アラサー女子による巫女生活 (柚子餅)
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第119季~ 博麗異変
美少女になって若返った私。


 

 ――頭が痛い。

 

 つきつきと喚く頭頂部の痛みで、私は目を覚ました。どうやら地面に仰向けに倒れているらしく、しかも感触から把握するにアスファルトの上ではなく多少の草が生えている土の上だ。

 倒れたまま目も開けずに頭に手を当てると、痛んでいるあたりは膨らんでいて瘤になっている。そうして痛みにしかめながら目を開くと、思いもよらない光景が広がっていた。

 

 空と、森である。澄んだ青空と、太陽と、それをぐるりと囲んでいるのは鬱蒼とした木々ばかり。

 

「どうなってんの……っ?」

 

 思わず口から漏れた声に、つい、喉元を手で押さえてしまった。喉から出てきた声色は、高くか細く、幼さを残す透き通った声なのだ。

 声変わりしてからの私は女性にしては少々声が低かったらしく、カラオケに行くとサビの高音が出なくて苦労するほど。とにかく、私が発した声なのに、自分の声ではないのである。

 

 混乱した頭の中に疑問がいくつも飛び交う中、訳もわからないまま上体を起こして辺りを見ようとすると、まず視界に自分のだろう髪がかかった。

 慌てて頭を触り、髪を摘んでみると明らかにショートだった私より長い。しかも後ろで一くくりにして大きなリボンか何かで留められている。リボンを髪留めに使うなんて小学生以来だ。

 

「何なのこれ……痛っつー!」

 

 髪の毛を引っ張りすぎた所為でこぶが痛む。ふらふらしながらとりあえず体を起こして、立ち上がった。――――明らかに視界が低い。

 あたりを見れば、正面には山へ続いているだろう石段と鳥居、その周囲には木々が生い茂っている。道は踏み固められているが、舗装はされていない。

 頭にたんこぶが出来ているということは、この石段を踏み外して転げ落ち、頭でも打ったのだろうか。問題は、私にこんなところを歩いていた記憶がないということなのだけど。

 あれ? 私目を覚ます前って何してたんだっけ?

 

「いや、そもそも何この服。コスプレ? いい年してこれはどんな罰ゲーム……」

 

 無意識に服についた草やら葉っぱ、土やらを払い落としてからようやく着ている衣服の異常に気づく。

 赤い。ところどころ白い。そしてひらひらである。

 どんな意匠なのか、袖だけ独立していて肩が露出しておる。邪魔でしょこれ? 何なの? 通気性重視なの?

 なんか袖は和服っぽい感じなのに、着ているのは洋服である。ブラしてない。さらしである。意味がわからん。説明して欲しい。

 

「誰か、人は……」

 

 またきょろきょろと見回してみるが、風に木々がざわめいているだけで人の気配は無い。五分ぐらいあたりをうろついてみるも、人っ子一人いない。

 とりあえず人に会いたい。鳥居があるということは、上れば神社がある。きっと管理している人もいる筈だ。

 

 

 

 けっこうな長さの石段を上っていくと、和風な建物が目に入った。紛うことなく神社である。

 もしや拉致られたかと思ったが、とりあえずまだ日本のようである。別人になってるらしいので何も安心できないのだけども。

 それにしても、体の調子がいい。会社勤めで最近はこれといった運動もしてない私が、十分ちょっと勾配のある石段を上って息切れもしていない。足もまだまだ動く。

 

「ごめんくださーい! 誰か、いませんかー!?」

 

 …………。神主か巫女さんかいないかと声をかけるも、返事は無い。

 どこかに出かけているのだろうか。時間をかけて上った石段を下りて森を彷徨いたくもなし、誰か帰ってくるまでちょっと待たせてもらおう。

 

 そうして周囲の探索を始めると、裏手のほうに布団と洗濯物が干してある。ちょっと離れたところにはしんなりした大根数本や柿などが吊るされている。

 秋頃に遊びに行った田舎のおばあちゃんちでこういうの見たことある。切干大根にするのだろう。神社なのに生活臭溢れすぎである。

 

 そんなんなのでてっきり年配の方が管理しているのかと思えば、日当たりのいいところに干された洗濯物は随分と若々しい。赤い。白い。ひらひらしてる。なんか見たことがある。

 ちょうど、私が今着ているような――――

 

「サイズから何から、まったく同じ服だわ……。ああ。それにこれ、あれ。東方なんとかってアニメかゲームかの主人公の女の子が着てる奴だ。ネットで見たことあるもん」

 

 いい年こいて「~もん」なんて口走っていた己に眉をひそめつつ、居住区らしい建物の縁側に腰を下ろす。

 じっと手を見る。白くて細くてちっちゃい。髪を見る。ナイスキューティクル。足。すらっと細い。腕に贅肉は無い。ぷるぷるしてない。あれれ? その癖おっぱいは私と変わらないぐらいあるぞ? おかしいなぁ? おかしいよね?

 深呼吸して立ち上がり、境内の池の水面を覗き込むと、小柄で可愛らしい、十代前半ぐらいの美少女が不機嫌そうに私をにらみつけてきやがった。すっぴんなのに化粧した私より見れる顔。おいおい、将来も有望であるな。

 

「おおう……どうやら私は美人さんになっているようね。人生の勝ち組じゃない! やったー!」

 

 両手を上げて喜んでみる。水面に映った少女が、同性の私でも見惚れる位の笑顔を見せてくれた。

 

「誰よ!?」

 

 目を剥いて叫んだ。

 

 

 

 

 

 混乱による一時間に渡る奇行の数々は私の自尊心を保つために割愛させていただきたい。

 私は境内の砂利をひとつひとつ数える精密作業をやめて、家捜しすることにした。どうやら私が乗っ取ってしまっている少女はこの神社に住んでいるらしいので、もはや遠慮はない。

 そうして判明したことがいくつか。

 

 この少女は『博麗霊夢』という名前らしい。魔理沙という子に宛てた書き損じたらしい手紙(筆と墨である。達筆である)に書いてあった。えっと、よくわかんないけど、名前に霊とか魔とかってつけていいの?

 神社には『博麗霊夢』が一人で住んでいるようである。似たような衣服がいくつか出てきた。使ってない部屋や箪笥が多い。私室らしい部屋は一つだけ。年若い娘が一人暮らしとは物騒である。

 水道は山の方から神社の裏手まで引っ張ってきてるみたいだけど、ガスはない。火を使いたいときは薪を使うのだろう、外に積み上げられている。同様に電気もない。どんな田舎か。

 食糧に関しては、そこそこの量の米、調味料各種、僅かな野菜類と果物。そして結構な量の酒がある。どうやら何らかの仕事をして対価として貰ったもののようだ。

 仕事は巫女だが、主に異変解決アンド妖怪退治とのこと。よくわからないけどお札とかしまってあって、妖魔調伏なんやら書いてあった。妖魔って妖怪でしょ? そんなのいるんだへぇーすっごーい。人間食べちゃうらしいよ。

 

「なるほど。途方に暮れるとはこういうことをいうわけね。この歳になって初めて言葉の本当の意味を知ったわ」

 

 神社では、何の神様を祀っているのかわからない。そのあたりの書物は残っていないようだ。そんなこんななので参拝客は極稀。賽銭も微々たる額。イコール贅沢は敵。

 日本の何処なのか調べたかったのだけど、この辺りは幻想郷と呼ばれる土地であるらしいことしかわからなかった。地図によれば今いる神社が博麗神社という名前で大分端っこの方で、辺りに海はないようである。神社より外――端っこの先は何も描かれていない。

 石段を上ったあたりは周辺を一望できる絶景で、地図と照らし合わせればおおよそ間違いないことはすぐにわかった。ちょっと古いのか、湖にある館のようなところは地図にない。ちなみに、どうやら生活に必要なものは森の向こうの方に見える人里で買っているようである。

 なんで私が『博麗霊夢』ちゃんになっているかはまったく全然わからない。そういえば身体の持ち主はどこいっちゃったんだろう? 頭を打った拍子に昇天しちゃったのだろうか? 謎は尽きない。

 まだ色々と神社のほうには書物があるけど、読み解くには時間がかかりそうである。

 

 さしあたってはここで生きていかねばなるまい。いやまぁ寝て目が覚めたら元に戻っていたらそれがベストなんだけど。

 米はある。油もある。塩やらしょうゆやらの調味料もある。数日は食い繋げるだろう。一人分だから、時々おかゆにしてかさ増し節約すれば二、三週間はいける筈。たぶん。

 問題は今ある分の食糧を食い潰した後である。なんと恐ろしいことに餓死の未来が待っている。

 妖怪とかいうのを倒せば村から食糧を貰えるらしいが、果たしてこの拳で殴って倒せるものだろうか。もしも殴って駄目なら、包丁で刺して殺せるような相手なのだろうか?

 霊力なる不可思議な力を使えていたようだが私にはわからないので、肉弾戦や刃物で御せる相手ならばいいのだけど。

 

「無策でいくのは止めといた方がよさそう。となると、後は自給自足……」

 

 調達する先は、この神社周辺の山か生活用水を引いている川か。川なら川魚を釣るか。山のほうは有名な山菜ぐらいならわかるかもしれない。

 そこで問題が一つ。手紙やらを読むに、どっちも妖怪が出るらしい。というか倒れていたあたり――石段を下りた鳥居のあるとこからもう出てもおかしくないようである。

 

「そう。食糧があるうちにシックスセンスに目覚めねば、餓死するか、妖怪とガチンコして食い殺されるということね。ふふふっ。……とりあえず寝よう。起きていつもの中の上ぐらいに美人な私に戻っていれば何も問題はないわ!」

 

 意味無く笑って現実逃避する少女となった私(二十八歳独身)。前途は多難である。

 

 

 

 



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初めて妖怪に会った私。

 

 私という人間は人付き合いをあんまり好まない人間である。

 コミュ障というわけではない。仕事では当たり障り無く同僚と話せるし、上司との関係もまぁまぁ良好。以前に接客業に就いていたこともあって人見知りするわけでもない。

 ただ、なんというか私生活となった途端にそれらが非常に面倒くさくなるのである。

 

 SNSやらやっていても、必要最低限の付き合いはするものの頻繁に日記を書いたりコメントを残したりすることはしない。

 恋人も告白された相手と付き合ったことはあれど、メールの返信やら予定をあわせての休日のデートやら、自分のペースが崩れるのが嫌になって十日も持たずに別れてしまった。

 気の合う同性の友人だけで、たまたま休日が合った時に飲みや買い物、遊びに行くぐらいが私には丁度いい。あとミニー(ミニチュアシュナウザー♀三歳)がいればいい。

 どうでもいいけど、妙齢の独身女性がペットを飼っているだけで可哀想な目で見られる世の風潮は業腹である。許せん。あ、そういえば母さん、ミニーの世話してくれてるかな?

 

 とにかく、休日には家で自家菜園やったり掃除したり料理を凝ってみたり、ミニーの散歩いったりでマイペースに一人のんびりするのが好きなのだ。

 お陰で、自分のことはある程度自分でこなせるスキルが身についてしまった。図らずも家事の一通りはこなせるような生活を送っていたのだ。

 

 

 しかし、流石に難易度が上がりすぎである。

 電気ジャーを使わずにお米を炊くぐらいなら出来るけど、かまどに火を入れるのってどうすればいいのよ? そもそも火ってどうすれば起きるの? ライターどこ? 火加減の調節ツマミは?

 お湯が出ないから洗い物も常時冷たい水。水がめに溜めた水がなくなったらその都度裏口に汲みにいかなきゃならないし、お風呂に水溜めるのも沸かすのも大変だし。

 万が一参拝客が来たときの為に境内の掃除もしとかないと、次の参拝がなくなるかもしれないので手を抜けないわけである。ギブミー賽銭。賽銭は神社のもので私のものじゃないんだろうけど、巫女だから同じようなものよね。

 

 

 そうして始まった神社での生活であるが、非常に困難を極めた。

 ――朝は日が昇り始める頃に起床。まずは水がめに水を汲むことに始まり、雨戸を開けて空気の入れ替えをする。

 昨夜に炊いたお米の残りに一度沸騰させた水と僅かの塩を加えて、台所に漬けてあったお漬物と一緒に流し込む。食器は水に浸けて、天気と洗濯物の量を確認。乾きそうなら手洗いして干す。たったそれだけでもう昼を回ってしまう。

 お昼を過ぎてからは神社の掃除を始める。境内の掃き掃除、本殿(祭壇がある建物をそう呼ぶらしい)の拭き掃除、居住区の掃除とを敷地内を把握しながら行う。本当は正式な掃除の方法があるのかもしれないけど、文句をつける人もいないので我流である。

 早く終わって時間があれば書物の解読をするつもりだけど、掃除用具を探したりしてると思いの他時間が掛かってしまう。大抵は終わったらもう夕食の準備しなきゃいけない時間である。

 火打石と火打ち金とを使って優に三十分はかけて火を起こして(発火道具一式を一箇所に纏めておいてくれた『博麗霊夢』に感謝である)、お米を炊いて、お味噌汁、それと野菜を使っての小鉢料理を一品。かなり質素だけれど、神社の食料事情ではこれでも精一杯なのだ。

 必要以上によく噛みながらの食事が済んだら、かまどに残った火種をお風呂へ移し、雨戸を閉めて回る。洗い物をしながらお湯を沸かし、終わったらお茶を淹れて一服。

 その後はお風呂に入ってさっさと床に入る。灯りの油も湧いて出てくるわけでもないので、早く寝るに限る。早寝するとなると、自然と起床時間も早くなる。

 

 これが私の一日だけれど、食事は米ばかりで野菜と肉が不足している。早急な食材調達が望まれる。

 こんな食生活じゃ遠からず肌が荒れるようになるだろう。不摂生の末の十数年後の悲惨さを知っているのだ。

 

 

 

 

 

 初日には時間が足らずに夕食も作れず、お風呂にも入れなかった私だったが、人間慣れるものでいくつかコツのようなものを掴むことができた。

 そんなこんなして四苦八苦しながら五日ほど過ごしているうちに、次に何をすれば無駄なく動けるのかわかってきたのだ。

 

 毎日お風呂に入るのは流石に非効率なので、二日か三日にいっぺんにしよう。次の日には洗濯するようにして、その残り湯を使えば水を汲む手間が減る。上下水道完備は偉大なる現代文明の利器。

 早朝で寒くても、水がめに水がなくなる度に行くよりは朝に済ませた方が気分的に楽チン。川の水の煮沸の必要性を腹痛と共に知った。お酒がいっぱいあるから飲みたいけど肴になる食材もそんな時間的余裕もなくて断念する。

 火は、起こすのも消すのも時間が掛かって大変なので、出来る限りまとめて済ませる。よって朝食は火を使わずにさっと済ませるべき。電子レンジほしい。電気ほしい。

 

「……どうしてもこのトイレばっかりは慣れないけど」

 

 なにせ汲み取り式なのである。果たして汲み取り業者(農家?)は山の中ほどにあるこの神社まで来てくれるのだろうか。

 来てくれないんだろうなぁ……。

 

 

 

 試行錯誤しながらも生活が安定してきて、ようやくゆっくりできる時間を作れるようになった。

 今では午前中には掃除も半分終わるようになっていて、昼下がりには湯を沸かし、お茶を淹れて啜る余裕まである。

 テレビもなければ携帯電話もない。パソコンも漫画本も雑誌も音楽プレーヤーもないのだ。時間を潰す娯楽がないと、やるべきことに集中せざるをえない。

 

 さて。『博麗霊夢』ちゃんは結構ものぐさな少女だったようである。

 巫女として何かしなければならないのかといろいろ探してみたけれど、それっぽいので出てきたのは年間の神事日程といくつかの儀式の手順、『神降ろし』の方法、スペルカード決闘法なる巻物ぐらいである。

 特に、『天香香背男命』とかいう神様の力を封じる儀式についてだけは由来やら手順やら一から十まで全て書き記されている。逆をいえば、それ以外はそんな懇切丁寧に書いてあるわけでなかった。

 

 そんでもってそれらを読み終えてしまった私としては困ってしまう。

 なにせ結局巫女さんが何すればいいのかさっぱりわからない。初詣で見かけたぐらいのもので、そもそも神社なんてそんな足を運んだわけでもない。おみくじやお守りを売る人なイメージである。巫女さんごめんなさい。

 ということで、悪いけれどこの神社の神様には我慢してもらうことが決定した。書物に残っている儀式っぽいものはとりあえずその通りにやってみようと思うけれど、しっかりとあがめ奉るのは本職の『博麗霊夢』ちゃんが戻ってきた時に任せよう。

 

 

 妖怪退治に必須なようである霊力については、依然としてどんなものなのかさっぱりわからない。

 出てきた使えそうなものは、お札と針とはたきのような棒。後は私が触るとふわふわ宙に浮かぶ不思議な黒白二色のボールである。

 「破ッ!」とか「滅ッ!」とかそれっぽく言ってお札を投げれば何とかなるのだろうか。針もボールも投げて当てるのだろう。そんな気がする。駄目だったらこの二つの拳でなんとかするしかあるまい。

 ただ、練習台の妖怪がいないから実際に効くのかわからない。試しにいって効かなかったらたぶん死ぬのだ。何とかなってくれる気もするけど……一応、包丁も研いでおこうか。

 

 

 

 

 

 十日が過ぎた。参拝客は一人も来ていない。もちろん賽銭箱の中身も増えるはずもない。

 米はまだ残っているけれど、野菜が尽きかけている。天日干しにしてあった大根も残りはあと半分だけだ。

 今の私の生命線は米と調味料である。栄養が不足している。食物繊維は大事。

 

「そういえば、教科書で見たっけ……食べ物がなくて木の根っこ齧ってたって話」

 

 茹でて灰汁抜きして、やわらかくすればあるいは…………いや、これは最終手段としよう。

 縁側で寝そべりながらごろりと寝返りをうったところで、ゆっくりと上体を起こして振り向いた。

 

「……霊夢。じわりじわりと大結界への霊力を弱めているみたいだけれど、私のお説教が恋しくなったのかしら? 考えにくいことだけれど、まさか、あなたが体調でも崩したの? それとも、私に何か用事でもあるのかしら?」

 

 勘が働いた、とでもいうのだろうか。声をかけられる前に何かの気配を感じて振り向いて見れば、当然のようにそこには女性が立っていた。

 美人な金髪の外人さんである。なんか中国の導師服のような前掛けみたいのを着ていて、全体的に紫。日傘を差していて、妙な帽子をリボンでくくって被っている。なんかふわふわしていて印象が掴み難い。

 見覚えはない。しかし重要人物っぽい。東方とかいうので見たことあるのは、『博麗霊夢』を除けば箒を持った魔女みたいな金髪の子、ウサ耳ブレザーの女の子、銀髪メイドさんぐらいである。

 

「どちらさま?」

「まったく。いつもそうやってつれないのだから。……いえ、ちょっと待ちなさい。これはどういうこと?」

 

 名前を呼んだことから知り合いだと思っていたが、そこそこ親しい間柄のようだ。

 そんな『博麗霊夢』の知り合いらしい女性は眉をしかめて、薄目でじいっと見つめてくる。私はどうしていいものか、ため息をついた。

 しかし何だか落ち着かない。この人が近くにいると違和感がある。ざわざわするというか、なんか普通の人とは違う雰囲気があるというか。

 

「どういうことって言われても。私もよくわかってないのよ」

「意識が浮いている……あの子も随分と浮世からも浮いた子だったけれど、あなたはもう頭一個分浮かんでいる。あなたは誰? 霊夢じゃないのかしら」

「抽象的ね。誰と言われても、石段を転げ落ちて頭をぶつけてからはどうやらこの私よ」

「まさか。記憶が隠されてしまったのかしら。けれど霊力はあるみたいだし」

「ちょっと。会話をしなさいよ」

「あら、失礼いたしましたわ」

「ま、いいけど」

 

 まぁまぁ、何というか話してみても不思議な女性である。見た目は、十代後半に見えるけれど、見た目どおりではないというか。私(二十台後半)よりも遥かに老成している様に見えるというか。

 いや失礼か。しかし、明らかに私よりも十は若く見える相手に敬語を使うのもどうかと思うので、とりあえず普段どおりの口調で話してはいるけど。

 

「たまに覗いてはいたけれど、霊力の質も変わらなければ、いつもお茶を飲んでいるのも普段どおりだったものだから、異常に気づくのが遅れてしまったのは失点ね。とりあえず今が冬でなくてよかったわ。危うく春まで気づかないでいたところよ」

「さらりと言ってもピーピング暴露は許されないと思うわよ」

 

 うふふ、と妖しげな笑声で返す女性。どうもうさんくさい。

 念願の私以外の人に会ったけれど、十日間も一人で放って置かれては、考える時間もあって冷静にもなっている。初日に意味がわからなさ過ぎて枕を涙で濡らしたのも久しい。

 倒れてた日に会ってたら一も二もなく縋りついていただろうけど、他人の身体になっているなんて異常事態を戻す方法が常識的に考えるとあるとは思えない。魔法とかオカルトなものならあるいはってとこだろうか。

 ちなみに妖怪がいる上に巫女さんが霊力で退治しているというので、その辺の認識も「あるんじゃないかなー」という感じに変わっている。希望的観測も多分に含まれているのだけど。

 

 この人に今の私のことを話して、果たして問題は解決してくれるのだろうか。なんかうさんくさいし。

 中身は別人です、どうにかして元に戻せませんかなんていって戻せるものなのか。もし元に戻せるとして、『博麗霊夢』ちゃんが元に戻った時は私が消えるだけなんじゃないだろうか、それ。

 いや、そういえばそもそも何者なのこの人。いきなし背後に気配が現れたけれど。

 

「で、結局、誰なのよあなた」

「申し遅れました。そして、今のあなたには初めましてになるのね。私は八雲(やくも) (ゆかり)。この幻想郷を最も愛する妖怪ですわ。博麗の巫女」

「へえ、妖怪なの。見た目は人間と変わらないのね。てぇいっ!」

「力を持った妖怪は人の姿をとっているもの。私の知っている霊夢は本当にどこかへ隠れてしまったのね」

 

 妖怪だと自称したのでとりあえず紫に拳を振るってみたが、手でぺしんと払われてしまった。あっけない。

 やっぱり駄目だったか。拳ひとつで妖怪退治に向かわなくて正解だったと見える。あ、奥の手の包丁はまだ台所だ。しまった。

 

「いや、お腹いっぱい栄養満点だったならこの拳も紫に届くはず」

「霊力も乗せずに届くわけがないでしょう。やっぱりちょっとだけおかしくなっているわ」

「私が言うのもなんだけど、殴りかかっておいて『ちょっとだけおかしい』で済むって、『博麗霊夢』はどれだけぶっ飛んでたのよ」

「まだまだ誤差程度の範疇ですわ」

 

 紫には登場からずっと敵意がない。だからいきなり殴りかかるという蛮行にも出た私だが、そんな私に対してもまるで母親が幼子をあやすようにしている。

 ぐぬぬと紫をにらみつけていると、当の紫はそんな私を面白おかしそうに笑顔を浮かべている。おのれ。

 

「霊夢の記憶が隠れてしまったことはさておくわ。幻想郷に博麗の巫女がいるのでさえあれば、さほど重要なことでもないのだし。幻想郷は全てを受け入れる。博麗の巫女が、これまでどおり博麗大結界の維持をしてくだされば文句はありませんもの」

「大結界の維持? さっき言ってた霊力がどうこうってやつ? 悪いけど、霊力って言われても私にはわからないわよ」

「あら? でも、弱まってきているとはいえあなたから大結界へ霊力が流れているのは変わらないわ」

「そう言われても。それじゃ紫が私に霊力とやらの使い方を教えなさいよ」

 

 霊力とやらが大結界とやらに流れているらしいが、私は特に何の意識もしていない。大結界への霊力が弱まっているらしいが、それも同様である。

 素直に思ったことを紫へと言ってやったら、耐え切れない、といった風にその紫が声を出して笑い出した。

 

「妖怪の私に、博麗の巫女が霊力について教えを乞いたいと? ふっ、ふふっ! なんとまぁ、面白いことを言い出したものね」

 

 確かに、妖怪といえば霊力というよりは妖力やら魔力やらを使いそうなイメージではある。そんでもって妖怪退治に使う霊力なんてものをその退治される妖怪の紫が使えるとは思えない。

 けれど、今の私は正しく藁にも縋る思いなのだ。

 

「だって! しょうがないじゃない。何もわからないんだから。それに霊力が使えないと、その幻想郷に必要不可欠な博麗の巫女が餓死しかねない緊急事態よ。今の私に必要なのはその大結界よりも今日の糧。食物繊維にたんぱく質、ビタミン各種なのよ」

「まぁ、まぁ。それはそれは大変ね。けれど、そうね。教えてあげたいのは山々なのだけれど、既に使って見せている者に使えない者が教えるのは無理がある。私に出来る事は、ちょっとした助言をすることかしら」

 

 おお、と目を輝かせて身を乗り出した私に構わず、紫は私を見据えて考え込み始めた。

 

「そうねぇ……あなたに足りないものは、自覚かしら。博麗の巫女が誰であるかの」

「おい、それのどこが霊力を使えるようになる為の助言だってのよ。待ちなさい。こら、紫! 勝手に消えるな!」

「ああ。もちろん、ビタミン各種も足りていないわ」

 

 それだけ言い残して、紫は背後に出来たへんてこ空間へと消えていった。すぐに飲み込まれて紫の姿が消えていく。

 ……何それこわい! 

 

「ビタミン足りてないのは自覚してるっていうのに」

 

 消えた空間に向かって、呆然と呟く。

 お助けキャラ登場なのかと思いきや、結局よくわからなかった。紫が何のために私の前に出てきたのかさっぱりである。

 

 それにしても、巫女としての自覚があれば霊力が使えるようになるのだろうか。

 どちらにせよリミットは近い。食糧事情的な意味で。

 

 

 



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現状打破すべく動き出す私。

 

 紫が去ってから途方に暮れていた私は、お茶を入れて桜の木を眺めながら霊力というものについて考えることにした。

 一般的に霊力といえば、たぶん超能力を省いた特殊な能力のことだろう。霊感とか除霊だとか、神様のお告げとか、口寄せとかそういうの。

 んでそういうのって誰が使えるかとぱっと浮かぶのは、お寺のお坊さんとかイタコとかいうおばあちゃんである。あと、当然巫女さんとか神主さんもそういうイメージだ。

 そんな人たちって、修行とかって何をしているんだろう。冷水を被るやつとか、滝に打たれるとか、あと座禅を組んだりすればいいのだろうか。

 

「やってみれば何かわかるかも……」

 

 とりあえず、正座にしていた足を解いて胡坐(あぐら)を組んでみる。けれど……いや、なんか座禅って胡坐とは座り方が違かった気がする。

 ……いいや、覚えてない以上は見本がないと考えてもわからない。このまま胡坐でいこう。それで足のところで手を合わせればいいんだよね。親指を合わせて……。

 

「違う。これやるのはお寺の方だったわ。確か。神社……神社だと、みず? み、みそごり?」

 

 白い和服みたいのを着て、井戸から桶で冷水を汲んで肩からかけるみたいな。あ、思い出したけど、確か(みそぎ)とかTVでやってた気がする。

 しかし今の季節はおそらく秋。ぼんやり眺めている桜も葉が散ってきてて寒そうである。あんまり厚着していない私ももちろん寒い。

 

「パスね。一人暮らしで風邪でも引いてみなさい。栄養も食料も不足している今ならそのまま死ねるわ」

 

 そういえば一人暮らしだと独り言が増えるという話があるけど、あれは事実だと知った。

 ここ十日ぐらい、たまに思ったことを無意識に喋っている時がある。今のもそうだ。

 

「はぁ……」

 

 お茶を一啜りしてから胡坐を解いて、足を外へ投げ出してぱたんと仰向けに倒れる。

 デザートやらジュースやらがない今、私の無聊を慰めてくれるのはこのお茶だけ。しかし、その唯一の嗜好品も今や三番煎じのお茶なのだ。

 まだ多少の余裕はあるとはいえ、お茶は毎日飲んでいるので一回二回程度でお茶っ葉を換えていたらあっという間に底をついてしまう。もはやただのお湯といっていいそれを騙し騙し、自己暗示しながら五番煎じまで頑張っている。

 その茶殻もお米と一緒に炊き込んで茶飯にして再利用しているので、あんまり出しすぎても味や香りももちろん栄養がなくなってしまうのでよくないが、毎日の楽しみがなくなるほうがよっぽど深刻である。

 一度しか出してない茶殻を畳掃除に使ってしまった時の、(流石私ってば物知りじゃない?)なんてドヤ顔してた私を力いっぱいぶん殴りたい。グーで。

 

「それにしても、巫女が誰であるかの自覚ねぇ。そんなの『博麗霊夢』に決まっているじゃないの」

 

 まったく、どっかにいってる『博麗霊夢』ちゃんもいつまでも戻ってこないと、いざ戻ろうと思ったら先に身体のほうが餓死してた、なんてことになりかねないっていうのに。

 

 餓死……。そういえば、餓死って一番辛い死に方だって聞いた気がする。まずい! 死ぬことよりも苦しまなきゃならないことのほうが怖い。

 流石にそろそろのんびりしている場合じゃないことに今更ながらに気づく。ばっと勢いよく上体を起こして立ち上がった。

 

「お賽銭がいくらかあるから、ともかくなんとかして人里に辿り着くのが先決だわ。……残ってたお札って霊力なんかが使えなくても効果ありそうね。とりあえず、念の為に書き写して増やしておきましょう」

 

 

 

 

 ――――そうと決まれば動くだけである、のだが、またも忘れていた事実に直面した。

 

 文具屋に売ってるような(すずり)にそのまま出して使えるような墨汁のボトルが、ここにはない。そして、中から勝手に墨が染み出てくれる筆ペンもない。

 硯と墨と水で、磨らなきゃならないのだ。一から墨を磨るなんて、小学校での書道の時間以来である。宿題に出された書初めではボトルの墨汁使ってたし。禁止されてたけど。

 筆も墨汁も百円均一でいくらでも売っているというのに。私も知らぬ間に大量生産の恩恵に頼りきりになっていたということか。

 

「まぁ、でもこういうのも偶にやるなら新鮮ね」

 

 水を足し過ぎて、想定していたよりも大量の墨汁が出来上がってしまったが、まぁよしとしよう。その分コピーする枚数を増やせばいいだけの話。

 私の書いたお札が妖怪(何故か狼男だった)にびたっと張り付き「GYAAAAA!」とかいって蹴散らされていくのを思い浮かべながらも筆を走らせた。筆を硯に勢いよく突っ込んだ所為で墨汁が紙に跳ねたが、それもまた些細な問題である。

 もう私の気分は書道家だ。なんだか面白くなってきた。

 

「……よし!」

 

 書き終えた渾身の一筆を、見本と見並べる。しっかりと見ながら書いてみた甲斐あってか……うん。まぁ、実は書いてる途中から薄々気づいていたけど、駄目だった。

 まったく似ても似つかない、ミミズがのたくったような字が出来上がった。いや、見本もミミズがのたくった感じだが、あっちはどこか気品のある、時速30kmで地中を進めそうなミミズである。

 私の書いたミミズはさしずめ、池に落下してしまって必死にもがいている弱弱しいミミズである。池の住人であるフナのご飯になる刻限は近い。

 

「まだよ! もしかしたら私のミミズは水泳が得意なミミズかもしれないじゃない! フナになんか食べられてたまるものですか! えーっと、ここが違うわね。ちょいちょいっと。……ん、二度書きって駄目なんだっけ? まぁいいわ」

 

 おかしなところをささっと修正していく。なんかそれっぽくなった気がする。

 

「とりあえず一枚書き上がったわね。この勢いのままもう十枚いってみよう!」

 

 そうして私は、書道の先生がいたら怒られることを更に十回繰り返すことになった。

 

 

 

 

 この博麗神社において、資源は有限であり無駄こそが忌むべきものである。

 であるからして、おそらく投げて使うのであろう『針』に、私は少々の細工を施すことにした。

 

「落っこちてどっかにいっちゃったら、いくら大きいとはいえ見つけづらいのは困るものね」

 

 耳掻きぐらいの長さがある恐ろしいこの針は、私の手元に十と六本ある。今や、結構な存在感を出すようになった。

 朱色の墨があったので、ついでとばかりに塗りたくっておいたのである。三本は針先まで全部塗っちゃったから針の刺さりが悪くなったようだけれど、それに気づいてからの十三本はちゃんと針先以外を塗るようにしてある。

 これが『先見の明』というやつだ。そもそもあのまま投げていたらどこに飛んでいったかも見えづらくってしょうがない。これなら投げてもどこを飛んでいるかすぐわかるだろう。

 

 本当はあの黒白の不思議ボールもなくなったら困るから朱色に塗ってやろうかと思ったのだけれど、投げたら勝手に手元に戻ってくるブーメラン機能がついてるようなのでやめておいた。

 朱墨がもったいないものね。

 

「後片付けが大変だった所為で夜になっちゃったから、明日の昼の出発に変更しよっと」

 

 筆の墨を落としたり、汚れた机を掃除したりしていたら太陽が沈み始めてしまった。さて人里へと出発するべきか、とうんうんと唸って悩んでいるうちに日が完全に暮れてしまう。

 夜は幽霊やら妖怪やらの力が増しそうな感じだし、仕方ない。街灯もないと真っ暗で危ないしね。日の出ているうちじゃないと、きっとお店もやっていないだろうし。

 

「明日には食材も手に入ることだし、今日の夕飯はちょっと豪勢に、おかずをもう一品つけちゃおう! いざという時に栄養不足で動けないんじゃ元も子もないもの」

 

 

 

 

 翌日の夕方。私は、神社にいた。人里に買い物? まだ行ってねーわよ。

 出発予定にしていた正午。掃除を全て終わらせて、お茶(気合を入れるため、古いのと新しいのを継ぎ足しして誤魔化したものではなく全部一番煎じである)を啜り、完全武装で「いざ出陣!」というところで、私はぴたりと足を止めた。

 

 ――なんと情報が不足していたことに気がついたのだ。

 考えてみれば、流石の私も敵の妖怪のことを知らないとあっては不覚をとるかもしれない。一応、念の為、この近辺に出てきそうな妖怪の情報が眠ってないかと書物を漁っていたのである。

 その甲斐あって、アリスという少女の姿をした魔法使いの妖怪がいることを知った。魔法の森を根城にしているらしいので会うことはないだろうし、会っても友好的らしいから危険はないそうだけど、欠かす事の出来ない貴重な情報といえる。

 それ以外の妖怪についての記述は見つからなかったが、そう都合よくいく筈もない。これで満足するしかない。

 

 そうして気がついたらまた、日が暮れていたのだ。まぁ、日が暮れてしまったものは仕方ない。

 予定は明日へ繰り下げとなる。夕食は昨夜に引き続き、明日の出発に備えて、精をつけるために豪勢になった。神社の敷地内から一歩も出ないまま、翌日を迎える。

 

 

 

 

 さて、翌日。いつもどおりブランチを流し込み(ちょっと贅沢に漬け物の量1.3倍増しと二番煎じのお茶を使ったお茶漬けである。とても美味しかった)、掃除まで完璧に終えた私は正午を迎える。

 そこで、ふと思い当たることがあった。

 

 ――神社から歩いて、人里はどれぐらいの距離があるのだろうか?

 もしや、昼に出発していたら間に合わないのではないか。これは念の為午前に出発し、お弁当におにぎりでも持っていったほうがいいのかもしれない。

 いや、初めて歩く道だ。不測の事態を考えたらそうして然るべきだろう。あー、今日はもう午後になっちゃったし今からご飯炊いたら炊き上がりがおやつ時になっちゃうから、明日にしよう。迷ったら危ないし。

 

 

 

 そうして夜を迎え、夕食を作る段になって驚愕の事実が発覚する。

 

「こ、こんなの、絶対おかしいじゃない! いったいどういうことなのよ!?」

 

 ……なんと。ついに、食材が尽きてしまったのである。

 お茶っ葉もあと僅か。お米も明日の昼に作ろうと思っていたおにぎりの分までしかない。台所に残っていた漬け物も、切干大根もすっかりなくなっている。

 計算ではあと三日分は残っている筈なのに、何故こんなに減りが激しくなったのか。

 

 正に、由々しき事態である。あまりの逆境に、絶望が私の身体を包み込んでいた。

 偶然にも避けられない不幸が積み重なったばかりに、私の退路は無慈悲にも断たれてしまったのだ。

 



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人里へ買い物に行く私。

 

 見たことが無い道を歩いて知らない場所へ向かうのは、正直億劫だ。

 プランター菜園や料理や掃除などが半ば趣味になっていた私は、まぁインドア派の人間だ。ミニーの散歩があるので毎日散歩には出ていたけど、基本的には理由なく外には出ようと思わない。

 旅行だって、海外旅行ならば例えタダでも行きたいとは思わない。それなら国内の温泉でゆっくりお酒飲みたい。温泉とお酒は好きだ。

 

 話が逸れたけど、妖怪に襲われるかもしれないというよりも、見慣れぬ土地を歩くことの方が私にとってはちょっとしたストレスになるのである。

 今も、これから見知らぬ土地へ出かけるというだけで心臓はどきどきするし、口の中は緊張で乾いてくる。できることなら我が家(神社)や自分の生活圏内だけでずっとのんびりしていたい人なのだ。

 

 しかし、もうそんなことは言っていられない。何としても人里へと辿り着き、食糧を買い込んでこなければならない。さもなくば今日の夜からご飯抜きの飢える毎日が待っている。

 悲壮な決意を固めた私は風呂敷を手に、外界へと繋がる石段を下り始めた。今日に限っては悠長に掃除している場合じゃない。時刻はまだ、おそらく午前八時ごろである。

 

 

 左手に下げた風呂敷の中には、今日の買い物に備えて様々な用意をしてきた。

 まずは風呂敷が数枚折り畳んで、底板代わりに入ってる。その上には笹の葉で包んであるおにぎりに、水筒が二本。周辺地図、薪運びに使っている麻の手袋。神社にあったありったけのお金。

 その他にはお札二十数枚に、黒白不思議ボールが包まれている。針はいざという時の為、風呂敷に纏めずすぐ取り出せるように右手の袖に隠し持っている。

 おにぎりは具無しの塩握りが二つ。これが最後のお米である。包んだ笹の葉には抗菌作用があると聞いたことがあるので多少時間をおいても大丈夫だと思う。

 水筒は竹の水筒とひょうたんとがあったけれど、竹の水筒には白湯(沸騰させたお湯を冷ましたもの)を。初めて実物をみたひょうたんの方にはお酒を入れておいた。

 ひょうたんといったら中身はお酒に決まってる。小さな頃に教育テレビの西遊記の人形劇で見て、ちょっと憧れてたのだ。

 

「とりあえず人里に着いたら最優先はお米。次点で漬物に出来て日持ちする野菜と、お茶っ葉よね……。お肉とお魚は、余裕があれば。お茶請けにお煎餅も欲しいところだけど、だ、大福とかお饅頭とか売っているのかしら……甘いもの……」

 

 これまで神社では甘いものといえば、お米である。ひたすら噛んで噛んでしていると、口の中の唾液がお米のデンプンを糖に変えてくれるのだ。

 幼稚園生の私に田舎のおばあちゃんが言っていた、おぼろげな、かすれた記憶である。その時の私は面倒くさくて、さっさと飲み込んでた悪い子でした。

 この歳になってからそのことを思い出し、お腹が減った時は一口分のお米をずっともぐもぐしている。口の中はほんのり甘く、満腹中枢も刺激されて、少量のお米でお腹の虫が誤魔化されてくれるのである。

 しかし、そんなことしなくても大福やおはぎにお饅頭だったら、口に入れた瞬間から強烈な甘味を私にもたらしてくれる。そんなのを淹れ立てのお茶と一緒に食べれたら、どんなに……! どんなに……! やば、よだれ出た。

 

「だ、駄目。今は秋だから、そんな贅沢しないで食べ物を買い込んでおかないと。上下水道も整っていないこの幻想郷じゃ、冬になって食べ物が激減するのは想像に難くないわ。キリギリスになるのは嫌。冬眠前の熊の如く、冬に備えなきゃ」

 

 しかし、今の私にとって肥えるということもまた自己防衛である。ダイエットなど必要ないのだ。……そういうわけで、まぁ。これまで質素に頑張った自分へのご褒美ってのも必要だと思うのよね。

 出涸らしのお茶を毎日の楽しみにすることが、どれだけ侘しかったことか。そんな日々を過ごしてきたんだから、お茶請けの一つぐらいあって当然じゃない?

 

 

「……っと、何か、いる?」

 

 考え事に夢中で、無意識に人里へと向かって森の中を歩いていた私だったが、急いで身を翻して木の陰に隠れた。

 ちょうど、紫と会っていた時のような、けれどそれよりずっと弱い違和感を覚えたのだ。

 

 その方向を木の陰から窺うと、空にふよふよと小さな女の子が四人浮かんでいる。見た目は四人ともほとんど同じ、おかしなところは背中から蝶々のような綺麗な薄羽が生えているところだ。

 あと、空に浮かんでるからぱっと見でわからなかったけど、なんか縮尺おかしい気がする。背が低くなった私の、胸辺りまでしかない。体つきは幼児というより小人である。

 

「あれも妖怪?」

 

 なんかのんびり飛び回って、お互いになんか光の弾を投げ合っている。何あれ? 動きはよたよた遅いけど、もしかしてかめはめ波みたいなやつなの?

 それはそれとして、仲間割れなのかな? いや、四人とも笑顔だから遊んでいるのかもしれない。

 さっさとどっか行かないかなーとこっそり眺めていたら、ふと流れ弾がこっちに飛んでくる。反射的に悲鳴を上げそうになった口を閉じて、声を漏らさないように息を殺す。

 大丈夫、私に直撃するわけじゃない。一応、衝撃に備えて身を屈める。

 

「……っ!」

 

 私が隠れている木から、三メートルぐらい先の地面へと光の弾が落っこちた。ぼっ、という音で踏み固められた地面が小さく吹き飛ぶ。

 思っていたほどではなくて、ちょっと拍子抜けである。屈めていた体を起こして、光の弾で吹き飛んだ地面を観察する。

 

 そんなには深く穴が開いてるわけじゃない。少し掘り起こされた程度である。

 ……あれなら、たぶん人に当たっても一発で死んじゃうとかにはならなさそう。ただ衝撃自体は結構大きそうだから、直撃して当たり所が悪かったら気絶ぐらいするかもしれないけど。

 妖怪は人を食べるらしいので、気絶させられたらそのまま食べられるだろうことを考えると楽観視はできないけど、覚悟しとけば何発かは耐えられそうである。当たったら肉が弾け飛んで即死という訳ではなさそうだ。

 

 光の弾合戦をしていた少女たちはそのうちの一人が被弾したことで一区切りついたらしく、きゃっきゃうふふと笑いながら四人揃って仲良くどこかへ飛んでいった。飛んでった先が、私が向かう人里方向ではなかったのでひとまず一安心である。

 どうやら私の針(朱色)が血の色に染まるのはまだ先のことのようだ。まぁ、あんな風に妖怪が空を飛ぶものとは思ってなかったので、地上から針を投げても届かないし当たらないから、さながら竹やりvs爆撃機のワンサイドゲームだろうけど。

 こそこそと木の陰から辺りを見回し、変な気配がないのを確認して私はまた歩を進めることにした。

 

 

 

 

 せっかくのお出かけ。正直、人里から帰ったらまたしばらく神社に引きこもる生活になる未来が見える。出不精の自覚はあるのだ。

 どうせなので、私は神社と人里とを繋ぐ森を軽く散策していた。ちょっとした探し物である。きょろきょろと見回せば、お目当てのものはすぐに見つかった。

 

「これこれ、おばあちゃん子で良かったわ」

 

 落ち葉に隠れて落ちている、小さな茶色の実。どんぐりである。

 どんぐりは木の実の総称で、いくつかの種類に分かれていてその中には生で食べられるものもある。田舎のおばあちゃんに、生で食べられるどんぐりと、それが生る木を教えてもらっていたのだ。

 

「ま、二十年ぐらい前のことだから、どの木のどんぐりが生で食べられるのかさっぱり覚えてないけど。とりあえず灰汁抜きさえしちゃえばどの種類でも食べられる筈だし、持てるだけ拾っておきましょ」

 

 一番大きな風呂敷に包んで、ぐるぐると端を捻って中身がこぼれ落ちないようにしてから背中に背負う。

 お金をかからない、貴重な食糧だ。こころなし背負ったそれが中身以上に重たく感じる。

 

「ん? この酷い臭いは、えーっと……あ、やっぱり、イチョウの木! 銀杏もあるわね! お酒の肴ゲット! 念のため軍手を持ってきてた私えらいっ!」

 

 あまり人が立ち入らない森なのだろう、臭いを辿ればすぐ見つかった。

 薪運び用に使っている手袋を取り出して、熟れててもあまり実が潰れていないのをせっせせっせと一番小さな風呂敷に包んでいく。風呂敷は中からの汁やら臭いやらで犠牲になるだろうが、背に腹は変えられない。

 実から種子を取り出したり乾燥させたりの手間は面倒だけれど、煎って塩を振ると絶品である。食べ過ぎは中毒になるので注意。あんまり拾いすぎても止まらなくなりそうだし、臭いも結構すごいので拾うのはほどほどにしとこう。

 流石にこれを持って人里まで行くと服や体に臭いがつきそうだし里の人にもいい迷惑なので、包んだ風呂敷は獣道の側にあるちょっと高い木の枝に縛って吊るしておく。帰り際に回収すればいいだろう。

 

「キノコもちょくちょく見かけるけど、流石に素人目には毒キノコの判別は難しいし。あんまり人の手も入ってないみたいだから栗とか柿とかあれば採り放題なんだろうけど、この辺りにはちょっと見当たらなさそうね。えっと、他に何か食べられそうなものはー……お、川の側に見えるはオニグルミの木かな。そんなに数もなさそうだけど、クルミが落ちてたら拾って銀杏の風呂敷と一緒にしておこうっと。もう。こんなことならもっと早くこの辺の散策をすればよかったわ」

 

 おばあちゃんの知恵フル活用である。こうして人々の知恵は次代の子々孫々へ受け継がれているのだろう。

 今のところ全然まったくそんな予定はないが、結婚して子供が生まれたらこの知識を授けてあげることを決めた。私みたいに、無人神社サバイバル生活をしなきゃならない時に役に立つ筈である。

 

 

 

 

「……疲れた。帰りたい」

 

 あの後、空飛ぶ妖怪小人少女(恐らくコロボックル的な妖怪)が飛んできたり遊んでいるところから幾度か隠れてやり過ごし、空飛ぶ妖怪毛玉(恐らくケサランパサラン的な妖怪)から全力で逃げ、丁度昼ぐらいに人里へとたどり着くことが出来た。

 勢いのまま拾いまくった木の実やらの重さで移動速度が落ちてなければ、あと十五分は短縮できた筈である。そもそも途中森に寄り道しなければ、もう一時間は早く辿りつけていたことだろう。

 

「あ、ええと。博霊神社の霊夢さま?」

「はい、こんにちは。お勤めご苦労様」

「は、はい。どうも……」

 

 里の入り口には棒を持った見張りだか警備だかの二十歳ぐらいの青年が立っていたので、挨拶しておく。なんだか歯切れが悪いのと私を見て呆然としているのに気づいたが、気にしないことにする。

 二十歳そこらということは、仕事についたばかりの新入社員のようなものだろう。社会の歯車に組み込まれたばかりのひよっこどもはたまにこちらの想定を超えた理解不能な行動をするものだ。

 

 そうして人里の通りを歩き始める私だったが、なんというかやはりというか、何時代なの? といった風情である。

 住民は前合わせの着物っぽいのを着ていて、生活は教科書で見た明治・大正・昭和初期やらを髣髴とさせる。たまたま山に建っている神社が文明社会から爪弾きにあっているのではないかという期待は崩れ去った。

 ここに辿り着くまでの道が舗装されていなかったり、筆記用具が筆と墨だったり、お金が一円札だったりで半ば予想できたことではあるが、ちょっとばかり精神的ダメージが大きいです。

 贅沢は言わないから、せめて神社に下水道を引きたい。

 

 さておき。食糧の買出しである。

 大通りを歩いていれば、まず米屋が見つかった。店にいるのは店主らしき小太りしたおじさんである。

 

「すいませーん。お米くださいな」

「へい、らっしゃ……は、博麗さま」

 

 それまで声を上げて、笑顔で客に声をかけていた店主は、何やら私が声をかけた途端に顔が引き攣った。

 愛想よく明るく声をかけたのに、何だこの反応は? お客であるというのにあんまり歓迎されてないのはわかった。だが、それより用件が先だ。

 

「とりあえず一月分の米を頂戴。いくら?」

「へ、へえ。お一人一月となるとおおよそ二貫ほどかと。お値段はこれほどになります」

 

 声をフラットに戻した私に、店主はそろばんをぱちぱち。それを私に向けて見せた。

 ……一応しっかり時間をかけて見ればそろばんの数字がいくつであるのかはわかる。けれど、そもそも単位が不明である。

 二貫って何キログラムなのよ? 手持ちのお金も、一円札があったりそれより細かい穴の開いた五円玉みたいなのがあったり、それが束ねてあるのがあったりする。端的に言ってよくわかんない。

 

「高いわ。半値でどう?」

「……は、半値?」

「半値よ」

 

 とりあえず値切る。単位もわからないので、いきなり半分である。

 慌てたのは米屋の店主だ。そりゃそうである。ぶっちゃけるとこんなの交渉でも何でもない。

 

「い、いやいやっ! 博麗さま! この前にあっしが博麗さまに値切りに値切られて、これっきりという約束で特価でお売りさせていただいたじゃありませんか! その後あっし、かかあの奴に叱られたんですよ。それよりも値引けってのは、ちょっとばかしご無体じゃあ……」

 

 ほー。『博麗霊夢』ちゃんてばそんなことをしていたのか。結構いい性格をしてたようだ。道理で声をかけた店主の顔が引き攣ったわけである。

 まぁしかし、中身が変わった私は『博麗霊夢』じゃないのでそんな約束は知らないのだ。なので勝手ながら無効とさせてもらう。

 

「それじゃしょうがないからその時の価格にちょっと勉強してくれたらいいわよ。今は秋。お米の収穫が終わって値下がりしてるでしょう」

「ぐ、ぐむ……いや。あれも秋口の話ですんで、それほど値下がりしてる訳じゃあ……」

「で、売るの? 売らないの?」

 

 以前から結構強引に値切っていたようだし、かなり強気にいっても大丈夫だろう。

 店主の言葉を遮って声を上げると、店主は言葉を切って深くため息をついた。

 

「わ、わかりましたよ! ……へえ、へえ。お売りさせていただきますとも。口じゃ博麗さまにゃかなわねえ。言っときますけど、今回も相場より大分値引いてますんで、他言はなさらないでくださいよ」

「さっすがー。その思い切り、男らしいわよ」

「博麗さまはいつもそれだ。こっちは商売あがったりでさ。まったく。流石に冬になってから来られても、このお値段じゃ出せませんからね」

 

 ほー。やっぱり米の収穫時期である秋が買い時というわけね。

 米を計り始めようとする店主の前に、私はお金類をまとめてある巾着を取り出してどかっと置いた。

 

「それじゃ、それとは別にその値段で向こう三ヶ月分を買い付けとくわ」

「……へ? 買い付けですか?」

「お金は今払っておくから、また一月後に一か月分のお米を取りに来るって言ってるのよ」

「は、はぁ? そういえば、いつも半月分だけ買われていってるのに。今回は何でまた」

 

 突然の話に、店主の目は白黒してる。どうやら、『博麗霊夢』ちゃんはその日暮らしというか、数日分の食料を買っては食べ物がなくなり次第買い物に出ていたらしい。

 妖怪退治を生業としているだけあって、道中の危険もなんのその。外を出かけるのも苦じゃないんだろう。

 しかし、神社から人里までの道のりが命がけの私としては、出来るだけ買出しの回数は減らしたい。外出回数だけ妖怪と会う可能性が上がる。私は、空を飛ぶ妖怪たちからは逃げることしか出来ないのだ。

 

「だって、私一人で全部纏めてなんて持って帰れないでしょう? 本当は、前からまとめ買いしたかったのよ。神社まで届けてくれるっていうならそれでもいいけど」

「いやいや、勘弁して下せえ。うちの丁稚どもを使っても、運んでるとこを妖怪に襲われたら一発だ」

「だから、毎月私がわざわざ里まで取りに来るから、そっちで取り置いておいてって言ってるの」

「まぁ、山の神社までお届けすることを考えれば、取り置くぐらいは……。それじゃあ今証文を書きますんで、ちょいとお待ちを」

 

 正直、里まで買出しに来なきゃならないのは私の都合なんだけど、私の言うとおりに危険と手間とを天秤にかけてくれた。そんな義理もないというのに。

 言いくるめられているのに店主は気づいているのかいないのか、うんうん唸ってから折れてくれた。いい人である。

 

「あ、お金はここに置いておくから、勘定も済ませておいて。わかってると思うけど……」

「ええ、ええ。博麗さまからぼったくるなんて恐ろしいことはしませんよ。釣銭が足りないなんて言われたら、あっしの店はどうなることか」

 

 オーバーアクションで身を振るわせた店主は証文を書き上げて、残ったお金の巾着と証文をまとめて私へと渡す。

 念の為、お金を数えているところじっと眺めていたのでちょろまかされたりもしてないだろう。

 

「ちょっとこれから他にも寄るから、後でまた一月分のお米だけ取りに来るわ」

「へぇ、かしこまりました。ご用意しておきますよ」

 

 それを受け取って、懐にしまった私は米屋を出た。さて、お米はよし。次は八百屋やお茶屋さんを探さなくちゃいけない。

 うろうろとあっちこっちに通りを練り歩きながら、まとめて買い物が出来たデパートやスーパーってかなり便利だったんだな、なんてことをしみじみ思った。

 

 

 

 



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能力という不思議を知った私。

 

 米屋を出た私は、次に八百屋で野菜類を買い込むことにした。お米も確かに大事だけれど、今の私に何が不足しているかといえばお米で取れない栄養全般なのである。

 まとめ買いするからと無理やり値引きさせた大根、ごぼう、かぶに里芋、ねぎ、にんじんを風呂敷に包んでいく。八百屋の品揃えが思いの他豊富だったのは嬉しい。きっと、これまで漬物ばかりで不足していた栄養を補ってくれるであろう。

 店頭には他にもサツマイモやきのこ類。イチジクにザクロや柿なんて果物も取り扱っていたけれど、そちらの購入は断念した。持ち帰るものにはお米もあるのだ。これ以上ここで買っていたら荷物が重すぎて神社に帰れなくなる。

 そして、神社の中からかき集めてきたお金はもう三分の一まで目減りしている。まだこのあとにお茶を買う予定なのだ。金銭面的な意味でもこれ以上は使えない。

 そして残念ながら、大福やおはぎ、お饅頭もまたの機会になりそうである。

 

 

 さて、お茶屋さんを探して里の中を歩いていると、里の中心から外れたところに平屋建ての木造の建物を見つけた。茅葺屋根の民家が並ぶ中、他と違って見るからに真新しく建てられたばかりというのがわかる。

 目に付いたのでなんとなしに道を歩きながら建物の中を眺め見ていると、十に満たない子供たちが席について一生懸命に前方を見据えて筆を動かしていた。

 これはあれだ。学校だ。昔だと寺子屋とかいうんだっけ? ちょいと興味を惹かれた私は、建物へと近寄る。どんなことを教えているのだろうか。耳を澄ませてみる。

 

「それじゃあ、ここまでとしようか。今日はいつもよりちょっとだけ多かったから、家でしっかりと復習しておくように」

 

 落ち着いた柔らかい声色で告げられた授業終了の声に、「はーい!」と生徒の子供たちが返事をしてわらわらと立ち上がった。

 どうやら、タイミング悪く授業が終わってしまったところのようである。先生らしい女性が、教室を出て行く前に礼をしていく子供たちに手を振っている。あれはお別れの挨拶なのだろう。

 

「なんか、こういうところは変わらないのね」

 

 幼稚園の頃は一人一人が保母さんに「さようなら」をしていたのを、小学校からは、起立、礼、で揃えてやるようになったんだっけ。

 それでクラスの男子が何人かちゃんとやらないものだから、何故か連帯責任とかいってみんなでやり直させられるのだ。

 

 一番初めに教室を出て行った子供たちが、玄関から出てきて私とすれ違う。まだ昼過ぎになったばかりだが、もう本日の授業は全て終わりのようだ。

 出てきた子供の何人かが私を見て「はくれーさまだ」なんて言って物珍しそうにしている。一人が興味本位で近寄ってくると、それに続いてもう一人、二人と私の傍に群がってきた。

 べったりというわけではなく、見世物にされてるみたいにちょっとだけ離れた位置で囲まれてしまう。まとわりつかれるより対処に困るんだけど、これ。

 

「はくれーさま、何してんの?」

「んー?」

 

 小学校低学年ぐらいの男の子に何をしているかと問われ、私はちょっと返答に困ってしまった。特に何をしていた訳ではなく、興味本位で授業の様子を見てみようと思っていただけだ。

 まごまごしている私に、見かねたらしい別の男の子が声を上げた。

 

「ばかじゃん。買い物してるに決まってんだろ。そんなの、はくれいさまのかっこう見ればわかるじゃん」

「うるせーな! なんだよ、お前には聞いてないだろ!」

「だって、はくれいさまにめいわくだろ! ばかなこと聞いたお前がわるいんじゃん!」

 

 言い合っている男の子二人は、今にも掴みかかりそうな感じでお互いを睨みつけている。

 第一声からなんと十秒で言い争いが始まった。私に質問した子に突っかかった子が余計なことを言ったのが原因だろうけど、どうやらそれも私を慮ってのことなのでなんとも言えない。

 

「こらこら、いきなりケンカしない」

「わあっ」

「うわ」

 

 私に近寄るなりケンカを始めた男の子二人の頭を、近寄っていってぐりぐりと撫でてやる。ケンカしていた男の子はそんなことされるとは思っていなかったらしく、驚いてケンカどころじゃなくなったようだ。

 どうやら子供たちの反応を見るに、博例神社の巫女っていうのはちょっと物珍しい、そんでもって特別な存在なようだ。

 

「おや、なにやら見かけない顔が見えるな」

「あ、けーね先生! はくれーさまが来た!」

「そうだな。この前の授業で話した、幻想郷の端に位置する『博麗神社』の巫女さまだ。最近は里で見なかったが……。いや、そうじゃない。お前たち、家の手伝いがあるだろう。あんまり道草を食わないようにしないといけないぞ」

「はーい」

 

 女性教師がそう言うと、群がっていた子供たちがまたわらわらと散っていく。

 なかなか子供に好かれた先生であるようだ。彼女の言うことを素直に聞くことからわかる。

 

「子供は元気ねぇ」

「ああ、あの子たちからはいつも元気をもらっているよ」

 

 こちらに手を振って帰っていく子供を見送りながら私がぽつりと呟くと、女性は嬉しそうに笑みを作る。

 子供たちの姿が見えなくなったのを並んで見届けると、私と女性は向き合った。

 

 改めて見れば、彼女はちょっと堅苦しそうな出来る女系の美人である。

 見る限りでは十台後半の少女なのだが、この幻想郷ではもう立派な大人なのかもしれない。異様に落ち着いて見える。

 そして驚くのは髪の毛が水色がかった白であることだ。頭の上には何と言っていいのかよくわからない小さな帽子が乗っかっている。

 前合わせの和服ではなく、白いブラウスと青いワンピースを着ている。そしてこの『博麗霊夢』より背が低いのに、私と『霊夢』ちゃんより胸が大きいのだ。おまけに美人ときたら、凄まじい戦闘力である。

 

「何度か見かけたことはあったが、こうして顔を合わせるのは初めてになるな。まだ開校して一月ほどなのだが、寺子屋で子供たちに歴史を教えている上白沢(かみしらさわ) 慧音(けいね)だ」

「ご丁寧にどうも。博麗神社の巫女のようなものよ」

 

 慧音が握手の為に手を伸ばしてくる。私が挨拶になっていない挨拶を返して握り替えそうとすると、慧音は直前になって手を引っ込めた。

 なにやら、私を見てむっと眉をひそめている。

 

「それは職業であって名前ではないだろう? 名前を名乗り返さないのは感心しないな。上の人間がそうでは子供たちに悪影響が出るから、そういう振る舞いは改めて欲しい」

「ああ、悪かったわね。どうも、この名前を私が名乗るのは気が引けていて。とりあえず、博麗霊夢とかいう者らしいわよ」

「はい、よろしく。私のことは好きに呼んでくれ。私も好きに呼ばせてもらう」

 

 改めて、差し出した右手を握り合う。薄く笑みを浮かべる慧音は、私に対しても生徒の子供たちと話すようにしている。

 確かに見た目では『博麗霊夢』より三つは上に見えるが、中身では私の方が遥かに上だというのに。しかし、どうもそれが嫌という感じはしない。

 

「で、霊夢はどうしたんだ? 寺子屋の噂でも聞いて、私の歴史の授業でも受けに来たのか?」

「んー、今ならそれもいいかもしれないわね。幻想郷の歴史には少し興味があるわ」

「そうか。でも残念だが、今日の授業は終わってしまったんだ。明日の辰の刻に来れば、霊夢の席を用意しておくぞ」

「いえ、やっぱり遠慮しておくわ。私が混ざっていたら子供たちが授業にならないでしょ?」

「違いない」

 

 先の、浮き足立った様子の生徒たちの様子を思い返して、二人して、くくく、と笑みをこぼす。

 どうやら慧音は堅苦しいだけかと思いきや、冗談の類がまったく通じないというわけでもないようである。

 

 慧音と応対してからあることを思いついた。慧音が先生だということは、色々と物知りではあるだろう。

 この幻想郷について、ちょっと教えてもらえないだろうか。特に、幻想郷とか妖怪だとかそのあたりのことを。

 

「慧音。良ければ、ちょっとしたお願いがあるんだけど。ちょっとこの幻想郷についてだとか、妖怪のことについてだとか、ついでに博麗神社の巫女の仕事とかについていくつか質問させてくれない?」

「ん? ああ、私にわかることなら別に構わないが……。しかし、博麗神社についてや巫女の仕事については霊夢の方がよっぽど詳しいだろう?」

「んー、それが私、何かの拍子に記憶が飛んじゃってるらしくて、その辺のことが全部抜け落ちちゃってるのよ。神社を漁って私が誰であるかはわかったんだけど、それ以外のことがさっぱりでさあ」

 

 博麗霊夢が記憶喪失しているという、紫がしていた勘違いは私にとってこの上なく都合がいい。私のこの幻想郷における知識や常識は、記憶喪失している境遇とそんなに変わらないのだ。

 実は中身はまったくの別人だなんてことを初対面の人間に伝えても、おかしな人と思われるだけだろう。

 

「ふむ、そうか……。博麗霊夢である記憶が無かったから、自分の名前を名乗りたがらなかったのか。自分が誰であるのかわからず、博麗霊夢であることにもいまいち実感が湧かないというところか?」

「まぁ、そうね。訂正するほど間違っちゃいないわ」

「ということは、知らずにお前に無理強いをしてしまっていたのか。すまない」

「ちょっと、そんなことで謝らなくていいわよ。私も、あの言い様が褒められたものじゃないとは思ってるし」

 

 私をまっすぐ見据えてから深く頭を下げる慧音に、私は慌てる。そうも気にされると、今度は私の良心が痛んでくる。

 私は『博麗霊夢』ではないからそう名乗ることを違うと考えているのは確かだけれど、自分の為に嘘をついているのも確かなのだ。

 

「しかし、そうだな。自分のことさえもわかっていないのなら、相当に困っているんだろう? 一月分の編纂の仕事が溜まっているからあまり時間はかけられないが、ちょっと霊夢の歴史も覗いてみようか。霊夢。二日後の夜は何か予定はあるか?」

「二日後? 別に何かをしなきゃならないなんてことはないけど……歴史を覗くって、何それ?」

「私の満月の時だけ使える能力なんだが、私は隠された歴史を識ることが出来る。知られずに隠れてしまった『博麗霊夢』という人間の歴史を辿れるかもしれない。……ああ、能力についても霊夢は忘れてしまっているのか。この幻想郷に生きる人間や妖怪、妖精などの中には、稀にそういった特殊能力を持つ者がいるんだ」

「へえ。面白いわね。ということは、私にもそういう能力があるのかしら?」

「さあ、そればっかりはわからない。大抵は自覚があるものだし、先天的だったり後天的に授かったり。中には身につけた技術を能力であると自称しているだけだったりもするから、曖昧なものさ。霊夢も、能力が備わっていても気づいていないだけかもしれないし、これから目覚めるのかもしれない。そもそも、能力を持たない者なのかもしれない」

「そ。あれば便利っていう程度のものなのね」

「そうだな。中には能力の所為で生活に支障をきたす者もいるというから、人によってはなくても構わない程度のものだろう。今の私も、さしずめ『歴史を食う程度の能力』っていう、その程度のものさ」

「なるほど。その程度ね」

 

 歴史を食うとか、意味はわからないがもう字面だけですごそうな能力である。何がその程度か。

 でも助けてくれるというので妬みやらの不満は心の奥へ押し留めておく。

 

「もし、お前が博麗霊夢の歴史を知りたいというのなら、二日後の夕方にこの寺子屋まで来てくれ。ちょっとばかり霊夢も驚くことになるかもしれないが、もしかしたら私の能力がお前の力になれるかもしれない」

「そんなの、願っても無いことだわ。本当に助かるけど……でも、なんでそんな風に会ったばかりの私を助けてくれるのよ」

 

 あちらにして見れば、これまで見たことがあるだけの面識も無い人間である。私が慧音の立場であればこうも親切になれるだろうか。……たぶんなれないだろう。

 心底不思議そうに問いかける私を見て、慧音は二ッと格好よく笑みを浮かべた。

 

「何。困っている人がいるのなら、手を貸してやるのが人情というものだろう。それに、私は人間が大好きなのさ」

 

 どうやら慧音は、美人さんで面倒見がよく、その上に男前でもあるらしい。

 女子高にいたら、きっと下級生を中心にファンクラブが出来るだろう逸材である。

 

「質問があるなら、その時に一緒に答えよう。疑問に思うことがあれば纏めておいてくれ。これから所用があるんだ。悪いが、それではまたな」

「ええ、また」

 

 背筋をぴんと伸ばして去っていく慧音を、私は半ば見惚れるように呆然と見送っていた。立ち姿もそうだけど、人間もまっすぐである。

 八百屋のおっさんを値切り過ぎて泣かした私は、人間としても女性としても彼女を見習ってちょっと色々と考え直すべきなのかもしれない。

 

 

 



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登場人物に会った主人公の私。

 

 ――――人里。

 神社にあった地図や文献を確認するところによると、幻想郷に住む人間はほとんどがこの里の中で生活しているようである。

 そうでないのは、『博麗霊夢』のように一人でも何とかできる者や奇特な考えを持つ者ぐらいのようだ。

 

 この幻想郷においてヒトは食物連鎖の頂点に立てているとは言えない。というのも、人間を食べる妖怪が存在しているからだ。

 妖怪の中にも人を襲わない人間基準での善良な妖怪はいるが(きっと紫のように人の姿を取っている知恵のある者だろう)、そうでない危険な妖怪の方がよっぽど多い。人間側で妖怪を友人として受け入れているのもまた極僅かであって、大半は恐れて近づこうともしない。完全にお互いを排斥しあっている訳ではないけれども、その溝は深いようである。

 そのうち、特殊な力を持たない一般人が妖怪らに襲われないようするには『群れる』必要があった。そうした人々が寄り集うここ人里では、妖怪は人を襲ってはいけないという取り決めがされている。里の中に限っては安全が約束されているのだ。

 

 そんな事情で、この人里には幻想郷中の人間が集まっているといって過言ではない。

 大変に活気があり、人通りも多い。商店は立ち並び、住居である民家、畑に田んぼなどなど、生活に必要なものはおおよそ人里の中だけで賄える。人間たちが暮らしていけるぐらいに広く、大きく、発展しているのだ。

 道幅の広い大通りを人ごみの中を歩いていた私は、あたりをきょろきょろと眺めながらそれを実感していた。

 

 

 まぁ、それはさておき、困った。

 慧音と分かれた後、私はまず里の外れの方にあった小さなお茶屋さんでお茶っ葉を買った。ここまでは当初の予定通りである。

 問題はその後で、目的を果たし、米屋に買ったお米を取りに戻る途中で、私は道で声を上げて売り歩く行商を見つけてしまったのだ。

 栄養失調気味の私はついつい栄養満点の謳い文句の鶏卵を買い、今夜の献立を考えて一味足りないことに気づいて乾物屋でイワシの煮干を買っていた。幻想郷には海がないらしいのに、青魚をどこで仕入れたのだろう。

 

 そしたらあら不思議。手元には一円札が三枚しか残っていない。これが正真正銘の全財産である。手持ちの、ではなく博麗神社の全財産なのだ。

 イワシの煮干が高いのは海の無い幻想郷ではまぁ仕方ないとして、卵が二個だけなのにけっこうしたのは痛手である。

 米と漬け物、そして味噌を溶いた汁(自己暗示で誤魔化していたけど出汁もとらず具もないものをもう私は味噌汁とは呼ばない)だけで十日ちょっとを過ごしていた所為で、ちょっとだけ『たが』が外れてしまったらしい。

 

 ちなみに、物価から判断するに一円は現代日本でいうところの二、三千円くらいだと思う。つまり手持ちは六千円ぐらいなわけで、これから食糧が値上がりしていくだろう冬を乗り越えなければならないわけだ。

 だというのに、これから先収入を得る当てがない。十日間神社にこもっていたが、賽銭見込みはゼロと思っておいたほうがよさそうな有様である。

 お米は向こう数ヶ月分買い付けといたので大丈夫だとして、それ以外の食糧をなんとかしなくちゃならなくなってしまった。

 

「……ふぅ」

 

 そんなことを考えながら、背負っていた荷物を地面に下ろした。まだ人里の入り口だ。これから神社に帰るつもりなのだけど、その前にちょっと休憩である。

 見通しの暗い先のことを考えてたら気分が萎えてしまった。ほとんど自業自得だけど。

 

「荷物、重過ぎ。もうヤダ」

 

 地面にへたっと座り込んだ。そうしてぼーっと、大きく膨らんだ風呂敷を眺める。

 中に入っているのは、一月分のお米がたぶん六、七キロぐらい。大根にかぶ、里芋、ねぎ、にんじん。他にお茶っ葉。卵、煮干。大量のどんぐり。

 加えて、帰りには銀杏とクルミを纏めた風呂敷を森から回収もしなければならない。

 こんな大荷物だと背負っていても足の進みは遅くなる。妖怪コロボックルもどきからは隠れればいいけれど、追ってくる妖怪ケサランパサランもどきからは逃げられる気がしない。

 

 うむむ、と考え込んでいると、道行く人が座り込む私をじろじろと眺めてくる。座り込んでいる赤白の衣服を着ている私は目立つらしいが、博麗の巫女という特殊性からなのか、誰も声をかけてきたりはしない。

 ……あ、もしかしてすっごい今更なんだけど、この服って巫女服だったりするのかな。他に着る物もなかったから普通に普段着にしちゃってるんだけど、別に四六時中着てなきゃいけないものじゃないんだろうし。

 実は今見られてるのも「何であの人神社でもないのに巫女服着てんのかしら?」とかいう視線なのかもしれない。人里に出る時用に、何着か私服を用意しといたほうがいいのかも。

 

 気がついたら思考がそれて現実逃避をしている。それもこれも目の前に山のような荷物があるからだ。完全に自業自得だけど。

 とりあえず、時間を掛けてでも神社に帰るか、荷物を小分けにして二回に分けて比較的安全に運ぶか。それか別の方法を考えないと……。

 

「あれ? 霊夢じゃない。何をしているのよ、こんな道端で座り込んで。新しい占いでも始めたの?」

「おみくじは売るけど、占い師じゃないわよ。でも当たり外れは似たようなものかも。運気上昇に厄除けのお守りを持ってるけど、今日は効果を実感できてないもの」

「そこは正直に言わず、ちゃんと宣伝しておきなさいよ」

 

 反射的に声を返してしまったけれど、なにやら、神社でもないのに巫女姿の晒し者に話しかける勇者がいるぞ。

 顔を上げると、何か買い物をしていたらしくカゴを抱えたメイドさんが私のことを見下ろしていた。二十歳にはなっていないだろう、背の高いすらっとした銀髪の美人さんである。

 

「あ、見たことある人」

「はぁ? 何を今更」

 

 おっと。言ってから気づいたけど、ネットサーフィン中にたまたま絵を見かけたことがあっただけで、私が実際にこの目で見たわけじゃなかった。

 完全に彼女とは初対面である。

 

「訂正するわ。やっぱり、実は見たことのない人ね」

「そうだったかしら?」

「これに関しては間違いないわ」

「そう言われるとそうだった気がしてきたわね」

 

 私が適当にぶつぶつ言っていただけなのに、気がつけば何故か説得されかかっているメイドさん。

 慧音と同じような仕事が出来るキャリアウーマンのような気配がしたのだが、実は現代日本に蔓延っているような養殖ではない、本物の天然さんなのかもしれない。

 どうやら『博麗霊夢』と以前からの知り合いのようだし、東方なんちゃらに登場してる人物らしいので主人公になってる私を助けてくれるかもしれない。事情を話して、ちょっと助けてくれないかお願いしてみようかな。

 

「で、話を戻すけど霊夢はこんなところで何をしているの?」

「途方に暮れなきゃいけなくて大忙しよ。色々買うものを考えていたら、徒歩で来ていたことを忘れちゃってたのよ。半分くらい」

「忘れちゃったって……それじゃ、もう半分はどこいってたのよ」

「意図的に考えないようにしていたわ」

 

 メイドさんに呆れた様子で言われたが、誰よりも呆れているのは私本人である。

 それもこれも、人里にたどり着くまでに疲れ過ぎたのが原因である。ついつい帰り道に負うだろう疲労と一緒に忘却しようとしてた。

 言われるまでも無く、道中で寄った森で木の実の採集を張り切り過ぎた私の自業自得である。こんな苦境に立っているのは全部私の所為ということだ。阿呆すぎる。

 

 本格的に項垂れ始めた私を見たメイドさんはカゴを抱え直し、右脚に体重をかけて空を仰ぐと大きくため息をついた。

 

「神社まででしょう? ちょっと重いのを我慢して飛べばそんなにかからないじゃない。まったく……私も買い物は済ませたし、しょうがないから荷物を持って行くの手伝ってあげるわよ」

「ん? 飛ぶ?」

「そもそも、何でわざわざ歩いてきたのよ? 神社からここまで歩くとなると結構な距離があるでしょう?」

 

 いや、ちょっと待って欲しい。何を言っているんだこの人は。

 その口振りではメイドさんはもちろん、私までも空を飛べるみたいじゃない。

 

「えっと、私って飛べるの……?」

「飛べないの?」

「飛べたかもしれないわ」

 

 ただ、それは私ではなく『博麗霊夢』ちゃんがではあるが。ん? ……ははぁ、さては、霊力とかいう不思議パワーで空を飛べるようになるのだろう。

 そんでもって、このメイドさんも空を飛べるということは、メイドさんもまたは『博麗霊夢』ちゃんと同じく霊力の使い手ということになる。

 

「……」

「どうしたのよ?」

 

 急に神妙な顔つきになった私の顔を見て、メイドさんは怪訝そうな表情を浮かべる。彼女の問いかけに構わず、私はすっくと立ち上がった。

 流石にあぐらで座り込んで立っている人に頼みごとをするのは礼儀として如何なことか。

 スカートについた砂を払うと、脚の組みを変えてまた地面へと座り込む。――正座である。

 

「霊力の使い方と空の飛び方を教えてください」

 

 そのままの体勢から、深く深く頭を下げた。――土下座である。

 頭を下げているので見えはしないが、通行人の視線が私とその先にいるメイドさんに突き刺さるのがわかった。相手が十も年下であろうと私に躊躇はない。霊力が使えないことには本当に困っているのだ。

 慧音が二日後にやってくれる『歴史を辿る』というのも、たぶんわかるのは『博麗霊夢』が記憶喪失になった原因とかであって、私が霊力を使えるようにはならないだろう。霊力についても手がかり発見である。

 

「ちょ、ちょっとやめなさい! 頭を上げなさいよ! それに、霊力の使い方と空の飛び方を教えてくれだなんてどういうことよ」

 

 肩を掴まれ、半ば無理やりに体を起こさせられた。そのまま、メイドさんに肩をがくがくと揺すられる。

 

「話せば少し長くなりますが……」

「その敬語もやめて! 気持ち悪い!」

 

 メイドさんは自身の肩を抱き、イ~ッっと歯をむき出して体を震わせた。せっかくの美人が台無しなのだが、それでもまだ見れない顔にはならないのだから美人は得である。

 それにしても、誠心誠意を込めてのお願いを気持ち悪いとは失礼なメイドさんだ。そんなに『博麗霊夢』ちゃんは他人に謝ったりしない人間だったのだろうか?

 

 

 

 

 慧音にしたように、私はまたも現在『博麗霊夢』が記憶喪失であるとを説明することになった。

 そのことに、メイドさんは驚きを隠せないようである。まぁ、記憶喪失なんてそのあたりに転がっているような話じゃないか。

 

「道理で、見たことがあるのに見たことがないとかおかしなことを言っていたわけね。私のことも、お嬢さまのことも、紅霧異変のことも覚えていないの?」

「さっぱり何にも。あなたのことも見たことがあった気がしたのかも、ぐらいのものよ」

「そう……それじゃ、改めて自己紹介をしておきましょうか。霧の湖の岬のところに洋館が建っているでしょう? その『紅魔館』でメイドとして働かせていただいている十六夜(いざよい) 咲夜(さくや)よ」

「咲夜ね。よろしく。私は博麗神社で巫女をやっているらしい、博麗霊夢を名乗っていた者よ」

「随分とふわふわした自己紹介ねえ」

「そのまま空も飛べたら言うことはないわね」

 

 咲夜の言うように、結局名前も名乗っていないので自己紹介と言っていいのかわからない。

 思わずといった風にくすっと笑った咲夜は、こほんと咳払いして仕切りを直した。

 

「で、さっき霊夢が言っていたことだけど、生憎私には力になれそうに無いわ。私は空を飛ぶのに霊力も、魔力も、妖力も使っていないもの。厳密には空を飛んでいるわけじゃなくて、自分のいる空間ごと操作して移動させているから飛んでいるように見えているだけ。つまり能力によるものだし」

「なんだ、そうなの。使えないわねぇ。私の喜びを返しなさいよ」

「荷物運びを手伝うっていう話、無しにしてもいい?」

「残念ながらあなたの言質は、大事に大事にとってあるわ」

「……はぁ、まったく。本当、こうして話しているだけだと以前の霊夢とほとんど変わりがないわね。そう感じるのは、私とはそれほど長い付き合いではないからかしら」

「……」

 

 そうなのだろうか。咲夜はそう言うけど、中身は完全な別人なんだけど。

 黙り込んだ私に何を思ったか、咲夜は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

 

「力になれなくって悪いわね。代わりと言ってはなんだけど……」

「……あれ? 咲夜?」

 

 言い終えるなりに、ぱっと突然に、咲夜の姿が目の前から消えた。何が起こったのかさっぱりわからない。

 辺りを見渡す。やはりいない。そうしてキョロキョロとしているうちに、私の足元から荷物が消えていることに気がついた。

 

「そんな! 大金をはたいて買った食材たちがないわ! ……はっ!? まさか咲夜ってメイドとは仮の姿で、実は置き引きだったんじゃ!?」

「誰が置き引きか」

「わっ」

 

 消えた時とは逆に、急に目の前に咲夜が現れて私の頭を叩いていた。先程まで持っていたカゴも見当たらず、手ぶらになっている。

 

「とりあえず足元にあった荷物は神社の賽銭箱の横に置いてきたわよ。まったく、途中で疲れて何度か能力が切れたじゃない。後先を考えずに買い過ぎなのよ」

「何それ? 瞬間移動でもしたの?」

「霊夢から見れば、そう見えるわね。でも、私からすれば一人で苦労して、相応の時間をかけて神社まで運んだのよ。とんだ重労働だったわ、感謝しなさい」

 

 空を飛べるとはいえ、私の荷物を一人で運んでくれたようだ。その意味を理解すると、私の顔が勝手にじわじわと笑みを作っていく。

 これで、帰りに森でちょっとした荷物だけ回収すればいいというわけである。素晴らしい!

 

「咲夜、ありがとう! あなたのお陰で助かったわ!」

「……後は、そうね。霊力の使い方がわからないというのであれば、一度紅魔館に来てみればいいんじゃない? 大きな地下図書館があるから、そこなら今の霊夢が必要としてる本があるかもしれないわよ?」

「お言葉に甘えて、近いうちにお邪魔させてもらうわ。咲夜にはまた迷惑掛けるかと思うけど、よろしく頼むわね!」

「……なんか素直すぎる霊夢って気持ち悪いわね。それじゃ、仕事があるから。先に失礼するわ」

 

 咲夜はまた私が敬語を使った時のように眉根を寄せて渋い顔を作ると、初めからそこにいなかったかのようにぱっと消え去った。また瞬間移動したのだろう。

 身軽になった私はすたすたと歩き出し、足取りも軽く人里の入り口を抜けていく。足取りだけじゃなく気分も軽い。

 霊力についてはわからなかったが、まぁいいか、てなもんである。

 

 しかし、それにしても感謝しろというからこっちは心からお礼を言ったというのに、まさか出てきた言葉が気持ち悪いだとは思わなかった。

 咲夜は、やっぱりずけずけ物を言うちょっと失礼なメイドさんである。秋葉原に棲息するというメイドの媚びっぷりを見習うべきだろう。

 

 



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正体に勘付かれた私。(※)

 

 瞬間移動したという咲夜の言っていたとおりに、私の買った食材は博麗神社の賽銭箱の横にまとめて置いてあった。

 ほぼ手ぶらで帰ってきた私が神社に辿りついた時には既に食材はそこにあったのである。普通に運んでたら身軽な私より遅くなるだろうに、私より早く到着している。

 神社と人里の間の道は舗装もされていない為、徒歩以外の交通手段は限られる。ということは、やっぱり咲夜は瞬間移動したんだろう。

 

 実は、荷物を運ばずに済んで喜んでいたのは人里を出てからの始めの頃だけで、道程の半分ぐらいに差し掛かると本当に神社に荷物が届いているか不安になっていた。

 ほぼお金を使い切った今、買った食材がなくなっていたら餓死へと一直線。そもそも、慧音が言っていた『幻想郷の住民は稀に特殊能力を持っている』ということについても、実際に見たことが無かったのだ。

 まぁ、結果からすれば余計な心配だったわけだけど、ちょっと半信半疑だった咲夜の言う『瞬間移動の能力』が本当だとすると、他の彼女の発言も信憑性を帯びてくる。

 

 私も、霊力を使えるようになれれば空を飛べるようになるのかもしれない。空を飛ぶことは、妖怪退治を生業とする巫女として絶対に必要な能力だろう。

 コロボックルもどきやケサランパサランもどきはふわふわ宙を飛んでいるので、私も空を飛べないことには為す術がないのだ。今日も折角用意しておいたお札や針がまったくの役立たずであった。

 

 しかし、今回人里に出かけたことで、いくつか進展があった。

 『博麗霊夢』がどうして頭にたんこぶを作って倒れていたのかは、二日後に慧音が能力で調べてくれる。霊力の習得についても、紅魔館という洋館の図書館に行けば何か手がかりがあるかもしれない。

 

 

 さて、夕食であるが、最近、ちょっと浪費が目立ってしまっている気がする。

 買い物に備えて栄養を取っておかないとと理由をつけて、外出によるストレスから暴食してしまった。

 食材の補充が済んだ今だからこそ、節制を心がけるべきだ。まして買い物でお金がなくなった今、なおさらである。

 

 でも、いつ産んだかわからない卵は、早めに食べるに越したことは無いわよね? 高かっただけに腐らせたらもったいないし。

 ということで、三品までと決めた献立(ごはん、煮干出汁の大根の葉の味噌汁、塩もみしたかぶ)に、卵そぼろが加わった。久々の味気のある食事である。

 いつも以上に味わって食べていると、幸せ過ぎて涙が出てくる。美味しい食事は生きる活力。今から明日のご飯が楽しみだ。

 

 

 

 

 翌日。湯がいたかぶの葉のお茶漬けを流し込んだ私は、ちょっとだけ張り切っていた。今日はやることがいっぱいだ。

 昨日は掃除をお休みしてしまったし、最近は誰も神社に来ないものだからと手を抜きがちだったので真面目にやることにする。いつもは午前中に終わる掃除を昼過ぎまでしっかりと念入りにやる。

 

 次は食材の下処理だ。まず、大根をひもで縛って、軒下に吊るしておく。食糧が切れ掛かった時に大いに私の食卓に貢献してくれた切干し大根再びである。

 銀杏、オニグルミは、実は食べずに種子を食べるものだ。その為、実を腐らせて種子を取り出さなければならない。

 天日の下に晒して置いたり、土に埋めたり、流水に漬けておいたりと色々やりかたはあるらしいけど、臭いもあるので神社の裏に目印に木の棒を立てて土に埋めておく。

 半月から一月後には実が腐って柔らかくなり、種子を取り出しやすくなっていることだろう。

 次はどんぐり。水に沈めて、浮いてきた古くなったり中身のないどんぐりを取り除く。沈んだ使えるどんぐりは水に漬けたままにして、どんぐりの中の虫を出すのだ。

 このまま一日一回水を換えて、一週間ぐらいすれば虫と汚れが粗方浮いて出てくる。そしたら乾燥させて、殻を剥いてアク抜きだ。

 

 銀杏、オニグルミは、早ければ一月後に食べられるようになるだろう。どんぐりと切干大根は半月ぐらいだろうか。

 どれも保存食になるので、秋であるうちにまた木の実類を拾いに行きたいところだ。

 

 

 さて、どんぐりの処理をしているところに、博麗神社に紫以来の来客があった。

 なんと十日あまりでようやくの二人目だ。博麗の巫女の存在は人里でも有名なのに、肝心の神社が人々から忘れ去られている気がする。

 

「毎度おなじみ、霧雨魔法店の出張販売だぜ!」

 

 いや、この場合、客は私になるのだろうか。魔女が被るような帽子を押さえて、箒に跨って飛んできた金髪の女の子は、箒の持ち手に布袋を下げている。出張販売とか言っていたから、あれが商品なのだろう。

 年齢は、『博麗霊夢』ちゃんと同じくらいだろうか。この子もネットかどこかで見たことがある。東方なんちゃらの重要人物なんだろう。綺麗というにはまだ早過ぎる、可愛い子だ。

 しかし、それはそれとして、物を買うような余裕は今の私には無い。

 

「訪問販売、新聞契約の勧誘はお断りしているわよ」

「なんだよ。お前が食べられるキノコを拾ったら神社まで持って来いって言ったんだろ? 私が食べ切れなさそうだった余りの分だから、お代は特別価格の二束三文だ」

 

 

【挿絵表示】

 

 ふわふわと下降して、箒から下りると石畳に降り立って布袋を掲げる魔女っ子ちゃん。昨日のケサランパサランとコロボックルを見ていたから普通に応対してしまったけども、箒で空を飛んでおるぞ、この子。

 ちなみに、ちらりと見えたスカートの中身はドロワーズである。私が今穿いているのと同じ、幻想郷に来るではお目に掛かったことのない代物だ。幻想郷での一般的な下着なのかもしれない。

 

「あら、そうだったの?」

「そうだったんだぜ。さあさ、遠路遥々(えんろはるばる)お越しになった来賓は熱いお茶をご所望らしいぜ」

「はぁ、わかったわよ。私も動きっぱなしだったし、休憩にしましょ」

 

 水を張った桶から手を抜いて、ぷらぷらと振って水気をきった。

 格安で食材を持ってきてくれたというのならばお客さんだ。言われるがままお茶をお出ししようじゃないか。

 

 

 

 

 魔女っ子ちゃんは縁側に腰掛け、ぶらぶらと脚を揺らしている。

 その横に、盆を置いた。上には湯のみが二つ。生憎お茶請けらしいものがないので、お茶だけだ。

 

「それにしてももう少し早くに来てくれれば人里まで買い物に出なくて済んだかもしれないのに。まったく間が悪いわね」

「おいおい、随分な言い草じゃないか。それだって霊夢が宴会で皆に言ったからだろ。『毎晩、神社を宴会場にしておいて飲むのは代わり映えしないお酒ばかり。どうせなら新しいお酒を持ってくるまで神社に来るな』、なんてさ」

 

 お茶を湯飲みに注いで渡してやると、魔女っ子ちゃんはそれを当然のように受け取り、中も見ずに啜る。熱かったのか、一口啜ってすぐに湯飲みから口を離した。

 お礼の言葉がないのに年長者として一言を……とも思ったが、その辺り阿吽の呼吸で済むほど『博麗霊夢』ちゃんと親しい仲なのかもしれないので黙っておく。

 

「へえ、それじゃ新しいお酒を持ってきたの?」

「……んー、話のネタ程度には。紅魔館から借りてきた酒に魔法の森産の万年茸を漬け込んだ、きのこ酒だぜ」

 

 言って、魔女帽子に手を突っ込んで取り出すと、中から縦に長い瓶が出てくる。瓶の中には木片みたいなものと、薄く茶に染まったお酒が入っている。

 微妙に帽子の空間に収まりきらない大きさな気がするが、まぁたぶん気のせいである。

 

「あら、いいじゃない。で、美味しいの?」

「さあ? 紅魔館の門番に飲ませたら特に美味いとも不味いとも言わなかったぜ。何か言う前に鼻血を噴き出したからな。体の疲れは取れたらしいけど」

「他人で毒見か。悪いことするわねぇ」

「元気になったんだからいいことだろ?」

 

 にいっと人好きする笑みを浮かべた魔女っ子ちゃんは、ちょっと冷めたお茶をごくごくと一気に飲み干した。

 お客さんだというので新しいお茶っ葉で淹れたというのに、何ということを。私はゆっくりゆっくりと味わっているというのに。

 

 なんか悔しいので、空になった湯飲みにお代わりを注いでやるが中身は昨夜から私が使っている四回目の茶っ葉である。

 それを受け取った魔女っ子ちゃんは、見るからに色が大分薄くなったお茶に「これこれ」なんていって嬉しそうに口をつける。……喜んでやがる。

 それから私と魔女っ子ちゃんは二人並んで縁側に腰掛け、無言でお茶を啜る。

 

「ところで、霊夢の姿をしているお前は誰なんだ? 霊夢が私に一番煎じの濃いお茶を淹れたのは初めてだぜ」

 

 私の湯飲みのお茶が半分ぐらいになる頃、魔女っ子ちゃんはこちらに振り向きもしないまま何でもないようにぽろっと声を上げた。

 こちらから説明を始める前に、確信を持って尋ねられたのは初めてである。

 

「どうやらあなたの知っている『博麗霊夢』は頭を打って記憶喪失になったらしいわよ」

 

 けれども、以前からの知り合いらしいから咲夜にもしたような説明しようとは内心で考えていたので、すぐさま言葉を返すことができた。

 三度目ともなれば慣れた物。魔女っ子ちゃんの察しがよくて、むしろ面倒が省けて助かる。

 

「そうなのか?」

 

 咲夜にはあっさり通じた説明をするも、魔女っ子ちゃんはどうにも納得がいかないようで私をじーっと見てうんうん唸っている。

 そうしてそのまま後ろ手に体重を預けて上体をのけぞらせると、空へと顔を向けて目を瞑る。無言になってそのまま数秒。

 

「…………うーん。いや、やっぱり違うな。雰囲気とか話し方とか似てるけど、やっぱり霊夢じゃない。別人だ」

「へえ」

 

 ……どうやら咲夜よりも『博麗霊夢』ちゃんとの付き合いが長いようである。

 そうなると、彼女には記憶喪失だなんて誤魔化さずにしっかりと事情を話しておくべきだっただろうか。

 

「お。感心したってことは、どうやら当たったみたいだな。で、結局霊夢の奴はどうしたんだ?」

「それがわかんないのよ。私は気がついたら頭にたんこぶこさえて倒れてただけだから。中身が別人だなんて言っても信じてもらえそうにないから、記憶喪失ってことで通していたわけ」

「なぁんだ。頭を打ったのは本当だったのか」

 

 本当に残念そうに言う魔女っ子ちゃんだが、興味を示すところはそこじゃないと思う。

 構ったら話が脱線しそうな予感があったので、さっさと次を話すに限る。

 

「それまでは日本の東京に住んでた筈だけど。どうも頭を打った所為か私自身の記憶も曖昧でさあ」

「ニホンのトウキョウ? それじゃ、外界の人間ってことか」

「外界?」

「幻想郷の大結界の外の世界のことさ。ニホンもトウキョウも、たまに幻想郷に紛れ込んでくる外来人がよく言う言葉だからな。あとはケイタイが通じないとか喚いたり、今は何時代とか聞いてくるらしい」

 

 どうやら本格的に同郷の人たちのようだ。まさか、現代日本に幻想郷のような隠れ里が実在していたとは。びっくりである。

 もしかしたらネットでみた東方うんちゃらっていうのも、実話を基にして作られたものなのかもしれない。

 

「その人たちは今どうしてるのよ?」

「運良く保護できた奴は外界に送り返すさ」

 

 言外に、運悪く保護できなかった奴は妖怪に食べられるということだろう。

 そう考えればまず神社に辿りついた私は運が良かったらしい。

 

「で、送り返すってのはどこから? どうやって?」

「ここ、博麗神社で。霊夢が色々やって」

「……その『霊夢』って子は、今私の姿をしている子とは別人よね?」

「姿はお前そのものだぜ。驚くことに中身までそっくりときた」

 

 ということは、今のところ外界である日本に行く方法はないということだ。まぁ、『霊夢』ちゃんの姿である以上、このまま東京に戻っても困ってしまうのだが。

 消沈した私を、面白おかしそうに魔女っ子ちゃんが笑う。気を取り直した私は、姿勢を正して魔女っ子ちゃんに向き直った。

 

「で、えーと、あなた……」

「魔理沙。霧雨(きりさめ) 魔理沙(まりさ)だぜ」

「そう。魔理沙。さっき言ったけど、一応他の人間には記憶喪失ってことで通してるから、悪いけど魔理沙も他の人にはそれで通してくれない? 信じてくれない人も多そうだし、余計な面倒を起こしたくないもの」

「まぁ、そんぐらいなら別に構わないけど。んじゃ、お前のことも霊夢って呼ばせてもらうか。霊夢は、これまでに誰かにその記憶喪失ってことを話したのか?」

「えっと、紫と慧音と咲夜の三人ね。この三人は『博麗霊夢』が記憶喪失だと思っているわ。本当の事情を知ってるのは魔理沙だけよ」

「紫と咲夜か。慧音ってやつは人里に住んでいるとか何かで聞いた気がするな」

 

 うむむむ、と難しい顔をして考え込んでいた魔理沙だったが、何かに気づいたかのように急に俯けていた顔を上げた。

 見れば目の中にはきらきらと星が飛んでいて、満開になった花のような笑顔である。とても可愛らしいのだが、しかし何故今そんな笑顔を浮かべるのか。

 

「いや、しっかし、これは紛うことなく異変だな! 博麗の巫女が別人になるなんて、幻想郷を揺るがす大異変だぜ! それを知ってるのは私だけ! 解決できるのも私だけ! よおし、ワクワクしてきたぁっ!」

 

 がたっと立ち上がり、びしっと空を指差し高らかに宣言する魔理沙。

 それを見て聞いた私は、思わず呆れ返ってしまった。

 

「目の前で人が困ってるっていうのに、何でそんなに嬉しそうなのよ。あんたは」

「そうと決まれば情報収集だ! 捜査の基本は足よりスピードだぜ!」

 

 人の言うことも聞いた様子も無く、立てかけてあった箒に跨り、あっという間に箒星のように山の向こうへ飛んでいく。

 星をばらまきながら尾を引いていくのは、きっと魔法なのだろう。魔女姿だったし。それにしてもすごい速度だ。もう見えない。

 

「……」

 

 縁側には、布袋と一つの瓶。代金の二束三文はまだ支払ってない。

 ……よし、今日の夕飯はキノコ料理にしよう。

 



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おっさん呼ばわりされる私。

 

 本日はお日柄もよく、『博麗霊夢』ちゃんの過去が赤裸々にされるかもしれない良き日である。お金になるとかいう訳でもないのに人情重視で調べてくれる慧音には感謝しよう。

 さて、慧音の言うところによると調べる為の能力は『歴史を食う程度の能力』というらしいのだが、しかし、何でまた歴史なんかを食べようと思ったのか。あんまり美味しそうには思えない。

 そして食べる能力なのに何でか歴史を辿れるのかもまた不思議でならない。その辺歴史に関することなら応用が利くのだろうけど、どれぐらいの精度かわからないのはちょっと不安だ。

 何が言いたいかといえば、慧音に記憶喪失だと嘘ついてることがばれるかもしれない。それが怖い。

 

 

 昨日はしっかり掃除をしたので、今日からまた平常運転である。思うままにはたきで埃を落とし、ほどほどに掃き掃除し、パッと見で綺麗に見える程度に拭き掃除。

 それにしても最近は食生活が改善しつつあって、ある程度の栄養を摂取出来ていたお陰で体のキレがいい。

 ビタミン、食物繊維の不足したこんな食事を十日も続けていれば、霊夢ちゃんも今より五年遅ければまず肌にハリがなくなり、髪の毛先なども痛んでくる。十年遅ければお通じに影響して吹き出物などの二次被害、十五年で色々と回復不能となっていただろう。それを三日程度で回復とは、これが若さか。

 若さの恩恵に気づくのはいつだってそれが失われた時である。仕事終わりの自炊が面倒な時に食べるカップ焼きそばに惣菜のからあげ、ビールの組み合わせはたまらないものだが、一時の快楽に身を任せると取り返しがつかなくなるのだ。

 

 

 さておき、今日は人里にでかけなければならないので先に夕飯を作り置いておく。

 夕方に人里に集合して、用事を済ませて神社に帰ってきてから夕飯の支度を始めていたら、ご飯にありつけるのが日付が変わってからになってしまってもおかしくない。

 最近は起床時間も早いので、そんな時間まで起きているのは辛い。最悪夕食も摂らずに寝てしまうことを考えるなら、今から作っておくしかない。

 

 作り置きするので、今日は料理の順番は気にしない。まずはお味噌汁の出汁を煮干で取る。水に浸して三十分、火に掛けて十分ほど。

 火に掛ければ雑味と風味の強い出汁に、水出しすればあっさりとした出汁になるけど煮干の量を増やす必要がある。つまり水出ししてから火に掛ければそれすなわち最強というわけである。

 ただし煮干で出汁を取るときは火に掛けすぎると魚臭さが強くなってしまうので、時間は正確に。充分に出汁を取って煮干を除いたら、別の鍋に移しておく。

 最後に沸騰しないよう火に気をつけながら味噌を溶かし、刻みネギを入れて火を止めたら蓋をする。

 

 次に昨夜と今日の味噌汁のお出汁に使って、取っておいた小魚の煮干を鍋に。そこに貴重な砂糖としょうゆ、みりんを加えて、弱火に掛ける。

 出汁をとった後の煮干も再利用である。これを捨てるなんてとんでもない。煮詰めて、最後に胡麻(ごま)でも合わせれば立派な佃煮の出来上がりである。

 これまでも小鉢料理の胡麻和えにしたりしてたけど、胡麻は栄養価が高いので結構重宝する。ただし、油分が多いので思いの他カロリーは高い。胡麻ドレッシングなどが好きな人はかけすぎに注意である。

 

 お米に関してはどうしようか。炊いておいてもいいけど、ご飯に限っては電子レンジでもないと温めようがない。

 かといって、帰ってきてから炊いたら火を起こすのも含めると二時間ぐらいかかってしまう。炊いておいて、茹でて保存しておいた大根の葉を刻んで炒めたのと一緒にお湯でもかけて食べるしかないか。

 

 一通りの調理が終わると、おおよそ午後二時ごろだろうか。時計がないので正確にはわからないが、太陽の高さでなんとなくわかるようになってきた。

 しかし、食材があると色々と手が加えられて、料理を作るのも楽しい。買出しに出るまでは食材が少なすぎることと、台所の勝手が違いすぎて腕を振るうことも出来なかったから余計だ。

 冷蔵庫がないので、食材もそれほど日持ちしないのが難点である。足の早そうな食べ物はさっさと消費しないと無駄になってしまう。

 

 

 かまどでお湯を沸かしながら、裏口の日陰に置いてある桶の中の水を換える。水に沈めてあるものは、昨日のどんぐりである。

 殻の中の酸素がなくなったことで中にいる虫が水面に浮いているようになるわけだけど、あんまり姿は見えない。日を置けば出てくるだろうということでまた水に沈める。

 ついでに水遣りもしておく。柔らかく掘り起こした土に、買ってあったネギの切り離しておいた根が植えてある。根っこからちょっと上で切って植えると、また断面から生えてくるのだ。

 これはプランター栽培や水栽培することもできるので、私も東京でやっていた方法だったりする。伸びたところを切って食べられるし、私一人分だったらこれからネギには困らないだろう。

 

 水遣りから戻ると、ちょうどお湯が沸いていたのでお茶で一服する。

 暇があればお湯を沸かしてお茶を飲んでいる気がする。口寂しくなったらお茶、もはや中毒といってもいい。

 

「おっと、今日は丁度よく休憩してるな。霊夢、私にも一杯くれ」

 

 もう少ししたら出発しないと、夕方のうちに辿り着けない。その割に危機感もなくぼんやりと縁側でお茶を啜っていると、昨日聞いたばかりの声が上空から降ってくる。

 私がその姿を認める前に、勢いよく空を滑り落ちてきた。魔理沙は箒から投げ出されるように降りると、がりがり砂利を鳴らして着地する。

 

「別にいいけど。お茶は今日の分の新しいお酒と交換よ」

「おいおい、新しい酒を持ってくるまで来るなって言ってたのは新生霊夢じゃなくて、元祖霊夢だろ。だからもう無効だぜ」

「どちらにせよ私が言ったことなら、今もばっちり有効に決まってるじゃない」

 

 ただし、米屋での『博麗霊夢』がしたこれっきりだったらしい約束は、別人になった私には無効であるが。

 食糧事情が芳しくない現状、貰えるものは何でも貰うに限る。私自身が飲まなくても、人里に持っていけば奇特な人間が買っていってくれるかもしれない。

 鼻血が出ても元気になるならおそらく薬。いいことである。当博麗神社では、あらゆる資源をリサイクルしています。

 

「そういや、昨日持ってきていたキノコはどこに忘れていったんだっけな?」

「まぁまぁ。そんなどうでもいいことを思い出す前にお茶でも飲んでいきなさいよ」

「おう、いただくぜ」

 

 白々しく言った私が立ち上がって湯飲みと新しいお茶の準備を始めると、キノコのことを気にした様子もない魔理沙がどかりと縁側に腰を下ろし、大あくびした。

 魔理沙の分の湯飲みを持って戻ってくる頃には、日差しの暖かさもあってうつらうつらしている。ちなみに、魔理沙に新しいお茶っ葉で淹れてやっても馬鹿を見るのはわかっているので、五回目のお茶だ。

 

「どうしたのよ、そんな眠そうにして。そういえば、異変の捜査とか言って飛んでいってたけど何かわかったの?」

 

 ずずっとお茶を啜ってむにゃむにゃした魔理沙は、被っていた帽子を横に置いた。

 

「いいや、色々心当たりを見て回ったけどさっぱりだった。とりあえず昨日今日で幻想郷をうろうろしていた容疑者五人はとっちめてやったけどな。その後に事情を聞いたら全員白だったぜ」

 

 うろうろしているだけで容疑者扱い、さらに襲い掛かってボコボコにしてから事情聴取。

 この子、完全に警察のご厄介になるほうの人間である。やっていることが通り魔のそれだ。

 

「余計なこといって異変に気づかせちゃったら元も子もないしなぁ。しかし、別の意識を乗り移らせることが出来る奴なんて、そうそういるもんでもない。……いや、この私としたことが事情を知ってる一番怪しい容疑者を忘れてたぜ」

 

 ぼんやりとして、半分閉じかけていた魔理沙の目がぱっと見開かれる。

 置いてあった帽子をさっと取り、被り直した魔理沙はお茶をぐいっと煽って飲み干した。

 

「事情を知ってるって、誰よそれ? 紫?」

「すっとぼけたな。ますます怪しいぜ」

 

 立ち上がる魔理沙に合わせて、隣に腰掛けていた私は見上げるようになる。

 にやっと好戦的に笑った魔理沙の顔が私に向かっていることに気づいて、ようやくその発言の意味に気がついた。

 

「もしかして、私?」

「お、ついに馬脚をあらわしたな! 古今東西、白を切るのは犯人だけと決まってる!」

 

 魔理沙は立てかけてあった箒に跨り、帽子を押さえて宙に舞い上がる。

 ある程度の高さで停止した魔理沙は帽子の中から変なコンパクトのようなものを取り出した。しかし、色々出てくる収納に便利な帽子である。

 

「……」

 

 次に、ごそごそと服を漁ってなんかカードのようなものを用意している。

 私はその間に、飲み干してしまったお茶のお代わりを湯飲みに注いでいた。一応、帰るわけでもなさそうなので魔理沙の湯飲みにも注いでおく。

 

「……おぉーい、霊夢! 私一人で馬鹿みたいじゃないか! いつもの弾幕ごっこの時間だぞ!」

 

 新しく注ぎ直したお茶を啜りながら上空の魔理沙の様子をじーっと見ていると、魔理沙は一向に動かずにいる私に向かって声を張り上げた。

 仕方ないので湯飲みを置き、返事をすることにした。魔理沙の声も聞き取り辛かったので、こっちも聞こえるように結構な大声である。

 

「その弾幕ごっことかいうのは知らないけど、とにかくお断りよー! 空も飛べない、霊力とやらも使えない私が魔理沙とやって勝てるとは思えないもの!」

「はぁっ!? いっつもふわふわ浮いてる霊夢が、空も飛べないのか?」

「言ってなかったっけ?」

「何だよ、聞いてないぜ」

 

 魔理沙は途端に詰まらなさそうな顔になって、ふわっと地面へと降りてくる。

 箒を立てかけ、コンパクトをまたぐいっと帽子に押し込んでから縁側に置くと、またどかりと元の位置に座り直した。組んだ足に肘を置いた魔理沙は、あごを手で支えて、口を尖がらせる。

 そして当然のようにお代わりのお茶を啜りだす。……私が『霊夢』ちゃんとは別人だとわかっているだろうし、そろそろお礼を言うことを覚えさせてもいいのかもしれない。

 

「流石に空も飛べない、霊力も使えないんじゃ霊夢が犯人ってこともないか。しっかし、珍しく当たりだったと思ったんだけどなぁ」

「そんなわけないでしょ。大体、何でまたそんな風に思ったのよ?」

「ん? 霊夢って巫女だろ? 神宿りだか、神降ろしだかっていう儀式で、神様を自分に『降ろす』ことが出来るらしいからな。神様に比べれば、人間の意識ぐらい引っ張ってくるのは簡単だと思ったんだけど」

「神降ろし……ああ、あれね」

 

 神社を漁っていたら、それについて書かれていた書物がいくつか出てきたことを思い出す。

 博麗神社は、神社なのに建物の大半が居住スペースになっている。掃除をしていて気がついたけど、本殿のほうには神降ろしをする為の一室もあった。

 

「ああっ!? もう日が落ち始めてる! 魔理沙、私これから人里に行かなきゃならないのよ。悪いけど今日のところはここまでにしておいて。すぐに出なきゃ!」

 

 そんな風にその部屋のことを思い起こしていると、空が赤く染まってきていることに気がついた。日が暮れ始めている。

 まずい。これでは遅刻しそうである。慧音は時間にも厳しそうだし、寺子屋に着いた時にはもういなかった、なんてことも考えられる。

 

「こんな時間から人里にか? おまけに空も飛べないんじゃ、着くのは夜だろうに」

「出来る事なら神社でのんびりお茶を飲んでいたいけど、夕方に慧音と待ち合わせをしているのよ。『博麗霊夢』のことを能力で教えてくれるっていうからね。本当は、もう少し早く出るつもりだったの」

「……ふーん。そういうことなら、私が後ろに乗せていってやるぜ。私の勘じゃ、その慧音って奴も怪しいしな。付き添いだ」

 

 なにか良からぬことを考えている風な魔理沙に、何だか私は嫌な予感がした。

 私の勘はけっこう当たる。というか、今回は魔理沙に隠す気がない。

 

「後ろに乗せてもらえるのは助かるけど、慧音のことをとっちめるのはやめなさいよ。忙しいらしいのに、私の為に時間を作ってくれるらしいんだから」

「わかってるって。そうと決まれば七人目の容疑者訪問だ」

「わかってないじゃない」

 

 

 一緒に乗せていってくれるというけど、一応針とお札、不思議黒白ボールは持っていくことにする。

 昨日、突然にどこかに飛び出していったことを考えると、途中で気が変わって徒歩になる可能性もありえそうだ。自衛手段もなしに暗くなった森を一人で歩くとかもはや自殺と変わらない。

 

 箒に跨った魔理沙の後ろで、私も同じように跨る。

 スカートなのがちょっと不安だけれど、下がドロワーズなのでまぁいいか。これも下着だけれど、見られてもそんなに恥ずかしくない。

 

「それじゃ、しっかりと掴まってろよ。落っこちても拾いにはいかないからな」

「はいはい、よいしょっと。んー……、私よりか小さいわね。しっかりと栄養取らなきゃ駄目よ?」

「ふぎゃ!」

 

 ふわっと浮かび上がった箒が、がくんと落ちかけた。

 私はびっくりして、つい手に力が入って握り締めてしまう。魔理沙の身体がびくんと跳ねて強張った。

 

「危ないわね」

「おい! おまっ、馬鹿! どこ触ってるんだ!」

「何よ、しっかり掴まってるわよ。あんまり掴むところがなくて不安だけど」

「……いいか、一度しか言わない。上空から振り落とされたくないなら、今すぐその手を離して腕を私のお腹に回せ。そして人里につくまで動かすな」

「もう、わかったわよ。女同士だっていうのに、魔理沙ったら初心ねえ」

「お前がいきなりおっさんみたいなことをするからだ!」

 

 基本的に悪戯っ子のような様子の魔理沙だが、顔を真っ赤にしてぎゃーぎゃー喚いている今は歳相応の少女である。

 普段の魔理沙も良いけど、恥ずかしがっている今の魔理沙も良い。うむ、可愛らしい。

 

 



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初めて空を飛び泣きたくなる私。

 

 魔理沙の箒は結構な速度が出るようである。昨日今日と魔理沙の登場退場を見ていたので予想はついていたのだけど、実際に乗ってみるとより速い。

 我が家にあった親の原付なんかよりも速い気がする。ただ、空を飛んでいるのと風が直接当たる所為で余計に速く感じているだけかもしれない。

 ともあれ、命綱もなければ安心して体を預けておける足場も無い、体一つの初の空中飛行である。

 

「……さ」

「いやー! 流石に人一人乗っけてると、速度が落ちるな。さあ霊夢、もうちょっと速度上げるぜ!」

「…………さ、さ!」

「『ささ』? どうした霊夢? さっきまでと打って変わって随分と静かじゃないか。それになんかガタガタと震えてるし。トイレは次の休憩所までないぜ?」

「さ、さ、ささ、寒いのよっ! 察しなさいよ!」

 

 季節は秋。普通にしていてもかなり肌寒い。上空ともなれば、気温はさらに低い。風が強くて更にドン。

 魔理沙のお腹に回している腕やぴったり体をくっつけている胴体はどういうことなのか風を受けないのだけど、密着していない顔や放り出された足やらには痛いぐらいの冷風が絶えず当たり続けている。

 っていうか、普通に痛い。鼻水がとめどない。寒さのあまり足の感覚なんかは消えつつある。

 

「ん? ああ、そっか。霊力も使えないんじゃそうもなるか」

 

 魔理沙が両手を箒から離し、帽子をがさがさとやって小瓶を取り出している。

 おい、手放し運転とか! 私の命を預けているというのにこの子は! しかし寒すぎて口が開けない。この気温と速度の中、口を開けたくない。

 

「風除けの魔法なんて自分にしか使ったことないからな。上手くいったらご喝采! そら!」

 

 瓶の中身を頭上に放り投げるようにしてばらまいた。中身は粉のようで、魔理沙と私に降りかかる。

 なんかちょっとかび臭いような、薬品臭いような、普段魔理沙から強く香ってくる匂いである。たぶん、ほとんどの人がいい匂いだとは思わない香りだ。私は嫌いじゃないけど。

 

「どうだ? 全部は無理でもちょっとはマシになってる筈だけど」

 

 言われて気づけば、降りかかった粉がきらきらと光って、私と魔理沙の傍を漂っている。

 完全に風を感じなくなったわけではないけれど、だいぶマシになっている。ちょっと風が強い日ぐらいの感じに風が弱まって、ほんのり暖かい。体感温度が大分上がった気がする。

 

「……本当。魔理沙すごいじゃない。便利な魔法ね」

「別に。こんなの、魔法の中でも初歩中の初歩だぜ」

 

 そう言う割には照れくさそうに顔を逸らして、瓶をまた帽子にしまう魔理沙。

 あんまり褒められ慣れてないのだろうか。顔は見えないが耳が赤くなっている。ちなみに私の耳はさっきまで冷気に晒されてたから魔理沙以上に真っ赤になっていると思う。

 

 

 その後、私に褒められて気をよくしたらしい魔理沙が、更に速度を上げた上にアクロバット飛行なんかしたものだから、えらいことになった。

 びっくりして腕の力が緩んで、私の体が箒から浮いたのである。一瞬だけど、体がどこにも接していなかった。ふわっと無重力体験をしてしまった。

 気づいた魔理沙が慌てて方向転換してくれたから大事に至らず済んだけど、あの瞬間は生きた心地がしなかった。本当に走馬灯がちらついたのだ(ちょっと豪華になった最近の夕飯ばっかりだったけど)。

 理不尽にも「だからちゃんと掴まってろって言っただろ」なんてぷんぷん怒っている魔理沙に対して、言葉を返すことも出来ずに私は押し黙る。

 

 というのも、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけだけど、ちびっちゃったのだ。

 いや、ほんのちょっとだけって表現しか見つからなかったからそう言ったけど、実際には全然出てないのよ? 出てなさ過ぎて、むしろちびってないって言い切っちゃっていいぐらい。

 日本語という言語の限界を知ったわ。…………えっと、その。うん。泣きたい。

 

 

 

 

 その後、飛んでいる小さな少女の姿の妖精(妖怪コロボックルもどきではないらしい)を謎のコンパクトでサーチ&デストロイしていく魔理沙。

 コンパクトから出てくるのはビームというかレーザーというか。こちらの姿を視認する前に光に飲み込まれた妖精たちはぷすぷすと煙を上げて墜落していく。

 大虐殺である。正直なところ悲惨すぎるというか見るに耐えない感じなのだけど、私からは何も言えない。

 どうやら魔理沙は、妖精の撃ってくる光の弾を避ける為に動いてさっきみたいに私が落ちないよう、撃たれる前に倒すようにしてくれてるらしいのだ。

 

 それにしてもあのコンパクトみたいなのって武器だったのか。てっきり、あれは変身用の魔法アイテムかと。

 魔理沙も戦う時にはあのコンパクトみたいので変身するのだと思ってた。ムーンプリズムパワーみたいなので。

 ああ、もう最近の子はこれ知らないわ。今の時代はプリキュアか。知ってるの名前ぐらいで、変身に魔法のコンパクトを使うのかまでは知らないけど。

 

「っと、ようやく到着だぜ」

 

 そうこうしている間に、人里に辿りついた。入り口の先にある、少し開けた場所へと私と魔理沙は降り立った。

 歩いて片道三時間の道のりが、なんと三十分に短縮されてしまった。空には真ん丸の満月が薄っすら浮かんでいるが、まだ夕方というほどには空は赤く染まりきってもいない。

 地面を歩くのと違って迂回したりしなくてよかったのと、途中に出てきた妖精から逃げたり隠れたりせず、魔理沙が片っ端から退治してくれたお陰だ。

 

「魔理沙。今度から箒の座るところには座布団くくりつけておいて」

 

 空の旅を終えて久方ぶりの大地を踏みしめた私は、臀部に走る鈍い痛みに苦々しく顔を顰めていた。尾てい骨のあたりが痛い。

 やっぱり箒は掃くものであって乗るものじゃないわ。

 

「何だよ。乗り心地でも悪かったか?」

「普段から乗ってる魔理沙がよく痔にならないものと感心するわ」

「そりゃまぁ。一人で乗るときは、こう、箒に腰掛けるような感じで乗ってるからな。後ろに誰かを乗っけたり大荷物を持ってるときは跨るようにして乗ってるけど、普段はこっちだぜ」

 

 魔理沙は足を揃えて、スカートごと押さえ込むようにして箒の柄をお尻の下に当てる。

 自転車の後ろに乗る時、私たちが『お嬢さま乗り』とか呼んでた乗り方だ。確かにこれなら座る場所が箒の柄でもいくらかマシになるだろう。

 

「そういうことはさっさと言いなさいよ。最初からそっちで乗ったのに」

「後ろにお前を乗っけてると私は跨るしかないからな。運転手ばっかり苦労するのは不公平だぜ。同乗者にもしっかり辛いのを分け合わなくちゃな」

「あんた、わかってて言わずにいたわね」

 

 否定もせずに「へへ」と悪びれなく鼻をこすっている魔理沙を見ていると、どうも怒る気力が失せてしまう。

 呆れる私に気にした様子も無く、魔理沙は魔女帽子をぐいっと被り直した。

 

「で、その第七容疑者との待ち合わせ場所はどこなんだ?」

「容疑者言わない。寺子屋よ。あの真新しい平屋建ての」

「新しい……? ああ、あの三、四ヶ月ぐらい前から何か作ってたとこか。あそこならこっから歩いていけばすぐだな。夕方までもうちょっとあるだろうし、茶屋で時間潰すか」

 

 言って、魔理沙は私の了解も得ずさっさと歩き出してしまう。まだ人里に不慣れな私は、おっかなびっくりで魔理沙についていくことになる。

 歩きながらきょろきょろと辺りを見渡していると、遠く入り口に門番が立っているのが見えた。一昨日に見かけたあの青年だろうか、ここからじゃ判別がつかない。

 そして人里に訪れた時、門番の青年が私を見て戸惑っていた理由が何となく理解できた。『博麗霊夢』はいつも飛んできているから入り口から入ることはしなかったんだろう。

 

 ああ、ついていくのは構わないのだけど、行き先がお店だというなら魔理沙には一言伝えておかねばならないことがあった。

 先を歩く魔理沙に小走りで追いついて、声をかけた。

 

「魔理沙、先に言っておくわ。私はお金を持ってないわよ」

「何だよ。神社に置いてきたのか? ま、帰り際に寄るしな。別に、後で返してくれれば立て替えといてもいいぜ」

「わかってないようだからもう一度だけ言うわ。『持ってないの』。収入がない今、私が所持してるお金は向こう数か月分の食費に消えることが決定しているの。お茶屋さんに行って時間を潰すのなら私は水だけでいいから。もし水がタダじゃない店なら外で待ってることにするわ」

「あー……そっか。うん。その……勝手に行き先決めちゃって悪かったな。ええと、私が誘ったんだし、お茶代ぐらいは出すからさ。代金は気にすんなよ」

 

 ばつの悪そうな魔理沙が、ぽん、と私の肩を叩いた。私は今、明らかに憐憫の眼差しを向けられている。

 いつか収入があったら魔理沙にお返ししてやる。覚えてろ!

 

 ――なんと魔理沙は、お茶屋さんでお茶以外に、餡子のお団子も奢ってくれた。

 久しぶりの甘味は殺人的だった。口に入れた瞬間なんか脳みそが溶けそうになった。幸せ過ぎて死にそう。

 喜びと感動のあまり魔理沙にちゅーしてやろうかと思ったらマジで拒否された。ちょっとショックだ。

 ちなみに、甘味を感涙しながら食べている私を見た魔理沙は、まるで雨の日にダンボールに入れられて捨てられた子犬が餌を貪り食っているのを見ているような表情をしていた。

 

 

 

 

「慧音、お待たせ」

「おお、霊夢か。もしかしたら来ないかとも思ってたんだが」

 

 私と魔理沙が茶屋で時間を潰してから寺子屋に着くと、慧音は入り口に置かれた長椅子に座って本を読んでいた。

 紐閉じになっている本で、ちらっと覗いてみた感じ中身は歴史書のようである。

 

「結構待たせちゃったみたいね。もう少し早く来ておいたほうがよかったかしら」

「いいや、気にしないでくれ。子供たちにどうすればわかりやすく授業内容を教えられるのかはいくら考えても充分ということはないからな。しかし、完全に日が落ちると外は寒い。お前の歴史を調べるのは私の家にしようと思うんだが……そういえば、後ろの少女は誰なんだ?」

 

 慧音がちらと視線を配らせると、その先にいた魔理沙が帽子のふちを持ち上げて笑みを見せた。

 

「霧雨魔理沙。この紅白の知り合いで、付き添いで、行き帰りの交通手段だぜ」

「霧雨? …………ああ、そうか。はじめまして、になるな。私は上白沢慧音。一月ほど前からこの寺子屋で子供たち相手に歴史を教えているんだ。これから里では顔を合わせる事もあるだろう。よろしく頼む」

「へえ、教師か。生憎と歴史にはそれほど興味はないな。ほどほどによろしくしてやってくれ」

 

 手をぷらぷら振り、気の入っていない返事をした魔理沙に対して、慧音は不真面目な生徒を相手するように姿勢を正して見据える。

 教える側に確固とした熱意があれば、意欲の無い生徒にも必ず伝わってくれると信じている目だ。どうやら堅物教師みたいだけど、熱血教師でもあるらしい。

 

「興味が無いとは勿体無いな。正しい幻想郷の歴史を知るのはとても大事なことだぞ」

「何。歴史なんて自分の分だけ知ってれば充分だぜ。そんなに他人に教えたきゃ霊夢にでも教えてやってくれ。ま、私以上に強敵だと思うけどな」

「そうか? 霊夢は興味があると言っていたから、そっちは機会さえあればと思っているんだが」

 

 「なあ?」と慧音に振られて、私は曖昧に笑って返す。確かに、この幻想郷についてをまったく知らなかったから、そんなことを言った覚えがあった。

 特に私が否定しなかったことに、目を剥いて盛大に驚いて見せたのは魔理沙である。

 

「霊夢がか? おいおいおい、まさか! 正気かよ霊夢。歴史なんか知っても飯にありつけるわけじゃあないんだぜ?」

「ところがどっこい。そこの慧音は歴史を食べられるらしいわよ」

 

 私の発言を聞いて目をぱちくりさせた魔理沙は、眉根を寄せると押し黙って考え込み始めた。

 慧音と私をじろじろと見比べて、ぽんと手を打つ。

 

「……そいつは…………そうだな。まぁそういうことなら歴史も悪くない。私も霊夢と一緒に寺子屋に通うかな。しっかし、あんまり歴史は美味そうには思えないけどな。苦そうだぜ」

「甘味の類なら言うことないんだけど。もし塩っ辛くてもお酒の肴にはなるか。しかし、あんたも大概現金なヤツね」

 

 そんなことを話しながらうんうんと頷き合う私たちに、慌て始めたのは慧音である。

 

「いや、ちょっと待ってくれ二人とも。その、期待しているところすまない。盛り上がっているところに水を差してしまうが、別に寺子屋に通ったから歴史を食べられるようになる訳じゃないぞ」

「ん? そんなの知ってるわよ」

「へ? そのぐらい知ってるぜ」

「何だって? そ、そうか。お前たち、二人して私をからかっていたのか?」

 

 私と魔理沙の事前に打ち合わせていたかのような返答に、慧音は頭痛を堪えるようにして頭を押さえてしまった。どうやら本気で勘違いしているんじゃないかと心配になってしまっていたようだ。

 別にからかっているつもりは毛頭なく、いつものように魔理沙とテンポ良く流れに任せて会話していただけだ。しかしまぁ、そんな勘違いをするだなんて、なんとからかい甲斐のある人なんだろう。

 魔理沙なんか、いい遊び相手が出来たといわんばかりの笑顔である。私も、なんだかんだ項垂れている慧音がなんだか面白くて笑ってしまっていたけれど。

 

 それ以後、慧音の私たち二人を見る目が、近年稀に見る問題児のようなものへと変貌していた。

 魔理沙に向けるだけならともかく、私にもとは。まことに遺憾である。

 

 

 



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事実が判明して謎が増えてしまった私。

 

 私と魔理沙が慧音に連れられて向かった先は、人里の中心部から見て外れにあるこじんまりとした一軒の民家であった。

 外見からして建築から結構な年月が経っているようだが、しっかりと手入れしてあるようでまだまだ居住には耐えそうである。

 

「どうぞ、汚いところだが入ってくれ。このあと編纂の仕事があるから大分散らかってしまっているんだが、とりあえず空いている所に座っていて欲しい」

「それじゃ遠慮なく。お邪魔しまーす」

 

 慧音に促されるままにお邪魔させてもらうと、確かに室内は散らかっている。紐閉じの本が積み重なり、あるいは転がっていて、書き物をするための机の上も筆や紙が散らばっていた。

 だがそれ以外の物はしっかりと整頓されてあるあたり、仕事に使うものであるというのは嘘ではないのだろう。魔理沙がこそこそと本を捲って、中身が歴史書の類だとわかるやそっと閉じた。何を考えているかわからないがとにかく残念そうである。

 

「見事に本ばっかりね。……っ?」

 

 空いたスペースに魔理沙と並んで座り、何となしに視線をうろつかせていると急に胸の辺りがざわめき始めた。この感覚は、気のせいでないのなら幾度か覚えのあるものだ。

 魔理沙も同じく何事かを感じ取ったらしく、すぐに動けるようじりじりと中腰になって、魔女帽子のふちに手を当てている。

 

「どうやら、日が落ちたようだな」

 

 室内に感じる異物感。それを覚えた先にいるのは、家主である慧音がいた。

 しかしその様相は大きく変わっている。水色がかっていた白の髪の毛は、緑がかった白色へと。青いワンピースもまた、緑色へと変わっている。

 側頭部からは二本のツノが伸び出てきて、おしりのちょっと上の辺りからはふわっとした毛並みの尻尾が伸びていた。見るからに、人間以外の要素が体のあちこちに現れている。

 そして、今も感じているこの感覚は、紫や妖精が近くにいた時と同じものだ。

 

「慧音?」

「……すまない。やはり、驚かせてしまったか。実は、私は純粋な人間じゃない。半人半獣なんだ。普段は人間なんだが、その……満月の夜に限りこのとおり妖怪になってしまう。歴史を辿ることが出来るのも人間の私ではなく、この姿をしている時の私の能力なんだ」

 

 申し訳なさそうに言いながらも、それまで被っていた帽子を下ろし、代わりにいそいそと左のツノに赤いリボンを結んでいる。

 口ぶりや表情は重大発表という重々しさを出しているのに、シリアスな雰囲気がぶち壊しである。そのあたり、お洒落に譲れないこだわりがあるのだろうか。

 

「わざわざ家に呼んだのも別にお前たちのことを取って食ったりする為という訳じゃない。騙そうとした訳じゃないんだ、信じて欲しい。里の人間も私が半人半獣だと知って尚仲良くしてくれているけれど、それでもこの姿を見たら怯えてしまうかもしれない。だから……」

「はいはい、その辺のことはいいわよ。まぁ、何にも無いところから出たり消えたりする、人間と同じ姿の紫って妖怪に会ってるから別に驚いているわけでもないし。そんなことよりも妖怪になって髪の毛の色が変わったり、ツノとか尻尾が伸びてきたのはいいとして、慧音が着ている洋服は何で色が変わったの?」

「…………は?」

「あ、それは私も疑問に思ったぜ。妖怪になったのに合わせて色が変わったってことは、服も体の一部なのか?」

 

 違和感の正体がわかってさえしまえば無視できる。肌はまだざわついているが、これももうしばらくしたら慣れて気にならなくなるだろう。

 魔理沙と私はそれぞれ板張りの床に楽に座ったまま、懺悔でもするかのように神妙にしている慧音に質問をぶつけてみた。

 

「い、いや。その、身に着けているものが妖気に当てられて一時的に変色しているだけだと思う。満月の夜が終われば衣服も元通りの色になるしな。その、これまでそういうものと思っていたので、色が変わる原理まではわからないんだ。……それにしても、そんなところに着目されるとは思っていなかったぞ」

「本当、不思議よねぇ。私のような生粋の妖怪にはこんな現象は起こらないもの。衣替え出来るのは半人半妖だけの特権だわ」

 

 横合いから、しみじみと上げられた声。噂をすれば影というやつか。いつから居たのか、見れば空中に出来た『割れ目』のようなものに腰掛けた紫が感心した風に慧音を見ていた。

 出現以前にいつもの勘が働かなかったのは、慧音への違和感に気を取られていたからだろう。抜かった。

 

「あーあ、ほれ見ろ。霊夢が迂闊に名前なんか出したもんだから湧いて出てきたじゃないか」

「失礼ね。湧いただなんて人を虫か何かみたいに」

「スキマから出てきて神出鬼没ってところは油虫となんら変わりないな。冬に姿が見えないのもそっくりだ。加えて言えば家の外でも平気で出てくる分、お前のほうがよっぽど性質が悪い」

 

 どうにも、かなり紫をこき下ろした発言だけれど、魔理沙が言うと不思議とあんまり酷い悪口に聞こえない。

 ちょっとした挨拶のようにも聞こえてくる。これも人徳のひとつなのだろうか。

 

「酷い。別に見つけられたからって30人に増えたりしないわよ」

「あんたが30人に増えるほうが絵面的によっぽど酷いわ」

 

 とはいえ、ゴキブリと一緒くたにされたことには変わりない。紫は軽口こそ返すものの、地味にショックだったらしくしょんぼりしている。もしかしたら最後に言い放った私の一言がとどめになってしまったのかもしれないけど。

 でも、気がついたら背後に同じ顔の女が30人、こっちをじっと覗き見ているのを思い浮かべて欲しい。少なくとも私はぞっとしない。

 

「ええ? ちょっと待ってくれ。この人は……? お前たちの言う紫って、あの八雲紫か? 妖怪の賢者と呼ばれている、あの?」

「ワンテンポ遅れてるわね」

「どうやら音速が遅いみたいだな」

「遅いついでに、遅ればせながらお邪魔していますわ」

 

 何やら驚いている慧音に、好き勝手くっちゃべる私たち三人。家主なんて遥か後方に置いてけぼりである。

 それにしても幻想郷の人たちは話していて小気味がいい。私が人と世間話をしていると偶に「返答を明後日の方に飛ばすな。言葉はキャッチボールしろ」なんて指摘されるのだけど、ここでは私のようなのがスタンダードのようである。良き哉良き哉。

 

「で、紫はなんでまたこのタイミングで出てきたのよ?」

「冬になる前に霊夢の記憶がどこにいるのか見つけておこうと探していたのだけれど、今のところ手がかりが掴めていないの。そうこうしている内に、霊夢の歴史を調べると小耳に挟んだのでお伺いしましたわ」

「また私のことピーピングしてたのね、あんたは」

 

 もう犯罪行為をこうも普通に話されると、紫への応対もおざなりになってくる。呆れた様子を見せる私に、紫はてんで堪えた様子は無い。

 まぁ、覗かれようと毎日のんべんだらりとお茶を啜ってたぐらいで見られて困るものでもないのだから別にいいのだけど。

 

「ってことは何か? 紫も霊夢の記憶を戻そうとしているのか?」

「記憶が眠ってしまっただけならば自我と無我の境界をちょこっと交差させればすぐなのだけれど、生憎私の能力は境界を操るもの。存在しているあらゆる事象に境界はあれど、逆を言えば存在しないものに限って境界はない。無いものは流石に私も弄れないわ。せめてどこにいるのかさえ認識できれば、やりようはあるのだけれど」

 

 そうして紫は私を見据えて、薄く微笑む。容易く考えが読み取れない、向けられると落ち着かなくなる笑みだ。

 紫の能力だという『境界を操る』というのをなんとなくでしか理解できていない。出来てはいないのだけれど。発言を鑑みるに、紫は私が霊夢とは違う別の何かだということに気づいているということだ。

 魔理沙も、紫が博麗の巫女の異常に気づいた、異変を解決する上でのライバルであることを認めてちょっとした敵意を紫へと向けている。

 

「つまるところ、目的は同じだから紫もこの場に同席させて欲しいってことでしょ? 慧音。急に悪いのだけれど、紫もいい? 人が多すぎて集中できないっていうなら紫を追い返すけど」

「大丈夫だ。しかし、妖怪の賢者を相手によくも物怖じしないな、お前たちは」

「きっと育ちがよろしくなかった所為ね」

「だな。間違いないぜ」

 

 言って私と魔理沙はお互いを見る。まったく、お礼も言えないような子に育っちゃってお姉さんは悲しい。ちっちゃくてとても可愛らしいのに。

 魔理沙の方も、さも育ちの悪いやつは私だと言わんばかりに見つめてくるが、私は外面はともかく中身は歳を食ってるからいいのだ。仕事中ならまだしも、十やそこらの小娘どもに敬語は使う必要もない。

 

「さて、悪いが少しこの後が押しているんだ。早速だが霊夢の歴史を辿ろうと思うんだが構わないか?」

「ええ、お願い」

 

 私の返事に頷いて返した慧音は、正座をしてから目を瞑り、「むむ……」と唸り始める。

 ……あれ? もう能力を使っているのだろうか。もっとこう、光とか音とかが出るものかと。

 これじゃなんだかどこからかの電波を受信しているみたいだ。頭から生えてるあのツノがきっと受信機なのだ。こうして幻想郷にもハイテクの波が。

 

「む。これは? ……とりあえず、霊夢が神社の石段の下で倒れていた理由はわかったが……」

 

 そんな馬鹿なことを考えているうちに、どうやら『博麗霊夢』の歴史を探り当てたらしい慧音が目を開ける。

 外見的にまったく変化がないままうんうん唸ってただけだったので、歴史を知る能力とやらも見ているだけだとなんだか場末の占い屋みたいである。

 

「気絶をした直前に、博麗霊夢は神社の一室で儀式を行っているな……。行われていたのは、果たしてそう呼称していいのかわからないが『神降ろし』のようなものらしい。この儀式は一月ほど前から準備をして行われたものだ。そして当日、儀式を終えた後に神社に張られた結界――鳥居より外で気を失う必要があったとして、自ら木の幹に頭を打ち付けている」

「…………はぁ?」

 

 自分で頭を打ち付けて、自分から気絶した? 慧音の言ったことが真実ならば、ちょっと危ないんじゃないだろうか。

 ……ど、どうしよう。もしかしたら『博麗霊夢』ちゃんは随分とサイケデリックな子だったのかも。もしくは自傷癖ありの病んだ子か、痛いのが快感な子だったのか。

 体を使っちゃってる私に影響は出ないだろうか。

 

「更に、まだ不可解なことがある。『博麗霊夢』の歴史は頭を打って気絶したところで途絶えてしまっている」

「途絶えた?」

 

 別のことを考えていた所為で、つい脊髄反射的に鸚鵡返ししてしまう。

 

「私の経験上、歴史が途絶えるなんて死亡するでもしない限りはありえない。霊夢はこうして目の前で生きているのに、だというのにお前の歴史が見えないんだ。推測になってしまうが……記憶を失ったことで『博麗霊夢』を自分のことと認識していないからだろう」

「なぁ、慧音。お前の能力は、どれぐらいまで有効なんだ? 例えば……幻想郷の住人が幻想郷の外に行ってしまったらどうなる? そいつの足跡もわかるものなのか?」

 

 私が外界で生きていたことを知っている魔理沙のこの質問は、本来の『博麗霊夢』が代わりに外界にある私の体に入っているかもしれないと考えてのものだろう。

 それは、私も気なるところだ。『博麗霊夢』が私の身体に入って動かしているならいいけど、私の意識だけがこっちにきてたらきっと今頃本来の私の身体は植物人間状態だ。

 

「……私の能力は『幻想郷に起こった歴史しかわからない』。外来人なら幻想郷に足を踏み入れた後のことは歴史に残る。幻想郷で生まれ育った者が外界に足跡を残すのであるなら、それも一つの幻想郷の歴史だ。外界に行ったとしてもかなりおおまかに、最低でも生きているかどうかは辿っていくことが出来るだろう。ただ、人為的に作られた大結界のような区切りではなく、世界がそうあるべくして作った冥界や地獄などに行かれてしまっては私の能力は及ばない。きっと、その者と幻想郷との繋がりが絶たれてしまっているのだと思う」

「ええっと……なぁ霊夢。つまり、どういうことなんだ?」

「ピンと来ないわね」

 

 はっきり言えばさっぱりわからない。日本語なのだろうか。

 そもそも冥界やら地獄やらがこの幻想郷には実在していることを今初めて知った。そこに行ってしまった人のことは慧音の能力では辿れず、『博麗霊夢』の歴史もまた途中から辿れないということは、既に死んでしまったということなのか。

 幻想郷における常識が欠如しているのでなんともかんともである。

 

「……なるほど」

 

 そんな中、一人会得がいった風なのは紫。腰掛けていた『割れ目』――魔理沙がスキマから出てくる云々と言ってたから、これからはスキマでいいか――が閉じられて、ずいと慧音へ身を乗り出した。

 

「半獣のあなたは――――」

「人里で幻想郷の歴史を教えています、上白沢慧音です」

「そう。――――で、半獣のあなたは、こう言っていたわね? 『そう呼称していいものかわからない神降ろしのようなもの』と。それは何故?」

「む……古今例を見ない儀式であったからです。これから歴史に記されるか、あるいは以後歴史の闇に封じられるかする儀式であり、そのどちらにせよまだ名が定まっていません。神々が住まう世界のような、別の位相の高いところから意識を巫女に降ろす。過程は確かに神降ろしと呼ばれるものです。しかし、通常のそれではないようですから」

 

 自己紹介が返ってくる訳でもなければ名乗った名前を呼んでも貰えずに、慧音はちょっとむすっとしている。

 しかし私たちには使わない敬語を使っていることからわかるように、どうやら慧音は紫のことをそこそこ敬っているようで、特に言及はしなかった。

 私も初対面のときにうっすらと感じたことだけど、紫って見た目はこんなでも実はすごいおばあさんなんだろうか。

 

「神降ろし……神の住まう世界のような位相の高いところ。今博麗の巫女としてここにいるのは、神とでも? それにしては俗世的で、不浄が強く、霊夢に似すぎている。神力も霊夢の持っていたそれと変わらない程度では……」

 

 そして当の紫はというと、考え事に忙しいらしく口元に手を当ててぽつぽつと何事か呟いている。

 話しかけても無視されるであろうぐらいには集中しているのが見て取れた。

 

「霊夢。悪いが、私の『歴史を創る』能力でわかるのはこの程度だ。せめてお前の記憶が戻るきっかけにでもなればいいのだけれど」

「正直、何を言われたのかほとんど理解できていないけど、充分よ」

「そうか。助けになれたのなら幸いだ。それとすまない、これから明日の朝までかけて一月分の編纂の仕事があるんだ。家に呼んでおきながら申し訳ないが、今日のところは……」

「ええ。ありがとう。今日は忙しそうだし、また後日人里に来たときにでも改めて挨拶に来るわ」

「ああ、その時はお茶でも飲んでゆっくりしよう。楽しみにしている。魔理沙もよければまた来てくれ」

「お茶の用意があるなら来ない訳にもいかないな」

「せめて口だけでも招待されたならって言っておきなさいよ。ほら、紫。いつまでも呆けてないで行くわよ」

「……」

 

 黙して口も開かない紫を引きずり、慧音の家から出て行くことにした。三人が家の外に出てその玄関の戸を閉めるや、慧音の家からはどさどさと物をひっくり返す音が聞こえた。

 どうやら本当に時間がなかったようだ。あっちこっちへと慌てている慧音の姿が目に浮かんでくる。今夜は徹夜だというのだから、お疲れ様と言う他にない。

 

 

 

 

 結果として今日慧音に調べてもらってわかったことは、『博麗霊夢』は何らかの意図があって自ら頭を打って気絶したこと。

 その直前に、『神降ろし』に似た、別の何かの儀式をやっていたこと。それは一ヶ月もの期間を使って準備した、計画的なものであったこと。

 そして、今現在幻想郷でも、外界と呼ばれている私が住んでいた世界にもおそらくいないだろうことである。

 『博麗霊夢』の行動がある程度判明したことにより、むしろ謎が増えた気がする。

 

 紫の袖を引きながら里の入り口方面へと歩いていく間、紫は文句も言わず、いつしか私に合わせるようにして歩を進めていた。

 そうこうしているうちに、入り口の近くにある、私と魔理沙が里に到着した時に降り立った空き地のすぐ目の前まで来ていた。

 

「きゃあっ!?」

「うわあっ!?」

 

 忘れていたけど、そういえば帰りもまた箒の上か。乗り心地さえよければ速くていうことないのだけど。

 そんなことを考えながら歩いていた私と、箒を用意を始めていた魔理沙は突然に足元に穴が空くといった異常に気づくことが出来ず、見事に足を踏み外してその中へ落下していくことになった。

 ……魔理沙の箒の上でのこともあり、そのうち高所恐怖症になってもおかしくないと思う。

 

 

 



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改めて異変であったことを知った魔理沙。

 

「ぐえっ! げほっごほっ! もうっ、何なのよいきなり!」

「痛ってて。まったくだぜ」

 

 ぐるぐるといくつもの目が見開かれ、墓石やら絵が描いてある板がついた鉄の棒やらがふわふわ漂う、いろんなものが乱雑に散らばった変てこ空間。そこに転がり落ちた私と霊夢は、すぐに別のところへ吐き出されることになった。

 ぼてぼてっと落っこちた先は、見覚えのある参道の上だ。私が打ちつけた尻をさすっているうちに身体を起こした霊夢はあたりを見回している。

 

「あれ? もしかしてここ、博麗神社?」

「みたいだな。こんな人気の無い寂れた場所は幻想郷でも無縁塚かこの神社ぐらいだぜ。……で、いったいどういうつもりなんだ?」

「あら、せっかく運んであげたというのに随分ね」

 

 私が呼びかけるとすうっと目の前の空間に横線が入り、内側から上下に押し広げられる。中からするんと出てきたのはもちろんスキマ妖怪だ。

 背後に見えるスキマの中身は私たちが先ほどまで漂っていた空間と同じものだ。やっぱり紫の奴が私と霊夢の足元にスキマを作って落っことしたようである。

 

「どういうつもりも何も、今回の異変について博麗の巫女に訊いておきたいことを訊くつもりよ。人里でする話でもなし、どうせなら落ち着けるところの方がいいもの。つれてくるのは博麗の巫女だけでもよかったのだけど、魔理沙もこの異変の解決に動いていたのでしょう? 手がかりが少ない今、情報の共有は必要ではないかしら?」

 

 紫が浮かべているのは、いつもの何を考えているのかわからない胡散臭い笑みだ。

 そして薄々感づいていたが、今ので確信が持てたことがある。やっぱり、紫は今のこの霊夢のことを『霊夢』とは呼ばない。呼ぶ時はいつも『博麗の巫女』である。私の記憶にある限りでは、一度たりとも霊夢と呼びかけたことはなかった。つまり、慧音の話を聞く前からこの霊夢が『霊夢』ではないと確信していたのだろう。

 

「へっ! お前が情報の共有だって? いつもは人知れず悪巧みしては勝手に動いて勝手に一人で満足しているっていうのに、随分とらしくないな! どうして、今回に限ってはそんなに焦ってるんだ?」

「焦りもするわ。現状で異変に近しい者はこの場にいる三人。他の者は異変が起こっていることにすらも気づいていない。異変解決をするべき博麗の巫女は力を持たず、その責務は果たせない。前に進めているのかは定かではないけれど、現時点で動けているのは私と魔理沙の二人だけだもの」

「まぁ、そりゃなぁ。今、別の異変が起こったなら霊夢が動けないのは痛手になるかもな。でもそれは代わりを立てれば済むことだろ。私とか咲夜とか、妖夢のヤツとか、代役には事欠かないぜ。外来人を外界に送り返すのだって、霊夢の代わりにお前がやれば済む話だ。そうしたら、冬の間も寝ている暇はなくなるだろうさ」

「……そして何よりの問題は、この通り今回の異変の重大性に気づいているのが私一人しかいないということね」

 

 冗談めかした私に向かって紫はそう言うと、肩を落としてこれ見よがしにため息をついた。

 それがどうにも気に食わない。妖怪の賢者だなんて呼ばれてるだけあっていつも訳知り顔で、こっちの行動どころか考えまで見透かしてます、みたいな顔をする。

 

 だいたい、慧音は歴史が途切れただのと言っていたけど霊夢は死んではいない。今も変わらず、どこかでのほほんと生きているに違いないんだ。殺したって死ぬようなタマじゃないことは、誰よりも私が知っている。

 きっと、時間が経てば何食わぬ顔でひょっこり帰ってくる。あいつに関しては、心配してやったほうが馬鹿を見るのだ。

 

「何だよ重大性って。今回の異変は霊夢の中身がちょっと別のに変わった、ただそれだけのことだろ。霊夢が死んだって訳でもないのに大げさに騒ぎ過ぎだぜ」

「霊夢に関しては心配してはいないわ。あの子のことだから、今もどこかでお酒でも飲んでるかお茶でも啜っているかしていることでしょうし。でも、残された私たちはそうもいかない。霊夢の中身が変わってしまった――ただそれだけのことで、この幻想郷が崩壊してしまうとしたら? 博麗の巫女の機能しなくなった幻想郷はいずれ外界と同化し、このままでは妖怪たちはみな死に絶えていくことになる」

「はぁ?」

 

 何だかいきなり話のスケールが大きくなったな。霊夢の中身がいなくなった途端に幻想郷が駄目になって妖怪全滅とか。

 まったく話の繋がりが見えてこない。風が吹いたら桶屋が儲かる的な話だろうか? 紫が冬眠しなくなったら霧雨魔法店が大繁盛したりするかもしれない。

 

「幻想郷が幻想郷として在れるのは、二つの結界によるものよ。ひとつは幻想郷内部の人妖の均衡を保ち、維持している『幻と実体の境界』。もうひとつは幻想郷の常識と外界との常識との隔たりで構築されている『博麗大結界』。今回、問題となっているのは『博麗大結界』よ」

「『博麗大結界』……」

 

 私だって、その二つについては人並み以上に知っている。この幻想郷で魔法やら妖怪やらを調べていけば、自然と耳に入ってくる知識だからだ。

 とはいえ、『幻と実体の境界』という結界を作り上げた第一人者のご講釈である。何が言いたいかは知らないが、ありがたく聞いておくとしよう。

 

「百数十年前より、博麗大結界の管理においては代々の博麗の巫女が務めてきた。博麗大結界は幻想郷と外界とを隔てる大結界。大妖怪であろうと通れないほど強固ではあるけれど、物理的なものではないから常時博麗の巫女が霊力を注ぎ込まねばならないものではない。幻想郷にいる博麗の巫女の霊力と大結界が反響することで維持されていて、その巫女が意図的に結界を緩めようとしない限りは綻びすらもしない」

「なるほど。巫女だけが結界を緩めることが出来るから、外来人を外界へと追い返す役目がもれなくついてきた訳だな」

 

 つまり、『博麗大結界』は博麗の巫女が幻想郷にいればこれといって霊力を消費することもなく、勝手に存在してくれるという全自動の結界のようだ。

 おまけに、結界を破ろうとしても博麗の巫女以外には手も出せないと。聞けば聞くほど良く出来た仕組みだ。管理する人間が一人だけしかいないってのさえ除けばな。

 

「ここで重要なのは、『博麗大結界』の維持に唯一にして必要不可欠なものが博麗の巫女であるということよ。では、『博麗大結界』に必要なその博麗の巫女がいなくなってしまったら、幻想郷はどうなるのかしら?」

「どうって聞かれてもな。そりゃ、博麗の巫女がいなくなったなら当然大結界も役立たずになるだろ。順当に考えるなら、急にとは言わないまでも大結界が弱まっていっていずれ消えるってところじゃないか?」

「そうね。これまでにも博麗の巫女が不在であった事態はあれど、概ねそのようになったわ。そうして今回もそうなることでしょう。だから人間を食べる妖怪たちも、妖怪退治を生業としている博麗の巫女の殺害は徹底して禁止されていた。――では、今の博麗の巫女のように外側だけが巫女であれば、それは果たして博麗の巫女であると言えるのかしらね」

「む……」

 

 そう言われると、自信はない。中身は霊夢に似てはいるが、あいつは決して霊夢本人という訳ではないのだ。

 おまけに霊力も使えず、空も飛べない。それじゃ霊力があるだけで、人里の一般人と変わらない。

 

「五日ほど前までは、どういう理屈なのか中身が別モノである博麗の巫女と博麗大結界は霊力を反響させ合っていた。ある程度弱まっていたとはいえね。けれど、今はそうではないわ。博麗大結界は博麗の巫女をいないものとしてしまっている。衰退していく一方よ」

「お、おいおい、そいつはマズイぜ。巫女が不在の状態だと、大結界はどれぐらい持つものなんだ?」

「以前の時は、一月後には結界が崩れ始めて外来人や外の物が度々この幻想郷に訪れるようになった。そうなってからは加速度的に崩壊を早める。遠くないうちに外界との同化の兆候が現れるでしょう」

「なんだ、一月後かよ」

 

 一日の半分は寝て過ごしているという紫が起き出してきてまで焦っていると言うぐらいなのだからよほど切迫した事態なのかと思いきや、思いの他余裕がありそうなので拍子抜けしてしまう。

 博麗の巫女がいない状態で一月持つのならば、一応始めの十日は博麗の巫女として認識されていたらしいので、少なくともあと二十日は猶予がある。それだけあればどうとでもなりそうである。

 

「それで、その巫女がいなくなった時はどうしたんだよ? 今回も同じようにすれば解決するってことだろ?」

「その時の巫女は病にかかってそのまま逝ってしまったから、次の巫女候補を探したのよ。霊力が強く、八百万の神との親和性の高い人間の女を探し出して、神社に住まわせ巫女とするの。でも、今回それは使えない。なにせ『博麗霊夢』はまだ生きているのだもの。次の巫女候補が出てくる筈が無いわ」

「いや、神社に住まわせたってんなら、今の霊夢だって神社に住んでいるじゃないか。霊力だってなくなった訳でもないようだし、そのまま暫定で博麗の巫女にしてしまえばいいだろ」

「私もね、そうなってくれないものかと考えていたのよ。あの子が霊力を使えるようになって神と交信できるようになれば、幻想郷の維持だけなら問題はなくなるのだから。けれど、十日が過ぎて、そろそろ二十日に差し掛かろうにも一向に霊力が使えるようにはならず、それどころか毎日お茶を飲んでの繰り返し。多少なら文献もあるだろうに、巫女としての修行をする気配もないのだもの」

 

 「そんなところまでそっくりでなくて良かったのに」と紫は続けてぼやいた。修行嫌いか。確かに今の霊夢は、本物の霊夢のいらないとこばっかり似ている気がする。

 その上、いきなり人の胸触ってきたり、キスしようとしたり、人にベタベタされるのが好きじゃないあいつがやらないようなことをしてくるから、正直その、なんだ。そういうことされると焦るというか、困る。

 

「つまりはだ。異変は霊夢の中身が別モノになってしまったこと。その異変を起こした犯人は霊夢。その霊夢は行方知れずの上に、どうやら幻想郷にも外界にもいないと。実質、手がかりはなし。かといって別の博麗の巫女を用意しようにも、霊夢は死んだ訳でもないから次の巫女候補は出てこない。その資格がある今の霊夢を巫女にしようにも、一向に霊力の使い方を覚えないときた。手詰まりじゃないか。紫はどうするつもりなんだ?」

「……霊夢を本来の身体に戻す方法がすぐに見つかるのであれば言うことはないわ。そうすれば万事が解決と言っていい。けれど、戻そうにも霊夢がどこにいるのかわからない。であれば次点の延命策、この博麗の巫女が博麗の巫女としての責務を果たせるようするしかない。根本的な解決とはならないけど、本物の霊夢が戻ってくるまでの時間ぐらいは作れるでしょう」

「まあ、一番現実的なのはそんなとこか」

「他に取れる手段もないもの。今日のところはあの子に素性を訊いて、手がかりを見つけないと。明日からは、巫女としての修行をさせなければならないわ」

「霊夢に修行させるか。そいつは考えただけで大変そうだぜ。で、その当の霊夢はどこに行ったんだ?」

「あら? そういえば……」

 

 面と向かって向かい合い、立ったまま話していた私と紫は、当人である霊夢がいないことに気がついた。

 いつからいなかったのかも記憶に無い。辺りを見回して、私と紫は顔を見合わせた。

 

 

 歩いて境内を見て回ると、霊夢はいつもの縁側に座っていつものようにお茶を啜っていた。真面目に話してる客二人を放って何一人だけお茶飲んでるんだ、こいつは。

 

「ん? 二人とも話は終わったの? さっきお団子を食べたとはいえ、こっちはそろそろお腹が空いてきたんだけど」

「……こっちはあなたの問題について真剣に話していたというのに。中身を消し飛ばしてやろうかしら。それで霊夢が戻ってくるなら迷うことなくそうしてやるのだけど、もしそうならなかったら霊夢が戻る筈の身体が先に死んでしまうし……」

「おいおい、物騒だな。こういうのんきなところは霊夢の頃から変わらないだろ?」

「霊夢ではない癖に、霊夢のように適当に何とかしてしまいそうに見えるから余計に不安なのよ」

 

 飄々としているというか、何考えているかわからなくて掴み所がないというか。紫は掴み所がなくてどうにも胡散臭いけど、霊夢の方は掴み所がなくてふわふわ浮いている。

 精神的に人間離れしているのもあって霊夢のような人間は世界中探してもいないだろうと思っていただけに、これで中身が別人だというのだから驚きだ。

 

「何話していたのか知らないけど、とりあえずご飯にしましょ。あ、あんたたちもお夕飯食べてくでしょ? 魔理沙にはお茶とお団子奢ってもらっちゃったし、紫にはここまで送ってもらっちゃったからお夕飯ぐらいはご馳走するわよ」

「おう、もちろんいただくぜ」

「まったく……食事してからでないと、まともに話も聞きそうにないわね」

「決まりね。それにしても、久々の誰かとの食事だわ。半月以上も一人で食べてると侘しくてしょうがなかったんだから。あ、お味噌汁は今温めてるから、もうちょっとすれば食べられるようになるわ。それまではお茶でも飲んでいましょ」

 

 霊夢は言うが早いか、靴を脱いで縁側へと上ると勝手に私と紫の分の湯飲みを取り出してお茶を淹れ始める。まったく、自分のペースを崩さない奴だぜ。

 私と紫は肩を並べて、揃ってため息を吐いた。正直、紫はあんまりいけ好かない奴だけど、この霊夢を相手に修行させようってんだから今ばっかりは同情してやらないこともない。

 

 

 



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博麗の巫女になることが決まった私。

 

 日は完全に沈み、外はすっかりと暗くなった。それでも東京とは違って、空に浮かんでいる月の明かりだけで困らないぐらいに明るく感じられる。

 ここ幻想郷には街灯、飲み屋やコンビニのように夜間に強烈な光を放つものもないので、闇に目が慣れているということもあるのだろう。それに排ガスを撒き散らす車も走っていなければ煙を吐き出す工場のようなものもないので、とても空気が澄んでいる。晴れていれば夜空に見える星がとてもはっきりとしてきれいで、まるでプラネタリウムみたい。

 しかし人間は慣れるのも早いもので、最初の二日程度はありがたがって眺めていたものも、二十日が経った今となってはしっかりと閉められた雨戸と障子、襖の向こう側だ。ただ、あれだけ月がきれいに見えるとお酒も美味しく飲めそうではあるので、気が向けばゆっくりと月見酒をやってみたいものである。

 

 さてさて。お酒もいいけど、今は日々の楽しみである夕食だ。私は夕食とお茶の為に毎日を生きていると言っていい。

 ちゃぶだいの上には、ねぎの味噌汁に小魚の佃煮、刻んで味付けした大根の葉を乗せたご飯。お客さんが来ているので奮発してさらにもう一品、大根とにんじんの一夜漬けも食卓に並んでいる。

 私がお盆を持ってきて畳の上へ置き、盆の上の急須を取ってご飯の上から注いで回る。急須の中身はもちろんいつものお茶。炊いて時間が経ったご飯も柔らかく、温かく食べられるお茶漬けだ。

 おかずもいっぱいで、その上三人前も乗っかっているといつも広々していたちゃぶだいの上がすごく狭く見える。今日はごちそうだ。

 

「お待たせ。さ、温かいうちに食べましょ」

「……え?」

 

 そわそわと机の料理を眺めていた魔理沙が、私が最後にお盆に乗せて持ってきたのがお茶だけと知って、妙な声を上げた。

 なんとも言えない表情を浮かべている。口には出していないものの、これだけなのかと顔に書いてある。……ちょっと私には意味がわからないかなー。

 

「これはまた随分と、お年寄りに優しそうな食事ねえ」

 

 一方の紫は口ではそう言うものの、置かれた食事の前にゆったりと座り直してにこにこしている。確かにお年寄りが好みそうな食事だけど、それで喜んでくれる紫の『実はおばあちゃん説』も私の中でより濃厚に。

 続いて魔理沙もまたちゃぶだいの前に座るのだけど、若干不満そうな表情は隠せていない。まったく嘘のつけない子である。

 

「なんというか、油ものがほとんど見当たらないな。その上、肉と呼べそうなものが佃煮になってる小魚ぐらいしかないぜ……」

「別に、文句あるなら食べなくていいわよ。これでも、ちょっと前までと比べたら大分マシになったっていうのに。三日前までは味噌の溶き汁に漬物、白米だけ。動物性の食べものが皆無で、完全に精進料理だったんだから」

 

 ここ二十日の博麗神社の食糧事情を聞いた魔理沙はぎょっと目を見開いた。私を見て、気の毒そうな顔になる。

 私的には大盤振る舞いしたつもりだってのに、純粋に同情されるとなんか普通に食事内容を貶されるより傷つくんですけど。

 

「は、はは。おいおい。巫女が僧侶を差し置いて悟りでも開くつもりか?」

「そんなの嫌よ。間違ってそんなものを開こうものなら絶食やら修行やらしなきゃならないんでしょ?」

 

 魔理沙にはああは言ったけど、正直油ものやお肉が恋しいのが本音である。油っ気がないのに文句があるのは何を隠そう私であって、似非精進料理なんてもうまっぴらごめんなのだ。

 油ぎとぎとのフライドチキンに、こてこてのラーメン、濃厚な味の中華料理などなど。なまじ味を知ってしまっているだけに、唐突に食べたくなるとその時は本当に身悶えしてる。

 鶏肉なんて現時点じゃ手が出ないし、揚げられるだけの大量の油も用意できない。例えいくらお金があったとしても、ラーメンは作り方すらもわからない。中華料理ぐらいならいくつかはそれっぽくつくれるけど、手持ちの調味料ではやっぱり足りない。

 しかしいつかはそれらを暴食して次の日のことも考えずお酒をかっくらってやりたい。そんな野望を持つ私が絶食したりなんて出来るはずがないのだ。

 

「霊夢に負けず劣らずの怠惰っぷりねえ。安心なさいな。そんな欲まみれな言葉を吐けるのなら万が一にも間違いようは無いから。それよりも食事を済ませましょう? このままではいつまで経っても異変についての話が出来ないわ」

「ま、それもそうね。まったく、魔理沙が余計なことを言い出すからよ」

「私の所為かよ」

 

 私の言った修行は精進料理しか食べられないことなのだけど、何やら紫は額面どおりに受け取ったらしい。紫の言う欲まみれと私の欲は種類が違う気もするけど、このままでは折角ほかほかと湯気を上げているご飯とお味噌汁が冷めてしまう。

 今の私は食欲の忠実な(しもべ)。欲まみれには違いない。なにせ魔理沙と紫にもご馳走しているので、明日の朝食の分にと炊いておいたお米も使ってしまっているのだ。今ある分を満足するまで思う存分噛んで噛んでしてやる。

 

「いただきます」

 

 手を合わせて目を瞑り、一礼。今日もご飯を食べられることに感謝。農家の人たち、食材たちに感謝。ゆっくりと目を開けて、左手に箸を取った。

 

 まずはお味噌汁。両手でお椀を持って、口元へと近づける。香りに関しては、以前に使っていた『だしの素』に比べると煮干の魚臭さがどうしても目立ってしまう。けど、しっかりと時間で上げたので鼻につくほどじゃない。ねぎも臭い消しに一役買ってくれている。

 箸先を入れて、息を吹きかけて冷ましながらお椀からひと啜り。――熱い。同時に旨味が舌の上を踊り、アミノ酸が私の脳をこれでもかと刺激する。寒くなってきた時期に飲むお味噌汁は、どうしてこんなにも美味しいのだろう。味噌の香りと塩気を口の中に残しながら、お箸を湿らせる。

 お味噌汁をちゃぶだいに戻した私は、次にご飯茶碗を持ち上げる。熱々のお茶を注いだとはいえこちらはご飯自体が冷たかったので、口に入れる前に冷まさなきゃならないほどの熱はない。

 ご飯の上に乗せたのは、茹でた大根の葉を細かく刻み、醤油と酒、胡麻油でさっと炒めて隠し味に唐辛子を加えたものだ。今日の夕飯の、唯一の油っ気である。胡麻油で炒めるだけでやっぱり香りが違う。ちなみに神社にある油は、灯火用に使っているらしい菜種油、食用には癖のない大豆油とこの胡麻油があった。

 

「うーん、もうちょっと味を濃い目にしても良かったかも」

 

 ごはん自体は文句なしに美味しい。収穫したばかりの新米に、山から湧き出た小川の水を使い、釜を使ってじっくり炊き上げたのだ。これで美味しくない筈が無い。炊いてから時間がたってもお米にまだ艶がある。噛めばふっくらとしていて甘い。炊き立てならこれだけで食べられそう。

 問題はお米に乗せた大根の葉の炒め物だ。お茶をかけたので味が薄まり、隠し味もぼんやりと隠れてしまった。しゃくしゃくと歯ごたえもまだ残ってるし、味付け自体もそれほど悪くなかっただけに惜しい気がしてしまう。

 

「あら、佃煮も漬物もあるのだからこれぐらいで丁度いいと思うわ」

「んー、そう? それならいいんだけど」

 

 紫はゆったりと大根の漬物を齧っている。私も続いて漬物に箸を伸ばして口に放り込んだ。

 うーん、これはちょっと漬けが足りなかったかも。食べられないわけじゃないけど、ちょっと歯ごたえがありすぎる。まぁ、明日以降に食べようと思って漬けて置いたので予想通りといえば予想通り。あと一日ぐらい置いておけば適度にしんなり、味もしっかり染みて私好みの味になっているだろう。

 あと、まだ箸をつけていないのは、小魚の佃煮だ。

 

「……なぁ霊夢、左手で箸を持っているってことはお前左利きなのか?」

「ん? そうね、元は左利きだったらしいわよ。子供の頃に左利きは不便だから右を使えるようにしておけって言われて、今は両利きだけど」

 

 お父さんの実家にいた頃はおばあちゃんに右利きに矯正されていたのだけれど、両親と一緒に東京に引っ越したのでうやむやになってしまったのだ。

 左手で横書きに文字を書いていくと書いた文字のインクを擦ってしまったりするので右手を使うようにしているけれど、食事は左手を使うことが多いかもしれない。

 でも両利きと自称するだけあってハガキのような右から縦に文字を書く時は左手を使うし、別に右手でお箸が持てない訳でもない。

 

 佃煮に箸を伸ばしたところで魔理沙から声を掛けられたので、実際に右手に箸を持ち替えて佃煮を摘み上げて実演してみる。

 そのままこれといった違和感もなしに右手の箸で口に運び入れると、甘みの強いこってりとした味が広がった。流石に出汁に使って煮出した後の小魚なので身自体は味も素っ気も無くてパサパサだけど、メイン料理というわけでもないので及第点だ。お酒の肴にしてもいいのかも。

 しっかりと味わってから飲み込み、まだ口の中に風味が残っているので薄味のお茶漬けで喉の奥へ流し込む。

 

「ねえ、魔理沙。私の記憶違いでないなら……」

「ああ。霊夢も普段は左利きだったと思うぜ。それに、たまに右手で箸を使ってたのを覚えてる。流石にそろそろ偶然じゃ済まなくなってきたな」

 

 むぐむぐと幸せに食事を進めていると、魔理沙と紫が身を寄せ合って何事かを話している。

 折角三人で食事をしているのに、一人放っておくなんてなんか感じ悪いのではないだろうか。

 

「なによ、二人でこそこそして感じ悪いわね」

 

 つい口に出しちゃう私は正直者である。

 

 

 

 

 食事が終わり、台所のたらいに使った食器を浸けておく。その内、ご飯茶碗だけは別に分けて浸けてある。

 火を起こして鍋でお湯を沸かしながら、火種をお風呂へも移す。お湯が湧くまでに食器洗いだ。ちなみにスポンジも洗剤も無いので、布で擦って落とさないといけない。

 洗い物をする上で強敵なのは油汚れである。洗剤がないので油は生半可なことじゃ落ちてくれない。そこで、油ものを入れたご飯茶碗だけは真水ではなくお米のとぎ汁に浸けるのだ。ついでに火に掛けておいてある程度温まったお湯を足し、油が浮いたら一気に片付ける。

 うん。念のためにとぎ汁を使ったけど、そんなに油を使っているわけでもないので普通に洗うだけで落ちたかもしれない。

 

 あとは念願、食後の一服タイムだ。食事の前から沸かしていたお湯は紫と魔理沙にお茶を振舞う為に使ってしまったので、ようやく私もお茶を飲める。

 急須と湯飲みをお盆に乗せて再び居間にしている部屋へ戻ると、何事か話していた紫と魔理沙がこちらへ顔を向けた。

 

「意外だな。元祖霊夢だったら面倒くさがって、食器洗いは後回しにしてまずはお茶飲んでるぜ」

「どっちにしろやらなきゃならないんだからいつやってもおんなじでしょ。私だって朝の食器は浸けっぱなしにして、お夕飯のと纏めて洗ってるし」

 

 自分の湯飲みにお茶を注いで、魔理沙と紫の湯飲みにもほとんど入ってなかったのでお代わりを注いでやる。

 魔理沙の手から台布巾を渡されたので、畳んでお盆に乗せておく。暇そうにしてたので、魔理沙にはちゃぶだいを拭かせておいたのだ。

 

「ふぅ、ようやく人心地ついたわ。あとは、これでお茶請けでもあればいうことないんだけれどね」

 

 お茶を啜って、大きくため息をひとつ。後はお風呂を入って寝るだけ、のんびりし放題だ。たまらないひと時だけど、欲を言うなら煎餅か甘いものが欲しい。。

 私がぼんやりと呟いた次の瞬間には、ちゃぶだいの上にスキマが開いて、中からはまずお皿が。そしてその後にお菓子が六つ転がり落ちてきた。

 

「甘いものでよかったかしら?」

「きゃあ、やった! 月餅じゃない!」

「外界のお店から甘さ控えめなのを選んできたわ。ちょうど中節月だもの、まんまるとした月を模した菓子はぴったりでしょう? これからいくつか質問をさせてもらうことへの、報酬の前払いとでもしておきましょう」

「流石紫ね! 大好き! もう、なんでも聞いてちょうだい。今の私の口は体重よりも軽いわよ!」

「それは果たして軽いのかしら? それともこれから重くなるのかしら? 安いのは間違いなさそうだけれど。なんにせよ、喜んでもらえたようで何よりですわ」

 

 狂喜乱舞する私を見て、紫がくすくすと笑っている。私も年甲斐がないとは思うが、嬉しいんだから仕方ない。

 ああ、今日はなんていい日なんだろう。人里でお団子食べれたし、お夕飯は豪華だったし、食後のお茶にも甘いものがついてきた!

 

「むう……。なあ霊夢、きのこはお茶請けになるか?」

「はあ? なるわけないでしょうが。なんで魔理沙は対抗心を燃やしてるのよ」

 

 思わず眉根を寄せて不機嫌そうな声を出してしまった。種類によっては炙って塩でも振ればお酒の肴にしてもよさそうだけど、お茶にはどう考えても合わない。

 切って捨てられた魔理沙はしょんぼりする。

 

「では博麗の巫女。いくつか質問をさせてもらうわ」

「どんときなさい」

 

 正座して紫に向き直った私は、とんと胸を叩いて見せた。魔理沙が呆れた目で見てくるけど、ちらちらと月餅に視線が飛んでしまうのはまぁご愛嬌である。

 

「ひとつめ。あなたは霊夢になるまでどこに住んでいて、何をしていたのかを教えて欲しいの」

「魔理沙には言ったけど、住んでいたところは日本の東京ね。幻想郷だと外界って言葉でひとくくりにされてるみたいだけれど。何をしていたのかって言われても困るけど、普通に仕事をして暮らしていたわよ?」

「……そう、東京ね。あとで正確な住所を教えて頂戴。こちらで確認してみるわ。

 ではふたつめ。あなたは今現在の幻想郷の、博麗の巫女の役職に就いているのが誰なのかを知ってるかしら?」

「何よ、それ?」

「いいから答えて頂戴」

「そんなの、『博麗霊夢』に決まってるじゃない。人里の子供たちだって知ってることなんでしょ?」

 

 人里では博麗さま霊夢さまとばかりで巫女とは呼ばれなかったけど、会う人はみんな『博麗霊夢』のことを知っていた。その割に神社に参拝客が来ないのが未だに不思議でしょうがない。

 生活改善の為にも何とか信者獲得ができないか考えてみたほうがいい気がする。祀られてる神様をここに住んでる私さえ知らないから、何の神様の信者なのかもわからないけど。

 

「そうね。間違いではないわ。でも、博麗霊夢の中身はいなくなってしまったわね。残っているのは外側と、よく似た中身だけ。では、博麗霊夢の姿をして、神社に住んでいるあなたは何?」

「へっ? ……それは、博麗の巫女の姿をしているだけの一般人というか。参拝客が来て、欲しいっていうのなら売り子ぐらいはしようとは思ってるけど。他にやってることなんて掃除ぐらいだし、ハウスキーパーみたいなもの?」

「それは間違いね。あなたが一般人である筈が無いもの。私はこう言ったわ。今現在の博麗の巫女は博麗霊夢で間違いではないと。『今現在』幻想郷で博麗の巫女の役職に就いている者はいるのよ。本人に自覚は欠片もないようだけれどね」

「ええと……それってもしかして、私のこと?」

「あなたがあくまでも『博麗霊夢』こそが博麗の巫女だと言うのならそれでもいいの。そうだとしても、今この幻想郷において博麗霊夢と呼べる者はあなたしかいないのよ、『霊夢』」

 

 中身は違うけど、身体は本物だから私が博麗霊夢と言えなくもないということか。

 なんにせよ紫の話し方はどうも回りくどい。頭のいい人間には自分基準で話すことが多く、自分と同程度の理解を相手に求めるあまりに度々語り過ぎて、逆に相手の理解が置いてけぼりになる。

 

「つまりは、紫は私に『博麗霊夢』として振舞えっていうわけ?」

「別にそこまでは強制はしませんわ。初めて会った時に言ったでしょう? 博麗の巫女が大結界の維持をしてくれるのであれば私に文句はないと。あなた自身が博麗の巫女として自覚を持つもよし。あなたが博麗霊夢となってあの子の役割を果たすもよし。好きな方を選ぶといいわ」

「それってほとんど違いがないように思うのだけど」

「そうね。これからは私もあなたを『霊夢』と呼ぶことになるし、他の事情を知らぬ者たちも同様にあなたを博麗霊夢として扱うことでしょう。違いがあるとすれば、あなたの心構えだけよ」

「私の心構えねぇ」

 

 ううむ、大結界の維持には博麗の巫女が必要であることがまず大前提。けれど今はその巫女が身体だけ残していなくなっちゃったから、身体を使っている私が博麗の巫女の役職に就くか、あるいは博麗の巫女である『博麗霊夢』ちゃんのやることをまるっきり私がこなせと。

 考え直してみてもやっぱりいまいち違いがわからない。私自身が博麗の巫女になったとしても、周りからはこの姿をしている限りは博麗霊夢の名前で呼ばれるんだろうし。

 

「そもそも、博麗霊夢になれとか言ってたけど、私はどういう子か知らないわよ。そんな私に、今日から見ず知らずの他人として振舞えってのはちょっと無理がない? とてもじゃないけど、他人の真似して過ごすなんて出来るとは思えないんだけど。性分的に演技とか嘘をついたりだとか苦手だし」

「あー、その点に関しては心配なさそうだぜ。付き合いの長い私でさえ淹れられたお茶を飲むまで見間違えてたぐらいだからな。他に、すぐ気づきそうなのは香霖ぐらいだろ」

「そうね。どちらを選んだとしても普段どおりのあるがままに暮らしてくれればいいわよ」

「へ? そうなの? それは助かるけど、普段どおりのあるがままでいいだなんて、それじゃ何をすればいいのよ?」

 

 魔理沙と紫が二人して否定するものだから、めんどくさそうだから遠回しに断ろうと思っていたのが頓挫した。

 しかし普段どおりでいいというのであれば今の生活はそれほど変化しないということだろう。やってもいいほうに気持ちは傾きかけているのだけど、今度は逆に巫女になるには何をすればいいのか不安になってくる。

 

「毎朝の祈願に、巫女としての修行よ。とりあえずは霊力を使えるようになってくれさえすれば、多くは求めないわ。博麗の巫女は代々妖怪退治もしているから、追々はそれもやってもらいたいのだけれど。霊夢も食べ物がなくて困っているのだから霊力の習得は願ったりでしょう?」

「まあ、そりゃ、神社を間借りさせてもらっちゃってる身だし、巫女さんが不在で困ってて、仕事を教えてくれるっていうならやらないこともないけれど。でも私なんかを巫女さんにしていいのかしらね。ここの神様が怒りだしたりはしない?」

「それも安心なさいな。今この幻想郷において、あなた以上の適任はいないわ」

「そこまで太鼓判を押すのなら、別に巫女になること自体はいいのだけど。……修行するのは暖かくなってからとか」

「………………」

「わ、わかったわよ。修行をすればいいんでしょ!」

 

 紫が浮かべた無言の微笑にびびる私。やっぱり紫って見た目どおりの年齢じゃないわ、あれ。

 いっつも優しかったうちのおばあちゃんが怒鳴った時以上の迫力があったもの。

 

 



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浮かぶ巫女を眺める魔理沙。

 

 博麗の巫女の役目に就くことに渋々といった様子の霊夢を何とか宥めすかした紫は、お茶一杯に茶請け一つを食べると帰ることにしたようだ。

 お茶請けの月餅は六個あったので、暗黙のうちに一人二個ずつ。なので一つ余った紫の分をこっそりと狙っていたのだけど、霊夢がささっと回収してしまった。素早い。

 

「それじゃまた明日のお昼ごろに顔を出させてもらうわ。霊夢。午後には修行に入るから、それまでに掃除やらの用事は終わらせておくこと。いいわね?」

 

 紫はわざわざ玄関まで移動して、しっかりと靴を履いて、戸を開けてからスキマを作り出した。霊夢と私も何となくお見送りしているが、空を飛んで帰るのでないのなら居間からそのままスキマに入ればよかっただろうに。やっぱりよくわからないやつだ。

 

「はいはい。来るのはいいけどお昼ご飯は用意していないから、ちゃんと食べてから来なさいよ」

「あら、私好みの味付けで美味しくいただけただけに残念ねぇ。あ、あと霊夢、甘いものを食べたのだから寝る前にはちゃんと歯を磨きなさいね。虫歯になってしまうから」

「あんたは私のお母さんか」

 

 呆れたように言った霊夢に「うふふ」と笑みを向け、紫が背後にできたスキマの中へとゆっくり消えていった。空気に溶けるようにしてスキマが閉じられると、そこには何も残らない。

 しかし、やっぱり紫は霊夢に対しては過保護になるな。といってもそれは元祖霊夢に向けての過保護なので、今のも霊夢が元の身体に戻ったときに虫歯になっていないようにというものだと思うが。

 ただ、見ている感じでは今の霊夢とも相性は悪くなさそうに見える。元々紫は得体が知れなくて大抵の奴に敬遠されてるから、気にせず話をする奴が元祖と新生の二人の霊夢ぐらいしかいないってのもあるんだけどな。

 

「さあて。それじゃ私もそろそろお暇するぜ」

 

 外はもう真っ暗だ。もう二刻もしないうちに日が変わるだろう。今のところ明日の予定はないけれど、新しい容疑者探しするにしても、霊夢の奴の修行を野次馬するにしても、そろそろ帰って寝ておかないと辛くなる。昨日の夜から朝方まで幻想郷をうろついていたから、ほとんど寝てないってのもある。

 

「えっ? 魔理沙も帰るの? もう夜も遅いことだし、神社に泊まっていけばいいじゃない」

「いや、そういう訳にもなぁ。そりゃあ、いつもだったらこのまま泊めてもらったりしてるけど」

 

 私は色んなやつから面の皮が厚いだのと迷惑がられているけれど、流石に知り合ったばかりの相手(しかも肉が食べられないほど生活に困窮している)に面倒をかけようとは思わない。私に振舞う一食が霊夢を着実に餓死へと追いやるのだ。

 気心知れた感じで話せてしまう奴なので忘れがちだけれど、まだこっちの霊夢とは昨日に初めて会ったばかり。こいつも元祖霊夢と同じく裏表のない奴なんで本気で言ってくれてるのはわかるけど、私だって多少なら気を使うのだ。

 そんな風に珍しく私が気を使ってやったというのに、その霊夢はというと腰に手を当てて呆れた様子で息を吐いている。

 

「馬鹿ね、何をらしくもない遠慮してるのよ。魔理沙が強いってのは充分に知ってるけど、こんな遅くに女の子一人で帰るなんて危ないでしょ」

「にぇっ!?」

「何よ? 何かおかしなこと言った?」

「いや、な、なんでもない!」

 

 本人じゃないとわかっている。けど、でもあの霊夢が私を見て、いつもと同じ口調で、本心から「魔理沙が強い」なんて口に出した。

 う、うわぁ! 何だこれ! むず痒い! 別に嬉しくなんてないのに、口の端がにやけてくる! 思わず変な声出ちゃったぜ。

 

「おかしな魔理沙ね。とにかく何のお構いもできないけど今日は泊まっていきなさいよ。外ももうめっきり寒くなってるし。ほら、お風呂は沸いてるから先に入って暖まってきちゃいなさい」

「あ、おう。それじゃ遠慮なく……」

 

 たまに霊夢が絶対に言わないことをさらっと言うものだから、こっちの霊夢の相手もまた飽きない。それ以上に心臓によくないのだけど。

 この二日で寿命が縮んだだろうし、これまで保留中だった捨虫の魔法の習得を急がないと私の命はどんどんと目減りしていくかもしれない。

 

「あ。ねぇ、魔理沙。お湯冷めちゃうのもあれだし、お風呂一緒に入る? もてなしの一環で背中ぐらいは流すわよ」

「いやっ、すぐに出るから! だから絶対に入ってくるなよっ!」

 

 他の奴にこんなからかい方をされたとしてもなんてことはないのに、それを普段淡々としている霊夢の姿でやられると、どうも調子が狂う。

 霊夢とは結構古い付き合いだ。何度かなら一緒に風呂に入ったことぐらいある。だというのに、今私の顔や耳は恥ずかしさで赤くなっているだろう。

 

 

 

 

 風呂から上がった私に渡された寝巻きは、襦袢(じゅばん)である。見た目は前合わせの着物のようだけど、寝巻きや肌着代わりに着るものだ。こういう和風な衣服は霊夢には似合って見えるけど、私が着たらどうにもちぐはぐしてしまうんじゃないかと思う。

 あいつが風呂に入っている間はのんびりとお茶を啜り、戻ってくるのを待ってから揃って霊夢の私室に向かうと、私が風呂に入っている間に敷いてくれていたであろう二組の布団が並べてあった。まぁ、いつも通りといえばいつも通りなんだけど、こっちの霊夢の隣に寝るというのは言い知れぬ違和感と抵抗がある。

 外来人は何でもないことで騒ぎ出すおかしな奴らが多いけど、それとは違って私たち寄りなのに変な奴なのだ、こいつは。なんか親父くさいというか、そういやしっかり聞いたことなかったけど、この霊夢の中身って女なんだよな?

 

「だいたいさあ、何をして何が出来れば巫女って名乗れるのよ? 神社の維持だっていうなら二十日もの間やってたわよ。と言っても、やってたのはせいぜい掃除ぐらいで、それも満足にやってたかって言われればそうでもないけど。でもここまで参拝客が来ないんじゃ、出来ることも限られちゃってるでしょ」

「まぁ、それでも掃除自体はそこそこやってたんだろ? 元祖霊夢の奴なんかぱっと見ただけでわかるぐらいに適当な『掃除してるフリ』だったぜ。あいつが巫女の仕事してるとこなんて数えるぐらいしか見てないからどうすりゃ巫女を名乗れるかは知らないけど、まずは紫が言ってたように霊力を使えるようになればいいんじゃないか? それがないにしてもとにかく霊夢は空を飛べるようにならないとな」

 

 布団に入って、顔を向き合わせて横になっているんだけど、布団の中はぬくぬくとあったかい。お風呂のお湯を温めて、湯たんぽに入れてあるのだ。私はミニ八卦炉を部屋の暖房代わりにしているからこういうのは使わないけど、布団の中が温かいってのはまた別の良さがある。

 半ば愚痴になっている質問に私がわからないなりに助言してみると、霊夢は仰向けになって途方に暮れた様子ではぁとため息をついた。肺の中から漬物石でも吐き出したかのように重たいため息だ。

 

「だって、巫女の修行って言ったら冷水被ったりしなきゃならないんでしょ? この寒い中で」

「そういうのもあるかもな」

「はぁ。やっぱり」

 

 霊夢が修行しているところなんて見たことがないので知らないし、そもそも霊夢以外に巫女なんて見たことがないから、私は一般的な巫女がどんな修行をしているのか知らない。

 たぶん私よりこの霊夢の方が詳しい筈なのでとりあえず肯定しておくと、その表情が一瞬で曇った。明らかに、私に違う答えを求めていた顔だ。

 

「でも、博麗の巫女ならそれぐらいは出来て当然なのよね。それなら、博麗の巫女である私に出来ない筈がないわ。何にせよ空を飛べるようになれば霊力を使えるようになったと思ってもいいわよね。それなら、ある程度手段なんてどうでもいいから飛べさえすれば……」

 

 自己暗示でもかけているのか、目を瞑って一人でこくこくと頷いている霊夢。

 何かもう口振りからして不純である。正式に博麗の巫女の役目を果たす為にはという疑問が、いつしか修行しなくて済むにはどうすればいいのかというものに摩り替わっている。

 

「空を飛ぶ……飛ぶ以前に、宙に浮かぶにはどうすればいいのよ……。まあ、それがわかってればそもそも修行なんかしなくて済むのだけど。あー、もう。この際、魔理沙みたいに箒で飛べるようにならないかしら。今ならあの乗り心地の悪い箒でも我慢できるわ」

「乗っけてってやったのに失礼なやつだな。だいたいそれじゃ本末転倒だぜ。霊力の使い方を習得する為に、魔法を覚えて魔法使いにでもなるつもりか? しっかし、私も霊力に関しては専門外だしなぁ。んー、どうす…………、うん!?」

 

 あんまり予想外な光景が眼前に広がっていたものだから、この霧雨魔理沙ともあろう者が二度見してしまった。

 比喩なしに、一瞬頭の中が真っ白になったのだ。視覚的なショックが強すぎて、たぶん瞳孔も開いてたと思う。

 

「れ、霊夢? なぁ、ちょっと起きてくれ……」

「なによぉ? 私、いい感じにうとうとしてきてるんだけど。明日も朝にご飯炊かなきゃで早いし、そろそろ寝ないと魔理沙の分の朝ごはんも作れなく……」

「そんなもんはいいから! とにかく寝てないで目を開けろ! というか、なんで気づかないんだお前は!」

「…………ええっと。何なのこれ?」

 

 知るか! お前よりも私が聞きたいっての! 何それ! どうなってんだ!?

 上体を起こしてきょろきょろと見回した霊夢は、布団を剥ぎ取ってその場に器用に正座した。……いや、何故また正座を選んだ。

 

「ねぇ。何か私、十センチぐらい宙に浮いているみたいなんだけど。これ、魔理沙が何かしたの?」

「これから寝ようってのに、そんなことするか!」

「……あっ! ほらほら、見て魔理沙。これ、面白いわよ。すーって同じ高さのところを同じ速度で滑ってるわ。あっち行きたい、こっち行きたいって考えれば勝手に向かってくれるみたい」

「うおお……寝たまま宙に浮かんだだけに飽き足らず、気持ち悪い飛び方までしてるぜ」

 

 正座したままの体勢で、空中を音もなく前後左右に進んでいる霊夢。なんか、こんな怪談どっかに転がってそうだ。

 そもそもだ。なんで私が慌てて叫んで当人である霊夢が落ち着いてるのか。普通はもっと驚いたり慌てたりするもんだろう。

 ……何だか無性に疲れた。どうも私ばっかりが損している気がする。っていうか、さっきの発言からするに、もしかしてこいつは修行したくない一心で空を飛べるようになったんじゃないだろうか。

 

「やった! ねぇ、ねぇ、魔理沙! これで私、もう修行する必要もないわよね?」

 

 ……ああ、何かもう、やっぱりだ。飛べたことよりも修行しなくて済みそうなことのほうが嬉しそうである。

 なるほど。紫のあれは、実は予言だったわけだな。霊夢じゃない癖に、霊夢のように適当に何とかしちまいやがった。

 

 

 

 

「…………」

「うわはははっ! 何だよ、この間抜けな光景! 見ろよ紫、霊夢の奴、吹いた風に合わせてそよそよと揺れ動いているぜ! 姿勢だけは微動だにしてないってのに!」

 

 翌日。博麗神社の境内では、珍妙不可思議な光景が広がっていた。

 きっちりお昼ごろになってから神社に現れた紫は、スキマから這い出たところで口をぽかんと開けて、そのまま固まってしまった。挨拶の声を上げることもなく、正しく絶句している。

 原因は言うまでもなく、修行を始める前に宙に浮けるようになった紅白巫女だ。風にたなびきながらも決して折れない柳のように。まるで気ままに水中を漂うクラゲのように。他の体勢でもいいだろうに、霊夢の奴はわざわざ正座で中空に浮かんでいるのだ。おおよそ五メートル強ぐらいの高さだろうか、無駄に器用な奴である。おまけに、実は正座で宙に浮かんでいるのは姿勢の保持が難しいようで、霊夢の表情は揺るぐことのない真顔なのだ。

 私は一生の間に見るかどうかといった紫の阿呆面と霊夢の奇抜すぎる変態浮遊とを見て、昨夜に散々驚かされていた鬱憤を晴らすかのように涙が出るほど大笑いしてやった。笑いっぱなしで呼吸困難、私の腹筋は今にもつりそうだ。

 

「魔理沙! うるさいわよ! あんたの馬鹿笑いの所為で私の集中力が途切れるでしょ!」

 

 霊夢の怒鳴り声が響くも私は笑うことを止められないし、紫は宙に浮かぶ霊夢を自失した様子で眺め続けている。

 本当、中身が別物でも霊夢は面白いことばかり起こしてくれる。まったく、近くにいて飽きさせてくれない奴である。

 

 



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シックスセンスに目覚めた私。

 

 なんだか知らないけど休憩しに空から降りてきたところを、こめかみに青筋をぴくぴくさせている紫に捕まってさんざん叱られた。

 私が宙に浮かんでいる間に魔理沙が事のあらましを説明してくれていたようなのだけど、それでどうして紫がぶち切れてるのだろう? 正直なところ心当たりがまったくなくて、何でもって私が紫に怒られなきゃならんのかわからなかった。普通に紫マジギレしてるっぽいんだけど、いやほんと、何これ?

 そうして十数分のお説教を聞くに、紫が激怒するに至った理由が何となくわかってきた。途中で二回ぐらい話がループしたので細かいとこまでは覚えてないけど、私なりに意訳してみるとこうだ。

 

『こっちは大変だ大変だって慌てて色々と修行方法を考えて来てみれば、もう空を飛んで遊んでいるとかありえないでしょう。おまけに正座で浮かんでいるとか、どう考えても博麗の巫女としての責任と自覚が足りてないわよね? 元の霊夢だって不真面目だったけれど、まだ見掛けだけでも博麗の巫女をやってたっていうのに。

 そもそも、修行をサボりたいが為に飛べるようになるとは何事なの? 巫女として自覚を持てと助言してやってから今までの約二十日間はいったい何をしていたのよ。出来るなら最初からやりなさい! やる気の感じられない元の霊夢にしたって十日も経てば流石に動き出すっての。

 もうそのへんどうでもいいから、さっさと私の可愛い霊夢を返しなさいよ、ばか、ばか! おたんちん! このアーパー(※死語)巫女!』

 

 ……合っているかはわからないけど、まぁおおむねのところはこんな感じではないだろうか。怒り心頭といった様子で、何かと『博麗霊夢』ちゃんを引き合いに出すものだから、ドラマとかでよく見るような、ねちねち姑にいびられている嫁のような気分だった。

 それにしてもなんだか私、紫のことを怒らせてばっかりだわ。そりゃあ紫と魔理沙が真剣に話をしている時に一人でお茶を飲んでたのは失礼だったとは思うけど横から口を挟めるような空気じゃなかったし、今回の事だって二人とも誤解してのことだし。私の信用がなさすぎてすっごい凹む。

 

「いいじゃない、巫女になる為の修行をする手間が省けたんだから。だっていうのに、紫は何を怒ってるのよ。それに言ったでしょ。あれは遊んでたんじゃなくて宙に浮く練習をしていたんだって」

 

 お説教を中断させるべく、紫がわずかに落ち着いた隙を見計らって何度目かの口を挟む。一通り怒ってクールダウンしたのか、今度は多少聞いてくれそうだ。

 真面目に取り組んでいたのだから褒められることはあれ、怒られる謂れはない筈なのに。きっと説明するときにでも魔理沙が余計なことを伝えたに違いない。あんにゃろめは、私がお説教を受けている間ずっと横でニヤニヤしてやがったし。

 

 どうやら紫と魔理沙は宙に浮かんで遊んでいるものと勘違いしていたようなのだけど、私は至って真剣に練習をしていた。空を飛ぶことも霊力が使えるようになることも出来なければ妖怪退治が出来ない、つまりはカツカツである神社の食糧事情を改善させる為に必要不可欠な技能である。不真面目でいられるはずがない。

 そして物事を覚えるには順序がある。初めて学ぶことであるならなおさらで、基礎からしっかりと固めておかないとその上に積み重ねたものは脆いものになってしまう。では空を飛ぶということにおいて土台である基礎にあたる部分は何かと考えれば、『宙に浮かぶ』ことではないだろうか。

 ただ、宙に浮かぶのも空を飛ぶのもそれ自体はどうというものでもなかった。どういう原理かは未だによくわかっていないけど、浮いてるからといって体力的に疲れるというわけではないようである。

 では、何で練習していたのかといえば、宙に浮かんでいるとどうにも自分の位置の把握が難しいのだ。前後左右なら歩いているのとそう変わらないのに、そこに上下が加わるとわけがわからない。さらに自分の体を固定していないので一箇所に同じ体勢で留まることが難しく、位置も風で流されたりしてしまう。必要なのは体力や霊力とかいうのではなくて、集中力と空間の把握であるらしい。

 

「それはそれは、殊勝な心がけで素晴らしいですわねぇ。あとは真面目に練習してくれればいいのですけれど」

「信じていないわね……。紫、いい? 私はこれまで宙に浮いたこともない初心者なのよ。もう飛べないこともないけど、段階を踏んで浮くところから練習するのは当然のことでしょ? その浮くってのにしたってあんたも魔理沙も飛べちゃってるからわからないだけで、立って浮くよりも座って浮いてるほうが難しいんだから」

 

 そんな理由があって、私は魔理沙と一緒に朝食を済ませると掃除をささっと終わらせて、紫が来る一時間前から宙に浮かぶ練習を始めていた。

 色々と試した結果、浮いていて体勢の保持が一番難しいのは逆立ち。次に仰向けやうつ伏せなどの寝そべる体勢全般。次に座った体勢で、一番楽なのが立ったまま浮かんだ状態だった。

 それを踏まえて空を飛ぶより先にまずは空中に浮かんでいることに慣れるべく、出来る限り横風に煽られないように宙に浮かんでいたのだ。紫が来たのは正に、立った状態での練習を終えて次の段階に進んだ時だった。

 

「それにしたって普通の人間は座って空を飛ぼうなんて考えないわよ」

「お生憎様ね。普通の人間は空を飛ばないわ。空を飛べる人間はみんな普通じゃないのよ。ほら、そこにいる空を飛べる変人を見てみなさい」

「お、なんだなんだ、私の噂か? 照れるぜ」

「……なるほどね」

 

 紫は寄ってきた魔理沙と私を並べて見て酷く納得した様子である。魔理沙を例として出したのに、何故私と見比べてるのか。おい、最後に私の顔を見てからしみじみと頷くな。

 すまし顔の紫を私がぶすっとした不機嫌な顔で睨んでいると、魔理沙が「そういえば」と声を上げた。

 

「なぁ霊夢。しっかし、何でまた正座だったんだよ? 別にあぐらでも何でも、他の座り方ならもう少しマシな光景だったろうに」

「え? そこってわざわざ説明しなきゃならないところなの?」

 

 視線が私に集まる。見れば、質問した魔理沙はもちろん、紫も同様に私の答えを待っている。

 もしや、幻想郷では常識的な考え方ではないのだろうか。そういえば登場からも魔理沙が気にしていた様子はなかったし、羞恥心が欠如しているのかなぁ。

 

「だって、あぐらじゃ足でスカート押さえられないでしょ?」

「んん? まぁ、そうかもしれないな。けど、それがどうして正座になるんだ?」

「どうしてって。だってそれじゃ下からスカートの中が見えちゃうじゃない。正座なら膝裏に挟んじゃえば下着は見えないし。いくら女同士でドロワーズだからって、ねぇ?」

 

 ドロワーズだと下着という気があんまりしない。なんだか下着なしでハーフパンツでも穿いてるような感じなのだ。そんな認識なので別にドロワーズ自体ならば見られても恥ずかしくもない。

 けれど、単純に肌を隠しているのが布一枚だけということが色々と不安ではある。肌に直接だから汚れやすいというか、気をつけているから大丈夫だと思うけど、万が一ということもある。トイレットペーパーが完備していればその不安のいくらかは杞憂となってくれるのだけど、残念ながらここ幻想郷はそうではない。あとは、階段を上る時にスカートを押さえる延長というか、現代日本で生きてきての習慣のようなものが何割か。

 

「……なぁ、おい紫。今の聞いたか」

「ええ。霊夢が周囲の目を気にして恥じらっているのを見るとなんだか背中が痒くなるわね。拳の骨がぐしゃぐしゃになるぐらい全力で何かを殴りつけたくなったわ」

「ああ、私もだ。なんだ、この行き場のないむず痒さ。今なら妖怪の山をまるごとマスタースパークで消し飛ばせる気がするぜ」

「な、何よ、その反応は納得がいかないんだけど。下着は見せびらかすようなものでもないでしょ」

 

 至極当然のことを言った筈なのに、やっぱりおかしいのは私みたいな空気なんだけど。

 魔理沙と紫は「むむむ……」と唸って天を仰ぐ。ちらちらと私の顔を見ては、二人揃って呆れた顔をしている。

 

「霊夢はそのへん無頓着だったからなぁ。風呂でも女同士だからって隠さずに堂々としてたし、畳の上に転がってスカートがめくれても面倒だからの一言でそのままなんだぜ。私も人目から隠れることはあれ人目を気にするほうじゃないけど、あいつには負けるな」

「いくら参拝客が来ないからといって参道から見える位置に下着を干していたのにはびっくりしたわ。流石に注意してからは裏に干すようにしたようだけれど」

「うん。それは年頃の女としてどうかと思うわ」

 

 心からの感想を述べてみると、魔理沙も紫も「お前が言うな」「お前のことだよ」みたいなジトッとした目で見てくる。いやいや、そんな目で見られても私のことじゃないんだけど。

 それでもなんか居心地が悪くてそっぽを向いていると、紫がこほんと咳払いをした。

 

「で、話を戻すけれどアレを練習だと言い張るからには、当然相応の成果はあったのでしょうね?」

「まぁね、当たり前じゃない。姿勢制御のコツは掴んだわ」

「あらそう、それではそれを見せてもらいましょうか。実戦で」

 

 実践? 実際に飛んで見せればいいのかね。練習を終えた私なら二時間三時間程度なら浮かんでいるのも苦にならないと思う。一番難しい逆立ちだって頭に血が上るまでは大丈夫じゃないかな。サイコキネシスなのかなんなのかわかんないけど、逆さになってもスカートが重力に負けてめくれないようにもなった。

 空を飛ぶことだって元々出来ないわけじゃないし、練習のお陰で自分の位置の微調整が可能になったから一通りはこなせるだろう。

 

「別に見せるのは構わないけど、何をすればいいのよ?」

「実戦といえばもちろん、弾幕ごっこですわ」

「……ん? なに、これ?」

 

 にいっと笑って言った途端に、彼女から発されているだろうぴりぴりとした変な空気を肌が感じ始めた。紫の周囲が蜃気楼のように歪んだ『もや』がどんどんと広がっていく。何か、おかしな力が紫の周りに働いているのがわかる。

 それを認識すると同時に、なんとなく理解する。これが、これまで紫や妖精、満月の夜の慧音に感じていた違和感の正体がこれだ。肌のひりつく感じと空気の層、妙な力。それらがぴったりと、私の感覚に当て嵌まった。

 空を飛べるようになったからか、紫に対して感じていた違和感――その空気の質の違いがわかるようになったようだ。まるで視界の色がいっそう鮮やかになったかのように、これまでに見えなかったものが視えている。

 

「どうやら、本格的に霊力にも目覚めているようね」

 

 私が声を上げたことで何かが見えているのを察し、紫の笑みが一層深まった。

 好戦的な笑みを浮かべる紫からじりじりと距離を取りつつ、腰を落として不測の事態にも反応できるように身構える。

 

「ねぇ、紫。その前に、ひとつ聞いておきたいことがあるのだけど」

「何かしら?」

 

 ふわり、と紫の身体が宙に浮かぶ。もやがさらに強くなり、彼女の背後の空間がひずんでいく。捩れるように開かれたのは、紫の能力だというスキマだ。スキマの中で私に向かって、何かがちかちかと光っている。

 私は警戒からその姿を視界の中央に置き続ける。何かあればすぐに宙へと舞い上がり、逃げてやる。でも、その前に聞いておかないといけない。

 

「その、ダンマクごっこって何なの? 『ごっこ』ってことはダンマクとやらの真似でもして遊んだりするの?」

「…………」

「紫?」

 

 紫の身体から立ち上っていた濃密な力が瞬く間に霧散していく。スキマも空気に溶けてあっという間に消えていった。そのまま力なく地面に落ちると、縁側まで歩いていって深々と座り込む。

 お盆の上に置いておいた急須にお湯を注ぐと勝手に湯飲みにお茶をついで、そのまま啜る。そしてため息。何だか紫、一気に年をとったように見える。

 

「魔理沙、説明してあげて。そしてその子の弾幕ごっこの練習相手になってあげてちょうだい」

「ん? なんで私が。紫が相手してやればいいだろ」

「なんかもうね、興が削がれたというか、疲れてしまったわ。修行してやるって大口叩いた手前ここで見ていることにするけど、出来ることなら早く帰って布団に飛び込んで寝たい」

「えらく疲れてるな。ま、この霊夢は他人を脱力させることに関しちゃ天才だから仕方ない。なにせ、この私が霊夢の『他人を脱力させる程度の能力』の第一被害者だからな。この前はこいつとは弾幕ごっこできなかったから、練習相手は任されてやるぜ」

 

 なんだかまた私が悪者みたいな空気になってない? 教えてもらってないんだから、当然出てくる疑問だったよね?

 つーか、魔理沙。勝手に私の能力決めんのやめて。本当にそんなのだったら立ち直れないから。

 

 

 



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魔理沙と一緒に弾幕ごっこをする私。

 

 ふわふわと宙に浮きながら、魔理沙による弾幕ごっこの講義が始まった。「こう、ギューンっとだな」とか「グワーってやると」とか擬音語が多いけれど、けっこう真面目に教えてくれている。

 紫はといえば縁側で我が家のようにくつろいでお茶を啜ってる。その隣には狐っぽい尻尾がわっさぁと生えてる金髪の女の人がお茶を注いで……って!? ちょ、なんで昨夜戸棚に隠しておいた月餅が紫の手に! 六分の一に割って六日分のお茶請けにしようと思ってたのに!

 ちらちらとそっちを見ていたら魔理沙に睨まれた。おっと、駄目だ駄目だ。月餅は名残惜しいが元は紫の取り分だし、昨日食べずに残しておいた分がまだ一個残ってる筈。教えてくれている魔理沙に悪いので私も真面目に聞くことにしよう。

 

 さて。弾幕ごっこは『スペルカードルール』やら『命名決闘法』やらというらしい。そういえば『スペルカード決闘法』の名前の巻物なら神社に置いてあった。斜め読みしてよくわからなかったので、巻いた状態のまま肩叩きの棒に使っちゃってるわ。言うと紫に怒られそうだから黙っておこう。

 件の弾幕ごっこだけれど、なんでも普通は人間じゃ妖怪に勝てないからルールを決めて戦いましょうってことらしく、飛び道具で相手を狙っては相手の飛び道具は飛んで避ける勝負で、幻想郷の少女たちの間で今もっともアツい遊戯とのこと。その飛び道具を綺麗に飛ばせる子はカリスマファッションリーダー的な存在で、完全不可避の絨毯爆撃するような空気の読めない奴は自己中女として以後は村八分にするようだ。幻想郷であっても少女であっても、女性特有の格差社会が垣間見えて微笑ましいことである。

 突っ込みどころとして、普通の人間は空を飛ばないと思うんだけどまぁこれは言ったら野暮なのだろう。加えて私の実年齢は世間一般から言われる『少女』からかけ離れてるので、若い子たちの遊びに混ざっちゃいけないんだろうけど、博麗の巫女として、そして何より私の明日の糧の為に必要不可欠なので、どうかそのあたりはご寛恕をいただきたい。

 

「……で、その弾幕ごっこに使う飛び道具はこれといった制限はないぜ。魔力・霊力・妖力等々で作った光弾でも、手持ちの物でも、飛び道具になりそうな能力でも、使えるものは何だって使っていい。例えば、私の弾幕はイリュージョンレーザーやマジックミサイルやらの魔法だな。元祖霊夢の奴はお札やら針やらを飛ばしてたぜ」

 

 ふむ。お札やら針やらが妖怪退治の道具だろうという私の考えは当たっていたようだ。妖怪退治とやらも基本は弾幕で妖怪をこらしめるとのこと。

 ただ、どうやら弾幕ごっことは実年齢はともかく、とりあえず見た目は少女の体裁を保った存在同士による勝敗の決め方らしいから、それ以外の妖怪らしい姿の妖怪とか、男の姿をした妖怪相手には単純に実力勝負となりそうだ。

 あとは弾幕ごっこに負けたからといって相手の言い分を全部聞かなきゃならないとか、食われなきゃならないという取り決めはないらしいので、妖怪と遭遇したらとりあえず弾幕ごっこに持ち込んでしまえば生存率はかなり高まりそうである。その弾幕ごっこで死ぬこともあるらしいけど、最悪は被弾する前に降参してしまえばいいだけだ。

 

「そんでお待ちかねのスペルカードだけど、これはあらかじめにパターンを決めた個々人必殺の弾幕だな。普通に垂れ流す弾幕がオードブルなら、弾幕ごっこのメインディッシュはこいつだ。事前に使用枚数を取り決めして、その枚数を相手に突破されたら余力があろうとなかろうとそいつの負けになる。独自に組み上げてくるから普通の弾幕とは違かったりするんだが……ま、こればっかりは実際に見て避けてのお楽しみだぜ」

「ふうん。スペルカードねぇ。それを用意しておかないと弾幕ごっこができないわけね。一枚も持っていないのだけど、それはどう作ればいいの?」

「カードにスペル名を書くだけだぜ。ちなみに私のだと、恋符『マスタースパーク』ってな感じになる。そのスペルを使いたい時はこうしてカード宣言して、事前に考えてあったとおりに弾幕を飛ばせばいい」

 

 魔理沙は懐からカードを出して空に掲げるとそのまま懐にしまった。別にカード自体が光ったり唸ったりするわけでもなければ、なんか飛んでったりもしていない。

 しばらく目を細めて魔理沙を見つめて待っても一向に何も起こらない。そうして、ようやく魔理沙の言った『スペル名を書くだけ』の意味がわかった。

 

「何よ。それじゃ、そのスペルカード自体は名前が書いてあるだけのただの紙だって言うこと?」

「ま、そういうことだな」

「書くだけなら時間もかからないか。それはそれとしてどこかに厚紙とかあったかしら?」

「霊夢、これを使いなさい」

 

 紫から声がかかり、地上を見下ろせば狐の尻尾がわっさぁ生えてる女性がすーっと私の前まで飛んでくる。そうして紫に頼まれたらしい数枚のカードっぽい紙が手渡された。

 さっきは月餅のことで意識を逸らしてしまったけど、いきなり神社に現れて当然のように紫にお茶を注いでいるこの人誰なの? 美人だし、おっぱい大きい。私だって一応は美人の部類には入る顔立ちしてたと思うけど、幻想郷の子たちと比べると大分見劣りするんだが。恐ろしいな幻想郷。

 

「で、えーっと、どちら様?」

「私は八雲(やくも) (らん)。紫様の式だ。お前のことは以前通りに霊夢と呼んでも構わないのか?」

「構わないわ。事情はそこの紫から聞いているみたいね。私が『博麗霊夢』の代わりに当座の博麗の巫女を務めることになった者よ。で、紫の式とか言ってたけど、それって陰陽師とかが使う式神って奴? 陰陽師なら映画で観たことあるわよ。ほら、あの安倍清明の奴」

 

 映画館で観たわけじゃなくて、地上波でやってた奴だけど。なんか安倍清明が相方の男の人を大好きっぽかったというか、新しい方のシャーロックホームズを観た時と同じ感じがしたというか。

 そういうのを好む女性の方々がいるらしいが、まぁ気持ちはわからないでもない。男同士の友情って女の身からすると何か羨ましいのだ。いい年してじゃれあってるのとか見てて可愛らしい。

 

「別に、式神が陰陽師しか仕えない術法というわけではないさ。……しかし安倍清明か。日ノ本を乱していた妖狐の正体を暴き、調伏した者の名だったな。映画とは確か過去の映像を映写機で映し出すという夢のようなものだろう? 平安の出来事を昨日のことのように見て知ることが出来るというのだから驚きだな」

「……何か勘違いしているようだけど、別に映画に映っているのは実際の出来事だけってわけじゃないわよ。私が観た映画だって、間違っても歴史に忠実とはいえない脚本に合わせて役者がそれっぽく演じているだけだし」

「そ、そう、なのか。機会があれば遥か昔に存在していたという邪馬台国の時代を見てみたかったのだけれどな。魏志倭人伝に卑弥呼という女王が鬼道なる術で民を治めていたと記述があったが、もしも大陸に伝わる式神とはまた違う術法があればと……」

 

 藍はあんまり喜怒哀楽を表情に出す感じではないけど、見て判るぐらいには感情表現が豊かである。なんていうか、わさわさの尻尾がふりふりしたりしゅーんとしたりね……。

 スペルカードの台紙を手に、藍の言葉は適当に聞き流しながら主に尻尾の動きを眺めていると、魔理沙が焦れた様子で視界に割り込んできた。

 

「おいおい、こっちの準備は一昨日のうちに済んでるんだぜ。霊夢の準備を終わるのを待ってるってのに、大事な大事な対戦相手を放って何を話し込んでるんだ?」

「おっと、すまないな。後のことは任すから、そちらでやってくれ」

 

 ふわふわと紫の近くに降り立ち、藍はまた紫の為にお茶の用意を始めた。藍の風に揺れる尻尾を名残惜しく眺める……ミニーみたいな短くてぴこぴこ動く尻尾も可愛いけど、ふわふわの尻尾も気持ちよさそう。ブラシで梳かしてたらそれだけで何時間でも飽きなさそうだ。

 

「ほら、霊夢もカードを作るならさっさとしようぜ。早くしないと日が暮れちまう」

「はいはい、わかったわよ。まったく忙しないわねぇ」

 

 魔理沙に手を引かれながら地面へと降り、私室へと歩き出す。慌てる様子もなくあんまりのんびりと歩いているものだから、魔理沙に後ろからぐいぐいと押される。

 足の進みが遅いことからもわかるだろうけど、正直なところあんまり気乗りはしない。この博麗神社で物を書くということの大変さを知っているのだ。一から墨を摺ったり書き終わったら筆の掃除しなきゃならないやらが今から面倒くさい。この前のお札の複製でわかったことだけど私はあんまり筆字は上手いほうじゃないみたいだし、流石に人前で二度書きはしたくないもの。

 

 

 

 

「よし、それじゃ練習ってことでカードは一枚。最初は普通に弾幕を撒いて、ある程度慣れてきたら私がスペルカード宣言するぜ。それを突破できたら霊夢の勝ち、二度被弾したら私の勝ちだ。霊夢も反撃してきていいけど、空を飛び始めたばっかりのお前じゃ知れてるから避ける方を優先させろよ。初心者を撃ち落として死なれでもしたら流石に目覚めが悪いからな」

「あら。藍を下に控えさせておくから、気絶して地面に落っこちたとしても死にはしませんわよ。というわけで魔理沙、このぐうたら巫女には遠慮なしに厳しくしてやりなさい」

「おっ、そういうことなら気兼ねなくやれそうだぜ」

「あんたらね。私は初心者って言ってるでしょうが」

 

 言って、ふわりと宙に浮かぶ。一応、袖には今さっき書き上げたばかりの一枚のスペルカードが入ってる。だけれども、使う機会があるかはわからない。

 相手のスペルカードを突破する方法は主に二つあるらしい。スペルカード弾幕をはれないぐらいにダメージを与えてやるか、一定時間被弾せずに逃げ切るかだ。結局『針』もお札も使ったことがないから上手く攻撃できるかはわからない。魔理沙の言うとおり、避ける方を優先しておいた方がよさそうだ。

 

「よぉし、今日はこっちでいくか!」

 

 魔理沙は帽子の中から瓶を取り出し、中から粉末を取り出すと右手で握りしめて私に向けて手を振った。

 拳の軌跡から遅れて、よくわからない形状の緑色に光るものが五つ、ぐるぐると回りながら加速を始める。なるほど。見れば見るほどよくわからない。

 

「なにこの変なの」

「変とか言うな! マジックミサイル!」

「ミサイルってこんな変な形してたっけ?」

 

 加速しながら私へ向かって飛んでくるので、こちらもゆるゆると上空に移動する。どうやら弧を描いて飛ぶらしく、位置を変えた私へと追ってくるようにちょっとずつ向きが変わっていく。

 けれども、このまま上へ上へと上昇すれば当たらないだろう。と、魔理沙を見ると手のひらを上空へ向けている。あれは一度見たことある。妖精サーチ&デストロイの時のレーザーだ。

 

「本当に飛べるようになってるみたいだな。流石霊夢の中身になっているだけあるというか、たいしたもんだ。さあて、次はこいつだ。うっかり当たれば熱いぜ」

「なるほど。当たらなければいいってことね」

 

 すぐさま宙に浮かぶのを止め、力が抜けた私の身体は自由落下する。同時に、直前まで私が向かっていた先へレーザーが放たれた。

 マジックミサイルとやらがいくつかレーザーに巻き込まれて消し飛んでいく。おおう、とてもじゃないけど熱いじゃ済まない威力がありそう。

 

「あっぶないわねぇ。こんな危険なの人に向けて撃つもんじゃないわ。当たったらどうするのよ」

「当たらなければいいんだろ? さあさ、前方不注意は衝突事故の危険がいっぱいだぜ!」

 

 レーザーもミサイルもやり過ごした私はまた同じ高さへ舞い戻ると、既にミサイルの次弾が発射されている。今度は十発、おまけに魔理沙はレーザーの準備にも入ってる。

 ミサイルは変化球だし、レーザーは逃げ道を塞いでくるしで、あっちこっちに飛んで逃げれば避けられないわけでもないんだろうけど、いずれ逃げ切れなくなりそうだしで面倒くさい。

 

「うーん……」

 

 ミサイルの軌道を見るに、私に誘導しているわけではないみたいだ。始めの七つは最初と同じでまっすぐ進んでから頭上方向へ、残りは地面へと向かってから私が今いる辺りへ飛んでくる。単純にミサイルだけを避けるなら、真下に潜り込んでしまえばよさそう。

 けれど、魔理沙のレーザーの予備動作を見るに、そこを狙っているっぽい。確証はないけど、そんな気がする。

 

「なーんか嫌な予感もするんだけど、いってみるしかないわね」

 

 悠長に考えている時間もない。風に煽られながらふわりふわりと浮いたり沈んだりを繰り返す。魔理沙が私の動きに釣られてか、レーザーを私の下方に向けて撃ち放った。

 やはり、下の安全地帯は潰された。次いで頭上を断続的にマジックミサイルが通り過ぎていく。この中を突き抜けるのは空を飛び始めた私じゃ不安が残る。残るは、放射状に広がり迫る三つの隙間に潜り込む道。

 

「いち、にの、さんっと。……で、避けたと思って安心していると、やっぱりね!」

 

 スカートにちりちりと掠らせながらマジックミサイル三発をくぐり抜けると、逃げ道にまっすぐ飛ばされた光弾が五つ。やっぱり、嫌な予感的中である。

 

「さあて、上手くいって頂戴よ!」

 

 左の袖からお札を三枚、抜き取って構えながらくるりと前方宙返りして、飛んできた二発をやり過ごす。しかし、これ以上は、避けられるスペースがない。

 問題はここからだ。飛んでくる三つの光弾に向けて、右手のお札三枚を投擲。私は飛んでくる光弾の軌道上においたつもりだったのだけど、投げた三枚のお札は空中の何もないところに張り付いた。垂直に立ったお札が光り輝く。

 

「おいおい、マジかよっ! 空飛ぶだけじゃなくて、昨日の今日で結界も使えるのか!?」

「えっ? そんなの知らないわよ!?」

「は!? こ、この適当巫女っ! よくわかってないものをわからないまま土壇場で普通に使ってみせんなぁっ!」

 

 魔理沙が喚いているけど、違うの。予定では一か八か、光弾と接触する時に「滅ッ!」とか言ってお札を爆発させて(するのかもわからなかったけど)ミサイルを吹き飛ばすつもりだったのだ。なにこの不可思議な現象。自分でやっておいて一番にびっくりしてるのは私だわ。

 空中にぺたりと張り付いたお札は、文字だけが青白く光ると紙から浮かび上がり、三倍ぐらいに大きくなって広がった。魔理沙が言ったのを信じるなら、結界ということらしい。防御してくれるのだろう。やたっ! 棚ボタラッキーだわ!

 

「あ……やば」

 

 なんて喜んだのも束の間。魔理沙の放った光弾が結界に到達する直前に、あることに気づいてしまった。

 私の目の前を守ってくれている三つの文字の壁。だがまぁ、なんというか、左で結界になってるシャープで綺麗で納まりのいい文字と比べると、真ん中と右の結界の文字のなんとお粗末なこと。まるで絡まって解けなくなった糸くずみたいである。あの小学生のほうがよっぽど上手く書けそうな情けないのは、どこの誰が書いたお札だってのよ!?

 

「書き損じたからって二度書きなんてするんじゃなかった!」

 

 文字に見覚えあるから知ってる。あの二枚を書いたのは何を隠そう私である。なんか言うまでもないことだけど、あの私が書いた方の二枚の結界は、駄目っぽい!

 予想外の出来事の連続で混乱する私に構わず、光弾は変わらず迫り来る。左の結界にぶつかるも、文字は揺るぎもせずに光弾を弾き飛ばした。綻び一つも見せやしない。お見事である。

 さて、残るお粗末な二つにも光弾が激突。瞬きする間も保たずに、ぱきんとガラスが割れたような音を残して宙に溶けた。光弾は「今結界なんてあったの?」といわんばかりに至って元気いっぱい、真ん中を抜けてきて私に直撃した。右側のは結界もどきに当たって軌道が逸れたお陰で、右の袖に掠めただけで済んだようである。

 

「うべゃっ! い、痛ったーい!」

「色気のない悲鳴ねぇ。まるでカエルが潰れたみたい」

「紫、うっさい!」

 

 咄嗟に身体を捻ったお陰で、何とか当たるところを左肩にずらせた。全身を揺らす結構な衝撃と、バチと電気が走ったような音。肩を見れば、すりむいたときのように真っ赤に腫れている。あのまま胸に当たるよりはマシだろうけど、痛いのは変わらないのだ。そりゃカエルの一匹や二匹潰れるっての。

 それにしても、くっそう。あのお札の何が悪かったんだろう。二度書きもだろうけど、何の字かわからなかったからぐしゃぐしゃって誤魔化して書いたのが良くなかったのだろうか。

 

「……まさか、最後の詰めにまで辿りつくとは思ってなかったからびっくりしたぜ。もっとすんなりいくと思ってたからな。あわよくばここで二機とも減らしてやるつもりだったけど、危うく被弾なしでスペルカードにいかれるところだった」

「だから、手加減しなさいっての」

 

 何故だかほっとした様子の魔理沙が、仕切り直して私を見据えてくる。対して、私は内心で焦っていた。

 神社に残っていたあのお札は有効ってのがわかった。だけれど、大量に複製した方は物の役にも立たない。先ほど無作為に取り出した三枚からわかるように、左腕の袖の中で純正品と粗悪品が混ざってしまっているのだ。袖の中には十二枚のお札が入っていて、うち当たりは三枚。残りは全部外れである。確率的には四枚取り出せば一枚は純正品が混ざってくれる計算だ。

 なんで一緒にして混ぜちゃったんだろう、弾幕ごっこを始める前の私は。(私的には)同じように書いたんだから同じ効果があるだろうというのが甘い考えだったのか。後悔先に立たずである。

 

「その余裕面を見て理解したぜ。相手にとって不足なしってことをな。当初の予定(イージー)を変更して、いっこ上(ノーマル)でおもてなしさせてもらおうか!」

「やっぱりあんた、他人の話を聞かない奴ね」

 

 今のへなちょこな結界を見てなかったのだろうか、なんでまた私のことを強敵みたいな感じで見てくるんだ。左肩は痛いし、なんか寒くなってきた気がするしで、無性に紫の隣であたたかいお茶飲みたい。

 現実逃避を始める私に、魔理沙がカードを取り出し、私に掲げた。今のやつよりすごいのが飛んでくるのがわかっているので、実際のところもう私は泣きそうである。

 

「さぁいくぜ、魔符『スターダストレヴァリエ』!」



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変なのを直したのに何故か怒られてる私。

 

 ――体中が痛い。とくに痛む頭をさすりながら魔理沙をきっ、と睨みつける。

 箒に腰掛けた魔理沙は、笑顔で上空をびゅんびゅんと飛び回っている。箒からは星がばらまかれ、魔理沙から距離が離れるときらきら空にとけていく。

 

「魔理沙。今の何よ、卑怯でしょ。弾幕ごっこじゃないの?」

 

 魔理沙のスペルカード、【魔符『スターダストレヴァリエ』】。カードを掲げると同時に、魔理沙から四方八方に星の形をした弾がばらまかれた。

 先程までのような私だけを狙ったものではなく、魔理沙の周囲にいる奴はみんな巻き込むような規則性のある弾幕である。幻想的な光景に目を奪われつつも、一拍遅れて我に返った私は飛んでくる星の弾から必死に身をかわしていった。避けた星弾は魔理沙から一定の距離でぐるぐると大きな円を描いて周回、そうしてしばらくしてからまた魔理沙の手元へと円を描いて戻っていく。一度避けた弾が背後から迫るというまさかの攻撃だったけど、これも勘が働いて事前に察知。なんとか避けることができた。

 時間が経つにつれて星の数は増え、弾幕は密度を増していくも、その頃にはなんとなしに星の軌道が読めていた。一定のパターンがあるらしく、それさえわかっていれば避けるのは難しくなさそうだ。

 スカートやら袖やら、時には髪の毛を掠らせながらも弾幕を避け続けていく。出来ることなら弾幕の中からじゃなくて夜空でばらまいているのを地上から見たかったな、とそんなことを考える余裕が生まれ始めた矢先の出来事だ。あっちこっちに逃げ回っている私に向かって、突然に魔理沙が星の尾を引き連れながら突撃をしかけてきたのである。まさかの体当たりに反応しきれず、体勢を崩した私は吹き飛ばされ、後ろでぐるぐる回っていた星屑の中に押し込まれてあえなく被弾。墜落した。

 

「最初に言っておいただろ、弾幕は『飛ばせるものなら弾だろうが持ち物だろうが能力だろうが、何でもいい』ってな。このとおり、私だって飛んでるんだぜ」

 

 ああ、はいはい。広義に解釈すれば魔理沙も弾幕の一つってことなのね。なんか後出しじゃんけんされた感じだけど、そう言われてみれば納得できなくもない。

 藍に空中キャッチされた私はこっそり尻尾のふかふかを楽しむと、お礼を言ってからまた宙へと浮かび上がる。その途中で魔理沙の弾幕の星の弾をおもむろに一個捕まえて、人差し指の間接でノックするみたいに小突いてみる。予想通りというか、こつこつと硬い音が返ってきた。やっぱりさっきのミサイルや魔法の弾と違って触れるし、重さがあるようだ。当たったときの痛みの質が違う訳である。

 

「あと相手のスペルカードの宣言中は飛んでくるものだけじゃなくて、周囲一帯にも注意しておくようにしとけよ。相手が弾を飛ばしてくるだけだなんて思い込んでると、あっさり撃ち落とされるぜ。例えばそうだな……。ルーミアっていう妖怪がいるんだけど、そいつなんかは能力で辺りを真っ暗にして、弾幕も何も目の前に近づくまで視えなくしてきたりするしな」

「何よそれ。真っ暗じゃ目の前から弾が飛んできてもわからないじゃない。厄介そうな奴ね」

「いや、それがそうでもなかったぜ。辺り一帯を真っ暗にした所為で、あいつも私の位置がわからなかったみたいだからな」

 

 それを聞いて思わず脱力する。妖怪というからには人を食べる奴なのだろうけど、なんとも愛嬌あるのがいたものだ。弾幕ごっこをするってことは少女の姿をしているのだろうし、ちょっと足りない子なのかもしれない。

 そんなことを考えながらぼんやりと手持ち無沙汰に手元の星の弾を検分する。何で出来ているんだろうと星の弾をぺろりと舐めてみると、なんとほんのり甘い。一個ぐらいならくすねてもばれないかな。

 

「とにかく、弾幕ごっこの流れはこんな感じだな。弾幕を見てないから攻撃の方は何とも言えないけど、動きを見る限りは妖精程度の弾なら問題なく避けられるだろうぜ。で、ところで霊夢。お前、空を飛ぶ速さはそれが限界なのか? 見てる限りだとせいぜい小走りぐらいの速度で、ずいぶんとのんびり飛んでいたみたいだけどさ」

「別に、飛ぼうと思えばもう少しだけなら速く飛べないこともないと思うんだけど、あんまり頑張っても勢い余ってどっか飛んでっちゃいそうだし。上空は気温が低くて寒いしで、これぐらいで飛ぶのが性に合ってるわ」

「なんだよ、気が抜ける奴だな。それじゃ暖かくなってきたら速く飛ぶのか?」

「ぽかぽかと陽の光を浴びながらのんびり飛ぶわよ。それなら日向ぼっこも出来て一石二鳥だわ。ま、太陽の日差しが厳しくなる前ぐらいに速く飛べるようになっていればいいでしょ。真夏で地上が暑くても、上空なら風が気持ちよさそうね」

「呆れるぜ。霊力を早く覚えて風除けの術を使えるようになるって発想はないのかよ」

 

 やれやれ、とわかりやすく魔理沙に呆れられて思い出す。そっか。以前に魔理沙に聞いていたけど、霊力の使い方を覚えればそんなことも出来るのだった。

 冬の時期には必須だろうから紫や魔理沙が帰った後にでも練習して、何とか最優先で習得しておこう。ともすれば家の中でも暖房要らずになるかもしれない。

 

「霊夢、ちょっといいかしら?」

「何よ、紫。見学してるんじゃなかったの?」

「いいから。いくつか訊ねたいことがあるのよ」

 

 私たちの下に寄ってきていた紫の声に従って、水の中に沈んでいくようにゆったりと地面に降り立つ。魔理沙も急降下しながら不思議そうに紫を見ている。

 気がつけば、縁側に置いてあった筈の湯飲みや急須、お盆やらお茶請けやらがみんな片付けてあって、給仕をしていた藍もいなくなっている。帰ったのだろうか?

 

「ねえ、霊夢。あなたもう、結界は使えるのよね?」

「そうみたいね。まったく実感はないのだけど」

「そう。それじゃ、神社の外にあるものは認識できている?」

「神社の外?」

 

 言われるがまま神社の裏手へと視線を向ける。普通に見ても、森が広がっているばかりで特に何も目新しいものはない。

 空を飛べるようになってから私には、色々とこれまで視えなかったものが視えるようになっている。例えば紫が常時周囲に放っている歪んだ気配であったり、魔理沙の胸のあたりには私も持っているのと同じ感じの光(たぶん霊力だと思われる)が視えるし、それは魔法を使っている時はそれとは違う『色』になっている。

 でもそれは、相当に強い物でない限り普段は小さな違和感としてしか知覚できない。違和感で気づいて、注意して見てみて初めてその違和感がどのようなものなのかが視えてくるのだ。

 

「なんだかよくわからない大きな網みたいな……ううん、膜みたいなのが視えるわね。完全に霊力だけで出来てるわけじゃないみたい。どうもいくつか小さな穴が空いてるようだけれど」

 

 紫の言っていた神社の裏には木々が並んでいて、地図にはその先は記されていなかった。記載されていない辺りを目を凝らして見ると、目の粗い、ぼんやりとしたよくわからないのが囲むようにして覆っているのが視えてくる。これが紫の言う『神社の裏にあるもの』なのだろうけど、なんか私がさっき使った結界の光に似てるようでちょっと違うっぽい。

 

「やっぱり。どうかしら? 今のあなたにそれの補修は出来そう?」

「補修って、空いてる穴を塞げばいいの? とりあえずやるだけやってみるけど、でもちょっと待って。これが何なのかわからないことには手の出しようがないわ」

 

 言って、顎に手を当ててふんぞり返り、その膜の様なものを眺め見る。……やってみるだなんて言ったけど、うーん、どういうものなのか判断しかねてる。神社を守っている、とも違うし、卵の殻と外みたいな? そもそもこの膜みたいなのって神社の周りだけじゃなくって、結構広範囲にあるみたい。イメージ的には万里の長城を思い出す感じ。

 膜の外側はよく見えない。というよりは、上手く認識できていない。向こう側に何があるのか、向こう側とこちら側で何を隔てているのか。それがわかればこの膜がどういうものか見えてくる気がするんだけど。

 脳みそをフル稼働させながら一つ一つを細かく見ていくと、膜の外側がおぼろげにだけど見えてきた。なんか、ちらっとあちらにも博麗神社が見えた気がする。でも、ここの博麗神社とは何かが違った。膜の外側は、こっち側とは根本的に何かが違うように思える。土台から二番目と三番目ぐらいが違う計算式で組まれてるというか。世界の彩色が違うというか。すごい感覚的だけど、物理法則のような、一般的に決められた物差しからして違うように見える。

 

「向こう側とは、法則が違う? 法則ってよりは、価値観やら認識の違いかしら? ……うーん、うまいこと当て嵌まる言葉が思い当たらないわ」

「……それは『常識』ではないかしら?」

「常識、常識ねぇ。うん、法則よりはしっくり来るわね。なるほど。常識の中にあるものと、常識の外にあるもの。それを隔てる為の膜なのね、これは」

 

 ぶつぶつと頭の中の感覚を言葉に出して整理して、頭をがしがしと掻いて唸っていると、紫が横からナイスパス。パズルの欠けていたピースが埋まったような達成感。途端にぼやけていた結界の外側がまた一段、クリアに見えるようになった気がする。

 パスを出した紫へ顔を向けると、彼女の表情は驚愕に彩られていた。……え、なんでよ?

 

「ねぇ、魔理沙。さてはあなた、昨夜この霊夢に博麗大結界のことを説明しておいたのでしょう?」

「ん? いいや。空の飛び方とか、巫女って何をすればいいか聞かれたから元祖霊夢の話をしたぐらいだな。そもそも、お前と私とで真剣にその話をしてた時、この紅白はお客を放っておいて一人でお茶を飲んでるような奴だぜ。そんな小難しい話をしてやっても聞いてるフリだけして聞き流すんじゃないか?」

「失礼な白黒ね。そんなことするわけないでしょ。神社のお賽銭を増やす為にも、巫女の仕事の話はしっかり聞くわよ」

「ほらな。ご覧の通り、食べ物と賽銭のことが絡まない仕事は聞き流す気満々だぜ」

 

 私を見つめながら腑に落ちないといった様子の紫。魔理沙は魔理沙で私のことを侮ってやがる。真面目にやるつもりだってのになんだってそう穿った受け取り方をするのか、あんたらにそんな反応される私の方が腑に落ちないっての。

 その話についてはとりあえず置いておこう。とりあえず、この膜に空いている穴を塞げるかどうか試してみないと。

 

「…………で、どう試せってのよ」

 

 一歩目で躓いた。そもそも霊力やらが見えるようになっただけで、使えるようになったわけではなかった。

 結界は何でか知らないけどお札を投げれば使えるようなのだけど、まったく意識していないので霊力に関してはわからないままだ。

 

「駄目元でお札で塞いでみましょうか。霊力を使っているのは同じみたいだし」

 

 袖からお札を何枚か取り出し、とりあえず書き損じの方のお札を穴に向けて放り投げる。効果がなかった時を考えると、残り三枚しかない純正品はもったいない。

 さて、これも霊力によるものなのか、お札は風に負けずに一直線に目的のところへ飛んでいき空中にぺたりと張り付いた。弾幕ごっこの時のように文字が浮かび上がると、しかし急にバチバチバチッと物騒な音を立て始める。そうして「パァン!」と風船が破裂するような音を残してお札が千切れ飛んでいく。

 紫も魔理沙も、私も無言になった。しばらく破裂して紙切れになったお札を眺めた後、呆然としている二人へと顔を向け、恐る恐る声を上げる。

 

「……やっばい。今ので穴、大きくなっちゃった」

「ちょ、おい! お前、何やってんだ!? 『大きくなっちゃった』じゃないだろ! 何でもかんでも適当にやろうとするからだ!」

「本当に何をやってるの!? ありえないでしょう!? 直してって言ったのに、酷くしてどうするのよ!?」

 

 二人に詰め寄られ、怒鳴り上げられる。紫には胸元を掴まれて首を軽く絞められる始末である。息ができない、苦しい。

 流石に私も、二人のその剣幕に焦り始める。もしかして、マズっちゃったのかもしれない。どうやらこの膜はかなり大切なものらしい。

 

「だ、大丈夫よ。今ので何となく仕組みがわかったから。要は、今の壊れ方と逆にすれば直るわけでしょ! 簡単、簡単だから! ちゃちゃっとやっちゃうから問題ないわ!」

「なぁおい、紫。本当に大丈夫なのかよこの霊夢で。流石の私も不安になってきたぜ……。今日が幻想郷最後の日になるってのはちょっと勘弁して欲しいよな。最近ご無沙汰だったし、最後ぐらいみんなで盛大に宴会したかったしな……は、はは」

「あなたよりも私の方が不安よ……。楽園を作ろうと奔走してきた数百年が水の泡になるかどうかの瀬戸際なのよ。宝物のように、我が子のように守り続けてきた幻想郷が、まさかこんなのの手に委ねられているだなんて……うふ、ふふふ」

 

 二人を安心させる為に根拠もなしに軽口を叩いてみるも、二人は乾いた笑いを上げながらお通夜かのように消沈し始めてしまった。駄目だ、やっぱり私に演技は向いてない。

 とにかく、穴さえ直せば二人も調子を持ち直す筈。それに今の穴が広がってしまったことで、逆にどうして綻んでいたのかがわかったのは本当だ。この膜はやっぱり結界なのだ。理論によって組み上げられている為に、構成している霊力と同じ気質のもので補強してやれば穴は勝手に埋まってくれる。

 穴が広がってしまったのは、お札に書かれたよくわからない言語(少なくとも日本語ではない)が空いた部分に収まろうとし、構成しているのと同質の霊力で無理に同調しようとしてしまったからだ。

 注ぐのは私の霊力だけでいい。余計なものはいらないのだ。そう理解すると、さっきお札が破裂したあたりまでふわりと浮かび上がり、両手のてのひらを広がってしまった穴へと差し向ける。霊力を集めるイメージとして正しいのかわからないけど、体中の血液を両手にかき集めていくように集中する。

 

「ま。霊力を注ぐのなんてやったことないからよくわからないんだけど、たぶんこれで何とかなるでしょ」

「だからっ! いい加減、適当にやるのはやめろって言ってるだろっ!?」

「ねぇ、聞こえているかしら霊夢。ごめんなさいね。あなたってば、実はすごい真面目な巫女だったのね。不真面目だの、ぐうたらだのとお説教しちゃったけど、普通に結界を維持してくれてたもの。私はそれだけで充分とするべきだったのよ。もうお説教なんてしないわ。だから、私たちのところに帰ってきて霊夢。今すぐに。お願いだから」

 

 もはや形振りも構っていられないのか、魔理沙が目を剥き、口を大にして叫んでいる。紫に至っては視線を虚空に向け、誰かに一生懸命語りかけ始めた。誰に話しかけているかまでは魔理沙が怒鳴っているのでよく聞こえないけど、その誰かが帰ってきてくれるなら土下座も辞さないといった思い詰めようだ。いつも過剰に振り撒いている胡散臭さも消えて、何かヤバい兆候である。

 恐慌に陥っている二人の様子とは裏腹に、私の両手に霊力の光が移り、じんわりと熱を帯びていく。そのまま流れに逆らわず手のひらから送り出してやると、結界の綻びは静かに、しかし目に見えて修復されていく。

 ――こ、これでどう? いやいや、私が直せるって言ってるのに、何だかんだ二人が勝手に慌て過ぎなのだ。私は顔だけ振り向いて、得意げに笑顔を見せてやった。

 

「ほら、見てみなさいよ二人とも。私の予想していた通りに穴が塞がっていくわよ。万事上手くいったじゃない。終わり良ければ全て良し。流石は私ね」

「……何でそれで上手く収めちまえるのかわからん。騒いでた私ら二人揃って、霊夢に馬鹿を見させられた気分だぜ」

「私としては幻想郷さえ無事なら、もう何でもいいですわ。好きにして頂戴」

 

 不満気な魔理沙と憔悴しきった紫に視線を逸らされた。浮かぶ感情は違えど、二人の顔には私という人間への諦観の色で埋め尽くされている。一仕事してみせた巫女に労いの言葉もないとかどうなのよ。もっと言うなら、褒めてくれていいんじゃないだろうか。

 私はわからないなりに私の出来ることをやったし、そりゃちょっと失敗しちゃったけども結果的に成功したってのに、なんか私が悪いみたいな雰囲気になってる。何なのこのアウェー感は。下手に抗弁したら二人の怒りを煽ってしまいそうなので、空気の読める私は口を閉じて結界の修復に集中することにした。

 そういえばまだ答え合わせをしてもらってないんだけど、今私が直しているこの結界って結局は何なのだろうか? 直せと言われたから直してるけど、正直なところどういうものなのかよくわかってない。

 私だって当事者なのに、一人だけ置いてけぼりにするのはどうかと思う。どうせなら私も二人と一緒に驚いたり落ち込んだりしたいのに。ちょっとだけ寂しい。

 

 

 



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妖怪から妖怪退治を請け負う私。

 

「誠に不本意ながら、当座の問題が霊夢のいい加減な尽力により解決してしまいましたわ。博麗の巫女という役職に就きながらにして一時的にとはいえ幻想郷に危機を招いたものの、解決してみせたこと自体は紛れもない事実。幻想郷を代表して一応のお礼を言っておきましょう」

「一応のお礼ってどういう意味よ。なんか発言のところどころに悪意も感じるんだけど」

「……」

「ちょっと、そっちから振っておいて無視すんな。で、そのお礼とやらは? 一応でも言うんじゃなかったの?」

 

 なにやら不満たらたらの紫が、まるで私に失敗して欲しかったかのように眉根を寄せてこんなことを言いだした。その上お礼するとか言っておきながら、余程言いたくなかったのかだんまりである。それならお礼するだなんて宣言しなきゃいいのに。

 そもそも結界の修復はあんたがやれって言ったことでしょうに、何だってそんなむくれた顔を向けられなきゃならないのか。なんか紫はこういうとこ子供っぽい。

 

「そんなことよりも、博麗大結界は安定したようですわね。今の霊夢の霊力を認識したようで、維持の方も問題はない様子」

「……はいはい。もうそれでいいわよ」

 

 そんなことの一言で済まされてしまったことに文句をつけてやりたいのだけれど、お礼を強要させてるみたいだし話は進みそうにないしで適当に相槌を返して流しておくことにする。

 その様子が紫からは小馬鹿にされたようにでも見えたらしく、むっとした目つきで睨みつけてくる。突っ込んでも怒らせちゃいそうだからと思ってこっちが引いてもこれだし、どうすりゃいいってのよ。もう、面倒くさい。

 

「とにかく、その大結界ってのが安定したってことは私も博麗の巫女として最低限のことはこなせるようになったってことよね。……ふぅ、柄にもなく焦ったものだから喉がカラカラよ。いつも以上に美味しくお茶が飲めそうだわ」

「強がりだってのが見え見え過ぎて、私たちの方がよっぽど焦ったぐらいだからな。紫の奴なんて急にがたがた震え出して、空に向かって元祖の方の霊夢に呼びかけ始めるし。ま、こうして事が終わって落ち着いてみればあれは傑作だったぜ」

「待ちなさい霊夢。博麗の巫女がこの幻想郷でこなさねばならないことはまだひとつ残っているわよ」

 

 にやにやしている魔理沙と一緒に、いつもの定位置である縁側へと歩き出した私に声がかかった。言うまでもなく発言主は紫なのだけど、眉をひそめてちょっと不機嫌そうなのはきっと魔理沙が紫を見るなりに思い出し笑いをしているからだ。

 魔理沙は口は悪くても憎めない奴だし人懐っこい性格をしてはいるのだけど、とにかく他人を苛つかせるのが上手い。私も何度頭をひっぱたいてやろうと思ったことか。

 

「なによ、そのこなすべきことって。もう空も飛べるし、霊力も結界だけならとりあえず使えるようになったじゃない。その博麗大結界ってのも直したんだから、言われたことは一通りこなしたでしょ」

「私があなたに言ったことは、全て博麗の巫女の仕事をこなす為に必要なものよ。では、その博麗の巫女の仕事とはいったい何だったかしら?」

「仕事? 仕事なんてていっても、ここじゃやることなんて掃除ぐらいしか――――あっ、そうよ! 妖怪退治!」

「そういうことですわね」

 

 色々なことがありすぎてすっかり頭から抜け落ちていた。社会の為に何かをして、成果として金銭や報酬を得て初めて仕事といえるのだ。神社の掃除も結界の維持も、お給料が振り込まれない以上は私の善意のボランティアに他ならない。

 では博麗の巫女が他人の役に立ち報酬を得るにはどうすればいいかといえば、再三言われてる妖怪退治である。もはや巫女というよりは妖怪ハンターという感じなのだけど、実際問題お賽銭が期待できない現状ではそれで手に入る食料こそが私の生命線なのだ。

 

「むむ。にしても、妖怪退治。うーん、妖怪退治ねぇ……。ねえ魔理沙、妖怪退治って何をすればいいのよ。お米とか野菜とか貰えるんでしょ? 退治する前になにか手続きとか必要なの?」

「いいや。そんなに難しいことでもないぜ。だいたいは人里で妖怪の被害を受けて困ってる奴から依頼を受けて、迷惑かけてる妖怪を弾幕でとっちめてやるだけだ。終わったら依頼を出した奴に報告して、依頼の報酬を貰う感じか」

「ふうん」

 

 魔女帽子のつばを人差し指でくいと上げて説明してくれる魔理沙に、私はこくこくと二度三度と頷いた。

 妖怪退治して報酬を得るには、まず事前に人里で依頼を出している人を探して回らなければならないようだ。どうせなら掲示板とかに張り出してあったりとか、人里に妖怪退治依頼の斡旋所でも作ってくれればこっちも楽なのに。

 あ、そういえば妖怪退治するのって私以外にもいるのかな。退治できるのが私だけだっていうなら依頼人が博麗神社まで参拝ついでに来てくれれば一石二鳥なのだけど。この方向で神社への参拝客を増やせないものだろうか。うん、一考する余地がありそうだ。

 

「何にせよ、まずは人里に向かわないといけないわけね。でも、今から行って都合よく依頼があるものかしら」

 

 空を飛べるようになったとはいえ、まだまだ速度の出せない私では今すぐに出発しても人里に辿り着くのは夕方だろう。夜に備えて仕事を終えて、家に帰ってのんびりし始める頃合である。幻想郷の夜は早いのだ。

 そんな、これから依頼を探すのは時間が悪いんじゃないかという私の発言を、魔理沙は違う意味で捉えたようである。

 

「さあて、どうだろうな。最近この辺じゃ妖精ぐらいしか見かけないから、いるとしたら魔法の森か妖怪の山の方だろ。人里の連中はそっちまで出てく事もそうないから、そんなに被害も出てないだろうしなぁ。ないとは言い切れないが、望み薄だろうぜ」

「それじゃどっちにしろ駄目じゃないの」

 

 意図した答えではなかったけれど、なるほど、妖怪からの被害がないと依頼自体が出されないらしい。里の人たちが被害に遭っていないということはいいことなのだろうけど、それだと今度は私が困ってしまう。

 人食い妖怪よ大繁殖しろ、だなんて言うつもりはないけれど、私が餓死しない程度には妖怪には暴れてもらわないと。まったく、妖怪どもも腑抜けてないで、ちゃんとやることやってほしいものである。私が仕事できないじゃない。

 弾幕ごっこなら痛い思いはしても死ぬことはおそらくないので、退治の依頼を受けること自体は結構乗り気だったりする。なにせどれだけ神社を綺麗に掃除しても増えない賽銭とは違って、頑張ったら頑張っただけ夕飯が豪華になるのだ。

 

「ふむ、そうね。霊夢に仕事をしろと言ってしまった手前、受ける依頼がないとあっては格好がつかないわねぇ。では、今回は私から依頼を出すとしましょうか。もし私が指定する妖怪を弾幕ごっこで倒せたなら、その報酬としてこれらを差し上げますわ」

 

 思案していた紫が一歩進み出て手を横に振ると、動きを同じくして私の目の前の空間にすうっと切れ目が入った。両端がリボンで結ばれると中央がぐんにゃりと開かれ、あの不気味な空間が現れる。

 その中には数尾の秋刀魚に鶏卵、たけのこやトマト、ナスに白菜、りんごに梨にみかん、小ぶりなスイカ。季節のばらばらな野菜や果物が一まとめになって漂っている。

 これがその依頼とやらの報酬だろう。色とりどりの食べ物は瑞々しくも艶々としていて、目に入った瞬間に思わず喉が鳴った。うう、体が目の前にある多種多様の栄養分を求めてる。これだけあれば、優に一週間は困らなさそう。だけれど……。

 

「美味しそうだけど、野菜も果物も季節感が感じられないのはどういうことよ。あ、もしかして、このスキマの中って食べ物が腐ったりしないの? それなら冷蔵庫がわりにうちにも一つ欲しいところなんだけど」

「そんな無作法をするわけがないでしょう。外の世界のお店では季節の野菜が年中いつでも手に入るのよ」

「その口振りだとやらないだけで、出来ないわけじゃないってわけね……。にしても、外の世界ねぇ」

 

 声に出してその違和感に気がついたのだけど、実はどうやら紫は自由に日本と幻想郷との行き来が出来るようである。この前の月餅もそうだし、今回の野菜と果物もそう。どちらも外界からの品だった。

 そんなことが出来るなら私を東京に帰して欲しいところなのだけれど、帰っても体が『博麗霊夢』のままじゃ母さんが私だってことに気づきそうにない。それに何より、幻想郷には博麗の巫女の存在が必須らしいので、紫が幻想郷から出て行くのを許してくれなさそうである。そうなるとやっぱり元の体に戻る方法を見つけないとならないのだけど、その見つける為の時間を作るには生活を安定させないといけないわけで。結局は妖怪退治をして食い繋いでいかなきゃならないようだ。

 はぁ、とため息を吐いた私は、スキマの中身を検分する。見れば、いくつかの果物には値札のシールが貼られたままだ。

 

「年中手に入るってことは、これハウス栽培でしょ? 結構いい値段したんじゃないの?」

「……でも、秋半ばを過ぎても西瓜を売っているなんて珍しかったものだから」

 

 私の質問に対して、まったく否定になっていない言い訳を恥じ入るようにして呟いた紫に少しばかり呆れてしまった。ちょっと後悔している様子からわかるように、どうやらそこそこ高かったらしい。

 それにしても紫は現代日本に行って、どうやってこれらの食べ物を購入したのだろう。奥様連中に混ざって、この珍妙な格好の紫がスイカを抱えてスーパーのレジに並んでいる光景はどうにも想像できない。もしもそれを目撃しようものなら、人目もはばからず大爆笑してしまうかもしれない。

 

「年中いつでも手に入るだなんて、そいつは随分と節操がないな。こう寒い中で西瓜なんざ食べても美味くもないだろうに」

「それでも食べたがる奇特な人間がいるからこそ、高値でも売れるのよ」

 

 つまらなさそうにスイカを見やった魔理沙が言ったことについ反論してしまったけれど、その発言にはむしろ共感していたりする。夏の季節以外にスーパーでスイカを見かけても食べようと思ったことはないかもしれない。

 なんとなしにスキマの中のスイカに手を伸ばそうとしたところ、急に上下から閉じ始めたので慌てて手を引っこ抜く。下手人の紫を見やると「これは成功報酬ですわ」なんて、してやったりという風に笑っている。別にちょろまかしてやろうなんて思ってないっての。

 

「わかったわよ。報酬が欲しいなら言われた奴をやっつけてこいってことね。で、どこのどいつをこらしめればいいのよ?」

「そうね。一番に当たり障りがないのは、妖怪の山の麓あたりにいる、秋に活発になる妖怪姉妹かしらね」

「妖怪姉妹?」

「秋になると木々に紅葉をつけてまわる悪い姉妖怪と、秋の作物を大きく実らす悪い妹妖怪ね」

「……聞く限りじゃ特に悪さをしてるようには思えないんだけど」

 

 紅葉につけて回ることはいいことかどうかの判断がつかないけど、秋の作物を大きく実らせてくれるというのはたぶん人間の為になるいいことじゃないだろうか。

 妖怪って基本的に人に迷惑になることをする奴らだと思っていたんだけど。あ、妖怪でも人の役に立つのもいたか。有名なのだと座敷童子とか。けどケサランパサランなんかも見ると幸せになるとか言われてるけど、幻想郷だと襲ってきたしなぁ。さては生贄を差し出せば豊作にしてくれるとかそんなの? でも、いいことしても人を食べるんじゃ差し引きでマイナスだと思うし。

 

「間違えましたわ。姉も妹も、悪い妖怪ではなかったわね。けれども依頼は依頼。こらしめなければもちろん報酬は差し上げられませんわ」

 

 むむ。紫が言うにはやっぱり悪い妖怪じゃないらしい。でも、やってることは悪くないにしても妖怪なら結局は人を食べるのだろうし、もともと妖怪退治は私の仕事なわけだ。

 そんでもってやっつければ一週間もの間食事に困らないとなれば、別段私に断る理由はないのか。なんだか、紫の言い回しにはちょっと引っかかるものはあるけど。

 

「ま、その姉妹とやらには私の食生活向上の為に涙を飲んでもらいましょ。恨むなら妖怪に生まれた自分を恨んでもらうってことで。で、紫。それはいつまでに終わらせればいいの?」

 

 それを聞いてにんまりと笑った紫は、日傘をスキマの中から取り出してぱっと開く。ご機嫌なようで、傘回しするように手元でくるりくるりと回している。

 

「一言に妖怪の山の麓といっても広いから、これから探し回っても見つからないこともあるでしょう。念のために多少の余裕を持たせて、二日後の日が完全に暮れるまでとしましょうか」

「そう。二日後の夕方までってことは、今日ももう少ししたら夕方になるわけだから、丸二日は猶予があるわけね」

 

 ほっと息を吐き、紫に呼ばれて止めていた足をまた進ませる。そのまま縁側までたどり着くと、袖口からお札や針を取り出してそこに置いた。

 入れておいてもそれほど取り回しに困るわけではないのだけど、重さがあることには変わりないので何をするにしても落ち着かないのだ。お札はともかく、針の方は物騒でもあるので極力は身に付けておきたくない。

 

「おい紫。まだ霊夢の奴はあんまり速くは飛べないから、今から出発しても日が完全に落ちるまで妖怪の山の麓まで辿り着けるかわからないぜ。今日のところは私の後ろに乗っけてってやっても構わないだろ?」

「そうね。この霊夢がちゃんと一人でも妖怪退治できるか見るための依頼のつもりだったのだけれど、それぐらいの手助けであれば許可しても……」

 

 よっこいしょ、と縁側に腰を下ろして、急須の蓋を開ける。中身は空っぽ。見れば、お湯の方も切らしてしまったようだ。紫のやつめ、全部飲んじゃったならお湯を沸かしておいてって言っておいたのに。

 それにしても、なにやら魔理沙と紫が真面目そうな顔で話を続けているようだけど、どうせなら話すなら座ってお茶を飲みながらにすればいいのに何でか二人は立ったままだ。

 

「魔理沙ー、お茶飲む? さっき飲んでたみたいだけど、紫は? ……ま、いいか。どうせ私一人でも飲み切っちゃうだろうし、多目に沸かしておけばいいわね。まったく、こんな寒い中で何時間も飛んでいたものだから体が冷えちゃってしょうがないわよ。お茶でも飲んであったまりましょ」

 

 いそいそと水注ぎからやかんへ水を足してから火種を残しておいた土間の囲炉裏にかけ、漆塗りのお茶っ葉入れの蓋を開ける。キュポン、と空気が抜ける間抜けな音が響いた。

 たとえ野菜が尽きようとも、お茶だけは切らしちゃならんと多目に買っておいたのだ。夕飯のおかずが一品減ったとしてもどん底まで落ち込むだけで済むけど、毎日飲んでるお茶がなくなったら私はストレスのあまりに胃に穴が開いて死んでしまうかもしれない。

 

「おい、霊夢」

「んー、何よ?」

「いやいや、『何よ』じゃなくてだな。お前、なんで腰を落ち着けようとしてるんだ。妖怪退治に行くんだろ。相手がわかってるんだから、依頼なんてさっさと終わらせちまおうぜ」

「嫌よ。今日はもう店仕舞い。魔理沙とやった弾幕ごっこで疲れたし、寒いし」

 

 急須に目分量でお茶っ葉を入れながらも即答する私に、魔理沙と紫が揃って肩を落とし、ため息を吐いた。

 

「弾幕ごっこだってスペルカード一枚じゃたかだか十分ぐらいだったろ。本来あの程度は準備運動だぜ」

「えぇー……、だってこれから日が落ちればもっと冷え込むのよ? それに、えーと……あっ、そうそう。さっき、なんかよくわからないけど霊力を使ってたのを見てたでしょ? 博麗大結界とかいうのに使っちゃったから、もう空を飛ぶ霊力も残ってないのよ」

 

 別に大結界を直す為に霊力を使ったとか、その所為で霊力が空っぽだとか、空を飛べないだとか、そんな感覚は一切ないのだけどとにかくこの寒い中飛んでいくのが億劫で言い訳が口から出てくる。弾幕ごっこやってて体が冷えてるのに、これからまた遠出なんてしたら風邪を引いてしまう。

 せめて魔理沙が使っていたような風除けの魔法みたいなのを使えたなら行くかどうか検討ぐらいはするだろうけど、モロに冷風を浴びるとわかってるなら延期決定である。考えるまでもない。

 

「この子は本当にもう……」

「清々しいまであからさまに、今日行かずに済む理由を考えてたな。本当に嘘をつけない奴だぜ」

「別にいいじゃないの。今日の私はもう充分過ぎるぐらい頑張ったわよ。宙に浮く練習して、魔理沙と弾幕ごっこして、結界を使えるようになって、博麗大結界とかいうのも直して。色々あったから、普通は休憩したいって思うでしょ」

 

 霊力とやらには問題はなさそうだけど、午前中から宙に浮く練習やら動きっぱなしで疲れているのも確かなのだ。紫のお説教の所為で途中休憩も碌にとれていない。

 そんな今日一日の私の様子を見ていた魔理沙は腑に落ちない様子で宙を仰ぐと頭をがしがしと掻いて、口を尖がらせる。

 

「んん? まあ、言われてみれば、そうか……? 全然堪えた様子がないからこれからそこらの妖怪の一匹や二匹、余裕かと思ったんだけど」

「だから何度も言ってるけど、弾幕ごっこは初心者だっての。余裕なんかあるもんですか。それに、本格的に妖怪退治に出るっていうならそれなりに準備してからにしておきたいもの」

 

 とりあえず、弾幕ごっこをするのなら役立たずのお札は捨てて、ちゃんとしたお札の複製も作っておかないといけないだろうし、風除けの術っぽいのもあるらしいのでそれも覚えておきたい。

 そもそも、弾幕ごっこをするにしても見た目女の子を相手にあの凶悪そうな針は投げられそうにない。当たったところを想像するだけで痛そうだ。となると、他に飛び道具を考えておかないと今の手持ちじゃお札で結界作って防御することしかできない。作ったスペルカードにしたって構想は頭にあるけれど、それが上手くいくかは別問題。要練習である。

 

「はぁ。まったく、しょうがないわね。私もやらなければならないことがあるし、妖怪退治に関しては急ぐことでもないのだから期限さえ守ってくれればよしとしましょうか。一応、明日の夕方に経過を聞きに顔を出しましょう。もしも退治対象を見つけることが出来ず依頼が達成できていないようなら、最終日にまた伺うことにしますわ」

「……そうだな。そういうことなら私も家に帰ることにするか。霊夢が明日の日の出ている内に向かうっていうなら、地図も持ってるみたいだし私の道案内もいらないだろ」

「忙しないわねぇ、二人とも。帰る前にお茶の一杯ぐらい飲んでけばいいのに」

 

 スキマを広げたり箒を用意したりと帰り支度を始める二人へついつい声をかけてしまった。

 私以外に人気のない神社で十日余りの間生活していたからだろうか、珍しいことに他人との会話に飢えていたようである。半ば無意識に引き止めるように声をかけていた。

 

「お誘いは嬉しいのだけれど、遠慮するわ。きっと今頃藍がお夕飯を作り始めてる頃でしょうし、最近はあちこち動いて睡眠時間が不足しているから少しでも寝ておかないと。それに、この神社にあるお茶っ葉はあんまり美味しくないのだもの。霊夢あなた、ずいぶんと安物を買ったでしょう?」

「なによ。文句があるなら飲まなきゃよかったでしょうに。うちのお茶が飲めない奴は客とは認めないわ。引き止めないからさっさと帰れ。で、魔理沙は一人暮らしなんでしょ? 何だったら今日も泊まっていっていいわよ」

「いいや、今日は帰る。流石に同じ服を三日間着っぱなしってのは気持ち悪いからな」

「着替え? それならこの巫女服っぽいのを貸してあげるわよ。コレ、まだ予備が数着あるから一着ぐらい困らないし」

 

 立ち上がってからスカートの裾を摘んで少し持ち上げて、お尻側を見るように身体を捻る。

 何でか、同じような服ばっかりがあるのだ。一応春・秋用、薄手の生地の夏用、厚手の冬用にと数着ずつあるのだけど、色やデザインはほとんど同じ。髪をまとめるのに使っているリボンもフリルがついてたり、模様が入っていたりだけど色合いは全部白と赤である。

 他には胸元のリボンが色違いだったり、マフラーや上着とか防寒具はあるけれど、普段着は全部この洋風巫女服なのだ。どれだけ気に入ってたんだろ。

 

「私が、その霊夢の服をか?」

「ちょっとだけ魔理沙は背が足りないから、下はロングスカートみたいになっちゃうかもしれないけどね。それはそれでお人形みたいで可愛いとは思うわよ」

「はぁっ!?」

 

 怪訝さを隠そうともしなかった魔理沙の顔が、りんごのように赤らんだ。あんまり可愛いと言われ慣れてないのだろう。もったいない、こんなに美少女なのに。

 口元に手を当てて、眉根を寄せてちらちらと私の着ている巫女服を眺めてはうーうー唸って考え込んでいた魔理沙だったけれど、しばらくしてぷるぷると想像したものを振り払うように頭を振った。

 

「いやいや、やっぱりなしだ。どう考えても私にその服は似合わない」

「絶対に似合うってば。もう、それじゃうちに泊まる泊まらないは置いておいて、とりあえず服だけでも合わせてみましょ」

「わっ、ちょっと待てって霊夢。別にそんなことしてくれだなんて頼んでないだろ」

 

 苦笑いしている魔理沙の手を掴み、ぐいぐいと引っ張った。私の勢いにたじろいだのか、魔理沙の抵抗はそれほどに強くない。

 薄々気づいていたけど魔理沙は恥ずかしがりやなのか、その顔にはまだ赤みが残っている。がさつな口調をしている割には乙女っぽいのかもしれない。

 

「いいからいいから。こう見えても私、服を見立ててあげるの得意なんだから。ほら、赤白の巫女の服に金色の髪なんてめでたい感じじゃない。逆に私が魔理沙の服着ても面白いと思うのよね。この通り黒髪だし、完璧な黒白になれそうだわ」

「面白さとかめでたいかどうか基準で服を選ぶな!」

「ふふふ……魔理沙がたじたじになっているなんて珍しいわねぇ。面白そうだし、少しだけ見物していこうかしら」

「お前も見てないで助けろ! 霊夢、ほら、私なんかに着せるよりも紫に着せたほうが面白いぜ! 紫の奴も金髪だしな!」

 

 引きずられる魔理沙は、完全に他人事を決め込んでいる紫を指差してわめき上げる。言われるままに紫へと視線を向けてみると、彼女は目をぱちくりとさせて自分を指差している。

 

「私が霊夢の服を?」

「紫に? うーん、そうね……」

「ちょっと魔理沙。私を巻き込むのはおやめなさいな」

 

 そう言いながらちらちらと私の視線を意識しているらしい紫は、澄ました表情を取り繕っては佇まいを正している。私は魔理沙の腕を引っ張るのやめて立ち止まり、そんな紫を頭のてっぺんから足元まで眺め見てみた。

 ……紫に私の今着ているこの服をねぇ。ぶっちゃけると私はこの服を着ていて、辛い。他に着るものがないから断腸の思いで袖を通しているけれど、そうじゃなかったら間違いなくタンスの肥やしになっているだろう代物である。

 こんなにふりふりした服をなんて、若い子だけが許されるものだと思うのよ。歳を重ねるにつれて女性に求められるのは、可愛さじゃなくてピリッとしたスマートさなのだ。いい年して若作りを勘違いした姿は、同性ながら目も当てられない。

 そういうわけで、ともすれば十代半ばに届いてない『博麗霊夢』ちゃんや魔理沙が着るっていうなら着れるのも今だけなので大賛成なのだけど、紫は見る限りでは十代後半で社会人になっていてもおかしくない年頃。背も今の私や魔理沙よりすらっと高く、キレイ系の美人である。紫の趣味や個人的な嗜好にもよるけれど、そろそろ将来に備えてフリルから卒業してもいい頃だとは思う。

 

「うん、駄目ね。紫にこの服は『ない』わ」

「……ない…………?」

 

 後は、私服で着るにしても、それっぽく化粧すればそれなりに似合いそうではあるのだけど、東京みたいに化粧道具も満足にないんじゃきっとちぐはぐしてしまう。背が高いからスカート丈が足りなさそうだし、加えて言うならおっぱい大きいから胸元が苦しいだろうし。エロティックな巫女さんとかよくないと思う。

 逆に魔理沙は全体的に今の私より小さいので着れるだろうし、ぶかぶかしてる服を着てるのが可愛くなるという私の見立てである。紫にはせめて同じデザインのサイズ違いがあればよかったのだろうけど、残念ながら『博麗霊夢』ちゃんのサイズのものしか神社には置いてないのだ。

 以上のことからそう結論付けた私は、紫から目線を切った。

 

「というわけで魔理沙…………あっ!? いないっ!?」

 

 辺りを見回してみれば、小さな星が魔法の森の方面へと散らばっていた。何度か見たことあるからすぐに検討がつく。空飛ぶ魔理沙の箒から、尾を引くように出てくる星屑だ。遠くの空では、一心不乱に前を見て加速していく魔理沙の姿を見つけた。

 魔理沙め、私が紫の検分をしている隙に逃げだしたようだ。そんなにこの服を着るのが嫌なのか。

 

「ねえ、霊夢。見もせずに決め付けるのはよくないと思うの。着てみれば案外、私だって似合うかもしれないわよ?」

「いいから、あんたはさっさと帰って寝なさいよ」

 

 

 



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弾幕ごっこに初勝利する私。

 

 小魚の佃煮入りのおにぎりと大根とかぶの漬け物を笹の葉で包み、竹筒の水筒と一緒に風呂敷でまとめて背負った私は、地図を片手にふわふわと前傾姿勢で宙を飛んでいた。眼下には葉が散り始めて緑が薄くなった森。振り向けば、小さくなりつつある博麗神社が見えることだろう。

 そうして私が向かう先は、昨日に紫より退治を依頼された妖怪姉妹が出没するという妖怪の山の麓だ。妖怪の山という名前の響きからして妖怪の本拠地で、色んな妖怪がわらわら湧いて出そうな不穏な感じなのだけれど、麓ならきっと大丈夫。大丈夫であってほしい。

 

「ま、天気も良くないし寒いし、退治するのも悪い妖怪でもないってことだから正直あんまり気乗りはしてないんだけど」

 

 今日は生憎の曇り空。遠出になるとわかっていたのでいつもより厚着の用意をしておいた。日光が差していればそれなりに暖かいのだけれど、曇りや雨の日はもちろん、明け方や暮れは随分と肌寒いので、洋風巫女服の上にポンチョを羽織っているのだ。東京で売っていたような機械による大量生産品ではなく手織りの一品物で、生地も何かの動物の毛で作られたもののようである。防寒性や手触りはいいのだけど、これも白地に紅のアクセントの配色はどうもいただけない。巫女さんって、これ以外の色のものを身につけたらいけない決まりでもあるのだろうか。

 

「こんな寒いのに肩出しなんて正気の沙汰じゃないっての。ええっと、とりあえずは湖を目指して進んでいけばいいかしらね」

 

 魔法の森の入り口と思われるところに差し掛かったので、すっかり癖となった独り言を呟きながら少しだけ速度を緩め、右手で風にはためく地図を眺め見てみる。妖怪の山の中腹から湧き出ている川が霧の湖へと流入しているようなので、とにかく湖にさえ辿り着いてしまえば目的地はすぐそこだ。

 徒歩での妖怪の山への道順としては、博麗神社から山を下って森の中の道を抜け、人里を横目に眺めながら魔法の森の外縁に沿って進み、湖を越えた先が妖怪の山である。地図上の距離と、博麗神社から人里までの実際にかかった所要時間とを照らし合わせてみれば、おおよそ十五~十七時間ぐらいで辿り着けるのではないだろうか。幸い空を飛べるようになっているので、休憩を挟んでも四時間かからずに辿り着ける筈である。私より速く飛べる魔理沙なら一時間強の距離だろう。

 このとおり、道が整備されていない幻想郷では空を飛べないと移動するのも一苦労なのだ。地図上ではそう離れていない人里から博麗神社まででも、歩くとなると森に沿って進み、川に当たれば橋まで迂回しなければならない。その上で人食い妖怪が出て命の危険もあるとなれば、人間は里の中だけで暮らせるようになるわけである。

 その点、空には森も川も山も谷もないので最短距離を突っ切っていけるし、歩いていくよりもずっと早い。強いて不満があるとするなら、恐ろしく寒いことだろうか。昨夜、魔理沙と紫が帰ってから風除けの術が使えないか神社で試行錯誤してみたのだけれど、残念ながらまったく手応えはなかった。なので、今も変わらず私は冷風に晒されているわけである。

 

「それにしても、流石にちょっと寒すぎる気がするわね。こんなに寒くちゃ雪でも降るんじゃないかしら」

「降雪はまだ先ねぇ。だってぇ、まだ寝起きだもの」

「……何か変なのが出てきたわね」

 

 森の中からふわっと浮いて私のまん前を塞ぐようにして現れたのは、一人の少女である。ウェーブのかかったミディアムヘアーの薄い紫色の髪は、白と藍の寒色系の色彩の服と合わせて淡雪のように儚く見える。

 近づくにつれ、彼女を中心にひやりとした空気の塊が迫ってくるのに気がついて身構えた。さては妖怪雪女か、それとも雪か氷かの妖精か。一応、空を飛べて冷気を操れる能力の人間という可能性もあるのだけど、経験則からいって飛べる人間もまた変人である。油断して、魔理沙のような目に付いた奴はとりあえず攻撃するような辻斬りだったら堪らない。

 

「変なのとは酷いわ。これでも正真正銘の妖怪なのにー」

「妖怪なのに身元がはっきりしててどうするのよ。そんなんじゃ妖しくも怪しくもないじゃない」

「最近は妖怪も見た目のわかりやすさと知名度が大切なのよ。そういうことですので、わたくし、妖怪のレティ・ホワイトロックをよろしくお願いしますわ」

「妖怪社会も世知辛いわね」

 

 妖怪少女からまさかの選挙立候補の心得みたいな言葉が飛び出てきたことに、私は思わず頭を振ってため息を吐いた。なんか苦労がにじみ出ていて生々しい。

 しかし、見た目のわかりやすさとか言っている割には目の前のレティとかいう妖怪少女が何なのかは依然とはっきりしない。寒気を覚えさせる妖怪というのだから雪女あたりだろうか。けれど、秋でまだ雪も降ってないのに雪女というのもおかしな気がする。

 

「で、結局あんたは何の妖怪なわけ?」

「……さぁ? 冬の妖怪とかかしら? ほら、私の周りは寒いでしょう?」

 

 口元に指を当てて考え込んだ後、答えが見つからなかったのかのほほんとした様子で曖昧な笑みを浮かべるレティ。どうやら自分でもよくわかっていないようだった。私はもう一度ため息を吐くと、両手をぷらぷらと振って解す。

 

「ま、何にせよ妖怪だっていうなら博麗の巫女として退治しておきましょうか」

 

 とにかく自分で冬の妖怪と言うぐらいなのだ、これから冬にかけて活発になる妖怪なのだろう。もしかしたら既に里に退治依頼が出ているかもしれないし、今のうちに退治しておいた方が後々の為になる筈だ。もし依頼が出ていたら「退治しておきました」って報告するだけで済むし、依頼が出てなくても博麗神社の巫女は仕事をしてますよって宣伝材料になる。精力的に妖怪退治をする私をありがたがって神社に参拝してくれる人がいるかもしれない。

 

「起きたばっかりで本調子じゃないのにー」

「それは好都合。これから行くところもあるし、さっさと私に退治されなさい」

 

 地図を手元で丸めて袖口に突っ込み、代わりにスペルカードを一枚取り出してレティに示した。それを見た彼女もまた、肩を落として諦めた様子でポケットから一枚取り出し私に向けて示す。

 今回の弾幕ごっこは、スペルカードを宣言した方が一枚突破されれば負け、それ以外ではニ度被弾したら負けのスタンダードルールだ。魔理沙が言うには、特別な取り決めがなければ宣言されたスペルカード枚数×ニ回を被弾可能回数とするらしい。今回は相手も同じ一枚で返してきた為、特に異論もなくニ度被弾したら終わりということである。

 ただし被弾の判定には例外があり、相手がスペルカード宣言をした後だと被弾回数よりもスペルカードの突破の可否が優先されるらしいので、スペルカードブレイクの為に多くの弾を当てなければならない。ちなみに私のスペルカードはまだ一枚しかないので相手が二枚出してきても応じることが出来ない。なので、基本的には二回被弾したら終わりである。

 

「うう、やっぱりまだまだ暖かいじゃない。早起きし過ぎたわ」

「十分過ぎるぐらいに寒いっての。冬の妖怪のあんたを冬眠させれば、少しは暖かくなるかしらね」

 

 不満げなレティに構わずスペルカードをしまうと、その代わりに数枚のお札を左手の袖口から取り出す。神社に残っていたお札をまた見よう見まねで複写したものだけれど、最大の違いとしては以前のとは書いてある文字が違うことだ。神社の本殿を漁り直して初めて気づいたけれど、実はお札は何種類かあったのである。この前のお札は一種類のお手本を基にして書き写したものだから、今度は別の文字のお札も書き写してみたのだ。加えて模写精度が術に直結すると知ったので、今度は二度書きもしていないければ頑張って書いたので文字もまだ見れるものだと思う。

 

「先手必勝! 破っ!」

 

 気合を入れ、年甲斐もなく声を上げてお札を投擲。「破っ」とか言っちゃったりして気分はノリノリ、妖魔調伏する陰陽師である。ふと、中学生の頃に兄の部屋にあったのを借りて読んだ、ボディコン女性が幽霊を斬って捨てる漫画が思い出される。その兄も三年前に結婚して家を出て行ったので、件の漫画はうちの押入れのどこかに眠っていることだろう。

 投げつけたお札が何事も起こらずに風で流されて飛んでいってしまおうものなら人生屈指の大恥となるのだけれど、生憎とそうはならなかった。お札は淡く白光を灯すと、私の手を離れるや空中で一人でにネジれて丸まって、見る間見る間に円錐状に変化していく。何を推進力としているのか投げた私にもわからないまま、妖怪少女に向かってすごい勢いで飛んでいく。速度こそあるものの、ただまっすぐ進んでいく針のお札は妖怪少女にあっさりと避けられてしまった。

 

「へぇ、このお札は針になるのかしら。そういうことなら、これから本物の重たい方は持ち運ばなくて済むわ」

 

 これを複写した後に試しに何も考えずに投げた時には、投げたお札はそのまま風に飛ばされていってしまって、一人でお札を回収して酷く惨めな思いをしたものだけれど、どうやら弾幕ごっこの相手とか霊力を使う対象を私がちゃんと認識していないとお札は効果を現さないようだ。

 となると、他に書き写したお札も投げてみれば効果が出るのかもしれない。右の袖に分けておいたお札を取り出し、構えてみせる。

 

「まったく、博麗の巫女はいつも一方的に好戦的なのだから」

「む」

 

 口振りから察するに、レティは以前に『博麗霊夢』と面識があったらしい。とはいえ紫のように親しげでもないし、さては弾幕ごっこで退治されたことでもあるのだろう。

 私は投げようとしたお札をすんでのところで止め、腰に手を当ててレティのことを見やると、彼女は私に構わずのんびりとポケットを探ってはスペルカードを一枚取り出した。

 

「なによ? 枚数の変更は受け付けないわよ」

「まさか。私もまどろんでいたところだったから、勝ちでも負けでもいいからさっさと決着をつけて冬に備えて寝直したいの」

「それなら起きてこないで寝てれば良かったのに。そのまま一年中目覚めないでいてくれれば面倒がなくていいわ」

 

 そのままカードを掲げるや、ポケットへとしまいこむ。お札を手にして呆然とその様子を眺めている私へ、レティはにっこりと笑みを向けた。

 

「やっぱり早起きなんてするものじゃないわね。博麗の巫女と遭うだなんて、三文分ぐらい損した気分。とにかく、寒符『コールドスナップ』」

「えっ!? ちょっと、いきなりスペルカード宣言!?」

 

 聞くところによるとスペルカード宣言をする前には弾を飛ばし合って相手の出方を見る心理戦を繰り広げるということだ。しかし、レティは一発も弾を撃ってもいないというのにスペルを使ってきた。

 セオリーにない行動に思わず声を上げてしまったけれど、とにかく何が飛び出てくるかわからないのでふわっと宙返りしてレティから距離を取る。どっちにしたってやることは一緒だ。弾を避けて、当てるだけ。じりじりと警戒しているうちに、レティの周りから白いもやが現れては揺れ始めた。そうしてレティもまたゆらっ、ゆらっと体を宙に踊らせる。甲高い鈴の鳴るような音を認識するなりに、私は慌てて体を翻した。ソレと一緒に、冷たい空気の層が迫ってくる。

 

「うーん。そうじゃないかと思っていたけど、暖かくて調子が出ないわねぇ。弾の数がちょっと減っているわ」

「……やっぱり、あんたは冬になる前に倒しておいたほうがよさそうだわ」

 

 レティの周りの白いもやが揺らいでは消えて、それに紛れて大量の光弾が周囲へとばら撒かれている。私を狙って放たれているわけではなく、周囲への無作為の弾幕である。やっかいなのが弾速はさほど早くないのに、避けるのに難儀するほどその密度が高いことだ。壁のように迫ってくる弾幕の隙間に潜り込んでやり過ごそうにも、中々弾が背後へと通り過ぎてくれないので避ける空間が潰される。

 時間が経てば経つほど避けるのが困難になりそうで、延々と避け続けることが出来そうにない弾幕だった。これでもまだ本調子ではないというのだから恐ろしい。

 

「いつまでも避けられそうになさそうってことは、つまり言い換えれば避けられなくなる前にヤれってことよね」

 

 風にはためいているスカートに弾をかすらせながら空中で旋回、高度を上げつつ袖に手をつっこみ、これまで使う機会のなかった先ばかりが鈍色に光る金属を取り出した。

 代用品にはお札がなってくれることがわかったので、半ば紛失しても構わない心持で朱色に染められた本物の針を片手に二本ずつ持ち、レティに向かってぶん投げる。人間と姿が変わらない相手に向かって投げるのは抵抗があるけど、レティは私の拳をあっけなく手で払って見せた紫と同じ種族である妖怪である。きっとこれも牽制程度にしかならないだろう。

 高度を利用して投げつけた針は、特に意識したわけでもないのにとんがった方を前にして音もなく飛んでいく。持ち手が朱色に塗られていたお陰で、空中に紅色の線が走った。

 

「あら危ない」

 

 案の定、レティはあっさりと飛ばした針を避けてみせる。針のお札と同じく、速度こそあれまっすぐにしか飛ばないのでは避けるのも容易なのだろう。針は紅色の軌跡を描いたまま遠くへ魔法の森へ落ちていく。

 一応針が落下していった地点は確認しておいたので、レティを倒して余裕があるようなら後で回収しよう。これがただの針だったならどこに飛んでいったかもわからなかったので紛失は確実だった。さすがは私、深慮遠謀の化身のような女だわ。

 

「今のはけっこう速かったわね。あれは針? 紅くなかったら視えなくて当たってたかも」

「……良かれと思っての細工が裏目に出たわけか」

 

 色を塗って見易くなった弊害がこんなところにあったか。増長しかけた心が一瞬で砕け散る。自己嫌悪に頭を抱えていると、目の前に妖気の弾が迫りきていることに遅れて気がついた。

 

「っと! よっこいしょっ!」

 

 懐から取り出したお札を目前に三枚投げると、ぴたりと空中に張り付いた。魔理沙との弾幕ごっこでも使った結界用のお札である。前回に模写したお札一枚では一つの弾も防げなかったので、今回は一発に対してちゃんと書き写したお札を三枚の大盤振る舞いだ。

 三角形に貼りついたお札は私の目の前で文字を浮かび上がらせて結界を作り、飛んできた妖弾を押し留めてから霧散させた。……なんとか防ぐことはできたけれど、『博麗霊夢』お手製であろうお札一枚と比べて、私のお札では三枚がかりでもまだ及ばない。それもこれもきっと私の筆文字がヘタクソな所為だ。ボールペン字なら負けないってのに!

 

「お返し!」

 

 右の袖からお札数枚を乱暴に引っつかみ、レティに向けて投げつける。それを予知していたか、レティは既に空中でゆらりと揺れて投げつけた位置から退避している。結界札もそうだのだけれど、霊力があれば目標地点までは風や重力にも影響されずに飛んでいってくれるが、場所を動かれてしまうとどうしようもない。

 

「……んん?」

 

 すぐに動いた位置へ追撃をかけるべくレティの弾幕をすれすれで避けながら、今しがた投げたのと同じ種類のお札数枚を左手に用意する――――と、先ほど投げて明後日に飛んでいった筈のお札が視界の端にちらついた。手から離れたお札がいつからか青く発光し、その軌道を変えたのだ。回避したレティを大回りで追尾し、死角から襲い掛かっていく。

 

「あっ!?」

「もしかして追尾式のお札? なんにせよやったわ!」

 

 レティは遅れてそれらに気づくが、体勢を立て直す間もなく連続して着弾する。レティに接触したお札は次々と弾け飛び、その度にパァンと乾いた音が響く。

 私はあんまりに軽過ぎるその音に嫌な予感を覚えていた。見れば、お札が弾けたことでそこに篭められていた霊気が霧のようにレティの周りに舞っているけれど、肝心のレティは不思議そうにお札当たった箇所を眺めている。

 

「って、驚いてみたはいいけれど。全然痛くないわね、これ」

 

 追尾が遅れて時間差で迫ってくる最後のお札に向けて、レティが気負いも警戒もなしに手を伸ばす。その指先にお札が着弾すると、パァンと紙鉄砲のような乾いた軽い音が響いた。

 しかしお札に触れたレティの指先は揺るぎもしない。特に痛みを覚えている様子も見えない。それどころか、何が彼女の琴線に触れたか不明だけれど、物珍しいおもちゃを見たかのようににこにこと面白がっている。

 

「何という……」

 

 どうやらこの追尾札は、当たっても相手を驚かせる以上の効果は得られないようである。袖口から残りの追尾札を取り出すと、もっさり確かな厚みの紙の束が出てきた。たぶんだけれど、まだ四十五枚ぐらいある。

 弾幕ごっこするのに必要だと考えて、念には念を入れてお札を各五十枚ずつ書き写してきたのだ。それがなんと一瞬で不良在庫となってしまった。昨夜遅く、貴重な灯りの油を使ってまで複写に費やした五時間と紙と墨が水泡に帰した瞬間である。

 

「……あー、もう、どうでもいいわ」

 

 適当に飛んでくる妖弾を避けながら、袖口から取り出したお札の束をばら撒いた。追尾するので相手には当たるけれど、当たっても効果はないに等しい。どうせ役立たないのだからと、ヤケクソになっているかもしれない。

 投げたお札は無気力状態の私に反して、どれも弧を描いて勢いよく前方へ飛んでいく。どうやら追尾性能だけは高いようで、上下左右、前方後方に関係なくどこに投げても正確にレティへ向かって方向を変えていった。

 

「ちょ、ちょっと、何、その量!? 待って、ま、嫌ぁっ!」

 

 当たることだけに特化した追尾札がレティへと襲い掛かる。逃げても執拗に追いかけるのだ。逃れるには防御するための能力を使うか、弾幕を当てて相殺する他にないのだけれど、ダメージがないお札にそれをする価値があるかどうかは疑問である。衝撃や痛みがないと理解はしていても、その全方位から迫るお札の群れにレティは反射的に目を瞑り、頭を守って体を屈めた。そうして、四十枚を超える追尾札がレティに殺到する。

 

 破裂音が連続して響き渡る中、私は人差し指で耳を塞いでその様を無感動に呆っと眺めていた。離れた位置にいる私でもうるさいのだ、間近でその音に晒されているレティはさぞえらいことになっているだろう。

 ぼんやりと、昔に観たバラエティ番組を思い起こす。芸能人がそれぞれ風船が大量に敷き詰められた個室に閉じ込められて、クイズに正答しないと割れちゃうって奴である。それを観ていた頃は俗に言う箸が転げてもおかしい年頃だったのと、芸人のリアクションに笑っていたけれど、この歳にもなるとクスリともしない。

 そんなどうでもいいことを考えながらレティが追尾札に翻弄されている様を観察していると、あることに気がついた。これこそ怪我の功名という奴かもしれない。口の端が自然と吊り上る。

 

「お、お、終わったぁ?」

 

 音が鳴り止み、しばらく経ってからようやく恐る恐るといった風にレティが顔を上げる。追尾札は全部破裂して跡形もなく消えてしまっている。

 危険がないことがわかるとレティは胸に手を当ててほっと安堵の息を吐いた。そうしてしばらく、はっ、と思い直すと私を見据え、眉尻を吊り上げる。

 

「ふふふ、よくもやってくれたわ。妖怪が人間に驚かされるのって、こんなにも屈辱なのねぇ」

 

 私を殺さんとばかりに見据えるレティを中心に、寒気が渦巻き始める。急速に空気が冷やされ、冷気が白いもやを作り出す。当然だけれど、怒っているようである。ぴりぴりと肌を刺す妖気も、紫には到底及ばないもののかなり強い。

 そんなレティに対して、私はにっこりと満面の笑みで返した。

 

「残念ね。スペルカードブレイクよ」

「え?」

「途中からあんたのスペルカード弾幕、私に飛んできてないもの」

「あっ……!」

 

 遅れて気がついたようで、わたわたとレティが慌てふためく。スペルカードブレイクの条件で魔理沙が言うところの、スペルカード弾幕がはれないほどのダメージ(精神)を与えたというところだろう。

 

「弾幕ごっこは私の勝ちよ。ルールなんだから揺るがないわ。負けたあんたはおとなしく寝こけてなさい」

「うーん……まぁ、いいか。勝っても負けても寝直すつもりだったし」

 

 半ば反則手で勝った自覚はあるので、私からの要求もかなりマイルドである。レティもさっきの怒りはどこへいったやら、のほほんとした表情でゆったり降下していく。あまり勝ち負けには頓着していないのかもしれない。

 

「それじゃ、おやすみ~」

「はいはい、今度は起き出してくるんじゃないわよ」

 

 レティが魔法の森へ消えていったのを見送ると、その風景には見覚えがある。えっと、確か……。

 

「あ、針が落ちていったところじゃない!」

 

 針の回収には行きたいけれど、レティの後を追って魔法の森で針を捜すのはちょっとばかり気が進まない。あんまり彼女は気にしてはいなかったようだけれど、顔を合わせたらもしかしたら弾幕ごっこのリベンジを挑まれるかもしれない。流石に同じ手は通用しないだろうし、追尾札の在庫はもう空っぽである。

 うんうんとそのまま数分思い悩んだ末、針についてはあきらめて先を急ぐことにした。針は神社にまだ十二本残っている。それにお腹も減っているし、お昼は霧の湖とやらに着いてからと決めているのだ。おまけに時刻はもう正午だろうに、空はどんどん薄暗くなっている。帰りに雨に降られるのも、勘弁してもらいたい。

 

「まったく、余計な時間を食ったわ。さっさと行って、さっさと終わらせましょ」

 

 ため息を一つ。私は湖に向かってまたふわふわと飛び始めた。

 

 

 



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心が挫けてしまいそうな私。

 

「冷たいっていうより、痛ぁ! いたいっ!?」

 

 ばしばしと顔を打つ雫。お札五十枚余りという多大な犠牲を払ってレティを退治してからしばらく、目的地である妖怪の山の麓に到着する前に雨が降ってきてしまった。

 これがまた洒落にならない。動物の毛で編まれたポンチョは思いのほか水弾きがいいので雨合羽代わりになってくれているのだけれど、飛んでる私の顔を護ってくれるものがなんにもない。おまけに、妖怪の山方面からけっこう強い風が吹いてきている。雨の雫が進行方向から顔に向かって叩き付ける様に降ってくるのだ。

 神社を出る前からなんとなしに天気が悪くなりそうだとは思っていたけど、風まで強くなるなんて。妖怪退治に出ることにあんまり気乗りしてなかったのに、何で今日出発しちゃったんだろう。

 道中で妖怪に絡まれるわ、雨は降り出すわ、こんなことなら自分の勘を信じて神社でのんびりお茶啜ってるべきだったんだわ! 今度から少しでも嫌な予感がしたら神社に引きこもってやる。

 

「うう、この大雨の中で妖怪退治なんて、とてもじゃないけどやってられないわ。風邪引いちゃう。……でも、だからといってここから引き返すのもなぁ」

 

 雨音ばかりの灰色の空を漂いながら、ぼそぼそと独り言を呟く。ここまで二時間かかっているわけで、ここから帰ったら神社にたどり着くまでもう二時間この雨の中を飛ばなければならない。それは嫌過ぎる。

 何かないかきょろきょろと辺りを見渡していると、進行方向上の少ししたところに建物を見つけた。湖の岬となっているところに立っているでっかい洋館である。こんなにも大きな湖となると地図にも載っていた霧の湖のことだろう。神社にあった地図には書いてなかったけれど、その畔に洋館があることは人伝に聞いていた。

 

「もう駄目。あそこにお願いして、雨宿りさせてもらえないかしら。そういえば、空は飛べるようにはなったけど霊力の使い方を調べるのに地下の図書館とやらを使ってみたらとも言ってたし」

 

 あれが、以前に人里で会った咲夜がメイドとして働いているという『紅魔館』であろう。何かこじらせちゃったような名前なんだけど、実際のそれも名前負けしていなかった。

 まず全体的に赤い。とにかく赤い。湖や森、山に囲まれてしまって周りに人工の建築物がほとんどないっていうのに、街中でも浮きそうなその建物は完全に別世界である。控えめに言って景観ぶちこわしだ。いつ建てたのか知らないけど、この辺りの景色を絵ハガキなんかにしてた人がいたら訴えられてもおかしくない。

 建物自体がけっこう大きくて、その割には窓が少ない。その数少ない窓も厚手のカーテンがかかっているようで洋館の中はさっぱり見えない。

 周囲はそこそこ高い塀で覆われていて、正面には細工が施された門が設えてある。塀の中は庭園になっているようだ。春になれば色々な花々が咲き誇るのだろうけど、生憎冬になろうとしているから植えられている花はなく、ほとんどの花壇は土を休めているようだった。

 

「こら」

 

 そうして顎に雨水を滴らせて洋館を観察しながら飛んでいる私に向かって、声がかけられた。声の主を探して、自然と目の前を見ることになる。館の門のあたりにいたらしい少女が飛んできて、上空を通過しようとした私の前に立ち塞がったからだ。

 水が垂れてきたので前髪を手でかきあげて、手についた水滴をぷらぷら払いながら少女を観察してみる。またまた十代半ばほどの少女で、長く癖のないストレートの赤髪を両耳の辺りで三つ編みにして下ろしている。スリットが入ったロングスカートはチャイナドレスっぽいのだけど、それ以外はあくまで中華っぽい意匠なだけの洋服だ。頭の上には『龍』の文字が入った帽子が乗っかっていて、衣服は緑色で統一しているみたいである。

 一応左手に深緑色の傘を差しているのだけど、この横殴りの雨にはあまり役には立っていない様子だ。

 

「まったく。毎度のことだけど、正門があるんだからちゃんとそこを通りなさいよ。招待されてない客はそこで門番が追い返すんだから」

「ああ、悪いわね。これから招待される予定だったのよ」

 

 それにしてもこんな雨の中に人がいたのか、一応ぱっと確認したつもりだったのだけど気づかなかった。一刻も早く雨宿りをしたいとは思っているけれど、流石に家の人がいるんだったら挨拶ぐらいしていたのに。

 特に、咲夜が仕事先だって言っていたこともある。伝手として名前を出させてもらおうとは思っているけど、この前荷物運んでもらってお世話になったから不必要な迷惑をかけたくない。

 

「で? こんな雨の中、当館にいったい何のご用件なのかしら?」

「咲夜に取り次ぎを頼みたいのだけど。ほら、こんな雨の中だから雨宿りさせて欲しくて」

「取次ぎ? 雨宿りに限らず、いつも好き勝手にしていくくせに。ってどこへ行くのよ?」

 

 とりあえず門をくぐれとか言っていたので、門番の少女と問答しながらも落下して地面へと降り立った。そうして門の前に立ち尽くす。

 袖に入ったお札が濡れないよう、ポンチョの中に腕を畳んで……っとと、ついに肩口あたりが染みて湿ってきた。もう猶予はないのかもしれない。

 

「門番なんでしょう? 客以外は門を通せないと言うのなら、お客様と認められるまでここで待つことにするわ。うう、それにしても、寒ぅ! 雨が降った所為で余計に冷えてきたわね……、出来ることなら私が風邪を引く前にお願いしたいわ」

 

 無事だった上着が濡れていく感触に身震いしていると、遅れて門番の少女が私の隣に着地した。

 私のことを不審気にじろじろと見た後に肩を落とし、あんまり役に立っていない傘を畳むと門に手をかける。

 

「なんだか調子が狂うなぁ。不法侵入じゃないなら門番が勝手に追い返すわけにもいかないし。とりあえずついておいで。勝手に館に入られるのは見過ごせないけど、雨の中に待たせておくのも目覚めが悪いもの」

 

 少女は門を開けて、私に手招きすると館の入り口の方へ歩いていってしまう。慌てて私もついていくのだけど、門から館の入り口までの通路も赤い。そして歩いて気づいたけど、スカートの裾は濡れて足に張り付いているし、靴下はびっちょり、靴の中がぐちゅぐちゅしてて気持ち悪い。もう最悪。

 踏みしめると水が染み出てくるこの感じは好きじゃないので、五センチぐらい浮かんでからすーっと宙をゆっくり滑って移動する。あー、初めて心から空を飛べてよかったと思えたわ。

 

「ねぇ。ところで外にいたけど、天気が悪くても門番をやらされてるわけ? 私が言うのもなんだけれど、こんな中で訪ねてくる物好きはそういないでしょうに」

「流石にこの雨の中でまで門の番をしていろとは言われないよ。ただ、一月前に花壇に植えたアネモネがどうなっているか気になってね。たまたま様子を見に外に出ていただけよ」

 

 何となしに気になったことを聞きながら少女についていき、ほどなくして扉の前に辿り着く。

 

 「っと、ちょっとここで待ってて。一応、咲夜さんにお伺いを立てるから」

 

 待てと言われたので着地をして立ち止まり、羽織っていたポンチョを脱いで水を落とす。入り口の扉の前は足場がちょっとだけ高くなっていて、屋根もついているので雨に当たらなくて済むのが助かる。ようやく人心地つけた。

 

「咲夜さーん! 客と言い張る巫女が来ましたよー!」

「別に言い張ってはいないわよ」

 

 門番の少女が館の扉についているドアノッカーを叩いて声を上げるのだけど、その発言内容がまたちょこっとだけ刺々しいというか、あんまり良い印象を持たれていないようである。

 以前からの知り合いなようだけれど、霊夢ちゃんはこの子にも何かしたのだろうか。なんだかこの幻想郷で会う人には大抵警戒されてしまって、完全に初対面だった慧音ぐらいにしか歓迎された覚えがない。

 

「私にお客様? って、なんだ。霊夢じゃない」

「やっほー、社交辞令を真に受けてお呼ばれされにきたわ」

 

 ドアの向こうからこちらに向かってくる足音もなく、まるですぐ裏にいたかのように急に扉が開かれた。そこから覗いたのはメイド服をきっちりと着こなしている咲夜である。予兆がなかったのは、また瞬間移動でもしたのだろう。まったくもって便利そうでなによりである。

 もしも私に能力があるのなら咲夜と同じのがいいな。雨に濡れず、あっという間に神社に帰れそうだもの。

 

「来いとは言ったけど、本当に来たのね。あ、そういえば、この前は軽々しく言ったけど、よくよく考えてみれば神社からは結構距離があったでしょう? また歩いてきたの?」

「とりあえずだけど空は飛べるようになったのよ。ほら」

「へぇ」

 

 少しだけ浮かび上がるとゆらゆらーっと左右に揺れて、くるりと独楽のように回ってから地面に降りてみる。かかとをつけた途端に、ぐちゅりと湿った嫌な着地音がなった。私の顔は歪んだことだろう。

 咲夜は私が飛んでいることに軽く目を見開いた後、柔らかく細める。薄く笑んだだけなのだけど、女の私でもどきっとするような美人さんである。きっと今の私と対照的な表情をしている。

 うーん。こうしている間にも私が手に持っていた雨に濡れたポンチョを受け取って、どこから取り出したのかハンガーにかけてくれてたりと才色兼備を体現したような少女なのに。これで天然ボケが入ってさえなければねぇ。

 

「えーと咲夜さん? いまいち状況がわからないんですけど、博麗霊夢とはそんな仲良かったですっけ?」

「別に、仲がいいわけじゃないわ。ただちょっと訳ありでね。ああ、霊夢に紹介しておかないと。こっちは当紅魔館の門番、(ホン) 美鈴(メイリン)よ」

 

 ほん・めーりん。どういう字を書くのかはわからないけど、音の響きからどちらの人なのかは察しがつく。

 中華っぽい服を着ている割に普通に日本語を喋っていたのでただのファッションなのかとも思っていたけど、どうやら本場の方だったようだ。もしかしたら、初めて中国人に会ったかもしれない。当然ながら語尾に「アル」なんてつけたりはしないみたいである。

 そういえば、幻想郷の外は日本と聞いていたのを思い出す。日本語もすごい上手だし、さては美鈴は日本へ来た留学生なのではないだろうか。そうなると、最近は特に日中の外交状態があまりよろしいとは言えない状態なので、留学生が日本で行方不明になったことが大問題に発展しているかもしれない。不安である。……まぁ、私が心配することでもないんだろうけども。

 

「あのぅ、咲夜さん。流石に紹介し直されるほど影が薄いつもりはないんですが。博麗霊夢とは何度か顔を会わせていますし。まぁ、そりゃ、仕事柄あんまり神社の宴会にはお呼ばれされてはいませんでしたけども」

「美鈴は最後の宴会から霊夢とは会っていないでしょ?」

「あの連日のどんちゃん騒ぎのことですか? 確かに最後に会ったのはその時ですかね。門番のお休みの日にようやく参加できたと思ったら、いくらもしないうちに霊夢に追い出されちゃいましたけど。久々の宴会だったから、たらふく呑んでやろうと思ってたのに」

 

 やっぱり近すぎるのはよくないのかな、などと日本とアジア圏の外交に思いを馳せていたら、何故だか知らないけども美鈴に睨みつけられていた。

 なんだなんだ。二人が何を話してたのかまったく聞いてなかったけども、また身に覚えのないことで恨まれている気がする。さては反日感情がどうのとかか。

 

「そうそう。その日の後にどうしてか頭を打ったらしくて、諸々の記憶が飛んじゃってるみたいでね。聞いてみたらお嬢様が起こした異変のことすら覚えてないのよ。あ、霊夢の方は美鈴に見覚えはある?」

「ないわね。まったく」

「そう、よかった。これで美鈴にだけ見覚えがあるだなんて言われたら、お嬢様がふてくされているところよ」

 

 咲夜の問いかけに即座に首を振ると、咲夜は悪戯っぽくにっこりと笑った。どうやら私が物思いにふけっている間に、美鈴に霊夢が記憶喪失になっていることを説明してくれていたようである。実際のところ中身は別人なので、彼女に見覚えがあろう筈がないのだけど。

 東方うんちゃらで見たことがあるのも、残すはブレザーを着たウサギ耳少女だけである。なんかそれっぽい絵柄だったし、最初見たときは霊夢も魔理沙も咲夜も、みんなまとめて男性向けのいかがわしいゲームのキャラクターなのかと思ったものだ。

 

「ふうむ、なるほど。そういうことでしたか。博麗霊夢は殺しても死なない珍しい人間かと思っていたんだけどなぁ。まったく、人間は脆く出来てていけないね」

「あれ? 人間は、なんて言い方をするってことは、美鈴は妖怪なの?」

 

 てっきり空を飛べる人間かと思っていたので疑いの目を向けたのだけど、美鈴は気を悪くした様子もなくにかっと笑みを返してくる。

 

「見てわからない? (れっき)とした妖怪だよ」

「四千年の歴は見てわかるようなものじゃないと思うわよ」

 

 そう美鈴は言うのだけど、彼女の体からは紫やレティから感じたような妖怪がみんな持っている妖気を見つけにくい。そこらで飛んでいる妖精の方がよっぽど妖気を持っているように感じてしまう。

 だけども、以前に紫がしたように妖気をぶわっと溢れさせたり出来るってことは、逆に体の中に抑えこむことも出来るのかもしれないのでこれだけだと何ともいえない。美鈴のような在り方が気配がないということなのかもしれない。実際のところはものすごく弱い妖怪なだけかもしれないけど。

 

「ま、妖怪を自称するならそれでもいいわ。問題は妖怪らしく悪さをするかどうかよ」

「自称って、本物なのになぁ……。だいたい、妖怪相手に悪さするかどうかなんて聞いてどうするつもり?」

「悪さするなら博麗の巫女として退治しないといけないじゃない。他所様に迷惑をかけて面倒になる前にやっつけておかなきゃ」

「はぁ。記憶がないといっても中身は変わらないね。いや、妖怪と聞いて飛び掛ってこないだけ丸くなっているのかな。生憎だけど、私は紅魔館の門番を仰せつかっているのさ。滅多に人間は寄り付かないし、数少ない人間の客人は紅白か白黒のどちらも食えない奴ときた。これじゃあ、人間に悪さしようもない」

 

 「そうなの?」と咲夜に目線をやると、彼女は目を瞑った澄ました顔でこくりと頷いた。

 ふむ、彼女は職務に忠実らしい。流石に咲夜の知り合いを退治するのは気が引けたので、美鈴がいい妖怪でよかったとしておこう。

 

「ところで霊夢。お呼ばれされに来たなんて言っていたけれど、この辺りまで出向いてきたのには何かしら目的があったんでしょう?」

「まあね。ちょっと知り合いに妖怪退治を頼まれちゃって。妖怪の山の麓に出るっていう妖怪姉妹を退治しにきたのよ。向かう途中で雨に降られちゃったから、ちょっと雨宿りさせてもらえないかと思って」

 

 そう言いながら背後でばしゃばしゃとバケツをひっくり返したような音を立てて降っている雨を指差し、お手上げという風に肩を竦めて見せた。

 明らかにさっきより雨脚が強くなっている。ここまでだと洪水警報が出てもおかしくないぐらいだ。

 

「いつもアポなしで来ては好き勝手にくつろいでいたから、雨宿りぐらいは何の問題もないと思うわ。それよりも、この辺りに出る妖怪姉妹ねぇ……私に心当たりはないけど。美鈴、あなたは知ってる?」

「うーん、この辺りの妖怪連中にならそれなりに顔が利くんですけど、思い当たるのはちょっといませんね」

「そう……姉妹だからといって、まさかうちのお二人じゃないだろうし」

 

 心当たりがあるのかないのか、二人してあーだこーだ言って首をかしげている。まぁ、もし所在がわかったとしても今日は雨が止むか弱くなるかしたら神社に帰るわけで。以後も雨天の際、妖怪退治は後日延期とさせていただくことが本日付で決定しているのである。

 ともかく、いつも好き勝手にするぐらいには霊夢ちゃんは気を許されていたらしいし、雨宿りも問題ないとのことなので遠慮なしにお邪魔させていただこう。

 

「咲夜ー、タオルとかあったら貸してくれない?」

「そういうと思って、今さっきタオルと着替えを持ってきたところよ」

 

 許可も得ずに扉から館の中に入ると、いきなり広いエントランスに出た。そして外が黒雲で覆われているのを差し引いても少し薄暗い。照明はついているようだけれど、目視に困らない程度といったところ。

 美鈴とずっと話していた筈の咲夜の腕には、いつの間にやら真っ白なタオルと衣服一式がかけられていた。また時を止めて持ってきたらしいけれど、私が言った時にはもう用意が終わっているのだから本当に気が利くメイドさんである。

 

「着替えは私の予備だけれど、構わないでしょう? というか、霊夢とサイズが合いそうなのはここじゃ私ぐらいしかいないもの」

「別に私の服でもいいですよ? 少し大きいかもしれませんが、着れない事もないと思いますし」

「勝手に人の部屋に入って服を持ち出すような無作法はしたくないわ。それに、美鈴に持ってきてもらうとなると霊夢を濡れたままで待たせることにもなるしね。そもそも美鈴の服じゃ私のよりもサイズが合わないわよ」

「ああ、まぁ。大きいものね」

 

 咲夜がちらっと美鈴を流し見るのにつられて私も視線を送るのだけど、まぁ、お見事である。

 美鈴の高めの身長を考えても大きい部類なのではないだろうか。女の私でもパッと見でまずそこに目が惹かれるぐらいだ。わがままボディである。

 美鈴の身長は咲夜と同じぐらいで、どちらも今の私より高いのだけど、美鈴>咲夜>霊夢なのである。どことは言わないけど。

 ちなみに元の私の身長はたぶん美鈴と同じかちょっと大きいぐらいなのだけれど、霊夢=元の私である。どことは言わないけど。

 ……言わないけど、まぁ魔理沙には勝っているようなので良しとする。

 

「ああ、二階に上がって左手二つ目は空き部屋だから、着替えるならそこを使って。もちろん、ここでタオルで拭いて、水が落ちないようにしてからよ。移動する時は飛んでちょうだいね」

「わかったわ」

 

 咲夜の口振りから余り館内を濡らしたくないことを察して、言われたとおりに渡されたタオルで出来る限り水気を拭き取ってから言われた部屋へ飛んでいく。二人もついてきてくれるみたいだ。

 二階の部屋の前に辿り着くと、遠目には閉まっていた部屋のドアが一瞬で開いた状態に変わって、咲夜がそのドアの横に現れた。どうやら、着替えを持って後からついてきた咲夜が先回りして開けてくれたようである。

 

「ありがと」

 

 着替えを受け取り、部屋に入ってドアを閉める。高そうな机の上に着替えを広げて検分してみると、サイズ的には今の私でも問題なく着れるだろう。ご丁寧に、真新しいソックスと黒いパンプスまで用意されていた。至れり尽くせりである。

 着るだけなら問題はなさそうなそれらを前に、けれど私の顔はひきつっている。というのも、それが今咲夜が着ているメイド服と同じものなのである。なんとヘッドドレスまで用意されている。

 普通、仮にも客人の着替えに使用人の服を渡すだろうか。……失念していた。そういえば咲夜ってば、人里でもメイド服を着て買い物しているような天然さんだった。同じく人里で巫女服を着て買い物していた私に言われたくないだろうけども。

 

「……ねぇ。着替えなきゃ駄目、よね?」

「出来ることなら着替えて欲しいわ。ある程度は拭いてあるから大丈夫だと思うけれど、何かの拍子に調度品が濡れたりすると手入れが面倒なのよ」

「そう、そうよね」

 

 部屋の外へと声を投げかけると、すぐさま咲夜から声が返ってくる。ぐう。これを着るのか。私が。

 このフリフリの巫女服にもようやく慣れてきたと思ったら、今度はメイド服である。しかも、裾にフリルつきの青いワンピース(加えて、恐ろしいことに丈が膝ぐらいまでしかない)に、中に着るブラウスの襟元にはフリルがあしらわれ、肩のあたりにもフリルがちりばめられている。エプロンの裾にもフリル。フリル、&フリル、+フリル。

 咲夜は私を精神的に殺す気なのだろうか。十台の子たちからおばさんと言われればもう反論できない、二十台後半そろそろ三十路になる私がこれを着るのか?

 なんなの? 公開処刑なの? もう五歳若ければ、多少の抵抗はあってもこれを着れたかもしれない。若さを理由にすれば勢いでいけたのかもしれない。けれども、残念ながら時は巻き戻らないのである。

 せめて、せめてこんなキャピキャピ(死語かもしれない)したのじゃなくて、野暮ったいロングスカートの歴史ある感じのメイド服ならよかったのに。

 

「もしかして、気に入らなかった? 一応、三着あるうちの下ろしたばかりのやつなのだけど……」

「そんなまさか! 気に入らないだなんて、滅相もございません!」

 

 しかし、部屋の外から聞こえてきた咲夜の若干不安げな声に私は即座に否と返していた。

 三着しかない着替えの、しかも下ろしたばかりのを貸してくれた咲夜に非などあろう筈が無い。着たくないなどと言える訳がない。無理を言ったのは私なのだ。

 

 ネガティブに考えちゃ駄目。こういう時こそポジティブに考えなくては。

 ……私は、諦めていなかっただろうか。二十歳を越えたあたりからフォーマルなスーツばかりを着るようになった。精神的に落ち着き、私生活でも派手な格好は控えるようになった。たまに夜中、コンビニに部屋着のスウェットで出かけてしまうけれど、まぁ外出時は九割六分ぐらいはピリッとした格好をしてるのだ。けれども、私にもこういうふりふりした服装に憧れがあった筈だ。この二十余年の人生、着ようとも買おうとも一度たりとも考えたことはなかったけども。

 生憎私は女性にしては声が低く、身長が高い。可愛いよりは綺麗、綺麗よりは格好良いなどと言われてきた。だからこそ、心の奥底ではこういうロリータファッションなんかが似合う容姿をうらやましいと思っていたに違いない。きっとそうである。そうでも思わなければやっていられない。

 幸い、今の私の見た目は十代前半。やらかしたとしても笑って済まされる。っていうか、そもそも外っ面はまったく別人だし? 私的にはノーダメージで済むんじゃない? まぁまぁ、それに顔が良ければ許されることってのは世の中に往々存在する訳で、きっと中身が歳食っててもきっと許されるわよね?

 

「ぐ、ぐおおお……!」

 

 いけるいける、むしろばっちり似合うに違いないわ! などと自分を鼓舞し説得するも、くぐもった苦悶の声が口から漏れるのは止められない。

 私は薄暗い部屋の中、両手で頭を抱えてうずくまっていた。ひれ伏すように向けられた頭の先には机の上に鎮座している咲夜のメイド服。さながら私は、十字架を前に悶え苦しむ邪悪な吸血鬼である。

 

「咲夜さん。なんか中から異様な声が聞こえてきますけど、そんな葛藤するようなことありますっけ?」

「頭を打っておかしくなったのかもしれないわね」

 

 ……咲夜さん。ぼそぼそ話していても聞こえてます。

 

「そういえば、なんでたまに咲夜さんには敬語を使うんですかね? 霊夢が敬語使うとものすごい違和感があるんですけど」

「頭を打っておかしくなったのよ」

 

 おいこら咲夜、断定すんな。

 

 

 



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庇護欲に駆られる咲夜。(※)

 

「……というわけだったんですよ。霊夢ってば、いったいどうしたんですかねぇ?」

「うーん……」

 

 背を壁に預けて立つ美鈴が首を傾げて、ドアへと顔を向けた。その疑問に関してはまったくの同感だったので、つい私も廊下の壁に背を預けて腕を組み、唸ってしまう。

 霊夢が着替えの為に入っていった部屋の前で立ち話しながら、私と美鈴は着替え終えて出てくるのを待っていた。

 

 聞くところによれば、なんと、当初霊夢は門番の美鈴に気を使ってこの大雨の下で待つつもりだったというのだ。あの『霊夢』がである。

 これが記憶があった頃の霊夢ならば問答無用で館に押し入りを敢行し、行く手を塞いだ美鈴を有無を言わさず撃墜し、私の制止も聞かず勝手に着替えの服を漁っていてもおかしくない。流石にそこまでしないかもしれないけれど、やりかねないイメージが彼女にはあった。

 そういえばと思い返してみれば、今の霊夢は私が館の中を濡らさないようにと言えば、気を使ってその通りにしてくれている。もしかしたら、今の霊夢の方が以前よりも遥かに常識的ではないかしら? 月日が彼女を成長させたのか? それとも、記憶を失った時に一緒に不遜な性格が削ぎ落とされて真人間となったのだろうか?

 ……いや、前の霊夢を比較対象にしているからそう見えるだけで、今の霊夢だって真人間から程遠いのには変わりがなかった。人里で会った時ははしたなく地べたに座り込んでうなだれていたし、そのことで里の人間の注目を集めていても気にした様子もなかったようだし。挙句の果てには荷物を運んでやった私を置き引き扱いしたりもした。今しがたも部屋の中から紅魔館に居るはずのないゴブリンの鳴き声が聞こえたと思ったら、どうやらあれは霊夢の発した唸り声だったらしい。以前の霊夢だって突然に奇声を上げたりするなんてことは、私の知る限りなかったと思う。

 やっぱり。霊夢は記憶の有る無し、どちらがいいかと言われれば困るぐらいには一貫して変人であった。

 

 それはそれとして、廊下に待機してもうそろそろ十分が経とうとしている。部屋から衣擦れの音が聞こえ始めたのが数分前からなので、それまでは着替えもせずただ唸っていたということになる。

 まったく、着替えるだけのことに何をそんな梃子摺っているのだろう。渡した着替えに何か不備はなかったかと考えるも、渡した服はまだ一度袖を通したばかりのもので着終えた後には石鹸を使って洗濯したから血の汚れも血の臭いもない。

 サイズにしても身長差からちょっとばかり丈が余ってしまうだろうけれど、決して着れないということはない筈だ。丈は足りているのだからあとは幅ぐらいになるけれど、霊夢は私よりも細身である。特にこれといった問題はないように思える。

 ……ああ、そうか。逆なのかもしれない。むしろ、生地が余り過ぎることを気にしているのかも。美鈴よりは控えめでスレンダーな私だけれど、それでも出るところは出ているしで決して貧相というわけではない。そして霊夢はといえば、普段の食生活が悪いのか無駄な脂肪がほとんどない。魔理沙よりはマシではあるものの、きっと標準的な体型と比べて少々控えめであることを気に病んでいるのだろう。

 まぁ、まぁ。着替え云々とエントランスで話している時にはじっと美鈴の胸部を眺めていたし、その辺りに無頓着に装っていたけれど記憶という心の鎧が剥がされたことで彼女の心底が顕となったに違いない。意外だけれど、あの巫女も一人の女の子だったということか。

 

「ああ見えて霊夢も年頃の女の子だもの。色々とあるのよ」

 

 一度そう結論づけてみれば、霊夢は中々可愛らしい性格になったように思えた。私自身メイドとしての振る舞いからかよくよく実年齢より高く見られがちだけれども、その私から見ても以前の霊夢は達観しすぎていてあまり年下とは思えなかったのである。

 今の記憶を失った霊夢は私に対して度々敬語を使っているし(聞き慣れないので気色が悪いことこの上ないけれど)、今回のことにしても見方を変えればわざわざ私を頼ってきたようにも考えられる。

 記憶を失って心細いというのも多分にあるのだろうけど、霊夢の周りには妖怪や妖精などの人外が多く、人間はことさら少ない。知っている中で人間なのは魔理沙ぐらいのもので、その白黒は面倒見がいいのか悪いのかわからない気まぐれな人間だ。神社によく姿を現すという妖怪にしても、尋常じゃなくうさんくさい八雲紫やいつも酔いどれている伊吹の鬼と、頼れる相手かどうかなどは考えるまでもない。

 ……もしかして私は今、あの霊夢にとって唯一の頼れる人間なのではないだろうか。荷物を運んでやったことが発端なのだろうけど、少なくとも以前よりも懐かれている気もする。敬語で話しかけてくるのも、門番である美鈴に気を使って同僚である私の面目を潰さないようしたのも、頼りになる人間に庇護して欲しい、助けて欲しいという深層心理の表れだったのかもしれない。

 ふむ。以前のふてぶてしい振る舞いも周囲と対等であろうとして大人ぶっていたと考えると、随分と微笑ましいものに思える。一生懸命に威嚇する子猫を見ているような、そんな気持ちにさせてくれる。私自身お嬢様が異変を起こすまでは館の外との関わりを絶っていたので仕方がない部分があるのかもしれないが、年下の子に頼られるというのはこんなむず痒いものなのだろうか。初めての感覚なのだけれど、悪くない。

 

「年頃の女の子ですかぁ? それはまた、霊夢には似合わない言葉ですね」

「そうね」

 

 私の言葉に美鈴は、言われてみればそんな年齢だったか、と思い出したように、けれどもやっぱり違和感が拭えないのか腑に落ちないというような、苦笑いに近い形容しがたい表情を浮かべた。

 確かに今までの霊夢のイメージからすると『年頃の女の子』はあんまりにそぐわない言葉だ。それを言った私が、美鈴の言葉に反射的に相槌と頷きとを同時に返してしまうほどである。

 

「っとと、違う。『そうね』じゃなかったわ。あの年で神社で一人過ごしていれば人恋しいこともあるのでしょう。あの子も人の子なのだから、年上の頼れる人間に甘えたい時もある筈だわ。そういう時は年長の人間が率先して世話して守ってやらないといけないと思うのよ」

「……んん? 今度は咲夜さんがおかしくなった。さては、霊夢のがうつったのかな?」

「美鈴にはわからない感覚なのかしら。記憶を失い、右も左もわからない少女が一人神社に住んでいるのよ。そんな子がわざわざ私を頼ってきた。無碍に出来るはずがないでしょう」

「そういうものなんですか? どうも人間はよくわからないなぁ。でも、咲夜さんが愉快な思い込みをしているんだろうなって確信はあります」

 

「ええと、二人とも?」

 

 美鈴にどういう意味なのか問い質そうと口を開いたところで、声がかけられた。ドアへと振り返れば、空いたドアの隙間から霊夢がこっそりと顔を覗かせている。そうして私と美鈴の姿を認めると普段のはきはきとした様子からは想像もできない、踏ん切りの悪い動きで部屋から出てきた。

 きっと慣れない姿を見せるのが恥ずかしいのだろう。女の子らしい反応である。――――それが『恥らい』ではなく、治る前に剥がしてしまったかさぶたの傷跡を見るかのような『怖れ』を感じさせるものなのは、普段の霊夢のイメージが残っている為に見せる幻に違いない。

 

「どう? どこか、おかしくはない? 姿見がなかったから、ちゃんと確認できなかったのだけれど」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 おずおずと姿を現した霊夢に、つい私は眉根を寄せてしまった。

 長袖のブラウスの上に青いベスト。私の身長では膝上のミニになる青色のスカートは、背が低い霊夢では膝辺りまでを収めている。腰から下にはエプロンをしているのだけど、これがどうにも落ち着かないようだ。以前にちらと霊夢が酒の肴を調理しているのを見たけれど、普段は首から下を覆う割烹着を着ているからかもしれない。

 髪の毛もまだ濡れていたので髪留めにしていたリボンを取り外し、フリル付きのヘアバンドで後ろに流して三つ編みに束ねて下ろしている。どうやら、気を使ってくれたようだ。これなら髪が湿っていても水が撥ねるということはないだろう。

 

「……そう、ね」

 

 ただ、その。なんと言えばいいのだろう。非常に言いにくいのだけれど、あんまりメイド服が似合っていない。黒髪の所為だろうか。それともスカートが膝下まで隠している所為だろうか。アンバランスで、野暮ったく見えてしまう。

 いつも通りに思ったことをそのまま口にしようとして、しかし年下の女の子らしい振る舞いをするようになった霊夢にそれを告げるのは酷だろうと考え直し、必死に言葉を探す。

 

「巫女姿の霊夢を知っているからどうにも違和感が拭えないわ。あ、悪い意味ではなくてね。別に、格好自体は似合っていないわけではないと思うのだけれど。でも、いつもの髪型以外を見たことがなかったから、そこは新鮮なのかしら。ねぇ?」

 

 困った。私の語彙では今の霊夢を褒めてあげられそうな言葉が見つからない。

 苦し紛れに美鈴に話を振って、ウインクをぱちぱち。これまた霊夢のメイド姿に微妙な顔をしていた美鈴は、私の意図を察したのか視線を天井へ惑わせて見るからに焦った様子で言葉を探す。

 

「え、はい。うー……、えっと、こう言っちゃなんだけど、普通、なのかなぁ。うん、あんまり霊夢っぽくないというか。あ、これも悪い意味じゃなくて。世にも珍しい巫女のメイド姿だけど、でも巫女って役職自体が神様の仮住まいにしている神社のハウスキーパーみたいなものだって言うからね。うん」

 

 美鈴はわたわたとあちらこちらへ視線をやって、誤魔化すように苦笑いを浮かべている。駄目だった。それじゃ妙に勘の鋭い霊夢が相手では、似合わないと言っているようなものだ。

 慌ててずいと、美鈴を視界から隠すように私が前に出て霊夢のヘッドドレスの位置を直してやる。

 

「大丈夫。着こなしには問題ないから」

「そ? なら、よかったわ」

 

 ヘッドドレスを直されるがままの霊夢が私を見上げて、はにかんだ。どうやら誤魔化されてくれたようだけれど、彼女と真っ向から向き合ってしまった私の思考は見事に停止してしまって、一拍固まってしまった。どう反応していいものかわからなくなってしまったのだ。

 ……以前の斜に構えた霊夢からは想像できない、見たことのない表情だった。心の底から安心したかのような、童女のような屈託のない微笑み。そんな霊夢と感情を共有してしまったかのように、気がつけば私の表情も崩れてしまう。つい、霊夢に微笑み返してしまった。

 

「……霊夢。もし、もしよかったらだけれど、記憶が戻るまでうちでメイド見習いとして働くのはどうかしら? 人里から離れた山の上の神社で一人生活するのは大変でしょう? お給金はそれほどあげられないけれど、衣食住ぐらいなら困らないよう用意できるわよ」

「ちょ、ちょっと咲夜さん? いきなり何を言い出すんですか? だいたい、そんな勝手なこと、お嬢様が何て言うか……」

「妖精を雇ってメイドとして働かせるよりはよっぽど役に立つでしょう? あれはさぼって遊んでばかりだもの。十匹いても人間一人分の仕事すら満足にこなせないお陰で、館の中の雑事のほとんどは私が時間を止めて終わらせているのだから。お嬢様に許可は必要だけれど、メイド長として使用人の人事に関しては私にもいくらか裁量があるのだし、もし霊夢が私と一緒に働きたいというであれば何とかして通してみせるわ」

 

 言いながらうんうんと頷いてみる。半ば思いつきで口にしたことだけれど、考えれば考えるほどに妙案である気がしてきた。

 空間を操作する私の能力に拠るものだけれど、紅魔館の内部は外から見る数倍は広い。人を迷わせる妖精が、館の中で迷子になるほどだ。当然広ければ掃除する箇所も増える訳で、使用人はいつも足りていない状態である。新しく雇おうにも、妖怪は自由気ままな本性である為に職につこうという物好きもそういない。人里から遠く、妖精や妖怪ばかりの人外魔境である紅魔館で通い・住み込みに問わず仕事をしようという人間は皆無である。消去法から残るは妖精となるのだけど、前述の通りアレはまったく働かないのだ。

 美鈴も言っていたけれど、此処に寄り付く人間なんて霊夢か魔理沙ぐらいのものである。以前の霊夢や魔理沙では働かせることに不安しかないけれど、記憶を失っていくらか常識的になった霊夢であれば、偶に起こす奇行にさえ目を瞑れば及第点である。結果として私の仕事の負担が減って、霊夢も安定した生活を送れるとなれば、悪いこともないように思える。

 

「で、霊夢はどうかしら? もちろん仕事は私が一から教えてあげるし、何か他に――そう、仕事のことに限らず、困ったことがあれば相談してくれるなら力になるわよ」

「うーん……」

 

 二つ返事で快諾してくれるかと思いきや、霊夢は口を尖らせて難しい顔をしている。

 

「そう言ってくれるのは本当にありがたいけど、辞退させてもらうわ。一週間前だったなら一も二もなくお願いしていたんでしょうけど、数日前に巫女として修行するようにってお説教されたばっかりなのよ。その時に巫女の仕事をやるなんて言っちゃった手前、早々に放り出すわけにもいかないのよねぇ」

「そうなの……残念だわ。けれど、巫女の修行があって毎日では難しいというのなら、別に住み込みでなくてもいいのよ? 都合のつく日だけでも手伝ってくれるなら、助かるもの」

「咲夜さん、必死過ぎ」

 

 美鈴に横槍を入れられたので、横目で睨み付けて黙らせる。必死とは何だ。伝え忘れていた雇用条件を改めて提示しただけである。

 

「そうね。それじゃ、神社の財政が破綻した時はお願いするわ」

「それなら今日から働けるじゃない。だって、とっくの昔に破綻しているもの」

 

 いつもの調子で余計なことを言ったと気づいて口を塞ぐも、もう遅い。宴会でのお嬢様の付き添いやらと博麗神社には幾度となく顔を出しているけれど、参拝している人間なんて見た(ためし)がない。こんなことは口に出すまでもないことだった。

 これまで霊夢がそれなりに裕福に暮らせていたのも、妖怪退治の仕事をこなして半ば自力で食料を調達していたからである。賽銭だけで暮らそうと思ったら一月を待たず餓死することだろう。記憶を失ってから空を飛べず霊力も使えなくなったという霊夢が、未だこうして生きていられることが奇跡とまで思えてくるほどだ。

 

「……」

 

 苦難の日々が脳裏を去来したのか、伏せられた霊夢の目は泥水のように濁り諦観と悲哀の苦々しい色に染まりきっていた。

 

 

 

 

 霊夢ほどではないにしろ雨に濡れている美鈴を着替えに行かせると、どうしたものかと困ってしまった。館の中を案内し終えるまでの間、霊夢がおとなしく私の後ろについてくるのだ。

 いつもなら案内する私のことなどお構い無しに勝手にいなくなり、館の中をうろつきまわっては飽きるかしたら帰っていくので、よっぽどのことがなければ(お嬢様が好きにさせろと言うので)私も好きにさせている。

 端的に言って、やりにくい。とりあえず霊夢を応接間に通して普通の紅茶と普通の焼き菓子を振舞って他愛のない世間話をしていたのだけれど、そうこうしているうちにお昼時を過ぎている。

 お嬢様はまだお休み中なので人里の人間たちの言うところの昼食の用意は必要ないものの、私は館の掃除の続きをしなくてはならないのだ。使用人として客人より優先させることでもないのだが、このまま丸一日霊夢の相手をしている訳にもいかない。まともに仕事しているのは私だけなのだから、業務が滞るどころの話じゃない。かといって、客人を一人放っておくわけにもいかないわけである。

 霊夢は着替えを借りた礼代わりに掃除を手伝ってくれると申し出てくれたのだけれど、使用人として雇用してもいない者を私の独断で働かせてはお嬢様の面子を潰すことになりかねないので、安易にお願いすることもできない。

 紅茶を啜ってどうしたものかと考えていると、霊夢が「あっ」と何か思いついたように声を上げた。

 

「そうそう。咲夜、お願いがあるんだけど」

「お願い? このティーセットはあげられないわよ。香霖堂でセット購入したものだから、代えはないのよ」

「そうじゃないっての。以前に言っていたけど、ここ地下に図書室があるんでしょう? よかったら使わせてもらえないかと思って」

「ああ、そんなことも言ったわね」

 

 少しばかり考えてみるも、ふむ、悪くない。世間話のネタも尽きてきたし、何より本人の希望である。

 いっそ、霊夢の相手もパチュリー様に押し付けてしまえばいい。

 

「そういうことなら、お客様を図書館へご案内致しましょうか」

 

 ちょうど霊夢が紅茶のカップを空にしたので、時間を止めて自分のカップやソーサー、茶請けの入った籠とまとめて豪奢な配膳台車の上に片付けていく。

 このまま調理場に持っていってしまおうかとも思ったけれど、霊夢を図書館に案内した後に持っていけばいいと考え直して手を止めた。

 

「あっ!? 私のスコーン!」

「……もう。余ったのは持って帰ったらいいでしょ」

 

 配膳台車を入り口の脇に寄せてから一旦能力を解除すると、次の瞬間には霊夢は勢いよく台車の上に乗せたスコーンの入った籠へ顔を向けていた。もちろん時間を止めていたので霊夢は籠の行方を目で追えないのだから突然目の前から消えたように見えている筈なのだけれど、とてもそうとは思えない反応である。よもや、眼球だけでも私の止まった時の世界に入門しているのではなかろうか。

 

「やった! 後で返せって言われても返さないわよ」

「はいはい」

 

そんな馬鹿馬鹿しい結論に遅れて思い至り、つい戦慄した目を向けるも、そこにはにっこにっこ笑っていそいそとペーパーナプキンにスコーンを包んでいる霊夢の姿があるだけだ。……例えこの霊夢が時間を止める能力に目覚めたとしても、くだらない事にしか使いそうにない。

 人外の反応速度を見せたり、少し見ない間に空を飛べるようになっていたりと普通なら驚嘆することばかりしているのに、普段がこれでは感心してやる気も失せてしまう。

 どうも他人を脱力させる奴である。

 



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実は能力を使っていたらしい私。

 

 咲夜に連れられ階段を降った先でたどり着いたのは、見渡す限りが本棚で埋め尽くされている広大な地下図書館。空気が澱んでいて、まずかび臭さが鼻に付く。当然に窓も無く日の光が差し込むことの無い地下は、壁掛けランタンの赤々とした光でぼんやり照らされている。

 聞けば、こんなに広いのも咲夜の能力で拡張しているからだという。原理はわからないしこれといって興味も湧かないけれど、まったくもって便利な能力である。私も便利な能力が欲しい。出来れば何も無いところから食べ物を生み出せる能力とかがいい。

 ちなみにこの地下図書館、咲夜は住人でありながらどういった本がどれほど蔵書されているのか把握していないとのことで、調べたいものがあるのなら自力で探すか、ここを管理している人に尋ねてみないとわからないとのこと。

 そうして引き合わされたのが、本が積まれた長机の前に座っているやせっぽちの女の子だった。彼女は読んでいただろう本に(しおり)を挟んで閉じると、うさんくさそうなのを隠そうともせずにメイド服の私を見ている。

 

「……ふぅん。記憶喪失ねぇ。それはともかく霊夢のその格好は何なの? 地味に似合ってないんだけど」

 

 おおい、咲夜も美鈴も気を使ってか似合わないとは言わなかったってのに。まぁ、痛々しいとさえ言われなければ私的には万々歳なんだけど。

 それにしても、肉付きが悪いながらもこの少女もまた美人さんである。ただし色白というより青白い、ビタミンDがまるで生成されていない感じの肌色で、深窓の令嬢というよりは日の光を浴びようものなら網膜が焼かれて悶え苦しみそうな雰囲気だ。

 そんな私の第一印象はあながち間違っていなかったようで、彼女は図書館を根城というか私室がわりにしているらしく、読書の虫にひきこもり気質が合わさって年がら年中ここで本を読んでいるらしい。

 イメージカラーをつけるとしたら薄紫だろうか。過ごしやすさ重視の、寝巻きやマタニティウェアのようなゆったりとした服を着ている。ところどころアクセサリや髪留めに気を使っているようなので、身だしなみに無頓着という訳ではなさそうだ。

 ところで、彼女の紫色のロングの髪の毛の上には、紫や藍が被ってたみたいなシニョンキャップを大きくしたような形容し辛い帽子を被っているのだけど、幻想郷ではこんな感じの帽子が流行っているのだろうか。うーむ。構造的には難しくなさそうなので、流行に遅れないよう一つぐらい似たような帽子を作っておこうかなぁ。

 

「とにかく、そういうことですのでパチュリー様。私は仕事に戻りますからこの巫女の相手をお願い致しますね」

「あのねぇ。一応は私もあんたのお嬢様の友人なんだから客人みたいなもんでしょうに。居候の身であんまり偉そうなことは言えないけど、使用人の代わりに私がもてなさなきゃならない義務なんてないと思うのだけど」

「はい、存じております。パチュリー様はお嬢様のご友人ですもの。ですので、お願いします」

「……ん? えっとこれは、レミィの同格であるから、私は咲夜に低く見られてるのかしら?」

 

 これといって弁解もせずに「ほほほ」と悪びれない笑い声を残して咲夜の姿がぱっと消えた。また時間を止めての瞬間移動のようだ。

 はぁ、とため息を吐き出したパチュリーと呼ばれる女の子は、「あの子もアレがなければメイドとして言うことがないのに」と諦めたように呟いている。

 

「ねぇ、あなたのことはパチュリーって呼んでいいの?」

「好きにしてちょうだい」

 

 パチュリーはそう言いながら、私から目線を切って手元の本を開いた。手作り感のある押し花の栞を抜き取って机の上に置くと、ページをめくり始める。

 

「ああ。うるさくしたり、本を汚したり持ち去ったりしないのであれば勝手に使っていいわよ」

 

 視線を本へ落としたまま、話は終わりだというようにぼそりと呟いた。

 ……まぁいいかな。管理人さんから勝手にしていいと許可を貰ったことだし、気ままに探索してみよう。

 

 

 

 

「パチュリー。助けて」

 

 数十分の後、途方に暮れた私はパチュリーに助けを求めていた。読書を中断された彼女は不機嫌そうに眉根を寄せている。

 

「……何よ?」

「ここって館内見取り図みたいのないの? どの棚がどんな系統の本でまとめられているとか」

 

 そう。ちょっと見て回ってわかったけれど、とにかく広い。おまけに置かれた本棚にある本の背表紙からは内容が見て取れない。一般的な英語とある程度のドイツ語ならわかるけれど、そうじゃない言語で書かれた洋書も多々あって、お目当ての本がある棚の見当もつけられないのだ。

 ただ、その割に日本語の漫画――小学校の頃に男子が読んでいたコミックボンボンとかいうのが置いてあるのを見て自分の目を疑ったりもした。

 

「生憎だけど見取り図なんて便利なものはないわ。いったい何を探しているの?」

 

 咲夜に頼まれた手前無碍には出来ないのか、パチュリーが面倒くさそうに私に向き直る。読書を止めるつもりはないようで、開いたままの本を机に置いたもののページがめくられないように左手は抑えたままだ。

 

「霊力について書かれている本が読みたいんだけど。霊術? みたいなのが詳しく載ってるやつがいいわ」

「霊術ね」

 

 パチュリーは口の中でぶつぶつと呟きながら、宙に右手の人差し指を滑らせる。指先が淡く光って残像を作り、すぐに消えていった。

 時間にして数秒のこと。パチュリーは何事も無かったように右手で本を持ち直し、そこへ視線を落とす。

 

「今、持って来させるように伝えたわ。十分ぐらいかかるでしょうから、そこの椅子に座って待ってなさい」

 

 誰に、どうやって伝えたのか。今の動作は一体なんだったのか。疑問に首を傾げた私をパチュリーは無視して、そんなこと知ったこっちゃないとまた読書に戻ってしまう。

 読書に没頭しているパチュリーは明らかに邪魔されたくない雰囲気を出しているので、ちょっと迷った後、私も適当な本を本棚から見繕って読むことにした。

 

「むう……」

 

 『Almandel』という英題字だろう皮の装丁を開いてみると、中身はドイツ語である。冒頭を読むに、どうやら十五世紀頃に独語訳された古書を現代文体に(したた)め直した物らしい。

 しかし改訳してもまだ古臭い文章の筆記体である。読めなくはないのだけど表現が難解で、一行読むのにすごい時間がかかる。まぁでもいい機会だと思って、半分忘れ去っていたドイツ語を思い出す意味を兼ねて読み進めてみる。

 そうして単語がわからずにうんうんと唸っているのがうるさかったらしく、ふと顔を上げればパチュリーがすごい迷惑そうに私を睨んでいた。

 

「……読めもしない本を眺めていったい何が楽しいのかしら。どうせ読めないのなら身の丈にあった――そうね。絵本でも眺めていればいいのに」

「いや、あのね。すらすらとは間違っても言えないけど、読めなくはないのよ? 十五世紀頃に翻訳されたグリムワ? でしょ、これ。えっと、アルマンデルって、天使を云々する為の本ね」

 

 なんて、偉そうに言ってみたけれど専門用語が多すぎて中身はよくわかってはいない。ソロモン? やら悪霊やらと一般的に使わない単語がぽろぽろ飛び出てくる。

 五割は読み飛ばして、三割は『こうじゃないかな』と合っているかもわからない目星をつけて読み進めているだけだったりする。挿絵ですら四角の中に文字と六芒星が描かれているだけで、まったく意味がわからない。実は半分以上が苦行だった。

 

「はぁ?」

 

 パチュリーが読んでいた本を放り出して私の傍に寄ってきた。私の手から本を奪い取るや題名を確認し、次いで目を見開くと、ぱらぱらとページをめくっている。

 そうしてしばらくしてからほっと息を吐き出して閉じたのだけども、どうにも私の手にその本が戻されることはなさそうだ。

 

「アラム原本のギリシャ写本、それをラテン語に訳して最終的にドイツ語に再編したものね……幸いアルマンダル自体も、グリモワールとしては特別格が高い訳ではないわ。それでも精神に影響が出る筈だけど……気分が悪くなったりしてはいないの?」

「え? えっと、それは何語?」

「……大丈夫そうね。規格外だとは思っていたけど、ここまでだとは」

 

 呆れたように言って、パチュリーは私が読んでいた本を棚へと戻してしまう。もしかして読んではいけない本だったのだろうか。それならそうと書いておいてほしいものだ。

 なんかちょっと怒られた感じになってるけど、勝手に利用していいってパチュリーが言ったのに。何だか釈然としない。

 

「で、なんで霊夢がアレを読めたのかしら?」

「何でって……えっと、何が?」

「それではぐらかしているつもりなの? あの本は私が外の世界から幻想郷に持ち込んだ物で、幻想郷では一般的ではない言語で書かれたものよ。英語は幻想郷でも独自研究されたのかそれなりに普及しているけれど、私の知る限りドイツ語は人里の一部の医者が書面に使っていたぐらいで、少なくとも博麗の巫女の読める言語じゃあないわ」

 

 む。魔理沙やレティがスペルカードに英語を普通に使ってたからその他の言語もそれなりに普及しているものかと思ってたんだけど。

 といってもそれも後付けの理由であって、そもそも十代前半だろう霊夢ちゃんがドイツ語読めるとは考えにくい。私も大学の第二外国語で学んだりしなければ、せいぜい音階の読みぐらいでしか触れなかったと思う。

 要はパチュリーが特別に鋭いとかじゃなくて、私が迂闊だっただけである。

 

「さては、ただ記憶喪失になった訳じゃないわね。そして、咲夜はそれに気づいていないと。どういうことか説明してもらおうかしら」

「んー、えーっと、どうしよう。面倒なことになったわ。自業自得なんだろうけど」

 

 

 

 

 説明が面倒だからといってここで誤魔化しても更に面倒なことになりそうなので、気が進まないながらもパチュリーに私の本当の境遇を話すことにする。

 この説明をするのは魔理沙に続いて二度目。言われずとも勝手に気づいたらしい紫を含めると、博麗霊夢がどこかにいったってことを知るのは三人目になる。

 

「……という訳。説明が大変だから記憶喪失ってことで通していたのよ」

「つまり、中身は別人?」

「正真正銘の別人よ」

「ふうん」

「……それだけ?」

「他に何かあるの?」

 

 うーん。まぁいいんだけど、何だかパチュリーの反応が薄くて肩透かしを食らった気分。むしろ、全部話したことでパチュリーは私に対してのなけなしの興味を失ったようにも見える。

 信じてくれないんじゃないかと思って記憶喪失になった体で振舞っているけれど、ここ幻想郷では別人に身体を乗っ取られるとかそんな珍しい話でもないのだろうか。

 だったら記憶喪失なんて言い回っている方がよほど混乱を招いているような。どうしよう。今更ながら失敗した気がする。

 

「はーい、お待たせしましたパチュリー様。霊力によって行使できる現象についてですよね、関連してそうなのを持ってきましたよ」

 

 一通りの説明を終えたところで、ふわふわと飛んできた女の子が抱えていた本数冊を机に置いた。

 赤い髪のセミロングの女の子なのだけども、妖怪だろうか。耳の上あたりと背中に対になるように黒い羽が生えている。その子は私の存在に気が付くと、パチュリーの後ろから体を傾けて覗き込んでくる。

 

「あれ? そこの人間の女の子は新しいメイドですか? 珍しいですねぇ、人里からこんな離れているところにまで。これからよろしくお願いしますねー」

「……これ、こんな(なり)してるけど霊夢よ」

「人を指してこれとか言うな」

 

 紫から聞く限りでは博麗神社の巫女って幻想郷において唯一無二の重要な役職の筈なんだけど、会う人会う人にぞんざいな扱いを受けている気がする。

 それまでにこにことフレンドリーだった赤毛の女の子なんて、私の正体を知った途端に「ひぃっ」と悲鳴を上げると、小動物のように怯えてパチュリーの影に隠れてしまった。まるで鬼か悪魔かにでも会ったような反応だ。

 

「うわわ! またですか!? また私、スペルカードの有無を答える前に退治されちゃいますか!?」

「大丈夫よ。記憶喪失になったらしくて、とりあえず悪さをしない限りは手を出さないって」

「へ? あ、そうなんですか? よくわかりませんけど、ご機嫌損ねて退治されちゃ敵いませんから、私はあっちで本棚の整理してきますね!」

 

 わたわたと必死に背中の羽を動かして私とは逆方向へと飛んでいく女の子。いや、イラっとしたからって退治なんてしないのだけど、とりあえずお騒がせしてしまって申し訳なくなってくる。

 それより妖怪が顔を合わせるなりに私の機嫌を損ねないように逃げていくだなんて、さては『博麗霊夢』ちゃんも魔理沙みたいに辻斬りでもしていたんだろうか。それが幻想郷のスタンダードだとしたら、とんだ無法地帯である。

 

「ねぇパチュリー。何でまた今の子に記憶喪失なんて言ったのよ。別に私が口止めしといたって訳でもないのに」

 

 赤毛の女の子の姿が本棚に向こうへと隠れるのを確認してから、今しがたに浮かんだ疑問をパチュリーにぶつけてみた。

 本当のことを言っても幻想郷の人はすんなり信じてくれそうなので、私としてはあんまり隠そうという気もなくなってきているからそのまんま話してくれてもよかったのだけど。

 

「あのねぇ。霊夢がいなくなって残っているのは外側だけの別人だなんて広まったらどうなると思っているの。今までおとなしくしていた木っ端妖怪どもがそこら中で悪戯を始めてあっという間に大混乱になるわよ。やり過ぎな部分も多少…………じゃないわね。大部分がやり過ぎだったけれど、霊夢が幅を利かせているお陰で抑止力になっていたのも確かなんだから。けほっ……こほっ」

 

 パチュリーは「私としても、あまり騒がしいのは好きじゃないの」なんて、軽く咳き込みながら呟いている。

 なるほど、抑止力。そういう考え方もあるらしい。やっぱり記憶喪失って言っておいた方がよかったようである。流石は私、まるで予知していたかのように最善の行動を選び取る女である。

 

「で? 外の世界の人間の癖に、何でまた霊力の使い方なんて調べようとしているの?」

 

 私が密かに内心で自画自賛していると、咳が収まったらしいパチュリーから質問が飛んできた。

 

「紫の奴に博麗の巫女として仕事しろって言われちゃったのよ。空を飛んだりお札を使ったりなんかは出来るようになってたから、妖怪退治を頼まれたのだけどね。どうにも『博麗霊夢』が使えたっていう風除けの術が私には使えないものだから、もう寒くて寒くて。今日もここまで飛んできたものだから身体が冷えちゃってしょうがなかったんだから」

「ぢょ、ごほっ、ごほ! ちょっと待っで。空を飛べるですって?」

 

 私の言葉を遮って、酷く真剣な顔をしたパチュリーが声を上げた。慌てすぎてむせたようだ。

 顔を赤くして咳き込み、涙を浮かべながらも搾り出すように上げられた声は、これまでの話半分に聞いていた様子とはまるで違っていて有無を言わさない。

 

「と、飛べるわよ。ほら」

 

 その迫力に押され、実際に見せたほうが早いだろうとその場でふわっと浮いてみる。スカートがめくれないか不安なので、あんまり高く飛ばずに少しだけ浮かんでから着地する。

 別にたいしたことはしていない筈なのだけど、パチュリーは信じられないものを見たかの如く愕然とした表情を浮かべている。

 

「何であなたが飛べるの?」

「はい?」

「……お札も使えるって言ったわよね? ちょっと使ってみて」

「別にいいけど……」

 

 言われるがまま、スカートのポケットにしまっておいた結界のお札を取り出してぽいっと宙に投げつけた。もう慣れた物で、いつもどおりに空中に張り付くと文字が浮かび上がり、それもしばらくするとかすれて消えていく。

 パチュリーはお札を投げるところから文字が消えていくところまで目を凝らして見つめて、完全に結界が消えるなりに「やっぱり」と呟いた。

 

「あれ? もしかして、何かやり方間違えてた?」

「ええ、間違ってる」

 

 おおう、断言された。夜に布団に入っていたら勝手に浮いていたり、爆発させようと思ったお札が結界になったりと、知らずに覚えたものばかりなので仕方がないとは思うけども。

 いや、逆に考えれば、私の間違いを指摘できるパチュリーは正しい霊力の使い方を知っているということなのでは。迷惑ついでに正しい霊力の使い方を教えてくれたりはしないだろうか。

 どうやらパチュリーも何かのスイッチが入ったらしく、すっかり説明モードに入っている。私にとっても願っても無いことだ。真面目に話を聞くことしよう。

 

「……以前、魔理沙が霊夢の人間離れした弾幕回避のコツについてさりげなく訊ねてみたらしいのだけど、それを又聞きした私には何の参考にもならなかったわ。だって、あの飛び方は誰にだって真似が出来ないもの。聞けばあの子が空を飛んでいるのは『能力によるもの』であって、これといって霊力を消費している訳ではないそうよ」

「急に何よパチュリー。ええっと、能力の話?」

「そうであるし、そうではない話よ。いい? 霊夢は霊術を使えるけれど、それによって空を飛んでいる訳じゃないの。霊力・神力・妖力・魔力――どれを用いても、霊夢のように星の引力に影響されない飛び方なんて出来っこないわ。あの子だけが持つ『重力をも無視した飛び方をする能力』なのよ。おそらくだけど、霊夢は空を飛ぶ霊術なんて知らないんでしょうね。わざわざそんなものを使わなくても飛べてしまうのだもの」

 

 はぁ……。つまり霊夢は、霊夢にしか出来ないやり方で空を飛んでいるらしい。いつか咲夜が空間を操作して空を飛ぶのに霊力・魔力・妖力のどれも使わないと言っていたように、霊夢もまたそれを使わず飛べるということだ。

 …………あれ? でもそれっておかしくない?

 

「え? けど、私もこうして飛べているじゃない」

「そうね。では、何であなたは空を飛べるの? 霊術を無意識にでも使っているから?」

「そりゃそうでしょ。だって現にこうして飛べているんだし」

 

 そうでなければおかしな話になる。だって、霊夢が彼女だけの能力を使って空を飛んでいたのであれば、霊夢でない私が空を飛ぶのに霊術とやらを使えないと空を飛べないことになる。

 でも私は実際に飛べてしまっているわけで、結果が出ている以上はそうなるに至る手段が存在している筈である。

 

「霊術が使えていると言うのなら、どうして風除け程度の術が使えないのよ。こんなものはどの分野でも初歩の領域。魔法使いとしてまだまだ未熟な魔理沙にだって過不足なく使えるわ。少なくとも、あなたが今しがた使った結界術と比べたら入門もいいところ。それこそ霊力を持っている人間であれば効果の大小あれ無意識にでも出来ているものだわ」

「いや、どうして使えないのかなんて言われてもね。そんな術の使い方は知らないんだから当たり前でしょ?」

「それなら、当然あなたは空を飛べる術やお札を使う方法を以前から知っていた訳よね」

「う……それは、知らないけど」

「ほうら。だからおかしいっていうのよ」

 

 思わず私が言葉に詰まると、ようやく理解したかとパチュリーがこれ見よがしに呆れた様子を見せた。

 

「実際に見てみて確信が持てたのだけれど……あなたの空の飛び方も、お札を使っての結界も、どれも霊術に拠ったものではなかったわ。霊力を燃料にしているだけで、その手段は別。空を飛べるのも、お札を使えるのも、霊力で結界を作ることが出来るのも、霊夢が結果的に空を飛んでいる現象と同じ。能力によって過程を作って、同じ結果を再現しているだけよ」

「能力で飛んでいる……ねぇ。そういうものかしら」

「……何? わざわざ私が教えてあげたっていうのに、反応が薄いわね」

「だって、ちっとも実感が湧かないんだもの」

 

 呼吸するように出来るようになったものを、いきなり能力だから出来るんだなんて言われてもぴんと来ない。こうして何となしに出来てしまっているからこそ能力なのかもしれないけれど。

 何にせよやり方は何か間違っているらしいけども、こうして空を飛べているのならそれでいいと思う。不利益がある訳でもなければ、特に困ってもないし。

 

「ま、その辺はいいわ。パチュリー、結局のところ私の能力ってなんて名前になるの?」

「知らないわよ。能力なんて自己申告するものなんだから、答えなんてある訳がないでしょう」

 

 む、言われてみればそうかもしれない。けれども、一から説明してくれたパチュリーには悪いのだけど、いまいち私自身が私の能力とやらを理解できていない。

 理解できていないものを自己申告なんて出来るはずもない訳で、この件に関して私が頼れるのはパチュリーしかいないのだ。

 

「ね、パチュリー。何でもいいからヒントはないの?」

「ヒントって、あのねぇ。この紅白ってばもう、答えはないって言ったばかりなのに。ええと……」

 

 否定しつつも、それでも考えてくれるパチュリー。最初は素っ気無かったけど、結構面倒見がいいのだろうか?

 

「そうね。この幻想郷で一番に博麗の巫女の現状を把握しているとすれば、八雲紫でしょう。アレはあなたに対して何か言っていなかったの?」

「紫? うーん……」

 

 紫かぁ。気のせいでないなら、何だか知らないけど嫌われてるんだよねぇ。そいでもってお説教はいっぱいされたので言われたことは山ほどあるんだけど、大部分を聞き流していたのであんまり覚えてない。

 『やれるなら最初からやれ』だったっけ? あとは『甘い物を食べたらちゃんと歯を磨け』? うん、絶対違う。――――あっ。

 

「そういえば『私に必要なのは博麗の巫女としての自覚』なんて言われたことがあったわ。となると、『博麗の巫女の役割を果たす程度の能力』?」

「そうだとしたら、外の世界であなたは巫女の職に就いていなければおかしいわね。外界にも博麗神社は存在するということだし」

 

 私は東京の会社に勤める一OLをやっていた訳で、もちろんのこと巫女ではなかった。

 うーん、これも外れだろうか。いい線いってると思ったのになぁ。

 

「自覚ねぇ……あなたが空を飛べるようになったのは、博麗の巫女の役割を教えられてからよね?」

「ええと、そうね。魔理沙が泊まっていった日だから、その日の夜だったと思うわよ」

「だとしたら……そうね。もし私があなたの能力に名前をつけるとしたら、『あるがままでいる程度の能力』ってところかしら」

「『あるがまま』? 何それ?」

 

 せっかくの能力なのに、何だかすごい曖昧なんだけど。あんまり格好よくないし、咲夜の能力みたいに便利そうな感じもしない。

 

「あなたが博麗の巫女としての能力を得たのは、その役割を受け入れてからなんでしょう? 私の考えが正しいのなら、その一見して不可解な技能習熟の差は置かれた状況や与えられた役割に馴染む能力だからよ。弾幕ごっこで妖怪退治するのに必要だから空を飛べるようになった、大結界を補修するために必要だから結界術を操れるようになった、弾幕ごっこにも結界にも必要だったからお札を使えるようになった。どれも、博麗の巫女の役割には必要だからって理由があるわ。そう考えればぴったり当て嵌まるもの」

「えっと、それじゃ空は飛べているのに、風除けの術が使えないのは?」

「直接的には巫女としての役割に必要ないからでしょ。ま、私の仮説が合っていたらの話だけど」

 

 なるほど。確かに、風除けなんてできなくても私が恐ろしく寒いぐらいで、弾幕ごっこが出来ないなんてことはない。我慢すれば済む話な訳だ。

 そう考えたら非常に遺憾ではあるけども、パチュリーの言う『あるがままでいる程度の能力』っていうのはしっくりくる気がする。

 今の私は身体ごと博麗の巫女だから、その役割をこなすのに必要な技能が使えていると。こんな風に考えると、私もまるでゲームの中のキャラクターになったみたいだわ。

 

「ん? ……そうなると私は風除けの術をいつ使えるようになるの?」

「必要ないなら死ぬまで使えないんじゃない?」

 

 何なのそれは。死ぬまで寒いままとかひどすぎる。



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思ったより面倒くさい能力だった私。

 

 パチュリーに「博麗の巫女に必要なければ風除けの術は死ぬまで使えない」なんて言われて、たぶん私はあからさまに不機嫌だった。だって、周りみんなが使えているのに私だけが寒いままとか絶対に不公平だ。

 私はお弁当に持ってきたおにぎり一個をお腹に詰め込んだ後、パチュリーに断固抗議の意を示すべく赤毛の女の子の持ってきてくれた霊術の本を読んで、独学でだって風除けの術を会得できるところを見せてやろうと挑戦を開始したのである。そうして数冊あるそれを熟読し、本から得た知識通りにやったのだけれども、昨夜に練習して駄目だったようにやっぱり手ごたえは感じられなかった。早速に行き詰ってうんうん唸っていると、読書に戻っていたパチュリーから静かにしろとの怒声が飛んでくる。ぶつぶつ独り言を呟く私が煩わしくてまったく集中できなかったらしい。ごめんなさい。

 さっさと私に風除けの術を覚えさせて静かにさせる作戦に切り替えたらしいパチュリーが言うには「必要ないから使えないのであれば、必要になればいい」とのことである。意味がわかんない。ここに来るまでの暴風雨に晒されていた時ほど必要としてた時なんてなかった。必要になれば使えるのなら、もう私は使えるようになっている筈なのだ。

 

 そうしてまたパチュリーからのご指導を賜ることになったのだけど、何故か『風除けの術』ではなくまったく別の『グレイズ』というテクニックの説明が始まっていた。「風除けの術についてじゃないの?」という私の疑問は、パチュリーの一睨みで黙殺される。いいから黙って聞いていろってことのようなので、訳がわからないままだけど静聴することにした。

 さておき件のグレイズとやらなのだけれど、全身を霊力などのエネルギーでまとって敵の弾をいなしたり、被弾した時のダメージを減衰させたりという効果があるもので、当然弾幕ごっこをするなら誰もが使っているとのこと。上手いことギリギリのところで相手の弾を避けると、周囲のエネルギーとが接触を起こして発光するからとても綺麗なのだそうだ。見てないから何とも言えないけど、発光して綺麗ってことはきっと花火みたいなものなのだろう。ただし、光が発生するほどの濃度は身体の周りにしか展開できないからギリギリで避けるしかない。紙一重で避けてお見事、弾幕ごっこに彩りを添えたということで芸術点がつくようである。勝敗にはまったく加味されないらしいけど。

 ともかく話を聞く限り、グレイズは確かに弾幕ごっこに不可欠な技能なのだろう。そして弾幕ごっこに必要ということはつまり、妖怪退治に必要ということである。

 

「それじゃパチュリー。使える気配のない風除けの術は置いておいて、とりあえずそのグレイズってのを教えてよ」

「いやよ。私の考察が正しいなら、あなたに物事を教えてやるほど時間を無駄にすることはないわ。使えるようにはしてあげるから、ほら、飛んでみなさい」

「無駄って、あんたねぇ……。ま、いいわ。とにかく浮かべばいいのね?」

「そこから動いちゃ駄目よ。動いたら死ぬから」

 

 教えることが無駄ってのがよくわからないのだけど、言われるまま宙に浮かんでぴたりと停止する。外だと風があるから止まったままでいるのは大変なのだけれど、無風の室内ならそれほど難しくない。

 空中で停止するのを見届けたパチュリーが人差し指を私に向け、そしてそこから僅かに逸らした。次いで、ぽう、と発光する指先を腕ごと振り上げる。

 

「『フォールスラッシャー』」

 

 パチュリーの足元から光が湧き上がる。その光がおさまると同じくして、パチュリーの背後の地面から剣が数本作り上げられて音も無く浮かび上がっていく。そのままパチュリーの頭上あたりで停止すると、揃って剣先をこちらへと向けた。明らかに標的は私、今にも降り注いでおかしくないそれらは引き絞られた弓矢のように見える。ランタンのぼんやりとした赤い光に照らされ、それが何らかの金属で出来ていることをこれでもかと知らせている。ぎらぎらと光を反射して、すんごくよく切れそうである。

 

「いや、何するつもりなのよ。せめて説明ぐらいしてくれないと……」

「念の為にもうひとつぐらい用意しておこう。そうね、『オータムエッジ』あたりでいいかしらね」

「聞きなさいよ!」

 

 次いでパチュリーが淡く光る手のひらを私へ向けるや、ナイフのような金属片が三つ私のいる方に向かって放射状に放たれる。咄嗟に身構えそうになるけれど、動いたら死ぬらしいので身体を強張らせて無理やり固まった。

 目を見開き、歯を食いしばった私に、三つのナイフが結構な速度で迫ってくる。鋭く空気を切り裂く音が空恐ろしい。そのまま視界に残像を残して、ナイフは私の横数センチの辺りを通り過ぎていった。おおお、当たらなかったとはいえ、腕が粟立ってる。

 

「あ、あっぶないわね……パチュリー、あんたね! 刃物が刺さったら人は死ぬのよ!」

「当たり所によっては妖怪も死ぬけど。あ、こら。動くなって言ったのに」

「あ」

 

 言われて気づく。パチュリーに物言いをつけてやろうとしてちょっと動いてしまった。言うが早いか、パチュリーの頭上の剣が私へ向かって降り注ぐ。もしかしなくても真っ直ぐ私に飛んできている。直撃コースだ。

 ちょっ、元の位置に戻らないと……あれ? さっきまで、どんなポーズで静止していたんだっけ? 思い出せない。っていうか、飛んでくる剣がかなり速い! 避ける暇もなければ、当然、お札を出す時間も……! もしかして、私死んだ?

 

「あらら、これは死んだかな。ご愁傷様でした」

「まだ死んでない!」

 

 おのれパチュリーめ、お悔やみを申し上げるな! あくまで他人事なパチュリーにむかっ腹が立った。絶対生き残ってやる。

 いちかばちかででも、霊力を使っていなすしかない。やり方は知ってるのだ。今しがた聞いたグレイズである。ええと、ええと、霊力は、確か手のひらに血が集まるようなイメージしたら使えた気がするけど、それで上手く手のひらだけグレイズ出来ても他のところに刺さったらどっちにしても致命傷だ。全身を護れなくちゃ意味が無い。

 

「ぐ、グレイズ!」

 

 上手くいくよう、声に祈りを篭めて宣言してみる。同時に音叉が共鳴するような甲高い音が鳴り響き、私の身体が白く発光する。体中から圧縮した霊力が溢れ出そうとするのを一旦押し留め、そのまま全身の血液を爆発させるようなイメージを想起して一気に起爆する。

 空気を入れすぎた風船が内部からの圧に負けて破裂するように、私の身体から霊力が弾けとんだ。私を中心にして霊気でできた衝撃波が全方位へと広がっていく。私に向かってきていた金属の剣がその奔流に押し負け勢いをなくすと、ぼろぼろと崩れて空気に溶けていく。しばらく呆然としてそれを見届ける私。

 

「…………やった? やったわね! よおし、グレイズ成功! 流石私、ぶっつけ本番にも強い女だわ!」

 

 どうだ! と言わんばかりの笑顔と一緒にふんぞり返ってパチュリーを見てやると、彼女は呆れた様子で私を見ていた。教えられたとおりの完璧なグレイズを披露して見せたというのに何が不満だと言うのか。

 

「うーん。成功と言えなくも無いけど、今しがたあなたが使ったのはグレイズじゃないわよ」

「ええ? 今のがグレイズじゃないの? 光って綺麗だったじゃない」

「さっきのは霊撃」

 

 言いながらもパチュリーが無造作に人差し指を私の横に向けると、そこからまたも光が発される。さっきまでと違うのは、その光に指向性があることだ。細いながらもレーザーである。

 私の左わき腹のすぐ横を貫いたレーザーはジリジリジリと耳障りな音を立てている。……わ、もしかして咲夜に借りているメイド服が焦げてるんじゃ、と慌ててわき腹の辺りを見るも、メイド服とレーザーが接触している様子はない。

 それよりも、私の身体の周りに何か膜のようなものが張っている。それとレーザーとが接触して、火花のようなものが散っている。今も鳴っている何かが削れているような音は、ここから発されているようだ。

 

「で、その音と光がグレイズよ」

「何だか、思っていたより綺麗なものじゃないのね。花火じゃなくて火花だったか」

 

 想像と違っていて、地味でがっかりである。買ってきたでかい打ち上げ花火に火をつけてみたところ、爆竹のようでしょんぼりした時の気分に近いかもしれない。ため息を吐いた私はすいっとレーザーから離れると地面に降り立った。

 遅れて数秒前まで自分が生死の境に立たされていたことを思い出し、大股ですまし顔のパチュリーへと歩み寄る。

 

「そんなことよりもよ! 何だっていきなり剣とか飛ばしてきたりしたのよ! 危うく刺さって死ぬところだったじゃない!」

「危ない目に遭わせれば使えるようになると踏んだのよ。実際に使えるようになった訳だし。それだって当たらないよう調節して設置したのに、あなたが勝手に当たる位置に動いたのでしょう」

「……ぐ。そう言われると」

 

 パチュリーなりに私の為にやってくれたことで、一応は安全についても考慮してくれていたようである。そうなると、言うことを聞かなかった私が全面的に悪いのだろうか。……んん? でもなんだか腑に落ちない。

 私が首を捻って考え込んでいると、パチュリーはふわっと浮いてゆったりした速度で飛び始める。最初に座っていた長机の横にふわりと降り立つと、机の上の本を手にとって着席した。

 

「さて、おめでとう。これであなたは当初の目的だった霊力による風除けの術が使えるようになったわね。じゃあ、私は読書に戻らせて貰うから静かにしてちょうだい」

「はあ? パチュリー、何言ってるのよ? これ、グレイズって言うんでしょ?」

 

 一回使ってみると簡単なもので、ちょっと意識すればグレイズは使えるようである。意図的に使おうとするなら、全身の毛穴を開くようなイメージだろうか(本当に毛穴が開いていたら嫌だけど)。逆に閉じるようなイメージをすれば霊気の膜も消えるようだ。

 グレイズを出したり消したりしながら本を開こうとするパチュリーに質問を投げかけると、彼女にすごい迷惑そうな目で見られた。どうやらパチュリーの中では、この話はもうとっくに終わっているらしい。

 

「勘が鋭い割に察しの方は悪いわね。グレイズは身体の周りの霊気を指した言葉じゃないの。『かすめて通る』って意味どおり、風除けや衝撃吸収目的に作った簡易防壁が相手の弾幕で削られる際に発生する、音と光を指しているの。つまり、今あなたの全身を覆っている霊気の膜は被弾時の衝撃吸収に加え、風除けの効果があるってこと」

「へえ、そうなの。これがねぇ……」

 

 私の身体の周りのこれが風除けの術になるらしいのだけど、言われてみれば確かに空気の流れが遮断されている気がする。多少なり物理的に干渉しているのだろうけど、私の周りの霊気の膜に触れようとしても、手の周りの霊気と同化してしまうので触ることが出来ない。どうも考えたところで無駄っぽいので、考察は断念することにした。下手の考え休むに似たりである。

 それにしても、そういう意図があったのなら事前に説明してくれてもよかったと思う。私はグレイズってテクニックを覚えさせるって言われたのだから、当然それで覚えたものはグレイズだと思うじゃない。パチュリーってば説明好きの癖に最後まで面倒見てくれないのだから。実は説明好きってより自分の知識を披露するのが好きなだけなのかもしれない。

 

 最後にパチュリーはアドバイスをひとつして読書へと戻ってしまった。やることはやってやったんだから、後は自分で考えろってことらしい。

 彼女が言うには、私の能力が『あるがままでいる程度の能力』であるとするなら、私の認識が要点となっているとのことだ。博麗の巫女の役職を引き受けたことで様々な霊術を使えたように、役職に必要だという認識があれば行使できる可能性が生まれるということである。

 今回のことを例にして挙げてみると、防寒を目的にする風除けの術は駄目で、博麗の巫女の仕事の一環である弾幕ごっこに必要となれば同様の効果がある術でも使えると。つまり今の私の立ち位置に『関連付ける』必要があるようである。面倒な。

 ともかく、パチュリーの言うとおりにして上手くいったということは、私の能力はこの『あるがままでいる程度の能力』なんて使いにくいので確定みたいである。むう。こんな訳のわからない能力より、どうせなら『家の中にほこりを吹き飛ばす程度の能力』とか、『火打金を使わなくても火付けが一発で出来る程度の能力』とか生活に役立つ能力がよかった。うーん、何とか博麗の巫女の仕事に関連付けられないだろうか。

 

 

 

 

 パチュリーの助言を参考に、弾幕ごっこに関する霊術なら使えるかもしれないと考えて色々読み漁っているとお腹が鳴りだした。体感時間でだいたい三時間ほど前に小さなおにぎりを一個食べたばかりなのだけど、きっと考え事をして脳みそを使ったからだろう。だってこんなにも甘いものが欲しい。

 もうちょっとしたらお夕飯時だと思うのだけど、窓がないと外が見れないから今が何時なのかわからない。訊こうにもパチュリーは黙々と読書していて、私と違って空腹かどうかなんて意識すらしていないようなので声を掛けづらい。赤毛の女の子は私に怯えて、視界に入らないよう本棚の影に隠れて回ってるし。あんまり遅くなると帰るの大変だから、そろそろ雨が止んでるかどうかも確認しておきたいのだけど。

 

「霊夢、そわそわしてどうしたの? お手洗いならその横の扉がそうよ」

「違うってば。そろそろ夕方だろうし、雨は止んでないかなって思って」

 

 パチュリーに声をかけるべきか否か。一階に勝手に戻っていいのかどうなのか。迷って階段辺りをうろちょろしていると、咲夜が紅茶の入っているだろうポットを手に下りてきた。ナイスタイミング。

 ちなみにお手洗いは事前に済ませてある。紅魔館は水洗だった。羨ましい。

 

「雨? 弱くはなってきているけどあの中を帰るのはおすすめできないぐらいかしら」

「おすすめできないって言うけど、このままお邪魔してるわけにもいかないでしょ」

 

 確かに、雨の中を飛んで帰るのはかなり抵抗がある。いくら風除けの術が使えるようになったとはいっても完全には防げないようだし、当然雨は言わずもがな。気温はお昼より下がっているので冷えることには変わりない。更にはポンチョが完全に乾いていても、神社に辿りつく頃には水が滲みてくるだろうし。

 それでもどっちにしろ濡れるなら、弱まるかどうかわからないのを待つよりも日が完全に沈む前に帰った方が賢いと思う。真っ暗な寒空を一人で飛んで帰るとか精神的に打ちのめされそう。もう、こんなことになるのなら速く空を飛べる練習をしておけばよかった。そうしたら少しはマシだったかもしれないのに。

 

「それなら泊まっていったら? 頼まれたっていう妖怪退治も済んでいないみたいだし、明日また朝からこの辺りまで来るのは面倒でしょう?」

「えっ、いいの?」

 

 私が陰鬱にそんなことを思っていると、咲夜が首を傾げてそんなことを言い出した。それが出来たならな、なんて考えていたので思わず眉を開いて食いついてしまった。

 

「構わないわ。お嬢様も雨では外出も出来ずに退屈を持て余すでしょうし、あなたが暇つぶしの相手になってくれるのなら、おゆはんは腕を振るわせてもらうわよ?」

「でも……」

 

 本当に願ってもないことなのだけど、濡れ鼠で尋ねては着替えを借りて、お茶を出してもらってお菓子を食べて、図書館を使わせてもらった上、更に晩御飯までご馳走になって泊めていただくのは悪い気もする。

 私がまごまごしていると何でか咲夜が眉根を寄せてため息を吐いた。

 

「何だか霊夢に遠慮されると調子が狂うわね。それじゃ言い方を変えるわ。泊まっていきなさい。女の子が身体を冷やすものじゃないわ」

「む……」

「ほら、わかった?」

「わ、わかったわよ。もう、それにしたって何だって咲夜はお姉さんぶってるのよ」

 

 私が唇を尖らせて悪態をつくと、何故か咲夜はにっこりと笑みを浮かべた。好意で言ってくれるのはわかるのだけど、その近所の子の面倒を見てる感じはやめてほしい。その上で不満をぶつけてそんな嬉しそうにされると、本当に子ども扱いされてる気になってくる。

 うーん、十歳ほども年下の咲夜に気を使わせてしまった。帰りたくないって気持ちが表情に出ていたのだろうか。よくないよくない。

 

 

 

 もうそろそろお夕飯の準備が整うということで、一階の食堂へと案内されることになった。

 読書を続けているパチュリーにも声を掛けたのだけれど、咲夜の持ってきたクッキーと紅茶で充分という答えが返ってきた。そんなのだからガリガリなのだ。もうちょっと太らないとおっぱい大きくならないぞ。

 というわけで、連れて行くことにした。絶対にご飯はみんなで食べたほうが美味しいもの。

 

「いや、だからね。私は魔法使いだから、食事しなくても大丈夫なの。そういう風に出来ているの」

「しなくても、ってことは食事しても大丈夫なんでしょ? 人生の楽しみなんて二度寝すること、呑むこと食べること、お風呂入ることぐらいなんだし、その食事を摂る回数だって一生のうち限られているんだから、一食も無駄にするなんてもったいないわよ」

「それはそれでどうなのよ……それに寿命だって、人間に比べたら不老不死のようなものだし」

 

 先頭に立って一階廊下を案内するのはメイド服の咲夜。その後ろには咲夜と同じメイド服の私と、パチュリーの姿があった。

 こんこんと咳をしながら、私に手を牽かれて引き摺られているパチュリー。そんな咳込みながら不老不死なんて言われてもねぇ。

 

「って、不老不死? ってことは、パチュリーってばもしかして私より年上なの? 何歳?」

「そうね、百以上とだけ言っておきましょうか。わかったら手を離しなさい」

「パチュリーったらそんなおばあちゃんだったの!? …………間違ったわ。パチュリーさんはそんなおばあちゃんでしたか!」

「……この際、食事には付き合ってあげる。だから、そのおばあちゃん呼びと、敬語は止めて。今までどおりでいいから。虫唾が走ったわ」

 

 百歳以上なのだから敬え的な感じが出ていたので敬語にしたところ、パチュリーに睨まれた。何が悪かったのだろうか。おばあちゃんって言われたくない乙女心だろうか。私が百年以上生きていようものなら女止めてそうなものだけど。

 

「ふふ。パチュリー様、この霊夢とは随分と仲良くなられたのですね」

「やめてちょうだい」

 

 パチュリーが肺の奥から搾り出したような本当に嫌そうな声を上げた。おおう、ちょっと仲良くなれたかなとか思っていただけにショック。つい牽いているパチュリーの左手をちょっと強く握り直してしまう。

 咲夜はというと照れ隠しだとでも思っているのか、にこにことした笑顔のままパチュリーに頭を下げている。いやいやいや、今の絶対本気の声だったって。

 

「失礼致しました。お嬢様からのお誘いがないとお食事をお摂りになられないパチュリー様が、半ば強制にとはいえ霊夢と食卓を囲まれるとは思いませんで」

「別に、霊夢に誘われたからじゃないわ。今日の献立にニンジンとカボチャのシチューがあると聞いたからよ。β-カロテンを摂取してビタミンAを補充しなきゃ」

「ん? 魔法使いだから食事の必要ないんじゃなかったの?」

「生きていられることと健康でいられることは別物ってことね。貧血になれば目も悪くなるのよ。死にはしないけど」

 

 なるほど。不老不死もそれはそれで大変なようだ。食べなくても大丈夫なら他に熱中することがあれば食事を忘れちゃうこともあるだろうし、もしかしたらそもそもお腹が減らないのかもしれない。食欲がないのにご飯を食べるのも、それはそれで大変なものだ。

 絶食は身体に悪そうだけど、食事を摂るのも突き詰めると死なないことが目的な訳で。最終的に死なないのであれば、身体を壊しても後から取り返しがつきそうな気もする。でもまぁどっちにしろ健康であるならそれに越したことは無い。何より食事を美味しく摂ることは、毎日を幸せに生きるということだもの。夕食とお茶を楽しみに毎日を生きている私が言うんだからきっと間違いない。

 

「尚更ちゃんと食事を摂るようにしなさいよ。死なないっていっても弱りはするってことでしょ? それに、目が悪くなるなら読書にも支障あるんじゃないの?」

「……余計なお節介よ」

 

 反論が見つからなかったのか、パチュリーがふてくされるように吐き捨てた。悔しそうである。素直じゃないなぁ、なんて思ってにやにやしていると、視線で人を殺せたらとばかりに睨みつけられる。……あれ、パチュリーの瞳が綺麗な金色になってる。さっきまで紫色だったのに。

 

「ちっ。やっぱり、邪視も効かないみたいね。随分と応用性のある能力だこと」

「何よ? じゃし?」

「何てことのない、ただの精神衰弱の呪いよ」

 

 パチュリーはふん、と鼻を鳴らして目を伏せた。その瞳の色は、普段の薄紫色に戻っている。……って、今の呪いだったの? 呪いって言ったら丑の刻参りみたいな奴よね? 別になんともないんだけど。

 あ、ふと思ったんだけど、見た目若いパチュリーが魔法使いで百歳以上だとしたら、魔理沙も魔法使いだし、あんなやんちゃな性格しながら結構お年を召していらっしゃるのかもしれない。アグレッシブおばあちゃんだ。今度から敬語使った方がいいのかな。

 

「仲良しですねぇ」

「違うって言ってるでしょう……」

 

 すっかり調子を崩されて疲れた様子のパチュリーだけど、しかし微笑ましそうに言う咲夜に反論だけは忘れない。そうしてぼんやりと物思いに耽っている私に手を牽かれながら食堂に引き摺られていったのだった。

 

 

 

 



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神様とお話した巫女らしい私。

 

 サラダにシチュー、くるみ入りのパン、鶏肉のソテーやらと洋風な食事は久々だったので新鮮に感じられた。咲夜のお手製らしく日本じゃあまり馴染みない味付けだったけれど、それでも料理上手というのは一口食べてすぐわかった。味のほうはもちろんすっごい美味しかったし、ドレッシングやらはもちろん、パンから何からお手製みたいなんだもん。一応私だってパンの作り方ぐらいは知ってるけど、わざわざ一から作ろうとは思わないもの。普段から作ってなきゃレシピなんかもすぐ出てこないだろうし。

 

「ねぇ、パチュリー。もしかして私ってそのレミリアお嬢さまって人に嫌われていたりした?」

「……以前の博麗霊夢という意味であるなら、人間相手にしては珍しく好んでいた方だと思うわよ」

 

 一足先に食事を終えて紅茶を飲んでいる私の問いかけに、口元を拭ったパチュリーがぼそぼそっと答えを返してくれる。気管支が弱いのかよくこんこんと咳をしているみたいだし、あんまり声を張れないみたいだ。図書館ちょっとかび臭かったものね。

 部屋の中央にあるクロスのかかった長方形のテーブルの側面には、私とパチュリーが向かい合わせに座っている。咲夜が食堂なんて庶民的な物言いをしていたそこは、横文字でダイニングルームと言った方がよほど相応しい洒落た装いだった。部屋自体広ければテーブルは十数人座れそうな大きなものだし、一緒に並べてある椅子の細工もすごい。中世ヨーロッパのお城みたいな赴きある内装には、一品物であろう調度品たちが当たり前のように鎮座している。目利きのできない私でも、ぱっと見てなんとなく高価なんだろうことがわかるぐらいだ。

 

「うーん。それなら、尚更お世話になるんだから挨拶ぐらいはしておきたかったのだけど」

 

 目を細め、暖炉側の上座に当たるだろう席をぼんやりと見やる。こうして私とパチュリーの食事が終わるまでその席に座る者は現れなかった。咲夜がこの館の主であるレミリアって子に私を宿泊させてもよいか許可を取りに行ったところ、客人としてもてなしてやれと指示された一方で私とは今は会わないとのことなのである。

 

「お嬢さまにも何か考えがあるみたいなの。霊夢と邂逅するには相応しい舞台をと仰ってたから」

 

 言いながら、テーブルの上の食器を下げた咲夜が私とパチュリーの前にデザートを並べる。続いて、給仕らしく「本日のプディングはクレームブリュレでございます」と述べると、すっと一歩退いた。

 咲夜はこうして私とパチュリーが食事している間、ずっと隣に控えて私たちの世話をしてくれていた。レミリアって子もいないとなるとパチュリーと二人っきりの食事になってしまうから、どうせなんだし一緒に食事を摂ろうとは言ったのだけど、いくら主が不在とはいえそんな無作法は出来ないと固辞されたのだ。

 とは言うものの、主人がいなかったからなのか話題を振れば咲夜も乗ってくれたし、最低限すら満たせていないであろう私の食事マナーにも眉根を寄せたりはしなかった。スープはすすらないで飲むとか、本当にその程度のことしか知らないから堅苦しくないのは正直助かった。なんにせよ、メイド服を着てメイドさんにお世話してもらうのはすごい変な感じである。

 

「そんな物言いをしたってことは、この紅白が記憶喪失になっていたことは事前に伝えておいたの?」

 

 掬ったプリンを口に運ぼうとしていたパチュリーが、手に持ったスプーンを器に戻してぽつりと声を上げる。

 

「記憶を失った霊夢と人里で会ったその日の内に、お嬢さまへのご報告は済ませておきました」

「その時、レミィは何か言っていた?」

「『初対面となる私がそこらの木っ端どもと一緒くたに認識される訳にはいかない』、そういった旨の発言はされていたかと」

「なるほどね」

「はい」

「え、何よ? どういうこと?」

 

 会得がいった風に頷くパチュリーと咲夜。何やら二人が納得しているけど、私はまったくわけがわからない。

 

「お嬢様は力のある吸血鬼。短命で虚弱な人間という種族を、個で認識することなんてそうないことなのよ。そのお嬢さまは、先ほどパチュリー様が仰られたように人間である霊夢を好んでいるわ。博麗神社で宴会があればよくよく参加されているし、そうでなくとも暇つぶしと称してわざわざ遊びに赴くほどお気に入りよ」

「毎度、咲夜をお供にして連れて行っているものね」

「はい。わたくし、お嬢さまの従者ですので」

 

 お気の毒に、という風に見るパチュリーに対して、咲夜はすまし顔ながら誇らしげに胸を張っている。理解し難いのだけど、どうやらレミリアって子に連れ回されるのは咲夜にとって光栄なことのようである。

 出不精のパチュリーからすれば外出とは億劫なものであるらしく、当然ながら私もまたインドア派を自称している為にパチュリー寄りの意見である。相手方の都合に合わせてあっちこっちに出張だなんだなんて仕事でもなければやってられない。

 

「えっと……『博麗霊夢』とレミリアって子が仲良しだったってことよね?」

「うーん、そういう訳でもないのよね。以前の博麗霊夢も妖怪や人間に関わらず相手が誰であれ付き合い方を変えたりしなかったけど、逆に特定の誰かと懇意にしているってのはなかったんじゃないかしら? 魔理沙とは付き合いが長い所為かよくつるんでいるようだけれど」

 

 パチュリーはそう言うと、お預けになっていたプリンを口に入れる。表情にこそ変化はないもののどうやらお気に召したらしく、すぐに器から次の一口を掬って口へと運んでいる。

 私もスプーンでプリンを掬いながら考える。レミリアって子はよく神社に遊びに行ってたけど、霊夢ちゃんは別にその子と仲良しだって意識はなかったと。つまり、レミリアって子の片思いってこと? まー、あるわね、そういうの。会社の同僚の女の子と何回か一緒にお昼しただけなのにいつの間にかその子の中で親友認定されてて、海外旅行のメンバーに入れられて連れて行かれそうになったりとかね。普通に断ったけど。

 

「で、何がなるほどだったのよ?」

 

 問いかけながらパチュリーに釣られるようにスプーンを口に運んでみる。……うん、確かにこれは美味しい。カスタードはまったりとしていて口当たり良く、卵と牛乳の甘みが濃厚。素材の味が前面に出ているから単調になりがちで、人によっては田舎っぽいと感じてしまうかもしれないけど、私はこういうの好き。何より甘いってのが素晴らしい。こんなの毎日食べられるなら神社とか博麗の巫女とかポイしちゃって紅魔館の子になりたい。

 うーむ。元に戻ったら紅魔館のメイドでした、ってのは流石に霊夢ちゃんに悪いのでそういう訳にもいかないかなぁ。せめて、こんなちゃんとしたのじゃないにしても神社で洋菓子を作れればいいのだけど。それにはまず砂糖と卵と牛乳をどうやって調達するか考えないことにはどうにもこうにも。あ、そういえばオーブンもない。……うん、無理ね。お金がないことにはどうしようもないわ。

 

「レミィは霊夢の実力と、その奇特な人間性を評価しているのよ。そんな風に自分が霊夢を特別視しているというのに、そのあなたにそこらにいるただの妖怪と一緒だとは思われるのは我慢ならない、といったところかしらね」

「ふうん」

 

 そんな風にデザートのプリンを味わいながら相槌を返したものの、実はよくわかってない。そもそもすごいのは霊夢ちゃんなわけで、私自身はそう大したものでもないので何と返せばいいものやら。そりゃグレイズのみならず霊撃とかいうのを教えられずに使えるようになって、もしかして私天才なのかもなんて天狗になったりもしたけど、パチュリーに聞けば出来て当然のそう難しいものでもないようだし。むしろ、そんなことも出来ないのに弾幕ごっこしてたってことに呆れられたぐらいである。

 それより、さらっと流してしまったけど新事実が発覚していた。レミリアって子も妖怪というか吸血鬼らしい。お世話になっちゃったし、悪いことしない子ならいいんだけどなぁ。やるとなったら仕事なんだから手心加えたりはしないけど、心情的に退治しにくくなるだろうし。

 

「誰に対しても特別扱いしない霊夢だからこそ気に入って、気に入ったからこそ自分だけ特別扱いしてほしい。いじらしい乙女心よね」

「お嬢さまもお年頃ですから」

「いや、そんな思春期だからみたいに言われても」

 

 うんうんと感慨深く頷きあっている二人。置いてけぼりにされる私。パチュリーは妖怪だから理解できないにしても、人間の咲夜が理解できるとしたら、きっと幻想郷での一般的な考え方なのだろう。

 一宿一飯の面倒はみてくれて寛大な感じなのに、その割には私には会わないなんて子供っぽいこともするし、なんかちぐはぐしてる。ライバル関係的な? うーん、なんとか理解しようとしたけど駄目だ。幻想郷の常識って変なの。

 

 

 

 昨夜のお夕飯は私をもてなす為、物珍しい外界由来の献立をわざわざ作ってくれたようである。普段出す食事はもっと日本食寄りなようで、実際に翌日の朝食はご飯に焼き魚、お豆腐のお味噌汁と納豆が並んだ。献立がこんなのだとダイニングルームが食堂といった方が似合いに見えてくるから不思議なものである。ちなみにレミリアって子は納豆が好物とのこと。なんかかわいい。

 

 にしても、眠い。寝不足である。パチュリーは夕食を済ませるとさっさと地下図書館へと引き上げ、咲夜もレミリアって子のお世話しにいってしまったので、暇をしていた美鈴とガールズトークしていたのだけれど彼女に寝る気配がなかったのだ。後に聞けば妖怪は寝なくても大丈夫なようで(もちろん寝る時間があるならちゃんと寝るらしいけど)、普段は夜九時になれば床に入っている私もついつい夜更かししてしまった。

 朝はいつもどおり五時ぐらいに起きると入れ替わりでレミリアと咲夜は就寝するとのことなので、起きっぱなしだった美鈴に教わりながら太極拳をやっていた。雨も止んでいたので門の前で二人でゆるゆるのんびりやっていたのだけど、これがまた見ている以上に大変なのだ。全身に力を入れないようにしながら姿勢を保って、一つ一つの動作を丁寧にってことなのだけど、普段使わない筋肉を使っていた気がする。今も腕の内側とかが張っている感覚が残ってるもの。毎日やるのが大切みたいなので、覚えてたら神社でもやろう。

 

「霊夢、このサンドウィッチはお昼に食べてちょうだい。ああ、昨日持って帰るって言っていたスコーンも一日置いたらしけってしまっているでしょう? どうせ持って帰るならそっちは捨てちゃって、こっちにしなさい。今朝焼いたばかりのクッキーだから」

「クッキーはありがたくいただくけど、スコーンは手放さないわよ。しけってようと食べれるのに、捨てちゃうなんてもったいないじゃない」

 

 雲間から青空が見える午前中。すっかりいつもの巫女服姿に戻った私は咲夜からお弁当の入ったピクニックバスケットと小さな紙袋を受け取ると、背負っていた風呂敷を懐に抱え込む。いくら咲夜が時間を止められるといっても、こうして抱え込んでいたらスコーンを奪い取ることは出来ないはずだ。せっかくの食料を取り上げられてたまるもんですか。

 威嚇するように中腰になって距離を取る私を見て、咲夜は「もう」と呆れた様子でため息をついた。どうやらあきらめてくれたようだ。それを見届けてようやく、安心してクッキーの紙袋を風呂敷の中に包み直す。よし、今夜のお茶請けになってくれるスコーンもちゃんと入ってる。

 それにしても私なんかより咲夜の方がずっと眠いだろうに、彼女はしゃんとしている。寝たと思ったらきっちり三時間後には起きてきて普通に働いているんだもの。さては時間止めてたっぷり寝ているのではないだろうか。

 

「うーん、なんだか咲夜さんが霊夢に対して過保護になっていっているような」

「なによ過保護って。ちゃんと美鈴の分のクッキーも作ってあるわよ。ほら」

「いやー、いつも通りの優しい咲夜さんでしたね。今日もお仕事頑張るぞー!」

 

 咲夜からクッキーを受け取った美鈴は、やったやった、と小さく呟いてはにかんでいる。美鈴から愚痴とか聞いたところ、門番していると結構暇になる時間があるらしい。無聊を慰めてくれるお茶菓子が何より嬉しいのだろう。侵入者は追い返すけど門番の話相手は絶賛募集中とのことなので、お茶でも持参してまた遊びに来ようと思う。

 

「パチュリー。それじゃ、レミリアって子にはよろしく言っておいて。助かったって」

「近いうちにでもまたあなたの方から出向いてくることになるでしょうし、礼ならその時にでも言えばいいんじゃないの?」

「なによ、それ?」

 

 あと、なんとパチュリーまでお見送りに来てくれた。ちょっと仲良くなれたのかな、なんて思ってにこにこしてたら「前の紅白よりも相手をするのが面倒だから、用事がないのなら極力来るな」って言われた。上げて落とすとかひどい。

 

「また来るわ。その時も絶対パチュリーと一緒にご飯食べてやる。覚えておきなさいよ」

「やっぱり面倒くさいわね。私のことは放っておけばいいのに」

「仲良しですねぇ」

「だから違うって言ってるでしょうに……」

 

 咲夜の言葉にげんなりしながらも否定だけは忘れないパチュリーを見て、また明日にでも遊びに来てやろうかと検討し始める私。嫌がる素振りされると逆に構いたくなるのは仕方ないのである。なんとなくだけど、本気で拒否されてはいないと思うので大丈夫な筈。たぶん。きっと。

 

「咲夜もありがと。今度、炊事と洗濯、掃除ぐらいでよければ手伝いに来るから」

「それじゃ霊夢用にサイズを合わせた、私とお揃いのメイド服を用意しておくわ」

「お願いやめて」

 

 自分でもびっくりするぐらいの即答をしていた。もう脳みそが咲夜の言葉を理解していたのかすら怪しいぐらいである。理性とか超越しているところでイヤだったのかもしれない。

 

 

 

 最後にまたみんなにお礼を言って、私は宙へと浮かび上がると妖怪の山へと向かってのんびり飛び始めた。昨日の大荒れが嘘みたいに風が凪いでいるけれど、そうでなくてもそれほど寒さを感じない。周囲にもう一枚服があるような、間接的に外気と接しているみたいな感じだろうか。日の光がほんのり暖かいぐらいである。とにかく昨日と気温はそれほど変わらない筈なのに体感温度が全然違っていて、だからこそ風除けの術がないのに上空を飛ぶのは自殺行為だとよくわかった。

 

 ニ十分ぐらい飛んだ辺りだろうか。遭遇した妖精が飛ばしてくる弾は全部避けて、なんとか麓と呼べそうなあたりにまで辿り着くことが出来た。それにしても妖怪の山が間近で見るとすごいでかい。これ、標高は何mぐらいあるんだろうか? 富士山ぐらい?

 まぁ、それは置いておいて。問題は妖怪姉妹がこの麓のどこにいるかということである。目前は木々ばかりで、闇雲に探しても見つかりそうにない。どうしたものかとうろうろ飛び回っていると、木のちょっと上辺りで何かしながら飛んでいる金髪の女の子を見つけた。ちょうどいい。こうなったら聞き込み調査だ。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

「っ、な、何?」

「この辺りに人に悪さをしない妖怪姉妹てのがいる筈なんだけど、聞いたことない?」

「悪さをしない妖怪姉妹?」

 

 私に気づいていなかったらしい女の子は、わたわた慌てて佇まいを正した。赤い上着に赤と黄色のスカート。その裾が破れているのかと思えば、元々そういうデザインのようである。特徴的なのは、楓の葉っぱの髪飾り。全体的に赤、黄、橙と暖かそうな配色の、すらっとしたキレイ系の女の子である。

 その手に持っているのは小さな桶に筆、ハケのようで、赤の塗料が入っているのが見えた。塗装関係のお仕事の人なのかな? あ、妖精は悪戯好きって聞いたし、彼女は妖精なのかもしれない。日本でもシャッターとかにカラースプレーで落書きするの流行ってたみたいし。

 んー、でも彼女から妖精や妖怪が持っている妖気は感じないし、私のように霊気を使っている風でもない。かといってパチュリーや魔理沙のような魔力でもないし、見たことない感じの力である。

 

「この辺りに来てそこそこ長いけど、そんな妖怪は聞いたことがないわ」

 

 少しばかり考える素振りを見せた女の子から声が返ってくる。なんだか聞き込み一人目から雲行きが怪しくなった。

 そういえばすぐそこにある紅魔館の美鈴と咲夜も知らないって言ってたし、現地の子も聞いたことがないってことだと紫からの情報の方が信用できなくなってくる。

 

「うーん、それじゃその妖怪姉妹はどこにいるのかしら?」

「妖怪といえば妖怪の山だけれど、ここから先に行くのはオススメしないよ。人間には危険だもの」

「そんな危ない場所に行ったりするもんですか。麓にいるって聞いたのだから、そこにいないなら妖怪退治の依頼もご破算よ」

 

 仮にも、紫とは仕事という契約を交わしているのだ。聞いていた条件より仕事の内容が大変であるなら、きっちりと違約金を貰わねばなるまい。

 行ったけどいませんでした、ってのはあんまりにも情けないから今日一日は麓を探してみるけど、それで見つからなかったらもう知ったこっちゃないわ。

 

「妖怪退治?」

「そ。博麗の巫女らしいから、私」

「へえ、あなたが。道理でそんな格好をしている訳ね」

 

 初対面なのに、博麗の巫女がいて妖怪退治をしていることは知っているようである。そのあたり霊夢ちゃんの立ち位置は説明が省けて助かる。

 

「で、そっちは何なの? どうやら妖怪ではなさそうだし。新種の妖精?」

「巫女の癖に、神を見るのは初めてなの? 八百万の一柱、紅葉の神よ」

 

 八百万の神。あらゆるものに神様は宿るって考え方だったっけ? ご飯の時に食材と農家の方々に感謝したりはするけど、お米の中の七人の神様にお祈りを捧げたりはしてないなぁ。

 紫にも巫女の修行の一環として朝お祈りをするようにって言われたのも、やり方がわからなくてまだ一回もやってない。もちろんこれまで神様の声が聞こえたこともなければ、姿を見たこともない。

 

「ふうん。それじゃ今初めて神様と言葉を交わしたってことになるわね。何だか巫女らしくなった気がするわ」

 

 なるほどなるほど。神様だっていうなら今まで会ったことがないからどういう力なのかわからない訳である。神様の力だから神力でいいのかな?

 あごに手を当てて物珍しげにじろじろと神様の女の子のことを眺めていると、それを不躾に思ったのか半目で睨み返された。

 

「巫女なのに神を敬わないのね」

「私、うちの神社ではまだお祈りしたことないもの」

「本当に巫女なの?」

「一月前までは無宗教だったもので」

「あなたのところの神社の祭神、絶対に人選を誤ってるわ」

 

 私みたいなのが巫女になったりして博麗神社の神様に怒られないかって確認は取ったのに「あなた以上の適任はいない」なんて紫が太鼓判を押すんだもの。私は悪くない筈だ。

 それはそれとして、神様ってこんなはっきり見えるものなのね。もしかして私が巫女だから見えてるのかな。どっちにしてもびっくりである。普通に神様が空を飛んでいる幻想郷ってすごい。

 

「ところで、あなた神様なのにこんなところをうろついていていいの?」

「好きでうろついている訳じゃないわ。祀ってくれるところがあるならそこに定住してるわよ」

 

 純粋に何をしているのかと疑問を投げかけたところ、ふてくされた物言いで返された。しかもその言い方では、住むところがないと聞こえるのだけど。神様なのに。

 

「どういうこと?」

「人間にそれほど信仰されていない私たちを祀る神社なんてないってことよ」

 

 唇を尖らせ、そっぽを向く神様。つまり、神社は神様にとっての家みたいなものということなのだろう。人間にあんまり知られてないから家を作ってもらえないらしい。

 うーん、現状あんまり人助けをする余裕もないのだけど、相手は神様な訳だし、私も幻想郷に来てから色んな人に助けられて過ごしてきたのだから、そろそろ私から他の人に親切をしておくべきか。情けは人の為ならずとも言うし、いつか回り回って私のところに戻ってくるかもしれないものね。

 

「それなら、うちの博麗神社に来たらいいじゃない」

「……」

 

 神様が目を見開いて、固まった。あれ? 何か変なことを言ってしまったのだろうか。

 

「もしかして神社って一人の神様しかいちゃいけない決まりとかあるの?」

「え、ううん。主祭神――主に祀られる一柱は決まっているけれど、一応、配祀神(はいししん)としてなら他の神も祀ることもあるわ。大抵は主祭神に縁のある神を配祀神として、その配祀神の総本宮から勧請して分祠とするのだけど、私たちにはその総本営がないから……」

「よくわからないけれど、一緒に祀ること自体は大丈夫ってことよね? それならいいじゃない。今まで祀っていた神様に悪いから、あなたにはその配祀神ってのになってもらっちゃうけど」

「えっと、いいの?」

「この辺りじゃ人里からも遠いし、その信仰ってのもされにくいでしょ。これから寒くなるのに住むところもないのは大変だもの。とりあえずあなたの神社を作ってもらうまでの仮住まい程度に考えておけばいいんじゃない?」

 

 ここまでしようと思ったのも、突然来訪した私に衣食住を賄ってくれた咲夜を見習ってのことである。ちょっと天然だけど、器量のいい子なのだ。年上として負けていられない。普通の一軒家じゃ神様なんて中々泊めたりできないだろうし、実家が神社ならではのホームステイというところだ。

 

「随分とあっさりと決めてしまえるのね」

「参拝する人だって少ないよりも色んなご利益があった方が嬉しいじゃない。私も一人で暮らしているより同居人でもいた方が気が紛れるし」

「うーん……。その物言いが何だか不安だけれど、これから冬になるしお言葉に甘えてご厄介になることにする。(あき) 静葉(しずは)、さっきも言ったけど紅葉の神よ」

「静葉ね。私は博麗霊夢を名乗っている巫女よ」

「これからよろしく。あなたのことは霊夢と呼ばせてもらうわね」

 

 なんだか話の流れで神様相手なのに呼び捨てにしてしまっているけど、流石にこれから神社で一緒に祀る神様を呼び捨てにするのはよくない気もする。ま、今のところ静葉本人も気にしていないようだし、たぶん私が家主になる訳だし、何か言われたら改めることにしよう。うん、そうしよう。

 それにしてもこれから神様と同居することになるのか。何だか本物の巫女さんになった気分である。意味もなくワクワクしてきた。

 

「…………その、私に妹がいるのだけど、その子も一緒に連れて行って大丈夫かしら?」

「その子も神様なんでしょ? この際一人も二人も変わらないわ。どんときなさい。その代わり、静葉にもその子にも参拝客獲得の為に働いてもらうから覚悟しておきなさいよ」

 

 とんと自分の胸を叩いて、ふんぞり返ってやった。静葉にはそんな私が逆に頼りなく見えたのか、くすりと笑みをこぼしている。会ってからどこか沈んだ顔だったけど、初めて笑顔を見せてくれた。やっぱり神様だろうと女の子は笑ってないと駄目よね。

 

 

 とりあえずはその妹さんと合流するとのことなので、静葉の案内で森の中を飛び始めることにする。その子と合流した後は紫に頼まれた妖怪姉妹を手分けして探して回ることになっている。

 うーん、それにしても静葉ってば結構飛ぶのが速い。何となしに飛んでいるだけのようだけど、ついていく私は全速力に近かったりする。これは本格的に速く飛ぶ訓練をしないと駄目かも。ちなみに不可抗力なのだけど、後ろをついていくように飛んでたので静葉のスカートの中が見えてしまった。ドロワーズじゃなかった。結構神様も大胆なのね。

 

「ねえ、霊夢。ところで、博麗神社の主祭神様って、なんていうお方なの? ご挨拶するにもせめてお名前ぐらいはお聞きしておかないと。居候になる訳だし、失礼のないようにしなきゃ」

 

 何とか速度を上げて前を飛ぶ静葉に並んだところ、何やら静葉が握りこぶしを作って鼻息荒く気合を入れている。神社に帰るのは最悪夕方になるというのに、今から緊張しているようである。

 

「さぁ? どこにも資料が残ってなかったから、名前はおろか何の神様でどんなご利益があるのかもわからないのよね。神社で暮らしているけどまだ見たこともないし。うちの神社って本当に神様いるのかしら」

 

 まるで姑との関係を気にするお嫁さんのようだ。私はまだ結婚したことないからその辺りはまだよくわからないけど、先に結婚していった友達の話では姑との同居は気苦労が絶えないらしい。偶に会うとすごい愚痴を聞かされる。

 その辺りの経験もあり、そういった方面に聡い私が『そういった心配はないから気負いしなくて大丈夫』と暗に言ってあげたというのに、静葉は私のことを呆れた目で見て顔をしかめている。何でよ?

 

「何よその『早まったか』みたいな顔は」

「ご明察ね。そのままその通り『早まったか』という顔よ」

 

 姑がいるんだかわからない家なら嫁入りした方はやりやすいものじゃないの? それとも他の心配だったのだろうか。

 考えてみても一向に答えが出てこない。私は静葉の妹さんに会うまで、空を飛びながらずっと首をひねっていた。

 

 



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妖怪と取っ組み合いする私。

 

 静葉と会ったあたりから私が全速力で飛んで十数分ぐらいだろうか。山から流れ出る小川の側、ところどころが枯葉色に染まる草むらの中にしゃがみこんでいる静葉の妹らしき女の子を見つけた。

 ちなみに私の飛ぶ速度はやっぱり遅いらしい。途中で何となしに速度を上げた静葉に、あっさりと置いて行かれそうになった。全然追いつけないものだから変な笑いが出ちゃったほどだ。

 

「穣子」

「あら。お姉ちゃんが人間と連れ添ったりなんて珍しい。どうしたの?」

「聞いて穣子、私たちにもようやく人並みの神らしい生活を送れるのよ。あそこにいる霊夢が、私たちを博麗神社の配祀神として祀ってくれるって」

 

 並んで飛んでいた静葉が私を追い抜いていく。置いていかれた私は、妹さんから少し離れた辺りに着地した。まずは静葉が話をつけてくるとのことなので、二人の会話が終わるのを待つことにする。

 ここに来るまでに静葉に聞いていたけれど、妹さんは(あき) 穣子(みのりこ)という名前らしい。名字にあるように穣子もまた秋の神様であるとのことだ。

 連れて行かれた穣子を眺め見れば、静葉と同じ金色の髪は肩に届かないぐらいのところでカールしていて、またシニョンキャップを大きくした感じの妙ちきりんな赤い帽子を被っている。淡い黄色に染められた上着に、赤色のエプロン。小豆色を更に深くした、羊羹(ようかん)色のスカート。姉の静葉と同じく、赤や黄色を基調にした色彩である。静葉をすらっとしたキレイ系とするなら、穣子はふっくらとしたカワイイ系というところ。

 二人がちょっと離れた所に飛んでいったので、のそのそと歩いてさっきまで穣子がいた辺りを眺め見てみる。彼女が見ていたのはいくつも咲いているこの黄色い花かな。これは――ちょっと自信ないけど、ツワブキだと思う。光沢のある葉っぱから花の部分だけが上に伸びていて、その間の茎はアクが強いけれど、それさえ何とかしちゃえば食用に出来た筈。食べ頃は春だったと思うけど、うーん、どうやって調理すればいいのやら。とりあえず湯がいてアク抜きして、煮物にしておけばハズレなしってとこかしら。持ち帰って神社の裏手にでも植えておくべきか悩んだ挙句、植わっているツワブキをちょっと引っ張ってみる。

 

「お待たせ」

 

 結構しっかりと根が張っているらしく、私の力じゃ引っこ抜ける気配がない。どうもスコップか鎌でも持ってこないと無理そうである。あきらめて立ち上がったところで静葉が歩いて戻ってきた。後ろには穣子もついてきている。二人に共通しているのって髪色と服の色合いぐらいで顔立ちは真逆にさえ見えるのに、並ぶとちゃんと姉妹に見えるから不思議なものだ。

 

「話は済んだの?」

「ええ。穣子も是非にってことだから、改めてよろしく頼むわね。ほら、穣子」

 

 静葉の影に隠れていた穣子は背を押されて私の前に歩き出てきた。彼女が近づくと一緒に甘い香りが漂ってくる。さつま芋を焼いている時の匂い。反射的に口の中に唾が出てくる。小腹が空いてきた。

 

「あの、秋穣子です。この度は宿無しの私たちを祀ってもらえるということで、何とお礼を言っていいものか」

 

 深々と頭を下げる穣子。下げられた私としてはちょっと戸惑ってしまった。住むところぐらい提供するつもりだけど、それもこれからのことなのでそう恐縮されても、というところである。

 

「礼はいいわよ、宿代は働いて返してもらうつもりだから。あ、自己紹介ね。私は博麗神社の巫女で、博麗霊夢と呼ばれている者よ」

「霊夢さんですね。ご迷惑をおかけしてしまいますが、どうかよろしくお願いします。その、私たち二人がお力になれればいいのですけど……」

 

 それにしても、穣子は神様にしてはどうも腰が低い。というか、気が弱いようにさえ見える。私がそんな風に穣子を観察していたら、姉である静葉が渋い顔をしていた。

 

「こら、穣子。そんな風にあんたに威厳がないから、私よりずっと人間に近いところにいる癖に大した信仰も集められないんじゃない」

「だって、そりゃただの人間相手だったら相応の態度も取れるけど、私たちにとって霊夢さんは大家さんみたいなものだもの。ご好意の上に胡坐をかくわけにはいかないわ」

「それが威厳がないって言っているのに」

 

 穣子は神様なのに礼儀正しい。この幻想郷では珍しくも常識的な人物であるようだ。ちなみに姉の静葉は、ぷんすかして「神様なんだから多少理不尽なぐらいでちょうどいいのよ」なんて言ってる。

 正直なところ、私はこの神様二人とどう接していいのかまだ決めかねている。巫女らしく敬った方がいいのかもしれないけど、いい気になられてあれやれこれやれと顎で使われようものなら私は二人を神社から放り出しかねない。招いておいてなんだけど、自分のペースが他人の都合で崩れるのってイヤなのよね。まぁ、最初のうちはしょうがないかもだけど、最終的には食い扶持ぐらいは自分で稼いでもらわないと。

 

「そうね。お力になれればなんて他人事のように言っているけど、穣子にはどうやら覚悟が足りていないわ。逆に静葉は人間が相手だろうと多少でいいから愛想をよくしなさい。これから博麗神社がどれだけ客引き出来るかは、あなたたち二人にかかっているといっても過言じゃないのよ」

「他人事はどっちなのよ。あなたが巫女として務めている神社のことでしょうに。それに集客とかならまだしも客引きってねぇ、変なお店か何かじゃあるまいし」

「神様信じてない人にとっては、まぁ似たようなものでしょ」

「この子、本当に巫女なのかしら……」

「なんと、この幻想郷で唯一の巫女らしいわ。八百万もいる神様よりよっぽど稀少なんだから私を保護して欲しいくらいよ」

 

 言い終えると、ふわっと宙に浮かぶ。穣子と合流も済ませたのだから、さっさと仕事に戻らないと。与太話は神社に戻ってからゆっくりやればいいものね。

 

「さ、それはともかく妖怪退治のお仕事よ。期限は今日の夜までなのだから、帰る時間も考えると早いうちに終わらせなきゃ」

「えっと、悪さをしない妖怪の姉妹だったわよね? 捜すのは手伝うけど、他に何か特徴とかは聞いてないの?」

「秋に葉っぱを赤くして回る姉妖怪と、秋の作物を大きく実らせる妹妖怪とか言ってたわ。話だけだと良い妖怪に思えるのだけど、こらしめろって依頼があるぐらいだしさては生贄を要求したりするのかしらね」

 

 紫の言葉を思い出しながら肩を竦めて妖怪姉妹の特徴を伝えると、二人はぽかんとした後にお互いを見やり、その後にむっとした表情になって眉尻を吊り上げた。

 

「どうしたのよ? 二人して顔を見合わせたりなんかして」

「霊夢さん、それって人里の誰からの依頼なんですか? ちょっと神罰を与えてやらないと」

「人間からの依頼じゃないわよ。あなたたちが知ってるかわからないけど、八雲紫っていうすんごい面倒な奴からの頼まれごとなの」

「えっ、よりにもよって妖怪の賢者!? どうしよう、私と穣子の二人がかりでだって絶対勝てないわよ。会ったこともない私たちを、何だって……」

 

 依頼人の名前に何やら二人して驚くと、顔を寄せ合って小声でこしょこしょと内緒話をしている。そういえば慧音も知ってた上に敬っていたようだし、紫って実は有名人なのだろうか。生き字引き的な意味で。

 

「ほら、何だか取り込んでいるようだけど、さっさとその妖怪姉妹を捜すわよ」

 

 そうして私が飛び始めると、後ろからのろのろと二人が付いてくる。何でか揃って血の気の引けた沈痛な表情を浮かべていて、さっきまでのように内緒話をするわけでもなく無言。端的に言って不気味である。

 

「あ、ところで、あなたたち二人は何が出来るの? それっぽいご利益があるならお守りでも作ろうかと思ってるんだけど」

 

 珍しく私が気を利かせて話題を振ると、何故なのか二人は目を見開いてがたがたと震えだした。ぎゅん、と進行方向に静葉が躍り出ると、気をつけの姿勢で立ち塞がった。遅れて穣子が静葉の横に並んで同じように姿勢を正す。

 

「私は紅葉を枝から落とす神! 落ち葉を積もらせて、掃き掃除を大変にすることが出来るわ!」

「ええっ!? ええと、私は、その、そう! 嫌なことをする人間の畑を踏み荒らしたりする神様ですよ?」

「……あんたら、祟り神じゃないでしょうね?」

 

 出来ることと聞いてそれらが出てくる辺り、神社が作ってもらえない訳だと納得する。妖怪って言われた方がしっくりきそうな二人である。

 特に穣子は常識人だと思っていたのにやっぱりどこかのネジが緩んでいるらしい。あーあ、慧音と私の二人っきりの常識人チームに新メンバーが加入するかと思ったのにな。残念。

 

 

 

 結果から言うと、悪いことをしない妖怪姉妹とやらは見つからなかった。遊んでいる妖精に尋ねてみても要領を得ないか、見たことも聞いたこともないと返ってくるかのどちらか。静葉も穣子も協力はしてくれたもののなんとなく気が進まない雰囲気だったし、五、六時間も掛けて麓の一通りを飛んで見て回っても全然見つからなかったから早々に諦めて、二人の引越しの準備を始めたのだった。

 静葉と穣子が布団やらの家財道具を背負って、赤く染まった空を飛びつつ何とか暗くなる前に神社に辿り着くことが出来た。荷物もあるから日が沈むぐらいの到着を見越して出発したんだけど、多少は飛ぶ速度も上がったのかもしれない。

 

「ここが博麗神社よ」

 

 静葉に会って気づいたのだけど、神社にも神力ってあったのね。空気がまるで違うのだ。今まで気づかなかったのは鳥居の外にも出ずに神社の境内の中で引きこもっていたからだろうか。けれども一度認識してしまえば鳥居から内側はまるで異界のようにさえ見える。そのまま神様である静葉や穣子の側に比べれば、神力自体は相当薄まっているようだけれども。

 そんな風に神社の周りの神力を視認した途端、頭の中にばつん、と火花が散った。きんきんと耳鳴りがする。石段の前に降り立ち、神様姉妹の二人の案内をするように境内への鳥居を潜り抜けるまさに直前のことだ。

 

『……ぇ、……える? ねぇ? あっ! 繋がっ……!』

「誰?」

 

 左手でこめかみの辺りを押さえ、よたよたとよろけるように鳥居をくぐる。周波数の合っていないラジオのようなノイズの中で、微かに聞こえてきたのは低めの女性の声だった。幻想郷で私が今までに会った、誰の声でもなかったと思う。

 よろけた脚を叱咤し、石畳で出来た参道の上で立ち直る頃には、耳鳴りも誰かの声もぱったりと途絶えていた。

 

「霊夢さん、どうしました? 大丈夫ですか?」

「立ち眩み、かしら。それに、何だか女の人の声が聞こえたのだけど」

「私には何も聞こえませんでしたよ?」

 

 続いて静葉を見れば彼女も首を横に振る。どうやら聞こえていたのは私だけのようだ。また声が聞こえてこないか耳をすませてみても、先ほどのノイズ音はすっかり消えているし、耳鳴りだって嘘のように治まっている。

 

「……どうやら幻聴だったみたいね。慣れない遠出なんてしたものだから、知らない間に疲れが溜まってたのかしら」

「とてもじゃないけど、そんな繊細そうには見えないわ」

 

 なんだとう。こちとら油ものがちょっときつくなってきた年齢だぞ。ちょっと食べ過ぎると胸焼けだってするし。何故か若返ってからの方がお肉とか揚げ物と縁遠くなっちゃってるけどね。あー、紅魔館で食べた鶏肉は美味しかったなぁ。お肉食べたい。

 心配そうにしてくれた穣子に大丈夫だと手を振って返し、睨め付けてやろうと静葉を見たら彼女の顔はお化けにでも会ったかのように引き攣っていた。

 

「遅いわよっ!」

「ひぁ!」

「ひぅっ!?」

 

 背後へ振り向いてみれば、腕を組んでは仁王立ちしている紫の姿が。すごい。私と相対するなりに紫の足元で妖気が渦巻き始めた。漫画みたい。対して、荒ぶる紫を見た静葉と穣子が悲鳴を上げて、私の影に隠れる。こいつらは本当に神様なのかしら。

 

「何だ、誰かと思えば紫じゃない。来てたの?」

「来てたの、じゃないわ。昨日の夕方に一度経過を聞きに来るって言っておいたでしょう? 待てど暮らせど帰ってこないのだもの」

 

 あー、そんなこと言ってた気がする。でも大雨だったし、そればっかりは仕方ないと思うのだけど。

 

「そうは言っても、あんたに言われたとおり妖怪退治しに行ったら大雨に降られちゃったんだもの。不可抗力よ」

「……もう。件の二柱を連れて帰ったということは依頼自体は達成したのでしょう。今回ばかりは不問としておきますわ」

「はぁ? 何言ってるのよ。いくら捜し回って聞き込みしても妖怪姉妹なんていなかったから、さっさと切り上げて帰ってきたのよ」

 

 私の発言がすぐには理解できなかったのか、それまで余裕ある風に薄く笑んでいた紫が目を白黒とさせている。私は私で紫が何を言っているかよくわからない。何やら紫は暗に二人のことを妖怪と言っているようなのだけど、この祟り神や妖怪としかいえない能力を持つ二人ではあれ、神社と同じ気質を持っているので神様なのは間違いがないのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいな。なら、そこの二人をどうして連れてきたの?」

「住む神社がないって言うから、うちの神社に居候させてやろうと思って」

「弾幕ごっこは?」

「してないわね。あ、行きにレティっていう妖怪は弾幕ごっこのルールに則って倒したわ。それが依頼の代わりってのは駄目?」

「……」

 

 ぺたん、と腰砕けになって砂利の上に崩れ落ちる紫。首がかくんと落ちている。

 

「ちょっと。そんなところに座るとスカート汚れるわよ」

「僅かばかりで構いませんので、お黙りあそばせ」

 

 なんか紫が壊れた。ちゃんとした日本語を喋れなくなってる。でもなんだかんだ言って私の中の紫像ってどこか壊れてるし、まだ許容範囲なのかしら。

 「いつもの事か」とぼそりと呟くと、私の背中に隠れていた静葉と穣子がぎょっとした顔で身を引いた。何でかまた、紫に対してでなく私に腰が引けているようなのだけど。

 

「ま、いいわ。放っておけってことなら遠慮なく放っておきましょ。とりあえずお夕飯の用意しながらお茶でも淹れましょうか。静葉と穣子は案内するからとりあえず居間でくつろいでて」

「霊夢さん、霊夢さん。その、そんな無碍にしちゃっていいんですか? あの八雲紫なんですよ」

「あのも何も、生憎私はこんな紫しか知らないもの。ご飯が炊き上がる頃には立ち直ってるわよ、きっとね。紫ー、気が済んだらあんたも居間に来なさいよー」

 

 紫が項垂れながらもこくんと一回首肯したのを確認して、鼻歌を歌いながら居間へと歩いていく。静葉と穣子も視線を私と紫の間で彷徨わせておろおろしていたようだけど、最終的に私についてくることにしたようだ。

 

 

 

 今日から神社に住む神様姉妹の為に私なりにご馳走を用意したい。明日からは普段通りにしても、せめて初日ぐらいはね。そうして冷蔵庫(天板に氷を入れて冷やすらしいけど、その氷がないのでただの食材入れになってる)を覗き込むも、中身が増えたりはしてくれない。

 うーん、紅魔館でいただいた咲夜お手製の食事とだと、食材の関係でどうしても見劣りしてしまう。お肉なんて贅沢は言わないから、せめて主菜に焼き魚ぐらいは用意したいところなのだけど、我が神社の動物性たんぱく質は煮干しかない。流石の私でも煮干を焼き魚にするのは無理である、手詰まりだ。

 しょうがないので手持ちの食材でやれるところまでやるしかない。まだ里で買ってきたにんじんとごぼう、里芋が残っているので、きんぴらごぼうに里芋の煮っ転がし、後はいつものネギのお味噌汁に大根とかぶのお漬け物、ご飯ってとこかしらね。いつもよりお夕飯を作り始める時間が遅いので、ちゃちゃっと済ませよう。

 

 一月も経てば手馴れたもので、火起こしにもそれほど時間がかからなくなってきた。ご飯を炊き始めると炊飯ジャーのように放ったらかしという訳にもいかず、火加減やらで台所を離れられなくなる。なので、動けるうちにお茶の用意をして居間に持っていったのだけど、紫はまだ帰ってきていなかった。静葉と穣子はちゃぶだいの前に並べてあげた座布団を、わざわざ壁際に運んでまで隅っこに座っている。いつ戻ってきてもいいようにと並べておいた紫の分の座布団だけがちゃぶだいの側にぽつんと置かれたままだ。

 

「何してるの?」

「あ、いえ……」

「お気になさらず……」

 

 声を掛けてみれば、静葉と穣子からか細い声が返ってきた。穣子はともかく、何故か静葉まで私に対して敬語になっている。わざわざ隅っこに座っているし、妙にびくびくして私に視線を合わせないし、急に敬語を使い始めるしで神様の癖に情緒不安定なのかしら。

 まぁ隅っこが落ち着くのなら各々お好きにくつろいでくれたらよろしい。とりあえず二つの湯飲みにお茶を注いでおく。と、ふすまが、ずずずず、とゆっくりと開いた。半分ぐらいの開いた隙間から、のろのろとした足取りで紫がやってきた。

 

「あら紫、もう満足したの?」

「そうね。以前の霊夢にするのと同じように、回りくどい依頼をした私が悪かったのでしょうね」

「まぁまぁ。何だか知らないけど、次回にその反省を活かせばいいのよ」

「あなたに言われるほど釈然としないこともないわ」

 

 私を横目で睨みつけるとちゃぶだいの側にある座布団に座り、今しがたに淹れたばかりのお茶を啜り始めた。紫も来たので追加でもう一つお茶を注ぐと、ちゃぶだいの上、静葉と穣子の方へ寄せておく。

 

「それじゃあ私はお夕飯の準備に戻るから、出来上がるまでは三人とも適当にくつろいでて」

「あ、霊夢さん! 私、手伝いますよ! 手伝わせてください!」

「霊夢! 私も手伝うわ! だから連れていって! お願い!」

「そんなのいいわよ、それほど品数もないことだし。それに明日からは神社のことでこき使わせてもらう予定なんだから、今日だけはお客様らしくのんびりしてなさい」

 

 二人が殊勝なことを言い出したのでやんわりと断る。うんうん、居候としての心構えが出来ているようで感心である。にっと微笑みかけてから廊下に出てふすまを閉めると、途端に部屋の中から物音が消えた。会話も聞こえてこない。紫も神様姉妹も、お互いを知ってはいても初対面だったみたいだし緊張しているのかもしれない。

 

 

 

 これといって会話のない物静かな夕食を終えて一息。ようやくお茶を飲むことの出来た私は、ちゃぶだいの上にだらけた。何だかんだ疲れてたみたい。

 ちなみに、頑張って腕を振るった夕食は紫には前と同じで好評だった。静葉と穣子は「あんまり味がしなかった」とのことである。濃い目の味付けが好みなんだろうか。きんぴらなんかは結構ご飯が進む味付けだったと思うのだけどなぁ。

 その静葉と穣子は今この場に居らず、だらけた私と澄ました紫だけである。あの姉妹は食器を洗ってこようと立ち上がった私を引き止め、何としてもということで代わりに洗い物を受け持ってくれたのだ。食器を抱え、足取り軽く台所へと向かっていった。

 

「で、結局のところ紫はどういうつもりだったのよ?」

 

 料理しながら暇つぶしに思い返していたのだけど、神社に待ち構えていた紫は色々おかしかった。特に、神様姉妹を連れてきたのに、それを見て妖怪退治の依頼達成だと早合点したことだ。それはつまり、退治しろと言われていた妖怪姉妹は、静葉と穣子の二人を指していたということになる。

 

「それは、あの二人を妖怪と偽って依頼を出したこと? それとも、何故あの二人を退治するよう仕向けたかということ?」

「両方よ。あと、隠していることがあるならそれもね。思い当たることがあるなら全部吐きなさい」

 

 悪びれもせずに言ってのけた紫は、目を瞑って、ふう、と息を吐き出した。ゆったり姿勢を正して私を真正面に見据える。

 

「何を目的にしていたのかを簡潔に言うなら、霊夢が神降ろしに似た儀式を行った結果として今のあなたになったのだから、あなたを神と接触させてみる必要があった、というところかしら」

「ふうん。それじゃ、あの二人のことを妖怪だなんて嘘をついたことに関しては?」

「幻想郷外の人間であるあなたに、『神をこらしめてこい』なんて言って素直に頷くとは思えなかったからよ。そして一度妖怪退治に赴いてしまえば、出会った者は妖怪でも神でも見境なく退治するものと思い込んでいたの。元の霊夢がそうしていたようにね」

 

 紫は「これは私の落ち度」と呟いた。つまり博麗霊夢も魔理沙のような辻斬り気質を持っていたようである。そして、私は紫にそれらと同類だと思われていたということでもある。

 

「お生憎ね。私は平和主義なの」

「道中、レティという妖怪を退治したと聞いたのだけれど?」

「……毎日の食事に困ってなければ平和主義なのよ」

 

 紫の鋭い指摘にぐうの音も出ない。賽銭による収入がないので、報酬がもらえそうな相手だということでレティを退治したのだけど、博麗霊夢もそうだったのだとしたら確かに私も同類である。何が悪いかと問われれば貧乏が悪い。

 

「そもそも、元に戻る方法より先にこの身体の持ち主がどこにいるか探してくるべきじゃないの? 私の身体が昏睡状態になっていて、博麗霊夢は別のどこかにいっちゃってる可能性もあるんだし」

「……ああ、そうね。昨日のうちに伝えようと思っていたのだけど、帰ってこなかったものだから忘れていたわね。あなたが住んでいたという東京の住所を訪ねてみたけれど、そこには聞いていたような一軒家なんてなかったわよ」

 

 言葉が別の言語のように聞こえてしまってしばらく理解できず、思わず首を捻ってしまった。

 

「えっと? ちょっと待って、東京都足立区中央本町の○-××-□□よ。ちゃんと調べたの?」

「ええ、その住所で間違いないわ。記憶力には少々自信があるもの。区役所から二本離れた通りの住所ね。一戸建てではなく三階建てのマンションで、一階が小さなコンビニエンスストア。もちろん二階と三階の居住者にあなたの言っていた名前はなかったわ。周囲は住宅街だったけれどマンションやアパートが立ち並んでいて、小道を入っていかないと一軒家はなかったわね」

 

 意味がわからない。確かに、私の家は紫が言っていた区役所から二本離れた通り沿いにあった。周囲の環境も、住所も間違っていない。なのに、そこは私の家じゃないというのだ。後は私が住所を間違えて覚えている可能性ぐらいだけれど、流石に十数年住んでいた家の住所を間違えるほど幼くもなければ、歳を食ってボケてもいない。

 

「ついでに、念のために周辺一キロ四方の住民を調べてみたけれど、あなたの元の名だという姓名に合致する人間は存在しなかったわね。わかりやすく言うなら、あなたは外界の人間でもなかったということなのでしょう。おそらく元のあなたの身体に収まっている霊夢も、幻想郷や外界を含めたこの世界には存在していないということでもあるわ」

 

 日本の一部地域を結界で切り離して、幻想郷というところを作り出したと以前に紫から聞いた気がする。当然ながら結界の外には依然として日本が存在している訳である。けれども、その日本には私の住んでいた住所に私の家はなく、それどころか私が住んでいた痕跡すら見つからなかったというのである。住民票の写しを取りに行ったこともあるのだから、家自体がないなんてそんな筈はない。

 

「何、ソレ?」

「ふふふ、流石のあなたも混乱しているようね」

 

 頭の中が真っ白になって目をぱちくりしている私。それを見て、紫は愉快そうに哂っている。こいつも魔理沙と同じで、他人が困っているところを見るのが大好きな人種か。おのれ、意地が悪い。

 あ、なんか紫に対してイラッとしたら混乱の方はちょっとだけ落ち着いてきた。とりあえずお茶を一啜り。お茶は心の清涼剤である。

 

「……それじゃ、私はどこの日本の東京に住んでいたってのよ」

「答えはもう、あの人里の半獣が言っていたでしょう。『神の住まうような世界にある日本の東京』ということなのでしょうよ」

「外界以外にも、日本も東京ももう一つあるということ?」

「この世界にはないわね。でも違う世界、あるいは違う時間にならあるかもしれないわ」

 

 これまた抽象的なこと。一人で訳知り顔して感じ悪いわ。紫ってきっと友達少ないんでしょうね。

 

「あー、もう。結局どうすればいいのよ。紫、何か手はないの?」

「手は打っておいたわ。で、既に失敗しているの。本当はあの姉妹との弾幕ごっこで神の気質を体感してもらって、以前の霊夢と今のあなたとで条件を揃えるつもりだったのよ」

 

 深くため息を吐いた紫は、じとっとしたまとわりつくような目をしている。さも悪いのはお前だとでも言うような目つきだ。こいつめは自分の説明不足を棚に上げてからに。

 

「しばらくの間行動を共にしていていつもと変わらない調子なのだから、神気を感じることも出来ていないのでしょう? まったく。そもそも前提としてあなたも巫女なのだから、神気に適性があって然るべきというのに。弾幕ごっこでもすれば、博麗の巫女として学んでくれるものと思っていたのだけど、買い被りかしら……」

「神気って静葉と穣子の周りのあれのこと? 使えるか知らないし使おうと思ったこともないけど、視るだけなら視えているわよ」

 

 ぶちぶちと文句を垂れながらお茶を啜ろうとしていた紫は、ぴたりと動きを止めた。そのままの体勢で目線だけこちらに向けてくる。

 

「神気が視えるようになって、何か、変わったことが起きたりは?」

 

 紫に言われるがまま、静葉の異様な気配に気づいた時に何かあったか思い出してみるけれど、これといって思い当たることはない。相手が神様だからといってひれ伏したくなったりもしなかった。穣子とも普通に話していただけだったし。

 

「特にはなんにも」

「はいはい、とっくに存じてますわ。あなたに期待しても容易く裏切られるってことは。はぁ……。どちらにしろこの方法はハズレだったということね」

 

 私の言葉に被せ気味にそう言うと、紫は目を瞑って口元に寄せていた湯飲みからお茶を啜った。しょぼくれている。

 静葉と会ってから何かあったか思い起こしていた私は、そういえば神社にも神力だか神気だかが満ちていたことを思い出した。中で過ごしていると慣れてくるのかそれとも感覚が麻痺してくるのか、意識していないと空気と同化してしまって気づかなくなってしまうのだ。

 

「あ、そういえばこれは関係ないと思うのだけど、神社の神気を視た瞬間に頭の中に女の声が聞こえてきたりしたわね。すぐに聞こえなくなったけど」

 

 紫は、私の発言にこれといった反応も見せず、無言で湯飲みをちゃぶだいに置いた。神気とやらが見えるようになってから時間が経っていたので違うとは思っていたけど、やっぱり関係なかったかしらね。

 

「どう考えてもそれが変わったことじゃないの!」

 

 と、私が油断したところで、ずあっと身を乗り出した紫に両肩を掴まれて、気圧されてなすがままに立たされるとビンタされた。続いてゲンコツを頭のてっぺんにもらって、私が痛みに頭を押さえてうずくまると今度は背中を手のひらでばしばし叩かれる。手加減してくれてるのかそれほど痛くはないけど、何なの!? 何で私はこんな扱いされてるの!?

 

「この! 一発は一発よ!」

 

 やられたままでなるものか、と引き続き背中を叩こうとする紫の手を振り払って、その右頬にビンタをお返しする。霊力をまとわせないと駄目だということは以前に紫本人から聞いていたので、渾身のやつをお見舞いしてやった。

 妖怪でも流石に霊力マシマシは効いたのか、ちょっとよろけた紫をとっ捕まえて地面に引き倒し、帽子を剥ぎ取ってゲンコツを食らわせてやる。流れるようにうつぶせに転がして、腰にのしかかると紫にされていたように背中をばしばし叩き返してやった。

 

「痛い! ちょっと、私はそんなに強くやってないでしょう!」

「熨斗つけて返してやってるだけよ! 背中は七発だったわよね! よん、ごー、ろく、なな! はい、終わり!」

 

 やられた回数分を返してから手をぱんぱんと払って立ち上がると、開放してやったのに紫はそのままのうつぶせで動かない。もしかして泣いちゃったのだろうか。今更ながら心配になって顔を覗き込むと、眉をハの字にしながら何でか口元はにやにやしている。

 

「何であんたはまた叩かれて笑っているのよ。気持ち悪いわね」

「ふふ、私は実はね、どう境界を越えても霊夢を見つけることが出来ないものだから、ふてくされていたの。だけれど、それが間違いだと気づいてしまったのよ。今ね」

「はぁ? その女の声が霊夢かどうかなんてまだわからないじゃないの。間違いってどういうことよ」

「そうね、間違いというよりは、勘違いだったのかもしれないわね。ねぇ、霊夢」

 

 そう言うと私を見て、くすくすと鈴を転がしたように笑う。その視線は妙に暖かい。直前のやり取りからどうして笑っているのか理解できないので、なんだか気味が悪かった。Sっ気が強そうに見えたのだけど、実はM属性の方だったのだろうか。私はどっちでもないと思っているので対応に困る。

 

 ちなみに、私が紫にやり返していたところは静葉と穣子には目撃されていたようだ。ちょうど私が頬を張り返したところで食器洗いを終えて居間に戻ってきていたらしい。

 立ち尽くしている二人と目が合うと、彼女たちは冷えているだろう廊下に正座し、引き攣った笑みを浮かべてから「実家に帰らせてください」と震えた声で頭を下げた。あまりに突っ込みどころが多すぎて、寝そべっていた紫も、その紫の顔を覗き込んで四つん這いの私も、そのままの体勢で固まってしまったのだった。



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文化の違いに戸惑う私。

 

 どうやら私は、霊力の量だけならかなり優秀な方であるらしい。紫に確認を取ってみたところ、本物の博麗霊夢にこそ劣れど現時点で歴代の博麗の巫女の中で上位に入るようだ。ただし弾幕ごっこの実力はヘボもいいところで、ダントツの最下位とのことである。空を飛べるようになってまだ数日なのだから、そこは今後の活躍に期待してほしい。

 ともかく、スペルカード弾幕を打ち消せる霊撃レベルの霊気を妖怪に直接叩き込む容赦ない巫女と、弱い妖怪なら消滅してもおかしくないそれを喰らってぴんしゃんしている紫。その上、幻想郷において有数の実力者である紫より、力関係が私の方が上に見えたものだからとんでもない。

 そんな私と紫の微笑ましいやり取りを見て、静葉と穣子はこれからの生活に猛烈な不安と命の危険(物理的な要因で死ぬことはまずないらしいけれど)を覚えたとのことであった。

 

「と言うわけでして、神とはいえ力が妖怪と大差ない私たちは、霊夢さんのビンタ一発で数日間、意識不明になって寝込みかねないんです……」

 

 急に帰ると言い出した静葉と穣子に頭を上げてもらって、どういうことか訊いてみると穣子からそのようなことを震える声で言われた。私や紫に目線を合わせないよう伏せながら、見てわかるほどには怯えられている。

 静葉たちにも、私が魔理沙たちと同じく辻斬りするタイプの人間と思われているのだろうか。レティの件を紫から指摘されたばかりで、全部が全部を誤解とは言い切れないのがつらい。とりあえずはそうそう暴力を振るったりしないってことだけは伝えておかないと。

 

「あのねぇ。別に神様や妖怪なんかに関わらず、知り合いにはこっちから手を出したりはしないわよ。悪いことしたりしない限りは」

「えっ、それじゃあ、もし私たちが神社に祀られるようになってから他人様の迷惑になるようなことをしたら……?」

「迷惑の度合いによるけど、あんまり酷いようならその時は私の飯の種になってもらうことになるわね」

 

 静葉と穣子は揃って口をつぐみ、目元を震わせて強張ると、顔色を青白くした。

 あれ、なんだろう。ここで二人してそんな反応をしたってことは、悪いことをするつもりだったのか。流石にそれは神社の評判に関わってくるので看過できないのだけど。

 

「ああ、そういえばあんたら、落ち葉を降らして掃き掃除を大変にする神様と、他人様の畑を踏み荒らす神様なんだっけ? 退治しておいたら里の人に感謝されるかしら」

「違うの、待って! あれ、嘘! 嘘だから! 私は紅葉の神として木々を彩り、穣子は豊穣の神として作物を実らせ、二人とも人間たちの役にも立っているわ!」

 

 静葉がわたわたと手を振って、必死に首を横に振っている。続いて穣子を見れば、姉の言葉を受けてこくこくと首を縦に振っていた。うーん、単なる言い逃れする為の言い訳ではなさそうだ。

 

「もう。人様の役に立ちそうな能力を持っている癖に、なんだってまたそんな嘘をついたりしたのよ」

「その、だって、退治を依頼されるようなことをした心当たりなんてなかったし、退治しに来た博麗の巫女を追い返しても、その後に妖怪の賢者本人が出てきたらどうなるかわかったものじゃないから……」

 

 静葉は私に顔を向けつつ、ちらちらと目線だけやって紫を盗み見ている。神様に怖れられるほどの実力をお持ちであるらしい紫は、そんなことを意に介さずにお茶を啜っていた。

 

「つまり、依頼内容を偽った紫が悪いってことよね?」

「霊夢が問答無用で退治しておけば後腐れなかったのよ」

 

 空になった湯飲みに勝手にお茶を注いでは悪態を垂れた紫。びくりと身体を振るわせて身体を縮める静葉と穣子を見て、私は眉根を寄せて紫を睨みつける。

 

「紫。あんたねぇ、私はともかく無関係なこの子達にまで迷惑かけておいてその態度はどうなのよ。妖怪の賢者なんて言われてる癖に、大人げがないったらないわ」

「……そう、そうよね。事情があったとはいえ今の霊夢のままでも幻想郷が維持出来ている以上、それは何の言い訳にもならないわね。お二方には謝罪させていただくわ、ごめんなさいね」

「い、いえ! びっくりはしましたけど、実際に霊夢さんに退治された訳でもありませんから」

 

 嫌っている私への反発心から半ば意地になってのことだと思うのだけど、ちょっと酷い言い草だったので注意したら、紫はまばたきを何度かした後に素直に自分の非を認め、なんと軽く頭を下げて謝罪の言葉まで口にした。

 軽くとはいえ紫に頭を下げられた静葉と穣子は恐縮しきって、うろたえてしまっている。むう。私に礼の言葉云々って時は本当に口だけだったってのに、何だか納得がいかない。

 

「ふふ。それにしても、よりによってあなたに正論で諭される日が来るだなんて思ってもみなかったわねぇ」

 

 謝罪を済ませた紫がお茶を啜っては、笑みを作ってそんなことをのほほんと口にした。

 んん? ……何だかおかしい。紫の私への対応がいつもと違う気がする。全体的に何だか緩いのだ。普段の紫は何が気に食わないのか、私の一挙手一投足を観察しては意地悪な姑みたいに粗探ししているのだけど、今はさながら孫の悪戯を見守るおばあちゃんのようである。私としては今のような緩い紫である方がお説教をしてこないので好ましいのだけど、とにかく気味が悪い。

 そんな風に頭の中のもやもやと格闘していると、紫が両手の平を打ち合わせた。

 

「そうそう。妖怪退治が出来るかどうか確認するという名目で依頼を出したことだし、一応妖怪は弾幕ごっこで退治したということだもの。忘れないうちに報酬を渡しておきましょう」

「あー、いいの? てっきり依頼未達成で無報酬とか難癖つけられるものと思ってたのだけど」

「私が言い出したことだもの、そういう訳にもいかないでしょう。けれども指示した通りではなかったのだから、約束しておいた報酬の中から渡すのは一部だけよ。ほら、手を出しなさい」

 

 依頼内容を偽っていたのは紫なので、報酬無しなんて言い出そうものなら違約したことを盾にゴネてやろうとは思っていたけど、一部でも貰えるなら私から文句はない。

 ちゃぶだいの上にスキマが開いたのでその下に言われるままに両手を差し出すと、袋になった風呂敷が転がり出てくる。風呂敷をちゃぶだいに置いて結び目を解いてみると、中にはビニール袋に入った秋刀魚数尾に、鶏卵が一パック、ナスとトマト、梨が包まれていた。

 

「うんうん。お夕飯で大分食材を使っちゃったから助かるわ。でも、どうせなら秋刀魚はお夕飯に出したかったわね。一応、焼いちゃえばまだ食べられるとは思うけど」

 

 保冷に氷が詰め込まれているビニール袋を覗き見て、ぽつりと呟いた。スキマの中に秋刀魚が入っていたのを見たのが一昨日のこと、もしあれが買ったばかりだとしても早めに消費しないと食べられなくなってしまう。見たところまだ鮮度は保っているようだけど、明日の朝食に出した方がいいわよね。

 ……ようし、台所の隅にあった七輪の出番がようやく来たわ。焼いて食べるような食材がなかったから埃を被っていたのだ。私が物心ついた時には田舎のおばあちゃんちもガスコンロだったし、炭火で焼いた秋刀魚は初めてだと思う。美味しいんだろうなぁ。今から結構楽しみ。

 

「まったく何の心配をしているかと思えば。それらは昨日東京に行った際に手に入れたものだから、もう数日は持つわよ」

「なんだ、そうなの。それじゃ明日のお夕飯までは大丈夫そうね」

 

 うん、そういうことなら朝はお茶漬けのようにさらっと食べられるものにして、秋刀魚はお夕飯に回すことにしよう。あんまり朝からご馳走にしちゃうと満足しちゃって、夜までやる気が続かないもの。夕飯が豪華となれば、その為に一日の仕事も頑張れるってものよ。

 保冷用の氷も結構入っているので、一日ぐらいは持ってくれるだろうし、地味に氷自体もうれしい。冷蔵庫に入ってる他の食材も冷やせるからだ。そうと決まれば、一刻も早く冷蔵庫に食べ物を入れておかないと。

 風呂敷を包み直し、「よっこいしょ」と無意識の掛け声と一緒に腰を上げる。そうして廊下へのふすまを開けたところで、紫から声がかかった。

 

「ああ、霊夢。魚を包んでいるポリエチレンの袋や卵のプラスチック容器は次に私が来る時までちゃんと保管しておいてちょうだいね。それらだけはこちらで処分するから」

「へえ。幻想郷でもゴミの分別なんてやっているのね」

「あれを土に還すには多大な時間と手間を要するでしょう? 紙や木は水につけて腐らせて埋めとけば数年だというのに、適切に処理しないとならないなんて不便よねぇ」

 

 言われてみればビニール袋もプラスチックも手軽であれ、処理の面では不便かもしれない。当然のように身近にあるものだから考えたこともなかった。今のは有害物質も出ないらしいから燃やしてしまえばいいのかもしれないけど、神社に焼却施設はないものね。

 

「あの、霊夢さん、ぷらすちっくというのは無縁塚のあたりに転がっていると聞いたことありますけど、ぽりえちれんってどんな物なんですか?」

「あー……、この中に入ってる袋のことなんだけど、詳しいことは紫に聞いて。たぶん私よりも詳しいから」

「えっ?」

「仕方ないわねぇ」

 

 ポリエチレンって色んな種類があるプラスチックの中の一つなんだっけ。あれ? 卵の容器もポリエチレンで出来ているってテレビが何かで見たような……。まぁとにかく、今のレジ袋が塩化ビニルではなくポリエチレンで出来ていること自体は知っているけれど、つい昔からの癖でポリ袋ではなくビニール袋と呼び続けているぐらい思い入れがない。

 面倒なことは紫に任せて廊下に出ると、居間からは紫の説明する声が聞こえてくる。漏れてくる言葉を聞き取るに、ポリエチレンの分子配列から教えているようだ。横文字をひらがなで発音していそうな穣子ではまったく理解出来ないと思うのだけれど、口を挟む必要はないだろうと足を進めた。

 なんにせよ、紫は何だかんだ神社に顔を出すことが結構あるので、一緒に住む静葉と穣子も緊張ばかりしていないで多少なり打ち解けてくれないとね。

 

 

 

 紫は、また女の声が頭の中に聞こえてきたらすぐに教えて欲しいと言い残して帰っていった。外界に手がかりがなかった以上、紫としては実質手詰まりなのだそうだ。どうでもいいけど、別れ際にお決まりのように「歯磨きして寝なさい」と言ってくるのはどうにかならないものか。子供扱いされてる気がする。

 アレが帰った後は、化粧箱だけがぽつんと置いてあった部屋に静葉と穣子を案内し、二人の部屋として使ってもらうことにした。博麗霊夢が一人で管理しているというのに博麗神社には無駄に部屋が多いので、一人一部屋使ってくれてもよかったのだけどね。家財道具もそんなにないから持て余してしまうと、二人に固辞されちゃったのだ。

 

 

 さて、明けての翌日。朝起きていつも通り水を汲みに勝手口から出ると、山中から木筒で引いている湧き水の出が悪くなっていることに気がついた。この前の大雨でどこか詰まったか、木筒が途中でずれたかしたようである。とりあえず水瓶一杯分は汲んでおいたけど、ちょろちょろとしか出ないので時間がかかってしょうがない。日が出て暖かくなったら原因を突き止めに行かなくちゃ。はぁ、他にやることもあるのに面倒ね。

 気を取り直して雨戸を開け放ち、空気の入れ替え。日も昇ってきたので外を覗いてみれば空が高く、雲も少ない。今日は綺麗な秋晴れになりそうで何より。さて、次に飲み水の為に湯冷ましを作るのだけど、着火に使っている古新聞があと僅かになっている。新聞配達は神社まで来てはいないようだし、人里に言った時には新聞社のようなものは見かけなかったんだけど、この新聞はどこから取っていたんだろう。疑問を覚えつつ廊下の拭き掃除をする。

 拭き掃除も粗方が終わる――日が高くなり暖かくなってきた頃に静葉と穣子が起きてきた。太陽の位置を見るに、八時ぐらいである。

 

「あら、霊夢。日も出てないうちから掃除しているなんて、意外に働き者なのね」

「意外とは何よ」

 

 起き抜けの静葉の奴が、出会い頭に失礼なことを言い出した。穣子は「おはようございます」と私に向けて挨拶をするや、お手洗いに行ったようである。神様もトイレには行くらしい。

 この二人が私と紫に見せていた、天敵を前にしているような怯えや、格上の存在と見なしての遠慮などはなくなっている。昨夜にしていた実のない世間話で、話し合いの通じる相手だと理解してくれたようだ。まったく、妖怪の紫はともかく、か弱い私のことも化け物扱いしてくれるだなんて、この二人よほど命が惜しくないと見える。

 それはともかく、なにやら静葉にはズボラな奴と思われていたみたいだけれど、こんな私だって一人の社会人である。そもそも家事は嫌いじゃないし、その上で巫女の仕事の一貫となればきっちりやらない方が気持ち悪いぐらいだ。

 ただまぁ、この神社は敷地が広い上に居住区も含めると部屋が多かったりするので、毎日全部を掃除している訳ではない。参拝客の目に付くだろう外観には気を掛けて落ち葉の掃き掃除とかはこまめにしているけれども、建物の中は今日はこっち掃除して、明日はあっちを掃除してという具合なので胸を張って綺麗にしているとは言えない。それでも魔理沙に言わせれば本職である博麗霊夢よりきちんと掃除しているとのことだったので頑張っている方だと思う。

 

「ふふん。こう見えて、いつ嫁に出しても恥ずかしくないのに、いつまでも嫁に出ないから恥ずかしいと言われていたぐらいの働き者なんだから」

「へえ。霊夢ぐらいの年頃ともなれば夫婦になって赤ん坊背負ってる子もいるでしょうに、博麗の巫女というのも大変ねぇ」

「えっ、そうなの? この歳で? ……ま、まぁ早く結婚したからいいってわけでもないわよ、きっとね。最近は三十過ぎてからの結婚の方が多いみたいだし、そりゃ歳食ってからの初産なんか大変だとか聞いたりするけど、まだもうちょっと余裕はあった訳だし……」

「三十過ぎて未婚? 夫に先立たれたとかじゃなくて? その人間の女はよっぽど器量が悪かったのかしら」

 

 静葉の言葉が私に突き刺さる。彼女に悪気はない。心から気の毒そうな顔をしているぐらいなのだから。でもだからこそ、こんなにも胸が痛い。

 博麗霊夢の年齢がいくつなのかは正確にはわからないけど、外見から判断すると中学生ぐらいに見える。けれどこれも日本にいる最近の発育のいい子を基準にしてのことなので、食事も満足に摂れない幻想郷であることを考えると、発育が遅くて実年齢は高校生ぐらいなのかもしれない。

 それぐらいで子供がいておかしくないってことは、幻想郷じゃ十代の婚約が当たり前で、二十代半ばを越えれば行き遅れなんだろう。となると早い子は十代前半ってことよね? 仮に14で子供を産んでたとして、その子供も14で赤ちゃんこさえてたら、私もう今頃おばあちゃんだったんじゃ……。

 

「ねぇ静葉。もしかして28歳って、もうおばあちゃんなの?」

「何をいきなり言い出すのか理解に苦しむけど、そうね。早いところだったら孫が出来ていてもおかしくないんじゃない?」

「……幻想郷って、とても残酷なところなのね。改めて思い知ったわ」

 

 ほんと現代日本に生まれてよかった。14歳の頃なんて誰某が付き合ってるだのバレンタインだのと甘酸っぱい恋愛話はあったけれど、結婚なんて遥か未来のことだと思ってたわ。

 何よりの問題として、28にもなる私がそんな話を聞いても子供がいる自分を全然想像できないことよね。まー、子供より結婚したいと思えるような人を探すほうが先なんだけど。どこかにいないかしらね、インドア系の趣味で、あんまり私に干渉してこない、知的な感じの人。

 はぁ、と深くため息を吐いて沈んでいると、穣子が戻ってきた。私はツッカケを履いて庭に出ると、廊下を拭いていた雑巾のゴミを払ってから台所へと戻る。

 

「ま、いいわ。先のことなんてわからないし、後回しよ。とりあえずこっちも一段落ついたところだからお茶にしましょ」

 

 私の数ある得意技の一つ、問題の先送りである。

 

 

 

 縁側に、穣子を挟むように三人並んで腰掛ける。お盆の上には三つの湯飲みと急須、お茶菓子に咲夜からもらってきたクッキーが乗っかっている。シナモンが強めに利いていてちょっと緑茶には合わないかもだけど、美味しいので私は全然オッケー。お茶請けがあるってだけで喜ばしいことである。咲夜、うちのメイドになってくれないかしらね。お給金は出せないけど。

 お茶を啜って一息ついたところで、そういえばとかねてからの疑問を切り出してみることにした。

 

「ねぇ、静葉と穣子って神社のこととか詳しかったりする?」

 

 こんな質問をしてみようと思ったのも、神社の祭神なんやらと静葉が詳しく話していたのを思い出したからだ。野宿して落ちぶれていたとはいえこの二人も神様なのだから、巫女として何をすればいいのか教えてくれるだろうと踏んだのである。

 静葉と穣子は顔を見合わせて、近くに座っている穣子が私に顔を向けた。

 

「まぁ、これでも神の端くれですから、それなりのことは」

「それならちょうど良かったわ。巫女って何をすればいいの?」

「……えっ!? そこからなんですか?」

「だって前任者が仕事の引継ぎもせずに姿を眩ませちゃったんだもの。下手なことも出来ないから、巫女になってから今日までの一ヶ月の間は掃除しか出来なかったのよ」

 

 幻想郷の色んな人にぐうたらと思われているらしい私だけども、働く気はあるのだ。でも神社のお仕事ってこれをしたら駄目ってことが多そうなので、迂闊に手が出せなかったのである。ご神体みたいなのって見えないようにしなきゃいけないとかあるらしいし、曖昧な知識で触って、間違って取り扱おうものならとんでもないことになりそうだもの。本殿なんかは掃除するにも気を使っているのだ。

 

「まぁ、そういうことならしょうがない、のかなぁ。ただ、私たちも(やしろ)は持ってませんから、お話できるのは他所から聞いた一般的なことぐらいですよ。もちろん、博麗神社が同じようにしているとは限りませんからね」

「この際、何でもいいわよ。手探りでやるよりはよっぽどマシだろうし」

 

 正直お手上げ状態の私が我流でやるくらいなら、この神社の流儀とは違っていたとしてもよっぽど真っ当なやり方だろう。

 藁にも(すが)る思いからそんな風に返すと、静葉と穣子が揃って渋面を作った。あ、もしかしたらぞんざいにやるように聞こえちゃったのか。慌てて「教えてもらえればちゃんとやるわよ?」と続ける。

 

「それなら、まず行ってもらうのが毎日の祈祷ですね。即物的な話になりますけど、祭神が神通力を増すには多く信仰を得なければなりません。もちろん一般の方から集めることが重要ですが、一番に身近から得られるのが自分の神社の神職に就いた人間からのものです」

「そうね、紫の奴からもお祈りしなさいとは言われてたわ。でも、静葉には言ったけど一月前まで私って神様とか信じてなかったから信仰って言われてもぴんとこないのよ」

 

 私がそう言ったのを聞いて不安げな顔をした穣子が、こめかみを押さえる静葉を縋るように見つめる。無言で首を横に振って返した姉に、穣子は諦めた様子で小さくため息を吐いた。

 ……とりあえず落胆されているのだけはわかった。ちょっとイラっとしたので目を細めて二人を見ていると、それに気づいた穣子が慌てた様子で背筋を伸ばした。静葉はわざとらしく境内を眺めて足をぷらぷら振り、我関せずの構えである。

 

「いえいえ、そんなに難しいことはありませんよ? お祈りする神のことを思いながら、お願いごとをするぐらいでいいんです。例えばお姉ちゃんにだったら、紅葉狩りする数日前にでもお祈りしてもらえれば、お姉ちゃんは人間から信仰を得て、参拝した人間にはお姉ちゃんからご利益を授けることが出来るわけですね」

「ははぁ、なるほどね。そうやってお祈りする人間が増えるとご利益も増えて、綺麗だった紅葉が、すごい綺麗な紅葉になったりするってこと?」

「うーん。まぁ、おおむねその通りなのかなぁ。本来はこれこれこういうご利益を授かる為のお参りじゃなくて、日々の生活であった良い事を神様に感謝して、これから訪れるかもしれない災いを祓うぐらいの気持ちで来てくれればいいんですけど、このご時世じゃどうしてもそれだけって訳にはいきませんからね。ご利益目的でも全然いいと思います。あれだこれだと文句をつけて人が来なくなるより、信仰してくれることが大事ですので。はい」

 

 何だか神様の世知辛い事情を聞いてしまっている気がする。静葉は黙りこくって境内の池を眺めているし、穣子も笑顔なのに目だけが笑えていない。

 

「あと鳥居よりこちら側は神域ですので、毎日清掃して境内を清めておくことも大切ですよ。散らかっていると間接的に信仰の妨げになりますから」

 

 ふむ。そうなると掃除は今までどおりやって、午前中にでもお祈りの時間を作ればいいのかしらね。

 他には、何かの祭事には神楽を舞ったり、笛を吹いたりとするらしいけども、こうまで寂れていると月例祭(神社ごとに決められた日程で執り行っている祭事)すら行っていたのか怪しいとのことで、年間の祭事日程を調べる必要があるそうだ。……あれ、家捜ししている時にどっかで見た覚えがあるけど、どこにしまったんだっけ?

 

「えっと、お姉ちゃん、こんなところよね?」

「そうね、後はお守りやお札を作ったりかしら。無宗教だって言っていた霊夢は知らないでしょうけど、お守りや神札には神の分御霊(わけみたま)が宿っているの」

 

 話を振られた静葉は頬に手を当てて視線を宙に泳がせると、座ったまま上体を仰け反らせて穣子の背中越しに視線を向けてきた。

 

「分御霊?」

「別の土地にあるのに同名の神社があるでしょう? 有名なところだと稲荷神の祀られている神社かしら」

 

 身近な例が出てきたことで、うんうんと頷いてしまう。神社といえばお馴染みである朱塗りの鳥居は、多くは稲荷神社のものであるらしい。首都近郊でも朱色の鳥居は多く、よく見かけた気がする。

 私は、静葉の一言一句を聞き逃さないように姿勢を正した。稲荷神社と何の関係があるのかは知らないけれど、お札に関係する話だからだ。私が書き写したお札は博麗霊夢が作ったやつほどの効果が出ていないので、これから妖怪退治をする上で改善しなきゃと思っていたところでもある。もしかしたら私の文字が下手な所為ではなく、特別な手順が必要かもしれないもの。

 

「稲荷神社は伏見にあるのが総本営なのだけど、そこから勧請――分霊として稲荷神を移した分社が様々な土地に建てられていったわけ。全ての神社で稲荷神が祀られていて、どの神社でも同じご利益を得られるのよ。端的に言えばお守りや神棚はそれを簡易にしたものだから、そこにある神札にも神は宿っているということになるわ」

「ふうん。分けられた方にも同じ神様がいて同じご利益を得られるってまた、単細胞生物の分裂みたいね」

「あんた、今の話を聞いての感想がそれってのはどうなのよ。とことん神を敬う気がないみたいね」

 

 単に似たような例として思いついただけで決してそんなつもりはないんだけども、ゾウリムシと一緒くたにされて静葉は不服なようである。穣子はころころと笑ってくれているというのに。

 

「あ、一応言っておくと、神社参拝の際によく使われている『ご利益』って言葉は大本は仏教用語だからね。神仏習合で神社も寺も一緒くたになっちゃってるところが多いから間違っているとは言えないのだけど、巫女としてそれぐらい知っておいた方がいいわ。まぁ、見たところ博麗神社自体も仏教よりの結界術を使っているようだし、道教によるところの陰陽の概念を取り入れたりしているみたいだからその辺りは緩いと思うのだけど」

「ふうん」

 

 博麗神社は、どうやら色んな宗教がちゃんぽんされているようだ。仏教はわかるのだけど、道教っていうのは中国発祥の宗教だったっけ? 日本じゃ馴染みがないのでよくわからない。

 うーん、博麗神社についての謎が解き明かされるどころか、むしろより不明瞭になってしまった。もしかしたら、祀られているのは日本の有名な神様ではないのかもしれない。せめて静葉や穣子みたいに姿を現してくれればいいのに。

 

「あっ、そうよ! 静葉、そういえばうちの神社の神様に挨拶するとか言ってたけど、どうだったの? どんな神様だった?」

「……そのことだけど、以前に神かそれに準じた力を持つ何かが居た気配はあったのだけど、私たちでは見つけられなかったのよね。流石に忘れ去られて存在ごと消え失せたということはないと思うけど、信仰が少ない為に姿を現せなくなったか。あと可能性として、博麗神社が人物神ではなく、幻想郷という土地や自然、あとは何らかの概念を祀っているのかもしれない、ってところね」

「んん? つまり、わかったことは以前に何か居たのは確かだけど、今は見当たらないってこと?」

「そういうこと」

 

 しかも、静葉の言い方を素直に受け取るに、居たのが神様とは限らないということである。そうなるとまた、参拝客を増やす計画に支障が出てきてしまう。

 

「それじゃ、どんなお守りを作ったらいいのかわからないじゃない」

「そうね。とりあえず神社がこの有様じゃ金運や商売に関しては望み薄。博麗の巫女の生業が妖怪退治なのだから……妖怪除けのご利益ぐらいしかなさそうだわ」

 

 静葉はそう言うのだけど、神社には妖怪の紫なんかがよく出没しているというのに、妖怪除けのお守りとか作ってしまってもいいのだろうか。博麗神社に参拝なんかせずに、人里に引きこもっていた方がよっぽど妖怪に遭遇しそうにない。一応、欲しがる人がいるかもしれないから作ろうと思うけど、効果はなさそうだから少なくとも私は欲しいとは思わないかなぁ。

 ま、いいか。神様の静葉がそう言ったんだから、そんなもんなんでしょ。きっとね。



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神様に労働させて神社で留守を預かる私。

 

 ブランチに用意したお茶漬けを三人でお腹の中に流し込んだ後、私は業務に就く前に行う修祓とかいう身を清めるお祓いと、朝拝という朝に行うお祈りのやり方を神様二人から直々に教わっていた。どうやら紫が以前から言っていた『朝のお祈り』とは、この二つのことのようだった。

 一日の流れとして清掃と修祓・朝拝を済ませて、その後はお札やおみくじ、破魔矢やらを作り、参拝者のお相手をするらしい。けれども参拝者の訪れてくれない博麗神社でそんなに数を作ってもしょうがないとのことで、私は早くも手隙になってしまった。巫女さんが舞う神楽舞やら神事での作法立ち振舞いやらと覚えておくことはあるのだけど、下手に手を出す前に身近に差し迫った神事がないかを確認してからにした方がいいようだ。

 にしても、神様にお祈りするってのは敬う気持ちを形にしたようなものな訳で、その敬い方を神様本人から教わるってのもまたおかしな話よねぇ。……あ、そういえば今朝は美鈴に教わった太極拳やるの忘れてた。毎日続けるのが大事ってことだけど、まぁ忘れちゃってたものはしょうがない。明日から始めればいっか。

 

 そんなこんなでお昼過ぎには取り急ぎ神社に関してやることがなくなっちゃったので、私は静葉と穣子に生活環境を整えるお手伝いを頼むことにした。

 一つに水の確保。神社の裏手に引いていた湧き水が詰まったかしちゃって出が悪くなっているので、これを何とかしてきてと静葉にお願いする。実は湧き水の水量が減った所為で境内の手水舎(参拝前に手を清めるところ)にも水が行き渡らなくなっちゃってるのだ。神社として結構な死活問題である。

 もう一つが食料の調達。これから冬に向けてある程度の食料を備蓄しておかないといけないのに、このままでは春を迎える前に白米以外の食べ物がなくなってしまう。ということで、こちらはこの時期の食材に詳しい穣子にお願いした。こっちは言うまでもなく、文字通りの死活問題だ。

 

「さーて、と」

 

 そして私は私で、二人を働かせておいて何もしないというのもどうかと思うので神社の家探しすることにした。探すのは、年間の催事日程とお札に使う版である。

 お札も少量なら手書きでも不便はないのだけど、多くの参拝者で賑わう神社は版画みたいに刷るところがほとんどなようだ。残っていた数枚の手書きのお札を見るに、おそらくは数が減ることがあんまりなかったから横着して手書きだったのだろうけれど、もしかしたら過去使っていた版があるかもしれないとのことなので、その捜索である。

 あと、私の自作したお札が役立たずなのは何が悪いのかと二人に見せてみたのだけど、大前提として書いてある字がまったく読めないのと、ちゃんとお札に『御霊入れ』が済んでいないのが原因であるとのこと。御霊入れというのはいつかに聞いた神様の分け御霊を御札なりに移すことのようだ。謎の言語で書かれたものを私の霊力で無理やり動かしたものだから、私の作った御札はあんな変な挙動になっていたようである。

 版を使って刷っちゃえば文字は間違いようがないし、御霊入れっていうのもお札作りの時に一から教えてくれるとのこと。うーん。やっぱり見よう見まねじゃなくて、ちゃんと手順を踏んでやらないと駄目だってことなのね。

 

 

 太陽が傾き初めてからしばらく経った頃、私は一度掘り出した後また奥に仕舞い込まれていた神事予定表を見つけ出した。前に見つけた時はパッと見でよくわからないから仕舞っちゃったけど、改めて見直してみると月々のところにお祭りやらが後から書き足されて、その上にバッテンされて消されている。

 たぶんだけど、博麗霊夢ちゃんは客寄せ目的に新たにお祭りやらを企画してはその都度失敗していたみたいだ。バッテンされたのを除いてみると、現在博麗神社では年末年始以外にこれといった催し事は行っていないようである。

 何も予定がないとわかってしまうとそれはそれで困ってしまうのだけど、前向きに考えたら博麗霊夢がしていたように新しく催し事を予定しても大丈夫ということ。こちらにはアドバイザーであるモノホンの神様が二人もいるのだ。きっといい案を出してくれるはず。

 

 って、よくよく考えてみれば参拝対象である静葉と穣子とは見て話して、さらには触ったりも出来るのよね。それって参拝客獲得の強みにならないかしら?

 例えば境内に『神様ふれあいひろば』とか作ったらお客さん来そうじゃない? ……いや、それだとひろばにだけ入って帰っちゃう人もいそうだから、お札やお守りと一緒に神様との握手券を発行して渡す仕組みにしたらどうだろう。

 信仰ってのがまだなんとなくでしか理解できてないけど、つまりはどれだけ人間に慕われているかってことだろうし、静葉と穣子をアイドルにでも見立ててプロデュースすれば人気も出るんじゃないかしら。ありがたみが薄い感じの二人だけど、神様に実際に触われたとなったらご利益もありそうだしね。

 

「霊夢さーん」

「穣子? 早かったわね」

 

 そんなことを縁側に座ってお茶を啜りながらぼんやり考えていたら、穣子がふらふらと飛んで帰ってきた。エプロンの端っこを両手で持ち上げて袋のようにして、そこにこんもり食材を包んでいる。

 食材を運ぶのを手伝いながら聞いてみれば、近場の森を散策してから人里に顔を出してきたとのこと。ほとんど周知されていないけれど、一部の農家には収穫の神様と知られているようで供え物として色々受け取ってきたようだ。ついでに妖怪の山のふもとから博麗神社に姉妹揃って引っ越してきたことを伝えて、作物の種やらも少量ながら分けて貰ってきてくれた。

 食材はさつまいもとにんじん、きゃべつに大根。種はかぶや小豆、大根などなど。穣子が持って帰ったものの中にはさつまいもの他に里芋などもあるけれど、これは来年に植える種芋にするとのことだ。

 

「ちょっ!? いきなりどうしたんですか! スカート汚れちゃいますよ!?」

 

 私としては、食べられる野草やらどんぐりやらでも拾ってきてくれたら御の字と考えていたのだけど、予想以上の成果である。

 ニコニコと笑顔で本日の成果を報告する穣子に向けて、私は砂利の上に平伏していた。そして彼女の両手を握って、拝むように握手させてもらった。この子、本当に神様だったのね。

 

 

「あ、お姉ちゃん帰ってきた」

「ほんと?」

 

 種を手に入れたので境内裏手に設えた畑予定地の草刈りを行っていると、穣子から数時間ほど遅れて静葉のご帰還である。穣子に言われなかったら気づかないほど草刈りに熱中していた。

 

「あー、もう。疲れた!」

「お疲れ様ー。静葉の方の成果どうだったの?」

「ちゃんと直してきたわよ。見てきたらいいじゃない」

「どれどれ……うん、水の出が元通りになってるわね」

 

 湧き水を確認した後、改めてお茶を淹れてやって縁側に並んで座って詳しく聞いてみたけれど、静葉は私に言われるままに湧き水を辿って水源へ進み、問題の箇所を応急処置ながら直してきてくれたようだ。

 けれどもどうやっても大雨で水量が増えたり強風が吹いたらまた出が悪くなりそうらしくて、また直しに行かされるのも面倒なのでその足で妖怪の山や魔法の森まで飛んでいって、伝手を介して河童に井戸を設置してもらう約束を取り付けてきたと言うのである。設置料はロハでいいとのことなのだけど、赤外線センサーで自動開閉するタンスを設計開発しているうちに出来あがった、高効率手押しポンプの試作品モニターということなので上手く稼働するかどうかは実際に使ってみないことにはわからないらしい。タンスとポンプになんの関連性があるのか、私にはさっぱりわからない。

 それにしても、昼ごろから出発して妖怪の山の麓経由で魔法の森へ行って帰ってするとか、飛ぶのが遅い私じゃ二日仕事になっちゃってただろう。もちろん妖怪の伝手なんてのも持ってないし、そもそも神社に井戸を作ろうという発想がなかった。

 ともかく、静葉のお陰で文明の利器がこの博麗神社にもやってくるのだ。どうやら河童は幻想郷での技術者という立場を担っているらしいので、井戸の設置に来た時にはトイレも水洗にしてくれないかその河童に聞いてみよう。最悪、井戸なんて後回しでもいいから水洗トイレを優先してほしい。

 

 

 

 仕事を終えた二人にお茶のおかわりを注ぎ、労いの言葉をかけて居間でくつろいでいるように言い残すと、私は腕まくりして台所へ向かった。お夕飯は紫に貰った秋刀魚があるから、後はお味噌汁とご飯でいいかなーとか安易に考えてたけど予定変更だ。外で頑張ってきてくれた二人に、家主として報いてあげなきゃならない。

 お味噌汁とごはんはいつもどおりだとしても、メインの秋刀魚は七輪でじっくり丁寧に焼いて、さらに穣子が貰ってきた大根で作った大根おろしもたっぷりと付けちゃおう。いつもの貧乏性な私だったら大根の残り半分は翌日以降にとっておくのだけど、どうせだしふろふき大根にして。うーむ……この際だ、にんじんの菜っ葉のお浸しもつけちゃおう!

 

「ねえ! 二人共、運ぶの手伝ってもらえる?」

「あ、はーい! 今行きますね!」

 

 手が足りなかったので廊下に身を乗り出して声を上げるとすぐに穣子が、ちょっと遅れて静葉が来てくれた。穣子にはおひつとしゃもじ、静葉には鍋と鍋敷きを渡して先に居間に向かってもらう。今までは自分の分だけだったから台所でよそってから居間に運んでいたのだけど、三人分ともなるとお釜からおひつにご飯を移して、お味噌汁の鍋も居間まで持ってきた方が面倒がなくていい。これまでおひつってどうして使うのかなんて考えたことなかったけど、食事中にわざわざよそいに行くのは大変だものね。台所なんかの水回りはどうしても冷えるし。

 おぼんを両手に居間に向かった私は、次々に料理をちゃぶ台の上に並べていく。丸いちゃぶ台は思いの外狭くって、もう一品増やしてたら乗り切らなかったかも。――うん、こうして見るとまるで我が家の食卓じゃないみたい。色とりどりですっごい豪華! 魔理沙と紫を夕食に招いた時にも張り切って用意したけど、あの時はメインになる料理なんてなかったもの。

 こうもご馳走が並んだのも遠因とはいえ静葉と穣子が博麗神社に居候を始めたからであるわけで、言い方はあれだけれども二人が使える神様だとわかったので私としてはホクホクである。

 

「さ、お待たせー。あ、そうそう。これからは静葉に赤いお箸とお茶碗、穣子は橙色のやつを用意しておいたから使ってちょうだいね」

 

 そう言って、二人のご飯とお味噌汁をよそって渡してあげる。このお箸とお茶碗は家探しした時にしまわれてたのを見つけ出しておいたものだ。余所の家のことは知らないけど、少なくともうちではお箸とお茶碗、マグカップあたりは自分用のがあった。静葉と穣子も一緒に生活していくわけだし、いつまでもお客様用のを使わせるのもなんだか寂しいじゃない?

 私からお茶碗を受け取った二人はきょとんとした様子でその手の茶碗を見て、それから私へと顔を向けた。心底不思議そうな顔だ。

 

「何? ちゃんと使う前に洗ってあるわよ?」

 

 私が笑んだまま首を傾げると、二人は顔を見合わせる。

 

「ね、ねぇ、お姉ちゃん? 霊夢さん、なんでこんなに親切にしてくれてるのかしら?」

「……噂によれば、外の世界にはこれから殺す相手に友好的に振る舞い、贈り物をする風習があるとか」

「あん? お望みだってんなら今すぐにでも退治してあげましょうか?」

 

 ちゃぶだいの向かいに座ってこそこそと内緒話していた二人は、私に睨みつけられて首をぶんぶんと横に振った。生憎、耳は良い方なのよね。

 まったく、せっかくいい気分だってのになんで水を差すかなぁ。おっとと、こんなくだらない話をしている間にせっかくの焼き立て秋刀魚から熱が逃げているのだった。

 

「いただきます! ほら、二人もあったかいうちに食べちゃいなさいよ」

 

 言うが早いか、おろした大根に醤油を差し、秋刀魚の身に乗せて口の中に放り込む。

 

「んー!」

 

 目を見開いて、まばたきを数回。そうして舌の上に味が広がるや、思わずぎゅっとつむってた。……何これ? 身が口の中でほろっとほどけて、もう顔がにやけちゃう! しっかり脂が乗ってるところに程よい塩気と大根のほのかな甘味。七輪で焼いたからか皮までパリパリ、香りもいいしで文句なしに美味しい! しあわせ!

 脂質ってそれなりに摂っておかないと肌がかさかさになるらしいので女性には無視できない栄養なのだけど、これまで我が家の食卓には油っ気がなかったのだ。そして魚とはいえ肉は肉。たんぱく質である。なるほど、私の体が渇望していたものは秋刀魚だったのか!

 

「あ、おいし。赤魚なのに鮮度がほとんど落ちてないのだから驚きだわ」

「本当はこれも、新鮮なうちにワタごと一緒に焼いた方が美味しいのだけどねー。悪くなっちゃいけないと思って昨夜のうちに除けといちゃったから、それだけが心残りかしら」

 

 静葉に言葉を返しながらも手を止めることなく食事を進めていると、ふと穣子が角皿に乗っかった秋刀魚を眺めている。

 

「にしても、秋刀魚なんて久しく見てなかったなぁ」

「そうねぇ。私も穣子も山を拠点にしてるから、外にいた頃も海の魚なんて干物や塩漬けでもなければあんまり見かけなかったし。幻想郷(こっち)には海はないし」

「ん? ここじゃともかく外にいたなら秋刀魚やイワシの缶詰とかあったでしょうに」

 

 安売りしてるスーパーなら百円以下でお求めいただける、災害時の非常食にも適した素晴らしい食品である。といっても自炊が基本なので、非常食用の買い置きの賞味期限が近くなりでもしないと食べたりはしないのだけど。難点としては、金属ゴミの分類なので缶の処理が面倒。

 

「缶詰ってあの高級品とかいう? そんなの食べてる人間なんて見たことないわよ」

「へ? 高級品?」

「私も人伝に聞いた話だけど、買おうと思ったら確か米三升か四升とおんなじぐらいするとか」

「お米三升!? 缶詰一個で!?」

 

 お米一升は十合で、一合はおおよそ150g。三~四升ってのはつまり、お米五キロぐらいってことになる。幻想郷で売ってるお米は玄米なので精米するといくらか量は減ってしまうにしても、お米五キロの金額なんて高級品といって差し支えない。

 どうも私の知っているお馴染みの缶詰とは違っているみたい。聞いてみればこの子たちが幻想郷に移り住むようになったのはだいたい百年ほど前かららしくて、噂で缶詰って保存食が作られるようになったと聞いたきりだったようだ。それでなくとも山間部を根城にしていたようだから、そういった近代化からは程遠い生活をしていたのかもしれない。

 それにしても百年前ねぇ。1910年ぐらいって言われてもあんまりぴんと来ない話だわ。日本はそのころ明治か大正時代ってとこ? 私の曾祖母ちゃんが去年だかに百才になったって聞いたけど、あんまり話をしたこともないからその頃のことなんて想像もできない。

 

 そうして昔の日本の生活についてを教えてもらう代わりに、私が現代日本の生活を二人に教えてあげる。私は私で当時の物価だとか生活様式だとか聞いても今と違いすぎてて別世界の話のようだし、静葉や穣子の二人も外でテレビや電話が普及していることを知らなかった。当然、実物も見ずにスマホやインターネットの存在を教えても想像できないようで、最初は変人を見るような顔をされた。いやまぁ、私も電話やテレビや光通信の仕組みなんて説明できないけどさぁ。だからといってそんな顔をされる謂れはないと思うのよ、私。

 そんな他愛ない話は食事が終わってお風呂を跨いでも、布団に入る間際まで続くことになった。ちなみに神事予定表と一緒に探してたお札に使う版は、よく使うものを置いてある棚に普通に置いてあった。なんで気が付かなったんだろうか、私は……。

 

 

 

 翌日早朝。今日はちゃんと覚えていたので、美鈴に教えてもらった太極拳を澄んだ空気の中でゆるゆるとこなしていた。といっても教わったやつ全部は覚えてないので、基本の型とかいうのを通しでのんびりとやっただけだけど。以前の私より寝起きはいいけども、やっぱり目が覚めてしばらくはぼんやりしちゃうので十分から二十分で終わるちょうどいい準備運動だ。

 体を動かして完全に目覚めたら、境内の落ち葉を掃いて昨日聞いたばっかりの修祓と朝拝をこなす。それら全部を終える頃には空もだいぶ明るくなってきている。

 

「なんだか、本物の巫女さんになった気分ね」

 

 今職業を聞かれたら巫女やってますとしか言い様がないのだけれど、これといって巫女らしい仕事をしていないものだから表立って名乗るのははばかられるのが正直なところ。仕事もちゃんと覚えていないのだから巫女見習いとでも名乗りたいところなのだけど、その見習うべき本物の巫女がいない現状じゃそっちの方がよっぽど看板に偽りがある。うーむ。ならば私は何と名乗ればいいのか。

 

「おーい、掃除してるフリなんかしてどうしたんだ?」

 

 竹箒の片付けを忘れてたので納屋に戻す途中、境内に立ち尽くしてそんなことを考えてた私に頭上から声がかかった。見上げれば左手で魔女帽子を抑えて箒から降りてきている魔理沙の姿がある。

 

「フリじゃないっての。掃除ならもう朝のうちに済ませてあるわよ」

「なんだ、見た目によらない巫女だな」

「何それ? ぐうたらに見えるってこと?」

「いいや、見た目よりずっと巫女らしい」

 

 それにしたって掃除したってだけで巫女らしいとはこれ如何に。魔理沙の言葉を信じるなら巫女の主な仕事は掃除になってしまって、清掃業者のおばちゃんも私と同じく巫女になる。

 まぁ魔理沙が言ってるのは単純に、霊夢ちゃんがろくに掃除してなかったのにガワが同じ私がしているものだから違和感があるってことなんだろうけど。

 

「にしても、いつも顔出すのは昼過ぎなのに朝からなんて珍しいわね。どうかしたの?」

「いやなに。この前の紫からの依頼は済ませたのかと思ってさ」

「まぁ、とりあえず終わってるけど」

「それならお前の歓迎会でも依頼初達成のお祝いでも、お題目は何でもいいけど今夜あたりどうだ?」

 

 魔理沙は「ちょうど神社での宴会を禁止にした奴は不在にしているしな」と続けながら、左手でお猪口を持つような形を作ってくいっと呷った振りをする。あらやだこの子、オヤジくさい。

 それはそれとして、宴会とそのジェスチャーから察するにお酒のことのようである。なんだろ、以前からこっそり隠れて二人で飲んでいたりしたのだろうか。

 

「お酒かぁ。うーん、こっちに来てから飲んでないわね」

「あれ? お前は飲まないのか?」

「大好物よ。でもね、ここじゃ知らないけど外じゃ二十歳まで飲酒は禁止されてるの。歳までは知らないけど、この体はまだでしょ?」

「そいつはまたおかしな決まりだな。私も霊夢も外界で育ってたら爪弾きにされそうだ。幻想郷に生まれておいてよかったぜ」

 

 どうやら幻想郷では魔理沙ぐらいの歳でも飲酒は問題ないらしく、口振りを聞くに博麗霊夢も魔理沙も結構な酒飲み。確かにお神酒にしては神社にあるお酒の量は多すぎると思っていたけど、霊夢ちゃんも日常的に飲んでいたようである。

 中身はともかく体の方は未成年だから良識ある大人としてお酒は控えていたのだけど、そういうことなら話は変わってくる。郷に入っては郷に従えだ。外国なんかでは、早いところでは14か15ぐらいから飲酒可能らしいし、幻想郷も海外みたいなものよね。うん。

 

「そういうことなら遠慮はなさそうね。場所の提供とつまみの調理は任せなさい」

「お、乗り気だな。いいことだぜ。流石に二人ってのは侘しいから、誰か他に誘うか?」

「そうね。とりあえず二人は宛てがあるわ」

「ん? 今のお前の知り合いっていうと、紫と慧音あたりか? あとは咲夜とも会ったとか言ってたっけ」

「うちの神様のことよ」

「はぁ?」

 

 そう言うのと同じくして、母屋の方からがこがこと音が鳴り出した。見れば雨戸が内側から開けられようとしている。二人が寝ていると眩しいだろうから、雨戸を開けるのは日が上ってしばらくしてからにしているのだ。

 どうやら苦戦しているようなので、外からも手を掛けて手伝ってやる。建て付けが悪いのか、雨戸の開け閉めにはちょっとしたコツがいるのだ。私も最初は手間取った。

 

「おはよ、相変わらず朝は早いわね……って、お客さん? 人がいるなら言いなさいよね。どうやら参拝客ではなさそうだけど」

 

 中から出てきた静葉は雨戸を一枚ずらし終えたところで魔理沙を発見したらしい。遅れて自分が寝間着用の襦袢を着ているのに気づいたようで、雨戸の陰に寝間着姿を隠して覗きこむように顔だけ出した。

 こういう女性らしい恥じらいが新鮮に映ってしまうのは私が無頓着なだけなのだろうか。流石に誰かさんのように人目につくところに下着を干したりはしないにしても、こういう仕草を見せられて自分が人並みかと言われると自信がない。

 

「ちょうどいいわ、魔理沙に紹介しておくわね。一昨日からうちの神様になった静葉よ。神社がないってことだからうちで祀ってあげることにしたの。あともう一人、この子の妹に穣子ってのがいるわ」

「こら霊夢、昨日教えたけど神を呼ぶ時は一人二人じゃなくて一柱二柱。私たちは別に気にしないけど、他の人間と話した時に恥かくわよ」

「だって、こうして向い合って話せるものだからあんたら神様って感じがしないんだもの」

「まぁ。仮にも自分のとこの神相手だってのに、なんて言い草なのかしら」

 

 呆れた顔で嘆息した静葉は、ちらと立ち尽くしている魔理沙を見やった。おっと、まだ魔理沙の紹介をしてなかった。まったく静葉の奴が余計な口を挟むからだ。

 

「で、こっちは魔理沙。知り合いというか友達というか……ま、たまにお泊り会をするぐらいの間柄ね」

「なんだよ、その背中がむず痒くなるお泊り会って単語は。遅くなったから一晩泊めてもらっただけだろ」

 

 呆然としていた魔理沙が我に返って、静葉に続いて呆れた顔で嘆息する。

 だって知り合いだと他人って感じで素っ気ないし、友達って言って付き合い浅いから違うって返されたらショックだし。お泊り会なら一応事実だから、仲良しっぽい雰囲気出るかと思ったんだもの。

 

「それよりも。野生の神様なんて勝手に引き取っちゃってよかったのか?」

「聞いてみたけど別に複数の神様が同居するのは問題ないみたいよ」

「そうなのか……いや、違う。そういうことを言ってる訳じゃなくてだな」

 

 もごもごしている魔理沙が何を言いたいのかはわかる。知らない間に神様を増やしたりして、本物の博麗霊夢が帰ってきた時に何て言うかってことだろう。

 

「いいのよ、今は私がこの神社の責任者なんだから。私に任せて雲隠れしたんだから、何をしようと文句なんて言わせるもんですか」

「……ま、そういうことなら私がとやかく言うことでもないな」

「ねぇ、よくわからないけど、どういうことなのよ」

 

 事情を知らない静葉だけがわけもわからず首を傾げていた。その辺りを一から説明するのは面倒そうなのでさっさと打ち切るに限る。

 

「今日の夜に宴会しようかって話よ。あんたも穣子も参加するでしょ?」

「宴会!? そりゃ、お酒が飲めるならもちろん!」

 

 どうやら静葉もお酒には目がないようだ。まぁお神酒なんてものがあるぐらいだし、よっぽどのことがなければ神様も飲めるのだろう。たぶん。

 

「神様の歓迎会もお題目に加えられてよかったじゃないか。そうと決まれば折角だし、霊夢が会った相手ぐらいは誘っておくかな。慧音と咲夜のところには私が行ってくるから、霊夢は紫に声かけといてくれ」

「え? 私、紫の家なんて知らないわよ? どこに住んでるのよ?」

「私だって知るもんか。ま、探してみて駄目だったならそれはそれでいいさ。来ないってんならそれはそれで面倒がなくていいしな」

 

 にかっと笑みを浮かべた魔理沙は、箒に腰掛けると一気に宙に浮かび上がった。そのまま星屑をばらまきつつも私の目の前で旋回して加速を始める。

 

「夕方ぐらいに酒なり食材なり持って神社に集まるよう言っておくから、そっちは杯とかの用意しといてくれよー!」

「わかったから、こんな朝っぱらから大声出さないでよっ!!」

 

 声だけ残し、魔理沙は人里の方角へと滑空していった。ああして重力にひかれるように飛んで行く様はまるで本物のほうき星だ。後ろから星を散らばらせないと飛べないのだろうか、夜なら綺麗だろうに朝だとピカピカ光って目に痛い。

 にしても、山の上だからご近所さんがいないとはいえ、まだ穣子は寝ているかもしれないってのに。まったく破天荒というか、困った子である。

 

「れ、霊夢さん!? そんな大声出したりして何かあったんですか!?」

「うるっさいわねー……あんたの声のほうがよっぽど頭に響くわよ……」

 

 すっかりいつもの格好をした穣子がどたどた慌てて駆けて来て、隣からの非難の声に振り向けば静葉が両手で耳を抑えて私をジト目で見ていた。

 ……あれ? どうして先に大声出した魔理沙じゃなくて、私ばっかりが迷惑な奴みたいな目で見られているのだろう?

 

 

 



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私自身と会って困惑することになる私。

 

 魔理沙が飛んでいったのを見送った後、母屋の方の掃除を済ませて早めのお昼ごはんを食べていた私は驚愕の事実を知らされていた。なんと、静葉と穣子はご飯を食べなくても平気だと言うのである。

 神様は人々からの信仰が存在だとか神力とかを強めているので、巫女から神様へのお供え物という扱いで食事も微量ながら力にはなっているようなのだけど、もし二人分も食事を用意するのが大変だったらお酒とお米とお水のお供えだけでも全然大丈夫らしいのだ。

 現実問題、神社の食糧事情はけっこうキツキツである。私一人分というだけなら穣子のおかげで多少の余裕が出来たけど、三人分となったら全然足りない。でも、私一人だけご飯食べて二人はおあずけだなんてどんなに豪勢な食事だったとしても絶対に美味しく食べられないだろうし。

 うーむ、結局は食材について何かしら考えないといけないみたいだ。

 

 

 それから私は台所でどんぐりを茹で、アク抜きしながら考え事をしていた。静葉と穣子は昼食を終えた後、神社の本殿で今後の神事に必要になりそうなものだとかを整理してくれている。手伝おうにも私にはその辺りさっぱりわからないので、邪魔になりかねないからと自主的に引っ込んできたのだった。

 そうして何となしに大鍋をかき混ぜながら考えているのは今夜ここで行われる宴会についてである。お誘いをかける予定である慧音と咲夜に関しては魔理沙に任せてあるから気にしなくてもいいのだけど、問題は紫だ。紫にも今夜の宴会のことを伝えておかないといけないのに、肝心のあいつの居所がさっぱりわからない。どこかで紫の存在を聞いていたらしい静葉や穣子にも訊ねてみたのだけど、やっぱり住んでるところまでは知らないようだった。

 

「そういえば最初に紫が出てきてたのって、結界を緩まってたからだったわよね」

 

 博麗大結界が弱まったからこそ紫は神社まで霊夢の様子を見に来ていた訳だし、どこか他所にいても結界の状態はいつでも確認できるのだろう。つまり結界を使って紫を呼び寄せればいいのだ。というか、ヒントも何もない状態じゃそれぐらいしか考えつかない。

 

 茹でていたどんぐりをざるにあけて、それを持って移動。考え事をしていたからちょっと茹で過ぎちゃったかもしれない。

 そうして縁側に着いたら布を敷いてその上で天日干しを始める。日があたって風通しの良いところで数日かけて乾燥させて、そうしたら殻剥きだ。そうして一月弱かけて、ようやくアクの渋みもなく食べられるようになる。

 

「ま、駄目で元々。とにかく試せることはやってみましょ」

 

 ふらっと神社の裏手に回った私は、目を細めて空を注視する。葉が枯れ寂しくなった森の上に、ぼんやりと普段見ているのとは別の光と色とが格子状になって視界に浮かびあがってきた。

 これが博麗大結界らしいのだけど、以前見た時は膜のように視えた結界にぽこぽこ穴が空いていた。今、こうして格子状に見えるようになったのは多少なり結界の構造を理解したからみたいである。さらに、ここが重要なのだけど綻びはまったく見当たらない。それというのも私が定期的に霊力で補修して、しっかり博麗の巫女として仕事しているからである。しかしお給料は出ない。

 

「えーっと、緩めるってのはつまり壊して穴を開ければいいってことでしょ? 前みたいに書き損じのお札もないし、あれと同じものなんてもう書ける気しないし……」

 

 前回はよくわからない言語で書かれたお手製のお札を結界に投げつけたら大きな穴が出来たのだけど、あのお札はそんなの使ってる巫女なんて恥ずかしいからって理由で静葉に処分されてしまったのだ。今は形を変え、半分にされて裏側の白紙を利用したメモ用紙として活躍している。仮にも御札だったのにメモ用紙なんかにしてもいいのやら?

 

「認識を隔てる為の理論が縦と横に編まれてるわけだから……。んー、でも霊力ってどうやって消せばいいのかしら?」

 

 ふわりと浮かび上がって結界に手を掛ける。私と同質の霊力で編まれているからなのかはわからないけど、弾かれることもなく結界に触れることが出来た。

 触った感じ、手に抵抗はあるけれど重さが感じられない。真綿を掴んでいるような感触はあるのに不思議な感じ。

 

「ま、束を二、三本ぐらい引っこ抜いちゃえば結果はおんなじでしょ……っとぉ!」

 

 残念ながら霊力を散らすとかそういう穏便な方法はわからないので、とりあえず手近にあった霊力の束を掴んで引き出すと脇に抱えてそのまま引っこ抜く。

 ――と、ぶちぶちぶちって変な破裂音がした。横糸にあたる太い束を引っこ抜いたのだけど、編まれていた細い縦糸が強く引っ張られて千切れていったようだ。数にして十数本ぐらい。

 

「あっ……」

 

 縦糸がちぎれてバラバラになった後に宙へ溶けていく。当然、それを支えにしていた他の横糸もどんどんと崩れ落ちていく。結界から離れてしまうと霊力の束も維持が出来なくなって消えてしまうようである。

 一本引っこ抜いただけでこの有り様。崩れたところから連鎖して穴はどんどんと広がっていく。その穴から異質な空気が流れこんでくる。この光景に近いのはダム決壊の様子って感じかしら。

 

「……って、ちょ、ちょちょちょっと待って!」

 

 他人事みたいに眺めてる場合じゃない! もしかしなくてもやっちゃった!? これ絶対よくない! また紫に怒られる! 魔理沙に呆れられちゃう!

 

「むううう!」

 

 私は慌てて穴へと近寄るとすぐさまに両手に霊力を集めて結界の補修に掛かり始めた。数日おきに結界の穴埋めとかしていたから構成だけはなんとなくわかっているのだけど、よくよく見てみれば結界全体をつなげていた(くさび)の部分が消えてしまっている。何で!?

 

「ぐ、ジリ貧……!」

 

 以前はあった筈なのにいつの間にかぽっかり空洞になっているそこに、その場しのぎ的に霊力を送って他が崩れようとするのを食い止めることしか出来ない。そんでもってその楔ってのが厄介で、構成している取るに足らない部品のように見えて実は核になっていて、視ようとしてもさっぱり視えない、そこに存在していた筈なのに限りなく希釈されているなんて、まるでなぞなぞみたいな部分だったのだ。そして、ぱっと見でわからないものだから私が理解を放棄していた部分でもある。

 博麗大結界は理論で編まれている。もちろんそれを形にしているのは博麗の巫女の霊力なのだけど、核になっていたそこに当て嵌めるものがなんだったのかわかんないことには底に穴の空いた袋に水を注いで一杯にしようとするようなもの。空いてしまった穴自体を何とかしないことには、充分すぎるほど霊力を注ぎ込んでもすぐに漏れて宙に溶けていってしまう。

 ばつ、と小さな衝撃が頭に走った。何かがどこかに繋がった感覚。視界が僅かに白く染まって、ザーザーと微かな雑音が聞こえ出す。けれどもそんなものに構っている時間は生憎ながら今の私にはなかった。目の前の結界修復に手一杯なのである。

 

『……てる!? ようやく繋がったと思ったら、あんた何してくれてるのよ!?』

「誰ようるっさい! こっちは取り込み中だっての! 用事があるなら後にして!」

『ああ? 取り込み中って偉そうに、全部あんたの所為でしょうが!』

 

 何なのよまたあのひっくい女の声の空耳!? こころなし以前に聞いた時よりクリアに聞こえるけど、ちっとも嬉しくない! ドスが利いてて怖い!

 こっちの大ピンチを見計らって集中力が乱しに来るなんて悪魔の囁きって奴なんじゃないの!?

 

『まったく、こんな状態じゃ落ち着いて話も出来やしない。いい? こっちからじゃ手出し出来ないし、とりあえず今私から言っとくことは二つ。困った時は全霊を以ってうちの神様に神頼みすること。そんでもってあんたはいつまでも引きこもってないで鳥居の外に出ることよ』

「はぁ!? ってか誰なのよあんた!?」

 

 怒鳴り散らすように声を上げたのに、一向に返事が返ってこない。女の声と一緒にわずかに聞こえていたノイズ音もすっかり消えてしまっている。こういう、自分の言いたいことだけ言って通話切る奴って大っ嫌い!

 脳内に直接喚き散らすような声に集中が乱されたか、結界の綻びが増している。頑張って意識して霊力の出力を上げてみるけれど、やっぱり修復にまでは霊力は回っていないらしい。

 

「ちょっと霊夢!? 何をしているの!? こ、これは!?」

「あっ、紫! いいところに! お願い、手を貸して!」

 

 じりじりと結界が崩れようとしている中、髪に寝ぐせをつけた紫が泡を食ってスキマから飛び出してきた。家で寝ていたのだろうか。

 そしてそんな紫の目にも霊力の流れが見えているのか、大結界が綻んでいこうとしている様子を見て大きく目を見開いている。

 

「ど、どうして、こんなにも結界に綻びが。このままでは外との境目が消えてしまって幻想郷と外界が……」

「それは後で! 紫、結界を崩れないように固定しておくことは出来る!? 私一人だと止めておくので手一杯なのよ!」

「……わかったわ、維持さえしておけば霊夢が何とかするということね? 十数秒ぐらいなら私だけでも……!」

 

 おろおろあたふたしていた紫が冷静さを取り戻す。そうして瞑目した紫の体からは歪んだ気配が神社の神気をも押しやって際限なく広がり始めた。そしてその目が見開かれると、紫色だった瞳の色は金色に変わっていた。

 体ごと振りかぶり、勢いづけて腕を振り下ろすと同時にひび割れたかのように宙に無数の亀裂が走り出した。空間を分断する亀裂が私の周りを――いや、結界に空いた穴を私ごと取り囲んでいく。

 幾つもの亀裂の端と端がリボンで結ばれていき、その中に取り残されたものは赤、紫、黒、それらの色がひしめき合う禍々しい色で塗りつぶされる。そして間もなく凍りつくように停止した。この空間だけが時の流れからも置いて行かれ、境界と境界の狭間に弾かれてあらゆる理が止まったのだ。

 それは事象からの干渉、変化を拒む異界。そちら方面に疎い私の理解が及ばない、そして無知な私ですら感じ取ることのできる超常の力だった。

 

「霊夢! 殊この結界に対して、妖力ではいくらも持たないわ!」

「わかってるっての!」

 

 私じゃ詳しいことまではわからない。けれども今この空間にいる間に事を為せねば打つ手はなくなる。こんな理解の及ばない力によって引き起こされたとんでもびっくりな現象だというのに、この空間は軋みを上げていたからだった。まるで水と油のように霊力と妖力は相容れない。互いに反発し、弾き合うような性質があるらしい。

 

「ふう……っ!」

 

 肺の中の空気を絞り出す。体が重たい。水の底に立たされたみたいに、体を動かそうとすると何かを押しやっているような負荷がかかっている。

 普段、霊力の光は人の胸――心臓の辺りに宿っている。それを咄嗟に思い出した私は、胸に右手を当てて心臓から全身に送り出される血液をそのまままるごと吸い上げるようにイメージしていた。

 そしてそのまま右手の人差指と中指に押し固める。圧縮された霊力は暗いこの空間の中でも煌々とした光を放つ。しかし、それを宿して私に何が出来るのか。

 

 ――『困った時はうちの神様に神頼みすること』――

 

 誰だか知らない声の主のそんな言葉を思い出していて、私の光る指先は宙に『博麗』という文字を描いていた。

 

 

 

 紫によって生み出された空間が、見る間見る間に修復していく博麗大結界に競り負けるようにひび割れて、禍々しい色を薄めていく。

 その中にいると何だか私まで粉々になっちゃいそうなので急いで外に飛び出した。私が逃れ出ると同時に、ガラスが割れるような音と一緒に空間が砕けて消えていく。

 

「ふう、流石に焦ったー! いやー、危なかったわね」

「……本当、規格外ねあなたは」

「あん? 何がよ?」

「私の全力を以ってして作り出した空間の中で、普通に動けていたでしょう。いくら妖力と反発する霊力を扱っているとはいえ、異常だわ」

 

 む。そんなバケモノみたいに言われるのは心外である。紫が作った空間の中は服を着たまま水の中に落っこちたみたいに、立っているだけでも体中が重たかったのだ。

 それにしても、紫が全力を出したらあんなびっくり空間が作れてしまうということの方が驚きである。ただ、流石に全力を出したというだけあって、今の紫からは普段のような存在感や妖気を感じない。かなり消耗しているようである。

 

「普通にって、動きにくかったわよ? 何だか水の中にいるみたいで抵抗あったし」

「その程度で済んでしまったと言われる方が、いっそ私としては救いがないわ」

「よくわからないけど、そんなもん?」

 

 そんな私の返答に「はぁ」と深く嘆息した紫は、気を取り直し、きっと眦を釣り上げて私を真っ向から見据える。

 

「それについてはいいわ。それより霊夢、博麗大結界にいったい何があったの? あなたが結界を管理し出してから、綻びは間も置かず修復されていたからすっかり安心していたというのに」

「あー……、あれね。うん」

 

 どうやら博麗の巫女である私の仕事ぶりに安心してちょっと寝ていた矢先、例を見ない博麗大結界の崩壊の兆しを感じ取って叩き起こされた形なのだろう。いまだ紫の寝癖は取れていない。

 ちょっと私も事実をありのままに伝えるのは抵抗がある。『調子に乗って部品引っこ抜いたらダム崩壊』なんて言ったら、絶対に怒られる。

 

「えっと、紫に会いたくて、紫、結界が弱まったらわかるみたいだから、ちょっとだけ緩めたらいいかなって?」

 

 頬をかいて、私にしては珍しく媚びるような笑みを浮かべているんだと思う。それも仕方ない。だって、説明している途中で紫の目が据わったんだもの。

 

「『ちょっと』?」

「うん。ちょっと……ちょっとね、やり過ぎちゃった」

「つまり……、今しがたのアレは霊夢の仕業ということかしら?」

「まぁ平たく言えばそういうことになるわね」

「あなた……!」

 

 私が己の罪を認めると同時に、紫から私の顔を目掛けて張り手が飛んでくる。話し始める前から引け腰になっていた私は、咄嗟に右手を前に出して顔を守る。

 

「結界!」

 

 そして、それを隠し持っていたお札で反射的に結界を展開して防いでしまう私。いや、頬を一発ぐらい張られても仕方ない大失態だったのだけど、いざ来ると思ったらつい体が反射的に動いてしまっていた。

 目の前に展開される文字。我ながら惚れ惚れするような早業である。妖怪だと霊力で編まれた結界に触れられないのか、紫の手は結界と接触するとばちばちと音を立ててから乾いた破裂音を立てて大きく弾かれた。体ごと吹き飛ばされた紫は土の上に尻もちをついて、目を見開いている。

 咄嗟の事でお札一枚しか出せなくて、てっきりまた呆気無くぶち抜かれるかと思っていたのに、予想を裏切る結果だった。ってか、考えてみれば、このお札はちゃんと神様二人の監修による真っ当なお札だった。以前のと違って強力な訳である。

 

「あ、あなたいつの間にこんな堅固な結界術を?」

「ああ、昨夜からかしらね。これ、新調したばっかりのお札だもの」

「昨夜!?」

 

 地面に腰を下ろしたままの紫は、右手を左手で擦っている。結界と触れたその手のひらは軽く火傷したみたいに赤くなってしまっていた。

 遅れて、ものすごい申し訳なくなってくる。罪悪感がすごい。寝ているところを叩き起こして、私のミスの尻拭いをさせて、その上で怒られて当然のことをしたのに、防衛本能からの反応だったとはいえ自衛して怪我させてしまった。

 

「ゆ、紫、ごめんね。つい結界使っちゃったけど、今度は避けたりとか防いだりしないから。あんたに叱られて当然のことをしたんだもの、一発だけなら罰だと思って受けとめる」

 

 紫の手を取って立ち上がらせ、紫のスカートについてしまった枯れ葉や汚れを払うと、私はぎゅっと目をつむって紫の正面で気をつけの姿勢をとった。

 こっそり一発だけと注文つけたけど、それぐらい許して欲しい。妖怪である紫に何発も殴られて無事でいられる自信がない。っていうか、一発だって頭が吹っ飛んだりしないか不安でしょうがない。

 

「さぁ、来なさい!」

「そ。それならば遠慮無く」

「え、遠慮はいらないけど、手加減はしてよ!?」

 

 歯を食いしばっては全身に力を入れて、今か今かと待っていたら、ぺちんと軽く頬を張られた。……全然痛くない。

 まさかこれで終わりではあるまいとしばらくそのままで立っていたのだけど、一向に本番が飛んでこないので恐る恐る目を開いてみれば、私の顔を見て苦笑する紫がいる。

 

「あら、もうちょっとあなたのその不細工な表情を眺めていたかったのだけど」

「へ? さっきので終わり?」

「あいにく、ほとんどの妖力を使ってしまって腕力に回せないの。普段の私であれば霊夢の結界にだって体ごと弾かれるようなこともなければ、触れたところがこんな風になることもなかったのだから」

 

 そう言って、いくらか赤みが治まった右の手の平を私に見せてくる。すらっとしてきれいな手、こういうのを白魚のような手って言うんだっけ? 傷ひとつ無い手だからか、薄っすら赤くなっているところが妙に綺麗に見える。

 はぁ。とにかく、弱っていて強く叩く力も残っていないとのことらしい。おまけに、どうやら直前に張り切ってなかったら何でもないことだったのだから、紫が怪我したことも気にするなということだろう。

 

「もう。そういうことなら、紫が元気になるまで一発分借りとくわ」

「あなたの信条は『一発は一発』なんでしょう? もう今しがた返したところよ」

 

 ぐ。きっと背中を思いっきり叩き返した時のことだろう。痛くなくとも一発叩いたのだからチャラだなんて、器が大きさをまざまざと見せつけられた気分。

 私だったら後日にしっかりやり返すべく貸しておくところである。

 

「で、霊夢? 話を戻すけれど、わざわざ結界を緩めてまで私を呼び出す要件があったのでしょう?」

「あ、そうそう。今夜神社で知り合いだけの飲み会を開こうって話があるのよ。紫も来てくれないかと思ってね」

「私に?」

 

 きょとんとした顔で目を見開いて、信じられないという声色で紫が自分のことを指さしている。私がこくこくと頷いて返すと、紫が更に珍妙な表情を浮かべた。顔を横へ背けて、でも私へは視線をちらちらと向けて、口元は引き絞ろうとしているのだろうけどむずむずしている。

 

「どうしたのよ、変な顔しちゃって」

「いいえ。確かに呼び出し方に問題はあったし肝を冷やしたけれど、わざわざそうまでして霊夢が私に声を掛けてくれるだなんて、思いも寄らないものだから……」

 

 紫は「ふふ、これじゃ怒れないわね」なんて、相変わらず口元をむずむずさせて呟いている。まるで、口の端が持ち上がるのを必死に抑えようとしているみたいだ。

 

「で、どうなの? 一応参加メンバーは私と魔理沙、静葉と穣子に、都合が合えば慧音と咲夜あたりも来そうなんだけど」

「もちろん参加させていただきますわ」

 

 私の問いかけに、食い気味に紫が返答する。どうやら落ち着いたらしく、表情の方はいつもの薄っすらとした笑みに戻っている。

 

「そうね。では目も覚めてしまったことだし、今日は夜の宴会まで神社でのんびりさせてもらいましょうか」

「……別に構わないけど、あんたの口に合うようなお茶っ葉は用意してないわよ」

「あれはあれで味があるものね。確かに美味しくはなかったけれど、今思えば嫌いではないわ」

「この贅沢者。うちにある唯一の嗜好品だってのに」

 

 以前にうちのお茶っ葉に文句を言っていたから注いでやりたくないけど、負い目がある手前、無碍にすることもできない。

 ま、いいか。嫌いじゃないって言葉が聞けたから許すとしよう。

 

 

 

 縁側で紫にもお茶を入れてあげて、並んで座ってお茶を啜る。

 そのままぼへーっと宙を眺めて特に会話もなく湯呑みを空にした私は、紫の湯呑みにお代わりを注いであげてから思い立ち、すっくと立ち上がった。

 

「あら、霊夢。どこかへ行くの?」

「ちょっと神社の外に。紫はそこでのんびりしてなさいな」

「今日の私は機嫌がいいから、用事があるなら目的地まで連れて行ってあげてもいいわよ?」

「あー、そうじゃなくて。ついさっき空耳で神社の外に出ろって指示があったのよ。結局あれが何だったのかわからないままなのだけれど」

 

 お茶を啜りながらぼーっとしていたら、忙しくて忘れていたもう一つの方の指示を不意に思い出したのだ。

 

「それは、この前に言っていた鳥居の側で聞こえたといっていたあの声?」

「そうそれ。あのひっくい女の声。一応結界を直す時に貰った助言自体は正しかったみたいだから、物は試しに言われたとおりにしてみようかなって」

「……何が起こるのか興味が有るわね。私もついていくわ」

「まぁ、構わないけど」

 

 本殿の横を通って参道になっている石畳を進み、境内と俗界を隔てている鳥居へと向かう。ちょっと寒いので両手を息で暖めつつ、紫を引き連れて歩く。

 とりあえず階段を降った、私が倒れていた辺りまで行ってみようと考えながら鳥居を潜ると、急にばつんと電源をオンにしたような軽い衝撃が頭に響いた。ほんの一瞬だけ目の前が真っ白になる。耳からではなく、意識が直接薄いノイズ音を拾い始めた。

 

「あれっ、これって前の時と似た感じ……」

『ようやく出てきたのね、この引きこもり』

「だ、誰が引きこもりよ!」

『引きこもりでしょうが。あんたが全然出てきてくれないものだから、こっちから連絡つけられなかったんだから』

「私だって忙しいのよ!」

 

 いつも頭の中に直接聞こえてくる低い女の声だ。呆れ返った感情がこれでもかと乗せられている。

 ぐ、それにしてもちょっとばかり自覚があったので言い淀んでしまった。不覚。

 

「……霊夢、今、あなたはその聞こえてくる声の主と話をしているのね?」

「え? ああ、もしかして今の私、視えない誰かと話をしちゃってる危ない人みたい?」

「それほど普段の姿との間に違和感はないから大丈夫よ。それより、少し触れるけれど我慢しなさいね」

 

 宙に向かって一人で怒鳴り上げていたことに気づいて、顔が熱くなってくる。紫が事情を知っていたからよかったけれど、魔理沙とかの前でやっていたらドン引きされていたかもしれない。

 そんな私に紫が近づいてきて、断ってから右手で頭に触れてくる。その右手には、他よりも妖力が固められているようだ。見るからに禍々しい。そしてまた、頭の中にばつっと軽めの火花が散った。

 

『さて、これで繋がっている筈だけれど、聞こえているかしら?』

「うわ、紫の声まで頭の中に響いてくる……」

 

 自分のじゃない声が二つも頭の中に響いてくるのだ。ただただそれが気持ち悪い。紫の声がどうとかではなく、その二つばっかりが頭の中で浮き上がっていて違和感しかない。

 

『……紫? なんか聞き覚えある声だと思ったら、あんたも一緒に居たんだ』

『やはり。声色は違うけど、霊夢なのね?』

『あー、紫がいるってことは、やっぱり大結界維持に置いておいた霊術もとっくの昔に切れちゃってたのね』

『それよりも、どういう了見で姿を眩ませたの。いきなりあなたがいなくなったものだから、色々骨を折る羽目になっているのよ?』

『本当は一週間ぐらいで戻るつもりだったのよ、でもこっちの体が全然霊力を扱えないものだから……』

「あ゛ーー!! あんたらうるっさい!」

 

 更に私の頭を介して会話を始めやがった。考えもまとまらなくて頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 あの低い声の主が霊夢ちゃんというようにも聞こえたのだけど、まともに情報として認識できなくて自信がない。

 

「……仕方ないわね。このまま無理やり繋げて霊夢の頭が物理的に破裂してもことだし」

「ちょっと待って、人の頭が破裂するような危険なことしてたのアンタ」

『それ、私の体なんだから変なことしないでよ?』

 

 私の声を無視して、焦点の合わない視線を私に向けたまま紫がぶつぶつと呟きだした。内容はなんだかよくわからない数式みたいなのだけど、全然理解できない。

 集中している紫を邪魔するわけにもいかず、ただただ立ち尽くしていた。何をしているか理解できないけれど、数分ぐらいしてようやく紫が現実に戻ってくる。

 

「ふう。とりあえずあちらにいる霊夢の居場所は思念波を辿って特定できたわ。ここから先は、今残っている妖力では成功するか心許ないのだけど……」

 

 紫が宙に作ったスキマに手を突っ込むと、一分ぐらい中をこねくり回し、そうしているうちに何かを掴んだらしくスキマから手を引き抜いた。

 スキマから引き出され、ぽいっと放り出されたのは人である。巫女装束を着た(今私が着ているような奇抜なデザインではなく、一般的な小袖に朱袴のもの)結構な長身の、背中辺りまで髪を伸ばした女性。地面に投げ出され、上半身を起こしたままこちらを見て目をぱちくりさせている。

 

「えっと……私の体?」

 

 そこにいたのは、多少外見が変わっているものの二十数年慣れ親しんできた私であった。肩辺りまでだった髪が背中辺りまで伸びているだとか、何故か巫女装束を着ているいう違いはあったけど、紛れも無く私の体だ。

 私の体が、私の目の前で動いている。目の前の私が、袴を手で払って立ち上がる。そして見下される。身長は今の私より、たぶん頭一個分ぐらい高い。すごいでかく見える。

 

「そんでもって、そっちのあんたの使ってる体が私ってことね」

 

 この女性にしては低めの声は、周りが聞いていた私の声だったようだ。自分で聞く声と周りが聞いている声が違うというのは本当らしい。全然、気づかなかった。

 

 ともかく、私の体を動かしているのは霊夢ちゃんのようであった。

 聞きたいことは色々ある。言いたいこともたくさんある。けれどもそれよりも、私は急に動悸に目眩に襲われ、更には冷汗を額に浮かばせていた。更に、死にたくもなってくる。

 ――――この年になってからの巫女姿の自分を目の当たりにするとは、まったく想像していなかったのだ。

 

 



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知らぬ間に社会的崖っぷちに立たされていた私。

 

「色々言いたいことはあるんだけど、とりあえずその格好は何なの?」

「これ? 外の世界の巫女の服装らしいわね。あんたが住んでたとこの格好なんだから見たことぐらいあるでしょ」

「そういうことじゃないんだけど……」

 

 袴の裾を摘んで立つ霊夢ちゃんを前に、あんまりにも不本意過ぎて私の眉根は寄っていた。たぶん、これでもかってぐらいに目が据わっていると思う。

 私が訊きたいのは何故それを霊夢ちゃんが着ているのかってことなのだ。ほんと、よりにもよって私の身体で何をしてくれているんだろうか。もう『ちゃん』付けなんてしてやるもんか。

 

「まさか自分の姿を目の当たりにするなんて思ってもみなかったけど、こうして見ると存外ちいっちゃいのね。私って」

「奇遇ね。私は自分の背がこんなに高かったものかとおののいているところよ」

 

 背の高い『私』が腕を組んで、背の低い私を見下ろす。相対している私もまた、頭一個ぐらい高い位置にある『私』の顔を見上げる。そうしているうちに何人かの知人に近寄り難いと言われていたことを思い出していた。

 こうして傍から見てようやく合点がいったのだけど、『私』は特に何の表情を浮かべていなくても不機嫌そうに見えてしまうようだ。背の高さと顔つきとが合わさってなんか妙に威圧感がある。でも、こうして動いているところを見るとけっこう『私』の見てくれは悪くない。不機嫌そうなのが転じてクールっていうか、美人よね。髪の毛長くなってるけど、うん、美人……着ているものさえちゃんとしていれば。

 

「で、紫。連れて来られちゃったものはしょうがないにしても、さっさとあっちに帰して欲しいんだけど」

「あら? あなたをこの世界へ引き込むのに、こちらは相当の苦労を強いられたのだけどわかってるのかしら?」

「完全に余計なお世話だったわ」

 

 私の姿をした霊夢が私から目線を切って、気だるそうに鳥居に背を預けている紫を睨みつけている。紫が怒ってるってんならともかく、なんで霊夢がそんな顔をしているのか。

 紫もぱちぱちとまばたきしている。今しがたの発言の意図が掴めないのだろう。

 

「ちょっと。帰るってんなら私でしょうに。何でアンタがあっちに帰るなんて言い出してるのよ」

「あのねぇ、その姿のまま戻ってどうするつもり?」

「……それならさっさと私をそっちの身体に戻しなさいよ」

「出来るならとっくにやってるっての」

 

 吐き捨てるように霊夢が言うのだけど、訊いてるこっちはまったくもって訳がわからない。

 

「どういうこと?」

「面倒だから掻い摘んで説明するけど、あんたと私の精神が入れ替わったのは私が『神降ろし』ってのをいじくった術を使ったから。でも元の術の性質が残ってて、別の世界から私よりも格の高い意識を引っ張ってくることしか出来ないの」

「……つまり?」

「私とあんたが同じ世界に存在している限り、元の姿には戻れないってことね」

「はぁ!?」

 

 じろりと霊夢を睨めつける。海よりも広い寛容な心を持つ私であっても、流石にその発言は看過できない。

 慧音によれば、神降ろしに似た術を使ってから『博麗霊夢』の歴史が途絶えているという話だったので、今回の騒動は十中八九この子が原因だとは思っていたのだけどどうやら当たりだったようである。

 それについてはいいとしよう。迷惑を被りはしたけれど、普通に生活していたら一生巡り合わないだろう貴重な体験をさせてもらったということでかなり無理やりだけど納得出来ないこともなくもない。問題は、その張本人に身体が入れ替わってしまっているこの状態を戻せないと言われたことである。

 

「それなら、何であっちにいる間にさっさと元の体に戻さなかったのよ」

「私が聞きたいわよ。どんなに遅くたって一週間もすれば勝手に剥がれて元通りになる筈だったのに、私の身体にいつまでもあんたが居着いちゃってるんだもの。連絡とろうにも霊力が錆びついちゃってるわあっちでは扱いにくいわ、修行していくらか霊力が戻ってきたってのにあんたが神社に引きこもってる所為で声すら届かないし」

 

 霊夢は「こんな野暮ったい格好したくないけど、霊力の修行に必要ってんで我慢しているのよ」とその着ている巫女服を私に見せつける。ただでさえ視界に入るだけで大ダメージなのに、見せつけるのほんとやめて欲しい。

 っていうか、なんでこんなに悪びれないのこの子。私らに迷惑かけてるのって霊夢よね? あんまり堂々としているものだから私の方が間違っている気がしてきていた。

 

「ああ、その元に戻らなかった理由とやらならば見当がつくわね。霊夢の所為よ」

「私の?」「私の?」

 

 私と霊夢が互いに睨み合っていると、それまで口数少なく私達の様子を眺めていた紫が口を挟んだ。

 霊夢本人を前にして、すっかり霊夢と呼ばれることに慣れてしまった私もついつい反応してしまう。

 

「ああ……外見が霊夢になっている方ね。にしても、呼び分けが面倒ねぇ」

 

 はぁ、と紫が溜息をついた。以前に私のことは霊夢と呼ぶと言っていたけども、流石に本物がいるのだからそっちを霊夢と呼べばいいのではなかろうか。とりあえず、今回は私を指していたようである。

 

「当て推量になるけれど、あなたは与えられた環境に収まる特性を持っているのよ。だから、一時的に入れ替わる筈だった霊夢の身体にそのまま居着いてしまった。元より、世界は違えどあなたと霊夢は同一人物なのだもの。容れ物との親和性が高いというのも大きな要因なのでしょう」

「ふーん」

 

 紫の言葉を信じるなら、私の『あるがままにいる程度の能力』の所為ということらしい。どうやら私の知らないところで勝手に能力が発揮されていたようである。また面倒くさいこと。

 ……って、いや待って、今、聞き捨てならない言葉が飛び出したような。

 

「ちょっと待ちなさいよ。同一人物? 私と、霊夢が?」

「ええ、厳密には違うけれどおおむねその言葉の通り。あなたはそちらの世界における霊夢であって、霊夢はこちらの世界におけるあなたというところかしらね」

「私の世界の霊夢? そんでもって霊夢はこの世界の私って……なにそれ?」

 

 いきなりトンデモ発言が飛び出したものだからつい訝しげに紫を見てしまう。

 

「異なる世界であっていても、世界を作るのに使われている材料はどれだって同じものなのよ。そういう意味であなたと霊夢を構成しているものはまったく同質ということ」

「ええと、そっち方面は詳しくないのだけど遺伝子の配列とかが似てるってこと?」

「同じ人類なのだから八割方は同じなのではないかしら?」

「……紫、アンタわかってて見当違いなこと言ってるでしょ」

「ふふ、ごめんなさいね。肉体(いれもの)の話ではないわ。その存在に世界から与えられた役割の話であり、一個の概念として相似しているということ。理解を易く言葉にするならば魂の質が同一というところかしら」

 

 ううん、魂ねぇ。霊力だなんだとオカルトなものをさんざんに使っておいてなんだけど、魂なんてものも実在していたらしい。まぁよく考えれば、現在進行形で霊夢とは意識が入れ替わっているのだった。意識ってのは魂とおんなじと考えていいのかしらね。

 しかしまた、見た目は違うし年齢だって違う。同じなのは性別ぐらいなのに同一人物と言われてもピンと来ない。

 

「あー、紫の説明の所為で余計に頭がこんがらがってるんだけど……霊夢はわかった?」

「さぁ? 理解しようだなんて考えてないもの。私は、私に似たのがいたからこいつとなら数日は入れ替わっていられると思って術を使っただけだし。それよりも、元に戻らなかったのってあんたの所為だったわけね」

「う、それは……って、諸悪の根源であるアンタが言うな」

 

 私の能力がなければとっくの昔に元通りになっていたということは、責任の一端は私にもあるのだろうか――ちょうどそんなことが頭を過ぎっていたものだから、ちょっと言い淀んでしまった。

 ふん、と鼻を鳴らして霊夢を睨みつけると、同じように霊夢も鼻を鳴らしてジトッとした目で私を見ていた。

 

「あらあら、また見つめ合ったりして。やっぱり自分同士だからか随分と気が合うみたいね」

「いや、アンタはアンタで何微笑ましそうに眺めてるのよ。そんな暇があるならさっさとコイツをあっちに戻しなさいよ!」

「言いにくいのだけれど、それは無理よ」

「無理? 何でよ?」

 

 霊夢と私が揃って紫を見ると、なんでか彼女はにこにこしている。

 

「だって、笑ってしまうぐらい妖気が空っぽなんだもの。今ならお札一枚で退治されかねないぐらいよ。妖怪の身で擬似的にとはいえ博麗大結界を維持したのだもの、これくらいなら安く済んだほうね」

 

 なんて言って実際にころころと笑っている紫なんだけど、なんでそんな楽観的でいられるのだろう。もしかして妖怪って死んでも死なないのかしら。

 とはいえ、なんで紫がこんなにヘロヘロなのかといえば私が結界に穴を開けちゃった後始末を任せちゃったからで、もちろんすぐにでも霊夢を送り返してほしいのだけどそのことについてあんまり強くは言えない。

 

「どれくらい? どれくらいでコイツを送り返せるだけの妖気ってのが溜まるの?」

 

 私が霊夢を顎で指し示すと、紫は腕を組んでぼんやり「ええと……」と呟いている。弱ってるせいなのか、なんだかいつもの超然とした感じがなくなっておっとりした子みたいに見える。

 

「そうねぇ。しっかり睡眠を取っていれば、冬が明けた頃には異世界に繋げるぐらいに力が戻っているのではないかしら」

「冬明け? ってことは、私たち春までこのままってこと? 私の身体までこっちに来ちゃってたら、あっちで行方不明者扱いにされちゃうじゃない! 仕事とか……」

 

 まだこちらは秋。春になるまで半年もかかってしまう。霊夢が私の身体を使っていたから原因不明意識不明とか最悪の状態にはなっていなかったんだろうけど、半年も不在にしていたら今度は行方不明ってことで問題になってしまいそうだ。

 ――そうだ、そういえば失念していた。私の身体を霊夢が使っていたということであれば、あちらで何かしら私らしからぬ行動を起こしていてもおかしくないのだった。

 

「ちょっと待って……アンタ、そんな格好しているけど仕事とか普段の生活はどうしてたのよ?」

「仕事? あー、そういやなんかちっちゃい男がうちに来てどういうことかって訊きに来てたわね」

 

 尋ねてみれば、腰に手を当てた霊夢は眉根を寄せては視線を宙にやって 頭の片隅に打ち捨てていただろう事柄を拾って興味なさげに答えてくれる。

 霊夢の言うところのちっちゃい男ってのは、私の上司じゃなかろうか。会社で私より明らかに背が低い男ってのは四つ上の上司ぐらいだ。あと、うちとか言ってるけどそこは私の家であって決してアンタんちじゃない。

 

「そ、その人には、なんて説明したの?」

「なんか医者のとこでもらったなんとかケンポー症とかカイリセイなんちゃらの診断書を見せたらとりあえず経過みるとかお大事にとか言ってたわよ」

「え? ちょっとそのなんとかケンポー症ってもしかして健忘症のこと言ってんの? 私そっちでどうなってるの?」

「んーと……」

 

 

 ……そうしてよくは理解していない様子の霊夢から聞いてみるに、仕事も行かず訳わからないことを言い出した霊夢を、うちの母さんは病院に連れて行ったらしい。

 当然ながら霊夢は私の交友関係なんて知らないし、外の世界の知識もないものだから心因性の記憶喪失&二重人格だろうと診断されたようだった。『だろう』というのは原因らしきものがそれ以外に考えられないからで、普段太平楽である私にはストレスなんて無縁そうなものだから母さんは首を捻っていたみたいである。とりあえず母から仕事先には連絡がいって、今はなんかの手当を貰いつつ休職中とのこと。

 その後に霊夢はうちの母さんにちゃんと事情を説明して、実際に空に浮かんでみせたところでようやく中身が別人であると理解してくれたということで、母曰く中身が霊夢でも私本人であった頃とそんな変わらないからと、やってしまったものは仕方ない、最終的に元に戻るなら構わないと言って普段通りにしているようである。

 

 なんか途中から仕事のことからお金やらの話ばっかり霊夢に訊いちゃってたけど、さもありなん。漫画とか小説とかみたいに知らない間にその辺り何とかなってたとはならないのだ。まったくもって世知辛い世の中である。

 とりあえず話を聞いてわかったことは、まだ辛うじて社会復帰に望みはありそうだった。……今この瞬間に元の姿で我が家に帰れたのなら、だけれど。

 

「精神疾患抱えて、これから数ヶ月の間は行方不明って状態なのね……終わった……」

 

 こちらから会社へ連絡は取れない。あちらからこちらへの連絡も取りようがない。病んで連絡取れなくなって行方不明とか、客観的に見たならどっかで自殺してる可能性すらも疑ってしまう状況である。

 休職してるにしても会社の人間が定期的に様子を聞きに来るだろうし、さらに半年も所在不明になっていたらクビを切られても文句が言えない。あー……。

 

「えー、いや、そのね? あんたの生活ぶち壊しちゃったことに関しては悪かったと思ってるのよ?」

「あら、霊夢にしては珍しく殊勝なことね」

 

 口を開けて放心していると、おずおずと霊夢が声を掛けてきた。本当に珍しい光景なのだろう、紫が心底驚いた様子で声を上げた。霊夢はバツが悪そうに口を尖らせる。

 

「実際に外界で暮らしてみると、幻想郷とは全然環境が違うんだもの。分単位で予定が組まれていたりしてて、几帳面過ぎて頭が痛くなるぐらいよ。その辺りやっとかないと生活できなくなるってんだから本当面倒なところよね」

 

 なんて外の窮屈さに辟易しつつため息を吐いている霊夢なのだけど、本当にため息吐きたいのは私だっての。

 ただまぁ、言わんとしていることは理解できる。幻想郷にも時計が無い訳ではないのだけど、一般家庭にまでは普及していないようなのだ。人里であってもおおまかに日の出と正午、日の入りを目安に、そこから大体で区切っているようである。一時間ぐらいなら誤差みたいなそんな生活をしていた霊夢がいきなり外の世界に適応できるかというと、やっぱり難しいとも思う。

 

 にしても、えーっと、私これからどうすりゃいいのかしら? 自分のこれまでの生活を根底からぶっ壊されて、こんな事態を引き起こした霊夢を怒るよりも先に諦めが来てしまう。

 別に好きなことを仕事にしてたって訳でもなかったし、機会があったら転職したいなんてことも考えてたから然程に未練はないのだけど、未練がないだけになんかもう色々やる気なくなってきちゃってる。いっそこのまま幻想郷で生きていくことも視野に入れたほうがいいかもしんない。

 

 

 

「……さて、積もる話もあることだし、腰を落ち着けたいところなのだけれど。霊夢、居間を使わせてもらってもいいかしら」

「ん? いいわよー。ついでだしお茶にしましょ」

「うちの神社だってのにあんたが勝手に許可を出すな」

 

 持ち前のポジティブシンキングでもってなんとか気を持ち直した私は、わざわざ肌寒い外で立ち話する理由もないかと思って紫にそう返したのだけれど、本来の家主である霊夢が不満そうにじろりと睨みつけてくる。

 すっかり「霊夢」と呼ばれ慣れているので勝手に返事してしまったのは悪かったけど、霊夢が居ない間は私一人で神社を管理していたんだからそんぐらいはいいでしょうに。今あるお茶っ葉とかも私が買ってきたものだしさぁ。

 

「ってか紫。さっきから思ってたんだけど私とこいつのこと、どっちも霊夢って呼ぶのやめてくれない? 訳わかんなくなるわ」

 

 勝手知ったるなんとやら。居間に向けて歩き出した私に遅れてついてきた霊夢が、今度は隣を歩く紫に文句をつけている。

 以前に紫が私のことを「霊夢」と呼ぶと言っていたので、声を掛けられるとついつい私も反応してしまう。どっちを指して呼んでいるのかわからないってのは同感だったので、私も「そうね」と同意の声を上げておいた。

 

「そういうことであれば、後々のこともあるから外側に合わせて呼ぶようにしましょうか」

「えーと、そうなると……?」

 

 外側に合わせてってことは、霊夢の身体を使っている私は霊夢と呼ばれて、私の身体を使っている霊夢が私の名前で呼ばれることになってしまうのだけど。

 文面にしたって一回で意味が読み取れるか怪しいぐらいにややこしい。でも、どうやら春先まで中身が入れ替わったまま戻れないらしいので、中身に合わせて呼んでたらその場に居合わせた人たちへの説明が面倒そうだし、半年後に元に戻った時に余計に混乱しそうだからその方がいいのかも。

 でも、そうなるとこの巫女の格好をしている『私』を私の名前で呼ばないといけないのか。必死に目を背けていたのに、この痛々しいのを自分と認めなくてはならないことが一番キツい。

 

「私、その姿のアンタを自分の名前で呼ぶの、すっごい抵抗あるんだけど」

「……私だって、あんたのことなんて私の名前で呼びたくないわよ」

 

 年甲斐もなくそんな格好しているのが自分と認めたくないが為についつい口から出てきた発言だったのだけど、それを聞いてしかめっ面になった霊夢がこれでもかってほど不服そうに言い捨てる。

 むう。なんだってこの子はこんなに喧嘩腰なのよ。そういう態度をされると応対している私だって気分が良くない。自然とまた霊夢と睨み合う。

 

「はぁ。まったく歯に衣着せぬ物言いが出来るほどに気が合うのは良いのだけれど、二人して口を開けば文句ばかりでしょうがないわね。あなたたちだけに任せておいたら日が暮れてしまうわ」

 

 仕切り直すような紫の言葉を聞いて、遅れて霊夢の態度に会得がいった。今しがたの「名前で呼びたくない」ってのが、どうやら周りには霊夢への悪口のようなニュアンスで聞こえていたようである。

 別にそんなつもりはなくて、私もしばらく『霊夢』と呼ばれていたからそれについてはもう違和感もないし別に構わなかったのだけど、紫が仲裁に割って入ってしまってて今更釈明もし難い。ううむ、勘違いされてるとわかっちゃうとなんかすごいもやもやする。

 

 そうして私と霊夢とを見比べて何事か思案していた紫は、まず私を指し示した。

 

「そうね。では、新しく巫女になった方……霊夢の身体を使っているあなたを当代の巫女ということにしましょう」

「私?」

 

 すぐには意味が飲み込めなくて、紫をまじまじと見つめてしまう。紫は一つ頷くと、私に向けていた人差し指をつい、と霊夢の方へずらした。

 

「対して、中身が霊夢であるあなたを先代と呼ぶようにすればいいわ。これならば間違いないでしょう?」

「はぁ? 何言ってんのよ、間違えだらけじゃない。先代って別に私は引退した訳じゃないし、そもそも先代の巫女はこんなちゃらんぽらんじゃなくて、もっとちゃんとしたのがいたんでしょ?」

「ええ、ちゃんとしていたわ。あなたたちと比べたら大真面目で模範的な巫女だったわねぇ」

 

 勝手に博麗の巫女を退任させられた霊夢が紫に食って掛かっている。紫はそんな霊夢を気にも止めずに遠い目で過去を思い起こしているようなのだけど、なんだか「昔は良かった」とか昔話をしてる時のうちのおばあちゃんと姿が重なる。

 それはそれとして霊夢め、ちゃらんぽらんとはどういうことだ。魔理沙からアンタより巫女らしいってお墨付きまで貰ってるこの私に向かってよくも言ったものである。掃除してただけだけど。

 

 ――さて。

 そんなことより紫の提案する『当代』『先代』という呼び名についてなのだけど、先代ってのは役職を譲って退いた人を指しての言葉なので霊夢の言うように先代では語弊があるのは間違いない。それに当代の巫女とやらにされちゃってる私にしたってあくまでも霊夢が不在の間の代理であって、博麗の巫女の地位を正式に引き継いだ訳ではないのだ。

 昨日からちゃんと巫女さんの仕事を始めた私を巫女と数えていいのなら、霊夢は『先代の巫女』ではなく『先任の巫女』といった方が正しいかもしれない。ただし今の霊夢を先任としてしまうと、言葉上では正しくても今度は状況の方で辻褄が合わなくなってしまう。寺子屋の子どもたちでも知っていたように博麗の巫女は人里でも広く知られていたし、見覚えのない『私』が霊夢より前から巫女として務めていたなんて言い出したら今度はそこに齟齬が生まれてしまう。

 

「私の姿をした霊夢を現職の巫女として扱わないようにする理由はなんとなくで見当つくんだけど、本当に先代の巫女を務めていた人のことを知ってる人もいるんだろうし、いきなりコレを先代なんて呼び出したらどっちにしてもおかしなことになるんじゃないの?」

「ならば、先々代から役目を引き継ぎ巫女として務め始めたけれど、体調を崩してすぐ後任に役目を譲ったとでもしておけばいいのではないかしら?」

 

 えっ、いいのそんなので? なんかすっごい適当なんですけど。

 

「霊夢の姿でいる間は、あなたも巫女として務めなくてはならない。とはいえ巫女として半人前であるあなたではわからないことも多い。教えを乞う相手が先代の巫女であるなら不自然でもないでしょう。そして、中身が元通りになった時に当代の巫女の座は収まるところに収まる。先代となっていた方が幻想郷から出て行っても、当代への指導を終えて隠居したとでもしておけば説明がつけられるじゃない」

「おいこら。私はまだ隠居って歳でもないわよ」

 

 まだみんな「おばさん」ではなく「お姉さん」と呼んでくれてる。霊夢とは一回りは離れてるっぽいけど、まだ二十代なのだ。あと一年とちょっとの間は二十代なのだ。

 

「……外の世界の巫女は早ければ二十代前半、遅くとも三十になる頃には退職するのが通例なのだけど」

「えっ!? ……そ、そうなの?」

「博麗神社の巫女は神主でもあるから年齢に関しての明確な決まりはないけれどね。ああ、結婚したら退職するのは内も外も変わりはないみたいねぇ」

 

 紫からの新情報にこれ以上ないほどうろたえる私。どうやら定年退職へのカウントダウンは知らぬ間に始まっていたらしい。場合によっては数年前にリミットを超過している。さらにもう一個のおめでたい方の退職理由にはまったく見通しは立っていない。

 ぐう、年齢と結婚とを引き合いに出されちゃうと私に抗弁する術はない。同時に『私』を新しく入ってきた巫女見習いとしない理由も察してしまった。一応博麗神社では年齢制限はないようだけれど、博麗霊夢(若い子)がいるのにそれより年を重ねている『私』を巫女見習いとして迎え入れるかといえば、……まぁ……うん……そういうことだった。

 

「そういうことなので、これからは呼び分ける為にそちらの身体に入っている霊夢を先代と呼ぶことにするわ。霊夢の身体を使っているあなたはこれまで通りね」

「ま、呼び名なんて呼ぶ奴の好きにすればいいわよ。私はあんたのことを自分の名前でなんて呼ぶつもりないから、『当代の巫女』って呼ばせてもらうけど」

 

 紫がそう締めくくったところ、そのあたりを考えるのが面倒になったか、霊夢がどうでもよさそうに言い放った。

 つまりこれから、霊夢の身体を使っている私は「霊夢」あるいは「当代の巫女」と呼ばれ、私の身体を使っている霊夢は「先代の巫女」と呼ばれるようである。対外的なことで中身に合わせて呼べないのは仕方がないとはいえ、すごいややこしい。

 

 

 

 

 そうこうしてようやく玄関に辿り着き、横戸に手をかけたところで私はふと、犯人に動機を聞き忘れていたのを思い出した。

 

「ああ、そうよ。そういえば結局何が目的で霊夢は……じゃなかった。何だって、先代は私と入れ替わろうと思ったのよ?」

「お酒よ、お酒」

「お酒?」

 

 思いも寄らない回答に頭の中は真っ白で、ついついオウム返ししてしまう。

 

「幻想郷にないお酒を飲んでみたかったのよ。それだけ」

「……そ、それだけ?」

「言ったでしょ。一日二日だけ身体を借りるだけのつもりだったの。そのつもりで術をいじくったし、それがまさかこんな大事になるなんて思わなかったのよ」

 

 「だから悪いと思ってるって言ったじゃない」なんて、霊夢はぶっきらぼうに吐き捨てた。言葉の割にまったく反省が感じられない。

 それよりも、お酒? お酒で私は職を失ったの? ……ちょっと意味分かんない。

 

「…………、……。……それで、外のお酒はお気に召したの?」

「悪くなかったわ。チューハイとかカクテルは色々あって面白いし、ビールっていう冷やした麦酒もまぁ美味しかったわ。ワインやブランデー、ウイスキーなんかはレミリアがちょっとだけ持ってきたのを貰ったことがあったけど、あっちではいくらでも飲み放題ってのがいいわね」

 

 うんうんと頷いて上機嫌な霊夢は「でもやっぱり清酒が一番ね」とにこやかに呟いた。私は必死に、ぶるぶると爪が食い込むまで拳を握りしめ耐えていた。

 ダメよ私。怒っちゃダメ。大人にならなきゃ。なんかもうこいつの髪の毛掴んで地面に引き倒してひっぱたいてやりたいけど、手を出したら傷害罪なんだから。三十路近くでもって無職の上に前科持ちだなんて取り返しがつかない。……いや、ここ幻想郷だから警察いないしやっちゃってもいいんじゃない? いや、でも私の身体な訳だし、顔に傷残ったりしたら嫌だし、それならボディを……。

 

「よっと!」

 

 私が密かに葛藤しているところ、空から人が落ちてきた。件の人物は離れたところに土煙をあげて勢い良く着地すると、スカートを手で払ってから箒を担ぎ、とことこ歩いていくる。

 

「おーい霊夢ー! お勤め果たしてきたぜ! 慧音は来られるみたいだけど、咲夜の奴は子守があるから遠慮するとさ!」

 

 魔理沙だ。私へ向かってにいっとご機嫌な笑みを浮かべている。「今夜の宴会が今から楽しみだ」、そうその顔に大きく書いてある。

 と、魔理沙に遅れてもう一人神社に向かって飛んできていることに気づいた。魔理沙の友達だろうか? 金髪の髪には赤のヘアバンド。色白の、陶器のようにつややかな肌。青色のワンピースの上に白いフリル付きの肩掛けをしていて、片手に大判の洋書らしきものを下げている女の子だ。

 うお、すごい可愛い。フリルが似合う、女の子って感じの女の子だ。本当に幻想郷の女の子ってレベルが高すぎる気がする。それなりの美人で通ってた私が気後れするぐらい美人揃いなんだけど。

 

「おっ? 無事に紫は捕まえられたみたいだな。それと、そっちにいる見慣れない方の紅白は誰なんだ? 田舎臭い格好だけど、外来人か?」

 

 魔理沙に置いて行かれただろうに、彼女は特段表情も変えずにゆっくりと着地する。連れてきただろう魔理沙はといえば、そんな彼女に構わず紫と霊夢に目線を向けている。

 

「誰って、私よ私」

「生憎だが、私が私と呼ぶ奴はこの私以外に知らないな」

「そういう問答はいいから」

 

 呆れた様子で息を吐きだした霊夢。そんな霊夢を顎に手を当て訝しげにじろじろと見やっていた魔理沙だったが、ふとぽんと手を打った。

 

「お……さてはお前、中身は霊夢だな?」

「へえ、よくわかったわね」

「ま、お前との付き合いも長いしな。それにこんなふてぶてしい奴は世界中探したって二人しかいないぜ」

 

 ご機嫌な魔理沙はそうして意味ありげに私を見る。一人は霊夢として、もう一人ってのは私ってことか。

 私を見てにやにやと笑っているのは、食って掛かるのを待っているからだろう。

 

「はぁ……とりあえず居間に行きましょ。お客様もいるみたいだしね」

 

 そのまま期待された反応を返すのもなんだか癪に障るので無視してやる。未だに紹介されない女の子を目で示して、手をかけたままだった戸を開け放った。

 

 本人が勝手に始めたとはいえ、入れ替わり事件解決の為に動いてくれていた魔理沙にも事情の説明は必要だろうし、霊夢に訊きたいこともいっぱい残ってる。

 ……あー、もう。今夜は飲まなきゃやってられないわ。神社のお酒、からっぽにする勢いで飲んでやる。

 

 

 

 



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