたくない、と言った風情で篠ノ之さんから鋭い刀剣のような殺気が放出され、私を含めてクラス中が息をのんだ。

 澄んだ、ゆっくりとした声音で、篠ノ之さんは言った。

 

「私はあの人じゃない。教えられることは……何もない」

 

 私はそれ以上追求する声を上げられなくなってしまった。教室内に居心地の悪い雰囲気が生まれて、下手な質問すらできなかった。

 一瞬の沈黙があって、何気ない仕草で織斑先生が窓の外を見た。

 

「山田君」

 

 織斑先生が落ち着いていた表情にもかかわらず、いつにない鋭い声を放った。

 

「十分遅れだが始まったぞ」

「え? 今からですか!」

 

 山田先生がびっくりしたような声を上げて慌てて窓へ身体を向けたので、全員が窓の外へと注意を向けた。

 変化は小さなものだった。わずかだけれど、大量の空気を強引に吸い込む、途切れない音が聞こえてくる。

 圧縮された空気がノズルから放出されるようなかすれた音から、だんだん音が大きくなり、何かが回転を始める振動がして、カチカチ、と窓ガラスが窓枠ごと小刻みに震えているのが分かった。

 大気が切り裂かれるような騒がしさ。地震ではない。耳が遠くなったかのように轟音に埋もれて周囲の音が聞こえにくくなっている。

 この音は、まるで航空機のエンジン音だ。

 

「先生。学園の上空は学園に許可された航空機か、学園のIS以外飛行禁止では?」

「よく勉強しているな。もちろん外の騒音は学園が許可したものだ」

 

 山田先生が補足した。

 

「織斑先生。今日は航空部がエンジンの燃焼試験をするそうですよ。先月申請が出てました。明日はロケット研です」

「あいつらか」

 

 織斑先生は慣れている様子でこともなげに言った。あまり耳にしない部活名だったので、クラスメイトの一人が大声で質問した。

 

「航空部ってなんですかー?」

「うちの部活だ。正式名称は……ええっと山田君」

 

 織斑先生は航空部の名称を失念したらしく、少し考えてから山田先生へ振った。山田先生はよどみない口調で答えた。

 

「正式名称は航空機とその内燃機関を愛でる部活動です」

 

 なんだそれは、とクラス中が反応に困って複雑な顔をしている。まさかロケット研とは、宇宙開発を視野に入れたロケットエンジンの研究と惜しみない愛を育む会、などというのではあるまいな。液体燃料を使うか、固形燃料を使うかで派閥ができているのでは? と疑いたくなってきた。

 

「来週織斑とオルコットの対決の後、昼から講堂で部活紹介が行われる。そのときに詳しく聞いてくれ。それとアリーナを使用したい者は申請の手順と書式を教えるので後で職員室に寄るように。以上だ。山田君、授業を始めてくれ」

 

 

 放課後になってセシリア嬢がアリーナの使用申請に行くと言い出したので、私も一緒について行くことにした。(ケイ)はセシリア嬢のルームメイトを捕まえ、乳枕だー、などとのたまっていたら鷹月に注意され、一緒に勉学に勤しむことになった。

 そして職員室までの道すがら、私は山田先生の授業を振り返った。

 

「ISはパートナーとして認識しろ……か。セシリアさんもそうなの?」

 

 無機物に対して愛をささやけ、とまでは言わないにしろ、一時的に体を預けるものだから、もしかしたらISコアに対して信頼感のようなものを抱くのかもしれない。愛剣や愛銃のように切っても切り離せない関係なのかもしれなかった。

 

「そうですわね。ブルー・ティアーズはわたくしのパートナーに違いありませんわ。身体の一部と言って良いのかしら。面倒を見るようになってからもう長いですもの」

「そういうものなんだ」

「あなたもISに慣れていくうちに分かるようになりますわよ」

 

 セシリア嬢は左手でさりげなく髪を持ち上げて耳をあらわにすると、耳たぶにシンプルな青色のイヤーカフスがはめられていた。セシリア嬢の赤らんだ白い耳に澄んだ青がとてもよく似合った。

 

「わっかわいい」

「でしょう? わたくしのお守りですわ」

 

 私がはしゃぐのを見て、セシリア嬢は再びしとやかな仕草で耳を隠した。もっと眺めていたいのに残念、と頬をふくらませると、セシリア嬢はかすかに口元をゆるめて笑った。

 職員室へと入室し、私たちは織斑先生の姿を探したのだけれど、どこにも見あたらなかった。代わりにいつも織斑先生が持っているはずの出席簿を、胸の前で抱えていた山田先生が私たちに気付いた。

 山田先生の幼げな顔立ちが花が咲いたかのように明るくなって、私とセシリア嬢の名を呼んだ。

 山田先生の席に歩み寄ると、椅子ごとくるりと振り向いて私たちの顔を見上げた。

 

「もしかしてアリーナの使用申請ですか?」

「そうですわ」

 

 すぐに山田先生は身体をひねって机の左側に置かれたキーボードを操作して、学内ネットワークから申請書式の説明資料をダウンロードして私とセシリア嬢の携帯端末へと転送する。

 続いてターミナルコンソールにコマンドを打ち込み、アリーナ予約状況を表示するためのアプリを起動させ、その画面を右隣に置いていた大きめのモニターへ映し出した。

 

「アリーナを使いたい日時に希望はありますか?」

「できればこれから使いたいのですが」

 

 セシリア嬢がそういうと、山田先生は再び端末に目を落として、今日の放課後の項目を拡大表示して見せた。

 

「うーん。今日は先客がいますね」

「先客?」

 

 私はモニターをのぞき込むと、そこにはサラ・ウェルキンの名が登録されていた。

 名前からして留学生だけれど、一年生にはそのような名字の生徒はいないので、おそらく先輩なのだろう。

 

「まあ、サラでしたの」

 

 するとセシリア嬢は知己を見つけてうれしそうな様子だったので、私は聞いた。

 

「お知り合い?」

「この方は私の先輩でイギリスの代表候補生ですわ」

「そうなんだ。やっぱり強いのかな」

「格闘戦では本国の代表候補生の中でも頭一つ抜き出ていましたわ。このわたくしも彼女に操縦の手ほどきを受けていましたから」

「何かすごそうだね」

「ええ」

 

 私がセシリア嬢と話をする間も、山田先生は空いている時間を探していた。

 

「オルコットさん。明日の放課後だとちょうど空いていますね。今から予約しておきますか?」

「お願いしますわ」

「わかりました。登録しておきます。あと申請の仕方と注意点なんですが……」

 

 山田先生は私とセシリア嬢にアリーナの学生による使用申請について説明を始めた。要点をまとめると、学校行事や授業で使用する場合を優先とし、個人またはグループで使用する場合はIS操縦資格を持つ教員の許可が必要になるということらしい。許可を受ける際、できれば織斑先生や山田先生が良いが、もし捕まらなければ他の先生でも構わないということだった。

 

「アリーナの観客席は開場時間内であれば全面貸し切りの時を除いていつでも入れます。これから用事でアリーナに向かわなければならないのですが、お二人も来ますか?」

 

 山田先生に誘われて私とセシリア嬢は顔を見合わせた。セシリア嬢に行くか、と問うと、もちろんですわ、との答えが返ってきたので、私は先生の申し出を快く受けることにした。

 

「私たちもいきます」

「わかりました。ちょっと準備をするので廊下で待っていてください」

 

 職員室前の廊下に出て五分ほど雑談していると、山田先生が紙袋を抱えて姿を現した。

 

「お待たせしました。行きましょう」

 

 山田先生がそういって私たちを先導する。私は紙袋が気になって、中に何が入っているのかを尋ねた。

 

「先生。その紙袋は何なんですか?」

 

 すると山田先生は、紙袋の中を私とセシリア嬢に見えるように広げて見せ、その中にはさまざまな包装紙にくるまれたお菓子の箱が入っていた。

 

「これはですね。旅行に行ってらした先生方のお土産です。アリーナに詰めている生徒や職員にお裾分けしようと思いまして」

「東京土産とか北海道土産とかありますね」

「そうですよ。外国籍の先生もいらっしゃるので空港土産もありますよ。織斑先生はもらっても食べずにいつも私に寄越すんです。だからついつい二人分食べてしまって……が気になっちゃうんですよ」

「へえ……」

 

 さっきまでずっと山田先生を見つめていたセシリア嬢が不意に手を延ばして、先生の肌艶のよいほっぺに人差し指を埋めて見せ、

 

「柔らかいですわ」

 

 そう言って指先でつまんで引っ張ってみせるので、私は思わず苦笑した。

 

「お、オルコットさん。あわわ」

 

 生徒の奇行に、山田先生の処理能力が追いついていないらしい。赤くなりながら困惑する山田先生の目は、なんとも言い表しがたいようなやるせない哀願の色を帯びて、私に救いの視線を寄越してきた。

 

「ぷにぷにですわ」

 

 それはもう自由自在に頬の肉が形を変えていくのである。私は一緒になって触りたい気持ちをぐっとこらえた。

 

「あわわ」

 

 哀願するような切羽詰まった顔になったので、さすがに放置するのは悪い気分になって、

 

「セシリアさん、(ケイ)みたいだよ」

 

 そういって暗に戒めると、セシリア嬢はすぐに手を離した。

 

「オルコットさん。もうっ、先生をからかうのはやめてくださいね!」

 

 山田先生は紙袋を持たない方の手でさすり、頬をふくらませて見せたのだけれど威厳よりもむしろ小動物的な愛らしさの印象が先行してしまい、私はずっと苦笑しっぱなしだった。

 

「あまりに肌艶が良かったものですから。赤ちゃんのほっぺみたいでしたわ。先生はきれいな肌ですわね」

 

 何食わぬ顔でほめる辺りがあなどれないと思った。山田先生は怒るどころか、照れたように咳払いを始めた。

 

「せ、先生をからかわないで欲しいです」

「十代のようなきれいな肌をしていますもの。先生とおつきあいされる殿方がうらやましいですわ」

 

 恥ずかしげなくリップサービスを言う姿は私には真似できないものだった。セシリア嬢が年上の女性を手のひらで転がす幻が見えた。山田先生は面と向かってそう言われ、苦笑して、唇の端をかすかに動かしてから、頬を上気させてなまめいた目つきをしてみせた。

 

「とりあえず今回は見逃しますよ」

「ありがとうございます」

 

 とセシリア嬢がかしこまって言ってみせた。

 アリーナの入り口まで来ると、壁のモニターに二体のISの姿が映し出されていた。

 ラファール・リヴァイヴにはサラ・ウェルキン。もう一体の打鉄には神島という名の生徒。両名共に二年生で、前者は三〇ミリ機関砲一門、近接ブレード×二、背面のアタッチメントにアサルト・ライフルという出で立ち。そして後者は手持ち盾、フルオートのアサルト・ライフル、腰にブレード×二とハンドガンという装備だった。

 

「始まっていますね。さあ、まずは観客席に行きましょう」

 

 山田先生にうながされるまま、私とセシリア嬢はアリーナの観客席へ続くスロープへと足を踏み入れた。

 

 

 まるで膨大な音の奔流だった。

 彼我の距離はアリーナのグラウンドをめいっぱい使っていたが、打鉄は中央付近で盾を構えながら力をためるようにして降りたんでいた脚から運動エネルギーを放出した。機関音とともに跳躍、さらにもう一歩跳躍しながら次第に距離を詰めていった。アサルト・ライフルによって形造られた弾幕をものともせずに駆け抜けた。

 被弾する。盾の耐久値が削り取られる。構うものか。接近してしまえば得物が長いこちらが有利。打鉄のパイロットは思考する。

 打鉄の意図に気付いたのか、サラ・ウェルキンはラファール・リヴァイヴのアサルト・ライフルでは勢い付いた打鉄を止められないと悟って射撃をやめた。しかしあきらめたのではなかった。手段を変えたのだ。無駄のない優美な動作で長大な砲を構え、照準の中に打鉄をとらえた。

 そして射撃を開始する。ラファール・リヴァイヴの三〇ミリ機関砲が猛然と火を噴いた。

 今までにない重い音がアリーナを支配した。

 打鉄の足が一瞬だけ止まった。盾から伝わる衝撃は重く鈍く響いた。跳躍の方向を変える。着弾しても盾の傾斜角にさえ気をつければ弾丸が弾かれるはずだ。打鉄のパイロットの思惑は図にあたった。ジグザグに複雑な動きを描くことで三〇ミリ機関砲の照準がわずかに逸れ、自動照準機が彼我の距離を計算し微調整を行うコンマ数秒の時間差を埋めることはできなかった。

 しかし、サラは自動照準機の予測演算アルゴリズムを変更して難なく対応する。

 再び打鉄は被弾し、盾の耐久値が減少し始める。打鉄のパイロットは唇をかんだ。対応が早い。相手のパイロットは優秀だ。火力戦に持ち込まれてはいけない。このままジグザグ機動で進みアサルト・ライフルを撃ち続ければ手を変えてくるはずだ。

 サラは自機の位置を変えなかった。位置を変えれば火力が無駄になることを知っていた。三〇ミリ機関砲はアサルト・ライフルと比べて大口径大火力だったがその分集弾率が悪かった。元々戦闘機に搭載されていた機関砲を流用したにも関わらず射撃管制プログラムを学園が一から構築しなければならなかったために無理が生じていた。散布界が広いために位置を変えると再計算が生じる。しかも予測演算アルゴリズムのマニュアル切り替えが必要になるため、パイロットの経験値がそのまま命中率に反映された。

 三〇ミリ機関砲の欠点は打鉄のパイロットも知っている。だから盾を構えたまま突っ込んでくるのは自明だった。打鉄はシールドバッシュを狙い、よろめいたところをブレードで攻撃する腹か。乗ってやろうじゃないか。サラは砲撃を続けながら近接ブレードの固定器のロックを解除し、武器を持ち替えるために砲撃を止めた。

 熱され湯気が立つ銃身。銃身保護のため冷却の必要性が生じたこともあってか、サラは躊躇無く拡張領域(バススロット)へ転送した。

 三〇ミリ機関砲の砲撃が途切れた。打鉄のパイロットは三〇ミリ機関砲が量子化される様を見て、意図を悟られたことに気がついた。それはこちらが仕掛けた喧嘩にサラが乗ったことを意味していた。

 いける。あの、サラ・ウェルキンを潰せる。打鉄のパイロットは口元に浮かぶ笑みを抑えられなかった。同時に油断はミスを誘発した。視野に残弾数を示すゲージが赤く変色したことを見落とした。それは一瞬の視線の動作の遅れに過ぎなかった。何も音がしない。なぜ、と何度もトリガを引いたにもかかわらずスイッチ音がするだけで発砲できない。すぐに残弾がゼロだと気付いてマガジンを取り替えようと試みたが、時すでに遅くラファール・リヴァイヴの接近を許し、慌てて盾を構えたのもつかの間、眼前に迫った深緑の装甲に色を失った。全身に強い衝撃が走った直後視界が回転したことに混乱したが、腹部に走る強烈な痛みによってすぐ自分に何が起きたのかを理解した。

 タックルにより突き飛ばされ、砂煙立ててグラウンドを転がる打鉄に対して、サラは容赦なくアサルト・ライフルの弾丸をたたき込んだ。

 ――などと頭の中で勝手に解説しながら戦いの様子を眺めていたのだけれど、実際には()()()使()()()()()()()()()()のである。

 観客席の上方に設置された多面モニターには実際の映像をそのまま映し出したものと、リアルタイム演算による特殊効果が付加された映像が映し出されていて、現実のアリーナでは空薬莢が飛散するような事は決してなかった。

 

「あれ?」

 

 私は首をかしげた。ふっ、とか、くっ、とか、せいっ、とか威勢のよい気合いとか叫んでいたり、やりますわね、みたいな余裕ぶった戦士らしい文句が聞こえてきそうな白熱した試合なのは認めるのだけれど、マズルフラッシュや噴煙とかそういったものはなかった。あるのは銃を構え発射するポーズと被弾して衝撃で肩などがわずかに後ろにはねたようなポーズ。迫真のパントマイムを見ている気分になってむなしくなった。さすがに格闘戦になると得物を持ってやり合っていて興奮するよりむしろ安心した。

 私はなんともやりきれなくなって、目尻から大きな涙の玉を転げ落とした。失望し、乾いた唇で苦笑して山田先生にすがるような目つきで説明を求めた。

 

「先生……訓練って、これじゃないんですが。結構期待していたのに」

「そういう感想がくると思っていました。今から説明しますね!」

 

 下の段にいた山田先生は大きな胸の前で腕を組んで私を見上げた。

 

「学園の訓練機にはIS演習モードという機能が組み込まれています。実技演習などでは実際の装備を使用してISの訓練を行っていくのですが、もしも実弾を使った訓練のときに事故があったらいけませんよね。そうかといって経験を積まないと実地で使い物にならないというジレンマがありますね。そこでIS演習モードでは、IS使用者があたかも実戦のように感じるように設計されています。攻撃する側が銃を構え、狙いを定め、トリガを引く動作を行うと、攻撃される側は被弾を判定したら実際に被弾したときと同じような衝撃を搭乗者にフィードバックします。攻撃が当たったら痛いことを搭乗者に思い知らせるのも目的の一つですね。それに学園内に設置されたスーパーコンピュータとリンクしているのでISのシステムの管理や動作記録のライブラリ化を行ったり、試合記録を解析して無駄な動作や判断ミスがなかったか検討を行ったりするのにも役立ちます」

 

 確かにそうだ。平坦な画面でFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)をやるよりは実践的な訓練ができるのは理解した。そうはいっても、特殊効果ありと特殊効果なしの画面を見比べるとあまりに寂しいものがあった。

 

「でも実弾を使うのが一番いいんですよね。細心の注意を払って訓練すれば……」

「……と思いますよね」

 

 山田先生がため息混じりに答えて目を伏せた。その様子にただならないものを感じて後ずさりしてしまった。

 

「何かあるのですか」

 

 その真意を聞き出そうとした。山田先生は模擬戦に集中していたセシリア嬢に目を向けた。

 

「オルコットさん。空薬莢を一つ一つ手で拾って回収したいと思いますか?」

 

 自分に対する問いだと気付いたセシリア嬢が即答した。

 

「面倒ですわ」

 

 私は小さく挙手した。

 

「先生。その質問の意図はなんでしょうか」

「実弾を使うとものすごくお金がかかるんです」

 

 山田先生がまじめくさった顔で言うものだから、私は鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けな顔になって、何度も瞬きをしてみせた。

 

「世界中から膨大な予算(税金/献金/資金)が投じられているのですが、それも無尽蔵ではありません。ISには自動修復機能があるとはいえ、修理にも予算が必要です。打鉄やラファール・リヴァイヴであれば装備も量産されているので比較的手頃な価格でそろえられるのですが、たとえばオルコットさんのブルー・ティアーズのような専用機だと部品の共通化がなされていなかったり、ブラックボックスになるとそれこそ総取替ですから人件費や輸送費もばかになりません。新品で武器をそろえるのもなかなか難しいこともあって、訓練機の中には中古の武器をIS用に改造したものが含まれています」

 

 私は中古の武器と聞いて、中学の夏休みに実家に遊びに来た叔父が父と古いゲーム機を持ち寄って航空機でのドッグファイトに興じていたことを思い出した。私はまさか、と気付いてその思いつきを口にした。

 

「あの三〇ミリ機関砲ってもしかして」

「はい。フランス空軍のラファール(Rafale)から取り外したものを融通してもらいました」

 

 装備を揃えた人は狙ってやったのでは、と頭が痛くなってきた。

 

 

「それでは回収班がいるIS格納庫に行きましょうか。早くこのお菓子をお裾分けしなくっちゃ」

 

 こっちですよー、と山田先生が手招きするので、私は名残惜しそうにモニターを見つめるセシリア嬢の手を握って引っ張った。ほどなくして関係者専用(STAFF ONLY)と描かれたボーダーシャツを着た男性をあしらった絵が描かれた扉があり、中に入ると奥に青色の鉄扉が見えた。

 そのまま招かれるようにIS格納庫へ入っていたのだけれど、思いの外中は広く、おそらく整備科の学生だろうか、つなぎを着た同年代の少女たちの姿が散見された。

 

「これは壮観ですわ」

 

 セシリア嬢が光に満ちた格納庫を見て感嘆の声を上げた。ISの設備といえばほとんど自動化されていて人間が直接作業を行う姿を見るのはまれだからだ。もちろん、それなりに設備投資がなされたところばかりが映像として外部の人間に提供されるため、そんな印象を持っているというのが正しい。私はどちらかといえば倉庫に機材を並べただけの印象を持った。

 山田先生はというと左右を見回して誰でも良いから生徒を探しているようだった。

 すると整備科の学生が私たちの姿に気付いたのか、油で汚れたつなぎを身につけたままこちらへ駆け寄ってきた。

 

「あー山田せんせー。お疲れさまー。なんですーその紙袋ー」

「先生たちからのお裾分けですよ。ほら」

 

 と紙袋の中身をあけて整備科の生徒に見せると、満面の笑顔になってはしゃぎ声を出した。

 

「うちらに? いいんですかー?」

「普段いろいろ無理を言っているお礼ですよ」

「とかいってー最近せんせー、ほっぺぷにぷにしてますよー」

「え? そんなことありませんよ。気のせいです」

「はいはい。せんせーありがとうー」

 

 マカデミアンナッツを見つけ、箱を振って音を確かめ、せんせーの差し入れは甘味ばっかなー、と口にするのが聞こえた。

 

「こちらこそ。ところで姉崎さんはいますか?」

「姉崎っすか。奥にいるんで呼びますねー」

 

 その生徒は後ろを振り向くと大きく息を吸って声を張り上げた。よく通る声だったので、目的とする人物らしき姿が私たちの方を振り向いたのがわかった。

 

「姉崎ー山田せんせー来たけん。相手したったってー」

「今行くわー。少し待てー」

 

 姉崎と呼ばれた生徒は学生服の上に白衣を羽織り、片眼鏡(モノクル)をかけ、長い赤毛をアップにして花をあしらったシュシュで止めている。背丈は(ケイ)と同じくらいで、宝塚にいそうな細面でいまいましいくらい粋な麗人だった。

 

「姉崎ー。山田先生からお裾分け。後でみんなでたべよー」

 

 整備科の生徒は紙袋を抱えて姉崎と入れ替わるようにして去っていった。

 姉崎は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、私たちの身体を値踏みするように見回し、リボンに目をとめ、顎に指先をそえた。

 

「青色。一年生か」

 

 ハスキーで艶のある声音。山田先生を見下ろしてにっこり笑った。

 

「やまやのクラスメイトかな?」

「そうですよ。姉崎さん。来週の月曜私のクラスで模擬戦をやることになりました。そのごあいさつをかねて来ました」

「なるほど。この子たちが。紹介してくれるんだよね」

「ええ。そのつもりでしたから。こちらはセシリア・オルコットさん。そしてこちらが」

 

 私の名前を言った。山田先生に名を呼ばれたので姉崎に、どうも、と軽く会釈すると、切れ長の瞳を細めて愛想良く笑い、握手を求めて片手を差し出してきた。

 

「よろしく。三年の姉崎だ。回収班の班長をしている」

 

 最初にセシリア嬢、次に私が握手をする。硬い手をしている。姉崎は両手を広げて大げさに笑った。

 

「君がセシリア・オルコットか! ウェルキン君から聞いているよ! 専用機を任されるほど優秀だそうだな!」

 

 先輩の顔は満面の笑みと言った風情で、演技がかかったいんぎんな物言いだった。人に構うのが好きな性質らしく楽しげな様子だった。

 

「中を見ていくかい?」

「よろこんで」

「お願いします!」

 

 私には姉崎の申し出を断る理由はなかった。IS格納庫を直接見る機会がそう何度もあるわけではないと感じていたので快く受けることにした。姉崎が言った回収班が何か、というのも気になった。

 格納庫をうたっている割に打鉄もラファール・リヴァイヴの姿もない。あるのは姉崎が妙にうれしげな表情で足を止めて見上げている黒い両手両肩が不自然に盛り上がった奇妙な物体ぐらいだった。

 姉崎はもったいぶるような素振りで言った。

 

「うちのIS(リカバリー)だ」

 

 秘蔵のお宝を見せるかのように、興奮したもったいぶった言い方だったけれど、

 

「か、かっこわるい」

「気味が悪いですわ」

 

 回収班のISを見た感想はあんまりなものだった。セシリア嬢などは余りに現代の美的感覚からかけ離れた姿に顔をしかめている。私も正直言って打鉄についてずいぶん地味な印象を持っていたのだけれど、目の前の無機物に対しては、生理的な不快感がこみ上げてくるのを止められない。

 山田先生は慣れているらしく平然としていて、私が反応に困っていると、

 

「外見はよくないですが、乗員保護を目的としたISですよ。対IS戦でシールドエネルギーを失った場合、絶対防御も発動しません。生身の人間が戦場に放り出されることになってしまいます。こういった時が一番負傷する危険性が高まります。そこで回収班が出動し速やかにパイロットやISを回収、保護を行うんです」

「見た目はアレだが、硬くて大きくて壊れない。これでも一二〇ミリ滑腔砲を持っていて、時々自主トレに駆り出されることもあるんだ。学内ネットワークに動画をアップしているから暇な時に見て欲しい」

「回収班って先輩の他にもいるんですか?」

「いる。三年は私を含めて四名、二年が三名だ。専用ISに乗り放題だから優遇されていると思うのだが、なぜかこいつだけは人気がない」

 

 それは人気がないのも納得だ。重装甲のISなんて、とても流行るとは思えなかった。ISの外見は重要だ。姉崎に至ってはピント外れの呟きを漏らしていて、なぜ人気がないのかわからないと言った風情で、私とセシリア嬢はお互いの顔を見つめ合って姉崎の感覚がおかしいことを確認し合った。

 

「駆逐艦並みに忙しくて危険だから車曳(くるまひ)きとまで呼ばれているのがいけないのか……しかし、わたしたちがいないと試合が回らないのだが」

 

 山田先生が姉崎に尋ねた。

 

「来週の月曜は誰が乗るんですか? 午後から委員会や部活紹介ありますけど」

「わたしだ」

「班長自ら」

 

 ローテーションを確認したかったらしい。山田先生がメモを取っていた。

 

「いや、活動紹介を後輩に丸投げしたおかげでわたしが一番暇になった」

 

 今度は私が質問をした。

 

「回収班ってどんな仕事なんですか?」

「君か。さっきやまやが大体説明してしまったがな。回収班の仕事について簡単に言うとだな。模擬戦や試合でシールドエネルギーを失ったISとその搭乗者を回収し無事に安全圏へ待避することだ。この大きな防盾とデッキが搭乗者を守るんだ」

 

 異形なのは機能を重視した結果なのか。腕が六本もあるのは、二本では足りないと判断されたためか。

 

「こいつは元々軍事用に開発されたISだからシールドエネルギーのリミッターが存在しなくてな。普通はリミッターをかけるんだが、絶対に壊れてはならない役目を担っている関係で制限自体がオミットされた。馬力と信頼性だけなら学園に存在する全ISの中でも飛び抜けているだろうよ。その代わりと言っては何だが、絶対に誰も怪我をさせるような事態にはさせない」

 

 姉崎は私に顔を近づけて目をまっすぐ見つめた。あまりに真剣な表情だったものだから胸が熱くなってきた。

 

「どうだい。うちに来ないか。うちにくれば看護大への推薦権も得られるぞ」

 

 さりげなく新人の勧誘を行うあたり抜け目がなかった。山田先生が歩み寄ってきて、

 

「姉崎さん。勧誘活動は解禁日を待ってからにしてくださいね?」

 

 と有無を言わせぬような口調で圧力をかけてきた。課外活動に関して新人勧誘の制限がかかっているのだろうか。

 

「言葉の綾ではないか。うちは万年人手不足でね。いつも誰かを誘っているんだよ。やまやは厳しいな」

「私は全然厳しくなんてしてないですよ」

「ノーカンにして欲しいな。あははは」

「うふふふ」

「この人たち怖い」

 

 山田先生が初めて教師らしい威厳をまとっているように思えた。せっかく視線で火花を散らせていたところへセシリア嬢が割って入るようにして声をかけた。

 

「先生。アリーナのモデリングデータを学生に提供できませんこと?」

 

 モデリングデータを寄越せという。先ほど先生がISの動作を解析している、と言っていたのだから存在してしかるべきなのだけれど、

 

「一応大丈夫ですけれど」

 

 と山田先生はセシリア嬢の意図を掴みかていたのか、歯切れの悪い返事だった。しかし、姉崎の様子は違っていて、

 

「オルコット君はシミュレーションに興味があるのか? 最近の一年生は熱心だな」

 

 と言って目を輝かせたので、山田先生が雰囲気に気圧されてか一歩後ずさった。

 

「姉崎さん?」

「回収班で使っているデータを提供しよう。なんならロケット研が公開している弾道弾シミュレーションもつけるぞ」

 

 畳みかけるような口調でデータの提供を約束した。

 

「助かりますわ」

 

 セシリア嬢から感謝の言葉を引き出した姉崎は胸を張ってはにかんだ。

 

「美人に感謝されるのは良いものだな」

「姉崎さんもきれいだと思いますよ」

 

 セシリア嬢に世辞を言われて、姉崎は艶めいた表情をするので何故かときめきを感じてしまった私は目を伏せて、気の迷いだと唱え続けた。

 

「わたしはバイだから同性もいける口でね。この学園はきれいどころがそろっているから目の保養になる」

 

 両刀使いとか聞き捨てならない言葉を耳にしたが、気のせいだと思うことにした。

 

「それと決まりだから言っておく。データの外部ネットワークへの持ち出しは厳禁だ。あらゆる媒体で禁止だ。もし持ち出したときは」

「分かっていますわ」

「ならばよし」

 

 姉崎が釘を刺した。合格通知と一緒に細かい文字で情報漏洩インシデントに関する条項が書いてあったような気がするけれどはっきりと覚えていない。過去の先達が色々やらかしてくれたおかげで、個人情報保護規定の条文が試験に出るようにまでなった私たちの世代ならば、少し気をつければ問題ないだろう。

 

「もうひとつお願いがありますの」

 

 セシリア嬢は遠慮する素振りを見せなかった。姉崎は後輩の申し出を最大限かなえてやろうという気持ちになっているように見えた。

 

「言ってくれ。できる限り対応しよう」

「それでは。プログラミングができて物理学に詳しい先輩はいらっしゃらないですか? 少しお聞きしたいことがありますの」

 

 何かを制御しようという心づもりなのだろうか。姉崎は記憶を探っているらしく思案顔になった。

 

「それだと一番適しているのは航空部の部長だが……あいつは正直一般人におすすめできない。人として。それに航空部とロケット研は今燃焼試験で手が離せないからな。整備科のシゲぐらい? あ、だめか。彼女、更識(生徒会長)に目を付けられてて、妹のためにーとかせがまれてとっくの昔に拝み倒されていたからな」

 

 姉崎は助けを借りようと後ろを向いて、山田先生からもらったお土産をテーブルに並べている整備科の生徒に向かって大声で聞いた。

 

「おーい、プログラミングができて物理に詳しい奴っていたかー。シゲ以外でー」

「ちょっシゲさん以外ですかー」

「そーだー」

「二年の航空部部長はどっすかー?」

「お前なー。純粋な一年生にあんな変人を紹介する気かー」

「ですよねー。ちゃんといますよー」

「誰だー」

「弱電にいるアメリカ人留学生ですよー」

「弱電研究会? アメリカ人?」

「そっすよー。二年一組のテイラー、パトリシア・テイラー」

「……だそうだ」

 

 セシリア嬢の希望に沿う人材がいたことも驚きだったけれど、それよりもむしろ米国籍の留学生がいたことも驚きだった。IS学園のような施設はないけれど、保有コア数からIS操縦者育成の手段を自前で用意していそうに感じていたからだ。

 

「ありがとうございます」

 

 セシリア嬢が丁寧にお辞儀した。

 

「後で彼女の連絡先を調べて送る。学園から支給された端末を出してくれ。アドレスを交換しよう」

 

 姉崎とセシリア嬢はお互いに四角い携帯端末を取り出してアドレスを交換した。私も手をあげて、自分もアドレスを交換したいことを告げると快く応じてくれた。画面に姉崎の名前が表示されている。女性にしては変わった名前なので、私はつい声に出してしまった。

 

「姉崎(まもる)ですか」

 

 中性的な名前である。姉崎は中指の腹で片眼鏡(モノクル)の位置を直すと、

 

「男みたいな名前だろう? 両親は男を望んでいたのだがあいにく女の身で生まれてしまってね」

 

 と寂しげな口調で言った。女であることを悔やんでいるかのような口ぶりだった。セシリア嬢は懐かしそうな、それでいて羨望のまなざしを向けると、

 

「女でも男でも言いような名前をつけた。よい両親ではないですか」

 

 と穏やかに言った。姉崎は頬をかきながらセシリア嬢から視線を外して上を向いた。

 

「気に入ってはいるがね」

 

 そうつぶやく間も、セシリア嬢は姉崎を見つめて目を反らそうとはしなかった。

 その後私たちは山田先生からお菓子をいただき、他の回収班のメンバーや整備科の先輩方とあいさつしてから帰途についた。

 アリーナから外に出ると日が暮れていて部活動の片付けをしている生徒を横目に、セシリア嬢と並んで寮を目指していた。私は携帯端末をもてあそび、アドレス帳をスクロールさせながら回収班の先輩方の姿を思い浮かべながら言った。

 

「姉崎さん、いい人だったね」

「ええ。とりあえず問題点を解消する目処がつきましたし、久々にサラに会えて良かったですわ。あの打鉄の操縦者も荒削りですけど筋が良かった」

 

 観客席から見た模擬戦の様子を思い浮かべる。今日見たラファール・リヴァイヴの動きは嫌になるくらい洗練されていて、格闘戦に入ってからは鬼のように強かった。そしてびっくりしたのが、格納庫に顔を出した先輩方の姿だった。姉崎が目の保養になると言ったのは正鵠を得ていたのだ。

 

「ウェルキン先輩? きれいだったよね」

「さすがイギリスの代表候補生ですわ。文武両道かつ眉目秀麗を地でいっていますの」

 

 ふと疑問が生じた。ウェルキン先輩も代表候補生なのに専用機を持っていない。四組の代表候補生やセシリア嬢は専用機持ちなのにおかしいのではないか。代表候補生になれば専用機がもらえるのではないのか。

 

「あれ? セシリアさんも代表候補生だよね。何でウェルキン先輩は専用機持ちじゃないの?」

「一言で表せば、サラは英国の専用機が必要とする能力を持っていなかった、ということになりますわね」

「あれだけ強いのに? 格闘戦が始まったとき先輩の取り巻きがめちゃくちゃ騒いでいたのに?」

「サラは優秀でしてよ。こと格闘戦に関してはわたくしよりもずっと上。今日の打鉄のパイロットですらわたくしよりも技量で勝っていますわ」

 

 そこまで言ってしまえるものなのか。ウェルキン先輩に対する瞳は憧れと対抗心が入り混じったものだった。同じ飯の釜をくっていただけあって自分との差を知り尽くしているのかもしれなかった。

 

「なぜサラではなく、私に専用機を与えられたのか、その理由を楽しみにとっておいてくださると助かりますわ」

「ずるい」

「そう?」

 

 セシリア嬢は夕日を背にして意地悪な笑顔を見せた。私が解答をせがむと軽やかなステップで私の前を駆けだしたので、すこし驚いて私も足を早めた。

 

「ちょっとでも教えて」

「いやですわ。秘密があった方が格好いいでしょう?」

 

 

 翌日の放課後になって一度寮に戻った私や(ケイ)、ルームメイトはセシリア嬢から手伝いを言い渡されて、アリーナの土を踏んだ。

 私たちよりもやや遅れて姿を現したセシリア嬢は、青い旧型スクール水着と似たISスーツと呼ばれる服装を身につけていた。私はISスーツと言う着衣があまり好きではなく、身体の線がそのまま出てしまうので他人の前で着けるには少々勇気がいった。ただ汗の吸湿性は抜群で他の女子の目を気にしないでよいのならば、夏場に下着の代わりに身につけて登校したいくらいだけれど、その一線を越えてしまうのは女子としてどうなのだろうか。

 相変わらず白衣に身を包んだ姉崎の横に、見慣れない生徒の姿を見つけた。黄色のリボンからして二年生だと検討がついたけれど、その生徒は(とび)色の癖毛に浅黒い肌、彫りが深く一見して日本人ではないとわかった。おそらくは昨日、セシリア嬢が協力を仰げないか頼んでいた先輩なのだろう。

 姉崎はなにやら一方的に話し込んでいて、彼女の背中を何度もたたいていた。

 

「先輩」

 

 私が声をかけると、姉崎は唇だけ薄ら笑いした様子で機嫌がよいのか再び隣にいた生徒の背中をたたいた。

 

「おう。君たち。紹介する。彼女が二年のテイラーだ」

 

 何と言うか惜しい。きちんと髪をとかして眉の手入れをして、薄化粧でもすればたちまち凛々しさが出るのにもったいない。自信なさげな雰囲気は、守ってやりたくなるではなく、相手によってはいらだちを覚えさせるものに感じた。姉崎やセシリア嬢はまったく気にする素振りを見せず、あいさつが終わるのを待っていた。

 

「パ……パトリシア・テイラーで……す。よ……ろしく」

「昨日連絡したオルコットですわ。今日はよろしくお願いしますわ」

 

 私たちもセシリア嬢の後について自分の名前を言った。

 

「えっ……と……頼ま……れたもの……の構築が終……わってい……ます。す……ぐ作業に取……りかか……れるよ……うにし……た」

 

 留学生同士が日本語で話をしているのは不思議と新鮮な光景だった。声が小さく滑舌が悪いためか、聞き取るのが難しかったが、この場にいる顔ぶれはそのことを特に気にかけた様子はなかった。

 

「素晴らしいですわ」

「い……え。お気……遣い無……く」

 

 姉崎は観客席の防護壁の傍まで歩いていき長机に置いた端末を開いた。パトリシア先輩がおずおずと長机を指さした。

 

「データ取得……前にブルー・ティ……アーズとの接続チェッ……クをお願……いします」

「ええ」

 

 セシリア嬢が量子化されていたブルー・ティアーズを顕現させ、その身に鋼鉄の装甲を着けてみせた。

 そういえばセシリア嬢が専用機(ブルー・ティアーズ)を使うところを初めて見た。青を基調とした洗練された姿。無線通信による意思疎通で自走機動を取ると思われる六本の羽。胴部の装甲が薄く見えるのはISの生体保護機能が充実している証左で、見た目よりも丈夫だった。四肢を強化する事からISがパワードスーツの流れから派生したものだと分かる。

 パトリシア先輩は端末を置いた長机に移動し、端末の前に立った。そのまま私たちが画面をのぞき込むのを背にしながら学内ネットワークを経由して、アリーナの立体モデルを表示させた。立体モデルを取り囲むように六つの窓が開かれていた。

 パトリシア先輩が手を挙げて人差し指を立てる。合図なのだろうか、セシリア嬢は彼女がブルー・ティアーズと呼んだ羽のうち一基を空中に浮遊させる。すると窓の一つに座標と思われる数値が表示され、画面の範囲外へと流れていった。そしてセシリア嬢が遠隔操作する(BT)の動きに合わせて立体モデルに光の軌跡が描かれた。

 

「オルコットさんが羽を飛……ばして空間座標を計測し……ます。一度……通過した場所は……今のような……感じで立体モデルにプロット……されます。私たちは羽……の軌跡を確認して、もし通っ……ていな……い場所があった……らオルコットさんに教えてあげ……てください」

 

 パトリシア先輩がたどたどしく説明するが、操作がほぼ自動化されていてモニターに表示される数字とプロットされた点を見つめるだけでいいと聞いて安心した。私と(ケイ)がモニターをにらめっこして立体モデルに色が付いていない場所を指示する役目らしい。

 セシリア嬢のルームメイトだけあらかじめ別の役割を任されているらしく、端末とキーボードを脇に抱えてアリーナの真ん中へ駆けていった。

 

「先輩は見ないんですか?」

 

 私が声をかけると、パトリシア先輩は隣のパイプ椅子に腰掛けて、もう一つの端末を開けて仕様書らしきドキュメントファイルを展開していた。

 

「オルコットさんから依頼……されたコーディングが途中……なので今のう……ちに終わ……らせてし……まいます。隣に……いるので分から……ないこ……とがあった……ら遠慮無く聞……いてく……ださい」

「なるほど」

「わかったー」

 

 私と(ケイ)は交代でアリーナの使用可能時間いっぱいまで、モニターとセシリア嬢への指示を続けた。

 その後、ブルー・ティアーズに組み込むデータの確認や動作試験、セシリア嬢の練習もかねて、順番で打鉄に乗ってテストに付き合った。セシリア嬢曰く、作戦空域に対する地上兵器による迎撃というのが今回の方針らしい。英国本国のブルー・ティアーズ開発陣から制空権を奪取された状態を想定するのもよいだろう、という話が出ており、ブルー・ティアーズを固定砲台化するための戦術と支援プログラムを寄越してきたというのだ。迎撃に関する基礎概念は既に構築されていたとはいえISを軸とした兵装で実現するのは初めてらしく、データ取得を目論むだけに時々怪しい動きをするなどとぼやいていた。

 パトリシア先輩がコーディングに勤しんでいたのは、本国のエンジニアが書いたプログラムだと初日に取得した空間座標がそのまま使うことができない、とわかったので仕方なくインターフェースをスクラッチビルドする羽目になったのだという。一週間で形にはしたのだけれど、たぶん本番でも不具合が出るに違いない。

 明日のクラス代表決定戦に備えて早めに修羅場を後にしたセシリア嬢はルームメイトと私をつれて、自室に戻っていた。

 椅子に腰かけるなりすぐ、私はパトリシア先輩の受け売りの懸念を口にした。

 

「ブルー・ティアーズとのリンク……なんかたくさんバグが残ってそうなんだけど」

 

 一応動く。本来ならば十分な時間と人材を使ってやるべき作業を学生が数日で動くようにはした。姉崎やパトリシアをはじめとする先輩方の能力と支援によるところが大きかった。

 残っていそう、と推測の形でセシリア嬢に伝えたのだけれど、実際は残っていた。今も、パトリシア先輩や姉崎が声をかけた他の弱電所属の生徒が既知のバグを突貫で潰している最中だった。協力に当たっていろいろ怪しげな約束をしてしまったのでその点不安ではあったが、学園生活の一環としてあきらめていた。

 セシリア嬢は不安の欠片すら見せなかった。あるがままを受け入れている、そんな調子だった。

 

「試作機ですもの。不具合があって当然ですわ。わたくしのブルー・ティアーズで得たノウハウを二番機が、そして量産機が受け継いでいくんですの。わたくしのブルー・ティアーズはなるべくしてなった欠陥機ですわね。それに織斑君も専用機、つまり試作機。しかも当日に届くみたいな事を言ってましたから、フェアではなくて?」

 

 私は織斑に同情していた。ここ数日セシリア嬢に付きっきりだったので、鷹月や布仏さん経由で織斑の状況を教えてもらっていたのだけれど、ISに関してはろくに訓練も実施していないらしい。勝負勘を取り戻させるために篠ノ之さんが竹刀でどつき回しているとか。

 セシリア嬢のルームメイトが慣れた手つきでカップに紅茶を注ぎ、どうぞ、と真っ白な器を寄越した。私は紅茶を口にして一息つき、ご褒美などと言ってルームメイトの頭をなでるセシリア嬢を眺めた。子犬みたいに懐いているので微笑ましいと感じていた。

 

「明日は自信あるの?」

 

 愚問と言われるかもしれないけれど、私はセシリア嬢の意気込みを聞いてみたかった。

 

「なぜそのような質問を?」

「篠ノ之さんが織斑を鍛え直しているみたいだよ」

「愚問ですわね。私が勝ちますわ」

 

 セシリア嬢が言うと本当に勝ってしまう気がした。ただし、セシリア嬢が企図する戦いはあの日、サラ・ウェルキンが見せたようなものではなかった。

 



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★5 ブルー・ティアーズVS白式

今回はブルー・ティアーズVS白式です。


 セシリア嬢が床に就くのを見届けてから眠って、あっという間に朝が来た。対戦するのは自分ではなかったけれども興奮して眠れなかった。鏡に写った自分の顔を見ると、睡眠不足で両目が血走っていた上に、見慣れた印象の薄い間抜け面があった。ジャージに着替えて(ケイ)と磯へ走りに行ったけれど、昨日までと比べて息が上がるのが早く、足の動きや体重移動ですらぎこちなくなっているように感じた。隣を走る(ケイ)は相変わらず平然とした様子だったけれど、走り終わって柔軟をしながら話をしてみれば、ほんのわずかだけれど声が震えていたので少し安心した。

 シャワーを浴びて制服に着替え部屋を出た。廊下には私と見覚えのある生徒がいたのであいさつをして、セシリア嬢の部屋に向かった。

 私が見守る中(ケイ)がドアをノックした。セシリア嬢の部屋に着いたら別にどちらがノックするのかは決めていなかったのだけれど、ほとんどの場合は彼女がノックするよう暗黙の了解ができていた。最初にルームメイトの声がして、ドア越しに物が続けざまにぶつかる音がして、五分もしないうちにセシリア嬢が出てきた。しきりに左耳のイヤーカフスを気にかけていて、(ケイ)と私があいさつをしているうちにルームメイトも出てきた。制服に乱れがあるので彼女の方が慌てていたらしい。

 私はセシリア嬢の雰囲気がいつも違うのに気がついて、(ケイ)の裾を引いてこちらへ振り向かせてそのことを伝えると、やはり私と同じ事に考えていたらしい。だから本人に聞いてみることにした。

 

「セシリアさん、いつもと雰囲気違わない?」

「わかりますの?」

 

 私と(ケイ)はそろって首肯した。

 セシリア嬢はルームメイトと顔を合わせ、互いに笑顔を見せ合った。

 

「この子の提案で目元だけ化粧を施してもらいましたの」

「なるほど。いつもと違うと感じたのはそれか」

 

 セシリア嬢のルームメイトが毎日化粧をしているのは知っていたし、彼女の華やかな顔立ちからむしろ化粧していない方がおかしいと思っていたけれど、セシリア嬢もしているとは思わなかった。

 

「これから戦いに(おもむ)きますの。女の身だしなみですわね」

 

 目に力がこもるようにお願いしました、と付け加えた。ルームメイトが胸を張っているので今回の化粧に自信があるようだ。

 

「セシリー食堂に行こー。もうすぐ混む時間帯だよ」

 

 (ケイ)がおなかをすかせているらしく急かすので、私たちは食堂に行った。

 四人がけのテーブルが空いていたので定食が載ったトレーをおいてご飯に箸を付けた。相変わらず織斑と篠ノ之さんは一緒に朝食を取っていて、篠ノ之さんは眉根を寄せた不満げな表情をしている。織斑はといえばしきりに篠ノ之さんに話しかけては、

 

「結局一度もISに乗らなかったじゃないか」

 

 と恨み言を吐いていた。織斑には同情していた。私が同じ立場ならば同じ文句を吐いていたに違いない。

 

「あっちも前途多難だねー」

 

 (ケイ)が彼らの様子を眺めて独り言を漏らした。

 

「どちらにせよ一週間の付け焼き刃で何とかなるほど対IS戦は甘くありませんわ」

「さすが経験者は語る?」

「どんなスポーツでも、勉強でもそうでしてよ」

 

 前途多難なのはセシリア嬢も一緒だろう。制空権を渡した挙げ句、戦術評価も未知数な地対空戦を企図しているのだから、強がっている割にいつもより左耳を触る回数が多かった。

 

「お願いがありますの」

 

 セシリア嬢は箸を置いて改まったように背筋を正したので、私も釣られて背中を伸ばした。

 

「格納庫まで一緒についてきてくださいまし」

「同伴?」

(ケイ)、茶化しちゃダメだよ。ここは真剣なところだよ」

 

 私は(ケイ)への突っ込みを忘れなかった。

 

「お願いですわ。……やはり一人は不安ですの」

 

 照れくさそうに言うセシリア嬢に、(ケイ)の雰囲気が変わり、顔つきまでが変わった。時々(ケイ)の出自が気になることがあって、彼女はどこかできちんとした教育を受けていたのではないか、と考えることがあった。

 

「セシリアお嬢様、その申し出お受け致します」

「姉崎先輩のところまでは一緒に行ってあげる」

 

 (ケイ)の演技かかった素振りに脱帽しながら、私は織斑の専用機が見たいという好奇心に負けた。

 ルームメイトには席を確保する役割が与えられた。最初こそ不満そうな顔をしていたけれど、セシリア嬢が少し潤んだような瞳でお願いするものだから、感激したらしく二つ返事で了承していた。

 

 

 さて三人で格納庫に行くと姉崎が出迎えてくれた。いつもの白衣を羽織って、黒一色の布地に銀糸で流水の文様をあしらったISスーツを身につけ、普段はシュシュを着けている赤毛を頭の後ろで一括(ひとくく)りにしている。片眼鏡(モノクル)を身につけて、ちょっと水際だった忌々しいほどの粋さ加減に私は嫉妬を覚えていた。

 IS学園は他に類を見ないほど美少女率が高いことでも全国的に有名なのだけれど、とりわけ温室の中でとりすました胡蝶蘭(こちょうらん)を目にしたときのようで、女に見惚れる、というのはなかなか経験できるものではなかっただけに悔しかった。セシリア嬢も同感だったらしく、瞳に力を込めていたが果たしてどこまで対抗し得たであろうか。

 

「今日はよろしくお願いします」

 

 セシリア嬢が頭を下げたので、私と(ケイ)は一緒に頭を下げた。

 

「おう。任された」

 

 顔を上げると姉崎は笑顔を絶やさなかった。

 

「やばくなったらしっかり守ってやる」

 

 姉崎に言われると、なぜか安心できた。彼女の背後にいる異形のISが存在感を放っていて、(いびつ)な姿にもかかわらず全身を包む重厚な(よろい)を見ていると不思議と頼もしく思えてくる。

 

「頼もしいですわ」

 

 その声に私は、セシリア嬢が先ほどよりもリラックスしていることに気がついて、いっそう姉崎をうらやましく思った。

 

「あ、そうだ。オルコット君。手を出しなさい」

 

 姉崎は白衣のポケットから紫色のお守りを取り出すと、セシリア嬢に手渡した。

 

「なんですの?」

 

 セシリア嬢は手の中にある紫色のお守りの意味がよくわからずに首をかしげている。

 

「これな。ウェルキンから渡された、日本のお守りって奴だ。神の気を封入した魔除(まよ)けみたいなものだな」

「まあ。サラらしい心遣いですわ」

 

 愛おしそうにお守りを握りしめるのを見て姉崎が続けた。

 

「ウェルキンからの伝言。ブルー・ティアーズのお披露目だ。誇りを持って戦ってこい」

「サラの激励。確かに受け取りました」

 

 セシリア嬢の瞳が力強く輝いた。(ケイ)に至ってはどういうわけか涙目で、ウェルキン先輩格好いい、としきりにつぶやいている。その様子を見てセシリア嬢が鼻を鳴らした。

 

「当たり前ですわ。サラはわたくしが越えなければならない目標ですから」

 

 セシリア嬢が決意を新たにしたちょうどそのとき、後ろの方から足音がしたので振り向いてみると、織斑と篠ノ之さん、そして織斑先生の姿を目にした。

 この格納庫に来たという事は、試合前に回収班とあいさつを済ませておくつもりらしい。織斑は物珍しげに絶えず落ち着きなく辺りを見回していて、篠ノ之さんはさすがに動じていない様だった。そうかと思えば彼女は私の姿を見つけてたじろいだように見えたのは気のせいだろうか。

 

「オルコット。先に来ていたのか」

 

 織斑先生が声をかけると、セシリア嬢が軽く会釈をした。

 

「ああ、お前たちはオルコットの付き添いか」

 

 私と(ケイ)が元気よく返事をすると、織斑先生は満足そうにほほえんでから姉崎に視線を向けた。

 

「三年の姉崎だ。今回の試合の回収担当だ。よろしく」

 

 私は姉崎の美人度を男性視点で観測できる瞬間だと思って、織斑の様子を注視していた。案の定見惚れていたので、篠ノ之さんのきれいなお顔がますます不機嫌になっていった。姉崎は織斑の様子を面白がるようにいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 

「君が一夏君か。さすが姉弟。織斑先生によく似ているな」

「よろしくお願いします。先輩」

 

 姉崎が手を差し出してきたので織斑は握手をして返した。

 

「織斑の隣にいるのが篠ノ之だ」

「よろしく」

「篠ノ之です。よろしくお願いします」

 

 篠ノ之さんは握手を求められたので、緊張した面持ちで握って返した。

 織斑は腑に落ちない様子でしきりに姉の顔をうかがっていた。

 

「何だ。気になることがあるならはっきり言え」

「ISスーツ? 千冬姉……じゃなかった。織斑先生。試合に出ないのに何でISスーツを着ているのかなって思ってさ」

「織斑。回収班についてはさっき説明した通りだ」

「それはわかったんだけどさ。先輩がISスーツを着る理由を聞いていないんだけど」

「回収班には専用ISがある。見た目はアレだがな」

 

 織斑先生は腕を組んだまま表情を変えずに言った。織斑がまだ納得できない様子だったので、私は彼の肩をつついて、姉崎の背後に鎮座するIS(リカバリー)を指さして見せた。

 

「織斑、あれを見なよ」

「先輩の後ろにある変なのだろ」

「あれが回収班のISなんだって」

 

 気付いた織斑はそのあまりの不格好さに絶句していた。回収班のISは班員自身が自信を持ってかっこわるい、と公言するほどの物で、織斑先生に至ってはアレ呼ばわりだった。姉崎が苦笑しているのが見て取れた。織斑がわれに返ると、姉崎は織斑先生の手を引いて、私たちには話し声が聞こえないように距離をとった。私は(ケイ)に織斑たちと適当に話をするように頼んで、盗み聞きしようと二人の後をついていった。

 

「先生。彼のISは?」

「ああ、もう搬入が始まっている」

 

 何か困ったことでも、と言いたげな様子だったので姉崎は、

 

「ぎりぎりですね」

 

 と少し嫌みったらしい声を出していた。

 

「試合に間に合うなら問題ない」

「相変わらずそういう所がずぼらですね」

「そういう発言は倉持技研の技術者に言ってやれ」

 

 織斑先生は気にしていたのか嫌みの矛先を開発元に転嫁してみせた。織斑先生の様子だと、倉持技研のエンジニアに来週までに機体を寄越せ、と無理なお願いを今みたいな様子で言われて、押し切られてしまったのだろうな、と思い至って名も知らぬエンジニアたちの努力に心の中で同情した。納期が繰り上がるということはつまり死の行進(デスマーチ)が発生したということが容易に想像できたからだ。

 織斑先生は、今頃燃え尽きているであろうエンジニアたちに手を合わせる私の姿に気付いて、考えていることがわかったのか、虫の居所が悪そうな表情をしていた。

 姉崎はどうやら厄介な事情を抱えていて、まだ織斑先生に言いたいことがあるらしく、口調こそ丁寧だったが声が険しかった。

 

「先生。後で更識(生徒会長)に一言言ってやってください。彼女、白式(びゃくしき)の件で大変ご立腹です。この前も倉持に殴り込んでやる、みたいこと言ってました。しかも生徒会権限でシゲを引っ張られたおかげで他の子に影響出てますから」

「本当か?」

 

 織斑先生は驚いた様子で姉崎の目を見つめた。

 

「本当です。こんなところで嘘言いますか。何ならサファイアやケイシーに聞いてみてください」

「わかった。後でヒアリングしておこう。生徒会長にはこちらから言っておく」

「ありがとうございます」

 

 話が終わったみたいなので、私は戻って雑談していた(ケイ)に声をかけると、

 

「どうだった?」

 

 と聞いてきたので、

 

「あまりいい話じゃないね」

「後で聞く」

「そうして」

 

 と私は首を振って見せた。

 すると姉崎と織斑先生が戻ってきた。姉崎はおもむろに後ろを振り向くと、朝から忙しそうな整備科の学生に向かって声を上げた。

 

「おーい。織斑先生がシゲの件を更識(生徒会長)に言ってくれるそうだぞー」

「まじっすか」

「やったー」

「先生ありがとー」

「愛してますー」

 

 織斑は彼女らの反応にまだ慣れぬ様子で若干引き気味だった。

 

「千冬姉ってもてるんだな」

 

 篠ノ之さんにこっそり耳打ちする。すると篠ノ之さんは片目をつむったまま、

 

「当たり前だ」

 

 と断言した。そして呆けた様子の(ケイ)とセシリア嬢に私は苦笑していた。

 

「織斑、オルコット、カタパルトデッキに行くぞ。ISスーツに着替えるんだ」

「あ、はい」

 

 セシリア嬢と織斑が返事をした。

 

「お前たちはどうする」

 

 織斑先生は私たちを見回して聞いてきたので、

 

「一夏についていきます」

「セシリーにはわたしがついていきます」

 

 と篠ノ之さんと(ケイ)が答えた。私は(ケイ)を見やってから一度うなづいてからこう言った。

 

「私は観客席に行きます」

 

 元々格納庫までついていく約束だったから、ここで別れることにした。それに真っ先に(ケイ)が立候補したので、帰ってきたセシリア嬢を迎え入れる役目を彼女に任せようと思った。

 セシリア嬢の姿が小さくなったので、私はいてもたってもいられなくなって、大声で声を発していた。

 

「セシリアさん。幸運を祈ります!」

 

 別れ際にエールを送ると、セシリア嬢は拳を高く挙げて見せた。

 

 

 一人格納庫に残された私に姉崎が話しかけてきた。

 

「観客席までの道は分かるか」

「もちろんです」

「よし」

 

 私は(きびす)を返して観客席に向かおうとしたのだけれど、いつまでたっても姉崎が立ち止まっているのが気になって足を止めて振り返った。すると姉崎が言いにくそうに声をかけてきた。

 

「観客席にいく前にひとついいか」

「なんでしょう」

 

 私は首をかしげた。姉崎が浮ついていて妙に顔が赤い。女性らしい艶めいた仕草までしている。

 

「篠ノ之箒の情報をくれ」

「えっと……え?」

 

 私は姉崎の言わんとしていることが理解できず、再度聞き返してしまった。先ほどまでの堂々とした態度はどこかに行ってしまっていて、遠慮や恥ずかしさのためにはっきりしない様子だった。

 

「いや、彼女の顔が好みなんだ」

「私も篠ノ之さんの顔は大変好みですが」

 

 この点については断言できたけれど、姉崎の言っていることは説明になっていなかった。

 

「だろう? なんでもいい。好きな食べ物とか好きな人とか。写真があればなおさら良いな。もちろん無料(ただ)とは言わない。IS(リカバリー)にできるだけ乗れるよう取り計らおう。あ、言っておくがこれはわたし個人の希望ではないぞ。上級生有志の総意だと思ってくれ」

 

 私は先輩から友人の情報を売れ、と取引を持ちかけられていることと悟った。姉崎もたいがいな人物だとは知っていた。両刀使い(バイセクシュアル)なのはこの前自分で発言していたから分かってはいたけれど、同じような性癖の人間が他にもいるのだと思い、頭痛の種が増えたと思った。

 しかし、姉崎の申し出は魅力的ではあった。ISの習熟度を上げるには実機に触れるしか無く、搭乗時間が多ければ多いほど良かった。打鉄やラファール・リヴァイヴといった訓練機は数が限られていて、実技試験が近くなると皆こぞって利用するだろうから、一人あたりの搭乗時間が少なくなるのは明らかだった。IS(リカバリー)の存在自体が余り知られていないし、外見が(いびつ)すぎて誰も乗りたがらないと姉崎本人が言っていた。ISについては素人の私が搭乗時間を確保するのは非常に難しい。となれば、ここは利己的になるべきだろう。この取引には先輩方と私の双方にメリットがある。すなわちWin-Winの関係だ。

 私は決心した。

 

「三つ条件があります」

 

 姉崎のことだから後で口約束を盾にして、回収班に引き入れようと画策する可能性があったので、開口一番に条件を提示して見せた。

 

「私は今のところ回収班に加わる気はありません」

「構わない」

「私の口利きで友だちを乗せてあげても大丈夫ですか」

「問題ない」

「もし過去問を持っていたら融通してもらえませんか」

「もちろんだ。テスト勉強のお手伝いをしてやってもいい」

「わかりました。放課後、先輩の携帯端末にメールします」

「取引成立だな」

 

 私は姉崎に手を差し出してお互いに強く握りしめた。

 今年の一年は黒いなー、という話し声が聞こえてきたが、あえて意識の外に追いやった。

 

「うふふふ」

「あははは」

 

 そして姉崎と私は白々しい笑い声を上げていた。しばらくして深く礼をしてから観客席へ向けて急いだ。

 

 

 私は携帯端末に届いたメールを頼りにセシリア嬢のルームメイトの姿を見つけ、足早に彼女の元へ駆け寄りながら観客席上部に据え付けられたモニターを見やると、まだセシリア嬢たちは姿を見せていなかった。ルームメイトの横に座っていた鷹月が、

 

「遅い。何やっていたの?」

 

 と聞いたのでセシリア嬢と一緒に格納庫へ行ってきたことを話し、(ケイ)がセシリア嬢に付き添ってデッキへ行ったことも伝えてようやく納得してもらえた。

 私が息を整えているとスピーカーから山田先生の声が鳴り響いた。

 

「皆さん。お待たせしました。今からオルコットさんの入場です」

 

 言い終えるやいなや、セシリア嬢がカタパルトデッキから飛び出してきた。確かブルー・ティアーズのお披露目とか言っていたけれど、すべての観客に見せつけるように上空をゆっくり八の字旋回をしてみせてから、アリーナの中心に下り立った。そしてレーザービット四機を分離後、それぞれ長方形の対角になるように地面に配置して見せた。

 本当にハンデをやるつもりなんだ、と前の方から聞こえてきて、私は口がにやつくのを止められなかった。

 モニターにセシリア嬢の姿が映し出された。表情まではっきりと映し出した映像や、遠くから彼女の背中を映し出した映像など、様々な角度から映像が提供されていた。臨場感が出るようにISパイロットの声もマイクが拾うらしく、耳を済ませるとセシリア嬢の息づかいを聞き取ることができた。

 再び山田先生の声がスピーカーから聞こえてきた。

 

「皆さんおはようございます。織斑君は少し発進が遅れます。もう少し待っていてください。それから今使用している通信は開放回線(オープンチャネル)になっているので今の会話は観客席の皆さんにも聞こえています」

 

 次にセシリア嬢の声が聞こえてきた。

 

「了解しましたわ。わたくし試合前のチェックをしておきます。あまり待たせないでくださいまし」

 

 セシリア嬢はレーザービットの制御プログラムをチェックしているらしく、四つのレーザービットを固定し、射出口の仰角を変化させながら半球を描くように動かして見せた。今のところうまく動いている様子を見てほっとしていた。どこに問題があるかどうかわからない代物を使っているので、重大な局面で不具合が露見したら、と思って心配になっていた。

 鷹月がこちらを向いたのが目に入った。

 

「オルコットさんのあれ、あなたたちが一緒になって開発していたやつ?」

「そ。先輩たちと英国本国のエンジニアを巻き込んで作ってみました。ほとんどエンジニアと先輩がやったんだけどね」

 

 鷹月が感心したようにじっと見つめてくるので、私は照れくさくなって目を伏せた。

 

「あなたって妙に積極的なのね。最初はそんな風には見えなかったけど」

「ないない。お節介なだけだって」

 

 愛想笑いをしてみせながら、つい先ほど姉崎に篠ノ之さんを売り飛ばしてきたことを思い出して目をそらした。鷹月は意外とよく気付く子なので、事実を気取られないようにブルー・ティアーズに目を向けることにした。

 セシリア嬢が装備について語っていたことを思い出すと、射撃型特殊レーザービット×四、弾道型ミサイルビット×二、スターライトmkⅢ(六七口径特殊レーザーライフル)×一、インターセプター(近接ショートブレード)×一のはずである。苦手だと言っていた接近戦に備えて腰部に増設したアタッチメントにインターセプターが納められていた。アリーナの空間座標計測時には腰部のアタッチメントにインターセプターを顕在化させていなかったこと以外に特に変化は見られなかった。

 鷹月は携帯端末を操作して学内ネットワークに接続し、データベースからブルー・ティアーズの情報を取り出していた。初期装備(プリセット)と会場のブルー・ティアーズを見比べて、感心したように言った。

 

「オルコットさんは初期装備(プリセット)を事前にすべて量子構成させたんだ。さすが経験者」

 

 まだIS戦についてよくわかっていない私は鷹月の言うことがよくわからなかったので説明を求めた。

 

「どういうこと?」

「ISは拡張領域(バススロット)量子変換(インストール)した武装を自由に取り出せるんだけど、使用する武装選択の意思伝達から量子構成までに一、二秒かかるの。接近戦でそれだけの時間を無駄にしたら致命的でしょう?」

「納得した」

 

 緊迫した状況で焦るな、という方が無理がある。そういった状況に陥った場合、適切な武器の呼び出しに失敗することがあってもおかしくない。先日のウェルキン先輩のラファール・リヴァイヴも近接装備をすべて顕在化させた状態で模擬戦をやっていたので、おそらくこちらの方が一般的なやり方なのだろう。

 

「オルコット。待たせたな」

 

 織斑先生の声がスピーカーから響いてきた。

 

「織斑、出ろ」

「待ちわびていましたわ」

 

 もう一方のカタパルトから織斑らしきISが射出された。モニターを見ると白式(びゃくしき)と書かれており、鷹月に教えてもらいながら学内ネットワークのデータベースに接続して情報を落とそうとしたのだけれど、なぜだか初期装備(プリセット)の項には該当なし(NO DATA)と書かれていて専用機についての名前以外の情報は得られなかった。

 仕方なくアリーナを飛び回る白式に目を向けると、織斑は恐怖感を感じることなくアリーナ上空を飛んでおり、彼の専用機は白というよりくすんだ灰色に見えた。

 織斑は無意識に白式のPICを使って滞空しながら地面を見下ろし、逆に彼を見上げているセシリア嬢を見つけてこう言った。

 

「お前は飛ばないのか?」

「制空権をあげると言いましたわ。わたくしは地面からあなたを見上げますの。そしてセシリア・オルコットの名にかけてあなたを撃ち落として見せますわ」

 

 セシリア嬢の物言いは落ち着いていて澄んだ声色だった。

 

「上等だ」

 

 織斑が不敵な笑みを口元に浮かべたのを見て、セシリア嬢は眼球を動かしてシステムメニューからある項目を呼び出していた。そして芝居がかった大げさな調子で織斑に宣告する。

 

「そうそう。あなたに最後のチャンスをあげますわ」

「チャンスだって?」

「わたくしが勝利を得るのは自明の理。今ここで謝るというのなら許してあげないこともなくってよ」

「そういうのはチャンスとは言わないな」

「そう? 残念ですわ。それなら……」

 

 双方の機体のステータスを表示したモニターを見ると、白式の欄に警告という文字が表示された。そして不快なブザー音が鳴り響く。耳にする者に危機感を与える目標補足時の警告音だった。鷹月やセシリア嬢のルームメイトは驚いた様子でいて不快に顔をしかめている。

 セシリア嬢は口を半月型に開いて薄笑いを浮かべた。織斑が慌てた様子で左右を見回して、それからセシリア嬢の仕業だと気付いた。

 

「レーダー照射ですわ。絶対防御をまとわない通常兵器ならこれで撃墜扱いですわね」

 

 その様子を見て鷹月がため息をついていた。

 

「オルコットさん。悪ノリしてるね」

「やっぱり?」

「事情を知らない人がこの映像を見たら悪役にしか考えられないわ」

 

 とっさに織斑は防御態勢を取っていたけれど攻撃は来なかった。しかし鳴り止まないブザー音と視野で点滅する警告という文字に不快な感情を露わにした。

 その間にブルー・ティアーズはスターライトmkⅢを無駄のない動作で構えて白式を照準に納めて見せた。

 

「さあ踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

 

 それが試合開始の合図だった。

 

 

 最初に見たのは閃光(せんこう)だった。

 白式のハイパーセンサーが一斉に警告音を発し、織斑の知覚領域はISコアによって本来人間が感じるはずの何十倍もの速度で押し寄せた情報の渦に一瞬だけパニックに陥った。システムが強制的に知覚領域を拡大させてようやく、情報の過多に慣れない頭脳は熱を帯びるに至った。織斑は何が起きたのか分からなかった。突然大量の汗が吹き出し、警告という文字の処理をするだけで眼球が異常な速度で動いているのだけは知覚できた。強烈な頭痛と高揚感、そして心拍数の増加に(さいな)まれ、続いて全身に衝撃が走った。

 一体何をされたのだ――理解しようにも情報処理が追いついていない。ISコアによる脳組織への浸食が起き、五感が鋭敏化し、時間の流れが異常に遅く感じられるようになった。全身を襲った焼け付くような痛みに似た衝撃は、つまりISのハイパーセンサーによってデジタル情報に置き換えられた、システムが隠蔽(いんぺい)するはずの符号化された情報が脳髄を()い回った事による不快感と言い換えてもよかった。

 織斑は数秒の時を経て光学兵器が原因だと知覚する。その最中でもレーザーによって熱された微粒子が大気中の元素と化学反応を起こして大量のエネルギーを放出、すなわち爆発が起こっていた。

 アリーナがどよめきに満ちた。

 英国が開発した光学兵器のえげつなさを知らしめたのである。光を見た瞬間に攻撃が到達しているのだから打つ手がないと思考停止に陥るのが道理だったけれど、織斑はどうやら違ったらしい。

 私がすぐにモニターに視線を動かすと、白式は光を避けようと空域で複雑な機動を見せながら逃げ惑っていた。ブルー・ティアーズが白式を捕捉し、スターライトmkⅢによる一方的な砲撃を加えていた。

 白式のステータスモニターはゆっくりではあったが、シールドエネルギーの値が下降し続ける兆候を示していた。射撃を繰り返すレーザービット。常に三基が攻撃を加えており、一基が沈黙して砲身の冷却を行っていた。絶えずレーザーにさらされていて、その証拠に白式の装甲が爆発し続け、スピーカーから織斑の焦る声が聞こえてきた。

 白式が高度を下げようと試みればスターライトmkⅢの砲撃が足下をかすめてうかつな飛行ができない。高度を上げても砲台が追尾する。次々とシールドエネルギーが削られていく。

 厄介なのは固定砲台と化した四基のレーザービットが威力を落としてでも攻撃範囲を広げていることだ。ある空域をなめるように走査することで必ずISの巨体のどこかにレーザーが当たるように計算されていた。

 白式の動きに無駄が多いことから織斑が操縦に慣れておらず、機体に振り回されていいることがわかった。時折スピーカーから織斑の苦悶の声が聞こえ、急激な知覚領域の拡大に伴う発汗などのバイタルサインに異常値が見られた。未知の感覚に戸惑っているようにも見えて、先生方は何もメッセージが発していない事から通常起こりうることなのだと考えていたのだけれど、織斑の表情は苦痛と焦燥に(さいな)まれた見るに()えないものになっていった。

 操縦補助機能や慣性制御装置によって、IS搭乗時間がたった一時間未満の素人にもアクロバティックな三次元機動を可能にさせた技術は認めよう。しかし本来ならばISの操縦は、どんな車両や航空機と同じく、徐々に慣らせていくのが正道であり、模擬戦とはいえ素人に対IS戦を許可する辺り織斑先生のやっていることは無茶苦茶だった。

 弟だからということで能力に対して身内の色眼鏡で見ているのだろう。織斑はIS使用に伴う脳領域の拡大のおかげで、端正な顔面が汗と涙と鼻水でめちゃくちゃな状態だった。瞳孔が完全に開ききっていて正視に耐えない。身の毛もよだつブザー音、脳内を跳ね回っているだろう警告という文字。

 セシリア嬢の攻撃手段は戦術思想から戦闘機並びに爆撃機、弾道弾を相手取った地対空防御戦闘を意識した一連の技術群を対IS戦に無理矢理当てはめたものだった。データ収集を兼ねた実験的な戦闘ということもあって、通常兵器ならば攻撃の意思を失う程度の威力にすぎなかった。開始からずっとロックオンされ続けるというのは本職の戦闘機パイロットでも精神を(さいな)む。それを少し前まで平凡な中学生だった少年に体験させるというのはいささか酷な話と言えた。

 それでも織斑は諦めていなかった。刀身の長い近接ブレードを顕在化させて接近を試みる。一週間ずっと一刀の間合いに踏み込むことだけを訓練してきたのだ。刀の間合いまで接近し斬撃を加えることだけを考えているように見てとれた。

 織斑を一方的になぶっているレーザービットの方は迎撃システムの制御プログラムをたった一週間で構築したので粗が目立っていた。ピンポイント射撃の実現を学生風情が数日で構築するのは土台無理な話で、とにかくシールドエネルギーを削ることに専念した。結果としてレーザーの減衰率が大きくなり貫通力はほぼ無くなった。本来であれば考慮しなければいけない条件が大量に存在していたけれど射撃管制系のモジュールも機能を絞り込んで使っている。よく学生風情が開発に取りかかることができたというもので、なぜなら言語の壁を突破できる人材が手元にいなかったら着手すら不可能だっただろう。ブルー・ティアーズは日本での販売を考えていなかったらしく、付属マニュアルはすべてヨーロッパの言語表記だった。本国のエンジニアに日本語を話せる人がいなかったため、エンジニアの解説を(ケイ)とパトリシア先輩が同時翻訳しながら開発するという荒業を成し遂げていたのだから。

 セシリア嬢は地対空迎撃システム構築に当たって各種ビット操作における問題点を明らかにした。

 発端は本国でサラ・ウェルキンが搭乗する第二世代の量産機であるメイル・シュトロームと対戦した際、ビットをすべてたたき落とされ、挙げ句の果て接近戦に持ち込まれてなすすべ無く敗北した事である。戦闘技能に隔絶した差があったというのも理由の一つであるが、一人の人間が一度に一つの武器しか扱うことができない、というごく当たり前の問題が明らかになった。

 そのため泥縄式でブルー・ティアーズ型二番機のサイレント・ゼフィルスにビット自動制御プログラムの実装が急がれ、開発に人員を割かれたことから本来配備されるはずの実弾装備の開発スケジュールに大きな遅延が発生していた。

 一番機であるブルー・ティアーズには引き続きテストベッドとしての役割を持たせて、英国本国から戦術の研究を行うように指示されており、自動化プログラムの実装がオミットされてしまった。そんな経緯があって今回の迎撃システム開発につながったのである。

 複雑な制御を組み込む時間がなかったので楽をするために空域を平面で四分割し、低中高と三つの高度を設定し、ちょうど箱の中に標的が収まると判定できたらその箱の中に攻撃を集中させる。死角を少なくするために三点から照射する。セシリア嬢はスターライトmkⅢの砲撃とミサイルビットの操作に専念する、というのが今回の作戦の骨子だった。

 織斑が低空への侵入を試み、レーザービットに設定した射撃高度よりも下に出ようとした。垂直に近い角度での急降下だったけれど、セシリア嬢にとって直線機動を読むのは容易(たやす)かった。

 

「足下がおろそかでしてよ。まず左足!」

 

 スターライトmkⅢの砲撃が白式の左足に被弾し、シールドエネルギーが大きく減少した。

 

「このブルー・ティアーズを前にして初見でこうまで耐えたのはあなたで二人目。ほめて差し上げますわ」

「そりゃどうも。って俺以外にもいるのかよ」

 

 織斑はまだ顔色が悪いままだったが、減らず口がたたけるほどに回復しており、モニターのバイタルサインは平常値の範囲まで下がっていた。

 

「ようやく慣れてきた。くそっ千冬姉のやつ、ISに乗るのがこんなに苦しいのなら最初から教えてくれりゃいいのに」

 

 織斑は頭を振って、直後にスターライトmkⅢの三連撃を避けてみせた。近景と遠景の双方のモニターを見比べて分かったことだけれど、織斑はセシリア嬢の腕の動きだけを見ていて、砲身に対して注意を向けることすらしていなかった。眼球の動きは異常な速度を保ったままだった。

 

「わかったぜ。お前のライフルは三発以上連射が利かない。連続して三発撃ちきってしまうとエネルギーチャージが起きて攻撃ができない。そうだろ」

 

 モニターに白式の後ろ姿が写った。種明かしをしながら忙しなく手甲に包まれた左手が閉じたり開いたりしていた。

 

「このレーザー兵器だってそうだ。攻撃範囲が広いだけで致命傷を負わせられない。ダメージを負わせること自体が目くらましだって種はとっくにバレバレなんだよ」

 

 織斑の推測はほぼ合っていたけれど、セシリア嬢は余裕の笑みを絶やさない。言葉をつむぎながら眼球だけを動かしてウェポンメニューを開く。装備の拘束を解除し、炸薬(さくやく)を起爆可能状態へ移行させる。白式が発する固有周波数をハイパーセンサーが感知するやすぐさま符号化を行い、弾道型ミサイルに仕掛けられたRAM(メインメモリ)に値を複写した。一連の動作を行う間、(すず)やかな表情のまま顔色一つ変えなかった。

 

「あなたにそんな無駄話をしている余裕があって?」

「何だ、と」

 

 突如として腰部付近に浮遊させていた筒状射出口が正面を向き、セシリア嬢の背後に噴煙をまき散らした。そして初速三〇〇メートル毎秒もの速さで弾頭が射出され、白式に向かって加速を始める。弾頭の後部に搭載されたエンジンから甲高い音が発せられ、私が耳をふさいだのもつかの間、人間の知覚よりもはるかに高速化されたISコアの演算装置は弾頭の威力がそれまでのレーザーとは比べものにならないことを予測し、織斑の心に宿った恐怖を検知するよりも早く、白式のスラスターを急作動させた。

 そこから展開された追撃はミサイルに搭載されたCPUとISコアとの一騎打ちであり、織斑の意識は介在せぬものであった。白式はバレル・ロールしながら急上昇し、スプリットSで進行方向と高度を転換し、オーバーシュートの直後に()の葉落としをしかけ、続いてスライスバック。従来の戦闘機ではなしえない三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)を織り交ぜながら複雑な機動を描き出していたにもかかわらず、ミサイルは白い糸を引きながら追尾しており、一発は素直な直線機動を描き、もう一発は白式の動きを予測して先回りを仕掛けようとしていた。ブルー・ティアーズが追加の弾頭を射出し、これら二発はジグザグに動き回りながら白式の後を追った。

 織斑がISコアから白式のコントロールの奪還に成功したときに先読み合戦に勝負がついた。コントロールを奪い返した事はつまり、三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)が停止したことを意味しており、織斑は弾頭に搭載されたカメラレンズの輝きに目を奪われながら、空中で呆然と突っ立ったまま弾頭の突入を許していた。弾頭が白式の装甲へ激突すると同時に、風防がひしゃげて起爆装置が露わになり、全身を覆っていた金属壁が飛散し、エンジンを覆っていたフレームが砕け、タービンブレードがへし折れて散乱し、安全装置が解除された点火薬が反応しコンマ一秒の間を置いて起爆した。

 しかも四発のうち一発は不発弾で、衝突によって弾頭が自壊し、アリーナに黒と緑と灰色の内部部品と琥珀色のオイルをまき散らしていた。観客席を覆う防御壁にも破片が当たっては跳ね返っていった。

 私は爆発に包まれた白式を眺めながら粘つくようなミサイルの機動に対して、とっさに板野サーカスという言葉を思い浮かべていた。

 

「終わった」

 

 私はそう呟いていた。アリーナの上空に黒い爆煙が立ちこめ、白式がいたはずの場所は炎を上げて燃えている。ISには絶対防御があるとはいえ、三度も派手な爆発をしたのだからシールドエネルギーは残っていないだろう。そろそろ回収班の人たちが動くのではないか。

 頭を振って戦績を確かめようとモニターを見上げると、白式のシールドエネルギーは未だゼロには至っていなかった。目を丸くして、爆煙が晴れるのを待った。

 白式の形状が変わり、灰色ではなくその名が示すとおり白い装甲が太陽の光を受けて輝いていた。

 

一次移行(ファースト・シフト)……」

 

 鷹月が呆然とした様子で言葉をつむいでいた。その言葉は既に授業でおさらいしており、ISの初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)を終えて本来の性能を発揮できるようになった状態の事を指した。

 

「無茶苦茶だ……」

 

 私は驚きを禁じ得なかった。試合開始当初の織斑の苦悶に歪んだ表情を思い出した。戦闘を続けながら最適化が行われたという。どれだけの手順をスキップしたのかわからない。本来は専門家の管理下で数日掛けてゆっくりと行われる最適化をものの数分で終えた。時間を掛けるのはISだけでなく、パイロットの五感を含めた脳領域の拡大と最適化が行われるためだ。IS学園出版の資料集にも小さな文字で記されており、鷹月も織斑の脳に過剰な負荷が加えられた事に思い至って顔をしかめた。織斑先生がとった行動は弟を殺しかねなかった。

 

「これからは俺も俺の家族を守る。とりあえずは千冬姉の名前を守るさ。弟が不出来できちゃ格好がつかないからな」

 

 織斑がなにやら格好つけたことを口にしていたが、思考停止から回復したセシリア嬢が攻撃を再開し、ミサイル射出に伴う金切り音が邪魔で何を言っていたのかすべて聞き取ることができなかった。

 レーザービットも攻撃を再開し、白式の機動を牽制(けんせい)するためにミサイルが飛んでいない空域への照射を続けた。一見無駄な攻撃を加えているように思えるのだけれど、これはミサイルにレーザーが当たってしまうと爆発してしまうのを避けるためだった。

 携帯端末を操作すると、該当無し(NO DATA)だった初期装備(プリセット)の項に雪片弐型(ゆきひらにがた)という文字が出現しており、よく見れば白式の右手に握られたブレードまで形が変わっていた。

 

「見える」

 

 白式は雪片弐型を振りかぶり、自らを捕捉した弾頭を真っ二つに切り裂いてみせた。起爆前に切り裂かれた弾頭は炸薬とエンジンの液体燃料を空中に散布しながら慣性のまま落下していった。

 セシリア嬢はミサイルを無効化されたのでレーザービットの攻撃対象を切り替えた。しかし、すべての照射角度が本来想定していたものよりもばらけてきており、白式のハイパーセンサーによって隙間を算出されてしまっていた。降下する白式はレーザーの帯の合間を縫っていて、観客席の生徒たちはその機動を注視して誰も声を発しようとしなかった。

 

「しまった。砲身が!」

 

 セシリア嬢はレーザービットの攻撃範囲に隙間ができた原因を瞬時に察知していた。スターライトmkⅢに連射制限が掛けられたのと同じ理由だった。すなわちレーザー発生時の熱負荷に砲身が耐えきれずで熱ダレを起こす問題である。急造の地対空迎撃システムではこの事に気付いていたけれど開発着手に当たってパラメータの実装を見送っていて、熱ダレに関するデータが不足していたこともあって本国のエンジニアに問い合わせする相談をしていた。

 スターライトmkⅢで砲撃を加えたが、シールドエネルギーを削りきれない。肉薄する織斑の勢いが()ぐことできないと悟るや、即座にスターライトmkⅢを地面に捨て、拡張領域(バススロット)へ転送する。そして腰部アタッチメントのロックを解除し、インターセプターを引き抜きざまに構えを取り、胴をなぎ払わんとする織斑の腕の機動を瞬時に演算してはじき出した。

 

「やらせるものですか!」

「いける!」

 

 織斑が裂帛(れっぱく)の気合いを発すや、白式のISコアが雪片弐型へシールドエネルギーを注ぎ込みながら剣を振る。

 対するセシリア嬢は膝を落とし、刃が身体を()ぐよりも早く懐に飛び込んでいた。

 そして結果が分からぬまま試合終了のブザー音が鳴り響いた。白式の残シールドエネルギーがゼロになっておりステータスモニターが赤く染まっていた。

 

「織斑機戦闘続行不可能(EMPTY NOT SHIELDED)。試合終了。勝者セシリア・オルコット」

 

 

 



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★6 部活紹介

「ぴんぽんぱんぽーん。第三アリーナの使用につきまして化学処理班からお知らせいたします。えー、第三アリーナの使用は本日一二〇〇よりあさってまでの期間一般生徒の使用を禁止いたします。授業での使用並びにアリーナを使用したい生徒は他のアリーナを使用するようにお願いいたします。繰り返し化学処理班からお知らせいたします。第三アリーナの使用は……」

 

 クラス代表決定戦が一段落しカタパルトデッキへの道を急ぐ途中、柔らかい女性の声で場内放送が流れた。アリーナ使用禁止を唱うその放送に、私は一瞬だけ立ち止まって耳を傾けたが事務的な放送だということもあってすぐに興味を失い、道を急いだ。やや遅れてクラスメイトが私の後を追っており、他にもカタパルトデッキへの道を知っている者がいることから、あえて道案内を買って出ることはしなかった。一番乗りしたいという気持ちがあって、興奮冷めやらぬ私の口からねぎらいの言葉が口から飛び出してきそうだった。

 デッキへと続く扉が見えた。普段は電子ロックがかけられている場所は、役目を終えたのか開放されていて中から聞き慣れた人々の声が漏れ聞こえてきた。

 声の響きからして織斑先生であることは間違いなく、少し進むと並んで立っていた山田先生が分厚い参考書を織斑に手渡しているのが見えた。本のタイトルまでは見えなかったけれど、おそらくはISの使用規定か何かだろう。彼の手首には金属と思しき腕輪がはまっていた。そして情けない声を上げて項垂れているのを見て、にやにやとした笑みが止まらなくなるのだけれど、私は彼を好いていると言うよりは気安い男友達程度にとらえていたから、後でからかってやろうという気持ちになった。

 私は織斑を狙おうなどと言う気持ちは全くない。恋だの愛だの理性をうち捨てて、その場の情動に流されてくんずほぐれつ赤玉開店御礼などという、ローティーンにしては(ただ)れた性生活の限りを、異性同性構わず先輩後輩、それに同級生が繰り広げる中で思春期を迎えた私が、清らかな身体のままでいられたのは奇跡に等しいと自画自賛の限りを尽くすのだけれど、単に知り合いだった男たちと友達以上の関係になりたいとは望まなかったに過ぎなかった。

 私がこんなことを言っているのは篠ノ之さんの姿を見つけてしまい、姉崎ら有志一同から与えられたミッションを果たさなければならないという思いが鎌首をもたげたことを自覚したからだった。下衆な考えから篠ノ之さんのお顔を売って広めて愛でようとする邪な考えに同意したなどと、断じて、いやその辺りは全く自信がないのだけれど、とにかく薔薇色の学園生活の一歩を踏み出すために記念写真を撮ってみんなに配布してやろうと自己を正当化した私に怖い物はなかった。

 

「おつかれさまでーす!」

 

 篠ノ之さんが、帰るぞ、と言いかけていたのを遮って大きな声で駆け込んだ。私を見つけるなり、きちんと手入れされた眉を真ん中に寄せていた。

 ちょうどセシリア嬢もISスーツ姿で出てきたので、織斑と一緒にねぎらいの言葉をかけた。

 

「織斑おつかれさまー。セシリアさんもがんばったね」

 

 やや遅れてセシリア嬢の背後から(ケイ)の姿を見つけた。彼女は私を見つけて手を振っている。

 

「まったく殿方にしてはよくやったと褒めて差し上げますわ」

 

 セシリア嬢は腕を組んで強がったけれど、織斑と視線を合わせようとはしなかった。織斑に正面から見直したぞ、と言うのが恥ずかしいのだろう。セシリア嬢なりの照れ隠しだった。(ケイ)がにやついているのが気になったけれど理由は後で自室で聞き出すとしよう。私は足取り軽く織斑の真正面に立った。

 

「がんばったね。見直しちゃった」

「そうだろ。そうだろう」

「こいつはさっき反省したばかりだ。あまり持ち上げるな。すぐ調子に乗る」

 

 すぐさま私がおだてて気を良くさせようとしていることを見抜いた織斑先生は、優しい口調で諭すように言った。織斑先生の顔をよく観察すると、にやついた笑みを浮かべていて、実はものすごく嬉しいと感じているのは先生自身なのでは、と思ったのだけれど、正直にこの場で言う事がはばかられた。弟への威厳というやつだ。

 織斑に至っては試合終盤にくさい科白を吐いていたような気がしたけれど、あいにくよく聞き取れなかった。ちゃんと聞いていたら面白おかしくからかうネタになったはずである。悔やまれてならない。

 

「ちゃんと褒めてくれるの※※ぐらいだ」

 

 織斑が私の名を口にした。布仏さんとは違い、正確な姓名を覚えている様子だった。私の名字は四十七都道府県から自治体を一つ選んで戸籍を調べれば、一人いてもおかしくない名前だから覚えやすかったのだろう。良心的な名前をつけてくれた両親に感謝していた。(ケイ)みたいに訳の分からない姓名よりはよほどマシだと思った。

 さりげなく好感度がアップしているような気がするのだけれど、そもそも織斑と恋愛模様を繰り広げる気のない私にとっては無用の長物だった。篠ノ之さんを応援する立場なのに彼女に敵視されるなんてまっぴらごめんだと私は言いたい。

 

「同じ素人の動きとは思えなかったな。やっぱり武術の心得があると構えが違ってくるんだ。織斑ががんばれたのは篠ノ之さんのおかげだね!」

 

 私は満面の笑みを浮かべながら篠ノ之さんの両手を握りしめて指を絡めた。クラスメイトに織斑をバックアップするという提案をしたのだが、セシリア嬢にかまけて織斑の状況を確かめる暇がなかった。クラスメイトの話を聞く限りでは、篠ノ之さんがISについては自分に任せろ、と頑なに言い張ったので誰も強く言うことができなくなってしまい、織斑の今朝のぼやきにつながっていったらしい。

 褒めては見たものの、視野の裾に映りこむ織斑の瞳に、心の底から悔しいと感じることができない悔しさ、という恥にも似た思いを漂わせていた。

 試合は織斑の完敗だった。雪片弐型(ゆきひらにがた)がシールドエネルギーを吸い上げた事実こそあれ、彼の振るった剣がセシリア嬢に届く前に、インターセプターの刺突が致命打となった。すなわちセシリア嬢の判断力が織斑の踏み込みを上回ったのである。

 篠ノ之さんはまんざらでもない様子だったけれど、すぐにばつが悪そうな顔になった。

 

「鍛え方が足らなかったな……」

「……俺もそう思う」

 

 織斑と篠ノ之さんが辛気くさい雰囲気を醸し出してきたので、二人の意識を少しだけ他所(よそ)に向けようと、私は山田先生に質問をした。

 

「山田先生。質問してもよろしいですか?」

「いいですよ。さっき放送で耳にしたのですけれど、何でアリーナが使えなくなったのですか?」

「今の試合を見てましたよね」

「そりゃあもちろん」

「いっぱい爆発しましたよね」

「織斑なんてミサイルを真っ二つにしましたよ! かっこよかったですよ!」

「生身の人間が触ってはいけないものがまき散らされましたね。破片とかミサイルの燃料とか火薬とかいろいろ……」

「いろいろ落ちてきましたけれど、やっぱりアレ触っちゃいけないんですか」

「特にミサイル燃料は種類によっては毒性が強いものがありまして念のための措置です。納得していただけましたか?」

「はい。ありがとうございました」

 

 私はそう言って山田先生にお辞儀して返した。いつもこの手の質問をいろいろぶつけている気がしてならない。

 

「セシリーがんばったねー」

「当然、と言いたいところでしたけれど肝を冷やしたのも事実ですわ。早急(さっきゅう)に本国のエンジニアに問い合わせしないといけません」

 

 試合中に発生した熱ダレ問題の事を言っていた。放課後、パトリシア先輩に連絡しておかなければならなかった。

 織斑はセシリア嬢を見やって何かを思い出したようだ。

 

「あのさセシリア。途中で俺が二人目みたいなことを言ってたけど、一人目って誰なんだ?」

「先輩ですわ。二年のサラ・ウェルキン。英国の代表候補生ですの」

「専用機持ちなのか?」

「いいえ。彼女が使ったのは量産機でしたわ。わたくしが機体性能に頼り切った戦い方をして完敗しましたの」

「そうか。……俺はその先輩にも負けたんだな」

 

 すると織斑がどこか遠く見るような目つきになった。

 織斑の真正面に立っていた私は、少しだけ背伸びをして物思いにふけっていた彼の頭を両手で覆った。

 

「あ、そうだ。織斑ちょっとおでこかしてー」

 

 そう言って軽い気持ちで織斑の額を自分の額にあてて見せた。繰り返すが、私は気安い気持ちで織斑に接していたので、自分の行動がどのような結果をもたらすか全く意識していなかった。すぐさま篠ノ之さんが声を荒げた。

 

「おい!」

「熱出てないんだね」

 

 熱を測ること以外に他意はなく、織斑も私の意図を正確に理解していたので、この行動に対して特に問題があるとは考えてはいなかった。だから私と織斑は篠ノ之さんが驚いた声を発した理由を理解することができなかった。

 

「ああ。平熱だ」

 

 別に身体の調子が悪くないにもかかわらず、熱を測ろうとしたのはなぜか気になったようだ。

 

「しかしまたどうして」

「試合中にバイタルサインが異常値出てたからちょっと気になっちゃって。大人になってもあるじゃん。知恵熱って」

 

 そして心の中で織斑先生にごめんなさい、と謝っていた。頭に血が上っていてあることないことけなしていたような気がしたからだ。すると、織斑先生の表情が厄介事を目にしたときのように、たとえばセシリア嬢が決闘をしようと言い放った時と同様に口の端がゆるんでいたので、ふと先ほどの行動を篠ノ之さんの気持ちになって考え、そして真っ青になった。

 

「お、お前……」

 

 篠ノ之さんから殺気が放出されているような気もしたけれど、できるだけ気にしないようにした。

 

「えーちゃん、そこは篠ノ之ちゃんの役目だよ。嫉妬されちゃうよ」

 

 珍しく(ケイ)が私を諭したのだけれど、織斑先生と同じく厄介事を傍観する野次馬のように説得力のない表情をしていた。(ケイ)の言うとおり篠ノ之さんから放たれているのは嫉妬の炎だった。山田先生に至っては私と織斑を交互に見比べて、なにやら頬を赤らめている。山田先生に中学時代の私の周囲で繰り広げられた絢爛豪華かつ自堕落で人間失格な修羅場について、一部始終を事細かに説明をしてその反応を(さかな)にガラナ飲料でもあおろうかと思ったけれど、そもそもかの清涼飲料水は北海道から取り寄せなければ手に入らなかった。

 山田先生には大変申し訳なく思うのだけれど、残念ながら織斑も私もその気はさっぱりなかった。

 セシリア嬢がわざとらしく咳払いをしてみせた。

 

「意外と大胆ですのね。あなた」

「セシリアさん。それに山田先生も赤くならないでくださいよー。よくあることですって。ね、織斑先生」

「なぜ私に振る」

 

 私のことを面白がっていたので、少しは織斑先生にもご助力を願わなければと思っからだ。

 

「先生、織斑のお姉さんじゃないですか。小さな一夏君にあんなことやこんなことをよくしていたんでしょう?」

「お前の言い方だと嫌らしく聞こえるな。私にその気はないぞ」

 

 私が暗に言い含めたことをわかっているかのような口ぶりだったので少しだけ意地悪をしたくなり、確認の意味をこめてその一言を口にした。

 

「別に正太郎コンプレックスについて一言も触れてませんけれど」

「な……」

 

 織斑先生は言い淀んだ。その様子から要らぬ想像をしていたのは間違いなく、織斑先生がこの手の話題を理解できる貴重な人材だとを確信した。

 (ケイ)やセシリア嬢が首を傾げていた。当然理解できない人がいてもおかしくはなかった。

 

「えーちゃん。正太郎なんちゃらって何?」

「後で教えてあげる。セシリアさんにも後でね」

「織斑に篠ノ之さん。ふたりの写真取ったげるね。織斑のISデビュー記念ってやつ」

 

 私は本題に入った。篠ノ之さんは突然声を掛けられてびっくりした様子だったが、すぐに言わんとしていることを理解できたようで、急にしおらしい恥じ入るような表情を浮かべていた。

 篠ノ之さんの気質から言って織斑が良いと言えば強く反対することはできないと考えた。

 

「二人のを撮ったらみんなのも撮るからさ。織斑はいいよね」

 

 織斑が断る要素は見あたらなかった。予想道理二つ返事で了承した。

 

「ああ、構わないぜ」

「話が分かってる!」

 

 私は携帯端末を横に傾けて、二人にカメラのフォーカスを合わせた。篠ノ之さんが織斑から距離を置こうとするのを見てすかさず、

 

「もっと寄ってー。そ、腕が当たるぐらい。いーよー。撮るねー」

 

 私は二人の間を詰めさせ、篠ノ之さんが恥じらう姿を写真に残していた。この写真は後で姉崎に送るつもりだったので、心の中で何度も篠ノ之さんに謝っていたが、私の厚い面の皮はそんな心情を微塵(みじん)も表に出すことはなかった。

 

「ありがとう!」

 

 その後、その場にいた先生たちやセシリア嬢も含めて集合写真を撮った。

 

「織斑に篠ノ之さん。後で端末に写真送るね」

 

 いつになく浮かれた様子を演じた私は最後の詰めを怠るつもりはなかった。

 

「ということで織斑。アドレス交換しようか」

「いいぜ」

「ありがとー」

 

 そこで私はふとある視線に気がついて(ケイ)に聞いてみた。

 

「ところでセシリアさんが胸の辺りを押さえながら口惜しそうな顔を私に向けているのだけれど、(ケイ)さんはなぜだか心当たりがありませんか?」

「知らなーい」

 

 そう言って(ケイ)はそっぽを向いてしまった。

 

 

 アリーナから教室棟へ戻ろうとしたとき、黄色い化学防護服を着けたいかめしい連中とすれ違った。バイザー越しには学生らしき十代から五十代までさまざまな年齢層の顔があって、彼らが化学処理班なのだと悟った。

 IS学園は得体の知れないところがあって、実家の近所の高校よりもたくさんの人が働いている、とチラと聞いたことがある。学園島はこれでもかといった具合に広いし、いつ政府が島の土地を買い上げたのかと疑問に思っていたら、磯を走っていて気付いたことだけれど、その昔海軍の潜水艦基地があったらしく廃棄された防空砲台が残っていたり、修繕した掩体壕(えんたいごう)にトラクターが納まっていたり、と戦争遺跡が多く残されていた。

 教室棟までの帰り道にちょうど磯を見下ろせる場所があって、何気なく眺めていると学園支給のオレンジ色のライフジャケットを着た現代文の後藤先生が片手に釣り竿を担ぎ、空いた手には小振りなクーラーボックスを持って学校へ続く坂道を上っていた。いつも世事に無気力で無関心な眠そうな顔をしていて何でIS学園の教師をしているのかさっぱり想像がつかない人だった。一般教養なので息抜きのつもりで授業に出ていたけれど、案外とらえどころがない調子なのに妙に面白い。

 興味深いのは織斑先生が後藤先生に敬意を払っていて、あの昼行灯のどこにそんな風格があるのか疑問に思っていた。

 昼休みの前に一限残っていて、クラス中が試合の後で興奮冷めやらぬ様子だけれども、磯の香りを漂わせた後藤先生の授業は淡々と進んでチャイムを合図に終わった。

 

「織斑、疲れているのは分かってるが堂々と寝るのはよくないなあ……とチャイムだからここまで」

 

 そして食堂での昼食を取り終え、正太郎コンプレックスとは何かいつもの三人に力説したところ、私に対して感心したような呆れたようなまなざしを向けられ、そこに尊敬の念がどこにもないことに首をひねっていた。この手の話に共感できる悪友の類を地元においてきてしまったので、もはや織斑先生の自宅に上がり込んで家事労働を交換条件に華を咲かせるべきではないか、とまで考えていたが、もしかして先生と交際されている男性とばったり出会ってしまったらどうしよう、と下衆な勘ぐりをしていた。

 背中に突き刺さる視線から逃れるように、気分転換に売店を向かおうと考えた私は、目の前を歩く篠ノ之さんに声をかけていた。

 

「篠ノ之さん」

「何だ」

 

 振り向いた篠ノ之さんは、私を目にするなり観念したようなため息を吐いた。苦手意識を持たれるようなことをしたからしょうがないのだけれど、あの時はあれが最善だと思っていた。もちろん今でも必要なら追加で渡す用意があった。

 私は顔の前で両手を合わせた。

 

「さっきはごめん。不用意だった」

 

 額と額をごっつんこした件だ。繰り返すが、私は織斑のことを異性として何とも思っていない。

 

「……わかってる」

 

 篠ノ之さんは口をすぼめて小さな声で答えた。その様子につい舞い上がった私は(ケイ)を見習って過剰なスキンシップを試み、篠ノ之箒の柔肌を堪能しようと画策したのだけれど、掌底が眼球に向かって放たれたので反射的に身体を強ばらせてしまった。当然ながら掌底は寸止めだった。

 

「公衆の面前だ。自重しろ」

 

 やはり(ケイ)のものまねをするなど慣れぬことをすべきでないと思った。この言い方だと公衆の面前でなければ先ほどのようなまねをしてもよい、ということになるのだが、その前に護身術の適用条件を満たしてしまい返り討ちにされるのは明らかだった。

 

「織斑のことだけど」

「一夏のことなんだが」

 

 私と篠ノ之さんの声が被った。言わんとしていることは、どちらが口にしても同じ事だと思ってあえて退いた。

 

「どうぞ。続きを言って」

「……どう思っているんだ?」

 

 紛らわしいまねをやってしまった上、周囲にいる女子は織斑に好意と好奇心を向けているのだから当然そう来るだろう。下手な良いわけをして織斑が巻き起こす、あるいは巻き込まれるであろう騒動の渦を泳ぎ切るには私ではいささか荷が重かった。そのため、言うべきことは決まっていた。

 

「織斑は男友達でそれ以上でもそれ以下でもない」

 

 誤解は小さなうちに解いておくに限る。本音で接すれば彼女も真意を察してくれるに違いない。

 

「そうか」

 

 素っ気ない答えだった。その割には喜色を浮かべていたので、一応は誤解が解けたのだと安心した。

 そのまま二人で売店への曲がり角にさしかかった。ちょうど生徒会室があって、時折布仏さんが出入りしている姿を目にしていた。

 生徒会と言えば、入学式にて壇上で上級生代表としてあいさつしていた女性がいたはずだった。確か更識楯無と名乗っていた。女性にしては古風な武者ぶった名前が印象的だった。私が知る先輩と言えば、入学式から十日も経っていないので姉崎や整備科の雷同(らいどう)白羽(ふわ)、パトリシア先輩をはじめとした弱電メンバーぐらいしか知り合いがいない。篠ノ之さんは早くも剣道部への入部を決めていて、一応仮入部扱いだったから剣道部の部員という知り合いを持っていた。しかも篠ノ之さんは中学時代の実績から次期レギュラーとして期待されていた。昔から疑問だったけれど生徒会が何をやっているのかよくわからない組織だと思っていた。部活動や委員会の管理やイベントの企画が主な仕事だと聞いているが、姉崎曰くIS学園の生徒会メンバーは二人しか存在しないという。

 二人と言えば、目の前で背丈の低い少女を壁際に立たせ、リーダー格と思しき少女が厳しい口調で責めていた。リーダー格のリボンは黄色、相棒役の巨乳眼鏡が赤色だった。彼らがいる場所は少し奥にあって周囲が気付いた様子はない。背丈の低い少女のリボンは青色で、私たちと同じ一年生であることがわかった。髪を水色に染めている時点で実はIS学園(うちの学校)はとてもおおらかな校風なのでは、と思った。私などは当時はやんちゃだった友人の前で髪を染めてみようかな、とつぶやいてみたら激怒された挙げ句、約三十分にわたる説教を食らったことがある。

 

「……篠ノ之さん」

 

 小声でつぶやき、互いに顔を見合わせてうなずきあった。

 一年生はリーダー格の少女に対して大きな恐れを抱いているらしく、膝が震えているのが分かった。巨乳眼鏡の方は無言だったが逃げ道をふさぐようにして立ちはだかっていた。

 私は傍観者の立場で通り過ぎるか、お節介を焼くか迷ったが、篠ノ之さんははっきりとした嫌悪感を表情に出していた。彼女の表情は真剣でそれでいてまっすぐだった。私はわずかでも迷ったことを恥じた。

 二人でまっすぐ彼女らに向かって歩く。私たちに気付いているのかいないのか、リーダー格の少女は厳しい口調を止めない。挙げ句の果てに無理やり腕を取った。当然抵抗したので一年生の少女の身体を強く押さえつけようとするが、なぜか腕を極める気がなかったらしく簡単に振りほどかれ、逃れた少女は篠ノ之さんの姿を認め、勢いづいたまま抱きついていた。

 

「何があった」

 

 動じない様子の篠ノ之さんがまぶしかった。

 

「助けて……ください」

 

 消え入りそうな小さな声。声質が異なるものの、パトリシア先輩みたいな喋り方をした。髪を水色に染めていて、つまるところ高校デビューというやつだろう。緊張と恐怖で落ち着かない様子を見ていたら、意外にも子犬ちゃんとはまた違った意味での美少女だったので、とても庇護欲(ひごよく)をかき立てられたけれど、篠ノ之さんは臨戦体制に入っており、場の空気に飲み込まれた私は脈打っている自分の心臓の音を聞きながら、ほほえみつつ殺気を振りまくのはどんな趣向なのかと考えていた。

 同じ一年生の彼女は篠ノ之さんの背後に回り込むなり、震える手で同じく水色の髪をした二年生を指さした。

 

「……助けて」

 

 ――真剣勝負という言葉がある。意味は本物の剣を用いて勝負すること。本気で勝ち負けを争うこと。また、本気で事に当たることを言う。

 鈍く光る等身大の殺気がぶつかり合った。細やかな一つ一つの行動を見落とさないように、雰囲気にのまれながら突っ立っていた私の視野の裾で、篠ノ之さんにの背後で腰に手を回すようにして抱きついていた少女が、自分を責めていた二年生に向かって下まぶたを引き下げ、 赤い部分を出して侮蔑の意をあらわす身体表現をやってみせていた。すると二年生の方がうろたえたようで殺気が霧散し、合わせて篠ノ之さんも殺気を出すのを止めた。しかし篠ノ之さんは少女の行動に気付いていないようだった。

 

「あの人が……財布を出せ、と」

「簪!」

 

 二年生が明らかにうろたえていた。状況証拠だけなら悪者は彼女らだったが、どこかで彼女を見たような感じがするのだけれどうまく思い出せない。

 

「先輩。本当ですか?」

 

 篠ノ之さんの冷えた声音。巨乳眼鏡を見やると表情を崩しておらず、何を考えているのか分からないのが私の不安を助長した。

 二年生は篠ノ之さんから視線を外して壁を見つめながら、歯切れの悪い調子だった。

 

「財布を出せとは言ったけど、誤解するような事はやってないんだよね。だから喧嘩腰の態度は納めてくれるとありがたいっていうか。それに君たち一年生でしょ? 入学したばかりの子とやり合うのは気分としてちょっとねえ」

 

 彼女は頭をかきながら、投げやりな口調で説明した。

 

「黒……だということは認めるんだな」

「今年の一年は元気だけど、先輩を相手にその言い方は、ねえ? とりあえず、その子を渡してくれるとありがたいんだけど」

「それはできません」

「変なことをするつもりはないの。少しお話をするだけなのよ」

「彼女は……助けを求めました。求められた以上は(こた)えねばなりません」

 

 そう言って篠ノ之さんは再び臨戦態勢を取った。二年生は面倒そうな表情だったが、篠ノ之さんの覚悟を決めた様子に刺激されたのか、急に雰囲気が変わった。

 

「君はやりそうだもんね。いいよ。やろう。学園最強が誰なのか教えてあげる」

 

 二年生は足を一歩踏み出し半身になって拳を固め、弦を引き絞るようにして片腕を折りたたむ。もう片方の腕を前に伸ばし、拳を開き手のひらを天に向けて指先を篠ノ之さんの喉へと向ける。そのまま親指を除く四本指の関節を根本で何度か折り曲げることを繰り返した。その意味は挑発。某映画三部作にて空手着を身につけたスキンヘッドの黒人が主人公に対してやってみせた動きと寸分違わなかった。

 篠ノ之さんの肩の線がほんのわずかに沈んだ。目を見て間合いを計る。篠ノ之さんの構えは自然(あるがまま)にして変幻自在。膝の力を抜くしぐさを見て、本当にやり合うつもりなのだと感じとった。篠ノ之さんは道場の娘ということで間違いなく剣術と体術の両方を学んでいるはずだから、おそらくは対甲冑戦用の体術を使うつもりだろう。全身武装した相手が襲いかかってきたとしても、徒手空拳で相手の息の根を止めるという危険な代物だ。その動きに無駄はなく、流れの行き着くところは生命を絶つことに他ならず、投げ技などは受け身が取れないように関節を極めながら投げる、と聞いたことがある。

 双方呼吸の間を計っている。静かに細く長く息を吐き、同じように吸い上げる。なぜならそこまで意識しなければ土が着くのは自分だと感じ取っていたからだった。

 私はバトル漫画なノリについて行けなくなって、巨乳眼鏡な先輩に助けを求める視線を寄越した。二年生の横で状況を静観していたのだから、面倒事になったら止めに入ってくれるのではないか、と勝手に期待したのだけれど、話したこともない相手が期待通りに動くとは思っていなかった。とにかく廊下でストリートファイトは勘弁して欲しい。

 一触即発の状況に水を差すようにして通りかかったのはわれらが担任の織斑先生だった。

 殺気にびびりまくる一般人の私と違って、ISに乗って数々修羅場をくぐり抜けてきた先生はどうってことない様子で二年生の名を呼んだ。

 

「更識、話がある」

 

 更識といえば生徒会長の名前だった。学園最強とか聞き捨てならない言葉を吐いていた気がするけれど、隣の巨乳眼鏡が否定しないところを見ると本当なのだろう。

 生徒会長はすぐに緊張を解いて、ほっとしたように表情を弛緩(しかん)させた。

 

「わかりました。すぐに行きます」

 

 生徒会長は臨戦態勢を崩して織斑先生の後を追うようにして歩き去った。巨乳眼鏡が私の横を通り過ぎようとしたとき、「ごめんなさいね」とだけ言い残したので、呆けた様子で彼女の顔を見つめることしかできなかった。

 上級生の姿が消えたのを確かめると、残された一年生は篠ノ之さんに向かって深いお辞儀をしていた。

 

「助かりました。……ありがとう。……今度……お礼させてください」

 

 篠ノ之さんは礼を言われるや声がうわずっていた。照れた表情を浮かべていたけれど、

 

「いやいい。見返りが欲しくてした行動じゃないからな」

 

 むしろ場の雰囲気に流されて廊下で喧嘩しようとしていた自分を恥じているように思えた。慌てて否定するように両手を振っていた。しかし礼を言う側も頑固だった。

 

「でも助けを……求めたから……応えたって」

「そこは本当だが、とにかくお礼はいらない」

 

 篠ノ之さんの言葉を聞いて、その子はいきなり目を輝かせたかと思いきや、涙をこらえているかのように目を伏せ、静かにつぶやいた。

 

「……そう……ですか」

 

 そして去り際に一礼した後で顔を上げてぼそっと、ヒーローみたい、とつぶやいたのを耳にした。

 私は彼女の背中を見送って、肝心なことを思い出した。

 

「しまった。あの子の名前を聞きそびれたなあ」

「同じ学年だ。いずれ分かる」

 

 

 さて部活紹介である。昼休みを終えて講堂に集まった私たちは、舞台の前で待機する上級生の姿を見つけた。

 四クラス全員集まったのは入学式以来だろうか。女三人寄れば姦しいというが、私自身も生徒会長が壇上に上がるまでおしゃべりを続けていた。一組に割り当てられた場所にパイプ椅子が並んでいて、席順は自由と聞いていた。誰が織斑の隣を陣取るかでひと騒動が予想されたので、鷹月が勝手に織斑を一番後ろの列に配置してしまった。鷹月に理由を聞くと単に上背があって織斑の真後ろになると見えない、という至極当然の内容だった。

 織斑は私と鷹月を他の女子避けとして自分の前列に配置した。篠ノ之さんは周囲がお互いを牽制しあったわずかな隙をついて当たり前のように隣の席を確保しており、クラスメイトが呆気にとられていた。彼女は己の欲望に正直だった。眉根を中央に寄せた仏頂面でいた彼女は私と鷹月、それに(ケイ)の生暖かい視線に気付いて急に不機嫌な顔つきになって、あさっての方向を向いてしまった。

 席に着いた私がポケットから携帯端末を取り出して学内ネットワークに接続する。お知らせを読む限り、最初に生徒会、委員会、部活動、同好会という順番のプログラムだった。中学の時にも似たようなことをやっていたけれど、真面目にやるか、おふざけに走るかの二択で、今のところはどんな出し物があるのか期待で胸がおどった。

 司会進行は生徒会が行うためか、生徒会長がマイクのテストを行うと講堂に満ちていたざわめきは潮が引くように消えていった。講堂二階の窓が暗幕で覆われ、にわかに座席が薄暗くなった。舞台上方の照明が付いて生徒会長の自信に満ちた表情が明らかになった。昼休みに出くわした人と同一人物とは思えないほど凛とした顔つきで、それでいて柔らかいしぐさをしている。それだけで話慣れしていると推し量ることができ、すぐ側には先ほどの赤いリボンを身につけた巨乳眼鏡が静かに立っていた。

 

「あっ。お姉ちゃんだ」

 

 と布仏さん。巨乳眼鏡、ではなく布仏先輩を指さしていた。

 私はゆるんだ笑顔を浮かべる布仏さんと壇上にいる先輩を見比べて、確かに外見がよく似ていると感じたが、それ以上に雰囲気が異なりすぎていて、二人を姉妹と結びつけるには苦労した。布仏さんは不審がる私を見つけて、

 

「えーちゃんったら信じてないんだね~」

 

 と後ろを向きながら身を乗り出し、長すぎて垂れ下がった袖口で私の顔をはたいてきた。かなり鬱陶(うっとう)しかったけれど、パイプ椅子がきしんで不安定になっていたので、ガタガタと音を立てて揺れる椅子の背を押しとどめながら、私の背後を顧みて後ろの座席にいた織斑に話を振ってみた。

 

「織斑はさ。生徒会長の側に控えているあれと、のほほんとしたこれが姉妹に見えると思う?」

「ええっ? 疑問形はないよ~。おりむーなら信じるよね~」

 

 織斑はいきなり振られて困ったような顔つきをしていたが、あごに手を当てて真剣な表情で壇上を凝視し、続いて布仏さんを表情を変えずに見やった。視線がゆっくり頭からつま先へ動くのが分かった。その最中、背もたれで形が潰れた上半身のある一点で止まり、目蓋の裏側にしっかり複写したであろう布仏先輩の全身を想像し、視線を再び動かした。そして満面の笑みを浮かべ、

 

「もちろん……ア痛ッ! 何すんだよ、箒!」

 

 篠ノ之さんに足を踏み抜かれていた。

 

「一夏、貴様の目つきがいやらしかったからだ」

 

 篠ノ之さんは足を元に戻すと、再び不機嫌そうに視線をもどした。

 ちょうどそのとき、壇上から生徒会長が一年生に呼びかけを行い、生徒会の紹介が始まった。

 今回のような部活紹介や学祭の企画、卒業アルバム作成が主な仕事だと言っていた。生徒会長は生徒会メンバー募集をしきりに強調していた。特に整理が好きで雑用をいとわない人物がもっとも欲しいところだが、われこそはと思う人は生徒会室や二年一組の教室まで来て欲しい、とか何とか。そこに鬼気迫る雰囲気があったのは、本当に人手不足ではないかという思いだった。

 次は委員会だった。

 見知っているのは回収班と化学処理班。各組から一人ずつ強制参加となる委員会については約二分ずつの時間が割り当てられていて、簡単な活動説明にとどまった。逆に志願制の委員会には長めに時間が割り当てられていた。

 志願制の委員会に共通するのは激務ということ。

 化学処理班の紹介を行っている生徒は、それはもう可哀想になるくらいしどろもどろだった。本来説明に立つべき生徒が第三アリーナの処理に回ってしまい、今立っている子は名前を名乗る際に代役だと言っていた。泣きそうな瞳が私たちと台本を行き来していた。

 彼女らの仕事は責任が重い代わりに、どうやら化学処理の実務経験が積めるらしくいくつかの国家資格の試験免除対象になるようなことを言っていた。しかも委員会の活動が単位認定されるという。

 

「これにて説明を、終わりまひゅっ……」

 

 深くお辞儀をするも反応はまばらだった。

 最後に回収班の説明だった。壇上に黄色のリボンをつけた生徒が三人いて、それぞれ霧島、井村、雷同と名乗った。投影モニターを使ってビデオを流しながら説明をしているのだけれど、例のISが出てきて左手に富士山が見えるので、東富士演習場と思しき場所で一〇式戦車を回収していた。しかも回収中に砲弾が直撃していて激しい爆煙が生じている。他にもアリーナでのIS回収の映像が流れたが、機関砲から榴弾(りゅうだん)を撃ち込まれ続けながら仕事する様子が映し出されていた。壇上の霧島や井村は感覚が麻痺しているのか平然としていたけれど、会場は盛り上がるどころ大いに引いていた。特典として毎年富士総合火力演習が観覧でき、しかも一般非公開演習まで見ることができるという。陸上自衛隊とコネがありますと公言しているようなものだが、あんな映像を見せられてはよほどの物好きでない限り志願することはないだろう。ふと男の子の反応が気になって真後ろの様子をうかがってみると、織斑も若干引き気味だった。

 三人がお辞儀をして締めくくった。生徒会長のアナウンスが入り、二〇分間の小休止を行うという。

 私は座ったまま大きく背伸びをしていた。髪の毛が地面に垂れて額を露わにしながら間抜けに口を開けていた。そうするうちに黄色のリボンをした上級生がこちらに近づいてくるのが見て取れた。上級生は日本人には見えなかった。おそらく留学生。天地反転した視界には血の色が透けて見えるような白が映りこむ。セシリア嬢のようなブロンドの髪。いかにも細身でか弱そうな様子だが、ふてぶてしさを感じる存在感。以前にあいさつを交わした英国の留学生、つまりサラ・ウェルキンだ。

 強い足取りでまっすぐセシリア嬢に向かって歩いていく。

 彼女に気付いた(ケイ)がルームメイトとじゃれていたセシリア嬢の肩をたたいて注意を向けさせる。ウェルキン先輩を見たセシリア嬢の顔が強ばり、瞬く間に緊張した。

 

「セシリア・オルコット」

「サラ。お久しぶりですわ」

「姉崎女史から結果を聞きました。午前中の試合おつかれさまです」

 

 ウェルキン先輩の口調は織斑先生と似ていて、まるで教師が不出来な生徒を優しく諭すような雰囲気だった。

 

「前回の指摘事項をきちんと修正していましたね。さすがです。それに慣れぬ地対空戦闘。急造とはいえ支援を行ったスタッフも優秀でしたね」

「……ありがとうございます」

「夕食の前に私の部屋に来てください。簡単なデブリーフィングをしましょう」

「それは反省会という意味でしょうか」

「主に事実確認と歓迎会ですね。私の他にも英国の留学生がいるので顔合わせをするつもりです」

 

 そう聞いて安心したセシリア嬢。

 

「それに指摘事項もいくつかありますから……」

 

 わざとらしく独り言を聞かせたウェルキン先輩に、セシリア嬢の顔が凍り付く。

 漫画的表現で恐縮だけれど、心なしか華やかな笑顔のウェルキン先輩の背後から「ゴゴゴゴゴ」という文字が描けそうな勢いだった。私も含めてみんな目を合わせようとしていなかった。篠ノ之さんの殺気とはまた違った意味で恐ろしかった。ウェルキン先輩は優雅でかっこいいなあと思っていた時期もあったけれど、物腰穏やかなのが余計に怖かった。制服から膝がみえているけれど、鋼のよう、といった表現がお似合いの適度に鍛え上げられて引き締まった脚だった。

 

「それではまた放課後。みなさま、ごきげんよう」

「ごきげんよう……」

 

 この学園に来てごきげんようなる言葉を使う人を初めて見た。お嬢様然とした姿に見惚れているうちに、ウェルキン先輩が通路の前で制服姿の姉崎とあいさつを交わす姿が見え、そして視界から消えた。

 セシリア嬢はうっかり宿題を忘れていた、と言わんばかりの様子で頭を抱えて涙目になっていた。

 そんなに反省会がいやなのだろうか。

 

「ウェルキン先輩相変わらずきれいだったねえ」

 

 と(ケイ)が見当外れな事を言って和ませようとしたのだが空振りに終わった。

 

「面倒見良さそうな人じゃない」

「……あなたがたは、サラのあだ名を知っているかしら」

 

 セシリア嬢は先ほどの化学処理班の説明をしていた子のように顔面蒼白で、しかも声が震えていた。大げさな冗談だととらえた私たちはウェルキン先輩の華奢(きゃしゃ)な体つきから、おとぎ話に登場するあるクリーチャーを思い浮かべた。

 

「さあ妖精とか? イギリスだけに」

 

 妖精(fairy)なら違和感がない。そう思ってセシリア嬢が首を縦に振るかと期待したが、結果はその逆だった。

 

「……鬼、ですわ」

 

 ややあってみんなが沈黙した。そして互いの顔を見つめて笑いあった。

 

「やだなあ。冗談きついって」

 

 セシリア嬢はとても真剣な顔つきで予言者めいた口ぶりでこう言った。

 

「信じる信じないは自由ですわ。みなさんもサラと一度戦ってみればわかりますわ。量産機が専用機を紙のように墜としていく様を見れば……」

 

 

 休憩時間が終わり、これから部活紹介が始まる。IS学園は全校生徒は三〇〇名以上いたが、一般的な高校と比べると人数が少ないので多人数の部活動がどうしても少数精鋭となってしまうきらいがあった。手元の携帯端末の画面を指でスクロールさせると部活動の一覧が出てきて、剣道部、テニス部、ラクロス部、ソフトボール部、ボクシング部、弓道部、新聞部、料理部、茶道部、水泳部……滑空部、航空部という順番になっていた。剣道部は篠ノ之さんが既に仮入部を決めている。今日の部活動紹介を経て正式に部員になる予定だった。各部活名をタップすると概要説明を見ることができ、ふーん、とうなりながら普通の高校生活みたいだと実感する。ただ、下に行くにつれて徐々に雰囲気が怪しくなっていき、特に最後の二つが興味を引いた。

 生徒会長のアナウンスが入って剣道部の紹介が始まった。IS学園に入るだけあって個々の技量が高く、全国レベルの猛者がごろごろいるという感触だった。

 次にテニス部。こちらはどちらかといえばテニスサークルのノリに近い。チームの成績は県大会に出場できる程度だった。テニスウェアを着用して汗を流す姿は美しいものだ。

 ラクロス部。公式戦に出場するためには一二名が必要なため、部員の確保を第一に考えている。

 ソフトボール部。状況はラクロス部と似ている。なぜかバッターボックスに立つ生徒会長の写真があった。

 ボクシング部。女子としては珍しい部活だけれど、去年同好会から昇格したらしい。

 弓道部。団体戦に出るために最低一人は部活に入って欲しいとか。びっくりしたのが部長が高校二年生にして四段を持っていることだ。

 新聞部。とてもテンションが高い様子だった。紹介者は(まゆずみ)と名乗った。

 料理部。作ったことがある料理の一覧、去年の学祭でメイドカフェをやったとのこと。

 茶道部。顧問が織斑先生だとしきりに強調していた。ついでに織斑先生が着物姿でお抹茶を()てる姿が写され、講堂内が黄色い声で沸き返った。

 水泳部のように去年の実績を紹介する部活が続き、残すところ二つとなった。

 あと二つ。滑空部。

 

「グライダー、無人偵察機、ラジコン。このどれかに興味を示した人はいませんか?」

 

 真ん中の無人偵察機は明らかにおかしい、と独りごちた。東海と名乗った二年生はグライダーとラジコンはそっちのけで、無人偵察機とその効用、並びに画像解析技術についてプレゼンを始めた。真面目に内容を理解していたように見えたのはセシリア嬢ぐらいだった。

 

「ご静聴(せいちょう)ありがとうございました」

 

 呆気にとられていた私は気力を振り絞って最後の部活紹介に臨んだ。次を乗り切れば再び二〇分の小休止である。

 航空部。正式名称は航空機とその内燃機関を愛でる部活動。部員数は三名。すべて二年生。岩崎と名乗った部長は背丈こそ一五〇程度で貧相な体型だったが、小さな見た目に反して存在感が非常に大きい。この世のすべての悪を具現化したような邪悪な空気をまとっていて、みんなからちやほやされそうなアイドル顔なのだが、せっかくの素材を台無しにするような陰険な面持ちで嫌みったらしい。そして詐欺師のような慇懃無礼(いんぎんぶれい)な笑顔を見せる怪人だった。投影モニターを使って映像を流しているのだけれど、内容は真面目一点張りで航空機エンジンの燃焼試験の一部始終だった。

 燃焼試験の結果を描いたグラフが映し出されたところで、岩崎が突然片足を前に踏みだし、マイクの柄を持ち上げて水平にした。そして大きく息を吸って叫びだした。

 

「みんなー内燃機関は好きかー! 私は特にターボファンエンジンが大好きだ! 愛しているといっていい! 先日航空部は航空自衛隊が採用しているライトニングⅡ(F-35J)に搭載していたエンジンを四基入手した。現在これらエンジンの燃焼試験を終え、わが部が開発中のうちがねかっこ仮名かっことじるへの搭載を予定している! 双発で超音速飛行を実現する気概があるやつは航空部の門戸をたたけ! 部員になる承諾さえすれば、われわれの頭脳と人脈と設備を自由に使わせてやる。IS開発のハード、ソフト両方のノウハウもくれてやる! 熱意があって悪魔に魂を売る覚悟があるやつは二年一組岩崎の所まで連絡されたし!」

 

 みんな呆気にとられて拍手などなかった。壇上の岩崎は達成感に満ちあふれた顔をしていて、深くお辞儀をしたところで生徒会長のアナウンスが入った。

 

「ありがとうございました。これから二十分の小休止を挟んだのち、同好会の紹介に移ります」

 

 

 

 



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★7 檜風呂ですよ。檜風呂!

 同好会の紹介が終わったときには腰とお尻が痛くてしょうがなかった。パイプ椅子は長時間座るのに適しておらず、お尻を包むクッションと骨組みの微妙なアーチがさらに腰を痛める要因となる。座るところが堅い椅子を所望したいところだけれど、折りたたまないと舞台下の収納スペースに格納ができないから、手軽さからパイプ椅子以外の選択肢がなかった。

 生徒会は自分が使ったパイプ椅子を収納滑車の上に積み重ねるように指示を飛ばしていた。私は自分が座っていたパイプ椅子を折りたたんで片手に持っていたけれど、織斑は余った椅子を左右二つずつ、合計四つ持っていたのでさすがは男の子という所だろうか。

 椅子を収納した生徒から解散だったので、(ケイ)や鷹月を捕まえて寮に帰ろうとしたところ、視界に水色の髪が目に入って彼女は私に気がついたのか目礼をしていた。セシリア嬢も捕まえようと考えたが取りやめた。なぜなら彼女は足取りがおぼつかない様子で何事か英語らしき言語で独り言をつぶやいていた。セシリア嬢に付き添っていた彼女のルームメイトが、私に気付いてそっとしておいてやれ、という思いを込めて首を左右に振っていた。

 これから反省会という名のお仕置きタイムだからだろう。セシリア嬢の背中は遠からずして激戦地へ赴き(しかばね)を乗り越えていく勇士のような悲壮感を漂わせていた。織斑も篠ノ之さんも何事か言葉を掛けようと試みたけれども、彼女から醸し出された微妙な空気にあてられてか結局話せずじまいに終わった。

 

「部活どうする?」

 

 先を行く谷本、鏡、布仏、岸原を捕まえ、部活紹介の記憶が鮮烈に残っていたこともあって隣を歩いていた鷹月が言った。

 私の印象に残ったのは生徒会、化学処理班、回収班、滑空部に航空部、それからロケット研と弱電研究会と競技プログラミング研究会だろうか。生徒会は学園最強とか物騒な事を言っていたのが気になって仕方がなかった。生徒会長は武闘派だが、布仏先輩が抑止力になってくれるような期待をしたいところだけれど、昼休みの件があるので頭から冷静な人間だと決めつけるには不安があった。布仏さんの姉だからしっかり者なのは確かなのだけれど、あの武闘派な生徒会長と付き合っている人間だから、いろいろ大事なところが麻痺しているに違いない。

 

「私はお姉ちゃんと一緒だよ~」

 

 先ほどまで欠伸(あくび)をしていた布仏さんが腰に両手をあてて鷹月の前に躍り出ると、少しかがんで胸を強調するようなしぐさで鷹月を上目遣いで見上げ、後ろ歩きしながらそう言った。

 

「布仏さんは生徒会志望、と。ちょっと想像できないかも」

 

 鷹月が声をおさえながら笑った。

 

「しずちゃんったら信じる気ないでしょ~。えーちゃんにかがみんまで~」

 

 布仏さんの言うことを真に受けた者はいなかった。生徒会で機敏に働く姿をどうしても想像することができずにいた私は、口元に手を当てて笑いをこらえるように布仏さんから目をそらした。

 布仏さんは眉間にしわを寄せて唇をとがらせて頬をふくらませて抗議していたが、本人が思っているほど怒りを表現できているようには思えなかった。

 鏡が照れた様子で発言した。

 

「私は茶道部をちょっと考えてる」

「私も!」

 

 谷本が声を上げた。この話題に食いつかぬIS学園の生徒がいるのだろうか、という勢いだった。岸原も目を輝かせていた。

 

「何てったって織斑先生が顧問だからね。しかもあの写真見た?」

「織斑先生の着物姿。貴重よね。もう千冬様に結構なお手前で、とか言ってみたい!」

「でも、同じことを考えている子が多そうだよね」

「倍率高そう……」

 

 鏡と岸原が不安そうな声を出す。

 

「織斑先生のことだから、入部希望が殺到することを見越して過酷な選抜試験を課しそうな気がするな」

 

 鷹月が織斑先生が取り得る行動を冷静な口調で述べた。谷本と鏡は、鷹月の予想を聞いて、うっとうめいたが、すぐに互いの目を見つめ合って鼻息荒く気勢を上げた。

 

「そうだとしてもチャレンジする価値はある!」

「そうね! 一緒に付き合うから!」

 

 織斑先生が今の光景を見れば馬鹿者とか言って出席簿で殴りつけることだろう。織斑先生の着物姿を生で見てみたい、という気持ちがないとは否定できないけれど、鷹月の予想通り苦行を課されるのは目に見えていた。

 

「鷹月さんはどこを考えてる?」

 

 岸原がはにかみながら鷹月に話を振った。私も気になったので少しだけ考える素振りをした鷹月の顔を見つめた。

 

「変化球で航空部とか? インパクトだけはすごかったから」

 

 人差し指を立てながら真顔で言うものだから冗談なのか、本気なのか判別ができなかった。

 いつだったか姉崎が航空部の部長を変人呼ばわりしていたことを思い出す。姉崎も十分に変わっていると思っていたけれど、その彼女をしておすすめできないという人物だとか。姿からして怪人なのは明らかで、悪魔に魂を売るとか口にする辺り、どちらかといえば悪の組織の親玉にしか見えなかった。たかが高校の部活風情が航空機エンジンを、しかもライトニングⅡ(F-35J)のエンジンを入手するとか、何をどうやったらそんなことが可能なのか想像もつかない。

 鷹月は彼女なりの冗談のつもりだったのか、

 

「というのはさすがに冗談で、料理部あたりを考えています」

 

 どのように突っ込めばよいか考えあぐねていた私はほっと胸をなで下ろした。

 

「あなたはどうするの?」

 

 今度は私に話が振られた。帰宅部でも良かったのだけれど、せっかくIS学園まで入学したのだから部活の一つや二つに入部してみたいのだけれど、私は既に弱電研究会の幽霊部員扱いが決まっていた。

 

「この前ので弱電に名義を貸してるけれど、ちゃんとしたところに入った方がいいよね」

 

 誰に言うでもなく口にしていた。

 

 

「送信っと」

 

 今日撮った写真を篠ノ之さん、織斑、姉崎の順番で送信した。一括送信にすれば楽だったけれど、それぞれのアドレスに異なる文面を作ることで、姉崎に送ったことを気取られないよう細心の注意を払った。

 

「ねっねっ。何送ったの?」

 

 (ケイ)が背後からまとわりつくように抱きついて、首元で両手を交差させて身を乗り出してきた。お互いの顔が触れあうほどの近さで携帯端末をのぞき込んできたので、織斑と篠ノ之さんのツーショットを画面に表示させた。

 

「午前中の写真。篠ノ之さんたちにね」

「あれねー。ちゃっかり織斑のアドレスを手に入れた時の」

「ちゃっかり言うな。ちゃんと篠ノ之さんのアドレスも手に入れましたー」

 

 織斑のアドレスを入手したのは、篠ノ之さんの分を入手するための布石に過ぎなかった。篠ノ之さんの最大の弱点は織斑だと言えた。一度は篠ノ之さんに断られたが、織斑は交換してくれたのに、とごねたら簡単に交換してもらうことができた。

 それに篠ノ之さんが意中の人とのツーショットを拒むわけがなかった。

 

「なになにー」

 

 一緒に遊びに来ていた布仏さんがベッドにダイブして器用に跳ね回りながら私の腰の辺りに転がってきた。端末に映った織斑を見て、

 

「おりむーだ」

 

 と聞き慣れない言葉を発したので、私は誰のことか分からず聞き返していた。

 

「おりむーって?」

「おりむーはおりむーだよ」

 

 私が首をかしげていると、鏡と谷本も寄ってきて二人とも携帯端末をのぞき込んで言った。

 

「織斑君のこと」

「なるほど。……ところで皆さんの顔が近いです」

 

 少しでも手を動かせば誰かの顔に端末が当たりそうだった。(ケイ)は何かにつけてスキンシップを図ってくるので適当に引きはがすのが面倒になってきており、最近はなすがままにさせていた。布仏さんは(ケイ)と似た性向を持っているのか体の密着度が高く、時折垂れ下がった袖口ではたいてくる時があった。

 私の言葉を聞いて鏡と谷本が一歩下がる。布仏さんは逆方向に転がって、バタフライの要領で器用に腹筋と背筋を使ってベッドのバネの強度を確かめていた。

 私たちはセシリア嬢の部屋に遊びに来ていた。正確にはセシリア嬢のルームメイトを訪ねたのだけれど、まるで誰かの一人部屋と錯覚してしまうくらい調度品がそろっていた。華美な調度品の数々を鷹月が興味深そうに眺めていた。

 セシリア嬢は反省会から解放されたばかりで疲れたような顔つきだったけれど、他人のベッドの上で談笑する私たちを見てその理由を問う。

 

「ところで、あなたたちはどうしてわたくしの部屋でくつろいでいるのかしら?」

「反省会おつかれさまー。どうだったー」

 

 セシリア嬢の質問に答える気がないのか、(ケイ)がウェルキン先輩とのデブリーフィングの結果について聞きたがった。

 

「久々に緊張しましたわ。それにたくさん宿題をもらいました」

 

 律義に質問に応じるセシリア嬢だったけれど、少しやつれたように見えるのは気のせいだろうか。みんなはあまり興味ない様子だった。鬼と呼ばれるだけの女性の話を深く聞き込んでしまうと、それならば今度はあなたがたも一緒に参加しましょう、などという流れに持ち込まれる可能性があったので詳しく聞き出すことができなかった。

 そのとき、鷹月が真顔でとんでもないことを言った。

 

「オルコットさんが子犬ちゃんを抱き枕代わりにしていると聞いて」

 

 すました顔だった。子犬ちゃんとはセシリア嬢のルームメイトのあだ名だったけれど、鷹月が冗談にならないことを冗談として捉えているところがあって油断ができなかった。今のように平然とあたかも当たり前の事のように爆弾を投げ下ろしてくる要注意人物だった。

 

「愚問ですわ。あなたがたもぬいぐるみ(テディベア)と一緒に寝た経験は一度ぐらいあるでしょう」

 

 セシリア嬢もよく言ったものだ。普段通り自信に満ちた顔つきで、鷹月に対して当然だと言わんばかりの風情で胸を張っていた。

 私は生意気だった幼い頃を思い返し、家にあったぬいぐるみを布団の中で抱き枕のように扱っていたことを思い出した。そのぬいぐるみは今でも実家の自室に存在したけれど、友人ととっくみあいをした時におなかから裂けてしまったので修繕したら一回り小さくなってしまっていた。

 

「もちろんあるけど。一応女の子だし」

 

 それに一応、と断ってしまう辺りが女として自信のなさの表れだった。

 

「私もー」

 

 布仏さんが元気よく返事をしたところ、鏡が指摘する。

 

「本音さんは今も毎日じゃない」

「それと一緒ですわ」

 

 セシリア嬢は断定口調だった。疑問を挟む余地もないらしく、可愛いものを可愛いと言わずして人生楽しいかしら、と人生論まで語り始める始末。私は子犬ちゃんが美少女であると認めてはいたけれど、それをぬいぐるみと同じ扱いにしてしまうのは人としてどうかと思った。

 

「いやいやいや。抱き心地が良いのは見た目からして分かるけれど。ええっと毎日?」

 

 私は真剣なセシリア嬢に向かって認識がおかしくないかと説いてみたが、彼女が主張を取り下げる気配はなかった。

 

「当たり前ですわ」

「そこは断言するところじゃないって」

 

 そうは言ってもセシリア嬢の部屋にはベッドが一つしかなかった。セシリア嬢がそろえたとされる天蓋付きのダブルベッドが一床あるだけで、元々存在したはずのシングルベッドは影も形も見あたらなかった。

 雑魚寝している雰囲気がない上、ダブルベッドには枕が二つ並べてある。抱き枕代わりとは言わないまでも床を共にしているのは状況的に明らかで、困ったような視線を子犬ちゃんに投げかけても明るく純真で無邪気な笑顔を見せるだけで、否定する要素はないと見えた。出会ってさほど日にちが経過していない。セシリア嬢を懐かせてしまった子犬ちゃんという存在がまぶしく感じたけれど、それ以上にいつの間にかベッドから降りて彼女に抱きつく布仏さんが気になって仕方がなかった。

 

「せっしーの言うとおりだよ~。こんなにふわふわしてるのに抱かないのはもったいないよ」

 

 同性がくんずほぐれつ乱れている横で平然と宿題をやっていたことがある私だったけれど、いつも眠たげな布仏さんが悪巧みをする顔つきをしていたのが気になって、さりげなく携帯端末のカメラアプリを起動し、その様子を動画で一部始終を撮影するという、姉崎の不届きな想念が乗りうつったかのように邪な思いつきを実行に移していた。われながら性根が腐っていると言えたけれど、性分だから仕方がないのだと自分を納得させていた。

 子犬ちゃんの隣に立っていたセシリア嬢は、布仏さんがじゃれつく様を心なしかうっとりしながら眺めているように見えた。続いて鷹月の顔を眺めると、彼女も布仏さんと子犬ちゃんの状況に気付いていたのだけれど、特に気にしている様子もなく調度品を手にとっては元に戻している。普段冷静な鷹月からすればおふざけに見えたようだ。私に絡むのが飽きた(ケイ)は鷹月に調度品の解説を行っていた。

 布仏さんは顎を子犬ちゃんの肩に乗せ、片腕をすくい上げるようなしぐさで胸に置き、もう片方の手に腰にやって制服のボタンを外している。相変わらず袖口が垂れ下がっていて手元が見えないのだけれど、袖の中で器用に指先を動かして、制服を脱がしにかかっているのは明らかだった。

 布仏さんは時折これ以上ないほど邪念に満ちた表情を浮かべ、それでいて無邪気を装った笑みを浮かべながらじゃれついていて、いつしかベッドの前まで来ていたので、私は場所を空けるようにして立ち上がった。子犬ちゃんの上半身をベッドに押し倒した布仏さん。既にブレザーの前がはだけていてブラウスが露わになっている。他人の服を脱がし慣れているのか、手つきがなめらかで迷いがなかった。リボンに手をかけた。指先が見えないのが惜しいと思った。

 反応に困って谷本と鏡に視線をやれば、二人は顔を赤らめながらも期待半分羞恥半分と言った風情で眼前で繰り広げられる布仏本音の所業を凝視していた。同性と言えどプロレスごっこに興味があるらしかった。

 とはいえ私も谷本らと同じくカメラを回していることを忘れ、その動きに魅入られ、また感心していた。

 布仏本音はマウントポジションを奪取するのが上手だった。

 

「すご……」

 

 鏡が独り言を漏らす。口に両手の指先をあてていて、瞬きをするのも忘れているようだった。

 

「かんちゃんもこうされるのが好きなんだよ~」

 

 布仏さんは他にも毒牙にかけた女がいると自白していた。青色のリボンがゆっくり滑るように引き抜かれ、合わせて拘束から解放された時に発する甘い吐息。子猫が鳴くようなか弱い声に私と鏡、谷本は不意に耳元に息を吹きかけられたかのような異様な感じにあてられ背筋に寒気が走るのを自覚した。布仏さんはゆっくりと私たちに顔を向けると、普段はぼんやりとした彼女らしくない妖艶な表情を見せ私たちを誘うかのようだった。袖に隠された指先が子犬ちゃんの胸の上をなぞると、一度のけぞり、そして頬を上気させた子犬ちゃんの瞳が潤んだ。少女の顔ではなく女の顔になりつつあった。

 体の芯からわき起こる情動に戸惑っているのか押し殺した声が漏れたところで、私は布仏さんが悪ノリしていることを感じ取って、浅学非才の身で一線を軽く踏み越えてしまうのは一五歳としてどうかと思った。

 

「谷本。鏡。そろそろ止めますか」

「……う、うん」

 

 二人とも見入っていたようで私の言葉に気がつくのが少しばかり遅れた。

 谷本と二人がかりで布仏さんを引きはがし、鏡が子犬ちゃんを助け起こす。

 

「もうちょっとだったのに~」

 

 何がもうちょっとなのか、私は想像するだけで顔が真っ赤になった。まさか布仏さんも姉崎と同類なのかと疑いたくなってきた。いつか布仏さんの経験の履歴を探ってみたいと心に強く願って、カメラの撮影を停止した。

 慌ただしく携帯端末を制服のポケットに収めようとしたところ、不意に鷹月と目があった。鷹月はすべてを見通したかのような瞳になってほほえんだのを受けて、私は先ほどの布仏さんの悪ノリの一部始終を記録媒体に焼き付けたことが発覚したのではと思って背筋に冷や汗が伝った。私の心配をよそに鷹月は親指で扉の方を指し示した。声に出すことなく唇の動きでこう言った。廊下に二人、聞き耳を立てている、と。

 (ケイ)も鷹月が伝えたことに気付いたらしく、驚いた顔をしていた。鷹月は扉に近づいた形跡がなく、先ほどまで(ケイ)の解説を興味深そうに聞き入っていたからだ。

 鷹月への疑惑の追及をすると、逆に私が先輩の意向に従って裏でいろいろ動いているのがばれてしまいそうだったので、とりあえず足音を立てずに扉の前に立ち、廊下で聞き耳を立てていた不届き者に天誅を下すべく扉を開け放った。私のために犠牲になってくれと心から願い、どんなを言い訳をするのか楽しみに思った。

 

「えーちゃん……あのね」

 

 岸原が聞き耳を立てたそのままの姿勢で目を丸くしていた。かなりんも同じ姿勢だった。

 

「こ、これはクラスメイトとして常にアンテナを張って人間関係の把握をしているのであって……」

 

 二人ともなぜ分かったと言わんばかりに驚いていた。私も鷹月の潜在能力の高さに驚いていた。天誅を下すなどと意気込んでみたけれど、最初からそのつもりはなかった。固まっている岸原はともかく、しどろもどろに取り乱すかなりんがかわいそうになってきた。腕を組んで、沙汰を言い渡す、などとかしこまった口調で言って提案をしてみることにした。

 

「岸原、それにかなりん。とりあえずお風呂に行くけどついてくる?」

 

 

(ひのき)風呂ですよ。檜風呂!」

 

 IS学園の大浴場を利用してもう何度目になるか分からなかったけれど、鼻孔をくすぐるさわやかな檜の香りに感動せずにはいられなかった。実家から街外れのスーパー銭湯まで自転車を一時間程こぐ必要があったため、冬場は利用を控えていたのだけれど、寮に備え付けの大浴場まで歩いて十分とかからない。この世の天国とはどこか、ここにあった。

 留学生を大量に受け入れることを意識していたのか、お風呂の入り方のイラストが目にとまり、目をこらして解説文を探すと数カ国語が併記されていた。カランからお湯を取って掛かり湯を済ませた私は一人檜風呂に直行し、湯に体を沈めたときに先客だった二組のクラス代表と目があって、お互いに軽く目礼しあった。入り口側に身を乗り出して、更衣室からセシリア嬢たちが出てくるのを待った。

 すると二組のクラス代表が肩がぶつかり合うぐらいの距離まで近寄ってきて、手ぬぐいを湯船の(へり)に置いてから、天井を見つめながら口を開いた。

 

「一組。今日クラス代表を決めたって聞いたよ」

「しのぎん……もう二組に話が伝わってる?」

「ばっちり。三組や四組の連中も知っとるわ」

「話が早いね」

「で、どっちになったか教えなさいな。織斑君? オルコットさん?」

「まだ本決まりじゃないの。たぶん決まるのは明日かな」

「オルコットさんが勝ったのに?」

 

 ウェルキン先輩が知ってるぐらいだから、他の組に結果を知られていてもおかしくなかった。織斑の行動は目立つから他クラスが情報収集しているものと考えるべきだった。

 

「明日かー。焦らすなあ」

 

 こちらとしてもセシリア嬢が織斑に経験値を積ませるために代表を辞退する可能性があるから、明日になるまでわからなかった。クラス代表が決まった瞬間から彼女の性格からして対IS戦のデータ収集が始まると考えるべきだろう。いや、明日からと悠長なことは考えずに先週の時点でセシリア嬢と織斑の両方の可能性を検討しているに違いない。

 彼女は軽くかけ声を発してから湯船の縁をまたぎ、手ぬぐいを肩に掛けた。女っ気がないベリーショートの彼女だったけれど、私とほとんど大きさが変わらぬ胸のふくらみに安心感を覚えた。

 

「じゃあお先ー」

「ほいなー」

 

 私は適当なかけ声で応じた。掛かり湯を終えたセシリア嬢が入れ替わるようにして湯船につかった。

 セシリア嬢は私が親しく話をしていたのを目にしたようで、興味深そうな様子で顔を寄せてきた。

 

「今の方は?」

「二組のクラス代表。小柄(こづか)(しのぎ)

 

 隣のクラスだからISの合同実技訓練でもあれば接点が持てるのだけれど、今のところ座学の授業ばかりだから知らないのは当然だった。私は長湯だったので他のクラスと鉢合わせることが多かったために偶然知り合ったくらいだ。二組と三組は専用機持ちがいないので入試時の実技テストの結果でクラス代表を決めたと聞いている。

 

「あら、小柄海軍少佐のお孫さんですか」

「セシリアさん、知ってるの? 彼女って有名人なの?」

 

 セシリア嬢が戦史叢書(せんしそうしょ)におけるマイナー将官を知っているとは驚きだった。

 

「一応は。有名なのは彼女のお祖父様ですわね。小柄海軍少佐は呂号潜水艦艦長として日本の戦史叢書に記録されているくらいですもの。わたくしとしましては呂号はともかく特殊潜航艇なんて代物はナンセンスですわね」

 

 私は小柄鎬本人から直接聞いたので概要くらいは知っていた。学園島にその昔海軍基地があって終戦直後に基地への入り口を爆破した。小柄海軍少佐は基地で特殊潜航艇を使った機雷敷設の研究をしていた。もしかしたら旧海軍の甲標的丁型、つまり特殊潜航艇蛟竜(こうりゅう)の残骸が残っているかも知れないという話だった。小柄鎬のおじいさんの血と汗の結晶よりも不発弾が出てくる可能性の方が高いと思っていたけれど、島の南端にかけて学園の拡張工事を行っているので、そのうち基地への入り口を掘り当てるのではないか、と楽観的に考えていた。

 私は立ち上がり、湯船の中で揺らいでいるピンク色の手ぬぐいを目にすると、セシリア嬢に向かって上半身をかがませて人差し指を立てながらこう言った。

 

「一つ忠告。手ぬぐいは湯船の外に置くこと」

「わたくしとしたことが、いけませんわね」

「じゃあ私体洗ってくる」

 

 セシリア嬢が手ぬぐいを湯船から出すのを見届けてから、私は風呂イスと湯桶(ゆおけ)を手にとって洗い場に向かった。

 (ケイ)や谷本たちを見つけて、空いていたカランの前に風呂イスを置いて陣取った。大浴場のカランは実家の近所の銭湯と同じく湯と水の出口が異なっていた。銭湯を利用したことがないか、または留学生はこの違いに戸惑うこともあるけれど、銀色のレバーの一部に色がついているのですぐに慣れてしまう。目線の高さにある各カランに備え付けの固定式シャワーのレバーを回して水の勢いを確かめてからレバーを元に位置に戻して、カランを押して湯桶に湯をためながら湯気につつまれた同級生の姿を気にしていた。

 当たり前のことだけれど風呂場は全裸なので全員の体つきが一目で把握できる。私の貧相とは言えないまでも発育途上の体つきと比べてしまいたくなるのは女の(さが)というものではないか。一五歳という少女の身空、発育が早い遅いがわかるというもので、視野の裾に映りこんだ布仏さんが頭を洗っているのだけれど腕の動きに合わせて豊かな乳房が弾んでいた。

 うかつなことに彼女の幼い言動から意識の外に追いやっていたのだけれど、布仏さんはあの巨乳眼鏡の妹だから当然巨乳ということを見落としていた。谷本や鏡が私と似たり寄ったりか若干大きい程度だったので、それぐらいなのだろうという希望的観測が現実から目を背けさせていたに違いない。私は不毛な思考の無限ループに陥っていると感じて、右隣の(ケイ)を見つめて精神的安定を図ることにした。乳房の大きさは遺伝と努力で決まる。スタイルの維持は努力で決まる。

 湯桶を持ち上げ頭から湯をかぶった。私は頭から洗う習慣なので、備え付けのシャンプーを手に取ってよく泡立ててから、泡を頭皮になじませるようにして洗っていった。実家から持ってきたお風呂グッズが存在したのだけれど、シャンプーなどは備え付けの方が良いものを使っており、また肌に合ったこともあってすぐにこちらに切り替えていた。髪がしっとりしてまとまりが良くなったのでお気に入りだった。機会を見つけて織斑先生にどんな品を使っているのか聞き出さねばなるまい。

 シャワーのレバーを回し、ほどなくしてお湯が降ってきた。時間をかけてシャンプーをすすいでいると、どうしても(ケイ)の体が目に入ってしまった。まず腹筋が割れている。以前からスタイルが良いのは知っていたけれど、こう直接目にすると胸よりも腹に意識を向けてしまう。(ケイ)を横目に眺めながら、私は彼女について知り得る情報が意外に少ないことに思い至った。アジア系の血が入っていることは確かだけれど、日本人ではないことは確かだった。セシリア嬢の知り合いな上、見事なクイーンズイングリッシュを話すことから上流階級か少なくともそれ相応の教育を受けていることは確かだった。そうでなければ鷹月にセシリア嬢の部屋の調度品を解説できないからだ。ウェルキン先輩を知らなかったから英国以外の国から来たことは間違いない。留学生にはセシリア嬢とパトリシア先輩の二種類がいる。前者は他国の代表ならびに代表候補生。後者は単なるIS好きが高じて本当に留学してしまった人たち。(ケイ)がどちらに分類されるのかさっぱりつかめなかった。そこまで考えて、私はコンディショナーに手をつけていた。

 コンディショナーもすすぎ終わって、ボディシャンプーを泡立てていると、体を洗い終えた布仏さんが泡がつくのも構わず子犬ちゃんに絡んでいた。子犬ちゃんは岸原とかなりんの間にいたのだけれど、二人とも形を変えて暴れ回る乳に目を奪われているのか止めようとしていない。鷹月の姿を探したが、彼女は湯につかっていてこちらを気にする素振りもない。

 私は岸原たちの気持ちが分からないでもなかった。子犬ちゃんは敏感な体質らしく布仏さんの動きにいちいち反応するから見ていて楽しい。しかもクラス一の爆乳である。篠ノ之さんを超える重量感に圧倒されつつ、布仏さんが胸を揉みし抱く様は小麦粉をこね慣れた熟練のパン職人、あるいは手打ちそばやうどんの職人さながらであり、同性の私ですら彼女の職人めいた手つきに下衆めいた劣情を喚起させないこともなかった。

 そこにセシリア嬢が現れた。よく磨き上げられた形の良い肌を露わにして、彼女はまるでお気に入りのおもちゃを取り上げられたときのように不機嫌な様子で布仏さんを見下ろしていた。

 

「彼女に何をしていますの」

「せっしーも堪能しようよ~」

「えっちなのはいけないと思いますわ」

 

 静寐(しずね)からこう言えばよいとアドバイスを受けました、と言葉を足した。これだけ騒げば鷹月が気付いてしかるべきだけれど、そのアドバイスはどうかと思った。真顔で言うものだからセシリア嬢が真に受けてしまったではないか。

 いつの間にかセシリア嬢の後ろに回り込み、布仏さんを警戒する子犬ちゃん。立て続けに過剰なスキンシップを試みられたら警戒しない方がおかしい。

 

「この子の体を自由にしていいのはわたくしだけですわ」

 

 ルームメイトの所有権を主張するセシリア嬢がさりげなく問題発言をしたけれど、所有されることに異論がないのか子犬ちゃんは首を大きく縦に振った。二人の姿は信頼関係よりは従属関係が築かれているようにしか見えなかった。布仏さんは私と同じ感想を抱いたのか、悔しそうに挙げた拳を振り下ろした。

 

「ずるいよ~せっしーの方がえっちなこと言ってるのに~」

「負けを認めなさい」

 

 セシリア嬢が布仏さんの肩に手を置いて勝者の風格を漂わせていた。しばらくタイルの上にへたり込んでいた負け犬の布仏さんがいつもと変わらぬゆっくりな動作でシャワーのレバーを回して、湯を浴びていた。

 

 

 翌朝のSHR(ショートホームルーム)の結果、一組のクラス代表は織斑に決まった。セシリア嬢は織斑の経験値底上げと白式の情報収集のため、織斑先生に代表辞退を申し出ていたらしい。私としても特に異論がないので、クラスで全面的に支援しようと結論づけた。

 他のクラスの子に情報を売れると考えた浅はかな輩に一言申し上げたい。二組と三組は情報収集に血道を上げている。クラスメイト程度の情報などたかが知れていて、とうの昔に調べ上げていることだろう。しのぎんら二組の耳の早さがある意味脅威で、素人集団が経験者と戦うためにクラスの結束を固めているらしい。訓練機でも準備次第で専用機に対抗が可能なので、そこに一筋の希望を見出しているのだろう。

 一限の座学を終えた私はたまには織斑に絡んでやろうと思い立ち、教壇の前に向かうと織斑先生と軽く言葉を交わす弟がいた。家事洗濯がどうのと話しており、織斑先生が社会人の余裕で「当たり前だ」と言い切っていた。

 

「隣人と懇意にしているからいろいろ教えてもらっている」

 

 そう言って話を切り上げた織斑先生の後ろ姿を見送って、再び目を戻すとSHRの時とは違う表情で余裕を無くしている織斑の姿があった。

 篠ノ之さんが織斑に近づく私をにらみつけているのを無視して、にやけ面のまま教壇の前に立ったものの、彼は考えに没頭していて気付く気配もない。できるだけ織斑の焦りを助長するような言葉は何か、黒い笑みを浮かべながら言葉を選んで、その耳元でささやいた。

 

「愛しのお姉様がついに弟離れしたとか?」

 

 織斑は突然顔を上げて私を霊能力者の類でも見たかのようにとても驚いていた。今時二槽式洗濯機よりも全自動の方が安く入手できるのだから、家事をして姉の手助けをするのが弟の生き甲斐とはいえ、全自動洗濯機に嫉妬する織斑もどうかしていると思うのだが、私はあえて彼の言葉を待った。

 

「どちらの隣人かが問題なんだ」

 

 織斑は真剣な面持ちだった。織斑宅がどんな位置にあるのか分からなかったが、とりあえず隣人の候補がいるらしい。

 

「隣の源田さんか? それとも草鹿さんか? くそう! どっちだ! 待て待て、職員室の隣の席の可能性もある。敵は山田先生か?」

 

 どうやら全自動洗濯機ではなく、隣人に敵意を燃やしているようで、織斑は必死の形相で私を空気のように扱いながらも独り言を続けていた。家事洗濯ぐらいでここまで動揺する弟も珍しい。話を振ってしまった手前、私は織斑とかみ合っていない会話を続けた。

 

「愛しのお姉様を取られて悔しいのでございますね? わかります。そろそろきれいなお姉さんから離れて大人の一歩を踏み出さなければならないと頭の隅で考えているのではありませんか。どうですか。幸い美少女よりどりみどりのIS学園。いい加減男が一人なのは慣れたことでしょう? そろそろ戦略的敗北を喫さなければ日本人とは言えないのではございませんか?」

 

 私は妖気をまとった得体の知れない老婆のようなしわがれた声になるよう努めた。うさんくさい声音に気付いた織斑の顔は怖じ気づいたように真っ青になっている。

 

「おい。戦略的敗北ってなんだよ……負けてるじゃないか」

「それはもう人生の墓場ですよ。うひひ」

「嫌だー。俺はまだお父さんになりたくない」

 

 織斑は頭を抱えて心底嫌がる様を見せて話を合わせてきた。そろそろ篠ノ之さんが止めに来てくれる頃合いだった。

 

「貴様、一夏に変なことを吹き込んで楽しんでいるな」

 

 私の頭からコツン、と軽い音がした。

 

「ばれました?」

 

 私は篠ノ之さんに頭をはたかれて、全く反省の色を浮かべることなく振り向きざまに舌を出しながら猫なで声を発していた。話のゴールを設定していなかったから、誰かが止めるか予鈴がなるまでぼけ続けなければならなかったけれど、篠ノ之さんのことだから好きな男が他の女と親しげに話をするのはさぞかし悔しいはずなので、彼女が取り得る行動は考えなくても分かるというものだ。

 

「ちょっかいをふっかけてきた理由を言え」

 

 篠ノ之さんは不機嫌な顔つきで命令口調で説明を求めてきたので、私はありったけの誠意とお節介の気持ちをこめて満面の笑顔を浮かべながら、愛の告白をすることにした。

 

「もちろん。篠ノ之さんが困ってる顔を見るのが好きだからに決まってるじゃないですかー」

 

 そう言われて篠ノ之さんは本気で憂鬱(ゆううつ)な表情を浮かべた。

 

 

 授業を終え寮に戻った私と(ケイ)は今日習った事柄の復習を兼ねて議論を行っていたところ、扉がノックされたことに気付いた。一瞬(ケイ)が腰を浮かせたのを制して私が応対に出ることにした。

 扉をあけてすぐに目にしたのは、珍しい組み合わせだった。

 

「よっ」

「……お久しぶりです」

 

 しのぎんこと小柄鎬と昨日篠ノ之さんが助けた少女だった。二人とも制服のままだった。

 

「邪魔するよー」

 

 私が少女に目礼を返したのもつかの間、しのぎんが勝手に部屋に上がっていた。(ケイ)と波長が合うのか二人はハイタッチしている。

 少女を一人で廊下に立たせるのも失礼だと思って、部屋に招き入れることにした。

 しのぎんは食器棚を開けて急須を取り出して、ポットにお湯が入っているかを確かめていた。寮の部屋はセシリア嬢のように手を加えていない限り画一的なので、どこに何が入っているか探し当てるのは容易だった。

 

「お茶の葉使っていー?」

「封があいている方なら使っていいよ」

「煎茶ね。ふうん。去年の一番茶か」

 

 湯飲みを用意するしのぎんの横を通り過ぎ、少女はベッドの側で正座した。イスを使っても良いと言ったが、彼女は頑なに首を振り、慣れているからの一点張りで正座を続けた。

 そんなやりとりを続けているうちに、湯飲みを四つと急須をのせたお盆を持ったしのぎんが現れた。

 

「お茶いれてきたよ」

 

 それぞれに湯飲みを渡してお茶を注いでいたしのぎんは、湯飲みを置いて少女の隣に腰を下ろすとあぐらをかいた。

 

「それで何の用」

 しのぎんにぞんざいな口調で言い放った。お茶を入れてもらったとはいえ、あぐらをかく様に遠慮の心を感じなかったからだ。

 

「こっちは彼女を案内しただけさ。彼女と直接顔を合わせたのは今日が初めてだから」

 

 (ケイ)はお茶をすすって私としのぎんのやりとりを眺めようと目論んでいた。

 

「私も彼女とは昨日が初めてで名前知らないし」

「じゃ、自己紹介しようか。私は二組の小柄鎬。しのぎんと読んでくれ」

 

 しのぎんは場を仕切りたがる性質らしく勝手に話を進めていた。

 次に私が名乗った。しのぎんが勝手に補足して、えーちゃんと読んでやってくれ、と少女にあだ名を教えていた。

 私は(ケイ)の自己紹介を改めて聞いて、一人驚きの声を上げていた。

 

「えっ。(ケイ)って留学生だったの?」

「アイルランドね。イギリスじゃないよ。最初の自己紹介の時に言ったんだけどな。さてはえーちゃん聞いてなかったね」

 

 しのぎんと少女は最初からわかっていたようで、私のように露骨に取り乱した声を上げることはなかった。

 確かに留学生だと思っていたけれど、ハーフかクォーターだと勝手に思い込んでいたのは否定できない。自己紹介の時は上がりまくっていてクラスメイトがどんなことを話していたかほとんど覚えていなかった。それに加えて(ケイ)があまりにクラスに馴染んでいたので国籍がどうとかまったく気にしていなかった。

 (ケイ)のあきれたような視線に観念してうなずき返した。

 

「やっぱり。えーちゃんはおっちょこちょいさんだよ」

 

 羞恥で顔が赤くなった。私が少しだけ思い込みが激しいところがあるのは昔から自覚していたことだった。

 

「最後は……私ですね。……一年四組……更識(さらしき)(かんざし)……です」

 

 更識といえば生徒会長と同じ名字である。更識などという名字が日本にいくつも存在するとは思っていなかったので、単純に妹か親族のどちらかだと考えるのが自然だった。

 

「生徒会長の妹さん?」

 

 私が疑問を口にすると、少女――更識さんは首を縦に振った。

 

「更識って四組のクラス代表で、しかも代表候補生の専用機持ち」

 

 今度は(ケイ)が驚きとともに更識さんを指さしていた。更識さんが(ケイ)を見て、寂しそうにほほえんでから首を左右に振った。

 

「まだ専用機は……ないです」

「あれれ? 去年の情報では日本の代表候補生用に倉持技研が専用機を開発していると聞いていたのに」

 

 (ケイ)が首をかしげていた。初めて耳にした情報だったので私としのぎんはお互いに顔を見合わせた。

 

「しのぎんの方がISに詳しいけれど、そんな情報を耳にしたことはありました?」

「私はね。二組のクラス代表を務めてはいるが、君が言うほど詳しくないんだ」

「知らないんですね」

「わかってくれてうれしいな」

「白式の件と……陸自の打鉄改の改修とタイミングが重なって……人手不足」

 

 つまりブルー・ティアーズの実弾装備と同じような状況になっていると言えた。こちらは機体自体の開発スケジュールが遅れているから状況はより深刻だった。

 

「だから……自分で少しでも……開発できるか考えた。あの人がそうしたから……」

「じゃあ誰かに開発を手伝ってもらえば。整備科とか」

 

 私は更識さんが自分で先に進めようという意志を感じ取ったので、深く考えずに口にしていた。

 

「ISを開発できるほど……スキルがある人なんて……それに整備科は……ちょっと遠慮したい」

「何で?」

 

 そう聞いたところ更識さんは言いにくそうに目を伏せた。姉の目、と微かにつぶやいたけれど最後まで聞き取れなかった。仕方ないので困ったときは他人に頼るのが一番だと考え、努めて明るい声を出した。

 

「物は試しだよ。とりあえず姉崎先輩に聞いてみる。あの人は顔が広いから」

 

 どこかにそんな変人が転がっているかもしれない、と私は考えていた。

 更識さんはあまり期待していないのか、軽くうなづいたかと思えば、ポケットから携帯端末を取り出し、画面を操作して写真を表示させた。

 

「……今日うかがったのはこちらが本題です。皆さん、この写真を見てください……」

 

 織斑と篠ノ之さんのツーショットだった。篠ノ之さんの恥じらいの表情が秀逸なその写真を見て、私は思わずうめき声をあげてしまった。私の心を覆った邪念を具現化したそれは、本来手に入れるべきでない人物の端末に表示されていた。なぜだ、なぜこの写真がここにあるのだ、と私は心臓の鼓動が早まっていくのを抑えられなくなっていた。

 

「あっその写真」

 

 (ケイ)の言葉に私は焦った。(ケイ)は私を見つめてしばらくして、事情を察したのかへらへら笑って、「分かってるから」と曰くありげにつぶやいた。私が何を分かったのか気になって(ケイ)を見つめ返していたのだけれど、心にやましいところがあって直視し続けることができなかった。

 

「知り合いの先輩に分けていただきました。篠ノ之箒さんという名前だとか」

 

 先輩とは姉崎以外にいないではないか。

 

「一組の篠ノ之か。なにこの美少女。織斑君と一緒とかうらやましいねー」

 

 しのぎんが端末をのぞき込みながら舌打ちをした。

 

「……本来なら先に一〇二五室に訪ねるのが筋なんですが……先ほど行った時には誰もいなかったので……先にこちらを訪ねました……」

 

 先に篠ノ之さんを訪ねたと聞いて心臓が飛び出すのかと思うほどに慌てた。今頃織斑と篠ノ之さんは道場かアリーナのどちらかにいるはずだった。もし一〇二五室に篠ノ之さんがいたら彼女のことだから写真の出所をたずねるだろう。更識さんが姉崎と答えるだろうから確実に私が写真を流したのだと明らかになる。一度警戒されたら、信用を取り戻すまでに非常に時間がかかる上、私の立場が悪くなるのは道理だった。喉が渇く。震える手でお茶に口づけながら、更識さんの言葉を一言一句聞き漏らさない覚悟を決めた。

 

「篠ノ之さん……それと織斑さんのことが……知りたいと思って……」

 

 私の命運を決める手綱をつかみなら、更識さんがはにかみながら言葉を続けた。篠ノ之さんの名前を先に口にしたと言うことはこちらが本命で、織斑はついでだろうと考えた。彼女は気付いていないと思うけれど、今口にしたお願いを決して断ることができないと確信に至るほど、その写真は私に対してのみ絶大な影響力を持っていた。

 

「実は……私は中学の時に剣道部に……入っていました。でもISの搭乗訓練を優先させていたので……あまり部活に出ていませんでした……」

 

 中学生で代表候補になるほどだから本人の素質以上に搭乗時間も多いのだろう。部活との両立はまず不可能と考えるべきだった。

 

「……うちの中学の剣道部は団体が強い学校だったので、……三年の時、私は補欠として一緒に全国大会に行ったんです……」

 

 その大会ならば篠ノ之さんが個人の部で優勝を果たしていたはずだった。

 

「……うちの中学で一番強かった人が準優勝で……優勝者が篠ノ之さんでした……この前も助けてもらって……彼女のことが知りたいんです……」

 

 写真が大事なのか、愛おしそうに携帯端末を抱きしめる。その様子を見ていた私の心臓も締め付けられた。

 

「そうは言ってもこっちも知り合って一週間ぐらいだから、私の知識量なんてそこで駄弁るしのぎんと大して変わらないよ」

「えーちゃんは薄情だな。まどろっこしいから直接話ができるようにお膳立てしてやれよ」

 

 しのぎんが勝手に文句を垂れたけれど、(ケイ)が彼女の意見に賛同した。

 

「しのぎん頭が良い」

 

 彼女は平らとは言わないまでも自己主張が薄い胸を張ってみせた。

 

「そうなると夕食時だね。篠ノ之さんに話を通しておかないと」

「えーちゃんさすが」

 

 (ケイ)が私の背中をたたいた。(ケイ)の笑みを素直に受け取るほど余裕を持ち合わせていない私は、胸に手を当てて未だ緊張状態にあることを確かめた。

 私の焦燥に気づきもせず、しのぎんは屈託のない笑顔を浮かべていた。

 

「更識さん。近いうちに夕食時に篠ノ之さんと話ができるようにセッティングするね。そのとき織斑も一緒だろうからそのときに適当に質問して」

 

 私がそう言ったら、更識さんは目を潤ませ上目遣いで見上げてきた。そのとき更識さんの手から滑り落ちた携帯端末がカーペットの上を転がったけれど、私はそちらに視線が行ってしまいたくなる欲求を自制しながら胸をたたいて見せた。

 

「……ありがとう……」

「準備ができたら連絡するから端末のアドレスと番号を教えてもらえないかな」

 

 更識さんとお互いの携帯端末の情報を交換し合った。

 すると、(ケイ)としのぎんが手を挙げていて、私がいぶかしんで見ていたら、

 

「私にも教えて」

 

 と言ってきたので更識さんと見つめ合ってお互いに苦笑しながら端末を差し出した。

 目的を果たした更識さんが立ち上がったので、私は彼女を引き留め、急須と湯飲みを回収してキッチンへ誘った。

 

「ところで更識さん。その写真をくれた先輩って」

「……姉崎先輩です」

 

 湯飲みを流しにならべて、お盆を棚にしまい込む。そして写真の入手手段について聞き出すことにした。

 

「どうやって手に入れたの?」

「情報を……姉の情報を売りました……」

 

 姉ということはつまり生徒会長の情報を売ったという。更識さんは悪びれなく舌を出したのを見て、私は目を丸くした。

 

「……大したことは言っていません。姉崎先輩が私を同好の士がどう、とか言っていましたけど……あ、ごめんなさい」

 

 更識さんは振動する携帯端末を取り出して耳に当てた。

 

「もしもし……本音? 今、……号室にいる。うん。わかった」

 私は更識さんが電話に出ている間、急須のフタを開けてまだ使えるお茶の葉を乾燥させることにした。

 更識さんは話が終わったのか携帯端末を懐にしまった。

 

「……すぐに迎えの者が来ます」

 

 と更識さんが言うので、再び居間に戻るとIS談義に華を咲かせていた。キッチンで聞いていた限り、第二.五世代がうんぬん陸自の打鉄改とかデュノア社のラファール・リヴァイヴ・カスタムについて話をしているらしかった。

 (ケイ)はカタログスペックを暗記しており、しのぎんが最近更新された事柄について指摘している。

 しばらく聞き入っていたのだけれど、ノックする音が聞こえてきたので席を立って扉を開けると、布仏さんの姿があった。

 

「かんちゃんはいますか?」

 

 簪だからかんちゃん、と思い至って、更識さんのことを言っているのだと気付いた。

 

「更識さんが言っていた迎えの者って布仏さん?」

「そーだよ~。私はかんちゃんの付き人なんだよ~へへ」

 

 付き人というお話の中の職業だと思っていた。布仏さんが屈託無く笑いながら言ったのだけれど、私は振り返りながら少しだけおなかに力を込めて声を出した。

 

「更識さん。布仏さん来てるよー」

 

 するとしのぎんが頭を出して、次に更識さんが顔を出した。布仏さんに目を戻すと、更識さんの足音が近づくにつれてうれしそうに手を振っていた。

 

「本音。迎えに来てくれて……ありがとう」

「どういったしまして。戻ろー」

 

 脳天気な声を出す布仏さん。更識さんは部屋を出ると、私の正面に立って軽く礼をした。

 

「……連絡待ってます」

「任された」

「じゃあねー」

 

 布仏さんと更識さんがいなくなると、しのぎんが後ろに立っていたので、私は驚いて声を上げていた。

 

「悪い。驚かせちゃったか」

 

 部屋の奥から、しのぎんかえるのー、と(ケイ)の声が聞こえてきた。

 

「私も戻るわ。邪魔したな」

 

 しのぎんはそう言って自室に戻ってしまった。

 騒がしいのが一人減って室内に静けさが満ちた。私は壁に背もたれながら、携帯端末に表示された更識簪の文字を目で追いながら、

 

「宿題をつくっちゃったな」

 

 とつぶやいていた。

 

 

 



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★8 告白騒動

 私は焦る心を抑えつつ心配事は手早く済ませようと考え、更識さんの件について聞きたいこともあったので夕食前に姉崎に連絡することにした。ポケットから携帯端末を取り出し姉崎の項目を呼び出した。

 

「ハロー? ……何だ君か」

 

 呼び出し音が数回鳴るのを経て、姉崎にしては不自然なくらい明るい応対だったけれど、すぐに私と気付いてあからさまなため息をついて元の口調に戻った。既に食堂が開いている時間なので、早い人はもうメニューの列に並んでいるはずだから、先に断りを入れておくことにした。

 

「夕食時にすみません。お話がありまして電話しました」

「いや、こちらもまだ部屋だ。ルームメイトを待っていたんだが、体験入部の準備が忙しくてなかなか解放されなくてね。それで話とは何だね」

 

 大衆の面前でする話でもなかったから姉崎が部屋にいると聞いて安心した。私はいつもより緊張しながらもゆっくりと口を開いた。

 

「更識簪について」

「彼女ともう会ったか。あの子に篠ノ之箒と君について聞かれたから部屋を教えておいた。何かまずかった?」

 

 受話器の向こうから歯切れのよい声が聞こえた。

 

「すごくまずいですよ。何であの子が写真を持ってるんですか。よりにもよって織斑と篠ノ之さんのツーショットの」

「欲しいって言ったからあげたんだ」

 

 目くじらを立てることではない、と不思議がった。

 

「危うく篠ノ之さんに私が流したってばれるところだったんですよ」

 

 携帯端末にかじりつきながら(ケイ)に聞かれないよう小声で(すご)んだ。

 

「悪かったな。でも大丈夫だったろ? 篠ノ之さんと織斑君は私の目と鼻の先で稽古に励んでいたから、先に君を訪ねると思っていたよ」

 

 更識さんが提示した取引材料がよほどお気に召したのか、姉崎がいつになく上機嫌であることに気がついた。長々と話す気はなかったので、私の立場を危機にさらした原因について聴取を試みる。

 

「で、何と取引したんですか」

「取引とは心外だね。正当な契約に対する対価を払っただけだよ」

 

 姉崎は悪びれるどころか開き直った。

 

「生徒会長の弱みを握ってどうするんですか」

「うちは委員会待遇だから予算執行の上位者は学園運営部なんだ。生徒会の権限は部活動と同好会にのみ行使可能だ。つまりわれわれは生徒会長と対立してもデメリットこそあれ、うまみはないよ。それに今回妹君から入手したネタを使うつもりはない。()()()()

「別に情報の使い方までいちゃもんつける気はありません。深く突っ込むとズブズブの関係になりそうで怖いですから」

 

 姉崎のことだから情報を高値で転売する気でいるのだろう。切り札を使わずに美味しい上澄みだけを頂戴するつもりなのだ。

 

「ところでそれだけを言いたかったわけではないのだろう?」

「そうでした。ここからが本題です。更識簪のIS(専用機)についてどれだけの情報を持っていますか?」

「わたしも本人から概要ぐらいなら聞いている」

 

 姉崎は前置きしてから話し始めた。

 日本におけるIS産業のシェアは倉持技研が七割を占めている。打鉄(うちがね)が事実上の国内標準機であり、甲冑武者(かっちゅうむしゃ)を意識した和風のデザインが好評であり、性能が安定しており癖がなく扱いやすいという定評を得ていた。信頼性が高く、もっぱら特徴がないのが特徴と言われており、これは開発元である倉持技研が打鉄を初心者向けの練習機と位置づけていたことが大きく影響している。

 陸上自衛隊が打鉄を採用するにあたって既存の装備や海空自衛隊と連携する必要性に迫られ、従来の打鉄ではこれらの要望を叶えることができないとして、イメージ・インターフェイスを採用した第二.五世代IS、すなわち「打鉄改」を発表。第一次改修において主な用途として災害派遣を強く意識した結果、素直な使用感を維持したままセンサー類や通信関係の拡充を図りながらもオプションとして精密作業用拡張機械腕が使用可能になったことで、瓦礫の撤去などの救助活動や有資格者が乗れば医療行為も可能になった。軍事用途よりもむしろ、ISが本来持っていたパワードスーツとしての側面が強化されていた。

 第二次改修案では戦闘能力の底上げを図るべく多様な装備を用意すると発表していた。

 

「わたしも第二.五世代に興味があって倉持技研の公式サイトをのぞいてみたら、()()()()()()()を作っていることだけは理解できた」

 

 倉持技研は現在、打鉄改の第二次改修を行っており社運をかけてこの超大型案件に人員の大半を投入していた。割を食ったのは開発が停滞気味だった第三世代研究開発チームで、イメージ・インターフェイスの改修に所属する技術者の半数を取られてしまった。しかし打鉄改で磨き上げたインターフェイスを第三世代機にも採用する予定だったから、社の決定は妥当と言えた。この第三世代研究開発チームこそ更識さんの専用機を開発している技術者集団だった。

 織斑がIS学園の受験会場に迷い込む前日、運が悪いことに第三世代研究開発チームの責任者が自損事故を起こして入院してしまった。倉持技研は織斑一夏のデータを他社に取られるよりはと思ったのか、格納庫の片隅で埃をかぶっていた専用機(欠陥機)白式(びゃくしき)」を四月末に納品すべく第二世代の保守運用部門から人員を抽出し、他社の案件に参加していた人員を半稼働で呼び戻し、協力会社から使えそうな人員を徴発していた。労働基準法違反を回避するために一日三交替制で開発に当たっていたところ、決算月を半ば過ぎた頃に現場と上層部の要求とのミスマッチが発生して、納期が一〇営業日繰り上がるとの通達が現場に下った。打鉄改の案件から人員を引き抜きたくなかったため、責任者間の引き継ぎが不十分なまま残されていた第三世代研究開発チームの人員をすべて応援として投入した。そして総力戦(デスマーチ)の甲斐あって四月中旬の納品日、すなわちクラス代表決定戦当日に間に合ったのである。

 

「やまやがちらっと明かした話だと、白式の営業担当が必ず間に合わせると太鼓判を押したらしい。オルコット君と織斑君の戦いは納品日当日だったようだね」

 

 織斑先生は倉持技研の内情を知る由もなく、営業担当が提示した納品日に合わせてクラス代表決定戦の日程を設定したに過ぎなかった。

 第三世代研究開発チームの人員が他案件に引き抜かれた理由だが、どうやら第三世代ISの売りとして都市制圧戦を可能にするべく、二年前に装備の制御系モジュールの開発を下請けに出したら一年が経過した時点でスケジュールの破綻が発覚して大炎上したのが原因らしい。火消しに回っていた人員が打鉄改と白式に取られて停滞。下請け協力会社がさらに下請けに発注を行い、孫受け協力会社から集めたプログラマーの待遇が非常に悪かったらしく逃亡が相次いだために装備がまともに動かない。予算を食いつぶし続けるので年明けに契約を白紙撤回して別の協力会社が一から作り直しているけれど、大炎上を始めた時点で今の会社にしておけばと後悔後先に立たずだという有様だった。

 

「呪われている」

 

 第三世代研究開発チームについて他に言葉が思い浮かばなかった。

 打鉄改のスケジュールが順調だと聞いただけに余計に更識さんがかわいそうになった。それどころか第三世代の開発を取りやめて打鉄改を使えばよいのでは、という考えが浮かぶ。

 

「だろう? かわいそうな子なんだよ」

 

 ちなみに打鉄改の第二次改修は私が三年生になる頃には目処がつくと姉崎は言った。

 

「妙に擁護しますね」

「目に掛けてやるのが人生の先達として当たり前の行為だ。さて、いらぬ心配をさせてしまったお詫びに不可能なお願い以外なら何でも聞くよ」

 

 小さな声で、同好の士が、などと聞こえた。更識さんが篠ノ之さんに抱いている好意は憧れだと思っていたけれど根拠がないことに気付き、彼女が姉崎のように同性に対してむにゃむにゃな感情を抱いているとまで妄想した私は、下衆な考えを打ち消そうと頭を左右に振った。更識さんからもらった宿題を済ませることに集中した。

 

「姉崎先輩。ISをスクラッチビルドできるような天才に心当たりはありませんか。整備科以外の生徒でお願いします」

「その条件は妹君の要求か?」

「そうです」

 

 はっきり言ったら動揺したのか言いにくそうに答えを提示した。

 

「二年一組岩崎乙子(おとこ)。航空部部長」

「うわ……先日の部活紹介の人ですか」

 

 悪魔に魂を売れ、と叫んでいた人だ。好きこのんで近寄りたいとは思わなかった。

 

「思想と人格と強引な手腕さえ気にしなければ超がつく最適な人材だな。腕こそ若干劣るが人間ができた奴もいるのだが、そいつも航空部だから無関係ではいられない」

 

 先ほどから姉崎の声が震えていたので、よほど苦手なのだろうと考えながら話を聞いた。

 

「岩崎と関わるとろくなことがないんだよ。一応生徒会長もスクラッチビルド経験者だから妹君に考えを変えるように頼めないか」

「それだと生徒会が絡むことになりますよ。布仏先輩ってどこの科でしたっけ」

「整備科だ。つまり妹君が提示した条件をクリアできない」

 

 岩崎苦手なんだよ、というつぶやきが聞こえてきた。

 

「呪いを解くには普通じゃだめだと思うんですよ」

「君は……まさか妹君を岩崎(悪魔)に押しつけようと考えていないか。ハイリスクハイリターンだぞ」

 

 姉崎の声が上ずっていた。大きな代償を払えとか迫ってきてもおかしくない雰囲気だった。

 

「デメリットを教えて頂けますか」

 

 メリットは部活紹介の時に本人が叫んでいたから今さら聞く必要はなかった。

 

「そうだな。生徒会に目を付けられる。現生徒会長に恨まれる。航空部とロケット研、滑空部、海研との対立に巻き込まれる。更識と岩崎の背後にうごめくドロドロの人間関係に巻き込まれる。主に金銭がらみで人間関係の厄介事を垣間見ることができる」

 

 これは酷い。IS学園の暗部に触れた気分になった。

 

「それに妹君が変態になったらどうするんだ」

 

 姉崎は自分のことを棚上げして言い放った。先輩に対して酷い物言いだとは自覚しているけれど、私から見れば姉崎も十分に変態の扉に手を掛けていると思った。しかしあえて口にはしなかった。

 

「自己責任です」

「君はときどき酷いことを言うな」

「性分ですから」

「仕方ない。交渉は霧島たちに押しつけ……いや頼もう」

 

 姉崎は平然と二年の先輩たちに厄介事を押しつけるつもりだった。

 

「ひどっ」

「班長権限を使うのは当然だ。それに霧島は一組だし、雷同は一年の時のクラスメイト。井村は三組だが合同実技訓練で一緒のグループだった。わざわざ上級生が出しゃばることはない」

 

 言い分は理に適っている。私はまとまりかけていた話を反故(ほご)にするほど愚かではなかった。

 

「では渡りをつけてもらうようお願いします」

「結果が分かったら連絡するよ」

「恩に着ます。また写真を仕入れたら送ります」

「頼む」

 

 

 翌朝、一限目が終わって休憩時間となり、私は席を立って相変わらず頬づえをついて外を眺めていた篠ノ之さんの横に立った。目の前で両手を合わせて懇願するような姿勢で、茶化すことなく努めて真剣な声を発した。

 

「篠ノ之さんにお願いがあります」

「何だ。今日は妙にしおらしいな」

「私はいつだって真面目な一生徒ですよ」

「貴様が言うとうさんくさいんだ。しかし、求められたからには(こた)えねばならないからな。言ってみろ」

「この前カツアゲから助けた子がお礼をしたいと言ってきまして、夕食をご一緒しませんかと誘いました」

「お礼は要らないと言ったのだが」

「夕食を一緒にとるだけなので構いませんよね?」

 

 写真のことがあるので、直接更識さんと話をされると非常に不利な立場に追い込まれる懸念があった。保身のために更識さんの頼みを断れなかった。

 篠ノ之さんは仏頂面のまま私の顔をじっと見つめていたが、不意に破顔した。

 

「構わない。一夏ちょっと来てくれ」

 

 笑顔のまま、席を立ったばかりの織斑を捕まえて呼び寄せる。

 

「一夏、今日の夕食はこいつとこいつの知人も一緒だ。構わないか」

「俺はいいけど。……箒、自分から友だちを誘うようになったんだな」

 

 織斑が優しい顔つきで篠ノ之さんを見つめたものだから、柔らかい視線に耐えきれなくなった彼女は顔を赤らめてあさっての方向へ目をそらした。照れる篠ノ之さんを見て織斑はとてもうれしそうに何度もうなずいていた。

 孤立しがちな篠ノ之さんが自分から動いたことに感激したらしく、そういえば以前谷本たち三人組が昼食に誘ったときに無下(むげ)に返したことがあって、その時と比べてずいぶん打ち解けたように見えたのだろう。

 

「用が済んだなら早くあっちに行け」

 

 そっぽを向いたまま手で振り払うようなしぐさを続ける姿に、頬がゆるみっぱなしになったところで予鈴が鳴った。

 二限目が終了しその休憩時間。授業が終わってすぐに廊下に出たら、二組の自動ドアから現れたしのぎんと鉢合わせた。

 

「うーすっ」

「何だ。しのぎんか」

 

 しのぎんは両手をスカートのポケットに突っ込みながら目と鼻の先まで歩み寄ってきた。

 

「更識の件はどうなった」

「ばっちり。夕食のセッティングもしたし、ISの件は姉崎先輩の伝手(つて)を頼って交渉中」

「仕事が早いな」

 

 しのぎんは感心した面持ちになった。彼女の中で私の評価がどのようになっているかは知らないけれど、こちらは身の破滅がかかっているので必死になるというものだ。

 ポケットから手を出したしのぎんは、揉み手をしながら何事か頼むつもりで下心を隠そうともせず狐のように目を細めた。

 

「ところでお願いがある」

 

 私が露骨に嫌な顔をすると、なれなれしく肩に手を回してきた。

 

「簡単なお願いだって。私はクラスが違うので織斑君と接点を持つのが難しいんだ。でもえーちゃんは織斑君とクラスメイトだ。そして私の友だちでもある。つまり友だちに知人を紹介しないという義理人情にかける人間だとは思っていないんだ」

 

 下手に出る姿が実にうさんくさい。

 

「要するに?」

「私も一緒に夕食をとってもいいかな」

「最初からそう言えばいいのに。いいよ。でもこれ以上人を増やしたくないから、しのぎんだけ特別だよ」

「やった」

 

 しのぎんは小さくガッツポーズをとると現金な笑顔を浮かべて二組の教室に戻っていった。そのまま四組に行こうと思っていたけれど、腕時計に目を落としたら中途半端な時間だったので一組の教室へ引き返した。

 三限目が終わった。背伸びをしてから教室を出て四組の教室に向かった。

 夕食の件についてメールですませても構わなかったけれど、一度四組の様子を見たかったので直接訪問することにした。

 四組の教室に到着し、扉の前に立っていた生徒に声を掛けて更識さんの居場所をたずねた。生徒が指さした方角、つまり一番後ろの窓側の席に眼鏡を掛けた目立つ水色の髪をした少女がいた。

 空中投影ディスプレイを凝視しながらその手はひたすらキーボードをたたいており、近寄りがたい雰囲気を漂わせていたためか、周囲にクラスメイトの影はなかった。

 私は教えてくれた生徒に礼を言って教室の中に入り、更識さんの前に立つと、キーボードの左上に「本物の力」と刻印が押されているのが目に入った。

 

「更識さん」

 

 私の声に気付いたのか手を止めて、はにかむように目を輝かせ上目遣いで見上げてきた。

 

「例の件の片方はOKだよ。しのぎんが一緒になっちゃったけど詳細は昼休みにメールするね」

 

 具体的な内容を言って騒ぎになるといけなかったので、肝心な内容はぼかしていたけれど、更識さんには言わんとしていることが伝わったらしく、

 

「……ありがとう」

 

 と小さく感謝の言葉を漏らした。

 憧れの人への思いを秘めた少女の輝きが、私の薄汚れた魂を洗い出すようでとてもまぶしかった。

 ふと私は四組の生徒全員から見つめられていることに気がついて、とっさに悪目立ちしているのでは、と思って一組の教室に慌ただしく引き返していた。

 四限目が終わり昼食を終えた私は教室に戻っていた。更識さんにメールを送ってから(ケイ)とセシリア嬢に子犬ちゃんと駄弁っていたところに谷本、鏡、岸原の三人が現れた。

 鏡が一枚のチラシを差し出してきたので胡乱(うろん)な視線を向けつつ、指でつまんで眺めると「茶道部入部希望者へのお知らせ」という派手な書体の文字が踊っていた。手描きのかわいらしいイラストと共に集合時間と会場への地図が載っていた。

 鏡は私の名を呼び、

 

「お願い。茶道部の体験入部に一緒に行ってくれないかな」

 

 と両手を合わせて拝んできた。私は嫌な顔をするわけにもいかず遠慮気味に返事をした。

 

「座禅会はちょっと……」

 

 以前鷹月がしてみせた不吉な予想を思い描き、織斑先生の着物姿には興味があったものの、そのためだけに死地に赴く覚悟を持ち合わせていなかったので、明らかにうろたえる失態を演じていた。

 どうせなら鷹月を誘えばよいのでは、と鏡に提案してみたのだけれど、既に誘ってみたが断る代わりに私を推挙したのだという。私はすました顔で織斑や布仏さんと談笑する鷹月を恨みがましくにらみつけた。おのれ鷹月、スルースキルを発動させるのは一向に構わないけれど、私を巻き添えにするのは止して欲しかった。

 

「ねっ、お茶菓子が振る舞われるってここに書いてあるから」

 

 鏡はお茶菓子で私を釣るつもりらしい。嫌々チラシをよく見ると、確かに「体験入部希望者にはもれなくお茶菓子とお抹茶が振る舞われるよ」という花柄の吹き出しが小さく描かれていた。

 そこに、つい先ほどまで布仏さんを「のほほんさん」と人懐っこく呼んでいた織斑が顔を出した。この男は谷本や鏡とよく話をしており、雑談を交わす程度の仲になっていた。いつもは篠ノ之さんと二人きりでいることが多いのだけれど、彼女は山田先生に呼ばれて職員室に出張っておりこの場に不在だった。

 

「何を話してるんだ?」

 

 さわやかな声で自然に振る舞っている。とっさに谷本と岸原が左右に分かれて織斑のスペースをあけた。

 織斑に無言でチラシを押しつけると、

 

「ああ、茶道部か。ち……織斑先生が顧問をやってる部か」

「織斑君は先生が茶道部顧問だって知ってた?」

「俺もこの前初めて知ったよ」

 

 織斑がチラシを返してきたので指でつまんで机に置いた。

 

「織斑君も行かない? 体験入部、今日の放課後なんだけど」

 

 織斑は少し考え込むと、急に何かを思い出したのか手を打った。

 

「その時間先約があるんだった」

 

 えー、と不満な声を出す鏡たち。織斑は一歩下がって三人を拝みながら「ごめん」と謝っている。

 

「そうでした。わたくしと篠ノ之さんで一夏さんに稽古をつけることになってますの」

 

 沈黙を保っていたセシリア嬢が口を挟んできた。二人は一瞬視線を交わした後、織斑がやや遅れて首を縦に振った。すると鏡たちはセシリア嬢と織斑の双方を見比べ、大きくため息をついた。

 

「じゃあ仕方ないか」

 

 織斑は難が去ったことにほっとしたのか愛想笑いを浮かべた。そして、いいことを思いついたと言わんばかりに明るい顔つきで突然私の名前を呼んだ。

 

「一緒に行ってやればいいじゃないか」

 

 その提案に私は呆然(ぼうぜん)として口を開けていた。

 助けを求めてセシリア嬢へ顔を向けると、彼女はすました顔でこう告げた。

 

「織斑先生の手ほどきを受けるなんてうらやましいですわ。よい経験になりますから行ってらっしゃいな」

 

 子犬ちゃんと(ケイ)に助けを求めると、二人は顔を伏せあさっての方向を向いていて目を合わせることすら避けていた。

 恐る恐る鏡たちに顔を戻せば、三人は極上の笑顔で私の返事を待っていた。退路を断たれた私は小さな声で、

 

「行きます」

 

 と告げた。

 

 

 いつもなら夕食までどのように過ごそうか思索にふけるのだけれど、今日は茶道部の体験入部に付き合わねばならなかった。

 鷹月の不吉な予想が頭の片隅に残っていて、鼻息荒く士気を高めている鏡と谷本と岸原、その他数名の後を歩きながら、徐々に青いリボンを身につけた生徒の数が増えていくのを目の当たりにした。

 指定の空き教室に着くと、そこには隅々まで畳が敷かれていて、教壇があったと思われた場所には長いすと二脚のパイプ椅子が置かれ、それぞれ黄色のリボンを身につけた二年生がノート型端末を開きながら座っていた。長机に受付という貼り紙がテープで止めてあり、二年生が体験入部に臨む生徒に履き物の置き場所を指示した後、固有の生徒番号の申告を求めてきた。

 二列になって係に生徒番号を伝え、引き替えに数字が書かれた紙を手渡された。今度は先輩と思われる着物姿の生徒が立っていて、受付からもらった紙と同じ番号の場所に座るように誘導された。廊下に面と向かって一〇人ずつ横並びになり、それが縦五列におよんだ。受付が締め切られ点呼すると体験入部に参加したのは私を含めて合計四五名に達していた。つまり一年生の約四割の生徒が空き教室に群がっていたのだった。

 

「すごいねー」

 

 岸原が眼鏡の位置を直しながら、周囲を見回していた。鏡と谷本は緊張しているらしく落ち着きなく他の生徒の顔を見つめるばかりだった。他の生徒はそれぞれ友人と一緒に来ており、横に座った子と駄弁っている。

 参加者を締め切ってからかれこれ五分以上は経っていたけれど一向に織斑先生は姿を見せなかった。二年生を見やれば淡々とキーボードをたたく姿があった。

 しばらくやることもなく足を投げ出して日なたぼっこに甘んじていたけれど、突然自動ドアが開いたその先には、白い包みを抱えた和服姿の女性が姿を現し、みんなその一挙一動に目を奪われていた。

 白い生地に胸から左肩にかけて赤い花柄があしらわれていた。女性にしては長身で背丈は一七〇以上か。長い赤毛をアップにして赤い花をあしらったシュシュで止めている。片眼鏡(モノクル)をかけた細面の麗人だ。

 

「……あ、姉崎先輩」

 

 回収班班長の姉崎だった。隣の岸原はうっとりしたまなざしを向けて微動だにしない。

 見てくれだけは嫉妬したくなるほど粋な美人だから周囲の反応は理解の範疇(はんちゅう)だけれど、私は姉崎が茶道部にいる理由がわからなくて首をかしげていた。

 

「いぶかしむのはよしてくれ。わたしはれっきとした茶道部部員なのだから」

 

 姉崎は私にそう告げて、長いすの脇に包みを置いて受付の生徒と言葉を交わしていた。

 軽くほほえむだけでどぎまぎとする生徒が続出している。普段通り柔らかい身のこなしだけれど、いつにも増して状況を楽しんでいるように思えた。姉崎の登場に悪い予感がしてならず敵前逃亡を試みるべく挙手をした。

 

「先輩。所用がありまして……」

「大丈夫。すぐに織斑先生が来ますよ」

 

 と半ば私を無視してみんなに言った。ハスキーでよく通る声だった。

 姉崎は私を一瞥(いちべつ)すると、楽しんでいきなさい、と優しく言葉を投げかけたので、みんなの視線が集中してしまい逃げ出せなくなってしまった。肩をすくめる私に向かって岸原、谷本、鏡が興味津々な様子で姉崎について情報を引き出そうと声をかけてくる。

 

「めちゃくちゃきれいな人なんだけど」

 

 外見については同意だけれど、中身は私など足下にもおよばない程真っ黒な邪念の持ち主だと確信している。それをどう伝えようか考えをまとめていたら、満を持して織斑先生が登場した。

 黒い布地に雪模様、足下だけ白いさざ波が引かれ、帯はヨーロッパ風の文様。髪型は普段と変わらないが、黒い着物に映える白い首筋を目にして私の心は激しく揺れた。嵐のような衝撃が心地よい余韻を残しながら突き抜けていった。

 一度は姉崎が静めた空気は、やや間を置いてからあふれんばかりに沸き返った。

 空き教室が黄色い声で埋め尽くされて、突然われに返った私は、姉崎が白い包みを紐解(ひもと)いて警策(けいさく)を出すのを目にして、鷹月のしたり顔を思い浮かべて逃げ損なった絶望感に打ちひしがれていた。

 茶道とは、湯を沸かし、茶を()て、茶を振る舞う行為で茶室という空間に存在するすべての構成要素に、茶事を進行するその時間自体を楽しむ総合芸術である。

 そして茶の湯は禅の精神が生きていると言われている。

 織斑先生は茶道部の概要を説明し、体験入部という名の座禅会を始めるから全員に正座するよう言い渡した。

 

「軽く三〇分だ。ちょっとした精神修養だと思ってくれ」

 

 大したことはないぞ、と笑顔で告げて、姉崎から警策を受け取っていた。

 

 

「痛いよう」

 

 二本の棒の上に体が乗っかっている。

 

「足が痛いよう」

 

 私は(ケイ)に肩を貸してもらいながら泣きべそをかいていた。

 実家では主に椅子を使った生活だった。パソコン机とスチールラックに天板を置いただけの無駄に頑丈な私の学習机には、これまた無駄に頑丈なだけが取り()の四本足の椅子を使っていた。それでも一応年に数回正座することがあって、一番長いのは母方の祖母の法事で読経が約三〇分におよぶのだけれど、要領よく正座椅子を使って乗り切っていた。

 夕方になっていた。会食をセッティングした手前遅れるわけにも行かず、両脚のしびれと痛みに苦しみ悶えながら寮までの道を急いでいた。

 織斑と寮の廊下ですれ違ったけれど、私のみじめな様を見て口の端を引きつらせたので、真っ赤な目で恨みを込めてにらんでやった。

 私はぼろぼろ涙を流しながら、生々しく耳に残った空き教室での織斑先生と茶道部三年生の会話を思い出していた。

 

「意外と残ったな。部長はどう見る」

「今年の一年生は少なくとも我慢強い。姉崎はどう? 久々に顔を出したんだから意見を言ってよ」

「茶室に入室できる人数は決まっています。もっと選別しましょう」

「よし。では五分の休憩を取る。その後再度選抜を行う」

 

 座禅会を五名以下になるまでがんばった甲斐あって、お抹茶とお茶菓子が振る舞われたのだけれど、甘いはずのお菓子がしょっぱかった。

 一応は入部の権利を得たけれど、もしその気持ちがあるなら仮入部期間中に意思表示するよう言われていた。

 茶道部の選抜が早期に行われるのは織斑先生目当ての生徒が入部希望で殺到するためであり、座禅会を開催して浮ついた気持ちを折るのが目的だと姉崎は言った。まれに姉崎を目当てに入部を申し出る生徒がいるのだけれど、彼女自身は茶道部よりも回収班にと誘っては逃げられてしまうらしい。

 自室の前にたどり着いたときしのぎんと更識さんが制服姿のまま並んでいた。

 私が鼻水をすすっていたら、

 

「うわー。あれに行ったの」

 

 二人は幾分回復したもののぎこちなく歩く様を見て頬を引きつらせた。他の組の子もいたから風の噂で座禅会の惨状を知ったと見た。私は腕で涙をぬぐってからやせ我慢して笑った。

 

「へへっ。入部権を手に入れた。入る気ないけど」

「えーちゃんがんばりすぎだって」

 

 (ケイ)が私の手を取りながら、呆れ混じりに言ってから扉を開けた。

 意地を張って最後まで残って見たけれど、明日格好の弄りネタにされる光景が目に浮かぶ。やせ我慢した意味がなかった。(ケイ)が心配になって見に来なかったら私は立つことすらままならなかっただろう。

 何とかベッドまでたどり着き仰向けになって足を投げ出すと、しのぎんがベッドの縁に腰掛けてしびれが抜けかけていた足を突いてきた。

 

「やあ……いやぁっ」

 

 指が肌に触れる度に、初めは微かだった刺激が増幅されながら全身を駆け巡っていく。強すぎる刺激に唇を噛み、涙目のままあえぐ吐息を漏らし、しのぎんと途中から加わった(ケイ)の指先から逃れようと体を縮めた。

 

「おっ。意外とエロい声が出るんだな」

 

 抵抗できないまま羞恥で余計に顔を真っ赤にした私を見て、しのぎんがからかってきた。

 

「えーちゃん女の子みたい」

「うるさい」

 

 身悶えしつつも(ケイ)の失礼な感想に抗議する。ここにいる全員、男どもがあからさまに興奮するような体つきをしていないではないか。(ケイ)は腹筋が割れているし胸はないに等しい。しのぎんは私と体型がほとんど変わらない。遅れて顔を出した更識さんはちっぱいだ。

 更識さんはしのぎんの隣に行儀良く腰を下ろし、しのぎんは悪代官のような顔つきで彼女をそそのかし、感覚が戻りつつある足を突くように勧めていた。

 

「覚えてろよ……」

 

 怨念を込めた呪詛(じゅそ)を吐いてみたが、愉快犯たちはにやけ面で私の反応を楽しむだけ楽しんでまったく動じていなかった。更識さんがおろおろとした様子で、身をよじる私と調子にのる二人の間を交互に視線を行き来させるだけだった。

 私はうつぶせになってみたけれど、今度は足の裏を集中的に責められながら、うめき声をあげつつ時計を一瞥すると織斑と篠ノ之さんが戻ってくるまで三〇分もあった。刻限になれば足が回復しているはずだけれど、ずっと責め続けられては息も絶え絶えだった。しばらくして解放された私は崩れた髪に(くし)を入れながら、携帯端末を操作する更識さんを見た。どうやら時間を気にしているらしい。

 

「大丈夫だよ。あの二人は逃げたりしないよ」

 

 力づけるように声をかけても落ち着くわけがなかった。私とて思春期のまっただ中にいるわけだから、初恋の一つや二つぐらい経験している。憧れの先輩と口をきくだけでも胸が高鳴ったものだから、彼女の心中は推して知るべしだろう。

 更識さんから視線を外し、遊ぶのに飽きて真面目に教科書を開いている残り二人を見た。更識さんと違って、おしとやかさ、可憐(かれん)さというものが致命的に欠けている。ボーイッシュといえば聞こえは良いが男にちやほやされる要素は限りなく少ないように思えた。(ケイ)に限っては演技力があるから着飾ってしまえば淑女らしく振る舞う予感があった。

 

「時間だ」

 

 私は部屋の壁掛け時計を見上げて言った。

 後は食堂に行くだけだった。更識さんの方が緊張しているのだけれど、彼女の気持ちが伝染したのか胸が高鳴った。ふと思い返せば、いつもセシリア嬢たちと食事をとっていたので、織斑や篠ノ之さんと同席するのは初めてだった。

 食堂にやってきたけれど、確保を目論(もくろ)んでいた中央付近のテーブル席が他のグループに陣取られていたので、仕方なくしのぎんと余っていた四角いテーブルをくっつけ、八人掛け席を作って織斑たちを待った。

 食堂の入り口で織斑と篠ノ之さんを見かけたけれど、二人は定食コーナーに並んでいて長蛇の列にはまって身動きがとれなくなってしまった。もう少し待つ必要があった。トレーを置いて腰掛けた私は、当たり前のようにテーブルについたセシリア嬢を見て、正直な思いを口にしていた。

 

「何でセシリアさんたちがここにいるの?」

 

 セシリア嬢は優雅なしぐさで髪をかき上げると、強い意志を感じさせる青磁の瞳を向けてにっこりとしてから形の良い唇を開いた。

 

「あなたと一緒に食事をとろうと思って」

 

 私は口の端を少しだけ引いて笑みを作り、面はゆさに耐えきれずに赤面していた。反則だと思った。直接的な言い方をされてどのように返事をするべきか分からなくなり、口を開けたり閉じたりしながら、向かいの席に座ったしのぎんに助けを求めた。

 

「私は構わないぜ。人数が多い方が楽しいし」

 

 彼女はあっさりと言った。続いて更識さんを見ると、

 

「構いません……」

 

 と特に異論がない様子だった。

 セシリア嬢がいつにもましておしとやかにかつ自信満々に振る舞い、その隣で子犬ちゃんが上目遣いにじっと私を見つめてくるので、ため息をついてセシリア嬢たちの同席を認めた。

 

「いいよ。あの二人を入れたらちょうど八人だし」

「理解が早くて助かりますわ」

 

 それぞれの席は上座下座を気にすることなく適当に決めていた。私が一番左の席について、隣に子犬ちゃん、セシリア嬢、更識さんを配置した。向かいの席は(ケイ)、しのぎん、そして空席が二つ。一点だけ注意した。子犬ちゃんと更識さんを隣同士にするとお互い口数が少ないことから、あいさつだけして口ごもってしまいそうだったので、あえてセシリア嬢と更識さんを隣り合わせた。

 

「悪い。待たせた」

 

 ようやく長蛇の列から解放された織斑が席につきながら一言わびた。当初より人数が多くなってしまったが、織斑は一向に気にした様子はなく、むしろ大所帯になったことを喜んでいるように見えた。続いて篠ノ之さんが現れて、準備を整えた私たちを見て、最初話を通した時よりも人数が増えていたため二の足を踏んでいるように思えた。

 

「箒」

 

 織斑は笑顔のまま篠ノ之さんの姿を見つけると手を振って彼女の名を呼び、隣の席を引いてみせた。篠ノ之さんが戸惑うような表情を見せ、意を決して唇を一文字に結びテーブルの席を埋めた。

 

「待たせたようだな。すまなかった」

 

 更識さんの真正面に篠ノ之さんが座る形になって、目を合わせた二人は互いに目礼をしていた。

 

「篠ノ之さん。ごめんね。気がついたら大所帯になっちゃった」

 

 私が愛想笑いを浮かべながら篠ノ之さんに詫びを入れると、眉を潜めこそすれ仏頂面を崩して困った顔をしてみせた。隣の織斑はそれはもう上機嫌だったからか、食堂の視線を一身に集めていたことに本人が気付いた様子はなかった。

 

「みんな集まったことだし、ご飯さめちゃうから食べよっか」

 

 全員でいただきます、と手を合わせから食事に箸を付けた。

 私は茶道部の座禅会の疲れからおなかがすいていた。全員が小腹を満たしたところで、私は口火を切った。

 

「初めて顔を合わせた子もいるから自己紹介してもらうけど、構わないよね?」

 

 全員の顔を見回した。更識さんと篠ノ之さんは緊張した面持ちだったが、小さくうなずいたので同意したものと見なした。

 

「じゃあ、私から時計回りで」

 

 自己紹介しようと言い出したのは私だから最初に済ませてしまうことにした。そうは言ってもこの場にいる全員が私の名を知っているので名前と組と一言を添えた。

 次が(ケイ)で、相変わらず訳の分からない長ったらしい名前を言った。アイルランドから来た留学生だと一言添えていた。

 三番手がしのぎんだった。

 

「次は私な。二組の小柄(こづか)(しのぎ)。クラス代表になったから対抗戦で織斑君と当たるわ。そのときはお手柔らかに頼むよ」

 

 体育会系のノリで明るい口調だった。クラス代表と聞き織斑の目が輝いて、

 

「ああ、手加減しないぜ」

 

 と格好つけた。そして二人とも初心者なのでお互いにベストを尽くそうと笑いあった。

 

「織斑一夏だ。一組のクラス代表に選ばれたから対抗戦で会うかもな」

 

 織斑の次に篠ノ之さん。

 

「一組の篠ノ之箒だ。よろしく」

「よろしくなー」

 

 しのぎんが言った。屈託ない笑顔を向けられて篠ノ之さんは満更でもなさそうに頬をかいた。

 今度は更識さんの番だった。

 

「その節はありがとう……四組の……更識簪です……私もクラス代表だから……」

 

 更識さんの言葉にセシリア嬢が反応した。

 

「まあ。あなたが日本の」

「……代表候補生……」

 

 更識さんはそう言ってはにかんだ。

 セシリア嬢はにこやかに微笑んで言葉を続ける。

 

「噂はかねがね耳にしていました。もっと武骨な方だと勝手に思っていましたけれど、こんなかわいらしい女の子だとは意外な誤算でしたわ」

 

 更識さんは面と向かって「かわいい」と言われて驚いたのか下を向いて赤面していた。

 私は更識さんの評価としてありえない単語を耳にして、思わず彼女とセシリア嬢を見比べてしまった。セシリア嬢の口ぶりから言ってISでの戦い方のことを指していると思うのだけれど、武骨とまで言わせてしまう戦い方とはどんなものか興味がわいた。

 

「機会があれば一度お手合わせを願いますわ」

 

 セシリア嬢が同性の私が聞いても欲情してしまいそうな艶めいた声を出していた。

 篠ノ之さんはもちろん、しのぎんや(ケイ)、子犬ちゃんが胸の辺りをおさえてセシリア嬢を直視できないでいた。織斑だけは気付かなかったのか、篠ノ之さんの様子を不思議に思って瞬きするだけだった。

 

「わたくしの番ですわね。一組のセシリア・オルコット。英国の代表候補生ですわ。今回は目の前にいる一夏さんにクラス代表をお譲りしましたの」

 

 普段と変わらぬ口調で自信たっぷりに言った。

 続いて子犬ちゃんが消え入りそうな声で自己紹介していた。更識さんは一度子犬ちゃんから視線を外し、自分の胸を下からすくい上げるようなしぐさをしてから、顎をひき真下を向いて手のひらが半分以上見えていることを確かめ、何事もなかったように膝の上に両手を置いていた。

 私も初対面の時に同じことをやったので、今目にしたことをあえて言葉にするのは控え、残った食事を口に押し込んだ。

 

「なあセシリア。更識さんってすごいのか?」

 

 早速織斑が興味を示したのか、セシリア嬢に聞いた。私も少し興味があったのでスープをすすりながら聞き耳を立てる。

 

「噂にすぎませんけれどよろしくて?」

「それで頼む」

「立てば可憐、歩けば大艦巨砲。総火力重視のあなどれないやつ、という噂が飛び交っていましたわ」

 

 織斑がたどたどしく篠ノ之さんに話しかけようとする更識さんを見つめ、しばらくしてからもう一度セシリア嬢を見た。

 

「ガセじゃないのか?」

「伝聞ですから、噂に尾ひれはひれがついて原形を留めていないだけかもしれませんわ。一度()ってみれば明らかになること」

 

 もちろん勝つのはわたくしです、と付け足した。

 そのまま織斑は隣を見やるとお見合いのようなぎこちない様子に、やれやれ、とつぶやいてから二人に声をかけた。

 

「そういえばさ。箒は更識さんと知り合いみたいだけど、どこで知り合ったんだよ」

 

 篠ノ之さんは頬をかいて照れ隠ししながら、

 

「先日彼女が上級生に絡まれていてな」

 

 と恥ずかしそうに言ったので、織斑は驚いたように目を丸くした。

 

「本当かよ。IS学園でもそういうことってあるんだな」

「あの時は助かりました……」

 

 更識さんは頭を下げた。

 実際には原因不明の姉妹喧嘩だったけれど端から見たらカツアゲにしか見えなかった。生徒会長の名誉のためにも詳細は伏せておこう。

 更識さんは胸の前で両手の人差し指を合わせながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「実は……中学の時、私も剣道部でした……」

 

 剣道部と聞いて篠ノ之さんの目が輝いた。

 しのぎんが小さな声で、がんばれ、と応援している。

 

「去年の……全国大会で見かけて……私は応援しただけだったけど……」

 

 すると突然篠ノ之さんの表情が曇った。更識さんはうつむいていて、篠ノ之さんが一瞬だけ泣きそうな目をしたことに気付かないままゆっくりと言葉を続けていた。

 篠ノ之さんは相づちを打ちながら聞いていたけれど、私は彼女が見せた瞳の意味を理解していた。優勝したにもかかわらず、悔いを残したのだろうか。さすがに彼女が何を悔やんでいるのかまでは分からなかった。周囲の様子を注意深く観察したけれど、みんな更識さんを注視していて篠ノ之さんの異変に気付いた者はいなかった。

 

「それで……仲良くなりたくて……」

 

 更識さんが一度言葉を切ってから口を開いたけれど言葉になっていなかった。顔を上げて、周りを見てから言いにくそうに口を動かしている。

 

「だ?」

 

 微かに聞こえた。更識さんが泣きそうな表情に転じ、再び大きく息を吸ってから両目をつむって思いの丈を吐き出した。

 

「だ、大好きですっ」

 

 ほんの少し前までざわついていた食堂が沈黙に満たされた。全員が固まったように更識さんを凝視しているのがわかった。

 

「大好きなんですっ」

 

 更識さんは一度勢いづいた気持ちを止められず、もう一度力強くはっきりと言い放った。

 

「大好きか……へ?」

 

 織斑が間の抜けた声を出した。篠ノ之さんとの出会いの話をしていたのであり、愛の告白をするような流れではなかったので、状況に思考が追いついていないようだ。

 

「うわっ大胆……」

 

 しのぎんが目を輝かせながら興味津々な様子で身を乗り出していた。私も必死に頭を働かせながら状況を把握しようと努めた。見ようによっては更識さんが織斑に告白したと考えることができた。告白と言うのは通常異性に向けて行われる儀式だから、対象が織斑だとするのは間違っていないはずだった。

 誰かが口火を切った。食堂が騒然となった。周囲に耳を傾けると、あの子すごい、とか、先を越された、など四方八方から悲鳴じみた声が漏れ聞こえてきた。中にはわれわれを指さして、告白きた、と喜色ばむ者もいた。

 セシリア嬢に至っては突然立ち上がり、

 

「なんですの!」

 

 と親の敵を前にしたかのように憎々しげに声を荒げた。

 

「俺……告白された……?」

 

 織斑は思考力が回復してきたのか状況を把握しつつあった。初対面とはいえ女の子に面と向かって告白されて、さすがの織斑も照れくさそうに頬をかいていた。更識さんは女の私から見て、セシリア嬢が言うように可憐な少女なので、織斑の反応は妥当だったけれど、当然篠ノ之さんは面白くなく仏頂面で彼の頬をつねって、

 

「痛い。痛いって。落ち着いてくれ」

「落ち着いていられるか。貴様が鼻の下を伸ばして浮ついていたからだ」

 

 と嫉妬に燃えながらあからさまな八つ当たりをしていた。

 しかし、ようやく目を開けた更識さんは何度も深呼吸してから、覚悟を決めて篠ノ之さんを見つめ、

 

「……箒さんが……」

 

 と羞恥心から目が潤み赤面しながらうつむき、だから友だちになってくれませんか、と尻すぼみした小さな声でつぶやいたけれど、その声は大多数の耳に届くことはなかった。

 

「ええええ!」

 

 理由は聞き耳を立てていたと思われる周囲のテーブルから悲鳴のような驚きの声が上がったからだ。

 しのぎんと(ケイ)、そして織斑の三人は互いの顔を見つめ合い、上ずりながらも声を出して笑い合った。しばらくしてから更識さんの言葉を理解して同時に声を放っていた。

 

「そっちか!」

 

 セシリア嬢は一度沸点を超えた心がようやく落ち着いてきたのか、すとんと腰を落とし両手の指先を口に当て、放心したかのように目を見開いて更識さんを見つめ、驚いている事実を知覚したのか肩を小刻みに震わせながら耳まで真っ赤になっていた。隣で子犬ちゃんが誤解を解こうと制服の裾を引っ張っていたけれど、反応がなかった。どうやらセシリア嬢も友だちのくだりを聞いていなかったと分かり、私はため息をついた。

 更識さんは告白をして勇気がわいたのか、眼鏡を外して指の背で涙をぬぐい、

 

「求めました。だから……応えてくれますよね?」

 

 彼女にしては明瞭な発音で自信たっぷりに言って、真正面から篠ノ之さんの目を見つめて朗らかに笑った。

 篠ノ之さんは椅子に深く座り背筋を伸ばしたまま目を見開いていた。端から見れば、唇をまっすぐ引き結んで堂々と告白を受け止めたかのように見ることもできたけれど、よく観察すると目の焦点が合っていない。

 織斑は彼女と長く付き合っていただけあって素早く異変に気付いた。肩を揺すってみても反応がなかった。首が振り子のように左右に揺れ、手を離すと元に戻った。

 

「箒。おい、箒。なあってば、頼むから返事をしてくれ」

 

 織斑が激しく肩を揺すり続けたが、篠ノ之さんは返事をせず(しかばね)のように呆然としていた。

 

 

 



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★9 航空部へようこそ

 いつもより少し早めに登校して教室に入るなり、私と(ケイ)は世にも珍しい光景を目にした。

 篠ノ之さんが自席で頭を抱えて思案に暮れている様子だった。彼女の周囲を鷹月、布仏さん、相川、セシリア嬢に子犬ちゃんが取り囲み、好き勝手に昨晩のことを話し合っていた。

 カバンを置いて野次馬根性を隠そうともせずセシリア嬢たちの輪に割って入ると、なぜかみんなが私の顔を見つめてきた。

 

仲人(なこうど)が来たよー」

 

 相川が茶化すように言った。更識さんと篠ノ之さんの仲を取り持つようなことはしたけれど、恋愛成就の神様の役目を果たしたつもりはなかった。そもそも更識さん本人が友達になりたい、と言っただけで子犬ちゃんを除いた全員が誤解していたにすぎない。昨晩といえば、突然の告白でショックのあまり気を失った篠ノ之さんを介抱するだけで精一杯で、織斑が彼女をお姫様だっこで自室に連れ帰ろうとしたものだから、食堂中が騒然となって事態の収拾を図ることがかなわなかった。

 私は真実を知っているであろう子犬ちゃんを困惑した瞳で見つめると、彼女は私の横に立って耳元でささやきながらセシリア嬢の理解度に言及した。説明が終わってセシリア嬢を見ると、わざとらしく咳払いをしたかと思えば、

 

「わたくしは更識さんの恋路を邪魔するつもりはありませんわ」

 

 と頬を赤らめ、少し上ずった声を出しながら恥じらいの表情を浮かべ、目が泳いでいた。

 私は子犬ちゃんに向かって残念極まりない視線を注いだ。セシリア嬢は理解するどころますます誤解を深めていた。彼女がセシリア嬢に説明を試みた状況を想像すると大体こんな所だ。例のダブルベッドで子犬ちゃんに抱きつきながらピロートークを交わしていたのだけれど、愛玩動物にじゃれつくばかりでほとんど聞いていなかった、というのが相場だろう。セシリア嬢に限ったことではなくこの私ですら子犬ちゃんを見ていると、所有欲をかき立てられて抱きしめたってなで回したくなる。布仏さんが暴走するくらい可愛い女の子だ。時々布仏さんが子犬ちゃんを見る目がおかしいので彼女の貞操のためにも要注意だった。

 

「篠ノ之さんが女の子といちゃついている隙に織斑君を取ろうって魂胆だね? わかってるよ」

 

 鼻を鳴らしながらそっぽを向いたセシリア嬢を、相川が何度も肘で小突いた。

 

「ななな、そんなことはないですわ」

 

 あからさまにうろたえる姿に鷹月が目を細めて、

 

「ふーん。そうだったんだ」

 

 と言ったものだからセシリア嬢は声を荒げ、必死に否定を始めた。

 

「違います。篠ノ之さんは立ち振る舞いが凛としていてとても格好いいですから、女の子があこがれてもおかしくない、と言いたいだけですわ!」

「あこがれとかそう言う意味なら私は篠ノ之さんのお顔が大変好みです」

 

 私は常々公言していることを補足として口にした。

 

「それみなさい。彼女だって篠ノ之さんが好きだと言ってますわ」

「好みと言っただけで好きとまでは……まあ好きか嫌いか選べと言ったら好きだけど」

 

 私は淡々とコメントを入れた。恋人にしたい、とかそういう口ぶりではなかったので、この場にいるみんなはちゃんとわかってくれたようだ。

 

「私もー」

 

 布仏さんが袖に隠れた手を挙げる。とろんとした表情で今一真剣味が足りない様子だけれど、本気で好きですなどと言われてしまったら浅学非才の身では対応しきれない。

 思慮深い様子でみんなの話を聞いていた鷹月が顎に手を当てながら口を開いた。

 

「外野がいろいろ言っても決めるのは篠ノ之さんなんだよね」

 

 その言葉に全員でうなずいた。頭を抱えたまま話の輪に入ってこない篠ノ之さんに視線を落としたのだけれど、私はうっかり懐に入れていた携帯端末を取り出して、顔を上げた彼女の悩み苦しむ表情をカメラに納めていた。

 

「……お前か」

「ごめん。つい」

 

 私はすぐに謝ったけれど、いつもなら厳しくとがめてくる場面で、彼女は実に素っ気ない口調で周囲を見回したに過ぎなかった。

 心ここにあらず。そんな表現がぴったりな顔つきで真実を知る身としては心苦しく思った。

 相川が篠ノ之さんの顔をのぞき込んで、ちょうど彼女の目線の上に慎ましやかな胸を見せつけた。

 

「篠ノ之さんは中学までにこういった経験はないの?」

 

 その話には私としても興味があった。篠ノ之さんは考え込むようにして少し間を置いて話し始めた。

 

「あるにはある。しかし、男に告白されたことはあっても……女に告白された経験はないんだ」

 

 セシリア嬢と(ケイ)が互いに顔を見合わせ喜色を浮かべた。布仏さんと相川は目を輝かせた。しかし鷹月の表情が全く変わらなかった。

 相川は相づちを打ちながら興味津々な様子で告白の件を聞き出そうとしていた。

 

「そうだよねー。篠ノ之さんだもん。男の子の一人や二人に告白されててもおかしくないよね。告白にはどう答えたの?」

 

 相川が背筋を伸ばしたかと思えば腕を組み、したり顔で何度も頷いていた。

 

「もちろん丁重に断った。私みたいな無骨者と付き合っても楽しくないだろうし、それに……親が転勤族だったから付き合いだして仲良くなったとしてもすぐに別れが来る。大体ほとんど顔を合わせない女に惚れるのかはなはだ疑問でもあったしな」

「引っ越しちゃうと縁が切れちゃうからね……仕方ないか。私なんてクラスの男子に告白したことがあったけど、あっさり振られたもんね。当時ガリ勉だったってのもあったんだけどね」

「え? そんな風に見えないだけど」

 

 私が驚いて口をはさむと、相川が苦笑をまじえつつ携帯端末を取り出すと、中からある写真を表示させ、篠ノ之さんも一緒になってのぞき込んだ。

 

「髪長っ、眼鏡ダサっ」

 

 友人か誰かが自席に座る相川を撮った画像だった。中学校の制服と思われる紺色のセーラー服を着ている。目の前でへらへら笑う相川と写真の中の、他人とは積極的に接点を持つことを好まなそうな少し暗く(はかな)い雰囲気をまとった中学生が同一人物だとすぐには理解ができなかった。

 

「IS適性検査を受ける前の写真だからね。ぱっとみ地味子だったんだよ?」

 

 今の相川は一見して活発な印象を与える。喋り方もそうだし身だしなみもそうだ。

 篠ノ之さんが写真の中の相川を見て、優しい顔つきで言った。

 

「せっかく伸ばしていたのにな。もったいない」

「男の子に振られて落ち込んでたけど、IS適性で結構いい数値が出たからがんばろうって思って、思い切って切っちゃった」

「私が男だったら付き合っていたな。絶対」

 

 誰に聞かせるつもりのないその一声を聞いて、突然相川がうろたえた。どうやら篠ノ之さんと付き合う自分を想像したらしく、下衆な考えにこらえきれなくなって肩をすくめながら羞恥に顔を赤らめ、すぐに取り繕うように明るく振る舞った。

 

「篠ノ之さんみたいな男の子がいたら付き合っちゃうかも」

 

 私も相川にならってTS(性転換)版篠ノ之さんを想像してみることにした。約束の樹の下で告白する私。一世一代の告白を受け入れる篠ノ之。晴れて交際することになった私たち。悪くない想像だと思った。

 

「ということで私の意見は、付き合っちゃいなよ、です」

 

 相川はおおむねセシリア嬢の主張をより斜め上に解釈した意見を述べた。したり顔な彼女に篠ノ之さんは驚いて目を丸くしている。まるで信じていたのに裏切られたかのような顔つきだった。

 

「お、おい――みたいなこと」

 

 篠ノ之さんが私の名前を例えに挙げ、彼女の中で私の評価がどんなことになっているのか垣間見た気がしたけれど、相川の発言を補足しようと口を開いていた。

 

「百合のつぼみがゆっくりと花開く姿を見たいんですね。相川さん」

「さすがえーちゃん。理解が早い」

 

 おそらく鷹月も同じ事を考えたのだろうな、と邪推してみたけれど、彼女は素知らぬ様子で決して本性をさらけ出すようなことはしなかった。

 相川の好奇心丸出しな発言を受けて、篠ノ之さんは反応に困っているように見え、髪を指を絡めては離すというしぐさを繰り返していた。眉根を寄せる様を見れば、告白されたことを好意的に受け取っていたけれど、同性と付き合うのは抵抗がある、といったところか。おそらく友達として付き合うのが落としどころであり、更識さんはそのつもりであの告白をした。最初の「大好きです」が大いに誤解を与えてしまったことは否めなかった。悩む篠ノ之さんをずっと見ていたかったけれど、真実を知る者として誤解は解いておいてやらねばと思い、

 

「ちょっと話があるんだけど」

 

 とまず鷹月の裾を引っ張り壁際へと移動した。鷹月は小首をかしげ、要領を得ない様子だった。

 

「どうかしたの?」

「ちょっと昨日の件について訂正があってね」

 

 私は篠ノ之さんたちに見られないよう手で口を隠して声を潜めていた。身を潜めるような素振りから声を大にする話ではないと察した鷹月は、篠ノ之さんから背を向けるようにして顔を近づけてきた。

 

「更識さんが告白しちゃった件だよね。あの時私も食堂にいたよ?」

「実はですね。あの告白には続きがありまして」

 

 食堂が騒然としたので聞き取れた人がほとんどいなかった、と前置きをすると、鷹月が真剣な面持ちに変わった。

 

「更識さんは、篠ノ之さんと友達として付き合ってほしい、と続けたのです。声が小さくなっちゃって私と子犬ちゃんしか聞き取れなかったみたい」

 

 鷹月は一度うなずいてから、顔を離して振り返りながらセシリア嬢と子犬ちゃんを見やって、再び顔を戻した。

 

「オルコットさんは違うみたいだけど」

「最初の大好き発言で頭に血が上っていたみたいで……ほら、あの試合の後からセシリアさんが織斑を見る目がおかしくなっていたから」

「……なるほど。オルコットさんの様子は私も気付いていたけど、ふうん」

 

 鷹月は目を細めながら私の瞳を直視した。すべてを見透かすような視線にたじろいだ。

 

「いつも真っ先に篠ノ之さんをからかうはずのあなたの態度がおかしかったから。そうじゃないかと思ってた」

 

 再び振り返って篠ノ之さんを見やり、少し間を置いて顔を戻し、

 

「それで私にどうしてほしい?」

「更識さんと友達として付き合う、という方向に持って行きたいから手伝って」

 

 この数日で鷹月はクラス一のしっかり者という立場を築いていた。特に篠ノ之さんに対しては私が話すより、同じことを鷹月が話した方が信用されることもしばしばだった。

 

「そんなことでいいなら……でも誤解は解かなくてもいいの?」

「そのうち本人が気付くと思ってるんだけど」

「そうね。でも、案外意識し続けたら面白いことになるのかも」

 

 忍んで笑いながら、さりげなくとんでもないことを口にした。更識さんが向ける好意やひとつひとつの意識をすべて恋愛感情と結びつけ、感情の扱いに困って悶える少女の姿が見られるかもしれない、とそこまで考えていたら、鷹月は私の目をのぞき込んでにっこり笑いかけてきた。まるでその通りだと言わんばかりのいたずらっぽい仕草だった。

 篠ノ之さんの元へ向かうべく足の向きを変えた私は鷹月に呼び止められた。

 

「あなたって、篠ノ之さんのことが好きなんだ」

「もちろん好きですよ。友達だもの」

 

 その答えに鷹月は目を点にして私を見つめ、そのうちに含みのあるにやけ面を浮かべるや、

 

「応援しているからね」

 

 と背中をたたいて颯爽(さっそう)と私を追い越した。

 私は鷹月の真意を理解しかね小首をかしげていたけれど、再び輪の中に戻った彼女は二言三言雑談を交わしてから篠ノ之さんに問いかけていた。

 

「篠ノ之さんはどうしたい?」

 

 その問いに篠ノ之さんは静かに呼吸をした。

 

「私にはその気はないから彼女と付き合うのは無理だ。しかし友達としてならば違う」

 

 ゆっくり明瞭な発音だった。

 

「なあんだ。答え出てるじゃん」

 

 私が鷹月にした根回しは不要だった。篠ノ之さんなりに考えて出した結論だと思った。

 

「お友達として()()()()()ですね」

 

 わざとお付き合いを強調して、にやけ面を振り向けてからかうような口調になるよう努めた。

 

「更識さんが、その、何だ。そういうのに興味があるとしても、私は友達でいるつもりだ」

 

 咳払いをした篠ノ之さんは案の定誤解したままだった。

 

 

 昼休みになって、更識さんに声をかけた篠ノ之さんは友達になる件を承諾したと簡素な言葉を伝えて、ようやく騒動にけりがついた。四組の生徒から生暖かい視線が篠ノ之さんに向けられていたけれど、気にしても(せん)ないことだった。

 廊下でしのぎんと他愛もない話をしていた私の元に一通のメールが届いた。送信者は姉崎だった。

 

「FWD――転送メール?」

 

 携帯端末に表示された文字列は誰かが姉崎に送ったメールをそのまま私に送りつけてきたことを示していた。本文の中に記された文字列を探すと、霧島晴香、という氏名が表示されていた。部活紹介の時に壇上で話をしていた生徒で、姉崎に岩崎との交渉を押しつけられた先輩だった。時々姉崎と話をしているところを見かけたけれど、飄々(ひょうひょう)としてとらえどころのない人だと記憶している。

 メールには場所と時間が記されていた。

 しのぎんが横から手元をのぞき込んだ。

 

「なになに。第六アリーナ第三IS格納庫、一七〇〇集合。追伸、岩崎に承諾をもらいました。約束忘れないでくださいね! ……って何これ」

 

 しのぎんが顔を上げて首をかしげていた。

 私はヒーロー番組の悪役がするような演技がかった笑い声をおなかから出した。

 

「フッフッフッ。しのぎん、これで更識さんのISが開発できるかもしれないのだよ。悪の組織だって巨大ロボをたくさん作ってるでしょ」

 

 悪魔に魂を売るかもしれないけれど、そのことはしのぎんに言う必要はなく、私がお墓まで持って行けば済むことだった。

 しのぎんは興味津々という様子で聞いた。

 

「それで相手は誰なん?」

「二年の岩崎先輩。航空部の」

 

 笑顔が固まった。耳敏く航空部という言葉を聞きつけた他の生徒がこっそり私を指さして何ごとかささやき始めた。体験入部等を介して先輩方から航空部にまつわる様々な噂を仕入れていたらしい。しのぎんもその一人だった。

 

「水泳部の見学で耳にしたけど。その岩崎先輩は色々な人に恨まれているみたいで、近づかない方がいいって。大丈夫なの」

「多分大丈夫……じゃない。渡りを付けてくれた先輩も苦手みたいなこと言ってた」

「そんなのに更識さんを引き合わせるか……さすがえーちゃんと言いたいところだけど今回はちょっと褒めらんないわ」

 

 私はしのぎんが驚くのも構わずに彼女の両肩をつかんだ。

 

「そこでしのぎん。一緒に()()()()()

 

 航空部にもまともな先輩はいる、と姉崎が言っていたから更識さんを送り届けるくらいはできると思った。

 しのぎんが苦渋に包まれた表情を見せ、両手を顔の前で合わせて頭を下げた。

 

「いや、ちょっと今回は遠慮しとく」

 

 予想通りしのぎんは申し出を断った。私も無理やり魔窟に引きずり込もうとするほど義理人情に欠ける人間ではなかったので、今回は素直に諦めることにした。

 

「わかった。夕方更識さんを連れて悪の本拠地に潜入します」

「おう。行ってこい。(しかばね)くらいは拾ってやるから」

 

 しのぎんの表情が段々明るくなりふざけた調子になったので、悪ノリが高じた私は演技がかった口調のまま腕を大きく広げたかと思えば、

 

「ありがとう。しのぎん!」

「お、おう! 行ってこい!」

 

 としのぎんに抱きついて、その私と同じくらい薄い胸板に顔を埋めていた。鍛え方が違うのか(ケイ)と同じように硬い筋肉で覆われた感触に驚いたけれど、顔を上げるとしのぎんがお化けを見たかのように真っ青な顔をしていた。

 

「……ふうん。早速二組の子に浮気とか、手が早いんだ」

 

 恐る恐る背後を顧みた私は鷹月の冷ややかな目つきに、恐怖漫画を読んだばかりにトイレに行けなくなった夜のことを思い出していた。慌ててしのぎんから体を離し、悪のりを恥じた私たちは何とも言えない微妙な空気をどう表現するべきか、言葉に表すことができずにいた。

 

「う、浮気とか何のことでしょうか」

 

 言いがかりをつけられている気がしていたので抗議したのだけれど、とにかく鷹月の視線が恐ろしくてならなかった。

 

「さっき私のこと――」

「いやいや、そんな助こましみたいなまねしてませんから」

 

 鷹月が言わんとしたことを先回りで否定した。いつ鷹月に好きだから付き合ってよ、みたいな軽い言い回しをしたというのか。彼女は寂しそうな笑みを浮かべてつぶやいた。

 

「残念」

 

 展開についていけず、呆然とするしのぎんに鷹月との関係を説明しようと振り返った。

 

「この子、時々冗談にならないことを言ってくるから気をつけて」

 

 しのぎんは納得していない様子だったけれど、優等生風の雰囲気を醸し出す鷹月から一歩引くように立っていた。

 

「ところで航空部に行くみたいなことを言っていたけれど」

 

 鷹月の口から意外な言葉が出て私は驚いて振り返った。相変わらずの真顔だったけれど、それでいて瞳の奥が興味津々という様子で輝いていることに気がついた。隠すほどのことでもなかったので彼女に理由を説明した。

 

「もう知っているかもしれないけど。更識さんは我が国の代表候補生で、しかも専用機が準備されています。専用機は紆余曲折(うよきょくせつ)があって開発が遅れています。そこで更識さん自身でIS開発ができないか考えました。既に搭乗者による単独開発の先例が存在することから、彼女もそれにあやかろうとしたのです。しかし、IS学園に通学しながら開発を行うのは困難でした。そのため協力者を募ったのです……とまあ、こんな感じ」

 

 目を瞬かせながら聞いていた鷹月は、顎に手を当ててしばらく考え込む素振りを見せ、伏せていた目を上げて私をまっすぐ見つめ、

 

「大体わかった。一緒に行ってあげようか」

 

 とにっこり笑った。

 

「は?」

 

 私は申し出の意味が分からず、間抜けな声を出した。背後でしのぎんのうめくような吐息が漏れ聞こえ、どうやら鷹月の正気を疑っているようだった。鷹月は人懐っこい笑顔を向けていたのが、余計に気味が悪くて、いぶかしむように見つめていたら彼女は理由を言った。

 

「悪の組織に潜入するみたいで楽しそうでしょ」

 

 思わずうなずいて返すと、彼女は遊園地ではしゃぐ幼子(おさなご)のような顔つきをしていた。

 

 

 夕方。アリーナへの連絡通路。空を見上げれば講義棟の屋上に立つ生徒が、両手を広げたくらいの大きなモーターグライダーを助走をつけて空へ送り出した。太陽の下で小さな白い翼を広げたグライダーはエンジンによる航跡を引き、ゆっくり高度を保ちながら旋回している。ISも航空機も何もない空を我が物顔で飛んでいた。

 IS学園上空は学園に許可されていない航空機はいかなる所属にもかかわらず飛行禁止だった。したがって一目でグライダーと分かる形状の小型航空機を所有するのは滑空部以外にないことから、頭上を飛ぶグライダーは滑空部所有のものと推測できた。

 更識さんとは現地で落ち合う約束をしていた。彼女は訓練機を整備するために整備科が間借りしている格納庫に寄ってから第六アリーナに向かうとのことだった。私は鷹月と合流するつもりで第六アリーナの観客席を目指していた。携帯端末を取り出してアリーナの利用者目録を表示させると、そこには織斑、篠ノ之、オルコット、小柄(こづか)、そして数名の三年生の名前が表示されていた。

 目録の中にしのぎんを見つけたので、訓練機の利用者目録を表示させ、最初に打鉄のリストに目を通したら彼女のほかに篠ノ之さんの名前もあった。

 私は織斑たちの練習風景に興味がわいたので、観覧席への道を急いだ。観覧席への出入り口に到達すると風下なのかうっすらと磯の香りが漂っていた。潮風にさらされながらアリーナを見渡せば、眼下にひときわ目立つ白色のISと青色のISが空中での姿勢制御の練習を行っていた。そして彼らと行動を共にする灰色の甲冑(かっちゅう)もまた青色のISの動作をまねするかのように姿勢を変えていた。

 次に鷹月の姿を探した。織斑の練習風景を観覧する野次馬が人だかりをなしていて、その中に手帳を片手にISの動きを追う鷹月の姿があった。

 観覧席の上段通路を通って鷹月に声をかけようと試みたが、彼女の横顔が真剣そのものだったので、わざわざ集中を乱してもいけないと思って騒がしい生徒から距離を置くように一人で腰掛けた。模範演技をしてみせるセシリア嬢の動きを注視していると彼女の動きはある一点を中心とした三次元機動だと分かった。正確な垂直移動、そして正確な水平移動。そして地面に垂直な一本棒が存在したとして、その棒を中心に一定の距離を保ったまま旋回する。打鉄をまとった篠ノ之さんは素っ気ない顔をしながら、大体地面から三〇センチほどの高度を保ちながら軸運動をしてみせたけれど、高度を保持しようと意識するあまり垂直座標にずれが生じ、セシリア嬢に指摘されて頬をふくらませた。

 織斑はといえば篠ノ之さんよりも出来が悪く、軸運動をするつもりでいたけれど垂直座標が大いにぶれて上下に波打ちながら動いたものだから、やはりセシリア嬢に細かい指摘を受けてしょげかえっていた。

 

「へえ。CGみたいだな」

 

 少し前にパトリシア先輩に見せてもらった物体の三次元シミュレーションモデルをビューアを使って「ぐりぐり」動かした時と同じように見え、セシリア嬢の動きがなめらかすぎて浮世離れしているのが興味深かった。

 

「そこの一年生」

 

 私は背後から声を掛けられ、ゆっくり後ろを振り返った。

 

「隣いっかな」

「どうぞ」

 

 私は赤色のリボンを目にして、すぐに席を深く座り直して足を引いて通路に隙間を作った。三年生は私の前を横切ると、左隣の席に腰を下ろした。

 三年生はすらりと背の高い女性だった。褐色の肌にドレッドヘア。どことなく眠そうな顔つきに、たれ目で彫りの深い顔立ちに薄桃色のぽってりした唇がむしゃぶりつきたくなるような色気を漂わせていた。しかも、巨乳かつくびれた腰つきで物凄いヒップをした豊満な体つきに驚き、スカートから伸びた足は筋肉が盛り上がり強靱(きょうじん)な脚力を有すことが見て取れた。

 とにかく色っぽいのだ。正直なところIS学園の三年生は化け物か、と叫びたくなってきた。私が知る三年生と言えば似非宝塚の姉崎と巨乳眼鏡こと布仏先輩、大和撫子(やまとなでしこ)な茶道部部長くらいだ。もしも私が男なら彼女らの写真を入手して夜な夜なむにゃむにゃな妄想にふけるに違いない。

 

「ほーきれいな動きをすんな。さすが宗主国の代表候補生」

 

 隣の三年生は私がいるのも構わず、セシリア嬢の動きを見て嘆息した。セシリア嬢の事を宗主国といったので、彼女の祖国はカナダやオーストラリアあたりだろうか。

 私はアリーナよりもむしろ、彼女が気になって何度もその横顔に視線をやってはそらしていた。

 

「男の方は初心者だな。横にいる打鉄の方がよほど良い動きだわな」

 

 彼女は突然薄桃色の唇を弧のように軽く開け、下から私の顔をのぞき込んできた。

 

「私が気になるのか? ねめ回すような目つきがエロくってエロくって」

 

 彼女は、なはは、と声を上げて笑った。

 そして懐から携帯端末を取り出し、これ見よがしに操作して、ある写真を眼前に提示した。

 

「なっ!」

 

 私は絶句していた。姉崎に送った篠ノ之さんの写真だった。しかも頭を抱えながら(うれ)いを帯びた表情を写し撮ったその写真は昼休み前に姉崎へ送ったばかりの最新版だった。私は友達の写真を横流しした後悔の念で肩を震わせ、喉がからからに渇いていくのがわかった。

 

「あんた、えーちゃんだろ。姉崎に聞いたよ」

 

 教えてもいないのに私のあだ名を呼んだ。しかも姉崎の知り合いだという。恐怖と驚愕を一緒に味わい、私は動揺する心を悟られまいと必死にすっとぼけることにした。

 

「そんなわけないじゃないですか。えーちゃんって誰です? 他人の空似(そらに)では」

 

 とっさに演技するも、やや上ずった声色になってしまい、やばい、と思ったときには彼女が胡乱(うろん)な瞳を向けていた。

 

「おっかしいな。姉崎に聞いた特徴とそっくりなんだけど」

 

 再び携帯端末に目を落としてから、間近で私の顔をのぞき込むと、腕に柔らかく弾力に富んだ豊満な胸が押しつけられているのがわかった。私は焦る心を落ち着かせようと深呼吸をしつつ取り繕うことを止めなかった。

 

「ドドドッペルゲンガーっているじゃないですか。世界には同じ顔をした人が三人いるって言いますし」

 

 まるで説得力のない言い方だった。彼女は私の右肩をしっかりとつかむと、左手で携帯端末を操作して私の間抜け面を表示させていた。

 

「ついでにあんたの写真ももらったんだ。あれー? 同じ顔に見えるけど?」

 

 姉崎が待ち受けに使いたいという理由で撮影した最近の写真だった。隣に(ケイ)がいる上、髪型も一緒でいくら印象が薄い顔立ちと言っても、ここまで証拠を見せつけられてはすっとぼけるのは無理があった。

 

「……すいません」

 

 観念した私はしょんぼりと肩をすくめて謝っていた。

 

「一年生、嘘はいかんよ。()()

 

 すると彼女は眉根を寄せ、鋭い目つきで凄んで見せたので、肝を冷やした私は体を震わせて小さくうめき声を上げていた。どういうわけか、すぐに彼女の怒りの空気が霧散したので少しだけ頭が回るようになった私は姉崎との関係について聞き出そうとした。

 

「あの先輩、先輩もやっぱり」

 

 彼女が私の言葉をさえぎった。三年生だから先輩と呼ぶのは自然だし、彼女の名前を知らなかった。もしかして言い方に誠意がこもっていなかったのだろうか。

 

「ちょっと待った。私のことはダリル・ケイシーだから、()()()()()と呼んでくれ」

 

 R行の発音が日本語とずれていたのだけれど、妙に「さん」を強調していた。名前で呼べと希望しているのだから素直に従うことにした。

 

「だ、ダリルさん。篠ノ之さんが目当てなんですか」

 

 姉崎に送った篠ノ之さんの写真を持っていることはつまり、彼女も同性を性的欲求の対象に見ることができる人種だということだった。これが何を意味するかと言えば、現在私は貞操の危機に瀕していることに他ならない。

 

「うんにゃ。この写真は篠ノ之束博士の妹がどんなかなと思ってもらっただけ。私はストレートだよ」

 

 その言葉にほっと胸をなで下ろした。IS操縦者が篠ノ之さんのお姉さんに興味を持つのは自然だった。何と言ってもISの生みの親でその実妹となれば、織斑みたいなイレギュラーが存在しなければ好奇心の対象に据えられるのは話題性から言って篠ノ之さんだと考えるのが自然だった。更識さんも生徒会長の妹という立場なのでIS学園の中では話題性があっても、謎のベールに包まれた創造者と比べたら一枚も二枚も劣る。

 

「よかった……喰われるのかと思ってました」

 

 ダリルさんは急に何かを思い出したのか、相づちを打つと聞き捨てならない言葉を発した。

 

「あ、思い出した。試しに女と寝てみたことはあったわ」

「へ?」

 

 女と寝た、とはつまり同性と同衾(どうきん)したということであり、その意味するところは同性間の性愛を経験したことに他ならない。ダリルさんの口調はうっかり家に鉛筆を忘れました、と同等の軽い言い方だったので、私は言葉の意味を理解することなく危うく相づちを打ってしまうところだった。

 ダリルさんは気品こそ感じられないが、仕事ができる女性のような雰囲気を(かも)し出したかと思えば、すぐに打って変わって物欲しそうな獣の目をした。もちろんその瞳に浮かぶ欲望は性欲である。

 私は百獣の王ににらみつけられた小動物のようにその場から動けなくなってしまった。手のひらが汗で濡れて気持ち悪いのだけれど、完全に肩をロックされていて逃げ出すことができなかった。

 肌を密着させているためか、ダリルさんの膝下から香水の匂いが漂っている。気を紛らわそうと、良い匂いだな、と一瞬意識をよそに飛ばしていたらダリルさんの指先が顎に触れた。

 

「割と端正な顔立ちだから、何、とって喰うつもりはない。ちょっと気持ちいいことするだけだって。日本人の肌触りは好みの部類だから。丁寧に扱うよ」

 

 人差し指で私の顎を上向けると、首をかたむけて口づけを交わすようにゆっくりと顔を近づけてきた。私はなす術なく体を震わせるだけで、妖艶な瞳に(とら)われたまま男を知らない唇を奪われようとしていた。

 もうだめ、と私は観念してまぶたを閉じて唇に重ねられるだろう、ダリルさんの薄桃色のふくらみの柔らかさを想像し、突如として沸き起こった胸のときめきに困惑しながらもその瞬間を覚悟した。

 

「……なんてな。そんなおびえなさんな」

 

 肩から手を放し、優しくガラス細工に触れるような丁寧さで髪の毛を撫でてきた。体を離して座席に深く座り直したダリルさんに疑いの眼差しを向けた。

 

「本当にストレートなんですよね?」

「女と寝たのは本当だけど。でもそっちの気がないってことがわかった。だから手え出したりしないって」

 

 軽く笑い飛ばすような言い方だったので好奇心に正直な人だと思った。暗に性愛も好奇心の対象にすぎないと言っていた。

 底抜けに明るい雰囲気を漂わせながら再び肩に手を掛け、私の頭を胸元に引き寄せたものだから、今度は後頭部に色香漂う柔らかい凶器が押しつけられた。その感触は私の体では決して再現できないものだった。

 

「とりあえず同じ釜の飯を食うんだ。仲良くしような! 後輩!」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 ダリルさんの明るさと勢いに引きずられながら私は神妙な面持ちで返事をした。

 

「うむ。後輩は素直でないと。どっかの生意気な後輩に見習わせたいな。ナハハハ」

 

 上機嫌で肩を何度も強くたたいてきたので、苦笑するたびに彼女の胸に後頭部がめり込んでは跳ね返された。

 ダリルさんは私を抱きかかえたままアリーナを眺めているらしく、女同士で密着して暑くないのかと思い、咳払いしてから再び腰かけ直した。

 するとダリルさんがアリーナの隅っこを指さして大声で騒ぎ始めた。

 

「バカだバカがいるぞ」

 

 乱心したのか、と失礼なことを考えながら彼女が指し示したものに向けて視線を滑らせた。ちょうどセシリア嬢たちとは対角線上に位置する壁際だった。そこには助走をつけ、倒立前転を三回繰り返すと、前方へ流れる運動エネルギーを殺すことなく機体のバネを使って、大きく斜め上に飛び上がった打鉄が月面宙返り(ツカハラ)を決めて両脚を揃えて着地し、余韻を残しながら両手を大きく広げてY字の姿勢をとっていた。

 ダリルさんは腹を抱え足をばたつかせていた。

 

「なんつーバカ」

 

 うひゃひゃ、とずっと笑いっぱなしだった。

 視野の裾で鷹月を含めた生徒がダリルさんの大声に気付いてこちらを振り返ったけれど、私はあえて織斑たちの様子をうかがった。

 織斑たちは動きを止め騒がしくなった対岸を見つめてならが呆然としているのがわかった。他の三年生たちも床運動を見せつけた打鉄を無言で見つめていた。

 その打鉄周辺の観覧席では一年生と思しき少女たちがやいのやいのと騒いでいた。誰の仕業かと思って目をこらしてみると、その打鉄はもう一度挑戦するのか、滑るような動きでスタート地点に戻っていった。

 そして見覚えがある横顔に思わず声を上げていた。

 

「し、しのぎん……」

 

 打鉄は再び同じ動作を繰り返した。回転時の軸ずれを修正したのか先ほどよりも技が大きく見えた。

 

「お、知り合いかい。あのバカの名前はなんつーか教えてくれんかね」

「一年二組小柄(こづか)(しのぎ)……です。私らはしのぎんって呼んでます」

 

 ダリルさんへの受け答えも魂が抜けたような声を出した。しのぎんは秘匿回線で話をしているのか何度かうなずいたり首を横に振ったりしている。もう一度同じ動きを行い、さらに動きの切れが増した。

 私がしのぎんの動きに釘付けになっていると、ダリルさんは陽気に笑いながら席を立った。

 

「いやあ、いーもんみたわー。ちょっくらフォルテのやつ(生意気な後輩)に教えてやるか。ISでツカハラを決めた一年生(バカ)がいるって。一年生(えーちゃん)、邪魔したな」

 

 高らかに笑い声を上げながらダリルさんは観覧席から姿を消した。

 

 

 さて時刻は一七〇〇になった。ダリルさん(変な人)に捕まったおかげで精神的にとても疲れていた。

 第六アリーナ第三IS格納庫への入り口には、げっそりとした様子の私の他に、腕組みをしながら通路の壁にもたれかかる鷹月と忙しなく視線を動かして挙動不審な様子の更識さんがいた。

 通路には誰もいない。時折スーツ姿の職員が自販機を利用するくらいで薄暗い通路は不気味な雰囲気を漂わせていた。

 私たちは誰一人言葉を発しなかった。先ほど鷹月と更識さんが簡単な自己紹介をしていたくらいで、それきり通路は静まりかえっていた。何か話題をふろうか考えを巡らしたその矢先、連絡通路側から足音がしたので一斉に音がした方へと振り返った。

 足音は二つ。暗がりからゆっくりと姿を現したのは黒髪ロングの生徒とおかっぱ頭の生徒だった。二人とも黄色いリボンをしていて、おかっぱ頭の方は抜き身の刀剣のごとく鋭い目つきをしていた。黒髪ロングの立ち位置は日当たりが悪く顔がよく見えなかった。

 

「あらら。物好きが三人もいましたか」

 

 黒髪ロングが胸の前で腕を組みながら、私たちを値踏みするように視線を向けてきた。

 

真宵(まよい)さん。事前に話した人数と違ってますけど構いませんか?」

「部長は気にしないから大丈夫」

「わかりました」

 

 黒髪ロングは隣に立っていたおかっぱ頭の先輩に話しかけ、了承を得ると更識さんの側に歩み寄ってようやくその顔が明らかになった。

 

「あなたが更識さんですね。はじめまして。回収班二年の霧島です」

 

 微笑みながら柔らかいしぐさで握手を求めてきたので、

 

「どうも。一年の更識です」

 

 と更識さんが小さな声で答えながらおずおずと手を重ねていた。

 

「そちらは?」

 

 そう問いかけてきたので私は自分の名前を告げた。

 

「あなたが班長のお気に入りの……」

 

 霧島先輩は姉崎に気に入られているとか大変聞き捨てならない言葉を口にした。

 続いて鷹月が歩み出て、

 

「一年の鷹月です。今日は付き添いできました」

 

 とあいさつしてから目礼をした。

 おかっぱ頭の先輩は付き添い、という言葉に反応し残念がった顔をした。

 霧島先輩がおかっぱ頭の先輩を指さして紹介しようとたけれど、機械じみた淡々とした声がさえぎった。

 

「こちらは――」

神島(かみしま)真宵(まよい)です。航空部副部長の仕事をしています」

 

 よく見ると左の目尻の下に泣きぼくろがあった。彼女はよろしく、と淡々と告げて目礼をした。

 

「真宵さんったら、そんな素っ気ない」

 

 霧島先輩は航空部副部長のあいさつに不満があったのか、丁寧口調のまま猫なで声ですがりついたものの彼女は完全に無視していた。

 航空部副部長とはつまり、悪の女幹部といったところか。表情を全く変えない冷血少女だから博士ポジションだと勝手に決めつけていた。

 

「部長のところに案内します。ついてきてください」

 

 神島先輩が関係者専用(STAFF ONLY)と描かれたボーダーシャツを着た男性をあしらった絵が描かれた扉をあけて、中に入ると奥に青色の鉄扉が見え、目線の高さに「航空部部室」と書かれていた。

 さらに重苦しい音を立てながら鉄扉を開けると、回収班が使っているIS格納庫と同じく薄暗い通路からは想像もできないほどの空間が広がっていた。回収班と異なるのは整備科の生徒が一人も見あたらないことだった。

 

「中は広いんだ」

 

 鷹月が天井を見上げながら感嘆の声をもらした。

 私と更識さんはおっかなびっくりと言った風情で格納庫を見回すと、奥に航空機らしき影が見えた。気になって前を歩く神島先輩に尋ねた。

 

「先輩。あの飛行機っぽいものは何ですか?」

「飛行機っぽい……?」

 

 鷹月も気付いたのか奥に視線をやると、やはり彼女も驚いたらしい。古そうな航空機でプロペラがあった。

 神島先輩が足を止めると、機械的な仕草で振り返って私の顔を見つめてきた。反応に困って霧島先輩の顔色をうかがうと、なぜか苦笑していた。再び視線を戻しても表情がほとんど変わらないのだが、気を悪くしているのだけは分かった。

 

「あれが何か分からない? 陸軍最後の制式戦闘機を? あの空冷発動機を搭載したために図太くなったエンジンカウルに、末期戦で物資が欠乏している状況でも性能を発揮した五式戦を見分けがつかない? まだ甲型乙型の違いが分からないなら許せますが……あなた本当に日本人?」

 

 人が変わったように早口で言葉を放つ姿に、私は涙を浮かべて鷹月や霧島先輩に助けを求めた。挙げ句の果てに日本人かどうかまで疑われる始末。目つきが鋭いのでにらまれると余計に迫力が増した。

 涙目で再度奥にある飛行機らしき物体を見ると、濃緑色で翼に日の丸が描かれているので旧日本軍の装備とまでは分かったけれどそれ以上はさっぱりだった。大体、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)一式戦闘機()の違いも分からない一般人に見知らぬ飛行機の機種名を当てろとか無茶にも程があった。

 

「リクグンキサイコウ。クウレイエンジンサイコウ」

 

 突然霧島先輩が万歳しながら片言で呪文を唱え始めた。鷹月と更識さんが気でも狂ったかと言わんばかりに呆れたような視線を投げかけていた。霧島先輩は外野を無視して万歳を繰り返しながら、私の首根っこを捕まえると、顔を寄せて小声でとりあえず同じ事を言え、とささやいた。神島先輩が怖かったので仕方なく霧島先輩の後について万歳しながら呪文を唱えた。

 すると瞬く間に神島先輩から発せられた怒気が静まっていくのが分かった。そして神島先輩はうっとりとした様子で奥の飛行機を眺めた。遠く離れた恋人を見つめるかのような表情に私たちは大いに引いた。

 

「やはり晴香は分かってます。陸軍機のエンジンは信頼性こそが第一です」

 

 私は悟りの境地に至った。この人変態だ。姉崎が航空部にはまともな人もいると言っていたけれど、そんな人物は見あたらないではないか。

 

「それで、その、何で五式戦がここにあるんですか」

 

 航空部だから航空機が好きなのは分かる。末期戦がどうの、と言っていたからろくな物ではないのだろう。

 神島先輩は私を見てこう言った。

 

「学園島の掩体壕に放置されていました。爆撃を食らった上に土砂崩れで埋もれていたのが工事中に見つかりまして、うちの部の先輩方が掩体壕付近の地下通路から翼を取り外した予備機を発掘して、ニコイチでレストアしたそうです」

 

 先輩から聞いた話ですが、と言葉を継いだ。

 今度は霧島先輩が口を開いた。

 

「ほらIS学園ってさ、島全体が本土決戦のために陣地化されていて、肝試しの会場なんだけど学園の裏側に火薬式カタパルトが存在するって話を聞いたことがある。カタパルトで五式戦や(つるぎ)、それに桜花を射出して特攻させるつもりだったとか。訓練中に事故死したパイロットや爆撃で死んだ兵士が化けて出ると先輩が噂していましたね」

 

 おびえた更識さんが私にすがりついてきた。しのぎんから、おじいさんが戦艦の余剰砲弾を島に運び込んだという話も聞いているから余計に気味が悪かった。

 

「霧島。白菊や梅花を忘れているぞ」

 

 奥から響いてきた声の主を探すと、この世のすべての悪を具現化したような邪悪な空気をまとった陰険な顔つきをした少女が、五式戦の横からのっそりと姿を現した。小柄で寸胴のためか起伏がまったく感じられない体を制服で覆い、白衣を身につけ詐欺師めいた笑みを貼り付けた怪人がいた。更識さんよりも背丈が低く感じられ、見るからにマッドサイエンティスト風の雰囲気を漂わせていた。

 

 

 航空部部長岩崎(いわさき)乙子(おとこ)と名乗った悪の親玉は椅子に座りながら投影型ディスプレイを十画面以上開いて忙しなく作業をしていた。十本におよぶ精密作業用機械腕が目前のISを弄り回している。

 更識さんは真剣な面持ちで眼前の怪人と、透明の壁で覆われた隔離部屋に据えられた玉座に息を潜める怪物(モンスター)を見ていた。

 白式やブルー・ティアーズを見てきたせいか両手両肩両脚を機械で覆う、いわば体の一部を強靱化し機能を補う形が一般的だと思っていた。

 しかし眼前にある玉座の怪物は搭乗者の全身を特殊な繊維を編み込んだ装甲で覆ったフルスキンタイプで足がなかった。背後を顧みると、五式戦の展示の脇に、銀色のエンジンと思しき物体が並び、そのエンジンカウルと思しきダークグレーの装甲が安置されていた。さらに奥には五式戦と同時代のデザインと思われる航空機が何台か並んでいた。

 

「それで用件は何だっけ」

 

 岩崎は私たちに一切視線を向けることなく事務口調で言い放った。手の動きがまったく鈍ることなく、メカニカルキーボードの小気味良いクリック音が格納庫にこだましていた。私と鷹月、そして霧島先輩は並び立ちながら一歩前に踏み出した更識さんに視線を集中させた。

 

「私の専用機……打鉄弐式を完成させるのを……手伝ってほしい」

 

 更識さんは怪人岩崎の存在感に圧倒されながらもゆっくり明瞭に言葉を紡いでいた。無謀なお願いだと分かっていたけれど岩崎を頼るほかなかった。しかし、岩崎の返事は拍子抜けするほど軽いものだった。

 

「いいよ」

「え?」

 

 更識さんが目を丸くし、驚きの声を上げた。私たちが落ち着くのを待って岩崎が口を開いた。

 

「ただし条件がある」

 

 岩崎はキーボードから手を放し、投影型ディスプレイを点灯させたまま椅子を一八〇度回転させた。

 

「条件……?」

 

 更識さんが聞き返すと、岩崎は愛らしい顔つきをして一本ずつ指を立てて見せた。

 

「一つ、入部すること。二つ、エンジンに愛を注ぐこと。三つ、悪魔に魂を売ること。この三つさえ守れば、われわれの頭脳と人脈と設備を自由に使わせてやる。IS開発のハード、ソフト両方のノウハウもくれてやる!」

 

 三つ目の条件は具体性がなくはなはだあやしかったけれど、条件としては破格だろう。その証拠に更識さんは不審に思いながら岩崎を見つめ、

 

「……それだけでいいの?」

 

 と言った。岩崎は両手を膝において更識さんを見上げた。

 

「もちろん。ついでに言えば君のISをほんの少し触らせてくれれば満足だ。変なことをするつもりはない。()()()の好奇心だと思ってくれればいい」

 

 技術者という言葉を強調していた。その言葉は岩崎と同じ技能を持つ更識さんにとってはそこはかとない甘美な響きだった。更識さんはその言葉を何度も反芻(はんすう)した。

 

「……技術者……」

 

 岩崎は上機嫌で、体に似合わず大きな声で正確な発音をした。

 

「私には四菱(よつびし)系のISやうちがねかっこ仮名かっことじるの開発で得たノウハウがある。更識さんの専用機である倉持の第三世代がどんな機体か心が(おど)っている」

 

 岩崎の影に潜んでキーボードを乱打していた神島先輩が横槍を入れた。

 

「部長。訂正してください。航空部が開発しているのは次世代主力IS、つまりIS-FXですよ」

 

 岩崎が愛らしい顔立ちのまま頬をふくらませ、コケティッシュな雰囲気に思わず表情をゆるませてしまいそうになったけれど、怪人のことだから演技に違いないと思って踏みとどまった。岩崎は神島先輩の指摘をとがめるように言った。

 

「真宵、いい加減部長の私が決めた開発コードネームで呼べよ。その呼び方は次期主力戦闘機導入計画(エフエックス)のパクリじゃないか。この戦闘機かぶれめ」

 

 不意をつかれ岩崎の言葉に同意してしまった。なぜだか五式戦に異常な愛情を注ぐ神島先輩の方が怪人に見えてきた。更識さんは彼女らのやりとりが途切れるのを見て、たどたどしく口を開いた。

 

「私が……更識家なのは……気にしないの?」

 

 どうやら更識家は名家か旧家らしく、なにやらしがらみがありそうな雰囲気だった。しかし岩崎の方はまったく動じた気配がなく、更識さんをまっすぐ見つめると、慎重に言葉を選びながらゆっくりと諭すように言った。

 

「気にしない。私など岩崎だぞ。君のお姉さんの一族に金の亡者呼ばわりされているが、ISというのは色々入り用だ。金と人脈はあるに越したことはない。私は己の欲望に正直に生きているだけだ。君だって日本の代表候補生として、誰よりも欲望に正直に生きている存在ではないか。私は元来競技者という存在は欲深い生き物だと思っていたが間違っているか?」

 

 更識さんは首を振った。

 

「君はもう十分悪魔に魂を売っている。そう見えるよ」

 

 岩崎は席を立つと、寄り添うように更識さんの隣に立って肩に優しく手を置いた。小悪魔のような顔つきをしていた岩崎が、魅力的に輝いて見えた。それどころか背中に天使の羽のような幻影すら見えた。

 

「どうだい。入部してわれわれを利用してみないか?」

 

 そう岩崎は優しく言った。そしてどれくらい時が経ったのか、更識さんは覚悟を決めたらしく力強い顔つきで首をゆっくり縦に振っていた。

 すると岩崎は控えていた神島先輩に歩み寄ると、感情を抑えた事務的な声で入部届一式を要求した。

 

「真宵。入部届と朱肉、三文判にボールペンを寄越せ」

「部長、ここに」

 

 入部届を受け取った岩崎は先ほどとは打って変わって慇懃な笑みを浮かべ、更識さんに入部届とボールペンを差し出した。

 

「じゃあ入部届を書こうか。右上に今日の日付を書いて、学籍番号に氏名と連絡先を記入すること。連絡先は学園支給の携帯端末で構わない。できたらメールアドレスもあるといいな。ああ、住所は寮でいいよ。実家でも構わないけどね。緊急連絡先はできれば実家の番号がいいね。更識家なら代表番号を電話帳に載せていたはずだったからでそれでいいよ。うん。入部先は正式名称でお願い。航空機とその内燃機関を愛でる部活動だね。そう。ちょっと長いんだ。最後に印欄にはんこを押そうか。霧島に連絡を受けたときに三文判を入手しておいたんだ。朱肉もあるよ。ぐいっと行こうか。ぐいっと」

 

 言われるがままに三文判を押して入部届が完成した。そして何回か入部届を振ったり光に透かしたりしてインクが乾いていることを確かめた。私はぼんやりと速乾性のインクかな、と考えているうちに、

 

「真宵。入部届に疎漏はないか」

「問題ないですね。これなら先生も受け取ってくれるでしょう」

 

 航空部の部長と副部長は悪巧みをするような顔つきで肩を寄せ合って入部届を眺めていた。そして互いにうなずきあい、岩崎が青い鉄扉を勢いよく指さした。

 

「よし。行ってこい!」

「部長。不肖神島、顧問の先生の所へ行って参ります!」

 

 神島先輩は更識さんの入部届を受け取ると、袖机の引き出しから取り出したクリアファイルに挟み込み、それを小脇に抱えると肘を上げて陸軍式の敬礼をして踵を返した。そして足早に青い鉄扉の向こうへ消えた。

 眼前の岩崎、もとい怪人は慇懃な雰囲気をかなぐり捨て、得体の知れない邪悪な雰囲気を漂わせながら、更識さんの肩を抱いて、

 

「さあ……共に怪物(フランケンシュタイン)を作りあげようではないか! クハハハ!」

 

 と玉座の怪物を指さして高笑していた。

 

 

 翌日、昼食をとるためいつもの四人で食堂のテーブルを囲んだ私の元に電話がかかってきた。慌ててポケットから携帯端末を取り出して画面を見ると、そこには非通知の文字が表示されていた。戸惑いながらも恐る恐る電話に出た私だったけれど、すぐに軽はずみな行動を後悔した。

 

「この人でなし……よくも妹を! この恨みはらさでおくべきか――」

 

 見ず知らずの私に向かって恨みがましく呪詛(じゅそ)をまき散らす。私は怖くなって途中で通話を切っていた。

 

「えーちゃん、電話?」

 

 顔を強ばらせたことに気付いた(ケイ)が心配した面持ちで話しかけてきたので、努めて明るく振る舞った。

 

「なんか非通知でいたづら電話がかかってきた。学園から支給された番号なのに」

 

 私は再び振動し始めた携帯端末を膝の上に置いて、どのように対処するか考えを巡らせていると、(ケイ)が自分の携帯端末を取り出してあるメニューを開いて見せた。主に着信拒否といったセキュリティ周りの項目が並んでいた。

 

「だったら非通知着信拒否にしときなよ」

 

 何度か指で画面を軽くタップしており、(ケイ)に感謝しつつ私もその動きに習った。

 

「ありがと。そうする」

 

 

 




次回から原作の「転校生はセカンド幼なじみ」の内容に触れていきます。


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転校生はセカンド幼なじみとその確執
★10 反応速度30%アップ!感度30%アップ!


今回はISスーツがメインのお話です。

2013/3/26 冒頭部分を一部改訂しました。


 更識に恨まれるぞ――夜になって私は姉崎の言葉を思い出して真っ青になった。

 先日航空部を訪れた際に、怪人岩崎に更識家について触りだけ聞いてみたら室町時代から続く旧家だという。なぜそんなことを知っているのかと問えば、

 

「うちは幕末から明治にかけて汽船で一山当てた口でね。戦前は戦闘機や輸送機を作っていたんだよ」

「昔の財閥とかですか。歴史の授業で習ったような」

「そ。で、更識家といえば陸海軍とつながりを持っていてね。アメリカやドイツから工作機械を調達する際にずいぶんお世話になったよ」

「はあ」

「今でこそ技術立国だけど、戦前の日本は安かろう悪かろうの代名詞だったんだ。だから外国の工作機械を輸入しないと精度が悪くてね。とにかく歩留まりが悪くて……」

 

 エンジンについて思いをはせたのか、ため息をついた。

 

「更識と組んで財閥解体のどさくさにまぎれて調達費を踏み倒したり色々やったみたいだね」

 

 と彼女は苦笑していたことを思い出した。更識さんのお姉さんとのしがらみについて、彼女は決して触れなかった。仕方なく面倒なしがらみについて詳しい姉崎に教えを請うべく、震える手で携帯端末を取り出した。

 

「ハロー? ……何だ。君か」

 

 呼び出し音が数回鳴り、前回と同じように姉崎にしては不自然なくらい明るい応対で、とても上手とは言えない発音だった。すぐに私と気付いてあからさまなため息をついた。

 

「夜分にすみません。今、お話をしても大丈夫でしょうか」

「一人だし構わないよ」

 

 ゆっくり落ち着いた声だった。

 

「ありがとうございます。お話というのは今日の昼にですね。変ないたづら電話がかかってきまして、妹がどうのとか言われたんです」

「心当たりは?」

「昨日の更識さんの件ぐらいしか」

「妹君ね。霧島にケーキをおごらされたんだっけ。結局どうなった?」

 

 どうやら霧島先輩から航空部の件について結果を知らされていないらしい。渡りをつけるよう頼んだとき岩崎を苦手そうにしていたので、あえて触れようとはしなかったのだろう。私は事実を簡潔に述べた。

 

「航空部に入部しました」

「なっ」

 

 急に姉崎が吹き出した。しかも気管に入ったらしくしばらくむせかえっていた。

 しばらくしてようやく落ち着いたのか、ため息混じりに言った。

 

「……それ以外に考えられないな」

「やっぱり」

「内容からして、おそらく楯無君の仕業だね」

「あの人、旧家のお嬢様なんでしょう? どうして脅迫(きょうはく)まがいなことを」

 

 霧島先輩にしろ雷同にしろ、生徒会長に対する評価は高い。リーダーシップが高く、イベントの企画実行の手際が良いとか。あの怪人岩崎ですら生徒会長に一目置いているような口ぶりだった。しかし、私の中で生徒会長の株は暴落していた。

 姉崎はそんな私の心中を感じ取ったのか苦笑していた。

 

「人には色々あるというか――」

「もちろんそうでしょうね」

「岩崎の出自について何か聞いているか?」

「汽船で一山当てたとか、財閥解体の時に悪どいことをやったとか」

 

 これは本人からの受け売りだった。

 

「岩崎はな。ああ見えて四菱(よつびし)の創業者一族なんだよ。四菱重工とか菱井(ひしい)インダストリーとかテレビで見たことないか」

「それなら見たことがあります。自動車とか旅客機を作ってますよね。ISも一応作ってるみたいだけど」

「そうだ。X印(ばってんじるし)のロゴが有名だね」

「その話と何の関係が?」

「幕末から明治期にかけてのねたみ恨みがいろいろあるんだ。しかし問題の中心はそこではない。よく旧家のお嬢様が通う学校があってね。偶然二人は同級生だった」

「初耳です」

「同級生ならお互いの失敗をいろいろ知ってるとは思わないかい」

「でも、それだけなら私があそこまで(ののし)られる意味なくないですか」

「まあ、そうだね」

 

 姉崎にしては歯切れの悪い調子なので、言い渋る彼女に強く言った。

 

「何があったんですか。教えてください」

 

 姉崎はしばらく逡巡(しゅんじゅん)していたが、意を決したのか鋭い口調に変わった。

 

「このことは口外無用だ」

 

 私はいつになく真剣な声に身構えた。

 

「もし外部に漏らしたら、岩崎と更識の両方を敵に回して君の学園生活(じんせい)は終了だ」

 

 不穏な言葉を耳にした。怪人岩崎に目をつけられ、生徒会長にも目をつけられ不遇の人生(二年間)を送るという想像は口では到底言い表せない恐ろしさがあった。しかし、姉崎が私に漏らすのは大丈夫なのか、と考えながら、老婆心と好奇心には勝てなかった。

 

「……約束します」

 

 私は神妙な顔で答えていた。

 姉崎はうむ、と言って話し始めた。

 

「さっき同級生と言ったけど、岩崎と楯無君は小学校、中学校ともに同じ学校に通っていた。私も同じ学校なんだが、今から私の写真を送ろう」

 

 受信した画像は、ある大学の附属小学校で赤毛からして姉崎だとわかる写真だった。現在のようなアップではなく、髪を下ろした愛くるしい美少女が立っていた。鼻水を垂らしていた自分の小学校時代とあまりにも格差がありすぎて私は呆然とした。そしてなぜ、こんな可愛い子がラビリンスのように歪んでしまうのかと絶望した。

 

「知ってるか? 制服が可愛いって有名な――」

 

 次いで中学時代の写真が送られてきた。片眼鏡はしておらず、できる女風の角張った細眼鏡を使用している。三つ編み姿なのだけれど写真からは姉崎が隠し持つ邪念が露程(つゆほど)も感じられないのが不思議でならなかった。しかも隣には知り合いと思しき、ブランド物のスーツを粋に着こなした初老の美中年が肩を組んで一緒に映っていた。

 

「私は地方の出ですけど、名前くらいは。あと、隣に写ってる美中年は誰ですか」

 

 美中年はものすごく好みだった。私は鼻息を荒くして姉崎に頼み込んでいた。正直なところ、紹介されたら告白して抱かれても良いと思った。

 

「父だ」

 

 前言撤回したい。姉崎の父親と不倫してくんずほぐれつ(ただ)れた関係になるのは、冗談でも考えるべきではなかった。そして思ったことを口に出した。

 

「遺伝子の不公平を感じます」

 

 私の父と言えば休日になるとひたすらテレビゲームをして、夏休みになると叔父とひたすらテレビゲームやネットゲームに入れ込んでいる人だった。正直どうやって母を射止めたのか疑問すら感じていた。私がぐうたらな父の背中を思い浮かべていると、咳払いが聞こえてきた。

 

「話を戻しても良いか」

「すみません」

 

 続けてください、という意味を込めて謝ると、姉崎は大きく息を吸ってからゆっくりと言葉を紡いでいった。

 

「二つ理由がある」

「二つ?」

「一つはいじめだよ」

 

 姉崎の重い言葉に、息苦しい胸焼けしたような不快感に襲われた。

 

「小学五年生から六年生にかけての半年間。岩崎が楯無君をいじめていたんだよ」

 

 衝撃だった。性根の曲がりくねった怪人岩崎が加害者側に立つ姿を想像するのは容易(たやす)かった。しかしながら、生徒会長が被害者になる姿をどうしても想像できなかった。

 

 今の生徒会長を見ていると、第一印象こそ悪かったけれどきちんと仕事をこなしていると感じていた。そして、いじめの標的になるような欠点が見あたらなかった。

 

「岩崎はずる賢くて性格悪いからやり口が陰湿でね」

 

 ずる賢いかどうかはともかく、変態だが頭が良いのだけは確かだった。姉崎は考え込むようにくぐもった声を出し、息を整えてから続けた。

 

「あの虚君ですらいじめに気付くまでに数ヶ月必要だった。虚君は具体的な手口までは教えてくれなかったけど、岩崎が楯無君を標的にしてから本人が気付くまでに約三ヶ月かかったらしい。クラスや周囲の大人を扇動して結果的にいじめに荷担させたようだ」

「……あの人どれだけ会長が嫌いだったんですか」

「真綿で首を絞めるようにじわじわ追い込んでいったそうだ。五年生の途中までは仲が良かった風に見えたから、なんでそうなったかは知らないし、この件で従姉が動いていたからわたしごときが立ち入ってもよい問題とは思えなくてね」

 

 一学年違ってしまえばそう感じるのは妥当だと思った。あの時こうしておけば、というたられば論は無責任でしかない。

 

「生徒会長にそんな過去があるとは……」

 

 私はふと、気になったことを口にした。

 

「でも、小六までということは、今はそんなでもないんですよね」

「今はないよ。お互いに可能な限り無視し合っている」

「無視ですか」

「そう。楯無君の方にも落ち度があってね」

「……ちなみにその落ち度とは」

「いじめの件については、双方の親が介入して手打ちになったんだけど、その後謝罪しにきた岩崎を楯無君が階段から突き落とした」

「それって」

 

 洒落になっていなかったので、姉崎なりの冗談だと思った。

 

「母校は古くて洒落た建物だったから、螺旋階段があってね。その踊り場で楯無君が本気で平手打ちしたら、岩崎がよろめいて落ちたんだよ。確か意識不明の重体だったかな」

 

 いじめた側といじめられた側が和解するのは理想論と言われているが、二人の関係が血で血を洗う抗争に聞こえた。結果的に岩崎はいじめの報復を受けたことになる。

 私はもう一度電話越しに放たれた呪詛(じゅそ)を思い返していたら、無性に腹が立ってきた。

 

「私、人でなしって言われましたよ」

 

 姉崎から教わった驚愕の真実に同情したけれど、言い方がひどすぎると思った。険しい声に気付いた姉崎は、優しい声を出した。

 

「二つ目の理由。楯無君のファーストキスの相手は誰だろうか」

 

 姉崎が電話越しに、にやり、としたのが分かった。

 

「布仏先輩とか?」

 

 子犬ちゃんに対する布仏さんの執着を見ている限り、あの巨乳眼鏡にも同じような性向があるのだろうか。そこで私は話の流れから気付きたくない事実に思い当たった。

 

「いや、まさか」

 

 私はその考えを否定しながらも、姉崎の答えを待った。

 

「そのまさかさ」

 

 ああ、やっぱりと思った。

 

「楯無君は今時珍しい純情で根っからのストレートだからね。彼女には岩崎がこう見えるのさ」

 

 姉崎が息継ぎをしたので、続きを聞き漏らさないように集中した。

 

「人の皮をかぶった悪魔」

 

 震える声で、それでいてはっきりと言い切った。そして力を抜くように間を置いて補足した。

 

「ま、推測だがね」

 

 安易に泥沼に片脚を突っ込んだ気分になり、言葉を失った。

 自分を苦しめた上、初めてのキスを奪った相手の元に妹を送り込んだ張本人に対して正気でいられるわけがなかった。

 私は声を震わせた。

 

「知っていて」

「ん?」

「先輩は知っていてそんな人を紹介したんですか」

 

 岩崎の紹介を渋っていた姉崎に頼み込んだのは私だった。姉崎は解決手段を持っていたけれど、積極的に使うことはなかった。生徒会長が姉崎を動かした人間を快く思うはずがなかった。

 

「IS開発にかける情熱と能力だけで見た場合」

 

 姉崎は次の言葉を絞り出す。

 

「――岩崎が最適だったから、というのは答えにならないかな」

 

 私が最適解を求め、姉崎は答えたにすぎなかった。更識さんは最初に彼女を訪ねていて、そのときに打鉄弐式の惨状を知りながら私を紹介した。私は考えた。首を突っ込まなければよかったのか、と。

 

「妹君なら心配ないよ。岩崎は仲間には優しい。それに、妹君は姉がいじめられていたことを知らないから」

「私は……」

「岩崎は妹君に手を出したりしないよ。彼女の興味の中心は常に楯無君だったから」

「でも……」

「気に病むことはないよ。もし更識さんに熱意があれば、君がいなくとも遅かれ早かれ、私が直接紹介しただろう」

「どうして」

「笑わないでくれよ?」

「もちろんです」

「在学中に更識簪の試合をこの目で見たいんだ」

 

 姉崎が弾んだような声を出した。私は更識さんが日本の代表候補生というのがどうにも想像することができなくて聞いてみることにした。

 

「先輩。前から気になっていたけれど、更識さんって強いんですか?」

「強い。とにかく強い」

 

 姉崎は断言していた。

 

「ケイシー戦で見せた、薙刀(なぎなた)上段の構えからの速攻は見事だった」

 

 うっとりするような熱い吐息が聞こえ、そこまで魅了させるような試合に興味を持った。

 

「更識さんを見ていると想像できないというか」

「そうだろうね。後で動画を送るよ」

「ありがとうございます。じゃあ……」

 

 そろそろ失礼しようかと思ったとき、さえぎるように姉崎が声をあげた。

 

「そうだ」

「何ですか」

「もう知ってるかもしれないけど、今度の日曜日に回収班の体験説明会をやるんだけど来ないか。例のISに試乗ができる。例の約束もあるから君には優先的に乗せてあげよう」

「ISに乗れるんですか!」

 

 学園には約三〇機しかISが存在しないわけだから、積極的に動かないとISに乗れない計算だった。例のISの見た目が格好悪くともISには違いないのだから、一分一秒でも長く乗りたいと考えるのは当然だった。

 姉崎は気を良くしたのか声が弾んでいた。

 

「そろそろISスーツが届き始める頃だから、いつもこの時期にやってるんだ」

「私のも土曜に届くんですよ!」

 

 奨学金審査の時に試作品モニターに応募しており、この前お知らせメールが来ていたので到着を心待ちにしていた。

 

「持ち物なんだけどISスーツは持参でもいいし、こちらで用意もする。うちのは古いせいか着心地が悪くてな」

「行きます行きます! 時間と場所を教えてくださいよー」

「後でメールを転送する。既に参加希望者が数名集まってるんだよ」

 

 ククク、と姉崎の気持ち悪い笑みが漏れ聞こえた。姉崎を間近で眺めるなら回収班に入り浸るのが一番だけれど、回収班は生半可な気持ちでいられる仕事ではないのでよほど意志が強くなければ難しいのではないか。

 

「試乗目当てか、先輩の着物効果ですね。なんとなくわかります」

「不純な動機で結構! 後輩が可愛ければ、わたしはそれで構わない」

 

 しんみりした気分が吹き飛んで、電話越しに頬をゆるめているだろう姉崎の間抜けな顔つきを想像し、通話を終えた。

 

 

 IS学園は完全学校週五日制である。保守政権が昨今の理数系離れを問題視して、土曜の半日授業を復活させる風潮の中、IS学園は条件さえ満たせば授業以外の訓練で単位が取得可能なので、特例として週五日制のまま据え置かれていた。

 ジャージ姿の私は管理人室で自分宛の段ボール箱を受け取り、伝票に奨学金出資元の企業名が記されているのを目にして、にやけ面が止まらなかった。

 自室に戻る途中、外出するつもりなのか、パーカーの上に薄手のジャケットを羽織ってチェック柄の鳥打ち帽をかぶったしのぎんに出くわした。

 

「えーちゃん、気持ち悪い」

 

 しのぎんの言ったとおり、今の私は岩崎さながらの気味悪い笑みを浮かべていた。品名はスポーツ用品だけれど、中身はISスーツだった。しかも有名スポーツメーカーにOEM供給しているメーカーで、奨学金出資元企業の製品として独自開発した最新モデルで、未だ市場に流通していない試作品だった。IS学園に通う奨学金受給者のうち、試作品モニターの応募を行った者だけにこのISスーツを着る資格が与えられていた。ISスーツは耐刃・耐弾性能が高いことからとにかく高価だったので、使用感のレポートやアンケートに答えるといった多少の手間が掛かっても無料で手に入ることはとても魅力的だった。

 

「ククク……しのぎんよ。ついに、ついに私のISスーツが届いたのよ」

 

 私のにやけ面を見て、しのぎんは口の端を引きつらせながらたじろぐように一歩下がった。しかしISスーツと聞いて興味があったのか、律義にも話を聞いてくれた。

 

「へ、へえ。どこのメーカーよ」

 

 私は奨学金出資元の企業名を告げた。正確に言えば開発元が異なるけれど、実際に発売されるときはしのぎんに言った企業名を冠すことになるから、あながち間違いとは言えなかった。

 

「歩兵向けのパワードスーツを作ってるところじゃない。よく手に入ったね」

()()()モニターに応募したんだ」

 

 しのぎんが私の弾んだ声に対して、失礼にもうめき声を漏らした。しのぎんはおじいさんである小柄(こづか)兵造(へいぞう)の著作を何冊か持っていて、先日無理やり読まされたのだけれど、特殊潜航艇の公試で問題点を洗い出し、技術者と侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を重ねたという場面を覚えていた。試作品とはつまり不具合の塊という印象を抱いているに他ならなかった。

 

「性能は良さそうだけど私は遠慮するわ。試作品って何が起こるか分からないし」

「ククク……後でほえ(づら)かいても知らないぞ」

 

 私は試作品とはつまりとんでもない秘密兵器だという印象を持っており、しのぎんの印象とは真っ向から違っていた。しのぎんが高いIS操縦技術を持っているのは先日のアリーナで明らかになったことだけれど、手元にあるISスーツの高性能の前に、多少の技量差など意味がないのではないかと考えていた。

 しのぎんと別れた後、今度は鏡と出くわした。同じような会話を繰り返して大いに引かれたが、私は一向に気にしていなかった。

 

「あれ?」

 

 私は自室の前でセシリア嬢と子犬ちゃんに出くわした。子犬ちゃんが抱えている段ボール箱を見て、私が抱えている段ボール箱の模様とうり二つだと気がついた。

 

「まさか、子犬ちゃんも?」

 

 私と目が合った子犬ちゃんも驚いていた。つまり子犬ちゃんも同じ奨学金をもらっていて、同じ試作品モニターに応募していた。新作のISスーツをみんなに自慢しようというささやかな目論みが(つい)えたことを意味していた。

 子犬ちゃんはロリ爆乳なので、肉付きの薄い私の体では色々な意味で敗北を喫していた。ISスーツのカタログを眺めると、高性能な水着という感想を抱く。もちろん私もその一人で水着を着用すると体の線が出てしまい、水泳の授業のたびに、なぜ水の抵抗を受けない体つきをしているのか、と頭を悩ませた。男子の視線は発育の良い子に集中し、私はむしろ体つきをネタにからかわれる立場だった。

 悔しげに奥歯を噛む私をよそに、セシリア嬢が腰に手を当てて言った。

 

「あなた、これからわたくしの部屋に来ません? ISスーツのお披露目をしようと思って」

 

 どうせ暇なんでしょう、とセシリア嬢は言葉を継いだ。私はあまり乗り気でなかったので、ふんぞり返るセシリア嬢の横で子犬ちゃんの哀願する視線を目にしても、行くかどうかためらっていた。

 

(ケイ)が……」

(ケイ)なら既にわたくしの部屋にいますわ」

 

 セシリア嬢は迷う私の退路を断った。

 

「行きます。行かせていただきます」

 

 私が頭を下げると、セシリア嬢は当然と言わんばかりに鼻を鳴らした。段ボール箱を抱えたまま、セシリア嬢の部屋へ直行した。歩きながら子犬ちゃんに奨学金のことを尋ねると首を縦に振ったので、サイズこそ違えど同じものが入っていることは間違いなかった。

 

 

 セシリア嬢の部屋に入るとなぜか更識さんがいた。隣に布仏さんが座っていたので彼女が誘ったことまでは理解したけれど、更識さんがやさぐれた表情を浮かべ、意気消沈とした様子で乾いた笑い声を漏らしていたことに驚いていた。

 

「人生に……」

「……疲れた」

 

 段ボール箱を脇に下ろして腰を上げた私に、更識さんが疲弊した声音でつぶやいた。人生に疲れた、などというものだから反応に困って立ち尽くしていると、

 

「てひひ。かんちゃんの声まねをしてみたんだけど」

 

 と布仏さんが舌を出して悪びれない様子で私を見上げていた。私はあえて無視を決め込み、更識さんに声をかけた。

 

「大丈夫? すごく疲れた顔してるよ」

 

 更識さんは私を見上げて、大人になった悲しみを表すようにため息をついた。

 

航空部(部活)で……IS武装のレビューで……先輩たちからダメだしの嵐……」

 

 岩崎らと激論を交わしたため、気力の限界に達したらしい。すぐに壁にもたれかかってなにやら難しい単語をつぶやき始めた。死んだ魚のような目の焦点が合っておらず、第三者の目から見ても気分転換しないとだめな状態だった。さりげなく布仏さんが更識さんのちっぱいを揉みしだいていたのだけれど、完全に無視していた。

 

「うわぁ……重傷だ」

 

 思わず私は嘆息していた。精神的にぶっ壊れている更識さんから目を離し、室内を見渡すと結構な人数が集まっていた。

 更識さんや布仏さんの他には、相川、谷本、岸原、かなりん、鷹月、セシリア嬢に子犬ちゃんと(ケイ)。そして私。

 それぞれカバンを持ち寄り、相川がISスーツと思しき布きれとラップタオルを詰め直していた。

 私に気がついた(ケイ)が手を振った。

 

「えーちゃん。それ、ISスーツ?」

 

 段ボール箱を指さしたので私はにやけ顔でうなずいて返した。私の扱いに慣れてきたのか、(ケイ)はゆるんだ表情を見ても動じなかった。

 セシリア嬢が腕にISスーツを掛けながら、みんなを見渡して言った。

 

「みなさん。着替えませんこと?」

「おー」

 

 水着の試着会のノリだった。ISスーツの見た目は水着なのであながち間違った感想ではなかった。

 着替え風景と言えば、中学時代に男友達と女子の着替えとはいかなるや、について討論を行い、参加者の幻想を木っ端微塵(こっぱみじん)に打ち砕いてしまった罪深き女である私から言わせてみると、特に面白くも何ともない光景だった。

 個人的には谷本と相川、かなりんが互いの下着を見せ合って、ほとんど同じに見える胸のサイズを競い合っているのがのがせいぜいで、セシリア嬢などは早速ラップタオルを体に巻き付けて、てるてる坊主のような姿になっていた。

 そして着替え慣れているためか迅速かつ丁寧な手つきで、下着姿から一分もかからずに着替え終えてしまった。もちろん胸部や臀部(でんぶ)、下腹部など見方によっては性的欲求に働きかける部分について、まるで手品でも披露(ひろう)しているかのように一切露出がなかった。

 同性の着替え姿に欲情するとか姉崎の同類ならともかく、至ってノーマルな私たちとしては、早くお互いのISスーツが見たいので手早く済ませたかった。

 

「みなさん。ISスーツのお披露目です。最初にわたくしから」

「あれ? 織斑くんと試合したときと違う」

 

 谷本は私の眼前に切れ上がった形の良いお尻を向けながら、セシリア嬢の下腹部を指さした。

 確かに以前は青一色のスクール水着のような姿だったけれど、今回は下腹部に模様が入っていた。メーカーからの直接供給品らしくスポンサーロゴが目立った。

 

「あら、いいところに目をつけましたわね」

「渡航する前にISスーツのカタログモデルの仕事をしたときにいただきましたの。スポンサーのロゴが入ってますでしょ」

 

 谷本がうらやましそうな声を上げた。

 

「いいなー。モデルとか私もやりたいよー」

 

 セシリア嬢が勝ち誇るように胸を反らしてみせ、着替え終えたばかりの岸原がお腹のロゴを突いていた。

 ふと、いつもなら谷本と一緒に話に絡んで来そうな布仏さんの姿を探してみたら、彼女も既に着替え終わっていたけれど、壁際で無気力な更識さんに構っていた。

 

「かんちゃん。かんちゃん。手ー上げてー」

「……本音……」

 

 更識さんをISスーツに着替えさせるべく部屋着を脱がせようとしていた。更識さんは布仏さんのなすがままにさせていたけれど、自分から動こうとする気配はなかった。

 見かねたかなりんが甲斐甲斐しく働く布仏さんに言った。

 

「本音。本人に着替えさせたら?」

 

 すると布仏さんは腕を組んで考え込み、更識さんを一瞥(いちべつ)するとやはり目が死んだままだった。

 

「更識さんはいつもこんな感じなの?」

「いつもはもっとてきぱきしてるんだよ。今日は目が死んでるけど本当なんだよ~」

 

 必死に自分の主人を擁護(ようご)してみせる布仏さんだったけれど、当の更識さんはゆったりした動作で服を脱ぎ始めたに過ぎなかった。かなりんの視線はダメな子を見るように哀れみと厳しさが入り混ざった複雑なものだった。布仏さんは失墜(しっつい)しつつある更識さんの地位を復権するべく、重大な決断をしていた。

 

「むむむ。寝ぼけているみたいだよ」

 

 脳を使いすぎて疲弊しているのだから、布仏さんの観察に間違いはなかった。

 

「かんちゃん。いつものするよ~。いい?」

「……まっ」

 

 急に更識さんがあわてた。布仏さんは返事を待たずに行動に出ていた。

 更識さんは「待って、人前だから」とか小さくつぶやいていた気がするのだけれど、それ以上声を上げることができなかった。布仏さんが更識さんの両肩をつかんで密着し、唇を押しつけていたからだ。

 

「へ?」

 

 かなりんは布仏さんの行動をかろうじて認識していたけれど、完全に混乱してしまって呆然と立ち尽くしていた。

 次に岸原が布仏さんを指さして言った。

 

「大胆ー」

 

 岸原と話していた鷹月は、振り返ってその光景を見て眉根をひそめただけで、私を見るなり何が起こったのか状況説明を求めてきた。

 谷本と(ケイ)はにやにやしているだけで、セシリア嬢は「まあ」と声を上げて顔を真っ赤にしている。

 

「相川、相川、こっちこっち」

 

 私は相川の肩をたたいて振り返らせた。相川は布仏さんと更識さんの姿を見るなりとても嬉しそうな顔になって、

 

「ちょっとー決定的瞬間見逃しちゃったじゃない。篠ノ之さんが怒っちゃうよ」

 

 と大好きです事件のことを思い出してにやけ面を作った。

 

「……ぷはっ」

 

 更識さんは唇を離されると、先端をとがらせた舌先を伝って唾液が床に落ちたので、あわてて口元を腕でぬぐっていた。周囲の視線を気にしてか、恥ずかしそうに布仏さんをにらんだけれど、当の実行犯はのほほんとして動じた様子はなかった。

 

「起きた~?」

 

 要するに目覚めのキスだった。しかも舌を絡める深い方という。更識家は一体どうなっているのか。旧家だから変なしきたりが残っているのか、と邪推し、私はふと下衆な考えを思い浮かべた。生徒会長と巨乳眼鏡のキスシーンを想像してみたけれど、

 

「ないない」

 

 と笑ってしまった。

 

「……本音……」

 

 更識さんの目に生気が戻るのを見て、布仏さんが抱きついた。

 

「よかったー正気になったよ~」

 

 布仏さんのやり方には大いに問題はあったけれど、普段控えめで少し大胆な更識さんが戻ってきてよかった。とはいえ、何とも言えない微妙な空気が漂っていたので、セシリア嬢が手をたたいて注意を引きつけた。

 

「みなさん。今のことは見なかったことにしましょう。いいですわね」

 

 セシリア嬢は更識さんに向かってしきりに目配せしていたので、明らかに篠ノ之さんに気をつかっているように思えた。

 

「そうしてくれると助かる~」

「オルコットさん……」

「篠ノ之さんにばれたらまずいもんね」

 

 最後に相川が舌を出しながらしたり顔で言った。あわててみんなの顔色を見やると、岸原とかなりんに谷本、そしてセシリア嬢がばつのわるい表情を浮かべていた。

 

「どーよ」

 

 沈黙を打ち破るように着替え終わった相川が胸を反らしてみせた。小柄で胸も小ぶりだが、女性らしい線が出ていて、下衆な考えだがむっちりとしていて抱きしめたくなった。

 デザインは学園が指定した標準モデルだった。ダークグレーでハイネックのノースリーブにローレグ、脚部装甲着用のためISスーツのセパレートタイツが膝から足首を覆うという出で立ちで、学園の割引が適用されるため、かなり安価に入手が可能なモデルである。その代わりにセシリア嬢のような派手さはなかった。

 基本的には水着に似た見た目なので体の線が出てしまう。IS学園だと実技で基礎体力作りが課せられるためか、全員引き締まった体つきをしている。そこはかとない色気を感じるのは、旧スクール水着と似たデザインのためか、それとも臀部と太股が露出するためか。

 

「びっくりした。かなりん、案外大きい」

 

 かなりんはいつもの制服姿を見る限り、相川に岸原や谷本と比べると胸のサイズが小さく見える。しかし、実際には彼女らよりもサイズが大きく、ISスーツ越しに見るとそのスタイルの良さが目立った。胸元や下腹部を隠すような恥じらった仕草なので谷本にまとわりつかれていた。

 私は彼女らをぼんやり眺めながら、子犬ちゃんと梱包を解いていた。段ボールを開けると、プリンターの両面印刷機能を使って打ち出したコピー用紙をファイリングしただけの冊子が出てきた。子犬ちゃんの方を見るとやはり同じだった。

 冊子を開くと、

 

「信号の伝達効率を劇的に改善! ナノマシン配合で最大三〇%の反応速度アップ! 耐刃・耐弾性能は三%アップ!」

 

 といった宣伝文句が書かれて、ISスーツを取り出す前にさらに冊子をめくっていくと、全身水着のようなイラストがかかれ、二〇代と思しき女性の写真付き着用手順が書かれていた。

 まさか、と思い中身を取り出すと、上半身は半袖で下半身は足首まですっぽり覆われており、脇下から下腹部にかけてオレンジ色のライン取りがなされていた。

 

「うわっ。ぱっとしない」

 

 立ち上がって眼前に広げてみると、競泳水着ではなくフィットネス水着と表現すべきもので男性の視線を気にしなくとも良い安心デザインだった。

 露出箇所は二の腕から下、首から上、足首より下だった。私と子犬ちゃんは互いに顔を見合わせていた。もっと可愛いものを期待していたので残念な気分だった。しかし意外と手触りがさらさらしていて、ずっとなでていても飽きなかった。

 見た目は着るのが難しそうに見えたが、上下セパレート型なので普段着の要領で身につければよかった。

 岸原のラップタオルを借りてジャージを脱いだ私は、ショーツを脱ぎ捨て先にボトムだけ履き替えた。

 水着の突っ張る感じが嫌なんだよ、と考えながら足を通して見て、

 

「ななな、なんだコレ。めちゃくちゃ着心地が良い!」

 

 と未知の感覚に驚きの声を上げていた。子犬ちゃんも同じだったらしく目を見開いている。

 着用感はほぼ無いと言え、肌を締め付ける感覚がない。実際には体の線に沿ってぴったり張り付いているように見えていたが、肌感覚はまるで裸体のようだった。

 入試で借りたISスーツはもっとスクール水着を着るような、繊維で締め付ける感覚があったけれど、今身につけている試作品は肌になじむというか、締め付けるという単語すら思い浮かばなかった。

 トップを身につけたらどんな感覚なんだろう、と期待に胸を躍らせながら、ジャージを脱ぎ捨て、てるてる坊主の要領でラップタオルを首もとで止めて、ブラを外した。そしてISスーツのトップに両腕を通してもぞもぞしながら最後に頭を通して着替え完了である。ラップタオルを畳みながら快適すぎる着用感に感銘を受けた。

 

「これがナノマシン配合の力か……」

「大丈夫? 酵素配合みたいなこと言っているけど」

 

 うっとりする私と子犬ちゃんの様子に鷹月が心配そうに声をかけてきた。風呂場で裸体でいるような感覚と、乳の重量が首や肩に掛かることなく、適切なフィッティングで選んだブラを身につけているかのような安心感に包まれた。

 外見はフィットネス水着なので色気もへったくれもないけれど、この着用感は癖になった。私の中でこのISスーツへの評価はうなぎ登りで、夏場下着の代わりに身につければいいじゃないか、ぐらいの勢いだった。

 

「えーちゃん。これはまた、なんとも微妙な」

 

 私のフィットネス水着まがいのISスーツを見て、(ケイ)が話しかけてきた。

 

(ケイ)こそ、なんとまあ派手な」

 

 (ケイ)もISスーツの着用を終えており、グレーを基本色としたデジタル迷彩柄だった。デザインはセシリア嬢や相川たちと変わらない。しかし、(ケイ)の鍛え抜かれた太股が露わになっていて、相川などはうらやましそうな視線を注いでいた。

 

「あら。(ケイ)ったら、ストレートアーム社のデジタル迷彩モデルじゃない」

 

 セシリア嬢は型番まで続けて言い、筋肉には興味がないのか趣旨を理解しているためか、ISスーツについて触れた。カタログモデルをやっているだけあって、一目見るだけで型番まで見抜く当たりが驚くに値した。

 

「相変わらずスタイルだけは素晴らしいですわね」

(ケイ)がクラスの中じゃあ、一番モデル体型なんだよね」

 

 セシリア嬢と私が(ケイ)の体つきを褒めた。

 胸はないけれど背が高く、しっかりくびれている。

 (ケイ)はセシリア嬢と一緒に扉付近へ歩いていった。奥で二人でじゃんけんをして順番を決めているらしかった。(ケイ)が勝ったらしく、腕を組んで勝ち誇っていた。

 

「じゃあ、ちょっとやってみようかな」

 

 (ケイ)はそう言ってから息を吸い、視線を前方に定め、軽く顎を引いて背筋を伸ばした。彼女らしくない口元に笑みをたたえた小悪魔な顔つきになってストライドを大きく踏み出した。つま先で進行方向を定め、腰が体の中心になるよう意識を集中し、接地している側の脚は決して曲げない。正面から見ると両脚の内股がこすれるほど接近しながら、前後に交差しているように見える。いわゆるモデル歩きだった。

 扉から窓に向けて一本の線上を歩く。

 私たちの前まで来ると、太股を強調するように右脚に重心を寄せて、自由に動かせる左足をつま先立ちにして、それを左右交互にやってみせた。セシリア嬢と交替する前に、口を開けて笑顔を見せると、私に見せつけるようにウインクをしてみせた。大げさな動作にもかかわらず、あざとさを感じなかった。

 (ケイ)の姿が消え、続いてセシリア嬢もモデル歩きで姿を現した。

 ストライドを大きくするために肩と尻を大きく動かすので、どうしても露出した臀部と太股に目が行ってしまう。セシリア嬢が私たちの前まで歩み出ると、目を潤ませるように細めて子犬ちゃんに向けて投げキッスをした。振り返り様に金髪をたくし上げて、潤んだ瞳を流し目することで私たちの視線を釘付けにしてから歩き去っていった。

 同年代とは思えない大人っぽさだった。

 (ケイ)やセシリア嬢が学園生活では決して見せない顔つきに、私は胸がどぎまぎするのを隠しきれなかった。

 

「モデルみたい!」

 

 谷本が声を上げた。

 

「どうだったー?」

 

 (ケイ)が顔を出すといつもの緩そうな表情をしていた。モデル歩きしていた同一人物とは思えなかった。

 

「すごく良かった。なになに、ファッションショーとかやったことあるの?」

 

 岸原が鼻息荒く食いついたので、(ケイ)は普段通り朗らかな笑顔のまま首を縦に振った。

 (ケイ)の後ろからセシリア嬢が姿を現すと、岸原に補足説明を行った。

 

「ストレートアーム社のIS関係のカタログにこの子、出てますわよ」

「嘘っ」

「えーちゃん。失礼だなあ」

 

 セシリア嬢の言葉が信じられず、驚きがとっさに口に出てしまった。(ケイ)が頬をふくらませたので岸原がくすっと笑った。

 

「いや、なんて言うか、色々負けてる……」

「えーちゃんと子犬ちゃんのだって、一応最新版なんだよね」

「試作品だよ。一応歩兵向けのパワードスーツを作ってるメーカー」

 

 更識さんや鷹月がどこの会社か分かったらしく相づちを打った。布仏さんや谷本たちにひそひそと教えてやると、みんな納得したように手を打った。

 

「えーちゃんって顔もスタイルも悪くないんだから、もっと自信持っても良いのに」

 

 (ケイ)は人差し指で胸を突いた。

 私は(ケイ)に言い返そうと口を開いた矢先、肌に強烈な刺激が走って、脳が()ぜるような未知の感覚を体験した。

 

「……ひあっ」

「えーちゃん?」

 

 変な声を出した私を不審がる(ケイ)

 

「まさか」

 

 先ほどから段ボール箱の中から取り出した冊子に目を通していた鷹月が何かに気付いたのか、私の背後に回り込んて両腕の下からすくい上げるような仕草で胸に触れた。

 鷹月自身はいたって真面目なので、もみ上げるような手つきは何らいやらしいものではなかった。しかし普段ならばくすぐったい程度で鷹月の手を払って終わるはずが、今回は違った。

 私が身につけているISスーツは信号の伝達速度が三〇%増加しており、ISスーツに織り込まれたナノマシンによって着用者の感度も三〇%増しになっていた。つまり、とても感じやすい体になっていた。

 

「ひぅ、ら、らか、たかつき、やめっ……じょう、だん……ってない」

 

 私らしからぬ嬌声(きょうせい)だった。はっきり言って気持ちよい。他人に胸を揉みしだかれる行為がこれほど快感に感じることなのか。感じすぎて頭がおかしくなりそうだった。

 鷹月はもう一度ささやかな胸を揉みしだき、同じ反応が返ってくることを確かめると、谷本と岸原を呼び出してこう言った。

 

「脇の下と脇腹を頼みます」

 

 はじめはきょとんとしていた二人だったけれど、すぐに内容を理解して両手の指を不規則に動かして私の体に飛びついてきた。

 

「くすぐっちゃえ」

「えーちゃん、ごめんなさい」

 

 と谷本と岸原は笑いながら脇の下をくすぐったり、脇腹を突いてきた。

 

「うひゃっはははは! やめっ、やめて、感じすぎて、やばっ」

 

 私がこそばゆさに悶絶していると、隣では大変なことが起きていた。

 最初は更識さんと子犬ちゃんが小さな声で話をしていた。そのうちに更識さんですら子犬ちゃんの頭をなで出して、さらさらした髪の感触を楽しんでいた。

 

「かんちゃん。子犬ちゃんのこと気に入ったんだね~」

「本音……この子……可愛い」

「そうだよねー。そうだよねー。めちゃくちゃ可愛いよね~」

 

 子犬ちゃんが更識さんにしっぽを振る幻影が目に浮かぶ。周囲の人間の理性を狂わす様はもはや魔性と言い換えてもよかった。既に英国の代表候補生が魔性に狂わされ、彼女をお持ち帰りしているのだけれど、当のセシリア嬢は(ケイ)と話をしていて更識さんや布仏さんの様子に気付いてはいなかった。

 

「家で……飼ってみたい……な」

「そうだよねー。そうだよねー。じゃれあってもみくちゃにしてみたいよね~」

 

 なぜ今まで子犬ちゃんが平穏無事に過ごせたのか謎だった。電車に乗ったら真っ先に痴漢に狙われるタイプで、おどおどしているし、声も小さい。嵐が過ぎ去るのを耐えて待つような子だ。とびっきり下衆な考えが頭に浮かんだのだけれど、岸原の指が脇腹に吸い込まれた私は奇声を上げて、その考えも吹き飛んでいた。かなりんが腰を曲げて心配そうに私を見下ろしているので、できれば助けて欲しかった。私が哀願するようにかなりんを見上げると、彼女はチラと鷹月の顔色をうかがって手出し無用と判断してしまった。一組の中で鷹月の評価がどうなっているのかアンケートを採りたいくらいだった。

 

「……抱きしめても……いいよね」

「そうだよねー。そうだよねー。私の物にしてみたいよね~」

 

 いくら正気に返ったとはいえ更識さんは航空部で侃々諤々の議論を終えた後であり、精神的にぶっ壊れたままだった。少しだけ大胆な顔をのぞかせた彼女は、ゆっくりとした動作で包み込むように子犬ちゃんを抱きしめていた。普通ならここで終わりなのだけれど、子犬ちゃんも三〇%感度アップのISスーツを身につけていたのである。

 

「あったかい……」

 

 更識さんは慎重に抱き寄せながら、互いの頬をくっつけた。さらに体を密着させて全身で体温を確かめようとした。

 しかし、子犬ちゃんはただでさえ感じやすい子だった。人差し指で背中をゆっくりなで下ろすだけで嬌声を上げるような敏感体質で、そんな子が私と同じISスーツを着ている。

 

「うっひゃはははは!」

 

 私は谷本の絶妙な指遣(ゆびづか)いに負けて笑い声を上げた。こそばゆさが治まるとそれきり、二人のくすぐりが止まっていた。

 荒い息づかいのまま体を起こして子犬ちゃんの方を見た。

 

「え……?」

 

 更識さんは背中から腰にかけて優しくなでたに過ぎなかった。驚いてすぐに体を離したのだけれど、子犬ちゃんは自分で体を抱きしめるように手を交差させて、荒々しい息を放っていた。そして鼻で泣くような微かな吐息を漏らした後、強すぎる刺激に子犬ちゃんの目が潤んでいた。

 何が起こったのか私には理解できた。強すぎる快感に脳の処理が追いつかないのだ。自分の体の変化に戸惑いながら、未知の感覚を受け入れつつある子犬ちゃんは、身に秘められた魔性を開花させつつあった。

 全員の視線が艶やかな姿に集中しており、鷹月ですら口をあんぐり開けたまま動かなかった。

 私ですら理性の屋台骨がぐらつくのが分かった。そして女の顔をのぞかせた子犬ちゃんの熱っぽい視線に布仏さんの理性が崩壊した。危機を察知したセシリア嬢がすぐさま動いた。

 

「ふわふわ~」

 

 布仏さんは子犬ちゃんの正面から抱きつき、顔を爆乳に埋めている。確かにあれは気持ちがよい。(ケイ)などは乳枕などといってよくやっているが、(ケイ)はそれ以上手出しをしないので子犬ちゃんも安心して枕代わりにさせていた。谷本や相川も好奇心に負けて乳枕を体験していた。しかし、布仏さんは簡単に一線を越えてくる危険人物なので、決して体を触らせなかった。

 普段ならもう少し抵抗するのだけれど、感じすぎてなすがままになっている。そこにセシリア嬢が憤怒の表情で布仏さんの後ろに立っていた。

 

「何をしていますの」

「せっしーも一緒にやろうよ~」

 

 理性が壊れた布仏さんは、指を伝う度に女の声を上げる子犬ちゃんの艶姿を楽しんでいた。セシリア嬢は嫉妬心を隠す気がないのか奥歯を噛みしめていた。

 

「この子を自由にしてもよいのはわたくしだけ」

「え~。せっしーばかりずるいよ~」

「ダメですわ。彼女はわたくしのものになると誓いましたの。だから守ってやるのは当然のことでしょう?」

 

 私は所有欲を隠そうともしないセシリア嬢を呆然と見ていた。そして気がついた。セシリア嬢の理性はすでに崩壊しているのだ、と。

 布仏さんは頬をふくらませだだっ子のような口調で言った。

 

「いいもん。いいもん。子犬ちゃんもかんちゃんみたいにするから~略奪してやるんだ~」

 

 子犬ちゃんを抱き寄せると唇を奪おうと顔を近づけ、直前でセシリア嬢を振り返って思わせぶりな笑みを作った。

 

「なっ!」

「てひひ。奪っちゃえ~」

 

 セシリア嬢が止めに入るのも構わず、布仏さんは女の顔をしてみせた。

 

「そうはさせません!」

 

 セシリア嬢は二人の間に腕を差し込み、無理やり布仏さんとの隙間を作ると今度は体を入れた。布仏さんはしつこくに子犬ちゃんの唇をねらったのだけれど、セシリア嬢は「奪われるくらいならいっそ」と業を煮やして自ら子犬ちゃんの唇を奪いに行った。

 そして歯が当たったのか、ガキリと音がした。

 

「うわっ。痛そ」

 

 私とかなりんは思わず目を背けた。子犬ちゃんの目の前で布仏さんとセシリア嬢が口を押さえて悶絶していた。布仏さんは唇の裏側を切ったらしく血が(したた)っており、更識さんがあわててティッシュを手渡していた。

 

 

 自室に戻るなり、机に段ボール箱を置いて、無言で(ケイ)袖机(そでづくえ)を漁った。

 

「え、えーちゃん。そこ、わたしの机」

(ケイ)、ノート端末借りるけどいい?」

「いいけど……怒ってる?」

 

 ()しくもしのぎんが言った通りになった。ナノマシンで感度アップすることはつまり衝撃とか着弾のショックも増幅されることになる。場合によっては気を失うかショック死する可能性すら考えられた。そのため調整できないか意見を具申するつもりだった。

 

「メーカーに文句を言ってやる」

 

 着用時の肌触りや感触はこれ以上のものはなかった。あの着け心地を維持すればどんなに値段が高くとも確実に売れる。せめてさじ加減というものを考慮して欲しいところだった。

 私は(ケイ)の袖机から、無駄にでかい外付け人間工学キーボードを取り出し、ノート端末に接続して猛然と打鍵音をかき鳴らした。

 

 

 




2013/3/26 冒頭部分を一部改訂しました。
同日付の活動報告にて差分の情報を掲載致しました。


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★11 菱井インダストリー製特車

回収班のオリISのお話。好き放題書いたのでほとんどネタです。
2013/4/3 指摘事項反映並びに文言修正


 昨日送信したISスーツの意見書について早速返信が来ていた。休日にも関わらずご苦労なことだった。文面を読んでいると、近日中に感度を調整した新スーツを送って寄越すと書いてあり、フィットネス水着モドキの送付は不要とあった。一応デザインの改善も意見書に申し添えておいたので、できることなら学校指定のISスーツと同等のデザインに作り直してほしかった。臀部(でんぶ)と太股を露出して同級生からの微妙な視線から開放されたいと切に願った。

 姉崎から回収班のIS試乗会に誘われており、彼女からの転送メールには「〇九三〇、第三アリーナIS格納庫前に集合」と書いてあった。

 黒いフレアスカートを履いて髪に(くし)を入れる私を見つけたのか、(ケイ)の声が聞こえてきた。

 

「あれれ、今日はお出かけ?」

 

 当日の服装は自由とも書いてあったので、せっかくなら女の子らしく着飾ろうと考えた。もちろん姉崎にジャージ姿を見られたくないというのも理由の一つだった。

 

「街には行かないよー。回収班のIS試乗会に参加するだけー」

 

 それを聞いて(ケイ)は歯ブラシを加えたまま顔を出して、

 

「ああ。あのかっこわるいの」

 

 と口の端に白い泡をつけたまま言った。

 

「そ。かっこわるいやつ」

「ふーん」

 

 私も含めてだけれど、回収班のIS(リカバリー)について格好悪いだの、不細工だの散々な評価を与えていた。慣れてくると可愛く見えてくるとかそんなことはなく、不快感を催さなくなるだけで三面六臂(さんめんろっぴ)を採用した開発陣の美的センスへの疑念は晴れなかった。

 

(ケイ)も来ない? ISに乗れるチャンスなんてなかなかないよ」

 

 姉崎のメールに「飛び入り歓迎!」と書かれていたので、せっかくだから彼女を誘ってみた。

 

「ちょっと待ってね……予定どうなってたっけ」

 

 (ケイ)は少し考える素振りを見せてから携帯端末を取り出してメールを確認すると、厄介ごとを思い出したかのように顔をしかめた。

 

「ごめん! 今日、本国のIS委員会とビデオ会議だった……」

 

 両手を合わせて拝むように頭を下げた。

 

「そっかー。なら仕方ないか」

「本当にごめん。どこかで埋め合わせするからっ」

「いいよ。いいよ。突然無理言ったんだし」

 

 私は土下座しそうな勢いの(ケイ)に向かって、顔を上げるように言った。

 

 

 デイパック片手に回収班IS試乗会の集合場所に到着すると、しのぎんがいた。

 

押忍(おす)。おめかししてるねえ」

「おはよー。しのぎんこそ、昨日と格好違うし」

 

 今日のしのぎんは白いブラウスにネクタイを締め、太股の布地にたっぷり余裕を持たせ、膝下から細くなったパイレーツパンツと黒いニーソックスとの組み合わせだった。メッセンジャーバッグを肩に掛けていて、普通に可愛かったのでそこはかとなく負けた気分になった。

 

「やだなあ。えーちゃん。失礼なこと考えてる?」

 

 しのぎんが眉根をひそめたので、私はあわてて首を振っていた。

 

「めっそうもない。今日のしのぎんはかわいいなあ、とだけ」

 

 しのぎんは胸の前で両腕を組むと、首をややかたむけて少し怒ったように頬をふくらませた。

 

「その言葉、えーちゃんには言われたくない」

「どうして?」

「自分よりきれいな子から可愛いねって、お世辞に聞こえる」

「いやいやいや。私可愛くないって。よく印象が薄い顔立ちって言われるくらいだし」

 

 しのぎんの機嫌を損ねまいと小学生の頃から言われていたことを引き合いに出すと、彼女は顎に手を当てながら食い入るように見つめてきたので、私は反応に困って目を泳がせた。

 

「……確かに」

 

 何度も一人でうなずいていた彼女は、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でつぶやき、

 

「特徴がない。究極の普通だね」

 

 とさりげなくひどいことを言った。確かによくそう言われるけれど、これはこれで傷ついた。

 

「割と端正な顔立ち、か。最初に言った人は的を得てるわ」

「追い打ちとかひどいよ」

 

 私はしのぎんの胸を演技がかった素振りで軽く拳でたたいた。よく締まった体つきで、わずかに女の子らしい柔らかさがあった。

 ふと周りを見渡せば、参加希望者は私としのぎんを含めて一〇名もいた。茶道部の体験入部で見た顔がほとんどだったので、十中八九姉崎目当ての子ばかりなのだろう。私は姉崎の化けの皮がはがれる様を思い浮かべ、しめしめと黒い笑みを浮かべていた。

 私の邪念に満ちた顔つきを見て、しのぎんが安心したように鼻で笑ったのが妙に気になった。

 

「あの回収班に二桁も人が来るとかありえないんですけど」

 

 私は率直な感想を漏らすと、突然誰かに頭をたたかれた。前のめりになったので、半歩足を出して踏みとどまり、頭をさすりながら背後を顧みた。

 

「びっくりした。もう、誰です……」

 

 細い足首。紺色のソックス。制服と黄色のリボン。黒髪ロング。割と可愛い部類だけれど化粧をすればより映えそうな顔立ち。つまりどこにでもいそうな女の子。

 

「ああ。霧島先輩」

 

 霧島先輩が片手を腰に当て不機嫌そうな顔で、

 

「結構な物言いじゃないか。ええ?」

 

 とすごんできたので、私は恐縮して軽く頭を下げ、顔を上げてからお礼を言った。

 

「先日はありがとうございました。なんだかんだ言って送ってもらっちゃって」

 

 すると両腕を組んでそっぽを向きながら、照れたような声音に変わった。

 

「あれは先輩に頼まれたの。人望ゼロの変態どもの巣窟に飛び込んだ勇者一行が、ラスボスダンジョンに迷って餓死しないようにって」

「その報酬がケーキですか」

 

 私は手を揉みしだきながら、それはもう下衆な顔つきで言った。隣にいたしのぎんが二、三歩たじろぐほどの豹変(ひょうへん)振りだった。

 霧島先輩は少しの間沈黙してからばつの悪そうな表情になって、少しだけ声が上ずっていた。

 

「……何でそれを知ってるの」

「いえ、姉崎先輩本人がぽろっと言ってましたよ」

「あの人は……」

 

 霧島先輩は頬をふくらませた後、険しい目つきで親指の爪をかんだ。霧島先輩の中で姉崎の化けの皮がとっくの昔にはがれ落ちている様を垣間(かいま)見て、私はささやかな満足感にひたった。姉崎の人物像について人望があるのかないのかよく分からない印象を持っていたためだ。

 

「霧島先輩には感謝してますよ。あんな魔窟、心細くて入れませんよ」

 

 私は心の底から感謝していたので自然と笑顔になった。

 

「それなら」

「なんです?」

 

 霧島先輩が何か言いかけたので、私は次の言葉を待った。

 

「もしまひるんに会ったら、感謝の言葉を言っておきなよ」

 

 まひるんとは誰か。霧島先輩の友だちなのだろうか。

 

真宵(まよい)さん……航空部副部長の義妹(いもうと)が同じクラスだから。彼女から真宵さんに話をしてもらったの」

「へえ……神島先輩の妹さんかあ。そんな先輩がいるんですね」

 

 神島先輩の無表情を思い浮かべながら、その先輩の顔を想像してみた。やはり機械じみているのだろうか。

 突然、沈黙を守っていたしのぎんが話に割って入った。目を丸くしながらも興味津々な様子が見て取れた。

 

「先輩。それって神島(かみしま)真昼(まひる)先輩のことですか?」

 

 霧島先輩は愛想良くしのぎんに話しかけた。

 

「よく知ってるね」

「そりゃあもう! 有名人ですから!」

「しのぎん。その人ってそんなに有名?」

「専用機持ちの二年生を除いたら、ウェルキン先輩の次に強いって有名だよ? えーちゃん、知らない?」

「……いや、全然」

 

 私にはしのぎんが食いつく理由が理解できず小首をかしげた。霧島先輩は私としのぎんの反応の違いを見比べるように左右に視線を動かして、私に向かってヒントを出した。

 

「アリーナでよくサラと()ってるけど、見たことないかな」

 

 記憶の引き出しをひっくり返してみると、どこかで見たことがあるような気がした。ウェルキン先輩に接近戦を仕掛けるとはつまり、近づいたが最後、引きずり倒されて喉首をかき切られる覚悟を持ったタフガールに違いない。

 

「打鉄で実体盾を使う子って珍しいんだけど」

 

 私は実体盾と聞いて、山田先生に連れられて初めてアリーナを訪れたときに見た模擬戦を思い出していた。すると他の記憶もつながっていき、その先輩の顔を思い浮かべるにいたった。

 

「あの人か」

 

 今時珍しいポニーテールだから印象に残っていた。食堂でパトリシア先輩に話しかけては振られている人だった。

 

「時々パトリシア先輩と一緒にいるのを見かけますよ」

「パトリシア? ああ、パティのこと。そっかー……あの子と知り合いだったんだ」

 

 霧島先輩は感心したようにしきりにうなずいて、私に向ける視線が少しだけ優しいものに変わった。

 私がパトリシア先輩と知り合った理由について一言添えるべく口を開こうとしたけれど、ちょうどしのぎんが廊下の奥から近づいてくる足音に気付いて姿勢を正した。

 

「あっ、先輩方が来たみたい」

 

 その声に立ち話を一旦中断し、足音がする方向へと体を向けた。そこには制服の上にいつもの白衣を羽織った嫉妬したくなるほど粋な美人が立っていた。

 

 

 回収班に所属する生徒は総勢七名。内訳は三年生が四名、二年生が三名だった。

 IS格納庫に通された私たちは鼻を突くオイルの臭いに顔をしかめながら、パイプ椅子に腰掛けて異形のISを前に回収班の仕事を簡単におさらいした。姉崎は以前私に語ったように、模擬戦や試合でシールドエネルギーを失ったISとその搭乗者を回収し無事に安全圏へ待避することだと告げた。

 

「回収班は基本的にアリーナ内の仕事がほとんどだ。だが、訓練メニューの中には実戦を想定したものが含まれている」

「実戦……」

 

 実戦とは何か。実践とは何が違うのだろうか。姉崎が真剣な表情で説明したけれどしっくりと来なかった。

 一年生の一人が手を挙げた。

 

「すみません。実戦とはどのような状況を想定して話をされているのでしょうか」

「弾丸が飛び交う状況だ。陸地限定だが対IS戦闘、ならびに銃火器が使用されるような状況も含んでいる」

 

 以前軍事用ISがどうのと言っていたので、つまり戦争状態も想定にいれている。そうでなければ富士総合火力演習場で戦車砲や機関銃を撃ち込まれるような展開にはならない。

 

「なぜなら、この()()()()()()()()()()()()、リカバリーは」

「あのー。このISって倉持製じゃないんですか?」

 

 先ほど質問をした生徒が姉崎の言葉をさえぎった。姉崎は沈黙するなり指の腹で片眼鏡の位置を直すと、その生徒の質問の意図が理解できなかったのか苦笑する霧島先輩と井村先輩たちに顔を向けて、何事か視線で会話をしてから再び前を向いて咳払いをした。

 

「違う」

「いや、でも、……え?」

 

 倉持製ではないと断言されてほとんどの生徒が動揺した。特に姉崎に熱い視線を送っていた子のうろたえ振りがひどかった。そんなことじゃないかな、と思っていた私はすました顔で、隣で説明を聞いていたしのぎんを見た。

 

「……知ってた?」

 

 しのぎんは私と目を合わせるなり、

 

「当然」

 

 と気持ちいい笑顔で断言してみせたけれど、程なくしてにやけ面を浮かべた。

 

「倉持のウェブサイトには当然掲載されていないし、菱井インダストリーには戦車回収車の欄にこっそり載ってるよ」

「調べたの?」

「いや……調べたっていうか。好事家には有名っていうか」

 

 私の問いにどことなく歯切れの悪い様子を見せるしのぎんを不思議に思っていると、視野の裾で井村先輩が姉崎に耳打ちしていた。

 しのぎんはぼんやり眺めていた私の肩をたたき、小声でささやいた。

 

「手早く説明するけど、いい?」

「おーけい」

「んじゃ。五年前の国内次期主力IS選定コンペっていうのがあって、出品されたものの中で勝利確実と言われたISがあったの」

「どうせ打鉄じゃないの?」

 

 しのぎんは首を振った。

 

「菱井インダストリーのハンニバルと言って、あれの元になったIS。メタルカラーのフルスキン装甲で結構かっこよかった。操作性も打鉄ほどじゃないけどまずまずだったとか。何と言っても菱井インダストリーは四菱系列だから装備納入実績があって信頼されていた。下馬評ではずっとハンニバル優位だったよ。打鉄も評判が良かったんだけど、まあ、倉持は生産基盤が弱くて、どんなに性能が良くても製品供給能力まで信頼されてなかったのよ」

 

 ここ数年倉持技研は生産基盤の拡充を図っているけれど、倉持技研と言えば少数精鋭のため、一つの大規模プロジェクトが走るとかかりっきりになってしまう欠点を抱えていた。その点菱井インダストリーは技術者の層が厚かった。

 

「結果は倉持技研の圧勝。菱井インダストリーの惨敗。四菱陣営謎の惨敗って一部では有名な話だよ」

「何かあったの?」

「さあ……」

 

 五年前と言えばちょうど岩崎が生徒会長にやらかした時期だったけれど、そんな偶然はない、と思って心の中で一笑に伏した。

 

「何が起こったか真相は闇の中。コンペ敗退で株価は下落。当時の社長は責任を取って辞職。すぐ持ち直したけど一時期危なかったんだよ。結局当たり障りのない発表がされてそれっきり報道もなくなっちゃった」

 

 しのぎんは小首をかしげながらつぶやいた。

 

「その後雑誌にハンニバル復活って小さな記事が載ってたんだけど、再設計されたって話。菱井って一応研究開発を続けているみたいなのにウェブサイトにはISの項目がないんだよね」

 

 姉崎はみんなの声が静まるタイミングを見計らって声を出した。

 

「このISは菱井インダストリー製のため、実習で用いる打鉄やリヴァイヴとは使用感が異なる。しかし基本は一緒だから安心して欲しい。ただし、ここが最大の特徴であり、異形たる所以なのだが……本機の操作系は二系統存在する。IS従来の操作系とは別にスイッチ類やタッチパネルといったレガシーな操作系も保有している」

 

 スイッチ類が使われているということはつまり、昔ながらのロボットのコックピットと考えてよいのだろう。ロマンがあるけれど中途半端な印象を受けた。

 

「ただし、注意して欲しいのは本機は軍用機ためシールドエネルギーのリミッターが存在しない。そのため訓練機と比べて出力が顕著に高く、稼働時間が非常に長い。訓練機と同じ感覚で乗ると力を出しすぎてしまう」

「ぐ、軍用……」

 

 会場がにわかに騒がしくなった。軍用機という響きが重くのしかかった。

 

「普通はリミッターをかけるんだが、乗員保護を目的とすることから絶対に壊れてはならない役目を担うため、制限自体がオミットされた。馬力と信頼性だけなら学園に存在する全ISの中でも飛び抜けている」

 

 姉崎が周囲を見回すと別の生徒が挙手をして言葉を続けた。

 

「このISは第二世代ですか?」

「そうだ」

「では、なぜ過剰な装甲が施されているんですか?」

「良い質問だ。本機はISコアとは別に補助動力源を装備している。ISコアが極端に機能低下した場合に備えた運用を想定しているためだ。例えばシールドバリアを維持できなくなったり、絶対防御が失われるといった非常時だな。この装甲は本機の主装備である四四口径または五五口径一二〇ミリ滑腔砲の攻撃に対して防御することが可能だ。ISコア非稼働時において、着弾時の衝撃で搭乗者が内臓破裂で死亡しないように衝撃の分散吸収に重点をおいて設計されている」

 

 姉崎が指さした先には数メートルにおよぶ長大な砲塔が厳重に固定した上で安置されていた。IS競技用の武器というよりも、どうしても兵器として意識してしまい並々ならぬ存在感に息を呑んだ。

 

「なお、一二〇ミリ滑腔砲は陸上自衛隊の一〇式戦車から取り外した物をIS用に改造した。ISは四肢を持つことから不整地踏破能力に優れている。つまり不整地で一〇式戦車の追撃を受けながら自陣まで逃走を図ることが可能だ」

「先輩。このISで試合は可能ですか?」

「本機は原則戦闘行動を行わない。IS競技の規定から逸脱した機体のため、非常時をのぞいて実弾を用いた試合(戦闘)は許可されていない。例外として演習モードを利用した場合のみ許可されている」

 

 みんなは顔を見合わせた。

 

「先輩、質問」

「どうぞ」

「あのー現在のIS運用では絶対防御が失われるというのはそもそもありえない前提ですよ」

「ISの試合でもごくまれに救命領域対応が必要な状態に陥ることがある。相手が錯乱して殺すつもりで向かってきたらどうする」

「そのために監督者が存在するわけですし」

「もしISコアが破損したらどうする」

「いやしかし、そんなケースは万に一つの」

「その万に一つに備えるのがわたしたちの仕事だ」

 

 うへえ、と声が漏れた。私は講堂で見たビデオにあった重機関銃から弾丸を撃ち込まれ続けながら仕事する姿を思い出して、そのままじゃないかと思った。

 ちょっとした疑問があったので、今度は私が手をあげた。

 

「あ、いいですか」

「どうぞ」

「変なこと聞くんですが、背面のロボットアームを含めると腕が六本ありますよね。打鉄やラファール・リヴァイヴだと手足に装甲を着用するイメージなのですが、この機体だと二本の腕だけでも幅がありすぎて手が通せません。さらに四本の腕を動かすなんて……いまいち操縦と言われてもイメージができないのですが」

「ふむ。当然の疑問だな」

「ですよね……」

「ISコアを介した従来の操作ならハイパーセンサーとアイボールセンサーを介することで、脳内でイメージ処理を行う。動作手順を細かく分解し具体的に想像し、ISコアが実際の動作として再現してくれる。もちろんタッチパネルやスイッチ類を使っても操作可能だ。回収班では主に後者を使用している。回答はこれでいいかな」

「ありがとうございます」

 

 確かにスイッチ類を使った方が直感的だと思えた。背面のロボットアームは普段防盾を吊しているだけだからそれほど細かい動作は必要とされないのだろう。私はふと気付いたことがあって、もう一度手をあげた。

 

「たびたびすみません」

「質問かな?」

「はい。先輩。二つ疑問点があります。もしISコアを介さない操縦を行ったとき、ハイパーセンサーの恩恵は受けられるんですか? あと仮にISコアの恩恵が受けられないとしたら、動きにくさや視界の悪さが作業に支障を来すのでは?」

「一つ目についてはISコアが正常に機能している限り、両方の操作系で恩恵が受けられる。二つ目はISコア非稼働時の場合、当然ハイパーセンサーは使用不能となる。しかし頭部三面カメラや各部センサー類が生きていれば、操縦に関する機能はISコア稼働時とそれほど変わらない。ハイパーセンサーは索敵機能を有しているため非稼働時に失われるが、これに関しては日本国内に限って言えば自衛隊のC4Iシステムとデータリンクすることで索敵機能を代替することができる。とはいえ、残念ながらわれわれにはC4Iシステムへの接続権限がない。その辺の詳細が知りたかったら航空部の岩崎に聞いてくれ」

「回答ありがとうございます」

 

 このタイミングでどうしてあの怪人の名が出るのか。チラと周りを見回すと航空部と聞いてみんな顔が引きつっていた。

 

「それから言っておかなければならないことがある」

 

 姉崎は霧島先輩に交代しようと後ろに下がろうとしたけれど、ふと思い出したようにこちらを顧みた。

 

「回収班に所属した場合、諸君にはいずれ大型特殊免許を取得してもらうことになる」

「なぜですか?」

「一つはクレーン操作を覚えなければならないこと。もう一つはこのISが学園に特殊車両として登録されているからだ」

 

 つなぎ姿の雷同が慣れた動作でISの背中によじ登ると、首の付け根の後ろの小型ハッチから白色の細長い金属板を取り出した。

 車両を示すナンバープレートだった。

 

「このISは、学園内に存在するISの中で唯一公道を走ることができる。もちろん現行の道交法に従って、大型特殊免許取得者に限られ、実際に走行する場合は道路管理者の特殊車両通行許可が必要となる」

 

 姉崎は懐から財布を取り出すと、一枚のカードを引き抜いて私たちの眼前に突きつけて見せた。

 

「わたしは十八の誕生日に取得した。生まれ月が遅いといろいろ忙しいが、IS操縦者の特例で認定試験を先に受けて合格すれば一八歳の誕生日が来た時点で免許証が発行されるようになっている」

 

 立ち上がって姉崎の手元をのぞきこむと確かに運転免許証だった。

 

「補足すると学園内は私有地に当たるので、無免許で車両の運転をしてもいいことになっている。……他に質問は?」

 

 霧島先輩がすっ、と手を挙げた。

 

「……先輩。茶道部の方が」

「おお来たか」

 

 心なしか霧島先輩の顔がひきつっているのはなぜだろうか。そして姉崎以外の三年生が邪悪な笑みを浮かべているのが気になった。

 

「諸君。例年と比べて試乗会の希望者が多いこともあり、試乗のサポートとして茶道部の有志に応援に来ていただいた」

 

 軽く会釈した三年生は茶道部の部長だった。

 姉崎はラビリンスのように曲がった性根を押し隠しながら、二年生に向かって真っ黒にくすんだ笑顔を見せた。

 

「これから試乗前にISスーツに着替えたりいろいろ準備を行うのだが、これについては二年生に任せている」

「お前たち、指揮は任せたよ」

 

 他の三年生も腹黒い笑みを貼り付けていた。姉崎の性根が乗り移ったかのようでめまいを覚えた。

 二年生はお互いの顔を見合わせ、霧島先輩が代表として恐る恐る三年生に向かって意見した。

 

「アレ……今年もやるんですか」

「当たり前だろう。IS搭乗者のマナーだぞ」

 

 霧島先輩はあからさまに嫌そうな態度を示したけれど、姉崎には通じなかった。

 

「いや……アレってISが体調正常化してくれるからいらないかなって、ずっと思ってたんですが」

「君ほどの者がまだそんな初心なことを言うのかね」

「去年アレでみんな逃げちゃったじゃないですか」

「雷同がいただろう」

「あの子火力演習目当てですよ」

「欲望に正直な子は好きだ。大体、体調正常化とか言っているが、中身は薬剤投与や医療用ナノマシン投与に脳と神経間に割り込みをかけて感覚カットしているだけなんだぞ」

「それくらい知ってますよ」

「だから安易に慣れると良くないんだ。ISは保つことしかしない。治療しないんだよ。だからアレをやらないとあの日に無理して乗ったとき、ISから降りてからが困る。どうせIS実習が始まったらやる羽目になるんだから、早いか遅いかの違いにすぎないよ」

「霧島っ。覚悟決めようよ」

「しょうがないんだ。せめて一緒に汚れよう」

 

 井村先輩と雷同が瞳を輝かせながら、決断を渋る霧島先輩の両手を握りしめた。

 

音々(ねね)さん……白羽(ふわ)りん……わかった」

 

 霧島先輩は意を決して、大きく息を吸ってから格納庫に声を響き渡らせるようにして言い放った。

 

「一年生! 私は二年代表の霧島です。これから更衣室でISスーツに着替えます。後についてきてください」

 

 

 半露出型装甲を採用した打鉄やラファール・リヴァイヴがいかに画期的なのかを思い知った私は、フィットネス水着もどきのISスーツに身を包みながら、しのぎんの薄い胸の中で泣きまねをしていた。

 しのぎんは片腕を軽く背中に添えて、頭をなであやかしながら棒読みのセリフを吐いた。

 

「おーよしよし」

「うええ……もうお嫁にいけないよう」

 

 他の一年生も大いに引いていたらしく、羞恥で瞳に涙をためていたり恥じらったり、また気力を削がれてがっかりした様子だった。

 

「伝統って怖いわ」

 

 しのぎんもISスーツ姿だったけれど、顔を見上げると口の端が引きつっていた。

 

「そりゃあ長時間IS運用しようものなら、そういうことも考慮しなきゃいけないけど……あれはひどい」

「でしょう? 私なんて茶道部の部長と姉崎先輩のペアが相手だったんだよ」

 

 更衣室ではISスーツにただ着替えるだけではなく、ちょっとした確認が行われた。

 

「よかったじゃん。美女ペアが相手で」

「よくなんてないよう。姉崎先輩なんて」

 

 その確認というのが女性特有の生理に関することだった。回収班は訓練機と同じく一機を複数の操縦者が共有する形をとるため、時として劣悪な環境で作業しなければならないことがある。その対策として食事メニューの管理などが行われる。今回は下の管理であり生理用品の種類に関することだった。シートかタンポンを常用するかで命運を分け、シート派は先ほど悪夢を見た。

 姉崎は下の毛を見ながら真顔でこっちも端正なんだな、と平気で下ネタを言い放った。これを聞いたときは恥ずかしさのあまり蹴ってやろうかと思った。

 

「股から血を垂れ流すよりはいいじゃん」

 

 しのぎんは元から体育会系のためか、この手の話題にはざっくばらんだった。

 

「股間の異物感が何かいやなんだよう。それにこのISスーツのせいで……」

 

 昨日の件でうすうす気付いていたが、異物感まで増幅されるとか思わなかった。気分が悪くなるほどでもなかったので幸か不幸か慣れるまで耐えることになってしまった。

 

「五分もしたら慣れるって」

「しのぎんのそういう明るいところが好きだよ」

「えーちゃんに好きって言われるとうれしいね」

 

 ようやく異物感に慣れてきたころ、最後の一年生が出てきてやはり顔を真っ赤にしていた。

 

「あ、霧島先輩。終わったんですか」

 

 灰色のISスーツ姿に着替えた霧島先輩と井村先輩が出てきて、二人とも汗だくになっていた。霧島先輩にいたっては平手打ちを食らったのか、頬がやや赤く腫れている。

 

「……やっと終わった」

「苦労したよー」

 

 姉崎ら三年生は何事もなかったように平然としていたのに対して、二年生はどこかやつれたような面持ちだった。更衣室の出入り口を確保して退路をふさぎ、「重要だから」と前置きして生理用品チェックをしたのだから当然だった。

 茶道部部長に羽交い締めにされた私などは、

 

「シートでいいじゃないですか。私なんてまだ月のものが来てないから、やんなくてもいいじゃないですかあ」

 

 と抵抗を試みたのだけれど、有無を言わさず姉崎の毒牙(どくが)にかかってしまった。

 話を聞いてくれそうな茶道部部長に抗議を続けたのだけれど、彼女は邪悪な笑顔を浮かべたまま耳を貸そうとしなかった。あの笑顔はもはや外道の類であり、私の心に消えないトラウマを植え付けていた。

 しのぎんと二人でとぼとぼと歩いているうちに格納庫に戻ってきた。

 膝を折った黒い巨体を見上げながら、私はパイプ椅子に腰掛けた。

 

「よし。全員そろったな。今からISの試乗を行う」

 

 姉崎が手をたたいて全員の視線を集中させた。既に姉崎への憧れといった視線は消えており、ほとんどの者が精神力を削り取られているのがわかった。私がここまでついて来られたのはISに乗れるという一心だけだった。

 

「さて、これからISの試乗を行ってもらう事になるのだが、まず最初に上級生による実演をしてみせよう。操作の手順が見やすいよう前面装甲を開放して執り行う」

 

 ISの隣に立った雷同と三年生が、付近に自分たち以外が立っていないことを確認した。

 

「安全確認良し」

「おっけーです。装甲開きます」

 

 前面装甲が上開き扉になっていて、長い黒髪を後ろ一つに縛った霧島先輩が装甲に手をひっかけながら腰掛けるように体を入れていた。両手両脚が胴体の中に埋まり、人間で言う鎖骨の位置に霧島先輩の頭があり、三面カメラの中に頭を突っ込まなくて良いと分かって安心した。

 雷同や茶道部部員たちがモニターを数台用意して、ISの背部から引っ張り出したケーブルとつなげていた。

 霧島先輩の眼前に投影されているものと同じ映像が表示され、それらとは別に彼女の頭上から見下す視線とお腹の辺りから見上げる視線、そして横顔も表示されていた。スイッチ類やフットペダルのチェック、タッチパネルの周囲に投影モニターが所狭しと並んでいた。

 

「今から霧島に起動を行ってもらう」

 

 モニターには待機状態を示すメッセージが表示されていた。

 

「霧島、準備おっけーです。いつでもいけます」

「よし。始めてくれ」

 

 霧島先輩は慣れた手つきでモニター上の「起動」と描かれたボタンを押下した。

 起動シーケンスを示す無数の文字が表示され、私たちの視線は釘付けになった。なぜなら打鉄のユーザーインターフェースは倉持技研と打鉄のロゴが表示されるだけで、各部モジュールの初期化や状態については隠蔽(いんぺい)されていた。

 主機関始動という文字が表示された瞬間、格納庫に足下から何か大きな重たいものが回り出すような、低い響きが伝わってきた。響きは徐々に大きくなっていき、空気が振動しているのがわかった。

 重く、鈍く、不気味な音だった。他のISとは決定的に異なった不協和音が鼓膜を打った。

 

「主機関始動しました。これからシステムチェックが走ります」

 

 霧島先輩が淡々として声で告げた。

 両肩に据え付けられた重機関銃の可動式砲座がわずかに前方へ指向するべく位置を調整していた。

 カメラが起動したのか、モニターに私たちの姿が映し出されていたので、顔を上げると目があった。私がカメラレンズを凝視していると向こうもこちらの顔を拡大表示してきた。霧島先輩の横顔を見やると、この人遊んでるな、というのが分かった。

 モニターに関節全ロック解除のメッセージが表示された。

 いつも転輪付きデッキを牽引(けんいん)しているのだけれど、今回は試乗が主だったから取り除かれていた。

 起動完了ということで、投影モニターの中心に「()つ騎士を(たた)えよ」とメッセージが表示されて巨体が膝を立てた。

 それにしても音がうるさい。打鉄はもっと静かだった。静粛(せいしゅく)性が考慮されていないだけなのか、それともあり余るエネルギーの証拠なのか。岩崎あたりなら発動機とはそう言うものだ。音で機嫌が分かるからむしろ音がしない方が嫌だ、と独善的な発言をするに違いない。

 アリーナへの出口、つまり目前の隔壁が上下に分かれて開いていき、時間が経つにつれ格納庫の光量も増えていった。そして完全に開放された。

 雷同たちが手早くモニターからケーブルを抜き取り、近くの机に置いていたノート型端末を開いて、今度は無線でISの状態をモニターするらしく、キーボードをたたいてツールを起動させていった。

 

「行こう」

 

 しのぎんと一緒にノート型端末の側に歩み寄った。画面上に所狭しと並べられた窓には霧島先輩とモニター上の操作の様子が映し出されていた。

 

「狭いって」

「しのぎんこそほっぺが当たってる」

 

 私としのぎんはお互いに体を密着させながら、ノート型端末に表示された映像を食い入るように見つめた。

 霧島先輩は隔壁から外へ出ようとISを歩行させていたけれど、小さな画面とはいえ、彼女が制御している情報量が膨大なことが分かる。しきりに指や足を動かしていて、機体の状態に合わせてスイッチ類の微調整をしていた。両足のフットペダルを踏み込み、指でタッチパネルで操作モードを設定した。IS従来の操作ではなく、もう一つの操作系を使っているのは明らかだった。

 端末から視線を外し、巨体を重そうに歩く姿は何とも間抜けな雰囲気があった。

 するとしのぎんがつぶやいた。

 

「うまい……」

 

 再び端末に目を戻す。

 見た目はただ歩いているだけなのだけれど、霧島先輩は歩行のプロセスを体で覚えているのか操作に無駄がなかった。慣れるにしても考慮すべき項目が多すぎてげんなりしそうだったので、次は自分が乗るのだと思って気を引き締めた。

 

 

「なんだコレ」

 

 アリーナの真ん中で、起動状態のまま霧島先輩に替わってもらい前面装甲を閉じて、試しに歩いてみようと思ったら、打鉄と比べて制御項目が多岐にわたっていて何をしてよいものなのか呆然としてしまった。視野の裾に歩幅や接地圧、重心の位置やアクチュエータの状態など無数の情報が表示されているのが分かった。

 一歩足を踏み出そうとしてみたが情報が氾濫(はんらん)して頭が混乱した。地面の材質や状態まで考慮しなければならず、一挙一足の動作をすべて意識していなければ転んでしまいそうだった。

 とりあえず右足を一歩踏み出すため、左足に重心を乗せようと慎重に体を傾けた。膝関節とくるぶしが線上にある感覚を抱いていると、接地圧のパラメータが増大し、重心の位置を示すアイコンの位置が変化し、転倒の危険を知らせるアラートが消えたのが分かった。ひとまずため息をつきながら右足の膝を上げる。一本立ちとなったせいか、再び転倒アラートが鳴り響いたので、私は唾を飲み込んで腹筋に力を込め、重心の位置を傾注しながら膝を腹へと引きつけた。そこで一旦静止する。

 しかし安心するのはまだ早かった。今度は左足への荷重を維持しながら右足をゆっくりと下ろしていきつま先を地面に触れさせる。体がやや前傾し、正中線がまだ左に寄っていることを確認する。そしてつま先から第一関節まで接地させる。次に土踏まずを地面に押しつけるイメージを抱いていると一瞬転倒アラートが聞こえたので、すぐに右の膝関節をゆっくりと曲げ、左足は伸ばしたままであることを確かめる。足首が曲がり、踵が接地するのに合わせて右膝を突き出すようにして角度を取り、右足が完全に接地すると、ゆっくり重心を中央に直した。

 そこで私は一生分の運気を吐き出すように大きなため息をついた。タッチパネルで無線を呼び出して、

 

「先輩」

 

 ノート型端末を片手にISの状態をモニターしていた雷同に声をかけた。

 

「ISってこんなに操縦するの難しいんでしたっけ」

 

 雷同がしばらく小首をかしげていたが、ノート型端末を脇に挟んで大きな声を上げた。

 

「いっけね。試乗者用の統合オートバランサを動かしてなかったわ。ごめーん」

 

 私が前部装甲のハッチを開けると、雷同が膝を足場にして器用によじ登ってきた。

 お互いの顔が触れあう位置まで寄ると、投影キーボードの位置を手元に移動させた。

 

「えーちゃんごめんよ。普段はフルマニュアルだったから設定を変えるのを忘れてた」

 

 思わず私は息を呑んだ。霧島先輩はこんなものを平然と動かしていたのか、と。たまに訓練風景を見かけていたけれど打鉄と同等の機敏な動きさえ見せていた。跳躍後の着地などとても気を遣うに違いない。

 

「これでよしっと。少し説明するねー」

「はい」

「姿勢は統合オートバランサが勝手に制御してくれるから、目標までの距離と速度とコース取りだけ気にすればいいよ。タッチパネルで行きたい場所を指定して、速度は手元のスイッチで調整できるから」

「雷同さん。これってIS従来の操作じゃないですよね」

「そりゃね」

「ISって……これじゃないんですが」

「従来の基礎データはハンニバルで一通り取っちゃったから。こっちの操作系で使ってくれと言うのが再設計者の意向なのよ」

「でも従来のも使ってますよね」

「私はそっちの方が使いやすいからね。霧島はこの方が相性いいの。それに再設計者がいろいろ優遇してくれるし……学生じゃ滑腔砲の砲弾買えないし」

 

 雷同が小声でつぶやいた。

 

「……本音、聞こえましたよ。ちなみに砲弾一発いくらなんですか」

「百万円」

 

 そう言って雷同は呆気にとられている私をよそに投影キーボードの位置を元に戻し、体を離して身軽にISから飛び降りて元の場所へ走って戻っていった。ノート型端末を開いて、ISの状態を確認し、

 

「おっけー。前部装甲を閉じていーよー」

 

 と無線で言ってきた。私は彼女の指示に従って前部装甲を閉じ、トラック一周を達成すべくタッチパネルに指を滑らせた。位置を指定してやると自動化プログラムが走ったのか、普段の歩行とは多少の違和感があったけれど、先ほどとは段違いに操作が楽だった。衝撃も分散されてむしろ快適な位だった。そしていとも簡単に目標までたどり着いてしまった。

 しかし、その動き方がまた不気味だった。

 通常人間の歩行というのは重心を左右に傾けながら前に進む。当然頭や肩が上下左右に揺れるのだけれど、このISの場合は全く揺れない。腰から下が別の生き物のように動いた。しかも右手と右足、左手と左足というように片方の手足が同時に動くような感触であり、曲がるのが苦手に思えた。。

 私はISを降りて次の人に交替するとすぐ、霧島先輩をつかまえて話しかけた。

 

「……動きが重いんですが、もっときびきび動けないんですか?」

「現行の統合オートバランサだとあれが限界。開発元(菱井インダストリー)に相談して改良してもらってるんだけど、この前新バージョンにバグ出ちゃって差し戻したのよ」

「先輩方の動きを見るともっとなめらかなのは?」

「統合オートバランサが制御している各モジュールを切り離してマニュアル制御してる。次に何をすればいいのかは体で覚えたな。弱電に頼み込んで歩行モデル作ってもらったりいろいろ。統合オートバランサは自動車と同等の運転感覚をもたらしてくれるんだけど、残念なことに動きまで自動車なのよ。そのままだと人間でいう膝の靱帯(じんたい)に相当する部分に負担がかかるから新バージョンではその辺を改良してたんだけどね」

「自動車……道理で上下の動きがないんだ」

 

 確かに歩くというよりは平行移動している感じだった。

 

「快適性を追求したら、人間の動きとかけ離れちゃって気持ち悪いのよ」

「だからあんな気持ち悪い動き方になっちゃうのか」

「そういうこと。動かす方は楽なんだけど」

 

 他の人に交替しているが、みんな気持ち悪そうな顔をしている。これじゃない、と心の中で思っているのがはっきり見て取れた。

 

「性能は申し分がないんだよね。馬力も整備性も信頼性も高いんだけど……操作性がね。ISコア貸与してもらってるし、菱井はやる気があるし対応早いんだけどね」

 

 話を聞いていると、菱井インダストリーはリカバリーをISコアを使った車両という認識でいるのではないかという考えが思い浮かんだ。戦車回収車の一つとなっていることから、もしかして技術の民間転用で利益を出そうという目論みがあるのではないだろうか。

 霧島先輩は一人で嘆息した。

 

「生身で弾丸が飛び交う状況にいる人たちの方がもっと怖いから、そんなこと言ってらんないんだけど」

 

 奥を見ると、しのぎんの番になったのか前部装甲を開けて顔を出した。

 

「すみませーん」

 

 すぐ側にいた雷同が気付いて顔を上げた。

 

「どうしたー?」

「試乗者用の統合オートバランサを切断してマニュアル制御に切り替えたいんですが」

「正気かい……一年生」

小柄(こづか)です」

「フルマニュアル操縦になるから操作性がものすごく悪化するけど、いいの?」

「大丈夫です。先輩が動かすのを見て覚えました」

 

 白い歯を見せてにっこり笑うしのぎんに毒気を抜かれたのか、雷同が無線を使って姉崎に連絡を入れた。何度も無線に手を当てながらしのぎんに目配せしつつ、何度か首を縦横に振っていた。

 

「本人は大丈夫って言ってますけどー」

 

 どうやら姉崎がついに折れたらしい。

 

「今から試乗者用統合オートバランサ……姿勢制御統合モジュールを切断します」

 

 そして私や霧島先輩も含めた全員に格納庫まで待避するように指示が出た。

 私が駆け足で隔壁をくぐり格納庫に脚を踏み入れ、機体の状態をモニターしていたノート型端末の側に陣取った。

 

「おーい、霧島。あの子が動かすの指示を出してやれ」

 

 すると姉崎が霧島先輩に大声で言った。しのぎんの無茶に付き合わされる形だったけれど、霧島先輩は文句の一つも垂れなかった。

 

「了解です、先輩」

 

 無線用のレシーバをセットして話し始めた。

 

「小柄さん。霧島です。今からISの歩行について説明します。歩行とは両脚を使った運動による移動方法です。体重がかかる軸脚と振り上げている遊脚があり、二本の脚を交互に軸足にして重心を任意の方向に動かしながら移動します。小柄さんは歩行の種類が二種類あることを知っていますか?」

「いえ」

「ではそこから説明します。歩行には静歩行と動歩行の二種類が存在します。

まず静歩行について説明します。静歩行とは体の重心位置が常に足の裏にある歩き方です。よちよち歩きや忍び足と言った方がわかりやすいかな。動歩行というのは重心位置が軸足の外にあって、体の勢いとバランスを使う歩行法です。つまり普段私たちが行っている歩き方です」

「だいたい分かりました。いきなり普段通りの歩き方をするってのはだめですよね?」

「いきなり動歩行をすると転倒します。よちよち歩きの赤ん坊が早く体を動かそうとすると、転倒してしまうのと一緒の状態になります」

「やっぱりかー」

 

 しのぎんは歩くどころか走ろうと思っていたに違いない。霧島先輩に言われて慣れるまで我慢するつもりに見えた。

 

「それでは静歩行。つまりよちよち歩きから始めましょう」

 

 

「この子、すごい……」

 

 井村先輩が呆然としてノート型端末を見ている。

 最初は乳児のようによたよたと歩いていた。トラックの四分の一くらいまではそうだった。

 トラックを半周する頃には普通に歩いていた。トラックを四分の三過ぎた頃にはスキップしていた。

 残り四分の一は走ってゴールした。

 それが三〇分に満たない間に行われた出来事だった。

 

「お騒がせしました」

 

 ISを格納庫への入り口付近まで歩かせて、片膝を立てると前部装甲を開けて降りてきたしのぎんに向かって私は駆け寄っていた。

 しのぎんは姉崎や雷同たちの側に早足で歩み寄って深く礼をしたので、みんな呆気にとられていた。

 

「いや、謝らなくともいいよ」

「私がわがまま言って迷惑を掛けましたから、頭を下げさせてください」

 

 しのぎんは律義だった。安全を考えての措置をあえて無効にしたこと回収班やそのほかの参加者に迷惑をかけたことに対して筋を通したかったのだろう。

 姉崎が顔を上げるように言ったので、私はすかさず駆け寄った。

 

「人間の動きみたいだった!」

「えーちゃん。人間が動かしてるんだって」

 

 大したことはしていない、と言った風情のしのぎんだったけれど、私には決して無理な所業だった。霧島先輩が各モジュールを手動制御することできめ細やかな動きを再現するのだと言った。私は足を踏み出すだけでこれ以上ないほど神経を使った。霧島先輩の指示があったとはいえ、しのぎんのやったことは簡単にまねできるものではなかった。もちろんISスーツの性能だけで覆せる物ではなかった。

 才能、そして実力の差。スポンジが水を吸収するがごとく成長を見せつけたしのぎんの姿にみんなは賞賛と畏怖、そして嫉妬の視線を彼女に向けていた。そう。この場にいる一年生のしのぎんを見る目が変わっていた。

 

「そういえば。しのぎんって入試の時のIS適性っていくつだったの」

 

 今まで特に気にしたことがなかったので、せっかくだからと言うこともあって聞いてみた。

 

「Aだけど」

 

 しのぎん本人は特別なことでもなんでもない、と言わんばかりの表情だった。

 それなら納得、とささやき声が聞こえてくる。私も内心驚いたけれど、以前姉崎がIS適性はクラス分けの材料でしかないから気にするな、と言っていたから動揺を表に出すほどではなかった。

 

「でもさー。クラス対抗戦の練習やってるからさ。それでうまくいったんだって」

「床運動やってたもんね」

「げげっ。えーちゃん見てたのか」

「あの後、変な三年生に絡まれなかった?」

「えーちゃんはエスパーなのか! そうなのか?」

 

 しのぎんはダリルさんにバカ呼ばわりされるだけあって、いちいちリアクションが面白かった。

 目を見開いて私の両肩をつかみ、前後に振ってくる。

 

「私が名前教えた」

「なんてこった。えーちゃんの()()()()かー」

 

 顔に唾が掛かったので手の甲でぬぐっていると、大げさな素振りで頭を抱えたしのぎんが誤解を生むような発言をした。私はチラと周囲の様子をうかがった。誰も気付いた素振りはなかった。

 最近クラスメイトが私を見る目つきがおかしかった。どうやら鷹月などは私がストレートであることに疑念を抱いているようで、予想もつかないタイミングでカマをかけてくるので困っていた。私は篠ノ之さんの顔が好きなだけで恋でも愛でもない。アイドルに向かって「可愛い」と言うのと全く同じ感情を抱いているにすぎなかった。

 

「お手つきとか、そういう言い方は……」

「ダリル・ケイシーと言ったらオーストラリアの代表候補生じゃん。てっきり私有名なのかもって、ぬか喜びしちゃったじゃんか……」

ダリルさん(あの人)って代表候補生だったんだ」

「……えーちゃんってさ。そういうの全然知らないよね」

「普通そんなもんじゃないの?」

「いやいやいや。もう少し情報収集した方がいいって」

「……そうする」

 

 しのぎんに強く言われて反射的に答えていた。特に性癖の部分を重点的に情報収集しようと思った。姉崎が篠ノ之さんの写真を同好の士にばらまいているので、ダリルさんの時みたいな貞操の危機は避けたかった。

 私が神妙にしていると、しのぎんが不気味がっていたのがとても失礼に感じたので言い返そうとする途中で口を閉じた。姉崎がしのぎんに話しかけてきた。二年生も一緒にいた。

 

「小柄君。あんなじゃじゃ馬をよく調教したな」

 

 どうやらマニュアル操縦の事を言っているらしい。

 

「……難しかったんですがコツさえつかめば素直な操作性だったので、何とかゴールまで行けました」

「ほお……」

 

 しのぎんの答えに姉崎が嘆息すると、二年生の表情が驚きに包まれた。

 私は二年生たちに共感を覚えた。姉崎が言うように出力がバカ高いじゃじゃ馬という表現がぴったりで、まかりまちがっても素直だとは思えなかった。

 

「そうか」

 

 姉崎は片眼鏡の位置を直し、

 

「小柄君は物事の勘所をつかむのが上手いんだな」

 

 と褒めたけれど、しのぎんは素直に喜びを示すのではなく、霧島先輩に向き直って一礼した。そして顔を上げるなり、

 

「いえ。霧島先輩のサポートがなかったらすぐ転んでました。きちんと段階を踏んで基本動作をわかりやすく正確に教えてくれました。だから、安心して動作に集中できたんです」

 

 と言った。雷同は霧島先輩を見やるなり肘で小突きながらにやにやと笑った。

 

「霧島。良かったな」

「小柄さんがすごいんですよ。私の言ったとおりに動いてくれたから……」

「先輩のおかげですよ。ありがとうございます」

 

 しのぎんの丁寧口調に慣れておらず、どこか別人を前にしているような気分に陥ったけれど姉崎たちはしのぎんをべた褒めしていた。そしてしのぎんは霧島先輩を絶賛していた。

 霧島先輩は調子に乗るどころか肩を震わせて泣き出しそうな顔つきだった。他人に褒められるのに慣れていないように思えた。そして感極まったのか、

 

「ちょっと外に出てます」

 

 と言って飛び出していった。

 そして姉崎だけが残り、雷同と井村先輩はISを格納するべく隔壁へ歩いていってしまった。

 私はしのぎんが姉崎に捕まったままだったので霧島先輩の後を追った。アリーナの廊下をうろうろしながら、少し離れた水飲み場にたどり着くと、霧島先輩は蛇口をひねって水を流していた。声をかけようと近づこうとしたけれど、

 

「……うらやましくなんか……」

 

 と霧島先輩の押し殺した声が聞こえてきた。様子が変だったので耳を澄ませた。

 

「うらやましくなんかないんだ……」

 

 そして声にならない嗚咽(おえつ)が聞こえた。

 

「え? 霧島先輩……泣いてる?」

 

 声に気付いた霧島先輩がとっさに振り返ったので、私はその場で立ち尽くしてしまった。目が合った。私は彼女の姿から目を逸らすことができなかった。

 

「このことは誰にも言わないで」

 

 強い声ではっきりと言った。私は雰囲気にのまれて後ずさりながら小さな声で答えた。

 

「構いませんけど……」

 

 顔を洗って涙を誤魔化そうとしていたのだけれど、目元の赤さまでは消えなかった。私には霧島先輩がどうして泣いているのか理解できなかった。

 

 

 




今回は許可を取れば戦車や新幹線も公道を走行可能なことから思いついたネタが含まれています。

オリジナルISのため恐縮ですが、書類上は車両扱いです。ナンバープレートを取得しているので公道も走れます。牽引物もあります。但し車検があります。
ドリフトができます。脚があるので峠を縦にショートカットできます。PICで慣性制御すればありえないコーナリングが可能です。ハイパーセンサーをオンにすればブラインドアタックもへっちゃらです。でも車高があったりクレーンが邪魔するのでトンネル走行に気を遣います。

実際ISって公道を走れるの? どうなんでしょう。

2013/4/3 指摘事項反映並びに文言修正


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★12 くすぶる火種

 とにかく迅速丁寧な対応だった。

 先日苦情を入れたISスーツの開発元から二着目を発送したというメールが届いたのはちょうど三営業日目、つまり水曜日のことである。予期していたのではないか、と勘ぐりたくなるほど早かった。ナノマシンを利用していることから二、三日で新規製造するのは無理があるのではないか、と考えていたのであらかじめ段階的に感度を調整したものを複数種類作り置いていたのではないだろうか。製造工程などの詳しい内容は知らなかったので想像することしかできなかった。

 そして木曜日の放課後には荷物を一時預かりしていた職員から段ボール箱を受け取っていた。

 新しいISスーツが手に入ったというのに私の心は晴れなかった。運送会社の伝票の隣に貼り付けられたビニールを破ると文書が添付されていて、その中には謝辞とレポートのお礼が(したた)められていた。

 

「デザインの改善につきましては今後の課題とさせて頂きます、か」

 

 対応が早いのは好印象だけれど、当然ながらデザインの変更は行われなかった。感度三〇%アップなどという落ちはもうない、と断言したくても心配でたまらなかった。とりあえず部屋で身に着けてみて、(ケイ)や鷹月あたりに検証の手伝いを頼むべきだろう。

 私は憂鬱な表情を浮かべたまま、段ボール箱を見つめて猫背気味に元気なく歩いていたら突然声をかけられた。

 名前を呼ばれたので顔を上げると織斑が立っていた。

 

「どうしたんだよ。元気ないぞ」

「織斑……」

 

 私は気の抜けた声で返事をしていた。織斑は気さくな笑顔で、段ボール箱を見つめていた。

 

「その段ボールって?」

 

 私はいくつかの回答を頭に思い浮かべ、当たり障りのないものを選んだ。

 

「ISスーツ」

「へえ。どこのメーカーなんだよ」

 

 興味があったのか食いついてきたので、歩兵用パワードスーツのところ、と答えた。最近知ったのだけれど歩兵用だけでなく医療用も手がけているそうだが、一般にはあまり知られていなかった。

 

「ああ、あそこね」

 

 織斑は納得したらしい。

 

「メーカーに直接依頼してたんだけど、実習のスタートには間に合わなかったんだよね」

「あれ?」

 

 私の説明に織斑は首をかしげた。彼が疑問に思うのは当然のことで、私は仕方なく例のISスーツを着用して実習を受けていたからだ。

 

「実習で薄いウェットスーツみたいなのを着てなかったか」

「ちょっとした不具合があって、今日新しいの届いたんだよ」

 

 そう。実はちょっとしたどころの不具合ではなかったけれど、事情を知らない人に説明するにはこれぐらいのニュアンスにしておいた方が何かと都合がよかった。

 

「そういうことか」

 

 ふと私は例のISスーツを男性が着用したらどのような事が起こるのか試してみたくなった。男性も感度アップするのではないか。下衆な考えだけれど私や子犬ちゃんと同じような受難に遭うのではないだろうか。実際の光景を思い浮かべてみたところ、織斑の視線を意識してしまい、歪んだ想念と一緒に頭から振り払おうと努めながらも、後で質問のメールを送っておこうと心に誓っていた。

 

「あのさ」

「……なあに?」

 

 織斑の声に気付くのが少し遅れた。私は織斑を使った下衆な妄想に浸っていたことを悟られまい、と少し慌てたように愛想笑いを浮かべた。

 

「小柄と更識さんってISに乗ったらどんな感じか、気付いたことでいいから教えてくれないか」

「まあ、いいけど」

 

 私が二つ返事で了承すると、織斑は顔を明るくして笑った。なんだかんだ言って私はしのぎんと更識さんと一緒にいる時間が長いので、接点が少ない織斑が二人の事を聞くのは自然な発想だった。

 

「助かる」

 

 織斑の答えを待って、私は以前セシリア嬢とダリルさんに言われて見た更識さんの試合映像を思い浮かべた。小銃を使った高機動戦や近接武器を使った速攻、弾幕戦などと、あらゆる距離をこなすオールラウンダーという印象を持った。織斑には普段の更識さんを基準に考えて欲しくなかった。

 

「そうだね。更識さんは試合だと性格が変わるね。ほんと別人」

「……信じられないな」

 

 いぶかしむ声音だったが、私はその根拠の在処(ありか)を提示した。

 

「嘘か本当かは織斑が自分で確かめるといいよ。学内ネットワークに過去の試合映像のアーカイブがあるから、後でそのURLを送ってあげる」

「サンキュ」

 

 しのぎんについては先日聞いた話を伝えておくことにした。

 

「あとはしのぎんだけど、この前見たと思うけど……」

「ムーンサルト……だったな」

 

 月面宙返り、国内では通称ムーンサルト、正式な技名はツカハラである。

 私は織斑に耳打ちしようと近づいてみたけれど、段ボール箱が邪魔だったのでそれ以上接近することを諦めた。

 

「この前、しのぎんと一緒に回収班の試乗会に行ってきたんだけどさ。これ、先輩の受け売りなんだけど、しのぎんは物事の勘所をつかむのがものすごく上手なんだって」

 

 彼女はISに乗るために生まれてきたような人間だ。先日まで私と同程度の実力だと高をくくっていたけれど、今はしのぎんに対して楽観や油断を見せるつもりはなかった。織斑は私の言葉を吟味するようにゆっくりと口を開いた。

 

「勘所ってことは、つまりコツだよな」

「そ。コツをつかむのがものすごく早いんだよ。成長速度が速いって言い換えて良いと思う」

 

 しのぎんについては昨日の情報が過去のものになりかねなかった。先日まで素人だった彼女が情報の海を器用に泳いでいく姿はもはや化け物じみていた。私の真剣な様子に冗談ではないことを察した織斑はうなっていた。

 

「マジかよ……」

 

 織斑のために、学食デザート半年フリーパスのためにも油断して欲しくなかった。

 

「うかうかしてると喰われるかもよ」

「わかった。肝に銘じておくわ」

 

 織斑が気を引き締めたところで、そろそろ退散することにした。

 

「んじゃ。また明日」

「引き留めちゃって悪かったな」

「気にしてないよー」

 

 私はひらひらと片手を上げて自室へと歩を進めていた。

 

 

 金曜日の昼食後。セシリア嬢を恋愛談義に誘い、織斑をダシにして散々からかっていたところ、運動部組と一緒にいたはずの相川が私を呼んだ。

 

「えーちゃん。廊下で先輩が呼んでるよ」

「いまいくー」

 

 私はすぐ返事をして席を立った。誰が来たのか、と首をひねりながら該当しそうな人物の姿を思い浮かべた。

 

「姉崎先輩なら黄色い声が聞こえてくるはずなんだけど……」

 

 一番可能性の高い人物を想像した。しかし姉崎は用事があったら電話を掛けてくるか、一年の教室に顔を出したならばより騒然として(しか)るべきだった。出入り口のすぐ側に立っていた相川に声をかけると、彼女は腕組みしながら廊下の壁にもたれかかっている少女を指さして、

 

「ケーキよろしく」

 

 と言い残して去っていった。どうして私がケーキをおごる前提で話を進めているのだろうか。篠ノ之さんに声をかける相川の背中を見つめて、セシリア嬢か子犬ちゃんあたりに頼んでみようと宿題にすることにした。

 釈然としないものを感じながら廊下に視線を戻した。

 

「……えーと」

 

 目の前にIS学園の制服を羽織った幼児体型の中学生がいた。馬子にも衣装という言葉が思い浮かんだが、口にするのは思いとどまった。一応黄色いリボンをつけているので上級生だと判別できるけれど、身にまとっている雰囲気がこの上なく陰気だった。

 この人は顔こそ可愛いのに、どうしてこう不気味な雰囲気を醸し出すのだろうか。

 

「よう。立ち話も何だからあっち行こうか」

 

 岩崎は私の顔を見るなり顎をしゃくった。有無を言わさぬ雰囲気にあてられて後についていくと、ずかずかと廊下突き当たりの機材室へ入っていった。先客を見つけて岩崎が天使のような笑顔を浮かべて二言三言を交わしたら席を譲ってどこかに行ってしまった。

 

「……岩崎先輩」

 

 私は岩崎の好意に甘えつつ席に着いた。岩崎は両肘を机に立てて含み笑いを隠すように手を組み、前傾姿勢になった。悪戯っぽい笑みを浮かべて、

 

乙子(おとこ)さんと呼んでも良いんだぞ」

「いえ、先輩はきちんと立てないといけないので……このままにします」

 

 などと言うものだから丁重にお断りした。乙子さん、なんて話をしようものなら確実に同類と思われるので薔薇色の学園生活をこれ以上胡乱な状態にしないためにもこれだけは譲れなかった。

 

「ところで、新しいISスーツは届いたかい」

 

 私は驚いて息を呑んだ。目を丸くしていると岩崎がにやにや笑っていた。

 

「何で知ってるんですか」

「うちが出資している会社だ。問い合わせすれば一発でわかる」

 

 行動力がありすぎだろう。岩崎の出自を隠そうともしない発言を聞き流しつつ、心に(よろい)を着込むことでどんな発言を来ても良いように身構える。

 

「ところで私に用事があるんですよね」

「あの会社から私宛にある物資が届いたんだ」

 

 IS学園関係者にモニター調査でも行っているのだろうか。岩崎は続けた。

 

「ISスーツのオプションパーツとしてアタッチメントを作ってみたそうだ。ぜひ使ってみないか」

 

 私は笑顔で即答した。

 

「先輩に譲りますよ」

 

 岩崎はにっこりと外向きの顔を作ったのだけれど、私にはその表情や仕草が余計に不気味に思えてならなかった。

 

「いやいやこれでも多忙な身でね。なあに使わなくてもいいんだよ。受け取ってさえくれたらそれで」

「悪い予感しかしないんですが」

 

 決して首を縦に振ってはいけなかった。強欲な岩崎が他人に押しつけようとするくらい、ヤバイ代物だと直感が告げていた。

 私は名案が浮かんだので手を打って提案を試みた。

 

「そうだ。更識さんにあげたらいいじゃないですか」

 

 先輩から後輩にプレゼントしてあげたらいいと考えた。美しい師弟愛ではなかろうか。岩崎はため息をつき、視線を逸らした。

 

「その案も検討してみたのだが、実行に移すとまた階段から突き落とされる予感がしてね。臨死体験を繰り返すのはさすがにこりごりなんだ」

 

 生徒会長に階段から突き落とされたのを未だに根に持ってるのでは、と思ったけれど顔に出したら人生が終わりそうな気がしたので仏頂面で押し通した。

 

「……何も突っ込みませんよ」

 

 岩崎は頬杖をついて私の目を見るなり、再びにやけ面になってこう言った。

 

「賢明だな。君から篠ノ之に渡して更識にプレゼントするように(そそのか)してやると面白いことになりそうなんだが」

「……絶対突っ込まないぞう」

「出所がばれたら臨死体験か。君が更識に使えば晴れて矛先は君に向けられるから、私としては万々歳(ばんばんざい)だな」

「……ううう。胃が痛いよう」

 

 私が共犯または主犯になることを前提で話すものだから、口を挟みたくて(はや)る心をあえて抑えなければならなかった。既に生徒会長に目をつけられている身としては、要注意人物として悪目立ちするのは避けたかった。

 岩崎は真顔になって口を開いた。

 

「まだアタッチメントがどんなものか説明していない」

「どうせろくなものじゃないんでしょう?」

 

 恐る恐るそう聞くと、それまでの妖しげで陰鬱な雰囲気が跡形(あとかた)もなく消えてなくなり、(またた)く間に純粋無垢な笑みにすり替わっていた。私の薄汚れた心を浄化するような天使の笑みだった。

 

「もちろん。とりあえず放課後になったら部室に寄ってほしいな。受け取り拒否は認めないからな」

 

 再び天使は鳴りを潜めて悪魔のほほえみを浮かべて、ククク、と気味の悪い笑い声を漏らした。

 逃げられないと思って、私は観念した。

 

「……わかりました」

「じゃあ放課後にまた会おう」

 

 岩崎は席を立って鼻歌交じりに部屋を出て行った。残された私は心が折れる音を耳にしながら頭を抱えていた。

 

 

 IS理論の教科書をカバンに押し込んで、今晩開催予定のクラス代表就任パーティーのことを思い浮かべて現実逃避していると、私の携帯端末が振動した。

 画面には「放課後、航空部部室 重要!」とゴシック体で記入されていた。私は思いきり顔をしかめると、(ケイ)を呼んだ。

 すると教室から出て行こうとしていた(ケイ)が踵を返した。彼女が目の前に来ると私は拝むように手を合わせた。

 

「ごめん。先輩に呼び出し食らってた」

 

 (ケイ)は唇に人差し指を当てた。

 

「先輩かー。それなら仕方ないね。遅れるって鷹月さんに言っておくよ」

「恩に着る。できるだけ早く戻って準備を手伝うようにするからさ」

 

 私の言葉に(ケイ)はにっこり笑った。

 

「いいって。ついでにカバン持って帰ろっか?」

「……じゃあ甘えるね。あ、教科書入ってるから重いよ」

「これぐらい楽勝だよ。先輩待たせるといけないからすぐ行ってきなよ」

 

 私はありがとう、と言ってカバンを預けて席を立った。そのまま第六アリーナへの道を急いだ。

 第六アリーナ第三IS格納庫、つまり航空部部室にして変態どもの魔窟とも言う。その入り口である青い鉄扉を前にして私は立ち尽くしていた。この場所はキャノンボール・ファストに使われるようなだだっ広いアリーナの特に奥まった場所にあって、他の部室棟と比べて規格外の広さだった。早めに切り上げて(ケイ)たちの手伝いをしよう、と念じてから鉄扉を押し開ける。重厚な音が格納庫に響き渡り、中の部員に客が来たことを教えていた。

 私は鉄扉をそっと閉じてIS格納庫に足を踏み入れた。案の定薄暗くて不気味で鉄の臭いがした。奥を見やるとレストアされた五式戦がひっそりと翼を広げ、すぐ側には玉座の王がライトアップされていた。王は首を傾け顔の骨格を露わにしながら虚ろな瞳で私を見下ろしている。王の体にまとわりついた十本以上の機械腕がうごめき、メタリックカラーの鎧の奥から傷跡のような無数の赤い光が漏れていた。

 私が光源を頼りに歩くと、骸骨のような顔が歩みに合わせてわずかに動いたことに気づいて、不意にわき起こった恐怖の感情に必死に(あらが)った。足元までたどり着いてほっと息をついたものの、今度は怪人の相手をしなければならないと気を引き締めた。

 目の前には岩崎と更識さんが投影キーボードの前で肩を寄せ合っていた。神島先輩の姿が見えないので、五式戦を振り返ったら、ときどき大浴場で見かける三組の生徒が神島先輩ともう一人の先輩に両脇を固められ、両肩をがっちり(つか)まれて今にも泣きそうな顔で助けを求めていた。

 彼女がなぜ魔窟に足を踏み入れてしまったか問いただしたい欲求に駆られたけれど、うかつに話を聞くと彼女の二の舞になりかねなかった。私は心を鬼にしてその生徒をあえて無視して、岩崎に声をかけた。

 

「先輩」

 

 声に気付いた岩崎と更識さんが私を顧みた。

 

「来たな」

 

 岩崎は相変わらず、ククク、とのどを鳴らすような不気味な笑い方をした。その横で更識さんが軽くお辞儀をしたので、私もつられて頭を下げた。

 二人を囲むように十六画面以上の投影モニターが浮かび上がっていた。半分はグラフで埋まっており、もう半分はコードエディタと思しき画面に英数字が踊っていた。常人を超える情報処理能力を有した二人はお互いに目配せすると、更識さんが立ち上がって岩崎の椅子の下から段ボール箱を取り出し、目前の丸机に置いた。

 段ボール箱の模様が昨日私宛に送られてきたものと瓜二つだった。念のため運送会社の送り状を確かめると、やはり発送元は同じ会社で同じ部署名だった。

 

「……ほんとだ。送り主が一緒だ」

 

 私は観念しながらつぶやいた。更識さんがきょとんとした様子でがっくりと肩を落とした私を見つめた。

 

「中身を見てみるといい」

 

 岩崎が顎をしゃくりながら華奢(きゃしゃ)な足を組み直した。

 私はできることなら中身を見ることなく、発送元に送り返したいと考えていた。しかし、岩崎の無言の圧力と背後から念仏のように聞こえてくる熱の入ったエンジン談義、そして更識さんの純粋な好奇心に満ちた視線を受けて、緊張で手を震わせながら半開きになった段ボール箱に手をかけていた。

 

「うっ」

 

 ビニール袋に密封されていたそれを見て、思わずうなってしまった。

 

「……これは、アウトですね」

 

 他に言葉が見つからなかった。更識さんには見せられなかった。少なくとも私をはじめとした薄汚れた心の持ち主ならいざ知らず、旧家のお嬢様に見せられるものではなかった。岩崎も更識さんほど古くはないとはいえ名家の出だけれど、どちらかといえば経済マフィアに通ずる人種なので最初から除外していた。

 

「先輩が扱いに困った理由がわかりました。受け取るのは嫌ですが」

 

 私の部屋に永久封印するのは危険すぎると直感が告げていた。(ケイ)に見つかったらただでさえ私の株が落ち気味なのに、余計に急落してしまうのは間違いなかった。

 

「拒否権はないよ」

 

 岩崎が冷たく言い放ったので、折衷案の提案を試みた。

 

「これ、送り返すとかできないんですか」

「担当者に聞いたら、差し上げます。ぜひ使用レポートを書いて送ってください。と言って押し切られた。あの担当者はできるな」

 

 あはは、と軽く笑ってみせる岩崎。諦観の念をにじませた表情から押し問答に敗北したと見て取れた。彼女は胸の前で腕を組みながら更識さんを見つめて目を細めた。

 

「私としては使ってみたい相手がいるんだが、実行すると臨死体験で済まなくなる」

「あの……何回臨死体験したんですか」

「小学校の時に一回。三ヶ月休学したよ。中学の時はちょっとした手違いで二回頭を打った」

 

 受け身を取る暇はなかったよ、と懐かしそうに物騒なことを口にした。

 

「どんだけ……」

「だから君の部屋で永久封印して欲しい」

 

 岩崎の口ぶりからして相手は一人なのだけれど、口に出すのもはばかられる人物であり、うっかり漏らそうものならば私の学園生活が終わるので意志の力で耐えきった。

 

「……これ……なに?」

 

 ずっと不思議そうに段ボール箱の中身を見つめていた更識さんが私と岩崎を交互に見やってからそう口にした。岩崎は慈愛に満ちた表情で更識さんの頭をなでると、

 

「知るのは十六歳になってからでも遅くはない。どうしても知りたかったら布仏(のほとけ)姉妹か五郎丸(ごろうまる)に聞きなさい」

「……そうする」

「よろしい」

 

 岩崎は完全に更識さんを手懐(てなず)けているように見え、今回は岩崎の判断が正しいと思えた。こんな扱いに困るものを寮生活の高校生に送るとか罰ゲームにも程がある。

 ふと私は聞き慣れない名前が出てきたことに気づいて、それとなく聞いてみることにした。

 

「五郎丸って?」

「学内ネットワークの管理者の一人だよ。姉崎の従姉(いとこ)なんだが、女のくせにエロ小説を集めててな」

「ああ変態なんですね」

 

 私はその説明で納得した。姉崎の親類縁者は姿形に優れていても中身が残念だという印象を持っており、私の直感は正しかったことになる。

 

「さて、君はこの段ボールを持って帰りなさい」

「拒否権を行使します」

「その権利は認めない。持って帰ってくれたらいろいろ優遇してやるよ」

 

 邪悪な牙をむき出しにして取引を持ちかけてきた。

 

「買収するつもりですか」

 

 私の声が険しくなり、身構えるのを感じ取った岩崎は、ヒヒヒ、と嫌らしい笑みを漏らした。

 

「良い取引だと思うが?」

「ううう」

 

 条件こそ提示されていないけれど、岩崎のことだからとんでもないサプライズを仕掛けてくるのではないかと私の心は(おど)った。しかし、それでは餌につられて集まってくる池の(こい)と同じではないか。

 

「更識を紹介してくれた恩を感じてるんだ」

 

 椅子から立ち上がり私の横に立つと、肩に手を回して顔を近づけてきた。

 

「ぐ、具体的な取引条件を示して欲しいです」

 

 岩崎の慇懃(いんぎん)な笑みにたじたじとなった。体を密着させてきたけれど、全く起伏がない体つきに何の感動も覚えなかった。

 

「倉持技研の工場見学ツアーとかどうだい?」

「え?」

 

 てっきり怪しげな集会に連れて行かれるかと思えば、真っ当な名前が出てきてびっくりしていた。まだ四菱なら納得できるのだけれど、なぜ敵対企業である倉持技研の名が出てくるのかが不思議だった。

 岩崎は鳩が豆鉄砲をくらったような顔つきの私を見て諭すように告げた。

 

「今度の夏休みに入ってすぐに株主向けの見学会があるんだよ。うちには株主が二人いてね」

 

 すると岩崎と一緒に更識さんが手を挙げた。

 

「更識さんも?」

「……そう……お小遣いで……」

 

 案外しっかりしていたので驚いた。倉持技研の株はお小遣いで買える程度の価格なのだろうか。更識さんのお小遣いの金額が知りたくなった。しかし一介の小市民である私は規模の大きい話になる予感がして気後れしてしまい、かろうじて相づちを打つことしかできなかった。

 

「へ、へえ」

「……一緒に行く?」

 

 更識さんが小首をかしげて私を誘ってきた。私は一旦彼女から目をそらして、したり顔でいる岩崎を見やった。

 

「ひ、卑怯(ひきょう)な手を……」

 

 岩崎は不敵な笑みを漏らし、私の心に揺さぶりをかけてきた。もう一度更識さんを一瞥(いちべつ)すると、私と岩崎のやりとりを見守っているように思えた。もはや私に退路は残されていなかった。

 

「……友だちを誘っても大丈夫ですか」

「数名なら話を通しておこう。クラス対抗戦の前後までに教えてくれると調整しやすいかな」

 

 こうして私は膝を屈し岩崎の軍門に下った。岩崎の手の平で好き勝手に転がされただけだった。

 

「この段ボール箱、持って帰ります」

「よろしく頼む」

 

 段ボール箱を抱えて出口に向かって歩き出すと、三組の生徒が神島先輩たちに言いくるめられて入部届に判子を押していた。彼女を見捨てたことを心苦しく思いつつ、鉄扉まで歩いていくと更識さんが自転車を押しながら後を付けていることに気づいた。片手でハンドルを支えながら鉄扉を開けようとしたので、脇にずれて先に更識さんを通した。

 

「更識さん、その自転車……」

「お使い頼まれた……第一アリーナのロケット研に……だから今日は直帰」

 

 ポケットからメモを取り出して私に手渡した。部品の型番らしき英数字の走り書きの後に岩崎の判子が押されていた。メモを返しながら自転車を見ると、前かごに入ったカバンと銀色のフレームにマジックで「一号・航空部備品」と書かれているのが目に入った。

 

「第一アリーナまで遠いからね。そっか。だから自転車か」

「本当はもっと楽な移動手段があるんだけど……三号はまだ慣れてなくて……」

 

 三号とはつまり、他にも備品があるということか。更識さんの口ぶりからして自転車でないのは明らかだった。

 更識さんが目礼をすると、第一アリーナへの近道であるスロープを下っていった。

 

 

 第六アリーナから連絡通路に出ると、(ケイ)としのぎんの姿があった。(ケイ)に準備の状況を聞くとどうやら終わってしまったらしい。手持ちぶさたなので私を迎えに来たと話していた。

 しのぎんはと言えば、先ほどまで少し離れたところでノート型端末を抱えた生徒と話をしていた。「悪い。待たせた」と愛想笑いを浮かべて私たちの側に寄ると、彼女の髪は少し濡れていることに気がついた。アリーナの更衣室でシャワーを浴びてきたらしい。

 私は二人が歩き出したのを見て、段ボール箱を抱えたままため息をついた。

 

「はあ」

 

 厄介な先輩に厄介な物を押しつけられて、とにかく段ボール箱の中身だけは死守せねばならなかった。そんな私の憂鬱を知らない二人は心配そうに話しかけてきた。

 

「えーちゃん、ためいき? これからパーティーなのに」

「幸せ逃げちゃうぞ」

 

 二人の声音から励まそうとしているのがわかった。その心遣いに感謝しながらも、腕の中の段ボール箱の感触にうれしさも半減してしまった。

 

「いや、もう逃げ出してる」

 

 遠い目をした私を見て、しのぎんがKに小声で話を振った。

 

「えーちゃんどうしちゃったの」

「先輩の呼び出しから戻ってきてからずっとこうなんだよ」

「先輩か……もしかして姉崎先輩?」

 

 (ケイ)が首を振った。姉崎が相手ならどんなによかったことだろうか、と思った私はつい口を挟んでいた。

 

「更識さんとこの部活だよ……」

 

 更識さんが航空部に所属していることは周知の事実なので、あえて名前を口にする必要はなかった。

 

「聞こえちゃったか。ごめん」

 

 しのぎんが罰が悪そうに頬をかいた。

 

「更識さんとこって、航空部じゃんか。やばくない?」

「へっ。今日、部員が一人増えたよ」

 

 魔窟だから入ったが最後、勧誘(洗脳)されて悪魔に魂を渡してしまう。あの三組の生徒はなぜあんなところにいたのかが大きな疑問だった。

 

「……そうだ!」

「えーちゃん?」

 

 私は思い出したように大声を上げた。突然生気が戻った声に驚いた二人がじっと見つめてきた。

 

「二人は夏休みに入ってすぐもう予定とか家の都合とかあったりする?」

「いやないけど」

 

 しのぎんが即答した。続いて(ケイ)が記憶の引き出しを漁っていたのか、少し遅れて答えた。

 

「帰省するよ。でも、日程を教えてくれたら調整できるかも」

 

 しのぎんが首をかしげながら私の真正面に回り込んだ。

 

「で、どうした?」

 

 私は航空部の部室で岩崎と話したことを思い出しながら、落ち着いて話した。

 

「詳細は追って伝えるけど、夏休みに入ったらすぐ倉持技研の工場見学ツアーに行くことになりました」

「へ?」

「えーちゃん、どうしたの」

 

 しのぎんと(ケイ)は要領を得ない様子だった。私はなけなしの元気を使い果たしたのか、疲れた面持ちで口を開いた。

 

「更識さん……に誘われたんだよ。一緒に行きたいなーって思って」

 

 かすかな声でこっそり岩崎の名を付け加えた。(ケイ)が私が口ごもった部分を耳敏く拾って首をかしげた。

 

「途中ちょっと聞こえなかったような……」

 

 全部は聞こえなかったらしい。私はほっとしながら二人の答えを待った。

 

「うーん。やっぱり日程次第かなあ」

「私はおっけーだぜ。家にいてもやることないし。今年は母さんが海に出ちゃってて男所帯でむさいし」

 

 さすがに(ケイ)は留学生なので飛行機の予約が絡むこともあって、即断を避けた様子だった。逆にしのぎんは快諾していた。

 (ケイ)は、頭の後ろで両手を組んで私の隣に移動したしのぎんの顔をのぞきこんだ。

 

「しのぎん。お母さんが船乗り?」

「ああ(ケイ)には言ってなかったっけ。うち、母親が海自で船長やってんのよ。父親は海保の内勤なんだけどねー。ついでにおじさんが北海道で戦車乗ってて、従兄弟は空自で飛行機をいじって、もう一人は農林水産省で漁業取締船に乗ってる。今頃小笠原諸島沖にいるはずだよ」

 

 小柄家は家族全員が公務員だった。(ケイ)がさらに話しかける。

 

「しのぎんちって軍人の家系?」

「まあ一応。祖父が海軍で鈍亀乗りだからね。祖父のお兄さんは陸軍だったけど満州でソ連と戦って死んじゃった。……ずっと気になってたんだけど、その段ボール何?」

 

 とっさに私はしのぎんから目をそらしていた。

 

「……聞かないでください」

 

 あからさまに不審な様子を見せたものだから、二人が悪戯っぽい顔つきになってしげしげと段ボール箱に興味を持ち始めた。

 

「えーちゃん?」

「……あやしい」

 

 私は二人の視線から段ボール箱を守ろうと前屈みになっていた。どうやら日頃の行いへの罰ゲームが始まっている予感がした。

 

「気になるなー」

 

 しのぎんがにやけ面を浮かべ、(ケイ)がしきりに段ボール箱と私の顔を交互に見ていた。私は目を泳がせていかにも不審者です、と公言するかのように足早になった。

 ふと二人が追いかけてこないのが気になって足を止めて後ろを顧みると、しのぎんと(ケイ)が肩を寄せ合ってなにやら話をしている。悪代官と商人みたいな顔つき顔つきだった。私は迂闊(うかつ)にも気になって仕方がなかった。

 

「あれー? ふたりでどうしたの」

 

 私の声に二人は顔を上げて、小走りになって駆け寄ってきた。話がついたのか双方ともすっきりとした表情だったので、首をかしげて再び歩き出した。すると、前方に私服の少女の姿がこちらに背を向けて辺りを見回しているのが見えたけれど、彼女は私の姿に気づいていないようだった。

 

「ごめんごめん」

「すまんすまん」

 

 (ケイ)としのぎんが陽気な声を出しながら私の横についた。私は特に気にすることもなく、腰を入れて段ボール箱を浮かせ手の位置を調整していた。私の意識は遙か前方でうろうろしている少女に向けられていて、(ケイ)としのぎんが立ち位置を変えたことに気がつくのが遅れた。

 突然、脇腹に刺激が走って素っ頓狂な声を上げていた。

 

「うひゃあ!」

 

 私は敏感な脇腹を突かれてバランスを崩しかけたけれど、足を一歩下げて何とか踏みとどまった。脇腹から伸びた手を目で追うと、背後で悪戯っぽい笑顔を浮かべる(ケイ)に気をとられた。

 

「え、(ケイ)?」

「えーちゃんごめんね」

 

 (ケイ)が謝ると、不意に手元が軽くなった。元々大して重い荷物ではなかったけれど、段ボール箱を取られたという事実は私に衝撃をもたらした。

 

「よっと。案外軽いな」

 

 しのぎんが片手で段ボール箱を持ち上げているのを見て、私はあからさまにうろたえていた。

 

「あわわわしのぎん。ちょっ中身はやめ」

「ええでないか。ちらっと見るだけだって」

 

 しのぎんは軽い気持ちなのだろう。ほんの少し見たら返すつもりなのか、無造作に蓋を開けて笑顔のまま中身をのぞいた。

 するとしのぎんはその場で硬直して黙り込んでいた。見るからに顔が真っ赤で、顔を上げるなり私のことを得体の知れない何かを目にしたかのように不審な目つきを向けた。そのまま信じられないと言った風情で見つめ合い、しばらくしてもう一度段ボール箱の中身に目を落とし、(ケイ)を呼んだ。

 (ケイ)はしのぎんの様子に不思議に思っていたけれど、押しつけられるように段ボール箱を手渡され、

 

「なになに……」

 

 と軽い気持ちで中をのぞき込んだ。

 私はしのぎんと一緒に(ケイ)の反応を待ったけれど、いつまでたっても身じろぎしないので恐る恐る彼女の顔をのぞき込んだ。突然顔を上げたものだから私としのぎんが後ずさっていた。(ケイ)は段ボール箱を私に返すなりにっこり笑った。

 

「えーちゃんってさ。大人なんだね」

 

 間違いなく誤解された。大人という単語の使い方が間違っていたけれど、訂正を求めようにも箱の中身を見られたショックで口を開けたり閉じたりするしかできなかった。ぎこちなく首を振ってしのぎんを見やると、頬をかきながら相変わらず顔が真っ赤だった。

 

「見なかったことにするわ。その、さっきは悪かった」

 

 申し訳なさそうに謝ってくるので、私は穴があったら入りたい気分だった。

 

「女の園で欲求不満だったんだね……。何だったら格好いい男の子紹介するよ?」

 

 (ケイ)の好意がうれしかった。しかし、私は静かに首を振った。

 

「……気持ちだけ受け取っておく」

 

 私が呆然と立ち尽くしていた。そんな私に二人は優しく肩に手を置いて声をかけてくれた。

 

「本当にごめん」

「寂しくなったら言ってね。できるだけ相談に乗るよ」

 

 

 例のISスーツのアタッチメントと言えばナノマシンが封入されていて信号伝達速度を劇的に向上させていることは間違いなかった。段ボール箱の中身は形状を変えることで入力情報の取得を試みた物である。特定用途に限定した形状から医療用だと推測できたものの、積極的に利用したいかと言われたら私は利用したくない、と答えるだろう。十五歳の浅学非才の身であり、人生経験が豊富になってからお世話になるかもしれないと感じていた。だから私はその時が来るまで、段ボール箱をクローゼットの奥深くに永久封印しなければと心に誓った。

 前方には第一アリーナへつながる分岐路が見えた。

 

「あ、織斑」

 

 ちょうど織斑たちが分岐路から連絡通路に入るところだった。自主練帰りのためか、篠ノ之さんと一緒に歩きながら話をしており、距離が離れていることもあって私たちに気づいた様子はなかった。相変わらず二人は仲が良いと感慨深く眺めていたら、今日はいつもと様子が違っていた。

 

「……篠ノ之ちゃんと更識ちゃんだね」

 

 (ケイ)はそう言って口元に手を当てて意味ありげに含み笑いしだした。しのぎんが棒読みの台詞を吐いた。

 

「うわーいちゃついてるよ」

 

 私が目をこらすと防風壁の切れ目から自転車を押した更識さんの姿が見えた。どうやら篠ノ之さんが仏頂面で説明を試み、更識さんがたどたどしく具体例を挙げて補足しているらしい。更識さんが横を向いて口を開いているときに限って織斑が納得したようにうなずいているのが見えた。

 

「しのぎん。構図のとらえ方がまちがってるよ」

 

 この機会にしのぎんたちの認識を改めようと思った。更識さんの告白にまつわる一連の騒動は下火になっており、入学当初クラスに溶け込めていなかった彼女もクラスメイトに話しかけられるようになっていた。時々恋愛話になると、更識さんは篠ノ之さんとどうなったのか必ず聞かれていた。更識さんとしては友だち関係が「うまくいってるよ」と答えるので、周囲との認識のギャップからお付き合いとして「うまくいってるよ」として脳内変換されていたという驚愕の事実に気づいたのは大好き事件の翌日のことだった。

 

「いや、えーちゃんみたいに状況を正確に把握してるのって鷹月さんぐらいしかいないって」

「まあ鷹月なら……。子犬ちゃんも事実を知ってますー」

 

 鷹月には事情を話して理解を得ていたから(ケイ)の発言は半分正しいと言えた。

 しのぎんが人差し指を天に向けて、得意げに語った。

 

「あれだ。織斑が篠ノ之さんと更識さんを侍らしているように見えるだろ? 実は違うんだよ。世間的にはこう見えるのさ」

「どう見えるの?」

 

 私が口を挟むと、しのぎんは胸の前で両腕を組んで原野こそから声を出した。

 

「篠ノ之さんが織斑と更識さんを(はべ)らせてるんだよ。更識さんと当たり前のように一緒に帰ってるし。いや……二股だな」

 

 案の定誤解していた。私は深いため息をつくと、

 

「それ、篠ノ之さんの前で言わない方がいいよ」

 

 と呆れたように注意した。

 

「もちろん。私はえーちゃんと違って分別があるから大丈夫。それにみんなだってそう思ってるんだよ。誤解は誤解のままなんだ」

 

 失礼なことを言われた気がしたが、私はあえて訂正を求めなかった。勘違いしているかのような仮説を提唱し、それがあたかも真実であるかのように振る舞うことで、過敏に反応する様子を面白がっているだけと自分を納得させた。

 (ケイ)がしのぎんを補足するように言葉を継いだ。

 

「相川ちゃんとかかなりんもずっとそんな感じだね。山田先生もそう思ってるみたいだし。織斑先生は生徒のやることだからって面白がってる。篠ノ之ちゃんと更識ちゃんって時々お風呂場で二人でいること多いんだけど、無言で見つめ合ったりするから二人の妖しい空間に入れないんだよねー」

 

 相川は確信犯なのだけれど、かなりんは真に受けやすいので後でさりげなく誘導尋問しておく必要があった。私は(ケイ)がしのぎんに向かって偽情報を吐いたので即座に訂正した。

 

「布仏さんとかセシリアさんとか普通に割って入ってるよね? あと鷹月も。だめだよ。事実を曲解したら」

 

 口酸っぱく言い聞かせるつもりだった私の言葉を右から左へと聞き流したしのぎんは、頭の後ろで腕を組みながら私に顔を向けた。

 

「ところでえーちゃん。ずっとスルーしてたんだけど、木陰(こかげ)の不審者は誰だい?」

 

 そう。先ほど見た私服の少女が植え込みに身を隠して織斑たちの様子をうかがっていた。最初織斑の追っかけか、と思いきや彼の希少価値はISの特殊性とIS学園という閉鎖空間特有のものだと気づいて考えを改めた。では、呆然とした背中は寂しさすら感じさせるのはなぜだろうか。

 

「私もあえて口にしなかったんだけど」

「どこ?」

 

 (ケイ)は気づかなかったらしく私に位置を聞いてきたので、正面脇の植え込みを指さした。

 

「あれ」

「子供……じゃないよね」

「どう見ても私らと同い年ぐらいだよ」

 

 岩崎や子犬ちゃんと同じくらいだろうか。岩崎のような幼児体型でないのは本人にとっても救いだろう。

 相づちを打っていたしのぎんが、得意げに言った。

 

「道に迷ったとか」

「多分ね。でも学園って一般人は立ち入り禁止なんだけどなあ。あ、織斑に熱い視線を注いでるように見えなくない? 昔の女かな」

 

 私はうっかり根拠のない推論を口にしていたけれど、意外と面白い仮定ではないかと思い直した。なぜなら(ケイ)としのぎんの目が輝いたからだ。

 

「痴情のもつれ、かな」

 

 すかさず(ケイ)が弾んだ声で私をフォローした。

 しのぎんはそんな(ケイ)を見て、顔を寄せて小さな声で話しかけた。

 

(ケイ)を見てると本当に留学生かどうかわからなくなってきた……」

「いや、そこツッコミどころ違うから」

 

 話が逸れそうだったので釘を刺すと、しのぎんは頭を振って投げやりな口調になった。

 

「えーちゃんに賛成。織斑君って一応格好いいから」

「へえ。しのぎんでもそう思うんだ」

 

 しのぎんが女の子らしい発言をしたので感心した。

 

「えーちゃんは?」

「タイプじゃないんだよなあ。篠ノ之さんが男の子だったらなあ。人生って残酷だよね」

 

 しのぎんが聞き返してきたのでクラスメイトにはいつも言ってることを伝えていた。しのぎんが真顔で言う私を見て、

 

「えーちゃん篠ノ之さん大好きだよね」

 

 とため息混じりに言ったものだからこう答えた。

 

「うん。好きだよ」

 

 しのぎんと他愛もないやりとりを交わしていたところ、(ケイ)が声を上げた。

 

「あ、昔の女が今の女を見送った」

 

 (ケイ)は木陰の少女が昔の女で、篠ノ之さんを今の女と仮定していた。

 

「更識さん、思いっきり気付いてるみたいだよ。さっきから何回も振り返ってる」

 

 (ケイ)の残念そうな顔つきから言って修羅場を期待していたと見え、私はため息混じりに彼女の顔をのぞき込み、

 

「彼女気配に敏感なの。織斑は鈍感だけどね」

 

 としたり顔で言い放った。

 

「うわー思いっきり篠ノ之ちゃんをにらんでるよ。怖いよ」

 

 その割に(ケイ)は面白がっていた。私も流れに乗ろうと考えたことをそのまま口にした。

 

「織斑あ、せめて男女関係は清算しようか」

「えーちゃんに賛成」

 

 しのぎんはしきりにうなずいていた。(ケイ)が前方を指さして私を顧みた。

 

「で、あの子。ショックで突っ立ったままだけど。どうする?」

「声かけとく?」

 

 私はしのぎんの方を向いて言った。

 

「それとなく織斑との関係を聞き出せるといいな」

「決まりだね」

 

 二人も同意を示すようにうなずいた。野次馬根性をむき出しにして首を突っ込むつもりだった。私は段ボール箱を抱えたまま、地面に転がっていた小石を不機嫌そうに蹴り飛ばした少女の元に向かった。道すがら、(ケイ)の顔つきや雰囲気が変化していく様を目撃してしのぎんと一緒に驚いていた。いつもは舌足らずに話をするものだから、中学時代の雰囲気が抜けきっていない私たちと大して変わらないのだと勝手に思っていた。気がつけば隣を歩く(ケイ)はまるで優等生そのものだった。同室になってそこそこ日にちが経過していたけれど、彼女のことを未だよく知らなかった。

 私は段ボール箱を抱えたままいかにも偶然通りかかった素振りで、髪を左右に結んだ幼さの抜けきっていない雰囲気の少女に向かって声をかけた。

 

「もしかしてお困りですか?」

 

 声に気づいて振り返った少女は、鋭角的でありながらもどこか(あで)やかさを感じさせる強い瞳の持ち主だった。

 

 

「ここから先が本校舎一階総合事務受付です」

「ありがとう。助かったわ」

 

 私は優等生面をした(ケイ)を視野の裾にとらえながら、受付の前まで少女を案内していた。

 織斑との関係については聞き出すことができず、当たり障りのないことを会話を交わしたに過ぎなかった。学校の雰囲気や行事といった内容に触れた程度だった。礼を言う少女に向かってにこやかにほほえみながら、できるだけ丁寧な言葉を選ぶ。

 

「いいえ。通りかかった縁です」

「いずれ同じ学舎(まなびや)切磋琢磨(せっさたくま)する間柄になるのですから。これぐらい当然ですよ」

 

 (ケイ)が私の言葉を補足するように告げた。しぐさの端々に気品を漂わせ、優雅な物言いに私は気が気でならなかった。幸い初対面のおかげで化けの皮がはがれ落ちていない。少女は(ケイ)の顔をじっと見つめ、考え込むような素振りを見せたので私としのぎんは互いに目配せしながら様子を見守った。

 

「あの……どこかで会わなかった?」

 

 少女の問いに大して(ケイ)は首を振った。

 

「あなたとは初対面のはずですよ」

「でも、確か去年の親善試合の時に……いえ、他人の空似かも」

 

 引っかかるような言い方だったけれど、そのまま少女はお辞儀すると受付へと歩み去っていった。

 私はその後ろ姿を見送ってから足下に段ボール箱を置いて壁際にもたれかかった。すぐ側に職員室があったので、あたかも用事があって廊下で先生を待っているような雰囲気を醸し出したので、(ケイ)としのぎんも私に習って壁際に立った。

 (ケイ)はわずかに首を傾けて受付を見やり、懐かしむような風情で小さな声でつぶやいた。

 

(ファン)……中国か」

 

 (ケイ)らしくない鋭い視線を向けている。私は不思議に思って聞き返していた。

 

「中国?」

 

 (ケイ)は私を見ると目を丸くして罰が悪そうに顔に手を当てたかと思えば、

 

「あっちゃー聞かれちゃったかー」

 

 取り繕うように苦笑いをした。しのぎんと二人で見つめていると、

 

凰鈴音(ファンリンイン)。中国の代表候補生。この前本国のIS委員会と話したら、彼女がこの学園に転入してくるって教えてもらったんだよ」

 

 委員会に怒られるから口外しないでね、と付け加えた。

 IS委員会と聞いてしのぎんが、「へえ」とつぶやくと驚いたように目を丸くした。

 

「時々(ケイ)の情報網がわからなくなるよね。でも、初対面って言ってなかった?」

「えーちゃんほめないでよ。一応国費留学だからね。でも初対面なのは本当だよ」

 

 (ケイ)はほめ言葉と受け取ったのか、口の端がゆるんで先ほどまでの優等生面はどこかに行ってしまった。

 

「留学生に見えないけどね」

 

 うれしそうに相好を崩した(ケイ)に向かってしのぎんが茶化した。(ケイ)は頬をふくらませて仏頂面になって、ぷいと横を向いてしまった。

 

「んもう。しのぎんったら」

「あはは。冗談だって」

 

 しのぎんが笑ってごまかしたが、機嫌を直すには至らなかった。

 

「えーちゃんよりも成績いいんだよー。これでもー」

「それ本当?」

「イエス」

 

 しのぎんが(ケイ)の発言を聞き返すと、明確に肯定の答えが返ってきた。しのぎんは視線を私に向けて事実なのか聞いてきた。

 

「能ある鷹は爪を隠すって言うでしょ」

「……事実です。むしろクラスで五本の指に入ります」

 

 私が事実の裏付けを行ったにも関わらず口をぽかんと開けていた。どうやら(ケイ)のことをバカだと思い込んでいたらしい。IS学園の生徒は基本的に頭の回転が速いけれど、留学生組は多少言語の不自由があるとはいえ論理的思考力は総じて高い傾向にあった。しかも国費留学組はその名が示すとおり所属国の政府が授業料などを肩代わりしている。国家として税金を投入する価値があると認められた生徒であり、しかも(ケイ)は多重国籍保持者だった。つまりアイルランド人でありながらイギリス国籍とアメリカ国籍を持っていた。もし彼女に実力と資格があるとすれば、国籍を有す三国のうちどこか一国の代表または代表候補生となり得る可能性を持っていた。

 

(ケイ)ってただのIS好きだと思ってたわ」

 

 しのぎんはぴしゃり、と自らの額をたたいた。

 

「でも可愛い子だったよねー」

 

 (ケイ)は普段のぼけっとした声音でしのぎんの脇を肘で突いた。

 

「美少女なのは認めるな。ああいう適度に毒がある子供らしさは重要だと思う」

 

 そう言って私は段ボール箱に足が当たってしまい場所がずれてしまったので、引っ込めようと腰をかがめた。股の下に段ボール箱を引きずってから顔を上げるなり、

 

「うちの学園は顔偏差値が高すぎると思うんだ」

 

 と常々疑問に思っていたことを言ってみたら、二人が素っ頓狂な声を出した。

 

「えーちゃんがそれ言っちゃうんだ」

 

 (ケイ)がいきなりジト目になってつぶやくと、しのぎんが(ケイ)の肩に軽く手を添えて首を振った。

 

「えーちゃんはね。やることなすこと残念で印象薄いから自分の価値が分かってないんだよ」

「しのぎんー」

 

 私は抗議するつもりでぶうぶう文句を言ってから不機嫌さを示そうとそっぽを向いた。

 (ケイ)が「ねえねえ」と私の肩をたたいて受付を指さした。

 

「事務の人がこっちを見つめてるよー」

 

 そう言われて(ケイ)が指し示すままに視線をずらした。事務室の扉が開放されていた。事務員が冷めた様子でこちらを凝視していたものだから、思わず私に向けられていると勘違いして自分の顔を指さした。事務員は首を振った。私はほっとして、今度は(ケイ)の番だと思って横を向いた。

 すると視線に気がついた(ケイ)が慌てて自分の顔を指さした。再び事務員は首を振ったので、(ケイ)はほっと息を吐いた。そしてしのぎんに顔を向けた。

 

「え、私?」

 

 しのぎんが人差し指を自分に向けると、事務員が首を縦に振った。いったい何のことやら、と三人で顔を見合わせていたら、先ほどの少女が強い足取りでまっすぐしのぎんに向かって歩いてきた。

 

「私の方に向かってくるんだけど……」

「本当だ。立ち話してたの聞かれちゃったかなあ」

 

 (ケイ)が小首をかしげた。確かに少し騒がしかったかもしれない。多少距離が離れていたので安心して喋り散らしたのがいけなかったのだろうか。こちらに非があるのであれば謝らなければならない、と身構える。それにしては妙な雰囲気だった。少女はあからさまに不快を表すのではなく、怒りの矛先を収め損なって八つ当たりするかのような雰囲気を漂わせていた。

 

「アンタが二組のクラス代表ね?」

「そ、そうだけど」

 

 少女は受付を済ませる前の丁寧な雰囲気が消えて、好戦的な態度に変わっていた。そのせいか少し剣呑(けんのん)な口調に聞こえた。しのぎんは状況を飲み込めなくて、ぎこちない仕草で答えた。

 

「あたしは凰鈴音(ファンリンイン)。来週から二組に転入することになったわ。よろしく」

 

 凰さんが握手を求めてきたので、しのぎんは「私は小柄(こづか)(しのぎ)。よろしくな」と答えて握り返した。

 手を離すと、凰さんは値踏みするようにしのぎんを見つめ不敵な笑みを浮かべると、腰に手を当てて言った。

 

「早速で悪いんだけど二組のクラス代表を譲ってくんない?」

 

 友好な雰囲気が冷水を浴びせかけられたかのように急速に冷めていった。

 私は急展開にあっけにとられていた。すぐに我に返って説明を求めようと恐る恐る声を上げたのだけれど、

 

「それって……」

「はあ?」

 

 不機嫌さを露わにしたしのぎんによって(さえぎ)られてしまった。

 苛立つしのぎん向かって凰さんは(きびす)を返しながら、

 

「あたしにクラス代表を譲れっていうの。来週の月曜に答え聞かせてもらうから、考えておいてね」

 

 と爆弾を落としてからその場から去っていった。

 

「おい。待てって」

 

 しのぎんが大声を出すと、凰さんは立ち止まってこちらを振り返ると、「月曜にクラス全員の前で決めるから」と言い残し、そのまま校舎の外へ姿を消した。

 私は凰さんの背中を呆然とした面持ちで見送っていた。いったい何が起こったのかわからなかった。首をかしげて、困った様子の(ケイ)と目を見合わせた。

 

「くそ!」

 

 その時になってしのぎんが壁に拳をたたきつけた。突然降りかかった理不尽さに怒りを覚えて心穏やかではいられなかったと見える。

 職員室から二組の担任の先生が出てきて、私たちを見つけてにこやかに歩み寄ってきた。先生は肩を震わせるしのぎんに気がつくなり、心配そうに声を出した。

 

「こ、小柄さん?」

 

 しのぎんの目つきが鋭さを増し、けんか腰だったので先生はひどく動揺しながらも落ち着かせようとした。

 

「何があったの?」

 

 本人の口から事情を話させて頭を冷やそうと試みており、横から私が口を挟もうとしたところ、しのぎんはゆっくりと顔を上げて先生に向き直った。

 

「先生。私、来週あたり大げんかするんで後始末とか手続きとかいろいろ、よろしくお願いします」

 

 太く低い声音で告げてから、深く頭を下げた。

 

「え? けんか? 話が見えないんですが……え?」

 

 先生はしばらくうろたえていたけれど、気持ちを切り替えに成功したのか毅然(きぜん)とした表情で何があったのか、私に説明を求めてきた。

 

 

 



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★13 炎立つ

「嫌です。絶対に辞退したくありません」

 

 職員室に張りのある声が響いた。しのぎんは担任の先生を前にして丁寧な言葉を使っていたが、顔が強ばっている。

 

「話し合いの余地は無し、か」

 

 二組担任の先生はあえて(ファン)さんの意見を入れたらどうか、と提案したのだけれど、しのぎんは頑なに拒否していた。

 先生はモニターアームに手を伸ばして液晶画面の位置を調整すると、凰さんの顔写真を表示させて眉根をひそめながら考え事を始めた。

 窓の外は暗くなっていて無人の席がいくつかあったけれど、一年生担当の先生は全員残っていた。私と(ケイ)、そしてしのぎんが二組の担任の先生の前で椅子に座っていた。椅子は帰宅した先生の席から拝借(はいしゃく)したもので、教室の椅子とは違って背もたれが分厚くて座り心地が良かった。

 向かいの席にいた山田先生はキーボードを打ち込みながら心配そうにこちらを見ている。織斑先生も鉛筆でノートに書き物をしていたが、やはり気になるのか時々顔を上げた。

 凰さんの実績を考慮すれば代表を務めてもおかしくない。問題は一度は二組の総意としてしのぎんをクラス代表に決めたにもかかわらず、後から来た凰さんがひっくり返そうとしている状況だ。もしも嫌々代表を引き受けたのなら、しのぎんが代表を辞退すれば済む。だけどしのぎんはやる気だった。

 先生は画面を指でタップしたり、キーボードを叩いたりして調べ物をしている。何度かしのぎんを一瞥(いちべつ)して、怒りで顔を真っ赤にしたまま眼力に衰えがない様を確認した。数回クリック音がして、先生は液晶画面を全員に見やすい位置に動かした。

 大人らしい落ち着いた声音で優しく言った。

 

喧嘩(けんか)するなら場所を借りようか。いつがいい?」

 

 液晶画面にはアリーナ使用申請書や訓練機使用申請書の様式が表示されていた。マクロを使って定型文を一括挿入した先生は、顔をこちらに向けて答えを待った。

 

「来週がいいです」

 

 わかった、と言って何度か小気味よいクリック音を響かせる。

 

「来週金曜の放課後に第一アリーナを貸し切るわね」

「……お願いします」

 

 しのぎんが神妙に答えた。先生は入力を終えた申請書の内容チェックをすると、プリンターの場所まで行って二枚の用紙を持ち帰った。織斑先生に声をかけ、確認者欄への捺印(なついん)を求めた。そのまま教頭先生の元へ行って用紙を提出した。戻って来るなり先生はしのぎんに言った。

 

小柄(こづか)さん。約束して」

 

 先生があまりに真剣な表情なのでしのぎんはおろか、私まで背筋を正していた。

 

「生身でのステゴロタイマンは禁止」

 

 突然耳にした時代がかった言葉にびっくりしてしまった。留学生には酷な専門用語だった。とっさに横を向いて(ケイ)を見たらさすがにわからなかったらしく首をひねっていた。一対一の素手喧嘩という意味だとぼそっとした口調で教えてあげた。

 

「えーちゃん物知りだね」

 

 (ケイ)が目を輝かせてしきりに感心するものだから、私は気をよくしてふんぞり返った。

 

「もとよりそのつもりです。でも、何で?」

 

 しのぎんが先生に理由を聞いた。先生は椅子に腰掛けると、キーボードをたたいて学園規則とパンフレットの一部と思しき画面を表示させた。

 

「IS搭乗者なら試合で決着をつけましょう、というのがこの学園のルールです」

 

 先生はそう前置きしてから続けた。

 

「これは過去の事例ですが……」

 

 先生の話をまとめるとこうだ。過去に酒席の口論が元でISを部分展開したあげく傷害事件に発展したことがあり、その人は特権剥奪とIS委員会から除名処分を受け、選手生命を絶たれたという。ISで生身の人間を殴るとはつまり鈍器で殴ると変わらない。相手を死に至らしめる危険性が大となるため、決して無分別な行動を起こさないよう口酸っぱく注意を受けた。

 私がぞっとした様子で話を聞いていると、聞き耳を立てていた先生方がしきりにうなづく様子が目に入った。。

 

「重要ですよ」

 

 と山田先生が身を乗り出し、目前に大きなバストを見せつけながら強調した。つい下衆な考えが思い浮かび、子犬ちゃんとどちらが大きいのかと邪推していた。

 しのぎんが返事をしたので、先生は液晶画面を脇に寄せて机の上に山積みになっていたノートの整理を始めた。

 ようやく緊張から解放されたせいか、椅子に全身を預け片足で地面を蹴って左右に回転させて遊んでいると、織斑先生が顔を上げた。

 

「スタンフォード」

 

 (ケイ)の名字の一つだった。三重国籍のせいで長ったらしく、何が書いてあるのかわからないフルネームを持っていた彼女だけれど、なぜか「(ケイ)」を好んで使うように言っていた。

 (ケイ)は珍しく名字でよばれたためか、きょとんとして織斑先生の顔を見つめた。

 

「やだなー。織斑せんせー。そっちの名で呼ばれると、かしこまっちゃうって言うか。切り替えが難しいんですよー」

 

 いつもの舌足らずな口調で取り繕うように慌ててしゃべった。

 織斑先生は(ケイ)が口を閉じるのを待っていた。

 

「選考の方はどうなっている」

「ぼちぼちでーす。カテリーナが復帰の意志を固めてるので、もしかしたらご破算になるかもです」

 

 カテリーナとはアイルランド代表のカテリーナ・マッキンリーのことだろうか。現在は交通事故で重傷を負って入院していたはずだった。

 

「だが、あいつの脚はもう……」

 

 織斑先生がぼそっと漏らしたように、マッキンリー選手は二度と()()()()()()()()()と報道されていた。私ははっとした。選考とは代表候補生の選考のことではないだろうか。(ケイ)はよく本国のIS委員会と話をしていたし、国費留学と言っていた。ISが好きなだけならパトリシア先輩みたいに政府の支援が受けられず私費留学を選ぶ生徒がいたけれど、先輩の場合は適性がそれほど高くない。(ケイ)は実技も座学も私より優秀だった。楽々とISの操縦をする姿に、セシリア嬢は「(ケイ)なら当然ですわ」とコメントしていた。しかし(ケイ)自身は一切立場について公表することを控えていた。

 

「ISを使えば歩いたり走ったりできまーす。試合する分には関係ないです」

「……わかった。進展無しだな」

「そーでーす」

 

 (ケイ)の正体に私の疑問は募るばかりだった。これ以上考えても仕方なかったので、

 

「あ、そうだ。山田先生」

 

 と声をかけると「なんでしょう」と答えが返ってきた。以前交わした雑談の続きでもしようかと思って口を開いた。

 

「以前、本を貸してくれるようなことを言ってましたよね……」

 

 

 二組に転校生が来た。

 月曜の一限目が終わってからずっと、凰さんの話題で持ちきりだった。

 四月の中途半端な時期に転入した留学生ということで話題性は十分にあった。しかも中国の代表候補生でかつ、専用機持ちとくれば話題に敏感なクラスメイトが食いつくのも当然と言えた。

 

「えーちゃん。話題の転校生、見てきたよー」

 

 相川が楽しそうに絡んできた。今頃二組の教室前は転校生の姿を一目見ようと人だかりができていた。どうやら相川は授業が終わってすぐ隣の教室に行き、凰さんの姿を拝んできたらしい。

 私は初対面でないせいか露骨に興味津々とまではいかなかったけれど、少しは気にしていたこともあって相川に向かって相づちを打ち返した。

 

「どうだった?」

 

 すると相川が目を輝かせながら声を上げ、

 

「可愛い! でも気が強そう……」

 

 と声を大にして堂々とする凰さんの姿を思い浮かべたのか、不安そうに声が尻すぼみになっていた。金曜に印象的な出会いを果たさなければ、今頃相川と同じように無邪気にはしゃげたのに、と痛切に感じていた。SHRの最中に口論と思しき声が聞こえてきたから戦々恐々としていた。

 相川は目と鼻の先の位置に顔を近づけ、つばを飛ばしながら言った。

 

「でもさ、なんか二組の様子がおかしかったんだよね」

 

 そう。凰さんを紹介したSHRの直後から隣の教室の雰囲気が変わったことに相川は気づいていた。私は彼女がどんな印象を抱いたのか聞きたいと思った。

 私はしのぎんたちの様子から得た印象を伝えた。

 

「二組って言ったら仲が良いぐらいが取り柄だったのに、どうしちゃったの」

「先週まではえーちゃんが言ったとおりなんだけど、今はぎすぎすしてるって言うか。前にセシリアが織斑くんに喧嘩をふっかけたじゃない。あのときに近いかな。いや……もっと険悪かも」

 

 相川の意見は予想通りというか、凰さんの主張はクラスを割ったらしく、しのぎんみたいな熱血が嫌いな人や学校行事に無関心な子、積極的になれない子、立場をはっきりさせない子がよりメリットが大きい凰さんに交代した方がよい、と判断したのではないだろうか。クラス行事はやりたい人がやればいい、面倒なことは他人に押しつけよう、という気持ちが働いていると思う。うちのクラスなど織斑を推薦した理由が単に物珍しいというだけだ。

 

「原因はクラス代表の件かな」

 

 うっかり二組の内部事情を口にしていた。私ははっとして、慌てて口をつぐんで相川を注視したけれど、

 

「耳が早いね。さすが」

 

 と勝手に勘違いをしたので助かった。SHR前の段階では、みんな二組に転校生が来ることまでしか知らなかった。私が二組分裂の原因を知るのは時間的に不可能だった。事情を正直に話してもよかったのだけれど、しのぎんたちの問題を面白おかしくからかう気分にはなれなかった。

 

「ま、まあね」

 

 いつも通りの虚勢を張ってたものの、内心は焦っていた。もっと(ケイ)みたいにうまく立ち回らなければと思った。

 

「二組の代表って小柄(こづか)で決まってるんでしょ。今のままなら織斑くんでも勝ち目あるのに……」

 

 相川が私にも見えるように携帯端末を傾けながらある記事を開いた。新聞部主催の新人戦、つまり一年クラス対抗戦について記事にしたもので、各クラスの代表の顔写真と簡単なプロフィールや使用IS、試合予想が載っていた。執筆者欄に薫子さんの名前が載っていなかったものの、実に(から)いことが書かれていた。優勝候補は三組と四組、一組と二組で最下位争いか織斑が今年のダークホースになることを期待、という内容だった。ちなみに去年は一組が全勝優勝していた。会長が代表で補欠としてウェルキン先輩を擁したという勝たない方がおかしい布陣だった。

 

「転校生の子って専用機持ちだもんね。もしその子に代表交代ってなったら……うちのクラスって結構まずいよね」

「間違いなく勝利の可能性が遠のくだろうね」

 

 相川が携帯端末に指を滑らせながら発言したので、私は下馬評通りに答えた。セシリア嬢が代表になっていたとしても、優勝は危ういのではないだろうか。ブルー・ティアーズの戦術分析を行って、クラス対抗戦までに準備を整えて挑んでくるものと容易に想像することができた。

 まして織斑の白式は近接戦闘特化という上級者でも扱いに困る仕様だった。セシリア嬢のように、離れたところからシールドエネルギーを削る戦術を採用するクラスが必ず出てくるに違いない。

 相川は携帯端末を一度ポケットに突っ込んで情けない声をあげた。

 

「ああ。半年間デザートフリーパスが遠のいていく……」

「今の下馬評だと四組が圧倒的優位だからね」

 

 私は追い打ちをかけるようなことを言った。事実とはいえ言葉にしてみると世知辛かった。ISの強さを決める要素の一つに搭乗時間があって、これは航空機パイロットの飛行時間と同じくISパイロットの熟練度を測る物差しとして用いられている。代表候補生ならば最低でも三〇〇時間は超えると聞いていた。

 

「三組の代表ってブラジルからの留学生だったよね」

 

 相川は再びポケットをまさぐって携帯端末を取り出すと、下馬評のページに指を滑らせ、記事の内容を読み上げた。

 

「ブラジル連邦共和国代表候補生。ブラジル軍正式採用のラファール・リヴァイヴを使用する」

「リヴァイヴの試合を見れるのはいいんだけどね……。織斑だとつらいかも」

 

 私がため息をつくと、相川もつられて息を吐いた。

 

「しかも四組は……更識(さらしき)(かんざし)なんだよね……」

「強いんだって。セシリアさんが言ってた」

「生徒会長の妹はさすがだよね。ホント、篠ノ之さんはよい子を捕まえたよね……」

 

 そのネタをまだ引っ張るのか。相川は頭に手を置いて小さく舌を出しておどけた表情をしていた。わざとなのは間違いなかった。

 

「この前、えーちゃんに教えたもらった映像見たよ。更識さん、ISに乗った時の性格で篠ノ之さんを攻めないのかな……気になる」

「その百合(ゆり)の花は造花ですよ」

「えーちゃんったらつれない。そこは乗らないと」

 

 高らかな声をあげて笑う相川に釘を刺すと、彼女は隣に移動して肩に手を回してきた。女の子らしい柔らかな感触に感動し、やはり岩崎とは違うとしみじみ思った。

 相川が思い出したように顔を向けた。

 

「そういえばさ、これ知ってる?」

「これって?」

「本音情報なんだけど、クラス対抗戦の最下位クラスには罰ゲームが課されるらしいよ」

 

 その情報は初耳だった。布仏さんが生徒会室に出入りしているのは周知の事実で、先日本人から生徒会書記を拝命されたと聞かされて驚いた。やることなすことゆっくりな彼女に書記がつとまるのかと思いきや、巨乳眼鏡の足を引っ張るので姉自ら厳しく接していると愚図っていた。布仏さん(いわ)く「いると仕事が遅れる」だとか。ちなみに巨乳眼鏡もとい、布仏先輩は超がつく有能でいつ仕事をしているのかわからないそうだ。姉妹でも全然違うのだ、とそのときは納得して聞いていた。

 

「罰ゲームって……眼前に(えさ)をぶら下げるだけじゃなかったのか」

「毎年勝負を投げるクラスが出るから、ケツに火をつけるのが目的なんだって。去年だと一組が強すぎて三組が勝負を投げたらしいよ」

 

 三組と言えば井村先輩のクラスではないか。あの人なら当時の状況を嫌々教えてくれそうな気がした。

 

「クラス代表がロシアの国家代表で、補欠が接近戦無双(ウェルキン先輩)とか誰も相手にしたくないから。絶望したくなるのわかる……」

 

 相川もセシリア嬢からウェルキン先輩の話を聞いているので、苦笑しながら相づちを打ったにすぎなかった。

 

「布仏さんから罰ゲームの内容って何か聞いてる?」

 

 相川は首を振った。

 

「罰ゲームがあるって情報以外は聞き出せなかったなあ。お姉さんがどうしても教えてくれないんだって」

 

 相川の言うとおり危機感を持たせることが目的だとすれば、得体の知れない罰ゲームのうわさを流して実はデブリーフィングでした、というオチを疑った。巨乳眼鏡が妹に機密を口外するようなまねはしないと考えられるので、布仏さん経由だとこれ以上探りようがないと感じた。断定するのは井村先輩の話を聞いてみてからでも遅くはないだろう。

 相川は神に祈るように手を組んだ。私の肩に置いた手を強引に引き寄せたものだから、喉に腕の内側が密着し、その状態から腕が親指側に九〇度回転したことにより気管が圧迫されて急に苦しくなった。

 

「どうか神様。二組の代表は小柄のままにしてください……」

 

 晴れ空のため、見えないはずのお星様に向かって凰さんの落選を祈った。

 

「ちょ……(のど)に腕が……やめっ……ひねらないで」

 

 私は腕を振り解こうと数秒間の抵抗を試みたけれど、(かな)わないと知るや必死に彼女の二の腕を何度もタップしてギブアップを主張していた。

 

 

「あちゃー。真ん中しか空いてないや」

 

 私は昼食が乗ったトレーを持って食堂を見回していた。最も混雑する時間帯だから仕方ないとはいえ、窓際や通路側のテーブル席がすべて埋まっていた。普段なら誰か一人が場所を確保するのだけれど、今日に限って全員が人気の定食メニューを選択してしまい、長蛇の列にはまって動けなくなってしまった。

 (ケイ)も背伸びしていたが、奥の席まできれいに埋まっている。真ん中のテーブル席が空いていて、ちょうどしのぎんの背中が見えた。二人で十人掛けのテーブルを占拠している。どういうわけか相席をする人がいない。そこで私はセシリア嬢に相席しようと提案した。

 

「今回は仕方ないですわね」

 

 同意が得られたので(ケイ)に声をかけ、しのぎんたちの席に向かった。

 

「すいませーん。相席してもかまいませんか?」

 

 しのぎんの正面に座った凰さんが二つ返事で承諾したので、私たちはしのぎんたちの対岸を陣取った。子犬ちゃんの隣に座って横を向くと、しのぎんと凰さんが仏頂面でチャーハンを食すところだった。

 そしてやや遅れて座った(ケイ)とセシリア嬢を見つめて、

 

「ちょうど良く空いててよかったね」

 

 と笑顔で告げた。

 セシリア嬢と言えば凰さんに流し目を送ってすぐに(ケイ)を見るなり、彼女らにしては胡乱(うろん)な英語で言葉を交わしていた。何を言っているのか聞き取れなかったので、私は子犬ちゃんと顔を見合わせてから首をかしげた。

 

「何を話してるんだろうね」

 

 私のつぶやきに子犬ちゃんは困惑したような視線を投げ返すだけだった。

 時々この二人はあまり他人に聞かせたくない話をするときはクイーンズイングリッシュ以外の方言を使うので、置いてけぼりを食らうことがあった。今回もその通りだったけれど、(ケイ)とセシリア嬢の視線が時々テーブルの対岸に向けられるので、二組のことを話しあっていると推測まではできた。

 

「えーちゃんごめんね」

 

 話が終わったのか(ケイ)が断りを入れてきた。私は食事の前で手を合わせながら答えた。

 

「いつものことだし気にしてない」

 

 私だって実家に電話するときは故郷(くに)の言葉を使う。(ケイ)からは「日本語?」と聞かれたので「地元の言葉」と答えを返したことがあるのでお互いさまだと思っていた。

 隣で子犬ちゃんが「いただきます」と小声で言うものだから、セシリア嬢はうれしそうに同じことを言って食事に箸をつけた。セシリア嬢を見ていると子犬ちゃんを猫かわいがりしているので、そっちの気があるんじゃないかとみんなで疑っている。子犬ちゃんは一部の者から魔性の女と呼ばれていて、私としては彼女を岩崎や生徒会長の前にけしかけてみたいという下衆めいた欲望がわき起こる時があった。あの生徒会長や巨乳眼鏡が理性を破壊される様子を観察して記録に収めてみたいのだけれど、実行に移す勇気はなかった。

 ポタージュスープがついていたので口をつけると、思わず舌鼓を打った。

 

「うわっ、これおいしい」

 

 子犬ちゃんも同感なのか何度も首を縦に振っている。四〇〇円定食とは思えない味だった。

 私の声につられてセシリア嬢や(ケイ)もスープを口にするなり、一度動きを止めから同じような反応を見せた。

 セシリア嬢が頬を緩ませ目を丸くして絶賛している。

 

「まあ……! チェルシーが作るよりもおいしいですわ」

 

 チェルシーとはセシリア嬢の友人だろうか。

 先ほど先輩が単体提供の可否を聞くのを耳にしたけれど、定食用の限定メニューで別途提供の予定はないという。

 値段が安いだけ合って量が少ないのだけれど、それ以上においしかったのでみんな満足していた。一段落ついたところで対岸に視線を向けると、しのぎんと凰さんが同時に杏仁豆腐を食べ終わってレンゲを置いていた。

 二人は食事中互いに目を合わせることなく、互いの剣呑(けんのん)な空気をぶつけ合っていた。そのため誰も近づくことができず、他の生徒は多少不便を感じても奥の狭い席を選ぶほどだった。

 一年二組に転校生が来たのは周知の事実で、代表候補生ということも他国の留学生経由で瞬く間に情報が知れ渡っていた。

 私は小声でセシリア嬢に話しかけた。

 

「雰囲気悪いね」

「二人は渦中の人ですもの。当然でしょう。さて、どうなるかしら」

 

 セシリア嬢は私に視線を向けることなく、口元をにこやかに曲げ、目を細めてしのぎんたちの様子をうかがっている。悪趣味だけれど他人の不幸は蜜の味だろう。よくよく周囲を見渡してみれば、多くの生徒が二人がどのようなやりとりを交わすのか期待して聞き耳を立てていた。

 特に二組以外の生徒の立場ならば、クラス代表がしのぎんか凰さんになるかで対応が変わってくるので興味津々といったところか。もし凰さんに交代した場合は二組も優勝候補の一角をなし、一組が台風の目になるか、と新聞部主催のトトカルチョのレートに変動が発生するのだ。すでに食券やデザート券を抵当にして賭に参加する者が出ており、彼女らとしては喫緊(きっきん)の課題だった。

 最初に口火を切ったのは凰さんだった。

 

「あたしの後をつけて何がしたいの」

 

 予想通り剣呑な声音だった。鋭く研いだ言葉の(やいば)がしのぎんに降り注いだ。

 

「話をするためだ」

 

 先生からステゴロ禁止が申し渡されているためか、しのぎんは冷静さを失っていない。

 

「話すことはないわ。アンタがおとなしく代表を譲れば済む話よ」

「譲る気はない」

「アンタじゃ勝てないわよ」

 

 目を伏せ、お茶を飲みながら素っ気なく告げた。

 

「クラスのことを考えてみなさいよ。あたしが代表になった方が勝率が上がる。あたしは代表になって満足。優勝すればアンタも学食の半年間デザートフリーパスが手に入って満足。最高じゃない」

 

 事実に基づいた予測を淡々と述べた。半年間デザートフリーパスを入手することを目的とするならば、しのぎんが代表辞退を申し出た方が目的達成の可能性が大幅に高まる。逆に今のまましのぎんが参加した場合、優勝どころか最下位争いをしかねなかった。私としてはしのぎんの成長速度にもしや、と期待をかけているのだけれど、現実はそれほど甘くない。

 

「素人の一組はともかく、三組と四組は代表候補生。専用機持ちではないとはいえ、実力はそれ相応なのよ」

 

 四組の代表は更識さん、三組の代表であるマリア・サイトウは日系ブラジル人だった。凰さんが警戒するような口ぶりだったので、こっそりセシリア嬢に視線を移すと同意を示すように軽くうなずいていた。

 

「四組はまだ専用機が完成していないだけだ」

「更識ね」

 

 凰さんがお茶で軽く唇をしめらせた。

 

「あたしが警戒しているのはあの猫かぶりよ」

 

 猫かぶりとは言い得て妙だった。試合映像を見たときは私ですら別人に思えたぐらいだ。試合する姿を見てからISから降りた更識さんと接すればそのように感じるのかもしれない。彼女は半年前の親善試合で中国の代表と弾幕戦を繰り広げた末、結果的に敗北したとはいえ一度は代表に土をつけていた。凰さんもその試合を見ていたはずだった。

 

「それに相手がサイトウなら、大きなミスさえしなければ勝てるわ」

 

 凰さんが言うとおり、マリア・サイトウは更識さんよりも格下と見られていた。若手選手会の戦績から見て明らかだし、何度か更識さんと対戦してストレート負けを喫していた。武器展開速度や反応速度は決して劣っているとは思えなかったが、三次元機動時での次手の読み合いで負けていた。

 しのぎんは鋭い視線を保ったまま、口元だけにこやかな笑みを浮かべた。

 

「すごい自信だな」

「あたし、強いよ」

「知ってる」

 

 凰さんが自信ありげに鼻を鳴らしたけれど、しのぎんは動揺することなく静かな声で事実を認めていた。

 

「土日に親善試合の記録を見た」

 

 そう言ってお茶を飲み干す。すると凰さんの瞳が艶やかさを増した。

 

「熱心ね。でもその情報、古いから」

 

 ふっと軽く笑みを漏らす。ツインテールが軽く左右に揺れた。

 

「動きの癖とか参考になったし、凰の性格も少し分かった。古かろうが何も得られないことはない」

 

 今のところ穏やかな口調のままだった。しかし私はこの緊張がいつ決壊するのかと思い、はらはらとした気分だった。

 しのぎんの取り澄ました態度が気にくわなかったのか、凰さんはとびっきりの笑顔を向けた。

 

「今すぐ殴りかかってきてもいいけど?」

「それじゃあ意味がないんだ」

 

 しのぎんは誘いに乗らなかった。まっすぐな視線を正面に向け淡々とした様子だが、それでいて眼光は鋭い。

 

「私はISで白黒はっきりさせたい」

 

 凰さんは目が笑ったままため息をついた。

 

「残念ね。立ち上がる気力も起こらないほど徹底的にたたきのめしてあげたのに」

「そりゃどうも」

 

 雑談する時のようなおどけた口ぶりで凰さんの攻めをかわし、すぐにドスを利かせた重く低い声音に切り替えた。

 

「私は……粘り強いのが信条だから。簡単には膝を屈するつもりはない」

「ISに乗り始めて一月も経ってないのにすごい自信ね」

 

 凰さんはつまらなそうに言った。彼女が指摘するようにしのぎんは素人に違いなかった。しのぎんは落ち着いた真剣なまなざしを凰さんに向けた。決意表明とも取れる強い瞳だった。

 

「凰に負けたくない」

「どうして?」

 

 凰さんが真意を聞いた。私も気になって耳をすました。

 しのぎんは目を閉じて肺を空気で満たそうと大きく息を吸った。騒々しい食堂にもかかわらず、その息づかいが聞こえてくるように思えた。彼女は息を四割方吐ききったところで止め、目を開けた。

 

「世界一になりたいから。だから更識さんに挑戦して勝ちたい」

 

 その瞳は自信と確信に満ちていた。凰さんは大風呂敷を前にしばらくの間、目を見開いてびっくりしていたけれど、そのうちにツインテールを小刻みに揺らし出してお腹から笑った。

 

「ハハ! アンタそれ本気?」

「だからこそ私はIS学園(ココ)に来て凰の前に座っている」

 

 凰さんのおどけたような口ぶりに臆することなく言い切った。

 

「理想家ねアンタ」

 

 そう言って腹を押さえながら大口を開け肩を揺らして笑っていた。しばらくして息が続かなくなってきたのか、正面を向くや深呼吸をしてみせた。そして好戦的な様子で頬に笑みを浮かべ、身に押し隠していた殺気を露わにしながら口を開いた。

 

「現実の厳しさを教えてあげる」

「上等。その(はな)(ぱしら)をへし折ってやる」

 

 

 昼食後カバンの中から本屋の紙カバーをつけた本を数冊取り出すと、小脇に挟んで職員室に向かった。金曜日に山田先生から借りた本を返すためだ。

 一冊はIS理論の参考書で、山田先生が現役時代に使っていたものだからかハードカバーだった。もともとしのぎんが借りたものだけれど、彼女は土日の間に部屋にこもって読み切ってしまった。私も本を借りていたので、ついでだから一緒に返却することを申し出ていた。ちなみに私が借りた本と言えば新書サイズのノベルスである。

 職員室に入った私は一年生担当教師の机を探した。

 先生方の机はいくつかの島を形成していた。学年ごとに島が分かれ、教頭クラスと研究部門はまた別々に机が与えられていた。よく見られる島型オフィスで中学の職員室も今より規模は小さかったけれど、似たような配置だった。

 私は自席で弁当箱を片付けている山田先生の姿を見つけ、脇に抱えた本を落とさないように両手で支えながら近づいて声をかけた。

 

「山田せんせー」

 

 すると山田先生は弁当箱を足元に置いたカバンにしまって私の名を呼んだ。

 

「これ。ありがとうございました。しのぎんが借りた分もついでに返しますね」

 

 お礼を言って山田先生に本を渡した。すると驚いたような顔をしたので、私は頬をかいた。

 

「もう読み終わったんですか」

「しのぎ……じゃなくて、小柄さんが土日に全部読んだと言ってました」

「この本、三〇〇ページ以上ありますよ」

「せっかくだから私も目を通しましたけど、二日で全部はちょっと無理ですね。内容も難しかったし」

「この本だと二学期以降に習う内容が含まれていますからね……代表候補生や国家代表ならまだしも……今の時期だと一般生徒には難易度が高い内容です」

「……なるほど」

 

 そういえばしのぎんから本を受け取ったとき、彼女をはじめとした二組の気迫を感じてぞっとしたことを思い出した。時折彼女と端末片手に話しあっている生徒が彼女の部屋にこもっていて、しのぎんと一緒になって過去の試合の動画を見ながらメモを取っていた。二組の生徒がもう一人いて、第一アリーナのシミュレーションモデルを表示させながら、怒濤(どとう)のごとくキーボードをたたいていた。全員が凰さんに勝つつもりで真剣に言葉を交わしていた。一組にはない雰囲気だった。頑張っているのが印象的で、うちのクラスみたいな浮ついた感じがしなかった。

 私は自分が借りた本についての話題に切り替えた。

 

「時代小説は有名どころしか読んだことがなかったのですが、意外と面白かったです」

「でしょう。私も五郎丸(ごろうまる)さんが是非(ぜひ)に、と強く推すので半信半疑読んでみたら、びっくりしましたから」

「先生が時代小説を推すとは思っていませんでした。長束(なづか)志摩(しま)シリーズかあ。むしろ織斑先生に勧められる方がしっくりきたんですよね。剣道を(たしな)んでいるだけあって、こういうのが好きそうなイメージがあるんですよねー」

 

 私につられて山田先生もほほえみながら織斑先生を一瞥した。織斑先生は名前を引き合いに出されたせいか、顔を上げてじっとこちらを見つめていた。

 私は声の調子を落として、ささやくように続けた。

 

「この作家ってBL出身ですよね。だから私、ついつい色眼鏡で見てましたけど、認識を改めなきゃって思いましたよ」

「奇遇ですね。五郎丸さんってああいうのが好きだから、最初警戒しちゃいました」

 

 くすくすと笑う山田先生につられて、私も相好を崩していた。職員室にふさわしくない内容はこれまでと思ったので声の調子を戻した。

 

「この……騎士白(きしじろ)嘉市(かいち)って、他に本出してないんですか?」

 

 騎士白嘉市はとても狭い界隈(かいわい)において野々師(ののし)韻龍(いんりゅう)シリーズの作者として名を知られていた。姉崎の従姉(いとこ)である五郎丸が特に好き好んでいることから内容は推して知るべしだった。

 

「ゴホッゴホッ!」

 

 突然苦しそうにむせ返る声が聞こえてきたので、びっくりして声の主を見たら織斑先生だった。

 

「お、織斑先生。大丈夫ですか?」

「ああ……すまん……」

 

 山田先生は織斑先生から見て斜向かいの席に座っていたけれど、ハンカチを手渡そうと身を乗り出した。織斑先生はポケットに手を入れようとしていたが、差し出されたハンカチに気づいて申し訳なさそうな顔をしてから受け取った。ハンカチは無地に花柄のワンポイントがあしらわれていた。口にあてがい、しばらく涙目になって()き込んでいた。

 

「……もう、大丈夫だ。心配をかけたな」

「びっくりしましたよ。突然むせかえるから……」

 

 織斑先生は目元を潤ませていた。なかなか新鮮な構図だけれど、私は内心を悟られないように面白がるようなしぐさを控えた。ハンカチで目元を押さえたけれど、幸いなことに化粧崩れはなかった。織斑先生は一見化粧っ気がなさそうに思えるが、アイラインを薄く施しているのが分かった。浅学非才の身ながら鋭い顔立ちや雰囲気、言動から同姓に人気があって、異性には敬遠されるタイプに思えた。

 私は落ち着いてきた頃合いを見計らって織斑先生に話しかけた。

 

「織斑先生もこういった小説を読むんですか?」

 

 ハンカチを机の脇に置いて、取り澄ましたような表情で答えた。

 

「結構読んでいるな」

 

 山田先生が相づちを打って話に参加した。

 

「織斑先生の部屋に文庫本がたくさん積んでありましたよね。あれ、全部読まれたんですか」

「ああ。最近、気分転換がてら昔に買った剣客(けんかく)ものや捕物帖(とりものちょう)を少しずつ読み進めているんだ。そろそろ整理しないといけないんだが、なかなか気が回らなくてな」

「それ分かりますよー」

 

 私は相づちを打って、実家で誇りをかぶっている大量の漫画本のことを思い出した。それらは入学前に母親から、夏休みに帰省したら処分するように約束させられていた。

 ふと思いついたことを口にする。

 

「織斑先生も騎士白嘉市とかそう言ったのを読むんですか?」

 

 山田先生から借りた本について話していたから、その流れの延長にあるものと思ったので他意はなかった。

 すると織斑先生の目が泳いだ。一瞬、何かを言いかけて口をつぐんだ。変だ。先生らしからぬ様子だった。山田先生を一瞥したが、どうやら気づいていないらしい。そして織斑先生は当たり(さわ)りのない言葉を選んだ。

 

「ま、まあな」

「ちょっと気に入ってる場面があるんですけど……」

 

 織斑先生は正太郎コンプレックスの意味を正確に理解していたことを思いだし、ちょっとした悪戯(いたずら)を仕掛けてみようと考えた。中学に上がったら突然腐った同級生に無理矢理読まされた、あるシリーズ物の一場面についてわざと誤った内容を口にするつもりだった。もし織斑先生が訂正したのならば黒。訂正せず受け流したら白。すっとぼけたら保留とする。

 

七南酒(ななさか)(はん)出奔(しゅっぽん)の折、国境(くにざかい)で待ち伏せした田宮道場の二反地(にたんち)数馬(かずま)との死闘は……」

「数馬は韻龍と同門だ。一刀流小野道場が正しい」

「そうでした? うっかり勘違いしてましたよー」

 

 騎士白嘉市処女作「出奔」の一場面である。刃傷沙汰が原因で脱藩を図った野々師韻龍を、同門にして親友である二反地数馬が国境で待ち伏せし愛憎に満ちた死闘におよぶ、という展開だった。織斑先生は決してメジャーとは言えない、それどころかマイナーな作品に対して正解を口にした。間違いなく黒だった。少なくとも先生か、その友人が腐っているに違いない。私は衝撃の事実に頬が緩むのをこらえることができなかった。

 一方、山田先生はきょとんとしていた。借りた本にはそんな場面は存在しないからだ。織斑先生は黒い笑みを浮かべた私を見て、むっとした様子で言いとがめた。

 

「気持ち悪い笑い方をするな」

「顔に出てました? すいませんー」

 

 私はしれっとした様子で無邪気な笑顔を作り、頭を下げた。今度織斑先生が一人になったときに、さりげなく話を振ってみようと思った。意外とあっちの話に詳しそうなので期待が持てた。

 不審がる織斑先生が私に向かって追求を試みるべく口を開けた。ちょうどそのとき、二組担任の先生が疲れた顔で大きなため息を吐きながら、山田先生と相対した席に座ったので、織斑先生は口を閉じて前を向いてしまった。

 

「聞いてくださいよー」

 

 椅子の背に体を預けたかと思えば、机に肘を突いて山田先生を見つめた。

 

「うちのクラス。ちょっと大変なことになってるんですよ」

「ああ、先週の」

 

 山田先生が相づちを打った。

 

「クラス代表の件で凰さんと小柄さんが揉めたのが先週。金曜日に白黒はっきりさせようとしたら、クラスまで意見が割れてずっと険悪な空気が流れてて……私は担任だからどちらかに肩入れできなくて」

 

 先生は再び深く椅子の背にもたれかかると、両手を地面に向けて投げ出した。顔に弱気の色が見えた。

 

あの子(小柄さん)、ものすごく一生懸命で向上心があって、四組の更識さんに勝ちたいって言ってたんです。だから応援してあげたいんだけど、実力の面だと凰さんだし。凰さんは自分にも機会を与えろってアピールしてくるんですよね」

「そういうの。私にも経験ありますよ」

 

 山田先生が懐かしそうな顔で目を細めてほほえんだ。

 

「そういえば山田先生は元代表候補生でしたね」

 

 先生の言葉に山田先生がうなずいてから口を開いた。

 

「一生懸命なんですよ。お互いに正しいと思ってるから揉める。今回は凰さんが喧嘩を売った構図だけど、遅かれ早かれ二人はぶつかってますよ」

「ですかね。はあ……気が重いなあ」

 

 先生が深くため息をついたので、すかさず山田先生が身を乗り出した。

 

「先生、元気出してください。私もできるだけ相談に乗りますから、みんなで一緒に解決していきましょう」

「……はい」

 

 自信がなさそうに返事したけれど、しばらくして覚悟を決めたのか先生の瞳に輝きが戻った。

 

 

 




【補足】
三組の代表候補生について
(原作1巻P.170より)一年の代表候補生は四名。一夏をのぞいて専用機持ちは二人という記述があります。専用機持ちがセシリア、簪だとすれば、名前が出てこない代表候補生が二名存在することになります。本作では、二名のうち一名を三組に割り当てました。


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★14 甲龍VS打鉄

約13,000字といつもより少なめです。


 (ファン)さんが転入してから五日目。二組の殺伐とした雰囲気は他人を寄せ付けぬ息苦しいものだった。つい先ほど織斑が隣のクラスに足をのばした。しかし目的を果たすことができなくて重い足取りで引き返していた。今週に入って何度かそんなことを繰り返したけれど、すべて空振りに終わっていた。大きなため息をついて肩をすくめる様に、鷹月に呼ばれて席を立った篠ノ之さんはすれ違いざまにいぶかしむ顔つきになり、その背中を見つめていた。

 自席に戻るなり疲労の色をみせた織斑に向かって、私は声をかけた。

 

「調子悪そうだね。夜更かしでもしたのかい」

 

 篠ノ之さんがいないのを良いことに、同居人に対してベッドの上の戦争でも仕掛けたのか、と茶化してみた。織斑は一瞬、目を泳がせて声をかけた主を探そうと辺りを見回し、私の姿を見つけるなり頬づえをつくとタチの悪い冗談と思って、ため息とともに聞き流してしまった。この手の冗談を右から左に流されるのは今に始まったことではなかった。あからさまにやられると、私のアクリル製のハートに傷がついてしまう。

 織斑はゆっくりと片目を開け、私が膝立ちになって両腕を机の上で組んであごを乗せるまで待っていた。織斑とずいぶん顔を近づけていたけれど、彼を恋愛対象として見ていなかった私は目や鼻のつくりが織斑先生にそっくりだな、とそんなことばかり考えていた。

 織斑の方も私のことを妖怪か何かだと思っているらしく、もはや女子扱いしていなかった。

 

「ダメだ。とても声をかけられる雰囲気じゃない」

 

 織斑と目があってにんまりと笑った。

 

「二組の転校生なんだけどさ。あれ、俺の幼なじみなんだよ。だから久しぶりだなって声をかけようとしたら、ものすごい表情でにらまれた」

「凰さんと、ねえ」

「俺、嫌われてんのかな」

 

 かなり(へこ)んでいて、表情に彩りがなかった。物憂げな瞳を浮かべる様がとても絵になっていた。

 

「幼なじみってことは篠ノ之さんとも知り合い?」

 

 織斑は篠ノ之さんと幼なじみだと確認が取れていたけれど、彼女以外にも古い付き合いの女子がいたとは初耳である。いずれ凰さんを交えてなれ()めを聞いてみたい気持ちが生まれた。

 

「いや、あいつが転校してから入れ替わりに転入してきたから面識はないんだ」

「ファースト幼なじみに、セカンド幼なじみかー。両手に花ですね」

 

 篠ノ之さんが転校したのは小学校の時だと言っていたから、かなり長い年月をともに過ごしたと見えた。織斑のことだからさぞかし女子にもてたことだろう。凰さんも気になっていたのではないだろうか。

 

「からかうなよ」

 

 冗談に込められた意味に気づいたのか、織斑は真っ赤になってうつむいた。

 私はうぶな反応を意外に思いながら、へらへら笑って相づちを打った。

 

「実際そう見えるし。よっ色男」

 

 適当にからかってやったら織斑は適当に聞き流した。むきになると私を喜ばせるだけだと気づいたらしい。

 

「あのよどんだ雰囲気って、やっぱり鈴が原因なのか?」

 

 織斑も凰さんとしのぎんが宣戦布告を交わしたことを聞き知っている。それ以外に原因はなく、女子の意見を聞きたいという確認の意図を含んでいた。

 

「今、まさに喧嘩中だからね」

 

 織斑はうなずいた。

 

「凰さんも織斑に構ってる状態じゃないと思うんだよね」

 

 今日は二組の代表決定戦なのだ。二人の意地がかかった戦いの日だ。空気が張り詰めない方がおかしい。

 

「今日が試合だってのは分かるけどさ。もう少し余裕があってもいいんじゃないか。小柄(こづか)がピリピリするのは分かる。でも、鈴は代表候補生なんだろ?」

「まあ……男の前で態度を変えたら印象悪いからね」

「何で」

「そりゃあ、織斑に近づきたいからクラス代表になりたいんだって思われたくないんだよ。自分にも機会を与えろって、積極的にアピールしてるんだよ。それが実は男がらみだった、とかないわー」

 

 自分で口にした仮定への嫌悪感をあらわにした。私の陰険な顔つきに、織斑がうめいたので、すぐににやけ面をつくった。織斑は目を伏せてため息をついた。

 

「これから先、クラスメイトを敵に回して過ごしたいと思う?」

 

 織斑は女子全員を敵に回した状況を想像したのか、身をすくませた。弱々しい声だった。

 

「……それはちょっと勘弁して欲しい」

「今日の試合が終われば、もう少し空気がよくなると思うから。今はそっとしときなよ」

 

 

 放課後の第一アリーナは人だかりができるほどに混雑していた。未だ慣れきっていない様子の一年生と比べ、上級生の足取りはしっかりしている。座席の確保にも迷いがなかった。通路を歩いていると、セシリア嬢たちはウェルキン先輩に捕まってしまった。私は先行して席を確保すると告げて先を急いだ。途中でダリルさんや弱電メンバー、それに生徒会長の姿を見つけた。しかし声をかけるには至らなかった。

 通路の端を黄色い化学防護服で着ぶくれた幼い顔が、ぺこぺこ頭を下げながら足早に通り過ぎていく。ヘルメットに相当する部分を脇に抱えているせいか、幅を取っていて通行の邪魔になっていた。関係者専用(STAFF ONLY)と描かれたボーダーシャツを着た男性をあしらった絵が描かれた扉をあけて中に入っていった。

 観覧席に出ると、ちょうど織斑と篠ノ之さんの姿を見つけた私は鷹月の手を取って足取り軽やかに背中を追った。並んで席に着こうとした二人の名を呼ぶと、先に織斑が振り返った。

 

「隣いいかなあ」

 

 私の名を呼んだ織斑に向かって間髪入れずに言った。二つ返事で了承したので礼を言いながら、私はセシリア嬢の顔を思い浮かべていた。つづいて鷹月が礼を言った。

 

「座ろっか」

 

 鷹月に声をかける。そのときになって、彼女と手をつないだままだと気がついた。柔らかくてすべすべした手だった。

 

「後でセシリアさんたちが来るから。奥の三つも確保だからね」

 

 と言って手を離す。かすかなぬくもりが残った。私は腰を下ろした。織斑は篠ノ之さんと私に挟まれる形となった。

 

「どうかしたのか?」

「ウェルキン先輩に捕まってる」

 

 織斑の問いに答える。なるほど、と相づちを打つの見えた。普段のセシリア嬢を見ているとウェルキン先輩の厳しさ(愛情)をひしひしと感じた。本人は先輩に会うたびにやつれて帰ってくるけれど、はっきりと成果を見せている。ミスが改善され、無駄がそぎ落とされ、見違えたように動きが良くなった。前に聞いたことだが、先輩はデブリーフィングの際、あいまいな回答を許さないのだという。問題の要点を理解して言葉にして、ウェルキン先輩が納得しなければ合格と認められない。その甲斐あって、セシリア嬢は他人にものを教えるのが上手だった。

 篠ノ之さんが体をひねって観覧席を見回していた。

 

「一夏の時よりもギャラリーが多くないか」

「金曜の放課後だからね」

 

 私が言うと、後から鷹月が補足した。

 

「中国の第三世代機が見られるからって上級生が観戦に来ています」

 

 織斑が感心したような声を漏らし、篠ノ之さんに習ってあたりを見回した。

 わたしも後ろを顧みる。パトリシア先輩を見かけたので手を振った。彼女は隣に真昼さんと思しき上級生に手を引っ張られていた。パトリシア先輩が困惑する様子が見え、私に気がつくことはなかった。その代わり、すぐ後ろにいた岩崎が手を振ったので、うれしさと悲しさが混ざり合った複雑なものが胸を突き上げた。口の端を引きつらせたまま表情を強ばらせていたら、先日航空部の部室で見捨てた三組の生徒が神島先輩ががっちりと腕をロックされているのを目にした。その生徒は諦めきった表情で連行されていった。

 

「対抗戦の前に手の内を明かしてくれるとは、助かる」

 

 篠ノ之さんが柔らかい声で言って、携帯端末を取り出して新聞部主催の対戦表を表示させた。対戦者が選択した装備について直前まで情報が開示されない仕掛けであり、観覧席からの情報提供を防止する意図があった。

 

小柄(こづか)(ファン)には感謝しないといけないな」

 

 と篠ノ之さんが含んだ笑みを浮かべた。牙を研いだ獣のように見え、真剣味を帯びた表情にぞっとした。

 篠ノ之さんの口から私の名が飛び出した。はい、と返事をした。

 

「データ入手の準備はできているか?」

「回収班と航空部からデータを分けてもらう約束を取り付けてますよー」

「相変わらず仕事が早いな」

「そりゃあ、篠ノ之さんとセシリアさんたってのお願いですから。怪人にだって頭下げますよう」

 

 私はしまりのない笑顔で答え、篠ノ之さんを目をじっとのぞき込んだ。

 二組のデータ収集はもともとセシリア嬢が言い出したことで、私に目をつけていた篠ノ之さんが先輩方にデータ提供を頼んでくれないか、とお願いされていた。私はすぐさま姉崎に連絡を取って篠ノ之さんの意向を伝えると、データ提供を快諾してくれた。もちろんタダではなく篠ノ之さんの写真を新たに数枚提供した成果だった。だから口が裂けても取引材料のことは表に出してはならなかった。

 篠ノ之さんは私の猫なで声を聞いて眉根をひそめた。

 

「と言っても、データ自体は学内ネットワークから取得できるんですよ。シミュレータを使えばローポリ映像で試合経過を再現できます」

「鷹月ー。いいとこ持ってかないでよー」

 

 私が頬をふくらませて顔を近づける。鷹月の目が笑った。

 

 

 遅れてやってきたセシリア嬢に、私は満面の笑みを向けて立ち上がった。やや遅れて鷹月も席を立った。

 はじめから織斑の横はセシリア嬢に譲るつもりでいた。セシリア嬢の隣に子犬ちゃんが座るから、奥に向かってちょうど二つずれた形になる。ちなみに(ケイ)が一番端だった。

 私の意図に気づいたセシリア嬢は優雅な振る舞いで、ありがとう、と告げ、柔らかい笑みを浮かべながら織斑の隣に座った。そして子犬ちゃんがセシリア嬢の隣にくっついた。

 最近のセシリア嬢はウェルキン先輩に入れ知恵されたのか、気取らず、しとやかで上品な雰囲気を醸し出すように努力していた。すぐかっとなるところを注意されたらしい。ウェルキン先輩が男の落とし方までレクチャーしているらしく、ときどき姉崎や五郎丸さんを講師に招いていると聞いて、セシリア嬢が危ない方向に歪まないか心配になった。

 

「まだ大丈夫ですか?」

 

 セシリア嬢が少し慌てた様子で織斑の方を向いた。

 

「まだだ」

 

 織斑の言葉に、セシリア嬢はほっと胸をなで下ろした。ずいぶん長くウェルキン先輩と話し込んでいたので、既に始まっているものと気が急いたらしい。篠ノ之さんが携帯端末を触って天候の概況を読んでいる。空は青く、大陸から前線が降りてきているとはいえ、急変するにはほど遠い。

 

「登録武器のデータ来てるよ」

 

 と鷹月が言った。彼女の携帯端末に映し出された対戦表には、しのぎんと凰さんの機体データ、そして登録武器の名前が書かれていた。

 

「どんな(武器)使うんだ?」

 

 織斑が興味津々な様子で篠ノ之さんの手元をのぞき込んでいる。セシリア嬢は気安い様子の織斑に見えないようにむっと頬をふくらませていた。

 私は鷹月の手元をのぞき込んだ。しのぎんの打鉄の装備は次の通りだった。槍、アサルトライフルならびに銃剣(バヨネット)ショートナイフ(近接ショートブレード)を二本装備している。

 

「出てきましたわ」

 

 セシリア嬢の声と重なるようにして観覧席が騒がしくなった。私は視野の上部に映りこんでいたモニターを見やると、見慣れた灰色の甲冑が目に入った。

 打鉄(うちがね)。倉持技研の第二世代機で、特筆すべきところはないが訓練機として最優秀であり、素直な操作性が好評だった。

 

「剣は使わないんだな」

 

 篠ノ之さんが寂しそうに言った。剣術をたしなむだけあって人一番剣に思い入れがあるのだろう。しのぎんは打鉄の標準装備である刀型近接ブレードの代わりに槍を選んでいた。

 

「なあ。小柄の打鉄っていつも箒が使ってるのと微妙に違わないか?」

 

 織斑はモニターの拡大映像を見つめて、篠ノ之さんの肩をたたいてから画面を指さした。

 そう。腰部のハードポイントが増設されていた。おそらく整備科に頼んで取り付けてもらったのだろう。実体化した二本のショートナイフが腰に納まっていた。

 

「そのようだな。うむ。槍とナイフか」

 

 篠ノ之さんが考え込むような素振りを見せた。するとセシリア嬢が声を上げた。銃剣に目をつけたらしい。

 

「銃剣っていつの時代……」

 

 私がげんなりとした様子でつぶやくと、セシリア嬢が急に声の高さを変えた。目元に笑みをたたえて、優雅なしぐさで髪をいじった。

 

「あら、祖国も少し前まで白兵戦で銃剣を使っていましてよ」

 

 英国はISが発表されてからも、時々紛争地帯で銃剣突撃を成功させていた。しかし現代戦では銃剣を使う場面が極めて少ないため、米国陸軍はとっくの昔に伝統的な銃剣術訓練を廃止している。

 私はしのぎんが何かしらの格闘技の類をかじっていてもおかしくない、と考え直した。家族のほとんどが国防関係の仕事に就いているので護身術を習っているとあたりをつけた。

 しのぎんはアリーナの真ん中に立って、手を閉じたり開いたり、腕を回したりしている。

 観覧席が騒がしくなった。

 

「お出ましですわ」

「あれが、鈴……か」

「一夏さんは特によく見ておきなさいな。どちらが代表になっても対処できるようその動きを目に焼き付けなさい」

 

 凰さんがピットから出てきた。紫と黒に彩られた第三世代機甲龍(シェンロン)。肩の棘付き装甲(スパイクアーマー)非固定浮遊部位(アンロックユニット)になっており、マッシブな外装にもかかわらず、小柄な凰さんが身につけると細身に見える。

 逆に打鉄はしのぎんのしなやかな筋肉がアクセントになって、武骨さをより強調していた。

 モニターにはグラウンドの中心で向かい合う二人の姿を映し出している。開放回線(オープンチャネル)を介してスピーカー越しに会話が聞こえてきた。凰さんのISが悪役っぽい、とか打鉄が地味だとか言っていた。

 凰さんは両端に刃を備えた翼形の青龍刀(双天牙月)を構え、しのぎんはショートナイフを一本抜いて順手に持って対峙(たいじ)する。リーチの面で明らかに不利だが、しのぎんは口を真一文字に結び、瞳に好戦的な色を浮かべていた。

 

 

 阿吽(あうん)の呼吸だった。

 試合開始のブザー音が鳴り響くや、打鉄の膝関節が曲がり、刹那の時を経て脚部が爆発的な加速を生み出した。甲龍のハイパーセンサーは接近をとらえ、拳の距離に入り込まれる危険を感知した。凰さんはISコアによる回避運動の勧告を却下し、口元を愉悦(ゆえつ)に歪めた。

 怖い。

 攻撃性をむき出しにした二人が怖かった。

 二人の意志で至近距離の格闘戦が成立していた。生身の人間くさい動きが、ISコアにより()()していた。

 攻撃半径が大きい双天牙月では矛先よりも内側に入り込まれているため、柄を二つに割って青竜刀として扱い、横薙ぎの一撃は風を生んだ。重く鈍い一撃は外れるが、即座に武器を引き寄せる。甲龍のハイパーセンサーは打鉄が個人の技量を引き出す最良の器であることを理解していた。それ故に脳髄に警告を発し、凰さんはそれに応えた。

 打鉄の攻撃はためるように出だしが遅く、それでいて到達が早い。拳にぶれがなく意思伝達のプロセスをすべて省いているかのようだ。ISコアによって反応速度が増大していたとはいえ、打鉄の攻撃は人間に当たれば致死のそれだった。

 拳を握る。決して振りかぶらない。コンマ数秒の動きがハイパーセンサーに検知され、意志決定の材料に使われる。だから腕は折りたたむ。視覚情報から攻撃の意図を寸前まで隠す。ナイフは肌に添え、白肌に赤い傷をつけることを意識した。シールドバリアによって阻まれるが、切り刻む姿を明確に想像できている。

 ダメージ総量は小さい。しかし相手(打鉄)の攻撃が当たり、自分(甲龍)の攻撃が当たらないというのはやきもきさせる。甲龍が青竜刀に有利な間合いを作ろうとすれば、打鉄は詰めた。互いの表情を目視できる超至近距離だった。お互いの機動力を殺し、地面に足をつけたまま攻め合った。

 チラと横に視線を向けると、篠ノ之さんが身を乗り出して目を輝かせていた。無手の間合いであり、地を()うような動きをしきりに感心している。手合わせしたい、とうずうずしていた。

 しのぎんの顔に余裕はなかった。派手さはないが、緊迫した攻防がきわどい動きを誘った。

 打鉄が足を踏みかえた。甲龍がぬっとせり上がったように見えた。青竜刀を強く握り、間髪入れず打ち抜く。と思うと、次にその体が沈み込むように地面を走ってきた。打鉄のISコアがアラートを上げる。しのぎんの胴を襲ってきたのは鈍い色の刃だった。

 打鉄が初めて右足を引いて、青竜刀をかわす。剣圧でシールドエネルギーが削り取られる。軸足だった左足を小さく前に出す。そして右足を強く踏み込むと同時に、ナイフを顔面に鋭く突きだした。凰さんの動きが一瞬止まって、すぐさま足を引いて間合いを外した。

 

「今の突きはわざとだな」

「ですわね」

 

 篠ノ之さんとセシリア嬢がお互いにうなずき合った。織斑は顔をしかめている。

 

「えげつない。小柄のやつ、何の躊躇(ちゅうちょ)もしなかったぞ」

 

 ISは人間が動かしている。人体はシールドバリアで保護されているとはいえ、防衛本能による反射を抑制することは不可能だった。

 凰さんは抗議の声を上げる暇がなかった。しのぎんが間合いを取らせなかった。思考を言語に組み替える余裕はなく、甲龍のISコアは胴体を狙う突きを感知し、主に向かって警告を発した。

 これ以上の近接戦闘は危険と判断したのか、甲龍はスラスターを噴射して一気に後ろ上方へと飛んだ。一瞬遅れて打鉄も追った。地面を蹴り、スラスターを噴射して推力を得る。モニターに凰さんの顔が映り、口元に不敵な笑みを浮かべた。両肩の非固定浮遊部位(アンロックユニット)の装甲がずれ、露わになった中心の球体が発光した瞬間、接近を試みていた打鉄が破裂音とともにあらぬ方向へ弾き飛ばされた。

 大きな土煙を立てながら転がっていく打鉄を追い撃つべく、甲龍の肩部の球体がもう一度発光した。再び破裂音が聞こえた。直撃したらしく土煙がL字を描いた。

 

「なんだあれは」

 

 観覧席上部に据え付けられたモニターを見ていた篠ノ之さんがおどろきの声を上げた。

 

「衝撃砲ですわね。空間自体に圧力をかけて砲身を生成。余剰で生じる衝撃そのものを砲弾化して撃ち出していますの」

「要するに空気砲か。ドカン! と言わないだけの」

 

 セシリア嬢の答えを聞いて、あごに手を添えた織斑が言った。私も青狸が出てくる児童向けのアニメ映画で定番となったひみつ道具を想像していた。

 

「あなた方にはその例えの方がわかりやすかったですわね。あの空気砲はブルー・ティアーズと同じく第三世代型兵器ですわ」

 

 甲龍の武器情報では龍咆と書かれていた。

 

 

 土煙が立とうがハイパーセンサーは正確に相手の位置をとらえていた。煙の中から姿を見せた瞬間を狙うべく、甲龍の両肩が発光した。と思いきや、スラスターを噴かして無反動旋回(ゼロリアクトターン)を行った。先ほどまで甲龍がいた場所を弾丸が通過した。

 煙の一部が盛り上がり、打鉄の(そで)が見え、加速して左右に旋回しながら不規則な機動を見せた。目標を外された高威力砲弾の砲弾が地面をえぐった。

 打鉄はアサルトライフルを手に持っていた。自動照準機を使い標的に向かって弾丸をばらまいた。自動照準機は目標の現在位置に向けて射撃が行われる。この性質を利用することでISコアは弾丸が撃ち出された直後、ハイパーセンサーが弾丸の種類と特性、初速、大気の状態を瞬時に検出し、演算器により弾道予測を算出する。可能な限り引き延ばされた思考は、極めて短時間に回避の判断を下した。単に自動照準機を利用するだけでは、相手に被弾を強いることは不可能だった。しのぎんは予測演算アルゴリズムの適切な切り替えに慣れていないらしく、牽制(けんせい)以上の効果をもたらすことはなかった。

 大火力を持たない打鉄は接近する以外に勝ち目はなかった。その事実を凰さんも認識していて、龍咆の連射性に富んだ低威力砲弾を使って進路妨害を積極的に行った。試合は凰さん優位に進み、だんだん一方的な内容に変わっていった。

 龍咆には死角が存在しない。飛行中でも攻撃可能なため、ハイパーセンサーが相手の位置を検知している限り、どこに逃げようとも不可視の砲弾を放つことが可能だった。しのぎんは打つ手がなく、じわじわとなぶり殺しにされるのを待つだけだった。龍咆回避のため複雑な機動を描いているように見えて、無意識にワンパターンになりがちだった。被弾により打鉄が墜落し、地面を転がる展開がさらに二度続いた。

 単調な試合展開に気が早い者は席を立った。

 

「あれ。小柄の動きがよくなってないか?」

 

 アリーナに背を向けた上級生が横を通り過ぎる。そのとき俯瞰(ふかん)モニターを見つめていた織斑が不意に言った。

 

「ステータスモニターを見てくれ。シールドエネルギーの減少が止まった」

 

 私は織斑に言われるままモニターを見上げる。表示された残シールドエネルギーは五〇%になっていた。破裂音が聞こえ、龍咆の高威力砲弾が撃ち出される。地面を揺らすだけで、金属の悲鳴は聞こえなくなっていた。

 甲龍の肩が発光すると、バレルロールや急減速、急加速を織り交ぜた打鉄の数瞬前の位置に着弾する。まるで凰さんの予測した打鉄の軌道をしのぎんが読み切っているかのようだ。打鉄の手にはアサルトライフルが握られていなかった。代わりに槍が実体化していた。

 

「接近する気だ」

 

 私は言った。同じことを他の生徒も口にしていた。階段を上った上級生が振り返った。

 焦れる凰さんの顔と、凄絶に笑うしのぎんの顔がそれぞれモニターに映る。龍咆の砲弾を回避した際の動きがどんどん小さくなっていた。凰さんの攻撃パターンがしのぎんには見えているかのようだ。

 

「慣れたんだ」

 

 私のつぶやきに、セシリア嬢が振り向いた。

 

「慣れたとは? 確かに、見違えるように動きが良くなりましたけど」

「しのぎんは物事の勘所をつかむのがうまいから。たぶん、凰さんの癖を覚えたんだと思う」

「癖ですって!」

 

 私の予測にセシリア嬢が声を上げた。信じられないといった風情でバレルロールをしながら直進する打鉄へと視線をずらした。鷹月にどんな癖なのか、と聞かれて首を振った。

 表情に気持ちの高ぶりが出やすいから、顔つきやしぐさを観察していたのかもしれない。試合までの七日間、しのぎんを支援するクラスメイトが凰さんの試合映像を分析し続けていたので、もしやと思った。

 打鉄は槍をしっかりと抱え、弾丸のように高速で飛来した。体当たりするつもりなのか、自然としのぎんの口から気合いの叫びが漏れた。甲龍は回避行動を取るが、旋回半径が大きく、小回りの利く打鉄に回り込まれる。上向きに渦をえがいた機動は、はじめは甲龍が上の高度を保っていた。が、何度か旋回が続くうちに打鉄が甲龍の頭に覆いかぶさっていた。

 スラスターから放出される推進エネルギーと大気がこすれ合ってけたたましい音が聞こえた。凰さんの耳をISコアから発せられた警告音が刺した。衝撃を警戒した。

 

「つかまえた!」

「何を」

 

 しのぎんの鋭い声が聞こえ、つづいて鈍い金属を打ち合わせるような物音が場内スピーカーから響いた。

 打鉄の手が紫色の腕装甲をつかむ。つかみながら逆落としをかけた。甲龍の体が地面を激しく打った。盛大な土煙が立ち上った。

 打鉄はPICを使って衝撃を殺しながら付近に着地した。甲龍のシールドエネルギーが尽きていないことを承知していたのか、しのぎんが打鉄のスラスターを噴射して急接近した。

 モニターには甲龍が移動した形跡はなく、地面に手をついて起き上がろうとしていた凰さんは脳髄を駆け巡るアラート音にはっとした。刹那の時間も意識を飛ばしてはいけなかった。

 打鉄が踏み込んだ。立ち上がろうとする膝を立てた甲龍につま先が向けられ、爆発的な速度で腰のひねりが加えられ、脇を締めた両腕が伸びる。穂先が非固定浮遊部位(アンロックユニット)を打ちすえ、腰を浮かせた凰さんがおどろいてのけぞる。衝撃の色が瞳を染め、奥歯を強くかみしめた。

 不安定な背面をPICで制御し、完全倒れるのを防ぐ。

 打鉄の腰が深く沈む。小幅に足を踏み出し、鋭く腕を引く。と思えば次の突きを放った。

 凰さんは回避を選択しなかった。怒りをはらみながら照準を至近距離に迫った打鉄に向けた。肩が光った。破裂音が聞こえ甲高い金属的な音がした。つづいて鈍く激しい音がアリーナの壁から聞こえた。

 左スラスターを急噴射させて緊急回避した打鉄が壁に衝突していた。槍の柄が途中からちぎれ飛び穂先が消えていた。

 観覧席の視線が空中へと向けられた。モニターのカメラがそれをとらえ、私の目も自然と回転しながら宙を舞うそれを見つめた。折れた穂先が観覧席のシールドに衝突し、「キャアアア!」と観覧席から悲鳴が上がる。不快な反響を残して勢いよく跳ね、地面に突き刺さった。

 

 

「……箒」

 

 織斑が顔を横向けた。篠ノ之さんが唇の両端をつり上げ、胸に熱いものがこみ上げたのかうずうずしたように肩を揺らした。

 名を呼ばれたことに気がつかないまま唇の形を変える。声に出すことなく、心に浮かんだ言葉を口にしているかに見えた。ふと鷹月が耳元に顔を近づけ、髪が触れたくすぐったさに篠ノ之さんから注意が逸れた。どうしたの、と声をかけると、鷹月がささやいた。「やりたい。戦いたいって」

 篠ノ之さんを横目に忍び見る。ふたたび鷹月に戻し、おどろいた。

 唇を読んでいた。さらに私の心まで読んだのかと思ってぎょっとしたら、鷹月がウインクしてアリーナへと目を戻した。

 

「小柄のシールドエネルギーは四〇%を切った。鈴は六〇%か」

 

 織斑がステータスモニターを見上げて言った。セシリア嬢がうなった。

 甲龍が高度を取り、よろめきながら体勢を立て直した打鉄に向けて龍咆を撃った。

 

「鈴さんは二度と格闘戦を許さないでしょうね」

 

 セシリア嬢が冷静な声で、凰さんの気持ちを代弁した。踏み込みを意識した近接格闘の危険を認識したらしく、しのぎんを見る目は素人に向けるものではなかった。

 アリーナへ視線を戻すとふたたび凰さんが試合の流れを牛耳っていた。

 甲龍の動きが龍咆の特性である全方位攻撃を利用し、虚実を織り交ぜたものに変わった。位置を変える素振りを見せたと思いきや、連射性を高めた低威力砲弾で進路をふさぎ、スラスターの推力が変位したところに本命の高威力砲弾を撃ち込んだ。大気を擦過し、破裂音が聞こえて打鉄のシールドエネルギーが三〇%まで下がった。甲龍のISコアが衝撃で弾き飛ばされ地面を転がる打鉄の進路を計算し、姿勢制御の暇を与えないよう砲弾を撃つ。凰さんの視線は冷徹そのものだった。

 砲弾が外れた。しのぎんは吹き飛びそうな意識をつなぎ止めながら、PICを利用して慣性を殺した。地面に向けてスラスターを噴射し、まっすぐ上に向かって飛んだ。

 しのぎんの瞳に力があった。試合を諦めていない。()()()()()()()()()()

 折れた槍を量子化し、入れ替わりに実体化したアサルトライフルには銃剣が取り付けられていた。しのぎんが射撃が下手なことは明らかで、当たらないと割り切ったのか弾丸の浪費を避けた。横ロールしながら飛んでいた。背を向けた凰さんを追撃する気持ちを見せた途端、甲龍の肩が光った。すんでの所で砲弾を避けたが距離を詰めるには至らない。

 凰さんは無制限機動を利用した一撃離脱を選択していた。すべての動きが罠となり、攻撃の糸口となる。チャンスだと思わせる。勝利を意識させ、気が緩んだ瞬間にしのぎんの喉笛にかみついて肉を食いちぎる。観覧席で見ている私ですら冷や汗をかいた。気持ちを強く保たねば疲労感に飲み込まれる。()()()()()()がこんなにもつらいなんて思わなかった。

 打鉄の旋回半径が小さくなった。増速し、低威力砲弾の中へ突っ込んだ。しのぎんの意図は追いすがって突くことだ。条件を成立させるためには格闘戦に持ち込むしかなかった。だが、どうやって条件を満たすのだろうか。旋回半径を小さくしながら接近する方法は警戒する凰さんの前では無意味だ。凰さん自身に格闘戦を繰り広げる意思がない。一撃離脱を図ってシールドエネルギーを削り、しのぎんの心が折れるのを待つ算段だ。

 わっと会場が騒然となった。しのぎんが手札を切った。

 織斑が身を乗り出した。

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)!」

 

 誰かが言うのを耳にした。「スラスターから放出されたエネルギーを一度内部に取り込み、圧縮して再度放出する技ですわ。放出の際に得られた慣性エネルギーを利用して爆発的に加速しますの」とセシリア嬢がすかさず解説した。

 凰さんの視野にアラートメッセージが表示される。一瞬のうちに目が見開かれ、弾丸と化した打鉄に対し、反射的に体をひねって回転した。身一つずらして腕の装甲が打鉄の袖をこすり上げる間、凰さんは瞬きすらしない。口の端をつり上げ凄絶な笑顔を浮かべ、超至近距離から龍咆の高威力砲弾を撃ち込んだ。打鉄の右脚を覆う佩楯(はいだて)が砕け散り、制御を失った体がらせんを描いて観覧席のシールドへ激突する。思わず席を立って逃げようとした生徒が出るくらい激しかった。

 しのぎんは追撃を警戒してPICを使って転がる向きを変える。案の定、破裂音がして本来の進路だった地面がえぐれた。

 私はステータスモニターを見た。打鉄のシールドエネルギーは残り一五%まで落ち込んでいた。甲龍も無傷とはいかなったらしく先ほどよりもシールドエネルギーが微減している。

 

「小柄はまだ諦めていないぞ」

 

 と篠ノ之さんが言った。その目は回避を続ける打鉄へと向けられていた。

 しのぎんの打鉄は傷だらけだった。甲龍を追うべく空に上った。

 打鉄の頭を押さえるべく、甲龍が高速で飛来した。龍咆の高威力砲弾を撃ち込んで、さっと駆け抜けた。しのぎんは瞬時加速を緊急回避に利用したが、左右非対称となった装甲によって生み出された空気抵抗によって姿勢が崩れた。思いもよらぬ方向へ曲がった。結果的にそれが正しかった。

 しのぎんが本来指向した位置に砲弾が通過した。大気が歪んだ。しのぎんの体におののくような緊張が残った。気を引き締め、口を真一文字に引き結んだ。

 甲龍が位置を変えた。打鉄よりも高度を取り、逆落としを仕掛ける。双天牙月を構え、殺到した甲龍が低威力砲弾を連射し、打鉄が上に逃げるのを許さなかった。そのため高度を落として逃げるしかない。だが、凰さんはその動きを読み切っている。瞬時加速による緊急回避ですら考慮に入れた捕食者の顔になっていた。(おご)りの色は欠片(かけら)も見せなかった。気を抜いた瞬間に食い殺される。シールドエネルギーをゼロにしなければしのぎんが反抗を続けることを理解していた。

 打鉄は背面に向かって飛行しながらアサルトライフルの弾丸をばらまいた。甲龍が勢いを殺すことなくバレルロールした。目標を見失った弾丸は大気を切り裂いたに過ぎなかった。逆に低威力砲弾が打鉄のシールドエネルギーを削った。残り一桁になった。

 甲龍が追う。このまま勝負が決まるのか、それともしのぎんが状況打開の秘策を見せるのか。観覧席は静まりかえった。

 打鉄の左スラスターが一瞬噴射した。それに合わせて甲龍の体が流れる。だが、すぐに右スラスターを噴射し左四五度斜め上方へロールしながらせり上がる。彼我の高さが逆転した。打鉄が眼下の甲龍に銃剣の切っ先を向け、失速した勢いを瞬時加速で補った。目にもとまらぬ速さで刃が殺到する。つぎに灰色の体が凰さんの視野いっぱいにせまったと思った瞬間に、体を反転し勢いづいた双天牙月で斬りさげた。肩が光る。落下する打鉄に高威力砲弾が撃ち込まれた。

 試合終了のブザー音が鳴り響いた。推力を失った打鉄が地面にたたきつけられた。ステータスモニターが赤く染まっていた。

 

「小柄機戦闘続行不可能(EMPTY NOT SHIELDED)。試合終了。勝者凰鈴音」

 

 

 



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★15 戦いのあと

約13,000字。今回も少なめです。


 試合が終わった。

 甲龍のシールドエネルギーは五七%まで減少しており、しのぎんは代表候補生相手に善戦したと言える。アリーナの隅で大の字になって転がる彼女に向けられた視線は友人や後輩への親愛だけではなく、競争相手の出現を意味する警戒の念が入り混ざっていた。

 しのぎんが見せた近接格闘には凄みがあった。範囲攻撃である横薙ぎを一切使わず、すべて突いた。足のくばりや腕のそなえは篠ノ之さんをして感嘆せしめるものだ。観戦した私ですら背筋が凍った。

 印象的だったのはセシリア嬢の視線の変化だった。同じ代表候補生である凰さんに向けていた目つきを、今はしのぎんにも向けている。時折(ケイ)に向けることはあっても、織斑には決して向けないものだった。好いた異性や教え子に対する情を見せることがあっても、好敵手と見なしていない。もちろん私にも篠ノ之さんにもそんな顔つきはしなかった。

 私は思ってしまった。今の織斑では凰さんどころか、小柄鎬にすら勝つことができない。気持ちですら負けているのではないか。

 とっさに横を向いた。織斑を見た。何やら考え込んでいる。アリーナの熱気を全身で感じとって、他人事のように「すごいな」とは言わなかった。

 格納庫へ直結する隔壁が開いて回収班のリカバリーが姿を現した。ドーザーブレードを装備しており、巨大な転輪付きデッキを牽引している。両肩に取り付けられた一二.七ミリ重機関銃のつや消しの黒い砲身を見るたびに、兵器色の強いISなのだと実感させられた。

 地面に降りた甲龍が小さく見える。凰さんは初めて異形を目にしたのか、顔が引きつっているように見えた。無理もない。あのかっこ悪さは折り紙付きだ。かっこ悪さは抜きにしてもかなり威圧感があった。まるで戦車だった。

 リカバリーはしのぎんを回収するために一度立ち止まって進行方向を変えようとしたけれど、甲龍が近づくのを見て気が変わったのか龍咆によって穴だらけになった場所に向かった。しのぎんのバイタルサインに異常が見られなかったことから、ドーザーブレードを使って穴の埋め戻し作業に入った。

 私は携帯端末に指を滑らせ、回収班の搭乗者欄を表示させる。霧島晴香の名があった。訪問者カウンタが申し訳程度に画面右下に取り付けられていたので視線を移すと、私でちょうど一〇人目だった。興味本位で霧島先輩の名前をタップした。搭乗時間や概要が掲載されたページをのぞき込むや、私はおどろいてしまった。

 

「ご、五〇〇時間……だって?」

「どうしたの」

 

 鷹月が声をかけながら私の手元に視線を落とした。霧島先輩の総搭乗時間を目にしたらしく、同じようにおどろきの吐息を漏らした。霧島先輩は私と同じくIS学園に入学してからISに乗り始めたとはいえ、既に代表候補生並みの搭乗時間だった。三年間で一〇〇〇時間を超える勢いである。アリーナへ視線を移し、リカバリーの操縦をフルマニュアルで危なげなくこなす姿に納得がいった。

 

「ね、あれ」

 

 鷹月が私の肩をたたいた。振り返るとアリーナの隅を指さしていた。

 凰さんがしのぎんの横に立って見下ろしている。どんな話をするのか気になった。モニターを一瞥(いちべつ)したけれど、二人の姿を望遠レンズで捉えているだけで会話の内容までは中継していなかった。

 私が残念がっていたら、鷹月が自分の携帯端末を取り出して何やら操作をしている。すぐに「できた」と小さくつぶやいてにんまり笑った。

 

「あれ中継できるよ」

 

 私は間抜けな声を出した。魔法を目にしたかのようにびっくりしていると、鷹月がしてやったりといった風情で自分の携帯端末を差し出した。画面上部にアプリ名と製作者の名前が表示されていた。「千里眼と地獄耳――競技プログラミング同好会」と書かれていた。

 音量を上げると携帯端末のスピーカーから二人の声が聞こえてきた。

 

「小柄」

 

 と凰さんが口を開いた。しのぎんは大の字になって空を見つめていた。視界に凰さんの顔が映りこんだので横を向いたら二人の目が合った。凰さんは勝利をたたえるわけでもなく、また侮蔑するわけでもなく淡々とした口調だった。

 

「あたしの勝ち。実力がわかったでしょ」

「……ああ。私の負け。完敗。やっぱ強いわ。めちゃくちゃ強かった」

 

 しのぎんの言葉を聞いて、凰さんが両手を腰に当てて慎ましやかな胸を張って見せた。

 

「これが代表候補生よ」

 

 凰さんの言葉を聞いてしのぎんがしばらく笑い声を上げた。笑いながら瞳に悔しさの色が浮かんだ。しばらくして突然鋭い眼光を向けられた凰さんの表情が真剣みを帯び、しのぎんが口を開くのを待った。

 

「次は勝つよ」

「馬鹿言わないでよ。次にやるときはあたしも強くなってるから。アンタに勝ち目はないわ」

 

 凰さんは再戦を誓う姿に口の端をゆるめた。力強い声音だった。

 

「ハハハ、そのときにはもっとうまく、もっと強くなってるから。今度は凰が勝つとは限らないよ」

「……その自信はいったいどこから来るのよ」

 

 凰さんが呆れたようにうめいた。そして膝を折って手を差し延べる。しのぎんがきょとんとした。凰さんの意図を悟るまでにしばらく時間がかかって、不意に破顔した。

 

「凰っていいやつだったんだ」

 

 その言葉に凰さんの顔が真っ赤になった。しのぎんの顔を直視できないのか、目を背けながら照れていた。打鉄の手が触れ、しっかりと握りしめる。そのまま助け起こしながら不機嫌そうな声で言った。見るからに照れ隠しだった。

 

「……呼び方。鈴音(リンイン)で良いわよ」

(しのぎ)って呼んでくれよ。しのぎんでも構わない」

「なら鎬にするわ」

「……残念だな」

 

 「しのぎん」と呼んでくれなかったことが不服だったのか唇をとがらせた。

 

「そういえばさ」

「ん?」

 

 凰さんの言葉にしのぎんが不思議そうな顔をした。

 

「どうやって龍咆を避けてたのよ」

 

 なんだそんなことか、としのぎんが言った。にっこり笑って、

 

「大したことじゃないよ。後でゆっくり教える」

 

 もったいぶるような口ぶりだった。

 凰さんは「そう」とだけつぶやいて、おもむろに打鉄ごとお姫様だっこした。

 

「え……鈴音! 何をするつもりなんだよ!」

 

 しのぎんの慌てるする声を聞いて、凰さんが意地悪な笑みを浮かべた。

 

「アンタ動けないでしょ。あたしがピットまで送ってやるから感謝しなさいよ」

 

 

 凰さんがしのぎんを抱きかかえて飛び上がる姿を見届けた私は、席を立った織斑と篠ノ之さんに向かってカタパルトデッキへ行こうと誘った。純粋にしのぎんをねぎらう気持ちが大きかった。つぎに心を占めていたのは織斑が幼なじみに会えずに悶々としていたことから、彼の欲求不満の解消を手伝ってやろうという老婆心の発露だった。私の提案に断る理由がなかったこともあって、二人は快諾した。そして面白そうだから、という理由でセシリア嬢や鷹月たちもぞろぞろと私の後を追った。

 

「ぴんぽんぱんぽーん。第一アリーナの使用につきまして化学処理班ならびに回収班からお知らせいたします。第一アリーナの使用は本日二〇〇〇まで一般生徒の使用を禁止いたします。アリーナを使用したい生徒は他のアリーナを使用するようにお願いいたします。繰り返し化学処理班ならびに回収班からお知らせいたします。第一アリーナの使用は……」

 

 場内の構造は第三アリーナとそっくりだったので道に迷うことはなかったけれど、途中で姉崎の声で放送が流れた。よく通る美声だったことに複雑な思いがこみあげてきた。

 デッキへと続く扉が見えた。扉の向こうは普段電子ロックがかけられている。今は開放されていたので、上背がある織斑と(ケイ)が背伸びをしたけれど、まだ凰さんたちは姿を見せていなかった。

 

「しのぎんたちまだきてないねー」

「少し待つか」

 

 織斑の言葉にうなずき、デッキの入り口を見回した。あたりには私と同じことを考えた先客が詰めかけていた。二組の生徒がいるのは納得がいく。凰さんとしのぎんのクラスメイトが二人を出迎えるのは当然だろう。三組の生徒が二、三人いた。四組の生徒もいる。

 

「更識」

 

 篠ノ之さんが眼鏡をかけた生徒に声をかけた。更識さんは篠ノ之さんの顔を見るなり、表情が華やいだ。

 

「……箒……さん」

 

 なぜか織斑が胸に手をあててどぎまぎしていたので、セシリア嬢が戒めるべく肘で小突いた。織斑の気持ちは分かるつもりだった。更識さんが篠ノ之さんに向ける目つきは友人に対するものではなく、愛情に近い感覚を抱いてしまう。篠ノ之さんが反応に困るくらいの懐きようだった。正直事情を知らない人が見れば誤解してもおかしくなかった。私はふと、織斑に小言を言うセシリア嬢に視線をずらした。彼女の隣には子犬ちゃんがべったりくっついている。その姿が主従関係に見えてしまうのはセシリア嬢の支配欲の賜物(たまもの)に違いない。

 

「ティナ」

 

 (ケイ)が更識さんの隣にいた少女に声をかけた。彼女の名はティナ・ハミルトンと言って、金髪碧眼というノルディック・ブロンド(北欧のブロンド)を体現しており、私と(ケイ)が手持ちのお菓子を献上したことで仲良くなった生徒だった。代表候補生の選考中ということもあって、似たような境遇の(ケイ)に興味を持っていたという。

 

「ルームメイトの出迎え?」

 

 と(ケイ)が言った。ティナは凰さんのルームメイトということもあって、一連の騒動の一部始終を聞き知っていた。

 

「まあ、そんなところ。あと、簪が来たいって言ったからというのもあるけどね」

 

 そう。ティナは四組で更識さんのクラスメイトだった。クラス対抗戦では補欠としてエントリーされていて、更識さんが不調だったり急病の場合は彼女が代わりに出ることになっていた。ちなみに三組の補欠は兜鉢(かぶとばち)(しころ)という一見しただけでは読み方が分からない名前だった。

 

「ふうん」

 

 私が生返事をしてから、思いついたことそのまま口にした。

 

「ねえねえ。凰さんと更識さんが戦ったらどっちが勝つと思う?」

 

 今回の試合結果によって下馬評が二組、三組、四組が()(どもえ)の頂上決戦という記事に差し替えられるような予感がしていた。先日凰さん本人が三組のマリア・サイトウよりも強いと自分で言っていたから気になった。

 

「ティナー。それ気になるよー」

 

 (ケイ)も舌足らずな口調で言ったので、視線を宙に向けて、すぐに私に目を戻してから口を開いた。

 

「簪かなあ」

 

 四組だからそういう反応を示すのは予想済みだった。

 

「その心は」

「IS搭乗者の勘」

「根拠になってないよ」

 

 すかさず(ケイ)の突っ込みが入った。

 

「簪ってあんなんだけど、やるときはやる子だよ?」

 

 半目になって篠ノ之さんと初々しい恋人同士のような素振りでたどたどしく会話する更識さんを指さした。篠ノ之さんまで赤くなるのは傍目から見てまずいと思った。突っ込み役の織斑がセシリア嬢とばかり話をするものだから、二人の醸し出す面はゆい雰囲気に耐えられなくなってティナに顔を戻した。

 

「それは認める。凰さんが更識さんのことを警戒していたから」

「こちらとしても半年間デザートフリーパスが欲しいからね。お菓子もいいんだけどね。たまにはデザートが欲しくなるのよ」

「ティナの目的はそれ以外にないでしょ」

 

 食い意地の張ったティナに向かって(ケイ)がため息をついた。

 私は二人から目を離し、もう一度あたりを見回した。青色以外のリボンが目に入った。知り合いの上級生がいないか、目をこらしてみたら邪悪な黄色の存在に気づいた。冷や汗をかきながら勇気を振り絞って顔を確認した。案の定岩崎と神島先輩だった。三組の生徒も諦めきった表情で一緒にいる。彼女らの周囲だけ人が寄りついていない。存在感だけは大人顔負けなのだけれど、岩崎が醸し出すいかにもな悪の親玉っぷりと神島先輩のマッドサイエンティストらしさが際だって、明らかに浮いていた。

 

「あの人たち何でいるんだ……」

 

 私が額に手を当てて黙り込んだ。「どうしたの」と鷹月が心配そうに声をかけてきた。私はうつむきながら人差し指を岩崎たちに向けた。「なるほど」と鷹月が相づちを打つのが聞こえた。

 

「悩んでばかりだと大きくなれないぞう」

 

 不意に耳元から聞き覚えのある声がした。鷹月とは声質が異なった。艶めかしいというか、色っぽいというか、とにかく高校生らしくない。嫌な予感がして恐る恐る首を回すと、神秘的で秘密めいた瞳が楽しそうに笑っていた。魅惑的な口元、そして褐色の肌に豊満な体つきをした三年生だった。彼女の隣にはリボンから二年生だと分かる、白い肌に灰色の瞳をもった美人さんが呆れたような風情で腕を組んでいた。その冷ややかな目つきに背筋が震えた。

 

「ダリルさん……」

 

 私が名を口にするや、髪の毛をもみくしゃにしてきた。ものすごく上機嫌なのがわかった。この人がこの場にいるということは、何かしら面白そうなものを目にしたからに違いない。

 

「なんでいるんですかあ」

 

 何となく理由を聞いて欲しそうな素振りだったので、期待に応えるつもりで口を開いた。すると待ってましたと言わんばかりにダリルさんの表情が明るくなった。

 

「この前えーちゃんにしのぎんを紹介してもらったろ? 彼女がお姫様だっこで連れ去られたから気になって来ちゃったんだよ」

「そういう理由でしたか」

 

 面白そうだったから。それ以外に理由はなさそうだ。両手で髪を直し、鷹月に乱れていないか聞いてみたら首を振ったので、ほっとため息をついた。ダリルさんが続けた。

 

「あんだけ本気でタイマン張って、その後にお姫様だっこと来た。あいつらどういう関係だって気になったんだ」

 

 そう言ってからナハハ、と声高に笑いながら私の肩に腕を回した。

 奔放な体をこれでもかと押しつけてくる。腕に弾力に富んだ胸が当たるのが気になって仕方なかった。

 

 

「ようやく出てきた」

 

 相変わらずダリルさんの過剰なスキンシップの被害に遭っていたわけだけれど、私はこういう人なんだと諦めていた。

 

「鈴!」

 

 と織斑の声がしたので部屋の奥を見やった。二組担任の先生と一緒に凰さんとしのぎんが姿を見せた。クラスメイトがわっ、と声を上げて二人を取り囲んだ。

 

「小柄ーよくやった」

「凰さんもすごいよー」

 

 などといった声で埋め尽くされた。そこには二組を覆っていたぎすぎすとした雰囲気を感じることはなかった。

 しのぎんは白い歯を見せながら照れた様子で頬をかいていた。凰さんは手のひらを返したような歓迎の雰囲気にきょとんとしていた。ダリルさんのような、生暖かいにやにやした視線も多分に含まれていると感じとってしまったのは私の心が汚れているせいだろう。

 二組の輪の中に、上級生が一人混ざっていた。よく見れば、ICレコーダーを握った手を突き出していたので新聞部だと推測した。新聞部には薫子さん以外にも何人か在籍している。今頃薫子さんはISの整備に駆り出されているはずだった。この上級生は特徴からして下馬評を担当している先輩に違いなかった。

 上級生は努めて冷静な声で言った。

 

「お疲れ様です。凰さん、小柄さんをどのように評価しますか」

「試合中何度かひやりとさせられる場面がありました。聞けばISに乗り始めて一ヶ月も経っていないとか。今後が楽しみです」

 

 しのぎんに対して率直な感想を口にした。ダリルさんが隣でうなずいていることから、無難な答えだと分かった。

 

「二組のクラス代表は?」

 

 今度はしのぎんに聞いた。

 

「私は辞退します。今から凰が代表です」

 

 そういう約束ですから、としのぎんが付け足した。凰さんがおどろいたようにしのぎんの横顔を凝視している。派手に喧嘩を買って、潔く身を引いた。しのぎんの性質の良さのあらわれだった。

 

「ありがとうございます」

 

 と上級生が言った。

 

「鈴音。お前って(おとこ)らしいんだな」

 

 不意にしのぎんが口を開いた。私が次の言葉を待っていると、

 

「惚れそうだわ」

 

 しのぎんが他人をからかうような顔つきを見せた。すぐに先ほどのお姫様だっこの意趣返しのつもりだと分かって、周りも承知済みらしく茶々を入れずに静観した。

 

「ヤバイ。告ってもいい?」

「ば、馬鹿じゃないの! 惚れるのは構わないけど。あ、あたしにその気はないからねっ!」

 

 しのぎんの冗談を真に受けたのか、凰さんの顔が真っ赤だった。凰さんはしばらく気になって仕方がなかったのか、ちらりちらりとしのぎんの顔を見つめては目を逸らすことを繰り返した。そんな様子に我慢できなくなったのか、しのぎんが腹を抱えて声を上げて笑った。落ち着いたところで、舌を出して言った。

 

「さっきのお返し」

「冗談になってないわよ」

 

 凰さんが整った眉を寄せて唇をとがらせた。表情に険しさがなかった。どうやら好意を向けられるのはまんざらでもないらしい。転入してから敵地で孤立していたから、照れた笑顔がよかった。

 私はダリルさんにのしかかられたまま織斑の横に移動した。灰色の瞳をした美人さんもついてくるのだけれど、ダリルさんを引きはがす意図はないのが残念だった。織斑は外国人と肩を組んだ私を見て目を丸くした。

 

「どんな状況なんだよ……」

「この人は妖怪みたいなものだと思っていいです。私はそう思ってます」

 

 織斑にダリルさんに対する認識を伝えた。織斑はさんざんな説明に納得しかねる様子だったけれど、美人さんの冷ややかな視線を浴びて口を差し挟むのを控えた。

 私は織斑を見上げ、隣に移動する。体を回した勢いを使って背中をたたいた。

 

「凰さんに声をかけてきなよ。今だったら大丈夫だよ」

 

 しのぎんが凰さんを認めたのだから、二組の気持ちが暖まっているはずだ。「お、おう」と織斑がつぶやく。

 

「ついでに喧嘩を売ってきてもいいよー」

 

 織斑をリラックスさせようと私が余計な一言を投げかけた。隣でセシリア嬢が堂々と腕を組んで首を縦に振った。セシリア嬢は「へっ?」と間抜けな声を出した私の手を取ってこう言った。

 

「鈴さんはわたくしの敵ですから。宣戦布告は必須ですわ」

「セシリアさんが何をおっしゃっているのか、さっぱり分かりません」

「ですから、鈴さんは一夏さんの幼なじみ。箒さんと同じ立場にいるのです。先ほど一夏さんとお話しをしたらとんでもない事実が発覚しましたの」

「その事実とは」

「食いつきましたわね?」

 

 口角をつり上げ、腹の中で黒い策謀に興じるような表情を見せた。セシリア嬢は私の隣にダリルさんがいることや、灰色の瞳をした美人さんの存在を完全に無視していた。私は気のない素振りで頬をかいた。

 

「いや……まあ。興味あるから」

「よろしい。言いましょう。一夏さんは鈴さんが嫁に来ることを承諾していますの」

 

 セシリア嬢が爆弾を投下した。ダリルさんが息をひそめながら目を輝かせたのが分かった。

 

「はあ? 今朝、織斑と話したけどそんなことは一言も口にしてなかったけど」

 

 鈴はさ。俺の彼女なんだ、と織斑の口まねをしてみた。(ケイ)が割と似ていると褒めていたから本物に近いはずだった。

 

「とか言うならわかるよ。いくら何でも発想の飛躍じゃない?」

「一夏さんが鈍感なのは周知の事実。箒さんに聞きましたけれど、先日あなたが渡した()()、未使用だそうですわ」

()()とは戦略級重要物資のことですか」

「それ以外にないでしょう。アタッチのことですわ」

 

 それを聞いて私は肩をすくめた。ダリルさんが吹き出して頬に唾がかかった。恐る恐る灰色の瞳の美人さんを見上げたけれど、彼女は無表情を崩さなかった。

 

「セシリアさん。そういうことは堂々と人前で言わない方が……」

淑女(しゅくじょ)のたしなみですわ」

 

 私の忠告を斬って捨ててしまった。耳元でうひゃひゃ、と笑うダリルさんが鬱陶(うっとう)しくて仕方がなかった。セシリア嬢は人差し指を天に向け、顔を目と鼻の先に近づけた。熱い吐息が頬に当たる。

 

「鈴さんはこう言ったそうです。毎日料理を食べさせてあげる、と」

「それってまさか……」

 

 私はおどろきの声を上げた。お風呂ですか、ご飯ですか、それとも私になさいますか、と言ったに等しい発言で、少なくとも私には恥ずかしくて言えない台詞のひとつだった。私は興味津々と言った風情で目を輝かせた。

 

「で、織斑はどう返したの」

「ああ。鈴の作る料理か。楽しみだな。いいぜ。毎日食ってやる、と言ったそうですわ」

 

 灰色の瞳をした美人さんが人垣に分け入ろうとして押し返されている織斑の背中を顧みた。唇をわずかに開いたけれど、側に鷹月がいないので何を言ったのかまでは分からなかった。

 

「……それって、完璧アレじゃないですかー」

 

 私は頬を赤らめて気色ばんだ。織斑にそんな甲斐性があったことにおどろいていた。中学時代は方々に首を突っ込んでは恋愛相談を受けていたけれど、恋愛話をするのは好きだった。好物と言って良かった。セシリア嬢が忌々しそうに凰さんをにらんだ。

 

「さて。今回の問題点は一夏さんが嫁に来い、と言ったも同然であると認識していないことですわ」

「ちょっと待ってよ。織斑は凰さんを受け入れたんでしょ。それおかしくない?」

「男子小学生が遠回しな告白に気づくと思いますの」

「うーん。気づくんじゃないかな。でも女の子って早熟だからなあ。男子でもその手の話題が好きなおませさんなら……あ!」

「今、一夏さんに対して大変失礼な想像をしたと思いますけれど、まさしくその通りですわ」

「ちっと口挟んでもいーかー」

 

 とダリルさんが挙手した。真剣みを帯びた表情がとてもうさんくさかった。

 

「どうぞ」

 

 ダリルさんが織斑を指さしながら言った。

 

「あの男がお前さんの想い人っつうので合ってるか」

「……ま、まあ。その通りですわ」

 

 頬を赤らめて言いよどむセシリア嬢を見て、ダリルさんがまじめな顔でうなずいた。そして私に声をかけた。

 

「えーちゃんは?」

「恋愛対象として見てません」

「こいつはっきり言いやがった。まあいいや。あいつを狙ってる女はどれだけいる?」

「態度に出しているのはわたくしを含めて二人。そしておそらく凰鈴音も」

「三人か。後一人は」

「あちらに」

 

 セシリア嬢が篠ノ之さんを指さした。するとダリルさんが目を丸くして、短いおどろきの吐息を漏らした。すぐにいぶかしむような視線をセシリア嬢に向けた。

 

「篠ノ之箒? 彼女、レズビアンじゃなかったっけ」

「ちょっ……」

 

 そんなことになっているのか、と私はおどろきを隠せなかった。上級生の篠ノ之さんを見る目がどんなことになっているのかすぐにも確認する必要があった。噂が一人歩きして大変なことになっているのは間違いなかった。

 

「わたくしは両刀使い(バイセクシャル)だと考えていますの」

「それなら納得だわ」

「セシリアさんにダリルさん……憶測で納得しちゃだめですよ」

「えーちゃんは頭かてえなあ。別に女と寝たって減るもんなんてないんだし。意外とできちゃうもんだ。避妊しなくていいのはホントに楽なんだぞ」

「それは分かってますが、実際やるのは別です」

「おいフォルテ。一回えーちゃんを教育してやらにゃならん。お前もつきあえ」

 

 ダリルさんが灰色の瞳をした美人さんに向かって暴言を吐いた。貞操の危機に直面した私は必死で身を守るべく声を上げた。

 

「何を教育するつもりですか! 断固拒否します!」

「嫌ッス」

 

 灰色の瞳をした美人さんがダリルさんの暴言を冷たく拒否した。

 

手前(テメエ)……先輩の言うことは聞くもんだろうが」

 

 歯ぎしりするダリルさんを捨て置く美人さん。ダリルさんの扱い方をよく心得ていた。

 

「ちぇっ。私一人でやるわ。後で混ざりたいって言ってもやらせねーからな」

「大丈夫ッス。二人ともお幸せに」

 

 二人で、とは何か。美人さんに見捨てられたのは間違いない。貞操の危機が続いていた。ダリルさんはいらつきを表すかのように膝をたたいてから、セシリア嬢に自分の考えを言った。

 

「私の見立てだと……あの男、年上好みだぞ」

 

 セシリア嬢が目を見開いた。

 

「こ、根拠はなんですの」

「勘……つうか、織斑先生を見てたらな。あんだけかっこいい姉がいりゃあ、重ねちまう」

「て……て、て敵は……本当の敵は織斑先生だというのですか……まさか、し、シス」

 

 ダリルさんの確信めいた物言いにセシリア嬢が激しく動揺する。私は出任せを口にしていると思って冷ややかな視線で見守った。

 

「それとな。先輩のアドバイスっつうか……黒はだめだってんだ」

 

 ダリルさんが伏し目がちに言った。「何を言って」と私はつぶやき、灰色の瞳をした美人さんの視線を追った。

 セシリア嬢が自分の胸を抱き、恥じらうあまり涙目になって身をかばうように一歩後ずさった。IS学園の冬服だと下着が透けることはないはずだけれど、いったいどうやって透視したのだろうか。

 

「ななな何でわかったんですの!」

「簡単な推理だよ。下着の色は合わせるもんだ。下が見えたなら上も同じ色してんだろ」

 

 残念な発言を聞いてしまい、「うわあ」と声を上げてしまった。私はダリルさんとセシリア嬢を交互に見やった。

 

「黒なんざ着けても色気がたらねえ。一〇代なら()にしとけ。男にとっちゃ、()()()()()()()()()()。経験者が言うんだ。信じて損はねえぜ」

 

 したり顔でいるダリルさんの姿がおっさんのそれとしか思えなかった。この人は口を開くべきではないと切実に感じた。エキゾチックな雰囲気が台無しだった。それがわかっているのか、傍らにたたずんでいた灰色の瞳をした美人さんは呆れを通り越して顔色一つ変えていなかった。

 

 

 私はショックのあまり子犬ちゃんにもたれかかったセシリア嬢を尻目に、織斑たちの元へ歩いていった。

 すると新聞部の上級生が一年生のクラス代表がそろっていることに気づいて周囲を見回していた。三組のマリア・サイトウの姿は見えなかったけれど、補欠の子がいるらしく彼女らの所信表明がどんなものか興味を持ったように表情を明るくする。彼女は明快な性質を持った黛薫子とは異なり、理性的だが陰のある女として知られていた。そして一年生のクラス対抗戦の下馬評は彼女の受け持ちだった。

 凰さんと織斑の話が切れたところを見計らってその上級生は声をかけて新聞部だと名乗った。

 

「織斑君。クラス対抗戦に向けて一言コメントをお願いします」

「俺ですか」

 

 凰さんとの話に夢中になっていたのか、声をかけられた織斑の両肩が大きく震え、ゆっくりと新聞部の上級生と目を合わせた。彼の隣にいた凰さんが堂々としていたこともあって、織斑の動揺は一瞬だった。真剣な顔つきになって息を吸い、一度目を伏せてから再びまっすぐ前を向いた。鷹揚(おうよう)な素振りで一言一句はっきりと口にした。

 

「胸を借りるつもりでがんばります」

 

 事前に考えていたのか無難な返事だった。もしも薫子さんが彼女の立場なら、「全勝優勝をします、なんてかっこいいこと言うじゃない」などと面白おかしく記事のねつ造をすると宣言してしまうものだけれど、彼女はそうでないらしい。

 つぎに三組の兜鉢を呼んだ。私は兜鉢なる生徒の顔を知らなかった。三組とは風呂場で顔を合わせるくらいで、それほど親交があるわけではない。それに補欠になるくらいだから、それ相応に実力かIS適性が高いのだろう、と私は高をくくっていた。

 兜鉢は緊張からぎこちないしぐさで上級生の前に姿を表した。身長は私と同じくらいで卵形の顔に太めの眉毛。ふんわりとほつれたランダムカールしたロングヘア。髪の色素が薄くベージュに近く、柔らかい髪質だと推定した。彼女の姿に私は見覚えがあった。

 

「どうしたの?」

 

 ダリルさんを引きはがした鷹月が脂汗をかく私の顔をのぞき込んだ。彼女は先日、怪人に洗脳された哀れな一般人だった。胃のあたりにうずくような苦しさがわき起こって、彼女の顔を直視できなかった。私は伏し目がちに顔を背け、鷹月に抱きつくように体重を預けた。「やっばあ」とつぶやいた。

 

「ちょっと航空部の部室で……うっ」

 

 クローゼットの奥に封印した段ボール箱のことを思い出してしまった。あのときは彼女に構うどころではなかった。チラと壁際に視線を移すと、壁にもたれかかった岩崎と神島先輩がインタビューに答える後輩の姿をにやにや笑いながら見つめていた。身内には優しい人たちなので、一見後輩のためを思って一緒についてきたように思うけれどその実、逃げ出さないように監視の目を向けているに過ぎない、というのは私の考えすぎだろうか。疑惑を胸にしまいこんで、もう一人の後輩である更識さんの姿を探した。

 

「更識さんなら、ほら。あそこにいるよ」

 

 鷹月が指さした場所を見た。(ケイ)の後ろ姿が目に入り、隣にはティナがいて、さらにその隣に更識さんがいた。更識さんと一緒にいたはずの篠ノ之さんは織斑と彼女との間に立っていた。

 インタビューが終わったのか、兜鉢がそそくさと三組の生徒たちの群れの中に消えた。

 新聞部の上級生が更識さんの前に移動した。どんなことを話すのか興味があった。とっさに鷹月の手をとって早足で人混みをかき分ける。鷹月がいれば更識さんの声を聞き漏らしたとしても唇の動きを拾ってくれることを期待していた。

 (ケイ)とティナが留学生ということもあり、謙虚なことに彼女たちのまわりに少し隙間があった。その隙間に半ば強引に体を滑り込ませた私は、鷹月の体をたぐり寄せると抱きかかえるような姿勢になってしまった。

 

「あぶないったら」

 

 バランスを崩しかけたところを(ケイ)が背中を支えてくれたので、衆目の前で恥をさらすような事態は避けられた。

 

「……助かったよ。(ケイ)

「えーちゃんって。おっちょこちょいだからね。わたしが見てあげないとすぐころんじゃうんだから」

 

 (ケイ)はティナに向かって言った。私よりも(ケイ)の方がしっかり者なのだとティナに自慢する意図が透けて見え、頬をふくらませた私は先ほどの失態を記憶から消そうとICレコーダーを突きつけられた更識さんに意識を向けた。

 

「最後に四組から一言お願いします」

 

 更識さんの目が泳いだ。篠ノ之さんが隣にいたせいか、何かを言いかけて口をつぐんだ。もしかしたら、月並みな言葉を吐こうとしたのかもしれない。そうすると織斑や兜鉢とかぶってしまう。現在の下馬評によれば四組優位だから、少しは調子の良い言葉を吐いてもいいのかもしれない。実際、新聞部としてはトトカルチョのレートに関係することもあって面白いコメントを待つ気持ちが強いと考えられる。では、どのような言葉が適当なのだろうか。更識さんにも自己顕示欲があるだろうから、もしかしたら思い切ったことを言うかもしれない。告白騒動に至ったのも彼女が勇気を出したからだ。

 上級生は静かに更識さんの言葉を待った。

 

「……す」

 

 声が小さく聞き取ることができなかった。上級生も同様らしく首をかしげた。鷹月も同じだった。

 不意に更識さんがしのぎんに顔を向けた。目が合ったのか、何度もまばたきする彼女に向かって笑いかけた。つづいて視線を動かす。その先には岩崎たちがいた。ククク、と不気味に喉を鳴らす怪人と氷のような無表情の女幹部をまっすぐ見つめた。

 私と同じように更識さんの視線の先にあるものに気づいて、目を向けた生徒がいたけれど岩崎の姿を見つけるなり目をそらす者がほとんどだった。(ケイ)やティナなどはきょとんとしていた。

 鷹月も私の視線を追っていた。岩崎の唇の形が変わった。すぐさま更識さんを見たら、彼女は力強くうなずいて、何度も深呼吸を繰り返した。

 鷹月に岩崎が何を言ったのか分かったか、と目で訴えかけた。鷹月は首を振り、「君は」までしか分からなかったと答えた。

 更識さんが上級生に顔を向けて言った。

 

「……四組が優勝します」

 

 突然空気がかたまった。ティナだけは当然と言わんばかりにうなずいていた。

 

「……更識。それってあたしに勝つってこと?」

 

 と凰さんが聞いた。突然の宣戦布告に笑顔を凍り付かせていた。

 

「ちなみに何勝するつもりでしょうか」

 

 上級生は動じることなく質問を続けた。

 

「……全勝です……」

 

 クラス対抗戦は総当たり戦だから三戦をこなす必要がある。それを全勝すると言い切った更識さんに周囲は沸いた。

 

「ありがとうございました」 

 

 上級生はICレコーダーの停止ボタンを押した。そのまま群衆に埋もれていった。

 

 

 




【補足】クラス対抗戦の試合形式について
アニメ第三話にてクラス対抗戦のトーナメント表を映し出す場面があります。念のため原作第一巻を確認しましたが、リーグマッチとあるだけでどんな形式なのか明確にされていません。アニメは解釈の一つだと考え、本作では総当たり戦を採用しました。


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クラス対抗戦とその道程
★16 わかってると思うけど、男の子は(以下略


今回から新章です。


 黄金週間を間近に控えたある日。

 IS学園入学後、初めての連休ということも手伝って、私を含めた一年生の雰囲気がどこか浮ついたものになっていた。とはいえ、風の噂で山田先生や後藤先生らが連休中の課題を山盛りで用意している話が流れていて、休日の計画を練りながらも課題でどれだけの時間を費やす必要があるのか予測を立てたい一心で、課題内容の発表を心待ちにしていた。

 私は朝の日課となったランニングに汗を流していた。折り返し地点である砲陣地は目の前だった。赤茶色にさびついた短十二センチ砲が放置されており、数十年にわたって風雨にさらされて朽ちかけていた。学園島がその昔、旧日本軍の基地であったころの名残であった遺跡は戦争という()まわしい記憶とともに風化しつつあった。

 ランニングのペースを(ケイ)に合わせるようにしてから数日が経っていて、ようやくついて行けるようになっていた。(ケイ)は留学生らしくストライドを大きく取って力強く走るものだから、最初はすぐに置いていかれていた。同じペース配分だと潰れてしまうことがわかってから、私は自分の走り方に合わせてペース配分を微調整していた。

 最近になって気付いたことだけれど、三組の生徒をよく顔を合わせた。誰かと思えば兜鉢(かぶとばち)とマリア・サイトウに遭遇する確率がとても高く、サイトウはともかく兜鉢とはいまだに目を合わせられずにいた。そのくせ向こうから親しげに話しかけてくるので厄介(やっかい)に感じていた。というのも、姉崎や霧島先輩から回ってくる野暮用(やぼよう)で航空部やロケット研に何度も顔を出していたものだから、完全に顔と名前を覚えられてしまった。私としては知己(ちき)が増えるのは良いことだと思っていたけれど、知り合う人がみんな癖が強い人ばかりなのは勘弁と切実に願っていた。

 

「えーちゃん。本当にタイムよくなってるね」

「うへへ。私を甘く見てもらっては困るね」

 

 砲陣地の側で携帯端末を触っていた(ケイ)が、額に汗を浮かべた私を見つけるなりにおどろきの声を発した。先日の二組代表決定戦の後、体力お化けだったしのぎんの体重が二キロも落ちたという事実を目の当たりにして、持久力がないと長時間に及ぶISの試合は不可能という事実に気付いた。

 

「帰りは軽く流すからね。前半がハイペースだったから疲れたまってるでしょ」

「……助かる」

 

 私は(ケイ)の提案に乗った。息を整えながら彼女の顔を見たが、やはり息が乱れているようには見えなかった。一組だと篠ノ之さんや相川が四〇〇メートルのタイムが優れているけれど、(ケイ)は軽くその上をいく。一組トップクラスの成績保持者だけあって、身体能力も化け物だった。びっくりするのは身体能力ではセシリア嬢を上回る彼女でも代表候補生には選ばれていないという事実だった。もっとも(ケイ)の場合はアイルランド本国のIS委員会がカテリーナ・マッキンリー選手の処遇でずっと揉めているせいだ、と(ケイ)自身が言っていた。

 

 

 私は食堂で井村先輩を捕まえることに成功した。

 井村先輩と一緒に食事をとっていた雷同を拝み倒すことで先輩の口を割らせた。去年、クラス対抗戦を投げた一年三組に何が起こったか、というもので食事中に聞くべきではなかったと後悔している。

 私はクラスメイトに情報を開陳する楽しみを胸に秘め、だらしない笑顔を浮かべながら登校した。一組の教室に入ると、いつもなら元気いっぱいで織斑やセシリア嬢に絡んでいた相川が顔面蒼白で頭を抱えていたのでぎょっとした。視野の裾では布仏さんが垂れ下がった袖を子犬ちゃんの体に巻き付け、朝の恒例となったお肌の触れ合いに勤しんでいた。もちろんセシリア嬢の刺々しい視線を巧みに回避しながらだということを付け足しておかねばならない。

 私は(ケイ)と並んで歩きながら自席にカバンを置いた。そして浮かない顔をしている相川に声をかけるべく歩きながら教室を見渡すと、織斑と篠ノ之さん、岸原とかなりんの他数名の姿が見あたらなかった。布仏さんや谷本、鏡が私より早く登校していたくらいで特に変わった様子はなかった。

 

「相川ー。恋の悩みですかー?」

 

 いつもの癖で相川を茶化した。相川は両手を頭から離して、ゆっくりと顔を上げた。憔悴(しょうすい)しきっており、それこそ黒歴史ノートが親バレしたときのような悲壮感を(ただよ)わせていた。

 

「えーちゃん。クラス対抗戦最下位クラスの罰ゲームってあったじゃない。そのリーク情報が来たんだけどさ……」

「嘘っ」

 

 私がクラス中に広めようとしていた話ではないか。いくらなんでも耳が早すぎる。内心の焦りを表に出すことなく平静を装った。

 

「本音がお姉さんから教えてもらったんだって」

「で、罰ゲームってどうなの」

「部室棟の掃除とかありえないよね」

 

 相川の答えは予想通りだった。これで井村先輩の話の裏が取れたことになる。相川は真っ青な顔で拳を握りしめた。

 

「……あ、織斑君おはよー」

 

 入り口を振り返ると、織斑と篠ノ之さん、そしてセシリア嬢がつづけて教室に入ってきた。織斑は私を見つけるなり声をかけた。

 

「どうしたんだ?」

「クラス対抗戦最下位クラスへの罰ゲームの内容が分かったんだって」

 

 そういうと織斑は気のない返事をした。織斑も罰ゲームの噂を聞きおよんでいたけれど、日々の勉学と鍛錬に忙しいせいか、あまり興味を示さなかった。

 教室の後方で谷本が織斑を呼んだ。

 

「あ、織斑くーん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどー」

 

 織斑は心当たりがあるのか、「あっ」と短く声をあげ、素早い動きで篠ノ之さんに手を合わせた。

 

「すまん。箒、多分ノートの件だ。谷本のところに行ってくる」

「ああ」

 

 織斑は篠ノ之さんの返事を聞くなり、慌てた様子でカバンからノートをひっつかむと谷本の席に向かった。その背中を見送った篠ノ之さんが自席にカバンを置いて、素っ気ない顔つきで相川の横に立つ。わざとらしく咳払いをしてから、腰をかがめて話しかけた。

 

「それで相川。なぜ、そんなに落ち込んでいるんだ」

「その罰ゲームってのがね……」

 

 緩慢な動きで顔を横向けた相川が小声でつぶやく。すると篠ノ之さんの顔が瞬く間に青ざめていくのが分かった。

 

「それは本当なのか」

 

 篠ノ之さんの問いに相川が神妙な様子でうなずいた。

 

「本音が……生徒会情報だから間違いないって」

 

 リーク元が巨乳眼鏡なら確度の高い情報なのは間違いない。あの超有能な先輩が誤った情報を流すとは思えない。正しい情報に訂正する、などと面倒なことをするはずがないからだ。この時期に情報を流したのは浮ついた雰囲気を戒めるために違いない。

 篠ノ之さんが腕を組んで嘆息した。仁王立ちしながら片目で織斑を見やった。

 

「……一夏には是が非でも頑張ってもらわないといけなくなったな」

「そうだね。死ぬほど頑張ってくれないと私たちが困る」

 

 さりげなく相川が独善的な発言をした。この罰ゲームは人としての尊厳に関わるため彼女たちの身勝手とも思える発言に、私は大いに賛同していた。

 篠ノ之さんは相川を目をしっかりと見つめ、お互いの意思を確かめ合った。

 

「部室棟の掃除は嫌だ」

「ふっふっふ。さすが剣道部。事の重大さを分かってますな」

「ソフト部こそ分かってるじゃないか」

 

 相川と篠ノ之さんは互いに不敵な笑みを交えながら、しっかりと両手を握りしめた。二人とも運動部に所属していることから、この罰ゲームがいかに残酷であるかを理解していた。

 

「おはよー」

 

 岸原とかなりんが教室に入ってきた。二人は私たちの姿を認めるなり、「なになに」と興味津々と言った風情で自席にカバンを置いた。

 

「クラス対抗戦について話をな」

 

 篠ノ之さんの答えに、岸原が眼鏡の奥の瞳を輝かせた。篠ノ之さんの仏頂面はいつもの事なので、岸原は特に気分を害した素振りは見せなかった。

 

「例の罰ゲームなんだけど……部室棟の掃除なんだって」

 

 幾分回復したものの青ざめたままでいた相川に変わって、私が答えた。

 

「掃除? それがどうしたの」

 

 岸原が首をかしげる。彼女はIS学園に入学するだけあってそこそこ運動はできるが、運動部出身ではなかった。そのため問題の重大さを理解できなかった。

 

「優勝して特典を手に入れたい。だが、絶対最下位になってはならない。絶対にだ」

 

 篠ノ之さんが強い口調で断言してから、谷本と話をする織斑を一瞥(いちべつ)した。

 鬼気迫る雰囲気に圧倒されたのか、岸原とかなりんが思わず後ずさっていた。かなりんが恐る恐る口を開いた。

 

「そ、そんなにヤバイの?」

 

 私は真剣な面持ちで深くうなずき返した。井村先輩が食事中に話すべきことではない、と前置いたぐらいの魔窟だ。有り体に言えば、とにかく汚いのだ。

 

「ああ。……一度、部室棟をのぞいてみると良い。異性の目から解き放たれたが故に大変なことになっている」

 

 私は挙手をした。

 

「今朝、井村先輩に聞いたんだけど、部室棟って去年掃除しているはずなんだけど……」

 

 相川と篠ノ之さんが疑いのまなざしを向けた。私は一瞬だけ楽観的観測を抱いたもののすぐに自信がなくなってきた。たかだか一年で散々な状況だと考えたくなかった。しかし相川と篠ノ之さんの反応を見る限り、楽観的観測は簡単に砕け散るような気がしていた。

 

「え。去年掃除したの? あれで?」

 

 案の定相川がおどろきの声を発した。彼女の反応からして、去年のクラス対抗戦の後、一年三組総出で掃除をしたものの、その後一度としてまともな掃除を行わなかったのではないだろうか。私は確信めいた瞳で相川を見つめた。

 

「その先輩、去年の三組だったから間違いないよ」

「はは……」

 

 篠ノ之さんは哀愁を帯びた笑い声をもらす。私たちは下馬評最下位の織斑の背中に熱い視線を送った。

 

 

 クラス対抗戦の本格的な対策は明日に持ち越しとなったので、私は一足早く寮に帰っていた。部屋着という名のジャージに着替え、売店へ行こうと思って廊下をうろついていた。

 談話室の表示が目についたので何気なく扉を開けた。室内には洒落たソファーやテーブルが置かれていてちょっとしたサロンのようになっていた。数名の生徒がいて、顔つきからしておそらく上級生だと思われた。壁にもたれかかってぼんやりと眺める。自販機の側に見覚えのある顔を目にした。

 

「姉崎先輩だ……」

 

 赤毛が目立っていたので小さな声でつぶやいていた。姉崎の隣にはダリルさんや学内ネットワークの在校生代表候補一覧で目にした顔もいる。対IS戦闘の巧者であり、学園側の要求する技術水準を満たした化け物たちがいた。とはいえ、全員美人なのが憎らしい限りである。

 私は彼女らに聞いておかなければならないことがあった。ちょうど関係者がそろっている機会を逃してはならないと思った。

 決意を心に秘め、姉崎たちの元へ向かった。

 上級生の一人が私の接近に気付いて顔を向けた。彼女を視野の裾に留め置きつつ、深呼吸してからこう言った。

 

「お疲れ様です。お姉様方」

 

 そのまま自分のフルネームを口にしてから続けた。

 

「腹を割ってお話しませんか?」

 

 ダリルさんが顎を上向け、のけぞりながら私を見てきた。上級生の視線が一斉に集中する。全員ジャージ姿なのが惜しいところだけれど、体つきも大人っぽさがにじみ出ている。たかが一、二年の差でこれほどまで発育の違いが出ると思って少しねたましい気持ちになった。

 私は間を置くつもりでゆっくりと全員の顔を見回した。部屋の奥に外側に跳ねた水色の髪をした上級生がいて、何事かと思ってこちらを振り返ったその人は生徒会長だった。彼女は私の顔を見つけるなり、いきなりにらみつけてきた。航空部の一件でよく思われていないのは事実だった。共犯の姉崎が奥を見やって「落ち着くように」という身振り手振りを示した。

 今頃生徒会長の頭の中では、衝撃の瞬間が昨日のことのように再生されているのだろうか。

 

「話ってなんだい」

 

 ダリルさんが代表として口を開いた。中には初対面の先輩の方が多かったから、ダリルさんが話を聞いてくれるのがありがたかった。私はありったけの勇気を振り絞ってにっこりと笑った。

 

「先輩方、お風呂まだでしたよね。篠ノ之さんの噂について話を聞きたいと思いまして」

 

 売店から戻ったら大浴場に向かうつもりでいた。別にここで話をしてしまっても不都合はなかったけれど、風呂ならダリルさんや姉崎が変なまねをすることはないだろうと高をくくっていた。

 

「裸の付き合い、か。よろしい」

 

 いつの間にか生徒会長をなだめすかした姉崎が毅然とした口調で言った。

 言わんとすることをくみ取ってくれるのがうれしかった。姉崎が分かっていれば簡単に話が進むと考えていて、実際その通りになった。

 姉崎が留学生に向かって私の言ったことの真意を伝え、うなずく姿が見えた。

 ふと視線を落とす。向き直ってソファの背もたれに胸を押しつけたダリルさんがにやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。

 

「……ダリルさん?」

 

 嫌な予感がした私は、じっとダリルさんを見つめた。すると彼女は急に男を知らない生娘(きむすめ)のような表情で頬を赤らめた。

 

「そんなに私の裸が見たかったなんて……このおませさんめ」

 

 予想外の反応に私は呆然としてしまった。

 

 

 大浴場。(ひのき)風呂である。

 学年ごとに入浴時間帯が決まっているけれど、部活やISの搭乗訓練で帰宅が遅くなることがあって、時々一年に割り当てられた時間帯に上級生が混ざることや、上級生の入浴時間帯にわれわれ一年生が混ざることがあった。

 だから上級生がいても特に注意を払うことはないと思っていたのだけれど、少しだけ誤算が生じていた。とにかく姉崎が目立っていた。中身は私の薄汚れた心が可愛いと感じるくらい真っ黒に汚れている割に、外見は一級品だった。お姫様やフロイラインと口走っても違和感がないのがまねできないところだった。逆に肌の色からしてダリルさんの方が目立つかな、と思ったけれど杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

 私はすばやく服を脱ぎ、一足先に手ぬぐい片手に大浴場へ足を踏み入れた。時間帯からして一組と二組がほとんどのはずだったけれど、並んだカランの一番手前に寸胴(ずんどう)のお子様を見かけて目を逸らしてしまった。長い髪に丹念にシャンプーを浸している姿は何も知らなければ小学生か入学したての中学生くらいに見えて可愛らしいけれど、目前にいるのは本気で怪しげなISを開発しているマッドサイエンティストだった。髪を洗うのに精一杯でこちらには気付いていなかった。

 風呂桶と風呂椅子を持って後ろを通り抜ける際、つい気になって胸のあたりを一瞥した。分かりきっていたことだけれどふくらみがなかった。よく更識さんや凰さんが胸部の発育を気にする光景を目にする。その悩みがとても贅沢(ぜいたく)に思えるほど真っ平らだった。

 そのまま檜風呂の近くで、彼女とできるだけ離れたカランを選んで風呂椅子を置いた。掛かり湯を済ませようとお湯を取っていたら、騒がしい声がしたので入り口に顔を向けた。ちょうど先輩方が姿を見せた。

 姉崎、ダリルさん、いつも一緒にいる灰色の瞳をした美人さん、といった順番で出てきた。姉崎が上品なしぐさで私の隣に座った。ダリルさんと私の間に壁を作るような位置だった。私は姉崎の心遣いに感謝した。

 さて掛け湯を済ませたら檜風呂である。私は暖まってから体を洗うのが習慣になっていたので、手ぬぐいをよく絞ってから首にひっかけて立ち上がった。

 

「先に風呂に入る口かい?」

 

 姉崎が尋ねた。クレンジングオイルを手にとってふたを開けるのが見えた。

 

「はい。先輩は?」

「わたしもだが、他の者が落ち着いたら後を追うよ」

「わかりました。待ってます」

 

 そのまま檜風呂に向かった。先客はしのぎんと凰さんだった。二人と正対する場所にセシリア嬢と子犬ちゃんもいた。

 

「あら。あなたも来てましたの」

「セシリアさんこんばんは」

 

 セシリア嬢にあいさつをする。私に気付いた子犬ちゃんがこちらを向いて小さな声であいさつを口にした。そのままセシリア嬢の肩に小さな頭を預けた。

 私はしのぎんの隣に腰を下ろした。正面を向くと、セシリア嬢と子犬ちゃんの奔放なふくらみがお湯の中に浮いていた。二人とも同い年とは思えない大きさだった。いつも重そうにしていて、子犬ちゃんなどは重力から解き放たれてとてもうれしそうだった。

 横を向くと、しのぎんと凰さんが正面を凝視している。気になって視線を追ってみると二人の胸部に落ち着いた。失礼、と心の中で謝りながら二人の胸部に目を落とした。

 

「あの二人と比べちゃいけないよ」

 

 私はお節介だと思いつつ、優しい顔つきになって首を振って見せた。ついでに言えば篠ノ之さんや布仏さんの胸部も凶暴極まりないものだ。私が男の子だったら興奮して夜寝付けなくなってしまうことだろう。

 凰さんが険しい表情で奥歯を強くかみしめた。

 

「あんなの反則じゃない……」

 

 凰さんの嘆きが漏れた。両手で自分の胸を抱え込むと、肌と手のひらの間にできた空間の広さに涙した。しかし大丈夫だと言いたい。男は胸の大きさだけでは女の価値を決めたりはしない。しかし価値を計る要素の一つには違いなかった。

 

「子犬ちゃん、いつも言ってるよ。肩がすごくこるんだって」

 

 慰めるつもりで凰さんに言った。私もしのぎんと同サイズなので人の事は言えないけれど、少なくとも肉の凶器を受け入れるだけの度量を持っているつもりだった。

 

「そんなことわかってるわよ。でも現物を見せられるとうらやましくなっちゃうのよ」

「分かる。その気持ちすごくよく分かる」

 

 凰さんの言葉にしのぎんが同意する。

 

「なー、えーちゃん。子犬ちゃんのブラのカップサイズって知ってる?」

 

 しのぎんが横を向くなり言った。気になるのか凰さんも嘆息しながら私の顔を見つめた。

 

「知ってるけど」

「ずっと気になってたから教えてほしいなあ、と思って」

「それ……気になるわ」

 

 私の気のない返事に二人が食いついた。私は快く応じることにした。

 

「一言で言えば、()だね」

 

 もったいぶったしぐさでブラサイズを告げた。

 

()だとう……?」

 

 しのぎんがショックのあまりうめき声を出した。凰さんは正面を向いて子犬ちゃんの胸元に鋭い視線を向けた。

 

「何よ。結局反則じゃない」

 

 視線に気付いたセシリア嬢が私に向かって「なにごとですの?」と聞いてきた。

 

「正確な数字は分からないよ。重量感を確かめたかったら直接揉んでくるといいよ。多分セシリアさんが怒るけど」

 

 私の発言を耳にしたセシリア嬢が子犬ちゃんの危機を感じ取り肩を抱き寄せた。その様子を見た凰さんが私に声をかけてきた。

 

「ねえ。あの二人、いつも一緒にいるけど、どんな関係なのよ」

 

 いつかは聞かれるだろうな、と思っていた質問だった。友達同士でつるんでいるにしては、セシリア嬢たちの距離が近すぎるのだ。私はしのぎんと顔を見合わせた。

 

「うーん。ルームメイトかつ、いけない関係かなあ」

 

 ルームメイトとだけ言ってもまず信じることはない。何かを隠しているように思われるに違いない。それならば、誤解が深まる前提で馬鹿正直に答えるのがよいと判断した。

 

「その……お姉様とか言っちゃう関係……とか?」

 

 凰さんが珍しくおびえた表情を浮かべ、何度も正面の二人に視線を送っている。凰さんの挙動不審な姿に子犬ちゃんは首をかしげるばかりだった。

 

「あながち間違いとは言えないんだよな……」

 

 しのぎんが複雑な表情で独りごちた。私も正確なところはわからない。おそらく真実に一番近づいているであろう鷹月女史の姿が見あたらないのでコメントを控えた。

 特に訂正しなかったせいか凰さんの二人を見る目つきが変わった。凰さんも同性間のあれこれに寛容な口なのだろう。いや、自分に害さえなければ気にしないだけかも知れなかった。

 

 

「待たせたな」

 

 良い具合に凰さんの誤解が深まったところに姉崎たちが姿を見せ、湯船に足を入れた。浴槽に少しぬめりがあるので、慎重な足取りで私を取り囲むように腰を下ろしていった。

 凰さんがその顔ぶれにおどろいて目を丸くした。残念な中身を知る私と違って、彼女たちのカタログスペックと戦績しか知らないので無理もなかった。

 

「それで話とは何かね?」

 

 姉崎が私に向かって話しかけた。あのクレンジングオイルは何だったのか、と私は姉崎の地顔を見て思った。

 

「上級生の間に流れている篠ノ之さんの噂についてですよ」

 

 私はさりげなく隣を陣取ったダリルさんをにらみつけるようにして言った。

 しのぎんや凰さんがきょとんとしている。噂の確認が目的なので、篠ノ之さんの姿がなければ他は気にしなかった。

 

「のぼせないようにしたいので手早く済ませたいです」

「……まあ。その件についてわたしにも責任の一端があるからな。もちろん神仏に誓って扇動(せんどう)などしていない」

 

 姉崎が憎らしいほど厚かましい発言をした。扇動はしていないけれど、暗躍していないとは一言も触れなかった。面の皮の厚さだけは学園随一ではないか、と思っているだけに美貌の下で何を考えているのかわからなかった。

 

「なーんだ。そんなことかい」

 

 ダリルさんが浴槽に腕を投げ出しながら口を開いた。そして私の前に身を乗り出すとしたり顔でこう言った。

 

「ぶっちゃけレズビアンなんだろ?」

「セシリア君は両刀(バイ)説を提唱している」

 

 突然名前を出されたセシリア嬢がぽかんとした様子で何度も瞬きしていた。私は姉崎の肩越しに手を合わせて謝った。うっかり姉崎に口を滑らせてしまったからだ。

 

「そしてわたしはこの意見に賛成だ」

 

 根拠のない()(ごと)だったけれど、姉崎の確信めいた口調によってうっかり本当のことのように思えてくる。私は動じなかった。

 

「それ、自分の性癖と重ねているだけじゃないですか」

 

 突っ込みを忘れてはならなかった。鷹月と違って前振りがあるだけ対応が楽だった。

 

「れっきとしたストレートですよ。同性の友達が少ないから慣れてないだけです」

 

 姉崎は持論を力説する私を見るや胡乱な顔つきになった。まるで信じていない目つきだった。

 

「客観的に言わせてもらえば、三年生に関してはケイシーが言うようなビアン説が有力だ」

「だろ!」

 

 ダリルさんが訳知り顔で相づちを打った。

 

「じゃあ二年生はどうなんですか」

「いいッスか」

 

 灰色の瞳をした美人さんがいかにもやる気のない素振りで手を挙げた。他に二年生がいなかったので、ダリルさんにとやかく言われないよう先に動いたと見える。

 

「サファイア。続けてくれ」

 

 姉崎が続きをうながした。

 

「二年生は特に何もないッスよ。篠ノ之箒って誰? ぐらいの認識ですよ」

「へえ……」

 

 私は意外に感じた。二年生も姉崎やダリルさんみたいな人たちばかりだと思っていた。霧島先輩とかパトリシア先輩みたいな人が珍しいと考えていた。

 

「やっぱり姉崎先輩たちがおかしいんですよ」

 

 私の発言は人格否定と取られてもおかしくなかった。しかし、姉崎は眉根を動かすことなく言った。

 

「二年生の間では楯無君が人気なんだ。ほぼ独占状態だと思ってる。特に薫子君などは楯無君が好きで好きでたまらない口だね」

「それ。男同士の友情をBL目線で見るのと一緒ですよ」

 

 姉崎がしたり顔で言ったものだから、私は鋭く批判をした。

 

「クラスメイトから時々後藤×織斑とか織斑の誘い受けとかも聞くッスよ。昼行灯(ひるあんどん)が夜は篝火(かがりび)になるんだとか」

「やめてくださいよ。BL発言禁止!」

 

 私は美人さんのBL発言を聞くや、沈黙を守っていた三年生の目が爛々(らんらん)と輝く様を目撃して、先手を打ってあられもない腐った発言を阻止しようと声を上げた。

 

「織斑先生がうちの従姉とそのネタで真剣に話をしていたのだが……」

 

 姉崎がぽつりとつぶやいた。五郎丸さんがその手の話をするのは一向に構わなかった。山田先生との話で時折登場するのでどんな人物かは伝聞でしか知らなかったけれど、残念な人物だと確信している。しかし、相手が織斑先生というのは初耳だった。

 

「そのお話はまた今度じっくり(うかが)います」

 

 私はちゃっかり姉崎の手を取って目を輝かせた。

 姉崎は私の有無を言わせない様子に気圧されたのか、ぎこちないしぐさでうなずき返した。姉崎を黙らせた私は上級生の顔を見回して続けた。

 

「とりあえず皆さんに言っておきたいことがあります。篠ノ之さんはストレートなんです。恋する乙女なんですよ」

 

 例え信憑性が低いと思われていても事実を伝えなければならなかった。

 ダリルさんが不意を突いて首に腕を回して、自分の体へと私の頭を抱き寄せた。支えのなくなった私の頭が彼女の鎖骨に当たって止まり、肩に褐色の乳房が触れる。すべすべとした感覚に「わっ」と声を上げてしまったけれど、姉崎や美人さんが気にした素振りはなかった。

 

「そいつら同室なんだろ?」

 

 ダリルさんが言った。私に確認するよりはむしろ、他の上級生に向けて発していた。私は顎を上げて上向いて抗議の声を上げようとした。と思うと、ダリルさんの手が私の慎ましやかな乳房をわしつかんできたものだからそちらに意識が行ってしまった。

 

「しかも幼なじみときた」

 

 姉崎がダリルさんの発言に対してうなずいて返した。そのままダリルさんは真剣な面持ちで、ふにふにっ、と音を立てるような感じで私の胸を優しくもみし抱く。顔を赤らめながらも声を上げようと体をひねった。

 

「やっちまってんだろ。幼なじみといえど男と女。そういうことがあってもおかしくねーよ。妊娠しなけりゃ問題ねーだろ」

 

 さりげなく乱暴な口調で暴言を吐いたので、ぽかんとしてしまった。するとダリルさんの拘束が解けたので、顔を横向けて美人さんを見る。興味なさそうにあさっての方向を見ていた。

 

「……とダリルさんが嘘つきましたけれど、あの二人はそんなことしてませんよ。今の発言が本人の耳に入ったらどうするつもりだったんですか」

 

 いい加減暴言に慣れてきたのか、私は素早く反論できるようになっていた。

 相変わらず美人さんが入り口に顔を向けていた。すぐ側に見覚えのある背中があった。誰かと思えば篠ノ之さんだった。彼女は私に気付くなり言った。

 

「私がどうかしたのか?」

 

 どうやら途中から聞かれていたらしい。私は焦る心を押し隠しながら愛想笑いを浮かべると、姉崎が顔を近づけて、篠ノ之さんに見えないように真っ黒な笑みを浮かべてささやいた。

 

「わたしがごまかしておくよ。その代わり貸し一つだ」

 

 

 姉崎の計らいで篠ノ之さんの噂について上級生と好き放題話していたことはうやむやになった。凰さんとしのぎんは姉崎の鬼気迫る雰囲気に圧倒されて首を縦に振るだけだった。私は姉崎に貸しを作ってしまい、またもや上級生に頭が上がらなくなってしまった。またろくでもない頼み事を押しつけられそうな予感がして今から不安になった。

 ダリルさんには勝手に胸を揉んだ件について厳しくとがめたら、ナハハ、と明るい笑い声を上げて「減るもんじゃねーし、いいじゃん」で押し切られてしまった。揉まれ損だと思って肩を落としていたら、別れ際に美人さんがこっそり耳打ちをしてくれた。

 

「これからもっと激しいセクハラが待ってるから覚悟した方が良いよ」

「か、覚悟しておきます」

 

 美人さんは同情の目つきで肩に手を置いて嘆息しながら、私に「がんばれ」と激励してくれた。いい人には違いなかったけれど、だったら止めてくれよ、と心の中でぼやいた。

 

「じゃ!」

 

 美人さんが清々(すがすが)しい笑顔を向けたものだから、現金な私は感激してしまった。異国の美人に笑いかけられるのはとても心地よかった。

 マッサージチェアが空いていたので一五分ほどお世話になってから自室に戻ろうと腰を上げた。廊下をふらふらと歩いていたら、部屋着に着替えた凰さんがボストンバッグ片手に一〇二五室の前に立っているのを見かけた。首をかしげて眺めていたら、ノックをするや、そのまま上がり込んでしまった。

 幼なじみ同士つもる話もあるのだろう、と思って特に気にとめていなかったのだけれど、すぐ近くにしのぎんがにやけ面を浮かべていたので声をかけてみた。

 

「しのぎんったら何してんの」

「おう。えーちゃんか」

 

 しのぎんが緩んだ表情で返事をした。噂好きの奥様のような素振りで手招きをした。不思議に思いながらも通路に背を向けて顔を近づけた。

 

「さっきえーちゃんと先輩たちが織斑君と篠ノ之さんが同室だって言ってたろ。それで鈴音が怒り出しちゃってね」

「ダリルさんがやった、やらないって戯れ言を吐いていたよね」

 

 キシシ、と声をあげてしのぎんが嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「それを真に受けた鈴音が、織斑の部屋に行くんだって聞かなかったんだよ。だから今頃修羅場だぜ」

 

 私が面倒くさそうに眉根をひそめるのを見て、しのぎんが私の両肩に手を置いた。

 

「四組のハミルトンも一部始終を聞いていたから、もうすぐ野次馬を引き連れてくるはずなんだ」

「またろくでもないことを……」

 

 私は額に手を当てて嘆息した。織斑争奪戦はここに来て()(どもえ)の様相を見せ始めた。男女間の恋愛は自由だと思っているから、自分に被害さえおよばなければ特に気にしないつもりだった。

 

「なあんだ。えーちゃんもいたんだ」

 

 背後から突然声をかけられたので、びっくりして振り返ると(ケイ)の姿があった。その後ろにはティナや更識さん、谷本と言った野次馬根性を丸出しにした一年生が集結していた。二組の生徒の姿もある。よくしのぎんの部屋で見かける理知的な雰囲気を醸し出した生徒も、わざとらしい咳払いをしながらも興味津々といった風情だった。

 

「これはまた皆さん。おそろいなんですね」

 

 (ケイ)から視線を外してよそよそしい声を出した。

 

「ほんと。あいかわらず耳が早いというか……そういうところがえーちゃんらしいよね」

 

 (ケイ)がけなしているのか、ほめているのか分からないことを言った。これ見よがしに嘆息したので、どう反応して良いのか分からず突っ立っていたら、ほどなくして彼女たちの後ろから荒ぶった声が響いてきた。

 

「今すぐ鈴さんを止めてくださいまし!」

 

 セシリア嬢が肩を怒らせて足早に向かってきた。子犬ちゃんがメイクボックスを片手に小走りでついてきていた。

 

「お。来たな」

 

 しのぎんが言った。横を向くと相変わらずにやけ面のままだった。完全に面白がっていた。

 

「凰さん止めなくて良かったの」

「鈴音が私たちの言うことを素直に聞くと思う?」

 

 私の質問にしのぎんが首を振る。凰さんに唯我独尊的なところがあるから、自分の勘に従って突っ走る傾向があると認めていた。

 ため息をつきながら仕方なく(ケイ)に向かって「何か言ってあげなよ」と小さな声で告げたけれど、彼女はにやにやするだけでセシリア嬢を止める気はなかった。

 

「セシリアさん。セシリアさん」

 

 私が顔を真っ赤にして憤慨するセシリア嬢に近づいて声をかけると、血走った目でにらみつけてきた。

 

「何ですの」

「どーんと構えて大丈夫なんじゃない? 織斑って年上好みだし」

 

 ダリルさんの指摘は割と的確だと思っていた。セシリア嬢が年上好み、という言葉に過剰反応を示した。織斑先生があられもない姿で弟にまたがって乱れる姿でも想像したのか、彼女は耳まで真っ赤になって両肩を震わせた。

 

「ななななんてことを口にしますの!」

 

 思い切り動揺していた。私は心の中で「チョロいなー」とつぶやいた。

 ふと肩を突かれたので振り返った。腰の後ろで手を組んだ(ケイ)がにやにやと笑っていた。

 

「気持ち悪いよ」

「そんなえーちゃんにプレゼント」

 

 はい、と言って小さな箱を差し出す。背後でセシリア嬢が息を飲む声が聞こえた。

 

「ど、どこでそんなものを……」

 

 戦略級重要物資、もとい明るい家族計画である。篠ノ之さんが使い切ったら渡そうと思って買い込んでいたもので、決して自分のために入手したのではなかった。

 外のドラッグストアに行けば普通に手に入るので、外部に男がいる生徒が連休前に買っていく、とバイトのお姉さんが話していた。

 

「行ってきなよ。えーちゃんにしかできないことなんだよ」

 

 そう言って私の手を取って箱を乗せた。私が呆然としながら手元に目を落とす。

 

「へー。それ、本当に渡してたんだ」

 

 いつの間にか横に並んでいたしのぎん手元をのぞき込みながら感心したような声を出した。

 

「えーちゃんのそれ、武勇伝になってるぜ。一つ屋根の下の男女にアレを渡しに行くとかできないって」

 

 私は恐る恐る顔を上げて(ケイ)を見つめた。

 

「も……もしかして、私に行け、と?」

 

 一〇二五室を指さすと、(ケイ)が大きくうなずいた。私は目を泳がせながら野次馬たちに助けを求めてみたけれど、彼女たちは一様に目を輝かせて無言のプレッシャーをかけてきた。

 私は奥歯をかみしめておののいた。期待と揶揄(やゆ)の視線が痛かった。私の心は瞬く間に折れて、肩をすくめて一歩を踏み出した。行き着く先は一〇二五室(修羅場)だった。

 

 

 鍵がかかっていました、という私の願望はあっさりと打ち砕かれた。

 

「お、お邪魔しまーす……」

 

 申し訳程度に小さな声を出して室内に足を踏み入れた。奥から騒がしい声が聞こえてきたので、良い具合に盛り上がっていることが分かった。開いた扉から次々と野次馬たちが侵入した。鷹月やティナ、更識さんと言った場の空気を読む技に長けた者ばかりだった。ちなみにセシリア嬢は廊下で(ケイ)によって羽交い締めにされていた。

 抜き足、差し足、忍び足の要領で気配を殺して進む。

 

「とにかく! 部屋は代わらない! 出て行くのはそちらだ! 自分の部屋に戻れ!」

「ところでさ、一夏。約束覚えてる?」

「む、無視するな! ええい、こうなったら力ずくで……」

 

 激高した篠ノ之さんがいつでも取れるようにベッドの横に立てかけ合った竹刀を握る。

 

「あ、バカ――」

 

 織斑が慌てて篠ノ之さんを呼び止めた。と同時に私が顔を出す。篠ノ之さんと目が合って、彼女はつま先を凰さんに向けたところでおどろいて静止した。

 

「じゃ、邪魔でした?」

 

 私は無理やり笑顔を作って、ありったけの勇気を振り絞って話しかけた。振り向いた凰さんが目を丸くしているのが分かった。視線が痛かった。唯一、織斑だけがほっとしたように嘆息した。

 

「ア、アンタたち……」

「凰さん、凰さん。ちょっとこちらに来て欲しいんだな」

 

 私がぎこちない口調で手招きをする。更識さんとティナが顔を出していた。

 水を差された形になってしまい、不機嫌な様子で凰さんが私たちと一緒に廊下に出た。なぜだか篠ノ之さんも仏頂面のままついてきたので、私は足を止めて話しかけた。

 

「織斑と一緒でもいいのに」

「ふん! お前が戯言を吹き込まないか心配してついてきてやってるんだ」

 

 篠ノ之さんがぷいっと顔を逸らす。

 

「そう? なら別にいいけど」

 

 私はろくでもないことを言うつもりでいたけれど、あえてそれを口にすると面倒くさそうな事態に陥りそうだったので素っ気なく対応した。

 廊下に出ると、荒ぶったセシリア嬢が真っ先に口を開いた。

 

「よかった……。止めてくださいましたのね」

「いや、まだ止めていないって言うか。またおっぱじめるかもしれないんだよね……」

 

 私の意味深なつぶやきを耳にしたセシリア嬢が再び激高した。

 

「あなたは敵でしたのね! ゆ、許し――ンググ」

 

 つかみかからんばかりの勢いで足を踏み出したセシリア嬢を(ケイ)が再び羽交い締めにした。すかさず谷本が口を押さえつけ、鏡と布仏さんがそれぞれ肩を押さえた。

 私は(ケイ)たちにセシリア嬢を任せて、野次馬に囲まれて緊張した面持ちの凰さんに向き直った。篠ノ之さんがドアののぞき窓を塞ぐように体を預けた。

 

「な、何よ」

 

 凰さんがややうわずった声を出した。私は緊張のあまり顔が真っ赤になって、もじもじと忙しなく手足を動かしていた。

 篠ノ之さんを見やる。彼女は半目になって胡乱な顔つきになった。

 私は心臓の鼓動が早まっていくのが分かった。プレッシャーに押しつぶされそうになり、逃げ出してしまいたかった。だが、それは許されなかった。クラスメイトたちにチキン呼ばわりされるは嫌だったし、何より凰さんへの使命感に燃えた。

 私は凰さんの目を真っ正面から見つめて、恐る恐る口を開いた。

 

「お、織斑と同室になるってことは……」

 

 恥ずかしさのあまり、途中で口ごもってしまった。すぐに凰さんが強い口調でとがめた。

 

「うじうじしないで最後まで言いなさいよ」

 

 腕を胸の前で組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「じゃ、じゃあ……言います。織斑と同室になるってことは……その……一発必中決めてハニートラップ?」

「必中? ハニートラップ?」

 

 予想外の発言だったのか、凰さんが首をかしげて聞き返してきた。私は目を泳がせながら鷹月たちを見やると、彼女は意味を理解したのか口を押さえてうつむきながら笑いをこらえていた。更識さんも意味が分かったのか耳まで赤らめていた。

 私は覚悟を決めた。

 

「ふぁ凰さん。わ、わかってると思うけど男の子はとにかく実弾を撃ちたがるから! 男の子と同室になりたいってことはつまり、やりたいってことだよね! だめだよ! 安全装置だけはつけなきゃ!」

 

 私は手に持っていた箱を差し出した。凰さんがあっけにとられるのが分かった。

 

「……アンタ、何を言って」

 

 恋愛巧者のダリルさんは当たらなければよい、と格言を残した。最後の一言を付け加えるべく、深呼吸をした。

 

「だから! 妊娠して国際問題だけは……ね?」

 

 篠ノ之さんが目を丸くしながらも感心しているのが分かった。口を真一文字に引き結び、頬が緩みそうになるのを必死にこらえていた。

 

「え? に、んしん?」

 

 凰さんが穴があきそうな勢いで私の顔を凝視する。押しつけられた箱を見下ろして言葉の意味を理解しようと脳をフル稼働させた。

 背後から、ククク、と忍び笑いが漏れ聞こえてきたが気にしなかった。ここは凰さんから目を逸らさない努力をする場面だった。

 

「あ……」

 

 箱が示す用途を理解した凰さんの顔が瞬く間に耳まで真っ赤になった。今ごろ心臓の音がうるさいくらいに響いているはずだ。体が火照(ほて)り暴走し、()だった頭は織斑のことしか考えられなくなり、敏感になった体は男を受け入れる用意をする。そんなときに必須な器具が彼女の手の中にあった。

 セシリア嬢の怒りの視線が私の背中に突き刺さった。振り向かなくとも分かった。敵に塩を送るな、と言っていた。

 私は達成感に浸って野次馬達に顔を向けた。ある者は気恥ずかしさで顔を背け、ある者は爆笑し、ある者は艶々とした表情で親指を立てて賞賛していた。

 

「なあ。ちょっと扉の前からどいてくれないか。開けられない」

 

 篠ノ之さんの背中から織斑の声がした。

 

「待て。すぐにどく」

 

 篠ノ之さんが扉から体を離した。織斑が顔を出した。真っ赤になった凰さんを見つけるや、心配そうに声をかけた。

 

「鈴。どうしたんだ。熱でもあるのかよ」

 

 凰さんの両肩が跳ねた。ぎこちなく振り向いて笑顔を作ろうとしていた。織斑に箱を見せまいと背中に隠した。

 

「な、何でもないわよ!」

「そうか」

 

 凰さんがうわずった声で返事をしたので、織斑は安心したのか優しい表情を浮かべた。

 

「そ……それでどうしたのよ」

「そうだった。さっき鈴が約束覚えてるかって聞いたろ」

「う、うん。覚えてる……よね」

 

 小さな声だった。真っ赤な顔のまま、ちらちらと上目遣いで織斑を見つめた。

 

「ああ。――おごってくれるってやつだろ」

 

 織斑が自信に満ちた笑顔を向けた。とっさに横向くと、セシリア嬢が複雑な表情を浮かべているのが見て取れた。篠ノ之さんがいかにも残念そうな顔つきで織斑を見た。

 

「……い、一夏のバカっ! バカっバカっ!」

 

 凰さんは怒りで両肩を震わせながら、激しい口調で織斑をののしった。

 

「どうしたんだよ。……もしかして俺、間違ったことを言ったのか?」

「そうよ! 最っ低! この朴念仁! アンタなんか犬にかまれて死ねッ!」

 

 凰さんは織斑に近づくなり、膝を上げて勢いよく織斑の右足を踏み抜いた。私は思わず目をそらした。

 

()ッテエ!」

 

 織斑が悲鳴を上げ、足を抱えてうずくまった。

 凰さんは荒々しく扉を開けて一〇二五室に入っていった。

 織斑が痛みに耐えながら立ち上がって篠ノ之さんに話しかけた。

 

「俺、まずいこと言ったのか」

 

 織斑の自覚のなさに篠ノ之さんが目を丸くしたかと思えば、不機嫌そうに鼻を鳴らして顔を背けた。

 再び勢いよくドアが開く。中からボストンバッグを持った凰さんが出てきた。

 

「鈴……?」

 

 自分が何を言ったのか分かっていない織斑は、凰さんから怒りに満ちた視線を向けられて戸惑っていた。

 ボストンバッグを床に置いた凰さんが涙を拭くと、目元を赤くしたままにっこりと笑った。

 

「良かった。機嫌、直してくれ――ウグッ」

 

 凰さんは右膝を抱え込むように上げ、軸足となった左の膝を曲げながら蹴り足に体重を乗せる。腰を回転させながら膝のスナップを利かせ、上から下へたたき落とした。左すねに見事なローキックが入る。織斑の膝が抜けて姿勢が崩れた。

 

「これ、あたしを泣かせた分だから」

 

 凰さんが冷たく言い放った。そしてボストンバッグを手に取ると、肩を怒らせたまま自室へと去っていった。

 

 

 




定番イベントは外せませんね。


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★17 キワモノ

良いサブタイトルが思いつきませんでした。


 翌日の朝。ランニングの直後だった。肩で息をしながら柔軟のため自室に戻る途中、廊下で凰さんとばったり出くわした。私は努めて平静を装った。

 

「……あっ」

 

 凰さんが私を見るなり瞳に警戒の色を浮かべた。

 

「おはよう」

 

 そう言って目礼をすると、昨日渡した箱の事を思い出したのか凰さんの顔が真っ赤になった。彼女は両肩を小刻みに揺らして、何か伝えようと唇の形を変えたまでは良かったけれど、うまく言葉に表すことができなかった。

 

「昨日はよく眠れた?」

 

 私は当たり障りのないことを聞いた。隣で(ケイ)が顔を背け、口に手をあてながら体を揺らしているのが気になったけれど、あえて無視を決め込んだ。

 しばらくこのネタでいじられるのは避けられない予感がした。セシリア嬢から小言を言われることは間違いないから、子犬ちゃんとウェルキン先輩から取りなしてもらうことにしよう。ウェルキン先輩は意外とはっきり物を言うから寝取れ、などと無茶な指示(アドバイス)を出してはいないだろうか。ダリルさんのような非処女ならともかく、大多数の処女には無理な話である。

 私はそんなことを考えながら目を逸らす凰さんの様子を観察した。初心な姿に、彼女は男性経験がないんだろうな、と勝手に想像してみた。

 

「も、もちろん眠れたわよ……」

 

 真っ赤になったままぼそぼそとしゃべる姿が意外とかわいらしいことに気がついた。多少目尻がきつい印象を与えるものの、同年代の女子としては破格の美貌である。もう少し背丈が伸びれば胸囲など気にする必要がないくらい、いろいろな服の着こなしが様になるはずだ。私は彼女の胸部を穴が空くのではと思うくらい強く見つめた。

 その視線に気付いた凰さんが、自分の胸を守るように手をあて、目を丸くしながら一歩後ずさった。

 

「わ……わたしの胸を見てたわね」

「いやー。私もそんなにないからさ。仲間だと思ったんだよ」

 

 何度も繰り返すけれど、私としのぎんの胸囲はカップやアンダーなどまったく同サイズである。風呂場で私の裸体を凰さんも見たはずだった。そのためどんな体形か把握したはずだ。一言付け加えるなら、凰さんよりはわずかに大きいのは事実だった。

 私が手を伸ばすと警戒したように後ずさった。少し涙目になっているのが妙に気になった。凰さんは言った。

 

「あ、アンタ……あのオーストラリアの代表候補生と……その、えっと、あんたんとこの()と金髪みたいな……関係なのよね。……あ、あたしはその気はないからねっ!」

「は?」

 

 今、彼女は何と言っただろうか。

 

「あの、何とおっしゃったのか理解できませんでした。もう一度お願いします」

 

 ()が子犬ちゃんで、金髪がセシリア嬢のことだとわかった。その前がよく分からなかった。まるで脳が理解を拒んでいるかのようだった。

 

「ダ、ダリル・ケイシーとそういう関係なんでしょ。あたし聞いたんだからねっ! 談話室でアンタがお姉様って言ってるの」

 

 彼女が何を言っているのか理解したくなかった。まさに斜め上の最悪の展開である。こんなことになるとは予想もつかなかった。セシリア嬢と子犬ちゃんへの誤解を解かなかったことへの罰だろうか。

 

「確かにお姉様とは言ったけど……凰さんが思っているような理由じゃないです。本当に、神仏に誓って」

「心にやましいところがある人って、必ず言い訳するんだけど」

 

 あの場で洒落(しゃれ)っ気を出してお姉様方なんて言わなければよかった、と後悔していた。

 

「胸を揉まれてもその場で抗議してなかったじゃない」

 

 脱衣場で抗議したけれど、あの場に凰さんはいなかった。凰さんが知りうる情報を総括すると私がダリルさんと良い仲だという発想の飛躍が可能だった。

 

「あれはタイミングを逃したからで、あとでちゃんと抗議しましたよ」

「あたしは見てないわ」

「……そりゃあ凰さんはいなかったですけど」

「じゃあ、あたしは部屋に戻るから。先輩とお幸せに」

 

 公衆の面前で箱を渡したことに加え、みんなの前で「織斑とやりたいんだよねっ!」と言ったのが特にまずかったらしい。互いに好き合う男女ならエッチくらいするのが当たり前だし、その場の雰囲気に流されて産婦人科に行くようなことだけは避けて欲しい、というささやかな願いを込めていた。

 それ故、私は叫ばずにはいられなかった。

 

「誤解ですって! やめっ……行かないで! 凰さん、いやあああ!」

 

 私はこの世の絶望を一身に背負ったかのような表情で凰さんの背中に訴えかける。彼女は聞く耳を持たなかった。隣で(ケイ)がずっと笑いっぱなしだった。

 

 

 私が失意のまま登校すると、生徒玄関前に大きな張り紙が掲示されていた。表題はクラス対抗戦(リーグマッチ)日程表である。

 

「えーちゃん。えーちゃん。クラス対抗戦の日程表が出てるよ」

「知ってる。今見てる」

 

 (ケイ)が手招きをしていた。目に止まりやすい場所に達筆で巨大な文字が書かれていれば誰だってすぐに気がつく。

 私は素直にはしゃぐ気分になれなかった。結局レズだという誤解を解くには至らなかった。挙げ句の果てに(ケイ)などは「付き合っちゃえばいいんだよ」とその場のノリで適当なことをのたまったので、私への疑惑が増しただけだった。

 

「へえ。一組が最初なんだ」

 

 日程表では一組は第一試合、第四試合、第五試合を戦うことになっていた。全部で六試合の総当たり戦。一組は二組、三組、四組の順番に試合を執り行う。一組以外は代表候補生というある意味鉄板の布陣だったので、下馬評では「一組最下位確定なるか!?」という見出しが掲載されていた。

 二組のクラス代表が凰さんに交代した今、一組が優勝する可能性は限りなくゼロに近かった。一組と二組が専用機を保有している。しかし専用機だから試合に勝てると楽観できる状況ではなく、量産機に食われる可能性が大いにあり得た。更識さんが築いた過去の実績は打鉄によるもので、一年生の中では最も総稼働時間が長く、しかも打鉄に乗っている時間も長い。更識さんが新型の専用機を受領していた方が勝ち目があるとささやかれる程だった。それほどに隔絶した技量の差が存在した。

 一組は織斑で行くと決めていた。当日までに彼の実力を少しでも伸ばしてやることが部室棟の掃除から逃れるための必須課題となっていた。

 

「アリーナは一つだけなんだね」

 

 今回はすべての試合で第三アリーナを使用することになっていた。試合間の休憩時間を考慮すると化学処理班がアリーナを封鎖するのではなく、回収班が地面の穴を埋め戻すだけの時間しか確保されていなかった。

 私の顔をのぞき込んできた(ケイ)が舌足らずな調子で話しかけてきた。

 

「ねえねえ。えーちゃんの知り合いでIS使うのがうまい人っていないかな」

「いるけど。これまたどうして」

 

 (ケイ)は深刻な顔つきになる。

 

「このまま行くとわたしたち部室棟の掃除だよね」

「そうなるだろうね」

 

 今の状況で優勝できるよね、とのたまったら頭の中がお花畑だと言ってやりたい。半年間デザートフリーパスどころの騒ぎではなくなっていた。

 (ケイ)は眉根をひそめた。

 

「織斑くんに経験値をつませてやりたいんだよ」

(ケイ)も一応経験者だよね」

 

 私は彼女が代表候補生の候補であることを踏まえて発言した。

 

「うん。わたしが教えてやれるのは近距離から中距離での戦闘かな。リヴァイヴを借りればなんとか。本当はメイルシュトロームかテンペスタがあるとよかったんだけど」

 

 (ケイ)の戦闘機動がどんなものか少し興味がわいたけれど、ひとまず知り合いの顔を片っ端から思い浮かべていた。

 

「弱電の先輩はみんなISの操縦がうまくないって自己申告してたからなあ」

 

 最初にパトリシア先輩たちの顔が浮かんだ。しかし本人が操縦関係の成績が下から数えた方が速いと言っていた。気を取り直して、話を持って行きやすい人たちを思い浮かべる。

 

「……キワモノでよかったら伝手(つて)があるよ」

 

 (ケイ)が不思議そうに聞き返してきたので、私は「キワモノ」だと強調した。

 心当たりは二つあった。回収班と航空部だ。好奇心から回収班のISが戦闘機動を見てみたかった。そして航空部のISが本当に動くのかを知りたかった。

 

 

 私は先に登校していたセシリア嬢に声をかけた。

 

「おはよーセシリアさん」

「おはよう。あら、今日は少し遅かったのですね」

「玄関前にクラス対抗戦の張り紙あったでしょ。あそこで少し(ケイ)と雑談してたんだよ」

 

 ねー、と言って横を見やると、(ケイ)が笑顔でうなずいた。

 

「セシリア嬢もアレ、見た?」

「見ましたわ。日程が公開されただけですから、少し立ち止まって眺めただけですわ」

 

 私が聞くと、気のない素振りで金髪をかきあげた。私はにやにや笑いながら腰を折って、セシリア嬢に顔を近づけた。

 

「見たならさ。織斑の強化に一枚噛んでみない?」

「また……変なことを(たくら)んでいませんこと」

 

 セシリア嬢は胡乱(うろん)な瞳を向けた。私としては、変なことの企画力は鷹月の方が上だと勝手に認識している。私の方が企画の失敗率が高いので目立つだけだった。

 

「単にこのまま行くと部室棟の掃除になっちゃいそうで、心配しているんだよ」 

 

 私は慌てて手を振りながら答える。セシリア嬢も思うところがあったのか、顔をしかめた。

 

「テニス部は綺麗(きれい)にしてますから。恐れるようなことはありませんわ」

「そうだと信じたいけれど」

 

 今度は私がセシリア嬢に向かって胡乱な瞳を向けた。彼女の部屋を見る限り散らかっていることはありえなかったけれど、テニス部の部室以外を掃除することになってもおかしくはないので、警戒を厳にした方が後で精神的外傷が浅く済む。

 セシリア嬢はため息をついた。

 

「聞きましょうか」

「とりあえず織斑に試合経験を積ませたいんだよね。本人の意思を尊重するつもりだけど、総稼働時間の差を簡単に埋められるとは思っていないんだ」

「当然ですわね」

「そこで実力がある人と模擬戦を組んでみようかなと思いました。ウェルキン先輩あたりなんかどうでしょうか」

「おすすめできせんわね。むしろトラウマになりかねないですわ」

 

 セシリア嬢が即答した。強い瞳を向けて口を開いた。

 

「彼女は強すぎますの。単純な格闘能力だけで言えば各国の代表候補生の中でもトップクラスです。今の一夏さんでは瞬殺されて経験を積むどころではありませんわね」

 

 接近戦無双のあだ名は伊達(だて)ではなかった。織斑のIS操縦の訓練に一番付き合っているのはセシリア嬢だから、彼の実力をよく知っていた。その上でウェルキン先輩の実力と照らし合わせていた。

 

「つまりもう少しレベルを下げろ、と」

「そういうことですわ。自分の立ち位置を確かめたいのなら挑むのは構いません。ですが、それを決めるのはあなたではなく一夏さんですわ」

 

 私は肩を落とした。今は根回しを進める段階で、今晩にも織斑に提案してみるつもりでいた。

 セシリア嬢が(ケイ)を見つめて言った。

 

(ケイ)にも手伝わせなさいな。彼女なら仮想敵の役目をこなせますわ。それ相応の実力がありますから」

 

 その一言に感激したのか(ケイ)の目がきらきらと輝いた。後ろからセシリア嬢に抱きついた。

 

(ケイ)、およしなさい!」

 

 愛情表現なのか頬をすりつける(ケイ)鬱陶(うっとう)しそうに振り払おうとするセシリア嬢を、私は冷静に見下ろしていた。そして素直に感心していた。

 

「セシリアさんがそこまで言うんだ」

「国籍の関係で(ケイ)もイギリス代表になる権利を持ってますから。競争相手になるかもしれない相手の情報を集めるのは当然ですわ」

 

 実は(ケイ)のことを高く買っているのではないだろうか。私は身をよじって逃れようとするセシリア嬢の姿をにやけた表情で見守っていた。

 

 

 昼食前に姉崎に一通メールを送った。内容はリカバリーの模擬戦についてで、少し興味があった。すぐに返信がきた。

 

「再設計者がデータを取らせてくれ、と言ってきた。構わないか……ね」

 

 私は少し考えた。回収班が企業とつながりがあるにしては話が早すぎるのではないだろうか。メールを送ってから五分も経過していなかった。

 私は文面に「構いません」と書いたら、ほどなくして今度は携帯端末が振動した。電話着信のアイコンが表示されている。

 

「ありゃ。姉崎先輩だ」

 

 私が携帯端末を耳にあてた。姉崎の声が聞こえてきた。

 

「やあ。今は大丈夫かな」

「もう少しで食堂に向かいますが、大丈夫ですよ」

「そうか。よかった。さっきのメールの件について話したい」

「何か問題でもありますか?」

「こちらとしては演習モードでよければ問題はない。ちょうどリカバリーの再設計者が居合わせていてね。白式(びゃくしき)との対戦データが取りたいと申し出てきた」

「菱井の技術者が学校訪問してるんですか?」

 

 時々企業の営業や技術者が訪問すると聞いたことがあった。それにしては姉崎の様子がおかしかった。

 

「いや、そうではない。そうではないのだ」

 

 姉崎の声が震えている。もしかして調子が悪いのだろうか。私は気遣うつもりで受話器に語りかけた。

 

「声が震えてませんか? 大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。今、電話を替わる」

 

 そう言ってゴソゴソと音がして、姉崎と誰かの話し声が聞こえてきた。

 

「……ん。誰だろ」

 

 私はまだ聞こえないだろう、と思ってつぶやいた。菱井の技術者ではないと言っていた。それでは誰なのだろうか。

 

「もしもーし」

 

 やはりゴソゴソという雑音が聞こえてくる。しばらくて相手の息づかいが聞こえてきた。

 

「よう……。私だ」

「うげっ」

 

 聞きたくない声を聞いてしまった。思わず受話器を耳から外して番号が姉崎のものであることを確かめた。無視をしたら、後でどんなことをされるのか分からなかったので、恐る恐る携帯端末を耳にあて直した。

 

「……驚きましたよ。岩崎先輩」

「その割には嫌そうな声が出ていたな」

「まさか先輩に代わるとは思っても見なかっただけです。他意はありません。……というか先輩の設計なんですか。アレ」

「ああ。手短に話そうか。リカバリーを使った白式との模擬戦だが、私としてはデータ収集がしたい。白式は現状において近接格闘しかできないピーキーな機体だが、一応第四世代機という触れ込みだからどのようなものか興味が湧いてね」

 

 岩崎は機嫌がよいのか声が弾んでいた。

 

「第四世代とかなんかすごそうですね。あ……でも、模擬戦やるの確定じゃないですよ。先に根回ししているところです」

「なあに。乗るさ。織斑はクラスメイトの申し出を断るような柔な男ではあるまい」

 

 岩崎の確信めいた口調に気のない返事をした。もちろん断るつもりはなかった。データを取る代わりに何かしらアドバイスがもらえると踏んでいた。

 

「機材と一緒に航空部全員で出向く用意がある。日取りが決まったら教えてくれ」

「あ、ありがとうございます」

「それと放課後になったらうちの部室に来なさい。いろいろ話がある」

「えー。私がですか」

 

 私はあからさまに嫌そうな声を出した。岩崎の口調は明るいままだったけれど、

 

「いやいや君には悪くない話だと思うんだ。ぜひ来なさい。反論は認めない」

 

 最初から有無を言わせるつもりはなかった。

 

「……いきますよ。いけばいいんですよね」

 

 断ると後が怖いので、いかにも不服そうに答えていた。

 

 

 放課後になってセシリア嬢や篠ノ之さん、そして織斑が第三アリーナへ入っていくのを見送った私は第六アリーナまでの道程を急いでいた。

 途中で更識さんが自転車で追い越していったり、上級生と思しき生徒が側道を原動機付

自転車で走り抜けていくのが見えた。

 

「いいなあ」

 

 私は風を切っていく姿に嫉妬を覚えた。校舎から第六アリーナまでの距離は長いため、行き来が大変だった。グラウンドを使用する運動部や水泳部などは校舎から近く交通の便が優れていた。しかし、航空部や滑空部をはじめとする文化系の部活はすべからく部室が遠かった。エンジンの燃焼実験を行う航空部やロケット研は特に遠い。別格として海洋調査研究会が海辺に部室を持っているが、産学協同の研究施設の一部を部室として間借りしていることもあってか航空部以上に遠かった。

 あまりの遠さに一年生の中でも移動手段に工夫を凝らす者が出ていた。更識さんや兜鉢はロケット研や滑空研に使いっ走りに出ることが多いせいか、航空部の自転車よく借りている。他にもティナがスケートボードを持ち込んで、時々ゴロゴロと音を立てて連絡通路を通り抜けていくのを目撃していた。

 

「やっぱり遠いんだよ。ティナを見習おうかな」

 

 私は一人でぼやきながら航空部の部室の扉を開けた。

 さすがに何度も顔を出していると玉座の王を見ても恐怖を感じなかった。慣れたというよりは、単にフェイスマスクが装備されて骸骨のような顔を拝まなくても良くなったのが大きかった。

 五式戦の側に展開された投影モニターの前で、変なスーツを着た兜鉢が妙なポーズを取らされていた。名前を知らない三人目の先輩が隣でしきりにうなずいているので何かしらのデータを取っていることには間違いなかった。余計な首を突っ込んだばかりに、とばっちりを受けたくなかったので、すぐに興味を失ったかのような素振りで目をそらした。

 奥で岩崎が手を振っていた。

 

「よう。来たな」

「来ましたよ。仕方なくですが」

 

 私はいかにも不服そうに唇をとがらせた。そのまま兜鉢を見ながら言った。

 

「彼女、何やってるんですか」

「操縦手段の新方式のテストをやってもらっている」

 

 よく見れば兜鉢の顔が真っ赤だ。恥ずかしいポーズを取らされている自覚があったらしい。

 岩崎は人の不幸を見ながら楽しそうに話した。

 

「操縦者のモーションをトレースして、その通りに機体を動かす画期的なシステムだよ。開発元によれば夢の巨大ロボットに搭載するつもりだとさ」

「テストなら、あんなポーズはさせなくともいいじゃないですか」

 

 兜鉢が両膝に手をついて、胸元を強調するような姿勢になった。残念ながら彼女にそれほど胸はなかったので寄せた意味はなかった。

 

「いやいや、あれでバランサーのテストになるんだよ。通常考えもしない動きをさせることで、人工筋肉の強度を図るらしい」

「そもそも巨大ロボットはどこですか」

 

 私は周囲を見渡した。

 

「さすがに持ち込めなかったので開発元の研究所にある。ただし四分の一サイズだが」

 

 岩崎が割と真剣な表情で言った。不満そうにため息をついていたので、本当に持ち込むつもりだったのではと思った。私は本題に移った。

 

「それでお話とは何ですか」

「君と兜鉢にこいつのテストをしてもらいたくってね」

 

 岩崎が顎で示した先には玉座の王が腰掛けていた。以前と形状が変わっており、脚部の装甲が増えていた。

 

「二年生がいるじゃないですか」

 

 私の指摘に対して、すぐさま岩崎が声を上げて反論した。

 

「試験監督という仕事があってだな。それにISの操縦に変な癖を持たない方が何かと都合がよい」

 

 岩崎が椅子に腰掛けて、足で地面を蹴って椅子を回転させた。

 

「癖ですか」

「そうだ。今のこいつは何も知らない赤子のような存在でね。打鉄やリヴァイヴのつもりで操縦されると非常に困る。それに出力が高すぎて制御できなくなる危険性もある」

 

 まじめな声音で答えながらも、回転の勢いが弱くなると再び地面を蹴った。

 

「ということは、今の状態で白式との模擬戦は無理ですよね」

 

 私は思いつきを口にすると、岩崎が即答した。

 

「無理だな。機能試験が終わっていない。パイロットも決まっていない。搭載武器の特性上、対戦者どころか周囲の人間までまきこんで殺しかねない」

 

 何やら物騒な話題が出てきた。しかし私は好奇心に抗うことができなかった。

 

「そんなに威力が高い武器を積んでるんですか?」

 

 椅子の回転を止めた岩崎が頭を振った。

 

「まあな。部員には話してあるからことだが、主兵装としてTLS(Tactical Laser System)と呼ばれるメガワット級化学レーザー砲ユニットと多用途炸裂弾頭ミサイル(Multi-Purpose Burst Missile)を採用した。さすがにこれだと危険極まりないから、副兵装として二五ミリチェーンガンを採用している」

 

 聞き慣れない単語を耳にしたためか、私は岩崎の説明をよく理解できなかった。

 

「そのTLSっていったい……セシリアさんが持っているような武器ですか」

「簡単に言えばレーザーソードだ。われわれはエクスキャリバー(Excalibur)と呼んでいる。照射回数に制限があってB.T.型みたいにバカスカ使えないのが欠点だな」

 

 岩崎がニヒルな顔つきになって嘆息した。私は率直な感想を伝えた。

 

「なんかキワモノ臭さがありますよね」

「キワモノ言うな」

 

 岩崎も自覚があったのか、眉根をひそめながら言い返してきた。岩崎のいかにも困ったような顔つきをしたのが新鮮だったので、面白がってさらなるキワモノを適当に口にしていた。

 

「そのノリだと支援車両と称して列車砲を作ってないですよね」

 

 すると突然岩崎が目を丸くした。そしていぶかしむように私をねめ回すと、急に人を殺しそうな冷徹な目つきになった。

 

「……その話をどこから聞いた」

 

 岩崎の様子がおかしかったけれど、私は地雷でも踏んだのかと思って軽く考えていた。

 

「思いつきですよ。昔、叔父がそんな感じのゲームをやってたんです」

 

 すると岩崎の雰囲気が元に戻った。気さくな調子で言った。

 

「列車砲なんて古くさい兵器は作ってないよ」

「ですよねー」

 

 アハハ、と二人して笑い合った。急に岩崎が咳払いをして、

 

「一応キワモノつながりなんだが」

 

 自分が開発しているISがキワモノであることを認めるような話し方で、私の肩に短い腕を回す。平べったい胸を押しつけた。

 

「実はもう一機、われわれから見れば真っ当な、ISしか知らない世代から見ればキワモノの機体が存在する」

 

 悪だくみをして悦にいるような雰囲気だった。私は聞かないとだめなんだろうな、と思いつつ岩崎の期待に応えることにした。

 

「いいんですか。そんな話を私にしちゃって」

「大丈夫だ。言ってもどうせ信じないだろう? キワモノだけに」

「なるほど。一理ありますね。で、どんな機体なんですか」

 

 私は玉座に座る王を一瞥(いちべつ)した。航空部でISを開発していること自体が生徒から眉唾(まゆつば)扱いされており、巨額の金銭が動いている割に生徒会が何も言ってこない現実からして、岩崎が誇張して話をしているものと考えていた。

 

「うちで作ってる先進技術実証機(ATD-X)というのがあってだな」

「うち?」

 

 岩崎の実家が四菱創業者一族だと知っていたけれど、このタイミングで聞き返さないと疑われるのであえて反応した。

 

「そういえば言ってなかったか。実家が四菱や菱井インダストリーの創業者一族で、四菱のIS関連企業には顔が利くんだ。こいつのエンジンもその伝手で入手した」

「思いっきり身内のコネじゃないですか。でも入手経路とか聞くと面倒そうなのでパスします」

 

 私は少し考え込んだ。記憶の引き出しから先進技術実証機についての情報を取り出した。

 

「待てよ。それって変な名前のやつですよね。ゲームに出てきそうな」

「その派生機に対してISコアを乗せて実験しているんだよ。しかも、こいつにはちょっとしたギミックがついているんだが……おっと。私が言えるのはここまでだな」

「まさか変形とか……いえ、そこまで言っておいてお預けですか。ずるいなあ」

 

 岩崎は列車砲の時とは違い、変形と聞いてうれしそうな表情を浮かべていた。

 

「ずるい言うな。公式発表を待てよ。そのうちお披露目があるから」

 

 その口ぶりから、私が知らないだけで公式発表された分の情報しか与えるつもりがないとわかった。せっかく航空部に来たので四組の状況も少し探ってみようと考えた。

 

「わかりましたよ。ところで、更識さんのISって開発どこまで進んでいるんですか?」

「クラス対抗戦には間に合わない。テストが済んでないからな……なんでそんなことを聞く?」

「いやあ……部室棟の掃除が嫌なんですよ」

 

 私が頬をかきながら苦笑すると、岩崎もつられて苦笑いした。

 

「……納得した。一応、機体の運動機能については試験がほぼ終わっている。倉持技研に依頼して打鉄改のデータを提出してもらったから随分とはかどったよ。ついでにミステリアス・レイディのデータも欲しかったんだが、私から刀奈(かたな)に頼んだらけんもほろろに断られたよ。整備科には見せるくせに私には一切情報を与えてくれないんだ」

「刀奈って誰です」

「生徒会長の旧名。家のごたごたで楯無なんて古風な名前を名乗っちゃいるが、似合わないだろ」

「そうですか? 刀奈でも十分古風ですよ」

 

 更識さんの名前に至っては「簪」である。旧家は古風な名前をつけたがるのだろうか。岩崎は再び地面を蹴って椅子を一回転させた。そして私をにらみつけてから口を開いた。

 

「お前がそれを言うか」

「……いや、そうなんですけどね。名字も昔からあるんだよって言われてるけど」

 

 岩崎が私の名前を連呼したので、さすがに恥ずかしくなって止めた。

 

「名前の件はいい。兜鉢に比べたら読めるだけマシだ」

 

 (しころ)なんて読めませんよね、と続けると岩崎も同意したようにうなずいた。

 

「ミステリアス・レイディに見られてまずい技術が使われているのか、あるいは部で作っているISに技術転用されるとでも考えたんだろうな」

「打鉄弐式に使うと言わなかったんですか」

「言うわけないだろ。技術を盗んだら国産機だと胸を張って言えなくなるじゃないか」

 

 岩崎の口ぶりからして国産にこだわっているように思えた。

 それに生徒会長とは仲が悪い彼女のことだから、と思ってあえて口にした。

 

「あの……もしかして生徒会長のISのことを嫌ってますか?」

「その言い方だと、私が既存のISのほとんどを嫌っていることになってしまうな。だいたいミステリアス・レイディは露出が多すぎる。私や四菱の設計思想に従えば既存の兵器の延長になってしかるべきだ。リカバリーなどは特にそうだ。半露出型装甲なんて私の趣味じゃない」

「今、趣味って言いましたね」

「そうだ。機体デザインも手がけているからな」

 

 岩崎がない胸を張った。私はユーザーの声を届けようと思ってあえて厳しい声音を作った。

 

「この場だから、はっきりいいますよ」

「言え」

「はっきり言ってセンスないです。最悪ですよ。リカバリーってめちゃくちゃ格好悪いじゃないですか」

 

 岩崎は自覚していたのか、顔を伏せて沈黙した。そして息を整えてから私を見返した。

 

「……機能美と言って欲しいな」

 

 私は携帯端末を取り出して画面を操作する。代表並びに代表候補生一覧から生徒会長の紹介を経由してISの欄を表示させた。

 

「ミステリアス・レイディって装甲が洗練されてていいじゃないですか」

「体が露出しているとかありえないだろ。全身装甲の方が格好いいじゃないか。それにシールドエネルギーがなくとも弾丸が防げるんだぞ。乗員保護への配慮が充実していると言ってくれ」

 

 開き直った物言いだった。私はある懸念を口にした。

 

「……まさか更識さんのISの外見をいじったりしてないですよね」

「それはない。信用して欲しい。私が触ったのは武装周りだけだ」

「え?」

 

 意外な答えに私は間抜けな声を出していた。岩崎が続けた。

 

「神島が大好きな五式戦を復元した一人なんだが、航空部の先輩に全方位多目的ミサイルシステム(All Direction Multi-purpose Missile)を打鉄に実装した人がいるんだ。その人が残したデータを使って、山嵐の制御が完成するまでのつなぎができるんじゃないかと思ってね。更識本人がミサイルが余っているから使えないか、と提案してきたんだ。だからレビューして実装の協力をしただけだよ。外見に変化はない」

 

 岩崎が投影モニターにメッセージがポップしたので、キーボードをたたいた。その姿を眺めていた私はあることに気がついた。

 

「あれ? 誰一人そんなミサイルを使ってるところを見たことがありませんよ」

 

 岩崎は起動したメーラーに向かってかしこまった文面を入力し、返信ボタンを押していた。そして学園の訓練機一覧から打鉄を表示し、選択武器一覧から誘導兵器の目録を表示させ、最下部までスクロールした。ボールペンを指揮棒代わりに持ち、椅子を回転させて私の顔を見上げた。ボールペンの背で投影モニターの一画面を指示した。

 

「この全方位多目的ミサイルの売りは最大一二目標に向けて同時発射可能な長射程の超小型多目的ミサイルを複数回発射できる、という点だ」

 

 全方位とはつまり甲龍の龍咆のように死角が存在しないという意味だろうか。私が話についてきていることを確認した岩崎が咳払いをした。

 

「これだけ聞けばとても便利に聞こえるんだが、まあ、洒落にならない欠点があってだな。至近距離の目標に対しての使用、また低空飛行や閉鎖空間内など機体の周囲に障害物がある場合だとミサイルの一部、または全てがロストしてしまう。この欠点のために誰も使いたがらなかったらしい。在校生でADMM(コレ)の存在を知っているやつは限られていると思う」

 

 何となくオチが読めてきたので、あえて質問した。

 

「もしかして対IS戦は、その至近距離の目標に該当するんですか」

「ご名答。最短有効距離が対IS戦に不向きな弾頭を使っているせいなんだが、比較的高速で推移するキャノンボールファストでもまったく役に立たない。障害物が多いのでミサイルが到達する頃には全弾ロストしたことが確認されている。当時の記録を読むと先輩本人がロマン武器だと言い切っている」

「うわー。いいんですか。そんなシステムを流用しちゃって」

 

 岩崎はボールペンを引っ込めて、胸の前で両腕を組んだ。背もたれに身を預けてやる気ない顔つきになった。

 

「どうせ繋ぎだし、いいんじゃないかな。対IS戦でミサイルを使うような場面なんてめったにないから」

「それって暗に山嵐は使えない、と言っていませんか」

「使えるならこいつにも実装してるよ」

 

 岩崎は振り返ることなく親指で玉座の王を指した。彼女の口ぶりから使えないと認めていた。

 

「その割に多用途何ちゃらミサイルなんて物騒なものを採用していますよね」

「多用途炸裂弾頭ミサイルだ。覚えにくいならMPBMでいい。こいつは威力が桁違いなんだ。IS単体を相手にするのではなく、ISを運用するプラットフォームごと殲滅(せんめつ)するのが目的だから多少使い勝手が悪くとも問題ないんだよ」

 

 MPBMがろくでもない武器だと何となく察しがついた。殲滅用だと言い切っているあたり深く突っ込むのはよそうとも思った。岩崎は再び画面に向かってキーボードをたたき、目前のISの実装済み装備一覧を表示させた。

 

「あ、これ言うのを忘れていたな。固定燃料を使った気化爆弾も実装してみたんだ」

 

 私は思わず噴きだした。彼女のあまりにも軽い言い方に面食らってしまった。

 気化爆弾は液体の急激な沸騰などによる膨張によって引き起こされた爆発現象を利用した爆弾で、加害半径は、一般的には数百メートルと推定され、広範囲に衝撃波を発生させ、特に人体に多大な影響を与えることで知られている。

 私はあわてて突っ込まずにはいられなかった。

 

「思いっきり殺す気満々じゃないですか。国際法的にまずくないんですか」

「実験機だし。学生のやることだし。()()()()だし。そもそも弾頭に燃料が入っていないから」

 

 岩崎はいかにも、ばれなければよい、といった顔つきをしていた。

 

「一応、手軽な近接用装備としてIS用シャベルとスリングを入れてある。現実問題としてMPBMを使うことはありえないから、代わりに何となくすごい武器らしきものを実装したかったんだ。TLSと二五ミリチェーンガンがあれば十分戦えるからね。ま、エクスキャリバーにしたってレーザー兵器は英国が先行しているし、レールガンはドイツが先行開発している。それに織斑先生が使っていた暮桜(くれざくら)には零落白夜(れいらくびゃくや)なんて反則能力があるんだから、もう何が来たって誰もおどろかないよ」

「……軽いなあ」

 

 岩崎は気にするだけ損だと言った。織斑みたいな男性搭乗者もいるわけだから、ありのままを受け入れるべきかもしれなかった。しかし変な物を見て変だと言える感覚は重要だった。

 岩崎はまじめな顔つきで言った。

 

「打鉄弐式は早ければ臨海学校あたり、遅くとも夏休み前までに引き渡せればいいと思っている。試験期間を長目に取っているからね」

「ちゃんと仕事してたんですね」

 

 私の物言いにむっとしたのか、岩崎が反撃を試みた。

 

「君はいちいち突っかかるな。そんなんだからレズ疑惑が晴れないんだぞ」

「え? なんで? 先輩が知ってるんですかっ!」

 

 私はうわずった声を出し、混乱の極みに陥った。

 

「今朝、寮の廊下で中国の代表候補生と話をしていただろ。ちょっとした有名人だから気になって、こっそり立ち聞きしたんだ」

「うわあああ……」

 

 終わった。いろいろな意味で終わった。私のバラ色の学園生活が百合色に染まっていく、そんな絶望だった。

 私は昼食前、彼女が姉崎と一緒にいたことを思い出した。

 

「まさか、姉崎先輩に私がレズに見えるか、とか聞いていないですよね」

「あれ、まずかった? 両刀使い(バイ)の意見が聞きたくて面白半分に教えた」

 

 岩崎は平然とした顔つきで言った。面白半分とか言っていたので、確信犯的なところがあったけれど、普段の怪人めいた表情ではなく、美少女然とした様子で首をかしげたにすぎなかった。

 私は狼狽(ろうばい)するあまり、両肩を大きく震わせた。目が泳いだ。(ケイ)の冗談めいた「付き合っちゃえばいいんだよ」という声を思い出す。

 有り体に言えば、今、人生の危機に(ひん)していた。

 

「私ってレズに見えますか」

「性癖ってものは人それぞれだからね。私はレズだろうが、ストレートだろうが、ありのままの君だと思ってるよ」

 

 椅子から立ち上がり、私の肩に手を置きながら話した。彼女は肯定も否定もしなかった。

 私は平常心を取り戻すべく深呼吸を繰り返した。

 

「先人は人の噂も七五日と言った。そのうちにみんな飽きてくるから。……ひと夏の過ちを犯してしまわないことを切に願うよ」

 

 岩崎が喉を鳴らしてククク、と悪人面で笑った。

 私は目の前が真っ暗になって、頭を抱えながら近くにあったテーブルに向かって突っ伏していた。

 

 

 




連絡通路の「遠い」という感覚は東京駅での京葉線乗り換えを思い浮かべて書きました。


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★18 アレは重機です

13K字です。いつもと比べて少なめです。


 人生が終わったと思う瞬間がある。日頃の行いがよくなかったのか、周囲がセシリア嬢や篠ノ之さんに向けているような好奇の目を私にも向けてくる。特に先輩方からの視線が気になって仕方がない。噂が広まっているならもっとやってしまえ、と言わんばかりにダリルさんが過剰なスキンシップを求めてくる。邪険にすると、すねるので仕方なく体を触らせていたら案の定変な目で見られていたような気がする。私の被害妄想であって欲しい、と切に願っていた。

 

「やっぱり子犬ちゃんの乳枕は最高ですな~」

 

 私は教室にて、子犬ちゃんの乳房の上に、ちょうど頭が当たるようにして寝転がっていた。机上で横になっているから行儀が悪いと言えばそれまでだけれど、ブラでしっかり固定された大きなバストは低反発枕のような心地よさがある。これを毎日セシリア嬢が味わっているのかと思うと、うらやましくてたまらない。

 

「えーちゃん。ずるいって、変わってよー」

 

 隣で(ケイ)が声を上げた。私や(ケイ)ではこの感触が味わえない。そんなに胸がないからだ。

 

「だから、およしなさいと言っているのです!」

 

 セシリア嬢がご立腹だけれど、気にしないことにしていた。子犬ちゃんが怒るならすぐにやめるつもりでいた。日頃の行いが良かったのか、彼女はやましいことをされなければそれで良いらしい。さすがに布仏さんが来ると警戒して胸どころから手も触れさせないかった。布仏さんも最近は自重しているように見えるけれど、いつ何時奔放な血が騒ぐのか分からなかった。

 彼女の乳枕は織斑を除く一年一組の全クラスメイトが経験済みである。あの篠ノ之さんですら、好奇心に負けてやってみた程だった。篠ノ之さんも大変大きな物をお持ちなので私が「やらせてくれ」と頼み込んでみたら、冗談だと受け取ってもらえず、篠ノ之さんとの距離が開いてしまった。

 

「彼女のこれはわたくし専用。いいですか? 専用ですの」

「セシリー……所有欲が旺盛なのは分かるけど。言い切っちゃっていいのかなあ」

(ケイ)。わたくしの物をわたくしの物だと言わない理由がどこにありますの」

 

 とりつく島もない。私の位置からだと子犬ちゃんの顔が見えない。どんな顔をしているのか眺めてみたいがそれは叶わない願いというものだった。

 ふと鷹月が近寄って来るのが見えた。彼女はすまし顔で何を考えているのか分からない。クラス一の腹黒さんだと私は勝手に思っている。そのことを本人に言うと後が怖いので、私は決して思ったことは口にしなかった。

 

「え? 何?」

 

 鷹月が自分のスカートに人差し指を立てている。何かのジェスチャーだろうか。

 

「スカート。気にした方がいいよ」

「なんで?」

 

 私は鷹月を怪訝(けげん)な目で見返し、顎を引いて首を曲げ、周囲の様子を確かめる。すると、織斑が後ろの席の岸原と談笑していたけれど、私に気付くなりなぜか顔を赤らめていた。言いにくそうにして、視線を泳がせている。

 

「見えてるよ」

 

 鷹月がため息混じりに言った。何が見えているのだろうか。私は首を曲げて、鷹月が注意した自分のスカートを見やった。

 その瞬間、私の羞恥(しゅうち)心が沸点に達した。

 

「うわわわっ」

 

 慌ててめくれたスカートを押し下げる。顔を真っ赤にして体を起こし、鷹月を泣きそうな顔で見上げた。

 

「見られてた?」

「ばっちり。結構かわいい下着を着けてるのね」

 

 私は織斑に向かって刺々しい視線を投げかけた。すると彼は顔を逸らし、岸原やかなりんとの話に集中する素振りを見せた。明らかにすっとぼけようとしていた。

 鷹月は私の肩に手を置く。私は涙混じりの上目遣いで彼女にすがりついた。

 

「最近忘れがちだけど、男子の目があるってこと、意識しないとね」

「た……鷹月い……」

 

 

 昼食を終えた私たちは授業が始まるまでの間、織斑を囲んで話に華を咲かせていた。

 隣に立つ布仏さんが腕を振り回す度に垂れ下がった(そで)が私の体に当たる。別に痛くはないのだけれど、一度気にしたら止まらなかった。

 

「今度の連休に生徒会でプールを借りることになったんだよ~」

「うちのって屋内だっけ」

「そうだよ~」

 

 谷本の答えに布仏さんが間延びした調子で答える。また袖が当たった。わざと当てているのでは、と疑いたくなった。しかし、布仏さんは気付いていないようにも見える。

 織斑がプールと聞いて、ぼんやりとした顔つきになった。プールと言えば水着である。一五歳の女になりかけた少女たちの肢体を眺めるまたとない機会に思えたけれど、織斑はずっと平静を装っていた。

 谷本が軽く手を打って疑問を口にした。

 

「生徒会だけだと少ないんじゃないかな? 今だって三人しかいないんでしょ」

「かいちょーやお姉ちゃんが先輩たちにも声をかけているから知り合いになる良い機会だよ~。連休中に帰省の予定がない人はよかったら来てよ~」

「なるほど。交流会ね。そういうことかー」

 

 谷本が納得する。布仏さんの話しぶりからして結構人が来るようだ。連休中は課題以外にやることがないので、基本的に暇だった。その課題も姉崎や雷同にわからないところは教授してもらうつもりだったので、回収班や弱電に入り浸ることになりそうだった。

 谷本は喉を鳴らして息を呑み込む。大事な話のような雰囲気を醸し出して、布仏さんの名を呼んだ。

 

「本音。あのさ。プールって学校指定以外の水着もいいの?」

「もちろん大丈夫だよ。休日だし授業じゃないから~」

「……やった」

 

 谷本がこっそり拳を握りしめる。

 

「飛び入りもおっけーなんだけど、ある程度人数を把握したいから先に申請してくれるとうれしいな~」

 

 布仏さんが制服のポケットから携帯端末を取り出す。袖の上から端末を操作しようとするが何度も空振りしていた。

 携帯端末のタッチパネルは静電式になっていて、指先と画面の間に流れる微弱な電流を感知して画面の操作を行うようになっている。IS学園の冬服の袖は厚手の生地を使っているため、電流の感知が難しくなっていた。

 

「布仏さんったら。手を出した方が……」

 

 私は見かねて声をかけた。布仏さんはいかにも悔しそうな風情で軽く舌打ちしてから、袖をまくって携帯端末を操作した。新聞部のページから生徒会主催イベントのお知らせを開く。

 そこには連休中のイベントの日程と参加者用のボタンが表示されていた。布仏さんは学園が支給した端末から「参加」ボタンを押せばよい、と話した。最初は参加予定だが、都合が悪くなったら「キャンセル」ボタンを押すように言い、私たちの前で実演して見せた。

 

「そういえば何で人数を取る必要が?」

 

 私の質問に、布仏さんが間髪(かんぱつ)入れずに答えた。

 

「今回の監督者が教師じゃないからだよ」

「ふうん。ちなみに誰なの」

「五郎丸さん」

「うげっ……」

 

 思わず私はうめき声を上げていた。布仏さんはしれっとした様子で首をかしげたので、私は愛想笑いを浮かべてその場を切り抜けようとした。五郎丸と言えば姉崎の従姉で、山田先生によると根腐れを起こしているらしい。システム部の才女などと言われているけれど、中身は下衆(げす)な考えに浸るのを良しとした変態だ。

 

「連休だから休暇を取ったり帰省する先生がいっぱいいてね~。五郎丸さんは昔からの知り合いだし、学園の職員なら監督できるから頼んだんだよ~」

「む、昔から……」

 

 私はいぶかしんだ。布仏さんは五郎丸女史の趣味を知っているのだろうか。

 

「ぜ、全然関係ないけど五郎丸さんの趣味とか知ってたりするの?」

「じゅね系から最近のまで全部いけるとか言ってたよ~。何のことだかさっぱりなんだよね」

「う……うん」

 

 私は(やぶ)をつついて蛇を出しかねない状況にあると知り、これ以上の追求は止めた。

 ちなみに「じゅね系」とは男性の同性愛を主題にしたオリジナル作品を指す。今ではメジャーとなった作家の中にもここからデビューした者がいる。創始者とは世代が違うとはいえ、騎士白嘉市もこの系統の作家である。

 私は挙動不審な様子を隠し通せなかった。しかたなく辺りを見回すと、「じゅね」に反応したらしい四十院が私に熱い視線を向けていた。おそらく彼女は意味を知っているのだろう。危険な香りがしたので私は目を逸らした。

 布仏さんは私に興味を失ったのか、胸を強調するようなしぐさで織斑を見上げていた。

 

「ねねっ。おりむーも来ない?」

「俺か?」

 

 織斑は思わず自分を指さしていた。最近はISスーツ姿に慣れてきたのだから、水着姿でもどうってことないはずだ。しかし、一五歳の青少年には非常に楽しくも厳しい展開が待っていると考えて、私は根気強く織斑の様子を観察した。

 織斑は頭の中の予定を確認していたようだ。そして布仏さんの端末に書かれていた日付を確認する。

 

「すまん。先約がある」

 

 谷本と布仏さんが同時に不満そうな声を出した。性根が曲がった私は「逃げたか」と察した。

 

「家の様子を見て来なきゃいけないし、地元の友人と会う約束をしたんだよ。こっちに来る前にさ」

 

 織斑は入学前から約束を取り付けていた。よほど親しい友人なのだろう。それとも女の園でストレスがたまっているので、休日くらいは男同士の気兼ねない一日を過ごしたいのだろうか。

 

「わかったよ~」

「むー残念」

 

 布仏さんと谷本は大人しく引き下がった。

 一瞬だけ誰も言葉を発しない間があった。ここですかさず私は小さく手を挙げながら口を開いた。

 

「織斑。クラス対抗戦の件でさ。ちょっと提案してもいいかなあ」

「いいぜ。言ってくれ」

「先輩とISで模擬戦してみない?」

「模擬戦? どんな」

 

 携帯端末をしまった布仏さんや谷本に鏡の視線が私に集まった。

 

「回収班にリカバリーってISがあるんだけど。アレと一戦やってみない?」

「……あの戦車みたいなやつだろ。いいよなアレ。ロボっぽくて」

 

 織斑の反応は普通と違った。私は「かっこわるいの」と言われるものとばかり考えていたけれど、どうやら織斑の美意識は男の子だったらしい。

 機体のデザインを手がけた岩崎が聞いたら無い胸を張ってさぞかし調子に乗ることだろう。憎たらしくなってきたので想像するのを止めた。

 私はせき払いした。

 

「……アレって試合ができたのか」

「演習モード限定なんだけどね。たまには変わったのとやってみて何かつかめたらいいかな、と思って」

「なるほど。俺は構わないぜ」

「わかった。早ければ明日の放課後とかになると思うけど、日程を調整するね」

「おう」

 

 私は早速話の輪から外れ、携帯端末を取り出して姉崎に電話をかけていた。

 

 

「……というわけで織斑がアレと模擬戦したいって言質が取れました」

「わかった。すぐに場所を確保しよう」

 

 私は姉崎に一部始終を話した。白式対リカバリーの異色対決が成立したわけなのだけれど、正直なところリカバリーに模擬戦が可能かどうか(はなは)だ疑問だった。

 

「操縦者は霧島が担当する」

 

 私は思わず聞き返していた。

 

「姉崎先輩が乗るんじゃないですか?」

「こういうことは次期班長がやるべきだろう」

「あの人、結構上の立場だったんですね」

「うちは人数が少ないからな」

「そんなもんですか」

 

 私はふと気になったことを質問した。

 

「ところで回収班に誰か入りましたか」

「……全員逃げた」

「それって大丈夫なんですか」

 

 回収班伝統の下半身チェックが悪い方に功を奏したのだろう。予想通りの答えに納得しつつも、少し心配になった。

 

「心配してくれるのはありがたい。だが、心配は無用だ。毎年三人ぐらい入ってくるから」

「どうして分かるんですか」

「ISってのはコア数が限定されている。いずれ君も分かるだろうが、考査前になると訓練機の予約がいっぱいになる。確か、学園の保有台数はせいぜい約三〇機程度だったな。パイロット養成コースが約三〇〇人だから一〇人に一機の計算になる。とても回らんよ」

「それで、いつでもIS乗り放題の専用機持ちの方が有利なんだ」

「搭乗時間に大幅な差が出る。たくさん乗ればそれだけうまくなる。一学期の考査が終われば現状が見えた生徒がうちの門戸を叩くようになっている。霧島はその口だ。去年は最初に雷同が入って、総火演(そうかえん)の前に霧島と井村が入った」

「そういえば、霧島先輩って総搭乗時間五〇〇時間オーバーですよね」

「すごいだろう」

「もしかして成績上位とか」

「いや……下から数えた方が早い。あ……このこと、わたしが知っていると本人に言うなよ」

「もちろんですよ」

「あいつは従来のイメージ・インターフェイスとの相性が悪くて成績が伸び悩んでいる。IS適性は悪くないのだが……」

「……いくつなんですか?」

 

 IS適性といえばしのぎんとセシリア嬢がAで織斑がBである。篠ノ之さんはCである。

 姉崎が続きを言うのを待った。

 

「Bだ」

「嘘!」

 

 Bといえば織斑と同じ値ではないか。

 つい大きな声を出してしまい、何事かと周囲のクラスメイトが私の方を向いた。私は申し訳なさそうに頭を下げつつ、肩をすくめて電話口を手で覆った。

 

「本当だ。ブラのカップもな」

 

 姉崎は声を弾ませて関係ない情報まで告げた。

 子犬ちゃんやセシリア嬢、巨乳眼鏡や生徒会長のブラサイズならまだ知りたいと思うのだが、良好な関係を構築している先輩のブラサイズを本人以外の口から知りたいとは思わなかった。大体、なぜ姉崎が知っているのだろうか。

 私は姉崎から情報を押し売られるような状況を避けたいと思い、はっきりと告げた。

 

「そんな情報いらないですよ」

「君はビアンなんだろ?」

 

 姉崎の切り返しに私の顔が凍り付く。今、何と言ったのだろうか。頭を高速回転させると先日の岩崎の言葉がよみがえる。

 私の動揺を知ってか知らでか、姉崎は続けた。

 

「霧島は良い子だぞ。華やかさはないが細やかな気配りが出来る女だ。しかも努力家だ。一度好きになった相手には尽くすタイプだ。大事にしてやれ」

「うわわあああ! ななな何を言ってるんですかっ!」

 

 周囲の目を気にすることもせず、慌てて叫び声を上げていた。

 邪悪にほくそ笑んでいた岩崎を呪った。先ほどから電話越しに姉崎が笑い声を上げていた。

 私は必死になって弁解を試みたけれど、口のうまさでは彼女の方が上だった。

 

 

 四月末日の放課後。私たちは第四アリーナを訪れていた。

 監督用のモニタールームに通された私たちは、数学担当教諭のエドワース・フランシィ先生と岩崎がモニターを見ながら話をする姿を見つけ、自動ドアが開いた音に気付いてこちらに視線を向けた。

 岩崎が慇懃(いんぎん)な笑みを浮かべて私の後ろにいた織斑に近寄っていく。

 

「やあ。君が織斑一夏君だね。初めまして。二年の岩崎だ。今回の模擬戦のアドバイザーを勤めることになった。よろしく」

 

 上背の差が二〇センチはあるはずなのだけれど、岩崎の存在感がやけに強いため織斑よりも大きく感じた。

 岩崎の本性を知らない織斑は、先輩に握手を求められてさわやかな笑顔でその手を握り返す。岩崎には事前に、織斑がリカバリーのことを褒めていたと伝えていたためか、妙に上機嫌だった。邪悪な笑みを浮かべなければ美少女なので、灰汁(あく)の強さが薄まって良いのではないだろうか。

 岩崎がフランシィ先生の紹介をする。回収班のISは学園では重機に相当する。ISと模擬戦を含む戦闘行為を行うためにはIS学園の教員のうち、最低でも一名が監督しなければならなかった。今回はフランシィ先生が手隙だった。昨日のうちに姉崎が根回しをしていた。

 岩崎は織斑の関係者が集まったことを確認して、後ろ手に手を組みながら室内を歩き回った。

 その姿が威風堂々としているものだから、みんな息を呑んで彼女の姿を見つめていた。

 

「最初に言っておく。回収班のアレは重機だ」

 

 織斑や篠ノ之さんなど、事情を知らない者はみんなぽかんと口を開けた。

 

「学園に重機として登録してあるため、火器類を使用した戦闘は緊急時を除いて禁止されている。既に授業で演習モードについては教わっていると思う。火気類に関してはこの機能を使う規則になっている」

 

 岩崎はフランシィ先生の方を振り返った。

 織斑が手を挙げた。

 

「アレってどんな武器を使うんだ?」

「一二〇ミリ滑腔砲(かっこうほう)と旋回砲座を有した一二.七ミリ重機関銃。今回に限り近接武器としてIS用シャベルを使う。近接武器は土木工具を振り回すだけだから、禁じられていない」

 

 織斑が毒気を抜かれたような返事をした。

 

「あの機体は陸自の一〇式戦車に出来ることはすべて出来ると考えてくれ。書類上は重機だがISだ。防御を集中的に強化したISだから思い切って攻撃してもらいたい」

「あの」

 

 織斑が言いにくそうに口を開いた。

 

「白式の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)を人には向けられない」

「それも問題ない。零落白夜はシールドエネルギーに直接作用するものだ。むしろ、あの機体に使用してどこまでエネルギーを削り取れるか見せて欲しい。防盾なら予備があるから一発ざっくりやってくれ」

 

 防御性能によほど自信があるのか、妙に「ざっくり」を強調している。

 

「模擬戦は一試合一〇分、インターバルを五分設ける。模擬戦終了後、回収班所属の整備科生徒や航空部やロケット研、弱電などを交えて意見交換を行うから、終わったからといって直帰しないように。私からは以上だ」

 

 岩崎がそう締めくくる。彼女の背後でフランシィ先生が満足そうに繰り返しうなずいていた。

 

 

 観覧席に移動した私は左隣に岩崎、右隣に(ケイ)という配置だった。(ケイ)が私を防波堤のように扱っている気がしたのだけれど、腐れ縁が元で航空部に出入りしている私は都合の良い存在なのだろう。私としても(ケイ)が岩崎に毒される姿を見たくなかったので、Win-Winの関係だと思っている。

 岩崎の横には神島先輩ではなく兜鉢が座り、その隣に更識さんがいた。

 岩崎としては後進育成のつもりなのか、ずっと毒牙を隠し続けているように思えた。

 アリーナ中央にリカバリーがいる。今回は転輪付きデッキではなく尻尾を装着している。尻尾の接地面はソリになっており、抵抗を軽減した形状になっていた。今回は破損したISや乗員を回収する目的ではないため、バランサーの役目を担った部品に取り替えられていた。

 

「大人と子供みたい」

 

 アリーナの中央で二機のISが対峙(たいじ)する。一方は三面六臂(さんめんろっぴ)の異形、もう一方は半露出型装甲を採用し、両肩の浮遊装甲を兼ねるスラスターを羽のように広げた白式である。菱井インダストリー対倉持技研という構図だった。

 (ケイ)が指摘したようにリカバリーは白式と比べて二回りは巨大だった。浮遊装甲の代わりに背面から伸びたロボットアームが巨大な防盾を()している。

 織斑は無機質な三面カメラを見上げる形になっていた。

 リカバリーが全身装甲を採用しているため、コックピットの様子を中継できるようになっていた。モニターの一部には霧島先輩の顔が映っている。コックピット内が非常に明るい。すべての投影モニターを灯しており、特筆すべきは霧島先輩がフットペダルやスイッチ類を操作している点にあるだろう。セシリア嬢や篠ノ之さんは目を丸くしていた。

 

「IS……?」

「あのコックピットは何だ?」

 

 それを聞いた岩崎が誇らしげに鼻を鳴らした。おどろく姿を見つけて楽しくて仕方ないのがよくわかる。

 見慣れた私は特におどろきを感じなかったけれど、慣れない人には奇異に映った。ロボットアニメのようにスイッチ類を操作する姿は、ISの常識と掛け離れていた。

 

「重機用の操作らしいですよ」

 

 私はフォローを入れたつもりだけれど説得力がなかった。二系統の操縦が可能なISは世界を探してもこの機体以外にない。航空部で聞いた話だと、玉座の王は普通のISと同じ操縦系を使うので、私の認識は間違っていないはずである。

 先ほどから岩崎がククク、と不気味に喉を鳴らしている。しきりに肩を揺らす姿は「説明しよう!」と言いたくてたまらないように感じた。

 

「よろしくお願いします」

「……こちらこそお願いします」

 

 霧島先輩と織斑が挨拶を交わしている。織斑は霧島先輩と話をするのは初めてだけれど、普段と様子が変わらない。訓練ではないためか、リラックスしているように見えた。

 対して織斑の方が緊張している。重装甲の異形のISを前にして、どう攻めるか考えているようだ。

 

「では試合開始してください」

 

 フランシィ先生の声がスピーカーから響いた。模擬戦開始の合図だった。

 

 

 白式は雪片弐型以外に武装を持たないことから、どうしても接近戦に限られてしまう。

 しかも単一使用能力を使用すると、自身のシールドエネルギーを対価とするため、自然と使用回数が限られる。

 白式はスラスターが羽を広げたような形状から分かるとおり、瞬発力にすぐれた機体に仕上がっていた。織斑もそのことを理解しているのか、一度距離をとり、きめ細かい動きで霧島先輩を幻惑するかのように動いた。

 リカバリーは時速八〇キロまでならば加速できる。しかしそれ以上が難しい。他の一般的なISと比べても機動力を犠牲にしていることが分かる。ISとしてではなく、戦車回収車としての用途を意識していることから過剰とも言える防御力を備えるに至っており、最高速度を出すことよりもむしろ、ロボットアームを含めた合計六本の腕を使った作業性を重視していた。

 霧島先輩が三面カメラとハイパーセンサーを両方を使い、白式の追尾を行う様子がモニターに映し出されていた。

 霧島先輩は白式が接近しなければ脅威になり得ないことを知っている。同時に懐に潜り込まれる危険性を承知しているのか八の字走行をしながら一二〇ミリ滑腔砲を実体化させた。

 

「行進間射撃だ……」

 

 (ケイ)が霧島先輩の意図を察してつぶやく。

 行進間射撃とは戦車などが運動中に射撃することを指す言葉で、命中には高度な射撃管制装置や照準装置、兵員の練度が要求されることで知られている。富士総合火力演習の際に発射音をサンプリングしたと思われる轟音(ごうおん)がスピーカーから響き渡った。

 

「うわっ」

 

 私は驚いて耳を塞いだ。霧島先輩は回収班で最も練度が高いパイロットらしく、織斑が突っ込むような気配を見せたところに一二〇ミリ弾が放って見せた。もちろん演習モードなので実際の弾丸は撃ち出されていない。しかしハイパーセンサーは砲弾が実在するものとして動作していた。

 画面に激しいエフェクトがかかる。織斑が慌てて進路を変えたものの驀進(ばくしん)する砲弾がスラスターを(かす)ったと判定された。

 

「嘘だろ……」

 

 開放回線を通して織斑のつぶやきが漏れた。

 判定では右スラスター小破である。白式のシールドエネルギーが五%減少となっていた。

 リカバリーに違和感があり、私は遠近感が狂ったのかと思って目をこすった。

 

「あれ? 普段見るのより砲身が長い」

「やっと気付いたのか」

 

 岩崎がしたり顔で言った。四四口径ならば約五.三メートルだが、今持っている滑腔砲の砲身は六メートルを()えていた。

 

「今回は五五口径砲を使っている。どうせ演習モードなら普段は使わないものを使え、と回収班に言ってある」

「岩崎先輩の差し金ですか。でも、あれ? 普段使っていないなら、霧島先輩も使えないんじゃ?」

「井村や雷同ならそうだろうが、霧島の総搭乗時間を知っているだろう」

「とっくに訓練済みなんですか」

「霧島の訓練好きは菱井でも有名だからな。いろいろ教えてある」

 

 モニターに目を戻す。自動化されているとはいえ、一二〇ミリ滑腔砲の弾丸装填時間の間隔が長い。織斑はすぐさま距離をつめ、リカバリーの側面につく。

 リカバリーの方向転換が間に合わない。白式の進路を防盾が阻む。白式が零落白夜(れいらくびゃくや)を振り抜く。

 

「来たか!」

 

 岩崎が身を乗り出した。目を輝かせて威力を確かめる。防盾の表面に引き裂かれた傷跡がくっきりと残されていた。

 間に特殊繊維を織り込んだ厚さ一〇〇ミリの鋼板は雪片弐型の攻撃を受け止めきれなかった。鋼板が端から中央付近まで切り裂かれ断面が赤熱している。特殊繊維がまとわりつく蜘蛛の糸のように雪片弐型の刃の先に絡みついていた。が、剛性の限界に達して次々にちぎれていった。

 織斑の表情から突っ込みが中途半端だったことがわかる。が、刃を振りなおすだけの間がなかった。砲座が円弧を描いて横を向いたため、白式が再び距離を取る。その進路上に一二.七ミリ機銃の弾丸が放たれる。

 空砲を撃っているだけなので見た目は心許ないが、当事者の臨場感は異なる。ISコアを介してCG映像が提供されており、その映像がモニターに映し出されていた。

 一二〇ミリ滑腔砲の射撃準備が完了する。リカバリーが増速し、尻尾を激しく振りながら横滑りするように土煙を立てた。

 白式がジグザグに飛ぶ。リカバリーが砲を構える。

 コックピットの映像を見ると、霧島先輩がモニターを指で白式の軌道をなぞる。蛇行しながらの砲撃。再び轟音が響く。

 

 

「接近戦しかできないって、ものすごく不利じゃないか」

 

 私は改めて実感したことを口にする。岩崎は「何を今さら」と言った風情で、兜鉢から受け取ったノート型端末のキーボードをたたいていた。

 白式がIS用シャベルで殴り飛ばされる光景を目にする。篠ノ之さんが思わず顔を背けた。

 

「まあ、予想通りだな」

 

 岩崎が淡々と応じる。

 

「飛んで突っ込むだけだから読まれやすい。突撃に慣れていない相手ならあれでも大丈夫だが、代表候補生や霧島たちは鉄火場に慣れている。あいつらから見たら単調な直線攻撃だよ」

「だったら変化をつければいいじゃないですか。セシリアさんが教えてる技とかがあるじゃないですか」

「もしかして無反動旋回(ゼロ・リアクトターン)三次元躍動旋回(クロス・グリッドターン)か? あれは空中格闘戦で使ってこそ意味がある。砲台の前では無意味だ」

 

 岩崎は零落白夜の直撃を受けた防盾に埋め込んだ素子の反応を確認していた。指先だけ別の生き物のように動かす岩崎に質問した。

 

「どうやったら解決するんですか」

「最低でも瞬時加速を覚えよう。この前、甲龍(シェンロン)とタイマン張った……やけに筋が良い奴がいただろう」

「しのぎん……小柄鎬ですか」

「その小柄だ。緊急回避と奇襲用に瞬時加速を使っていたから。せめてあれぐらいにならないと部室棟の掃除だな」

「……部室棟ってそんなに汚いんですか」

「私は運動部じゃないから詳しい状況までは知らん。ろくなものではない、とだけ聞いている」

 

 私はがっくりと肩を落とした。三組の兜鉢は心配そうな顔つきをして見せた。だが、他人事なので目が笑っている。

 

「整備科に申し送り事項を伝えておく。旋回時の不安定性が少しは軽減されるはずだ」

「……重ねがさね申し訳ないです」

「いいよ。データを取らせてもらってるから。零落白夜を見ることができたから私的には満足している」

 

 岩崎は手を止めて私を見つめる。私がチラとノート型端末に目を落とす。書きかけのレポートがあり、箇条書きで白式の問題点と解決方法と思しき記述が見て取れた。横から兜鉢が岩崎の手元をのぞき込んでいる。岩崎が気付いて解説を加えていた。

 

「ぼんやり見ててもいいが、いずれカバチもこれぐらい書けるようになってもらう」

「ええっ!」

 

 兜鉢だから略してカバチである。兜鉢は顔面を真っ青にして悲痛な叫びを上げた。航空部の上級生はことごとく性格が破綻しているとはいえ頭と外見だけは良い。雑用や機材の使い方ばかり覚えさせられている兜鉢だけれど、意外と期待されているのかも知れなかった。

 岩崎は思い出したように手を打った。

 

「そうだ。織斑君には銃の扱い方を覚えてもらおう。縁日でおっちゃんを泣かせるぐらいになれば上出来だ。サバ研が電動ガンを複数所持していたはず。連絡してみるといい」

「……適当なことを言ってませんか」

 

 私の言葉に憤慨したのか、岩崎の口調が強くなった。

 

「馬鹿なことを言ってもらっては困るね。白式に覚えさせるためだ。専用機には自己進化プログラムが組み込まれていることについて、概要くらいは習っただろう」

「確かに先日の授業で教わりました」

「うまくいけば飛び道具が使えるようになる。織斑君が望めば、だがな」

「……そんなんでうまくいきますか」

「専用機は搭乗者の願いを(かな)えるロマンがあるんだよ」

 

 岩崎が目を輝かせる。

 

「じゃあ玉座の王は専用機にしないんですか?」

 

 この呼び方は私が勝手に使っているもので、航空部全員がてんでばらばらな名前を使っているため統一感がなかった。

 しかし、ちゃんと通じるのが怖いところである。

 

「うちがねかっこかりかっことじるだ」

 

 そして全員が持論を譲らない。兜鉢が私の顔をのぞき込んで口を開いた。

 

「先輩。あれって獅子王じゃないの? てっきり太刀の名前をつけたとばかり」

「呼び方はどうでもいいです」

「……あれは専用機にはしない」

 

 多用途炸裂弾頭ミサイル(MPBM)という殲滅(せんめつ)兵器を搭載していれば慎重にもなるはずだ。実際岩崎の表情は先ほどまでのにやついた嫌らしさが消えていた。先日の説明からすると、ISは攻撃に耐えきってもその周囲が吹き飛ぶようなニュアンスを漂わせていたので、専用機どころか複数人で稼働させるのもダメではないだろうか。

 よくロボットアニメで定番の強奪イベントが発生したら真っ先に盗られそうな場所に置いている。学園の地理からすれば航空部部室が一番わかりにくい場所なのは事実だけれど、特殊部隊が突入したら危険なのでは、と私は妄想していた。

 

「航空部のISの機能試験だが、連休明けにやることにした。テスターはそれぞれISスーツを持参してくれ」

 

 兜鉢が緊張した面持ちになった。

 

「……先輩。素人がさわっちゃってもいいのかなあ」

「カバチ。何度も説明したが、素人だからいいんじゃないか。更識なんて本来の手順を省略して動かしているから、操縦手順の確認にならない」

 

 岩崎がノート型端末を閉じて両腕を組む。

 私が手を挙げた。

 

「あの……今のって、私たちが授業で習っている手順と更識さんが使ってる手順が違うってことですか?」

「違うね。更識は動作にしても倉持技研が用意したプリセットデータを使用せず、独自に最適化したものを使っている」

 

 兜鉢と私はそろって首をかしげた。「なになにー」と(ケイ)も首を突っ込んできた。

 

「また何でそんな面倒くさいことやってるんですか」

 

 私が素直に疑問を口にする。(ケイ)も気になったのか、覆い被さるように体を密着させてきた。

 

「もちろん打鉄の反応が更識の想像するものとずれているからだ。ギャップの是正だよ」

「あのー。それって専用機だとそういうことは起こらないのでは?」

 

 (ケイ)が横から舌足らずな声で口を挟む。岩崎が(ケイ)を見てにやりと笑ったので、私は思わずひるんでしまった。

 

「専用機ならISコアが独自に最適化を進めるから、ギャップがあっても是正される。だが、量産機は人間の手で是正してやらなければならない」

「へえー。パイロットの成長に合わせてISも成長するんだねえ」

「君の言うとおりだ。……ええっと名前は?」

(ケイ)と呼んでくださいよー」

 

 (ケイ)がだらしない笑みを浮かべた。

 

「で、更識が何でそんな面倒なことをやっているかと言えば、打鉄では処理が追いつかないからだ」

「処理が……追いつかない? 量産機ならではの問題ですか」 

「そうだ」

 

 私の答えに岩崎が同意した。

 

「更識が打鉄を使うと、性能の限界まで酷使するから部品の摩耗が激しいんだよ。自己修復機能があるから、そこまで気にしなくていいけど、やはり負担がかかっている事実は変わらない」

「打鉄弐式のテストが終われば晴れて専用機持ちに昇格するのかー。いいなあ。私も専用機が欲しいですよ」

 

 私はIS学園の者なら一度は口にする文句を言いはなった。専用機を持つことがIS学園のステータスみたいなものだから、これと言った深い意味はない。せいぜい在学中の実技試験も搭乗時間が不足して困るような事態にはならない程度に軽く考えていた。

 

 

 岩崎やロケット研を始めとする先輩方から解放されたとき、既に一八時を回っていた。

 岩崎による情け容赦ない突っ込みを受けて、みんな疲れた様子である。織斑には連休明けに整備科に行くように口酸っぱく言われ、首を縦に振らされていた。連絡先メールのアドレス欄にサバ研が含まれていたことから、織斑が射的を覚えるのは確定らしかった。

 

「……課題が増えた」

 

 織斑が携帯端末に指を滑らせて箇条書きとなった課題表を表示させた。先輩方は織斑を支援する私たちにもアドバイスや改善点を提示している。

 連絡通路をかたまって歩いていたら前方から山田先生が小走りに近付いてくるのが見えた。

 私たちたちは挨拶をするべく口を開いたけれど、それよりも早く山田先生が声を上げた。

 

「篠ノ之さん! よかった……こっちにいたんですね……」

「先生?」

 

 篠ノ之さんが怪訝な顔つきになった。山田先生は息づかいが荒く少し走ったと思われた。

 彼女は篠ノ之さんの手を取ってこう言った。

 

「倉持技研から篠ノ之さんに電話が来ています。篝火(かがりび)ヒカルノさんという方からですっ!」

 

 

 



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★19 街へGO!

久しぶりに更新。


 腹が減ったら戦にならぬ。

 私はきゅるきゅるとはしたない音を奏でる腹をさすりながら、寮の食堂に来ていた。入り口で凰さんを見かけたので急に中華が食べたくなり、気がついたらトレーに牛タレ丼と点心の盛り合わせ、杏仁豆腐を注文していた。

 少し時間が遅いせいか、人影がまばらだった。(ケイ)や子犬ちゃんの姿を探しても見あたらない。

 

「おっと。篠ノ之さんがひとりで晩ご飯をつついていらっしゃる」

 

 一ヶ所だけ湯気が立ちこめている。豊かな黒髪が前後に動き、点心を頬張っていた。普段姦しい人たちの姿はなく、窓に映った自分を眺めては物憂い表情を浮かべる。その姿がなんだか妙に大人っぽく、私はどきっとしてしまった。同性にときめく気はない。私はストレートなのだ、と言い聞かせる。

 

「しーのーのーのさん。相席してもいいですか?」

「ふもぅ」

 

 篠ノ之さんがうなずく。ちょうど点心を口に含んだばかりなので答えることができなかったらしい。私は愛想笑いを浮かべ、席に着く。目の前に五個入りのざるがふたつ積み上げられ、中には五色の点心が納められていた。篠ノ之さんは手を止めるなり、卵スープで流し込む。

 

「お前にしては遅いな」

「いつもはもう少し早いですからねー」

 

 いただきます、と口にして箸を進める。牛タレ丼を舌の上に置いた瞬間、得も言われぬ美味に感激する。うめえ、うめえ、とついつぶやいてしまった。

 醜態を晒したことに気づいた私は、篠ノ之さんから珍奇の視線を注がれていると思い、手を止める。すでに丼のなかは空っぽである。

 

「あっ。見ました?」

「ふもぅ……」

 

 篠ノ之さんは点心を食べることに集中している。どうやら醜態には気づいていないようだ。私はほっと胸をなで下ろして黄色い皮の点心をつまんだ。最初からカレー味を手にするあたり、食にこだわりがないのが丸わかりである。

 

「うまいっ!」

 

 さすがは凰さんちの肉まんだ。中国政府が凰さんとセットで送り込んできた野心作。安全安心な高級料理店の味をスローガンにしたらしい。私がこのメニューの存在を知ったのは先輩方が「凰さんおいしいよね」と口にするのを耳にしたためだ。てっきり凰さんが織斑に一世一代の告白を試み、あえなく受け流されたことに絶望する。自暴自棄になって姉崎たち肉食獣に体を提供したのだとばかり思っていた。もちろん気になって理由を聞き、心のなかで下衆な考えを詫びたのは言うまでもない。

 

「ふもふも……ふもっふ」

 

 篠ノ之さんが点心を頬張ったまま何事か口にする。だが、単語を聞き取り損ねてしまい解読ができなかった。しかも不敵な笑みを浮かべており、篠ノ之さんらしくないと思ってしまった。

 

「なにかあったのですか」

「ふもふもっ、ふもっふ、ふもっふ――」

 

 私がいい加減に解読したところによると、「ついに私にも運が向いてきた! どこかの企業が新製品を作って私をモニターに指名してくれたんだ!」だろうか。間違っている気がしたので篠ノ之さんの口まねをしてみたら、大筋は合っているらしい。

 

「とりあえず口の中の凰さんを飲み込んでからしゃべってください」

 

 私の声は平静そのものだ。浮かれた篠ノ之さんは貴重なので波風を立てないよう淡々と注意した。

 

「ふもも……すまんな」

 

 篠ノ之さんが私の名字を呼ぶ。あかさたなはまやらわの真ん中付近の音で始まり、歴史の教科書にも載るほど珍しくとも何ともない姓だ。篠ノ之さんが口にするとなんだか本当に古風な気がする。最近は「えーちゃん」としか呼ばれていないのだ。きちんと名字で呼んでくれるのは同学年だと篠ノ之さんやセシリア嬢くらいだった。鷹月も私の名前を呼ぶのだけれど、何かたくらみがあるのでは、と勘繰ってしまう。彼女にはあだ名で呼んでほしいと常々願っていたが、口にする勇気はなかった。

 

「SNNって知ってるか」

 

 私はオウム返しになった。少なくとも奨学金出資企業ではなかった。しかし、どこかで耳にしたことがある企業なのだ。結構前に実家で読んだ新聞に載っていた気がする。単に叔父の会社がアルファベット三文字だったので勘違いしているだけなのだろう。

 

「知らない、と思う」

「私も実態をよく知らなかったんだがな」

 

 篠ノ之さんは言葉を切り、スープに口をつけた。

 

「ISコアの研究を行っている企業だ。元はうちの姉が特許を取るときの手続きが面倒だから部下に押しつけちゃおう、とかふざけた理由で立ち上げた一円企業だったんだ。会社を立ち上げるのに一〇万円くらい必要だとか言って、当時はお姉ちゃん子だった私を言いくるめ、貯金していたお年玉とお小遣いを全額巻き上げた」

「何才のとき?」

「七才だ」

 

 七才で十万円貯金。物心ついてからお年玉をもらうようになったとして、毎年二万円から三万円の計算だ。私の十倍もらっているではないか。

 貯金を巻き上げられたのであれば使っていないに等しい。千円ですら大金なのに、七才で十万円を失った篠ノ之さんの心情を想像できようか。私の手元にある金目のものと言ったら一冊十円で売れるかどうかの漫画と叔父からもらった怪しいおみやげくらいだった。

 篠ノ之さんは愚痴を続ける。

 

「『これで箒ちゃんも大株主さんだね』と笑顔で口にするのを今でもはっきり覚えている。その頃の私は姉を盲信していたからな。通帳と暗証番号を渡したらどうなるかよく理解していなかったんだ。委任の判子を押すことに同意してしまったのも事実だな。その後、二、三日してから通帳が返却された。残金ゼロだ」

「うわー……ま、まあ。結果的にプラスになったみたいだし、よかったんじゃないかな」

「いや、配当金とか一切連絡なかったのにどうして今ごろって思いが強い。株式の運用も姉さん任せだから、今どうなっているかわからない。連絡を取りたいとも思わなかったが」

 

 篠ノ之さんが点心を頬張る。凰さんがまたひとつ、胃袋のなかに消えていった。

 

「あの人のことだから正直何を考えてるのかさっぱり見当もつかん。さっきなんか倉持技研から電話があって……」

 

 篠ノ之さんが再び点心をつまんだ。

 

「ああ……篝火さんとか変わった名前の」

「ここだけの話だが……私にもくるんだ。一夏と同じようなやつが」

 

 彼女が断言を避けたことに、魚の骨が歯につまったような違和感を覚えた。普通ならISと明言するはずだ。

 

「あれ? 倉持って今、打鉄改でそれどころじゃないんじゃ……」

 

 猫の手も借りたい状況だと更識さんから聞いている。

 

「いや、倉持技研は手続きを代行するだけらしい」

「業者の人が学園に来てるもんね」

「今は期待半分、怖さ半分ってところだな。姉が送りつけてきた機体だから、おそらく十中八九何かある」

 

 篠ノ之さんはお皿一杯に盛った凰さん(点心)の衣を裂いて、肉汁を堪能した。私もたまらず、まねをしてしまった。

 

「……だめだよ。お姉さんのことを悪し様に言っちゃあ」

「いや、あの人は昔から唐突なんだ。いつも行き当たりばったりだ。家族は振り回されてつい一家離散の憂き目に……」

 

 篠ノ之さんがヨヨヨと声に出して泣きまねをする。

 

「それでどんな機体なの」

「それがよくわからない。電話だったし。紅椿(あかつばき)だとかSNN-666とか言っているのは聞き取れたんだが、その……なんだ。篝火さんはその昔、織斑家に出禁をくらった人でな。一夏と……ふもふもしたのか、ばかり聞いてくるから事実を伝えたら『よっしゃー! ガチャン』で終わった」

 

 篝火なる人物と旧知の仲だったという事実よりもむしろ()()()()のほうが気になる。とはいえ思い当たる行為はひとつしかないので、私はセクハラに耐えた篠ノ之さんに満面の笑みを送った。できるだけ言葉を選んだ結果、素っ気ないセリフを口にしてしまう。

 

「ふうん。ブツはいつ来るの」

「連休明けだ。実験台になる前に遊んでおけ、というあの人のメッセージだな」

 

 篠ノ之さんがろくでもない思い出に浸り、凰さんの肉まんをすべて平らげた。

 

「他人に押しつけるにはなにかと不都合がある機体なんだろう。腕の良い搭乗者は学園にごまんといるんだぞ」

 

 期待を裏切られるのが怖い。私は肉親を散々にけなす篠ノ之さんの態度からそう感じずにはいられなかった。空になった点心の入れ物を脇に避けると、篠ノ之さんが遠くを見てつぶやく。

 

「一円企業つながりなんだが、白騎士事件の後、姉が男を紹介してきたな。びっくりした。いつの間にって」

「なになに。お姉さんにもやっぱり男がいたんですか」

 

 私はにやにや笑いながら小指を立てる。

 

「いや、コレじゃない」

 

 篠ノ之さんも意味をわかっているのか、同じように小指を立てる。

 

「私は常々、姉が男に興味がないのものだとばかり思ってたんだ。人類に興味があるのかすらあやしい」

 

 食堂内に目を配り、篠ノ之さんが口にした男前の姿を探す。山田先生と目が合いそうになったが、残念なことに担任を見つけることができなかった。

 

「私からみても男前だったな。日本男児はかくあるべきとした見本のようなキリッとしたいい男だった」

 

 突然、篠ノ之さんが私に目を合わせた。眉根を寄せて首をかしげ、椅子の背にもたれかかるやため息をつく。

 

「幸せなら年の差なんてどうでもいいと思ったんだが、何のことはない。ビジネスパートナーだったよ。二人して悪い顔で、CIAとかDIA、NSAなんてのもあったな。よくわからない略語を口にしていたのが忘れられないんだが、海外ドラマでも見ていたんだろう」

 

 アメリカ中央情報局、アメリカ国防情報局、国家安全保障局。お米の国が行き当たりばったりで設立してきた組織の略称だった気がする。

 

「せっかくだからパンフレットを印刷してきた。見てみろ」

 

 私はそのパンフレットを見て心臓が跳ね上がった。何しろ叔父とそっくりな顔が映っているのだ。夏休みになると古いゲーム機を持ち寄っては父と一緒になって遊ぶ、さえない叔父がたくましい顔つきでコメントを寄せていた。

 

 

 一晩明けて黄金週間一日目である。

 私は姉崎とダリルさん、サファイア先輩――灰色の瞳の美人さん――など数名から課題の回答例見本を入手することに成功した。セシリア嬢もまたウェルキン先輩の恋愛講座に参加したあげく、紆余曲折あって同じようなものを手に入れたらしい。

 

「大きな犠牲を払いましたわ……」

 

 私の部屋に無理やり押し入って座りこむなり、よそ行きの服を着込む(ケイ)に向かって愚痴を吐いていた。

 セシリア嬢の背後に子犬ちゃんが立っており、金髪に櫛を入れている。てきぱきとした動作で髪型を整えていき、セシリア嬢は当たり前の行動のように泰然自若とした様子だ。聞けば、本国に専属メイドがいるらしい。このまま行くと、卒業と同時に子犬ちゃんをイギリスに連れ去ってしまうような気がする。あまりに得心が行く考えなものだから悦にいってしきりにうなずいていたら、セシリア嬢が胡乱な目を向けてきた。

 

「あなた。わたくしのことを今、女衒(ぜげん)か何かだと考えていなかったかしら」

「まさかー。そんな下衆(げす)なことを考えたりしないよー」

 

 的確な指摘を受けるや即座に愛想笑いを浮かべる。ちなみに女衒(ぜげん)とは花街の娼婦などを斡旋(あっせん)する仲介業者のことだ。

 大体すぐ考えていることを見透かされるあたり、私は底の浅い人間なのだ。

 

「で、セシリー。おめかししてるけど、やっぱり外出?」

 

 (ケイ)の言葉を耳にするやセシリア嬢が鼻を鳴らす。

 セシリア嬢は水兵風のシャツとズボンを身に着けている。白と青のコントラストを意識したのだとか。私の耳元で子犬ちゃんがぼそぼそと言っていた。

 

「買い出しに行きますの。クラス対抗戦に学年別トーナメント、その後すぐに臨海学校。忙しくなるのは目に見えていますから、行くなら今しかないと思いまして」

「なーるーほーどー」

 

 (ケイ)が相づちを打った。私は珍しく制服とジャージ以外の服装に身を固めた同居人を見て、へらへらとした口調になる。

 

「そんな格好してるんだし、当然(ケイ)も行くんだよね」

 

 (ケイ)は裾をふくらませたズボンを履き、Tシャツの上に薄いカーディガンを羽織っている。奇をてらった服装に感じる。本人いわく、顔の作りがよいのは何かと便利だとか。私にはまったく縁のない話だった。

 私も色違いのカーディガンを借りて自前のジーンズをはく。クローゼットからスニーカーを取り出していた(ケイ)が何を思ったのかキャスケットを投げて寄越した。

 これは一緒に来いという意思表示なのだろうか。

 

「当然、えーちゃんも来るんだよね?」

「行きます」

 

 即答だった。私は野暮用を思い出し、かつ市井の人間がセシリア嬢を見てどのように反応するのか見てみたかったのである。

 

 

 みんなが同じことを考えた結果、当初考えていたよりも大所帯になってしまった。兜鉢(カバチ)が地元のショッピングモールを案内するのだと珍しく張り切っていた。そして母校の後輩と会うんだとか。

 私は照りつける日差しで吹き出た汗をぬぐい、足を止めて玉石混合の集団を顧みる。いつの間にか鷹月やしのぎんも集団のなかに混ざっていた。

 

「ごめんね。人数増えちゃった」

 

 兜鉢が赤毛の少女に手を合わせて謝っている。私のように入学後初めて外出するような生徒が混ざっており、土地勘のある人間を求めていたら自然と大所帯になったと説明する。

 

「いいですよ。元はといえば、私が先輩に無理言って誘ったんですから」

「蘭ちゃん……ありがとう」

 

 兜鉢が振り向きざま、私の顔を見るや交渉成立したことを告げた。

 その後、兜鉢の後輩が自己紹介する運びとなる。

 

「聖マリアンヌ女学院三年、五反田蘭です。今日はよろしくお願いしますっ」

 

 兜鉢が鼻高々と悦にいった表情を浮かべる。聖マリアンヌ女学院――いかにもミッション系お嬢様学校と言った風情。「兜鉢様、ごきげんよう」みたいな日常風景だと邪推するのだけれど、現実のお嬢様がアレだったので大きな期待を抱いてはいけない。

 

「なんと」

 

 彼女がIS学園を志望校に挙げたので驚いてしまった。五反田さんなりの打算が働いたのか、いろいろな話が聞けて好都合だと考えたのだろう。歩きながらいろいろ質問している。

 ショッピングモールまで徒歩で移動だった。私は先輩方の生態を正直に話してよいものか本気で思い悩んでいたところ、五反田さんと会話していた兜鉢の口から聞き捨てならぬ発言が飛び出す。兜鉢が私のことを同じ部だと口にしたのだ。私は航空部に入り浸っているが、正式には弱電の正式メンバーと茶道部の幽霊部員を掛け持ちしているにすぎない。兜鉢には更識さんなるとても優秀な部員がいる。どうせならそちらを話題に出すべきではないのか。

 

「私、こいつと同じ部活じゃないから」

 

 念を押してみると、兜鉢が目を丸くする。両肩を震わせるほどびっくりしていた。

 

「えーちゃんって部員じゃなかったの!」

「ちょっと待てい」

()()先輩と普通に話してたし、よく部室で見かけるからてっきり仲間だと思ってたのに」

 

 私たちの不毛な言い争いを見て、五反田さんがぽかんと口をあけた。学園内の勢力分布に関わる話なので部外者の彼女には理解が難しい話だろう。兜鉢は学園の少数勢力に与しているが、私はどちらかといえば中立のはずだ。生徒会長に目をつけられているので自信がないのだけれど。

 改めて五反田さんを一瞥する。兜鉢を捕まえてひそひそ話をしているのが目にとまる。彼女はおしとやかそうできれいな子だと思う。だが、私のなかでお嬢様とはすなわち腹黒さんという図式ができあがっている。この一ヶ月で鍛えられた眼力によると、彼女は自分を演出していると見た。もちろん単なる言いがかり。当てずっぽうである。

 

「私の顔に何かついてる?」

 

 兜鉢に声をかける。(ケイ)がキャスケットを渡したのは、まさか寝癖がついたままなので目立たないようにという配慮なのだろうか。その前に子犬ちゃんに見てもらったので大丈夫なはずだ。私は帽子を浮かして後頭部を触った。

 

「いやっハハハ」

 

 兜鉢の笑い声がわざとらしい。私から目を逸らして言い訳を口にする。

 

「印象論について思うところがあって……」

 

 どうせ他の面子よりも見劣りするとでも率直な感想を述べていたのだろう。集団のなかにセシリア嬢を放り込めばどうなるのか容易に予想がついたではないか。道行く人々がセシリア・オルコットに注目する。子犬ちゃんも爆弾級の破壊力だけれど、背丈が小さいので埋もれがちだ。セシリア嬢と手をつないでいるので、ほほえましく見えるかもしれない。

 急に肩をたたかれたので急いで振り向く。しのぎんが無言で首を左右に振った。何か共感することがあったのか。ニヒヒ、と笑うしのぎんの意図を理解するべく、私は思考の海に溺れていった。

 

 

 休日と重なっていることもあり、人通りは大したものだ。比較的近くにIS学園が存在するので、近年になって外資系の店が増えた。碧眼や灰色の瞳など多種多様な国家、人種を見かけると五反田さんが解説した。

 

「連休なめてたわ……」

 

 しのぎんが続けて、うへえ、と口にする。

 だだっ広い駐車場を横目に複合施設の中に入る。少し歩かなければならないものの駅に隣接した百貨店よりも品ぞろえが歴然としている。受験で上京したときは、食品売り場と本屋に寄ってみたのだけれど、そのときはずいぶん多種多様な商品を扱っていると感じた。

 私の目的は水着だ。各部の大きさは去年と大差ない。明日の件があるのでぜひとも新調しておきたい。曲がりなりにも受験勉強のおかげで手つかずの軍資金が残っている。男に見せるものではないけれど、同性の目のほうが気になった。スクール水着で来るやつはよほどのずぼらなのか、あるいはからかわれるために行くのだ。そして連休後もなにかにつけて話題にのぼることだろう。何と恐ろしいことか。

 

「目的地に行ったらその後は昼食以外は自由行動。いいですか」

 

 五反田さんがセシリア嬢らに告げる。買い出し目的で外出した者ばかりなので、店が多くてはすべて回れない。各々自由に任せるべきとの判断だ。特に不満を口にすることなく水着売り場に移動する。

 少し歩かねばならず、五反田さんが私の横を進む。

 

「ところでえーちゃんさんは一組なんですよね」

 

 あだ名にさん付けである。私は「あっ」と声をあげ、まだ自己紹介をしていなかったことに気づく。

 

「えーちゃんはあだ名でね。ちゃんと」

 

 私は自分の名前を口にする。そのうち「そんな名前だっけ?」とかすっとぼけるやつが出てくるに違いない。

 

「――という名前があってね」

「わかりました。ちゃんと名字で呼びます」

「そうしてくれると助かる」

 

 「えーちゃん」は名前をもじったものだ。小学校に上がったばかりの頃は名前で呼ばれていたのだけれど、小学校を卒業する頃には男子にもあだ名でしか呼ばれず、神社や寺に行くと毎回からかわれた。

 

「で、聞きたいことはなにかね?」

 

 私は先輩面して肩をよせる。すぐ調子に乗るのが私の悪い癖で改善するつもりがないので一生直ることはないだろう。

 

「ま、予想はつくんだけどね」

「その……一夏さんは今」

 

 一夏の名前を出すなり顔を真っ赤にする。思ったとおり一夏絡みの質問だ。私は少しだけ意地悪をしてやろうと思った。悩み多き中学生には少々刺激が強いと思うけれど、誰しもいずれ通る道だ。

 

「事実を言えば誰とも付き合っていない。けれど、同棲(どうせい)中ではある」

「どう……せい?」

「ひとつ屋根の下に男女が寝泊まりしている。これを同棲と言わず何と呼ぶ」

 

 五反田さんは私が冗談を言っていると思い、先輩に助けを求めた。肝心の兜鉢は横で苦笑しており、その表情から事実だと悟る。

 

「織斑は紳士だから安心していいよ。その子とは何もない」

「えぇ……そうなんですか……アハハ」

 

 危うく織斑は鈍ちんと言いかけたけれど、そこはぐっとこらえた。

 

「あっ。ここがお店です」

 

 五反田さんが一歩前に飛び出し、流れるような動きで回れ右をする。所狭しと陳列された水着に目を向ける。これこそ学園島を飛び出してわざわざ出かけてきた理由なので、私が最初に足を踏み入れた。少し冒険してみました、という程度の勇気をみせたい。セパレート水着のコーナーへ直行する。

 まだ話したりないのか五反田さんがついてきて隣に並んだ。

 

「……さっきの続きなんですけど」

「ふむふむ。何が聞きたいんだい」

「今、一夏さんがいいなーって思ってる人とか」

「うーん。どのくらいのいいなー?」

「キュンって来るぐらいで」

「うちの副担任かなー。もうね、ここが反則でさ」

 

 女郎花(おんなえみし)のカスケードフリルを手に取り、自分の胸にあてがった。

 

「織斑先生よりもおっきくてね。反則だよねー」

「千冬さんよりも……」

「童顔で大人のお姉さんがいたら、男なんてコロっと行っちゃうだろうねー」

 

 私は五反田さんの胸のふくらみをチラと盗み見る。びっくりしたことにトップとアンダーの差が私よりも大きい。セシリア嬢と比べると幾分か小さい。先ほどから相づちばかり打っていた兜鉢は意外にも発育がよく、セシリア嬢と同等かそれ以上だった。

 水着を棚に戻し、肩を落としてショックを受けている五反田さんをなぐさめる。

 

「胸に目が行くのは男の本能なんだし。ライバルは多いけど、織斑ならチャンスはあるよ。私の見たところ、織斑はド」

 

 五反田さんが耳まで真っ赤になり、初々しい反応があまりにまぶしいので声がしぼみそうになった。

 

「イなわけで自分から女に告白した経験はないんじゃないかな」

 

 五反田さんが腕を組んで口をへの字に曲げる。眉根を寄せ、思い当たる節があったのか、すがるような目つきで私の瞳をのぞき込む。

 

「織斑は難攻不落の要塞(ようさい)なんだよね。凰さんとかに露骨に言い寄られても気がついた素振りがないくせ、言動は女心をくすぐるでしょ? いい雰囲気で誘われたらなんとなーくやっちゃって、なんとなーく付き合って別れてってパターンになるもんだけど、浮いた話がない。そこが気になったんだけど……あれ?」

 

 周りに人が増えている。しのぎんに鷹月がいる。背伸びして(ケイ)を見つけ、彼女は私に気づいたのかしたり顔で試着室を指差す。試着室は大人が三人くらい余裕で入室できる広さだった。セシリア嬢が子犬ちゃんを連れてカーテンを閉じる。

 顔を戻した私に、続けて、続けて、としのぎんが促す。

 

「言い寄られてもわかんなかったんじゃないかなー。もしくは女の基準値が織斑先生になっちゃってて、あれ以上の逸材を探し求めているとか。要塞攻略法は包囲持久戦なんだけど、みんな同じこと考えるから、いつか織斑が女に目覚めたとき手遅れになっているかもね」

 

 五反田さんの顔色が瞬く間に青ざめていく。学年が異なり、学校も違う。同じ土俵にすら立っていない時点で、要塞が難攻不落であり続けることを願うしかない。

 

「難攻不落と言っても、ほとんどの場合、要塞のなかの人が自分から打って出るから攻略されちゃうんだよね。一応、机上の空論なんだけど、織斑と一緒にいられる解決策があるんだけど。……聞きたい?」

 

 五反田さんの首が上下に揺れた。しのぎんと鷹月は私がなにを言わんとしているのか、お見通しらしく意地の悪い上品ぶった笑顔を向ける。

 

「ん?」

 

 鷹月が私の名字を呼んだ。相変わらずどんな言葉が飛び出してくるのか予想できず、つい身構えてしまった。

 

「先ほど聞いた話では、五反田さんのお兄さんが織斑君と仲良しだとか。この情報は使えるよね?」

「まあ。かなり」

 

 間違いない。鷹月は確信犯だ。私の考えの斜め上を行く恐ろしいやつだ。

 

「四つ案があるけど、最初に究極の方法から。耳貸して」

 

 五反田さんの肩をつついて顔を近づける。「子供を作るんだ」と小さな声で耳打ちし、世間話に戻る。

 

「そして責任を取らせよう。うまくいけば法的手続きを踏んで一緒にいることができます」

 

 兜鉢からの視線が痛い。私が何を告げたのか理解しているようだ。我ながら最低な発言だと自覚しているのだけれど、机上の空論だから致し方ない。そのうち誰かが実行するんじゃないかとうがった見方をしている。ひねくれた発想なら鷹月にお任せしたいところだけれど、彼女は私よりも要領がいいのでそんな機会は一生訪れることがないと頭の片隅に留め置いた。

 

「一度は……その……考えましたけど……」

「だよねえ。考えるよね」

「ハードルが高すぎて……」

「机上の空論で選択肢のひとつと思ってくれたらいいよ。次なんだけど」

 

 鷹月の助言を利用して場合分けをする。

 

「お兄さんと織斑先生をくっつけなさい。そうすれば義兄妹でいられる。大丈夫。織斑先生二十四才だし、今高一なら八、九才差だから年の差婚で問題なし」

「うちのお兄にそんな甲斐性があればいいんですけど」

「まーそうなるよね。個人的にはわりといい案だと思ってるんだけど」

「三番目はなんなんですか」

 

 三番目はかなりひどい。私は口にしてよいものか迷い、決断する。

 

「世間的にはまだ一般的ではないけど、五反田さんが織斑先生とくっつく。織斑は優しいから姉が茨の道を歩んだとしても受け入れてくると思うよ。憶測だけどね」

 

 五反田さんが激しくむせ返った。性別の垣根を越えた空論だから当然だろう。無理を通しすぎて道理もへったくれもない。次の四番目はもっとひどいので、肉親の前で口にするのはどうかと思う。

 

「四番目は察してね」

「……いや、なんか予想がつくんでいいです」

 

 しのぎんが笑いながら背中をたたく。鷹月も一緒になった。私が唇をとがらせて振り返ったら、鷹月が口に手をあてて小刻みに肩を震わせていた。

 肝心の五反田さんは乾いた笑い声をあげて、水着を取っては戻してを繰り返している。

 

「終わり。私も水着選びに戻るけど……しのぎん。いくらたたいても何も出やしないよ」

「えーちゃんは期待を裏切らない。私が見込んだだけのことはあるっ」

 

 不本意な見込まれかただ。

 

「ところで四番目って?」

 

 しのぎんが首をかしげる。鷹月が耳打ちするなりしのぎんが噴きだしてしまった。私は気にせず水着をいくつか手に取り、試着室に向かった。

 

 

 



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★20 女教師の密会

 昼食をフードコートでとることになった。全員が完食しており、のんべんだらりとおしゃべりに興じている。

 私は腰の後ろに荷物を置いたまま、セシリア嬢の顔をじっと見つめる。

 

「……何も出ませんわよ」

「最初から見返りなんか期待してないよ。さっきさあ、本屋に行ったんだけどね」

「あなたのことですから、どうせマンガを物色していたのでしょう?」

 

 セシリア嬢の言葉にぐうの音も出なかった。彼女はまるで、マンガの山を見た母親が「捨ててもいい?」と聞くときと同じ表情を作っていた。夢と希望と願望が詰まった青春の一ページなど、冷徹な現実主義者であるセシリア嬢にとっては取るに足らないものに違いない。

 私はセシリア嬢が言ったとおりマンガしか読まない、そこらへんにたくさんいる非文学少女である。

 なので、奥歯をかみしめて出鼻をくじかれまいと必死に話題を続けようとした。

 

「セシリアさんにそっくりな人を見かけたんだよね。ちょうどセシリアさんを縦に引き延ばして、巨乳にした感じ」

「他人の空似ではありませんこと。人種が違ってしまえば、微妙な違いなんて分からないものです。単に金髪だったから……その類ではなくて?」

 

 私は胸の前でボールをつかむようなしぐさをしてみせた。鷹月が大きさを聞いてきたものだから、素直に応じる。

 

「多分。子犬ちゃんと同じくらい」

「G……と」

 

 全員の視線が子犬ちゃんの胸元に集中した。本人は手で胸を隠そうとするのだけれど、脇が締まって大きさがよけいに強調されてしまう。

 

「ヒールだったから背丈が大きく見えたのかもしれないけれど。……そうだねえ。織斑よりも背、高かったよ」

「……それがどうかしたのですか」

「セシリアさんってお姉さんいたっけ?」

「わたくしは一人っ子ですわ」

「前に言ってたね。それにしては似すぎてたんだよね。しぐさとか話し方とかそっくりだったし」

 

 私は思い出したことがあって手をたたいた。セシリア嬢のそっくりさんには連れがいたのだ。

 

「五反田さん」

「な、なんですか」

 

 五反田さんは声をかけられるとは思っていなかったのか、肩を震わせ、恐る恐る私に目を合わせる。

 

「織斑の背を縮めて小六女子っぽくしたのがいたんだけど。織斑に妹がいたり……織斑先生に隠し子がいたりしない?」

「あそこは姉弟だけだったと思います。うちによく食べに来てたし」

「うち? 家族ぐるみでお付き合いとか?」

 

 五反田さんが残念そうに笑った。

 

「だったらよかったんですけどねー。うち、食堂やってて、ひいきにしてもらってたんですよ」

「なるほど」

「まだ見込みはある……と」

 

 相づちを打つ私の横で鷹月がぼそぼそとメモを記している。私の声まねをしており、いかにも好みそうな言葉を選んでいた。

 

「オルコットさんのそっくりさんって、もしかしてドッペルゲンガーでは?」

 

 鷹月がコーヒーを飲み干してから、口から出任せを言う。姿形が違うので、自分と瓜二つの人間が多数の人物に目撃されるという条件を満たしていない。今回の場合は、姉か親戚、母親あたりを疑って然るべきだ。(ケイ)の話によればセシリア嬢は両親と死別している。閨閥(けいばつ)……ではなく、親戚が多数いるらしいのだけれどセシリア嬢と年が近い者はいないらしい。

 

「ちょっと違うんじゃないかな。金髪の外人さんってだけでも目立つし。どっちかって言うと、()()()()だね」

 

 自分でも適当なことを言っていると自覚がある。けれど、その場の勢いで口をついて出てきたものだから、自分でも発言の意味をよくわかっていなかった。

 

「クローン説を提唱しますか。その根拠は」

「うっ」

 

 冗談として流されるはずが、鷹月は意外にも真面目に切り返す。相手を見誤ったか……と、私は半ば自嘲する。一度広げた風呂敷をたたまなくてはいけない。中途半端に話題を振ってしまった報いである。

 私は愛想笑いを浮かべながら、必死に頭を働かせた。

 

「セシリア嬢の財産を乗っ取るつもりだったとか。もともと大金持ちさんだったセシリア嬢が万が一死亡したときに備えて予備のクローンを作っておいたんだ。一人っ子で女性だから、若年で経験が浅いうちなら傀儡にすることもできる。でも、結局何にもなくて作ってみたけれど使い道がない。いつでも交換できるようにセシリア嬢の活動拠点の近くに配置した……というのはどう」

 

 セシリア嬢が深いため息をついた。

 

「三文小説以下の出来映えですわ」

「うぐぐ」

 

 私は酷評されて歯ぎしりする。恥ずかしい。みんなの視線が痛いのだ。そんなとき、机に突っ伏した私の頭脳に天啓が降りてきた。舌の根が乾かぬうちに考えを口にする。

 

「じゃあ、今度は織斑妹モドキで」

「どうぞ」

 

 セシリア嬢が淡々とうながす。私は根拠もなく勝ち誇ったような顔つきで全員を見回し、もったいぶった口調で語りはじめた。

 

「織斑先生は世界大会優勝者で、しかも篠ノ之博士のご友人と来ている。ちょっと前に禁止されちゃったVTシステムは世界大会入賞者の動作をまるっとコピーして、まったく同じ動きを再現したら楽勝だよねっていうものだった」

 

 セシリア嬢と(ケイ)が首を縦に振った。さすがは代表候補生と代表候補生の候補生だ。これ以上口にすると、ネットニュースをちらっと見た程度の知識だとばれてしまうので深くは追求しなかった。

 

「織斑先生の遺伝子をどこかで入手して、同一遺伝子の個体を作って雪片みたいな反則武器を入手しようとした。何て言ったってこの業界の人気ナンバーワン。しっかりCMにも出ちゃってるんだよね。七年前に」

 

 しのぎんが「あーそれ覚えてるわ」と相づちを打った。

 

「あの、千冬さん……本人の前でその話題について言っちゃだめですよ。黒歴史だって愚痴をこぼしてましたし」

 

 千冬十七歳。織斑先生は若気の至りだと認識しているらしい。チラと鷹月を見やれば、彼女はちゃっかりメモを取っていた。

 

「あれだね。とりあえず数打ちゃ当たると、たくさんクローンを作ってみてそのうち一体が偶然この建物にいたってのはどうかな」

「ハア……」

 

 セシリア嬢が辛辣なため息をつく。

 

「ありきたりなSF以下ですわ。根拠どころか説得力も感じられません。今時はやりませんわよ、それ」

「うぬぬぬ」

 

 

 昼食後は自由行動である。セシリア嬢と(ケイ)は子犬ちゃんを連れて買い出しの続きに行ってしまった。しのぎんと鷹月はセシリア嬢たちを観察して遊ぶ、と語っていた。残った私と兜鉢、そして五反田さんは手持ちぶさたできょろきょろしている。

 

「いた、いた。五反田さん、あれだよ」

 

 私は向かいのショーケースを指さした。織斑モドキは服屋のガラスに背中を預け、顔を横向けて誰かを凝視している。黒いジレにカーディガン、パンクロック風のプリーツラップスカート。ヒールで五センチはかさ上げしている。暗めのアイシャドウが入っていて、余計に目つきが鋭く感じた。一見、今年中学に上がったばかりだとも思える。しかし、顔つきからしてお近づきになりたくない雰囲気があった。

 

「あれ、ですか。びしっと決めてる」

「そう。あれ」

 

 織斑モドキが何を見ているのだろう。少し興味が湧き、視線の先をこっそりと追った。そこには織斑先生と思しき横顔がある。しかも、品の良さそうな男と一緒だ。テーラードジャケットを羽織った二十代後半の男性である。

 

「ちょっ……ええええええ!」

 

 私はとっさに口を押さえていた。隣で兜鉢(カバチ)が、私が何に驚いているのか知りたがっている。

 

「ち、千冬さんが男の人と……ええええええ!」

 

 今度は五反田さんだ。

 

「いやいやいや、()()千冬さんが? 身持ちの堅い人ってうわさだったのに」

 

 五反田さんの雰囲気からして浮いた話がひとつもなかったようだ。うちの担任にはレズ説、バイ説、ショタ説、実は彼氏持ちだとさまざまな憶測が飛び交っている。その中でも決定的な証拠をつかみつつあるのだ。私はにわかにやる気を出した。

 

「後をつけよう」

「こんな面白そうなこと、放っておけないもんね」

 

 兜鉢が明け透けにものを言う。

 

「あっ外に行くみたい」

 

 織斑モドキも先生の後を追うようだ。こちらに気づいているのかどうか定かではないけれど、私たちは興味本位で彼女を追いかけていった。

 行き先は小洒落た喫茶店。世界規模で店舗を展開しており、コーヒーがほかの店よりも若干割高だ。と言っても、個人経営の喫茶店と比較した場合、さほど値段に差があるわけではない。

 私たちは織斑先生はもちろんのこと、織斑モドキに見つかりたくはなかった。ヘタに見つかって絡まれたら、彼女にボコボコにされそうな雰囲気なのだ。この場にしのぎんがいたら心強かっただろう。残念ながら別行動だった。

 

「デートの予感!」

 

 兜鉢の声が弾んでいる。五反田さんが隣で「よくないですよ……」と、先輩を引き留めようと袖を引っ張る。

 

「あ、曲がった。店に入っていった」

 

 織斑モドキも何食わぬ姿で同じ店に消えた。

 私は後ろを顧みて、五反田さんの及び腰と野次馬根性丸出しの兜鉢を見比べる。この場には三人いる。次の行動について多数決をとれば勝利は間違いない。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 兜鉢がうなずいた。五反田さんが文句を口にしている。しかし、葛藤に付き合っている暇はないので、私は兜鉢とともに喫茶店のオープンテラスに腰を降ろした。

 

「ちょっと勝手に」

 

 五反田さんだ。私はあごをしゃくり、視線を誘導する。窓際の席に織斑先生の横顔があり、小さなテーブルを挟んで男性との会話に興じている。だが、織斑モドキの姿を見失ってしまった。私はテーブル席できょろきょろするのは良くないと思って、懐から取り出したチケットを五反田さんに手渡す。

 

「ホットのラテにエスプレッソショット、ショートで」

「私も」

 

 兜鉢も同じチケットを持っており、二枚重ねて渡した。一枚は兜鉢の分、もう一枚は五反田さんの分だろうか。

 

「これ……」

 

 五反田さんは手渡されたチケットに目を落とし、しばらくして顔を上げた。私はにこにこしたまま、チケットの出所について言及する。

 

「とっても親切な先輩からもらったんだよ」

 

 岩崎の顔を思い浮かべ、心にもないことを口にしてしまった。航空部製ISの試験に参加する見返りとしてこのチケットがあった。悪い人ではないから当たり障りのないことを言っておくが吉だろう。長いものに巻かれるのだ。

 

「わかりました。目的を達したら引き返す。いいですね?」

「もちろん」

 

 私は薄い胸を叩く。ゴツン、と音がするのも構わず胸を張り続けた。

 

「じゃ、お願いね」

 

 五反田さんは手を振る兜鉢に向けて、大きなため息をつく。渋々といった風情でレジカウンターの列に並んだ。

 

「例の彼女はどこに行ったのか、分かる?」

「それなんだけどさ」

 

 兜鉢が隣の席に座って口ごもる。いきなり肩をたたいて、背後に注意を向けるように促した。

 何だろう。その場で腰をひねって顧みると、織斑モドキが座っていた。ストローに口をつけ、頬を凹ませている。向かいの席にはカバンが置いてあり、彼女のしぐさから待ち合わせしているようにも見て取れた。ホイップクリームを吸い込みながら、しきりに織斑先生の様子をうかがっている。

 

「う、後ろにいた……」

 

 私は小声になって兜鉢に顔を寄せた。

 

「あの子さっきから人を殺しそうな目つきで先生と……連れの人をにらんでるんだけど」

 

 兜鉢が相づちを打つ。

 

「えーちゃん。嫉妬と考えるのが妥当なんじゃないかな」

「カバチさん。その心は」

「先生の彼氏さんが、あの子のお兄さんなのよ。大好きな()()ちゃ()()を取られて怒り心頭。休日のデートをストーキングしてあわよくば邪魔してやろう……ってね」

 

 兜鉢はしたり顔を浮かべている。

 私は能面になって素っ気ない感想を口にする。

 

「普通」

「ちょっと。その反応はないと思うんだけど」

 

 兜鉢が不満そうに唇をとがらせた。

 

「さっきオルコットさんに酷評されたからその仕返しのつもりなんじゃ」

「まさか。私がそんなことすると思う? 善良な一市民なのに」

「……ふうん」

「うわっ、その目つきは信じてないな。いつも巨悪に立ち向かっているじゃないか」

「どっちかっていうと悪の親玉に取り入る、日和見市民な気がする」

「ひどい。カバチは私のこと、そういう風に見ていたんだ」

「客観的に見てそうでしょう。四菱系列の信奉者って思われてるって。……私もなんだけど」

 

 まったく反論ができない。答えに窮した場合はいきなり怒り出してけむに巻くか、まったく異なる話題を振って話をうやむやにしてしまうにかぎる。

 

「おっと。先生が何かを取り出したぞ」

「どこ」

 

 出任せを言ったつもりが、本当に織斑先生がカバンから封筒を取り出したので面くらった。封筒を受け取った男性が笑みを浮かべており、ねぎらいの言葉をかけているようにも見える。

 

「何言ってるかさっぱりだ。こんなときに鷹月がいれば……」

 

 そう。鷹月がいれば読唇術を駆使して会話の盗み聞きし放題である。残念なことに彼女はしのぎんと一緒にいる。

 男性が席を立つ。礼を言って、ちょうど出口で五反田さんと肩を並べ、そのまま店舗から出て行ってしまった。

 

「先輩方。飲み物です」

「ありがとう」

 

 フタ付きの紙コップを受け取る。私は憂いを帯びた表情で織斑先生を振り返った。先生は頬杖をついてため息を吐く。ストローに口をつけ、もう一度嘆息する。横を向いて窓の外を眺め、再び視線を正面に戻す。カバンから手帳を取り出し、机に広げた。

 

「あの……先輩方。さっきの人。千冬さんの男友達じゃないんですか?」

「それじゃつまんないよ」

 

 兜鉢が本音を告げ、五反田さんがあきれた顔つきになる。

 

「社会人だもの。男の人とお付き合いしててもおかしくないよね、蘭ちゃん」

「兜鉢先輩は無理やり恋愛に持ってくわけですか。ここから千冬さんが見えますけど、恋人を想う視線じゃないと思うんだけどなあ」

「なになに五反田さんは彼氏」

 

 私がからかおうとしたら、五反田さんが眉根をひそめたのであわてて撤回する。

 

「……がいるわけないか。本命がいるもんね」

 

 織斑先生は黙々と手帳に何かを書き殴っている。もしかして恨みつらみをぶつけているとかではないだろうか。

 

「千冬さん、真剣な顔で何か書いてますよ」

「そうだね」

 

 私はあいづちを打った。顔を戻し、正面に座った五反田さんを見つめる。飲み物に口つけた彼女は、私の視線に気づいて急に胡乱な顔つきに浮かべた。

 

「で……先輩こそ付き合った経験は?」

「ないない。私、もてないし」

 

 事実である。軽く笑いながら答えてみたものの、五反田さんが信じたようには見えなかった。

 

「ふうん」

 

 五反田さんが嘆息する。

 男友達が多かっただけだ。年齢を鑑みて社交辞令のように「彼氏さんは?」と聞いてきたのだと思われる。私はそれなりに整った顔立ちらしいので、いてもおかしくないそうだけれど、いないものはしょうがない。

 私はひとりでラテをすすっていた兜鉢を巻き込むことにした。こいつの外見を言葉に例えるなら、ゆるっとふわっとして、それはもう男に好かれそうな体つきだ。それだけにISスーツ映えする。私や五反田さんなどとは大違いなのだ。

 

「カバチさんはいたんじゃないの」

 

 兜鉢は、心ここにあらず、と言わんばかりによそ見していた。急に話を振られてきょとんとする。しばらくして、私の意地悪な顔つきに気づくや顔をそらす。

 

「ないって。まあ……そりゃあ告白されたことならあるけど」

「うっわ。自慢」

「えーちゃん。違うの。あれよ。女子校だったからお約束のって言うか……」

「それこそないと、思いたいんだけど」

「男の子なら小学校のときに何回か。これでもこっちから男の子に告白したことあるし」

「……え?」

「でも、告白だと受け取ってもらえなかったの。当時、わたしの周りの子もそんな感じだったし」

 

 急に顔を赤くする兜鉢を見て演技ではないと感じた。私はコップを置いて最後まで聞くことにした。

 

「誰? 小学校なら話せるんじゃ」

「学区は違ったんだけどね。小学校のとき、地元の大会に出た友達を応援しに……あっ、その子は剣道をやってたんだけど」

 

 私は剣道と聞いて、つい篠ノ之さんを思い浮かべる。全中覇者の古強者だ。小学校の頃から大会にも出慣れていたはず。地元に電話したとき、剣道経験者に箒の話をしたら名前を知っていてびっくりしたくらいだ。

 

「そのとき会った男の子に……ついその場の勢いで……」

「大胆だねえ。もちろん、名前くらいは出せるよね」

 

 すると、五反田さんが私の名前を口にする。

 

「もう、そのくらいで止めてあげませんか」

「五反田さんは誰か知ってるの?」

「知ってますよ。うちの地元じゃあ、その人、わりと有名だし」

「まさか織斑……じゃないよね」

 

 私はすぐさま兜鉢の顔色をうかがった。一瞬目が泳いで、突然アハハハと笑い出した。間違いなく図星である。

 

「先輩は小学校のとき隣の学区だったんです。隣町だけど学区自体は接していたんです」

「……それは悪いことを聞いた」

「いや、いいの。若気の至りっていうか。そんな感じだし」

「あの鈍ちん。小学校の頃からすけこましだったか」

 

 私は大きくうなずいて、五反田さんを見つめる。兜鉢も私にならって後輩と目を合わせた。

 

「な、なんですか先輩方」

「私が提案したプランを実行してみる?」

「……最低ですね」

 

 私は予想通りの言葉と冷たい目線に満足して、兜鉢を見やった。

 

「地元ってことは、その大会に篠ノ之さんも出てたの」

「友達が準決勝で当たって、篠ノ之さんの二本勝ち。篠ノ之さんが転校したときは、『勝ち逃げされた』って怒ってたなあ。まあ、その友達は篠ノ之さんに勝ったことないんだけどね。去年もやっぱり準決勝で負けちゃったし」

 

 兜鉢が一息ついてラテを飲む。

 

「去年? 篠ノ之さんが転校したのって小学校じゃ?」

 

 篠ノ之さん本人から小学校の途中で転校したと聞いている。そうでなければ、ファースト幼なじみ、セカンド幼なじみなんて状態にはならなかったはずだ。

 

「もちろん全国大会。その子、去年、県で個人優勝してるけど」

 

 世間が狭すぎる。織斑の女性関係はともかく、篠ノ之さんの威光が全国に轟いている。IS以外でも彼女は有名人だった。

 

 

 ふと織斑先生を見れば、席から姿を消していた。他愛もない話で盛り上がっていたら見失ってしまったのだ。私はとっさに後ろを振り返り、織斑モドキがまだいることを確かめてほっとする。彼女が動いていないということはつまり、織斑先生はまだ店内にいるということだ。

 

「そろそろ退散したほうがいいんじゃないですか」

 

 五反田さんが時計と織斑先生の席を交互に見比べている。

 

「いや、もうちょっと」

「千冬さんに見つかったら……」

 

 五反田さんが「言わんこっちゃない」と続ける。背後に気配を感じ、恐る恐る顔を戻すと、織斑先生が腕を組んで立っていた。

 

「うげッ」

「千冬さん、お久しぶりです。かれこれ一ヶ月ぶりになりますね」

「どうも」

 

 三者三様の反応だ。織斑先生はあからさまに嫌そうな反応を見せた者に対して鋭い眼光を飛ばす。

 

「見覚えがあると思ったら、お前らか」

 

 私ひとりならば周囲の風景に溶け込むことは造作もないけれど、この場には五反田さんがいる。彼女の赤毛はとても目立つ。私はしどろもどろになってその場を取り繕うとした。

 

「奇遇です。先生っぽい人を見つけたんで気になって追いかけてみたら、まさか本当に先生だったとは」

「わざとらしいぞ、藤原」

「いやもう、勘弁してください。ちょっとした出来心なんです」

 

 私は人を射殺さんばかりの眼光に屈し、早々に白状した。先生の目つきは他人を殴ったことがあるものだ。もしかしたら中学高校では荒れていて、その鬱憤をISにぶつけていたのではないだろうか。

 五反田さんと兜鉢に助けを求めたけれど、前者は冷ややかな視線を送り、後者は苦笑するだけだ。つまり、味方はどこにもいなかった。

 

「つけるならもっと工夫しろ。同じ店に入るとか、なってないぞ」

「……怒ってないんですか。彼氏さんとのデートを見られたこと」

 

 織斑先生が目を丸くした。私が口にした言葉を理解できなかったようだ。

 

「もう一回頼む」

「デートだったんですよね」

 

 織斑先生は頬をかいて、急に相好を崩す。

 

「ハハハっ。そうか、お前らにはあれがデートに見えたのか」

 

 おかしそうに笑う織斑先生に、私は首をかしげた。

 

「違うんですか?」

 

 織斑先生は急に押し黙って真剣な表情を浮かべ、恥ずかしそうに髪をいじり始めた。

 

「うん。私の大事な人だ」

 

 五反田さんがむせ返るのを耳にする。私は目を丸くして、「面白くなってきたぞ」と心のなかでほくそ笑んだ。

 

「どこまで行ってるんですか。あれですか。もちろんあれなんですよね」

「一緒に夜を過ごすくらいなら、な」

 

 来た。大人の関係、というやつだ。私は目を輝かせ、安堵(あんど)のため息をつく。それを見た織斑先生は、あきれたような口ぶりになった。

 

「……お前なあ」

「よかったです。先生が男性に興味があることがわかって」

「ひっかかる発言だな。覚えておくぞ」

「ややや、やだなあ。もう」

 

 再び射抜くような視線を向けられ、私は再びごまかす。あわてる私を見て、織斑先生が急に吹きだした。

 

「冗談だ。あの人とはビジネスの関係だよ。言わば大事な顧客だな」

「うえっ……そうなんですか?」

「ああ。今の仕事に就く前からやってる副業でな……ま、アルバイトみたいなもんだ」

 

 もちろん学校の許可をもらっている、とつけ加える。

 

「副業?」

「かれこれ十年くらい続けている。他言無用だぞ? 波風立てられても困るからな」

 

 しかし、人の口に戸は立てられないのだ。私は言いたくてうずうずしていた。

 

「もしも口にしたら岩崎と姉崎に申し送りしておく。いいな」

「……言いませんよ」

「私は約束を守る子が好きだぞ」

 

 言ったら容赦しない、と暗に口にしていた。織斑先生の副業は他人様に言えないことなのか……と、私は思わず身震いする。織斑先生はなぜか顔を赤らめている五反田さんと、素知らぬ顔で聞き耳を立てていた兜鉢を見るや同じように釘を刺す。

 

「五反田さん、どうしたの?」

 

 不審な反応だ。普通は震え上がるものだけれど、彼女は何か知っているのか、私と目を合わせようとしない。

 話が途切れたところで織斑先生が踵を返した。

 

「門限は守れよ」

 

 捨て台詞を残して去ろうとする、ちょうどそのとき。背後から荒々しく席を立つ音。織斑モドキが先生の前に立ちふさがった。

 

「お前はっ……」

 

 織斑先生はひどくうろたえていた。動揺する先生の姿を初めて見た気がする。

 

「久しぶりです。千冬お」

 

 彼女が放った言葉は、織斑先生の胸を鋭く貫いた。

 

「――さん」

 

 織斑先生はこれ以上動揺を悟られまい、と慇懃(いんぎん)な笑みを浮かべる。彼女は何を言っているのか。内心ではひどくあわてているはずだ。

 

「聞こえなかった?」

 

 思わず、織斑先生が吐血する妄想をしてしまった。私は先生を擁護しようとしたけれど、それを言ってしまえば織斑モドキの言葉を認めてしまう。だから絶対に口にしてはいけなかった。先生はまだ二十代前半なのだから。

 

「もしかして私のことを忘れたの? マドカですよ。()()()()()()

 

 織斑モドキは不敵な笑みをたたえていた。

 

 

 



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★21 もちろんポロリもある

 もうやめてあげて。

 織斑モドキはしきりに()()()()なる言葉を連呼していた。

 

「マドカ」

「何ですか。おばさん」

「お前とは九つしか違わないんだ。せめてお姉さんと呼べ。千冬姉でもいい」

 

 織斑先生は苦し紛れに言葉を紡いだけれど片頬が引きつり、こめかみに青筋を立てている。

 

「そもそも、何でこんなところにいるんだ。お前の身柄は()()()()が預かってるんじゃ」

「研修に来た子と遊びに来たんですよー。日本って今、連休なんでしょう?」

 

 確かに黄金週間ならば遊んで当然だろう。私がここにいるのも遊びの一貫なのだから。

 

「首都まで行けば……」

「ここで何でもそろっちゃうので、わざわざ行かなくてもいいかなーって」

 

 織斑先生は急に左右に目配せする。誰かを探しているつもりらしい。

 

「巻紙は……お目付役は何をやっているんだ」

「週休五日制で、ちょうど今日はお休み。おばさんと違って恋人がいるみたいだから、デートでもしてるんじゃないですか?」

 

 織斑モドキと織斑先生の間にどんな確執があったかは知らない。当てつけのように入り込むキーワードに、先生は息も絶え絶えになっていた。

 私はおずおずと立ち上がって、織斑先生に声をかける。

 

「あのー。どういったご関係ですか? 織斑先生のご親戚とか、よく似ていらして」

 

 織斑先生は黙りこみ、言いにくそうに表情を曇らせてしまった。私は質問が良くなかった、とすぐに思い直した。せめて知りあいとすれば角が立つことはなかっただろう。国際IS委員会が発行している公式記録によれば、先生には親戚がいないことになっているのだ。

 

「こいつは、親戚なんだが……そうじゃない」

「言ってること、矛盾してます」

 

 織斑先生がうなずく。私はマドカと名乗る織斑モドキの顔をじっと見つめる。本当によく似ていて、先生を幼くした感じなのだ。織斑そっくりだと思ったのは当然だろう。

 織斑モドキはひとりで得体の知れない笑みを浮かべている。

 

「ちょっと老けましたよね。三年ぶり……いえ、前回のモンド・グロッソ以来でしたか」

「老けてない。まだ二十四だぞ。私は」

「苦労されていると言ったら?」

 

 織斑先生が顔を伏せて舌打ちする。

 複雑な関係。私の見たところふたりの間には得も言われぬ退廃的な雰囲気が漂っている。織斑先生はすねに傷を受けたような顔つきで、先ほどからずっと私や五反田さんらの視線を気にしている。

 織斑先生が突然せき払いしたかと思えば、私の耳元まで口を近づける。

 

「あまり言いたくないんだが……」

「む、無理しなくとも」

「実家は人間関係が複雑でな。私の実父は()()なんだ」

 

 今、何と言ったのか。

 

「意味がわかりません」

「わからなくていい。アレはイトコの娘に当たる」

「だったら思いっきり親戚じゃないですか。何でまた。いないなんて」

「納得したらすぐ忘れろ。いいな」

 

 衝撃の告白である。織斑先生は小声で「遺伝子的には、い……いや、こじれるだけだな……本当ならハトコのはずなんだが」とつぶやいたので、私は必死に親等を数える。ほどなくして、ある事実に気づいた。

 織斑モドキの言い分に従えば、織斑一夏は()()()()()()になる。

 

「じゃ、じゃあ……織斑は?」

 

 先生は黙りこんでしまった。

 何が何やら分からなくなってくる。私はとっさに先生の言葉を受けいれ保身に走っていた。忘れよう。今耳にしたことは悪質な冗談だと。

 

「そうそう。先日送って頂いたサイン本。ありがとうございました。何でも重版出来(じゅうはんしゅったい)だとか」

 

 織斑先生が暗い表情を浮かべたのを察して、織斑モドキが話題を切り替えた。

 きわどい話題だったのか、織斑先生の目が丸くなる。すぐに平静を取り戻し、得意げに「まあな」とだけ告げた。

 私にはふたりが何を話題にしているのかよくわかっておらず、情報を持っていそうな五反田さんに顔を向けた。

 

「ところで、サイン本って?」

 

 五反田さんの目が泳ぐ。大きな書店に行くと、新刊を買って作家本人にサインしてもらうイベントが時々開催されている。ハードカバーだと一冊千数百円になることから、学生の身にはつらいけれど、普段マンガしか読まない私にはとっては縁もゆかりもない話だった。

 言いにくそうにする五反田さん。私のチキンハートが無言の圧力を感じたものと錯覚して、思わず振り返ってしまった。

 織斑モドキが織斑先生に腕を絡めて意地の悪そうな笑みを浮かべている。顔立ちがそっくりなので姉妹にしか見えないけれど、織斑先生は心底嫌そうな顔つきだった。

 再び五反田さんを見やり、私はしつこく食い下がろうとした。

 

「教えてくれるとうれしいんだけど」

 

 しかし、五反田さんは首を横に振るばかりで頑として口を開こうとはしなかった。

 私はあっさりと話題を打ち切る。織斑先生に釘を刺されたばかりで、欲をかいてもろくなことにならないとわかっていたからだ。

 

 

 マドカさん、とセシリア嬢が呼ぶ声がした。

 私は傍観を決め込んでいた兜鉢と、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた五反田さんから離れ、声の主を探して辺りを見回す。セシリア嬢らしき人物を見つけ、ふらふらと近づいていった。

 

「セシリアさんったら、三文小説以下なんて酷評したくせに。からかうつもりならそう言ってよね」

 

 お色直しのつもりだろうか。水兵から黒いワンピースに様変わりしていた。豊かな金髪に縦ロールがないのが気になったけれどウィッグをつけてしまえば分からなくなる。それに私は一目見てセシリア嬢に違いない、と確信していたのだ。

 言いくるめてやろう。私は性悪女のつもりで彼女の手を取る。そのまま路地に入って電信柱の影に連れ込んでいた。

 

「あの……どなた」

 

 セシリア嬢はあくまでしらを切るつもりらしい。上げ底ハイヒールに胸に詰め物までして、私の妄言を再現してきたのだ。彼女の茶目っ気に感心していた。

 

「わたくしはマドカを探していて……あなたとは初対面なのですけれど」

「まったまたー」

 

 私は本気だとは受け取らなかった。鷹月が潜んでいそうな場所や街の防犯カメラに向けて目を走らせる。悪いことをするつもりはない。ちょっとお話をするだけである。

 

「いくら子犬ちゃん並だって言ったからって、そのまま再現するとか……うわっ」

 

 私の手が彼女の胸元に吸い込まれる。重量感が本物らしさを演出しており、セシリア嬢の本気を見てうれしさがこみ上げる。中身はシリコンジェル入りの発泡素材だろうか。肌に付けることで熱が伝わり、人肌と感触を再現するというものだ。……それにしては、十代らしく少し硬い。限りなく本物に近かった。

 セシリア嬢から冷ややかな視線を向けられている。私は冗談はほどほどにと思って、すぐに手を離した。

 

「こんな短時間に何を仕込んだの」

「仕込んだりなんか……していませんわ!」

 

 セシリア嬢が声を震わせる。私の手をピシャリと払って、長身を利用して上から憎々しげににらみ付けてきた。

 

「失礼な人! 日本の方はみんな親切だと思っていましたのに」

 

 本当に怒っているようにしか見えなかった。とても演技に見えなかったので、ふと心配になってセシリア嬢にたずねる。

 

「ええっと……セシリア・オルコット、だよね?」

「人違いですわ」

 

 彼女はカバンの中からパスポートを取り出し、私の目の前で広げてみせる。

 

ケイトリン(Kaitlyn)アクトロット(Actlot)

 

 紛らわしいことにイギリス国籍である。

 頭の中が真っ白になった。はた目から見たら、見知らぬ外人さんの胸回りのまさぐった変態さんである。私は言い逃れできないと思い、とっさに踵を返した。

 

「逃がしません!」

 

 手首をつかまれる。意外と力が強い。

 

「痴漢の現行犯……この場合は痴女ですか。白昼堂々と犯行におよぶとは世も末ですわね」

「違うんです。友達と勘違いしただけなんです」

 

 私はセシリア嬢のそっくりさんに手首を引っ張られ、織斑モドキの前に戻ってきてしまった。

 

「探しましたわよ。マドカさん」

 

 セシリア嬢のそっくりさんは織斑モドキの名を呼んだ。私の手首をしっかりと握りしめたまま、織斑先生と織斑モドキの前に仁王立ちする。織斑先生はセシリア嬢のそっくりさんを見て、ぽかんと口を開けてしまった。

 

「オルコット? ……にしては背と胸がでかすぎる」

「さっきからそればっかり」

「……先生。その人、セシリアさんじゃないですよ。そっくりなだけで」

 

 私はケイトリンさんに同意する。顔の造りや声、そしてしぐさまでセシリア嬢と瓜二つなので間違えるのは致し方ないだろう。織斑先生の言うとおり、背と胸を大きくしただけなのだ。

 

「藤原。お前、何かやったのか」

「あら、あなた。フジワラと言いますの。下の名前は?」

「い、言うもんか」

 

 言ったら名前を覚えられ、この先ずっと見えない所で陰口をたたかれる。ヘタを打ってネット上に名前が載ってしまえばそれこそ人生が終わったも同然だ。

 

「言ってくれたら今回のことは水に流しますわ。わたくし、約束を守る女ですから」

「先生、そんな目で見ないで。ちょっとした不幸な勘違いがあったんです。本当なんです」

「悪いことをした方はみんなそう仰いますの。さあ行きましょうか。さっき交番を見ましたの。本職の方に口を割ってもらいましょう」

 

 ケイトリンさんが力強く腕を引っ張る。同性へのいかがわしい行為で補導される。さらし者にされるのは嫌だと思い、私は渋々本名を口にした。

 

「藤原絵馬です。許してください。もうしません。ごめんなさい」

「素直でよろしい」

 

 ケイトリンさんは律義に手を離した。ほっとしたのもつかの間、今度は織斑先生が私の手首をつかんだ。

 

「何をやったんだ。事と次第によっては説教しなくてはならんぞ」

「だから不幸な勘違いなんです……」

 

 私は力なく首を垂らす。ケイトリンさんの胸をまさぐった経緯を説明し、情状酌量の余地があることを主張するつもりでいた。

 

 

 翌日。プールを見渡せば、ちらほらと部外者がいる。織斑モドキが更識先輩と水上騎馬戦に興じており、保護者がさも不服そうに唇を尖らせているのが見えた。

 

「学校見学なんだって」

 

 (ケイ)が横で簡単に説明してから、プールに飛びこんだ。私は昨日織斑先生に説教され、寮に帰ってからふて寝したのでその後の経緯をよく知らない。分かっていることは織斑モドキの本名が織斑マドカであること。驚いたことに同い年でかつ織斑と同じ誕生日ということだ。後はISのテストパイロットをやっている、と本人がうそぶいていたのを聞いたくらいだろう。本当かどうか定かではなかった。

 ほかにも防水の名刺を配って回る企業の人がいる。私も名刺をもらったので、手元に目を落とせば〈株式会社みつるぎ渉外担当 巻紙礼子〉と書かれている。ラファール社の製品保守業務やタスク社の総代理店として国内で知名度がある……と、巻紙さんは話していた。私は最近業界に入ったのでとんとこの手の話題に疎く、相づちを打っていたにすぎない。(ケイ)が知っていたのでそれなりに有名な所だと思う。

 巻紙さんは水着姿の織斑先生とふたりして白いデッキチェアに寝そべっている。双方とも日本人離れした体つきのせいか、ここは本当に学校なのかと疑いたくなったほどだ。

 私は暇つぶしに来たダリルさんと鷹月にはさまれながら、ふたりの会話に聞き耳を立てる。織斑先生の密かな交友関係がうっかり白日の下にさらされるのではないか、性懲りもなく期待していたのである。

 巻紙さんがパーカーの胸ポケットからタバコらしき箱を取り出す。タバコ税が高騰する昨今、未だ二箱で四百円台を維持している若葉マークが目に入った。

 

「学園内は禁煙だ」

 

 織斑先生が目ざとく注意する。巻紙さんは無視してタバコを歯で加えながら、軽く笑って見せた。

 

「お菓子のシガレットだよ。五十円くらいで買えるやつさ」

「そんな甘いだけの菓子、よく食えるな。前に会ったとき、ダイエットとか言ってなかったか」

「ハッ。んなもん、しねえよ。普通に食って動いてこの体形だが、ああん?」

 

 織斑先生の指先が、巻上さんの唇に触れる。

 

「おい。食いかけだっての」

「ここは食事禁止だ。吐かれたらたまらん」

「けっ」

 

 巻紙さんは名刺を配布していたときとは打って変わって、べらんめえ調でしゃべる。おそらくこちらが素と思われ、織斑先生が荒れていた頃のご友人なのだろうか。

 織斑先生がプールを見やり、織斑モドキへ複雑な視線を向けていた。

 

「貴様のところは調子どうだ。タスクの警備保障に出向するとか言ってなかったか」

「……いつの話だよ」

「三年前。第二回モンド・グロッソ」

 

 その言葉を聞きつけ、巻紙さんは髪の毛をいじりだす。

 

「研修込みで二年。あんまりいい思い出はねえよ。ま、出会いが会ったのは認めるが」

「出会い?」

 

 巻紙さんが照れくさそうにはにかむ。どちらかといえば織斑先生と同じく凛とした風貌が、ひとりの女の顔に変化した。

 

「私の知ってるやつか」

 

 織斑先生が巻紙さんの顔をのぞき込む。少し困ったように笑みを浮かべて、深くうなずいた。

 

「……スコール・ミューゼル」

「からかうのもいい加減にしろ」

 

 あいつは女だ、と鷹月が解説する。織斑先生の唇の動きを読んだのである。

 巻紙さんは円を描くように忙しなく指先を動かしている。

 

「あんたこそ、ついぞ浮いた話を聞いたことがねえ。未だ乳離れできねえガキ(一夏)のお守りかと思ったが、もしやあの腐れ外道に義理立てしてんのか」

「まさか。お前みたいに女に走ったやつに言われたくないな」

「話ついでに言うが、あの腐れ外道。知らないうちにガキをこさえてやがったぞ」

「ガキって……ちょっと待てえ! 聞いてないぞ!」

 

 突然の大声に私や鷹月、ダリルさんが先生の顔を凝視する。私はチラとプールを見やったけれど織斑モドキや更識先輩が激しく動き回っていて、声に気づいた様子はなかった。

 

「あれ。聞いてなかったか……あっちゃあ」

 

 巻紙さんが額に手を当て、ばつの悪そうな表情を浮かべる。

 織斑先生は巻紙さんの両肩をつかんで激しく揺らした。

 

「その話、どこで」

「腐れ外道んとこがタスクにISを一機ばかり納品したんだよ。いずれ保守せにゃならんってことで、社長に背中蹴っ飛ばされてあいさつがてら見学に行ったら、珍しく腐れ外道本人が私兵を引き連れて説明に来てやがった。で、若い秘書がいたもんだから、名刺を配ったらあんの腐れ外道。『娘です』って写真を取りだして自慢しやがった」

 

 織斑先生が「ぶはっ」と音をたてて盛大にむせ返った。

 

「何にも聞いてない。男の影すらなかったんだぞ。『ちーちゃんが結婚したらいっくんをちょーだい』なんて言ってたやつが……んだとおおお!?」

 

 再びむせてゴホゴホ言っている。織斑先生の顔が驚愕に満ちており、この場に携帯端末があればぜひ写真を撮って残しておきたいくらいだ。

 

「……本当に聞いてなかった?」

 

 巻紙さんが心配になって聞く。何度も首を縦に振る織斑先生に、頬をかきながらわざとらしく苦笑してみせる。

 

「っかしいなあ」

「今晩、飲みに……その辺をもっと詳しく聞かせてもらう」

 

 するとプールの中が急に騒がしくなる。私が横を向くと、更識先輩が誇らしげに腕を突き上げている。濡れた赤いはちまきを手にしており、織斑モドキが悔しそうな顔をしていた。

 数分後、織斑モドキがプールから上がる。キャップを取ると、玉の肌に水が滴った。

 

「巻紙。ここの設備最高。いっそIS学園に転入手続きしたいくらい」

 

 織斑先生は無二の親友に先を越されてしまい、早期の立ち直りが困難なほどショックを受けたと見える。その証拠に巻紙さんが織斑先生の背中をさすっている。

 織斑モドキの無神経な声が響いた。

 

「ねえ、いいでしょ。千冬おばさん。一夏もいるし」

「だめだ。その手の話は会社と相談してからにしろ。私に決定権はない」

 

 

 私は更識先輩にゴマを擦るべく、プールから上がったばかりのところをねらって駆け寄っていた。

 ちょうど織斑モドキの騎馬を担当していた子犬ちゃんもプールサイドにいたので、競泳水着姿の彼女に声をかけた。

 

「さっきは惜しかったねえ」

 

 軽くうなずく子犬ちゃん。口を開いたので耳を澄ませば「疲れた」と言っているのがわかる。彼女は更識さんに輪を掛けて声が小さく、ぼそぼそとしゃべるのが特徴である。

 更識先輩が子犬ちゃんの側に来たので、私は取り巻きのなかに混ざって「かっこよかったです」と声をかけていた。少しでも心証を良くしたい。私はその一心で黄色い声をあげる。

 後ろを振り向くと鷹月とダリルさんが二三、言葉を交わすのが見える。再び前を向いたとき、子犬ちゃんが集団のなかに飲み込まれてしまった。小さな体を動かして集団から抜け出そうとしている。彼女の怯えた瞳を目にして、私は注意深く周囲を見回した。

 

「更識先輩?」

 

 群れの中心で更識先輩が立ちつくしている。先輩は好みの愛玩動物を目にしたかのようにうっとりとして、幸福感で満たされたような表情を浮かべていた。私は、その表情を過去に見たことがある。比較的最近のことで、偶然視界に入った布仏さんを見て「あっ」と声を上げてしまった。

 更識先輩の顔をすかさず凝視する。取り巻きと思しき二年生が「なんだこの可愛い生き物は……」と口々につぶやいている。プールサイドの一角が妙な雰囲気になってきており、私は戸惑いを隠せずにはいられなかった。

 更識先輩が子犬ちゃんの肩に手を伸ばしたけれど、セシリア嬢によってはばまれてしまった。昨日、私が粗相をしてしまったケイトリンさんと比べてこぢんまりとした体つきではあるけれど、十五歳だと考えればとても均整が取れていると考えて良い。もしセシリア嬢の背が伸びて、胸が大きくなればケイトリンさんみたいになるのだ。私はその気がないとはいえ、胸を揉んだら大きくなる、とかいう迷信を実行してみたくなった。

 

「生徒会で飼って……もとい、あなた生徒会に来ない? 今なら副会長が空いているわよ」

「……っ!」

「だめだよ。ミコちゃんは私が持って帰るんだから!」

 

 何だか雲行きが怪しくなってきた。ちなみに「ミコちゃん」というのは子犬ちゃんの本名から来ている。両神水琴だからミコちゃんである。

 誰かが手を引いて、子犬ちゃんを群れから脱出させた。見れば、緑色のビキニの上にパレオをかぶせた黛先輩の姿。血迷ってはいないと思いきや、先輩の目つきもどこかおかしいのだ。だが、完全には理性を狂わされてはおらず、更識先輩と布仏さんの防波堤になっている。

 私は一歩引いて、彼女たちの狂騒を眺めようとした。ふと柔らかいものが頭に当たる。あごをしゃくって背後を顧みれば、ダリルさんの褐色の肌があった。

 

「混ざらないんですか?」

 

 ダリルさんはこういったお祭り騒ぎが好きそうな手合いだ。もちろん私の勝手な決めつけである。

 

「ああいうのは混ざったらダメなのさ。他人様が羽目を外す様を眺めるのが楽しいんだわ」

「……澄まし顔で寄りかからないでください」

「どーして。いーじゃない。減るもんじゃなし」

「さりげなく胸元を強調されても、私……男じゃないんで嫉妬と殺意しかわきません」

 

 私は助けを求めるように灰色の瞳の美人さん(サファイア先輩)のほうへ顔を向ける。気づいていないようだ。次は、鷹月だ。やはり明後日の方角を向いて、私に気づいた素振りはない。

 仕方なくダリルさんを引きはがそうと冷たくあしらうことに決めた。

 

「女の子ならたくさんいるじゃないですか。しのぎんなんてどうです。身長や体形もほぼ一緒ですよ」

「えー。小柄は案外ごついし、勝ち気そうなところがマイナス。えーちゃんみたいに面白くないし」

「何言ってるんですか。私なんて面白くないですよ」

「まさか。冗談で言ってるんだろ?」

 

 もしかしてこの人、私をバカだと思っているのではないか。

 

「見ていて飽きないんだったら……からかうもんだとばかり」

「今の本音……」

「おっといけない。うっかりしてたわ」

 

 ダリルさんが白い歯を見せて笑い出す。私はむっとして見せたけれど、ダリルさんにはまったく気にした素振りがない。狐につままれたような気分になってきたところ、誰かが私の肩をたたく。

 

「サファイア先輩。この人、持って帰ってください……ってアレ」

 

 横向く私に、サファイア先輩がある一点を見つめて指さした。黛先輩とセシリア嬢の影で怯える子犬ちゃん。彼女に迫ろうとする更識先輩と布仏さん、その他である。指先が示す場所をじっと見つめる。

 

「何を……あ」

 

 そもそも競泳水着風のワンピースだから、胸がはだけるなんてことは決してあり得ない。けれど、見えているものはしょうがない。

 

「オカシイ。ビキニなんか着てなかった……」

 

 なになに、とダリルさんも興味本位で便乗する。鷹月も好奇心丸出しで集まってきた。

 

「変態」

 

 情け容赦ない一言だ。肩先が完全に透明になり、胸元が半透明になってしまっている更識先輩を見て、鷹月は率直な感想を述べる。半裸の女の人に迫られたら、それはもう怖いに違いない。私は、道理で子犬ちゃんが怯えた顔を浮かべるわけだと納得する。

 

「誰か教えてあげないんですか?」

 

 鷹月が先輩方の顔を見回す。ダリルさんとサファイア先輩は首をかしげて、むしろ何でそんな質問をするんだと言わんばかりだ。上級生が役に立たないと見切りを付けた彼女は、私を見つめ、両肩に手を置いた。

 

「自分でやんないの」

 

 今の振りからして、先輩の静止を顧みることなく水を差しにいくものとばかり思っていた。鷹月の他力本願振りに開いた口がふさがらない。

 私は頼みの綱の織斑先生を見て、すぐさま役に立たないと感じ取った。巻紙さんと話し込んでおり、しきりに独り身を嘆いている。仕方なく本来の責任者に目をやる。読書家を決め込むお姉さんに泣きつくしかなかったのである。

 私は力なく落ち込んだ織斑先生の前を横切った。デッキチェアの上で体育座りをしてみせる姿に少しだけ驚きながらも、今そこにある危機から脱せねばならないという使命感が、失意の女教師を無視させるに至らしめた。

 

「五郎丸さん。五郎丸さん」

 

 姉崎似のお姉さんが顔をあげた。私の顔を目にするや「何かあったのか」と問いかけてくる。

 

「緊急の用件です。アレを見てください」

「……痴女がいます」

 

 鷹月が余計な一言をつけ加える。本当は状況を楽しんでいるのではないだろうか。いや、そうに違いない。

 Tシャツにハーフパンツという出で立ちの五郎丸さんは、私の深刻そうな表情を見つめ、鷹月の茶々を無視してくれた。

 

「ええっと……うん」

 

 どうやら納得したようだ。すぐさまくたびれた文庫本を閉じ、立ち上がる。すらっと背が高く、ほぼ素顔なのに色気がある。元の顔立ちからして男を引き寄せる何かがあるのだろう。

 私たちは彼女の後に続いた。

 

 

 なぜ誰も指摘しないのか。

 私は全員の視線が子犬ちゃんに向かっているからだと結論づける。神棚に飾っておきたくなるくらい可愛いのはよくわかる。

 水に濡れたから魔性が強化されているに違いない。当てずっぽうだけれど私のなかでは確信に満ちていた。残念ながら鷹月相手に意見を表明しても一蹴されるのがオチだ。彼女はセシリア嬢に負けず劣らずの現実主義者なので黙っておくに越したことはない。

 

「お嬢様」

 

 五郎丸さんが人混みに割って入る。背が高いから頭ひとつ飛び抜けてよく目立つ。私も体を差し入れた。

 更識先輩は五郎丸さんを見て、少し間をおいて私にも気がついた。

 

「今、取り込み中だから後にして」

「緊急の用件なので」

 

 五郎丸さんが真剣な瞳に、更識先輩が手を止めて大きく息を吐いた。

 

「続けなさい」

「では……とても申しあげにくいことなのですが、お嬢様の玉のお肌が露わになっております」

「嘘おっしゃい」

 

 本当に気づいていないのだろう。更識先輩は首をかしげて、五郎丸さんを凝視する。

 

「それはもう、ばっちりと。こんな童話があります。裸の王様。下を見ると不幸になります」

 

 楯無は怪訝な顔をして顎を目一杯引いた。私の位置からでも目が点になって、顔が青ざめていくのがわかる。

 

「もしかしてそういう趣味……」

 

 思わず口に出してしまった。先ほどから鷹月が変態とか痴女とか連呼するものだから、口が軽くなっていたのだ。ゴマをすった意味が無くなると危機感を抱いて、わざとらしくすっとぼける。

 

「違う! さっきまで水着を着ていたはずなのに、どうして!」

 

 私は原因究明のつもりで聞いてみた。

 

 

「騎馬戦までは付けていましたよね。競泳水着風のワンピース」

「つけてたわよ! 今もこうして着けてるの。ホントだって!」

 

 五郎丸さんの「裸の王様」発言は言い得て妙である。へその辺りまで透けている状況で、水着を着用していると発言されても対応に困ってしまう。

 

「それって、自分にしか見えない水着じゃなくて」

 

 鷹月が背後に立って私の口まねをした。更識先輩は首を激しく振って鋭い一撃から逃れようとする。

 

「本当のところ、教えてください」

 

 今度は私の発言だ。鷹月がさりげなくタオルを献上している。用意のよさに呆れながらもしっかりと点数を稼いだ彼女をにらみつけた。鷹月はしれっとした様子で「そこの親切な人から」と手を振る織斑モドキに目礼する。

 サファイア先輩がゆっくり歩み寄る。あわててタオルを巻きつける同級生に、残念そうな視線を投げかけた。

 ぼそぼそと釈明を始めた先輩の声を聞き取ろうと、私と五郎丸さんが顔を近づける。

 

「本当はISスーツなの。光学迷彩機能を使えば水着にもできますよってうたい文句の。四菱ケミカルからぜひ試してくださいって言われてたし、ずっと忙しくて水着を買いにいけなかったから……」

「私か(まもる)に言ってくれたらすべて完璧にそろえましたのに。布仏に言いにくいなら、直接連絡を取って頂けたらいくらでも……なんなら乙子様のコネでデザイナーズモデルを用意することも」

「子犬ちゃんに裸で迫るのは正直どうかと思いました。子犬ちゃんの魔性にやられたのはわかりますが、そういうのはせめて風呂場でやってください」

 

 私は率直な気持ちを口にして、さりげなく布仏さんを見つめる。モノトーンのワンピースだが胸元が少しきつそうだった。

 

「え、えーちゃん。どうして私を見るの~」

「前科があるし。さっきも無理やり迫ってたし……」

「ミコちゃんを見てるとほわーんとして、とろ~んな気分になってくるんだよ。不可抗力だから止めらんないよ~」

 

 視野の裾で、セシリア嬢が布仏さんを擁護するように力強くうなずく。

 近くにいた黛先輩が舌を出して申し訳なさそうに苦笑した。

 

「両神さんと一緒にいると変な気分になるから近づきたくなかったんだけど……更識さんを、生徒会長を責めないであげて!」

 

 更識先輩がISスーツだと言ったのが妙に引っかかった。私はこっそり耳打ちする。

 

「更識先輩、その水着、もといISスーツって四菱ケミカル、ですか? この前、私も新しいのをもらったんですけど」

「その通りよ……後で文句言わなきゃ」

「その苦情。私が書きましょうか」

 

 顔を離すと、更識先輩が私を見て首をかしげる。他人の苦情を代筆する意味がわからない。更識さんは親切心の裏を探ろうと眉根をひそめた。

 私は説明が必要だと思って、もう一度耳元に口を近づける。

 

「忘れたんですか。あの人、四菱ケミカルに顔が利くって」

「恩を売る気……いや、あいつならあり得る!」

 

 うっかり四菱のご令嬢の耳に入るなんてことがあるかもしれない。大企業ならば顧客情報をしっかり管理するはずだから、漏洩の可能性は限りなく低いけれど「あの人ならやりかねない」という共通の先入観があった。

 

「この後すぐにでも」

「……た、頼むわ」

 

 更識先輩はわずかに逡巡していたけれど、確信めいた顔つきで交渉成立の握手を求めてきた。

 

 

 




21話目にしてようやく本名が出る。これぞモブクオリティ。


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クラス対抗戦とその道程2
★22 消えたチョコレート


ご無沙汰しております。


●   1

 

 妙ちきりんな風体の美女が手帳を捲っては、蛇がのたくったような図形を描いている。難しい顔した守衛さんに向かって片言交じりの日本語で話していたのだが、意図がどうも伝わっていないようだった。

 

「ワガハイハ・タバネサン・ダ。ナマエハ・マダ・ナイ」

 

 遠巻きに眺めていた私は、喉元まで出かかった言葉を無理やり呑みこまねばならなかった。

 

「ワガハイニハ・ココヲ・トオルケンリ・ガ・アル。ナゼナラバ・ワガハイハ・コノガクエン・ヲ・シンリャクシニキタ・ノダ。クリカエス・ワガハイ」

 

 守衛さんが言い終えぬうちに女の首根っこをつかんで門から閉め出した。

 彼女はすかさず柵にしがみつく。抵抗を試み、うつろな表情に緩慢な仕草で腕を突き出すと、振りかえって私に向けて何度も手を振ってくる。

 守衛さんと目が合い、胡乱な視線が突き刺さった。

 私は浅学非才の身であるためか、小賢しく立ち回ろうとする浅はかな性分の持ち主であった。

 今から実行することが正しいと思いこんでしまったのだ。

 美女のすがたかたちにある人物の面影を見いだしてしまい、腹の中で計算する。

 紙袋を腕にひっさげていたので、おやつ代わりに買ってきたオレンジを引っ張り出した。

 

「どうしたのかなあ。元気にしてた? 久しぶりだねー。ちょっとこっちに来てよー」

 

 普段はこんな口調ではないのだけれど、守衛さんが無線に向かって「不審者発見、排除しますか?」なんて物騒なことをつぶやいたので一刻を争わねばならなかった。

 私はなれなれしく彼女の肩に手をまわし、掌を重ねてから柵から遠ざける。

 そして近くの公園まで連れだした。

 

「……ええっと、あの、学園に何か用なんですか?」

「シンリャク・シニキタ」

「侵略? ご出身は何星?」

「ケサワ・ノ・ヒガシ・デアル。タバネサン・ハ・テンサイ・ナノダ」

「ケサワノヒガシ? どう書くんですか」

 

 女は落ちていた棒を拾い、地面に字を書く。何とか最初の文字だけは読めた。

 

「毛……そうなんですね」

 

 思わず間抜けな返事をしてしまった。

 

「で、そのこころは」

「ショウダン・ダ。ジマン・シニキタ」

 

 女は頑として卓上扇風機を離さなかった。何も持っていない方の手をかざし、投影モニターを出現させる。あっけにとらているうちにショッキングピンク色のバイクがひとりでに近づいてきた。

 私は美女……を凝視してしまった。

 この(ひと)、やっぱりお顔が美しい。真っ先に「美人」という言葉を思い浮かべる。体は案外ムチムチで、もしも私がオトコだったら、その場で暗がりに誘ってイケないことをしてみよう……などという妄想をするに違いない。目元に隈が浮いているのが玉に瑕だけれど、アイラインの一種なのだろう。

 

「あのう……学園の誰かとアポを取ってるんですか」

 

 女の口から大きなため息が漏れた。

 

「ちーちゃん……あッ……オリムラ・チフユ・ダ」

 

 間抜けにも素を出してしまったようだ。

 

「日本語いけるじゃないですかー」

「キミ・ハ・ガクエン・ノ・セイトダナ。オリムラ・チフユ・ヲ・シッテイルカ」

 

 織斑千冬は担任である。私は言おうか言うまいか逡巡した。だが、後頭部のあたりからガッシャン、という破滅的な音が聞こえて遮られてしまった。

 地面に押し倒された私は、口に入った砂をはき出そうと試みた。そうこうしているうちに意識がはっきりしてきたので、こっそりまぶたを開ける。

 自称侵略者も昏倒し、砂だらけになった顔を見てたちまち状況を理解してしまった。

 

 ——私たちは誘拐されたのだ。

 

●   2

 

 黄金週間が終わった。

 織斑特訓の試みは半ば成功し、半ば失敗しつつあった。織斑が一度教えたことは忘れない、という天才肌だとわかり、ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、四組代表がこっそり見せつけた超絶技巧に一組全員が真っ青になった。

 ボソボソと現役日本代表の猿まねだと説明していたが、何をまねしたのかがさっぱりわからないと来ている。

 なので、小狡く浅知恵を弄した。

 当初の予定通り、織斑には試合度胸をつけさせる。

 加えて、凰さんにかかっているであろうカッコイイフィルターを最大限利用しようというものだ。鉄帽をかぶって突撃すれば縦深陣地を突破できる、と説明したのだが、いつもぶつぶつ冗談を口にしているくせに、このときにかぎってはポカンと惚けてきたのだ。セシリア嬢ですら理解を示してくれたのに! ……口を押さえて笑いをこらえる姿に、恥ずかしさのあまり死にたくなったけれど。

 その後叔父からメールが来た。近々ちゃらんぽらんな上司が出張するので面倒かけるかもしれないけどゴメンネ、と記されている。追伸にはヨーロッパでいろいろ面白そうな土産をいっぱい送るから許して、とあった。本人受け取り限定サービスを利用したために届いたときにはタイミング悪く、私は部屋を空けていた。不在者通知表片手にしばらく悩む。ちゃらんぽらんな叔父がちゃらんぽらんだと断言するような人物に関わりたくない。が、気がついたときには叔父から贈られた土産のひとつ、1箱1万オーバーの高級ベルギーチョコレートが胃の中で跡形もなく薄靄(うすもや)同然になっていたのである。

 高価なお菓子はおいしい。テレビゲームをするために実家へ帰省する叔父から学んだ真理だ。私は叔父に餌付けされていた。いつか面倒なことを肩代わりさせるつもりで、せっせと胃袋に奉仕していたらしい。もちろん勝手な憶測なのは言うまでもない。

 自称侵略者と出会ってしまったのは、高級ベルギーチョコレートの存在を知っていたがために単独行動に出た帰りだった。出向いたついでに美濃紙を貼った高級桐箱を処分して証拠隠滅し、スーパーに寄って食材(お菓子)と果物を買っていった。現金なルームメイトの目をごまかすための見せ餌である。子犬ちゃんに餌を進呈し、彼女を側に置いておけばセシリア嬢と布仏さんが守護騎士になる。私など足もとに及ばぬほど浅ましい鷹月静寐の口をも封じることができる。

 完璧な計画だ。私はほくそえんだ。

 だからこそ、罰があたったのかもしれない。お顔の美しさに目がくらんで自称侵略者なんかに声をかけるんじゃなかった。

 

 

●   3

 

 微睡みながら眼が覚めた。身じろぎしてから体を起こすと、濡れタオルがベッド脇に落下した。

 タオルには紫色で「(株)みつるぎ」と染め抜かれている。連絡先が記してあったので、本気で電話しようと懐を探ってみた。携帯端末を見つけたまではよかったものの、蜘蛛の巣を張ったかのような画面に変わり果てていた。

 

「うわっ。うんともすんとも言わない」

 

 泣きたい気分になる。携帯が壊れてしまったのだ。

 失意を紛らわせようと室内を歩き回る。隣のベッドには自称侵略者が寝かしつけられ、額には同じタオルがのせてあった。

 ここはどこだろう。

 外に出るべく把手に手をそえた。だが、びくともしない。押しても引いてもダメだ。扉は襖や障子と同じく引き戸になっていて、ちょうど最近の病棟にあるようなダンパー付き扉と似ている。IS学園の扉のようでもあったが、今私が立っている場所が学園の敷地内なのか確信が持てなかった。

 窓辺に立ってみた。はめ殺しで中から開けられない。カーテンを引くと日が昇っていて明るい。気を失ってからさほど時が経過していないようだ。

 外には海が広がっている。漁船やタンカーが遊弋し、タグボートが巨大な飛行場のような物体を曳航していた。戦闘機らしき双発機が離陸したかと思えば、大気がうなり声をあげ、すぐ近くを旋回した。最近配備されたばかりのFー35B(ライトニング)。航空戦艦〈うちがね〉の直掩機だと自慢げに話す織斑の姿が思い浮かんだ。

 

「ウウウウ。ウウウーン」

 

 何事かと思って振り返る。卓上扇風機が独りでにまわりだした。

 自称侵略者が目を覚ましたのかもしれない。

 私はすがるような思いでベッド脇にひざまづいた。

 

「起きてますかー。起きてるなら返事してくださーい。死んでるなら死んでるっていってくださぁい」

 

 自称侵略者の女が胸をかきむしって歯ぎしりする。ボタンが外れて豊かな谷間がのぞく。下着の紐がずれて肌の色があらわになるんじゃないか、とドキドキしたが杞憂に終わった。

 

「返事してくださぁーい」

 

 もう一度呼びかける。

 と、一呼吸置いてから彼女が眼を開けた。私を凝視しながら上体を起こす。掌で何度もベッドや布団を叩いている。結局、卓上扇風機を手に取るまで続いた。

 

 

 

 私は悪戯のつもりで卓上扇風機を取り上げてみた。

 女は急に不機嫌になり、私を睨めつけて舌打ちする。扇風機をさし出すと、自称侵略者だと口にしていたときのようにほんわかとした風貌に戻った。彼女は不思議の国のアリス、もしくはオズの魔法使いをあしらったワンピースを身につけている。ヨーロッパの服がそうであったように、背中の肉をあげて寄せて強引に谷間を生み出してもいた。試しに腹の肉をつまんでみると、思った通りプニプニしていた。

 

「あなたは誰?」

 

 訊いたところで答えてくれるだろうか。

 身分証明書の類いを持っているか質問すると、彼女は自分の体をまさぐってありかを探す。

 

「ナイ」

「そうなんですか。残念」

「クロウシテ・キョーシュージョ・デ・トッタ・ウンテンメンキョ・ガ・ナイ。フンシツ・シテシマッタ」

 

 さらに問題が続いた。彼女の携帯端末は無事だったが、暗証番号がわからず操作画面に遷移できない。公園にいたときと同じく投影モニターを展開させてみたが、いつの間にかパスキーが変わってしまったらしく個人情報にアクセスできなかった。

 

「タバネ・サン・ハ・タバネ・サン・ダ。ナマエ・ハ・マダ・ナイ」

 

 彼女も混乱しているようだ。

 素性不明の他人にずけずけと指摘してよいのだろうか。相手がよくない気がする。自称侵略者の素性がわかったところで事態が好転するわけでもなし。誰か来るのを待つ算段で先ほどまで寝ていたベッドに腰かけ、再び横になった。

 

 うつらうつらするにも限度があった。突然、ベッドが軋んだ。薄目を開けると、枕元に卓上扇風機が横たわっている。頭を振ると、ついさっきまで隣のベッドにいた女が馬乗りになって私の制服に手をかけているのが見えた。

 

「ひぅっ」

 

 びっくりして状況が飲み込めないまま、お互いに眺め合うこと数分。声をあげようとしたら口を塞がれた。

 女は眼を血走らせていた。

 まるで殺人を犯す前のように……。

 あたふたしながらも理性が状況整理を試みようとした。

 私の状態はこうである。

 ——制服のファスナーとボタンが外されていた。ついでにスカートが下着が見えそうなくらいずり下がっていて、乳白色の華奢な膝があらわになっている。 

 

「ひ、ひ、ひとを呼びまっイデッ」

 

 噛んだ。

 

「黙れ。デュノアのスパイめ」

「ひいっ……ん……ちょっ……そこ、いやっ……あああぁっ……」

 

 彼女は触れるか触れないかくらいのタッチで玉の肌をまさぐってきた。あまりのくすぐったさに妙な声をあげてしまった。断じてえっちぃ気持になったわけではない。

 笑い声をあげる姿に、女は舌打ちしてスカートをひっつかむ。暴挙に出ようとしたので彼女の腕を握りしめ、最後の一線を超えさせまいと必死になった。

 

「へ、変態。だれかーっ、ここに痴女がいます! 助けてーっ!!」

「もうだまされないぞっ!」

「正気に帰ってくださいよっ! いやー! おーかーさーれーるー!!」

「スパイめっ!」

「へっ!?」

「親切を装って近づいたスパイだなっ。こっちはついこの間デュノアとヤンキーどもの産業スパイをとっちめたばかりなんだからねっ!」

「すすすスパイって何の話ですかっ」

「私を見て誰だかわからないなんて……パンピーを装うのもいい加減にしろよ、ってことだよ! さあ、言えっ。私の目を見て、私の名を言い当ててみろ!」

「篠ノ之束博士」

 

 言って、指呼の間迷った。篠ノ之さんと似ているから本当に篠ノ之束博士かもしれない。しかし、そう断言してしまうのは……あまりにも篠ノ之さんに失礼だ。

 なぜなら。

 

「ふっふっふ。ご名答! 私が全宇宙のサイコーサイキョー(すうぱあ)天才科学者・しのののたばねであーる!」

 

 女は胸を張った。

 ビシィっ、とわざわざ効果音を口ずさんだ。

 私は表情を消して、鼻で笑って見せた。

 

「……なあーんてのは冗談」

 

 女がポカンとした。すかさず仮定を証明するべく説明を加えた。

 

「そっちこそ篠ノ之博士を騙るスパイじゃないんですか。あなたは篠ノ之さんが言ってたお姉さん像とはあまりにも食い違っているんですよ。篠ノ之さんは言ってましたよ。『姉さんは器量が狭くて人間的にアレで性格最悪で絶対結婚できないけど。ものすごく頭いい。一を聞いて十を知る。一つのことに没頭する集中力だけは他人には負けない。精進せねば……』って」

「ガーン……」

「今、ご自分でがーんって」

「う、う、う、嘘だ、嘘だ、嘘だーっ!」

 

 女は自暴自棄に陥ったようだ。髪型が崩れるのも構わず、ものすごい力で私の胸を押さえつけた。く、苦しい。下着代わりに着用していたISスーツを引きはがそうとした。

 

「箒ちゃんがお姉ちゃんを悪く言うはずがないっ! お前こそこんなに胸がぺったんこーなんだから男に違いないんだ! そうだろ、ええ!? シャルル・デュノアの同類なんだろっ!?」

「シャルルって誰ですか! そんな人知りませんよ!!」

 

 そんな名前、本当に聞いたことがなかった。

 

「嘘だね」

 

 女が断言する。

 

「話を聞いてくださいっ。私はむーじーつー」

()()()()()を着ているに違いないんだ。だからそんなに印象がうっすーい顔立ちなんだ!」

「ひ、人が気にしていることを! 印象が薄いのは生まれつきです。TSスーツってなんですか。一般人にもわかるように説明してくださいよっ。ついでに手を離してください!」

 

 女がTSスーツについて講釈を垂れた。

 要約するとこうだ。着ると性別が反転する。股間のアレを隠したり目立たせたり、体臭やホルモンを偽装できるらしい。ただし、ごつい成人男性が着ても意味がないらしく、華奢な体格の美少年が身につけると美少女に早変わり、だそうだ。眉唾なので話半分に聞いていたけれど。

 

 

●   4

 

 少年シャルルはデュノア社社長マルタンの一子である。愛人を侍らせて浮き名を流すマルタンの少年期と姿形がとてもよく似ていて、トゥールーズのリセ(高校)に通い、グランゼコールを目指す秀才だそうだ。ガリ勉かと思いきや容姿端麗弁舌さわやかな美少年で、交際相手に困ったことがない。彼女をとっかえひっかえする癖、一度も成績を落としたことがなく、しかも親が勝手に決めた許嫁までいるという絵に描いた餅のような生活を送っていた。シャルルは双生児でシャルロットという姉がいる。シャルルはマルタンとフランス政府の密命を受け、TSスーツを着用しシャルロットに化け、出張中のSNNスタッフに接近したようだ。

 当時、フランスはIS<ユーロ・ファイター>の魔改造に専念していた。少年シャルルは持ち前の話術でC・Cなる女性スタッフをたぶらかした、と彼女は言う。私怨と欧州の生産拠点を入手すべく敵対的TOB(株式公開買い付け)を仕掛けているのだと口にしたが、さすがに法螺だろう。携帯端末がご臨終してしまった今、私の拙い業界知識では知る由もなく調べることもできなかった。

 私はこっそり卓上扇風機に手を伸ばす。

 

「好色少年シャルル君はいったいナニをしでかしたんですか」

 

 面倒くさそうな口ぶりで訊いてみた。

 

「……」

 

 答えないので、気まずさを和らげようと、ずっと温めてきたとっておきの質問を口ずさんだ。

 

「ショタなんですか」

「ちーちゃんがね」即答だ。

「え」

「え?」

「えええっ!」

 

 予想外の反応だったらしく女があわてて口を押さえる。

 私のなかで「ちーちゃん=織斑千冬」という認識だ。どうやら織斑先生は正太郎コンプレックスをこじらせていたようだ。言いふらしてもいいのではなかろうか。いや良くない。実弟の……織斑の半ズボン姿を眺めてうっとりしていたなどと、噂にでもなれば先生の社会的信用は地に落ちるだろう。悪鬼と化した先生は鉢巻きに懐中電灯を差し、五・五六ミリ機関銃を二挺背負い、両手に日本刀を携えて全力で駆けてくるに違いない。

 想像するだけでも恐ろしい。

 

「さて、と。いい加減解放してくださいよ」

「嫌だね」

「私は日本国籍を持つIS学園の生徒です。あなたがおっしゃったようなすんごいスキルや秘密なんか持ち合わせていません」

「へえ……素人ぶるんだ。こんなものを持っているのに?」

 

 彼女は手にした土産袋を振って見せた。

 叔父さんが送りつけてきた土産が入っている紙袋だ。土産物をお裾分けしたという自己アピールのためだけに処分せず持ち帰ったのである。

 私は思わず苦笑した。

 

「使い道ないんで持ってっていいですよ。どうせ友達に配ろうを思っていたんです」

 

 女が紙袋に手を入れた。

 一着の衣服を取り出すと、得意満面になって眼前に突きつける。水着やISスーツと似た意匠の服だ。ブランドは「Dunois」。デュノアの英語綴りである。勝手にビニール袋を破って、私の胸に押しつける。身につけていたISスーツとは対照的に無垢の白だった。彼女は勝ち誇ったように告げた。

 

「ただの高校生が『Dunois』を所持している。この時点で常識から外れている。これ、いくらすると思ってる?」

 

 私は適当な数字を答えた。叔父さんのことだから高くて数千円だろう。妙な特産品ならもっと出すが、今回はまっとうな部類だ。

 

「お小遣いで買えない額だよ」

 

 私は心の底から狼狽した。耳打ちされた金額がべらぼうに高価だったのだ。同時に疑問がわき起こる。身をよじったら、逃げようとしていると勘違いされ体を抑えつけられた。

 

「勘違いですよ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 女の目が据わっていた。

 貞操の危機だ。お父さん、お母さん。助けてっ!

 私は女の腕を何度もひっかいた。気が動転して自分が何をしているのかわからなくなっていた。

 

「しゃ、しゃれになってない! 冗談に聞こえない! 助けて!」

「……大丈夫。けーけんないけどお姉さんが優しくひんむいてあげるよ」

 

 私は必死に抵抗した。卓上扇風機の首を握りしめると、腕を振り抜く。

 カン、という音が鳴った。女は鼻血を垂らして仰向けに倒れ、そのままベッドから落下した。彼女のスカートがめくれ上がり、白地のランジェリーが露わになった。何も言ってこないので上からのぞき込む。女は目を回していた。

 胸が上下している。よかった。死んでない。そのままでは悪いと思い、鼻血を拭き取って気道を確保する。

 ほっとすると同時に開かずの扉が開く。

 織斑モドキはどういうわけかIS学園の制服に身を包んでいた。

 平然とした顔で歩み寄り、携帯端末のカメラを向ける。

 

「ち、違う。やってない」

 

 シャッター音が鳴り、織斑モドキがニヤケ面で宣った。

 

「撲殺なう」

 

 

 



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★23 女は化ける

●   5

 

 三時間後、日が落ちた頃合いに解放された。

 お菓子と果物は手元になく、織斑先生経由でクラスメイトに配布されることになった。

 ヨーロッパ土産と「Dunois」入りの紙袋を提げ、山田先生に付き添われてトボトボと付属病院のロビーを通り抜ける。織斑モドキの証言と監視カメラが決定打となって、女のほうに過失があったと認められたからだ。織斑先生から怪しいやつに声をかけるな、と釘を刺された。

 私は複雑な気分になった。女が昏倒したとき、駆けつけた織斑先生から「よくやった!」と賞賛を浴びたのだ。本来なら怒るべきところだろう。ベルトでぐるぐる巻きにして担架に乗せるあたり、憎しみがこもっているように感じられた。

 ひととおり聴取をすませたあと、ちょっと気になったことがあり、

 

「ショタなんですか?」

 

 と、織斑先生に耳打ちしてみた。思いきり顔をこわばらせ、何度も咳払いしながら目を右往左往させる姿が記憶に焼き付いている。

 

「篠ノ之さんに悪いことしちゃいました……これからどうやって彼女と顔を合わせればよいんでしょうか……」

「今までどおりでよいと思いますよ」

 

 山田先生は優しい目を向けた。

 先生も困惑を隠せないようだ。

 自称侵略者の女は明らかに錯乱していた。一瞬だけ正気を取り戻していたのだが、織斑先生の横に並んだ山田先生を見て「このおっぱいがちーちゃんをたぶらかしたんだねっ!?」と叫んだ。たわわに実ったおっぱいを()()()()()()()()()()()()あげく、顔を埋めて、してやったりと言わんばかりに意識を失ったのだ。

 

「あの状況では仕方ありませんよ。突然脱げなんて言われたら私でも必死に抵抗しちゃいます」

「ですよね」

 

 無理やりはダメだ。山田先生と見つめ合ってうなずきあった。

 

 

 

 しばらく歩くと黒塗りの車両とすれ違った。後部座席に篠ノ之さんの姿があった。

 彼女にも連絡が行ったようだ。一瞬ではあったが、苦虫をかみつぶしたような顔だとわかった。お姉さんとうまくいっていないと漏らしていたし、色眼鏡で見られることも嫌っていた。

 

「あの、先生」

 

 山田先生が振り返った。

 

「彼女は本当に篠ノ之束博士だったんですか?」

「へ? 織斑先生が太鼓判を押してましたよ」

「イメージと違うというか、すごい人だって聞いてたのにあんなことしてきて、本当にそうだったのかなって。それに彼女、自分の携帯の暗証番号を知らなかったんですよ。ネット上の個人情報にもアクセスできずにいたし……。免許証もなくしたって」

「たしかにちょっと変、いいえ、とても変でしたね」

 

 私は後頭部をさすった。

 

「どうしてあの部屋にいたのかわからないんです。今、思い出したんですが公園であの人としゃべってて、気がついたら地面に倒れていた。殴られたのは間違いないんです」

「殴られた?」

「はい」

「公園で誰か見ましたか?」

「誰も。あ、あの人のバイク。どこにやったんですか。ショッキングピンクで目立ちまくりの」

「バイク? そんなものはありませんでしたよ。監視カメラの映像にも映ってなかった」

 

 山田先生が断言する。

 私は首をかしげた。自走するバイクをこの目で確かに見た。間違いないはずだ。しばらく考えこんでいると、山田先生は再び前を向いて先を進んだ。

 

 

 

「なんか疲れた」

 

 ベッドに身を投げ出す。いつもならKやセシリア嬢、織斑あたりと絡むのだが、事件に巻き込まれて精神をすり減らしてしまった。

 なのに食欲だけは旺盛で健康な体がうらめしいとさえ思う。

 窓のほうを眺めると、ゲストハウスに明かりが灯っている。織斑モドキは病院近くの研究施設兼宿舎に泊まると告げていた。

 ペットボトルの水を飲んでいたKに疑問をぶつけた。

 

「某国のVIPでも来てるの?」そのうち一名を病院送りにしてしまったが。

「そんなとこだね」

「へー。どんな人?」

「ちらっと見たけど金髪で可愛かったよ。名前、知ってるけど教えたげよっか」

 

 Kがにやにやした。有名人なんだろうなあ、とぼんやり思いながら、本当にわからないので教えを請う。

 下手に出たらKがもったいぶった仕草で髪をかきあげた。

 

「しっかたないなあ。他ならぬえーちゃんの頼みだ。教えてしんぜよう」

「もったいぶるねえ」

「……デュノア」

 

 私は紙袋を引き寄せ、中から『Dunois』を取り出した。

 

「これと一緒?」

「げえっ!? どーしてえーちゃんが『Dunois』持ってんの? 航空部の部長さんや生徒会長をだましてちょろまかした? いやいやえーちゃん抜けてるから、途中でばれるか。アッハッハッハ」

 

 心の広い私はKの暴言を聞き流す。

 それにしても反応が大げさに過ぎるのではないか。

 明日になれば携帯端末の代替機が届く。そのときに検索すればいいや、と楽観していたのだが……。

 

「やっぱ高いの? 教えてくださいよ。情報通のKさん」

「高いよ。ものすんごく。それ、ちょっと貸して」

「ほい」

 

 地方出身の一小市民である私は高価なブランド品とは縁がないものと思っていた。バスで約20分の場所にショッピングモールとアウトレットストアが併設されていて、ひとしきり服を歯眺めたあと、古着屋に直行するくらい。おしゃれはしたいが、お小遣いは限られていた。

 

「『Dunois』には必ずシリアル番号が縫いつけられていて、これは……『0()0()7()』だね」

「あーわかった。ダブルオーセブンだから買ったんだ。叔父さん」

 

 そういえばわざわざロクヨンとキューブ本体を持ち込んで遊んでいた。ほら、やっぱり大した理由じゃない。叔父さんは他意があって買ったわけではないのだ。

 

「洒落にしてはお金がかかりすぎてるよ?」

「いーの。いーの。そのへんてきとーな大人だし、私がいうのもなんだけど外資系企業でがっぽり稼いでるから大丈夫なんじゃないかな。ゲストハウスのデュノアは『Dunois』のデザイナーとか?」

 

 Kは首を振った。

 

「放蕩経営のデュノアだよ。その令嬢シャルロット・デュノア。本国筋の伝手からIS学園に転校してくるって情報をつかんでてね。転入前の下見ってところなんじゃない」

「へえ。暇なんだね」

「いろいろあるんじゃないかな」

 

 私は自称侵略者の話を思い出した。Kは物知りだからついでに聞いてみよう、という腹づもりだった。

 

「デュノアが買収されそうだって聞いたんだけど」

 

 Kが急に声のトーンを落とした。

 

「えーちゃん。今、その話題はやめたほうがいいよ。誰に聞かれているかわかったもんじゃない」

 

 自称侵略者の妄言じゃなかったのか。私はぎょっとしたあと、しばらくの間肩をすくめて黙りこんだ。

 Kが来客を連れてきた。篠ノ之さんだ。

 私は神妙な面持ちで立ち居振る舞いを見つめる。怒られるんだろうな、とぼんやり考えた。

 篠ノ之さんは壁際の椅子にどかっと腰を下ろした。すかさずKが麦茶をさし出す。

 拳を握りしめて目を閉じる。雷が落ちるのか、平手打ちなのか。静かに怒りを向けられるのか。事故とはいえ、他人を傷つけたことが恐ろしくてたまらなかった。私にできるのは待つことだけだった。

 

「ありがとう、スタンフォード」

 

 篠ノ之さんがKへの礼を告げ、次いで私の名を呼んだ。

 ゆっくりとまぶたを開ける。篠ノ之さんは唇をかんで見下ろしてきた。

 

「気に病むな。あれは姉さんなんかじゃない」

 

 驚きのあまり目を見開くと、彼女は唇をとがらせて胸の前で腕を組む。下着を身につけていないらしく、ジャージの上からでも乳房の形がくっきりとわかった。

 

「お姉さん、じゃない?」

 

 織斑先生は確かに篠ノ之束だと言った。事実を否定するのだろうか。

 篠ノ之さんは顔を赤らめて下を向く。谷間を見つめて、私の同意が得られることを期待するような気配が感じられた。

 

「どういう意味ですか」

「私の知る姉さんにはあんな性癖はなかったんだ」

 

 その口調には羞恥が混じっている。

 

「先生とマドカから聞いた。あの人はその……に妙なことをしたんだろう?」

 

 有り体に言えば勘違いされた挙げ句身ぐるみを剥がされそうになった。

 ここで私は違和感を覚えた。篠ノ之さんのお顔が朱を帯びてきている。しきりにちらちらと視線を送ってくる。あやふやな笑いを見せて釈明する。

 

「不幸な行き違いがあっただけですよ。それにさっきのことだって、よくよく考えたらダリルさんにセクハラされてるのと大して変わらないですもん。あ、誤解しないでくださいよ。私はビアンじゃない」

「知ってる」

「なら安心です」

「……で、一応聞くが」

 

 私は身構えた。

 

「あの人は私の話をしたか?」

「してました。間違いなく」

「そうか。邪魔したな。また明日」

 

 篠ノ之さんは席を立ち、眉間に深く皺を寄せて去って行った。

 

 

 

●   6

 

 

 

 翌日、登校するとみんなが何事もなかったように接してきた。

 篠ノ之さんはそっけなく挨拶をして、セシリア嬢はいかにも高嶺の花だと言わんばかりの態度だ。織斑はといえば連日の稽古でげっそりしている。足元をふらつかせると、すかさず篠ノ之さんが肩を貸した。

 

「よう」

「ああ……おはよ」

 

 織斑モドキが制服姿で教室を横切った。気を取られていたら返事が遅れてしまった。

 

「疲れてんねー」織斑の様子を慮って言った。

「すげー眠い。昨日もずっとISに乗りっぱなしでさ。セシリアのやつ手加減してくんねーんだよ」

「がんばれ代表」

 

 織斑の背中をたたく。

 

「おう。まかせとけ」

 

 織斑は席に着くと鷹月とも軽く世間話をした。盛り上がってきたところに織斑先生が教室に入ってきたのでみんなは黙って席に着く。

 HR、授業が進み、あっという間に昼休みになった。

 私は名字を呼ばれ、すぐさま振り返った。

「ん?」

 すらっと背が高く、びっくりするくらい粋な女が気さくに話しかけてきた。

 姉崎だ。

 呼ばれるまま廊下に赴く。十人くらいいた彼女の取り巻きが道をあけた。

「モーセの十戒みてー」織斑がぼんやりとつぶやく。

 何やら視線が痛い。取り巻き連中から嫉妬の目で見られているのは明らかだ。

 二言三言会話したあと、姉崎が口元を隠して耳打ちする。

 

「先輩に話すことがあるだろう」

「何もありませんよ」

 

 秘密があったとしてもホイホイ言うものか。

 

「『Dunois』を入手したんだって?」

 

 Kや先生しか知らないはずだ。どこから漏れた。

 私は疑心暗鬼になって左右に目を走らせる。顔の前で手を合わせるKの姿があった。お前か! と、叫びたい気持ちをぐっとこらえた。

 みんな『Dunois』に過剰反応しすぎだろう。ブランドものを手に入れたからといってよってたかって取り入ろうとするのは愚かではないか。

 

「業後、着て見せてくれないかな。茶道室でどうだ」

「茶道部でしたっけ、先輩」

「歩きながら話そうか。後輩よ」

 

 うわっ、白々しい。姉崎が目配せすると、取り巻きはきっかり2メートル離れた。

 

「フランスが好きか」

「いえ。というか外国のことはよくわかりません」

「フランス人の友達がいたら人生が豊かになるとは思わないか?」

「外国語教室のアンケートみたいですね。あと自己啓発セミナー」

「そうかい?」

「そうですよ。下心が見え見えなんです。隠す気、ないですよね?」

 

 姉崎があいまいに笑ってごまかしている。

 その後、珍しく茶道部と織斑先生について話をした。先生がめったに顔を出してくれないので部員がさみしがっている。職員室でいつもどこかに電話をかけていて声もかけられない。外に男がいる? などなど。

 食堂にたどり着くと、姉崎が一言断って私の側を離れた。三年生の輪に入るや取り巻きたちもいったん解散する。去り際に彼女らがちょっとうらやましそうな表情をにじませる。

 トレーを持って列に並ぶ。しのぎんとカバチの後ろ姿を見つけたが、声をかけるには遠すぎた。

 無難に焼き魚定食を選び、ご飯コーナーへ。

 机のそばに見本が置いてあって「少ない・普通・大盛り・特大盛り・メガ盛り」とある。最近運動量が増えてきた私は普通・五穀米を頼んだ。

 Kたちを探す。

 

「うええっ!?」

 

 周りにはばかることなく素っ頓狂な声を挙げてしまった。ブラウンの丸テーブル——生徒の間ではカップル席と呼ばれている——に篠ノ之さんが座っていた。向かいには織斑モドキがさも当然のように席を陣取って食事を摂っていたのだ。一年生の制服を着用しているので一見しただけでは部外者とはわからない。

 二人とも会話に興じるわけでもなく黙々と箸を口に運んでいる。

 私は織斑モドキを視界の端に加えながら、Kの隣に座った。

 

「おぅい。カップル席、気づいてる?」

 

 向かいの席にいたセシリア嬢が一瞥する。彼女は一瞬フォークを止め、織斑モドキに視線を止めて鋭い眼差しを注いだ。すぐにパスタを巻く動作を再開する。

 Kが口を開いた。

 

「意外な組み合わせだよね」

 

 篠ノ之さんたちが互いに目を合わせて微妙な雰囲気を漂わせた。

 

「わけあり? 過去に何かあった口でしょ。たぶん」

「いい加減なこと言っちゃダメだよ」

 

 Kに釘を刺した。

 そして部外者である私たちは篠ノ之さんにまつわる憶測を好き勝手に話し合った。

 

「篠ノ之と織斑なんて珍しい名字。山田や藤原みたいに日本中に転がっている有象無象とは訳が違いますの。ほぼ間違いなく何かあるに違いありませんわ」

 

 セシリア嬢が口を拭う。

 

「織斑マドカさんは先生のクローンなのでしょう? ()()()

「痛いところ引っぱるよね? A()L()C()O()T()T()……あーオルコットさん」

 

 鼻で笑われて釈然としないながらも、食事を終えた織斑モドキが篠ノ之さんに何事か耳打ちするのを見逃さなかった。

 渋い表情になった篠ノ之さんは珍しく食事半ばで立ちあがった。織斑モドキが目配せするたびに彼女は仏頂面で応じ、結局言うとおりにしたようだ。

 

「M子のほうが力があると見ていいね。渋々言うことを聞いてる」

 

 M子?

 私はその命名に首をかしげた。二人の背中から視線を外し、Kに確かめる。

 

「マドカだからM。なんだかスパイっぽくない? 英国諜報部みたいな。寒いところから来たかも」

「Kさん。Mならマイクロフトが適切でしょう。マドカのマなんて……安易ですわ」

「やだなあ。あだ名だから適当でいいじゃないか。セシリー」

 

 セシリア嬢とKは二人の空間に入ってしまい、お互いに英語らしき言葉で冗談を言い合った。冗談だとわかったのは、互いに吹き出していたのを目にしたからだ。教養の高さを披露し合っていたけれど、私にはとんと理解できない領域だった。

 

 

 

 何事もなく授業が終わってほっとした。

 姉崎に電話をかけると、茶道室に向かうよう指示された。通話口の奥から含み笑いが漏れ聞こえており、訝しみながらも扉を開ける。

 和室には姉崎のほか数名の生徒がいた。

 

「げっ!?」

 

 織斑モドキ。またの名をM子という。隣に正座した篠ノ之さんがいた。

 

「篠ノ之さん。織斑とふたりっきりの剣道場じゃなかった?」

 彼女は片目を開け、M子をにらみつけた。夏に向けて暑さを増しつつあるのに一帯が二、三度下がったように思えた。穏やかな話し合いのできる雰囲気ではなかった。

 しかし、M子は冷静に、どこ吹く風のようすだ。

 篠ノ之さんの隣に座り、膝上に乗せた彼女の手に触れる。指を絡めて、頭を傾けて鼻が触れあうほどに近づく。篠ノ之さんは凝視していたが、やがて観念したのか()を伏せた。

 ふたりの醸し出す妖しげな姿に、私は胸がどきどきしていてもたってもいられなくなる。

 

「お二人とも近い、近い」

 

 冷静にならなければ。少し肘が当たって背中を押したら口づけてしまいそうな距離だ。篠ノ之さんには更識さんという交際相手——もちろん私は誤解だと認識していた——がいる。裏切り、背徳、略奪愛……私の思考は混迷を極めた。

 ふと周りを見渡せば、騒がしかった室内はひっそりと静まり返っていた。

 肩をたたかれ、背後に立つ姉崎を見上げる。ろくなことにならないんだろうなあ、とぼんやりするうちに、紙袋を押しつけてきた。

 

「同居人に断って借りてきたんだ」

 

 中身は『Dunois』だ。無言の重圧に耐えかねて、紙袋を抱えて別室へ逃げる。

 だが、鷹月がすまし顔で控えていて、あっという間に制服をひんむかれてしまった。

 わずか数分のあいだに、私は超高価なブランド品を身に着けていた。

 時折セシリア嬢とKがふざけてファッションショーのまねごとに興じていたが、私はどちらかといえば感想を言う側だ。なんとなくお洒落をしたいが、雑誌を眺めて終わるようなものぐさでもある。

 だが、この『Dunois』はどこかがおかしい。

 ISスーツの素材に近く、さらにいえば身体の線を抑制するつくりだ。なのに窮屈には感じない。不思議な感触を抱きながら紙袋の底をのぞき込んだ。

 

「あのー。これ男子の制服なんですが」

 

 襖から顔だけ覗かせて訊ねると、姉崎が少し口ごもる。

 

「……ああ、ええっと、被服部門から借りてきたんだ」

 

 学園祭で使うつもりだったのか、裏から手をまわして入手したに違いない。男子の制服を身に着ける機会など滅多にあるものではない。期待されているような気がして勢いで着てしまった。

 

「ええっと、皆さん」

 

 全員がぎょっとして固まっている。鷹月ですら惚けた視線を送っていた。

 私は居心地の悪さを感じて、何度も瞬きした。

 皆に先んじて我に返ったのはM子だった。

 

「へえ……化けたってわけ」

「ですから、おっしゃる意味がわかりません」

 

 M子はとって返すや姿見を押して戻ってくる。前に立ってようやく得心がいった。

 ——なるほど驚くわけだ。

 姿見に映っていたのは少年Aである。

 

 

 



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★24 某国のVIP

●   7

 

 少年Aへの変身から丸一日が経っていた。姉崎が発した箝口令(かんこうれい)は今のところを有効に機能しており、彼女の影響力の強さを目の当たりにした。

 メールで茶道室に来るように連絡があり、またしても「Dunois」着用を求められた。三すくみの腹の内が読めなかった私は唯々諾々(いいだくだく)として従ったのだ。

 

「そろそろハードルを上げてもいいんじゃないか?」

 

 三すくみの最年長者が悪辣(あくらつ)な笑みを浮かべなら、円陣を組む若いふたり(M子・鷹月)に持ち掛けた。

 いつの間にか学園に溶け込んでいるM子が私を見る。鷹月はM子が持参したサイン入り小説を読み進めながら話半分に聞いていた。

 

「断固反対します。……あのーお三方。私の話、聞いてます?」

「もちろん。傾聴してはいたよ。では、ハードルを上げる、に賛成の人は挙手願います。反対なら手を下げて」

 

 鷹月が間髪を()れず挙手した。視線は文庫本に注がれたまま動いていない。

 ——こ、このやろう。

 M子は姉崎と鷹月のふたりを交互に眺めてから、私に戸惑いの視線を投げかけてきた。

 私はと言えば、どんなことをしてでも彼女らの悪だくみを阻止したい。(ひとみ)に力を込めて察してくれることを望んだ。M子は挙げかけた手をゆっくり下げはじめる。彼女はいやがっている他人の気持を察してくれる良い子なのだ。膝に落着した指先を見て安堵のため息をついた。

 

「やっぱり賛成で」

「えええ!?」

 

 ——だましたな、M子!

 

「よし。三対一でハードルを上げる、で可決した。これにて閉廷する。それでは諸君。解散だ。アリーナで会おう」

 

 姉崎がそう言い終えるや私は、再び姿見の前に立たされた。

 黒目黒髪の割と……いや、かなり……端正な顔立ちですらりとした華奢な体つきの少年が映っている。

 

「自信を持ちたまえ。この学園には男に飢えた女も少なからずいよう。君なら織斑一夏君の牙城を突き崩せるだろう」

「そんな自信持ちたくないですよ!」

 

 声を荒げて抗議する。その実、認めたくなかった。もしかしたら男に扮した方が人々の印象に残るのではなかろうか。他人様が聞けば笑ってしまうような悩みだけれど、思春期まっただ中の女子にとっては人生のテーマとなりうることであった。

 姉崎が携帯端末を取りだして耳に当てた。彼女が発した言葉に激しく狼狽してしまった。

 

「やあ。昨日の今日で申し訳ないのだけれど茶道室まで来てくれると助かる。ああ。よろしく」

 

 私は通話を阻止すべく飛び上がろうとした。だが、思ったように身体が動かない。制服の裾をM子がつかんでいた。私はつんのめって地面に倒れ込み、悔し涙を流す。

 そして三すくみ以外の声を聞いて、身体中が粟立った。うろたえて情けない声をあげて後ずさる。

 

「けけけK!?」

 

 姉崎が携帯端末をしまった。昨日、「Dunois」を着用した結果に対して箝口令(かんこうれい)を敷いた女のやることか。私は上級生に憤怒の念を送りつけたにもかかわらずあっさりかわされてしまう。

 

「あれれー。えーちゃんみたいな声が聞こえたんだけど。先輩、彼女がどこに隠れたか教えてくれませんか?」

 

 私は気づかれまいと願って顔を伏せる。

 Kは読書にいそしんでいる鷹月の前に立って表情を窺う。能面が一番似合うやつの顔色を確かめてどうするんだ。事実、鷹月はKを無視した。

 M子とは接点がないので話しかけにくいのだろう。再び姉崎を見やって答えを求める。

 姉崎が鷹揚なしぐさで身じろぎし、睛を静かに私の立ち姿へとずらした。

 Kは何気ない素振りで左右を見まわした。あたかも私の存在に気づいていないかのように押し入れや(ふすま)の裏を探し始めた。

 ……もしかして本当に気づいていない?

 私のなかに希望が生まれ()でようとした矢先であった。

 

「先輩。文化祭の出し物は男装関連ですか」

「そんな感じだ。一回生の頃からの伝統だからな」

「ふうん。この前やまやが悪い伝統だってこっそりぼやいてましたよ」

「そいつはな……言っておくが、悪いのはみっちょん先輩たちだ」

「ふーん」

 

 Kは興味なさそうに唸った。

 姉崎が制服が入った紙袋をKに手渡す。Kは袋の口を広げて呟いた。

 

「これ。えーちゃんのだ。うーん、困ったな」

 

 私の所在が知れず心配している。私はここにいるよ。心のなかで三回口ずさんでから顔を上げた。

 初々しい笑顔を浮かべながらKに向かって歩く。だが、彼女は私の瞳をのぞきこんでから首を傾げてしまった。

 こめかみに手を当てて考え事をする。

 しばらくして確信に至ったのか、よりにもよって鷹月に教えを請うた。

 

「え!!」

 

 Kが素っ頓狂な声をあげた。軒を木霊し、さすがのM子も振りかえったほどだ。

 あまりの驚きように私は思わず吹き出しそうになった。

 Kは大股で歩み寄ると、私の頬をつかんで上下左右に引っぱった。

 

「いひゃい。いひゃい」

 

 放したかと思いきやもう一度つかんで左右に伸ばした。

 

「けけいいひゃいとゆってるじゃないかぁ」

 

 全身をくまなく触診し、ある部分に触れるか触れないか悩んでから、あんぐりと口をあけて姉崎たちを顧みた。

 

「特殊メイクだ! だって……」

「だって?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 

「だって、えーちゃんの顔が記憶に残ってるんだものっ! ちょっとすごくない!?」

「待てぃ」

 

 なんだその理由は。もっと別のことに驚いてしかるべきだ。今までどのようにして私を認識していたというのか。詳しく説明を求めたい。

 

「声とか言動とか仕草は覚えてるけど、顔の造りが……なんていったらいいのかな。究極の普通? 時間が経つとすっぽり抜け落ちちゃうんだよね。もちろんえーちゃんは大切な友だちだと思ってる。でもこればっかりはね」

「だったら、い、今は」

 

 目尻に力をこらしてみたが、なぜかKは直視を避け続け、ついには背中を向けてしまった。

 

「いやー普通、普通。普通のお顔だよ」

 

 回りこんで目を合わせようとしたが、やっぱり視線を外そうとする。鏡を見た感じ悪くないと思っているのだけれど、やはり没個性的なのだろう。

 

 

 

 

 クラス対抗戦前日。一年生は午後の授業が免除となった。各クラス代表は学園が指定したアリーナで最終調整を行う運びとなっており、一組には第一アリーナがあてがわれた。二組は第二アリーナ、三組は第三アリーナの優先使用権が払い出された。四組だけが、不思議なことに第六アリーナを使うことになっていた。

 第一アリーナは教室から近い。私たちは昼食をとってから移動した。

 本来ならば授業を行っている時間なので山田先生が生徒を引率する。四つ辻でしのぎんら二組の生徒たちと別れた。

 観覧席にたどり着き、各々勝手に座席を選んだ。

 

「皆さんに大事なお話があります」

 

 セシリア嬢と雑談に興じていていると、山田先生が急に真剣な顔で声を張り上げた。傾注を促すべく手を叩く。織斑先生を真似したのか少しだけ遠くを見通すような目つきになり、かすかな沈黙が私たちの注意をひいた。

 

「対抗戦では、公式の、新聞部主催以外の賭け事は禁じられています。違反した場合、重い罰則が適用されます」

「たとえば、どんなー」

 

 誰かが尋ねた。

 私は制服姿のまま背中を丸めた。硬いプラスチックの背もたれが身体に合わなかったからだ。両脇に座ったKとセシリア嬢がお行儀良く姿勢を正している。

 

「過去、最も重かったのは……」

 

 停学一週間、と。

 

「いきなり脅すとかやめてよぅ。やまやったら」

 

 櫛灘さんが茶化したけれど、山田先生は表情を崩さなかった。事実じゃないか、と皆のなかで緊張が高まり、単なる注意だと思っていた生徒たちが顔を見合わせる。

 一試合でプレミアム食券三年分の電子マネーを稼ぎだしたと言っていたので、かなりの金額が動いていたようだ。

 創立当初のIS学園は現在よりも殺伐としていて毎月のように転校する生徒がいたという。ISの運用法が手探りであった時代の出来事であり、入試が異常なまでに難しくなった背景には、初期にやらかした何かが積み重なっているのだろう。

 

「くれぐれも認可されていない賭け事には手を出してはいけませんよ。メッ、ですからね。では解散」

「えー!? ここまで連れてきたのにつき合ってくんないの!?」

「……先生には()()()()()()があるんです」

「あっ! ちらっとISスーツが見えた!」

 

 山田先生が急に襟を直した。顔を赤らめる仕草に私でさえからかいたくなったほどだ。

 

「織斑クンとイチャイチャするんだー。やらしぃなあ」

「櫛灘さん。意識させようたってそうはいきませんよ。解散ったら解散ですっ!」

 

 

 

 山田先生がピットに向かった後、座り心地のよい椅子を探していた私は背もたれのない長椅子に腰を下ろした。アリーナの天蓋が開放されていて、五月晴れの青い空にISがかき鳴らす重厚な金属音と、クラスメイトたちのお喋りの声が高く響いた。

 女教師と男子生徒がフィールド上で相まみえる。ラファール・リヴァイヴの素っ気ない濃緑色と陽光で銀色に輝く白式の姿が対照的だった。クラスメイトたちから離れた席で携帯端末をかざす生徒を見つけ、他のクラスの偵察隊だと推測する。織斑も偵察を受けるほどには警戒されているのか……と思うと、なんだかうれしくなった。

 

「えーちゃん。えーちゃん」

 

 肩をつつかれて振りかえると、Kが携帯端末を出すように求めてきた。

 

「仕方ないなあ」

 

 私はニンマリと口元を緩めながら最新式の携帯端末を取りだす。先日壊れてしまった端末だが、支給されたのは前よりも一世代か二世代ほど新しい機種だった。一番気に入ったのはツルツルなのに手が滑らないという点だろう。背面パネルや側面には特殊な塗料が塗布されていて、好きな画像や色合いを指定することでどんな表現も可能だとか。迷いに迷った挙げ句、白一色にしてしまった。

 

「先生が言ってたのって、ここの事を指しているんだと思うよ」

「薫子さんのとこじゃないの?」

 

 画面に指を滑らせながら、言われた通りに操作する。新聞部のページの隅に薄墨色のボタンが隠れていた。あらためて沿革を読むと、イベントが開催されるたびに学園中からアクセスが集中するので、回線を増強しながらコンテンツを充実させていったようだ。画面を遷移するとゴシック体で書かれた()()()()()()なる文字列が目に入った。管理者は青島美鶴。最終更新日は三年ぐらい前だ。説明文を読んでいくとISを用いた学校行事が対象で、お金の代わりに食券を賭ける、とあった。

 Kが眉を曇らせて画面を閉じようとする。

 

「待って。K、全部読み終わってない」

 

 応用編を流し読みすると、株式市場の信用取引と同じような仕組みが備わっていることがわかった。少ない食券でよりグレードの高い食券や多数の食券を借りて、賭けに参加できるのだ。当たれば大きな利益が得られる。借りた食券を必ず返さなければならないけれど、利益さえ出すことができれば微々たるものになる。ただし、損失が出ても返済が発生する。我々は学生の身だ。手持ちの食券を充てるか、身体で……奉仕活動で返さねばならなかった。

 

「これは……ちょっと手が出ないなあ」

 

 まず怪しい。食券をどこから借りてくるのかが明記されていない。管理人が実在の人物であるかもわからなかった。

 観覧席に少女たちの笑い声が飛ぶ。山田先生のラファール・リヴァイヴがいつもより速く飛んでいた。織斑のISも徐々に速度を増していく。私はあっ、と声をあげた。

 白式が手にしていた零落白夜を落とし、地面にぶつかる前につかんだ。一瞬注意が得物へ逸れてしまったことで弾幕を張る隙を与えてしまった。

 ——選択肢が限られすぎているのは痛いなあ。

 私は携帯端末をポケットにしまいこみながら思った。剣道経験者である織斑が「竹刀落とし」を知らぬはずがない。

 しきりに動き回る山田先生は、普段授業で見せるおっとりした姿とは異なる。間合いを詰められるのを恐れながらも織斑の運動方向に制限を加える。傍から見ていると常に山田先生の制空下にあるので、徐々に行動範囲を狭めていった。早くしなければ進退窮まってしまう。私は目を凝らして白式の軌道を追った。と、スラスターが急熱して膨大な赤外線を放射し始める。甲龍(シェンロン)戦でしのぎんが使った瞬時加速の予兆だと悟ったけれど、いきなり織斑の身体がすくい上げられて地面に落下した。

 山田先生が動きを止めてアドバイスを告げた。織斑が神妙な面持ちでうなづいている。個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)なので拡大映像を見ても具体的な内容まではわからない。

 わかる人に聞こうと思ってセシリア嬢を探す。席を立ったらしく姿が見えない。段上に目を走らせると、見知らぬ少女が興味深そうにフィールドを眺めていた。

 少女はアイボリーのリセエンヌ風ワンピースを着こなし、膝上五センチのスカートが清楚さを際立たせている。偶然にもセシリア嬢とはタイプの異なる美少女を前にして、振りかえった姿勢のまま固まった。

 

「えーちゃん?」

 

 Kの声が届いていない振りをした。少女の顔貌(かおかたち)は見たことがないものだ。金髪を後ろで縛っており、真剣な目つきなのに柔和な雰囲気をにじませている。学園の生徒ではない……と察するまでに長い時間がかかったように思えた。

 少女は私に気づいてにこやかに手を振った。感激した私は、軽く笑みを浮かべて小さく手を振り返す。気恥ずかしさが遅れてこみ上げてきた。

 

「……あの子、だあれ」

 

 やっとのことで声を絞り出す。薄ぼんやりとしながら私が示した方向を、Kも見ようとした。

 けれども間に合わない。金髪を留めた髪飾りと可愛らしい後ろ姿、ほっそりとしたふくらはぎだけを捉えた。

 

「さあ。誰だろう」

「そっかー。ありがと」

 

 首をかしげたKに向けて礼を言ってからフィールドに向きなおった。

 IS学園は来客が多い。M子や自称侵略者なんてのもいるのだ。しかし警備員が身元不明の人間を通すはずはない。少女は某国のVIPかもしれない。VIPの子女を大人の毒手から遠ざけるためにIS学園へ送り込むことだってあるのかもしれない。実際、セシリア嬢という貴族がいるわけなのだから。

 私は少女の美しい顔を思い浮かべて、痺れたような熱にとらわれていた。一瞬だけでも見つめられて幸福だった。篠ノ之さんやセシリア嬢とも異なる魅力に惹かれてしまう。

 

「Kさん」

 

 頬を叩いて気合いを入れ、改まった態度で同居人を直視する。

 

「急に真面目な顔で……どうしたんだい」

「この学校、かわいい女の子ばっかりだよね?」

「……」

 

 Kが返答に困っている。変なことを言った自覚はあるけれど、真実を見つめる勇気も必要だと思う。

 言い忘れていたと思ってつけ加える。

 

「もちろんKもかわいいよ」

 

 戻ってきたセシリア嬢がそのセリフを偶然聞いてしまい、恐ろしいものを見たかのように表情を強ばらせている。

 私は姉崎から呼び出しの電話が鳴るまで、自分の言葉を何度も反芻(はんすう)した。熱が身体の芯に溜まっていき、いつしか羞恥の炎となった。

 

 

 



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★25 やっぱり着るんですか?

● 8

 

 学園島巡回バスを待っていると、子犬ちゃんが小走りになって駆けてきた。理由を聞けば、織斑先生に請われて病院へ向かう途中だそうだ。

 アリーナから数発の爆発音が聞こえた。子犬ちゃんが呼び出された理由を勝手に想像してみる。

 

「……何も思い浮かばない」

 

 愛くるしい外見の割に努力家だけれど、それだけでわざわざ病院へ向かわせる根拠にはならない。

 様々な可能性を考えてみてから、私はフー、と大げさに嘆息してみた。

 病院には自称侵略者がいる。織斑先生と彼女は幼なじみ、らしい。生徒を連れてお見舞いへ赴く。あるいはお礼参りへ行くのだろうか。

 

「何か思い当たる節は?」

 

 彼女はぼそぼそと告げて、首を弱々しく振った。不安げな上目遣いを眺めるうちに妙な気持になってきたのだけれど、魔性に魅入られた先人たちの惨状を思い浮かべて平静を保った。

 巡回バスが学園と近場のアリーナとを繋いでくれたら便利なのにね、と子犬ちゃんと雑談を交わした。第六アリーナ前に到着したので、彼女に礼を言って降車する。

 バスと共に去りゆく子犬ちゃん。視界から消えるまで手を振りつづけた。

 

「あっ」

 

 第六アリーナの入り口まで来たとき、織斑先生の意図にたどり着けたような気がした。

 子犬ちゃんをダシに使い、自称侵略者から何らかの譲歩を引き出すつもりに違いない。山田先生の巨乳に顔を埋めたときの幸せいっぱいな表情を思い浮かべるや、私は確信めいた思いにとらわれた。子犬ちゃんの魔性は本物だ。セシリア嬢や布仏さんはもちろん、生徒会長ですら独占欲と庇護欲に狂ってしまった。

 四組の生徒と鉢合わせないよう気を遣いながら鉄扉の中へ入る。リカバリーの周囲に整備科の少女が群がり、その中のひとりが陣頭指揮をとっている。

 私の姿に気付いた生徒が「きりしまー」と声をかけた。姉崎ではないのか。邪魔にならないよう異形のISを眺める内に、制服姿の霧島先輩が銘菓の紙袋を持って歩み寄ってきた。黄色いリボンを揺らし、紙袋を差しだす。

 

「先輩から君にってさ」

 

 おそらく男子の制服が入っているに違いない。その下にDunoisが隠れているはずだ。悪巧みのハードルを上げるとか宣っていたけれど、いざ眼前にしてみてゴクリと喉を鳴らした。

 恐る恐る手に取ってみると案の定であった。

 

「私のです」

「ご苦労様。今年は君がホスト役?」

 

 私は何のことかわからぬまま首を振った。

 

「そうらしいです。よくわかんないけど」

 

 あはは、と軽く笑う。霧島先輩は自分の携帯端末を取りだして指で画面と遷移させて一枚の写真を映しだす。のぞき見るや、私は素っ頓狂な声をあげ、あわてて口を塞いでいた。霧島先輩は気に留めなかったようだ。

 

「これ、生徒会長。去年も一組が仮装したんだ。よく撮れてると思わない?」

 

 水色の髪をした美少年が立ち話に興じる場面だ。

 大学生とおぼしき女性と親しげな顔つきで、どこか小生意気な雰囲気を醸し出している。

 霧島先輩はパンスクリップを外して黒髪をふりほどき、手櫛をいれ、

 

「ちなみにだけど。手前に映ってるお姉さんが現在の日本代表。うちの卒業生で、今大学生。生徒会長とは強化選手時代からの腐れ縁なんだって」

「へえ……」

 

 私は再び写真へと視線を落とした。

 ボヘミアン調のダウンヘアに大きく綺麗な瞳に凜々しい眉……ISファンやIS・Wingなる専門誌に特集されていたような気がする。携帯端末で調べたところ、織斑先生が抜けて弱体化した日本チームを牽引する人物のようだ。現役時代の織斑先生と比較されるので、実力が伴わないように評されているけれど、現ロシア代表から一目置かれているとある。

 ネットにはモンド・グロッソ後のゴタゴタにまつわるまとめサイトが数多く存在していた。日本代表の凋落。流し読みしたかぎりでは、織斑先生が強すぎたってこともあり、現在の日本代表に格別の奮起を求めるのは無理な相談である、という空気だった。公式戦の結果から推測するに更識先輩よりもちょっと強くて、織斑先生よりもちょっと弱い、といったところか。

 

「っていうかさ。()()渡されたってことはやっぱり着るの?」

「……着ろってことなんじゃないですか?」

 

 私の投げやりな口調に、霧島先輩が苦笑した。同情と諦念、かすかな好奇心が入り混ざっている。

 霧島先輩が踵を返して二、三歩進んでから振り返った。

 

「じゃあ、私は行くけど、もし部長に無理強いされてるんだったら、相談に乗ってあげる」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。私、やれます」

 

 いったい何をやるんだ——と自分に問いかけながら。

 霧島先輩はそれ以上何も言わなかった。回収班を辞すと、手提げ袋を持ったまま更衣室へ向かった。

 姉崎ならどんな洒落を思いつくのだろう。「女子更衣室」の看板を見上げた。

 

「やっぱり着るか」

 

 バレたらバレたで姉崎の名前を出せばよい。そもそも私が嫌がる姿を見て愉しんでいるのだから、素っ気ないしぐさを見せつければ諦めるに違いない。体の良い玩具を手に入れて遊んでいるだけなのだ。そう自分に言い聞かせて更衣室へ踏みこんだ。

 

「だぁーれもいないよね」

 

 独り言を零しながら奥へと進む。

 

「おっと……」

 

 誰かがシャワーを使っているようだ。私はすかさず一番遠いロッカーを選んだ。

 紙袋の底からラップタオルを取りだして羽織る。手早く脱いでDunoisを身に着ける。扉の裏側に据え付けられたミラーを確認して外見が変わっているかどうか確かめていた。

 

「……女と言い張っても通じるね」

 

 ボーイッシュで押し通せるのではないか?

 と、シャワーの音が止んだ。端から覗いてみたら首にタオルをかけた女の子だ。後ろ姿からして違和感のない金髪。たぶん留学生だ。

 こちらに気付く前に退散しようと、脱いだ制服を畳んでロッカーに置いた。

 スラックスに足を通したとき、気になって二度三度振り返った。杞憂だとわかって嘆息する。鷹月やM子なら音もなく忍び寄って背中に指を這わせるくらいやってのける。けれども彼女たちはこの場にいない。四組の連中や先輩方とかち合って騒ぎ、それに引きずられて他の連中が寄ってくる程度だ。

 ——いける。いける。

 何度見ても不思議だ。自己主張の薄い胸板を叩けば、平坦な感覚があった。はじめの頃こそ身体の中心に違和感があったけれど、もう慣れた。身近に織斑という見本がいるし、中学時代は男友達もいたから手本には事欠かない。あとは適当に証拠を残して、Dunoisを封印してしまおう。お盆か文化祭のあとか、それくらいになったらおじさんに処分してもらうのだ。

 期間限定だと思えば、僅かながら心が軽くなる。観覧席へ向かい、四組の連中を遠巻きに眺めて目撃証言を残す。流言(うわさ)が姉崎たちの耳に入る、という段取りだ。

 忌まわしい記憶も年月が経てば美しい思い出に変わる。そのはずだ。

 ロッカーに鍵をかけて、踵を返した。

 

「あー……」

 

 そのとき何が起こったのかわからなくて、ただ、強ばった空気が流れゆく。瞬きを忘れてしまうほどびっくりしてしまった。

 

「君、も、……」

 

 第一アリーナにいた美少女だ。ほっそりしたふくらはぎには見覚えがある。

 

()?」

 

 言葉の断片が気になって、いつもの癖で問い返してしまった。

 

()?」

 

 時間の流れがゆっくりだったのが、急に元へ戻った。半裸の彼女の上半身は真っ平らだったのだ。あったはずの緩やかな稜線が消えてゴツゴツした——まるで大人とも子供とも言えない華奢な胸板に変わっていた。

 

「えええ……」

 

 美少女も自分の姿に気付いたようだ。あからさまに顔色が変わっている。

 

 ——どうする? どうする? 声を上げる? そうだ。声を上げなくちゃ!

 

 先日、自称侵略者に服を剥かれそうになった。そのときにも実践できたのだから今もできるはずだ。私は大きく息を吸った。

 美少女はその場の雰囲気をごまかそうと必死になって思案している。

 今だ。今なら助けが——。

 

「変質しゃ——ンガググ」「シーッ」

 

 掌で口を塞がれ、私は唸るしかなかった。

 

「静かに。私は変態じゃない」

 

 言葉は柔らかいが、まったく説得力がない。

 

「私の名はシャルロット・デュノア。君の名は……」

 

 などと問いかけながら、後ろポケットから携帯端末を取り出す。

 無断で写メを撮って、何かしらのアプリで照合する。Dunoisを身に着けているせいか「該当無し」という文字が現れた。口を塞いだまま三度同じ事を続けたけれど、ついに諦めたらしい。

 シャルロット・デュノアと名乗った美少女は、

 

「失礼」

 

 と断ってあろうことか制服に手をかけた。身を強ばらせていると大胆にも胸ポケットに指を差しいれ、生徒手帳を抜き取った。

 姉崎特製のレプリカである。

 

「学園は他にも男性搭乗者を隠していた……?」

 

 美少女は聞き捨てならぬつぶやきを漏らした。

 ——二人目の男性搭乗者なんているわけないですよ!!

 美少女の腕を引きはがそうとしたけれど、先ほどからびくともしない。

 次に起こった出来事によって、私はうなり声を中断せざるを得なかった。

 美少女が私の携帯端末を勝手に抜き取る。新しい端末を受けとったばかりなのでロックをかけていなかった。落としても良いようにわざとロック画面を表示させないようにしていたのが裏目に出てしまった。

 美少女は個人情報を見て、安心して、次に落胆(がっかり)した。

 力が抜けたので、掌を剥がして美少女に詰め寄ってみせた。

 

「こんなことして」

 

 強ばった空気をあざ笑うように、美少女は飄然(ひょうぜん)と携帯端末を差し出す。

 

「ごめんね。つい、びっくりしちゃって」

「……そんなこと言っても信じない」

 

 後ずさる。私は開けた空間を求めて身体の向きを変えた。

 

「驚くに決まってる。だって、だって、……」

 

 美少女と距離をあけるにつれて、自然と私の視線が下がっていく。どこを見ているのか気付いて、美少女が声を立てた。

 

「私が迂闊だった。つい、ね。謝るからさ」

 

 私の心が警鐘を鳴らし始めた。見てはならぬ文字とあってはならぬ股間の膨らみをも目にしたのだ。

 

「でゅ……()()()()()()

「見ちゃったか。あっちゃー……」

 

 美少女は弾かれたように声をあげた。

 

「も、も、もしかして。あの、あなたはシャ・ル・ル」

「言わないって約束してよ、ね? ね?」

 

 私はすぐさま出口へと駆けだした。

 ——いやあああ助けて! 変質者がいます!

 

 

 




やっぱりここが一番切りやすかった。


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