ギンガ・THE・Live! (水卵)
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第1話 夢を追う者
第一章:記憶喪失の少年


 [0]

 

 ──俺は一体何者なんだろう? 

 どこで生まれ、どこで育ったのか。

 今の俺にはわからない。

 周りは俺を暖かく迎えてくれるけれど、時折見せる悲しげな表情がとてもつらかった。みんなは俺を知っているのに、俺はみんなを知らない。

 俺はみんなの笑顔が大好きだ。笑っていると、幸せな気持ちになる。うれしくなる。

 だから俺は──絶対に記憶を取り戻そうと決めたんだ。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 赤い夕陽が照らす、辺り一面森の世界。中央にそびえ立つ巨大な遺跡のような建造物以外に、目立った建造物はない。人の気配も動物の気配も、生物の気配がまったくない静寂の世界。

 それはまるで、一つの文明が滅んだ跡地のような世界だった。

 しかし……、

 

 

 ドン!! と静寂を引き裂く破壊音が響いた。

 

 

 ──影だ。二つの影が静寂の世界で衝突していた。

 片方は白い靄が集結した影。

 もう片方は光が集結した影。

 両者は共に人型の形をしており、衝突するその様はまるで人間同士が戦っているかのように見える。

 いや、『ように』ではなく、実際に二つの影は戦っているのだ。お互いに目の前の相手を倒すために。

 邪魔なのだ。

 互いに互いが。

 影の衝突は続く。どちらかが力尽き、朽ち果てるまでこの衝突は終わらないだろう。三度(みたび)ぶつかる拳、交差する蹴り、そのすべてが相手を倒すために振るわれる。

 両者の衝突は、次第に終わりが見え始める。

 明らかに『光の影』の方が有利に戦いを進めていた。『靄の影』が放つ蹴りや拳が次第に『光の影』を捉えられなくなって行き、反対に『光の影』が放つ拳や蹴りが、『靄の影』を捉えて行く。

『光の影』の蹴りが『靄の影』の腹部に食い込んだ。くの字に曲がる『靄の影』。後ろへと吹き飛んだ『靄の影』は土煙を上げながら地面を転がる。

 大きなダメージとなったのか、すぐには立ち上がれない。

 ──『光の影』が仕掛けた。

 クロスした腕を頭部へと持って行き、光が収縮し始める。その光は間違いなくこの戦いに終止符を打つ光だ。

『靄の影』は回避行動に出ようとするが、それより先に紫色の光が放たれた。光は『靄の影』を飲み込んで行き、跡形もなく消し飛ばした。

 

 

 戦場だった世界は、再び静寂の世界となる。

 一人、その静寂の世界に佇む『光の影』。

 そして影は──、

 

 

 

 

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 ☆★☆★☆★

 

 

 四月。

 それは春の代表ともいえる暦であり、同時に新たな『スタート』を知らせる月でもある。

 新生活、新学期、新しい学校、新しいクラス、新しい職場。『新しい』というものすべてがやってくる、まさに『新しい』尽くしの月だ。きっと見るものすべてが新鮮に映るだろう。

 同時に、胸の中に広がる『期待』と『不安』。

 これから始まる『新しい』にドキドキワクワクの『期待』を膨らませる者もいれば、ガクガクブルブルと『不安』に押しつぶされそうになる者もいるだろう。

 そしてこの少年──一条(いちじょう)リヒトも、そんな『新しい』に『期待』と『不安』に胸を躍らせていた。

 明るい茶色に染めた外はねの髪、左耳にはピアス、腕には数珠と時計、右中指にはリング。ダメージジーンズに黒系Tシャツ、その上からは灰色のパーカーを着た一見チャラそうなイメージを抱かせる少年は、お気に入りのヘッドフォンで音楽を聞きながら約八か月ぶりに訪れる『音ノ木町(おとのきちょう)』を歩いていた。

 お気に入りのヘッドフォンから流れてくるアップテンポな曲につられて体がリズムを刻み始める中、ふと目の前に振ってきた桜の花びらを掴む。

 

「……よし」

 

 フッ、と手のひらに乗る桜の花びらを吹き飛ばすと、青い空を見上げ笑う。

 そして少年は目的地に向け、足を進めるのだった。

 

 

 

 

 [1]

 

 

 しばらく歩き続けて、ようやくリヒトの目的地が見えてきた。

『神田明神』。そこがリヒトの目的地だ。

 その手前にある長い階段を駆け上がると目的地がある。しかしこの階段は、見方を変えればとても長い坂になっている。普通のなだらかな坂であればよかったものの、階段となっているため、登るのには人苦労しそうな坂だった。

 絶対足腰に来そうだなー、とリヒトは思いながら屈伸運動をして階段を上がる準備を整える。

 ──試しに走ってみるか? 

 ふと、そんなことを思った。

 絶対に疲れそうな坂──否、階段を前にして、リヒトのチャレンジ精神がくすぐられる。

 長い階段を走って登るのは絶対に疲れるし、絶対に苦しい。

 しかし、リヒトのチャレンジ精神が『挑め』と言っている。

 挑戦的な笑みを浮かべると、リヒトはポケットに手を入れ音楽プレイヤーを操作すると、今の一番のお気に入り曲である『ススメ→トゥモロウ』を設定。再生ボタンを押すのと同時に駆け出す。

 最初は勢いもあってか順調だったが、ものの数秒で自分が行ったことに対して後悔が生まれた。

 コレ意外としんどい!! 

 ──最近運動サボってたのが裏目に出たな、これ。

 などと『とある理由』があるにしろ、運動をサボっていたことを後悔しながらもリヒトは階段を登り切った。

 

「だはっー!」

 

 息を大きく吐き、酸素を求めて深呼吸を繰り返す。

 ──ああ、いい運動になった、などと思っていると、

 

 

「驚いたなぁ、あの子たち以外にここを走る人初めて見たよ」

 

 

 一人の少女に声をかけられた。

 声がした方を見てみると、背中まである長い髪を一つにまとめ、竹箒を持った巫女服姿の少女が立っていた。少女はニッコリと、リヒトに微笑みながら「こんにちわ」と言ってくる。突然知らない人から声をかけられ、戸惑いつつ「どうも」と軽く首を動かしながら言うリヒト。

 

「キミが、一条リヒトくんやね?」

 

 突然名前を言い当てられ、リヒトは困惑した。

 

「そうだけど、君は?」

 

「ウチは東條(とうじょう)(のぞみ)。君と同い年の高校三年生。ここでは巫女さんのお手伝いさんをしていて、今はそのアルバイト中。一応、奉次郎(ほうじろう)さんからキミのことを任されてるんよ」

 

「じいちゃんから?」

 

『奉次郎』と少女は言った。それは紛れもなくリヒトの母方の祖父である(さかき)奉次郎(ほうじろう)のことだ。

 母親から聞いた話では、奉次郎はここ神田明神にて少々特殊な立ち位置にいるらしい。そのため、リヒトがここに来たとき、迎えが自分ではなく代わりの人がいるかもしれないと言っていた。

 そのことを思い出したリヒトは少女の方を見る。

 

「ってことは、君が代わりの人?」

 

「そっ。ちょっと遅れるらしくてな。その間、キミのお話し相手になってくれと頼まれたんや」

 

 初対面の人になんてことを頼んでいるんだ、と思いつつ、しかしここで何か時間を潰せるものもなく、仕方ないと言った感じでリヒトは言った。

 

「そっか。なら、少しこの神社を案内してくれよ、巫女さん」

 

「了解。それと、『巫女さん』じゃなくて『希』って呼んでくれてもかまへんよ? ウチはりっくんって呼ぶから」

 

「あははは、考えとく」

 

 そう言ってリヒトは肩にかけていたボストンバックを担ぎなおすと、境内へと向かって歩き出す。

 

「にしても、あまり人がいないんだな」

 

「時間も時間だしね。休みの日とかなら人がいるもんやで」

 

「そうなのか?」

 

 希と会話をしながらリヒトがまず最初に目指したのは賽銭箱のある場所だ。神社に来たからにはお参りをするのが妥当だろう。

 一応祖父が神社で働くものであるため、二拝二拍手一拝でお参りをするリヒト。

 

「…………」

 

「どないしたん?」

 

 お参りをし終わったというのに、沈黙したままでその場を動かないリヒトを不思議に思ったのか、希が声をかける。

 

「いや、意外と体は覚えてるんだなって」

 

「?」

 

 リヒトの言った言葉の意味が分からず首を傾げる希。その仕草が妙に可愛く見えたリヒトは、ぷっと噴き出すと「なんでもない」と言って次の場所を目指す。

 次にリヒトが訪れたのはおみくじ売り場。

 

「さて、いい結果が出るといいな」

 

 そう言って手渡されたおみくじを受け取るリヒト。どんな結果が出るのか楽しみであるリヒトはワクワクした気持ちで紙をめくっていく。

 一七〇センチ近い身長の同い年──リヒトも希も共に誕生日を迎えていないので共に十七歳である──の少年が、きらきらとした瞳でおみくじをめくる姿は、希の目には微笑ましく映っていた。

 紙を開き、そこに書かれている結果を見たリヒトの顔は「うーん」とどこか納得のいかない表情だった。

 

「?」

 

 芳しくない結果だったらしく、結果が気になった希はリヒトが持つ紙を横から覗き見ると『吉』と書かれていた。

 

「俺としては、大吉とか大凶とか、話のネタになる結果が良かったんだけどなー」

 

「こらこら、そんなこと言っとったら神様に失礼やで」

 

「それもそうだな」

 

 リヒトは改めておみくじの結果を見ながら言う。特に可もなく不可もなく、程よい結果が各項目に書かれている中、ある一文を見たリヒトの顔が怪訝になった。

 そこにはこう書かれていた。

 

 

 ──―災いの影が、汝を苦しめよう。

 

 

「…………」

 

「??? どないしたん? なんかよくない結果でも書かれてた?」

 

「……いや、特に気にすることじゃないだろ」

 

 素っ気なく言うと、おみくじを畳み移動を始めるリヒト。明らかに雰囲気の変わったリヒトに疑問を感じた希だったが、追及することはなくリヒトの後を追った。

 

「そういえば、どうしてりっくんはこの時期にここに来たん?」

 

 しばらく境内を回り、奉次郎が来るまでやることもなくなってしまった様子のリヒトに、希は今まで気になっていたことを聞いた。

 現在は四月上旬。本来であれば希と同い年であるリヒトは高校に通っているはずだ。新生活にまだドタバタしている時期になぜリヒトはこの町を訪れているのか? 

 まさか、退学でもしたのだろうか? と一瞬考えてみたが、奉次郎の話を聞いた限りでは──休憩中などに奉次郎がたまに持ち掛ける話の中に『リヒト』という名前がよく出てくるので──目の前の少年は普通に高校に通っており、約半年前にはアメリカにダンス留学したとのこと。そして年初めにはこちらに帰ってきて、今年で高校三年生となったと聞いている。それならば、間違いなく今頃は高校に通っているはずなのだが……。

 希に問われたリヒトは「んー」を首を傾げながら、

 

「何かに、呼ばれた……気がしたんだよな」

 

 と少し歯切れ悪く言った。

 

「呼ばれた?」

 

 リヒトは一つ頷いて、

 

「うまく説明できないんだけど、なんか最近見るようになった夢があってさ。光と靄の影? かな。とにかく、その二つの影が戦っている夢を見るようになってさ。そしたらその光が俺を呼んでいる気がするんだ。いや、呼んでいるっていうか、うーん、共鳴? なんか俺の体の中からその光と呼び合うモノがあるというか……、あー! なんかうまく説明できねぇ!」

 

 上手く説明できないことがもどかしく、後頭部をかくリヒト。

 しかしこれは仕方のないこと。本当にリヒトもよくわからないのだ。

 最近──正確に言うならば三月当たり──見るようになった夢というのも、実際のところ夢と表現していいのかリヒトにはわからなかった。妙にリアル感のある夢であり、自分が()()()()()()()()()様な感覚がするのだ。

 内容はいつも同じ。あたり一面森の世界を舞台に、衝突する二つの影の激闘を何度も見る。最初はただの夢かと思っていたが、繰り返し見るにつれてだんだんと違和感を感じるようになっていった。

 極めつけは『光の影』に触れた時だろう。

 正確に言うのであれば影が発する光に飲み込まれたと言った方が正しいが、ともかくその時にリヒトは自分の中の何かと光が共鳴するのを感じたのだ。

 そして聞こえてきたのだ、自分を呼ぶ大勢の人々の声と、自分の中の何かが強い反応を起こすのを。

 そして──、九人の人影がリヒトの前に手をかざし──―。

 

「とりあえず! 俺はその夢の中で呼ばれた気がしてこの町に来た。ちょうど学校も休学扱いだったし、いい機会だなって思って。ってか、聞いてる?」

 

 後半はほぼやけくそ気味に説明するリヒトだったが、聞いている希の様子の変化に気がつき声をかける。希は顎に手を当て何かを考えているらしく、ブツブツと小さく声を漏らしている。しかし、声が小さすぎてリヒトには何を言っているのかよく聞こえず、もう一度声をかけようとしたところで希が顔を上げた。

 

「もしかして……キミが」

 

 そう言った時の雰囲気は、さきほどまで似非関西弁を使っていた飄々とした雰囲気ではなかった。おそらく、今の雰囲気が彼女の素のだろと思いながら、リヒトは希が発した言葉に返すように戸惑いながら、

 

「俺……が?」

 

 と、言った。

 しかし、希は何も返さない。ただリヒトの瞳を見つめてくるのみ。女の子に見つめられるというシチュエーションに慣れていないリヒトは、そっと視線を逸らす。

 それ故気付かなかった。

 そっと希はリヒトに近づくと、自分の右手をリヒトの胸に当てる。

 

「──!?」

 

 希の突然の行動に軽くパニックになるリヒト。

 

「あ、あの、東條さん……?」

 

「…………」

 

 リヒトは希の名を呼ぶも、希は瞳を閉じたままリヒトの胸に手を当てたままで答えない。それが余計にリヒトの脳内にパニックを起こし、やがて羞恥から顔を赤くし始める。さっさとその場から身を引くなりなんなりして希の手から逃れることはできたのだが、彼女から漂う雰囲気がそれをさせなかった。

 やがて彼女はポツリと、

 

「そっか、きみがそうなんだ……」

 

 そう呟いた。

 

「?」

 

 リヒトは希の言ったことの意味が分からず首を傾げる。

 しかし、希は自分の中で何かが解決したようで、リヒトの胸から手を放すと先ほど初めて会ったときと同じ雰囲気に戻った。

 

「うんうん、何でもない。それより学校が『休学中』ってどういうことなん?」 

 

 先ほどのことはなかったことになったのか、改めて話題を振ってくる希。リヒトも話題が話題なために、先ほどまで舞い上がっていた心が一気に落ち着き冷静になった。

 そして口を開こうとしたとき、ガサリ、と人がこちらに近づいてくる音がした。音がした方を向けば、白髪の男性が高校生くらいの女子三人を連れてこちらに来る姿があった。

 

「お、来たみたいやな」

 

 その人物たちを知っている希は、リヒトが待っている人物──白髪の男性──奉次郎がいることをリヒトに知らせようと振り向いたところで、リヒトの様子の変化に気がついた。

 

「…………」

 

 リヒトの表情がわずかに緊張していた。同時にその瞳は寂しそうにしており、嬉しそうという感情は見当たらなかった。

 親族に会うというのに、どうしてそんな表情になるのか疑問に思う希だったが、リヒトの方が先に口を開き答えを示した。

 

「俺さ、自分がどこで生まれたのかも、どういう人間なのかも、どういう人生を送っていたのか、()()()()()()()()()()()()。つまり──」

 

 そして彼は、少し儚げに笑って、

 

 

 

「──記憶喪失なんだよ」

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 ──時は少し遡る。

 一条リヒトが神田明神を訪れる前の時間。

 そこには三人の少女の姿があった。

 肩口までの長さの髪をサイドテイルにした少女高坂(こうさか)穂乃果(ほのか)、黒く美しい髪がまさに大和撫子という言葉を連想させる少女園田(そのだ)海未(うみ)、長い髪を穂乃果同様サイドテイルにし、特徴的な癖の付いた髪の(みなみ)ことり。三人ともこの音ノ木町で生まれ育った少女たちだ。

 そして同時に幼馴染でもある三人は、服装を運動のできるものに変え、階段ダッシュを行なっていた。

 理由はもちろん、彼女たちが最近始めたことが関係している。

 

 

『スクールアイドル』。

 今の若者を中心に絶大に人気なコンテンツの名称である。

 

 

 その概要は、いわゆる芸能プロダクションを介さず一般の高校生が自発的に集まり結成された、ご当地アイドルの様なものである。部活動の様なもの、といった方がわかりやすいかもしれない。元々はアイドルに興味のある学生たちの集まりであり、今のように歌って踊ることはしなかったと言われているが、いつごろからか歌って踊るようになっていた。

 そして現在、その人気は凄まじいものとなっており、今では数多くのスクールアイドルが存在し、自作の曲を専用の動画サイトに投稿するほどである。さらに言えば、スクールアイドル専用の雑誌までもが創刊されており、数多くの有名なスクールアイドルの特集が組まれている。

 どうしてこれほどまでに人気が出たのか。

 それは間違いなく『A-RISE』というスクールアイドルの存在が大きいだろう。

 東京のUTX学園に所属するスクールアイドル『A-RISE』。UTX学園は元々芸能プロダクションと厚いパイプがあり、それを生かして作られた『芸能科』という学科がある。そこがセミプロデュースしたスクールアイドル。それが『A-RISE』である。セミプロデュースされたこともあって歌もダンスもそのレベルは一般の高校におけるスクールアイドルとは一線を越えており、その実力が評価され『スクールアイドル』全般の推進に繋がった。

 今では数多く存在するスクールアイドルのトップに君臨しており、彼女たちに憧れUTX学園に進学、または同じスクールアイドルを始めたという学生は多い。

 そして彼女たちもまた、『A-RISE』との出会いがきっかけでスクールアイドルを始めたのである。

 

「穂乃果! ことり! 少しペースが落ちてますよ!」

 

 二人の前を走る海未が遅れている二人に声を飛ばす。

 海未は弓道部に所属していることに加え、実家が日舞の家元であるため普段から武道で鍛えている。そのためか二人に比べて息の乱れが少なく、依然ペースを保ったまま二人の先を走っていた。

 穂乃果とことりは運動部に所属しておらず、普段の生活においても学校の体育以外運動を滅多にしないために平均的な体力しかなく、すでに息が絶え絶えだった。海未とは一往復差がついておりこのままいけば二往復差になりそうだった。

 それでも、穂乃果は走り続ける。そこには彼女の並みならぬ想いが関係していた。

 なぜなら、彼女が『スクールアイドルを始めよう』と言い出したのだから。言い出しっぺとして、こんなところでギブアップするわけにはいかないのだ。

 そもそも彼女たちがスクールアイドルを始めた理由は、彼女たちが通う学校の『廃校』を阻止するためである。

 彼女たちの通う高校、それは音ノ木町でも古くからの伝統を引き継ぐ女子高として有名な『音ノ木坂学院』である。古くから存在する校風を大切にしているのだが、それ故かここ最近は『古臭い』などと言われることが多く、入学希望者が減少していった。加えてUTX学園の存在がより一層音ノ木坂学院に影響を与えていた。

 そして今年入学した一年生は一クラスしか存在せず、『廃校』の色が濃くなってしまったのだ──ちなみに、二年生はニクラス、三年生は三クラスである──。

 穂乃果たちは『スクールアイドル』で音ノ木坂学院の、母校の廃校を阻止しようと考えた。もちろん、雑誌に載っているスクールアイドルの様な結果を出せれば、廃校を阻止できるかもしれない。しかし、それがどれほど辛く、大変な道のりなのか、どんなに難しいことなのか、それは言うまでもなく誰でもわかることだ。

 雑誌で取り上げられているスクールアイドルは、プロの様な並大抵ならぬ努力のたまものとして結果を残している。その為に費やした時間は、いったいどれほどか……。

 それに比べて、穂乃果達はまだ()()()()()()()()()()()()()()()。一応、今度の新入生歓迎会後にファーストライブをやる予定ではいるが、それがスタート地点なのかは怪しいところである。

 しかし、彼女達は成功させなければいけない。廃校を阻止するために。

 穂乃果の心には、以前ある少年から送られた言葉が今もなお残っている、

 

 

『なにかを成し遂げたいなら、絶対に怯むな! 「失敗」が怖くて下を向いていたら、「希望」も「成功」も何もつかめない! そういうのは、常に上を向いているヤツの元にやってくるんだ。だから穂乃果、何かを掴みたい、何かを成し遂げたいなら上を見ろ! 手を伸ばせ! 勇気を出して一歩踏み出した奴の元にこそ、神様は微笑むんだぜ!』

 

 

 その少年の言葉があるからこそ、穂乃果は決して下を向かない。失敗を恐れない。掴みたいモノがあるからこそ、穂乃果は今もなお上を向いて走り続けるのだ。

『廃校阻止』をつかみ取るために。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 声を上げラストスパートをかける穂乃果。突然声を上げたことに海未とことりは驚くが、すぐに笑みを浮かべると二人も声を上げてラストスパートをかけた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 走り終えた穂乃果は、その体にのしかかる疲労から四つ這いになり、酸素を求めて激しい呼吸を繰り返す。

 ──これなら、日ごろからもっと運動しとくんだった。

 と思う穂乃果。まさに後悔先に立たずと言ったものだ。海未同様日ごろからそれなりに運動をしておけば、少しはましになっていたはずなのに。

 穂乃果の横ではことりが膝に手を当て、激しい呼吸を繰り返していた。

 

「こら二人とも、すぐに止まってはいけません。ゆっくり歩きながら呼吸を整えてください」

 

 学校行事なのでマラソンをやったことのある人ならわかるかもしれないが、長距離を走った後急に立ち止まるのは良いことではない。急に立ち止まってしまうと、走っている最中に上がった心拍数が急に落ち、心臓に負担がかかるのだ。これは筋肉にも同様のことが言われ、ケガや故障の原因となってしまう。その為、海未の言った通りランニングの後はすぐには止まらず歩くことが大切なのである。

 海未に言われ、穂乃果とことりはゆっくりと歩き始める。それからアキレス腱を伸ばしたりなどで足の筋肉をほぐし始める。激しく乱れていた呼吸もストレッチをやっているうちにだんだんと落ち着いて行った。

 

「それでは、次に行きましょうか」

 

「がんばっとるの」

 

 海未が次のメニューに行こうと言ったところで、白髪の老人が海未たちに声をかける。

 

「奉次郎さん」

 

 海未が現れた人物の名を呼ぶ。

 海未に呼ばれた老人はニッコリと笑いながら手を上げる。この人物こそが後にここを訪れる一条リヒトの母方の祖父である(さかき)奉次郎(ほうじろう)である。御年(おんとし)六八歳を迎えるのだが、若い頃からジムなどで鍛え上げた体が未だに面影を残しており、狩衣の上からでも体格の良さが見える。今でも、一週間に二度はジムに通うなど『老い』防止に努めているらしい──それでも、やはり年には勝てないらしくここ最近は衰えを感じているらしい──。

 

「どうじゃ、間に合いそうか?」

 

「間に合わせて見せます」

 

 奉次郎の問いに力強く答える海未。

 奉次郎は海未たちがスクールアイドルを始めたことを知っており、その成功を祈って練習場所を提供している。さらに言うならば、普段から鍛えている身である奉次郎は穂乃果たちに体のケア方法などを教えている。

 海未の力強い返答を聞いた奉次郎はホッホッホと笑いながら、

 

「お主のそういったところ宇海(うかい)とそっくりじゃの」

 

「お父様にですか?」

 

「うむ、『練習』や『鍛錬』といったものに、アヤツは手を抜かん主義だったからの。今のお主とそっくりじゃよ。お主ら二人も、海未ちゃんを見習って常日頃から運動しとけばよかったものを」 

 

 奉次郎の指摘に、穂乃果とことりは顔を合わせて苦い顔をする。

 

「さ、二セット目入りますよ」

 

「ええ~!? ちょっと休憩しようよ~。海未ちゃんの鬼!」

 

「何とでも言いなさい、ライブまで時間がないんですよ。それまでに一曲踊れる体力をつけなければいけないんですから」

 

 練習の再会を指示する海未に「ぶーぶー」と抗議する穂乃果。ことりは「まあまあ」と穂乃果をなだめる。

 

「すまんが、少し待っとくれ」

 

 だが、突然奉次郎に声を掛けられ「ん?」と振り返る三人。奉次郎はやや真剣な表情をしながら三人に言う。

 

「実は今日、リヒトがこっちに来るんじゃが」

 

「え!? りーくんこっち来るの!?」

 

『リヒト』という名前に一番早く反応を示したのは穂乃果だった。先ほどまでの疲れはどこへ行ったのか、まるで待ち人が来た犬のようにはしゃぐ穂乃果。

 それは無理もないことだ。彼女にとって『一条リヒト』とはまさに『憧れの存在』。今の様な猪突猛進で破天荒な性格となったのも、『一条リヒト』が関係している。彼失くして今の穂乃果は存在しない、それほどまでに穂乃果という少女にとって『一条リヒト』とは大きな存在だった。

 

「やったね、海未ちゃん、ことりちゃん! これでりーくんにダンス教えてもらえるよ!」

 

「そうだね、穂乃果ちゃん」

 

「確かアメリカに留学してたんだよね? お土産とかないのかな~?」

 

 待ちきれないといった様子で喜ぶ穂乃果。リヒトと会うのは約八ヶ月ぶり。最後に会ったのは去年の夏休み、しかもその時はアメリカへのダンス留学を決めていたのでこちらにいたのはほんの三日程度。本来ならすでに年初めには帰ってきており、今年もこちらに顔を出している予定なのだが、今年はまだ一度も音ノ木町(こっち)に来ていない。間違いなく実家の静岡にいるはずなのだが、何度連絡をしてもリヒトは応答してくれなかった。リヒトの母親である一条美鈴も、なぜかリヒトに変わってほしいと言うと『ごめんなさいね』と言うだけだった。

 なぜリヒトは電話に出てくれないのか? なぜこちらに来なかったのか、聞きたいことがたくさんある。

 しかし、やはり一番の理由は久しぶりにリヒトのダンスを見たいのだ。幼い頃から人を魅了することが好きだった彼の特技。将来はプロのダンサーになるとまで公言し、己の力を高めるためにアメリカ留学までした。それにより数段磨き抜かれた彼のダンスは、穂乃果たちが以前見たもの以上のものになっているだろう。見ているだけでこちらも体を動かしたくなるようなダンス、それがどういった形に進化しているのか、楽しみで仕方がない。

 同時に、あわよくば自分たちのダンスコーチになってほしいと穂乃果は思っていた。リヒトならばきっと自分たちに最高のダンスを教えてくれる、そう穂乃果は確信していた。

 ことりも久しぶりにリヒトの会えるのがうれしいのか、穂乃果と共に喜んでいる。

 だが、海未だけが「待ってください」と盛り上がる二人に言う。

 

「おかしくありませんか? リヒトさんがこちらに来るのは夏休みなどの長期休みの時だけです。今は四月ですよ? リヒトさんにも学校があるはずです。それに、私にはなんだかリヒトさんがこちらを避けているように感じて、来るとは信じられないのですが……」

 

 確かに海未の言う通り、『一条リヒト』は穂乃果たちの一つ年上。四月から高校三年生でありこの時期ならば高校生活を送っているはずだ。そのため、今までもこちらに来るのは夏休みや春休みといった長期休みだけであり、この時期に来るなどありえないことだった。

 そして、リヒトがこちらを避けているように感じるのもまた確かだった。正確にはそう感じるだけで確信をもって避けているとは言えないが、リヒトがこちらと連絡を取ろうとしないことでそう強く感じてしまう。

 海未の言葉に盛り上がっていた二人は黙ってしまう。

 しかし奉次郎は、

 

「いや、リヒトは来る。今日この後にな」

 

「本当に来るんですか?」

 

 未だ信じられないといった様子の海未が奉次郎に聞く。

 

「うむ。それにリヒトはお主らを避けてなどいない。確かにそう取られてしまうのは仕方ないが、それにはちゃんとした理由がある。そのことで話があるんじゃ。少し長くなるかもしれんから家に案内するぞ。付いて来てくれ」

 

 そう言って奉次郎は住まいのある方角へと歩き出す。練習時間が無くなるのは痛いが、奉次郎の背が「ついてこい」と語っている。穂乃果たちは首を傾げつつも奉次郎の後を追った。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 榊奉次郎の住む家は、神田明神からそう遠くにあるわけではない。むしろ隣にあるくらいの距離だ。ゆえに歩いて数分で着くため、移動に時間はかからない。それなのに奉次郎はわざわざ穂乃果たちを自宅へと招いた。あのままあそこで待っていた方が、リヒトと会うのは楽なのでは? とも思ったのだが、奉次郎は『大事な話だからついてきなさい』と言うだけだった。

 和風感あふれる木造建築の榊家。その居間へと案内された三人は差し出された緑茶を一口含む。穂乃果とことりは感嘆の声を上げていた。

 

「あ~、おいしいぃ~」

 

「穂乃果、顔がだらしないですよ」

 

「だって~、奉次郎さんの淹れるお茶おいし~んだも~ん」

 

 奉次郎の淹れるお茶を絶賛する穂乃果。もちろんそれは海未自身も感じており、一口含めば自然と顔がほころぶのだ。

 奉次郎はそれを満足げに見つつ、本題を話すべく姿勢を正す。

 そして自分もお茶で口を潤してから話し始める。

 

「さて、本題なんじゃが」

 

 奉次郎の雰囲気が変わったのを察したのだろ、三人も姿勢を正す。

 

「リヒトが今日帰ってくるのは本当じゃ、昨日連絡があった」

 

 本当に帰ってくるんだ、と穂乃果がつぶやく。

 

「そこで確認したいんじゃが、お主らはリヒトのことをどう思ってるんじゃ?」

 

 奉次郎の問いに、一瞬固まる穂乃果たち。質問の内容に驚いたのか、質問に含まれている意味に対して驚いたのか、奉次郎は後者の意味で捉え言葉を続ける。

 

「そのまんまの意味じゃ。お主らはリヒトとの付き合いも長いじゃろうから『嫌い』はないともうが、『嫌い』なら『嫌い』で構わん。友達として『好き』、異性として『好き』、『信頼のある相手』、『尊敬する人』などでもいい、お主らがリヒトのことをどう思っておるのか、正直に答えてほしいんじゃ」

 

 真剣な声音で聞いてくる奉次郎。その瞳はまっすぐに三人を見つめており、その瞳からは強いプレッシャーを感じる。その気に押され、穂乃果たちも真剣に考える。

 最初に口を開いたのは海未だった。

 

「私は『目標の人』だと思っています」

 

 奉次郎は海未を見る。

 海未は奉次郎の瞳を見ながら続ける。

 

「普段は飄々としていて、お調子者で、新しいものにすぐ影響されて、穂乃果と一緒になって周りを振り回して、子供っぽくて、私たちより一つ上の年齢だというのにとてもバカで」

 

「海未ちゃん、それほとんど悪口だよ……」

 

「あははは、海未ちゃんらしいね」

 

 とても褒めているとは言えないその内容を聞き、苦笑いをすることりとツッコミを入れる穂乃果。一応目の前にいる人物の孫だというのに、遠慮なくリヒトに対する評価を口にする海未。

 たしかに、過去を振り返ってみれば海未は穂乃果とリヒトによく振り回されていたことを思い出すことり。そもそも昔はかなりの恥ずかしがり屋だった海未が(今でも十分恥ずかしがり屋なのだが)、初めてまともに接した異性が『一条リヒト』という人間なのだ。当時のリヒトはまさに海未が言った通り、飄々としたお調子者で年上なのに子供っぽい人物なのだからこういった評価をされてもおかしくない。

 しかし海未は「ですが」と言い、

 

「不思議と、彼と一緒にいると楽しいんです」

 

 そう言う海未の表情は笑顔で、懐かしむように微笑みながら話す。

 

「『人の笑顔が好き』、リヒトさんはいつもそういって私たちを楽しませてくれました。手品やドッキリ、それに何度私たちが驚かされ、楽しんだことか。先ほど『バカ』と言いましたが、リヒトさんの『バカ』は良くも悪くも一直線でとても素直。そうですね、こういうのを世間では『愛すべきバカ』というんですね」

 

 どこまで行っても、海未の中でリヒトが『バカ』であることは変わらないらしい。

 

「昔の私はあまりしゃべるのが得意ではありませんでした。ですから周り子たちに私の意見を言えず、流されてしまうことが多かったんです。ですが、リヒトさんは例え周りと意見が違っても、自分の意見をはっきりと言っていました。そこが当時の私にはとても羨ましかったんです。リヒトさんは『夢』を語るときも、恥ずかしがらずに堂々と話していました。その姿を見て、私は彼のように自分に嘘はつかず、思い切って行動してみようと思ったんです。ですから、私にとって『一条リヒト』という人物は『目標の人』です」

 

 海未の話を聞き、「そうか」とつぶやく奉次郎。

 視線を穂乃果とことりに向け「二人は?」と聞く。

 

「私は『感謝している人』、かな」

 

 そう言ったのはことりだった。

 

「りひとさんには何度も助けてもらって、いつも『ありがとう』って言ってるけど、やっぱり感謝しきれないんです。小さい頃の私は、左膝が弱くて走ったり、うまく歩けなくて外に出るのが嫌でした。でもリヒトさんはそんなことりをおんぶして走って、風を切って走る爽快さ、『外の世界』に広がる光景、手術を受ける『勇気』をくれました。手術の後もリヒトさんがいてくれたから、穂乃果ちゃんと海未ちゃんが私に『勇気』をくれたんだと思います。私も、一歩を踏み出せたんだと思います。だから、ことりにとって『一条リヒト』さんは『感謝している人』です」

 

 奉次郎はことりの話を聞き、先ほどと同様「そうか」とつぶやく。海未ほど長く語られはしなかったが、ことりの口から語られたリヒトへの思いはとても強く伝わってきた。奉次郎が、左膝が弱い時のことりを知っているのも大きな要因だろう。

 

「穂乃果は……」

 

 そして、最後に語るのはおそらくこの中で一番にリヒトへの思いが強い、高坂穂乃果だった。

 

「『憧れの人』です」

 

 その言葉に、自然と笑みを浮かべる奉次郎。

 

「私、高坂穂乃果にとって『一条リヒト』さんは『憧れの人』です。いつも真っ直ぐ前を向いていて、失敗を恐れていなくて、りーくんの周りにはいつも笑顔がありました。小さい頃の私は、今以上におっちょこちょいで周りに迷惑をかけることが多くて、少し後ろ向きになることが多かったんです。でも、ある日りーくんに言われたんです」

 

 

『失敗なんか恐れてて前に進めるかよ。ンなもん気にしないでがむしゃらに突き進めばいいんだよ。俺たちまだ子供だぜ? 気楽にいこうぜ』

 

 

 その何とも当時のリヒトらしい言葉に全員が笑う。

 

「その言葉を聞いて、私も失敗とか考えずにがむしゃらに突き進もうと思ったんです。今回のスクールアイドルも、りーくんの姿に影響されたということもあります。りーくんのダンスみたいな『人を魅了』できるほどの力はまだ私たちにはありません。でも、絶対に音ノ木坂学院を廃校にさせたくないんです。私たちの力で『音ノ木坂学院の魅力』を多くの人に知ってもらいたいんです。りーくんのように、たくさんの人を『魅了』できるようになりたいんです。だから私にとってりーくんは『憧れの人』。私に『失敗を恐れず前に進む勇気』をくれた人です」

 

 力強く、そして強い意思のこもったリヒトに対する穂乃果の思い。

 三人のリヒトに対する思いを聞いた奉次郎は瞳を閉じ、頷く。

 

「そうか、お主らにとって『リヒト』はとても強い思いのある人間なんじゃな。……じゃが」

 

 そして、閉じていた瞳を開け、奉次郎は言う。

 

 

「もしリヒトが、お主らのことをすべて忘れているとしたら、どうするのじゃ?」

 

 

 奉次郎の放った言葉に、三人の少女の表情が固まった。次に浮かんでくるのは疑問の表情。

 

「リヒトさんが、……忘れている?」

 

 かろうじて声を発したのは海未だった。

 奉次郎は頷き、

 

「そうじゃ。リヒトは忘れている、()()()()じゃな。よく言う『記憶喪失』というやつじゃ。リヒトには去年の十二月に目覚める以前の記憶が無い、お主らと遊んだ記憶も、ワシと遊んだ記憶も、すべて失くしてしまっているんじゃ」

 

 奉次郎の言葉の意味を理解するのに、三人少女たちは少し時間がかかった。

 




第二章もリメイクしましたのご一緒にどうぞ!



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第二章:少年と少女たち

 [2]

 

 

 

 ──―時は戻る。

 こちらへ向かってくる四人の人物を順番に見ていくリヒト。

 リヒトは一応奉次郎に一度会っている。もちろん記憶喪失後に、だ。

 今のリヒトが覚えているのは、去年の十二月にアメリカの病院で目が覚めた時からの出来事と、日本へ帰国後に周囲から聞いた『一条リヒト』の情報、それだけだった。

 聞くところによると、『一条リヒト』は幼い頃から人の笑顔が大好きで、常日頃から周りの人々を楽しませていたそうだ。怖いもの知らずで諦めが悪く、一度『決めた』ことは何があろうと最後までやり抜くことを信条としており、人一倍『夢』に対する思いが強かったらしい。

 そして、幼い頃ロシアで出会った少女との『誓い』を果たすために高校二年の夏から父親の知り合いがいるアメリカのダンススクールに留学したのこと。リヒトがアメリカで目が覚めたのはこれが理由らしい。

 母親が元プロダンサーだということもあり、幼い頃からダンスに興味を持っていたリヒトはロシアから帰国後に本格的にダンスを始める。元からダンスの才能があったのか『夢』に対する人一倍強い覚悟からなのか、みるみる実力をつけていったリヒトは確かな実力を手に入れた。

 そして将来は『プロになって大勢の人々を魅了するダンサー』になると公言しアメリカに留学した。

 しかし、それの夢を掲げた『一条リヒト』は()()()()()

 今ここにいるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。目の前を歩いて来る老人と、こちらに遊びに来た際によく遊んでいたらしい少女たち、この町の風景、この町での光景、それらすべてが今のリヒトにはない。

 日本へ帰国後に奉次郎と会った際も、自分だけ記憶が無いことに恐怖したリヒトは、奉次郎を避けてしまった。その時の記憶がリヒトの脳裏によみがえってくる。

 四月だというのに、新しい一歩を踏み出そうと決意したのに、まだ自分は記憶喪失だということに脅えてしまうのか。

 

「じいちゃん……」

 

「久しぶりじゃのう、リヒト。元気じゃったか?」

 

「まあね」 

 

 歯切れ悪く奉次郎と会話するリヒト。

 奉次郎もリヒトの心境を察しているのか、優しく微笑みながらリヒトを見守っている。奉次郎の方は記憶喪失後に出会った際にリヒトに避けられたことは気にしていないのだが、いまだ記憶喪失を引きずっているリヒトにとっては、まだ慣れないことだった。

 しかし、このままではいけないことはリヒトにはわかっている。いつまでも記憶喪失のことを引きずっていたら、前になんか進めないのだ。

 人間、たとえ記憶を失っても根の部分は変わらない。

 それはつまり、リヒトも『一条リヒト』同様『人の笑顔』が大好きなということだ。

 ならば下を向いていてはいけない。下を向いて、脅えていたら、周りの人を笑顔にできるはずがない! 周りを笑顔にしたのなら、顔を上げて自分も笑顔にならなければならない! 

 リヒトは一度深呼吸をすると、自分に語り掛ける。

 

 ──怯むな。たとえ記憶が無くても、俺は一条リヒトだ! 上を向いて、一歩前に出ろ!! 

 

 自分に言い聞かせて俯いていた表情を上げる。

 その決意が表に出たのか、奉次郎から見てリヒトの表情が『一条リヒト』の表情に近くなっていた。

 

「その様子じゃ、もう()()()みたいじゃな」

 

「ああ、心配かけて悪かった。俺はもう大丈夫だよ」

 

「ホッホッ、よかった、よかった」

 

 ポンポン、とリヒトの頭を萎える奉次郎。リヒトの方は恥ずかしかったのか照れくさそうな表情をして視線を逸らす。

 かわいい孫の一面に笑顔となった奉次郎は、リヒトの頭から手を下ろすと希の方を向く。

 

「希ちゃんも、ありがとのう」

 

「いえいえ、ウチも楽しかったですよ。ほな、ウチは仕事に戻ります。りっくん、また後でね」

 

「お、おう」

 

 バイバイと言って手を振って去って行く希に同じく手を振り返すリヒト。また後で会うことをさらっと約束されたことに、抜け目のない奴だと思いながら、微笑みながら去って行く希の背中を見送った。

 しばらく、希が去って行った方を見ていると、背中にニヤニヤとした視線が突き刺さるのを感じた。振り返ってみれば、案の定奉次郎が面白いことを見つけたといった様子の悪い顔をしていた。

 

「えらく熱い視線を希ちゃんに向け取ったのう、まさか……惚れたか?」

 

「なっ!? そんなわけんねえだろ!! 会ってすぐの女の子に惚れるほど、俺は軽くねえよ!」

 

「ホントかのぅ? 『リヒト』にはウソをついたときの簡単な癖があるからすぐにばれるぞ?」

 

「……っ!」

 

 まさかそんな仕草があったのか!? と慌てるリヒト。それを悟られぬように慌てて右手で口元を隠すと、奉次郎のにやけ顔がさらに強くなった。

 

 ──しまった、これか!? 

 

 慌てて手を下ろすリヒト。しかし実はすでにこの慌て具合がリヒトの心情を物語っているのだが、残念かな、それにリヒトが気付いた様子はない。

 尚もニヤニヤとした視線を向けてくる奉次郎から逃れるように、話題転換のために一度奉次郎を睨み返してから後ろに控えている少女たちを見る。

 

「……それより、そっちの三人は俺の事情知ってるのか?」

 

「うむ、ワシが先に話しといたからな。リヒトが記憶喪失だということは知っておる」

 

「そうか……」

 

 そう言ってリヒトは奉次郎の横を通り過ぎ、三人の少女たちの元に近づく。今のリヒトに少女たちと遊んだ記憶はない、こちらに来る前に母・美鈴から事前に教えてもらった情報のみだ。その中にあった幼き日の写真に写る少女達と、今目の前にいる少女たちを順番に照らし合わせ、少女たちの名を呼んでいく。

 

「高坂穂乃果」

 

 次に海未を見て、

 

「園田海未」

 

 ことりを見て、

 

「南ことり」

 

 三人の少女の視線がリヒトに集まる。

 計六つの瞳に見つめられる中、リヒトは言う。

 

「じいおちゃんから聞いたと思うけど、今の俺は記憶喪失なんだ。だから君たちと遊んだ思い出は、今の俺にはない」

 

『…………』

 

「でもさ」

 

 そこで言葉を区切ると、リヒトは流れるような動作で、何も持っていなかったはずの右手に一枚の五百円玉を出現させた。

 

『!』

 

 三人の顔が驚きに染まる。

 その反応を見たリヒトはニヤリとしつつ、続けてコインをのせた右手を握り込み、モミモミと動かす。そして開かれた右手の平にコインの姿はなかった。

 両手を見せてコインが消えたことをアピールするリヒト。最後に左手で空中のコインをキャッチする動作をして、右手を通すと本物のコインを出現させた。

 流れるような動作でコインマジックを披露するリヒト。

『一条リヒト』の特技の一つである手品(マジック)。ダンスを始める前のリヒトの人を笑顔にする主要武器だったこともあり、全く衰えなく披露されるマジックに穂乃果たちは魅了されていった。

 そして最後に、リヒトはパチンと指を鳴らすと、何も握られていなかったはずの拳からイチゴのキーホルダーが出現した。

 

「わぁ!」

 

 イチゴが大好物である穂乃果が二人より大きな声を出す。

 穂乃果の反応に満足したのか、リヒトは微笑みながらキーホルダーを穂乃果に上げると、

 

「記憶を失っても、俺が人の笑顔が好きであることには変わりないんだ。記憶が無いことを引きずって、君たちと連絡を取らなかったのは悪いと思ってる。本当にごめん。記憶が無いから、どう接すればいいかわからなかったんだ」

 

 語りながらリヒトは右掌に乗せられているキーホルダーを左手で包み込む。すると、キーホルダーは消えていた。

 

「でも、そこをいつまでも引きずって立って意味なんかないんだよな。いつまでも逃げていたら、掴みたいものもつかめない。だから協力してほしい。俺が記憶を取り戻すために」

 

「記憶を、取り戻す……?」

 

 そうだ、と穂乃果に返してリヒトは再び手を滑らかに動かして、一度消えたキーホルダーを出現させる。

 

「ほら、記憶喪失の人間が記憶を失う前によく訪れていた場所を訪れると、記憶を取り戻すかもしれないって言うだろ? 

 静岡の方はもうある程度回ったから、残すはここだけなんだ。協力してくれないか?」

 

 確かに、リヒトの言う通りテレビドラマなどでは記憶喪失のキャラクターが重要な場所などを訪れると、激し頭痛に見舞われ記憶を取り戻しかけるなどの描写がよくある。実際にそれで記憶が戻るのかと聞かれると定かではないが、リヒトはそれに則って『一条リヒト』にゆかりのある場所を訪れていた。

 地元である静岡はある程度回ってしまったので、残りは長期休みの際によく遊びに来ていた|音ノ木町()()だけだ。

 実は、リヒトが音ノ木町を訪れた理由には不思議なビジョンに導かれただけでなくこれがあったりする。

 

「それで、記憶は少し戻ったんですか?」

 

「全然」

 

 海未の問いにリヒトは即答した。

 あまりにもあっけらかんというリヒトに少女たちは呆気にとられてしまう。

 リヒトはキーホルダーをぶんぶん回しながら、

 

「何度もアルバム見返したり、何度も足を運んだりしたんだけど、これっぽっちもかすりもしない。頭痛の一つも起きないんだよ」

 

『…………』

 

「でも」

 

 ヒュッ、とリヒトの手からキーホルダーが飛び穂乃果の方へと飛ぶ。キーホルダーを投げ渡されたと思った穂乃果は慌てて両手でキーホルダーを受け取る。

 

「必ず思い出す。何があっても、どれだけ時間がかかっても、俺は記憶を取り戻したい。

 決めたんだ、俺は絶対に記憶を取り戻すって。だから、俺に協力してくれ」

 

 力強い瞳で告げるリヒト。その瞳に宿る意思はとても力強く、またその表情が少女たちの記憶に眠る『一条リヒト』の表情を一致した。一度『決めた』ことに対し、どんな障害が立ちはだかろうと、それを乗り越えて成し遂げる強い『覚悟』がこもった瞳。

 少女たちは小さく笑みを浮かべると、口をそろえて言う。

 

『もちろん!』

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「ですが、私たちを避けていたことについては、許せませんね」

 

「え?」

 

 記憶を取り戻すことについて協力を得られたリヒトだったが、次に海未が言った一言に表情が固まった。

 

「そうだよ! 記憶が無いからって私たちを避けたのは許せないよ!」

 

「これは、りひとさんにはお仕置きが必要だね」

 

 文字に起こしたら語尾に『♪』が付きそうな声音で言うことり。

 確かにリヒトは記憶が無いことが不安で周囲を避けていたことがあったが、まさかここでそれを掘り返されるとは思っていなかった。

 

「いや、それは……」

 

「そうじゃな。いくら記憶が無いからってこの子たちを避けていたリヒトが悪い。バツの一つは受けるべきじゃ」

 

「じいちゃんまで何言いだしてるんだよ」

 

「避けていたのは事実なんじゃろ?」

 

「…………」

 

「沈黙は是也、じゃ。そうじゃな……リヒト、この子らのダンスコーチをしてやるのじゃ。お主ならできるじゃろ?」

 

「ダンスコーチ?」

 

 とリヒトは呟いた。

 

「穂乃果ちゃんたちは母校である音ノ木坂学院の廃校を阻止するべく、スクールアイドルを始めたのじゃ。スクールアイドルがどういうのかは、リヒトも知っとるじゃろ?」

 

 奉次郎の問いにリヒトは頷く形で答える。

 加えて音ノ木坂学院と聞いて母さんの母校だったことを思い出した。母親の通っていた高校が廃校の危機になる、もし美鈴が聞いたらどんなことを言うのだろうか。

 などと頭の片隅で思いながら奉次郎が続ける説明に耳を傾ける。

 

「穂乃果ちゃんたちもリヒトからダンスを教えてほしいと願ってたからの、お主が教えればそれなりの力が付くはずじゃ」

 

 そうか? とリヒトは考える。 

 確かに記憶を失くした今でも体はダンスについて覚えているらしく踊ることはできる。だが人に丁寧に教えられるかとなると、いささか不安になってくる。リヒト自身が体で感じるタイプの人間なので説明、となると言葉に表しにくいのだ。

 

「わかっとる。お主が体で感じるタイプの人間なのはワシもよく知っとる。じゃが、彼女たちの思いは本気じゃ。お主はそれに応えるように、自分のやりやすい様にやればよいのじゃ」

 

「…………三人も、俺に教えてほしいのか?」

 

 まだ納得がいかない部分があるのか、後ろ髪を掴みながら穂乃果たちの方へと振り返り、問うリヒト。

 

「うん! 教えてほしい! 学校の廃校を阻止するにはりーくんのように『人を魅了する』ダンスをしなくちゃいけない。でも、まだ私たちにりーくんのように『人を魅了する』力はない」

 

 穂乃果の言葉に海未が続く。

 

「そのためには、やはり実力を持った人の指導が必要です。私たちの知り合いの中でダンスの実力が一番高いのはリヒトさんしかいません」

 

「それに学校の廃校を阻止したいという思いは、三人とも本気なの。お母さんは学校の廃校を阻止するために毎日頑張ってるの。私はそんなお母さんの力に、少しでもなりたい。

 だからお願いします、どうか私たちのコーチになってください」

 

 ことりの言葉に続くように穂乃果と海未も頭を下げた。

 三人の少女の心に秘めた思いを聞いたリヒトは、

 

「……うん、わかった。コーチを引き受けるよ」

 

「本当!?」

 

「本当。記憶を取り戻すために協力してくれるんだ、俺も三人に協力するよ」

 

 リヒトの答えを聞いて、三人は大きく喜ぶ。そんな三人を見て、リヒトの顔も自然と笑顔になった。

 

「では改めて。今日からダンスコーチを務める一条リヒトだ。

 一緒に夢、叶えようぜ!!」

 

『はい!』

 

 リヒトの言葉に少女たちは力強く答えた。

 それを見ていた奉次郎は微笑むと、リヒトの名を呼びながら懐から取り出した家の鍵を投げ渡す。

 

「家の鍵じゃ。ワシは仕事に戻るからのう、後は頼んだぞ」

 

「じいちゃん」

 

 去って行こうとする奉次郎の声をかけるリヒト。

 

「ありがとう」 

 

 たった一言。奉次郎へ向けた『ありがとう』にはいろんな思いが込められていた。

 その思いを感じ取った奉次郎は片手を上げることでリヒトの『ありがとう』に答えた。

 リヒトもまた奉次郎の答えを受け取ると、穂乃果たちの方に振り返り気持ちを切り替える。まずは彼女たちがどこまで進んでいるのかを知らなくては、どこから教えればいいのかわかない。それを確かめるべく聞こうとしたのだが、リヒトより先に穂乃果が声を放った。

 

「ねえねえ! 久しぶりにリヒトさんのダンスが見たい!!」

 

「え? 俺のダンス?」

 

「うん! いいでしょ?」

 

「何言ってるんですか穂乃果。まだ練習が終わってませんよ。それにリヒトさんもいきなり踊れる訳ないじゃないですか」

 

 リヒトにダンスを踊ってほしいと懇願する穂乃果を宥める海未。

 

「ええー、いいじゃん。それに海未ちゃんだってリヒトさんのダンス見たいでしょ?」

 

「わ、私は別に」

 

「確か海未ちゃん、リヒトさんのダンスをすごく楽しみにしてたよね?」

 

 ことりの言葉が図星だったのか「うぐっ」と言葉に詰まる海未。

 

「別に俺は構わないさ。一曲だけでいいなら踊れるぞ」

 

 一方のリヒトは踊る気満々であった。さすがに準備をしていなかったため一曲しか踊れないが、期待している少女がいるのに踊らないのは、リヒトとしては許せなかった。おそらくリヒトのエンターテイナーの心が動いたのだろう。

 リヒトが準備運動を始めたのを見て喜ぶ穂乃果。海未の大げさには喜んではないが、表情には待ってましたと言わんばかりだった。

 動きやすくするために羽織っていたパーカーのチャックを閉め、準備運動を始める。デッキシューズであるため動きづらさは多少あるが、支障はない方に近かった。

 柔軟運動をするリヒトの横では、ワクワクを隠せていない穂乃果と、平常心を装いつつワクワク感を隠せていない海未が、今か今かと待っていた。

 

「穂乃果ちゃん、少し落ち着いて」

 

「だってリヒトさんのダンスだよ? 一年ぶりに見れるんだよ! 楽しみで仕方ないよ」

 

「期待してくれるのは嬉しいけど、当時ほどのキレはないと思うんだよな~」

 

 何せ記憶を失ってからは滅多に運動をしていなかった。先ほど神田明神前の階段をダッシュしたときも体力の衰えを感じたのだ、下手をすると一曲全部踊れるか不安ではあるがそこは気合と根性で乗り切るしかない。

 さすがに神社で大音量を流すわけにはいかないので穂乃果達にはスマートフォンを、リヒトは音楽プレイヤーにそれぞれ踊る曲を設定し、リヒトの合図で再生ボタンを押してもらうことにした。これならば周囲への迷惑を多少軽減できる。

 首にかけていたヘッドフォンを装着し、呼吸を整え集中力を高めていく。

 そしてゆっくりと指を鳴らしていくリヒト。これはリヒトが集中力を高める際にする仕草の一つだった。瞳を閉じ呼吸を整えていくリヒト。

 そして、穂乃果たちにスリーツーワンの合図を送り同時に曲をスタートさせる。

 流れ始める曲、それはリヒトが一番のお気に入りである曲『ススメ→トゥモロウ』。既存の踊れる曲でもよかったのだが、『スクールアイドル活動』で『学校の廃校を阻止する』という『可能性』を感じた穂乃果たちに、後悔しないためにまっすぐ前に進んでほしいという願いを込め、ある種の応援歌としてリヒトは踊る。

 穂乃果たちも新曲を踊ることに驚いたのだろう、「新曲だぁ」と穂乃果がつぶやいた。

『新曲』、そう聞くだけでテンションが上がる。それは『人を魅了する』ことが好きなリヒトの密かな作戦もあった。

 この曲は、病気によって声が出なくなってしまった元アイドルであるリヒトの父・一条一輝(かずき)が母・一条美鈴と共に喫茶店という新たな『道』を歩む際に、美鈴が一輝への励ましの歌として作り出した曲だ。その純粋な思いあふれる曲に感銘を受けた一輝が一部編曲し、美鈴のテーマ曲となっている。 

 それゆえ、本来この曲は言うまでもなく女性が歌う曲である。元々ダンスも美鈴が考えたことがあってか女性の踊るダンスに趣きが置かれていたが、どうしてもリヒトが踊りたいと言ったので美鈴が手を加え、男性の迫力あるダンスへと近づいた。そのため男性であるリヒトが踊っても違和感のないよう仕上がっている。

 曲と共に盛り上がりを見せるダンス。振り上がる腕、ステップを刻む足、ブランクがあると言っていたリヒトだが穂乃果たちはそんなことないと感じていた。確かにダンサーとしての視線から見ればリヒトが全盛期の時に比べて劣っていることは見て取れるが、それを吹き飛ばすほどの熱意がリヒトのダンスに込められていた。

 約八ヶ月ぶりに間近で見るリヒトのダンス、振られる腕、刻まれるステップからはリヒトの『思い』が感じ取ることができ、穂乃果たちはあっという間にリヒトの世界に引き込まれていた。

 リヒトのダンスを見る穂乃果たちの目は輝きに満ちている。

 そして同時に圧倒されていた。

 廃校を阻止するにはこれと同等か、それ以上の力を得なければならない。リヒトは母が元ダンサーだということと、幼い頃から学んでいたという時間が今の力を表している。しかし穂乃果たちはこれに近い力を短期間で得なければならない。

 出来るのか? 自分たちにこれほどのパフォーマンスが出来るようになるのだろうか? 

 だが、その不安すら吹き飛ばすほどにリヒトの体は激しさを増していく。その激しさが次第に穂乃果たちの体を突き動かしていく。自分たちもこんな風に踊りたい! リヒトのように輝きたい! 純粋な憧れが心の中から生まれてきた。

 リヒトもまた久しぶりに人前で踊ることに楽しさを感じていた。自分の一つ一つの動きに穂乃果たちの顔が輝く、表情が明るくなる。

 そうだ、この感覚だ。記憶にはないが、体が覚えている。一つ一つのステップに想いを込め、伝えるダンス。

 伝われ! 俺の想いよ伝われ! このまま舞え! 自分のすべてを出し切れ!! この感覚に浸っていけ!! このままいけば、何か思い出せそうな──!! 

 

 

 ──突如、リヒトの脳内に()()()()()()()()()()()()()()()()()が浮かぶ。

 

 

「──っ!?」

 

 次にリヒトを襲ったのは、激しい頭痛。頭が割れそうになるほどの激痛に顔をしかめるリヒト。しかし、それを振り払ってステップを刻もうとするも、

 

 

 

 

 ──『────―!!』

 

 ──『お願い、私を撃って』

 

 ──『ふざけんな!! なんで「セラ」を殺した!?』

 

 ──『貴様の敗北だ、「光の戦士」』

 

 

 

 

 叫び声をあげ暴れる巨大生物。

 自分を倒してと、懇願する少女。

 憤怒の表情を浮かべ叫ぶ男。

 黒い影によってその姿ははっきりとわからないが、自分に敗北を告げる謎の影。

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」

 

 

 

 

 リヒトは叫んだ。

 今リヒトを襲っているのは激しい頭痛と得体のしれない恐怖。頭が割れるのではないかというほどの頭痛と体の中をかき回すような得体のしれない恐怖に襲われ、リヒトはヘッドフォンを乱暴に取り外すと、頭を押さえ倒れてしまう。

 その絶叫は神田明神全体に響き渡り、リヒトの悲鳴を聞きつけた奉次郎や希が何事かと走ってくる。

 頭を押さえ倒れながら叫んでいるリヒトを見た奉次郎は目を見開くと、一目散にリヒトの元に駆け寄る。

 

「リヒト!!」

 

 奉次郎に抱き寄せられるも、リヒトの叫び声は止まらない。まるで何かに取り憑かれたかのように叫び続けるリヒト、その姿にだれもが只ならぬ事態だと感じとる。

 

「りーくん!?」

 

 穂乃果がリヒトの名を呟き、近づこうとしたところで希から静止の声がかかった。希は穂乃果の代わりにリヒトに駆け寄ると、優しくリヒトの頭を撫でる。

 

「大丈夫、大丈夫だよ」

 

 そう言って優しく頭を撫でる希。

 リヒトの叫び声は次第に小さくなっていき、完全に聞こえなくなるのと同時に気絶してしまった。

 

『…………』

 

 その場に居る全員が黙ってしまう。

 しかし奉次郎と希だけが、小さく言葉を漏らした。

 

「まさか……」

 

「りっくん……」

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「ん、ん」

 

 リヒトの意識が目覚めると、どこかの部屋のベットで寝ていることに気が付いた。上体を起こし辺りを確認したリヒトは、部屋の中に置かれていたボストンバックからお茶のペットボトルを取り出すと一口飲んでのどを潤す。

 

「たしか、俺は穂乃果たちの前でダンスを踊ってて、それで……」

 

 閉め切られたカーテンを開けるなどをしながら記憶を辿っていくリヒト。

 

「そうだ、変なビジョン見て、頭痛くなって……気絶したのか」

 

 自分がどういった状態になったのか理解すると、リヒトは腕時計で時刻を確認する。経過時間から考えて気絶していたのはせいぜい数十分と言ったところか、ともかくここはどこなのかと疑問に思いながら部屋を出る。おそらく、奉次郎の家だろうか? 

 廊下に沿って歩いていると一つの部屋の前に止まった。襖を開けるとどうやらそこは居間だったらしく、二人の少女たちが湯呑を手にこちらを見て固まっていた。リヒトの突然の登場に驚いているのだろうか? 

 

「よっ」

 

「りーくん大丈夫なの!?」

 

 気楽に挨拶をすると穂乃果が真っ先にリヒトに飛びついてきた。よほど心配だったのか額に手を当てて着たり、手や足、腹部などあちらこちらを触ってリヒトの健康を確認してくる穂乃果。

 

「いや、大丈夫だから。大丈夫だって」

 

 ベタベタ触ってくる穂乃果を引きはがし言うリヒト。

 

「本当に大丈夫なのですか?」

 

「園田まで、大丈夫だって。ほらっ、この通りピンピンしてるって」

 

 腕を振って健康であることをアピールするリヒトだったが、名前を呼ばれた海未が一瞬驚いた表情をしたのが気になった。

 

「どうかしたか?」

 

 海未も自分が一瞬驚いたことをわかっているのだろう、リヒトに問われると「いえ」と言ってから答えた。

 

「リヒトさんは私の名前を聞いた時から名前で呼んでいたので、苗字で呼ばれたのが以外で」

 

「あー、やっぱりか。記憶を失くしてからそういうところで違いがあるらしくてな、『一条リヒト』はお前たちのこと名前で呼んでたのか?」

 

「ええ。あ、でも、穂乃果だけは苗字で呼ばれてましたよね?」

 

「そうだよ。最初は名前で呼んでくれてたのに、なんか『高坂』の方が呼びやすいって理由で私だけ苗字呼びにかわったの。なんで?」

 

「なんでって聞かれても、忘れてるから答えれねぇよ。

 それじゃ、高坂以外は名前呼びでいいのか?」

 

「えー、私のことも名前で呼んでよ!」

 

 自分だけ苗字呼びなのが不服なのかポカポカとリヒトを殴りながら抗議をしてくる穂乃果。そんな穂乃果を宥めながらテーブルに腰を下ろしたリヒトは、お盆の上に置かれた──おそらく穂乃果たちに用意されたと思われる──御煎餅を取ると袋を開け一口食べる。

 

「んじゃ、穂乃果も名前で呼ぶってことでオーケー?」

 

「うん!」

 

 名前で呼ばれたことがよほどうれしかったのか満面の笑みで頷く穂乃果。

 リヒトは穂乃果に聞こえないように『高坂』と『穂乃果』を交互に口ずさんでみるが、やはり記憶を失った今でも『高坂』の方が何となく呼びやすい気がしたのは内緒だ。

 

「あ、りひとさん! もう大丈夫なの?」

 

「ああ、ことりか。心配かけたみたいだけど、もう大丈夫だ」

 

 リヒトが部屋からそのまま持ってきたペットボトルのお茶を飲んでいると、席をはずしていたらしいことりが戻って来た。ことりもリヒトの姿を見つけるなり心配そうに声をかけてくるが、リヒトが大丈夫だと答えると穂乃果の隣に腰を下ろした。

 

「そう言えば、もう練習は良いのか?」

 

 倒れる前は練習着らしく服装だった穂乃果たちだったが、今は三人とも制服に着替えている。時間帯的にもまだまだ練習する時間はあるというのに、どうして着替えたのか疑問に思ったリヒトは聞いてみた。

 すると海未が呆れた様子で答える。

 

「あんなことがあって練習に集中できると思いますか? みんな心配してここで待ってたんですよ」

 

「そっか、ありがと」

 

 素直に礼を言うリヒト。

 しかし礼を受け取った海未の方はリヒトの態度に違和感があるのか、

 

「……やっぱり、少し違いますね」

 

「え?」

 

「あっ、いえ、その……。

 記憶喪失になると性格が変わる場合があると聞いたことがありまして、やっぱり今のリヒトさんは私たちの知る『一条リヒト』さんとの性格に若干の違いがありまして」

 

「……ああ、それね」

 

 海未に言われ少し落ち込んだ様子を見せるリヒト。

 記憶喪失後に性格に若干の違いがあることは地元静岡で何度か言われたことだ。元々『一条リヒト』がややはっちゃけた性格よりの人間だったため、記憶喪失後に落ち着きを見せるリヒトに違和感を覚える人が多くおり、そのたびにリヒトは胸が締め付けられる痛みを感じた。同じ一条リヒトなのに、周りが語る『一条リヒト』とは少しだけ違いがある。それがリヒトの胸を締め付けた。

 母親である美鈴曰く記憶喪失前にもそういった落ち着きのある面もあるのだが、周りを楽しませるためにワイワイとした面が目立ち結果的に周囲には飄々としたイメージが強くついてしまった。

 つまり、本来は記憶喪失の今がリヒトの素に近いのだ。だが、すでについてしまった強いイメージを覆すのは難しい。

 

「ま、そればっかりは仕方ないな。というか、元々こっちの方が素に近い性格らしいんだけど、いやはや、記憶喪失前の俺は一体どんな人間だったのか」

 

 少々呆れながら言うと今度はお饅頭を手に取るリヒト。

 

「んー、すごい人だったよ」

 

 と、ことりが言った。ことりは昔を懐かしむように話す。

 

「いつも人を笑顔にするために努力していて、諦めるとか失敗とか考えない人。目の前に問題があったらすぐに立ち向かっていく人。そして私にとっては『感謝している人』、海未ちゃんは『尊敬する人』、穂乃果ちゃんは『憧れの人』。あ、でも周りからは『良くも悪くも一直線のバカ』、『目立ちたがり屋』、『人を魅了することしか考えていないバカ』とか言われてたかも」

 

「……とりあえず、『バカ』だということがよーくわかったよ」

 

 まさかこっちに来てまで『バカ』と言われるとは思ってもいなかったリヒトは、心の中で泣いた。

 記憶喪失とわかった後、『一条リヒト』がどういった人間だったのか知りたかったリヒトは周囲の人々に聞いて回った。そうすると皆口をそろえて『バカ』という単語が出てきたのだ。

 だがそれは、決して悪口というわけではない。むしろ『一条リヒト』のことを話す人は皆、笑顔で『一条リヒト』のことを語るのだ。そして最後にことり同様「すごいやつ」と言う。

 一体どんな人生を送れば周りから笑顔で『バカ』と褒められるのだろうか、頭を抱えるしかなかった。

 でも逆に、だからこそ気になる。『一条リヒト』がどういった人間だったのかを。

 

「さて、そろそろ聞かせてくれ、お前達と『一条リヒト』との思い出」

 

 三人の少女は一度顔を合わせてから、順番に語り出した。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 あの後奉次郎が帰宅し、未だに話で盛り上がっていたリヒトたちに注意を飛ばしたところで今日はお開きとなった。時刻が六時を回っていたということもあり「送っていこうか?」と聞くリヒトだったが「ちゃんと家に帰ってこれるのか?」と奉次郎に聞かれ、静かに奉次郎に穂乃果たちを頼んだのだった。

 奉次郎が穂乃果たちを送っている間、リヒトは家の中を一回りし、どの部屋がどの部屋でどこに何があるのかを確認していた。一通り周り終わると、寝床として与えられた部屋に戻り荷物の整理を始めた。といっても感覚的には祖父母の家に遊びに来た孫、といった感じなので持ってくる荷物もリヒトの着替え数着とヘアアイロンなど主にリヒトが日常生活に使うもの。それでも、長居する予定になるかもしれないので空いているタンスなどにボストンバックから取り出した荷物を閉まって行く。

 どうやらこの部屋は榊家の末っ子の長男・榊健介が使用していた部屋らしく、すでに家を出て独り立ちしたためちょうど空き部屋となっていたらしい。今回リヒトがこちらに来ることを伝えると、どうぞ使っていいよと言われ半ばリヒトの部屋としての使用が許可された部屋でもある。そのため部屋には机などが残っており、奉次郎が掃除したらしくきれいな状態で残っていた。

 荷物の整理を終えたリヒトはとある部屋を訪れた。

 そこには三か月前に亡くなったリヒトの祖母であり奉次郎の妻である榊京子の写真が置いてある仏壇があった。

 仏壇の前に正座をし、両手を合わせるリヒト。

 

「ごめんな、ばあちゃん」

 

 記憶喪失の俺がばあちゃんって呼んでいいのかな? と何度も思ったが、たとえ記憶喪失でも『一条リヒト』の祖母であることには変わりないのだ、ここは呼ぶのが筋だろう。

『一条リヒト』が最後に祖母と出会ったのは去年の八月、留学する前に訪れた時だ。あの時はまだ元気そうな姿だったのに、と美鈴が語っているので急に亡くなったらしい。

 本当なら、まだ記憶のある内に会っていたかった。

 

「見ててくれ、絶対に俺は記憶を取り戻して『夢』を追いかけるか」

 

 京子に誓いを立て、部屋を出た。

 夕食を済ませ、入浴も済ませたリヒトはそのままベットへともぐりこんだところで、穂乃果からメールが来ていることに気が付いた。

 

『ごめん、りーくんのヘッドフォン返し忘れちゃった。明日でいい?』

 

 どうやら神田明神で倒れた際に穂乃果が回収しといてくれたみたいなのだが、話に夢中になって返し忘れたらしい。

 

『別に構わないよ』

 

 と返信すると『ありがとう! おやすみ』と返ってきた。

 穂乃果とのやり取りが終わるとリヒトの就寝の体制に入る。一日の終わりを迎えたからだろうか、今日一日の疲れがどっと出てきた。このまま瞳を閉じ、寝ようとしたところで──、

 

 

 リヒトは悪夢に襲われた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 リヒトは息を切らせ走っていた。あたりは木々に囲まれ、まさしくそこは森だった。木々を避けながら走り続けるリヒト。その背後に迫るのは黒い靄が集合し人型を作った、ゾンビを思わせる影。その数は五体。滑るように追いかけてくるその靄は、明らかにリヒトを弄んでいた。左右からリヒトの前を横切り、リヒトを翻弄させる。

 

「くそっ!」

 

 悪態をつくリヒト。額には汗が浮かんでおり、呼吸の大きく乱れていた。

 

「なんなんだよこれ!!」

 

 俺は確かベットに入って寝たはずだろ!? と叫ぶリヒト。確かにリヒトはベットに入り、布団をかぶって寝たはずだ。それなのに気が付いた時はこの怪しげな森に、神田明神を訪れた際の服装で立っていた。違う点はボストンバックとヘッドフォンがないこと、風呂に入ったことで外ハネの無くなった髪型くらいだろう。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 今、リヒトが一番重要なことはこれが夢なのか現実なのか、ただそれだけだ。

 だが、足から伝わる地面の感触が、風を切る感触が、体を襲う寒気が、疲労が、すべてがリアルな感覚として感じるリヒトは、これが現実ではないかという恐怖に襲われる。

 だが、それを振り払うかのようにリヒトは走る。ただがむしゃらに。

 そして、その先に巨大な遺跡の建造物を見た。

 視界にとらえたとたん、遺跡に向かって走り出す。途端に黒い靄は攻撃的となる。リヒトの足をめがけて突進を掛ける黒い靄。それをジャンプでかわし、走るリヒト。黒い靄に阻まれながらも、何とか遺跡にたどり着いたリヒト。だが、その遺跡に出入り口らしきものはどこにもなかった。

 

「嘘だろ……」

 

 せっかく見つけた希望が打ち砕かれた瞬間、すでに背後には黒い靄。逃げ場がなくなった、終わりだ。そう覚悟したはずなのだが、いつまでたっても黒い靄に襲われることはなかった。ゆっくり後ろを振り返ってみると、そこには確かに五体の黒い靄がいた。だが、その場に佇むだけでリヒトを襲おうとはしない。

 

「なんだ」

 

 突如としてリヒトを襲わなくなった黒い靄。その姿はまるでリヒトの背後の存在に脅えているようだった。

 助かったのか? と思うリヒト。黒い靄はこれ以上はダメだと思ったのか、リヒトの前から去って行った。

 

「はぁ、はぁ、はあ」

 

 助かった。そう理解するのに少々の時間を消した。

 後ろの遺跡へと振り返り、建造物を見上げる。その先に、小さな光を見た。

 

「あれは……」

 

 その光は次第に大きくなっていき、リヒトを包んだ。

 

 

 

 

 次にリヒトが訪れたのは深い海のような青黒い光の空間、そこにリヒトは浮いていた。感覚的には浮いているというよりかはそこに立っている感覚に近い。

 

「どこなんだ、ここ」

 

 変な悪夢はもう勘弁してほしかった。

 うんざりしつつもあたりを見回していると、突然光がリヒトの前を横切った。青白い輝きを放つ光はリヒトの周りを徘徊すると、突然リヒト目掛けて突っ込んできた。驚いたリヒトは反射的に腕をクロスして防ごうとするが、光は腕をすり抜けリヒトの体に入り込む。

 そして、リヒトが声を上げる暇もなく光は体から飛び出し、同時に何か黒いものが吐き出された。

 

『これで、君に取り憑いていたものは追い払った』

 

 光から声がし、リヒトは驚いて振り替える。

 そこにいたのは青白い光ではなくメインカラーが赤と銀色、頭部、胸部、両腕、両足にクリスタルを備えた巨人が立っていた。

 

「あんたは、何者?」

 

 リヒトは巨人を見上げながら問う。

 

『私は、ウルトラマンギンガ』

 

「ウルトラマン、ギンガ?」

 

 巨人──ウルトラマンギンガはリヒトの問いに頷く。

 

「ここはどこなんだ?」

 

『ここは、時空の狭間』

 

「時空の狭間?」

 

『そう、君と話をするべく、この地に眠るウルトラマンノアの力を使い作り出した空間だ』

 

「ウルトラマンノア? 

 ……ちょっと待って、話が全然分からないんだけど」

 

『そうだな、まずは君に見てもらいたい光景がある』 

 

 ギンガがそう言うと一つの映像が映し出された。

 

「──え?」

 

 そこに映し出されたのは、

 

 

 取り壊される建物の前で、涙を流し叫ぶ少女たちだった。その中にリヒトが出会った三人の少女たちもいる。

 

 

「……なんだよ。これ」

 

 映像の中では穂乃果が声をあげ泣いている。海未もことりも穂乃果に寄り添いながら泣いていた。中には必死に溢れそうになる涙をこらえながらも、まっすぐ建物を見つめている少女もいるが、ついには涙があふれ出てしまう。制服を着た少女たちもいれば、ジャージ姿の女性たち、スーツ姿の女性、数多くの女性の姿が見受けられ皆涙していた。

 取り壊されている建物、それは間違いなく穂乃果たちの通う『音ノ木坂学院』だった。涙を流し続ける女性たちは、音ノ木坂学院の生徒たちや先生、過去の卒業生だろう。

 

「なんなんだよ! これ!」

 

『今から少し先の未来に起こる光景だ』

 

 ギンガの簡素に答えた。

 

「少し、未来?」

 

『そうだ。今から少し先の未来では、あの少女たちの夢は叶わず、絶望が待っている』

 

「ふざけんな! 穂乃果たちの『夢』が叶わないってどういうことだよ!!」

 

『彼女たちの歩む道の先に「邪悪な魔の手」が待っているのだ』

 

「邪悪な、魔の手?」

 

『そうだ。君を先ほど追いかけていたあの黒い靄も、その一部だ』

 

「あれが」

 

 先ほどまで自分を追いかけていたあの謎の影。思い出すだけで恐怖に体が包まれ、寒気がする。

 

「でも、なんで穂乃果たちが狙われるんだよ!?」

 

『すまない、それは私にも分からない。私にわかるのは、少女たちに「邪悪な魔の手」が迫っているということだけだ。この音ノ木町(まち)は、遥か昔に起こった「光」と「闇」の戦いの決戦の場となった場所だ。この地に眠る「大いなる闇」復活を目論む新たな「闇」が、この地で新たな「夢」に向かって歩みだした少女たちの「心の力」を利用しようと思ったのだろう』

 

「なんだよ、それ」

 

 リヒトの拳が怒りによって強く握られていく中で、ギンガは淡々と言葉を述べていく。

 

『このままでは少女たちが絶望する未来だけでなく「大いなる闇」までもが復活してしまう。それだけは阻止しなければならない』

 

「……どうすればいいんだよ」

 

『私と共に戦ってくれ』

 

「え?」

 

『君が私と一緒になって戦うということだ』

 

「戦うって、どうやって」

 

『それは──』

 

 ギンガが言葉をつづけようとした時だった。別の映像が映し出され、先ほどまでリヒトのいた森が映し出される。映し出された映像は視点を上げ、青白い稲妻が走る空を映し出す。

 稲妻が地へと落ち、青黒い体をした三つ首の怪物を生み出す。

 その怪物の名は、『ダークガルベロス』。

 見たこともない怪獣の出現にリヒトは目を見開く。

 

「なんだよ、あれ……」

 

『邪魔者を先に排除するというわけか』

 

「邪魔者?」

 

『そうだ。奴ら「闇」にとって「光」である私は邪魔者なのだ。だから奴らはこの空間で私を排除しようとしているのだろう』

 

 リヒトは映し出されるダークガルベロスを見た。青黒く赤い牙を持った三つ首の怪獣は、その鋭い瞳をこちらに向けゆっくりと迫ってきた。

 その瞳から感じられる感情はただ一つ。

『殺意』。

 ただそれだけしか感じ取ることが出来ないほどに、目の前の怪獣は殺意に満ち溢れていた。

 

『時間がない、リヒト、きみの体を借りるぞ』

 

「借りるって────」

 

 その先は続かなかった。

 ただ、リヒトが言葉を続けるより先に『光』がリヒトを飲み込んだ。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 ダークガルベロスは中央に聳え立つ遺跡に向かって歩いていた。その目的はただ一つ、『(じゃまもの)』の排除。ただそれだけを目的とし、唸り声を上げ遺跡に迫る。

 だが、突如遺跡から青白い光が飛び出した。

 空に舞い上がった光は地響きを立て地へと降り立つ。

 砂煙が次第に晴れていき、溢れんばかりの輝きを放つ光が収まっていく。

 影はゆっくりと立ち上がる。

 そして──―、

 

 

 

 

 ウルトラマンギンガが誕生した。

 





次回予告
 少女たちの『夢』を守るべく、ウルトラマンギンガとなった一条リヒト。
 だが、敵の魔の手はすでにとある少女へと向いていた。少女の心の中に潜む、その「わずかな不安」を肥大化させて……。

 次回、第2話『ほのかな不安』

 


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第2話 ほのかな不安
第三章:訪れる試練


○幕間○

 少女は走っていた。元いた場所へと変えるために。

 少女は走っていた。その悪夢から逃げるために。

 少女は叫んでいた。母の名を、父の名を、妹の名を、親友の名を、幼馴染の名を。

 少女は叫んでいた。それは迫りくる『恐怖』から自らを奮い立たせる叫び。

 少女は走っていた。赤い夕陽の街を、泣き叫びながら。一人ぼっちの孤独に耐えながら。不安に耐えながら。

 少女は走っていた。暗い森の中を、泣き叫びながら。迫りくる恐怖に耐えながら。後ろには、()()()()()()()()()()()。そして少女を追うかのように迫る()()()()()()()。 

 少女は泣いていた。走るのは疲れてしまった。

 少女は泣いていた。何かにつまずき、転んでしまった。

 少女は叫んだ。

 少女は叫んだ。

 ──たすけて!! 

 少女のもとに『光』が駆けつけた。

 少女のもとに──。






 [3]

 

 榊家からの帰り道、奉次郎とともに帰り道を歩く少女達は、少々肌寒い四月の夜を歩いていた。この時期は初夏に向けて日中の気温が上がり始めていくのだが、夜はまだ少し冷える。

 しかしそんな寒さなど気にならないと言いたげに、少女たちの心は踊っていた。先ほどまで一条リヒトとの思い出話に花を咲かせ、約八ヶ月振りの再会を楽しんでいたのだ。

 やや前を歩く奉次郎と穂乃果を見ながら、ことりが海未に声をかけた。

 

「りひとさん、あまり変わってなかったね」

 

「そうですね、少し落ち着きのある性格になったのかと思いましたが、結局リヒトさんはリヒトさんのままでした」

 

 先ほどのリヒトの姿を思い浮かべながら答える海未。最初こそ落ち着いた様子で真面目に聞いていたリヒトだったが、だんだんと茶々を入れるようになっていき、さらには四人が初めて出会った話を穂乃果が始めると、当時かなりの恥ずかしがり屋だった海未をいじりだすなど徐々に『一条リヒト』らしき一面が出始めた。

 結局、海未はリヒトにいじり倒され、ことりとは衣装やお菓子について語り合い、穂乃果とは意気投合してふざけ合う状況となっていた。

 それを思い出すと深いため息が漏れた。

 

「海未ちゃんどうかしたの?」

 

 海未の様子が気になったことりは顔を覗き込むように聞いてきた。

 

「いえ……、リヒトさんは記憶を思い出すためにこっちに来たと言ってました。それはつまり。思い出すまでこっちにいるということです。

 ……これがどういう意味だか分かりますか?」

 

 海未はその瞳を細め、真剣な声音でことりに聞く。

 

「えぇと……」

 

 ことりはなんとなく、海未の言いたいことの予想がついた。

 そして、

 

「また昔のように私達はあの二人に振り回されるんですよ!? ただでさえ穂乃果一人でも大変だというのに、リヒトさんが加わったら私はどうすればいいんですか!?」

 

 海未は頭を抱え、この世の終わりだと言わんばかりに叫んだ。予想通りの言葉だった。

 ──海未みちゃんはよく二人に(主に海未の性格を面白がって弄っていたリヒトが主犯となり)振り回されてたなぁ~と思い出すことり。

 

「大丈夫だよ、海未ちゃん」

 

「どこが大丈夫なんですか!? 私が、私がどれだけリヒトさんに、ううぅぅ……」

 

 安心させようとしてみたが、顔を真っ赤にして呻く海未に効果はない模様。

 もうことりは、苦笑いするしかなかった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 空は熱い雲に覆われている。本来、この世界は赤い夕日に照らされているはずなのだが、今は暗く不気味な世界へと変貌していた。そのせいか、元々一つの文明が終焉を迎えたような雰囲気を漂わせていた世界が余計にその不気味さを際立てている。

 そして、中央に聳え立つ巨大な遺跡を守護するかのように、青白く輝く眩い光がその地に降り立った。光はやがて収まると、巨人の姿を現した。

 頭部、胸部、両腕、両足にクリスタルを備えた巨人──ウルトラマンギンガは煙が立ち込める中、ゆっくりと立ち上がった。

 その光る瞳で目の前の闇──ダークガルベロスを睨みつける。

 ダークガルベロスはギンガの出現に唸り声を上げ戦闘態勢に入る。本当ならこうして抵抗の意思を見せる前に、遺跡と一緒に破壊したかったのだが、こうなっては直接戦意を奪って排除するしかない。

 ダークガルベロスは肩の部分にある双頭の瞳でギンガを睨む。

 ギンガもまた構えを取り、ダークガルベロスを見据える。

 両者の間の空気がピリピリと張りつめていく。

 互いに互いの出方を探り合い────、

 

 

 ────動き出したのはほぼ同時だった。

 

 

 両者が駆けるたびに土が飛び上がり、両者がぶつかれば静寂の世界に轟音が響き渡る。空気を揺るがすほどの轟音が響く中、両者の激突は引き分け──いや、ダークガルベロスの巨体がわずかに後ろに下がった。

 すなわち、パワーの方ではギンガが優勢ということだ。

 激突の後はギンガによる猛攻が始まった。

 力強い拳が次々とダークガルベロスの頭部に突き刺さり、拳のラッシュが叩き込まれる。頭部を押さえ叩き込まれる拳、さらには膝蹴りが中央の頭部の顎を打ち火花を散らす。ダークガルベロスに反撃の隙を与えない猛攻が叩き込まれ、最後に巴投げの要領で投げ飛ばされ地を転がるダークガルベロス。

 ギンガはダークガルベロスに飛びつき、マウントを取ると拳を再び叩き込んでいく。手刀のように連続して繰り出されるチョップ。だが、ダークガルベロスも黙ってやられているだけではなかった。

 体を大きく揺らしてマウントを取っていたギンガを振り落とすと、尻尾を素早く振り態勢を整えていなかったギンガを地に倒す。

 これにより、先に立ち上がったダークガルベロスに反撃のチャンスが訪れ、蹴り上がった足が防御のためにクロスされたギンガの腕に重くのしかかる。さらにダークガルベロスは己が持つ鋭い爪を使いギンガを襲う。鋭く鋭利な爪がギンガを引き裂こうと振られるが、それらをすべてギンガは弾く。だが、一瞬腕をかざすのに遅れてしまい爪はギンガの皮膚を引き裂いた。

 火花が散り体が沈むギンガ。ダークガルベロスの蹴りを腹部に食らったギンガは後ろに転がる。

 両者の間に距離が開くと、ダークガルベロスの尻尾が襲い掛かってきた。その攻撃に素早く反応したギンガは尾の攻撃を受け止め、両手でしっかりつかむと全身の力を使って尻尾を引っ張る。ダークガルベロスの体が宙に浮き始めギンガを中心として周り始める。

 四回転後にフルスイングで投げ飛ばされたダークガルベロスは飛んで行き、その反動をわずかに感じるギンガはよろめく体を支える。

 そして、ギンガは己の腕を見て閉じたり開いたりなど、まるでスポーツ選手が己の体の調子を調べる際にする動作と同じことをした。

 それもそのはず、ギンガは自分の力が十分に発揮できていないことを感じていたのだ。原因はおそらくリヒトと息があっていないせいだろう、半ば無理やりといった形でリヒトを巻き込み、この場に立っているのだから仕方がない。本来ならばリヒトと息を合わせることでより万全に近い調子で戦えるのだが、ここが幻想空間であることを差し引いても調子が悪かった。

 先ほどから防御が遅れ、ダークガルベロスの攻撃を食らうのもこれが関係していた。長引けばそれだけリヒトの体にかかる負担がかかり、動きが鈍くなると判断したギンガは、

 

 

『(──―ギンガ)』

 

 

 早急に決着を、と考えたところでリヒトから声が掛かった。

 

『(まだよくわからねぇけど、とりあえず今は、目の前の怪獣を倒せばいいんだよな?)』

 

 その声は落ち着いていた。自分の状況に戸惑うことなく、巻き込まれたことに怒るわけでもなく、冷静に落ち着いた声で、確認する様に問いかけてきた。

 

『(どうやら俺は──)』

 

 リヒトの声が聞こえてくるのと同時に、ギンガは腰を落としてダッシュの構えを取る。

 視線の先では先ほど投げ飛ばされたダークガルベロスが起き上がり、反撃の準備をしていた。その反撃が繰り出される前に、

 

 

『(──アドリブが得意みたいなんだよな! 行くぜギンガ!!)』

 

 

 リヒトが吠えたのと同時にギンガは駆け出す。

 ダークガルベロスの両肩の部分にある双頭から火炎弾が放たれるが、ギンガはジャンプすることで回避。そしてそのまま落下の勢いを利用して放った蹴りが、ダークガルベロスを掠め火花を散らす。

 ダークガルベロスの背面に着地したギンガは、振り向くのと同時に拳を突き出し、ダークガルベロスを吹き飛ばす。怯んだところを蹴り飛ばし、追撃を行う。

 リヒトが状況を素早く呑み込み、戦闘に集中し始めたおかげなのか、ギンガの調子が上がっていた。先ほどより強く、重い一撃が放たれダークガルベロスの体力を削って行く。

 最後に再びダークガルベロスを投げ飛ばす。

 四肢に力を入れ、起き上がったダークガルベロスは双頭から火炎弾を放つ。予期せぬ遠距離攻撃に、ギンガは一瞬驚いたそぶりを見せるも腕を素早くクロスさせて防ぐ。火炎弾がギンガの腕に当たる度に火花が散り、ギンガの体力を削って行く。

 連続して放たれる火炎弾に、ついにギンガの片膝が折れた。

 しかし、火炎弾を食らっているのと同時に、そのクリスタルが紫色に変化していき、頭部にエネルギーが集中していた。

 ──『ギンガスラッシュ』。

 リヒトが夢の光景で何度も見た『光の影』の一撃。

 今のリヒトならばその光の影の正体が誰なのか分かる。

 だからこそ、相手の反撃を打ち砕くためにこの一撃を放つ。

 放たれた紫色の光刃は連続してダークガルベロスに迫り、その巨体を沈めた。

 だがまだ完全に倒した訳ではない。(とど)め一撃を放つ為に、下腹部でクロスした腕を胸部に持って行き、クリスタルを赤色に変化させ炎がギンガの姿を覆う。右腕を引き、炎はやがて火炎弾へと変わる。

 そして放たれる、ギンガが持つ必殺技の一つ。

『ギンガファイヤーボール』がダークガルベロスを飲み込む。

 薄暗い森の世界を照らすかのように爆炎が上がった。

 

 

 

 

 [4]

 

 

 

 

 その日、高坂家に最初に響いた音は目覚まし時計の音でも炊飯器の音でもなく、その家の長女・高坂穂乃果の悲鳴だった。家全体に響くほどのボリュームで放たれた穂乃果の悲鳴は、家族全員が飛び起きるほどの事態となった。

 絶叫にも似た悲鳴、明らかに只事ではない。

 普段は無口で慌てる様子を一切見せない父親でさえ、顔色を変えて穂乃果の部屋へと向かう。

 一番先に穂乃果の部屋にたどり着いたのは、隣の部屋にいた穂乃果の妹・高坂雪穂だった。一枚の壁越しに聞こえた姉の悲鳴に眠気が吹き飛んだ雪穂は、ベットから飛び起きると急いで姉の部屋の扉を開けた。

 そこで見た姉の姿に、雪穂は目を見開いた。

 上体を起こした穂乃果は両腕で肩を抱き、震えていた。遠目から見てもわかるほどに浮かんでいる額の汗、両肩を自分の腕で抱き、震える体を押さえている様に見える。

 一体何に怯えているのか。

 雪穂が「おねーちゃん」と心配そうに呼ぶと、ピクリと肩が一度跳ね上がった。

 

「あれ? 雪穂おはよう。……あはは、ごめん、びっくりさせちゃったね。いや〜、ちょっと贅沢な夢を見ちゃって、まさかパンの山から落ちるなんて不覚だよー」

 

 部屋の入口に立っている雪穂に向け、苦笑いをしながら、先程の悲鳴は夢のせいだと語る穂乃果。ん~、と背伸びをしながら、悲鳴の理由はパンの山から落ちる夢を見たのだと説明する。

 遅れてやって来た両親にも同じ調子で答える穂乃果だが、額には汗が浮かんでおり、彼女が語っていることは嘘だとすぐにわかる。

 それでも朝練があるから、と強引に部屋から追い出され、雪穂達には真意を確かめることができなかった。

 雪穂達を追い出した穂乃果は、ドアに背中を預けるとずるずると座り込む。そして膝を抱え顔を俯かせると、再びその手が震えた。

 カーテンの隙間から朝日が差し込む中、ガシャリ、と枕元に置いてあったヘッドフォンが床に落ちた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 シャー、と東條希はカーテンを開ける。

 今日は朝に神田明神でのバイトが入っている為、いつもより早起きしなければならない。窓から入ってくる朝日の光を全身に浴びながら、希は背伸びをしてまだ残っている眠気を追い払う。

 

「んー、今日もいい日になりそうやなぁ……いや、そうとも限らんか」

 

 希の目が細められ、首に掛けていた勾玉をパジャマの下から引っ張り上げ掌に乗せる。希の()()()()()を知る奉次郎がお守りとしてくれた勾玉は、紫色の結晶でできており、普段は透き通るような色をしているのだが今に限っては、僅かに光っていた。それを意味することが分かる希は、細められた目を窓の外に向け言う。

 

「ついに、動き出した」

 

『(みたいだね。『光』の方も出会えたみたいだし、いよいよ始まるよ)』

 

 希の呟きに反応する声があった。声音は似非関西弁を使っていない本来の自分と同じであるが、その言葉は希の口から発せられたものではない。希の脳内に直接響くように聞こえてくるその声の主は、簡単に言うならば()()()()()()()()()()()()、とでも言えば少しは面白おかしくなるだろうか。

 少なくともこの声の主が何者であろうと、希は別に困ってはいない。一人暮らしの希にとって、ちょっとしたお話し相手である。

 

「『光』の方もって……、それじゃあやっぱり」

 

『(うん、希が感じた通り「彼」が選ばれたよ)』

 

 内なる魂の声の言う通りならば、これから始まるのは『光』と『闇』の戦い。

 希は勉強机の上に置かれたお気に入りのタロットカードの上に手を置く。このまま一番上のカードを引けば、おそらく今日一日の、いや、下手をすれば今日の戦いの占い結果が出るだろう。

 カードを引く手が、震えていた。

 

(いや、やめとこ)

 

 希はそっとカードから手を引いた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

『──! ──!』

 

 遠くから誰かの声が聞こえる。なんて呼んでいるのか、意識がはっきりとしない今は聞き取ることができない。体を揺さぶられ、意識が次第にはっきりしていく。

 誰かが呼んでいる、誰だ? 俺を呼ぶのは? 

 未だはっきりとしない意識の中、その衝撃は突然やってきた。

 

 

「おっきろー!」

 

 

「へぶっ!!」

 

 突然、包まっていた掛布団ごとひっくり返され、一条リヒトはカーペットとのキスによって目が覚めた。糸状の細々した感触がリヒトの口に広がる。

 

「起きて、朝だよ」

 

「こんな時間まで寝とるなんて、お寝坊さんやな」

 

 二人の少女の声が聞こえ、顔を上げてみれば制服姿の高坂穂乃果と東條希が立っていた。穂乃果の手には掛布団が握られており、おそらくなかなか起きないリヒトを起こすために引っ張ったのだろう。

 リヒトはジトッとした視線を二人に向けながら、

 

「もっとちゃんとした起こし方はなかったのかよ?」

 

「あれ? なんか機嫌悪い?」

 

「朝は弱いんだよ、もう少し寝かせてくれ」

 

 リヒトは穂乃果の手から掛布団を取ろうと手を伸ばす。しかし、ヒョイっとリヒトの手から逃れるように穂乃果が掛布団を遠ざける。

 

「……おい」

 

「ダメだよ。今起きないと朝ごはん食べられなくなっちゃうよ」

 

「そうや、奉次郎さんから『引きずってでも連れてこい』って言われてるんや。おとなしく起きてもらうで」

 

 そう言いながら部屋のカーテンを開ける希。太陽の日差しが部屋へと流れ込み、リヒトに朝の訪れを知らせる。

 

「って言われてもな……」

 

 実際、リヒトはまだ眠いのだ。それに『寝た』という感覚がない。体にはまだ疲労というか、痛みというか、何やら運動した後の様な違和感がリヒトの体に残っていた。

 ──まさか、あれは夢じゃなかったのか? 

 

「ほら、早く行こうよ! 私もうお腹すいてるんだから」

 

「ちょ、引っ張るなよ! わかったって! わかったから!」

 

 リヒトが動かないことにしびれを切らしたのか、穂乃果はリヒトの腕を引っ張って行動を促す。寝起きな故かリヒトの体は穂乃果の力で簡単に部屋の出口まで引っ張られる──というか引きずられて──が、リヒトの抗議の声が届いたのか穂乃果は腕を放す。

 リヒトは立ち上がると、大きなあくびをして机の上に置いておいたスマートフォンを取る。画面を転倒させて時間を確認してみれば、時刻は七時を少し過ぎたあたりとなっていた。

 

「え? 七時!? ってことは、もう練習終わってる?」

 

「そうだよ」穂乃果はやや不機嫌気味に、「昨日、私たちの朝練に付き合ってくれるって約束したのに、起きてこないんだもん。海未ちゃん怒ってるよ」

 

「……あー、わりぃ」

 

「と言っても、りっくん昨日倒れたんやし、海未ちゃんも大目に見てくれとるよ」

 

 希の言葉にリヒトは苦笑いするしかなかった。

 確かに昨日倒れたとはいえ、穂乃果達と話している時はすでに体調は万全だったのだ。倒れたのが嘘くらいに体が軽く、頭痛も全く起きなかった。夕飯も普通に食べられたので、むしろなぜ倒れたのだ? と疑問に思うくらいだった。

 ただ、一つ気になるとすれば倒れる寸前に見た謎のビジョン。

 自分を撃ってと懇願する少女と、激しい怒りをぶつけてくる少年、街を蹂躙する赤い色をした怪獣。

 そのビジョンだけが異様にリヒトの脳裏にこびりついていた。

 しかも、

 

(あの光景、映っていた少年と少女も明らかに外国人だった。それに怪獣が暴れていたところも、日本と言うより海外のビル群の中に近かった。ってことはまさか──)

 

 ──あの光景はアメリカのモノ? 

 

 ──まさか、

 

 と思考の海に浸っていると、カクン、と膝が突如曲がりリヒトの体制が沈む。

 後ろを振り返ってみれば、ムスッとした表情の穂乃果がすぐ後ろに立っており、おそらく膝かっくんをされたのだろうとすぐにわかった。

 

「……わかった、先行っててくれ。顔とか洗ってくるから」

 

「……うん、わかった」

 

 そう言って穂乃果は部屋を出て行く。 

 陽気な鼻歌とスキップをして去って行く穂乃果の姿を見て、リヒトは小さく笑う。

 

「朝から元気な奴だな」

 

「そうやね。でも今日はいつも以上に元気かもしれへんよ」

 

「そうなのか?」

 

「穂乃果ちゃん、ウチが来るより先に来てあの階段を走ってたから」

 

 希が何時から神田明神でアルバイトをしているのか知らないリヒトだが、海未から事前に聞かされていた練習開始時間、そしてその時間にはもう希がアルバイトをしていることから、かなり早い時間なのだろうと推理した。

 

「へー、それだけアイツが本気ってことか」

 

 昨日も話した限り、穂乃果は母校に対して並みならぬ思いを寄せており、絶対に廃校を阻止したいと考えている。どうやら母親、さらには祖母の母校でもあるらしく親子三世代──妹の雪穂にも音ノ木坂に通ってほしいらしい──が通った高校を守りたいとのこと。

 改めてリヒトは穂乃果が本気だということに感心していた。

 

「そうなんやけど……」

 

 しかし、希は何か引っかかるのか表情を暗くして小さく呟いた。

 

「どうかしたのか?」

 

「なんか一心不乱に走ってたんよ。まるで何かから逃げるように。海未ちゃんたちが来た後はいつも通りやったんやけど」

 

 そうなのか? と首をひねるリヒト。今のリヒトに『高坂穂乃果』という少女がどういった人間か詳しくわからないが、少なくとも昨日話した限りでは『「一条リヒト」に強い「憧れ」を持っている』、『破天荒で後先考えない熱血少女』といった具合だ。『破天荒』と『熱血少女』、この二つの単語が出てくるなら朝から早くに一人で練習していてもおかしくないし、リヒトを起こしに来るのも、過去に何度か昼寝をしているリヒトの元に突撃してきたことがあるらしい。

 

(でもまあ、別に深く考えることじゃないよな?)

 

 そう一人で結論付けるリヒト。 

 

「つうか、あいつが起こしに来るのは分かるんだけど、なんで東條まで?」

 

 リヒトは先ほどから疑問に思っていたことを聞いた。穂乃果はリヒトと昔からの付き合いがあるため、朝起こしに来るのは分かる。しかし、希とは昨日が(一応)初対面だ。わざわざ知らない男の部屋に来る理由がない。

 

「ん? なにが?」

 

「いや、起こしに来ることだよ。お前と俺は昨日が初対面だろ? なのにどうして穂乃果と一緒に起こしに来たのかなって、……もしかして、お前も昔俺と会っていたりするのか?」

 

「うんうん。ウチとりっくんは昨日が初対面や」

 

「なら、どうして」

 

「えやん、そんなこと。それより早くせんと遅れちゃうよ」

 

 希に背中を押され、部屋の外へと出るリヒト。気になることは残るが、渋々洗面台へと向かった。

 

「あ、そうや、ウチのことも『東條』じゃなくて『希』って呼んでくれたら考えてあげるで?」

 

 にやりと、面白そうに笑いながら言ってくる希に対し、リヒトは『じゃ、よろしく、希』と笑顔で返す。そして湧き上がってくる恥ずかしさを隠すため、早々に洗面台へと向かった。

 記憶喪失になったリヒトは、どうやら女子を名前で呼ぶことが恥ずかしくなったようだ。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 リヒトが去っていくのを見ながら、希は小さく呟いた。

 せっかく名前で呼んでくれたのだ、答えてあげてもいいだろう。聞かなかったのは、向こうが悪いということで。

 

 

 

 

「そうやね、一応()()したかったんよ。穂乃果ちゃんの()()と君が、『()』に選ばれたのかをね」

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 リヒトの部屋からある程度離れた穂乃果は、スキップを止めリヒトの部屋の方に振り返る。

 

「…………」

 

 ぎゅっとその小さなこぶしを握る。

 

「……あ、りーくん」

 

 部屋から出てくるリヒトを見かけ、声をかけようとするがリヒトは反対側に行ってしまった。確か穂乃果の記憶ではあの先には洗面所があり、先ほど言った通り顔を洗いに行ったのだろう。

 穂乃果は声をかけるのを止めた。

 

「まただ」

 

 穂乃果はその腕で己の肩を抱く。

 まただ、また自分の体の中を走る寒気、震え、『不安』と表すのが一番だろう。朝、得体のしれない悪夢から目が覚めてからずっとこれなのだ。普段は全く感じない『不安』が穂乃果の中を駆け巡っていた。

 

「どうして……」

 

 一度意識してしまうと、その『不安』は次第に大きくなっていき『恐怖』へと変わる。

 一体、自分は何に恐れているのだ? 

 いや、答えは分かっている。きっと『スクールアイドル』に『不安』を感じているのだろう。

 妹の持っていたUTX学園のパンフレットからA-RISEの存在を知り、『スクールアイドル』の存在を知った。パンフレットを持って学校の方へ行ってみれば、校舎に立てつけられた大きなスクリーンに、曲と共に踊るA-RISEの姿があった。その姿を見て穂乃果はひらめいたのだ。

『スクールアイドルで学校の廃校を阻止する』。

 もちろん絶対成功するなどとは考えていない。本当にできるのかと不安だって感じる。穂乃果だって人間だ、周りからは『不安』などとは一切無縁の様に見えるかもしれないが、もちろん穂乃果にだって『不安』な時はある。

 でもそれ以上に、画面に映るA-RISEが、穂乃果の記憶の中にいる『一条リヒト』と重なり輝いて見えたのだ。

 

「大丈夫、恐怖がっていたら、何も始まらないもんね」

 

 自分でもおかしいと思う。普段はこんなに『不安』に悩まされることはないのに、なぜか今日に限って体を駆け巡る『不安』に脅える。きっと見た悪夢が実体験したものに似ていたからだろう。

 過去に穂乃果が家を飛び出し、迷子になったことが。

 

 

『──―』

 

 

 その時、何か『音』の様なものが穂乃果の耳に聞こえてきた。

 

「なに? 今の」

 

 もう一度聞こえた。言葉では言い表せれない謎の音の様なもの。気になった穂乃果は音のする方へと足を運ぶ。

 聞こえる先にあるのは玄関だ。横にスライドさせる形式のドアの先から聞こえる音の様なもの。ドアにあるガラスからは向こうの明かりが伝わってきて、穂乃果の意識をぼんやりとさせていく。

 聞こえる、音のようなものが。

 見える、僅かな光が。

 呼んでいる、音の様なものが。

 誘っている、ぼんやりと差し込む光が。

 光が、音が、穂乃果の意識の中に入ってきて──―。

 

 

「穂乃果ッ!!」

 

 

 ──瞬間、抱き着かれる感覚が穂乃果の体を襲った。

 ぼんやりとして異意識が戻り、自分の体に視線を落としてみれば誰かの腕が見える。そして背中に人の気配。少し強い力で抱きしめられているのだと理解すれば、首を動かして後ろの方を向いてみる。

 そこにあったのは、何やら焦りの表情を浮かべているリヒトの顔だった。

 

「りーくん……」

 

 自分が抱き着かれているのに、わいてきた感情は恥ずかしさでも嬉しさでもなく、安心感だった。先ほどまで体の中を駆け巡っていた恐怖や不安が消え、温かい感触が穂乃果の体を包み込んでいた。

 

「温かい」

 

 呟いて、自分の体を巻いているリヒトの腕を優しく握る。

 願わくば、このままずっとこうしていてほしい。この暖かい感触をずっと味わっていたい、のだが、

 

 

「朝っぱらから女の子抱き締めるとは、随分大胆なことをするんじゃな」

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおっ!?」

 

 突然聞こえた奉次郎の声に、悲鳴に近い驚きの声を上げて離れるリヒト。その叫び声を聞いて穂乃果もなにをされていたのかを理解し、顔を真っ赤にした。

 

「じいちゃん、いつの間に!」

 

「お主が穂乃果ちゃんに抱き着いた当たりじゃ。随分大胆な行動に出たのう」

 

 ニヤニヤと笑いながら、リヒトを見る奉次郎。

 

「いや、あれはそういう意味じゃなくて」

 

「わかっておる、冗談じゃ。まったく、早くせんと本当に朝ごはん抜きにするぞ」

 

「それは困るって、行くぞ! 穂乃果!!」

 

 リヒトは穂乃果の手を取ると、奉次郎から逃げるように居間へと向かった。

 一方、残された奉次郎は去って行く二人の背中を微笑ましそうに見ていたが、目つきを細くして玄関の扉を見る。

 奉次郎は下駄をはき、玄関の扉を開ける。そこにはいつもの見慣れた光景が広がっており、これと言って変なものはなかった。

 

「……、まさか」

 

 

 だが、奉次郎は()()()()()。微かに残る『何か』を。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 奉次郎は穂乃果達に練習場所に加えて体のケアメニューを提供する代わりに、一つの報酬を求めてきた。

 その報酬は、みんなで朝食を摂ること。

 元々奉次郎は大人数ではしゃぐのが大好きなタイプの人間であり、中でもみんなでのお食事を大切にしていた。それなのに息子娘達が全員家を出てしまい、さらには妻まで亡くなってしまったのだ。ここ最近は一人で朝食を摂ることに寂しさを感じており、それを紛らわせるために穂乃果達に一緒に食事をとるように言ってきたのだ。

 幸い穂乃果達は朝練の時間が早いため、朝食を摂らずに家を出ることもあった。そのため、穂乃果達に断る理由はなかった。加えて希も朝にバイトのシフトが入ってる日は榊家の朝食にお邪魔していた。

 さらに今日はリヒトを加えた六人での朝食だ。六人分の準備となればそれなりに大変だろう。奉次郎と希はまだ来ていないのか、海未とことりの二人で準備をしていた。テーブルにはすでにおかずはならべ終わっているらしく、後はご飯とみそ汁だけのようだった。

 リヒトと穂乃果は二人を手伝うためにキッチンへと向かうと、ご飯を盛る海未とそれをお盆に乗せることりの姿があった。

 二人はリヒトの姿に気が付くと、「おはよう」「おはようございます」とそれぞれ言ってきた。

 

「手伝うよ」

 

「それではお味噌汁の方をお願いします」

 

「了解。穂乃果、俺が盛るから運んでくれ」

 

「うん」

 

 穂乃果はことりからお盆を、リヒトはお椀を受け取ると海未の横を通って鍋の前に立つ。お味噌汁を盛り、穂乃果は三つほど受け取るとテーブルの方へ持って行った。ことりの方もお盆に乗せれる限界が来たのか、穂乃果と一緒にテーブルの方へと向かった。そのタイミングを見てリヒトは海未に声をかける。

 

「今日はごめんな、朝の練習見れなくて」

 

「いいえ、元々リヒトさんが朝に弱いことは知ってましたし、昨日倒れたのですから気にする必要はありませんよ。それより体の方は大丈夫なんですか?」

 

「うーん、まあまあかな。なんかまた変な夢のせいで、今一万全って訳じゃないけど」

 

「変な夢、ですか?」

 

「ああ。そのせいで余計に体が疲れてるって言うか、ま、気にすることじゃねぇだろ。

 あ、それより俺は食道が細いのに加えて少食だからあまりご飯盛らないでくれよ。多いと食べきれないから」

 

「わかってますよ、だからこうして最後に盛ってるんです。

 さ、私たちの仕事も終わりましたし、テーブルに行きましょうか」

 

「ああ」

 

 そこへちょうど穂乃果とことりが戻って来た。リヒトと海未は二人からお盆を受け取ると、先に席についてと言って残りの分をお盆に乗せ始める。

 海未はご飯の盛られた茶碗をお盆に乗せながら、穂乃果の方を見る。

 

(そういえば、雪穂の話では穂乃果も変な夢を見たのですよね……)

 

 リヒトが変な夢を見たといった時、海未は今朝穂乃果を迎えに行ったときのことを思い出していた。

 普段からよく寝坊する穂乃果を起こすために、海未とことりは毎朝穂乃果を迎えに行っている。そして今日も二人は穂乃果を迎えに行ったのだが、

 

『ごめんなさい。お姉ちゃん先に行っちゃったみたいで』

 

 二人を出迎えたのは妹の雪穂だった。

 どうやら珍しく早起きした穂乃果は二人を置いて先に神田明神へ向かったらしい。さすがの二人もこれには穂乃果の意気込みに舌を巻いたが、雪穂の心配そうな表情に二人は顔を見合わせた。

 

『どうかしたんですか?』

 

 海未の問いに、雪穂はポツリと言葉を漏らす。

 

『お姉ちゃん、なんか悪夢にうなされてたみたいで。朝からすごい悲鳴を上げて起きたんです。汗もかいてて、本人は「大丈夫」って言って出ていきましたけど、心配で。あんなお姉ちゃん見るの、久しぶりだから』

 

 雪穂から穂乃果がどういった状態なのかを聞いた二人は、少し駆け足気味で神田明神へと向かった。

 神田明神へと着いた二人が見たのは、一人階段ダッシュをする穂乃果の姿だった。

 

『あ! 海未ちゃん、ことりちゃん! おはよう!』

 

 しかし穂乃果の様子はいつも通りといった感じで、特段おかしなところは見受けられなかった。

 

『いや~、久しぶりにリヒトさんに会ったからかな。早くダンス教えてほしくてつい』

 

 えへへへ、と笑いながら言う穂乃果。

 この時、二人はいつもと変わらぬ様子を見せる穂乃果に安心し、自分たちも練習に加わったのである。

 今も穂乃果の方を見ると、リヒトと一緒になって明るく会話をしたりふざけ合っているところを見ると、案外大丈夫そうに見える。しかし、それでも時折見せる穂乃果の表情に影が差すのを感じる海未は、先ほどの会話でもしかしたら無理をしているのではないのだろうかと、穂乃果を疑い始めていた。

 

「海未ちゃーん、奉次郎さんも来たから早く来なよー」

 

「あ、はい。すぐ行きます」

 

 穂乃果に急かされ、海未はお盆を持つとテーブルに向かった。

 こうなれば、朝食の時に穂乃果の様子を伺い真意を確かめようと決めたのだが、いざ食べ始めると奉次郎の性格上賑やかな朝食となり、結局観察することはできなかった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 穂乃果達が学校へと登校し、榊家には先ほどの賑やかな空気から一転し物静かな空気となっていた。

 穂乃果達がいなくなれば、この家にいるのはリヒトと奉次郎の二人だけ。広い家なためかどこか虚しさがあった。

 食器の片づけを終えたリヒトは縁側に一人座り、穂乃果から返してもらったヘッドフォンで音楽を聴こうとしていた。しかし、いざ再生をしてみるとキィーンという耳鳴りにも似た音しかせず、耐えられない不愉快な音にリヒトはヘッドフォンを乱暴に取り外した。

 

「なんだこれ……」

 

 ヘッドフォンを見回すリヒト。見たところ目立った外傷はないのだが、何度試してみても耳鳴りのような音しかしなかった。

 明らかに壊れていた。

 

(まさか穂乃果のやつ、家で乱暴に扱ったんじゃないだろうな)

 

 機械に強くないリヒトはこのヘッドフォンが壊れたとしか推測できず、どうすれば治せるのかわからなかった。

 結局横に放り投げ、縁側に寝そべるリヒト。

 

(そういえば、あの『夢』は一体何だったんだ?)

 

 やることがなくなってしまったリヒトは、昨夜見た夢のことを思い出していた。

 悪夢に襲われて、謎の空間に招かれ、穂乃果達が絶望するビジョンを見せられ、青黒い怪獣が出現してギンガと一体化して立ち向かった。

 あれは夢だったのだろうか? いや、そんなはずはない。

 夢にしては体に感じる感覚がリアルで今でも疲れが残っている。その感覚があの出来事は『夢』ではないと語っていた。

 

(でも、それなら一体『ギンガ』はどこに行ったんだ?)

 

 あの時出会った光。自らを『ウルトラマンギンガ』と名乗ったあの光はどこへ行ってしまったのか。

 もしあの『夢』が本当に起きたことで、穂乃果達の未来に『邪悪な魔の手』が迫っているというなら、今リヒトのもとにその力があってもいいはずだ。だが、リヒトの手元に『ギンガ』の力はない。

 

(ギンガ……)

 

「リヒト」

 

 名前を呼ばれ上体を起こしてみると、奉次郎が写真アルバムを二冊ほど持ちながらこちらに歩いてきた。

 

「じいちゃん」

 

「昨日言っておったアルバム、持ってきたぞ」

 

「ありがと」

 

 そう言いながらリヒトは差し出された二冊の厚いアルバムを受け取る。中を開くとまだ幼いリヒトや、穂乃果達と遊んでいる写真がたくさんまとめられていた。

 リヒトはこちらで記憶を取り戻すための一歩として、実家で最初にやったことと同様に写真を見返すことだった。アルバムの中に収められている写真を一枚一枚見ていくリヒト。

 奉次郎はそんなリヒトの様子を見た後、隣に放り出されているヘッドフォンを見つけると手に取る。

 

「リヒト、すまんがこいつを借りるぞ」

 

「ん? ああ、いいけど、壊れているみたいだから使えないよ?」

 

「構わん。むしろ好都合じゃ」

 

「どういうこと?」

 

 ナイショじゃ、と言って奉次郎は去って行った。

 特に追いかける理由のないリヒトは、去って行く奉次郎の背を見送った。

 キィーンという耳鳴りのような音しか流れないヘッドフォンをどうするのか? と疑問に思うリヒトだったが、そこであのヘッドフォンがどういったものかを思い出していた。

 確か、聞いたところによるとあのヘッドフォンはアメリカ留学の際に出会った友人から、誕生日プレゼントとしてもらったものらしい。その友人の自作のモノらしく、銀色をベースに青いイルカが特徴のヘッドフォン。『一条リヒト』は大層気に入っていたらしく、アメリカから送られてくる『一条リヒト』の写真には必ず写っていた。

 

「そういえば」

 

 そこでリヒトは、あることに気が付いた。

 

 

「あのヘッドフォンをくれた奴、今どうしてんだ?」

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「高坂。次の問題答えてみろ」

 

「…………」

 

「高坂!」

 

「────っつ! はい!!」

 

「ちゃんと聞いていたのか? 十五ページの問四だ。わかるか?」

 

「……いいえ」

 

「……? そうか、ボーとしないでしっかり聞いとけよ」

 

 

 

 

「高坂さん、次の問題当たってますよ?」

 

「…………」

 

「高坂さん?」

 

「……あ、はい! えっと。

 ………………わかりません」

 

「ちゃんと聞いててくださいよ?」

 

「はい…………」

 

 

 

 

「穂乃果、穂乃果! 聞いてましたか?」

 

「……海未ちゃん。どうかしたの?」

 

「どうしたのって、次体育ですよ? 早く着替えないと遅れてしまいます」

 

「あ、ごめん。すぐに準備する。

 ……あ、えへへへ、忘れちゃったみたい」

 

「穂乃果ぁ?」

 

「ごめん! ごめんってば!!」

 

 

 

 

 その後も、穂乃果はいつも以上に失態を冒していた。

 そもそも高坂穂乃果という少女は授業中でも平気で寝ていることが多く、成績の方もあまりよろしくない。中学時代も同様だったため、幼馴染である二人は『高坂穂乃果』という少女が学校でどう過ごすのかよくわかっていた。

 だが、今日だけは違った。

 授業中起きていることは良いのだが、どこか上の空といった感じなのだ。休み時間中、海未やことり、その他クラスメイトが話しかけても反応に遅れ、ぼーっとしていることが多い。

 先ほども先生に問題を当てられていたのに、ぼーっとしていたためか大半を聞き逃していた。さらに、朝の練習着とは別に体育着を持ってくるよう昨日海未の忠告を受けていたのにも関わらずに忘れる、などいつも以上に様子がおかしかった。

 

「ねえ、穂乃果大丈夫なの? 朝から元気なさそうに見えるんだけど」

 

 そう海未に聞いてきたのは、三人のクラスメートでもあるヒデコだった。その後ろにフミコ、ミカの二人の着いて来ており、三人とも朝から元気のない穂乃果が心配のようだった。

 

「大丈夫ですよ。朝早く起きてたのできっと眠いだけでしょう」

 

「でも、授業中起きてたよ?」

 

「それは……」

 

 ミカの問いに言葉を詰まらせる海未。確かに眠いだけなら、いつも通り授業中に寝ているだろう。

 

「穂乃果、大丈夫?」

 

「えっ? うん大丈夫だよ」

 

 一方、フミカは穂乃果に直接聞いてみるが、穂乃果は大丈夫としか答えなかった。

 

「それより海未ちゃん、次の休み時間一年生の所行くよ」

 

「一年生のところにですか?」

 

「うん、西木野さんに作曲頼まなきゃ」

 

 ファーストライブに向けての曲作りで、海未が作詞を担当しているのだが作曲者はいない。そこで穂乃果が音楽室で出会ったという一年生、西(にし)()()()()に作曲を頼もうということだ。

 穂乃果はすでに数回会っているらしいのだが、いずれも作曲をちゃんとお願いしたことがなく、今回正式にお願いするらしい。

 だが、今の海未の目に映る穂乃果の様子では絶対に成功しないと考えていた。穂乃果本来の『明るさ』があれば成功するかもしれない。

 しかし今の穂乃果にその『明るさ』がない。気丈に振舞っている穂乃果では、難しいだろう。

 そう考えやめたほうが良いと言おうとした時、チャイムと同時に先生が教室に入ってきたため、言えなかった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 ──放課後。

 結局西木野真姫へのお願いは却下されてしまった。

 しかし海未は、これは当然の結果だと考えていた。出会って間もない上級生からいきなり『作曲をしてほしい』と頼まれて、『いいですよ』と答える人は少ない。このままでは自分たちで作曲、もしくはリヒトさんの父親にお願いするしかないと考えていた。

 リヒトの父、一条一輝(かずき)は元ミュージシャンで、現在は病気により声が出なくなってしまい、喫茶店を経営しているとリヒトが言っていた。声は出なくなっても、長年の経験から培った力を使い、たまに作詞と作曲をやっているという。ならば、一輝に頼んでみるのも一つの案だと思っていたが、できればそれはしたくなかった。

 それより、やはり第一の問題は穂乃果の様子だろう。

 西木野真姫との会話でも、空回りすることが多く、交渉のほとんどを海未が行ったくらいだ。

 もちろん、穂乃果だって人間であり一人の女の子だ。悩みの一つや二つ、落ち込むことだってある。だが、今回はそれだけでは片づけれない何かが、穂乃果の中にあった。

 

「……」

 

 今も自分の席に座り、口元に手を当て何かを考えていた。おそらく、先ほど生徒会長に言われたことを気にしているのだろう。

 

 

『誰かを魅了したり、人を引き付けることはそんなに簡単じゃない。ましてや、始めたばかりで実力も功績もないあなたたちじゃ、とてもじゃないけど無理よ。それに──』

 

 

 生徒会長の鋭い視線が脳裏に思い出される。

 

 

『──今のあなたじゃ、絶対に失敗するわ。やめときなさい』

 

 

 生徒会長は穂乃果たちのスクールアイドル活動に最初から反対していた。スクールアイドルを始めるために生徒会室に行った時から、穂乃果達に「やめなさい」と何度も言い、まるで穂乃果達が諦めるようことを願っている様だった。

 しかし、それを差し引いても今回の生徒会長の言い分は正しい。今の穂乃果のでは、後日に控えているファーストライブが絶対に成功しないと誰が見てもわかる。今の穂乃果からは、周りが心配するほどに異様な気配を感じられるのだ。

 どうやらことりも穂乃果の異変は感じられていたらしく、海未の隣に来たことりは穂乃果を見ながら言う。

 

「穂乃果ちゃん、やっぱり様子が変だよね」

 

「ええ。雪穂が言っていた通り、明らかに様子が変です」

 

 ──―悪夢にうなされていた。

 雪穂はそう言っていたが、たかが悪夢であそこまで様子が変わるものなのだろうか。海未だって夢でうなされることはあったが、ここまで引きずることはなかった。ならば一体、何があったのだろうか。

 

「そういえば穂乃果ちゃん、みんなでご飯を食べてる時もあまり話していなかったような……」

 

「やはり、そうでしたか」

 

 朝食の内に穂乃果の異変を探ろうとした海未だったが、奉次郎が出した話のネタに『一条リヒト』に振り回された海未の思い出や、母親に叱られ落ち込んでいた海未を励ますために額にキスされたという、海未にとって絶対に思い返したくない話題が提示され、羞恥で叫んでいたのでそれどころではなくなってしまっていた(ちなみに、この話を聞いたリヒトは「もしかして、俺って女たらしだったのか?」と言うことを呟いたらしい)。

 ことりの発言を聞く限り、穂乃果の様子はその時も変だったらしい。

 

「失礼するで」

 

 そこへ、カバンを肩にかけ下校準備を整えた東條希が教室に入って来た。突然の上級生の登場に、クラスには小さなどよめきが広がるが希は気にすることもなく海未たちの元へやってくる。

 

「希先輩、どうしたんですか?」

 

「ちょっと穂乃果ちゃんに用があってな」

 

 海未に答える希は、穂乃果の方へと視線を動かし、

 

「あー、えりちからある程度聞いていたとはいえ、重症やな」

 

「希先輩──―」

 

「──―大丈夫、ウチに任せとき」

 

 海未の言葉を遮りながら、ウィンクをして言う希。希を止めようにも、その瞳が『大丈夫、任せて』と真剣に語っていたため、二人は希に任せることにした。

 二人の横を通り過ぎ穂乃果の席へとたどり着いた希。穂乃果も希に気が付いたのか顔を上げ、驚いた表情をする。

 希は、ただ一言。

 

 

「ほな、一緒に帰ろ」

 

 

 




今回は大きく描写が増えています。
元々この第二話の流れに違和感を覚えたのがきっかけで、リメイクすることを決意しました。後半はあまり変わっておりませんが、一部描写が増えていたりするのでよろしくお願いします!

第四章へ続きます。




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第四章:光の戦士

あまり変わってないかもです……。



 [5]

 

 

 

 希に連れられ穂乃果がやってきたのは『榊家』だった。

 

「あの、希先輩」

 

「ほな、行くで」

 

 希は戸惑う穂乃果をよそに、榊家のインターフォンを押した。数秒後「はーい」と玄関の奥から声が聞こえ、引き戸が開けられ一条リヒトが出迎える。

 

「来たか」

 

「お邪魔するで」

 

 学校を出てすぐに希が連絡を入れていたため、リヒトは特に驚いた様子もなく二人を招く。用意されたスリッパに履き替え、二人は今朝朝食を食べた居間へと案内される。希と穂乃果は対面になるように座り、リヒトはキッチンへと行き二人のお茶を用意する。

 お盆にコップをのせ二人のもとへと差し出したリヒトは、希に「とりあえず、後で説明しろよ」と言って自室へと去って行く。

 希と穂乃果の二人だけが残され、希はのどを潤すためにお茶を飲み、穂乃果はなぜ自分が希先輩に呼ばれたのか戸惑いつつも、お茶を一口飲んだ。

 

「ほな、話そうか」

 

 先に切り出したのは希だった。

 

「穂乃果ちゃん、今日元気なさそうやけど、どうかしたん?」

 

「…………」

 

 希の問いを聞いた穂乃果はコップを両手で持ったまま、うつむいてしまう。

 

「流石に聞かれすぎて、呆れてもうた?」

 

「……いえ、その、確かに私も今日はなんだか元気でないなー、って思ってますけど、みんなに心配されるほどじゃ……」

 

 そう言う穂乃果だったが、語尾がだんだんと小さくなっていく。

 希は手に持ったコップをテーブルに置き、穂乃果を見ながら、

 

「せやな、穂乃果ちゃんだって人間やし女の子なんやから元気が出ない日だってあるもんな。せやけど、本当に大丈夫なん? 顔色、だんだん悪くなっとるよ。ライブまで残り少ないやろ?」

 

 希の問いに穂乃果がわずかに唇をかむ。

 

「そんな状態じゃ、見に来てくれる人を笑顔になんかできひんで」

 

 希の言葉が穂乃果の胸をえぐる。

 

「……わかってます……でも……」

 

「何か悩みがあるんなら、早めに言った方がいいで。その方がすっきり知る場合もあるんやし」

 

 優し笑みを浮かべ、穂乃果に語り掛けるように話す希。穂乃果はまるで何かに脅えている子犬のように希の顔を見てから、話し始める。

 

「……実は、昨日ちょっと怖い夢を見て」

 

「夢?」

 

「おかしいですよね? 高校生にもなって『怖い夢』に脅えるなんて。でも」

 

 穂乃果はその両手で自分の体を抱くようにし、

 

「ちょっと、リアルすぎたんです。まるで自分が本当に体験しているような感覚で、しかも昔体験したことに似ていて」

 

 よほど怖かったのか、両手で自分の肩をさすり始める。

 

「学校が壊れていて、私たちの頑張りが否定されて、一人ボッチになって、お父さんやお母さん、雪穂の名前を呼んでも、海未ちゃんやことりちゃんを呼んでも誰も来てくれなくて。……そしたら突然周りの景色が森になって、クラゲの化け物に襲われて……」

 

 その声に、嗚咽が混ざり始める。

 

「必死に逃げて、逃げて逃げて逃げて、結局『たすけて』って叫んだところで、どうにかなったんです。その部分は覚えていないんですが、とりあえず夢から覚めても体が震えてて、なんか怖くなって早めに家を出たんです。走れば忘れれるかなって」

 

 それで、穂乃果は一人先に神田明神に向かい必死に走っていたのだ。

 ──その恐怖を脱ぎ払うために。

 

「海未ちゃんとことりちゃんが来て、震えは止まったんですけど、まだどこか怖くて。それで、りーくんと話せば怖くなくなるかと思って起こしに行ったんです。希先輩が付いて来るって言ったときはびっくりしましたけど」

 

「そうやったんか。なんかごめんな、付いて行ってもうて」

 

「いいえ、大丈夫です。だってりーくんは寝てたんですから。穂乃果は怖い夢で起こされたのに、のんきに寝てるなんて―! ってちょっとカチンと来ちゃって。

 それで、あんなふうに乱暴に起こしちゃって……」

 

 希は、ふと朝の出来事を思い返してみると、確かに穂乃果はリヒトの体をゆすることはせずに、いきなり掛布団を引っ張ったのを思い出した。さすがの希もその容赦ない行動に驚いたのを覚えている。

 

「りーくんと話している時は、その『不安』は全く感じられなかったんですけど、部屋を出て居間に向かう途中に、変な声が聞こえたんです」

 

「変な声?」

 

「はい。なんというか、正確に言葉で聞こえてきたわけじゃないんです。頭の中に響いてくるような、ポーンっていう音が。最初は聞き間違いかな、と思ったんですけど、玄関のドアから見える光を見ていたら、だんだんと頭がぼー、としていって。

 ……気が付いたらりーくに抱き着かれていたんですけど」

 

 最後の部分だけは思い出しても恥ずかしかったのか、頬を赤くする穂乃果。

 希はそんな穂乃果を『初々しいな』と思いながら微笑んでいた。

 

「その後、りーくんと一緒にいたはずなのに『不安』が消えなくて。

 ……学校へ着いてからは、ぼーっとするたびにその『不安』が大きくなっていって、そしたらなんか、また、怖くなって……」

 

 再び震え始める穂乃果。希は立ち上がり穂乃果のもとへと移動する。

 

「大丈夫や」

 

 穂乃果を抱き寄せ、頭をなでる。

 

「もう、怖くなんかないよ」

 

 優しい声で、泣きじゃくる子供をあやすように頭をなでる。

 

「う、うぅぅ」

 

 穂乃果の嗚咽が次第に大きくなり始める。

 希は穂乃果の嗚咽が収まるまで、頭をなで続けた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 場所は変わって神田明神のとある一室。その部屋は数十本の蝋燭(ろうそく)の明かりのみで、それ以外にこの部屋を照らすものはない。本来、この部屋は外から入ってくる太陽の光のみが照らしており、元々明かりが少ない部屋なのである。また、この部屋自体もあまり使われない場所なので明かりをそんなに必要としないのだ。

 それもそのはず、この部屋は榊奉次郎が有する部屋なのである。

『榊奉次郎』はここでは少々特殊な立場にある。そのため、こういった特別な部屋を所有しており、主に奉次郎が一人でこの部屋を使っている。他人をこの部屋に招くのは、ごく稀な時である。

 そして現在、数十本の蝋燭と外からわずかに入ってくる夕日の光が照らすこの部屋に、計四人の人物がいた。

 まずは、この部屋の持ち主である榊奉次郎。いつもの狩衣姿に加え数珠を手に持ち、この部屋に置かれた仏壇の前に座り、言葉を紡いでいる。

 その後ろ、奉次郎の背中を見る形で正座をしているのは、ブレザーを脱いだ制服姿で両手を合わせ目をつぶっている高坂穂乃果だ。背筋を伸ばし、顔はやや下を向いている。

 そして後ろ、部屋の隅では二人の様子を固唾を飲んで見守る一条リヒトと東條希の姿があった。

 二人の目に映る光景は、どう見ても『お祓い』の光景であった。

 これは、今から数十分前穂乃果と希の会話が始まった頃、リヒトの元に奉次郎からの電話が来たのだ。こんな時間に? と思うリヒトだったが、電話に出て開口一番に、奉次郎は真剣な声音で『穂乃果ちゃんはどこじゃ?』と聞いてきた。

 そのリヒトが初めて(記憶喪失後)聞く奉次郎の真剣な声、そこには只ならぬ気がこもっており、リヒトは気圧されつつ奉次郎に答えた。

 その後、奉次郎は『神社に来い』とだけ告げ、電話を切った。リヒトは訳がわからなかったが、奉次郎から感じる只ならぬ気配に従い、リヒトは穂乃果たちの元へと向かった。

 神田明神へとたどり着いた三人を待っていたのは、険しい顔をした奉次郎。『来たようじゃな』というと、そのままこの部屋に案内され、最低限の注意事項の後、穂乃果のお祓いが行われた。

 リヒトはその光景を見つつ隣の希に小声で問う。

 

「なあ希、これ何なの?」

 

「お祓いやけど?」

 

「それは分かってる。なんで穂乃果がお祓いされてんのかってこと」

 

「たぶん、奉次郎さんにはわかってるんとちゃうんかな。今の穂乃果ちゃんにある()()の正体が」

 

「異変の正体?」

 

「見てればわかるよ」

 

 そう言われ、リヒトは視線を戻す。

 

「──────」

 

 部屋には奉次郎の言葉だけが響く。

 お祓いが始まって五分ぐらい経ったのだろうか? この部屋に時計はなく端末で確認できる空気でもないため、リヒトは『こんなことなら腕時計して来ればよかった』と場違いなことを考えていた。

 

 

 ──直後に変化があった。

 

 

「──!?」

 

 穂乃果の体が突然硬直し始めた。

 ビクンッ、と穂乃果の体が大きく跳ねる。

 

「あ、あぁぁ」

 

 穂乃果の口からか細い声が漏れる。

 

「穂乃果?」

 

 穂乃果の様子が変化したことに気が付いたリヒトは怪訝な声を上げる。

 そんなリヒトをよそに、穂乃果の様子はどんどん変わっていく。

 

「ああ、あぁぁ、ぁぁっ」

 

 上手く声が出せないのか、悲鳴に似た声がか細く漏れる。肩も上がっていき合わせていた手が移動し、自分の体を抱き始める。背筋が伸びていた姿勢も背中が丸まっていき、呼吸が荒くなり、傍から見てもおかしい、と思える変化が表れていた。

 

「穂乃果──」

 

 心配になったリヒトは穂乃果に近寄ろうと立ち上がりかけるが、横に座る希にパーカーの袖を掴まれ引き止められる。

 

「希?」

 

 希の方を見るリヒトだったが、希はただ無言で首を横に振るだけだった。その間にも穂乃果の様子はどんどんおかしくなっていく。奉次郎はその穂乃果に気付いていないのか、それとも気付いたうえで続けているのだろうか? リヒトは未だ片膝を着いた状態でいつでも駆け寄れる体制でいるが、再び希に袖を引っ張られ、希の方を向く。視線が『行っちゃダメ』と語っていた。その視線を受け、リヒトはその場に座り直す。

 

「今は我慢や」

 

 座りなおしたリヒトに希は言う。

 

「──────」

 

 奉次郎はさらに言葉を紡ぐ。

 そこでリヒトは気が付いた。奉次郎の前にある仏壇、そこには榊家に伝わる『御神体』が祀られており、赤い六角形の紋章が刻まれた木箱に入って置かれている。

 その木箱からわずかに『光』が漏れていた。

 

「え?」

 

 幻覚かと思い目をこするが、光は確かに漏れていた。奉次郎は瞳を閉じ言葉を紡いでいるため、その光に気付いた様子はない。希の方も光に気付いていないのか、その瞳は穂乃果の方へと向けられていた。

 

(あの光、俺にしか見えてないのか?)

 

 木箱よりもれる光は、次第にその量が増えていく。だが、二人が光に気付いた様子はない。

 そして────。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 ──穂乃果の悲鳴と同時に、御神体の光があたりを包んだ。

 ──同時に、リヒトは()()()()()()()()()()()()()()を目撃した。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 気付いたとき、穂乃果は林の中に立っていた。あたりには薄く霧が広がっており、空は雲に覆われていた。あたりを見回しても、空高く伸びる木々があるだけでそれ以外は何もない。

 

「あれ?」

 

 穂乃果はこの光景に見覚えがあった。

 

「ここって……」

 

 曇天に覆われた空、どこまで続く高い木々、薄く広がる霧、肌寒い風、それは今朝見た夢と同じ光景だった。

 

「いやだ」

 

 一体どうして自分はここにいるのだ? さっきまで神社でお祓いをしていたはずじゃないのか? 様々な疑問が浮かんでくるが、それを凌駕するほどに浮かんでくるのは──恐怖。

 穂乃果はその場から駆け出した。あのままあそこにいては危ない、きっと夢と同じように『クラゲも化け物』が追いかけてくるはずだ。

 恐怖から逃げるように、穂乃果は走り続けた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「穂乃果ちゃん!」

 

 そう叫んだのは希だった。

 気づいた時には穂乃果は虚ろな瞳で部屋を出ており、ゆっくりと、何かに引き寄せられるように外へと向かって歩いていた。希は急いで立ち上がり穂乃果の後を追った。

 外に出た希を待っていたのは、驚愕の光景だった。自分たちがいた神社の建物と境内は存在した。だが、空の色、地面の色、その他の風景が変わっていた。

 夜空の上からオレンジ色がかったオーロラのような光に満ちており、どこか別空間を思わせる空となっていた。地面や周りの光景も、赤土色で青色に発光する物体があった。

 その光景はまるで神田明神を中心に、そこだけ別空間へと移動したような感じだった。

 そして、境内の上空には白い巨大なクラゲが浮かんでいた。

 

「なんや、……あれ……」

 

 不気味に浮遊する白い巨大なクラゲ。まるでテレビのCG合成のよう光景が目の前に広がり希は驚きと戸惑いの声を上げる。

 そして、まるでクラゲに引き寄せられるかのようにゆっくりと歩く穂乃果を見て、希は急いで駆け寄る。

 

「穂乃果ちゃん!」

 

 穂乃果の腕をつかむが、それを振りほどこうとしたり、こちらに振り返ったりなどの反応がない。

 

「そっち行ったらあかん!」

 

 希は穂乃果の腕を引っ張り、これ以上あのクラゲに近づかせないようにするが、穂乃果は止まらない。希がいくら引っ張っても前に歩き続ける。

 

(このままじゃ、穂乃果ちゃんが飲み込まれる! 何とかしなきゃ)

 

 希は穂乃果に抱き着くことで無理やりその歩みを止める。

 

「これ以上そっちに行くんやったら、その胸をワシワシするでぇ?」

 

 冗談の一つを言う。こうでもしなければ、焦る自分の心を落ち着かせることができなかった。希は頬を伝う汗を感じながら、現状を理解しようと頭をフル回転させる。

 

(大丈夫や、『光』はもう動いてる。私が時間を稼げばきっと『光』は来てくれる!!)

 

 希はその胸に秘める『一つの希望』を信じ、穂乃果を止める。

 だが、そうやすやすと時間をくれる相手ではなかった。

 クラゲは突如変異し、赤く不気味に光る瞳が特徴の、白い巨大な顔を浮かべる。

 ニヤリ、と三日月のように口を広げ笑う白い顔。その顔を見た希に戦慄が走る。

 

 

 ──白い顔の口から紫色の光弾が放たれた。

 

 

「っつ!?」

 

 それはまさしく『死の光』。

 持てる力を使い、その場に固まりそうになる体を奮い立たせ、穂乃果と共に横へ飛ぶ。

 光弾は先ほどまで希と穂乃果が立っていたところを襲い、爆炎を上げる。

 希は倒れた体を起こし次の攻撃に備えるが、穂乃果は未だ倒れたままだった。先ほどの衝撃で気を失ったのか、ぐったりとしたままの穂乃果。希は穂乃果に声をかけるが反応はない。

 

「くっ」

 

 悪態をつきつつ、穂乃果を起こす希。だが、すでに白い顔が間近に迫っており、二人を飲み込もうとその口を開ける。

 恐怖で体が固まり、その場から逃げれないことを察する希。

 

(ああ、ダメやった……)

 

 諦めかけたその時、

 

 

 ──チャリン

 

 

 鈴の音があたりに響く。その音が気になったのか、白い顔は赤い瞳を鈴の音がした方へ向けると、

 

 

「──はあっ!!」

 

 

 錫杖が白い顔を襲った。

 

『──────―!!』

 

 悲鳴を上げ、空に上がっていく白い顔。

 

「大丈夫か!?」

 

 白い顔を迎撃したのは、錫杖を手にした奉次郎だった。

 

「奉次郎さん……」

 

「大丈夫じゃ、時間稼ぎはワシに任せい。お主はこれを穂乃果ちゃんに」

 

 奉次郎の登場に少しだけ安心する希。そんな希へ奉次郎はペットボトルのキャップ程度の大きさをした赤い輝石を渡す。

 

「これは?」

 

「なあに、ちょっとしたお守りじゃ。しっかり穂乃果ちゃんに握らせておくんじゃ。そうすれば『光』が穂乃果ちゃんを救ってくれるぞい」

 

「え?」

 

「ワシだって知っとるんじゃよ。こ奴を倒す『光』がいることくらい。お主も『光』を待っとるのじゃろ? なら、そっちは頼んじゃぞい!」

 

 そう言って奉次郎は錫杖を構える。白い顔はその表情を怒りに染め、再びこちらに迫ってくる。迫りくる白い顔に向け、奉次郎は錫杖を操り迎撃する。

 白い顔は奉次郎を邪魔者だと判断し、狙いを希たちから奉次郎に変える。

 奉次郎もそれを感じたのか、錫杖を握る手に力が入る。

 

(さあて、ワシも年じゃからそう長くはもたんぞ)

 

 錫杖を構え、駆け出す。

 

(じゃから、頼んじゃぞ! ──リヒト!!)

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 光が収まり、顔を覆っていた腕を下ろすリヒト。

 

「なんだったんだ?」

 

 疑問の声を上げつつ、そこでリヒトは周りに人がいないことに気付いた。あたりを見回してみると、先ほどまで言葉を紡いでいた奉次郎の姿も、悲鳴を上げ体を震わせていた穂乃果も、リヒトの横に座り固唾を飲んで先ほどの光景を見ていた希も、リヒト以外全員がいなくなっていた。

 

「おい、希! 穂乃果! じーちゃん!」

 

 名前を呼んでも、返事は帰ってこなかった。そもそもこの部屋はそんなに大きくない、三人が一斉にかくれんぼでも始めたのか? と場違いにも程がある考えを抱きつつ、リヒトは立ち上がる。

 

「どこ行ったんだよ」

 

 とりあえずはこの部屋を出ようと思い、出入り口の方へ向かいその戸に手を掛けた瞬間──。

 

 

『──―』

 

 

「え?」

 

 誰かが、自分の名前を呼んだ。

 しかしそれは実際に聞こえたわけではなく、頭に響くように、まるで頭に直接語りかけているかのように聞こえた。戸を開けるのを止め後ろに振り替えるリヒト。だが、どれだけ見渡しても人の気配がなければ何もない。火を灯す蝋燭と中央に立つ仏壇のみ。

 気のせいか? と首をひねり、その部屋を出ようと再び途に手を掛けようとしたところで。

 

 

『──―』

 

 

 また、呼ぶ声がした。

 

「誰だ? 俺を呼ぶのは」

 

 振り返り声を発するリヒトだったが、答える声はない。

 だが、先ほどより強く『声』はリヒトの頭の中に響いていた。

 その時リヒトは、この部屋の中央に置かれた仏壇──、そこに置かれた木箱から光が漏れているのを再確認した。やはり木箱からは光が漏れている。

 そしてリヒトがその光へと注意を向けたとたん、

 

 

『リヒト』

 

 

 明確に自分を呼ぶ声が聞こえた。

 そしてその声は、リヒトが()()()()()()()()()()()

 

「ギンガ……?」

 

 リヒトはその声の主らしき人物の名を呼ぶ。

 木箱からは光が漏れている。

 リヒトは自然とその足を仏壇の方へと向け、歩き出していた。ゆっくりと、だがその足取りとは対照にリヒトの鼓動は早くなっていった。それは、緊張から来るものか、それとも再会から来る喜びか──。

 

 

 リヒトは木箱を開け、その中にある銀色の探検のようなもの──御神体を掴んだ。

 

 

 御神体からあふれる光が再びリヒトを包む。

 

 

 リヒトが訪れたのは光の空間。

 昨晩夢で見た空間とは違い、白い光があたり一面に広がる空間だった。

 そして、リヒトの前に二人の光の巨人がいた。

 その姿は眩い光によって隠されているためわからないが、片方の巨人は銀色に輝くボディに胸には特徴的な赤いY字型があるのが確認できる。銀色の巨人は自分を見上げるリヒトに一つだけ頷くだけだった。だが、リヒトはその頷きに『エール』が込められていることを読み取り、頷き返す。

 

 

『ギンガスパークを手にするものよ』

 

 

 声は、銀色の巨人の隣に立つ光から聞こえた。

 ぼんやりと、胸のプロテクターに黄色の二本線、赤と紫の色が見える光の巨人。

 

 

『この世界の未来に「光」を、頼んだぞ』

 

 

 光の巨人声に頷くリヒト。

 二人の巨人はリヒトの頷きを見届けると姿を消した。

 

 

『リヒト』

 

 

 今度は後ろから声が聞こえ振り返る。そこにいたのは──。

 

「ギンガ」

 

 昨晩夢の中で出会った光の巨人『ウルトラマンギンガ』だった。しかし今回は、前回と違いリヒトと同じくらいの背丈で目の前にいるため、少し新鮮さを感じるリヒト。

 

「あれは、夢じゃなかったんだな」

 

『すまない、まだ君と完全に接触できる状態じゃなかったため、あのような形になってしまった』

 

「べつにいいさ、それは気にしてない。それより、あれが夢じゃなかったってことは──」

 

『ああ、君の知る少女たちの背後に「邪悪な魔の手」が迫っているのも本当だ。すでに高坂穂乃果は敵の「闇」に取り憑かれてしまっている』

 

 ギンガの言葉に表情を険しくするリヒト。

 

「じゃあ、もしかして穂乃果の様子が変だったのも」

 

『ああ、「邪悪な魔の手」の仕業だろう』

 

 ギンガはそう言って顔を横に動かす。リヒトもつられ顔を横に向けると、そこには白い顔と戦いながら穂乃果と希を守る奉次郎の姿が映し出された。

 

「じいちゃん!?」

 

 映し出された映像で戦う奉次郎は、受け身の戦い方で戦っていた。向こうが攻めてきたのならばこちらは攻撃の手に出る。逆に向こうが攻撃してこなければ、こっちはあくまで戦う姿勢を見せ、絶対に穂乃果たちの方へ向かわせないようにしている。

 だが、それが持つのも時間の問題だ。奉次郎だっていくら鍛えた体をしていても、御年六八歳。すでに疲労の色が見え始めており息も上がっている。このまま続けば、おそらく先に倒れるのは奉次郎の方だろう。希も意識がないのかぐったりとした穂乃果を掛けているため、無理に動くことはできなかった。

 

『すでに敵との戦いは始まっている』

 

 ギンガの声に反応するリヒト。

 

『リヒト、準備はいいか?』

 

 ギンガの問いに、リヒトは「ああ」とその瞳に強い意思を込め答える。

 迷う必要はなかった。

 

 ──覚悟など、すでに決まっている。

 

 ──例え記憶が無くでも、穂乃果たちの悲しむ姿は見たくない。あんな未来を穂乃果たちに迎えてほしくない。

 

 ──あの未来が穂乃果たちのもとに訪れる未来だというのなら、俺が変えてやる。 

 

 ── ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──そして何より、穂乃果達の『夢』を、あんなふざけた奴に壊されてたまるか! 

 

「ギンガ」

 

 リヒトはその強い意思のこもった瞳で、

 

「俺に力を貸してくれ」

 

 ギンガを見る。

 

「俺に、あいつらの未来を守る力を!」

 

 リヒトはギンガに手を伸ばした。

 ギンガは頷き、光となってリヒトを包み込んだ。

 

 

 ──リヒトの右手に持つ御神体──ギンガスパークが展開され、眩い光が解き放たれた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 高坂穂乃果は走っていた。その森から漂う恐怖から逃げるために。

 風景は依然と空高く伸びる木々だけが広がっており、どれぐらい走ったのかわからない。

 

「あっ!?」

 

 足がもつれてしまい倒れてしまう。

 

「はぁ、はぁ、……もう、無理」

 

 すでに体力は限界を迎えており、変わらない風景と終わりの見えない森に体力だけでなく精神的にも疲弊していた。

 森には穂乃果以外の人の気配はなく、鳥もいないのか静寂の世界と化していた。冷たい風が穂乃果の肌をなで、より一層孤独感を与える。

 なぜかわからないが、その孤独感から穂乃果の意識が遠のいていく。瞼は重くなっていき、体の感覚がなくなっていく。このままこの感覚に身をゆだね、眠ってしまおうか──。

 そう思う穂乃果は、なぜか昔のことを思い出していた。

 幼い頃お店の手伝いをしていたとき、自分のうっかりミスでお客さんに迷惑をかけてしまい、母親に怒られた時があった。疲れがたまっていたのか、その時の母はいつも以上に穂乃果を叱り、つい『どうしてそんなにおっちょこちょいなの。もっとしっかりして』と言ってしまった。本人も言うつもりではなかったのだろう、直後にハッとした表情になるが、すでに時遅し。その言葉は当時自分のおっちょこちょいなところを気にしていた穂乃果の心に突き刺さり、家を飛び出してしまった。

 気にしていたことを突かれ、涙ながらに走る穂乃果。無我夢中で走っていたため、自分がどこまで来たのかわからなくなってしまい、迷子になった。

 その時も今と同じように親や、海未とことり、そしてリヒトの名を呼びながら走っていたが、襲い来る孤独感についに走るのをやめてしまった。

 

(……そういえば、たしかあの時──)

 

 そこまで思い出していた時、ふと何か暖かい光を感じた。

 顔を上げてみると、そこには宙に浮かぶ赤い光があった。

 

「え? なに?」

 

 光はただ浮いているだけで特に何もしようとはしない。だが、穂乃果の中でその赤いり光とあの時見た赤い夕陽が重なった。

 穂乃果はゆっくり右手を上げ、伸ばす。何かを掴もうと──。

 光は逃げる様子を見せず、むしろ穂乃果の手を待っていた。

 

(そういえば、あの時もこうやって手を伸ばしたんだ)

 

 今の穂乃果に、夕日に手を伸ばす幼い穂乃果の影が重なる。

 そして、言葉を紡ぐ。

 

 

「『──たすけて』」

 

 

 声を張ったわけではない。呟くように放たれた言葉。むろん、この空間いるのは赤い光と穂乃果だけ。それ以外は人間どころか動物の気配すらもない。

 そのはずなのに──、赤い光に触れたとたん──。

 

 

「『穂乃果!!』」

 

 

 ──声と共に、赤い光が穂乃果を包み、森の空間を吹き飛ばした。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「気が付いたみたいやね」

 

「……希先輩?」

 

 瞼を開け最初に目に入ってきたのは、東條希の顔だった。

 あれ? とぼんやりとした頭で穂乃果は現状を理解しようとする。さっきまで自分はあのへんな森にいたのでなかったか? それともあれは夢で、今まで自分は寝てたのではないか? でもそれなら自分がいるのはあのお祓い部屋のはず……。そこで穂乃果は自分が右手に赤く光る輝石を持っていることに気が付く。なんだこれは? と思ったが、その光を見ていると自然と安心する。不思議な光だった。

 そして穂乃果は意識がはっきりとし、自分が仰向けに倒れているのだと理解する。だが、後頭部感じる感覚は地面のそれではなく、何か柔らかいもの。

 視界で捉えたのは、オレンジ色のオーロラがかった空、安堵の表情を浮かべる希。

 穂乃果は希に膝枕をされているのだと理解した。気恥ずかしくなって起き上がろうとしたところを、希に止められる。

 

「今は寝とき。無理に起きなくてもええんやよ」

 

「でも」

 

「大丈夫や。──もう()は来てくれたから」

 

 そう言って正面に顔を向ける希。穂乃果も首を動かし横を見て──目を見開く。

 そこには──

 

 

 ──輝かしい光を放ちながら、左手を伸ばし白い顔の動きを封じている光の巨人がいた。

 

 

 光の巨人──ウルトラマンギンガは右腕を引き絞り、白い顔を殴り飛ばす。

 

『──!! !? !!』

 

 悲鳴を上げ吹き飛んでいく白い影。

 ギンガはゆっくりと首だけを動かし、穂乃果たちを見る。

 そして、ゆっくりと頷いた。『もう大丈夫だ』、まるでそう言っているみたいだった。

 

「間に合ったようじゃな」

 

 肩で息をしている奉次郎も、ギンガの登場に安心した声を漏らす。こちらもすでに体力は限界を迎えており、あと数分ギンガの登場が遅ければ、確実に負けていた。

 

「……あれは……」

 

「ウルトラマン」

 

 穂乃果のつぶやきに希が答える。

 

「……ウルトラマン?」

 

「そうや。『闇』を打ち払う、『光』の戦士。それが『ウルトラマン』」

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 ギンガの中、光の空間(インナースペース)に立つリヒトは穂乃果の意識が戻ったことを確認し安心する。

 そして意識を変え、吹き飛ばした敵を見る。

 白い顔はギンガの登場に驚きはしたものの、すぐに体勢を立て直し──実体化する。その姿はおぞましく、通常の頭部に加え、腹部にも先ほどの白い顔が備わっており、不気味さが際立っていた。

 その名は『サイコメザードⅡ』。

 

『よう、よくも穂乃果に、怖い思いをさせてくれたな』

 

 挑発気味に言うリヒト。

 

『たっぷり礼をさせてもらうぜ!』

 

 ギンガスパークを構え叫ぶリヒト。

 サイコメザードⅡにリヒトの声が聞こえたのか、聞こえていないのかは定かではない。だが、声をあげ戦闘態勢を見せる限り、闘志は伝わったようだ。

 サイコメザードⅡは吠え、両腕から青白い電撃波を放つ。

 避ければその電撃は穂乃果たちを襲い、避けなければダメージとなってギンガを襲う。ニヤリと腹部の顔があざ笑う。

 だが、ギンガのとった行動はシンプルかつ簡単な行動だった。避けるのがダメ、食らうのもダメ、ならば、防げばいい。

 右手を伸ばし展開したバリアであさりと電撃波を防ぐギンガ。

 驚きに顔を歪めるサイコメザードⅡ。

 そしてギンガ──リヒトは何も恐れることなく駆け出す。

 大きく振り抜かれた拳はサイコメザードの頭部を揺らし、続けて左の拳が振り上げられ顎を撃ち抜く。

 後ろの大きくのけぞるサイコメザード。

 ギンガは後ろへ大きく引いた拳を、腹部の顔にめがけて突き出す。

 ギンガの腕が突き刺さり腹部の顔が大きく沈む。サイコメザードの体自体もくの字に曲がり、後ろによろめく。

 ギンガの追撃は終わらない。

 距離は開いたが、埋める必要はない。振り抜かれた足は的確にサイコメザードの頭部を捉えていき、頭部を掴まれ身動きが出来なくなったところに、何度も拳が叩き込まれる。

 サイコメザードは頭部を揺らしてギンガの腕から逃れる。反撃のために腕を振り下ろすが、簡単に受け止められ再び頭を掴まれ巴投げの要領で投げ飛ばされる。

 投げ飛ばされたサイコメザードⅡは地面を滑り、悲鳴を上げる。

 リヒトは昨晩ダークガルベロスと戦った時とは比べ物にならないほどのパワーを感じていた。内からあふれる力、そして()からも何かしらの恩恵を受けているのか、すさまじいパワーを感じる。今のリヒトに──ギンガに負ける気など全然しない。

 立ち上がったサイコメザードⅡより放たれる電撃、今度はバリアなど張らず両腕を使い弾きながら突撃する。だが、サイコメザードⅡはギンガが近づくのを待っていた。距離が近づいたところを頭部による攻撃が襲う。だが、その一歩手前で止まったギンガは、空振りされた頭部めがけて回し蹴りを放つ。カウンターの一撃を受けたサイコメザードは悲鳴を上げる。

 そして腹部の顔に向け強烈な右ストレートを放ち、後ろへ転がるサイコメザードⅡ。

 立ち上がる力は残っているが、その足取りはおぼつかない。

 勝負はついた。そうリヒトが思った矢先、

 サイコメザードⅡは無差別に電撃を放ち始める。その電撃波ギンガを襲うが、直接襲うわけではなく、足元や真横に被弾し火花を散らす。その衝撃にわずかに怯むギンガ。 

 そしてその電撃の一部が、穂乃果たちを襲う。

 

『しまった!』

 

 リヒトが気付いた時は、もう間に合うところではなかった。

 危機を察した奉次郎は錫杖を構え防御態勢に入るが、そんなもので防ぎきれるほど甘い攻撃ではない。

 その電撃が穂乃果たちにあたる瞬間、()()()が穂乃果たちを覆い、電撃から守った。

 

「諦めないよ」

 

 その光の中から穂乃果の声が聞こえた。

 

「私は諦めない」

 

 そして、赤い光は輝きを増し穂乃果の思いを乗せサイコメザードⅡを吹き飛ばした。

 負けを察したサイコメザードⅡはクラゲ上に変化し逃げようとする。

 

『逃がすか!』

 

 ギンガは両腕を胸の前でクロスする。クリスタルが黄色に輝き上空へと伸ばした左腕から黄色い電撃が収縮されていく。

 放たれる電撃技──『ギンガサンダーボルト』がクラゲ状態のサイコメザードⅡを襲う。荒れ狂う電撃の渦を受け、爆炎を上げ落下するサイコメザードⅡ。クラゲ上である故か、完全に倒すことはできなかったが、爆炎の中から実体化として姿を現す。だが、すでに満身創痍の状態だ。

 次の攻撃を避けるためギンガの動きを見るが、すでにそこにギンガの姿はなかった。

 気配を感じたのは──上空。

 すでに、下腹部でクロスした腕を胸部へと持っていき赤くクリスタルを光らせ腕を引くギンガの姿がそこにはあった。

 ──これで終わりだ。

 放たれる無数の火炎弾『ギンガファイヤーボール』がサイコメザードⅡを打ち抜き──。

 

 

 ──ギンガが地へと着陸するのと同時に、その背後で爆発した。

 

 

 片膝状態からゆっくりと立ち上がるギンガ。穂乃果たちの方を向き、再び頷いて、空へと飛び去って行った。

 

 

 

 残された穂乃果たち。

 去って行くギンガを見て、奉次郎は呟いた。

 

「──新たな『伝説』の幕開けじゃな」

 




第五章へ続きます……。


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第五章:少女の夢

 [6]

 

 

 

「……んっ」

 

 高坂穂乃果は目が覚めた。

 重たい瞼を開け、ぼやけた視界に広がるのは薄暗い天井。

 起きたばかりであるため、頭もぼんやりとしており現状自分がどこにあるのか理解するのに時間を有した。

 背中と頭に感じる柔らかいクッションの感触、体を包み込むように覆いかぶさっている塊。そこで穂乃果は自分がベットの上で寝ているのだと理解した。

 上半身を起こし、あたりを見回してみる。薄暗いため詳しくは見えないが、本棚や小型テレビ、勉強机などが見受けられ、部屋に充満する香りが自分のではないことがわかる。

 つまりここは、

 

「りーくんの部屋?」

 

 なぜ自分はここに? 率直な疑問が浮かぶ。

 確か自分は希に呼ばれ榊家を訪れ、お祓い部屋に行き、夢で見た森を走って、赤い光に包まれて、巨人と怪獣の戦いを見て、怪獣の攻撃がこっちに向かってきて、その攻撃から守るように、赤い光が広がり、──そこからの記憶が無い。どう思い出そうとしても、そこからの記憶がプッツリと途切れていた。

 んー、と首を傾げていると部屋の扉が開くのと当時に明かりが点き、一人の人物が現れる。

 

「おっ、目が覚めたみたいだな」

 

「りーくん」

 

 現れたのは一条リヒトだった。部屋に入ってきたリヒトの手には水の入ったペットボトルが握られており、それを机の上に置くと穂乃果の元へと近づく。

 穂乃果へ近づくリヒトは、微笑みながら右手を上げ、頭に手を置く。そして、そのままぐしゃぐしゃと撫でまわし始める。

 

「ちょっ、りーくん!?」

 

 突然のことに驚きの声を上げる穂乃果。乱暴に撫で回されるリヒトの手を払いのけようとするが、リヒトは左手までも使って穂乃果の頭を乱暴に撫でる。というか、もはやただかき乱しているようにしか見えなかった。

 

「りーくん!!」

 

 穂乃果は声を上げ、リヒトの両手を大きく払う。ぐしゃぐしゃになった髪を整えながらリヒトを睨むも、リヒトは飄々としてその視線を受け流す。

 

「その様子じゃ、もう大丈夫みたいだな」

 

 リヒトは机の上に置いたペットボトルを取るため、机へと向かう。

 穂乃果は乱れた髪を整え終わると、差し出されたペットボトルを受け取る。

 

「ありがと」

 

 受け取ったペットボトルのキャップを外し、喉を潤す。冷たく冷えた水が喉を通り体内へと流れ、ふー、と一息つく。

 

「ねえ、なんで私りーくんの部屋にいるの?」

 

 水を飲み終えた穂乃果は真っ先にそのことを聞いた。

 リヒトは回転式の椅子に深く腰掛けながら、

 

「ギンガと怪獣の戦いに決着がついた後、気を失ったみたい」

 

「ギンガ?」

 

「あの『ウルトラマン』の名前。それが『ウルトラマンギンガ』」

 

「ウルトラマン……ギンガ……」

 

 ポツリとつぶやく穂乃果。

 

「あれは、夢じゃなかったんだ」

 

 おぞましい姿をした巨大怪獣と光の巨人──ウルトラマンギンガの戦い。その光景はまさしくテレビや映画の中でしかありえない出来事で、現実の世界では絶対にあり得ない光景だった。オレンジ色のオーラがかった空に、赤褐色で青色の光を発光した物体がある地面。神田明神の境内の上から重ねたような舞台で戦う怪獣とウルトラマンギンガ。

 思い返すだけでも、『夢』のような出来事だった。

 そういえば、あの場には自分以外に希と奉次郎もいた。自分と同じように怪獣とウルトラマンギンガの戦いを見ていたはずだ。二人も覚えているのだろうか? 

 

「……あれ?」

 

 そこで一つ疑問が浮かんだ。それは、とっても簡単で素朴な疑問。

 穂乃果は回転式の椅子で左右に揺れているリヒトを見て、言う。

 

 

 

 

「りーくん、()()()()()()()?」

 

 

 

 

 素朴で純粋な疑問が、穂乃果の口から放たれた。

 

「……、え?」

 

 穂乃果に問われ、回転式の椅子で遊んでいたリヒトが止まる。

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

「…………」

 

 あの光景を思い返しても、あの場にいたのは自分を介護する希と、錫杖を手に乱れた息を整える奉次郎の二人。自分を含めれば三人ではあるが、リヒトの姿はどこにもなかった。

 怪獣の攻撃がこちらに来た時も、身を挺して守ろうと動いたのは奉次郎でリヒトではない。というか、あのそう長くはない時間の中でリヒトの姿を一度も見ていない。

 

「りーくんはなんであのウルトラマンの名前が『ギンガ』って知ってるの?」

 

「……………………………………………………………………」

 

 リヒトは、答えない。

 

「りーくん?」

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 リヒトは固まったまま動かない。

 

「……、もしかして、怖くて隠れてた?」

 

「ばっ、そんなわけないだろ!!」

 

 リヒトは穂乃果に抗議するべく椅子から立ち上がる。

 

「ちゃんといたぞ! 穂乃果寝てたから見えなかったんじゃないのか? 怪獣の攻撃だって『しまった!』って思って守ろうとしたら、赤い光が穂乃果たちを守って、その光が怪獣に一撃与えて、チャンスだって思ったんだし」

 

「チャンス?」

 

「いや、えっと、ギンガが決める『チャンス』って意味だよ!」

 

 身振り手振りを加え、声を張りあの場に自分がいたというリヒト。だが、何を慌てているのか挙動不審となり、視線があっちこっちに向いており、信憑性はないに等しかった。

 穂乃果はジトッとした目を向けると、

 

「……ホントにいたの?」

 

「居たよっ!」

 

「……本当に?」

 

「本当だ!」

 

「じゃあ、希先輩と奉次郎さんにも聞いてみよう」

 

「………………………………………………………………いや、その必要はないんじゃないかな」

 

「なんで?」

 

「いや、ほら、……あの二人もギンガと怪獣の戦いに見入っていたからさ、たぶん俺に気付いていないんじゃないかな」

 

「そんなの、聞いてみないとわからないじゃん」

 

「いや、だから」

 

「さっきから、なんで慌ててるの?」

 

「別に慌ててねえよ」

 

 そう言って椅子に座り直すリヒト。しかし、どう見てもリヒトの言っていることに信憑性はなかった。むしろすがすがしく隠れていた也、逃げていました也、そういったことを正直に言った方が早いのではないか? 穂乃果にはわからないが『男のプライド』というものが、それを認めないのだろうか。

 尚も、必死にあの場にいたことを証明したいのか、「あーと、うーんと」と唸り続けるリヒト。仕舞いには腕を組み真剣に考え始めた。その姿が『あの時』と重なり、穂乃果は笑いだす。

 

「……ぷっ。あはははははははははは」

 

「ちょっ、なに笑ってるんだよ」

 

 リヒトの眉間に皺が寄る。

 

「ごめん、ごめん。ちょっと、思い出しちゃってさ」

 

「何を?」

 

「昔のこと」目に浮かんだ涙をふきながら、「小さい頃にね、お母さんに言われたことがとても辛くて、家を飛び出したことがあるの。泣きながら飛び出して、無我夢中に走ってたら、知らないところにいてね。そしたら、今度は寂しくなっちゃってさ、家に帰ろうとしたんだけど、帰り道がわからなくて。知らない場所に一人ぼっちで、とっても寂しくなって、また泣きながら走ったの」

 

 そうだ、あの『森』も寂しくて、怖かった。

 あの静寂の世界に居たのは、穂乃果ただ一人。他には誰もいない、誰もいなかった。

 

「海未ちゃんやことりちゃんの名前を叫んだんだけど、だんだん疲れてきちゃって。結局、走るのをやめちゃった」

 

 リヒトはただ静かに聞いていた。

 

「もう全部が嫌になってさ、自分性格が特にそうだった。『なんでこんなにおっちょこちょいなの? なんで穂乃果が何かすると、周りに迷惑がかかるの?』、そう言って自分を責めてた。全部投げ出したくなった。……でも、りーくんの言葉を思いだして、上を向いて、手を伸ばして『たすけて』って叫んだんだ。そしたら、本当にりーくんが来てくれて、穂乃果を助けてくれた。そして無事家に着いたんだけど、帰ってこれた安心感からまた泣いちゃった私を見たお父さんがりーくんに詰め寄ってね、りーくん真っ青になって……ふふっ」

 

 その光景を思い出したのだろう、穂乃果はまた笑いだす。

 ちなみに、その時の『一条リヒト』がどういった状態だったのかを説明するならば、蛇に睨まれた蛙といったところか。しどろもどろになって話すリヒトの姿は、とても面白かった。

 なお、本当のところは無事に娘を連れて帰ってきてくれて『ありがとう』と伝えようとしている穂乃果パパだったのだが、無愛想な顔付きプラス無口ということもあって、リヒトには『何娘を泣かしているんだ?』としか見えていなかった。

 そしてこれが、この出来事が『高坂穂乃果』という少女にとって『一条リヒト』との掛け替えのない思いでとなっている。もしこの時、『一条リヒト』が現れなかったら、どうなっていただろうか? 

 おそらく、家には帰れただろう。だが、きっと今みたいな性格にはなっていなかったはずだ。『一条リヒト』がいたから、『一条リヒト』の言葉があったから、『失敗』をそれない『強い心』を持つことができた。

 ……なのに、

 

(もしかして、あの怪獣って、私の心の弱さから生まれたのかな)

 

『一条リヒト』と出会って変わったはずなのに、『一条リヒト』と出会って『強い心』を手に入れたはずなのに、自分の心は弱いままなのか。その『弱い心』があの怪獣を生み出したのではないか? 『失敗』なんて恐れない、ただ全力で前に進んできたけど、本当は心のどこかで不安だったのではないか? 大好きな学校の廃校問題を聞いて、居ても立ってもいられなくて見つけた『スクールアイドル』という可能性。その可能性を信じ、幼馴染を誘い、学校の廃校を阻止する為に始めた『スクールアイドル活動』。

 そして、『やりたい』という気持ちを抑えきれずに立ち上げた『ファーストライブ』。

 すべてに不安がないかと問われれば、もちろんある。失敗したらどうしよう、学校を救えなかったらどうしよう、不安だらけである。でも、そういうのは考えないようにした。考えてても、行動しなかったら何も変わらない。動かなければ、『失敗』なんか恐れてちゃ、掴めるものも、見えるものも何もない。

 だけど、その『ほのかな不安』があの怪獣を生み出したのではないのか? 

 いろんな考えが、穂乃果の中を駆け巡る。そんな時だった、

 

 

 

 

「悩んだり、苦しかったり、不安だったら上を向け。下には何も落ちてない。何かを掴みたい、何かを成し遂げたいなら上を見ろ。そして、どうしてもダメな時は手を伸ばせ」

 

 

 

 

『一条リヒト』の言葉が聞こえた。

 ハッ、となって顔を上げると、こちらに背を向けたリヒトが立っていた。

 

「助けてほしい時、一人じゃ不安な時は手を伸ばせ、そうすれば──」

 

 リヒトは振り返る。

 そして、優しい笑みを浮かべながら手を差し伸べてくる。

 穂乃果も、手を伸ばす。

 リヒトと穂乃果の手が、繋がる。

 

 

 

 

「俺が、助けてやる」

 

 

 

 

『一条リヒト』とリヒトが重なった。

 その言葉は幼い自分にかけてくれたもう一つの言葉。

 自分を奮い立たせてくれた、『一条リヒト』の言葉。

 

「うん」

 

 穂乃果は頷く。

 そうだ、人には必ず『強い心』と『弱い心』がある。

 穂乃果にも、そしてもちろんリヒトにも。

 だから、人と人は手を取り合う。己の弱さを補うために。手と手を取り合って歩んでいく。

 例えこの先、穂乃果たちが『不安』に押しつぶされそうになっても大丈夫だ。だって(リヒト)が照らしてくれるから。(リヒト)が道を示してくれるはずだ。

 泣きたいとき、言葉が見つからないとき、一緒にいてくれる『光』がいる。

 

「可能性、感じたんだろ?」

 

「うん」

 

「なら、前に進め」

 

「うん」

 

「笑顔、忘れんなよ?」

 

「うん! 大切なのは、明日を信じる笑顔だよね」

 

「お、良いこと言うじゃん」

 

「えへへ」

 

 楽しげに笑う穂乃果。

 それに応えるかのように、枕元に置かれた赤い輝石がわずかに光る。

 もうそこに、わずかな『不安』は、なかった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 その日の夜、すでに時刻は十時を回っているのだが、榊奉次郎は自室にて一本の電話を待っていた。

 リヒトはすでに就寝についており、今この家に起きているのは奉次郎ただ一人。

 まだか、と携帯電話を見る奉次郎。しかし、反応はない。

 仕方なく、奉次郎はその手に持つ冊子に目を向ける。

 和紙で作られたその冊子は、作られてからすでに幾年の年月が経っているのか、ページの端はボロボロで紙の色も褪せてしまっている。

 その冊子は榊家に伝わる古文書。

 遥か昔に、この地で起こったとされる『光』と『闇』の戦いが記されている。

 古文書に目を通していると、奉次郎の携帯電話が震えた。

 

「おお、待ちわびたぞ」

 

『こんばんわ、先生』

 

 電話から聞こえるのは、やや不機嫌な女性の声。

 

「なんじゃ、随分と機嫌が悪そうじゃの」

 

『当り前じゃないですか。かわいい教え子たちと飲みに行く予定だったのに、先生からの急なお届け物のせいで断らなくちゃいけなかったんですから』

 

「それは、すまんことをしたのう」

 

『……本当にそう思ってます?』

 

「思っとる」

 

『……』

 

 電話の声の主が一旦黙る。

 

「それで、本題の方なんじゃが」

 

『わかってます』

 

 プシュッ、と炭酸の抜ける音が電話越しに聞こえた。

 

「……お主、まさかワシと話をするというのにビールでも飲む気じゃないじゃろうな」

 

『いいじゃないですか、そんなことは気にせず。……はぁ、藤宮君と飲みたかったな』

 

「稲森くん」

 

『わかってますよ。藤宮君にはもう彼女いますから。はーあ、私の運命の相手はどこにいるのかしら』

 

「稲森くん」

 

 これ以上、電話の女性──(いな)(もり)の話を聞いていると、三〇過ぎても結婚できない女の泣き言を聞かされそうだったので、奉次郎は名前を呼ぶことで『さっさと本題に入れ』と促す。

 この稲森という女性は、昔奉次郎が大学教授をやっていたときに知り合った女性である。昔から気の強い女性で遠慮というものを知らず、我が道を行く。他人に厳しく、己も努力を惜しまない性格で、今では奉次郎と同じく大学の教授をやっている。一つ難点を上げるとすれば、何かへの依存が強いところと酒が好きと言うところか。

 そしてまた、『榊家』同様、少々『特殊な』家系に生まれた女性でもある。

 故に、今回事件の概要を突き止めるべく奉次郎は彼女にある依頼をしたのだ。

 

『わかってますよ。まったく、私じゃなくて娘さん二人か息子さんに頼めばいいじゃないですか』

 

「ダメじゃ、優子はお主ほど機械に強くない、美鈴は静岡と遠い、健介に至っては修行不足じゃ。それに、今回の件はお主の分野じゃ、ワシの中でこの分野で一番信用できるお主だけじゃ。だから稲森くんを選んだ」

 

『……、わかってますよ』

 

「なんじゃ? 照れたのか?」

 

『いいですから、本題に入りますよ』

 

 照れ隠しのためか、やや大声になる稲森。そして奉次郎の読んだ通りビールでも飲んでいるのか、喉を鳴らす音が聞こえる。だが、それが本人にとってスイッチの切り替えとなったのだろう。先ほどまでとは違い、聞こえてくる声のトーンが変わっていた。

 

『先生が送ってくれたお孫さんのヘッドフォン。調べてみましたけど、「黒」でしたよ』

 

 稲森の答えに奉次郎は「やはり」と思う。

 

『先生が先に払っていたので、根源である「ナニカ」は消えていましたが、痕跡は残っていました。これは……、チップのようなものですね』

 

 カチャリ、と電話の向こうから僅かな金属のぶつかる音が聞こえた。

 

『ヘッドフォンのちょうど耳に当てる部分にありました。これで音楽を聴くと、このチップに潜んでいる「ナニカ」が音の波に乗って、人の脳へと行く仕組みになってると思われます。まあ、その「ナニカ」は先生が取り除いてしまったのでわかりませんが』

 

 最後の部分はやや嫌味気味に言う稲森。教え子たちとの飲み会を楽しみにしていた彼女にとって、今回の案件はタイミングが悪かったらしい。

 

「そうか、ありがとのう、調べてくれて」

 

『どういたしまして。……先生、もしかして「闇」が動き出したんですか?』

 

 稲森の問いに奉次郎は戸惑う。もちろん『稲森家』も『榊家』同様特殊な家系に位置するため今回の事件のことを話しても問題はない。だが、いくら『特殊な家系』に属すると言っても、今はどこにでもいる平穏な生活を送っている者がほとんどだ。『日常』を謳歌してほしいと願う奉次郎にとって、今回のような『非日常』には巻き込みたくない。

 しかし、この案件を頼んでしまったためそう言う訳にもいかない。

 奉次郎は稲森にのみ話すことにした。

 

「そうじゃ。おそらく『闇』は動き出した」

 

『そうなると、やっぱり先生の奥さんの死も何か関係しているんじゃありませんか?』

 

 稲森の言葉に奉次郎は鼻で笑った。

 

「バカを言うな。ワシが『視た』限り京子は病死じゃったよ」

 

『でも、奥さん十一月から体調悪くなりだしたんですよね? 先生が「異変」を察知したのもそれぐらいじゃないですか』

 

「……」

 

 確かに、稲森の言う通り去年の十一月に奉次郎は遠い地にて『異変』が起きたことを察知した。その時はその気配が小さく遠かったため、奉次郎も確信をもって感じたとは言えず、京子が体調不良になり始めた方を気にし、『異変』の方を気にしている場合ではなかった。

 

「いや、京子は病死だった。これは間違いない」

 

『……先生』

 

「京子は普通の人間じゃ。『ワシら』みたいな特殊な家系ではなく、どこでもいる一般の家系で育った子じゃ。そんなことは絶対にありえん」

 

 断言する奉次郎。

 稲森も『その分野』では自分が疎いことを、そして奉次郎の実力を知っているからこそ、言い返すことはできなかった。穂能次郎がそう言うなら、そうなのだろう。

 

『すいません』

 

「いいんじゃ、ワシもそれはかなり疑ったからのう」

 

 もちろん奉次郎だって、その可能性を捨てたわけではなかった。妻の死に何か関係しているのか、それを確証を得るまで調べた結果、妻の死には影響していなかったとわかったのだ。

 

『でも、一つ気になるんですよね』

 

「何がじゃ?」

 

『このチップ、人の手で作られたものなんですよ』

 

「……なんじゃと?」

 

『しかも、このヘッドフォンには絶対に必要のないパーツ。故意に仕組んだとしか言えません。お孫さんはこのヘッドフォンをどこで手に入れたんですか? 見たところメーカーの名前が見当たらないんですが』

 

「すまん、少し調べることができた」 

 

『え? ちょっ──』

 

 稲森の制止を無視し、奉次郎は通話を終了させる。二つに折り畳み、テーブルの上に置き、奉次郎は先ほどの稲森の言葉を思い返す。

 

(『チップは、人の手で作られた』、稲森くんは確かにそう言っていた。そしてあのヘッドフォン、リヒトの奴は留学先の友人が作ってくれたと言っておった)

 

 人の手で作られたチップ、留学先でもらったヘッドフォン。

 リヒトの誕生日は一〇月三一日。アメリカで誕生日パーティーをやったと言っていたリヒトは、向こうの時間で行っていた。つまり、日本時間にすれば、その時は一一月一日。()()()()()()()()()()()()()()

 

(リヒトが記憶を失ったのは十二月。そしてワシは、()()()()()()()()()()

 

 奉次郎は思考を巡らせる。ほんのわずかな手がかりから、今までに感じた『異変』のタイミングと、リヒトがアメリカに留学してから起きたことを照らし合わせる。

 わかるのは、確実にリヒトが言ったアメリカで『何かが起きた』ということだけ。

 あのダンスを披露した日も、リヒトはヘッドフォンを使っていた。いやそれ以前から、ヘッドフォンはリヒトのお気に入りだったらしく、送られてくる写真の中でいつも装着していた。おそらく、記憶喪失後も使っていたはずだ。

 ならば、もっと早くからヘッドフォンの細工の罠に陥っているはずだ。穂乃果の場合はヘッドフォンを使った瞬間から異変が起きたのだから。

 なのに、リヒトの起きたのは『帰ってきたあの日』だけ。それ以前にそれらしい反応はなかった。

 

(そういえば、リヒトの奴)

 

 そこで奉次郎は思い出す。リヒトが倒れたあの日、リヒトのみに起きた異変を感じた奉次郎はリヒトを『視た』。その時、奉次郎はリヒトの中に、まるでリヒトを守るかのように輝く光を見た。もしその光が、リヒトを異変から守っていたのだとしたら、なぜダンスを踊ったときだけリヒトは倒れたのか。

 

(細工は、つい最近行われた?)

 

 ならばいつ? 誰が? どこで? 

 考える奉次郎。だが、『答え』は出てこなかった。

 これ以上考えても、望む答えが出てきそうにない、と判断した奉次郎は立ち上がり、窓を開け夜空を見上げる。

 

「リヒト、一体アメリカで何かあったのじゃ?」

 

 月が輝く空に向け、奉次郎はポツリと呟いた。

 ヒュー、と風が室内に入り込み、先ほどまで奉次郎が見ていた古文書のページを持ち上げ、表紙があらわになる。

 そこには、墨字でこう書かれていた。

 

 

 

 

 ──『ティガ伝説』

 

 

 

 

 と。

 




以上リメイク後の第二話でした。


感想・評価・批評など、待ちしております。

~次回予告~
遂に迎えるファーストライブ当日。最終確認を終え、少女たちを送り出したリヒトは、奉次郎の部屋で「ティガ伝説」と書かれた古文書を見つける。そこには、遥か昔に行われた「光」と「闇」の戦いが記されていた。
一方、期待と不安が高まる穂乃果たちはライブ開演の直前、位相空間へと飛ばされてしまう。異変を察知した東條希だったが、謎の黒フード男により自分も位相空間へと飛ばされる。そこで彼女は見たものは、ダークガルベロスに襲われる穂乃果たちだった!
ライブ開演の時間が迫る中、少女たちに絶望が襲い掛かる。
次回、第三話「決意と誓い」




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第3話 決意と誓い
第一章:始まりの朝


これ以上待たせるのも悪いかと思いまして、前半部分を先に上げさせていただきます。ほとんどが世界観の説明になりますが、よろしくお願いします。




 [序章]

 

 

 そこは異様な空間だった。

 空は赤黒く光り、地面はどこまでも続く紫色。そこに緑色に発光する物体が、ガラスの破片のように埋め込まれていた。

 もしもこの場に常人が立った場合、その不気味な風景と肌を撫でる君悪い風に体力だけでなく精神面を削られるだろう。

 つまり、おおよそ常人が立っていられるような空間ではないと言うこと。

 

 ならば、そんな空間に立っているひとりの男。彼が常人ではないと容易に説明できる。

 

 背丈はおおよそ一八〇センチ近く。しかしその全身が黒いローブで覆われているため、はっきりとした体格はわからない。フードを深く被っているため、表情も見えない。

 ローブの男はその場に立っているだけ。時折、まるで体の調子を確かめるかのように、掌を開いたり閉じたりしている。

 

『おい、そろそろいいだろ』

 

 男の耳に少女の声が聞こえてきた。

 ローブ男はゆっくりと振り返る。

 同時に、今まで広がっていた空間が男を中心として収縮されていく。まるで男の足に吸い込まれているようだった。

 数秒後、周囲の光景は真夜中の公園となっていた。

 ローブ男は声の主を見つけると、驚いた声で言う。

 

「なんだ、随分と可愛らしい姿になったね」

 

 男の前に立っていたのは、腕を組みやや不機嫌そうにしている少女だった。

 身長は一五〇近くだろうか。小柄な体格で腕を組み不機嫌そうにしている姿はとても可愛らしかった。

 だが、その少女の纏う雰囲気が異様だった。長く背中まで伸びる髪は月の光を照り返し輝く白色。肌も雪のように白く、纏うワンピースには汚れなんか一つも目立たない程に真っ白。『純白の少女』がそこにはいた。唯一の例外は、その赤い瞳だろう。

 少女は鈴のような声音で言う。

 

「仕方あるまい、その男の記憶で一番印象に残っている女の体をコピーしたのだ。その男にとって『コイツ』がよほど印象強かったのだろう」

 

「それはそうだよ。()()()()にとって、その女の子は彼女だったんだから」

 

 ローブ姿の男に言われ、眉間に皺が寄る少女。

 

「まったく、利用する人間を間違えたか」

 

「それは無理な話だ。君がこの世界にとどまるには、この体を利用するほかないんだから」

 

 確かにその方法でしか、少女がこの世界にとどまることはできない。自分で選んだ方法とはいえ、この姿になるとは少々予想外だった。なぜ自分が()()()()()()姿()をしなければならないのか、非常に不服だった。

 

「……まあいい。さっさと支配者様を呼び起こせば済む話だ。それで、そっちの調子はどうなんだ?」

 

 ムスッとしながら言う少女。対してフード男はあっけらかんとした態度で答える。

 

「あれぐらいかな。本格的に行動するのは無理だ。だから、またしばらくは()に任せるよ」

 

「一つの体を二人で共有、か。何とも面倒なことだな」

 

「仕方ないさ、ボクの方はまだ完全に力を取り戻せていない。それに、この体の主要権はアイツにある。ま、かくいうアイツも、まだ万全みたいじゃないけど」

 

 フードを深くかぶっているため、男の表情は見えない。だが、声のトーンから今の自分の状態を不憫だと感じていることがわかる。

 

「それもそうだ。奴はまともに『光』とやり合ったんだ。相打ちにしただけ大したもんだ」

 

「それは向こうが満身創痍だったからだろ。万全の状態じゃ勝ち目はないよ。おっと、この話は奴にとってご立腹らしい」

 

 もう片方の奴が動いたのか、体内から抗議の衝撃が来るのを男は感じた。

 

「それで、次はどうするんだ? せっかく仕掛けたエサも、倒されたみたいだが」

 

「ああ、それに関してならすでに策は考えてある。ガルベロスはまだ生きてるかね」

 

「なに?」

 

「それに、本格的には無理だといったけど、そうでなければ動ける。今回は動かせてもらうよ。会いたい奴もいるし」

 

 男はそのフードの下で不気味な笑みを浮かべる。フードから見える口が、三日月のように歪むのを、少女は目撃した。

 

「まあよい、あまり無理はすんじゃないぞ」

 

「君が心配だなんて、珍しいね」

 

「バカを言うな、貴様の力は絶大だ。それを得る前に死なれては困る」

 

「君にボクの力は毒なんじゃないのか?」

 

 男の言葉に少女は鼻で笑う。

 そして少女はクルリと男に背を向け歩みだす。肌も、髪も、その身にまとうワンピースでさえ白い少女は、夜の風景には不釣り合いではっきりと浮かんでいる。しかし、そんなことを気にさせる様子もなく白い少女は闇に溶け込む。

 

「耐えて見せるさ。貴様ほどの『闇』の力と私の『光』の力が合わされば、支配者様は大きく進化なされる。そのためにも力を十分にためることだ。『────』」

 

 少女の姿は消え、黒フードの男だけがその場に残される。

 最後に呟かれた自分の名前。男は静かに笑い、夜の町に消えた。

 

 

 [1章]

 

 

 一条リヒトは朝に弱い。

 これは記憶を失う前からそうだったらしく、母親である一条(いちじょう)美鈴(みすず)は、リヒトがなかなか起きてこない時、布団ごとリヒトを畳むという荒技で起こしていたらしい。そのこともあって学校へは遅刻ギリギリに到着していた。

 本人も朝早く起きようと目覚ましをセットしているのだが、止めても二度寝に入る、例え上半身を起こしたとしても、そのままの体勢で寝ている、なんてことがあるらしい。

 そして、記憶喪失後もこれは継続されており、高坂穂乃果をはじめとして東條希や園田海未、南ことり、祖父である榊奉次郎に起こしてもらうことで、穂乃果たちの朝練習に参加できている。

 そして今日、穂乃果たちのファーストライブ当日。今日は本番であるため朝練習はない。ダンスのステップも昨日の夕方練習で確認を終えているため、本日はリヒトにとって久しぶりに誰にも邪魔されず寝ていられる日だった。

 ……そのはずだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「…………………………」

 

 灰色のスウェットに身を包み、寝癖でとんでもないことになっている髪を風に靡かせながら、一条リヒトは仁王立ちで少女たちのダンスを見ていた。

 その瞳は真剣そのもの。先ほどまでの寝ぼけ眼はどこへ行った、と言いたくなる。

 対して、リヒトの視線の先にいるのは笑顔でダンスを踊る少女たち。穂乃果、海未、ことりの三人だ。

 本来ならば朝の練習はないことになっている。それなのになぜ三人はダンスを踊っているのか。

 理由は単純。不安や緊張から早起きしてしまった三人がリヒトの元にやって来て、最後の最後の確認をしてほしいと頼んだのだ。リヒトとしては最終確認を終えているため、踊らなくてもいいと言ったのだが、穂乃果にどうしてもと頼まれ一回だけ見ることにした。

 ダンスが始まれば、寝ぼけ眼だったリヒトの雰囲気も変わっていく。

 

 

 ダンスは終盤へと差し掛かる。海未の体力づくりメニューのおかげか、最初に比べて終盤の乱れは少なくなってきている。

 ダンスを踊り終え、三人の眼差しがリヒトへと向かう。

 

「……まあ、いいじゃないか。後半の乱れも少なくなったし、息も合ってる。後は本番の緊張の中、最高のパフォーマンスをするだけだな」

 

 簡単な感想を言い、背伸びをするリヒト。穂乃果たちもリヒトの言葉を受け安堵の息を吐く。

 やはり当日と言うこともあってか、三人とも見た目によらず緊張していたらしい。海未の場合、弓道部の部活で試合に出ることもあるため、緊張には慣れているものだと思っていたが、どうも人前だということが恥ずかしいらしく、昨日もそれで少々手を焼いた。

 それでも、思うところはあったのかリヒトは口を開く。

 

「でも、昨日も言った通り、穂乃果の場合、少しステップが雑になる時があるから慌てずしっかりやること。海未の場合は動作が小さくなる時があるから、少し大胆を意識すること。ことりは安定してるけど、二人の様子を気にし過ぎ。視線はアイコンタクト以外は基本観客の方を向く。それと、やっぱり後半は体力がなくなって全体的にパフォーマンスが落ちてる、最後まで気を抜かないこと。それと──」

 

 記憶喪失前、アメリカに留学してまでダンスを学んだからなのか、一度口を開くと止まらなくなるリヒト。

 記憶喪失であるリヒトにとって、ダンスをどう教えればいいのかわからない部分が多い。その為、こういった小さな指摘をすることしかできなかった。本来ならば、アメリカで学んだ知識をもとに、もっと効率よく穂乃果達にダンスを教えて上げられたかもしれないのに。そう考えると何とも歯がゆかった。

 

「一番は、自分が楽しむこと。最悪、観客を楽しませるとか、ステップをちゃんとしなきゃとか、そんなもんは忘れていい。自分が楽しく踊っていれば、自然と笑顔になる。そうすれば、その笑顔が観客にも伝わるはずだ」

 

 ──人を楽しませるには、まずは自分が一番楽しめ。

『一条リヒト』がダンスをする上でいつも言っていたことらしい。まさにその通りだとリヒトも思った。自分が楽しくなければ、他人を笑顔になんて絶対に出来ない。

 そしてリヒトは、満面の笑みを浮かべ三人の少女へエールを送る。

 

「可能性を感じたんだ。後は後悔しないために前へ進め。全力で楽しんで来いよ」

 

 自分のお気に入りの曲『ススメ→トゥモロウ』の歌詞の一部を拝借し、エールを送るリヒト。

 

『はい!』

 

 リヒトのエールを受けた三人は、元気よく答える。

 一通り確認し得ると穂乃果たちは学校へ向かうための支度を始める。といっても、四月であり本日は割と涼しい気候だったので、ダンスは制服のままで踊ってもらった。その為、穂乃果たちの準備は置いておいたカバンとブレザーを取りに行くだけだ。

 大きなあくびをし、三人を見るリヒトは海未がブレザーを持ち上げた際にポケットから何か落ちるのを見た。

 

「海未、なんか落ちたぞ」

 

「え? ああ、ありがとうございます」

 

「海未ちゃん、何それ?」

 

 海未はしゃがんで落としたものを拾うと、何を落としたのか気になったのか穂乃果が声をかける。海未は特に隠すような物でもないのか、手の平に乗せたソレを穂乃果に見せる。

 

「今朝お父様からもらったものです。お守りって言ってましたけど、どういう物なのか私にもよくわかりません」

 

 海未の手の平に乗っていたのは、紐で繋がれた赤いY字型をした宝石だった。深紅に輝く孫宝石の形に見覚えのあったリヒトは、わずかに目を見開く。

 

(あれって、確か、あの空間で出会ったウルトラマンの胸のマークと、似てる? 同じものなのか?)

 

 初めてウルトラマンギンガと出会った時、リヒトは同時にもう一体の巨人と出会った。その時の巨人の胸にあったのが、海未が持つものと一緒のものに見えた。

 

「綺麗な宝石」

 

「私も似たもの持ってるよ」

 

 感嘆の声を漏らすことりの隣で、ブラウスの第二ボタンを開け始める穂乃果。突然の行動にリヒトは慌てて顔をそむける。少ししてから、視線を戻してみると、穂乃果は首に下げていた赤い輝石を取り出し、海未の持つ宝石と見比べていた。

 

「私の方は石みたいだね」

 

「そうですね。私のはY字型をしてますけど」

 

「いいなあ~、穂乃果ちゃんと海未ちゃん。ことりは持ってないよ」

 

 穂乃果と海未が互いの奇跡と宝石を見比べている間、三人の中でそういったものを持っていないことりが少し寂しそうに、羨ましそうに二人を見る。

 

「奉次郎さんに頼めば貰えるんじゃない?」

 

「呼んだか?」

 

『わっ!?』

 

 穂乃果が奉次郎の名を言った途端、まるでタイミングを待っていたかのようにひょっこり現れる奉次郎。

 

「奉次郎さん、ことりちゃんにもこれと同じようなもの上げれないんですか?」

 

 穂乃果は己が持つ輝石と、海未の手の平で輝く宝石を示しながら奉次郎に問う。

 奉次郎は、海未の手に乗る宝石を見たとたん、わずかに視線を細めたのをリヒトは見た。だが、すぐにいつもの表情へと戻ると、少々バツが悪い顔をして答える。

 

「すまんが、ないのう」

 

 奉次郎の答えに落胆の色を見せることり。それほど、幼馴染二人が持っている輝石と宝石が羨ましかったのだろう。

 聞くところによると、可愛いものが好きだったことりは、よく親の服を着ておしゃれをしていたり、コスプレをしていたらしい。その時にアクセサリー系を使うこともあったのか、普段は身に着けないだけであってたまに身に着けるらしい。そのことから、三人でおそろいのアクセサリーがほしいと思っていたのだろう。

 奉次郎も、落胆したことりがかわいそうだったのか、狩衣の袖に手を入れ、一つの白い勾玉を取り出す。

 

「手持ちにあるのはこれくらいじゃが、欲しいか?」

 

「いいですよ。また三人で買い物行った時に買いますから」

 

「そうか。……、いいや、上げるよ」

 

 そう言って奉次郎は白い勾玉をことりに差し出す。差し出された勾玉を見て戸惑うことりだったが、奉次郎が「遠慮せんでええ」と言うと、素直に受け取った。

 

「ありがとうございます」

 

「ええってことよ。ワシからのプレゼントじゃ。ライブ、頑張るんじゃよ」

 

「はいっ!」

 

 弾けるような笑顔を向けることり。

 喜びを分かち合う三人だったが、海未が時間を確認するとすでに登校開始の時間となっていた。三人は奉次郎とリヒトにお礼を言うと早々と学校へと向かった。

 行ってらっしゃい、とリヒトは言うと大きなあくびと共に背伸びをする。さて、あとは家に帰ってのんびりしようか、と予定を立て家へと向かうリヒトだったが、後ろにいる奉次郎から声を掛けられる。

 

「そうじゃ、リヒト。お主もさっさと準備せい」

 

「……今日も行くの?」

 

「当り前じゃ。一〇時にワシんとこに来るように」

 

 伝えることだけを伝え終わると、奉次郎は仕事へと戻って行った。

 一人取り残されたリヒトは、一つため息をつくと家へと戻って準備を始めた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 時刻は午前十時、リヒトが奉次郎と共に訪れたのは、町の中にあるジムだった。

 若い頃から運動家だった奉次郎が、今なお『老い』と戦うために体を鍛えている場所でもあり、ここ数日リヒトも半ば強制的に連れてこられた場所でもある。

 奉次郎はここの常連なのか、すでにトレーニングを始めている人たちと楽しげな会話をしつつ自分に課したメニューをこなしていく。

 一方、リヒトの方は記憶喪失になってからまともな運動をあまりしていなかったためか体力の衰えを感じていた。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 ランニングマシンを使い走るリヒト。体力は落ちていても根性はあるのか汗をかきながらも必死に走っている。

 リヒトにも奉次郎が考えたメニューが渡されており、主に持久力と腕や足の筋力アップのメニューが並んでいる。記憶を取り戻すために来たといえど、家でぐうたらしていては意味がない、と奉次郎に言われ、このジムに来ている。

 確かに、リヒトはここ数日穂乃果たちのコーチのほかにやっていることと言えば、アルバムを見ているほか、パソコンで他のスクールアイドルのことを調べたり、穂乃果たちの練習メニューに生かせそうな情報を集めたり、奉次郎に呼ばれなぜかお祓いを受けるといった日々だった。

 家から出ることは少なかったので、リヒトにとってもこのジムは有意義な時間になりつつあった。

 

「……?」

 

 リヒトの使っているランニングマシンは部屋の隅に置かれており、目の前はガラス張りで外の光景が広がっている。加えて、このジムは建物の五階にあるため高所恐怖症でなければそれなりに眺めがよいともいえる。

 そんな人込みを見ているリヒトの視界に、一人の人物が映った。 

 全身を黒いローブで覆い、上を見上げる謎の人物。その特徴的な複素にもかかわらず、周囲の人間はまるでその男に気が付いていない。

 最初はドラマの撮影かと思ったが、周囲にカメラマンはいない。となると、なんかのパフォーマンスかと思い、それ以上その人物を見ていると、気味が悪い気がして視線を前に戻す。

 そしてしばらくして、ふと視線を下げてみると、そこにローブの姿はなかった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 そこはビル地ビルの間の狭い路地。先ほどリヒトが目撃した黒いローブ男がそこにはいた。

 

「見つけたぜ、やっぱり来ていやがった、この町に」

 

 フードの下で獰猛に笑う男。

 

「今すぐ行って、殺してやりたいぜ」

 

 殺意のこもった声音で告げる男。今にもリヒトの元へ駆け出し殺しかねない殺気を放つ男だったが、その内から聞こえる声に従い、渋々引き下がる。

 次の瞬間に男の纏っている雰囲気ががらりと変わった。壁に寄りかかっていた状態から、スッと背筋を伸ばすと、リヒトのいるビルに視線を向ける。

 

「彼が、『光』なんだ。へえ、運命って面白いものだね」

 

 男は、フードの下で不気味に笑うのだった。

 




第二章へ続きます。


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第二章:ティガ伝説

あらすじでの注意書きで、ラブライブ!側の設定をほとんどアニメベースと言っておりましたが、設定整理後、『アニメをベースに改変あり』とさせていただきました。
変わっていないメンバーもいますが、保険も兼ねています。

今回はほとんどが世界観説明です。


 [2章]

 

 

「疲れたー」

 

 ジムから帰宅したリヒトは、運動のために使ったTシャツなどを洗濯機に放り込み、ベットの上に倒れ込んだ。

 ジムに通い始めてまだ三日。運動不足の体ではないが、奉次郎から課されたメニューをこなすと、それなりの疲労が襲ってくるものだ。

 ベットの上に倒れこんだリヒトは、しばらく天井を見上げていた。

 ふと、何か飲み物が欲しいと思いキッチンへと向かう。

 

 

 榊家のキッチンは居間と隣り合わせになっているため、必然的に居間を訪れることになる。そこでリヒトは、テーブルの上に置かれたモノに目が入った。

 一冊の古文書。それは奉次郎の所有物だとすぐにわかった。神田明神にて、少々特殊な立ち位置にいる奉次郎ならばこのようなものを持っていてもおかしくはない。何より、ここ最近奉次郎がよく本を読んでいる姿を目撃していたのが、よりこのモノの所有者が誰であるかを連想させた。

 おそらく、片付け忘れたのだろう。

 そう思いながら、リヒトは冷蔵庫からお茶の入ったボトルを取り出した。コップに注ぎ、そして、やはり気になった古文書を手にとってみる。

 

「『ティガ伝説』……か」

 

 リヒトはポツリと、古文書に書かれた文字を口にする。

 コップをテーブルに置き、古文書を開いてみる。

 色あせた和紙に墨字で書かれた文。一文一文に目を通していくリヒト。

 そこには、遥か昔にこの地で起きた『光』と『闇』の戦いの記録だった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 遥か昔。

 この地にて人類は、宇宙より飛来した『大いなる闇』の危機に瀕した。

 始まりは、この地に降り注いだ『闇の波動』。地球を守護していた守り神の巨人は、闇の波動を受け闇の戦士となってしまう。

 本来、地球と人類を守護する役目だった光の戦士は、闇の力に侵され人類に牙をむいた。大きな力を持つ巨人を前に、人類は持てる限りの力をもって立ち向かうも、全く歯が立たなかった。唯一の頼みの綱だった『一族』も、闇の力を得て暴れる巨人の前では赤子同然だった。

 人類は絶望の淵立たされた。

 だが、『光』は人類を見放さなかった。

 天空より飛来した『神秘の光』。その光の戦士は闇の戦士となってしまった巨人と戦い、『闇の波動』を追い払うことに成功する。

 しかし、光の巨人は自らの力と相反する力の反動から、消えてしまう。

『神秘の光』によって人類はつかの間の平和を得た。

 だが、それは『大いなる闇』が動き出した序章に過ぎなかった。

『大いなる闇』の侵略はこれから始まるのだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 書き出しはそう書かれていた。

 遥か昔に起きた、『光』と『闇』の戦い。その序章と表現された出来事は、人類の守り神であった巨人が、闇の力に呑まれるということだった。

 守り神であった巨人が、敵となり人類に牙をむく。もし、リヒトが出会ったウルトラマンギンガが『光の戦士』ではなく『闇の戦士』で、人類に牙をむく存在だったら。そう考えるだけで恐ろしかった。

 その強力な力が敵となって人類に立ちはだかる──。考えるだけで嫌だった。

 

(この戦い、一体どうなったんだ?)

 

 リヒトはこの先の展開が気になり、ページをめくろうとしたところで一番後ろのページが厚紙になっていることに気付いた。

 厚紙の方を見ると、そこには文字ではなく六角形の紋章が描かれていた。

 

「この紋章……」

 

 その紋章に見覚えのあったリヒトは、立ち上がり自室へと足を運ぶ。机の上に置いておいたギンガスパークを手に取ると、持ち手の下部分にちょうど同じマークがあるのを見つけた。

 両者のマークは大きさが違うだけで、あとはすべて同じだった。

 そして、一瞬だがギンガスパークを持つ右手の甲にも、同じような紋章が浮かび上がった。

 ギンガスパークが光り出し、古文書の紋章と共鳴を始める。リヒトはギンガスパークを古文書の紋章へ近づける。共鳴はより大きくなった。

 

「……」

 

 リヒトは、息を飲む。意を決し、ギンガスパークの先端を古文書の紋章へとあてた。

 ギンガスパークが反応し、光がリヒトを包み込む。

 リヒトの頭に膨大な光景が流れてきた。

 現代の街並みとは違い、緑が多く、藁や木々を使い作られた家。人々が纏う服も今のようなものではなく、歴史の教科書などで見るものだった。

 おそらく、縄文時代、いやそれより以前なのかもしれない。とりあえず、歴史の苦手なリヒトにとって今の光景が遥か昔の、とある村の光景だと理解した。

 

「なんだ、この映像は」

 

『これは「ノアの記憶」』

 

「ギンガ!?」

 

 目の前に広がる光景に驚きを隠せないリヒトだったが、隣に等身大で現れたギンガにさらなる驚きに襲われる。

 

「ノアの記憶って」

 

『正確には「イージスの力」に秘められた記憶だろう。かつてこの星を訪れた「ウルトラマンノア」が、未来に起こる災厄を予期し自らの力の一部をこの地に留めた。そして、ノアの予期した通りに「災い」が人類を襲った』

 

 ギンガは静かに語る。

 その先の光景では体が紫、赤、銀色のカラーリングをした光の戦士が、闇の波動を受け漆黒の巨人になり、人類を攻撃している映像に切り替わった。

 放たれる紫炎が、漆黒の光弾が、村を破壊していく。悲鳴を上げる人間の声など聞こえないのか、又は虫けらにしか思っていないのか、無残にも足に踏みつぶされていく家。爆炎に飲み込まれる木々、そして、瓦礫の下敷きになってしまった母親の横で泣き叫ぶ少女。

 

「待てよ、あの巨人って……」

 

 リヒトには、その巨人に見覚えがあった。ギンガスパークを手にしたときに、リヒトの前に現れた二体の光の巨人。その片方の巨人と姿が同じだったのだ。胸のプロテクターに走る二本の黄色いライン、間違いなくリヒトが出会った光だった。

『人類の未来に「光」を』、そういってリヒトにギンガスパークを託したあの光の巨人が、村を破壊していた。

 

『ウルトラマンティガ』

 

「え?」

 

『あの光の巨人の名前だ。正確に言うであれば、あの姿は「ティガダーク」と言うのだろう』

 

「ティガダーク……」

 

 人類を守るべく生まれた『光』が、『闇』に飲まれ人類を襲っている。その光景がとても信じられなかった。

 漆黒の巨人──ティガダークは泣き叫ぶ少女のもとによる。泣き叫ぶ少女を見て、ティガダークは頭を押さえた。

 おそらく、まだかすかに残っている『光』の部分が、必死に抵抗しているのだろう。その手が、瓦礫に埋もれた母親を助けようとその手が伸びる。

 だが、ティガダークはその頭を大きく振ると、拳を握りしめ──。

 

「やめっ──―」

 

 

 無残にも、その拳が振り下ろされた。

 

 

「……う……そ……だろ……」

 

 リヒトは目の前で広がる現実が信じられなかった。

 ティガダークは静かに立ち上がると、再び殺戮を開始する。特殊な力を持った人々がティガダークに立ち向かうも、全く歯が立たない。

 人々は聖獣を呼び出し、ティガダークと戦った。背中にクリスタルが生えた白い聖獣は、ティガダークを止めるべく立ち向かう。

 だが、聖獣はティガとは戦いたくないのか、必死に呼びかける聖獣の努力空しく、光弾が聖獣を襲う。

 一人の少女が、ティガダークに向かって叫んだ。

 

「希っ!?」

 

 その少女の姿は、リヒトの知る人物、()()()()()()()をしていた。希に似た少女は必死にティガダークへと叫ぶ。だが、無慈悲にも少女に光弾が放たれる。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおお」

 

 光弾が直撃する寸前、空より黄色い光が落ちた。

 少女に迫る光弾を弾く。

 光は、ティガダークと同じ黒いカラーリングをした戦士だったが、黄色に輝くV字型のクリスタルが特徴だった。

 

「ギンガと同じ、クリスタル」

 

『ウルトラマンビクトリー、それがあの戦士の名前』

 

「知っているのか? ギンガ」

 

『いいや、私が知っているのは名前だけだ』

 

 古文書に記された『神秘の光』──ウルトラマンビクトリーは人類を守るように立ち上がり、ティガダークと戦った。

 ビクトリーはティガダークと激しい攻防を繰り広げる。

 ビクトリーの放った一撃がティガダークの膝を地に着かせる。そしてビクトリーは取り出した青いフルートのような武器を手にし、音色を奏でる。その音色がティガダークの闇を追い払い、元の姿に戻した。

 

「これって、古文書に書かれてた『大いなる闇』の侵略の序章と同じ──」

 

 

「そうだよ」

 

 

 少女の声が聞こえた。

 リヒトは驚いて振り替えてみると、先ほどティガダークに向かって叫んでいた希そっくりな少女が立っていた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 ガタン、という音と共に、東條希はその手に持っていた資料を落としてしまう。

 

「希、どうかしたの?」

 

「……ん? なんでもあらへんよ」

 

 心配して声をかけてくる親友に、笑顔で答える希。すぐに落ちた資料を拾うと、これから始まる新入生歓迎会のため講堂へと向かう。 

 その後ろ姿を首を傾げつつも、きっちり自分の仕事をこなそうと、意識を切り替えた親友が後を追う。

 

(りっくん、出会ったんだね)

 

 希は、親友に気付かれないように、そっと笑った。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「……の、希?」

 

 リヒトは、目の前に突如現れた少女の姿に驚く。その姿はまさに東條希と同じだった。違う点を挙げるとすれば、髪を結んでいないことと、服装だけだろう。それ以外は完全に東條希とそっくりだった。

 

『いや、おそらく「イージスの力」が彼女の姿を借りているだけだろう。こちらとの意思疎通は不可能なはずだ』

 

 リヒトの考えを読んだのか、ギンガが説明を加える。

 つまり、目の前にいる少女は『イージスの力』が希のご先祖様の姿を借りたものか、となんとか状況を飲み込むリヒト。

 ギンガの言った通り、意思疎通はできないのか希にそっくりな少女は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「これが始まり。人類は、これから『大いなる闇』の危機にさらされる」

 

「大いなる、闇?」

 

 少女の言葉についオウム返しをしてしまうリヒトだったが、少女は答えず周囲の光景が切り替わるだけだった。

 そこには、数多くの怪獣が蹂躙している光景だった。雄叫びを上げ、本能のままに暴れる怪獣達。ティガダークが暴れた時以上の被害が起きていた。

 ウルトラマンビクトリーは怪獣軍団の進行を止めるべく戦うも、数の暴力には勝てず、苦戦する。聖獣が加勢に加わるも、二対多数では形勢を逆転させることは不可能だった。

 

「『大いなる闇』はその力をもって怪獣軍団を送り込み、人類を滅ぼすべく襲来した」

 

 おそらく何のために人類を滅ぼすのか、そこに理由はないのだろう。ただ何となく、やってみただけ、みたいな理由だろうか。理由なき暴力が人類を襲ったのだ。

 それでも、リヒトは「なんで」と呟くことを止めれなかった。

 

「『大いなる闇』の力は絶大だった。ビクトリーは聖獣と共に立ち向かったが、負けてしまった」

 

 目の前に広がる光景では、ビクトリーと聖獣が地に倒れ伏してしまっていた。すべての力を使い切ったのか、その瞳からも、クリスタルも、光が失われていた。

 

「人類は再び絶望に襲われた。信じていた『光』が敗れ、立ち向かう『光』がいなくなってしまった」

 

 少女は語る。

 

「でも、彼は光を信じた。自分の中に眠る『光』を」

 

 少女の言葉が続く中、一人の少年が映像の中を走っていた。

 

「え? 俺?」

 

 映像の中を走る少年の顔は、リヒトにそっくりだった。希に続いて、まさか自分にそっくりな人物が出てくるとは思っていなかった。唖然とするリヒトは、ただ映像を見ていることしかできなかった。

 少女の瞳は、少年を見つめていた。

 

「彼は『光』を信じ、『光』を取り戻した」

 

 少年は天へと光を掲げ、纏った。

 空へと伸びる光の柱。そこには、元の『光』の力を取り戻した『ウルトラマンティガ』が立っていた。

 

「ティガとなり、再び戦うことを決意した彼は、人類に希望の光となった。そして、その希望は広がるように『希望』を呼ぶ」

 

 突然、空に大きな穴が開くと二人の戦士が降り立った。ティガと同じく三色カラーの戦士、片方の戦士は頭部に二つの武器を備えている。

 二人の戦士は、地に倒れるビクトリーに光を与え蘇らせる。

 ビクトリーの復活を確認すると、二人の戦士も怪獣軍団に向け駆け出す。

 

「彼らの登場で形勢は逆転した。復活したビクトリーも加勢し、怪獣軍団を倒して行く。だが、そんな彼らの希望を再び奪うかのように、『大いなる闇』が本格的に降臨した」

 

 そこで少女は一呼吸置いて、告げた。

 

「──漆黒の魔人を従えて」

 

 空は厚い黒い雲に覆われ、雷鳴が鳴り響く。その光景だけで、これから降臨する『何か』が強大だということがわかる。映像だというのに、リヒトは自分の体に緊張が走るのを感じた。

 曇天の中から降臨したのは、巨大な翼、漆黒の体、鋭利な爪、獰猛な牙、大蛇のように唸る尻尾、黒光りする鱗、すべてが禍々し化け物。見ているだけで『恐怖』が襲い掛かってくる。

 そして、その隣に立つのは人型の巨人。全身が黒く、赤いラインが血管のように体中を巡っており、胸には赤いコアが埋め込まれている。表現するならまさしく悪魔と魔人。

 リヒトは自分の両腕が震えていることに気付いた。額には嫌な汗が浮かんでおり、実際に体験をしているわけでもないのに、映像越しに二体から感じる『威圧』が尋常ではなかった。

 リヒトの呼吸が荒くなる。悪魔と魔人は未だ空中に漂っているだけで、その地に足をつけてはいない。だが、魔人がその手をゆっくりと上げていく。その動作を見るだけで、リヒトはマズイと予感する。あの腕が降られれば、間違いなく破滅する。悪魔の口が開き、青白い光が集まり始める。

 そして、破滅の光が放たれる寸前で、映像が途切れる。

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

『……………………』

 

 映像は途切れた。それが意味することは何か。リヒトもギンガも、言葉を発することはなくただ沈黙を貫いていた。

 

「『大いなる闇』と『漆黒の魔人』の降臨により、人類は再び絶望の淵に立たされた。集いし光の戦士たちも、『大いなる闇』と『漆黒の魔人』に倒された。人類は再び『闇』に飲まれかけていた」

 

 少女は淡々と語る。リヒトもギンガも、少女の方を見るしかなかった。映像は途切れ、この先のことを知るには、少女の口から語られる言葉を聞くしかない。

 リヒトはその手に持つ古文書を開くのも忘れ、少女の言葉を待つ。

 

「このままでは人類が滅ぶのも時間の問題だった。ティガは最後の賭けに出た。禁断の力『ダークスパーク』を使うことを」

 

「ダーク、スパーク……」

 

『「すべての命の時を止める、禁断の力」と言われる伝説のアイテム。だがそれを使うには、「光」の力ではなく「闇」の力が必要となる。あの場にいるのはすべて「光の者」達。もし「光の者」がダークスパークの力を使えば、ただでは済まないはずだ』

 

「ダークスパークの力を使い、ティガは『大いなる闇』の力を怪獣達と共に小さな人形、『スパークドールズ』に封印した。これにより、『大いなる闇』の力は大きく削がれ、同時に『闇の力』も弱まった。そして、再び立ち上がった光の戦士達は『大いなる闇』との最終決戦に挑んだ」

 

「……戦いはどっちが勝ったんだ?」

 

 訊かずにはいられなかった。意思疎通ができないわかっていても、自然と問いかけてしまうリヒト。

 

 

「新たに次元を超え現れた『友情の戦士』と『最強最速の戦士』、そして、『イージスの力』が人類の諦めない心に反応し生み出した『絆の戦士』、闇の力が弱まったことで強まった光の力が、地球の意思となり『大地』と『海』の戦士を呼び覚まし、『大いなる闇』と『漆黒の魔人』を倒し、人類は救われた──ティガの犠牲と共に」

 

「──え?」

 

 少女の口から放たれた衝撃の一言。

『大いなる闇』に勝利したというのに、ティガが犠牲となったこととはどういうことか。

 

『やはり、ダークスパークの影響か』

 

 少女ではなくギンガがリヒトの問いに答えた。

 

『ティガは「光の戦士」、おそらく一度闇の戦士になったことでダークスパークの使用はできたのだろう。だが、いくら闇の戦士になったとはいえ、元は光の戦士。体が無事で済むはずがない』

 

「ティガはダークスパークの使用した反動と『大いなる闇』との戦いのダメージが深く、大地の戦士と海の戦士に人類の未来と『スパークドールズ』を託し、光となって消えた。その戦いの決戦の地となったのが、『音ノ木町』。そしてこの戦いが『ティガ伝説』の概要」

 

「音ノ木町で、そんなことがあったなんて……」

 

「そして、私がこの話をしているということは、新たな『闇』が襲来し、『光』を継ぐ者が現れたということ」

 

 少女が続いて発した言葉に、リヒトは顔を上げた。

 そうだ、確かに今この場にはウルトラマンギンガ()を受け取った人物がいる。そしてギンガは言っていた、『少女たちの背後に「邪悪な魔の手」が迫っている』と。

 

「『闇』の目的は間違いなく『大いなる闇』の復活」

 

「『大いなる闇』の復活って、そいつは倒されたんじゃないのか!」

 

「『大いなる闇』はまだ生きている。完全には倒されておらず、別位相の空間でその傷を癒している」

 

 リヒトは信じられなかった。あの映像で明らかに『大いなる闇』が出現した瞬間に場の空気が変わったのだ。抗えない絶対的な『闇』とでも言うか。ティガがその身を犠牲に、総勢九人もの光の戦士が挑み、倒したのではなく、深手を負わせるレベルにとどまった強敵。

 もしそんな奴が復活した場合、リヒトは戦えるのか? 勝てるのか? 

 ──答えは『no』だろう。勝てるとか、そもそも勝負になるのかも怪しい相手である。相手の一方的な殲滅になるのではないのか、とリヒトは考える。

 

「『闇』はすでに『大いなる闇』の力の源である『スパークドールズ』の大半を、大地と海の戦士から奪い去っている。残るは人間が抱える『心の闇』、そして『生け贄』。一度は失敗した奴らだが、おそらく、再びそのチャンスをうかがうことだろう」

 

『なるほど。それで高坂穂乃果が狙われたのだな』

 

「ちょっと、待てよ。穂乃果が狙われたのが『心の闇』を利用するためだってことは、あのまま放っておいたら……」

 

『おそらく、あのまま怪獣が高坂穂乃果を飲み込めば、「大いなる闇」復活の生け贄になっていたのだろう』

 

「──!」

 

 リヒトは戦慄した。もしあの戦いに負けていたら、穂乃果は『大いなる闇』の生け贄として殺されていたということになる。

 あの戦いは、ただ『高坂穂乃果』と言う少女の心の『夢』を守るための戦いだと思っていた。だがそこには、もっと大きな理由が隠されていた。それを考えるだけで、リヒトは己の体が大きく震えるのを感じた。

 

「奴らは、スパークドールズを解き放ち、人間の心の闇と共にその『闇』を、位相を伝い『大いなる闇』に送っていると思われる。幸い、私が奴らより先に『位相空間』を張っているため、それほど多くの『闇』が伝わることはない。だけど、もし奴らに『位相変異』の力があったとなれば、『大いなる闇』に伝わる『闇』は膨大となるだろう。そしてもし『大いなる闇』が復活したとなれば、この世界は確実に滅びる」

 

 少女は断言した。

 断言したうえで、リヒトを見る。

 

「光を継ぐ者よ、どうか世界を守ってほしい。『闇』に陰謀を阻止し、『大いなる闇』の復活を阻止してくれ」

 

 リヒトはすぐに答えれなかった。 

 世界を守る──、そんなアニメや漫画の世界でしかない言葉を、自分に向けて言われるなど思ってもいなかった。もしギンガとなってあの怪獣との戦いが無ければ、夢だ、なんだと言ってバカにしていたかもしれない。

 だが、今は違う。映像にて『大いなる闇』の恐ろしさを知り、自分が戦うことに『世界の命運』が本当にかかっている。そんなこと知って簡単に頷けるのか。今回はたまたま近くの少女が標的となったが、だがもしそれが赤の他人で、しかもアメリカなどの海外となったらどうだ? リヒトは守れるのか? その場に駆け付けた時、すでに時遅かったにならないか? 

 リヒトの中を様々な感情が巡る。戦うことへの不安、負けることへの不安、勝てるはずのない大きな存在への恐怖。もし自分が負ければ、少女たちの『夢』だけでなく『世界』が危機に瀕する。ここで戦うことを決意すれば、またあのような怪獣と戦うことになる。でもそれは、決して『負け』が許されない戦い。だがここで戦う決意をしなければ、少女たちの『未来』に危機が訪れる。

 少女たちの『夢』と世界の『運命』。それはあまりにも大きすぎた。

 思考の渦に溺れそうになるリヒトに、ギンガは静かに語り開けた。

 

『──大丈夫だ、リヒト』

 

「……ギンガ」

 

『君は、「世界の運命」なんて大きくとらえる必要はない。君はあくまで「少女達の夢」を守るために戦えばいい』

 

「でも」

 

『それに、彼女たちの未来に「邪悪な魔の手」が迫っているのも事実だ。おそらく、この「邪悪な魔の手」は「大いなる闇」復活を目論む存在と同じだ。ここ音ノ木町は決戦の地、ここでの位相変異が最も「大いなる闇」に「闇」の力を送れる場所なのだ。君が少女たちの『夢』を守ることは、必然的に「世界の未来」を守ることに繋がる』

 

「……」

 

『奴らは必ず再び少女たちの「夢」を思う「心」を利用するはずだ。君はそれでいいのか? 世界の命運以前に、少女たちの「夢」が奪われて』

 

 ギンガの言葉を受け、リヒトは目を見開く。

 そしてリヒトは──、

 

「……俺には、記憶が無い」

 

 リヒトはその手に持つギンガスパークを見る。

 

「アイツらと楽しく過ごした記憶も、自分が誰なのかも、自分の『夢』も」

 

 その手に、力が入り始める。

 

「世界の命運とか、そんな大きなものは考えられない。でも!」

 

 リヒトはその強い瞳で少女を見る。

 

「俺はギンガに、『一条リヒト』に誓った! アイツらの『夢』を守るって。だから俺は『夢』を守るために戦う。『夢』を笑うやつを、『夢』に向かって歩みだしたあいつ等の心を、そんなことに利用させはしない!!」

 

 リヒトは、その強い意思を少女に向ける。

 ()()()()()()を受け取った少女は、安心したように微笑む。

 

「君ならできるよ。一度奴らの野望を阻止したんだもん。君に、任せる」

 

「一度、阻止した? 俺が?」

 

「うん──、だって君は──―」

 

 少女の言葉は続かなかった。

 正確には、彼方に響いてきた雄叫びがあたりの音をかき消した。そして、少女はその叫びを聞くと、ギョッと目を見開き、明後日の方を見る。

 

「そんな……、位相が、変異している……? まさか──!?」

 

「おい、どうしたんだよ」

 

 突然少女の雰囲気が変わる。一人で何やらブツブツと言い始め、ぐるりとリヒトの方を見る。

 

「今からきみを、直接位相移動させる。どうやら、もう奴らが動いていたみたいだ」

 

「な、ちょっと、待てって」

 

 リヒトに説明する気はないのか、少女は右手をリヒトに向けると、その眩い輝きがリヒトを包みわずかな浮遊感がリヒトを襲う。

 

「おわあああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 叫び声をあげその場から消えていくリヒト。

 パサリ、とリヒトの持っていた古文書がその場に落ちる。

 少女は、リヒトのいた場所を見ながら言う。

 

「頼んだよ、早くしないと、あの子たちが危ない」

 

 緊迫した声で少女は願った。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 ──音ノ木坂学院。

 無事に新入生歓迎会も終わり、中庭ではすでに数多の部活が一年生を誘っていた。

 現状、廃校の域にある音ノ木坂学院は三年生が三クラス、二年生がニクラス、そして今年入学した一年生は一クラスと非常に少ない。その為、各部活は後輩確保に全力を注いでいる。

 その中で、高坂穂乃果も声を張りビラを配っていた。

 この後はいよいよ本番だ、今までやって来た練習のすべてが試される。それを多くの人に伝えるためにも、準備時間までこうして他の生徒に声をかける。

 

「穂乃果、そろそろ時間ですよ」

 

「わかったー!」

 

 海未に呼ばれ、穂乃果は講堂へと向かう。その片隅に更衣室を用意してもらい、穂乃果達はそこでことりが作った衣装へと着替える。

 衣装へと着替えながら、穂乃果は深呼吸をする。

 

(大丈夫、『不安』はもうない。落ち着いて、全力を出すだけ)

 

 数日前、とある事件に巻き込まれ、自分が少し落ち込んだせいで周囲から心配されたことを思い出す。

 リヒトに励まされた翌日、復活したテンションで学校へ向かうとみんなして穂乃果の心配に来た。みんなして『何があったの?』『お腹壊した?』『変なもの食べた?』『勉強のやりすぎ?』などの質問を受け、周りに心配させたことを謝った。

 そして、一番自分を心配してくれたであろう幼馴染二人に心配をかけてごめんと言い、再びライブに向けての意気込みを語った。

 その後は一人で西木野真姫のもとに向かい、自分の心を素直に打ち明け、作曲をお願いした。後日届いた曲はそれはもう素晴らしかった。リヒトも、目を輝かせていたのを今でも思い出す。

 曲が完成すれば、あとは練習のみだ。基礎体力作りに加え、ダンスのステップも覚えていく。歌に関してはリヒトの父・一条一輝のアドバイスもあり、日に日に上達していった。問題のダンスの方も、リヒトとたまにリヒトの母・一条美鈴のアドバイスもあり問題なくこなしていった。ただ、今でもダンス練習時になったリヒトの鋭い視線を思い出すだけで、足が震えるのは内緒だ。プロを目指していただけあって、おそらく知らず知らずのうちに厳しく見ているのだろう。

 思い返すだけで、いろんなことがあった。自分はこんなにも多くの人に支えてもらったんだという気持ちが、穂乃果の心に火をつける。

 シャー、とカーテンを引き、先に着替えていたことりと合流。後は海未の着替えを待つのみ。

 

「いよいよだね、穂乃果ちゃん」

 

「そうだね。頑張ろうね」

 

「うん」

 

「まったく、一時はどうなるかと思いましたよ」

 

 カーテン越しに海未の声が聞こえた。おそらく、一時的に落ち込んだ穂乃果のことを言ってるのだろう。

 

「あはは、ごめんね」

 

「別に気にしていませんよ。こうやって間に合ったのですから」

 

 着替え終わったのか、カーテンを引き姿を現す海未。

 そして穂乃果とことりの前に姿を現し──堂々と言う。

 

「あとは、全力で楽しみましょう」

 

 ──―ジャージのズボンを穿いて。

 

「「…………」」

 

「……なんですか? その目は」

 

「「海未ちゃん……」」

 

 穂乃果とことりは、半ば呆れるしかなかった。

 元々ことりの考えた衣装のイラストを見た時点で、海未はスカートの丈が短いことをすごく気にしていた。幼少期よりマシになったとはいえ、元々海未は極度の恥ずかしがり屋である。今回の衣装も『最低でも膝下でなければ穿きません!』と言うほどに。

 だが、出来上がった衣装はもちろん膝上。学校の制服のスカートと同じくらいだ。それを見た海未は『自分だけ制服で踊ります!』と衣装を着ることを拒否。リヒトに制服のスカートと何が違うんだよと指摘された際は、曰く『学校のスカートは衣装とは別物』らしい。それを聞いたリヒトの、何とも言えない表情は今でも忘れられない。

 そして、海未は本番であるこの日に最後の抵抗として、衣装の下にジャージのズボンを穿くことで逃れようとしてるのだ。

 

「何その往生際の悪さ!」

 

「いや、これは、その……」

 

 穂乃果に指摘され、口ごもる海未。昨日のリヒトのおかげで、ライブへの緊張はほぐれたとはいえ、衣装への恥ずかしさは拭いされていないようだ。

 穂乃果はじれったくなったのか海未のジャージに手を掛けると、勢いよく下へと下した。

 

「──ひゃっ!?」

 

 慌ててスカートの端を抑える海未。

 

「隠してどうするの? スカート穿いてるのに」

 

「で、ですが……」

 

「海未ちゃん、可愛いよ」

 

 ことりの感想に「え?」と言う海未。

 穂乃果に手を引かれ、出入り口近くにある大きな鏡の前に移動させられる。その大きな鏡には、ことりの作った青い衣装を着た自分が映っていた。

 

「海未ちゃん、一番似合ってるんじゃない」

 

 穂乃果に言われ、改めて自分の姿を見る。青いノースリーブの衣装、幼い頃から海未のイメージカラーとしてよく青色のものが周りに多くあった。今回の衣装も、自分の好きな色である青色。『海』のような青い衣装は自分で見ても似合っているという感想が素直に出てきた。

 

「どう? こうして並んで立っちゃえば、恥ずかしくないでしょ?」

 

 そういって穂乃果は海未の隣に立つ。その隣にはことり。ただそれだけで、海未の中の恥ずかしさが和らいでいく。

 そうだ、リヒトが言っていたではないか。恥ずかしい時こそ大胆に動いてみろ、と。自分の周りには仲間がいる。一緒にいてくれる幼馴染がいる。

 ──すでに海未の中に緊張や恥ずかしさはなくなっていた。

 

「さ、最後にもう一度確認しよう」

 

 本番まであと数十分、ダンスのステップを確認するには十分な時間だ。三人は互いのダンスの邪魔にならないように距離をとる。

 そして、いざ最終確認をしようとしたところで、コンコンと部屋がノックされる。

 

「誰だろ?」

 

 ことりが言う。

 

「ヒデコたちかな?」

 

 ヒデコ、フミコ、ミカの三人は今回のファーストライブにて音響や照明などの手伝いをやってくれている。そのことでこちらとの連携を確認するために、こちらに来たのだろうか? 穂乃果はおそらく訪れたであろう三人を迎えるため、ドアノブに手を掛ける。

 そして──―。

 

 

 

 ──悪夢の時が、少女達を襲った。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 新入生歓迎会を無事に終え、進行係を務めた生徒会副会長である東條希は、反省会も終え荷物をまとめていた。

 希がるのは生徒会室。すでに他のメンバーは退室しており、今この部屋にいるのは自分と生徒会長のみ。

 希は親友である生徒会長を見る。窓の外を見つめている親友、思っていることはおそらくただ一つ。

 

(まったく、素直やないなぁ)

 

 不器用で、心の底では応援したいのに、自分の心を縛る『鎖』が本心を隠してしまっている。そんな不器用な親友に、声を掛けようとしたところで、

 

「──っっ!?」

 

 ──ゾワリ、と嫌な感覚が全身を巡った。

 

「? どうしたの、希?」

 

 希の異変に気が付いたのか、親友はこちらに振り替える。だが、希は親友の声に答える気配はなく、一人虚空を見つめていた。

 

「そんな、……まさかっ!?」

 

 希は、カバンを手に取るのも忘れて生徒会室を飛び出した。

 

「希っ!?」

 

 親友が突然部屋を飛び出していたことに驚きの声を上げる生徒会長。

 希はそんなことを気にせず、一人走り続ける。向かう先は三人の少女たちがファーストライブをする講堂。

 希は右手で制服のリボンを握る、正確にはその下にある『勾玉』を。普段は何も感じない勾玉は、小さく震えていた。

 流れる光景の中では後輩を必死に勧誘する部活の生徒達の姿が見えるが、講堂に行くにつれ、その()()()()()()()()()()()

 希は講堂のある建物に入ると、『勾玉』が感じる鼓動を頼りに辺りを見回す。おそらく準備をしている部屋だろうか? とにかく今は穂乃果たちのみが心配だった。もしこの鼓動が確かなのなら、おそらく今頃──。

 

 

「やっぱり来たんだね」

 

 

 突如、希の耳に滑り込むように男の声が聞こえた。

 バッ! と希は勢いよく声の聞こえた方へと振り返る。そこに立っていたのは、黒いローブに身を包んだ男。フードを深くかぶっているため、その素顔を確認することはできないが、男から感じる異様な気配が、希の警戒心を高める。

 

「誰?」

 

「そう睨まないでよ。まぁ、無理もないか。なにせ君の『光』を殺した存在だしね」

 

 ローブ姿の男は飄々の語る。

 希は男を睨み返し威嚇する。

 

「……」

 

「あれ反応なし? つまらないなぁ〜、せっかく会いに来てあげたのに。ねぇ、()()()?」

 

「っっ!?」

 

 男が自分の名を読んだ瞬間、恐ろしいほどの寒気が希を襲った。瞳は大きく開かれ、呼吸が苦しくなる。男から感じる威圧(プレッシャー)が先ほど以上に大きく感じる。胸が苦しくなり、()()()()()()がこの男に恐怖しているのを感じた。

 

「ぁ、ぁ、ぅ」

 

 呼吸がうまくできない、足は震え、この場から走り去りたいのに、地面に縫い付けられたかのように動かない。

 男から感じる圧倒的な恐怖に、希は両手を胸の前で強く握り、耐えるしかなかった。

 

「あれ、少しやり過ぎちゃったかな? でも、感動の再会だし、仕方ないよね」

 

 男はゆっくりと希に近づく。男との距離が縮まるにつれ、希が感じる恐怖が大きくなる。距離をとろうと一歩足を引こうとするも、足は動く気配を見せない。

 男との距離が徐々に縮まっていく。そして、男の手が希の頭へと伸びたところで、

 

「……来ないで」

 

『希』が声を発した。

 

「へぇ」

 

 男は感心したかのような声を出し、自分を睨みつける『希』を見る。

 

「たとえ、君が何をしようと『光』は負けない。()()()()()()()()()()必ず守ってくれる」

 

『希』は男を見上げて言う。未だに体は恐怖で震えているものの、その瞳には強い意思が込められており、恐怖に屈しないという姿勢が見て取れた。

 そんな『希』の姿を見た男は、伸ばしていた腕を引き戻し、フードの下で薄く笑う。

 

「まぁ、今回は挨拶に来ただけだし。それに、この姿で君に触れるのもなんか嫌だから今日はやめとくよ。でも──」

 

 男はパチン、と指を鳴らす。

 瞬間、周囲の光景が歪みはじめ、希は激しいめまいに襲われる。立っていることが困難となり、次第に意識が薄れていく。

 自分が今立っているのか、それとも寝ているのか、平衡感覚を失われ、意識が途絶える寸前、男の声が聞こえた。

 

「君の信じる『光』は、この戦いに勝てるかな?」

 




勘のいい人なら『ティガ伝説』に出てきた戦士と怪獣が誰なのかわかるかもしれませんね(笑)。
それでは後半完成まで今しばらくお待ちください。


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第三章:光の戦士VS闇の魔獣

 第三章になります。



 [3章]

 

 

「……んっ……ここは?」

 

 気づくと希はうつ伏せで倒れていた。腕に力を入れてゆっくりと起き上がり、周囲を見回す。

 

「ここって……学校の屋上?」

 

 希はすぐに自分がどこにいるのか把握することができた。

ここは、自分が通っている音ノ木坂学院の屋上だ。屋上への出入り口である扉、生徒が落ちないように高く作られた頑丈なフェンスなど、見慣れたものが目の前にあった。

 しかし、見慣れたものがあったとしても、目に映る光景はまったくの別物と化していた。

 空には太陽も雲も何もなく、ただ赤黒く不気味に光っているだけ。地面は紫色に変色し、緑色の発光物がガラスの破片の様に散らばっている。肌をなでる風は冷たく、とても嫌な感じがする。

 希は、数日前にこれと似た光景を見たことがあるのを思い出した。

ウルトラマンギンガとサイコメザードⅡの戦い。その時広がった光景は、オレンジ色のオーロラに青く光る発光物。

だが、この空間はその反対だった。

あの時の空間は命を感じるとても暖かい空間だったのに対し、この空間は命を感じないとても冷たい空間。その冷たさは『光』さえ飲み込んでしまいそうな感じがした。立っているだけで精神が疲弊していく、そんな感覚がするこの空間に長居するのはいいことではないだろう。

 希はすぐこの場から去りたかったが、それよりも先に一つの可能性が思い浮かんだ。

――自分の考えが正しければこの空間に穂乃果達もいるはずだと。

早くあの子たちのもとに行かなければ、そう思い希はすぐさま屋上から出て行こうとするが、ドアノブに手をかける前に先に扉が開かれた。

 

「っ!?」

 

 音を立てて勢いよく開かれるドア。先ほどの黒ローブ男が来たのかと思い体に緊張が走る希だったが、現れたのは茶髪の外跳ね少年――一条リヒトだった。

 

「希?」

 

 驚いた表情でこちらを見る希に、同じく驚いた様子で返すリヒト。リヒトの登場に安心感が湧いてきた希は、緊張で固まった体がほぐれていくのを感じた。

 

「りっくん、どうしてここに……」

 

「どうしてって、お前が俺を──そうだった、人違いだったんだ」

 

「?」

 

「いや、こっちの話。俺は──」

 

『きゃああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!』

 

 突如、リヒトの言葉をかき消すかのように少女達の悲鳴が響いた。明らかに恐怖の色が混じった悲鳴に、リヒトと希の表情に緊張が走る。

 

「今の声って──」

 

「──穂乃果ちゃん達や!!」

 

 リヒトの後に続きフェンスへと駆け寄る希。声は下の方から聞こえてきた、それはつまり穂乃果達も外にいるということ。二人は必死に視線を動かし穂乃果たちを探す。

 

「いた! あそこや!!」

 

 先に見つけたのは希だった。リヒトは希が指さす方へと視線をごかし、目を見開く。そこには、ライブへの衣装に身を包んだ穂乃果達三人が、クラゲ型の怪獣──メザード三体に取り囲まれていた。

 

「穂乃果っ!!」

 

 穂乃果たちを見つけ叫ぶリヒト。しかし、距離が遠く穂乃果達には聞こえていない。

 メザードの外観は、以前リヒトがギンガとなって戦ったサイコメザードとに似ている。その不気味な顔で穂乃果達を威嚇している。身長は二メートルとサイコメザード程ではないが、あの不気味な生物が自分の近くで威嚇しているとなれば、恐怖を感じられずにはいられない。

 ことりは穂乃果に抱き着き、恐怖で体を震わせ、穂乃果はことりを庇いながらメザードを睨んでいる。海未はその手に持つ竹刀でメザードを牽制するが、竹刀をふるったところで幻影のようにメザードの姿がぶれるだけで、すぐに元の姿に戻ってしまう。

 

「くそっ!」

 

 リヒトは穂乃果たちを助けるべく屋上を出て行こうとしたが、不意にポケットの中のギンガスパークが反応し立ち止まる。

 リヒトはフェンスの向こうの虚空を見つめる。

 

「……りっくん」

 

 希も何かを感じたのか、不安そうにリヒトの名を呼びながら近寄ってくる。リヒトは先ほどとは別格の緊張に息を飲み、頬を一滴の汗が伝った。

 そして──、

 

 

 

 青黒い火炎が、虚空に灯った。

 

 

 

「希っ!!」

 

 リヒトはすぐさま希を抱き寄せ、ポケットから取り出したギンガスパークを前へと突き出す。

 ドンッ!! とフェンスを破壊した火炎が、ギンガスパークより展開されたバリアにより防がれる。防いだ際の衝撃がリヒトを襲う。歯を食いしばって耐えるが、自分の身の丈より数倍もの大きさのある火炎を防ぐのは、そう何度も続かなかった。

 

(間違いない! この火炎はアイツのだ。でもなんで? アイツは()()()()()()()()()!)

 

 リヒトはその可能性を否定する。『ヤツ』の放つ火炎の色は青ではなく赤かった。だが、その青黒い火炎から感じる殺気が、奴の放った火炎と同じだった。数発も食らったのだ、その手から感じる衝撃がリヒトの感覚を刺激する。

 青黒い火炎は連続して放たれ、豪雨のようにリヒトと希を襲う。ギンガスパークが展開するバリアで防いでいるものの、リヒトの体が徐々に後ろへと下がっていく。

 もしこの火炎を放っている奴がリヒトの想像通りの相手だとすると、あの時以上に火炎の威力が上がっていると感じる。ギンガスパークが展開するバリアで防いでいるものの、リヒトの腕がしびれはじめ、あと数発でリヒトの腕は吹き飛ばされるだろう。

 ──限界は近かった。

 

「りっくん」

 

 希がその恐怖からリヒトの腕にしがみつく。フェンスの先の下では、海未がその手に持つ竹刀でメザードに応戦しているが、幻影のように竹刀をすり抜けるメザードに苦戦している。

 ことりはその恐怖から涙を浮かべ、穂乃果に抱き着き、穂乃果はそんなことりを鼓舞している。海未は、その顔に苦悶の顔を浮かべながらも必死に幼馴染を守るべく戦う。

 リヒトは、希を一瞥する。

 希は恐怖から震えていた。

 

「……」

 

 そして──、覚悟を決めた。

 リヒトはギンガスパークを一度引き、バリアを解除する。だが火炎は容赦なく二人を襲う。迫る青黒い火炎を、リヒトはギンガスパークで切り裂いた。

 

「希」

 

 二つに分かれた火炎はリヒトと希の左右を通り過ぎる。

 

「待ってろ」

 

 希はリヒトを見上げる。

 リヒトは希の瞳を見つめ言う。

 

「すぐに終わらせる」

 

 リヒトはギンガスパークを天へと伸ばした。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 園田海未は恐怖で動かなくなりそうな体に、自ら渇を入れ竹刀をふるう。もしここで自分が引けば、後ろにいる幼馴染はどうなる? 

 

「大丈夫だよ! ことりちゃん! 絶対に来てくれるから!」

 

 ことりはその瞳に涙を浮かべ穂乃果に抱き着く。穂乃果も恐怖で震えそうになる体を必死に鼓舞し、誰かの登場を待っている。

 

「────!! ──―!」

 

 メザードは決してこちらに危害を加えるわけでなく、ただその不気味な顔で笑っている。青い目を光らせ。まるで無力な自分をあざ笑うかのように。

 穂乃果はその手に持つ赤い輝石を握りしめるが、あの時のような光は発せられない。

 

「どうして!? あの時は光ったのに!?」

 

 海未も竹刀を振る腕に疲れが現れ始めた。何度切り付けても、蜃気楼のように揺れるだけで、手ごたえがない。加えて、赤黒く光る不気味な空間が海未の体力だけでなく精神力をも削っていく。

 

「くっ」

 

 このままではらちが明かない。このままでは、二人を守れない。押し寄せる恐怖から諦めかけたその時。

 

 

 

 ──―諦めるな!! 

 

 

 

「──え?」

 

 

 

 ドンッ!! と轟音を立てながら、巨大な光が海未たちのもとに舞い降りた。

 

 

 

 その光は周囲のメザードを消し去り、海未が対峙していた一匹を、その巨大な光をもって消滅させる。その光の眩しさから、海未は腕で顔を覆う。何が起こったのか、それを理解する前に、海未の目の前に巨大な拳が現れた。

 

「……え、これは──!?」

 

 海未はその拳を辿り視線を上げていく。そこには、水色に輝くクリスタルが特徴の巨人がいた。巨人の出現に海未は驚きで言葉を発せない。ことりも、突然出現した巨人に目を見開き驚いていた。

 しかし、この場にいる穂乃果だけが、待ちくたびれたヒーローの登場に歓喜の声を上げる。

 

「やっぱり来てくれた!」

 

「穂乃果、この巨人のことを知っているのですか?」

 

「うん、この巨人さんはウルトラマンギンガ! 私たちを守ってくれる光の戦士だよ!」

 

「ウルトラマン……」

 

「……ギンガ」

 

 海未とことりが巨人の名を呼ぶ。

 巨人──ウルトラマンギンガはその顔を上げ、三人の少女を見る。

 

「もうっ! 遅いよギンガさん!! 穂乃果怖かったんだからね!!」

 

 穂乃果はギンガの登場が遅いことを、大声をあげ指摘する。何ともその穂乃果らしい行動に、二人はつい苦笑いをしてしまう。

 ギンガは穂乃果の指摘に特に反応をすることもなく、己の左手を少女達の近くへと寄せる。拳が開かれると、生徒会副会長の東條希が現れた。

 

「希先輩!?」

 

 穂乃果が驚きの声を上げる中、ギンガの拳から降りた希は穂乃果たちの元へ駆け寄る。

 

「君達、無事!?」

 

「ええ、ケガはありません。みんな無事です」

 

 近くにいた海未が答える。それを聞いて希は安心し息を吐く。それからギンガを見上げ、

 

「お願い」

 

 ギンガは希の言葉を受け頷き、立ち上がる。

 そして、振り向きざまにクリスタルを紫色に光らせ、頭部から放たれる光線――ギンガスラッシュを虚空へ向け放つ。放たれた光弾は、火花を散らし不可視の敵の正体露わにする。

 青黒い体に三つの頭。少女達は知る由もないが、その怪物は以前リヒトが初めてギンガとなった日に戦ったガルベロスの強化体『ダークガルベロス』だった。

 

 ──やっぱり倒せていなかったんだな。

 

 リヒトはあの時の不思議なダークガルベロスの消え方に違和感を覚えていた。その正体がやっとわかった。

 

 ──なら、今度はしっかり倒させてもらうぜ!! 

 

 ギンガはダークガルベロスへと駆け出す。右こぶしを振り上げ、ダークガルベロスの中心の頭を殴る。続いて左拳、両手でダークガルベロスの頭を掴むと、顎に膝蹴りを叩き込む。ダークガルベロスは怯むも、ギンガは攻撃の手を止めない。右、左と拳を叩き込む。左頭部を掴み、投げ飛ばす。

 地面を転がるダークガルベロス。ダークガルベロスが起きかけたところを、頭部を掴み、持ち上げ拳を放つ。

 ジャンプをし、ダークガルベロスを飛び越えながら、自身を回転させ威力を上げた手刀を右頭部めがけて振り下ろす。火花が散り怯むダークガルベロス。

 着地したギンガは、クリスタルを再び紫色に変化させ、ギンガスラッシュを放つ。

 再び倒れるダークガルベロス。ギンガはダークガルベロスへと駆け出していき、両者がぶつかり合う。零距離で行われる攻防。ギンガの繰り出される拳が、ダークガルベロスを捉えていく。

 まさに嵐のような攻撃。

 怒涛の攻めを続けるギンガ。

 ダークガルベロスに反撃の余地を与えないほどに叩き込まれる攻撃、穂乃果もギンガの好調な攻撃を見て声を上げて応援する。

 だが、その攻撃とは裏腹にリヒトは違和感を感じていた。攻撃は確かに当たっている。ダークガルベロスの体力は確かに削れているはずだ、それなのにダークガルベロスは一向に弱った気配を見せない。幻想空間で対峙した時よりパワーアップしている気がする。

それに加え、リヒトはサイコメザード戦で感じた外からの恩恵が弱く感じていた。まさか、この赤黒く光る不気味な空間が関係しているのだろうか? 

 そういえば、あの不思議な空間で出会った希にそっくりな少女は『奴らに「位相変異」の力』があるみたいなことを言っていなかったか? もしこの空間が敵の張った空間だというのならば、敵に有利な空間だということだろう。

 だとしたら、早めに決着をつけるべきだ。

 ギンガはダークガルベロスの腹を蹴り、後ろに吹き飛ばす。両腕を胸の前でクロスさせ、クリスタルを黄色に光らせる。

 左腕を上へと伸ばしていき、黄色い電撃を集める。そして、ギンガサンダーボルトを放つ寸前、ダークガルベロスが()()()()()()()

 

 ──なっ? 分裂した!? 

 

 突然の出来事にギンガサンダーボルトがキャンセルされる。

 二体に分裂したダークガルベロスは双頭の口を開け、青黒い火炎を放つ。火炎弾は二発はギンガの足元に被弾し、煙で視界を奪われところを残りの二発が襲う。左肩にとてつもない衝撃が走り、体がわずかに後ろに下がる。

 そこからは、ダークガルベロスの反撃だった。二つの体が重なり一体に戻ると、その体を使ってギンガへとタックルをし、怯んだところを、その鋭利な爪で引き裂く。ギンガの体から火花が散る。

 

「ギンガさんっ!!」

 

 穂乃果が悲痛な声を上げる。

 先ほどまでの状況とは逆転。快調に攻めていたギンガの攻撃の手が減り、次第にダークガルベロスの攻撃がギンガを襲い始める。

 ギンガは振り下ろされた腕を受け止め、蹴りを放ち反撃。拳を振るいダークガルベロスを怯ませるが、再び突進してくる。受け止めるギンガ、ダークガルベロスの頭を振り払い、左足を振る。さらに一歩踏み込み、蹴りを放つも受け止められる。乱暴に払われ、バランスを崩したところを鋭利な爪が再びギンガの体を引き裂く。ダークガルベロスはその攻撃の手を止めず、ギンガの体を引き裂き、体当たりをする。

 ギンガはダークガルベロスの体当たりを受け止め、ジャンプをすることで威力を増したチョップを放つ。頭を掴み、後ろへと投げ飛ばす。うつ伏せで倒れるダークガルベロスの背中目掛けてダッシュをするが、右頭部がグルリとこちらへ向く。

 ひぃっ、とことりが小さく悲鳴を上げる中、放たれた火炎弾がギンガを大きく吹き飛ばす。

 土煙を上げ倒れるギンガ。ダークガルベロスは立ち上がると、穂乃果たちの方へ向き、喉を鳴らす。

 

「ちょっと……、嘘ですよね……」

 

 ダークガルベロスに睨まれ、背筋が凍る四人。双頭より放たれる青黒い火炎弾。絶望の光が四人の少女たちに迫る。

 人は自分に『死』が迫ると、周りの風景がゆっくり見えるというが、まさにその通りだった。ゆっくりと迫る『死』の塊。逃げなければ、体を動かさなければ、死んでしまう。それなのに、体は言うことを聞かず、動く気配はなかった。四人は、知らずのうちに死を覚悟した。

 だが、

 

 

 

 間一髪のところで火炎と少女たちの間に滑り込んだギンガが、自らの背を盾に少女たちを守った。

 

 

 

 ギンガの背には火花が飛ぶ。ギンガは倒れそうになる体に力を入れ、衝撃に耐える。地に手を突き、少女たちを見るギンガ。ダークガルベロスの強力な火炎弾は、確実にギンガの体力を大きく削った。

 

「危ない!!」

 

 ことりが叫ぶのと、ギンガの後ろからダークガルベロスの叫びが聞こえたのは、ほぼ同時だった。振り返ったギンガは振り下ろされた爪を受け止め反撃に出るが、逆に左腕を掴まれる。そしてダークガルベロスはギンガの腕を捻ると、左頭部を動かしギンガの腕に噛みつく。振り払おうにも、ギンガは膝たち状態であるため、上から圧力をかけられ逃げることができない。

 さらに、右頭部が零距離でギンガの右肩に火炎弾を放つ。その火炎と噛み付きがギンガの体力を確実に削っていく。

 呻き声を上げるギンガ。ダークガルベロスの牙はギンガの皮膚に深く突き刺さっていき、次第に血のように光が漏れ始める。

 

「ギンガさんっ!!」

 

「穂乃果!!」

 

 ギンガに向かって駆け出そうとする穂乃果を、海未は止める。

 

「離して海未ちゃん! このままじゃギンガさんが!!」

 

「バカを言わないでください!! あなたが行ったところでどうにもなりません!! 死ぬ気ですか!?」

 

「でもっ!!」

 

 このままギンガがやられるところは見たくない。そう思う穂乃果だったが、海未の言った通り自分にあの怪物と戦う力はない。その手に持つ輝石が、あの時のように光を発してくれたのならば、少しは援護できたのだろう。だが、その肝心な輝石は反応を示してくれなかった。

 

(お願い! ギンガさんを助けたいの! もう一度光って!!)

 

 穂乃果は奇跡に向かって願う。もう一度光って、ギンガを助けてほしいと。

 だが、それより先にダークガルベロスの右頭部が穂乃果達を捉えた。

 

「穂乃果ちゃん! 海未ちゃん!」

 

 ことりが二人に危険を知らせるべく叫ぶ。

 二人はハッとなってダークガルベロスを見上げる。ダークガルベロスの目が赤く光り出し、再びメザードの群れが出現する。『絶望』が、再び少女たちの前に現れた。

 消え去ったはずのメザードの群れ、しかも先ほどの倍以上の数の出現に海未の体に緊張が走る。青い目を光らせ、不気味に笑う怪物に、今度こそダメだと感じてしまう。

 

「無理です、……もう」

 

 海未の心は折れかけていた。いや、海未だけではなくことりもそうだろう。こんな現実離れをした光景を前に、もう正気を保てなかった。

 最初は夢だと否定していたが、押し寄せる恐怖が本物だと語っていた。夢なら覚めてほしい、早くこの悪夢から解放されたい。そう願うも、光景は変わらずメザードがあざ笑うだけだった。

 

「もう──」

 

「諦めちゃダメ!!」

 

 希は海未の肩を掴み、瞳を見ながら言う。

 

「ここで諦めたら『奴ら』の思う壺! お願い、諦めないで!!」

 

 ──諦めるな。先ほども諦めかけた時に海未の耳に聞こえてきた言葉、希は必死になって叫ぶが、海未を奮い立たせるほどの効果は見られない。

 少女達の絶望に追い打ちをかけるように、ギンガの叫びが聞こえた。振り下ろされた爪がギンガを引き裂いたのだ。

 その一撃はギンガの皮膚を文字通り引き裂き、光が血のようにあふれ出す。ギンガの体から力が抜け、噛み付きからは解放されるも、横に蹴飛ばされる。

 地に倒れるギンガは、そのダメージからすぐに起き上がることができず、膝立ちの状態にとどまる。さらに胸で青く輝いていた光──カラータイマーが赤く点滅を始める。

 

「そんなっ、時間が!」

 

 カラータイマーが赤に変わること、それはギンガにライブできる制限時間を意味していた。ギンガへのライブは約三分間が限界、それ以上のライブはリヒトの命にかかわることになってしまう。つまり、残り少ない時間内でダークガルベロスを倒さなければならない。

 その意味を理解している希は、焦りの声を上げる。

 ギンガは点滅を始めたカラータイマーを確認し、体に力を入れ立ち上がる。

 構え、ダークガルベロスの出方を探るが、その両目が赤く光り、噛み付かれていた左腕が痛み始める。

 左腕を押さえるギンガ。おそらく、このまま赤く光る瞳を対処できなければ、時間切れとなって負けてしまう。

 すでに、半分勝負が決まったようなものだった。

 

「嫌だよ……」

 

 その圧倒的絶望感の中、穂乃果がポツリと漏らす。

 

「嫌だよ、こんなところで終わるのは。まだ何も始めていないのに、スタートすら切っていないのに、こんなところで終わるなんて嫌だ!! 諦めたくない!!」

 

 穂乃果はその拳を強く握りしめる。

 

「私たちは学校を守りたい! 学校の廃校を阻止したい! 海未ちゃんとことりちゃんとステージに立ちたい! 今までの練習の成果をみんなに見てもらいたい!! リヒトさんのように大勢の人を楽しませたい!! スタートを切る前に諦めたくない!! 今までの練習を、ライブに向けて頑張ってきた努力を、こんなことで諦めたくない!!」

 

 穂乃果の握る輝石が、輝き始める。

 

「だからお願い! ギンガさんを助けて!! 私たちの『夢』をあざ笑う『闇』を追い払って!!」

 

 グルルル、と唸り声を上げるダークガルベロスは穂乃果の叫びが気に食わないのか、こちらに顔を向け火炎弾を放とうとする。

 だが、穂乃果は恐れない。その強い瞳でダークガルベロスを睨み返す。

 

「逃げないよ。こんな『絶望』に私たちは逃げたりなんかしない!! あなたがどんなに強くても、私たちを恐怖させようとしても、ギンガさんがいる限り諦めない!! 最後には、ギンガさんが勝つって信じてる!! 私は、希望の光(ウルトラマンギンガ)を信じてる!!」

 

 親友の、大好きな親友の心の叫びを聞き、海未は、ことりは諦めたくないと思った。

 その通りだ。まだ自分達はスタートすら切っていない、始めてすらいない。今日この日まで努力をこんなことで諦められるほど、簡単な覚悟は決めていなかったはずだ。

 スクールアイドル活動で学校の廃校を救う。それは成功確率一パーセントもない無謀な挑戦だろう。成功するなんて確証はない、逆に大失敗して、恥ずかしい思いをするかもしれない。

 だからどうした。その方が面白いに決まっている。無謀だからこそ、誰も成し遂げないことだからこそ、『あの人』は面白いと言って挑戦するのだ。可能性を掴むために。

 どうやら自分は、『あの人』の影響でこんなにも挑戦心が高められたらしい。

 そして同時に、海未は情けなくなった。常日頃から武道などで鍛えていた『心の強さ』が、こんなことで揺らぐなんて、大好きな親友が恐怖に打ち勝つために叫んだというのに。自分はここで脅えているだけか? 違う、共に立つんだ。親友が信じる希望の光を信じるんだ。

 

「私だって……」

 

 そして、海未は叫ぶ!! 

 

「諦めたくない!!」

 

 瞬間、海未は己の胸が温かいことに気が付いた。正確にはそこにしまっておいた宝石、朝家を出る時に父親から『お守り』として渡された赤いY字型の宝石。それがいま、輝いているのだ。

 海未は紐を手繰り寄せ宝石を掴む。

 

 ──諦めるな。

 

 また声が聞こえた。

 

 ──光を繋ぐんだ!! 

 

「穂乃果!!」

 

 海未は叫んだ。呼ばれた穂乃果は海未へと振り返りアイコンタクトを交わす。二人のとった行動はいたってシンプルだった。互いに近づくと、穂乃果が海未の肩に手を置く。

 赤い輝石の僅かな光が海未へと伝わる。

 ダークガルベロスはすでに火炎を口の中に溜め終えていた。後は、その火炎を少女たちめがけて放つだけだ。

 だが、それよりも海未の方が早かった。

 宝石を握る左手を前に出し、右手を引く。その構えはまさしく、慣れ親しんだ弓道の構え。海未の視線が鋭くなり、ダークガルベロスを見据える。宝石は赤色から青色に色が変わる。

 

「──────っ!」

 

 一瞬、海未の集中力が極限まで高められ、引いた右手を開く。

 放たれた青い光は、尾を引いて飛翔する。

 そして──―、ダークガルベロスを撃ち抜いた。

 

『────!!』

 

 少女たちから来るはずのない攻撃を受け、動揺するダークガルベロス。怪しげに光っていた瞳は光を失い、ギンガは腕の痛みから解放される。同時に、少女たちを囲んでいたメザードの群れも消滅した。

 

 ──海未……。

 

 ギンガは──リヒトは海未の方を見た。矢を放ち終えた海未は、ゆっくりと息を吐く。ギンガの視線に気が付いたのか、海未は穂乃果と共にギンガに向き合う。

 

「私たちは諦めません、あなたの勝利を信じてます。ですから、必ず勝ってください!」

 

 海未の隣で穂乃果が力強くうなずく。

 リヒトは海未の言葉を受け、小さく微笑んだ。

 

 ──ったく、女の子にここまで応援されて負けちゃ、かっこ悪いよな。

 

 リヒトは──ギンガは立ち上がる。ダークガルベロスに引き裂かれた体に手を当て、己の光をもって傷を癒す。だが、腕の方の傷は深く、未だに光が漏れている。手を当て光で傷を癒そうとするものの、深い傷跡は修復されず、わずかな光が漏れ痛みが残る。

 体力は、戦いのダメージにより限界が近い。

 カラータイマーは点滅している。

 ライブ解除までの制限時間、敵に有利な位相空間。

 ダークガルベロスは海未の放った矢を受けても、わずかに怯むだけで大きなダメージにはなっていない。

 条件はこっちが圧倒的に不利。

 だが負けるわけにはいかない。世界のためではなく、少女たちの『夢』を守るため、少女たちに迫る『闇』を振り払うため。

 そして何より、

 

 

 

 女の子に応援されて負けるなんて、リヒトのプライドが許さない。

 

 

 

 ギンガは、四肢に力を入れ立ち上がる。

 ダークガルベロスはギンガの闘志が再び燃えたことを受け、瞳を光らせる。

 ギンガの左腕が痛みだす。

 

 ──それが、どうしたっ!! 

 

 ギンガは痛みに耐えながら、右腕を頭部に持っていきクリスタルを紫に光らせる。放たれるギンガスラッシュはダークガルベロスの体から火花を散らせる。ギンガスラッシュを食らったダークガルベロスは怯むものの、すぐさまギンガを睨みつけ瞳の光を強くする。

 ギンガの左腕の痛みに加え、自らを三人に分離させ、ギンガを襲う。放たれる火炎弾がギンガの周囲に着弾し、爆炎を上げる。ギンガは襲い掛かる火炎弾に負けずに立ち上がるも、豪雨のように放たれる火炎弾に苦戦する。右手を前に突き出しバリアを展開しようにも、痛む左腕を押さえているため、展開できずにいた。

 海未はギンガを援護するために矢を構えるが、光る瞳が少女たちの視界にいくつものダークガルベロスの姿を映す。

 

「どれが本物なの!?」

 

「くっ」

 

 ダークガルベロスの幻影に翻弄され、どれを撃てばいいのかわからずにいた。

 このままでは、マズイ。どうすれば……。

 その時──、

 

 

 

「海未ちゃん!! 今矢を向けているところから左に向けて!! それが本物!!」

 

 

 

 後ろから聞こえた幼馴染の力強い声に、海未は迷わず狙いを変え、矢を放つ。

 青い尾を引いて放たれた矢は、再びダークガルベロスを撃ち抜き周囲の幻影を消し去る。

 

「ことりちゃん、ナイスアドバイス!!」

 

 穂乃果はこの窮地を打破するための『光』をもたらした幼馴染に向け、サムズアップを送る。その言葉を受けた幼馴染──南ことりはその瞳に涙を浮かべつつも、笑顔でサムズアップを返す。

 

「ことり……」

 

「ごめんね、海未ちゃん、穂乃果ちゃん。私には二人みたいな『力』はないから、どうすることもできなかった。でも、やっぱり私も諦めたくない! 私も穂乃果ちゃんと海未ちゃんとステージに立ちたい!! だから私もギンガさんを信じる!! 私たちでギンガさんを助けよう!!」

 

 ことりの力強い言葉に、二人は頷き返す。

 だが、後ろから聞こえた叫び声にハッとなって振り返る。そこには、ダークガルベロスが立っていた。

 ダークガルベロスは再び攻撃してきた少女たちを襲うとするも、接近してきたギンガの蹴りを食らい吹き飛ぶ。

 ギンガは少女たちを見る。

 少女たちは、ギンガに向かって頷く。

 ギンガは──、少女たちの思いを受け取り頷く。

 そしてダークガルベロスへ構える。

 

 

 

 勝負はまだ決まっていない、少女達が覚悟を決めた今、本当の戦いが始まる。

 

 

 

 




 第四章へと続きます。
 


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第四章:光の戦士VS闇の魔獣②

正直、やってしまった感はあります。


 [四章]

 

 

 南ことりは生まれつき膝が弱かった。そのせいか、あまり外で遊ぶことはなく日々流れゆく町の光景を見ていることが多かった。空を飛ぶ鳥、流れる雲、ガタンゴトンと音を鳴らし走る電車。一歩町に出てみれば流れ行く人の影、スーツ姿のサラリーマン、野良猫、新しいおもちゃを買ってもらえてうれしそうな子供たち、初々しいカップル。

 ことりは、自然と周りを見る子になって行った。穂乃果たちと出会い遊ぶようになっても、あまり自己主張はせず、一歩引いて後ろから周りを見ていることが多かった。

『観る』ことが好きだったことりは、日常生活においても花屋に並ぶお花から可愛い服、母親が読んでいるファッション雑誌、いろんなものを観ていた。それにより、元々優れていた観察力が鍛え上げられ、いつしか並外れた動体視力と空間把握能力を持つようになった。

 ダンス練習においても、穂乃果や海未の位置を自然と把握し、その動体視力から二人とのズレを修正していった。リヒトに言われた『二人を見すぎ』というのは、このことからきているのかもしれない。

 そして今、ことりの『観る』と言う力が、希望の光(ウルトラマンギンガ)のピンチを救っている。

 

「右は幻覚! 左が本物!!」

 

 ことりの叫びに、ウルトラマンギンガは迷わず左のダークガルベロスへと拳を振るう。その一撃が、本物のダークガルベロスの体力を削る。再び幻影に溶け込むダークガルベロスだったが、

 

「まだ正面にいます!! そのまま突っ込んで!!」

 

 ことりの観察力が逃がさない。ギンガは虚空へと突っ込んでいき、姿を隠していたダークガルベロスを吹き飛ばす。

 ダークガルベロスにとっても、ことりの『力』は予想外だろう。先ほどまで自分の作り出したメザードの幻影に脅え、恐怖に体を震わせていた。他の少女とは違い特別な力なんて何もないただの少女が、今、最大の壁となっている。先ほどまで脅えていたはずなのに、力強く、断固たる意志を持つその瞳で自分を睨んでいる。

 ことりのやっていることはその優れた観察力に加え、並外れた動体視力と空間把握能力。それらを駆使しダークガルベロスの動きを追っているだけ。それが、ダークガルベロスの作り出す幻影を高い確率で見抜いていた。本物と幻影の間に生まれる、動作の僅かなズレ。それがことりが幻影を見破る手掛かりとなっている。

 しかしすべてを見抜けるわけではない。相手は怪獣だ、そしてダークガルベロスは元の固体から闇の力で強化された存在。当然幻影の能力も高くなっている。

 

「えっと……」

 

 一瞬のズレを見逃してしまうことり。幻影を見抜けないギンガはダークガルベロスのタックルを食らいよろめく。ことりは叫び声を上げそうになるのを飲み込み、ダークガルベロスを凝視する。ことりに幻影を一〇〇%見抜く力はない。だが攻撃ならば、ギンガを襲う攻撃ならばことりの動体視力が一〇〇%捉えることができる。幻影はダメでも、その攻撃を見抜きギンガに知らせることはできる!! 

 

「右腕が振り上げられます! 避けて!!」

 

 振り上げられる爪をギンガはしゃがんで躱し、ガラ空きとなった腹に引き絞った右ストレートを放つ。さらに蹴りを叩き込む。

 

「反撃が来ます!! 距離をとって!!」

 

 ことりの『眼』には見えていた。攻撃を食らいながらも反撃の一撃を放とうとするダークガルベロスの動きが。同時に、ダークガルベロスが弱った様子を見せていないことに、ことりは不安を感じていた。

 それもそのはず、この空間は『闇』にとって有利な空間である。その為『闇の魔獣』であるダークガルベロスのスペックが全体的に引き上げられているのだ。加えて、ギンガは最初の猛攻以降連続した攻撃をすることができていない。ペースが完全に向こうだったのだ。

 それを今、こちら側に引き込む必要がある。その為には、海未の『光の矢』とことりの『眼』によるサポートが必須だ。

 ギンガの反撃を受けたダークガルベロスは、一度距離をとる。そしてその場でジッとし始めたのだ。

 それを見たことりは、瞬時にその意味を理解し海未へと声を飛ばす。

 

「海未ちゃん!!」

 

「──っ!!」

 

 ことりからの声を受け、海未は『光の矢』を放つ。飛翔する青い光は、その瞳を不気味に光らせようとしたダークガルベロスを怯ませ阻止する。

 

「チャンスだよギンガさん!」

 

 怯んだダークガルベロスを見て、穂乃果が声を飛ばす。

 ギンガは駆け出し掴む。拳を振るい頭部を攻撃し、ダークガルベロスを持ち上げ頭部を下にし、思いっきり叩き付ける。 

 ドゴンッ!! と土埃を上げ強烈な一撃を食らうダークガルベロス。この攻撃は間違いなく大きなダメージとなったはずだ。だがギンガはここで追撃せず、ダークガルベロスを投げ飛ばしその場にとどまる。

 疑問に思う穂乃果たちだったが、希だけがその意味を理解していた。

 

(限界に近いんや。それにさっきから左腕を庇っている。早く勝負を決めないと)

 

 流れはギンガに傾いている。このまま流れを掴みたいところだが、ギンガの体力を考えると難しいだろう。

 それに、ダークガルベロスがこのまま黙っているわけがない。

 体勢を立て直したダークガルベロスは双頭の口を光らせる。青黒い火炎弾が放たれギンガを襲う。その数は計五発。バリアを展開すれば、ノーダーメジで防ぐことができるだろう。だが今のギンガは疲労しており、バリアで完璧に防げるか怪しいところだ。さらに活動限界時間が迫っているため、防御に回るとなるとその分不利になる。

 ギンガは腕を振るい火炎弾を弾くことにした。

 一撃、二撃、──だがそこでことりは気が付いた。放たれた火炎の数と、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ギンガさんっ! それは幻か──」

 

 ことりが言い終わるより先にギンガが腕を振るってしまう。幻影で作られた火炎弾はギンガの腕をすり抜け、霧のように霧散していく。

 

 ──しまった!? 

 

 インナースペースでリヒトが悪態をつくも、すでに遅い。本物の火炎弾がギンガに被弾する。火花を散らし、土埃を上げ倒れるギンガ。すぐに立ち上がることができず、いまだ倒れているギンガに迫るダークガルベロス。

 すかさず、海未は援護のため矢を放つ。青い尾を引いて飛翔する矢はダークガルベロスを撃ち抜くも、先ほどの二撃に比べて威力が衰えているのを感じた。

 

「海未ちゃん! 光が!」

 

 穂乃果の声に首だけを動かし振り返る。自分の肩に置かれている穂乃果の手、その中で輝いていた赤い輝石の光が、徐々に弱くなっていた。

 

「え! ちょっと!? 待ってよ!! まだ戦い終わってないよ!?」

 

 弱まっていく光を見て慌てる穂乃果。中身が少ないスプレー缶のように上下に振ったり、両手に包んで温めてみたり、様々な手段を用いて光が弱まるのを阻止しようとする。その成果もあってか、光は完全に輝きを失うことはなかった。

 

「そろそろ限界なんやね」

 

 そこで言葉を発したのは、今まで静観していた東條希だ。

 希は穂乃果へと近づくとその手を自分の手で包み込む。

 

「希先輩!?」

 

 突然のことに驚きの声を上げる穂乃果。

 しかし希は穂乃果の驚きを無視し、瞳を閉じてただ黙っている。「えっと……」と戸惑う穂乃果。やがて希は瞳を開け穂乃果の手を放し、穂乃果と海未、ことりを見た後、ギンガとダークガルベロスの方を見る。ダークガルベロスはギンガを踏みつけていた。カラータイマーの点滅も早くなっており、いよいよ限界時間が近い。

 ──決めるならば、一撃だ。

 ギンガはダークガルベロスの足を持ち上げ、残された力を振り絞って押し返し、自身は転がってダークガルベロスとの距離をとる。

 チャンスはここ──、そう判断する希だったが突如ダークガルベロスが無数に分裂する。

 

「──っ!!」

 

 ダークガルベロスが分裂したことで、唯一のチャンスが無くなったかもしれないことに冷や汗をかく希。無数の幻影が広がり、その中に本物は隠れる。

 狙いは、ギンガの時間切れを狙っているのだろうか? それとも確実に倒す一撃を溜めているのか? いずれにせよこの幻影の中から本物を見抜けなければ勝利はない。

 ことりはその視線を必死に動かし幻影を見破ろうとしている。だが、数が多いとなると本物と幻影のズレを見つけるのは困難だ。

 ギンガも、本来ならば手数で圧倒できただろう。だが、今のギンガはカラータイマーの点滅は早く、残り時間が少ない。加えて、リヒト自身の体力もすでに限界を迎えようとしていた。ならば、多少無理してもここで決めるしかない。

 希は穂乃果たちに振り替える。

 

「ことりちゃん、見抜ける?」

 

 

 

「見抜きます!!」

 

 

 

 希の問いにことりは視線を走らせながら答える。

 

「私が絶対に本物を見つけます!!」

 

 ことりの覚悟を受け取り、希は微笑む。

 

「なら、勝負やな。一回勝負、失敗は許されない。失敗はそのままウルトラマンギンガの、ウチらの負けを意味する。勝利するには君たちの力が必要。……覚悟はできてる?」

 

『出来てます!!』

 

 三人は即答した。

 希は三人が即答したことにわずかに瞳を見開くが、すぐさま真剣な表情となって三人に作戦を伝える。

 

「ことりちゃんが幻影を見抜いたら、海未ちゃんはヤツの目を撃ち抜くんや。でも、今のままではヤツに効果はない。穂乃果ちゃんの持つ輝石が矢の光の源なんやけど、もう光が限界みたい。放てる矢も一撃が限界。外したらあかんよ?」

 

 希は海未を試すように言う。『光の矢』の源が穂乃果から伝わる光であり、その光が弱まっていることを一番理解している海未は、自分がこの作戦において重要な役割だということにプレッシャーを感じながらも、力強くうなずく。

「上等です」と答える海未を見て希は続ける。

 

「ヤツにダメージを与えるには、『光の矢』の威力を高める必要がある。そのためには三人の『絆』の強さが試されるんや。海未ちゃんの持つ『イージスの破片』は『絆』の強さによって『光の矢』の威力を高めることができる。三人の『絆』が試されるで」

 

 三人は一度顔を合わせる。

 幼い頃から一緒に遊んできた三人、今まで一緒の小学校、中学校、高校へと進学してきて、今は同じ『夢』に向かって歩みだした三人。ともに希望の光(ウルトラマンギンガ)を信じている三人。

『絆』は──、決まっている。

 三人は海未を中心として並び立つ。海未は『イージスの破片』を持つ左手を前に伸ばし、その手を左からことりが、右からは穂乃果が重ね合わせる。

 三人はまっすぐその視線を向ける。

 希は、その姿を見て微笑む。三人の姿が有無を言わせない気迫に満ちていた。

 ──後は、自分の番だ。

 希はその胸の前で両手を重ね合わせ、瞳を閉じる。自分の役目は今の作戦をギンガ──リヒトに伝えること。三人は自分たちのやるべきことに集中しているため、希の動きには気づいていない。

 

 ──りっくん。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 光の空間に立つリヒトは左腕を押さえ膝を着いていた。いくら気迫でダークガルベロスと戦っていたとしても、体力には限界がある。先ほどまではことりのアドバイスで戦えていたものの、すでに限界を迎えていた。肩で息をするほどまでに疲弊しており、ギンガのライブ時間も限界が近づいている。次の一撃で決めたい。

 だが、左腕の痛みがリヒトの動きを制限していた。この痛みのせいで、止めの『ギンガサンダーボルト』も『ギンガファイヤーボルト』も放てずにいた。『ギンガスラッシュ』は威力が弱いため、決め手にはならない。ギンガの持つ最大威力を誇る光線も、この痛みが邪魔していた。

 何か手を打たなければ、そう思っていると。

 

 ──りっくん。

 ──希? 

 

 希の声が聞こえた。

 

 ──今から穂乃果ちゃんたちが君に逆転のチャンスを与えてくれる。必ずそこで決めて。

 ──そんなこと言われても、この左腕じゃ……。

 ──それは『私』が治すから。

 ──え? 

 

 リヒトの目の前に光を纏った希が現れた。本来この空間には、リヒト以外の人物が訪れることは絶対にありえない。それなのに、今目の前には光を纏い半透明の希がいる。

 驚きに目を見開いているリヒト。お願い、と希がつぶやくと希から揺れるようにもう一人の『ノゾミ』が現れた。

 

 ──君は……。

 

 その少女はリヒトが『ティガ伝説』を見ているときに現れた少女だった。少女はリヒトへと近づくと、その手をリヒトの左腕に置く。少女の手から優しく溢れる光が、リヒトの腕に触れた瞬間、痛みが引いていく。先ほどまで動かすだけで激痛の走った腕には、全く痛みが残っていなかった。

 その現象はギンガの体にも表れていた。わずかに漏れていた光が消え、その傷口が完全にふさがる。

 

 ──君は、いったい何者なんだ? 

 ──『私』と『希』の願い、守ってね。

 

 少女はリヒトの質問に答えることなく、一言を告げると姿を消した。

 

 ──後は、お願いね。

 

 希は微笑みながらそう言うと、姿を消した。

 光の空間にはリヒトがただ一人取り残された。

 その腕に痛みはもうない。これなら、最大威力を誇る『必殺の一撃』を放つことができる。

 リヒトは、立ち上がりチャンスの時を待つ。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 ことりは無数に存在するダークガルベロスに視線を走らせる。幻影と本物のズレ、それを見つけるために全神経を集中させる。先ほどまで見抜けていたのは、あくまで比べる者が一対一だったため。しかし、今回は無数の中から本物の一体を見つけなければならない。それ至難の業と言えるだろう。気の遠くなるようなこと、見つかるかどうかも怪しい状況の中、ことりは瞬き一つせずに視線を走らせる。

 穂乃果と海未も視線を走らせるが、ことりのような観察力はないため見抜くことはできない。ことりを信じ待つことしかできなかった。

 三人の緊張は極限まで張り詰められている。

 失敗の許されない大勝負。

 ギンガのカラータイマーは激しく点滅しており、いつ消えてもおかしくはなかった。その激しい点滅音が、少女達を焦らせる。

 構える海未の手が震える。

 弓道の試合の時以上の緊張に、押しつぶされそうになる中、

 

「大丈夫だよ、海未ちゃん」

 

 穂乃果の声が聞こえてきた。

 

「ことりちゃんは絶対に見抜く。海未ちゃんは絶対に撃てるよ。私は二人を信じている」

 

 穂乃果は語りかけるように言う。その言葉を聞き、海未は張りつめていた緊張が幾分和らいだ。

 ふー、と一つ深呼吸をし左手を下ろす。いつことりが見抜くかわからない時間の中、自身の集中力を程よい状態に保つためルーティンを行う。

 右手を下ろし力を抜く。全身からわずかに力を抜き、一息吐くと同時に目を伏せる。

 

 

 

 ことりは苦戦していた。いくら視線を走らせても、本物がどれだかわからない。

 ギンガの点滅音がことりを焦らす。

 

(どれなの!? 本物はどれ!?)

 

 時間がない、焦りがことりの集中力を乱していく。

 そんな時──、

 

「ことりちゃんは絶対に見抜く。海未ちゃんは絶対に撃てるよ。私は二人を信じている」

 

 穂乃果の声が聞こえ、ことりの思考に空白が生まれる。

 二人は自分を信じてくれている、そのことがことりの乱れていた集中力が再び引き締まる。

 ことりは一度、自分を落ち着けるためにふー、と息を吐き視線を一度下げる

 それが──奇跡を起こす。

 

 

 そして──、その視線がとらえた。

 無数の足の中に、動いた際に()()()()()()()()

 

 

 

「──────見つけた!! 海未ちゃん、これが本物!!」

 

 ありったけの声で叫ぶことり。海未がわかりやすいように左腕の先を自分が見つけた本物へと向ける。ことりの空間把握能力が自然と働き、距離感を計算する。

 ────瞬間、海未は視線を鋭く、全神経を集中させことりが向けた先の固体を見据える。

 垂らしていた右腕に力を入れ、矢を引く動作をする。

 三人の緊張が極限まで高まり──『想い』が一つとなる。

 

 

 

『──────────っつ!!』

 

 

 

 穂乃果はその輝石を握りしめる。幼馴染が見つけてくれたチャンス、それを逃さないためにありったけの思いを輝石に込める。

 

 

 

 光が、眩い光が、少女たちの元から飛翔する!! 

 

 

 

 そしてその光は、本物のダークガルベロスの瞳を文字通り一直線に撃ち抜いた。

 確かな手ごたえを感じる少女達。先ほどまで放たれていた矢とは違い、明らかにダメージとなってダークガルベロスを襲っていた。

 雄叫びを上げ苦しむダークガルベロス。幻影は──消え去った。実態を持った本物が現れる。

 そして、少女たちがもたらしたチャンスをギンガは──リヒトは掴む!! 

 左腕を突き出し、重ねるように右腕を突き出す。クリスタルが青に輝き、Sの字を描くように腕を開いていく。クリスタルの輝きが増していき、エネルギーが充填される。

 左拳を右肘に当てL字型に腕を組む。

 放たれる──必殺の一撃!! 

 

 ──ギンガクロスシュート!! 

 

『いっけええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 

 少女達は叫ぶ。

 放たれた必殺の一撃は、眩い光線となって瞳を撃ち抜かれ苦しむダークガルベロスに迫る。

 避ける隙は──なかった。

 光の光線はダークガルベロスを貫き、その衝撃がダークガルベロスを後ろへ吹きとばす。土埃を上げ地に倒れ伏すダークガルベロスは、轟音を立てて爆散した。

 黒い煙と僅かな青い粒子が空へと昇っていく。

 あたりは一瞬、ギンガの点滅するカラータイマー音のみが響いた。

 ギンガは、ゆっくりとL字型に組んでいた腕をほどき少女たちを見る。

 

「…………………………勝った」

 

 ポツリと穂乃果が漏らす。

 

「──勝ったんだ……ギンガさんが勝ったんだ!! やったー!!」

 

 ゆっくりと、胸の奥から徐々に『勝利』が押し寄せてきた穂乃果は、ギンガの勝利を確信し大声をあげ喜ぶ。海未とことりに抱き着き、「やった! やった!」と笑顔で繰り返す。

 

「……勝ったんですね」

 

「──うん、ギンガさんの、私たちの勝利だよ!」

 

 二人も遅れてやってきた『勝利』と言う実感に顔を輝かせ喜ぶ。

 三人は右手を上げた。

 

『イッエーイッ!!』

 

 ハイタッチを交わす三人。パチン!! と言う爽快な音が響く。

 希もまた、ギンガの勝利に安どの表情を浮かべていた。サイコメザードの時とは違い、今回はギリギリの戦いだった。敵の作り出したフィールドで、敵に有利な状況での戦い。おそらく、ギンガもリヒトもすでにボロボロだろう。

 

(お疲れさま)

 

 希はギンガを見上げ、労いの言葉を送る。

 勝利の余韻に浸る一同。それほどダークガルベロスが強敵だったのだ。

 リヒトも、三回目の戦闘にしてあれほどの強敵を戦うことになるとは思ってもいなかった。体力はすでに限界を迎えており、戦いのダメージから体中が痛い。ことりと海未の援護がなければ負けていたに違いない。そしてもし、負けていたとなると……。

 

 ──やめよう。俺は勝ったんだ、守れたんだ。みんなの夢を……。

 

 リヒトは『勝利』を手にし喜ぶ少女達を見る。それを見ているだけで、こっちも自然と笑みが浮かんできた。

 だが、ことはまだ終わっていなかった。

 突如、グニャリと風景が歪み、泡が立ち始めこの空間が崩壊し始める。

 ──位相の変異が始まった。

 リヒトは直感でそれを理解すると、少女たちを守るべく動こうとするが遅かった。

 ギンガのカラータイマーの点滅が消える──すなわちタイムリミットだった。光となって消え始めるギンガ。体を動かそうにも、脱力感がリヒトを襲い動くことができない。

 

 ──穂乃果、海未……、ことり、希。

 

 薄れゆく意識の中少女たちの名を呼ぶリヒト。

 リヒトはその手を必死に伸ばすも、──ギンガは光となって消えてしまった。

 

『きゃああああああああああああああああああああああああああ!!』

 

 ゴボゴボと音を立て崩壊していく異空間。

 少女たちは悲鳴を上げることしか出来なかった。




ダークガルベロスを強く書きすぎた……。
いや、元々ガルベロスってメタフィールドでもネクサスが苦戦する相手だし、これで良いのかな。
終わりまで書くと文字数がヤバそうなので「第五章」へ続きます。


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第五章:踏み出すスタート

ギリギリ2015年最後の更新。
バイトで紅白(μ’sの出番部分)が見れなかった怒りで書き上げました。後半がやや駆け足っぽいですが、これ以上は長くなると思ったので少々文字数を押さえた結果です。

それでは「第五章」スタートです。


 [五章]

 

 

「………………んっ、ここは……?」

 

 穂乃果は頬に冷たい感触を感じ、目を覚ます。自分が倒れている事を理解し、体を起こし辺りを見る。そこは自分たちが更衣室として使った部屋だった。

 筆箱やノートを入れたカバンに購買で購入した水のペットボトル。綺麗にたたまれた制服。どこを見ても、先ほどまでいた異空間のような場所はない。

 

「戻ってきたんだ……」

 

 あの異空間から戻ってこれたことに安心する穂乃果。でも、どうやって帰ってきたのだろうか? あの空間で自分たちは外にいた、だが今自分たちがいるのは室内。あの空間があの場で消滅したのなら、自分たちは外にいるバズなのに。

 んー? と首を傾げる穂乃果だったが、二つの影が起き上がったことに気が付きそちらを向く。海未とことりが目を覚ましたのだ。

 

「海未ちゃん! ことりちゃん!」

 

 穂乃果は二人の名前を呼びながら駆け寄る。

 

「二人とも大丈夫?」

 

「ええ、ちょっと頭がボーッとしますが、心配には及びません」

 

「ことりはちょっと目が疲れたかも」

 

 海未は頭に手を当て、ことりは目をほぐしながらそれぞれ答える。それ以外に目立った傷とかは無く、二人とも僅かな疲れが残っているだけだ。

 何はともあれ、無事にあの空間から帰ってこれた。

 

「あれは、いったい何だったのでしょうか?」

 

 海未は立ち上がり、購買で購入したペットボトルを取る。水を一口含み、先ほどの疑問を口にする。

 

「夢、だったのかな?」

 

「夢じゃないよ」

 

 ことりの言葉を否定した穂乃果に二人の視線が集まる。

 穂乃果は数日前に目の前で繰り広げられた、ウルトラマンギンガとサイコメザードⅡの戦いを語る。あの時も自分はすぐに気を失い、ギンガの戦いは夢物語のように感じた。だが後に希と奉次郎に聞いたところ、本当の出来事だったらしい。そして何より、体に刻まれた『恐怖』が、あの出来事を『本物』だと語っていた。

 穂乃果はその手に持つ赤い輝石を見ながら続ける。

 

「あれは夢じゃない。本当の事なんだ」

 

「そう見たいですね」

 

 穂乃果の話を肯定する海未は、その手に持つ赤いY字型の宝石を見つめる。そこにはまだ、三人の『絆』がもたらした『光の矢』の感触が残っていた。

 

「これは最初、首にかけていました。ですが、今はこうして私の手に握られている。私がウルトラマンギンガの援護のために『光の矢』を放った証拠です。そしてことりの目の疲れも、あの怪獣の幻影を見破るために目を酷使したからじゃないんですか?」

 

「うん、多分そうだと思う」

 

 海未の見解にことりは目を擦りながら頷く。

 ──僅かな沈黙。一度体験している穂乃果ならまだしも、海未とことりは今回が初めてとなる。あの戦いを見た衝撃は、早々に消えるものではない。目の前で繰り広げられた『光の戦士』と『闇の魔獣』の戦い、それはまさしく命を賭けた戦いだった。

 勝つか負けるか、生きるか死ぬかの戦い。互いが互いのために、その身を削ってボロボロになりながらも戦い抜いた。

 そして、『光の戦士』が勝利した。

 

「一体、彼は何者なんですか?」

 

 海未の言う『彼』とは、もちろん『ウルトラマンギンガ』の事だろう。その身を挺して自分たちを守ってくれた『光の戦士』。限られた時間の中を命懸けで『闇の魔獣』と戦い、勝利したあの巨人は一体何者なのか。

 その答えを知る者は、ここにはいない。

 

「……希先輩は『闇』を打ち払う『光の戦士』、それが『ウルトラマン』だって言ってた。『ギンガ』って名前はりーくんが言ってただけで、私も詳しくは聞いてない。でも、私たちの味方なのは確かだと思う」

 

 穂乃果は自分が知る情報を提示するが、それが『ウルトラマンギンガ』が何者なのかという疑問に対しての答えだとは思っていない。唯一わかることは、自分たちの味方であるということ。

 本当の意味で彼が何者なのか、それを知っている可能性があるとすれば……。

 

「希先輩なら知っているのかな?」

 

 三人の浮かんだ考えを、ことりが口にした。

 穂乃果の時も、希はまるでギンガの訪れを知っているようだった。そして今回、ギンガとともに現れ、戦いの行く末を見守り、自分たちにギンガの窮地を助ける作戦を考え、見事に救ったこの場にいない人物。

 海未の持つ宝石の名前を彼女は『イージスの破片』と言っていた。考えれば考えるだけ、『東條希』と言う人物がわからなくなってくる。

 

「あー! もう! こうなったら希先輩に直接…………」

 

 考えるのが嫌になったのか、叫び声を上げる穂乃果だったが、その言葉は途中から静かになっていく。

「どうしたんですか?」と海未か聞くと、穂乃果は慌てたように立ち上がる。

 

「海未ちゃん今何時!?」

 

 穂乃果が何を気にしたのか勘付いた海未は、バッ! と慌てて自分の携帯電話の液晶をのぞき込む。

 そこに表示されていた時刻は──午後四時三五分。つまり、ライブ開演時間を五分も過ぎていた。

 三人は時刻を確認すると、大慌てで部屋を出る。

 先ほどの疑問はすでに吹き飛んでいた。今の三人は観客が待っているであろう講堂に向け、全力で走る。記念すべきファーストライブなのに、五分も遅刻しているのだ。観客を待たせることは、エンターテイナーとして一番やってはいけないことだ。

 三人は髪が乱れるのも気にせず、全力で走る。

 そして──、たどり着いた講堂には────。

 

 

 

 ────────────静寂に満ちていた。

 

 

 

「──────────────え……?」

 

 穂乃果は目の前に広がる光景に立ち尽くした。いや、穂乃果だけではない。海未もことりも目の前に広がる静寂の空間に、目を見開いて驚く。

「あははは……」と乾いた笑いが穂乃果の口から洩れる。

 その小さく、弱々しい声が静寂の講堂に響く。

 目の前に広がるのは、薄暗く照らされ、誰も座っていない椅子の数々。どこを見ても、見回しても人の気配はどこにもない。穂乃果が体験した『あの森』のように、誰もいなくて誰の気配もない、静寂の空間。

 まさか、五分遅刻しただけでみんな帰っちゃったのだろうか? 最初は満員だったけど、自分たちの到着が遅れて興味を失くしてしまっただけだろうか? それならまだ引き返せる、呼び戻すことができる。

 ──なんて幻想を思う穂乃果。

 頭の片隅ではわかっていた。だって、姿を現したヒデコ、フミコ、ミカ、の三人が申し訳なさそうにしている姿を見たのだから。

 ──最初から、観客なんていなかったんだ。だれも、この講堂に足すら踏み入れていないのだ。誰も、関心も、興味すら持ってくれなかったということだ。

 

「──そう、だよね……。現実は、……甘くない、よね……」

 

 自嘲気味に穂乃果は笑う。

 ある程度のことはもちろん覚悟していたつもりだ。いきなり満員なんてありえない、せいぜい数十人だとは思っていた。

 だが、現実は無人。誰一人として来ていないのだ。

 

「あーあ、頑張ったんだけどなっ。いっぱい努力して、毎日練習して、真姫ちゃんが曲を作ってくれて、三人で練習したのに……。りーくんにも、いっぱい手伝ってもらったのに……ごめんね……、海未ちゃん、ことりちゃん」

 

 穂乃果は無理やりにでも笑顔を作って二人に笑う。だが、最後に二人の名前を呼ぶときは、その声に嗚咽が混じっていた。次第に、穂乃果の肩が震え始める。必死にその涙を流すまいと堪える。

 そんな穂乃果になんて声を掛ければいいのか、海未もことりもわからなかった。

 そんな静寂の中、コツコツと椅子と椅子の間にある小さな階段から音が聞こえた。誰かが歩いているのだ。

 三人は、その音の方へと向く。

 その音は次第に大きくなっていき、ステージの光がそちらへと降り注ぎ、人物の姿を浮かび上がらせる。

 そこにいたのは、

 

 

 

「そうよ、現実はそう甘くない。人を引き付けることは、ダンスで人を魅了することは、そう簡単なことじゃないの」

 

 

 

 美しい金髪をなびかせ、美しいサファイヤの瞳が、ステージに立ち尽くす少女たちを見ていた。その人物はロシア人とのクウォーター故、日本人離れしたプロポーションを持つ音ノ木坂学院生徒会長、絢瀬(あやせ)絵里(えり)だった。

 

「これでわかったでしょ? あなたたちの活動に、誰も関心すら持っていないの。私がここに来たのは、あなたたちに言うことがあったからよ。いい? 今ならまだ間に合うわ。スクールアイドルなんかやめて、残りの学校生活を有意義に過ごしなさい。その方があなたたちも楽なはずよ」

 

 それは、有無を言わせない圧がこもっていた。

 絵里は最初から穂乃果たちのスクールアイドル活動に反対していた。リスクが高い、成功するかわからない、逆効果だったらどうするのか。もっともな意見を用いて穂乃果たちの活動を否定し続ける絵里だったが、必ず決まって言う文句があった。

 

『人を魅了することは、そう簡単じゃない』

 

 彼女は決まって最後にそういうのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして絵里は、まるで何かを懇願するかのように言葉を続ける。その儚い瞳で寂しそうに虚空を見つめながら。

 

「『夢』って言うのはね、追うだけ無駄なものなのよ。人を夢中にさせる素晴らしいもの、なんて人はよく言うわ。でもね、そんなのは幻想なの。『夢』って言うのは人を惑わせるもの。『夢』を叶えた人に憧れ、他人にもその道を歩みさせる『病』のようなもの。一度なってしまえば決して治すことのできない、防ぐことが出来ない不治の病」

 

 絵里はその青い瞳を穂乃果へと向ける。

 

「あなたが何に『憧れ』たのかは知らない。でも、その『憧れ』だけで進むのはやめなさい。これ以上進んでも、待っているのはつらい現実だけよ。今ならまだ間に合うわ。完全な『(やまい)』になる前に、今すぐ諦めなさい」

 

 絵里は、それだけを言いたかったのか、はっきり告げると穂乃果たちに背を向け歩き出す。

 海未とことりは、言い返すことが出来なかった。親友が掲げた『夢』を否定されているというのに。

『夢』が『不治の病』、確かにそうなのかもしれない。『憧れ』だけでどうにかなるものではない、現実を見れば挫折をし『夢』を諦める人はたくさんいる。どんなに努力しても、どんなに頑張っても、最後に『夢』が叶わなければ、その努力が報われることにはない。『努力は何時か報われる』そう信じて突き進んだとしても、何時しか叶わないことを察し、諦めてしまう。『夢』を掴める人はほんの一握りしかいないのだ。

 そして今、自分たちの前には無人の観客席が広がっている。つまり自分たちは『夢を掴めない』者だということだ。

 自分たちの活動で学校の廃校なんか救えるわけがない、見出した『可能性』は『幻想』だったのだ。それを、この無人の講堂が教えている。

 ただ悔しさだけが、少女たちの胸に渦巻く。

 だが、穂乃果は絵里の言った一言に、どうしても許せないところがあった。

 

 

 

「無駄じゃありません」

 

 

 

 絵里の足が止まった。

 ──今、後ろの少女は何と言った? 

 絵里が振り返ってみれば、穂乃果は強い瞳で自分を睨んでいた。

 

「『夢』を追うことは無駄なことじゃありません」

 

「……なんですって?」

 

 絵里の目が細められる。

 

「『夢』は『不治の病』なんかじゃありません。『夢』は人々に『希望』を与えるモノです」

 

「それは幻想って言ったはずよ。奇麗ごと言わないで現実を見なさい」

 

()()()()()()()

 

 穂乃果は即答で絵里に答える。

 間髪入れずに放たれた言葉に、絵里はしばらく呆けてしまう。だがすぐに眉間に皺をよせ、穂乃果を睨む。

 

「何を言ってるの? 見えていないでしょ。あなたたちのパフォーマンスを誰も見に来ていない、あなたたちの努力は無だったのよ?」

 

「無駄じゃないですよ」

 

「なっ!? あなた──」

 

 

 

「────だって、生徒会長がいるじゃないですか」

 

 

 

「────え?」

 

 穂乃果の口から放たれた言葉に、絵里は今度こそ呆気にとられた。肩から力が抜け、穂乃果たちを睨んでいた瞳は、揺れていた。

 

「生徒会長は私たちの活動に否定的でしたよね? それなら最初から来なければじゃないですか。新入生歓迎会を終えて、私たちのライブなんか気にせずに、家に帰ればよかったんです。でも、そうはしなかった。生徒会長は今、私たちがパフォーマンスをする会場に来ているんです。どうして来たんですか?」

 

「それは──」

 

「──私たちのことが気になったからじゃないんですか?」

 

「──っつ」

 

 穂乃果は絵里の言葉を遮るように言う。

 絵里の背筋に緊張が走った。それはつまり図星だということか? そんなはずはない、自分は彼女たちの活動を気になったりなどしていない。今回来たのはあくまで生徒会室を飛び出した希を追いかけた結果、偶然この講堂に着いただけなのだ。

 そして中を見てみれば、案の定の無人。観客は誰一人としていない。さらに、あろうことかライブ開演時間になりステージの幕が上がっても、肝心のエンターテイナー側がいないのだ。

 絵里はその光景に怒りを覚えた。あれだけ、意気揚々と告知をしておきながら遅刻するなど、あってはならないことだ。ましてやファーストライブ、絶対に成功させなければならない最初のライブでの大遅刻。これはもうエンターテイナーとして失格ではないか。

 絵里は、そんな彼女たちに一言いうべく講堂で待った。

 

 

 

 ──それはつまり、自分が彼女たちを気にかけていたことにならないか? 

 

 

 

 絵里は頭に浮かんだその考えを否定する。

 そんなわけない、自分はあくまで偶然この場に居合わせ、彼女たちに『現実』を教えるために待っていただけだ。決してそんなことはない。

 なのに、──どうして自分は彼女たちに声をかけるのだ? 

 

「確かに、現実はそう甘くありません。『夢』が『不治の病』だということも否定はしません。でも、『夢』がそんなマイナスなものなはずはありません! 知ってますか? 『夢』を持つと、すごく心が温かくなるんですよ? 道が見え始めて、光が見えて。その『光』を突かむために私たちは全力で走るんです。そして、その走った道のりが『軌跡』となるんです。『夢』を追いかけるのが無駄なもの、って言いましたけど、それは絶対に違います。『夢』を追いかける過程の中で、様々な困難や壁、一緒に歩む仲間との出会いがあるはずなんです。それは決して無駄なものじゃありません。次の道へと進む『勇気』となるんです。

 そして、私たちの『軌跡』があったから、本来なら『無人』となるはずだったこのステージに()()()()()()()()()()を招いた」

 

 穂乃果は絵里に向かってほほ笑む。

 

「『たとえ見に来てくれる人が少なくても、観客が一人でもいる限り、俺たちエンターテイナーは人を笑顔にするために努力する』。私の『憧れの人』が言っていた言葉です。『人を笑顔にするためには、まず自分が最大限に楽しむこと。相手が一人なら、ラッキーだと思え。緊張も少なくて済むし、何よりその人だけを笑顔にするって集中できる』、彼はそう言っていました」

 

「あなた、その言葉──」

 

 絵里は、穂乃果の口から紡がれた言葉に驚きで目を見開く。

 その言葉は絵里の記憶の奥に埋めた『あの記憶』を呼び覚ます。自分のバレエ姿に感動してダンスを始めた、あの破天荒な少年に──。

 

「どうして、あなたがその言葉を──」

 

 絵里が穂乃果に問う前に、バタン! と講堂のドアの方から音が響いてきた。

 全員の視線が扉の方へと向く。

 そこには──、

 

 

 

 ────チラシを握りしめ、息を切らし駆け込んできた少女の姿があった。

 

 

 

「あの子……」

 

 講堂へと駆け込んできた少女を穂乃果たちは覚えていた。その子は確か一年生、チラシを配っているときに『頑張ってください』と応援してくれた少女──小泉(こいずみ)花陽(はなよ)だった。『ライブ、見に行きます』と言ってチラシを受け取ってくれた少女。

 花陽はステージの方へと目を向け、チラシに顔を向け、少し寂しそうな顔をした。

 おそらく、すでに開演時間を過ぎていることと、穂乃果たちがステージで歌っていないことからもう終わってしまったのだと思ったのだろう。

 講堂から出て行こうとする花陽に穂乃果は声を飛ばす。

 

「大丈夫だよ花陽ちゃん! まだライブは始まってないから!!」

 

 穂乃果の声を聞いた花陽は「え?」と声を漏らしつつ振り返る。ステージ上では穂乃果が満面の笑みを浮かべ手招きをしていた。花陽は、その言葉を受けステージが見えやすい位置へと移動する。

 

「生徒会長」

 

 穂乃果に呼ばれ、絵里は穂乃果を見る。

 

「私たちは踊ります。今この場にいる観客を、笑顔にするために」

 

 そして穂乃果は後ろの二人へと振り返る。

 

「行くよ、海未ちゃん、ことりちゃん」

 

 二人は力強くうなずき返す。

 穂乃果は前を向くとヒデコたちに合図を送る。三人はスタートの位置へと並び、曲の始まりを待つ。

 絵里は止めようと思った。このまま始めてしまえば、彼女たちはこの道を進んでしまう。そうなれば、いずれ大きな壁に阻まれ歩みを止めてしまうかもしれない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それなのに──。

 

 

 

 ────どうよ、俺のダンスは? 

 

 

 

 記憶の奥底に眠る少年の影がちらつき、止めることが出来なかった。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

『START:DASH!!』────それが彼女たちの歌う曲の名前だ。園田海未がリヒトの父『一条一輝』のアドバイスの元、純粋な思いを乗せ書き出した歌詞。『夢』に向かってスタートを切った自分たち、『可能性を感じた未来』へ走り出した自分たちをイメージした前向きな曲。

 自分たちを『産毛のことりたち』と例え、廃校を阻止する『空』へ飛び立つイメージ。『その日』が絶対に来ると信じて『諦めず』に進む。始まりの鼓動を感じた未来へとスタートダッシュを決める。

 リヒトのお気に入りの曲『ススメ→トゥモロウ』を可能性の感じた未来へ『進む曲』とするならば、この曲は可能性の感じた未来へスタートダッシュを決める『始まりの曲』。 

 少女たちは舞う、とびっきりの笑顔で。

 穂乃果はその体を大きく使いダイナミックに、自分の持てる力をすべて表現するかのように、弾けるような笑顔を向けて。しかし雑にならないように、一つ一つの動きにしっかりと注意を向ける。

 海未はリヒトに言われた通り、自分の動きを大胆にすることを意識する。最初は恥ずかしさが上回っていて動きが小さくなってしまったかもしれない。だが、今の海未は楽しむことを第一に考えていた。あの空間で極度の緊張を体験したからだろうか、体にわずかな疲れを感じるが、そんなことはかまわず歌う、踊る。

 ことりは、自分が笑顔にするべき相手を見ていた。視線がついつい穂乃果と海未の方へ向かいそうになるのを止め、前を向く。大丈夫、多少動きがずれてもいい。今は、目の前にいる観客を楽しませることを考えよう。

 三人は踊る、見に来てくれた人たちを笑顔にするために。

 曲もサビへと突入し、より一層盛り上がる。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 穂乃果たちのダンスを希は講堂の入り口付近から見ていた。講堂内にはステージに立ち踊る穂乃果たち三人と、厳しい瞳で見る絵里。

 瞳を輝かせ、彼女たちのライブに心躍らせている少女。

 その少女の隣に立ち、最初は普通に見ていたショートカットの少女が、次第に瞳を輝かせ心躍らせていく。

 そして、希の立つ入り口とは別の出入り口から講堂へと入ったツインテールの小柄な少女。

 さらには、最初は怪訝な表情で講堂へと入って行った少女は次第に彼女たちの姿に惹かれ、その足を進めていく。

 少女たちが穂乃果たちのライブに魅了されていった。

 

(あの子たちが、『希』の『願い』なんだね)

 

 ふと、脳内に声が響き、瞳を閉じて制服の下にある勾玉に手を重ねれば、希の前に自分とそっくりな少女が現れた。違う点を上げるならば、髪を結んでいないところだけだろうか。今年初めに出会た時はびっくりしたが、今はもう慣れたものだ。

 本来はとある事情からこうして表に出てくることはなく、希の内にいることが多くあまり語りかけてこない。今回こうして表に出てきたということは、それだけ今回が非常事態だったということだろう。

 

(そうやね、あの子たちがウチの『願い』、かな)

 

 希は微笑みながら返す。

 自分のとある占いから出た『未来』。そこに集う少女たちがきっと彼女たちなのだろう。だが、同時に出た『未来』が、希の不安となっている。

 少女たちの未来に迫る『闇』の存在が。

 

(……厳しい戦いになるよ)

 

(わかっとるよ。それでもウチは『光』を信じたい。未来を照らしてくれる『光』を)

 

 希の占いで出た『闇』の存在。だが、同時にその闇を払う『光』の存在も出たのだ。『闇』を払う『光の戦士』。それが、『ウルトラマン』。目の前の少女の未来を守るべく戦った光の戦士と同じ存在。

 もちろんそれが厳し戦いになるということは、今回のことでわかった。ダークガルベロスとの激闘、穂乃果たちの援護がなければ負けていた戦いだ。この先も、このような強敵が現れないということは絶対にない。もっと厳しい戦いが、穂乃果たちの援護がない『ウルトラマンギンガ』が一人で戦わなければならない時が、強力な『闇』の力を持つ怪獣が。ギンガを待っているかもしれない。

 それでも、希は信じる。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、必ず自分の未来を守ってくれると。

 

(君も、光を信じたんやろ?)

 

(……うん。でも、私の場合は信じても彼は消えちゃったから。だから希は、彼を離さないようにね。彼に似て結構いい男なんだから)

 

(へ?)

 

 何か含みのある言い方をされ、希はひっくり返った声を上げてしまう。

 何のことか追及しようとしたのだが、スカートのポケットにしまった携帯電話が震え、希の意識が現実世界へと呼び戻される。

 ただ、最後に彼女が言った一言が希の耳に残った。

 

 

 

 ──私は彼が大好きだった。希もあの人を好きになるなら、絶対に離さないようにね。『光』を受け継いだ彼は、その運命はから逃れられないから。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 意識が現実世界へと戻り、取り出した携帯電話の画面には『一条リヒト』と表示されていた。

 先ほど含みのある言い方をされ、少々出るのに戸惑ったが一度深呼吸をしてボタンを押す。

 

『あ、もしもし希? そっち大丈夫なのか?』

 

 リヒトはやや慌てた様子で訪ねてきた。

 おそらく、先ほどの位相変異の際に穂乃果たちがどうなったのか心配しているのだろう。加えて、リヒトは穂乃果たちのライブ開演時間を知っている。目覚めた時に開演時間おすぎていたことも気になっているのだろう。

 

「大丈夫や。ウチも穂乃果ちゃんたちもみんな無事。今ちょうどライブをやっているところや」

 

 希の答えに電話越しにホッとするリヒトがわかった。

 

『観客はどうだ?』

 

「ウチを合わせて六人かな。姿を隠している子もおるから、穂乃果ちゃんからは見え取らんけど」

 

 希は講堂内へ視線を向ける。

 スポットライトに照らされ、笑顔を絶やさず踊る少女たち。曲は終盤に差し掛かっており、彼女たちの課題だった後半での体力切れが見え始める。

 それでも、彼女たちは踊る。見に来てくれた人を笑顔にするために。その真っ直ぐな姿勢が歌に、踊りに乗り観客の興味を引き付ける。

 ──そして、音楽は終わった。

 彼女たちのステージが終わったのだ。

 

「今、終わったよ」

 

『そうか』

 

「りっくんはどう見る?」

 

『今回のライブか? そうだな、成功とは程遠いけど失敗とも言えないかな。観客が集まらないことはある程度予想してたけど、俺はてっきり、理想と現実のギャップで笑顔で踊れずボロボロになると思ってた。でも、あいつらは踊ったんだろ? 笑顔で』

 

「うん」

 

『それなら、及第点ってとこかな』

 

「随分厳しく見るんやね」

 

『……たぶん「一条リヒト」の部分がそう見てるんだと思う』

 

 やや言いにくそうにリヒトは言う。

 記憶喪失であるリヒトにとって、なぜ自分がそういった価値観を持つのか、彼女たちをどうしてそう評価するのか、疑問な点が多いのだ。

 前にリヒトは、海外で出会った少女との約束を果たすため、プロのダンサーになることを決めたと言っていた。アメリカに留学までしたのだから、その覚悟は本物だろう。

 だが、リヒトにその記憶はない。そのことがリヒトにとって気がかりとなっている。未だ記憶が戻らない中、右往左往しながらも日々を歩んでいる。

 そして唯一わかることは『笑顔』が大好きだということ。それと──、自分がウルトラマンギンガに選ばれたということだけ。

 

『……なあ、希。俺は戦うよ』

 

 リヒトは宣言するかのように言う。

 希の前でウルトラマンギンガにライブしたのだ、今更隠す気はないのか堂々と言うリヒトに、希は「うん」と答える。

 

『アイツらの夢をあざ笑うやつがいるなら、俺は戦う。アイツらの歩みだした夢を踏みにじるようなやつがいるなら、俺は戦う。戦って、あいつらの夢を守って見せる。だからさ、希』

 

 希は、来たかと思う。

 あんな特殊なことをしたんだ、当然そのことを聞きたいんだろう。それに、リヒトは『あの子』とあっている。自分にそっくりな少女に。

 聞きたいことは山ほどあるのだろう。もちろん希は、そのすべてに出来る限りで答えようと思っている。

 希はただリヒトの言葉を待った。

 

『──俺に力を貸してくれよ』

 

「──―え?」

 

 リヒトは希が予期していた言葉とは違うことを言ってきた。

 

『お前が何者についてかは、また後日聞くさ。それより今は力を貸してほしい。今回の戦いでわかったんだ。俺一人じゃ、これから来る「闇」を予期することはできない。俺一人じゃ勝つことが出来ない戦いもあると思う。だから、俺に力を貸してほしいんだ。アイツらの「夢」を守るために』

 

 電話越しにリヒトの力強い言葉が聞こえてくる。

 希はリヒトの言葉を受けて微笑む。

 そして──。

 

「もちろん、ええよ。ウチが、君の力を助けてあげる」

 

 少年の決意を受け取った。




これでいいかなと思ったんですが、やや足りない部分があるので「終章」で捕捉します。


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終章:プロローグの終わり


みなさん、あけましておめでとうございます。Twitterをやろうか悩んでいる水卵です。
2016年最初の更新は第3話の「終章」となります。文字数が一番少ない回となっていますので、さらっと読めると思います。
それでは、スタートです。



 絢瀬絵里は家へと帰宅すると、ベットへその身投げ出す。やりきれない思いを抱え、天井を見つめる。

 ダメだった、守りたかったはずなのに、彼女たちは前に進むことを決意してしまった。

 

「どうして……」

 

 情けない声が漏れる。

 瞳を腕でふさぐものの、その暗闇の中映し出されるのは講堂でのやり取り。

 ライブを終えた彼女たちに絵里は聞いた。『本当にこれ以上続けるの』かと。絵里としてはここでやめてほしかった。これ以上進み、彼女たちの傷つく姿を見たくなかったのだ。

 それなのに、ステージの中心に立つ少女――高坂穂乃果は力強く宣言した。

 

『続けます!』

 

 絵里にはわからなかった。どうして続けるのか。

 

『やりたいからです! 確かに生徒会長の言う通り現実は甘くありません。それでも、私は今「やってよかった」って思ってるんです! あのまま行動しなかったら絶対に感じないことなんです!』

 

 穂乃果は言葉を続けたが、絵里の頭には入ってこなかった。

 あの時の絵里は穂乃果たちを止められなかったことを後悔し、一人考えに浸っていたからだ。だが、最後に彼女が言った一言は、絵里の耳にしっかり届いていた。

 

『いつか……、いつか私たち、必ずここを満員にして見せます!!』

 

『いつか、満員のステージで一緒に踊ろうぜ! エリー!!』

 

「っつ!?」

 

 そして思い出されるとある少年との約束。まだロシアに住んでいた時に出会った黒髪の少年は、人の笑顔が大好きで、いつも元気で陽気だった。出会って間もない私を振り回して、楽しい思い出を作ってくれた黒髪の少年。手品やドッキリが大好きで、いつも私を驚かせてくれた少年。

 自分のバレエを見て感動してくれた少年は、今どうしているのだろうか? まだ自分のことを覚えていてくれるのだろうか? まだ私のことを好きでいてくれるのだろうか? 私を、許してくれているのだろうか?

 絵里は首を振ってその可能性を否定する。それはない。きっと彼は自分に失望して、忘れているに決まっている。

 だって私は、()()()()()()()()()()()()()。彼と別れるときに誓った約束を、私は破ったのだ。今の自分に、彼と共に歩む資格はない。彼の前に現れる資格もない。

 それでも、あの少女たちのステージが絵里の記憶の奥底に封印した少年との記憶が蘇ってくる。

 絵里はベットから立ち上がると、棚に置いてある一つの写真立てを取る。約束を破った際に、彼との思い出はすべて捨てた。記憶を奥底に封印して忘れ、彼との思い出の品は捨てたりしたものもあれば、タンスの奥底にしまったものもある。

 それでも、これだけはしまうことが出来なかった。普段は家族の集合写真が飾られているが、一枚取り出すとその奥にしまった彼と初めて撮った写真が現れる。初めて男の子と撮った写真だということもあり、自分の頬は少し赤らんでいる。それでも少年の笑顔につられピースサインをしながらカメラに向かって笑っている。

 絵里はその写真を撫でながら、少年を見る。

 笑顔でピースサインをしている黒髪の少年。

 絵里は、その思いから泣きそうになるのを、唇を噛んで耐える。

 泣いてはダメだ、私は彼との思い出を捨てたのだ。私に今更、そんな資格はない。

 それでも、あの少女たちの前向きな姿が、昔の自分と、この少年に重なる。重なってしまう。

 

「うっ、……うぅぅ」

 

 絵里は嗚咽を漏らしてしまう。

 写真を抱いて、しゃがみこんでしまう。

 

「……会いたいよ、……助けてよ……リヒトくん……」

 

 その日の夜、絵里は一人泣いた。

 

 

 

    ♢ ♢ ♢

 

 

 

 コツコツと音を立てて歩く白い少女は、先日訪れた公園に来ていた。時刻はすでに夜の一〇時過ぎ、四月ではあるが、当然夜となれば寒くなる。

 しかし少女はそのようなことは気にならないといった様子で、ブランコに座る黒ローブの男へと近寄る。

 キィ、と音を立てる男。漂う雰囲気から今表に出ている人格を理解した少女はぶっきらぼうに尋ねる。

 

「どうやら失敗に終わったみたいだな」

 

 少女の言葉に男は肩をすくめながら言う。

 

「まあね。まさか、彼女たちの中にダークガルベロスの幻術を見破るやつがいるなんてね。予想外だ」

 

「『イージスの力』はどうだったんだ? あれは予想範囲内か?」

 

「あれはこの町に眠る力だよ? 当然何かしらあるとは予想してたけど、全く、彼女たちは面白いよ」

 

 男は悲観することなく、事実を述べる。その上で彼は面白がっているのだ。ただ一方的なゲームになる予定が、彼女たちの持つイレギュラーな力が逆転をもたらした。彼にとって今回の出来事は予想外のことが多く起こったが、それでも目的は達成できている。ウルトラマンギンガを倒せなかったことは、それほど気にすることでもない。いずれは敗北する光だ、今はまだその時ではない。

 少女はその男の態度が気に食わなかったのか、腕を組み睨みつけながら言う。

 

「ふんっ、面白がるのも結構だが、これからどうする気だ? あの三人の小娘はもう使えんのだろ?」

 

「確かに、覚悟を決めてしまったあの三人を再び『闇』に落とすことは難しいだろうね。でも、彼女たちは同時にボクらに種をくれたよ」

 

「なに?」

 

 男は一度ブランコを鳴らす。

 

「皮肉なものだよね。彼女たちの頑張りが、ボクらの『力』の糧となる子を生み出してくれた。しかも、中にはとても使えそうな子がいてね。その子をこちらに引き込めば、かなりの『闇』を集められる」

 

()()()以外にも使えるやつがいるのか?」

 

「ああ」と答えながら男はブランコから立ち上がる。

 

「でもそのためには、『光』を別のところに向けないとね。その為に利用する駒も彼女たちが作ってくれた」

 

 そう言って男は歩き出す。

 

「作戦は彼に伝えてある。君とボクはしばらくお休みさ」

 

 男の言うことに、少女は眉間に皺を寄せた。確かに、自分たちはまだ完全に力を取り戻せておらず、今光に挑めば返り討ちに会うことは間違いないだろう。

 そのことをわかっているため、今は渋々と男に言われた通りにするしかない。

 

「ま、それまで君はこの世界でも楽しんでるといいよ」

 

 男の言葉に少女はフン、と鼻を鳴らすと振り返って消えてしまった。

 残された男は、少女の行動を特に気にする様子もなく、目的地に向け歩き出す。目的の場所はそう遠くない、歩いていればそのうちたどり着く。

 男は目的地を見据えながらつぶやく。

 

「さあ、プロローグはここで終わりだ。本当の第一ゲームを始めよう」

 

 

 

    ♢ ♢ ♢

 

 

 

 夢を追いかけ記憶を失くした少年は、新たな夢に向かって歩みだした少女と出会う。

 

 夢を歩みだした少女たちは、悩める少女たちの道となった。

 

 自分の歩みたい道を歩み切れず、迷子になっている少女。

 

 憧れはあるも、自分に自信が持てず歩みだせずにいる少女。

 

 可愛いものに憧れているが、過去のトラウマから踏み出せない少女。

 

 自分の理想の高さから、共に歩み仲間たちを失った少女。

 

 そして、その気持ちから自分の殻に閉じこもり、夢を持てなくなった少女。

 

 かくして舞台は整った。

 少年と少女たち、『光の戦士』と『女神たち』が出会うとき、後に語られる『伝説』の幕が上がる。

 

 さあ、少年よ、少女たちの夢を守るために立ち上がるのだ。

 




以上を持ちまして、「ギンガ・THE・Live!」の予定している全27話中3話が終了し、基本設定編となる序章が終わりました。第4話より、女神たちが集い始めるお話となります。
本来なら2015年中に終わらせたかった第3話だったのですが、2話執筆中に風邪をひいたり、3話の二章を投稿後プロットや設定が丸々消えたりといろいろありました。こうして無事投稿し終えほっとしています。
正直、第3話までは全体的の序章と言うこともありいろいろ詰め込みすぎたり書きすぎたと感じていますが、要約すると、

遥か昔、光の戦士と「大いなる闇」の戦いがあった。

本編開始の一年前、アメリカで何かあった。それによりリヒトは記憶喪失となる。

本編開始。黒ローブの男と白い少女は穂乃果たちを利用し「大いなる闇」復活を目論む。
といった具合でしょうか(かなりざっくりですが)。

第4話以降は文字数が少なくなるんじゃないかなと思っています。

それでは、第4話より始まる「第一部:集う女神編」をよろしくお願いします。今まで登場しなかった彼女たちがどうこの物語に関わってくるのか、楽しみにしていただければ幸いです。

感想や評価をお待ちしています。

次回予告
中学生最後のコンクールで起きた一件から、ピアノの道を諦め医者の道を歩むことを決めた西木野真姫。だが、ある少女との出会い、μ’sのライブ、そして、再び見るようになった「空飛ぶクジラ」の夢が、真姫の心を揺さぶる。
次回、「クジラと歌姫」。


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第4話 クジラと歌姫
前奏曲:歌姫の始まりと終わり


さあ、いよいよ「第一部:集う女神編」が始まります。

まずは「序章」からスタートです。


『夢』が決まる瞬間は、些細なきっかけとの出会いから始まる。

 

 例えば、プロサッカー選手やプロ野球選手を『夢』にしたきっかけ。それを問われれば多くは『テレビでプロの試合を見て』と答える。

 画面に映る選手に憧れた。

 その選手のようになりたい。

 その選手と一緒にプレーしたい。

 などなど、きっかけからさまざまな想いを抱き『夢』となる。

 

『漫画家になりたい』と思った人は、とある漫画を見た瞬間運命を感じ、漫画の魅力にハマり漫画を描きたいと思うようになる。

 

 たまたま見たドラマに出ていた俳優の演技に感銘を受けた人は、同じく俳優を目指すことがあるだろう。

 

 このように、些細なことからきっかけが見つかり、それを掴む意思を見せればおのずと『夢』となる。

 そしてこの少女、西木野真姫のきっかけも些細なことだった。

 

 

 その日の真姫は、特に何もすることがなく暇を持て余していた。何となく、つけていたテレビが映し出す音楽番組。

 今思えばそれがきっかけだったのだろう。

 幼い真姫にとって、テレビに映し出される映像はすべて新しい世界への扉のようなもの。しかも家が病院を経営していることもあってか、テレビの液晶も大きい。それも合わされば大型液晶テレビなど、正に幼い真姫にとっては新世界への扉だ。

 そして扉の向こう(テレビ)に映し出された音楽番組は、ピアノのステージを映し出していた。

 ステージの端から現れる演奏者。黒い髪に眼鏡をかけた少年は、スーツを模した落ち着いた雰囲気の衣装で登場した。緊張した面持ちでぎこちなく一礼をし、ピアノへと向かう姿は可愛らしく、おどおどしながら椅子を調節する。

 椅子に座った彼は瞳を閉じ、ひとつ息を吐く。

 真姫はその動作を見ているだけで、自然と心を躍らせていた。これから何が始まるのかワクワクしていたからだ。

 真姫はその大画面の液晶を、その大きな瞳で見つめる。

 演奏が始まった。

 奏でられるピアノの音色。その指が鍵盤をたたくたびに美しい音色が真姫の耳に滑り込んでくる。静かに始まった曲は、演奏者の思いを乗せ次第に大きく、激しくなって行く。

 

「──すごい」

 

 真姫は無意識に呟いていた。

 ピアノの音が走る。演奏者の思いを乗せ走り、色を付けていく。

 

 

 

 

 真姫の世界が金色の音に染まった。

 

 

 

 

 もちろん実際に世界が染まったわけではない。だが、そう思わせるほどに、そういった幻想を見せるほどに少年のピアノが真姫の心に入って来た。

 演奏はいつの間にか終わっていた。少年が立ち上がり、礼をして去って行く。

 真姫はしばらく呆然としたままテレビを見つめていた。やがて美しい音色に心打たれた真姫は、気が付けば母親の元を訪れていた。

 

「どうしたの? ママになんか御用?」

 

「あ、あのねっ、私……」

 

 真姫はスカートを握りしめ、勇気を振り絞る。

 そんな真姫を母親は目線を合わせ優しく見守る。

 

「私……ピアノがやりたい……!」

 

 真姫は顔を上げ、その瞳を輝かせながら、はっきりと大声で自分の意思を伝える。

 

 

 

 

「ピアニストになりたい!!」

 

 

 

 

 偶然音楽番組で見たピアノの演奏。それが真姫にとっての『夢のきっかけ』だった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 西木野真姫がピアノを始めて数か月、その才能はすぐに開花された。

 真姫自身が元々才能を持っていたのか、母親から紹介された先生の教えが上手かったのか、いずれにせよ真姫はその才能を発揮して行った。

 しかし、最初のコンクールは緊張のせいで大失敗。ピアノをやめたくなった。

 でも、あの時テレビで見たピアノが忘れられずに、あの演奏の様に自分も人の心に響く演奏をしたいと何度も思い、そのたびに立ち上がった。

 二回目のコンクールは前回の失敗がウソのような演奏を披露し、三回目のコンクールでは周囲に圧倒的な差をつけて賞を取った。

 

「ママ! やったよ! 私、またコンクールで優勝したよ!!」

 

 真姫はとびっきりの笑顔で母に駆け寄る。

 

「よかったね、真姫」

 

 母は真姫の頭を撫でる。真姫は嬉しそうに目を細め、勝利の余韻に浸っていた。

 

「ねえ、ママ。パパは来てないの?」

 

 真姫の問いに母──西木野織姫(おりひめ)は申し訳なさそうに言う。

 

「ごめんね、パパはお仕事が忙しくて来れないの」

 

 真姫は先ほどの表情から一転して悲しそうな表情になる。

 織姫は真姫のコンクールには必ずと言っていいほど見に来ていた。娘が初めて自分から何かをやりたい、と言い出したものだ。母親としてこんなに嬉しいことはない。

 娘の晴れ舞台を一回も見逃さないために、織姫はホールに足を運んでいた。

 同時にそれは、真姫にとってとても心強い存在となっていた。最初のコンクールは周囲を見る余裕すらないため失敗したが、二回目のコンクールでは母親がいたから万全の状態で演奏が出来たといっても過言ではない。前回の失敗で不安に押しつぶされそうになったとき、顔を上げた瞬間に母親の笑顔が見えた。

 

『大丈夫だよ』

 

 まるでそう言っているような笑顔を見た真姫の緊張は消え、最高の演奏をできた。

 そして必ずコンクールが終わると、真姫は織姫の元へと真っ先に駆け寄る。その姿を見るたびにピアノの先生は苦笑いをするのだが、真姫にとってはどうでも良かった。

 だが、真姫にとって一番に自分のピアノを見てほしい人は別にいた。

 その人物の名は、西木野真二(しんじ)

 真姫の父親である。

 真二は音ノ木町にある大きな病院『西木野総合病院』の院長であるため、コンクールに来られないことは、幼い真姫自身もわかっていた。

 家にいるときもほとんど仕事をするために部屋にこもっていることが多い。

 寂しい、それが正直な感想である。

 母親はいつも見に来てくれているのに、父親は見に来てくれない。忙しいとわかってはいるが、来てほしいと願うのは子供として仕方のないことだ。

 悲しそうな表情をする真姫を、織姫は優しくなでその手を握る。

 

「帰ろっか。パパに優勝したこと、報告しないとね?」

 

「……うん」

 

 真姫は頷くと、織姫に手を引かれながら帰宅する。

 だが真姫にとって、父親である真二と話すことは少々苦手だった。

 病院の院長である真二は、その仕事上家に帰ってくる時間が遅く、真姫の遊び相手をしたことは一度もない。真姫が忘れているだけであって、実はあるのかもしれないが、いつも眉間に皺をよせ難しい顔をしている父親が、楽しそうに遊ぶ姿を真姫は想像することが出来なかった。

 家に帰宅した真姫は、その日はちょうど家にいた真二の元を訪れた。

 

「……パパ」

 

 部屋の扉をノックし、返事を待つ真姫。

「いいぞ」と返事が返って来たので真姫はドアノブを回す。中で真二は机に座り、資料を整理していた。真姫が部屋に入ったことを確認すると、顔だけを一度真姫に向けすぐさま資料に目を落とす。

 

「何か用か?」

 

「あ、あのねっ、パパ、私……」

 

 素っ気なく聞かれ、真姫は恐怖で体に緊張が走る。

 なぜ父親なのに緊張しなければならないのか、脅えなければならないのか、真姫にはわからなかった。ただただ、その目の前に立つ大きな背中が、途方もない高い山のように見えた。

 

「……コンクール、優勝、したんだ……」

 

 言えた。小さい声だったけど、震えていたけど確かに言えた。

 真姫の体を振るえていた、両手で服の端を握り、父親の反応を待つ。

 部屋には、髪の擦れる音だけが響いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 父は、何言わなかった。

 真姫は体の緊張を解くと、少しがっかりした様子で部屋を出て行こうとした。ガチャリとドアノブを回し、真姫の体が半分部屋から出たところで、

 

 

 

 

「……よく、頑張ったな。おめでとう」

 

 

 

 

「……え?」

 

 真姫が振り替えた時は、扉が完全に閉まってしまい、再び聞くことはできなかった。だが確かに聞こえた、父親からの賞賛の言葉が。

 しばらく呆然としていた真姫だったが、次第に嬉しさが込み上げてくる。

 

「~~~~~~~~ん!!」

 

 嬉しさのあまり、声にならないくらいにテンションが上がった真姫は満面の笑みを浮かべガッツポーズをした。

 その日以降、真姫はのめりこむようにピアノに没頭した。ピアノを始めたといった瞬間にパパが買ってくれたグランドピアノに座り、毎日ピアノを弾いた。

 小学校に上がってもそれは続いた。

 

「真姫ちゃーん、一緒に遊ぼうよ」

 

「ごめんなさい、私今日ピアノがあるから」

 

 学校でクラスメイトから遊ぼうと誘われても、真姫はいつも断っていた。それほどまでに真姫の中で『ピアノ』というのは大きなものになっていた。

 何時しか有名なピアニストになって両親、特にパパに見てもらいたい。

 真姫はその思いひとつでピアノを弾き続けた。

 だが、中学生になったときに真姫の中に何かが芽生えつつあった。

 

 

 

 

 ──自分がピアニストになった場合、病院の後継者はどうなるの? 

 

 

 

 

 西木野家には真姫一人しか娘はいない。姉も兄も、弟も妹もいない。ならば、必然的に病院を継ぐのは自分にならないのか? 

 それは真姫にとって大きな壁となって来た。

 もしそうなった場合、ピアノはどうすればいいのか? やめなくてはいけないのか? 絶対に嫌だ、パパとママを笑顔にするまで、ピアノはやめたくない。

 それでも、

 

 

 

 

 ──その選択をする時は絶対に来る……。

 

 

 

 

 真姫はピアノの傍ら勉学ももちろん怠ってはいなかった。成績は常に優秀で定期試験では満点をいくつも取る。まるで、いつでも病院の後を継ごうと決意できるかのように、準備をしているように思えた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 そして、運命の時はやって来た。

 それは中学生最後のコンクール。ステージに立った真姫が見た観客席には、いつも来てくれている母の隣に、父の姿があったのだ。

 

(パパ!?)

 

 真姫の体に緊張が走った。

 今まで仕事が忙しくて見に来ていなかった父がこの場にいる。母の隣に座り、腕を組んで自分を見ている。今まで見ていない人が、一番自分のピアノを見てもらいたかった相手が、今日、このコンサートホールにいる。

 

「──―っ!」

 

 父と視線が合い、真姫の体にさらなる緊張が走る。

 かつてない緊張感が真姫の体を縛る。指先が震え、視界が揺れる。自分の心臓の鼓動が、バクバクと音を立てて鳴っている。

 

(……いいわ)

 

 その緊張のさなか、真姫は静かに拳を握っていく。

 

(最高の演奏、見せて上げるわ!!)

 

 緊張で体は震えている、だがそれ以上に、真姫はうれしかったのだ。今まで見てもらいたいと願っていた相手が、今、この場にいる。

 中学最後のコンクールという最高の舞台で、最高の演奏で──!! 

 

「……ふぅ」

 

 真姫はゆっくりと息を吐くと、椅子に座る。

 瞳を閉じて集中力を最大限に高める。

 そして──、

 

「──────────────っつ!!」

 

 真姫のすべてを込めた全身全霊の演奏が始まった。

 真姫のすべてがピアノに凝縮されていく。

 伝えたい思いを。

 伝えたい、伝えたい、私の全てを!! 私を見て!! 

 奏でる音色に稲妻のような激しさが加わる。

 しかしすべてが激しいわけではない、時にやさしく、清らかに、小さく、大きく、真姫は今までのすべてを込めピアノを弾く。

 

(届け! 届け! 届け!)

 

 会場の誰もが息をするのを忘れ真姫のピアノに見入った。

 

 

 そして──、演奏が終わった。

 

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 

 静寂が、ホールを覆った。

 

「あっ」

 

 誰かが声を漏らし、拍手をした。

 パチパチ、とその音は次第に広がっていき何時しか割れんばかりの拍手がホールに響いた。

 拍手の音が鳴り響く中、真姫はそっと息を吐く。

 

(やった)

 

 真姫は今までにない達成感を味わっていた。天井を見上げ、極度の集中力から解き放たれ乱れた息を整える。

 体が熱い、頬の赤くほてっているだろう。

 それでも真姫は、今までにない達成感の余韻に浸っていた。

 

(あ、そうだ、パパは──)

 

 真姫はパパの様子が気になり、観客席へと視線を向ける。

 きっと、拍手をして喜んでくれているはずだ。

 そう期待して、真姫が見たものは、

 

 

 

 

 ホールを出て行こうとする父親の姿だった。

 

 

 

 

「────────―え?」

 

 真姫の頭が一瞬で真っ白になる。

 

 なんでパパは出て行くの? 

 

 私のピアノダメだった? 

 私、結構うまくやったと思うんだよ? 

 今までで最高の演奏だったよ? 

 待ってよ、なんで? なんで? なんで? なんで? 

 

「パパ──―」

 

 真姫は手を伸ばす。言ってほしくない、帰ってきてほしい、そう願い手を伸ばすが、

 ──無情にも真二はホールを出て行ってしまった。

 

「………………そんな」

 

 真姫はひとり、退場することも忘れ、ポツリとステージに立ちすくんだ。 

 




真姫の両親の名前は勝手に作らせていただきました。
「クジラ出てねえじゃん」と思う方もいらっしゃると思いますが、ちゃんと出ますのでご安心を。
真姫パパが出て行ったのにも理由がありますので、最後までお付き合いください。

感想、お待ちしております。

NEXT→「第一奏:歌姫のその後」


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第一奏:歌姫のその後

お待たせしました。大学のテストが近いのと、別件の試験が迫っていた為投稿が遅れました。もうすぐで春休みになるので、投稿スピードは上げれたら上げていこうと思います。

訂正)
前回のあとがきにて次回を「第一章」と書きましたが、4話のヒロインが彼女であることから「第◯奏」に変更いたします。それに伴い序章も変更いたしました。


 バサァと、音を立てて()()()()()()()()()()()()()

 どこまでも広がる青い空を、まるで海の中を泳ぐかのようにゆったりと進むクジラ。体を揺らし前に進むクジラの背には、笑い声を上げて楽しむ幼い少女が立っていた。

 少女は楽しそうにクジラの上を歩きながら、どこまでも広がる青空に目を輝かせていた。クジラもまた、そんな少女の反応がうれしいのか、声を上げ、潮を吹きながら気持ちよさそうに泳ぐ。

 そして、そんな光景を唖然とした様子で見る、ひとりの少女がいた。

 

「……この夢」

 

 少女──西木野真姫はその夢に対して驚きを隠せずにいたが、目の前で楽しむ少女を──幼い自分の姿を見て懐かしそうに微笑んだ。

 

「また、見れたんだ」

 

 この夢は、真姫が初めてのコンクールを緊張で大失敗してしまった日以降、よく見るようになった夢だ。幼い自分をのせて大空の優雅に泳ぐクジラは、まるで真姫を励ますかのように体を揺らしていたのを、今でも覚えている。

 それ以降、このクジラに揺られる夢を見ると、程よい緊張の中コンクールに挑めるようになっていた。どこまでも続く青い空は、緊張に押しつぶされそうになっていた真姫の心を穏やかにさせていき、ゆったりと流れる雲が心を落ち着かせていった。クジラも真姫が落ち着くようにゆったりと泳ぎ、クジラが鳴けば真姫も叫ぶ。

 この広い青空を独り占めしたような気分になるのは、とても清々しい。

 だがこの夢は、中学最後のコンクールの前日には見ていない。

 最後に見たのは中学二年のコンクールの時。三年生に進級して以降はどんなコンクールや些細な発表会があったとしても、この夢を見ることはなかった。

 なぜ突然見れなくなったのか、真姫にはわからない。自分にとって『空飛ぶクジラ』の夢を見れなくなったことはショックだったが、この夢を見てから大好きになったクジラの人形と寝ているおかげで、それほどダメージにはならなかった。それに中学三年生時にはコンクールに対しての耐性もできていた。自分でコンディションを調節するくらい、出来て当たり前の経験を積んできたのだから。

 それでも、見られなくなったことには寂しさを感じた。

 だがここ最近また、正確には真姫が学校でスクールアイドルを始めた先輩たちに、曲の作曲することを決意した日から、この夢を再び見られるようになった。

 久々の作曲作業は息詰まることが多く、何度も譜面を書き直してはピアノを弾き、違うと思えばまた書き直す。そんな淡々とした作業の中少し居眠りしてしまうと、この夢が真姫を励ましてくれた。おそらくこのクジラのおかげで、作曲が完成したと言っても過言ではない。

 だが、あれから数日経っているし、その曲を使ったライブは昨日行われた。もう見る機会なんてないと思っていた。

 この夢は自分がピアノに熱意を向けた時に見ることのできる夢だ、と真姫は推測していた。中学最後のコンクールでは見ることができなかったが、あれ以降真姫はピアノに対する熱意を失っていた。そしてまた最近、あの先輩の熱意に感化されてか、ピアノに対する熱意が戻ってきていた。だからこの夢を見ることができているのだろう。

 作曲を終わった後もピアノへの熱意は終わっていない。おそらくそれが、この夢を見続けることができる理由だろう。

 しかし真姫にとって、そんなことはどうでも良かった。

 今はそんな小難しいことは忘れて、この夢を楽しもう。

 そう思って真姫はクジラの背に腰を下ろす。

 クジラは真姫が座ったことを感じたのか、嬉しそうに潮を吹いた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 西木野家のリビングでは、少々重たい空気が広がっていた。

 テーブルに対面で座るのは朝食を食べる真姫と、コーヒーを飲みながら新聞に目を通す父・真二の二人だけだった。母・織姫は洗濯物を干しているところだろう。本来は使用人がやることなのだが、織姫自身が「火事ができない女なんて主婦失格じゃない」と言って、ある程度のことを織姫がやってしまっている。今も、鼻歌でも歌いながら洗濯物を干しているだろう。

 真姫はコーヒーを片手に新聞に目を通している真二など気にせず、トーストにかじりつく。

 本当ならこの気まずい空気の中朝食など取りたくないが、ここ三日は日直当番な為、早く学校へと向かわなければならない。それにより、真姫は朝の早い真二と一緒に朝食を摂ることになっていた。

 別に日直などもう一人の子に任せて自分はさぼればいい。そう何度も思ったが、そんなことを真姫自身が許さなかったし、入試の成績を一位で入学したのだ。そんな生徒が日直当番とはいえサボることは褒められたことではない。加えて幼い頃朝からピアノの練習をやっていたせいか、早起きが得意となってしまったのだ。二度寝などする気のない真姫は、渋々この空気の中朝食を摂っていた。

 

「……真姫」

 

 トーストも残り少なくなり、サラダを食べ終えミルクの入ったコップを持ち上げ、口に含んだところで新聞を見たまま、真二が真姫の名を呼んだ。

 真姫はミルクの入ったコップを置くと、「なに?」と返す。

 

「……勉強、しっかりやってるか?」

 

 真二は顔をこちらに向けることなく、あくまで新聞を見たまま聞いてくる。

 

「やってるわ」

 

 真姫の答えに「そうか」と真二は言う。

 

「だが、油断はするなよ。医者になるにはそれ相応の学力が必要だからな。入試成績は一位だったみたいだが、それに満足せず日々の──」

 

 バンッッ!! と真姫が真二の言葉を遮るようにテーブルをたたいた。

 真二が横目で真姫を見れば、うつむいているため前髪によって顔は見えないが、肩を震わせていた。しばらく静寂の時間が続き、真姫は空になった皿とカバンを持ち上げ「ごちそうさまっ!」と叫ぶように言うと、キッチンへ行き皿を置くと早足にリビングを出て行ってしまった。

 

「……」

 

「また、やっちゃったの?」

 

 真姫と入れ替わるように、洗濯物を干し終えた織姫がリビングへとやって来た。

 真二は何も答えず、コーヒーを飲む。

 そんな真二を見て、織姫はやれやれといった様子で肩をすくめる。

 

「まったく、二人とも素直じゃないわね」

 

 新聞から目を放し窓の先を見つめる真二の顔は、苦虫を噛み潰したような顔をしていて強い後悔の念が見て取れた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 家を飛び出すような形で外へと出た真姫は、しばらくして荒れていた心が落ち着き、深いため息をついた。

 

「はぁぁ」

 

 別にあんなことをするつもりはなかった。真二の言った通り、医者を目指す以上はそれ相応の学力が必要になる。真姫はピアノの傍ら勉強も怠っていなかったため、それなりの学力はある。中学時代は常に成績トップ、定期試験では常に九十点後半を取り続けており、入試の成績もトップだった。だが、それだけで医者になれるほど『医者の道』は甘くない。

 ()()()()()以降医者になることを決意した真姫は、一日の大半を勉強の時間にあてている。ピアノに関しては息抜き程度に弾くぐらいで、あの時のようにピアノを熱心には取り組んでいない。学校に行っても、日々の授業と休み時間には図書室で、家に帰宅後もほとんど自室にこもり勉強。休日などは図書室に行くほどである。

 だが、ここ最近は違った。最近はピアノに向き合う時間が増えていったのだ。おそらく原因はあの先輩。放課後に自分の弾くピアノを聞き、目を輝かせていたあの先輩。

 昨日のライブでとっても輝いていた先輩。あの先輩に出会ってから、日々の生活リズムがわずかに乱れていった。ピアノに向き合う時間が増えていき、しまいには作曲までしてしまうほどに。あの先輩に出会ってから、真姫の中のピアノに対する熱が、蘇ってきたのだ。 

 だが、それは決して燃やしてはいけないモノ。

 今の自分が歩んではいけない道。

 自分が捨てた道だ。

 

(もういいの、私はピアノを諦めた。今は医者になることにだけ集中しなさい)

 

 真姫は自分にそう言い聞かせる。

 何に影響されようが、何を思おうが、今の自分は『医者』になることだけに集中しろ。

 感動させたかった人を、感動させることが出来なかったのだ。

 それはつまり、自分にそんな資格がなかったということ。

 パパが喜ぶのは、自分が医者になったときだけ。パパもきっとそう願っている。自分は最初から、この道しかなかったのだ。

 思い出せ、自分が父親に医者を継ぐといったときの、の表情を、言葉を。

 

『……パパ、私、将来は家を継ごうと思っているわ』

 

『…………そうか。医者になるのは難しいが、真姫ならできるだろう。頑張れ』

 

 いつも眉間に皺を寄せている父が、その時は表情を和らげ喜んでいたではないか。

『西木野総合病院の一人娘』として、最初から定められていた道。どんなものに興味を持とうが、どんな夢を追いかけようが、最初から『未来』は決まっているのだ。

 真姫は歩く。()()()()()()()()()()()()()()()

 それなのに、

 

 

 

 

「りーくん早いっ!!」

 

 

 

 

 自分の心を揺らすあの先輩の声が、真姫の心に響いてきた。

 声のした方を向いてみれば、昨日講堂でライブを披露したあの先輩たちが茶髪の少年と共に走っていた。割と距離を走ったのか、四人とも程よい汗をかいており快調に走っている様子だった。しかし、茶髪の少年のペースが速く付いて行くのが大変になったのか、あの先輩──高坂穂乃果が声を飛ばす。

 穂乃果に呼び止められ、前を走る茶髪の少年はスピードを落とし三人と並ぶように走る。

 

「わりぃ、わりぃ」

 

 少年の謝罪に穂乃果は「もう」と膨れる。

 だが今の真姫は信じられないものを見たかのように目を見開いていた。あの先輩たちと並んで走る少年、その()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え? あの人って……」

 

 真姫は茶髪の少年の正体が気になり、四人の後を追おうと決意。まずはスカートのポケットからスマートフォンを取り出し時刻を確認する。おそらくあの四人の行き先には見当がつく。ならば、それを踏まえたうえで日直が登校しなければならない時間までに間に合うのかを計算し、

 

「問題は、ないわね……」

 

 スマートフォンをポケットにしまうと、真姫は四人の後を追った。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 真姫が読んだ通り、四人の行き先は神田明神だった。あの三人の先輩がここで朝と夕方に練習をしているのを真姫は以前目撃している。

 以前夕方訪れた際に、後ろから胸を揉まれたことを思い出した真姫は、後ろを気にしつつ階段を登って行く。気付かれない様に様子をうかがってみると、四人は日陰で休んでいた。

 

「──んっ、ぷは~。いや~、走った後の体に、スポドリは染みますなぁ~」

 

 缶のスポーツドリンクを飲み干した穂乃果が言う。

 そんな穂乃果に黒髪の少女、園田海未が呆れた視線を向ける。

 

「穂乃果、だらしないですよ」

 

「いいじゃん。海未ちゃんもたまには豪快に言ってみれば? ぷはーって」

 

「私はやりません」と言って海未は缶に口をつける。

 そんな二人を横目に視線を走らせると、目的の茶髪の少年を見つけた。今はストレッチをしているため、その顔をはっきりと伺うことはできない。何とかして、先輩たちに気付かれずあの人だけを確認できないだろうか? そんなことを考えていると、

 

「こらこら、お嬢さん。何か用かね?」

 

「ゔぇえ」

 

 突然後ろから声を掛けられ、変な声が真姫から漏れる。振り返ってみれば、この神社で働く榊奉次郎がタッパーを手に立っていた。

 

「なんじゃ、真二のところの娘さんか」

 

 奉次郎は真姫の顔を見るなり、懐かしい孫娘を見るような表情をする。奉次郎と面識のある真姫は、奉次郎に一礼をする形であいさつをする。

 

「体は大丈夫なんですか? この前も倒れたって聞きましたけど」

 

「それはワシじゃなくて、リヒトの方じゃよ。ワシは見ての通り元気じゃ」

 

 袖を捲り、鍛えぬかれた腕を作る奉次郎。六七歳のはずなのに、その鍛え抜かれた体は全く衰えを感じさせない。といっても、さすがに年には勝てないのか、数か月前に腰を痛めて運ばれてきたことがある。真姫が現状を見る限り、今はすっかり回復しているみたいだ。

 それより、真姫は先ほどの奉次郎の発言の部分で気になるところがあった。

 

「いま、リヒトさんって」

 

「ん? おお、おおそうじゃった。お主はリヒトが帰って来とることを知らんかったのう。もしかして、今日はリヒトに会いに来たのか?」

 

「え!? いや、そう言う訳じゃ……」

 

「あっ! あれって真姫ちゃんじゃない? おーい!」

 

 どうやら向こうに気付かれてしまったらしい。いやいや見てみれば、穂乃果がこっちに手を振りながら駆け寄ってくる姿が見えた。前回も気になって伺ってみた際に気付かれたのを思い出した真姫は、逃げるのを諦めその場にとどまった。

 案の定、穂乃果は真姫の元まで来るとその顔を近づける。

 

「昨日はありがとね。どうだった? 私たちの初ライブ!?」

 

「……」

 

 穂乃果に聞かれ真姫は昨日のライブを思い返してみる。あの広い講堂に来た人は自分を含めて四人、あと一人いたような気もするがそれを合わせても五人。講堂の外から見ていたあの先輩を含めるとするならば六人だ。人数は少なかったが、それでもこの先輩たちは踊った。

 そしてその踊りは、確かに自分の心に響くものを残した。それを言うとなると、少々恥ずかしので真姫は言葉を濁すことにした。

 

「……まあ、よかったんじゃないんですか」

 

「ホント!? よかった~」

 

 真姫の言葉に胸を撫で下ろす穂乃果。穂乃果も、あの観客の少ないライブがどうだったのか、気になっていたのだ。実際に見た人側の口から「よかった」と聞けて安心した穂乃果は、そこに確かな手ごたえを感じた。その言葉が、次の一歩への確かな原動力となる。

 そんな穂乃果を真姫はどこか羨ましそうな表情で見ていた。

 そこへ──、

 

 

 

 

「君が、西木野真姫ちゃん、でいいのかな?」

 

 

 

 

 茶髪の少年、一条リヒトが現れた。その後ろには海未ともう一人の先輩である南ことりが着いている。

 真姫はリヒトを見る。タオルを首にかけ、スポーツドリンクの缶を手にし、長い前髪を髪ゴムで止めている少年。その顔つきは真姫が覚えている顔より大人になっており、とてもかっこよくなっていた。

 微笑むリヒトの顔を見て、真姫は緊張するのと同時に頬に熱が生まれるのを感じた。

 

「えっと……」

 

「作曲、ありがとね」

 

「いえ、あれは別に私がやったわけじゃ」

 

「君の曲のおかげで海未の歌詞がいい曲に仕上がったよ。父さんも驚いてたよ、『一五歳であんな作曲ができるなんてすごい、将来有望だ』って。俺も聞いたけど、すごくいい曲に仕上がってた。また新曲を作ることになったら、君に頼んでいいかな?」

 

 そこで真姫は違和感を覚えた。

 本当ならリヒトは真姫と面識がある。出会う回数は少なかったが、それでも一緒になって遊んだ時間は長い。それなのに、今真姫と話すリヒトの態度はまるで()()()()()()()()()()といった感じだ。いくら最後に会ったのが二年前だとしても、忘れるには早すぎる。

 

「……」

 

「え? なに?」

 

 気づけば真姫はリヒトを睨んでいた。睨まれたリヒトは、自分が睨まれる理由がわからないといった様子であたふたし始める。

 真姫からしてみれば、これはリヒトの一種のいたずらだと思った。何せこの人は『人の笑顔が大好き』と言ってドッキリや手品を得意とする人だ。二年ぶりの再会するこの状況を利用して、私を揺さぶろうとでもしているのだろう。なにせ一度、再会したときに『忘れた』というドッキリを仕掛けられたのだ。それを覚えていた真姫は同じ手には引っかからないぞ、と睨みつける。

 

「ちょ、なんで俺こんなに睨みつけられてるの?」

 

「私が知るわけありません。リヒトさんが昔何かしたのではありませんか?」

 

「……海未、それ俺が()()()()だとわかった上で言う?」

 

「……あ」

 

 リヒトに言われ、何とも間抜けな声を上げる海未。

 だが、それよりも真姫はリヒトの言った一言に衝撃を受けていた。

 

「ちょっと待って。記憶喪失ってどういうこと?」

 

 真姫が疑問を投げかけると、今度はリヒトの動きが止まった。驚いた様子で真姫を見つめるリヒト、そんなリヒトの代わりに穂乃果が真姫に聞く。

 

「真姫ちゃん、りーくんのこと知ってるの?」

 

「知ってるって、ウチの病院によく来ていた人だもの。覚えてるに決まってるじゃない」

 

 本当は別のこともあるのだが、それをここで言うのはいささか嫌なため、当たり障りのないことを理由として挙げておく。

 

「え? よく病院に訪れていた?」

 

 リヒトは首を傾げまきに聞くと「ええ、そうよ」と肯定の言葉が返ってくる。

 

「そういえば、昔のリヒトさんはよくケガをしていましたものね」

 

 思い出したかのように海未が言う。それに続くかのように穂乃果とことりがその時のことを語り始める。

 

「そういえばそうだね。確かブランコで立ちこぎをして、どこまでいけるかやってたら一回転して頭から落ちたんだよね」

 

「ちょっと待て、それって普通死ぬじゃないのか?」

 

「ジャングルジムから真っ逆さまに落ちたこともあったよね」

 

「ことり、それ笑顔で語ることじゃない」

 

「ワシが一番覚えとるのは、あの階段を踏み外して転げ落ちて、頭から血をだらだら流しとったことかのう」

 

「スタントマンびっくりだよ。よく生きてるな俺」

 

「私が覚えてるのは目の前でトラックと車にひかれたことでしょうか」

 

「ダウト! 海未、それはさすがにダウトだ!! それってつまり轢かれたってことだろ!? 普通生きてるはずねえよ!!」

 

「じゃあ死んでるの?」

 

「生きてるよ! そんなことあったけど生きてるよ! 足だってついてるしお前らの目の前にいるだろ!?」

 

 わーわー、ぎゃーぎゃーと目の前で騒ぐリヒトを横目に、真姫はため息をつく。因みに、穂乃果たちが言っていることは本当であり、過去に『一条リヒト』が音ノ木町に遊びに来る際は必ず西木野総合病院に来ていた。主にけが人として。

 大きな病気や二日以上の入院こそなかったものの、『リヒトがケガをしてくる』は西木野家にとっては一年に二回来る『年間行事』と化していた。『あー、今年も来たか~』といった具合と化しており、去年リヒトが来なかった際は『なんで来ないんだ?』と意味の分からない不安に駆られたほどだ。その後、リヒトが留学したことを知ったが、こっちでよくケガをしているあの人が海外行って大丈夫なのか? というのが西木野家全員の感想だった。

 

「たく、それより、西木野が俺のことを知ってるってこと、じいちゃんは知ってたのか?」

 

「もちろんじゃよ。ワシがお世話になっとる先生の娘じゃからのう」

 

「先生?」

 

「真姫ちゃんは、『西木野総合病院』の院長『西木野真二』の一人娘なのじゃよ」

 

 奉次郎の説明を受けてリヒト達は「おお~」と声を上げる。だが、対照的に真姫の顔は曇った。まるでそのことには触れてほしくないかのように。

 

「すごいな、つまり家はお金持ちってことか」

 

「……ええ」

 

「そういえばお母さんが言ってたよ。今年入学した新入生の中に、百点を取って入学した子がいるって」

 

 ことりの言葉にその場に居る全員が「おお~っ」と再び声を上げる。通常のテストでさえ、百点を取ることは意外と難しい。それは小学校より中学校、中学校より高校の方が難しく、高校入学後は滅多に見ることはないだろう。三人の幼馴染の中で成績が一番優秀な海未でさえ、高校に入ってからは百点を取ることはそうそうない。それを、入試という一番難しいところで百点を取ったのだ。この西木野真姫という少女がどれだけすごいのかが、そのことだけでひしひしと伝わって来た。

 

「すげえな、やっぱり将来は医者になるのか?」

 

 感心したかのように言うリヒト。

 だが、最後に言った一言が真姫の心に深く突き刺さった。

 

「……」

 

「? 西木野?」

 

「えっ? いや、そうよ。将来はいえの病院を継ぐつもりだわ」

 

「……」

 

 しばらく呆けていた真姫だったが、リヒトに名前を呼ばれ先ほどの話の内容を肯定する。腕を組み、宣言する真姫だったがその手がブレザーの生地を握りしめていることに、リヒトは気づいた。

 だが、それより先に穂乃果が真姫に詰め寄る。

 穂乃果の行動に「なに?」と聞く真姫。穂乃果はしばらく真姫の瞳を見つめ、やがて口を開く。

 

「真姫ちゃん嘘ついてるよね?」

 

「──っ!? ……どういう意味よ」

 

 穂乃果の言葉に、真姫は小さな悲鳴を上げそうになるのを聞き返すという形をとることで飲み込む。

 穂乃果は真姫から一歩引くと「んー」と考え込むようなそぶりをしながら続ける。

 

「なんて言うか、真姫ちゃん自分の心に嘘ついているように見えるんだよね。自分の本当に進みたい道があるのに、それから目を背けてるっていうか」

 

 穂乃果の言葉に、真姫は今度こそ本当に悲鳴を上げそうになった。

 

(この先輩、一体何者!?)

 

 真姫は穂乃果に恐怖心を抱いた。自分の心を揺らすだけではなく、確信を付いて来るかのような言葉に、その瞳に、自分のすべてを、心の奥底に眠っている何かを見透かされているような感覚に。

 真姫の後ろでは、奉次郎が不敵な笑みを浮かべており、穂乃果の言葉に心の内で舌を巻いていた。

 

(ホント、お主はこういったことには鋭いのう)

 

「……先輩の勘違いじゃないんですか? 私は別に自分の心に嘘はついていませんよ」

 

「んー? そうかな~」

 

 腕を組み首を傾げることで、納得した様子を見せない穂乃果に真姫は少しイラつきを覚え始めた。

 

「そうですよ。私は家の病院を継ぐつもりなんです。その為に毎日勉強しているんですから」

 

()()()なんだよね?」

 

「え?」

 

 なぜか、穂乃果のその言葉が真姫の心に突き刺さった。

 

「さっきも言ってたけど、()()()()()じゃなくて、()()()()()()()()って言ってたよね?」

 

「っつ!?」

 

()()()()()ってはっきり言えばいいのに。なんで濁してるの?」

 

「そ、それは……」

 

 穂乃果の言葉に真姫の心が揺れる。

 違う、自分は確かに医者になると決意したはずだ。あの事があってから、医者になることを決意し、父にも言ったはずだ。『家を継ごうと思っている』と。

 

(──あれ?)

 

 そこで真姫は気づいた。

 父に宣言したときも、()()()()()()()()()()()()()? 

 

「私は……」

 

 真姫の心が揺れていた。何か今まで目を背けていたものが、自分の背後に迫っているかのように。振り返ってしまったら、自分の中の何かが壊れてしまうかのようなものが。

 

「真姫ちゃん、あなたの──」

 

 穂乃果の言葉が、真姫の耳に入り込む寸前、

 

 

 

 

「はいストーップ!」

 

 

 

 

 パチン、と手をたたき穂乃果と真姫の間に入るリヒト。 

 リヒトが入ったことで、真姫は自分の心臓の鼓動が早くなっていたことに気付いた。わずかながらに口からは荒く息が吐かれ、もしあのまま穂乃果の言葉が放たれていたら、自分はどうなっていたのだろうか? 

 

「りーくん」

 

「穂乃果、時間だ。シャワー先に浴びていいから早く行け。遅刻するぞ」

 

 リヒトに言われ穂乃果はハッ、とした様子でリヒトの腕に巻かれた時計をのぞき込む。

 

「海未ちゃん、ことりちゃん急ごう!!」

 

「あ、待ってください穂乃果!!」

 

「待ってよ、穂乃果ちゃ~ん」

 

 穂乃果は急いで荷物の置かれた場所へと走っていき、その後を海未とことりが追いかけた。三人の行く末を見守ったリヒトは、改めて真姫と奉次郎の方を向く。

 

「じいちゃんも、お願い」

 

「そうじゃな。おっと、これじゃせっかく作った『奉次郎特製レモンのはちみつ漬け』が無駄になってしまう。それじゃリヒト、ワシは先に帰っとるぞ」

 

 そう言って奉次郎はタッパーの中身をこぼさぬよう自宅の方へと向かっていく。

 

「西木野も学校行きな」

 

「……ええ、そうさせてもらうわ」

 

 真姫は先ほどのことを追及されると思っていたが、リヒトはそんなことをする気はなく真姫を学校へと行くよう促した。

 リヒトに言われた通り、真姫はカバンの位置を正すと学校へと向かう。意外としゃべってしまったが、日直の登校時間にはまだ間に合う。真姫は一刻も早くその場から逃げるように早足に学校へと向かった。

 

『真姫ちゃん、あなたのやりたいことは──』

 

 その耳に穂乃果の声が蘇ってくる。

 でも、()()()()()()。それを認めてしまったら、せっかくの決意が崩れてしまう。それでも、

 

「私は……」

 

 真姫の小さな呟きは、春風の中に溶けてしまった。

 

 




NEXT→「第二奏:歌姫と少女」

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第二奏:歌姫と少女

一日遅れてすいません。
理由としては第一話の第一章以来久しぶりの一万字超え、約一万三千字となったのが理由です。次回はなるべく短くまとめたいと思っています。
それでは「第二奏」スタートです。


「はぁ……」

 

 と、真姫は頬杖をついてため息を吐く。

 時刻は午後十二時過ぎ。あと数分んもすれば昼休みである。

 この日の四限目は学生であれば誰しもが苦戦する科目──英語である。すでに教室には頭を抱え、出された課題を投げ出しているショートカットの生徒が一人いるが、普段から勉強している真姫にとっては問題のないことだった。

 むしろ、そのせいで少々退屈な時間となっていたりする。

 故に、今朝の出来事を考えてしまう。

 憂鬱な気分のまま、本日何度目かわからない溜息をつく。何度もため息をつくのは、きっと自分の心に『迷い』が生まれているからだろう。

 

(私は、どっちの『道』を進みたいの?)

 

 自問自答を繰り返す。

 ここで『医者』という言葉がすぐに出てこないあたり、心の迷いは大きなっているみたいだ。

 

「それじゃ、ここ、小泉読んで」

 

「あ、は、はいっ」

 

 英語担当教師の声に促され、真姫の意識が現実に戻ってくる。英文を読むよう言われた生徒は、声が小さく先生に指摘されるも、結局は最後まで読むことが出来なかった。

 

(あの子)

 

 真姫はその生徒に見覚えがあった。昨日のライブで熱心に先輩達のダンスを見つめていた生徒。確か名前は、小泉(こいずみ)花陽(はなよ)だったか。最後まで読むことのできなかった彼女は、机に座ると同時に落ち込んでいる様子だった。

 真姫はふと思った。ひょっとして、あの子はアイドルをやりたいのではないか? この前は先輩達のライブのチラシを受け取っていたし、メンバー募集兼ライブ告知の掲示を何度も見ているのを真姫は覚えていた。それに彼女は、周囲に気付かれないように今でも貰ったチラシを見つめているときがある。

 そして何より、昨日の講堂で見た彼女の表情が、ピアニストに憧れていた幼い自分にそっくりだったのだ。

 

(やりたいなら、やればいいのに)

 

 そう思う真姫だったが、その言葉が自分へのブーメラン発言だと自覚し、失笑を漏らした。

 とても今の自分が言えた言葉ではない。

 

(そうよ、迷わないで『医者』になればいいんだわ。私の音楽の道はもう終わっている。今更戻るような道じゃないし、パパの姿には確かに憧れていた。なら、迷う必要なんてないじゃない)

 

 自分は『父の医者の姿に憧れて医者になることを決めた』と、自分に()()()()()()()()()。迷いを振り払うために。

 

(それに……)

 

 真姫は、きっと今も病室から空を見上げているであろう少女を思い出す。病を抱え、入院している少女の姿を。その少女の様な子たちを真姫は助けたいと思った。ならば、必然的に医者になるしかなくなってくる。医者でなければ、あの子のような病を抱えている子たちを救うことが出来ないのだから。

 

「…………」

 

 真姫は筆箱に付いている音符のキーホルダーを指ではじく。キンッ、という微かな金属音が真姫の耳に聞こえてきた。

 その音は、まるで今の自分の『心の痛み』のような気がした。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 昼休み。真姫は音楽室を訪れていた。幼い頃からピアノに明け暮れていたせいか、人との付き合い方が不器用になってしまった。そのため、今でも友人と呼べる人は一人もできていない。母親もそこを心配しているそぶりを見せているが、残念ながら真姫にとってこの学校での会話は、事務的なものに限定されてしまっていた。

 だから真姫は、休み時間には決まって図書室か音楽室を訪れていた。ここでなら一人でいても、それが当たり前と言える場所だから。

 何より真姫はこの音ノ木坂学院の音楽室の空気を気に入っているのだ。オープンキャンパスの時にこの学校とUTX学院を訪れたのだが、真姫は断然音ノ木坂を選んだ。

 家が家だからだろうか。家には新しいものが多く存在し、この学校のように古き良きものはあまりない。だから真姫にとって、この音ノ木坂の音楽室に流れる『古き良き』空気が新鮮だったのだ。言い換えれば、この空気に一目惚れしたと言える。真姫にとって『音楽室』は気の落ち着ける場所となっていた。

 昼食のために母が作ってくれたお弁当を片付けると、真姫はピアノに向き合う。

 鍵盤に指を置くと、曲を奏で始める。

 自分の中に生まれた『迷い』を断ち切るために。ここ最近蘇って来た『熱』をすべて出し切るために。自分の体をすべて使い音を奏でる。

 ここでその『迷い』をすべて出し切ってしまえば、自分の気持ちが整理できると思った。自分の心を苦しめるこの『熱』を、ここで出し切ってしまえば『医者』という道に心を向けることが出来ると思った。

『音楽』とのお別れをはっきりとする、そのために真姫は今日もピアノを弾いた。

 そして、すべてを出し切った。息を吐き、心を落ち着かせる。

 ふぅーと、短く息を吐いたところで、教室のドアがノックされた。あの先輩が来たのか? と思い顔を上げてみると、そこにいたのはこの学校の生徒会長だった。

 生徒会長──絢瀬絵里は真姫と視線が合うとドアを開け教室内に入ってくる。

 

「ここにいたのね」

 

「生徒会長……」

 

「今いいかしら? ちょっとアンケートを取っているんだけど」

 

 そう言って絵里は一枚のプリントを差し出してきた。

 

「これを記入してほしいの。この学園についてのアンケートよ」

 

 真姫はそのプリントを受け取って内容を見てみると、『新入生対象・音ノ木坂学院についてのアンケート』と書かれた題が目に入り、下の方へ視線を動かせばいくつかの質問と回答欄があった。

 絵里は手に持ってるペンケースからボールペンを取り出し真姫に差し出す。

 

「すぐに終わるものだから、今書いてちょうだい。ここで待たせてもらうわ」

 

 そう言うと絵里は近くにあった椅子に腰を下ろす。手に持っていた数十枚のプリントを机に置き、アンケートを見ていく。

 きっとすでに回収したものだろう。そんなことを思いながら、真姫は近くの机に座り、アンケートを記入していく。

 内容は主に『なぜ音ノ木坂学院を選んだのか?』や『あなたがここで学びたいこと』など少し回答に困るものもあったが、それほど多く記入しなければならないところはなかった。

 真姫は記入をえると、絵里の元へと行く。

 

「終わりました」

 

「ありがとう。ごめんなさいね、昼休みにお邪魔しちゃって」

 

「いえ、別に」

 

 絵里は受け取ったアンケートに目を通していく。記入漏れがないのか確認しているのだろうか? と言っても真姫はすべての質問に答えたのだ。記入漏れはない。

 

「全部に答えてくれたのね。ちょっと意外、ほかの子の中には記入を避ける子もいたのに」

 

 絵里は感心した声を漏らす。そして、名前の記入欄を見て絵里の首を傾げる。

 

「西木野、真姫……。もしかしてあなたが『あの西木野さん』なのね」

 

「私のこと知ってるんですか?」

 

 真姫の問いに絵里は「ええ」と答える。

 

「『天才ピアニスト西木野真姫』。最初のコンクールでは散々だった演奏が二回目からは飛躍的に進化、本戦へと進み三回目のコンクールでは賞を取った。その後も賞を取り続け、あなたの演奏に影響を受けてピアノを始めた人は数知れず。人の心に響く演奏が特徴であるあなたの演奏は、見る人すべてに大きな影響を与える。さらに、オリジナルの曲を披露するコンクールでは作曲という類いまれなるセンスを見せ、あなたの歌声の効果も上乗せされ圧倒的賞賛を得た。まさに『音楽』に愛された少女。付いたあだ名は『歌姫』だったかしら」

 

「……随分詳しいんですね」

 

 真姫は気恥ずかしくなり少々ぶっきらぼうに言ってしまう。『歌姫』というあだ名をつけられた時は、真姫自身まだ幼かったため、純粋にうれしい気持ちが上回っていたが、今になってみればなんて恥ずかしいあだ名だと思っている。もし過去に戻れるのならば、その時に戻りたいほどに。

 

「妹の受け売りだけどね」

 

 絵里は少し苦笑いをしながら言う。

 

「妹は『音楽』が大好きでね。友人からあなたのことを聞いたらしいの。それで一度一緒にあなたの演奏を生で見たことがあるんだけど、素晴らしかったわ。心に響いてくる音楽って、ああいうのを言うのね。気づいたら泣いていたわ」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 目の前で堂々と褒められ、先ほど以上に頬を赤く染めた真姫はそっぽを向きながらお礼を言う。

 

「でも、あなた前のコンクール途中で辞退したのよね? それはなんでなの?」

 

「……っ」

 

 絵里の問いに真姫は火照った頬の熱が引き、体が固まる。唇を噛み締め、右手で左袖を握る。絵里の言った『この前のコンクール』とは、真姫が中学生の時に最後に出たコンクール。普段は絶対に来れない父親が来た、あのコンクールのことだ。真姫がピアノを諦める原因となった、最後のコンクール。

 

「……それは……」

 

 言葉に詰まる真姫を見て、絵里は何かを察したのか立ち上がる。トントンと、プリントまとめながら絵里は言う。

 

「言いにくいことなら言わなくていいわ。誰にだって壁にぶつかる時はあるもの。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」絵里は真姫の瞳を真っ直ぐ見る。「さっきの演奏がそれを物語っていたわ。あなたは今何かに迷っている、そうでしょ?」 

 

「……」

 

「あなたが何に迷っているのか、私にはわからないわ。でも、それが私の思った通りの『迷い』なら、現実的な道を選ぶことね。その方がダメージが少なくて済むわ」

 

 そう言って絵里は教室から出て行こうとする。

 

「待って」

 

 真姫は絵里を呼び止めた。こちらに半身だけ振り返った絵里の瞳を真っ直ぐ見つめながら、真姫は言う。

 

「生徒会長は、どうしたんですか?」 

 

「……そうね、私は()()()()を選んだわ。おかげで『(やまい)』に(かか)ることもなくなった。楽に生きてるわ」

 

 そう言って絵里は音楽室から出て行った。

 

「……」

 

 真姫は絵里の出て行った扉を見つめる。

 絵里は『現実的道』を選んだと言っていた。そのおかげで『楽に生きてる』と。

 もし絵里の言っていた通り真姫も『現実的道』を選べば、『楽』に生きられるのだろうか? 

 

「なによ……」

 

()()()()()()()と真姫は思った。絵里の言葉通り『現実的道』を選ぶのが、まっとうな意見なのかもしれない。だが、その道を選んだからと言って()()()()()()()わけではない。どんな道にも『楽に生きられる道』などないのだ。

 それはもちろん誰しもがわかっていることだろう。絵里は真姫より二つ年上だ、そんなこと絶対にわかっているはずだ。それなのに彼女は『楽に生きてる』と言っていた。

 

「じゃあなんで、そんなに辛そうな顔で言うのよ……」

 

 真姫の脳裏には、辛そうな顔で音楽室を出て行く絵里の姿が浮かんだ。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 ──放課後。本日の授業を終了した真姫は病院に入院している少女のお見舞いのため、花屋を訪れていた。

 

「いらっしゃい、また来たんだね」

 

 真姫の来店と同時に、店の奥から女性店員が現れる。

 十代後半だろうか? 艶のある長い黒髪にすらりと伸びた足。髪の間から除く耳にはピアスが輝いていた。

 店員は真姫の顔を見ると優しく微笑んで声をかけてくる。真姫はこの花屋を何度も訪れていたため、互いにフレンドリーな関係となっていた。そろそろ名前でも聞こうかな、と思っている真姫だったが、気恥ずかしさからきけずにいた。

 

「いつもの?」

 

 素っ気なく聞いてくる店員。その態度はどうかと思う人がいるかもしれないが、真姫は別に気にしていなかった。きっとこの人は自分と同じで敬語が苦手なのだろう。初めて対面したときはこの人の敬語がどこか不慣れだったのを覚えている。

 それに彼女の素っ気ない態度は別に不快ではなかった。むしろ、彼女なりにお客さんとちゃんと向き合おうとする姿勢に感銘を受けうるくらいだ。

 真姫がその問いに「ええ」と答えると、店員は「そうだと思った」と言って奥へと下がっていく。

 しばらくして戻って来た店員の手にはミニバスケットがあった。

 

「はい、いつもの」

 

「ありがとうございます」

 

 真姫は代金を店員に渡し、ミニバスケットを受け取る。

 

「ちょうどだね。まいど」

 

 店員は真姫から代金を受け取るとレジの方へ行く。レシートを切ってこちらに戻ってくると、

 

「今度手術だっけ? 成功するといいね」

 

 そう言いながらレシートを渡してきた。真姫は「ありがとうございます」と言ってレシートを受け取ると花屋を出る。

 病院へと向かう途中ミニバスケットの中を見てみれば、色とりどりのブリザードフラワーがきれいに詰められていた。真姫がお見舞いに行くとき、いつもあの花屋で作ってもらうお決まりの品。別に西木野総合病院は生花を禁止しているわけではないが、真姫としては水替えの必要のないブリザードフラワーの方が好みだった。

「ふふっ」この花を渡したときのあの笑顔を思い出し、真姫は一人微笑む。

 その時だった。

 

 

 

「どけやゴルラァ!!」

 

 

 

 目の前に細身の男が大声をあげ迫っていた。

 

(──え?)

 

 真姫が気付いたときはもう遅かった。目が血走ってる細身の男とぶつかり、互いに尻もちをつく。ぶつかって来た相手を反射的に睨むが、その男が手に持っていたものが視線に入り、真姫の背筋が凍る。

 

(──っつ!? なんでナイフ何て持ってるのよ!?)

 

 そう、男の手にナイフが握られていたのだ。刃渡りは九センチくらいだろうか、恐怖で正確な長さがわからないが、それより真姫は一刻も早くこの男から距離を置かねばならなかった。男の目が真姫を捉えていたのだ。

 

「──!!」

 

 男と目があった。

 両者の間に緊張が走る。

 真姫は逃げるために立ち上がろうとするが、それより先に男の手が伸びてきた。血走った眼で真姫を見る男は、直感的に真姫に手を伸ばしたと様子だ。自分の意識とは裏腹に、この場から何とでもして逃げたいという邪念が、真姫へと手を伸ばさせた。

 

「──―っつ!?」

 

 そしてその手が、真姫のある記憶を呼び覚まさせてしまう。

 まだ自分が幼い頃、ピアノを始める以前の時、病院の院長の娘という理由だけで()()()()()()()()()()ことがあるのだ。その時の自分に迫る手と、今目の前に迫っている手が重なり、当時の恐怖が呼び起こされる。

 

(いや、いや……)

 

 ──助けて、そう声に出して叫びたいのに、真姫の体を縛り付ける恐怖が声を奪う。

 男の手が真姫に迫る。

 そして──―、

 

 

 

 ──男の手が真姫に触れる寸前、ガゴッ!! と黒いデッキシューズが男のこめかみに衝突した。

 

 

 

「ぐがぁ」と小さく声を漏らす男。

 何が起きたのか、目を白黒させる真姫が次に見たのは、鬼のような形相を浮かべ、男へ飛び蹴りを放つ一条リヒトだった。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

(あかね)ちゃん、いる?」

 

 部屋をノックし声をかける真姫。すぐに中から『いるよー』と元気な少女の声が返ってきた。

 返事を聞いた真姫はドアをスライドさせ中へと入っていく。

 室内にいたのは、一人の少女だった。クセのない長い髪と大きな瞳。朱色のパジャマに身を包んだ少女は、真姫の方を見ると笑顔を浮かべてベットから降りる。少女の背丈から考えると小学生くらいだろうか。真姫の元に辿り着いた少女は、勢いよく抱き着いた。

 

「会いたかったよ、おねーちゃん」

 

「まったく」

 

 仕方ないわね、と言った様子で少女の頭をやさしくなでる真姫。真姫に頭を撫でられた少女は、嬉しそうに目を細める。それはまさに飼い主に頭を撫でられ喜ぶ犬のようだ。

 その様子を後ろで見ていた一条リヒトは「意外だな」と言う。

 

「西木野ってそんなキャラだったのか」

 

「ちょっと、それどういう意味よ?」

 

 真姫のツリ目がリヒトを見る。

 リヒトは慌てて言葉を付け足した。

 

「いや、小さな子供に抱き着かれて頭を撫でるお姉さん系キャラってイメージじゃなかったから、そこが意外と思っただけ。西木野って家はお金持ちなのに意外と根はいいやつなんだな」

 

「あなたねぇ、私をどんな奴だと思ってるのよ」

 

「じいちゃんから聞いた話だと、真面目で皮肉屋のツンデレ娘だっけ?」

 

「ぶっ飛ばすわよ?」

 

「俺にキレんなよ……」

 

 リヒトを軽く睨んでいると、クイクイとブレザーの袖が引っ張られた。視線を落としてみれば、少女が真姫とリヒトを交互に見て首を傾げてながら──、

 

「おねーちゃん、その人だれ? 彼氏さん?」

 

「なっ!?」

 

 ──爆弾発言をしてきた。

 少女に悪気はないのだろう。しかし、純粋無垢な質問は真姫の顔を真っ赤に染めるには絶大な効果を発揮していた。

 一方のリヒトはプッと小さく笑っていた。こういった場面ではよく彼氏や彼女と間違えられる展開を漫画やドラマで目にするが、それを自分が体験するとは思ってもいなかった。貴重かもしれない体験に心を躍らせながらも、真姫の名誉のために早く訂正しなくてはいけない。

 リヒトは膝に手を置いて、少女と目線を合わせて言う。

 

「残念だけど、俺は君のお姉ちゃんの彼氏じゃないよ。俺は一条リヒト。お姉ちゃんとは普通のお友達、かな。君の名前は?」

 

 優しい声音で自己紹介をするリヒト。最初は少し警戒していた少女も、リヒトの微笑みを受けて自分の名前を口にする。

 

火野(ひの)(あかね)です」

 

「茜ちゃんか。ねえ、茜ちゃんは犬、猫、ひよこ。どれが好き?」

 

「ネコさん」

 

 茜の答えを聞くと、リヒトは「よし」と言って膝から手を放すし、左手をズボンのポケットに入れる。不思議がる茜と真姫に一度ニッコリ笑うと、ポケットからハンカチを取り出した。取り出したハンカチをクシャクシャに丸めていく。丸めたハンカチを(てのひら)に乗せ、茜の前に差し出すと「ワン、ツー」に掛け声でハンカチをどかす。すると小さな猫のキーホルダーが出現した。

 

「おおぉ!」

 

 茜はリヒトの手品を見て感嘆の声を漏らす。

 リヒトは満足げに笑うと、キーホルダーを少女に渡す。

 

「あげるよ」

 

「えっ? いいの?」

 

「もちろん」

 

 茜は嬉しそうにリヒトから子猫のキーホルダーを受け取った。

 

「ありがとう! おにーちゃん!!」

 

 面々の笑みでお礼を言われ、気恥ずかしくなったリヒトは横を向いて「お、おう」と答える。それを横で見ていた真姫はジトっとした目をリヒトに向ける。

 

「なに照れてんのよ」

 

「……」

 

 真姫の問いに、リヒトは無言になることで逃げた。そんな様子のリヒトに真姫はため息を一つ吐くと、茜のもとに移動しカバンの中からミニバスケットを取り出す。

 

「はい、これ。落としちゃったけど、中はあんまり崩れてないから」

 

「わー! きれーい。いつもありがとう、おねーちゃん!!」

 

「べ、べつに大したことないわよ!」

 

「……俺以上に照れてんじゃん」

 

「うるさい!!」

 

 リヒトに指摘され、顔を真っ赤にして叫ぶ真姫。しかし、その赤みが茜にお礼を言われ嬉しかったという真姫の内心を現しているため、否定したとしても意味がなかった。

 それに、横目で嬉しそうにブリザードフラワーを見つめる茜をみて、自然と頬が緩んでいくところを見ると、内心はかなり嬉しいみたいだ。

 ホント、素直じゃないんだな、とリヒトは思った。

 

(というか、俺のあげたキーホルダーがもう忘れられてる……)

 

 二人の知らないところで、リヒトは密かにダメージを受けていた。

 その後茜はベットに戻り、真姫はベットの近くに寄せた椅子に座り、ふたりは会話を楽しんでいた。その様子を後ろで見守るリヒトは、伸び伸びと茜と話し、時折笑顔を見せる真姫を見て小さく微笑んだ。というより、安心したという方が適切だろう。

 そもそもなぜここにリヒトがいるのか。それは奉次郎に頼まれた醤油煎餅を買いにスーパーに向かっていたときに、コンビニ強盗と遭遇したところから始まる。その後逃げた強盗を追いかけていると、強盗が真姫と遭遇し、手を伸ばしているところを目撃。直感で『真姫を人質にしようとしている』と思ったリヒトは、全速力で走り、強盗にジャンプキックを放った。

 その後の事は駆けつけた警察官に任せたのだが、真姫に関してだけはそうはいかなかった。強盗に襲われた恐怖からリヒトの腕に抱き着き、目には薄っすらと涙が浮かんでいた。奉次郎から聞いた話によると、過去に一度誘拐されかけたことがあるらしく、そのときの恐怖が蘇ってきたのだろうとリヒトは判断した。

 そんな状態なのに、真姫は病院に用事があるらしく、リヒトの腕に抱き着いたまま病院を目指そうとする。結果、リヒトも同伴することになり、こうして真姫と一緒にここ似るという訳だ。

 だが、リヒトとしてはもうひとつ別の理由でこの場にいた。

 

(あの時、何かにギンガスパークが反応したよな……)

 

 ギンガスパークが反応を示したのは二回。

 リヒトが強盗に遭遇する前と真姫に抱き着かれたとき。どちらも僅かな反応だったため、確信を持って『反応があった』と言えるわけではない。

 だが、ウルトラマンとして戦うことを背負っているリヒトにとって、その僅かな反応でも無視できるはずがなかった。

 一方、真姫は茜との会話で浮かべていた笑顔が消え、少しだけ辛そうな表情になる。不思議に思ったリヒトだが、その答えは、次の瞬間真姫の口から放たれた言葉が意味を表していた。

 

「茜ちゃん、手術はやっぱり怖い?」

 

「……うん」

 

 病室に重たい空気が流れ始める。

 

「でも安心して。パパは確かに顔は怖いけど、腕は確かだから」

 

「え? 茜ちゃんってなんかの病気なの?」

 

「…………」

 

 気になったリヒトはつい声が漏れてしまった。

 真姫に睨まれる。自分でも無神経だと自覚している。

 

「……私ね、将来ピアニストになりたいの。それはね、おねーちゃんのピアノを見て思ったんだ」

 

「え?」

 

 茜は真姫を顔を儚げそうに見る。

 

「おねーちゃんのピアノを聞いて、私もピアノをやりたいと思ったの。そして、いつか一緒のコンクールで勝負をしたい、そして二重奏をやりたい。それが私の『夢』になったの」

 

「……」

 

「でも、おねーちゃんピアノやめちゃったよね?」

 

 少女の問いに、真姫は唇を噛んだ。

 

「どうしてなの? どうしてピアノをやめちゃったの? 私、おねーちゃんのピアノ大好きだったんだよ?」

 

「…………それは」

 

 真姫は苦い顔をして茜から顔を背けた。茜はそれでもなお、その瞳で真姫を見る。

 リヒトはマズイと思った。今朝もそうだったが、今の真姫にとって『ピアノ』と言う単語は彼女を苦しめる言葉でしかない。茜はそれをわかった上でやっているのか、いやそれはないとリヒトは考える。小学生がそこまで考えるのは難しいことだ。ならば、助け舟を出さなくては。

 そう思ったところで部屋がノックされた。

 

「失礼する」

 

 そう言って入って来たのは、メガネをかけた男性──西木野真二、真姫の父親だった。

 

「パパ……」

 

「……来てたのか、真姫」

 

 真二は真姫を見るなり、僅かながらに驚いた様子を見せた。

 真二を見た真姫は先ほど以上に顔を曇らせると、カバンを持って立ち上がる。

 

「また来るわね、茜ちゃん」

 

「おねーちゃん……」

 

 真姫は茜に手を振り、早足に真二の横を通って病室を出て行った。二人とも、真姫の去った後を見つめている。

 この場に残されたリヒトが一番気まずいが、出て行くタイミングを逃してしまいその場にとどまってしまった。

 

「……! 君も来てたのか」

 

 真二はリヒトの存在に今気づいたようだ。真二はリヒトを見るなり、僅かながらに視線を細める。その視線が自分を睨んでいるように感じたリヒトは、顔を引きつらせ「失礼しましたー」と言ってその場から去った。

 病室から出ると、リヒトは早足に去って行った真姫の背中を見つけた。病院内なので走るわけにはいかず、早足で真姫に追いつくしかなかった。と言っても、結局声を掛けることができたのは病院を出た後だった。

 

「おい、西木野、西木野ってば」

 

「……なに?」

 

 リヒトに呼ばれ立ち止まった真姫は、不機嫌そうに振り返った。

 

「何怒ってんだよ」

 

「……別に……」

 

 そう言って真姫は家に帰るために歩き始める。リヒトはここで真姫と別れ自分の用事を済まそうかと思ったが、先ほどあんなことがあったばかりだ。せめて家に着くまで付いて行こうと決めたリヒトは真姫の隣に並ぶ。何か言われるかと思ったが、真姫は特に何も言うことなく歩き続けた。

 二人の間には無言の時間が続くが、リヒトは先ほどのことが気になり声を発する。

 

「……なあ、茜ちゃんなんか病気抱えてんの?」

 

 真姫はしばらく黙ったままだったが、一つため息をつくと「別にあなたには言ってもいいわよね」と言ってわずかに視線だけでリヒトを見た。

 

「いい? 本来は患者のことは第三者に言っちゃいけないんだけど」

 

「……」

 

 それじゃあ言わない方がいいんじゃないのか? と思うリヒトだったが、それが言葉となる前に真姫の方が続けた。

 

「あの子、心臓病抱えてるの」

 

「え?」

 

「その手術をパパがやることになってるのよ」

 

「…………」

 

「茜ちゃんと出会ったのは、コンクールの時。コンクールが終わるといつもお花をもって『おめでとう』って言ってきてくれる子がいたの。それが茜ちゃん。コンクールの時はいつも来てくれて、いつも折り紙で作った花を持ってきてくれた。とてもうれしかった」

 

 そう語る真姫の表情はとても華やかだった。

 

「ピアノを始めたって聞いたときは、とてもうれしかったわ。あの子が言った通り『二重奏』もやろうとも約束した。でも、それは叶わなかった」

 

「……それは、あの子が入院したからか? それともお前がピアノをやめたから?」

 

「……」真姫はリヒトの問いに答えない。

 

「どうして、西木野はピアノをやめたんだ? じいちゃんから聞いた話だと結構よかったんだろ? それに『START:DASH‼』の作曲だってよかったじゃん。海未の作った歌詞とマッチングしてて、初めて聞いたとき鳥肌立ったんだぜ。そんなすごい才能持ってるのに、どうして」

 

「……中学最後のコンクール。そこで私は『ある人』を感動させたくて、全身全霊でピアノを演奏した。でも、その人は感動しなかった。逆にホールから出て行ったの。それで私は察したわ。『感動させたい人を感動させられなかった自分に演奏者の資格はない』って。それに私は『医者の娘』。元から私の道は決まっていたのよ。『医者となって家を継ぐこと』、それが私の決まった未来。大学も医学部に進むし、勉強も毎日してる。他の道なんてそもそも選択肢自体無いのよ。

 それに私はパパの『医者のとしての姿』に憧れていた。病気に苦しむ人たちを救うその姿に。茜ちゃんを見た時確信したわ、こういった人たちは数多くいる、そんな人たちを助けたいって」

 

 ちょうど、真姫の自宅が見えてきた。お金持ちらしい大きく豪華な自宅、普段ならその大きさに圧倒されるリヒトだったが、今はそんな気分ではなかった。

 

「父親はなんて言ったんだ?」

 

「……賛同してくれたわ。当たり前でしょ? 自分の娘が『病院を継ぐ』って言ったのよ? 喜んで当たり前でしょ。いつも気難しい顔をしていたパパが、その時は表情を和らげてた。きっとパパは私がピアノをやっている姿勢より医者を目指した時の姿勢の方が好きなんだわ。だから私は医者になることを決めたのよ」

 

 真姫が言い終えたところで家に到着した。ここで真姫とはお別れになる。これ以上は付いて行く理由がないし、そもそも付いて行くこともできない。

 真姫は一度だけリヒトに振り返って、

 

「今日は助けてくれてありがとう。それじゃあ」

 

 そう言うと真姫はリヒトの元から去って行く。門を越え、玄関に着いた真姫にリヒトは声を飛ばす。

 

「それでいいのか? それがお前の本心なのか!?」

 

 リヒトの声が届いたのか、ドアノブに向けた手が止まる。

 

「俺、思うんだけどさ。必ずしも手術とかが患者を救うとは、限らないんじゃないのか?」

 

「……どういう意味よ?」

 

 真姫は半身だけをこちらに向け、リヒトを睨む。

 こいつは何と言った? 手術が必ずしも患者を救うものじゃない? 何をバカげたことを言ってるのだ。病気に苦しんでいる患者を救うのは、手術や医者だ。それ以外に患者を救うものなんて存在しない。

 私が助けたい人たちは、そういったものでしか助けることが出来ない人たちだ。何も知らないあなたが語るな!! 

 そう言いたいのに、そうわかっているのに、真姫の口は動かなかった。

 

「俺は記憶喪失だから手術したとしても覚えてない、でも、病院で目覚めたからわかることもある。意外と病院って心細いんだぜ? 自分の身に何が起こってるのかわからないし、これからどうなるのかもわからない。病院なんて居ていい場所じゃない。健康的に自分の家で暮らすのが一番だろ? それなのに、幼い内に心臓病なんて抱えて、手術っていう恐怖に脅えて、一人病室で毎日過ごす。寂しいわけないだろ? 寂しいに、怖いに決まってるだろ! あの子は今だって自分のどうなるかわからない命に、脅えてるんじゃないのか? その寂しさから救って上げれるのは、()()()()()()()()西()()()()()()()!! あの子を恐怖から、寂しさから救えるのは医者じゃない! お前だろ!!」

 

「うるさいっ!!」

 

「──っつ!?」

 

 真姫はその両目でリヒトを睨みつける。

 

「あなたに何がわかるのよ!! 私がどんな思いでピアノを、あのコンクールに気持ちを込めたと思ってるのよ!? 何も知らないくせして語らないで!! 私の道の邪魔をしないで!!」

 

 そう言って真姫は家の中に入ってしまった。

 バタン!! と音を立ててしまったドアは、リヒトと真姫の間に生まれた巨大な壁のような気がした。鍵を閉め彼女の心が閉じこもってしまったドア。自分の部屋に閉じこもってしまった真姫の心。

 

「……」

 

 今のリヒトにその扉を開ける手段はない。今はおとなしく帰るしか選択肢がなかった。

 振り返り、スーパーによって帰ろうとした時だった。

 

「──!?」

 

 ギンガスパークが『なにか』に反応した。

 振り返った先に見えるのは、西木野家。周囲を見渡しても、敵の影らしきものはない。

 リヒトはポケットからギンガスパークを取り出してみる。あたりにギンガスパークを向けて反応を探るが、何もなかった。

 

「さっきのは……気のせいか?」

 

 リヒトはもう一度西木野家を見る。その傍らでギンガスパークがわずかに光った。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 ──夜。

 自室で明日の予習と医者になるための医学を学んでいる真姫だったが、どうも集中しきれずにいた。理由はわかっている。あのときリヒトに言われた言葉が、真姫の頭の中を巡っているのだ。

 

 ──手術とかが、必ずしも患者を救うとは、限らないんじゃないのか? 

 

(なによ)

 

 家に帰宅したとき、自分が落とした生徒手帳を届けてくれた小泉花陽と言う少女の言葉も思い出される。

 

 ──西木野さんは、音楽の道に進まないの? 

 

(なんでみんな、私の『道』の邪魔をするの?)

 

 真姫はその怒りからペンを折りそうなほどに拳を握っていた。

 なぜ今日出会う人たちは、自分の道を邪魔しに来るのか。いいではないか、自分が、本人が『医者の道』を進むといったのだ。誰にもその道を邪魔する権利などないはずだ。

 あの先輩も、リヒトも、小泉花陽、まるで自分がその道を進みたくないかのようなものを言ってくる。その道を進むと決めた自分の心を揺さぶるような、まるで自分にそっちの道じゃない、こっちの道を選べと言っているかのように。

 

(なんで、なんで)

 

 そもそも、なぜ自分が『夢』なんてもので苦しまなければならないのか、そこが疑問だった。

 なぜ自分がここまで苦しむのか、一体どこからこの苦しみは始まったのか、この胸を刺すような痛みは何なのか、どうしてこんなことで苦しまなければならないのか、すべてが疑問だった。

 

『簡単だよ、すべて君のお父さんが悪い』

 

 その時、頭の中に声が響いてきた。

 

『君にはピアノの才能があった。周りの評価は正しかったさ。でもそれを君のお父さんは認めなかった。君のお父さんは、最初から医者の道を選ばせるつもりだったんじゃないかな? だからいつも嫌な顔をしていた。君のピアノに対する姿勢が嫌いだったんじゃないかな。早く挫折して、医者の道を歩んでもらいたい。それがきっとパパの本心だよ』

 

 真姫の頭に響いてくる声は、すべるように言葉を続ける。

 

『パパは仕事で君の演奏に来れない──これ、本当なのかな? それならなんで最後のコンクールだけ来たの? 本当は休みを取れたけど、来たくなかっただけなんじゃない? 自分の娘は将来医者になって自分の病院を継いでもらう存在、ピアノなんてものは本来やらせたくなかった。でも、パパさんの思惑とは裏腹に君はどんどん実力を見せていった。このままではいずれ娘は『医者』ではなく『ピアニスト』と言い出してしまうかもしれない。

 そこでパパさんは考えた。自分はコンクールを見ないことにしよう。そうすれば娘は諦めてくれる、そう思っていた。でも君は、またもパパさんの思惑とは裏の結果を出した。次々に賞を取り、ついには作曲の才能まで見せつけた。パパさんはさぞかし気分が悪かっただろうねえ』

 

 真姫は力を込めていた掌を開く。

 

『だからパパさんは最後の作戦に出た。娘の最後のコンクール、そこを見に行って終了後ホールから出て行く。これは完璧だ、これなら絶対に娘はピアノをやめる。そして結果、君はピアノをやめた。パパさんの思惑通りだ。さぞかし気分が最高だったろうねえ。

 でも君は? パパさんとは逆で苦しみ始めただろう? 自分の『夢』を壊されて、ボロボロにされて、本来進みたくないレールの上に立たされて、今まさに苦しんでいる。ねえ? どう考えても君のパパさんが悪い。娘の『夢』を壊すなんて最低な人だ。

 だから君には、苦しめた罰をパパさんに与えることが出来る。今自分を苦しめる、そんな状況を作り出したパパさんに』

 

 真姫はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の元へと移動する。ゆっくりと、ゆっくりと、もし他者が今の真姫を見れば誰もが『おかしい』と答えるだろう。

 それほどまでに今の真姫の様子は異常だった。すでに瞳は虚ろとなっており、周りなど見えていないかのように窓に向かって歩く。 

 そして、カーテンを開けた先に──―。

 

 

 

 ────大きな白いクジラが真姫の方を向いて浮かんでいた。

 

 

 

 黒い瞳のクジラはその瞳で外から真姫を見る。真姫はそのクジラに気付いていないのか、大声を上げるわけでもなくただ虚空を見つめていた。

 

『真姫ちゃん、今()()()()()()()()()()()()()?』

 

 声が真姫に問いかけた。

 真姫はその虚ろな瞳のまま答える。

 

「復讐」

 

 グニャリ、とクジラの口が歪む。

 

「私をこんなに苦しめる、パパに復讐したい」

 

『グレイトだ、真姫ちゃん。君の復讐を僕が手伝おう』

 

 ──クジラの目が赤く光り、口が三日月のように大きく歪んだ。

 それはもうクジラではなかった。言い換えればクジラの形をした化け物。だがそれに気付く人は誰もいなかった。対面する真姫でさえ、いや、真姫はすでにこのクジラの『罠』にハマってしまったのだ。気付くはずがない。

『闇』はその対象人物の『闇』が深ければ深いほど、はまりやすい罠だ。抜け出すことのできない闇の罠、それハマってしまったら最後、自力での脱出はできないものと考えた方がいいだろう。

 

『クククク』

 

 グニャリと歪んだクジラの口から不気味な声が漏れる。

 その声が夜の町に響き渡った。

 




個人的に絵里と真姫の会話って結構珍しいんじゃないかなと思っています。
第二奏はこれで終了です。

NEXT→「第三奏:歌姫の異変」


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第三奏:歌姫の異変

お待たせしました。
「第三奏:歌姫の異変」となります。



 その日の朝、西(にし)()()(おり)(ひめ)はなかなか起きてこない()()を起こすために部屋を何度もノックしていた。しかし、真姫からの反応は一切なく、出てくる気配も全くしなかった。

 

「真姫、朝よ。今日も学校の日直なんでしょ? 時間大丈夫なの?」

 

 織姫はドアに耳を当て返事を待つも、中からの返事が全く来ない。しばらく耳を澄ましてみると、ドアの向こうからは物音一つ聞こえてこなかった。

 

「……真姫はまだ起きてこないのか?」

 

「ええ、そうみたい」

 

 真二も気になったのか真姫の部屋の元へとやって来た。織姫はもう一度ドアをノックして真姫の名前を呼ぶも、やはり反応は全くない。

「まったく」と織姫が呟いたところで、真二が織姫の肩に手を置いた。そして織姫と入れ替わるように真姫の部屋の前に立つ。織姫よりも強くドアをノックし、やや大きめの声で真姫の名を呼ぶ。

 

「真姫、せめて返事をしなさい。起きているのか? 起きてないのか?」

 

 真二の強めの声にも、真姫は反応を見せなかった。

 一方の織姫は、普段あまり声を張らない真二が声を張ったことに、そしてその声を聞いて真姫の反応がなかったことに驚いた。

 真二は昔に起こったあることから、真姫に対してあまり声を上げなくなったのだ。叱ることはあったものの、静かな声で叱ることがほとんどで怒鳴るようなことはしなかった。

 そして真姫の方も、ある出来事から父である真二を苦手としている。だから、たとえ真二が声を張らなくても、真姫は真二との会話でいつも緊張していた。その為、今回のように真二が声を上げた場合は、いち早く反応を示していたはずなのに、今回はそれがない。

 

「真姫っ」

 

 真二が先ほどより強めの声で真姫を呼ぶも返事はなかった。

 

「……?」

 

 真二は眉間に皺を寄せる。真二自身も、真姫が自分のことをどう思っているのか理解しているため、今回のように反応がないことを不思議に思っていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 真二と織姫は互いに顔を合わせた。ここまで反応がないとなると、真姫の身に何かあったのではないかと思えてくる。

 真姫が日々医者になるために勉強していることは、ふたりも知っていることだ。真二の持つ医学書を用いていることを考えると、日々相当な量をこなしていると想像できる。その疲れが今になって表れたのではないかと二人は思った。しかも、四月となれば生活の変化によってストレスを感じやすい時期だ。それも合わさって、風邪でも引いてしまったのだろうか? 

 そんな風に考えていたときだった。スリッパの床を擦る音が、ふたりの耳に聞こえてきた。

 

「二人とも、何をやっているの?」

 

 振り返ると、一冊の楽譜を持ったパジャマ姿の真姫が立っていた。

 

「……真姫」

 

 真二が小さく真姫の名を呼んだ。

 そして視線が、真姫の持つ楽譜へと向かった。そこから考えられるのは、おそらく早起きして、先程までピアノのある部屋にいたか、もしくは夜遅くにピアノの部屋に向かい、朝まで眠っていたかの二択。どちらにせよ、先程までピアノの部屋にいたことのだと予想できた。

 西木野家のピアノのある部屋は、真姫が伸び伸び練習できるよう防音仕様となっている。その為、ある程度の大きさまでなら外に音が漏れることはない。そのせいで真姫がピアノのある部屋にいたことに気が付かなかったのだろう。

 ともあれ、真姫が無事だったことに安心した二人だった。

 そんな二人を蔑むように見た真姫はただ一言、告げる。

 

「どいて」

 

 ひと言。普段の真姫からは考えられない冷たい声がふたりに向かって放たれた。

 ふたりは、驚きで目を見開いた。

 織姫は真姫の放った声のトーンに。

 真二は、まさか真姫が冷たい声を自分に向けてきたことに。

 そこで二人は、真姫から漂う異様な雰囲気を感じ取った。その異様な空気に気圧され、二人はドアの前から離れる。

 真姫は二人が離れたことを確認すると、もう一度二人を見たあと、静かな足取りで部屋へと入っていった。バタン、とドアが閉まったところで我に返った真二はドアの前に再び立つ。

 

「真姫! お前、朝までピアノを弾いていたのか!」

 

「ちょっと、パパ」

 

 織姫は声を上げて扉に迫る真二に驚き、落ち着かせようとするが、真二は止まらず真姫に声を飛ばす。

 

「真姫! 答えたらどうなんだ!」

 

 真二がいくら声を上げようと、真姫からの返事はない。

 

「真姫っ!」

 

『……うるさいわね。そうよ、私はピアノを弾いていたの。それが何か?』

 

 返ってきた真姫の声は、先程と同じでとても冷たい。

 

『別にパパには関係ないでしょ? 私が何をしようと。……ああ、違ったわね。私がピアノを弾くと、パパは困るわね』

 

「……どういう意味だ?」

 

 真姫の放った言葉に、真二は眉間に皺を寄せる。

 

『だってパパは私に医者になって病院を継いでほしいんでしょ? ピアノなんかやめて勉強に集中してほしい、そう思ってるんでしょ?』

 

「なっ!?」

 

 真姫の言葉に真二は驚きを隠せなかった。その隣では織姫も真二同様に瞳を見開き驚いていた。

 

『ピアノなんかさっさとやめろ、医者になれ。娘だもの、パパの気持ちはわかってるわ』

 

「違うっ!! 私はそんなこと一度も──」

 

『ウソっ!! 絶対思ってる!! パパは私が医者になる方がうれしいんでしょ? ピアニストより医者になってくれた方がうれしいんでしょ!? だからあの時ホールから出て行った。私にピアノの道を諦めさせるために!!』

 

「──っつ!?」

 

 真姫の言葉に、真二は心臓を矢で射貫かれたような痛みが走った。その衝撃は真二の体全身を走り、爪が食い込むほどに拳を握る。苦虫を噛み潰したような顔をする真二、確かに自分はあの時真姫のピアノが終わるのと同時にホールを飛び出した。だが、それは決して真姫の言ったことが()()()()()()

 

「真姫、それは違う。私はあの時出て行ったのは──」

 

『──うるさい!! 私に構わないでっ!!』

 

「──―っつ!?」

 

 真二の言葉が言い終わる前に、真姫が叫び謎の衝撃波が真二を襲った。真二の体は謎の衝撃波に襲われ、壁に叩きつけられる。

 

「パパ!!」

 

 織姫が悲鳴にも似た声を上げる。

 

「ん、……ん」

 

 真二は衝撃で痛む体を起こし、真姫の部屋の扉を見る。

 

「な、なんだ、今のは」

 

『パパのせいだ。パパのせいで、私は夢で苦しまなきゃいけなくなった。家が医者だから、私の将来は決まってるなんて、そんなの嫌だ。私は自分の行きたい道を進みたい、誰にも邪魔されない自分だけの道を。でも、そのためにはパパが邪魔なの』

 

 扉の先から聞こえる真姫の声は、驚くほどに冷徹で無機質だった。真姫の表情が見えない故に、その声から感じる無機質さが、得体のしれない雰囲気を増幅させる。

 

『だからパパ、私の夢のために──』

 

 真姫は、その無機質な声をもって残酷に告げる。

 

 

 

『──―消えて』

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 ──―神田明神・境内。

 本日の朝練習は体感トレーニングだということもあり、穂乃果達三人はサイドブリッジ状態で踏ん張っていた。その様子を傍らで数を数えながら見ているリヒト。笛を咥え、ストップウォッチ代わりの時計を見つつ、心の中で「がんばれー」とのんきに思っていると、グイッとパーカーのフードを引っ張られた。

 振り返ってみれば険しい顔をした巫女服姿の希が立っていた。

 

「……どうした?」

 

「……気づいとらんの?」

 

「なにが?」

 

 リヒトが聞き返すと、希は信じられないモノを見たかのような視線をリヒトに向ける。

 

「え? ギンガスパーク反応しとらんの?」

 

「ギンガスパーク……?」

 

 希に言われ、リヒトはズボンのポケット及びパーカーのポケットに手を当て探る。

 

「……………………あ」

 

 リヒトの漏らした声に、希の表情が固まる。

 

「ちょ、うそやろ?」

 

 希に戦慄が走り、顔の表情が引きつっていく。その視線の先にいるリヒト(バカ)はギギギギ、と油の切れたねじのように希へと向くと、満面の笑みで告げる。

 

「部屋に忘れた♪」

 

 竹箒で思いっきり殴られた。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

『わりぃ、ちょっと用事できた』と穂乃果達に一言告げ、リヒトは一旦自室へと向かいギンガスパークを取りに行く。机の上に置かれていたギンガスパークは、希の言った通り光りを放ち『なにか』に反応していた。リヒトはギンガスパークを掴むと急いで部屋を出る。

 玄関で待っていた希はリヒトの到着と同時に、信じられないものを見る目でリヒトを見ながら吠えた。

 

「もう、信じられない! この前言ったはずやで! ウチも『闇』に気付くことできるけど、ギンガスパークの方が正確やから常日頃持っておくようにって! というか、普通そういうアイテムって常日頃携帯するもんとちゃうん!? 変身アイテムなんやし!!」

 

「わかったよ! 説教は後で受けるから、早く行くぞ!」

 

 リヒトは希の説教から逃げるように家を飛び出した。希はまだ言い足りないのか、むすっとした表情を浮かべたが、ここで叱り続けても仕方ないと考えリヒトの後を追う。

 バイト中に飛び出したため希の服装は巫女服のままだ。そのせいか、すれ違う人の視線を集めてしまう。だが、その人数も()()()()()()()()()()()。先頭を走るリヒトはそれに気づいているのか、それとも気づいていないのか。彼の視線は、時折ギンガスパークへと向けられる。ギンガスパークが示す反応は、弱い時と強い時がある。おそらく、強い方を辿っていけば今回の『闇』に辿り着くだろう。

 絶対に阻止しなくてはいけない。

 そんな思いを抱くのと同時に、リヒトはひとつの不安を感じていた。

 それは、前回のダークガルベロス戦。敵の作りだした異空間での戦いだったため、リヒトの記憶に深く焼き付いているのだ。苦戦を強いられたあの戦いは、海未とことりの援護と、希の力のおかげで勝つことができた。もし三人の力がなければ、負けていたであろう。

 もし、今回も敵に有利な空間だった場合、ふたりの援護なしで勝てるのだろうか? 

 リヒトひとりで、光の力が弱体化する空間で、味方の援護がない状況で敵を倒すことができるだろうか? 

 ──そう自問自答してしまう。

 

(いや、勝つんだ! 何があったとしても、俺は勝たないといけないんだ!!)

 

 それに『シージスの力」が作り出す空間でも、必ず勝てる保証はない。

 命をかけた戦いにそんな考えを抱いていては、命取りになる。

 

「……あー! もう! なんでこんな朝から敵は動くんだよ!!」

 

 赤信号に引っ掛かり立ち止まる。その時リヒトは、このネガティブな考えを振り払うために大声をあげた。

 

「そんな文句は言うても意味あらへんよ。こっちの都合なんて考えてるわけあらへん。むしろこっちが動ける時間で良かったとおもうしかないねん」

 

「…………」

 

 確かに敵がこっちの都合など考える訳がない。今回、朝早い時間だったとはいえリヒトが行動可能な時間だった。これがもし、リヒトが行動できない時間だったら? 戦えるのはリヒトしかいないのに、そのリヒトの動きが封じられたときはどうすればいい? 

 次々に浮かんでくるネガティブな考えを、リヒトは頭を振り頭の中から消し去った。同時に信号が青に変わり、リヒトは走り出す。

 とりあえず、今は動けるのだ。目の前の問題を片付けよう。

 そう考えながら走っていると、ふと周囲から人の気配が消えていることに気づいた。そして、何か幕を潜ったような感触を感じ、リヒトは来た道を振り返る。

 

「今のって……」

 

「たぶん、位相変異の境やろうな」

 

「てことは、この先は、……!」

 

 リヒトは辺りを見回して目を見開いた。周囲の光景が変化していたのだ。

 オレンジ色のオーロラがかった少し暗めの青空に、赤土色の地面。リヒトが初めて現実世界で戦ったときの、光の異空間だった。

 それはつまり、この場でギンガとして戦った場合、光の恩恵を受けれるということ。自分の有利なフィールドと言うことだ。これならば、苦戦せずに戦える。リヒトの顔が自然と笑みに変わっていた。

 

「りっくん」

 

 その表情を見たのか、希は強めのトーンでリヒトを呼ぶ。そしてその真剣な眼差しでリヒトを真っ直ぐ見つめ言う。

 

「油断は禁物や。いくらここがギンガに有利な空間だったとしても、必ず勝てるという保証はない」

 

 希の言葉がリヒトの油断していた心に突き刺さる。

 

「──わかってる。気は抜かないさ」

 

 リヒトは改めて気を引き締めた。たとえ、今ここが(じぶん)にとって有利な空間であっても、こんな気持ちでは負ける。

 パチンと、リヒトは両手で頬を叩く。そして、二人は再びギンガスパークの反応を頼りに走り出す。

 そして、二人のたどり着いた場所は──―。

 

「──ここって、西木野の家」

 

 二人の目の前に立つのは、リヒトが先日真姫を送り届けた西木野家だった。

 

「りっくん、真姫ちゃんのこと知っとるん?」

 

「ああ。昨日じいちゃんに頼まれた買い物のときに……そういえば」

 

 リヒト何かを思い出したのか、顎に手を当てる。それを見た希は「なに?」とリヒトに聞く。

 

「西木野と別れるとき、僅かにギンガスパークが反応したような気がしてさ」

 

「ちょっ、それって──」

 

 ──『闇』の反応ちゃうん、とは続かなかった。

 バタンッ! と音を立てて玄関のドアが開いたのだ。リヒトと希は驚いて視線を向けると、真姫の両親が飛び出してきた。父親らしき人物は自分で立つことが出来ないのか、母親らしき女性に肩を貸してもらっている。家の中にいるなにかから逃げるように出てきた二人は外へ出ようとするも、父親らしき男性が上手く歩けずにもたついてしまう。

 そこへ、後ろから衝撃波が二人を襲い、リヒトたちの方へ飛ばされてくる。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 リヒトは慌てて二人の元に駆け寄る。

 

「私は大丈夫。でも、パパが……」

 

 母親の方に目立った外傷はない。だが、父親の方は何度も壁に叩きつけられたかのようにボロボロだった。ひどいところでは痣や擦り傷も見受けられる。先ほど二人を襲った謎の衝撃波が、父親だけを狙っているのだとリヒトは瞬時に理解した。

 

「とりあえず、ここから離れないと」

 

 再び衝撃波が来る、と言おうとしたところで、家の中から再び謎の衝撃波が襲ってきた。

 

「っつ」

 

 リヒトは反射的にギンガスパークを構える。だが、衝撃波の方が早く真二とリヒトを吹き飛ばす。

 ドサッ、と浮いた体が地面に落ちる。リヒトは直撃を受けずに済んだが、直撃を食らった真二の方は大丈夫だろうか? リヒトはうつ伏せに体の向きを変え、真二の方を見る。

 真二は受け身を取れなかったのか、起き上がる気配がなかった。リヒトは腕に力を入れ立ち上がる。直感的に三撃目が放たれたことを悟ると、反射的にギンガスパークを振っていた。スパークブレード部分が青く発光し、斬撃が放たれる。放たれた斬撃が衝撃波とぶつかり打ち消す。

 

「希! 二人を頼む!!」

 

 リヒトはそう告げると、家の中へと駆け出していく。後ろから希と織姫の声が聞こえてくるが、リヒトは振り返らず家の中に入った。

 家の中はグニャリと歪んでおり、長時間いると酔ってしまいそうな空間となっていた。リヒトは酔う前に視線をギンガスパークへと落とす。ギンガスパークは激しく点滅している。

 

(まずはあの衝撃波の正体を探らないと)

 

 そう思い一歩踏み出した時だった、四方八方から謎の衝撃波がリヒトを襲った。

 

「ガッ!?」

 

 ギンガスパークのバリアで防げるのはかざした方向のみ。かざしていない方向からの攻撃は防ぐことができない。そのため後ろから襲ってきた衝撃波を防ぐことが出来ず、リヒトはリビングへと飛ばされる。

 床やソファーに叩きつけられ、肺から空気が吐き出されていく。

 

「くそっ!」

 

 リヒトはソファーを背後に座る。まずはこの衝撃波を防がなければ、リヒトへダメージが蓄積されるだけで先にダウンしてしまう。攻撃が来る方を限定するために、ソファーを背後にするリヒト。これで攻撃が飛んで切るのは左右と上、そして正面だけ。これならギンガスパークの展開するバリアで防げる。

 

「……」

 

 リヒトはギンガスパークを構えるが、先ほどまで怒涛の勢いで放たれた衝撃波は、止んでしまった。

 

(なんだ? 攻撃が、止んだ?)

 

『へえー、まさかリヒトさんが来るなんて、どうかしたのかしら?』

 

「西木野……?」

 

 真姫の声がリビングに響いてきた。リヒトは辺りを見回すが、真姫の姿はない。

 

「西木野! どこだ!? どこにいる!? 出てきてくれ!」

 

 リヒトは叫ぶが、真姫は姿を現さない。代わりに声が響いて来るのみである。

 

『じゃあ、パパは外に出たんだ。うーん、あまり罰与えられなかったなー。え? なに? ……そうね、確かに外に出ればいいわね。フフっ、まだまだ逃がさないわよ』

 

「……西木野?」

 

 リヒトは聞こえてくる真姫の声から、異変を感じ取った。

 

(あまり罰を与えれなかった? それって、まさか、あの衝撃波は西木野が放ってたってことか!?)

 

 もしそうなら、真姫は自分の父親を攻撃しておいて、何の罪悪感も感じていないという事になる。むしろ、それを『罰」と言って正当化していると思われる。今自分が行っていることは、正しい事、当然の事と疑っていないと、先程の声音から判断できる。

 そしてもうひとつ、リヒトは気になったことがあった。聞こえてくる声は真姫だけなのだが、まるで誰かと会話しているように聞こえたのだ。その誰かに促され、外へと逃げた父親を追おうとしている。

 ──ならば、今真姫は外に出ようと玄関付近にいるはず。

 リヒトは素早く立ち上がり、転がるようにリビングから廊下に出た。ギンガスパークを構え視線を上げると、果たして真姫の姿があった。可愛らしいパジャマに身を包んでいるが、その手には不釣り合いなほど怪しく光るモノが握られている。

 

「西木野……それって」

 

「ああ、これ。フフ、きれいでしょ。これを振るとパパに『罰』を与えれるの」

 

 そう言って真姫は妖艶な瞳でソレを見る。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──ダークダミースパークを。

 リヒトは真姫がなぜそれを持っているのか疑問に思ったが、それよりも先に気になることがあった。

 

「罰? 罰ってなんだよ。これが罰って言うのか!?」

 

「ええ、そうよ。これは『罰』なの。パパが私を苦しめた『罰』。当たり前のことじゃない?」

 

「は? なにが当たり前だよ」

 

「だってそうでしょう。パパのせいで私は『夢』で苦しむことになったの。その『罰』を与えてもいいじゃない」

 

 真姫の言葉に、リヒトはまず呆れた。その後、真姫の言葉の意味を理解していき徐々に怒りが込み上げてきた。

 

「ふざけるな! そんなのは『罰』じゃねえ! ただの八つ当たりだろ!!」

 

「……なんですって?」

 

「自分の進みたい道を決めれない臆病者の、ただの言い訳じゃねえか! 自分の道を自分で決められないやつが、人にあたってんじゃねえよ!」

 

 ─―真姫はダークダミースパークを横に振るった。ただそれだけで、衝撃波がリヒトを襲った。不意を突かれたリヒトはバリアで防ぐことが出来ず、横へと吹き飛び壁に叩きつけられる。

 

「ガハッ!」

 

「……まあ、別にリヒトさんには関係ないか。──……ええ、わかってるわ。そろそろやってもいいわね」

 

 壁に叩きつけられた衝撃から回復できていないリヒトの横を、真姫は通って行く。リヒトは真姫の名を呼び手を伸ばすが、真姫は無視して家の外へと出て行く。

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 家の外に出た真姫が見たのは、ボロボロになった真二と、寄り添う織姫。そして、真二の傷を癒そうとする東條希の三人だ。希がいることに少々驚く真姫だったが、そんなことは別にどうでもよかった。

 真姫はその視線を真二へと向ける。

 

「……」

 

「フフ、随分な姿ね、パパ」

 

「……真姫」

 

 真二と真姫の視線が交差する中、希は真姫を見る。そして、その手に握られているダークダミースパークを見て驚愕する。

 ダークダミースパークはその名から分かる通り、『ティガ伝説』に記されている『ダークスパーク』のダミー品である。ダークスパーク自体は、ティガが使用後に行方不明となっており現在どこにあるのか不明である。その為真姫が手にしているのがダークスパークではないのかと思えるが、ガラスのように半透明であることから、違うものだということがわかった。それに、ダミー品であるため『ダークスパーク』ほどの強力な力はないのだ。もし本物の『ダークスパーク』だった場合、希の中にいる()()()が反応するはずだから。

 しかし、いま重要なのはそこではない。『ダークダミースパーク』は人の『心の闇』から生まれるモノだ。それが真姫の手にあるということは、真姫の心が()()()()()()ことを意味している。

 

(あかん、早くせえへんと真姫ちゃんが闇に堕ちる)

 

 ダークダミースパークを持っている──これがどれほど危険な状況なのか理解している希は、視線を真姫の後ろへと向ける。

 ──リヒトが出てくる気配はない。

 

「でも安心して、もうパパをいじめたりしないわ。その代り」

 

 真姫は己の左手を見る。真姫の周囲に漂い始めた『闇』がその手の中に集まり始める。そして、小さな人形の形になっていく。

 

(あれは、スパークドールズ!?)

 

 真姫の手の中に生まれた人形──スパークドールズを見て、希に緊張が走る。

 スパークドールズとは、『ティガ伝説』において『ウルトラマンティガ』がダークスパークの力を使い『大いなる闇』の力を分散させ、その力の一部を『大いなる闇』に従っていた怪獣と一緒に封じ込めた人形。本来であれば、地球の守護神と共に眠りについたはずの人形が、なぜ今真姫の手に生まれたのか。

 もしかして、ダークダミースパークが『大いなる闇』の力と共鳴し、呼び寄せたのだろうか。

 いや、今はそれを考えている場合ではない。真姫の手に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。一番まずい状況が作り上げられてしまった。

 

「私の『夢』で一番邪魔になったものを消すわ」

 

 真姫は、その手に持つスパークドールズの左足をダークダミースパークの先端に当てる。

 

『ダークライブ! カオスジラーク!!』

 

 希たちが驚きで目を見開く中、真姫が闇に包まれていく。真姫を包む闇は、次第にその容量を肥大化させていき、六十メートルを超える巨大なものへと変貌した。

 ──そう、ダークダミースパークにはギンガスパーク同様、使用者を依代としてリードしたスパークドールズへの変身できる力が備わっている。だが、ギンガスパークとは違い、解き放たれる力は『闇』。スパークドールズに眠る『闇』の力を、使用者の『心の闇』を糧に呼び起こすのだ。

 真姫の心の闇をダークダミースパークが増幅させ、スパークドールズに眠る怪獣の力と『大いなる闇』の力の一部が共鳴し、目を覚ます。

 闇が晴れ、(あら)わになった姿。クジラを化け物といった感じの容姿に、憤怒に染まった形相。真姫が変身したからなのか、女性のフォルムを持つ怪獣の名は『カオスジラーク』。

 娘の変わり果てた姿に、真二も織姫も言葉を失くしていた。

 その中で唯一、思考が動いている希は唇を噛んでいた。

 真姫がカオスジラークにダークライブしたということは、真姫が『闇』に囚われたことを意味している。このまま『闇』の力に侵食され続ければ、彼女は『大いなる闇』の生け贄となってしまう。

 そしてもうひとつ。今真姫はあの怪物にライブ、つまり変身したのだ。それはあの怪獣には真姫の意思が宿っていると言え、もしこのままギンガと戦うことになれば、戦いによって発生するダメージを真姫も受けてしまう。

 いわば人質を取られたようなもの。

 状況は、とても最悪な展開となってしまった。

 その中、カオスジラークはゆっくりと歩みを始める。先ほどまで必要に狙っていた真二を無視し、別方向へと向かう。

 不審に思う希だったが、カオスジラークの行き先に何があるのかを理解した真二は、痛む体を無理やり起こそうとする。

 

「ぐっ」

 

「パパ!」

 

 しかし体に蓄積されたダメージがひどく、すぐに倒れてしまう。

 

「マズイ、真姫が向かった先は、……病院だ」

 

 真二の発言に、織姫が「え?」と声を漏らす。そして希は、その発言から真姫が何をしようとしているのか予測がついた。

 

「まさか真姫ちゃん、病院を壊すつもりじゃ……」

 

 先ほど真姫は『私の「夢」で一番邪魔になったものを消すわ』と言っていた。その邪魔になったものが、家が経営する『病院』なのではないか? 

 

「そんなっ、病院には大勢の人がいるのよっ!?」

 

「やめるんだ真姫!! やめてくれ!!」

 

 織姫が驚愕の声を上げ、真二は真姫を止めるべく必死に叫ぶ。

 だが、カオスジラークはその歩みを止めることなく、病院に向かって歩み続ける。

 もはや、誰の声も真姫には届いていなかった──―。

 

 




やっと「ギンガ」らしいことが出来ました。
やっぱり「ギンガ」と言えば「ウルトライブ/ダークライブ」を使い、人間が怪獣へ変身するのが、魅力の一つですからね。
まあ、いろいろ真姫ちゃんが大変なことになってますが、リヒトはちゃんと救えるのでしょうか? 

次回はいよいよギンガVSカオスジラークとなります。

NEXT→「第四奏:歌姫の心」

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第四奏:歌姫の心

更新が遅くなってすいません。
細菌系の奴に襲われ、高熱と腹痛にやられ一週間ほど執筆を休ませてもらいました。まあ、今回の話をかいている中で描写が思いつかず筆が止まることが多かったのも原因だと思います……。

まだまだ未熟者ですが、これからも頑張っていきたいので最後までお付き合いよろしくお願いします。

それでは「第四奏」スタートです。


 力が解き放たれ、巨大化したカオスジラーク。その歩みは確実に『西木野総合病院』へと向かっていた。

 

「真姫! 真姫!」

 

 真姫の父・真二は真姫の母・織姫に支えられながらも、そのボロボロの体を引きずって真姫の名を叫ぶ。

 しかし、カオスジラークはその歩みを止めることはない。真二の叫びなど無視して歩み続ける。

 真二は何度も自分の娘の名前を叫び続ける。叫ぶたびに体に痛みが走るが、歯を食いしばって耐える。化け物になってしまった娘に自分の声を届かせるために、真二は叫び続けた。

 一方の織姫は、真二の体を気にしながらも目の前の光景にショックを受けていた。どうして娘が化け物になってしまったのか? 何度も娘の名前を呼ぶ夫の声は、娘にどうして届かないのか? そもそも、今目の前で起きていることは現実なのだろうか? 目の前の光景が受け止めきれず、そんなことを考えてしまう。

 しかし、これは現実。決して夢などではない。

 そして、この現実を、今目の前の状況がどれだけ危険なのかを一番理解している希は、焦る心を無理やり落ち着かせていた。

 

(りっくん……!)

 

 この状況を解決できる力を持つリヒトは、家からまだ出てこない。まさか家の中で襲われ、やられてしまったのではないだろうか。そんな考えが、ふと頭を横切る。

 そんな中、ぐるりとカオスジラークが三人の方に振り返った。

 

『────っつ!?』

 

 三人の体に緊張が走る。

 真二が何度呼んでも反応しなかったカオスジラークが、突然振り返ったのだ。驚くなというほうが無理である。

 希はその行動に警戒心を高めるが、真二は違った。自分の声が届いたのだと勘違いをし、安堵してしまう。

 だが、本当はそうではない。その赤い瞳が、確かな憎悪の意志をもって真二を睨みつける。

 

「真姫……?」

 

 真二もその異変を感じ取ったのか、真姫の名を呟く。

 カオスジラークは真二を見ながら、その手を口元へもっていく。

 

 

 ──そして、カオスジラークの口からエネルギー光弾が放たれる。

 

 

 その瞬間、三人の体に緊張と『死』が走る。

 恐怖なんて感じる暇はない。迫る光弾に、何かを感じている時間などなかった。

『死』という概念が、明確な形となって三人に迫る。

 そして──、

 

 

 ──光が三人を守った。

 

 

 突如現れた眩い光に三人は腕で顔を覆う。光は徐々に人型をかたどっていき、半透明だったその姿をはっきりとさせていく。

 その背中で三人を守ったのは、クリスタルが特徴の光の戦士──ウルトラマンギンガだった。

 真二と織姫はギンガの出現に驚き、そして希は彼の登場に心を躍らせた。

 ギンガは一度三人を見回し、希を見る。

 

『わりぃ、打ちどころ悪くてダウンしてた。後は任せろ』

 

 首にかけている勾玉を通し、リヒトの声が希の脳内に響いてくる。姿は見えないが、聞こえて来た声にはしっかりとした強さを感じる。

 

『お願い』

 

 希が返すと、ギンガは頷いた。

 ギンガは立ち上がると、カオスジラークに振り返る。構え、カオスジラークの出方を窺うと、一つの違和感を感じた。その感覚の正体を探るべく眼を細めると、カオスジラークの中──インナースペースに真姫がいることに気づいた。

 

『西木野!? なんでお前がそこにいるんだよ!?』

 

 リヒトの視界に映る真姫は、ダークダミースパークを両手で持ち、虚ろな瞳で見つめていた。リヒトは何度も「西木野!」と叫ぶが、真姫は全く反応を示さない。

 だが、リヒトはその瞳で見た。何かをつぶやく真姫にささやくかのように隣に浮かぶ、闇の幻影を。

 

『パパのせいだ。パパのせいで私は「夢」で苦しんだ』

 

『そうだよ、真姫ちゃん。君がそこまで苦しんだのはお父さんのせいだ。さあ、そのまま進んで病院を壊しちゃおうよ』

 

 無邪気な少年のような声が、リヒトの耳にもしっかりと聞こえてきた。虚ろな瞳の真姫は、無邪気な少年の声に「うん」と頷くと、ギンガを無視して病院へと向かう。

 

『待てッ!』

 

 ギンガはカオスジラークの進行を止めるべく、跳躍すると空中で一回転し、カオスジラークの前に降り立つ。

 

『ここから先にはいかせない!』

 

『何君? 邪魔だよ』

 

『邪魔なのはお前だ! 西木野は返してもらう』

 

 リヒトはその瞳で黒い幻影を睨みつける。真姫の隣にいる黒い幻影に瞳はない。だがもし瞳があるならば、リヒトとの睨み合いになっているところだろう。

 

『予定変更だよ、真姫ちゃん。まずは目の前の邪魔者を消そう』

 

 幻影の声に促され、真姫はダークダミースパークから視線を上げる。虚ろな瞳の真姫と、リヒトの瞳が交差する。

 

『西木野!!』

 

『……』

 

 リヒトが呼ぶも、真姫は反応しない。その虚ろな瞳のまま、

 

『ふふっ』

 

 突然笑った。

 

『にしき──』

 

 突然笑ったことに疑問を持ったリヒトは真姫の名を呼ぼうとするが、それより先にカオスジラークが動いた。口より光の矢が連続して放たれた。

 ギンガは素早く左腕を伸ばし、バリアを展開することで攻撃を防ぐ。光の矢が途切れた瞬間、ギンガは駆け出す。カオスジラークへと迫ると、両肩を掴み動きを封じる。

 

『西木野! 俺の声が聞こえるか!?』

 

『無駄だよ、誰の声もまきちゃんには届かない』

 

 リヒトの声に答えたのは真姫ではなく幻影。カオスジラークはギンガの腕を振り払うと、その拳を振るう。ギンガは素早くそれを弾くと、

 

『お前には聞いてない!』

 

 リヒトの一喝と共にギンガから拳が飛ぶ。ギンガの拳はカオスジラークの腹部を捉えたが、そのダメージはカオスジラークだけでなく真姫の体も襲った。「やっぱりか」とリヒトが声を漏らす。

 このことはある程度予想できたことだ。リヒトだってギンガにライブ中はダメージフィードバックが起こるのだ。怪獣にライブした真姫にも同様の現象が現れるだろうと、リヒトは考えていた。さすがにすべてのダメージがフィードバックすることはないが、それでもギンガの攻撃が確かに真姫の体にもダメージを与えることが分かった。

 今の攻撃はそれを確かめる意味もあり、それほど強くは放っていない。そのためか真姫の体に大きなダメージとなることはなかった。しかし予想が的中してしまった。こうなれば、攻撃を躊躇してしまう。さらに言うならば、ギンガの必殺技である『ギンガサンダーボルト』、『ギンガファイヤーボール』、そして最大級の技である『ギンガクロスシュート』が封じられたようなものだ。威力の高いこの技は、決め手にはなるが確実に大きなフィードバックとなって真姫を襲うだろう。『ギンガスラッシュ』は威力が他の技に比べ低いため、遠慮なく使うことはできる。しかし決め手にはならない。

 だが、打つ手がないわけではない。真姫の体の安全を考えたうえで打てる手が一つだけある。

 

(だけど、そのためには真姫の意識を呼び覚まさないと。今の状況じゃうまくいくかわからない。その為には)

 

 ギンガは一度視線を希たちの方へ向ける。だがそれはやってはいけないことだった。

 隙が生まれ、カオスジラークの攻撃が飛んできた。振り抜かれる拳だったが、ギンガはギリギリのところで躱す。真姫を助けるための作戦を希に伝えようにも、カオスジラークの攻撃がそれをさせない。

 真姫のことを考え、ギンガはカオスジラークから迫る攻撃をすべて避け、受け流す。

 放たれる拳を掌で弾き、蹴りは腕で受け止める。振り抜かれた腕を右腕で受け止め、絡め捕るように腕を捻ると脇の間に挟み、カオスジラークの左腕を封じる。

 動きを封じ、鈍ったところで左掌を引き掌底を放つ。腹部目掛けて放たれた掌底は、カオスジラークの腹部に深く突き刺さり、カオスジラークの体がくの字に曲がる。大きく後ろによろめいたところを、両手を引き絞り追撃する。だが決して拳で攻撃はしない。掌で押すように追撃をする。

 攻撃の手を躊躇はしてしまうが、攻撃しなければカオスジラークの体力を削ることが出来ない。ならば、真姫の体に大きな衝撃となってフィードバックしないような攻撃をすれば良い。掌底や掌での攻撃ならば、真姫に大きなダメージなく体力を削れるのではないか。そう考えたリヒトは、真姫の体を気遣いながら攻撃の手に出た。

 しかし、あくまで避けるのと受け流すのをメインに、打撃技は最小限にとどめる。カオスジラークの攻撃をいなし、勢いを利用して地を転がすなど、自爆させることで着々とカオスジラークの体力を削って行った。

 リヒトは全神経を集中させカオスジラークの攻撃に視線を走らせる。ことりほどの動体視力と空間把握能力はないため、完璧には追うことはできないが、ギンガのスペックと『光の異空間』から受ける恩恵が、リヒトの集中力を高めていた。

 すでに何度目かの攻防を終えたギンガとカオスジラーク。突き出された拳を受け止め、背負い投げの要領で転がすように投げる。

 両者の間に距離が開く。

 カオスジラークは起き上がると、エネルギー光弾を放つ。ギンガはバリアで防がず、エネルギー光弾をすべて叩き落す。最後の一撃を叩き落とした瞬間、カオスジラークより放たれた光の鞭がギンガの右腕に絡みつく。

 カオスジラークはギンガを倒そうと鞭を引っ張るが、ギンガは倒されまいと縛られている腕に力を入れ踏ん張る。力比べになる両者。互いに倒されないよう鞭を引っ張り合っている中、先に仕掛けたのはカオスジラークだった。

 鞭に電撃を流し始めたのだ。

 鞭を伝いギンガの体へと流れ込んできた電流は、ギンガを苦しめる。電撃のダメージを受けたギンガは踏ん張る力を弱めてしまい、体が宙へ浮く。叩きつけられるように倒れるギンガ。起き上がろうとするが、右腕を捕られているためすぐには起き上がることが出来ない。膝たちの状態になったところで、カオスジラークからの追撃が入った。再びギンガの体が一回転し、背中から叩きつけられる。

 

『くそっ』

 

 悪態をつくリヒト。

 ギンガは絡みついている鞭を解こうとするが、電流がそれをさせない。さらに、追撃としてエネルギー光弾と光の矢がギンガに向けて放たれる。

 ギンガは自由である左手を使い、それらを防ぐ。バリアを解除すると、すぐさま左腕を頭部に持っていきギンガスラッシュを放つ。ギンガスラッシュを受けたカオスジラークはよろめく。右腕に絡みついていた鞭も消滅し、閉じたり開いたりすることで調子を確かめる。

 そしてリヒトは真姫へと声を飛ばす。

 

『西木野!』

 

『私が苦しんだのはパパのせいだ。パパのせいだ。パパのせいだ。パパのせいだ。パパのせいだ、パパのせいだ』

 

 まるで呪文のように繰り返し呟く真姫。その隣に浮かぶ幻影は真姫の横を浮遊しながら、真姫の耳元に囁く。

 

『そうだよ真紀ちゃん、君が苦しむのはお父さんのせいだ。だから復讐しよう。壊しちゃおう、君の「夢」のじゃ魔になるものすべて』

 

『そう、「夢」のじゃまになるモノは壊せばいいんだ。全てケイセンケイセン壊せばいいんだ』

 

『……そこまでして、お前の叶え対「夢」ってなんだよ』

 

 リヒトが率直に思った疑問、それを口にした途端真姫の囁きが止まった。

 リヒトはそれを不審に思った。今まで誰の声も届いていなかったはずなのに、まるでリヒトの言葉に反応したかのように囁きが止まったのだ。もしかしたら今放ったリヒトの言葉に、『闇』に囚われてもなお真姫が反応を示す『キーワード』が入っていたのかもしれない。

 それは何だ? リヒトは先ほど言った言葉を思い出す。先ほどの言葉に入っていて、今の真姫の心に響く『キーワード』を見つけるのは、そう難しいことではなかった。

 

『──じゃあ、お前の「夢」ってなんだ?』

 

 真姫に確かな反応があった。

 それを頷けるかのように、黒い幻影に動揺が走ったのだ。

 

『え? そんなっ、僕の声以外が聞こえるはずないのに!? どうしてアイツの言葉が!?』

 

『お前はしばらくどいてろ』

 

 高速でカオスジラークへと接近したギンガは、後ろへ振りかぶった拳を突き出す。同時にリヒトの突き出した右手に握られているギンガスパークが輝きを放つ。ギンガの拳はカオスジラークの()へ入っていき、真姫の隣に浮遊していた幻影を消し飛ばす。

「西木野」とリヒトが真姫の名を呼んだところでギンガスパークが輝きが増した。その輝きは、真姫の持つダークダミースパークと共鳴を始め、『西木野真姫』の意識を浮上させていく。

 輝きはそこでは終わらない。ギンガスパークの放つ輝きがリヒトの視界を覆っていき、さらにその輝きがダークダミースパークを通し真姫の意識を呼び起こし、二人を包み込んだ。

 二人は、光の空間で対面していた。

 リヒトは真姫の前に立ち、言う。

 

『もう一度聞くぞ。お前の「夢」は何だ?』

 

『私の……夢?』

 

 リヒトに聞かれ、僅かながらに動揺を見せる真姫。

 

『そうだよ、病院(もう一つの夢)を壊してまで成し遂げたいお前の「夢」は何だ?』

 

『それは……』

 

 真姫は答えることが出来ないのか、言葉に詰まってしまう。リヒトはそこを見逃さず、まるで追撃するかのように言葉を発する。

 

『なんで詰まるんだよ。あるだろ? もう一つの夢を壊してまで成し遂げたい夢が。茜ちゃんみたいな人たち、お前が助けたいと思った人たちがいる場所を壊してまで!』

 

『私は……、私は……』

 

 そこで真姫は自分が何をしようとしていたのかを理解する。敵に操られていたとはいえ、『病院』を破壊しようとしたのだ。それがどういうことを意味するのか、自分がどんなに恐ろしいことをしようとしていたかを理解し、真姫は大きな恐怖心に襲われた。

 

『違う、……私は……私は別に、そんなつもりは……』

 

 真姫は強い後悔の念に襲われ、頭を抱えしゃがみこんでしまう。涙を浮かべ、肩を抱き震え始める。病院の娘である故、もし自分が病院を壊してしまった場合のことを想像してしまったのだろう。

 そんな真姫を見て、リヒトは一息吐くと真姫に近づく。しゃがみこみ、真姫と視線を合わせる形をとると、右手を真姫の頭に乗せる。

 

『わかってる。本当は病院を壊したくないことくらい、俺は分かってるよ』

 

 優しく微笑みながら、リヒトは真姫の頭を撫でる。撫でながら、リヒトは続ける。

 

『なあ、西木野。お前はさ、結局何がやりたいんだ?』

 

『……』

 

『病院を継いで医者になるのか、それとも音楽の道に進みたいのか。どっちなんだ?』

 

 真姫の震えは止まっていた。今の彼女は何を思い考えているのか、それを探ろうにも顔はその前髪によって隠れているため、真姫の表情を読み取ることはできない。それでも、リヒトには真姫が考えていることが分かった。きっと、自分の心と会話でもしているのだろう。自分の本当に進みたい道、本当にやりたいことを、自分自身と向き合って考えている。

 リヒトはすでに真姫の頭から手を放し、答えを待った。

 

『わからない』

 

 真姫は絞り出すようにつぶやいた。

 

『わからないの。自分でも、本当に進みたい道が……どれなのか』

 

『……』

 

『医者の道か、音楽の道か。一生懸命考えた。どっちの道に進むのがいいのか……。でも決めれなかった。答えは一つしかないのに、最初から答え何て決まっているのに、その『答え』を出そうとすると胸が痛んで……』

 

 真姫の頬から一筋の光が流れ落ちるのを、リヒトは見た。

 

『どうして、こんなに苦しまなきゃいけないの……』

 

『……それは、お前が両方の「夢」を大切にしているからだよ』

 

 リヒトの言った言葉に、真姫『……え?』と言って顔を上げる。その瞳には涙が浮かんでおり、それを見たリヒトは自分が思い浮かんだ考えに確信を持ち、言葉を続ける。

 

『お前は、音楽の道も医者の道も、両方を大切に思っているんだよ。両方とも大切で、両方とも「やりたい」って思ってるから、お前は苦しんでんだ』

 

『両方、大切、だから……?』

 

『そう。医者の道も音楽の道も、両方を歩みたいって思ってんだよ、お前は』

 

 リヒトに言われ、真姫は自然と心が楽になっていくのを感じた。『両方の道を歩みたいのか?』、そう自分の心に問いかけると、自然と『そうだよ』と言う声が返ってきた。それはつまり、リヒトの言う通り自分は『音楽の道』も『医者の道』も『歩みたい』と思っているということになる。

 そんなの無理だ、出来るわけない、ただでさえ医者になるということは難しいのだ。音楽の道を歩んでいるひまなどない。様々な『無理』と言う考えが浮かび上がってくる。

 それなのに、自分の心に両方の道を『歩む』と言う答えを出すと、とても心が楽になるのだ。まるで、自分の心がその答えを()()()()()()()()()()。それが()()()()()()と言わんばかりの感情が、心の奥底から湧き上がってくる

 

『……そっか、私、二つの道を歩みたかったんだ』

 

 真姫が呟くと、リヒトはフッと笑う。

 

『二つの「夢」を掲げるなんて、以外の欲深いんだな』

 

 そういうとリヒトは真姫の頭を乱暴に撫でる。「やめてよ」と言い真姫はリヒトの腕を払うが、リヒトはそのまま真姫の腕を掴むと立ち上がらせる。無理やりな形になり、真姫に睨まれるもリヒトは飄々とした様子で、しかし真のこもった瞳を真姫へまっすぐ向け続ける。

 

『いいじゃねえか、二つのでかい「夢」持ってんなら、両方叶えようぜ。お前のその大きな「夢」をさ』

 

 そう言ってリヒトは右手を差し出してくる。この手を掴めば、真姫は今まで悩み、考えていた『夢』に『答え』を出し一歩進めるのかもしれない。

 だが、どうしても『無理だ』と言う言葉が浮かび上がってしまう。そこには様々なことがあり、やはり家が『病院』であり、自分が『院長の一人娘』と言うことで継がねばならないという責任が真姫の心を大きく縛り付ける。

 そして何より、どうしても『あの出来事』が真姫の『音楽』に対する一歩を、止めてしまう。

 

『……無理よ、私の家は病院なのよ? パパが許すはずがないわ。パパは私が病院を継ぐことを願っている。音楽は最初から反対しているのよ』

 

『……ホントにそうか?』

 

『そうよ。パパは最初から私の音楽をよく思っていなかった。だから──』

 

『──アレを見ても、本当にそう思うか?』

 

『──―え?』

 

 リヒトに促され真姫が視線を横に向けると、父・真二の姿が映し出された。真二が映し出されたことに驚く真姫だったが、真二が必死に何か叫んでいることに気が付き耳を傾ける。

 真二はボロボロの体を引きずりながら立ち上がる。途中何度も倒れそうになり母・織姫が支えようとするが、それを拒否し自らの力で立つと、真姫に言葉が都道と信じて叫ぶ。

 

『真姫! すまなかった! お前がそうなってしまったのは、私のせいなのだろう! 本当にすまなかった! ……私は、自分でも不器用な性格をしていると自覚している。だからあの日以降、娘であるお前にどう接すればいいのか、わからなくなってしまったのだ。声を掛けようにも、なんて声を掛けたらいいのかわからず、さらには仕事も忙しくなっていき、真姫と遊ぶ時間も減ってしまった。お前に声を掛けようとすると、どうしてもあの時言われた一言を思い出してしまい、委縮してしまうのだ。本当なら、コンクールも毎回行きたかったし、応援もしたかった。「がんばったな」とも面と向かって言いたかった。だからあの日、久しぶりにとれた休みを利用してお前の演奏を見に行き、改めて賞賛の言葉を送ろうとしたのだ。

 だが、結局私は、ホールを出て行くという最悪な行為をしてしまった。それがどれだけ真姫の心を気付付けたのかも知らずに、本当ならすぐに謝るべきだったのだ。しかし、翌日お前から聞いた「医者になりたい」と言う言葉が嬉しく、そして同時に()()()()()()()()()()()()()()()、と()()()()()()私の中で渦巻き、タイミングを逃してしまった。

 私は、真姫のピアノが大好きだ! あの時ホールを出て行ったのはお前のピアノに()()したからだ!! 真姫のピアノを名前で聞いて、その素晴らしさに涙が出てきた!! そしてその涙を、()()()()()()()()()()()()()()!! だからホールを出て行ってしまった。……それが、お前には私が真姫の演奏に怒って出て行ったように見えたのだな。だが、それは決して違う! 先ほども言ったが私は真姫のピアノは大好きだ!! だから戻ってきてくれ!! 真姫!! 私にちゃんと謝罪させておくれ!! もう一度、お前の演奏を聞かせてくれ!! 頼む!!』

 

 真二は深々と頭を下げた。

 

『……パパ』

 

『な? あんなに娘のことを思っている父親が、娘の夢を否定すると思うか?』

 

『……』

 

『話してみろよ、お前の歩みたい「夢」をさ』

 

『……大丈夫かしらね?』

 

『大丈夫だ。そもそもお前まだ一五、六歳だろ? 親に気を使ってグダグダ悩んでんじゃねえよ。「ワガママ」言って親に迷惑かけれるのが、子供の特権なんだから』

 

『何よそれ』と言って苦笑いになる真姫。『リヒトさんだってまだ一七歳でしょ? 私とあまり変わらないじゃない』

 

『今年で一八だ。お前より二つ年上の先輩としての意見だ。ありがたく受け取っとけ』

 

『何よそれ、意味わかんない』

 

 フンッ、とそっぽを向く真姫だったが、そこには何か付き物が取れた様子が感じ取られ、自分の心に『答え』を出せた様子だった。真姫の様子の変化を見たリヒトは、小さく微笑み一息を吐く。後はリヒトの仕事だ。真姫を無事に『闇』から救い出し真二のもとに連れていく、そうと決まれば後は行動するのみだった。

 しかし、リヒトがギンガスパークを取り出したところで、闇の幻影が再び姿を現したのだ。

 

『それで本当にいいのかい?』

 

 黒い霧のようなものが集約していき、先ほどまで真姫の横で浮遊していた幻影は真姫の元へ現れると、その声をもって真姫へ問いかける。リヒトは先ほどギンガの攻撃で消し飛ばしたはずの幻影の出現に驚く。このままでは再び真姫が闇に囚われてしまう、そう思ったリヒトは幻影を消すために動こうとするが、

 

『(待つんだリヒト)』

 

 脳内に響いてきたギンガの声に止められる。

 

『(ギンガ!? 待てってどういうことだよ!? このままじゃ西木野が!!)』

 

『(これは彼女の戦いだ。我々が踏み込んでいいことではない)』

 

『(西木野の戦い?)』

 

『(そうだ、彼女の、自分の心との戦いだ)』

 

 ギンガに言われ、リヒトは幻影と対峙する真姫を見守る。

 一方、幻影と対峙する真姫。

 

『本当にお父さんに話すのかい? 否定されるのがオチだよ』

 

『かもしれないわね』

 

『君を苦しめた罰はいいの? まだ君が苦しんだ分を返せていないじゃないか。もっと苦しめようよ、病院を壊しちゃおうよ』

 

 幻影は真姫の目の前を漂いながら言葉を発する。真姫はまっすぐ幻影を見たまま、はっきりと告げる。

 

『嫌よ』

 

『──────え?』

 

『聞こえなかったの? 「嫌よ」って言ったの。もうあなたに操られる気はないわ、私は決めたの。自分の「夢」を。もう、迷ったりしないわ。だから──消えて』

 

 はっきりと、明確な拒絶を、真姫は告げた。先ほどまで幻影の声に惑わされていた時とは違い、自分の意思をもって告げた真姫の姿に、リヒトは自然と笑みを漏らし感心した。

 

『なにを、言ってるのかな? 真姫ちゃん、よくわからないや』

 

『消えてって言ったの。後それから、その姿で私の前に現れるの、やめてくれる。私にとって空飛ぶクジラはね、勇気づけられるものなの。その大きな体で自由に、ゆっくりと大空を泳ぐ。そうね、思い出したわ、あの夢を見てた私は、その大空に憧れていた。どこまでも続く広い青空、その空のように自由に自分を表現できたらいいなと思ってた。ピアノを弾くとき、大空をイメージして自由に弾いていたわ』

 

 そう、リヒトたちには()()()()としか見えていないものだが、真姫には幼い頃によく見た『空飛ぶクジラ』の姿で見えるのだ。真姫の心の象徴ともいえるクジラの姿、それ利用し『闇』は真姫の心に侵入してきた。今の真姫にはそれが許せなかった。今の自分の心を理解したからこそ、その姿をもって自分の心を利用した目の前の幻影が。

 真姫は明確な『怒り』を含めて、告げる

 

『だから、私の心の象徴である飛ぶクジラ(その姿)でこれ以上いないで!』

 

 真姫の叫びと共に、真姫の体から光が放たれた。強い輝きを持った光、その光は真姫の意思の強さを表しているかのようだった。そして真姫の心の強さに比例していくかのように、その輝きはどんどん増していく。何時しか真姫の体を包み、溢れんばかりの光を放っていた。

 その光はいつの間にか真姫の手に握られていたダークダミースパークにも変化を及ぼした。紫色に怪しく光っていたスパークは、光の輝きを吸収していき、その色を変えていく。

 

『バカなっ!? そんな、闇に堕ちた人間が「光」を手にするなんて──―』

 

 幻影の言葉はそこまでだった。

 ダークダミースパークはその色を光り輝く半透明の青色のスパーク、ギンガライトスパークに姿を変え幻影を吹き飛ばした。

 

『……すげえ』

 

 リヒトはそのすごさを目の当たりにし、呆気にとられた。

 だが、真姫の体が倒れそうになるのを見ると、すぐさま駆け出し倒れ込む真姫の体を受け止める。

 

『西木野! 西木野!』

 

『(大丈夫だ、気を失っているだけだ)』

 

『ギンガ……』

 

『(闇を光に変えるのは、並大抵のことではない。きっと彼女は気力をすべて使い果たし、闇から抜け出したのだろう)』

 

 ギンガの言葉を受け、リヒトは自分の腕の中で眠る真姫を見る。

 

(ははっ、大した奴だよ、お前は)

 

 リヒトはギンガスパークを取り出す。フェイスプレートは青から緑色へと変化し、その輝きをもって二人を包み込んだ。

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 全身のクリスタルが緑色に変化したギンガは、その拳をカオスジラークから抜き取る。その手には光の球体が握られており、カオスジラークを蹴とばすとギンガは真二たちの元へ歩み寄る。

 ギンガが近づいてきたことにわずかながらに身構える真二と織姫だったが、ギンガの掌に握られている光の球体、その中に眠っている人物を見て声を上げる。

 

「真姫!!」

 

 ギンガは真姫を二人の元に下ろす。球体から解き放たれた真姫を二人は受け止め、もう離さないためにしっかりと抱きしめる。

 その姿を見たリヒトは安堵し、いまだ健在のカオスジラークへと向き直る。しかし、カオスジラークは依代を失くしすでに満身創痍と言った状態だ。ふらついており立っていることも困難な状態であり、もはや向こうから攻撃する手など残されていなかった。

 

『まだだ!!』

 

 だが、幻影は諦めている様子はなかった。最後の力を振り絞り、その姿を黒い霧のようなものに変化させ、真姫を取り込もうと迫る。

 完全に油断していたギンガは『闇』となって迫るカオスジラークへの反応が遅れ、その脇をすり抜けられてしまう。

 リヒトは「しまった!」と思い、迫りくる『闇』から真姫を守るべく真二は真姫を強く抱きしめる。

 ギンガは『闇』の接近を阻止するべく技を放とうとするも、その先に真姫たちがいるため放つことが出来ない。

 状況が一気に最悪へと転じる中、真姫の手に握られている『ギンガライトスパーク』が再び輝きを灯す。

 そして────、

 

 

『──────────!!』

 

 

 竜の咆哮が周囲にこだました。

 その場に居る誰しもが「なんだ?」と疑問がる中、天空より銀色の鱗の竜が飛来し、猛スピードで『闇』へと迫った。銀色の竜は『闇』に噛みつくと、上空へと飛翔する。その行動はまるで真姫を守ったかのようにギンガの目に映った。

 そして一瞬、銀色の竜と目があったギンガはその瞳から『止めを頼む』を言われたような気がしたため、あとを追いかけギンガも飛翔する。

 雲を突き抜けたギンガ──いや、リヒトはその目の前に広がる青い世界に感銘を受けていた。本当なら、その世界をずっと見ていたいが、そう言う訳にはいかないと意識を敵へと向ける。

 銀色の竜は『闇』を解放すると、その尾を薙ぎ払い『闇』の残された体力を奪う。『後は任せた』まるでそう言っているかのようなアイコンタクトを銀竜より受け、腕をクロスさせる。

 リヒトとしては、あの『闇』のような状態の敵に『ギンガクロスシュート』が効くかどうかわからないと考えている。その為ギンガは、クリスタルを青ではなく緑色へと光らせる。右腕のクリスタルを撫でるように滑らせる。ギンガの手から七色のオーロラの光が放たれ、『闇』を包み込んでいく。

 その光は、ギンガの持つ浄化技『ギンガコンフォート』の光だ。浄化技である『ギンガコンフォート』の淡い光が『闇』を包んでいき、断末魔を上げる暇もなく『闇』を消滅させた。

 ギンガは銀竜の方へと向き直ると、銀竜は静かにギンガを見ていた。

 

『ありがとな、西木野を守ってくれて』

 

 リヒトは先ほど真姫を守ってくれたことの礼を述べる。銀竜は特に反応を示すことなくその身をひるがえし去って行こうとする。そのやや無愛想な態度にリヒトは「おい」と思うも、逆に例が来たら来たで困惑するためこれで良かったのだろう。そう自己完結し、自分も地上へと戻ろうとしたところで、──竜がこちらに振り返った。

 

『──』

 

『──え?』

 

 竜は短くリヒトの脳へ一言告げた。

 竜はそれで満足したのか、地上へと去って行きながら光となって消えていった。

 ──そして同時に、真姫の手に握られていたギンガライトスパークの輝きも消え、しばらくしてギンガライトスパークも光となって消えた。

 上空にとどまったギンガ──リヒトはしばらく呆然としていたが、ふっと小さく笑うと、

 

『ああ、任せとけ』

 

 どこかへ消えてしまった銀竜へ誓いの言葉を放った。

 銀竜がリヒトへ告げた言葉。

 

 

『──真姫を守ってくれてありがとう。そしてこれからも、彼女を守ってくれ。迫りくる「闇」から』

 

 




無印ギンガだと、普通にギンガの必殺技食らった人たちって、ダメージ食らってるんですよね。簡単に言えば黒焦げ状態になります。口から煙はいたり顔に炭が付いていたり。
さすがに真姫ちゃんをそんな目に合わせるわけにはいかないので、今回の戦闘描写は苦労しました。
最後に出てきた銀色の竜は、後半に控えているある一話に必要なためここに無理やりですが入れました。一応ちゃんと理由もあります。

さて、長くなりましたが次回で第4話は終了となります。なるべくすぐに上げたいと考えておりますのでお待ちください。


NEXT→「最終奏:歌姫の夢」

(16/02/28)
 最終奏のタイトル変更に伴いこの部分も変更いたしました。


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最終奏:歌姫の夢

前回早めに投稿したいです、と言っておきながら一週間も開けてしまい申し訳ありません。
加えて、いろいろまとめたので一万字超えましたが、よろしくお願いします。
あと、これを書いているうちにタイトルが「再スタート」より「夢」のほうがしっくりくるなと思い変更しました。

それでは「最終奏」スタートです。




「…………」

 

「…………」

 

 西木野家のリビングでは、少々気まずい雰囲気が漂っていた。その空気の発生源は、間違いなくリビングの中心にいる二人。テーブルを挟んで向かい合っている、真姫と真二だ。

 あのあと、戦いが終わったことにより位相も元に戻り、真姫もすぐに目を覚ました。意思疎通も問題なく行うことができ、後遺症といったものも見受けられない。無事に戻ってきた娘に涙する父と母。もう絶対に離さない、といった意思を感じられる母の抱擁は、きっと忘れられないだろう。

 そして、その場に漂う雰囲気を利用して、リヒトが親子の会話を設けることを提案した。もともと父親と娘の間にあった齟齬から今回の事件が発生したと言える。いい機会だから、親子で話し合ってみたらどうだ、との提案に、ふたりも思うことがあったのだろう。こうしてソファーを挟み対面することとなった。

 しかし、お互いに不器用な性格であるためか、なかなか会話が始まらずにいた。

 その様子を、呆れた様子でリヒトは見ていた。

 ちなみに希は学校があるため、すでにこの場にはいない。リヒトはこの場を提案した者として、残っているのである。

 

「あらあら、まだ話し出せていないのね」

 

 リヒトが呆れながらミルクティーを飲んでいると、学校へ娘が遅刻することを連絡するために席を外していた織姫が戻ってきた。

 

「もうずっとこんな感じですよ」

 

「まったく、まさかパパの不器用さがここまで真姫に移るなんて」

 

 そう言いながら織姫はリヒトの向かいに腰を下ろす。母親としても娘がここまで不器用だと心配になってくるのだろう、昔はもっと素直だったのに、と呟きながら自分の分のミルクティーに口をつける。

 リヒトは織姫のその姿に見惚れてしまった。以前、穂乃果の家に和菓子を買いに行った時も思ったのだが、なぜ自分の周りの女性は既婚者で子持ちなのにこんなに美人なのか? リヒトの母美鈴も(リヒトが記憶喪失のため他人と見ることができるので)美人の部類に入る。また、時折神田明神で見かけることりの母親、写真で見せてもらった海未の母親も美人だ。娘が美少女であれば母親は実年齢を感じさせない美女にでもなるのだろうか? そんな風に考えながら織姫を見ていると、

 

「ん? どうかした?」

 

 リヒトの視線に気付いたのか、織姫はカップから口を放す。リヒトはしばらく見惚れていたことに気が付くと「いえ」と言って照れ隠しのためミルクティーを飲む。織姫に悟られぬよう視線を真二と真姫の方へ向ければ、互いに紅茶のカップを同時に口へと持って行き、固まっていた。そして、同時に口へと運び、同時にカップを置いた。傍から見れば息ピッタリである二人に、リヒトは苦笑いを漏らすしかなかった。

 

「もう、二人とも早く話したら? 真姫も学校行くんでしょ?」

 

 織姫が聞けば、二人は同時に「わかってる」と言いリヒトは呆れを通り越して笑った。声を出して笑うリヒトに二人の視線が突き刺さり、リヒトはコホン、と咳を入れ視線を外す。

 しかしこのリヒトの笑いが効したのか、二人の間に会った気まずい空気はやや解消された。

 そして、同時に「あの」と切り出し、再びリヒトは噴き出す。

「ごめんごめん」とリヒトは謝る。そんなリヒトの様子を見た二人は互いに見合ってリヒトに呆れた。

 リヒトは二人の間に流れていた気まずい空気がなくなったのを見ると、真姫へアイコンタクトを送る。リヒトからのアイコンタクトを受けた真姫は、ふー、と一息吐くと真二を真っ直ぐに見る。真二の方も真姫の雰囲気を感じ取ったのか、真剣に向き直る。

 

「……パパ、私の話を聞いてほしいの」

 

「……なんだ?」

 

「私は医者の道も、音楽の道も歩みたい。難しい道なのはわかってる。でも、私は患者の『心』も救う医者になりたいの。患者の体も、心も救う医者。それに私はなりたい。その為には『音楽』の力が必要なの。人の心に響く『音楽』が。だからお願い! 私に両方の道を歩ませて!!」

 

 真姫はその拳を膝の上で握りしめ、真二の瞳を真っ直ぐ見つめながら自分の『心』を伝える。

『医者の道』と『音楽の道』を合わせ、『患者の「心」までも救う医者』になる。それが真姫の出した『夢の答え』だった。

 最初は無理やりだった。真姫にとって『医者の道』と言うのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というものだった。パパを感動させることができず、自分の『夢』が砕かれ、一種の『逃げ道』のようなものだった。自分に『音楽の道を歩む資格はない』、そう思い込んでいた真姫の選んだ逃げ道。

 だが、今回の一件で真姫は改めて自分の心と向き合った。

 その結果、真姫にとって『医者の道』というのは『歩みたい道』に変わっていた。きっと火野茜との出会いが、一番の要因だろう。彼女のような人を助けたい、そう真姫は思うようになった。

 だからこそ、真姫は悩んだのだ。二つの道で。

 そして今回、真姫は二つの道を合わせ、歩むことを決めた。片方を選べられないならば、二つの道を選べばいい、両方つかみ取ればいい、何とも欲深い意思から真姫は自分の『答え』が出たのだ。

 今の真姫にとって『医者の道』は()()()()()()()ではない。()()()()()()()()となっているのだ。

 

「…………」

 

 真二は真姫の言葉を真摯に受け止めた。真姫の言葉を聞いた真二は腕を組み瞳を閉じる。

『医者』である真二は、『医者の道』がどれほど厳しいかわかっているつもりである。そこへ、さらに『音楽の道』を重ねようとしているのだ。自分が歩んできた以上の厳しい道になることは確かだった。

 それ故、簡単には頷けない。

 

「…………」

 

 真姫は真二からの返答がないことに、そして自分がいかに無謀なことを言っていることを理解しているのか、次第にその拳が震え始めていた。

 

「……私は、真姫の『夢』は応援したいと思っている。私も真姫の『音楽』は大好きだからな」

 

「……!」

 

「だが、その道は真姫が思っている以上に厳しいぞ? 医者になる以上に、とても大変な道だ」

 

「それはわかってるわ。だから──」

 

「──口では何とでも言える」

 

「────っ」

 

「人の心を救うことは、一番難しいことなんだ。ママもカウンセラーをやっていた時はいつも悩んでいた。人の心の寄り添い方に」

 

 リヒトと真姫が織姫の方を見れば、静かに頷いていた。

 

「真姫は『音楽の力』で人の心を救おうと考えているのだろう。確かに音楽は素晴らしい、患者の心を救うのには有効な手段なのかもしれない。真姫の音楽の素晴らしさも、私は十分に理解しているからな。だが、具体的にはどうするのだ? どうやって患者の心を救う? 

 真姫の『夢』は素晴らしい、叶えばとてもすごいことだ。だからこそ、とても難しいのだ。その難しさを分かっているからこそ、簡単には頷けないのだ」

 

 真二の言葉が重く真姫にのしかかった。真姫は自分の言ったことの無謀さ、そしてどれほど困難な道であるかを理解しているため、何も言い返せなかった。

 真二の方もやや苦い顔をしていた。もちろん、先ほど言った通り真二は真姫の夢を応援したいしがんばれとも言いたい。娘の夢だ、応援したいに決まっている。

 だが、それ以上に真姫の言う『夢』の難しさを分かっているからこそ、つい厳しく言ってしまう。

 両者の間に再び重い空気が流れ始める。

 真姫は何とも言い切れないくやしさから、真二は娘の夢を純粋に応援できない歯痒さから。

 

 

 

 

 ──それを見ていたリヒトは、椅子から立ち上がると、二人の元へと行く。

 

 

 

 

 二人はリヒトの接近に気付き、そちらを向く。

 リヒトは二人の元までやってくると、真二に向かって言う。

 

「要は、西木野が二つの夢を追うほどの力と実力があればいいんですよね?」

 

「……なに?」

 

「だから、西木野の音楽が『人の心にどれほどの影響を及ぼすか』と言う()()と、西木野が『医者』を目指すための勉強と『音楽』を両立できるほどの()があれば、大丈夫ってことですよね?」

 

「……まあ、それが出来れば、一番いいのだが……」

 

「なら、確かめる方法はあります」

 

 リヒトは不敵な笑みを浮かべると、真姫の方へと向く。

 そして、不敵な笑みを浮かべたまま、リヒトは告げる。

 

 

 

 

「西木野、穂乃果たちと一緒にスクールアイドルやろうぜ」

 

 

 

 

「────え?」

 

 真姫の表情が驚きで染まる。

 

「スクールアイドルだよ。知ってるだろ?」

 

「そ、それはわかるわよ! なんで私がスクールアイドルを──」

 

「──スクールアイドルをやりながら医者になるための勉強をする。つまり、スクールアイドル=音楽の道、医者になるための勉強=医者の道。な? わかるだろ?」

 

 リヒトに言われ、真姫はハッとした表情になる。

 一方、真二と織姫は訳が分からず首を傾げ、リヒトに説明を求める。

 

「どういうことだ?」

 

「音ノ木坂学院が廃校の危機に瀕しているのは知ってますよね?」

 

「ああ、つい最近耳にした」

 

 織姫も頷くことで肯定した。

 

「俺の友人が音ノ木坂学院に通ってるんですけど、そいつは学校の廃校を阻止するべく幼馴染二人を誘って、スクールアイドルを始めたんです。スクールアイドルで学校の知名度を上げ、廃校を阻止するっているでかい『夢』を叶えるために。そして、その『夢』を実現させるには西木野真姫の『音楽の力』が必要なんです。メンバーの中に素直な詩を書く作詞者がいるんですけど、そいつの歌詞を生かすには西木野の作曲の力が必要なんです。アイツらの最初の曲『START:DASH‼』は二人の力が合わさり素晴らしい曲になっていた。それを聞いて俺は思ったんです。西木野の力が海未の作詞の力と合わされば、本当に廃校を阻止できるんじゃないかって。もし、廃校を阻止できれば、それは西木野の作った音楽が『人の心に届いた』という証明になる。もちろん、それを表現するアイツらの力も関係してきますが……」

 

「…………」

 

「だからこそ、西木野もメンバーに入る必要がある。曲だけ作って『はい、終わり』じゃだめだ。 曲を作ったからには、そこに西木野が込めた()()があるはずだ。海未が詩に想いを込めるのと同じように。その『想い』を確かめ合うために、そして、西木野自身が『音楽を表現』する難しさを知るために、メンバーに入る必要がある」

 

「音楽を表現する、難しさ?」

 

「そうだぜ、西木野。お前だって『想い』を込めて曲を作るだろ? なら、それを自分でも表現しなくちゃ。アイツらと一緒にダンスで表現する。これって、結構難しいんだぜ? それともあれか? 自分は演奏だけで表現できるから、そんな()()()()()()()とか考えてる?」

 

 挑発するように、試すように言うリヒト。今まで浮かべていた不敵な笑みから一転して、憎たらしい笑みを浮かべ見下すように真姫を見るリヒト。

 真姫はそんなリヒトの視線を受け、ムスッとした表情を浮かべると勢い良く立ち上が、リヒトを見返しながら宣言する。

 

「そんなわけないでしょ! いいじゃない、やってやろうじゃない。私には演奏以外にも『音楽を表現する力』があるって見せて上げるわ!!」

 

「勉強が大変になるぞ?」

 

「構わないわ! むしろ、そんなことで成績を落としてちゃ、私に『夢』を歩む資格なんてないもの!」

 

 真姫の宣言を受け、リヒトはニィと笑みを浮かべる。そして真二の方へ向き直る。

 

「つまり、スクールアイドルとして廃校を阻止するために活動しながら、『人の心に届く音楽』を学ぶ。さらに学校の成績は落とさず定期試験では常にトップに君臨する!! そして、学校の廃校を阻止できれば、西木野には『夢』を追う力があると証明できる。どうです? これなら、何の問題もないでしょ?」

 

 確かにリヒトの提案通りの結果が生まれれば、真姫には『夢』を歩む力があるということになる。それに、音ノ木坂学院の廃校問題はかなり深刻なことになっているため、リヒトの友人たちが初めたスクールアイドルは短期間で結果を出さなければならない。

 それはつまり早期に結果がわかるということ。

 真二の考えでは、半年後には廃校か否かが決まると考えている。もし『廃校』となってしまった場合、それは真姫に『力』がなかったということ。そうなれば(親としては心苦しいが)真姫には『夢』を変えてもらわなければならない。

 

「私は良いと思うわよ」

 

 真二より先に賛同の意見を言ったのは、こちらに歩み寄ってくる織姫だった。織姫は真姫の隣に立ち一緒に腰を下ろす。そして、膝の上に置かれた真姫の手を握る。

 

「大丈夫、真姫の音楽は必ず人の心に届く。いつも真姫の音楽を聴いていたママが言うんだもの、間違いないわ」

 

「ママ……」

 

 不安げに自分を見てくる真姫の頭に手を置き優しくなでる。

 織姫は真姫のコンクールにいつも来ていた。真姫が初めてコンクールに出場したときから、そして真姫の最後のコンクールの時も。さらに言うならば、真姫がピアノを始めた時から傍にいてくれたのだ。そんな人物から「大丈夫」だと言われたのだ。真姫の心に安心感が広がり「うん」と小さく答えた。

 真姫の呟きを聞いた織姫は優しく微笑むと、真姫の頭から手を放す。

 そして、真二の方へと向く。

 

「パパもリヒトくんにヤキモチ妬いてないで、素直に『頑張れ』って言わないと」

 

「俺にヤキモチ?」

 

 リヒトは突然自分の名前が出され驚いた様子で声を上げる。

 

「そう、パパは君にヤキモチを妬いているだけなのよ。まったく」

 

 呆れたように言う織姫に対し、真二はむすっとした表情で「なぜ奉次郎さんのお孫さんにヤキモチを妬かねばならんのだ」と言っている。一応その声はリヒトたちにも聞こえているので織姫に聞こえているはずなのだが、彼女は聞こえないふりをして続ける。

 

「ほら、真姫が昔誘拐されかけたことは知ってるわよね?」

 

 リヒトは頷くことで織姫の問いに答える。

 

「その時に真姫を助けてくれたのが君なのよ」

 

「え? 俺が?」

 

「そう。忘れちゃったかしら? 聞いた話だと『てめぇら何やってんだー!!』って叫びながら子供なのに大人二人に突撃して行ったって。頭を三針縫う大けがをしながらも真姫を助けてくれたの」

 

 そういえば真姫と(記憶喪失後)初めて出会ったあの日、奉次郎から知っている範囲内での『一条リヒト』と『西木野真姫』のことについて聞いた際に、奉次郎がややニヤ付きながら話していたのを思い出した。

 しかし今のリヒトは記憶喪失。具体的には覚えていないため、いくら『一条リヒト』が関わっていたとしても『他人事』としてしかとらえれなかった。

 

「……すいません、俺、今記憶喪失で。詳しくは覚えていないんです」

 

「そう、少し残念ね。あの時のお礼、しっかり言えてなかったから言おうと思ったのだけど」

 

「すいません」

 

「謝らなくていいわよ。それでね、私たちが駆け付けた時は警察が先にいて真姫もリヒト君も無事だったんだけど、さっきも言った通り君は頭から血を流していてね。真姫は怖かったのか、それともリヒト君が頭から血を流しているのが心配だったのか、リヒト君に『ごめんなさい、ごめんなさい』って言いながらすごい大泣きしていたの。何より驚いたのは、頭から血を流しているのに泣いている真姫を笑わせようといろいろやっていたリヒト君なのよね。真姫を抱きしめて『大丈夫、大丈夫』って言いながら頭をなでていたのを、今でも覚えてるわ」

 

 当時の光景を思い出すかのように語る織姫。

 リヒトは織姫の言ったことを想像し、若干顔を引きつらせていた。奉次郎から聞いた限り、この事件が起きたのはリヒトが七歳のこと。真姫は当時六歳だったと聞いている。そんな幼い二人が、片方は大泣きしながら、もう片方は頭から血を流しながらも泣いている女の子を抱きしめ『大丈夫だよ』と、自分が大丈夫だということを必死にアピールしている。なんともまあ、奇妙な光景であることは間違いないだろう。

 

「これが君との初めての出会いだったわね。私たちから見たら、真姫が泣きながら頭から血を流している男の子に抱き着いているんですもの。さすがに状況を飲み込むのに時間がかかったわ」

 

 そりゃそうだ、とリヒトは思った。

 

「パパが君にヤキモチを妬き始めたのはその時。実は昔のパパは真姫が大好きでね、真姫は覚えていないかもしれないけど、昔は家で一緒に遊んでいた時もあったのよ」

 

「え? そうなの?」

 

「そうなのよ。真姫が立ったら周りの誰よりも喜んでいたし、真姫が魔法少女アニメにハマったときはちゃんと適役もやっていたのよ? 一緒にお風呂に入ったり、一緒のベットで寝たり、とても仲が良かったの。それに家にあるグランドピアノも、真姫がピアノを始めた日にパパがすぐに買いに行ってね。防音設備のある部屋まで作っちゃうし、ホント真姫のことになると色々すごかったわ」

 

『…………』

 

 リヒトと真姫は唖然とするしかなかった。チラリと真二の方を見てみるが、とても今の雰囲気からその時の姿を想像することは難しかった。

 今の真二はまさに堅物人間、いかにも生真面目な性格が感じ取られ、クールで冷静沈着な大人としてしか見えないのだ。そんな人物が、娘と一緒に魔法少女ごっこをやっている姿は……とてもじゃないが想像できなかった。

 

「そんな愛娘が、誘拐されかけた上に見知らぬ男の子に助けられ、しかも涙を流して抱き着いている。娘をそんな目に遭わせてしまった自分の不甲斐無さと、娘が見知らぬ男の子に抱き着いているところを見て怒っちゃったみたい。ねえ、そうでしょ?」

 

 真二の方を見ると、真二は織姫から目をそらす。

 

「真姫のことを心配しすぎたパパは、真っ先に真姫のことを怒鳴りつけちゃってね。『こんな時間まで何やっていたんだ! 最近物騒だから早く帰って来いと言ったはずだ!!』って。まあ、門限を過ぎていたにもかかわらず、ピアノ教室でピアノを弾いていた真姫も悪いけど、他にも言うことがあったんじゃないの?」

 

 そう言って織姫は再び真二の方を見る。真二は当時のことを思い出しているのか、バツが悪そうな顔を浮かべながら、織姫の視線から逃げるように顔を背けるとカップを口へと運ぶ。 

 ちなみに、本来ならば織姫が真姫の送り迎えをやっているのだが、その日に限って重要な案件が入ってしまい、迎えに行けなかったのだ。一応使用人を送ろうと思ったのだが、真姫が『一人で帰れるもん』と言うのでついつい迎えを出さなかったのも悪い。これ以降はたとえどんな理由があろうと織姫は真姫のピアノ教室へ毎回行き、二度とあのような事件を起こさないと誓ったのだ。

 

「まったく、たぶんあれで真姫はパパのことが苦手になったのでしょうね。結構大声で怒鳴っていたから。真姫は覚えてる?」

 

「……覚えて、ない」

 

 誘拐されかけたことは覚えている。リヒトに助けてもらったことも。しかし、やはり人間嫌な記憶と言うのは忘れたいもので、さらに一〇年前の出来事だということもあり、少々あやふやになっているのだ。

 覚えているのは、誘拐されかけた恐怖と、リヒトに助けられた時の安心感。そして、子供ながら自分を助けるために大人二人に勇敢に立ち向かったリヒトの背中だった。男に殴り飛ばされても、腹を蹴られても、地面を何度もバウンドしてもなお真姫を守るために立ち上がるリヒト。ボロボロになりながらも、その背中で自分を守ってくれたことだけは、十年たった今でも忘れていない。

 なぜならそれが『一条リヒト』との初めての出会いだったから。

 

 

 

 

 なぜならそれが真姫の『初恋』だったから。

 

 

 

 

『誘拐されかけた自分を助けてくれた王子様』というベタな展開。

 漫画みたいな展開で惚れ、告白する間もなくリヒトに好きな人がいることを知り、結局告白できずにいる自分の『初恋』。年月が過ぎてしまったため諦めてしまった『初恋』。

 もう今更リヒトに告白する気はない。今でも『好き』ではあるが、時間が経ちすぎた。それに今のリヒトは記憶喪失だ。告白するにしても、向こうは自分のことを覚えていないのだ。一度はそれを利用して『実は付き合っていた』設定を作ってしまおうと思ったが、気が乗らなかった。そんな『ウソ』をついてまでリヒトと付き合いたくはない。もし告白するならリヒトが記憶を取り戻してからにしよう。

 不思議と恥ずかしさなどはなかった。振られるのがわかっている分、少々気が楽だったのだろう。

 

「無理もないわよね。あまり思い出したくないことだろうし。でも、これは覚えているんじゃない? パパに怒られた真姫が何て言ったか」

 

「え? 私が言ったこと?」

 

「そう。覚えてない? 『パパなんか大っ嫌いっ!!』って叫んでリヒトくんに抱き着いたこと」

 

「えっ!?」

 

「いつも優しかったパパに怒られてショックだったのか『パパ嫌い! あっち行って!!』って、完全にパパのこと拒否しちゃったのよね。パパそれが結構答えちゃったみたいで、娘に嫌いって言われたのと、リヒトくんに抱き着いたダブルパンチで三日は寝込んでたわね」

 

 織姫は当時のことを思い出したのか口に手を当て笑っている。

 リヒトは真二の方を見ると、眉間に皺を寄せ織姫を睨んでいた。明らかに視線が『なぜそれを言う』と語っており、完全に不機嫌となっていた。

 その様子から見るに、どうやらこれは本当の話らし。

 

「いや、でもそれなら、時間を置けば元に戻るんじゃ」

 

「それがね、この人にとって真姫に嫌いって言われたことが結構トラウマになっちゃったみたいで、しばらく真姫と話すこともままならなかったの。しかも、一時期病院の方で問題が起きちゃって、そっちの方の対応にも追われていてね。結局、真姫と遊ぶ機会も減っていったの。だから、あのコンクールの日に思い切っていろいろ言おうとしてたみたいなんだけど……」

 

 織姫の言う『あのコンクール』とは、真姫の中学生最後のコンクールのことだろう。今回の事件の中心にあるのは、この『コンクール』なのだ。このコンクールでの出来事が、真姫に大きなショックを与え、今回の事件に至った。

『闇』に囚われ、病院を破壊し、最悪『大いなる闇』復活のための生け贄になっていたかもしれないのだ。

 もしそうなってしまったら……、考えるだけで恐ろしかった。

 

「なんでホールから出て行ったんですか?」

 

 だからリヒトは聞いた。リヒトのみが知っていることがあるから、聞けずにはいられなかったのだ。そもそも、そこで真二が出て行かなければ、今回の事件は起こらなかったかもしれない。真姫が『闇』に囚われ命の危機に陥ることもなかったはずだ。

 

「なんで、()()に涙を見られたくなかったんですか?」

 

「……」

 

 真二はカップをテーブルに置くと、腕を組み瞳を閉じてしまう。

 まるで、答えたくありません、と言っているような姿勢をとられ、リヒトはわずかに眉間に皺を寄せた。

 

「なん──」

 

「私は!」

 

 リヒトの言葉を遮るように、真二は声を張った。そして、より強く腕を組み、そっぽを向くと小さく答えた。

 

 

 

 

「……私は、次に娘の前で泣くのは、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………へ?」

 

「……だから! 私が次真姫の前で泣くのは()()()()()()()()()と決めているのだ! 結婚式で真姫に『今までありがとう』、そう言われて泣く。それまでは決して真姫の前では泣かないと、真姫が生まれた時に私はそう誓ったのだ。だからあの時、真姫の前で涙を見せるわけにはいかなかった。これが私がホールを出て行った理由だ!!」

 

 リヒトの方を向き、半ばやけくそに叫ぶ真二。よほどこの理由を言いたくなかったのか、顔は真っ赤に染まっており、それを隠すようにカップを乱暴に持ち上げると一気に紅茶を口へと運ぶ。まだ紅茶を淹れてからそんなに時間はたっていない。本来はまだ熱いはずなのにそれを感じさせないほどに一気に飲み干す真二。

 一方のリヒトは先ほどまで感じていた怒りにも似た感情を忘れ、口を開け呆然としていた。真姫もまさかそんな理由だったとは、普段から抱えている父親のイメージからは想像もできない理由から、リヒトと同じく呆然としていた。唯一この理由を知っている織姫は口元に手を当て笑っている。

 

「…………えっと、それが理由なんですか?」

 

「当り前だ。娘を生んだ父親にとって、娘の最高の舞台である『結婚式』までは決して涙を見せるな。私の父はそう言っていた。だが、そのせいで真姫にはとても辛い思いをさせてしまったみたいだな、本当にすまなかった」

 

 真二はソファーから立ち上がると、真姫に対して頭を下げる。突然の謝罪を受けた真姫は、父親の行動に最初は驚いたものの、すぐに笑みを浮かべると自分もソファーから立ち上がる。

 

「……いいのよ、パパ。パパの気持ちは分かったから」

 

「……真姫」

 

「私は大丈夫。パパの言う通り、私の『夢』はとても厳しいものなのかもしれない。でも、だからこそ挑戦したいの! 私の音楽で人の心が動かせるのか、私の音楽で学校の廃校を阻止できるのか。……私は、音ノ木坂学院の雰囲気が好きなの。あの音楽室に漂う、雰囲気が。あの雰囲気は、私みたいに音楽が好きな人ならきっとわかるわ。だから、そんな人たちのためにもあの音楽室を残しておきたい。だからお願い! 私にスクールアイドルをやらせて!」

 

 今度は真姫が頭を下げた。深々と下げられた頭。その姿勢から、真姫がいかに本気であるかを感じ取ることが出来る。

 真二は真姫へと近づくと、ポン、とその肩に手を置く。真姫が顔を上げると、そこには普段の気難しそうな表情ではなく、優しい笑みを浮かべていた。

 

「私は、あまり父親らしいことが出来なかった。いや、してこなかったと言っても過言ではない。だから真姫もあまりわがままを言ってこなかったのだろうな。

 そんな娘が初めて自分の口から『こうしたい』と言ってきた。こんなに嬉しいことはない。真姫、お前の歩む道はとても大変であり厳しくもある。困難な壁がいくつも立ちはだかるだろう。そんな時は、周りを頼りなさい。私やママ、……それに彼や彼の言うスクールアイドルをやっている少女たちを。真姫は私に似て素直じゃないところがあるから難しいと思うが、周りを頼ることは恥ずかしいことではない。むしろ、一人で抱え込むことが恥ずかしいことなのだ。私は以前それを学んだはずなのに、今回もその失敗をしてしまった。

 私が言えた義理ではないが、真姫には私のようになってほしくはない。自分の心に素直になってほしい。だから真姫、変に自分を着飾るんじゃないぞ。自分の心を素直に表現するのだ。そうすれば、きっとお前の音楽は人々の心に届くだろう」

 

「パパ」

 

「頑張るんだぞ! 真姫! 私はお前の夢を、心から応援しよう!!」

 

「──―ッ!! ありがとう! パパ!!」

 

 真姫はそう言って真二の胸に飛び込んだ。突然のことに真二は驚いた表情をするが、すぐに優しい笑みを浮かべ、真姫を抱きしめる。まるで、もう離さないかのように。

 そんな二人を見たリヒトは今回の件が本当の意味で無事片付いたことに安心し、笑みをこぼす。これで二人の間にあった扉は消え去り、二人の時間が動き出した。これでもこの親子が『闇』に堕ちることは決してないだろう。たとえ『闇』が二人の元を襲うと、それを覆すほどの『絆』が二人の間にはある。決して破れないほど強く結ばれた『絆』が。

 

「ありがとう、リヒトくん」

 

 唐突に織姫にお礼を言われ、リヒトは気恥ずかしくなった。

 

「いえ、別に俺は、あくまで西木野の背中を押しただけです。後はアイツの意思で一歩を踏み出しただけですよ」

 

 頬を掻きながら言うリヒト。織姫はそんなリヒトを見て「フフ」とほほ笑む。そして何やら不敵な笑みを浮かべ、リヒトを見上げるように見る。頬杖をついて自分を見てくる織姫に、リヒトは自然と体が緊張する。次第に不敵な笑みが妖艶な笑みに変わっていくのが、リヒトには感じ取られた。

 

「『西木野』だなんて硬い呼び方しないで、昔みたいに真姫を呼べばいいじゃない」

 

「……えっ?」

 

「その方が真姫も嬉しいはずよ」

 

「いや、その、えっと……」

 

「もしかして、恥ずかしかったりするの?」

 

 ん? 首を傾げ聞いてくる織姫。人妻であるにもかかわらずその仕草が可愛らしく見えるのは、世の中の七不思議ではないのかとリヒトは考えつつ、ドギマギする心を悟られぬよう顔をそらす。

 一応、『一条リヒト』が真姫を何て呼んでいたのかは奉次郎から聞いている。しかし、その名で呼ぶのは記憶が戻ってからと決めているのだ。本来なら穂乃果たちのことも名字で呼びたかったのだが、彼女たちの強い要望により却下された。

 

「記憶が戻ったら、そう呼びますよ。それまでは待っててください」

 

「……そうね、待ってるわ」

 

 織姫の方も何かを感じたのか、納得の意を表す。

 リヒトとの会話を終えると、織姫は真姫の元へと向かい「真姫、そろそろ準備しなさい」と言って真姫を学校へ行く準備に向かわせた。結局いろいろ話しこんでしまい時間はかなり立ってしまっているが、まだ二時間目からは参加できる。真姫は自室へ、織姫も真姫にないか少しでも食べて行ってもらおうと、小さめのおにぎりを作るためにキッチンに向かった。

 そして真二はリヒトの元へとやってきた。リヒトはソファーから立ち上がり真二と対面する。

 

「君にも一応礼を言おうと思ってな」

 

「礼ならもう西木野のお母さんから貰ってるのでいいですよ。あなたの礼はギンガに言ってあげてください」

 

「……そうだな、彼にも礼を言わないとな。しかし、彼は一体何者なのだ?」

 

「闇を打ち払う『光の戦士』、それが『ウルトラマンギンガ』。俺の知っているのはこれくらいです」

 

「そうか、いつかまた会ったとき、礼を言いたいものだな」

 

 そう言って真二もまた仕事に向かおうとするが、リヒトに背を向けたまま立ち止まってしまった。まだ何かを伝えたいのか、何度か上を向いた後、リヒトへと振り返り右手を差し出してくる。

 え? と疑問がるリヒト。

 

「悔しいが、君を認めざるを得ない。真姫は、君のそばではいつも笑顔でいたからな。そして今回も君のおかげで真姫の顔に笑顔が戻り、私と真姫の仲も解消できた。それに、真姫にあんな提案をしたのだ。もちろん君も真姫を支えてくれるのだろう。非常に不本意だが、ひ・じょ・う・に()()()だが、君に真姫を任せるとしよう」

 

「……了解、です」

 

 そう言って真二の右手を握り返すリヒト。『不本意』と言う部分を随分強調されたが、その通りなのか若干握られている右手に痛みを感じる。

 

「これからも真姫のこと、頼んだぞ」

 

 真二はリヒトとの握手を解くと最後に一言リヒトに告げ、今度こそリビングを出て行った。

 

「……任せてください」

 

 リヒトは去って行く真二の背中に向け、確かなる決意を込めて言った。

 




世の中のお父さんは真姫ちゃんのような可愛い娘から「パパ嫌い」なんて言われた日にはかなりのショックでしょうね。
そんな発想から今回の話が生まれました。加えて、どう見ても真姫ママにツンデレの要素が見当たらなかったので、思い切って真姫パパをツンデレにしてみました。まあ真姫のツンデレは父親譲りということで……。
でも映画だと、この親子かなり仲良さそうなんですよね。行ってきますのキスをするくらいに……。うーん、不思議だ。

さて、今回で「第4話」の主な話は終了なのですが、入らなかったシーンがあるので次回に回します。一月に「第4話」を始めたハズなのに終わりが二月って、正直自分の筆の遅さを反省しております。
次回の第5話なんですが、新作を始めようと思っていることと、今度は一つ一つではなくすべてを書き終えたら投稿しようと思っておりますので、かなり遅れるかと思います。楽しみにしている方はすいません。頑張りますのでしばらくお待ちください。

それでは、次回もよろしくお願いします。


○次回予告
アイドルに憧れる少女・小泉花陽。μ’sのライブを見て以降その思いは強くなっていくが、自分の性格の故踏み出せずにいた。そんな花陽の前に「ユーカ」と名乗る女性が現れる。同じアイドル好きであるユーカと親しくなっていく花陽だったが、ユーカを不審に思った凛とケンカになってしまう。
それでも、ユーカへの不信感が拭えない凛は二人の後をつけると、思いもよらない光景を目にするのだった。
次回、「憧れから咲く花」


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Episode EX 歌姫と少女

最終奏に入らなかったこのシーンを、番外編扱いで投稿させていただきます。
言い訳にしか聞こえませんが、これを同時に投稿させたかったので、投稿までに時間がかかりました。





 ──―ある日の休日。

 西木野家に一人の少女とその母親が招待された。

 少女の名前は火野(ひの)(あかね)。明日手術を控えている少女だ。小学三年生の身でありながら、心臓病を抱え、西木野総合病院に入院している。本日は時別に外出許可をもらい、西木野家へと足を運んだのだ。

 久々の外の空気に、本来なら胸を躍らせるのだが、手術の日が迫っているためかその表情は暗かった。

 

「ようこそ、茜ちゃん」

 

「……おねーちゃん」

 

 茜を迎えたのは、この家の一人娘でもあり茜が憧れた人物、西木野真姫(にしきのまき)だった。いつも見ていたのが制服姿であるため、今日のような私服姿は茜の目に新鮮に映った。

 

「こっちに来て、案内するわ」

 

 真姫に促され茜と母親は部屋の奥へと進んでいく。

 しばらく歩いていると、一つの部屋へと案内された。案内された部屋は、ピアノのある部屋だった。フローリングの大きな部屋の中央に置かれた、グランドピアノ。窓からは太陽の光と心地い風が入ってきており、ピアノに置かれた楽譜を揺らしていた。

 真姫は二人をソファーへ案内すると、ピアノへ向かう。

 

「茜ちゃん、私はピアノをやめていないわ。少しの間休んでいたの。小さいころから毎日ピアノに明け暮れていて、ちょっと疲れちゃってね。でも、もう大丈夫よ。長い休憩は終わり」

 

 真姫は語り掛けるように言いながら、ピアノへとたどり着く。

 

「……なんていうのは、ウソかな。私ね、中学生最後のコンクールでピアノを全力で弾いたの。ある人に私の『思い』を伝えたくて。でも、その人はホールから出て行っちゃってね、私は『自分の「思い」はその人に届かなかったんだ』って感じたの。それがショックで、私はピアノをやめた。でも本当は違ったの、本当は伝わっていた。私の『思い』が」

 

 真姫は椅子の高さを調整しながら続ける。

 

「うれしかったわ。私の『音楽』がその人に届いていて。それでね、私は自分の音楽をもっと人の心に届けたくて『スクールアイドル』を始めたの。私の『夢』、『人の心も救う医者』になるために。そして今日は、そのはじめの一歩」

 

 椅子の調整を終えた真姫は茜を見る。

 

「茜ちゃん、今から私はあなたの心に『音楽』を届けるわ。()()()()()()()()()()()()()()()すごい音楽を」

 

「おねーちゃん」

 

 真姫は茜に微笑むと意識をピアノへと集中させた。その表情は、まさに茜がコンクール会場で真姫を見た時と一緒だった。真姫の意識がピアノへと集約されていき、美しい十本の指が鍵盤の上に添えられる。

 ふぅー、と一息、真姫が息を吐き終わった瞬間──―。

 

 

 

 

 ──―研ぎ澄まされた音が茜の心に飛び込んできた。

 

 

 

 

 茜の心に眠る『恐怖心』を吹き飛ばすほどの『音楽』が、真姫の演奏で奏でられた。

 茜は真姫に憧れピアノを始めた際に有名な人の曲は大体聞いたので知っているが、今真姫が演奏しているのはそれのどれにも当てはまらない、初めて聞く曲だった。

 それもそのはずだ、この曲は真姫が作曲した曲なのだ。茜の『手術』に対する『恐怖心』、そして『これからへの不安』を感じている自分を勇気づけるための曲。

 前進を恐れず、素直になってみんなと喜びを分かち合いたい、そんな真姫(じぶん)へ。

 手術は怖い、だけどほんの少しの勇気で変われる、元気を、勇気を上げたい茜へ。

 真姫は、この曲を作った。

 最初は不安だった。今までピアノに明け暮れていたため他人と関わることが少なかった真姫は、新しい人間関係を作ることが苦手になっていた。

 それでも、勇気を出して一歩踏み出した。ほんの少しの勇気を出して、楽しい物語を作りたいから。独りぼっちを卒業するために。

 今思えば、これは茜より自分へのエールの曲になってしまったかもしれない。でも、それでいいのだ。なぜなら──。

 

 

 茜は自分の心に流れ込んでくる『音楽』に、心を奮い立たされていた。

 そして同時に感動していた、憧れの人が自分に向けてピアノを弾いてくれていること、憧れの人のピアノをこんな間近で聞けることが。今まではホールで聴いたことしかなかったため、ステージでピアノを弾く真姫とは距離があった。それが今ではほんの数メートル先にいる。

 

 

 

 

 ──―弾きたい。今、無性にピアノを弾きたい。

 

 

 

 

 真姫のピアノを聞いていた茜は素直にそう思った。

 ──―弾きたい、おねーちゃんと一緒にピアノを弾きたい。

 その思いが茜の中に渦巻く。

 見る者を、聞く者すら魅了し、その心を虜にする。それが『歌姫・西木野真姫』が奏でる音楽だ。

 茜の世界が、いや、それを一緒に聞いている茜の母親の世界すらも『音楽の色』に染まっていく。

 真姫の思いが『音』に乗り、それが『色』となって二人の心を染め上げていく。

 気が付けば二人は、音に染め上げられた世界に立っていた。様々な音符が二人の周囲を飛び交い、世界が広がっていく。音符たちは風に乗って茜の周りを飛び、茜の髪をさらう。

 

『さあ、勇気を出して一歩踏み出そう』

 

 そんな声が聞こえてきた。

 

 

 気が付けば、真姫の演奏が終わっていた。

 音の世界から戻ってきた茜と母親はしばらく窓から吹き込んでくる風を受けながら、真姫の演奏の余韻に浸っていた。

 演奏を終えた真姫は窓から吹き込んでくる風に髪をなびかせながら、上を向いて息を吐いていた。そして、茜のほうを見てニッコリ微笑んだ。

 真姫の微笑みを受けて茜はハッとなった。すぐさまソファーから立ち上がると拍手を送る。茜の拍手を聞いて母親もハッとなり拍手を送る。

 

「すごい! すごいよおねーちゃん!! 私感動した!! ママもそうだよね!!」

 

「ええ、すごいわ。初めて聞いた時以上に、あなた演奏に引き込まれたわ。もう、……ごめんなさい、あまりのすごさに言葉が出ないわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 二人からの絶賛に真姫は頬を赤くして礼を言う。褒められるのはうれしいが、こうも「すごいすごい」と絶賛されると、恥ずかしさのほうが上回ってしまう。もっと素直になれないのだろうか。そこだけが歯痒い真姫だった。 演奏はうまくいった。茜の様子を見る限り、真姫の『音楽』は届いたと考えてもいいだろう。茜は真姫の演奏に満足したのか、満面の笑みを浮かべている。

 だが、真姫は茜に言わなくてはいけないことがある。

 

「茜ちゃん、実はこの曲ね、まだ完成していないの」

 

「え?」

 

 そんなはずはない、と茜は思った。だって先ほどの曲は茜と母親の心に響いたのだ。二人の世界を『音の色』に染め上げたのだ。そんな曲が未完成だなんて、茜には信じることができなかった。

 そんな茜に向け、真姫は言う。

 

「この曲はね、茜ちゃん、あなたと二人で演奏して初めて『完成』するの」

 

「私と……?」

 

「そう。実はこの曲ね、()()()に向けた曲なの。新しい一歩を踏み出せるように、後押しする曲。だから、私一人で弾いていたらまだ未完成なの。茜ちゃんと二人で弾いて初めて完成する曲。だから、最後まで弾かない。茜ちゃんの手術が成功して、元気になったら二人で弾きましょう。最後まで」

 

 それは、茜の『夢』である『真姫との二重奏』のお誘いだった。

 ずっと、初めて真姫の演奏を見てピアノを始めた時から思っていた『夢』。

 叶う確率が低いと思っていた『夢』。

 真姫がピアノをやめてしまい、もう叶うわけがないと思っていた『夢』。

 それが今、叶うかもしれない『夢』に変わった。

 

「茜ちゃん」

 

 真姫は茜のもとに近づきながらその名を呼ぶ。茜のもとにたどり着いた真姫は、先ほど引いた曲の楽譜と一枚のCDを茜に渡しながら言う。

 

「私はあなたと一緒にこの曲を弾きたい。元気な茜ちゃんと」

 

「おねーちゃん……」

 

「どうかな? 私の『音楽』届いた?」

 

「……」

 

 真姫は茜の瞳をまっすぐ見つめながら言う。

 茜は真姫から受け取った楽譜を見つめる。そして、瞳を閉じる。瞼の裏には、先ほどの音の世界が広がっていた。そして、その光景の真ん中で真姫と二重奏をする自分の姿を見た。

 

「うん、私頑張る。手術を受けて、絶対におねーちゃんと一緒にピアノを弾く! それが私の『夢』!!」

 

「茜ちゃん!」

 

 高らかに宣言した茜は、真姫に向けピースサインを送る。

 そこには、この家に来た時の暗かった表情はなく、弾けるような満面な笑みがあった。

 そして同時に真姫は感じた。自分の『音楽』が茜の心に届いたことを。自分の音楽が茜の『手術に対する恐怖心』を吹き飛ばせたのではないか。

 茜の笑みから真姫はそう感じた。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

「今日はありがとう! おねーちゃん!!」

 

「手術頑張ってね」

 

「うん!」

 

 最後に二人の『夢』を実現させるための約束を交わし、茜は病院へと戻っていった。

 

「……」

 

 茜には自分の『音楽』が届いた。

 だが、これからはもっと奥の人々の心に届く『音楽』を作らねばならない。

 できるのだろうか? 自分の音楽で、多くの人を感動させることが……。

 今まで自分は既存の曲で戦ってきた。一度だけオリジナルの曲で賞をもらったことがあるが、その一度きりだ。作曲なんて普段はめったにしない。

 それなのに、これからはオリジナルで勝負をしなければならない。不安は大きいに決まっている。

 

(大丈夫、私にはできる。だって──―)

 

 そう思っていたとき、まるで狙っていたかのようなタイミングで──。

 

 

 

 

「おーい! 真姫ちゃーん!!」

 

 

 

 

 一緒に歩んでくれる、心強い友達(なかま)の声が聞こえてきた。

 振り返ってみれば、同じタイミングでスクールアイドルに入った親友二人が、こちらに走ってくるのが見えた。

 

「まったく……」

 

 こっちは少し考え事をしていたというのに、あの元気溌剌な声を聴いたら、自然と顔が緩んでしまった。

 そうだ、不安を感じる必要はない。今の自分には共に道を歩む友達(なかま)がいるのだ。立ち止まりそうになったとき、助けてくれる友達(なかま)がいる。

 

「そう、私はもう、一人じゃない」

 

 ──私の未来は、私の手で掴む!! 

 

 そのための一歩を、もう一度踏み出そう。

 

「凛! 花陽!」

 

 

 

 もう少女は『(みち)』に迷うことはない。その道を示してくれる光が、ともに歩む仲間がいるのだから。

 

 

 

 

 




以上をもちまして、本当の意味で「第4話」が終了です。

一応説明しますと、この話は第5話の後の時系列になります。なので次回はまた時系列が戻ります。どこまで戻るかというと、第4話の第二奏まで戻ります。まあ、早い話が第4話と第5話同じタイミングで事件が起きていたということになりますね。

さて、第5話投稿までは時間がかかりますので、しばらくお待ちください。

感想などお待ちしております。

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第5話 憧れから咲く花
第一章:憧れ



四ヶ月間更新せずにすいませんでした!! 
気が付けばμ'sのfinalLiveが終わり、サンシャインのアニメが始まり、ウルトラマンもエックスからオーブへとバトンが渡っている……、時の流れって恐ろしいですね(白目)

それでも、こちらで展開されていくμ'sの物語まだまだ終わりませんので(そもそも始まってすらいない……)、お付き合いよろしくお願いします!



 それは、まだ小泉花陽が幼かったころ。

 テレビに出ているアイドルの真似をして、おもちゃのマイクを片手に笑顔を振りまいていたころだ。

 その時の花陽は、毎日のようにテレビに映るアイドルに瞳を輝かせ、『アイドル』というものに熱中していった。

 好きなアイドルの歌を覚えて、よく家族の誕生日パーティなどで歌っていた。

 ビデオテープが擦り切れるほどに見返し、振り付けを必死に覚えた。

 そして、花陽の五歳の誕生日だっただろうか。いつも通りにマイクを片手に歌う花陽は、カメラを構える両親に、こう宣言した。

 

『私、将来アイドルをやりたい!!』

 

 満面の笑みで告げる花陽。

 ──しかし、そんな彼女の『夢』はとあることをきっかけに壊れてしまった。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

「…………」

 

 学校から帰宅した花陽は、ソファーに座りどこか熱のこもった瞳で虚空を見つめていた。

 家に帰宅してからすでに二時間は経とうとしているが、体の熱は収まる気配がない。それほどまでに、先輩たちのライブに感動したのだ。

 憧れていたスクールアイドルが、まさか自分が通う学校で誕生し、そのファーストライブを見ることができた。

 いわば『始まりの瞬間』を目撃したのだ。

 それほどの興奮がそう簡単に消えてたまるか、花陽はそんなことを思いながらライブの余韻に浸っていた。

 しばらくぼーっとしていると、玄関の開く音が聞こえ、彷徨っていた花陽の意識が戻る。

 ガチャリ、とリビングのドアが開かれ、一人の男性が入ってくる。

 

「ただいま。

 ──その様子だと、いいことあったみたいだね?」

 

 そう言って花陽に微笑みかけてくるのは、四歳年上の兄・小泉太陽(こいずみたいよう)だ。

 太陽はソファーに座っている花陽の元に来ると、頭を撫でる。兄に撫でられ、少々照れくさくなるが、嬉しいので手を払いのけたりしない。

 

「お兄ちゃん、お帰り。うん、ちょっとね」

 

「そういえば、今日は花陽の通う高校で誕生したスクールアイドルのライブだっけ? それが関係しているのかな?」

 

 花陽が通う音ノ木坂学院でスクールアイドルが誕生したことは、花陽の口から家族全員に語られている。同じアイドル好きである太陽は興味があるのか、隣に座って続きを待っていた。

 

「うん。それがね──」

 

 花陽は普段は温厚で心優しい性格なのだが、ある二つのことになるとキャラが変わったかのように饒舌になる。

 それが、アイドルと白米のことだ。

 後者はあまり見られないが、前者はよくある。

 幼い頃からアイドル好きな花陽は当然スクールアイドルにも精通している。その為、花陽にアイドルまたはスクールアイドルについて語らせると、止まらなくなるのだ。

 今も自分が今日体験したスクールアイドルのファーストライブの感想を饒舌に語っていた。

 太陽はそれを止めることなどしない。元々家族全体がアイドル好きであることも関係しているが、それにより普段は内気な妹が、ハキハキと好きなものについて語っているのだ。しっかりと聞いてあげるのが、兄の務めだと思っている。

 だから太陽は、花陽の話をしっかりと聞き、相槌を入れ笑う。

 そんな兄だからこそ、花陽も気軽に話せるのだ。

 そして同時に、太陽はいつも思うことがある。

 

 ──本当に、花陽はアイドルが好きなんだね。

 

 おそらく妹は、家族の中で一番アイドルが好きなのだろう。どうしてそこまで好きなのか太陽は知らないが、ここまで語れることは純粋にすごいと思った。

 だからこそ、ついつい聞いてしまう。

 

 

 

 

「花陽は、スクールアイドルをやらないの?」

 

 

 

 

 太陽の言葉を受け、花陽は一瞬目を見開くと、普段のようにしおらしくなってしまった。

 

「む、無理だよ。私なんかじゃ……。

 声も小さいし、背も低いし、こんなに恥ずかしがり屋なのに……ステージに立つなんて……」

 

「…………」

 

 花陽は大のアイドル好きである。

 しかし、花陽は『自分がやりたい』と言わなくなってしまった。子供の頃は素直に『やりたい』と言っていた花陽だったが、小学生の頃だろうか。その時ぐらいから言わなくなってしまったのだ。むしろ逆に『自分にはできない』と言い出してしまう始末。

 花陽に何があったのか、どうしてそんなことを思うようになってしまったのかを、太陽は追及したりはしないが、花陽の瞳をまっすぐ見て太陽は言う。

 

「僕はそんなことないと思うけどな」

 

「……そんなこと、あるよ」

 

 花陽は先ほどまでの威勢はどこへ行ってしまったのか、両手を握りしめ体を小さくしてしまっている。

 

「そっか。ごめんね、こんなこと言って」

 

 太陽はそう言って立ち上がる。

 

「お兄ちゃんが謝るようなことじゃないよ」

 

 そういう花陽に太陽は一度微笑むと、ポン、と花陽の頭に手を置く。優しくなでると、カバンを自室に置くためにリビングを出て行こうとするが、何かを思ったのか扉の前で止まると、花陽の方に振り返る。

 

「花陽、ウソはついていいけど、心にまでウソはついちゃだめだよ」

 

「──え?」

 

 どういう意味? と花陽が聞く前に、太陽はリビングを出て行ってしまった。

 一人取り残された花陽は、兄が先ほどまでいた場所を見つめているだけだった。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 翌日、花陽は英語の授業を受けながらチラシを見つめていた。

 昨日兄から言われた一言、『ウソはついていいけど、心にウソはついちゃだめだよ』。結局その言葉がどういう意味だったのかを聞くことはできなかったが、何となく花陽はその言葉の意味を分かっている気がした。

 ──私は……。

 

「それじゃ、ここ、小泉読んで」

 

「あ、は、はいっ」

 

 先生に指名され、慌てる花陽。

 

「えっと……」と教科書のページを見る花陽。先ほどまで兄の言葉について考えていた為、どこを読めばいいのかわからなくなってしまった。慌てて教科書に目を走らせると、隣の生徒が「ここだよ」と言って読むべき場所を教えてくれた。

 一言「ありがとう」というと、花陽は英文を読み始める。しかし、こういったことが苦手な花陽は読む声がどんどん小さくなっていってしまう。

 先生もそれに呆れたのか、別の子に続きを読むよう指名してしまった。

 花陽は相変わらずの自分に落ち込むしかなかった。

 

「無理だよね……こんなんじゃ……」

 

 いつもそうだ。自分はこういった誰かの前で発表することを苦手としている。これではステージに立ち大勢の人の前で歌うスクールアイドルなど、出来るはずがないのだ。

 花陽はチラシを見る。

 そこには『メンバー募集』と書かれているが、その言葉がとても遠くに感じた。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 放課後、下校のために教科書をカバンに入れていると星空凛がやってきた。

 

「かよちーん、決まった? 部活。

 今日までに決めるって昨日言ってたよ」

 

「あ、そ、そうだっけ? ……明日決めようかな」

 

 そう言って逃れよとする花陽だったが、凛は逃がさないといった感じに花陽に詰め寄る。

 

「そろそろ決めないと、みんな部活始めてるよ」

 

 凛の言う通り、花陽から見てもクラスの大半はもうすでに部活に所属している。残りの生徒は未だにどの部活に入ろうか迷っている者だろう。

 原則として、音ノ木坂学院は部活に必ず入らなければならないという決まりはない。

 しかし、今年は一年生が一クラスしかないせいか、先輩たちも勧誘に気合が入っており、昼休みによく勧誘しにやってくる。そのおかげもあってか、すでにクラスの大半は部活に所属又はどの部活にするかを決めており、おのずと帰宅部になる者はいないのではないかと考えられた。

 四月も終わりが近づいてきており、そろそろ部活を決めなければスタートに送れてしまう。急いで決めなければと花陽も頭ではわかっているのだが、未だにコレ! といった部活がないのが、正直なところだった。

 

「うん。え、えっと、凛ちゃんはどこ入るの?」

 

「凛は陸上部かな~」

 

「陸上かー」

 

 花陽と凛は幼稚園からの長い付き合い、つまり幼馴染だ。小学校、中学校も同じだったため凛が陸上が得意だということは知っている。元々高い運動神経を持っていたのに加え、足の速かった凛は小学校の陸上記録会にて大きな記録を残し、中学の陸上部では何度も表彰台に上った。それを踏まえれば、彼女が高校でも陸上部に入るのは必然だった。

 そんなことを考えていると、凛は何かに気が付いたのか、「あっ」と声を上げると花陽の正面に回る。そして、内緒話をするかのように口元に手をもっていくと、

 

「もしかしてぇー、スクールアイドルに入ろうと思ってたり?」

 

「えぇ!? そ、そんなこと……ない」

 

 花陽が凛をどういった少女かを知っているのならば、その逆もある。凛もまた、花陽がどういう少女かを知っているのだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからこそ、花陽が本当は昨日見た先輩たちと一緒にスクールアイドルをやりたいと思っている。そう感じていた。

 

「ふーん、やっぱりそうだったんだね」

 

「そんなこと──」

 

 花陽は否定しようとするが、凛の人差し指に口をふさがれる。

 

「だめだよかよちん。ウソつくとき、必ず指を合わせるから、すぐわかっちゃうよーん」

 

「……」

 

「一緒に行ってあげるから、先輩たちのところに行こう」

 

 花陽の性格を理解している凛は、このままでは彼女は絶対に一人で先輩たちの元に行かないだろうと判断し、無理やりにでも連れて行こうとするが、花陽は行こうとはしなかった。体に力を入れ椅子から立ち上がろうとせず、「違うの」と叫んで凛を止める。

 

「私が、アイドルなんて……」

 

「大丈夫だよ。かよちん可愛いから、人気出るよ?」

 

 凛はそう言って花陽の腕を引っ張るが、やはり花陽は動こうとはしなかった。「待って!」と叫んで凛を止めると、探るように言う。

 

「あ、あのね。わがまま、言ってもいい?」

 

「しょうがないな、なに?」

 

「もしね、私がアイドルをやるって言ったら、一緒にやってくれる?」

 

「…………」

 

 その言葉に、凛は衝撃を受けた。誘われたことに対してではない。

 自分がアイドルをやる、という発想に衝撃を受けたのだ。

 確かに女の子なら誰しも一度は、テレビに映るアイドルに憧れるだろう。可愛い衣装を着て、可愛い笑顔で、華やかにダンスを踊り歌を歌うアイドル。凛だって十五年生きてきた人生の中で、アイドルに憧れたことはもちろんある。

 だが、『アイドル』というものは、星空凛にとって()()()()()()()()()と決まっている。

 

「無理無理無理! 凛はアイドル何て似合わないよ。ほら、女の子っぽくないし、髪もこんなに短いし」

 

 そう言って自分の髪を触る凛。

 確かに、凛の髪はボブである花陽に比べても短い。聞くところによれば、一時期は長い髪の時もあったらしいが、よく外で遊ぶ子供だったため、その際に邪魔になることが多く切ってしまったらしい。

 髪の効力もあってか、顔もやや中性的な印象があり、中学時代の文化祭では執事に男装したこともある。

 

「…………」

 

「ほら、それにさっ。凛が小学校の時スカート穿いたけど、全然似合ってなかったじゃん? だから、凛にはアイドルなんて絶対に無理だよ」 

 

 そう言って笑う凛だったが、その笑顔はどこか寂しそうだった。

 

「それじゃ凛、今日も陸上部の体験に言ってくるから、ちゃんと明日までに決めるんだよ?」

 

「う、うん」

 

 これ以上この話に触れたくないのか、凛は陸上部の体験入部のため教室から出て行った。

 

「…………」

 

 先ほどの話は、花陽もよく知っている。

 あれは、小学生の時だ。いつもズボンを穿いている凛だったが、その日だけはスカートを穿いたのだ。一つ上の姉のお下がりらしいが、捨ててしまうにはもったいなかったらしくちょうどスカートに興味を持っていた凛が貰ったのだ。

 花陽は凛のスカート姿をものすごく褒めていたが、同じ通学路を通る男子にからかわれ、ショックを受けた凛は着替えてしまった。これ以降凛が日常生活でスカートを穿くことは無くなり、おそらくこれがトラウマになってしまったのだろう。

 

「凛ちゃん……」

 

 凛はアイドルなんか絶対に無理と言っていたが、それはないと花陽は思っていた。いくら中性的な顔付きだと言っても、凛は可愛い。笑顔が素敵だし、いつも笑顔で、いつも元気で、自分とは百八十度違い、思いっきり自分を表現できていた。髪が短いからというが、そのショートカットが凛の可愛さを引き立てていると、花陽は思っている。

 そして何より、凛は花陽が持っていない『強さ』を持っている。

 恥ずかしがり屋で、泣き虫で、臆病な自分とは違い、強い『自信』を持っている『強い女の子』。

 それが、小泉花陽が星空凛に持つ思いだった。

 ──私にも、凛ちゃんみたいな『強さ』があれば……。

 そんなことを思いながら廊下に出ると、クラスメイトである西木野真姫の姿が見えた。

 ──西木野さん? 

 彼女は、廊下に置かれた机の前に立っていた。

 気になった花陽は、教室に身を隠し真姫の様子を影ながらに伺う。

 確かあそこは、ファーストライブのチラシが置かれている場所だ。真姫はチラシを一枚手に取り見つめている。

 

『…………』

 

 真姫が何を考えているのか、花陽にはわからない。

 花陽から見た真姫の印象は、『少し怖い人だけど、歌がすごくうまい人』だ。近寄りがたい雰囲気が漂っており、教室の中でもあまり誰かと話している様子は見たことない。休み時間も図書室か音楽室に行ってしまっているため、姿をほとんど見ない。それでも、音楽室から聞こえてくる歌声はとても素晴らしく、花陽は真姫の歌声が大好きだった。入学からしばらくたっているのに、未だに真姫と話したことはないが、頑張って話しかけたいと思っている。

 そんな彼女がスクールアイドルに興味があることは、過ごし意外に見えた。

 

『……っ』

 

「──え?」

 

 真姫は何を思ったのか、くしゃりとチラシを握りしめてしまった。

 衝撃を受ける花陽だったが、真姫も無意識のうちにやってしまったのか、ハッとなって我に返ると、あたりを見回し急いでチラシをカバンに入れると走り出す。

 真姫の姿が消えてから、花陽は先ほどまで真姫のいた場所に行く。

 そこには、生徒手帳が落ちていた。花陽はそれを拾い誰のか確認すると、そこには西木野真姫と書かれていた。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 花陽は拾った生徒手帳を真姫に届けるため、職員室にいる担任教師から住所を聞き、真姫の家へと向かっていた。先生から受け取ったメモを頼りに道を歩いていると、道先にサングラスをかけた髪の長い女性がいることに気が付いた。黒いレースの服に身を包み、長く黒い髪は風に揺られていた。

 女性は花陽の視線に気が付いたのか、こちらの方を向くと近づいてくる。

 見知らぬ女性の接近に花陽の体に緊張が走る。サングラスによって瞳は見えないが、その奥の瞳は間違いなく自分を見つめている。女性は迷うことなく花陽へと近づいてくる。

 花陽の体に走る緊張が強くなる。

 そもそも、花陽は人見知りする性格だ。他人と打ち解け合うのに時間がかかる花陽が、今見知らぬ人に迫られている。サングラスによって素顔が見えないため、どういう意図で近づいてくるのかが読めないのだ。あたりを見回すも、運悪く人が通りそうな気配はない。なぜ親友と帰らなかった日に限って、こんなことになるのだろうか。

 ──誰か、助けてぇ。

 パニックになる花陽。

 そして、花陽の緊張がピークに達する瞬間──。

 

 

 

 

「すいません、少し道を教えてくれないかしら?」

 

 

 

 

「へ?」

 

 花陽の口から間抜けな声が漏れる。

 

「その、道案内をお願いしたいのだけど、ダメかしら?」

 

「え、えっと……」

 

 ゆっくりと花陽は思考を回転させる。

 どうやら女性は、花陽に道を尋ねるために近づいて来たらしい。サングラスによって素顔が見えないため、何をされるかわからず緊張してしまった花陽は、それが自分の勘違いだと気が付くと恥ずかしくなって顔を赤くした。

 その様子を見た女性は、自分のせいで目の前の少女が脅えてしまったことを察し「ごめんなさいね、驚かせちゃって」と言った。

 

「いえ、だ、大丈夫です」

 

「やっぱり、見た目が怖いのかしら。あなたの前にも九人ほどに声をかけたのだけど、全員に断られてしまってね。心が折れかけていたわ」

 

 女性の言葉に、花陽は苦笑いをするしかなかった。確かに黒いレースの服に加え、黒いサングラスをかけているとなると、素顔がわからず緊張してしまうは仕方ないことだろう。

 

「やっぱりサングラスかしら? でも、私目が悪いからこれかけていないといけないのよね」

 

 カチャリ、とサングラスの位置を直す女性。 

 どうやら、オシャレのためにかけているわけではなく、目の保護のためにサングラスをしているらしい。

 

「目が悪いんですか?」

 

「ええ、ちょっとね。光に弱いの、特にこの時間は日が沈んで夕日になるでしょ? 一番危険な時間なのだけど、この時間しか余裕が持てなくてね。無理して来たのだけど、道がわからなくなってしまってね。道案内してくれるとうれしいのだけど」

 

 本当に困った様子なのか、両手を合わせてまでお願いしてくる女性。さすがの花陽も、見知らぬ相手に対しての道案内は不安があるが、押しに弱い花陽は女性の勢いに負けて頷いてしまった。

 

「ホント! ありがとう~」

 

 勢いよく花陽の手を掴み感謝を述べる女性。

 押しに負けて頷いてしまった花陽だが、ここまで困っている人を見逃せなかったのもまた事実なため、結果は変わらなかっただろう。むしろこんな形になってしまったが、目の前の困っている人を助けることは嫌なことではなかった。

 

「それで、どこへ案内すれば」

 

「そういえばまだ言ってなかったわね。CDショップに行きたいのだけど、この近くにあるかしら?」

 

 女性の案内先を聞いて、よかったと花陽は思った。CDショップならここから自宅までは遠回りになってしまうが、自分がよく行く店がある。見知らぬお店の名前が出たらどうしようかと思ったが、そこならば案内できる。

 

「ありますよ」

 

 花陽が言うと、女性の顔が明るくなる。

 

「案内、お願いできるかしら?」

 

「ハイ」

 

 こうして、二人は花陽行きつけのCDショップを目指して歩き始めた。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

「そういえば、名前もまだ言ってなかったわね。私はユーカ。あなたは?」

 

「小泉花陽です」

 

「花陽ちゃんか、可愛い名前ね」

 

 えへへ、と照れる花陽。

 歩き始めて数分。さすがに無言のままではどうしようかと思っていた花陽だったが、ユーカと名乗る女性の積極的なコミュニケーションにより、その不安は解消された。さらに、本来は人見知りである花陽だが、ユーカの絶妙なコミュニケーション能力のおかげで会話がスムーズに進んだ。花陽自身も、初対面の人とここまで会話できることに、驚きを覚えていた。

 

「えっ? ユーカさんアメリカに留学してたんですか!?」

 

「まあね。久しぶりに地元に帰ってきたついでに、思い切って東京に遊びに来たのだけど、迷子になっちゃってね。やっぱりちゃんと下調べしておくべきだったわね」

 

 トホホ、と肩を落とすユーカ。

 

「まだあるか不安なのよね~。久乃千紗(ひさのちさ)のニューアルバム」

 

「え? 久乃千紗さんのこと知っているんですか?」

 

 久乃千紗。その名を知らぬものは、このご時世に少ないだろう。現在二九歳である現役トップアイドル歌手である。元々はグループアイドルのメンバーの一人であったが、三年前にグループを卒業。以後ソロ活動として、歌手の傍ら女優までこなす実力派人間である。

 ファンとは常に真摯に向き合い、仕事も決して手を抜かず、その情熱から一度ステージ上で倒れたこともあるほどに、一切物事に手を抜かない人だ。

 その性格故か、彼女の曲はストレートな気持ちを歌詞に表したものが多く、男性に負けないパワフルな歌が特徴である。しかし、それだけではなく彼女が歌うラブソングは慈愛に満ちており、繊細で普段とのギャップに驚くファンもいる。若者を中心に絶大な人気を誇り、彼女の出すCDはランキング上位に必ず入っている。

 もちろん花陽も彼女の絶大なファンであり、CDは必ず特典版を買っているし、ライブにも何度か足を運んだことがある。グループ時代からの活躍を知る花陽にとって、彼女の力強い歌は勇気をくれるモノだった。

 さらに言うならば、花陽にとって久乃千紗は『憧れの人』である。ステージ上で倒れるまで気力を使い、ファンを楽しませるために全力で歌を歌う。メモリアルボックスの特典DVD で語られるステージ裏では、グループに会所属していた時代は常にメンバーを鼓舞し、絶対的な自信を放っていた。

 その『絶対的な自信』が花陽にとって羨ましかった。

 自分にはない『絶対的な自信』を持っている人物。

 花陽は彼女のように『強い女性』になるのが夢だった。

 そんな子枯れの女性の名前が、まさか今日あった初対面の人の口から出るとは思ってもいなかった。

 

「当り前じゃない。私、これでも彼女の大ファンなのよ。留学先でも、必ず彼女のCDを聞いていたし、日本に住んでいた時は必ずライブにも足を運んでいたわ。今日はちょうど留学中に発売されたCDを買いに来たの。それ以外はアルバムを含めてすべて持っているわ!!」

 

 ドドン! と効果音が付きそうなほどまでに力強く宣言するユーカ。

 サングラスによりその瞳は見えないが、おそらく花陽の想像する通りの瞳があるのだろう。

 ならば──、

 

「────」

 

「!!」

 

 花陽は思い切って千紗の代表曲ともいえる曲のワンフレーズを口ずさむ。

 ユーカはそのワンフレーズに驚きの反応を示した後に──、

 

「──」

 

 自らもそのワンフレーズを口ずさんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──」

 

「!?」

 

 次に仕掛けたのは、ユーカだった。

 しかも口ずさんだフレーズは、メモリアル特典のみに収録される特別な曲。ただし、メモリアル特典の中でも希少である初回限定版メモリアルに収録されていた曲だ。その曲を知っているということは、

 

「────」

 

「────」

 

 そして、同時に花陽とユーカはフレーズを口ずさむ。まったく同じフレーズを、同じタイミングで。

 

「花陽ちゃん!」

 

「ユーカさん!」

 

 ガシッ、と二人は力強く握手を交わす。

 どうやら二人は、久乃千紗という共通の趣味を見つけたようだ。

 その後も、二人は千紗の話で盛り上がりながらCDショップを目指した。

 普段は人見知りである花陽も、アイドルの話となればその性格は百八十度変わる。普段の姿からは想像できないほどにハキハキと饒舌に語る花陽。普段から抱えているアイドル知識を思う存分放出できる花陽、ユーカの持つ知識も花陽と同等レベルであり二人の間で会話が止まることはない。おそらく、花陽のことをよく知る凛でさえここまで生き生きと話す花陽の姿は、見たことないだろう。

 しばらく歩き大通りへと出る二人。

 平日ではあるが他校の下校時間などと被ったのか、大勢の姿が見て取れた。

 

 

 

 

 ──その時だった。二人は()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「──へぇ」

 

 瞬間、先ほどまでとは雰囲気の異なる声がユーカから発せられた。

 

「?」

 

 その声は花陽の耳に届いていたが、花陽がユーカの方を伺ったときにはすでに元の雰囲気となっており、花陽は『聞き間違いかな……』と首をひねるのだった。

 しばらくして目的地であるCDショップに到着した二人は、花陽の案内の元無事目的のCDを購入することが出来た。

 目的のものが買えて満足なのか、満面の笑みを浮かべCDショップから出てくるユーカ。サングラスによりその瞳は見えないが、口元がほころんでおり購入したCDの入っている紙袋を抱きしめるあたり、よほど満足しているのだろう。

 

「花陽ちゃん、本当にありがとう!」

 

 花陽の方に向き直りお礼を言うユーカ。

 

「い、いえ。私はただ道案内しただけですから」

 

 お礼を言われ照れる花陽。

 ユーカはにっこりほほ笑むと、花陽の手を取り反対の手で道の反対にある喫茶店を指さしながら、

 

「ねえ、よかったらあそこでお茶しない? まだまだたくさん話したいのだけど」

 

 えっと、と迷う花陽。確かに、こんなにも趣味の会う人であったのはかなり久しぶりであるため、花陽自身ももっとおしゃべりをしたかった。

 しかし、ここで花陽は学校の廊下で西木野真姫の生徒手帳を拾ったのを思い出した。

 

「ごめんなさい。私、この後寄るところがあって」

 

「そうなの、じゃあ、仕方ないわ。明日は空いていないかしら? 地元に帰る前にどうしてもあなたと話がしたいのだけど……」

 

「明日ですか?」

 

 うーん、と花陽は考え込む。

 特に明日の予定はない。しいて言うのであれば所属する部活を決めなくてはならないことだけだろうか。おそらく、幼馴染の親友に今度こそ無理やりにでも先輩たちのところに連れていかれるだろう。花陽としてももちろんスクールアイドルに興味はある。やりたいと思うし、先輩たちとステージで輝ければそれはとてもうれしいことだろう。

 しかし、自分の性格を理解しているからこそ、無理だろ決めつけてしまう。自分の性格はとてもじゃないがアイドル向きではない。親友みたいに自分を表現できる『強さ』がないのだ。

 

「……無理かしら?」

 

 首を傾げて聞いてくるユーカ。

 

「いいですよ」

 

「ホント?」

 

「ハイ」

 

 花陽はユーカと話すことを選択した。確かに部活は明日決めなければならないが、絶対に決めなければならないわけではない。一日遅れたとしても問題ないはずだ。

 ユーカより喫茶店と待ち合わせ時刻を確認し、花陽は一礼するとその場を去って行った。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

「にゃ~、まさかシューズが壊れるなんて……」

 

 そう愚痴るのは、花陽の幼馴染であり親友でもある星空凛だ。先ほどまで陸上部の体験入部をしていた凛だったが、愛用のシューズが壊れてしまい練習続行不可能となってしまった。

 体験入部期間中の一年生は二、三年生より早めに部活を終わることになっている。その為まだ時間はあったのだが、シューズがないとなると練習に参加できない。代えのシューズを持ち合わせていなかったため、帰宅を余儀なくされた。体を動かすことが好きな凛は帰宅後も自宅近くをランニングすることが多く、きっとそれが影響してしまったのだろう。壊れたシューズを見るたびにため息が漏れた。

 

「! あれは、かよちん」

 

 新しいシューズを買うため町を歩いていた凛は、道先で花陽を見つけた。ちょうど隣のサングラスをした女性に一礼をして去って行くところだった。近くにはCDショップがあるため、そこの店員さんかなと思ったが服装でそれは違うと判断。それならば店の中で知り合った人かな、と珍しく人見知りである親友が初対面の人と一緒にいる理由を推理していると、

 

「──!?」

 

 只ならぬ『なにか』が凛の体を走った。 

 

(な、なに!?)

 

 体を電流のように走った違和感。

 その正体はすぐにわかった。

 先ほどまで花陽と一緒に多サングラスの女性の表情が『無』だったのだ。サングラスをしているとなると口元でしか相手の表情を判断できない。しかしそれでも、相手の表情が無であることを凛はその肌で感じていた。

 恐ろしいほどまでに『無』としか言い表せない表情をしている女性。おそらくそのサングラスが無ければ、冷たい瞳があっただろう。

 女性は持っていた紙袋を何の躊躇もなくその場に落とすと、その場を歩き出した。まるでもう興味を失くしたかのようにその場を去って行く女性。一人の男性が紙袋を拾い上げ女性に声をかけるも、女性は振り替えることなく歩き続けた。残された男性は首を傾げるしかなかった。

 そして女性は最後に、凛の視線に気が付いたのかこちらの方へ向いた。

 ニヤリ、とその口が三日月のように歪み恐怖を感じた凛はその場から一目散に走り出した。

 

「はあ、はあ」

 

 適当な路地に逃げ込み呼吸を整える凛。路地から顔を出して女性が追いかけてきたか探ってみるが、女性が追いかけてくる気配はない。

 額には汗が浮かんでおり、手がわずかに震えていた。

 訳が分からなくなった凛は、シューズを買うことを止め家に向かって走り出した。

 

 

 





「第二章:自分の心」に続きます……。

あと、活動報告にて書きました第1話と第2話の修正も終わっておりますので、そちらの方もよろしくお願いします!




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第二章:自分の心


みなさんは今日のウルトラマンオーブを見ましたか?
久しぶりの「ウルトラマン」としての番組、ぼくは常に心が躍ってましたよ(笑)
サンシャインのアニメも土曜ですし、ホント今年の夏の土曜は毎週が楽しみです!

さて、今回は第二章。
やっと主人公が登場します(笑)




 

「……」

 

 ユーカと別れた花陽は担任の教師より渡されたメモを頼りに改めて西木野家へと向かった。ユーカを案内したことにより道がわからなくなったらどうしようかと思ったが、担任より『でかい家だからすぐわかるっしょ』と軽い形で説明され、しかもその通りにでかい家が目の前に現れれば、不安を通り越して驚くしかなかった。

 そして現在、なぜか家の中に案内された花陽はもうすぐ帰ってくるらしい真姫を待っていた。

 さすが病院を経営しているだけのことはある。家の外も中も大きくて広くてきれいだ。リビングと思われる部屋に案内され、差し出された紅茶を飲みながら辺りを見回していると、何かのコンクールの賞だと思われるトロフィーや賞状が数多く飾られていた。おそらく、音楽に関するコンクールかなと花陽は思った。

 以前廊下を歩いている時音楽室から聞こえてきた素敵なピアノの音と歌声、それは紛れもなく西木野真姫のモノだったことを花陽は覚えている。あれほどまでに奇麗な歌声と美しいピアノを弾くのであれば、この数々のトロフィーや賞状がピアノに関するもんだとすぐに推理できた。

 

(やっぱりすごいなぁ、西木野さんは……)

 

 花陽にはこんな風に賞を取れるほどの特技は何一つなかった。それにコンクールで取った賞と言うことは、大勢の人前で自分の特技を披露したということになる。

 もし自分が同じようなことを体験しろと言われても、緊張でどうにかなってしまうに違いないと花陽は思った。

 そんなことを考えていた時だった。

 

「小泉さん、だったかしら」

 

 帰宅した真姫がリビングのドアを開けて入ってきた。

 真姫は花陽を見ると『?』と不思議そうに首を傾げながら、花陽の正面のソファーに腰を下ろす。

 

「私に何か用?」

 

「あの、コレ……」

 

 花陽はカバンから真姫の生徒手帳を取り出し、拾ったことを説明しながら真姫に渡す。

 受け取った真姫は表紙を開き、自分の証明写真が貼られた身分証明書を見ることでこれが自分のだと判断。

 

「ありがとう」

 

 と素っ気なく感謝の言葉を述べた。

 

「μ’sのポスター、見てたよね?」

 

 花陽はあの時から気になっていたことを真姫に聞いた。

 真姫の方は一瞬方がビクッとなるも知らん顔をして言う。

 

「わ、私が? 知らないわ、人違いじゃないの」

 

「でも……、手帳がそこに……あ」

 

「……? ……!?」

 

 花陽は反らした視線の先にあるものを発見し声を上げた。真姫は気になり花陽の視線の先の方を見ると、そこには今自分が座っているソファーの側面にある自分のカバンに向けられていた。

 ──正確にはカバンの外ポケットに入っている一枚のチラシ。あの時急いでカバンに入れたためか中途半端に外に飛び出ている紙には『μ’sファーストライブ』の文字がはっきり書かれていた。

 ──よりによって、まさかその部分が飛び出ているなんて!? 

 真姫は慌ててカバンを取るために立ち上がるが、急ぎすぎたのか膝をテーブルの端にぶつけ後ろへと転がる。

 ガタン! と音を立ててソファー事ひっくり返る真姫。

 いたたた、と言いながら腰を押さえている姿を見て、先ほどまでの印象とは違い少しドジな一面を見た花陽はついおかしくって笑ってしまう。

 

「笑わない!」

 

 注意するも笑い続ける花陽に真姫はむー、と唸るしかなかった。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 花陽の笑い声が収まると、真姫は気を取り直すためにテーブルに置いてある紅茶を一口飲んだ。

 

「……私がスクールアイドル?」

 

 真姫は眉間に皺を寄せてそう聞いてきた花陽に言葉を返す。

 普段ツリ目である真姫の眉間に皺が寄ると、より一層怖い表情に見えてしまい、脅えた花陽は肩をすくめると「うん」と言ってから続きを言う。

 

「私、いつも放課後は音楽室によってたの。西木野さんの音楽を聴きたくて」

 

「…………」

 

「ずっと聴いていたいくらい、素敵な歌声で……。

 だから、西木野さんはスクールアイドルに向いてるかなって──」

 

「──なによ」

 

「え?」

 

 そこで花陽は真姫の様子がおかしいことに気が付いた。

 膝の上に乗せられた拳は強く握りしめられており、震えていた。その震えは怒りから来るものだと、真姫の様子からすぐにわかった。

 戸惑う花陽をよそに真姫は、

 

 

 

 

「どうして今になって音楽の道が出てくるのよ!? 私は大学は医学部って決まってるの!! 私の音楽は終わってる!! あの時パパを感動させることが出来なかった私に、音楽の道を歩む資格なんてないの!! 私の道は最初から医者の道しかないの! それなのにどうして、あの先輩も、リヒトさんも私に音楽の道を、アイドルを進めてくるのよ!!」

 

 

 

 

 叫んだ。

 ソファーから立ち上がり、大声で叫んだ真姫。その姿は今まで自分の中にため込んでいたものを全て吐き出している様に見えた。

 息を吸う間もなく一息で吐き出された真姫の叫び。爪が食い込むのではないかと心配になるほどに強く握り込まれた拳は震えており、真姫の体がなくなった酸素を求めて大きく呼吸を繰り返す。

 花陽はその姿に圧倒されていた。

 家全体に響くほどに聞こえた真姫の叫びは、母親にも聞こえたのだろう。ガチャリ、とドアが開き驚いた様子の真姫の母親がやって来る。

 

「どうしたの? 何かすごい叫んでいたみたいだけど……」

 

 母親の言葉を聞いてハッとなった真姫は、自分が無意識のうちに叫んでいたことに気が付くと、表情を歪めてうつむいてしまう。表情は前髪に隠れてしまい詳しくはうかがえないが、隠れていない唇は真姫の歯に噛まれていた。

 やがて真姫はポツリ、と言う。

 

「ごめんなさい、今日はもう帰ってくれないかしら。

 ……手帳、ありがとね」

 

 拒絶する様に言った真姫はカバンを手に取ると早足にその場を去って行った。

 リビングに静寂が訪れる。

 花陽も真姫の母親も、突然の出来事に唖然としてしまい、去って行く真姫の姿を見ているしかなかった。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 真姫の家を出た花陽は呆然とした気持ちで帰り道を歩いていた。

 

(西木野さん、どうしたんだろう……)

 

 思い返されるのは先ほど叫んだ真姫の姿だ。学校生活でいつも感じているクールな印象からは考えられない、ヒステリックに叫んだ真姫の姿はあまりにも衝撃的すぎた。あれから数十分は経ったのに、未だのあの時の光景がはっきりと思い出される。

 

 

 

 

『どうして今になって音楽の道が出てくるのよ!? 私は大学は医学部って決まってるの!! 私の音楽は終わってる!! あの時パパを感動させることが出来なかった私に、音楽の道を歩む資格なんてないの!! 私の道は最初から医者の道しかないの! それなのにどうして、あの先輩も、リヒトさんも私に音楽の道を、アイドルを進めてくるのよ!!』

 

 

 

 

 抱えていたものをすべて吐き出すかのように叫んだ真姫。その言葉を聞いた花陽は真姫の姿に驚くのと同時に、もったいないとも思っていた。

 花陽は真姫の歌声からアイドルの様な美しい響きをいつも感じており、スクールアイドルに向いているのではといつも思っていた。あの先輩が真姫を探していたのも、その歌声に目をつけて一緒にスクールアイドルをやらないかと勧誘するのが目的なのではないと考えていたのだが、ファーストライブのステージに真姫の姿はなかったことを考えると、どうやら違ったようだ。

 でも、真姫の歌声は美しい。それは確信をもって言えることだ。

 何のとりえもない自分とは違い、『歌声』という武器を持っている真姫はスクールアイドルに向いている。

 しかしこれは花陽の一方的な考えでしかない。真姫には真姫の、やりたいことがあるはずだ。あそこまで叫ぶほどに、真姫の心にはいろんなものがあふれている。

 今度、謝ろうかな。と考えていると道の先に一人の先輩を見かけた。向こうも花陽の視線に気が付いたのか、ニッコリ笑うと駆け足で近づいて来る。

 

「こんにちは。えっと、花陽ちゃん、だったよね?」

 

「はい、小泉花陽と言います。えっと……」

 

「私は南ことり。よろしくね。

 もしかして穂乃果ちゃんに用があったの?」

 

 え? と首を傾げる花陽。

 ことりは隣の和菓子屋を指さしながら、

 

「ここ、穂乃果ちゃんの家でもあるんだ。これからみんなでサイトにアップされてたライブの動画を見る予定なんだけど、一緒に見る?」

 

 ことりの言葉に花陽は心を躍らせた。昨日見たあのライブが映像とはいえもう一度見れるのだ。さらに、μ’sのメンバーと一緒に見れるとなれば、スクールアイドルのファンとしてこの上ない嬉しさだ。

 普段ならば戸惑う花陽だったが、今回に限ってはそのお誘いに迷うことなく乗った。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 ことりの案内で穂乃果の家──和菓子屋『穂むら』を訪れた花陽は、真っ先に店に並ぶ和菓子に目を奪われた。まさに職人の手によって作られた色とりどりの和菓子たち。マイナーなお饅頭や栗饅頭、羊羹やお団子などお店に並ぶ数々の和菓子に目と心を奪われていく花陽。帰る際には必ず買おうと心に決めると、今その場で買いたい衝動を抑えつつことりの後を追った。

 本来こういった自宅兼お店のところに訪れることがない花陽は、お店の奥へと足を運ぶことに少しワクワクしていた。階段を登ると、やがて一つの部屋の前でことりが立ち止まった。耳を澄ませば中からワイワイとした声が聞こえてくる。きっとほかの先輩たちがすでにいるのだろう。

 ことりは三回ほどノックすると、声をかける。

 

「穂乃果ちゃ~ん、入るよ」

 

『あ! ことりちゃん! いいよ!』

 

 扉の向こうからそんな陽気な声が聞こえてくる。声の主はきっとあのステージでセンターを張っていた、確か高坂穂乃果という先輩のはずだ。

 ことりは穂乃果の声を聞くと自然体で部屋へと入って行く。花陽も少し緊張しつつことりの後に続くと、女の子の部屋にしては少々散らかっている部屋の中央に、一つのテーブルを囲むようにして話す男女の姿。

 ──へ? 男女? 

 一瞬花陽の思考に空白が生まれた。てっきり先輩の部屋のことだからいるのは同じスクールアイドルのメンバー、園田海未だけかと思っていたのに、部屋の中に入ってみれば眼鏡を掛け可愛らしいパジャマに身を包んだ中学生くらいの少女と明るい茶色に染まった髪を外ハネにして髪型をセットしているチャラい少年がいた。

 穂乃果は花陽の姿を見つけると、驚いた表情をして言う。

 

「あれ? 花陽ちゃんじゃん。どうしてウチに?」

 

「下で偶然会ってそのまま連れてきちゃった」

 

「この子が、穂乃果達のライブを見に来た子か?」

 

 穂乃果の言葉を皮切りに、次々と部屋にいるメンバーの視線が花陽へと向けられ、当の本人は少し緊張をしてしまう。加えて普段は滅多に会わない異性の、しかも茶髪の少年から向けられる視線は普段からそういったことに免疫のない花陽の体をより一層強張らせていった。

 全員の視線が花陽に向かう中、眼鏡を掛けた少女が立ち上がったことで全員の注意がそちらに向けられた。

 

「それじゃ、私は部屋に戻るね」

 

「えぇ~、雪穂も見てけばいいじゃん」

 

「いいよ、遠慮しとく。それにおねーちゃんと違って私勉強しなきゃだから。

 それじゃぁリヒトさん、また今度いっぱい手品見せてくださいね」

 

「おう、いいぜ」

 

 ニッコリ笑って手を振った少女は、花陽の方に一礼すると入れ替わるように部屋を出て行った。

 花陽はことりと穂乃果の案内でテーブルに腰を下ろすと、少年が先ほどまで広がっていたトランプやコイン、プラスチックのカップを傍に置いておいたポーチにしまい始める。それからことりがカバンから取り出したパソコンを受け取り、電源を入れて起動するのを待つ。

 

「はいこれ。穂むら名物『穂むらまんじゅう』、略して『ほむまん』。美味しいから食べて食べて」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 花陽は穂乃果が差し出してきたお茶と『ほ』という焼き印が入ったお饅頭を受け取る。先ほども店内に飾られていた商品であり、花陽はパク、と一口いただく。

 

「……! 美味しい」

 

「でしょでしょ! さすが『穂むらまんじゅう』。海未ちゃんもりーくんもこれ大好物なんだよね~」

 

 そう言って穂乃果も一つ食べる。

 少年の方もほむまんを食べると自然と頬が緩んでおり、飲み込むとお茶を一口飲んでから花陽の方を見てくる。

 

「それで、キミが穂乃果達のライブを見に来てくれたって言う、小泉って子?」

 

「は、はい……」

 

「そんな緊張すんなって。年齢的には君から見れば二つ上だけど、気楽に構えてくれて構わねぇぜ」

 

 と気さくに話しかけてくれる少年だが、花陽の方はまだ緊張が取れていなかった。

 

「うーん、やっぱ初対面だと緊張するか」

 

「それだけではないと思いますよ」

 

 と、お茶を一口飲んだ海未が言った。

 

「ん? どういうことだ?」

 

「自分の見た目を振り返ればすぐにわかると思うのですが」

 

 海未に言われ少年は自分の全身を見回し始める。

 穂乃果は何かわかったのか、ああ~と頷く。

 

「確かに、今のりーくんってすごくチャラいもんね」

 

「チャラいって……。確かに数珠とか指輪とかしている上に髪も染めてるけどさ、そこまできつい色じゃないだろ。

 こう、ちょっと知的な年上のお兄さん的な雰囲気を感じないか?」

 

「感じない」

 

「感じませんね」

 

「あまり感じないかな」

 

「……全否定をどーも。

 ったく。あ、えっと、まだ名前言ってなかったな。俺は一条リヒト。元々は静岡の方に住んでたんだけど、ちょっとした理由があって今はこっちに住んでる。まあ、自己紹介をしようにも記憶喪失だからなにも出来ねぇんだけどな」

 

「記憶喪失なんですか?」

 

「ああ。ホント、何一つ覚えていない完ぺきな記憶喪失さ。一応ダンスがめちゃくちゃ得意で海外留学をしたらしくてな、留学最中に記憶を失くしたんじゃないかって俺は考えている。

 んで、今は一応穂乃果達(こいつら)のダンスコーチをやって、昼間たまたま見ていたスクールアイドルのサイトでこいつらの動画がアップされたのを見つけて、今みんなで見ようってなってる訳」

 

 少年──リヒトは説明を終えると起動が完了したパソコンを操作してスクールアイドル専門サイトへとアクセスする。リヒトが手早く検索を掛ける中、花陽は少年の顔にどこか見覚えがあるのを思い出した。検索を掛けるリヒトの横顔を見ながら記憶を探っていると、視線に気が付いたのか花陽の方を見る。

 

「ん? 俺の顔に何かついているのか?」

 

「いえ、違います」

 

「そうか」

 

 リヒトの方は特に気にする様子はなく視線をパソコンへと戻すと、画面をスクロールして動画を探す。

 

「お、あった、あった」

 

 タッチパッドを操作してお目当ての動画をクリックすると、動画が読み込まれ花陽たちには見覚えのある音ノ木坂学院の講堂が映し出される。

 そして、講堂のスポットライトがステージに立つ少女たち三人を照らしたところで、曲が始まった。

 

「本当にあったんだー」

 

「誰が撮ってくれたのかしら」

 

「え? お前達がこのサイトにアップしたんじゃないのか?」

 

「はい。照明や曲のスタートは私達の友人に手伝ってもらいましたが、動画の撮影をお願いした記憶はありません。向こうも撮影したとは一言も言ってなかったので」

 

「じゃあ、誰が……」

 

 疑問が浮かび上がる中、五人の視線が動画へと集中する。動画の投稿時間を確認すると、昨日の夜にアップロードされておりすでにかなりの再生回数を獲得していた。

 

「すごい再生数ですね」

 

「こんなに見てもらったんだー」

 

「コメントも高評価のモノが多いし、初陣にしては結構いい結果じゃねぇか」

 

「ここのところ、奇麗にいったよね」

 

「何度も練習してたところだから、決まった瞬間ガッツポーズしそうになっちゃった」

 

 穂乃果達は動画を見ながら自分達のファーストライブを振り返って行く。あの時は無我夢中で踊って歌っていたが、こうして客観的に見ながら振り返ると、入念に練習したところは三人の息があっており奇麗に見えるが、時折タイミングが怪しかったり穂乃果のステップが雑になるところ、海未のパフォーマンスが小さめになりがちなところやことりの視線が二人に向けられるなど、うまくいった点もあればもちろん反省点も多く見られた。

 それでも、初陣にしては高いパフォーマンスを披露しており、上記の点は細かく見なければわからないもの。全体的に見ればそれは些細なことでありむしろよくあの短期間でここまで仕上げたものだと感心するくらいだ。

 

「……」

 

「……小泉?」

 

 そんな中、一人真剣に熱のこもった瞳で動画を見ている人物がいた。

 リヒトは少女の名を呼ぶが、反応はなく依然その視線と意識は動画に向けられたままだ。

 首を傾げるリヒトだったが、穂乃果達は一度顔を見合わせると一回頷いた。

 

「小泉さん!」

 

「……! はい!」

 

 海未は少し大きめの声で花陽を呼ぶ。

 花陽はよほど動画に集中していたのか、海未に呼ばれ少しびっくりした様子で返事を返す。

 花陽がこちらに顔を向けたところで、穂乃果が言う。

 

「スクールアイドル、本気でやってみない?」

 

「え? ……でも、私向いてないですから」

 

「私だって人前に出るのは苦手です。向いているとは思えません」

 

「私も歌を忘れちゃったりするし、運動も苦手なんだ」

 

「私はすごいおっちょこちょいだよ!」

 

 三人少女達は自分のダメな点を上げていく。その言葉を聞いたリヒトは苦笑いとなって「おいおい」と呆れながら呟くが、確かに本人達の言っている通りなので弁解の余地はなかった。

 

「お前達なぁ、そこはしっかりしてくれよ。母さんからも厳しめの意見、貰ってるんだから」

 

 リヒトがそう言うと、少女達は「うぐっ」と唸った。

 その姿にリヒトは再度ため息をこぼすと、仕方がないなといった表情を三人に向けた。そして花陽の方を向くと、優しい声音で言う。

 

「まあ、こんな感じで三人ともプロだったら失格な奴らばかりだ。向いている向いていない以前の問題だな。

 でも、スクールアイドルには()()()()()()()()()んだよ」

 

「関係、ない……」

 

「リヒトさんの言った通り、私達はプロのアイドルならすぐに失格。でもスクールアイドルなら、『やりたい』って気持ちをもって自分達の『目標』を持ってやってみることはできる!」

 

「それが、スクールアイドルだと思います」

 

「だな。一番大切なのは『やりたい』って気持ちなんだ。向いているとか、向いていないとかじゃなくて、自分自身が『やりたい』って思ったらやればいい。

 小泉、おせっかいかもしれないが、これだけは言わせてくれ。

 何かをやりたかったり、成し遂げたかったりしたら、いちいち怯んでいちゃ、下を向いてたらいけない。『勇気』を出して、一歩前に踏み出すことが大切なんだ。下を向いていても自分が望むものは落ちていない。自分が掴みたいものは上にあるんだぜ」

 

「……上に、ある……」

 

「たぶん小泉は自分に『自身』がないだけだと思う。よく下を向いているからな。でも、さっきまでこれを見ていたお前の瞳には、『憧れ』や『やりたい』って気持ちがこもってたぜ。

 人生は一度きりだ。『やりたい』って思ったなら一歩踏み出してみろ。大丈夫、歌を忘れて誤魔化す奴や人前に出るのが恥ずかしくてひきこもるやつ、おっちょこちょいすぎてステップを何度も間違えるやつがいるんだ。何も心配することはねぇよ」

 

「……」

 

「ああ、わりぃ。なんか答えを急がせてるみたいな言い方だったな、ごめん。

 ゆっくり考えてくれればいい。俺達はいつでもキミのこと、待ってるから」

 

「……はい」

 

 花陽は小さく笑って頷いた。

 それを見たリヒト達も笑顔を浮かべる中、リヒトはポケットからスマートフォンを取り出し、ニヤリと笑いながら穂乃果達に視線を移動させいう。

 

「よし、それじゃこの話はここまでにして、お前らには母さんからいただいたありがたーい言葉でも送ろうか」

 

『ヒィッ!!』

 

 三人の少女から短い悲鳴が上がる。

 

「オブラートに包んでいない評価と、オブラートに包んではいるがあまり変わらない評価、どっちが聞きたい?」

 

『どっちも同じだ!』

 

「オーケー、オブラートに包んでいない方だな。

 …………覚悟しろよ?」

 

 少女達の口から再び上がる悲鳴。

 花陽は笑顔から一転して、苦笑いをするしかなかった。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 家へと帰宅した花陽は押し入れから取り出したアルバムを見ていた。

 幼い頃に撮った写真が数多く収められているこのアルバムには、まだ花陽がアイドルになりたいと思っていたころの写真も収められている。

 ──ねえ、私はスクールアイドルをやりたいの? 

 ちょうど誕生日パーティに取られた写真、おもちゃのマイクをもって笑顔でアイドルの真似をする幼い自分を見た花陽は己の心に問う。

 ──やりたいよ。やりたいけど、やっぱり怖い。

 そう、花陽は『怖い』のだ。

『やりたい』という心は確かにある。先輩達のようにステージに立って歌を歌う、ダンスを踊ることは幼い頃『アイドルになりたい』と願った花陽の『夢』を叶えられるチャンスでもある。

 でも、どうしてもあの出来事が頭を横切ってしまう。

 小学生の頃に起きた、小泉花陽の『トラウマ』とも呼べる出来事が。

 ステージに立つ自分に向けられるクスクスとした笑い声、数多の視線、思い出すだけで体が震える。

 やっぱりダメだ、その出来事が花陽の一歩を封じてしまっている。どうしてもその時に感じた恐怖が体に染みついてしまっているのだ。

 

「……でも」

 

 

 

 

『ウソはついていいけど、心にまでウソはついちゃだめだよ』

 

 

 

 

 兄の言葉の思い出す。

 今の自分は心にウソをついていないとはっきりと言えるか? 

 答えはNoだ。

 花陽はスクールアイドルを『やりたい』と思っている。先輩達の姿に憧れている。

 なら、もう答えは決まっていた。

 もう、『弱い』自分は嫌だ。

『強い自分』に花陽はなりたい。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 ──翌日。

 授業中、花陽は教科書とノートの間に昨日と同じくμ’sのチラシを挟んでいた。

 だが、そのチラシを見る表情は昨日とは全く逆のモノ。昨日は不安を抱えているような、脅えているような表情をしていたが今日は違う。期待や希望に満ちた明るい表情をしていた。

 

『一番大切なのは「やりたい」って気持ちなんだ』

 

 昨日のリヒトの声が花陽の声に思い出される。『やりたい』という気持ち、それならば花陽はいつもその心に秘めている。そして、その気持ち通りに進むのであれば、後は一歩踏み出すだけだ。

 

「それじゃ、小泉さん。続きを読んで」

 

「はい」

 

 昨日と同じく先生から教科書の文を読む人に指名される花陽。昨日は英語だったが今日は現代文だ。発音が問われる英文とは違い日々慣れ親しんでいる日本語ならば、最後まで読むことが出来るだろう。

 昨日の挽回を、そしてこれからの一歩のはじめとしてここは最後まで大きな声で読みたい。中学校でも失敗することが多かった音読を、今度こそ成功させたかった。

 しかし、

 

「──一体なん、っ!?」

 

 噛んでしまった。

 その瞬間周囲のクラスメイトから上がるクスクスという笑い声。

 

 

 

 

 ──その笑い声が、花陽のトラウマを思い出させた。

 

 

 

 

「────っつ」

 

 脳裏に蘇る当時の笑い声。

 幼い自分にトラウマを植え付けた声に似た笑い声。その声を聞いた花陽は息を飲み、思い返される当時の光景から嫌な汗が噴き出した。

 同時に、昨日決めた『決意』が簡単に崩れていくのがわかった。ガラスが砕ける音を立てながら、先ほどまで軽やかだった気分が一瞬にして重くなった。

 

「はーい、そこまで」

 

 その重さに身を任せるように椅子に座った花陽。先ほどの表情から一転、また昨日と同じ暗い顔で教科書とノートの間に挟んであるチラシを見た。

 

「……」

 

 花陽の読んでいた部分の続きは佐藤という生徒が続きを読んでいる。自分とは違いはっきりとした大きな声ですらすらと読んでいる佐藤さん。確かバスケットボール部に所属していると、自己紹介の時に言っていた気がする。

 さすがと言うべきだろうか、常日頃から部活動で声出しをしている彼女の声は聞き取りやすくハキハキとしていた。

 彼女は日常生活においても元気がよくてはつらつとした凛と似たタイプの少女だ。それはつまり花陽とは違い『強い自分』を持っている人物ということになる。いつも堂々としている彼女。失敗しても笑って次頑張るという前向きな少女だ。

 返って自分はどうだろうか。

 この一回の失敗で早くも昨日の『決意』が揺らいでしまっている。

 

(やっぱりだめだな。弱すぎるよ、凛ちゃんや佐藤さんみたいな『強い心』が私にもあれば……)

 

 きっと彼女達みたいな『強さ』があれば花陽は変われるのだろう。

 でも自分にはない。

 自分は『弱い』人だ。周囲からは『優しい子』と言われるが、優しいだけではダメなのだ。

 優しいだけでは……。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 花陽達のクラスには担任の教師が持ってきた小さな植木鉢がある。

 花が趣味である先生は職員室の自分の机の上にも小さな植木鉢を置いておりいかに花好きかを物語っている。

 そして教室に置かれている植木鉢は種を植えてからしばらくたっているらしく、もうすぐで目が出るとのことらしいのだが、その気配は一向になかった。

 それでも、花陽は今日も水を上げる。

 そして、やっぱり自分にはこういった裏方の細々としたことの方が似合っているのではないかと考えてしまう。

 別に嫌な気はしない。

 花陽が好きでやっていることなのだから。

 それから黒板を消したりチョークなどをそろえたりして次の授業に備える。

 ──まだ、頑張ってみる価値はあるのだろうか。

 さっきは失敗したがまだ完全に花陽の心が折れたわけではない。もう少し頑張ってみる価値はあるだろう。

 と、思ったのだが、

 

「はぁ、結局発表すらできなかった」

 

 そう、残りの授業で発表するチャンスすらなかった。単純に先生が生徒に問いかける授業ではないのと、花陽には当たらずほかの人が指名されていく。

 一応挙手性の授業もあったのだが、そういう場合はクラスでも活発な子が率先していく。

 結局花陽に挽回のチャンスは訪れなかった。

 中庭の木陰に腰を下ろした花陽は、深いため息をつきながら空を見上げていた。

 青い空に白い雲。

 優雅に流れていくその光景は実に奇麗だった。

 もう心が諦めかけていた。せっかく決意したのに、たった一回の失敗で、二回目のチャンスを掴もうとしなかったことで、花陽の気分は沈んでいった。

 自分の心の弱さが嫌になって来る。どうしてこうも自分はこんなにも臆病なのだろうか。もっと自分の心を凛みたいに外に出せればいいのに。

 心が弱いから、昨日決めた決意も簡単にしぼんでしまう。

 はぁ、と本日何度目かわからないため息をついて空を見上げる。

 

 

 

 

「なにしてるの」

 

 

 

 

 空を見上げていると、声を掛けられた。

 

「西木野さん」

 

 声のする方を向いてみれば、本来絶対に遅刻などしそうにないのに、今日は珍しく授業に遅刻してきた西木野真姫がこちらに向かってきていた。 

 真姫は花陽の傍までくると、少し頬を赤くして視線を泳がせ気恥ずかしそうに言った。

 

「……昨日はごめんなさいね、急に怒鳴った上に帰ってなんて言っちゃって」

 

「い、いえ。気にしてないから」

 

「そう、ならよかった」

 

 そう言う真姫の表情は昨日とは、いや、今までとは打って変わり非常に柔らかいものになっていた。今まで抱えていたものがすべて吐き出され、どこか晴れ晴れとした様子をうかがえる今の真姫。昨日との雰囲気の違いに少々花陽を驚いた。

 

「……なに?」

 

 花陽の視線で何かを感じたのか、真姫がジト目で問いかけてくる。

 

「西木野さんの雰囲気が、ちょっと変わったなって」

 

「私の?」

 

「うん。昨日までの西木野さんは、なんだか張りつめたようなピリピリとした雰囲気だったけど、今日はなんだか優しくて柔らかい気がする」

 

「……何となく、自分でもわかる気がするわ」

 

「え?」

 

 真姫は花陽の隣に腰を下ろすと、空を見上げて語り始める。

 

「私ね、自分が本当にやりたいことに気付いたの。そしたら、昨日まで感じていた胸の痛みや、ピリピリとした感覚がなくなってスッキリしたの。たぶんそのおかげだわ」

 

「本当にやりたいこと?」

 

「ええ、『音楽の道』と『医者の道』。その二つのどっちを選ぶかで、私は迷っていたの。でも、リヒトさん──私の大好きだった人が教えてくれた。私は両方の道を歩みたいんだって。

 そうしたら自分でも驚くほどに納得してね。まったく、二つの夢を追うだなんてよくよく考えれば相当欲深いわよね」

 

 自嘲気味に笑う真姫。

 だが、そう語る真姫の表情は明るかった。

 

「だから、あなたも自分の歩みたい道を正直に歩めばいいじゃない。スクールアイドル、やりたいんでしょ?」

 

「……それは」

 

 真姫の言う通り花陽はアイドルを『やりたい』と思っている。その気持ちは確かにまだ自分の中に残っているのだが、それを言葉として出すことが出来ない。トラウマが蘇ってしまった今、あと一歩出すことが出来なくなってしまっていたのだ。

 その弱さを再び感じた花陽は、自分の情けなさを感じつつ下を向いてしまう。

 

「無理だよ……、私、声が小さいし、背も大きくないし、人見知りだし、臆病だし。弱い私じゃアイドルなんか、出来ないよ……」

 

「…………」

 

「西木野さんは、コンクールとかで慣れてるからいいけど、私はそういう経験ないから──」

 

「──小泉さん」

 

 ネガティブな発言を続ける花陽を、真姫は遮った。花陽が顔を上げると、真姫は立ち上がって花陽の前に移動する。その間にわずかに距離と取ると、息を吸って目を閉じる。

 何をするの? と首を傾げていると、

 

「Ah-、Ah-、Ah-、Ah-、Ah-」

 

 キレイな声が真姫の口から発せられた。いつも花陽が放課後に聞いていた、真姫の歌声だ。その奇麗な歌声に花陽は虜になっていた。

 

「はい、あなたの番よ」

 

「え?」

 

「え、じゃない。あなた声はきれいなんだから後は大きく出す練習をすればいいだけ。大きな声が出れば、少しは自信に繋がるでしょ」

 

 ぶっきらぼうに言う真姫だったが、これが彼女なりの優しさなのだろう。何とも不器用な真姫の優しさに、花陽は小さく笑ってしまう。

 すると真姫はムー、と唸って花陽に早くやるように促す。

 花陽は立ち上がると、息を吸って瞳を閉じる。

 

「Ah-、Ah-、Ah-、Ah-、Ah-」

 

「小さい、もっと大きく」

 

「Ah-、Ah-、Ah-、Ah-、Ah-」

 

「もっとお腹の息を使って」

 

「Ah-、Ah-、Ah-、Ah-、Ah-」

 

「その調子! 私に合わせて!」

 

『Ah-、Ah-、Ah-、Ah-、Ah-』

 

 二人の少女の声が中庭に響いた。

 久しぶりに大声を出した花陽は、先ほどまで心の中を渦巻いていたもやもやとした暗い気持ちがすべて吐き出されて、清々しい気持ちになっていた。もちろんそれは表情にも表れており、晴れ晴れとした表情になっていた。

 

「ねぇ、気持ちいでしょ」

 

「うん」

 

「言っておくけど、私だってコンクールで緊張しているんだからね」

 

「そうなの?」

 

「当り前じゃない。特に初めてのコンクールなんて緊張でボロボロ、とても見せられたものじゃないわ。あの時の静まり返った会場の空気は、今思い出しただけでも背筋が凍るわ」

 

 そう言いながら真姫は顔を青くして両肩をさする。どうやら相当ヤバかったらしく、その様子を見ている花陽でさえ嫌な感じが背中を走った。

 

「でも、こうやって声を出せば気持ちがリフレッシュできる。あなたも、まずは声を出す練習から初めてだんだんと慣れていけばいいのよ。

 ……その、何なら私が練習につき──」

 

 

 

 

「かよちーん」

 

 

 

 

 と、そこへ凛がやってきた。

 真姫は何かを言いたがっていたようだが、凛の登場に遮られてしまった。

 

「西木野さん? どうしてここに?」

 

 凛は自分のことをジト目で見てくる真姫に対して、首を傾げながら言う。凛が疑問を抱くのも無理はない。真姫は普段休み時間に誰かと一緒にいるところを目撃したことがない。大抵図書室や音楽室に行ってしまうため、こうして誰かと一緒にいることがとても珍しいのだ。

 

「励ましてもらってたんだ」

 

 親友の疑問に答える花陽。

 真姫は恥ずかしがって否定するが、それが照れ隠しだとすぐにわかった。その姿に微笑ましいと思う花陽だったが、凛は「それより」と言って花陽の手を掴む。

 

「今日こそ先輩のところに行って、アイドルになりますって言わなきゃ」

 

 花陽の手を引きながら急かすように言う凛。

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

「なんで? 入るって決めたんでしょ? なら行かなきゃ」

 

 花陽と凛の付き合いは長い。幼稚園からの幼馴染な故に互いのことを一番理解し合っている仲だ。だからこそ、小泉花陽と言う人間の性格を理解している星空凛だからこそこういう場合、早くスパッと決めた方がいいと判断したのだろう。

 しかし、今はどう見ても凛が花陽を無理やり連れて行こうとしている様にしか見えず、花陽もその場を動こうとはしなかった。

 見かねた真姫は花陽の手助けをする。

 

「そんな急かさない方がいいわ。もう少し自信をつけてからでも──」

 

「なんで西木野さんが凛とかよちんの話に入ってくるの!」

 

 しかし凛は少し声を上げて真姫を睨むように見る。

 真姫も凛の言い方にカチンといたのか、眉間に皺を寄せるとツンとした態度で言う。

 

「この子はまだ自分に自信が持てていないみたいだから、声を出す練習をして自信をつけた方がいいんじゃない? 歌うならそっちの方がいいわよ」

 

「かよちんはいっつも迷ってばっかりだから、パッと決めて上げた方がいいの! それにそういうのは入った後でも出来るでしょ!」

 

「自信を持ってから入るのと入らないのとじゃ、全然違うわよ。今行ったら確実に失敗するわ」

 

「あの……ケンカは……」

 

 本人を際し置いてヒートアップしていく二人。互いに互いを睨みつけている当たり、今にもケンカとなりそうで花陽はあたふたしていた。

 だが、同時に『自分が強ければ二人がケンカをしなくて済むのに』とも思っていた。結局、自分が優柔不断で弱いから、目の前でケンカが始まろうとしているのだ。自分が不甲斐無いばかりに、目の前で嫌なことが起きようとしている。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 自分に、『強い心』があれば。

 自分に、『強さ』があればこういうことにはならないのに。

 

「嫌だな、ホント」

 

 と、花陽が小さく呟いた時だ。

 

 

 

 

 グラリ、と花陽の意識が回った。

 

 

 

 

(あれ? どうしたんだろ、急に……)

 

 グラリと揺れた視界は花陽の平衡感覚を失わせ、次第に意識が遠のいていく。体から力が抜けていき、踏ん張ることすら、この不可解な現象に抗うことすらせずに、花陽の体が倒れ始める。

 わずかに開いている視界には、突然の花陽の急変に驚き目を見開く二人が映っていたが、間もなくして視界が閉じられた。

 

「かよちん!!」

 

「ちょっと、どうしたのよ!?」

 

 二人の少女の悲鳴が上がるのと同時に、花陽がその地に倒れた。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 ──音ノ木坂学院・保健室。

 幸い真姫が医者の娘だということもあり、取り乱した凛の代わりに冷静に花陽の容態を確認した後に保健室へと運んだ。先生の許可の元ベットに花陽を寝かせると、真姫は真剣な表情で花陽の容態を確認していく。

 まさかこんなところで、常日頃から勉強していた医者の知識が役立つなんて。と感じつつ花陽の体を一回り見た真姫は、顎に手を当てて難しい顔をした。

 

「特に目立った外傷は見当たらない、睡眠不足にも見えないし、一体どうして……」

 

 花陽の体に目立った外傷はない。肌の色もとてもきれいであり、彼女が日ごろからきちんとした睡眠をとっている証拠だ。凛の話では朝食もしっかりとって来たらしいので彼女が倒れる理由がない。健康状態は良好なのだ。

 季節的にもまだ熱中症には早い。真姫が現状持っている知識では、なぜ花陽が倒れたのか解明が出来なかった。

 

「かよちん……」

 

 小さく親友の名前を呼ぶ凛。

 花陽が倒れた時は取り乱していた彼女は、真姫の冷静な対応のおかげで今では落ち着きを取り戻している。

 

「凛が、急かしたのがいけなかったのかな……」

 

 ベットの横の椅子に座る凛が、弱々しく言った。

 

「そんなわけないじゃない。あなたに急かされて倒れるほど、小泉さんは弱くないはずよ」

 

「西木野さん……」

 

 と、凛が呟いたところでベットのきしむ音が聞こえた。

 二人が慌ててベットの方へ視線を向けると、目を覚ました花陽が上体を起こそうそしているところだった。

 凛は「かよちん!」と叫ぶと彼女の体を支えて起き上がるのを手助けする。

 

「大丈夫?」

 

「凛ちゃん? あれ? ここは、保健室?」

 

 花陽は凛の手助けを借りて状態を起こすと、あたりを見回してここが保健室であることを確認する。それからなぜ自分が保健室にいるのかを思い出そうとする花陽。

 凛が保健室の先生が用意しておいたお水の入ったコップを差し出すと、花陽は受け取って一口飲む。

 

「そっか、私倒れたんだ」

 

 と呟いたのを聞いて、真姫は花陽が落ち着いたタイミングを見計らって声をかけた。

 

「容体はどう?」

 

「大丈夫、問題ないよ」

 

 見栄を張っているようには見えない。水を飲む二回目の動きにはコレと言った気になる点はなく、目を覚ました彼女はいたって普通だった。真姫の質問にもしっかりと答えれているし、本当になぜ倒れたのか不思議なくらいだ。

 

「今日はもう帰った方がいいわ。理由はわからないけど、あの倒れ方は異常だった。病院にも行った方がいいわよ」

 

「ありがとう。でも、ごめんね。今日はある人と会う約束をしてて、その人と会わなきゃいけないの」

 

 花陽がそう言うと、真姫は眉をひそめて呆れた。

 

「あなたねぇ、自分が倒れたって自覚あるの? 帰りなさいって言ってるの。一応これでも医者の娘よ、言った通りにしなさい」

 

 と、強めの口調で言う真姫。当たり前だ、突然倒れておきながら目の前の人物は待ち合わせの人のところへ行こうとしている。真姫は呆れるのと同時に怒りを感じており、前もって教室から持って来て置いた彼女のカバンを押し付けるように渡すと、再度帰るように促す。

 しかし、花陽は変える様子は見せずに困った顔で言う。

 

「でも、ユーカさんが待ってるから」

 

 

 

 

「──待って、ユーカさんって昨日かよちんが一緒にいた人?」

 

 

 

 

 凛が花陽を制する様に強い声音で聞いた。その瞳には強い警戒心が込められており、なぜ親友がそんな視線を向けてくるのかわからない花陽は、首を傾げながらも答える。

 

「そうだよ。昨日一緒にCDショップに行った人。初めて会ったんだけど、ユーカさんも久乃千紗さんの大ファンらしくてね、それで盛り上がって──」

 

「ダメにゃ!!」

 

 花陽の言葉を遮るように凛は声を上げた。

 

「あの人はダメにゃ! 危険な人だよ!!」

 

「え? え?」

 

 凛の発言に、花陽はただ困惑するだけだ。

 

「凛見たんだよ! かよちんとその人が一緒にいるところ。確かにかよちんと一緒にいた時は笑ってたけど、かよちんと別れた途端に無表情になったんだにゃ! 凛はあんなに怖い『無表情』を初めて見た。まるで、何にも興味がないって感じて……。かよちんと一緒に買ったCDもその場に捨ててったんだよ!? 普通の人なら絶対にしないことだよ? でもその人は捨てた。道端にごみを捨てる感じで捨てたんだよ! 

 兎に角、その人は危険だにゃ!! 絶対に会っちゃダメ!!」

 

 花陽の肩を掴んで、必死の形相で訴える凛。その表情には焦りの色も現れており、必死に『ユーカ』という人物に行かないでと訴えているが、

 

「どうして?」

 

 花陽は驚いた表情で言う。

 

「どうしてそこまでユーカさんを酷く言うの? ユーカさんはいい人だよ」

 

「かよちんは騙されてるにゃ! あの人は危険! 危険なんだよ!! 上手く説明できないけど、とにかく行っちゃダメにゃ!! あの人は絶対に何かある、凛はそう感じるんだよ。あの人は──」

 

「──凛ちゃん!!」

 

『──っつ!?』

 

 花陽が声を上げた。

 いつも声の小さい彼女が、親友である凛が聞いたこともないほどに声を上げた姿に、凛だけでなく真姫までもが体を震わせて驚いた。

 花陽は明確な『怒り』を込めた視線で凛を見る。

 

「それ以上言わないで。さすがの私も怒るよ」

 

「…………」

 

 凛は花陽の威圧に負けて、ゆっくりと腕を下ろした。

 その表情は驚愕に染まっており、親友から向けられる初めての感情に戸惑いを隠せていなかった。

 花陽は、そんな凛を一瞥するとカバンを手に保健室を出て行く。

 真姫は花陽の後を追おうとしたが、呆然としている凛の方が気になりその場にとどまる。

 

「追いかけないの?」

 

「…………」

 

 凛は答えない。

 

「……そんなに落ち込むこと? 友達同士ならケンカの一回や二回、普通にあるでしょ?」

 

 これをケンカと捉えれるのか、正直なところ真姫にはわからない。幼い頃からピアノに没頭していた真姫に『友人』と呼べる人間は『一条リヒト』を覗いて一人としていない。その『一条リヒト』とも過去に数回出会っただけで『ケンカ』と呼べることは一度もいたことがない。

 故に真姫にとって『友達同士のケンカ』というのは『友達同士ならよくあること』程度にしか知らない。

 

「……かよちん優しいから、凛とあまりケンカにならないんだよ。たとえケンカになっても意地の張り合いみたいな形で、怒鳴ることないんだ。だから、さっきみたいに怒鳴ったかよちんは初めて見た。

 かよちん、怒るとちょっと怖いね」

 

 そう言って「あははは」と苦笑いする凛。

 確かに、出会って間もない真姫でも花陽の性格が『優しい』というのは雰囲気で何となくわかる。怒鳴る姿もあまり想像することが出来ない。それに、二人がケンカをしている姿は、何となく想像しにくい。 

 先ほど怒鳴ったとなると、よほど頭に来ていたということになる。

 

「……そんなに危険なの? 『ユーカ』って人」

 

「……うん。うまく説明できないんだけど、あの人は危険。危険なんだよ」

 

「なら、助けに行かないとね」

 

「え?」

 

 真姫は自分のカバンを肩に掛けると、凛のカバンを渡しながら言う。

 

「危険なんでしょ、その『ユーカ』って人。ならさっさと追いかけて、真相を確かめましょう」

 

「信じてくれるの?」

 

「そんなこと言っている場合じゃないでしょ? まだ遠くには行っていないはずだからささと行くわよ」

 

 疑問に首を傾げる凛を置いて先に行こうとする真姫。凛も慌ててカバンを肩に掛けると真姫の後を追った。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 真姫と凛が学校を出た時はすでに花陽の姿は見当たらなかった。あれからまだ時間はそんなに経っていないというのに、早すぎでしょと愚痴をこぼしたくなる真姫だったが、それを飲み込んで花陽の行きそうなところを凛に聞く。幸い心当たりがあるらしく、凛は何の迷いもなく走り出した。

 二人がやってきたのは昨日凛がユーカと花陽の姿を見た街の方面だった。二人は辺りを見回して花陽の姿を探すが、ちょうど他校の下校時刻でもあるため街には制服を着た男女の姿が多くあり、見つけるのは一苦労だった。

 

「一体どこにいるのよ……」

 

「西木野?」

 

 と、聞きなれた声がした真姫は声の方へと振り返る。

 そこには、灰色のパーカーを着た茶髪の外ハネ青年──一条リヒトが立っていた。

 まさかの人物の登場に、真姫は驚く。

 

「リヒトさん、どうしてここに?」

 

「いや、ちょっとある用件で」

 

 真姫の問いに答えにくそうにするリヒト。

 疑問に思う真姫だったが、それより先に凛がリヒトに迫った。

 

「すいません、かよちんって子探しているんですけど、見ませんでしたか?」

 

「かよちん?」

 

「それじゃわからないわよ。えっと、髪はショートボブくらいで眼鏡を掛けた私達と同じ制服の子。あと」

 

 真姫が知る限りの花陽の特徴を上げていくが、コレといって大きな特徴がないため説明に苦労する真姫。

 しかし大体のことは伝わったのか、リヒトは「もしかして」と前置きしてから言う。

 

「小泉って子か?」

 

「知ってるの!?」

 

「ああ、昨日穂乃果の家で一緒にライブの動画を見たからな。 

 それで、その子がどうかしたのか?」

 

「かよちんが危ないんです!」

 

「危ない?」

 

「だから、極端に言いすぎなのよ」

 

「まったく」と少々焦る凛に呆れながらリヒトの事情を説明するリヒト。焦る凛の気持ちもわからないわけではないが、こういった時に焦るのは禁物だ。真姫は先ほど凛から聞いた話を短くまとめて説明すると、リヒトは少し険しい表情になった。

 

「星空っていったか? その女って黒のレースにサングラスをしてて、髪の長い女だったか?」

 

「たしか、そんな恰好でした!」

 

 凛の返答を聞いてリヒトは苦虫を噛み潰したような表情をした。

 

「マズイな」

 

 それから、深刻そうな表情でこうつぶやいた。

 

 

 

 

「小泉が危ない」

 

 

 

 

 

 




いよいよ事態が動き出した第二章、前半部分が終わりいよいよ後半戦に向かいます。今回の前半部分で真姫に何があったのかは、第4話を参照です。

それでは第三章に続きます。
サブタイトルは「優しさと強さと……」の予定。

次回もお楽しみに!




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第三章:優しさと強さと……①

いよいよ後半戦突入、色々と動き始めます。


「お待たせ」 

 

 そう言ってユーカは花陽の前に姿を現した。

 場所は先日ユーカが話し合いのために提案した喫茶店のオープンテラス、早く着いた花陽はミルクココアを堪能しながらそこでユーカを待っていた。

 ユーカが現れたのは花陽が来店してから五分程度、昨日と同じ服装で現れたユーカは案内してくれた店員に「コーヒーをお願い」と言うと、花陽の前の椅子に腰を下ろす。

 

「今日はごめんなさいね、学校の帰りなのに誘っちゃって」

 

「いえ、私もユーカさんとは話したいと思っていましたから」

 

「そう、ありがとう。

 ところで、浮かない顔をしているけど、何かあったのかしら?」

 

「え?」

 

 ユーカの発言に花陽は少し驚いた。

 

「サングラス越しでも一応わかるのよ。それで、何に悩んでいるのかしら? よかったら相談に乗るわよ」

 

 サングラスを示しながら言うユーカの声音は優しく、口元からもユーカが優しい表情を浮かべているのだと判断できる。

 話すことに少しためらいを感じる花陽だったが、ユーカのやさしさに甘え自然と自分の胸の内が言葉となって出始めた。

 

「……実は、私の通っている学校でスクールアイドルが誕生したんです」

 

「スクールアイドルって、今人気のアレよね?」

 

「はい。そのアイドルのファーストライブを見てから、私もアイドルをやりたいって思うようになったんです。子供の時から、アイドルには憧れてたから。

 でも、私は声が小さいし人見知りで、背も小さいからできないって思っていたんです。けど、先輩達やお兄ちゃんに『やりたいならやりなよ』って言われて、それで自分でもやってみようと思ったんですが、その……」

 

 花陽は一拍置いて、

 

「怖いんです。ステージに立つのが、とても怖いんです」

 

「……理由を聞いてもいいかしら?」

 

 ユーカの声音にはしい検査が込められていた。

 

「……小学生の時、演劇の主人公に選ばれたんです。まだその時は人見知りとか、恥ずかしいとか全く知らない時で、家でもお兄ちゃんの誕生日とかにアイドルの真似をしていた時もありましたから、緊張はしないかなって思ってたんです。

 でも、違いました。本番の日にステージに立ったら、いつもとは違った視線を感じて、知らない人の視線が怖くて頭が真っ白になったんです」

 

 花陽の脳裏に、当時の光景がよみがえってくる。

 演劇の主人公に選ばれ、意気揚々と練習に励み、両親と兄に「楽しみにしててね」と言えるくらいに自信と『出来る』という思いを抱いていた自分の姿。

 そして、ステージの上に立った瞬間に目の前に広がった数々の視線。

 今まで家族の前でしか歌ったことのない自分が、今知らない人たちの前で劇をしようとしている。今まで以上に期待に満ちた両親の眼差し、知らない人たちの視線、初めて経験する大勢の前での発表という事態に、花陽はかつてないほど緊張していた。

 しかし、こんなのはまだ序の口。本当に最悪だったのはこの後だ。

 

「そしたら、演技の出だしのセリフを間違えちゃって、それだけならまだよかったんですけど、衣装に足が取られて転んじゃったんです。その姿が可笑しかったのか、周りから笑い声が聞こえて来て……。その笑い声がトラウマになって、ステージに立ちたくても、一歩踏み出せないんです。やりたいのに、スクールアイドルをやりたいのに、怖くてできないんです!」

 

 花陽は泣いていた。

 怖い、ただそれだけで一歩踏み出せない自分の弱さが情けなくて泣いた。やりたいと、どんなに思っても、あの時のトラウマが蘇ってきて一歩踏み出せない。 

 今日だってそうだ、昨日の挽回をしようとしたのに、音読を噛んでしまいその時に起きた笑いが怖くて、踏み出していた足を引っ込めてしまった。

 弱い、なんて弱いのだ。

 その弱さが溜まらなく嫌だった。

 

「そう」

 

 花陽の話を聞いていたユーカは、運ばれてきたコーヒーに一度視線を落とすと、小さく言った。

 

「あなたも、そうだったのね」

 

 囁くように言われた一言は、花陽の耳に滑り込んでくるように聞こえてきた。

「え?」と驚いた視線を上げる花陽。

 

「私もね、小さい頃はアイドルを目指していたの。テレビに出ているアイドルに憧れてね」

 

「ユーカさんも?」

 

「まあね。でも、ほら、私こんな目じゃない? 光に弱いから照明の光がダメでね。それが理由で諦めたの。自分には無理だって」

 

 そうあっさりと言ってのけるユーカ。そこに後悔の念は感じられず、むしろ清々しいといった具合だ。サングラスによって詳しい表情はうかがえないが、自分の選択に後悔をしている様子はない。

 なぜそう簡単に諦められたのか? 

 確かに花陽もトラウマが原因で『アイドル』という夢を諦めかけたことは何度もある。しかし、完全に諦めたことはない。心のどこかには今でも『やりたい』という思いが、かすかに残っている。

 自分は、こうも潔く諦められるのか? 

 無理だ。絶対にあきらめられない。

 

「どうして、そんな簡単に諦められたんですか?」

 

 だから花陽は聞いた。

 どうしてそう簡単に『夢』を諦めることが出来たのか。

 

「さぁね、もうずいぶんも前のことだからは忘れたわ」

 

 素っ気なく言うユーカは、カップを持ち上げてコーヒーを口に含む。

 それから、一息吐くとこう続けた。

 

「ホント、『夢』なんて目指してもろくなことにならないわよ」

 

 先ほどの雰囲気から一転、急に鋭くとがったような雰囲気になったユーカは、強い口調で花陽に向けて言う。

 

「前に留学したって言ったわよね? あれはね、デザイナーを目指して留学したの。たぶん私はアイドルの着ている衣装の方に興味があったんだと思うわ。だから私は、ファッションデザイナーを目指して留学した。絶対になれるっていう自信を持ってね」

 

 ユーカは同時に運ばれてきたミルクを加えていきながら続ける。

 

「でも結局ダメだった。有もしない自信を持て海を渡ってみれば、私より上の実力者何て当たり前にいる。私より幼い頃からファッションに興味を持っていた子や、両親のどちらかがすでにファッションデザイナーな子。

 そうね、あとは単純に才能の差かしら」

 

 ミルクを混ぜたコーヒーを一口含むユーカ。

 そんなユーカの話を静かに聞く花陽。

 

「どんなに努力しても、結局才能という差には敵わなかった。

 スクールアイドルもそうでしょ? いろんな子たちが憧れて始めるけど、選ばれるのは才能のある子たちだけ。A-RISEがいい例なんじゃない? あの子たちがすごいのは『才能』があるから。それはあなたも感じていることでしょ。『努力』でどうにかなるなら、A-RISE以上の努力をしているアイドルが一番になれるはず。

 でも現実はどう? そんなグループは出てきていない。結局は『圧倒的才能』を持つA-RISEが常にトップにいる。

 花陽ちゃんには、A-RISEを超える才能があるのかしら?」

 

「……っつ!?」

 

 威圧的に言われ、花陽は震える。『A-RISE』を超える才能? そんなのあるわけがない。もしあったら今頃こんなことにはなっていないはずだ。きっとスクールアイドルをやっていて、人前でも緊張しない『強い心』を持っているに決まっている。

 しかし現実はどうだ? 

 スクールアイドルどころかその一歩すら踏み出せていない。人前で発表することすらろくに出来ない自分に、そんな才能はないと当たり前のことが証明されていた。

 

「叶いもしない夢を持つのは無駄、でもそれ以上に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 花陽ちゃん、厳しいことを言うけど、出来ないのならやらない方がいいわ」

 

 そうだ、ユーカの言う通りである。

 出来ないのなら、一歩踏み出せない時点で潔く諦めた方がいいのかもしれない。先輩達と一緒に始めたとしても、こんな自分では足を引っ張るだけだ。先輩たちの掲げる『廃校阻止』の邪魔になること間違いない。

 出来ないのならば、諦めればいい。

 今ここではっきりと言われたのだ。なら、ここで潔く諦めるのも一つの手だろう。

 確かに、その通りなのだから……。

 

 

 

 

「それは違うぜ」

 

 

 

 

 だが、一人の少年の声が真っ向からぶつかってきた。

 顔を上げてみればそこには、昨日先輩の家で出会った茶髪の外ハネ少年──確か名前は一条リヒトだったか──が真剣な顔つきで立っていた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 ほぼ無意識だった。

 気が付けば席を立って二人の元に行き、ユーカという女性が語った『夢』に対する意見を真っ向から否定するために口を開いていた。

 驚いた様子の二人がこちらに振り返る。

 後方では真姫と凛が『何やっているのよ、リヒトさん!?』『凛たちにはここで待ってろって言ったのに!!』と何なら愚痴っているのが聞こえてくるが、リヒトはそんなことは無視した。

 リヒトはユーカの方へ向き直ると、その意見を真っ向から否定するために口を開く。

 

「どんな夢でも、持つことは決して無駄なんかじゃない。ちゃんと意味があるに決まってるだろ。

 そもそも叶わないことだったり、出来もしないことを夢に持つのが当り前だ。夢っていうのは憧れや、その人がやりたいと思ったことが、そのまま夢になるんだからな。あとはそれを自分で『出来ること』にするのが、夢に向かうって意味なんだよ。

 出来ないのならやめた方がいい? 違うね、出来ないことだからこそチャレンジするんだよ。できないことを理由にしてたら、誰も夢なんか持てねぇよ。それに、アンタみたいに夢を『無駄』とか言っている人に、夢を語られたくないね」

 

「……何よ、いきなり出てきて随分な物言いね」

 

「アンタが『夢』に対して随分な物言いだったからな。つい物申したくなったのさ」

 

「そう。でも残念ね、どんなに語っても、夢を叶えられなかったら意味ないじゃない。私のようにね」

 

「それはあんたが諦めたからだろ。アンタが諦めないで、最後の最後まであがいて、自分の限界を出していれば、叶ったかもしれないだろ。

 それに、夢を追いかけている時アンタの胸はスッゲー熱かったはずだ。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、その熱さと目指した場所に立ちたい一心で頑張ってきたはずだ。

 アンタが言う『夢を持つことは無駄』ってのは、努力してきたアンタを無駄って言うことにもなるんだぞ。それはさすがに可愛そうじゃねぇか」

 

「…………」

 

 おそらくユーカはそのサングラスの下でリヒトを睨んでいるだろう。もちろんリヒトも他人の会話に土足で踏み入ったことは悪いと思ってはいるが、どうしても許せなかったのだ。ほぼ無意識に近い行動ではあるが、後悔はしていない。

 真っ向からユーカの『夢』に対する意見を否定するために睨み返す。

 言ってることは夢物語できれいごとなのかもしれない。それでも、リヒトの中に残る『何か』がユーカのことを許していなかった。

 

「……そう。じゃあ、あなたにはあるのかしら? 最後まであきらめないで叶った夢が」

 

「──っつ」

 

 ユーカに問われて、リヒトは下唇を噛んだ。

 その問いに対する答えを、リヒトは持っていない。

 自分の過去を遡ればあるのかもしれないが、記憶喪失が故に答えることが出来ないのだ。

 下唇を噛んだリヒトの反応を見て、何かを察したのかユーカは「ふーん」とリヒトをあざ笑う。

 

「ま、そんなことはどうでもいいのよね。

 だってさっきの話、()()()()()()()()()

 

「────は? 何を言ってるんだ?」

 

()()()()って言ったのよ。別に私はアイドルに憧れた過去もないし、留学した経験もない。『夢』に対して何も思ってないわよ」

 

 ウソを言っている様子はない。あくまで事実を述べているその様子に、リヒトは絶句していた。

 あの話がウソだというのか? 遠くからなためうまくは聞こえなかったが、花陽と話していた内容が全てウソだと語っている様子だ。

 

「あなたも気づいているんでしょう? ()()()()

 

「──!? やっぱりお前──!!」

 

「熱弁をありがとう。おかげでいい時間稼ぎになったわ」

 

 瞬間、リヒトの体に息が詰まるほどの衝撃が襲ってきた。腹部に突き刺さる痛みを感じたのちに遅れてやってくる浮遊感。回る視界。

 自分が吹っ飛ばされたのだと理解するのに、少々時間がかかった。

 オープンテラスにあるテーブルやイスを巻き込んで転がるリヒト。次々と体を襲う痛みに耐えながら受け身を取って体を起こすと、花陽の背後に回ったユーカがその口を花陽の耳元に寄せ何かを呟いているのが見えた。

「リヒトさん!」「一条さん!」と真姫と凛が後ろから駆け寄ってくる。二人の方を向いたところで、リヒトはこの場に自分たち以外の人間がいないことに気が付いた。

 

(まさか、位相が変わってる!?)

 

 位相の変異、それが起こるということは『闇の魔の手』が動き出したということ。誰かの心の闇が呼び起こされ、怪獣が出現するという予兆だった。

 一瞬幕をくぐるような感覚がリヒトの体に走ると、空はリヒトが過去に二回見た『光の異空間』の空が広がるが、その空を覆うかのように別の幕が広がって行き、やや暗い空が広がった。

 真姫と凛は周囲から人が消えたことに戸惑うが、リヒトは余計に歯噛みした。今のところどういった条件の人物が位相変異に巻き込まれるかわかっていないが、少なくとも今現在巻き込まれている凛と真姫は一般人だ。今朝も真姫の両親が巻き込まれたばかりだというのに、この間の短さは少々文句が言いたくなる。

 

「リヒトさん、大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だ。それよりお前達は──」

 

 逃げろ、とは続かなかった。

 ドクン、とリヒトの背後に嫌な気配が走るのと同時に二人を突き飛ばす。だからこそ、防御が出来ずに首に黒い何かが巻き付くのを許してしまった。呼吸がつまり、リヒトの中からどんどん酸素が失われていく。

 背後に振り返ってみればユーカの手に持つ黒い鞭がリヒトの首を絞めていた。ユーカは三日月の様に口を歪め、花陽の頬を撫でている。

 すでに花陽の瞳は虚ろとなっており、虚空を見つめているその姿はまさに今朝の真姫と似ている。真姫の時は『闇の力』により自分の心を暴走させられている様に見え、まだどちらかといえば自我も残っている方だった。

 しかし今回の花陽は、その自我ですら『闇の力』に飲み込まれている様子であり、花陽自身の意識があるのかわからない。

 いや、ない方の確率が高いだろう。

 小泉、と名前を呼ぶ前にユーカの元に引き寄せられ、顔を踏まれる。鞭は解けてはいるが、頭部を踏みつけられる痛みがリヒトを襲う。

 

「テメェ……、小泉に何をしやがった!?」

 

「はははっ、何って『種』を植えたのよ。この前会った時ね」

 

「種、だと?」

 

「そう。ショートカットの子なら知ってるんじゃない? 昨日私がこの子とあっているのを。その時にね、植えたのよ。心の闇を糧に育つ『種』をね」

 

 そう言ってリヒトを見下すユーカ。

 すでにその手にはスパークドールズ──赤い双頭の怪獣──が握られており、花陽の手にダークダミースパークが出来上がるのを待っている。

 リヒトは何としてでも起き上がろうとするが、頭にかかる圧力が消えたと思うと、髪の毛を掴まれ強引に持ち上げられる。そのまま腹部を何度も殴りつけられ、空気が押し出され吐き気が襲ってくる。

 最後に投げ飛ばされたリヒトはテーブルと椅子を巻き込みながら吹き飛んで行き、オープンテラスと道路の境にある策に頭をぶつけて倒れる。

 

「リヒトさん!!」

 

 真姫が叫んでリヒトの元に駆け寄る。リヒトが頭部をぶつけた際には鈍い音が聞こえてきており、明らかに頭部を損傷したのだとわかる。

 一方のユーカは、邪魔者が排除できたと判断すると花陽に近づき、その手に己の手を添える。花陽の手にはすでにダークダミースパークが出現しており、ユーカは優しくその先端をスパークドールズの足裏に持って行く。

 

「やめるにゃ!!」

 

 まだ残っていた星空凛がユーカ目掛けて駆け出すが、すでに遅かった。

 

 

 

 

『ダークライブ! キングパンドン!!』

 

 

 

 

 小泉花陽が闇に飲み込まれた。

 花陽がライブした怪獣、キングパンドンは土埃を上げて街の中に出現する。

 その非現実的な光景に凛の思考に空白が生まれる。

 真姫の方は驚いてはいるが、朝に自分の同じ体験をしたことを覚えているためか、凛に比べてはまだ体が動けた。

 

「この、お前……!!」

 

 テーブルと椅子の瓦礫の中から起き上がってきたリヒトは、額から血を流しながらもユーカを睨みつける。

 

「あら、そんなに睨まないで。あなたのせいでしょう? 私の正体にうすうす勘付いておきながら、様子見なんてしてるのがいけないのよ」

 

「気づいてたのか? 俺たちがお前の後を付いていたのを」

 

「当り前じゃない。私は『闇のエージェント』よ。()()()に警戒するのは当たり前じゃない」

 

「…………」

 

 リヒトは内心で後悔していた。

 真姫たちと遭遇したあと、ユーカと花陽の姿はすぐに発見できた。しかし、どう接触すれば一番穏便に済むのかを考えてしまい、一先ず様子見をすることにしたのだが、これがまずかった。あの時すぐに接触を図ればよかったと、後悔しているリヒトだったが今更それを考えても仕方がない。こうなってしまった以上真姫の時同様にウルトラマンギンガにライブして花陽の心に語り掛けるしかない。

 だが、

 

(どうする? 小泉がああなった以上、俺もギンガにライブして戦うしかない。だけど、俺がギンガにライブした瞬間アイツが二人を襲わないという保証がない。今は俺しか襲わないが……)

 

 キングパンドンは、真姫の時と違ってその場から動く気配がない。リヒトは『小泉花陽』という少女の性格を知らないが、闇の力に囚われても暴走するような性格はしていないということだろうか。

 これは幸いだ。向こうが動く気配がないのなら先にユーカを倒せばいい。

 リヒトはパーカーのポケットに手を忍ばせ、その手にスパークドールズを掴む。ポケットには今朝希から預かったカオスジラークのスパークドールズがある。ユーカがリヒトへの警戒心をとかいない以上、ギンガにウルトライブすることは困難だ。そこでこれを使い、二段構えでギンガ又はカオスジラークにウルトライブできればユーカを倒せる。

 だが、リヒトの脳裏に今朝の希との会話が思い出される。

 

『なあ希。ギンガスパークを使えば、怪獣にもライブできるのか?』

 

『たぶん、出来るとは思うんやけど、危険じゃないかな』

 

『危険?』

 

『ウチも奉次郎さんから「ティガ伝説」を見せてもらったけど、スパークドールズって「大いなる闇」の力の一部が封印されてるんやろ? だから危険やと思うんや』

 

『あぁ~、なるほどな。西木野が作り出したコレ、……あー、ギンガライトスパーク? で俺が不利になったときに加勢してもらおうと思ったんだけど』

 

 怪獣のスパークドールズには『大いなる闇』の力の一部が封印されている。『光の力』であるギンガスパークとは相反する力の集合体であり、ウルトライブにどんなリスクがあるのか定かではない今、安易にウルトライブするのは危険である。

 ギンガへウルトライブするのが一番だと思われるが、ユーカがそれを許すはずがない。だがこのまま手をこまねいているよりか、多少のリスクがあったとしても動き出さなければ事態は変わらない。

 もうこの際だ、正体がばれることなんか気にしていられない。あとでまた希に怒られそうだが、そんなことは後回しだ。

 よし、作戦は決まった。

 後は行動に出るのみだった。

 だが、

 

「と言う訳で、あなたにはもうちょっとおねんねしててもらうわよ」

 

 ポケットからギンガスパークを取り出す直前にユーカの方が動いた。

 風を切る音共に鞭がリヒトを叩き乾いた音が響く。

 

「っつ!?」

 

 椅子を投げながら迫るユーカ。リヒトは真姫を安全圏へと突き飛ばすと、転がるようにその場から逃げた。椅子は躱したが、肝心のユーカの攻撃がリヒトへ迫る。ウルトライブする暇も、それ以前にギンガスパークを取り出す暇さえ与えてくれないユーカの猛攻を避けるリヒトだったが、鞭が再びリヒトを捉え外へと投げ飛ばす。

 コンクリートに叩きつけられたリヒトは肺の中の空気がすべて吐き出され、呼吸が詰まる。しかし視界にはリヒトを踏みつぶそうと柵を超えるユーカを捉え急いで転がる。

 何度も咳き込むが、ユーカの猛攻がリヒトを襲う。

 なんとか反応して防御に回るリヒトだったが、ストレートを躱した瞬間足に違和感。下を向いてみれば右足首に鞭が絡みついており、しまったと思う暇もなく足を引っ張られ後ろに倒れる。同時に頭を掴まれコンクリートへと叩きつけられる。

 頭蓋骨が砕けたのではないかと疑いたくなる激痛。

 痛みにのたうち回るリヒトの腹部を蹴り上げるユーカ。続いてユーカのつま先が額を撃ち抜き閉じていた傷口が開き再度出血。同時に脳が揺さぶられ意識が飛びかける。

 リヒトにとどめを刺そうとするユーカだったが、背後に迫る気配気付き振り返る。

 

「あら、お嬢ちゃん随分元気ね?」

 

「かよちんを戻すにゃ!! このおばさん!!」

 

「失礼ね。一応コピー元の人間は二十三だったはずよ。まだおばさんっていう年齢じゃないわけ、ど!!」

 

 ドゴ! と凛の腹部に強烈な一撃が叩き込まれその記者な体が沈む。

 制服の首元を掴み無理やり立ち上がらせ、凛の耳元に囁くように言う。

 

「私、あんまり女の子はいじめたくないの。だから、端っこでおねんねしててくれる? かわいい猫のお嬢さん」

 

 投げ飛ばされた凛は数メートル転がり、起き上がる様子は見せない。真姫が急いで駆け寄り容態を確認すると、先ほど腹部に受けた一撃が強烈だったらしく腹部を押さえているだけだった。

 

「あなた、小泉さんをどうするつもり!?」

 

「どうするって、そうね。教えて上げようかしら」

 

 そう言ってユーカはパチンと空に向けて指を鳴らす。

 その瞬間、キングパンドンの両隣にあるビルの屋上が謎のスパークを始めた。そしてその光は、一筋の光を伸ばしていきキングパンドンの上空でひとつに交わった。交わった光は一つの球体の様な形に集約していき、一度邪悪に輝くとブラックホールの様な黒いワームホールを形成した。

 

 

 

 

「ゲート」

 

 

 

 

 驚きで真姫が目を見開く中、ユーカが静かに告げる。

 

「元々は扉ぐらいの大きさしかなかったのだけれど、それを改造してあそこまで大きくしたの。どう? 私かなり頑張ったのよ。まあ、一人の協力者がいたのだけれどね」

 

 次の変化はすぐに訪れた。

『ゲート』と呼ばれたワームホールの穴から青白く光る紐のようなものが伸び、キングパンドンの体を絡め捕りその体を持ち上げていく。まるでワームホールの中に飲み込もうとしているその様子に、真姫は嫌な予感が一気に背中を走った。

 

「私があれを見つけたのはアメリカでね。聞いた話だと、位相を越える扉みたい」

 

「位相を、越える?」

 

「えぇ。お嬢さんは知らないのだろうけど、昔この地球で『光の戦士達』と『大いなる闇』の戦いがあったの。『闇』は敗れてしまったのだけれど、位相を移して復活の時を待っている。『ゲート』にはね、その『大いなる闇』のいる位相に『生け贄』を送る扉。

 今あの子は私が植えた『種』によって『心の闇』が増幅されている。その状態で『大いなる闇』の力の一部が封印されているスパークドールズにライブさせ、『生け贄』として送り込めばどうなるか、わかるでしょ?」

 

「…………」

 

 真姫にはユーカの言っている話の内容がほとんどわからない。

 だが『生け贄』がどういう意味を持つのかはわかる。

 もし、ユーカの言う話が本当であれば、あのワームホールに吸い込まれていった花陽の末路は──。

 

「死、よ。あの子はもれなく『大いなる闇』」復活のための生け贄となって死ぬ。

 ああでも安心して。あなたたちもすぐにお友達の後を追うことにな・る・か・らっ!」

 

「……なるほどな。お前の目論見は分かった」

 

 楽しそうに笑うユーカの言葉を遮るように、リヒトの言葉が聞こえてきた。

 リヒトはゆっくりと立ち上がり、額から流れて来ていた血を拭きとる。

 

「あら、もう立てるのかしら? 結構痛めつけたつもりなのだけど──」

 

(──それに、額の傷がもうふさがっている? さっきもそうだったけど、傷の回復が早くないかしら、この子)

 

 ユーカはリヒトの傷の回復の速さに眉を顰める。リヒトの特徴である明るい茶髪の間から見える額には、赤い血の血痕が残ってはいるが再び血が流れてくる様子がない。ユーカが投げ飛ばすたびにリヒトの体には擦り傷や出血部分が多くあったはずなのに、今見る限りではどこも治っている。

 それに、一度頭蓋骨を割る勢いでコンクリートに叩きつけたというのに、その時の後遺症が全く見られない。

 リヒトの異常を感じ取り、眉間に皺を寄せるユーカ。

 本人は気付いているのかわからないが、リヒトはユーカを睨みつけて言う。

 

「お前に額を割られたとき、俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を見た。その扉がゲートだったみたいだな」

 

「あら、知っているのかしら。『ゲート』のことを」

 

「記憶喪失前の俺がな。アメリカに留学してたみたいだから、きっとそこで見たんだろ」

 

「あら、つまりあなたが壊したのかしら。でも残念ね、私がこうしてまた持ってきちゃった」

 

「ああ。だから──」

 

 リヒトは、その拳を握りしめて言う。

 

 

 

 

「また俺がぶっ壊す! お前の目論見と一緒にな!!」

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「星空さん、大丈夫?」

 

「なんとか、ね……」

 

 腹部を抑える凛の顔は痛みに歪んでいるが、少しは回復したのかその表情は次第に穏やかになって行く。

 凛の容態が回復に向かってはいるが、肝心のリヒトの方が危ない。威勢よく宣言はしたが、いまだユーカに弄ばれている状態。先ほどユーカが「この作戦を成功させるには、あなたが邪魔なの」と言っていた。それはつまりリヒトがこの窮地を打開できる力を持っているということ。

 そしてそれは、もちろん真姫にもわかっていた。

 

(きっとリヒトさんは、今朝の私と同じく小泉さんを助けれる力を持っているはず。あの人があそこまでリヒトさんを必要に狙っているのだから間違いない)

 

 となれば、どうにかしてユーカを引き離さなければならない。しかし真姫にはユーカを足止めできるほどの力は持っていない。持っているとすれば……。

 

「星空さん、まだ動けるかしら?」

 

「え?」

 

「リヒトさんなら小泉さんを助けることが出来る。でもそのためには、あのユーカって人を私達で足止めしなきゃいけない。星空さん運動神経いいからできないかしら?」

 

「無、無理だよ。だってあの人すごく強いよ。それに凛は運動神経はいいけど、けんかの仕方なんてわからないし……」

 

「ケンカはしなくていいわ。あくまで足止めさえできればいいの」

 

「でも……」

 

「このままだと、小泉さんが死ぬかもしれないのよ? そんなの嫌でしょ! あのままアイツの思い通りになるなんて私は嫌よ! せっかく仲良くなれたのに、ここで終わりなんて嫌。絶対に助けるの!」

 

「…………」

 

 凛は真姫の言葉を聞いて一度うつむいた。

 真姫も無理なお願いをしていることは重々承知だ。しかも凛は腹部に強烈な一撃を食らっている、その痛みがユーカに対して恐怖心を抱かせているのかもしれないが、ここで凛が動いてくれなければ本当に終わってしまうかもしれない。

 

「……わかったにゃ」

 

 懇願する真姫の願いが届いたのか、凛は力強くうなずき顔を上げる。

 凛の頷きを聞いた真姫は得意げな笑みを浮かべると、リヒトの方へ向く。

 

(今助けるから、リヒトさん!!)

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 リヒトは再びコンクリート上を転がる。

 

「くそっ!」

 

「それにしても遅いわね。やっぱりあそこまで大きくしたのがまずかったのかしら」

 

 ゲートの方を見ながら少し落胆した声で言うユーカ。先ほども言っていた通りユーカが『ゲート』をアメリカで見つけた時、すでにかなり破損している状態であり協力者の力があったとはいえ、それを改良してあそこまで大きくしたのが仇となったのかキングパンドンの上昇スピードは想定していたスピードより遅かった。その為こうして直接リヒトの足止めをしなければいけなく、ユーカにとっては少々気苦労だった。

 リヒトの方も、すでにかなりボロボロの状態にありいくら傷がすぐに癒えるとはいえ、『痛み』までは消えないのか体力はどんどん削られていった。

 だが、リヒトが引っかかっているのはそれだけでない。

 

(くそ、さっきの光景は一体何なんだよ!!)

 

 先ほどリヒトの脳裏に流れてきたビジョン、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()光景。おびただしい量の血がリヒトの服を染め上げており、思い出すだけでも恐怖で体が固まる。

 しかしここで固まっているわけにはいかない。

 ここでユーカを早く倒さなければ花陽が危ない。

 

「あら、まだ立つのね。そろそろ倒れてくれないかしら」

 

「嫌だね。……こんなところで、倒れてたまるかよっ」

 

 全身に力を入れて立ち上がるリヒト。

 ここで自分が倒れたらどうなるのか、それは嫌でもわかっている。倒れるわけにはいかない、花陽を助けれるのは自分だけなのだ。協力者である希はこの場にいない。

 力の限り経つリヒトだったが、急接近してきたユーカの拳を受けてその体が再び沈む。さらに、ユーカの振り抜かれた蹴りがリヒトの頭を蹴り抜き意識が飛びかける。

 瞬間、リヒトの脳裏に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()が浮かび上がってくる。

 そのビジョンに衝撃を受けたリヒトは、飛びかけていた意識が舞い戻り、驚愕で目を見開く。

 

(……なんだよ、今の。明らかに今まで以上におかしかったぞ!!)

 

 言うなれば化け物化をし始めている少女。

 まさか、あの少女は……。

 

「あら、やっと寝てくれたかしら。

 ──ん?」

 

 ユーカは別の気配が感じ、そちらに振り返ると先ほどまでリタイアしていたはずの凛が迫ってきた。

 その表情にはユーカに対する恐怖が残ってはいるが、自らを奮い立たせて立ち向かってくる姿には関心してしまう。

 凛はその脚力をもってユーカに迫ると、その腕にしがみつこうとする。ユーカはそんな見え見えの攻撃をあしらうように避けると、もう一度痛い目に遭ってもらうと拳を放つが、凛は自慢の身のこなしでそれを避ける。

 凛の動きに少々驚くユーカだが、凛はすぐに体勢を立て直すと再びユーカに迫る。何度も迫って来る凛に嫌気がさしたユーカは本気の一撃を叩き込もうとするが、横から飛んできたボールペンに気を取られ、凛の接近を許してしまう。視線を横に向けると、自分のペンケースからもう一本のボールペンを取り出し、こちらに投げてくる真姫の姿。

 先ほどのペンは真姫が投げたものだ。

 こざかしい真似を、と思うが凛にしがみつかれ真姫へ攻撃が阻止される。凛を突き飛ばすが、先ほど同様すぐさま体勢と立て直して迫って来る。

 凛がユーカの猛攻を躱しながら迫る姿に、「なに危ないことしてるんだ」と叫びたくなるリヒトだったが、駆け寄ってきた真姫が、

 

「ここは私達に任せて、リヒトさんは早く小泉さんを!」

 

「任せてって」

 

「足止めをするだけよ。そんなに長くはもたない。だから早く小泉さんを!!」

 

「……わかった」

 

 真姫の瞳に揺るがない覚悟を見たリヒトは、この場を二人に任せることにした。それに、せっかく彼女達が作ってくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない。リヒトがギンガにウルライブするべく駆け出そうとするが、一回立ち止まりポケットからあるものを取り出す。

 

「西木野、コレ念のために持っておけ。お守りの代わりだ」

 

 そう言ってリヒトが真姫に渡したのは、青い透明なギンガスパーク、ギンガライトスパークだ。

 受け取った真姫は見覚えのあるそれに一度目を見開き、リヒトに説明を求めようとしたがすでにリヒトは駆け出して行ってしまい、出来なかった。

 真姫達の元から建物の影に移動してきたリヒトは、心の中で二人に感謝をすると、ギンガスパークを額に当て、念じる。

 

(ギンガ、頼む。俺に力を貸してくれ! 小泉を助ける力を!!)

 

 キラリ、とギンガスパークが一度光った。

 それを感じ取ったリヒトはギンガスパークを勢いよく空へと伸ばす。

 スパークブレードが開き、ギンガのスパークドールズが出現。リヒトは一度笑みを浮かべると、勢いよく掴み取り、スパークドールズをリードする。

 

『ウルトラーイブ! ウルトラマンギンガ!!』

 

 光が展開され、リヒトを包み込んだ。

 




今回、第三章が合計で2万字を越えたため分割することにしました。サブタイトルに①と付いているのはその為です。
②の方は明日以降の更新を予定しております。

それでは、今回はこの辺で……。



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第三章:優しさと強さと……②

そう言えば、何気に前回初めてギンガへの変身プロセスをかいたという……。
第5話にしてようやく描かれるという事実!(←すごくどうでもいい)


 上空へと飛翔する、一つの光。

 その光は先ほど『ゲート』を作り出した光とは違い、とても神々しく美しい光。やがて眩い輝きが収まると、ウルトラマンギンガが出現した。

 ギンガはすぐさま両腕を頭部に持って行き、クリスタルを紫色に光らせる。放たれる光、ギンガスラッシュがキングパンドンを絡め捕る紐を消し飛ばし、落下を始めるキングパンをギンガは優しく受け止める。

 ゆっくりと地面にキングパンドンを下ろすギンガ。

 そしてすぐさま両手に光を集めビルの上にあるゲート発生機を破壊。上空にあるワームホールは禍々しくゆがみ始めたのを察知し、ギンガコンフォートでワームホールの浄化にあたる。

 ギンガコンフォートの光を飲み込んだワームホールは、光の浄化を受けて消滅。キングパンドンの救出に成功した。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 風を切る音が聞こえ真姫はすぐさま凛に声を飛ばす。

 

「左によけて!!」

 

 真姫の声を聞いた凛は左に転がるように避け、風を切り迫る鞭を躱した。

 そのタイミングで上空に光が上り、ウルトラマンギンガがキングパンドンの救出に成功する。

 

「なるほど、これがあなた達の目的だったのね」

 

 少し感心した声を上げるユーカ。

 正直、早めに気付かれると思っていた真姫は、この作戦が無事に成功したことにホッとする。凛の方も真姫が鞭の風を切る音を聞き取れること、加えて凛自身の運動神経のおかげで軽傷で済んでいる。

 凛の方はギンガの登場に驚きと、待ちわびたヒーローの登場に喜ぶ少年の瞳をしていた。

 

「西木野さん西木野さん! あの巨人なに!? 誰!?」

 

「ウルトラマンギンガ。大丈夫、私達の味方、そしてアンタの目論見を阻止する光の戦士よ!」

 

 得意げに宣言する真姫。ほぼ受け寄りの知識だが、そんなことは気にしない。このまま勢いをこっちに持って来て波に乗りたいのだ。

 だが、ユーカが鞭でコンクリートを強くたたき、場の流れを静寂に染める。

 

「まったく、油断したわ。女の子を傷つけたくないから手加減してたけど、こうなったら仕方ないわ」

 

 ユーカは鞭をしまうと、もう一つのスパークドールズ、そしてダークダミースパークを取り出す。

 

「本当なら、私はライブするつもりはなかったのだけれど、やるしかないわね」

 

 ユーカは、何の躊躇もなくスパークドールズをリードした。

 

『ダークライブ! テレスドン!!』

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 ッドン!! と土埃を上げて出現するテレスドン。

 光の空間(インナースペース)に立つリヒトは、目を細めてテレスドンにライブしたユーカの姿を見る。

 

『お前』

 

『これで勝ったと思わないでね。まだ勝負はついていないから』

 

 ユーカがそう告げると、テレスドンが駆け出す。

 ギンガのそばにはキングパンドンが横になっているため、ここで迎え撃つわけにはいかない。一歩遅れてギンガも駆け出すと、テレスドンとの取っ組み合いになる。

 しかしそれは一瞬、ギンガはすぐに右腕を振りかぶると殴りつける。膝蹴りの追撃を放ち、さらに右ストレートでダメージを与える。

 よろめき、後ろに下がって行くテレスドン。

 距離を詰めよろうとするテレスドンだったが、ギンガの蹴りが腹部に突き刺さる。

 頭部を掴み背負い投げの要領で投げ飛ばす。

 テレスドンの反撃を許さない猛攻、先ほど何度もコンクリート上を転がされたお返しと言わんばかりの猛攻に、テレスドンの体力はどんどん削られていった。

 元々、テレスドンは重量級怪獣であり動きの素早さではギンガに負けている。ギンガもそれがわかっているのか、接近戦での取っ組み合いを避け、素早い一撃を叩き込んでいく戦法をとっている。

 だが、

 

『やるわね。でも──』

 

 ユーカの口元に浮かぶ不敵な笑みが消えることはない。

 不審に思っていると、ユーカはその手に持つダークダミースパークを己の胸に突き刺した。

 ユーカの行動に驚くリヒト。

 

『うあぁ、ああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 

 呻き声を上げるユーカだが、次第にその声は叫び声に変わっていき、さらに先ほどギンガが壊したゲート発生機から不気味な光がテレスドンへと伸びていく。

 リヒトの視界に映るユーカは、苦しいのか声を上げ髪が大きく乱れている。それでも、己の体に突き刺したダークダミースパークを抜くことはしない。

 ダークダミースパークがすべて体の中に入ると、ユーカの体が大きく揺れ、サングラスが外れる。

 

『──!? お前、目が!?』

 

 サングラスが取れたその下には、本来あるはずの()()()()()()。どうやらサングラスは、目がないことを隠すためにかけていたのだろう。

 目を見開いて驚くリヒトだったが、その次に起きた変化がリヒトの警戒心を高めた。

 グチュグチュと音を立ててテレスドンの姿が変化していく。土色の体が銀色に変化、より硬くより強靭に進化する。瞳も赤く染まりその体がより生物に、いや、クリーチャーのように禍々しく変化していく様は、見ていてあまり気分のいいものではない。体の構造そのものが変化しているといっていいだろう。

 もうすでに、ユーカの姿は見えない。

 地上にいる真姫と凛も、テレスドンの体が変化していくグチュグチュという嫌な音に、不快感をあらわにして耳をふさぐ。

 体の変化が終わると、その重くなった巨体を揺らして具合を確かめると、ユーカの声だけが聞こえてくる。

 

『あら、こっちはすぐに対応するのね。あのハットのおじさま、こっちには力を入れたのね』

 

『ゲート』の力とダークダミースパークの力でパワーアップした、と捉えていいのだろうか。明らかにテレスドン──この場合、パワードテレスドンと呼んだ方がいいだろう──から感じる気配が強くなっていた。

 元々『ゲート』にその効力を組み込んでいたのか、どういった原理でパワーアップしたのかリヒトが知ることはできないが、先ほど以上に集中して戦わなければいけないことは確かだ。

 パワードテレスドンは先ほど以上にゆっくりとした足取りでギンガに迫るが、ギンガはパワードテレスドンの寸前で飛び上がり、一回転して背後を取る。

 横蹴りを叩き込むが、先ほど以上に体の皮膚が強化されているのか、硬い感触が返って来る。

 二撃、三撃。

 と、拳も交えて背後を攻撃するがダメージになっている気配がない。

 硬くなった体を回転させ、頭部がギンガの体を襲った。その威力はまさに鈍器で殴られたような威力を秘めており、ギンガは体から火花を上げ後退する。さらに口から放つ『マグマ熱線』がギンガを襲い、大きく後ろに吹き飛ぶ。

 ビルを巻き込んで倒れるギンガ。

 さらにマウントを取るかのように覆いかぶさって来るパワードテレスドン。テレスドンの体が強化されたからなのか、その重さはより重くなっており退けるのは一苦労だ。

 パワードテレスドンはその口先をギンガの体に叩きつけ火花を散らせる。鈍器で殴られる衝撃がギンガの体を次々と襲っていくが、何とか折りたたんでいた膝を伸ばしてレスドンを蹴り飛ばす。しかし、その重たい巨体が飛ぶことはなく、横に倒れてずれるといった方が正しいだろう。

 ギンガはすぐに横に転がりテレスドンの下から抜け出す。

 あの体の硬さは厄介だが、動きの速さではこちらが有利なのは変わらないみたいだ。先ほどと同じように手数での勝負に出ようと考えたギンガは、まだ立ち上がっていないテレスドンに飛び乗り、逆にマウントを取ることで連続して手刀を振り下ろす。両手を合わせて叩き付けるが、その固い皮膚を通してダメージを与えられているかは不安である。

 テレスドンはその体を揺らしてギンガを振り落とすと、立ち上がり態勢を整える。ギンガも転がることで距離を開け、追撃を逃れるのと同時に体勢を立て直す。

 両者は動くことなく、しばらく距離を保っていた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 両者の攻防に、真姫と凛は息を飲む。

 目の前で繰り広げられる巨大な戦闘に、その圧倒的なスケールにただただ息を飲むしかなかった。

 一応戦いの余波に巻き込まれないように距離を取ってはいるが、それでもその巨体が欠けるたびに震える空気が恐ろしかった。

 

「……あれ? 星空さん?」

 

 ふと、隣に先ほどまでいた凛の気配がなくなったことに気が付き辺りを見回す。凛の姿を見つけた時、彼女はキングパンドンの方へ走り出していた。

 

「何やってんのよ!?」

 

 凛の行動に心臓が止まるのではないかと悲鳴を上げる真姫は、急いでその背を追いかける。

 同時に、まるでそれが合図かのようにギンガとパワードテレスドンの激突も再開された。

 ギンガが走るたびに地が揺れ振動が伝わってくるが、それを踏ん張って耐える真姫は何とか凛に追いついた。凛はキングパンドンに向かって必死に『かよちん!!』と叫んでいる。きっと花陽の安否が気になるのだろう。何度も必死に叫んでいるのだが、キングパンドンの方から(花陽の方からの)反応はない。未だに倒れているままだ。

 

「かよちん! 返事をして! かよちん!!」

 

「星空さん……」

 

 諦めずに叫び続ける凛。

 当たり前だ、親友が怪獣になってしまったのだ。そのショックは計り知れないだろう。真姫が怪獣になってしまった時も、父親が必死に叫んでいたことを思い出した真姫は、どうにかして凛の言葉が花陽に届かないかと願った。真姫の時も聞こえていたのだ、きっと聞こえているはずなのに。

 と、願っていると。

 

 

 

 

『──』

 

 

 

 

 

「──え?」

 

 聞こえた。

 微かにだがどこからか小さな声が聞こえてきた。

 一体どこからなの? と辺りを見回す真姫。だが、周囲に真姫達以外の人影はなく誰も見当たらない。

 

「星空さん、ちょっと静かにして」

 

「西木野さん何を言って──!!」

 

「いいから!!」

 

 強い口調で凛を黙らせると、全神経を耳に集中させる。ギンガとテレスドンの衝突の音が大半を占めてしまうが、何とかその音以外の音を探す。

 どこだ? どこから聞こえる? 

 と、神経を集中させていると、今度は確かに聞こえた。

 

 

 

 

『──どうして、私は弱いの』

 

 

 

 

(聞こえた!!)

 

 声は上げない。すぐさま次にどこから聞こえているのか探すと、その手に持っていたギンガライトスパークから聞こえている。今、両手を耳に当てているのだが、確かにギンガライトスパークを持つ右手、つまり右耳の方にはっきりと聞こえてくる。

 

「聞こえた! 星空さん! これに向かって呼びかけて! これならきっと小泉さんに届く!」

 

「ホント!?」

 

「ホントよ!」

 

 凛は真姫からギンガライトスパークを奪い取るかのように詰め寄ると、ギンガライトスパークに向かって叫ぶ。

 

「かよちん! 聞こえる? かよちん!!」

 

『どうして、どうして私は弱いの』

 

 聞こえた。

 凛の呼びかけに反応するかのようにギンガライトスパークが微かに輝いて行くと、凛にも花陽の声が聞こえてきた。

 二人は顔を合わせると、互いに頷き合う。

 

「かよちん、聞こえる!? 凛の声が聞こえる!? 返事して!!」

 

「小泉さん! 聞こえているはずよ! このままだとあなたは『闇』に飲み込まれる!! お願い返事して!!」

 

 二人は必死にギンガライトスパークを通して花陽に呼びかけるが、二人への返事が返って来る様子はない。どれだけ必死に叫ぼうと、返って来る言葉は一緒。

 

『どうして? どうして私は凛ちゃんや久乃千紗さんみたいに「強い心」がないの?』

 

「強い、心……?」

 

「どういうことにゃ?」

 

「どういうことって、あなたの名前が出てるじゃない。心当たりないの?」

 

 真姫に問われ、うーんと首をひねって考える凛。必死に記憶を探るが、体の芯を揺らすほどの衝撃が二人の体を襲う。振り返ってみると、近くにパワードテレスドンが倒れこんでいた。追撃を仕掛けるためにのしかかるギンガだったが、その重量ある腕を振るいギンガを押し返す。

 起き上がるテレスドンはその際に真姫と凛を見える。

 その赤い瞳に見られ、二人の体は硬直する。

 だが、テレスドンの背後を取ったギンガがその背中にのしかかり、地に伏せるテレスドンを無理やり立ち上がらせる。右腕を大きく振りぬきその頭部を撃ち抜く。

 大きくよろめくテレスドン。

 ギンガは一度真姫と凛に振り返り、それからキングパンドンを見てもう一度二人を見る。

 そして、ゆっくりと頷いた。まるで「そっちは任せたぞ」と言っているような気がした真姫は、頷き返す。

 真姫の意思が伝わったのか、ギンガはテレスドンの方へ振り返ると駆け出す。

 怪獣はギンガが倒してくれるだろう。

 自分達の仕事は、怪獣となってしまった花陽の心に問いかけ、正気に戻すこと。幸いキングパンドンが暴れる様子は見られず、この距離に居ても大丈夫だろう。安全だとはい言えないが、ギンガライトスパークで届くのは声だけ。花陽自身に現れる変化を感じ取るためにはキングパンドンに現れる些細な変化を見つけるしかない。

 

(でも……どうやって小泉さんを助ければいいの?)

 

 ギンガから「任せたぞ」を言われた気がしてつい勢いで頷いてしまったが、どうすれば花陽を助け出せるのか、実のところ真姫にはわかっていない。

 今わかることは、ギンガライトスパークを使えば花陽とコンタクトをとれるかもしれない、ということだけ。

 しかし、未だに向こうからの反応がないため、こちらの声が聞こえているのか不安なところである。

 

(たしかあの人、『心の闇』がどうのって言ってたわよね? つまりそれをどうにかすれば小泉さんを助けることが出来るはず。私の時みたいに)

 

 真姫はキングパンドンを見上げながら思考を巡らせる。

 

(私の時は『夢に対する悩み』が原因だった。小泉さんの場合は、『心の弱さ』が原因なのかしら……)

 

 先ほど花陽は『どうして私は弱いの』と言っていた。自分の場合と照らし合わせれば、おそらく花陽が怪獣になってしまった『心の闇』の原因はそれだ。となれば、今朝の自分のように誰かが彼女の『心の闇』を振り払えばいい。

『夢に悩んでいた』自分に、『答え』を教えてくれたリヒトのように、今度は真姫が小泉花陽の心を助ける番だ。

 

「星空さん、たぶん小泉さんは『自分が弱い』っていう思いを肥大化させられて、怪獣になってしまったはずよ」

 

「弱いって、かよちんは弱くないよ!」

 

「あなたはそう思っていても、小泉さんはそう思っていた。おそらく自分に自信がないことを『自分の弱さ』だと思っていたのね」

 

 真姫は、一度視線を凛へと向ける。

 

「どうしてって思ってる顔ね。でもそういうものなの。私も経験したからわかる。どんなに小さなことでも、一度ああなってしまうと、自分でも制御できないくらいにそれしか見えなくなってしまうの。きっとあの子もそう、今の彼女は自分の心が見えなくなっているはずよ」

 

「それじゃ、どうやって西木野さんはここに……?」

 

 凛の疑問はごもっともだろう。『私も経験したからわかる』という言葉から分かる通り、真姫も一度怪獣になっている。自分の『夢』に対する『答え』が見つけられず、それを利用されたことが。

 しかし今はこうして、無事に『闇』から解放されている。

 それはつまり、

 

「リヒトさんとパパの言葉が助けてくれたのよ」

 

「言葉が?」

 

「そう。二人の言葉があったから私は自分の悩みに『答え』を見つけることができた。

 小泉さんを助けれるとしたら、あなたの言葉しかないわ。付き合いの長いあなたの言葉なら、きっと小泉さんの心に届くはずよ」

 

「凛の、言葉で」

 

 真姫はその手に持つギンガライトスパークを凛の前に差し出す。少し戸惑った様子を見せる凛。

 当たり前だ、自分の言葉で花陽を助けろと言われても、どう声を掛ければいいのかわからない。それでも、それしか方法がないのか真姫は力強く頷いてきた。それを見た凛は覚悟を決めると頷き返し、真姫の手からギンガライトスパークを受け取った。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 凛は一度キングパンドンを、いや、親友の姿を見る。

 怪獣となってしまった親友を助けられるのは自分だけ、そのとてつもないプレッシャーに押しつぶされそうになる心を、何度も深呼吸することで落ち着かせる。

 過去に陸上記録会で感じてきたプレッシャーとは全く違う、重く押しつぶされるほど体にのしかかってくる感覚。親友を助けなければ、という重圧が凛の体に重くのしかかってきた。

 深呼吸を何度繰り返しても、心臓の鼓動は早くなっていき嫌な汗が流れ始める。

 ゴクリ、と息を飲んだ時、凛の肩に真姫の手が優しく置かれた。

 

「西木野さん……」

 

「大丈夫、あなたならできるわ」

 

「……うん」

 

 真姫の言葉を受け取ると、自然と凛の体が軽くなった。

 凛は最後の深呼吸を終えると、両手でギンガライトスパークを握る。

 

「かよちん、凛の声、聞こえる?」

 

 凛は優しい声音で花陽に向かって語り掛ける。

 

「かよちんは自分のことを『弱い』って思ってるみたいだけど、凛はそんなことを思わない。かよちんは、ちゃんと『強い心』を持ってるよ」

 

『……うそだよ。私にはそんな心はない』

 

 反応があった。

 花陽から返事が返ってきたことに凛と真姫は顔を見合わせ、お互いにこの作戦に手ごたえがあることを感じ取った。

 向こうから反応があるということは、こちらの声が聞こえているということ。そしてやはり『心の弱さ』が今回の原因であることを証明していた。

 より一層凛に緊張が走るが、ゆっくりと、落ち着いて言葉を続ける。

 

「うんうん、かよちんはちゃんと強い心を持ってる。

 ──『優しさ』っていう一番強い心を」

 

『優しさ……?』

 

「そうだよ。優しさ。

 だってかよちん、学校で毎日アルパカの飼育とお花の水やりをやっているでしょ? 次の授業が体育で急がなきゃいけない時でも、毎日忘れずに、学校がお休みの日でもアルパカのお世話をしに行ってる。

 これって、かよちんが『優しい』っていう証拠じゃないかな。

 花とアルパカを大切に思う『優しさ』がないと、毎日忘れずにできないよ」

 

 語りながら凛は、毎日忘れずに花の水やりとアルパカの飼育小屋に向かう花陽の姿を思い返していた。次の授業が体育だとしても、急かす凛に笑顔で返しながら飼育小屋に向かう親友に、何度ため息をこぼしたことか。

 授業の合間にはいつも小さなじょうろを持って陽気に鼻歌を歌いながら水を上げている親友。太陽の光も気にしている当たり、親友がいかに花を大切にしているのかわかる。

 もちろん、凛の語りを聞いている真姫も頷いている。

 

「それに小学校の時、凛のスカート姿をバカにした男子を怒ってくれたんだよね。凛、とっても嬉しかったよ!! ありがとう!! かよちん!!」

 

 満面の笑みを浮かべ、礼を述べる凛。

 バカにされた友ために怒ってくれる、これほど優しさに満ち溢れた友人はそうはいないだろう。

 そんな親友を持てて、星空凛という少女は幸せ者だ。

 さらに、いつも内気な親友が怒ったことが大きい。きっと、その時の花陽の心には彼女の言う『強い心』があったに違いない。

 優しさから込み上げてくる『強い心』が。

 

「だからかよちんは弱くない。優しいんだよ。優しさからくる『強い心』をちゃんと持ってる。かよちんは気づいてないけど、ちゃんと持ってるんだよ『強い心』。だから、自分が弱いとか言わないで!! かよちんは強い! 強い心を持っている子にゃ!!」

 

『……でも……。でも……それなら私は──!!』

 

「──スクールアイドルを始めてる、って言いたいのかにゃ?」

 

『──っつ!?』

 

 花陽が息を飲んだのを、凛は感じ取った。

 

「かよちん、凛思うんだけど、『強い心』はきっとみんながもってるモノにゃ。凛も、西木野さんも、一条さんも、そしてさっき言った通りにかよちんも。みんながみんな持っているモノ。だから、かよちんに必要なのは『強さ』じゃないんだよ」

 

『強さじゃ……ない……?』

 

「そう、強さじゃない。

 かよちんにならわかるはずだよ。かよちんの大好きなアイドルがその言葉をタイトルにした歌を出しているから。

 そしてその歌は凛も大好きな歌だよ。

 大会で記憶を更新できなくて、自信を無くした凛に向けてかよちんがくれた曲。きっとその曲を思い出せば、かよちんも『自信』を持てる。

 凛が失くして自信を取り戻せたように。

 二人が大好きな曲。

 これで思い出せなかったら、かよちんの()()()()()()()()()()()()()()()だったんだね」

 

 最後にわざと挑発するように言う凛。

 これは花陽のある性格を呼び起こすためだ。

 言葉で語りかける。

 それを凛なりに考え、花陽の心を、意識を呼び起こすための言葉を探すと、おのずとあるジャンルのことが浮かび上がってきた。

 そしてそのジャンルは、彼女の()()()()()()()()()()()()()()になる。きっとその特徴が呼び起こされれば、『闇』など簡単に吹き飛ばしてしまうはずだ。

 花陽は『自信がない=弱い』ということから『強さ』を求めた。

 しかし凛は、花陽に必要なのは『強さ』ではないと思っている。

 だってすでに花陽には『優しさ』という『強さ』を持っているのだから。

 ならば花陽に何が必要なのか、危機的状況である今凛が直接教えるべきなのだろうが、それでは意味がないと凛は思っていた。

 もしかしたら、凛がよく見る特撮番組のこういった場面に影響されているのかもしれない。

 たとえそうだとしても、今は花陽に見つけてほしい。答えはすごく簡単なものだから。

 そして、

 

『──私に足りないもの、それは──』

 

 花陽が答えを言おうとした時だった。

 

 

 

 

 耳を塞ぎたくなるビルの倒壊音とガラスの割れる音、ギンガがビルを巻き込んで倒れた音が花陽の言葉をかき消してしまった。

 

 

 

 

「ギンガ!?」

 

 真姫がギンガの身を案じる。

 凛も真姫の叫びを聞くとそちらの方に振り返り、ギンガがビルの瓦礫の中から起き上がろうとしている姿を発見し、続いて怪獣の方を探すが姿はなかった。

 嫌な汗が流れるのと同時に、地面が揺れ、地中の中からパワードテレスドンが凛と真姫の傍に出現した。

 怪獣が近くに出現したことにより二人は息を飲む。言い表すことのできない恐怖が二人の体を襲い、動くことができない中テレスドンの手が二人へと伸びる。その手は二人を捕まえようとしているのか、それとも握りつぶそうとしているのか、ユーカは『生け贄が必要』と言っていた以上後者ではないと思う二人だが、その手はゆっくりと二人に迫って来る。

 

「い、いや」

 

 尻もちを付いてしまった真姫に凛は駆け寄る。

 しかし、この現状を打破できる力を凛が持っているわけでもなく、ただ迫る手を見つめるしかなかった。

 倒れるギンガが手を伸ばす中、

 

「いやあああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」

 

 真姫の悲鳴がこだました。

 

 

 

 




――果たして、花陽が見つけ出した答えとは?
――そしてギンガはパワードテレスドンに勝てるのか?
次回、いよいよ第5話のクライマックス!


サブタイトルは予想しやすいと思います(笑)
テレスドンのパワーアップの仕方にツッコミが来るのが怖いよ……(震え声)



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第四章:そして勇気

月一で一話終わらせるのが安定なペースになってきた、と思うこの頃。
となると、残りの予定話数を考えるとこれが終わるのにあと22ヶ月かかるのか……。
更新速度、上げたいです(涙)



 ギンガのストレートパンチがパワードテレスドンの腹部に突き刺さる。

 続いて放つ蹴りが腹部を叩き、頭部を押さえつけて拳を振り下ろす。

 テレスドンの反撃をバックステップで躱し、カウンターの蹴りを放つ。

 その一撃は確かな感触となってギンガに返って来る。よろめくパワードテレスドンの頭部を掴み、引っ張り地を転がす。

 体勢を完全には直さず、無理やり放たれたマグマ熱線をギンガは横へ飛ぶように転がり回避。すかさずギンガスラッシュを放つ。

 ギンガスラッシュのヒットを確認すると、すぐさま立ち上がり駆け出す。距離を詰め掴みかかろうとするが、鈍器のような頭部が振るわれ胸部を掠める。

 カウンターを放とうとするが、頭部を振った勢いを利用しそのまま尻尾がギンガを襲った。この一撃は予想できておらず、回避できなかったギンガは尻尾の一撃を受けて膝を着く。

 迫ってきたパワードテレスドンの腕を、両腕を使って防ぎ突き出される頭突きを首を動かして回避する。

 右、左、と首を動かし回避し続けると、その口の中が赤く光ったのを見たギンガは、放たれる前に腕を弾き返して渾身のストレートを叩き込む。

 

 

 息詰まる攻防。一瞬も気が抜けない戦いは、徐々にリヒトの神経を削って行き、フィードバックのダメージと伴ってリヒトの体力を奪っていく。

 一筋の汗が、リヒトの頬を流れた。

 元々、ギンガにライブする前にユーカに痛めつけられたせいもあってか、体力の消耗が早い。以前のダークガルベロス戦以上の疲労が、すでにリヒトの体を襲っていた。その疲れが、徐々にギンガの動きにも影響してくる。

 とてつもない集中力と、ダメージフィードバック。しかしリヒトを襲うのはこの二つだけではない。

 

 

 

 

 三分。

 

 

 

 

 

 ギンガにウルトライブ出来るその短い時間は、リヒトの気付かないところでプレッシャーとなっていた。

 いくらギンガの戦闘能力が高くても、それを生かして戦うのはリヒトなのだ。三分間という制限時間はあまりにも短い。

 さらに、その高い戦闘能力をフルに生かせていないのが、リヒトが最も歯痒いことだった。

 リヒトが全身で感じているギンガのとてつもないパワー、おそらくそれをフルに活用できれば、何の苦戦もなく相手を倒せるはずだ。

 しかし現状は、その身に感じるパワーを全く生かせていない。生かそうとは思っているのだが、リヒトの心にある何かの『詰まり』が、あと一歩を踏み出せずにいた。

 だが、それを言い訳にすることはできない。そんなことを言い訳に出来るわけがないのだ。

 フルパワーを出せないのならば、今は自分が出せる全力を持ってこの怪獣を倒すしかない。

 キングパンドン、いや、花陽の方は真姫達に任せた。きっと彼女なら自分の経験から花陽を救い出す糸口を見つけれるはずだ。

 リヒトはパワードテレスドンの相手に集中すればいい。

 ギンガの一撃が次第に確かな手ごたえを感じるモノになって行き、マグマ熱線をバリアで防ぐと、ギンガスラッシュを放つ。

 火花を上げ後退するパワードテレスドン。

 ──次の一撃で決めれる。確信はないがリヒトの直感が次の一撃で決めれると告げていた。

 右腕を突き出し、左腕を重ねようとしたところで、

 

『あんまり舐めないで』

 

 ユーカの冷たい声がギンガの動きを止めた。いや、声音の圧に負けたというべきだろう。

 ──その隙が、パワードテレスドンに反撃のチャンスを与えてしまった。

 一歩、二歩、たったそれだけのステップから踏み出しただけで、パワードテレスドンの体が高速回転してギンガに激突する。

 高速回転で放たれたスピン攻撃は、ギンガに大ダメージを与え、フィードバックの激痛がリヒトの体を襲う。

 先ほどユーカの痛めつけられた体に激痛が上乗せされ、リヒトの口から短い悲鳴が上がる。

 激痛から膝を着くギンガ。

 パワードテレスドンの気配を感じないことに急いで顔を上げるが、続けて背中に襲ってきた衝撃がギンガを地に倒す。

 どうやらパワードテレスドンは、一撃をギンガに与えるのと同時に地中に潜って反撃を受けないようにしているようだ。

 地に倒れたギンガは体に走る激痛を押さえて起き上がる。

 あたりを見回すが、テレスドンは地中に潜っているため気配が感じ取れない。

 ジャリ、とギンガが地を踏みしめる音が響いた。

 そして、気配を感じ取った瞬間に振り返るが、カウンターを放つ前に高速回転してきたパワードテレスドンがギンガの体を撃ち抜き、轟音を立てながら倒壊するビルの中に埋もれていった。

 直撃を受け、とてつもないダメージがギンガを、そしてそのフィードバックがリヒトの体を襲う。

 そのせいですぐには起き上がれない。何とか視線だけを上げるギンガだったが、その視線の先に映った光景にギンガ──リヒトは息を飲んだ。

 

 

 

 

 パワードテレスドンの手が、無防備な凛と真姫に迫っていたのだ。

 

 

 

 

『大いなる闇』復活のためには生け贄が必要、そう言っていたユーカのセリフを思い出したリヒトは、ユーカが二人を連れ去ろうとしているのだと判断。急いで四肢に力を入れ立ち上がろうとするが、先ほどの攻撃のダメージが大きく立ち上がることができない。どんなに力を入れても、体に残るダメージの方が大きいのだ。

 視線の先ではパワードテレスドンの手がどんどん二人に近づいている。

 やめろ、と右手を伸ばすが、そんなものでパワードテレスドンが止まるはずがない。

 ギンガが手を伸ばす中、その手が二人を捕まえようとしたところで、

 

 

 

 

 横から飛び出してきた赤い巨体がパワードテレスドンを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 ズドン、とその巨体が倒れ、思わぬところから攻撃が飛んでいたことに、ユーカから驚きの声が上がる。

 

『……まさか、あなた』

 

 光の空間に立つリヒトにも、その光景は驚きだった。

 二人を助けた赤い巨体は紛れもない、先ほどまで倒れていたキングパンドンなのだから。そしてその中、花陽の立つ空間は先ほどまでの闇の空間とは違い、光の空間となりその手に持つダークダミースパークが、ギンガライトスパークへと変化していた。

 それは、まぎれもない今朝の真姫と同様の現象。つまり小泉花陽という少女が己の心に生まれた闇を振り払ったということになる。

 

『(……どうやら、成功したみたいだな)』

 

 心の中で安堵するリヒト。

 リヒトは小泉花陽がどういう少女なのか、何が原因で闇に囚われてしまったのか、全くと言っていいほど知らない。何せ昨日初めて会ったばかりなのだから。それを考えると、花陽の救出は二人の方がいいかもしれないと判断し二人に任せたのだが、見事にそれが成功したようだ。

 真姫と凛も、キングパンドンが自分たちを守ってくれたことが、花陽の意思だと感じ取ったのだろう。二人とも自分たちの作戦が成功したことに安心していた。

 

『まったく、失敗すればすぐ心が折れる弱い子だと思っていたのに、意外と立ち直りは早いのね』

 

『……いえ、私一人ではきっと立ち直れませんでした。凛ちゃんが必死に私を励ましてくれたから、私は立ち上がれたんです』

 

 今の花陽の目には、先ほどまでの弱々しい光ではなく、力強く決意のこもった光が宿っている。凛がどのような言葉をかけたのかリヒトは分からないが、あそこまで彼女を強くさせるほどの言葉を掛けたのだろう。

 花陽は、その力強い瞳でパワードテレスドンを見る。

 

『ちっ、やっぱり「種」じゃ肥大化はできても、完全にはオトせないか……』

 

 舌打ちと共に聞こえてきたユーカの声。どうやらその発言から考えるに、『種』と呼ばれるものは心の闇を増幅させる作用を持つが、真姫の時のように完全に闇に取り込むことはできないようだ。

 真姫の時は、リヒトがギンガスパークをとして真姫の心と直接対話をし、父親の言葉を聞かせることで真姫の闇を振り払った。

 しかし今回は、心との直接対話ではなくギンガライトスパークによる間接的な対話。おそらく『種』によって強制的に開かれた心の闇だったからこそ、間接的な対話で花陽の心を救えたのだろう。

 ともあれ、花陽の救出には成功した。ならば、あとはパワードテレスドンを倒すのみだ。

 

『まあいいわ。あなたがどうやって立ち直ったかは知らないけど、「種」はまだあなたの中にある。もう一度、闇に落としてあげるわ』

 

 ユーカの声がそう響くと、パワードテレスドンは唸り声を上げてキングパンドンに迫る。

 

『もう私は、自分の心にウソはつきません。声が小さくても、恥ずかしくても、弱くても、私はスクールアイドルをやりたい! 先輩達と一緒にステージに立ちたい!!』

 

 迫るパワードテレスドンを迎え撃つキングパンドン、いや、花陽はそう叫びながら自らも駆け出す。

 両者がぶつかり合い、激しい取っ組み合いになる。

 

『立てるのかしら? また失敗して笑われるわよ? あの時みたいに』

 

『……確かに、失敗して、笑われるかもしれません』

 

『なら──』

 

『──でも! いつまでも立ち止まっていたくないんです! あの時の失敗をいつまでも引きずっていたくない、それを乗り越えて一歩前に進みたいんです!!』

 

 花陽の叫びと共に振り下ろされたキングパンドンの腕が、パワードテレスドンの頭部を叩く。

 

『もう私はいつまでもあの失敗を引きずる、弱い私ではありません! 凛ちゃんが気付かせてくれた、私に足りなかったもの。

 ──それがわかった今、もう私に迷いはありません!!」

 

 キングパンドンのタックルが、パワードテレスドンを吹き飛ばす。轟音を立てて倒れ込むパワードテレスドン。花陽の強い想いが込められたその一撃は、確かなダメージとなってパワードテレスドンを襲った。

 

『……すごい』

 

 その力強い一撃に真姫と凛は感嘆の声を漏らした。

 力強い一撃を受けたパワードテレスドンは、ゆっくりと立ち上がるが、その体にはダメージが残っているのか多少ふらついていた。どいうやら、先ほどの一撃が今まで蓄積されていたギンガの攻撃によるダメージを、呼び起こしたのかもしれない。

 

『──それに、私はあなたが許せないんです』

 

『……許せない? 私があなたの親友を傷つけたことかしら?』

 

 返ってくるユーカの声は、疲れが見えるもののまだ余裕が少し残っている。

 

『それもあります。でも、それ以上に──』

 

 キングパンドンの双頭の口に、エネルギーがチャージされていく。

 その攻撃に気が付いたパワードテレスドンは回避行動に出るが、ダメージから回復したギンガが尾を掴むことで阻止する。尾を掴まれ身動きができなくなり前のめりに倒れるパワードテレスドン。

 ギンガは素早くその横に移動し、胴体を高く持ち上げる。

 ──もうテレスドンに、逃げ場はない。

 

『貴様──!!』

 

(思いっきり撃て!!)という声が花陽の耳に聞こえてきた。

 キングパンドンの口にチャージされたエネルギー。

 そして──、

 

 

 

 

『──あなたは、アイドルを汚した。

 私の大切なものを二つも傷つけた罪、その身に受けてください!!』

 

 

 

 

 放たれた火炎弾『双頭撃炎弾』がパワードテレスドンの目に直撃し、大ダメージを与えた。

 目に受けた一撃により、もはや瀕死状態となったパワードテレスドンをギンガは投げ落とすと、右腕を突き出し左腕を重ねる。クリスタルを青色に光らせながらエネルギーを溜め、ギンガクロスシュートを放つ。

 

『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 瀕死状態の故、避けることもできずに直撃を受けたパワードテレスドンは、ユーカの悲鳴と共に爆散。テレスドンのスパークドールズとサングラスだけが、カタリ、と音を立てて落ちてきた。

 ギンガがL字に組んでいた腕を解くと、同時にカラータイマーが点滅を始める。

 どうやらギリギリだったようだ。もし真姫たちに花陽の救出を任せていなければ、このままキングパンドンと戦うことになっていた。それはさすがにキツイので、任せてよかったとリヒトは密かに安どした。

 ともあれ、あとは花陽を元に戻すだけ。

 ギンガがキングパンドンの方に振り返ると、

 

「ギンガー!」

 

 凛の声が聞こえてきた。

 ギンガが凛の方に振り返ると、「ホントに通じたー」と凛の驚いた声が返ってきた。言葉が通じたことに驚いた様子を見せた凛は、言葉が通じるとわかると急いで本題を言う。

 

「その怪獣は、凛の親友がなっちゃったんだにゃ! あのユーカって人に無理やり怪獣にさせられただけにゃ! お願い! ギンガ!! かよちんを元に、元の姿に戻して!!」

 

 きっと同じ怪獣だから攻撃すると思ったのだろう。先ほどギンガが怪獣を倒したところを見れば当然なのかもしれないが、もちろん助ける気でいたリヒトは苦笑いを漏らした。

 ギンガは凛の言葉にうなずき返すと、クリスタルを緑色に変化させてギンガコンフォートを放つ。

 光がキングパンドンを包み込んで行き、ゆっくりと、キングパンドンが光となってスパークドールズに戻って行く。それは花陽との分離が同時に行われることであり、キングパンドンが完全にスパークドールズになると、光に包まれた花陽が解放された。

 

「かよちん!!」

 

「小泉さん!!」

 

 二人は花陽の姿を見つけると急いで駆け寄る。真姫が素早く花陽の容態を確認すると、ただ気絶しているだけと凛に告げた。

 安心した凛は「よかった」というと、ギンガの方を見上げる。そして満面の笑みを浮かべて言う。

 

「ギンガー! ありがとう!!」

 

 凛の礼を受け取ったギンガは頷くと、空へと飛んでいった。

 同時に位相変異が起こり、三人は元の位相へと戻った。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 翌日の早朝。

 自宅の洗面台で顔を洗う花陽の心は、とても晴れ晴れとしていた。それは表情にも表れており、鏡に映る濡れた顔は、ここ最近曇っていた表情に比べて生き生きとしている。

 きっとそれは、昨日の出来事で自分に足りなかったものを見つけ、今日から念願だったスクールアイドルを始められることが、花陽の心を生き生きとさせているのだろう。

 

 

 あの後、花陽の意識が戻ったのは位相が元に戻ってすぐだった。目が覚めた花陽は、自分が怪獣になっていたという夢物語のような出来事に実感がわかなかったが、泣きながら抱き着いてくる親友や、その心の中に宿っている思いが、あの出来事は現実だと語っていた。

 

『凛ちゃん、ありがとう』

 

 そう言って優しく凛の頭を撫でた花陽。

 本当に、小泉花陽にとって星空凛と言う少女は、かけがえのない親友だ。

 

 

 親友のありがたさを思い返しながら、花陽はタオルで顔の水分を拭きとった。いつもかけている眼鏡を手に取ろうとしたところで、せっかく今日から新しい一歩を踏み出すのだ。心機一転しようと、前々から購入していたコンタクトレンズに手を伸ばす。

 コンタクトレンズをつけ終わった花陽は、洗面所から出るとマグカップを片手に階段を下りてくる兄、太陽と遭遇した。

 

「おはよう、お兄ちゃん」

 

「ん、おはよう花陽。今日は早いね、いつもならまだ寝てるのに」

 

「……うん、ちょっとね」

 

 太陽の後に続いてリビングへと入ると、もう一度眠気覚ましのためかコーヒーを淹れる太陽に向けて、花陽は言う。

 

「私ね、スクールアイドルをやることにしたの。今から早速練習」

 

 花陽の発言を聞いた太陽は、コーヒーを淹れ終わると、驚いた表情で花陽を見る。

 それを見た花陽は、苦笑いをしながら、

 

「やっぱり、驚くよね」

 

「えっ、いや、その」

 

「でもね、お兄ちゃんに言われた通り、自分の心にウソはつきたくない。私は心の底からアイドルをやりたいって思ってるの。大好きなアイドルを……。

 だから、『勇気』を持って一歩踏み出すことにしたんだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、もう一度太陽の顔に驚きの色が浮かび上がった。

 

「……勇気、か」

 

「うん。私は、自分のことを弱い人間だと思てった。いつまでも過去のトラウマに脅えて、一歩踏み出せない自分ことを。だから凛ちゃんや千紗さんの様な『強さ』がほしかった。自分の心を表現できる強さを。

 でも、私に足りなかったのは『強さ』じゃなかったみたい。凛ちゃんが教えてくれたんだ。私はもう『強さ』を持ってる。だから足りないのは──」

 

 花陽は一拍置いて、

 

「──勇気。自分に自信を持って一歩踏み出す『勇気』。凛ちゃんのおかげで、気付けたんだ」

 

「……そっか」

 

 花陽の言葉を聞いた太陽は、そう言ってほほ笑むと花陽の元に行ってポン、と頭に手を置く。

 

「いい親友を持ったね」

 

 そう言って優しく花陽の頭を撫でると、

 

「──『勇気』は、とても大切なものだよ。優しさと強さをも凌駕するほどに、とても大切で、とても強いもの。人は何時か忘れてしまうけど、『勇気』は人の原動力だ。何事を成すにも、『勇気』が必要。

 花陽、花陽はこれからきっと幾度となく困難にぶつかるはずだ。スクールアイドルに関しても、きっと大きな困難が待ち受けているはずだ。

 だから、その『勇気』は絶対に忘れないでほしい。その夢を実現しようとする勇気がある限り、夢をあきらめる必要なんてない。周りの誰かが挫けそうになってたら、花陽の『勇気』で助けてあげてね」

 

 最後にそう言って、太陽は優しく花陽に笑顔を送った。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 太陽からエールを受け取った花陽は、その言葉をしっかりと胸に刻み、神田明神を目指す。

 途中でリヒトの提案でスクールアイドルをやることになった真姫と、花陽の提案で一緒にスクールアイドルをやることになった凛と出会う。朝早いことに愚痴る凛だったが、それでもしっかりと起きている辺り、意外と乗り気なのかもしれない。

 合流した三人は一緒に神田明神へ向かい長い階段を登り終えたところで、外ハネの付いた明るい茶髪、灰色のパーカーを着た少年の姿に気付いた。

 

「よっ、来たか」

 

 少年──一条リヒトは三人の登場を確認すると、後ろで準備運動をしていた三人を呼ぶ。

 

「それじゃ、自己紹介と行こうか!」

 

『はい!』

 

 リヒトの言葉を受け、元気よく一年生組が返事を返し、花陽が一歩前に出てあいさつをする。

 

「私、小泉花陽と言います! 

 背も小さくて、声も小さくて、得意なものも何もないです……でも、アイドルへの想いは誰にも負けません!! よろしくお願いします!!」

 

 花陽の声が、早朝の空に響いた。

 

 

 

 

 ギンガ・THE・Live! 

 第5話「憧れから咲く花」

 第四章:──そして勇気

 




以上で第5話終了!
本当なら花陽ちゃんが眼鏡を掛けているので、アノおまじないをやらせたかったのですが、後々にあの子コンタクトになるので没にしました。いつかはやらせたいです。
「デュワッ!!」って。

真姫ちゃんは『答え』、花陽ちゃんは『勇気』をテーマに書いてみました。
二話かけて一年生組がようやく加入。あとは三年生メンバーのみ!!(あ、凛ちゃん回はアニメ二期内容に入ったらちゃんとやりますので……)

さて、次回はいよいよ皆さんに人気なあの子の回!
まだ書き始めていませんが、もしかしたら特殊な構成になるかもしれませんので、楽しみに待っていただければ幸いです。
それではまた次回、よろしくお願いします!


次回予告
――7月22日。
それは、今や世界的に人気となったアイドル「nico」の誕生日である。
バースデーライブのその日、彼女は決まってあの日を思い出す。
じめじめとした梅雨の時期、一人ぼっちとなってしまった彼女の元を訪れた、最高の仲間たちとの出会い。
そして、光との出会いを――。

次回、雨上がりの空の下



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第6話 雨上がりの空の下
第一章:nicoの思い出


二週間ぶりの更新。大学のテスト期間だったので少し筆をお休みさせていただきました。

さて、三年生組編のスタートを切るのはこの子です。


 [0]

 

 7月22日。

 その日は今や世界に名だたる有名アイドル、『nico』こと矢澤にこの誕生日である。

 高校時代、今もなお語り継がれるスクールアイドル『μ's』のメンバーとして輝かしい活躍をしていた彼女は、幼き日からの夢を叶え、世界に笑顔を届ける超人気アイドルとなっていた。

 スクールアイドル時代に培った歌唱力とパフォーマンス力は、今なお衰えを見せることなく、いや、むしろ格段と磨き上げられた彼女のパフォーマンスは見る人全てを笑顔にしていた。

 二十歳を超えた今でも幼さが残る彼女は、その弄られやすさからバラエティ方面でも大いに活躍していた。一時期お笑い芸人が向いているのでは? と囁かれたが、そんな意見もステージに立つ彼女の姿を見れば、取り消さざるをえないだろう。

 彼女はステージの上にいるときが、一番輝くのだ。

 彼女は常に何事にも真摯に、そして本気で取り組む。その小さい体のどこから溢れ出てくるのだと聞きたいくらいに、彼女はいつも本気で取り組むのだ。

 なぜそこまで全力なのだ? と、とある記者が聞いたとき、彼女はすごく真面目な顔でこう答えた。

 

 

 

 

『当たり前でしょ。アイドル(わたしたち)はファンを笑顔にするのが仕事なの。その為に全力で物事に取り組む、これのどこに疑問の余地があるのかしら?』

 

 

 

 

 その瞳は何当たり前のことを聞いているのだ? と語っていた。彼女にとって『全力』というものは当たり前のことなのだろう。それが彼女の魅力であり、大勢のファンがいることが何よりの証明だった。

 そして今日は、そんな彼女『矢澤にこ』のバースデーライブの日である。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 ──―7月22日。

 その日は、私にとってとても大切な日である。自分の誕生日なんだから当たり前だけど、それ以上の意味が今の私にはある。

 それは──、

 

「ふふっ、みんなありがとう」

 

 と、私は自分のスマートフォンに向けて言う。

 端末の画面には、私のSNSアカウントに向けてたくさんの「誕生日おめでとう」メッセージが届いて来る。次から次へと送られてくるメッセージに微笑みながら目を通していく。

 なぜこんなにも私の元にメッセージが送られてくるのか。その理由は、今世界的に人気を誇るアイドル「nico」の正体が、この私矢澤にこなのだから! っんも~、こんなにも大勢の人から祝われて、ニコ、し・あ・わ・せ。

 

「ニコさん、顔がにやけてますよ」

 

 と、私が幸せをかみしめていると、運転席に座るマネージャーから声が飛んできた。

 

「別にいいでしょ。人気者の特権よ」

 

 そう言って私は背もたれにふんぞり返った。

 途中のコンビニで買ったカフェラテを飲みながらメッセージの続きを読んでいると、別アプリの方に過去に共演した方々、学生時代の友人、家族からバースデーメッセージが届いてきた。

 もちろん、μ’sとして一緒の時間を過ごしたメンバーからも届いており、今日のバースデーライブを楽しみにしているとのこと。さらには、ニコたちに憧れてスクールアイドルを始めたという子からもバースデーメッセージが届いていた

 静岡から今日のライブのために来てくれるなんて、嬉しいわね。せっかくだし、探してみようかしら。

 と、思っていると、一通のメッセージが私の顔をひきつらせた。というより、またか、という印象の方が強い。

 ……ホント、相変わらずよね『こいつ』は。もっとマシな送り方はできないのかしら? 

 

「その顔、彼からまた奇抜なメッセージが来たんですか?」

 

 どうやら顔に出ていたらしく、信号で止まった途端マネージャーから声を掛けられた。

 

「……まぁね、相変わらずよ、『こいつ』は」

 

「どうにかならないんですかね? 彼の行動には私達も少々困っておりまして……」

 

「私に言われても困るわよ」

 

 私の返答に、マネージャーは苦笑いするしかなかった。

 ホント、アイツの行動はどうにかならないのかしらね、一昨年なんか何食わぬ顔で私の楽屋に入ってきて、警備員に連れて行かれたし、去年いいたってはステージでギターを弾くメンバーに紛れ込んでいた。

 まったく、アイツには常識がないのよ、常識が。普通ステージの上に混ざる? ありえないわ! 常識的に考えて女性アイドルのステージに一般の男性(まぁ、アイツの場合一般人と捉えていいのか怪しいのだけれど……)が上がるなんて普通ありえないことだわ! それなのにアイツは……。

 

「でも──」

 

「?」

 

「──不思議と、彼のことは嫌いになれないんですよね。むしろ楽しみなんです。どんなことをしてくれるのか、どんなサプライズを持って来てくれるのか。どうやって私達を楽しませてくれるのか」

 

 と、笑顔で語るマネージャー。

 …………。

 ……そんなの、誰もが思っていることよ。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 リハーサルを終え、楽屋に戻って来た私は本番までのわずかな休息をとっていた。

 

「まったく、リハーサルだっていうのに相変わらず加減を知らないんですね」

 

 と言って、ソファーにぐったりしている私に声をかけてきたのは、デビュー当時から専属メイクを担当してくれている河秋(かわあき)さん。付き合いも長くなってきたためか、敬語は残りつつも少し砕けた態度になってきた河秋さんは、缶コーヒーを片手に私のところにやってきた。

 

「さすがにもうないとは思ってますけど、倒れないで下さいよ。今年は」

 

 と、念を押すように言ってくる。

 ……それには返す言葉もないわ。去年だって熱が入りすぎて倒れちゃったことあるし、気を付けてはいるんだけど、私の性格上どうにもならないことね。一応、今年はそれなりの体力をつけて臨んでいるけど。

 とか言いながら、リハーサルで張り切りすぎて疲れてるのが正直なところ。でも、失敗したくないからこそ、リハーサルも手を抜かないのよ、ニコは。

 

「気を付けるわよ、今年は」

 

 私の返答を聞いた河秋さんは、まったく、といった表情をすると楽屋の入口を見ながら、

 

「今年は彼、こっちには来ないみたいね」

 

 と、言ってきた。

 

「当たり前でしょ、ああ見えてあいつは真面目だから、一度迷惑だとわかれば二度はやんないタイプなのよ」

 

 まったく、毎年ライブのあとで謝罪の電話をしてくるなら、最初からやるなって話よ。

 

「そうなの。少し残念ね」

 

「まあ、今年もどこかで出てくるでしょ。気長に待ってなさいよ」

 

「そうしてます。

 さて、そろそろ準備を始めましょうか」

 

「そうね」

 

 そう言って、私はソファーから腰を上げると鏡の前に移動する。

 たわいのない会話を交えつつメイクを完成させると、衣装に身を包んで完全に準備を終わらせる。あとは開始時間前になったらステージ裏に行くだけ。

 最後にのどの調子やステージ上での動き、流れのイメージトレーニングをしっかりと行い、本番に向けて集中力を高めていく。同時に私にとってお守りのような存在である二つの物をカバンから取り出す。

 一つは写真立て。中には、私の人生の中で間違いなく最高の瞬間であったスクールアイドル時代、μ’sのメンバーで撮った写真が入っている。最後のステージの後に撮ったこともあってか、みんな涙を浮かべているが最高の笑顔で笑っている。この写真を見るだけで、当時の感覚が蘇ってくる。

 懐かしいわね。学校の廃校を阻止するために毎日四苦八苦して、『ラブライブ!』優勝を目指して毎日を駆け抜けたこの時間は、間違いなく私の中で最高の瞬間だった。本物のアイドルとなった今でも、この時間に勝る瞬間との出会いは、まだない。

 あれから、辛く苦しい道のりがあったけど、この写真のおかげでここまで来ることができた。

 ホント、ありがとね、みんな。

 

「nicoさん、そろそろ」

 

 マネージャーの声がドアのノックされる音の後に続いて聞こえてきた。

 時間ね。さ、行こうかしら。

 

「お待たせ。行くわよ」

 

「はい」

 

 マネージャーに見送られ、ステージ裏へと向かう。

 その最中、私は写真とは別の、もう一つ私にとって大切なものを両手で握りしめながら歩く。

 

「それ、いつも持ち歩いていますよね? 何か特別な思い出でもあるんですか?」

 

 ステージ裏に着くと、河秋さんが私の持っているものが気になったのか声をかけてきた。

 私が今両手で持っているのは、十四センチほどの小さな人形。青と赤のカラーリングが特徴で、頭部には特徴的な二つのスラッガーがある。私はそれを懐かしむように撫でながら答える。

 

「ええ。()()の『約束』の象徴。とても大切で、忘れられない大切な『約束』が、コイツには込められているの」

 

 もうすぐステージが始まるというのに、私の心は次第に落ち着いて行き、脳裏にはあの時の思い出が浮かび上がってくる。

 きっとこの出来事が無ければ、私はここに立っていないだろう。それほどまでに大切で、私の人生のターニングポイントとなった出来事。

 それは、孤独となった私の元を訪れた、最高の仲間たちとの出会い。

 私がもう一度アイドルを始める決意をした出来事。

 私の、最高の時間の始まり────―。

 

 

 

 

 [1]

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

「アタシ、この部活辞めるわ」

 

「──―え?」

 

 その日、講堂でのライブを終えて部室に戻って来た私に向けて発せられたその言葉は、私の思考を止めるには十分な言葉だった。

 

「今、なんて言った?」

 

「なに? 聞こえなかったの? 辞めるって言ったの。もう明日から来ないから、じゃあね」

 

 そう言って荷物をまとめて部室を出て行こうとする明美。その後ろ姿を見た私は、ようやく驚きで止まっていた思考を回転させ、止めるべくその手を掴んだ。

 

「ちょっと待ちなさいよ! そんなっ、どうして急に? せっかくみんなダンスが上手くなってきて、ランキングも上がってきたのよ? まだまだこれからじゃない! それなのに、どうして!?」

 

 やだ、辞めてほしくない。これからなのに。勢いに乗ってきた今こそ、ランキング上位を狙えるかもしれないのに──! やだ、辞めないで!! 

 でも、そんな思いとは裏腹に、明美は冷めた眼差しで私に振り返ると、腕を振りほどいてドアノブを掴む。

 

「ねぇ、何か言ってよ……。何か言いなさいよ!!」

 

「うるさいのよ!!」

 

 明美が叫んだ。

 こちらに振り返り、私を睨みつけながら続ける。

 

「周りがアンタみたいに高い目標持ってやってるとでも思ってんの? ンなわけないじゃん! バッカじゃないのぉ?」

 

「……あ、明美……?」

 

「アンタ一人だけよ」

 

「……え?」

 

「アンタ一人だけ、ランキング上位何て言う高い目標を持ってやってるのは。アタシ達はそんな目標持ってない。ただアイドルに興味があったからやっただけ。ランキングなんか興味ないし、楽しくワイワイやれればそれでいいの。

 それなのになに? ランキング上位だのキャラ作りだの、プロのアイドルの真似事やらなきゃいけないのよ。あと、はっきり言ってアンタのキャラ、ウザいのよ」

 

「…………」

 

「……もう、アンタに付いていけなくなったの。みんなもそうでしょ?」

 

 振り返ってみんなの反応を伺うと、みんな私から気まずそうに視線をそらした。

 ……ああ、みんなもそっちの意見なのね。

 

()()()()()()、一人でやってちょうだい。じゃあね」

 

 そう言って今度こそ、明美は部室から出ていた。

 ドアの閉まる音が部室の中に響き、嫌な空気が充満する。

 誰も言葉を発しない中、私は、震える声で聞いてみた。

 

「……み、みんなも……、明美と、同じ意見、なの……?」

 

『…………』

 

 返ってくる答えは、ない。

 みんなうつむいているだけ。

 そして──―、

 

 

 

 

 ──―一人のメンバーが部室を去って行った。

 

 

 

 

「……っ!!」

 

 それが、決定的だった。

 私の中の何かが壊れてしまった。ガラスが砕けるように、私の心が砕け散り、みんなとの思い出が粉々に消えていった。

 そこからはよく覚えていない。

 私の脳裏にはみんなとの楽しい思い出が消えていくことしか浮かび上がっておらず、気が付けば部室には私一人だけになっていた。

 

「待ってよ……」

 

 口から漏れる声も、霞んでいる。

 

「ま、ってよ……」

 

 もう、ダメだった。

 

「う、うっ、うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 

「……あれ」

 

 目が覚めてあたりを見回すと、そこは部室だった。時間を確認してみれば、すでに下校時刻を過ぎていた。

 ……寝ちゃったみたいね。最近いつもより早起きだったのが響いたのかしら。まあいいわ。幸い買い物は昨日の内に済ませてあるし、今日は特売の日じゃない。ゆっくり帰っても、夕飯を作る時間は十分にある。

 

「…………」

 

 帰ろうと顔を上げたところで、点けっぱなしになっていたパソコンの画面が飛び込んできた。

 画面には、先日アップロードされた『μ’s』の初ライブ映像が映っている。

 

「……ホント、なってないわね」

 

 それ以上見たくなかった私は、手短にパソコンをシャットダウンすると、カバンを持って部室を出る。去り際に見えた部室の中は、暗くとても静かだった。そして、その静かな空間の中に、寂しさを感じた。二年前はここにはメンバーがいて、毎日ワイワイ盛り上がっていたのに……。

 今はもう、その面影は……ない。

 まあいいわ。別に居心地が悪いわけでもないし、逆に一人になったことですっきりした部分もあるしね。……でも、

 

「……」

 

 考えていても仕方ない、下校時刻は過ぎているのだから先生の見回りが来る前に帰りましょう。

 鍵を回して下駄箱へと向かうと、途中で見知った人影を見つけた。

 ……たしか、元部員の沢木(さわき)由良(ゆら)のはず、なんであんな所にいるのかしら? 

 

「……あ、ニコちゃん」

 

 その様子だと、向こうは私を待っていたみたいね。私を見つけるなり駆け寄ってくるが、

 

「なに?」

 

 と、返した私の声に脅えてしまった。

 ……この対応は仕方のないことだと思う。だって向こうは部を去った者だ、そんな相手に優しく接するなど、私には無理だった。

 

「……あの、その……」

 

「用があるなら早くして」

 

 わかってる、由良に対してこんな威圧的な態度をとっていては話が進まないことなど。それに、今更こんな態度をとったところで、意味などないことも。でも、どうしても元部員と顔合わせになると、心がざわつく。一緒に同じ道を歩んでいたのに、私の元を去っていたメンバー……。

 

「…………」

 

「…………」

 

 互いに無言の時間が続いてしまう。

 やがて、

 

「おーい、由良―」

 

 私にとって、一番聞きたくない声が聞こえてきた。その声を聞いた私は、自分でもわかるほどにイラつく。

 

「ほら、呼んでるわよ。さっさと行きなさい」

 

 そう言って由良の元から去ろうとする。

 

「ニコちゃん……!」

 

 すれ違いざまに由良が私を呼んだが、私はそれを無視した。

 彼女の寂しそうな表情を見て心が痛んだけど、アイツの後姿を見つけたから帰りたかった。……アイツとは、話したくもない。

 

「由良―? あ、ここにいたんだ」

 

 後ろから由良が呼ぶ声が聞こえたけど、明美が由良を見つけたらしくそれ以降由良の声は聞こえてこなかった。

 外へ出て上を見上げてみれば、厚い雲に覆われた空が広がっている。時期を考えればもうすぐ梅雨だ。じめじめとした梅雨、それは、厚い雲と合わさって今の私の心を表している様だった。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 早朝、本来登校する時刻よりももっと早い時刻に、私は神田明神を訪れていた。独自の調査によれば、アイツらの朝練習の場はここ。私が何度忠告しても解散する気のないアイツらに、もう一度忠告するべくこうやって待ち構えているのだけど……。

 

「……? 今日は遅いわね」

 

 時間を確認してみれば、本来なら誰か来ていてもいい時間だ。昨日は少なくとも二人はこの時間に来ていたし、準備運動も始めていた。

 それなのに、この時間になっても来ないということは……。

 

「フン、ようやくニコの言う通りにしたのかしら」

 

 と、思っていると。

 

「もしもーし、キミが矢澤にこさんであってる?」

 

 後ろから声を掛けられた。男の声だ。振り返ってみると、明るい茶髪の少年──見た感じ同い年かしら──が立っていた。私が振り返るのと同時にあくびを漏らして目をこすっている。

 身に覚えのない人物に名前を呼ばれ、私は警戒心を高めながらサングラス越しに目の前の人物を睨む。

 

「……だれ、アンタ。なんでニコの名前知ってるのよ」

 

「俺は一条リヒト。希にキミのことを頼まれたんだよ」

 

「希に?」

 

 知っている名前が出て来て、私は首を傾げる。

 希はアイツらの活動が本格的に始動してから、まるで狙ったかのように私の前に姿を現すようになった。その理由は何となく察しがついているのだけど、何で本人じゃなくて見知らぬ男が私の前に? 

 

「最近、穂乃果達にちょっかい出している奴がいるって聞いて、心当たりがある希の口からキミの名前が出てきたんだ。で、今回待ち伏せをさせて貰たってわけ。

 ……ってか、その格好はなに?」

 

 ことの説明をしてくる目の前の男、一条っていったかしら。とにかく、一条は事の説明を終えると、怪訝な視線でニコの格好を見てくる。

 

「なにって、変装よ、へ・ん・そ・う! アイドルたる者、外出の際に変装するのは当たり前でしょ」

 

 と、私が得意げに言うと一条は「あぁ~」といった表情をしながら、

 

「……なるほど、そう言うことね」

 

 と、言ってきた。

 その態度にムスッと来た私は少し強めの声音で言う。

 

「なによ。何か言いたそうな顔ね」

 

「いや、別になんでもない。

 それより、立ち話じゃなんだ。家に来てもらっていいか?」

 

 な、なにこの男!? 初対面のニコをいきなり家に案内するだなんて……、ハッ!? まさか、変装でも隠せないニコの魅力に魅了されて……! あぁぁ、なんて罪な女なのかしら、ニコは。初対面の人すら、家に連れ込みたくなるなんて……。

 

「あー、なんだか変な誤解される前に言っとくけど、別にやましい気持ちがあって招待するわけじゃないからな。お前に話があるんだよ」

 

「……話?」

 

「そ、別にお前に惚れたわけじゃないから。単純にそんな恰好のヤツと外で話したくねぇんだよ。それに──」

 

 そう言って一条は、ニコを睨むように視線を細めて、

 

「──アイツらに『解散しろ』って言ったらしいな。その真意を聞きたいんだよ」

 

「…………」

 

 

 

 

 ☆(一条リヒト)

 

 

 

 

 

 俺がそのことに気付いたのは、穂乃果達のライブ動画を見返していた時だった。

『アイドルを語るなんて10年早い』、と共に『(((┗─y(`A´ ) y-˜ケッ!!』と打たれたコメント。

 なんというか、とうとう来たか、というのが俺の素直な感想だった。今までの中にも、穂乃果達を褒めるコメント以外のコメントも送られてきていたが、ここまでストレートに表現してきたのはこのコメントが初めてだった。

 褒める声があれば、それだけ厳しい声も飛んでくる。厳しい声が飛んでくるようになって、ようやく次の一歩を踏めるのだ。と、母さんから言われてたからなのか、今まで来ていた厳しめのコメントにも、ありがたい気持ちで向き合うことができた。

 というか、そこまでひどい『アンチコメント』というのがないからかもしれない。

 それはともかく、別にこのコメントだけなら俺も気にすることはなかった。ようやく本格的に来た厳しいコメントを、穂乃果達に見せるだけのはずだったのに……。

 

「え? 嫌がらせ?」

 

「んー、そこまでじゃないんだけど、視線というか、人の気配を感じるというか……」

 

 朝練の際、ことりが持ち掛けてきた話は、最近妙な視線を感じるということ。空間把握能力が高い彼女だからこそ気付いたことなのか、最初はこちらの様子をうかがう程度だったのだが、最近ではその視線に何か嫌な感じを受けるとのこと。

 さらに、最近「解散しろ!」と言ってくる怪しい人物までいるようだ。

 ついでに、穂乃果のおでこに絆創膏が張ってあるのは、その際強烈なデコピンを食らったらしい。

 いや、なんというか、ここまで露骨にやって来る人物がいるとは、少し予想外だった。

 

「その人物に心当たりはないのか?」

 

 と聞くと、ことりは首を横に振った。

 

「マスクとサングラスで顔を隠してるから、顔も見えないし、いつも同じコートを着てるからなかなか手掛かりを掴めないんだ」

 

「にしても、そこまで来てるなら俺も見かけてもいいはずなんだけど」

 

 残念ながら(?)、俺がその人物を見たことがない。俺が来る頃には帰っているのだろうか。

 

「リヒトさんは私達が集まった頃に来るでしょ。でもその人は、私達が集まる前に来てるの。それで、すぐに帰っちゃうから」

 

「マジか……。ってことは、俺がそいつに会うためにはもっと早く起きなきゃいけないってこと?」

 

「そうだね」

 

「勘弁してくれ……」

 

 この前の一件で俺は自分の実力不足を知った。せめてもう少しギンガのパワーを引き出せたり、生身の状態でもそれなりに戦えるようになるためにじいちゃんと一緒に行くジムでのトレーニング量を増やしたのだが、そのせいで余計に朝起きれなくなっているのだ。元々朝の弱い俺が、これ以上の早起きなんて……無理だ。

 それでも、俺は明日頑張って早起きするか、と心に決めて朝練に入った。

 そして、

 

「にしても、一体誰なんだ……」

 

「ウチなら心当たりあるで」

 

 ことり達を送り出し、玄関前で一人呟くと後ろから希が声をかけてきた。

 

「ホントか?」

 

「たぶん、にこっちやろね」

 

「にこっち?」

 

 いや、誰? 初めて聞く名前なんだけど。

 

「ウチの同級生や。本名は矢澤にこ。音ノ木坂三年生、アイドル研究部所属。っとまあ基本情報はこんなとこ」

 

 希が『にこっち』と呼んでいる少女『矢澤にこ』について簡単に説明してくれる中、俺の耳にとある単語が引っかかった。

 

「アイドル研究部?」

 

「おっ、そこに気が付くとは、やっぱりりっくん冴えてるな。

 そう、にこっちが所属している部活は『アイドル研究部』。その名の通りアイドルに関する部活動や。もちろんスクールアイドルについてもね。ウチらが一年生の時に設立され、今現在部員は()()()()()()

 

「……え? 一人?」

 

 やや強調されて言われた一言を、俺はオウム返しのように口にする。

 たしか、音ノ木坂は部活設立には部員五人が必要だって穂乃果達から聞いたんだけど……、なんで一人? ほかの部員は? 

 ──―まさか。

 

「たぶん、りっくんの考えている通りの答えやで」

 

 俺の考えを見透かしたのか、希が玄関の外へと出ながら言ってくる。

 

「設立時には五人いた部員が、今は一人だけ。その理由、知りたい?」

 

 顔だけを振り返り、吸い込まれそうになる瞳で俺に問いかけてくる希。

 その問いかけに、俺は──―。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 テーブルを間に挟んで対面する私と一条。その上には二人分のお茶が用意されているが、どっちも手を付けてはいなかった。

 一条が私のことをどうやって知ったのかを説明し終えると、少しだけ重い空気が広がった。

 

「……お前の目に、アイツらはどう映ってるんだ?」

 

「え?」

 

 重たい空気の中、顔を上げた一条がそう聞いてきた。

 

「アイドルに対して、とてつもない『想い』を寄せているお前から見て、アイツらはどう見えるんだ?」

 

「……」

 

「確かにアイツらはまだ始めたばっかりだから、未熟なのはわかってる。それでも、未熟なりに『想い』を伝えようと頑張ってる。それはお前にも伝わっているはずだ。それなのに、どうしてお前はアイツらに『解散しろ』なんて言うんだ?」

 

 そう言う一条の瞳には、かすかな『怒り』の感情が見て取れる。私は一条がどういった人間なのか知らない。それでもここで下手なことを言えば、一条の逆鱗に触れるとわかっていた。

 ……なんて言えばいいのかわからない。一条の逆鱗に触れずに、その問いへ答えることができるのか、いいやできない。例え逆鱗に触れたとしても、私は自分の思っていることを嘘で表すなんてできない。

 だから、私は正直に言うことにした。

 

「……アイドルを汚しているからよ」

 

「──っ、どこがだよ!?」

 

 案の定、一条の眉間に皺が寄った。威圧的な声に私の体が震え上がり、言葉を飲み込んでしまいそうになるが、私は拳を握り込み、逆に一条の瞳を強く睨んで言う。

 

「全部よ! アイツらは『アイドルとしての魅せ方』がなってない! ただ『ダンスで魅せている』だけ! ダンスで、歌で、たったその二つでしか表現しようとしていない! 

 確かにアンタの言う通り、『想い』は伝わって来るわ。でもね、『アイドル』はそれだけじゃダメなの。お客さんがアイドルに求める『楽しい夢の時間』。それを伝えるには歌とダンスだけじゃ足りないのよ!」

 

「──―っつ!?」

 

「アイドルとしての魅せ方がなっていないアイツらに、アイドルを語ってほしくない!! それだけよっ!」

 

 一喝すると、私は用意された湯呑を掴み一気に飲み干す。時間が立っていてくれたおかげが、若干ぬるくなっていたお茶は簡単に飲み干すことができ、ふー、と息を吐く。

 ……あれ? 何も返ってこない? 

 てっきり、私の言葉に対して何か言い返してくるものだと覚悟していたのに、一条から返って来る言葉はなかった。気になってみてみれば、驚きに目を見開いたまま固まっている。

 あれ、予想していた反応と違う……。

 

「……なるほど」

 

 と、一条は突然一人で納得したかのような反応をする。

 

「確かに、矢澤の言う通りだな。俺は『ダンスで魅せること』しか考えていなかった。アイドルの魅せ方、なんてこれっぽっちも考えていなかったよ」

 

 そう自嘲気味に笑いながら言う一条。

 

「ありがとう、おかげでいいことに気付けたよ」

 

 さらにお礼まで言われた。

 なんなの、コイツ……。予想してた反応と違いすぎて戸惑うんだけど、ま、まあ、わかったならいいのよ。

 

「で、具体的に『アイドルの魅せ方』ってなんだ?」

 

 一条の問いに、私は一度ため息をついてから答える。

 

「キャラ作りよ」

 

「キャラ?」

 

「そう。お客さんを楽しませるそれ相応のキャラがアイドルには必要なのよ。一度見せた方が簡単ね」

 

 そう言って私は、意識を切り替える。パパが考えてくれた私の伝家の宝刀、例えアイツにウザいといわれても、捨てることのできない私の大切なもの。

 さあ、行くわよ! 

 

「にっこにっこにー♪ あなたのハートににこにこにー♪ 笑顔届ける矢澤にこにこー♪ にこにーって覚えてラブにこー♪」

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

「どう?」

 

「……………………おっ、おぉ。強烈、でした」

 

 と、やや顔を引きつらせながら答える一条。

 どうやら、ニコの可愛さに圧倒されたみたいね。

 

「ま、まあ、確かに強烈なキャラは印象に残るよな。うん、テレビのアイドルもキャラを作ってる奴いるし、うん、何も問題はない」

 

「なんで自分に言い聞かせる感じになってるのよ」

 

「いや、気にしないでくれ。まあ、キャラ作りはともかく『アイドルの魅せ方』が穂乃果達に必要だということは分かった。アイツらはダンサーじゃない。アイドルなんだからな」

 

「わかればいいのよ、わかれば」

 

「ってことは、お前はアイツらが『アイドルの魅せ方』をしてないから、解散しろなんて言ったのか?」

 

「……」

 

「そこで沈黙ってことは、当たってるみたいだな」

 

「……別に、それだけじゃないわよ」

 

「え?」

 

「……別になんでもないわよ! 私がアイツらをどう思っていようが別にいいでしょ! アンタには関係ないこと」

 

 私は一度反らした視線を一条に向け、睨みつけるように目を細めた。

 そうだ、関係ない。こいつがアイツらとどういった関係であるか知らないけど、赤の他人にこんなことを言うなんて、ニコもどうかしてるわね。

 これ以上、一条から話が振られてこないと察した私は、マスクとサングラスを掴むと立ち上がる。

 

「話は終わったでしょ。私はもう学校に行くわ」

 

「──なあ、矢澤。最後に一つ聞きたいことがある」

 

 コートを持って部屋を出ようとしたところで、一条から声を掛けられた。私は立ち止まったけど、振り返りはしない。声だけで一条に答えた。

 

「……何よ」

 

「お前はもう一度、スクールアイドルをやりたいと思ってるか?」

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 しばらくの沈黙。

 そして私は、その質問に答えることなく部屋を出て行った。

 

 

 

 

 ☆(一条リヒト)

 

 

 

 

 矢澤は俺の質問に答えることなく部屋を出て行った。一瞬、玄関の方向わかってるのか? と疑問に思ったが、矢澤と入れ替わるように姿を現した人物が、きっと案内でもしたのだろう。

 

「……希」

 

「おはよう、りっくん」

 

 姿を現した希は、相変わらずの笑顔で俺にあいさつをしてくる。

 

「どうした? 今日シフトじゃないだろ」

 

「りっくんがにこっちと話す占いが出てな、気になったから来たんよ」

 

 そう言って、制服のポケットからタロットカードを取り出す希。

 まったく、お決まりの返しをされちゃ、苦笑いをするしかない。

 

「最後の質問、どういった意図があったん?」

 

「言葉通りの意図さ。矢澤がまだスクールアイドルをやりたいか気になっただけ、それだけさ」

 

「本当に?」

 

 希の瞳が、俺を射貫く。この前感じた、吸い込まれるような瞳に見つめられた俺は、少し間をあけてから、

 

「……アイツは、部員が全員辞めたとしても、一人だけ残ったんだろ。お前から聞いていた通り、アイツはアイドルに対してすごい敬意を持ってたよ」

 

 矢澤がアイドルについて語ったときの瞳は、鮮明に俺の記憶に焼き付いている。あそこまで真剣で情熱を持った瞳は、穂乃果がスクールアイドルで廃校を何としても阻止すると覚悟したときと同じ瞳だった。

 譲れない覚悟。

 そして、肌が震えるほど伝わってきた矢澤の情熱。

 

「俺はダンスで魅了することばかり考えていた。ダンスで穂乃果達が持っている『想い』を表現する、そうすればいいと考えていたけど、それは()()()()としての考え方。アイツらは()()()()なんだ。アイドルにはアイドルの魅せ方がある。それをアイツは気づかせてくれた」

 

『一条リヒト』も母さんもあくまでダンサー視点でしかアドバイスをしていない。もしこれが父さんなら気付いていたのかな。元アイドルとしての一面があるって聞いただけだから、本当にアイドルだったのかは覚えていない。でも、その話が本当ならばダンスだけで魅せようとしていたことに気付いたかもしれない。ホント、声が出なくなったのが悔やまれるよ。

 でも、今からでも遅くない。『ダンスで魅せる』ではなく『アイドルとして魅せる』。その為には──、

 

 

 

 

「矢澤は、μ’sに必要だ」

 

 

 

 

 アイドルを知る、矢澤にこの力が必要だ。

 

 

 

 

 




さて、今回から第6話に入りましたが、見ての通り基本的に今回は一人称視点で進みます。戦闘シーンは三人称になるかもしれませんが、それ以外はできるだけ一人称で行くつもりです。
その理由は「未来ニコの回想風」にしたいからです。あくまで「風」なので全部ニコ視点で進むわけではありません。今回のようにリヒトやほかのキャラ視点も入りますが、そこは後々にこが聞いたことにしておいてください。

それでは、次回「其の2」に続きます。


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第二章:笑ってんじゃないわよ

 [2]

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 その日の朝、私は一条に呼ばれて神田明神を目指していた。連絡が来たのは昨日の夜、アドレスは希から教えてもらったらしい。何勝手に人のアドレス教えてんのよ、アイツ……!! 

 

『お前はもう一度、スクールアイドルをやりたいと思ってるか?』

 

 と、私の脳裏に昨日の去り際に言われた一言が浮かび上がってきた。

 …………。何なのよあの男。いきなりニコの前に現れて、いきなり家に連れてって、聞きたいことだけを聞いて、最後にあの質問。一体何を考えているの? 

 ──―『一条リヒト』。

 素性は昨日、勝手に私のことを話した希がその謝罪と共に話してくれた。アメリカにダンス留学をして、記憶喪失になって帰ってきた男。そして今はアイツらのダンスコーチを担当している……。この町には過去に何度か来たことがあるらしく、今は祖父の家で暮らしている。

 いろいろ突っ込みたいんだけど、これしか教えてくれなかった。対等な情報交換になってないわよね、コレ。

 

「おはよう、にこっち」

 

 と、昨日教えてもらった一条の情報を思い出していると、階段のところに立っている希に声を掛けられた。

 

「希……」

 

「そんな睨まんといて、勝手に話したのは昨日謝ったやん」

 

「……別に、もうそことは怒ってないわよ」

 

 どうせ希のことだからアイツらにも勝手に話したんでしょ、そのことでいちいち腹を立てても仕方がない。

 

「はぁ」

 

「どうしたん? ため息何てついて、幸せが逃げてくよ」

 

「誰のせいよ、まったく」

 

 ホント、我ながら面倒なヤツと一緒にいると思ってるわ。

 

「それで、一条はどこにいるのよ」

 

「りっくんなら上で待っとるよ」

 

 そう言って希は私を連れて階段を登って行く。梅雨に入って今日も雨だというのに、朝から練習しているとのこと。雨が降ったら台無しになるというのに、何を考えているのか。空を見上げれば厚い雲が広がっており、今にも雨が降り出しそうだった。天気予報では今日も雨、降水確率は六十パーセント。それなのに……。

 

「よっ、来たんだ」

 

 階段を登り切ったところで一条が待っていた。

 陽気に挨拶をしてくる一条を睨みながら、私は言う。

 

「アンタが来いって言ったんでしょ」

 

「そう睨むなって。希、ありがとな」

 

「ほな、ウチは戻るで」

 

 一条の礼を受け取った希はまだアルバイト中なのか、立てかけてあった竹箒を手に取ると去って行った。

 希が去って行ったのを確認すると、私に向き直った一条は少し笑いながら言ってきた。

 

「さて、希から聞いたぜ。お前、穂乃果達を部室から追い出したんだってな」

 

「なに笑ってんのよ」

 

 と、私は少し笑いながら語る一条にジト目を向ける。

 

「いや、だって穂乃果達から聞いたんだけど、お前、アイツらに『アイドルとしての魅せ方』を教えたんだろ? すぐに追い出さないでしっかり教えてる辺りがさっ」

 

 そう言って笑いだす一条。

 確かに昨日の放課後、おそらく希の計らいでアイツらが部室に来た。内容は大方予想通り部活の併合。向こうはあくまで部として認めてもらえればいいらしく、こっちには影響の無い様にするとのこと。

 でも私はそれを断った。そして一条に説明した通りにキャラ作り、つまり『アイドルの魅せ方』を教えた。でも結局、アイツらと一緒に居たくなかった私が追い出して出て行ってもらった。それ以降、アイツらとは会っていない。

 と、人が昨日のことを思い返している内も笑っている一条に対し、むかついた私は少々にらみを鋭くする。

 

「…………」

 

「わるい、わるい。もう笑わねぇよ」

 

「……で、今日は一体何の用? そのことで文句での言いに来たわけ?」

 

「いやいや、別にそれについては何も言わねぇよ。むしろあいつらも感謝してたからな、『アイドルとしての魅せ方』を見つけれたって。俺はお前に用があるんだよ」

 

 ……私に? 

 

「俺はお前を、スカウトしに来た」

 

「スカウト?」

 

 何を言っているの、こいつは。

 

「そう、スカウト。簡単に言えばμ’sに入らねぇか?」

 

 その言葉に、私は驚きで目を見開いた。こいつは何を言っているのか、言葉は耳に届いてきたけど、その意味が理解できなかった。

 一条は先ほどまで笑っていた顔を引き締めると、すごく真面目な顔で言う。

 

「お前が過去にスクールアイドルをやっていて、どうして今はやっていないのか、その理由は希から聞いた。勝手に聞いたことについてはまた後日謝る。ま、お前がアイドル研究部に所属していて、部員が一人だって聞いて、何となく俺が予想したことの答え合わせって感じだったけどな」

 

「別にいわよ。こっちもアンタのこと希が話したから」

 

「そっか。なら、俺が記憶喪失だってことも知ってるんだな」

 

 一条の問いに「まあね」と答えておく。

 

「んで、話をも共に戻すと、それを踏まえた上で俺はお前をμ’sにスカウトするってわけ」

 

「…………本気?」

 

「ああ、俺は本気だ。アイツらにもお前をスカウトするってことは話した。向こうもお前に何があったのかは知っているみたいだったからな」

 

 やっぱり、あの後希が話したのね。何となくそんな気はしたけど。

 

「で? アイツらはなんて言ったのよ」

 

「賛成」

 

 即答された。

 

「賛成だったよ。満場一致、『μ’sにはにこ先輩が必要』って穂乃果が言ってさ。そしたらみんな頷いた。アイドルとしての魅せ方を知るために、そしてアイドルを詳しく知っている矢澤の力はμ’sに必要だ。どうだ? 乗ってみないか」

 

 そう言って手を差し伸べてくる一条。

 この手を掴めば、私はもう一度スクールアイドルになれる。二年前に中断してしまった道を、もう一度、新しい仲間と歩むことができる。二年前と同じく、また楽しく輝かしい毎日が待っているのだろう。

 でも──―。

 

「……私は」

 

 そこまで言って、あとの言葉が続かなくなってしまう。

 だって私は──。

 

「……」

 

「……そっか。なら、見てほしいものがあるんだけど」

 

「え?」

 

 答えに渋っていた私の様子に、どこか納得したような声を出すと、一条は私についてこいとジェスチャーをしてどこかへ向かって歩き出してしまう。何を見せたいのか気になった私は、一条の後を追っていくと、遠目にアイツらが練習している姿が見えた。

 私達は建物の物陰に移動しているため、たぶんあいつらには見えていない。それに、ここにいてもアイツらの集中力が伝わってくるのだ。きっと、気付いてすらいない。それほどまでに、本気だった。

 

「あいつらは本気だ。本気で学校の廃校を阻止しようとしている」

 

 一条は私を見ずに、アイツらを見ながら語って来る。

 その声音は真剣そのもの。

 

「あいつらなら、きっとお前の『本気』にも付いて行くはずだぜ」

 

 最後にそう言って、私に笑顔を向けてくる一条。

 もう一度、私はアイツらの練習風景を見る。この雨が降りそうな中、この後学校があるというのに、アイツらはそんなことは気にせず一心不乱に踊っている。タイミングがずれていたり、ミスが見つかればすぐに止めて修正を入れる。

 最近入った一年生の三人組も、まだ日は浅いのに付いて行こうと真剣だ。

 

「あいつらは、絶対にお前を裏切らない」

 

 一条の言葉が、耳に残った。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 授業中、私の頭の中を駆け巡っていたのは一条に言われた言葉と、今朝のアイツらの練習風景。そのせいで授業に集中できずにいた。

 ふと、窓の外に広がる曇天の空を見上げる。

 あいつらなら裏切らない、か。

 確かに私は『アイドル』に対して人並み以上の『尊敬』と『敬意』、そして『憧れ』を持っている。そのせいで元メンバーとの間に亀裂が生まれ、結果的に今こうなってしまっている。

 ……本当に、アイツらとなら一緒にやっていけるかもしれない。アイツらが掲げている目標『廃校阻止』。それはとてつもなく難しくて、並大抵の努力じゃ絶対に達成できないこと。そもそも、達成なんてできるのかしら。

 廃校を阻止するためには、人気が必要。今一番スクールアイドルで人気なのは『A‐RISE』。もちろんA-RISE以外にも人気のスクールアイドルは大勢いるけど、それぐらいの人気に、下手をすればそれ以上の人気が必要になって来る。

 ……でも、アイツらは本気だった。本気で廃校を阻止しようとしている。

 もし、一条の言った通りあいつらなら、私を仲間に入れてくれるのかしら……。

 なんて考えていると、授業の終了を告げるチャイムが聞こえてきた。

 今日の授業はこれで終わり、あとは帰るだけなんだけど……。

 

「……」

 

 私は教室を出てから少し考えて、部室へと向かった。

 たぶん、今日も来るはず。もしかしたら先に待ち構えているかもしれない。昨日無理やり追い出したけど、アイツらはまた何か作戦でも立ててやって来る、そんな気がした。

 別に構わない。何となく、いたとしてもいい、そんな気分だった。いたらいたで考えればいい。そんな気分で部室へと向かていたが、カバンの中を漁ったときに部室の鍵を机に忘れてきたことに気付いた。

 自分の失態にため息をつきつつ、来た道を戻り教室へと向かう。

 そして、自分の教室にあと少しで到着ってところで、私が一番聞きたくない声が聞こえてきた。

 

 

 

 

「それにしてもさ、ユーズだっけ? ほら、奈々のところの後輩がいるさ」

 

「明美ちゃん、『ユーズ』じゃなくて『μ’s』だよ」

 

「そうだっけ? まあいいや。まさかアイツ意外にスクールアイドルを始めるバカが出てくるなんてね」

 

「言い過ぎだよ」

 

 

 

 

 うっわぁ、最悪。よりによって明美と由良が教室にいるなんて。

 明美にばれないようにそっと教室の中をのぞくと、二人以外にもう一人人物がいた。確か弓道部の志藤(しどう)奈々(なな)だったわよね。今年はクラス違うのになんで、ってそう言えば明美達とは同じ中学出身だったわね。

 

「そういえば二人ともライブは見に行ったの?」

 

 そう言ったのは奈々だった。

 

「うんうん、私は急なシフトが入っちゃって行けなかったんだ。本当は行きたかったんだけどね。明美ちゃんは?」

 

「アタシ? 行くわけないじゃん。ソッコー帰ったよ」

 

「そうだったの? 明美一年の時由良と一緒にスクールアイドルやってたのに、見に行かなかったんだ」

 

「そういえば奈々には話してなかったわね。アタシあの一件以来スクールアイドルが嫌いになったの。アイツのこと思い出すの嫌だからね」

 

「……そうなの?」

 

「あったりまえでしょ。こっちは遊びでやってるのに、向こうは『遊びじゃないのよ!』って本気でさ。ランキング上位なんか目指しちゃってホント迷惑。辞めて正解だったわよ。由良はどうなの? 音痴なのに無理やり歌う方にされて」

 

「え? 私は別に……」

 

 教室の中から聞こえてくる会話を、ドアを背にして私は聞いていた。

 ………………。

 やっぱりそうよね。何となくは感じていたわ。私だけが本気で、周りはお遊び気分だったことなんて。初めはみんなで頑張ってたけど、次第に私だけが浮いて行った。ここにはいないけど、照明と音響を担当してくれた二人も私のことを嫌ってるのかな……。もしそうならクラスが違って正解。明美なんかと一緒だったら気がどうにかなるに決まってるもの。

 …………。

 ……帰ろう。なんだか帰りたくなった。あいつらにも、会いたくない。

 家に変えて一人になりたい気分。

 そう思ってドアから背を放した時だった。

 

 

 

 

「それにしても、『廃校阻止』なんて無謀な目標、よく掲げたわよね」

 

 

 

 

 その一言が私の足を止めた。

 いや、正確にはその後に続く言葉が私の足を止めたのかもしれない。

 

「海未が言うには、リーダーの子が決めたみたい。絶対に阻止してみせるって意気込んでるみたい」

 

「ぷっ、あっはははははははははは! 本気で廃校阻止なんてできると考えてるの? 無理無理、絶対できるわけないじゃない。リーダーの子どうかしてるでしょ! あっははははははははははは!! ダメ、考えたら笑えてきた。聞いた話だと、初ライブ誰も見に来てなかったんでしょ? その時点で諦めなさいよ、誰も興味がないって」

 

 その後も明美の笑い声だけが聞こえてきた。

 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 

 

 

 

「笑ってんじゃないわよっ!!!!!!」

 

 

 

 

 気が付けば叫んでいた。

 教室のドアを乱暴に開け、中に入り明美を睨みつけながら叫ぶ。

 中にいたのは三人。机に腰かける明美とその隣に立つ由良。そして明美の向かいのイスに座っている奈々。三人は私が姿を現すと驚いた表情をするけど、明美だけは違った。入ってきたのが私だとわかると、すぐに視線を鋭くして睨み返してくる。

 

「……なに? アンタ、帰ったんじゃないの?」

 

「そんなことはどうでもいいでしょ! それよりなんでアンタがあいつらを笑ってるのよ!? アイツらは本気で廃校を阻止しようとしてる! 本気で毎日頑張ってるのよ!! それアンタが、途中で辞めたアンタが頑張ってるアイツらを笑うんじゃないわよ!!」

 

『…………』

 

 私が叫ぶと、教室は静まり返った。

 明美を睨み続ける視界の端で、奈々と夢愛が気まずそうに私達を見ているのが見える。

 しばらくの間私と明美の睨み合いが続いたけど、やがて明美が口を開いた。

 

「だからなに? 普通に考えて廃校阻止なんて出来るわけないじゃん。アタシは一般的な意見を言ってるだけ」

 

「なっ!?」

 

「それに、ライブだってあれ以降開いてないじゃない。アタシ達はこの時期に二回目のライブを開いていた。それなのに今回の子たちは二回目を開く気配すらない。これって心のどこかで諦めてるんじゃない? それともアンタみたいに周りと一悶着あったのかもね」

 

「……どういう意味よ」

 

「簡単よ。廃校阻止なんて目標についていけない子が出てきたのかもしれないってこと。アンタみたいに高い目標を持つ奴は、それしか見えてなくて周りの気持ちなんて考えない。勝手にチーム一丸になって同じ目標に向かってると錯覚してる。

 でも実際は違う。

 アンタみたいな奴が掲げる目標についていけない奴だっている。それに気づかないで勝手に一人突っ走って、周りが冷めていることにすら気付かない。

 要はアタシと同じで『廃校阻止』なんて無理ってわかった奴がメンバー脱退でもしようとしたんじゃない? ま、無理もないことだけどね」

 

「…………」

 

「廃校阻止何て一般的に考えてできるわけがない。ましてやスクールアイドルでなんて絶対に無理。それに気づいてメンバーが辞めていくのも時間の問題だったんじゃない? 初ライブだって誰もいなかったみたいだし、

 ま、リーダーの子が一人になったらなったで、アンタがアドバイスしてあげなさいよ。一人ぼっち学園生活の送り方を」

 

「アンタ……!!」

 

「よかったわねぇ、やっと友達出来そうで」

 

 そこで、もうすでに限界だった私の中の何かが弾けた。

 

「にこ!」

 

 湧き上がってくる感情に任せて殴りかかろうとした私を奈々が止める。

 

「離しなさい!! コイツは! コイツは……!!」

 

「さすがにそれはダメ! 明美も言い過ぎ! 謝りなさい!!」

 

 このっ!! 離してよ、奈々!! コイツは、こいつだけは!! 

 いくら暴れても剣道部の奈々の腕から抜け出せない。

 目の前の明美はそんな私を一瞥すると、カバンを手に教室を出て行く。

 

「待ちなさい! 明美!! 待ちなさいって言ってるのよ!! 明美、明美いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 

 

 

 ☆(3rd person)

 

 

 

 

 コツン、と一つの足音がにこ達のいる教室に響いた。

 瞬間、にこを押さえていた奈々、二人を見てあたふたしていた由良、さらには先ほどまで暴れていたにこの三人が一斉に動きを止めた。

 三人は静かに息を飲む。

 いつの間にか浮き出ていた汗が一滴、頬を伝って流れ落ちる。

 三人は音が響いた瞬間に広がった異様な気配に脅えていた。肌を撫でるような寒い気配、呼吸が苦しくなるほどに重くのしかかってくる重圧。今までに経験したことのない異様な空気に、三人はただ脅えるしかなかった。

 そして、先ほどの音──靴が床を叩く音──がした方にゆっくりと視線を向けると、黒いローブに身を包んだ男が一人立っていた。

 身長は180近くかそれ以上。ローブによってその全体が隠れているため詳しい背格好がわからない。顔はフードを深くかぶっているため見えない。ただ、男から感じる異様な気配に三人は一緒のことを思っていた。

 

 ──―コイツはやばい。

 

 なにがやばいのかは分からない。だが少なくとも今目の前にいる男が何かのアクションを起こした瞬間、自分たちは死ぬのではないかという恐怖にかられた。

 男はゆっくりとした歩みでにこ達に近づく。

 

「さて、彼女以外は地に伏してもらおうか」

 

 男は声を発した。

 ただそれだけだった。

 それなのに由良と奈々が男の言葉通りに地に倒れる。

 

『──!?』

 

 男は何もしていない。ただ言葉を放っただけなのに、いきなり二人が地に倒れた。三人は当然驚くがその身を包む異様な気配によって声が出せない。

 にこだけがその場に立っているという形になり、男はにこの顎を持ち上げ視線を無理やり上げる。

 驚きで見開かれる瞳、その瞳の中には確かに恐怖の色がある。

 男はじっくりとにこの目をフード越しに観察すると、

 

「へぇ、いい具合に溜まってるね。

 ねぇ、その怒り、解放したくない?」

 

「な、なにを……、言って、……」

 

「人間はね、一度痛い目に遭わないとわからない生き物なんだよ。だから、君のその怒りを解放しない限り、彼女はこの先も君の大切なものを笑い続ける。ずっとね」

 

 男はにこの耳元で囁くようにつぶやく。

 

「だから、解放しなよ。その怒りを。悲しみを。すべてを」

 

 そして──、にこの視界が暗転した。

 

 

 

 

 ☆(高坂穂乃果)

 

 

 

 

「あれ~? にこ先輩まだ来ないのー?」

 

「おかしいですね。もう授業は終わっているはずですが」

 

 りーくんの提案で、にこ先輩をμ’sに加入させるべく作戦を立てって来たっていうのに、肝心のにこ先輩がまだ来ない。

 もしかして部室間違えた!? なんてことはないよね。だって壁には他県のスクールアイドルのポスターが貼ってあるし、花陽ちゃんが目を輝かせながら周囲を見ているのが何よりの証拠だ。アイドル研究部の部室で間違いない。

 もう二年生も一年生も集合しているのに、なんで来ないの? 

 

「進路相談、とかですかね」

 

「だとしても、基本そう言うのって番号順でしょ? 『や行』ならまだ先なんじゃない」

 

 花陽ちゃんの疑問に答える真姫ちゃん。

 

「まさか、今日は部活がお休みだったとか!?」

 

「希先輩に確認をとったから、それはないと思うけど」

 

 ことりちゃんの言う通り、今日の朝希先輩にアイドル研究部が休みでないことは、海未ちゃんが確認している。だから凛ちゃんが言う部活がお休みの可能性はないけど、なんで来ないんだろう。

 んー? とみんなが首を傾げていると、真姫ちゃんが突然立ち上がった。

 

「どうしたの、真姫ちゃん。急に立ち上がって」

 

「……今、なんか悲鳴みたいな声が聞こえた気がして」

 

 花陽ちゃんが問いかけると、真姫ちゃんは眉間に皺を寄せながら答えた。

 

「悲鳴? 海未ちゃん聞こえた?」

 

「いえ、私は聞こえませんでした」

 

「私も」

 

「凛も聞こえなかったです。かよちんは?」

 

「うんうん、私も聞こえなかった」

 

 みんな聞こえていないみたい。真姫ちゃんも「空耳だったのかしら」と言って、どこか納得いかない顔をしつつも腰を下ろした。

 でもその直後、はっきりと生物の雄叫びが聞こえてきた。

 

『────っ!?』

 

 瞬間、この部屋にいる全員の体に緊張が走る。

 あの叫び声は間違いない。声は違うけど、似た叫びを私は、私達は聞いたことがある!! 

 

「穂乃果、今のは……」

 

「たぶん、海未ちゃんの予想通りだと思うよ」

 

 窓側にいた私は、恐る恐る窓の外をのぞいてみる。でも、それだけじゃ見えない。窓を開けて、上半身を出してあたりを見回す。いつの間にか雨が激しくなっていて制服と髪を濡らしていくけど、その光景の中にはっきりと見えるものがあった。

 

 

 

 

 ──どこか魚を連想させる口が鋭い銀色の怪獣が、叫びながら暴れていた。

 

 

 [3]

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 ……ここは、どこなのかしら? 頭がボーッとする。自分が立っているこの空間が何なのか、それすらわからない。

 なんで、私はこんなところにいるのかしら。さっきまで教室に居て、明美の発言に頭が来て……それで、男の声が聞こえてきたはず……。で、それからどうなったんだっけ? 

 …………ダメ、思い出せない。頭がボーッとして何も考えられない。

 でも、一つだけわかることがある。 

 それは──、

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 あはははは、愉快! ホント愉快だわ!! さっきまであいつらをバカにしていた明美が、うろたえて、情けなく叫んで! 逃げ回っている!! 楽しい、楽しくて仕方ない! 

 今自分がどうなっているのか、明美は私の()()に脅えているのか、逃げているのかわからない。

 でもそんなことはどうでもいい。

 いい機会だわ。私を裏切って、一人ぼっちにさせたこいつに、罰でも受けてもらいましょうか。

 ──いいえ、それともいっそのこと、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ☆(高坂穂乃果)

 

 

 

 

「な、なんで学校に怪獣がいるの!?」

 

「わ、私に聞かないでください!」

 

「これって、花陽や私の時みたいに、誰か怪獣になったってこと!?」

 

「ええっ!? 一体誰が怪獣になっちゃったの!?」

 

「凛達の知らない人だったら、かよちんを助けた時の作戦が使えないにゃ!!」

 

 私が海未ちゃんに怪獣がいることを伝えると、みんな一斉に慌て始める。

 

「って、真姫ちゃん今なんて言ったの!? 怪獣になった!? 花陽ちゃんと真姫ちゃんが!? 作戦って何!?」

 

「ちょっ、質問が多いわよ!! てか顔近い!!」

 

「二人ともこんな時に何をやっているんですか!! 少しは落ち着いてください!!」

 

「海未ちゃんが一番落ち着いて! 弓なんてもってどうするの!?」

 

「こ、これは……」

 

「海未先輩って意外とアドリブに弱いんだにゃ~」

 

 あー! もう!! みんな慌てすぎ!! そうだよ、ここは一度落ち着かないと。りーくんも言ってたじゃん、慌てた時は一度深呼吸をして落ち着く。それから冷静に一つ一つ状況を把握して行って──、

 

「よかった! 人がいた!!」

 

「志藤先輩!? どうしてここに?」

 

 って、あれ? この人確か弓道部の部長さんだよね? どうして窓の外からこんなところに来たんだろう。それにもう一人、泣きながら部長さんの隣にいる人は、誰? 

 

「ニコちゃんが! ニコちゃんが!!」

 

「由良落ち着いて。海未、いい? 今から言うこと信じられないかもしれないけど、怪獣が現れたの」

 

「はい、先ほど穂乃果が見つけたので知っていますが」

 

「その怪獣はね、えっと、矢澤にこって知ってるわよね?」

 

 部長さんの問いに海未ちゃんは頷く。

 って、もしかして──。

 

 

 

 

「にこがあの怪獣になっちゃったのよ!!」

 

 

 

 

 ☆(高坂穂乃果)

 

 

 

 

 志藤先輩と由良先輩の話によると、さっき教室で明美っていう先輩と一悶着あった後、突然教室の中の空気が不気味になって男の人が現れた。そしてその男の人がにこ先輩に向かって何かささやいていて、気が付いたらにこ先輩と男の人がいなくなっていた。

 急いで探すと、校門前で明美先輩とにこ先輩を見つけて、何やら言い争ってると突然空が暗くなってにこ先輩が怪獣になっちゃったみたい。それで誰かに助けを求めようにも学校から人の気配がなくなっていて、唯一人の声が聞こえたのがアイドル研究部の部室からだった。そして中を見てみたら私達がいて、海未ちゃんが前に怪獣とか光の巨人とか話していたのを思い出して、解決策がないか聞いてきた。

 さらに、由良先輩の話を聞くとあの怪獣は明美先輩を追いかけて襲っているとのこと。

 以上のことを私達は雨の中走りながら聞いたけど、これって結構まずい状況だよね!? 早く来て!! ギンガさん!! 

 

「つまり、そのウルトラマンギンガっていう巨人が救うしか方法がないわけ?」

 

「かよちんの時みたいに、にこ先輩の心に呼び掛ける方法もあります。でも……」

 

「見た感じ、こっちの話を聞いてくれそうにないですね」

 

 と、凛ちゃんの言葉の後に海未ちゃんが続く。

 雨の中暴れる怪獣は明美先輩を見失ったのか、あたりに光線を吐いて明美先輩をあぶり出そうとしている。どう見たって話を聞いてくれそうにない。

 

「…………」

 

「どうしたの、真姫ちゃん」

 

「ことり先輩……。あの怪獣、たまに悲しそうに鳴いている気がして」

 

「悲しそうに?」

 

「……何となくわかるかな」

 

『?』

 

 私が真姫ちゃんの意見に同意する感じの発言をすると、みんな足を止めて私に振り返る。

 

「真姫ちゃんみたいに声から感じるわけじゃないんだけど、なんとなく、あの怪獣が寂しそうにしてる感じがするんだ。何となくなんだけどね」

 

『…………』

 

 きっと、私がそう感じるのはこの雨も影響しているのかもしれない。この雨が怪獣の涙のように感じて、あの怪獣がどこか寂しそうに錯覚している、そう勝手に思い込んでいるのかもしれないけど、真姫ちゃんがそう言うんなら本当に悲しそうにしているのかも。

 と、私が思っていると怪獣の動きが変わった。

 同時に、

 

「……! 奈々ちゃん!! あそこ!!」

 

「! 明美!!」

 

 由良先輩が明美先輩の姿に気が付いた。

 土埃が付いてボロボロだけど、まだ生きてる! 急いで助けなきゃ!! 

 

「! 穂乃果!!」

 

 海未ちゃんの声が後ろから聞こえてくる。その声音には危険を知らせる色が含まれていて、私は急いで視線を上げた。

 その視線の先──怪獣の口が開いて光っていた。

 明美先輩も自分の命の危機に気付いたみたい。視線を怪獣の方に向けると、その顔を絶望に染める。

 ダメ!! このままだと──―!! 

 私の足は自然と駆け出していた。手を伸ばして明美先輩を守ろうとするけど、間に合わないに決まっていた。

 スローモーションの世界の中、光線が放たれようとしたところで、

 

 

 

 

 空に一筋の光が走った。

 

 

 

 

 

 




次回、其の3に続きます。
出来たら次回で6話終わらせたいなぁ……。


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第三章:叫ぶ想い

先週更新できず、すいませんでした。
思いのほかシーンが上手く思い浮かばず、中々筆が進まなかったもので……。
それでは「其の3」になります。


 ☆(矢澤にこ)

 

 

 ──痛い。

 せっかく明美を見つけて天罰を下そうとしたのに、光がぶつかってきたせいで邪魔された。操っていた怪獣は倒れちゃったし、私のいる空間も大きく揺れた。倒れるほどの揺れじゃないから別に何ともないけど、せっかくいいところ邪魔されたのは腹が立った。

 

『……まさか本当に、お前が闇に呑まれるなんてな』

 

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 操っていた怪獣を起こして光が落下した方を向くと、煙の中にこちらに背を向け、肩越しに見てくる巨人がいた。赤い身体に銀色のライン、クリスタルが特徴である巨人は、ゆっくりと立ち上がってこちらに振り返ると、光る瞳で私を見てくる。

 

『どうして、お前が』

 

 声は巨人から──、いいえ、巨人の中かしら。私は目を細めて巨人の中をのぞくと、光の空間に立っている一条リヒトを見つけた。朝会った時と同じパーカーを着ているけど、この雨の中傘もささずに外出していたのかびしょ濡れだった。髪から水滴が光の空間に落ちるけど、一条は気にせず険しい表情で私を見続ける。

 

『……』

 

『……』

 

 しばらくの間、私達は互いに睨み合う。

 私はどうして邪魔したのか、そう言う意味を込めて。

 向こうから感じる視線には「何やってんだ」という怒りを感じる。

 

『悪いけど、アンタに構ってる時間はないの。消えて』

 

『ふざけるな。お前、自分が何しようとしてたのかわかってるのか?』

 

『別になんでもいいでしょ。アンタには関係ない。これは私とアイツの問題なんだから』

 

『お前がその姿になってる時点で、俺は関係者だ』

 

『はぁ? 何言ってんの? 私がどんな姿になろうがアンタには関係ない、そんなこともわからないの?』

 

『確かにお前とあの子の問題に関しては無関係だ。だけどな、お前がその姿になってるとなると話が変わって来る。いいか? 今のお前は「闇」に惑わされているだけだ。「闇」に心を操られ、取り返しのつかないことをやろうとしてる。俺はそれを止めるためにここに来た』

 

『……つまり、私の邪魔をしに来たってわけ?』

 

 私がそう言うと、一条の眉間による皺がさらに深くなった。

 

『お前──!』

 

 一条が何かを言おうとしたけど、邪魔をするとわかればもう言葉はいらない。私は右手を横に振るった。それを合図に操っている怪獣の口から光線が放たれ巨人を襲うが、すぐに反応されて躱されてしまう。

 

『邪魔しないでくれる』

 

『邪魔するに決まってんだろ!! お前は人を殺そうとしてんだぞ!!』

 

 一条の咆哮と共に巨人はすぐに体勢を立て直して、高速移動で接近してきて抑え込まれてしまう。

 

『何よ……』

 

『?』

 

『何も知らないアンタが邪魔しないでッ!!』

 

 無理やり抑え込みから抜け出すと、タックルで巨人を吹き飛ばす。その衝撃は一条にも伝わるみたいで、小さな呻き声が聞こえてきた。続けて腕を振るって巨人を叩く。私の邪魔をするのなら先アンタを倒す!! 

 

 

 

 

 ☆(高坂穂乃果)

 

 

 

 

 しばらく睨み合っている様に見えた怪獣とギンガさんが突然戦いを初めて、怪獣の意識が明美先輩から離れた。その隙に志藤先輩と由良先輩が明美先輩の元に駆け寄る。

 

「明美! 大丈夫!?」

 

「明美ちゃん!」

 

「二人ともちょっとうるさい……。大丈夫だって、別に大きなけがはしてないから」

 

 明美先輩は立ち上がってスカートやブレザーに着いた汚れを払おうとしたけど、雨に濡れたせいで汚れがしみ込んでしまっていた。舌打ちをして前髪をかき上げると、ギンガさんと怪獣の方を見上げる。

 ギンガさんと怪獣の戦いは、怪獣の攻撃を避け続ける形になっていた。怪獣から繰り出される攻撃を、弾いて、躱して、ギンガさんはあくまで押したり攻撃を受け流す勢いを利用して自滅させるなど、受け身の戦い方だ。

 もしかしてギンガさん、あの怪獣がにこ先輩だって知ってるの? 

 

「明美、逃げるよ。にこのことはあの巨人に任せて──」

 

「──アイツ、本気でアタシを殺そうとしてた」

 

 私がギンガさんの戦い方に疑問を感じている中、この場からの非難を提案した志藤先輩の言葉を遮って、明美先輩がポツリと言った。

 

「アタシ、そこまで恨まれるようなことしたっけ?」

 

「…………」

 

「たぶん、明美先輩が部活を辞めたことが原因だと私は思います」

 

 沈黙してしまった志藤先輩の代わりに、私が答えた。すると明美先輩は、何の感情も読めない視線を私に向けてきた。その瞳はどこか冷たくて、何を思っているのか読み取れない。だから私は詳しい説明を求めている、と勝手に解釈して続ける。

 

「さっき真姫ちゃんから聞いたんですけど、怪獣になっちゃう理由って『心の闇』が原因なんだそうです。悩みだったりトラウマだったり、心の闇は人それぞれで、にこ先輩の場合は明美先輩達が部活を辞めていったことが『心の闇』なんじゃないんでしょうか」

 

「……」

 

「明美先輩達が退部した時、とてもショックだったんだと思うんです。一緒に頑張って来たのに、突然部員が辞めちゃって……。その時のショックが、辛さが、寂しさが、今もにこ先輩の心の中に残っている。それがきっと、にこ先輩を怪獣にしたんだと思います。そして怪獣になったら、その『闇』が肥大化させられて、自分でも制御できないくらいにそれしか見えなくなる。ただ湧き上がってくる感情にしか従えなくて、感情の制御が効かなくなるって言ってました。だからにこ先輩はその時のショックから、明美先輩を襲ったんだと思います」

 

 私は怪獣になったことがないからわからないけど、真姫ちゃんと花陽ちゃんが言うに、目の前が真っ暗になって自分が自分じゃなくなる感覚がするみたい。

 

「……なにそれ、つまりアタシは部活を辞めたことを理由に殺されそうになったってこと? 

 ──―ふざけないで!! 部活を続けようが辞めようがアタシの勝手でしょ! なんでそんな理由で殺されなきゃいけないのよ!!」

 

「明美……」

 

「楽しんでたのはアイツだけなのよ! 周りは飽きてた、冷めてた! それに気づかないでアイツは一人突っ走って行って、そんなの付いて行けなくなるに決まってるでしょ!!」

 

 と、明美先輩達がそこまでいった時、まるでその話を聞いていたかのように怪獣が雄叫びを上げてこちらに迫ってきた。全員が恐怖で固まる中、ギンガさんが間に入って怪獣を抑える。それでも怪獣は明美先輩に噛みつくように吠える。

 怪獣から威嚇されているというのに、明美先輩は逃げないで逆に一歩前に出る。そして怪獣に、違う、にこ先輩に向けて言う。

 

「なに? アタシの言ったことの文句でもあるわけ? でも事実でしょ! アンタは周りなんて見ないでひとり突っ走ってた! こっちのことなんか全然考えてない! アタシ達はプロじゃない! プロを目指す研究生でもない!! ただアイドルが好きだっただけ!! それなのにアンタはこっちの調子なんか無視して走り続けた! 付いて行けなくなって当たり前でしょ!? 

 それだけじゃない! アタシが一番許せないのは由良のことよ! 由良が音痴だって知りながら、声が可愛いからって理由でステージに立たせて、由良が陰でどんなこと言われてたか知らなかったなんて言わせない! アンタは由良を利用したんでしょ! 音痴な由良をステージに立たせて、自分の方が上手く見えるように仕組んだんでしょ!?  

 結局は全部自分の為! 周りはアンタの飾り! アンタは一人でアイドルをやってるの! 周りなんかどうでも良くて、アンタは自分一人のため! 一人だけで満足するためにアイドルをっ──」

 

 

 

「──―にこ先輩はそんな人じゃありません!!」

 

 

 

 

『!?』

 

 明美先輩の言葉を遮るために、私は大声で叫んだ。みんな驚いて、明美先輩は私を睨むように見てくるけど、私は負けない。にこ先輩は絶対にそんな人なんかじゃないんだもん!! 

 

「にこ先輩はそんな身勝手な人じゃありません! ちゃんと明美先輩達のことも考えていました!」

 

「そんなことっ──」

 

「──―希先輩が言ってました! 

 明美先輩達とスクールアイドルをやっていた時、にこ先輩毎日が楽しそうだったって。毎日笑顔で、新しい曲や衣装、みんなとのフォーメーションを授業中なのに楽しそうに考えていたって! 一人一人の特徴をノートにまとめて、適した練習法を探してたって!!」

 

「──―え?」

 

「そういえば、明美はクラス違うから知らないけど、一年生の時、よく教師に怒られているところ見たっけ。その子の言う通り、にこは毎日楽しそうにしてたよ。メンバーの特徴をしっかりと考えて、適した練習法、その人に足りないところや伸ばすべき長所をいつもノートにまとめてた。

 由良にだって、歌うのは好きだけど音痴なせいで悩んでいるのを、いつも相談に乗ってあげていた。もちろん陰でなんて言われてたのかも知ってる。だから音痴を直すために毎朝音楽室での練習にも付き合っていた。そうでしょ?」

 

「う、うん。私は歌うのが好きだから。音痴でもステージで歌うのがとても楽しかった。だからニコちゃんと毎日音痴が直るように練習してた。みんなを驚かそうって。ほかにも、体力のことだったり緊張のほぐし方とか、いろいろ教えてもらったよ」

 

「にこは由良を利用してなんていない。だってにこは、誰よりも由良の声が好きだったんだから。由良の歌声は、音痴じゃなくなれば本当にプロを狙えるレベルだって、いつも言ってた。だから由良が音痴じゃなくなれば、私達はどこまでの行けるって。音痴が直ればソロ曲を出す予定だったみたいだよ。

 明美に対してだってそう。明美は運動神経がよくて派手なものを好むから、少しロック調な曲もいくつか、衣装の方も少し大胆なのを考えてたみたい。ほら、明美一年の時からスタイル良かったじゃん? ダンスだって明美の方がダイナミックで明美の特徴を生かしてた。にこは明美が体硬いことを知っていた。だから私にまで柔軟方法を聞いてきたんだよ? 明美の柔軟性がよくなればもっとすごいことできるって」

 

 と、志藤先輩が少し笑いながら補足の説明を付け足してくれる。

 

「でも、そんなの──」

 

「明美も知ってるでしょ? にこの成績。それが何よりの証拠。授業そっちのけで考えてたんだよ、にこは……」

 

「…………」

 

「明美はさっき、にこが一人でスクールアイドルをやっていたって言ったけどさ、この話を聞いてまだそう思ってる?」

 

 志藤先輩がそう言うと、明美先輩は下唇を噛んで拳を握り込んで黙ってしまった。きっと明美先輩は、にこ先輩が()()()スクールアイドルをやっていると思っていたんだ。周りなんか見ないで、自分一人だけで。

 でも実際は違った。ちゃんと周りを見ていて、みんなが輝くように日々考えていたんだ。すごいな、私はまだ自分のことでいっぱいいっぱいで周りを気に掛ける余裕なんてない。いつもりーくんとりーくんのお母さんに助けてもらってる。周りに助けてもらってばっかりだ。私達には助けてくれる人がいるけど、にこ先輩はそれを一人でやっていた。一人でりーくん達がやっていてくれることをやっていたんだ。すごい、本当にすごいよ。だからこそ、にこ先輩がμ’sに入ってくれたら、とっても心強いと思う。

 だからギンガさん! にこ先輩を助けて──―!! 

 

『──────────────────────────!!』

 

 怪獣の咆哮がこだました。

 ギンガさんを横へとなぎ倒した怪獣は天に向かって吠えると、明美先輩に向けて進もうとするが、転がることで受け身を取り、すぐに体勢を立て直したギンガさんに阻まれる。取っ組み合いが始まるけど、攻撃の手に出ないギンガさんがすぐ弾かれる。怪獣の腕がギンガさんを叩き、タックルをして突き飛ばす。

 倒れたギンガさんに覆いかぶさるように倒れ込んだ怪獣は、そのまま馬乗りの要領でギンガさんを叩き続ける。何度も、何度も、一度点に向かって吠えた隙をついて怪獣を横にどかし、脱出する。

 そして立ち上がって構えたギンガさんだったけど、怪獣の姿を見て、構えが緩んだ。

 怪獣は空に向かって吠え続けている。

 雨脚が強くなり始めた。

 その雨脚は、なんだか怪獣の涙のように見える。

 空に向かって吠え続けている怪獣の叫びが、鳴き声に聞こえて、突然ギンガさんに突撃を始めた。

 油断していたギンガさんは反応に少し遅れたけど、避けれないほどではない。なのに、ギンガさんは()()()()()()。吹き飛ぶギンガさん。

 怪獣はすぐに標的を明美先輩に移して走り出す。

 対して明美先輩はこの雨の中、静かに視線を上げて怪獣を見つめるだけ。

 間一髪のところでギンガさんが間に入ったけど、胸のタイマーが点滅を始めた。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

『邪魔よッ! どいてッ!!』

 

『絶対にどかないっ!!』

 

『…………なんで……! なんで邪魔するの!!』

 

 私は思いっきり腕を振るった。それに合わせて私が操っている怪獣が暴れるけれど、巨人はすぐに抑え込んでしまう。

 

『……なんでっ!』

 

『お前をこの先に行かせるわけにはいかない!! そんなにあの子と話したいのなら、しっかりと自分の心を取り戻してから話せ!! 今の状態で話し合わせるわけには行けねぇんだよッ!!』

 

 私の本当の心……? 

 そんなの……、そんなの────!! 

 

『……なんで……、……なんでなのよ!! 明美!!』

 

『──―!?』

 

『なんで私を裏切ったの!? 一緒に頑張ろうって約束したじゃん!! アイドル研究部を立ち上げる時、一番最初に協力してくれたじゃん!! なのにどうして!!』

 

『お前っ、いきなり何を──!!』

 

『うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!』

 

『がッ、っつ!?』

 

『なんでなのよ!! どうしてみんな辞めちゃったの!? 私はみんなのこと、ちゃんと考えてたのに!! 三年間、みんなと楽しくスクールアイドルをやりたかったのに!! どうして!? どうしてなのよっ!! 由良が陰で音痴のことをバカにされてるのは知ってた!! だから二人で毎日練習した!! バカにした奴らを見返そうって! それなのに……、それなのにどうして由良も辞めたのよ!! あんなに頑張ってたじゃない! 諦めないで、絶対に音痴を直すって!! なのにどうして!?』

 

『……や、ざ……わ……』

 

『うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 

 

 

 

 

 ☆(3rd person)

 

 

 

 

 矢澤にこが叫び声を上げると、雨脚はさらに強くなり、遂には雷まで鳴り始めた。

 雄叫びを上げながら暴れる怪獣──ゾアムルチは何振りかまわず辺りにあるものに攻撃を始める。その行動にはさすがの少女達も命の危機を感じ、その場から離れようとするが、明美だけがなかなか動こうとしない。

 

「明美!!」

 

 奈々が明美の名を呼び、それでも動かない彼女にしびれを切らした奈々は無理やり彼女の手を取った。

 暴れるゾアムルチの姿を見たギンガは何かを察したのか、ゾアムルチの元へ移動すると、その攻撃をその身で受け始めた。

 防御などしない、ギンガはゾアムルチの攻撃を、いや、矢澤にこの『心の叫び』を受け止め始めたのだ。

 それを見ていたローブの男は、

 

「あーあ、そっちの方に転がったか。ま、元々彼女の心は『怒り』よりも『孤独』に対する『寂しさ』の方が勝っていたから、こうなることはある程度予想できたけど……。でもまあいいや。ぐちゃぐちゃな心程、より濃い『闇』を生み出してくれる」

 

 男は視線を、攻撃を受け続けるギンガに向ける。

 

「彼女の『闇』は重いよ? それを受け続けるにはもう時間がないみたいだ」

 

 すでにギンガのカラータイマーは点滅しており、残り時間が少ないことは明白だった。その時間の中で、にこの『心の叫び』をすべて受け止めるなど、不可能だ。

 もちろんリヒトもそれは分かっており、表情には焦りが見える。しかし、何か一瞬考える素振りを見せた後、覚悟を決めると一つのスパークドールズを取り出しリードする。

 その行動には、さすがのローブの男も驚いた。

 ギンガの姿がぼやけ、入れ替わるようにキングパンドンが実体化する。 

 それはつまり、怪獣へウルトライブしたということ。

 

「へー、面白い行動に出たね。確かに怪獣にはライブの制限時間はない。キミの体が持つ限り永遠にライブできる。でもね、怪獣はぼく達『闇』の力を宿しているんだよ? 光であるキミがそれを使うのは、()()()()()()()()()()

 

 ゾアムルチの攻撃がキングパンドンを襲う。

 もちろんリヒトは避けるなどせずにその一撃を食らうが、

 

『がっ、が、ああああああああああぁぁッッ!?』

 

 先ほど以上のフィードバックダメージがリヒトの体を襲う。

 ギンガにウルトライブしている時以上の激痛に表情を歪めるリヒト。

 ローブ男の言う通り、怪獣のスパークドールズは『大いなる闇』の力の一部が封印されている。それはつまり、今リヒトは『闇の力の一部』を使っているといっても過言ではない。光の力を使うリヒトが、相反する闇の力を使うということは、毒を受けながら戦っているようなもの。普段リヒトを守っている光が進行してくる『毒』からリヒトの体を守っているため、フィードバックダメージからリヒトを守るための光が手薄になる。

 つまり、怪獣へのライブは制限時間がない代わりにダメージフィードバックが強くなるのだ。

 もちろん何かしらのリスクがあることを覚悟していたリヒトは、先ほど以上のダメージが体を襲う中、歯を食いしばって耐える。

 

『(耐えろ、耐えるんだ! 矢澤が心に受けた傷に比べれば、寝て治るこんな傷どうってことない!! 今、アイツは自分の心で叫んでるんだ! こんなところで倒れてたまるか!!)』

 

『来い矢澤っ!! 俺がお前の悲しみ、辛さ、寂しさ、全部受け止めてやる!! そんな闇に惑わされた心じゃなくて、自分の心であの子と話せるように、お前が今までため込んでいたものすべてを吐き出せ!!』

 

 リヒトは矢澤にこのすべてを受け止める覚悟で、にこのゾアムルチの攻撃(心の叫び)をその体で受け止め続ける。

 何度も悲鳴が上がりそうになるのを飲み込み、絶対に弱いところを見せない。

 何度も膝が付きそうになるのを足に力を入れて耐える。

 何度も脳が揺さぶられ意識が飛びかけるが、気合と根性で意識を繋ぎ止める。

 傍から見ればただのサンドバック状態だ。防御もしないで敵の攻撃を受け続ける。さすがの穂乃果達も攻撃を受け続けるキングパンドンの姿を見て、胸が締め付けられるように苦しくなる。だが、それ以上に叫び声を上げて攻撃をするゾアムルチの姿の方が、心を苦しめられた。

 きっとあの叫びはにこ先輩の心の叫びだ。

 ──泣いている。誰もがそう感じていた。

 中でも耳の良い西木野真姫は、その声から感情を読み取れることができるので、人知れず一滴の涙が頬を伝っていた。

 すでにリヒトの足はふらついている。いくら時間制限がないとはいえ、リヒトの方には限界があるのだ。体を襲う強烈なダメージフィードバックに、もうすでに体がボロボロだった。

 何かしらの拍子に口の中を切ったのか血の味が広がって来る。意識がふらついて視界が回る。

 だが、まだ倒れるわけにはいかない。

 目の前で泣いている女の子の叫びを、すべて受け止めるために。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 ……ねえ、やっぱり私のせいでみんな辞めてったのかな? うんうん、絶対にそう。これじゃ、あいつらと一緒にアイドルをやったとしても、結局また──。

 

『それは絶対にないから安心しろ』

 

 え? 

 

『あいつらは絶対にお前を裏切らない。これは確信をもって言える。たとえお前の意識がどんなに高くても、あいつらは必ず付いて行くさ。つか、その前にあいつらの目標は「廃校阻止」だぜ? お前の志しなんか簡単に超えてくるさ』

 

 ……そうね、廃校阻止なんて普通じゃ成し遂げれないもんね。

 

『そそっ。だから、今度はあいつらの手、取ってみろよ。絶対に後悔はしないからさ』

 

 わかったわよ。

 ……その代わり、一つお願いがあるの。

 

『なんだよ』

 

 ……私の心、助けて。

 

『──了解』

 




すいません、あと一つ続きます。
続けてもよかったのですが、これ以上書くと長くなりそうなので区切りのいいココでいったん切りました。
次回こそ、第6話の最後になります。


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第四章:晴れる笑顔

 [4]

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 目が覚めた時、自分でも驚くほどにすっきりとした気分であるのと同時に、凄く疲れていた。

 

「ちょっと、奈々、……肩、貸して」

 

「起きたと思ったらいきなり注文? ま、別にいいけどね」

 

 悪いわね、と返す気力もなく、奈々の肩を借りる。

 うん、我ながら奈々を選択したのは失敗ね。身長差があって逆に辛い。まあ、しゃがんでまで私に合わせくれている奈々に感謝して、ここはありがたくこのままでいましょう。

 ……まあ、本当は奈々以外に頼めそうにないのが理由なんだけど。

 

「ニコちゃん……」

 

「由良……ってちょっと!? いきなり抱き着かないでよ!! 今の私にアンタを支える力ないんだから──」

 

「──よかった」

 

 消えてしまいそうなほどの声に、私は声を失った。

 

「…………」

 

「本当によかった。あのままニコちゃんが怪獣になってたら……、私、私……!」

 

「……心配かけたわね。大丈夫よ。由良」

 

 私は残る力を振り絞って由良の頭を撫でる。うん、由良の身長が私と1センチ違いで良かったわ。撫でやすい。

 

「……ごめんね、由良」

 

「ぐすっ、え?」

 

「音痴なのに無理やりステージに立たせて。辛い想い、させたわよね」

 

「そ、そんなことない!」

 

 ガバッ、と由良がいきなり顔を上げて私と視線を合わせてくる。

 涙にぬれている由良の瞳に、疲れ切った表情をしている私が映っているのが見えた。

 

「私の方こそ謝りたかった! ニコちゃんは私のために連取に付き合ってくれたのに、諦めないって約束したのにっ……。私、頑張れなかった……。周りの声に耐えられなくて……それで……っ」

 

「いいのよ。アンタの性格はそれなりに理解しているつもりだから、アンタが謝る必要なんてない。

 ……無理させて、ごめんね」

 

「う、うぅっ、ニコちゃあああああああん!!」

 

「もう……、ホント泣き虫ね、由良は……」

 

 また私の肩に顔をうずめて泣き始める由良。すぐ隣で「私の方に結構負担掛かってるんですけどー」とジト目を向けてくる弓道部部長がいるので、なるべくなら早くどいてもらいたいところ。

 ……それに、もう一つの方も片づけないといけないし。

 

「由良、ちょっと」

 

「……ぐすっ、うん……」

 

 由良の方も私がこれからすることを理解してくれたのか、すぐにどいてくれた。

 本当ならまだ奈々の肩を借りていたいところいだけど、さすがにここだけは自分で立たないとね。奈々に「ありがとう」と言ってから肩を離れると、「立てるんじゃん」と軽口をたたかれた。普段なら一言くらい返すんだけど、今だけはそれを無視してある人物の元に行く。

 

「明美」

 

 私は、静かにその名前を呼んだ。

 

「……」

 

 向こうはなんて言ったらいいのか、それともどういった顔で私と向き合えばいいのかわからないのかそっぽを向いている。まあ、無理もないわよね。さっきまで私に殺されそうになっていたんだから。

 

「明美。その……悪かったわね。色々と……。さっきアンタを襲ったことも、由良のこと、それから、……周りを気にかけなかったこと。全部。

 明美の言う通り、私は一人で走りすぎてた。もっと周りと話すべきだったわね。一人で決めないいで、ちゃんと周りと相談するべきだった。って、今言っても、もう遅いわよね」

 

「…………」

 

「だから──」

 

 と、そこまで私が言った時、いきなり明美が振り返って私に詰め寄って来た。左手で制服の襟を掴むと、右手を振り上げる。

 ──叩かれる、と思うのと同時に「当り前のこと」と思って瞳を閉じた。

 明美が私に抱いている感情は、それなりに理解した。だから今叩かれそうになっているのもある程度は理解している。

 それなのに何時まで経っても痛みが襲ってこない。誰かが止めた? そう思って瞳を開けると、手を振り上げたまま止まっている明美の姿が見えた。

 その手が、震えている。前髪で顔が隠れてしまってるから、表情が見えないけど唇を噛んでいるのは分かる。

 なんで? と不思議がっていると、その手が力なく落ちた。

 

「……最低よね、アタシ。勝手にアンタが一人で走ってると思い込んで、由良が無理やりステージに立たされてると勘違いして……」

 

 絞り出したような声だった。

 

「由良に確認すればすぐにわかることなのに、勝手に思い込んでいた……。ちょっと周りを見れば、アンタが周りに気を配っていることとか、気付けたはずなのに……。

 しかも、こんなことがあったのに、まだ心のどこかでアンタを許せないでいる。由良を傷つけたアンタが、本当は違うのに……頭では理解しているのにっ……ははっ、最低……」

 

 その声に、だんだんと嗚咽が混じって行く。

 

「そうよ……、一番最低なのはアタシ! 一人勝手に思い込んで、アンタを恨んで! 裏切って! 周りを見ていないのはアタシの方じゃん……。アンタが怪獣になったのだって、アタシのせいなんでしょ?」

 

「…………」

 

「ホント、最低よね、アタシ……全部の原因はアタシじゃん……アタシが、……一番の……」

 

 そう言って、明美は座り込んでしまう。

 明美の長い茶髪が大きく広がり、彼女の表情を全て隠す。

 私の目にいつも明るく大きく映っていた明美が、今はとても小さく見える。

 肩は震え、聞こえてくるかすかな嗚咽が、明美が泣いているのだと伝えてくる。初めて見る明美の泣いている姿。その姿は普段の明美より、とても小さく、とても弱々しく見えた。

 

「……明美」

 

 私は、そんな明美を優しく抱きしめた。

 明美の小さな驚きが聞こえるのと同時に、雨に濡れて冷たくなっていた彼女の体温を感じた。

 

「いいわよ。アンタが私を許せないのは、十分に理解してる。殺されそうになったんだもの、許されなくて当り前なの」

 

 もし、アイツが現れなかったら、今頃私は明美を……。

 

「だから許さなくていいわ。私だって、許してもらおうなんて思ってない。私が一人で走っている様に見えるのも、話を聞いて仕方のないことだってわかったから」

 

「にこ……」

 

「でも、それ以上自分を責めないで。アンタがそれ以上自分を責め続けてたら、私だって自分を責め続ける。だからもう終わり。お互いにケジメをつけましょう」

 

「ケジメ?」

 

「そっ」

 

 と、私は明美に返すと、抱きしめていた明美を放して少しだけ距離を開ける。疑問の表情を浮かべている明美に向けて、私は小さく笑うと、瞳を閉じて右頬を向ける。

 

「お互いに一発ずつ。まずはアンタからでいいわ」

 

「は? なんでっ」

 

「私だってアンタを完全に許せたわけじゃない。たぶん心のどこかではまだアンタに言いたいことが山積みのはずよ。でも、それを言い合うよりこうすれば、お互いに気が晴れるでしょ」

 

 と、私が言うと、驚き顔で固まっていた明美はため息を一つこぼす。そして呆れた表情を浮かべて、でもどこか納得したような表情を浮かべて。

 

「……はぁ。まったく、アンタらしいわね」

 

「こういう人間よ、私は」

 

「そうだったわね……アンタはそういう人間だった」

 

 ははっ、と小さく笑う明美。その表情には私がよく知っている明美の物だった。

 そして──、私達はお互いにケジメを付けた。

 

 

 

 

 ☆(矢澤にこ)

 

 

 

 

 一先ず一件落着、と言った感じなのかしら。もう一度奈々の肩を借りて私達は一度アイドル研究部の部室に戻って来た。私は怪獣になってたからそうでもないけど、周り、特に襲われていた明美の服は濡れた上に汚れているのだ。部室に行けば確かタオルがあったはずだし、みんな濡れた服を乾かさないと風邪をひいてしまう。

 と言う訳で、部室に返ってきたというのに、明美と由良だけは部室に入ろうとしなかった。

 

「ちょっと、どうしたのよ」

 

 疲れ切っている私は、椅子に座るのと同時に部屋に入ってこない二人に聞いた。

 二人は少し懐かしむように部室の中を見回すと、顔を見合わせて頷き合った。

 

「……ごめん、にこ。アタシ達がこの部屋に入ることはできない」

 

「え?」

 

 明美の言葉を聞いた瞬間、私の頭の中が驚きで染まる。

 

「アタシ達はどんなことであれアンタを裏切った。だからアタシ達がここへ入る資格はない。それにここは、もう新しいスクールアイドルの部室でしょ? 辞めたアタシ達は入るべきじゃない」

 

「明美……」

 

「ごめんね、ニコちゃん。ここへ来る途中、明美ちゃんと話したんだ。私達がアイドル研究部の部室(ここ)に入っていいのか。……いろいろ考えたけど、ここに来たらわかっちゃった。私達はもう、ここに入っちゃいけないって」

 

「そんなこと──」

 

「──にこ」

 

「──―っ」

 

 明美の言葉を遮られた。

 二人の瞳には「これだけは譲れない」という強い意思が込められていて、私は何も言えなくなった。特に由良に至っては当時のことを思い出しているのか、涙で瞳が濡れている。泣かないように頑張っているのがバレバレだ……。

 

「…………」

 

「ねぇ、そこのサイドテールのアンタが今のリーダー?」

 

「は、はいっ!」

 

 明美に呼ばれ、後ろから緊張した声が聞こえてくる。

 

「本気で廃校を阻止する覚悟、ある? 周りにバカにされても、否定されても、笑われても、それでも続けていく覚悟、あるの?」

 

「あります!」

 

「──即答、か……。

 ……周りは? 周りはちゃんとこの子に付いて行く、最後まで裏切らないで付いて行く覚悟はあるの?」

 

『あります!!』

 

 その声音には絶対の覚悟が感じられる。視線を上げてこいつらの表情を見れば、その瞳が今の発言に嘘偽りはない、と語っていた。それに今こいつらから感じるのは、今朝の練習を影で見た時と同じ感覚。絶対に揺るがない、絶対に曲げない覚悟が、こいつらの中にはもうある。

 明美の方もそれを感じたのか、悔しそうに天井を見上げて、

 

「あーあー、アタシとこいつら、何が違ったんだろ……」

 

 と、小さく呟いた。

 

「明美……」

 

「それじゃ、邪魔者のアタシと由良は帰るわ。じゃあね」

 

 そう言って、部室に背を向けて去って行く明美。

 去り際に一言、「頑張りなさいよ」と言ったのが聞こえた。

 去って行く二人の背中を、私は無理してでも見送った。体は疲れ切っていて動くのも大変だけど、今の二人を自分の力で見送らなきゃ一生後悔する。倒れそうになる体に力を入れて、ドアに寄りかかりながら、私は去って行く二人を見送る。

 

「楽しかったから! どんなことであれ、アンタ達と一緒にスクールアイドルをやったあの一年は、私にとってかけがえのない一生の宝物だから!! 絶対に忘れないから!! 

 そして見てなさいよ!! 私の、にこの新しいスクールアイドル活動を!! 何倍ものパワーアップしたにこを!! 絶対にアンタ達も虜にして見せるから!! だから──!!」

 

 

 

 

「──大丈夫だよ」

 

「ニコちゃん、頑張って」

 

 

 

 

 二人の声が、聞こえたような気がした。

 少しだけ涙に濡れた瞳を拭って、私は二人の背中を見送った。

 そして──、

 

「にこ先輩」

 

 明美と由良が去った後、後ろから声を掛けられた。

 振り返れば、そこには私と同じ道を歩んでくれる、新しい仲間が立っていた。六人が横一列に並んで、私を待っていてくれる。

 空が晴れていったのか、部室の窓から温かい太陽の光が入って来る。その光は六人を包み込み様に照らしていき、光となって私を待っていてくれる。

 差し出された右手。

 言葉は、必要ない。

 その差し出された手の意味は、言葉にしなくてもわかる。

 だから私は──―。

 

 

 

 

 [5]

 

 

 

 その日、雨だった空が晴れていき、太陽に照らされる空を飛ぶ七羽の白い鳥が、空を駆けて行った。

 

 

 

 [6]

 

 

 ☆(nico)

 

 

 そして私は、スクールアイドル『μ’s』に入った。

 それからの毎日はとても刺激的で、大変で、楽しくて、辛くて苦しいこともあったけれど、みんなで乗り越えてきた。

 そしてあの時間は私の一番大切な時間。

 きっと、アイツとの出会いがなければ、私はあのまま無気力に、一人ぼっちの生活を続けていたのかもしれない。あまり口にはしたくないけど、アイツには感謝している。私を助けてくれたこと、私にもう一度きっかけをくれたこと、あいつらと出会わせてくれたこと。

 

「ニコさん」

 

 マネージャーに呼ばれ、私は顔を上げる。

 

「笑顔で、行ってらっしゃい」

 

「行ってくるわ──―」

 

 衣装のポケットに人形を入れ、私はステージに向かって歩き出す。

 一歩ずつ、ステージに向かう。

 その途中で──―、

 

 

 

 

「──頑張れよ、矢澤」

 

 

 

 

 アイツの声が聞こえた。

 振り返ると、白い羽が一つ風に乗って私のところにやってきた。

 辺りを見回しても、アイツの姿はない。

 私は白い羽を手で優しく包むと、

 

「見てなさい、私のステージを」

 

 そして私は、みんなが待つステージへと駆け上がった。

 私が現れるのと同時に湧き上がる歓声。それを体全体で受け取りながら、私は叫ぶ!! 

 

『お待たせ! みんな!! 今日も元気に、にっこにっこにー!!』

 

 

 




以上で第6話終了です。
未来の時間で本物アイドルとなったにこの「回想風」でお送りした今話。一人称で書くのが難しかった、というのが筆者の感想です。個人的に一人称を生かせたのは前回の最後のシーンだけかなと、感じております。
でもまあ、こういった未来からの回想みたいな、幻想的な話は書いていて楽しかったので、また書いてみたいですね。
幻想的な話も、ウルトラならではの話ですから。

さて、次回からはいつも通り三人称でお送りします。第一部も終盤に入りましたが、まずは息抜き回の様なものを挟んでから、第一部ラストエピソードに突入しようと考えております。
では、次回の息抜き回をよろしくお願いします。

感想や評価、お待ちしております。


○次回予告○
矢澤にこが加わり七人となったμ's。そろそろ新曲を出したいリヒトだったが、曲作り担当の二人は中々納得のいく形に出来ず悩んでいた。そんな中、希が持ってきた部活紹介PVを見たリヒトは、とある企画を提案するのだった。
次回、「センター争奪戦!」


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第7話 センター争奪戦!
第一章:開幕! センター争奪戦!


今日のオーブ凄かった……。ヤバいぜサンダーブレスター。
サンシャインも最終回ですし、今日はいろいろやばい


 [0]

 

 

 ──―そこは、とあるカラオケのパーティールームだ。

 さすがパーティールーム、七人の少女達と一人の少年が入ったところで、そのスペースはまだ十分にある。

 しかしそこに集う少女達の表情は、どこか戸惑い気味だった。

 それもそのはず、この場に集まった七人の少女達は、共にいる一人の少年に無理やりカラオケに連れてこられたのだ。本来ならばスクールアイドルとして活動している彼女達は、夕方の練習となっているはずなのに、この少年によってこの時間は別の時間に使われてしまっている。

 そして、いつもより若干強く外に跳ねている茶髪の少年は、いつも着ている灰色のパーカーを肩に羽織り、マントのようにバサリとなびかせると用意されたマイクを片手に宣言した。

 

「Ladies and Gentlemen!! さあ、これよりμ’sの次なる曲、そのセンターを決めるべき戦いがいよいよ始まります!! こちらが用意した四種目によって競われるセンター争奪戦。果たして勝利を掴むのはだれか!? 記念すべき第一回のエントリー者を紹介したいところですが、残念ながら時間がございませんので割愛させていただきます。

 それでは、七人のメンバーによるセンター争奪戦、第一種目、カラオケ対決スタートです!!」

 

『…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』

 

 と、少女達の方は少年のテンションに付いて行けないのか若干引き気味だ。七人の中でそれなりに少年について知っている三人の少女達でさえも、若干戸惑っているのだ。付き合いの浅い六人の少女が付いて行けるはずもない。

 キャラ崩壊しているとか、キャラを間違えているんじゃないかとか、変なものでも食べたのかなとか、そもそも目の前の少年は本当に一条リヒトなのか? とか、様々なツッコミどころや疑問がわいてくるが、残念(?)ながら少女達の目の前にいる少年は紛れもない一条リヒトなのだ。

 ……なお、少なくともキャラ崩壊しているのでは? と一番不安に思っているのは本人だったりする。

 

 

 さて、なぜ今回少年のキャラ崩壊(?)と、『センター争奪戦』なる事態になってしまったのか、それを知るには少しだけ時を戻す必要がある──―。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 新たに三年生・矢澤にこが加わり七人となったμ’sは現在、始まりの曲である『START:DASH!!』の七人バージョンを練習中である。先日の一件で、一年生の時のにこ達はこの時期二回目のライブを開いていたと聞き、穂乃果達も二回目のライブをやろうと提案してきた。もちろん新曲を作ることも。

 今現在μ’sの持ち曲は残念ながら一曲しかない。たった一曲では次のライブを開くのには寂しすぎるだろう。しかし、前回のライブから四人が加わり今の人数は七人。となれば持ち曲の『START:DASH!!』も三人のフォーメーションから七人のフォーメーションに変更しなくてはいけない。

 ということで、一先ずライブのことはおいておいて『START:DASH!!』の七人バージョンをマスターしてから、新曲に取り組もうという方針で話が決まった。最初はぎこちなかったフォーメーションも、今では何とか形になってきている。ここまでの少ない日数で形になってきているのは、彼女達の努力のたまものだろう。

 

「よし、今日はここまでだ。時間もちょうどいいし、あとはストレッチをやって今日はもう終わりにしよう」

 

 と、練習風景を見ていた一条リヒトが声をかけ、各々ストレッチに入る。

 リヒトはここ最近同様、にこのストレッチパートナーとなって彼女のストレッチを手伝う。

 

「なあ、矢澤達は二回目のライブで何曲踊ったんだ?」

 

「なによいきなり」

 

「いや、ちょっと気になってよ」

 

「……」

 

 口を閉ざしてしまった矢澤を見て、しまったとリヒトは思った。

 先日の件から矢澤に対して過去のことを聞くのはタブーだと思っていたのだ。ライブのことに関しても、リヒトが聞いた瞬間口を閉ざしてしまったことを思い出し、自分の学習能力の低さに嘆いていると、

 

「三曲、ぐらいだったかしら。自作の曲以外にアイドルが踊った曲を真似したのもあったから、本番はもっと踊ったかもしれないけど」

 

 と、すんなり答えてくれた。

 リヒトはにこの背中を押しながら、

 

「へ、へー。三曲か……」

 

「ちょっとっ、痛いって!」

 

「あっ、わりぃ」

 

 どうやら強く押しすぎていたようで怒られてしまった。

 過去にスクールアイドルをやっていただけあって、それなりに体の柔らかいにこだが、筋力はそれほどない。活動休止中に衰えてしまったのか、それとも元からなのか、とりあえず少し気を付けながらにこの背中を押していくリヒト。

 

(三曲、か……。今の持ち曲は『START:DASH!!』の一曲だけだから、あと二曲必要になってくるわけだけど)

 

「なあ、新曲の調子はどうなんだ?」

 

 と、リヒトはμ’sの作詞作曲担当である園田海未と西木野真姫に聞く。幸いこの二人は曲の意見交換があるからなのか、一緒にストレッチをやっていることが多く今回もそうだった。

 

「それが……」

 

「……まだ、納得の行く感じにはなってないわね」

 

 言葉を濁した海未のあとに真姫が続いた。

 

「歌詞か? それとも作曲?」

 

「両方です。私も真姫も納得の行く形に仕上がらなくて」

 

「いくつか海未先輩から詩は貰ってるわ。でも、私の方が納得いく感じに出来上がらないの」

 

「それはこっちも同じです。真姫から何個か曲を頂いているのに、それに合う詩が思い浮かばないんです」

 

「つまり、二人ともまだ納得の行くものが出来てないってわけ?」

 

 リヒトの言葉に、二人はこくりと頷いた。

 そう、新曲を出したいのだが肝心の曲作りの二人が納得できていないのだ。いくつか候補は出来上がっているらしいのだが、二人の間では納得のいっていない様子らしく、『START:DASH!!』の時の様な詩と曲がパズルピースのようにぴったりとハマった感覚が来ていないとのこと。

 

「そうか。でもまあ、候補が出来上がっているならいいか。最悪、その中から選べばいいんだから」

 

 と、リヒトは言うが二人の顔には納得の行かない色が浮かび上がっていた。

 こりゃ、いろいろ大変だな。とリヒトは考える一方で、ふと周りを見渡すと一つの違和感を感じた。

 

(あれ? なんだ?)

 

 今はストレッチの時間。二人一組になってストレッチをするのだが、

 

(穂乃果とことり、星空と小泉、海未と西木野、俺とにこ。別に人数は問題じゃない。それに……)

 

 リヒトの視線の先では、楽しそうにストレッチをする六人のメンバー。ストレッチなのだからそのパートナー同士で会話をするのだから特に気にかけることはないのだが、何となく、リヒトは違和感を拭えなかった。

 

「なぁ、矢澤からアドバイスとかないのか? 一応『先輩』なんだし」

 

 と、発言後に『なんで俺は過去に突っ込んでいるんだ!?』と一人心の中でツッコみを入れるリヒトだったが、にこは口を閉ざすことなく言ってきた。

 

「……あの二人の作詞と作曲はレベルが高い。私がアドバイスするようなことはないわよ」

 

「そっか……」

 

 なんだか腑に落ちない点を感じつつも、その日はいつも通りの解散となった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 自室のベットに身を投げ出したリヒトは、天井を見上げながら一人考えていた。

 ここ最近μ’sを見ていて感じる『なにか』。それが一体何なのか考えていると、机の上に置いておいたスマートフォンがメールの受信を知らせた。

 誰からだ? と、ベットから起き上がってスマートフォンを手に取ると、希からのメールだった。

 

『今から行っていい? 少しりっくんに見てもらいたいものがあるの』

 

 と、短くまとめられたメッセージに『別に構わない』と返信したリヒトは希を待つべく居間の方へと移動した。

 しばらくして榊家に希がやってきた。

 

「ごめんなー、急におじゃましちゃって」

 

「いや、別に構わねぇけど。で、俺に見せたいモノってなんだ?」

 

「これや」

 

 そう言って希が取り出したのは一台のビデオカメラ。

 

「穂乃果ちゃん達が入ったことでアイドル研究部が復活してな。部活紹介PVを取ることになったんよ。これにはその試作映像が入っていて、りっくんに見てもらいたいのはコレ」

 

 希は取り出したビデオカメラを操作しながら、おそらく今日撮影したと思われる映像の中から一つの映像をピックアップするとすぐに再生した。

 試作映像、というよりはただ撮影した映像が流れてくる。

 授業中なのに寝ていて教師から注意される穂乃果。

 弓道部の練習中近くの大きな鏡に映る自分を見たかと思うと、笑顔を作る練習をしている海未。

 中庭と思われるところでの映像後に、屋上でダンス練習をするメンバーの姿。

 すべてに希のナレーションが入っているのだが、似非関西弁ではなく標準語を話すことに新鮮さを感じながら、リヒトは映像を見ていった。

 その後も映像が続き、やがて練習を終えた風景が映し出される。

 

「たぶん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 希の発言に「え?」と返すリヒトだったが、流れてきた映像を見た瞬間、リヒトの中で何かが浮かび上がってきた。それはここ最近μ’sを見ていて感じた『なにか』。

 映像は練習を終えたメンバーの風景が映し出されている。

 ストレッチをする者、楽しくおしゃべりをする者。

 疲れ切っている凛を励ます花陽、海未と曲の打ち合わせをする真姫、穂乃果の心配をすることり。

 それはどこにでもいる普通の女子高校生の姿だった。

 楽しくおしゃべりをし、時にはツンデレな真姫を凛が弄り、宥める花陽。最近リヒトがよく見る一年生メンバーの風景だ。

 練習が終わった途端にだらしなくなる穂乃果を注意する海未に、それを宥めることり。リヒトがよく見る二年生メンバーの光景がそこにもあった。

 そしてにこは、活動休止中が長かったにもかかわらず、すでにμ’sの(元ダンサーであるリヒトの母制作の)練習に付いて来ている辺り、彼女がどんな思いでスクールアイドルを復帰したのかがわかる。けが防止のため一人入念にストレッチをして、一度ほかのメンバーの方に視線を向けるも、特に言うことがないのかそのまま帰宅の準備を始める。

 

「────あぁ。そうか」

 

 その映像を見て、リヒトはここ最近感じていた『なにか』の正体がわかった。

 

「なるほどな。まあ、考えてもみればあり得ることだったな」

 

 一つのことがわかれば、それが起きた理由もリヒトの中で次々とわかって来る。絡み合った糸がきれいに解かれていくような感覚を感じながら、リヒトは一人納得していった。

 

「もしかして、これを俺に教えるためにわざわざ来てくれたのか?」

 

「さぁ? どうやろな」

 

 リヒトの問いをはぐらかす希。

 希らしい返しに小さく笑うリヒト。

 さて、ここで問題がわかったのならばあとは解決策を生み出すだけ。幸いなことに、その解決策のヒントを、リヒトは以前とある番組で見たことがある。これをうまく使えば、おそらくリヒトが感じた問題が解決し、より一層μ’sの絆が深まる。

 

「サンキュー、希」

 

「んー? なんのことかな?」

 

「俺の独り言だ」

 

 やることは決まった。

 リヒトは一度パチン、と指を鳴らすと、

 

「さーて、いよいよ『一条リヒト』の出番だ」

 

 得意げに宣言した。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 その日の夜、リヒトはパソコンの前に座り情報収集をしながら一つの企画を練っていた。希に見せてもらった映像から分かった一つの違和感。それを解決するために企画。向こうはこの事態に気付いているのか、それとも気づいていないのか。おそらく後者だろうとリヒトは考える。

 だからこそ気付いたリヒトが動くのだ。

 しかし向こうは女性。男性であるリヒトの考え通りの結果に繋がるかはわからない。それでも何もしないより、何かする方がマシだ。

 なにより、この企画はうまくいけば海未と真姫の曲作りの手助けにもなるかもしれない。

 難しく考える必要はない。あくまで楽しく、企画を盛り上げることを考えればいい。

 

(俺は今回道化かな。ま、それも悪くない)

 

 今回の自分の役割を考えながら企画を考えていくリヒト。

 成功することを祈って、リヒトは『Enterキー』を叩いた。

 

 

 

 [2]

 

 

 

 その日の放課後。

 穂乃果達μ’sは一条リヒトに呼ばれて都内のカラオケ店の前に集合していた。

 

「いきなりカラオケに来てとか、りーくん何考えてるんだろ?」

 

「先輩達は何か聞いていないんですか?」

 

「うん。昼休みに穂乃果ちゃんのケータイにりひとさんから連絡が来て、それまでは何も聞いていなかったよ」

 

 凛の疑問に答えたことりの言葉通り、今朝の朝練習でリヒトは何も言ってなかった。というより、朝の弱いリヒトのことだから連絡し忘れって可能性もあるが……。

 事の連絡が来たのは昼休み。いつもの通り三人で昼食をとっている時に、穂乃果の携帯端末に連絡が来たのだ。内容は『今日の放課後は練習をやらずに、カラオケ店に集まってあることをしてもらう。一年生と矢澤にも連絡をよろしく』と、短くまとめられたメールだったため、一体何をやるのかは書いていなかった。

 

「一応『何をやるの?』って返信はしたんだけど、りーくんは『その時のお楽しみだ』って教えてくれなかったんだ」

 

 不服な表情をしながら言う穂乃果。

 たしかに、場所と時間だけを指定されて、そこで何をやるのか具体的な連絡がないのは、ちょっとだけ不満である。ましてや海未と真姫は新曲に向けての調整をしたいところなのに、リヒトに会ったらまず文句の一つは行ってやろうと考えていると、

 

「おっはー」

 

 と、気軽な挨拶と共にリヒトが姿を現した。

 

「全員集まってるな。よし、じゃあ行くか」

 

「待ってください。お店に入る前に説明をしてもらわないと、なぜ私達をカラオケに呼んだのですか?」

 

 早速店に入ろうとするリヒトを止める海未。

 ん? と言って振り返ったリヒトは、そこにいる少女たち全員が説明を求めている目をしていることから、しばらく考えた後にショルダーバックからクリアファイルを取り出した。

 

「なに、今からちょっとしたゲームをやろうと思ってな」

 

「ゲームですか?」

 

「そっ。今からお前達には四種目のゲームであるものを競ってもらう」

 

「競うって……」

 

「一体何を競うの?」

 

 花陽のあとに続いて穂乃果が言うと、リヒトはニィッと笑みを浮かべた。

 その瞬間、七人の中で唯一海未だけが謎の寒気に襲われる。

 知っている、自分はあの笑みを知っている。体に染みつくほどに見たことがあの笑み。()()()()()があの笑みを浮かべた時は大抵悲惨な目に遭うのが、海未のにとってのお約束となっている。

 逃げなくては、逃げなくてはいけないと海未の本能が語っている。絶対にろくなことにならない、絶対に変なことを考えている目だと、海未の第六感が告げている!! 

 

「それはなぁ──」

 

 リヒトのもったいぶる姿勢が、謎の緊張感を生み出し、この場にいる全員(海未を除く)がごくりと息を飲み込む。

 そして、リヒは──、

 

 

 

 

「──次の曲のセンターだ」

 

 

 

 

 さらりと、先ほどの緊張感を吹き飛ばすほどの何の脈絡もない声音で言った。

 

『………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?』

 

 テンションの違いに戸惑い、たっぷりの間をあけて少女達の口から疑問が発せられた。海未だけが呆れた表情を浮かべてため息をつき、頭に手を当てている。その様子はどこかこの事態を予想したのか「やっぱり……」と言いたげだった。

 

「だからセンターだよ、センター。真ん中に立って踊るやつ」

 

「それは知ってるわよ」

 

 真姫からツッコミが飛ぶが、リヒトは構わず続ける。

 

「小泉と矢澤ならわかるんじゃないか? センターをかけて戦うのはグループアイドルの定めだって。その時に限っては周りの全員が敵! 例え仲間であろうと、その時はライバル! ひとつの栄光を手にするために、戦わなければならない!!」

 

「そこまでじゃないと思うんだけど……」

 

「ことり先輩の言う通りだにゃー。一条センパイ何か変なものでも食べた?」

 

「さっき穂むまんを食べてきたけど、それを変なものだと解釈するならお前は失礼な奴だな」

 

「穂乃果先輩ごめんなさい!!」

 

 速攻で穂乃果に謝罪する凛。以前穂乃果の家に訪れた際に凛も穂むまんを食べたことがあり、今ではお気に入りの食べ物の仲間入りを果たしている。リヒトの返しを認めると、お気に入りの穂むまんをバカにすることになってしまうため、凛はすぐに謝罪したのだ。

 

「そうです! 確かにセンター争奪戦はグループアイドルの宿命。避けられない運命なんです!!」

 

 どうやら花陽の方も『アイドルスイッチ』が入ってしまったらしく、すでにリヒト側に取り込まれてしまった。

 このままではリヒトの押しに負けてセンター争奪戦に突入しそうな空気だが、それを阻止するべく一人の少女が異議を唱える。

 

「待って! センターを決めるって言っても、まだ曲ができてないのよ?」

 

「センターが決まれば、そいつをイメージした曲とか、明確な『テーマ』や『方向性』が決まって作りやすいだろ?」

 

「それは……そうかもしれないけど……。それならリーダーである穂乃果先輩がセンターなんじゃないの?」

 

「甘いな!」

 

 真姫の発言を『待ってました』と言わんばかりに、声を大きくして指摘するリヒト。

 

「確かに今のμ’sを見れば、誰だって穂乃果がリーダーに見える。だが、リーダーだからと言って必ずセンターになれるわけじゃない!! それに、本当に穂乃果がリーダーであってるのか?」

 

『え?』

 

 ここにきて、まさかのリーダーが穂乃果であることにまで突っ込んでくるとは予想外。全員が『今更そこ突っ込むの?』という視線を向けてくる中、リヒトは昨日の希との会話を思い出しながら言う。

 

「希から聞いたんだけど、穂乃果。お前は普段()()()()()()()?」

 

「なにって……」

 

「海未は作詞、ことりは衣装と振り付け。だが、穂乃果、お前は何もしていないだろう!!」

 

「──―なぁっ!?」

 

 ビシィッ! と指を指してまで宣言され、衝撃を受ける穂乃果。確かに振り返ってみれば海未とことりは何かしらの仕事をしているのに、自分は何もしていない。毎日ほかのスクールアイドルをチェックしたり、二人に頑張れと声援を送ったり、妹と一緒にテレビを見たりしているだけだ。

 

「つか、俺はてっきり矢澤がすぐにこれを指摘して何かしらを起こすんじゃないかと考えてたんだけど」

 

「え? 私?」

 

 突然自分のことに触れられ、今まで沈黙していたにこは驚きの声を上げる。

 

「ほら、矢澤はアイドルに詳しいだろ? だから真っ先に穂乃果がリーダーをやっていることにツッコミを入れそうだと、俺は考えてたんだよ」

 

「それは……今のスクールアイドルを作ったのはコイツなんだし、今更異議を唱える必要がないと思ったのよ。それに明美に宣言した時点で、こいつがリーダーだって決まったようなもんじゃない。それを変える方こそ、変だと思うんだけど」

 

「え? そうなの? つか、その話初耳なんだけど」

 

『あ』

 

 今度は少女達の方から声が上がった。

 考えてみればあの場にリヒトはいなかったため、この話を知らなくて当然だ。先ほどまでとは違い、首を傾げて説明を求めるリヒトに海未が簡単に説明すると、

 

「えー、つまり、リーダーは穂乃果で決定してるパターン?」

 

『うん』

 

「…………………………ま、まあ、あれだ。さっきも言った通り、リーダーが絶対にセンターって言う訳じゃない! 兎に角、店の予約もしちゃったんだから入るぞ!」

 

『えー』

 

「『えー』じゃない! 行くぞっ!」

 

 と言う訳で、渋々仕方ないといった形で少女達はカラオケに入店。

 受付の男性店員がリヒトに向けて妬みなどの視線を向ける中(リヒトは全く意に介していない)、パーティールームへと入って行き、リヒト企画の『センター争奪戦』が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 




いよいよ第7話がスタート。
今回は第一部ラストエピソードに向けての箸休め的な感じに進めていこうと思いますので、かる~い感じで読んで貰えれば幸いです。なので文字数もちょっと少なめに行くかも……?

さて、次回「其の②」の方へ続きます。


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第二章:彼女たちの力

 男性店員から向けられる(妬ましい)視線を無視してパーティールームへと向かっていくリヒト。すたすたと歩いて行くリヒトの手には、マイクスタンドやタンバリン、さらには黒のシルクハット(どこのかは不明)が握られており、『センター争奪戦』というよりリヒトが一番楽しもうとしている様に見える。正直言って後を付いて行く少女達は半分呆れていた。

 

「ねぇ、かよちん。凛、今凄く帰りたい」

 

「そんなこと言っちゃだめだよっ。せっかく一条さんが用意してくれたんだから」

 

 正直な気持ちを包み隠さず吐露する親友に、慌ててリヒトのフォローに回る花陽。

 なんとこのカラオケルーム、使用料金はリヒトがすべて支払うことになっており、ドリンク飲み放題にアイス食べ放題といった、正直帰るのが気まずいくらいに準備されているのだ。

 

「一条って、昔からあんな感じだったの?」

 

「はい……。こんな風にいつも勝手に何かを考えついて、こっちの了承も得ずに初めて、周りを巻き込んで」

 

「なにそれ……」

 

 海未からの答えを聞いてにこは呆れた。

 しかし海未は、今のリヒトの姿に思うところがあるのか、にこの質問に答えた後少し考えるようなそぶりを見せる。

 

「ただ、今のリヒトさんはどこか無理をしているといいますか、なんか昔とは少しだけ違う気がするんですよね」

 

「どういうことよ?」

 

「私もあまり具体的にはわからないんです。ただ、私が知っている『一条リヒト』さんと、今の一条リヒトさんのテンションでは、振る舞い方が違うというか……」

 

「あ、それ私もなんとなくわかる。なんか固いよね、今のりーくん。ことりちゃんはどう思う?」

 

「私も二人と同じ意見かな。具体的には説明できないんだけどね」

 

 どうやら、記憶喪失前の『一条リヒト』を知っている三人だけが、今のリヒトにほんの少しだけ『違和感』を感じているみたいだ。

 そして三人とも、それがどういったものなのか具体的には分かっていない。わかってはいないのだが、ほんの少しだけ、何かが決定的に違うと感じていた。

 

「おーい、お前ら何してんだよ。早く来いよ」

 

 と、先に部屋に到着していたリヒトが扉から顔を出して早く来るよう言ってきた。

 

「とにかく、今言えることはああなってしまったリヒトさんは面倒くさいですが、付いて行って後悔はしません。それは私が保証します」

 

「海未ちゃんの言う通りだよ。ああなったりーくんは穂乃果以上に面倒くさいって言われてるけど、付いて行って後悔したことは一度もないんだ」

 

「二人の言う通りよ。今のりひとさんは面倒かもしれないけれど、きっとの楽しいことが待ってるから」

 

『…………』

 

 いや、三人が容赦なく罵倒している時点で何も安心できないのですが? 

 と、一年生組+矢澤にこは正直に思った。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 そこからはもう『リヒト・オン・ステージ』とでもいうべきか。ハイテンションで司会を務めるリヒトの進行に促され、少女達はもう半ば諦めた感じで付いて行った。

 何せ、わざわざマイクスタンドを借りて、少女達が逃げないように部屋の出入り口に立ち、パーカーをマントのようにして、さらにどこから取り出したのかわからない黒いハットまでかぶっている辺り、もう色々本気だ。

 ──どう見たってこの少年が一番楽しんでいる。

 とはいえ、『センター争奪戦』という企画に乗り気ではないとしても、カラオケに来て各々が歌う曲を聞いていれば、自然とワクワクしてくるものだ。しかも本来はみんなで同じ歌を練習しているのに対し、今回は個人の歌声が聞けるのだ。自分が歌いやすい歌声で、歌いやすい歌を歌うとなれば、普段とは違った面が見えてくる。

 中でも花陽が一番だろう。

 

「凄い。花陽ちゃんってこんな声も出せたんだ」

 

「凛ちゃんは知ってた?」

 

「知らなかったです。かよちんは普段からアイドルソングばかり聞いてると思ってたから」

 

 穂乃果が驚きの声を発する隣で、ことりから質問された凛も花陽が悲恋曲を歌うとは思っていなかったのか驚いていた。

 普段の明るくふわふわとした彼女の声とは違い、低音で歌われる曲は自然と心に深く刺さってきた。

 得点は96点。文句のない高得点だ。

 みんなから称賛を送られ、照れる花陽は何度も頭を下げながら席へと戻って行った。

 そして次は真姫。

 これはもう語る必要はないだろう。μ’sの作曲を担当し、過去には『歌姫』と呼ばれたことのある彼女の歌声が、ビブラートやこぶし、フォールなどの加点ポイントを確実にとって行き、98点という最高記録を叩き出した。

 

「…………………………………………………………」

 

 リヒトすらも、司会を忘れて固まっていた。きっとこの時の姿を真姫は一生忘れることはないだろう。

 さて、そして次はラストの海未。

 実を言うとここまで全員が90点台を叩き出しており、さらには最高得点を出した真姫のあとということもあり、非常にやりづらいだろうとリヒトは思っていた。

 しかし、リヒトの予想とは全く逆で音程のズレは全くなく、ビブラートなどの加点ポイントはそれほど多くはないが、安定した歌唱力で歌い切っていた。歌い終わると、まだ人前で何かをすることに慣れていないのか、安堵の息を吐きながら呟く。

 

『はぁ、恥ずかしかったー……』

 

 と、言っている辺り真姫が残していったプレッシャーなど全く感じていない様子だった。

 それは歌う姿にも表れており、海未の歌う姿はとても美しく、その歌声はきれいだった。さらに作詞を始めてからはよく聞く曲でも歌詞に込められた意味を感じ取るように心掛けているからなのか、歌う海未の声には歌詞に合った感情が込められており、この場にいる全員が海未の声音の虜になっていた。

 

『え、みなさんどうかしましたか?』

 

 自分が歌終わった途端に静寂が訪れたため、先ほどの凛とした態度から一転し不安な表情となる海未。

 海未の虜になっていたリヒト達は海未が歌い終わったのだと気づくのに時間がかかった。ハッとなって海未が歌い終わったのだと気づいたリヒトは慌ててマイクを掴む。

 

『いやー、素晴らしい歌声だったよ。さすが作詞のために常日頃からいろんな歌を聞いているだけはあるね。歌詞の一つ一つに込められた「想い」が凄く伝わって来たよ。個人的には演歌とかそういうのを歌うと思っていたんだけど、どうしてこの曲を?』

 

『以前作詞のために聞いたとき、すごく心に伝わって来たんです。それで気に入ってしまって』

 

『なるほど。確かに海未の歌い方にマッチしてたからね。さて、気になる点数の方は──』

 

 全員の視線が画面へと向かい、少し経ってから点数が表示された。

 点数は──93点。

 

『93点! これは全体で四位の記録だ!』

 

「すごいよ海未ちゃん!!」

 

 海未の記録を大声で叫ぶリヒトと絶賛する穂乃果。

 これで七人全員の点数が揃い、真姫:98点、小泉:96点、矢澤:94点、海未:93点、穂乃果:92点、星空:91点、南:90点という結果となった。

 

「凄い凄い! みんな90点台だよ!」

 

 改めて全員の記録を見て喜びの声を上げる穂乃果。

 

「みんな毎日レッスンしているものね」

 

「ま、真姫ちゃんが苦手なところをちゃんとアドバイスしてくれるし、一条さんのお父さんも、怖いけどしっかり教えてくれるから」

 

「凛達みんな、気付いていないだけでうまくなってるんだね」

 

「にこ先輩も、ブランクがあるはずなのにすごいです」

 

「当然よ。これでも練習は欠かさずやって来たわ」

 

 と、各々が自分達の実力に驚く中、リヒトは結果を見ていると別の意味で驚いた。

 

(いやいや、いつも練習してるからってみんな上手すぎだろ!? なんで全員90点台なの!? ちょっと怖いよ!!)

 

 ある程度の点数は予想していたが、まさか全員が90点台を取るとは思っていなかった。彼女達がスクールアイドルを初めてまだ三か月ぐらい。一年生に至っては二ヶ月ほど、にこに至ってはブランクがあるはずだ。それなのにこの点数……真姫とリヒトの父・一輝のアドバイスのおかげか、それとも彼女達の努力か才能か、どちらにせよ彼女達の力に引きつった笑みしか出てこなかった。

 

「それでリヒトさん、全員歌い終わりましたがこれからどうするんですか?」

 

 と、海未が聞いてきた。

 時間を確認してみれば、部屋の利用時間はまだ残っている。残りの種目にかかる時間を計算したとしても、ここで利用時間を全て使っても特に支障はない。

 

「そうだな……。あとはフリーでいいぜ、みんな好きな歌を歌ってくれ」

 

 ハットとマイクスタンドを片付け、羽織っていたパーカーを着なおしながら言うと、

 

「あっ、それなら私りーくんの歌聞きたい!」

 

「え?」

 

 と、穂乃果が言ってきた。

 

「そうね、私達だけが歌ってリヒトさんが歌わないなんて、少し不公平じゃない」

 

「真姫ちゃんの言う通りにゃ! 一条さんも歌ってほしいです!」

 

 真姫と凛が追い打ちをかけてくる。

 

「そうね。一条、私達の番は終わったんだから今度はアンタの番よ」

 

「りひとさん、おねがぁい!」

 

 にことことりの援護射撃も加わり、七人の少女達から「歌って」との視線が向けられる。

 

(か、勘弁してくれ……)

 

 正直、この場にいる少女達が90点台を叩き出している時点で歌いたくない──、というのがリヒトの本音だ。『一条リヒト』は歌が上手かったのか、それとも下手だったのかは聞いたことはないが、以前部屋で歌を歌っているところを母に見られた際、鼻で笑われたことを思い出し、絶対最悪なことになると予想ができた。

 それでも、少女達から向けられる視線に耐えられるはずもなく、渋々曲を探すリヒト。

 

(こうなったら、アレを歌うしかねぇ!)

 

 そしてリヒトが選曲したのは、記憶喪失後に聞いてお気に入りとなったラブソング。今現在リヒトが歌詞とメロディを覚えているのが、これしかない。

 だがこの曲、男性アーティストが歌っているのだがキーが高く、リヒトの低い地声で歌うのはまず無理な曲だ。無理やり高い声を出せば何とかなりそうなのだが、カラオケで歌ったことのないためどのぐらいのキーなのかわからない。何個かキーを下げようかと思ったが、それでは逆におかしくなると思い、大人しく原曲キーのまま予約ボタンを押した。

 画面にはリヒトが選曲したタイトルが表示され、花陽が「この曲知ってる」と言葉を漏らす中、リヒトはマイクを掴み息を吸う。

 

(大丈夫、メロディーは覚えてる。あとは声のトーンに気を付けて、歌うだけだ。大丈夫、俺の父親は元アイドルだぞ? 歌手だぞ? きっとのその才能が『一条リヒト』にも受け継がれているはず──!!)

 

 母親が鼻で笑った光景が呼び起こされるが、それを振り払いリヒトは歌った。

 そして──、

 

 

 

 

 ──―78点というその場に限っては悲惨な結果となり、一人膝から崩れ落ちたのであった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 場所は変わってゲームセンターのダンスゲーム機前。リヒトが企画した『センター争奪戦』の第二種目は『ダンスゲーム』であり、どうやらこれを使って勝負するらしい。

 カラオケに続いてダンスゲームとは、ゲームと言っておきながら同時にメンバーの歌唱力、パフォーマンス力がどこまで上達しているのかを調べようとしている辺り、ちゃんと考えた上で種目を決めているようだ。

 ──と、推理する海未はカラオケでの悲劇から未だ立ち直れずにいるリヒトに変わり、進行役を務めていた。進行役、といってもただ次に踊るメンバーを指名して、その結果をメモするだけであり、リヒトのようにハイテンションで進行するわけではない。あれはリヒトだけの特権みたいなものだろう。

 

「次は、凛ですね」

 

「にゃー、凛は運動は得意だけど、ダンスは苦手だからなー」

 

「何言ってんのよ。アンタの身体能力ならこれくらい楽勝でしょ」

 

「ファイトだよ! 凛ちゃん!」

 

 星空(ほしぞら)(りん)

 まず間違いなくμ’sの中で一番に体のバネがしなやかで運動神経抜群の少女。しかしどうやらダンスは苦手らしく、フォーメーション練習でも周りに比べて苦戦していることが多い。さらに彼女はこのゲーム初体験な為、不安の方が大きいようだ。

 しかしいざ曲が始まると、ステップは少々拙いものの優れた運動神経、反射神経を生かして逃さすステップを刻んでいく。ダンスの見た目ならば評価はいま一つだろうがこれはゲーム。上から落ちてくる矢印通りのステップを刻むゲームなのでどんなに見た目が悪くてもステップさえ踏めればそれでいい、そんな感じだ。

 また、彼女は体で覚えるタイプでしかも呑み込みが早いのか、中盤では拙かった足取りが軽やかになりつつある。終盤になればはじめほどの拙さが見受けられない。

 蓋を開けてみれば『AA』という今日一番の高評価を叩き出していた。

 

「凄いよ、凛ちゃん!」

 

「えへへ、まさか自分でもここまでできるとは思ってなかったよ」

 

「ほら、にこに言った通りじゃない。アンタは運動神経が良い、バネだってしなやかなんだからステップを覚えればもっと高い点数を狙えるわよ」

 

 花陽、にこから始まり穂乃果達からも凛へ賞賛の声が送られ、本人は照れながらも表示された結果を驚きの眼差しで見ていた。

 

「へー、すごいな、凛」

 

 と、復活したリヒトからも賞賛の声が送られる。

 

「リヒトさん、復活したんですね」

 

「まあ、まだ若干落ち込んでるけどな」

 

 と、海未に答えるリヒト。見てみれば最初はいつもより強く外に跳ねていた髪も、今では少しだけ力の無いように見える。

 

「仕方ありませんよ。あの曲は難しいですから、奇麗に歌えて凄かったですよ」

 

「ありがとな、小泉」

 

「そもそも、あの曲を選択したアンタの自業自得ね」

 

「仕方ねーだろ。あれしか覚えてねーんだから。くそっ、記憶喪失じゃなかったらもっと高得点だったかもしれないのに……」

 

『…………』

 

「おい、そこの二年生組はなぜ黙る」

 

 リヒトから視線を気まずそうに反らした二年生組。その反応から見るに、どうやら『一条リヒト』はダンスの才能はあっても歌の才能はなかったようだ。

 新たに判明した事実にショックを受けながらも、リヒトは現在どこまで進んだのか海未に確認を取る。

 

「えっと……、花陽が『C』で穂乃果が『A』、ことりと真姫は『B』か」

 

 海未に手渡されたノートを見ながら現状を確認していくリヒト。

 今度は大方予想通り、といった形だ。普段の練習においても花陽は周りに比べて疲れるのが早く、その次に体力のないことりの方は経験の差で評価が高かったのだろう。それとも彼女の並外れた動体視力と空間把握能力が良い結果をもたらしたのか、ゲーム最中のことりを見ていないリヒトには判断できなかった。

 一方で『A』を取った穂乃果の結果は納得できる。真姫もどちらかといえばダンスは得意な方ではないが、『B』を出している辺り踏ん張ったというところか。

 

「で、凛が『AA』で残すは海未だけか」

 

 普段の練習ではダンスを苦手とする凛でも、ゲームとなれば話は別なのかメンバー内で一番の高評価を出している。

 

「何気にさっきと同じ感じだな」

 

 と、少し意地の悪い笑みを浮かべているリヒト。

 先ほどのカラオケも最後に歌ったのは海未であり、その前に歌ったのは真姫だったりする。全員が90点台、しかも自分の前の人が98点という最高記録を出している中で歌うのはなかなかのプレッシャーだったろう。

 そして今回も同じで最後に踊るのは海未、そして前に踊った凛はメンバー内で最高記録の『AA』。この状況は大きなプレッシャーとなって海未にのしかかっているはずだ。

 

「えぇ。ですが、このくらいのプレッシャーは弓道の試合で何度か経験しています。別に今更動揺するほどではありませんよ」

 

 しかし当の海未はリヒトの予想とは裏腹に、凛ッとした表情でゲーム機へと行く。その姿はとても美しく、同時に彼女の中に力強い意思があることを感じられ、思わず見惚れてしまうリヒト。以前穂乃果からこの姿の海未は異性のみならず同性すらも虜にするといっていたが、正にその通りだ。

 背筋が伸び、静かに呼吸を整え集中力を高めていくその姿は、一つ一つの行動に『美しさ』があった。

 やがて、海未の踊りが始まる。

 凛のダンスがまだ記憶に新しいからなのか、無意識に比べてしまうリヒト。いや、無意識でなくとも自然と比べてしまうのかもしれない。

 凛のダンスを『動』とするならば海未のダンスは『静』と言える。きっと彼女の実家が関係しているのだろうが、海未のダンスはどちらかといえば派手ではなく『繊細』なことに重点を置いている。選曲も大人しめのものを選択しており、正に海未らしいといえる。

 動きが少ない、と言う訳ではなく一つ一つが丁寧と表記した方が正しいだろう。

 だが、それは同時に──。

 

「(なあ矢澤、お前はどう見る?)」

 

「(何よ急に)」

 

「(海未のダンスだ。これはゲームだからいろいろ違いはあるかもしれないけど、クセは現れる。いつもお前が見ている海未のダンスと今のダンス、感じるものがあるだろ?)」

 

 小声でやり取りをするリヒトとにこ。

 にこはリヒトの言葉の意味を理解しているのか、少しの間だけ考える間を置くと、

 

「(動きが小さいわね。『START:DASH!! (スタダ)』は踊り慣れたのか感じなくなったけど、丁寧さを意識するあまり動きが小さくなってる。丁寧に踊ることは良いことかもしれないけど、それで動きが小さくなるのはダメね)」

 

 おっしゃる通り、とリヒトは思った。

 海未は動きの丁寧さを意識するあまり、動きが小さくなることが多い。踊り慣れたものはそうでもないが、初めて踊るモノや一人で踊る際は(緊張も関係しているだろうが)動きが小さくなる。

 

(ま、それでも初めての頃よりはよくなってる。この調子なら大丈夫だろう)

 

 海未のダンスが終わり、評価が『A』と表示されたところで、リヒトは一旦考えるのを止めた。称賛の声を送ろうと海未のもてぇ近づいたところで、クルリと向こうの方が振り返ってきた。

「どうした?」と疑問に首を傾げるリヒトに海未はジト目を向けて言う。

 

「リヒトさん、視線が怖いです」

 

「え?」

 

(視線が怖い? なにを言っているんだ?)と思っていると、後ろから穂乃果を筆頭に海未の言わんとしていることがわかるのか、

 

「確かに、りーくんが人のダンスを見るときの視線って怖いよね」

 

「私達はもう慣れたけど、花陽ちゃん達はまだ脅えているから気を付けてね」

 

「そうだよ。かよちんいつも『ダンス練習の時一条さん怖い』って言っているんだよ」

 

 と、次々と言われた。

 リヒトは特にそんなことを意識しているわけではないのだが、まさか視線が怖いと言われるとは……。

 

「……そうなのか?」

 

 リヒトが花陽に問いかけると、花陽は気まずそうに笑顔を浮かべたのちに小さくうなずいた。

 

「うそ……」

 

「アンタ、無意識でやってたの? ソレ」

 

 呆れたように言ってくるにこ。

 周囲から向けられる視線に逃げるように顔を背けながら振り返ってみると、彼女たちのダンスをしっかり見ようと『見る』ことに集中しているのは確かだが、まさかそんな風に見えていたとは。

 

(まあ、見すぎてた、と言われたら確かにその通りなのかもしれないけど……)

 

『…………』

 

 またも少女たちから向けられる視線。

 

「わ、悪かったよ……?」

 

 最後の方で疑問形になってしまったのは、別にワザとではない。

 謝罪をするために花陽の方を向いた時に、その視線に映った人物がリヒトの言葉を疑問形にしたのだ。

 その人物は迷いのない足取りでこちらにやってくる。

 リヒトの視界に広がる光景の中で、一点だけ浮かび上がっている人物は──、

 

 

 

 

 ──―髪も、肌も、服も、全てが雪のように白い少女だ。唯一、その赤い瞳で一条リヒトを捉えながら、少女はこちらへと歩いてくる。

 

 

 

 

 




今回の話は区切りどころが難しい。
自分の掲載方法的に一話丸々書き上げ手からの方が良くね? と思えてきた。

さて、次回其の③へと続きます。


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第三章:本当の狙い

今回長いです。
その代わり今回で第7話終了です。


 [3]

 

 

 リヒトの前に現れた一人の少女。

 髪も、肌も、服も、赤い瞳を除いてすべてが『白い』と表現できる少女は、その歩みを止めることなくリヒトの前にやってきた。

 驚きで戸惑うリヒト。

 

「えっと……」

 

 キミは誰? 

 ──とは続かなかった。

 少女とリヒトの視線が交差した瞬間、リヒトの体には異様なプレッシャーが駆け巡った。まるで世界から切り離され、少女とリヒトだけが別の空間に立っているような錯覚。リヒトの五感が吹き飛び、時間が停止したのではないかという感覚に陥る。

 先ほどまで騒がしかったゲームセンター内の音も、穂乃果達の声、気配が全く感じられない。目の前にいる少女の赤い瞳が、リヒトの動きを封じていた。

 リヒトの時が止まる中で、少女の腕だけが動きゆっくりと持ち上げられていく。リヒトは自然とその指先に視線を向けて、持ち上げられる少女の白く細い腕をただ眺めていた。そして少女の手は、ある一転に指先が触れた瞬間に止まった。

 

 

 

 

 ──―一条リヒトの胸、いや、正確に表すのならば()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「──っつ!?」

 

 ゾワリ、と嫌な感覚がリヒトの体を襲った。

 的確に心臓の上に添えられた少女の指先。

 よく漫画やアニメで敵の殺気で心臓を貫かれる、という演出があるが、今まさにそれに近い体験をリヒトはしている気がした。この指先がリヒトの胸に沈んで行き、心臓を貫くという光景がリヒトの脳裏に浮かび上がってくる。

 そんなことはない、絶対にありえないはずなのだが、リヒトが体に感じている『恐怖』は紛れもない本物。額には汗が浮かび上がり震えが止まらない。

 穂乃果達は無事なのだろうか──? 

 気配も声も感じられなくなってしまった中で、少女達の安否が気になるリヒト。視線を動かし穂乃果達を探そうにも、少女の赤い瞳がリヒトを睨みつけ動きを封じる。金縛りにあったかのようにリヒトの体から自由が奪われ、視線が少女に固定される。

 

「──―なるほど。やはり貴様はそうだったか」

 

 リヒトの頬から一滴の汗が流れ落ちるのと同時に、少女が声を発した。

 

「だが好都合だ。これなら私は力を取り戻せる」

 

(一体、何を言っているんだ……?)

 

 疑問が声として発せれない。動きが、声が、すべてが奪われてしまっている。

 そして、少女の指先に力が加わり、リヒトの胸にその指先が沈んで──。

 

 

 

 

「待ちやがれ! このホワイトガール!!」

 

 

 

 

 ──行く寸前、後方より聞こえてきた男の声が白い少女の行動を止めた。

 少女はムスッと、関わるのが面倒くさい人がやってきた時にする表情を浮かべて、声のした方へと振り返る。

「──まったく、邪魔が入った」少女の声がリヒトの耳に届くのと同時に、先ほどまで体を縛り付けていた嫌な緊張が霧散していった。

 謎の緊張感から解放され、その場でふらつくリヒト。

 

「ちょっと、どうしたの!?」

 

「りひとさん大丈夫!?」

 

 近くにいたにことことりが慌てて駆け寄り、リヒトの体を支える。

 二人に支えられ、自分が倒れかけているのだと理解したリヒトは、浅い呼吸を繰り返しながら二人の顔を見る。それから辺りを見回し、いまだマヒしている脳を回転させ事態を把握しようとする。

 

「だ、大丈夫だよ」

 

 兎に角、まずは少女達を安心させねば、と思いリヒトは言った。

 

「どこが、顔色わるいわよ」

 

 しかし言葉とは裏腹に、にこの言う通りリヒトの顔色は悪く汗も浮かび上がっている。体は微かに震えており、浅い呼吸を何度も繰り返しているその様子は、とても大丈夫そうには見えない。

 それでも『大丈夫』と言い続け、同時に一体何が起こっていたのかを推理する。少しだけ荒い呼吸を何とか落ち着かせようとしながら、現状を把握しようとするリヒト。無意識のうちに伸びていた右手が自分の胸を触っているのだと気づいたのは、その時だった。

 穴は──空いていない。

 当たり前だ、あくまで少女の指先が添えられただけ。刃物で刺されたわけでも、漫画やアニメのように少女の手がリヒトの胸を貫いたわけでもない。穴が開いているはずがないのが当たり前だ。

 だがしかし、頭ではわかっていても体は分かっていなかった。本当に刺されたかのような感覚、あの細く白い腕があのままリヒトの胸を貫いていたのではないかという恐怖が、体から離れて行かなかった。

 それでも、少女たちにこれ以上心配をかけるわけにはいかない。

「わりぃ、もう大丈夫だ。本当に」支えてくれたにことことりから体を放し礼を言う。

 

「まったく、急にぼーっとし始めたと思ったら」

 

「本当に大丈夫? まだ顔色わるいけど」

 

「大丈夫だって。ほら、あれだ。この企画を夜遅くまで考えていて寝不足だったから、今それが来たんだろ。いやー、夜更かしはダメだぞ」

 

 最後の一言を冗談っぽく言って、その場を和ませようとするリヒトだったが、どうやらまだ相当顔色が悪いのか少女達の表情が和らぐことはない。

 そんなに今の自分はひどい顔をしているのか。

 ならばここは、何か一つ盛り上げて元気な姿をアピールしなければ、と考えたリヒトは辺りを見回す。

 どうするかなー、と周囲に視線を走らせると、まだ海未がダンスゲーム機から降りていないことに気付いた。

 

「よし、なら俺も一曲踊ろうかな」

 

「ちょっと!」にこの制止を無視してリヒトはダンスゲーム機へと向かう。

 無理やりな場面転換だと感じながらも、これ以上少女達に心配を掛けたくないリヒトは無理やりにでも自分の行動を押し通す。

 それに、先ほどはカラオケでやらかした失敗を、ここで挽回したいのだ。なにせダンスは『一条リヒト』の得意分野。失敗するなんてことはまずない。あんなかっこ悪い姿を見せてしまったのだから、ここでカッコいいとこくらい見せてもいいではないか。

 

「Ladies and gentlemen!! さて今度は俺のダンスを見せてやるぜ!」

 

 パチンと指を鳴らし、穂乃果たちに向けてウィンクまでする当たり、声のトーンや雰囲気からして完全にカラオケでの司会と同じモードに入っている。

 財布を取り出していないのに、流れるような動作で出現させた百円玉をゲーム機へと投入。曲を選択するのと同時パーカーを脱いで体を身軽にする。そしてすぐに曲を選択し終えると、わざわざカッコつけて待機のポージングを取る。

 本来なら「なんだコイツ?」となりそうなのだが、リヒトの一連の動作は流れるように行われたため、思わず見惚れてしまっていた。

 ──それはつまり、すでに少女達の『視線』と『心』がリヒトに向けられたということ。

 

(さーて、It's Show Time!!)

 

 ──瞬間、少女達の目にはそれまでの一条リヒトに抱いていた印象が百八十度変わる光景が広がった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 それはもう、ショーと言える光景だった。

 的確に、乱れることなく刻まれていくステップ。

 体の軸がぶれることなく、滑らかに次から次へと体が動いて行くリヒト。

 時折、画面から視線を外しこちらに振り返ったり、大胆に回転して見せるなど、その動きは正に本物ダンスを見ているかのよう。

 これがゲームだということも忘れ、少女達はリヒトのダンスに飲み込まれていった。いや、少女達だけではない。ゲームセンター内にいる他の人達の視線も、徐々にリヒトに向けられていった。

 譜面を暗記しているのか、それとも直前に流れてくる譜面を一瞬で覚えて踊っているのか、笑顔で踊るリヒトの姿はとても輝いていた。

 最後のステップが終わり、キメポーズをとってリヒトのダンスが終わりを告げる。

 画面には背中を、こちらには正面を向け、天を指さし顔は下を向いているリヒトは、しばらくの間その動きを止める。

 

『………………………………………………………………………………』

 

 リヒトに視線を向けた誰もが静寂を続ける中、顔を上げたリヒトは笑顔で一礼をする。

 ──瞬間、それが終わりを告げる合図となり拍手喝采が沸き起こった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

「さて、次の種目へと移るわけだけど……」リヒトは後ろを振り返って「なんかみなさん落ち込んでない? どうかしたの?」

 

 ゲームセンターから移動してきたリヒトは、先ほどの拍手喝采の光景を思い浮かべながらその余韻に浸りながら、次のゲームの説明をしようと振り返ったところで少女達が落ち込んでいることに気が付いた。

 

「凛、なんか自身失くしちゃったなー」

 

「私も、ちょっと凛ちゃんと同じ気持ちかな……」

 

「これはちょっと、堪えるわね」

 

 と、一年生組は肩を落とす。

 

「りーくんがあそこまで上手かったなんて……」

 

「穂乃果ちゃん、元気出そう」

 

「みなさん相当堪えてますね」

 

 と、二年生組。

 

「一条、アンタちょっとは自重しなさい」

 

 にこには怒られてしまう始末。

 どうやら、先ほどリヒトのダンスを見た少女達は、自分達のパフォーマンスとのレベルの違いに、ショックを受けてしまっているようだ。リヒトとしては場の雰囲気を和ませるため、そしてついでに盛り上げようとしたのだが、逆効果となってしまったらしい。

 落ち込む少女達を見て、どう次のゲームに移行させようかと悩んでいると、穂乃果が顔を上げて言う。

 

「でも、練習すれば、私達もりーくんの様なダンスができるようになるのかな?」

 

「穂乃果……?」

 

「だって、りーくんが上手いのは私達より長くダンスをやっているからでしょ? それにアメリカに留学までして、本気でダンスを学んだ。上手で当たり前だよ。

 でも私達はまだ始めたばかり。りーくんより下手なのは当たり前。だから、私達もたくさん練習すればりーくんのようなダンスが踊れるのかなって」

 

「……そうね。一条のダンスはレベルが高いけれど、私達が到達できないレベルじゃない。私達は学校の廃校を阻止するのが目的でしょ? なら、これくらいのレベルは必要だわ」

 

「矢澤……」

 

「だよね! 今まで以上に練習をして、みんなで頑張れば絶対にりーくんの様なダンスができる気がするんだ。だからみんな落ち込んでいないで頑張ろうよ! リヒトさんの様なダンスを目指して!!」

 

 それは、とてつもなく大変なことかもしれない。リヒトは今まで学んできたダンスの経験があってこそ、あのようなパフォ―マンスができるのだ。それを初めて数か月の彼女達が追い付くには、その距離が大きすぎる。言葉に表す以上の時間と距離が両者の間にはあるのだ。

 それでも、自分達の目標を達成するには、リヒトと同じ(最低でも近いレベルの)パフォーマンス力が必要になって来る。確かに両者の経験値は圧倒的なほどに差があるが、それを埋めるとまでは言わなくても縮めることはできる。

 穂乃果の、その自信はどこから湧いてくるのだ、と言いたくなるくらいの発言に、少女達は苦笑いを漏らしつつも、その瞳にはどこか『やってやる!』という意気込みが込められていた。

 

「その意気だぜ、穂乃果。それにみんなも。必ず廃校を阻止して見せようぜ!!」

 

『おおー!!』

 

 少女達の意思を感じ取ったリヒトはここで景気づけるためにこぶしを突き上げる。

 少女達もまた、同じようにこぶしを突き上げる中──、

 

「んじゃ、次も種目チラシ配りよろしくなー」

 

『え?』

 

 ──空気を読まず次の種目を告げるリヒトに、全員の視線が突き刺さった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 ──チラシ配り。

 もちろんこれを選んだのにも理由がある。

 歌唱力、ダンス力とここまでアイドルの『歌』に関することを調べてきた。ならば次は『魅力』を調べる必要があるだろう。

 よくグループアイドルで歌もダンスもそこまで上手くないのに、なぜか気になってしまう人がいるはずだ。それはその人が持っている『魅力』が、自然と人々の視線を集めているということ。『オーラ』と言い換えてみても違和感はないはずだ。

 そしてこの人を惹き付ける『魅力』を調べるのに適しているのが、チラシ配りだと判断した。笑顔でチラシを配り、多くのチラシを受け取ってもらえれば、その人には人を惹き付ける『魅力』があるということになる。

 もちろんそれだけではない。

 チラシを配ることでμ’sの宣伝、及び少女達に『アイドルとしての魅せ方』の基礎を感じてほしいという思いもあった。

 特に人見知りをする花陽や、恥ずかしがり屋の海未、あとは人付き合いの苦手そうな真姫のために考えた種目と言っても過言ではない。

 

「あ、お、お願い……します」

 

 リヒトの予想通り、花陽は声が出ているもの小さく人を呼び止めるまでの力がない。

 真姫の方はどう声をかけていいのかわからず、戸惑っている様子だ。

 そして海未の方は──。

 

「あの、お願いします」

 

 と、以外にもチラシを配れていた。

 この点に関しては、やはり二人より長くやっている経験値の差が出てしまったのだろう。初めのころからの成長が見られ、ひとり小さく笑うリヒト。

 一方の穂乃果、凛、にこ、ことりの方は順調にチラシを配っている様子で特に穂乃果、凛、にこに関してはその明るい性格もあってか臆することなく次々と人に笑顔で接していっていた。

 そんな風に和やかに少女達の記録を取っていると、突然ギンガスパークが反応を示した。

 

(──っつ!?)

 

「あの、りひとさん。私もうチラシ──」

 

「──わるいことり、ちょっと急用ができた」

 

「──え?」

 

 声をかけてきたことりに一言告げ、リヒトはその場から走り出した。戸惑ったことりの声が後ろから聞こえてくるが、今のリヒトに振り返っている暇はない。走りながら適当な路地へと入って行き、周囲の人影が少なくなったのを確認するとギンガスパークを取り出して反応を探る。あたりを見回し、ギンガスパークが感じ取った僅かな『異変』を、より深く探る。

 反応はこの近く。

 リヒトはギンガスパークの反応を頼りに走り続ける。

 そして、誰かが地に倒れる音が聞こえた。

 

(近くだ!)

 

 物音の下方へと走り、裏路地の角を曲ると──、

 

 

 

 

 ──地に倒れ伏す男と、その正面でつまらなそうに男を見下す白い少女が立っていた。

 

 

 

 

「──なっ」

 

 目の前に広がる光景に驚きを隠せないリヒト。冷静に考えれば少女の前に金髪黒ジャージの男が倒れているのはおかしな光景なのだが、それにツッコミを入れる余裕や、状況を冷静に分析するほどリヒトの頭が回らなかった。唯一わかるのは、目の前の少女が先ほどゲームセンターで出会った少女と同じということだけ。

 

「ぐっ」

 

「つまらんな。大口をたたいて割には、呆気ない」

 

「この……っ」

 

 金髪黒ジャージ男と白い少女の間で交わされる会話。

 少女は男を見下し、男は悔しそうに少女を見上げる。ジャージが所々破けており、腕には擦り傷や打撲痕が見られる。体に力が入らず立ち上がることができないのか、男は何度も腕に力を入れては地に倒れていた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 ようやく事態をある程度飲み込んだリヒトがボロボロの男へと駆け寄る。

 しかし、男に触れた途端ギンガスパークが反応を示し、リヒトの思考が再び困惑する。

 

(どういうことだ!? ギンガスパークが反応したってことは、この人……!!)

 

「俺様はお前が気に食わねぇんだよ。『光』のくせに俺たちの味方気取りやがって」

 

「気取ってなどいない。実際に私は『闇』の軍勢だ」

 

「ふざけたこと抜かすんじゃねえ! テメーは『光の存在』だろうが!! 『闇』である支配者様の味方面してんじゃねええええええええ!!」

 

 男は吠えるのと同時に残された力を振り絞って立ち上がる。同時に男の姿が変化していき、その容姿は宇宙人──バルキー星人へと姿を変えた。

 目の前で男の姿が変わるのと同時にギンガスパークが激しく反応を示し、リヒトに警告を飛ばす。

 男は──いや、バルキー星人はその手に持つ武器を振り上げ少女へと駆け出す。

 リヒトはとっさに、少女を守ろうと手を伸ばす。たとえ少女が何者であろうとも、傍から見れば宇宙人が少女を襲っている様に見えるのだ。あのままでは少女は殺される──、そうリヒトの頭が無意識に判断を下し、バルキー星人を止めようとするが、それより先に少女の方がアクションを起こした。

 迫りくるバルキー星人をつまらなそうに一瞥し、ただその白く細い腕を横に振るった。

 ただ、それだけだった。

 

 

 

 

 瞬間、光の濁流がバルキー星人を飲み込み、消滅させた。

 

 

 

 

「──!?」

 

 もはや、驚きの声すら出なかった。

 カタリ、とバルキー星人のスパークドールズがその場に転がり落ちる。少女はそれを拾い上げると、

 

「まったく、余分に力を使ってしまった」

 

 と、つぶやいた。

 少女はそれを懐にしまうと、ようやくリヒトの存在に気付いたのか視線を合わせてくる。

 瞬間、リヒトの体に先ほどゲームセンター内で出会った時と同じ『恐怖』が走る。

 

「ふむ、まさかそっちからきてくれるとは……想定外だったか」

 

 少女は、ゆっくりとその足を前へと運び、リヒトへ一歩近づく。同時にリヒトの足が一歩後ろへと下がり、嫌な汗が浮かび上がっていた。

 

(どういうことだ? コイツは何者だ? さっきの男は宇宙人だった? なぜ倒した、なぜ対立していた? しかも男は、こいつを『光の存在』と言っていなかったか?)

 

 などと、少女から感じられる『恐怖』がリヒトの思考を麻痺させ、先ほどの光景からかろうじてキーワードを拾い上げることしか出来ない。

 

「まあいい。今度こそ貴様の『光』を貰おう」

 

「──っつ!?」

 

 少女の手が伸びる瞬間、リヒトは反射的にギンガスパークを構えた。

 

 

 

 

 しかし、リヒトがギンガへウルトライブするより早く、気が付けばリヒトの視界は光の濁流が広がっていた。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 目が覚めた時、リヒトはほぼ条件反射で体を起こしたが、ぐるりと視界が急に回り急に頭が重くなった。倒れかけた体を膝を着くことで支え、ぼやけた視界であたりを見回す。

 そこにはリヒト以外誰もおらず、白い少女の姿はどこにもなかった。

 

「……一体、何者だったんだ……」

 

 お風呂でのぼせたような感覚の中、リヒトは自分の体に怪我がないか、ギンガスパークが奪われていないかを確認する。幸いケガらしいケガはなく、首筋に噛まれたような痛みと体がぐったりと重たいくらいだ。ギンガスパークも奪われていない。体は動けないほどではないが、今すぐに動けるという状況ではなかった。

 状況を整理しながら時間を取り、ある程度体を動かせるようになると、リヒトは重い体を動かしてその場から移動した。

 

(とにかく、まずは穂乃果達のところへ行こう)

 

 時間を考えれば、そろそろチラシ配りが終わっているメンバーが出てきているはずだ。ふらつく頭と妙な疲労感を感じながら、路地から出て大通りに戻れば、少しだけ空がオレンジ色になりかけていた。

 

「りーくん!!」

 

 と、穂乃果の声が聞こえてきた。

 声のした方を見れば穂乃果がダッシュでこちらに駆け寄って、いや、あれはどう見ても突っ込んでくるように見える。

 

「ちょっ、まっ──―」

 

 リヒトが止めるより先に、穂乃果の体当たりがリヒトに炸裂した。

 ゴロン、と後ろに奇麗に転がるリヒト。

「いててて」後ろに転がったものの砂利などが背中に刺さったのか、汚れを払い落とすリヒトに対し、体当たりをした穂乃果はリヒトの肩を掴むと、

 

「りーくん! 大丈夫!?」

 

「うんお前が肩を揺らして俺の脳がシェイクされていなければ大丈夫だった」

 

 と、穂乃果に脳をシェイクされ若干グロッキーになりながら答えるリヒト。

「ご、ごめん」穂乃果も自分のやったことが分かったのか、慌ててリヒトの肩から手を放す。

 

「ったく、いきなりぶつかって来るとか、どうしたんだよ」

 

「ちょっと心配になっちゃって」

 

「心配?」

 

「こちりちゃんから『りひとさんが急用でどっか行っちゃった』って聞いたんだけど、そしたら急にこれが震えて、そしたらりーくんが危ないって気がしたんだ」

 

 そう言ってブレザーのポケットから赤い輝石を取り出す穂乃果。

 

「それって、お前が希から貰ったやつだろ」

 

「正確には奉次郎さんが持ってたみたいだけどね」と補足を入れつつ「なんか、これが震えたんだ。『危ない』『危険』って叫んでいるような気がして。りーくんも知ってるでしょ。私が体験したウルトラマンと怪獣の戦い」

 

 知っているも何もそのウルトラマンが僕です、とは言えないので大人しく頷いておくリヒト。

 

「その時に体験した『恐怖』と、この輝石から伝わってくる『恐怖』が似てたんだ。そしたら『りーくんが危ない』って気がして、もしかしたら怪獣に襲われているんじゃないかって思ったら、いてもたってもいられなくて」

 

「…………」

 

「ごめん、ちょっと変な話だよね」

 

「別に。そうでもないさ」リヒトはサムズアップをして「ありがとな、心配してくれて」

 

「……えへへ、どう? ヒロインのピンチに駆けつける主人公みたいでカッコよかったでしょ?」

 

「なんで俺がヒロインポジなんだよ」

 

 と、穂乃果と軽い冗談を交わしながら、リヒトは穂乃果と一緒にほかのメンバーのところへ向かった。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 場所は穂乃果たちがよく利用するファストフード店へと移動した。各々ポテトやシェイクなど軽いものを注文し、今日の結果を振り返る。

 

「チラシはことりが一番だったんだな」

 

 注文したシェイクを飲みながら、リヒトは海未がメモした結果を見ていく。

 

「で、最後まで苦戦したのが西木野か」

 

「……なによ」

 

「そう睨むなよ……」

 

 リヒトがそういうと、この結果が悔しいのか睨んでくる真姫。フン、とそっぽを向いてしまった。そんな真姫に苦笑いしつつもチラシ配りの結果と、先にやった二種目の結果を見比べていくリヒト。

 

「それで、結果はどうなんですか?」

 

「ん? 結果?」

 

「忘れたのですか? センター争奪戦の結果ですよ」

 

「…………あ、ああ。結果ね。ちょっと待ってろ」

 

 返答までに妙な間があったことを疑問に思う海未だったが、リヒトがスマートフォンのメモアプリに記入を始めたため聞けなかった。

 

「なんかちょっとワクワクしてきたね、かよちん」

 

「そ、そうだねっ」

 

「なに緊張してんのよ。そこまでのことじゃないでしょ」

 

「なんかこういうのってドキドキするね」

 

「うん、私もなんかワクワクしてきちゃった」

 

『……』

 

 最初は乗り気ではなかった少女達も、やはり種目をこなし結果発表となれば、ワクワクしてしまうものだ。各々が発表を待ち続ける中、にこと海未だけが言葉を発さずにリヒトを見続ける。

 海未はリヒトに対して何か引っ掛かりを感じているのか怪訝な視線を向け、にこも同じような視線を向けるのだが、何かを感じ取ったのか頬杖をついていた手を下ろすと、

 

「一条、アンタ、本当は違う目的でこの企画を作ったでしょ?」

 

『──―!?』

 

「……」

 

 にこの爆弾発言は、リヒトだけではなく穂乃果たちの動きも止めた。

 だが、にこはリヒトの動きが止まったことで確信を得たのか、「やっぱり」と前置きをして言う。

 

「おかしいと思ったのよね。それぞれの種目で点数をつけているのなら、種目が切り替わりごとに現状の順位を言うはず。それなのにアンタは何も言わなかった。まるで最初から順位なんてつけていないみたいにね」

 

「……確かに、言われてみるとそうね」

 

 にこの発言を聞いて納得した様子を見せる真姫。

 

「でも、単に忘れてたってことは」

 

「それはないと思います。ちゃんと考えているのであれば、最初の企画書の様なものを取り出した時点で、そこに書かれているのを確認しているはずです」

 

 花陽の意見を否定する海未。確かに、カラオケ店に入る直前、リヒトはショルダーバックからクリアファイルを取り出していた。そしてその中に入っている紙を見ながらルールを説明していったので、順位をつけるということはその時に確認しているはずだ。

 

「それに、アンタカラオケもダンスも、まぁ後者はちょっとした理由があるけれど。点数は基本海未とことりが記入していた。アンタが記入する立場のはずなのに、基本的に司会者を演じていた。もちろんほかにも──」

 

「──あー、いいよいいよ。それだけ言われればこっちから正直に話すって」

 

 にこの言葉を遮り、記入を──―いや、記入しているふりをしていたスマートフォンをテーブルの上へと置き、シェイク(バニラ味)を一口飲んでから口を開く。

 

「まず、矢澤の言う通り俺は別の目的でこの企画を作った。いや、センターを決めるってことも、もちろん考えてたぞ? でもそれはあくまでサブで俺の狙いとは別のことだった」

 

「狙い?」

 

 と、穂乃果が言った。

 

「ああ。この間の練習風景を見て思ったんだ。少しだけ偏りがあるって」

 

「偏り、ですか?」と聞いてきた海未に対し、リヒトはストローで中をかき混ぜながら、

 

「そっ。ま、考えてみればそうなるのも無理はないんだけどさ。

 ほら、穂乃果たちは昔からの幼馴染だからもうすでに仲がいいわけじゃん? だからいろいろとやりやすい。

 一年生組は小泉と星空が幼馴染だとしても、クラスが一つしかないのなら西木野とのコミュニケーション時間も増えていく。ましてや歌のアドバイスを貰っているなら、その時間は俺の考えている以上に多いのかもしれない」

 

 花陽はカラオケルームで真姫から苦手なところをアドバイスしてもらっていると言った。リヒトの覚えている限りでは、神社での練習では基本的にダンスや体力づくりに重点を置いていることがまだ多いため、歌の練習はリヒトの父・一輝が見られる日に限っている。となると、自主練は学校の音楽室を使ってのこととなり、その時間で真姫との親睦が深まっていくことになる。

 

「つまり、一年生と二年生の仲がまだ深まっていないと思ったわけ。ストレッチの時も、作詞作曲担当の二人を除いて、基本的に同じ学年で組んでるだろ?」

 

「確かに、そうですね。私と真姫は良く組んでいますが、私も真姫以外とはあまり組んだ覚えがありません」

 

「だろ? 別にこれが悪いとは思っていない。人間なんだし、先輩後輩なんだし、付き合い方がわからなくて当り前。あくまで俺が気になっただけで、みんなは気にしていないのかもしれない。

 ただ俺が、みんなの仲が深まればもっといいパフォーマンス、さらにはいいグループになると思って、お節介だけどこの企画を作ったわけ。

 だから正確に言うと『μ’s親睦会!』って名前だな。でもそれじゃつまらないし、みんな変に意識すると思って、一番わかりやすい理由を使って『センター争奪戦!』って名前にしたわけ」

 

「お節介だったらごめんな」と言ってズズッと残ったシェイクを飲み干す。

 

「それに矢澤もだ」

 

「え? にこ?」

 

「お前も、まだ過去のことを引きずっているのか、周りに何かを言おうとしてもやめてすぐ帰るだろ? せっかく先輩なんだ、経験者なんだから気付いたこと、穂乃果たちのためになることなら言ってやれよ。ダンスゲームの時、星空に言ってたみたいにさ」

 

「……」

 

 リヒトがそう言うと、にこも心当たりがあるのか視線を落としてしまう。

 なんだかこの場の雰囲気が重くなり始めたことを感じ取ったリヒトは、こんな空気にしてしまった責任として何か言わなければ、と思い口を開くが──、

 

「確かに、リヒトさんの言う通りかもしれませんね」

 

 ──それより先に海未が口を開いた。

 全員の視線が海未に向けられる中、凛とした態度絵海未は話す。

 

「思い返してみれば、休憩中も基本的に同じ学年で集まっていますしね。リヒトさんの言う通り、まだ偏りがあるのかもしれません」

 

「そうだね。せっかくみんなで一緒の目標に向かって頑張るんだから、仲良く頑張りたいよね」

 

「でも……」

 

 海未の言葉に続く穂乃果だったが、人見知りをする花陽は少しだけ戸惑ってしまう。

 

「別に無理はしなくていいわよ。そういう関係は自然と築かれていくものなんだから。でも、その為にはある程度のコミュニケーションは必要よ。じゃないと、私みたいになるから」

 

 と、花陽に向けてアドバイスを送るにこ。

 確かに、そういった偏りが後々に大きな影響を及ぼすかもしれない。コミュニケーションを取らなかったゆえに、崩壊してしまった経験を持つにこの言葉には、大きな重みが感じられた。

 そう考えると、今回はリヒトの考えた企画に感謝しなければならない。この企画が無ければ、少女たちはこの事態に気付けていなかったのかもしれないのだから。もし気付いたとしても、その時に一体どうなっていたか──―。

 

「ああ!!」

 

 と、穂乃果が何かを思いついたような声を上げた。

 

「どうしたのですか? 穂乃果」

 

「いいこと思いついた! そうだよ、みんなで一緒の目標に向かって頑張るなら、センターを決める必要ない! みんなセンターでみんなが輝いて、みんなで作るんだ! みんなで曲を作って、みんなで衣装を作って、みんなで作り上げる! そんな感じにすればいいんじゃないかな!」

 

『みんなで……』

 

『作り上げる……』

 

 一年生が、二年生が、穂乃果の言葉を口ずさみ、リヒトはニィッと笑みを浮かべた。

 そして椅子から勢い良く立ち上がり、穂乃果を示しながら、

 

「いいなそれ! 最高の案だ!!」

 

「でしょでしょ! みんなでこれからの毎日を一緒に! これからどんなことが起こるかわからないけど、みんなで一緒に立ち向かっていく! 一緒に廃校阻止を叶えるんだ!」

 

「これから……」

 

「叶える……」

 

『……!!』

 

 瞬間、海未と真姫は同時にカバンの中からノート(真姫の方は楽譜を)とペンを取り出し、お互いに顔を見合わせる。

 

「真姫!」「海未先輩!」「どうします?」「そのまま書いてください。きっと合わせられます」「わかりました!」最低限の言葉を交わすと一斉にペンを走らせる。

 二人の行動に驚く回りだが、二人の書いているものが新曲の曲と詩だとすぐに理解し、胸を高鳴らせた。

 

「凛ちゃん、花陽ちゃん、二人の好きな動物とか、色とか教えて。今なら私もいい衣装を作れそう!」

 

 ことりも二人のインスピレーションに影響されてかスケッチブックを取り出すと、二人の意見を取り入れながら衣装の絵を描いていく。

 その光景は、正に一つのことに向かって動き出した『始まりの瞬間』と言える。

 今回の企画で七人の仲は朝よりも深まった。そのことを証明するかのように少女達が一つとなって一つのものを作り上げていく──、リヒトはその光景に胸の高鳴りを抑えられない!! 

 

「よかったわね、いい方向に傾いて」

 

「……そうだな。本当によかったよ」

 

 そして楽しみだ、とリヒトは付け加えた。

 楽しみで仕方がない。目の前でひとつの始まりを目撃し、それが完成した瞬間を早く見たい。そんなワクワクとドキドキがリヒトの中を駆け巡っていた。

 その表情は、新しいおもちゃを待ちわびる子供のような表情。

 パアッと顔を輝かせているリヒトを見たにこは、少しだけ呆れながらも一つだけ気になることを思い出し、リヒトに聞いてみることにした。

 

「ねぇ、一つ気になったんだけど、今回の企画は()()()って言ってたわよね?」

 

「ん? そうだけど?」

 

「じゃあ、最後の種目は何を考えてたのよ」

 

「──じゃんけん」

 

『………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?』

 

 瞬間、リヒトがにこの問いに即答した瞬間、今まで盛り上がっていた少女達の方まで動きが止まった。

 

「……あんた、今、なんて……」

 

「いや、それが今回の企画を考えていた時にね、『じゃんけんでセンター決める』っていう面白い記事見つけたんだよ。それを見て『これは使えるな』って思ってさ。ほら、じゃんけんなら結構盛り上がるでしょ? だから俺の本当の目的がばれなかったら『じゃんけん』で一番盛り上がったところでネタバラシをと……って、みんなどうしたんだよ。急に黙って」

 

 この時、もしかしたらこの時が、この日一番少女達の思いがシンクロし、心がつながった瞬間なのかもしれない。

 少女達は、首を傾げる少年に向けて、一言、告げる。

 

 

 

 

『最後くらい真面目に考えなさい!!』

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

『やあ、どうだった彼の「光」は?』

 

『…………』

 

『あははっ、声が出せないくらいに酔ってるじゃん。だから忠告はしたはずだよ? 彼は()()()()()、キミがいくら「光」を力にしているとはいえ彼の「光」は強すぎるって』

 

『……だ、ま、れ』

 

『まったく。ぼくと違って「光」であるキミが手っ取り早く復活するにはそれしか方法がないとはいえ、無茶しずぎ。結局動けないんじゃ意味がないよ。

 ……ん? それはバルキー星人のスパークドルじゃないか。手元にないと思ってたらキミが盗んだのかい?」

 

『…………』

 

『ま、彼はキミのことを気に食わなかったみたいだし、大方襲われてもしたんだろうね。でももういいよ。この子に用はないし、ぼくの栄養になってもらうよ』

 

 バリボリバリボリ、と何かを()()()()がその空間に響いた。

 

『ふー。やっぱりこの程度の雑魚じゃ栄養にもならないか……。ま、ぼくの方も後少しだし、先に彼女を使うよ。いいよね?』

 

『……か、まわん』

 

『やれやれ。それじゃ、行こうかな』

 

 気楽そうに、動き出すローブの男。

 その視線の先には、音ノ木坂学院の制服に身を包む金髪碧眼の少女が歩いていた……。

 




因みに、リヒトのレディエンは漫画版の榊遊矢をモデルにした名残でございます。

以上で第7話終了でございます。息抜き回と言っておきながらさらっと変なものを混ぜる、それがこの作品の特徴ということで……割と重要な伏線だったのかもしれなかったり?

さて今回の話は、μ'sのセンター争奪戦をサブとして、みんなの仲を深めよう! というのが目的で書いてみました。本当ならもっとはっちゃけてみたり、いろいろやってみようと思いましたが、収拾がつかなくなると思いこのようになりました。アニメ版をベースにすると書きやすいものです。

次回はいよいよ第一部ラストエピソード。多くのラブライブ!(アニメ基準)の二次創作においてターニングポイントとなっている『あの子』の加入回でございます。
今作では第1話と第2話以来の前後編、二話構成でお送りする予定なので、いつも以上に本腰を入れて頑張りたいです! 

感想・評価お待ちしております。

○次回予告○
スクールアイドルの甲子園ともいえる『ラブライブ!』の開催が決定し、出場を目指すμ'sだったが、その前に最大の試練が襲い掛かる!
学生の宿敵の定期試験。赤点を一人でも取れば出場ができないという中、三人の赤点を回避すべく勉強会が始まる! 
そんな中、リヒトはある日『一条リヒト』を知る女子中学生、絢瀬亜里沙と出会う。そしてこの出会いが、リヒトにとある再会と失った記憶の一部ををもたらす。
次回、「運命の再会」




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第8話 運命の再会
第一章:再会


第一部ラストエピソード「絢瀬絵里編」開幕です



 [プロローグ]

 

 

 一条リヒトは走っていた。

 時刻は夜の七時過ぎ。本来ならば夜空が広がっているはずの空は、赤紫色に覆われていた。

 怪しくゆらゆらと揺れる空を覆う光、肌を撫でる不気味な風、地面には緑色のガラスのようなものが散らばっている。

 それは、リヒトが以前ウルトラマンギンガとなってダークガルベロスと戦った時と同じ空間だった。

 光を飲み込む『闇の異空間』。この空間では、光の力が弱まり闇の力が強くなる傾向にある。

 つまり、この空間で戦うことは『光』であるリヒトにとっては不利な状況であり、もし敵がダークガルベロスの様な強敵だった場合、苦戦は免れないということ。

 負けられない戦いが敵に有利な空間で行われるのは、リヒトに途方もないプレッシャーを与えることだった。

 

(くそっ、なんでこんな時間に……!)

 

 さらに、敵がこの時間に動きを見せたのはこれが初めてだ。以前朝早くに動きを見せたこがある以上、ある程度は予測できることだが、実際に起こると文句の一つくらい出てくるものである。

 悪態をつきながら人気のない街を走っていると、地面が揺れた衝撃に足を止める。

 ッドン!! と、轟音を立てて出現したのは、全身が黒く顔がのっぺりとした、中心に輝く赤い瞳の宇宙人。

 その名をワロガと言う。

 

「来やがったな……」

 

 敵が出現となれば、先ほどまで悪態をついていたリヒトも気が引き締まる。

 目つきが鋭くなり、雰囲気ががらりと変わる。パーカーのポケットからギンガスパークを取り出したところで、

 

 

 ワロガの赤い瞳がこちらを捉えた。

 

 

「──っ!?」

 

 突如睨まれ動きが止まるリヒト。

 しかしワロガはリヒトを気にする様子はなく、ほんの数秒間だけ視線を向けるとすぐに視線を逸らした。

 

「なんだよ……」

 

 冷や汗を流しつつも呟くリヒト。

 だが、ワロガが視線を下げ、何かを掴もうと手を伸ばしているところを見て、再び背筋に衝撃が走る。

 あの行動を人間に置き換えるならば、下に落ちているモノを拾おうとする仕草。しかしこれをあの宇宙人が行っているとなると、考えられるのは人間を掴もうとしているということ。

 そしてそれを証明するかのように、少女の悲鳴が聞こえてきた。

 リヒトはすぐさまギンガスパークを空へと突き上げる。スパークブレードが展開し、出現したウルトラマンギンガのスパークドールズを勢いよく掴みリード。

 

『ウルトラーイブ! ウルトラマンギンガ!!』

 

 空中で光が集合し、ウルトラマンギンガとなるとそのままキックの態勢をとりワロガへ突っ込む。

 ギンガの攻撃に反応したワロガは両腕をクロスさせギンガの蹴りを受け流すが、近くに着地したギンガの追撃を受け後ろに吹き飛ぶ。

 いや、正確に言うのであれば後ろに飛んで受け流した、と表現すべきか。

 静かに着地したワロガは両腕を解いてギンガを睨む。

 ギンガも、意識はワロガに向けつつ先ほど悲鳴を上げた少女の方を確認する。

 地べたに座り込んでいた金髪の少女は、ギンガの登場に驚いた表情をしている。

 

 ──逃げろ。

 

 リヒトの声は届くことはないが、少女は何となくギンガの気配から察したのだろう。すぐに立ち上がってその場から避難する。

 闇の空間でも、目立つ金色の髪。それは不思議とリヒトの心の中に不思議な感覚を巡らせ、思わず見惚れてしまう。

 しかし今は戦いの最中。その行為は大きな隙となりワロガの攻撃を直撃してしまった。

 後ろに倒れ込んだギンガは──リヒトは、改めて気合を入れなおすと視線を細めて()()()()()を確認する。

 中に人は──いなかった。

 それはすなわち、誰もあの宇宙人にライブしていないということ。ダークガルベロスやサイコメザードの時のように怪獣自体──この場合は宇宙人自体というべきか──が実体化したものであり、戦闘力はあの宇宙人自身のポテンシャルで決まる。

 リヒトとギンガの関係のように、良好な信頼関係の上でライブしているならともかく、無理やり怪獣にライブしているとなると、その強さはライブ者によって左右されることが多い。しかし怪獣自身が戦うとなれば、そんなことは関係ない。そして、これまで戦った経験から、ワロガもまた強敵だろうと判断した。

 さらにここは闇の異空間。敵に有利なフィールドとなればダークガルベロスの時のような戦いになるはずだ。

 今回は誰の援護もない。リヒト一人で戦わなくてはいけない。言葉にできない重圧がリヒトの体にのしかかる。

 リヒトは一度深呼吸してから、ギンガスパークを構える。そして、ギンガが勢いよく駆け出す。

 ワロガも忍びのように腕を後ろにして駆け出す。

 ギンガのパンチがワロガに防がれ、逆の手で繰り出された突きを上半身を反らすことで躱す。

 互いの拳がぶつかりバックステップで後ろに下がると、ギンガが足を振り上げ蹴りを放つ。ワロガは両腕で受け止め、そこを軸として回転し裏拳のように腕を振るうが、ギンガは身をかがめて躱し、アッパーを放つが後ろに身を引かれ空を切る。

 ワロガの足が跳ね上がるが左腕でガード、振るわれた腕を掴み背負い投げの要領で投げ飛ばすが、背中を転がることでワロガは受け流す。

 体勢を立て直したギンガに向け蹴りを放ち、ギンガはガードに成功はするが威力を相殺できず後ろによろめく。さらに、ワロガがその両手の先より放ったアームスショットがギンガを撃ち抜く。

 火花を上げ後ろに倒れるギンガ。

 そこへ向け交互に撃たれるアームスショットが襲う。

 アームスショットの豪雨がギンガを襲い、爆炎の中に沈める。

 ワロガが攻撃を止めると、そこは黒い煙で覆われた。

 静寂が訪れこの戦いに終止符がついたと思われた時、

 

 

 ──煙の中より青白い光線が放たれた。

 

 

 ギンガクロスシュート。ギンガが持つ必殺技の一つでありその威力は折り紙つき。アームスショットに撃たれる中、辛うじてエネルギーを貯め放たれた一撃は、

 

 

 球体となったワロガに躱されてしまう。

 

 

 決め技を躱されうろたえるギンガ。

 しかしワロガはこちらに攻撃する気がないのか、球体となったまま空へと飛び去って行く。

 ワロガの殺気が消えていくことを感じたギンガは、その姿が光に包まれリヒトの姿に戻った。

 同時に位相も元に戻り、街に人気が戻る。

 その中、一人険しい目付きで空を見上げるリヒト。

 先ほどの戦い、最初は互角に見えたが実は違う。リヒトは敵の動きに反応するのがやっとだった上に、こちらの攻撃を全くヒットさせることができなかった。最後に放ったギンガクロスシュートも躱された。

 しかも、リヒトが感じるに()()()()()()()()()()。明らかにこちらを試すように手を抜いていた。フィールドが闇の異空間だったのに、全く互角の戦闘をした最初がおかしいのだ。本来ならば向こうの力が強化され、こちらは弱体化する。それなのに──。

 

「……」

 

 リヒトの拳が自然と力強く握られていた。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 絢瀬絵里は真っ青な顔で帰宅した。

「どうしたの、お姉ちゃん!?」と心配してくる妹の声に応えることなく、自室へと逃げ込むように入ると、部屋の明かりをつけないまま、膝を抱え震えだす。体に染み付いた恐怖が、消えない。目を瞑ればあの黒い宇宙人が浮かび上がり、さらなる恐怖に震える。

 声はあげない。

 顔を腕に埋め、シャツの袖を握りしめ、歯を食いしばってその恐怖に耐える。

 キラリ、と絵里の脳裏に音が聞こえたような気がした。

 顔を上げれば、机の上で青く光る輝石がある。その光は月の光を反射しているようで弱々しいが、絵里にとっては「大丈夫」と安心させてくれる優しい光に見える。

 絵里はゆっくりとした動作で、月明かりに照らされている輝石を手に取り、優しく握りしめた。

 輝石は、僅かに温かい。

 その温かさが、絵里の震える体を優しく包み込んでいった。

 

 

 

 [第一章]

 

 

 

「ラブライブ……?」

 

『はい。簡単に言ってしまえば、スクールアイドルの甲子園の様なものです』

 

 首を傾げて海未が言った単語を復唱すると、電話口の向こうで海未がわかりやすく説明をしてくれた。

 現在リヒトは海未と通話中である。午後のひと時、突然リヒトのスマホに電話がかかっていたかと思えば、なんとスクールアイドルの甲子園ともいえる大会『ラブライブ!』の開催が正式に発表されたとのこと。海未達も先ほど花陽から聞いたばかりなのか、まだ詳しく知らないようで、リヒトはスピーカーモードにしたスマホを操作して、『ラブライブ!』のホームページへと飛んだ。

 

「あぁ、これね。へー、結構大きな規模だな」

 

 ホームページに記載されている情報に目を通してみれば、その規格の大きさに驚かずにはいられなかった。全国に存在するすべてのスクールアイドルに参加資格があり、優勝すれば一躍有名になれる。まさにスクールアイドルの甲子園と言えるだろう。

 

「すげぇな、こんな大会があるなんて」

 

『私も聞いた時は驚きました』

 

「だろうな。で、なんで俺にわざわざ電話をしてきたんだ? 別に報告なら後でもいいだろ」

 

 海未達はこの時間帯、まだ学校にいるはずだ。アイドル研究部と一緒になって以降、今まで学校終了後神田明神に集まることの多い彼女達だったが、部室ができたことにより屋上での練習が増えたのだ。

 リヒトとしては少しだけ寂しい気持ちではあるが、屋上ならば神社でやるよりも伸び伸びできると思い、彼女達の好きなように任せている。

 という訳で、最近は屋上練習をしている海未がこの時間に電話を掛けてくるのは少し不思議だった。

 

『はい、実は……』

 

 と、海未が少しだけ深刻そうな声音で言ってきた。

 

「なんだよ……」

 

 リヒトも先ほどまで動かしていたシャーペンを置き、海未の方に耳を傾ける。

 

『「ラブライブ!」出場の許可を理事長にもらいに行ったのですが──』

 

 確かに、これほど大規模の大会で結果を残したとなればμ’sの名前は一斉に広がり、彼女達の掲げる『廃校阻止』という目標に大きく近づくはず。ならば出ることに越したことはないのだが、もしかして出場してはいけませんとか言われたのか? 

 

『──今度の期末試験で赤点を取らないことを条件に出されまして……』

 

「なんだ、簡単な条件だな」

 

「そうなのですが……」「なんだよ、はっきり言えよ」「……わかりました」中々はっきりと言わない海未に、リヒトが急かすように促すと覚悟を決めたのか電話の向こうで深呼吸する音が聞こえてきた。

 なんがそんなに覚悟しなければならないのか、疑問で首を傾げているリヒトの耳に海未の声が滑り込んでくる。

 

『穂乃果、凛、にこ先輩の三名が危険領域にあります』

 

「………………………………………………………………………………はい?」

 

『穂乃果、凛、にこ先輩の三名が危険領域にあります』

 

 かなりの間をあけて聞き返したリヒトに、一字一句、全く同じ言葉を返す海未。

 その言葉の意味をゆっくりと脳内で再生し、その意味を解釈していくリヒト。

 

「いや、危険領域って……まさか……!」

 

『はい。このままでは三人が赤点を取ってしまいます』

 

「なんでだよ!?」

 

 突っ込まずにはいられなかった。

 よく漫画やアニメでは赤点がどうのこうの、という展開を目にするが、まさか近くの友人関係でこういった赤点を取りそうな人物がいたとは。いや、もしかしたら『一条リヒト』の友人間にはもっといるのかもしれないが、記憶のないリヒトにとっては分からないことだ。

 

「普通に勉強していれば赤点は取らないはずだろ!?」

 

『穂乃果が日ごろから勉強していると思いますか?』

 

「知らねぇよ! 記憶喪失の俺が知るわけないじゃん! あ、でも何となくその三人がバカなのは何となくわかるわ」

 

 遠くから何やら三バカの声が聞こえてくるが、声が遠すぎて何を言っているのか聞き取れない。

 

『にこ先輩は一年生の頃からスクールアイドルに没頭していたせいで、基本的に成績がよろしくないそうなのですが、中でも数学がひどいようで……』

 

「……おバカ」

 

『穂乃果は数学以前に算数が苦手でして……』

 

「……それ、九九ができないってレベルじゃないよな?」

 

『……』

 

 海未が沈黙した。

 

「黙るなよ! え? ウソ? まじで? マジで穂乃果九九出来ないの?」

 

『……』

 

「ちょっと穂乃果に代われ!」

 

『穂乃果、リヒトさんです』『え? 海未ちゃん?』『代わってほしいそうです』『いや~、ちょっと遠慮しようかな~』『…………』『海未ちゃん顔が怖いよ~』『……』『ひぃぃっ!!』そこからはゴタゴタとした音しか聞き取れず、かろうじて穂乃果の脅えた声の様なものが聴きとれただけだった。その後しばらくして、誰かが海未のケータイを手にした音が聞こえてくる。

 

『……あ、りーくん?』

 

3×8(さんぱ)?」

 

『え? な、なに急に……』

 

3×8(さんぱ)?」

 

『えーっと……………………にじゅう、さん?』

 

「24だよバカ! お前よく高校に受かったな!? 裏口入学したんじゃねぇだろうな!?」

 

『してないよ! 人聞き悪い!! 確かにちょっとは考えたけど、そんなことをするほど私人間捨ててないよ!!』

 

「おまっ、よく『人聞き悪い』なんて言葉知ってるな……!?」

 

『それくらい知ってるよ!!』

 

「じゃあ、8×3(はっさん)?」

 

『…………』

 

 声は、返ってこなかった。

 もうリヒトは、呆れや怒りを通り越して、悲しくなった。世の中探して九九を答えることができない高校生がいるとは……、もう感情が消えた声でリヒトは呟く。

 

「お前、なんで高校生やってるの?」

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 一先ず、リヒトの一言に泣き出してしまったらしい穂乃果が下がり、海未が出てくる。

 

『よくも穂乃果を泣かせましたね』

 

 リヒトに向けての死刑宣告と共に。

 ビクッ! と海未の一言で背筋が伸びたリヒトは額に浮かんだ汗を拭きつつ、

 

「そ、それより、穂乃果と矢澤が数学で危険なのはわかったけど、星空は何が危険なんだ?」

 

『はぐらかしましたね。まぁ、今はそちらの方が大事ですし今回は見逃してあげましょう』

 

 海未の発言を聞いてホッと胸を撫で下ろすリヒト。

 改めて姿勢を正し、置いておいたペンを拾い海未の話に耳を傾ける。

 

『凛は英語が苦手らしいです。中学の頃から理解できていない様子で、ある程度の単語は知っているのですが、文法の方が』

 

「なるほどな。確かに、こっちの英文はきっちりとしてるもんな」

 

 そう言いつつ、リヒトは机の上に置いてある一枚のプリントを手に取る。そこには長文の英語が並んでおり、ところどころに波線が敷いてあったり空欄になっていたりと、間違いなく英語の問題だと判断できる。

 

『そこでリヒトさんには、凛に英語を教えてほしいのです』

 

「え? 俺?」

 

『はい。記憶喪失になっても、英語が得意なのは変わっていませんよね?』

 

「まぁ……」

 

 確かに『一条リヒト』は海外に留学する以前からそれなりに英語が得意だったらしく、記憶喪失となった今でも英語の問題はそれなりに解けている。

 しかしだからと言って完璧にできるわけではない。日本人の中に国語ができない人がいるように、いくら英語が喋れてもそれが問題となってくれば話は変わって来る。リヒトは机の上に置かれている問題用紙の赤で修正された部分を見ながら、

 

「一応はできるかもしれないけど、西木野とかじゃダメなのか? 小泉もそれなりに英語できるだろ?」

 

『花陽も英語は得意ではないそうです。それに真姫の方は、自分の方もやらなくてはいけないので、負担を軽減するためにリヒトさんにお願いしたんです』

 

 海未の言葉を聞いて「そうだった」とリヒトは呟いた。

 真姫がμ’sに加入する際の目標として成績を落とさず、尚且つ人の心を動かす曲を作り上げることを掲げた。後者に関しては先日ネットにアップした曲『これからのSomeday』が反響を呼び、μ’sの名前を大きく広めた。ならば次は『医者の道を歩む』ためにテストで今の力を証明しなければならない。中間試験ではよい結果を残しているため、今回もそれ相応の結果が必要になって来る。

 そう考えれば、自分の勉強に加えて英語の苦手な凛を手伝うのは、些か負担が大きいかもしれない。

 

「……」

 

『ダメ、ですか?』

 

「いや、ダメじゃないけど……俺で大丈夫なのかなって」

 

『?』

 

「いや、ほら、海未達は幼い頃から俺を知ってるだろ? 西木野とも少しだけあったみたいだけど……、小泉と星空はつい最近知り合ったばかりじゃん? だから、付き合いの短い俺で大丈夫なのかなって」

 

 リヒトが一番気がかりなこと、それが凛と花陽との知り合ってからの短さだ。海未、ことり、穂乃果の三人は幼い頃からリヒトと接点があり、こちらが記憶喪失だとしても気さくに話しかけてきてくれる。

 一方の一年生組は、真姫だけが幼い頃にほんの少しだけ接点があったらしく、穂乃果達ほどではないがそれなりに話しかけてきてくれる。しかし凛と花陽に関しては、知り合ってまだ数十日しかたっていない。それに二人と会うのも話すのも、基本的に神田明神での練習日だけであり、それ以外は奉次郎の計らいで一緒に朝食を食べる時だけ。そのほかでは全く接点がないのだ。

 向こうからしてみれば、完全に知らない年上のお兄さんがダンスを教えてくれている、程度だろう。そんな相手に、勉強まで教えてもらうのは不愉快ではないのか、そうリヒトは思ってしまったのだ。

 

『ふふっ』

 

 しかし、返ってきた海未の声は笑っていた。

 

「……なんだよ。こっちは割とこれ、真剣に悩んでんだぞ」

 

 胸の内を吐露したというのに、海未に笑われて少しだけ腹が立つリヒト。その声音でわかったのか、海未は小さな笑いを抑えると少し楽しそうな声音で言ってくる。

 

『すいません。私の知っている「一条リヒト」さんは、あまりそう言ったことを言わなかったので』

 

「……」

 

『もしかしてリヒトさん、二人は自分のことを嫌ってると思ってます?』

 

「そこまでじゃねぇよ。ただ、ダンス練習中の目つきが怖かったり、あまり話してないから気まずいかなって」

 

『大丈夫ですよ。二人はリヒトさんのこと、嫌ってなどいません』

 

「それは……その……」

 

 と、少しだけ返事に困るリヒト。

 

『これは秘密なんですが、凛はリヒトさんのダンスを見て以降対抗心を燃やしているみたいなんです。いつか自分も、あんな風に踊れるようになりたいって』

 

 凛のダンスは、その元の運動神経の良さから動きが派手になりやすく、雑に言ってしまえば乱暴な点がある。そしてリヒトが先日披露したダンスは、ダイナミックで動きの激しいものの、ちゃんときれいにまとめられている。その点が、きっと彼女の心に響くものがあったのだろう。凛のダンスも、雑な部分が修正されればダイナミックで大きなパフォーマンスとなるのだから。

 

『それに花陽も、リヒトさんのおかげでプレッシャーに強くなったと言ってます。なんでも、授業で発表するとき、周りから向けられる視線よりリヒトさんの方の視線が怖いらしく、緊張することがなくなったと』

 

「それは、よかったことなのか?」

 

 確かに、最初はがちがちに緊張していた花陽も、今ではしっかりと踊れている辺りリヒト視線の効果はあったと……見ていいのだろうか? 

 

『それに今の危機的状況には、猫の手も借りたいくらいなんです。そんな悠長なことは言っていられません』

 

「そこまでひどいのか……。

 わかったよ。協力する」

 

『本当ですか!』

 

「ただし、俺の方も、なんか生徒想いの担任から課題が出されてるから、あんまりあてにしないでくれよ?」

 

 と、リヒトは言いながら目の前に積まれた問題集と、机の横に置かれた段ボールを見る。その中にはまだほかの科目の問題も入っており、さらには担任の先生自作の要点をまとめたノートまで入っている。

 どうやら休学中のリヒトが復帰後、しっかりと授業に付いて行けるように、これまでの授業内容をまとめていてくれたらしい。もちろん、『一条リヒト』の友人の協力もあって。

 

『わかりました。それでは、この後全員でそちらに伺いますが、よろしいですか?』

 

「わかった。それまでにある程度終わらせとくから」

 

『よろしくお願いします』そして電話は切れた。

 ツー、ツー、と無機質な音がリヒトの耳に入って来る。リヒトも電話を切ると、机から離れてベットに倒れ込む。

 そして目元を腕で覆い、ポツリと呟く。

 

「私の知る『一条リヒト』さん、ねぇ──」

 

 リヒトが音ノ木町にやってきて、すでに二ヶ月が経過した。

 梅雨も明け、季節は夏へ移り変わり始めている。それを証明するかのように、今朝見かけた希の制服が夏服になっていた。きっと穂乃果達も夏服なのだろう。現にリヒトだってパーカーをしまいサマーニットを着ている。

 あれだけ毎日来ていたパーカーをしまった。つまりそれほどリヒトがこちらに来て時がたったのだ。

 

 

 それなのに、リヒトの記憶はまだ何も戻っていない。

 

 

 この町に来て記憶が戻ると思ってしばらくいたが、記憶は何も戻らずにいる。穂乃果達のダンスを見て、穂乃果達と遊べば何か戻ると思っていた。

 だが、実際はどうだ? 

 何も戻らない。むしろ、記憶を失う前の自分とのギャップに周りが戸惑うだけ。さっきもそうだ。海未の言った『私の知っている「一条リヒト」は──』という言葉。これがどれだけリヒトの胸に突き刺さったか、きっと彼女は分かっていない。リヒトが何も言わなければ、きっと誰も気が付かないことだ。

 記憶喪失前の自分がどんな人間だったのか、どういう風に振る舞っていたのか、そんな生活をしていたのか、どんなことを思っていたのか──。何もわからない。

 今のリヒトは、用意周到に準備された世界を、ただ歩んでいるだけ。そんな感じだった。

 

(俺の記憶は、本当に戻るのか?)

 

 そんな不安が、リヒトの脳裏を横切った。

 

「あーもう! しんみりするな! 俺!」

 

 がバッとベットから起き上がり、自分を鼓舞する。

 

「大丈夫! きっと記憶は戻る! それに今はウルトラマンとして、あいつらを守らなきゃいけない。やること多すぎだぜ!!」

 

 だが、その姿はどこか空回りしている様に見える。

 リヒトも、自分が何をやっているのかと呆れ、突き上げた拳を静かに下した。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 そして、『ラブライブ!』出場を目指すためμ’sの勉強会が始まった。

 リヒトは花陽と協力して凛の英語を担当し、海未とことりは数学の苦手な穂乃果を担当するのだが、そうなると三年生であるにこが残ってしまう。しかし、そこは助っ人である希が対応してくれるらしく、ここににこの姿はなかった。真姫も自分の方が順調に進み次第手伝ってくれると言ってくれたが、初日ぐらいは俺たちに任せろ、と言ったリヒトの言葉に従い、真姫は自分の勉強に取り組んでいる。

 勉強会が始まってしばらく。各々着々と課題に取り組んでいる様に見えたが、

 

「やっぱり凛には英語無理だよー」

 

 長文問題に苦戦し始めた凛が、悲鳴を上げた。

 

「凛ちゃん、あと少しだからがんばろ?」

 

「そうだぞ、星空。このページが終われば今日のノルマクリアだ」

 

 花陽とリヒトは凛を応援するが、一番苦手である長文問題が出てきてしまい、凛の集中力が一気に削がれてしまったようだ。

 

「はーあ、なんで日本人なのに英語学ばなきゃいけないの……」

 

「社会の国際化が進んでるからな。街でもよく海外の人を見かけるし、道聞かれたら大変だろ? それに、今のご時世英語しゃべれないといけない会社もあるみたいだしな」

 

 と、リヒトが言っていると、

 

「ことりちゃん、海未ちゃん。穂乃果、ギブです」

 

 何やらキメ顔で宣言する少女が倒れた。

 

「穂乃果ちゃん!?」

 

「まだです、穂乃果。ここも計算間違っていますし、このページは全問不正解です」

 

「うぅ~、海未ちゃんの鬼―!」

 

「何とでもいなさい。今回だけは私も心を鬼にして穂乃果を指導します。さあ、まだ問題は残っていますよ」

 

「うああああああああああああああああ!!」

 

「コレ、本当に大丈夫なのか?」隣で繰り広げられる悲鳴、そして目の前でテーブルに突っ伏す少女。これを見て頭を抱えたくなるのも無理はないだろう。

 リヒトの呟きは誰にも拾われることなく、その日は穂乃果と凛の悲鳴がこだまする中、終了した。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 勉強会開始から数日。どうやら学校の方も本格的にテスト週間に入ったようで、自習となる科目や振り返りをやる教師もいるらしく、その機会に三バカは自分の成長を噛み締めているらしい。

 普段からしっかり勉強しとけよ、ともし記憶喪失前の自分が穂乃果達の様なパターンだったら壮大なブーメランになることを思いながら、リヒトは家に向かって帰宅していた。

 先ほどまでルーズリーフと赤ペン、シャーペンの芯など足りなくなったものを買いに行っていたのだ。他にもマーカーや黄色ペン緑ペンなど、よりまとめられやすいように様々なものを買い足した。

 ちなみに本日はある程度自分の文を片付けた真姫が凛を見てくれているため、榊家での勉強会はない。どうやら部の活動としてテスト勉強会があるらしく、海未も弓道部の勉強会に参加することになっているらしい。

 つまり今日は、勉強会がない分リヒトは自分の方を片付けることになっている。

 夕日に照らされる道を歩いていると、一人の少女とすれ違った。ハーフか、それともクウォーターなのか、夕日に照らされている金髪と白い肌は先日リヒトがギンガとなって助けた少女を連想させ、思わず見惚れてしまう。少女の方も、リヒトの視線に気が付いたのか手に持っていた音楽プレイヤーから視線を上げる。

 少女との視線が交差する中、つい見すぎていたリヒトは慌てて視線を外す。

 しかし、

 

「……お兄さん?」

 

「……へ?」

 

 今目の前の少女は何といった? 

 お兄さん? 誰が? 

 

「もしかして、リヒトさんですか?」

 

 探るように訪ねてくる少女。

 

「……一条リヒトって名前なら、俺だけど」

 

 瞬間、パアッ! と少女の表情が輝き、リヒトに抱き着いてきた。

 

「……!?」

 

「やっぱりお兄さんだったんですね! お久しぶりです! あー、またお兄さんに会えるなんて思ってもいませんでした」

 

「ストップ! ストップ! まずは離れようかお嬢さん! まずは俺に情報を整理させる時間をくれないかな?」

 

「お嬢さんだなんて、どうしてそんなに他人行儀なんですか? 亜里沙とお兄さんの仲じゃないですか」

 

「うんだから落ち着こうか少し待ってよ特に周りの視線が怖いから一旦とにかく離れて事の説明をお願いしたいのだが」

 

 主に周りから向けられる視線に耐えられない(プラス)いきなり少女に抱き着かれたという事態がリヒトに訳の分からない感情を呼び起こさせ、兎に角この場からいったん離れて落ち着かないと大変なことになることは確かだ、としか判断できなくさせていた。

 少女も自分が予想していた態度とは違うリヒトに困惑し始め、その体をリヒトから放す。

 

「やっぱり、覚えてませんか? 亜里沙です。絢瀬亜里沙です」

 

「亜里沙?」

 

 少女の話し方で、何となくあることがリヒトの脳裏を横切った。

 

「……やっぱりそうですよね。お兄さんと話した時、亜里沙まだ幼かったですから仕方ありませんね」

 

 何やら落ち込み始めている少女に向けて、リヒトは非常に言いにくそう頭をかきながら、

 

「いや、その、落ち込んでいるところ悪いんだけど、俺記憶喪失なの」

 

「……え?」

 

「だから、記憶喪失。去年の十二月以前のことを全く覚えていないの。だからその……俺は君のこと何も覚えていないんだ」

 

「……そうなんですか?」

 

「そっ。完全に記憶喪失」

 

「……」

 

 少女はリヒトが記憶喪失だと理解した、と見ていいのだろうか。何やら考え始めた少女の様子に首を傾げていると、

 

「……もしかしたら、お姉ちゃんと会えば思い出すかもしれません!」

 

「へ? お姉ちゃん?」

 

「ハイ! 亜里沙、今からお姉ちゃんに会いに行くところなんです。だから一緒に行きましょう!」

 

「ちょっ──」

 

「記憶喪失は、その人の記憶に一番衝撃を与える人と会えば戻るって、前に本で読んだことがあります! だから任せてください!」

 

「いや、本って、それより──!」

 

 少女は言った。

 記憶に一番衝撃を与える人と会えば、記憶が戻ると。

 それはつまり、リヒトの記憶が戻るかもしれないということ。今まで何をやっても思い出す気配すらなかった記憶が、ここにきて新たな進展を見せている。

 少女──亜里沙に手を引かれながら、ほんの少しだけ、期待を心に抱きつつあるリヒトだった。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 亜里沙に連れられリヒトがやってきたのは、音ノ木坂学院の校門前だった。

 そう、ここは穂乃果達が通う音ノ木坂学院の校門前。初めて見る校舎に、普段のリヒトなら心躍らせていただろうが、今はそれどころではなかった。

 何せここは音ノ木坂学院、穂乃果達の通う()()()だ。校舎から出てくる生徒は皆女子。

 そして女子高の前にロシア人クウォーターの女子中学生と、明るい茶髪の少年が立っていれば、自然とざわつく。リヒトに向けられる女子高生達の視線。ベージュのサマーニットに身を包むリヒトは、どう見たってこの場にふさわしくない。

「あれ誰?」「誰かの彼氏?」「うわっ、彼氏待ちとか度胸あるね」「ちっ、リア充か」「でも隣の子誰なんだろ?」「まさか、堂々の二股!?」「うーん、私は好みじゃないかな。アクセサリー着けすぎ」「そう? 意外とカッコいいと私は思うけど──」と、耳をすませば少女達のヒソヒソ話が聞こえてくる。

 

「(なぁ、亜里沙ちゃん。お姉さんはまだ来ないの?)」

 

「(もうすぐ来ると思うんですが……)」

 

 出来れば早く来てほしい、とリヒトは思った。ポーカーフェイスを装ってはいるが、内心はそんなに穏やかではない。注目されるのは、おそらく記憶喪失前のおかげで多少は慣れてはいるが、ひそひそと小声で話されてはいい気分はしない。

 亜里沙の方は何とも思っていないのか、それとも操作している音楽プレイヤーに意識が向いているからなのか、動揺している様子はない。その鈍感さを羨ましく思っていると──、

 

「リヒトさん?」

 

「ん? 海未?」

 

 海未と出会った。

 向こうはリヒトが音ノ木坂学院の前にいることに驚いているのか、目を見開いている。

 

「どうしてリヒトさんがここにいるんですか?」

 

「いや、この子のお姉ちゃんが『一条リヒト』を知っているらしくてさ。何か思い出すかもしれなからここで待ってるわけ」

 

「この子?」

 

 と、海未は位置的にリヒトの影に隠れてしまっている少女の方を見ると、亜里沙は目を見開いて感動していた。

 

「海未さんですよね? μ’sの園田海未さんですよね!」

 

「え? ええっ?」

 

 瞳を輝かせ、海未に詰め寄る亜里沙。

 見知らぬ人に名前を呼ばれ、詰め寄られてはさすがの海未も動揺する。

 

「亜里沙、μ’sの大ファンなんです! 握手してもらえますか!」

 

 その言葉を聞いて、リヒトは納得した。この子はμ’sの、中でも園田海未のファンなのだろうと。

 先日サイトにアップした新曲『これからのSomeday』はかなりの高評価を獲得し、μ’sの名を大きく広めた。その為か以前よりこうして直接接してくるファンが現れ、聞いたとこによると、真姫は出待ちをされたと言う。

 

「亜里沙、すっごくμ’sの歌好きなんです。毎日聞いています!」

 

 先ほどまで操作していた音楽プレイヤーを海未に向け、熱弁する亜里沙。

 戸惑っていた海未だが、その画面を見た途端表情が変わった。画面に映っているであろう映像を凝視し、

 

「これ、サイトに上がっていない部分もあります。いったいこれをどこで?」

 

「お姉ちゃんが撮影してきてくれて」

 

『お姉ちゃん?』

 

 リヒトと海未の言葉が重なった。 

 そこへ──―、

 

 

 

「亜里沙、待たせてごめ──―っ!?」

 

 

「──―え?」

 

 

 

 リヒトは、そしてやってきた少女は、互いの視線が互いを捉えるのと同時に、驚きで固まった。

 リヒト達の前に現れた少女。美しい金色の髪にサファイヤの様な青い瞳。それは間違いなく先日リヒトがギンガとなって助けた少女と同じもの。

 その奇妙な再会に驚くリヒトだったが、それは少女の姿を見て疑問へと変わった。

 リヒトを見る少女の視線には、戸惑い、驚愕、恐怖が見て取れ、とても知り合いに再会したときの感情ではなかった。

 

「お姉ちゃん!」

 

 亜里沙は少女へと近づく。

 

「リヒトさんだよ! お姉ちゃんも覚えてるよね? リヒトさんと久しぶりに会えたんだよ!」

 

 姉へと無邪気に語り掛ける妹だが、姉の方はその言葉が耳に入っていないのか、驚愕の表情を浮かべたままリヒトを見続ける。

 そして、その口がゆっくりと開き、言葉を発する。

 

「……ど、……どうして、君がここにるの……?」

 

 その声は震えていた。

 いや、声だけではない。瞳、肩、唇、少女のすべてが震え、まるでリヒトに会うことが嫌だったかのような反応は、リヒトに小さなショックを与えた。

 

「亜里沙が連れてきたの」

 

「亜里沙が……?」

 

「リヒトさん記憶喪失なんだって。だからお姉ちゃんに会えば何か思い出すと思って連れてきたの」

 

「記憶喪失……?」

 

 亜里沙の姉の視線が、妹からリヒトに向けられる。

 少女の様子に戸惑うリヒトは、戸惑いで埋め尽くされている中何とか頷く。

 リヒトの頷きで少女は何かを悟ったのか、その瞳から戸惑いや驚愕が消えていき、落ち着いたものになって行った。目に見える震えも消えたが、リヒトはなぜこの少女が『一条リヒト』の名前を聞いて震えたのか、その疑問だけが残った。

 しばらくの二人の視線は交差し続け、リヒトの胸にはあの夜、初めて少女を見かけた時と同じ、不思議な感覚が湧き上がってくるのを感じた。

 

「あ、あの」

 

 と、ぼーっとしていたところへ海未の声が滑り込んできた。

 

「とりあえず、どこかへ移動した方がいいかもしれませんよ。なんだかすごい騒ぎになってますから」

 

 後半、少々呆れて言う海未の言う通り、周りの少女達はこちらを注目しながら、先ほど以上のざわめきになっていた。

「あの生徒会長が男の人と待ち合わせ!?」「そんな、海未先輩に男がいたなんて……」「女の子三人に囲まれるあの人、一体何者なの……!?」など、少し頭の痛くなってくる会話が聞こえてきた。

 とりあえず、これ以上ここにいることは色々よろしくないので一先ず全員、移動することになった。




さて、いよいよ開幕した絵里編。
割とリヒトに焦点を当てる機会がないと思っていたので、今回は久しぶりにリヒト視点でスタートです。
ヒロイン回であるのに絵里の登場は最後だけですが、これはまだ前半のさらに前半部分なのが理由です。今後はいっぱい出るよ!

それでは「#08-2」へ続きます。




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第二章:一条リヒトと絢瀬絵里

執筆中に書いた数百時が消えるという事件が二回も起きたけど何とか完成。
あとがきにお知らせがあります。


 [第二章]

 

 ひとまず、海未の提案通り音ノ木坂学院を離れたリヒト達は近場の公園へとやってきた。

 リヒトとしてはすぐにでも亜里沙の姉・絢瀬絵里から『一条リヒト』のことを聞きたいのだが、絵里から向けられる視線には未だに戸惑い、困惑、驚愕といった感情が見て取れる。それはまるでリヒトに会いたくなかったかのように見え、すぐに話しかけられる状態ではなかった。その為、リヒトは絵里と海未を残して亜里沙と共に自販機にやってきていた。

 情報整理、と言った方がいいだろう。絵里の反応を見る限り『一条リヒト』を知っていることは間違いない。亜里沙の話からも、二人の仲は良かったことが推測できる。

 それではなぜ絵里はあのような態度でいるのか。それがわからなかった。

 

「なあ、亜里沙ちゃん。君のお姉さんと『一条リヒト』はどんな関係だったんだ?」

 

 ガコン、と落ちてきたお茶の缶を取り出しながらリヒトは聞いた。

 亜里沙と共に自販機に来たのも、こうやって先に『絢瀬絵里』と『一条リヒト』の関係を聞くためだ。妹である亜里沙ならば絵里と『一条リヒト』がどんな関係だったのか、多少なりとも知っているはず。

 リヒトの予想通り、亜里沙は知っているのか少し考える素振りを見せた後、満面の笑みを浮かべて──、

 

 

「──たしか、将来を誓い合った仲です!」

 

 

 ガツン! とリヒトの頭部が自販機に激突した。

 

「はあああああああああああ!? 将来を誓い合った仲!?」

 

 まさかの返答に驚きを隠せず甲高い悲鳴を上げるリヒト。

 一体誰がそのような答えを予想できたのだろうか? 

 いや、誰も予想できないはずだ。『将来を誓い合った仲』、それはつまり結婚を約束したということではないか? 

 絶対にウソだ! と思うリヒトとは裏腹に、亜里沙は満面の笑みで続ける。

 

「そうです! お兄さんとお姉ちゃんはラブラブだったみたいですよ! なんでも、お姉ちゃんのバレエを見たお兄さんが告白したらしいんです!」

 

「しかも俺が!? 告白したの俺!?」

 

「それから二人は毎日遊んで、お姉ちゃんがバレエにつられてお兄さんはダンスを始めたみたいなんです!」

 

「それ!? 俺がダンスを始めた理由ってソレ!?」

 

「さらに二人は、何か大切な『約束』をしたみたいなんです!」

 

「将来を誓い合う以外に大切な約束って何!?」

 

 次々と明らかになっていく『一条リヒト』と『絢瀬絵里』の関係、そして『一条リヒト』がダンスを始めた理由。しかしなぜか、それは知りたかったはずのことなのに今のリヒトにとってはできれば『すぐに忘れたいこと』になっていた。

 いや、理由は分かっている。

 誰が好き好んで好きになった相手の妹さんから、馴れ初めを聞かなければいけないのか。それは半ば地獄だろう。しかも『将来を誓い合った仲』ということまで暴露されたとなると、もう羞恥心でリヒトの心はいっぱいになっていた。

 幼い頃からなんて約束をしているんだ! と叫んでも、すでに起きてしまったことを覆せるはずもなく、リヒトはただ嘆いていた。

 

(くそっ! 母さんがロシアのことを話すたびにニヤケ顔になっていたのはこれが理由だったのか!)

 

 母・美鈴は『一条リヒト』との思い出話の中で、ロシアのこととなるといつもニヤケ顔になっていた。そのことが不思議でたまらず、今その謎が解けたというのになぜ晴れ晴れとした気分ではないのだろうか。

 脳裏に浮かび上がる母のニヤケ顔に拳を向けながら、しかしそれは何の意味もないためリヒトは肩を落とすしかなかった。

 

「……ちなみに、それ事実?」

 

「お婆様から聞いたので、間違いないと亜里沙は思ってます」

 

『一条リヒト』がロシアに行ったのは子供の頃だ。ならば二人が約束した『将来を誓い合った仲』は子供が大人の真似事をしたことだろうと思いたいのだが……周囲から聞く『一条リヒト』の人間性と、母親のニヤケ顔からもう察してしまった。

 ホント、記憶喪失前の俺ってマセガキだなー、と思いながら自分のことを鼻で笑うリヒト。

 

「……まあ、それはそれとして。つまり二人の仲は凄くよかったことだよな?」

 

「はい! それはもう──」

 

「──大丈夫、それ以上は言わなくていいから」

 

 先ほどのことをまた語りそうになった亜里沙のこと遮りながら、新たに浮かんできた疑問を口にする。

 

「でもそれじゃあ、なんで絢瀬は俺に会った時に動揺してたんだ?」

 

 そう、それが今リヒトの中にある新たな疑問だった。

 亜里沙の話を聞く限りでは、『一条リヒト』と絢瀬絵里の関係は良好。少しだけ大胆な約束をしているのが何よりの証拠なのだが、それではなぜ絵里はリヒトを見た時に戸惑いを見せたのだ? 良好な関係が続いていたのならば、絵里のあの反応はおかしい。

 いや、それだけではない。リヒトが『絢瀬絵里』の存在を知ったのは、さっきが初めてだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これも良好な関係が続いていればありえないこと。記憶を失くした後から『絢瀬絵里』という少女を知るまでの期間がこんなに空くのはおかしい。それなのにこれほどの期間があったということは、二人の関係はどこかで一度途切れているということにならないか? 

 

「……やっぱり、まだ引きずってたんだ」

 

「引きずってた? どういうことだ?」

 

 先ほどまでの表情とは打って変わって、暗く落ち込んだ表情でつぶやいた亜里沙の一言を、リヒトは聞き逃さなかった。

 無意識のうちに呟いていたのか、リヒトに聞かれた亜里沙はハッとなった後に、静かにその口を開いた。

 

「……詳しいことまでは知らないんですが、お兄さんとお姉ちゃんの間には、大切な『約束』があったみたいなんです」

 

「大切な、約束……? それって、さっき言ってた大切な約束のことか?」

 

「はい。とても大切で、『叶えたい夢』でもある、そうお姉ちゃんは言っていました。内容は教えてくれなかったんですが、亜里沙は二人でプロになることが『夢』だったと思ってます。お姉ちゃんのバレエはとてもすごくて、将来も有望されていましたから。お兄さんも、ダンスを本格的に学んでいたみたいですし、この予想、結構当たってる自信あるんですよ」

 

 そう言ってほほ笑む亜里沙。リヒトもその予想は大方当たっているのではないかと思っている。『一条リヒト』もプロになることを目標にしていたらしく、毎日厳しい母親の指導を受けていたらしい。留学までしているのだから、その考えは本気だったことがうかがえる。

 

「でも」

 

 しかし、亜里沙の微笑んでいた表情は、次の瞬間悲しげなものに変わった。

 

「お姉ちゃんはバレエを辞めてしまったんです」

 

「え?」

 

 その言葉は、リヒトに小さな驚きをもたらした。

 叶えたい夢だったのに、どうしてバレエを辞めてしまったのか。そんな疑問が湧き上がり口を開こうとするが、それよりも先に亜里沙と視線が合った。亜里沙はリヒトの心の内を読んだのか、悲しげに笑って首を横に振った。

 

「理由は教えてくれませんでした。

 あんなに一生懸命だったのに、お兄さんとの『夢』を果たすために毎日練習していたのに……その『夢』を諦めちゃったんです」

 

「……」

 

 諦めた、いや、挫折したともいえるこの結果を聞いて、何となくリヒトは察した。

 きっと絵里は何かしらの理由があって『夢』を諦めてしあったのだろう。そこにどれだけの苦悩が、辛さがあったのかは分からないが、彼女がとても苦しんで出した決断だということは容易に察することができる。

『夢』を諦めることの辛さは、そう簡単に言葉に表すことはできない。

 そして『夢』を諦めたということは『一条リヒト』と交わした『約束』が果たせなくなってしまったことを意味し、『一条リヒト』に合わせる顔がなくなった絵里は『一条リヒト』との連絡を絶った。

 

「お兄さんとは一応話したみたいです。そこでどんな会話があったのかは分かりません。次の日から、お姉ちゃんは自分の中で気持ちの整理が着いたのか普段通りで、お兄さんとは上手く話し合えたんだと思ってたんですが……」

 

 だからリヒトが絵里を知るまでにこれほどの期間が開いてしまった。

 二人の間でどんな会話が行われたのか、どんな結果に至ったのかは本人達しか知らない。絵里が気持ちの整理が着いたということは、リヒトが絵里のことを知るまでに期間を有したということは、きっとそれなりの結果が出たのかもしれない。

 

「……」

 

 亜里沙の言葉を聞いたリヒトは、無言で百円を投入しミルクティーを購入した。落ちてきた缶を取り出し、リヒトは亜里沙に向かって言う。

 

「戻ろっか。これ以上二人を待たせるのも悪いし」

 

「……はい」

 

 亜里沙の返事を聞いて、リヒトは二人のところへ戻ることにした。

 歩きながらリヒトは考える。

 このまま絵里に、『一条リヒト』とのことを聞いていいのだろうか? 亜里沙の話から間違いなく絵里は『一条リヒト』にとって大切な、そしてとても影響のある人物だ。ダンサーになるという『夢』をくれたのも絢瀬絵里。そしてきっと幼い『一条リヒト』の心を動かしたのは、絵里のバレエなのだろう。

 となれば、絵里と関わることで失くした記憶が戻るかもしれない。亜里沙の言った『その人の記憶に一番衝撃を与える人と会えば戻る』は、リヒトもドラマや漫画で見たことがあることだ。フィクションの世界な為信ぴょう性には欠けるが、それでも記憶を早く思い出したいリヒトにとっては、信ぴょう性などどうでも良かった。

 そうなれば、絵里は間違えなくリヒトの記憶に大きな衝撃を与えてくれるだろう。

 だが、その為には絵里に『夢』を挫折したことについて話してもらうことになる。もちろんそれ以外の情報を話せばいいのだが、そこの部分が一番『一条リヒト』と『絢瀬絵里』の深い関係にあたってしまうのだ。

 しかも、絵里は間違いなく先日ワロガに狙われた少女だ。まだ敵が絵里の心の何に付け込もうとしているのかわからない。だがもし、リヒトと話したことで心の揺らぎが膨らみ、敵に襲われることとなってしまったら……。

 リヒトは、考え続けた。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 ──少しだけ時は巻き戻る。

 リヒトと亜里沙が自販機へと向かい、絵里を任された海未はほんの少しだけ緊張していた。何せ相手は生徒会長であり自分達のスクールアイドル活動を否定している相手。緊張するのは無理もない。

 だが、同時に海未の中では疑問が生まれていた。

 

「まさか、あの映像を生徒会長が撮っていたとは」

 

 海未はずっと不思議に思っていたことがあった。ネットにアップされていたファーストライブの動画、あれはいったい誰が撮影し誰が投稿したのか。講堂に来ていないリヒトにはまず不可能なことであり、手伝いをしてくれた三人にも撮影はお願いしていない。

 

「……まさか、あなたに見つかってしまうとはね」

 

「ありがとうございます。あの映像が無かったら私達は──」

 

「──やめて」

 

「え?」

 

 海未の言葉を遮った絵里は、視線はこちらに向けないまま言う。

 

「あなた達のためにやったわけじゃない。むしろ逆よ。あなた達に自分のダンスと歌を客観的に見て、実力を知ってもらうためにやった。初めてたったの数十日だけでは人を惹き付けるようなものはできない。ネットなら、厳しい声が何の躊躇もなく打ち込まれる。それで挫折してほしかった。現実を知ってほしかった。その為にやったのよ」

 

「……」

 

「だからこの状況は想定外。挫折するどころか人数を増やしてまだ挑み続けている。なんで諦めないのかしらね」

 

 そう言って絵里は小さく鼻で笑った。

 まるでこちらをあざ笑うかのように。

 

「でも、私は認めない。前にも言ったけど、人を惹き付けることは簡単じゃない。それ相応の実力を得るのには何年も練習が必要。それをあなた達は数か月で成し遂げようとしている。そんなの絶対に無理よ、必ず失敗する。だから、大きな傷を負う前にやめなさい」

 

 最後の一言は鋭い視線と共にこちらに放たれた。

 本気が宿った瞳に射貫かれ、海未の体が微かに震える。

 なぜ生徒会長はここまで言うのか。前回だってそう、あの時も絵里は『夢』を『不治の病』だと言って海未達に始まりの一歩を踏まないように言ってきた。いや、あれは説得しに来たともいえないか? まるでこれから自分達が進む道には必ず挫折が待っており、自分達は必ずそこで傷を負う。だからその一歩を踏み出してはいけないと。

 そして今度は、すでに踏み出し始めてしまった自分達に向けて、止まるように言ってきた。海未達が大きな傷を負う前に。

 海未が俯いていると、絵里は静かにベンチから立ち上がりカバンを手に取る。

 

「話はそれだけ」

 

「──待ってください!」

 

 去ろうとする絵里を海未が呼び止める。

 あの時は穂乃果が絵里を止めた。しかしこの場に穂乃果はいない、だからと言ってこのまま彼女を帰してはいけない。自分達の覚悟を、この人にわかってもらわなければならない! 

 

「確かに、この道の先で私達はとても辛いことを経験し、挫折してしまうのかもしれません。どんな道にだって険しい山が待っているモノですから。でも、だからと言ってそれを理由に道を諦められるわけないじゃないですか! 険しい山が待っている? 上等です。険しい山が待っているからと言って、登山家は登山をやめたりしないのと同じです! そんなことから逃げるほど、私達の覚悟は甘くありません! 私達は必ず人を惹き付ける力を手に入れます。そして必ず学校の廃校を阻止して見せます!!」

 

「──―っつ!?」

 

 振り返った絵里の視線と海未の視線がぶつかり合う。

 互いが互いを睨みつける形になり、視線で自分の意見をぶつけ合っている。それは時間にして数秒、だが本人達にはもっと長く感じただろう。

 

「…………………………………………」

 

「…………………………………………」

 

 やがて絵里の方が先に視線を外し、今度こそ帰ろうとしたのだが、その行く手にはリヒトが静かに立っていた。絵里の足は止まり、今度はリヒトと絵里が睨み合う形になる。その両者の間に流れる空気に海未は息を飲み、リヒトの後ろに立っている亜里沙もまた、不安な瞳で二人を見ている。

 

「……君と『一条リヒト』のことは、ある程度亜里沙ちゃんから聞いた」

 

 先に口を開いたのはリヒトだ。

 そして海未には見えていた。リヒトが絵里のことを『君』と言った時、その肩が小さく跳ねあがったのを。

 

「二人の間にあった『約束』が、どうなったのかも……」

 

「……そう」

 

 その指がわずかに震えたのを、海未は見ていた。リヒトが言葉を発するたびに絵里の肩は震え、まるで恐怖している様に見えるのは、海未の錯覚だろうか? 

 

「……だから、こんなことを君に言うとは、とても失礼なことなのかもしれない。自分でも、最低なことだってわかってる。でも、俺はどうしても記憶を取り戻したい。

 頼む! 君と『一条リヒト』の思い出を、教えてほしい」

 

 と、リヒトは頭を下げて言った。

 その姿は海未の中にある、常に軽い性格で飄々としていた『一条リヒト』からは中々想像できない姿であり、その真摯な姿勢に小さな衝撃を受けた。

 だけど、それだけリヒトは記憶を取り戻したがっているということ。海未は記憶喪失になったことはないし、記憶喪失者も今までテレビの中でしか見たことがない。だから、リヒトが本当はどんな気持ちで日々の生活を送っているのかはわからない。

 しかし、自分だけ何も知らないのは怖いことだと、何となく想像できる。

 絵里が答えを発するまで頭を上げない気でいるのか、ずっと頭を下げ続けているリヒト。それだけ絵里が頼みの綱なのだろう。

 しばらく、息を飲む静寂がこの場を支配した。

 そして──、

 

 

「──悪いけど、あなたに話すことは()()()()()

 

 

「なっ……!?」

 

 その答えは──リヒトの顔に絶望を与えた。

 

「待ってくれよ……何もないって、どういう、ことだよ……」

 

「言葉通りの意味よ。私はあなたと話すことは何もない」

 

「……いや、悪い冗談はよしてくれ。何もないわけないだろう。君と『一条リヒト』の間は、確かに──」

 

「──私は、彼との思い出はすべて失くしたの」

 

 絵里は、その声をもってリヒトの言葉を遮った。

 

「……………………え?」

 

「私は、彼との思い出をすべて捨てた、そういう意味よ」

 

「捨てたって……なんで」

 

「……」

 

()()!!」

 

 リヒトは叫んで絵里に詰め寄った。その様子は焦っており、海未はリヒトを止めるべく仲裁に入ろうとしたのだが、それより先に顔を上げた絵里の表情を見たリヒトが止まった。

 その表情は、先ほどまでとは別の驚きで固まっていた。

 

 

「なんで……()()()()()()()?」

 

 

「──っ!?」「待ってよ! お姉ちゃん!!」絵里は亜里沙の声も無視して走り出した。リヒトは動けず、海未もまた事態の急変に付いて行けずに動けなかった。かろうじて亜里沙がこちらに頭下げたのを確認できたが、それ以前にショックと驚きで固まってしまっているリヒトが心配だった。

 頼みの綱だった絵里にあんなことを言われては、リヒトは相当なダメージを受けたはずだ。何と声を掛ければいいのか、絵里居た場所を見つめるリヒトはやがてその場から走り出した。

 

「リヒトさん!」

 

 海未もその後を追った。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 リヒトを追いかけてやってきたのは、榊家の中にあるリヒトの部屋だった。部屋の前に着いた海未、しかしそこからどう声を掛ければいいのかわからず、扉を叩こうとした手が止まってしまう。しかし、このままリヒトを放ってはおけず、意を決して扉を叩く。

 

『……海未か?』

 

 声が返ってきた。その声は扉のすぐ向こうから聞こえてきたため、きっとリヒトは扉に背を預けているのかもしれない。

 

「はい、私です」

 

『あははは、かっこ悪いとこ見せたな……心配させてごめん』

 

「いえ……」

 

 返って来る声は弱々しく、相当なダメージを心に負ったようだ。いつものリヒトからは聞かれない、そして『一条リヒト』の時も聞いたことのない弱々しいリヒトの声に、何と声をかけていいかわからず言葉に詰まってしまう。

 しばらくして、コン、と扉に何かぶつけた音が聞こえてきた。

 

『……最低だよな、俺。自分の記憶を優先して、絢瀬を傷つけた。

 ……泣いていたんだよ、絢瀬は』

 

「……」

 

『わかってたことなのに……、いざ絢瀬を目の前にしたら、記憶を取り戻せるかもしれない誘惑に負けて……。絢瀬にとって「一条リヒト」のことはデリケートな問題なのに……』

 

「……リヒトさん」

 

 リヒトの声には強い後悔の色が込められており、海未は迂闊な発言ができなかった。

 

『なあ、「一条リヒト」はこういう時どうしたんだろうな』

 

「え?」

 

『「一条リヒト」なら、こんな風に落ち込んでなんかいないで、すぐに絢瀬の元に駆け付けたのかな……? いや、そもそも俺が記憶喪失になってなかったら、こんな状況にもなってないよな』

 

「……」

 

『ホント、俺と「一条リヒト」って全く違うんだな。本当に同一人物なのかよ……』

 

「……リヒトさん、何を──」

 

『──海未だって戸惑ってんだろ? 今の俺と「一条リヒト」の性格の違いにさ。言ってたじゃん、「私るの知る一条リヒトは──」って』

 

「──―っつ!?」

 

『アレ、結構傷つくんだぜ? 「一条リヒト」と今の俺の違いは、嫌というほど前から体験してるからな。大体そうだった、俺を見る周りの視線には戸惑い、驚愕、そしてみんな口をそろえてこう言う。「なんだかちょっと不思議な気分」だって。まったく、こっちの気なんて考えもしないで……』

 

 海未は何も言えずにリヒトの言葉を聞いていた。 

 確かに記憶喪失後のリヒトと初めて出会った時は、記憶の中にある『一条リヒト』との違いに戸惑った。

 でもだからと言ってまるっきり別人だとは思っていない。

 今のリヒトにも、『一条リヒト』と同じ雰囲気を感じるところがある。人の笑顔が大好きなところや、夢に向かって頑張る人の姿が好きなところ。同じ人間なのだからそういった根本的なところは変わらないはずだ。

 それなのに、知らないうちにリヒトと『一条リヒト』を比べ、彼を傷つけてしまっていることに気付かなかったことを、激しく後悔していた。

 

『……わりぃ、しばらく一人にしてくれ。たぶん、今の俺はありもしないことを言って、お前まで傷つけそうだから』

 

「……わかりました」

 

 そういう優しいところは、変わっていませんよ。

 と、言えればどれだけ楽なことか。しかし今の状況では言えない。きっと今言っても、リヒトの心には届かないと思うから。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 榊家を出たところで、海未は希に遭遇した。

 

「希先輩」

 

「……その様子やと、何かあったみたいやな」

 

 希は海未の姿を見るなり、何があったのかを察したようだ。こちらを見透かすような視線で見てくる希。そういえば希は生徒会副会長、そして生徒会長である絵里とはとても仲のいいことで有名だったことを思い出し、希なら何か知っているのではないかと、話を聞いてもらうことにした。

 バイトのシフトが入っている故に、すぐには対応できないと言われたが、希はある程度の仕事を片付け終わった後にしっかりと話を聞いてくれた。

 先ほど起きたことをすべて話す海未。なぜ絵里は海未達にスクールアイドルをやめるように言ってくるのか、そしてもしかしたらリヒトとの関係を知っているかと思い、そのことも話した。

 すべての話を聞き終えた希は、少しだけ困った表情をする。

 

「りっくんとのことはウチも亜里沙ちゃんから聞いただけやからなー。真相までは分からないんよ」

 

「……そうですか」

 

「でも、エリチが君たちになんであんなことを言うのか、それに心当たりはあるで」

 

「本当ですか!?」

 

 ただし、と希は先に前置きしてから、その視線を細めて言う。

 

「少しばかり、刺激が強いかもしれへんよ……」

 

 その目は、まるでこちらを試しているかのように見え、海未はゴクリと喉を鳴らしながら、静かに頷いた。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

「……」

 

 夜、絵里は一人机に向かって勉強していた。生徒会長、といっても絵里が学生であることには変わりなく、周りと同じく今度の期末試験に向けてしっかりと勉強しているのだ。絵里の成績は上位の方であり、こういった日々の勉強の成果だろう。学校廃校阻止のための作業を優先したい気持ちを抑え、今テスト勉強をしている。

 しかし、今日は思った通りに集中できていない。理由は分かっている。きっとリヒトに言ったことを引きずっているのだ。自分からあんなことを言っておいて、自分でショックを受けるなんて──。

 

(いいの、私はもう彼との思い出はすべて捨てた。もう私に()()()()()()()()()()()のよ)

 

 首を振り、勉強に集中しようと意識を持って行くが、

 

『エリー!』

 

 ──やめて。

 

『俺さ、日本に帰ったらダンスを始める! そして絶対にプロになって、またエリーに会いに来るよ!』

 

 ──思い出さないで。

 

『なら私もプロになる! プロになってリヒトくんと一緒に世界を回りたい!!』

 

『なら約束しようぜ! 一緒にプロになって、一緒に世界を回る! それと、どっちが多くの人を魅了できるか勝負しようぜ!』

 

『うん! 約束する! その勝負も受けて立つわ!』

 

 ダンッ!! と絵里は机に拳を叩き付け、脳裏に浮かんできた光景をかき消す。

 唇を噛み、握った拳が震える。

 もし今、この辛い心の内を彼に打ち明けたら、楽になれるのかもしれない……。うんうん、きっと楽になれる。だって彼は私の見方。リヒトくんなら、今の私を救って──―。

 

(やめなさい! 私にはもうリヒトくんに会う資格はない。それに、何時までも彼に甘えていたくない)

 

 深呼吸を繰り返し、己の弱さをもう一度心の底へと沈める。『一条リヒト』との記憶と共に。

 

 

 ──―静かに目を開いた絵里の表情は、氷のようにとても冷たかった。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 時を同じくして、希のスマートフォンが鳴った。

 

「りっくん? どないしたん?」

 

 電話を掛けてきたのはリヒトだった。

 海未から聞いた話では、絵里に拒絶されショックを受けていると聞いたが。

 

『希、少しだけ頼みごとをしていいか』

 

 その声は、何か信念を込めた強い声音だった。

 

「なに?」

 

『俺、ちょっとだけ向こうに帰ることにした』

 

「え?」

 

 いきなりの発言に、希は少しだけ驚いた。リヒトがこの町を離れるということは、『光の戦士(ウルトラマン)』がこの町から一時的にいなくなることを意味している。

 

『もちろん、自分の立場をわかった上で言ってる。俺がこの町から離れるのは、敵からしてみればラッキーなことだからな』

 

「……わかっているなら、どうして?」

 

『たぶん、いや、今回のターゲットは絢瀬絵里だ。その証拠に、俺は前に彼女が襲われているところに遭遇した』

 

「エリチが──!?」

 

 絵里が狙われることは、ある程度希は予想していた。それは自分のある『占い結果』から来るものであり、狙われたメンバーがその『結果』に関係している人物だからだ。生徒会副会長として、絵里と共にいる中で彼女の心にもそれなりの『きっかけ』があることは分かっていた。

 だからこそ、いつか敵がその手を絵里に伸ばすことを覚悟はしていたが、こうして実際に伸びたことを知らされると、ショックだった。

 

『そして、今回は()が一番重要になるかもしれない』

 

「りっくんが?」

 

『ああ。今まで俺は闇に囚われた人たちの元に駆け付け、その人たちを救う手助けをしていたにすぎなかった。だけど今回は違う。絢瀬の心に、間違いなく「一条リヒト」が関わっている部分がある。もしそこを敵が利用してきたら、絢瀬の心を救うのは俺になる』

 

 確かに、今までリヒトはウルトラマンギンガとなり、怪獣になってしまった者たちの元に駆け付けていたが、実際に彼女達の心を救ったのはリヒトではない。真姫は父親、花陽は凛、にこは明美達元メンバーが、それぞれリヒトは間接的にかかわっただけで直接的にかかわってはない。だからこそ、リヒトが怪獣になってしまった少女達のことを知らなくてもよかった。

 しかし今回は違う。

 もし絵里が闇に囚われ怪獣となってしまった場合、その心を救うのはリヒトになる。だが今のリヒトは絵里のことを何も知らない。そして彼女からは拒絶され、絵里のことを知ることができなくなってしまっている。

 

「……なるほど、そういうことか」

 

『さすが希。察しが早くて助かる』

 

 つまりリヒトは、絵里との関係を調べるために実家に帰るというのだ。リヒトがロシアに行ったのは子供のことだと、希も聞いている。幼い頃のもいでならば、写真やビデオなどで残っているだろう。それに家族旅行ともなれば、両親もある程度知っているはず。

 

「でも、本当にわかるの? エリチとのこと」

 

 もし家にその情報があるのならば、なぜリヒトはその情報を今まで目にしていないのだ? 記憶喪失となってリヒトは、周りから『一条リヒト』のことを聞いて回ったと言っていた。ならばその時に『絢瀬絵里』のことも少なからず知っていてもいいはずなのだが。

 

『……俺さ、たぶん逃げてたんだよ。「一条リヒト」から』

 

「逃げてた?」

 

『ああ。周りが俺と「一条リヒト」のギャップに戸惑ってさ、それが怖かったんだ。俺も同じ「一条リヒト」のはずなのに、周りが言う「一条リヒト」とお前は違う、そんなことを言われてる気がしてさ。

 だからこっちに来たのも、たぶん逃げてきただけ。「一条リヒト」を知らないここなら、気ままにゆっくりと、()で生きられるんじゃないかって。

 でも、ふたを開けてみればこっちにも「一条リヒト」を知っている人がいて、さらには「夢」を俺にくれた少女まで出て来て、これ以上逃げてちゃいけないって思ったんだ』

 

「……りっくん」

 

『だから俺は、改めて「一条リヒト」と向き合ってくる。「一条リヒト」がどういう人間で、どういう人生を歩んできたのか。そして「絢瀬絵里」との思い出も、すべて。

 だから希には、絢瀬の傍にいてほしい。絢瀬に危険が迫ったらすぐに教えてくれ。ギンガの力を使ってすぐに駆けつける』

 

「……それ、どれだけ危険なことかわかってる?」

 

『もちろんわかってる。でも、今のままじゃ俺は絢瀬を絶対に救えない。それに……』

 

 そして、リヒトは少し情けない声でこういった。

 

『泣かせちゃったら、そのことも、謝らないと』

 

 その声音は、本当に後悔している様子だった。

 そこまで言われたら仕方がない。親友を絶対に救ってもらうためにも、そして親友を泣かせたことを謝ってもらうために、ここは頷くしかない。

 

「わかった。こっちは任せといて」

 

『ありがとう、希』

 

「でも、凛ちゃんの英語は見なくていいの?」

 

『そっちなら、西木野に任せた。どうやら、自分の方がある程度片付いたみたいでさ』

 

「さっすが、真姫ちゃんやなー」

 

 と、脳裏に自分の教え子(同級生)を思い浮かべながら呑気に声を発する希。

 

『それじゃあ、希。しばらくこっちのことは頼んだ』

 

「了解、ウチに任せとき!」

 

 リヒトの声に希はサムズアップで答えた。電話が切れてから、報酬として何か奢ってもらうことを約束しとけばよかったと、ムスッと画面の向こうを見ながら思った。帰ってきたら、そして今回のことが無事に解決したら、引きずってでも何か奢らせよう。そう心に決めながら希はカレンダーを見る。

 期末試験まで今日を除いて残り五日。にこ以外のメンバーの出来具合もそろそろ気にしなくてはと考えながら、同時に絵里のことも気にかけないといけないとは──。

 まったく、これは高めの報酬を候補に挙げておかなくては。

 と、密かに考えながら、自分のやるべきことを整理するのだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 そして、運命のテスト期間が終了した。

 

 




次回より、第8話後半戦突入!
一旦街を離れるリヒトですが、その判断は吉と出るか凶と出るか……

それでは次回「#08-3」に続きます――。


○お知らせ○
ハーメルンにて、ラブライブ!×仮面ライダー、通称「ラブライダー」のアンソロジーが企画されています。興味のある方は是非参加してみてください! 戦うヒロインたちの物語、一緒に描きませんか?
詳しくは活動報告に記載しています。


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第三章:揺れる心

先週は更新できずすいませんでした!
その代わり今回めっちゃ長いです。
えぇ、過去最高文字数だと思われる今回ですが、切りどころが見えなかったので。
それでは、よろしくお願いします!



 [第三章]

 

 その日、音ノ木坂学院アイドル研究の部室には、重苦しい空気が漂っていた。

 理由は単純。今日ですべてのテストが返却されるからだ。

 数日前に終わった期末試験はすでに返却期間となっており、μ’sメンバーの手元にも着々とテスト用紙が返ってきている。

 そして今日、一年生は英語、二年生と三年生は数学が返却され、全学年すべてのテストが返ってきたことになる。奇しくも三バカの苦手科目が最後に返って来るという状況に、誰もが息を飲んでいた。

 

「いよいよですね」

 

 海未が緊張を含んだ声音で告げる。

 

「凛は大丈夫だったよ。それより今までで最高点だったにゃ」

 

「じゃなきゃ困るわよ。あれだけ叩き込んだんだから、それ相応の点数を取ってよね」

 

 問題であった三バカの一人、凛は苦手だった英語で過去最高得点を出しており無事に赤点を回避していた。自信満々に語る凛に釘を刺した真姫の方も、全教科90点以上を叩き出しており無事に試練をクリアしている。

 

「にこも大丈夫だったわよ」

 

 数学の苦手なにこも、希のワシワシ地獄から逃れるために必死に勉強し、無事赤点を回避。

 残るは穂乃果ただ一人。

 しかし、同じクラスの海未とことりが先に部室に来ている時点で、メンバーの中には嫌な予感を抱く者もいた。

 

「海未ちゃん……」

 

「ことり、今は……信じるしかありません」

 

 二人の脳裏に、慌てた様子で教室を出て行く穂乃果の姿が浮かび上がり、もしかしたら最悪の結果を覚悟しなければ……と思っていた時、部室のドアが開かれ穂乃果がやってきた。

 

「穂乃果」

 

「……海未ちゃん、みんな」

 

 全員の視線が穂乃果に集中する。

 そして穂乃果は、ゆっくりとカバンの中に手を伸ばし、最後に返ってきた数学のテスト用紙を取り出す。

 

「──危なかったよ」

 

 そう前置きをして、穂乃果はついにそれを取り出した。

 

「──先生が採点ミスをしていて焦ったけど、無事に赤点を回避したよ!!」

 

 ブイサインをしながら結果を告げる穂乃果を横目に、全員の視線がテスト用紙へと集まる。数ある問題の中で、一つだけペケをされていた問題が青ペンで○に返られており、点数もその分上がっている。修正後の点数も、担当教師が返却前に言った赤点の点数より高い。

 ──穂乃果、赤点回避成功。

 それはつまり、メンバー全員が赤点を回避したこと。

 それはつまり、『ラブライブ!』出場条件をクリアしたということ!! 

 

『や、やったああああああああああああぁぁぁぁぁ!!』

 

 少女達は溢れんばかりの歓声を上げ、そして本日の練習に向けて準備を開始する。

 本当ならばリヒトにも今すぐにこの結果を伝えたいのだが、なぜかここ最近連絡が取れなくなってしまっているため伝えることができない。きっと休学の間の遅れを取り戻すために必死なのだろうと各々が解釈し、次に会った時に報告すればいいと思った。

 それよりも赤点を回避し『ラブライブ!』の出場条件を満たした嬉しさが上回っており、リヒトへの報告は完全に忘れ去られていった。

 穂乃果達は早速出場を認めてもらうために理事長室へと向かう。高まる気持ちを抑え、理事長室前へとやってきた穂乃果はドアをノック。

 

『……』

 

 しかし返答がなかった。

 

「いないのかな?」

 

 来客が来ている様子はない。理事長自身が外出しているわけはないし、となれば中で誰かと話している? 

 そう思いそっと扉を開けてみると、

 

 

「そんな! 説明してください!!」

 

 

 生徒会長の焦った叫び声が聞こえてきた。

 中にいるのは生徒会長の絢瀬絵里と、その向かいに座っている理事長の二人だけ。絵里の姿は背中しか見えないが、理事長の机に手を付いていることや先ほどの声音から、焦っていることがわかる。

 

「ごめんなさい」

 

 そんな焦る絵里に向かって、理事長は静かに謝罪した。

 

「でもこれは決定事項なの。音ノ木坂学院は、来年より生徒募集を止め──」

 

 目を伏せていた理事長は顔を上げ、どこか悟った瞳で──、

 

 

「──廃校とします」

 

 

 ──そう、宣言した。

 

『なっ……!?』

 

 その言葉には誰もが驚き、誰もが言葉を失った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 早朝、音ノ木坂学院理事長・(みなみ)比奈(ひな)はリヒトの祖父、榊奉次郎の元を訪れていた。

 比奈が来ることを予期していたのか、それとも早起きが習慣なのか、いずれにせよ比奈より先に身支度を整えた奉次郎は、比奈の姿を見るなり家へと案内した。

 

「ごめんなさい、こんな朝早くから」

 

「なに、構わんよ。リヒトが帰ってから最近の朝は暇でのう、ちょうどよかったわい」

 

 そう言っておどけて見せる奉次郎は、比奈の向かいに腰を下ろす。

 

「それで、やっぱり廃校決定は時間の問題か?」

 

「……はい。二週間後のオープンキャンパス次第になりました」

 

「二週間後のオープンキャンパス、か……」

 

 二週間後に開催される音ノ木坂学院オープンキャンパス。一般の人達が音ノ木坂学院にやって来て、在校生が学校のことを紹介するイベントなのだが、やはり入学希望者減少に伴いこちらの希望者も今のところ芳しくはない。

 

「来てくれた中学生たちにどれだけ音ノ木坂に興味を持ってもらえるかが、勝負じゃの」

 

 オープンキャンパスの最後に、来てくれた中学生を対象にアンケートを行う。その結果次第で廃校かどうかが決まるのだが、もし希望者がこのままの人数であり、こちらに何らかの手がなければ、正直に言って廃校の色が強いだろう。

 そもそも音ノ木坂学院の廃校話はすでに数年前からあった。

 その話が浮き上がった一番の要因は、秋葉原に出来たUTX学園で間違いないだろう。音ノ木坂学院は歴史ある女子校ではあるが、その反面建物の老朽化などがうかがえる。最新設備を導入したUTX学園に比べれば、古いと言われても仕方がない。

 若者は最新のものに惹かれる──、それは仕方のないこと。

 むしろ数年間あったというのに、まったく改善できていない私の能力不足ではないのか、と比奈は思ってしまっている。

 

「比奈さんや、まだ自分を責めとるな」

 

「え?」

 

「表情でわかるんじゃ。せっかくの美貌がだいないじゃぞ」

 

 と、どこから取り出したのかわからない手鏡を向けてくる奉次郎。

 確かに鏡にはまた暗い顔をした自分が映っていた。

 

「そう自分を責めるもんじゃないぞ。まだ廃校と決まったわけではない、諦めるんじゃないぞ」

 

「……」

 

「それに今年は穂乃果ちゃん達がおる。スクールアイドルが大人気の今、穂乃果ちゃん達の存在は廃校を阻止できる希望の星。彼女達ならば、きっと成し遂げてくれるはずじゃ」

 

 そう、今年は今までと違ってスクールアイドルが存在する。その人気の高さは比奈も実感しており、娘達のグループの人気も密かに調べていた。

 パフォ―マンス力はA-RISEに比べてしまうと劣ってはいるが、それでも彼女達のひたむきな姿に絶賛を送る声が多く、彼女達の人気が高いことがわかる。

 

「……それは、そうなのですが」

 

「なんじゃ、何か問題でもあるのか?」

 

「絢瀬さん──生徒会長の子が、あの子達の活動を認めていなくて」

 

 ──生徒会長の絢瀬絵里はスクールアイドルを認めていない。

 これは生徒間だけではなく教師間でも密かに囁かれていることであり、真面目で何事にも誠実な彼女にとって、スクールアイドルはチャラチャラしたものに見えるのだろう。

 それ故か、それとも別の理由か、絵里は穂乃果達に学校の名前を背負ってほしくないと思っているらしく、代わりに自分が『生徒会』として、『生徒会長』として学校の廃校を阻止しようと考えている。その為によく理事長室にやって来るのだが、今の彼女の心では任せることができない。

 それが比奈の本音だった。

 だからこそ、彼女が自分達で行動させてほしいと言ってくるたびに濁していたのだが、そろそろそれも限界だろう。この件は彼女に伝えなければならないのだが、おそらくその時はもう濁すことはできない。

 と、一人考えていると奉次郎の方は『絢瀬』という名に聞き覚えがあるのか、顎に手を当て『絢瀬……』と呟いていた。

 

「絢瀬……もしかして、その子の名前は『絢瀬絵里』と言うか?」

 

「はい。もしかしてご存じなのですか?」

 

「そうか、確かリヒトのガールフレンドの名前が『絢瀬絵里』だった気がしてのう。じゃがまあ、ここしばらくは会っておらんらしく、ワシもよく覚えとらん」

 

 なんだかさらっと孫の秘密を暴露している祖父に苦笑いが漏れてしまうが、ここは聞き逃したことにしといた方が彼のためかもしれない。

 

「しかしまあ、その子の気持ちもわからんではないのう。穂乃果ちゃん達の実力はワシもそれなりに見ておるが、完璧かと問われれば、素直に『はいそうです』とは言えん。学校の名前を背負うには、まだまだ未熟じゃろう」

 

 じゃが、と言って奉次郎はその瞳で比奈を見つめる。

 

「だからと言って、このまま何か手を打たなければ音ノ木坂学院は『廃校』になる。ならば、多少なりとのリスクを伴ってしまうが、穂乃果ちゃん達に託すのも一つの手ではないのかのう」

 

 それは比奈に向けられた言葉か、それとも絵里に伝えるように向けられた言葉なのか、比奈にはどちらの言葉にも聞こえ、その真意を見つけることができなかった。

 もし自分に向けられたことを示すならば、奉次郎は比奈の心の内をわかっているのかもしれない。

 ──心のどこかで、もう諦めていることを。

 

「……本当は、廃校なんて考えずに、伸び伸びと学園生活を送ってほしいんです」

 

 と、比奈はポツリと呟いた。

 

「たった一度の高校生活を、残された、高校せ──」

 

 パンッ!! と、奉次郎の両手が比奈の目の前で叩かれた。

 ──その名は猫だまし。

 突然目の前で大きな音をたてられ、呆気にとられている比奈を、奉次郎は真剣な眼差しで見つめる。その瞳にはどこか『怒り』の様なものが見受けられ、比奈はとっさに謝罪をした。

 

「すいません……!」

 

「比奈さん」

 

 奉次郎は静かに比奈の名を呼んだ。

 

「お主がここ数年で、どれだけ廃校を阻止するために努力してきたかを、ワシはそれなりに理解しているつもりじゃ。そしてその度に、お主の心が疲れて行くのも」

 

「……奉次郎さん」

 

「じゃが諦めるのはまだ早い。まだ希望が残っている。まだ穂乃果ちゃん達がおる。信じるのじゃ、穂乃果ちゃん達を──彼女達『μ’s』を。可能性はまだ、残されておる」

 

 ──信じること。

 奉次郎の言葉に、比奈は何も言い返せなかった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ふぅ、と息をついて比奈は椅子に背を預けた。

 絵里と穂乃果達にオープンキャンパスの説明を終え、穂乃果は二週間後への意気込みを、そして絵里は案の定『生徒会』でオープンキャンパスの内容を決めれるように提案してきた。

 もうこれ以上濁すことはできない。そう判断した比奈は絵里の好きなように任せ、一抹の不安を抱えたままその背中を見送った。

 

(……私は、どうしたらよかったのかしら)

 

 窓の外に視線を向け、脳裏にこの学校の風景を思い出す。数十年前に訪れたオープンキャンパスの時の光景、そして高校生となりこの学校に通った思い出。大学卒業後に教師として再び訪れたこの学び舎。

 今では理事長となり、この学校から自分と同じように旅立っていく者を見届ける立場にあるが、それももう長くないのかもしれない。

 

(今は……信じるしかないのかもしれないわね)

 

 まだあがく手はあるのかもしれない。それでも、ここ数年の間に自分の力ではどうにもできなかったことに、心を締め付けられるのだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス──」

 

 放課後の屋上。

 穂乃果の声が響き渡る中、全員で新曲を踊っていた。

 残り二週間。この短い時間で穂乃果達は、今取り組んでいる新曲を完璧に仕上げなければならない。この曲に取り組み始めた時間から逆算するに、完璧に仕上がるのはギリギリと見ていいだろう。それはみんなわかっている。だからこそ、全員が集中して取り組んでいた。

 正直なところ、たとえこの曲が完成したとしても、生徒会長を説得しない限りオープンキャンパスでは披露できないと、真姫は考えていた。しかしことりによれば、必ず部活紹介の時間は作られ、そのタイミングで曲は発表できるとのこと。

 故に練習し、完璧に近い形に仕上げることが、今の彼女達のやらなければいけないことだ。

 

「──おおっ!! みんな完璧!!」

 

 最後のキメポーズも決まり、撮影した映像を振り返ってみると今まで以上にいい形に仕上がっている。

 しかし──、

 

 

「──まだです」

 

 

 ──海未の声が静かに響き渡った。

 

「まだ、足りません……」

 

 画面を見つめて言う海未。

 

「海未ちゃん……、わかった。もう一回やろう」

 

 海未から何かを感じたのか、穂乃果は海未の意見に賛同するとスタートの位置に着く。周りはなんだか腑に落ちない様子だったが、穂乃果が位置に着いたのを見て、自分達もそれぞれのスタート位置に着いた。

 再び刻まれるステップ。

 穂乃果の掛け声の元、そして今度は海未の手拍子も加えて踊って行くメンバー。何がダメなのか、何が足りないのかを客観的に海未に見てもらうのだが、再び放たれた一言は、

 

「……ダメです」

 

 それだけだった。

 普段の海未ならばどこかダメ、何がダメなのかを明確に言うのだが、今回だけは違った。ただ『ダメ』というだけ。さすがにこれは真姫がしびれを切らし、海未に詰め寄る。

 

「なにがダメなのよ! ハッキリ言って!!」

 

「……足りなんです。感動が、心に響いてくるものが」

 

「……どういうことよ?」

 

「……説明するので、みんな部室に来てください」怪訝な視線を向けてくる真姫に、そしてその後ろで行く末を見守っていたメンバーに向け、海未は静かに言った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「みなさん、これを見てください」

 

 海未の持つ携帯端末がテーブルに置かれ、全員の視線がその画面へと向かう。

 そして流れている映像を見た瞬間、全員が衝撃を受けた。

 画面には幼い金髪の少女が、バレエを踊っている姿が映し出されている。その少女の正体が絢瀬絵里だと誰もがすぐに気づき、画面越しにでも伝わってくる絵里のすごさに誰もが飲み込まれていた。

 画面に映る幼い絵里は、今の険しい表情とは違い太陽の様な輝かしい笑顔をしている。ステージを優雅に舞う姿は美しく、その姿に全員が『魅了』されていた。

 この動画は、先日海未が希の元を訪れ、絵里のことを聞いた際に見せてもらった映像だ。

『絢瀬絵里には、将来を有望されるほどのバレエの実力があった』。そう説明されたのと共に、希から受け取ったこの動画。これを見て、海未は直感的に悟った。

 ──自分達の未熟さに。

 

「確かに、コレと比べたら『足りない』わね」

 

 腕を組み、険しい顔をして言うにこ。

 きっと彼女も直感的に悟ったのだろう。今の自分達の力では、この映像に映る絵里の足元にも及ばないと。

 リヒトの指導もあり、自分達のレベルはアップしている。しかし人を『魅了』できるほどのレベルに達しているか? と問われれば、まだ届いていないのが正直なところだ。穂乃果が先ほど『完璧』といたのは、おそらく『外』に関してだと思われる。日々の練習の成果もあり、『見た目』ならば上達しているに違いない。

 しかし『質』はどうだろうか? もっと客観的に見て、自分達の気持ちはダンスに乗せられているか? もっとダンスにキレが出せるのではないか? そこは、リヒトやリヒトの母である美鈴に見てもらわなければわからない。

 

「『質』を見てもらうリヒトさんとの連絡が取れない今、私はこの動画を目標にするしかありませんでした」

 

 リヒトが帰省しているのはこの場の全員が知っていること。テストが終わればテレビ電話を介して練習風景を見てもらう予定だったのだが、テスト最終日の朝以降リヒトとの連絡が取れなくなっている。これが今のμ’sにとって痛手だった。

『質』の部分を見てくれる人を失い、その為に幼き絵里の姿と比べてしまったのは、仕方のないことだろう。

 

「そして絵里先輩は、これほどの力を持っていながら、『夢』には届かなかったそうです」

 

『え?』

 

 二度目の衝撃がメンバーを襲った。

 

「届かなかった……?」「海未ちゃん……どういう意味?」驚きが混じった声音で聞いて来る幼馴染二人に対し、海未は静かに言葉を返す。

 

「夢に届かなかった、そのままの意味ですよ」

 

 その言葉の意味を、穂乃果とことりだけではなく全員が徐々に飲み込んでいった。

 動画から見てもわかるほどに、絵里の実力は相当なものだったはずだ。

 将来を有望されるほど、そして本人はプロを本気で考えていた、という海未の追加の説明を受け、全員を襲った衝撃は倍になった。

 これほどの力を有しておりながら、『夢』に届かなかった……。

 そこで穂乃果はハッとなり、なぜ絵里が自分達に歩みを止めるように言ってきたのか、その理由が分かった気がして海未に視線を向けると、静かに頷き返してきた。

 つまり絵里は、穂乃果達に挫折してほしくないために、止まるように言ってきたのだ。自分のようない体験を、してほしくないから……。

 もし学校の廃校を阻止できなかった場合、自分達はどれ程のショックと挫折を味わうのか、それはきっと考えているよりも巨大なことだろう。それを阻止するために、生徒会長は嫌われる覚悟で止めに来た。大きな挫折を経験した者として。

 それはこの場にいる全員が何となく察したのだろう。誰もが口を閉ざしてしまった。

 

「生徒会長は、本当は優しい方です。私達のことを思っていてくれた。それがわかった時、私はあることを思ったんです」

 

 そして海未は、少しだけ笑みを浮かべて。

 

「この人に、ダンスを教わりたいと」

 

『──!?』

 

 海未の発言に、三度(みたび)驚きの表情を浮かべるメンバー。

 

「これほどの実力を持っている人に見てもらえれば、私達のダンスはより良いものになるはずです。それにリヒトさんがいない今、ダンスを詳しく見てくれる人も必要です。その為には、生徒会長の力を借りるしかありません」

 

 リヒトがいない状況で、新曲をオープンキャンパスまでに仕上げるには、確かな実力を持った人の指導が必要。その条件を満たしている絵里に頼むことはいい。しかし絵里は当初からあまりこちらの行動に関心を持っていない、ここで頼んだとしても引き受けてくれるかが不安だった。

 

「うん、私は賛成」

 

 沈黙が訪れる中、穂乃果が頷きながら言った。

 

「それに、私達はどんなことがあろうと諦めない。それを生徒会長に証明したいんだ」

 

 全員の視線が穂乃果に向かい、その言葉を聞いて納得した。

 要は、生徒会長は自分達が必ず『挫折する』と決めつけている。それは、些か腹が立ってくる話だ。まだ自分達はその壁にすらぶつかっていないのに、勝手に決めつけてもらっては困る。

 勝手に人の未来を決めないでほしい。

 確かに自分達はまだまだ未熟だ。

 だからこそ、必死になって練習するのだ。その壁をぶち壊し、自分達が望む結果を手に入れるために。

 

「……そうね、私も穂乃果の意見に賛成だわ。一条がいない今、絵里に見てもらうのが賢明な判断ね」

 

 それに見返してやりたいし、と付け加えてにこは言った。

 その言葉を皮切りに、そのほかのメンバーの賛成の意思を見せ、満場一致で明日生徒会長にお願いをすることが決まった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 翌日。穂乃果達は早速生徒会室へと向かい、昨日の提案通りダンスを教えてください、とお願いをしていた。

 

「……」

 

「お願いします! 私達、もっとうまくなりたいんです!」

 

 穂乃果の言葉を聞いて、絵里はしばらく考えた。

 それは時間にすればほんの数秒だが、その間では様々な思いが絵里の頭の中を横切る。その中ではどうしても己の挫折が出てきてしまうが、正直なところ生徒会でもいい案が出てきていない。

 ならば、もうここはこの子達に頼るのも一つの手ではないか? 彼女達の人気はそれなりに把握している。瞬時に様々なことを考え、最終的判断を下した。

 

「……わかったわ。屋上で準備して待ってて」

 

 ──現状を見て、ダメなら諦める。

 それが絵里の下した判断だった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 時間をおいてから屋上へ行き、絵里はまず基礎的な運動能力を調べることにした。聞いたところによれば神田明神でリヒトの指導を受けているらしい。もしリヒトが『一条リヒト』であるのならば、ある程度のことは教えているはずだと思い見ていると、絵里が予想していた酷い参事にはならなかった。

 まあ、多少なりともマシな状態でなければ、一体リヒトから何を教わっていたのだと問いただしていたことだろう。

 

「まずまずね」

 

 と絵里が評価を下すと、穂乃果達は内心少しだけ嬉しかった。逆に言えばリヒトがいなかった場合、悲惨な状況になっていたかもしれないということに、彼女達は気づいているのだろうか。

 

「でも……あなた、ちょっとこっち来て」

 

 しかし思うところがあるのか、絵里は一人の人物を呼び寄せる。

 指名されたのは星空凛。凛は自分が呼ばれることを疑問に思い、首を傾げながらも絵里の元へと行く。

 

「ちょっとここに座って、足を開いて」

 

「…………」

 

 そこで凛は、自分がなぜ呼ばれたのかを理解した。

 絵里に指示されたのに、凛は固まって動こうとしない。なぜならそれはリヒトからも言われている、自分が最も苦手とするものだからだ。練習する様にと言われているが、正直なところサボっているので、今なお克服できていない。

 

「どうしたの? いいから座りなさい。時間が無くなるわよ」

 

 絵里に急かされ、凛は渋々座り足を開いた。

 そして次の瞬間、

 

「んぎゃあぁぁぁ!!!?」

 

 絵里に背中をされ、女の子が出していいのか怪しい悲鳴を上げる。

 

「あなた、体硬すぎ。リヒトくんから何も言われなかったの?」

 

「にゃは、ああああ」

 

 サボってました、とここで正直に言った場合、待っているのは地獄だろう。しかしそれでも、スクールアイドルを始めた当初よりかは柔らかくなっているのだが、お腹が地面に着くのはまだまだ先。

 絵里は容赦なく凛の中を押し、その度に凛の口から悲鳴が上がる。

 

「生徒会長、今、りーくんの名前」

 

「っつ!? それより! ほかのみんなはどうなの? ちゃんとできるの!?」

 

 絵里の口からリヒトの名前が出たことに驚いた穂乃果は、そのことを追求しようとするが、頬を染め激高を飛ばした絵里にかき消されてしまった。

 

「──ふっ」

 

「おお、さすがことりちゃん!」

 

 反対側では、日ごろから柔軟をしているおかげで元から体が柔らかかったことりが、足を百八十度開脚し、お腹を地面につけていた。

 そのほかのメンバーも、ある程度は柔軟性が高まっているがことりには及ばない。それはつまり絵里が合格とするラインに届いていないということ。

 

「これもまだまだね。次! 体感トレーニングは!?」

 

 続いて体感トレーニング。二年生組は始めた当初にやっていたこともあり、それなりにバランスを保てて入るが、一年生組とにこはまだ揺れが多い。それでも、練習を怠っていなかったのか、絵里の設定した時間ぎりぎりまで何とか粘っていた。

 

「次! 筋力トレーニング!」

 

 続いて筋力トレーニング。普段やっているモノではなく、より負荷のかかる形に変えたことにより、もとより筋力の少ないにこが悲鳴を上げる。

 回数が増えるにつれ、普段から弓道部でトレーニングしている海未の顔にでさえ、次第に顔色が変わって行った。

 

「もう1セット! 行くわよ!!」

 

 その後も絵里のトレーニングは続いた。普段穂乃果達がやっているトレーニングの何倍もきつく、流れ出る汗の量が尋常ではない。回数を重ねるにつれ練習着は大量の汗で濡れ、休憩の間は誰一人として声を発さず、酸素を求めて呼吸を繰り返すだけ。体力のないことりと花陽は膝に手を当て、そろそろ限界ではないかと思われる。

 再びの休憩。

 倒れ伏す穂乃果達を見て、絵里は一言放った。

 

「今日はここまで。もういいわ」

 

 正直なところ、リヒトのおかげで多少はマシ、というのが感想だった。こちらが出したメニューをギリギリでこなすということは、おそらく基礎をしっかり細部までやっていないということ。特に花陽は次に移った瞬間、倒れるのが目に見えていた。ここまで倒れなかったのは、偶然と見ていい。

 そもそも彼女達がスクールアイドルを初めて三か月。その間で二曲も新曲を出しているということは、ここ最近の練習時間は曲の練習に振り分けられたと考えられる。

 柔軟及び体力はまだまだ完璧とは言えない。

 床に座り込んでいる彼女達を一瞥すると、背を向け出て行こうとするが、

 

「待ってください!」

 

 と、穂乃果の声が絵里を呼び止めた。

 振り返ってみると、全員疲労から立つのもやっとだというのに、残りの力を振り絞って立ち上がっている。

 なんだ? と身構えていると、彼女達は一列に並び──、

 

「ありがとうございました! 明日もよろしくお願いします!!」

 

『お願いします!!』

 

 感謝の言葉を述べてきた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 穂乃果達の感謝を受け取り、屋上から去る絵里は先ほどの練習風景を思い出していた。

 彼女達は自分が想定していたレベルより高く、日ごろからしっかりとした指導の元、練習していたことがわかる。しかしそれでも、絵里が設定した合格ラインには届いてない。どのみち今のままでは学校の名前を任せるわけにはいかなかった。

 しかし、もし残りの時間絵里が彼女達を指導した場合、もしかしたらというのがあり得るのではないか? 

 そんな淡い期待を抱くのと同時に、絵里の脳裏には『あの時』の光景が浮かび上がってくる。

 ──これで完璧。

 ──絶対にいける。

 ──失敗なんてない。

 そう確たる自信をもって挑んだオーディションで、完膚なきまでに負けたことを。

 

「……くっ」

 

 大きな自信、期待を持っている時ほど、それが崩れ落ちた時の反動は大きい。もし彼女達にオープンキャンパスを任せ、失敗した時、彼女達はどうなる? きっと自分と同じかそれ以上の『挫折』を味わうことになる。それこそ、二度と立ち上がれないほどの……。

 そんな事態にはしたくない。

 大きな挫折は、誰にも味わってほしくない。

 ならばどうすればいい。

 簡単だ。彼女達を止めるしかない。その為には、嫌われる覚悟で立ち向かうしかない。明日もきっと彼女達の練習を見ることになる。ならば、その時は今日以上にきつくして己の未熟さを、間に合わないことを知ってもらい諦めさせるしかない。

 だが、

 

(……わかってる。そんなことしても、無意味なことくらい)

 

 ああいう目をしている人ほど、諦めが悪いこともまた、過去の経験から分かっている。

 ならば一体、どうすればいいのか。

 もう、わからなくなっていた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 そして、ローブの男はこうつぶやいた。

 

 そろそろ頃合いだと。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 そして翌日。

 絵里は屋上の扉の前で立ち止まっていた。すでに穂乃果達は集まっているらしく、扉の向こうからは元気な声が聞こえてくる。

 やはり彼女達は、諦めていない。

 

「あ、生徒会長」

 

 扉を開けるのを渋っていると、階段を上がってきた凛に声を掛けられる。彼女には昨日、無理やり開脚をさせ辛い体験をさせたというのに、ニッコリ笑顔で絵里の背中を押し始める。

 

「ちょっとっ!?」

 

「早く行きますよ! みんなが待ってるにゃ!」

 

 凛に背中を押され、絵里は穂乃果達の元に姿を現した。

 

『おはようございます』「まずが柔軟からですよね?」絵里がやってきたとわかると、全員があいさつをし、ことりが続けて問いかけてきた。

 昨日あれだけ辛い練習をしたというのに、今日も同じ練習を、下手をすればそれ以上のことをやるとわかっているはずなのに。

 残り少ない時間でダンスの練習せず、繰り返す基礎の練習に不満はないのだろうか? 

 いや、それ以前に彼女達は怖くはないのか? 失敗することが。挫折することが、現実を知ることが。

 なぜこんなにの明るく、前向きに進めるのだ? 

 

「……あなた達は、怖くないの?」

 

 だから、自然と問いかけていた。

 

「失敗することが、挫折することが、これまでの努力が水の泡になることが。どんなに頑張っても、どんなに努力しても、『夢』に届かなかったら!」

 

 

「怖いですよ」

 

 

「──え?」

 

 穂乃果の声が、絵里の耳に滑り込んできた。

 

「怖いことだらけです。本番で失敗しないか、私達の『想い』がちゃんと伝えられるか、しっかり歌えるか、しっかり踊れるか。本当に学校の廃校を阻止できるか。もし失敗したら……なんて考えたら、キリがありません」

 

「……」

 

「不安だらけで、怖いです。

 けど、このまま何もしないで止まっているのが、もっと怖いんです! あの時ああしていれば、あの時ああしていたら、何か変わっていたかもしれない。そう後で後悔する方がよっぽど怖いんです! 

 だから私は後悔したくない。後悔しないために進むんです。何かをやれば、必ず何か変わる。目先の不安におびえるより、その先にある『ワクワク』が楽しみなんです! 

 それに、私はやりたいんです。みんなで、一つの目標に向かって頑張れれる、このスクールアイドルを。

 練習はきついです、体中痛いです。

 でも、廃校を阻止したい気持ちは、誰にも負けません! 目標の『夢』を掴むために! 

 それに──」

 

 と、穂乃果は一拍置いて、

 

 

「──最初から『失敗』を前提にしてたら、何事も始められませんよ」

 

 

「──っつ!?」

 

 その言葉を放った穂乃果の瞳には、ほんの少しだけ『怒り』の様なものが込められていた。

 

「生徒会長だって、バレエをやっていた時はそうだったんじゃないですか? 難しいことは何も考えないで、ただ全力でバレエに取り組んでいた。がむしゃらに、()()()()()()()()()()()()()()()を、やっていたんじゃないですか」

 

「……」

 

「だから私達は進みます。やりたいから、学校の廃校を阻止したいから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! ()()()()()()()()!!」

 

「──っつ」

 

 そこで、絵里の中で何かが弾けた。

 次の瞬間には走り出し、屋上から去っている。自分でもどうしてこんな行動をしたのかわかっていない。いや、きっと彼女達の心の強さを目の当たりにし、自分の心の弱さが恥ずかしくなったのだろう。

 彼女達は絵里が考えていた以上に心が強かった。おそらく彼女達が諦めることは絶対にない。彼女、穂乃果の心は滅多なことでは揺るがないことが、先ほどの言葉から分かった。

 一体、彼女の心はどうしてあそこまで強いのだ? 

 一体、何が彼女の心を強くしているのだ? 

 

「エリチ」

 

 階段を下り切ったところで、希と出くわした。

 

「希……」

 

「ウチな、エリチと友達になって、生徒会をやってきて、ずーと思ってたことがあるんや。エリチは本当はなにがしたいんやろって」

 

「え……?」

 

 希は絵里の瞳を見て続ける。

 

「エリチが頑張る時は、必ず誰かのため。今回だってそう。穂乃果ちゃん達に自分と同じ体験をしてほしくないから、嫌われる覚悟で頑張っている。自分の心に嘘をついてまで」

 

「噓だなんて、そんなの──」

 

「ついてるよ」

 

 瞬間、希の口調がいつものではなく素の物となった。

 普段から似非関西弁で話す彼女が、それを使わず素の言葉遣いをするということは、それだけ今の彼女が本気だということ。

 いつもの雰囲気とは違い、本気でぶつかってきている。

 その姿に、絵里は一歩足を引く。

 

「エリチはそうやっていつも何かを我慢して、後悔して、それを見せないように隠して頑張る。それが『私』にとってどれだけ辛いことかわかる? 親友が苦しんでいるのに、手助けも出来ない。何に苦しんでいるのか教えてもくれない。わからないまま、傷ついて行くエリチの心を見ていくことの辛さが、わかる?」

 

「……」

 

「教えて、エリチの心。本当は何をしたいのか。本当はどうしたいのか」

 

 自分が、本当はどうしたいのか──。

 そんなの、決まってる!! 

 

 

「……私だって……私だって諦めたくなかったわよ!! リヒトくんとの約束も! 夢も! 全部諦めたくなかった!! でもダメだった! 私の心は死んじゃった! だって……、どんなに練習しても、圧倒的才能を持った人にはかなわない!! 才能だけはどんなに練習しても埋められなかった! だから……諦めるしかなかった……もう、立ち上がれなかった……」

 

 

 心の内を吐露する絵里の瞳は、だんだんと濡れていき、何時しか大粒の涙となった。

 

「……希の方こそわかる? 私が夢を諦めた時の苦しさが! リヒトくんになんて言えばいいか、どうやって会えばいいかわからなかった私の気持ちが! 立ち上がれなくなって、リヒトくんとの約束に苦しんだ私の意持ちが! 

 だから私は、彼との思い出を……約束を忘れることにしたの。忘れれば楽になった。ただ空っぽになるだけで、また埋めていけばいいと思った。

 ……でもダメだった! あの子達の前に進む姿が! 心が! 私の中のリヒトくんを呼び起こしてきて、彼の背中を思い出させて! しかも、リヒトくん本人が来た……。

 ……私だってもう一度仲直りしたいわよ。また一緒に笑い合いたい、もう一度あの子達の様に『夢』を追いかけたい! 

 でも、私にそんな資格はないの……リヒトくんを裏切った、私には……」

 

「……」

 

「ねぇ、希……私は一体、どうすればいいの?」

 

「……エリチ」

 

「自分が不器用なことは分かってる。だからどうすればいいかわからないの……。お願い希、教えて? ボロボロになった私の心は、どうすればいいの?」

 

 絵里の心の内を全て聞き、希も涙を浮かべていた。親友がこれほど辛い思いを抱えていたことに、ここまで苦しんでいたことに。そしてようやく吐き出してくれたことに。

 絵里が今まで抱えてきた苦しみ。

 今の目の前にいる親友は、もう身も心もボロボロだった。大粒の涙を流し、声が枯れるほど叫んで──。

 ならば、救ってあげなきゃ。目の前でボロボロの親友を、助けなきゃ。

 そう思い、一歩踏み出したところで──、

 

 

「簡単だよ。ぼくらのために働いてくれればいいのさ」

 

 

 悪魔のささやきが二人の耳に聞こえた。

 

「──っ!?」

 

 瞬間、希は絵里の後ろに現れた黒いローブの男に戦慄し、絵里は悲鳴を上げる間もなくその口をふさがれた。

 

「大丈夫さ。怖がることはない。今からきみの心を開放するだけだからさ」

 

 鼻先にまで迫っているローブ男の顔。フードによって口元しか見えないが、恐怖を感じるには十分な距離であり、素顔がわからない故にその恐怖は倍増されていた。

 絵里の思考が混乱する中男の手が絵里の視界を覆い──、

 

 ちょ

               く

                        ご

       に

    い

         へ

                  ん

   があ

            った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「エリチ!!」

 

 校舎の外へと飛び出し、ワロガへとダークライブしてしまった親友の名を呼ぶ。

 迂闊だった。襲撃があるかもしれない、とリヒトから忠告を受けていたのに、まんまと襲撃を許してしまった。自分の危機感の無さに腹が立ってくるが、今はそれについて後悔している暇はない。

 怪獣となってしまった以上、あとはリヒトに任せるしかない。急いで連絡を取るためにスマートフォンを取り出すが、

 

「無駄だよ」

 

「っつ!?」

 

 ローブ男の声が耳元で聞こえ、急いでその場から飛び退いた。

 背後に迫っていたローブの男は、希の反応が面白いのかクスクスと笑いながら、フードの下から覗く口元を歪めて言う。

 

「彼は来ないよ。ぼくが先に()()()()()()()()

 

「なっ!?」

 

 その一言は、希に大きな衝撃を与えた。

 

「彼も馬鹿だよね。音ノ木町(このまち)から離れれば、『イージスの力』の加護が弱まって、今のぼくでも手を出せるというのに。おかげで簡単に『異形の海』、いや、あそこはもう『異形の墓場』と言った方がいいかな? まあどっちでもいいけど。とにかく、ぼくらのテリトリーに閉じ込めることができだよ」

 

 つまりリヒトは、すでに敵の手の中に落ちてしまっているということ。今まではこの町にいたおかげで敵の魔の手から逃れていたという新たな事実と、そしてリヒトが、ウルトラマンが来ないこの最悪な状況に、希は戦慄した。

 今まで幾度となく危機に駆け付け、敵の目論見を阻止していたウルトラマンギンガが、戦う前からすでに敗北している。一体誰が変身者自身を狙ってくると予想できるだろう。

 だが確かに、変身前であればリヒトはただの人間。そこを狙うことは、もし希が敵側であれば真っ先に思いつく作戦であり、同時になぜ予想できなかったのかと歯噛みしていた。

 

「そう睨まないでよ。ぼくも呆れたんだよ? ぼくらからすれば邪魔者が無防備で外を歩いているんだもん。狙ってくださいと言っているようなものだよ? だからぼくに怒りの矛先を向けるのは止めてくれない。責めるなら彼を責めなよ」

 

 と、まるで責められるのは心外だと言いたげなローブ男。

 最悪だ。

 絵里がワロガとなり、頼みの綱でもあるリヒトが敵に敗北しているこの状況は、最悪以外の何ものでもない。

 一体どうすればいい? 誰かこの状況を打破できるものはいないか? 

 いや、ない。怪獣を倒せるウルトラマンはリヒトだけ。ギンガスパークの模倣であるギンガライトスパークを持つものならばいるが、彼女達に連絡をし、さらには状況を飲み込んでもらったうえで怪獣になって絵里を助けてなど、説明している時間がない。

 詰みだ。

 これはもう、詰んだとしか言いようがない。

 

「さて、それじゃあ彼女にも動いてもらおうか」

 

 絶望の最中、ローブ男が無情にも命令を下す。

 

「きみも見ているといいよ。彼女の心が壊れるところを」

 

「……このっ」

 

「おっと、きみはここから動かないで貰えるかな。ぼくが()()()()を取り戻した時に、ちゃんと迎えに来るから」

 

 何か、何かないか? この状況を打破できるものは? 

 なんでもいい、奇跡でもなんでもいいから、誰かこの絶望的状況から助けてほしい。

 しかし、希がいくら願ったところでワロガは止まらない。その腕を上げ、音ノ木坂学院の校舎に狙いを定める。

 

「そうだ、きみの面白いことを教えてあげるよ。実は今、きみの親友は()()()()()()()()()()()()()()。この意味、分かるかな?」

 

 楽しそうに、まるでネタバラシを堪えている子供のように聞いて来るローブ男。

 その姿はとても不愉快であり、希は睨み返すことでせめてものの抵抗を示した

 

「あれ? わからない? つまりね、ワロガは絢瀬絵里の意思ではなく()()()()()()()()()()()()()()。これならわかるよね?」

 

「……まさか……!?」

 

「そう、普通怪獣にダークライブしたものは『心の闇』に囚われ、いわば一種のトランス状態になる。でも今の彼女は違う。ワロガの細工によって、彼女本来の意思を保ったまま行動している。

 つまり、今ワロガが学校を壊せば、彼女は自分で壊したと錯覚する。ま、位相が変異してるから、破壊しても元の位相のは壊れないんだけど」

 

 愉快に解説していくローブ男。最後の一文はつまらなそうに言うが、もしこのままワロガが学校を破壊した場合、意識のある絵里の心はどうなる? そんなの考えるまでもない。いくら偽物を壊したとしても、その事実を知らない絵里からしてみれば自ら守ろうとしている学校を、その手で破壊したころになる。そんなことになれば、間違いなく絵里の心は崩壊してしまう!! 

 

「エリチ!!」

 

「無駄だよ。いくら叫んでも、もう誰にも止められないさ」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 そして、絵里もまた自分の体が勝手に動き、その手が学校を破壊しようとしているのだとすぐに察した。

 

「やめて……! お願いやめて!!」

 

 どんなにあがいても、自分の意思とは関係なしに体が動く。その手に握るダークダミースパークを伝い、ワロガの腕先にエネルギーが溜まっていくのがわかる。

 

「エリチ!!」

 

「希!!」

 

 親友の声が聞こえてくる。

 だがもう、誰にも止めることはできない。

 

「いや、いや」

 

 絵里の抵抗も空しく、その手から──―、

 

 

「嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 ──無情な光が放たれた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 アームスショットが放たれた瞬間、二人の少女の顔には絶望が、一人の男性の口元は三日月のように歪んだ。

 このまま行けば一人の少女が壊れ、一人の生け贄が完成する。やっと邪魔者に邪魔されず一人目の生け贄を、()()()の大切なものの中から生み出すことができる。

 ようやくだ。ようやく一人目。ペースとしては遅いが、彼女の心を砕いた時に生まれる闇はきっと極上の物だろう。まだ『大いなる闇』が完全に復活するには足りないが、それでも十分な量を送れる。

 ワロガの中の少女の悲鳴、そして隣の少女から上がる悲鳴を楽しみながら、ローブ男はその瞬間を見ていた。

 光弾がゆっくりと音ノ木坂学院に迫る。

 少女達の絶望がより大きくなる。

 あの光弾は偽物とはいえ簡単に音ノ木坂学院を破壊し、少女の心を壊す。

 さあ、あとはゆっくりと待とう。少女の心が絶望に染まるのを。

 そして。

 そして。

 そして。

 

 

 

 

 バリィィンッッッ!!!! と、()()()()()

 

 

 

 

『!?』

 

 空が割れ、少女達が驚き視線を上げる中、

 

 

 同時に無情の光がかき消された。

 

 

 ッドンッ!!!! と、体の芯まで揺らすほどの揺れを発生させながら、光をかき消した『なにか』は土埃を上げ落下した。

 

「……まさか」

 

 少女の口から言葉が漏れた。

 その声音は、嬉しさより驚きの方の声音だ。

 それはそうだろう。その少女からしてみれば『彼』は絶対にこれないのだから。

 しかし『彼』は来た。

 当たり前だ、なにせ『彼』はヒーローなのだから。

 ヒロインのピンチに駆けつける。それがヒーローだ。

 静寂の中煙が徐々に晴れていき、その中にいる()()()()()()()

 その影は、赤と銀色の体をしている。

 その影は、巨人。

 その影は、クリスタルが特徴である。

 その影は、闇を払う光の戦士である。

 

『させねぇよ』

 

 絵里の耳に、聞きなれた少年の声が聞こえてきた。まさかと思い、視線を影の中へと向ける。自分のいる空間とは違い、輝く光の空間に立っているのは、間違いなく絵里が今一番助けを求めたい人だった。

 先日再会した時と同じベージュのサマーセーターは土で汚れボロボロ、破けているところだってある。少年の白い肌には痣や血痕、見ているだけでも痛々しい数の傷があり、唇の端からは固まった血が見え、せっかくセットしてあった明るい茶髪も、台無しになっている。

 立っているのがやっとなのか、時折バランスを崩し倒れそうになるが、足に力を入れ決して膝を着かない。

 ギンガスパークを力強く握りしめ、

 

『お前らの思う通りになんか、絶対させねぇ』

 

 その視線を上げる──。

 

 

『絵里の心は、絶対に壊させねぇ!!』

 

 

 絶望から少女達を救うべく、

 

 

 ウルトラマンギンガ(ヒーロー)が駆けつけた。

 




さぁ、第8話も半分を過ぎました!
変身前の主人公を堂々狙うローブ男はとんだゲス野郎です!
それはさておき、次回はいよいよVSワロガ。すでにリヒトはボロボロ(つかこの主人公はだいたいの場合でボロボロだけど)ですが、果たして絵里を救えるのか?

次回「#08-4」に続きます。

それにしても、
ヒロインが守りたい物を自分の手で壊そうとさせたり、
ヒロインを無理やり主人公と戦わせたり、
変身前の主人公を狙ったり、
と、悪役の鑑じゃないですがーローブ男さん。


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第四章:ギンガVSワロガ

お久しぶりの更新です。
気が付けば先月にこの小説が一周年を迎え、2016年が終わろうとしている……。
9人揃ってねぇ……

それはともかく、いよいよ佳境の第8話! 果たしてギンガVSワロガの行方は――!?


 ウルトラマンギンガとワロガは睨み合う。両者の間にはとてつもない緊張感が張り巡らされ、一瞬でも気を抜けばやられる状況だ。

 ワロガの強さはダークガルベロスと同等かそれ以上。いや、もしかしたらギンガに並ぶ強さかもしれない。どのみち、襲撃のダメージが残るリヒト、そして位相から抜け出す際にエネルギーを消耗したギンガの体では明らかに不利な状況だ。

 

(それがどうした。そんなもの気にしてたら、絢瀬は救えねぇ!)

 

『リヒトくん……』

 

 絵里の目にもリヒトが戦う前からボロボロであることは明白だった。そんな状態でワロガとまともに戦えるのだろうか? ダークダミースパークから伝わってくるワロガの強さは尋常ではない。絵里にはギンガの強さがどれほどのものかわからないが、万全ではない状態で戦うのは危険だとわかる。

 助けて、と言えばきっとリヒトはそのボロボロの身体を引きずってでも戦うだろう。だがどう見ても今のリヒトは万全ではない。その状態で戦えば命に関わるかもしれないのに、

 

『大丈夫だ、絢瀬。心配しなくていい。必ず助けてやるから』

 

 リヒトに引く気などない。大切な人を救うために、その体に鞭を打って戦う。

 そして──両者の激突が始まった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ウルトラマンギンガの登場は、希の心に小さな驚きと安心感をもたらしていたが、背後から感じる気配がすぐにそれを吹き飛ばした。

 ほぼ反射的に後ろへ振り返った希が見たのは()()()()()()()()()()()()()()。捕らえたはずのギンガが登場したというのに、うろたえることなく()()()()()()()()その姿は希に恐怖を与えた。

 だってそうだろう。ローブ男から見てみればやっと『一人目の生け贄』ができそうな状況だったのだ。何度も邪魔する『光』はテリトリーに捕らえ、完全に有利な状況を作っていた。それなのにギリギリのタイミングで『光』が駆けつけ邪魔をした。本来であれば声を上げ怒り狂ってもいいはずだ。

 それなのにこの男は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「どうして……笑ってるの……?」

 

 気づけば勝手に言葉を発していた。

 希から声を掛けられるとは思っていなかったのか、反応に遅れたローブ男はキョトンと首を傾げながら、

 

「ん? なにが?」

 

 と言った。

 

「あなたの目論見はこれでつぶれる。ウルトラマンギンガが、『光』が必ずエリチを救い出す」

 

 希の言葉を聞いてしばらく考えた後、なぜ彼女がそのようなことを言ったのか理解したローブ男はどこか納得した様子で、

 

「……ああ、そう言うこと。きみは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「勘違い……?」

 

 と希が口にした瞬間、ローブ男が笑い出した。

 

「ぷっ、あはははははははははははははは!! そうだよね、きみ達から見たらそう見えるもんねぇ。無理もないか」

 

 ローブ男は愉快に語る。

 

「滑稽だね。彼が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 低く、そう呟かれた言葉を聞いて希の視線が鋭くなる。

 

「だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? そんなヘマ、するわけないじゃん」

 

「……まさかッ」

 

 希の顔が恐怖で染まる。

 その表情を待っていたのか、ローブ男は声を上げより楽しそうにその真実を放った。

 

「ちゃんと()()()()()()。彼が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

「──ッ!?」

 

「それなのに、きみったら彼が自力で駆けつけたと思って……あははははは! そんなご都合主義展開はアニメやマンガだけだよ。実際に起こるわけないじゃん! あははは! 

 どうしてそんなことを? って顔をしているね。簡単だよ、絢瀬絵里の心を完璧に壊すには二つの要因があった。

 一つはきみが考えていた通り学校さ。自分の好きな学校を自らの手で壊す。

 そして二つ目。それが彼、一条リヒトさ。絢瀬絵里は一条リヒトに対して特別な感情を持っている。隠しているようだけど心は嘘をつけない、今でも彼女は一条リヒトのことを想っている。なら、学校だけではなくて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ねっとりと粘つくように言い放つローブ男。本人は面白おかしく楽しんでいるようだが、正直に言って嫌悪感しか湧いてこない。

 こいつは最低だ。最低最悪以外の何ものでもない、正真正銘の外道だ。人の心を最低の形で壊そうとしている。

 もし絵里が学校だけでなくその手でリヒトを倒してしまったらどうなるか。そんなの考えるまでもない。自分の大好きな学校に加えて想いの人を倒してしまうなど、彼女の心がズタズタに引き裂かれるに決まっている!! 

 

「このッ──!!」

 

 希は心の奥底から湧き上がってくる怒りを抑えることができずローブ男へと詰め寄る。

 ガツンッ! と胸ぐらを掴んだというのに男の態度は変わらない。むしろもっと楽しそうに、愉快に、自分の演出に酔いしれているように言う。

 

「どう? ぼくの演出(エンタメ)。なかなかおもしろかったでしょ?」

 

「ふざけるな!!」

 

 男の頬を叩こうと手を上げたがすぐに掴まれてしまった。その力は凄まじく振りほどこうにも全く動かない。

 ずいっと男の顔が近づく。

 

「そう怒らないでよ。ぼくはただ()()()()()()()やっただけさ。ほら、彼だって人の笑顔が大好きらしいじゃないか。ぼくも好きなんだよ、きみの笑顔が。だから楽しんで笑顔になってくれると嬉しいんだけどな」

 

「誰が──!!」

 

 腕が封じられたのならば足での攻撃。振り上げた足は男の脇腹を叩き、さすがに向こうも驚いたのかわずかに緩んだ隙をついて腕の自由を取り戻す。

 今度は自然と距離を取っていた。

 

「まったく、結構面白いと思ったんだけどなー。お気に召さなかったようで」

 

 ローブ男はあくまでも飄々と、心底残念そうに言う。

 希はローブ男を睨み続けるが、何かが倒れる音が響きそちらへと振り返った。

 

「ギンガ!!」

 

 希の見た光景はギンガが倒れ込む光景だった。カラータイマーは青色に輝いているが戦況は芳しくない。ワロガの素早い攻撃がギンガの体を襲い、逆にギンガの方は動きにキレがなかった。まるで重たいからだを無理やり動かしているかのようにその動きは遅く、希の記憶にあるギンガの動きとは明らかに違っている。

 そこで希はリヒトが襲撃されたこと、そしてこちらの位相に返ってくる際にエネルギーを消耗したのだと悟った。今のギンガは、万全ではない状態で戦っているのだ。

 

「うーん、向こうもあと少しで手が加えられそうだし、ここは一旦下がるとしよう」

 

 戦況を見て判断したのか、ローブ男の姿が消えて行く。

 

「待て!!」

 

『きみからそんな言葉を掛けてくれるのはうれしいけど、残念ながら向こうを優先しなきゃいけないんだ。また今度ゆっくりお話ししようじゃないか。その時は、ちゃんときみが楽しんでくれるものを用意しとくから』

 

 希の制止も空しく、ローブ男は姿を消した。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ギンガとワロガの戦いは、誰もが予想できる戦況となっていた。

 素早さ、攻撃力、瞬発力どれにおいても優れているワロガ相手に、消耗した状態で戦うなどあまりにも無謀。ギンガの攻撃はことごとく躱され、ワロガの攻撃は的確にギンガを捉えていく。

 そしてワロガの攻撃がギンガに当たるたびに、絵里の手には『命を削る感触』が伝わっていた。

 

(嫌、何なの……この感覚は……!?)

 

 ──絵里の意識がある。

 この部分だけが、真姫やにこと決定的に違う部分だが、()()()()()()()()である。ダメージフィードバックが襲うのも同じ。だが彼女達の時は意識まで乗っ取られていたため、例え怪獣の攻撃がギンガにダメージを与えてもその手に伝わる『命を削る感触』には気付いていなかった。

 しかし絵里は違う。意識がはっきりと残っているためその手伝わる『命を削る感触』が明確にわかるのだ。普段であれば絶対に感じることのない感触に絵里は背筋の震えが止まらない。手に伝わる感触と、目の前でリヒトが傷ついていく光景に心が引き裂かれそうになる。

 

『嫌あああああぁぁぁぁぁ!!』

 

 叫んで、必死に抵抗しようとするがワロガは止まらない。暴力の嵐がギンガを襲い、絵里の心に絶望を叩き付ける。

 よろめいたギンガへ向けて放たれる鋭い一撃。

 避けて! と言って間に合う速度ではなかった。

 だが、

 

 

 ガツンッ! とギンガはワロガの腕を掴んだ。

 

 

『悪い絢瀬、どうやら西木野達と同じやり方じゃダメみたいだ』

 

 瞬間、掴んだ腕に力を入れギンガはワロガを投げ飛ばした。

 

『手荒くなるが我慢してくれよっ!!』

 

 ワロガは背中から地面へと叩きつけられ、絵里にダメージフィードバックがやって来る。

 立ち上がるワロガの視界に攻め込んでくるギンガの姿が見えた。先ほどまでとは違い、力の入った拳が飛んでくる。ワロガの頭部を捉え脳を揺さぶられる。肩を掴まれ膝蹴りが腹部に刺さると、よろめいたところで大振りの一撃が飛んできた。

 タックルで距離を詰め、再び怯んだところを掴まれ投げ飛ばされる。

 怒涛の攻めにワロガは反撃するタイミングを失っていた。

 だがワロガがダメージで苦しむということは、ダメージフィードバックにより絵里も苦しむことを意味している。もちろんそれはリヒトも理解していることであり、だから視界の焦点を絵里ではなくワロガに向けている。絵里ではなくワロガの方を見れば、苦しむ彼女を見なくて済む。

 今まではライブ者を気にして『受け』の攻め方をしていたが、それはあくまでライブ者が怪獣を操っているからこそできた戦法。ワロガ自身が戦うこの状況では全く通用しない。こちらも攻めなければワロガには勝てないと判断したのだ。

 だが、いくら絵里を見ないように戦っていると言っても声は聞こえてきてしまう。苦しむ絵里の声に苦悶の表情を浮かべ、精神的ダメージを受けながらもリヒトは攻撃の手をやめなかった。

 

『がはっ!!』

 

『──っつ!』

 

 リヒトの耳に絵里の声が聞こえて来る。胸にとげが刺さる感覚を感じながらも、ギンガは渾身のストレートパンチでワロガをふっ飛ばした。

 そしてギンガはこの戦いに終止符を打つために胸の前で腕をクロスした。クリスタルが黄色に光りエネルギーがその腕に溜められていく。

『ギンガサンダーボルト』。それがこの戦いに終止符を打つ技の名前だった。

 

(これで決める! 耐えてくれよ、絢瀬!!)

 

『ギンガクロスシュート』に比べれば威力は低いが、それでも『必殺技』と名乗るほどの威力は持っている。どれほどのダメージフィードバックが絵里に襲い掛かるかわからないが、彼女が絶えてくれることを祈りながらギンガは技を放った。

 渦を巻く電撃がワロガに向けて放たれる。

 一直線に迫る電撃は、()()姿()()()()()()()()()()()()()

 

『なにっ!?』

 

 ワロガの姿が消え、不発に終わる『ギンガサンダーボルト』。

 辺りを見回し消えたワロガを探すが、気配が感じられない。

 

『後ろよ! 避けてッ!!』

 

 絵里の声が聞こえた時はすでに遅かった。背後に出現したワロガのパンチがギンガの頬を叩き、再び姿を消す。再び背後を取ったワロガはギンガに掴みかかり、左腕を押さえつけると逆の手でギンガの首を絞めつける。完全に不意を突かれ、完璧に近い形でワロガの首絞めが決まってしまう。

 ギンガは残る右腕でワロガの腕を振りほどこうとするが、右腕一本ではワロガのパワーに勝てなかった。フィードバックによりリヒトから失われていく酸素、そして絵里の手にはリヒトの首を絞めている、という感覚が伝わってくる。

 

『嫌、嫌!! リヒトくん!!』

 

『あ……、や、せ……』

 

 ダークダミースパークが怪しく光り、絵里の視界に自分がリヒトの首を絞めているビジョンを見せる。その光景が余計に絵里の精神にダメージを与え、心を蝕んでいく。

 

『いい加減にして!! 私の体でしょ!? なんで私の言うこと聞かないのよ!! リヒトくんを離しなさい!! ……離してよッ!!』

 

 だが、どんなに絵里が抵抗しようとその腕がリヒトの首から離れることはなかった。抵抗する意思とは反比例するかのようにどんどんその腕は締まって行き、遂にはリヒトの意識が朦朧とし始める。

 

(ま、マズイ……意識が……ッ)

 

 脳に送られる酸素が途絶え、このままではリヒトの意識が飛んでしまう。何とか振りほどこうと力を入れるが、消耗した体ではどうにもできない。

 そして、カラータイマーまでもが点滅を始める。

 まさに絶体絶命。

 

『離してッ! お願いだからッ!! このままじゃ……このままじゃリヒトくんが死んじゃう!!』

 

 涙を流し懇願する絵里だが、むしろそれがワロガ達の目的。このままいけば絵里の心は崩壊し、もれなく『闇』に呑まれる。学校破壊も行えば、もう完全に絵里の心は崩壊し完璧な『生け贄』となるだろう。ギンガのカラータイマーも点滅しており、すべてが時間の問題だった。

 

「ギンガ!!」

 

 希までもが声を上げるが、今のリヒトには届いていない。

 そして──―ギンガとリヒトの腕から力が抜けた。

 

『──え?』

 

 突然の出来事に絵里の思考が停止した。

 

『リヒト……くん?』

 

 絵里は自分の腕の中で脱力した少年の名を呼ぶが、返事はなかった。

 

『……ちょっと、うそ、でしょ……? や、やめてよ、なんで? リヒトくん……リヒトくん!!』

 

 何度呼んでも、何度揺さぶりかけてもリヒトからの反応は返ってこない。ただじっと絵里の腕の中で倒れている。

 

『リヒトくん!! リヒトくん!! 嫌ああああああああああああああああああ!!』

 

 ワロガがギンガを離すと、同時に絵里の手からもリヒトが解放され視界が元に戻る。元の不気味な空間に戻ってきた絵里は頭が真っ白になり、ただ涙を流していた。ゆっくりと自分の手に視線を落とす。

 この手で、リヒトを殺してしまった。大好きな人の命を奪ってしまった。裏切り、そして忘れた人を、もう一度一緒に遊びたいと願った人を、この手で、自分の手で殺してしまった。

 

『あ、あぁぁ、ああぁあ……!!』

 

 心が崩壊していく。

 ダークダミースパークが怪しい輝きを放ち、絵里を包み込もうと『闇』が生まれる。

 

『ああああああああああああああああああッ! ああああああああああああああああああ!!』

 

 思考が飛んだ。理性が飛んだ。何も考えられない、何も感じられなくなっていく中で、ただ『痛い』という感覚だけを残して絵里のすべてが消えて行く。何かが体を包み込んで行き、そのなにかは自分の呑みこみ『消滅』させていく。抵抗することなど、いや、その気力すらなかった。ただ、崩壊していく心を感じながら己の手を見ていた。

 そして、ギンガの体が地面へと倒れ込む寸前──。

 

 

 

『バカ野郎。助けるって約束しただろ』

 

 

 

 ギンガの拳が跳ね上がり、赤く燃えるクリスタルが絵里の視界に飛び込んできた。

『ギンガファイヤーボール』。ギンガの持つもう一つの必殺技がゼロ距離で放たれ、ギンガの拳と共にワロガを撃ち抜く。無数の火炎弾がワロガの体を叩き、その威力でワロガの体を空中へと押し上げる。

 空白に染まっていた絵里の思考に『衝撃』が襲い掛かり、同時にワロガの赤い瞳が砕かれた。背中から地面へとダイブしたワロガは受け身を取ることができず、その衝撃がそのまま襲い掛かる。

 一体何が? と状況を理解する暇もなく、絵里の視界にギンガの拳が飛んできた。その一撃からは躊躇いはなく本気がうかがえる。絵里は反射的に目をつむって衝撃に備えた。だが、

 

 

 

 やってきたのは、絵里の身を包む温かな光だった。

 

 

 

『え?』

 

 予想していたのと違う結果に絵里は驚きの声を上げる。

 

『絢瀬』

 

 リヒトの声が聞こえてくるのと同時に、絵里の立っていた空間が白い光に包まれる。眩しく輝かしい空間へと変わると、絵里の体に纏わりついていた闇が消滅していき、体の自由が戻っていくのを感じる。ゆっくりだが、指先から徐々に戻っていく感覚。

 トン、と正面に誰かが立っている気配がして視線を向けると、ボロボロではあるが優しい笑みを浮かべているリヒトがいた。

 

『もう大丈夫だ。悪いな、少し時間かかっちまって』

 

 その後ろにはクリスタルが緑色に変化したギンガが立っている。

『ギンガコンフォート』。ギンガの持つ浄化技がこの光の正体だ。絵里の体から闇を引きはがし、優しい光が絵里の体を包み込んで行く光は、同時に絵里の体の自由も取り戻していった。指先から徐々に自分の意識で動かせるようになっていく絵里の体。

 突然体から力が抜けて膝から崩れ落ちるが、リヒトがすぐに絵里の体を支えた。

 

『リヒトくん……』

 

『さあ、帰ろう。希が待ってるぜ』

 

『……うん』

 

 まだ状況変化に付いて行けていないが、これで助かることだけは分かった。リヒトに抱えあげられ、人生初のお姫様抱っこに頬を赤らめながらも、絵里はリヒトにすべてを預けた。その中で、ふとリヒトにどうしても伝えたいことを思い出し、絵里は口を開く。

 

『ねぇ、リヒトくん』

 

『ん? なんだ?』

 

『あのね……私……』

 

 その続きが絵里の口から放たれる寸前、

 

 

 

 グシャリ、と()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

『え?』

 

 二人の脳裏に疑問が浮かんだ。その疑問は二人の思考に空白を与え、一瞬の判断を遅らせる。

 ドンッ! と何者かによってリヒトの体が付き飛ばされ抱えていた絵里を離してしまう。思考が停止していたため対処に遅れてしまったリヒト。受け身が取れず背中から落下すると激痛がリヒトの体に走る。歯を食いしばって視線を上げれると、

 

『あがっ!? ああぁぁ、ぁぁぁあああッ! あがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!』

 

 体を大きくのけ反らせ激痛に叫ぶ絵里の姿があった。

 

『絢瀬!! ──ッつ!?』

 

 そして、リヒトは目撃した。絵里の胸に刺さっているダークダミースパークに触れている手。そこから視線を辿っていき、行き着いた先の人物を見てリヒトは激高した。

 

『てめっ!!』

 

『はーい、感動の再会はこれでおしまい。残念ながらきみの人生はここで終了です。お疲れさまでしたー』

 

 そんなのんきな男の声と共に、ダークダミースパークが()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ボアッ!! とワロガから大量の闇が噴水のように溢れ出す。ギンガコンフォートの光をかき消すほどに溢れ出た『闇』のよって、リヒトは──ギンガは吹き飛ばされた。

 

『がはっ!?』

 

 再び背中から倒れ込んだことによって、リヒトの肺から空気が吐き出される。だがすぐに体に力を入れ、ギンガの状態が起こされるとリヒトの視界に『闇』に包まれるワロガの姿が映った。

 溢れ出ている『闇』はワロガの姿を追いつくすと、やがて一点へと集約され始める。

 脳が揺れ視界がまだはっきりと定まってはいないが、リヒトの脳裏に目の前と同じ現象が浮かび上がった。それは花陽の時の事件。テレスドンにダークライブした闇のエージェント・ユーカが自分の胸にダークダミースパークを突き刺し、パワードテレスドンへとパワーアップした時と同じ現象なのだ。

 まさか……と、リヒトの脳裏に嫌な予感が走り視線を細めて必死に絵里を探すが、先ほどまで絵里が見えていた空間は膨大な『闇』に埋め尽くされてしまっていた。

 

『絢瀬ええええええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!』

 

 ドパッ!! と闇が晴れて()()()が、いや、姿を現した相手はすでにワロガではなかった。全身はより禍々しく変化し、赤い瞳はより鋭くツリ上がっている。そしてメイン武器であった両腕は槍のように細くなったことでリーチが伸び、より鋭利な武器へと変化した。

 全身の見た目がより攻撃的に、感じるプレッシャーはワロガ以上のもの。正に混沌(カオス)の姿。

 その名をワロガ改め『カオスワロガ』と名付けられた宇宙人が誕生した。

 

『あ、やせ……』

 

 そして、リヒトの予期した通り()()()姿()()()()()()()()()()()。リヒトは必死に視線を巡らせ絵里の姿を探したが、いくら除いても何も見えない。見渡す限りの闇闇闇闇、闇だけの空間。

『うそ、だろ……』嘆くリヒトはカオスワロガが動いたのに気が付かなかった。視界いっぱいにカオスワロガの顔が広がり、戦慄するのと同時にワロガの腕がギンガの腹部に添えられた。

 瞬間、強化された光弾がゼロ距離で放たれた。

 大量の火花が飛び散りギンガの体が吹き飛ぶ。カオスワロガはテレポートで先回りすると、落下してきたギンガの体を薙ぎ払った。再びテレポートで先回りするカオスワロガ。ギンガの体が打ち上げられ、再び光弾の雨が空中にいるギンガを襲った。

 爆炎に包まれたギンガは地面へと落下し、倒れた。

 ダメージにのたうち回るギンガ。そこへカオスワロガが落下し、全体重がギンガにのしかかる。

 

『がああああああああああああああああッッッ!!』

 

 カオスワロガの膝がギンガの腹部に突き刺さり、肋骨が折れるのではないかと思うほどの激痛がリヒトの体に走る。カオスワロガはそのまま何度もギンガを踏みつけ、鋭い矛先をギンガの腹部に突き刺した。その衝撃からギンガの体が地面の中にわずかに沈む。

 確かな手ごたえを感じたカオスワロガはその腕をどけて様子を伺うと、ギンガは動かなくなった。

 

『こ、の……ッ』

 

 しかし戦意は喪失していないのかリヒトはカオスワロガを睨み上げる。だが、どんなに力を入れてもその体が起き上がることはない。ギンガの体が起き上がることはなかった。そもそも四肢に力すら入っていない。たとえ力が入ったとしても、その瞬間に光弾で撃ち抜いている。

 すでに勝負がついていた。カオスワロガとなったことで先ほどギンガが与えたダメージは全て回復されており、その体には傷一つ見当たらない。完全に体力が回復しているのだ。そんな相手に、瀕死状態の状態ではもう勝てる見込みがなかった。

 カオスワロガが光弾を放った。ギンガの関節部を撃ち抜いた一撃は、激痛となってリヒトに伝わる。その一撃一撃が『絶望』となってリヒトを襲う。

 勝てない、とリヒトの思考に言葉が浮かんだ。

 

(違う!! ふざけるな!! ここで俺が倒れたら絢瀬はどうなる!? 立て! 立てよ俺!! 俺は負けるわけにはいかなんだ!!)

 

 ギンガは負けるわけにはいかない。ここで負けたら絵里を救えなくなってしまう。立て!! とリヒトは己の体に鞭うつが、リヒトの体が起き上がることはない。

 

「ギンガ!」

 

 希の叫び声が聞こえた。とても悲痛で、きっと彼女は泣いているだろう。

 

(女の子が泣いてんだぞ!! 立てよッ!! 立てって言ってんだろ!!)

 

 これ以上はもう惨めでしかない。そう思ったカオスワロガは姿を球体へと変え、この戦いに幕を下ろすことにした。

 球体へと変化したカオスワロガはゆっくりとギンガの上空へと移動する。本来であればそんなスピードで移動すれば撃ち落とされるが、今のギンガにはどうすることもできない。

 

「ねぇ、早く! 前にみたいにりっくんを回復させて!」

 

「(無理! ダメージが深すぎてすぐには回復できない!!)」

 

 希は己の中にいるもう一つの魂に叫びかけるが、返ってきた答えは無情だった。

 すでに球体はギンガの上にとどまり、エネルギーを溜めている。

 

(ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!! 立てよッ! 俺は、俺は負けちゃいけないんだ!!)

 

 どんなに願っても、どんなに叫んでも何も起こらない。

 窮地に駆け付けた光。

 だがそれはより深くなった闇に敗れた。

 少年の思いも、少女の思いも、すべてその一撃によって破壊される。

 奇跡は起きない。

 どんなに願っても、奇跡は二度も起こらないのだ。

 そして。

 そして。

 そして。

 光を信じた少女の前で、

 

 

 

 無数の光線雨がギンガを飲み込んだ。

 

 

 

 




ギンガ、敗北!!

と、いうわけで今回で第8話終了です。
ここ最近のウルトラシリーズに倣って、章の区切りの前編は敗北で〆てみました。
というか、書いていて思いましたがヒロインを操って主人公と無理やり戦わせるとか、ローブ男マジで外道ですね……。

因みにこの流れ(ワロガ→カオスワロガ)は初期構想から考えていたものであり、こうして無事描けたことにホッとしております。
さて、次回はいよいよ第一部最後のお話。敗北してしまったギンガは、リヒトはどうやって絵里を救うのか? 
それでは、次回予告でいつも通り締めます。


○次回予告○
カオスワロガの前にギンガは敗れ、絵里は闇の位相へと連れ去らわれてしまう。絶望へと突き落とされるリヒトだったが、「ノゾミ」と名乗る少女が唯一の「希望」を授ける。
絵里救出のため「異形の海」へと突入する二人。しかし、そこで二人を待っていたのは「闇の堕ちた光」だった。
次回、「赤く熱い鼓動」


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第9話 赤く熱い鼓動
第五章:君が諦めない限り


〇前回のあらすじ
リヒトにとって、一番の重要人物であろう絢瀬絵里との運命的な再会。同時に絵里が次なるターゲットだと予想したリヒトは、もう一度『一条リヒト』のことを調べるために音ノ木町を離れる。
しかし、この行動によりリヒトはローブ男に襲撃され『異形の海』へと囚われてしまい、絵里もワロガへとダークライブしてしまう。
絵里の危機に何とか駆けつけるウルトラマンギンガだったが、すべてローブ男が仕組んだ作戦通りに事が運んでしまう。その結果、ワロガはカオスワロガへと進化してしまい、その圧倒的強さの前にギンガは敗れてしまうのだった。


 それは一瞬の出来事だった。

 ワロガの姿が変化し、禍々しくなったのと同時に始まった猛攻は、一瞬でギンガから『勝利の可能性』を消した。そして放たれる大量の白紫色の光線は『絶望』を表しているかのように輝いており、一瞬でギンガを飲み込む。

 

「ギンガ!」

 

 叫ぶ希の視界は一瞬で光に包まれ、耳を叩くような着弾音と衝撃が体を襲う。

 耐えることはできなかった。すぐに体を浮遊感が包み込み、続いて背中に衝撃。自分の体が吹き飛ばされ校門にぶつかったと理解するのに、少々時間がかかった。

 カオスワロガは光線雨を撃ち終えると、元の姿に戻り地に降り立つ。見つめる視線の先は荒れた大地と化しており、そこにギンガの姿はない。荒れた大地に倒れるのは、意識を失いぐったりと倒れるリヒトの姿だけだった。

 

「……り、っくん……」

 

 校門にぶつかった衝撃から徐々に回復し始めた希は、腕に力を入れて立ち上がろうとするが、

 

「──!!」

 

 顔を上げた先の光景を見て戦慄した。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 希は急いで立ち上がるとその場から転がるように逃げた。

 直後──、

 

 

 希の背後で爆発が起こった。

 轟音を立てて、何かが破壊される音──間違いなく音ノ木坂学院が破壊された音だ。

 

 

「きゃっ──―」

 

 そして、希は悲鳴を上げる暇もなくその体が宙を舞った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ──そこは『異形の海』と呼ばれる空間。例えるならば広大な海の中に一つだけ島があるようなところだが、そこに人の気配はない。いや、そもそも空も大地も海も、全てが色をなくしているこの世界に生物などいないのだ。

 ここは『闇の位相空間』。光なき闇の世界だ。肌を撫でる不気味な風、その場に立っているだけで体力も精神力も消耗して行く空気。常人であれば数分も持たないこの空間は、ギンガと怪獣が戦う際に展開される『闇異空間(ダークフィールド)』と同じ力を持っていた。

 島の中央には不気味な柱のようなものがそびえ立っており、そこに絵里は貼り付けられていた。絵里に意識はなくぐったりとしており、自分が柱の中に沈んで行っていることにも気づいていない。この柱に絵里が沈みきった時、彼女の命は『大いなる闇』の力となる。

 しかし、

 

「……遅いな」

 

 絵里が沈んで行く速度が、ローブ男の予想していた速度よりかなり遅かった。普通ならばこの柱に縛り付けた瞬間から絵里の体が半分は沈む予定だったが、まだ膝下ほどしか沈んでいない。

 ……まだ心を壊しきれていなかったのか? と疑うローブ男だったが、視界にあるものを見つけ原因がわかった。

 

「……なるほど。きみが邪魔をしているわけか」

 

 ローブ男は絵里の首元に手を伸ばし、リボンとブラウスを剥ぎ取る。露わになった絵里の胸元には青く輝く輝石がかけられており、この光が絵里の身体を守護しているのがわかる。

 

「でもその様子を見ると、それも時間の問題だね」

 

 しかし輝石の輝きは弱々しく、放っておけば消えてしまいそうなほどの小さな光。このまま放っておいても問題はないだろう。そもそもこの輝石があるのならば、絵里がワロガに囚われることも柱に沈むことも、言ってしまえばこのような事態は起きていない。

 つまり、今この輝石に絵里を守る力はあるが、それは微々たるものだということ。次第に弱まって行く光を見て、ローブ男は掴んだ輝石を離した。

 

「まあいい。きみも一緒に飲み込まれれば、地球の守護が一つ消えることになる。なら、このまま放っておくのも手かな」

 

 ──まったく、しっかり排除しといてもらわないと。

 と、本来この光を排除を任命されていた相手に愚痴を叩きながら、ローブ男は一旦姿を消した。

 

 

 ☆☆☆

 

 

『お願いだからッ……早く私を撃ってよ! リヒト!!』

 

 ──緑色化け物、いや、少女の涙の叫びが聞こえる。

 

『私はもう、人間として生きていけない……化け物になっちゃった私に! 生きるすべなんてないの!! 

 だから……早く私を楽にして……お願い』

 

 ──そして、少女の姿は光線に呑みこまれて……。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「あああああああああああああああああああッ!!」

 

「りっくん!」

 

 悲鳴に近い絶叫を上げて飛び起きるリヒト。

 静寂の空間に響いたその大声に、希は一目散に駆け寄った。

 よほどひどい悪夢でも見たのか、リヒトの額は汗で濡れており、数滴頬を伝う。ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返すリヒトに向けて、何度か声をかける希だったが、肝心のリヒトの耳には聞こえていないのか、虚空を見つめたままリヒトは固まっていた。

 

「なんだよ……今のッ」

 

 先ほどのビジョン、おそらくこれまで見てきたものと同じものだと思われる。だが今までは映画のワンシーンを切り取ったような断片的だったのに対し、今回は長く一連の出来事を見ている様だった。

 化け物となってしまった少女が何かを懇願し、それを受け取った誰かが光線を放った。それが今回のビジョン。そして放たれた光線は、細部は異なるがギンガが放つ『ギンガクロスシュート』と同じ系統のものだと判断できる。

 つまり、別のウルトラマンだと思われる存在が、少女の願いを叶えるためにその命を奪った……。

 なんなのだこれは。

 なんだこのビジョンは? 

 なぜリヒトが見るビジョンは、こうも悲劇なモノばかりなのだ。そしてなぜ決まって少女が自分を殺してと懇願する? このビジョンは誰かの記憶なのか? 

 まさか……これが『一条リヒト』の記憶だとでもいうのか? 

 一体、『一条リヒト』の身に何がったのだ? 

 

「りっくん!!」

 

 とそこで、何度呼んでも反応しないリヒトにしびれを切らした希が、声を張るのと同時にその腕を振るった。ゴン、と割といい音がリヒトの頭から鳴る。

 

「いった! なにすんだよ!!」

 

 その一撃はリヒトの意識をこちらに呼び戻し、リヒトから見れば突然叩かれ怒りの声を上げる。だが次の瞬間、希がその小さな頭をリヒトの胸に当ててきたことにより、驚きでリヒトの動きが封じられる。

 

「聞こえてるなら返事してよ……すごく、心配してたんだから……」

 

「…………」

 

 初めて聞く希の弱々しい声。少しだけ嗚咽が混じっているその声にリヒトはドキリとさせられ、同時に少しだけ申し訳なくなり、つい頭を撫でてしまった。

「わりぃ、心配かけた」と精いっぱい照れているのが伝わらないように言うリヒト。しばらくその艶のある奇麗な髪を撫でていると、

 

「コホン、そろそろいい?」

 

 少女の声が聞こえてきた。

 

「うおっ!?」

 

 本来のお約束であれば希の方が照れるはずなのに、なぜかリヒトの方が先に照れて希を引きはがしてしまった。

 希は少し驚いた表情でリヒトを見る。

 

「クスクス、その動きを見る限り、もう傷は大丈夫みたいだね」

 

「君は……」

 

 面白そうにこちらを見る少女の方へ視線を向けると、リヒトは再び驚かされた。

 目の前にいるのは、まぎれもなく希と同じ顔をした少女立ったのだ。背丈に体付き、髪を結んでいない点を除けばすべて希と一致する少女は、クスクスと笑いながらこちらに歩み寄って来る。

 

「久しぶり……なのかな。一応一回だけ君とは会っているんだけど……こうして会うのは初めてだし、自己紹介しとこうかな。

 私は、簡単に言うと『ティガ伝説』の時代に生きていた『のぞみ』。のんちゃんって呼んでくれると嬉しいな。希ちゃんとの見分け方は髪を結んでいるかいない、あとは話し方……って言っても、私はあまり表に出ないから関係ないか。今はどうしてかわからないんだけど、希ちゃんの中で生きてるの。よろしくね」

 

 少女──のんちゃんの説明を受けて、リヒトは以前希から自分の中にあるもう一つの魂について説明があったことを思い出した。

 なんでも希は幼い頃、言ってしまえば見えてはいけないものが見えたり、霊感が強かったりと少々特殊な子供だったらしい。物心ついた時から見えていたそれは、希の生活関係上他者が知る機会はなく、同時に成長していく過程でだんだんと見えなくなっていったらしい。中学に上がるころには完全に見えなくなっていたのだが、どうやら去年の十月を境にまた見え始めたとのこと。その時、奉次郎が希の些細な変化に気付き調べてもらうと、オカルト的な結果が待っていたという。

 それが『もう一つの魂』。『ティガ伝説』があった時代を生きていた『魂』が何らかの理由で希の中に存在しているのだ。本来一つの器に二つの『魂』があることはありえないことで、そこで生まれた揺らぎが、希に『見えてはいけないモノ』を見せていたらしい。

 そしてリヒト同様『ティガ伝説』が書かれた古文書を見ることで、希は初めてのんちゃんを認識した。以降はお互い仲良く一緒に生活しているらしい。

 のんちゃんはリヒトの方に近づくと、右手をかざした。

 

「うん、もう傷も体力もバッチリみたいだね」

 

 かざした右手がわずかに光ると、少女は満足した様子で頷く。

 

「今のは」

 

「私は『イージスの力』から恩恵を受けて、治癒能力を持っているの。だから()()ならある程度の自由が利く。今君のケガの具合を見たんだけど、バッチリ完治してたよ」

 

 のんちゃんの『ここ』と言う言葉が気になり、改めて見回してみるとそこは青暗い空間だった。どこか見覚えのあるその空間は、リヒトの脳裏に初めてウルトラマンギンガと出会った時の空間を思い出させる。

 

「ここは……」

 

「ここは『イージスの力』の中。ここなら向こうからの干渉は一切受け付けないし、君の中の光と共鳴してケガだけじゃなくて、ちゃんと体力も回復できるからね。どう? 体の調子は」

 

「ああ。バッチリ──」

 

 

『──リヒトくん!!』

 

 

「──ッ!? 違う! 絢瀬は!? 絢瀬はどうなったんだ!?」

 

『…………』

 

 刹那、リヒトの脳裏に絵里の叫び声が浮かび上がる。それは紛れもなく、絵里が闇に呑みこまれ消える時に発した『たすけて』と言う叫び。

 周囲の変化に忘れてしまっていたが、リヒトは先ほどまで絵里を助けるためにワロガと戦っていたはずだ。あと一歩のところで絵里を助けられそうになったのは覚えている。だがその後、絵里が闇に呑まれてからの記憶があいまいだ。最後に覚えているのは、視界を染め上げる白紫の雨。

 リヒトは急いで辺りを見回すが、そこにはのんちゃんと希しか見えずほかに人影はない。

 二人に視線で問いかけるが、返ってきたのは沈黙だった。

「──くっ!」「どこへ行く気なの?」リヒトは唇を噛むと急いでその場から立ち上がるが、のんちゃんの言葉がそれを止める。

 

「決まってるだろ! 絢瀬を助けに行く!!」

 

「それは無理。もう彼女は『異形の海』に連れ去られた。今更行ったところで、もう誰もいないよ」

 

「──―ッ!」

 

 容赦のない一言がリヒトの心をえぐった。

 

「君はカオスワロガに負け、絵里ちゃんは『異形の海』に連れ去らわれた。これが今の状況だよ」

 

 がりっ、とリヒトは唇を噛んだ。

 敗北。

 それが決して許されないことは、ギンガの力を手にした時から分かっていたことだ。たとえどんな状況にあろうと、自分がどんな状態であろうと、闇に囚われた者を救い出さなければいけない。それがリヒトに課せられた使命なのだ。

 この戦いにおいて戦える力を持っているのはリヒトだけ。

 ウルトラマンギンガに選ばれた、リヒトだけなのだ。

 ギンガに誓ったのに。『一条リヒト』に誓ったのに。リヒトは負けた。

 絵里が、『一条リヒト』が愛した人がこの世界から消える。悪魔の『生け贄』となって消えてしまう。『一条リヒト』の大切な人が……。

 

「くそっ……」

 

 リヒトの脳裏に『ティガ伝説』の光景で見た『悪魔』が浮かび上がってくる。巨大な翼、漆黒の体、鋭利な爪、獰猛な牙、大蛇のように唸る尻尾、黒光りする鱗。見ているだけで『恐怖』と『絶望』が襲い掛かって来る『悪魔』。悪魔の復活のために、絵里の命が消える。

 絵里一人では『大いなる闇』は完全には復活しないだろう。だが、問題はそこではない。絵里が消えた世界はどうなる? 両親は? 妹は? 絵里の友達は? ましてや穂乃果達は? 絵里が消えると一体どれだけの人の心に『悲しみ』が広がる? 広がった悲しみの中でいったい何人がローブ男に利用される? 

 どんなに探しても、どんなに行方を追っても、『生け贄』となってしまえば元の世界では発見されない。死体も、結末も。何もない無となってしまう。

 リヒトが、負けたから────。

 

「俺が、負けたから……絵里は──」

 

「──そう、確かに君は負けた。そして絵里ちゃんは『大いなる闇』のために『生け贄』にされる」

 

()()、とのんちゃんは前置きして、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──え?」

 

 その言葉は一瞬だけリヒトの思考に空白を生んだ。

 今彼女は何と言った? 絵里を、()()()()()? 

 

「絵里ちゃんは攫われたけど、すぐに『生け贄』になるわけじゃない。『生け贄』にするためには『柱』を通してその魂と体を闇に分解する必要があるの。たぶん絵里ちゃんはその過程の途中にいる。

 そしてその過程は、きっと『青き光の守護』が遅らせているはずだよ」

 

「青き、光りの守護?」

 

 聞き覚えのない単語にリヒトは首を傾げる。

 

「そう。この地球が生み出した『守護の光』の一つ。穂乃果ちゃんの『赤い輝石』とおなじもの、と言えば君にはわかりやすいかな。

 そしてその光が、絵里ちゃんの体を守っている。でもその光はとても弱っているの。本来あの輝石に光があれば、絵里ちゃんは闇に囚われることはなかったから」

 

「…………」

 

「そんな顔しないで。光だってちゃんと理由があって弱っているの。

 話を戻すね。今絵里ちゃんは、体と魂が『闇』に分解されるのを『青き光の守護』が遅らせている状態。でも弱っている『青き光の守護』では完全に分解を阻止することはできない。時間が経過すれば、いずれ絵里ちゃんの体は闇に分解される。

 でもね、『青き光の守護』が絵里ちゃんの体が分解されるのを押さえている時間は、言い換えればその時間が君に残された最後のチャンスなの。絵里ちゃんの体が完全に闇に分解される前に、君が絵里ちゃんの心を救うことができれば、彼女を助けることができる。

 まとめると、君が『異界の海』へ突入して、残された最後の時間以内に絵里ちゃんを救出できれば万事解決ってこと」

 

「──!」

 

 リヒトの目が見開かれる。

 先ほどまで絶望で霞んでいた瞳に『希望の光』が灯る──。

 

「でもこれはとても危険なこと。『異界の海』は君が戦った『闇の異空間(ダークフィールド)』よりももっと闇が濃い空間なの……。ある程度回復したとはいえ、消耗した体で突入するのはとても危険。もしそこで負けたら、君は確実に死ぬよ」

 

 ごくり、と希が息を飲んだ。

 それほどまでにのんちゃんの言葉に『圧』が込められていた。『光』の力を持たない希にとって、『異界の海』がどういった空間なのかは想像ができない。だが、希の脳裏にある『闇の異空間』の光景を元に考えれば、きっと想像以上の負荷がリヒトにかかるはずだ。

 そして希の考えは大体正解していた。

 ローブ男に襲撃され『異形の海』に囚われたリヒトは、その脳裏に蘇って来る光景に体を震わせる。あの空間でギンガとなるのは、ダークガルベロスなどと戦った『闇の異空間』以上の負荷がかかり、力が出ない、という言葉通りの状態になるのだ。もしあの空間でカオスワロガとの戦闘になれば高い確率でギンガが負ける。

 ゲームで言えば、敵は常に攻撃力アップと防御力アップの魔法をかけられ、必殺技ゲージが常に満タン状態だ。こちらの攻撃はすぐに回復され、戦いと言うより一方的なワンサイドゲームになりかねない。

 しかし、

 

 

「答えは決まってる。教えてくれ、『異形の海』への生き方を」

 

 

 リヒトに迷いなどなかった。

 今のリヒトにあるのは『絢瀬絵里を助ける』こと、ただそれだけ。そこにどんな理由があろうと、どんな壁があろうと、助けられるのならば助けに行く。それがリヒトの答えだった。

 

「……そうだよね、聞くまでもないよね」

 

 のんちゃんの方もリヒトの答えを予想していたようだ。まるで最初からその答えを予想していたのか、驚くこともなく納得する様子もなく、のんちゃんは『異形の海』への生き方を説明し始める。

 

「『異形の海』への生き方は簡単、君が開けた『次元の裂け目』を利用するの。ここから君をあの位相に戻して、そこから直接裂け目を辿っていく」

 

「あの裂け目か」

 

「でも気を付けて。その裂け目も時間が立てば修正されて消えてしまうの。向こうからここへ干渉ができないように、こっちらからも向こうに干渉はできない。裂け目が閉じてしまったら君も帰ってこれなくなる」

 

「わかった。まあ、閉じたらまた開ければ──」

 

「それは無理や。りっくんがこっちに来れたのは、向こうがそうできるように罠を仕掛けたから。えりちの危機に駆け付けた王様を、その手で倒させるためにッ……」

 

 リヒトの言葉を遮るように希の声が響いた。少し強い、怒りが込められたその声音は希にこぶしを握らせ、ある覚悟を抱かせる。

 

「……ねぇ、のんちゃん。私もりっくんに付いて行っていい?」

 

 その発言に、リヒトは反射的に叫んだ。

 

「な!? 何言ってんだよ!!」

 

「いいよ」

 

「君まで何言ってんだ!?」

 

「もとより私は、希ちゃんにも行ってもらうつもりだった。君一人で『異形の海』で戦うのは、ハッキリ言って無謀すぎる。最低でも誰か一人、協力者がいなければ失敗するよ」

 

 確かに『異形の海』がリヒトの想像以上の場所だった場合、もし怪獣との戦闘になればギンガ一人で戦えるはずがない。あの空間で戦闘になった場合、まず間違いなく負ける確率が高いに決まっている。絵里救出を成功させるには最悪一人の手助けが必要。その手助けを希にさせるために、のんちゃんは希のこの場に呼んだと言う。

 

「…………」

 

 果たして、リヒトは渋々頷いた。

 

「でも、くれぐれも無茶はするなよ」

 

「お約束のセリフやね」

 

「それじゃ、一度二人を現実の位相に戻すよ」

 

「了解や」

 

 軽い調子で答えたのは希の性格からなのか、それとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どちらにせよ、これまで見る側に立っていた希がいきなり戦う立場となるのは、重度のプレッシャーと恐怖が襲い掛かって来るに違いない。

 大丈夫なのだろうか? 

 そんなリヒトの不安を他所に、二人を光が包み込んだ。

 

 ☆☆☆

 

 

 準備を終えた二人は、先ほどの位相へと転送される。

 希の準備と言うのは、真姫、花陽、にこの三人のうちの誰かからギンガライトスパークを借りることだったらしい(結局にこから借りれた)。加えて、リヒトも手持ちに怪獣のスパークドールズがないため取りに行くこととなった。

 時間を短縮したいため目についた二体を手に取ってきたが、果たしてこれが吉と出るが凶と出るか。

 

「……よし、行くぞ」

 

 リヒトはギンガスパークを天へと突き上げる。

 刀身が輝き、希の視界が光に覆われたかと思うと、次の瞬間ウルトラマンギンガが舞い降りた。

 ギンガは希を掌に乗せると、光の籠を作って優しく包み込んだ。そして飛翔し裂け目へと向かう。希に負荷がかからない程度に速度を上げ、数分もかからない速さで『異形の海』へと辿り着いた。

 相も変わらず、どこまでも広がっている海と孤島しかない灰色の世界。

 そしてリヒトが幽閉された空間。帰り道を襲われ、なす術がないまま、手も足も出ない暴力の嵐に呑みこまれた苦い思い出が『恐怖』となって蘇って来る。

 自然とリヒトの体が震えていた。身体に刻まれた『恐怖』がリヒトの体を縛り付ける。

 だがここでそんなものに屈している暇はない。リヒトは頭を振って意識を集中させる。敵の本陣ともいえる場所に乗り込んだのだから、罠の一つや二つあってもおかしくはない。着地するまで、いや、この空間にいる以上最大限の注意を払わなければならない。

 リヒトは視線を走らせ『柱』を呼ばれるものを探す。

 

『……! あれか!』

 

「そうみたいやね」

 

 落下時間を利用し『柱』を見つけると、進行方向を『柱』へと向ける。

 のんちゃんは『青き守護の光』が闇への分解を遅らせていると言っていたが、それが具体的にどのくらいかはわかっていない。ならば急いだことに越したことはない。絵里の元には必ずカオスワロガが立ちふさがるはずだ。一応の作戦は練ってあるが、戦闘経験のない希に長い時間カオスワロガの相手をさせるわけにはいかない。

『異形の海』の効力も含めると、早急の解決が求められている。

 

『希、飛ばすぞ!』

 

 この空間で光の力を使うのは危険だが、致し方ない。

 希の了承を待たずにギンガは速度を上げた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「──ん? 来たね」

 

 ローブ男は二人の侵入に気付いた。

 

「やっぱり、生きてたか……うんうん、王道的展開で何よりだ。なら、カオスワロガを向けるより、もっと面白い相手を送ろう」

 

 二人に対し、ローブ男は怒るわけでもなく、悪態を吐く訳でもなく、むしろ満足している様だった。

 あれで終わりじゃつまらない、と言うのがローブ男の本音。向こうが頑張って生き抜いて、姫様を助けるためにリベンジに来たのだ。こういったのは目的の順序的に考えれば最悪だが、展開的には好みだったりする。

 なのでローブ男は、最高の相手をプレゼンしようと決めた。

 その懐から一つの人形を取り出す。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「さあ、君が会いたかった人と合わせて上げる」

 

 ローブ男は人形に『闇』を送り込んだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 その殺気をいち早く感じ取ったのは──やはりリヒトだった。

 

『ッ!? 希!』

 

 ギンガは希を乗せる手を包むように体を丸めると、襲い掛かって来る攻撃をその身で受けた。

 

『──―ッ!?』

 

 今まで以上のダメージフィードバックに歯を噛み締めるリヒト。その衝撃に体勢を立て直せないと判断すると、せめて希への衝撃を最小限にするべく自分から下に背を向ける。

 ドゴンッ!! と背中から落下したギンガ。だがすぐに体勢を立て直し、意識を切り替える。『柱』に接近したこのタイミングでの襲撃……カオスワロガが動いたとみて間違いないだろう。『柱』からの距離は開いてしまったが、遠いというほどではない。

 

『──希』

 

『ウルトライブ! ダークガルベロス!!』

 

 リヒトが名前を呼ぶと、希はダークガルベロスへとウルトライブ。作戦通り、リヒトが絵里を救助するまで時間稼ぎをしてもらう。

 

『悪いな、初戦闘をこんな危険な相手にして』

 

『大丈夫、って言えたらカッコいいんやけど、正直って怖いよ。だから早くえりちを助けて』

 

『わかってる』

 

 話しによれば、のんちゃんのサポートを受けて戦うとのことだったが、希の体で戦うことには違いない。これが初戦闘であり初めての経験である希に、カオスワロガを相手させるのはかなり危険なことだ。だからこそ、リヒトには早急に絵里を救出しなければならない。

『異形の海』は闇の力を高め光の力を弱体化させる。この空間で光の力を使うことは、余分にエネルギーを消費しなければならないため、下手をすれば一分も経たないうちにカラータイマーが鳴ってしまうかもしれない。

 だが逆を言えば、僅かに闇の力を有している怪獣のスパークドールズで戦うのは、僅かながらの援助が働いているはずだ。

 元個体から強化されているダークガルベロスを取ったのは、ある意味吉と出たのかもしれない。

()()

 

『なっ──!?』

 

 降りてきた襲撃者の姿を見て、リヒトは絶句した。

 

『うそ……なんでッ……!』

 

 希も同様に驚きに襲われる。

 

『おいおい……何かの冗談だろ……』

 

 その襲撃者は()()()()()()()()()()()()

 襲撃者は──人型だった。

 襲撃者は──怪獣ではなかった。

 襲撃者は──黒い宇宙人だった。

 襲撃者は──()()()()()()に似ていた。

 襲撃者は──リヒトが一度見たことがある()()()()()()だった。

 襲撃者は──()()()()()()()()()()()()()()

 襲撃者は──黒いティガだった。

 襲撃者の名は──ティガダーク。

『ティガ伝説』では宇宙より飛来した『闇の波動』よって光から闇となったウルトラマンティガの姿と記されている。

 いま、再び闇に染まったティガがリヒト達の前に立ちふさがった。

 




どうも皆さま、お久しぶりの更新です。リアルの方が忙しかったり納得の行く展開にかけなかったりと、いろいろ重なり更新できずにいました。
さて、今回から第9話。第一部ラストエピソード後編が始まります。
舞台は『異形の海』。独自設定が盛り込まれていますが、これくらい不利な方がラストエピソードにふさわしいかと思い、結構ハードモードに設定しました。いきなりの相手が彼ですしね。

さて、本来であればもう少し書いてからにしようかと思ったのですが、割とキリが良かったのでここで一旦更新させていただきました。相変わらず一話辺りの文字数が多いですが、頑張っていきますので今年もよろしくお願いします。

それでは#2へ続きます。


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第六章:闇に染まった戦士

黒いあのお方が相手の#2
激戦です。


 ──ティガダーク。

 それは『ティガ伝説』に記されている、本来光の戦士であるはずのウルトラマンティガが闇に染まった際の名称。

 人類に牙を剥いたと記されている闇の巨人。

 しかしウルトラマンビクトリーの光によって浄化され、最後は光として戦った。

 それなのに──。

 

 

 ──光は再び闇となってリヒト達の前に立ちふさがる。

 

 

『…………』

 

 リヒトの頬を一滴の汗が流れた。

 これは予想していなかった最悪の事態だ。

 本来こちらの作戦では希に足止め役を引き受けてもらい、その隙にギンガが絵里を救うというものだった。もちろん希にカオスワロガの相手をさせるのはとても危険なことであり、いくらのんちゃんからのサポートがあるとはいえあまりにも無謀な作戦すぎることは、全員がわかっていた。

 それでも、絵里を助けるためにはカオスワロガをどうにかしないといけないため、希もこの作戦の危険性をわかった上で承知していた。

 だが相手がティガダークとなれば話は別だ。危険とかそういう次元の問題ではなくなってくる。

 ティガダークから感じる殺気はワロガ以上のもの。静かに佇んでいるだけなのに、まるで喉元に刀を突きつけられているかのように、こちらが一歩でも動けばその瞬間消し飛ばされるのではないかというほどの殺気がティガダークから感じられる。

 ハッキリ言って別次元の相手だ。

 そんな相手を希に任せるわけにはいない。

 そもそも、まずこの空間でティガダークに勝てるのか、という疑問すら浮かんでくる。

 意識はティガダークに向けつつ、横目で希の様子を確認するリヒト。ただでさえ希は戦うこと、ウルトライブ自体が初めてなのに、いきなりこんな殺気を放つ相手を前に正気を保っていられるのかが心配だった。一応それなりに戦闘経験があるリヒトには『慣れ』があるが、それでも相当な重圧(プレッシャー)を感じている。となれば、希には相当な重圧(プレッシャー)が掛かっているはずだ。

 しかし、リヒトの視線に入った希は、

 

 

『そんな……だって、ティガはあの時、消えたはずだよ……ダークスパークを使った反動で、確かに消えたはず……』

 

 

 驚きと戸惑いが混じった、震える声を発していた。

 

(希……?)

 

 その様子に疑問を持った時だった。

 

 

 一瞬でリヒトの視界が右から左に流れて行った。

 

 

『────ッ!?』

 

 一瞬の油断から顔を掴まれたのだと理解した時には、すでに地面へと叩きつけられていた。

 ダメージフィードバックがリヒトの体を襲い、口から酸素が吐き出される。

 尚も顔を掴まれたままであり、ギンガはティガダークの腕を掴むがびくともしない。

 ティガダークがほんの少しだけ掌に力を入れた。

 ただそれだけで、とてつもない衝撃がギンガの頭部を突き抜け地面を抉りながらギンガの体が滑る。

 ようやく止まったかと思うと、首を掴まれ片手で宙へと放り投げられる。

 ──なんて出鱈目な!? 

 と、リヒトが驚愕した次の瞬間には腹部に激痛。ティガダークの拳がギンガの腹部に突き刺さり、猛烈な吐き気がリヒトを襲う。

 ティガダークのパンチは凄まじい威力であり、そのままギンガを空中に打ち上げた。

 なんとか体勢を立て直そうとするギンガだったが、風圧と衝撃がそれを邪魔する。

 辛うじて視界を取り戻した時は、すでに視界には足を振り上げているティガダークの姿。

 ────回避など間に合うはずもなかった。

 かかと落としがギンガの脳天を叩き、そのまま地面へと落下──いや、叩きつけられた。

 ドゴンッッッ!! と土煙を上げ落下したギンガ。体に走るダメージは大きくすぐには起き上がれない。

 ティガダークはギンガの近くに着地すると、しゃがんでギンガの後頭部を掴み引っ張る。

 ──なんだ? たったのこれでおしまいか? 

 視線でティガダークはそう言っている様だった。

 ──ふざけるな。

 ティガダークにリヒトの姿が見えているかわからないが、それでもリヒトはそういう意味を込めて睨み返す。

 果たして、リヒトの意思はティガダークに伝わったのだろう。

 ティガダークは手を放すとギンガから離れる。

 ギンガは腕に力を入れて立ち上がるが、四つん這いになった瞬間ティガダークの回し蹴りが側頭部を叩く。

 横へ吹き飛ぶギンガ。

 ティガダークはギンガに近づくと、足を掴んで、そのまま引っ張り投げ飛ばす。

 投げ飛ばされたギンガは何度も転がり、最終的にダークガルベロスの足元まで転がった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 一方の希、いや、のんちゃんは目の前の光景が信じられないのか固まったままだ。

 

『なんで……なんで、どうして……』

 

 希の視界を通して広がる光景に、のんちゃんはどうしても目の前の光景が信じられなかった。

 だって、のんちゃんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『大いなる闇』を倒すために禁断の力『ダークスパーク』を使い、その反動から光となって消えて行ったティガの姿を、のんちゃんは見ている。覚えている。

 つまり今、なぜ闇の戦士の姿で立ちふさがっているのかではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()戸惑いを感じているのだ。

 

『(なんで? なんでなんでなんんで?)』

 

 混乱する脳を整理して、のんちゃんは必死に最期の光景を思い出す。

 あの時ティガが光となって消え、『イージスの力』が遺産としてギンガスパークを作り出した。

 そこまでは覚えている。そこまでは覚えているのだが、それ以降自分がどうなったのか、あの後世界がどうなったのか、全く覚えていない。

 

(──あれ? 私、あの後、どうなったんだっけ?)

 

()()()()()()()()()()

 ティガが消えて、それから()()()()()はずだ。()()()はずなのに、次に出てくる記憶は希と出会うところ。ティガが消えてから希に会うまでの間の()()()()()

 

(なんで? 確か私は何かを願ったはずなのに──思い出せない)

 

 何か重要な、そこで絶対に重要な何かがあったということはわかるのに、それが思い出せない。

 ──なぜだ? まるでそこから()()()()()()()()()()()()かのように、なにも思い出せない。なぜ……。

 

『(()()()()()!!)』

 

『(ッ!?)』

 

 その時、希の叫び声がのんちゃんの意識を強制的に戻した。

 

『(いつまでも戸惑ってないでしっかりして! ウチらも戦わないと!!)』

 

 現状、希の視界半分と体半分をのんちゃんが借りている状態だ。これは『ティガ伝説』があった時代を生き抜き、僅かながらにこういった経験を持つのんちゃんのサポート受けやすくするため。

 しかしそうなると、体の主導権が半分のんちゃんの方にある状態ともいえる。

 つまり、二人が呼吸を合わせなければダークガルベロスを操って戦うことができないのだ。故に先ほどからティガダークの猛攻を受けるギンガを手助けすることができなかった。

 

『(ごめん……)』

 

『(謝るのは後! ほな、行で!)』

 

 そういう希ではあるが、肝心のダークガルベロスは動かなかった。のんちゃんの意識は未だに混乱状態ではあるが、それでも一応意識は切り替えている。

 つまり何か問題があるとすればそれは希の方。

 希の体が()()()()()()()

 無理もない。何もかもはじめてな経験の中でいきなり格上の相手を目にするのは、誰だって恐怖する。いくら言葉では戦う意思を見せられても、肝心の心と体が恐怖で委縮してしまっている。

 ティガダークの強さは素人の希にもわかるほどのものであり、そして素人だからこそ余計にその強さから『絶望』を感じてしまう。

 ギンガが苦戦することはこれまでもあった。さらに言えばつい先ほどは敗北までした。

 だが、戦いが始まってここまで防戦一方的な展開は初めてだ。それが余計に『絶望』の色を強くしていた。

 つまり、勝てないという絶望が……希の中に渦巻く。

 それでも、希は拳を握りしめて、自らを奮い立たせる。

 ここで負けたら、親友を助けることができなくなってしまう。

 それは嫌だ。

 ただでさえ一度ミスしているのだから、何かしらの挽回をしたい。ヒーローにすべてを頼りたくない。

 ヒロインだってかっこよく決めたい。

 だから。

 

 

『行くよ──―』

 

 

 短く、希は自らを奮い立たせる意味を込めて、呟いた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ──ダークガルベロスが走る。倒れるギンガを置き去りにして、ティガダークに向けて走る。

 ティガダークは、先ほどまで脅えて戦いに来ないと思っていた相手が来ることに、僅かながらの反応をして見せるが、結局は戦力として数えなかった。

 倒すべき相手はウルトラマンギンガだけ。

 そう誰かが言っている。いや、言っていないかもしれないが、体がそうしろと勝手に動く。

 だから、走ってきたダークガルベロスを軽くあしらって無視する。しかしダークガルベロスに諦める気はないのか、すぐにしがみついて来る。

 ティガダークは一度面倒くさそうにダークガルベロスを見ると、手刀でその巨体を沈めた。

 

『がはっ!?』

 

 希の口から苦悶の声。

 怪獣へのウルトライブは制限時間がない代わりに、ダメージフィードバックが大きく反映される。その痛みはウルトライブが初めてである希にとって、今まで感じたことのない激痛だろう。

 ダークガルベロスに向けて追撃を放とうとするティガダークを見てギンガは急いで飛んだ。

 着地と同時にその手を掴み、ダークガルベロスから引きはがすがその腕を引っ張られギンガの体が一回転する。

 地面へ叩き付けられるギンガ。

 代わりに起き上がったダークガルベロスがティガダークにしがみつき、自分の方へ注意を向けさせるとその腕を振るう。しかし簡単に弾かれ、拳が腹部へと突き刺さる。

 

『──ッ!?』

 

 あまりの激痛に希の顔が歪む。視界がぐるぐると周り始める。

 ティガダークにもたれかかるように沈むダークガルベロス。

 ギンガが背後から襲い掛かる。しかし、振り返りながら放たれた回し蹴りがギンガを倒す。

 地を転がるギンガ。

 ギンガに向けて追撃をしようとしたところで、ダークガルベロスが足に噛みついた。

 

『逃がさ……ないっ』

 

 掠れた声で、しかし強い意思のこもった瞳でティガダークを見る希。

 ティガダークは、一度ため息を吐くようなしぐさをすると足を振り上げる。

 その足を見て、希は瞬時に悟った。

 ──ヤバい、この一撃で死ぬ。

 リヒトと違い戦闘経験のない希がティガダークに挑むのは自殺行為に等しい。すでに二撃程の攻撃で体はボロボロ。ノックアウト寸前である。間違いなくこの一撃は致命的なダメージとなるだろう。

 

 

 しかし、ティガダークの足は振り下ろされることはなかった。

 

 

 振り上げた足の逆、ティガダークの体重を支えている足に紫色の鞭が絡みつく。

 ──リヒトがギンガからカオスジラークにウルトライブしたのだ。

 にやりと口角を上げたリヒトは思いっきりギンガスパークを振るい、それに合わせてカオスジラークが鞭を引く。すると体重を支えていた足が引き抜かれ、ティガダークは無様にも背中から落下した。

 

『希!!』

 

 リヒトの叫びを受けて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ──一瞬、ダークガルベロスの目が光ったように見えた。

 瞬間、ダークガルベロスは獣がごとく飛び上がりティガダークにのしかかる。

 暴れるティガダークを押さえつけ、のんちゃんは問う。

 

『──やっぱり、どうしても確認したくてね。前にも何度か聞いたけど、貴方は答えてくれなかった』

 

 少し、寂しそうな声。

 自分でもその声が届かないことを承知しているのだろう。

 それでも、聞かずにはいられないと言ったところか……。

 

『今回も聞くよ。あなたは私の知るウルトラマンティガなの? あの時光になって消えた、ティガなの? もしそうなら闇になんて負けないで! あの時みたいにあがいてよ! もう一度、もう一度私を守る光になって!!』

 

 ──しかし、ティガダークの抵抗はより一層激しくなり、次第に押さえつけていることが難しくなってくる。

 

『──ッ!? ティガ!!』

 

 最後にのんちゃんが彼の名を叫ぶが、ティガダークは巴投げの要領でダークガルベロスを投げ飛ばす。

 それは、のんちゃんの言葉が全く届いていないことの証明だった。

 わかっていた。この空間で姿を目にした時から、自分の声が届かないことくらいわかっていた。それでも、何か少しでも届くんじゃないかと思っていたが、無理だった。

 投げ飛ばされたダークガルベロスをカオスジラークが受け止める。

 

『──リヒトくん、お願い』

 

 静かに放たれるのんちゃんの言葉。その言葉を聞いたリヒトは静かに頷くと、軽くダークガルベロスの肩を叩いて駆け出す。

 同時にギンガへウルトライブする。

 ハッキリ言って、これ以上ギンガの力を消費するのは痛手だが、ギンガの力でなければティガダークは倒せない。

 だから、絵里を助ける余力を残せる範囲で、リヒトは力を解放した。

 走るギンガはそこからジャンプキックを放つ。体勢的に避けられないと判断したティガダークはキックを受け止めるが、ギンガの折りたたんでいた足が掴んだ腕を叩きわずかによろめく。ギンガはその際の勢いを利用して後ろへ回転。着地、体勢を立て直しながらギンガファイヤーボールを形成して、一歩踏み出すのと同時に放つ。

 ティガダークはバリアを展開して完全に防ぐ。

 その際の爆炎を煙幕として利用し、ギンガはティガダークに迫る。

 走っている勢いを利用したストレートパンチ。しかしティガダークはバリアを解除するのと同時に素早く反応、腕を掴んで逆にその勢いを利用し背負い投げでギンガを投げ飛ばす。

 落下したギンガはすぐに体を上げ、目の前に迫っていた蹴りを受け止める。そのまま自身事回転し、巻き込む形でティガダークを転倒させる。

 だがすぐに互いに背を向ける形で上体を起こし、互いに向き直る。

 ──ティガダークはエネルギー弾を放つため腕を引く。

 ──ギンガはそれを瞬時に見極め飛翔。

 足先ぎりぎりを掠める形でエネルギー弾を回避。

 ティガダークはギンガの後を追うべく構えるが、背後に迫っていたダークガルベロスに噛みつかれる。

 ──ダークガルベロスの噛み付きは、その気になればギンガの皮膚をえぐり取る勢いのものだ。たとえライブ者が希であったとしても、その気になった噛み付きはティガダークに大きなダメージを与える。

 そのため、ティガダークはこの戦闘に置いて初めて『本気』でダークガルベロスに攻撃した。ダメージフィードバックが希を襲い視界が明暗を繰り返すが、ギリギリのところまで持ち込たる。

 だがそんなには長く噛みつけていられなかった。

 むしろ耐えた方が驚きだろう。ティガダークは今までダークガルベロスを戦力として見ていなかった。それを変えさせたのだから上出来といえよう。

 ダークガルベロスが離れたタイミングを見て、ギンガスラッシュが降り注ぐ。

 ──注意がギンガに向いた瞬間ダークガルベロスが火炎弾を放つ。

 近距離で放たれ、しかも注意がギンガに向いていたとなると避ける暇はなくティガダークは火花を上げ後ろに飛ぶ。

 ──この戦いで初めて膝を着く。

 それはティガダークの内なる心に『怒り』を抱かせ、ティガダークを『本気』にさせる。

 ──もう、容赦はない……一撃で葬る。

 上空に気配。

 ギンガファイヤーボールを形成しながら落下してくるギンガ。

 本来であれば多少のダメージにはなったかもしれない。

 だが『本気』になったティガダークの反射神経は瞬時に回避行動に出る。

 明らかに全力だと言わんばかりに放たれたギンガファイヤーボールは不発に終わり、無防備な背中に向けて腕をL字に組む。

 放たれる光線。

 ギンガクロスシュートに並ぶ必殺の一撃はギンガの背中に目がけて発射され、ギンガを消し飛ばした。

 ……そう、文字通り()()()()()()()()()()

 それは、決してティガダークの放った光線がそんな冗談じみた威力を持っていたからではない。

 もっと単純に、単純な答えがそこにはあった。

()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、()()()()()()()()()()()()()()

 

『この技にはウチらも苦戦されられてなぁ……なにやらウチを侮ってたみたいやし、簡単にだませたよ。油断大敵やで』

 

 ウィンクしながら言う希。

 ──そう、すべてが幻影だと悟った時、背後に気配を感じ振り向くティガダーク。

 

 

 だが、すでにゼロ距離まで接近していたギンガの刃を躱すことなど不可能だった。

 

 

 ギンガセイバー。

 クリスタルを白に輝かせることで右腕に形成される白き刃。

 それがティガダークのカラータイマー目掛けて突き刺さっていたのだ。

 

 

 だが、それだけで決着がつくなんて誰も思っていない。

 

 

 その証拠にティガダークが残るすべての力を使って拳を構えた。まだ戦う力が残されているのだ。

 ここは『異形の海』。闇の力を高める闇の空間だ。

 だからこそ、リヒトは『光』をもって闇を打つ。

 ティガダークが拳を構えた瞬間、ギンガの体が粒子状に消えて行く──活動時間が限界を迎えたわけではない。リヒトが己の意思でウルトライブを解除したのだ。

 粒子状に消え始めたことで、僅かながらにたじろぐティガダーク。

 ギンガはまだ形が保っているうちに左手をカラータイマー前に持って行き、何かを握る動作をするとティガダークに向けて投げた。

 ギンガの姿が完全に消え、光から解き放たれたリヒトはティガダークのカラータイマー目掛けてギンガスパークを構える。

 

『目を覚ませええええええええええええええええええええええええええええ!!』

 

 ガツン!! とギンガスパークの先端がカラータイマーに突き刺さる。

 瞬間──―。

 

 

 光と闇が混ざり合った一筋の光が空へと昇った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 天に向け伸びた光と闇が消えると、肩で息をするリヒトだけが残った。ティガダークの姿はどこにも見当たらない。

 

「りっくん」

 

 希もウルトライブを解除してリヒトの元に駆け寄る。

『異形の海』の不気味な風に眉を顰めるも、相当体力を消耗しているリヒトに比べればと意識の外に無理やり追いやる。

 膝を着くリヒトに駆け寄ると、その足を元にティガのスパークドールが転がっているのを見つけた。どうやら勝ったとみて問題ない様だ。

 激戦を勝ち抜いたことに一息つく希だったが、リヒトの様子を見てそう安心していられる結果ではないことをすぐに悟った。

 ティガダークという巨大なイレギュラーに対し、こちらの戦力が大きく削られてしまった。リヒトの体力はもちろんギンガの残り活動時間もそうないだろう。ギンガへのウルトライブ時間は三分が限度。それ以上のライブはリヒトの命に係わることであり、今のところ三分を超えた場合どうなるかはわからない。おそらく強制的にライブが解除されるのだろうが、もしそうなった場合こちらの負けが確定。二度と絵里を助けられなくなってしまう。

 さらに言えば、希の方も体中が痛かった。おそらくカオスワロガ相手に時間を稼ぐのは無理と見ていい。

 半ば詰め状態だった。

 

「……希、行くぞ」

 

 少しだけ体力が回復したのか、それとも万全ではない体を無理やり動かしての行動か。いずれにせよ浅い呼吸を繰り返すリヒトの姿を見て、このまま絵里の元に行くのは危険が大きいと希は考える。

 転がっているティガのスパークドールズを取り、ギンガスパークを構えるリヒト。

 

「…………」

 

「……どうした。時間がないんだぞ」

 

 動く気配を見せない希に気付いたリヒトが、首だけを動かしてこちらを見てくる。

 希は、あることを考えていた。それが希に出来ることなのか、きっと少しはリヒトのサポートをしやすくなるだろう。

 しかし。

 

(のんちゃん)

 

(わかってる。こっちは心構えで来てるから、あとは希ちゃんが決めて)

 

 のんちゃんにそう言われ、希の中で覚悟が決まった。

 それは外見からもある程度判断できるのか、リヒトは少しだけ首を傾げると、すぐにギンガスパークを掲げた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

『柱』と呼ばれる元まで光となって移動し、たどり着いた先を見て二人は絶句した。

 

「──ッ」

 

「……えり、ち……」

 

 絵里の体はすでに半分ほど闇の中に呑みこまれていた。蛇のように見える何かが絵里の体に纏わりついており、ゆっくりと『柱』の中に沈んで行っている。

 がりっ、とリヒトは己の唇を噛む。どうみてもリヒトが倒れていた間か、加えてティガダークと戦っていたことがかなりの時間ロストに繋がってしまったようだ。もう少し早く来ていればと、リヒトの中を強い後悔が駆け巡る。

 

 

「やあ、やっと来てくれたね」

 

 

『──ッ!?』

 

 突如聞こえてきた声に二人の表情が強張る。身体に電流が走ったのかと錯覚するほど体が反応し、先ほどの疲労がすぐに消し飛ぶ。圧し掛かって来る重圧は先ほど以上のものか、それとも単に恐怖心が重圧を強くしているのか。おそらく後者であると予想するが、そんなものを一々考えている余裕などすでになかった。

 二人はすぐに集中力を最大限にまで高め、声のした方へと振り返りながらそれぞれ構える。

 果たして、ローブ男が立っていた。フードの下から除く口元は三日月のように歪んでおり、この状況を楽しそうにしている。

 

「待ちくたびれたよ。ま、ティガダーク相手にここまで全勝できたのはむしろほめるべきことかな」

 

「…………」

 

「…………」

 

 ローブ男の声に二人は何も返せない。

 

「でも、それもここまでだ。見ての通り、あと半分で彼女は『生け贄』になる。それまで、待ってくれる気は──」

 

「──ねぇよ」

 

 低く、怒りのこもったリヒトの声がそれを遮る。

 一瞬だけ呆気にとられたような様子を見せるローブ男だが、すぐ元の表情に戻る。

 

「──やっぱりね。なら、こっちも邪魔するだけだ」

 

 ローブ男の声が低くなる。パチンと指を鳴らすとその背後にカオスワロガが出現し、リヒトは苦い顔をしながらギンガスパークを構える。

 カオスワロガ相手に割ける時間は、絵里の説得時間を差し引くとほとんどないと考えていい。ティガダークとの戦いでカラータイマーが鳴らなかったのは奇跡としか言いようがなく、おそらくライブ後すぐにカラータイマーは点滅を始めるだろう。

 そして何より、おそらくカオスワロガを相手している時間など、絵里の様子を見るにもう残されていない。

 ────まさに絶体絶命。

 希に足止めを頼みたいところだが、先ほどの戦いで間違いなく相当なフィードバックダメージを受けている。これ以上任せるのは彼女の命に危機が迫るに違いない。

 ならば、リヒトがここで怪獣にライブするかして──

 

「──先にカオスワロガを抑えるしかない」

 

「──っ!?」

 

 ローブ男に思考を読まれた。

 

「悪いけど、今回は本気できみを潰しに行くよ。もう変な演出を作る必要もないんだし、これ以上邪魔されるのは癪だからね」

 

 ──詰み。

 そんな言葉がリヒトの脳裏を横切った。ローブ男がどれほどの強さなのかは、襲撃された際に嫌というほど知っている。何も抵抗できずに暴力の嵐に呑みこまれる恐怖(トラウマ)がリヒトの体を強張らせる。

 本格的にまずくなってきた。ギンガにライブしたとして、この空間で二人相手に勝つことはまず無理だ。かといって希に協力を申し出たとしても、ハッキリ言って勝てる確率は一パーセントも上がらない。

 

「さて、それじゃ──」

 

「待って」

 

「──希?」

 

 ローブ男が戦闘態勢に入ろうとした瞬間、それを希が遮った。

 一歩前に出た彼女は、不敵な笑みを浮かべて言う。

 

「悪いんやけど、二人の相手はウチがするで」

 

「は?」

 

 力強く宣言した希の言葉は、おそらくこの場にいる全員の頭を真っ白にした。

 ──希は自分が戦うと宣言したのだ。

 

「ば、バカ言ってんじゃねぇよ! お前には無理だって!!」

 

「でも、ここでウチが戦わなかったらえりちは助けられない。ギンガに変身できる時間以前に、りっくんには二人相手に戦う力、残されてへんやろ? 

 それに向こうさんはウチのことが大事みたいやからな。殺されることはないやろ」

 

 抗議の声を上げるリヒトだったが、希の言う通りギンガにライブしたところでまともに戦えるはずがない。袋叩き似合うのが目に見えている。

 だが、そんな相手だからこそ希に任せるわけにもいかないのだ。何度も言うが怪獣へのウルトライブは制限時間がない代わりにダメージフィードバックが大きい。ティガダークの攻撃でさえ希の体はボロボロに傷つけられたのだから、ローブ男とカオスワロガの攻撃など受けたらどうなるかわからない。

 ローブ男の方も、希のあまりの考えなしの行動に笑い声をあげていた。

 

「きみがぼくとカオスワロガの相手をする? はははっ、冗談はやめてくれよ。確かにぼくはきみのことを殺すことはできないけど、その気になれば死なない程度に痛めつけることはできる。ぼくの()()が終わるまできみをここに閉じ込めておけばいいんだから。でもそれはとてもつらい、ぼくの心が壊れてしまう。だからきみはそこで大人しく見ているのが賢い考えだ」

 

「それは無理な話やな。ウチはえりちを助けるためにここに来たんや。最初から『見てる』なんて選択肢はあらへんよ」

 

「…………」

 

 希の返しを受けて、ローブ男が初めて希を睨む。

 

「りっくんはえりちをお願い」

 

「のぞ──」

 

「──りっくん」

 

 呼び止めるリヒトの声を希は強い口調で遮った。

 

「女の子でも、見てるだけじゃ嫌なんよ」

 

 そう言って希は微笑むと、唖然とするリヒトを置いて懐から一つの人形を取り出した。その人形を見てリヒトは驚愕し、自分のポケットを確認する。

 やられた。いつの間にか取られていた。

 手癖の悪い目の前の少女を睨んでいると、少女は取り出した人形の足先をギンガライトスパークに当てる。

 

『────! ティガ──―!!』

 

 瞬間、闇と光が混ざり合い、光の柱が天へと伸びる。

 白黒の稲妻が中心部から四方へ飛び散る中、やがて輝きは薄れていきその姿がはっきりと見えてくる。

 その姿は先ほど見た黒い姿のティガではない。

 リヒトが『ティガ伝説』でみた銀と赤と紫の三色をしたボディーカラー。

 まさか、希がティガにライブできるとは思っていなかった。ギンガ同様『ウルトラマン』であるティガならば、並みならぬ力を持っているはず。きっとこの最悪の状況を逆転してくれると期待を抱いたところで、ここが『闇の異空間』であることを思い出した。

 そうだ。ここは『闇』の力を高める空間。いくら希がティガにウルトライブできたとしても、それが『光』の力である限り結局何も変わらないのだ。

 

(希……)

 

 せっかく希が覚悟を決めてウルトライブしてくれたのに、結局大きな負担をかけてしまうことになった。『光』である限りこの空間ではまともに戦えない。

 リヒトは急いでギンガスパークを構えようとしたが、

 

「……まさか」

 

 ローブ男の方から驚きの声が上がりその腕が止まる。

 

「……なるほど、()()()()()()()()()()()()()

 

「?」

 

 ローブ男の言葉に首を傾げるしかないリヒト。

 一体ローブ男は何に驚いているのか。

 その答えはすぐにわかった。

 光が晴れ、あらわになったティガの姿を見てリヒトは眉を顰める。体のカラーリングは『ウルトラマンティガ』と同じで間違いない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一つ、本来は胸のプロテクターに走るラインの色は黄色なのに()()()()

 二つ、ティガのフェイスの色がティガダークと同じ黒色だった。

 それは、ティガであり()()()()()()()()()ではない姿。

 

 

 

 

 その姿の光と闇が半分混ざり合った姿。

 名は──『ティガブラスト』。

 




というわけでVSティガダークのお話でした。
資料が少ない故にティガダークがL字に腕を組んだところは完全にオリジナルです。
さて、これで第9話も半分(プロット的に)まですみました。残り後半はいよいよ絵里の救出開始! 
なぜ希が最後ティガではなくあの姿になったのか。もちろんそれには理由があり、今後少しずつ描けていけたらいいなと思っています。
さて、それではいよいよ絵里救出の本番である#3に続きます。

追記(2017/04/1)
感想の方で、ティガダークはウルトラアクト化の際にL字の光線が撃てる設定が追加されている、と教えていただきました。なので、光線を撃つシーンはオリジナルではなく、アクトから設定を持ってきたことにさせていただきます。
情報提供ありがとうございます。


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第七章:正直に

 ──ティガブラスト。

 それが今リヒトの目の前に立つ巨人の名前。

『ティガ』ではあるが『ウルトラマンティガ』ではない『ソレ』は、光と闇に照らされながら静かに君臨している。

 

「…………」

 

 リヒトの頬を伝う一滴の汗。それはこの場に漂う緊張感から来たものか、それとも佇むティガブラストの気配からか。

 ティガブラストは『ティガ伝説』には記されていない。いや、そもそもこの姿自体今ここで誕生したのだ。誰も知るわけがない。

 今この瞬間に誕生した新たな『ティガ』。

 ウルトラマンティガとの違いは顔と胸に走るラインが黒いことだけ。(ウルトラマンティガ)(ティガダーク)が融合したとも見れるその姿は、闇でもあり光でもあり、そして同時に闇でも光でもない中途半端な存在。『異形の海(ここ)』の恩恵を受けられるが、だからと言って完璧に恩恵を受けられるわけではない。闇と光が中途半端に混ざり合ったソレは異様な雰囲気を漂わせながら存在していた。

 やがてゆっくりとティガブラストを覆っていた光と闇が晴れていき、その姿が鮮明になって来る。

 同時に、周囲に戦いの緊張が広がっていく──―。

 

 

 ──刹那、ティガブラストが光弾(ハンドスラッシュ)を放つ。

 

 

 不意を突いた一撃。暗めの青い光弾は一直線にカオスワロガへと向かう。

 しかしギリギリのタイミングでカオスワロガは反応して見せた。腕をクロスしてハンドスラッシュをガード。多少の火花は散るが、それでも些細なダメージに過ぎない。

 不意の一撃を防がれた。

 しかし、ティガブラストにとってこの一撃などカオスワロガの動きを封じられればそれで合格。

 本命は別。左足を軸に体を回転させ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──―!!」

 

 それは予想などしていなかった。いや、そもそも予想できるはずもなく、予想できたところで対策などできるものではない。気が付いた時は巨大な何かが横を通り過ぎ、それから生まれる風圧に体が(さら)われ、背中から『柱』に激突していた。

 

「がはっ、ごほっ」

 

 肺から空気が押し出され、何度も咳き込む。

 明らかにリヒトの身など考えていなかった一撃に怒りがこみ上げてくるが──、

 

 

「──ッ」 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──―っ」

 

 この光景を見るに、ティガブラストの蹴りはリヒトを狙ったローブ男に向けて放たれたものだと推測できる。

 が、それにしてはあの蹴りは乱暴すぎる。希ならリヒトの身の安全を考えた上での攻撃手段を選んだはずだ。それなのに先ほどの蹴りは明らかにリヒトの身など考えていない。ただ単純に目標を攻撃するためにだけに放たれた蹴りだ。

 

「はははっ、やられたよ……まさかこんな一撃を放ってくるなんてね」

 

 ティガブラストの蹴りが予想外だったのはリヒトだけではなく、ローブ男も同じだったようだ。予想外の一撃が故に躱すことができず、かなりのダメージを食らってしまった。

 体半分が消し飛ばされるほどの一撃はかなりの激痛を伴うはずだ。それなのに悲鳴の一つも上げないのは、彼なりのプライドだろう。しかしダメージは大きいのか膝が笑っている。

 

「参ったな……油断していたわけじゃないけど、さすがに彼女を甘く見すぎていた……いやいや、慢心もしすぎるのはダメだね」

 

 そして、リヒトが見る中ローブ男が初めて片膝を着いた。

 

「ぐっ……あーあ、ホントに……まったく……これはあれだ、倍返し、が必要だね。うん、そうだよ、倍返し……そのためには順番を変えなくちゃぁ、いけない……くくく、ああははは、あああはははははははははははははははははははは!! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 狂ったような笑みは次第に雄叫びへと変わり、最後はただの咆哮に変わっていた。人の声ではない何かを叫びながら、ローブ男は狂い始める。彼の持つ闇の力が波動となって周囲を破壊し始め、リヒトの体を叩く。

 

「ぐっ──!?」

 

 腕をクロスして衝撃に耐えるリヒト。だが、その腕の隙間から見える光景にわが目を疑った。

 ローブ男の姿が霧のような靄のような、白いナニカに変貌していったのだ。その姿にどこか見覚えのあるリヒトは己に困惑し、だが白い靄が迫ってきたのを見てすぐに思考を放棄。

 果たして、白いナニカはリヒトの横を通り抜け絵里の体へと乗り移った。

 

「────ぁ──ぁぁ──!!」

 

 ローブ男が絵里の体の中に入り込み、異物が入ったことで絵里の体が痙攣を起こし始める。すでに絵里の体の大部分は『柱』の中に埋まっており、顔も眼の部分はすべて蛇のような鞭に絡め捕られている。唯一露出している口を苦しそうに開き、体を襲う苦痛に喘ぐ絵里。

 ──闇となったローブ男が絵里の中で暴れている。

 リヒトはすぐにギンガスパークを構えギンガにウルトライブしようとするが、それよりも先に膨大な殺気の塊が近づいて来るのを感じ、ほぼ反射的にギンガスパークを構えたまま後ろに振り返る──。

 直後に襲ったのは衝撃。

 歯をくいしばって耐えると、その一撃を放った者の姿を確認して絶句した。

 ティガブラスト──それが一撃を放った者だった。

 

「…………」

 

 もしリヒトが反応しなかったら、絵里を巻き込みながらその身を焼かれていたかもしれない。先ほどの蹴りと言い、あまりにも容赦というか見境がなくなっている攻撃にリヒトはティガブラストを睨みつけた。

 しかしティガブラストの様子は変わらず、攻め込んできたカオスワロガとの戦闘を始める。繰り出される攻撃を最小限の動きで躱しカウンターを叩き込んでいくその戦闘スタイルは、どこかティガダークを彷彿とさせる動きであり()()()()()()()()()()()()()()()()

 先ほどの蹴りと言い攻撃の手に容赦がない。

 

「まさか……()()()()()()()?」

 

 戦闘スタイルは間違いなくティガダークを彷彿とさせるもの、決して希が戦っているようには見えない。

 ならば、考えられることは今戦っているのは希ではなく『ティガ』の意識なのではないかということ。ダークガルベロスのようにライブ者がいなくとも活動することはできると思われるが、希は間違いなくギンガライトスパークでティガのスパークドールズをリードしていた。それなのになぜ希の意識が消えている様に見えるのだ? 

 いや、それ以前になぜティガのスパークドールズをリードしたのにライブした姿はティガブラストなのだ? 

 明らかに事態がおかしすぎる。

 

「くそっ! 最悪ってレベルじゃないぞ!!」

 

 希が使用したティガのスパークドールズは先ほどまで闇に染まっていたものだ。もしかしたらそれが関係しているのかもしれない。わずかな闇がスパークドールズに残っており、それが何かしらの影響を受けてティガをティガブラストという形にし、希の意識を封じ込めている。

 と考えられるが、それならばなぜダークガルベロスにウルトライブしたときは何もなかったのだ? 怪獣のスパークドールズには『大いなる闇』の力の一部が封じ込められている。もし闇が影響しているならば、ダークガルベロスにライブした時も何かしらの影響が出るはずだ。それなのに……。

 だが、事態はさらに最悪な方に進む。

『柱』の蛇を模した触手がリヒトの方に放たれたのだ。

 

「ぐっ」

 

 両手足、さらには首までもが締め付けられ身動きが封じられる。だんだんと酸素が失われていき、疲弊した体から力が失われて行く。

 蛇を模した触手は徐々にリヒトを『柱』の方に引き寄せ、おそらくリヒトまでも『柱』の中に沈ませようとしているのだろう。

 明らかに状況は最悪。

 さらにはティガブラストが『柱』の動きに勘付き、こちらに必殺の一撃を放とうとしてくる。両腕を水平に開き、エネルギーを溜めているところを見ると、リヒトと絵里のことなど眼中にない様子。

 

「────ッ」

 

 リヒトは直感的に賭けに出た。

 後先を考えている暇などない。何とかしてこの状況を打破しなければすべてがここで終わってしまう。

 リヒトはすぐに抵抗をやめた。すると当然触手の力がリヒトの体を柱へと引き寄せる。

 リヒトの体と『柱』の間の距離がゼロになるのには、そう時間はかからなかった。リヒトの体が宙を走り、その間の距離がゼロになった瞬間──

 

 

 ──眩い光が解き放たれる。

 

 

 その光は、ギンガスパークの先端が『柱』に衝突した際に起きたもの。リヒトは手首を返しギンガスパークの先端を『柱』にぶつけたのだ。

『光』そのものである神秘のアイテムギンガスパークが『闇』の塊である『柱』に当たればどうなるか、そんなの考えるまでもない。

 これまで何度も『闇』を払ってきたギンガスパークの光は、『柱』事態に大きなダメージを与え、リヒトの体に巻き付いていた触手が緩み体の自由を取り戻す。

 リヒトはすぐに体を大きく回転させ、ギンガスパークに力を込めて振るった。

 

「──────っ!!」

 

 振るったギンガスパークからは斬撃が飛び、必殺の一撃を放とうとしてたティガブラストの額を叩く。

 大きくのけ反るティガブラスト。それをチャンスと見たのか、カオスワロガが背後から襲い掛かりティガブラストを吹き飛ばす。

 一方、触手から解放されたリヒトは地を転がり、『柱』の方を一瞥してからティガブラストの方を見る。吹き飛ばされたティガブラストは膝を着くと、頭を振って辺りを見回し始める。それから自分の姿を確認しているところを見ると、どうやら希の意識が戻ったようだ。

 

(ったく、無駄な力使わせやがって)

 

 心の内でそっと愚痴をこぼすと、ティガブラストがこちらの方に視線を向けて来て背筋が伸びるリヒト。

 だがこれで、無事に希の意識が戻ったとみていいだろう。あのまま戦われていたら、戦闘には勝っていたかもしれないが誰一人として救われない結果になっていたに違いない。現にリヒトと絵里もろとも消し飛ばそうとしたのだから、そう考えれば多少の弱体化には目を瞑ろう。

 

「よかった……」

 

 そう呟いた後だった。

 

 

 

『あーあ、これでテメェの勝利はなくなった。さっさとテメェも死ね』

 

 

 

「──ッ!?」

 

 背後からドスの効いた声。

 心臓を鷲摑みされたかと思う緊張がリヒトの体に走り急いで振り返る。振り返った先にいたのは、人型をした白いナニカ。靄のようにも、霧のようにも見える白いナニカで形成された人型の、頭部といえる部分がリヒトの視界いっぱいに広がっていた。

 

「──―!」

 

 抵抗、反応、そんなものをしている暇はなかった。人型の白いナニカはリヒトの体に溶け込むように侵入すると

      その 

 せ                    い 

                            し  

                                      んを 

    はかかかかかか

                 か

 

                              か 

                                        いいいいい  

        し

 

 

                             て

 

 

 

 

 

 

 

 

「があ、ぁぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!?!!???!!」

 

 ガツンッッ!! とギンガスパークで頭部を殴り、壊れかけていた意識を呼び戻す。

 なんだ、なんだこれは!? 不快、なんてレベルの感覚ではない。身体をかき混ぜられる、いや、精神をかき混ぜられていると表現した方が正しいか。形容しがたい、体の中をかき混ぜられている様な不快感がリヒトの中を走る。

 外からではなく中からの攻撃。先ほどまで絵里に取り憑いていたものがリヒトの乗り移った、と考えていいだろう。

 と、状況を整理している余裕などすぐに消え失せた。

 体の中を走る不快感は、文字通り精神を破壊しようとリヒトの中を駆け巡る。形容しがたい不快感は気を緩めればすぐにでもリヒトの意識を消滅させるだろう。何度もギンガスパークで自分の頭を殴り、声を荒げて飲み込まれそうになる意識を繋ぎ止める。

 地を転がり、全身を打ち付けてもなお体の中を、いや、精神を駆け巡る『ナニカ』は消えない。

 ティガブラストもリヒトの異変に気付いたのか、すぐさま体勢を立て直そうとするがカオスワロガに邪魔をされる。

 すぐさまカオスワロガとの戦闘になるが、先ほどまでとは違いその動きは拙い。その理由はティガブラストの意識ではなく希の意識が戦っているからだろう。戦闘能力がない希が主導権を得たことで、ティガブラストの戦闘力が著しく低下している。

 そのことはカオスワロガも気配で察知しているのか、その攻撃の手が先ほどより鋭い。加えてティガブラスト自体の力も不安定であるため、より希の力が要求されてしまっている状態だ。カオスワロガの攻撃を大きく躱すが、隙だらけの態勢に容赦のない攻撃が迫る。

 

「あああああああああああああ!! がっ、うぐっ……あがああああああああああ!!」

 

 悲鳴、絶叫。

 体の内側から破壊されるその感覚は、痛みではなく不快。ただひたすらに『不快』という感覚がリヒトの中を駆け巡り、叫んでいなければ自我すら崩壊する。

 だが同時にその絶叫は(ティガブラスト)の耳にも聞こえており、優先順位がリヒトの救出に傾き始める。

 カオスワロガの攻撃を避け、急いでリヒトの元に駆け寄りたいという焦りが、ティガブラストの動きを鈍らせる。

 大振りの一撃がティガブラストの胸を引き裂く。

 散る火花、ティガブラストの絶叫、襲い掛かるダメージフィードバック。

 

「──ぐ、ぅ──ぁ、希!!」

 

 不快感に耐えながら、リヒトは希の名を叫んだ。

 ティガブラストの視線がリヒトに向けられる。その視線の先では、リヒトは襲い掛かる不快感に顔を歪めながらも、ギンガスパークで頭部を叩き意識を保ちながら、

 

「こっちはこっちで何とかする! お前はそいつの相手をしろ!!」

 

 叫んだ。

 

「お前は任せろって言ったよな! 俺もこっちは任せろって言った! なら、お互いに自分がまかされたことぐらい、しっかりやろうぜ……俺だって、こんなの問題ないからっ! さっさとこいつ追い出して絢瀬助けるから、お前も、そいつ相手に集中しろ!!」

 

 そう言ってリヒトは、光を高めたギンガスパークを己の胸に突き刺した。

 

「あがっ、ぐきぃ、負けるかよ……負けて、たまるかっ!!」

 

 ──―瞬間、眩い光は天へと昇り、同時にリヒトの脳裏に様々なビジョンを流す。

 ()()()()()()()()()()()

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 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()

 ()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()

 どのビジョンも真相が気になるものばかりだが、今それに構っている時間はない。流れてくるビジョンを無視して、リヒトは自分の中を自由に走っている不届き物を追い出すために全身全霊の力を籠める。

 ギンガスパークの眩い光、そしてリヒトの体内から溢れる光が取り憑いた白いナニカを体から追い出すために輝く。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 雄叫び。

 天へと昇る光はより輝きを増し、最後は四方へと飛び散った。

 

「…………」

 

 ────最後の一瞬、ローブ男の悲鳴を聞いたような気がしたが、よく覚えていない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけリヒトの呼吸が止まるが、すぐに疲れがどっと押し寄せ呼吸が再開される。同時に体が鉛のように重くなり手を付いて荒い呼吸を繰り返す。

 ここは『異形の海』。常人であれば数分と持たないこの空間は、ウルトライブしていないリヒトには重苦しい空間に感じる。いくらここで呼吸を整えようとしても無理だろう。それにもう、呼吸を整えている時間がない。

 リヒトは顔を上げ、一度だけティガブラストのようにサムズアップを送るとその重い足を動かし始める。

 

『…………』

 

 ────希は、その姿を見てひっそりと笑った。彼の顔が『どうだ』と語っていたからだ。

 ティガブラストは構える。視線と意識はカオスワロガに向けられ、その構えには若干の隙が見受けられるものの先ほどまでとは違う。完全に戦う『戦士』の姿勢に近い。

 その変化にカオスワロガは少なからずの驚きを覚え、しかしすぐさま構える。

 両者の激突が始まる。

 先ほどまでとは違い、希が戦闘に集中しているためティガブラストの動きは良い。だがそれは先ほどに比べたらの話。カオスワロガと比べればそれはまだまだ未熟。故に戦闘状況はカオスワロガが有利と見ていいだろう。

 といっても、ティガブラストの役割はあくまで足止めだ。勝つことなど最初から希の頭にはない。それは自分の実力を十分に理解しているからこその決断であり、同時にそれはリヒトもわかっていることだ。だからこそ、リヒトは今にも倒れそうなくらいボロボロの身体を引きずって絵里の元に行く。

 

「あや、せ……」

 

 呼吸は荒い。ティガダーク戦で消耗した体に、ローブ男による精神破壊攻撃が襲ってきたのだ。光を使い排除したとはいえ体に蓄積されたダメージは重い。気を抜けばその瞬間リヒトの体は地に倒れ、起き上がることが難しくなるだろう。

 だから最後まで気を抜かない。絵里を助けた後はカオスワロガを倒しこの空間から脱出しなければいけないのだ。時間もそう残されていない。

 

「…………」

 

 背後ではティガブラストとカオスワロガの激突が響いている。

 だがそんな音は今のリヒトの耳に届いていない。絵里の元に辿り着いたリヒトは、疲労とダメージで止まりかけている思考を何とか回転させ、ギンガスパークを握る右手を上げる。鉛のように重い右腕を歯を食いしばって上げ、力いっぱい絵里の胸元にある青い輝石に突き刺した。

 なぜそうしたのかはわからない。ただこの行動で問題ないと頭の片隅で思っていたのだ。

 そしてそれはすぐに結果として現れる。

 ギンガスパークと青い輝石に残された光が共鳴し、二人を光が包み込んだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「────あれ? ここは?」

 

 気が付くとリヒトは外に立っていた。先ほどまでの灰色の世界ではなく、リヒト達が普段生活している普通の世界。だが街並みがリヒトの知る風景とは違い、直感的にここが日本ではなく海外だと悟る。

 

「海外……だよな? どうして──」

 

 こんなところに? と思った時、

 

 

「待って!」

 

 

 少女の声が聞こえてきた。その声はなんだか聞き覚えのある声であり、リヒトは自然と声のした方に振り返っていた。

 振り返った先にいたのは一組の家族と一人の少女。美しい金色の髪をした少女は目に涙を浮かべながら、黒髪の少年の袖を掴んでいる。

 

「本当に、帰っちゃうの?」

 

「うん。ごめんね、本当はもっとここに居たいけど、帰らなくちゃ」

 

「そんな……」

 

 少女の問いに困った表情をしながら答える少年。そして少年の返答を受けて少女は泣きだしてしまう。少年はより困り顔をして老婆に抱き着く少女に何と声を掛ければいいか、その手が右往左往している。

 ──直感的に、いや、二人の顔を見た瞬間この光景が何なのかすぐに理解した。

 これは『一条リヒト』がロシアから日本へ帰国する、絵里と別れる光景だ。実家の方に帰った時何度も見た幼い自分と絵里の顔。脳裏に浮かんだ写真の顔と、今目の前の二人の顔が一致するのだ。

 

「泣かないでよ、えりー……そうだ! ぼく……うんうん、俺さ、日本に帰ったらダンスを始める! そして絶対にプロになって、またエリーに会いに来るよ!」

 

 力強く宣言する『一条リヒト』。それは周りにいる誰もが驚き、唖然とする宣言だった。特に後ろにいる母親は『え? 聞いてないわよ?』と父親と顔を合わせて何やら会議中。

 そして同時に、ぷ、とリヒトは他人事のように笑ってしまった。

 それはバカにした笑いではなく、堂々と自分の夢を宣言した幼い自分に賞賛の意味を込めての笑み。気持ちがい程の正直なことを宣言した幼い自分は、成長した今の自分にとってとても眩しく見えた。

 

「なら私もプロになる! プロになってリヒトくんと一緒に世界を回りたい!!」

 

「なら約束しようぜ! 一緒にプロになって、一緒に世界を回る! それと、どっちが多くの人を魅了できるか勝負しようぜ!」

 

「うん! 約束する! その勝負も受けて立つわ!」

 

 握手を交わす二人。

 これが『一条リヒト』と『絢瀬絵里』の始まりだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 少年との『約束』をしてから、少女の実力はこれほどまで以上の成長を見せる。周囲が唸るほどの、そして魅了されるほどのバレエは講師の予想をはるかに凌駕し、コンクールで彼女の名前を見ない日などなくなった。

 常にトップに君臨し続ける少女。

 少女のバレエは優雅であり、美しく、時に儚い。

 誰もが呼吸を忘れて見入るそのバレエは、きっと何より本人が楽しんでいるのが一番の魅力だろう。

 その顔には常に笑顔があり、それが彼女の最大の魅力だった。

 

 

 だが、少女のステージは突然終わりを告げる。

 

 

 ある日のコンクールだった。そのコンクールは今まで少女が参加してきたコンクールより大きなものであり上位入賞すればプロの世界に近づくとまで言われている。

 少女はそのコンクールに向けて最善の準備をした。今まで以上の美しさを求め、自分の中で最高のパフォーマンスをするために。

 その日は、自分でもわかるほどの体の調子及び気持ちの面でも絶好調だった。負ける気がしない、というのはこのことだろう。少女は今日の自分は最高の状態であると確信していた。

 そして、その頑固たる自信は──

 

 

 目の前に現れた『天才』により簡単に砕かれた。

 

 

 それは『天才』。

 それが『天才』。

『天才』としか言いようがないほどに、突然現れた少女のバレエは美しかった。

 ──圧倒的にレベルが違う。

 そう少女(えり)は思い知った。

 直感的に、全身が『この人には勝てない』と悟っている。どうあがいても勝てない。これが正真正銘の『本物』。

『努力』で得たモノではなく『最初』から得ていたモノ。

 神が授けし『実力』。それが『天才』。

『天才』のバレエを見ながら少女──絵里は自分の中で何かが砕けて行くのを感じていた。それが何なのかは考えるまでもない。

 それでも絵里はステージに向かった。あの日に誓った『約束』を果たすために。その為の第一歩がこのコンクールなのだ。こんなところで躓けない、『天才』を倒して一歩先に行くのだ──。

 

 

 ──だが、結果は『天才』の圧勝。

 絵里はその手に賞を取ることすらできなかった。

 

 

 それからの絵里のバレエは今までの輝かしいものとは違い、どこか影のあるものに変わっていってしまった。一番の違いはその表情の笑顔から『輝き』が失われていったことだろう。

 絵里のバレエから『輝き』が消えてしまった。それは彼女のバレエにとって致命的なことであり、次第に絵里自身からも『輝き』が消えて行った。今まで何度も賞を取っていたコンクールでは見るに堪えない結果を出したことすらあった。

 講師は『スランプ』だと判断し、絵里にしばらく休養を与えたが彼女が復活することはなかった……。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「…………」

 

 一連の光景を見て、リヒトは何とも言えない感情に言葉を失くしていた。

 これが絢瀬絵里の『始まり』と『終わり』。『夢』に向けて歩みだした彼女の最初で最後の挫折と絶望。

 話には聞いていた。大まかなことは知っていた。だがここまで詳細なことを見てしまうと、勝手に心の中を除いた罪悪感までも浮かび上がってくる。

 

「絢瀬……」

 

 と小さく彼女の名を呼んだところで、

 

 

「きゃあああああああああああ!!」

 

 

 悲鳴が聞こえた。

 リヒトは慌ててそちらの方に振り返ると、何かから逃げるようにして飛び込んでくる絵里の姿があった。相当な恐怖を感じているのか、リヒトにぶつかってもその勢いが収まることはなく、止めることができなかったリヒトは一緒に尻もちを付く。

 

「お、おい、絢瀬?」

 

 震えている絵里の肩を揺すり、涙目の絵里が上を向く。その表情にドキッとするリヒトだが、絵里は気づいていないのか後ろの振り返ると安心したようなため息をついてリヒトの胸に顔を埋める。

 それが余計にリヒトの心拍数を上げるが、さすがにこれは絵里も気づいたのか小さく悲鳴を上げリヒトを押し倒す。

 

「のがっ!?」

 

「あ、ごめんなさい! リヒトくん大丈夫!?」

 

 後頭部を襲う激痛におかしな悲鳴を上げるリヒト。絵里もさすがに突き飛ばしたのは悪かったと思い謝罪と同時にリヒトの後頭部を確認。それほど強く打ち付けていないのかたんこぶはできていない。

 

「ててて、ったく勘弁してくれよ。こっちはもう色々ボロボロだって」

 

「ごめんなさい……」

 

「まぁ、その様子じゃ変な異常は起きてないみたいだな」

 

 絵里の様子を見るにコレと言って特徴的な異変はまだ見受けられない。それはここが絵里の心の中であり、もしかしたら外的異変はあるのかもしれないが、一先ず『心』の方はまだ異常が発生していないと見ていいだろう。なにせ絵里の場合は異例が多かったため、こうして心だけでも無事でいることに少なからず安心していた。

 だからと言って完璧に無事、というわけではない。この後すぐに異変が起こるかもしれないし、こうしている間にも絵里の『体』の方には何かしらの異変が起きているかもしれない。なにせ体の大部分は『柱』に沈んでいるのだから、例え無事でも後遺症みたいなものが残った場合は元もこうもない。

 

(たぶん、これは西木野の時と同じだ。あの時を例とするならここで絢瀬の『心』を救えば、それは同時に絢瀬を救ったことになるけど……)

 

 リヒトは絵里の手を取りながら策を考える。ここが絵里の心の中なのは間違いない、となれば真姫の時同様心に住み付いた『闇』を払えば解決に一歩近づく。

 もう何度もこういったことを経験しているのに、いまだ具体的な解決策を見いだせていない自分に舌打ちしたくなるが、それを飲み込む。ともかく今は絵里の心の強さを証明できればいい。その為に何かヒントはないか……? 

 

「……? どうしたんだよ」

 

 と、そこでリヒトは絵里がリヒトの後方を見ていることに気付いた。

 そしてリヒトもまた聞いてから自分の後ろに何があるのかを思い出し、振り返って確認する。

 そこには先ほどまで見ていた絵里の『始まり』と『終わり』の光景が流れていた。

 

「あー……わりぃ、勝手に覗いちまった」

 

「……うんうん、いいよ。だって半分はリヒトくんも知っていることだし」

 

「…………」

 

 半分、とは『一条リヒト』が帰国する場面のことだろうか。しかし今のリヒトは記憶喪失であるためそのことは覚えていない。

 しかし今ここでそれを言っても先に進むのが遅くなるだけなので、黙っておくことにした。

 

「……絢瀬、お前」

 

「……そう。私は諦めたの。リヒトくんとの『約束』を、『夢』を。何もかも全部ね」

 

 そう語る絵里の姿はどこか寂しそうで、

 

「自分でもびっくりだわ。あの日の私には絶対的な自信があったのに、突然現れた『天才』にすべてを砕かれた。自信も夢も、私、『絢瀬絵里のすべて』を砕かれた。

 ……うんうん、少しウソついたわね。最後のは自分で砕いた。要は自滅したのよ。『天才』というのを肌で感じて、私が目指す世界はそういった人たちの集まりだと悟って、勝手に敵わないと思って……」

 

「…………」

 

「不思議よね、『天才』って普段は何もない普通の人間なの。演技前は普通に緊張していて、普通におしゃれをしていて、『パパ! ママ!』って笑顔で両親の傍にいて……可愛い笑みを浮かべていて。どこにでもいる普通の女の子。

 でも、その瞬間だけ『本物』になる。普通の子は、その瞬間に『天才』になるの。『本物』となって、私達『偽物』を封殺してくる。

 幼心ながら、すぐに思ったわ。『(かみさま)』が与えた『才能』には勝てないって」

 

 しかし、絵里は自嘲気味に笑い、

 

「……そんなの関係ないわよね。本当ならそこで『負けるもんか!』ってなるのが『夢』を追いかけている『本物』の証拠。でもね、私はそこで諦めちゃったのよ。『天才』のバレエに呑みこまれた私は、その後の自分のバレエを失敗。それを引きずってどんどん私のバレエは繊細さを失くしていった。

 そして気が付いたらもう、バレエを辞めてたわ。そして『夢』を諦めた私はリヒトくんに合わせる顔がなくなった。だから私は、バレエの思い出と一緒にリヒトくんのことを忘れたの」

 

 それは違うとリヒトは思った。

 なぜバレエを辞めただけで『一条リヒト』のことまで忘れる必要があるのだ? 

 

「……『一条リヒト』は絢瀬とそのことについて話し合ったんだろ? なら、そこまでする必要はなかったんじゃないか?」

 

「…………」

 

「二人の間でどんな会話があったのかはわからない。でも少なくとも、『一条リヒト』が絢瀬を責めるようなことにはならなかったはずだ。『一条リヒト』だって『夢』を追う難しさは理解している。きっと絢瀬の分まで頑張ることを誓ったはずだ」

 

「ふふっ、記憶はなくしても、そこは変わらないのね」

 

 絵里はリヒトの言葉を聞いて微笑んだ。

 

「そうよ。リヒトくんは私の分も頑張るって言ってくれた。プロはダメでも、一緒のステージで踊ろうって。

 ……違うのにね。私が諦めたのは()()()()()()。バレエ、夢、目標、生き甲斐、すべてを諦めたの。あの日リヒトくんと『約束』したことだけじゃない。()()()()()()()()を諦めたの。そんな私が、()()()()()()()()()()()()()()()に立つ資格があると思う?」

 

「…………」

 

 だからすべてを諦めた罰として、『一条リヒト』のことまで忘れた……。

 それは絢瀬絵里が込める『夢』に対する覚悟から来た結果なのだろう。()()()()()()()()()()()()()ことが、当時どんな思いからその決断をしたのか予想がつく。とてつもない苦悩の末、きっと真面目な彼女だからこそそういった結果を下したのだろう。

 例え本来はそうしなくてもいいはずが、彼女なりのケジメ。それを考えるとなんて言葉を返せばいいのかわからなかった。下手な言葉は絵里の心を踏みにじることになる。それならばこのまま絵里の言葉を認めてしまえばいい、が、それは違うと何度もリヒトの心が訴えている。そもそも誰かの隣に立つ『資格』なんて必要ない。あるとすればそれは『想い』だけ。絵里には『一条リヒト』を想う心があるはずだ。それさえあれば『資格』なんてとうに所有している。

 だがこれはそんな言葉で片づけられるほど、簡単なものではない。

 

「……ねぇ、()()()どんな言葉を私にくれるの?」

 

 儚げな笑みを浮かべて、絵里は涙を流しながらリヒトに問う。

 それは、『一条リヒト』ではなく()()()に向けられた言葉。 

 絵里の心にある『一条リヒト』ではなく、記憶喪失のリヒトに向けられた言葉に、リヒトは静かに息を飲んだ。

 そして──、

 

 

 

「……自分の心に、正直になればいいと、思う」

 

 

 

 絞り出すように答えた。

 

「きみが一番、楽しく、笑顔で過ごせるように。『資格』とか『生徒会長』だとか、そんなことを考えないで、『絢瀬絵里』として、一人の女の子として、自分の心に素直な答えを出せばいいんじゃないかな」

 

 それは、褒められた返しじゃないかもしれない。

 彼女が望む答えじゃないかもしれない。

 それでも、リヒトが絵里に伝えたいのはこの一言だった。

『心に正直になれ』。

 どうも絵里は何かに囚われやすい、生真面目な性格のようだ。幼き日の罰や、今の生徒会長としての立場。様々なものに囚われ、自由に生きてきたことの方が少ないのかもしれない。

 リヒトの見当違いかもしれないが、それでもどこか絵里が窮屈に過ごしている様に感じられた結果、思い浮かんできた言葉がそれだった。

 

「…………」

 

 絵里はリヒトの言葉を受けて下を向いてしまった。

 ぽた、ぽた、と涙が落ちる。

 その姿を見て、やはり返す言葉を間違えたかと思ったリヒトだが、

 

「……そうよね、それが一番よね」

 

 絵里は小さく呟いた。

 そして顔を上げ、

 

「私は、やっぱりリヒトくんとまた一緒に笑いたい。あの子達の様に『夢』を追いかけたい。アイドルを──」

 

 涙をぬぐい、絢瀬絵里としての心を解き放つ。

 

 

 

「アイドルをやりたい!!」

 

 

 

 その一言にリヒトは背筋が震え、魂が震えた。

 あとはその手を掴むだけ。

 

「──ああ。なら行こうぜ! 絵里!!」

 

 二人が手を取り合う。

 その瞬間、眩い光が二人を包み込んで行った──―。

 




次回、いよいよ第9話完結―――。




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第九章:決戦、終えて……

第9話ラスト。
そして第一部ラストのお話。


 ギンガスパークが青い輝石に触れた瞬間、灰色の世界は輝きに包まれた。

 目を覆いたくなるような輝きは、絵里に絡みついていた触手を消滅させ、沈んでいた体を浮かび上がらせる。

 ゆっくりと開いて行く絵里の瞳。

 

「行くぜ」

 

 リヒトの声にうなずく絵里。

 光は二人を包み込むと天へと上り、雷鳴を轟かせた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ティガブラストとカオスワロガの戦闘は、やはりカオスワロガが圧倒していた。だから、正直に言って時間稼ぎも限界に近かった。

 カラータイマーは点滅していないものの、地に倒れているのはティガブラストであり、カオスワロガに呼吸の乱れは見当たらない。戦力差があることは覚悟していたが、ここまで違いを見せられると心が折れそうになる。

 希は自分の力不足に歯を噛み締めていた。

 だが、突然灰色の世界を染めた光に両者の動きが止まり、その光に希は心を躍らせる。

 

 

 

 天へと上った光は、やがて雷鳴を轟かせながら君臨する。

 

 

 

 ウルトラマンギンガ、爆誕。

 その姿はいつものギンガではあるが、纏う雰囲気が全く違う。

 凛々しく、神々しく、ゆっくりと立ち上がるその姿にカオスワロガだけではなく希までもが圧倒されていた。

 ギンガはティガブラストに振り返ると、ゆっくりと頷いた。

 ──後は任せろ。

 そう言われた気がしてティガブラストもまた頷き返す。

 そして、ギンガとカオスワロガが激突した。

 鋭い槍のような両腕が、神速をもってギンガに迫る。

 しかしギンガはその攻撃を全て見切っており、顔を狙ってきた一撃は首を傾けるだけで躱す。そのまま腕を掴み背負い投げ。

 地へと叩きつけられたカオスワロガから悲鳴が上がる。起き上がった瞬間に頭部を掴み、ギンガはさらにカオスワロガを遠くへと投げ飛ばす。

 先ほどよりも強い衝撃がカオスワロガを襲い、ギンガは空いた距離を埋めるべく飛翔。空中で一回転し、キックの態勢を維持したまま落下する。

 ギンガのパワーが通常よりも上がっていることを感じたカオスワロガは、すぐに戦法を切り替えるべく姿を消した。

 空振りに終わるジャンプキック。

 姿が見えないのでは、さすがのギンガも手に負えない。迫りくる攻撃を受けてしまい、体から火花が飛び散る。

 しかしそれも数撃。次の瞬間には攻撃を受けながらも光を纏ったパンチを顔面へと叩き込んでいた。

 ギンガとカオスワロガの体が同時に吹っ飛ぶが、すぐに足をつけて減速。ギンガは駆け出しカオスワロガは迎撃のために姿を消す。

 背後のやや上空からの攻撃。

 しかし、その際に発せられるわずかな殺気をいち早く感じ取ったギンガのカウンターがカオスワロガに突き刺さった。

 地へと倒れるカオスワロガ。

 ありえない、ありえないとカオスワロガは何度も否定する。この空間において、闇である自分が光に負けるはずがない。この空間は闇の力が強まり、光の力は弱まる空間だ。その空間においてなぜこんなにもパワーが出せる!? 

 

『なめんなよ、今のギンガは俺の力だけじゃねぇ──』

 

『──私の力も込められてるのよ!!』

 

 カオスワロガの疑問に答えるかのように、二人の声が聞こえてきた。

 そこでカオスワロガは気付く。ギンガの中──インナースペースに立っているのがリヒトだけではなく、()()()()()()ことに。

 

『よくも私の心を弄んでくれたわね。絶対に許さない!』

 

 絢瀬絵里だ。絢瀬絵里がリヒトの隣に立ち、その左手をリヒトが持つギンガスパークに添えているのだ。

 さらに右手は、青い輝きを放つ輝石を握っており、輝石の発する光が絵里を伝いギンガスパークに流れている。

 つまり、今ギンガはリヒトと絵里が同時にウルトライブをし、さらに絵里が持つ輝石の光がギンガに力を与えている。この空間の効果すら打ち消すほどのとてつもない光。そのパワーの源は間違いなく『青き輝石』。絵里を捉えた時はその輝きは弱く、いずれ朽ち果てる運命であったはずの輝石は、今、輝きを取り戻している。

 その光によってギンガのパワーは飛躍的に上昇し、一撃一撃がカオスワロガの体力を大きく削っている。

 光を纏う拳が振り下ろされ、カオスワロガの頭部を叩く。

 光を纏う蹴りはカオスワロガの腹部に突き刺さり、その体をくの字に曲げる。

 

『今のギンガは最強──いや』

 

 

 

『『超最強だ!!!!』

 

 

 

 二人の言葉と共に放たれた渾身のストレートパンチは、ヒットの際に火花を散らしながらカオスワロガを上空へと吹き飛ばした。

 

『決めるぜ!』

 

 ギンガは両腕を胸の前でクロス。

 クリスタルはピンク色に輝き始め、エネルギーが充填されていく。クロスしていた両腕を開き、エネルギーを凝縮させることで、その輝きは黄金へと変わる──。

 

 

 

『“ギンガサンシャイン”!!』

 

 

 

 放たれる黄金の光線。

 それは上空のカオスワロガを飲み込むと、威力を衰えさせることなくさらに突き進み、灰色の世界を撃ち抜く。

『ギンガサンシャイン』は『ギンガクロスシュート』に並ぶ大技だ。そしてその違いは『闇』そのものを破壊する光線であること。

 故に『闇』そのものである『異形の海(ここ)』は、『ギンガサンシャイン』に撃ち抜かれたことで崩壊を始める。

 上空で大きな爆発。そしてそれと同時に飛び散った『ギンガサンシャイン』の余波が『異形の海』を崩壊させる。

 ギンガはすぐにティガブラストの元へと走り、同時にティガブラストは希の姿へと戻り始める。

 ギンガは慌てることなく希が包まれている光を掴むと、猛スピードで閉じかけている『次元の裂け目』へと向かう。

 崩壊を始める『異形の海』。

 ここの主であったはずのローブ男はもういない。

 崩壊していく位相を見ながら、リヒトは静かにこの戦いに決着がついたと思うのだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

『次元の裂け目』はギンガ達が抜け出すのと同時に閉じた。ギリギリのタイミングだったことに冷や汗を流しつつも、リヒトはウルトライブを解いて地面へとその足をつける。

 場所は音ノ木坂学院の裏口付近。時間帯や裏口だということもあってか、そこに人気はなくちょうどよい着地場所だった。

 

「全員無事か!?」

 

「えぇ、私は」

 

「ウチも大丈夫やで」

 

 二人の安否を確認したリヒトは息を吐き、ようやくその体から力が抜けた。そのせいかぐらり、と体が揺れ思わず壁に手を付き体重を支える。が、それでも一度倒れかけた体に力が中々入らず、結局壁に背を預ける形で地に腰を下ろす。

 絵里と希が血相を変えるが、すぐに手で制して『大丈夫』だと伝える。

 

「終わったんだよな」

 

 ふー、と息を吐いてから絵里の姿を確認するリヒト。制服に多少の汚れはあるが、コレと言って目立つ外相はない。顔色も特に問題なく、気になるのは『心の方』と言ったところか。

 

「絢瀬、容体はどうだ?」

 

「大丈夫よ。といっても、まだ少し体が重いけどね」

 

「そうか」

 

 絵里も座り込んでいるところを見ると、やはり体力的な消耗、そして精神的消耗は激しいらしい。笑って答えてはいるが、その表情にははっきりと疲れが見えている。絵里の様子は、一日安静にすれば治る程度の物だろう。後遺症みたいなのは残っていないように見える。

 

「希は?」

 

「ウチも大丈夫、って言いたいんやけど、本音はもう限界。今すぐふかふかのベットで眠りたい気分や」

 

 ごもっともな感想だった。そもそも希はダークガルベロスにウルトライブしてティガダークと、ティガブラストにウルトライブしてカオスワロガと戦ったのだ。状況が状況だっただけに仕方がないとはいえ、ただの女子高生があんなことに巻き込まれたのだ。その身にかかる負担は大きかったに違いない。

 

(……いや、希の場合ただの高校生じゃないよな)

 

 そっと訂正するリヒト。同時に脳裏にティガブラストの姿が蘇ってくるが、今はその件について追及する時ではないだろう。目の前でガールズトークを始められては、男であるリヒトに出番はない。

 何はともあれ、これで一件落着と言っていいだろう。『異形の海』は『ギンガサンシャイン』で崩壊したし、ローブ男も白いナニカに変貌し襲って来たが結局は消えた。戦いが終わった、と言っても過言ではないのだから、今は何も追求せずにただ無事だったことに安堵しよう。

 

「それにしてもえりち、ウチの知らない間に随分大胆になったんやな」

 

「え? どうして?」

 

「ムフフフ、愛しのりっくんに会えてテンション上がるは分かるけど、まだ日が昇ってるで?」

 

「?」

 

 希が何を言いたいのかわかっていない様子の絵里。

「眼福やね」といやらしい笑みを向けてくるので一先ずリヒトはそっぽを向くが、同時に絵里も自分の胸元が涼しいことに気付き悲鳴を上げる。

 その後に起こるのは、何となく『お約束』だろうなと思いながら、リヒトはゆっくりと絵里の方に視線を向けてみる。

 そこにいたのは顔を真っ赤に染め、胸の前で腕を交差している絵里の姿。そう、絵里の胸元は無残にも引きちぎられ、その下の下着があらわになっているのだ。『異形の海』にいた時はそんなことを気にする暇がなかったため気にすることはなかったが、こうして戦いが終わり一息つくと気づいてしまう。

 絵里はスタイルがいい、と改めて思いながら──。

 

 

 

「いやあああ!! 見ないで!!」

 

 

 

 ──それは仕方のないことだろう。誰だって下着を見られれば恥ずかしいし、思わず手が出てしまうものだ。加えて、ギンガとなって二人を運んだこともあって、こうして地面に腰を下ろしている三人の距離は近い。だからちょっと手を伸ばせば簡単にリヒトの首の向きを変えることだってできる。

 事故とはいえ手が出てしまうのは仕方のないことだとリヒトは納得している。納得はしているが、

 

「あ、りっくん落ちた」

 

 満身創痍の体には、その一撃が決定打だった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 その後の話はすべて希から聞いたものだ。

 一先ずリヒトは裏口付近の空き教室に放り込まれ、絵里の悲鳴を聞きつけた数人の女子生徒に発見されることなく奉次郎が引き取っていき、絵里もまた服を正してから改めて希と共に穂乃果達のところへ謝罪しに行った。

 別に穂乃果達は気にしていなかったが、絵里なりのケジメだそうだ。そういう真面目なところは変わらなかったらしい。

 そして、自分の心に正直になった絵里は『μ’s』に加入。身近なダンスコーチが付いたこともあって、ダンス練習はより厳しさを増しているとのこと。

 一番の驚きは希の加入だったが、のんちゃん曰く『戦いに決着がついたとはっきりわかっていない』とのこと。それに加えて希の個人的占いの結果もあるらしいが……まぁこれは今更追及しても仕方のないことだろう。

 結果、『μ‘s』は九人となり、オープンキャンパスに向けての練習に励むことになったそうだ。

 あぁ、ちなみに俺の方は行方不明になっていたらしく、後日しっかりと両親からのお説教をいただきましたよ……。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 早朝練習の神田明神。そこでは絵里が何やら深刻な表情をしながら、掌に乗せた輝石を見つめる絵里の姿があった。

 

「…………」

 

「どうしたんえりち? もうすぐで練習始まるよ」

 

 希が声を掛けるが、絵里の表情は深刻なまま。ふと、なにか思い当たることがあったのか、絵里は視線を上げと希を見る。

 

「……ねぇ、希。希はリヒトくんがどうして記憶喪失になったのか知ってる?」

 

「? うーん……アメリカで何かあったぐらいしか聞いてへんなぁ。具体的にはさっぱりや。それがどうかしたん?」

 

「……いいえ。ちょっと気になっただけ。さ、練習行きましょう」

 

 そう言って、みんなが待つところへと駆け足で向かう絵里。

 ──絵里は一つだけ気になっていたことがあった。それはあの時──ギンガスパークと『青い輝石』によってリヒトが絵里の心の中を見た時に、同時に絵里もリヒトの心の中を見ていたのだ。あの時は訳が分からなかったが、今ならアレがリヒトの心の中だとわかる。

 そしてその光景は、とてもおぞましいものだったのだ。

 とある館の中。大きな扉を前にして、一人の老婆に立ち向かうリヒト。

 その光景がいつのものかはわからない。だが少なくとも、リヒトの髪色が明るい茶色であることから最近の出来事と予想できる。

 そして肝心なのはこの後。老婆の持つ杖がリヒトの胸を貫通したのだ。

 溢れ出る鮮血。

 真っ赤に染まるリヒトの体。

 杖は間違いなくリヒトの体を貫いている。

 溢れ出る鮮血がリヒトの命の灯を表しているようで、その体が沈むと間もなくしてリヒトの命が終わった──。

 

 

 

 ──一条リヒトはあの時、()()()()()。胸を貫かれて死なない者などいない。今この時、一条リヒトの命の灯は消えた。

 

 

 

 それなのに次の驚きはすぐにやって来る。

 光の球体がリヒトの体を包み込んだのだ。するとリヒトの体が変化し、()()()()()へと変身したのだ。

 信じられない。

 リヒトは一度死んだ。

 そして銀色の巨人となった。

 銀色の巨人は老婆が変化した怪物を倒し、その後さまざまなたたきを繰り広げた。

 そして、一番の衝撃は一人の少女が緑色の怪物へと変化した時。その変化に恐怖した絵里は駆け出し、その後の光景は見ていない。あの時、リヒトに聞けば何かしらの答えが返ってきたかもしれないが、あんな経験をしてまともな状態でいられるはずがない。

 それにあの時変身した『銀色の巨人』は『ウルトラマンギンガ』ではなかった。

 

(リヒトくん……あなたは一体──―)

 

 ──何者なの? 

 そう問わずにはいられないが、どうしても聞けなかった……。

 

 

 

 




以上で第9話、そして第一部:集う女神編が終了しました。連載開始から1年と5ヶ月でようやく9人が揃いました。いやまぁ、4か月ぐらい更新していない時期がありましたが……。

さて、今回のお話で第一部が終了しました。第4話から続いたメンバー加入回と言ってもいい第一部でしたが、いかがでしたでしょうか。私個人的には反省点も多くありますが、やっぱり書いていて楽しかったですね。ギンガの登場シーンをどう描くとか、ヒロインをどうやってダークライブさせようとか……色々楽しかったです。

そして次回からはいよいよ第二部が開幕です。今まではμ’sメンバーが狙われていましたが、果たしで第二部はどうなるのか? どんな敵が待っているのか? 楽しみに待っていただければ幸いです。
第二部の副題は決まっていませんが、テーマになりそうなのは『復讐』ですかね。
意外なところに焦点を当てた話だったり、リヒトの過去も大きく明かしていきたいです。

それでは次回、第二部開始の第10話をお待ちください。

第10話のサブタイトルは『小さき少女達の冒険』です。




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総集編 出会う光、集う女神
総集編① Record of リヒト


3年ぶりの更新。
たぶん話忘れられてそうなんで、ざっくりとした総集編から行きます。


 早朝の神田明神に響く、九人の少女の声。

 彼女たちの名は『μ's』。音ノ木坂学院のスクールアイドルである。

 発足したのは、今年の四月。ダンス経験も、歌の経験もない三人の少女が、大きな夢を掲げ、その一歩を踏み出したのだ。

 彼女たちが初披露した曲『START;DASH!!』はスクールアイドルのサイトにアップロードされ、彼女たちの名前を広める最初のきっかけになった。梅雨明けに七人となって披露された『これからのSomeday』は、『START;DASH‼︎』の時よりもレベルアップしたその姿に、新たなファンを獲得。まさに今、一番勢いに乗っているスクールアイドルと言ってもいいだろう。

 そんな彼女たちはつい先日、新たにふたりのメンバーが加わり、九人──μ’sの名が示す九人の女神と同じ人数になったのだ。

 そして彼女たちは、成し遂げたい大きな夢を達成するべく、今日も練習に励む。

 

 

 

 自分たちの通う母校、音ノ木坂学院の廃校を阻止するために。

 

 

 

 ☆★☆(一条リヒト)

 

 

 

「──とまあ、こんな感じでナレーションをつけてみたけど、どうだ?」

 

 動画の再生が終わり、集中して画面を見つめているμ’sメンバーに問いかける。

 

「いいんじゃないかしら」

「そうやね、奉次郎さんの渋い声がマッチして、ええ感じやと思う」

「同じく、出だしとしてはいいと思うわ」

 

 絢瀬、希、西木野がまずそれぞれ感想を述べる。

 

「私も三人と同意見です。これで問題ないかと」

「私も海未ちゃんと同じ意見だよ」

「私も」

 

 海未、穂乃果、ことりの三人が続く。

 

「わ、私も皆さんと同じ意見です!」

「凛も!」

「まあいいんじゃなかしら。にこのカワイイシーンも使ってくれてるみたいだし〜」

 

 小泉、星空、矢澤からも了承の意見が出た。

 ってことは、ひとまずこれでオッケーってことだよな。

 

「──っああ! 疲れたー」

 

 九人全員からOKが貰えた途端、疲れが一気に押し寄せてきた。たまらず、これまで我慢していたものを吐き出すかのように声を上げる。同時に縮まった筋肉を伸ばすかのように背伸びをして、そのまま後ろに倒れ込んだ。

 すると、横に誰かの気配。

 

「お疲れ様。結構大変だった?」

 

 寝そべった俺にねぎらいの声をかけてくれたのは、絢瀬だった。

 絢瀬は俺の右隣に座り込み、覗き込んでくるような格好。それは必然的に俺の視界に絢瀬の顔がいっぱいに広がるということ。数日前に比べて、その表情は柔らかく、眉間に皺も寄っていない。きっと、色々な重圧から解放されて伸び伸びとしているからだろう。

 

「まあな。さすがに動画編集なんてやったことなかったから疲れたよ。エナジードリンクのお世話になったのは初めてだ」

「ふふっ、その割には結構乗り気で引き受けた覚えがあるんだけど」

「それはまあ、俺しか手空いている人いなかったし……」

 

 絢瀬たちはオープンキャンパスに向けて練習があるんだから、必然的に俺しか手が空いている人はいない。『ローブ男』も倒したし、あれから怪獣が現れる気配もない。ウルトラマンとしての活躍がなければ、それなりに時間があるのが今の俺の生活だ。

 

「それにしても、希がカメラ持ってきたときは何事かと思ったわよ。これも一条の案?」

「まあな。せっかく九人になったわけだし、こういうPR動画みたいなのがあればいいと思ってさ。ナレーションも、俺がやるよりじーちゃんがやったほうがファンの嫉妬とかもないだろうし」

「ふーん、そう言った点も気をつけてるのね」

 

 俺の返答は、どうやらアイドルに強いこだわりを持つ矢澤を納得させることができたようだ。

 そう、さっき再生されていた動画は、俺が希に頼んで撮影してもらった動画に、じーちゃんのナレーションを付けたPR動画だ。メンバーが九人になったこと、そしていよいよオープンキャンパスが間近に迫っていることもあって、俺はひとつここでアクションを起こそうと思いついたのだ。

 それが、九人の練習風景にナレーションを付けたPR動画。もともとメンバーが九人になった時点で、部活紹介動画を新たに制作しなくてはいけなかったらしく、そのついでにと頼んだのだ。

 部活紹介動画と違って、こっちはネット上にアップするもの。当然、構成や演出などが必要になってくるが、それは元アイドルである父さんの力を借りることにした。

 ナレーションの方も、俺がやるよりじーちゃんがやったほうがいい。音ノ木町でちょっと名が知れ渡っているじーちゃんの名前を使えば、いい宣伝効果になるだろうと考えてだ。

 それに、俺がやったらきっと『誰だこいつは?』となって下手な火種になりかねない。スクールとついて入るが、『アイドル』としての立ち振る舞いを見習っておいて損はないだろう。

 

「いよいよだね」

 

 ふと、穂乃果のそんな声が聞こえてきた。

 見てみれば、真剣な表情でパソコンの画面を見つめている。

 

「オープンキャンパス、絶対に成功させよう!」

 

 メンバーの顔を見て、力強く宣言する穂乃果。

 それを受けて、全員の表情が切り替わる。

 今週末に迫ったオープンキャンパス。音ノ木坂学院の魅力を伝える一大イベント。来場してくれた中学生にアンケートを取り、その結果次第で廃校かどうかが決定する。まさに『運命の日』と言ってもいい。

 生半可なものでは、廃校を阻止することはできない。

 だが、今はμ’sがいる。μ’sがライブをし、魅力を伝えることで音ノ木坂学院に興味を持ってもらい、廃校を阻止する。

 穂乃果が掲げた、夢を実現するための大切な日。

 きっと、この場にいる全員が同じ気持ちだろう。絶対に成功させる。それなみんなの目を見ればわかる。

 

「ふっ」

「あ、今りーくんなんで笑った?」

 

 って、漏れた!? いやまあ、冷静に考えればこの静寂の張り詰めたような空気だからな。笑みをこぼしたら誰だって聞こえるか。

 

「いや、その……成長したなって」

「え?」

「ダンスも、歌も、なんの経験もないみんなが、その夢を叶えるあと一歩のところまで来たんだ。なんか、嬉しくなってさ」

 

 始まりのところを見ている分、余計にそう感じるのだろう。

 

 

 ──そう、記憶を失くした俺が、初めて会ったあの日から。

 

 

 

 ☆★☆(一条リヒト)

 

 

 

 俺が目覚めた時、そこはアメリカのとある病院だった。

 白い天井と心配そうな表情と涙を浮かべた両親。

 

『よかった! リヒト! 気がついたのね!』

 

 真っ先に母さんが声をあげたのを覚えている。

 でも、その時の俺は目の前にいる人物も、そして自分が誰なのかもかわからなかった。

 

『……誰?』

 

 その時の両親の顔を今でも鮮明に覚えている。

 その後、日本に帰国した俺は自分の名前が『一条(いちじょう)リヒト』であることと、アメリカには母さんのツテを使ってダンスを習いに行っていたことを知った。

 なんでも、人の笑顔が大好きで、そのために色々と芸を身につけ、その中で一番ハマったのがダンスらしい。母親が元プロダンサーということもあってか、すぐに実力をつけていき、もっとレベルの高いところで学ぶべく、母さんの知り合いがいるアメリカに渡ったと。

 そこで何かしらの事件に巻き込まれ、記憶喪失になった。

 大きな事件、と言われたが、その実態を知る者はほとんどしなかったため、なぜ俺が記憶を失ったのかは未だ不明。

 

『sorry ライト、私も記憶が欠落しているみたい』

『キャスが気にすることじゃないよ』

『でも、何か……何かとても大きなことだった気がするの。とても大切で、私とライトにも……とっても、大切な……』

 

 そう言って、『一条リヒト』がこの地で知り合った少女、キャスリン・ライアンは涙を浮かべて言葉に詰まってしまう。

 彼女は俺が記憶を失った時に発見された場所と同じところにいた。『一条リヒト』とキャスリン・ライアンは、一緒に何かしらの事件に巻き込まれ、俺は全ての記憶を、そして彼女はその事件の記憶を失くしてしまった。

 彼女もまた、失くした記憶を求めて今日も一日を過ごしているだろう。 

 日本に帰国した俺は、しばらく実家の喫茶店を手伝いながら記憶が戻らないか考えていた。

 そして、いつからだろうか。

 俺の夢に光と霧の影が出てくるようになった。二つの影は何度もぶつかり合い、まるで戦っているようだった。

 その夢を見るようになってから、俺は何かに呼ばれているような気がして、この町にやってきたのだ。

 穂乃果たちと再会して、そして、

 

 

 その日の夜、ウルトラマンギンガと出会った。

 

 

『彼女たちの歩む道の先に「邪悪な魔の手」が待っているのだ』

 

 その時見た光景は最悪だった。少し先の未来、穂乃果たちの夢が叶わず、音ノ木坂学院が廃校になるビジョン。

 それを変えるためには、穂乃果たちの歩む道の先に待っている『邪悪な魔の手』を倒さなくてはいけない。

 その時は、出現したダークガルベロスを倒すために成り行きでウルトラマンギンガと一体化したが、その後の戦いで、俺は決めたんだ。

 何者かわからない、怪獣を暴れさせるやつのせいで、誰かの夢が壊されそうになっている。誰かの頑張りを踏み躙ろうとする奴がいる。それを阻止できる力が俺にあるなら、俺は戦う。

 

 みんなの夢を守るために、ウルトラマンとして。

 

 

 

 ☆★☆(一条リヒト)

 

 

 

「ええ!? 絵里先輩もギンガさんを知ってるの!?」

「──はい?」

 

 物思いにふけっていた俺の耳に聞こえてきた穂乃果の声。それが俺の意識を現実へと戻した。

 って、え? いまギンガの名前が出てなかったか?

 

「え、ええ……いろいろあってね」

「それじゃあ、この場にいる全員がギンガさんのこと知ってるんだ」

「びっくりだにゃー」

「そのうち三人は、怪獣になった経験があることやし、みんなウルトラマンと怪獣には縁があるんやね」

「あまり嬉しくない縁ね……」

 

 経験者の一人、西木野が希の方を見ながら言葉を返す。

 まあ、ウルトラマンギンガに関わりがあるって言ったら、怪獣にされたか、もしくはその事件に巻き込まれたかの二択だからな。あんまり嬉しい縁じゃないに決まっている。

 

「待ってください穂乃果。私たちはギンガの姿をこの目で見たからわかりますが、リヒトさんは知らないはずでは?」

「ううん、りーくん知ってるよ。だって、りーくんから『ウルトラマンギンガ』って名前を聞いたんだもん」

 

 そうなのですか? と海未から視線を向けられる。

 

「まあ、な」

「もしかしたら、私たちの中で一番詳しいんじゃない?」

「どうして?」

「パパがギンガについて訊いたら、『闇を打ち払う「光の戦士」、それが「ウルトラマンギンガ」』って答えたらしいの。まあ、知っているのはそれくらいっとも言ってたみたいだけど、どうやってそれを知ったのか気になるわね」

 

 小泉の質問に答えつつも、視線を俺に向けてくる西木野。いささか棘が含まれているような言い方──というより、何かを確認したがっている雰囲気を感じた。

 しかし、

 

「あんた、何言ってんの?」

 

 矢澤が鼻を鳴らしながら言ってきた。

 その瞬間、俺の直感に矢澤の次の言葉をさえぎれと走る。

 

「一条が──」

「あ! そーだ! 俺、みんながどうやってギンガのこと知ったのか気になるな」

 

 発言を遮られた矢澤から抗議の視線が飛んできたが、希がすぐに対応する。きっと、ギンガの正体が俺であることを秘密にするように説得してくれてるのだろう。

 なら、俺は俺でこのまま他のメンバーの気を引き続けるだけだ。

 慌てるな、落ち着けー。ここで変に語尾が上がったりしたら怪しまれるかもしれない。矢澤の言葉を遮る形になったんだ、それを不審に思われる前に誰かに続けてもらわなくては。

 

「やっぱり一番最初に出会ったのは穂乃果か?」

「え、うん、ファーストライブの前だからそうじゃないかな」

「俺はその場にいたから知ってるけど、みんなに話したらどうだ? お前とウルトラマンギンガの初めての出会いをさ」

「うん……わかった」

 

 よし、なんとか話をそらすことに成功したな。みんなの視線も穂乃果に向かってるし、ひと段落かな。

 

「私が、初めてギンガさんに出会ったのは──」

 



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総集編② Record of 穂乃果&海未





[Record of 高坂穂乃果]

 

 

「私が初めてギンガさんに出会ったのは、りーくんと再会した次の日。希先輩に誘われて、奉次郎さんにお祓いをしてもらった時だよ」

「……! あの日ですか?」

「え、海未ちゃん知ってるの?」

「リヒトさんと再会した次の日というと、穂乃果の様子が変だった日なので覚えているんです」

「あの日の穂乃果ちゃん、いつもと違って全然元気がなかったもんね」

 

 ふたりともあの日のこと覚えてるんだ……。それだけ心配をかけたってことだよね。

 ことりちゃんの言う通り、あの日の私は、いつもと比べて全然元気がなかった。自分でも自覚できるほどに。何をやろうとしても、いつもなら感じない『不安』を大きく感じちゃって、全然できない。エネルギーが湧いてこなかったんだ。

 理由は、寝ている時に見た怖い夢のせい。

 学校が壊されちゃって、私たちの頑張りが否定されちゃって、暗い森でひとりぼっちになって、どれだけ叫んでも、誰も来てくれない。そして景色が変わって、クラゲのお化けに襲われる怖い夢。

 

「えへへ、怖い夢を見たくらいでああなっちゃうなんて、笑っちゃうよね……でも、本当に怖かったんだ。まるで本当に体験しているみたいで……」

 

 私が子供の頃に経験したことと似ていたことが、より怖く感じた理由かもしれない。

 あれはまだ、小学生になる前だったかな。お母さんに言われたことが辛くて、家を飛び出しちゃったことがあるの。泣きながら、無我夢中に走って、気づいたら全然知らない場所にいたの。帰り方もわからなくて、独りぼっちでずっと泣いていたの。

 夢でも、同じ体験をした。

 

「それでね、希先輩にこのことを話したら、奉次郎さんのところに案内されて、お祓いをしてもらったの」

「お祓い、ですか……」

 

 お祓いと聞いたらあまりイメージが湧かないのか、花陽ちゃんが少し震えた声を返す。

 

「うん。蝋燭だけで照らされた部屋でね、私はこうやって正座して、手を合わせて目を瞑るの。そしたら、奉次郎さんがお経……じゃなくて、なんかこう……呪文みたいなのを唱えて……」

「呪文って、そこはお経じゃないんですか?」

 

 真姫ちゃん、そうは言うけどあれは呪文だって。お経とはまた別物だったよ……。何を言っているのかさっぱりなんだもん。

 

「とにかく、奉次郎さんが何か言い始めたら意識がぼーっとし始めて、気づいたら暗い森の中を一生懸命走ってて、今度は気づいたら希先輩に介護されてて、もうわけわかんなくなったけど、希先輩が見た方を向いたら、ギンガさんがいたんだ」

「……急に雑になりましたね」

「だって〜、これ以外になんて説明すればいいの? 頭がいい海未ちゃんなら上手かもしれないけど、私にはこれが限界だよ……そうだ! りーくんと希先輩は一緒にいましたよね? 私の説明で大体合ってますよね?」

 

 希先輩はうーんと、人差し指を顎に当てて、

 

「そうやね……概ねあっとるよ。奉次郎さんのお祓いで、穂乃果ちゃんに取り憑いてた悪ーいお化けが怪獣になって、今にもこっちを襲ってきそうな時に、ウルトラマンギンガが駆けつけたんや」

「そうだよ! 白い顔をしたお化けを、ギンガさんがこう手で押し留めてて、弾き飛ばしたらものすっごい怖い怪獣になったの! それでね! ギンガさん怪獣の攻撃をバリアで防いだり弾いたりして、ものすっごく強くて、すぐに倒したやったんだよ!」

 

 あの時のギンガさんはまさに無敵! って感じだったんだよ。強い人から感じるバリバリのオーラを放ちながら、圧倒的な強者の風格で怪獣を倒しちゃったんだから。

 必殺技を放つときも、全身のクリスタルが黄色と赤色に変わって綺麗だったな〜。

 

「ホント、ざっくりだな」

「りーくんまでそういうこと言う?」

「まあ、この話は俺も実際にその場にいたから知ってるけど、希の言う通り概ね合ってるんだよ。気になるのは、穂乃果がいつその悪いお化けに取り憑かれたかなんだよな。身に覚えとかねえの?」

「うーん、ないかな」

 

 そもそもお化けにどうやったら取り憑かれるんだろ? 夜中にお墓に行くとか、心霊スポットに行くとかかな? でも、そんなところ行った覚えないし……。

  むぅ、と私が頭を悩ませていると、海未ちゃんが伏し目がちに言う。

 

「私たちの知らない間に、そんなことを体験していたのですね」

「だから、あの時の穂乃果ちゃん少し頼もしく見えたんだ」

 

 どこか納得したような様子のことりちゃんに向けて、私は「あの時?」と訊いた。

 

「ファーストライブの日だよ。ギンガさんがケルベロスみたいな怪獣と戦ったあの日」

「あー! そっかあの日! ことりちゃんと海未ちゃんが初めてギンガさんを見た日だ!」

「そうですね、私とことりはあの日初めてウルトラマンギンガと出会ったんです」

 

 

 

[Record of 園田海未]

 

 

 私が初めてウルトラマンギンガを目にしたのは、ファーストライブの日です。きっと、ことりも一緒でしょう。

 あの日、講堂の裏で衣装に着替え終えた私たちでしたが、そこへ誰かがやってきたのです。ノックされた扉を穂乃果が開けた時、そこにいたのはクラゲのような怪獣でした。

 あの時の恐怖は今でもはっきり覚えてします。

 最初は夢かと思いました。

 しかし、肌で感じる恐怖が、とてもリアルだったのです。

 私はふたりの手を握って急いでその場から逃げ出しました。途中、ふたりを守るために道場から竹刀を一つお借りし、神出鬼没な怪獣から逃げましたが、結局三体の怪獣に追い込まれてしまったのです。

 

「私、あの時すごく怖かった。もう死んじゃうのかなって何度も思ったんだ。でも、その度に穂乃果ちゃんが励ましてくれて、すごく頼もしかったよ。海未ちゃんも、守ってくれてありがとうね」

「やめてください。私なんて大したことしてませんよ。助けてくれたのはウルトラマンギンガなんですから」

 

 それにしても、あの時聞こえた『諦めるな』と言う声はいったい誰だったのでしょう……。

 その後、私たちの目の前で繰り広げられたのは、三つの頭を持つ暗い青色の怪獣とウルトラマンギンガの戦い。先程の穂乃果の話では、あっという間に怪獣を倒したとのことでしたが、今回は違いました。敵が強かったのか、ウルトラマンギンガは怪獣相手に苦戦を強いられました。

 二体に分裂し、私から見ても強力だとわかる火炎弾でギンガを苦しめたのです。

 分裂、いいえ、あれは幻影でしょうか。実態はなく、影のようにその場にいるだけで、翻弄してくる怪獣。その攻撃によって劣勢になったギンガは、怪獣の攻撃を受け続けダウンしてしまいました。

 

「そ、それからどうやって逆転したんですか?」

「それはね! 私たちの活躍があったんだよ!」

 

 花陽の質問に答えたのは、私はではなく穂乃果でした。

 ……あの、今話しているのは私なのですが?

 

「海未ちゃん、『あれ』出して」

「『あれ』ですか?」

 

 うんと頷いて、穂乃果はポケットから赤い輝石を取り出し、みんなに見えるようにテーブルの上におきました。

 穂乃果が置いてしまっては、私も置くしかありません。続くように私は取り出したY字型のオレンジ色に透き通る宝石をテーブルに置きました。

 

「なに、これ」

 

 にこ先輩がもっともな疑問を口にしました。

 

「わかりません」

「いや、自信満々に出しといてわかりませんって、あんたね……」

「すみません、穂乃果の言う通りなんです。これが具体的になんなのか私たちにはわかりません。穂乃果は怪獣に襲われたあの日に、気づいたら手に持っていたみたいなんです。私は父からお守りにと手渡されました」

 

 呆れた様子を見せるにこ先輩は、私の説明を聞くと余計に眉間に皺を寄せました。

 ですが、私たちもこれ以上の返答ができません。今わかっているのは、赤い輝石は穂乃果の強い想いに反応して力を発揮すること。そして私が持つ宝石は、穂乃果の輝石の力を譲り受けることで、その力を矢として放つことができるということだけです。

 この力を使って、私たちは援護ができたのです。

 

「海未ちゃんは弓道部やから、それはもう見事な援護やったで」

「ですが、それだけですぐに逆転できたわけではありません。ウルトラマンが逆転できたのは、間違いなくことりの力が大きかったです」

「えっ? そんなことないよ」

「ううん、ことりちゃんのおかげだって!」

「穂乃果ちゃんまで……」

 

 ことりは否定しますが、間違いなくあの戦いはことりのおかげで勝利できました。

 ことりが、あの怪獣の幻影を見破ることができたのですから。

 

「幻影を見破るなんて、すごすぎるにゃー……ことり先輩本当に人間?」

「星空それは言い過ぎだろ」

「ことりは昔から空間把握能力と動体視力に優れてましたからね」

「も、もうーこれ以上褒めないで!」

 

 恥ずかしがることりですが、あなたが幻影を見破ったからこそ、ウルトラマンの必殺の一撃は本物の怪獣を捉えることができたのです。そこは誇っていいはずですよ。

 

 

 

[一条リヒト]

 

 

 うん、あの時はまじでことりに助けられた。

 もちろん、三人だけじゃない。穂乃果たちは知らないけど、あの時、もうひとり勝利に貢献した人物がいる。

 それは、希の中にいるもうひとつの魂。

 希とそっくりな姿をした少女。

 名前は『のんちゃん』。『ティガ伝説』の時代に生きていた少女で、『イージスの力』から治癒能力を授かっている。その力でダークガルベロスに噛まれた左腕を治癒してくれたんだ。そのおかげで、俺はギンガが持つ最大の必殺技、『ギンガクロスシュート』を放つことができたんだ。

 ちなみに、『のんちゃん』がなぜ、希の中にいるのかはわからない。ひとつの体にふたつの魂があるのは、本来であればありえないこと。それによって幼い頃は『見えてはいけないもの』が見えてしまったりしたらしいのだが、今はじーちゃんのおかげで共存できているようだ。

 

「待って、もしかしてあなたたち、その後にあのライブをやったの?」

「ええ、そうなりますね」

「……よく、できたわね」

 

 確かに、絢瀬の言う通りかもしれない。穂乃果たちはあのあと、ファーストライブを行った。

 冷静に考えれば、怪獣とウルトラマンの戦いに巻き込まれた後にライブをするなんて、体力はまだしも精神力が相当削られていたはずなのに。

 

「さすがになにもなかったわけではありませんよ。三人とも、家に帰ったらすぐ眠ってしまったようなので」

「うんうん、気づいたら眠ってたよね」

「私も、目の疲れがひどかったよ」

 

 ……だよな。ウルトラマンと怪獣の戦いに巻き込まれたんだ。体力も精神力も、相当削られただろう。そんな中、三人はファーストライブを成功させた。

 すげえよ、三人とも。

 

「……お疲れ、ありがとう」

「リヒトさん今何か言いました?」

「なんでもねえよ。それじゃあ、次は誰の──」

 

 と言って、残りのメンバーに視線を向けたところで、俺は思った。

 残りのメンバーって、希と星空を除けば、全員怪獣にダークライブしたメンバーじゃん! これ絶対話しにくメンバーだよな……。

 

「そうね、順番的に私じゃないかしら」

 

 しかし、俺の思いとは裏腹に、西木野が自ら名乗り出るのだった。

 



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総集編③ Record of 真姫・絵里・にこ

[Record of 西木野真姫]

 

 

 私が名乗り出た時、リヒトさんは驚いた様子だった。

 

「いいの? 真姫ちゃん怪獣になっちゃったんだよね? 無理して話さなくても」

「別に無理なんかしてないです」

 

 高坂先輩の言う通り、私は怪獣になった。だから正直なことを言うと、語れることなんて少ない。

 だって覚えていないんだもの。自分がどうやって怪獣になったのか。そもそもなんで怪獣になったのかさえわからない。

 

「話しておいて損はないと思います。それに、私自身どうやって怪獣になったのか、どうして怪獣になったのか、覚えていないの。話せば何か思い出すかも入れないでしょ」

 

 そうして私は、語り始める。

 自分が怪獣になってしまった、あの日の出来事を。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 あの時の私は、先輩たちのライブに影響されて、ピアノに向かう時間が増えていった。そのせいか『夢』について悩むようになって、勝手に苦しんでいたの。

 音楽の道と医者の道。

 医者の娘である私は、継ぐために医者の勉強をしなくてはいけない。それに、音楽の道はある出来事から完全に諦めたつもりだったから。

 でも、ピアノに向き合う時間が増えていくにつれて、どうしても音楽の道が頭を横切るの。諦めたはずの、選択肢から消したはずの道。

 たぶん、そこを漬け込まれたのでしょうね。

 頭の中にね、声が聞こえてきたの。

 

『簡単だよ、すべて君のお父さんが悪い』

 

 私がこんなにも苦しむのはパパのせい。

 パパは元から、私に音楽の道を諦めさせるつもりだった。

 ……そんな口車に、私はまんまと載ってしまったのね。

 頭がぼーっとして、まるで風邪を引いたような感じだった。頭の中に聞こえてくる声に身を委ねれば楽になれる、もう迷う必要も、苦しむ必要もなくなる。

 気づいた時、誰かがそばに居て語りかけてくの。こうすればいいよって、次はこうしようって。その言葉通りにすると、とても気持ちが良かった。楽しくて、気分が高揚した。

 自分がどれだけ酷いことをしても、まったくわからなかったの。

 

「一種のトランス状態になるわけか」

 

 リヒトさんの言う通り、トランス状態に近かったわ。周りなんて見えない、誰かの声にしたがって行動するだけ。

 だから正直、ここら辺からのことをあまり覚えていないの。自分がどうなってたかわからないんだもの。

 

「それじゃあ、その時にはもう怪獣になってたってこと?」

 

 高坂先輩の質問に、私は「たぶんね」と言って頷く。

 

「では、頭の中に声が聞こえた時、怪獣になると言うことでしょうか」

 

 園田先輩が、私の話を聞いて一つの推測を述べる。

 

「かよちんはどうだったの? 怪獣になった時のこと、覚えてる?」

「ううん。真姫ちゃんと同じ。怪獣にどうやってなったのか、覚えていないの。ユーカさんと話していたところまでは覚えているんだけど」

「花陽、そのユーカさんとはどなたですか?」

「…………」

「花陽?」

「……ユーカさんは……私を、怪獣にした人」

「え──」

 

 

 

[Record of 小泉花陽]

 

 ユーカさんと出会ったのは、真姫ちゃんに生徒手帳を届けに行った日。道を教えてくれないかって頼まれたのがきっかけ。

 最初は怖かったけど、話していくうちにいい人だとわかったの。同じアイドルのことが好きだったら、話も盛り上がって、一緒にCDも買ったの。

 とても話しやすくて、全然悪い人には見えなかった。

 けど、

 

『ホント、「夢」なんて目指してもろくなことにならないわよ』

 

 そのひと言を呟いた途端、ユーカさんの雰囲気が一変した。

 

『叶いもしない夢を持つのは無駄、でもそれ以上に、できないことを夢にするのはもっと無駄なことなの。花陽ちゃん、厳しいことを言うけど、出来ないのならやらない方がいいわ』

 

 どうして、そんなことを言うのか、その時はわからなかった。

 でも、今ならわかる気がする。ユーカさんは、きっと私の心を降りたかったのだと思う。私のアイドルに対する思いを諦めさせて、怪獣にする。そう言う考えだったと思うの。

 だって、私はその時、

 

 

 

 ──ダメだなっておもちゃったから。

 

 

 

 そこからの記憶はない。

 体がふわふわして、ずっと自分の心の弱さを責め続けた。

 

『──どうして、私は弱いの』

 

 そんなことをずっと考えてた。

 弱いのが許せなくて、『強い心』があれば、スクールアイドルにもなれるって思ってた。

 たぶん、私もこの時は怪獣になってたんだろうね。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

「…………」

 

 小泉が話し終えると、沈黙が訪れた。

 まあ、そうだよな。自分の大好きなものと共感できる人に出会ったのに、その人は自分を怪獣にさせるために嘘をついていた。小泉がどこまで意識があったのかはわからないが、怪獣にダークライブさせられた小泉は、あのまま『大いなる闇』復活のために生贄にされそうになったんだ。あまり思い出したくない記憶だろう。

 そんな中、海未が口を開く。

 

「そのユーカさんという方が真姫たちを怪獣にした人なのですか?」

「私はユーカって人とは会ってないわ」

 

 海未の言葉を西木野は否定する。

 

「私も会ってないわよ」

「それに、ユーカって人の可能性はないと思います。花陽を怪獣にした後、あの人も怪獣になりましたから」

 

 矢澤の言葉に続いた西木野の発言に、その場にいたメンバー以外が驚きの表情をする。

 

「怪獣にライブしたのですか?」

「はい。まあ、最後には、ウルトラマンギンガに倒されてましたけど。花陽とは違って、元の姿には戻ってなかったので、きっとユーカって人は元々怪獣だったのかもしれません」

 

 西木野の言う通り、ユーカってやつは俺がギンガにウルトライブした後、テレスドンにダークライブしてきた。小泉がライブしたキングパンドンを『ゲート』と呼ばれる『大いなる闇』がいる位相に直接送る扉みたいなものから救出した後だったからよかったけど、もしこれが救出前だったらとなると恐ろしい。

 だが、それ以上に、こいつは厄介な相手だったのを覚えている。

 ダークライブしたユーカは、その手に持つダークダミースパークを自分の胸に刺し、テレスドンからパワードテレスドンにパワーアップしたのだ。そのせいで苦戦して、危うく西木野と星空が攻撃に巻き込まれそうになった。

 その時は、ふたりの活躍で正気に戻った小泉が、ふたりを守り、さらには俺に逆転のチャンスを作ってくれた。そのおかげで、パワードテレスドンに勝利できたんだ。

 

「では、いったい誰がにこ先輩を怪獣にしたのですか?」

「黒いローブを着た男」

「にこも?」

「もって、まさか」

「私も、黒いローブを着た男に怪獣にされたの」

 

 

[Record of 絢瀬絵里・矢澤にこ]

 

 

 絢瀬と矢澤を怪獣にしたのは、ローブ男だった。

 ローブ男。たぶん、そいつが裏で怪獣を操っていた黒幕だろう。俺が絢瀬と『一条リヒト』の約束を思い出すために、一時的に実家に戻った時、そいつは俺の前に現れた。

 

『馬鹿だな〜。君、あの町を離れることの意味わかってる?』

 

 そんな軽い声とともに、そいつは俺の前に現れた。

 

『罠かな罠かなと思ってたけど、本当に知らないみたいだね。怒りを通り越して呆れるよ』

 

 音ノ木町には『イージスの力』が眠っている。それはつまり、『イージスの守護』によって、俺はローブ男などの闇の勢力から守られていたんだ。

 ウルトラマンギンガの正体が俺だとわかれば、俺が変身する前に直接接触できる。それが今までなかったのは、イージスの守護があったからだ。

それが及ばないところに来てしまった俺は、まんまとローブ男の罠にハマってしまったのだ。

 そのせいで、俺は満身創痍の状態で怪獣になってしまった絢瀬と戦うことになった。

 

『私がローブ男に会ったのは、みんなの練習を見て、その場から走り去ってしまった時。あの時の私は、生徒会長として、何としも学校の廃校を阻止しなきゃって躍起になってた。おばあさまの通っていたこの学校を、私が守らなきゃって。

 でも、そのせいで私の心は悲鳴をあげていた。それに気づいていたはずなのに、悲鳴を押し殺して、ただ必死に動いていただけ。

 たぶん、悲鳴をあげてボロボロになっていた私の弱みを漬け込まれたのね。ローブ男は私を怪獣の中に閉じ込めて、学校を自分の手で破壊させようとしたの』

 

 あとできた話だと、絢瀬はどうやらトランス状態になってはいなかったようだ。自分の意識をはっきりと保ったまま、怪獣になっていた。

 だから、もし怪獣の攻撃で学校を破壊した場合、絢瀬の心はどんなことになっていただろう。考えたくもない。

 

『それで……どうなったんですか?』

『もちろん、ウルトラマンギンガがすぐに来てくれて、助けられたわ』

 

 穂乃果の問いに、絢瀬はすぐに返した。

 ……本当はすぐに助けてなんていない。

 俺は、負けたのだ。

 カオスワロガにパワーアップされて、インナースペースに絢瀬の姿が見えなくなって動揺した瞬間、あっさりと負けた。

 そして、絢瀬は異形の海につれて行かれて、『大いなる闇』の生贄にされかけた。

 のんちゃんの助けと、希の協力があってなんとか助け出せたが、俺がもっと強ければ、最初にワロガの時点で絢瀬を助けていれば、あんなことになることはなかったんだ。

 絢瀬だって、今は普通にしているけど、本当は怖かったはずだ。

 一度負けた俺に対して、なんて思っているだろうか。

 

『にこっちはどうだったん?』

『私の場合はあんたたちも知ってるでしょ。明美と喧嘩して、その時の怒りを利用されたのよ。

 ……突然私の前に現れて──』

 

『へぇ、いい具合に溜まってるね。

 ねぇ、その怒り、解放したくない?』

 

『──そう言ってきた。そのまま、明美に対する怒りに飲まれて、トランス状態になって、明美を殺そうとした……それだけよ』

 

 矢澤は過去の部員とのいざこざが原因だった。怒りとは言っているけど、本当は、悲しみの方が大きかっただろう。一緒の志を持ったメンバーが去ってしまったのだから。

 だから俺は、それを吐き出させるためにあえて矢澤の攻撃を受け続けた。そすることで、矢澤の悲しみを受け止めようと思ったんだ。

 今では、和解できたようで、オープンキャンパスのライブも楽しみにしてくれているらしい。

 

『ただ、私はふたりと違って、怪獣になっていた時の記憶をはっきり覚えている』

 

 ──ん? ちょっと待って。矢澤?

 

『ええ!? にこ先輩本当ですか!?』

『本当よ。どうやって怪獣になったかは覚えていないけど、怪獣になった後の記憶は覚えている。激しい怒りに駆られて、明美をただ追い回した。

 ま、ウルトラマンが現れて阻止してくれたからよかったけど』

 

 そういやさっき、ギンガの正体が俺がって言いそうになってたし、やっぱり矢澤は覚えているのか……。

 ってことは、このままの流れで俺がギンガだって言ったりしないよな?

 とりあえず、視線で訴えかけてみるか!

 

『…………』

『……ほんと、あれ、あんまいい体験じゃないわよ。正気に戻ると自分がどれほど最悪なことをしようとしてたのか理解できて、気分悪いし。だからま、覚えていないなら、覚えていない方がマシよ』

 

 一瞬、俺の視線を受け取ってくれた素振りが見えたが、伝わったよな……? 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「リヒト、おるか?」

「じーちゃん? いるけど、どうかしたの?」

「電話じゃ」

「俺に?」

 

 奉次郎は何やら深刻そうな顔で頷いた。

 なぜ奉次郎がそんな顔をしているのはわからないリヒトは、首を傾げて居間から固定電話がある廊下に出ていく。その際、奉次郎がリヒトの肩に手を置いていたのが、真姫には少し気になった。

 

「さて、それじゃあ練習に戻りましょうか」

 

 絵里がそう言って立ち上がる。そういえば、今は休憩時間だったことを思い出した真姫たちは、練習再開に向けて準備を始める。

 オープンキャンパスまで残り一週間。残りの一週間でどこまで仕上げることができるか不明だが、絵里とリヒトの指導があれば問題ないだろう。

 

(そういえば、聞きそびれたわね。リヒトさんがウルトラマンなのか)

 

 話しているうちに、あの日、怪獣になった自分に向けて、誰かが必死に声をかけてくれていたのを思い出したのだ。

 その声は、リヒトの声ににていた気がする。はっきりとはわからない。それでも、リヒトに似た声が、必死に自分に声をかけてくれていた気がするのだ。

 それに、なぜあの場所にリヒトがいたのかも気になる。花陽が怪獣になってしまった時も、漠然とリヒトなら解決できるという自信があった。それらのことを聞こうと思っていたが、リヒトは席を外してしまった。

 

(後で聞けばいっか)

 

 電話なら後少しで帰ってくるだろう。

 そう思っていると、ドタドタと激しい足音が聞こえてきた。

 憩いよく居間に帰ってくるリヒト。

 その表情が真っ青だった。

 

「ど、どうしたのりーくん!?」

「わりい! ダンス見てやれなくなった!」

「ええ!? どうして!?」

「母さんが帰って来いって。俺この前、ちょっと実家に買った時があってさ、そのせいで一旦戻って来いって話になったんだ! だから悪い!」

「練習どうなるの!」

「絢瀬がいるからいいだろ!」

 

 そのまま急いで部屋に戻っていくリヒト。

 

「すまんの。ちょいとお叱りも受けたみたいなのじゃ。美鈴は怒ると怖いからの。記憶は忘れても、体は覚えとるようじゃ」

 

 唖然とするμ’sメンバー。

 どうやらリヒトは、母親から帰還命令が出されてしまったらしく、急いで実家に帰ることになってしまったようだ。

 オープンキャンパスまで残り一週間。

 しかし、彼女たちはそれよりも気になることがあった。

 

 

 ──あれほどリヒトが狼狽えるとは、いったい母親はどんなお叱りをしたのだろう、と。

 




以上で総集編は終わりです。
次回より、本編が再開します。

ちなみに、リヒトがギンガであると知っているのは3年生組だけです。
花陽は怪獣にライブしましたが、会話をしていないので知りません。
真姫ははっきりとは覚えていませんが、なんとなくそうなんじゃないか? とは思ってます。

では、次回、3年半ぶりの本編をよろしくお願いします。

次回予告
ある日、亜里沙と雪穂は学校の帰り道に大きな卵型カプセルを見つける。カプセルにある赤いボタンを押してしまった亜里沙は、出てきた可愛い黄色い毛並みの小動物の虜になってしまう。しかし、明らかに地球上の生物に該当しないその見た目を、雪歩は不審に思うのだった。
これは、とあるシスターズに訪れた非日常の物語。
次回、小さき少女たちの冒険



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第10話 小さき少女たちの冒険
第一章:奇妙な出会い


今回より、第二部が始まります。
まずはその序章の物語。
亜里沙と雪穂を待ち受ける冒険とは……?

3年半ぶりの本編、よろしくお願いします。


 [0]

 

 時刻は夜の十時過ぎ。あと二時間ほどで『今日』が終わり『明日』を迎える。

 そして、それは同時に『運命の日』が近づいていることを意味していた。日に日に近づいてくる『運命の日』。当事者ではないのに、どこか緊張しているのはなぜだろうか。

 そんな事を思いながら、絢瀬(あやせ )亜里沙(あ り さ )は窓の向こうに広がる夜空を眺めていた。

 

「亜里沙」

 

 後ろから名前を呼ばれ振り返ってみると、そこには姉の絢瀬絵里(え り )が立っていた。いくら姉妹とはいえ、部屋にノックせず入ってくるような姉ではない。となれば、きっと亜里沙の方がノックに気づかなかったのだろう。

 それを証明するかのように、絵里は不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「ノックしたけど、反応がなかったわよ。何をそんなに夢中になって見てたの?」

 

「ちょっと、夜空を眺めてたの」

 

「夜空?」

 

「うん。友達にね『流れ星が消える前に三回同じ願い事を唱えると、その願いが叶う』っていう話を聞いたから、試してみようと思って。でも……やっぱり東京の空じゃ無理みたい」

 

 亜里沙は残念そうに言いながら、絵里に向けていた視線を窓の方へと戻す。

 窓の向こうに広がっているのは、どこまでも続く黒一色の空。東京の空は街の光の方が強いため、星が見えなくなってしまっているのだ。

 音ノ木町に来たことで姉と一緒に暮らせるようになったのは嬉しかったが、その反面、星が見えなくなってしまったのは亜里沙にとって大きな不満だった。

 

「何をお願いしようとしたの?」

 

「えっと……秘密」

 

「えー、教えてよ」

 

「いくらお姉ちゃんでも、これはダメ。絶対に秘密なの」

 

「……絶対?」

 

「絶対」

 

「……そう。なら仕方ないわね」

 

 そう言って部屋から去って行こうとする絵里だったが、ドアノブに手をかけたところで何か思い出したのか、

 

「あ、そうそう。明日日直なんでしょ? 早く寝なさい」

 

 と、言ってきた。どうやら元々これを伝えるために亜里沙の部屋にやって来たようだ。

 

「あ、そうだった!」

 

 日直当番の人は、朝の職員会議が始まる前に日誌を職員室に取りに行かなければいけない。亜里沙の家から学校まではそう遠い距離ではないのだが、いつもの時間に家を出ると、学校に到着する頃には既に職員会議が始まってしまっている。間に合わせるには家を早く出る必要があり、そのためには早起きをしなくてはいけない。結果、早く寝るという事前準備へとつながるのだ。

 絵里の言葉がなければ、このまま夜空を見つめ続けていたかもしれない亜里沙は、やや慌てた様子で就寝の準備に入る。

 だが、

 

「……ねえお姉ちゃん、最近楽しい?」

 

 ふと、亜里沙は気になっていたことを訊いた。

 

「??? どうしたの? 突然そんなことを訊いてくるなんて」

 

 亜里沙の問い掛けに、やや驚いた様子を見せる絵里。

 

「だってお姉ちゃん、この前までとっても辛そうだったのに、今はとっても楽しそうにしてるんだもん。別人みたい」

 

 絵里の表情が先ほどとは違う驚きに染まる。きっと、妹にそこまで言われるとは思っていなかったのだろう。

 気恥ずかしくなったのか、明後日の方を向きながら訊いてきた。

 

「……やっぱり、わかる?」

 

「うん。すごくわかる」

 

「即答ね……そっか、うん。亜里沙の言う通りよ。私は今とっても楽しいわ」

 

 そう言って笑顔を見せる絵里は、幼い頃亜里沙がよく見ていたもの──大好きなお姉ちゃんの笑顔だった。

 

「見ててね、亜里沙。私──いいえ、『私たち』の姿を」

 

「うん。オープンキャンパス楽しみにしてる」

 

「ありがとう」

 

 おやすみ、と言って絵里は部屋から去って行った。

 絵里の姿を見送った亜里沙は再び視線を夜空へと向ける。

 しかし、いくら見つめてもそこにあるのは真っ黒な夜空だけだった。

 

「……仕方ないよね」

 

 見えないなら仕方ない、と考え亜里沙は気持ちを切り替えた。例え星が見えなくても、そこに星はあるのだ。その星に向かって祈りを捧げればいい。

 亜里沙は両手を合わせた。その姿は、まるで協会で祈りを捧げるシスターのようである。

 願うことはただ一つ。

『オープンキャンパスの成功』、それだけだ。

 姉の通う学校は、今廃校の危機に瀕している。年々入学者が減って行き、今年入学した新一年生は『一クラス分』しかいなかったと聞く。この結果を見て、学校側は今週末に開かれるオープンキャンパスの結果次第で廃校を決定させると決めたのだ。

 絵里は『生徒会長』として廃校を阻止するために活動してきた。だが、その姿はまるで自分を押し殺しているようであり、とても苦しそうに見えていた。

 そんなつらい毎日を送っていた姉が、ここ最近はとても楽しそうに過ごしている。きっと自分が心の底からやりたいことで、学校を救おうとしているのだろう。

 だから成功してほしい。過去を乗り越えて、もう一度夢に向かって歩んでいる姉が今度こそ『夢』を掴み取ってほしい。そんな思いを込めて亜里沙は毎日祈りを捧げていた。

 

「──よし」

 

 祈りを終えた亜里沙はカーテンを閉めようと手を伸ばす。

 ──その時だった。ちょうど亜里沙の視線が空に向かった時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──え?」

 

 一瞬、頭が真っ白になった。東京の夜空は星が見えない。それはここ最近で嫌というほど思い知らされたことだ。

 それなのに、今亜里沙の目の前には流れる星がある。いや、流れるというよりは()()()()()()と言った方が正しいのかもしれない。

 とにかく、垂直に落下している謎の光があったのだ。

 何かの見間違いか? そう思って目を擦ってもう一度視線を向けてみると、そこには一面真っ黒の夜空が広がっていた。

 

「今のは……」

 

 何だったのだろうか? そんな疑問が亜里沙の頭の中を埋め尽くしていた。

 

 

 

 [1]

 

 

 翌朝。日直当番である亜里沙は、いつもより早い時間に家を出た。正門のところで、もう一人の日直当番と合流し、昨日話し合った通り亜里沙が職員室へと向かう。職員室に日誌を取りに行き、先に教室に向かったもう一人が空気の入れ替えをする。本日の時間割を記入して、朝にやる仕事を一通り終えれば、あとは普段通りにやってくるクラスメイトを待つのみだ。

 そして、親友の高坂雪穂(こうさかゆきほ )がやって来たところで、亜里沙はさっそく昨晩見た『落ちる星』のことを聞いてみた。

 

「落ちる星?」

 

「うん。流れ星じゃなくて、本当に落下してるみたいな星。雪穂は見てない?」

 

 雪穂は昨晩のことを思い出しているのか、「うーん」と少しうなった。

 

「それって十時過ぎぐらいの時間なんだよね? 確かその時間は……雑誌を読んでたから、そもそも空を見てなかったかも」

 

「そっか……」

 

「私以外には聞いたの?」

 

「うん。でも、みんなそんなのは見てないって」

 

 雪穂以外にも、クラスメイトの何人かに同じことを訊いては見たものの、返答はどれも『見ていない』の一言だった。

 

「なら、亜里沙の見間違いじゃなかったの? もし亜里沙以外にも見た人がいたなら、話題になってるはずだよ」

 

 言われてみればそうである。これほど記憶に焼き付いているのだから、ほかに見ている人がいれば話題になるはずだ。それこそ、流行の話題に敏感な学生──さらい言うならその中の女子──ならなおさらだ。それに、星の見えない東京の町で、落下する星が見えた。これだけで相当な話題性を持っている。

 それなのに、亜里沙以外にこの話を口にしている者はいない。雪穂の話によればテレビやネットニュースにもなっていないようだ。SNSにすらそれらしき書き込みは見当たらない。

 ならば、昨晩見たアレは一体何だったのか? そんな疑問が残る中、朝のホームルームの開始を知らせるチャイムと、担任教師が教室のドアを開いたのは、ほぼ同時だった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 日誌に今日のまとめを記入し、窓に鍵が締まっているかを確認して、亜里沙は職員室へ向かった。職員室にいた担任に日誌を渡し、一礼をして廊下で待ってくれている雪穂の元に急ぐ。

 

「雪穂ー!」

 

 と、声をかけながら雪穂の元へ行く亜里沙。二人は途中まで一緒の帰り道であるため、よくこうして一緒に帰っているのだ。帰り道に話す内容はその日にあった出来事や、これから先にある学校行事など他愛のない事が多いが、最近は決まってスクールアイドルのことを話す。

 やはりお互いに姉を持ち、その姉が同じ学校、同じスクールアイドルに所属しているからだろう。加えて、いよいよ音ノ木坂学院の運命を決める『オープンキャンパス』の日が迫っていることも大きい。

 

「それでね、お姉ちゃん毎日がすっごく楽しそうなの。いつも笑顔でいるんだ」

 

「そんなに? ちょっと大げさじゃないの」

 

「そんなことないよ。雪穂も見たらびっくりすると思う」

 

「本当?」

 

「本当に! 絶対に!」

 

 ここ最近の亜里沙は、決まって姉の事を話す。

 とても楽しそうに。

 とても嬉しそうに。

 そこにはきっと、雪穂が抱いてしまっている『絢瀬絵里』のイメージを良くしたいという思いがあるのだろう。

 なぜなら、雪穂が会ったことのある絵里は『生徒会長として』学校の廃校を阻止するために奮闘していた時期であるため、常に眉間にシワを寄せ難しい顔をしていたのだ。いつもピリピリとしていて、尖った雰囲気を纏っていたその姿は、妹である亜里沙から見ても、とても冷たい印象だった。身内の亜里沙がそう感じていたのだから、雪穂はもっと刺々しいものを感じていたかもしれない。

 しかし、今の絵里は自分の心の底から『やりたいこと』をやっている。だからその姿は、はっきり言って前とは別人だ。だから、きっと今の絵里を見れば、雪穂が抱く『絢瀬絵里』のイメージが一気に変わるはずだ。それを伝えたいのだろう、と雪穂は思っていた。

 でも、心配はいらない。亜里沙の伝えたい思いは、しっかりと雪穂に届いている。

 だからだろうか。

 あまりにも活き活きと語る亜里沙を見ていて、ついこんなことをつぶやいてしまった。

 

「──ほんと、亜里沙はお姉さんの事が大好きなんだね」

 

「うん、大好き! 雪穂は違うの?」

 

「え?」

 

 独り言のつもりでいたのに、どうやら聞こえていたらしい。

 亜里沙はその青い瞳で雪穂の目を見て言う。

 

「雪穂は穂乃果さんのこと、好きじゃないの?」

 

「…………」

 

「雪穂?」

 

「………………私、亜里沙のそういうところは、本気ですごいと思ってる」

 

 くるりと、雪穂は亜里沙から視線をはずしてそんな事を言った。

 ──一体何が凄いのだろうか? 亜里沙の方からでは雪穂の表情が見えないため、先程の言葉に込められた真意を知ることができない。気になった亜里沙は雪穂の表情を見ようと先回りを試みるが、その途中、視線の片隅に映った『あるもの』が気になった。

 

「何、あの子……」

 

 亜里沙が視線を向けたのは、帰り道の途中にある公園。以前、絵里と海未が意見をぶつけ合ったことのある公園だ。

 

 

 

 その公園に、ひとりの少女が立っていた。

 真っ白い少女。

 

 

 

 比喩ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 よく『雪のように白い肌』と言われる人がいるが、それはあくまできれいな肌の例え方であって本当に白い訳ではない。

 しかし、今亜里沙の目の前にいる少女は()()()()()()なのだ。まるで人形のように白い少女。純粋な白。純白の白。そう言っても過言でないほどの『白』がそこにいた。

 その人形めいた白い少女は、普通であれば薄気味悪い存在だろう。

 しかし、

 

「ハラショー……」

 

 亜里沙の口から漏れたのは賞賛の言葉だった。それは、薄気味悪さを全く感じないほどに、少女の白が美しかったからだ。

 ──きっと、汚れのない『白』というのは、あのような『白』を示すのだろう。そう思えるほどに、少女の『白』は今まで見てきた『白』の中でも飛びぬけて美しかった。

 唯一の例外は赤い瞳だけ。だが、この赤い瞳もきれいな赤色をしており、『白』と合わさってよりその美しさを高めていた。

 そのあまりにもきれいな存在に、亜里沙は一瞬にして虜になった。

 

「…………」

 

 もはや、言葉を発することさえ忘れた。息をのみ、目の前の『白』すべてに視線を注いでいた。まるで目に焼き付けるかのように、瞬きも許さないほど見つめていた。

 やがて、次第にその『白』は亜里沙の見えるもの、感じ取れるものすべてを埋めていく。その白を見つめているだけで、だんだんとほかの風景が色褪(いろあ )せて、そして──。

 

 

 亜里沙の視界から周りの風景が消える。

 亜里沙の認識から、少女以外のすべてが消える。

 まるで、今世界にいるのは亜里沙と少女だけのような感覚。それ以外には誰もない、何もない。

 

 

 そういう感覚に陥った。

 

「────」

 

 少女が亜里沙の視線に気づいたのか、こちらに視線を向けてくる。

 交差する亜里沙と少女の視線。

 赤い瞳が亜里沙を見つめる。

 それだけで、亜里沙の意識がゆっくりと溶け始めた。ゆっくりと、まるで深い海の中に沈んでいくかのように亜里沙の意識が薄れていく。頭の片隅で何か危険な予感を感じているが、それを機に売るほどの思考はもう残っていなかった。

 ──白い少女が笑った。亜里沙にやさしくほほ笑みかけるように。

 そして、その微笑みが亜里沙の中の()()を断ち切った。

 

「……………………」

 

 一歩、足が前に出る。

 二歩、まるで神秘の光に吸い寄せられるかのように、足が自然と少女へと向かう。

 三歩、手を伸ばし、その『白』に触れようとする。

 四歩、五歩、六歩と、ゆっくりではあるが止まることなく、一歩一歩白い少女に向かって進んでいく。

 そんな亜里沙を、『白い少女』はほほ笑みながら待っている。両手をやや広げ、駆け寄ってくる最愛の息子を待つ母親のように。慈悲深く、すべてを受け入れるかのような雰囲気を漂わせながら、亜里沙を待っている。

 そして、亜里沙の足が公園の敷地を踏もうとしたところで、

 

 

 

「亜里沙」

 

 

 

 雪穂が亜里沙の肩をたたいた。

 

「──え? 雪穂?」

 

 肩をたたかれたことで、先程まで薄れかけていた意識が戻ったのか、気の抜けた様子で振り返る亜里沙。

 

「どうしたの? 急に公園に向かって歩き出して。公園に何かあった?」

 

「うん、それが──え?」

 

 公園に視線を戻した亜里沙は驚きに襲われた。

 

 

 

 公園にいたはずの白い少女の姿が、どこにもなかったのだ。

 

 

 

 左右に視線を振ってみる。

 しかし、少女の影はない。

 

「ねえ、雪穂。今、あそこに女の子がいたよね?」

 

 確認のために雪穂へと問うが、

 

「??? 誰もいなかったよ」

 

「え……」

 

 返ってきた言葉に亜里沙は耳を疑った。

 

「白い服を着て、髪も肌も全部白い女の子だよ? さっきまでそこにいた真っ白な女の子!」

 

「だから、誰もいなかったよ」

 

 詰め寄る亜里沙に、困惑した表情で答える雪穂。その様子から嘘をついているわけではなく、本当のことを言っていることがわかる。

 つまり、この公園には最初から誰もいなかったということになる。

 ──いや、それはおかしい。あの見ただけで虜になる少女が、はじめからいなかったというのか。人形のように美しく、普通であれば薄気味悪いはずが、逆に美しさしか感じられなかったあの少女が。

 ありえない。絶対にいたはずだ。今も亜里沙の脳裏にははっきりと残っている。あの美しい『白』に、気づかないはずがない。

 

「────!」

 

 気が付けば走り出していた。後ろから雪穂の声が聞こえてくるが、それを無視して公園へと足を踏み入れる。先ほどまで少女がいたあたりで止まり、周囲を見回す。

 しかし、どこにも白い少女の姿はなかった。立ち去った痕跡すら見当たらない。

 

「…………」

 

 少女は一瞬の隙に消えてしまった。まるで最初からそこにはいなかったかのように。

 しかし、さっきまではたしかにいたのだ。亜里沙のすべてが引き寄せられる、そんな雰囲気をまとった少女が見間違いだったというのか。

 ──なに? なんだったの? 

 分からない。それと同時に小さな恐怖が亜里沙の中で生まれつつあった。

 もし仮に、見間違いだったとしたら、なぜあんなにはっきり見えたのか。なぜあんなにはっきりと存在感を感じ取れたのか。

 分からない。一つの疑問から徐々に大きな恐怖へと変わっていく中、ふと亜里沙の脳裏に昨日の夜に見た『落下する星』が浮かび上がった。一瞬だけ目を離した隙に消えてしまった、白い輝きを放ちながら落下していく星。

 白い少女と同じように、一瞬で消えてしまった星。

 

「……そういえば、あの星の落ちた先って」

 

 亜里沙の脳裏に、家の窓から見える風景が浮かび上がる。その風景には、この公園が含まれていた。

 

「…………」

 

 亜里沙の中で少女と星が重なった。その瞬間、何だか分からないもやもやとした感覚が生まれた。具体的に何なのかは分からないが、何かあると亜里沙の貯圧巻が感じ取っていた。

 

「…………」

 

 ゆっくりと、後ろの方を振り返る。

 おそらく、今亜里沙の後ろに何かある。その正体は分からないが、何か、大きなものが後ろにあることは確かだ。もしかして、さっきの少女が後ろにいるのか。

 そんな希望と未知のものだった場合の不安が入り混じる中、亜里沙は振り替えった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 突然公園の方を向いて止まったかと思えば、『白い女の子がいた』と言い出し、そしてまた公園内にある茂みに向かって歩き出す亜里沙。

 今までも何回か亜里沙の突拍子もない行動に巻き込まれていた雪穂だったが、今回ばかりは何か違う気がしていた。

 その根拠は、

 

「亜里沙、何を探してるの?」

 

「…………」

 

「……? 亜里沙?」

 

「…………」

 

 雪穂の呼びかけにまったく反応しないことだ。

 ──まただ。さっきも何度呼びかけても反応しなかった……一体どうして? と雪穂は怪訝に思っていた。亜里沙の性格を考えても、わざと無視しているとは考えにくい。そうなると、本当に聞こえていないという事になる。

 ──どういう事? そんな疑問が雪穂の中で浮かび上がった。

 一方、亜里沙の方は茂みをかき分けながら何かを探している様子だった。といっても、公園の茂みはそう大きくない。雪穂が考え事をしている間にソレは簡単に見つかった。

 

「……? 大きい、卵?」

 

「……なに、これ」

 

 亜里沙に続いて雪穂もソレに目を向けると、まず初めに抱いたのは疑問、そして次に困惑だった。

 茂みの中にあったのは、直径約六十センチ以上の卵のような形をしたカプセル。なにやらふさふさとした羽毛のようなもので全体が覆われており、上半分は黄色、下半分は乳白色に分かれている。そして、中央よりやや上の黄色の部分には『目』に見えるようなパーツが、下部分には赤いボタンが付いている。

 テレビ撮影か何かで使われるものだろうか。しかし、最近ここ周辺でテレビ撮影が行われたという話も、これからあるという予定も聞いていない。もし仮に卵だとしても、このサイズを産む生物が野放しにされているはずがないし、何よりボタンが付いている時点で本物だとは到底思えなかった。作り物と考えるのが妥当だろう。

 となれば、ネットに動画を上げている人たちが作り、仕掛けたドッキリか。その場合、見つけた時点で撮影者が出てくるはずだが、それらしき人影はない。つまりこの可能性も違うことになる。

 しかし、作り物と断定するには、次に感じた『困惑』が邪魔をしていた。

 

「何だろう。雪穂、これが何か分かる?」

 

「いや、私も分からないから」

 

(作り物……にしては妙にリアルだよね)

 

 作り物には作り物故の『質感』というものがある。もしこれが人の手によって作られたものであるならば、隠すことのできないチープな感覚などがあるはずだ。しかし、このカプセルから感じるのは作り物にはない『リアルな質感』。作り物がリアルに見える『職人技』とは違う、()()()()()()()()()がそこにあるのだ。

 これが、雪穂に大きな疑問を与えていた。作り物だと脳では思っているのに、視界からの情報がそれを否定する。これによって雪穂の脳は軽いパニックに陥っているのだ。

 しかし、亜里沙の方はあまり深く考えていないのか、最初は困惑した様子だったのに、次第にその瞳が好奇心に変わっていく。

 そして、その視線は主張の強い赤いボタンへと注がれる。

 

「このボタン……」

 

 亜里沙の手がボタンへと伸びる。

 

「──っ!? 待って! 亜里沙!!」

 

 雪穂はなんだか嫌な予感がして咄嗟に声を上げるも、亜里沙の指は吸い込まれるように赤いボタンの表面に触れた。

 そして、ポチッと、軽い音を立てて沈んだ。

 

「…………………………………………」

 

「…………………………………………」

 

 雪穂は目の前でボタンが押されてしまったから、亜里沙は次に何が起こるのか分からない好奇心から、僅かに時間が止まったような感覚に陥る。

 それは一秒にも満たない時間の経過であるが、二人にとっては少し長い時間に感じられた。

 そして──。

 

 

 

 ──パカッ! と勢いよくカプセルの白い部分が半分に割れ、開いた。

 

 

 

「っ!?」

 

 緊張が雪穂の体に走る。

 ──赤いボタンが押された。カプセルが開いた。

 なら、次に起こるのはなんだ? 

 爆発か? 

 いや、爆発はない。

 被害が発生するようなことは起きていない。

 ならば何が起きたのか。緊張した様子で次に起こることを二人が待っていると、

 

「パム~」

 

『……へ?』

 

 なんとも可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。

 

「パ〜ム〜」

 

 カプセルの中から現れたのは、黄色い毛並みの小動物だった。身長はそれほど大きくなく、カプセルの半分ほどの大きさから考えるに約三十センチほどだろう。まだ意識がはっきりとしていないのか、その目は半開きだ。転寝(うたたね)をしているかのように、首がこくんと下に落ちる。

 その姿はなんとも可愛らしいのだが、一点だけ雪穂は別の意味で絶句していた。

 なぜなら、その小動物の外見は、雪穂が知る()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。横に尖った長い耳に大きな青い目。そんな容姿をした小動物を雪穂は知らない。ましてや、カプセルから生まれてくる生物を雪穂は知らないのだ。

 故に、雪穂の思考がゆっくりと動き始め、次に発する言葉──悲鳴が喉まで上がってくる。しかし、それよりも先に、

 

「可愛い!!」

 

「パム!?」

 

 亜里沙の方が早かった。小動物の可愛さに心打たれた亜里沙は、瞳を爛々と輝かせて小動物へと近づく。

 小動物の方は先ほどの亜里沙の声にびっくりしたのか、半開きだった目がバッチリ覚醒していた。

 

「ん〜! 近くで見るともっと可愛い!」

 

 完全に虜になっている。

 傍から見ている雪穂はそう思った。

 小動物の虜になった亜里沙は早速触れ合おうとその手を伸ばす。

 しかし、

 

「パム!」

 

「痛っ」

 

「亜里沙!?」

 

 小動物が頭突きで亜里沙の手を攻撃した。

 攻撃されるとは思っていなかった亜里沙は、手の甲を押さえながら困惑の表情を浮かべる。

 

「どうして……」

 

「いきなり触ろうとしたんだから当たり前だよ。それに上から手を伸ばされると怖いんだよ」

 

 そう言ってのは亜里沙の後ろにいた雪穂だった。振り返ってみると、苦笑いを浮かべている。

 雪穂から見れば、今の光景は昔自分が体験したことと全く同じ光景だったのだ。近所の犬と初めて触れ合った時、今の亜里沙と同じく手を伸ばした。当然、頭上から手を伸ばされた犬は怯え、吠えた。びっくりして尻餅をついてしまったのは秘密だ。

 

「こういう時は、まずは顎とかしたから手を差し伸べるといいよ」

 

「下から……」

 

 雪穂のアドバイスのもと、改めて小動物へと向き直る亜里沙。どうやら先ほどのことで警戒されてしまったらしく、亜里沙を威嚇している。これではまず手を伸ばそうにも伸ばせない。

 そう思った亜里沙は、まずは警戒心を解くために微笑みかけることにした。

 

「ごめんね、びっくりしちゃったよね。でも大丈夫。亜里沙はあなたに危害を加えるつもりはないから」

 

「…………」

 

「亜里沙はあなたと仲良くなりたいの。ね?」

 

 そう言って、亜里沙は再びその手を伸ばす。

 しかし、その手は小動物を触ろうとはしない。伸ばした手は小動物に触れることなく、その前で止められる。

 待っているのだろう。小動物側から触れてくれるのを。それが自然とできるあたり、亜里沙のすごいところだなと、雪穂は思っていた。

 小動物の方は、差し出された手と亜里沙の顔を交互に見比べている。

 やがて、ゆっくりとその顔を亜里沙の手へと近づけていく。

 そして、亜里沙の手と小動物の頭が触れ合うのだった。




ほとんどの人が、あの鳴き声で小動物の正体がわかったのではないでしょか。
名付けは次回になりますが、そのまんまなのです。

それでは、また次回……。





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第二章:その子の名前は

 黄色い毛並みの小動物が、亜里沙に心を開いた。その光景はとても美しく、亜里沙の容姿の影響下、まるで一枚の絵画のように見える。

 女神のような笑みを浮かべながら、なつき始めた小動物を、優しく撫でる亜里沙。

 なんとも美しい光景に、雪穂は心を奪われた。

 

(──はっ! 違う! そうじゃなくて!)

 

 思考を現実へと戻し、頭を抱えた。

 今一度冷静になろう。まずは現状の把握だ。

 雪穂と亜里沙は、学校の帰りに公園に立ち寄った。そこで亜里沙が何やら大きな卵型カプセルを発見して、それについていた赤いボタンを押したら卵が割れて、中から明らかに地球上の生物ではない小動物がこんにちわ。

 

(おかしな点しかない! なんで!? なんで亜里沙は普通にしているの!? この状況に疑問を感じているのは私だけ!?)

 

 雪穂の頭の中は絶賛混乱中だった。無理もない。目の前で起こっている状況は、普通であれば疑問しか浮かんでこない状況だ。

 それなのに、亜里沙は何も疑いを感じることなく普通にしている。まるで道端で子猫や子犬と触れ合うかのように、初めて目にする小動物と触れ合っている。

 混乱しているのは雪穂だけ。

 幸い、公園にふたり以外の姿は見当たらず、人が近寄ってくる気配もない。

 それつまり頼れる人が周囲におらず、この状況を自分ひとりの判断でどうにかしなくてはいけないことを意味しているのだが、仮に誰かいた場合、それはそれで大ごとになるはずなので、結局、どっちに転んでも雪穂が苦労することにかわりなかった。

 

(と、とにかく! まずは亜里沙に一旦状況の説明を──)

「──わあ! すごい! 空を飛べるのね!」

「え?」

 

 突然聞こえてきた亜里沙の言葉に耳を疑った。

 空? 飛べる? 亜里沙は何を言っているのだと思いながら、ゆっくりと視線をそちらに向けると、

 

 

 

 そこには、背中にある小さな羽を羽ばたかせて空に浮かぶ小動物の姿があった。

 

 

 

「……………………きゅう」

 

 そんな可愛らしい悲鳴を上げ、雪穂は一旦思考を放棄した。

 

 

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎

 

 

 

 

 ──神田明神・境内。

 竹箒を手に掃除をしているのは、ここ神田明神で働く男性、(さかき)奉次郎(ほうじろう)だ。奉次郎はあらかたの掃き掃除を終えると、その手を止めて一息をつく。

 初夏を感じる空を見上げながら、穏やかな一日だな、と思った。

 先日、孫がこの町で暗躍している闇の者を倒し、安息が戻ってきたのが大きいだろう。その日以降闇の波動を感じることもなく、平穏な日々が流れている。

 

(さーて、今晩の夕飯は何にするかのう)

 

 と、呑気なことを考えてはいるが、先日まで一緒に暮らしていた孫が家に帰ってしまったため、若干の寂しさを感じている奉次郎。あの広い家に老人一人ではいささか寂しいものなのだ。

 

「──奉次郎さん!」

 

 そんな時、悲鳴にも似た声で呼ばれた。

 果て、客人の予定はあったかな? と考えながら振り向くと、

 

「…………」

 

 こちらに向かってくる少女の腕に抱かれている小動物を見て、奉次郎は静かに『平穏』にさようならを告げるのだった。

 

 

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎

 

 

 

 場所は変わって榊家の裏庭。

 案内された雪穂は縁側に腰を下ろして、奉次郎が差し出したお茶を飲みながら、ここに来るまでにあったことを語った。その目の前では、亜里沙と例の小動物が遊んでいる。

 榊家の裏庭は周りを塀で囲まれているため、飛ぶ高さに気をつければのびのびと遊べるスペースが十分にあるのだ。

 雪穂の話を聞き終えた奉次郎は、裏庭で遊んでいる亜里沙と例の小動物を見つめながら、

 

「なるほどのう……それでどうしていいかからずワシのところに来た、と」

「はい……」

「むぅ……頼られるのは嬉しいが、さすがに予想外すぎじゃの」

「お願いします! 頼れるのは奉次郎さんしかいないんです!」

 

 両掌を合わせ、懇願(こんがん)する雪穂。もう頼れるのは奉次郎しかいないと言った様子だ。最も、奉次郎以外に雪穂の持ってきた問題を解決できる者はいないだろう。そのため、奉次郎には『イエス』と答える選択肢しかない。

 

「それに奉次郎さん、こういうのに縁がありますよね!?」

「……もしかして雪穂ちゃん、ワシについて回っとる『噂』を本気にしとるな?」

 

 雪穂の言葉に苦い顔で返す奉次郎。

 

「火の無い所に煙は立たぬ……って、言いますよね?」

「ずいぶんやけになっとるの」

「それぐらいこっちはいっぱいいっぱいなんです!」

 

 それはもう後には引けない、窮地に立たされた人間が放つ迫力だった。噂、などという眉唾物に頼りたくなるほどに、雪穂の頭は限界を迎えていたのだろう。

 ──榊奉次郎には様々な『噂』がついて回っている。

 それは奉次郎自身も知っており、ちょうど神田明神にて働き始めた辺りから耳にするようになった。

 確か、最初は『霊感が強い』程度のことだったはず。それが次第に飛躍していき、『霊が見える』、『霊と戦ったことがある』、『不思議な力が使える』、『この世ならざるものと会話ができる』となっていき、最終的には『榊奉次郎はこの世の者ではない』と噂されるにまでなった──あながち間違っていないのが気になるところだ──。

 普通であれば作り話として聞き流されることなのだが、目の前に理解できない怪異が起きれば、その噂にわずかな信憑性が生まれる。そうなれば、頼りたくなるのも自然な流れだろう。

 しかし、奉次郎が気になるのは他のところだった。

 

(どういうことじゃ? 闇の刺客は倒したと聞いたが……)

 

 先日、神田明神でアルバイトをしている東條希から聞いた話と、目の前で起こっていることに差異があり困惑する奉次郎。希の話では、これまで暗躍していた闇の刺客である『ローブ男』は消えたと言っていた。なんでも先日の戦いにて、リヒトの目の前で消えたらしい。らしい、というのは希もリヒトからそう聞いたためはっきりと見てはいないのだ。

 とは言え、ここ最近闇の波動を感じていないことなどから、総合的に見れば闇の刺客は消えたと判断してもいい。それなのに、今目の前に明らかに地球上の生物ではない見た目をした生き物がいる。これは新たな闇の刺客が動き出した、と考えられるが、もしそうなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(神田明神には『イージスの力』が眠っておる。もしあの生き物が闇の勢力ならば、絶対に入れんはずじゃ……それを入ってきたということは、闇の勢力ではない?)

 

 神田明神の地下には光の力の象徴である『イージスの力』が眠っている。この力によって『闇』の力を持つ者は神田明神に入ることはできないのだ。

 ならば『光の勢力』というのだろうか。ウルトラマン以外にも『光の勢力』として戦った怪獣がいると、『ティガ伝説』には記載されている。目の前にいる小動物もそうなのかもしれない。

 

(じゃが、ならばなぜ今なのじゃ? 何かしらのタイミングがあるのか……それとも)

「奉次郎さん?」

「ん?」

 

 名前を呼ばれ、見てみれば不安そうな表情を浮かべた雪穂の姿があった。

 

「急に黙り込んで、どうかしたんですか?」

「いや、ちょっと考えことをしていただけじゃ」

「考え事ですか」

「うむ。あの小動物は一体──」

 

 

「──ハネジロー! おいで〜!!」

 

 

「「ん?」」

 

 突然聞こえてきた声に奉次郎と雪穂は顔を見合わせて首を傾げた。

 声がした方に視線を向けると、そこにいるのは亜里沙と例の小動物。亜里沙が両腕を広げて、飛び込んでくる小動物を待っている。小動物は器用に空を飛び、亜里沙の胸に飛び込んだ。

 

「上手に飛べるようになったね! えらいえらい」

「パム!」

 

 そう言って小動物の頭を撫でる亜里沙。すると、雪穂と奉次郎の視線に気づいたのか、パチリと瞬きをしてふたりの方を見た。そして小走りでふたりの元に向かう。

 

「ねえ雪穂! 見てた? ハネジロー、上手に飛べてたよね?」

「ハネ、ジロー……?」

「うん! この子の名前!」

「ハネジロー」

「そう、ハネジロー。羽が生えてるから!」

「…………」

 

 それはどうなのだろう、と喉まで出かかった言葉を飲み込む雪穂。安易ではあるが、亜里沙に抱えられている小動物はご満悦。むしろ気に入っているようにも見える。

 

「いい名前を付けたのう」

「本当ですか!? やったね! 名前を褒められたよ、ハネジロー」

「パム!」

 

 喜ぶ亜里沙とハネジローを微笑ましく見守る奉次郎。

 

(うむ……やはり見た目は地球上の生物に該当しないのう。わしが知らぬだけ、といういことあるじゃろうが……)

 

 いくら考えたところで、ハネジローと名付けられた小動物の正体に見当もつかない。

 そんな傍で、亜里沙は奉次郎が用意したフライングディスクを手に取ろうとしていた。

 奉次郎は慌てて声をかける。

 

「おっと、待つのじゃ亜里沙ちゃん」

「?」

「もうそろそろ日が沈む時間じゃ。ふたりはそろそろ帰った方じゃいいじゃろ」

 

 奉次郎につられてふたりは視線を空へと向ける。

 オレンジがかった空。いつの間にか日が沈みかけているのだ。

 

「もうこんな時間経ったんだ……」

「楽しい時間はあっという間じゃからの」

「あっ……」

 

 亜里沙の口から寂しそうな声が漏れた。

 家に帰るということは、ハネジローと一旦別れなければいけないということだ。それがとても寂しい。

 そこへ、奉次郎がしゃがんで亜里沙と目線を合わせてきた。

 

「ハネジローはワシが責任を持って預かろう。なあに、また明日くればいい。ワシの方でしっかり時間を確保しておくからの」

 

 約束じゃ、と奉次郎は付け足した。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 ハネジローを預かり、雪穂と亜里沙を見送った奉次郎は、自宅の空いている部屋に簡単な寝床を作っていた。

 

「もう少しで完成するからのう」

 

 小皿に乗ったピーナッツを食べているハネジローに向けてそう言った。よほどお腹が空いていたのだろうか。小皿に乗ったピーナッツはみるみるなくなっていく。

 

「よし、できたぞ」

 

 奉次郎の声に反応して、小皿から顔を上げるハネジロー。テクテクと音が聞こえてきそうな可愛らしい足取りで、奉次郎が作った寝床に向かう。

 匂いを嗅いだり、一歩だけ足を入れてみたりと、それが安全なのかを確認するかのような動作をする。

 

「安全じゃよ」

 

 つい、言葉に出てしまう奉次郎。その言葉を聞いいたハネジローは、奉次郎を一度見てから寝床に着く。しばらくして、瞳を閉じたハネジロー。すやすやとして寝息が聞こえてきた。

 雪穂の話では、今日卵から孵ったと言ってもいい状況から、さっきまで亜里沙といっぱい遊んだ。疲れが溜まっていて当然だろう。

 奉次郎はその場を後にする。居間に移動した奉次郎は書物部屋から取ってきた『ティガ伝説』の古文書を開く。

 

(……んー、文字だけではわからぬ、か)

 

 古文書に書いてある文に目を通したが、ハネジローに関係するような記述は見当たらない。

 

(警戒は怠らず、見守るしか今のところは手がないのう)

 

 念のため、孫に連絡を入れようと廊下にある固定電話に向かうのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 ──ハネジローがやって来て、三日が経った。

 その間、奉次郎が『闇の波動』を感じることも、怪獣が出現することも、ハネジローが突然変異して暴れだすということも、新たな小動物がやってくるということもなかった。

 そう、何も起こらなかったのだ。

 何も起こらず、平穏で、平和な日々がただ流れていっただけだった。

 変わったことといえば、初夏が終わりいよいよ夏がやって来た程度のこと。そろそろエアコンの出番がやってくる。

 

「ハネジロー! 行っくよー!」

 

 榊家の裏庭では、今日も亜里沙の元気な声が響く。

 その様子を縁側に座って雪穂が見守るのが、ここ最近の決まった光景。

 

「亜里沙ちゃんは今日も元気じゃの〜」

 

 氷とお茶を取りに行っていた奉次郎が帰ってくる。

 雪穂はグラスを受け取りながら、

 

「学校でも、いつも早くハネジローと遊びたいって言ってますよ」

 

 と、言った。

 

「今じゃもう、亜里沙の生活の一部ですよ」

「なるほどのう」

「奉次郎さんの生活の一部にもなってませんか?」

「なっとるわい。まあ、孫がいなくなって寂しい老人にはちょうどいい相手じゃよ」

 

 雪穂の隣に腰を下ろし、一緒にハネジローと亜里沙を見守る奉次郎。

 亜里沙とハネジローは奉次郎が用事したフライングディスクで遊んでいる。

 

「雪穂ちゃんは、一緒に遊ばんのか?」

 

 ふと気になったことを奉次郎は訊いた。

 

「……私は、いいかな」

 

 と、少し寂しそうに雪穂は言う。

 

「なんだか、あのふたりの間に入れる気がしなくて……」

 

 そう言って、亜里沙とハネジローを見つめる雪穂。奉次郎もつられて視線を向けると、確かにと心の中でうなずいた。

 ハネジローと遊ぶ亜里沙の表情はとても楽しそうだ。心の底から、この瞬間を楽しんでいると、第三者からでも分かるほどに。ペットと飼い主の関係よりも強い信頼関係が築かれていると、よく耳にすることがあるが、まさにそれと同じことが起きている。

 だからだろう。そこには、ふたりだけの空間が出来上がってしまっているのだ。それこそ、他者が入り込むのを躊躇うほどに。あの空間に『入れて』と言うのは、なかなかにハードルが高いことである。

 

「それに私は……亜里沙と違って、まだ……」

 

 その言葉の続きを雪穂は濁した。

 だけど奉次郎には、その続きがなんとなくわかった。

 きっと、雪穂はまだハネジローに対して抵抗があるのだろう。地球上の生物の外見をしておらず、カプセル型の卵から現れた未知の生物。真面目ば雪穂だからこそ、亜里沙のように早い段階で打ち解ける事が出来ない。そのことを引け目に感じているのだろう。

 

「雪穂ちゃん──」

 

 と、奉次郎が声をかけたところで、家のチャイムが鳴り響いた。

 

「はて? 宅配便かのう」

 

 来客の予定はなかったはずだ。宅配の可能性も考えたが、何かを頼んだ覚えもなく、誰かから今日宛に荷物が届く連絡ももらっていない。

 

「すまんが、少し席を外す」

 

 雪穂にそう言って、奉次郎は玄関の方へ向かう。

 玄関の扉を開けると、

 

「──ほう、これはこれは、まさかの来客じゃの」

 

 一言、そう告げるのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

「あれ? 奉次郎さんは?」

「お客さんが来たみたい」

 

 奉次郎が席を外したのと同時に、亜里沙がこちらにやってきた。どうやら遊び疲れて一旦休憩を取るようだ。

 奉次郎が用意した緑茶で喉を潤す亜里沙。ハネジローの方も、皿に注がれた水を飲んでいる。 

 喉を潤し終えたハネジローはテクテクと歩いて亜里沙の腿の上に移動した。

 

「わっ。もー、ハネジローは甘えん坊さんなんだから」

 

 少しだけ驚きつつも、コップを置いてハネジローの頭を撫で始める。

 

「亜里沙のことをお母さんと思ってるのかもね」

「え? 亜里沙のことを?」

「そう。訊いたことない? 生まれたばかりの雛は、最初に見た動くものを母親だと思うって話」

「訊いたことあるような、ないような……」

(まあ、ハネジローにこの話が当てはまるかはわからないけど)

 

 と、心の中でそっと呟く雪穂。

 

「でも、そっか。亜里沙が、ハネジローのお母さん……」

 

 ハネジローを撫でる亜里沙の手の動きが、さっきと比べってもっとゆっくりになる。

 

「ふふっ、なんだか嬉しいな」

 

 よかったね、と呟いてお茶を一口飲んだところで、

 

「それじゃあ、雪穂はお父さん?」

「っ!? ゴホッゴホッ、なんで!?」

 

 亜里沙の爆弾発言に、危うくお茶を吹き出しそうになった。堪えることに成功したが、喉に詰まって壮大に咳き込む。

 

「え? 違うの?」

「違うに決まってるでしょ!」

 

 全く、と言って頭に手を当てる。

 

「……でも、お母さんしかいないのは、寂しいな」

「……はあ、わかった。いいよ、私がお父さんポジションで」

「本当!」

「本当」

「わー! よかったね、ハネジロー! お父さんができたよ!」

「パム〜?」

 

 ハネジローは亜里沙の言っていることがよくわかっていないのか、首を傾げる。

 

「そうだ! 今度は雪穂も一緒に遊ぼうよ」

「え……私はいいよ」

「どうして?」

「どうしてって……」

 

 雪穂は言葉に詰まってしまった。

 じっと、自分を見つめてくるハネジローに気づく。

 

「…………」

 

 改めて見ても、やっぱり気になってしまう。横に尖った長い耳、大きくて丸い青い目。口元には二本の牙が見えている。顔周りの毛並みは白いが、体は黄色のけで覆われている。大きくしっかりとした手足。

 どれをどう捉えても、地球上の生物には該当しないその見た目に、雪穂はいまだ抵抗を感じていた。

 

「……やっぱり、雪穂はまだ怖い?」

 

 まるで心を見透かされたかのような問いに、雪穂の心臓が跳ねた。

 そして、ゆっくりとうなずいた。

 

「亜里沙は、怖くないの?」

「うん。怖くないよ。だって、こんなに可愛いんだもん!」

「わっ!?」

 

 ずいっと突き出されたハネジローに、思わずのけぞる雪穂。

 亜里沙はハネジローを自分の元に引き戻しながら、

 

「……それにね、亜里沙まで怖がったら、ハネジローがかわいそうだなって」

 

 と、言った。

 

「え……?」

「だって、私たちと出会わなかったら、ハネジローはあのままひとりぼっちだったかもしれないんだよ。誰にも拾われないまま、ずっとひとりぼっち……そんなのかわいそうだよ」

「亜里沙……」

「亜里沙だってハネジローが本当はどんな生き物なのか気になるよ。でも、見た目だけを理由には避けるのは、何か違う気がするの。ハネジローが本当は悪い子だったとしても、私が叱ってあげれば大丈夫かなって。悪いことをしたら、だめって叱ってあげるのがお母さんの役目だもん」

「…………」

 

 雪穂はびっくりした。まさか亜里沙がそんなことを思ってハネジローと接していたなんて、思いもしなかったのだ。自分は、ハネジローの見た目だけを気にしていた。ハネジローの『外』しか見ていなかったのに、亜里沙は雪穂や奉次郎が気にしていることを全て踏まえた上で、ハネジロー側に立って行動していた。

 それは誰にでもできることなのに、誰にもできない難しいこと。

 

(うわっ……自分が恥ずかしい……)

 

 自分がとても小さい存在に見えて、雪穂は自己嫌悪に陥った。

 そうだ、亜里沙という少女はそうなのだ。優しくて、他人の立場に立ってあげられる。自分で心に感じたことを、善も悪も全てわかった上で、善として行動する。

 純粋という言葉がこれほど合う人がいるだろうか。

 

「あ、ハネジローお水なくなっちゃったね。待ってて、いまとってきてあげるから」

 

 そういって亜里沙は、皿を手にこの場を離れる。

 その場に残ったハネジロー。亜里沙のあとを見つめている。

 

「…………」

「……パム?」

 

 雪穂の視線に気づいたのか、ハネジローがこちらに振り返った。

 大きな青い瞳が、雪穂を見つめる。

 

「…………」

 

 なんて、声をかけるべきだろうか。

 ハネジローは、雪穂のことをどう思っているのだろうか。

 そんな迷いから訪れる、少しの沈黙。

 

「パム……ゆ、き、ほ?」

「──え?」

 

 聞き間違い、だろうか。いま、ハネジローが名前を呼ばなかったか?

 

「ゆきほ……?」

「な、名前……」

 

 呼んだ。確かに雪穂の名前を、ハネジローが呼んだ。

 

「ハネ、ジロー……」

「ゆき──」

 

 

 

「──雪穂! 逃げよう!」

 

 

 

 しかし、亜里沙の悲鳴にも似た叫びがハネジローの声を遮る。

 

「亜里沙?」

「逃げなきゃ! ハネジローを守らなきゃ!」

「ちょっと、どうしたの?」

 

 慌てた様子でハネジローを抱き抱える亜里沙。先程の様子からの急変に、雪穂は戸惑いを隠せない。

 そして、

 

「ハネジローが!」

「ハネジローがどうしたの!」

「ハネジローが殺されちゃう!!」

 

 衝撃の言葉が放たれるのだった。

 

 

 

 



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第三章:追いかけっこ

今回はキリがよく4,000字ほどです。
あと、なんか色々出てきてます。


「まさか、お主がやってくるとはのう。大学の方は良いのか?」

 

「それより優先度が高いからここに来たんですよ」

 

 そう言って、久しぶりの再会であるにも関わらず、少しだけ面倒くさそうな表情を浮かべている女性。

 名前は稲森景子(いなもりけいこ )。『榊家』同様特殊な家系である『稲森家』出身の女性であり、以前リヒトが持っていたヘッドフォンの解析を頼んだことのある人物だ。現在は大学の講師をやっている。

 それにしても、まさかの来客に奉次郎は少しだけ驚いていた。

 稲森は少し棘のようなものが含んだ口調で、

 

「私が来た理由、ご存知ですか?」

 

 と言った。

 奉次郎としてはひとつ、心当たりがあるが、

 

「ふむ、どれじゃろうな。心当たりが多すぎてわからん」

 

 と言ってみる。

 見てみれば、稲森は本当に面倒くさそうな表情になった。

 

「……本当はわかってますよね? 私、回りくどいことは嫌いなんですけど」

 

「せっかく久しぶりに来てくれたのじゃ。ちょっとぐらい老人の他愛のない話に付き合ってくれてもよいじゃろ」

 

「数日前、妙な小動物の目撃情報が綺羅(き ら )家に入ってきたみたいですよ」

 

 奉次郎の言葉を無視して、稲森は本題を切り出した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。心当たりありませんか?」

 

 稲森が述べた情報は、間違いなくハネジローのことを示している。おそらく、亜里沙たちが奉次郎の元に連れてくる途中で、人目についてしまったのだろうと思ったが、

 

「正確には、この特徴に該当する小動物の目撃情報が()()()早田(はやた )家に入りました。その翌日、この町での目撃情報が綺羅家に入り、事実確認のため私が先生のところに行くように指示を受けました。なんで私なんですかね。綺羅家の人が直接行けばいいのに。そりゃ私の方が、先生と話しやすいかもしれませんが、こっちにだって色々と用事があるのに……」

 

「……五日前に早田家じゃと?」

 

 続けて述べられた情報に目を細めた。

 亜里沙がハネジローを奉次郎の元に連れてきたのは三日前。それよりも前に、目撃情報が早田家に入った。この町にいる綺羅家でも榊家でもなく、()()()()()()()()にだ。

 

「ええ。初耳なんですか?」

 

 早田家とは、榊家同様『ティガ伝説』に関わる『特殊な家系』のひとつ──早田家の他に『(さかき)家』、『綺羅(き ら )家』、『稲森(いなもり)家』、『入間(いるま )家』があり、これらは『ティガ伝説』の時代において、『イージスの力』より能力を授かり、光の戦士たちと共に『大いなる闇』に立ち向かった一族のことである──。

 しかし現在は『ティガ伝説』の古文書を所有する榊家以外、一般の生活を送っている者が多く、昔ほど家系間の繋がりは薄くなっていた。 

 今回、最初に情報が入った早田家は、榊家とのつながりがまだ強い方であるはずなのだが、稲森が言った通り奉次郎の耳に情報は届いていなかった。

 

「初耳じゃよ。この町以外で発見されたというのか?」

 

「はい。五日前を皮切りに、音ノ木町以外で黄色い毛並みの小動物が多数目撃されています。現在、早田家、稲森家、綺羅家、入間家が総出で保護しています。きっと、その対応に追われて情報共有が遅れたのでしょう。現在は害があるかどうか不明なため、捕獲にとどまっていますが、もし『大いなる闇』復活に関係があるようであれば、即殺処分となるでしょう」

 

「なるほどのう。当然と言えば当然じゃの」

 

 即殺処分とは、穏やかでない言葉だが、それほど『大いなる闇』の復活は阻止しなくてはいけないことなのだ。

 

「はい。それで、先生。この町で目撃された小動物は、今どこにいるかご存知ですか?」

 

 真っ直ぐ、奉次郎の目を見て稲森は言った。

 

「知っておる。そしてもうすでに保護もしておる」

 

「本当ですか?」

 

「本当じゃよ。綺羅家に連絡が入った三日前にな。そして、ワシの方で何度か確認したが、闇の波動はなしじゃった」

 

「確たる証拠は?」

 

「神田明神の敷地内に入った、と言えば説得力は十二分(じゅうにぶん)にあるじゃろ」

 

 奉次郎の言葉を聞いて、稲森が目を見開いた。稲森も神田明神がどういったところか理解している。その地に入ってきたということは、闇の刺客である可能性はないということなのだ。

 

「そうですか。では──」

 

 と、そこで携帯の着信音が鳴り響く。

 どうやら稲森の持っているスマートフォンからのようで、ポケットから取り出すと画面をタップして耳に当てる。

 

「はい、稲森です……はい……はい……それは、まずいことになりましたね。わかりました、こちらで伝えておきます」

 

 では、と言って稲森は通話を切った。

 そして、

 

「先生。少しまずいことになりました」

 

「なんじゃ?」

 

「例の小動物を連れた女の子が二人、この家の裏庭から逃げ出したそうですよ」

 

 その言葉に、さすがの奉次郎も唖然とするのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 正確に述べるのであれば、亜里沙は奉次郎と稲森の会話を最初から聞いていたわけではない。亜里沙が耳にしたのは、稲森が述べた〝ハネジローの特徴〟と、〝ハネジローが殺処分される〟という言葉だけ。それ以外はあまりの衝撃に、言葉が耳に入ってこなかったのだ。

 とにかく、ここからハネジローと一緒に逃げなければいけない。

 それが立ち直った亜里沙が真っ先に思い浮かべたこと。急いでハネジローの元に向かった亜里沙は、ハネジローを抱き抱えると、その場から走り出した。

 

「亜里沙! どうしたの! どこに行くの!」

 

「わからない! でも、とにかく遠くに逃げないと!」

 

「ハネジローが殺されるって……なんで!?」

 

「奉次郎さんと女の人が会話してたの! だから、とにかく逃げないと!」

 

 もちろん当てがあるわけではない。

 ただ、とにかく逃げなくてはという想いだけが亜里沙を動かしていた。

 どれほど走っただろうか。ひとまず、榊家からある程度距離を取れたところで、ふたりは走るのを一旦ストップした。

 乱れた呼吸を整えてから、雪穂は亜里沙に訊く。

 

「亜里沙、詳しく説明して。一体何を聞いたの?」

 

「それが──」

 

「──パム!」

 

 しかし、亜里沙の答えを遮るかのように、ハネジローが声をあげた。

 

「どうしたの? ハネジロー」

 

「ウシロニ、イル」

 

「え?」

 

 うしろを振り返る雪穂と亜里沙。

 しかし、

 

「誰もいないよね」

 

 人の影は見当たらない。

 それでも、ハネジローは首を横に振って、誰かがいることを示している。

 

「……もしかして、つけられているの?」

 

「パム!」

 

 雪穂の呟きに、ハネジローは大きく反応した。

 

「誰に……」

 

「……亜里沙が言ってたハネジローを捕まえようしている人?」

 

「……! 絶対そうだよ!」

 

「あ、亜里沙待って!」

 

 亜里沙は再び駆け出した。その後に続く雪穂。チラリと後ろを振り返って見えると、確かに数人の人影が見えた。

 

(嘘っ、本当につけられてる……!?)

 

 一体どういうこと? ハネジローが狙われている? なんで? と、疑問が次々と浮かんでくる。

 しかし、それぞれに答えを見つけるには情報があまりにもない。

 

(ハネジローが元々どこかの施設にいて、そこから逃げた? それとも、珍しい小動物に目をつけた人たちが捕獲に来た?)

 

 思い浮かべたことは、どれも漫画やアニメならあり得そうなこと。普通であれば思い付かないことではあるが、ハネジローの存在を考えれば、どんなことでもあり得そうな気がしてきた。

 走り続ける雪穂と亜里沙。

 ふと、道の先に黒いスーツに身を包んだ女性が一人立っているのが見えた。視線はこちらを向いており、まるで雪穂と亜里沙を待ち構えているような姿勢。

 

「亜里沙! 曲がって!」

 

「──!」

 

 咄嗟に叫んだ雪穂の声に反応して、亜里沙は角を右に曲がる。

 

「やっぱりバレますよね!」

 

「雪穂! 今の人って──!」

 

「たぶん、ハネジローを捕まえようとしている人だと思う。とにかく、人通りの多いところを走ろう! その方が向こうも近付きにくいだろうし!」

 

 雪穂の作戦通り、ふたりはなるべく人通りの多いところを走った。それでも、向こうはなんとしてでもこちらを捕まえようとしているのか、曲がり角から突然現れて、ぶつかりそうになった瞬間を狙ってきた。なんとか掻い潜る亜里沙。

 

「そちらに行きました! 例の小動物は確かに抱えてます!」

 

『了解!!』

 

 次第に追っての数が増えてきている気がする。おそらく向こうで連携をとっているのだろう。これ以上人が増えると、捕まるのも時間の問題。

 加えて、全力で走っているせいか段々と亜里沙と雪穂のスピードが落ちてきている。

 

「亜里沙! 一旦どこかに隠れよう!」

 

 ちょうど、角を曲がったところで物陰に隠れることに成功した。

 荒い呼吸を繰り返す亜里沙。

 

「パム〜」

 

 そんな亜里沙を腕の中からハネジローが心配そうに見上げる。

 

「大丈夫だよ……ハネジロー。絶対に守ってあげるからね」

 

「そうは言っても……一体どうするの? あのまま奉次郎さんのところにいたほうがよかったんじゃない」

 

「……それは」

 

「少なくとも、奉次郎さんは味方になってくれたと思うよ」

 

 ハネジローを抱き抱えたまま、黙り込んでしまう亜里沙。

 

(……少し、言い過ぎたかな)

 

 もちろん、我が子のように愛ていたハネジローが命の危機に瀕したのだ。冷静な判断ができなくなる気持ちは雪穂にもわかる。きっと自分が亜里沙の立場だったら、同じ行動をしていただろう。

 だから、もっと自分が冷静な判断をするべきだったと考えてしまうのだ。

 

(こういう時、人目が多いところに行った方がいんだよね? そのほうが、私たちを追っている人も、むやみに近づけなくなるだろうし)

 

 状況を整理し、自分たちにとって少しでも良くなる選択を考える雪穂。

 追われている、ということは向こうは捕まえに接触してくるはずだ。それを防ぐには、人目の多いところに行けば、多少なりとも接触を躊躇させることができるかもしれない。

 そう考えた雪穂は早速移動しようとしたところで、

 

「──あれ? 人が……全然いない……?」

 

 周りに人が誰もいないことに気づいた。

 人っこひとりいない、まさに静寂の空間が出来上がっている。あまりにも不気味で、ぞくりと背中に嫌なものが走った。

 

(なんで! さっきまで大勢人がいたのに……!)

 

 まるで神隠しにでもあったかのように、まるで世界に自分たちだけが取り残されたように、周囲から人が完全に消えていた。

 

「……何がどうなってんのっ」

 

 悲鳴にも似た声が雪穂の口から放たれる。

 

「雪穂……空、見て」

 

「え?」

 

 亜里沙に言われて視線を空に向けると、

 

「どういう……こと……?」

 

 目の前に広がる光景に絶句するしかなかった。

 そこには、綺麗な青空などなかった。青の一面にはオレンジ色のオーロラがかかっており、下を見ればアスファルトは赤土色に変わっている。

 まるで異空間のようなその光景に、ふたりは驚きを隠せずにいた。

 

「! パムパム! パムパム!」

 

「!? ハネジロー!? どうしたの!?」

 

 突然、ハネジローが激しく鳴き始めた。亜里沙の腕から飛び出そうともがき暴れる。それを必死になって抑えようとする亜里沙だったが、更なる衝撃がふたりを襲う。

 ドンッ!! という体の芯までも揺れる振動だ。

 

「こ、今度は何!?」

 

「──っ!!」

 

 雪穂は、視界に入ってきたものを見て息を呑んだ。

 ハネジローのことを考えれば、もうなんでもありだろうとは思っていた。

 しかし、今目の前にいるのは、あまりにも予想外すぎる。こんなの誰が予想できるだろうか。

 

「雪穂……? ──え」

 

 亜里沙も遅れて気づいたのだろう。目の前にいるソレに目を見開き、驚いている。

 次第に呼吸が詰まり、膝が震えていく。

 

「か」

 

 亜里沙の口から、音が漏れる。

 ソレの体は、暗い赤色をしている。鋭い爪と牙。チラリと、頭部に青い皿のような見えた。

 

「怪獣──!?」

 

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

 

 

 亜里沙と目の前の怪獣が雄叫びをあげたのは、同時だった。

 

 




色々出てきたやつに見覚えあったらそれは気のせいです。

感想などお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いします。



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第四章:行かなくちゃ

 目の前のそれが現実だと受け止めるのに、それなりの時間を有した。

 しかし、それを受け止めるまでの時間を待っていたら、命がないということもまた、本能で理解していた。

 故に、雪穂が取った行動はシンプル。

 

「わあああああああああああああ!!」

 

 叫び声をあげて固まった体を無理矢理動かすこと。亜里沙の手を取ることを忘れなかったのは、自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。

 走る。

 とにかく走る。

 走らなければ命が危ないと本能が叫んでいる。たぶん、人生でこれほど早く走れたことはないだろうと言う速度で、雪穂は亜里沙の手を握りながら走る。

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 背後から聞こえる雄叫びは空気を震わす。震える空気は雪穂の背中に伝わり、そのせいで転びそうになるがなんとか堪えて、足を前に出す。

 人気(ひとけ)がなくなった街を走るふたりは、ビルの影に隠れた。もちろんこんなので、体長60メートル以上の怪獣から身を隠せるなんて思っていない。

 それでも、隠れていればやり過ごせるのではないかという淡い望みが、体を動かしたのだ。

 

「な、なんで亜里沙たちを追いかけてくるの!?」

 

「わかんないよ!」

 

 呼吸を整えながら、混乱している頭を落ち着かせようとする雪穂だが、上から聞こえる怪獣──モンスアーガーの叫びに体が強張ってしまう。

 

「亜里沙たち以外の人も見かけないし……本当に……どうなっちゃったの……」

 

 あまりの恐怖に亜里沙の声が震えている。それでも、ハネジローを腕の中でしっかり抱えているのは絶対に見捨てない意思の表れか。

 

「……パ〜ム」

 

「大丈夫だよ、ハネジロー。きっとなんとかなるから」

 

 しかし、本当にどうにかなるのか不安だった。今でも、ハネジローを抱く亜里沙の腕は震えている。

 そんな中、亜里沙を見上げていたハネジローは何か決心したような動きをすると、

 

「……ボク、イクヨ」

 

 と、言った。

 

「え?」

 

 カタコトではあるが、はっきりとした言葉をハネジローは言った。

 

「ボクガ、狙ワレテイル。ボクガイケバ、コワイオモイ、シナイカラ」

 

「だめ! そんなことできない!」

 

「パム……」

 

「絶対、亜里沙が守るから! 絶対に──っ!!」

 

 言葉に詰まった亜里沙と同じく、雪穂もまた頭上から感じた圧に言葉を失った。

 ゆっくりと、見たくないものを無理矢理見るような動きで、ふたりは視線を向ける。

 そこには、ふたりを見下ろすモンスアーガーの姿があった。

 瞬間、ふたりの脳裏に走馬灯が走る。それはつまり、自分たちはここで死ぬのだと、判断したということ。あまりにも短い人生、まだ姉の最高のステージを見ていないのに、ここで終わってしまう。

 ああ、と嘆く間もなくふたりは死を覚悟し、

 

 

 

 突然モンスアーガーの体に炎の雨が降り注ぎ、吹き飛んだ。

 

 

 

 鼓膜を震わす爆発音。

 無数の炎を纏った隕石が、同じく炎を纏った拳と共にモンスアーガーを襲ったのだ。

 

「──?」

 

 入れ替わるように、ふたりの視界に映ったのは、赤い体に銀色のライン。そして、体にあるクリスタルを赤色に光らせた巨人。

 

「ギンガ!」

 

 ハネジローが巨人の名前を叫んだ。

 

「ギンガ……?」

 

「もしかして、お姉ちゃんが時々話して、ウルトラマンギンガ?」

 

 雪穂は姉がよく話していた〝ウルトラマンギンガ〟のことを思い出す。赤い色の体に銀色のライン。頭部、肩、胸、両腕、両足のクリスタルが特徴で、怪獣から自分たちを助けてくれた正義の巨人。

 それがウルトラマンギンガ。

 ギンガはクリスタルの色を元の水色に戻すと、視線を雪穂たちに向けてきた。

 そして、一度頷く。

 まるで、もう大丈夫だと言っているかのようだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 雪穂たちの無事を確認したギンガは、視線をモンスアーガーへと向ける。モンスアーガーはすでに立ち上がっており、敵意を込めた視線でこちらを睨んでいた。当たり前だ。突然攻撃されたのだから、誰だって怒るに決まっている。

 しかし、〝ギンガファイヤーボール〟を受けたにも関わらず、大きなダメージとなった様子がない。

 これは、相当防御力の高い相手だと判断できる。

 両者、一定の距離を保ったまま睨み合う。

 先に動いたのは、モンスアーガーだった。両腕を広げて、まるで何かの発射準備に入っているようだった。ギンガはすぐに右手を突き出し、バリアを展開。放たれた赤色光弾を防ぐ。

 しかし、バリアで防いだが、手に伝わる感触から威力が相当高いと言うことがわかった。まともに食らえば大ダメージとなるだろう。

 ギンガはバリアを解くと、すぐに駆け出した。二発目を撃たれる前に接近戦に持ち込むためだ。

 距離を詰めたギンガは、握り込めた右拳を突き出す。モンスアーガーの胴体を捕らえたが、返ってきた感触は非常に硬いものだった。

 続けて左拳を叩き込む。右手のチョップ、左ミドルキック、連続して攻撃するが、モンスアーガーの硬い皮膚によって大したダメージにはならない。

 左拳を弾かれ、反撃のために振われた腕をガードする。しかし、硬い皮膚から繰り出された一撃に、いとも簡単にガードを崩され、続く二撃目はギンガの側頭部に当たった。

 よろめいたところへの追撃。重い一撃に、ギンガは地に膝をついた。立ち上がろうとしたが、尻尾による追撃が襲い、火花をあげながらギンガは。

 倒れ込んだギンガの頭を掴み、持ち上げると、その腹部目掛けて追撃の拳。ギンガの体がくの時に跳ねる。二撃、三撃、頭部を掴んでいる手を振り、投げ飛ばす。

 投げ飛ばされたギンガは、前転のようなかたちで背中から倒れる。

 体にはダメージが残っているが、長く倒れているわけにはいなかい。振り下ろされた尻尾が目の前に迫っていることに気づくと、横に転がって回避。そのまま起き上がり、体勢を立て直す。

 接近してきたモンスあーガーとの取っ組み合いになる。

 しかし力比べてはモンスアーガーに分があるため、すぐに振り解かれ、振われた腕の一撃を受けてしまうギンガ。

 続けてタックルを受け、背後にあったビルを巻き込んで倒れる。

 

「ちょっと! 苦戦してるんだけど! 勝てるの!?」

 

「が、がんばれ! ウルトラマン!!」

 

 苦戦するギンガを見て不安になる雪穂と、声援を送る亜里沙。 

 ギンガは起き上がる。しかし、モンスアーガーはすでに光弾の発射準備に入っていた。

 回避するまもなく、光弾は放たれギンガを撃ち抜く。

 二つのビルを巻き込みながら飛んでいくギンガ。大ダメージを受けた体はすぐに起き上がることができず、モンスアーガーはトドメを刺すべくギンガへと接近。

 ギンガのカラータイマーが点滅を始める。

 

「雪穂! ウルトラマンの胸がぴこぴこし始めたんだけど!」

 

「赤の点滅って、危険信号っぽいよねっ……」

 

「どうしよー! って、ハネジロー!? どこいくの!」

 

 動揺している隙を突かれて、亜里沙の腕の名からハネジローが飛び出す。

 

「イカナクチャ」

 

「だめ!」

 

 また自分を犠牲にしようとするハネジローを止めようとするが、

 

「チガウヨ。ツタエルノ」

 

 ハネジローはそうはしないと言った。

 

「伝える……?」

 

 コクリと頷くと、ハネジローはギンガの元に飛んでいく。

 

「ギンガ!」

 

 ギンガの名前を呼ぶと、ハネジローは目からホログラム映像を空中に映し出した。映し出されたのは、モンスアーガーの姿。その頭部付近をハネジローは旋回する。

 

「パム! パムパム!」

 

 ハネジローの鳴き声に気づき、そちらを向くギンガ。ギンガがこちらを向いたことがわかったハネジローは、再びモンスアーガーの頭部付近にいくと、今度は顔を使って頭部のある一部分を示す。

 

「ハネジロー、何か伝えようとしている?」

 

 と、亜里沙は言った。

 注目してみて見ると、ハネジローが何を示しているのがわかった。モンスアーガーの頭部に青い皿のようなものがあるのだ。ハネジローはそれを示している。

 ふと、亜里沙の頭にカッパの姿が思い浮かんだ。カッパは、頭にある皿が乾燥したり割れたりすると、力が出なくなってしまうらしい。つまり、そこが弱点であると言うことを、前に友人から聞いたのを思い出したのだ。

 

「ウルトラマン! 頭部の青いところ! たぶんそれが弱点!!」

 

「パム!」

 

 亜里沙の声に答えるよにハネジローが頷く。

 ギンガは、一度視線をモンスアーガーに向け、その頭部にある青色の部分を視認する。そして、ハネジローに向けて一度頷くと、体に力を入れて立ち上がった。

 まだ戦えることに驚いた様子を見せるモンスアーガーに対し、ギンガは勢いよく駆け出す。

 迎え撃とうとするモンスアーガーだったが、それよりも先にギンガが高く飛んだ。ギンガの行く末を見上げるモンスアーガーだったが、ギンガはモンスアーガーの視界から見えなくなるくらい、高く飛んでいく。

『逃げたのか?』と、ギンガの狙いがわからないモンスアーガーはそう思った。しかし、一瞬白い光が見え、急降下してくるギンガの姿を視界に捉えると、撃ち落とすために光弾を放つ。

 急降下で落下するギンガは、向かってくる光弾を〝ギンガセイバー〟で斬り落とす。そのまま、もう一度ギンガセイバーを構え直すと、頭部の青い部分目掛けて振り下ろした。

 

『──!?』

 

 剣先が青い部分に突き刺さり、モンスアーガーは今までにない声をあげる。それはまるで悲鳴だ。弱点を突かれた悲鳴。

 ギンガはそのまま空中で回転すると、モンスアーガーの背後に着地。頭部から火花をあげ、倒れるモンスアーガーを見送った。

 倒れて、動かなくなるモンスアーガー。

 

「……勝った……?」

 

 と、雪穂は恐る恐る呟く。

 

「そう……だよね……」

 

 同意する亜里沙。

 ふたりの目の前で、モンスアーガーは光となって消える。

 それは、戦いが終わったことを意味していた。

 

「終わった……終わったぁー」

 

 モンスアーガーが消えたことで、張り詰めていた緊張の糸が緩んだ。尻餅をつく亜里沙の横で、雪穂もまた大きく息を吐いて戦いの決着を見届けていた。

 一方、ギンガはその姿を消さずに、いまだにその場に止まっている。それに気づいた雪穂が視線を向けると、パタパタとギンガに近く影があった。

 

「ハネ、ジロー……?」

 

「え? どこにいるの?」

 

「あそこ! ウルトラマンに向かってってる」

 

 ギンガに向かって飛んでいく影の正体は、ハネジローだった。

 

「ハネジロー! どこに行くの!?」

 

 亜里沙が叫んだ。

 ハネジローは亜里沙の叫び声に気づくと、一度ギンガの方を見てから、こちらに飛んでくる。

 その雰囲気に、不安を感じる亜里沙。

 

「ハネジロー……どこに行くの?」

 

「…………」

 

「ハネジロー……?」

 

「ボク、イカナキャ」

 

 俯いていたハネジローは、顔を上げて、そう言った。

 

「え?」

 

「ココニイルト、メイワク、カケチャウ」

 

「そ、そんなことないよ!」

 

 亜里沙の言葉を、首を横に振って否定するハネジロー。

 

「マタ、カイジュウニ、オソワレルカモ」

 

「そうなったら! またウルトラマンが助けてくれるから!」

 

「イノチガ、キケン」

 

「……それは」

 

「サヨナラガ、イチバン、イインダヨ」

 

「待って!」

 

 しかし、亜里沙の声を無視してハネジローは飛び去っていく。

 

「待ってよ! ハネ──」

 

「ハネジロー!!」

 

 亜里沙より、雪穂が大きな声でハネジローの名前を呼ぶ。その声に、飛び去ろうとしていたハネジローが止まる。 

 そして、雪穂は、ゆっくりと手を伸ばして、そっとハネジローを撫でた。

 

「ユキ、ホ……」

 

 雪穂はハネジローの言う通りだと思っていた。ハネジローと一緒にいれば、また怪獣に襲われるかもしれない。亜里沙の言った通り、ウルトラマンに助けて貰えばいいかもしれないが、それはつまりその度に命の危険が訪れると言うこと。

 それは、ハネジローの方が辛いだろう。自分と一緒にいるだけで、命の危険が及ぶ。守ってくれる存在がいる、言い換えれば守る存在がいなくなって仕舞えばそれはもう死を意味しているのだ。

 だから、別れたほうがきっといい。

 それは、わかっている。

 

「亜里沙の言う通りだよ。ハネジロー、こんなに可愛いんだ」

 

 わかってはいるが、あまりにも突然すぎる別れだった。

 

「私も、遊べばよかったなー。

 ……名前、読んでくれてありがとう。ハネジロー」

 

 優しく、微笑んでお別れを告げる雪穂。

 

「ほら、亜里沙も。お別れ言いなよ」

 

「……やだ。亜里沙は、ハネジローと別れたくない」

 

「ハネジローの言う通りなんだよ。一緒にいると、また今日みたいな怖い思いをすることになるんだよ?」

 

「でも……」

 

「最後くらい、笑顔でお別れしよう。ね」

 

「…………」

 

 黙ってしまう亜里沙。

 そして、

 

「……また、会えるよね? ……絶対! また、会えるよね……!」

 

 雪穂の言葉に、ハネジローは顔を伏せてしまう。

 

「ハネ、ジロー……?」

 

 しかし、顔を上げてハネジローは亜里沙の元に行った。

 差し出された手に、自分の頭を当て、初めて会った時と同じように亜里沙に体を預けた。

 そして、

 

「……キット、アエル。イツカ、アエルヨ」

 

 そうひと言残して、ハネジローは飛び去っていった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

[エピローグ]

 

 

 あれから、二日が経った。

 亜里沙は、まだハネジローとの別れから立ち直れておらず、元気がないまま。

 今日も、榊家の縁側に立ち、ハネジローとの思い出に浸っている。

 

「……亜里沙」

 

「まだ、元気が戻らんようじゃな」

 

 亜里沙を見守る雪穂の隣に、奉次郎がやってくる。

 

「……はい。結構ショックだったみたいで」

 

「無理もない。ハネジローと遊んでいる亜里沙ちゃんは、本当に楽しそうじゃったからの。それが、突然の別れとなれば、受け止めるのに時間がかかるじゃろ。雪穂ちゃんはどうなんじゃ?」

 

「私は……亜里沙ほどじゃないですよ。あんまり遊んでませんでしたし、ハネジローに心の壁みたいなの作っちゃったましたし……ただ、できれば一緒に遊んでおけばよかったなって、思うくらいです……」

 

 

 そう語る雪穂は、どこか後悔しているようだった。勝手に自分で壁を作り、最後までハネジローと遊ぶことのなかった自分に、どこか思うことがあるのだろう。

 

「そうか……」

 

 そう言い残して奉次郎は一旦その場から離れた。

 そして廊下にある固定電話に向かうと、稲森の番号を呼び出し発信。数コールで稲森が出た。

 

「確認じゃが、全て消えたんじゃな?」

 

『はい。昨日全て確認が取れました。各家系で保護していた小動物が、全て姿を消したそうです』

 

「…………」

 

 そう、亜里沙たちの前からハネジローが去ったのと同時刻、各地で保護されていたハネジローと同じ外見をした小動物が姿を消したのだ。

 なんの痕跡もなく、突然と姿を消した小動物。あまりにも不気味すぎる。

 

『結局、正体はなんだったんですかね?』

 

「ワシにもわからん。突然現れて、突然消えた……」

 

『何かの前触れ、としか考えられないんですが』

 

「…………」

 

 亜里沙たちを追いかけていた綺羅家の人々は、途中で亜里沙たちを見失ったらしく、見つけた時にはもうハネジローの姿がなかったと言う。

 おそらく、その間で何かあったのだろう。しかし、何があったのかを具体的に知っているのは、亜里沙と雪穂、そしてウルトラマンギンガとなって駆けつけたリヒトだけ。

 しかし、今回リヒトはそこにしか関わっていないため、何もわからないのだ。亜里沙と雪穂に訊こうとしても、今のふたりに訊くことなどできない。

 唯一わかっていることは、ギンガスパークでもハネジローから闇の波動を感じなかったと言うこと。

 では、ハネジローは光の勢力だったのだろうか。

 ならば、なぜ姿を消したのか。

 あまりも謎が多すぎる。

 誰も、何もわからない結果に、モヤモヤを残したまま、奉次郎は受話器を下ろすのだった。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 小さな光が漂う。

 まるで蛍の光ようだ。

 小さく、しかし膨大な量の光が、ひとりの少女の元に集まっていた。

 白い少女。髪も、肌も、着ているワンピースも全てが真っ白の少女。ただ一人、目を閉じて佇む少女の元へ向かって光は集まっていく。

 光は、少女の手に触れると、少女の手の中に沈んでいった。いや、正確には元の場所へ戻ったと言うべきだろう。この光は、少女が生み出したもの。自分の力の源である『光』を使いし、生み出し、生物の姿を与え、ばら撒いたのだ。

 目的は、とある人形を見つけること。

 

「ふむ……ここは違ったか……」

 

 光に探らせた映像を読み取っていく少女。カプセルから産まれ、漂い、拾われるものもあればそのままずっと彷徨い続けるものもある。拾われたものの映像を見てみれば、どこかの一般家庭やホームレスなどに拾われているものが多く、それらのものはすぐに消去した。

 ようやく、その外見を怪しむ者たちに拾われる映像を見つけた。ぶつぶつ何かを議論しているが、危険性はまだないと言うことで保護という形を取るらしい。

 こちらから言わせれば、なんとも甘い判断だ。

 しかし好都合。自由に動いて目的のものを探すことができる。

 

「……ん? ほう……これは、あの時のやつか」

 

 読み取った情報の中に、以前()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あまりにも可愛かったため、取り込んでやろうかと本気で考えた少女。しかし、それよりもこいつに拾わせるほうが面白いと判断し、少しだけ操った覚えがある。

 別に探し物は自分のためになるものじゃないため、こういった捨て駒があってもいいだろうと思ったのだが、

 

「……ふむ。ここにはないか。しかし、光を持つあの男はいないとは、つまらぬの」

 

 思わぬ産物、と言ったところか。まさか『イージスの力』を守護している男の家に忍び込めるとは思わなかった。

 しかし、ここに目的のものはない。光の男もいなく、あとは意味のない映像ばかりだった。

 ただ楽しそうに、作り出した存在と戯れている記録など意味のないもの。早々に消去する。

 改めて、必要な情報を得るために記録を読み取っていると、

 

「……ふっ、あったぞ」

 

 目的の情報が手に入り、少女は笑った。

 そして、振り返る。後ろでこの情報を待っていた者に。

 

「お前の力が封じられている、スパークドールズをな」

 

 背後にいたのは、ボロボロの()()()()()()()()()銀髪の男。

 

「そうか。では、取り戻しにいくとするか。私の力を」

 

 




第10話 小さき少女たちの冒険─完─

以上で、第10話終了です。お楽しみいただけたでしょうか。
今回は亜里沙と雪穂回ということで、ふたりをメインに書きました。1話丸々使うのは、この作品当初からの目標だったので、無事に書けてよかったです。
最後のシーン、つまりハネジローはあるものを見つけるために生み出された、ということです。原作と設定が違いますが、そもそもこの作品いろいろ設定いじってますので、お許しを……。

それでは、次回第11話。第二部が本格的に始まりますので、よろしくお願いします。

……実は主人公を一切登場させないのが目標でした。


次回予告
いよいよオープンキャンパスが間近に迫り、準備に勤しむ音ノ木坂学園。そんな中、ひとりの生徒のスマートフォンが着信を知らせる。
一方、朝の練習を終えた穂乃果の元にヒデコから「きちゃだめ」と連絡が入るが、すでに校内に足を踏み入れてしまっていた。
教室へとたどり着く穂乃果たちだったが、様子のおかしいクラスメイトたちが突然スマートフォンをこちらに向けてきて……。

次回、マリオネットの館。




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第11話 マリオネットの館
第一章:着信音


 今回より第11話。第二部の本格的スタートの話になります。

 それでは、どうぞ。


[プロローグ]

 

 

「いよいよだね、オープンキャンパス」

 

 と言ったのは、音ノ木坂学院に通うひとりの女子生徒。ショートカットの活発そうな少女だ。

 

「そうだねー」

 

 と返したのは、同じく音ノ木坂学院に通う女子生徒。ふわっとしたウェーブのかかった髪をしたタレ目の少女。

 ふたりは来たるオープンキャンパスに向けて、自分たちの部活紹介の準備に勤しんでいた。とは言っても、活発少女は率先して行動しているが、タレ目少女はのんびりとしているため、実質一人でやっているようなものだった。

 

「あたしたちの部活もしっかり紹介して、なんとしても来年は入部希望者をゲットしないと!」

 

「おー、がんばれー」

 

 オープンキャンパスに向けて、意気込みを語る活発少女と、のんびりとした返事をするタレ目少女。

 活発少女は、手に持った荷物を整理しながら言う。

 

「今回のオープンキャンパスで廃校が決まっちゃうみたいだしね。とことんやり切らないと」

 

「え? なにそれ初耳」

 

「いやいやこの前話あったでしょ。聞いてなかったの?」

 

「あー……あったようなー、なかったようなー」

 

「あんたねぇ……人の話ちゃんと聞かないところ、直した方がいいよ」

 

「大丈夫ー、必要な時はしっかり聞いてるからー」

 

「……今回の、割と必要な話だと思うんだけど」

 

「それよりー、スマホ、鳴ってるよー」

 

「え? あ、本当だ。誰からだろ」

 

 タレ目少女の指摘通り、カバンにしまってあるスマートフォンから着信音が聞こえてくる。しかも、聞こえてくる着信音は、SNSアプリではなく直接電話の方。

 いったいこの時間に誰が直接電話をかけてきたのだろうか、と思いながらスマートフォンをカバンから取り出す。

 画面に表示されているのは番号だけ。しかも知らない番号だ。

 

「誰からー?」

 

「知らない番号」

 

「おー、それは怖いねぇ」

 

 だね、と言って少女は通話を切った。

 しかし、すぐにまた着信音が鳴り響く。

 

「もしかして、緊急の連絡とか?」

 

「え?」

 

「ほら、スマホ使えなくて、誰かから借りてかけてるとかー?」

 

「まさか」

 

 ありえない、と言いかけたが、そういえば最近、祖父の体調が優れないと母が話していたのを思い出した。もしかしたらそのことかもと、一瞬嫌な想像が頭を横切る。

 そこまでではないと聞いているが、もしかしたらと一度考えてしまったら、不安のようなものが胸に渦巻く。

 結果、不審に思いつつもその電話に出ることにした。

 応答のボタンをタップし、スマホを耳に当てる。

 

「もしもし?」

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 ──同時刻、三年生の教室にて。

 

「あれ? 由良? どうした?」

 

「……明美ちゃん、電話」

 

「は?」

 

「電話……出て」

 

「由良……?」

 

「電話……電話」

 

「ゆ、ら……?」

 

 

 

 

[1]

 

 

 オープンキャンパスが迫っているμ’sにとって、この一週間はまさに追い込み期間と言えた。活動開始の時は三人だったメンバーも、今では六人増えて九人となっている。人数が増えれば、当然七人で練習していた歌と振り付けのタイミング、さらにはフォーメーションといったものが九人用へと変更となり、より難しいものになっていく。それを洗練させるために、朝は神田明神で、放課後は学校の屋上を使って練習に励んでいた。

 特に、新たに加入した絢瀬絵里と東條希は、いち早く歌とダンスを覚える必要があるため、七人以上の練習をこなすことになっていた。

 しかし、さすがはバレエ経験者というべきだろう。絵里はあっという間にダンスをマスターし、歌の方もすぐに覚えてきた。

 もっとも驚く点は希の方だろう。言って仕舞えば、希は絵里のような経験者ではない。そんな人物が、たった数週間で穂乃果たちのレベルに追いついてきたことに驚くほかない。実はこっそりリヒトに練習を見てもらっていたのではないかと疑うほどだ。

 絵里の元のレベルの高さと、希の驚くべき上達速度によって、μ’sはいよいよ最後の仕上げに取り掛かることとなった。

 そんな少女たちだが、朝の神田明神での練習を終えれば、しばらくの間スクールアイドルから普通の女子高生に戻ることとなる。

 音ノ木坂学院の制服に身を包み、九人で学校へ向かう。

 先月までは考えられない光景。その中に自分がいることに、心が軽く、幸せだと感じるられることに絵里の頬が少し緩んでいた。

 

「あれ? エリチ、どうしたん。なんだか嬉しそうな顔して」

 

「え? そ、そんな顔してないわよっ」

 

「ええ〜? そう言う割には、頬がほんのり赤くなっとるよ」

 

「っ!?」

 

 咄嗟に頬を手で覆うが、ニヤリと笑う希の表情を見て、それが失策だったとすぐにわかった。恨めしそうな視線を向けてみるが、希は意に介さないように微笑む。

 

「ふふっ、よかった」

 

「え?」

 

「今のエリチ、とても楽しそうやから。全然表情も雰囲気も違う」

 

「……それ、亜里沙にも言われたわ。私って、そんなに表情に出やすいのかしら」

 

「出やすい方やと思う」

 

 断言されてしまった。

 むすっとして、何か言い返そうかと思ったが、

 

「いよいよやね」

 

 それより先に、希が真剣な声音で言った。

 

「……そうね」

 

「エリチから見てどう? みんなのレベルは」

 

「始めた頃に比べたら、みんな上手になってるわ。これなら、素敵なステージになるはずよ」

 

「本当ですか!?」

 

 と、そこへ穂乃果が目を爛々と輝かせながら言った。

 後ろから大声が聞こえてきて、びっくりした絵里は驚いた声を上げてしまう。

 

「ああっ、すみません。上手になってるって言われたのが嬉しくて」

 

 あははは、と穂乃果は照れ臭そうに笑った。

 

「ちょうど昨日、ファーストライブの動画を見返したんです。そしたら、自分でもびっくりするくらい下手なところがあって。

 でも、今は違うんです。前はわからなかったことや、気づけなかったこと、見えていなかったことが、わかるようになって、気づけるようになって、見えるようになって。今、絵里先輩から『上手になってる』って言われて改めて感じることができたんです。レベルアップしてるなって」

 

 穂乃果の熱弁に、絵里はふっと微笑んだ。

 

「そうね。あの時から比べれば、とても上手になったわ」

 

「はい! だから、絶対! ライブを成功させたいんです!」

 

「ええ、それは私も──いいえ、私たちみんなが思ってることよ」

 

 絵里の視線につられて、穂乃果は後ろを向いた。

 そこにいるのは、同じ志を持つメンバー。

 

「オープンキャンパス、絶対成功させましょう!」

 

『はい!』

 

 少女たちの力強い返事が響くのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 学校に到着する直前、穂乃果の持つスマートフォンが着信を知らせた。

 誰からだろ。そう思いながら画面を見ると、〝ヒデコ〟と表示されていた。疑問を感じながらも、穂乃果は画面をタップして、スマホを耳に当てる。

 

「もしも──」

 

『──繋がった! もしもし穂乃果! 今日絶対学校に来ちゃダメだから! いい!? 絶対だから! ぜった──』

 

『──ザザッ──ザ──キャハハハ──』刹那、耳鳴りに似た嫌な音が穂乃果の鼓膜を刺激する。

 

「──っ!?」

 

 意識をかき混ぜられるような不快感が全身を駆け巡る。何かすごく嫌なものが、耳から脳に向かって走っている気が──しかし、次の瞬間、音は消え去っていた。

 

「穂乃果? 大丈夫ですか?」

 

「──え? あ、うん。大丈夫」

 

 心配そうに声をかけてきた海未に返事をして、穂乃果はスマホを見つめる。

 今のは、いったいなんだったのだろうか。

 

「ん? なんだろ……暖かい?」

 

 ふと感じた暖かさ。それは、ポケット付近。お守りとして、赤い輝石を入れているポケットだ。手を入れてみれば、赤い輝石からわずかに暖かさを感じる。

 暖かさの正体はわかった。だとしたら、なぜ輝石から暖かさを感じるのだ? そんな疑問を抱くが、

 

「電話の相手は誰だったのですか?」

 

 と、海未が言ってきたため、疑問は後回しにすることにした。

 

「ヒデコから。なんだかすごく焦っているような感じだったんだけど……」

 

「焦っている?」

 

「うん。来ちゃダメって言ってた」

 

「どう言う意味ですか」

 

「わかんない。すごく焦ってて、早口だったからうまく聞けなくて」

 

 試しにこちらから電話をかけてみるが、コール音が続くだけで電話は繋がらない。

 

「でない」

 

「おかしいですね。向こうから電話をしてきたのなら、すぐに出るはずですが」

 

「ふたりともー! 早くしないと遅刻するわよー!」

 

 結局、絵里の声に促されて、ふたりは学校へ向かうことにした。いったい何を伝えたかったのか、本人に直接聞けばいいだろうと、思いながら。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 教室へとたどり着いた穂乃果は、いつも通りドアを開けるのと同時に大声で叫ぶ。

 

「おっはよう! ……あれ?」

 

 しかし、いつもであれば『おはよう』と返って来るはずの声が、今日はひとつも返ってこない。おかしいな、と思いつつ見渡してみると、クラスメイト全員が自分の席に座っているという、なんとも奇妙な光景が広がっていた。

 

「?」

 

 チャイムがなるまでにはまだ時間がある。それなのに全員が着席しているのは異様だ。いつもならば、他クラスの友人のもとへ行っている人や、友人と雑談をしているはずのクラスメイトですら、大人しく席に座っているのだ。

 

「みんな、どうかしたのかな?」

 

「異様な光景ですね……」

 

 ことりと海未も、教室の異様な光景に疑問を感じているようだ。

 

「ドッキリ、とかかな?」

 

「そんなはずはないと思いますが、とりあえず自分たちの席に行きましょう。もうすぐでチャイムもなることですし」

 

 海未に促されて、穂乃果とことりは自分の席へと向かう。

 その最中、席に座っているクラスメイトの顔を伺ってみるが、前髪で隠れていてわからない。

 席に着いたところで、ヒデコの姿を探す穂乃果。席に座っているのを見つけて、朝の電話のことを聞こうと席を立つ。

 

「ヒデコ、おはよう」

 

「…………」

 

 挨拶は返ってこない。

 無言のまま。

 

「えっと……あのさ! 朝電話くれたけど、よく聞き取れなくて。それで、なんの用だったのか教えて──」

 

 ガタっと、音を立ててヒデコが立ち上がった。

 

「ヒデコ……?」

 

 すると、スマートフォンの着信音がなり始める。

 

「ヒデコ? スマホなってるよ。マナーモードにし忘れるなんて──」

 

「電話」

 

「え?」

 

「……電話。なってる」

 

「うん……なってるけど……」

 

「出て」

 

「出てって……」

 

「出て。電話、出て」

 

 手に持つスマートフォンを差し出しながら、何度も同じ言葉を繰り返すヒデコ。

 友人のおかしな言動に、穂乃果はただ戸惑うだけだ。

 すると、ヒデコの隣に座る生徒のスマートフォンからも着信音が鳴り始める。

 

「電話……電話だよ」

 

 その生徒も、立ち上がって穂乃果に向けてスマートフォンを差し出してくる。

 ここまでくれば、さすがにこの状況が異常だと穂乃果でもわかった。海未とことりの方へ視線を向けると、すでにふたりも隣の席のクラスメイトによって同じ状況に陥っている。

 

「電話」「電話……」「なってる」「出て」「……電話」

 

 まるで呪文のように同じ言葉を繰り返すクラスメイトたち。気づけばさっきまで座っていた全員が、立ち上がって穂乃果たちの方を見てくる。

 

「みんな……どうしたの……?」

 

「電話だよ」

 

「──っ!?」

 

 

 逃げろ、と本能が叫んだ。

 あとはもう体を動かすだけだ。突き出されたスマートフォンをしゃがんで避けて、穂乃果は廊下に出ようと教室のドアを目指す。

 しかし、行手を阻むクラスメイトが立ちはだかる。

 

(どうしよう!?)

 

 だが、ここで捕まってはいけない。捕まって仕舞えば、他の人たちと同じことになってしまう。

 

「穂乃果!!」

 

「──! 海未ちゃん!!」

 

 海未が穂乃果の手を引っ張った。そのままクラスメイトの手から逃れて、ことりと一緒に廊下に押し出される。

 

「行ってください!」

 

「でも!」

 

「私のことはいいから! ことりのことを頼みましたよ!」

 

 そう言って、海未はクラスメイトの中に飲み込まれていった。

 ドアの向こうでは人が揉みあう音が聴こてくる。いすが倒された音だろうか。机が倒れた音だろうか。ガタガタと音を立てるドアは、いつか開いて廊下に逃げた自分たちを追って来るだろう。

 

「海未ちゃん……」

 

「行こう、ことりちゃん」

 

「でも海未ちゃんが──」

 

 

 

 ──ことりの言葉を遮るように、教室のドアの開く音が聞こえてきた。

 

 

 目の前の教室からではない。

 隣の、もうひとつのクラスのドアだ。

 二年生は、二クラスあるのだ。

 

「逃げるよことりちゃん!!」

 

 まだ中から人は出てきていない。

 だけどわかる。()()()()()()()()()()()

 なぜだかわからない。

 理由は不明。原因不明。

 とにかく、この場から逃げなくてはいけない衝動に駆られるのだった。

 

 

 




第11話のサブタイトル結構気に入ってます。

第二章へ続く……。


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第二章:マリオネットの生徒たち

 お待たせしました。
 第11話・第二章になります。 


[2]

 

 

 穂乃果はことりの手を掴んで走り出した。立ち止まっているわけにはいかない。背中にゾワっとした感覚がある。スマートフォンのものと思われる着信音が聞こえる。

 間違いなく、教室から出てきた生徒たちが穂乃果の方を見ている。

 逃げなければ。なんとして逃げなければ、海未が自分を犠牲にして助けてくれた意味がなくなってしまう。

 だが、どこへ逃げればいい? 

 逃げた先で何をすれば助かる?

 この異常事態の解決策などあるのだろうか?

 

(──ある! 奉次郎さんならきっと……!)

 

 答えは『ある』だ。

 以前、自分の〝怪異〟を解決してくれた(さかき)奉次郎(ほうじろう)ならば、この〝怪異〟と言える現象を解決できるだろう。

 それに最近、雪穂も〝怪異〟と表現できる事件に巻き込まれたらしい。結末は知らないが、その相談相手として奉次郎の元を訪れていたことは知っている。

 ならば、今回もきっと奉次郎が解決策を見出してくれる──見出してくれると、無理矢理にでも信じるしかない。そうしないと恐怖で足が止まってしまいそうだ。

 

「ことりちゃん! 奉次郎さんのところに行こう! きっと奉次郎さんならなんとかしてくれるはずだから!」

 

「うん!」

 

 奉次郎のところに行くには、まずは学校から脱出しなくてはいけない。そして、ここから奉次郎がいるであろう場所──おそらくこの時間帯なら神田明神にいるはずだ──へ向かう。

 辿り着くべき目的地ははっきりとした。ならあとは、そこに向かって進むだけ。

 二年生の教室は音ノ木坂学院の三階に位置する。まずは階段を使って一階まで降りる必要がある。急いで階段を下ることは、転倒する恐れがあるが、穂乃果たちはスクールアイドルとして日々体を鍛えているのだ。そう簡単に転倒することはない。

 しかし、

 

「電話!」

 

「わっ!?」

 

 二階の廊下から飛び出してきた三年生によって阻まれてしまう。

 茶髪のロングヘアーの先輩が、穂乃果たちの前に立ち塞がる。

 

「電話よ……電話。ほら、あなたたちを呼んでる」

 

 虚ろな瞳の先輩は、着信音が鳴るスマホを手に迫ってくる。その横を抜けて、一階を目指そうとする穂乃果だが、

 

「だーめ」

 

「きゃっ!」

 

「ことりちゃん!」

 

 現れたもう一人の先輩によって、ことりは羽交い締めにされてしまった。

 

「ほぅらぁ、電話」

 

 ことりを羽交い締めにした先輩は、蜜のような甘い声で囁き、自分が持っているスマホをことりの耳に押し当てた。

 

「穂乃果、ちゃん……」

 

 涙を浮かべて、穂乃果に助けを求めることりだが、すでにスマホは押し当てられてしまっている。

 次の瞬間、糸が切れた人形のようにことりの体から力が抜けていった。

 

「ことり、ちゃん……?」

 

 だらん、と肩の力が抜けたことりは、先輩から解放されると、虚ろな瞳で穂乃果を捉えた。

 

「──っ⁉︎」

 

 背筋が凍る。

 虚ろな瞳は、まるで底のない真っ黒な穴のようだ。飲み込まれそう……。そんな錯覚をしてしまうほど、真っ黒で恐ろしい瞳。親友のはずなのに、知らない誰かが成り代わっているよう。

 目の前の人物は、本当に南ことりなのだろうか? そんなことを考えてしまう。

 

「ほら、あなたも」

 

「あっ!」

 

 一瞬の油断を突かれ、茶髪の先輩が持つスマホが穂乃果の耳に押し当てられる。

 

「あっ、あっ、あ」

 

 ノイズのような音が、鼓膜から脳に向かって這いずるような感覚に襲われる。

 とてつもなく気持ち悪い。吐き気が、寒気が、意識をかき混ぜられると言う未知の感覚が、穂乃果を襲う。

 

 

 

 しかし、突如、ポケットの赤い輝石が輝きを放ち、ノイズから穂乃果を開放する。

 

 

 

「──え? 今のは……?」

 

 ノイズが聞こえなくなり、意識の自由が戻る。

 

「……あれ?」

 

 茶髪先輩が首を傾げる。スマホを押し当てたのに、穂乃果の様子が変化していないことを不思議に思っているようだ。

 

「なら、もう一度」

 

 しかしすぐに次に行動に出た。先ほどことりを羽交い締めにした先輩が穂乃果の背後を取り、茶髪先輩はことりを加わえたふたりで穂乃果の両耳にスマホを押し当ててくる。

 逃げようと体を動かすが、後ろの先輩の力が強く逃げることができない。

 徐々にスマホが穂乃果の耳に迫る中、

 

「そこまでや!」

 

 茶髪先輩とことりの背後から聞こえてきた声。その声に一瞬気を取られた茶髪先輩とことりは、頭を何かで叩かれると気を失ったように倒れた。

 倒れるふたりを支えるもうひとつの影。揺れるブロンドヘアーの影の正体は、生徒会長、絢瀬(あやせ )絵里(え り )

 と言うことは、もうひとつの影も自ずと正体がわかってくる。

 

「おねんねやで」

 

 穂乃果を羽交い締めしていた先輩も、その声の主によって無力化され、力なく倒れた。

 

(のぞみ)先輩! 絵里先輩!」

 

 穂乃果は自分を助けてくれた先輩の名を呼んだ。

 ゆっくりと茶髪先輩とことりを寝かせた絵里は、立ち上がると少し驚いた様子で穂乃果を見る。

 

「穂乃果はなんとも何の?」

 

「はい」

 

「そう。なら逃げるわよ! 走って!」

 

「ええ⁉︎」

 

 急いだ様子で穂乃果の手を取る絵里。そのまま、絵里に引っ張られる形で走り出す。

 なぜそんな行動に出たのか。

 理由は明白。穂乃果を追って三階から二年生の生徒たちがやって来たのだ。絵里の判断が遅ければ、あそこで捕まっていた。

 冷や汗をかきつつ、絵里に引っ張られて廊下を走る。

 その後ろを無言で追いかけてくる同級生たち。着信音を鳴り響かせながら、無言で追ってくるその姿には恐怖しか感じない。まるで一種のホラー映画のシーンだ。

 

「どこまで追ってくるのよ!」

 

「ウチらを捕まえるまでずっとやろうな」

 

「希なんとかできない⁉︎」

 

「あの数は無理や。とにかく、逃げ切るにはどこか空き教室に入った方がええと思う」

 

「そうね!」

 

 ぐるりと、階段を中心に一周して戻ってきた三人は、階段を一気に駆け降り一階に到着。すぐに空いている教室へと飛び込んだ。

 鍵をかけて、外から見つからないように息を潜める。本当だったらドアの前に物を置くのがよくある展開なのだが、スライド式のドアの前に物を置いてもあまり意味はないだろう。

 しばらく経ってから、

 

「……気づかれてはいない、ようね」

 

 と、絵里が言った。

 ドアの向こうから感じる静けさから、撒くことに成功したと判断したのだろう。

 絵里のひと言にその場の全員が息を吐いた。

 

「それにしても、穂乃果は本当に大丈夫なの? スマートフォンを耳に当てられたのが見えたけど」

 

 と、絵里が改めて疑問に思っていたことを訊いてきた。

 

「はい……なんともないです」

 

「そう。なんでかしら……」

 

「理由はエリチと同じや」

 

 と、希が答えた。

 絵里は希の言葉に思う当たるものがあるのか、再度驚いた様子で問いかける。

 

「え? 同じって、穂乃果も持ってるの?」

 

「持ってる……?」

 

「これのことよ」

 

 絵里はリボンを外すと、ブラウスの第一ボタンを外し、その下に隠れている青い輝石を取り出した。

 黒い紐に繋がれている、海のように深い青色をした輝石。それを見た時、穂乃果のポケットにある赤い輝石からほんのり暖かみを感じた。

 取り出してみれば、ほんの少し輝いているように見える。

 

「穂乃果のは赤いのね。希が言うにはこれのおかげで、スマートフォンを耳に当てられても正気でいられるみたいなの」

 

「これのおかげ……」

 

 そう言えば、今朝ヒデコから電話を受けた時も、同じようなことがあった。初めてウルトラマンギンガの戦いを目撃した時も、この輝石が光を放って怪獣の攻撃から守ってくれたことがある。

 もしかしたらこれは、そういったお守りなのかもしれない。

 

「とにかく、一旦状況の整理をしよか」

 

 と、希が提案をした。

 三人は今の状況を整理するため、お互いの状況を確認し合う。

 どうやら、絵里たち三年生も、教室に入った時クラスメイト全員の様子がおかしかったらしい。いつもであれば他愛のない話しているはずの子が、席に着いて静かにしている。穂乃果たちと同じだ。

 そして、誰かのスマートフォンが着信音を鳴り出すのと同時に、襲いかかってきた。

 

「私たちも同じです。朝電話をかけてきた友人に、そのことを訊こうとしたら、電話を向けてきて」

 

「その後、クラスメイト全員が襲いかかってきた」

 

「はい。それで、私とことりちゃんを逃すために海未ちゃんが……」

 

「そう……私たちの方も自分たちの教室を抜け出した後、にこのところに行ったんだけれど、遅かったわ。今はことりたちと同じように気を失ってる。けど希、起きてくるってことはないのかしら?」

 

「それはわからんな。もし他の誰かがまたスマホを耳に押し当てたら復活するかもしれへん。いまウチがやってるのは、一時的な無力化でしかないから」

 

 そう言って、手に持つ半透明な水色の短剣のようなアイテム、ギンガライトスパークを撫でる希。これは以前、“異形の海”に攫われた絵里を救出するために、にこから借りたもの。返さずにそのまま希が持っていたのだが、これによってにこがやられてしまったことを考えると、少しだけ申し訳なく思えてくる。

 

「それのおかげで、絵里先輩たちは無事だったんですか?」

 

「ええそうよ。それで生徒たちを無力化して、穂乃果たちを助けに行こうとしていたことろだったの」

 

「これで軽く叩けば、叩かれた人は気を失ったように倒れる。一見物騒に見えるけど、イメージとしては憑き物を祓う感じやな」

 

 希が持つ〝ギンガライトスパーク〟は、一条リヒトが持つギンガスパークのダミースパークであり、性能は劣っているが、同じく光の力を宿している。そのため、闇を打ち払うことができるのだ。そのおかげで、様子がおかしくなってしまった生徒たちを無力化でき、ここまで逃げ切れている。

 

「……希先輩って何者なんですか? ギンガさんのことを知っていたようでしたし、私の時も」

 

「そうやね。巫女さんのバイトをしてるから、そのおかげかもね」

 

「はぐらかさないでくださいよ」

 

「ふふっ。女の子はミステリアスな方がええんよ」

 

 そして、これは同時に生徒たちがおかしくなった原因が『闇』であることを意味していた。

 あの〝異形の海〟での戦いで、闇の刺客であった『ローブ男』は消滅したはず。それならば、今回の騒動を引き起こした闇の刺客はローブ男とは別の者の仕業? それともローブ男が生きているのか。

 いずれにせよ、闇との戦いは終わっていなかったということだ。

 そして同時に、闇が動いているということは、リヒトも気づいているはず。

 大丈夫。リヒトが気づいるなら、きっとどうにかなる。

 

「真姫ちゃんたちは大丈夫かな」

 

 ぽつりと、穂乃果が言った。

 

「……どうやろ。一クラスしかない分、逃げやすいのかもしれへんし、あっさりやられてるかもしれへんし」

 

「……私たち、三クラスあるのによく逃げ切れてるわね」

 

「言われてみればそうやね」

 

 と、少し茶目っ気にウィンクする希。少しでもこの場の空気を明るくしようとしたのだが、あまり手応えはよくなかった。

 

「それで、これからどうするか考えましょう。いつまでもここに立てこもってるわけにはいかないでしょうし」

 

 仕切り直すように絵里が言った。

 

「そうやねー。ここにいるのが安全なんだろうけど、〝絶対に安全〟とは言い切れ──」

 

 ──ない、と希が続けようとした時、誰かのスマートフォンの着信音がそれを遮る。

 三人の表情が瞬時に強張った。

 

「なんで!? マナーモードにしたはずなのに!」

 

 音の発生源であるスマホの持ち主、穂乃果は驚き声とともにスマホを取り出した。

 

「穂乃果! 絶対でちゃダメ! いますぐ切るのよ!」

 

「はい!」

 

 すぐに通話終了ボタンをタップする。

 しかし、再び着信音がなり始める。

 

「電源を切るんや!」

 

 希の言葉にハッとして、穂乃果は電源を切った。これなら電話はかかってこない。

 ──そう思っていたのに、

 

「嘘っ!? 電源を切ってるのに!?」

 

 電源を切ったはずのスマートフォンの画面は光を灯し、着信を鳴り響かせる。

 そして、もう一度電源を切ろうとボタンを長押しし、『電源を切る』をタップしようとした時、

 

「──!?」

 

 突然視界が真っ白になった。

 でもそれは一瞬。次の瞬間にはノイズを聞いた時と同じ感覚──意識をかき混ぜられる感覚に襲われた。

 

「──あぐっ!」

 

 呼吸が止まる。

 体が酸素を求め始める。

 視界がぐるぐると周り、やがてポケットの赤い輝石が輝くとそれは治った。

 

「穂乃果!」

 

「穂乃果ちゃん大丈夫!」

 

「は、はい……大丈夫、です……」

 

 膝から崩れ落ちる穂乃果に駆け寄る絵里と希。

 呼吸を整えながら、穂乃果は床に落ちたスマートフォンに視線を向ける。手放したスマートフォンは、偶然、液晶画面が下になるように落ちている。

 

「なんで……電源、切ったはずなのに……」

 

「それだけやない。穂乃果ちゃんはスマホを耳に当てていなかったのに、何かに襲われた。違う?」

 

「はい……画面を見た瞬間目の前が真っ白になって、スマホを耳に当てられた時と同じ感覚に襲われました」

 

「どういうこと……? 電話に出なければ安全じゃなかったの?」

 

 絵里の言う通り、これまで様子がおかしくなった生徒たちは、みんな着信音が鳴り響くスマートフォンを耳に当てることでおかしくなっていった。

 実際、絵里は自分のクラスメイトがこの方法でおかしくなっていくのを目にしているし、絵里も耳にスマホを当てられた時意識がかき混ぜられる感覚に襲われたのだ。

 それなのに、穂乃果は画面を見ただけでその感覚に襲われたと言った。

 

「……まさか、画面を見たのが原因?」

 

 と、希が言った。

 

「え……? 希、どう言うことよ」

 

「最悪や。とんでもなく最悪なことになった!」

 

「希! 何がわかったの⁉︎」

 

 やがて希は、苦虫を噛み潰した表情のまま、重々しく語り始める。

 

「……みんなをおかしくしている原因の『ナニカ』は、電話に出ること、正確にはスマホを耳に当てることをトリガーにみんなをおかしくしていた。けど、それは電話に出ないことで防がれてしまう。だから別のやり方を見つける必要があった。原理はわからないけど、()()()()()だけでスマホを耳に当てられた時と同じことができるようになったんや。こうなると、スマホの画面を向けられた瞬間、こっちはアウトになる」

 

「そんな……。でも、私と穂乃果はこの輝石のおかげで平気なんでしょ?」

 

「一時的には、やろね。もし耳にスマホを当て続けられたり、画面をずっと向けられたらどうなるかは、わからんよ」

 

 重い空気が広がり始める。

 そして、それを引き裂くかのようにドアが揺れる。

 ガタン、ガタンと、鍵がかかっているドアを無理矢理開けようとしている。壊れるのではないかと思えるほどの乱暴さでドアが揺れる。

 

「気づかれた!?」

 

「さっきの着信音が原因やな」

 

「ごめんなさい! 私のせいで」

 

「謝ってる暇なんてないで。この調子だと、ドアが壊されるのも時間の問題。それまでに逃げないと」

 

「幸いここは一階。窓から逃げましょう」

 

 絵里の提案にふたりは頷いた。

 一階程度の高さなど、あるようでないようなものだ。

 窓を開けて三人は順番に外へ出る。

 

「私、奉次郎さんのところ行こうと思ってたんです! 奉次郎さんならなんとかしてくれると思って!」

 

 思い出したかのように穂乃果が言った。そして、ひとり正門へとむかう。

 

「穂乃果!」

 

「ひとりになるのは危険や!」

 

 穂乃果の後を追うふたり。

 正門までは誰の邪魔も入ることなく辿り着くことができた。

 しかし、ゴツンと、透明な壁に阻まれる。

 

「ええ!? 何で!?」

 

 おでこを押さえながら、穂乃果は声をあげた。

 駆けつけてきた絵里が、そっと掌を前に出す。絵里の手には、壁のような物に触れてた感触が返ってくる。

 透明な壁がそこにある。

 

「もしかして、私たち閉じ込められてる!?」

 

「……みたいやね」

 

 絵里の言葉を希が肯定する。

 希が見ているのは空。穂乃果と絵里も釣られて空を見上げる。そこには、いつもの青空とは異なる、異様な色をした空が広がっていた。

 赤黒く不気味な色をした空。よくみれば地面も紫色に変色している。

 そこは、穂乃果たちがファーストライブをしたあの日に巻き込まれた、闇属性の異空間。

 これによって、完全に隔離されたことになる。

 

「そんな……」

 

 絶望の表情を浮かべる穂乃果。

 これでは奉次郎の元に行くことができない。いや、それよりももっと事態は最悪なことだと判明した。

 間違いなく、学校の敷地内に閉じ込められたと考えられる。逃げられる範囲が限定され、校舎内には様子がおかしくなった生徒たち。これでは、どこに逃げたとしても、捕まるのは時間の問題。

 

「……とにかく、どこかに隠れましょう。ここにいたら目立つわ」

 

「そうやね」

 

「…………」

 

「大丈夫やで、穂乃果ちゃん」

 

 不安で言葉を無くした穂乃果に向けて、希はそう言った。

 

「……え?」

 

「こういう時、遅れても必ず駆けつけてくれる。それがヒーローやから」

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 実のところ、一年生組の中で唯一、西木野真姫だけが生き残っていた。いや、この場合は生き残ってしまったとも言える。

 教室に到着した真姫は、様子のおかしいクラスメイトに不信感を抱いた。その異変に真っ先に気づけたのは、真姫が優れた聴力を持っていたおかげだったのかもしれない。スマホから鳴る着信音から感じた、絶対に聞いてはいけないという予感。それに従い、いち早く教室から飛び出したのだ。

 もちろん、花陽と凛にも忠告はした。しかし、花陽が捕まってしまったため、助けるために凛は教室に戻り、結局真姫だけが屋上にたどり着いた。

 

「……なにが、どうなってんのよ……」

 

 空も変色している。そんな状況を理解する術が真姫にはない。もし下の階に逃げていれば、希たちと合流できて状況を理解できかもしれない。

 しかし、一年生のクラスは四階にある。それに、咄嗟に向かった階段が屋上へつながるところだったのだ。仕方ないと言えば仕方ない。そう自分に言い聞かせるしかない。

 だが、この選択は明らかに失敗だった。屋上となると、逃げ場などほとんどない。おまけにドアを押さえつけるものなどないため、誰かに簡単に開けられてしまう。

 

「誰か……助けて……」

 

 状況がわからない。

 何が起こっているのかわからない。

 それが、一番怖い。

 誰か、この状況を説明できる人がきてほしい。切にそう願う真姫だが、不意に屋上の扉が開く。

 

「!?」

 

 慌てて隠れる。扉の反対側に身を潜めたため、真姫からも誰が何人来たのかわからない。

 

「…………」

 

 とにかく、息を潜めて待つしかない。こっちに近寄る気配があれば、反対側に逃げる。

 その駆け引きで生き残るしかない。

 そっと、真姫は手に持つ鞄から〝ギンガライトスパーク〟を取り出す。以前、リヒトからお守りとして受け取ったギンガライトスパーク。

 もちろん、真姫はそれがどういったものか知らない。だから、取り出したのは本当に偶然。

 あとは、もうひとつ偶然を起こし、それで様子のおかしくなった生徒たちを無力化できるということを知ることさえできればいい。

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

 静かに、息を潜める真姫。

 気配が、近づいてきた。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 学校の敷地内を移動する穂乃果、希、絵里の三人は、身を隠しながら移動をしていた。

 

「……おかしい」

 

 と、絵里が言った。

 

「どうしたんですか?」

 

「外に全く人気がないなんて、おかしいと思わない?」

 

「言われてみれば……」

 

 絵里の言う通り、いくら音ノ木坂学院が廃校の危機に瀕しているとはいえ、各学年合わせて六クラス。それに教員の人数を合わせれば、そこそこの人数になる。それなのに、ここまで全く遭遇しないのはおかしい。

 

「どこかで待ち伏せている……とかですか?」

 

「ありえるわね……希、何かわからない?」

 

「えらく頼りにされてるんだけど、ウチがなんでも知ってるわけじゃないかね?」

 

「……そうね。ちょっと希に頼りすぎてたかも」

 

 このメンバーの中で一番『知っている』人物は希なのだ。『知らない』側からしてみれば、『知っている』人間の存在は知りたい答えを知っている。だから、つい頼ってしまう。

 本当は知っているのではないだろうか? この状況が一体なんなのか。解決策はあるのか。

 

「……本当に、何が──」

 

 バリン! と、どこかの窓ガラスが割れたような音がした。

 えっ、と誰もがその音がした方へ視線を向ける。

 

 

 ──果たして、そこには数十人の生徒がいた。

 

 

「見つけた」「電話」「あなたたちに電話よ」「ほら出て」「大丈夫。すごく楽しいから」「電話だよ」「電話よ」「出て」「おいで」「怪しくないから」「ほら──電話が鳴ってる」

 

「────っ!!」

 

 すぐに走り出す。

 振り返ってはいけない。電話だけでなく、画面を向けられた瞬間アウトなのだ。

 見てはいけない。

 自分たちにできることは、ただ逃げるだけ。

 この事態を解決してくれる、光が来るまで。

 

「電話よ」

 

 その声は()()()()()()()()()()()()

 規則正しい足の音。

 

(まさか、陸上部!)

 

 陸上部の生徒、中でも短距離を種目としている生徒がいたら、まず足で勝つことはできない。

 捕まるのは、時間の問題。

 そして、希の予想が正しかったと証明するかのように、肩に手が置かれた。

 

「──!!」

 

 呼吸が、止まった。

 心臓を掴まれたような、全てが止まるような感覚。

 大丈夫。焦るな。ギンガライトスパークで叩けば、まだなんとかなる。だから、この右手を動かせ。

 

「──あ」

 

 誰かに抱きつかれた。

 そのまま、重力に従って転倒。

 耳に、何かが当てられる。

 意識がかき混ぜられる。

 その前に、ギンガライトスパークで自分の頭を叩け。そうしなければやられる。

 

 

 だが、右手を誰かに押さえつけられた。

 

 

「──っ!?」

 

 対策手段が封じられた。

 それにより一気に恐怖が駆け上がってくる。

 横目で確認できた。自分にのしかかってくる人数は三人。どう足掻いても、自分一人でどうにかできる人数ではない。

 

「希!」

 

「希先輩!」

 

 ふたりが名を呼ぶ。

 

「──逃げて!」

 

 そう叫ぶしかない。

 そして、耳と目の前にスマホを突き出されて──、

 

 

 

 天より飛来した青い光が、希にのしかかった少女を無力化した。

 

 

 

「──え」

 

 眩い輝きを放ちながら現れたのは、ウルトラマンギンガだった。しかし、いつもの六十メートル越えの巨人ではなく、170センチほどの人間サイズだ。

 差し出されたギンガの手を取り立ち上がる希。

 その横に、もうひとつの影があった。

 

「希ちゃん、大丈夫か?」

 

「奉次郎……さん?」

 

 ギンガと一緒に現れたのは榊奉次郎。音ノ木町ではちょっとした有名人であり、『ティガ伝説』の古文書を継承している『榊家』の人間。

 そして〝怪異〟に対抗できる人間。

 

「ええ!? ギンガさんに奉次郎さん!? どうしてここに……」

 

「何、ギンガに案内されたんじゃよ。今回は自分一人では難しそうじゃからって」

 

「そうなんですか……」

 

 驚きを隠せない穂乃果の視線は、自然とギンガへ向けられる。いつも、何十メートルといった巨人の姿でしか見たことのないウルトラマンギンガが、自分たちと変わらない人間サイズでいる。

 この、なんとも言えない新鮮味に穂乃果は驚きと戸惑いを感じていた。

 ギンガはクリスタルを緑色に変化させる。それは、ギンガの持つ浄化技──〝ギンガコンフォート〟を放つ際の色だ。

 ギンガコンフォートの光で、こちらに向かってきていた数十人の生徒を無力化させる。

 すると、ギンガは視線を上に向けた。誰かの悲鳴が聞こえたのだ。

 ギンガは一度奉次郎の方を見る。まるで、ここを任せたいと言っているようだった。

 

「うむ。任せるのじゃ」

 

 奉次郎の返答を聞いたギンガは、音ノ木坂学院の屋上に向かって飛んでいく。

 屋上では、今まさにスマホを向けられている真姫の姿があったのだ。

 

「え?」

 

 ギンガの姿に真姫は驚きの声をあげる。

 ギンガは同じくギンガコンフォートで真姫を襲っていた生徒たちを眠らせると、真姫を自分の方へ抱き寄せた。

 へ、と真姫の口から変な声が漏れる。

 抵抗などする暇はなかった。ギンガは真姫を抱き寄せるとすぐに飛び立ち、地上で待つ穂乃果たちの元へ真姫を連れてきたのだ。

 

「真姫ちゃん! 無事だったんだ!」

 

「高坂先輩、それに生徒会長も……」

 

「真姫、無事だったのね」

 

「他の子達は?」

 

 希の質問に、真姫は視線を伏せた。

 それが答えだった。

 

「……そっか。それじゃあ無事なのはウチらだけってこと」

 

「……はい」

 

 と、真姫は答えた。

 重い空気が流れる中、空から雷が落ちた。全員の視線がそちらに向く。

 雷の落ちた場所には、一体の怪獣がいた。

 

「あれって……」

 

 その姿に、穂乃果は既視感を感じる。

 複数の眼を持つ顔と、腹部だけでなく襟巻きにも顔を備えた異形の怪物。

 その名は〝クインメザード〟。以前、穂乃果が初めてウルトラマンギンガの戦いを見た時に現れた怪獣、サイコメザードの進化系だ。

 クインンメザードは、複数の眼でこちらを、正確にはギンガを見据える。

 ギンガは一歩前に出ると、全身を輝かせた。その光はどんどん巨大になっていき、六十メートルを越え、巨人となる。

 巨人となったギンガを威嚇するクインメザード。

 

『……お前、前に一度倒したはず……パワーアップってやつか?』

 

 インナースペースに立つリヒトは、以前戦ったサイコメザードと目の前の怪物の姿が異なっていることにそんな感想を抱いた。

 視線を凝らして見てみると、インナースペースはみられない。つまり、あの時と同じように怪獣自身が相手となる。

 クインメザードは雄叫びを上げ、ギンガを睨む。その目には強い復讐の色があった。

 

『なるほど……リベンジってわけか。だけど悪いな。今回も俺が勝つぜ』

 

 ギンガスパークを構えるリヒト。

 両者は睨み合う。

 戦いの火蓋は、切って落とされた。

 




 今の時代にもしメザードの話が描かれたら、どんな感じになるのか。
 ガイア放送時は携帯電話だったものが今はスマートフォン。誰でも持っているこの時代で、もしメザードが暴れたら、とんでもないことになりそう。
 そんなことを考えながら思いついたのが、『画面を見ただけでアウト』という展開でした。他にも色々描こうと思いましたが、長くなりそうなのでやめました。

 それでは、次回第三章あたりで決着ですかね。


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第三章:ギンガVSクインメザード

お待たせしました。
納得のいく形にならず書いては消してを繰り返してたら年を越してしまいました。
2021年もよろしくお願いします。

それでは、第11話・第三章、どうぞ。


[3]

 

 超空間波動怪獣クインメザード。

 それが、ウルトラマンギンガの前に立つ怪獣の名だ。以前戦ったサイコメザードと似た姿をしているが、異なる点もある。黄色い複眼を持つ頭部と鞭のような両腕。腹部だけでなく、背中の襟巻きにも人面が浮かんでおり、さらに触手が四本生えている。

 その姿は、以前よりも増して悍ましい。

 襟巻きの人面は、まるで激しい怒りと憎しみを宿したような表情を形成している。ウルトラマンギンガへの復讐を果たすために辿り着いた最後の姿と言えるだろう。

 

 クインメザードは奇声を上げ、触手から雷撃を放つ。

 雷撃はギンガに直撃し、火花を散らす。膝をつくギンガ。

 そこへ、追撃の雷が放たれる。

 ギンガは右手を前に突き出し、バリアを展開。雷は銀河系のようなバリアによって無力化された。

 雷撃を防いだギンガは駆け出す。

 迎撃のため、クインメザードは両腕を振るう。それらを弾き、距離を詰めたギンガは腹部の顔目掛けてパンチを放つ。二撃目のパンチ、ミドルキック、回転の勢いを利用した裏拳など、怒涛の攻撃を繰り出していくギンガ。

 怯むクインメザード。

 頭部を掴み、押さえつけるギンガだったが、反撃に出たクインメザードによって振り解かれる。仰反るような形になり、無防備となった胸部にクインメザードの頭部が叩きつけられる。怯んだところに、鞭状の両腕が振われた。

 三撃目。胸から火花が上がり、後ろへ吹っ飛ぶ。仰向けに倒れたギンガは、体を起こそうとしたところで、伸びてきた鞭状の腕が首に絡みついた。

 

「──ぁっ!」

 

 ダメージフィードバックにより、インナースペースにいるリヒトの首が閉まる。呼吸を封じられ、酸素が失われていく。

 首に絡みついている鞭状の腕を解こうと、両腕で掴むが、鞭状の腕が振り抜かれギンガの体が宙を舞う。

 そしてやってくる、地面との激闘。

 ただでさえ補給することができない酸素が、リヒトの体から吐き出される。

 体から酸素がなくなっていき、次第に力が入らなくなっていく。踏ん張る力がなくなれば、クインメザードの振るう腕に流され続けるしかない。

 鞭のようにしなる腕。上下に激しく唸った。仰反るように背中から地面へと倒れるギンガ。

 

「ギンガさん!」

 

 戦いを観戦していた穂乃果から悲鳴が上がる。

 

「そっちを気にしとる暇はないぞ!」

 

 奉次郎からの叱咤。

 ハッとして視線を向ければ、新たな影が校舎から出てくるのが見えた。

 

「逃げるのじゃ!」

 

「この時間なら別棟や特別棟には人が少ないはずよ! そこに逃げましょう!」

 

 生徒会長として、学校のことを把握している絵里が逃げる先を提案する。時間帯を考えれば、ほとんどの生徒が各学年の教室にいた。だから、別棟や特別棟など、本校舎以外には生徒がいないと考えられるのだ。

 

「三分じゃ! 三分逃げ切ればワシらの勝ちになる! それまで身を隠すぞ!」

 

 三分。それは、リヒトがウルトラマンギンガに変身(ウルトライブ)していられる時間(タイムリミット)。どんなことがあろうと、この時間以上変身していることはない。リヒトの生命に危険が及ぶからだ。

 だから、決着は三分以内に決まる。

 戦況から考えるに、苦戦を強いられている。決着は三分ギリギリに着くだろう。そうなると、最大時間の三分間逃げ切ることが必要だ。

 だが、

 

「待って!」

 

 真姫が叫んだ。 

 なぜ止めるような言葉を発したのか。全員の視線が真姫へと向かう。

 

「どうしたの? 真姫」

 

 絵里が問い返す。

 

「追ってこない……追ってこないんです。私たちの方に来てない!」

 

 真姫の言う通り、校舎から出てきた新たな人影はこちらには来なかった。奉次郎たちの方など見向きもせず、反対方向へと足を進める。

 彼女たちが向かう先にあるのは、怪獣とウルトラマン。

 

「──まさか!」

 

 奉次郎の脳裏に嫌な予感が走った。

 それを裏付けるかのように、続々と生徒たちがギンガとクインメザードの方へと向かって歩いて行く。

 予測される最悪の展開。

 それは、阻止しなくてはいけない展開だ。

 

「希ちゃん! それをこっちに!」

 

「え? は、はい!」

 

 奉次郎は希からギンガライトスパークを受け取ると、持ってきていた錫杖の先端にくくりつける。

 駆け出した奉次郎の背中に向けて、疑問の叫び声が発せられる。しかしそれに答えている暇はない。奉次郎の考えが正しければ、ここでこの生徒たちを無力化しなければ、ギンガの敗北が決定してしまう。それほどの決定的な手が、今打たれようとしているだ。

 生徒たちの群れまで、残り数メートル。錫杖のリーチを考えれば、十分に足りる距離。

 

「──っ!」

 

 ひとりの生徒の背中が射程距離に入った。

 その瞬間、奉次郎の右腕が突き出された。錫杖の先端に括り付けられたギンガライトスパークが、生徒の背中に触れる。ギンガライトスパークの効力が作用し、力を失ったかのように倒れる生。その背中を受け止めるが、今ので奉次郎の存在に気づいた周りの生徒たちが、一斉に奉次郎に向けてスマートフォンを突き出す。それがトリガーなのだと、直感でわかった。突き出された手を弾き──、

 

「奉次郎さん! 画面も見ちゃダメ!! 見たらアウトです!!」

 

「──ぬ!?」

 

 背後から聞こえた穂乃果の声に、奉次郎は咄嗟に視線を腕の中にいる生徒に向けた。

 ギリギリ、画面から視線を外すことに成功。意識ははっきりとしている。

 錫杖を操り、迫り来る生徒たちを牽制。腕の中の生徒を地面に下ろす。バックステップで距離を空けようとするが、すでに次の生徒がスマホをこちらに突き出していた。

 

「──っ」

 

 錫杖はリーチがあるが、その反面距離を詰められると不利になる。 

 空いた左手で突き出された手を弾くが、手数では向こうの方が上。すぐに追い詰めれてしまう。

 

「奉次郎さん!」

 

 絵里の声。真姫からギンガライトスパークを預かった絵里が、援護のために飛び込んできたのだ。

 しかし、声を発したことで何人かの生徒の注目が絵里に集まる。

 スマホの画面が突き出される。視界の端でそれを捉えた奉次郎も、後ろにいる真姫も、ハッとなるが絵里は冷や汗をかきつつもそれを防ごうとはしなかった。

 画面の光が視界を埋め尽くす。

 今朝感じた、意識を貝混ぜられる感覚が絵里を襲う。

 だが次の瞬間、胸元の青き輝石が輝き、絵里を闇の魔の手から解放する。

 

「──っは!」

 

 息を吐き、意識がはっきりとしたことを確認すると、その場にいる生徒全員に向けてギンガライトスパークを振るう。

 次々と倒れていく生徒たち。ひとまず、奉次郎の方に向かってきた生徒たち全員の無力化に成功した。

 

「絵里ちゃん? どう言うことじゃ」

 

「私、これのおかげで防げるんです」

 

 胸元の青い輝石を示しながら絵里は答える。

 それを見た奉次郎はなるほど、と納得の表情を浮かべた。

 

「それで奉次郎さん、どうしてみんなの中に飛び込んだんですか?」

 

「おそらく奴は、操った生徒たちを人質にしようと──」

 

 そこへ、クインメザードの悲鳴が響く。

 視線を向けてみると、鞭状の腕を地面に叩きつけるクインメザードの姿があった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 鞭状の両腕によって首を絞められている。そこへ撃ち落とされる雷撃。闇の異空間故、その威力は絶大。

 たまらず膝をつく。

 嘲笑うクインメザード。

 これ以上、奴のペースのまま行けば敗北が確定してしまう。

 状況を打破するために、首を絞められる中、ギンガは右拳を握り込む。クリスタルを白色に輝き、右腕のクリスタルから光の剣──〝ギンガセイバー〟が出現する。

 輝く剣で、首に絡みつく鞭状の腕を切り裂いた。

 

「──!!??!?」

 

 悲鳴を上げるクインメザード。

 解放されたギンガは首を摩り、インナスペースにいるリヒトは酸素を求めて呼吸を繰り返した。

 怒りに震えるクインメザードは、再び雷撃を放とうと鞭を振るう。雷撃がギンガに降り注ぐ。

 回避は間に合わない。ならばその一撃を耐えるしかない。

 雷撃を耐え抜き、ギンガセイバーを地面へと突き刺す。エネルギーを注ぎ込み、砂塵とともに衝撃波がクインメザードへと向かう。砂塵の中へ消えていくクインメザード。

 しかしここは闇に有利な異空間。闇の力に覆われている地面を伝っての攻撃は、それほどのダメージにはならない。

 では、一体何のための攻撃か。砂塵が晴れると、そこにギンガの姿はなかった。

 

 

 ──気配は上。

 

 

 見上げると、クリスタルを赤色に輝かせたギンガの姿がそこにあった。その周辺には、炎に包まれた隕石。

 

「ギンガファイヤーボール!!」

 

 降り注ぐ炎の隕石。爆発に飲み込まれていくクインメザード。ギンガセイバーによる攻撃を囮に、必殺の一撃を叩き込んだのだ。

 着地したギンガは、手応えを感じながら、しかしその目線を外すことはしなかった。

 爆炎の中から姿を現すクインメザード。

 

「……やっぱりここじゃそんなに効かないか。でも、のダメージってわけじゃないよな」

 

 必殺技を受けたにもかかわらず、クインメザードはそこに佇んでいた。しかし『ギンガファイヤーボール』はギンガの持つ必殺技のひとつ。いくら闇に有利な異空間とはいえ、ノーダメージで済むはずがない。

 ギンガは改めてファイティングポーズを取り、クインメザードを観察する。次に取る行動、次に行うであろう攻撃、何を考え、こちらの動きをどこまで読んでいるのか、それらすべてを読み取る──突如、クインメザードが声を荒げて、鞭状の両腕を地面に叩きつけた。

 その行動に、ギンガだけでなく奉次郎たちの視線も向けられる。

 叩きつけられた地面からは火柱が上がり、やがてそれは形を成す。

 青黒い体。太い尻尾と鋭利な爪を持つ両手。のっぺらぼうのような頭部と、肩のところには獣のような双頭。

 

「あの怪獣は……!?」

 

 その怪獣を知っている穂乃果が戦慄の声をあげる。

 

「穂乃果、あの怪獣のこと知ってるの?」

 

 と、絵里が訊く。

 

「私たちのファーストライブの日に現れた怪獣です。あの時も、ギンガさんとても苦戦して……」

 

 忘れもしない、穂乃果たちがファーストライブをする日に現れた怪獣。はじめの一歩を壊されそうになり、絶望の淵まで追い込まれた悪夢の根源。

 その名はダークガルベロス。ギンガを敗北寸前まで追い詰めた強敵。あの時は、穂乃果たちの援護があってようやく勝利することができた。

 そんな強敵が、今、目の前に再び現れた。

 クインメザードの戦いで、疲弊したところに。しかも今回は、海未たちからの援護が望めない。前回に比べて圧倒的不利な状況。

 リヒトの頬を一滴の汗が流れ落ちる。

 現れたダークガルベロスは、ギンガを捉えると、雄叫びをあげて走り出した。その速度はとても早い。回避する間も無く、ギンガの体が吹き飛ぶ。

 起き上がろうとするが、脇腹を蹴り飛ばされる。尻尾による追撃が襲いかかり、倒れた背中を踏みつけられる。

 何度も、何度も踏みつけられ、カラータイマーが点滅を始める。

 

「時間が……!?」

 

 希が声をあげた。

 カラータイマーが点滅したと言うことは、ギンガにウルトライブしていられる時間が、残り一分となったということ。

 まさに絶体絶命。

 再び蹴り飛ばされ、転がるギンガ。

 そこへ、クインメザードの雷撃が打ち込まれる。

 

「ギンガさん!!」

 

「ちょっと、これ……かなりまずいんじゃない!?」

 

「ちょっとどころやない! 何とかしないと……!」

 

 前回は、穂乃果の持つ赤き輝石の力を、海未の持つイージスの破片を使い『矢』として放つことでギンガに逆転のチャンスを与えることができた。

 しかし、今のこの場に海未がいない。イージスの破片を持つ海未がいないと言うことは、前回の援護攻撃ができないと言うこと。

 つまり、今この場でできる策が希たちにないと言うことだ。

 何かできないか、と必死に考える希だったが、ふと、視線を感じた。その視線は、クインメザードのもの。

 

「…………っ!?」

 

 ふと、希はあの時の戦いのことを思い出した。神田明神にて、ギンガとクインメザードの前の姿、サイコメザードⅡとの戦い。あの時は、光の異空間だと言うこともあってか、ギンガの圧勝だったが、希が気になったのはそこではない。その戦いで起こったある出来事だ。

 あの時のサイコメザードは、穂乃果の体に取り憑き、心の底にあった仄かな不安を肥大化せた。そして肥大化させた不安を使い、穂乃果を闇に落とそうとしたのだ。結果を言えばギンガによって阻まれ、穂乃果もまた自分の心と向き合いその小さな不安を乗り越えた。

 そしてその時、穂乃果の強い心に反応した赤き輝石の光がサイコメザードに一撃を与えていたのだ。

 

 

 そう、不安を乗り越え、赤き輝石に光を灯した穂乃果がこの場にいる。それを無視するほど、クインメザードは愚かではない。

 

 

「穂乃果ちゃん!!」

 

 クインメザードの視線が穂乃果に向けられている。おそらく、ここで逆転の手を打てるのが穂乃果だと気づいているのだろう。

 スマホによる洗脳も受けていない。間違いなく、敵から見れば排除しなければいけない存在だ。

 

 

 クインメザードが吠える。

 

 

「──っ!?」

 

 ただ吠えただけではない。鼓膜を突き破るのではないかと思えるほどの咆哮。襟巻きにある人面に口はないが、まるでそれも叫んでいるように感じる。

 そして、その叫びに連動するかのように、スマホの着信音がなり始める。いや、スマホからだけではない。校内放送のスピーカーからも、着信音がなり始めるのだ。大音量で流されるそれは、耳を塞いでいても、それを突き破って鼓膜を震わす。

 意識が混濁する。

 かき混ぜられる。

 吐き気、不愉快、自分ではない誰かが頭の中に入ってくる。

 

「希! 穂乃果! 奉次郎さん!」

 

 希と奉次郎だけではない。輝石を持っているはずの穂乃果までもが、耳を押さえながら膝をつく。

 唯一、絵里だけがかろうじて周囲の状況を伺える。もちろん気を抜けば意識は消えそうだ。青き輝石は、それを阻止するべく眩いほどに輝いている。

 そして、被害は穂乃果たちだけではなかった。

 ギンガまでもが両耳を塞いで動けずにいる。

 

「ギンガ!!」

 

 カラータイマーが点滅する中、身動きを封じられるのはかなりの痛手だ。このまま時間切れになってしまう恐れがある。

 だが、事態はそれだけでは済まなかった。

 続々と、生徒たちがクインメザードの近くに移動しているのだ。その位置は、ギンガが攻撃をすれば間違いなくその余波に巻き込まれる位置。おそらく、威力が一番小さい『ギンガスラッシュ』ですら巻き込んでしまう恐れがある。

 いや、それ以前にギンガが反撃に出ようものなら、クインメザード自ら攻撃を仕掛けそうな位置。

 つまり、人質だ。

 

「くっ……この……」

 

 インナースペースにいるリヒトは、クインメザードを睨みつける。

 しかし、クインメザードに気を取られるわけにはいかない。ダークガルベロスが飛び、空中で回転。尻尾がギンガの胸を叩く。

 この騒音は、おそらくダークガルベロスには聞こえていないのだろう。当たり前だ。クインメザードから見れば、ダークガルベロスは味方なのだから。

 ばたりと、穂乃果たちが絵里の目の前で倒れる。

 

「穂乃果……」

 

 同じ輝石を持っているはずなのに。いや、これほど大音量で持続的に流されれば、輝石の効力があったとしても意識を奪われるだろう。

 

「……だ、め…………」

 

 絵里の意識も、次第に薄れていく。

 輝石の輝きがだんだんと弱まっていく。

 

(──お、──い)

 

「え? いま、声が……」

 

 絵里の脳に誰かの声が聞こえてきた。

 鮮明には聞こえていない。しかし、確かに聞こえる。この大音量の着信音が響く中、次第にそれは鮮明になっていく。

 

(──おい。聞こえるか)

 

 聞こえてきたのは、やや高圧的な男の声。

 

「だ、れ……誰、なの……」

 

(よし、聞こえているな。俺の光をギンガへ渡す。手に持つ『ソレ』に、俺の光を込めろ)

 

「込めろって……どうやって……」

 

(お前の胸にある輝石からそれに光を送ればいい。重ね合わせれば、光は送れる。あの巨人に変身している奴のこと、好きなんだろ? なら、そいつのことを強く思え。そうすれば想いは光となる。光を送るのはこっちでやる。ギンガの方へはお前が投げ渡せ)

 

「…………」

 

(急げ。洗脳を防いではいるが、この音量を聴き続ければいずれ突破されるぞ)

 

 絵里に選択肢はなかった。

 この声の主が誰なのか、そういった諸々の疑問は多々ある。しかし、この声の通りにしなければ、どのみちここでギンガは負け、自分たちは闇の手に落ちる。

 あの時体験した、闇の中に沈んでいく感覚を、ここにいる全員が味わうことになる。

 それは、阻止しなくてはいけないこと。

 絵里は手に持つギンガライトスパークと、首にかけている青き輝石を重ね合わせた。そして、リヒトのことを強く想う。

 すると、青き輝石は先ほどより強い光を放ち、ギンガライトスパークの色が海のような深い青色に変わっていく。

 

(よし、投げろ)

 

「──っ!!」

 

 絵里は力の限り投げた。

 もちろん、届くとは思っていない。しかし、まるで引き寄せられるかのように、ギンガライトスパークはギンガの元に届いた。

 

 

「──なっ? これは……!」

 

 突然、自分の元にやってきた青い光に、リヒトは驚きの声をあげた。

 光はギンガのカラータイマーを通して、インナースペースにいるリヒトの元にやってくる。ギンガスパークにその光が吸い込まれると、体にとてつもない力がみなぎった。

 

「──! この感覚は──!!」

 

 それは、異形の海で絵里とともにウルトラマンギンガになった時の感覚に近い。送り込まれた膨大な光は、ギンガの力となり、黄金の光となって溢れ出る。

 その異変に気づいたダークガルベロスが、即座にギンガに向かって走る。

 ギンガは黄金の光を纏った拳を突き出し、殴り飛ばす。

 

「……サンキュー、絵里」

 

 リヒトは一度視線を絵里の方へ向けた。絵里は不安げな表情を浮かべてこちらを見ている。

 しかし、ギンガの視線に気づくとその瞳に力強い色を宿し、頷いた。

 立ち上がるギンガ。胸の前で腕をクロスし、溢れ出る黄金の光を収縮させる。クリスタルがピンク色に輝き、闇に覆われている空間を照らす。

 クインメザードがそれに気づき、人質に攻撃を加えようとするが、

 

「──させるかよ!! 〝ギンガサンシャイン〟!!」

 

 それよりも先に黄金の光が放たれる。

『ギンガサンシャイン』。ギンガの持つ、『ギンガクロスシュート』より強力な必殺技。本来であれば、余波に巻き込まれてしまう音ノ木坂学院の生徒たちだが、『ギンガサンシャイン』の輝きは『闇』だけを撃ち抜く効果を持つ技だ。

 故に、『ギンガサンシャイン』は『闇』であるクインメザード、生徒たちを洗脳している闇、そして闇の異空間すらもまとめて吹き飛ばしていく。

 黄金の輝きが闇全てを飲み込む。

 爆発音はなかった。

 黄金の光にかき消されるように、クインメザードは消滅した。

 戦いに勝利したギンガは、その疲労から膝をつく。

 同時に、闇の異空間が消滅を始めるのだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

「……ん、ん………? ここは……?」

 

「お目覚めやね、エリチ」

 

「希……?」

 

 眠りから覚めるように、絢瀬絵里の意識は覚醒した。顔を上げると、目の前には『いいものを見れた』と言いたげな表情を浮かべている東條希。

 あたりを見回すと、そこは教室。見慣れたクラスメイトが、全員机に座っている。

 

「あれ? なんか、すっごく怖い夢を見たような」

 

「私も! でもなんでだろ、全然思い出せない……」

 

「鬼ごっこ? うーん、めちゃくちゃ走ったような気がする……」

 

 隣からそんな会話が聞こえてくる。

 

「みんな、具体的には覚えとらんみたいやね」

 

 と、希がその様子を見ながら言った。

 

「……希は覚えてるの?」

 

「もちろん。なんてたって、巫女さんやから」

 

「……それは関係ないと想うんだけど」

 

 絵里の返しに、希は笑うだけだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 音ノ木坂学院の正門前。そこに奉次郎と、疲労から膝に手を置くリヒトの姿があった。

 

「なんとか、勝てたようじゃな」

 

「ああ。ほんと、絢瀬の助けがなかったら負けてた……じーちゃん、なんか援護とかできないの?」

 

「そんなことを言われてものー、ワシはお前さんと違ってただの人間じゃから」

 

 と、軽い調子でそんなことを言った祖父に向けて、孫は字と目を向ける。

 

「……いや、じーちゃんはただの人間じゃねえだろ」

 

 奉次郎を『ただの人間』と称すには、あまりにも無理がある。闇の波動を感知できる時点で、ただの人間とは言えない。

 

「つか、闇の異空間と光の異空間と、毎回なんで違うかなー。いつも光ならある程度はこっちのペースで戦えるのに」

 

「そうじゃの……ところでリヒトよ。いつまでここにいるのじゃ?」

 

「え?」

 

「お主も学校あるじゃろ」

 

「………………………………あ」

 

 リヒトは慌てて腕時計を確認。

 長い針がもうすぐで『6』を示そうとしている。

 

「遅刻じゃん! 最悪!!」

 

 帰るために、急いでギンガスパークを取り出すリヒト。

 それを空へと掲げようとしたところで、

 

「………っ!?」

 

「ん? どうしたんじゃ?」

 

「……じーちゃんは、感じなかったの?」

 

「……なんじゃと」

 

 奉次郎の視線が鋭くなる。

 リヒトは、今一度視線をギンガスパークに向けた。

 

「…………」

 

 ギンガスパークは何も反応を示していない。

 だが確かに、あの時一瞬、ギンガスパークは反応を示した。

 リヒトは、視線を音ノ木坂学院に向けながら、

 

「……まさか、まだ終わってない」

 

 と、言った。




第11話 マリオネットの館─完─ 第12話へ続く……。

○登場怪獣
超波動怪獣クインメザード

○あとがき
以上をもちまして、第11話終了です。
音ノ木坂学院全体を使ってのメザード回、いかがだったでしょうか。個人的にはやりたいことができたので満足しておりますが、もっと学校内で恐怖する展開を書きたかった……とも思っています。
第12話に続く終わり方をしていますが、次回はいよいよオープンキャンパス回。どんな怪獣と戦うのか、誰が闇の魔の手に落ちてしまうのか、お楽しみにしていただければ幸いです。
では、次回もよろしくお願いします。


○次回予告
クインメザードは倒した。しかしギンガスパークが闇の気配を感じ取ったということは、まだ闇が学校に残っているということ。真意を確かめたいリヒトだが、女子校に入れるはずもなく、希に警戒してもらうしかなかった。
そして、怪獣が出現することもないままついにオープンキャンパスの日を迎えてしまう。
動きを見せない闇の勢力。なんとかして音ノ木坂学院に潜入することに成功したリヒトは、ついに闇の波動の正体を突き止める。そこにいたのは──。

次回、運命のオープンキャンパス


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第12話 運命のオープンキャンパス
第一章:見ていた者と今後の作戦


お待たせしました。
今回より、第12話スタートです。


[プロローグ]

 

 

 目の前に広がる光景に、ただ困惑するしかなかった。

 ──これは、現実なのか……? 

 何度も自分に問いかる。それほど目の前の光景は現実離れしていた。

 そもそも、この部屋の扉が開かなくなっていることがおかしい。鍵は開いている。それなのにびくともしない扉。

 閉じ込められた。そう判断するには十分な時間が経過していた。

 唯一情報を得られるものとして、窓から見える景色がある。しかし、その景色が一番思考を困惑させる種となっていた。

 いつもであれば青が広がっているはずの空は、紫色に覆われている。悍ましく、そして不気味なほどに光る紫の空。見てるだけで体の体温が奪われていきそうだ。

 そんな空の下で、悍ましい顔の怪物と巨人が戦っていた。素人目でもわかる命をかけた戦い。互いが互いを殺すために振われる拳。

 

『────!』

 

 怪物が咆哮する。

 窓が──いや、建物全体が大きく揺れた。

 鼓膜が切り裂かれそうで、頭の中に何かが入ってきて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。そんな未知の感覚に目の前がぐらんぐらんと揺れた。

 しかし、すぐにそれは断ち切られた。

 光の援護を受けた巨人が体にあるクリスタルをピンク色に輝かせ、黄金に輝く光線を放ったのだ。黄金の光は怪物が呼び出した幻影の獣を、そしてこの空間そのものを破壊していく。

 眩い光が収まると、窓から見るのはいつもの青い空の光景。

 ほっと、気づけば安堵の息を吐いていた。

 だが、

 

 

 

「これで終わりだと思う?」

 

 

 

 ──背後から聞こえてきた声に、心臓が跳ね上がる。

 振り返ると、そこには黒いローブを着た銀髪の男と、髪も肌もすべてが白い少女がいた。

 銀髪男の瞳がこちらを捉える。

 

「本番はここからじゃないか」

 

「…………」

 

「そう睨まないでよ。僕はきっかけを与えるだけ。やるかやらないかはあなた次第。でも、選択肢なんて限られてるよね。

 ──それで、覚悟は決まった?」

 

 スッと目を細くするローブ男。

 睨み返すように視線を向けると、銀髪の男はつまらなさそうな表情をする。

 それらを見ていた白い少女は、腕を組みながらこちらを見て、

 

「お前は、本当にあいつらが廃校阻止なんてできるとでも思っているのか? 大人であるお前が、どれだけ足掻いてどれだけ知恵を振り絞っても解決できなかったことを、まだ未熟な子供がんしとげることができると、本当に思っているのか?」

 

 と、言った。

 その言葉に唇を噛んだ。

 ここが畳み掛けるチャンスだと判断した銀髪男が近づいてくる。

 

()()()()()()()()()、この学校は存続できる。なら『やる』という選択肢しかないね。だって、それがあなたの立場で、やらなくてはいけないことなんだから」

 

 銀髪男の瞳が、怪しく光るのだった。

 

 

 

[1]

 

 

 

「リヒト、ちょっといい?」

 

「? なに?」

 

 風呂から上がり、コップに牛乳を注いでいるところで後ろから声をかけられた。

 声の主はリヒトの母親、一条(いちじょう)美鈴(み すず)。茶色のセミロングヘアーとダンスをしていたことから、今でも維持している細身のウエストが特徴の女性。年齢にそぐわない美しい肌を持つ美鈴は、キリッとした瞳でリヒトを見ている。

 リヒトと入れ替わりでお風呂場に向かったはずなのに、なぜここにいるのは疑問を感じつつ牛乳を喉に流し込むと、

 

「今日学校遅刻したんだって?」

 

 予想外の言葉に、危うく吹き出しそうになった。

 咳き込みつつ、口元の牛乳を拭いながら、慌てた様子で母親へ言葉を返す。

 

「な、なんで、どこでそれをっ?」

 

 リヒトが今日遅刻したことは、リヒト本人とクラスメイトしか知らないはずだ。

 それをなぜ、美鈴が知っているのか。

 リヒトの口から今日遅刻したことは話していない。リヒトが話していないとなると、誰かから訊いたことになる。

 

「喫茶店にはね、いろいろな情報を話してくれる子がいるの」

 

 その発言から、口の軽いクラスメイトが一人思い浮かんだ。父親が淹れるコーヒーが好きらしく、喫茶店の常連。

 その他の各要素が完璧に近い形で犯人である可能性を上げていく。

 「次会った時覚えてろよ〜」と心の中で思いながら、拳を握りしめるリヒト。

 

「それより、いつもと同じ時間に出ておきながら遅刻したって、どういうことかしら?」

 

 スッと、目を細めてこちらを見てくる母。

 リヒトは逃れるように視線を外し、なんとか理由をつけようと思考する。

 

「それは……」

 

 ダラダラと、風呂上がりで熱った体に汗が流れ始める。もちろん熱いからではない。

 元々芸能界で活動していた美鈴は、遅刻といったことに関して人一倍厳しい。これは一条家の約束事の一つになっており、やむ得ない理由を除いて遅刻は厳禁。学校や会社ではなく、友人間の約束事においてもだ。

 遅刻とは、すなわち相手の時間を奪うこと。

 よく一日の時間をお金に例えた話がある。一日は二十四時間。秒に変えると86400秒。これをお金の単位にすると86400円。

 つまり人はみんな、毎日86400円口座に振り込まれ、それを使って一日の時間を買っている。どれだけ使おうと、どれだけ使わなかったとしても、翌日には必ず86400円に戻っている。

 遅刻するということは、その分だけお金を消費しているのだ。これが自分だけならまだ『無駄遣い』で収めることができる。しかし、『相手』が出てくるとその相手の86400円からお金を使わせているということになるのだ。

 遅刻するということは、その分のお金をドブに捨てているようなもの。誰だって自分のお金を他人に捨てられれば怒る。

 だから、遅刻は絶対にしてはいけないのだ。

 このことは、記憶喪失になった後も改めて教えられた。

 それをわかっているからこそ、リヒトはどうするのか考えていた。

 

「えっと……」

 

 視線が泳ぐ。

 そんなリヒトを見て、美鈴がため息をこぼす。

 

「ま、次は気をつけなさいよ。受験生なんだから、変なことで成績落とさないようにね」

 

 と言った。

 もちろん、遅刻した理由は音ノ木坂学院で起きたクインメザードの事件なのだが、それを美鈴は話していない。

 美鈴は自分の息子が『ウルトラマン』として人知れず怪物と戦っていることを、さらに言えば奉次郎の娘でありながら『ティガ伝説』のことを知らないのだ。これは奉次郎の教育方針であり、子供たちには『ティガ伝説』のことを教えないと決めていたらしい。

 だから美鈴は何も知らない。

 知らないが、親として息子が『何か』を隠していること。そして『何か』していることを感じ取っているのだろう。だから今回は目を瞑ってくれた。

 そうであると、子もまた親の心を感じ取っていたのだ。

 

「わかってるよ」

 

 ただでさえ、記憶喪失として迷惑をかけているのだ。せめて約束事だけはしっかり守らないとと、リヒトは思っている。

 牛乳を飲み干したコップを濯ぎ片付けると、美鈴の横を通って自室へと向かう。その背中に向けて、美鈴は再度声をかけた。

 

「ねえ……記憶の方はどう?」

 

 聞きにくそうに、しかし意を決して訊いてきた声。

 リヒトは歩みを止めて、少し考えてから、

 

「……やっぱり、気になる?」

 

 振り返りつつそう言った。

 

「うん。気になるわよ。息子が記憶喪失になるなんて、親としてもなかなかないことだからね。それに、追い詰められてないかなって」

 

「追い詰められる?」

 

 意外なワードに、リヒトは首をかしげる。

 

「そっ。今の自分と、みんなが話す『一条リヒト』との違いに追い詰められてないかって。本当は結構意識しちゃうでしょ? みんなが語るリヒトの像は、今のリヒトとは遠いからね」

 

「…………」

 

 それは、リヒトが常々感じ取っていたこと。記憶喪失では納得のできない『差異』を感じるのだ。

 今のリヒトと『一条リヒト』の違い。無意識だとしても、違いに追い詰められているのは事実かもしれない。

 まるでそれを見透かしたかのように、美鈴は表情を柔らかくして言う。

 

「でも安心しなさい。今の方が、親が知ってる『一条リヒト』に近いから。みんなが知っている『一条リヒト』は、リヒトが作った性格。親である私が言うんだから、信じなさい」

 

「リヒトが作った、性格?」

 

 気になったワードを訊き返す。

 

「そっ。リヒトはね、さっきみたいに表情に出やすい性格だったの。でも、手品を始めた頃そのせいでタネがすぐ相手に伝わっちゃってね。それを解決するために、飄々とした性格を演じ始めたの。そしたら、それがだいぶ板についてきちゃってね。だから、ママたちとしては、久しぶりに前のリヒトに会えた気分がして、ちょっとだけ嬉しいの。だから、あんまり焦らないでね」

 

 懐かしむように、今はここにいない『一条リヒト』を頭に浮かべながら美鈴は語る。

 そして、最後はリヒトを安心させるように微笑んだ。

 

「…………」

 

「それにね、記憶喪失だからってあまり遠慮しないこと。迷惑だなんて思ってないから。むしろ『大変だろうな』ってこっちが思っちゃうくらいなんだから。リヒトは自然体で、リラックスしていればいいの。

 大丈夫。記憶だってそのうち戻るわよ」

 

「……うん、ありがと」

 

 おやすみ、と言ってリヒトは自室に向かった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 自室に戻ったリヒトは机の上の置かれているノートや教科書を端に移動させ、その空いたスペースに今持っているスパークドールズを並べ始めた。

 

「ダークガルベロス、カオスジラーク、キングパンドン、ゾアムルチ、モンスアーガー……五体、か」

 

 並べ終えたところで、タイミングよくスマホの着信が鳴る。

 画面には『東條希』の文字。

 リヒトは画面をタップして、スマホを耳に当てる。

 

『やっほー、りっくん元気にしとった?』

 

 聞こえてきたいつも通りの楽観的な声に、リヒトは少しだけ面食らった。

 

「その様子じゃ、案外大丈夫そうだな」

 

『ん? 心配してくれたん?』

 

「まあ、規模が規模だったからな。俺も行くの遅れたし」

 

 これはまではとは異なり、今回の騒動は学校全体を巻き込んで引き起こされた。精神的疲労はこれまで以上のものだったのではないかとリヒトは思っていただのだが、返ってきた声は微塵も感じさせないものだった。

 

『大丈夫やで。巻き込まれるのはいつものことやから。それに、最後は助けてくれるって、いつも信じてるんやから』

 

「そ、そっか」

 

 信じている、と言われ少しだけ気恥ずかしくなるリヒト。

 これではすぐにいじられると思い、本題を切り出すことにした。

 

「それで、どうだ? 何かわかったか?」

 

『何も。今日一日闇の波動は感じ取れんかった』

 

「……本当か?」

 

『本当』

 

「…………」

 

 クインメザード撃破後に、ギンガスパークが感じ取った『闇の波動』。それは確かに音ノ木坂学院から感じた。

 その捜査を希にお願いしたのだ。あの後ではリヒトも学校があったし、何より男子であるリヒトがなんの理由もなしに女子校へ入ることはできない。

 だから、希に捜査をお願いしたのだが、返って来たこ言葉にリヒトは怪訝な表情を浮かべる。

 

「確認だけど、希はあの後感じ取ったか?」

 

『うーん……感じ取らんかったかなぁ。

 ギンガスパークが感じ取ったの一瞬やったんやろ? ギンガスパークとウチじゃ感度が違うから、ギンガスパークが一瞬やったんやらウチはほぼ感じないと考えた方がええで』

 

「そうか……んー、気のせいだったのかな。例えば、倒したクインメザードの残滓を感じ取った、みたいな」

 

『それやったら、今までもどこかで同じことがあるはずやん? 今回が初めてなんやろ?』

 

 希の問いにリヒトは「ああ」と返す。

 

『それやったら、まだ学校に闇が残っていると考えるべきやね。ギンガスパークは元々、神田明神に祀られていた御神体。「イージスの力」が眠る神田明神に長い間あったんだから、闇の力を感じ取ることに間違いはない、とウチは思うよ』

 

 希の言葉を聞いて、リヒトは改めてギンガスパークを手にとる。

 銀色に輝くそれは沈黙したまま。

 

(ギンガなら、何かわかるのか。

 ……でも、全然会話できないんだよな)

 

 リヒトがウルトラマンギンガと会話できたのは、西木野真姫の件が最後だ。あの時、真姫が自分の意思で闇の力に勝つために手を出してはいけないと、ギンガが言った。あれ以来、ギンガとの間に会話はない。

 ギンガはどこまで知っているのか。それを少しでも教えてほしいと思うが、こちらからの呼びかけには全然反応してくれなかった。

 

「……せめて狙われている人がわかればな」

 

『狙われている人?』

 

「ああ。今日のは違ったけど、敵は今まで誰かの心の闇に漬け込んでいた。だから、ギンガスパークが感じ取った闇の波動も、また誰かが心の闇を漬け込まれたんじゃないかって思ってな」

 

『なるほど……』

 

 リヒトはこれまでのことを振り返ってみる。どれも闇の魔の手は、人間の心の闇に漬け込み、その闇を利用して怪獣にダークライブさせていた。

 己が進むべき道に迷う者。勇気が出せず、自分のやりたいことに一歩踏み出せない者。過去の出来事から、孤独を漬け込まれた者。自分を押し殺してでも、自分の守りたいものを守ろうとした者。

 それぞれの人物を思い浮かべると、あることに気づいた。

 

「そういえば、結果的にだけど狙われた人物は全員μ’sのメンバーだ。もしかしたら今回もμ’sの誰かが狙われてるんじゃないか?」

 

『うーん、ウチが見た感じだと、誰も心に闇を抱えてそうな子はもうおらんけどな』

 

「他人が見たじゃ分からない、もっと深い部分に闇を抱えている子とかは?」

 

『……そこまでいったら、もうウチらで解決できるレベルの問題を超えると思うんやけど』

 

 画面の向こうで希が若干引いているのがわかる。

 こほん、と一つ咳払いをした。

 

「希から見て、今のところμ’sの中に狙われてそうな子はいないってことでいいか?」

 

『そうやね』

 

「……μ’sになる子が狙われたのか、それとも狙われた子が結果的にμ’sになったのか。いや、それだと今回はなんで学校全体を巻き込んだんだ……? 他にもまだμ’sになる可能性がある子がいるってことか?」

 

『狙われた理由の方はわからんけど、これ以上μ’sが増えることはないよ』

 

 希は断言した。

 「なんで?」とリヒトが返すと、希はいつになく真剣な声音で言う。

 

『μ’sの由来は、九柱であるギリシャ神話の文芸の女神・ムーサの英語、フランス語読みからつけたもの。だから、これ以上増えることはない』

 

「…………」

 

 希の言葉には、何か力のようなものが込められていた。譲れない何か。他者が踏み込んではいけない、完成された作品。

 それがμ’sだと、言葉の外で語っているように感じた。

 

「そっか……」

 

 言葉に詰まってしまう。

 そんなリヒトに気づいたのか、希がハッとなる息が聞こえた。

 

『そうや! りっくんの方は大丈夫なん? また前みたいに襲われたりしとらんよな?』

 

「ああ。一応、警戒はしてる。もしかしたらまだ戦いが終わってないってことだからな」

 

 リヒトは以前、音ノ木町から離れた時にローブ男に襲われている。これはリヒトが音ノ木町から離れたことが原因であり、音ノ木町にいる間『イージスの力』から加護を受けることができる。その加護によって、敵から直接狙われるのを防いでいたのだ。

 闇に対抗できる唯一の光、ウルトラマンであるリヒトが直接倒されたとなれば、闇に囚われた人を救うことができなくなる。音ノ木町から離れるのは、あまりにもリスクが大きいことなのだ。

 しかし、今回は母親の美鈴が関係しているため帰省せざるを得なかった。

 リヒトの両親は、リヒトがウルトラマンとして戦っていることを知らない。だから、なかなか記憶が戻らないのであれば、いい加減に休学をやめて学校に復学してほしいと言われたのだ。

 リヒトだって今年は受験生。ウルトラマンとして戦う以前に、一人の高校三年生としてやらなくてはいけないことがある。そちらをやるためにも、リヒトは音ノ木町から実家の方へ帰らなければいけなかった。

 それに、リヒトとしては『異形の海』の戦いでローブ男が消えているところを目にしている。戦いが終わったと、思ってしまっても仕方ないのだ。

 もちろん、二度と同じ失態をしないように対策をした上で帰省している。

 

「じーちゃんからもお札を何枚かもらって、この前も結界を張ってもらった。前にみたいにならないように気をつけてるけど……もうすぐで俺の方は夏休みに入るから、そしたらすぐそっちに行くわ」

 

『そうやね……ふふっ、待ってるで』

 

 「ああ」と返事をしたところで、リヒトはひとつ気になることが思い浮かんだ。

 

「そうだ。大丈夫なのか、と言えば、他の生徒たちの様子はどうなんだ? みんな、今回のことを覚えていたりするのか?」

 

 学校全体を巻き込んだクインメザードの襲撃。いつもはギンガと怪獣の戦いが始まる時に位相が変わるため戦いが公になることはないが、今回はリヒトが駆けつけた時にはすでに闇の位相空間になっていた。

 そして学校にいた生徒全員がその中にいたのだから、今回は覚えている人がいてもおかしくない。花の女子高生が、あんなものを見て話題にしないとは考えにくい。

 しかし、返答はリヒトが思っていたのとは違った。

 

『それやったら心配あらへんよ。みんなよく覚えとらんみたい。悪い夢でも見た、って感じやったなあ。まあ、中には無意識にスマホを見ないようにしている子もおったけど、今の時代にはいい薬なんやないかな』

 

 と、面白おかしな話を語るかのように希は言った。

 

『覚えているのも、ウチと穂乃果ちゃんとエリチだけ。多分あの時学校にいた生徒と教師の中で、この三人以外は覚えとらんと思う。もしかしたら、様子がおかしくなったことで逆に覚えとらんことになったのかもね』

 

「そっか……まあ、しばらくスマホを見たくない程度に済んでいるならいいかな。覚えていたら、それこそ大変なことになっただろうし」

 

 希の言った通り、常にスマホと共にある現代で、そのスマホから距離を置くのはある意味いいことなのかも知れない。

 と、そこへ希のあくびが聞こえてきた。

 

「やっぱり疲れてるか?」

 

『そうやね。怪獣の件もやけど、オープンキャンパスに向けての最後の仕上げが結構来てるみたいや』

 

「いよいよだもんな。俺は見ることできないけど、頑張れよ」

 

『うん。頑張る』

 

 そこで本日の通話は終了した。真っ暗になった画面に映る自分の顔を見ながら、いよいよ『運命の日』がすぐそこに来ているのだと感じていた。

 記憶喪失になって、穂乃果たちと再開して、学校の廃校を阻止するためにスクールアイドルになったことを聞いて、ダンスコーチをやってと頼まれて……。振り返れば色々とあって、そして穂乃果たちの目標である廃校阻止のための、最初の壁。オープンキャンパスがもうすぐそこに迫っている。

 ここで来場してくれた中学生にアンケートを取り、その結果で音ノ木坂学院の運命が決まる。

 おそらく、その運命のほとんどがμ’sにかかっていると言ってもいい。もちろんそれ以外でも、さまざまな部活や団体が音ノ木坂学院を存続させるための案を考えているだろう。

 だが、着々とスクールアイドルの熱が高まっている今、やはり鍵になるのはスクールアイドルであるμ’sだ。きっと今まで以上の緊張感が彼女たちを襲うだろう。

 そして、

 

(──もし、俺が敵サイドだったとしたら、動くのはオープンキャンパスの日。ここがターニングポイントになる)

 

 ギンガと出会った時に見た、音ノ木坂学院が壊されるビジョン。それが脳裏に浮かんでくる。

 阻止しなくてはいけない未来。変えなくてはいけない未来。

 敵が動くとしたら、間違いなくそこだろう。ならばこちらも、こそに合わせて準備をする必要がある。

 

「あー、やっぱり音ノ木坂に潜入できねえかなー。

 ……ワロガがあれば楽だったんだけど」

 

 目の前に並ぶ怪獣のスパークドールズの中に、リヒトが望む怪獣の姿はない。

 ワロガであれば、自身の姿を球体状に変化させることで上空から視察ができた。しかし、ワロガとの戦いが『異形の海』で行われた影響か、スパークドールズを回収できなかったのだ。もしくは、今回と同じく闇そのものを破壊することができる『ギンガサンシャイン』によって、クインメザードのスパークドールズ同様消滅してしまったか。

 せめて手持ちの中で姿を変えることができる奴がいればな、と考えいると、

 

「……ん? 待てよ……。ギンガの時に身長を変えられたんだ。怪獣でも同じこと、できるんじゃないか……」

 

 リヒトの視線が回収のスパークドールズに向けられる。

 並べられている五体。

 

(もし、だ。もし怪獣にライブして、自在に大きさを変えられるなら、潜入する方法さえどうにかすればいけるんじゃないか……)

 

 一番の問題は、女子校である音ノ木坂学院に男子であるリヒトがどうやって入るかだ。これが解決しなければ、例え怪獣の身長を自在に変化できたとしても、肝心の闇の波動の正体を探ることができない。

 

(いや、まずは怪獣にライブしても大きさを変えられるかを先に調べるんだ)

 

 リヒトは五体のスパークドールズのうち、唯一人型の姿を持つカオスジラークを手に取る。

 左手にカオスジラーク、右手にギンガスパーク。

 いざ。ギンガスパークの先端を当てようとして、

 

「……外、行くべきか?」

 

 もし巨大化してしまった場合の被害を考えて、そんなことを呟くのだった。




第二章へ続きます……。


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第二章:運命の日、当日

お待たせいたしました。
第12話・第二章になります。

前回の冒頭で今回のターゲットが誰なのかすぐにわかってしまったようですね……まあ、自分でも「これすぐ気づくよな」と思ったので、仕方ないんですけどね。

それでは、どうぞ。


[2]

 

 

 気づけば、またここへ足を運んでいた。

 二週間毎日訪れていたからだろうか。意識しなくても、体が勝手にここを目指していた。

 そんな自分の精神状態に苦笑いをしつつ、せっかく訪れたのだからお参りをしていこうと、いつも通りに賽銭箱の前に立つ。

 小銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼。

 

「…………」

 

 しかし、もはやこの行動に意味を見出せる程心は幼くなかった。

 この行動に意味があるのか。おそらくそんなものはない。この先にいい結果が訪れるとは思えない。

 この先に待っているのは選択を迫る『彼』だけ。

 壊すか、それとも見捨てるか。

 どちらを選んでも、何かが壊れてしまう選択。

 回避する術はない。どちらの選択にも希望がない。

 小さな希望はあるのかも知れないのに、それが実る前に絶望の方が選ばれてしまう。

 

「…………」

 

 だめだ……と、自己嫌悪に陥る。

 なぜ信じてあげることができないのか。

 なぜ任せることができないのか。

 なぜ、背中を押すようなことができないのか。

 色々と知ってしまった大人だからだろうか。現実を知ってしまったからだろうか。どうすれば、いいのだろうか。

 抜け出せない迷路をずっと歩き続けている。そんな感覚に、ため息が一つ溢れるのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 二週間。それは長いようで経ってしまえばとても短い時間。日数に変えると十四日ほど。

 (さかき)奉次郎(ほうじ ろう)(みなみ)比奈(ひ な )からオープンキャンパスの結果で廃校が決まる、と聞いてからあっという間だった。あっという間に二週間が経ち、今日はオープンキャンパス当日。

『運命の日』を音ノ木坂学院は迎えていた。

 正門を通ってみればいつもと同じ、だがどこか違う空気が流れていると肌で感じることができる。

 奉次郎がそう感じるのだから、生徒たちや教師たちはどう感じているのだろうか。

 そんなことを思いながら、奉次郎は受付へと向かう。

 

「それでは、こちら入校許可証になります。必ず首にかけてください」

 

「うむ、わかった」

 

 受付を済ませ、差し出された入校許可証を受け取る。それを首にかけ、受付をしてくれた事務員に会釈をすると、案内役を任されている希と合流した。

 

「では、案内頼むぞ」

 

「はい」

 

 希に案内を頼み、その隣を歩く奉次郎。

 オープンキャンパスの日ということもあって、校内には音ノ木坂学院とは違う制服に身を包んだ少女たちがいた。近隣の中学校の制服だ。

 その数は『多い』と表現できる。彼女たちがこのオープンキャンパス終了後に記入するアンケードの結果で、学校の運命が決まる。

 もちろん、彼女たちはそんな事情を知らない。『廃校の噂』ぐらいは耳にしているだろうが、自分たちがその運命を握っているとは考えもしないだろう。

 すれ違う女子中学生たちが、奉次郎の姿を目にすると驚いた表情を浮かべる。女子校に部外者がいることに対してか、それとも音ノ木町では色々と有名な奉次郎がいることに対してか。

 一応、入校許可証は首にかけているため怪しまれたとしても説明はできる。しかし、彼女たちの視線から察するに、驚いている理由は後者だろうなと奉次郎は勝手に思った。

 そんな彼女たちに会釈を返しながら、ふと感じた懐かしさに頬を緩ませる。

 

「懐かしいのう……美鈴(み すず)にもあんな頃があったんじゃ……」

 

「美鈴さんって、りっくんのお母さんですよね?」

 

 と、奉次郎の呟きが聞こえたのか希が訊いて来た。

 

「うむ。榊家の長女にして元プロダンサー。現在は静岡で喫茶店を経営しとる、わしの自慢の娘じゃよ。妻と、あと次女の優子(ゆうこ )もここの卒業生なんじゃ。優子の時は妻が一緒に行ったんじゃが、美鈴の時はワシが一緒にオープンキャンパスに行くことになっての。ちょうど思春期だということもあって、互いに仲が悪かった時じゃった。当時はなかなか大変じゃったが、今ではいい思い出話じゃ」

 

 そう語る奉次郎の表情はとても楽しそうで、懐かしそうだった。

 

「今でも昨日のことのように思い出せるわい。もう数十年前だというのに、娘との思い出は何年経とうと色褪(いろあ )せぬもの」

 

「そうなんですか?」

 

「そうじゃよ。ワシも父親になる前は点でわからんかった。じゃが京子(きょうこ)と出会い、結婚し、美鈴を授かったときにわかった。子供を授かるとは、自分の血を引く大切な存在が生まれたということ。何よりも尊く、何よりも大切で、この子のためなら命を賭けられる。本気でそう思ったんじゃ。そんな娘との思い出を忘れるわけがなかろう」

 

 瞼を閉じれば、その裏には娘、息子たちとの思い出が浮かび上がってくる。

 長女・美鈴、次女・優子、長男・健介(けんすけ)と妻・京子を合わせた五人家族での思い出。今はみんな家を出て、それぞれの道を歩んでいる子供達。

 三人の子供たちのうち、二人はこの学校で高校生活を過ごしたのだ。三年間の体育祭や部活動、文化祭などの学校行事で奉次郎は何度か音ノ木坂学院を訪れている。二人の母校、正確には妻である京子もこの学校の卒業生であるため、三人の母校であるこの音ノ木坂学院への想いは奉次郎だってそれなりにあるのだ。

 そんな思い出の地がなくなってしまうかもしれない。

 思い出の地を残すために、妻と子供たちの後輩が頑張っている。その頑張りを邪魔しようとする輩が存在し、今もこの学校内のどこかに息を潜めている。

 

「奉次郎さん、りっくんは来てるんですか?」

 

 と、希が訊いて来た。

 もちろん、奉次郎もあの戦いのあとギンガスパークが闇の波動を感じ取ったことを知っている。その正体を突き止めるために、今この場にいるのだ。

 

「来とるよ。というか、今もワシと一緒にいる」

 

「え? 一緒に?」

 

 奉次郎の周りに視線を向ける希。

 しかし、そこに誰かがいる気配(け はい)は感じられない。

 

「ここじゃよ」

 

 そう言って、奉次郎は左の袖口が見えるように腕を動かした。

 首を傾げる希。すると、ひょこっと袖口の中からカオスジラークが顔を覗かせる。

 

「え? りっくん?」

 

 やや驚いた声を上げる希。その声が聞こえたカオスジラークは、手を振って反応してみせた。

 その姿に、希はしばし呆然とする。袖口に収まっているということは、今のカオスジラークはおよそ二十センチ程の大きさだ。大きさとしては可愛げのある数値だが、見た目は何も変わっていないため、やや不気味である。

 

「先日、ギンガにライブした際に体の大きさを変えることができてのう。それを怪獣でも試せないかと思ったところ、この通り」

 

 できた、と奉次郎が言葉には表さずに視線で言った。

 希の方は、なんとも言えない表情をしている。

 

「…………」

 

「まあ、そうなるのも無理はないのう。見た目が少しでも可愛くデフォルメされればよかったかもしれんが、ただ小さくなっただけじゃからの。正直ワシもまだ慣れん」

 

 人形のような無機質感はなく、生物特有の『生きている』を感じる全長二十センチ程のカオスジラーク。それはなんとも言えない感覚を見ている者に与え、しかし、それを飲み込んだ希の脳はようやく動き始める。

 

「……でも、これで正確に闇の波動を探索できますね」

 

「うむ。それまではいっときも気を抜くのではないぞ」

 

 そう言って、袖を揺らす奉次郎。

 カオスラークはまるで転がるように袖の中に消えて行った。

 

「随分荒い扱い方ですね」

 

「緊急とはいえ、女子校への潜入方法を考えていた不届き者じゃからの。その罰じゃ」

 

 確かに、会話の時は普通に流していたが、冷静に考えればリヒトは女子校に潜入しようとする不届き者だ。

 かわいそうではあるが仕方のないことだと希は心の中で合掌した。

 

「闇が動くタイミングじゃが、わしらの予想ではライブの開始直前ではないかと思っとる。その場全員を異空間に送り込めば、ライブどころではなくなってしまうからの」

 

「はい。ウチもそこを危惧しています」

 

 μ’sのファーストライブの時、ライブの準備をしていた穂乃果たちが異空間に送り込まれたことがある。リヒト──ウルトラマンギンガが駆けつけ無事に怪獣を倒せたが、ライブの開始時間は五分ほど遅れた。

 しかし、今はあの時と違いμ’sの存在が認知されている。ライブの会場も校庭に設けられ、あの時以上に大きな規模のステージが用意されている。

 もしそれに少しでも遅刻したらどうなるか。また、ウルトラマンと怪獣の戦いを見た後に万全なパフォーマンスができるだろうか。

 そもそも、巻き込まれた時点で無事に帰って来れる保証がない。

 巻き込まれるのは、最悪に近い状況へと陥るのだ。

 

「探索はワシらの方で受け持つ。希ちゃんは、難しいじゃろうがライブの方に集中するのじゃ。希ちゃんたちにとっては、ライブの方が重要なんじゃから」

 

「……はい」

 

「心配せんでもよい。リヒトが必ず見つけ出す。そして、必ず勝つ。今までみたいに」

 

「わかりました。頼りにしとるで、りっくん」

 

 希の期待に応えるように奉次郎の袖が揺れた。

 

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 

 希の案内について行き、目的の部屋の前にたどり着く奉次郎。

 視線が上の方にいく。プレートにはこの部屋の名前。その一文に、奉次郎はかすかに眉を動かした。

 

「ここが『超常現象研究部』の部室です」

 

 希がプレートの文字を読み上げる。

 

「……こんな部活があったとはの」

 

 少なくとも、次女の優子が通っていた時にはなかった部活だ。

 もちろんそんなのはもう数十年前の話なので、あてにならない情報だと奉次郎も理解している。

 むしろ、この町の過去を知っている奉次郎からすれば、ようやくこの手の部活が出来上がったのか、と言った感じである。

 

「ほとんど活動していない部活やったんですけど、この前の件でまた熱が盛り返したみたいで。それで、新規活動の一発目に色々と『噂』がある奉次郎さんにインタビューしたいみたいなんです」

 

「む、先日のことを覚えとる、ということか?」

 

「いえ、鮮明には覚えていないみたいです。ただ、多くの生徒が似たような夢を見たって感じで。『こんなに大勢が似たような夢を見るなんて、何かあるー!』って、また活動を始めたみたいです」

 

 二人が話しているのは、先日音ノ木坂学院を巻き込んで起こったクインメザードの件だ。クインメザードによってスマホの着信に出た者、さらには画面を見た者がまるで操り人形と化したかのような怪異事件。無事にウルトラマンギンガによってクイメザードは倒され、この怪異事件は解決した。

 希の話では、この時のことを鮮明に覚えているのは最後までクインメザードの術中に陥らなかった希、穂乃果、絵里の三名だけ。そのほかの術中に陥ってしまった生徒たちははっきりとは覚えていないものの、まるで夢を見ていたかのような感覚で朧げに覚えているらしい。

 しかしだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。そして全員同じように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という状態に目をつけた者がいた。

 それが『超常現象研究部』の部長。元々占いや超常現象といったオカルト話が大好きで、霊感が強い希も彼女と出会った時に色々と話を聞かれたようだ。

 

「一応、ウチも数ヶ月だけこの部活に所属してたんです。そしたら、奉次郎さんにインタビューさせてくれって言われまして……押しが強い子なんで断るに断れず……」

 

 希を押し切るとは余程の人物なのだろう、と聞き耳を立てていたリヒトは思った。

 

「まさか、ワシの噂がこんな形で生きてくるとはのう。人生とはわからんものじゃ」

 

 奉次郎はそのインタビューに応じるために音ノ木坂学院にやってきたのだ。インタビューに応じれば、正式に音ノ木坂学院の敷地内に入ることができる。

 もちろん、理事長である比奈に相談すれば入れたかも知れないが、その場合は負担をかけてしまうことになる。それはきっと、今の精神上あまりよろしくないと奉次郎は思ったのだ。

 

「あ、希。待ちくたびれたわよ!」

 

 ちょうど部室の扉が開き、中から三年生だと思われる黒髪ロングの女子生徒が顔を出してきた。

 

「ごめんごめん、待たせてもうたな。この人が、奉次郎さんや」

 

「初めまして! 私、超常現象研究部部長、(あくた)耀(よう)です! 早速なんですけど、色々お話、聞かせてください!」

 

「う、うむ……」

 

 芥耀と名乗る少女テンションの高い少女。その近い距離感に圧倒される奉次郎。

 気のせいか、その瞳がキラキラと光っている。先程希はクインメザードの件で熱を盛り返したと言っていたが、このテンションの少女が一旦熱を失っていたとは俄かに信じられなかった。

 

「何から聞こうかな〜」

 

 まるで水を得た魚のように生き生きとした少女を前に、奉次郎はしばらく圧倒され続けるのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 芥耀によるインタビューは奉次郎が予想していたよりも長時間行われた。事前に色々調べていたのだろう。質問内容はしっかりまとまっていたのだが、耀の探究心は奉次郎の想像をはるかに超えていたのだ。

 そのあまりにも熱の入った姿勢に最初は圧倒されたものの、その熱に隠された純粋な好奇心はとても綺麗で眩しいものだった。久しぶりに純粋な心を持つ若者を前にした奉次郎は、つい次回のインタビューまで約束してしまった。

 そして現在、もうしばらくしたらμ’sのライブが始まるということでインタビューは一旦終了となったところだ。

 奉次郎は耀とともにライブ会場へ向かうために移動していた。

 その途中、向かいからやってくる少女に気づく。

 

「ん? ことりちゃん?」

 

「奉次郎さん? どうしてここに?」

 

 向かいからやってきた少女、南ことりは奉次郎の姿に驚いた表情を浮かべた。

 

「超常現象研究部のインタビューに呼ばれてのう。先程まで受けておったところじゃ。今、ちょうどライブの方を見に行こうとしてたんじゃが、ことりちゃんこそ準備はいいのか?」

 

 ライブ開始までまだ時間があるとはいえ、準備を始めていた方がいい時間帯だ。それなのに、ことりはまだ衣装に着替えていない。

 

「お母さんに呼ばれて」

 

「比奈さんに?」

 

「はい。なんでかはわからないんですけど、私もちょうどライブを見にきてねって言おうと思ってたんです。お母さん、最近いつも忙しそうで少しつらそうに見えるから。私たちのライブを見て、少しでも元気になってくれるかなって。絵里先輩も、元気のない亜里沙ちゃんに元気を与えたいって言っていたから、私もお母さんに元気を与えたくて」

 

 なるほど、と奉次郎は思った。ことりの母、南比奈は最近思い詰めた様子で神田明神に足を運んできている。おそらく、この学校の廃校についてだろう。

 その姿を見かねた奉次郎が声をかけ、相談相手になっていたのだが、娘の目にも元気がないと映ってしまうほど、比奈は疲弊しているらしい。

 さらに、今日で音ノ木坂学院の未来が決まる。落ち着いていられる訳がないだろう。

 

「ふむ、ワシも行っても良いか?」

 

「お母さんのところにですか?」

 

「うむ。最近よく相談相手になっていたからのう、ワシも気になるんじゃ」

 

「いいですよ」

 

「ありがとう。では、耀ちゃん。ワシは行くところができたから、すまんが先に行っててくれんか」

 

「わかりました」

 

 と、言って先にライブ会場の方へ行こうとして、耀は一度ことりを見る。

 

「楽しみにしてるからね!」

 

 サムズアップをして、彼女は進んでいった。

 

「これは、失敗できないのう」

 

「はい」

 

 楽しみにしてくれている人がいる。 

 それはパフォーマンスを行う者にとって、この上ない喜びだ。その一言で、一気にやる気が湧いてくる。心の温度が上がる。その人を楽しませたいと、心が動くのだ。

 しかし今は先に行くところがある。その熱い気持ちは保ちつつ、燃え上がるその時まで一旦落ち着かせておく。

 程なくして、ふたりは理事長室へとたどり着いた。

 ことりがノックをして返事を待つ。

 

「あれ?」

 

 しかし、すぐに返事がなかった。時間を考えても、比奈はこの中にいるはずなのに。

 もう一度ノックしてみる。すると、今度は「どうぞ」という返事が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 母親に会いに行くとはいえ、学校では生徒と理事長というポジションでもある。ことりの雰囲気は『母と子』のそれではない。『生徒と理事長』の雰囲気だ。どこかで切り替えるのだろうと思っていると、奉次郎の左袖が()()()()()()()()()

 奉次郎の体に緊張が走る。

 それはつまり、ギンガスパークが闇の波動を感じ取ったということ。奉次郎へ知らせるためにリヒトが大きく動いたのだ。

 すぐさま奉次郎はどこに闇がいるのか室内に視線を走らせつつ、すでに入室してしまっていることりを保護するべく手を伸ばす。

 

「──すまないけど、ご老人は退室願おうか」

 

 そんな声が聞こえたのと同時。奉次郎の体が後ろに吹き飛ぶ。

 何かが体の前から襲ってきた。防御も反応もできず、理事長室から追い出される奉次郎の体。

 廊下の壁に背中から叩きつけられ、息が詰まる。その目の前で扉が閉まっていく。

 ──しまった、と思った時にはもう遅い。

 閉じられる扉。

 だが、()()()()()()()()()()()()。そして最後に、部屋の中に飛び込んでいく二十センチほどの影を見た。

 ならば、ここは託すしかない。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 理事長室に足を踏み入れた瞬間、ギンガスパークが激しく反応を示した。奉次郎に合図を送ったが、すでに遅いと考えていい。ならば、と袖を切り裂いて自ら飛び出したのだ。

 そして、部屋の中にいるある人物の存在に目を見開く。

 

「──なっ!?」

 

 ボロボロのローブを着た銀髪の男。フードに隠れていた顔があらわになっているため、一瞬誰なのかわからなかったが、ギンガスパークの反応が答えを示していた。

 目の前の男は間違いなく、これまでμ’sの心の闇を利用してきた『ローブ男』だと。

 ──ならば、狙いはことりか。

 すぐに体の大きさを人間サイズに変え、カオスジラークの力を行使する。

 伸びる鞭。

 しかし、銀髪男は右手で弾くと、突き出した左手から衝撃波を放つ。

 閉まったドアに背中を打ち付け、床に倒れる。

 

「え!? な、なに!?」

 

「……!?」

 

 突然の事態に、ただ困惑する南親子。

 カオスジラークはすぐに起き上がり、反撃に出ようとして、

 

「動くな」

 

 銀髪男の手に捕まることりの姿を見た。

 口を押さえられ、もがくことり。

 

「変身を解いて、持ってるスパークドールズとギンガスパークを床に置いた方がいいよ。じゃないと──」

 

 ことりの瞼が閉じる。

 その体から力が抜け、銀髪男の手がことりの細い首に添えられた。

 ──くっ、とリヒトは唇を噛んだ。

 

「ことり!」

 

「理事長もだよ。大人しくしててね」

 

「……娘には手を出さないで」

 

「それは彼次第さ」

 

 言葉は理事長に、視線はカオスジラークに向けられている。

 続けて理事長の視線がカオスジラークに向かい、拳を握り込むカオスジラークが光に包まれた。光が収まると、見知った顔の少年が現れる。

 

「リヒトくん!?」

 

「…………」

 

 ウルトライブを解いたリヒトは、手に持っているギンガスパークとカオスジラークのスパークドールズ、さらにポケットから取り出したダークガルベロスのスパークドールズを床に置いた。

 床に視線を向けた銀髪男が怪訝な表情を浮かべる。

 

「それだけ?」

 

「ああ。あまり物は持たない主義なんだよ」

 

「ふーん。カオスジラークにダークガルベロス……手持ちに選ぶのには妥当だと言えるね」

 

「言われた通りにしたぞ。ことりをはなせ」

 

 銀髪男は肩をすくめると、ことりを手放した。

 床に落ちることりの体。

 同時に、床に置いたギンガスパークを蹴り飛ばそうとしたところで、先に銀髪男の(てのひら)がリヒトに向けられてた。

 衝撃波が襲いかかり、リヒトの体が後ろに飛ぶ。再びドアに激突し、肺から空気が押し出される。

 

「残念。ギンガスパークの先端をこっちに向けて置いてる時点で、怪しむには十分だよ」

 

 床に倒れ、咳き込みながらも起き上がろうとして、

 

「ほら、押さえて」

 

 何者かがリヒトを押さえつけた。

 

「ぐっ、この……っ」

 

 押さえつけられた頭を動かして、背中に乗っている人物を視界の端に捉える。

 そこにいたのは、髪も肌も白い少女だった。

 驚きがリヒトを襲う。先程まで気配も姿もなかった。ギンガスパークが感知した闇の波動は一つだけ。銀髪男だけのはずだ。

 ならば、この少女はどこから現れた? 一体何者だ?

 

「誰、だ……」

 

「お前が知る必要はない」

 

 冷たい声で言い返す少女。小柄の体格からは想像できない力で押さえつけられる。

 だが完全に押さえつけられたわけではない。無理矢理になら脱出できる。そう判断して、力づくで抜け出そうとするが、

 

「させんぞ」

 

 もちろん白い少女が見逃す訳がない。リヒトの動きを封じるために、白い少女は己の小さな口をリヒトの首元に近づけ、噛み付いた。

 少女の歯は容易くリヒトの首に穴を開け、血とともにリヒトの中に眠る『光』を吸い取る。

『光』を吸い取られ、リヒトの体から力が抜けていく。

 

「気をつけなよ。前回、勢いよく飲みすぎて、しばらく動けなくなったの忘れた?」

 

「あんな失態を忘れるわけなかろう。二度同じ失敗はしない」

 

 白い少女はリヒトの首に再度口をつけ、光を吸う。

 

「ま、しばらく動きを封じててくれればいいから」

 

 銀髪男はリヒトが置いたスパークドールズを拾い上げ、同時にギンガスパークにも手を伸ばしたが弾かれる。

 

「やっぱり触れることすらできないか」

 

 わかりきっていたことを確認するかのような呟き。

 その一方で、体から力が徐々に抜けていく感覚を味わいながらリヒトは問う。

 

「なんで、生きてる……あの時、消滅、したはずじゃ……」

 

「この体には二つの魂が宿っていてね。片方に犠牲になってもらったんだよ。とはいえ、ボクも力の大半を失って全然無事じゃないんだけど。おかげで全然力使えないし、せっかくわずかに残った力もメザードの個人的な復讐を手伝うために使っちゃったしさ。せめてボクに還元する分の闇を稼いでくれないと。そう思わない?」

 

 同意を求めてくる銀髪男視線を、睨み返すリヒト。

 その背後で、ことりに駆け寄ろうとした比奈に掌を向ける。

 闇の力に捕まり、身動きが取れなくなる比奈。

 

「でも、あなたの心の闇を育てるきっかけになったと考えれば、完全に無駄ってわけじゃないよね」

 

「くっ……」

 

 銀髪男は一度リヒトへ視線を向ける。

 

「本当は今すぐ君を殺したいんだけど、残念ながらそんな力も残ってないんだよね。だから、ボクが本当の力を取り戻したら相手をする。今はそこでおとなしくしてて」

 

 そう言って銀髪男は、さっき拾い上げたカオスジラークのスパークドールズを口へと持っていき、

 

「あーん」

 

 バリボリと食べ始めた。

 

「なっ……!? 食べ、てる……!?」

 

「怪獣のスパークドールズには『大いなる闇』の力の一部が封じられている。それを食べれば闇の力を回復できるというわけだ。まあ無論、あくまでエネルギー回復だけであって、力を取り戻すわけではない。応急処置といったところだ」

 

 驚きで声を上げたリヒトに答えるように、白い少女が言った。

 銀髪男はカオスジラークだけでなく、ダークガルベロスのスパークドールズまでも食べ始める。

 二体の怪獣スパークドールズを食べ終えた銀髪男。まるでおにぎりを食べ終えた後かのように、その指を下で舐めた。

 

「……やっぱり、ギンガスパークでリードされている分薄くなってるな。まあ、二体じゃ補給できる力なんてたかが知れているし、今この場においてはこれで十分」

 

 銀髪男は改まって比奈の方を向く。

 

「さ、準備は整いました。あとは、わかってますよね」

 

「…………」

 

「沈黙しても意味ないですよ。もう娘さんはこちらの手にあります。助けに来たヒーローくんもご覧の有り様。もうあなたを救う希望はないんです。それとも、失わないとわかりませんか?」

 

「やめてっ……!」

 

「なら、決めてください」

 

 銀髪男が、怪獣のスパークドールズを一つ取り出す。

 エネルギー補給のためではなく、比奈にリードさせるための怪獣。それを、比奈の目の前に落とす。

 比奈は床に落ちたスパークドールズを見て、苦悶の表情を浮かべた。

 今の自分に選択肢なんてない。あるのは、これを手にするということだけ。

 

「だめだ……! それを手にしちゃいけない!!」

 

 リヒトが叫ぶ。

 しかし、それだけではどうしようもない。もう、どうもできない状況が出来上がってしまったのだ。

 

「……っ!」

 

 比奈がそれを手に取る。

 銀髪男が笑みを浮かべ、

 

「いい判断です。ボクも嬉しい」

 

 そう言って、ことりを含めた三人が姿を消した。

 理事長室にリヒトと白い少女だけが残される。

 

「……どこへ行ったんだ?」

 

「それは私への問いか? そこまで答えるつもりはない。さあ、残りの光のいただくぞ」

 

 三度噛み付く白い少女。

 体から力が抜けていく。これ以上はまずい。南親子が銀髪男とともに消えたのだ。間違いなく、比奈は怪獣にダークライブしているだろう。なぜことりも連れ去ったのか不明だが、比奈の心に更なる追い討ちをかけるためと考えられる。

 今すぐに駆けつけなくてはいけない。

 しかしギンガスパークは手の届かないところにある。そもそも、背中に乗っている白い少女をどうにかしなければいけない。

 なんとかしなくてはと、焦る心。

 しかし、突然白い少女から苦悶の声が上がった。

 同時に押さえつける力が弱まる。その隙をついて、リヒトは強引に体を動かして抜け出す。

 ギンガスパークを拾い上げ、白い少女へ先端を向ける。少女は頭を押さえながら、床に手をついて苦しそうな表情を浮かべていた。

 

「そうか……噛みついた際の傷の修復で……くっ」

 

 余程のことだったのだろう。白い少女は光となってその場から消えていった。

 

「なんだ……」

 

 突然撤退した少女に疑問を抱いていると、

 

「リヒト! 無事か!?」

 

 扉を開けて奉次郎がやってきた。

 奉次郎は室内を見回して、ことりと比奈の姿がないことに気づく。

 

「比奈さんとことりちゃんは!?」

 

「──! そうだった!」

 

 リヒトはギンガスパークを構え、しかし三人の行き先がわからない。怪獣にダークライブしているのであれば、その反応を元に行き先を特定できるのだが、その反応もまだなかった。

 

「じいちゃん。敵の狙いはことりの母親だった」

 

「何?」

 

「ローブ男は二人を連れて消えたんだ。きっと、ことりの母親を怪獣にダークライブさせて何かする気なんだ。それに心当たりは?」

 

「……UTX学園かもしれん。音ノ木坂学院が廃校する要因の一つとして、UTX学園の設立が関係していると言っていた。心当たりがあるとすれば、そこぐらいじゃ」

 

「UTX学園だな!」

 

 ギンガスパークを構え、ギンガのスパークドールズを呼び出そうとして、

 

『リヒト』

 

(──ギンガ!?)

 

 突然周囲の光景がホワイトアウトし、目の前にギンガが現れた。

 

『君の祖父の言う通り、怪獣はUTX学園に出現した。今位相が変わったところだ」

 

(じいちゃんの言ってた通りってわけか。ってか、それを言いにわざわざ?)

 

『もう一つ。先程の少女によって、私たちの光が吸収されてしまった。今私にウルトライブしても、三分間も戦えない』

 

(なっ!?)

 

『戦うな、とは言わない。しかし、いつも以上に厳しい戦いになることを覚悟していてくれ』

 

 伝えるべきことは伝え終わったのか、周囲の光景が元に戻りリヒトの手にはギンガスのパークドールズが握られていた。

 

「リヒト?」

 

 動きを止めたリヒトに奉次郎が声をかける。

 

「いや、行ってくる」

 

『ウルトラーイブ! ウルトラマンギンガ!!』

 

 リヒトの体は光に包まれ、ウルトラマンギンガへと姿をかえる。

 そしてテレポーテーションを行い、UTX学園を目指すのだった。




学校の廃校を理事長がどう受け止めているのか。

アニメを見た当時に抱いた疑問から生まれた今回のエピソード。
理事長として、色々と策を打っていただろうし、頑張っていただろうなって考えたら、あらま不思議ローブ男さんがこんにちわしましたよ。
娘まで攫われてしまって一体どうなるのら。

多分、次回あたりで決着となるでしょう。

それでは。


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第三章:親と子

お待たせいたしました。
第12話、第三章になります。
闇に囚われてしまった理事長を、ギンガは救えるのでしょうか。
それでは、どうぞ──。


[3]

 

 

『ダークライブ! グワーム!!』

 

 比奈がその手に持つ怪獣のスパークドールズを解放した。

 長い首と銀色の装甲を纏う四つ足の怪獣。その名は『グワーム』。

 別名『宇宙鋼鉄竜』。 

 UTX学園の前に姿を現したグワームは、黄色瞳で目標物を見据える。 

 銀髪男は、おもしろおかしそうにその光景を見ていた。

 

「さて、ここで壊しても現実には影響ないんだけど……たとえ幻想であっても、自分の手で壊した感触が残れば、それは心の崩壊へとつながる」

 

 そこで思い出したように、銀髪男は続ける。

 

「そうだ、理事長。グワームの攻撃手段は口から吐くガス攻撃しかないけど、そのガス攻撃は攻撃と呼べるほどの威力は持ち合わせていない。破壊行為は自らの手を下さないといけないから」

 

 竜型の生物兵器であるグワームはコレといった攻撃手段を持っていない。一応口から赤いガスを吐くことはできるが、それには大した威力はなく効力も大気を変えるというもの。何かを破壊したいのならば、自分の体をぶつけるしか方法がないのだ。

 実に単純でシンプル。

 だからこの怪獣を選んだ。自ら手を動かすことでしか物の破壊ができない怪獣。光線や炎といったわかりやすい攻撃ではなく、自らの手で破壊するからこそ心にくるダメージは大きい。

 加えて、『ある仕掛け』がこの怪獣では出来る。

 

「……ん? 来たんだ、ウルトラマンギンガ」

 

 グワームとUTX学園の間に、光の巨人が現れる。

 ここに来たと言うことは、あいつの拘束から抜け出したということだが、まあいい。おそらく光──体力はかなり奪われているはずだ。いくらここが光の異空間とはいえ、元から消耗していれば通常通りには戦えまい。

 さて、ウルトラマンギンガはこの状況をどう乗り越えるのだろうか。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 戦いの場にやって来て、リヒトはすぐに違和感に気づいた。

 ──ギンガから感じるパワーがとても弱い。いつもなら溢れんばかりのパワーをギンガから感じるのに今回はその逆だ。

 先ほどギンガは『あの少女によって私たちの光が吸収された』と言っていた。そのせいでギンガにウルトライブしていられる時間も少ないという。

 光が吸収されたと言うことは、体力を奪われたことに等しいことなのだろう。いつタイムリミットが来てもおかしくない状態で戦わなくてはいけない。

 あまりにも不利な状況に思わず下唇を噛んでしまう。 

 そして、リヒトが感じた違和感はもうひとつあった。

 グワームのインナースペースには、南比奈ひとりしかいないのだ。

 

「理事長、ことりはどこに行ったんですか?」

 

「……わからないわ。近くにいるとは思うの……けど、どこにいるかはわからない」

 

 リヒトは目を凝らしてインナースペースを見る。

 しかしどこにもことりの姿はない。

 

『──リヒト。怪獣の頭部だ』

 

 ギンガの声が聞こえ、視線を怪獣の頭部へと向ける。

 グワームの頭部にはやや盛り上がった部分があった。

 ──もしかしてと、嫌な予感がしたのと同時、その頭部の中にことりの姿があることを視認した。

 

「ことり!?」

 

 ──ことりが怪獣に囚われている……。

 それを理解した瞬間、グワームが動き出した。

 ギンガの胸部を目掛けて長い首を振るう。受け止めようと動くギンガだったが、振われる首の先──頭部にことりがいることを思い出して動きが止まる。

 グワームの頭部がギンガの胸を叩く──幸いことりは頭頂部付近にいるため、ギンガの胸部を叩いた頭部とは別箇所だった──。ダメージを受け、膝をつく。そこへのしかかる様にグワームが迫る。

 グワームの下敷きとなるギンガ。押し返そうとグワームの体を叩くが、その体は頑丈でびくともしない。

 ようやくの思いで抜け出すことに成功したが、すぐに長い首がギンガの胸部を叩き後ろに飛ぶ。建物を巻き込んで地に倒れるギンガ。

 グワームは再びUTX学園に向かって進行を始める。

 起き上がったギンガはそれを阻止するべく長い首に掴みかかった。

 

「理事長! やめてください!」

 

「放してちょうだい! あの学校が……あの学校がなければ! 音ノ木坂学院は廃校にならずに済むの!」

 

 グワームの首が大きく揺れた。その動きに流され、手を離してしまう。

 離れたところへ、ガス攻撃。大したダメージにはならないが、一瞬の隙を作るには十分な攻撃手段たった。

 突進を受け、倒れるギンガ。

 同時に、胸のカラータイマーが点滅を始める。

 いつもであれば残り時間が1分になったことの知らせ。しかし、今回に限っては残り時間が1分であるとは言い切れない。元々の制限時間が短くなっているのだ。カラータイマー点滅後の残り時間もいつも通りではないと言えるだろう。

 残り時間が不明。さらに怪獣の頭部にことりが囚われた状態で、まだ解決の糸口が見えていない。

 圧倒的に不利な状況。

 焦りが生まれる。

 

「理事長!」

 

 UTX学園へと迫るグワームを阻止するべく、再び立ち上がるギンガ。背後にある尻尾を掴み、これ以上進ませないように引っ張る。

 

(くっ、力が全然出ねえ!)

 

 いつもであればこのまま後ろへ投げ飛ばせたはずだが、今回ばかりはグワームをこれ以上進ませないようにすることしかできない。

 

「邪魔を……しないでっ!」

 

 グワームの顔がぐるりと後ろを向きガスを吐き出す。

 その拍子に両手を離してしまう。続け様に鞭のように振われた首がギンガの胸を叩き、後ろへ吹き飛ばす。

 背中から倒れるギンガ。

 起きあがろうとするギンガに向けて、ガスの追撃。

 

「あの学校さえ……あの学校さえなければ、音ノ木坂学院は廃校にならなかったはずなのに……!」

 

 ガスで視界を塞がれ、気づいた時にはグワームが目の前にいた。

 ギンガの上に伸し掛かるグワーム。

 

「お願いリヒトくん……私の邪魔をしないで……」

 

 それは、悲しみの声だった。

 悲痛な叫び。

 

「わかってるの……こんなことをしたって意味がないって……でも、もう止められないの。自分では止められないほど、あの学校にこの気持ちをぶつけないと気が済まないの!」

 

 比奈の悲鳴とともにギンガは何度も踏みつけられる。

 何度も。何度も。

 壊れてしまった心。もう止まらない、止められない。さっきまではあったブレーキが今は消えてしまった。

 ブレーキが壊れた彼女はここでギンガを潰す気だ。邪魔をされないように、ここで行動不能にする。

 比奈にはギンガの胸の点滅が何を意味しているのかわからない。だが、それが何かの危険信号もしくはリミットを表しているのだと感覚でわかった。

 だから、このままここでその時間が切れるのを待つ。彼が消えてしまえば、もう誰も止められない。

 自分を止める人はいなくなる。

 

「UTXがなければ、音ノ木坂学院は廃校にならなかった。UTXがなければ、校舎の修復工事ができた。UTXがなければ、私が受け継いだ学校を存続させることができる! 古き伝統のあるあの学校を、ずっと残していける!」

 

「だからって……壊していいわけないだろ!!」

 

 リヒトは吠え、ギンガはグワームの足を押し返す。

 

「確かにUTX学園ができて、それが音ノ木坂学院の廃校に関係しているのかもしれない。けど! その廃校を阻止するためにことりたちが立ち上がったんじゃないですか! それを応援してたんでしょ? だったら! まだ諦めるには早いじゃないですか!」

 

「……そもそも、私がしっかりしていれば、学校が廃校になることはなかったの。学校が廃校にならなければ、ことりが危険な目に遭うことも……絢瀬さんが苦しむこともなかったの!」

 

「それはちが──」

 

「──違くないわ! 私がしっかりしていればこんな状況になってないはずよ! 廃校の心配もなくて、生徒たちは楽しい学園生活を送れたの! なのに……なのに私が廃校を止められなかったから……そのせいで、生徒たちには大変な思いをさせて、絢瀬さんはとても辛い思いをさせてしまった……」

 

 理事長。

 それは学校法人のトップを担う役職である。学校運営の方針を決め、その指示を出す立場の人間。

 加えて音ノ木坂学院は古くからある歴史の長い学校だ。今まで数多くの理事長が音ノ木坂学院を発展させてきた。

 

 

 そんな学校が自分の代で廃校となり、歴史が終わってしまうかもしれない。

 

 

 もしそんな場面に直面したら、果たしてどれだけのプレッシャーを感じることだろう。

 普通の学校とは違い、歴史が古く、おそらく音ノ木町に住む多くの女性の母校となっている学校。

 そんな、とても歴史が刻まれた学校が自分の代で消えてしまうかもしれない。

 何としてでも阻止しようと考える。そのためにありとあらゆる策を講じた。どうすれば、自分の代でも音ノ木坂学院を存続できるか。どうすれば終わらせずに、続けさせることができるか。

 何度も考えた。だが結果はいい方向には変わらず、ついには自分の娘たちが自らの手で廃校を阻止しようと動き出した。

 

 

 そしてその時、思ってしまったのだ。もし、娘たちの頑張りが叶わず廃校が決定してしまった場合、どれほど傷つくのかと。

 

 スクールアイドルとは、言ってしまえば気を衒った作戦だ。生徒たちが自らアイドルとなり、パフォーマンスをして生徒の興味を惹く。

 成功したときの達成感は大きいが、失敗したときの挫折もまた大きい。自分たちから立ち上がったため、挫折はより大きなものとなるだろう。

 大人である自分がここまで挫折しているのだ。まだ子供である彼女たちはどうなってしまうのか。

 そんな不安を抱き始めた頃に、ローブ男──あの銀髪の男が現れた。

 

『あなたの考えている通りだよ。彼女たちは自らの足で無謀な夢を追い始め、そして挫折する。挫折し、彼女たちは怪獣となって「大いなる闇」の生贄となる』

 

『大いなる闇』が何なのかはわからない。

 だが、その時見せられた光景──生徒たちが次々と怪獣となる光景はあまりにも悍ましかった。

 その中に、愛する娘の姿があったことも……。

 

「そうだ……ことりはどこに行ったの……? ことりはどこなのよ!!」

 

『まずいぞ。彼女の心がより深く闇に飲まれ始めている』

 

 ギンガの言う通り、比奈の叫びに応えるかのようにその手にもつダークダミースパークの輝きが増した。

 比奈の目がより虚なものへ変わっていく。

 

「ことり……ことりはどこ?」

 

 愛する娘の名を叫ぶ母。

 ──そして、その声に答えるものがあった。

 

『……お母さん』

 

「──! ことり! ことり! どこにいるの!?」

 

「……今、ことりの声が」

 

 母を呼ぶ娘の声。それはリヒトの耳にも聞こえてきた。

 だが、それはタイミングがあまりにも悪かった。今の状況では、より比奈の心に負荷をかけることになってしまう。

 

「ことり……ことりっ!!」

 

 何度呼んでも姿は見えない。

 だから、声だけを頼りに娘の在処を探す。彷徨うように、愛すべき娘の姿を追いかける母。

 自分のせいで娘が今危険な目に遭っている。その事実に胸が締め付けられ、より心の熱が沸騰していく。

 ダークダミースパークの輝きが増していく。

 

「理事長!」

 

 しかし、これ以上比奈の心を壊させないために光の巨人がグワームの行手に降り立つ。

 邪魔者を排除するために、ギンガに向かって突進をするグワーム。ギンガはそれを真正面から受け止める。

 全力を振り絞り、グワームの進行を遅らせることには成功したが、完全に止めるにはやはりパワーが足りない。

 グワームの前足がギンガの足を叩く。鋼鉄の塊に叩かれ、火花が散り体制が崩れる。

 首が大きく振るわれ、またしもギンガの体がそちらに流される。

 元から体力を奪われている状況。踏ん張りが効かずに体が流され、すぐに体制を立て直すこともできない。

 

『リヒト。ここは、先に南ことりの救出が先決だ。南ことりを救出しなければ、おそらく私たちの声は彼女に届かない』

 

 ギンガの言う通りだ。今の精神状態ではこちらの声が比奈に届くとは思えない。

 ならばまずはことりの救出からなのだが、いったいどうやってグワームの頭部から救出すればいいのだろう。

 

「でも、どうやって……」

 

『ギンガセイバーで頭頂部を斬る』

 

「──っ!?」

 

『一歩間違えれば南ことりをも斬りつけてしまうが、これしか方法はない』

 

「…………」

 

 躊躇うのは一瞬。

 リヒトは覚悟を決め、ギンガスパークを握る。

 グワームの視線はUTX学園へと向いている。

 ギンガは走り出し、跳躍。空中で身を捻り、UTX学園を背にする形で着地。グワームを見据える。

 グワームは、再び行方を阻むギンガに向け吠える。

 ギンガは駆け出す。

 再びの跳躍、グワームが迎撃のため口を開く。

 ──チャンスはこの一瞬。

 クリスタルが白色に輝き、右腕のクリスタルから剣が生成させる。

 

「──っ!!」

 

 重なる二つの姿。

 振り抜かれる右腕。

 尾を引く白い光。

 散る火花。

 ──ギンガの手に、グワームの頭頂部から切り取られたパーツが落ちてきた。

 自分の手の中に落ちてきたソレに目をむけ、ことりの無事を確認する。

 背後から、グワームの咆哮が聞こえてきた。

 怒りの咆哮。走り出すグワームを待ち構えるギンガは、その距離がゼロになる寸前でクリスタルを緑色に輝かせる。カウンターとして、光を纏った拳をグワームに打ち込む。

 その拳はグワームの中へとインナスペースにいる比奈の元へと辿り着き、彼女の視界を光で染め上げる。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

「…………ここ、は」

 

 気がついた時、南比奈は光に染まった世界に立っていた。

 さっきまでいた暗い闇の世界とは反対の明るい世界。

 

「理事長」

 

「……リヒト、くん」

 

 そこに、娘の友人がいた。

 その腕には愛する娘が抱えられている。

 

「ことり……!」

 

 すぐに娘の元へ走り出す母。

 リヒトの腕の中にいることりは瞼を閉じている。だが、しっかりと呼吸をしていた。

 

「大丈夫です。どこにも怪我はありませんし、何かが体を蝕んでいる訳でもありませせん。気を失っているだけです」

 

「ことり……よかった……」

 

 リヒトの腕から比奈の腕の中へ。

 ──何十年ぶりだろうか。こうして娘を抱き抱えるのは。小学生以来か、それとももっと前か。生まれつき膝の弱かったことりをよく抱っこしていた感触が、つい最近のように蘇ってきた。

 高校生になった娘は、その時に比べればとても重い。成長しているのだから当たり前だ。流石に立った状態でいられるわけがなく、つい座り込んでしまう。

 だが、その重さが母親にとっては嬉しいものだった。

 その重さは娘が成長していると言うこと。

 娘が自分の腕の中にいると言うこと。

 娘が無事であると言うこと。

 スクールアイドルを始めたからだろうか。その手に伝わる感触はとてもしっかりしたものだった。きっとダンスの練習や基礎トレーニングの結果、筋肉がついているのだろう。膝の弱っかったあの時からは考えられないことだ。

 幼い頃のことりはよく家の中にいた。膝が弱かったからあまり外では遊べず、家の中で過ごすことが多かったのに、今では激しいダンスをするアイドルをやっている。

 母親の見えないところで、強く、成長したのだ。

 

「……理事長、もうこれ以上自分を責めないでください」

 

「リヒトくん……」

 

 そんな二人を見ていたリヒトが、膝をついて言ってきた。

 

「これ以上自分自身を責めたら、あなたの心が壊れてしまう。そしたら、ことりが一番悲しみます。理事長がことりを大切に思っていると同じぐらい、ことりは理事長のことを……母親のことを大切に思っているんです」

 

「…………」

 

「心配してましたよ。比奈さんのことを。いつも遅くに、暗い顔をして帰ってきていることを、とても心配してました。多分、比奈さんの苦労を感じ取っていたんだと思います。娘だからこそ感じ取ってしまう、親の心を。だから、今度のオープンキャンパスを絶対に成功させて、お母さんを元気にさせたい、安心して欲しいって言ってました」

 

「ことり……」

 

 腕の中で眠る娘を見る。

 

「俺はことりたちがダンスを始めらころから見てます。だから、断言できます。ことりたちは確実に上手くなっている。誰かを魅了する力をつけてきてます。だから、オープンキャンパスのライブも必ず上手くいきます。信じてあげてください。ことりたちの可能性を」

 

 娘の可能性。

 それは、信じていいものなのか。もし失敗したら、娘はとても傷つく。立ち直れないほどのショックを受けるかもしれない。

 そう何度も考え、しかし、それは誤りだと気づいた。

 だって娘は成長している。成長して、母親の知らない娘になっている。

 記憶の中の娘とはもう別人。記憶の中にいる、弱い子ではない。

 だったら、母親として出すべき答えは──。

 

「……ええ、信じるわ。ここでこの子を信じなかったら、母親失格だもの」

 

 

 

[エピローグ]

 

 

「…………ん」

 

「気づいたのね。ことり」

 

「……お母、さん……?」

 

 自分の膝で横になっていたことりが目を覚ます。

 今二人がいるのは音ノ木坂学院の理事長室。ウルトラマンギンガによってダークダミースパークから解放された比奈は、ことりと共にここへ帰ってきたのだ。そして、眠ったままのことりをほっとくわけにもいかず、室内にあるソファーに座り、膝枕をしてことりが目覚めるのを待っていた。

 目が覚めたことりは、自分がどう言った状況にいるのか分からず困惑している様子。

 

「大丈夫? 何ともない?」

 

「うん……あれ? 私、たしかお母さんのところに来てそれから……あれ? どうしてお母さんの膝で寝ているの?」

 

 どうやらリヒトの推測通り、この部屋に入ってからの記憶がはっきりとしていないようだ。ことりは部屋に入った直後に、銀髪男によって眠らされてしまった。その時のショックで記憶が飛んでしまっているのだろう。

 加えて、怪獣の頭部に囚われていたことも覚えていないようだ。

 

「緊張してたのかしらね。少し横になるって言ってそのまま寝てたのよ」

 

「ええ!? それじゃあ時間は!?」

 

「大丈夫。寝てたって言っても、ほんと数分だから。まだ時間に余裕はあるわよ」

 

 急いだ様子のことりに優しく言葉を掛ける比奈。

 立ち上がり、部屋を出て行こうとすることりは、ふと立ち止まり母を見る。

 

「…………」

 

「ん? どうかしたの?」

 

「ううん。お母さん、何だかスッキリした顔してるなって」

 

「え?」

 

「憑き物が落ちたいみたい」

 

 娘の発言に言葉を失う母。

 そこで、ことりは何か思い出したように言葉を続ける。

 

「そうだ、お母さん。私たちのライブ見に来られる?」

 

「……ええ。もちろん。楽しみにしているもの」

 

「よかった。絶対に見にきてね。学校の廃校、絶対止めてみせるから!」

 

 そう言って、ことりはドアを開けた。すると、廊下で待機していた奉次郎が入れ替わる形で室内に入ってくる。

 奉次郎は比奈の姿を見ると、その代わりように安堵の表情を浮かべた。

 

「……その様子じゃと、リヒトは無事に解決したようじゃな」

 

「ええ……ウルトラマン、リヒトくんに助けられました」

 

「いや、最後に闇に打ち勝ったのは比奈さん自信じゃよ。リヒトはその手助けをしたにすぎん」

 

「それでも、彼がいなかったら私はここに立ってません。きっと、壊れてたと思います」

 

 比奈の記憶には、自分が怪獣になって何をしようとしていたのか。その胸に湧き上がる破壊衝動がどう言ったものだったのか、そう言ったものがはっきりと刻まれている。

 決して忘れてはいけない。自分の弱さ、醜さ、傲慢さ、それらを凝縮したような感覚。

 己の罪。

 それがはっきりと残っている。

 

「……これは、償うべきものなのでしょう」

 

「……どうじゃろな。闇に囚われたとはいえ、比奈さんは何も壊しておらん。壊す前にリヒトが止めた。お主に罪はないと思うのじゃが」

 

「いいえ。私は自分の娘を信じていなかった。記憶の中にある幼い娘と一緒だと思い込んでいた。でも、今のことりは記憶の中にあることりより、とても強く成長しています。それなのに、母親である私はその成長を見過ごしていた。だから今回の事態を招いた。なので、これは私の罪なんです」

 

「……真面目じゃな」

 

 奉次郎の言葉に比奈はふっと笑みをこぼす。

 

「では、ことりちゃんたちのライブを見に行こうかのう」

 

 奉次郎の言葉に頷き、ふたりはライブ会場へと向かう。

 思えば、娘のライブを見るのはこれが始めてだ。ずっと廃校を阻止するために思い詰めていたため、動画サイトに上がったものも含めて一回も見たことがない。

 どんなライブなのか、とても楽しみである。

 校庭に設置されたライブ会場には、おそらく今日のオープンキャンパスに訪れた中学生がほとんどいると見ていい。それほどの人を集めていることに驚きつつ、やがてステージに九人の影が現れる。

 そして、リーダーである高坂穂乃果の言葉と共に曲名が告げられライブが始まる。

 

「…………」

 

 以前、ことりが生まれた時に奉次郎が言った言葉を思い出した。

 

『子供が産まれてからの時間はあっという間じゃ。ワシら親が知らぬ間にどんどん成長していく。その一瞬一瞬を、見逃すでないぞ』

 

 その時はあまり分からなかったが、いまステージで歌い、踊る娘を見てわかった。

 本当、奉次郎の言う通りである。

「奉次郎さん」と、気づけば比奈は言葉をかけていた。

 そして、

 

「本当に子供たちは、大人が見ないうちにとても早いスピードで成長するんですね」

 

 と言った。

 その表情はとても晴れやかであった。




第12話 運命のオープンキャンパス ─完─

○登場怪獣
グワーム


○あとがき
以上をもちまして、第12話終了です。
理事長にスポットを当てたエピソードいかがでしたでしょうか。原作の方では学校の廃校をどう受け止めていたのか、詳しい情報が出てこなかったので今回のエピソードを考えてみました。
理事長なら、それなりに重く受け止めてるだろうなーと、この作品を描き始めた当時の私は思ったようですね。

そしてようやくオープンキャンパスまで終わりました。ちょうどアニメなどでいえば1クール。めちゃくちゃかかりました。あとはメイドやって海行って文化祭やって留学問題をやって、そうすればアニメ一期のエピソードが終わる。
(もちろん色々足し引きありますが……)。

さて、次回もちょっと意外なところにスポットを当てたエピソードとなっております。
お楽しみいただければ幸いです。


○次回予告
生きていたローブ男と正体不明の白い少女。何としても決着を夏休み中につけるときめたリヒトは再び音ノ木町へとやってくる。
そんな彼の元に、ひと組の男女が現れる。どうやら記憶を失う前のリヒトの友人のようで、二人に連れられやってきたのは、何とメイド喫茶!? しかもそこには、何だか顔を知っている少女が人気ナンバーワンとなっており……?

次回、伝説のメイド! その名はミナリンスキー! 



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第13話 伝説のメイド! その名はミナリンスキー!!
第一章:再会の友


今回、あるウルトラシリーズのキャラクターと名前が同じキャラクターが出てきますが、原作の方を参考に作成したキャラクターなのであまり深い意味はありません。
あくまで名前が同じなだけです。


[プロローグ]

 

 

 いま一度、状況を整理しようと、一条リヒトは思った。

 まず自分がいるのは、秋葉原にあるとあるメイド喫茶。再会した友人に連れてこられた場所だ。

 次に、いま自分はこのメイド喫茶の何かしらのイベントに参加している──正確には、参加することになってしまった──。イベントは順位を決めるトーナメント制になっており、一位になった者にはこのメイド喫茶にて人気ナンバーワンを誇るメイド『ミナリンスキー』とのツーショット券が贈られる。

 リヒトはそのミナリンスキーからなんとしても優勝してほしいと直々に懇願され、このイベントに参加することになってしまったのだ。

 そして、なぜか決勝まで勝ち進んでしまい、まもなく決勝戦が始まろうとしている。

 イベント内容は至ってシンプル。叩いてかぶってジャンケンポンで勝敗を決めるのだ。

 目の前のテーブルには攻撃用に使うピコピコハンマーと、防御用に使う銀色のトレーがそれぞれ二個ずつ。

 改めて自分の置かれている状況を整理をして、やっぱり『なんでかなー』と思うリヒト。

 

「私は特別『ミナリンスキー』推しではないのだがね。しかし、この店の常連として、ミナリンスキーが可愛いこともまた事実。ならば、参加しない理由はない! さあ光の少年。正々堂々いこうじゃないか」

 

 目の前にいる、白いシャツに黒のレザーベスト、加えて黒いハットを被ったダンディな男性が告げる。

 右の人差し指でつばを押し上げ、不敵な笑みを浮かべて、準備万端といった様子。

 

(……いや、俺も別にミナリンスキーのファンじゃないんだけど……てか、ここに来たの今日が初めてだし……)

 

 チラリと、この戦いを見守っているミナリンスキーの方を見る。

 そこには、とても知っている顔。だけど別人だと言い張る友人が、困った顔をしつつもこちらに声援を送っていた。

 

「……ほう、私を無視してミナリンスキーへ熱い視線を向けるとは。私のことなど眼中にないと言うわけかね」

 

「え? あ、いや別にそう言うわけじゃ」

 

「構わない。彼女にはそれほどの魅力がある。しかし、忠告しよう。目の前の相手を無視するとは、すなわち戦いに目を向けていないと言うこと。戦いにおいて、戦場から意識を外すことは愚か者のすることだ。覚えておくといい」

 

 渋い声で、射抜くような視線がリヒトに向けられる。

 男性の言う通りだ。いくら自分の意思で参加したことではないのだとしても、やるからにはそれ相応の態度を見せなくてはいけない。

 リヒトは意識を切り替え、目の前の男性を見据える。すると、男性は満足したようにフッと笑った。

 

「いい目つきになった。では、参ろうか」

 

 そして、両者は構えるのだった。

 

 

[1]

 

 

 ──夏休み。

 一般的に七月下旬から八月いっぱいの長い休みを示し、子供たちはこの長い休みを有意義に過ごす。

 もちろん、人によっては受験の追い込みであったり、就職活動、部活動の最後の大会など重大な時期でもあったりする。

 そして、一条リヒトにとって夏休みとは──。

 

「この夏休みで決着をつける」

 

 ──自信が背負っている使命に決着をつける最適なタイミングであった。

 場所は榊家の居間。そこにはリヒトの他に、榊奉次郎と東條希が同席していた。

 

「夏休みが終われば、俺は実家に帰らないといけない。そうなったら、もう自由に動けなくなる。決めるにはここしかない」

 

 リヒトはウルトラマンとして、この町で暗躍している『闇』と戦っている。

 しかし、この事情を家族内で知っているのは、母方の祖父である榊奉次郎だけ。両親は全く知らない。

 つまり両親からすればリヒトは至って普通の高校三年生であり受験生なのだ。

 夏休みとは受験生にとってまさに勉強の時。夏休みが明け、秋が来れば試験が始まるところだってある。この夏休みをどうやって過ごすかが、受験生にとっては大切なのである。 

 故に、この夏休みが明けてしまえばリヒトはもう自由に動くことができない。もしそんなことになれば、大事な時に戦いに行けないといった事態になってくる。

 それを避けるためにも、この夏休みで戦いに決着をつけたいのだ。

 

「りっくんの言う通りやね。決着は早くにつけたほうがいいと思う。理事長が狙われたとなると、もう誰が狙われてもおかしくないとウチは思うよ」

 

 リヒトの宣言を聞いていた東條希が賛同の意を示す。

 

「学校を巻き込んだあの事件も、比奈さんの心を壊すための事前準備じゃったんじゃろうな」

 

 続いて榊奉次郎が言葉を続けた。

 ウルトラマンギンガと初めて会った時、ギンガは穂乃果たちの背後に『邪悪な魔の手』が迫っていると言った。その言葉から、狙われるのは穂乃果たちだけだと思っていた。

 しかし、前回狙われたのは南ことりの母であり、同時に音ノ木坂学院の理事長である南比奈。そして比奈の心を壊すために、音ノ木坂学院の生徒全員が巻き込まれた前々回の事例。

 希の言う通り、もう誰が狙われてもおかしくないと考えられる。

 

「しかし、ローブ男が生きていたことはもちろんじゃが、一番気になるのは『白い少女』じゃな。ギンガスパークが反応せんかったのじゃろ?」

 

 奉次郎の問いにリヒトは頷く。

 

「ギンガスパークが感じ取ったのは『ローブ男』の気配だけ。『白い少女』の気配はまったく感じなかった。入室後に突然現れたって感じだ」

 

「それで、光を吸収されたんよね?」

 

「ああ」

 

 吸血鬼が人間の血を吸う行為と同じだった。首筋に噛みつき、そこから血を吸う。白い少女の場合は血ではなく光なのだが、リヒトが感じた感覚はまるで血を吸われているかのようなものだった。

 

「そのせいで、ギンガにライブできる時間も短くなった……」

 

 光を吸収されたことで、リヒトはウルトラマンギンガにウルトライブできる時間が短くなってしまった。

 元々三分間という短い制限時間が、より短くなってしまう。前回はなんとか解決まで持っていけたが、もしあのまま光を吸われ続けたと考えると、下手をすればギンガへのウルトライブ自体ができなくなっていた可能性だってある。

 一方、リヒトの返答を聞いた希は目を閉じた。まるで瞑想しているかのような、そんな姿勢のまま数秒。

 

「のんちゃんも『白い少女』のことはわからないみたい」

 

『のんちゃん』とは希の中にあるもう一つの魂のことだ。

 はるか昔、『ティガ伝説』の時代に生きていた少女の魂が、なぜか東條希の魂と共に一つの肉体に宿っている。これが原因で希は霊感が強く、そして『闇の波動』を感じ取ることができるのだ。

 おそらく先ほど目を瞑ったのは、のんちゃんと会話をしていたためだろう。体の主導権を入れ替えられることはできなくて、先ほどのように基本的に希だけが会話可能である。

 そして、のんちゃんでもわからないとなると、いよいよ持って白い少女の謎が深まる……と思っていたところで、「でも」と希が付け加えた。

 

「感じ取ってはいたみたい。その『白い少女』の存在を」

 

「え?」

 

「存在は感じ取っておったのか?」

 

 希の言葉にリヒトは驚き、奉次郎は確認の言葉を投げかける。

 希は一度頷いてから言った。

 

「存在は感じ取れる、でも正体が何者なのかはわからないみたい」

 

「いや、そこは正体もわかってて欲しかったな……」

 

「ふむ。ひとまず、狙いはリヒトの光……と仮定したいところじゃが、『大いなる闇』復活に必要なのは強力な『闇』。『光』はむしろ反属性な故邪魔なはず……」

 

「のんちゃんには感じ取れて、ギンガスパークじゃ感じ取れないってのも気がかりだな」

 

 ギンガスパークで感知できない存在。それは一体なんなのだろうと考える。ローブ男と行動を共にしているのであれば、闇の勢力と考えていい。

 しかし、ならばなぜ闇の波動を感知できるギンガスパークが反応しないのか。

 

「希、のんちゃんが感じ取るのは『闇』だよな?」

 

「そうやで。のんちゃんは生きてる時『イージス』から治癒の力を授かった。その力が反する『闇』の力を感じ取ることができる。でも、ギンガスパークほど正確やない──って、前に聞いたんやけど……」

 

 それはリヒトも聞いたことがある。だから、より正確に闇の波動を感知できるギンガスパークを常備しているように言われたのだ。

 しかし、そうなるといよいよわからなくなってくる。なぜギンガスパークで感知ができず、のんちゃんは感知することができるのか。

 ただ一つ、今ここではっきりしたことは『白い少女』を感知できるのんちゃんの存在が、今後必要不可欠だということ。

 幸い、もうすぐで音ノ木坂学院も夏休みに入る。そうなったら、可能な限り希と行動を共にしたほうがいいだろうと、リヒトは思った。

 

「ローブ男が生きていた理由も気になるのう。リヒト、本当にローブ男は消えたのか? お前さんの見間違いではなく」

 

「……ああ。たしかに、消えた……はず……」

 

「はず……?」

 

 奉次郎の追求の目がリヒトの射抜く。

 

「し、仕方ねえだろ! あの時はローブ男が俺の中入ってきて、精神をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような感じだったんだから! ……でも、あいつは魂をふたつ持ってたらしいぜ。その片方を犠牲にして生き残った。あいつ自信がそう言ったんだ」

 

 リヒトの言葉を聞き、より考え込む奉次郎。

 

「情報をまとめると、ローブ男は片方の魂を犠牲に生き残っておった。しかし力の大半を失い、スパークドールズを喰らうことでエネルギーを補填しておる。ローブ男の主な動きは人の心の闇に漬け込み、怪獣にすること。そして白い少女は突然現れ、リヒトの光を吸収し行動不能にすることができる」

 

「まるで役割分担でもしてるようやな」

 

「なら、なんで最初からそうしてこねえんだ? 白い少女が接触してきたのは前回だぞ?」

 

「そこは、ウチにもわからん」

 

 ジェスチャーを交えて言葉を返す希。

 

「どちらにせよ、リヒト。警戒するのはローブ男だけとは限らんと言うことじゃ。今まで以上に気を引き締めるのじゃぞ」

 

「ああ。ここで決着をつけて、全て終わらせる。そして、穂乃果たちには気持ちよく『ラブライブ!』に望んで欲しいものだ」

 

 穂乃果たちの背後に迫る『邪悪な魔の手』。そのせいで、音ノ木坂学院が廃校となってしまう未来のビジョンをリヒトは見た。それを回避するのが、リヒトの戦う理由だ。

 穂乃果たちの夢を守るために戦う。

 そうすれば、穂乃果たちに危機は訪れなくなり、最悪の未来から最高の未来へ変えることが出来るのだ。

 その未来を変えるために、穂乃果たちには『ラブライブ!』に気持ちよく参加して欲しいと願っている。

 

「そういえば、今って何位なんだ?」

 

 ふと、気になった疑問が口から漏れた。

『ラブライブ!』と呼ばれるスクールアイドルの甲子園。それに出場するにはスクールアイドルランキングの上位二十位に入らなければいけない。

 現在全国のスクールアイドルの総数がいくつかはわからないが、それ相応の数があることをリヒトは知っている。その中から上位二十位に入るのは、並大抵のことではない。

 しかし『ラブライブ!』で優勝し、母校の廃校を阻止する目標を掲げるμ’sにとって、まずは最初の壁である出場条件をクリアしなくては何も始まらないのだ。

 

「確か、この前見た時五十位くらいにはなってた気がするな」

 

 希は先日見たランクングの順位を思い出しながら言った。

 つまり、あと三十位以上上げなければ本選へは進めない。本選に進まなければ、そもそも優勝すら狙えない。

 オープンキャンパスを終えた段階で五十位台。

 

「……この夏で何か手を打っとかないといけないな」

 

「そ。だからりっくんだけやのうて、ウチらもこの夏が大事なんよ」

 

 夏休みが開ければ『ラブライブ!』本選が間近に迫ってくる。それまでに上位二十位に入るには、この夏休みで大きなレベルアップと何か手を打たなくてはいけない。

 

「まあ、夏休みなら俺も久しぶりにみんなの練習見られるからな。絢瀬だけじゃカバーし切れないだろ」

 

 絢瀬絵里が加入したタイミングで、入れ替わるようにリヒトは実家へと戻ることになった。今までダンスパートを指導していたリヒトの代わりにいまは絵里がダンス指導を行っているが、絵里自身もμ’sのメンバーである。自分も一緒にダンスを踊らなくてはいけないため、やはり手の届かないところが出てきてしまうのだった。

 しかし今なら、リヒトがいる。九人でのフォーメーションをリアルタイムで確認でき、アドバイスを飛ばすことができればきっと今よりもレベルアップが見込める。

 もちろん、同時にリヒトが今のμ’sのダンスを見たいという気持ちもある。

 

「そうやね。ただ……」

 

 言葉尻を濁した希。

 

「どうかしたのか?」

 

「ことりちゃんが最近よく練習を休むんよ。何やら用事があるらしくて、早くに帰ってしもてのう。なかなか九人で練習できない状況なんよ」

 

「ことりが? 意外だな。ことりは休む方じゃないって思ってたんだけど」

 

「まあ、本人はもう少ししたら練習のほうに参加できるようになるから待っててって言っとるんやけどね」

 

 一応本人との話はついているようだ。

 それなら、リヒトが何か言う必要はないだろう。

 と、話にひと段落ついたタイミングで、偶然かリヒトのスマホがメッセージの着信を知らせる。

 スマホを取り出し、画面に表示されたメッセージと送信者を見て、リヒトは眉を顰めた。

 

「なあじいちゃん」

 

「なんじゃ?」

 

「この『アスカ』って人、知ってる?」

 

 奉次郎にスマホの画面を向ける。そこには送られてきたメッセージと送信者である『アスカ』という名前が表示されていた。

 

「お前さんの友人じゃよ」

 

「いや、それはなんとなくわかるんだけど……どんな人だったとか『一条リヒト』とどんな関係だったとか、そっちを知りたい」

 

 メッセージの文脈から『アスカ』と『一条リヒト』が友人関係であることは大方予想がついている。しかし、記憶喪失のリヒトにとって、この『アスカ』と呼ばれる人物像が全く思い浮かばない。

 故に送られてくるメッセージになんと返信すればいいのかわからないでいた。

 

「ふむ……そこはわしの口から語るより、直接会った方がいいじゃろ。それに、記憶喪失だとしっかり説明せねば無視していると思われ失礼じゃぞ」

 

「…………」

 

「安心せい。悪い奴ではないと保証できる。むしろ情に熱い、いい奴じゃよ」

 

 奉次郎の言葉を受けて、画面を見つめること数秒。

 リヒトは、返信するためにメッセージアプリを起動するのだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 夏の色が強くなり始めたとある休日。リヒトはスマホに記された待ち合わせ場所に来ていた。

 時刻は待ち合わせ時間の五分前。そして、リヒトがここに到着してすでに20分経過していた。

 別にこんなに早く来るつもりはなかった。本当は十分前の到着を予定していた。だが、結果はそれよりも早く到着してしまっている。

 なぜか。そんなもの決まっている。緊張しているのだ。そのせいで朝早くに目が覚めてしまし、ソワソワと落ち着かない気持ちを紛らわせるために家を早くに出た。

 向こうにしてみれば、友人との久しぶりの再会。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()。向こうは知っていても、リヒトは知らない相手。緊張するなというのが無理である。

 

『もういるのか? いるならどんな服装か教えてくれ』

 

 と、アスカからのメッセージを受信。

 

『もういる。服装はエスニック風のやつがいたらたぶんそれ。割と目立つと思う』

 

 こんな感じでいいのだろうか、と思いながら返信。記憶を失う前のやり取りを参考に文を作成するのは、少しだけ疲れる。

 すると、すぐに『まじか! 急ぐわ! エスニックな!』と返信が来た。

 

「…………」

 

 暗くなったスマホの画面に反射する自分の顔。そこにはどこか緊張の色が伺える。

 ぽたりと、スマホの画面に汗が一滴落ちた。

 それを拭いながら、今度は空を見上げる。見上げながら、これから会う友人の名前を思い返す。

 

 

 桐島(きりしま)アスカ。

 

 

 それがこれから会う友人の名前だ。『一条リヒト』が音ノ木町に遊びにきた際に知り合った、穂乃果たちとは別口の友人。

 どんな人物なのかと奉次郎に聞いても、情に熱いいい奴、としか教えてくれなかった。

『一条リヒト』はどんな風にアスカと接していたのか。リヒトはどうやってアスカと接すればいいのか。肝心なところを、リヒトが知りたいことを分かった上で教えないでいる。

 そのせいで、リヒトはメッセージアプリでのやり取りから接し方を考えるしかなかった。 

 はあ、と本日何度目かのため息をこぼすと、

 

「おーい! リヒトォ!! 既読無視とはどういう了見じゃあああ!!」

 

「!?」

 

 ──襲撃を受けた。

 背後からの衝撃。視界が揺れ、体の重心が一気に崩れる。しかしこのまま派手に倒れるとアスファルトに顔面からダイブすることになる。

 顔面からいったら確実にやばい。なんとしてでも避けなくてはいけない。

 ダンスをやってきたのだから、体幹には自信がある。この不意打ちをなんとか耐え切ってやる。

 そんな刹那の時間に思考をまとめたリヒトは、前に進む体の体重をなんとか制御してアスファルトへのダイブを回避した。

 

「へ? あれ? リヒ──ったあ!?」

 

 一方、襲撃者は自分が予想していた事態とは異なる展開になっていたことに疑問の声をあげ、そして頭部に鉄拳制裁が振り下ろされた。

 

「なにすんだよ!?」

 

「あんたね、久しぶりの再会だからっていきなり背中から襲いかかる? 普通。リヒト思いっきり倒れ込みそうになってたわよ」

 

「いや、俺だって驚いてるわ。既読無視するは俺の強襲に気づかないは、今まではなかっただろ?」

 

「だからってやっていいことじゃないでしょ」

 

 てっきり来るのはアスカだけだと思っていた。しかし、振り返ってみればそこにいいたのは一組の男女。

 長い黒髪とすらりとした長身の女性。見た感じ身長は一六五センチくらいだろう。服装は白のフレアフレンチブラウスとデニム。右手を腰に当て、やや呆れた様子。

 その視線の先にいるのは、鉄拳制裁を受け頭部を押さえている短髪の少年。こちらは黒のスキーニパンツに白いTシャツと至ってシンプルな服装。そして日焼けした肌から感じられる、いかにもスポーツマンといった風貌。

 メッセージの言葉使いから考えると、おそらく男子の方が『アスカ』だと思われる。

 

「ごめんね。このバカがいきなり襲いかかって。久しぶりの再会でちょっとテンション上がってるみたい」

 

 と、少女の方が言った。

 一方、頭を押さえながら襲撃者であるアスカ(おそらく)は首を傾げていた。

 

「つか、お前本当にリヒトか? なんか雰囲気違わね?」

 

「あんたねぇ」

 

 再び構えられる拳。

 しかしすぐにアスカ(おそらく)は言葉を続けた。

 

「よく見てみろよ。いつもの飄々とした雰囲気が全くねえだろ」

 

「……言われてみれば」

 

 ふたりして、リヒトを探るように見てくる。

 雰囲気でわかるものなのか、と思いつつリヒトは答えた。

 

「……信じてもらえるかわからねえけど、今の俺、記憶喪失なんだよ」

 

「「記憶喪失???」」

 

 と、ふたりは息ぴったりに言った。

 

「ああ。去年の十二月以前の記憶がない。だから、メッセージは誰が送ってきたのかわからなかったんだ。それで既読無視みたいになったのは謝る。わるかった」

 

 パチパチと瞬きをするふたり。

 

「……本当か? 久しぶりに再会したドッキリとかじゃなくてか? マジの記憶喪失なのか?」

 

 疑いの色が消えない視線でリヒトを見るアスカ。

 

「ああ。マジで記憶喪失だ。なんならふたりが知っている『一条リヒト』との思い出話、もしくはこの三人しか知らないことでも言ってくれ。今の俺じゃあ何にも答えられないから」

 

 ふたりは顔を見合わせる。

 やがて困ったように頭をかきながら、アスカは切り出す。

 

「……んー、そっか……なんつーか、あー、それはー大変だな……で、記憶喪失ってどんな感じなんだ?」

 

 ポカっとアスカの頭にゲンコツが落とされた。

 

「いったあああ!?」

 

「ばか。気にしてることかもしれないんだから迂闊に聞かないの!」

 

「いやでもよ〜、気になるじゃんかよ。記憶喪失の友人なんて滅多にいないんだぞ?」

 

「だからってねえ……」

 

「……疑わないのか?」

 

 ぽつりと、リヒトの口からもれた言葉。

 それを聞いたふたりはポカンとした表情を浮かべる。

 

「疑う? なんで?」

 

「いや、だって……」

 

「そりゃあ、ドッキリとか色々疑ったけど、今のお前の表情見たらマジなんだなって思ったわけ。んな不安そうな表情してたら信じるしかねえって」

 

 そんなに不安な表情を浮かべているのだろうかと思ったが、さっきスマホの画面に映った自分の顔を思い出す。

 あれは間違いなく『不安です』と言っているような表情だった。

 

「つうことは、俺たちの名前も覚えてないんだよな。うしっ、改めての自己紹介っていこうか。俺は桐島アスカ。お前と同じ高校三年生で野球部エース。ポジションはピッチャーだ」

 

「『元』野球部エースでしょ。もう引退してるんだから」

 

「うぐっ……」

 

「私は美村(み むら)(りよう)。アスカとは……小学校からの腐れ縁。同い年よ。よろしく、ってのもなんか変な感じね」

 

「ああ、よろしく」

 

 一瞬、言葉が詰まったことに疑問を感じたが、戸惑いの表情を見せる涼につられて少しだけぎこちない挨拶を返す。

 リヒトからしてみれば、よろしくと言った挨拶はなんら不思議がることはないのだが、相手が戸惑っているとなるとこちらも戸惑ってしまう。

 一方、そんなリヒトをジーッと見るアスカ。

 

「…………」

 

「な、何」

 

「……いや、なんかこう、調子が狂う気がしてな。俺が知っている『一条リヒト』ってのは、飄々としてて、常に余裕を崩さないやつだったから。今みたく戸惑ったり不安がるとこ、あんまみたことなくってよ」

 

「んなこと言われても……」

 

「いや、別に責めてるわけじゃねーというかー、なんというかー。なあ涼、こういう時なんて言えばいいんだ?」

 

「私に聞かれても困るわよ。それより、一旦どこかに移動しない? さすがに夏の外で立話は避けたいわ」

 

 涼のいう通りである。いくら日陰であるとはいえ、夏の太陽の下で立話は避けたい。

 とはいえ、どこか行く宛があるかなと考える前にアスカが声を上げた。

 

「んじゃあさ、あそこ行こうぜ! 涼のバイト先!」

 

「はあ!? 何で!?」

 

「だって、この前行ったらちょうどお得なクーポン当たったんだよ。それに、リヒトには前々から行って欲しいて思ってたからなー。ちょうどいいぜ」

 

「いや、でもさ。私今日バイト休みなんだよ? それなのになんでバイト先に行かなきゃいけないわけ?」

 

「いーじゃん。俺だってたまにバイト先によく行くし」

 

「あんたのバイト先はバッティングセンターでしょ? 私のバイト先とは違うじゃん!」

 

「さ、行くぞ行くぞ!」

 

「ちょっと!?」

 

 アスカの提案を頑なに拒否しようとする涼。

 しかしそれを無視して出発するアスカ。

 どうしたものかと考えるリヒトだったが、アスカが「置いてくぞー」と言うので仕方なくついてくことにするのだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 三人がやってきたのは、秋葉原にあるとあるメイド喫茶。

 まさか行き先がメイド喫茶だとは思ってもいなかった。メイド喫茶といえば、フリフリのメイド服を着た可愛い女の子たちが迎え入れてくれるお店、と言った印象しかない。

 

「メイド喫茶? 美村のバイト先ってここなのか?」

 

「……そうよ。悪い?」

 

「いえ全然」

 

 返ってくる言葉に少しだけドスが効いているのはなぜだろうか。

 

「なあ涼。今日ってミナリンスキーの出勤日?」

 

 店に入ろうとするその直前、アスカが振り返りながら聞いてきた。

 

「……たしかそうよ」

 

「おっしゃ! ラッキーじゃあねえかリヒト! ミナリンスキーに会えるぞ!!」

 

「……よかったわね」

 

「ミナリンスキーって誰だ?」

 

 リヒトの問いに、アスカは少し得意げに笑うと、

 

「このメイド喫茶の人気ナンバーワン! メイドだ!! これがまたマジで可愛くてよー、何? もうほんと天使! 天使が擬人化したらきっとあんな感じだろうなって思っちゃうくらいマジ可愛いのよ! 見た目も声も! あの声聞いたら脳がとろけるわって感じ!!」

 

 一気に火がついたのはテンションが爆上がりするアスカ。

 反対に、隣の涼からは怖い殺気を感じるのはなぜだろうか。

 

「ま、お前も見てみればわかるって」

 

 そう言って店の中に入っていくアスカ。

 仕方なくリヒトと涼も続いて入店する。


『お帰りなさいませ、ご主人様!』

 

 入店すると、真っ先に少女たちの声が出迎えてくれる。

 

「──は?」

 

 その中に、通る甘い声があったのをリヒトは聞き逃さなかった。

 だってよく聞く声だったから。記憶喪失になってから再会した時も、その甘い声が印象として残っていたから。

 だから、聞き間違えるはずがない。メイド喫茶の店員さんはみんな可愛い声で迎えてくれたが、やっぱり一名だけ違う。

 そこへ視線を向けて、リヒトは思わず声を出してしまった。

 だって──、

 

「ことり……?」

 

 ──そこには笑顔のまま固まり、冷や汗を流す、とても見知った顔でとても知っている友人の南ことりその人なのだから。

 




まさか令和の時代に人形爆破が見られるとは思わなかった……
スーパースターの今後の展開も気になる……

それよりも、上記二つが最終回を迎える前に、せめて第二部は終わらせたいなー。


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第二章:心動くメイド喫茶

第二部第6章、色々な意味で満足でした……。


「ことり……?」

 

 リヒトの声に、目の前のメイドさんの肩が僅かに動いた。

 しかし、それはほんの一瞬の動揺。次の瞬間には何事もなかったかのように笑顔を保っている。

 たとえ、その頬に一雫の汗が伝おうとも、たとえ笑顔のまま固まっているのだとしても、彼女はその笑顔を決して崩したりはしない。

 笑顔のままメイドは固まる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 リヒトの視界に映るのは、とても知っている顔。一瞬、「双子の姉妹いたっけ?」と考えもしたが、そんな話を聞いた覚えはないし、そもそもこの反応からして間違いなく本人だろう。

 固まらずにアクションを起こしていれば、多少の無理はあっても誤魔化しは効いただろう。しかし残念ながら、突然の不意に対応できるほど彼女は強くなかった。

 いや、そもそもこんな不意を完璧に対処できる人間などいるのだろうか。リヒトですら頭の整理が追いついていないというのに。

 

「…………」

 

「…………」

 

 数秒の沈黙。

 同時に、その数秒でふたりの困惑が周囲にも伝わり始める。

 何より同じ『働く側』のスタッフたちが、完璧な接客をするミナリンスキーの数秒間硬直を見逃すはずがない。

『これは何かまずいことが起きている。でもそれが何なのかわからないし、でもこの目の前の男性客が原因なのはたしかだし、しかしあのミナリンスキーが硬直するとはどう言うことだ、一体どうすればこの微妙な空気を打破できる!?』と、周囲ももはや困惑するしかない。

 明らかに微妙な空気が流れ始め、誰もがどう行動すればいいのか迷っていると、

 

 

 

 

「おお〜! マジモンのミナリンスキーだぁ!!」

 

 

 

 

 そんな空気を一瞬にして覆す大声が響いた。

 声の主は桐島アスカ。

 彼は目の前のミナリンスキーにテンションを爆発させていた。

 

「マジモンだよマジもん!! うわ〜、やっば、めっちゃ可愛い! はあ〜天使だー!」

 

 それが意図してなのか、それとも何も考えずに起こした行動なのかは彼しかわからない。

 だが、アスカの声がきっかけとなり、その場にいた全員が正気に戻った。

 

「お席にご案内しますね!」

 

 復活したミナリンスキーの声に、震えや戸惑いはなかった。もうそこにいるのは完璧な接客でお客を虜にする、ナンバーワンメイド『ミナリンスキー』の姿。その代わり様に、リヒトは一瞬で圧倒された。

 

「……でもまあ、あれだな。助かったよ、アスカ。お前はすごいな」

 

「あんたのその能天気で空気を読まないバカさに感謝する日が来るなんてね」

 

「え? なに、俺は褒められてるの? それとも貶されてるの?」

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 ひとまず、ミナリンスキーとことりの関係性は置いておくことにした。ほぼ本人で間違いないのだろうが、ここではミナリンスキーと呼ばれている。ならば、ここでの彼女は『ミナリンスキー』であるのだ。

 リヒトがウルトラマンギンガであることを、周囲に隠していることと同じ。そう考えれば割とすんなり飲み込むことができた。

 この場にいるのは『ミナリンスキー』であり、『南ことり』ではない。

 それに、ことりに会おうと思えばいつだって会えるし連絡だって取れる。今日の真相を訊くのは、まだ別の機会でもいいのだ。

 今日はこのメイド喫茶に訪れたひとりのお客として、楽しもうではないか。

 ……そう思いつつも、リヒトの視線は自然とミナリンスキーを追ってしまった。

 なぜなら、その接客があまりにも完璧だったからだ。細かな気配り、聞き取りやすい発声、スムーズな体運び。どこを切り取っても、その姿は魅力的に映る。

 ミナリンスキーだと認識するように頑張ってはいるのだが、やはりリヒトの脳裏にはことりの姿が思い浮かんでしまう。

 練習中のことりも、周囲への気配りや周囲との連携が上手いのだ。幼い頃膝が弱くてよく周囲を観察していたため、空間把握能力と動体視力が他者に比べて秀でていると、以前本人から聞いたことがある。

 その能力がダンスだけでなく接客にも生きているのだ。

 

「……なるほど。これは人気ナンバーワンになるわけだ」

 

 と、つい呟くと前に座るアスカがニヤニヤと表情を浮かべこっちを見てきた。

 

「リヒトさんや〜、早速ミナリンスキーに見惚れちゃってるじゃんー。さては……惚れたな?」

 

「いや、別にそういうわけじゃ……」

 

「隠すな隠すな。見惚れるのも無理はない。ミナリンスキー、めっちゃかわいいからな〜。一発でハートを撃ち抜かれちまったってことだよな〜。わかる。俺もそうだったから。でもな、ミナリンスキーは人気ナンバーワン! つまりそれだけライバルも多いってことだぜ! 加えて、ここ店員との恋愛禁止だから、叶わぬ恋はするなよ」

 

 ビシッと指を差すアスカ。その隣の座る涼がものすごい目をしていることについて気づいているのだろうか。

 いや、きっと気づいていない。

 気づいていないし、リヒトが触れるべきことでもない気がする。触れない方がきっといい。触れたらきっといい方向には転ばない気がするから。リヒトの勘がそう告げている。

 しかし、次の瞬間アスカは何かを思い出したのかのようにハッとなった。

 

「でもお前彼女いたんじゃなかったっけ? ほら、えーっと……涼、名前覚えてるか?」

 

「え? えーっと……『エリー』って名前じゃなかったかしら?」

 

「おおう! それそれ! 『エリー』だよ『エリー』!」

 

 思わぬところへの会話の発展。

 その話題は、できれば記憶喪失の現時点もっとも避けたい話題であった。

 

「悪い、それは避けてくれないか。ほら、今の俺記憶喪失だから、それについては置いときたい」

 

 リヒトがそう言うと、アスカはハッとなって気まずそうに頭をかく。

 

「あー、それもそうだよな……記憶喪失ってどこから覚えてねえんだ?」

 

「去年の12月以前はまったく。覚えているのは、アメリカの病院で目を覚ました時から今日まで。自分の名前も、家族も、どこで生まれてどうやって育ってきたのか。何も覚えてない」

 

「結構忘れてるんだな」

 

「そういえばアメリカに行ってたのよね。そこで何かあった感じなの?」

 

「ああ。でも、何があったかも覚えてねえんだ。一緒にいたやつもショックで記憶をなくしてて」

 

「誰かと一緒にいたの?」

 

「一緒にダンスを学んでた子と。その子と俺が同じ場所で、一緒に倒れてたみたい。同じ病院に運ばれて、そいつはその日だけの記憶をなくしてて、俺みたいに完全に記憶喪失ってわけじゃないんだ。だから、俺より早くに記憶が戻るかもって。だから戻ったら連絡をくれるって話にはなってるけど……まだないんだ」

 

「そう……私たちの知らない間に、大変なことになってたのね」

 

「まあ俺たちって、基本夏休みとか冬休みにしか連絡取らないもんな。アメリカ行くって聞いてたから、余計に連絡取ってなかったし」

 

 涼の言葉に付け足すようにアスカが言った。

 

「そんな関係なんだ。俺たちって」

 

「ん? 何が?」

 

 リヒトの驚きを含んだ言葉にアスカが反応した。

 

「夏休みとかにしか連絡取らないって。もっと頻繁に連絡取り合う仲かと思ってた」

 

「まあ、リヒトが音ノ木町(こっち)来るのって夏休みとかじゃん? だから会うのもこの時期になるわけ」

 

 アスカの言う通り『一条リヒト』が音ノ木町を訪れるのは、主に夏休みや冬休みといった長期の休みのみ。こっちに住んでいるアスカたちと会うのは必然的にその時期になる。直接会う予定がないのであれば、あまり連絡を取り合うこともないだろう。

 それにしては、かなりフレンドリーな仲だとリヒトは感じている。

 

「それじゃあ、俺たちの関係って俺が思ってるより淡白?」

 

「そうでもないわよ。リヒトがこっちに来た時は必ずと言っていいほど、連絡取って会ってるし」

 

「野球部って、めちゃくちゃ忙しいイメージあるんだけど」

 

 先程の自己紹介でアスカは『野球部エース』と言っていた。リヒトのイメージでは、野球部──正確には高校の部活動全般──は特に忙しい部活だと思っている。

 実際、リヒトが通っている学校の野球部は朝練はもちろん、放課後も夜遅くまで練習している。

 それに、夏は特に高校球児にとって大きな大会があるのだ。それなのに、『一条リヒト』と頻繁に会えるものなのか。

 

「もちろんだぜ。だがな、その忙しいー合間を縫って俺はお前に会っているわけ。どうだ
? 素晴らしい友情だろ?」

 

「いや、あんたが無理矢理リヒトを呼んでたんでしょうが」

 

 コツン、と涼のツッコミがアスカに入る。

 

「いやだってよ〜! こいつ無駄に運動神経いいんだもん! なんで野球やってる俺より上手い時あるんだよ〜! それが悔しいじゃんよ〜! しかも! 女どもだち三人も連れやがるし、彼女いるしで、嫉妬するなってのが無理だ〜!」

 

 よよよ、と泣き真似をするアスカをよしよし、と慰める涼。

 そんなふたりを、なんとも言えない表情で見ていたリヒトに気づいたのだろう。

 涼が言った。

 

「気にしないで。これ、いつものことだから。あんたはほら、いつも通り飄々と──って、記憶喪失だから無理か……。こうなった場合のこいつは、適当にあしらうのが一番」

 

「……俺たちの出会いって、どんな感じだったんだ?」

 

「んー? そうね……私の場合はアスカに紹介されてだけど、アスカの場合はバッティングセンターで会ったみたい。なんでも、試合で負けた憂さ晴らししているときに、女の子の友達三人を連れてやってきたみたいよ」

 

 やや呆れの視線がリヒトに向けられる。

 ふと、なんとなくそのシチュエーションを想像してみる。

 バッティングセンターでひとり、試合に負けた憂さ晴らしをしている最中に、女の子の友達を連れてやってきた同年代の男子。そんなものを見てしまったら、ついムカッときてしまうのも無理はない。

 

「……なんか、わるい」

 

「あん時も同じこと言われたわー。ま、もう気にしてねえから。あの出会いがあったおかげで、効率のいい体の鍛え方とか知ることできたし」

 

「?」

 

「ほら、リヒトの母親って元プロダンサーだろ? だから、体の作り方のアドバイスをもらってたわけ。そのおかげで俺のパフォーマンスレベルは飛躍的に上昇! エースピッチャーになることができたってわけ」

 

「そっか、それはよかった……そうだ。夏の大会はどこまで行けたんだ?」

 

「…………」

 

 ふっとアスカの表情から明るさが消えた。

 

「……アスカ?」

 

「ん、まあ……そこそこだよ」

 

 一瞬にして、アスカのテンションが下がった。さっきまでの陽気さはどこへ行ったのか。その視線は遠くを見つめ、なんだかとても暗いものになっている。

 何かまずいことを聞いてしまったのだろうか。涼なら知っていると思い、視線を向けようとして、

 

「──っ!?」

 

「? リヒト?」

 

 ガタッと席から立ち上がる。

 涼の声を無視して、冷や汗をかきながら、店の出入り口の方へと視線を走らせる。

 そこにいたのは、白いシャツと黒のベストを着た、黒ハットの男性がひとり。メイドさんたちに迎えられている。

 男性客はここの常連なのか、気さくにメイドさんたちと言葉を交わし、席へと案内されていく。 

 その途中、リヒトの視線に気づいたのだろう。彼はニヒルな笑みを浮かべてこちらへとやって来る。

 

「随分と熱い視線ではないか。私のような人がここに来るのは意外かね? 少年」

 

「………」

 

「おっと、そう睨まないで欲しいな()()()()。私はただのメイド好きのダンディいなおじ様だ。君の考えているような危ない人じゃない。ここではよくハットさんと呼ばれている」

 

 渋く、低く、重い声が鼓膜を揺らす。

 男の身長は一八〇センチを超えている。夏場だというのに汗は一滴も流れていない。警戒を込めたリヒトの視線を受けてもなお、涼しい顔をしている。

 その表情には裏があると考えるべきか……。少なくとも、リヒトを少年と呼んでおいて、次にの瞬間には『光の少年』と呼んでいるその様はあまりにも不自然すぎる。

 リヒトを『光の少年』と呼ぶということは、言葉の外にリヒトが警戒する十分な理由を秘めているのだから。

 

「ん? そちらのお嬢さんは……確かここのメイドさんではないか。今日はオフなのかね?」

 

「はい。ハットさんは今日もいらっしゃったんですね」

 

「ハハハ、私はここの大ファンだからね。今日こそ『マイマイ』に会える気がしてやってきたと言うわけだ」

 

 渋い声に似合わず、声音は踊っている。

 

「彼女確か、今日はオフのはずですけど……」

 

 そんな彼に向けて、涼は申し訳なさそうに言った。

 

「なんだと!?」

 

 涼の言葉が相当ショックだったのか、ハットさんは膝から崩れ落ちた。

 

「グッ……いや、たとえマイマイがおらずとも! 私は存分に楽しむと誓おう! 邪魔をしたね、少年少女たち。それでは……」

 

 一礼をして去っていくハットさん。

 渋い声ゆえのギャップがあまりにも激しく、大きな爪痕を残した彼の背中を追うリヒト。

 

「リヒト、ハットさんと知り合いなの?」

 

「……いや、そういうわけじゃない」

 

 涼の言葉に、難しい顔をしながら答えるリヒト。

 ハットさん……彼が来店した瞬間、ポケットの中にある()()()()()()()()()()()()()()

 それはつまり、あの男は闇のエージェントであるということ。

 ……どうする、とリヒトは考える。あの男はこちらのことを分かった上で接触してきた。じゃなければ、側から見ればただの少年であるリヒトを『光の少年』なんて呼ばない。

『光』、それがウルトラマンの力を示していると考えるのは、彼の雰囲気とギンガスパークの反応からして簡単に考えられる。

 ハットさんはメイドさんに案内されテーブルに腰を落ち着かせる。

 このまま、ここから彼を見張るべきか……。

 

「ちょっと、ハットさんのことがそんなに気になるの?」

 

 と、涼が言った。

 睨むように見ていたため不審にも割れたのだろう。

 ひとまず、何か誤魔化さなくてはいけない。

 

「あ、ああ。なんかこう、イメージ的にあまりこういうところには来ないタイプだと思ってな」

 

「リヒト、イメージでものを語るのは良くないぞ」

 

「あんたが言うな」

 

「なあ、みむ──」

 

「──お待たせしました!」

 

 あの男のことについて涼に訊こうとした瞬間、メイドさんが注文した品を持ってきた。

 三人の前に並べられる定番のオムライスや特製パフェなど。

 どういう運命か、リヒトの品を運んできたのはミナリンスキーだった。

 

「…………」

 

 刹那の硬直。

 笑顔のまま、互いの顔を見合わせる。

 ここで待っているのは、メイド喫茶特有の『美味しくなる魔法の呪文』だ。このメイド喫茶も例外はなく、その『魔法の呪文』が用意されている。

 その呪文を、リヒトはミナリンスキーからいただくということになっている。

 運命の悪戯か、それとも他のスタッフの策略か。

 視界の端でニヤニヤしているアスカが映る。

 

「──そ、それでは! 美味しくなる魔法の呪文をかけさせていただきますね!」

 

 もはやここまでくれば尊敬するしかない。

 しかしほんの少しだけの羞恥があるのだろう。頬をほんのり赤く染めながら、彼女は魔法の言葉をかける。

 

「────」

 

 その姿に、リヒトはつい見惚れてしまう。

 いや、これを見惚れるなという方が無理である。頬がほんのり赤いことが、きっと余剰効果を生み出しているに違いない。違いないと思いたい。

 魔法の呪文をかけ、去っていくミナリンスキー。

 その背中を見つめながら、リヒトはポツリと、

 

「…………悪く、ないな」

 

 とつぶやいた。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 ハットさんのことを気にしつつも、初めてのメイド喫茶を堪能したリヒトは、彼よりも先に店を出ることとなってしまった。

 先日の理事長の件を考えると、ここでリヒトが去った後、ハットさんが従業員の誰かを怪獣にするかもしれない。その可能性を考慮すると退店するのは憚られるが、退店を渋ると「何? ハマったのか?」とアスカがニヤニヤと聞いてきたため、否定するように店から出てしまった。

 

(美村が言うには、あいつはここの常連……誰かを怪獣にする機会はいくらでもあったはずだ。なのに、今日まで動いていないのはなんでだ? まだ誰を怪獣にするか決まっていないのか?)

 

 事情を知らないアスカに引っ張られるかたちで店を出てしまったが、どうしてもハットさんの存在が頭に残り続けてしまう。

 結局、その後の三人で訪れたボウリングもゲームセンターもあまり楽しめなかった。

 ゲームセンター内のベンチに腰を落ち着かせると、自販機で買ったスポーツドリンクを飲み干したアスカがリヒトの様子に眉を曲げて言った。

 

「どうした、リヒト。全然楽しそうじゃねえじゃんかよ」

 

「……そんなことはねえよ。ただ、初めてのメイド喫茶で気疲れしただけ」

 

「は? 何で」

 

「それは……」

 

 誤魔化しのために適当に言っただけ。追及されても困るのだが……。

 しかし、リヒトが何か言うより先にアスカがポンと肩に手を置いてきた。

 

「やっぱりお前、ミナリンスキーに惚れたんだな」

 

「は? いやちが」

 

「隠すな隠すな。お前の相手、ずっとミナリンスキーだったじゃねえか。あの笑顔でずっと接客されて惚れないわけがない。俺は気づいてたからな。お前の視線がずっとミナリンスキーに釘付けになっていたことを」

 

 それはミナリンスキーがとても知っている友人であるため、見てしまっていただけなのだが。

 

「それに、ハットさんが来てから明らかに様子変わってたわよ。やっぱり知り合いだったんじゃない?」

 

「……いや」

 

「実は記憶を失くす前に会っていたとかあり得そうじゃない? 今から戻る?」

 

「……そうだな。俺、ちょっと行ってくる。この埋め合わせは、また今度するから」

 

 涼の発言に乗るかたちでリヒトはもう一度メイド喫茶へと向かうことにした。

 

「ん! 行ってこい! なあに、夏休みはまだ始まったばかりだ。今度は俺が持ってる写真とか、いろいろ持ってきてやるよ」

 

「私も、記憶が戻りそうなもの探してみる」

 

「ありがとう」

 

 二人に礼を言って、リヒトは走り出した。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 メイド喫茶に戻ってくると、店の外にハットさんが立っていた。

 待ち人来たる、といった様子でハットさんはゆったりと歓迎するかのように両手を広げる。

 

「やあ、光の少年。来ると思っていたよ」

 

「あんた、何者だ。何が目的だ」

 

 リヒトが問いかけると、ハットさんはニヤリと笑い、その姿が一瞬別のものに変わる。

 赤く長い上半身と青い下半身。ぎょろっとし眼に胸から腹に走る黄色い縁取りは発光器官となっている。手はチューリップのような形状になっており、一眼でそれが『宇宙人』だと判断できる容姿に変わった。

 しかしそれは一瞬であり、次の瞬間には人間の姿に戻っている。

 

「私はメトロン星人。君の想像通り、闇のエージェントだった者だ」

 

「だった……?」

 

 妙な言い回しに、リヒトは疑問を抱く。

 

「そうだとも。今の私は──」

 

 バサリと、ベストを翻し取り出される数多の写真──チェキとサイン色紙の数々。

 

「このメイド喫茶の一押しメイド『マイマイ』の熱烈ファンであり常連客であるハットさん! 闇のエージェントとしての暗躍などもうどうでもいいのだよ! 今の私は『マイマイ』のために生きる! 彼女のメイド姿に心を打たれた、ただのファン! よかったら君もマイマイのファンにならないかね?」

 

「………………………………」

 

 予想していた事より180度違うテンションとセリフ。そのあまりにもな変貌に、一瞬だけ思考が停止するリヒト。

 しかし、緩みそうになる緊張感を努めて保とうとする。

 それが向こうにも伝わったのだろう。

 彼は咳払いを一つしてから、話を続けた。

 

「コホン、おっと、私としたことがつい取り乱してしまったようだ。失礼した。改めて、私はメトロン星人。『大いなる闇』復活のために人間の心の闇を糧に育つ『種』の開発任務を担った者だ」

 

「種……?」

 

「そうだとも。小泉花陽の時に耳にしなかったかね? 心の闇を強制的に増幅させるもの、と。おそらく彼女は口にすると思われるが」

 

「──!」

 

 そこまで言われて、リヒトは思い出した。

 それはまだウルトラマンギンガの力を手にして間もない頃に起きた事件。

 穂乃果たちの後輩であり、現μ’sメンバーである小泉花陽が闇のエージェント『ユーカ』によってキングパンドンにダークライブさせられた際に、彼女の口から語られた覚えがある。

 

「その様子だと、覚えているようだな。私が目覚めて間もない間は『種』を作ることを使命としていた。それ以外に存在する理由がなかったし、さらに言えば、それをしなければ私は殺されてしまう。生きるためには『種』を作り出すしかなかった。

 だが、今は違う。今の私はむしろ逆の感情を抱いている。あんなものを作り出した自分を嫌悪するほどにな」

 

「……どうしてだ?」

 

「ここに来たからだよ」

 

 そう言って、ハットさんは後ろのメイド喫茶を振り返る。

 

「『種』の開発に疲れたのか、それとも人間の文化に触れてみたくなったのか、それともほんの気まぐれで訪れたのか。ただ、ここを訪れたことで私の価値観がひっくり返った。所詮人間の文化だと思っていたのだが、それはとんだ思い違いだった。もちろん彼女たちの中には『これは仕事』だと割り切っている者もいる。しかし彼女は違った。彼女は本気で、心の底から、汚れなく純粋な想いを抱いてメイドをやっていた。その想いは美しく、想いが美しければ自然と姿も美しくなる。その美しさに私の心は感銘を受けたのだ。あっという間に彼女の虜になってしまった私は、己の使命を放棄して、ここに通い詰めた。おそらく、彼女の接客を受けていなかったら、こんなことにはならなかっただろう」

 

 ハットさんは、一枚のチェキをその手に持って続ける。

 

「その時に接客をしてくれたのが『マイマイ』でね。それからの毎日は素晴らしいものだった。新たに生きる理由ができたのだからな」

 

 そう語る彼の表情はとても穏やかで、嘘偽りのない正直な言葉であると感じられた。

 

「もちろん、私が開発した『種』によって、ひとりの少女が『大いなる闇』の生贄になりかけたことは重々承知している。謝罪などで許されるとは思っていない。君が私の前に現れた時、ついにその時が来たかと思った。私の幸せな時間が終わりを告げるのだとね」

 

「…………」

 

「だがどうしても、最後に『マイマイ』に会ってから終わらせて欲しい。最後に、彼女に『ありがとう』と言いたい。それまで待ってはくれないだろうか?」

 

 ハットさんの言葉、姿に嘘偽りはない。彼は本当に自分の行いを反省しており、また心から『マイマイ』との出会いに感謝している。

 そういえば、と彼が来店した時の涼との会話を思い出す。

 

『ハハハ、私はここの大ファンだからね。今日こそ「マイマイ」に会える気がしてやってきたと言うわけだ』

 

『彼女確か、今日はオフのはずですけど……』

 

『なんだと!?』

 

 今日こそ、ということはここしばらく会えていないと予想できる。

 そして、あの時ショックを受けた姿が芝居だったとは思えない。

 

「『マイマイ』が最近きていない理由を、あんたは知ってるのか?」

 

「……もちろんだ。彼女も普段はただの高校生。夏休み前の試験が大変だと、以前言っていたことがある。おそらく、今はその試験期間なのだろう。終われば来るはずだ」

 

 夏休み前の試験は、リヒトの学校にもあった期末試験のことだろう。時期を考えれば、その可能性はとても高い。

 

「…………」

 

 ここまでくると、あとはリヒトの判断だ。

 彼から感じる危険性は低い。これまでの言葉に嘘偽りはない。

 しかし、だからと言って彼が次『マイマイ』と会うまで待っていていいものなのだろうか。

 もし、その次までに彼が気を変えて誰かを怪獣にして仕舞えば、それは結局これまでとなんの変わりもないこととなる。

 どうすればいい、と考えていると、

 

「あれ? りひとさん?」

 

 ふたりの間に割って入る声。

 甘いその声はリヒトがとても聴き慣れた声だ。

 その声の方に視線を向けると、ちょうどメイド喫茶の裏手から出てきたと思われる南ことりがいた。

 

「ことり……」

 

「どうしてここに……」

 

 ことりの表情には強い困惑がある。

 おそらく、退店したはずのリヒトが店前にいることに疑問を感じているのだろう。

 さっきのことがリヒトの記憶に蘇ってきて、少々気まずい雰囲気となる。

 それをなんとなく察したのだろう。ハットさんはハットを少し深めに被り直すと、陽気な声で言った。

 

「おっと、これはどうやら私の去り時が来てしまったようだな。では少年、考えといてくれたまえ。なに、私はここの常連だ。ここに来ればいつでも会えるさ」

 

「あ、ちょっと」

 

 リヒトはその背中に向けて声を掛けるも、ハットさんは止まることなく去って行く。

 

「…………」

 

 その場に残ったのはリヒトとおそらくバイト終わりのことり。

 そしてほんの少しだけ微妙な空気。

 だが、ちょうどいい。ことりとも話したいと思っていた。

 

「……ことり、だよな?」

 

 確認のために彼女の名前を呼べば、彼女は頷く。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……とりあえず、どこかに移動するか? お互い、話したいことあるだろうし」

 

 リヒトの提案にことりは頷き、ふたりはこの場から移動するのだった。



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第三章:ことりの事情

前回の更新から一ヶ月空いてしまったこと。
加えて、この第三章が思いのほか長くなりそうなので、一度区切りのいい部分で投稿させていただきます。
約4,800文字といつもの半分以下ですが、その分サクッと読めるかと……。

……次回はなるべく早く更新できよう頑張ります。


 リヒトとことりが向かったのは、近くにあったファストフード店だった。

 時刻は夕方。休日だということもあって、店内は賑わいを見せていた。部活帰りの中学生や高校生たちの賑やかな会話の中をふたりは無言で歩く。

 注文は別々で行った。今はなんとなく、一緒にいるのが気まずい。

 バニラ味のシェイクとフライドポテトを注文し、レシートを受け取ってレジ横で待機。先に注文を終えていたことりと合流するが会話はない。

 やがて注文番号が呼ばれ、二人はトレーを受け取った。

 一階は人も多く、席も空いていない。自然と足は二階を目指した。

 腰を落ち着かせる二人。

 

「…………」

 

「…………」

 

 無言。静寂。

 耐えきれず、シェイクのコップに手を伸ばす。

 中身を飲みながら、リヒトは考える。

 

(このまま黙ってても話進まないし、どうすっか……ん?)

 

 黙っていては時間が無駄に過ぎていくだけ。そう思って話の切り出し方を考えていると、ことりの背後にいる少女と目があった。

 黒いショートカットの目の大きな少女。年齢はことりと同年代だろうか。やや幼さが垣間見える少女はこちらを見ながら、驚きと面白いものを見つけたといった表情をしている。

 しかし、リヒトと目が合うとすぐに顔を逸らした。

 まあ、同年代の少年少女が気まずい雰囲気でテーブルを挟んでいるんだ。色恋沙汰のことだと思ってこちらを見ていたのだろう。チラッと他を見てみれば、視線は向けずともソワソワとしているグループが何組かいる。

 これ以上誤解を広めないよう話を始めるしかない。

 そう思い、リヒトは意を決してことりの名前を呼んだ。

 

「なあ、ことり──」

 

「──っ!?」

 

 大袈裟に、ことりの方が跳ねた。

 

「……いや、ただ名前を呼んだだけだぞ?」

 

 まさかそんな反応が返ってくるとは思わず、リヒトの方も若干面食らってしまう。

 

「あ、あははは、そうだよね。おかしいよね……なんか緊張しちゃって」

 

「何に緊張──」

 

 ──するんだよ、と続けそうになって、その言葉を飲み込んだ。

 自分だってその緊張のせいで言葉を発せなかったのだ。ことりのことを言える立場ではない。

 

「…………うん、ごめん」

 

「なんで謝るの!?」

 

 頬に感じるほんのりの熱。それを誤魔化すようにシェイクを一気に飲み干す。

 ズゾゾゾッ、と中身が空になった知らせが聞こえた。

 ──友人がメイド喫茶で働いている。

 ──そしてその友人に、接客をしてもらった。

 ──なんなら『美味しくなあれ』までやってもらった。

 こんな経験なかなかないだろう。そのせいで湧き上がってくるこの感情をどう処理すればいいのかわからない。

 再びの沈黙。

 どうやらことりもメイド喫茶での出来事を思い出してしまったようで、頬を赤くしてストローを咥えている。

 しかし、せっかく会話を始められたのだから、ここで止めてしまうのはもったいない。

 

「……あれは、ことりでいいんだよな?」

 

 肯定の頷き。

 

「いつからバイトを?」

 

「穂乃果ちゃんたちとμ’sを始めた頃から……」

 

「μ’sを始めた頃って……え? ってことは四月から……!?」

 

 こくり、とことりは再び首を縦に振った。

 

「スカウトみたいな感じで声をかけられて……私も少し興味があったし、制服が可愛かったから……」

 

「……すげえな」

 

 つまり遡ることやく三ヶ月前。リヒトが音ノ木町にやって来て、ウルトラマンギンガと出会ったのと同じタイミングで、ことりはアルバイトを始めた。

 ファーストライブに向けて練習している時も、ダークガルベロスに襲われた時も、オープンキャンパスに向けて練習している時も、同時にアルバイトもこなしていた。

 元プロダンサーであるリヒトの母、美鈴の練習はそれなりに厳しいものである。練習を始めた当初はくたくたに疲れていたことりだが、もしかしたらその後にメイド喫茶で働いていたかもしれない。

 なんというフットワーク。

 南ことりという少女の新たな一面に驚きを隠せなかった。

 

「希が最近よく練習を休むって言ってたけど、もしかしてそのバイトが理由か?」

 

「うん。一緒に働いている先輩が最近よく休んでいて、その代わりに出てるんだ。でも、もう少ししたら復帰するみたいだから、そうしたら練習の方に復帰できるよ」

 

「なるほどな。てっきりバイトの疲労かと……でもまあ、あの接客スキルを見たら納得。頼りたくなるよな」

 

「そ、それはっ」

 

「照れるなって。ホントすごいから。ことりに接客なんてしてもらったら誰だって見惚れ──」

 

「──え?」

 

「──ゴッホンっ! いや、なんでもないぞ」

 

 何か変なことを口走ろうとしたところを、無理矢理誤魔化す。

 アスカのせいだ。これは、アスカのせいで何か変なことを口走りそうになったのだ。次会った時小言のひとつやふたつ言ってやろう、と思いながら、しかし誤魔化す必要があったのかと振り返る。

 誤魔化すことなどせず、素直に褒め言葉として言っておけばよかったのではないだろうか。変に誤魔化したせいで、ことりが変な表情を浮かべてしまっているし、何より怪しまれるに決まっている。

 ことりの視線から逃げるようにシェイクを飲もうとして、それが空になっている事を思い出した。

 仕方なく、フライドポテトの方に手を伸ばす。

 

「リヒトさん、訊いてもいい?」

 

「ん? 何を?」

 

「どうやって、あのお店に来たのかなって」

 

 ことりとしてはそこが気になるのだろう。

 誰にも話していないバイト先に、突如やってきた友人。それがことりから見たリヒトの状況だ。

 

「アスカに……っと、ほら、俺以外にもふたり一緒にいただろ?」

 

 アスカの名前を出したところで、その名をことりが知らないと思い言い直す。

 しかし、

 

「アスカ先輩と涼先輩だよね?」

 

 ことりの口からはあっさりとアスカと涼の名前が出てきた。

 

「知ってるのか……って、そういえば美村も同じトコで働いてるんだったよな」

 

 脳裏に『なんで休みの日にバイト先に来てんの……私』と頭を押さえていた涼の姿が思い浮かぶ。

 

「うん。私が入る数日前に面接を受けたんだって。シフトも一緒になることが多かったし、研修も一緒だからすぐ仲良くなれたんだ。アスカ先輩は涼先輩がよく話してたし、お店にもよく来てたから覚えちゃった」

 

「……あいつ、もしかして常連?」

 

「んー、この前まで部活をやっていたからあまり来てなかったかな。引退してからはよく来てるよ」

 

「…………」

 

 まあ、十中八九『ミナリンスキー』目当てだろうな、と思った。

 

「アスカと美村とは、俺が記憶喪失になる前に遊んでいた仲らしくてな。それで久しぶりに再会することになって、そしたらアスカの提案で訪れたってわけ。そしたらびっくり。よく知る友人が働いているんだもん」

 

「私もびっくりしたよ。リヒトさんがくるなんて思いもしなかったから……でも、逆によかったかも」

 

「? よかった?」

 

 ことりの発言に首を傾げる。

 会話の流れ的に、ことりにとってはあまり良くないことのはずだ。それなのに『よかった』とはどういうことだろうか。

 

「あのね、リヒトさん。お願いがあるんだけど」

 

 ことりの表情は真剣だ。

 

「明日もお店に来てくれないかな?」

 

「……それは、どうして?」

 

「実は明日、喫茶店でイベントがあるの。そのイベントで、リヒトさんにはなんとしても優勝して欲しいの」

 

「…………」

 

 ことりはなんと言ったのか。

 何やらすごく無理難題のように聞こえたのだが……。

 

「ことり……? もう一度言ってくれるか……?」

 

「明日の、イベントで、優勝、してほしいの」

 

 わざわざひと言ひと言強調して、再度言葉を繰り返してくれた。

 どうやら、明日あのメイド喫茶では何かのイベントがあるようだ。そのイベントで、どうしても優勝してほしいというお願い。

 

「いや、率直に言って無理だろ!?」

 

「できるよ! イベント内容は『叩いて被ってじゃんけんぽん』だもん」

 

「だもん、じゃないよ。そのイベント内容のどこが大丈夫なんだ。つか、イベント内容を外部の人間に言っちゃいけないだろ!?」

 

 叩いて被ってじゃんけんぽんなんて、実際に耳にするのは初めてに近い。もちろんそういったゲームがあるとは知っていたが、まさか自分がそれをやる側になる機会が訪れるとは予想もできないだろう。

 リヒトの知識通りなら、じゃんけんをして勝った方がピコピコハンマーなどのアイテムで相手を叩き、じゃんけんに負けた側はトレーなどを使ってそれを防ぐ。防ぐ前にピコピコハンマーで頭部を叩かれたら負け、防がれたらもう一度じゃんけんからやり直し、と言った感じだった気がする。

 これがメイド喫茶のイベントとなると多少の独自ルールが追加されそうだが、いずれにせよこのゲームで優勝するのは難しいことだ。

 それなのにことりは『リヒトさんなら大丈夫!』と力説してくる。

 

「何が大丈夫なんだよ……」

 

「だってリヒトさん、反射神経すごいでしょ? だから、大丈夫かなーって」

 

「…………」

 

 まあ、『一条リヒト』の身体能力が高いとはよく聞く。反射神経がどれほど良いのかは聞いたことはないが、身体能力が高いのなら反射神経も良い方なのだろうと想像できる。

 しかし、だからと言ってここまで期待を寄せられるものなのだろうか。

 

「……ちなみに、なんで俺に優勝してほしいんだ?」

 

「……その、優勝者には『ミナリンスキーとのツーショット券』が贈呈されるの。本当はマイ先輩……私の先輩なんだけど、その先輩とのツーショット券だったんだ。だけど、マイ先輩が最近お休みしてるから急遽私に変更になって」

 

 やや暗い表情で語ることりを見て、リヒトはなんとなくその心中を察した。

 

「本来の人がいなくなって、急遽代役として選ばれちゃった、か」

 

「うん。マイ先輩は写真撮影とか全然OKな人なんだけど、そのせいでトラブルもあったらしくて。私の場合、スクールアイドルもやってるからあまり写真撮影はしたくないんだ。だから店長に何度か相談したんだけど、イベントの告知は前々からしちゃってたから中止できなくて……」

 

「その写真を、どこかの店に売る(やから)がいたとか?」

 

 有り得そうな事を適当に言ってみたら、どうやら本当らしくことりは頷いた。

 

「うん。もちろん写真は売ったりしないように店長も注意するって言ってくれたんだけど……聞いた話だと、やっぱりそういうことがあったらしくて……でも、リヒトさんが優勝してくれれば、写真が出回る心配もないし、私も安心できるんだよ」

 

「…………」

 

 スクールアイドルであれば、自ずとファンが増え、グッズだって販売されることがあると耳にしたことがある。もちろん、本人たちの申請が必要だが、今回の場合は本人の承諾なしに写真が出回ってしまう可能性がある、というのが問題だ。その点にことりは不安を感じている。

 

「……まあ、俺としても、どこぞの知らないやつに撮られた写真が店に出回るのはあまり良い気分じゃねえけどよ、さすがに優勝は難しいと思うぜ」

 

「そんな……」

 

「いや、そう露骨に落ち込まれると俺も大変心苦しんだけど」

 

 もちろんどうにかする方法がないか、頭の端でちゃんと考えている。

 しかし、いくら身体能力が高いからと言って、叩いて被ってじゃんけんぽんで優勝できる訳ではないだろう。

 せめてもっと他に確実な方法がないのか、と口にしようとしたところで、ことりの様子の変化に気づく。

 

「……リヒトさん」

 

(あ、これやばい)

 

 それはほぼ直感。

 伏目がちに名前を呼んだことりの雰囲気から感じ取った、本能的危機。

 やがて潤んだ瞳がリヒトを捉え、脳が警告を鳴らすのと同時に、それは放たれた。

 

 

 

 

「──お願いっ!」

 

 

 

 

 ──ことりの小悪魔ボイスがリヒトの鼓膜を刺激した。

 

「…………………………………………」

 

 長い沈黙。

 大きく、大きく、そして深く息を吐いたリヒトはひと言。

 

「…………わかった」

 

「ありがとう!」

 

 瞬間、笑顔の花が咲き誇る。とても可愛くて、とても眩しいほどの笑顔。

 それは、心から喜んでくれているとわかる笑顔。

 しかし、その反対にリヒトはどこか不服を感じながら、もう中身のないドリンクのストローを加えた。

 そして、なんとなく、本当になんとなく、将来ことりと付き合う人は苦労するだろうなと思った。




読み手としては、このぐらいの文字数が読みやすいのでしょうか……? 
自分はこのくらいの文字数がサクッと読めていいんですけど、なにぶんこの作品は1エピソードが長いので、4,000字での更新にするとかなり分割することになってしまうのです。
そのため、おそらく次回からはまた約10,000文字の更新になるかと思います。


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第四章:イベント激闘

 日付が変わり翌日。

 リヒトはアスカとともに再びメイド喫茶を訪れていた。

 昨日同様、白いTシャツを着たラフな格好のアスカが、ニヤニヤとした視線を向けてくる。

 

「なんだよリヒトぉ。おまえやっぱりハマったのか?」

 

「違うって何度も言ってるだろ」

 

 肘で小突いてくるアスカを突っぱねて歩き出す。

 

「ハハッ、冗談冗談。でもまあ、本当にハマったんなら気をつけろよ。メイド喫茶は──沼だぞ」

 

 真剣な顔で何を言っているのだろうか。

 ここで働いているのは、一条リヒトの『友人』なのだぞ。幼い頃出会い、今でも交流が続く『友人』。普通の喫茶店ならまだしも、メイド喫茶というところで友人の接客を受けるのは、なかなかに気まずいものがある。

 メトロン星人(ハットさん)の件があるとは言え、そう何度も訪れたくはない場所に今一度足を運ぶことになった理由を思い出しながら、リヒトは扉を通った。

 

 

 

 

『実は明日、喫茶店でイベントがあるの。そのイベントで、リヒトさんにはなんとしても優勝して欲しいの』

 

 

 

 本当に可能なのだろうか。いくら『一条リヒト』の身体能力が高いとはいえ、ゲームとなれば運が絡んでくる。

 リヒトは特別自分が運のいい人間だとは思っていない。

 いや、そもそも運が良ければ記憶喪失なんてならないだろう。この場合、運が悪い方だと言える。

 ことりの大きな期待と信頼に応えようとはするが、果たしてどうなるのか予想ができない。

 念のための保険として、アスカを誘いはしたがこれが吉と出るか凶と出るかすらわからない。

 求める最高の結果はリヒト、もしくはアスカが優勝すること。

 反対に最悪の結果としてリヒトもアスカも優勝できないこと。

 求める結果の白黒がはっきりしているのはいいことだが、その落差があまりにも大きい。

 ちなみに、アスカにことりの事情は話していないが、逆にことりにはアスカを誘うことを話している。

 返答は「アスカ先輩ならいいか」だ。

 

(ま、こいつが写真を売るようなやつじゃないのは、なんとなくわかるしな)

 

『お帰りなさいませ! ご主人様!』

 

 ニヤニヤとした視線を背中から、正面からはメイドさんたちの元気な声を受けながら、二日連続のメイド喫茶への入店。

 メイドさんの顔ぶれは、昨日見た顔もあれば見なかった顔もいる。昨日は出勤日ではなかったメイドさんたちだろう。

 一応、ミナリンスキーの姿を見つけておく。

 ミナリンスキーは今日も元気よく接客中だ。この分なら、リヒトたちを接客することはないだろう。

 続いて、店内の様子をざっと見回す。客数は十数人。昨日より数が多いのはイベントのことを知っているからだろうか。

 この人数の中から一位にならなくてはいけない。

 そしてそれ以上に、最大の難関としてやはりあの男が立ちはだかるだろう。

 すでにテーブルに着席し、優雅にカップを口へと運んでいる男。

 メトロン星人。ここではハットさんと呼ばれているその男は、リヒトの視線に気づくと、不敵な笑みを返してきた。

 

(……厳しいな)

 

 状況を確認し、あまりの難しさに思い悩んでいると──、

 

「ちょっと、なんて顔してんのよ」

 

 ──聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「え? 美村?」

 

 その声の主は、メイド服に身を包み、やや呆れた表情を浮かべている美村(みむら)(りょう)だった。涼は腰に手を当てて、フランクな姿勢でリヒトとアスカを迎えている。

 その姿はどこからどう見てもメイドさんだった。昨日再会した友人が、翌日にはメイド服に身を包んで目の前にいる光景に、つい唖然としてしまう。

 一方、驚いたリヒトとは対照にここで涼が働いていることを知っているアスカは、なんともない様子で言葉を返す。

 

「なんだ涼、今日出勤日だったのか」

 

「……そうよ」

 

 気恥ずかしそうに、頬を赤く染めながら答える涼。

 いったいどこに気恥ずかしさを感じるところがあるのだろうか。

 そう考えながら、リヒトは涼のメイド姿をじっくりと見た。

 さすが高身長の涼だ。ことりのような『可愛い』ではなく『綺麗』が当てはまるその姿は個性を放ち、店内にいる他のメイドと比べてもしっかりと存在感がある。

 もともとここのメイド服がロングスカートの、どちらかといえば淑女のイメージを抱くメイド服であることが、艶のある黒い長い髪の涼と合わさり個性を放っているのだろう。

 と、そんな感想を抱いていると、涼がジト目でこちらを見てきた。

 

「……何よ」

 

「え?」

 

「なんだ? リヒト。お前ミナリンスキーだけでなく、涼にも惚れたのか?」

 

 どうやら、涼の姿を見すぎていたようで、また変な誤解を与えてしまっている。

 違う、と否定する声を上げる前に、

 

「ハイハイ、わかってるわよ。別にそういうつもりで見てたわけじゃないでしょ。私はわかってるから、安心しなさい。

 それと、あんたはまたそうやってリヒトを揶揄わないの。いつもやられてるからって、こんな時に仕返しするのはダサいよ」

 

 と、涼が言った。

 

「はあ!? ちげえし! 全っ然っ違うしっ!!」

 

「その反応がもう証明しちゃってるでしょ……。まあいいわ。こちらにどうぞ」

 

 友人であるからだろうか。涼の接客はとてもフレンドリーだ。

 しかしその方が変に気にする必要がなくて、リヒトとしては気持ちが楽だった。

 涼に案内され、席に腰を落ち着かせるリヒトとアスカ。涼はすぐにその場を離れることなく、二人が座ったテーブルの近くに(とど)まった。

 

「この時間帯に来たってことは、もしかしてあのイベントが目的?」

 

「おう! 目指すは優勝のみ! ミナリンスキーとのツーショットっていう滅多にないチャンス、逃してたまるかよっ!」

 

「……リヒトも?」

 

「……ああ、まあ、な」

 

 涼の雰囲気に気圧され、答えに詰まるリヒト。

 なぜ、そんなに機嫌の悪い顔をしているのか。その雰囲気を纏ったまま疑問を投げかけてくるのは勘弁してほしい。

 涼の顔つきは凛とした女性のイメージなのだから、怒るとそのキリッとした表情がより鋭くなる。

 直感的に感じる、怒らせてはいけないタイプの女性だと。μ’sにはいないタイプだ。

 そして涼の雰囲気を目の前のアスカは感じ取っているのか、と視線を向けてみると、これからのイベントにワクワクと見てわかる表情をしている。

 これは絶対に涼の雰囲気に気付いていないやつだ。

 

「ま、私には関係のないことだからいいけど。イベントに参加するなら、エントリーしなさいよ。じゃないと参加できないから」

 

「え? マジかよっ」

 

 涼にそう言われて、アスカは席を立つ。

 言われてみれば、イベントに参加するなら普通参加受付があるはずだ。リヒトはアスカに自分の分のエントリーも任せて、席にとどまった。

 

「じゃ、注文決まったら呼んでね」

 

「──あ、そうだ。涼」

 

 何か言うことを思い出したのか、アスカはくるりと振り返る。

 

「メイド服、意外と似合ってるよな」

 

「……バカっ」

 

 そう言って、涼は去っていった。

 

「んだよ、せっかく褒めてやったのに……ってリヒト、なんだよその顔は」

 

「……いや、お前ってバカだけどすげえよな」

 

 首を傾げるアスカを見て、リヒトはとりあえず殴ろうかという思考を抑え込むのだった。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 しばらくして、店の奥からひとりの女性がマイクを手に店内にやってきた。

 他のメイドさんたちと同様の衣装を身に纏ってはいるものの、漂う雰囲気は周囲とは異なる。

 どこか凛とした、落ち着いた雰囲気とも言えるその女性は、ゆっくりと店内を見回す。

 その姿を見たアスカが意気揚々と言う。

 

「おっ、キタキタ」

 

「? あの人は?」

 

「このメイド喫茶の店長さん。あの人が来たってことは、イベントの開始アナウンスをするんだろうぜ」

 

(なるほど、店長の貫禄ってやつか)

 

 女性から感じる雰囲気の正体がわかったところで、いよいよイベント開始のアナウンスが流れ始める。

 

『店内にお集まりのご主人様方ー! まもなく本日のメインイベント! 当店のナンバーワンメイド様とのツーショット券をかけた、素敵なイベントが始まりますよー!』

 

『うおおおおおおおおおぉぉぉ!!』

 

 店長の第一声と共に、軽快なBGMが店内に流れ始める。その大音量で流れるBGMに負けず劣らずの大声、店内が揺れるのではないかと思えるほどの、大きな雄叫びがこだまする。

 もちろん、リヒトはそのノリに着いていけていない。そしてアスカはノリノリで声をあげている。

 

『それではまず、ルールの説明です! ゲームは「叩いて被ってじゃんけんぽん!」を行います。対戦相手はクジによって決まり、その相手とじゃんけん! 勝ったら、こちらのピコピコハンマーで攻撃! 負けちゃった方は銀色のトレーで防御! 防御に成功したら再びじゃんけん、防御に失敗してしまったら攻撃側の勝利の一発勝負! 勝っても負けても恨みっこはなしよっ!』

 

 店長の説明に合わせて、ピコピコハンマーと銀色のトレーを持ったメイドさん二人が、ゲームの進行をジェスチャーで表現。

 

『ここで注意点! 攻撃側のピコピコハンマーは、必ず真上に振りかぶってから振り下ろすこと! 下からの攻撃や、斜めからの攻撃、横からの攻撃なんてもってのほか! 禁止行為ですから注意してくださいねー!』

 

『はーい!』

 

 ……熱量が圧倒的に違う。

 ここにいる参加者は、リヒトだけを除いて全員本気で一位を取りに来ている。それほどの熱が、空気を伝って、肌に伝わり、リヒトの感情に流れ込んでくる。

 この場にいる全員が熱くなるほどのものが、今ここにある。

 これほどの多くの人を引き寄せる人気が『ミナリンスキー』にはある。

 この場にいる全員が、生き生きとした表情で、やる気に満ちた表情で、己の目標を成し遂げるために、ここに集っている。

 みんなが『ミナリンスキー』という一点を目指して。

 ただの友人だった南ことりは、この場においてはなんだか遠い存在のように感じられて、リヒトは──、

 

「──ハッ」

 

 ──笑みをこぼしていた。

 口角が上がる。

 視線が鋭くなる。

 それは、周囲の熱にうかされてか。

 それとも、記憶を失ってもなお心にある『一条リヒト』の感性が呼び起こされてか。

 いずれせによ、そこはもうどうでもいい。

 いま、この場にいるリヒトがすべきことは──。

 

『──以上がルールとなります! ご主人様たち? 卑怯な戦法はダメだぞ♪

 正々堂々! 切磋琢磨してくれると嬉しいな!』

 

『了解しましたああああああああ!!』

 

 ──この熱に乗り、心の底からの雄叫びをあげることだ。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 くじ引きを行い、最初の対戦相手が決まる。

 用意された戦いの舞台(テーブル)は全部で四つ。四組の試合が同時に行われる。

 その一つに、リヒトは着いた。

 テーブルにはリヒトの対戦相手となる男性と、公平なジャッチを下すために配置されたメイドさんがひとり。

 正直、初戦からハットさんと当たったらどうしようかと思っていたが、ここは運が味方してくれたようだ。

 三人四組が揃う。

 漂う緊張感。

 ゴクリ、と誰かが息を飲む。

 

『それではゲーム、スタートぉ!!』

 

 店長の合図。

 同時に、

 

『叩いてぇ、被ってぇ──』

 

 メイドさんたち全員の声が響く。

 合わせてそれぞれ拳を構える。

 じゃんけんとはほぼ運で決まるもの。心理戦の要素として、じゃんけん開始前に『俺はグーを出す』などの発言する作戦はあるが、メイドさんが着いているこの場では行えない──そもそも心理戦をしたとして勝てる確率が変わるのだろうかという疑問がある──。

 だから、ほぼ運で決まる勝負となる。

 そこに問題はない。

 問題はその後だ。

 このゲームの重要なポイントはジャンケンではなく、その後にある『叩く』もしくは『守る』なのだ。勝敗に関係してくるのはこっちのアクション。

 だから、ジャンケンに気を張る必要はない。

 勝ったか負けたか。それを瞬時に判断し、適した行動をする方が重要だ。

 

『──じゃんけん!』

 

『ポン!!』

 

 リヒトの手はチョキ、相手の手はパー。

 

「──っ!!」

 

 すぐにリヒトはピコピコハンマーへ手を伸ばす。

 同時に相手はトレーへと手を伸ばし──、その手に返ってきた感触と同時に息を吐く。

 

「──っはあ!!」

 

 止まっていた呼吸が再開する。

 見れば、トレーによって防がれるよりも早く、ピコピコハンマーが相手の頭部を捉えていた。

 

「そこまで! 勝者は一条リヒト様!!」

 

 メイドさんが勝者の名を告げる。

 悔しそうに項垂れる相手。

 緊張感から解放され、テーブルに手をつくリヒト。

 

(何これ!? このゲームってこんなに疲れるもの!?)

 

 たった一戦を終えただけで、リヒトはとてつもない疲労を感じていた。

 いや、本来ならここまで疲労を感じるゲームではないのだろう。しかし、リヒトには負けられない理由がある。それがきっとリヒトにさらなるプレッシャーを与えているのだ。

 

(これ、最後まで集中力持つかわかんねえぞ……)

 

 何回戦あるのかわからないが、初戦からこの具合だとかなりの集中力が必要なのは間違いない。

 そう思いながら、リヒトはテーブルから離れる。

 入れ替わるように次のプレイヤーがテーブルに立つ。

 

「お疲れさんっ」

 

 そう言って、入れ替わるように戦いの舞台(テーブル)に向かったのはアスカだった。

 どうやらアスカの初戦はこれからのようだ。

 がんばれ、と言葉を送ってリヒトは休憩に入る。

 少しでも休まなければ集中力が保たない。一度自分の席に戻り、注文していたドリンクで喉を潤す。

 チラッと視線だけでことり──ミナリンスキーを探す。その姿は難なく見つかった。テーブルで審判をやるのかと思いきや、ミナリンスキーは店長の横で全体に向けて掛け声を送るポジションにいた。

 ちょうど次のゲームの準備中だったためか、ミナリンスキーはリヒトの視線に気づいたようだ。

 しかし、すぐに視線を外して全体を見回す。それは『ミナリンスキー』としてリヒトに関わることを避けるための行動だろう。人気メイドがひとりの客に変に視線を送るのは、周囲に気づかれれば大変なことになりかねない。

 そこらへんの気遣いができるのは、きっとことりの持つ高い空間把握能力がなせる技だろう。

 

「お休みのところすみませんご主人様。次のゲームのくじを引いていただけますでしょうか」

 

 と、そこへメイドさんがくじが入った箱を手にリヒトのところへやって来た。

 どうやら、次のゲームのくじを引かなくてはいけないようだ。

 

「了解っと」

 

 サクッと次のくじを引くリヒト。

 同時に、

 

「うっしゃ──! まずは一勝!!」

 

 豪快に勝利を手にした友人の声が聞こえてきた。

 やはり、アスカを誘って正解だった。元野球部エースの身体能力は、それなりに高い。これなら、快調に勝利を獲得していってくれるだろう。

 

(とはいえ、俺も負けてられないよな)

 

 張り合うつもりはないが、それでも心のどこかで『負けたくない』と思っているのが正直な気持ちだ。

 こちらへくるアスカ。

 

「…………」

 

 その視線はどこか挑発的だ。

 どうだ、と言っているように感じる。

 

「……負けるかよ」

 

 アスカの視線にそう返して、リヒトは次のゲームに向かった。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 奇跡とはあるのかもしれない。

 もしくは偶然の重なりか、それとも神頼みとして行った神田明神でのお祈りが通じたのか。

 

「うっそぉ〜……」

 

 気がつけば決勝まで来てしまっていた。

 

「おまえ……マジか……」

 

 隣では、つい先ほど負けてしまったアスカが、奇妙なものを見る目でリヒトを見ていた。

 その視線を向けたくなる気持ちはわかる。だが、決勝まで来てしまっていることに一番驚いているのはリヒト本人だ。これはもう、来世とかの運まで使い切ってしまっている気がしてならない。いや、それとも記憶喪失になってしまったからこそ、今すごく運がいいのかもしれない。

 

「なるほど、決勝の相手は君と言うわけか。これは、運命と言えるだろう」

 

 しかし、その運もここまでだろう。

 なぜなら、これから戦う相手はハットさん──つまり宇宙人(メトロン星人)なのだから。

 人間(リヒト)が戦って勝てる相手ではないだろう。一応、ハットさんが参加したゲームを何度か目にしたが、はっきり言って早すぎる。おかしいと感じ取られないギリギリのところの反射速度で、ジャンケンに勝ったときはピコピコハンマーを、負けた時はトレーに手を伸ばしている。そして危ない場面など一度もなく、難なくゲームに勝利しているのだ。

 隣にいるアスカも、野球部だった運動神経を生かして快調に勝利していたが、やはりハットさんの速度にはついていけずに敗北している。

 

『いや〜、やっべえわあの速度。本当に人間かよ……でもまあ、あそこまで綺麗に負けると、逆に清々しいな……ったく、どう足掻いても上には上がいるのかよ……』

 

 と、負けた時にアスカは口にしていた。

 ちょうどリヒトは待機していたこともあってその場面を見ていたが、アスカは一度ジャンケンに勝ち、ピコピコハンマーでの攻撃に回ったことがある。

 その一撃は、間違いなくヒットする速度だった。 

 事実、ハットさんの目がわずかに見開いたのをリヒトは見逃さなかった。

 しかし、防がれた。ギリギリのところでトレーで防いだのだ。

 あのタイミングで防がれては、勝てるはずがない。そんな絶望を与えるのには十分な結果。

 見た目は人間。しかし身体能力(スペック)は完全に宇宙人のソレだ。

 

「では、最後の戦いに参ろうじゃないか。光の少年よ」

 

 ハットさんはすでにテーブルでリヒトを待っている。

 

「…………」

 

 なぜだろうか。

 この一戦だけは今まで以上のプレッシャーを感じる。ウルトラマンギンガに変身して怪獣と戦う時とほぼ同じだ。

 

「ぜってえ勝てよ、リヒト」

 

 アスカからの声援を受けながら、テーブルへと向かうリヒト。

 テーブルについて、リヒトは今一度自分が置かれている状況を整理した。

 

「私は特別『ミナリンスキー』推しではないのだがね。しかし、この店の常連として、ミナリンスキーが可愛いこともまた事実。ならば、参加しない理由はない! さあ光の少年。正々堂々いこうじゃないか」

 

 ハットさんは右の人差し指でつばを押し上げ、不敵な笑みを浮かべて、準備万端といった様子。

 

(……いや、俺も別にミナリンスキーのファンじゃないんだけど……てか、ここに来たの今日が初めてだし……)

 

 チラリと、この戦いを見守っているミナリンスキーの方を見る。

 ミナリンスキー──ことりは、困った顔をしつつもこちらに声援を送っていた。

 

「……ほう、私を無視してミナリンスキーへ熱い視線を向けるとは。私のことなど眼中にないと言うわけかね」

 

「え? あ、いや別にそう言うわけじゃ」

 

「構わない。彼女にはそれほどの魅力がある。しかし、忠告しよう。目の前の相手を無視するとは、すなわち戦いに目を向けていないと言うこと。戦いにおいて、戦場から意識を外すことは愚か者のすることだ。覚えておくといい」

 

 そう言われて、リヒトは意識を引き締め直した。

 

「いい目つきになった。では、参ろうか」

 

 ハットさんが右手を構える。

 釣られて、リヒトも左手を構えた。

 両者の準備が整ったことを確認した店長が告げる。

 

『それでは決勝戦! ハットさん様VS一条リヒト様! 果たして、勝つのはどちらのご主人様? ゲーム、スタート!』

 

『叩いて〜、被って〜、ジャンケン──』

 

 張り詰めていく緊張感。

 呼吸を忘れ、リヒトは全神経を集中させる。

 

『──ポン!!』

 

 差し出された両者の手。

 リヒトの手はパー。

 ハットさんの手はチョキ。

 

「──っ!?」

 

 瞬間、リヒトはすぐに右手をトレーに伸ばす。ジャンケンに負けた以上、ここはなんとしても防がないといけない。持てる反射神経、全運動能力、脳から発せられる指令を『トレーに手を伸ばせ!!』に集中。

 だが、その視界の端で、すでにハットさんの手はすでにピコピコハンマーに伸びていることを認識する。

 まずい──と思考する暇はない。余計なことなど考えずに、持てる力全てを振り絞って、手にしたトレーを頭の方へ持っていく。

 結果、甲高い音を立ててハットさんの攻撃を防いだ。

 

「はぁ──はぁ──はぁ」

 

 防げた。それを認識してからようやく呼吸が再開される。

 再開された呼吸は酸素を求めて激しく行われ、同時にハットさんと視線が交差した。

 

 

 

 

 ──一戦で決着が着いてはつまらんだろう?

 

 

 

 

 なんとなく、彼はそう言っているのだと感じ取れた。

 おそらく今のは、リヒトが反応できるギリギリの範囲だったのだろう。それほどの余裕をハットさんから感じる。

 それはつまり、その気になれば一瞬で勝負をつけられるということ。

 まだ本気を出していないということ。

 

「…………っ」

 

 その事実に、舐められたことに憤りを感じ、しかし冷静にトレーをテーブルに戻した。

 

『……お、おお〜! 初回から息を持つかぬ一瞬の攻防! これは見応えがありますよ〜!』

 

 観戦者から熱い声が上がる。

 だがリヒトはそんなもに反応している余裕はない。

 相手がリヒトとの対決を『楽しんでいる』内に、なんとしても勝たなくてはいけない。もし『楽しんでいる』のを終えてしまったら、これは一瞬で決着が着いてしまうだろう。

 

『叩いて〜、被って〜、ジャンケン──』

 

 行きつく間もなく二回目のジャンケンが始まる。

 二手目。

 リヒトの手はチョキを。

 ハットさんの手も、同じくチョキ。

 一瞬、動きかけた手。しかしあいこなら手にするものはない。

 

『あいこで〜──』

 

 三手目。

 パーとグー。

 勝者はリヒト。

 

「──っつ!!」

 

 右手でピコピコハンマーを掴むが、コンマの差でハットさんの方が早い。

 リヒトがピコピコハンマーを手にした時、すでにハットさんの手は頭部への軌道を描いている。

 結果、この一撃はトレーによって簡単に防がれてしまった。

 

「くっ」

 

「ふっ」

 

 三回目の勝負。ジャンケンの勝者はまたもリヒト。しかし、速度がついていけないう。防がれる。

 四回目の勝負。ジャンケンの勝者はハットさん。全神経を使ってギリギリのところで防ぐ。

 五回目の勝負。あいこが三回続いた後、ハットさんが勝利。なんとかトレーで防ぐが、相手の速度がわずかに上がった。

 

(──くそっ! ここで速度上がるのかよ!!)

 

 着いていくのがやっとなのに、ここで速度を上げられたら次はない。

 防げたとしても、もう一速度上げられたらそれこそリヒトの負けが確定する。

 勝つには、次の一手──甘く見積もっても二回以内に決めなければ。

 

『叩いて〜、被って〜、ジャンケン──』

 

『──ポン!』

 

 六回目の勝負。

 リヒトの手はグー。

 ハットさんはチョキ。

 

「────!」

 

 勝機はここしかない。ここを逃せば負ける。

 リヒトの手がピコピコハンマーを掴むのと、ハットさんがトレーを掴んだのはほぼ同時だった。

 ──だめだ。このままだと防がれて終わる。

 それは、直感的に感じたこと。

 揺るがぬ事実。

 振り上げたピコピコハンマー。

 その進路を防ごうと構えられるトレー。

 またしても間に合わない。

 だが、

 

「──っ!?」

 

 ハットさんの目が僅かに見開かれ、その手が一瞬だけ止まる。

 この戦いにおいて、それは致命的な行為だ。僅かに生まれたチャンスを生かすため、リヒトが全力で右腕を動かした。

 

 

 

 

 ──ピコっ! と、軽い音が。

 張り詰めた糸のように、一瞬の気の緩みも許さない静寂の空間に、とても、場違いな音が響いた。

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

『…………』

 

 静寂。

 誰もが呼吸を忘れ、目の前の結果を遅れて認識する。

 

『──き』

 

 先に認識を取り戻したのは、他ならぬ店長。

 

『決まりました! 今回のイベントの優勝者は一条リヒト様!!』

 

『うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!』

 

 店長の声に釣られて、周囲が、リヒトが忘れていた呼吸を再開する。肩を揺らして呼吸を繰り返すリヒト。

 その前に立つハットさんは、唖然とした様子でトレーをテーブルに戻すと、ハットを深くかぶる。まるで、自分の失態を隠すように。

 

「……うむ、私の口から言っておきながら、最後に戦いから視線を逸らすとは……私もまだ甘いな」

 

 その呟きは、リヒトの耳にだけ聞こえ、彼はゆっくりとその場から去っていくのだった。




ひとまず、区切りの良いここで一度終了。
そしてそろそろ動き出す……。


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第五章:帰ってきたメイド

お待たせしました。
今回、さらに新キャラ登場します&いよいよ急展開!? なお話です。


 終わってみれば、それはあっさりとしたものだった。

 勝利の喜び。

 強敵に勝った達成感。

 そういったものが溢れんばかりに湧き上がってくると思っていたのに、

 

(つ、つかれたー)

 

 現実は疲労困憊しかなかった。テーブルに手をついて、崩れ落ちそうになる体を支える。

 しかし、それは無理もないことだった。このゲームにおいて、リヒトに課せられた使命は『優勝』すること。それ以外は許されない、というのは大袈裟かもしれないが、そう言い換えても問題はないほどの状況だった。

 『絶対に勝たなくてはいけない』というプレッシャーは、想像以上に体への負担となっていた。

 加えて、ハットさんとの戦いは勝てる確率がほぼ0%のもの。

 だから、結果として疲労感の方が強いのは仕方のないことだった。

 

(それにしても最後──)

 

 ──ハットさんはなにに気を取られたのだろうか。そんな疑問が浮かんできた。

 そもそもの大前提として、ハットさんの正体は宇宙人(メトロン星人)だ。ただの人間がまず勝てる相手ではない。

 リヒトはウルトラマンの力を持っているが、それを超能力のように使えるわけではない。身体能力はあくまで人間のソレだ。

 人間のリヒトが宇宙人のハットさんに勝つには、何か外部からの援護があるか、ハットさん側に何かしらのアクシデントが起きるか、もしくは奇跡が起きるかしかない。

 そして、ハットさんは最後の最後に視線が別の方向へと向いた。注意が外れたのだ。その結果、わずかに生まれた隙を全力で突くことでリヒトは勝てた。ハットさん側のアクシデントと取るか、奇跡が起きたと取るか、外部からの援護があったのか、真実はわからない。

 だが、あの戦いの中、リヒトと()()()()()()()()()()()ハットさんが、最後の最後に何かに気を取られたのは確かなのだ。それがあまりにも解せない。

 ──たしか、後ろの方だったよな、と思った瞬間、

 

 

 

 

「あれれー? どーしたん、ご主人サマ? ぼーっとしちゃって……もしかして、男と男の戦いの果てに禁断の愛に目覚めちゃったトカ?」

 

 

 

 

 と、陽気な声が聞こえてきた。

 

「──んなわけあるか!」

 

 訂正と共に振り返る。

 そこにいたのは、

 

「ダヨネー、ご主人サマちゃんと女の子好きって顔してるし。あ、でも、それじゃあこのアタシちゃんに惚れてくれてもいいんダゼ?」

 

 キメ顔でそんなことを言う、何とも破天荒なメイドさんがいた。

 

「…………」

 

 呆気に取られるリヒト。

 目の前のメイドさんは、服装こそ周囲のメイドと一緒のものだが、纏っている雰囲気がまったく違う。それはもう言葉を選ばずに表すのならば『やかましい』や『うるさい』がピッタリだと言えるほどの雰囲気。

 それはきっと彼女の容姿が影響しているのだろう。エクステを使い、水色とピンクのメッシュが入った髪をツインテールにし、大きな瞳はカラーコンタクトで青色に。派手ではないがばっちりと化粧を施したやや幼さが残る顔。

 昨日来た時にはいなかったメイドだ。

 

「……えーっと、誰?」

 

「…………!?」

 

 純粋に思ったことを口にした。

 それだけなのにメイドさん並びに店内のお客たちからの視線が一斉に突き刺さる。

 

「ワーオ、マジなのこのご主人サマ……アタシちゃんのことを知らないなんて……」

 

 がっくり、と音がきこえてきそうなほどに大きく肩を落とすメイドさん。

 周囲の視線に信じられないものを見る色が加わる。

 

「……すみません、昨日ここに初めて来たんで、誰だかわからないんです」

 

「あ、そっか。なら仕方ないネ」

 

 正直なことを告げた瞬間、メイドさんはケロッとした表情で顔を上げた。

 さっきのは演技だったのだろう。いいように揶揄われたリヒトはジト目を向けるも、メイドさんは気にしない素振りでスカートを翻し、店内にいる人たちにも届くよう声高々に言う。

 

「なにを隠そう! アタシちゃんはここのナンバーワ……いーや、今はミナちゃんがナンバーワンだから、『元』ナンバーワンなんだよネ……うん、悔しいけど、それはもうハンカチを噛みたいほどに悔しいけれど! あえて言います『元』ナンバーワンメイド! ──だって勉強が忙しかったんだもんマジ学校のテストめんどい──マイマイ! 今日から復帰なんだゼー! イエーイ! ご主人サマたち元気にしてたー?」

 

『うおおおおおおおおおおおおおおお!! マイマイイイイイイィィぃぃぃぃ!!』

 

 これまでにない歓声。

 そのすべてが、今目の前にいるメイドに向けられているものだ。

 喜び、感動、嬉しさ。

 メイドという小さなコミュニティの中で上がる歓喜の声にしては、あまりにも大きく、そして強い。

 それほどまでの人気が、目の前の破天荒なメイドにはあるということ。店内の空気が、意識が、すべて目の前のメイドに向けられている。

 たった一度の登場で、店内の空気を染め上げた。

 

「……すげぇメイドなんだな」

 

 もはやさっきまでもゲームを覚えているものはいない。

 今この場を支配しているのは、カラフルな髪をした破天荒なメイド。

 店内の全ての人が笑顔になっている様を見て、リヒトはゴクリと息を飲んだ。

 だがその歓声も、店長のひと拍手で落ち着きを取り戻す。

 

「──それじゃあ、ご主人様。どっちのメイドと写真を撮る?」

 

 と、変わらない調子で問われ、リヒトは一瞬止まった。

 そして、自分に向けられた言葉の内容を理解して、すぐに『?』が頭に浮かんだ。

 

「撮るのってミナリンスキーとじゃないんですか?」

 

「実はね、元々はマイマイと撮る予定だったんだ。けど、ほら、この子最近休んでたからさ、急遽ミナリンスキーに代役を頼んだわけ。だっていうのに、今日復帰ってさっき知らされてさ。なら元に戻そうかとも思ったんだけど、もうミナリンスキーでって言っちゃってたから。そこで、一位になったご主人様がどちらと撮るか決めてもらうことにしようと、今決めたわけ」

 

「今ですか」

 

「そう、今よ」

 

 即答だった。

 自由な人だな、と思いつつミナリンスキーを見る。

 こちらも苦笑いを浮かべていることから、本当に急遽決まったのだと伺える。

 

(俺の頑張りって……ん? 待てよ。よく考えたら俺、別に負けても問題なかったんじゃ……)

 

 これではあの頑張りはなんだったのか。

 と、浮かんできた感情と同時にひとつ思ったことがある。

 たとえば、決勝戦でリヒトが負けた場合。優勝者はハットさんになるだろう。そして、ハットさんはミナリンスキーかマイマイとのツーショットとなるのだが、彼は写真を売るような性格なのだろうか。

 そもそもリヒトが優勝を目指していたのは、ことりにお願いされたからだ。そしてことりの願いは『写真が出回らないようにしてほしい』ということ。

 仮にハットさんが優勝しても、彼ならば絶対に写真を売ったりしないと考えられる。言質などが取れれば、そもそもリヒトとハットさんが勝ち残った時点でことりの危惧していた点は回避できていたのだ。

 

「…………」

 

 それがわかった途端に湧いてきた感情をどう処理すればいいのだろうか。

 

「……光の少年」

 

「うおっ!?」

 

 と、背後からの声。

 油断していたせいで変な声が出てしまったが、振り返った先にいたハットさんの雰囲気に言葉を失う。ハットを深く被って視線を隠してはいるが、その雰囲気には並々ならぬ『圧』が込められている。

 

「君は、どちらのメイドを選ぶのかね」

 

 渋く、低いトーンの声は床を震わせ足を伝い、リヒトの体の芯を震わす。

 そこに込められている感情はなんなのだろうか。自分が推しているマイマイを選ぶのではないかという感情だろう。

 元々は『ミナリンスキーとのツーショット』が景品のゲーム。

 彼は言っていた。『ミナリンスキーは特別推しではないと』。

 しかし、今はどうだろうか。推しである『マイマイ』とのツーショットの可能性があるのだ。彼からすれば喉から手が出るほどに欲しいだろう。よくみれば肩が震えている。必死に感情を、衝動を押さえているのだとわかる。

 もしここでリヒトが『マイマイ』と口にすれば、彼はどうなるのだろう。もしくは、リヒトの身がどうなるのだろう。考えるだけで怖くなってきた。

 とはいえ、友人であるミナリンスキーか、それとも今この場で突然出会ったマイマイかと問われれば、必然的に答えは決まっている。

 後々面倒くさそうになる可能性があるのは前者なのだろうが、

 

「えっと、ミナリンスキーで」

 

 後者を選ぶ理由は特別なかった。

 そもそも、リヒトはミナリンスキーとのツーショットと聞かされていたのだ。ならば聞いた時の情報通り、ミナリンスキーを選んだだけ。

 他意はない。

 

「…………」

 

 リヒトが『ミナリンスキー』の名を告げた時、周囲のお客は息を呑み、ミナリンスキーは驚きで目を見開き、

 

 

 

 

 そして、マイマイは一瞬だけ動きが止まった。

 

 

 

 

 目の前にいたから、リヒトはついそれが目に入った。だから気になった。

 

「…………んー、やっぱりミナちゃんか〜。まあ、ご主人サマは今初めてアタシちゃんと出会ったわけだから当然っちゃ当然かー」

 

 とはいえ、それは一瞬の出来事で次の瞬間には元の雰囲気に戻っている。

 残念だけど当然の結果だと、ニマニマと受け止めている。

 

「んじゃ、そんなご主人サマをメロメロにできるよう、頑張っちゃおっかな〜」

 

「こーら。一人だけ贔屓にしないの」

 

「わかってますよー店長。でもなんかー、このご主人サマ面白そう!」

 

「とりあえず撮影に入ってもらっていいですか。後ろから今にも刺されそうな視線感じるんで」

 

 ニッシシシっ、と笑うマイマイは絶対わかっているだろう。リヒトの背後にいるダンディな宇宙人が、ものすごい雰囲気でいることを。それをわかった上でのこの行動。このメイドさん、絶対にいる場所間違えているのではないかと思うリヒトだった。

 

 

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 

 

「はい、どうぞ」

 

「……どうも」

 

 店長から一枚の写真を受け取る。そこに写っているのは、仲良くハートマークを作っているリヒトとミナリンスキー……正確には()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 つい先ほど撮影を終えたミナリンスキーとのツーショットは、見返しても苦笑いしてしまうほどに硬い。気まづさを感じつつも、それが表に出ないようにしているせいだろう。表情だけでなく、全体的な雰囲気も硬い。

 しかし、これでも1枚目よりよくなっているのだ。1枚目は、それこそ店長が「うん、ちょっと表情硬いわよ。せっかく勝ち取ったんだからもっと笑顔、笑顔」と思わず言ってしまうほど。

 勘弁して欲しいものである。『ミナリンスキー=南ことり』の認識が出来上がっているリヒトにとって、ハートマークを作っての撮影はなかなかにクルのだ。結局、2枚目で改善されることなく、店長のアドバイスを受けて何十枚も撮影することになってしまった。

 そして出来上がったのがコレである。

 ふたりの事情を知らない人から見れば、お互い少しだけ緊張しているように見える愛らしい写真。

 だが、ふたりのことを知っている人からすれば180度違う。

 なにせ、お互い顔見知りどころか幼少期からの友人関係であるのだから。これがいかに面白おかしい写真なのか、知っている人から見れば腹を抱えて笑ってしまいたいほどの写真が今リヒトの手の中にある。

 

(これ、穂乃果たちに見つからねえようにしねえと)

 

 自ら招いたこととはいえ、これが穂乃果たちに見られたら間違いなく在らぬ勘違いをされるだろう。特に絵里には絶対に見つかってほしくない。

 そんなことを思いながら、写真を財布にしまおうとして、

 

「うんうん、なかなかに表情が硬いね〜」

 

「うおっ!?」

 

 背後からひょっこり現れたマイマイに驚かされた。

 そんな反応が面白かったのか、マイマイは豪快に笑いながらリヒトの肩を叩く。

 

「アッヒャッヒャッヒャッ!! ご主人サマ驚きすぎ! ってか、背後からの声かけに弱いと見た」

 

「いや、後ろから声かけられたら誰だって驚くだろ……」

 

 加えてこっちはゲームの疲労と慣れない写真のせいで精神も疲弊しているのだ。驚きやすくなって当然だと言いたい。

 

「そんなに緊張するなら、アタシちゃんにしとけば、よかったのにぃ〜。楽しくピースでいい写真になったと思うぜい?」

 

「いや、それはそれであとが怖いというか……選んだら俺の身がどうなってたかわからないというか……」

 

 そう、今絶賛こっちを見ているあのダンディな男によって生命の危機に瀕するかもしれない。そう考えると迂闊にマイマイは選択できないのだ。

 

「むー、そんなにミナちゃんの方が魅力なのかなー」

 

「そういう話じゃなくて……」

 

 ハットさんのことに気づいているのか、気づいていないのか。マイペースにことを進めようとするマイマイ。

 

「……それとも、ミナちゃんとの間に何か隠さなきゃいけない秘密があるのか?」

 

「……!」

 

 スーッと、大きな瞳が細められる。

 さっきまでのハイテンションから一転。冷たい目がリヒトを見る。

 そのせいで、ぞくりとリヒトの背中が動いてしまった。

 このメイドは、リヒトとミナリンスキーの関係を知っているのだろうか……。

 

「──なーんて、犯人を追い詰めた探偵みたく目を細めて意味深かに言うアタシちゃんなのでした。まあ、今日でアタシちゃんの魅力を見せつけて、メロメロにしちゃおっか! ってなわけで、ご主人サマ何かご注文ない?」

 

 またしてもテンションが切り替わるマイマイ。

 その代わりように、つい力が入っていた膝から崩れ落ちそうになってしまう。

 

「注文って、そうだなー……んじゃあ、パフェひとつ。頭使って疲れたから、甘いもの食べたい」

 

「パフェね〜。了解了解、承りましたぜご主人サマ。んじゃ、席で待っててね〜」

 

 と言って、リヒトの元から去っていくマイマイ。

 その背中をリヒトは最後まで見送った。

 

「…………」

 

 先程のことが気になって、ついその背中を見つめる。

 あの時、おふざけにしては空気の代わりようが異常だったように感じた。(ゼロ)(ヒャク)と感じるほどの差。あの一瞬にしてマイマイの中身が変わったのではないかと思うほど変化。気になりつつも、いつまでも突っ立っているわけにはいかないためアスカが座る席へと戻る。

 

「ん? お帰り。見てて面白かったぜ。おかげでひとりの時間を潰せたわ」

 

「そりゃよかった」

 

 席に戻り、オムライスを頬張っているアスカを適当にあしらいながら、ようやく休むことができた。なにせ、ゲーム終了後すぐに写真撮影が始まったため、こうして腰を落ち着かせられるのはゲームを開始する前ぶりだ。

 なんだか長い時間気を張っていた気がして、感じている以上に体が疲れている気がする。

 しかし、このあとおそらくパフェを持ってくるであろうマイマイからまた揶揄われることを考えると少しだけ気が重くなった。 

 

「なあアスカ。あのメイドさん……『マイマイ』だっけ? あの人のこと知ってるんだよな?」

 

「もちろん。なんだぁ? お前さんまさかマイマイにまで惚れ」

 

「違うっての。なんか、一人だけ周りと雰囲気が明らかに違うだろ。だから気になってるだけ」

 

 また変なことを口走るアスカを軽く睨んでみれば、彼は戯けた様子でマイマイについて説明し始めた。

 

「まあ、そうだな……ミナリンスキーが『可愛い系』なら、マイマイは『テンションMAX系』いや、ギャル系? パリピ系? なんっつーだ? こう……そういう系だからな。いつも明るくて、誰にでも分け隔てなく、ってのは接客の基本だからあれだけどよ。マイマイは別格。なあ、リヒト。メイドって言えばどんなイメージを持つ? あ、もちろんこの秋葉原のメイドだけじゃなくて、世界全般のメイドな」

 

 メイドのイメージ。

 どう言ったのものだろうかと考え、率直に浮かんできたものを言葉にしてみる。

 

「『使用人』かな。ほら、でかい屋敷で主人(あるじ)の身の回りの世話とかする。礼儀とか、いろいろきっちりしてるイメージ。主人に仕えるってところをうまくカジュアルにしたのが、秋葉原のメイドなんだろうけど」

 

「んな感じだよな。よくドラマとかアニメだと、主人に仕えてあまり反論はしない。常に主人を尊重し、自分はその一歩後ろにいる、まあここの場合そこに接客っていうのが合わさってくるんだが、あんまし違いはないだろ。概ねリヒトが今言ったことで間違いはねえだろうさ。けどよ、マイマイは全然違うわけ。なんっていうの、思いっきりズバッと言いたいことは言ってきたり、『ご主人様』とか言ってるけど一歩後ろじゃなくて同じ位置、もしくは前歩いてるみたいな。お、ちょうど接客するみたいだし、ちょっと見てみろよ」

 

 アスカの視線に促され、首を回してみればそこにはちょうど入店してきたお客さんのもとへ向かうマイマイの姿。

 おそらく、リヒトが注文したパフェが出来上がるまでの時間を利用して、接客をするつもりなのだろう。

 

「お帰りなさいませ、ご主人さまー!」

 

「え!? マイマイ!?」

 

「そうですそうで、みんなの一押しメイドこと『マイマイ』! 華麗にふっっかーつー!! 元気にしてたかい、ご主人さ、ま?」

 

 メイドさんとしての基礎は残しつつも大胆にアレンジした挨拶でお客さんを迎え入れているマイマイ。その姿は、彼女の派手な見た目と相まってか違和感のないものに仕上がっている。

 

「なんつーか、いい意味で常識に囚われないメイドなんだよ。マイマイは」

 

 かっこよく決めた雰囲気を醸し出しながら締めるアスカ。

 ……その口の端にオムライスのケチャップがついていなければ、本人が思い描いているかっこよさが出せていただろうに。

 しかし、こうして見てみればマイマイの人気がなんとなくわかる気がしてきた。そのテンションの高さはもちろんのこと、こちらのペースをあっという間に巻き込んでしまうトーク力と接客スキル。μ’sの中にも元気系に属する子がいるが、あそこまで突き抜けた破天荒はいない。

 近い属性は穂乃果が持っているだろうか。だが、穂乃果はあそこまで突き抜けてはいない気がする。

 となれば、記憶喪失となって、初めて遭遇するタイプの女子。

 ミナリンスキーとは違う魅力を秘めたメイド。

 ふと、マイマイと視線があった。

 ニヤリと笑ったあと、笑顔で手を振ってくる。一応振り返しておくと、

 

「随分と、マイマイと親密になったようだな。光の少年」

 

 ハットさんが、こちらの席へとやってきた。

 どうやら、先程の笑みはこれを意味していたようだ。

 

「羨ましい限りだよ。何度も通った私に対して、たった一回の接触でここまで差を見せつけられるとは……」

 

 その声は本当に悔しがっているように聞こえる。

 

「そうなんですよハットさん。罪な男なんですよ、こいつは」

 

「おや、少年は昔からの知り合いなのかね?」

 

「昔っからって言えばそうっすね。会う機会はそうなかったですけど、それなりの付き合いっす」

 

「ふむ。では君と話せば、光の少年のことを知ることができるようだな」

 

「あ、聞きます? こいつが好きな子いるのにマイマイやミナリンスキーにうつつを抜かす奴だって話し、しちゃいますか?」

 

「是非」

 

「おい」

 

 少し強めに声をかけた。

 アスカが言ったふざけたことへの怒りと、あまりプライベートを話されたくないこと。そして、忘れそうになるがハットさんは『闇の刺客』なのだから、あまり情報を知られたくない。

 アスカもリヒトの強めの声を聞いて、さすがに悪ふざけが過ぎたと思ったのか、

 

「っと、すみません。割と本気でダメなところみたいなんで、お口にチャックさせていただきます」

 

 と、謝罪の言葉を述べた。

 

「いや、こちらも失礼した。あまり他人のプライベートに入っていいものではないな。私も席に戻るとしよう。君たちの間に入るほど無神経な人になった覚えはないのでね」

 

 では、と言ってハットさんは自分の席に戻っていく。

 

「別に相席してもよかったんだけどなぁ。ま、リヒトが嫌がりそうだし、今度会ったときにでも話すか」

 

「俺を話しの種にはするなよ。

 ……っと、悪い、アスカ。ちょっと手洗い行ってくる。さっきパフェ注文したから、きたら受け取っといてくれ」

 

「あいよー」

 

 席を立ち、店内の奥にあるお手洗いへと向かう。

 と、その途中ミナリンスキーと遭遇した。

 

「あ、りひとさん」

 

 しかも、普通にリヒトの名前を呼んできた。

 

「おいおい、一応ミナリンスキー状態だろ。誰かに聞かれたらどうするんだよ……」

 

「あ、ごめんなさい。つい」

 

 幸い、リヒトが今いるのは店内の奥の方であるため、周囲に聞かれた様子はない。フロアからも影になっているところであるため、多少は隠せる位置だ。

 

「気をつけろよ。と言っても、今後ここにくるかどうかわからねえけど」

 

「え? もう来ないの?」

 

「できれば遠慮したいな。お互いのためにも」

 

 なぜ少しだけがっかりした様子を見せるのか。リヒトとしては、今後ここにくる理由は『ハットさん』の存在だけだ。自らがメトロン星人だと正体を明かした彼は、最後にマイマイに会わせて欲しいと願った。

 そして、今日彼女は復帰した。ならば、遅かれ早かれ彼の『終わり』はやってくる。それが片付いて仕舞えば、リヒトはもうここにくることはなだろう。

 

「ま、と言うわけだ。最後になるかもしれないメイド喫茶を、楽しませてもらうよ」

 

 そう言って、リヒトはことりの横を通り過ぎた。

 注文したパフェの到着にはそう時間はかからないだろう。さっさと済ませて席に戻ろう。

 そう思ったリヒトは、

 

 

 

 

 席へ戻る際、何か頭部に重い衝撃を感じるのだった。




ここまで来るのに五章分……ですが、まだまだじっくりやっていきます。


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第六章:悲劇開幕

今年も残りあと1ヶ月……年内にどこまでエピソードが進められるかわかりませんが、どうかよろしくお願いします。
それでは、第六章スタートです。


 ──暗い緑色をしたヒト型の怪物がいる。首はない。頭部の横から腕が生えているような、そんなフォルムをしたヒト型の怪物。

 その怪物の攻撃を受けて後ろへ倒れる。

 ──苦しい。

 息が苦しいのか……いいや違う。これは感情の苦しいだ。胸が詰まるような苦しさ。

 なぜこうなってしまったのか、なぜ力を持っているのに彼女を救えないのか。

 今起こっている状況、そして自分に対して苦しいんだ。

 怪物は声を上げる。何か叫んでいる。おおよそ人の言葉ではない。だが、何を言っているのかわかってしまう。

 泣いている。自分の姿に。なぜこうなってしまったのかに。

 自分が苦しんでいるように、怪物自身も、なぜ自分がこんな姿になったのかわからない。苦しく、そして悲しい。

 ただ彼女は『帰りたい』と願っただけ。帰ることのできない場所へ、ただ帰りたかった。それだけなのだ。

 しかし、その結果が怪物の姿。

 怪物は暴れる。自分は、それを止めなくてはいけない。戦って止めなくてはいけない。

 しかしもう、戦ったところで彼女を元の姿に戻すことはできない。

 彼女を救うことはできない。

 たった一つの方法を除いて。

 もう、この手しかないのだ。

 誰かの叫び声が聞こえた。人間の声。やめてと叫ぶ声。

 同時に聞こえる『お願い』という切ない声。

 それを聞き届けて──腕を十字に組んだ。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

「──いってぇ」

 

 頭部に感じる鈍い痛みで目を覚ます。

 相変わらず、意味のわからないビジョンを見ていた気がするが、目覚めると同時に鮮明さが失われていった。いまではよく思い出せない。

 ただ、とても苦しくて、この世の全てを恨みそうになった感情だけは残っている。

 自分のものではない、誰かの感情。

 だがそれも、次第に薄れていく……。

 

「は?」

 

 痛む頭部を手で押さえようとして、しかしその手が動かないことに声を上げた。

 一瞬で頭の中が「?」に埋め尽くされる。

 腕が動かない?

 

「いや、違う」

 

 そこで、リヒトはようやく自分が拘束されていることに気づいた。両腕が後ろに回され、親指を合わせるように拘束されている。どれだけ力を入れてもびくともしない。むしろ何かが指に食い込んでくる。これは力技で解除できるものではないと、すぐにわかった。

 背中には何か一本の柱のようなもの。そこに腕を回されているせいで、動くことすらままならない。

 

「……どういうことだよ」

 

 詳細な状況は、辺りが薄暗いせいでわからない。だが拘束されていることは間違いなくわかる。

 ──落ち着け、落ち着け。しばらくすれば目が慣れる。そうしたら、状況の把握に努めればいい。

 そう自分に言い聞かせて、脈打つ心臓を落ち着かせる。

 

「どこだ? ここ……」

 

 徐々に目が慣れ始める。薄暗く見えるようになった視界から、可能な限り情報を集める。

 ……どこかの部屋だろうか。壁には棚があり、さまざまな物が置かれている。棚は自分の背後にもあり、その柱に腕を回され、親指を結束バンドで繋がれていた。

 これは無理矢理拘束を解こうとして、棚に積まれている物の下敷きになりかねない。迂闊に動くことはできないとわかった。

 

「なんだよ、これ」

 

 周囲を把握し、真っ先に思ったことは今の状況がおかしいということだ。さっきまでメイド喫茶の中にいたはずなのに、今いる場所は全く別の場所。

 可能性を上げるならば、備品などが置いてある部屋だろうか。

 だがそんなところに行った覚えはないし、客であるリヒトが向かう理由もない。なぜこんなところにいるのか、不思議でたまらない。

 直前の記憶を手繰り寄せ、どうしてこうなったのかの過程を思い出そうとする。

 まず、自分はどこにいた? ──メイド喫茶だ。そしてお手洗いから席に戻る途中だったはず。

 なぜここにいる? ──わからない。頭部に鈍い痛みを感じることから、誰かに襲われたと考えるべきか。

 ここはどこだ? ──どこかの部屋のようだ。そこへ連れてこられたと考えるべき。

 今自分はどういう状況だ? ──結束バンドて固定されている。つまり捕われていると考えられる。

 なぜこうなった? ──わからない。

 ひとつひとつ考え、しかし導き出される解答は大半が不明。何もわからないことに唇を噛む。

 

「……まさか」

 

 しかし、この状況を作り出すことで得する人物が思い浮かんだ。

 ハットさん──メトロン星人だ。

 闇のエージェントである彼ならば、こうしてリヒトを拘束する事に意味を持つ。

 

「──っ!!」

 

 拘束されている両手に力を入れる。結束バンドが親指に食い込む。

 ──今、こうしている間に誰かが怪獣にされているかもしれない。誰かが、『大いなる闇』の生贄にされてしまうかもしれない。

 そんな最悪の事態が思い浮かび、それを阻止すべく動く。

 しかし、いくら力を入れたところで人間の力で結束バンドが千切れるはずもなかった。

 

「クソっ」

 

 唾が飛ぶ。

 失態だ。これは、紛れもないリヒトの大失態。とても近くに闇のエージェントがいながら、警戒を怠った。彼があまりにも親しく、そして闇を感じさせない男だったから、どこか油断していたのかもしれない。

 その結果が招いたこと。

 

「おい! 誰か! 誰かいないのか!? 誰か声が聞こえないか!!」

 

 大声で叫ぶが、返答はない。

 舌打ちをし、再び親指に力を入れる。

 ガンっ! と、思いっきり足を振り下ろしてみる。地べたに座っているおかげか、足の裏でしっかりと床を叩けた。

 しかし、音が響くだけで返ってくるものは何もない。

 そもそも、ここがどこなのか不明なのだ。この音が外に聞こえているかも不明。

 

「くそっ!」

 

 ガンッ! と、最後に大きく足を振り下ろす。

 考える。この状況を打破する方法。最悪の結果が来る前になんとしても動けるようにならなくては──。

 

「誰か、いるの……?」

 

 ──と、声が聞こえてきた。

 女の子の声。

 それは聞き覚えのある声。

 

「ことり……?」

 

 薄暗い部屋の中に視線を走らせる。

 声の主、南ことりは意外にもリヒトの正面に近い位置にいた。薄暗いせいで気づかなかったのだろう。反対にことりはリヒトの立てた音で目覚めたと考えられる。

 

「リヒトさん……? どこにいるの?」

 

「正面だ。正面に近い位置にいる」

 

 気づいたばかりで、まだ目が慣れていないのだろう。不安に揺れる声にできるだけ優しく返す。

 ことりは声だけを頼りに視線を巡らせる。

 

「リヒトさ……あれ? 腕が動かない……!?」

 

「落ち着け。たぶん拘束されてるだけだ。目が慣れたら見てみろ」

 

 取り乱しそうになることりに向け、優しく声をかける。おそらく状況はリヒトと同じ。腕が動かないということは、拘束されているということだろう。暗い中、突然腕が動かなければ、誰だって不安から取り乱してしまう。

 それを阻止するために、リヒトはおそらく自分と同じ状況であろうということ。そして自分の位置を知らせた。

 しばらくして、目が慣れ始めたのかことりの視線がリヒトの方をしっかりと向く。

 

「リヒトさん……!」

 

「目が慣れてきたみたいだな。とりあえず、どこか痛むはとこはないか?」

 

「うん、ちょっと体が痺れてるくらい……けど、大丈夫」

 

「そうか。ことり以外に誰かいないか!?」

 

 部屋全体に響くように声を飛ばすが、返ってくる声はない。

 どうやら、囚われているのはリヒトとことりだけのようだ。

 

「ことり。目が覚める前のこと、どこまで覚えてる?」

 

「えっと……たしか、マイ先輩に呼ばれて裏手に行って、そこで確かケースを開けるように言われて……開けたらビリっときて……」

 

 ゆっくりと、思い出しながらその時のことを説明することり。

 その中に、気になるワードがあった。

 

「開けたら、ビリッときた?」

 

「うん。体が痺れるような感じ……そして気づいたらここに……」

 

 そこへガチャリと、ドアの開く音がした。続けて部屋の電気が点き、突然の明かりに視界が飛ぶ。

 やがて、ゆっくりと元に戻った視線を向けてみれば、そこにはマイマイがいた。

 

「マイ先輩……?」

 

「マイマイ……?」

 

 彼女の手には、ことりを気絶させた原因であろうケースが握られている。大きさは、一泊二日程度の旅行に使われそうなスーツケースくらい。黒色をした無機質なケース。

 それを手に部屋の中に入ってきたマイマイは、驚くほど無表情で、同時にリヒトがこれまで見てきた表情と酷似している。

 すなわち、闇の魔の手によってダークダミースパークを手にした者たちと同じ。

 ──ぞくり、とリヒトのポケットにあるギンガスパークが震えた。

 しかし、マイマイはことりの方を見ると、その表情が嘘のように明るくなる。

 

「よかったー。目が覚めたんだね、ミナちゃん!」

 

 そう言って、ことりへと駆け寄るマイマイ。

 

「マイ、先輩……」

 

 ことりの声は震えている。

 それがおかしいのか、首を傾げるマイマイ。彼女は変わらず、破天荒に続ける。

 

「ん? どーしたの? あ、さっきはごめんね。痛かったでしょぉ。出力間違えちゃったみたい。でも、目が覚めてくれてよかったー。あれで終わっちゃったら、興ざめだもんネー」

 

「マイ先輩……なにを、言ってるん、ですか?」

 

「ん? いや、だからアレで終わらなくてよかったーって言ってるんだヨー。ミナちゃん、意外ど体丈夫なんだね!」

 

 リヒトからはマイマイの表情は見えない。

 だが、ことりが恐怖に震えていること、そして先ほどの表情からとても危険な状況にあると判断できる。

 なぜなら、マイマイの言葉はことりを心配しているようで、そんなのまったく感じられないほど平坦なのだ。

 そもそもことりが意識を失った要因のひとつがマイマイだ。ことりはマイマイに言われてケースを開けた。そして意識を失った。マイマイの目の前で倒れたはずなのだ。それなのに、目が覚めたことりは部屋で拘束されていて、マイマイは謎に謝罪を述べてくる。

 言葉と行動がチグハグだ。

 

「あの、マイせんぱ──」

 

「──それじゃあ、ミナちゃん。続き、行こっか」

 

 そう言って、マイマイはことりから離れた。

 スーツケースの元へ行き、とても楽しそうな表情でケースの向きを変える。ちょうど開くところが、ことりに向くように。

 

「──っ!?」

 

 ことりの脳裏に蘇る、ひとつの光景。あのケースが開いた時に襲ってきた痺れ、痛み、恐怖。

 ケースが開く寸前、

 

「おい! やめろ!」

 

 リヒトが声を飛ばす。

 マイマイの動きが止まる。

 ぐるり、とリヒトの方を振り返るマイマイ。その瞳がリヒトの脳裏にある、西木野真姫、小泉花陽、矢澤にこと重なる。

 

「邪魔しないでよご主人サマ。てか、なんで生きてんの?」

 

 変わることのない調子のマイマイ。

 それに気圧されそうになりながらも、リヒトは向き合う。

 

「お前、なにをする気だ」

 

「なにって、決まってるじゃん──復讐」

 

 そう言って、マイマイはケースを開く。

 ケースの中は機械的な造形が施され、中心部に緑色に光る球体があるだけの簡素なモノだった。

 マイマイの細い腕が、球体の横にあるスイッチへ伸びる。そしてスイッチが押された瞬間、球体から電撃が飛んだ。

 

「ああっ!?」

 

 ことりの体が跳ねる。

 電撃による攻撃。最悪、感電死してしまう恐れのある攻撃。拘束されていることりは悲鳴をあげた後、力が抜けたように首が落ちる。

 

「ことり!」

 

「ぅ……ぁ…………」

 

 か細い声が聞こえてきた。

 どうやら、意識は失っていない様子。

 

「おお〜、ちゃんと威力調整されてんじゃん〜。よかったよかった、これですぐに飛ぶことできなくなったよね」

 

 とても安心したように言って、マイマイは続けてスイッチを押す。何度も。それこそ、子供が無邪気にボタンを押すかのように、何度もスイッチを押す。

 その度に球体から電撃が放たれ、ことりの体が何度も跳ねる。

 悲鳴が上がる。

 歓喜の笑いが上がる。

 

「おい! やめろ! やめろ!!」

 

「うるさい! ご主人サマは黙ってて! これは、アタシちゃんの復讐なんだから!!」

 

「復讐……?」

 

「そう! アタシが頑張って、努力して、考え抜いて、ようやく掴み取ったナンバーワンの座を、なんの努力もしないでポッと出のこいつが奪った!! アタシがナンバーワンの座を得るための頑張りを、こいつは数日で達成しやがった! ろくに考えもないで、ろくに努力もしないで! ふざけるんじゃないわよ!!」

 

「そんな理由で、こんなことしていいわけないだろ!!」

 

「良いか悪いかなんて関係ない! アタシが満足すれば、それでいい!!」

 

 拳を叩きつけるようにスイッチが押される。

 電撃がことりを襲い、悲鳴が部屋に響く。

 

「ことり!!」

 

 がっくりと項垂れ、体に力が入っていないように見える。

 あれだけの電撃を受けて無事なはずがない。

 

「ってかさー、なんでご主人サマそんな大声出せるの? あんだけ血を流しておいて──」

 

 ──と、そこでマイマイの動きが止まった。

 

「…………」

 

 何か信じられないものを見たような表情で振り返る。

 マイマイは何かを確認するべくリヒトに駆け寄り、頭を押さえつけた。そのまま、後頭部を覗き込むように見る。手で髪をかき分け、頭皮をくまなく見る。

 やがて、ポツリとこぼすように言った。

 

「傷がなくなってる……? なんで……? あんなに血が出てたのに。血が止まるならまだわかるけど……これ、傷が初めからなかったみたい……ふふっ、ねえミナちゃん。ミナちゃんの彼氏さんさ、()()()()()()みたいだよ」

 

 と、ことりに向けて、まるで秘密をバラす意地悪な女の子のように言った。

 しかし、ことりからの反応はない。

 気にせず、無邪気な瞳でリヒトの顔と向き合う。

 

「宇宙人? それともバケモノ? ねえ、ご主人サマ。どっち?」

 

 無邪気な問いかけ。

 純粋な疑問。

 しかし、その目は言葉とは裏腹に黒い物が見える。これまでリヒトが見てきた、闇の力に心が染まってしまった者の目。

 その目は同時に『お前は人間なのか?』と、リヒトに問いかけている。

 ──何を、言っている? 

 言葉の意味がわからない。人間じゃない? 人間じゃないとは、どう言う意味だ?

『一条リヒトは人間ではない』と、そういう意味で言ったのか。

 ……いいや、そんなわけない。何を言っている。リヒトは人間だ。『一条リヒト』は紛れもない人間だ。今はウルトラマンの力を持っているが、その体は人間そのもの。化け物のはずはない……そのはずだ。そのはずなのに、マイマイの言葉は胸に風穴を開けた。

 思考に空白が生まれる。

 人間? 人間だ。一条リヒトは人間だ。人間の、はずだ………。

 

「俺は……にん、げ──」

 

 

 

 

「お前は人間じゃない」

 

 

 

 

 リヒトの言葉を遮るように、新たな声が聞こえてきた。

 少女の声。

 ふたりの視線が声の方へ向かう。

 出入り口には『白い少女』が立っていた。

 

「でなければ、ガラス瓶で頭を叩かれて無傷なはずがない。それが何よりの証拠だ」

 

 腕を組んで立つ『白い少女』は呆れた様子で続ける。

 

「そもそも、お前は幾度も傷を負っておきながら、それがすぐに回復することに疑問を感じなかったのか? あいつに襲われた時もそう。全身を焼かれ、骨を砕かれ、内臓を破壊されておきながら、絢瀬絵里の危機に駆けつけた。そんなお前が人間だと言えるのか?」

 

『白い少女』が言う『あの時』とは、数週間前、絢瀬絵里が心の闇を利用されワロガへダークライブした時のことを示す。その一連の中で、リヒトは一度音ノ木町を離れた時があった。その時『ローブ男』に直接襲われたことがあったのだ。

 音ノ木町から離れる、それはすなわち『イージスの力』の加護から外れてしまうことを意味し、加護を失ったリヒトは、その無謀な状況を襲われた。

 当然、闇の勢力からすれば邪魔であるリヒト排除できる絶好の機会。故に、リヒトは徹底的に痛めつけられた。絵里の危機に駆けつけることができず、そのまま絵里が『大いなる闇』の生贄にされてしまうかもしれないという、非常に危なかった状況へと追い込まれた。

 しかし、リヒトは駆けつけた。音ノ木坂学院が破壊されるギリギリのタイミングで、駆けつけたのだ。駆けつけることができたのだ。()()()()()()()()()()()()

 

「リヒトさんが、人間じゃない……? な、なにを言っているの……」

 

「ほう。アレだけ電撃を喰らっておいて生きとるとはの……なるほど、その勾玉のおかげか。さすが奴らの末裔の人間が作ったモノだな。しかし、なんだお前、自分の正体を話していなかったのか」

 

 ことりに向けられて放たれている電撃は、それなりの威力があるものだ。それを受けながら、意識を失うことなく自我を保っていることに『白い少女』は関心の声を上げた。

 だが、ことりが意識を保っている理由に心当たりがあるのか、つまらなそうに続けて、やがて何か面白いことを思いついたのか、三日月のように口を吊り上げる。

 

「そうか。ならば、面白いものを見せようじゃないか」

 

 そう言って、彼女は果物ナイフを一本取り出した。

 このメイド喫茶で使用されているナイフだ。ことりも何度か使ったことがあるナイフ。銀色に光るソレを見て、嫌な予感がした。これから起こる最悪の光景が、脳裏に浮かんでしまう。

 

「おい、しっかり見ろ」

 

 目を瞑ろうとしたことりに向け、少女が手をかざす。

 

「!?」

 

 目を瞑ることができない。

 見開かれたことりの双眸はしっかりとリヒトの方へ向く。

『白い少女』は笑みを浮かべ、リヒトへ近づく。

 そして、左手でリヒトの頭を押さえつける。一度ことりを見て、ことりの視界にしっかりソレが見えていると確認して、右手に持った果物ナイフを勢いよく()()()()()()()()()()()()

 

「────────────────────」

 

 激痛──いや、もはや痛みすら一瞬で消えるほどの感覚に、リヒトが声にならない悲鳴をあげる。

『白い少女』はそのまま抉るように、脳髄を貫く勢いでナイフを押し込む。

 鮮血が噴き出て、あっという間にリヒトをそして少女自身を赤く染める。

 ナイフが抜かれ、赤が吹き出る。

 (おびただ)しいほどの赤が広がる。

 赤。

 紅。

 赫。

 人間の体に流れているソレが、床に流れ出る。

 素人でもわかる。ソレはダメだ。ダメなやつだ。普通の人間が耐えられるはずがない。生命が続くわけがない。

 だが。

 

「うぐ、あぁ……」

 

「ほら、よく見ろ。お前の友人はすでに──」

 

 すでに『白い少女』はことりに向けた呪縛を解いている。

 しかし、ことりの体は恐怖で動かない。衝撃の光景から目を離せず、固まっている。

 マイマイも同じ。目の前で起きたことにただ唖然としている。

 だが、二人の衝撃は目の前で起きた、『白い少女』の行動ではない。

 

「──人間ではなくなっているぞ」

 

 リヒトの右目は、確かにナイフを刺された右目は、もうすでに()()()()()()()



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第七章:白の片鱗

前回の更新からだいぶ間が空いてしまったため、キリのいいところで一度更新します。


 何が起きたのか。

 何が起きているのか。

 理解しようとして、脳がそれを拒否した。

 目の前にいるのは、幼い頃よく一緒に遊んだ男の子。飄々としていて、いつも友人にちょっかいをかけていて、でも誰かの笑顔が大好きで、いつも楽しそうに夢を語り、追いかけていた友達。

 挫けそうになった時、この手を引いて外の世界を教えてくれた。外の世界に広がる景色を教えてくれた。

 今の自分がスクールアイドルなど色々なことに挑戦できているのは、間違いなく彼のおかげだ。南ことりの人生に多大な影響を与えた存在。大切な友達。

 そんな大切な友達が、いま赤い色の中にいる。

 その赤は美しく、そして普段は目にすることがない生命の赤。

 溢れ出た赤の量は決して人から流れ出ていい量ではない。素人目でもその量は『ダメだ』とわかる。

 それなのに彼は()()()()()。絶対にダメだとわかる赤い色の中で、たしかに生きていた。

 

「りひと、さん……」

 

 自然と彼の名を口にした。まるで彼が自分の知る『一条リヒト』であると確認したいかのように。

 だが反応はない。代わりに、うつむく彼の頭を『白い少女』が強引に持ち上げた。

 

「ほらな。右目が元に戻っている。これのどこが人間だと言うのだ?」

 

『白い少女』の言う通り、彼の顔はその大部分が赤色に染まったいた。当たり前だ。右目を抉られて、床一面に赤色が広がっているのだ。夥しい量の赤が流れているのだから、彼の顔が赤色に染まっていることに何の不思議もない。

 そう、顔の大部分が赤色に染まっていながら、その双眸がしっかりとしていることの方が不思議なのだ。

 

「ほえー、ホントに元に戻ってる。どゆコト?」

 

 彼の顔を覗き込むように見て、マイマイ驚きの声を上げた。

 赤く流れる血を見ても、マイマイの様子に変化はない。ことりが知るマイマイの姿と一緒。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 本来はこれが正しいことなのに、恐怖を感じている自分の方が異常なのではないかと思えてしまうほど、ふたりは普通だった。

 

「なに、こいつは二度命を落としている。それを光によって延命させられているだけの事だ。腕を捻じ切っても元に戻るだろうな」

 

「わーおバイオレンス〜」

 

(──え? ()()()()()()()()()()?)

 

 それはどう言うことなのかと、疑問を口にする前にマイマイがこちらに振り返った。

 びくり、と体が震える。

 マイマイの表情は何か面白い事を思いついたような──それこそ、ことりがよく知るマイマイの無邪気な笑顔だった。

 しかし今はそれが(おぞ)ましい。自分の中にあったマイ先輩のイメージが、恐怖の一色に染まっていく。

 

「ねぇ、ミナちゃん。助かりたい?」

 

 彼女はいつもの調子で言ってきた。

 

「……え?」

 

「だから、助かりたい? って訊いてるの。アタシちゃんの復讐はまだまだ続くよ。つまり痛いのが続くの。さっきのがずっとだよ? アタシちゃんが満足するまで続く。でもそんなの嫌だよね。痛いのは嫌だよね? だから、ミナちゃんの先輩としてほんの少しだけ残ってる良心で提案してあげる」

 

 とても無邪気に、それこそ普段の接客時と変わらない雰囲気で彼女は言う。

 聞きたくない。聞きたくなのだが、耳を塞ぎたい両手は拘束されている。

 そして、

 

 

 

 

「ミナちゃん、このご主人サマを刺して。刺せたら、少しだけ痛いのをやめてあげる」

 

 

 

 

 と、言った。

 

「────」

 

 何を言っているのわからない(わかる)

 

「ほう、随分と面白い事を思いつくな」

 

「あ、もちろん何回も刺したら完全に痛いのをやめてあげてもいいよ。ミナちゃんの勇気には応えてあげたいからね。ほらほら、騙されてた怒りで、サクッとやっちゃいなよ」

 

 刺して? 刺してとはなんだ? 

 そんなの決まっている。『白い少女』のようにそのナイフで彼を刺せと言っている。

 できるわけがない。間違っても、そんなことできるはずがない。それは人殺しの──。

 

「──人殺しにはならないよ」

 

 ことりの思考を遮るようにマイマイは言った。

 

「だって、あのご主人サマはバケモノ。人間じゃないから、人殺しにならない。そもそも刺しても治るんだから関係ないじゃん」

 

「な、何を言ってるの……?」

 

「もう、ミナちゃんってこんなに理解力なかったっけ? 研修の時はすごくできる子だと思ったのに」

 

 「ざーんねん」と言って、マイマイは近づいてくる。

 その手がケースへ伸びる。

 ことりの体が震える。

 

「あのねミナちゃん」

 

 そう言って、マイマイの手がスイッチを押す。

 放たれる電撃。

 目の前の光景が一瞬だけホワイトアウトする。

 同時に走る激痛。

 声にならない悲鳴がことりの口から漏れる。

 

「これが続くんだよ? そんなの嫌だよね」

 

 再びスイッチが押される。

 再び視界が飛ぶ。

 

「あぐ……ぐ…………」

 

「苦しいでしょ? 痛いでしょ? だから、刺しちゃおうよ」

 

 マイマイの手がスイッチを離れ、近づいてくる。その手に持つ銀色のナイフで、親指を縛る結束バンドを切った。

 両腕が自由になる。

 

「あ、一応言っとくと、このまま走って逃げてもいいよ。できるならね」

 

 そんなのできるはずがない。身体中が痛いし、何よりこんな状況で逃げられるわけがない。逃げた瞬間、自分は死を迎える。それが直感でわかる。

 逃げ道はない。

 目の前に銀色のナイフが差し出される。

 

「さっ、どうぞ」

 

「…………」

 

 手が震える。

 自分に与えられた選択肢は初めからないのだ。あるのはこのナイフを手にし、友人を刺すことだけ。

 マイマイの様子を伺ってみれば、彼女はことりの知る笑顔のままこちらを見ている。

 リヒトを見る。助けを求める。

 しかし、今の彼にできることなどないのだとわかってしまう。

 ──ナイフを手に取るしかない。それ以外の選択はない。

 震える手でその手を伸ばし──。

 

 

 

 

 ──ドバンッ!! と音を立てて扉が吹き飛んだ。

 

 

 

 

「────」

 

 同時に動く『白い少女』の手。

 マイマイの持つナイフが宙を舞う。

 舞ったナイフの数は──()()。マイマイが持っていた一本と『白い少女』が投擲した二本。その内の二本が天井へと刺さる。

 

「──すまない。遅くなった」

 

 聞いたことのある低い声。

 それがハットさんだと分かった時、彼はすでに次の行動に出ていた。

『白い少女』へ向けての接近。

 先ほど宙を舞った三本の内一本を手に取っていたハットさんは、少女へ向けて振り下ろす。

 武器のない『白い少女』はその場から飛び抜くことでそれを回避。同時に天井に刺さった二本のナイフを回収する。

 着地時を狙い接近するハットさん。

 ことりの目では追えない速度の攻防が始まる。

 聞こえるのは金属のぶつかる音。

 ──戦況がひっくり返る。それはマイマイも感じたのだろう。すぐにケースへと手を伸ばし、

 

「おっと、そうはさせねえよ」

 

 新たな乱入者によってケースが奪われる。

 

「返して!」

 

 マイマイはケースを奪った者に手を伸ばす。

 しかし、更なる乱入者がマイマイの手を掴む。

 

「リョウちゃん……!」

 

「マイ、そこまでよ」

 

 乱入者の正体はアスカと涼だった。

 ケースを奪ったアスカは、リヒトの方へ駆け寄る。

 

「おい、大丈夫かって──うお!? なんだこれ……血か!? お前この量出血して大丈夫なのかよ!?」

 

「アスカ……?」

 

「おう、助けに来たぜ。待ってろ、すぐに切って……って、切るもん持ってなかったわ!」

 

 やっべ!? と焦るアスカ。

 

「俺のズボンのポケットに入ってるものを、俺の手に握らせてくれ」

 

「え? ポケットって……これか?」

 

 リヒトの言葉に従い、アスカはポケットから銀色の短剣のようなものを取り出す。それをリヒトの手に渡すと、微かに青い閃光が走った。

 ──今のは何だったのか。

 そんな疑問が湧くが、きっとあの光が結束バンドを切ったのだろう。リヒトは自由になった両腕の調子を確かめながら立ち上がる。

 そして、一際高い金属音が響くと、ハットさんと『白い少女』が弾かれるように距離を取った。

 攻防が一旦終わったと見て取れる。両者は睨み合い、次の行動を推測し合う。

 

「アスカに美村まで……どうしてここに」

 

「お前がトイレから帰ってくるのが遅いから、呼びに行こうとしたんだよ。そしたらハットさんに声をかけられて」

 

「すまない。私一人では君を助けるのは難しいと判断したため、君の友人の力を借りたよ」

 

「……巻き込んだわけか」

 

「無論、記憶に残らないよう細工をしている。いきなりこんな光景を見せられても困惑するだけだからな。多少の融通が効くようにしている。

 ──安心したまえ。もちろん後遺症など残らない安全なものだと断言しよう」

 

『細工』の部分でリヒトからわずかな殺気が放たれるが、続く言葉を聞いてその殺気が少しだけ弱くなる。

 一方、ハットさんと対峙する『白い少女』はやや感心した様子で言った。

 

「よくここがわかったな」

 

「秘密にしたいのならば、もっと防音がいいとこにすることだ。聞こえては意味がない」

 

「ふん、裏切り者がよく言う」

 

「おや、仲間だと思っていてくれたのかね。闇と光、元から相反するものではないか」

 

 意外、といった表情をわざとらしく浮かべるハットさん。わざわざ肩をすくめるあたり挑発をしているのだろう。

 しかし『白い少女』は気にする様子はなく流してしまう。

 相手の無反応を見たハットさんは、視線は少女へ向けつつリヒトへ問う。

 

「さて光の少年。一応聞いておこう。無事かね?」

 

「…………」

 

「少年?」

 

「……ああ」

 

 リヒトの返事は小さいものだった。

 その声音でわかる。リヒトは体ではなく心にダメージを受けていると。

 

「ねえ、離してくれない」

 

 対峙するハットさんたちの側、マイマイが冷たい声音で言った。

 

「できるわけないでしょ。あんた、自分が何しようとしてるかわかってるの?」

 

「わかってるよ。わかってるから、その上で邪魔しないでって言ってるの」

 

 無理矢理腕を解こうとするが、涼の握力はとても強く解けない。

 

「ねえ、痛いってば! 痕が着くでしょ!」

 

「ことりはこれ以上に痛かったんだよ!」

 

「知らないよ! そんなこと!」

 

 激昂と共に放たれるマイマイのキック。

 腕の方に気を張っていた涼は回避できずに横っ腹を叩かれる。

 マイマイの腕が自由になる。

 涼の拘束から解かれたマイマイは、ケースを持つアスカの元へ走ろうとして、

 

「待て」

 

『白い少女』の声に止められる。

 

「なんで止めるの」

 

「状況が悪い方へ行きつつある。ここで焦っては完全に詰みだ」

 

『白い少女』は有無を言わせない声音で言う。

 マイマイは悔しそうに唇を噛み、

 

「勘違いをするな。『諦めろ』とは言っていない。『待て』と言っただけだ」

 

 刹那、『白い少女』の体が光った。

 比喩ではない。真っ白な光がことりたちの視界を埋め尽くす。

 視力が失われるのではないかと思えてしまうほどの眩い閃光。

 だが、その光に『破壊』はない。故に視力もつぶれない。その閃光を見て、体への損傷及び影響は何もない。

 感じ取れるのは全くの『邪』がない白。

 まるで、これが()()()()()であるかのように。心が洗われてしまうほどの白き光。

 だが、常人より目が良いことりは見た。いや、見てしまった。

 

 

 

 

『白い少女』の姿が、その刹那の間だけヒトではなく天使のような姿に変貌するのを。

 

 

 

 




そろそろウルトラマンVS怪獣のパートに行きたい……。


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第八章:光と闇

お待たせいたしました。
第13話最後の章になります。
終わりまで書き切ったので長いですが、どうぞ。


 ──あれは何?

 そんな疑問が浮かんでくると共に、視界が『白』に埋め尽くされていった。

 そして、体が後ろに吹き飛ぶ。

 

「かはっ」

 

 背中を壁に打ち付け、肺の中の空気が吐き出される。体重を壁に預けながら、ずるずると落ちていく。

 尻餅をついて、何度も咳き込み、浅い呼吸を繰り返して酸素を取り込む。

 チカチカしていた視界が元に戻ると、光を放った少女が見えた。その姿は先ほど見た天使のようなものではなく、ヒトの姿に戻っている。

 

(今のは……)

 

 先ほどの見た光景が脳裏に焼き付いて離れない。

 常人より動体視力の良いことりだからこそ見えた光景。

 ヒト型の天使のような姿。それはあまりにも美しく、神々しく、神秘的であった。

 しかし、その『美しい』の中に一点の『遺物』と言ってもいいものがあった。『禍々しい感覚』と言ってもいい。正確には、それが何なのか表現ができないのだ。この奇妙な感覚を表現するならば、『禍々しい感覚』としか言いようがない。

 美しいとは反対であり、本来『美しい』と同時に感じることのない感覚。相反するものが同時に存在しているような、そんな普通であればあり得ないものがそこに存在していた。

『白い少女』はひと息つくと、

 

「ちょっと、アタシちゃんも巻き込まれたんだけど……」

 

 膝をつくマイマイが抗議の声を上げた。

『白い少女』はマイマイの方を見ると、

 

「お前は今、その身に『闇』を宿している。反属性の攻撃が起これば巻き込まれるのは当然のこと」はあ、と息を吐いて「これでも加減はした。五体満足であることに感謝するんだな」

 

 と言った。

 そして、視線を同じく膝をつくハットさんへと向ける。

 

「しかし、お前がその程度で済むとはな……加減をしすぎたか」

「そのようだな。形成逆転を狙うのならば、力は壮大に使ったほうがいい。例え、それによって自分が不利になったとしてもだ」

「そうか。だが、その体を維持するのは限界に近いようだな」

「…………」

 

 ハットさんの頬を一滴の汗が流れ落ちる。

 それは状況的にハットさんが追い込まれている証拠。余裕そうな雰囲気を保ってはいるが、それはハッタリだろう。おそらく、次に『白い少女』が動いた時、それを止めることはできない。『白い少女』から見れば邪魔者がいなくなったも当然。

 つまり、

 

「さて、それを返してもらおうか。こいつの心の闇を育てるのに必要な物だ」

 

 少女を止めることができないということ。

 ハットさんは動こうとしても動けない。

 少女の行き先にいるのは、ケースを持つアスカ。先ほどの衝撃で床に倒れるアスカは、打ちどころが悪かったのかすぐには起き上がれない。

 

「アスカ!!」

 

 涼の悲鳴。

 少女の手がアスカに伸びる──

 

 

 

 

 ──直前、青い光が少女の行手を阻んだ。

 

 

 

 

「そうか。光であるお前は動けたな」

 

 少女の行手を阻んだのは、銀色の短剣のようなものを振り抜いた姿で立つリヒトだった。

 あの光の暴力があったにも関わらず、リヒトはしっかりと立っていた。その顔を赤色で染めながらも、しっかりと立っている。

 

(よかった……)

 

 リヒトの姿に安心感を抱くことり。

 しかし、すぐに疑問が浮かんできた。

 ──『白い少女』を止められると言うことは、リヒトは一体何者なのだ?

 安心感と疑問。その二つが同時に浮かぶ。

 リヒトは、『白い少女』を牽制しつつハットさんの方へと近づく。

 

「助かったぞ、光の少年」

「あんたの方は大丈夫なのか」

「正直に言ってしまえば大丈夫ではない。だが、マイマイを助けるためだ。無理をするのは当然のこと。時間ぐらいは稼げるさ」

 

 ハットさんが立ち上がる。その様子は明らかに大丈夫と言った様子ではない。無理をしているのがはっきりとわかる。

 しかし、マイマイはハットさんにとって大切な人なのだ。自分に生きる理由を与えてくれた人。そんな人が今闇に囚われている。助けるためには、多少の、いや、かなりの無茶をしなくてはいけない。

 

「……そうか」

 

 リヒトはただ一言、そう返した。

 

「マイマイの方を頼めるかね」

「わかった」

 

 短い会話の後、ふたりは並び立つ。

 助けるために。闇を倒すために。

 

「……面倒なことになったな。おい」

 

『白い少女』は並び立つふたりを見てつぶやくと、マイマイの方へと呼びかける。懐から取り出した十四センチほどの人形を投げ渡し、

 

「使い方は聞いているだろう。それを使ってさっさと終わらせろ。これ以上は時間の無駄だ」

 

 と言った。

 首を傾げるマイマイだったが、状況が良くない方へ転がりつつあるのは感じていた。

 仕方ない、といった様子でため息をつくと、その手に持つ紫色の短剣を構える。

 リヒトとハットさんが飛び跳ねるように動いた。

 その表情から、事態がどう転びつつあるのかことりでも感じ取れた。

 

 

 

 

 ──ふわりと、少女の髪が浮立つ。

 

 

 

 

「ああ。そうだな。あいつが動かなければ、当然広がるのはそちらのフィールド」

 

 少女の雰囲気が変わる。

 まるで疲れていた体に力が戻るような。

 

「ひとつ、言っておこう。光がお前たちだけの力だと思うなよ。人間」

 

 少女の姿が消える。

 刹那、リヒトとハットさんの体が吹き飛び、

 

『ダークライブ! ザムリベンジャー!』

 

 マイマイが人形の足先に紫色の短剣を当てた。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 轟音を立てて、白色のロボットが出現する。

 その名は『ザムリベンジャー』。またの名を『復讐ロボット』。

 いまのマイマイにとって相応しい名を持つロボット。

 

「あーやっちゃったなあ。アタシちゃんのばか。これじゃあミナちゃん生き埋めになっちゃうじゃん〜」

 

 室内でのダークライブ。ザムリベンジャーの巨体が室内に収まるはずもなく、メイド喫茶を破壊しながら出現した。

 コツン、と自分の頭を叩くマイマイ。喫茶店を破壊してしまっては、その中で働くスタッフたちもまとめて生き埋めになってしまう。

 それはまずい。彼女の復讐相手はミナリンスキーだけだ。他のスタッフの中には仲良くしている子もいる。生き埋めにしてしまっては申し訳ない。

 だが、その心配の必要はない。

 

「って空なに!? オーロラ!? うっそいつもの空じゃないじゃん……うえ!? よく見たらビルとかナニコレって感じになってる!?」

 

 マイマイの視線が空へと向くと、そこには知らない空が広がっていた。

 オレンジ色のオーロラがかかった空。周囲の建物は赤土色に変化。まるで上から何かを乗せているような、摩訶不思議な空間へと変わっている。

 

 

 

 

 そこは神田明神の地下に眠る『イージスの力』が展開した『光の異空間』。

 ウルトラマンと怪獣の戦いを隔離するための空間だ。

 

 

 

 

 この空間にマイマイたち以外は存在しない。たとえメイド喫茶が破壊されようと、そこは無人のメイド喫茶なのだ。

 周囲の変化に『ほえ〜』と息を吐いていると、瓦礫の中から空へと飛翔する青い光が目に映った。

 青い光は地上へ舞い降りると、次第にその輝きが収まり姿が明確になっていく。赤色の体に銀色のライン。頭部、肩、腕、胸、足に水色のクリスタルがある巨人。

 その名は『ウルトラマンギンガ』。瓦礫の下敷きになる直前にリヒトが変身(ウルトライブ)した姿だ。

 ギンガは右手をそっと地上へと降ろし、ゆっくりと開く。その掌には救出したことりたちが握られていた。

 しかし、全員が無事というわけではない。

 

「ハットさん大丈夫ですか!?」

「……っ、すまない……大丈夫、だ」

「何言ってんすか!? 全然大丈夫じゃないでしょ!?」

 

 ハットさんだけが、苦しげに地面に降りた。涼とアスカに支えてもらわなければ、立つこともままならない。

 加えて、ハットさんの体はすでに人間の容姿を保てていない。メトロン星人としての姿を晒しながら、ふたりに介護されている。

 原因はマイマイがダークライブする直前、『白い少女』が放った攻撃によって受けた傷だ。闇の存在であるハットさんにとって、反属性である光の攻撃は絶大な効果を発揮する。一撃目はまだ耐えられたが、二撃目は耐えられない。

 あのタイミングで行われた『白い少女』の攻撃。もしあの攻撃をリヒトとハットさん両方が受けてしまった場合、おそらくリヒトのウルトライブが間に合わなかっただろう。そうなれば、あの場にいる全員が瓦礫の生き埋めになってしまう。

 それを回避するために、ハットさんはリヒトを庇ったのだ。

 結果、ギリギリのタイミングでウルトライブでき、全員が瓦礫の下敷きになる前に助けることができた。

 もしハットさんの行動がなかったら、間に合わなかっただろう。

 

「…………」

 

 事態の把握ができていないことりだけが唖然とした様子でいる。

 なぜハットさんがこんなにも大怪我を負っているのか。

 なぜ涼とアスカはハットさんの姿に驚いていないのか。

 そして、目の前にいるウルトラマンの正体がリヒトだったということが一番の衝撃。

 ファーストライブのあの日。怪獣に襲われた自分達を助けてくれたウルトラマン。その正体が友人の一条リヒトだった。

 

「……驚かせてすまない。これが、私の、本当の……姿だ」

 

 ハットさんがことりに向けて言った。

 

「ふたり……には、最初に正体を明かした……だから、驚いていないのだ……記憶にも細工をしたからな……ははっ、その罰が、降ったのかも、しれないな……」

「喋らないで! いま傷を……」

「でも宇宙人の傷ってどうすりゃいいんだよ!?」

「……っ!」

 

 アスカの言葉に涼が唇を噛む。

 わかっている。宇宙人の傷の治し方などわかるわけがない。

 でも、だからと言ってこのまま何もしないわけにもいかない。例え人間でなくても、怪我を負っているならどうにかしたい。その思いに種族など関係ないのだ。

 

「ひかり、の……巨人、よ。マイマイを、頼む」

 

 ハットさんは絞り出すようにギンガに向けて言った。

 ことりの視線がギンガに向かう。

 ギンガは頷き、立ち上がってザムリベンジャーと対峙する。

 

「んー? それがご主人サマの本当の姿なの? 傷が治るのもそれが理由? ってことは、ホントに人間じゃないんだー」

 

 リヒトは何も言わない。

 マイマイはむすっとして、

 

「ちょっと、無視はヒドくないかなー。まあでも、ご主人サマのおかげでミナちゃん無事なわけだし、そこは感謝しとかなくちゃなー」

 

 そして、スゥーっと目を細めてリヒトを、ギンガを見る。

 

「アタシちゃんの邪魔、するよね?」

「当たり前だ。あんたを止める」

「うわー! カッコイイ!!」

 

 パチパチと拍手をして──、

 

「じゃあ、潰すね」

 

 ──そう、宣言した。

 両者の激突が始まる。

 ギンガはザムリベンジャー目掛けてのダッシュ。一直線に進み、そのスピードを利用してタックル。

 続けて右のストレート。左のフックと、拳による追撃。

 しかしそのすべてが硬い装甲に阻まれる。

 

「それだけ? なら、次はこっちの番!!」

 

 ザムリベンジャーの腕が振られる。

 ギンガは両腕を使ってガードするが、その上から叩き潰される。

 無機質な塊。それは確かな重量とともにギンガの体を打つ。

 腹部に叩き込まれた腕を、抱えるようにして掴む。しかし、無理矢理振り払われ、ギンガの体が投げ飛ばされた。

 両者の距離が開く。

 腕を構えるのはザムリベンジャー。その指先に装填される小型ミサイル。

 すぐさまギンガは回避行動に出る。

 連射される小型ミサイル。精度は良くないのか、狙い通りギンガに着弾するものもあれば、その周囲を撃ち抜くものもある。

 

「うーん、これあんまり良くないな」

 

 マイマイも感想を漏らすほど。

 

「じゃ、こっち行こうか」

 

 次に両腕から放たれたのはレーザー光線。一直線に伸びたその一撃は、速度もあり容易くギンガを撃ち抜いた。

 

「おー! こっちは結構いいじゃん〜。なら──」

 

 ニヤリと、インナースペースで笑うマイマイは、ザムリベンジャーの腕をことりたちの方へ向ける。

 

「──っと、流石にちょっと見えにくいか」

 

 ザムリベンジャーとことりたちの距離はそれなりにある。先ほどのレーザー光線で埋められるかと思って右腕を向けてみたが、ビルの合間にいることりたちを正確に狙うのは難しい。

 しかし、だからと言って撃てないわけではない。当たればラッキーくらいの心持ちで撃てばいい。

 そんな軽い気持ちで攻撃を行おうとする。

 ぞわりと、命を狙われたことりたちが恐怖に震える。

 満身創痍のハットさんが動こうとして、先にザムリベンジャーの腕を青い光線が撃ち抜いた。

 

「いったー! あーんもう! 動けんの!? もう少し寝ててよ!!」

 

 マイマイは『ギンガクロスシュート』によって撃ち抜かれた右腕を押さえながら、ギンガを睨みつける。

 ギンガはL字に組んでいた腕を解くと、すぐに走り出す。クリスタルを紫に輝かせ放つ『ギンガスラッシュ』と共に接近。『ギンガスラッシュ』を受けていながら、しかしザムリベンジャーは僅かに肩が揺れるだけ。

 

「そう、完璧に倒さないとダメってこと」

 

 ザムリベンジャーはギンガを迎え撃つべく両腕を構え、

 

「──!?」

 

 そのクリスタルが赤色に輝いていることに気づく。

 

(今度は『赤』ね!)

 

 先ほどの二度の攻撃でなんとなくわかった。ウルトラマンギンガは大きな技を使う時、そのクリスタルが水色から別の色に変化する。

 青、紫ときて今度は赤。

 ギンガの周囲には火炎弾が生成される。

 警戒すべきか。いや、ザムリベンジャーの装甲であれば多少は防げる。防御する必要はない。

 しかし、ギンガの拳は未だ前に出されない。

 ギンガの拳が、射程距離内に入る。

 

(……まさか!?)

 

 そう思うのと同時、ギンガは『ギンガファイヤーボール』と()()()()()()()()()()()

 

「うぐっ!?」

 

 インパクトと同時に爆炎。

 さすがにゼロ距離での攻撃は、ザムリベンジャーの装甲だけでは防げなかった。

 爆炎と共に発生した熱風は、この戦いを見ていたことりたちにも及ぶ。

 

「ちょっと! 今のは無茶しすぎよ!!」

「けど! 今のは結構効いたみたいだぞ!」

 

 攻撃の余波に巻き込まれた涼とアスカがそれぞれ声をあげる。

 一方で、ことりたち同様戦いを見ていたハットさんが、眉間に皺を寄せながらポツリとつぶやく。

 

「……おかしい」

「なにがですか?」

 

 ハットさんのそばにいた涼にはその呟きが聞こえた。

 問われたハットさんは荒い呼吸を落ちつけながら説明する。

 

「君たち、今この空間がおかしなことになっているのには、気づいているね?」

「はい。空にはオーロラなんて光ってますし、地面もなんか上から赤土色を被せたみたいになってますし」

「摩訶不思議空間って感じっすね」

 

 ハットさんの問いに、涼とアスカがそれぞれ答える。

 

「ミナリンスキー、君は以前、ここと似たような空間に行ったことがあるだろう」

「……はい。その時はこんなに暖かく、綺麗じゃなくて……もっと寒くて、暗くて、苦しい空間でした」

「それは闇の異空間だからだ。ここは光の異空間。ウルトラマンが怪獣と戦う際に位相が変異し──っと、難しいことはいらないな、簡単に言おう。ここは、ウルトラマンが有利に戦える空間。その認識で問題ない」

「ウルトラマン……あの巨人のことっすか?」

「そうだ。彼の名は『ウルトラマンギンガ』」

 

 アスカの問いに答えるハットさん。

 そこで、涼がハッとなった様子で顔を上げる。

 

「ちょっと待って。この空間がウルトラマンにとって有利なら、なんであんなに苦戦してるんですか?」

「そこなのだよ。私がおかしいと感じたのは。本来、この空間であればザムリベンジャー、あのロボット相手にあそこまで苦戦などしないはずだ。それなのに、ギンガの攻撃が全く効いていないと見える。これがおかしいと思った点だ……君の仕業だね?」

 

 ハットさんの視線が、とある方向へ向かう。

 そこにいたのは、瓦礫の中から出てきたというのに、白い服を全く汚していない『白い少女』だった。

 ことりたちの体に緊張が走る。

 

「別に特別なことはしていない」

「それはないだろう。この空間において、怪獣がウルトラマンの力を上回るなど考え難い。君の力添えがなくては成立しないのだよ」

「想像にまかせよう」

「……第一、私は疑問なのだよ。なぜ光の勢力である君が、闇の勢力に加担してるのかがね。何が目的だ?」

「貴様たちに問う。闇とはなんだ、光とはなんだ」

「……なに?」

 

 少女は、歌うように言葉を発する。

 

「光と闇。白と黒。善と悪。相反する存在。混じり合うことのない力。だが、本当にそうか? 双方は対極か? 表裏か? 別物か? 似たものか? どちらが正義でどちらが不義か決まっているのか?」

 

 その赤い瞳でハットさんを、ことりを、涼を、アスカを見る。

 少女の問いに答えられる者はいない。

 無論、少女も答えが返ってくると思っていない。

 少女の視線がハットさんを捉える。

 

「ふん、その様子だと次は耐えられないな」

「耐えて見せよう。私はマイマイを助けなくてはいけないからな」

「そうか。だが、それは無理なことだ。奴は時期に闇に染まる。復讐を遂げたとしても、遂げられなかったとしてもな」

「……どういうことだ?」

「言葉通りの意味だ」

 

 その言葉と共に、少女は右腕から光を放った。

 ハットさんは持てる力全てを振り絞り、立ち上がる。

 少女からの攻撃をその身をもって受け止める。

 

「──っぐ!?」

 

 しかし、反属性の攻撃は例え不正だとしても完全には防ぎきれない。元々ダメージを負っている体だ。このままでは後ろにいることりたちも守れない。

 今出せる力全てを出し切る。

 

「──ハッ!!」

 

 そうして、少女の攻撃を防ぎ切った。

 しかし、ハットさんの息は荒い。大きく肩を揺らしている。次の一撃は防げない。

 

「無様だな。裏切りなどしなければ良かったのもを」

「……ハッ。かもしれないな。だが、私は見つけたのだよ。私の中の闇を照らす、光の存在を。君にはわからないだろうね」

「そうか……ふむ、貴様をここで消滅させるより、奴が闇に染まるところを見せた方が楽しそうだな」

「……なに?」

 

『白い少女』は獰猛な笑みを浮かべると、攻撃をするのではなく歩み始める。

 ハットさんは身構える。そして同時に悟った。

 

「……ミナリンスキー。おそらくあのロボットはマイマイの心の闇に比例して強さを発揮している」

「え?」

 

 突然名前を呼ばれ、困惑することり。

 

「彼女の心の闇が何なのか突き止め、それに対して言葉を投げ掛けることができれば、きっと彼女の心の闇は弱まりウルトラマンの勝利へ繋げることができるだろう。そして、彼女の心の闇はきっと君に関係している。かけるべき言葉はすぐに見つかるだろう」

「あの……」

「私はもうここにはいられない。だから、マイマイを助けてほしい。そして、彼女は元に戻った時、暖かく迎えてほしい。頼んだぞ」

「…………」

「最後の言葉は終わったか」

「ああ」

 

 その言葉と共に、ハットさん──メトロン星人は走り出す。

 少女も動き出す。

 少女とメトロン星人の激突。

 おそらく、すぐにでも決着がつくだろう。そしてどちらが勝つかも、何となくわかってしまっている。

 それでも、マイマイを助けてと頼まれた。

 ことりは視線をウルトラマンとザムリベンジャーの方へ向ける。

 両者の激突は続いている。しかし、どれだけギンガが拳を叩き込もうと、ザムリベンジャーに効いている様子はない。

 

「ことり」

 

 涼の声が聞こえた。

 そちらに振り返る。

 

「マイがあんたにこんなことした理由……もしかしてだけど」

「うん……涼先輩の思った通りです」

「……なるほどね」

「うん? どういうことなんだ?」

 

 アスカはふたりのやり取りの意味がわからず、つい声を挟んでしまう。

 

「多分……あんたに近い理由よ」

「俺に?」

「そう。野球部でエースを取られたあんたと同じ。そこで立ち上がれたのがあんたで、立ち上がれなくて変な道に行っちゃったのがマイ」

「…………」

 

 アスカが目を見開く。涼の説明でなぜマイマイがこんなことをしたのか理解できたからだ。

 マイマイと同じようなことを自分も経験した。自分が一番だと思い込んでいた時、新人がやって来た。そしてその新人に、自分が一番だと信じて疑わなかったことを奪われた。

 なるほど、気持ちはわかる。わかってしまう。自分の中の『絶対的自信』が砕かれる。それはさぞ辛いことだろう。

 そう、思ったのと同時。ぞくりと背中が震えた。

 一歩間違えれば、自分もマイマイと同じことをしていたのかもしれない。誰かを傷つけ、怪獣となり、ウルトラマンギンガと戦う。そんな最悪のルートがあったのかもしれない。

 

「……ったく、ふざけんな」

 

 気づけば、そんな言葉を口にしていた。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 インナースペースで、リヒトは唇を噛んでいた。

『光の異空間』であるにも関わらず、ザムリベンジャーの装甲が硬すぎる。どういったカラクリがあるのか、それを解明しなければザムリベンジャーを倒すのは難しい。

『ギンガサンシャイン』であれば、あの装甲に関係なく戦いに決着をつけられるかもしれないだろう。しかし、『ギンガサンシャイン』は『ギンガクロスシュート』のようにいつでも撃てる技ではない。闇そのものを吹き飛ばす効力を持つ『ギンガサンシャイン』を放つには、それ相応の光のエネルギーが必要なのだ。初めて放った時は絵里と共にウルトライブしていたから、前回はギンガライトスパークによるエネルギーの補填があったから。

 リヒトひとりでウルトライブした状況では、エネルギーが圧倒的に足りない。

 もう一つの手として『ギンガコンフォート』による浄化がある。しかし、マイマイの精神状況を考えると、今はまだ心の闇を完全に浄化することはできないだろう。

 

(エネルギーをフルチャージして『ギンガクロスシュート』を決めるしかないか)

 

 加えて『ギンガファイヤーボール』の時のように、ゼロ距離で放てば大ダメージとなり、この戦いに終止符を打てるだろう。しかしその場合、ギンガ自身も巻き込まれる、捨て身の一撃となる。倒せなかった時のリスクがあまりにも大きい。

 どうする……と考えていると、

 

 

 

 

「マイマーイ!!」

 

 

 

 

 アスカの叫び声が聞こえてきた。

 

「聞こえてるか!! 聞こえてたらこっちを向け! ん? 向いてくださいの方がいいのか? いいや、とにかく! 俺の声聞こえてるかー!! 聞こえてたらこっち向けー!!」

 

 全身を使ってアピールをしているその横では、涼がギョッとした目でアスカを見ていた。

 いくらマイマイの狙いがことりだけとはいえ、もし琴線に触れるようなことがあれば、アスカの命などザムリベンジャーの攻撃で簡単に散る。

 加えて、すぐそばにはことりがいるのだ。あまりにも危険しかないその行動に、リヒトもつい叫びたくなる。

 

「なに、あいつ」

 

 マイマイの方も、アスカの突拍子もない行動に唖然とした様子。

 しかし、結果アスカの望み通りこちらに視線を向けさせることには成功した。

 

「お、こっち向いた。ってことは聞こえてるな、よし。いいか! マイマイ! よく聞け! お前がミナリンスキーにナンバーワンの座を奪われて、悔しかったのはわかった! けどな、だからと言って、こんな馬鹿なことしてんじゃねえよ!」

 

 ザムリベンジャーの右腕がアスカへと向けられた。

 

「あ、やべ」

 

 命の危機を感じるアスカ。

 すぐさまギンガが間に入りバリアを展開。

 レーザー光線をなんとか防ぐことに成功。

 

「ちょっと邪魔」

「お前な……っ!」

 

 とてつもなく冷たい目で、マイマイは言った。

 おそらく、他人の命を奪うことに対して何も感じていなかった。なんの躊躇いもなくアスカを撃とうとした。

 アスカの方も、命を狙われた感覚に冷や汗をかいている。

 

「っ!? だ、だよな! 怒るよな! ……自分が一番だって信じてたのに、ポッと出の新人にその座を奪われるのは、辛いよな。自分がめちゃくちゃ努力して、やっとの思いで身に付けた技術を、まるで最初から持ってましたっての、ムカつくよな!!」

「…………」

 

 アスカの言葉に思うことがあったのか、ザムリベンジャーの構えが解ける。

 

「俺もだ! 俺も、ナンバーワンの座を簡単に奪われた! 年下の後輩にな! ……そいつが来るまで、俺は野球部のエースピッチャーだったんだ。『エース』って響きに憧れて、ずっと努力してきた! そのおかげかガキの頃からずっとエースだったんだぜ! 中学の時も一年からレギュラー! 三年間エースを務めた! だから高校も一年からレギュラーだったんだぜ? すごいだろ! ……なのによ、途中で転校してきた後輩がよ……バケモノで、本物の天才だったんだよ。……もう、なに? 一目でわかんだよ……こいつとは次元が違うって。俺が長年努力して掴んだものを、最初から持ってやがった。それはもう妬んだね。なんで名門じゃなくてうちなんかに来たんだよって。もう、ホントうめえの」

「アスカ……」

 

 その事情を知る涼が彼の名を呼んだ。

 アスカは一度涼の方を向いて、笑って、続ける。

 

「そこからはもう酷かったぜ。なんせ初めての挫折だ、立ち直り方なんて知らねえ。簡単に落ちぶれて……わり、詳細は省かせてくれ。死にたくなる……だから、お前と似たようなもんさ。後から来たやつに自分の位置を奪われた。だからお前の気持ちはよくわかる。似たようなことを経験したんだ。お前がミナリンスキーに向ける気持ちは痛いほどわかるさ。俺だってそうだったんだから。でもな、だからってこれは違うだろ。お前がやるべきことは、そこで復讐心に任せて暴れることじゃねえだろ。もう一度立ち上がって、ミナリンスキーに勝つことだろ! 奪われたナンバーワンの座を、もう一度自分のものにすることだろ! 恨みで暴れてんじゃねえよ!」

「うるさい……うるさい!!」

 

 ザムリベンジャーが動く。怒りのボルテージがマックスといった様子。

 間にいるギンガなどお構いなしの進行。

 その進行を止めるべく、ギンガは立ち塞がる。

 

「──っ!?」

 

 飛ばされそうになる体に力を入れ、踏みとどまる。

 しかし、徐々にギンガの体が押され始める。

 加えて、カラータイマーが点滅を始める。

 

(くそっ! 時間が!)

 

 残された時間はもうない。リヒトに焦りが生まれる。

 

「怒ったよな。ああ、怒るよな。俺だって同じこと言われたらキレるわ。『お前になにがわかるんだ!』ってな。でもよ、さっきも言ったけどわかるんだよ。だってお前、すげえ努力してナンバーワンになったんだろ? 同じ努力家だ、それぐらいわかるさ。だって、マイマイに一目で惚れたんだぜ? 一目で『この人が一番』って感じるなんて、相当の努力をしたやつに決まってる。そうじゃなきゃできねえ芸当だ。それによ、あのメイド喫茶で一番輝いていたのはマイマイだ! それはミナリンスキーがきてからも変わらねえ! 俺の中で絶対の一番はマイマイだ! 腐った俺の心に、もう一度努力の炎を燃やさせたのはマイマイだ! ほら、ハートが熱いやつを見ると、感化されて自分のハートも燃えることあるだろ? それと同じだ! 俺はお前に救われたんだよ! だから、腐らないでくれ。俺を救ってくれた笑顔を、壊さないでくれ……」

 

 ずずっと、鼻の啜るアスカ。

 

「……俺も、一歩間違えたらそこにいたかもしれねえ。俺がウルトラマンと戦ってたかもしれねえ。けどよ! 俺はお前に救われたんだ。だから今度は俺の番だ。俺を救ってくれた礼として、今度は俺がお前の腐った心をもう一度燃やしてやる!!」

 

 アスカの声が続く。

 踏ん張っているリヒトには半分も頭に入ってこない。ザムリベンジャーの進行を止めることに全力だ。

 だが、ふと、ザムリベンジャーの力が弱くなっていく事に気づいた。

 見れば、インナースペースに佇むマイマイは俯いていた。

 アスカの言葉の効果だろうか。

 

「大丈夫だ! マイマイならすぐにミナリンスキーを追い越せるって!」

「いやアンタ、それ本人のそばで言う?」

「いや、それは……ほら! 涼もなんか言ってやれよ!」

「はあ!? ここで私に振る!?」

「あ、つい……って、なんか動き止まってね?」

 

 ザムリベンジャーの動きは完全に停止していた。先ほどまで押さえ込んでいたギンガも、様子見のためか少し距離を離している。

 

「マイマイ……」

 

 リヒトが名前を呼んだ。

 

「……ハットさんも、アンタが一番に戻れるって信じてる。だから、復讐はやめるんだ」

「…………」

「あんなにアンタを一番だって叫んでるファンがいるんだぜ。その声に応えないわけにはいかないよな」

「……そうね。ファンの声には応えなきゃ……けど、もう」

「大丈夫だ。お前の闇は、ここで俺が撃ち抜く」

「…………」

 

 マイマイは無言のまま。

 ギンガのカラータイマーの点滅が続く。

 アスカは自分の言葉がマイマイに届いたのかわからない。変身(ライブ)している者の声は聞こえないからだ。言葉が届いていないのか、それとも届いているのか。ギンガとザムリベンジャーが動かなくなったことに、ただ不安だけが募っていく。

 インナスペースで対峙するリヒトもまた、マイマイの様子を伺っていた。アスカの声が響いてほしい。それが正直な気持ちだが、俯いているせいでマイマイの表情がわからない。

 今なら『ギンガコンフォート』で浄化できるか? と考えた時、

 

「……ねえ、ご主人サマ。アタシ……もうわかんないや」

 

 と言って、辛そうに笑って、ダークダミースパークを己の胸に突き刺そうと構えた。

 

「──っ!?」

 

 その行為がなにを意味するのかリヒトは知っている。知っているからこそ、それを止めなくてはいけない。

 すぐさまクリスタルを青く輝かせ、全身のエネルギーを右腕に集中させる。

 放たれる『ギンガクロスシュート』。

 両者の距離は近いと言っていい。だがリヒトが危惧していた捨て身の一撃になることはない。

 それは、マイマイの戦意に揺らぎがあったからだろう。『ギンガクロスシュート』は今までの装甲の硬さが嘘のようにあっさりと、ザムリベンジャーを撃ち抜いた。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

[エピローグ]

 

 

 マイマイこと、浅見舞は自身が働くメイド喫茶に足を運んでいた。

 気分は重い、体も重い。全てが重い。心が壊れそうで、泣き叫びたいほどの衝動があるのに、それとは反対に全てを投げ出したいと思うほど無気力でもある。

 多分、表情は死んでいるだろう。それでも、精一杯に足を動かしてやってきた。店長に退職の意思を伝えるために。

 

「……本気?」

 

 事務室に店長と二人。

 舞は申し訳なさそうに頭を再度下げる。

 それを受け取る店長は、少し困ったような、それでいてどこか心配そうな表情を浮かべた。

 

「申し訳ありません。勝手なのは重々承知しています」

「……何かあったの? 今のあなた、とても辛そうよ」

「……言えません。ただ、もうアタシにはここで働く資格がないんです」

「資格って……」

 

 なんと言えばいいのか。店長は困った表情を浮かべる。なんせ、舞の表情が今まで見たことないほどにやつれているのだ。

 今にも壊れてしまいそうなほど、とても危ない。

 

「本当にすみません」

 

 頭を上げる気配が一向にない。

 むしろその言葉は謝罪よりも懇願に近かった。

 

「……わかったわ。でも、残りの一ヶ月は頑張れるの? 今の様子だととてもできなさそうだけど」

「………」

 

 舞は答えない。

 ただ苦しそうに表情を浮かべるだけ。

 

「……今日はもう帰りなさい。そしてゆっくり休むこと。いいわね」

「……はい。すみません」

 

 そう言って、倒れそうになる体を動かしてなんとか退室できた。

 裏手から外に出る。

 夏の日差しが眩しいほどに輝いている。

 ふと、誰かの気配を感じた。

 

「あ、えっと……」

 

 そこにいたのは『ご主人サマ』と呼んでいた少年。名前はなんだっけと思い出そうとして、そういえば知らないことに気づいた。

 

「名前、聞いてなかったね……確か、リヒトって呼ばれてたっけ?」

「ああ。一条リヒト。それが俺の名前」

「リヒト……アタシは浅見舞」

 

 自らの名を名乗り、そして深く頭を下げた。

 

「ごめんなさい──なんて言って、許してもらえるなんて思ってない。アタシはそれだけのことをした。あなたの友人を、殺そうとした」

「それは、闇に心を操られてただけだ」

「違うわ。アタシがやったこと。アタシは確かにミナちゃんを妬んでいた。だから、アタシがやったことに変わりはない」

「…………」

 

 ことりを妬んでいたことは紛れもない本心。たとえ心の闇に操られていたのだとしても、その心と自分が『行った』ということに変わりはない。

 だから、もう元には戻れない。

 あのお店で働くことも、ましてやことりと一緒にいることなど、罪悪感がひどくできない。

 

「……ミナちゃんとは付き合ってないんでしょ。それを勘違いして……バケモノ呼ばわりして……本当、最低ね。ごめんなさい」

「…………」

 

 リヒトが何か言おうとする。

 きっと『大丈夫か』と言おうとしたのだろう。しかし、今の自分は誰の目から見ても大丈夫じゃない。自分が一番理解している。だからその声かけは意味がない。

 

「…………」

 

 なんと声をかけたらいいか迷っているのだろう。

 卑怯だが、好都合。

 舞はリヒトに背を向けて歩き始める。

 

「あ」

「あなたがウルトラマンだってことは絶対に言わない。せめてもの罪滅ぼしとして誓うわ。それから、もうミナちゃんにも会わない。それがきっと、一番いいことだから」

 

 リヒトが何かを言いかけ、遮るように矢継ぎ早に口を動かした。

 そして、追いかけてこないで、と言葉の外に意味を込めた。それが通じたのか、リヒトは追いかけてこなかった。

 

 

 

 

 どれほど歩いただろうか。

 ふと、気づけば暗い道を歩いていた。

 目の前に『白い少女』が現れる。

 

「今の気持ちを当ててやろう。『生きているのが辛い』。そうだろ?」

「…………」

「自分の好きなものを自分の手で汚し、居場所をなくし、他者を殺めかけ、応援してくれた者の声に応えようにも、もう戻ることのできない場所に来てしまっている。もう壊れる一歩手前だ」

「…………」

「楽になりたいか?」

 

 それは悪魔の囁き。

 

「その身を委ねれば、楽になれる。苦しまずに済む」

「…………それは、本当」

 

 がさり、とどこかで何かが動く音がした。

 

「ああ。本当だ。お前が望めばな」

「…………」

 

 ぐるぐると頭の中が回り始める。

 これは悪魔の囁き。それに乗って本当に楽になれるわけがない。

 でも、もし今このぐるぐるとした感情から解放されるのなら、誘いに応えたい。

 好きなものを、もう好きと言えないのなら。

 

「……うん、楽になりたい……」

 

 ニヤリと、『白い少女』が笑った。

 

 

 

 

 一人の人間が、闇の中に沈んでいく。

 もう二度と戻ることのない、深い闇の中へ。

 

「ふむ、貴様のその顔、なかなかに愉快だな。ああ、気分がいい」

 

『白い少女』は振り返る。

 絶望し、体から力が抜けきっているメトロン星人の姿がそこにあった。

 

「言っただろう。奴が復讐を遂げようと遂げまいと、闇に染まると」

「なかなか面白いことをするね」

 

 おもしろそうに笑いながら、ローブ男が姿を現す。

 

「貴様も似たようなことをしていただろう」

「いやいや、ボクの場合はお恥ずかしながら失敗したからね。しかし、うまく行ったようでよかった。闇だけでなく、光でも心の闇を動かす。そうすれば、闇は消されても残った光で堕とすことができる。君にしかできない芸当だ」

「…………」

「おっと、光だの闇だのは口が滑った。すまない」

 

 ちらり、とローブ男はメトロン星人へと視線を向ける。

 救いたかった人物が目の前で闇の中へと消えたのだ。その絶望は途方もないもの。電源の切れたロボットのように、メトロン星人はただその場にいるだけのものとなっている。

 それを一瞥した後、ローブ男はサッと右手を振るい、メトロン星人の中に残っていた闇を抜き取った。

 人形に戻るメトロン星人。

 それと摘み上げ、

 

「いや、食べる価値もないか」

 

 あっさりと握りつぶした。

 そして、全てのことを終えたふたりは、再び暗闇の中に姿を消すのだった。




第13話 伝説のメイド! その名はミナリンスキー!! (完)


○あとがき
構想当初は違ったエンディングでした。
ウルトラマンガイア第31話のように、メイド喫茶に行っている事がμ’sメンバーに知られて、奢ることになってリヒトが叫んで終わり。なんならアスカを巡ってマイマイと涼のバトルで終わり。
……なんてことを考えていたんですが、プロット組んだらμ’s出てこないし何より「ここまでやったら(マイマイが)普通に戻るとこが想像できない……」となってしまいこのような終わりに急遽変更。
でもその分しっくりはきてるのでいいかなと。全く良くない結末ですが。

さて、次回はリヒトの過去に触れていきます。
なぜ記憶を失ったのか、失った記憶はどんな記憶なのか。
リヒトはアメリカで一体何に巻き込まれたのか。
この物語を書き始めた時から描いていたエピソード。それがいよいよ近づいていることに高揚感を得つつも、しっかり書いて行きたいです。


○次回予告。
夏のある日。一条リヒトと共にアメリカでダンスを学んでいたキャスリン・ライアンが来日する。突然の来日に驚くリヒトだったが、キャスリンは「あの日」の出来事を思い出したという。
それは、リヒトが記憶を失った日の出来事。一体何に巻き込まれたのか。早く知りたいリヒトだが、キャスリンは条件としてデートを申し込んでくるのだった。
次回、第14話「ロストメモリー」


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第14話 ロストメモリー
第一章:記憶の運び人


 ひとりの少女が歩いていた。

 百人が百人美人だと称するであろう少女。金髪碧眼のアメリカ人。モデルの様にスタイルが良く、そしてその表情は底抜けに明るかった。

 真夏の太陽が少女の笑顔と美しい金色の髪を照らす。

 それらが少女の魅力を際立たせており、周囲の人々の視線を奪っていた。

 しかし、周囲の視線など気にする様子はなく、少女は目的地に向けて進む。

 そして、 

 

「待っててね、ライト」

 

 目的地にいるであろう人物の名をつぶやくのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 神田明神では九人の少女たちが舞っていた。

 夏の暑さにも負けない熱い思いを胸に秘め、燦々と輝く太陽よりも輝く笑顔で、今できる最大限のパフォーマンスを披露している。一眼見れば、彼女たちがどれほどの練習をしてきたのかわかるだろう。

 汗を流しながらも、少女たちは踊る。

 自分たちの『夢』を叶えるため。

 九人の少女たちは、みんな音ノ木坂学院の生徒であり、そしてスクールアイドル『μ’s』である。彼女たちの通う学校は、現在廃校の危機に瀕しており、それを阻止するべく少女たちは立ち上がった。

 彼女たちの目標はスクールアイドルの甲子園とも言える大会『ラブライブ!』に出場し結果を残すこと。そうすれば音ノ木坂学院の名前が広がり、入学希望者が増えれば廃校阻止につながると考えたのだ。それを実現させるべく、日々練習に励んでいる。

 そして、そんな少女たちを前にはひとりの少年が立っていた。

 記憶喪失の少年、一条リヒト。リヒトには昨年の十二月より前の記憶がない。アメリカでダンスを学んでいる際に何かしらの『事故』に巻き込まれ、記憶を失くしてしまった。それにより、自分がどこで生まれ、どの様に育ったのかがまったくわからない。

 リヒトの記憶は何ひとつ残っていない。何ひとつ残らずに、全ての記憶を失ってしまった。自分がどのようにして記憶を失ったのか、原因である事件の概要すらわからないのだ。

 リヒトの他に一緒に巻き込まれた少女がいたが、彼女も事件のショックから記憶を失くしてしまっていた。幸い、少女はその日だけのことだけ忘れており、今までのことは覚えていた。リヒトのようにすべてを忘れたわけではない。

 別れ際、いつか思い出したら教える、という約束をしてからもう半年以上経過していた。

 そんなリヒトがμ’sのダンスを見ているのは、ダンスコーチを頼まれたからだ。μ’s結成当初、初期メンバーである高坂穂乃果、園田海未、南ことりはダンス経験などまったくない素人。そんな彼女たちが掲げた大きすぎる目標を達成するには、一からダンスを学ぶ必要があった。

 そこで、穂乃果たちと交友のあったリヒトがコーチとなることになった。

『一条リヒト』はプロのダンサーを母親に持ち、そして自らもプロのダンサーになるべくアメリカにまで行った経歴を持つ。記憶喪失ではあるものの、ダンス技術については覚えているらしく、リヒトの指導のおかげで穂乃果たちは着実に力をつけていった。

 絢瀬絵里が加入後は、バレエ経験がある彼女がダンスの完成度を見ていたが、絵里を含めた九人の出来を判断するにはリヒトの眼が必要だった。そのため、こうして踊る少女たちに視線を向けているのだが、今日はその視線がたまに虚空を見つめている時がある。

 

(……いけねぇ。まただ)

 

 リヒトもそれは自覚していた。

 そして、こうなってしまう理由にも心当たりがあったのだ。

 

(ことりは……踊れてるな)

 

 南ことり。『一条リヒト』とは幼い頃からの付き合いがあり、先日この町で暗躍している『邪悪な魔の手』の目論みに巻き込まれた少女。

 ことりのバイト先であるメイド喫茶で起きた事件。先輩である『マイマイ』と言う人物が、ことりに対して抱いた復讐心がキッカケに始まった悲劇。

 その悲劇はなんとか解決はできたものの──いや、あれを果たして『解決した』と言っていいものなのだろうか──あの事件の中でリヒトは、ことりにウルトラマンギンガに変身するところを見られた。いや、緊急時だったため『見せた』とも言えるであろう。あの場にいた桐島アスカと美村涼は、メトロン星人によって記憶操作をされていたため、この日のことを詳しくは覚えていない。だからリヒトがギンガに変身したことも覚えていないし、あの悲劇が現実に起きたということも覚えていない。

 だが、ことりは違う。彼女は記憶の操作などされておらず、あの悲劇が現実に起きたことだと覚えている。

 リヒトが右目を潰されてもすぐに治ったこと。

 マイマイがザムリベンジャーにダークライブし、自分の命を狙ってきたこと。

 ウルトラマンギンガの正体がリヒトだったこと。

 そして、あの日以降マイマイが行方不明だということ。

 別に正体がバレたからと言って、相手がことりであるため特別なにかがあるというわけではない。しかし、『友人に正体がバレた』ということが、リヒトの心に影を落としていた。

 そして行方不明のマイマイ。これはアスカから聞いた話だ。あの日以降マイマイが行方不明になっており、同時にほぼ毎日と言っていいほど店に来ていたハットさんの姿もない。

 ハットさんの方はなんとなく想像ができる。その正体がメトロン星人であり、彼はリヒトがギンガにウルトライブする際に『白い少女』の攻撃からリヒトを守ってくれた。その時に大怪我を負い、それを癒しているのだと考えられる。もしくは、『白い少女』の手によってすでに消されてしまったか。

 そしてマイマイ。リヒトが最後に見た彼女の姿は、とても傷ついていた。自分の『好き』が破壊され、自分の居場所を自分で壊してしまった。ザムリベンジャーにダークライブした彼女を元に戻すことはできた。しかし、その心を救えたかと問われれば、それは『否』という回答になってしまう。

 救えていない。だからあの時、店に会いに行ったのだがマイマイの方から拒絶されてしまった。

 そして……最悪の展開がどうしても脳裏を横切ってしまう。

 

(あの時、一度ギンガのライブを解除して怪獣にライブするべきだったんだ。そうすれば、マイマイを話すことができた)

 

 ウルトラマンギンガのライブ時間はおおよそ三分。

 怪獣へのライブ時間は無制限。

 それを考えれば、一旦怪獣にウルトライブしてマイマイと会話する時間を作ればよかった。そうすれば、彼女の心も救うことができただろう。

 しかし、怪獣へのウルトライブは時間制限がない代わりに、ギンガに比べてダメージフィードバックが強いのだ。ギンガですら苦戦を強いられたザムリベンジャー相手に怪獣で立ち向かえば、逆にダメージフィードバックによって戦闘不能に陥りかねない。

 とはいえ、いくら考えても既に終わってしまっている。しかしこのやりきれないモヤモヤが、リヒトの集中を妨げているのだ。

 

「……はあ」

 

 ついため息が漏れてしまう。

 ちょうどそこで、μ’sのダンスが終わった。

 タイミングが悪い。

 

「りーくん、私たちのダンスそんなにダメだった?」

 

 ため息のタイミングを考えれば、穂乃果からそう問われても仕方ない。

 違うと、否定しようとしたが、

 

「というか、あんた集中して見てたの? 時々視線があっちこっちに行ってたわよ」

 

 それよりも先ににこの言葉が飛んできた。

 

「そういえば、今日は一条先輩の棘のような視線が弱々しかったにゃー」

「凛ちゃん、棘は言い過ぎじゃないかな」

 

 苦笑いをしている花陽ではあるが、彼女もまたその心の内ではいつもは重いリヒトの視線が弱いことを感じていた。

 

「ダンスはダメじゃない。ため息は、俺に対してでただけだ」

「何か悩み事がある様に見えるけど、大丈夫?」

 

 絵里が心配そうにリヒトの方を見てきた。心配をかけまいと、頷いて『大丈夫だ』と返すが、

 

「大丈夫じゃないでしょ。明らかに変よ」

 

 同じくリヒトの異変を感じ取った真姫に指摘されてしまった。

 

「ことりのことをよく見てた気がするのですが」

「もしかして、先輩たちの間で何かあったりして〜」

「「…………」」

「え?」

 

 凛が目を丸くする。海未の言葉を聞いて、半分思いつきの冗談であったのに、まさかこんな反応が返ってくるとは思っていなかった。

 

「……何かあったの?」

 

 と、絵里が少し目を細めてきた。

 

「……何も、ない」

 

 事実を説明するわけにもいかず、苦し紛れの言い訳をするも説得力など皆無。

 ダンスを見る約束をしている手前、それに集中できていなかった理由を求められるのは当然のこと。なんとか納得してもらえる理由を考えなくては、と思っていると希と視線があった。そして、彼女はリヒトにだけわかるようににっこりと笑う。

 

「りっくんも見てしもたんやろ。ことりちゃんのメイド姿」

 

 希の言葉に全員が「ああ〜」と言った反応をする。

 

「ことりちゃんのメイド姿可愛かったもんね〜、りーくんも目を奪われちゃったわけですか」

 

 穂乃果がニヤニヤとこっちを見てくる。

 あながち間違いではないため、肯定せざるを得ない。

 

「……それだけじゃない気もするけど」

 

 真姫はどこか疑問が残っているのだろう。納得できていない様子をしている。

 とはいえ、不本意だが希の助け船に乗るしかないだろう。そう思って口を開きかけ、

 

 

 

「おーい! ライトー!」

 

 

 

 明るい少女の声が聞こえてきた。

 全員が声の聞こえてきた方へ視線を向ける。

 そこにいたのは、太陽の光を受けて輝くブロンドヘアーの女の子。モデルのような身長に体格、満面の笑みを浮かべてコチラに走ってくる少女。

 リヒトの脳には、疑問が浮かんだ。

 唖然とするリヒトに向け、少女は飛び込んだ。

 

「会いたかったわ! ライト!」

 

 満面の笑みでリヒトの胸にダイブした少女の登場に、μ’sは一白置いて驚きの声をあげるのだった。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 リヒトはその少女に身に覚えがあった。というか、知っている相手だ。友人とも言う。

 しかし、少女がここにいることへの疑問が勝ってしまう。目の前の少女は、本来遠い海の向こうの国の少女だ。その距離を考えれば、気軽に日本へとやってくることはできない。

 それなのに今、確かに少女は目の前にいて自分に抱き付いている。肩に手を置いてみると、しっかりとした感触が返ってくる。

 

「キャス!? なんでここにいるんだよ!?」

「あら、そんなの決まってるわ。ライトに会いにきたのよ」

「いや、嬉しいけどさ……だってアメリカだろ? よく日本に来たな」

「ライトのためなら国境なんて簡単に超えるわ」

 

 満面の笑みで答える少女。

 病院で初めて会話をした時から変わっていない。いや、正確には『一条リヒト』と出会った時から変わってなどいないのだろう。

 しかし、今のリヒトは記憶喪失。少女とは病院で目が覚めた時に初めて会話を交わした。

 そう、目が覚めてた時、自分のこと何一つ覚えていない、わからない。そんな不安を拭ってくれたのが目の前にいる少女なのだ。その時点でリヒトは目の前の少女に感謝をしている。

 言って仕舞えば、今のリヒトにとって初めて会った人なのだ。心のよりどころが少女に向くのは当然のこと。おかしなことに、今のリヒトにとってみれば、μ’sのメンバーと話すよりこの少女と話す方が気が楽なのだ。

 

「あのー、りーくん? その人は……」

 

 と、そこで穂乃果が声をかけてきた。

 見ればμ’sメンバーは置いてけぼりを喰らっていた様子。その中で、絵里だけがやや面白くなさそうな表情をしていた。

 少女もμ’sの反応に気づいたのか、リヒトから離れると少女たちの方へ向き直る。

 

「初めまして。私はキャスリン・ライアン。気軽にキャスって呼んでくれると嬉しいわ。ライトとは、そうね……とっても仲の良いチームメイトな関係よ」

「チームメイト?」

 

 と、穂乃果が言った。

 

「そう。私もライトと一緒にダンスを学んでたの。その時に一緒にチームを組んで、いろいろなところで踊ったのよ。あの時はとても楽しかったわー。それなのに、ライトったら忘れちゃってるの」

「それは……」

「ああいいの! もう謝罪は十分。あまり謝らないでほしいわ。記憶を失くしたのは私も同じだったし。それより、この子たちは? ライトの彼女?」

 

 ここでキャスはハッとして、

 

「もしかして日本のアニメ特有のハーレムを作ったの!?」

 

 キラキラと瞳を輝かせてリヒトに詰め寄った。

 

「違う」

「え〜、つまんないの」

「つまんなくて結構」

「むぅ、前までなら『もちろんだせ!』って言ってくれたのに。やっぱりライトは記憶なくなって、つまんなくなったね」

「…………」

 

 改めて感じる『一条リヒト』と今の自分のギャップ。

 子供の頃、絵里と交わした約束から思っていたが『一条リヒト』は今の自分とは対照的な性格のような気がする。聞いた話の中では、まるで別人のようにも感じてしまう話があるのだ。

 

「あ、ごめんなさい。そう言うつもりじゃなくて」

「知ってるよ。分かってるから安心しろ」

「……ありがとう」

 

 キャスもリヒトの表情が暗くなってることに気づき、慌てた様子で謝罪を述べた。もちろん、言葉通りの意味ではないと言うことくらい、リヒトも理解している。

 

「ま、てなわけで、俺が向こうで知り合った人物って訳だ。見ての通りアメリカ出身だけと、日本に住んでたこともあるらしくこの通り日本語はペラペラだ」

「よろしくね☆ そういえば、さっきまで音楽が聴こえていたけど」

「ああ、それはあれだ。みんなが踊ってる時の曲だ」

「踊り? あなたたちもダンスやってるの!?」

「は、はい。正確にはスクールアイドルをやってます!」

「スクールアイドル?」

 

 穂乃果の言葉に首を傾げるキャス。無理もないだろう。『スクールアイドル』と言う単語自体、リヒトだってここに来てから知ったのだ。日本においても、まだマイナーな方の文化だろう。

 キャスから質問を受けた穂乃果は、『スクールアイドル』について簡単な説明を行った。

 説明を聞いたキャスは、その瞳をキラキラと輝かせる。

 

「何それ! すっごく素敵なことじゃない! さすが日本ね、知らない間にどんどん魅力的な文化を生み出してるわ!」

「わかってるじゃない」

 

 にこが得意げに笑って見せる。

 

「それじゃあ、ライトもスクールアイドルをやってるの?」

「いいや、俺はやってないぞ」

「そうなの? じゃあ、どうして一緒にいるの?」

「ダンスのコーチをしてるんだよ」

「コーチ?」

「そ。今は九人いるけど、始めた時は三人しかいなくて、しかもダンス初心者だったからな」

「ふーん」

 

 キャスは改めて九人の少女たちに視線を向けた。その瞳は、まるで何かを観察しているようだ。一人ひとり、ゆっくりと見ていくキャスの瞳。一瞬、その瞳に何か別の色が浮かんだように見えた。

 しかし、次の瞬間パッと表情を明るくしてキャスは言う。

 

『うーん、いいね。それなりに鍛えられてるじゃん。よく見てるんだね、ライト』

 

 しかも英語でだ。

 

『まあな』

 

 こちらも英語で言葉を返しておく。

 

「んじゃま、ひとまず休憩にするか」

「そうやね。りっくんはキャスさんの相手をしなきゃいけへんそうやし、ウチらのダンスもまともに見てなかったもんね」

「希、言葉に棘がある気がするのだけど?」

「気のせいや。ところで、さっきから気になってたんやけど、りっくんなんでライトって呼ばれてるん?」

 

 みんながそれぞれ休憩に向かう中、希だけはその場に止まって質問をしてきた。

 

「『リヒト』って名前はドイツ語で『光』を意味する単語が由来なんだ。それを説明したら英語で『光』を表す『ライト』って呼ばれてるわけ」

「あだ名で呼んだ方が特別感出るでしょ? 私とライトはそう言う関係だから」

 

 パキッと、絵里が水分補給のために手にしたペットボトルが潰れる音が聞こえた。

 

「いや、違うだろ。なに記憶喪失の相手に刷り込もうとしてんだよ」

「んも〜、ライトだって最初は騙されてくれたじゃない」

「そうやったん?」

「…………ノーコメント」

 

 騙されてなどいない。

 目の前に自分を心配してくれる少女がいて、『私はあなたの彼女よ』と言われて半分信じかけたが、完全には信じなかった。だから騙されてはいない。

 と、そこへ新たに近づいて来る影がひとり。

 

「ねえ、キャスさん」

「キャスでいいわよ。えっと、穂乃果だっけ? あなた」

「はい。ちょっと聞きたいんですけど、アメリカでのりーくんってどんな感じだったんですか?」

「うん? それはね──」

 

 と、そこで一度リヒトを見てくる。

 

「とっても面白い人。そして、とても可哀想な人」

「可哀想?」

「だって、記憶喪失になっちゃったんだから。まあ、私もそうなんだけど……でも、記憶喪失になった原因が、ね……」

 

 そう言って、表情を暗くするキャス。

 だが反対に、リヒトは雷に打たれたかのような衝撃を感じていた。

 今、彼女はなんと言った? 先ほどの言葉に何か引っ掛かりを感じたのはなぜだ?

 

「キャスさんはりーくんが記憶喪失になった原因を知ってるんですか?」

 

 穂乃果は何気なく聞いたのだろう。

 しかしその問いかけを聞いていたリヒトは目を見開いた。

 

「キャス……」

 

 震える声で彼女の名を呼ぶ。

 

「まさか──」

 

 リヒトの視線に気づいたのか、キャスがゆっくりと視線を合わせて頷く。

 

「……うん、思い出したよ。『あの日』のこと。ライトと私が記憶を失くした日の出来事」

「本当か!?」

 

 返事を聞いたリヒトがキャスの肩を掴んで迫る。

「いたっ」と小さな悲鳴が上がるが、リヒトの耳には届いていない。それよりも、リヒトはようやく知ることができる情報の方に目が行っていた。自分が記憶喪失になった原因。それを知ることができれば、何か記憶を取り戻すきっかけになるかもしれない。ただ、それだけを考えていた。

 

「ちょっとりーくん! 落ち着いて! 痛がってるよ!」

「あ、わりぃ」

 

 穂乃果がリヒトの手を掴む。そこでようやく、キャスの表情が歪んでいることに気づいた。

 慌てて離れる。

 

「すまん」

 

 肩をさすっているキャスを見て、いたたまれなくなったリヒトは謝罪を述べた。

 すると、キャスは突然何かを思いついたようにニヤリと笑う。

 

「やーだ。許してあげない」

「え」

「怖かった。すっごく痛かった。だからバツとして思い出したことを話してあげません」

「え、ちょ、嘘だろ?」

「本気です。でも、どうしてもって言うなら──」

 

 ふと、リヒトは嫌な予感を感じた。

 そしてリヒトの予感通り、ウィンクをしたキャスの口から、

 

 

 

「私とデートしてね」

 

 

 

 トンデモ発言が飛び出すのだった。




次回、第二章:ドキドキデートとリヒトの過去に続く……。


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第二章:ドキドキデートとリヒトの過去

 キャスはトンデモ発言をしたあと、待ち合わせ場所だけを告げて去って行ってしまった。μ’sメンバーからの好奇の視線に晒されながら、取り残されたリヒトは天を仰ぐ。

 

「どうすんだよこの状況……」

 

 説明に苦労したのは言うまでもないだろう。

 

 

 それからしばらくして、リヒトは服装を新たに正して待ち合わせ場所へとやって来ていた。『デート』と銘打たれてしまった以上服装を正したいという個人的な考えもあったし、なにより気持ちの整理もしたかった。

 

(デート、か……キャスのやつ一体なに考えてんだ)

 

 もちろん本気のデートではないと、リヒトだって理解している。

 

 聞いた話によると『一条リヒト』とキャスリン・ライアンの関係は、周囲に恋人関係にあると思われるほど良かったらしい。しかし、実際のところはそのような関係ではなく『一条リヒト』からすれば拙い英語ではなく日本語で話せる相手として、キャスからすれば高いダンス技術と自分が以前住んでいたことのある国の出身者として興味が湧いていただけであり、友人兼ライバルといった表現の方が正しい。

 

(いや、もしかして特に何も考えてないんじゃないか)

 

 だから、今回『デート』という単語を持ち出したのは冗談や揶揄いの類だと考える。リヒトがキャスへ乱暴に迫ったことへの罰に提案しただけ。その方が難なく呑み込める。

 記憶喪失でなければ色々推測できたが、残念ながらいまのリヒトでは、キャスの思惑のカケラを掴むことすらできない。だから妥当な答えとしてはこれで十分。

 

 時間を割きたかったのは、気持ちの整理が主。

 

 それは思ってもいない形で過去を知る機会と巡り会えたことに、少しだけ不安を感じていたのだ。もちろん、失った記憶を取り戻すことはリヒトが第一に掲げていること。今までいくら調べても、記憶の手がかり、失った手がかり、思い出すようなきっかけ、それらすべてにかすりもしてこなかった。

 

 それが今、失った原因がわかる状況にある。

 不安、緊張。それらすべてが建物の窓に反射する自分の姿から見て取れる。

 

(……落ち着け、俺)

 

 今は、その感情がなにに向けてなのかを考えるよりも、キャスを楽しませる事を考えなくてはいけない。楽しませることができなければ、思い出した事を話してくれない、と言うなんとも理不尽な状況なのだ。なんとしても、キャスが思い出した事を聞き出さなくてはいけない。

 

「ライト」

 

 そんなことを、あれこれと考えているとキャスがやって来た。服装は先ほどと一緒。ただ、モデルのようにスタイルが良いキャスは周囲の視線を集めていた。

 

「さっきぶり。デートの承諾ありがとう」

「半分脅しだっただろ。なにが目的だ?」

「目的なんて物騒。

 そうね、あるとするなら純粋にライトとデートしたいの。さあ、行きましょう。エスコートがあまりひどいと話してあげないわよ」

「おい、その人質はずるいぞ」

 

 エスコートを任されたはずなのに、キャスの方がリヒトの手を握ってくる。

 そのままキャスに引っ張られる形で始めるデート。

 これでは自分がエスコートされているではないか、とリヒトは思うのだった。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 高校生であるμ’sには、当然夏休みの課題が出されている。学生の夏休み期間における最大の敵。その多くは早いうちに手をつけないため、夏休み終盤に慌てて行うのが原因だろう。それを回避するために、μ’sは午前で練習を終え、午後は課題を進めることになっていた。

 

 そんな中、絵里と共に課題を進めていた希の耳にパキッという音が聞こえてきた。

 

「エリチ……?」

 

 音がしたのは絵里の手元。

 ノートに文字を書くために使用されているペンが二つに割れていた。

 絵里は壊れたペンを数秒見つめ、やがてペンケースから新しいのを取り出す。

 そして、自分を見ている希に向けて、

 

「……気にしないで。ちょっと力が入っただけだから」

 

 夏にそぐわない、涼しい顔で言った。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 リヒトとキャスが訪れたのは秋葉原。元々日本のサブカルチャーが大好きなキャスは、真っ先に秋葉原に行くつもりだったらしく、デート開始と同時に秋葉原へ足を進めた。

 

 さらに、穂乃果との会話から『スクールアイドル』に興味を持ったらしく、スクールアイドルの専門店に行きたいと提案してきた。スクールアイドルの専門店ならリヒトも一度行ったことがある。早速スコートできる状況になったのと同時、

 

「…………」

 

 秋葉原は、先日の件が未だ尾を引いているリヒトにとってはあまり訪れたくない場所だった。

 自然と表情が引き攣っていったリヒトを、覗き込むようにキャスが見る。

 

「どうかしたの?」

「いや……なんでもない。それより、スクールアイドルのグッズが置かれてる店に行きたいんだろ。なら、前に行ったことがある。案内するぞ」

「さっそくエスコートしてくれるのね」

 

 クスッと笑みを浮かべるキャスの手を引いて、リヒトは歩き出す。

 ふと、ブルッと嫌な気配を感じとった。

 

「…………」

「ん? また立ち止まって、どうかしたの?」

「……いや、ちょっと……気のせいか」

 

 何か、とても引っかかる感覚に襲われたのだが一体なんなのだろうか。まさか『邪悪な魔の手』? と考えてみてが、ギンガスパークが反応したわけではない。もっとこう、本能の部分での反応というべきか。

 気にしても仕方ない、と結論づける。

 ともかく、秋葉原の街を歩くふたり。リヒトは脳裏に浮かぶ情報を振り払い、必要な道順のみを考える。なるべく(くだん)のメイド喫茶の近くを避けて道を進む。

 

 やがてふたりがやって来たのは、とあるスクールアイドルショップ。この店は以前、μ’sのメンバーに連れられて訪れたことのある店。自分たちのグッズが販売されている、と喜んでいたのを覚えている。特にスクールアイドルを目指して一年生の頃から日々努力していた矢澤にこの感動と言ったら、まさに『感無量』と言えるほど。その強烈な光景を覚えていたおかげで、こうして再びやって来ることができた。

 

「あの子たちのグッズ、もう出てるのね。活動は長いの?」

 

 店内に入ると、さっそくキャスはμ’sのグッズを見つけた。

 それを手に取り眺めている。

 

「活動自体は四月に始めたからな。専用サイトにも何曲かアップしているし、『ラブライブ!』出場を目指してるからいろいろアプローチはしてるらしい」

「ラブライブ? なーにそれ」

「スクールアイドルという部活動においての大きな大会。そこで優勝して、あいつらが通う学校の廃校を阻止するのが目標」

 

 ヘェ〜と、キャスはどこか感心したように声を漏らした。

 一方、リヒトは店頭に並んでいるグッズの数が以前よりも増えていることに気づいた。

 

(この前のライブの効果か?)

 

 以前、μ’sはここ秋葉原にてライブを行った。その時披露したのが新曲の『Wonder zone』。ことりが働くメイド喫茶のメイド服が衣装となり、注目を集めたそのライブの効果が出ているのだろう。

 

 実はライブを行ったタイミングがマイマイの件後だったため、リヒトとしてはことりのメンタル面に心配があった。しかし、そこはメンバーの、特に穂乃果と海未のおかげかライブは問題なく行われた。その成果もこの結果を見れば問題はないと見て取れる。

 

 そもそも、ことりの様子がおかしいのはリヒトと接するときだけで、穂乃果たちとは普通に接している。

 そう思ったとき、ふと胸が痛くなった。

 

「…………」

「ん? どうしたの?」

「いや、ちょっと胸が痛くなっただけだ」

 

 そう答えると、途端にキャスは口に手を当てて「まあ」と驚く。

 

「大変。恋の病かしら」

「違う。てか、なんで恋につなげた」

「自分の胸に手を当ててみたら。今目の前にいるのが太陽のように明るい少女なら、ドキドキするでしょ」

 

 にっこりと、それこそ太陽のように眩しいと表現できる笑顔でキャスは言った。

 

「自分で言うか」

「それが取り柄だもの。それに、デートなんだからドキドキしてほしいわ。

 ちなみに私はしてる。久しぶりの男の子とのデートに」

「…………」

「あ、照れてる」

「照れてない」

「照れてる」

「照れてねえ!」

「きゃー! ライトが怒ったー!」

「店で叫ぶなって、おい! どこに行く気だ!」

 

 足早に売り場から走り去っていくキャス。一度こちらに振り返ると、にいっと笑みを浮かべてまた走り出す。

 追いかけて、という事なのだろう。もちろんリヒトはすぐにその姿を追いかけた。

 キャスの容姿は特徴的であるため見失うことはない。太陽に輝く金色の髪を見失わないようにあとを追う。

 

 夏の炎天下。さすがに全力疾走はしない。汗まみれになるのはごめんだ。

 それはキャスもなのか、意外とすぐに捕まえることができた。

 

「あーん、捕まっちゃった」

「おい、グッズは買わないのかよ」

「うん。だって今買ってもこれから遊ぶのに邪魔になるでしょ。またあとで行くことにするわ」

「別にそんなに邪魔にならないと思うけどな」

「いいの。私がそう思ったんだから」

 

 立ち止まったキャスは、そこでふと何か考える素振りを見せた。

 

「それより、いまの追いかけっこ、ちょっと楽しかったわ。だからポイントを贈呈してあげる」

「ポイント?」

 

 突然なにを言い出した? と表情で訴えるリヒトに対して、キャスは特に反応を示さず説明に入る。

 

「そう。私が『楽しい』と感じたら獲得できるポイントよ。ポイントを獲得したら、少しずつライトの過去を教えてあげる。どう? これなら少しはやる気出るんじゃない?」

 

 挑発の色が含まれたキャスの視線。

 

「……そこは素直に教えてほしんだけど」

「えー、それじゃつまらないじゃない。つまらないのは、あなたが一番嫌ってたことよ。

 ……まさか、『楽しいこと』が大好きなライトが降りるわけないわよね?」

「…………」

 

 そこまで言われて、黙っているわけにはいかない。

 リヒトはキャスの挑発的な視線を見返すと、

 

「上等」

 

 と言った。

 それを聞いたキャスはにっこりと笑みを浮かべる。

 

「やっぱりライトはそうじゃないと。それじゃあ、まずはさっきのポイント分を話さないとね。

 そうねぇ……いきなり話しちゃったらポイントにした意味がないから、ここは私たちの出会った時のことから行こうかしら」

 

「ホント最初からだな」

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

『一条リヒト』とキャスリン・ライアンの出会いはある意味で衝撃的だったと言える。

 何せ『一条リヒト』が突然踊り出し、その情報を友人伝でキャスは聞き、興味を持ったキャスから『リヒト』に会いに行った。

 これが二人の出会い方なのだ。

 

『突然踊り出した日本人がいる。しかもかなりのハイレベル』

 

 簡素にまとめるとそんな感じに友人が言っていた気がする。

 とにかく、キャスがリヒトの話を聞きつけてやってきた時、すでに『リヒト』は人混みの中にいた。その中で『リヒト』は少し満足そうにしていたのだ。

 

 のちに聞いた話では『リヒト』曰く、『だって、拙い英語で話すより実力見せた方が舐められないって母さんが言ってたからな』とのこと。

 つまり、初っ端から実力を見せてコミュニケーションを取ろうとしたのだ。

 

「うん、やっぱりライトは面白い」

「そこだけ聞くと、捉え方によっては嫌な奴に見えるな」

 

 長く住んだ日本とは違う、異国の土地を訪れて真っ先に行ったゲリラ的なダンスパフォーマンス。それによって一気に自分に興味を引かせるのは、ある意味で『一条リヒト』らしい。

 結果を見れば成功と言えるかもしれないが、もし失敗していたらどうするつもりだったのか。残念ながら、その疑問はキャスが胸の内に閉まってしまったため『一条リヒト』の解答は得られていない。

 

 その後、『一条リヒト』の噂を聞きつけてやってきたキャスがその技術力の高さに興味を引かれ、声をかけたのが始まり。『リヒト』はまさかアメリカに来て日本語が話せる人物がいるとは思っていなかったのか、かなり驚いた表情をしていた。

 

「あの時のライトの表情は……ぷふっ」

 

 どうやらキャスのツボにハマるくらい面白い表情をしていたようだ。

 

 とはいえ、今の話はすでに聞いた話。この先ポイントを獲得しても、今のようにすでに知っていることを話されてはたまらないため、リヒトは先手を打つことにした。

 すなわち、すでに知っているところまで話を進めるということだ。

 

「そのあと、キャスの紹介で出会った『クラウス』と『セラ』とチームを組んだんだよな」

「あら、覚えてたの」

「病院である程度は聞いたからな。ハロウィンの日に仮装して、めちゃくちゃ楽しんだことも聞きいたぞ」

 

 記憶にはないが、そこまでの話は病院で目が覚めた時に聞いている。

 

 ゲリラダンスからキャスと知り合い、そこからさらに『クラウス』と『セラ』という少年少女と知り合う。無論、二人はアメリカ人であるため日本語は喋ることができない。そこは間にキャスが入ってもらう、もしくは拙いながらも『リヒト』がコミュケーションを取っていただようだ。

 

 クラウスとセラもリヒトの技術力は一眼で見抜いており、キャスの提案ですぐにチームを組むことになった。話によれば、『リヒト』は基本このチームでいることが多く、学校で学ぶ時も、放課後ダンスの練習をする時も一緒だった。ハロウィンの仮装を楽しむほどの仲になっていった。

 

「ハロウィンを最高に楽しんだとこまでは前に聞いてる。話すならここから先のことにしてほしいな」

「…………」

「……キャス?」

 

 キャスが停止した。笑っていた肩の震えは止まり、すとん、と両腕がぶら下がる。

 

「キャス……?」

 

 もう一度彼女の名を呼んだ。

 彼女の後ろ姿が不気味に見え始めた。

 

「キャ──」

「──ねえ、ライト」

 

 リヒトの言葉を遮るように、振り返ったキャスの表情は真剣だった。

 一瞬、気圧されるリヒト。

 

「ライトは、本当に過去を知りたい?」

「……なんだよ、急に」

「私たちの過去にどんなことがあっても、あなたはそのすべてを知りたい? という意味よ」

 

 ──それはどういう意味の問いかけか。

 口に出かけた言葉を飲み込む。キャスの目に言葉を止めた。

 キャスの問いかけを言葉通りに受け取るならば、『一条リヒト』の過去はそう易々と聞いていいものではない。

 しかしそのような考えになるのはなぜか。

 可能性の一つとして、アメリカでいじめもしくはそれに近いことを受けたことを思いつく。その場合は、それを避けて話せばいい。確認を取るということは、話すべき内容の中に含まれているということ。

 

 ふと、リヒトの脳裏に浮かび上がることがあった。

 傷が治る時に脳裏に流れる数々のビジョン。もしかしてそれが関係しているのか。

 

「……ああ。俺は全てを知りたい」

 

 もしそうなら、尚更知りたい。

『一条リヒト』の身に一体なにがあったのかを。

 

 リヒトの返答を聞いたキャスは、一度目を閉じる。

 まるでそう答えるとあらかじめわかっていたのか。

 

「──そうよね。知りたいわよね」

 

 ゆっくりと開かれる瞳。

 それは──意地悪く開かれる。

 

「でも、ポイントを獲得したらね」

「…………そこは流れ的に話すだろ」

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 リヒトとキャスはデートを再開した。と言っても、高校生、ましてや本当の恋人関係にない二人のデートなど言い換えれば『遊び』に近い。

 しかし、キャスが思い出した『一条リヒトの記憶』を引き出すには、キャスに『楽しい』と思ってもらわなくてはいけない。

 ではどうしようかと考えて、ふと時刻を確認してみる。

 午後二時を過ぎていた。

 

「そういえば、キャスは昼ごはん食べたのか?」

「ライトに会う前に済ませたわ。そっちは?」

「一緒に食べようかと思ってたから食べてないな」

 

 元々、どこかの飲食店でゆっくり食事しながらキャスの話を聞こうと思っていたのだ。

 済ませてしまっているなら仕方ない。一食食べなかったからと言って支障が出るわけでもない。

 と、食べない方向に考えていると、キャスが突然声を上げた。

 

「あ! ならあそこ行ってみたいわ! メイド喫茶。日本に来たら一度は行ってみたかったのよ」

「え」

 

 提案された店に表情が引き攣る。

 なぜよりによってメイド喫茶なのか。

 

「おすすめのメイド喫茶とか知らないかしら」

「……知らないな」

「嘘つくとポイント減点になるわよ」

 

 キャスの視線が刺すように細くなる。

 

「ライト、記憶喪失前の飄々としてる時ならともかく、通常時のあなたは嘘つくの下手なのよ。表情で丸わかり」

「……はあ、一店舗なら知ってる。けど──」

「──じゃあそこで決まり。早速行きましょう!」

 

 リヒトの手を握って、視線で案内を求めてくる。

 これではもう『一条リヒトの記憶』が人質だ。ここで案内をしなければ人質は離さない。そんな脅しをリヒトは考える。

 無論、そんなつもりはないとも考えられるが。

 

「了解、わがままお嬢様」

「……ギリギリセーフにしてあげる」

 

 キャスの手を引く形でリヒトはメイド喫茶を目指した。

 どうか、知人がいないことを願って。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 残念ながら知人はいた。

 しかし、幸い南ことりは今日のシフトに入っていなかったようで店内に姿はない。代わりにいたのは美村(みむら)(りょう)。入店直後に出会ったため、目を丸くして驚かれた。

 とはいえ、出くわしたのが涼だったのはある意味幸運かもしれない。向こうはリヒトとキャスの姿に面食らいつつも、無難に接客をこなしてくれた。

 

 そして今、キャスは本日の店内イベントに参加しており、リヒトは席で待機中。

 そこへ涼がやってきた。

 

「アスカが来てなくてよかったわね。あいつがいたらきっと面白おかしく揶揄われてたわよ」

「まだ運に見捨てられてなくてよかったぜ」

「まあでも、私もちょっとは気になるのよね。あの子誰なの?」

 

 涼はリヒトの対面に座ると、ずいっと身を乗り出して聞いてくる。

 

「前も思ったけど、一人の客に対してこの接客はアリなのか?」

「私の場合は、アスカのせいで半分アリなの。あいつ、大体私にちょっかいかけてくるのよ。それで店長も半分了承してる。まあ、メイドにいじられるご主人様って形の見せ物だろうけどね」

 

 涼の接客はメイド喫茶にしては素気ないと表すべきか、それともカラッとしたものと表現するべきか。とにかく、他のメイドに比べて独自のスタイルを確立しているようだ。

 

「それで、教えてくださるかしら。ご主人様?」

 

 ニヤッとしながら、顎を手の甲に乗せて聞いてくる。

 聞くまで居続けるつもりだろうと判断。渋々口を開く。

 

「『一条リヒト』とアメリカでダンスを一緒に学んでた友人」

「なんで一緒にいるの?」

「俺と同じ日に記憶をなくして、でも思い出したってことで来てくれた」

「アメリカから?」

「そう。ただ、すぐには話してくれなくて、デートして楽しいと思ったら話してくれるんだとよ」

「……苦労してるっぽいわね」

「まあな」

 

 他人に気苦労させられるのは涼も身に覚えがあるのか、好奇心の視線から同情の視線に変わっていた。

 

 ふと、会話が途切れたことでリヒトの脳裏にある人物のことが思い出される。

 聞くべきか、聞かぬべきか。しかし一度浮かんだ疑問はそう晴れることがない。苦い顔をしつつ、リヒトは涼に問う。

 

「……なあ、聞いていいか?」

「なにを?」

「マイマイのこと。今もずっと行方不明か?」

 

『マイマイ』の名前を口にした瞬間、涼の表情が変わる。

 周囲を見渡して、首を縦に振って、小声で言った。

 

「家にも帰ってないし、学校にも行っていないみたい。完全に行方不明。ま、一部ではハットさんと駆け落ちしたって噂もあるけど、これはマイマイを妬んでた奴らの戯言でしょう。警察に捜査依頼を出したみたいだし、見つかるといいんだけど」

 

「そうか」と言ってリヒトは目を閉じた。

 ここまで来れば、自ずと最悪の結果になってしまったのだと考えつく。

『邪悪な魔の手』の生贄になった……しかし、ザムリベンジャーとなった彼女を元に戻すことはできたはずだ。それなのに、一体なにが足りなかったのか。

 

「ね、私からも聞いていい?」

「?」

「マイマイが復帰した日のこと。私、あの日のことなんかぼんやりしてるのよね。アスカに聞いても同じ。ことりは違うみたいだけど、話してくれなし。この日以降マイマイが姿を消した。あれだけ来てたハットさんも来てない。ねえ、この日何かあった?」

 

 涼とアスカに関してはハットさんによってマイマイがザムリベンジャーになった時のことを忘れるようにされている。だから、『なにがあった』かを覚えていない。それでも、前後の記憶と辻褄を合わせるためにした結果、多少無理が生じてしまっているようだ。

 涼曰く『ボヤッとしてうまく思い出せない。別になにもなかったような気もする』とのこと。

 

「別になにもないぞ」

「……嘘でしょ」

「嘘じゃない」

 

 涼の細い目が向けられる。

 嘘が下手なのはさっきのキャストの会話で知っている。だから、嘘だとわかるのは仕方ない。それを無理やり通すしか今のリヒトにはできない。

 無言で涼の視線を見返す。

 数秒の時が経過。

 視線を飛ばす涼と受け続けるリヒト。

 

 そこで、イベントを終えたキャスが戻ってきた。

 

「あはっ! 最高! とても楽しかったわ! ライトも参加すればいよかったのに! って、なんだか空気が重いわ。どうしたの?」

 

 キャスの登場に涼とリヒトはそれぞれ視線を緩める。

 

「そっか。それはよかったな。けど俺は……ほら、キャスをエスコートするのが今日の役目だからな。キャスに楽しんでもらうのが優先だ」

「そう……質問の答えは?」

「このメイドさんとは知り合いでね。ちょっと睨めっこをしてたのさ」

 

 視線で涼に問いかける。

「これ話は終わりだ」と。

 それに対して不満げにしつつも、キャスが来たことで引き時だと理解してくれたのだろう。先ほどまでのフランクさが消え、仕事モードに切り替わった涼が立ち上がる。

 

「そうです、お嬢様。イベントはお楽しみいただけたでしょうか」

「もちろん! 最高だったわ!!」

「それはよかったです。どうぞこの後もお楽しみください」

 

 そう言って、涼は離れていった。

 入れ替わるようにキャスが座る。

 

「今の人もライトの友達なのよね? こっちでも友達多いの?」

「どうだろうな。記憶喪失の俺じゃあわからねえ。向こうはどうなんだ?」

「んー、こっちは基本チームでいることが多かったわね。クラウスがダンスばかだからよくそれに付き合っていた感じよ。飽きるくらいまでダンスを踊って、とにかく二人ともよく一緒にいたわ。でもそのおかげで、ダンス大会とかでいい記録残したのよ」

 

 ドリンクで喉を潤しながら説明を始めるキャス。

 

「今の髪色もクラウスの影響で染めたものだし……あっそうだ。ライト、今でも炭酸は苦手?」

「そうだな。苦手だな」

「それもクラウスのせい。ハロウィンの日にたくさん飲んで吐いちゃったの。それ以来炭酸がダメになっちゃったみたね。かわいそうに」

 

 なるほど、となぜかはわからないが炭酸飲料がダメな理由が意外なところで判明した。

 

「他にもリングやピアス、ネックレスなんかもクラウスの影響」

「クラウスの影響受けすぎてないか?」

「それはそうよ。クラウスからしたら、ライトはいいライバルでお気に入りだったんだもの。お気に入りだから、自分の好きなものを共有したい。そしたら、クラウスの提案をどんどんやっていって……ぷふっ、一度はひどい時があったわね」

 

 何かツボにハマるようなことを思い出したのか、声を出して笑い始める。

 

「喧嘩した時もあったけど、それはお互いのダンスに対する想いから来てたものだし。

 本当にあの日々は楽しかった……毎日一緒にダンスを踊って、買い物して、パーティーして。クラウスを取られたと思ったセラがライトにした悪戯は最高だったわ」

「取られたって……」

「ボーイフレンドが取られたら、ガールフレンドとして嫉妬するのは当然よ。ライトもそうでしょ? エリーって子が他の子と仲良くしてたら嫉妬するでしょ?」

 

 エリーとは『一条リヒト』が絢瀬絵里を呼ぶときの呼称。なので、絵里が他の男子と仲良く会話している姿を連想してみる。

 

「…………」

 

 なんとなく、むすっとくることだけはわかった。

 とはいえ、正直なところ記憶喪失となった今では絢瀬絵里に対する恋心がよくわからない。もちろん可愛いと思うし、好きだっていう感情はある。しかしそれが、どこかずれているような気もするのだ。

 今の自分とは違う、誰かの感情。だけどそれは間違いなく一条リヒトのものであり、しかしリヒトとは違うもの。

 

「……俺って、どんな人間だったんだろ」

「面白い人間よ」

 

 ポツリと溢れた言葉にキャスが返答する。

 

「楽しい人間。諦めの悪い人間。そんな人間。

 私の中にあるライトとの思い出はどれも楽しいものだったわ。あなたは常に笑顔で、周囲の人も笑顔にしてくれる。ライトも、その周りも、全てが楽しそうだった」

 

 昔の思い出を懐かしむ彼女はとても楽しそう。

 

「ハロウィンの日もそう。楽しいイベントだから、みんないっぱいにハメを外して楽しんだ。仮装もしたわよ。お菓子をたくさんもらって、ハロウィンイベントのダンスにも参加して……」

 

 ふと、そこでキャスの言葉が途切れた。

 

「キャス?」

 

 気になったリヒトは声をかける。

 また、糸の切れ人形のように止まったキャス。しばらくして、キャスは先程とは打って変わって静かなトーンで話し始めた。

 

「参加して……その日に全てが崩れた」

「は?」

「そうね……そう、この日がきっと崩壊の始まりだった」

 

 不穏なワードが飛び出す。

 店内に響く陽気な声とは裏腹に、キャスの雰囲気が反対のものに変わっていく。

 

「ライト、場所変えましょう。ここで楽しかったポイント分の話をしてあげる。

 ライトが知りたかった、ハロウィン後の話を」

 

 ゴクリ、と自然とリヒトは息をのんだ。




次回、いよいよリヒトの過去が紐解かれます。


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第三章:忘却の罪

「──ハロウィンの日にね、セラが行方不明になったの」

 

 店を出てしばらくし、キャスは英語でそう言ってきた。

 赤信号に足を止め、周囲に配慮してか英語で飛んできた単語。

 リヒトはキャスの少し後ろを歩きながら聞き返す。

 

「行方不明?」

「そう。最初に気づいたのはもちろんクラウス。セラがいなくなったことに気づいたクラウスはすぐにメッセージを送った。けど返信なし。次に電話をかけてみたけどこれにも反応なし。すぐにおかしいと思ったわ。さっきまで一緒に盛り上がっていたのに突然と姿を消した」

 

 信号が青に変わる。

 二人は歩き始め、キャスの説明が続く。

 

「みんなでセラを探した。セラのお気に入りの場所、学校、自宅、練習場所、とにかくセラの行きそうなところ全部探したわ。でも、全然見つからない。結局、私はセラを見つけることができなかった。できないまま一日が終わった。でもね、後から聞いた話だとその日のうちにクラウスとライトはセラのことを見つけていたの。ひどいわよね、私には連絡ひとつ入れてくれなかったんだもの。思わず怒っちゃいそうになった」

 

 クスッと笑うキャス。

 言葉とは裏腹にあまり怒っていないように見えた。

 

「それにね、ライトはその日のこと曖昧にしか覚えてなかったの。セラを見つけたところまでは覚えているのに、その後に何があったのか覚えていない。気づいたら家に着いてたんだって。記憶喪失になる前から記憶を忘れるのが得意だったみたいね」

「それは──」

「冗談よ。思い出したらちょっとむかっときたから、ねっ。

 ……でも本当は、話したくなかったんでしょうね。今思い返せば、もうその時からライトとクラウスの様子がおかしかったのよ。ライトは私に何か隠しているのをなんとなく感じた。だって、セラを見つけたっていうのに、私はセラを一度も見なかったんだもの。何より、見つかったんならクラウスがあんなに荒れない。

 それから数日して、ライトがすごく落ち込んでいるところに遭遇したの。短い付き合いだったけど、それでも、あの時のライトの様子は異常だった。私は訊いたわ。どうしたのって。そしたら──」

 

『──ごめん……本当にごめん」

 

「──ただ謝るだけだった。私にはライトが何に謝っているのかまったくわからない。説明を求めても、説明をしてくれない。

 そして、次はクラウスが行方不明になった。セラとクラウス、二人もいなくなれば自然とチームでいることもなくなっていく……ライトの帰国も近づいてきた。私は何としても、せめてもう一度みんなでダンスを踊りたかった。そんな時だったわ。クラウスから連絡が入ったの」

 

 キャスは何の変哲もない広場へとやってきた。

 そこで足を止める。

 

「久しぶりに会ったクラウスは何だか怖かった。セラがいなくなって、正気じゃいられなかったのに、怖いくらいに落ち着いてた。そして、彼はある話をしてくれたわ」

 

 キャスがリヒトの方を向く。

 その目で、リヒトを正面から見る。

 そして、

 

 

 

 

「ライト、あなたがセラを殺したって」

 

 

 

 

 と、言った。

 

「──えっ」

 

 突然のワードに一瞬息が詰まった。

 翻訳間違いか? 聞き間違いか? と思ったが、もう一度、今度は日本語でキャスは言った。

 

「あなたがセラを殺した。あなたがクラウスの目の前でセラを殺した。そうクラウスは言ってたわ」

「俺が……殺した……?」

「そう。遅れてやってきたあなたに確認したけど、私の耳はしっかり聞いたわ。ライト、あなたはこう答えた──」

 

『──ああ。俺がセラを殺した』

 

「正確には()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()らしいけどね。

 腕を十字に組んで、放った光熱エネルギーでモンスターを撃ち殺したと、クラウスは言っていたわ」

「…………」

 

『緑色のモンスター』というワード。

『銀色の巨人』というワード。

 そして『腕を十字に組む』。

 それらのワードがリヒトの脳を打った。

 だって、それに近いものを知っている。

 今のリヒトは十字ではなくL型だが、そこに大きな違いはないだろう。『ティガ伝説』の古文書の中に登場する『光の戦士』の中にも、十字に組んで光線を放つ戦士がいた。だから知っている。そういう技があると。

 そして、何度も頭の中に流れてくるビジョン。そのうちの一つに、緑色の化物に変貌した少女の叫びがあった。涙を流して『撃って!』と懇願する少女。そして『やめろ!』と叫ぶ少年の声。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……あれ?)

 

 ふと、何かが引っかかった。

 ビジョンは一瞬しか流れてこないため、鮮明には覚えていない。だからあまり思い返すことはしなかった。

 だが、今思い返してみて感じた引っかかりは、何かとてつもなく重要なことだ。何か、見てみぬふりでもしていたような、何か重要なことを見ないでいたような感じ。

 それは、少年と少女の顔だ。

 リヒトはその顔を知っているはずだ。

 

「おれ、は……」

 

 信じられない、と言う心。

 信じられる、と言う心。

 二つの感情が同時に湧く。

 キャスの言っていることが理解できる思考と、理解できず拒絶する思考。

 失っているはずなのに、その光景は今のリヒトの記憶にはないはずなのに。

 頭のどこかで何かが呼び起こされようとしている。

 無意識に避けていたのか。それとも意識的に避けていたのか。だが、一度引っかかった感覚は次第に大きくなっていく。

 

「ライトはセラを殺したことを事実として認め、そして『崩壊』が始まった。私たちの関係。私たちの日常。私たちの生活、価値観。すべてが崩れる最初の合図。それは、クラウスがモンスターに姿を変えたこと。その瞬間、すべてが崩壊した」

 

 ドクン、とリヒトの心臓が脈を打つ。

 知らない情報。だけど知っている。

 

「モンスターとなったクラウスは私たちを襲い始めた。そしたら今度はライト、あなたが姿を変えた。私の目の前で巨人に。クラウスは自分を『サタンビゾー』、あなたを『ウルトラマン』と呼んでいたわ」

「──は?」

 

 リヒトの思考がショートしかけた。

 ウルトラマン、という単語がキャスの口から出てきた。なぜその単語を知っている? リヒトがその単語を知ったのは今年の四月。その時に初めて聞いた。アメリカにいるときは知らないはずだ。

 だが、キャスの説明ではアメリカでもリヒトはウルトラマンの力を持っていたということになる。

 混乱する思考。リヒトの持つ情報が、今出された情報と結びつかない。点だけで存在する中、キャスは意図せず更なる事実を突きつける。

 

「ねえ、ライト。これを見て」

 

 そう言って差し出されたのは一枚の写真。

 男子が二人、女子が二人写っている写真。

 無論、それがリヒトとキャスなのは見間違いがない。

 しかし、問題はもう一組の男女。そこに写っている少年は銀髪であり、少女は至って普通のメキシコ系アメリカ人。とても楽しそうな笑顔で写っている。

 

 

 

 ──二人の容姿が『ローブ男』と『白い少女』と一緒でなければ普通の写真と認識できた。

 

 

 

「…………」

 

 言葉を失うとはまさにこの事。

 リヒトは目の前に差し出された写真に、完全に思考がショートしていた。

 

「二人とも、すでに死んでるはずなの。それなのに、私日本に来る前に二人に会ったの」

 

 リヒトも会っている。この写真に映るクラウスとセラと同じ容姿をした『ローブ男』と『白い少女』。

 なぜ今まで気づかなかったのか。ビジョンの中に何度も流れてきたのに、『ローブ男』と『白い少女』とは何度も遭遇しているのに、その姿に気づくことがなかった。

 

「クラウスは雰囲気が完全に違っていた。セラは真っ白になっていた。二人ともまるで人間じゃないみたい」

「…………」

 

 ゆっくりと、思考を働かせようとするがノイズが走る。

 キャスの顔もまともに見れていない。

 

「ねえ、ライト。あなたは今もウルトラマンなの?」

 

 キャスの声が遠くに聞こえる。

 耳鳴りがする。

 思考が追いつかない。

 一体何が起きているのか、何かが起こったのか。理解、整理、できない。

 

「私たちが記憶をなくしたのはね、ウルトラマンとなったライトとモンスターとなったクラウスの戦いが原因。あなたは戦いのダメージで、私はその戦いの余波に巻き込まれて記憶喪失になった。これがあなたが記憶喪失になった原因」

 

 しかし、キャスは続けて首を横にふる。

 

「ううん、私は記憶だけじゃない。ダンスも踊れなくなったの。私が大切にしてたもの全部がなくなっちゃったわ」

 

 キャスの手がリヒトの手を握る。

 リヒトの手は自分でもわかるほどに震えていた。それを解きほぐすかのように、キャスはゆっくりとリヒトの手を握る。

 

「あーあ、だから私言ったじゃない。本当に過去を知りたい? って。

 ……デートをすれば少しは気がまぎれるかと思ったけど、全然そんなことないね。無理だったわ、抑えきれない」

 

 キャスは苦笑いを浮かべた。

 

「私は記憶喪失になって、ダンスが踊れなくなって、黄色い光が苦手になって、パニックを起こすようになって……そしてね」

 

 キャスの手がリヒトから離れる。

 離れていく手を追いかけるリヒトの手。

 しかし、

 

 

 

 

「──私も死んだの」

 

 

 

 

 残酷な一言が告げられた。

 

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 

 最初に来たのは激痛。

 そしていつも通りのビジョン。しかし今回はそれがはっきりと見える。

 銀髪の少年、クラウスが怒りと共に姿を変える。黒い体に頭部から腹部あたりまで黄色い発光部がある。

 左腕の長い爪でこちらに襲いかかってくる。

 リヒトは『何か』を持った右手を空へと伸ばす。

 光がスパーク。

 そして自分の体が銀色のものへと変わる。

 ビジョンはそこで途切れた。

 戻った思考で感じたのは腹部の激痛。

 

「ガハッ」

 

 喉に迫り上がってきた感触が口から吐き出される。口元を抑えた掌に赤い血液が付着する。

 

「え?」

 

 視界に映るのはキャスの手。

 キャスの手は何かを握っている。握られた手はリヒトの腹部へと伸びている。

 銀色の刃物が数センチ、リヒトの腹部に突き刺さっていた。

 

「このままドアノブを捻るようにすると、血がいっぱい出るのよね」

 

 平然と言って、キャスは手首を捻った。

 激痛と共に血が溢れ出る。ビチャビチャと地面を赤く染めていく。

 

「────」

 

 激痛に悲鳴が喉を鳴らす。膝を着くリヒト。

 再びビジョンが脳裏に流れる。

 

 

 

 ──ハロウィンの日にとある館でセラを見つけた。

 セラの他にも大勢の人がいて、人々は大きな両開きの扉の中へと消えて行く。

 リヒトとクラウスに気づいた老婆が襲いかかってきて、リヒトは老婆の持つ杖に胸を貫かれ血の海に倒れた。

 ゆっくりと命の灯火が消えて行く中、眩い光と出会う。その光の中には、銀色の巨人が立っており……。

 

 

 

 流れてきたビジョンはまた鮮明さを失っていく。

 リヒトは刺された腹部に手を当てると、その傷はすでに修復されていた。

 

「……ライト、あなたも人間じゃなくなってるのね」

 

 キャスに刺された。

 そう理解するのに時間を有した。

 

「キャ、す……」

「ごめんね。でも、あなたのせいで私のすべてが壊れたの。だから、これくらいはいいでしょ。死なないんだから」

 

 先ほどとは打って変わって冷たい声音。

 そこでリヒトは、ようやく周囲の人がいなくなっていることに気づいた。

 途端、視界に映る景色が変わる。空には赤紫色のオーロラ。地面は紫色に変色し緑色に光る破片が散りばめられている。

 闇の異空間。そうなのだと判断できるのだが、同時に思考は未だ混乱状態。傷は治っても痛みは消えない。腹部に残っている激痛に表情を歪めながらも、リヒトはすぐにギンガスパークを取り出そうとして、キャスに蹴飛ばされた。

 

「あなたとクラウスの戦いで、私は記憶とダンスを失った。私にとって一番大切なダンスをあなたは奪ったの。黄色い光を見ただけでパニックを起こすようになって、以前のように生活ができなくなった。

 ある日ね、学校で喧嘩してる男子グループを見たの。そしたら、それで一気にあの夜の戦いがフラッシュバックして、気づいたら車に轢かれてた。ああ、死ぬんだなって思ったわ。そんな時だった、クラウスとセラに似た子が現れたの」

 

 それが『ローブ男』と『白い少女』だということは言うまでもないだろう。

 

「私がこんな風になったのはすべてライトが原因なの。あなたがその力でセラを助けていれば、クラウスがモンスターになることもなかった。そうなれば、私もダンスを失うことがなかった。死ぬこともなかった。クラウスもセラも私も死んだ。なのにあなたはそうやって生きてる。なんで? 何であなたは記憶だけなくして生きてるの? そう思ったら、セラが奇跡を起こしてくれたの。私を生き返らせてくれた。そしてクラウスがあなたに復讐する力をくれた」

 

 キャスの手にダークダミースパークが握られている。

 しかし、ギンガスパークは反応を示さない。目の前に闇の力があると言うのに、その力を前にして何も反応を示さない。『白い少女』の時と同じだ。

 

「ライト、あなたは今死ぬことはない。だから、私の気がすむまで何もしないでね」

 

 キャスのもう片方の手には怪獣のスパークドールズが握られていた。その足先にダークダミースパークを押し当てる。

 

『ダークライブ! バルタン星人!』

 

 その身が闇に包まれ、宇宙忍者と呼ばれる姿に変貌していくが、その闇が途中で変化する。より深く、より濃く、『ローブ男』よりキャスの体に込められた闇のエネルギーがキャスの心と同調し増幅。

 その姿は本来の姿より細身に、鋭利なものへと変わっていく。燻んだメタリックブルー、両腕の鋏はより長く、より鋭利に洗礼されその場に君臨した。

 その名は『パワードバルタン星人』。

 リヒトはすぐにギンガスパークを構えようとする。

 しかし、無造作に振り上げられた足がリヒトを蹴飛ばす。体が塵となって消えてしまうのではないかと錯覚。近くの建物に衝突し、しかし五体満足であった。普通の人間であれば、怪獣に蹴飛ばされた時点で肉片へと変わり果てるだろう。

 リヒトの場合、ギンガスパークを手にしていたからだろうか。それとも、傷を修復させる力のおかげか。四肢が霧散することなく無事でいられた。

 いや、この場合は無事でいることを不審に思うべきか。先日の件からだが、自分の体が人間のソレとは決定的に違うと認識させられる。

 

「あ……ぁ……」

 

 しかし、傷が治るだけで痛みは消えない。激痛にのたうち回っていると、パワードバルタンが追撃を仕掛けてくる。

 逃れる術はない。たとえ死ななくても、激痛に身を焼かれるのはご免だと思いながら歯を食いしばる。

 

 

 

 

 パワードバルタンの追撃は、彼方より飛来した光弾によって遮られた。

 

 

 

 

 リヒトが視線を上げると、一体の巨人が降り立つ。

 パープルとレッドのカラーを持つ巨人──ティガ。

 一瞬、ウルトラマンティガかと思ったが、胸に走るラインが黒。

 つまり、あの姿の名は『ティガブラスト』。

 今、ウルトラマンティガのスパークドールズを持っているのは東條希。彼女がウルトライブした姿である。

 

「の、ぞみ……」

 

 喉から漏れる声は掠れている。

 ティガブラストにその声は届いたのか定かではない。しかし、一度こちらに視線を向けた後、パワードバルタンへと向き直る。

 駆け出すティガブラスト。

 それを迎え撃つパワードバルタン。

 最初の一撃はティガブラストの拳。右のストレート。

 パワードバルタンはそれを左手の鋏で弾く。反撃に振るわれる右の鋏。それはティガブラストの顔を捉える。

 大きく後ろへよろめくティガブラスト。そこへパワードバルタンの追撃が迫る。

 ティガブラストはそれにいち早く反応。掴み取ると、背負い投げの要領で投げ飛ばす。追撃のため、地に倒れるパワードバルタンに向け、ティガブラストはダイブ。

 しかし、パワードバルタンは脱皮をすることでこれを回避。

 立ち上がったパワードバルタンは“フラッシュ念動波”で迎撃。数撃受け、後ろへ吹き飛んだティガブラストはビルを巻き込んで倒れる。

 追撃の赤い光球“バイオビーム”を放ち、ティガブラストを爆炎の中に沈める。

 黒煙が空へと昇る中、パワードバルタンはその腕を下ろした。

 数秒後、黒煙の中からこちらに向け飛んでくる光線。ティガブラストが放った“ランバルト光弾”だ。

 撃ち抜かれるパワードバルタン。しかし決定打にはならず、その巨体を飛ばすにとどまった。

 

 

 黒煙の中で立ち上がるティガブラスト。一度、その両手を見て、拳を握ったり閉じたり。まるで調子を確かめるような動作を行う。

 やがて、パワードバルタンが起き上がり、再度戦闘状態へと移行する。それを見ると、ティガブラストは額のクリスタルのところで拳をクロスさせた。

 クリスタルが赤黒く光る。

 振り下ろされる腕。すると、その体のカラーリングが黒と赤の二色に変わる。

 ティガブラスト改め『ティガトルネード』。それが今の姿の名前だ。

 そのティガの姿を前に、ギンガスパークが一度大きな反応を示した。

 

「……?」

 

 取り出したギンガスパークを見る。ティガブラストの時は何も反応を示さなかったのに、ティガトルネードの姿になった途端に反応を示した。

 ギンガスパークが反応を示す時は、闇の力に対してだ。それをティガに対して行ったということは、あの姿に闇の力があるということ。

 そもそも本来は『ウルトラマンティガ』の姿に変身するはずなのに、なぜ『ティガブラスト』の姿なのか。その疑問が脳に浮かぶ。

 だが、今はそれについて考えている暇はない。もう少しで体が動くようになる。そうなったら、すぐにギンガに変身して戦いに参戦しなくてはいけない。

 参戦しなくては、キャスを救えない。

 

「キャス……」

 

 リヒトはもう一度名を呼んだ。

 しかし、それよりも先にティガトルネードとパワードバルタンの激突が再開する。

 ティガトルネードになったことで、スピードと引き換えにパワーが上昇。先ほどの拳より重い一撃がパワードバルタンの胴体を打つ。

 力強く握られた拳がパワードバルタンの胴体を何度も打ち抜き、確実にダメージを与えていく。

 パワードバルタンはティガトルネードの拳から逃れるために飛翔。ティガトルネードも後を追い飛び立つ。

 先行するパワードバルタン。飛行速度では有利に立った。闇の異空間を飛ぶ二つの影。

 体が動かせるようになったリヒトは、、立ち上がりギンガスパークを構えようとする。しかし、視界に赤い光が映り込む。その正体がパワードバルタンが放った“バイオビーム”だと気づいた時はすでに着弾。直撃はしなかったものの、爆風によって体が飛ぶ。

 飛行中に攻撃を仕掛けてきたのだ。キャスの目的はあくまでリヒトであって、ティガトルネードではない。飛行速度で優っている以上、その最中でリヒトに攻撃すればいいと考えたのだろう。

 ティガトルネードもその考えに気づいたのか、“ハンドスラッシュ”で牽制。

 着弾し速度が緩んだところで、ティガトルネードが一気に掴みかかる。両者もろとも墜落。

 一足先にティガトルネードが立ち上がると、両腕を大きく開いた。そのまま上へと大きく回しながら、エネルギーを両手に溜めていく。凝縮された赤いエネルギー球が形成され、それを──

 

「──待てっ! 希!!」

 

 リヒトの声を遮るように、必殺の“デラシウム光流”が放たれる。

 放たれた赤い光球はパワードバルタンに炸裂。爆炎を上げ、その体を消し飛ばした。

 爆風がリヒトの体を叩く。

 

 

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 キャスリン・ライアンは力が抜けていくのを感じながら考えた。

 自分の人生はどうだったのだとうか、と。

 一種の走馬灯のようなものだ。自分の命が尽きようとしている。だから考えてしまう。自分の今までの人生を。

 楽しかったか、と問われれば楽しかった。

 だけど、まだ足りない。

 まだ生きていたい。

 どうしてこうなってしまったのか。どうして今自分は死のうとしているのか。

 

「キャス!」

 

 リヒトの声が聞こえる。

 でももう声がする方を見る力すらない。

 一条リヒト。彼との出会いが間違いなく人生の分岐点だっただろう。ダンスが上手く、楽しい人間性をしていた少年。

 彼との出会いが不幸の始まり、とは思いたくない。だけど、結果的に親友が、自分が、全てがなくなってしまっている。

 クラウスに至ってはモンスターになってしまっている。そして、リヒトは光の巨人となった。その戦いに巻き込まれ、記憶をなくしてダンスも踊れなくなった。

 

「……うん」

 

 ダメだ。違うと思いたいのに、結果がこの考えを肯定してしまう。

 リヒトが駆け寄ってきた。ぼやける視界に映るリヒトの顔。彼に抱えられる。

 

「キャス! 大丈夫か!? 生きてるよな!」

 

 生きているか、か。それは無意味な質問だ。

 だってすでにキャスリン・ライアンは死亡しているのだから。

 さっき直接言ったのに、と内心で笑ってみる。

 キャスリン・ライアンは死亡している。原因は車に轢かれてだ。校内で見かけた男子生徒の喧嘩。それが巨人とモンスターの戦いと重なり、フラッシュバックしたのだ。その時の恐怖が蘇り、校舎を飛び出し、道路に出たキャスの体は鉄の塊によって宙を舞った。

 人が車に飛ばされれば、それはそのまま死を意味するか奇跡的に生きられるかの二択。残念ながらキャスの場合は前者だった。

 すぐにわかった。自分はここで死ぬと。

 だけど死ぬ直前、クラウスとセラが現れた。

 その時はもちろん驚いた。だって二人とも死んでいるのだから。だからすぐに、ここは死後の世界なのだと思った。

 だけど、それは違った。自分はまだ死ぬ直前で、完全に死んではいない。その一歩手前で選択肢を与えられたのだ。

 ローブを着たクラウスに「こうなった原因は全て一条リヒトにある」と言われ、「復習したくはないか?」と問われた。

 初めはわからなかった。だけど、記憶を思い出した今ならわかる。リヒトがセラを助けなかったから、こうなった。『力』を持っていたのに、今は怪獣になった少女たちを元に戻せているのに、なぜセラの時は助けられなかったのか。

 そんな小さな怒りが、クラウスによって増幅させられ、そして白いセラによって仮初の命を与えられた。

 

「……ねえ、ライト……」

「キャス!? よかった……生きてるよな」

「私ね……みんなで、ダンスをしてた日は……本当に、楽しかったの……」

 

 そうだ。これは偽りのない気持ち。四人でダンスを学んだあの日々は本当に楽しかった。

 

「だからね……どうしても、許せないんだ……どうして、セラを、助けられなかったの……?」

「…………」

「あなたがセラを助けていれば、こんなことにはならなかった……クラウスもモンスターにならなかった……あなたも記憶を失わなかった……ねえ」

 

 そこまで言って、視界の端に光を見た。

 ああ、どうやらあの白いセラがくれた奇跡ももうすぐ終わるようだ。

 

「今は、助けられているよね……あの子たちの中にいた、怪獣になった子を、助けられてる、よね……」

 

 リヒトの息を飲む音が聞こえた。

 

「ああ……私は、思い出したくなかったな……思い出さなければ、よかったなあ……」

 

 そうだ、いいこと思いついた。

 ちょっとした意地悪をしよう。でもこれは、禁句なのだろう。この先リヒトを苦しめる楔となる。

 

「ねえ、ライト……きっとあの子たちも、私たちみたいになるかもしれないよ……だから──」

 

 最後まで言えたのだろうか。

 わからない、今はもう、とても、眠い……。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 リヒトの腕の中で、キャスは光となって消えた。

 光が空に登っていく。

 すでにティガトルネードの姿はない。この空間ももうすぐで元の位相に戻るだろう。

 

「…………」

 

 知りたかった『一条リヒト』の過去。

 だがそれはあまりにも残酷な過去だった。いや、これは過去ではない。

 一条リヒトの罪だ。記憶喪失となって忘れたというのは、あまりにもひどすぎる。忘れてはいけない、罪なのだ。

 

「俺は……」

 

 その両手が震える。

 確かにキャスの言う通りだ。なぜ今は救えている。怪獣になった真姫、花陽、にこ、絵里。彼女たちは救えたのに、なぜセラという少女は救えなかったのだ。

 そもそも、リヒトはアメリカでもウルトラマンの力を手にしていた。今はその力はどこにある? どうなっている?

 

「──っ、ローブ男!! 見てるんだろ!? どこかにいるんだろ!? 答えろ!? 出てこい!! お前は何か知ってるのか!? キャスに何をしたんだ! お前はクラウスなのか!? セラに似たやつは誰なんだ!?」

 

 ただ叫んだ。叫んだところで何かがあるわけでもない。

 だが叫ばなければ気が済まなかった。

 わからない。このぐちゃぐちゃの感情をどう吐き出せばいいのか、リヒトにはわからなかった。




第14話・完


○登場怪獣
パワードバルタン星人


○あとがき
これにて第14話が終了。概ねここで判明したリヒトの過去は事実です。彼が手にしていた『力』はなんなのか。それは第3部にて明かしますのでお待ちいただければ。
第2部は残すとこあと4話。もうすぐで構想初期からの戦いを描けるとなると、書き手もワクワクしてきます。頑張りますので、何卒よろしくお願います。


○次回予告
キャスから語られた『一条リヒト』の過去。それは『罪』と言い表せるほどのものだった。
そのせいで穂乃果たちともまともに向き合うことができない中、気分のリフレッシュも兼ねて海への合宿を提案される。
乗り気ではないリヒトだが、彼女たちが闇の魔の手に狙われている以上一緒に行くしかない。
合宿の中、リヒトは今一度彼女たちと向き合うのだった。
次回、「狙われたμ’s」


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第15話 狙われたμ’s
第一章:合宿開催


10月に入ってしまうということで、一章分更新。
久しぶりのアニメベースのストーリーです。


 蒸し暑さに目が覚めた。

 時刻を確認してみれば夜中の二時半過ぎ。ちょうど設定したエアコンのタイマーが切れる時間帯だった。

 今は八月。連日真夏日を記録する時期だ。そんな時期ともなれば、エアコンが止まった瞬間部屋の中は熱帯空間へと急速に変化していく。蒸し暑さで目が覚めてしまうのは当然のこと。この暑さをどうにかしないと寝ることすらできない。

 大人しくエアコンのリモコンを手に取る。ボタンを押そうとしたところで、この暑さで熱った体に冷たいものを流し込みたいという欲が湧いた。キッチンへと向かい、冷蔵庫から水の入ったボトルを取り出す。コップに注ぎ、喉へ流せば、冷たい水が体の中へと流れ込み、熱った体を冷やしていく。

 

 

 ふと、キッチンに置かれた包丁に視線が向かった。

 

 

「…………」

 

 一条リヒトはこれまで怪我を負った時、それが治る過程で様々なビジョンを見てきた。

 大きな扉に向けて歩き出す大勢の子供たち。

 緑色の怪物へと姿を変える少女。

 泣き叫ぶ少女。

 バケモノへと姿を変える友人。

 どの光景も悲惨なものすぎて、最初はなんのビジョンなのかまったくわからなかった。

 だが、この光景がキャスリン・ライアンの語った『一条リヒト』の過去と一致した。となれば、一つの仮説が立てられる。

 

 

 ──傷が治る際のビジョンは『一条リヒト』の失った記憶ではないのだろうか。

 

 

 ()()としたが、半ば証明されているようなものであるため、間違いなくこのビジョンは『一条リヒト』の過去と言えるだろう。

 傷が治る原理は不明。

 なぜ傷が治る時にビジョンとして過去の記憶を見るのかは不明。

 だが、それでも確かなのは()()()()()()()()()()()()()()ということ。ならば今ここでこの包丁を使って──。

 

 

 

「リヒト」

 

 

 

 名前を呼ばれ、気づけば辺りは光の空間に変わっていた。

 振り返ればウルトラマンギンガが立っている。

 

「ギンガ……」

 

 なぜギンガが現れたのか。

 そんな理由、考えずともすぐにわかった。

 

「……わかってる。こんな馬鹿な真似はしない」

 

 深呼吸を一度、そして、ふと珍しいギンガからのコンタクトに気づいた。ならばこの際に聞いておきたいことを聞いておこう、と思った。

 

「なあギンガ。俺とギンガが出会ったのは四月が初めてだよな?」

 

「ああ。私と君が出会ったのはあの時が始めてだ」

 

 ギンガからの肯定。

 ならば、と一番の疑問を投げかける。

 

「じゃあ、キャスが言っていた……アメリカで俺が変身したウルトラマンは誰なんだ?」

 

 キャスは言っていた。

『一条リヒトはアメリカでもウルトラマンに変身していた』と。

 ギンガと出会ったのが今年の四月だというのなら、アメリカにいた時はまだ出会っていない。ならばその時に変身したウルトラマンはギンガではないということになる。

 ギンガとは別のウルトラマン。そのウルトラマンは誰なのか。今その力はどうなっているのか。

 それらを込めた問いかけに、ギンガは首を横に振った。

 

「それは私にもわからない」

 

 そっか、とリヒトは思った。

 とは言え、これは予想していたこと。さすがにリヒトと出会う前のことをギンガが知るはずもない。逆にもしここで『知っている』と答えられたらどうしようかと思っていた。

 しかし、続けて放たれたギンガの言葉にリヒトは驚かされる。

 

「だが君と一体化した時、君の体の中に私とは別の光があるのを感じた」

 

「え? 別の光?」

 

「そうだ。その光が私と共鳴し、君と私を巡り合わせた。おそらくその光が、かつてウルトラマンだった光なのだろう」

 

「ウルトラマンだった光……」

 

 右手で、自分の胸で撫でる。

 

「その光には、もう君をウルトラマンにする力はないようだ。ウルトラマンの力は失われている。だがどういうわけか君の体の中に光となって残り続けている。アメリカでどのような戦いがあり、どのような結末を迎え、君がそのとき変身していたウルトラマンがどうなったのかはわからない」

 

 リヒトはこれまで見てきたビジョンを思い出す。

 しかしその中にウルトラマンとして戦い、どのような決着がついたかの映像はなかった。

 

「今君の体の中にあるのは、ウルトラマンの力の残滓とでも言おう。その光にできるのは、傷を治すことだけだ。その光の素であるウルトラマンに変身することはできない。故に私の光と干渉することもない。だから君はウルトラマンの光の残滓と言えるものをその身に宿しながら、私にウルトライブすることができる」

 

「え? 傷が治るのはギンガのおかげじゃなかったのか?」

 

「私の力ではない。君の傷が治るのは、君に宿っている光の影響だ。私が感じている限りでは、その光は君ととても密接な関係にある。まるでその光こそが君の命だと思うほどに、君の体に深く宿っている」

 

「…………」

 

 ギンガの言葉にリヒトは言葉を失った。ずっと傷が治るのはギンガのおかげだと思っていた。

 しかしそれをギンガは否定した。傷が治るのはギンガの力ではなく、リヒトの体の中にある光が治している。

 では、ビジョンを見るのはなぜだ? その光が関係している?

 ふと、脳裏に浮かぶ言葉。

 

「俺は……人間、なのか……」

 

 以前『白い少女』が言っていた。

『お前は人間ではない』と。

 右目をえぐられておきながら、それはものの数秒で治るのは異常だと。

 傷が治る理由はわかった。だがなぜそんな力がリヒトの体の中にあるのか。力がありながら、リヒトはその力がなんなのか知らない。ウルトラマンなのか。それとも人間ではない存在なのか。

 

「君の体は、本質的には人間だ。だが……」

 

 そこでギンガが言葉に詰まった。

 続く言葉を言い淀んでいるのか、しばらく待っても続きの言葉は出てこない。

 

「だがって? 俺はどっちなんだ」

 

「君は人間だ。それは間違いない」

 

 今度は力強い言葉だった。

 その言葉に気圧され、リヒトは言葉をなくす。

 だがそれでも『白い少女』の言葉が頭に引っかかった。

 

 

 気づくと、元の光景に戻っていた。

 白い空間ではなく、榊家のキッチン。

 ギンガとの会話は唐突に終わってしまった。

 

「…………」

 

 リヒトはもう一度水を飲むと、自室へと戻った。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 八月はまさに夏本番。いつの間にか蝉の鳴き声を耳にするようになり、10分でも外を歩けば汗をかく。

 熱中症に注意せよ、水分補給はこまめに、といった情報が連日テレビで囁かれていた。

 本日も太陽が燦々と輝き、まさに炎天下。音ノ木坂学院の屋上のアスファルトは、まるで熱々の鉄板のように熱されている。

 

「暑い……」

 

 と、矢澤にこが言えば隣の高坂穂乃果が、

 

「そうだねぇ……」

 

 と続けた。

 

「──っていうかバカじゃないの!? この暑さの中練習とか!!」

 

「そんなこと言ってないで、早くレッスンするわよ」

 

 日陰の少ない屋上での練習は太陽の下で踊るようなもの。連日熱中症が囁かれていることを考えれば、にこの言う通りだろう。

 しかし絢瀬絵里からの厳しい声に、にこと穂乃果は「え? 正気?」と視線を送る。

 一方で、絵里の声に唯一返事をした小泉花陽は怯えるように星空凛の背後に隠れた。それを見た絵里は、内心「やってしまった」と思いながら慌ててフォローを入れる。

 

「花陽、これからは先輩も後輩もないんだから……ね?」

 

「……はい」

 

 ぎこちなく返事をする花陽。

 無理もない。二つも年齢が上。加えて同じ学校の生徒会長なのだ。そう簡単に距離を縮められるはずもなかった。

 そんな中「そうだ!」と、穂乃果が声を上げる。

 

「合宿行こうよ!」

 

「はあ? なに急に言い出すのよ」

 

「なんでこんな良いこと早く思い付かなかったんだろ!」

 

 突然の提案に驚くメンバーたち。

 にこの言葉も無視して名案を思いついた自分に笑顔を見せる穂乃果。

 

「合宿か……面白そうにゃ!」

 

「そうやね、こう連日炎天下の練習だと体もきついし」

 

 凛と東條希からも賛同の意見が出る。

 

「でもどこに?」

 

「海だよ! 夏だもの!」

 

 花陽の問いに即答する穂乃果。

 確かに夏といえば海。海水浴が定番だ。合宿の行き先としてあげられるのは当然のこと。

 しかし、海にした場合いくつかの問題点が浮上する。

 

「費用はどうするんです?」

 

「そ、それは……」

 

 園田海未の言う通り、タダで海に行けるわけがない。海までの交通費はもちろん、合宿となれば止まるところや食費など諸々のお金が発生する。

 当然、思いつきで発言した穂乃果はそれに対する回答に詰まってしまう。

 すぐさま南ことりの手を取り、彼女にバイト代がいつ入るかを聞いてみるが、

 

「ことりをあてにするつもりだったんですか」

 

 と海未に呆れられてしまった。

 もちろん返す予定ではあるが……と思ったところで新たなひらめき。

 

「そうだ! 真姫ちゃんちなら別荘とかあるんじゃない?」

 

「え? あるけど……」

 

 突然呼ばれ、驚きつつも言葉を返す西木野真姫。

 すると、目を輝かせた穂乃果が急接近。

 

「本当!? 真姫ちゃん! おねが〜い!」

 

「ちょっと待って! なんでそうなるの!?」

 

「そうよ。いきなり押しかけるには行かないわ」

 

「……そう、だよね……」

 

 絵里からの叱咤が飛び、引き下がる穂乃果。

 しかし、真姫を見つめるその目には言葉とは裏腹に期待の色がある。

 

「…………」

 

 ふと、周りを見てみれば全員が真姫を見ている。

 その目は全員同じ色を宿している。

 期待。

 初めて向けられる同年代からの視線。

 

「……仕方ないわね。聞いてみるわ」

 

 その瞬間、歓喜の声が上がる。

 なんだかんだ、みんな海に行きたかったのだろう。

 海での合宿が決定となる中、新たに穂乃果が言う。

 

「そうだ! りーくんも誘っていい?」

 

「へ?」

 

 承認したはずの真姫の口からすっとんきょんな声が上がる。

 穂乃果が『りーくん』と呼ぶ人物はひとりしかいない。

 

「リヒトさんを誘うのですか?」

 

「うん。だって私たちのコーチだし」

 

 海未からの問いに当然かのような表情をする穂乃果。

 

「そうね。私は賛成よ。コーチとして全体の指導をしてもらうためにも、リヒト君についてきてもらった方がいいと思う。みんなはどう?」

 

 そう言って、絵里は一度全体を見回す。

 μ’sメンバーにとって、一条リヒトの存在は大きい。ラブライブ出場を目指す以上、リヒトの力は必要不可欠だ。

 しかし、問題が一つある。

 

「私は構わないわ。だけど、一条の方は大丈夫なの? 今の様子から考えると、とても指導なんて出来なさそうだけど」

 

 問題。それは最近の一条リヒトの様子だ。以前に比べてダンス指導をしている時、視線が虚空を見ていること、そして的確だったダメ出しが曖昧になっていることが多いのだ。練習をしっかり見ていないとわかる。

 加えて先日、キャスリン・ライアンというアメリカからリヒトの過去を思い出したと言う少女がやってきた。彼女との間でどのようなことがあったのかはわからないが、あの日以降、その様子が著しく変化していた。もちろん悪い方にだ。

 これらのことから、にこの言う通り『今のリヒトを合宿に誘ったとして意味があるのか』と言うのが、少女たちの間で今浮かび上がっているのだ。

 

「うん。だからだよ」

 

 にこの言葉に、穂乃果はそう返した。

 その視線を空へ向け、まるでリヒトの姿を思い浮かべるかのように。

 

「最近のりーくんなんだか元気がないから。だから、一緒に海に行けば元気出るかなって。そう思ったんだ。りーくん、海とか行くの大好きだから」

 

 穂乃果と『一条リヒト』の付き合いは長い。だから彼のことを色々と知っているし、今の様子が異常だということもわかる。知っているからこそ心配なのだ。

 彼があのような姿になってまうのは初めてかもしれない。それこそ、穂乃果が知っている『一条リヒト』であれば『落ち込む』、『元気がない』なんて言葉とは無念と言ってもいい。だから、友人としてリヒトの元気を取り戻したい。そんな純粋な思いが穂乃果から感じられた。

 

「……わかったわよ。引っ張ってでも連れて行くわよ。あんな調子じゃ、見られる方だっていい気分じゃないわ」

 

 仕方ない、と言った様子で述べるにこ。

 そんなにこに向けて、穂乃果は「ありがとう」と言うのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 その日の夕方。

 穂乃果、絵里、にこの3人は榊家を訪れていた。

 理由はリヒトを合宿に誘うためである。穂乃果は発案者として、にこは部長として、絵里は交渉をスムーズに進めるための役割を担う形で同行している。

 リヒトには事前にメッセージを送っており、あとは直接交渉するのみ。さすがにメッセージだけでやり取りを完結させるのには無理があると判断しての結果だ。

 榊家に到着すると、穂乃果はチャイムを鳴らす。

 やってきたリヒトに合宿のことを話すと、

 

「……いや、俺はいいよ」

 

 と、案の定というか、予想通りの答えが返ってきた。

 しかし、穂乃果が粘る。

 

「そんなー! 一緒に行こうよ! 海だよ? 絶対楽しいよ!」

 

「別に俺がいなくても合宿はできるだろ。それに……」

 

「今の自分が行っても意味がない、そう思ってんでしょ?」

 

 にこの言葉にリヒトは頷いた。

 彼自身、今の自分が指導者に向いていないと理解している。

 

「そうね、確かに最近のあんたの様子じゃ、指導してもらう身としても頼りないわね」

 

 はっきりと告げるにこ。

 その横で絵里が釘を刺そうとする。しかしそれよりも早く、にこが言葉を続けた。

 

「けど、あんたはμ’s(私たち)指導者(コーチ)。私たちは絶対に『ラブライブ!』で優勝したい。そのためにはダンスの実力がある一条の指導が必要なの」

 

 にこからの真っ直ぐな言葉にたじろぐリヒト。

 その視線を一度絵里に向けつつ、言った。

 

「絢瀬がいるんだから大丈夫だろ」

 

「絵里が一緒の時のフォーメーションを見てもらわないと困るでしょ。それに付き合いは短いけど、最近のあんたのことみんな心配してんのよ。いいから気分転換だと思って付き合いなさい。それに、こーんなにかわいいスクールアイドルと海に行けるのよ? その幸せを噛み締めなさい」

 

「…………」

 

「なによその目」

 

「……いや」

 

 ぎろりと睨んでくるにこの視線を避けるリヒト。にこのどの発言になにを思ったのか、大方の予想はつくが今はそれについて突っかかる必要はない。

 にこの言葉を受けて、リヒトは一度考えるそぶりを見せる。

 やがて、

 

「…………わかった」

 

 長い沈黙の後にそう答えた。

 

「言ったわね?」

 

「ええ、言ったわよ」

 

「言いました」

 

 にこが後ろの二人に振り返りながらリヒトの言質を確認する。

 

「んじゃ、詳しい日程はまた後で送るわ。しっかり気分転換しなさいよ」

 

「海、楽しもうね。りーくん」

 

「なあ、穂乃果」

 

「なに?」

 

「合宿なんだよな? 海で遊ぶのが目的じゃないよな?」

 

「…………もちろん!」

 

 明らかな間があったことに対してにこも絵里も目を瞑るのだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 合宿に誘われた時、考えたことは二つ。

『今の自分が行くことの意味』と『音ノ木町から離れる』ことだ。

 前者はにこに指摘されたことであり、今の自分の精神状態がどういった状態なのかは理解している。日々の練習の時点でまともな指導ができなくなっているのだから、合宿に着いて行ったとしても意味がないだろう。

 

 ──そしてこの精神状態が修復されるのに時間を要することもわかっていた。

 そもそも、南ことり一人に対していた後ろめたさがあった状態で、それが解決しないうちにキャスリン・ライアンとの一件で判明した『一条リヒト』の過去がさらなる深傷を負わせた。

 

 

『一条リヒト』の過去。それは友人を手にかけた記録だった。

 

 

 

 無論、そこには『理由』があったはずだ。無差別殺人を犯すほど狂っている訳ない。

 しかし、記憶喪失である今のリヒトはそこにある『理由』がわからない。

 だから結果だけが突きつけられる。

『一条リヒト』は親友の恋人を殺した。

 親友はその復讐心から怪物となり『一条リヒト』が変身したウルトラマンと戦った。

 戦いの結果として、リヒトは記憶を失った。

 そして、先日やってきたキャスリン・ライアンは不慮の事故で亡くなり、リヒトに対する復讐心から死者の人形となって目の前に現れた。

 そんなキャスもまた、パワードバルタンにダークライブし、ティガトルネードとの戦いの後光となって消えた。

『一条リヒト』と共にダンスを学んだ友人が全員この世から消えたのだ。しかも己の手が罪で汚れていたと知り、まともな精神状態を保てるはずがない。

 さらに、

 

 

 

『ねえ、ライト……きっとあの子たちも、私たちみたいになるかもしれないよ……だから──』

 

 

 

 キャスが消える前に残したひと言。それがずっと脳に残り、忘れることができないでいる。まるで呪いのようにリヒトを蝕むその言葉は、いずれμ’sメンバーもこの世から消えてしまうのではないかと連想させるのだ。

 現に一人、リヒトの知る少女がこの世から消えている。

 助けられなかった命。それがいつμ’sメンバーになるかわからない。

 もし、再び彼女たちが怪獣となった時、もう一度助けることができるのか。

 

 

 友人を手にかけた自分が、彼女たちを二度も救えるのか。

 彼女たちと一緒にいていいのか。

 

 

 そんなことが頭の中を反芻している。

 誰かに胸の内を言えたらいいだろう。

 しかし、誰にも言えるはずがない。己の手が罪で汚れていることを、果たして誰に言えようか。

 だから、合宿に誘われた時断った。こんな精神状態では行きたくなかった。

 けれど、同時に思った二つ目のことが合宿に行くと言う選択肢を選ばせたのだ。

 もう一つの理由。それは『音ノ木町を離れる』こと。

 音ノ木町から離れるということは、この地に眠る『イージスの力』の加護を受けなくなる。つまり、『ローブ男』や『白い少女』からの襲撃を受けやすくなるということ。

 合宿で音ノ木町を離れた場合、そのリスクは大きいものだ。

 だが、同時に考えたのは『狙われやすくなる』=『ローブ男と戦う機会がある』ということ。

『ローブ男』がすべての元凶であることはわかっている。ならば倒して仕舞えば全て解決するということ。

 今のところ、こちらから『ローブ男』に会いに行くことはできない。だがもし、敵側にとって邪魔な存在であるリヒトが『イージスの加護』から外れている場合、襲ってくる確率は通常に比べてはるかに高いだろう。

 ならば、リスクを逆手に取り『ローブ男』との決着をつける。そのために、リヒトは合宿に参加することにしたのだ。

 

(けど……俺は……)

 

 もちろん、それは同時に穂乃果たちを囮にするという場面も含まれている。

 自分の目的のために彼女たちを利用する。彼女たちを危険に晒す。全く矛盾のことをしようとしているのだ。余計に自分が嫌になってくる。

 もう全てがぐちゃぐちゃになりそうな中、気を張って耐えるしかない。

 今更まともぶっても、すでにその手が汚れているのだから。

 

「りっくん」

 

 希がやって来た。

 その表情はどこか後ろめたさを秘めている。

 理由はわかっている。

 キャスのことだ。キャスがダークライブしたパワードバルタンと戦ったのはティガトルネード。その元であるティガのスパークドールズは、今は希が持っている。

 つまり、あのティガトルネードは希が変身したもの。

 パワードバルタンを、キャスを倒したのは希なのだ。

 

「…………」

 

 希は続く言葉に迷っていた。 

 なんと言えばいいのだろう。

 何を言えばいいのだろう。

 だからリヒトが先に口を開いた。

 

「……あのままだったら、俺は殺されてた。それはお前にとっては最悪の結果につながることだ。だから、お前がやったことは正しい」

 

 正しい、正しくないでいえば『正しい』のだ。リヒトが死ねば穂乃果たちに迫る『邪悪な魔の手』都戦える者がいなくなる。それは『大いなる闇』復活へとつながり、やがてこの世界が滅ぶこととなる。

 それはなんとしても阻止しなくてはいけないこと。

 だから、希のとった行動は『正しい』のだ。

 彼女が行ったのは、怪獣を倒す。それだけのこと。

 

「キャスは元々死んでいた。最後に消えたのはお前のせいじゃない。きっと俺が戦っても結末は変わらなかった」

 

 元々死人だった相手。

 今まで戦ってきた怪獣は、変身者が『生きている』状態で怪獣にライブしていた。

 だがキャスは違う。キャスは死人だ。『死んでいる』状態で怪獣にライブしていた。だから例えリヒトがウルトラマンギンガに変身して戦ったとしても、結果は変わらなかっただろう。

 ウルトラマンは神ではない。

 すでに死亡した人間を、なんの対価もなく救えるはずがないのだ。

 

「……行こう、待ち合わせに遅れるのは嫌だからな」

 

 このまま会話を続けても無意味だと判断。

 無理やり話題を変え、待ち合わせ場所へと足を運ぶ。

 このまま二人でいても尾を引きずるだけ。すぐにでも第三者と合流し、話題を変えようと思った。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 しばらくして、待ち合わせ場所に全員が集合する。

 そして、絵里の“とある提案”に穂乃果が声を上げた。

 

「先輩禁止?」

 

「前からちょっと気になっていたの。先輩後輩はもちろん大事だけど、踊っている時にそういうの気にしちゃダメだから」

 

 絵里の提案はこうだ。

 

 

 部活内での『先輩』を禁止するということ。

 

 

 もちろん、上下関係というのはこの先の社会を経験する上で大事なことであるが、それが返って逆効果を生んでしまうこともある。

 絵里が懸念していたのはその逆効果によって生まれてしまう『フォーメーションへの影響』だった。

 例えば本来自分がいなくてはいけない位置に先輩がいたとする。本当ならそのタイミングでそこにいなくてはいけないのは自分だ。だが相手が先輩となれば、遠慮が生まれてしまい、本来の位置とは違う位置に行ったとする。そうなると、そこのズレから徐々にフォーメーションが崩れていき、結果全体のクオリティに影響が出てしまう。歪みがあるパフォーマンスは良い結果を生み出さない。

 それを回避する手段として、メンバー内の上下関係をなくそうと絵里は考えたのだ。

 特に絵里と希は三年生であるのと同時に生徒会でもある。純粋な先輩・後輩だけに留まらないからこそ、このような手に打って出たのだろう。

 他のメンバーから反対の声が上がるはずもなく、この合宿から先輩の禁止がされた。

 

「でも、一条さんはどうするにゃ?」

 

 全員の視線がリヒトに向けられる。

 凛の言う通り、リヒトはμ’sメンバーではない。立場的にはコーチだ。今回の絵里は『チーム内の結束力を高める』のが目的。ならばメンバーではないリヒトには敬語を継続か、それとも同じく先輩を禁止するか。

 

「…………」

 

「ちょっと一条、聞いてるの?」

 

「え? あぁ……悪い、ちょっとぼーっとしてた」

 

 そんなリヒトをにこは呆れた視線を向ける。

 

「しっかりしなさいよ。話聞いてた? あんたに対しても先輩を禁止にするかって話なんだけど」

 

「俺は別にどっちでも。好きにしてくれたかまわない」

 

「あんたねえ」

 

「だって、別に俺に対してまで先輩禁止をする理由がないし、どっちでも変わらないって。それより、そろそろ出発しようぜ。時間が勿体無い。ほら、矢澤。部長として意気込みでも言ってくれ」

 

 強引にことを進めるリヒト。

 突然の返しに戸惑うにこだったが、リヒトはお構いなしににこを中心に立つように急かす。

 

「えーと……しゅっぱーつ!」

 

「え? それだけ?」

 

「あんたがいきなり振るからよ!!」



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第二章:いざ海合宿

前回更新からずいぶん空いてしまいました。
気づけば2022年が終わり2023年。
今年は更新速度上がるよう頑張りたいです。


 矢澤にこによる、なんとも締まらない合図から始まった今回の合宿。

 目的地は西木野真姫が所有する、近くに海がある別荘。

 合宿の提案者は高坂穂乃果。連日続く夏の暑さによって、普段練習場として使っている学校の屋上が死と隣合わせの場所になっている模様。

 そこで夏合宿を立ち上げた。この合宿にはμ’sのレベルアップ、メンバー間での先輩後輩禁止、そして不調の続くリヒトのリフレッシュが目的とされている。前二つはともかく、最後の『リヒトのリフレッシュ』はほぼおまけだ。

 しかし、穂乃果の様子を見るにおまけではないのだろう。

 心配をかけている、ということに自覚を持ちつつ、リヒトは今回の合宿でμ’sからの信頼回復を掲げるのだった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 音ノ木町を出発してしばらく。

 目的地の別荘へと到着した。

 

「……………………」

 

 目の前に聳え立つのは間違いなく『別荘』と呼べるもの。その圧倒的な存在感にリヒトたちは面食らっていた。

 

(マジか……医者の娘ってすげぇ)

 

『別荘』と聞いていた時点で、ある程度は予想できていた。

 しかし、こうして実物を見ると改めて実感する。

 

 

 西木野真姫はお嬢様なのだと。

 

 

 リヒトが普段見ていたのは、同年代の少女たちと共にスクールアイドルに勤しむ姿。そして制服に身を包み、勉学に励む姿。どれも一般的な女子高生の姿と変わりない。

 時々、言動に『お嬢様の価値観』が見受けられたが、それよりも普段の姿の方が目にすることが多かった。

 だから、こうして改めて実感するとなんとも言えないものである。

 別荘の外観に感想を述べた穂乃果と凛に対し、

 

「そう? 普通でしょ?」

 

 と言ったときはさすがに「わーお」と言ってしまった。

 

「何よ?」

「いや、別に」

 

 どうやらリヒトの声が聞こえていたらしい。

 鋭い視線が飛んできたので、リヒトは慌てて話題を変える。

 

「これからどうするんだ? すぐに練習ってわけにはいかないだろ?」

「そうね。まずは荷物を置きに行きましょう。そして休憩を挟んだ後、練習をしましょうか」

 

 リヒトの疑問に絵里が答えた。

 真姫の案内の元、各々割り振られた部屋へと向かう。ちなみに、別荘の中身は外観に負けないほどすごく、一つ一つにみんな声を漏らしていた。

 穂乃果たちの案内が終わると、最後にリヒトが案内された。

 

「リヒトさんはここを使って」

「…………」

「?」

 

 リヒトから返事が返ってこなかったことが気になったのか、真姫は首を傾げてきく。

 

「どうしたの?」

「いや、別に……なんか、落ち着かなくてな」

「え? リヒトさんが?」

 

 真姫の表情には『意外』という驚きが見て取れる。

 

「……なんだよ、変か?」

「変じゃないわ……ただ、意外というか……」

 

 続きを言っていいのか、というのが真姫の表情に出ている。

 ──はあ、とリヒトはため息をついてしまった。

 真姫の反応。それはリヒトがよく見るものだった。

 どうやら『記憶喪失前の一条リヒト』を知る人間からすると『今の一条リヒト』の言動には違和感があるらしい。その違和感を感じた人のほとんどが、今の真姫のような反応を見せる。

 それはまるで、『今のお前は一条リヒトではない』と言われているような気がしてならない。もちろんこんなのはリヒトの妄想であって、実際には言われているわけではない。だが、同一人物であるはずなのに、そのような反応をするのはどうなのかと、思ってしまうのだ。

 

「記憶喪失前がどうだかしらねぇけど、今の俺は落ち着かない。そもそもなんで女子の合宿に男が参加してんだって──あー今更か……悪い、俺も少し気疲れしてるみたいだ。中で休んでるから、時間になったら呼んでくれ」

 

 つい言葉が強くなってしまった。それを誤魔化すように言葉を羅列して、部屋の中へと逃げるように入る。

 荷物を下ろして、備え付けのベッドにダイブする。

 さすが別荘。いい素材だ、なんて感想を抱くが、慌てて頭を振って起き上がる。

 ベッドで横になるのはまずいと判断。床に座って、顎に手を当てる。

 

(ここまで襲撃の気配はなし、か……俺がもっと疲弊するのを狙ってるのか?)

 

 ──現在のリヒトは、音ノ木町にいるときとは違い『イージスの力』の加護を受けていない。

 それは、敵勢力に直接襲われる可能性がある、ということを意味する。

 

 

 

 音ノ木町には、かつて『ウルトラマンノア』が訪れたという記録がある。その時、ノアは遥か未来に起こる災厄を予知し、自らの力の一部を地球へ残していった。

 それが『イージスの力』と呼ばれているもの。『イージスの力』には様々な力があり、そのうちの一つは戦闘時、戦闘による被害を防ぐために戦いの場を別位相の空間へと転移させる力。これにより、ウルトラマンと怪獣の戦いが公になることはない。

 また、『イージスの力』が展開した位相空間では、光の戦士の力は増幅する。つまり戦いを有利に進めることができる空間を形成してくれるというわけだ。

 そしてもう一つ。『イージスの力』による加護を受けられる。これはリヒトが日常生活を送る上で発揮されている効果であり、この加護によって、リヒトの身が守られているのだ。

 リヒトが持つ『ウルトラマンギンガ』の力。それは『ローブ男』や『白い少女』の目論見を阻む力だ。そんな力を持つ人間がいるとなれば、放っておくわけがない。隙があれば変身する前に襲う、力を奪うなどやり方はいくらでもある。

 つまり、リヒト自身を直接襲えば済んでしまうということだ。

 それらを防ぐために働いている力が『イージスの力』の加護。これによってリヒトは敵から直接狙われることを防いでいる。

 しかし、この効力は『イージスの力』が眠っている音ノ木町でしか発揮されない。リヒトが音ノ木町から離れれば、効力は失われ、直接襲われる。

 実際、一度音ノ木町を離れた際に『ローブ男』に襲われ、絵里がワロガにダークライブした際にとても大変な危機に陥ったことがある。

 加護ないない状態で狙われれば、最悪詰んでしまうことだってあり得る。

 

 

 だが、これほどのリスクを冒してでもやることに意味があった。

 それは、リヒト自身を危険に晒すことで『ローブ男』たちの意識を向けられるということ。今までは、誰かが『ローブ男』と接触した時、心の闇が増幅させられ怪獣にダークライブする。そこで、ギンガスパークが闇の波動を感知し、リヒトが動き出す。

 一歩遅れての行動になってしまうのだ。

 しかし、今リヒトが狙われればすぐにギンガスパークが反応し、迎撃が可能となる。それに前回は自分が守られていると知らなかった。知っている今なら、備えることができる。

 

(もちろんタダで勝てるとは思っていない。けど、やるしかないんだ。もうこれ以上、時間をかけるわけにはいかない)

 

 敵の魔の手はμ’s以外にも及ぶようになった。もしこの先、さらに範囲が拡大し無差別に怪獣化されたら、リヒト一人では守りきれなくなってしまう。

 戦えるのはリヒトだけ。一人では守れる範囲が限られている。

 だから、この合宿で自らを危険に晒し、戦いに決着をつける。

 それがリヒトが合宿に参加した一番の理由。

 すでに精神的な疲労も感じられる。この先、経過する時間が長引けば、より疲労は溜まっていくだろう。それまで待っているのかもしれない。

 だとしても、

 

「……よし」

 

 例えどんな状況であろうと、リヒトは勝たなくてはいけないのだ。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 とはいえ、リヒトにはもう一つこの合宿で達成しないといけないことがある。

 

 

 μ’sからの信頼回復だ。

 

 

 コーチを引き受けたのにも関わらず、ここ最近は情けない姿を見せてしまっている。そのせいで穂乃果に心配をかけ、今回の合宿を企画する要因の一つになってしまったのだ。

 理由はもちろんある。しかしそれはリヒトの問題。穂乃果たちが知らない、リヒトの戦いで生まれた『悩み』のようなもの。それを解決するのもまた、リヒト自身で行わなければならない。何も知らない少女たちには、何も知らないままでいてほしい。

 そのためにも、本当の理由は隠しつつ、しかし失った信頼は回復しないといけない。

 今一度気を引き締め、みんなが待つ集合場所へと向かい──早速、頭を悩ませることとなった。

 

「…………」

 

 リヒトの目の前にあるのは、海未が考案した合宿の練習メニュー二日分。本来はリヒトも関わるべきだったのだが、リヒトの不調から任せるわけにはいかないと、海未に強く言われてしまった。

 結果、このメンバーの中で弓道部に所属している海未が、メニューの考案を行った。

 

「……なあ、海未」

「なんでしょうか」

「俺が言える立場じゃねえけどさ……これ、本気か?」

 

 張り出されたメニューには、後ろにいる穂乃果たちも絶句している。

 

「ランニング10キロ、腕立て腹筋20セット、精神統一、発声、ダンス、遠泳……アスリートでも組まねえぞこんなメニュー」

 

 メニューを読み上げたリヒトの後ろでは、穂乃果と凛が強く頷いているのを気配で感じる。

 海未の方も思うところがあるのか、グッと拳を握り込み、歯を食いしばって言う。

 

「考えたんです。私たちがもっと上達するにはどうすればいいのか、と。そして思いついたんです。すべての技術を上達するには、そのための『基礎』ができていないといけません。特に、最近はダンスの練習ばかりでした。なので、ここは今一度『基礎力』に目を向けるべきだと思ったんです。そして、最近おろそかになってしまっている体力作りに重点を置き、このメニューを考えたんです」

「いや、だからって限度があるだろ。持たねえぞ?」

「大丈夫です! 熱いハートがあれば!」

 

 とても熱のこもった瞳で力説する海未に対し、リヒトは頭を抱えた。

 まさか、自分が関わらないだけでこんなことになってしまうとは。しかしこれはある意味リヒトが引き起こしてしまったこととも言える。なんとかして打開策を考えなければ、と思っていると、同じく練習メニューに戦慄していたにこ、穂乃果、凛の三名が動き出した。

 

「あー! 海未ちゃんあそこー!」

「え? なんですか?」

 

 凛は海未の手を掴み、明後日の方向を指差す。もちろんそこには何もない。何もないが、『何かあるのだ』と叫ぶ。それは彼女の役目が海未の気を引くことだからだ。具体的に何か策があればよかった。しかし、知り合ってまだ数ヶ月の凛は海未のことをよく知らない。

 だから勢いだけで押し通す。

 それは結果的にいえば効果抜群だった。海未は『押し』に弱い。そして凛は『押す』のが性格に合っている。

 結果、凛は己の役目を果たすことができた。すでに穂乃果とにこを筆頭に、メンバーは海へと走り出している。

 

「あなたたち、ちょっと!」

 

 止めようと手を伸ばしても、すでに駆け出したメンバーの背中は遠い。

 まんまと作戦にハマってしまった海未にリヒトたちは苦笑するしかなかった。

 

「まあ、仕方ないわね」

「いいんですか? 絵里先輩……あっ」

 

 と、絵里を呼んだところで何かに気付いたのか、ハッとなる海未。

 そんな海未に向けて、絵里は片目を瞑りながら返す。

 

「禁止、って言ったでしょ?」

「すみません……」

 

 どうやら『先輩』をつけてしまったことが理由らしい。

 謝罪の言葉を口にする海未に向けて、絵里は仕方ないといった表情を浮かべる。

 

「μ’sはこれまで部活の側面も強かったから。こんなふうに遊んで、先輩後輩の垣根を取るのも重要なことよ」

 

 なるほど、とリヒトは思った。

 絵里の言う通り、これまで部活色が強かったμ’sがいきなり先輩後輩をなくすのは難しい話だろう。現に海未が絵里を先輩呼びしてしまったのがいい例だ。

 これを改善するには、練習よりも遊びのほうがうってつけだろう。

 加えて海未考案の無理なメニューも回避できる。さすが生徒会長と言ったところだ。

 

「ん? 希? なんでカメラなんて持ってんだ?」

 

 リヒトは希がカメラを準備していることに気づいた。

 

「PV動画を撮ろうと思ってな」

「PV?」

「メンバーも増えたことやし、こういった日常の動画があればμ’sのアピールにもつながると思うんよ。それに今サイトにあげとるのはエリチとウチが加入する前のもの。そろそろアップデートが欲しいと思ってたところなんや」

 

 たしかに、と希の言葉に膝を打ち──しかし同時に首を傾げた。

 

「それなら俺、邪魔じゃね?」

「そこはうまくカメラワークを働かせるで。万が一の時は編集でどうにかするし、あとは……PV映像に使えなくても、思い出を映像に残しときたいんよ」

「ふーん」

 

 そう言ってにっこりと微笑む希。その表情にはどこか哀愁を感じられたが、次の瞬間には消えていた。

 ともあれ、これで練習ではなく海で遊ぶこととなった。希はPV動画を撮ると言っていたが、具体的なテーマはなく、ただ遊んでいる風景を撮影する方針らしい。

 そんな傍で一人、海には行かずに砂浜で読書をしている少女がいた。

 

「西木野は行かないのか?」

 

 西木野真姫は浜辺に設置したビーチベッドに横になり、パラソルで太陽の熱を遮断して、テーブルにはドリンクを用意して、完全に『私は読書して過ごします』と言った様子になっていた。

 

「私はいいわ。柄じゃないし」と、リヒトの問いかけにもそっけなく答えた。

「柄って……ませてんな」

「どういう意味よ」

「深い意味はない」

 

 真姫からの視線を避けつつ、同じく隣に設置してあるビーチベッドに倒れ込む。

 

「つか、西木野は俺に対してタメ口なんだな」

「……敬語にした方がいいですか?」

 

 何気なく言った一言だったのだが、どうやら真姫はそれをまずい方向に捉えたのか、咄嗟に敬語で返してきた。

 

「別に。お前は子供の頃から俺のこと知ってるんだろ? ならタメ口でも構わねえよ。つか、敬語だとなんかイメージが崩れる」

「イメージって……」

「イメージは大事だろ? アイドルとしての売り方にも関係する。何より“記憶喪失前の俺”と“今の俺”でイメージが違うって困惑する奴らがいるんだから間違いない」

「…………」

「あ、別に深い意味はないからな。もう慣れたから関係ないし」

「その割には気にしてるように見えるけど」

「えー、そう見えるか?」

「ええ」

 

 ズバリと言い切られてしまった。

 しかし、それは仕方のないこと。

 記憶喪失前と記憶喪失後。違うのは記憶があるかないかだけ。それ以外は同じ“一条リヒト”だ。

 それなのに、リヒトと“一条リヒト”がまるで別人かのような反応をされることが多い。気にするな、というのが無理である。

 

「……なあ、西木野から見て“一条リヒト”はどんな人間だった?」

「何よ急に」

 

 真姫は視線こそ本に向けられているが、しっかり会話を返してくれる。

 こういうところは真面目だな、と頭の隅で思いつつ続ける。

 

「ほら、せっかくの機会だし改めて聞こうかと思ってさ」

「別にいいけど……言っておくけど、私とリヒトさんとの関わりってあまりないから。怪我をして病院に運ばれてくるのをよく見た、くらいよ」

 

 それは以前にも聞いたことがある。“一条リヒト”は昔からいろいろやんちゃだったらしく、よく怪我をしていたそうだ。

 そこでよく運ばれていた先が真姫の父が医院長を務める西木野総合病院。

 

「そうなのか? 俺はてっきり交友がある仲だと思ってたんだけど」

「……まあ、私が誘拐されそうになった時以降は、それなりに交友があったけど。そもそもリヒトさんがこっちにくるのは夏休みと冬休みくらいでしょ? そしてそのほとんどは高坂先輩たちと遊んでたんだから、私との交友は限られてるわ」

「じゃ、その限られた中で思った“一条リヒト”のイメージってどんなのだ?」

 

 “誘拐”というワードが出てしまったため、なるべくそこから意識を外すように早めに次の問いを行った。

 真姫は読んでいた本に栞を挟んで閉じる。

 

「どんなのって言われても『いつも怪我してる人』とか『元気な人』とかよ。やんちゃ、うるさい、明るい、元気、嘘つき、夢、そんなワードがぴったり合うかしらね」

「……悪口、入ってないか?」

「それは捉え方次第よ」

「んじゃ、良い方に捉えとく」

 

 真姫はテーブルに置いていたジュースを手に取り、一口飲んで続ける。

 

「ただ、聞こえてくる『音』はいつも真っ直ぐだったわよ。最初は見栄を張っているような音だったけど、いつかそれが自然になっていた。相手を必ず楽しませる、そんな意思が込められていたわ」

 

 西木野真姫は耳が良い。それは単に聴力が良い、とうだけにとどまらず、その音に込められている意味なども聞き取れるのだ。

 ピアノをやっていた影響だろうと本人は言う。しかし、それで片付けるには難しいほどに、真姫の聴力は素晴らしいものだった。

 別の例を挙げるならば、南ことりの空間把握能力及び動体視力に並ぶもの。ことりの場合、幼い頃の事情から目が鍛え上げられ、時にはウルトラマンとして戦うリヒトを救ったことすらある。

 おそらくそれに並ぶほどの聴力を真姫は有していると、リヒトは思っていた。

 

「その真っ直ぐさだけは、リヒトさんの良いところなんでしょうけど」

「おい、それ以外にも良いトコあるだろ」

「最近の失態続きは?」

「…………」

 

 そこを突かれると痛い。

 というか、それにはとてもとても深く重い理由があるのだが、他言できない以上他者からそう見えても仕方ない。

 

「悪かった」

「?」

「最近の失態続きにだよ。自分のメンタルをケアできてない。そのせいで関係ない西木野たちに迷惑をかけてる」

「いや、別にそんな──」

「──理由はどうあれ、そう見えたんならそれが俺の評価だ。

 ま、西木野からもそういう評価ってことは、記憶喪失前の“一条リヒト”の為人(ひととなり)が理解できたよ。概ねみんなが言っていたことが合ってるってわけだ」

 

 今のリヒトとは異なる点が多い。

 それは、果たして記憶喪失だけで片付けられる理由だろうか。

 まるで別人。

 そんな印象をどうしても拭えなかった。

 結論が出たところで、ほんの少しだけ無言の時間が続いた。読書を再開した真姫だが、リヒトが隣にいることが気になったのだろう。本に視線を向けたまま言う。

 

「ところで、リヒトさんは向こうに行かないんですか?」

「希がカメラ回してんだぞ。俺が映ったら面倒だろ」

 

 それにリヒトはいつ襲われても迎撃できるように全体を見ていなくてはいけない。あの中に混ざったら、全体把握など到底できるはずがない。自分の役割を全うするためにも、ここにいるしかなかった。

 幸い、今は希がPV用にカメラを回している。その間はこの理由で混ざるのを回避できるが、もし撮影が終了しらたどうするか。

 

(希は俺の事情を知っているし、合わせてくれることを祈るしかないな)

 

 浜辺で騒ぐ少女たちの声をBGMに穏やかな時が流れる。

 そんな時、

 

「なら、今度は私の質問に答えて欲しいんだけど」

 

 と、真姫がそんなことを言ってきた。

 

「別にいいぞ。お礼になんでも答えてやる」

「その……」

 

 軽い調子で促して、真姫の言葉を待つ。

 しかし、なかなか次の言葉が出てこない。

 横目で様子を伺ってみると、訊きたい内容は決まっているがそれを本当に訊いていいのか、なんて言葉を並べるべきかを迷っているようだった。

 一体どんなことを聞こうとしてくるのか。

 こういったシチュエーション特有の水着の感想か?

 それともリヒトが合宿に参加した意図か?

 もしくはリヒトに対しての“先輩禁止”についてか?

 などなど、適当に聞いてきそうなことを考えていると、ようやく真姫が

 

「その、前に私がパパに向かって“音楽の道”と“医者の道両方”を歩むって言った日のことなんだけど」

 

 と、言った。

 その瞬間、リヒトの肩に力が入る。

“その日”のことを訊かれるとは思っていなかった。完全に意識していないところからの質問に一瞬だじろぐ。

 しかし、すぐに平静を取り戻し、努めて自然と質問の続きを促す。

 真姫は慎重に言葉を選びながら言った。

 

「あの日のことは鮮明に覚えている部分とそうでない部分があるの。まるで白昼夢を見ているよう。でも、時折はっきりと覚えている部分があるから、明晰夢とも言える不思議な体験。その中で私が訊きたいのは、()()()()()()()()()()()()()()

「…………」

「あの日、怪獣になった私を助けてくれたのはウルトラマンギンガだってパパから聞いた。私もウルトラマンギンガに助けてもらったと思ってる。姿もはっきりと覚えている。けど、私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()。私は真っ白な空間の中で、リヒトさんと会話をした。リヒトさんに道標を示してもらった。けどそれは、白昼夢のように曖昧な部分があって……」

 

 リヒトは視線を真姫に向けない。

 その言葉を邪魔することもしない。

 だから、真姫は意を決して言う。

 

「ねえリヒトさん。あなたはウルトラ──」

 

 ──しかし、真姫の言葉を遮るようにビーチボールがリヒトの元へ飛んできた。

 

「うおっ!?」

 

 顔面にヒット。

 とはいえ、リヒトめがけて飛んできたわけではないので痛みはない。

 ただ、こういったものは反射的にボールを飛ばした者を探そうとするものだ。

 

「誰だ!?」

「ごめ〜ん!」

 

 見れば、穂乃果がこちらに手を振っている。

 

「穂乃果! お前か!?」

「ごめんってばー。それより、りーくんもこっちに来て遊ぼうよ!」

「ったく……俺はいいよ、お前らだけで遊べよ」

 

 そう言ってボールを投げ返す。

 すると、にこが目を細めて言う。

 

「何言ってんのよ。一体誰が、誰のために今回の合宿企画したと思ってんのよ」

「いや、μ’sの強化合宿だろ」

「それに加えてあんたのリフレッシュもあんのよ。いいからこっちに来なさい。じゃないと、大変なことになるわよ」

「脅し文句が怖えよ」

 

 何が大変になるかはわからないが、この場において下手なことをすれば嘘でも大変な容疑をかけられかねない。

 リヒトは渋々と言った様子で立ち上がると、

 

「あー、悪いけど、また後でいいか? このままだと、俺の今後が危ない」

「……ええ、いいわよ」

「悪いな」

 

 とても不服そうな真姫に向けて謝罪する。

 しかし、ここはある意味穂乃果に助けられた、と言えるだろう。

 

(まさか、今それについて訊かれるとはな。心臓飛び出るかと思った……西木野は覚えてる様子……なら、小泉や矢澤はどうなんだ?)

 

 真姫は間違いなく、リヒトがウルトラマンギンガであるのかを確認しようとしていた。もしあのままボールが飛んできていなかったら、リヒトはなんと答えていただろうか。正直に正体を明かすか、それとも何か理由を作って隠すか。

 ちらっと希の方を見てみる。どうやらボールが飛んできたのは完全な偶然らしく、リヒトの視線に首を傾げるだけだった。

 

(ま、西木野がはっきり覚えてるなら隠せないだろうし、話すしかないよな)

 

 穂乃果たちの元へ向かう途中、ことりと目があった。

 ことりはリヒトと目があうと、気まづそうに視線を逸らす。

 

(……ことりとも話つけないとな)

 

 先日の件で、ことりもリヒトがウルトラマンギンガだと知っている人物となった。まだそのことについて話し合えていない。なんとかタイミングを見つけて話すべきかと、思うのだった。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 

 数分後。

 早速、リヒトはコート外へと移動することとなった。

 遊びながら周囲を警戒するのは至難の業だ。どうしたって片方に集中することになってしまう。顔面にボールがぶつかった時は、思わず失笑してしまうくらいだ。

 改めて自分が無理な状況に身を置いていると痛感する。

 

「大丈夫ですか?」

「……さすがに失態すぎて落ち込む」

 

 顔を押さえながらコートから出るリヒトに付き添って心配の声をかけてくれたのは、小泉花陽だった。

 

「ごめんなさい」

「謝る必要なんかないわよ。集中してなかった一条が悪いんだから」

 

 ボールを当てた人物、凛は申し訳なさそうにするが、それをにこが一喝する。悪いのは一条リヒト、だと。

 実際にこの言う通り、集中できていないリヒトが悪い。しかしそれでも、顔面にボールが直撃するのは心のダメージが大きかった。

 

「矢澤の言う通りだけどよ、そんなに言わなくてもいいだろ……なんか、最近あたりが強くないか?」

「当たり前でしょ」腕を組むにこは即答だった。「あんたの最近の態度見てたら言いたくなるってものよ」

「いや、そうだとしてもきつくねって思うんだけど……」

「確かに。にこ先輩、一条先輩への当たりがきつい気がするにゃ」

 

 凛もリヒトの意見に同意する。

 すると、にこはやや呆れたように言った。

 

「私が言わなかったら、あんたにだれも何も言わないでしょ。それに、他はどうか知らないけど、私はあんたから直接スカウトされた。このμ’sに。それには大きな感謝をしてる。もう一度スクールアイドルができるんだから」

 

 にこの表情から、その言葉に嘘偽りはなく本心だとわかる。

 矢澤にこは、一年生の時からスクールアイドルだった。穂乃果たちよりも早くにスクールアイドルを初め、しかしメンバー間でのいざこざが原因で解散。以後、彼女はずっと一人で燻っていた。スクールアイドルに対する熱い思いをその胸に抱きながら、同時に己の熱が原因でメンバーが去ってしまった心の傷を抱えながら。

 しかし今は穂乃果たちと出会い、再び舞台(ステージ)に立つことになった。

 そのきっかけを作ったのは、穂乃果たちではなくリヒトなのだ。スクールアイドルにとって必要な“アイドルとしての魅せ方”を学ぶためには“矢澤にこ”の力が必要だと判断してのこと。無論穂乃果たちに相談してのスカウトだったが、発案者はリヒト。そしてにこからしてみれば、そのスカウトは自分の人生を大きく変えた運命そのもの。

 リヒトはそのきっかけをくれた人なのだ。

 にこはリヒトをまっすぐ見る。

 

「いい? 私はあんたのスカウトを受けてμ’sに入ったの。それはつまりあんたの言葉を信じたってことよ。信じた言葉に応えてるんだから、あんたもにこをスカウトした分の責任を取りなさい」

 

 と、言った。

 まっすぐな言葉だった。

 思わず、目を見開いて数秒固まってしまうほど。

 

「……もしかして、矢澤って結構俺のこと信頼してんの?」

「……普通わかっても黙ってるもんよ。あとそこ、にこ先輩じゃないでしょ」

 

 気恥ずかしくなったのか、頬をほんのり染めつつリヒトを睨み、誤魔化すように凛の先輩呼びを指摘するのだった。

 自然を笑みが溢れた。

 

「……ありがとよ。すげえ嬉しいわ」

「何よ、急に」

「ただ礼を述べただけだって。ありがとう」

「え、ちょっと重いんだけど」

 

 なぜか礼を述べただけなのに引かれてしまった。

 むすっとした表情を返すと、

 

「あ」

「今度は何よ」

「いや……」リヒトは改めてこの場にいる三人を見る。「この三人とは初めて知り合ったんだなって思ったんだよ」

 

 リヒトの言葉の意味がわからないのか、首を傾げる三名。

 

「ほら、μ’sの約半分は“一条リヒト”を知ってる組だろ。でも三人は“今の俺”と初めましてな訳だ。それだけだよ」

 

 そう、それだけ。リヒトが気づいたことはそれだけだった。“一条リヒト”を知らない三人。彼女達が知っているリヒトは記憶喪失後の今のリヒト。

 

「なあ、三人には今の俺、どう見える?」

 

 だからだろうか。

 自然とその言葉を発していた。

“一条リヒト”を知らない三人には、今のリヒトはどう見えているのだろうか。

 そんな、純粋な疑問。

 

「どうって……」にこは怪訝な視線を向けてくる。

 凛と花陽は言葉の意味がわからず困惑している。

 言葉にしてみて、自分が突拍子もないことを訊いていることに気づいた。

 

「あ、悪い。深い意味はない。たださ、記憶喪失前の俺を知っている奴に聞くと、だいたい同じ意見が返ってくるから、記憶喪失前の俺を知らない三人からの意見を聞いてみたくなったんだよ」

「あんた、それ結構気にしてるわよね」

「……正直なところ、結構気にするさ。だって、まるで別人のようなことを言う奴もいるんだぜ? 参るって」

「一条先輩はいつから記憶喪失なんですか?」

 

 と、凛が言った。

 

「去年の十二月からだな。ダンスを学びにアメリカに行って、そこで何かに巻き込まれて、記憶喪失になった。それ以前の記憶はさっぱり」

 

 軽い口調で、軽い言葉で言う。

 でなければ、先日判明した自分の過去に押し潰されそうになるからだ。

 

「はあ……」

 

 説明しても実感がわからないのだろう。

 凛はポカンとした表情を浮かべている。

 

「ま、記憶喪失なんてそう現実(リアル)で起こるもんじゃないからな。説明してもわからなくていいのさ」

「もしかして、最近の不調はそれが原因?」

「あー、関係あると言えばあるし、ないと言えば、ない?」

 

 嘘は言っていない。

 あると言えばある。しかしないと言えばない。

 じろっとにこから視線を向けられる。

 

「そんなに違うんですか? 記憶喪失前の一条先輩と」

「凛ちゃん!?」

 

 凛の直球の質問に隣で花陽が目を丸くする。

 

「らしいな。なんでも、記憶喪失前の方がもっと飄々としてたらしい。今の方が真面目だって」

「それって今の方がいいんじゃないの?」とにこ。

「そうか?」

「私に聞かないでくれる?」

 

 うーん、と首を傾げるリヒト。

 

「もしかして、記憶戻ったら今以上にダンスに厳しくなったりすんですか?」

 

 と、凛が言う。

 彼女の目は少し怯えている。

 その怯えはきっと、自分の体が硬いことを治すために行ったストレッチの地獄を思い返しているのだろう。

 

「いや、その……多分ないと思うぞ?」

「…………」

「わ、悪かったって。ダンスのことになると、どうも手が抜けなくて」

「凛とかよちんはダンスコーチをしてる時の一条先輩は怖いです、めちゃくちゃ怖いです」

「え? まじ?」

「うん。だよね、かよちん」

「う、うん」

 

 花陽もどちらかというと、リヒトに持っているイメージは『怖い』だろう。

 そこで、二人と会うのはほぼダンス練習の時だということに気づいた。ダンスの時の、コーチとして厳しく指導している時。

 

「……うん、ごめん」

「何謝ってんのよ」

「だって、ダンスの時めちゃくちゃ怖がらせちゃってるから」

「そうね。あんた、その時マジで怖いから」

「…………」

 

 リヒトはしゃがみ込んだ。

 心のダメージは深いものだ。

 

「……以後、気をつけます」

「けど、普段はお兄さんって感じですよ!」

「花陽。それフォローのつもりでしょうけど、今はこいつにとどめ刺すだけよ」

「え?」

 

 にこの言う通りである。

 しかし、

 

「……けど、ふふ。なんか新鮮だな。初めて聞く話だからか、ショックもあるけど」

 

 今まででは聞いたことのない言葉を聞いた。それは少しだけ嬉しかった。

 いつもとは違う回答。それだけで、ちゃんと『今のリヒト』を見てくれている。

 記憶喪失前のリヒトはではなく、今のリヒトを見てくれている人がいる。

 

「なんで喜んでのよ……」

「一条先輩って……よくわからないにゃ」

 

 凛の小言がリヒトの耳に聞こえてきた。

 うん、これは改めて頑張らないといけない気がしてきた。

 

「よっしゃ。んじゃ、二人への印象を良くするために思いっきり遊ぶか!」

「何して遊ぶのよ」

「んなもん決まってるって。海と言ったらスイカ割りだ。こっちに来る時に、西木野に聞いといたからな。待ってろ、すぐ準備する」

 

 そう言って、ビーチベッドの方へと向かうリヒト。

 

「あ、手伝います」

 

 後ろから花陽がついてくる。

 

「ん? 別に俺一人でもいいんだけど」

「えっと。その、実は一条先輩に聞きたいことがあって」

「俺に?」

 

 リヒトの横を歩く花陽。

 その表情はつい先ほども見た、真姫と同じもの。

 

「信じてもらえるかわからないですけど、私、怪獣になったことがあって。その時、一条先輩を見たような気がするんです」

「……俺を?」

「はい。大きな光の巨人の中に……」

「………」

「………や、やっぱり今のは聞かなかったことにしてください!」

「え? ちょっと!?」

 

 恥ずかしくなったのか、花陽は顔を真っ赤にして走り出してしまった。

 ポツン、と取り残されるリヒト。

 

(……マジか。そういや、小泉も怪獣になってたんだっけ。けど、西木野とは違ってはっきりと覚えている様子じゃなかったよな)

 

 ふと、μ’sの中でリヒトがウルトラマンギンガであることを知らないのは、穂乃果、海未、凛だけの三人だけでは? と思えてきた。

 

(これ……隠してるって言えない、よな)

 

 もはや、全員にバレるのも時間の問題な気がしてくるのだった。



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第三章:襲撃その①

 気づけば時刻は夕方近くになっていた。海で十分遊んだリヒトたちは別荘へと戻り、再び休息の時間を過ごすことにした。

 しばらくして、そろそろ夕飯の支度をしよう、とリヒトが言った。材料を買うため近くのお店まで買い出しに行くこととなり、そこで行われたメンバー選抜。当然、この近辺の情報を持ち合わせている真姫が一番に選ばれる。

 そして、真姫と話をしたいと考えていた希も志願してメンバーとなる。

 ここまではよかった。周囲の視線がリヒトへ向けられていると気付いた時、希は自分が犯してしまった失態に気づいた。

 リヒトも遅れて気づいたが、理解し合えるのは希とリヒトだけ。リヒトが『行かない』という選択肢を取るのはあまりにも無理な話だ。

 結果、リヒトは唯一事情の把握ができる絵里に言葉を残し別荘を出た。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

「ごめんな、りっくん」

「謝っても仕方ねぇさ。どのみちどっちかの護衛にしか回れねぇし、なら、外に出るこっちに着いて行った方がまだいいのかもしれなって考えればいいさ」

 

 リヒトの体は一つしかない。だからμ’sが別荘に残り、買い物班と別れた時の対応方法はこれしかない。

 どちらかについていって、どちらかは可能な限り迅速に駆けつける。

 

「さっさと買い物済ませて帰ろう。それがいい」

 

 靴紐を結び終え、外へと出る。先に待っていた真姫はリヒトの姿を見ると、

 

「それじゃあ着いてきて」と言った。

「なあ、西木野。店までは距離あるのか?」

「それなりにね」

 

 そうか、と自然と声が出た。距離があるとなると、余計に気を張らなくてはいけない。

 リヒトと希は真姫の案内の元歩き出した。夕方とはいえ、季節は夏。アルファルトからの熱に自然と汗をかく。

 歩き出してしばらくは無言の時間が続いた。自らを多く語らない真姫。普段は進んで会話をするのに、このタイミングに限っては無言を貫く希。そうなると、リヒトが会話を回すべきなのだろうが、このメンバーの選出が意外すぎて何を話せばいいのかわからなかった。それにリヒトの意識は基本周囲への警戒に割いている。会話を回すのは無理な話だ。

 

「…………ねえ、ちょっといいかしら」

 

 並走する真姫が言った。

 その言葉はリヒトと希両方に向けられている。

 

「リヒトさんとはさっきの話の続きだけど……」

「さっき?」

「海での話よ」

「…………」

 

 まさか、ここで続きを話すのか? とリヒトに緊張が走る。

 

「希せんぱ──」「ん?」とわざとらしい希の返事が入る。

「──希にも聞きたいの。あの日のことを」

「あの日? どの日のこと?」

「私が怪獣になった日、リヒトさんと一緒にいたわよね?」

「いたよ」

 

 希は真姫の言葉に即答した。隠すことの程ではない、と判断してのことだろう。あっさりと返答があるとは思っていなかったのか、真姫が少し驚いた表情をする。

 

「そんなに驚いて、意外やった?」

「……ええ。てっきり『いない』と答えると思ってたわ」

「隠す意味がなさそうやしね。それに、いると覚えてたから聞いたんやろ?」

「…………」

 

 今度は真姫が苦い表情となった。

 見透かされている、そう表情に出ていた。

 

「なら、希も知っているの?」

()()()()()()()なら、ね。でも、真姫ちゃんが聞きたいことを知っとるかは別かも知れへんよ」

「…………」

(いや、何この空気こえーよ)

 

 ただの買い出しのはずが、何かおかしな方向へ向かいつつある。

 

「……なあ、せめて買い出し終わってからにしないか。今答えるべきじゃないと俺は思うんだけど」

「そうやって逃げる気でしょ」

「逃げねえよ。逃げたって仕方ないだろ。今話して変な空気のまま買い物したくない。いやまあ、変な空気のまま別荘に戻るのもいやだけどよ」

 

 真姫から向けられるジト目を交わしつつ、リヒトは少し前を歩く。

 

「リヒトさんが先を歩いてどうすんのよ。場所、わからないでしょ」

「じゃ、案内頼む」

「…………」

 

 納得がいかないような表情を浮かべつつ、ひとまず先にお店に向かうこととなった。

 

「メニューは無難にカレーか」

「結構な大人数やから大変やね」

「だからの俺だろ。荷物持ちは任せろ」

「期待しとるよ」

 

 真姫の望む質問ができないような空気をわざと作り上げる。

 後々怒られることを覚悟しつつ、お店での買い物を先に済ませることにした。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 買い物を終え、帰宅路を歩くリヒトたち。その手には買ったものが詰まった袋が握られている。もちろんリヒトの方が気持ち多い。

 そして、帰宅路を歩くということは、いよいよ真姫の質問に答えなくてはいけないということ。

 さて、とリヒトは気合を入れ直す。

 

「さあ約束の時間だ。西木野の質問に答えようじゃないか」

「…………」

「で? 何を聞きたいんだ?」

 

 リヒトの方から切り出し、会話のペースを握ろうとする。

 真姫はいよいよ訊けるとなったことで緊張してきたのか少し表情が固い。

 

「その……リヒトさんは」

「俺は?」

「その」真姫の足が止まる。つられて、リヒトの足も止まり、希と一緒に真姫の方を見る。

「希も知っているのよね? リヒトさんがウルトラ──」

 

 そこまで言いかけて、真姫が止まった。

 理由は単純。

 真姫の耳が、希のもう一つの魂が、そしてリヒトのギンガスパークが()()()()を感じ取ったのだ。

 リヒトの体に先ほどとは別の緊張が走る。

 

「──なんていうか、タイミング的に良いと言えるか? それとも悪い?」

「どっちも言える状況やね」

「何、この音……」

 

 三者三様の反応。

 希が自然とリヒトの手から荷物を受け取る。リヒトを動きやすくするためだ。

 リヒトはギンガスパークを取り出し、構える。

 

「西木野。質問の答えだけど、口で答えるより光景として答えることになるかもな。まず、一箇所に固まろう。なるべく俺から離れるな」

 

 希が頷き、困惑しつつも真姫も従う。

 敵の姿はまだ見えない。けれどギンガスパークは警告を発している。

 

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 

 ずらっとリヒトたちの目の前にヒト型の異星人が現れた。白い仮面をつけた、不気味な集団。その名称は『ヴァイロ星人』。数は10──否、周囲にはそれ以上がいると感じ取れる。

 

「なに……」

 

 不気味な集団を前にして、真姫が震える。

 緊張感が高まっていく中──ヴァイロ星人が一斉に口元に手を当てた。

 ──瞬間、空気が震える。

 

「──っ!」

 

 リヒトはギンガスパークを突き出し、シールドを展開。

 重い衝撃。どうやら衝撃波の類の攻撃のようだ。防ぐことには成功──したかに思えた。

 鼓膜を刺激する甲高い音。全員が耳を手で塞ぐ。

 リヒトは自分の失態に気づくのと同時、体が宙を舞った。

 

「りっくん!」

 

 希が悲鳴をあげる。

 その横で真姫がたまらずに膝を折った。

 アスファルトへ倒れるリヒト。すぐさま傷の修復が始まる。しかし痛みが消えるわけではないっため、すぐには体を動かせない。

 リヒトは適当にギンガスパークを振るう。斬撃が飛び、ヴァイロ星人の攻撃の中断に成功。

 体の痛みがままならない中、なんとか立ち上がる。

 

「希! 西木野! 無事か!」

「うちは大丈夫! けど真姫ちゃんが!」

 

 聴力が優れている真姫にとって、先ほどの攻撃は致命傷に近いもの。

 しかし二人の身を案じている暇はない。ヴァイロ星人が第二の攻撃を仕掛けてくる。

 すぐさまギンガスパークを振るう。斬撃は前に出た二体に防がれる。

 再び降り注ぐ甲高い声。衝撃波が伴なっている攻撃に希と真姫が危険に晒される。

 リヒトは迷わずギンガスパークを握る手に力を込めた。光る紋章、開かれるブレード、出現するウルトラマンギンガのスパークドールズ。

 

『ウルトラーイブ! ウルトラマンギンガ!』

 

 求められるのは速攻。

 ウルトラマンギンガにウルトライブしてすぐに前に出た。ドーム上のバリアを形成。衝撃波だけでなく、音による攻撃も防ぐ。

 

「──え? リヒト、さん?」

 

 真姫の驚いた声。

 しかし気にしている暇はない。

 防いでいるだけでは状況は逆転しない。

 ギンガはクリスタルを紫色に輝かせる。バリアを解除した一瞬。『ギンガスラッシュ』を放ち、ヴァイロ星人を強襲。攻撃を中断させる。

 すぐに駆け出し接近。距離を詰め、格闘戦に持ち込む。パンチとキックで二体撃破。反撃の攻撃を受け止め、殴り返す。

 ヴァイロ星人は現れたウルトラマンギンガを見て、一瞬たじろぐ。付け入る隙はここしかない、と判断し一気に攻撃をたたみかける。

 クリスタルを赤へ。無数の火炎弾『ギンガファイヤーボール』で一気に数を減らす。

 

「ギンガ!!」

 

 希の声。

 振り返れば、新手のヴァイロ星人に囲まれそうになっていた。

 ギンガはすぐに二人の元へ移動。魔の手を払う。

 だが、そこへ衝撃波が襲いかかってきた。背後の衝撃。怯んだすきに両サイドから捕まれ、身動きを封じられる。

 希がギンガライトスパークを取り出す。

 

『やめろ!』

 

 ギンガは希に待ったをかける。

 

「でも!」

 

 希がウルトライブすれば戦力は増える。

 だが、リヒトがギンガにウルトライブした以上、希の持つウルトラマンティガは最後の切り札となった。迂闊に使い、しばらくの変身不能となった場合、あっという間に追い詰められる。

 ギンガは力ずくで両腕をふるい、拘束を解除。拳を叩き込み、二体のヴァイロ星人を吹き飛ばす。

 だが、雪崩のように襲いかかるヴァイロ星人。

 ギンガ一人では対処しきれない──否、対処するほかない。

 物量で攻め込んでくるのならば、こちらも物量を増やすまで。

 

『ギンガの力、舐めるなよ!!』

 

 ギンガの体が二体、三体、四体へと増えていく。分身能力をフルに活用し、ヴァイロ星人を一斉に撃破する。

 それがリヒトの立てた作戦。

 あくまで分身であるため、それぞれに個別の意識があるわけではない。鏡に映したように、本体であるギンガと同じ動きをするだけ。だがそれだけで十分だった。

 ヴァイロ星人の数は正確に把握できていない。希と真姫を守りながらとなると、多少強引にいくしかない。

 光の速さを持って、ヴァイロ星人へと肉薄する。顎に拳を叩き込み、打ち上がった胴体に拳のラッシュを叩き込む。背後の気配に右足の回し蹴り。踵が脳を打ち、振り抜いた勢いで数体まとめて撃破する。

 続けて、クリスタルを白に輝かせる。右腕のクリスタルより生成される『ギンガセイバー』。大きく振り抜き、さらに数を減らす。

 

『一気に片付ける!』

 

 こちらが襲われたとなると、別荘組の安否も気になる。

 再びクリスタルを赤く輝かせ、『ギンガファイヤーボール』で残るヴァイロ星人を倒す。

 襲いかかってきたヴァイロ星人が全て撃破された。

 あたりには静寂が訪れる。

 だが、敵の気配は完全には消えていない。周囲の警戒を解いていないギンガを見て、希が、そして雰囲気からまだ終わっていないと感じた真姫が、張り詰めそうな緊張感の下に置かれる。

 

 

 

 ガサッと。

 背後からの音。

 

 

 

 ギンガは咄嗟に振り返る。

 そこには一体のヴァイロ星人が口元に手を当て、今にも攻撃を放とうとしている。

 ──無防備な真姫に向けて。

 ギンガは咄嗟に真姫を庇うように前に出た。

 ヴァイロ星人の攻撃を背中に被弾。

 続いて上に気配。見上げれば、上空から落下してくる一体。すでに攻撃体制に入っている。

 背後の一体目は二撃目を放とうとしている。

 瞬時にギンガはクリスタルを黄色に輝かせた。左腕を上空へと伸ばし雷のエネルギーを集中させる。『ギンガサンダーボルト』がまず落下してくるヴァイロ星人を飲み込み、そして背後の的に向けて放つ。

 二体撃破。

 

 

 ──三度、今度は地面が揺れた。

 

 

 頭部にオレンジ色の発光物が一つ。それだけが特徴の巨大兵器。

 名を『生物機械兵器バドリュード』。

 上空で撃破されたヴァイロ星人が呼び出した、切り札とも言える存在。

 同時にギンガのカラータイマーが点滅を始める。

 時間制限が来たのではない。エネルギーを使いすぎたのだ。速攻を意識した故に大技を連発しすぎた。

 マズイ、と点滅の理由を知るリヒトは思った。

 しかし、バドリュードによる攻撃が始まる。残りのライブ時間はどれくらいか。

 迷っている暇などない。ギンガはすぐに自身の体のサイズを巨大化させた。

 その光でバドリュードの攻撃を防ぎ、残る力を振り絞って接近。腹部へ拳を叩き込み、アッパーで打ち上げる。

 蹈鞴を踏むバドリュード。反撃のため、拳を奮ってくる。バックステップでかわし、二撃目を受け止め、カウンターを叩き込む。

 下がった頭部を掴み、投げ飛ばす。地面を転がり、その隙にギンガはクリスタルを青色に発光。エネルギーを両腕に溜め、L字に組む。

 放たれるギンガクロスシュート。

 一直線に伸びた光線はバドリュードの腹部を貫き爆散するのだった。




久しぶりの戦闘パート。
難しい。
けれど、敵が敵だけにあっさりでもいいかなと。
次はハードだと思われます。


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第四章:襲撃②

 バドリュードを撃ち抜く青き光線(ギンガクロスシュート)

 撃ち抜かれたバドリュードの体は爆散し、スパークドールズへと姿を変え、希の元へと落ちた。 

 同時にエネルギーを使い切ったギンガの体が光となって霧散する。

 リヒトの姿に戻ると、どっと押し寄せてきた疲労感に膝をつく。荒い呼吸を繰り返していると、

 

「りっくん!」

 

 希の声が聞こえた。顔を上げると走ってくる二人の姿が見えた。

 大きく息を吐いて、体に力を入れて立ち上がる。

 二人がちょうどリヒトの元へやってきた。希は心配の表情を浮かべて、真姫はどこか難しい顔をしている。

 呼吸を整え、片目を瞑って真姫を見る。

 

「……ま、西木野が訊きたかったことの答えは見られたかな?」

 

 重い空気を少しでも変えようと、軽い調子で言ってみた。

 けれど、側から見ればそれが振り絞って出した空元気だと見てわかる。大技を連発して、早期の決着をつけなくてはいけなかった。それほど疲弊しているリヒトが無理をして軽い調子で言っていることは真姫の聴力を持ってすればすぐにわかる。

 

「……ええ、そうね」

 

 その声音は納得したものか。それとも納得していないものか。今のリヒトに真姫の心情を読み取るほどの余裕はない。

 

「急いで別荘に戻ろう。絢瀬たちが心配だ」

 

 こっちが襲われた以上、別荘組の安否も気になる。

 

「でも、どうするん? ギンガの力は使い果たしてもうたよ?」

「…………」

 

 希の言う通り。ウルトラマンギンガへのウルトライブはしばらくできない。ギンガスパークを握り、力の感触を探ってみるも無反応。クールタイムが必要なのだろう。

 

(ここから走っても、別荘まではまだ距離がある。最短で辿り着くには、ウルトラマンティガにウルトライブするしか──)

 

 そこまで考えた時、ギンガスパークが反応を示した。

 リヒトたちの周囲に敵がまだいたのか。

 いいや違う。ポケットにしまっていたリヒトのスマートフォンが着信音を鳴らし、すぐに切れた。

 

 

 

 それは事前に絵里と話して決めていた、緊急時のコールサイン──『リヒトのスマホに電話をかけ、すぐに切る』こと。

 

 

 

「まずい! 絢瀬たちが危ない!」

 

 その言葉の意味を真姫もすぐに理解したのだろう。焦りの表情が浮かび上がる。

 

「希、ティガのスパークドールズを貸してくれ。一気に行く」

 

 希は頷き、取り出したウルトラマンティガのスパークドールズを渡す。

 受け取ったリヒトはすぐにギンガスパークでリードするのだった。

 

『ウルトライブ! ウルトラマンティガ!』

 

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 

 別荘では、まさに生死が隣り合った状況にあった。

 運が良かったのは状況の変化にことりがいち早く気づいたこと。夕日が沈む瞬間の『グリーンフラッシュ現象』を見ようと、窓から外を見ていたのが幸いした。

 少女たちが目にしたのは待ち焦がれた『グリーンフラッシュ現象』ではなく、赤黒いオーロラが空を覆う光景。

 ことりはすぐに、それがファーストライブの日に見たものと一緒だと理解した。

 

 

 つまり、これから怪獣が現れるのだと。

 

 

「みんな!」

 

 ことりが叫ぶのと同時。

 雄叫びあげ出現する怪獣。そのサイズはこれまで見てきた巨大なものとは違った。

 等身大のサイズ。しかし二メートルはある生物。白い二つの眼がこちらを捉えている。

 

『凶暴エイリアン ボーダ星人』それが怪物の名称。

 

 少女たちは戦慄する。間違いなくアレは自分たちを狙っていると。

 絵里はリヒトから言われていた通り、すぐにスマートフォンを取り出す。恐怖で震え、押し間違えそうになるボタンを必死で押す。

 ワンコール、その後すぐにボーダ星人が襲いかかってきた。

 逃げる。それしか選択肢はなかった。

 窓を破り、室内にやってくる怪物。恐ろしいほどまでのパワーを持っている。あんなもの、生身の人間が受けたらどうなってしまうのか、考えるまでもない。

 雄叫びが体を震わせ、足を震わせ、恐怖が体を固める。二メートルはある怪物だが、パワーだけでなく俊敏さも兼ね備えているらしい。ひとっ飛びでボーダ星人は花陽の目の前に現れた。

 一歩、逃げ遅れた花陽をボーダ星人は見逃さなかった。

 

「かよちん!!!!」

 

 凛の悲鳴が聞こえる。運動神経が良い凛は先に動いていた。咄嗟に親友の手を掴めなかったことに途方もない後悔が押し寄せてくる。

 しかし、位置の関係でそれは仕方のないことだった。

 隣であればすぐにその手を取っただろう。だが、凛は窓へ、花陽は窓から離れた位置にいた。

 普段一緒にいるはずの二人が、たまたま離れていた。それは神様のいたずらか。

 

「──!!」

 

 目の前に映る怪物は『死』。死の具現化。振り下ろされる鋭利な爪は花陽の体など容易く切り裂くだろう。

 

「花陽!!」

 

 そんな彼女のために、持てる勇気を振り絞ったのは絵里だった。絵里はかつてワロガにダークライブした経験、そして生贄となる一歩手前までの恐怖を経験している。その経験があってか、それとも彼女の性格か。

 とにかく、絵里の足は動いた。その手にはリヒトより託された『ギンガライトスパーク』がある。それをかむしゃらに振るう。

 ガンッ!! と音。

 一瞬、腕が繋が千切れたのではないかと錯覚する。

 ──大丈夫。腕は繋がっている。骨も折れていない。肉片に変わり果てていない。無事な腕がそこにあった。

 ボーダ星人は攻撃が来るとは考えていなかったのか。ギロリとその白目で絵里を見る。

 

「────」

 

 絵里は死を悟った。

 間違いなく、これは死ぬと。

 花陽は助かったのか。

 みんなは逃げ切れたのか。

 しかし、死よりも先に、首にかけている青い輝石が光を放つ。

 目眩し。ボーダ星人がバックステップで距離をとった。

 

「花陽! 大丈夫!?」

「え、絵里ちゃん……」

 

 花陽は腰が抜けている。すぐには行動に移せない。

 どうする? と考える。

 一方で、背後では穂乃果と海未がなんとかしようと奮闘している。穂乃果の持つ赤い輝石の光を海未の持つ『イージスの破片』で矢に変え応戦しようと考えているのだ。

 ボーダ星人は絵里からの追撃がないと判断したのか、慎重にこちらを伺っていた体勢から一転。こちらへ再び迫ってくる。

 

「──っ」

 

 絵里は戦慄する。

 しかし、

 

 

 

 ──窓から新たな光が絵里の前に飛び込んできた。

 

 

 ボーダ星人はその光に弾かれ、吹き飛ぶ。

 光はやがて収まると、光の戦士の姿が顕になる。

 ウルトラマンギンガとは違う、パープル一色の戦士。

 その名はウルトラマンティガ。そしてパープル一色の姿はスピードの特化したスカイタイプ。

 

「エリチ! みんな! 無事!?」

「希!? それに真姫も!?」

 

 ティガと共に希と真姫が現れる。

 そして同時に、目の前のティガに変身しているのがリヒトであることに気づく。

 ティガは一度こちらを、そしてみんなを見る。

 無事を確認しているのだろう。そして、改めてボーダ星人へと向き直る。ボーダ星人は現れたティガを睨み、体勢を低く構えていた。

 戦闘準備万端といった様子。

 先に駆け出したのは──ボーダ星人だった。

 突進攻撃をティガは正面から迎え撃つ。回避はできない。背後にはμ’sのメンバーがいる。ボーダ星人の突進はほぼ頭突きのような攻撃だ。ティガはそれを受け止めるが、体が後ろへのけぞる。倒れそうになるのを右足を後ろに下げたえる。

 二度目の突撃。近距離での攻防が始まる。頭突きを抑え込むように止めると、スカイタイプの持ち味を生かした連続の打撃を頭部に打つ。肘打ち、そしてアッパー。ボーダ星人も後ろにのけぞるが、すぐに三度の激突。

 頭部を掴んだところで、乱雑に振られ、ティガの体が窓の方へと飛ぶ。ティガはそのまま床を転がり、体勢を立て直す。

 ボーダ星人の追撃。

 ティガは後ろに大きく跳び、室外へと戦場を移そうとする。

 着地したティガは構え、前に出した右掌を上に向け、指を内側に何度か折ってみる。『こっちへ来い』というジェスチャーは、果たしてボーダ星人にも通じたようだ。

 先ほどまでの突進と違い、ジャンプで一気に距離を詰めてきた。そのスピードは速い。飛びかかりに近い。

 ティガはそれを回避し、背中に蹴りを叩き込む。二撃、三撃。しかしボーダ星人はすぐに体の向きを変え、四撃目の蹴りを叩き落とす。

 再びの突撃。頭部を掴んで止めるが、それを無理矢理押し込んでこようとする。ティガは自分の体ごとドリルのように回転させ、ボーダ星人ごと地に倒れる。

 すぐに起き上がり、追撃の前にボーダ星人が掌から赤い光弾を放った。胸部から火花を上げ倒れるティガ。

 そこへ、のし掛かろうとするボーダ星人。転がって回避するティガ。

 

「あの怪獣、動きが速い……」

 

 室内から戦いを見ていた絵里がポツリと言った。

 

「あのウルトラマンと同じくらい?」と同じく近くで見ていた真姫が言った。

「そうやね。あのウルトラマンも今の姿はスピードに特化した姿なんやけど、それと互角やね」

 

 スカイタイプはティガの姿の中でスピードに特化した姿だ。そのティガと互角の速度で戦っているボーダ星人の戦闘力がいかに高いかわかる。

 

「……勝てるわよね?」

「…………」

 

 絵里の問いかけに希は答えない。代わりに戦況を難しい目で見つめていた。

 回避したティガは膝をついたまますぐに立ち上がらない。

 ──リヒトのスタミナが限界に近い。先ほどギンガのウルトライブが解除された時も、膝をつき荒い呼吸をしていた。

 音ノ木町を離れた時から、敵の襲撃を警戒し、ウルトラマンギンガに変身しての戦闘。そして、ティガにウルトライブしてスカイタイプが出せる全力のスピードで別荘へと帰還し、そのまま第二の戦闘が始まった。疲労はピークに達しているはずだ。

 それを見逃さないボーダ星人は飛びかかった。

 回避は間に合わない。

 両手でティガの首を絞める。

 ティガはそのまま背中から倒れてしまう。逃げ道を失い、そしてついにカラータイマーが点滅を始める。

 

「ちょっと……あれまずいんじゃないの!?」

「海未ちゃん! ほら早く弓矢だよ!」

「無茶を言わないでください!」

 

 にこの言葉に急かされるように、穂乃果が海未の肩を揺する。

 ティガのスカイタイプはスピードに特化した分、パワーが劣るのだ。ボーダ星人はスピードもスカイタイプに迫るほどの力を持ち、加えてパワーもある。スカイタイプでは太刀打ちできない。

 つまり、ティガが取る選択は一つだった。

 右の拳を握り締め、額のクリスタルの前に構える。

 クリスタルが赤く輝き、腕が振り下ろされると、パープル一色からレッド一色に変わる。

 

 

 ──瞬間、ボーダ星人の腕を掴んだティガの手に力が籠る。

 

 

 グググ、とボーダ星人の手がティガの首から離れていく。そのままボーダ星人の腹部に右足を当て、押し上げる。背後へ飛んでいくボーダ星人。

 

「姿が赤くなってる……!」

「ほんとにゃ!」

 

 起き上がったティガの姿の変化に、花陽と凛が声を上げる。

 拳を構え、ティガはボーダ星人に迫る。パンチの一撃一撃が、速度こそ落ちているが威力は格段に上がっている。

 拳がボーダ星人の体を捉えていく。

 大きく吹き飛ぶボーダ星人。

 ティガは再びクリスタルの前に両腕を持っていき、その姿をパープルとレッドの二色に変える。

 パワーとスピードのバランスが取れた、マルチタイプ。

 そして両腕を前に突き出し交差。大きく横に広げていき、エネルギーを溜めていく。

 腕をL字に構え、放たれる必殺の一撃(ゼペリオン光線)。それはウルトラマンティガが持つ必殺技の中で一番の威力を誇る。

 ゼペリオン光線はボーダ星人の体を撃ち抜き、爆散。スパークドールズへと姿を変え、地面へと落ちた。

 戦いに決着が付いた。

 ティガは最後にμ’sメンバーの方を見る。

 そして、空へと飛び去って行った。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 ティガの力を使い切った。

 これで、残り手元にあるのは怪獣のスパークドールズだけ。戦力としてはウルトラマンと比べると落ちるが、それでもウルトライブに制限時間がないことと、手数での勝負はできる。

 だがそれよりも問題なのは体力だ。限界が近い。もしこれが敵の狙い通りなのだとしたら、まさに陥ってしまった状況。

 最悪だ。

 

(けど……これで襲ってくるだろ。迎え打てばいいだよ)

 

 強気な言葉を使って、闘争心を奮い立たせる。

 ここで、リヒトのスマホが震えた。画面には希の名前。

 

「どうした?」

『その声、かなり疲れてるみたいやね』

「……まあな。けど問題ねえよ。それよりどうしたんだ? 電話なんて」

『みんな、りっくんがいないこと心配しとるよ。早くしないと、女の子のピンチに駆け付けなかった情けない男の子になっとしまうよ』

「それは困るな。一番頑張ってるのに」

『だからなんとか誤魔化しとるよ。けど、もうみんな知っとる感じしない?』

 

 確かに、リヒトがウルトラマンだと知らないのは穂乃果、海未、凛の三人。曖昧なのが花陽、と言う状況だ。九人の内五人は知っているこの状況で、果たして誤魔化す必要があるのか。

 ちょっとだけ疑問が湧いてくる。

 

「まあ、知らないなら知らない方がいいだろ」

『……けど、りっくん。状況はかなり悪いよ。ウルトラマンの力がない以上、どうするつもり?』

「なんとかするさ。あ、それよりそろそろ別荘に着く。また後でな」

 

 変身を解除する以上、バレないように少し離れた位置にいた。

 そこから歩いて数分。ようやく目の前に別荘が見えてきた。

 疲労はかなりある。けれど、それを隠すように深呼吸して、リヒトがドアノブに手をかけるのだった。




第15話・完


○登場怪獣
・ヴァイロ星人
・生物機械兵器 バドリュード
・凶暴エイリアン ボーダ星人

◯あとがき
これにて第15話終了です。
次回からは第二部のラストエピソード。
いよいよこの作品を描き始めた時に考えていた対戦カードが描かれます。
頑張りますので、どうぞ、よろしくお願いします。


◯次回予告
μ’sの合宿を終え、音ノ木町へと戻ってきたリヒト。
そんな彼の元にひとつの小包が届く。
それは決して開けてはいけない禁断の⬛︎⬛︎⬛︎が──。
⬛︎⬛︎が──られて──た。
動きだ──⬛︎⬛︎……ぁ……。
次回 第16話「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎襲来」


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第16話 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎襲来
第一章:◼️◼️◼️◼️


お待たせしました。

第二部佳境。

スタートです。


[00]

 

 頬を叩く大粒の雨。

 鼓膜を震わす雨音。

 空は厚い雲に覆われ、夏の季節には似合わない大雨が降っていた。

 漂う空気はどんよりと重く、まるでこの場にいる二人の少女の心象風景のようだ。

 言葉を発さず、指先すら動かさず、少女たちは雨に打たれている。

 少女たちは先ほどまで嵐の中にいた。暴力が乱舞する。轟音と烈風が襲いかかる。まさに嵐のような世界。そこから抜け出して戻ってきた。

 一人の少年の命と引き換えに。

 

 

 

 園田海未は目の前で起きたことが未だに理解できない。理解しようと頭を働かせるが、理解するための情報がない。故にわからない。何をどう見て、どう考えれば答えに辿り着けるのか。問題を解こうとしても、解き方がわからない以上考えは進まない。

 

 

 

 絢瀬絵里は何が起きたのか、海未に比べれば理解している。理解しているからこそ、目の前で起きてしまったことが如何に絶望的なのかわかってしまう。

 震える手を伸ばしても、そこに彼の背中はもうない。

 

「……ぁ」

 

 絵里の口から漏れるのは言葉ではなくただの音。

 思考がままならない。思考は雨に流されていく。

 

 

 二人の持っている情報は圧倒的に違う。違うからこそ、それぞれの感じ方も異なっている。

 やがて、海未は答えは出せなくても状況の整理はできるかもしれないと、先ほど起きたことを一つ一つ考えることにした。

 その上ではっきりとしたことは、幼い頃からの友人が暴力の嵐に飲み込まれ、赤い海に沈み、そして自分たちを助けるために消えたということ。

 彼は帰らぬ人となった。

 自分たちを逃すために、暴力の嵐に飛び込んだのだ。

 もう二度と戻っては来れないのだと、覚悟していただろう。別れの言葉はひどく簡素だったと、今になって思い出した。

 ──その途端、海未もまた膝から崩れ落ちた。

 少ない情報で答えを探し、導き出したものは、絵里には及ばないがそれでもショックを受けるには十分だった。

 ──その手に握るY字型の結晶が熱を帯びているが、それが示す意味を海未は知らない。知っていれば、いや、知っていたとしても材料が足りない。

 雨の音だけが響く。

 そこへ、

 

「──エリチ、海未ちゃん」

 

 二人の名を呼ぶ声。

 声の主は東條希。奉次郎とともに傘をさして現れた。

 

「──」

 

 絵里は希の名を声にしたはずだが、あまりにも細い声は雨音にかき消される。

 希は目を細めて、視線を逸らした。まるで傘で己の顔を隠すように、目の前の光景を遮るように、傘で顔を隠した。

 

「まずはウチに来なさい。このままじゃと風邪を引いてしまう」

 

 努めて冷静に言っているのだろうと感じられた。

 二人は奉次郎に連れられ、榊家へと向かった。

 

 

 

[01]

 

 

 

 ──時は遡る。

 μ’sの合宿二日目は、一日目とは打って変わってほぼ練習に充てられた。海未が予定していた通り、砂浜で基礎体力向上のメニューを中心に練習が行われ、曲を使ってのダンス練習は最小限にとどめられた。そのおかげか、二日目の夜は皆ぐっすりと眠っていた。敵の襲撃もなかったため、その光景は一日目とは真逆だったと言えるだろう。

 二日間の合宿が終えたことで、予定通り音ノ木町へと帰ってきた。ここから二日間は練習がお休みとなっている。無論、合宿での疲れを癒す目的もあるが、もう一つ少女たちにとって重要な理由がある。

 それは夏休みの宿題だ。μ’sは『スクールアイドル』、すなわち学校のアイドル。学校という場に通っている以上、当然長期の休みにはそれなりの量の宿題が出る。当初の予定では合宿中に勉強時間を設けることになっていたのだが、練習の疲労から誰一人として課題に手を出すことはなかった。出せなかった、とも言えるほどに二日目の練習は過酷だったのだ。

 そのため、本来一日の休みを二日設けることとなったのだ。無論、メンバーの中には夏休みの宿題を最終日にやる者もいるため、それを回避する意味も込められていた。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

「ねえ、本当に大丈夫?」

 

 絵里から心配の声をかけられた。そんなにか? と疑問が湧くが、窓に反射して見えた自分の顔に、その疑問は当然かと思った。

 鏡に映る自分の顔は、ひどく危ういものだった。目の下にはクマが浮かんでおり、顔色も良くない。二日間寝ないだけで、こんなにも酷い顔になるんだなと、頭の片隅で思った。

 

「……大丈夫だ」

 

 自分の口から出たはずの言葉が遠く聞こえる。

 こうなった原因は理解している。ここ二日間ろくな睡眠をとっていないのが原因だ。元々こうなることは覚悟していた。音ノ木町を離れるということは、敵の襲撃を受けやすいということ。

 実際、一日目は敵の襲撃があった。それをウルトラマンギンガとウルトラマンティガに変身(ウルトライブ)して迎撃した。迎撃して分かったことは、ウルトラマンへの連続変身は想像以上に堪えるものだということ。疲労感が残る中、夜を明かし、二日目の合宿はμ’sのコーチとして指導にあたった。

 特に指導しているときは、最近の不甲斐なさを払拭するためより集中して彼女たちの指導にあたったのだ。もちろん、睡眠を取っていないことを隠す意味も含まれている。

 そして、皆が寝静まった後、再びカフェインをお供に襲撃の警戒にあたる。その生活によって体力、精神共に限界が来ていた。

 

「嘘言ってんじゃないわよ。あんた今ひどい顔よ」

 

 と、矢澤にこの声が飛んできた。

 今リヒトは他のメンバーたちとは別の場所に移動している。音ノ木町に戻ってきたことで、『イージスの加護』の範囲内に入ったのだ。もう敵からの直接的な襲撃を警戒しなくて良い。その安心感から集中力が途切れ、一気に睡魔などがやってきた。

 そんな姿を少女たちに見せるわけにはいかない。少女たちにいらない心配をさせないためにリヒトは一度距離を取ったのだ。

 しかし、どうやらそれが逆に要らぬ心配をかけてしまったらしい。絵里だけでなくにこが来たことで、そう思わされた。

 

「矢澤……」

「わかってるわよ。あんたが私たちのために起きていてくれたことくらい。でもね、大丈夫じゃないのに『大丈夫』なんて言うんじゃないわよ」

 

 にこは自分が怪獣になった時のことを鮮明に覚えているらしく、その影響でリヒトがウルトラマンギンガであることを知っている。だからリヒトがこの二日間、眠らずに敵の襲撃を警戒していたことも察していた。

 

「あんたはこのままタクシーにでも乗って、さっさと家に帰りなさい。あいつらには私から説明しといてあげるから」

「……ちなみになんて?」

「『体調が優れないからタクシーで先に帰らせた』ってね。心配しなくても、あんたがウルトラマンだってことは話さないわよ。というか、誰が知ってて、誰が知らないのか私知らないし」

「…………」

「何よ」

「……いや、矢澤って結構面倒見いいんだなって。見た目によらず」

「誰が小さいですってぇ?」

「小さいなんて言ってないだろ……」

 

 つい出てしまった言葉に思いの外強く反応されてしまった。慌てて訂正をするが、リヒトの様子を考えてくれてなのか、これ以上追及はされなかった。ただ「今度覚えてなさいよ」と釘は刺されたが……。

 

「んじゃ、お言葉に甘えて先に帰るわ」

 

 リヒトは荷物を担ぎ直すと、人気(ひとけ)のない場所へ向かう。

 その背中に向け絵里から声をかけられた。

 

「ちょっと、タクシー乗り場はそっちじゃないわよ」

「わかってるよ。タクシーは使わねえ。俺にはこれがあるからよ」

 

 そう言って、ギンガスパークを取り出した。首を傾げる二人をよそに、ウルトラマンティガのスパークドールズをリード。ティガにウルトライブすると、テレポートで一気に榊家まで移動した。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 振り返ってみれば、敵の襲撃は一日目の夕方のみだった。二日目に入ってから、ギンガスパークが反応を示したことは一度もなく、夜は嫌なくらいに静かだった。ギンガスパークが感知できない『白い少女』についても、希に何度か確認をしたがいずれも首を横に振るだけ。

 終わってみれば、リヒトだけが消耗している状況。これが敵の狙いだったのか。もしそうなら、今のリヒトは精神的にも肉体的にも限界を迎えている。狙い通りの結果になってしまっている。今はいち早く回復に努めなければならない。

 

(限界だ。寝たい)

 

 玄関のドアを開ける。

 家の中はシン……、と静まり返っていた。

 

「……じいちゃん?」

 

 声をかけてみるも、返答はない。

 どうやら家の主である(さかき)奉次郎(ほうじろう)は外出中らしい。これなら家の中にテレポートしても良かったな、と思いながら自室へと向かおうとして、そのまま限界でダウンした。家に着いたことで、より一層体の緊張がほぐれたのだろう。いよいよ限界。ゆっくりと瞼が閉じていき、一瞬にしてリヒトは眠りについた。

 

 

 

 ……眠りについて、どれぐらい経っただろうか。

 ──ピンポーン、とチャイムの音が玄関に鳴り響いた。

 

 

 

 チャイムは一度で終わらず、2度、3度と続けて鳴らされる。まるで急いでいるかのように、間の感覚が短い。

 これが自室だったら気づかなかっただろう。しかし、今リヒトは玄関にいる。音がダイレクトに鼓膜を揺らす。

 

(マジか……)

 

 無視をしようにもチャイムは鳴り止まない。というか、無視できないレベルでなり続けている。その音からは、どうしても誰かに出てきて欲しいと、切羽詰まっているように感じる。

 リヒトは渋々出ることにした。

 

「今、出ます……」

 

 他人とはいえ、せめてマシに見えるように表情筋に力を入れた。

 しかしその表情はすぐに崩れた。

 

「──え」

 

 ドアを開けると、ボロボロの男が一人立っていた。

 一瞬で頭が真っ白になる。

 男の体には切り傷や痣が痛ましく刻まれており、唇の端には固まった血痕が見られる。肩が上下に激しく動いており、浅い呼吸を何度も繰り返す。その表情は危機迫るものであった。

 眠気を飛ばすには十分すぎる光景。一体何が、と疑問を感じていると、ボロボロの男が口を開いた。

 

「ほ、奉次郎さまは……いら、っしゃい、ます、か……」

 

 奉次郎、とはリヒトの母方の祖父の名前。この家の主。そういえば今は外出中、と頭の中で言葉を整理する。

 

「祖父は今、いません」

 

 リヒトがそう答えると、男は落胆した。その表情にあった焦りと不安がより強くなる。

 

「……いつ頃、お戻りに……なられるので、しょうか」

「すみません……僕もさっき帰ってきたばかりなので、祖父がどこに行っているのか、いつ帰るのか、まったくわかりません」

「……そう、です、か」

 

 男は立っているのがやっとといった様子。

 突然の光景にリヒトの思考が追いつかない。真っ白の頭はなにも導き出してくれない。

 

「リヒトくん? ……っ!?」

 

 そこへ、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 絢瀬絵里の声だ。先ほど別れたばかりの絵里が、今家の前にいる。

 

「絢瀬? なんでここに……」

「そんなこと後で! この人どうしたの!? 救急車は呼んだ?」

「いや、まだ……」

「なら急いで! 大丈夫ですか?」

 

 絵里の言葉でリヒトは弾かれるようにスマホを取り出した。画面をタップして、救急車を呼ぶ。

 

「いや、呼ぶ、必要は──っぐ、それより、これを、奉次郎様、に……」

 

 男はもっていた小さな小包を差し出そうとして、限界を迎えたのか倒れ込んでしまった。

 ぐったりと倒れる男を受け止めるリヒト。

 

「ちょっと! 大丈夫ですか!?」

 

 リヒトは男に何度か声をかけるが、意識を失った男が目覚めることはなかった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 あのあと、男は救急車に乗せられ西木野総合病院へと運ばれた。容体はひどいものではあったが、命に別状はないと看護師から告げられた。

 しかし、男の素性がわからない、という問題があった。榊家を訪れてきたのだから、面識のある人間なのだろうと考えることはできるが、過去に面識があったとしても、記憶喪失である今のリヒトが覚えているはずがない。奉次郎に連絡を取ってみるも、スマートフォンの電源が切られているため繋がらなかった。

 これでは、男が一体どこの誰なのかがまったくわからない。少なくとも、奉次郎を訪ねてきたのだから、完全に知らない相手ではないだろう。

 いずれにせよ、男の意識が戻るのを待つか、奉次郎と連絡がつくのを待つか、そのどちらしかなかった。

 よってこれ以上ここにいても仕方がないと思い、リヒトは西木野総合病院を後にすることにした。受付のロビーで待っていた絵里は、リヒトの姿を見つけると、

 

「さっきの人、大丈夫だった?」

 

 と、言ってきた。

 

「命に別状はないって。ただ、俺もあの人が誰かわからないし、じいちゃんにも連絡がつかないから、身元不明って感じ」

「そう」

「ここにいても仕方ないし、俺は一旦帰るけど、絢瀬はどうする?」

「見送るわよ」

「誰を?」

「リヒトくんを」

 

 俺? と疑問を浮かべると、

 

「リヒトくん、今自分がひどい顔してる自覚あるのかしら」

 

 と、ジト目を向けられた。

 

「……そんなにひどいか?」

「自覚がないならここでリヒトくんも診てもらった方がいいわ」

 

 なぜだろう、少し絵里の言葉に棘を感じる。きっとここで「大丈夫」だと言っても、信じてもらえないだろう。というより、リヒトが何を言ってもそれを無視して見送りに来るに違いない。

 リヒトの雰囲気から観念したと感じ取ったのか、絵里が得意げな笑みを浮かべて後を付いて来た。

 

「そうだ。さっきは助かったよ、ありがとう。絢瀬が来てくれなかったら、何もできなかったから」

「気にしなくていいわよ」

「でもなんでウチに来たんだ?」

「……リヒトくんが心配だったからよ」

 

 と、少し頬を赤めながら絵里は言った。

 

「…………」

 

 その表情に多少面を食らっていると、恥ずかしさが優ったのか、絵里は慌てて次の言葉を続けた。

 

「ところで、その手に持っているのは何?」

「ああ、これな。あの人がじいちゃんに渡すために持ってきた、らしい……」

「らしいって」

「仕方ねえだろ。本当かどうか確認する前に意識失っちまったんだから」

 

 リヒトの手には男が持っていた小包がある。意識を失う前、男はこれを奉次郎に届けに来た様子だった。しかし、あいにく奉次郎は不在にしている。そのため、リヒトが代わりに預かって来たのだ。これなら家に奉次郎が帰ってきた時、状況の説明と同時に渡すことができる。

 しかし、中身の詳細については不明。訊く前に意識を失ってしまったため、わかるのはこれが奉次郎宛ということだけだ。

 小包はとても小さな箱だった。茶色一色の無地の箱。テープで封はされているが、運ばれている途中で何度も落としたのか、かなりボロボロだった。テープが剥がれかけていたり、角が凹んでいたりと、乱雑に運ばれていたのがわかる。軽く振ってみるが中から音はしない。中身は無事のようだ。

 

「ちょっと、振って大丈夫なの?」

「たぶん……変に動いている感じしないし」

(それにしても、あの男の人の感じからかなり重要なものだよな……? 何が入ってんだ?)

 

 好奇心から中身を開けてみたくなる。

 しかし、奉次郎宛のものを勝手に開けていいものだろうか。何か、奉次郎が受け取るようなものを考えてみるが見当もつかない。

 これ以上考えても仕方なさそうだ。

 と、そこで病院の外から出たタイミングで、また見知った相手に遭遇した。

 

「? 海未?」

「リヒトさん!? それに絵里も……」

 

 その相手は園田海未だった。彼女は驚いた表情でこちらを見ている。

 

「どうして二人がここにいるんですか?」

「俺は……」

 

 と、言いかけて考えた。先ほど起きたことを正直に話して良いものかと。

 冷静に考えれば、奉次郎の知人らしき人物が病院へ運ばれるほどの大怪我を負ってやって来た、など穏やかなことではない。これがまだ相手の素性がわかればなんとかなったかもしれない。しかし相手の素性は不明。かといって、何か代案が思い付く訳でもなかった。

 

「……ま、なんだ」

「リヒトくんの様子が気になって家に行ってみたら倒れてたの。だから、様子見のため病院にね」

 

 リヒトが言葉を放つ前に、絵里がまっすぐな声音で説明をした。

 嘘と真実が混ざった絶妙な嘘。思わずリヒトがぽかんと口を開けてしまうくらい。

 

「そ、そうですか……やっぱり、無理してたんですね」

 

 哀れみの目を向けてくる海未。

「そうなのよ」と絵里が一押しする。

 そうだ。海未は押しに弱い。根が真面目、加えて合宿中の先輩禁止も人一倍慣れるのに時間がかかった。先ほどから絵里のことを呼び捨てで呼べているとはいえ、彼女の奥底ではまだ『絵里=先輩』が残っている。

 だから絵里が屈託のない笑みで言えば、当然信じてしまう。

 

「……まあ、な」

 

 違う、と否定したい気持ちを押し殺す。ここで否定しても話が難しくなるだけだ。なら、絵里がついた嘘に乗るしかない。なぜかリヒトは心に少しばかりのダメージを負った。

 

「それより、海未はどうしてここに来たんだよ。まさか合宿中に怪我してて、それを隠してたとかじゃないだろうな?」

「違います。その……」

 

 少しだけ語気が強くなってしまった。申し訳ないと思いつつ、しかし言い淀む海未に眉を顰めた。海未がここへ来る理由に見当もつかない。

 

「実は──」

 

 と、海未はその手に持つものをこちらに見せてきた。

 

「これなんですけど」

 

 海未の掌にあるのはオレンジ色のY字型の鉱石のようなもの。紐で繋がれ、よく海未が首にかけているものだ。父親からお守りとしてもらったものだと、以前聞いたことがある。

 そしてリヒトの記憶には、それがとあるウルトラマンの胸にあるものと同じもののように見えた。

 

「私の勘違いかもしれませんが、さっきから何かに反応しているみたいなんです。それで、その反応の行き先に向かっていたらここに」

 

 海未の言う通り、鉱石のようなものは何かに反応しているかのようにほんのりと光っている。もっとよく見ようとリヒトが近づいた時、その光はより早く、はっきりと点滅を始める。

 

「リヒトくんに反応した?」

「え? 俺?」

「だってリヒトくんが近づいたら早くなったわよ」

「絢瀬だって近づいただろ」

「私に反応するわけないじゃない」

「なんで」

「なんでって」

 

 ムスッとした表情でリヒトを見てくる。

 なんでそんな表情をされるかわからない。

 

「心当たりなんて──」

 

『──リヒト』

 

 と、突然あたりの視界が真っ白に染まると、ギンガの声が聞こえてきた。

 

「うお!? びっくりした……急になんだよ」

『彼女が持っているのは「イージスの破片」だ』

「イージスの、破片……?」

 

 とても聞き覚えのある単語が含まれていた。

 

「それって神田明神の地下で眠っている『イージスの力』のことか?」

『そうだ。「イージスの力」から産み落とされたもの。わずかだが「イージスの力」と同い効力を発揮する。そして、その破片が反応を示しているのは君が持っている小包に対してだ』

「え? これに?」

『その小包には「封印」が施されている。気にはしていたが、「イージスの破片」が反応していると言うことは、とても危険なものが封印されているのだろう。急いで神田明神へ戻るんだ。これが奴らの手に渡る前に』

 

 そこまで言われて、視界に広がる世界が現実のものへと戻った。

 

「リヒトさん?」

「え? 何?」

「急に静かになったので……どうかしたんですか?」

「いや……」

 

 先ほどのギンガの言葉が気になり、小包を胸の前に持ってくる。

 すると、ちょうど高さが『イージスの破片』と近くなり、輝きがより強くなった。

 

「小包に反応している?」

 

 と、絵里が言った。

 

「…………」

 

 リヒトは、ふと剥がれかけているテープに目が入った。

 少し剥がれかけているテープ。そのテープが()()()()()()()()()()()

 

「──!?」

 

 ゾワリ、と何か嫌な予感がリヒトの背中に走る。

 

「……悪い、用事思い出したから神田明神に行くわ」

「急にどうしたんですか?」

「何か、何かすごく嫌な予感というか……うまく説明できねえんだけど。とにかく神田明神に行く」

 

 そう言って、リヒトは歩き出した。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 走り去るリヒトの後ろ姿を見送る人影があった。

『白い少女』。

 彼女はその背中を見つめながら、

 

「流石に漏れてはいないか。よほど厳重に封をしたようだな。面倒だが、仕方ない。手伝ってやるか」

 

 と言って、その場から消えた。



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第二章:終焉

お久しぶりの更新です。
第16話の佳境。
どうぞ。


[02]

 

 神田明神へと急ぐ一条リヒト。その足は次第に早まっていった。まるで小包から感じる恐怖に突き動かされているように足を動かす。事実リヒトの頬を一滴の汗が流れ落ちていた。

 リヒト自身、なぜここまで急ぐのかわかっていない。わからないが、一刻も早く神田明神へ辿り着かなくてはいけない事だけはわかる。焦りと恐怖を脇に抱えているなんの変哲もない小包から与えられる。

 しかし、西木野総合病院から神田明神まではそれなりに距離がある。残念ながら恐怖が支配している頭では、最短ルートの候補が思考に浮かび上がってこない。故に、途中の信号機で足を止めることとなった。

 

 

 

 その時、背中に何か強い衝撃を受けた。

 

 

 

「──!?」

 

 車道に体が飛び出る。別の恐怖が一条リヒトに走る。車に轢かれるかもしれないという死の恐怖。

 歩行者用の信号機が赤ならば、当然車道の信号機は青。車に轢かれてもおかしくはない状況。

 しかし──幸というべきか──信号が変わったタイミングだったので、車はまだ発車していない。代わりにクラクションと運転手の怒号が飛んできた。

 運転手に頭を下げ、一体誰がこんなふざけたことをしたのかと、後ろを振り返る。

 しかし、そこには誰もいない。

 

「…………」

 

 犯人は逃げた。そう考えられるが、それにしては姿を消すのが早すぎる。リヒトの背中を押して、それから音も気配もなく姿を消せるのか。

 疑問は解決しないが、今優先すべきは小包を神田明神へ届けることだ。考えることを中断し、手放してしまった小包の行方を探す。

 先ほどの衝撃で手放してしまった小包は、幸い車道ではなく歩道の端に転がっていた。拾い上げると、その形は落とした衝撃でより歪んでしまっていた。元々、奉次郎を訪ねてやってきた男性が持っていた時点でボロボロだったのだ。それがより歪んでしまっている。

 

「ん? 破れてる」

 

 破れている箇所を見つけた時、

 

 

 

 ゾワリと、とてつもない嫌な感覚が背中に走った。

 

 

 

「──っ!?」

 

 咄嗟に手で破れた箇所を覆う。

 背筋に走った感覚は、今までに感じたことのない感覚だった。生命本能が危険を知らせるアラート。この小包の中身は常識の範疇を超えた得体の知れないもの。今すぐこれを捨てろ、手放せ、関わるなと、様々なアラートが脳内を走る。

 濁流の投げれる思考を止めるように、肩に手を置かれた。

 反射的に払い除けて振り返ると、それは絵里の手だったことに気づく。

 

「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいじゃない」

 

 むすっとした絵里の表情。

 

「わ、悪い」

 

 謝ると、絵里の表情が怪訝なものへと変わる。

 

「大丈夫? さっきより顔色悪くなってるけど」

「……大丈夫、だ」

 

 と、まるで自分自身に言い聞かせるように言う。

 息を吸って、

 

「それよりなんで着いてきてるんだ?」

 

 と言った。

 

「あのね、見送るって言ったでしょ」

 

 呆れながら絵里は続ける。

 

「それにいきなり、なんの説明もなしに帰ると言われて、置いていかれるこっちの身にもなってちょうだい」

 

 少し怒っているようだった。考えれば、寝不足なリヒトの容体を心配してわざわざ家にまでやってきてくれたのだ。それを放置、とまではいかないが、せっかくの行為を無碍にされてはたまったものではないだろう。

 どうやって機嫌を直してもらおうかと考えると、絵里の隣で海未が神妙な顔つきになっていることに気づいた。

 

「海未? どうした?」

 

 リヒトが問いかけると、海未は震える指先でこちらを指してきた。

 

「リヒトさん……その、小包……」

 

 正確にはリヒトが持つ小包を示している。

 

「これか?」

「はい……」海未の声はとてもか細い「なんだか、とても嫌な感覚がするんです……いえ、私がそう感じているのではなく、これが感じとっていると言いますか……」

 

 海未の持つ『イージスの破片』が震えている。先ほどよりも強く震えるそれは、何か危険を知らせているように見える。先ほどリヒトが感じたものが、とても危険なものであるかのような、そんなことが読み取れる。

 

「……とにかく、俺は神田明神に行かなくちゃいけない。海未のソレもこの小包に反応してるしな」

 

 リヒトは小包を指しながら、

 

「これがここにあるとまずい。詳しくは俺もわかんねえけど、でも、とにかく安全な場所へ行かないといけないことだけはわかるんだ」

 

 自分でも説明になっていないと自覚している。

 二人は訳がわからない、という表情を浮かべているが、リヒトも詳細な説明ができるわけではない。とにかく、今優先すべきなのは二人への事情説明よりも、急いで神田明神へ行くことなのだと、それを理解してもらうしかない。

 リヒトはその足を再び神田明神へ進めるが、ギンガスパークが『闇の波動』を感知する。

 ふわりと、音もなくローブ男が現れた。

 

「やあ」

 

 なんの変哲もなく、唐突に現れたローブ男。まるで道端ですれ違った知人に挨拶するかのような気軽さ。緊張感も、こちらへの殺意も何もない。

 だがリヒトはすぐに警戒態勢を取る。

 ローブ男の目はリヒトの持つ小包に向いた。

 

「君が持っていてくれたのか。なら事を早く進めよう」

 

 すっと手を差し出して、

 

「それは僕の物だ。こっちに渡してくれ」

「……断る」

 

 リヒトの中に確信が生まれた。

 この小包は決してローブ男の手に渡してはいけない。

 渡すわけにはいかない危険な物なのだと。

 

「そうか。ま、そう答えるのはわかってたけどね」

 

 リヒトの答えを予想していたか、仕方ないといった様子のローブ男。

 

「なら、力ずくで行くしかない」

 

 ローブ男が手を構える。

 防御のため、ギンガスパークを突き出すリヒトだったが、放たれた衝撃波は明後日の方向へ飛んでいった。

 

「……当たらないことはわかっていたけど、ここまでとは思わなかった」

 

 ローブ男は信じられないといった声音で言った。

 よくわからないが、ローブ男の攻撃はリヒトに当たらないと考えてよさそうだ。

 リヒトはギンガスパークを振るった。斬撃を飛ばし、ローブ男を攻撃。

 同時に、

 

「二人とも走れ!!」

 

 二人に声を飛ばしながら、別ルートで神田明神へと向かう。

 

「リヒトさん! せめて説明を──」

「──そんな場合じゃねえんだよ!!」

 

 ビクッとリヒトの声に海未が怯える。申し訳ないと、心の中で謝罪を述べながらリヒトは走った。

 小包の中の『何か』が大きく反応を示している。これは『ローブ男』の存在に反応していると考えていいだろう。これが『ローブ男』の手に渡ることだけは絶対に阻止しなくてはいけないと、直感でわかった。

 その瞬間、リヒトの真横を衝撃波が通り過ぎる。衝撃波はリヒト達の行先を邪魔するかのように着弾。爆風に足を止める。

 ぞわりと、すぐ横に気配。ギンガスパークを握った右手をそのまま横に振り抜く。

 

「おっと」

 

 伸ばしていた手を引きながら『ローブ男』は大きく後ろに下がった。

 

「ソレは見えるから手を伸ばしてみたけど、ダメだね。あははは、目で見えているものと実際の距離がバグってる。笑えるね。加護って本当に厄介」

 

 ぷらぷらと手を揺すりながら、ローブ男はどうしようもないと言いたげに笑った。

 その姿がとてもローブ男らしくないと思い、ふと、おかしな点に気づいた。以前、音ノ木町の外で『リーブ男』の襲撃を受けた時は、手も足も出ずに一方的にやられた。しかし、その時に比べて今の『ローブ男』の攻撃には正確性がない。さっきだって、音ノ木町の外ならリヒトが反応していた頃には腕を掴まれていたはずだ。

 しかし、腕は掴まれていなかった。

 もしかして、『イージスの加護』の効果によって『ローブ男』の攻撃がリヒトに当たらないようになっているのかもしれない。

 好都合。『ローブ男』との決着も考えられるが、今重要なのは神田明神へ行くこと。いくら加護があるからと言っても、まともにやりあえる相手ではない。『ローブ男』を牽制しつつ、神田明神へ向かう。それが今の最善の手だろう。

 しかし、

 

「……うん、ここら一帯巻き込めばいいか」

 

 瞬間、広範囲でローブ男の攻撃が行われた。

 

(──ふざけんな!)

 

 一点集中攻撃ができないなら全体攻撃をしよう、なんて脳筋がしそうなことをローブ男がやるとは思ってもいなかった。急いで絵里と海未を引き寄せ、ギンガスパークでバリアを張る。

 バリアを叩かれた衝撃に体が宙を舞う。

 目を回すわけにはいかない。すぐに反撃できるように体制を立て直そうとするが、『ローブ男』のやみくもな攻撃が再び襲いかかって来る。

 世界が何度も回った。

 アスファルトに倒れ込むと、所有していた怪獣のスパークドールズが転がった。

 

「っと、なんだ、持っていたんだ」

 

 テレスドン、キングパンドン、ゾアムルチ、モンスアーガー、グワーム、バルタン星人、バリュード、ボーダ星人。つい先日リヒトが手に入れた怪獣たちを含めて合計八体のスパークドールズ。襲撃に備え、全戦力を所有していたのがここにきて裏目に出てしまった。

 以前、音ノ木坂学院にて南ことりの母親が狙われた際、『ローブ男』はスパークドールズを食べることで、闇の力を回復できると『白い少女』が言っていた。スパークドールズには『大いなる闇』の力の一部が封印されているからだ。あの時は二体だったが、今回は八体もある。全て食べられてしまっては、回復される闇の力はどれほどのものになるか。

 すぐに手を伸ばして、ボーダ星人のスパークドールズを掴む。しかし、運悪く手の届く距離に落ちていたのはこれだけ。他は全て『ローブ男』の手に渡ってしまった。バリボリと噛み砕かれるスパークドールズ。

 

「うーん、やっぱり薄いな」

 

 まるで薄味の食事をしたかのような感想。

 しかし、これでリヒトの手札はボーダ星人、ウルトラマンギンガ、ウルトラマンティガの三枚。バルタン星人が回収できていれば、この場から即退避できたかもしれないが、ボーダ星人では退避が難しい。ウルトラマンのどちらかにウルトライブすれば、すぐに退避できるかもしれないが、あくまでウルトラマンの力は切り札。最悪、ティガを絵里と海未に預けなくてはいけない可能性を考えると、迂闊には切れない札だ。

 選択を迫られる。ここで『ローブ男』に応戦するか、それとも無理やり神田明神へ向かうか。怪獣のスパークドールズを食べたことで、僅かではあるが闇の力が増幅している。先ほどまでであれば、無理やりに突破することができただろうが、今の状況では突破するために『ローブ男』の相手をしなくてはいけない。小包を絵里と海未に預け、応戦する。それも手の一つだろう。

 考える。考えて、

 

「よし」

 

 と、ローブ男の何気ない声と、すぐに「きゃっ」と短い悲鳴が隣から聞こえた。

 海未の首元に添えられる『ローブ男』の右手。

 

「君に比べたら見えるからね。さて、お決まりのセリフとしてこう言うべきかな。この子の命が惜しければ、その小包を渡せ」

「…………」

 

 選択肢がなくなった。今、リヒトが取れる選択肢は一つだけになった。だが、この選択肢は『終わり』を告げる最悪の選択。だがこれを選ばなければ、海未の命はない。

 リヒトが小包を渡そうとした時、海未の持つ『イージスの破片』が輝きを放つ。

 

「──それは!?」

 

 ローブ男に明確な動揺が走った。『イージスの破片』は強い輝きを放ち、その光に危険を感じたのか、『ローブ男』は海未から離れた。

 刹那の瞬間に生まれた隙。リヒトはギンガスパークの力を解き放ち、一気にゼロ距離に接近。『ローブ男』の腹部にギンガスパークを突き刺し、一気に力を込めて吹き飛ばす。

 

「海未!」

 

 海未の無事を目線だけで確認。そのまま手を取り、絵里を抱き寄せ、ギンガスパークの力を解放。光となって移動する。事情を知らない海未から戸惑いの声が上がるが、もう今更説明する暇もない。このまま一気に神田明神へ向かう。

 しかし、

 

「──残念。怪獣を食べる前だったら、それで逃げられたのにね」

 

 進行方向に突如現れる『ローブ男』。

 リヒトの視界が闇に染まった。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

『ローブ男』が行ったことは至極単純なことだった。一条リヒトの行き先がわかるのなら、見え難くても関係ない。『(リヒト)』と『彼の目的地』の間に移動し、闇の異空間を展開する。そうすれば、展開した異空間に彼らが()()()()()()。あとは異空間を閉じれば、彼らは箱に閉じ込められたも同然。神田明神へ辿り着くことはない。

 こうした荒技ができるのも、スパークドールズを食べ闇の力を補充できたからだ。

『大いなる闇』の力の一部が封印されているスパークドールズ。それを合計七体分の力を補充できたのは、『ローブ男』にとって嬉しいことだった。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

「さて、これで君の逃げ場はもうない」

 

 王手とも言える状況にリヒトは唇を噛んでいた。すでにその足は止まっている。これ以上進んでも、出口があるかなんてわからないからだ。『闇の異空間』が展開された以上、ここから抜け出すには『ローブ男』を倒すしかない。

『ローブ男』の言う通り、逃げ場を失った。

 

「──リヒトさん」

 

 考えるリヒトの耳に海未の声が聞こえてきた。

 

「これ……」

 

 海未が持つ『イージスの破片』が僅かに輝いている。それは小包に反応を示していた時と同じ──ではない。全く別の意味で輝きを放っていた。

 瞬間、ハッとなってリヒトは行き先──位相が変わる前であれば神田明神がある方角を見た。どこまでも続く赤紫色の景色の先で、一番星のように輝く光を見つけた。その光はまるで出口を示すかのような小さい光。

「まさか……」と呟いてリヒトはすぐにギンガスパークを光の方へ向け、光となって移動を始める。

『ローブ男』を通りすぎ、神田明神の方角へと進む。海未の持つ『イージスの破片』もその輝きを増していき、まるで共鳴しているようだ。

 いや、まさに共鳴しているのだ。神田明神に眠る『イージスの力』と海未の持つ『イージスの破片』。それは同じ力である。故に『イージスの力』が闇の異空間への介入を始めている。

 今、闇の異空間の端は『イージスの力』によって光の異空間へと塗り変わりつつある。そこへ辿り着くことができれば、この場所から脱出できるとリヒトは判断した。いや、そうでなければ困る。

 祈りながら進むリヒトだったが、

 

「通す訳ないでしょ」

 

 冷徹な声に叩き落とされた。二人を気遣う余裕もなく、バラバラに落下する。その衝撃で小包がリヒトの手元から飛んでいってしまう。

 

「二人とも、無事か!?」

 

 痛む体を抑えて声を飛ばす。

 

「なんとか……大丈夫よ」

「私も……」

 

 絵里、海未それぞれから声が返ってきた。幸い、大怪我はしていないようだった。

 束の間の安心。しかし、最悪の気配を感じてすぐにそちらを見る。

『ローブ男』が小包を手にしていた。

 ──ドクン、とリヒトの心臓が跳ねる。

 

「やっと、戻ってきた」

 

『ローブ男』の手によって、小包が乱雑に開けられる。

 

「やっぱり『封』はしてるよね。まあ、もう意味ないけど」

 

 札のようなものが見えたが、『ローブ男』の手によって一瞬で燃えてしまった。

 何かが解放されようとしている。急いで止めなくてはいけない。リヒトは立ち上がり、ギンガスパークを振るって『ローブ男』の動きを止めようとするが、振るわれた右手に弾かれてしまう。

「さて」と言って小包の中から取り出されたのは、一体のスパークドールズだった。

 

 

 ()()を目にした途端、ドクンとリヒトの心臓が跳ね上がった。

 

 

「あ」

 

 ──まずい。まずい。まずい。逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。

 それはもう本能に近い行動だった。『死』から逃れるための当然の行動。

 逃避。

 リヒトはすぐに絵里と海未と共にその場から逃げた。思考など回っていない。あるのはただ『今この場からすぐに離れないと死ぬ』と言うことだけ。

 

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

『ローブ男』が取り出したのは人型のスパークドールズだった。全身真っ黒、そして赤いラインが走った人型のスパークドールズ。『ローブ男』はそれを愛おしそうに撫でたあと、飲み込んだ。

 

 

 ──一瞬の静寂ののち、世界が揺れた。

 

 

 とめどなく溢れる力。

 湧き上がってくる力。

『ローブ男』はその姿を変え、産声を上げた。

 

『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎────!!』

 

 世界が揺れる。

 空気が震える。

 終わりが生まれた。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 

 その雄叫びが聞こえた時、三人は反射的に後ろを振り返った。地平線の向こうから聞こえる、世界そのものを揺らす雄叫び。姿は見えないが、間違いなく生まれてしまった。蘇ってしまった。最悪の終わりが。

 全ての可能性が失われた、絶望しかない世界。絵里も海未も生命の本能がそれを理解させた。

 ──同時に、三人の視界に紫色の光が迫った。避ける暇などない。リヒトは咄嗟に二人を抱き寄せ、着弾の衝撃に備える。

 着弾の衝撃。リヒトは自らの背中から闇の異空間の地面へと落下。勢いを殺すことができず、ガリガリと背中で地面を削りながら滑る。途中、シャツが破れ、皮膚が裂け、血が飛び散るがすぐに治癒される。

 ようやく止まった時、背中の残ったシャツの生地は真っ赤に染まっていた。

 

「リヒトさん!」

「リヒトくん!」

 

 海未と絵里が顔を真っ青にして叫ぶ。

 リヒトの呼吸は荒い。いくら怪我がすぐに治るとはいえ、その痛みまではすぐに消えない。あくまで死なないように体の傷が治るだけだ。霞んだ視界に、二人の泣きそうな顔が見える。

 リヒトは笑って、

 

「……なぁーに、泣きそうな顔、してん、だ」

 

 と言ってみたが、自分でも驚くほど掠れた声だった。

 思いの外ダメージを受けてしまったらしい。

 ググッと腕に力を入れて立ち上がる。立ち上がって、息を吸って、ここからどうするかを考えようとして、

 

 

 

『終末』の存在がその視界に映った。

 

 

 

「────────────────────」

 

 呼吸が、思考が、生命活動が、命の働きが、一瞬止まった。目の前の『死』によってリヒトは絶命──。

 

「────はっ!?」

 

 ──する一歩手前でリヒトは現実世界に戻ってきた。

 膝から崩れ落ち、両手を地面についく。

 呼吸が荒い。汗が噴き出る。ボタボタと視界に落ちてくる大粒の汗。

 今自分がいるのは現実の世界なのか、死後の世界なのか。生きているのか死んでいるのか、五体満足なのか。グラグラと思考が定まらない頭を振って、顔を上げる。

 今はまだ視界にはっきりとは映っていない。だが間違いなく、いる。

『死』の具現化がこの地平線の先にいる。

 

「リヒト、さん……」

 

 震える海未の声が聞こえた。彼女の持つ『イージスの破片』はまるで危険信号かのように点滅を繰り返している。その点滅にどうすればいいのか、訳がわからない海未は困惑するしかない。

 もう片方、リヒトの身を案じて置かれていた手の震えを感じた。その手は絵里だ。彼女もまた恐怖で顔を真っ青にしている。

 二人を見て、もう一度落とした視線にはギンガスパークがあった。そしてそれを握る右手の甲には六角形の紋章が浮かんでいる。

 

「…………」

 

 リヒトは右膝を上げ、立ち上がる準備に入った。

 

「絢瀬。これを」

「え?」

 

 困惑する絵里の手に、リヒトはウルトラマンティガのスパークドールズを握らせる。

 

「ここから脱出できたら、じいちゃんの元へ向かえ。脱出までの道は俺がなんとかする。海未はそれを絶対に手放すなよ」

「何を言っているの?」

「いいか。俺に何があっても、二人だけで脱出することを考えろ。優先しろ。絶対に戻るな。止まるな」

 

 絵里の言葉を無視して、リヒトは二人の手を取る。そして絵里と海未、互いの手を握らせて、

 

「この手を絶対に離すな。いいな」

「待ってください! リヒトさん、説明をしてください! 何が起きているんですか! リヒトさんはどうするんですか!?」

「ごめんな、海未。巻き込んじまって。説明は……もうできそうにない。全部飲み込んで、言う通りにしてくれ」

「リヒトさん!」

「じゃあな」

 

 リヒトは二人に止められる前に、ギンガスパークの光を解き放った。

 

 

 ☆★☆★☆★

 

 

 天へと昇る眩い光。

 少女たちの前でウルトラマンギンガへと変身した一条リヒト。

 彼がウルトラマンギンガであることを知らない海未は、その光景に本日何度目かの驚きに襲われた。

 ギンガは二人を光で覆い尽くすと、そのまま先ほどまで向かっていた方角へ投げ飛ばした。ギンガが力尽きるまで、その球体は保持される。つまり、二人が異空間を脱出するまで倒れるわけにはいかない。それまでの時間をなんとか耐えなくてはいけない。

 (すべ)なんてない。

 可能性なんてない。

 それでもやらなきゃいけない。

 ギンガは二人の行く末から、後ろ──“死の権化”へと振り返る。

 ゆっくりと、ソレは歩んできた。

 真っ黒な体に血管のように赤いラインが走っている。胸にはリヒトが初めてギンガスパークを手にした時に見た二人の巨人の内の一人と同じく、Y字型の赤いコア。赤い瞳が静かにこちらを見据えている。

 その巨人の名をリヒトは知っている。

『ティガ伝説』において『大いなる闇』と共に人類を襲撃した闇の魔神──ダークザギ。

 絶望の化身が今目の前にいる巨人。

 一瞬たりとも気を抜いてはいけない。

 全神経を集中させ──、

 

 

 

 ──目の前にすでにダークザギの姿はない。

 

 

 

 ギンガの体がくの字に曲がる。足が地面から離れ、打ち上げられた。

 ダークザギの拳が腹部に突き刺さり、打ち上げられたと理解するのと同時、すでに上空に移動していたダークザギは、両腕を振り下ろしギンガを叩き下ろす。

 地面と接触する寸前、今度はダークザギに蹴り飛ばされる。ワンバウンドしたところで、後頭部を掴まれ、叩きつけられ、再び上空へ投げ飛ばされる。

 風圧に体の自由を奪われる。背後の衝撃。背中を殴られ、落下──地面と接触する前に足を掴まれ、叩きつけられる。

 上下する視界、ただひたすらに叩き助けられ、蹴られ、殴られ、バウンドし、捕まれ、叩きつけられ、投げ飛ばされる。その繰り返し。反撃以前、体勢を立て直す暇さえ与えられない。

 まるで嵐の中に放り出されたような感覚。地面に落下して、止まることさえない。地面を抉りながら引き摺られ、上空へ放り出されると、鋭い蹴りが突き刺さり、上へ飛ばされる。

 鞭のようなしなやかな蹴りで、再び地面に叩きつけられる。光弾が豪雨のように降り注ぎ、浮いた体をもう何度目かわからない空中への打ち上げ。

 何度も繰り返されるダークザギの攻撃。

 ギンガはただその暴力に晒されるだけ。

 最初の一撃からギンガは一撃も防げていない。

 

 

 その光景は、先に飛ばしたはずの絵里と海未にも見えていた。

 少女たちは信じられないといった表情でその光景を見ていいる。

 あのウルトラマンギンガがここまで防戦一方になることが、ギンガの戦いを見てきた少女たちからしれ信じられないことだった。もちろん、今まで苦戦しているところはあった。彼女たちが信じられないのは、手も足も出ないでやられていること。今まで自分たちを助けてくれていたあの光の戦士が、ここまで一方的にやられていることを、信じたくないという心。

 だが、少女たちの視界に広がる現実は、まるで子供に蹴られる石ころのように飛ばされるギンガの姿。

 ギンガの体がボールのように何度も何度もはねる。

 それをずっと見続けている。

 

「──もうやめて!! リヒトくんが死んじゃう!!」

 

 絵里の叫びも虚しく、暴力の嵐はやまない。

 打ち上げられたギンガの体。その先──さらに上空へと飛んだダークザギは、一撃、光弾を放つ。たった一撃。しかし巨大すぎる光弾はギンガの姿をあっという間に飲み込み、地面へ着弾。轟音と閃光。

 ──そして同時に、絵里と海未を包んでいた光が霧散した。

 それすなわち、ギンガの力が尽きたということ。爆心地にウルトラマンギンガの姿はなかった。

 闇の異空間へ投げ出される絵里と海未。そのんな二人の目の前にぼとりと、()()()()()が落ちてきた。

 小さい悲鳴が二人の口から漏れ、その物体が血で赤黒く染まった一条リヒトだと理解した。

 あまりにも悍ましい姿に、二人は喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。

 

「あーあ、ひどいな。君たちを守った英雄を前にして吐いちゃうなんて」

 

 黒い巨人の姿は『ローブ男』の姿に戻っていた。

 

「まあ、久しぶりの力にテンション上がっちゃったから、ついやりすぎちゃうこと人間だってあるよね。でも問題ない。彼は死なない。その塊もすぐに人の形に戻るから。ってか、いってる側からもう戻ってるか」

 

『ローブ男』の言う通り、赤黒い塊はすでに一条リヒトの姿に戻っている。先ほどの塊が見間違いかと錯覚するほどに、今の彼は五体満足でいた。

 

「はは、あれだけやっても人間の姿に戻るんだ。こう言っちゃなんだけど、それはもう化け物でしょ。人間じゃない。ああ! なら君たちが吐いたのも問題ないか。だって汚物見たら吐き出しちゃうもんね」

 

『ローブ男』は邪悪に笑う。

 一方、少女たちは何をすればいいのか、どうすればいいのか何もわからずにいた。リヒトの姿についても、それを見た自分たちが嘔吐してしまったことも、『ローブ男』を前にしてどんな対応をすればいいのか。何もわからず、ただ茫然としているしかなかった。

 だが、海未は自分の右手に何か暖かいものを感じた。その暖かさが止まっていた海未の思考を再始動させる。

 海未の右手にあるのは『イージスの破片』。そして、その破片から広がり始める光。光は海未と絵里の後方──本来彼女たちが進むべき方角──へ広がっていく。同時にその光の先には、オレンジ色の地面が広がっていた。『イージスの力』が干渉し、こちらに広げている光の異空間。あそこまで行けば脱出できる。

 そう思った時、

 

「行かせると思う?」

 

 『ローブ男』の冷徹な声が聞こえてきた。

 すでに『ローブ男』は力を取り戻している。こちらに侵食してくる光の異空間を跳ね返すなど簡単なこと。そして、破片を持つ海未の命など簡単に奪えてしまう。

 今この場で、潰すべきは『イージスの破片』。絵里の持つ蒼き輝石もあるが、それが本来の力を取り戻せたとしても、この状況を打破するには弱すぎる。故に破壊するべきものは決まっていた。

 しかし、

 

 

「させると思うか」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「なんで動ける!?」

 

 流石の『ローブ男』も驚きの声をあげた。

 なぜなら立ち上がったのは一条リヒトだからだ。全身を血で赤黒く染め、本来であれば生きているはずのないダメージを負い、意識を失ったはずの一条リヒトが今『ローブ男』の前に立ち、その腹部に掌底を放った。

 普通であれば大した一撃にはならなかった。しかし、立ち上がることのないと思っていた人物が立ち上がった驚きによって、その一撃は通った。ローブ男の体が後方へ飛ばされる。

 

「リヒトくん!」

 

 絵里が涙ながらに声を上げる。

 しかし、

 

「すまないが、私は()()()()()()()()()

 

 リヒトの声が否定する。

 え、と困惑する二人だったが、次の瞬間、二人は一条リヒトに押し飛ばされた。さらなる困惑が二人を襲う。

 だが、押し飛ばされたことで絵里と海未の体は光の異空間側に入った。

 

「──諦めるな。逆転の手はある。君たちが持つ、破片とライトスパーク。方法は一度行っている」

 

 一条リヒトの瞳が絵里を見る。

 そして、背後に振り返り、突撃した『ローブ男』とぶつかる。

 

「もしかして、傷の修復効果の副作用で君が呼び戻された? てっきりアメリカで死んだかと思ってたよ」

「これは私も予想外のこと。しかし、おかげで貴様を止めることができる」

「一時的に、ね」

 

 『ローブ男』が力を込めるだけで、一条リヒトの体は簡単に飛んだ。膝をつき、すぐに呼吸が荒くなる。万全ではないと一目でわかる。

 しかし、仕事は果たした。

 絢瀬絵里と園田海未。二人は光の異空間へ辿り着き、『イージスの力』は異空間を閉じた。

 もうこの場に少女たちはいない。逆転の札は確かに守り抜いた。

 

 

  ☆★☆★☆★

 

 

 そして、少女たちは気づけば神田明神の敷地内にいた。

 あたりに人はいない。先ほどまでの嵐が嘘のようにあたりは静かだ。

 ポツポツと雨が降り始め、やがて大粒の雨に変わる。

 何が起きたのか、少女たちにはわからない。

 ただ茫然と雨に打たれるだけだった。




第16話 ダークザキ襲来・完

◯あとがき
ウルトラマンギンガ劇場スペシャルでダークザギが登場したし、本作にも登場させよう。
でもダークザギってめちゃめちゃ強いし、どうせなら圧倒的強く描くか。
ギンガが手も足も出ない、石ころのようにボロボロ蹴飛ばされて負けよう。

……なんてこの作品を描き始めた私は考えていたのでしょうね。
盛った結果どうやって決着させるか頭を悩ませてます。
過去の自分、やりたいことを優先させて、その過程と結果をどうするかは未来の自分に託したのでしょう。
勘弁して欲しいものです。

でも、ちゃんと考えてますよ。逆転と決着の方法。
最後の一条リヒトの姿をした何者かの正体、どうして出てきたのか理由も考えてます。

第二部も残すところあと2話。次回は逆転のための準備回。
この作品を描き始めた時から考えていた、あるイベント回。
頑張ります。



◯次回予告
ダークザギの前になす術なく倒れるウルトラマンギンガ。
一条リヒトは帰らぬ人となり、ショックを受ける絵里。
心の傷が癒えぬまま、ワームホールからΣズイグルが出現する。
目的はただ一つ。東條希の捕縛。
大切な人だけでなく、親友を奪われる危機に絵里の持つ蒼き輝石がついに覚醒する。

次回、立ち上がる勇気


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