wake up knights (すーぱーおもちらんど)
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プロローグ

初めまして。初投稿になります。すーぱーおもちらんどと申します。宜しくお願いします。

テーマとしては、ユウキがとあるきっかけで蘇り、その後の人生をどう歩んだかを書いていけたらいいなと思います。

本作品に関しましては誤字、脱字が多く、オリジナルな部分が含まれますので不快にさせてしまう部分が多々あるかもしれませんが、どうか暖かい目で見ていただけたらいいなと思います。

また、オリジナルキャラを混ぜて今後の物語を作っていきますので、原作とは反れてしまう可能性がありますことをご了承下さい。

2015/11/23
あらすじを大きく変更しました。



 ――ある難病と闘い続けている少女がいた。

 

 

 その難病には治療方法が存在せず完治することは難しい。そんな現実を突きつけられてしまった少女は若くして余命宣告をされてしまう。

 だが、それでも彼女は決して諦めなかった。

 己を死を受け入れながらも、時が来るその最後の瞬間まで謳歌しようと必死に往き続けてきた。

 

 しかし、始まりがあれば終わりが来るように、とうとう彼女にもその時が来ることになる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女は、数多くの仲間たちに看取られつつ、最愛の友に支えられながら今まさに息絶えようとしていた。

 

 名は《紺野木綿季(こんのゆうき)

 

 彼女は出生時に輸血用血液製剤からHIVに感染してしまい、15年間闘病生活を続けていた。ところが、闘病中に両親と双子の姉もエイズにより他界し、彼女は天涯孤独の身となる。そして日が経つにつれ、追い討ちをかけられるように彼女もとうとうエイズに感染してしまい、入院生活を余儀なくされたのである。

 

 彼女は残された命を医療発展のために役立てたいと、自ら医療用VRマシンである《メディキュボイド》の被験者となり、3年間仮想世界で人生を過ごしてきた。この先、自分のような人がいない世界を作ってもらうために。

 

 挫折や後悔もあったが、ユウキは仲間たちの強い支えがあったからこそ、死を受け入れる事ができた。

 意味なんてなくとも、生きててもいい。最後の瞬間まで、共に歩んできた仲間に満たされていくことができたのだから。

 

――ボク、ぼく頑張って生きた。ここで……生きたよ……

 

 アスナは涙を流しつつも笑顔で彼女を見送った。ユウキの瞳が二度と開かなくなるその瞬間まで。

 その、私の大好きな親友が。仲間が。二度と目を覚まさない――。

 

「……逝か、ないで……」

 

 そう悟った瞬間、アスナは今まで堪えていたものが溢れ出てしまった。

 

「ユウキ……やだ……やだよぉ……ッ」

 

 抑えきれない声と涙。

 その姿を見たスリーピング・ナイツのメンバーも堰が切れたように涙を流す。

 ノリとシウネーが抱き合うように泣き崩れ、テッチ、ジュン、タルケンが声を押し殺すように嗚咽を漏らした。

 

――大丈夫だよみんな。またいつか、かならず会えるよ。ボク、ずっと待ってるから。だから、ゆっくりおいで。約束だよ。

 

 ユウキにはその声が聞こえていた。

 話す事はできなかったが、その思いは伝えられたような気がした。

 やがて視界も消えて、唯一の聴覚も失われ、瞼を開くこともできず、手も足も動かない。

 

――そっか……これが死ぬってことなんだ……ちょっと、怖いなぁ。

 

 僅かな恐怖が脳裏を過ぎったその瞬間、今までの思い出が走馬灯のようにユウキの全身を駆け巡る。

 スリーピング・ナイツのメンバーとの数々の冒険。姉と過ごした日々。アスナとの出会い。みんなで挑んだボス階層討伐。学校の授業。久しぶりに見れた実家。そして、アスナが伝えてくれた最後の言葉。止め処なくあふれ出て来る数え切れない思い出。それだけでユウキの心は風船のようにふわふわと舞い上がった。

 

 次々と溢れる、幸せの断片。

 紡ぎ合わせて、一つの形と成す度に、自然と笑みが零れてくる。

 最後の最後まで恐怖から救い出してくれた仲間との思い出に、ユウキは心から満たされていた。

 

――きっと、かならずまた会える。だから、僕は全然寂しくないんだ……ホントはちょっぴり寂しいケド。

 それでも、ボクは本当に素敵な人たちと出会うことができた。だからね、アスナ。ボク、幸せだったよ……でも――

 

 アスナの、皆の、看取ってくれた全ての人々の泣き叫ぶ声がユウキの心に突き刺さっていた。

 未練がないといえば嘘になる。覚悟は決めた。全てを受け入れたはずだった。そう思えば思うほど、つい自分のやりたかった事が心の内を燻らせた。

 

 本当はもっと、アスナと遊びたかった。

 本当はもっと、スリーピング・ナイツのみんなと冒険したかった。

 本当はもっと、自分のお家を見たかった。

 海水浴、お祭り、雪合戦、クリスマスパーティー、初詣。

 

 あれもこれも、もっと、もっと、もっと――。

 

 抑圧された感情が膨れて、やがて破裂した衝撃が形のない涙となって零れ落ちる。

 

――先にいなくなっちゃって……ごめんね……みんな……ごめんね……アスナ……

 

 ユウキが小さな後悔を口にした。

 

 その時――

 

 

「駄目だ!!」

 

 

――……え?

 

 薄れ逝く意識の中、確かに聞いた。

 

 アスナではない。

 ジュンでも、シウネーでも、テッチでも、タルケンでも、ノリでもない。

 とても悲しくて、辛そうな声。

 

 そして、仄かな感じる右手の温もりを最後に、ユウキの意識はぷつんと途切れる。

 

 体の重みが次第に増して、深く、ただ深く。

 底のない暗闇の世界に感覚を溶かしながら、ゆっくりと沈んでいった。




プロローグを閲覧していただき、本当に有難うございます。

これから少しずつ内容を濃くしていき、みなさんと思いを共有できたらいいなと思います。
今後とも宜しくお願い致します。コメントいただけると励みになります。

※投稿済みの内容でも、気づいた点、変更したい点があった場合書き換えてしまう場合があります。


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Main story


一話を投稿させていただきます。



 刀霞が視界に映る情景には、真っ暗な世界が広がっていた。

 何も見えず、何も聞こえず。ただ漠然と沈黙の影が全身を包みこんでいる。しかしそれでも、唯一理解できることもある。理由や理屈などはなく、ただ誰にでもあるような、そんな漠然とした感覚。

 自分が今、夢の中にいるのだと。

 

――ここが夢ならもしかして……。

 

 刀霞は必要以上にあたりを見渡す。大切な何かを見落としてしまったかのように。

 何故かそこにいるような気がしてならない。そんな淡い期待を抱くも、結局は見つからず……。馬鹿馬鹿しくなった刀霞は、ついその場で苦し紛れの吐露を落とした。

 

「……いるわけないか」

 

 ぽつりと呟いたその瞬間――。

 刀霞の眼前に、ボンッと真っ白な煙が噴出した。

 煙が少しずつはれていく度に、彼の心臓の鼓動が早くなる。

 

――まさか、もしかして会えるのか。あの憧れだった少女に……。

 

 やがて煙が薄くなり、景色が鮮明になる。絶剣の姿を期待した彼だったが、視線の先には何も見えなかった。いや、正確には視線が高すぎたせいか、見えなかっただけで実際には現れていた。彼女ではない別の生き物が。

 刀霞は視線を下ろすと一匹の白猫を視界にとらえた。

 

「嘘だろ……」

 

 別の意味で彼はまた驚愕してしまう。

 目の前に現れた飼い猫に、刀霞は酷く肩を落として、細いため息をついた。

 

「勝手に落ち込まないでほしいニャ」

 

――喋った……。

 

 しかしよく考えてみたらここは夢の中。別に何が起きても不思議ではないかと、刀霞はすぐ落ち着きを取り戻し、面倒くさそうに飼い猫の言葉に反応した。

 

「なんでお前が出てくるんだ。俺はユウキに会いたかったのに」

「助けたいニャ?」

「誰をだよ」

「ユウキのこと」

 

 刀霞は一呼吸間をおいた後、乱暴にその場で腰を落として胡坐をかき、腕を組む。猫は静かな足取りで刀霞の元へ歩み寄り、彼を中心に散歩するかのようにくるくると優雅に歩いた。刀霞は目の端で猫をおいかけるが、特に振り向いたり体を動かしたりはせず淡々と答えた。

 

「――そりゃ助けたいさ」

「どうしてもニャ?」

「できるならね」

「一生今の世界に帰ってこれなくても?」

「愚問だな」

「ご主人が代わりに死ぬことになっても?」

「くどいぞ」

 

 彼は即答してから、歩く猫を捕まえると指先で顎を撫でる。猫は気持ちよさそうな顔で素直に彼を受け入れると、その小さな身体を彼の胡坐に押し込んだ。何気なしに猫の頭を撫でていると、満足したのか猫は落ち着いた声色で口を開いた。

 

「いいよ」

「……何が?」

「ユウキ、助けにいこう」

「……夢の世界で助けても意味ないだろ」

「夢じゃなくて、本当に行くニャ。ボクがユウキの死ぬ直前の時間軸まで連れて行ってあげるニャ」

 

 刀霞は猫の言っていることが理解できなかった。SAOはラノベの世界。言ってしまえば空想の世界。そんなことできるわけがない、と一笑して猫をからかった。

 

「本当に、ご主人の決意は変わらないんだね?」

 

 猫は真剣な表情をしつつ、強い口調で彼に問う。真剣な猫の表情を見て刀霞は一瞬顔が強張る。しかし彼は悩むことなく「ユウキの代わりに死ねるならこんなに嬉しいことはないよ」と、穏やかな口調で答えた。

 猫は彼の言葉を聴いて、少し安心したような顔つきになり、いつのまにか口に咥えていた何かを刀霞の手のひらにポトンと落とした。

 

「これは?」

「ボクの毛玉」

 

 無言で毛玉を猫に投げつける。

 

「ぁぃター! 冗談ニャ、本当はこれニャ!」

 

 猫が涙目で咥えていた何かは綺麗な小瓶だった。ひし形のような形をしていて、中には透明の液体が入っていた。刀霞は猫に「これは?」と尋ねると、猫は笑顔で「飲むニャ」と答えた。彼は小瓶の蓋を明けておそるおそる匂いを嗅ぐ。どうやら無臭のようだ。

 

「本当に大丈夫か……?」

「とにかく早く飲むニャ。連れてく前に夢から覚めたらユウキを助けられないニャ」

 

 意を決して一気に飲み干す。まったくの無味無臭に刀霞は「ああそうか。夢だから味とかないんだな」と奇怪な合点がいった。

 

「今飲んだのは、悪い病気を自分の中に取り込むことができる薬ニャ。ご主人はユウキが亡くなる前にユウキの悪い病気を吸い取るニャ」

 

 刀霞が「どうやって吸い取ればいいんだよ」と尋ねると「ユウキに触れるだけでいいニャ」と答えた。彼は今だに本当にSAOの世界にいけるのか半信半疑に感じていたが、そんな様子を見て猫は少し悲しそうな表情で改めて彼の意志を確認した。

 

「今ならまだ引き返せるニャ。夢から覚めたらご主人は今の生活に戻れるニャよ」

 

 刀霞は少し名残惜しそうな表情で猫の頭を撫でた。そして決心した顔つきで猫の言葉に答える。

 

「行こう」

 

 彼の言葉を聞くと同時に猫の周囲から白い煙が、蒸気機関車のように勢いよく吹き出した。猫の姿は煙でまったく見えない。

 刀霞はたまらず二歩三歩後退し、様子を見ていると煙の中から小さいドアが出現した。刀霞は「こ、このドアから入ればいいのか?」と尋ねると、ドアから「そうニャ」と猫の声が聞こえた。どうやら猫はドアに変身したらしい。

 

「さ、時間がないニャ。早く行くニャ」

「な、なぁ」

「なんニャ」

「小さすぎて入れないと思うんだが」

「…………」

「…………」

 

 ドアの大きさは猫用の出入り口ぐらいしかない。入るどころか頭すら通らない。ちょっとした沈黙が続いた後、猫はコホンと咳払いをして、先ほどと同じように煙を出してから今度は刀霞に合った大きさのドアに変身した。

 

「よし、じゃあいくか」

 

 刀霞は気を取り直してドアを開けるとそこには周辺と変わらない、ただ真っ暗な世界が広がっていた。しかし、奥になにか小さな光があるのがわかる。刀霞はその光に向かって、一歩二歩と慎重に歩を進める。彼が歩めば歩むほど、光が強くなってくる。次第に光で目が開けられなくなるぐらい近づくと同時に、猫の声が聞こえた。

 

「そっちの世界の仮想空間に飛ぶことになるから時間があまりないニャ。着いたら病気をすぐ吸い取るニャ。いいかニャ、すぐニャよ!」

「わ、わかった」

 

 そう言葉を返した瞬間、今までに感じたことのない強い光が、突如刀霞の視界を突き刺した。

 眩い閃光は瞬く間に全身を覆う。彼はひたすらに、前へと歩を進めながら、決して不快ではないその感覚に、自然に身を委ねた。

 暖かくて、優しくて、どこか懐かしい。まるで母が抱きかかえてくれるような、そんな暖かさに、刀霞は何かが満たされていくのを感じた。

 

 そのまま委ねて、委ねて、委ねて……。

 




 読んでいただき、有難うございました。
 今後ストーリーをつなげていく際に、少しずつ修正できたらいいと思います。
 文章がめちゃくちゃですいません。
 この先も頑張ります。


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 第二話になります。
 私の能力がまだまだ未熟なため、表現の難しい部分や世界観が簡潔に伝わるよう一部原作やwiki等を引用している部分があります。ご容赦下さい。


 ここは24層にある街、セルムブルグの少し北に位置するとある小島。

 小島の中心には大木があり、それを中心に周辺には美しい花が一面に咲き乱れている。広大な夕日の淡い光が分厚い雲を透かし、オレンジ色の景色が一面に広がる。小島を囲む湖の水面は夕日を反射し、キラキラと宝石のように輝いていた。

 刀霞は、うつ伏せで倒れていた。どうやら本当にALOの世界に飛ぶ事ができたのか、もしくはまだ夢を見ているのか……。

 

――暖かい……

 

 このまま眠ってしまいそうだ。夢の中で眠るなんてなんとも滑稽だが心地良い暖かさに負けそうになりそうだ。

 と、その時――。

 大地が一瞬揺れるような衝撃と音が刀霞を襲った。突風が吹き荒れ、大木が軋み、風に負けて咲き乱れていた花びらが粉雪のように幾枚も舞い上がる。

 

「な、なんだ!?」

 

 衝撃による効果で意識を覚醒させた刀霞が飛び起きる。すっかり目が覚めた彼はあたりを見渡し、そうかここはユウキが亡くなった場所だと気づく。先ほどの衝撃は、ユウキが最後のソード・スキルを使用した瞬間なのだろう。

 刀霞は大木の影からそっと音がした方へと顔を覗かせる。するとそこには、かつてのSAO事件の生き残り、そしてユウキの親友でもある1人の女性が、体に力が入らずその場に倒れるユウキをそっと抱き支えていた。

 彼女の名は結城(ゆうき) 明日奈(あすな)

 アスナはこの小島でユウキと出会い、その技術を買われてユウキの仲間であるスリーピング・ナイツと共にボスを討伐してほしいと相談された。アスナもかつての強い意思を取り戻すため、快諾した事をきっかけにユウキたちと行動を共にすることになる。そして紆余曲折を経て、ユウキの病気を知った。

 ユウキの望む夢を叶えたい。その気持ち一心で明日奈は己が中心となってユウキを善導していく。そんな日が続くうちにいつの間にかユウキはアスナのことを姉のように慕っていた。明日奈も時間の許す限りユウキの傍にいることを心に誓った。

 

 しかし、今日その日が来てしまったのだ。いつか来るだろうと予感していた日が。

 

 そっと抱き支え、ユウキの瞳を見つめるアスナの姿を見て、刀霞はすぐにユウキの元へ飛び出す事ができなかった。

 

「…………」

 

 刀霞は無言でその様子を伺っていると、何故か胸に何か突き刺さるような痛みを覚える。

 

――なんだろう、とても苦しい。何度も読み返した場面なのに、実際に見ると全然違う……。

 

 刀霞は一度木を背にして、立ったまま両手で胸をおさえて荒くなる呼吸を落ち着かせる。その間、スリーピング・ナイツのメンバーを筆頭に、シノンを含むSAOの生き残り組みが続々とユウキの元へ集まり、彼女の最後を見届けようとしていた。

 その数分後、何十人ものプレイヤーが、列を作って飛んでくる。その先頭にあるのは、長衣の裾をはためかせて飛ぶ、シルフ領主サクヤの姿だ。後ろに続くのは、様々な階調のグリーンを身にまとうシルフたちである。あの人数では、今ログインしているシルフのほぼ全員が集まっているに違いない。 

 いや――セルムブルグからだけではない。外周部のいろいろな方向から、いくつもの帯が小島目指して伸びてきていた。赤いリボンはサラマンダー。黄色いのはケットシーだろうか。インプ、ノーム、ウンディーネ……それぞれのリーダーに率いられたプレイヤーの大集団が、一直線に大樹へと向かって集まってくる。その数五百……いや、千を超えるだろうか。

 ユウキが吐息混じりに囁くあいだにも、小島の上空にまで達した剣士たちは、次々と滝のような音を立てて降下してきた。サクヤやアリシャたち領主を先頭とした大集団は、すこし距離を置いてアスナたちを取り囲むと、次々に草地に片膝を突き、こうべを垂れる。さして大きくもない島は、みるみるうちに無数のプレイヤーで一杯になった。

 そして、総勢100名を超える妖精たちが尊敬の意を込めて彼女の新たな旅立ちが今以上に素敵であるようにと、目を伏せて祈っていた。

 彼女はとても愛されていたのだ。絶剣という異名に恥じない実力を兼ね備え、15歳の少女とは思えない剣技で相手を圧倒する。若くして彼女はALO最強のプレイヤーだと賞されるほどに。キリトも認める彼女の実力はプレイヤー全ての憧れでもあった。私も、俺も、僕も、あんなふうになりたいと。そんな憧れであり、目標である最強の剣士が今日旅立ってしまう。

 彼らはこの現実を受け入れ、乗り越えようとしていた。彼女の名前はALOから廃る事はない。アスナが受け継いだマザーズ・ロザリオがある限り。祈る人々はそう信じていると心に刻んで。

 ユウキは今にも閉じそうな紫色の瞳でじっとアスナを見た。すうっと大きく息を吸い、まるで最後の力をすべて振り絞るかのように、切れぎれだがはっきりとした声で話しはじめた。

 

「ずっと……ずっと、考えてた。死ぬために生まれてきたボクが……この世界に存在する意味は、なんだろう……って。

「何を……生み出すことも……与えることもせず……たくさんの薬や、機械を……無駄づかいして……周りの人たちを困らせて……自分も悩み、苦しんで……その果てに、ただ消えるだけなら……今この瞬間にいなくなったほうがいい……何度も、何度もそう思った……。なんで……ボクは……生きてるんだろう……って……ずっと……」

 

 か細い声は刀霞にも届いた。その場に座り込み顔を俯かせたまま彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「でも……でもね……ようやく、答えが……見つかった、気がするよ……。意味……なんて……なくても……生きてて、いいんだ……って……。だって……最後の、瞬間が、こんなにも……満たされて……いるんだから……。こんなに……たくさんの人に……囲まれて……大好きな人の、腕のなかで……旅を、終えられるんだから…………」

 

 

――違う。

 

 

 刀霞は唇を噛み締め、肩を震わせる。

 

――まだ、終わりじゃない。終わってはいけない。そんな最後の瞬間なんて、俺は許さない……。

 

 そしてアスナはユウキに最後の言葉を告げる。

 

「わたし……わたしは、かならず、もう一度あなたと出会う。どこか違う場所、違う世界で、絶対にまた巡り合うから……そのときに、教えてね……ユウキが、見つけたものを……」

 

――やめろ、やめてくれ。そんな約束なんて、俺は聞きたくない……。

 

 本当はわかっている。ユウキの言葉の意味も、アスナの言葉の意味も。

 何度も何度も読み返した。読み返しては心が押しつぶされそうになった。だけど彼女の最後を認めようとしても俺にはできなかった。ずっとずっと受け入れられず、現実逃避するように二次創作をして、挙句の果てには夢の中でも彼女を救おうとしている。

 

 刀霞の脳裏に彼女の死が過る。

 

――あぁ、この先は……あの言葉だ。最後の……言葉……

 

 ユウキは唇がごく、ごくかすかに動いて、微笑みの形を作った。アスナの意識に直接、声が響く。

 

――ボク、ぼく頑張って生きた。ここで……生きたよ……

 

 

 

「駄目だ!!」

 

 

 

 一人の若々しい男性の声が、悲しみに満ち溢れた空間の中で響き渡った。

 刀霞は自分でも驚いていた。気づいたときにはユウキの心の声を否定するかのように力強い声を発し、アスナたちの前に姿を現していた。

 

「俺は、許さない……ッ」

 

 アスナは溢れる涙を流しながらも、声の主の方へ顔を向けた。声に気づいた妖精たち、スリーピング・ナイツのメンバー、キリトたちもアスナと同じ方向へ視線を向かわせた。

 視線の先には若い青年風の男が不気味なほど静かに立っており、現実世界でよく目にするような私服を着ている。まるでキリトが其処に立っているかのようであったが、キリトよりも頭一つ分ほど背が高く、髪も青年の方が僅かに長い。表情は俯いていたせいか、長い前髪のせいか読み取ることができなかった。

 

 アスナは発言の意図が汲み取れなかった。彼は一体何を許さないのか。彼女は全てを受け入れて旅立った。アスナを含め、スリーピング・ナイツのメンバーやキリトたちも覚悟を決めて彼女が最後まで笑っていけるように見送った。

 その15年間を力ある限り必死で生きてきた彼女を、許さない――?

 その言葉だけでアスナは強い憤りと怒りを感じた。まるでユウキを侮辱しているかのように聞こえたアスナは、涙を流しつつ刀霞に敵意を向けるような強い口調で訴えた。

 

「貴方にユウキのなにが……!」

「……たった15年で満足できる人生なんて、俺は許さない」

 

 アスナの言葉を遮るように刀霞は呟いた。最初の声とはうってかわり、とても悲しそうな声に変わっていた。

 俯きながら刀霞はユウキの元へゆっくりと歩み寄る。表情こそ見えないものの、彼女の元へ歩く姿はとても悲しんでいるように見える。彼はユウキの元へ辿りつき、彼女の亡骸の前で立ち尽くす。その時の青年の表情がアスナにはハッキり見えた。

 それはとても一言では表現できなかった。辛そうで。苦しそうで。泣きそうで。壊れそうで。彼の体が今にも消えてなくなってしまいそうな、酷く脆い存在に見えた。そして誰よりも、なによりも彼女の死を決して認めないという強い意思があるようにアスナは感じた。

 刀霞はユウキの前に崩れ落ちるように膝をつき、ユウキの右手にそっと、自身の左手を添える。

 

――とても冷たい……憧れだった彼女の手はこんなにも……

 

「なにを……」

 

 アスナは彼の行動に戸惑いを隠せない。瞳に涙を浮かべたまま困惑した表情で彼に尋ねた。アスナの目には彼の手が震えているように見える。

 

「ユウキは死なせない。絶対に」

 

 刀霞は、アスナにだけ聞こえるような擦れた声しか出せなかった。アスナは目を大きく見開き、表情が固まってしまう。その言葉を聞いた瞬間、石碑の前でユウキと写真を撮った思い出がアスナの脳裏に一瞬過ぎる。

 

「そ……そんなこと……」

 

 できるわけない。医者も見離した病気なのに、貴方に何ができると言うの?

 仮想空間で彼女を救う手立ては存在しない。アスナは己の無力さを誰よりも感じていた。

 それでも尚、ユウキとの思い出がアスナの脳裏を駆け巡ってしまう。もう一度目を覚ましてほしい。そんな我侭があふれ出すほどに。

 

「お、おいっ。何するもつりだよ!」

 

 アスナの言葉を遮るようにスリーピング・ナイツのメンバー、ジュンは見知らぬ青年に対して強い口調で威嚇した。俺たちの大切な仲間に近づくなと言わんばかりに勢い良く立ち上がり、涙で溢れた瞳を拭う間もなく武器を構え臨戦態勢にはいる。それに続いてスリーピング・ナイツのメンバー全てが武器を構えて青年を睨み付けた。言葉を発したのはジュンだけだったが表情も、感情も。メンバー全員がジュンと同じ気持ちだった。

 

「ま、まって!」

 

 アスナは彼の言動に困惑しながらもジュンたちを制止する。アスナは彼が嘘を言っているようには見えなかった。いや、嘘でも信じたかった。死なせないという言葉に。

 刀霞は威嚇されてもなお彼らに視線を傾けることはなく、ユウキの手を離すことはなかった。彼はジュンの威嚇に反応する余裕がなかったのだ。

 理由はユウキの表情だった。アスナの腕の中で眠るように横たわるユウキを見て刀霞の心が強く揺れ動いていた。満足そうなユウキの顔に、幸せそうなユウキの表情に。心が砕けそうになる。

 本当に、本当にこれでいいのだろうか。

 

――……このまま彼女を生き返らせて、本当にそれが正しい事なのだろうか……。

 

 ユウキは家族や仲間の死を乗り越え、それでも前を向いて必死に生きてきた。ここで生き返らせるのは簡単なことかもしれない。だが、それは彼女の覚悟や意思を踏みにじる事になるんじゃないか?

 ――いや、それでも生きていたほうがいいに決まっている。正しいはずなんだ。でも……彼女の意思を尊重するなら……このまま静かに見送る行為こそがユウキの幸せに繋がるはず――。

 

 死なせる事が正しい?

 

 彼は左右に首を振る。それは詭弁だと。彼女にはもっと生きていてほしい。それが心の底から願う本音だった。

 最初に決めたことじゃないか。たとえユウキに恨まれたとしても、生きていてほしいと。

 

「……頼む。ユウキの覚悟を裏切ることになったとしても、彼女が生きてくれるのなら……俺は……俺は……ッ」

 

 いつのまにか刀霞の頬には涙がつたっていた。声が擦れてほとんど声にならない。

 そんな最中、キリトだけがその青年の違和感に気づいていた。

 

「あいつ……妖精じゃ、ない」

 

 本来ALO(アルヴヘイム・オンライン)というゲームには大きく分けて10種類の妖精族が存在する。各種族によって特殊能力や領地が違うのだが、見た目ももちろん変わってくる。大体の特徴はキリトでなくともある程度のプレイヤーならばわかる。

 さらに、キリトには腑に落ちない点があった。どの種族にも該当しない見た目。ALOの世界観には似つかわしくない一般的な私服。そして何より頭上にHPカーソルが表示されていない。

 キリトは咄嗟に左手を前に差し出し、メニュー画面を開く。周囲のキャラクターネーム一覧を確認し、周囲のキャラクター名の一覧がリスト化された画面が表示される。キリトが1名ずつ名前を確認していくと1人のネームだけ《?????》という名前があることに気づく。

 キリトはそのネームのキャラクター情報一覧を選択する。本来であればそのキャラクターの種族、装備、レベルなどがわかるのだが、キリトは唖然とした。全て《?????》としか表示されていない。

 キリトの鼓動が一瞬高鳴る。最初にキリトがこのALOにログインし、アイテムの一覧を確認した頃の記憶を思い出す。そう、SAOのアカウントをALOにコンバートした際に、アイテムの引継ぎはできなかった。その時のアイテム名の表示も《?????》だった。

 

――こいつもSAOの生き残り……? いや違う。俺のキャラクター情報には種族覧には《スプリガン》と表示されていた。ならこいつはどうして……。

 

 キリトは脱線する思考を戻そうと首を左右に振る。

 論点はそこではなかった。NPCならキャラクターネーム一覧には表示されない。しかし《?????》とはいえこのゲームに存在していることには間違いない。

キリトは本来あり得ない結論に至る。顔が強張り、額に汗が走った。

 VRMMOの世界に生身の人間が存在している。

 キリトは逸る気持ちを抑えきれず、その青年に声をかけた。

 

「お前――」

 

 キリトが青年に言葉をかけたその刹那、ユウキの右手から黒く発光した光が出現した。その光はどこかおどろおどろしく、その黒い何かは刀霞の左手を伝い、彼の全身を包み込む。

 それに対するかのように、白く優しい光がユウキを包み込んでいた。

 アスナを含め、周囲の人はその光景に暫く見入ってしまう。何が起きているかはわからないが、少なくとも彼がユウキを攻撃しているようには見えなかった。

 そしてアスナがユウキの最初の変化に気づく。ユウキの見た目こそ大きな変化はないが、ユウキの手を握っていたアスナにだけは確かに感じ取ることができた。

 

「え……?」

 

 アスナの鼓動が少しずつ高鳴る。自然と涙が溢れる。ユウキは握り返す事はなかったが、アスナには確かに伝わったのだ。ユウキの手に体温が戻りつつあることに。

 刀霞を包んでいた黒い光は消え、それと同時にユウキを包んでいた白い光も消えてしまった。刀霞がユウキの手をそっと離すと、ユウキは瞬く間に強制ログアウトしていった。

 と、同時に刀霞も草地に伏して倒れた。

 一体何が起きたのか、誰もが混乱していた。全員の視線は倒れた刀霞に集まる。キリトはゆっくり彼に近づきつつも、アスナの無事を確認する。アスナは「私は大丈夫……」と答えるとキリトは頷いて視線を彼の方へと向ける。

 

――いったいこいつは何者なんだ……?

 

 キリトが刀霞に触れようとした、その時。

 刀霞の体から大量の光の粒子が溢れ出す。彼の姿は徐々に透けて、粒子が舞い上がるたびに彼の体は足元からゆっくりと消えていく。それは明らかにログアウトとは違うエフェクトだった。

 

「お、おい……」

 

 キリトは彼に触れようとしたが間に合わない。触れようとした部分が光の粒子となって姿が完全に消えてしまった。

 

「ゆう……き……」

 

 薄れ行く意識の中、刀霞が零した彼女の名。

 

 悲しそうで。苦しそうで。どこか傷ましい。

 

 彼が口にした悲壮の声に、アスナは堪らず胸を抑えた。




 閲覧していただき、ありがとうございます。

 どうしてもストーリーのつじつまが合わないため、大きく内容を変更しました。結果的にいい作品になるように今後も頑張りたいと思います。

 前書きにもお伝えしましたが、私の能力がまだまだ未熟なため、表現の難しい部分や世界観が簡潔に伝わるよう一部原作やwiki等を引用している部分があります。

 今後もあるかもしれません。ご容赦下さい。
 どうすれば表現力が高まるかアドバイスをいただけると凄く嬉しいです。
 宜しくお願い致します。


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 第三話を投稿させていただきます。
 一人称と三人称の切り替えがうまくできていません。
 伝わりにくいかもしれませんが、どうかご容赦下さい。


 刀霞は心地良い暖かさに包まれていた。

 やがてゆっくりと意識が回復し、目を覚ます。重い体を起こして周囲を確認すると自分がまだ小島にいることに気がつく。

 

――あれ。俺、何してたんだっけ……あぁそうだ……ユウキの……。

 

 刀霞はその場で胡坐をかく。しばらく風で茂っている大木を見つめていたが、ふと先程までの出来事を思い返し、彼女に触れた右手をじっと見つめる。

 

――俺、死んじまったのかな。特に痛くも苦しくもなかったけど……。

 

 ここが天国か地獄かなど刀霞には然程興味はなかった。

 今一番気がかりにしていることは、木綿季の生死。

 刀霞の頭の中は、彼女のことでいっぱいだった。

 

「……ユウキ、無事だといいな」

 

 そう口にした瞬間。ふと、後ろから自然を感じる。

 刀霞は何気なく振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。

 

「……君は……?」

 

 刀霞には見覚えがない人物だった。黒髪の長髪に白いワンピース。目は前髪で隠れていて口元しかわからなかったが、雰囲気はどこかアスナに似ている。

 刀霞は立ち上がってしばらく彼女を凝視するも、駄目だ、やっぱり見覚えがないという結論に至る。お互いにそれなりの距離があったが刀霞も彼女も近づくことはしなかった。

 二人の間には花吹雪が吹き荒れるように舞い、互いの視界を少し遮る。

 ――花吹雪が次第に落ち着くと、彼女は刀霞にたいしてゆっくりと丁寧にお辞儀をした。刀霞はそれに答えるように「あ、どうも」と慌しく頭を下げる。

 その直後、彼女は何かを伝えるようにそっと口を開く。

 

「――――」

 

 その声は何かに遮られているわけでもないのに、何故か刀霞の耳に入らない。

 

「――――」

「す、すまない、もう一度言ってくれ!」

 

 何度も耳を澄ましても、それでも聞こえない。

 と、また後ろから別の声が聞こえる。今度は男性の声だ。それもかなり大きな声。

 さすがの刀霞も吃驚しながら後ろを振り向くが、誰もいない。姿は見えないが、男性の声が大きさが、どんどん増していく。

 男性の声がする方向をしばらく直視していると、耳元からささやくように女性の声が聞こえた。

 

「――あの子を……木綿季をお願いします」

 

 刀霞は驚いて振り向いたが、彼女の姿はそこになかった。

 いったい誰だったのか――でも確かに聞き取れた。木綿季をお願いします、と。

 もしかして彼女は、と思考しようとするが、男性の声が頭に響くぐらい大きな声となって刀霞の頭を刺激する。

 刀霞はぎゅっと目をつむり、刺激される頭を両手で抑えながら暗い視界の中で痛みに耐えることで精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ますか?」

 

 うるさい。

 

「――えますかー?」

 

 うるさいって。静かにしてくれよ。

 

「もしもーし。聞こえますかー?」

 

 俺は頭に響くような声に導かれるように自然と瞼が開いた。

 

「あ、覚ましましたね」

 

 声の聞こえる方へ視線を合わせる。視線の先には眼鏡をかけた細身の男性が見えた。

 どうやら俺はベットの上にいるらしい。左手に違和感を覚え、何気なく見てみると点滴のような物が施されているのが目に止まる。

 

「やぁ、ここがどこだかわかるかい?」

「……いえ」

 

 寝起きのような意識で、若干朦朧とはしていたものの、自分がどこにいるのかわからないぐらいの判断は何となくだができる。

 眼鏡をかけた男性は返事を聞くと、ニッコリと微笑み、近くの椅子を腰をかけた。

 

「ここは病院です。君はウチの病院の前で倒れていたんですよ」

 

 とうとう夢遊病者にでもなったらしい。

 無理もない。あんな夢を見せられたら誰だって……。

 ――いや、もしかしたらまだ夢の中なのかもしれない。夢と現実が混同して自分が何故ここにいるのか、どうして倒れているのかも思い出せない。

 

「自分の名前はどうかな。わかりますか?」

「刀霞……霧ヶ峰刀霞です……」

 

 名前だけは覚えている。たが、それだけだ。

 体を起こそうとするが、疲労が溜まっている様子で、体の自由が中々利かない。それを見た男性が「まだ休んでいなさいと」俺を支え、優しく布団をかける。

 

「……あの、貴方は……」

「あぁ、自己紹介が遅れてすいません。僕は倉橋といいます。ここの病院の医者で、貴方の第一発見者です」

 

 ――倉橋……? どこかで聞いた名前だ。

 どうにか思い出そうと頭を捻るが、今までの記憶が断片すぎてうまく思い出せない。自分の記憶力のポンコツさに嫌気がさす。

 

「貴方は一週間もの間、眠っていたんですよ。まだ相当疲労が残っているようだから、とにかく今は休みましょう。念のため、後で精密検査を受けてみましょうか」

 

 その言葉を聞いて体がビクンと反応する。一週間寝ていた事ではなく《精密検査》という言葉に。

 仮にここがまだ夢の中だとして、だ。俺は木綿季の病気を吸収したはず。と、いうことは今現在俺の体内にはエイズやそれに類するものが潜伏している。ここで精密検査なんて受けてしまったら、一発アウトどころか隔離されて一生入院生活を余儀なくされるだろう。

 どうせ死ぬなら二次創作中に過労死で生涯を終えたい。どうにかやり過ごせないものか……。

 

「い、いえ、暫く休んだら良くなります。ちょっと過労気味で倒れたんだと思います。それになんか熱っぽいし……ただの風邪ですよ。ごほっ……ごほっ……」

 

 慣れない嘘で必死で誤魔化すが、誰から見ても嘘だと思われてしまうだろう。それに、長期入院は木綿季の闘病生活を把握していたので嫌というほど理解している。死ぬまでベッド生活だなんてとてもじゃないが、無理だ。木綿季のように耐えられる根性なんて、俺には持ち合わせていない。少し寝たら早く帰ろう。

 

「とりあえず、少し様子を見てみましょう。決して無理をしてはいけませんよ」

「はい、助けて下さってありがとうございます」

 

 倉橋と名乗る医者はお礼に応えるようにニッコリと微笑むと俺の安否を気遣うように肩をポンと軽くたたき、病室を後にした。

 一人になった俺は、どうにかその場をやり過ごせたことに安堵し、大きなため息をついた。状況を把握するため、周囲を見渡すが自分以外の患者が見当たらない。どうやらここの病室には俺しかいないようだ。

 そして、天井を見つめたまま俺は心の中で自問自答をする。

 

 自身の犯した罪について――。

 

 きっと木綿季は俺を恨んでいることだろう。先に旅立ってしまった姉、紺野 藍子(こんの あいこ)やクロービス、メリダにも会いたかったに違いない。俺の個人的な我侭で彼女の行く末を台無しにしてしまったのかもしれない。生き返ったところで戸籍上彼女は独りぼっちだ。後の生活は苦難の連続だろう。

 

 後悔と自責の念で心が砕けそうになる。

 

――もう寝よう……。

 

 あんなにも眠ったのに、未だに酷く眠い。寝て起きたら、とにかく家に帰りたい。夢遊していたとしても、そこまで遠くには行っていないだろう。後日お礼に伺って、診察費も支払わないと。

 家についたら夢での経験をネタに、新しい二次創作を執筆したい。

 俺はそれ以上考えるのやめ、ゆっくりと目を閉じる。すっかり疲弊しきっていた俺は、夢でおきた出来事をまとめることもせず、そのまま深い眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遡る事五日前。木綿季が最後に瞼を閉じた直後の話である。

 心電図を通して、心肺停止を告げる音が病室内に響き渡る。

 木綿季の主治医である倉橋は自分の腕時計を確認すると、重々しく死亡宣告を口にした。

 

「……三月二十三日、午後十七時時四十分、ご臨終です……」

 

 倉橋と周囲の看護師は俯いたまま、彼女の姿を静かに見つめていた。

 本当にこの子は良く頑張った。十五年間必死で生き抜いた彼女にはたくさんの事を教えられた。彼女が与えてくれた様々な《メディキュボイド》の治験結果は後の医療に役立つことだろう。

 ――いや、絶対に役立てねばならない。

 倉橋は強い想いを胸に抱いたまま、看護士に後の処置を託した後ユウキの診断書を記録するため、病室から出て行った。

 

「紺野さん、今までお疲れ様でした……本当によく頑張ったね……」

 

 看護師が優しい口調で語りかけ、そっと彼女の手を握り、彼女の体に繋がれている電極を取りはずそうとした、その瞬間――

 ピッピッピッ

 と、心電図の音が静かに一定のリズムを刻みはじめた。

 看護師は驚いた表情で心電図を確認する。見間違いなどではない。かなり弱い脈拍だが、彼女の心音が次第に強くなっていく。看護師が今にも転びそうな勢いで病室を飛び出し、廊下をとぼとぼと歩く倉橋に状況を報告する。

 

「倉橋先生!! 木綿季さんの……木綿季さんの脈に反応が……!」

「なんだって!?」

 

 倉橋は一目散に彼女の元へ向かう。ユウキのいる病室に入ると倉橋は目を疑った。心電図とバイタルサインが強い数値を示しているのがすぐにわかった。

 

「すぐに集中治療室へ!!」

 

 倉橋が彼女の頭部から《メディキュボイド》を強制シャットダウンさせ、看護士たちがユウキをベッドごと、集中治療室へ急いで搬送させる。それと同時に隣の部屋からアスナが飛び出し、倉橋に何が起きたのかを尋ねた。

 

「先生!! 木綿季が……木綿季は……!」

「話は後です!」

 

 倉橋もアスナも動揺を隠せなかった。倉橋からしてみれば前例のない異常な例だった。一度心肺停止した彼女をなんとか蘇生させた所までは良かった。しかし、一回目以降心停止した場合、木綿季の容態から察して、蘇生する可能性はないだろうと覚悟をしていたのだ。

 しかし、倉橋の覚悟とは裏腹に措置をするどころか死亡確認後からの脈拍自立回復。倉橋はこの状況を奇跡としか判断できなかった。

 

 アスナは集中治療室へ搬送するユウキの手を握り、熱を込める。

 

「神様……どうか、どうか木綿季を助けて下さい……!」

 

 バンッと治療室の扉が開かれ、ユウキの姿を最後まで見送るアスナ。手術中のランプがつくとアスナはその場に崩れ落ち、涙でくしゃくしゃになった顔を両手で覆った。

 

「お願い木綿季……もう一度、もう一度だけでいいからあなたの笑顔を見せて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれぇ?」

 

 ふと気がつくと、木綿季は立っていた。

 あたりをきょろきょろと見渡すと、真っ先に視界に飛び込んできたのは、見慣れた大きな木。中都アルンの中心に聳え立つ世界樹をモチーフにしたような、立派なその木に木綿季はつい声を洩らす。

 

「僕、ここで死んじゃったんだ……」

 

 木綿季はその場にペタンと腰を下ろして大木を見上げながら思いに耽る。アスナのこと。みんなのこと。思い出すだけでユウキの表情には自然と笑顔が溢れていた。

 

――楽しかったなぁ……。

 

 と、その時。

 後ろから誰かが近づいてくる音が聞こえてくる。木綿季はその音に察し、パッと振り向くと、そこには良く知る女性が立っていた。

 木綿季思わず立ち上がり、目を丸くして彼女に話しかける。

 

「ねぇ……ちゃん?」

 

 視線の先には木綿季の姉、紺野藍子が優しい笑顔で木綿季を見つめていた。

 

――見間違えるわけない。姉ちゃんだ……! 姉ちゃんだ……!!

 

 木綿季はくしゃっと顔を歪ませたまま、彼女の元へと走った。

 涙を流し、躓きながらも、姉の胸に飛び込む。溢れる涙で顔がくしゃくしゃになる木綿季。それを藍子は優しく受け止め、最愛の妹の頭をそっと撫でた。

 

「姉ちゃん……! ボク……ボク一生懸命生きた……! みんなのおかげで、精一杯生きたよ……!」

 

 その言葉を聞いた藍子はそっと頭を撫でたまま、木綿季の瞳に視線を合わせ、うんうんと静かに頷いた。その優しい笑顔につられて、木綿季もつい笑顔になる。

 

「あ、そうだ。姉ちゃん! いっぱい、いっぱい話したいことあるんだぁ!」

 

 藍子はその言葉を聞いたとたん、少し困ったような表情でフルフルと顔を横に振る。

 それを見た木綿季は動揺した。

 

「えぇ!? なんでさ! 僕たち、これからはずっと一緒なんでしょ!?」

 

 藍子は何も応えなかった。ただ、困惑した木綿季の顔を愛しむように見つめているだけだけで――

 その直後、何の前触れもなく、木綿季の体がふわっと宙に浮く。

 

「うわぁっ」

 

 少しずつ、少しずつ体が浮き上がる。木綿季はと驚きつつも姉から離れまいと藍子の手を掴んで必死に抵抗する。

 

「なんで! どうして!? 僕を一人にしないで姉ちゃん!! やだ! こんなのやだよー!!」

 

 ジタバタと足を動かすと、木綿季の視界がくるんと逆転し、逆立ちするような状態になる。構わず必死に抵抗を続けるも虚しく、見る見るうちに浮き上がる。

 木綿季は藍子の手を離そうとしなかったが、自然と藍子の体が徐々に透け始め、ついには手が離れてしまった。

 そして、藍子はそのまま浮き上がる木綿季の顔にそっと手を添え、宥めるように耳元で囁いた。

 

「――ちゃんと、待ってるから……もう少し……もう少しだけ、頑張りなさい……」

「や……やだっ!」

 

 木綿季は藍子の言葉を聞き入れたくなかった。

 

 本当に待ってくれるのかなんて分からない。後どれだけ頑張ればいいのかなんて分かりたくもない。せっかく会えたのにこんな形で別れてしまうなんて。とにかく木綿季は拒否したくて、否定したくて仕方がなかった。

 

「やだやだやだやだああああっ――――!!」

 

 駄々を捏ねるように抵抗を重ねるが、ついには藍子の姿が見えなくなるほど空高く浮かび上がる。

 木綿季は彼女を視界で捉えられなくなると同時にガクリと肩を落として、涙を流した。咽び泣く子供のように体を丸め、しゃっくりをあげながら。

 

「姉ちゃん……姉ちゃん……」

 

 泣き疲れてしまったせいか、次第に少しずつ意識が遠のいていく。やがて木綿季は光の粒子となり、手の平で溶ける雪結晶のように消えていった。

 

 

 

 

 藍子は木綿季の姿が見えなくなるまで彼女の姿を見送っていた。

 やがて何も見えなくなると「さて」と藍子は振り向いて歩き出そうとする。

 その時――

 藍子の鼻にぽつりと一粒の雫が降り注ぐ。

 ふと空を見上げると、上から木綿季の涙が雫となってゆっくりと藍子の前に降り注いだ。藍子はその雫を両手で受け止めると、その場にペタンとへたり込んでしまう。

 藍子は木綿季には見せまいと我慢していた感情が溢れ、静かに涙を流す。木綿季の涙を胸に納め、大切に大切に心にしまいこんだ。

 

 

――……次に会う時は、私よりもずっとずっと大人になってるかな。今度はちゃんと聞かせてね。木綿季が見たもの、感じたもの、いつかめぐり合う彼との話を……。

 

 

 気持ちのいい風が藍子の髪をそっと撫でる。

 

 空高く舞い上がる花吹雪が、二人の再会を祝福してくれたように感じた。




 閲覧していただき、ありがとうございます。
 今後ストーリーの展開として、主人公視点での話が多くなるかもしれません。
 いずれALOだけでなくGGOを含む別のVRMMOも書けたらいいなと思います。
 コメントいただけると励みになります。今後も宜しくお願いします。


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 第四になります。
 私はセリフが多いほうが好きなようで、状況表現がものすごくへたなことに気づきました。
 1人称でも3人称でも言葉の使い方がワンパターンな部分が多いので、もっと言葉のレパートリーが増やせていけたらいいなと思います。
 少しでも楽しんでいただけたらと思います。


 木綿季は暗い闇の中で、生まれる前の赤子ように蹲り、空中を漂っていた。

 音もなく、何も生まれない世界で彼女は姉の顔を思い描く。

 

――ずるいや、姉ちゃん……。またボクを独りぼっちにさせて、1人で勝手にいなくなっちゃうんだもの。やっと会えたのに……やっと一緒にいられると思ったのに……。どうして神様はこんな酷いことをするんだろう。ボクそんなに悪いことしたのかな……姉ちゃんと一緒にいたいだけなのに……。

 

「……ボクなんて……生まれてこなきゃよかったんだ……」

 

 木綿季にはこれ以上耐えられなかった。こんな辛い思いをするのなら、こんな悲しい思いが続くのなら、生まれたくなかった。

 我慢できず、そうぽつりと呟いた。

 その瞬間――。木綿季の頭上から優しい光が降り注ぐ。木綿季は瞼越しでも感じる強い光に気がつくと、ゆっくりと光の挿す方へ視線を上に向けた。

 誰かが手を伸ばしている。光が眩しくて誰かはわからない。しかし、木綿季はその人であってほしいと思う人の名が自然と口にでていた。

 

「姉ちゃん……? 姉ちゃんなの……?」

 

 木綿季は手を掴もうと必死に右手を伸ばす。

 少しずつ、少しずつ光に包まれた手へと近づく木綿季。

 そして、後ほんの数センチという所で木綿季は気づいた。

 姉であってほしいと思われるその人が涙を流している事に。

 

「……泣いてるの……?」

 

 木綿季がその人物へ語りかけた瞬間、光を放つ手がガシッと彼女の手を力強く掴む。

 二度と離すまいという強い力が木綿季に伝わったが、決して痛くはなかった。

 

――姉ちゃんじゃないや……誰だろ……なんでかな……しらない人の手なのに、すごく安心する……おっきくて……優しくて……温かくて……この人は……ボクを……ひとり……に……しないで……くれ……る……の……かな……。

 

 視界がゆっくりとフェードアウトすると同時に、木綿季の意識は霧がかったように遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――き……」

 

 誰だろう。声が聞こえる。

 

「――うき」

 

 この声。この声は……。

 

「木綿季!」

 

 そうだ。ボクの大好きな、ずっと傍にいてくれた人の声。

 

「あ……すな……」

 

 ゆっくりと目を開けて、声のする方へ視線を向けるとアスナが見えた。それと同時に自分の目から何かが溢れているのに気がついた。

 ボクは涙を流していた。別に悲しくなんてないのに、なんだか苦しさだけが込み上げてくる。

 

「木綿季……! 木綿季……!! 良かった……ほんとに良かった……」

「……はは……そんなに、手……にぎったら……おれちゃうよ……」

 

 アスナの方がいっぱい、いっぱい泣いている。

 でも、いつもと違って髪の色が青色じゃない。

 

「あ……ごめんね……? そうだ、今倉橋先生呼んでくるから……!」

 

 アスナはそう言うと、椅子から立ち上がり、見覚えのある扉を飛び出した。

 そこでボクは自分が現実世界にいることにやっと気づく。ボクは酷く混乱した。確か小島でアスナと、みんなとお別れしたはずなのに。何故ベッドの上で目を覚ましているのか未だに理解できなかった。

 やがて倉橋先生の姿が見えて、優しい言葉と表情をボクに向けた。

 

「紺野さん、気分はどうですか?」

「あの……ボク、どうして……」

 

 今の気分を確認する余裕なんて、今のボクにはない。

 ボクは取り乱しながら尋ねると、先生は近くの椅子に腰をかけてまっすぐな瞳を向けて、言った。

 

「紺野さん。もう大丈夫です。貴方は助かったんですよ」

 

 信じられなかった。絶対に治ることはない。きっと、その場しのぎの延命に成功したのだろうと思った。

 

「でも……また……」

「本当だよ……木綿季は、木綿季はね……」

 

 アスナの泣いている顔を見てもまだ信じられなかった。頭の整理がつかず、動揺のあまり言葉が出ない。

 

「順を追って説明しましょう」

 

 先生がそう言うとボクが心肺停止してからの話を教えてくれた。

 心肺停止した後、急に脈が回復したこと。

 その後集中治療室で自立呼吸をするほどまでに回復し、一命をとりとめたこと。

 MRI検査と血液検査の結果からボクの体内にあるウィルスが消滅していたこと。

 嘘のような本当の話にボクは終始取り乱していた。

 

「え……え……ボク、どうなっちゃうの?」

「大丈夫。近いうちに退院できますよ」

「後どれくらい生きられるの……?」

「経過観察次第ですが、完治すれば何歳でも生きられます」

「……歩けるようになるの……?」

「もちろんです。学校にもショッピングにもいけますよ」

 

 アスナは頷きながら、ボクの手を優しく握ってくれた。アスナの手の温もりがここが現実世界だと教えてくれた。

 結果的に、ボクは生き残ってしまったらしい。姉を一人にしたまま、スリーピング・ナイツのメンバーをさしおいて。

 

 ……ボクだけ、ボクだけが。

 

 自然と涙が溢れる。生き残ってしまったという自責の念がボクの心を締め付けた。

 

「木綿季、大丈夫だよ」

 

 アスナがボクの手を両手で優しく包んでくれた。ボクが涙を流したままアスナを見つめると、あることを教えてくれた。

 それは、スリーピング・ナイツのメンバーの容態が全員回復しつつある、ということだった。ボクが一命を取り留めた後、意識が回復するまでの短期間でシウネーをはじめとしたみんなの病気がほとんど回復してしまったしたらしい。夢のような、奇跡だらけの出来事にボクは目を丸くした。

 アスナは、きっとボクが一命を取り留めたことがきっかけで、木綿季だけをおいて死ぬわけにはいかないと、みんなが頑張ってくれたんだよと、優しい口調で言ってくれた。

 

――もしそれが本当なら、心から嬉しい。だけど……。

 

「……木綿季……?」

 

 アスナはボクの気持ちに察してくれたのか、聞いてくれた。素直に喜べない気持ちを、ボクは正直に話した。

 

「ボク……ボクね。夢を見たんだ。姉ちゃんに会う夢を……やっとね、一緒になれたと思ったんだ。今度はボクが姉ちゃんの傍にいようって決めてたのに……なのに……なのに……置いてきちゃった……ボクだけ生き残って……姉ちゃんをひとりぼっちにさせちゃった……」

 

 無理やり表情を作るけど、どうしても純粋に笑うことができない。嬉しさと悲しさが入り混じりうまく感情表現ができない。

 とてもじゃないけど、姉を置き去りにしたことを忘れて、全員の無事を喜べるような気持ちにはなれなかった。

 苦笑いの仮面が少しずつ剥がれて、今にも泣きそうなボク。

 そんなボクを見たアスナは、咽び泣く妹を宥める姉のように優しく、そっと抱きしめた。

 

「……木綿季のお姉ちゃんはね、きっと、まだ早いよって。もっと長生きできるんだから、今はまだここに来ちゃだめだよって教えてくれたんだよ……だから、もう少しだけ、もう少しだけ頑張ろ……? もっともっと、お姉ちゃんの分まで生きなきゃ、駄目だよ……木綿季……」

 

 ――思い出した。

 

 姉ちゃんの、頑張りなさいって言葉を。駄々を捏ねて嫌だって、たくさん言っちゃったけど、笑って、頑張りなさいって、言ってくれた。

 だから、ボクは……。ボクは無駄にしちゃいけないんだ。姉ちゃんの言葉を。

 

 ちゃんと頑張ったよって。

 

 次は、胸を張って、言えるように……。

 

「ぅ……うぇぇ……っ……うわぁぁぁぁぁんっ」

 

 生き長らえ、姉の言葉の意味を知り、スリーピング・ナイツのメンバー全員の命が救われた。

 

 

 

 

 ようやく全てを理解できた彼女は堰が切れたように大声で泣いた。

 大粒の涙が透き通るような紫色の瞳から止め処なく溢れ出てくる。

 アスナは木綿季を抱きしめたまま優しく頭を撫で、またアスナも涙を流しながら共に喜びを分かち合った。

 倉橋医師もうっすらと涙を浮かべ、ただ静かにその姿を見守っていた。

 

――……ボク、頑張るからね。だから、ごめんね。もうちょっとだけ待ってて、姉ちゃん。

 

 2025年3月25日。紺野木綿季の長い闘病生活は終わりを告げた。

 とはいえ、倉橋曰く、病状が急変回復したので、逆に急変悪化する可能性もある。という理由で経過観察が必要なため、リハビリも含めもう暫く入院することとなった。

 そして3月31日。刀霞が二度寝から目を覚ました直後の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くぁ……」

 

 俺は目が覚めると体を起こして大きな背伸びと欠伸をひとつ。

 肩を回したり首をコキコキとひねって体調を確認する。どうやら疲れはすっかりとれたようだ。

 それにしてもエイズとやらの反応やらが何もでてこない。実際どういう症状になるのかはわからないが、これといって気分が悪いわけでもないし、どうなっているのだろう。

 

「――……腹減ったな」

 

 そう呟いた俺は患者着のまま着替えることなく、椅子の上に綺麗に折りたたまれた自分の私服のズボンからポケットを弄る。あぁ、150円しかない。まぁパンの1つぐらいなら買えるだろう。

 とりあえず病室からでた俺は、あたりを見渡し、近くにいた看護士さんに売店がどこにあるのかと訪ねる。

 

「ここは五階なので、あそこのエレベーターから一階に下りてください。出たところを右に曲がって、突き当たりを左に曲がると売店ですよー」

「ありがとうございます」

 

 俺はさっそくエレベーターのボタンを押して、下りてくるのを待つ。

 次第に音が近づき、ポーンと軽い到着音が流れると同時にエレベーターのドアが開くと、そこに車椅子に座った少女が姿を現した。

 つい目が合うと、彼女の方から「こんにちわ!」と元気よく挨拶をしてきたので、俺は「やぁ、こんにちは」と軽い挨拶を返す。中へ入り、一階へのボタンを押そうとしたが既に点灯していたので、俺は閉めるボタンだけを押して彼女の隣に立つ。

 するとエレベーターが動く間もなくニッコリと微笑んだ少女が俺の目をまっすぐ見て、話しかけてきた。

 

「ねぇねぇおにーさん! おにーさんもここに入院しているの?」

「まあね。良くなってきたからすぐ出るよ」

「へぇーそっかそっかぁ! 早く退院できるといいよねー!」

 

 ハキハキとした声だが声量がいかんせん小さい。

 腹から出ていないというか、元気はいいようだがどこか弱々しく感じる。

 

「君はどこに行くんだい?」

「んっとね。これから売店にいこうかと思って! でもエレベーターに辿りつくまでにかなり体力使ったから疲れてきちゃったよ……えへへ」

 

 頬をポリポリ掻く少女をよく見ると、腕や足がかなり細く、顔も痩せこけているのがわかった。

 そんな姿を見て、俺はふとした疑問を彼女になげかける。

 

「そんな状態でよく徘徊許可もらえたな」

「ぇ、えへへ……じつは内緒で来ちゃったんだー……」

「おいおい……」

「ま、まーちょっとだけだしいいかなーって思ってさ!」

 

 たははーと片手で頭の後ろを掻く少女を見て俺は呆れてしまった。

 事の始まりとしては、外の景色が見たいがためにほんの数分という約束を条件に、看護士さんに補助してもらいつつ車椅子に移乗し、窓際まで連れて行ってもらったのがきっかけらしい。

 彼女曰く、別に嘘をついたつもりはないと言う。自分の病室には窓がないために、閉鎖的な空間にストレスを感じていたと愚痴をこぼすように話していた。

 そして、彼女は5分ほど景色を堪能し、初めこそ看護士さんが来るのを待っていたのだが、十分程待って、中々来なかったので最終的に1人で売店に行きたいという欲求に負けてしまったという。なんて奴だ、今頃看護士さんも探しているだろうに。

 

――……いや、ちょっと待てよ。ここで仮に俺が見逃したとして、彼女に怪我でもされたら絶対に俺が悪者じゃないか。ここは大人としてしっかり注意して、然るべき対応すべきだろう。

 

 やがてエレベーターが1階に到着する音が鳴ると同時に、俺は少女の車椅子のハンドルをガシッと鷲掴みするように握り、動けないよう固定した。

 

「うぇ!?」

 

 握った反動で揺れる車椅子にびっくりした彼女は、ひょうきんな声を出して驚いた。

 

「そうだ。上に戻る。怪我されちゃかなわん」

「えー! ここまできたのにやだよー!!」

「ちゃんと許可もらってからにしろって」

 

 少女は暴れこそはしないものの、言葉で抵抗をする。ここで甘やかしてはいけないと俺は彼女の病室番号を尋ねると、彼女はぷくーっと頬を膨らませ、ぷぃっと俺から視線を逸らして答えようとしない。

 

「やだ! 絶対教えないもんねー!」

「そんなにほしいものがあるなら看護士さんに頼んで買ってきてもらえばいいだろ」

「そんなのヤダよー! 自分でいかないと意味なもん!」

 

 彼女の呼吸が次第に荒くなる。どうやら喋り過ぎて疲弊してしまったらしい。そんなひ弱な体で大声で叫んでたら疲れるのも当然だろう。お互いに睨み合っていると、彼女の声に反応するように他の患者さんの視線がエレベーターに集まる。

 ドアが開きっぱなしのままで大声で口論していたせいでざわざわと周囲の人たちが騒がしくなってきた。

 

「あぁ、もうわかったわかった……」

 

 結論から言えば、俺は根負けした。

 彼女の後ろに立ち、車椅子を押してエレベーターから出した後、そのまま売店へと足を進めた。

 若干疲弊気味の彼女は振り向くことができず、困惑した口調で俺に言う。

 

「え、え、いいの?」

「売店だけだからな。俺も元々行くつもりだったし、必要なもの買ったらちゃんと部屋に連れてくからな」

「やったぁ! ありがとおにーさん!」

「提督といいたまえ」

「てーとくばんざーい!」

 

 負けてしまった。しかもよりよってこんな小娘に。これで俺も同罪確定だ。まぁいいか。ここまで駄々捏ねるってことは何か深い理由があるんだろう。

 売店に到着すると俺自身素直に驚いた。売店はコンビニ並に広く、ありとあらゆるものが揃っていた。

 到着するやいなや少女は目を輝かせて「お菓子お菓子! お菓子がみたい!」と遠慮なしに俺に注文する。

 はいはいと呆れながらも、彼女をお菓子コーナーに連れていくと、まるでトランペットが欲しくてガラス越しに張り付く少年のような顔つきに変貌し「アレも見せて! これも見たい!」と俺への気遣いもなく指示を重ねた。

 

――この子本当にお菓子が好きなんだな……

 

「うん! もういいよー、かえろっか!」

「あれ、買わないのか?」

「うん。お金は看護士さんが管理してるからもってないんだー」

「頼めばお菓子ぐらい買ってくれるだろう」

「自分で見たかったんだぁ。こういうお店って凄く久しぶりだから……」

 

 ベッド上での生活がほとんどだったんだろうな。どこにも行けず、毎日同じ景色なんて苦痛でしかないはずだ。見たところ14、5歳ってとこだろうか。ちょうどユウキと同じ年頃にも見える。

 

 ……まぁ、いいか。

 

 ゴソゴソと自分のポケットにある小銭を確認してから、彼女に尋ねる。

 

「因みに食べたかったものってどれだ?」

「うーんとね、あれかな」

 

 彼女が指をさした先にあったのは、苺味の飴玉。所持金でも十分買えるほどの価格だ。

 

「そうか、ちょっと待ってろ」

 

 そう一言彼女に告げて、飴を手に取りレジに向かう。少女は混乱していたが、彼女の返事を聞かずにお会計を済ませる。

 俺は彼女が希望した飴を渡して、自分の分の飴を口に含めた。

 

「い、いいの!?」

「まぁ、俺もこれが食べたくて売店にきたようなもんだ。ついでだついで」

「わぁー! ありがとぉ!」

 

 少女はぱぁっと顔を明るくさせてお礼を言った後、包み紙を剥がそうとしていたが、手に力が入らないせいか、うまくできない。

 俺は手を差し出して彼女が渡した飴の包み紙をとって返すと彼女は、飴玉を口に含んだままニンマリと笑顔を綻ばせた。

 

「さ、もう帰るぞ」

「うん!」

 

 ところが、少女の車椅子を押して帰る道中、彼女が「あのさあのさ」と俺に声をかける。

 

「一分だけでもいいから、屋上に行っちゃだめかな……?」

「……あのな、さっき病室に帰るって約束したろ」

「そう、だよね。ごめんね……やっぱりかえろー!」

 

 彼女の顔が一瞬暗くなったが、すぐに明るい表情へ戻った。

 俺は黙ったまま車椅子を押して進む。そして、少女もそれ以上は喋らなかった。

 何故だろう、罪悪感にも似た感覚に支配された俺は、エレベーターに向かうまでの間、つい何度も彼女の後ろ姿を見てしまった。

 

 どうしても、この少女とユウキの姿が重なって仕方ない。

 

――……もうどうにでもなれ。

 

 いけないとはわかっていても、踏みとどまることができなかった。

 エレベーターに到着すると、少女が「あ、部屋の番号はね」と言いかける前に俺はポチッと屋上行きのボタンを押す。

 

「あ」

 

 少女が声を洩らす。

 俺は彼女の後ろに立ったまま、腕を組んで毅然とした態度で彼女に提案を提示した。

 

「なんか急に屋上に行きたくなった。悪いが俺が飴を舐めきるまで少し付き合ってくれないか?」

 

 エレベーターについている鏡越しから俺の表情みて彼女は恐る恐る尋ね返す。

 

「いいの……?」

「俺からの頼みなんだが。無理なら帰るけど、どうする?」

 

 少女は少し俯いてから、ぱっと顔を上げて、

 

「し……しっかたないなー! 飴くれたお礼もあるし、つきあっちゃおーかなー!」

 

 その表情は溢れる笑顔でいっぱいだった。とても幸せそうな顔を見て、俺も誘われるようについ笑みを零す。やがてエレベーターが屋上へ到着した音を知らせ、フェンス越しまで車椅子を運んであげると、彼女は感激の声を漏らした。

 

「うわぁ……久しぶりだなー!」

「おー。これはなかなか」

 

 比較的大きいこの病院の屋上は中々の景色だった。遠くには高層ビルが立ち並び、真下には公園やら行きかう車の姿がみてとれる。見慣れない景色に、俺も暫く見入ってしまった。そして二人揃って同じ景色を見ていると、やがて彼女がゆっくり話し出す。

 

「ほんとはね……」

「ん?」

「ほんとは、ここの景色を見ながら、お菓子を食べるのが夢だったんだぁ」

「――そうか」

 

 ほんの少し歩けば叶ってしまう簡単な夢。他人から見たら下らないと思ってしまう人もいるだろう。それでも彼女からしてみれば遠い未来に望んでいた夢なのだ。その言葉を聞くだけで彼女の苦労が伺える。

 俺はまっすぐ景色を見たまま、彼女の言葉に耳を傾けることしかできなかった。

 数分後、飴も舐め終わり、さて帰るかと少女に声をかけようとしたタイミングで後ろから聞き慣れた男性の声が聞こえた。

 

「あぁ、こんな所にいたんですか。探しましたよ」

「あ、倉橋先生ー!」

 

 少女がぶんぶんと手を振り、倉橋医師も苦笑いしつつそれに応える。俺が軽く会釈すると、倉橋医師もまた小さくお辞儀を返した。

 

「刀霞さんもこちらにいましたか」

「すいません、俺が連れまわしちゃいまして……」

「いえいえ、この子も体調が良くなってから活発になりまして。元気な彼女が見れた私としては嬉しい限りです」

 

 俺は内心叱られるだろうと覚悟していたが、倉橋先生にそんな様子はまったく感じられなかった。俺の不安をよそに、倉橋先生は話を続ける。

 

「そういえば、彼女とはお知り合いですか?」

「いえ、今日エレベーターでたまたま会っただけです」

「このおにーさんとってもいい人なんだぁ!」

 

 少女が会話に割って入る。お礼を言われても病弱の少女を連れまわしてしまった罪悪が若干あったため、素直には喜べなかった。「ああ、そういえば」と倉橋先生は腕時計で時間を確認すると少女に急かすように尋ねた。

 

「そいういえば、いつものゲームでみんなと会う約束があるのでは? 病室にいなかったので彼女が貴方を探していましたよ」

「あーそだった! 忘れてたー!」

 

――なんだ、オンラインゲームでもやってるのか。結構余裕あるじゃないか。

 

「まぁ、ほどほどにな」

「えへへ、だいじょーぶ! 今日はありがとおにーさん!」

 

 手を振る彼女に応えて、そのまま倉橋医師に後を託す。

 

「また夕方あたりに検診にきますので」

「わかりました」

「ばいばーい!」

「あぁ、またな」

 

 倉橋医師と少女はエレベーターの中へと消えていった。

 

――やれやれ……ずいぶんと喜怒哀楽の激しい子だったな。雰囲気は木綿季とそっくりだったし、年齢も近かった。あの子には無事に退院して幸せな人生を歩んでほしいもんだ。

 

 ほどなくしてエレベーターの上がる音が聞こえてくる。誰か来たかと思いつつも、俺は気にせず景色を楽しむ。

 やがて、ポーンと到着音が鳴り、扉が開く。

 もしまた無断で徘徊してる患者が来たら今度は容赦しないと、多少の覚悟はしていたのだが、その予想は大きく外れることになる。

 女性の息切れるような慌しい声が、俺の背中に触れた。

 

「す、すいません!! ここに十五歳くらいの女の子が来ませんでしたか!? セミロングで栗色の毛の子なんですけど……ッ」

 

 セミロングで栗毛色? それなら記憶に新しい。先程倉橋医師が言っていた、探していた『彼女』のことだろう。

 俺は振り返りながら答える。

 

「――あぁ、その子ならさっき倉橋先生と一緒に部屋へもどり……ま……し………」

 

 その『彼女』の姿を視界に捉えた瞬間、俺は言葉尻を失った。

 

「あ、貴方は……」

 

 震える彼女の声。

 視線の先にはあの人が立っていた。あの小島でユウキを抱き支えていた、あの人が。




 今回も閲覧いただき、ありがとうございます。

 どうしても誤字脱字が目立ってしまいます。ご容赦下さい。


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 第五話になります。
 11月26日の時点で、おかげさまでUAが1000回を突破しました。お気に入りも20件になり、本当に嬉しく思います。
 正直なところニ話ぐらいなところで挫折しかけてました。二次創作とはいえこんなに見ていただけるなんて夢のようです。
 今後も頑張りますので宜しくお願いします。

 ※2015/11/29 追記※

 閲覧者の方から、類似のジャンルで主人公とほぼ同じ名前を使用している方がいるというご指摘をただきました。
 そのため、今更で大変申し訳ないのですが混乱を避けるためとして、主人公の名前を変更したいと思います。大変申し訳ありません。
 今後主人公の名前を「霧ヶ峰 刀霞」(きりがみね とうか)という名前で作成していきたいと思います。この名前は類似のジャンルで使用されていないと思うので、様子を見つつ
 修正していきたいと思います。
 今後とも宜しくお願い致します。







 ここがまだ夢の中なんじゃないかと思っていた。

 そんな片隅にあった小さな予感は、目の前の彼女を見た瞬間一瞬で吹き飛ぶことにななる。髪色は違えど本で、挿絵で、小島で俺は何度も見たことがある。見間違う事などはありえない。

 頭の整理が追いつかず、彼女を呆然と直視することしかできず、口に含んでいた飴玉の存在すら忘れやがてぽろりと地に落ちる。

 

「あ……あの……貴方は……」

 

 混乱が混乱を招き、俺の脳を困惑させるばかりで彼女の言葉など耳に入らない。

 

――とにかく落ち着け、ここで慌てても意味がない。とにかく逃げよう。本来ここの世界に存在すべきではない俺が、彼女と接触するべきではない。それが原因でアスナに何かよくないことが起きたらキリトにも申し訳がたたない。

 

「あ、あぁそうだそうだ! 俺この後手術があるもので。申し訳ないが部屋に戻らなければ! いやぁすっかり忘れていた。と、とにかく明日奈さんが探している少女は病室に戻りましたよ。それでは俺はこれで、し、失礼します」

 

 もっとマシな嘘をつけないのか。とはいえ、不器用なりにも用件は伝えることができた、一刻も早く立ち去らなければ。

 頭の整理がつかないままそそくさと歩を早めるも、すれ違いざまにギュッと服の袖をつかまれ、歩みを強引に制止される。

 

「おうッ!?」

 

 驚きのあまり心臓に氷水を注がれたような感覚に襲われる。俺の計画では拝み手を突き出して申し訳なさそうな演技を交えれば去れるはずだったのが、そんなものなどおかまいなしと言わんばかりに明日奈は取り乱した表情で先ほどの失言に対しての疑問を俺にぶつけてきた。

 

「ま、待って下さい! どうして私の名前を知っているんですか!?」

「――――あっ」

 

 言葉が出てこない。

 金魚のように口をパクパクさせるが、それでも出てこない。

 

――何とかしなければ何とかしなければ……!!

 

「あ、あぁ、だからほらその。なんというか――そ、そうそう! 貴方の探しているあの少女に教えてもらってね!」

 

 我ながらナイスないい訳だ。これなら逃げ切れるだろう。自分でも中々いい誤魔化しができたのことを理由にすぅっと胸の高鳴りが引いてゆく。――しかし、それが引き金となってしまった。

 自分の発言した言葉の意味。車椅子の少女。目の前にいる明日奈という女性。

 明日奈がこの病院にいて、あの子を探している理由。そして倉橋という医者の存在。

 夢なんかじゃない。そして、現実世界でもない。ここは、今いる場所は――

 冷静になった瞬間、過去の記憶が一気にフラッシュバックし、幾枚の層となって重なり合わさる。やがてそれが一つの答えとなって――

 

「あ……」

 

 アスナのか細い声が俺を我に返らせる。そして彼女の悲しげな目つきを見て、自分が無意識に涙を流していることに気づいた。

 

「あ、あれ……?」

 

 自分でもなぜ涙を流しているのかわからい。拭っても拭っても流れてくる無意識の涙に動揺した俺は逃げ去るように「すまない」と一言謝罪を告げ、エレベーターに駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 足取りが重たい。病室までの道のりが遠く感じる。

 あの車椅子の少女が木綿季だということはわかった。無事に病状も回復しているようだし、元気そうでなによりだ。

 それだけで本当に嬉しかった。が、それと同時に背徳感にも駆られていた。

 彼女の気持ちと覚悟を裏切ってしまった事実が、どうしても忘れることができない。結果として木綿季は生き延びることはできたが、家族のいない彼女は一人で生きていくことになる。

 

――いや、明日奈たちがきっと支えてくれる。他力本願で申し訳ないが、とにかくバレてしまう前に早くここから出て行こう。

 

 それにユウキやアスナたちに何を言われるのかはわからない。少なからず覚悟はできているが自分からわざわざ出向く必要はないし、接触する必要もない。なにより極力関わらないほうが彼女のためにも、俺のためにもいいはずだ。

 早く立ち直って、幸せな人生を歩んでほしい。俺ができるのはそう祈ることだけだ。 

 自身にそう言い聞かせ、やがて自分の病室へ戻ると、全てを放り投げてしまいたくなるようにどさっとベットへ倒れこむ。

 

――そういえば夕方に倉橋先生が検診に来るんだっけ……。

 

 それが終わったら退院しよう。確かこの病院は横浜だから、時間はかかるけど二日も歩けば家に帰られる。

 

――あれ、でも待てよ。ここってSAOの現実世界だよな……いくら日本に俺の家ってあるって言っても、ここにはあると限らないよな……仮に二日かけて無事に自分の住所に着いたとして、家がなかったらなんの意味もないじゃないか。

 

 他に行く当てなどない。後は実家だがあるとは限らないし、あそこには極力帰りたくない。

 最終的な結論に至ったのはベッドから倒れこんでから、二時間後の日も暮れかけの頃になってからだった。

 

「――よし。どうせ残り少ない限られた命だ。せっかくだしSAOの世界を観光してみるか」

 

 我ながら良い案だ。実際に行ってみたい所がいくつかある。俺はさっそく私服に着替え倉橋先生が来るのを待つ。

 そして待つこと十分。時刻にして17時15分頃。コンコンと軽快なノックが聞こえると共に扉が開く。倉橋先生は俺の姿を見るないなや、私服姿に驚いた。

 

「おや、もう良いのですか?」

「ええ、おかげさまで、すっかり良くなりました。ありがとうございます」

「それはなによりです」

 

 ニッコリと微笑む倉橋先生の表情に合わせ自身も笑顔で返す。しかし、ここで俺は肝心なことを今まで忘れていたことに気づき、恐る恐る尋ねる。

 

「そういえば、入院費や診察費の事ですが……」

「あぁ、それは結構ですよ。私が勝手にやったことですし、紺野さんのお相手をしていただいた恩もありますから」

「あれは俺が彼女を無理やり連れまわしただけですよ?」

「あはは、紺野さんから聞きましたよ。お菓子を買っていただいたようで。それに屋上に行きたいと言い出したのはボクの方なんだとも言っていました。紺野さんは刀霞さんにとても感謝していましたよ」

 

 その言葉を聞いて、少し報われた。彼女が喜んでくれると俺も嬉しい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 

「……すいません。色々お世話になりました」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。では、最後に検診しますので、上だけ脱いで背中をこちらに」

「はい。お願いします」

 

 俺は上着を脱ぎ、先生の方へ背中を向ける。ひんやりと補聴器の冷たさが背中に伝わる。

 素人の俺にでも背中越しに伝わる丁寧であり、そして優しい触診。本当に倉橋先生に感謝してもしきれない。誰かもわからない倒れていた人間わざわざ病室の1室を使わせていただいた上、無償で検診もしてくれた。木綿季の主治医がこの人で本当に良かったと思えた。

 

「あれ?」

 

 とたん、倉橋先生が俺の背中に触れながらも疑問符を口にする。

  俺は緊張のあまり、一瞬顔が強張り、蒼ざめた。

 

――もしかしてバレたか……?

 

 エイズやHIVという病気に関して詳しいことはわからないが、凄腕の医師ともなると触診をするだけで患者のどこが悪いのか、どんな病気にかかっているのかが即座に把握できると聞いたことがある。

 まして彼は木綿季の主治医だ。そういう類の病気にも詳しいはず。さすがの俺でも専門分野に長けている人に言い訳できる根性もなければ言い逃れなども思い浮かばない。

 しかし、倉橋医師からの言葉は予感していたものとは違っていた。

 

「刀霞さん、随分体が熱っぽいですね。どこか体に違和感を感じますか?」

 

 熱っぽい? 別に本当に風邪引いてるわけではないが……。

 

「いえ、特に具合は悪くないです。調子はいいと思います」

「そうですか……うーん、どうでしょう。念のため後一日だけ様子を見てみませんか?」

 

 健康を気遣うならそれも必要なのだろうが、いくら無償とはいえ、これ以上迷惑かけるわけには行かない。それにここにいたらいつまたアスナたちに出くわすかわからない。俺を気遣っての提案なのだろう。しかし、

 

「それはさすがに悪いです。いつまでもご厄介になるわけにはいきませんし、この後行かなければいけない所があるので……」

「そうですか……わかりました。でしたら、退院する前に紺野さんに顔を見せてあげていただけませんか? 彼女も喜ぶと思いますよ」

 

 先生の言葉を聞くと同時に、強い緊張感が大きな波となってこみ上げる。緊張でじっとりと手に汗を感じる。

 それだけは絶対にできない。

 

「……すいません。それはまた、次の機会に」

「そうですか、それは残念です……紺野さんが彼女以外であんな楽しそうな表情で話しているのは初めてみましたから……」

 

 きっと明日奈のことだろう。ここで余計なことを言わないように気をつけなければならない。話しがこじれて引き止められてしまう可能性もある。

 俺は彼女とは一体誰の事かとさも知らない素振りを装い、悟られないよう慎重に話しを進めた。

 

「そうなんですか。その、紺野さんにとってその彼女はとても大切な方なんでしょうね……」

「そうですね。ああ、そういえばもうすぐお礼に来ると思いますよ」

「お、教えたんですか!? 俺がここの病室にいることを!?」

 

 俺は驚きのあまり椅子から飛び上がる。

 

「え、えぇ。彼女も貴方のことを知りたがっていたようですし、何よりお礼を言いたいと仰ってたので」

 

 体中からいっぺんに汗が流れ落ちていくような感覚に囚われ、いたずらがばれた子供のように心臓がバクバクと脈打つ。

 

――なんてこった……早くこの病院出なければ。彼女が来る前に!

 

 俺は慌てふためいたように着替えをすませる。今はシャツが裏表逆とかはどうでもいい。一秒でも早くここから離れなければ。

 

「すいません! 急用を思い出したので、これで失礼したいと思います! 倉橋先生、なにからなにまで本当にありがとうございました! いつかお礼はかならず!!」

「え? えぇ、刀霞さんもお元気で」

 

 倉橋先生はあっけにとられた表情でポカンとしていたが、今は誤解を解いてる暇はない。一刻も早くここからでようと俺は病室の扉を開けた。

 しかし、時既に遅く――

 

「「あっ」」

 

 扉を開けた先に、明日奈が直立していた。

 お互いに一瞬驚き、しばらく放心状態になってしまうが二度も同じ手は通用しない。今度は俺が先に先手をうってでた。

 

「ハジメマシテ」

 

 短い声で挨拶し、片手で拝み手を作りながら今初めて会ったかのような、よそよそしい態度ながらも必死で繕い彼女の脇をすり抜ける。

 

「あ、ちょっと!」

 

 今度は袖ではなく、腕を掴まれた。

 

「に、逃げないで下さい! 貴方に聞きたいことがあるんです!」

「俺は君の質問に答えられることなんて何もないぞ!」

 

 必死で腕を解こうとするが、さすが元SAOの生き残り。維持の強さも半端ではなかった。倉橋先生も混乱していたが、「まぁまぁ落ち着いて下さい」と二人を仲裁しようとしていた。

 しかし俺たちはお構いなしに掴んだ腕を離せ離すまいと抵抗を続ける。

 

「ならせめてお礼をさせて下さい!」

「結構だ。俺が勝手にやったことだからお礼を言われても困る!」

「じゃあどうして私の名前を知ってるんですか!」

「さっきも言ったろう! 木綿季に教えてもらったんだって!」

「どうして木綿季の名前を知ってるんですか!」

「あっ」

 

 ああ、またやってしまった。

 

「そ、それはだな。直接教えてもらったというか……」

「嘘です。木綿季はさっき貴方のことを話してました。自分の名前を伝えそびれたことも……」

「…………」

 

 それ以上嘘をつくことができなかった。何を言っても彼女は引き止めるだろう。それにどうも逃げられる雰囲気ではない。既に倉橋先生も目の色が変わり、俺が彼女の名前を知っていたことに興味をもってしまった。

 

「私も気になりますね、刀霞さん。主治医としてお話を聞かせていただきたい」

 

 もはや何を言っても逃げられないのだろう。どうせこんなこと話したところでて信じてもらえるわけがないが、俺は敢えて一つ条件を提示する。

 

「……条件がある。絶対に本人には言わないでほしい。それができないなら俺は脅されても喋らない」

 

 明日奈や倉橋先生がそんなことをする人ではないのは重々承知していた。だが、あえて口にしたのは覚悟を知ってほしかった。それほど誰かに言いたくないことなのだと。

 両者は俺の真剣な表情と意志に躊躇しつつも、約束しますと返事をしてくれたので、三人は一旦俺の病室へと戻り、鍵を閉め、二人を椅子にかけせさせた。

 

「今から言う話に関しては信じようが信じまいが、どちらでも構いません。ですが、嘘を言っているわけではないことを、どうかわかって下さい」

 

 そうして俺は必要なことだけを、必要な分だけ話した。

 自分はここの世界の人間ではないこと。

 そして恐らく元の世界には戻れないこと。

 ユウキを助けたくてこの世界にきたこと。

 

 そして――

 

 木綿季の病気を自身の体内へ取り込んだこと。

 

 『刀霞にとって、木綿季とはどういう存在なのか』

 『木綿季を助けた本当の理由』

 

 これらは敢えて言わなかった。前者も後者も俺の個人的な事情と我侭でしかなかったから言うのが後ろめたくて、とてもではないが伝えられない。

 無言でただ聞いていたアスナも倉橋先生も終始信じられないという表情だった。当然だろう。違う世界から来たなんて正気の沙汰じゃない。頭がおかしいと思われも仕方がない。

 しかし、ALOに来た際の服装が同じものであることや、俺が現れたのとほぼ同時刻に実際に木綿季のウイルスが消滅したこと。そして何かしらの検査を受ければと俺の中にユウキと同じ同じウイルスが出てくるはずだということを話すと、にわかには信じ難いと倉橋先生は目を丸くした。

 

「……どうして、そこまでしてまでユウキを助けてくれるんですか?」

「――助けられるきっかけがあったから助けただけです。それに、俺は俺自身の人生に興味がありませんから」

 

 そんな言葉を聞いた倉橋先生は、目を細めて悲しそうな表情を見せ、

 

「刀霞さん。どんな人生にも必ず意味があります。興味がなかったとしても、生きていればかならず理由やきっかけに出会えるはずです。だからそのようなことは言わないで下さい……」

「それは……」

 

 倉橋先生の言葉に、俺は少しばかり憤りを覚えた。別に彼の言っている言葉が詭弁だと思っているわけではない。至極正論なことで何も間違ってはいない。

 だが、それは他人の人生を見通した意見でなどではなく、所詮は極論にしかすぎないと俺は感じた。

 

「彼女が……木綿季が言っていました。意味なんてなくても生きていいんだと。俺もまた同じように意味があったとしても生きる必要はないと自身に対する答えを持っています。だから、自分の人生に何を見出すかは本人の考え方次第でいいと、俺は思うんです」

「刀霞さん……それではあなたが――」

「俺は満足していますよ。救える命を救うことができて。彼女には悪いことをしてしまったかもしれませんが……」

「――と、言うと……?」

「いえ、なんでもありません」

 

 それ以上は言えない。救えて満足している反面、後悔もしていたから。誰かにそれを言ってしまったら恨まれてもいいという覚悟が嘘だと言われるような気がしてならない。この小さな後悔は自身への罪だ。誰かに語ることなく死ぬまで背負い続けよう。それが俺なりに考えたユウキへの償いなのだから。

 アスナも倉橋先生も悲愴な顔つきをしていた。当たり前だ。近いうちに死ぬはずの男に「助けてくれてありがとう」なんて言える状況でもない。まぁ、そもそもお礼なんて言われたいがためにしたことではないので、まったく気にしてはいないが。

 そして暫く長い沈黙が続き、やがて倉橋医師が静かに口を開いた。

 

「これからどうするおつもりですか……?」

「せっかくだからここを観光しようと思います」

 

 その言葉を聞いて、アスナが床を蹴るように椅子から立ち上がる。

 

「で、でも…そんなことをしたら体が……!」

「だからこそさ。ベッドの上で寝てたっていずれ死ぬんだ。なら自分が生きているうちにやりたいことをやるだけさ」

 

 明日奈は俯いたままでそれ以上は何も言わなかった。そう、この意思はかつての木綿季と同じもの。自分の死を受け入れ、自分のやりたいことをやる。俺は自分が死ぬことに関してはすっぱりと割り切れていたため、自然と恐怖は感じなかった。

 

「そうだ、すっかり忘れてた。明日奈さん」

「は、はい」

 

 俺は自分のポケットを弄って、ぽとりと明日奈の手のひらにそれを落とす。

 

「……これは……」

「一つ余ってしまったので、木綿季に渡してあげて下さい」

 

 あの時買った、残りの飴玉。あの子が木綿季と知らなくても、どうせ渡すつもりだった。でもまぁ、結果的にあの子がユウキで良かった、最後の最後で彼女の笑顔が見られて。

 飴を渡すと、明日奈はボロボロと涙を流した。

 

――余計なことをしてしまった。もういこう。これ以上いたら迷惑しかかからない。

 

「それでは失礼します。本当にお世話になりました」

「――刀霞さん」

「はい?」

 

 倉橋先生の一言が俺の去り際を引き止めた。

 正直なところ心の中では、今さら引き止めないでほしいと呟いていたのだがこの直後、倉橋先生の提案から、俺の人生が大きく一変する。

 

 この時俺は、木綿季と再び巡り合うことになるなんて思いもしなかった。




 感想からのご指摘により、内容を一部修正しました。
 ストーリー自体は変えていませんので少しでも読みやすくなっていればいいのですが……
 ぶっちゃけ何も変わってない気がします。何が変わったのか自分でもわかりません。またなにか発覚次第修正を重ねていきたいと思います。

 ご指摘ありがとうございました。今後も宜しくお願い致します。


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 第六話を投稿させていただきます。

 前回の前書きでも書きましたが、主人公の名前を他の作品とかぶってしまうことを避けるため、変更させていただきました。以後主人公の名前は「霧ヶ峰 刀霞」(きりがみね とうか)になります。宜しくお願いいたします。

 今回はちょっと短いかもしれません。


 貴方には、己の命を捨ててまで、救いたい人がいるだろうか。

 

 救いたい人が貴方の存在を認知しなかったとしても?

 

 救いたい人が貴方ではない、違う誰かを愛したとしても?

 

 救いたい人が貴方のことを忌み嫌っていたとしても?

 

 その人が自分にとってどんな存在なのかはその人にしかわからない。逆もまた然りだ。

 

 『私の死と引き換えに、貴方が生き返ってくれるなら、これ程幸せなことはない』

 

 そんな切なくて、悲しい言葉を有言実行できた俺もまた、幸せ者だ。

 

 俺はいずれ死ぬ。それも遠い未来ではなく、近いうちに。

 

 その時に俺は胸を張って言えるだろうか。悔いのない選択をしたと。

 

 

 

 

 

 

 

 

「せ、先生……」

「はい、どうしましたか?」

「……本当に大丈夫ですか……?」

「ははは、問題ありませんよ」

 

 先生、声が笑っていませんよ。

 

 ベットで仰向けになっている俺の視界を、大きな機械が覆い、手首足首にはバイタルや健康状態を数値化するため必要な手錠型の電極が取り付けられている。まさか自分がユウキと同じ状況になるとは思いもしなかった。

 そう、倉橋先生の提案とはメディキュボイドの被験者になってほしい。という案だった。

 倉橋先生曰く《メディキュボイド》の被験者は現状木綿季しかいないため、『未成年の女性』としてのデータは十二分に揃っていたのだが、『成人男性』のデータは不十分なため、将来の医療発展のために力を貸してほしい。ということだった。

 必要であれば謝礼も出るというが、正直お金にはあまり興味がなかったので、半分をSAO事件の被害者支援の募金に、そしてもう半分はユウキの今後の生活費として当ててもらうことを条件に承諾した。もちろん木綿季には伏せておくことも含めて。

 承諾後、俺は実際に体内のウィルスの有無の確認をするため、健康診断を行った。

 そして血液検査から判断した結果、《陽性》そして木綿季の体内にかつてあったものとまったく同じ《HIV-1型》だった。だが、ここまでならばエイズとはいえ、ほとんどの日本人は《HIV-1型》なため、珍しくもないのだが、俺はA型であるにもかかわらず、エイズの結合組織がB型のものであると発覚した。

 つまりエイズの組織構成というものは各血液型により構造上変化する。A型にはA型の、B型にはB型の組織構成があるのだが、ユウキの血液がB型であったため、俺の血液とは違う構成になっていたのだ。尚且つ、結合組織の進行状態が発病してから2年~3年ほど経過している状態であることも発覚した。

 あらゆる矛盾が重なった、過去に前例がないこの事実に、倉橋先生は信用せざるを得なかった。俺の体調に大きな変化が起きなかったのも、エイズの結合組織がA型とは異なる構造だったため、進行に遅延が発生していたという理由で合点がいく。

 しかし、あくまでも進行が遅いだけであり、時間が経過すると共に体内のウィルスはA型のものへと組織が再構成されていく。投薬による遅延は可能だが、確実な治療方法はない。

 

 それでも俺はこの残り少ない命を使って、誰かが助かるのであれば十分だった。

 

 《メディキュボイド》の始動確認が済むまでしばらくいつもの病室で過ごしていたのだが、ちょうどメディキュボイドが設置されている無菌室へ引っ越しする前日の日に、アスナがお見舞いに来てくれた。とは言っても、木綿季の序でだが。

 

 そして俺は彼女からある相談を受けた。この事実をキリトたちに話してもいいだろうかと。

 実は病院の屋上で俺が逃げたあと、小島に現れた人物に似た人を見つけてしまったと連絡してしまったらしい。

 キリトはなんの確証もないし、仮に本人だったとしても一人で接触するのは危険だと警告したらしいのだが、結局は俺の元へ尋ねて来てしまった。

 結局のところ、キリトは既に俺の正体を五割ほど看破していたらしい。俺が明日奈や倉橋先生に別世界から来たという話をする前に、彼なりの独自の発想で結論に至っていた。

 しかし、確固たる自信があるわけでもなかったので、彼も真意を確かめるべく、俺と話がしたいと明日奈に相談していたらしい。

 帰れる保証はなにもないが、もしかしたら元にいた世界へ帰れる手かがりに繋がるかもしれないという明日奈の説得に、俺はキリトにだけなら話しても構わないという条件で返答した。

 別にシリカ、リズ、クライン、エギル、シリカ、リーファ、シノン。そして《スリーピング・ナイツ》のメンバーを信用していないわけではない。

 

 そもそも俺は一人で死ぬつもりだったのだから、元々周りに話すつもりなどなく、なにより気を使わせてしまうことになるのが凄く嫌でもあったので、どうせ関わるのであれば、普通に友達として紹介してほしいと明日奈にお願いを申し入れた。

 木綿季の件と、俺がメディキュボイドの被験者であることは勿論のこと、知るのはキリトと明日奈と倉橋先生の三人だけにしてほしい、と。

 

 そして俺は、改めて深々と頭を下げる。

 

「頼む、ユウキには……俺という人物がいることを言わないでほしい」

「え……?」

 

 アスナはキョトンとしている。どうやら助けたことを伏せておけば問題ないと考えているらしい。

 

「いい結果にしろ悪い結果にしろ、俺は彼女の人生に大きな影響を与えてしまった。だから、もう接触すべきじゃないんだ。俺はもう目的を果たす事ができたし、これ以上木綿季に会う必要も理由もない」

 

 本音ではあったが、つまるところ単純に俺は怖かった。これ以上木綿季の人生に干渉することが。ただでさえ辛い思いをしている彼女に、そうさせた本人であるこの俺が、どの面下げて会えばいいのかと。

 

「……霧ヶ峰さんは木綿季に二度会っています……ご存じの通りあの車椅子の子は木綿季です。木綿季は霧ヶ峰さんにとても感謝していたんです。まるで兄ちゃんができたみたいだって……それに……それに霧ヶ峰さんは……!」

 

 明日奈は拳はぎゅっと握りしめ、最初よりも強い言葉で俺に何かを言いかけた。

 

 あぁ、明日奈は何か勘違いをしている。直観的にそうわかった。

 

「俺は別に彼女を恋愛対象としてみているわけじゃないさ。とにかく彼女が助かればそれで良かった。後、刀霞でいいし、敬語もいらない」

 

 彼女の言いかけた言葉を察した俺は苦笑いで答えた。

 

 これは見栄でもなく、本心だ。そもそも憧れのような存在なだけであって、特別彼女に好意を抱いているわけではない。それに車椅子の少女が木綿季だと発覚した時も、結果的に妹に振り回されたような感覚しかなかった。それに、彼女の負担になるような感情を持つべきじゃない。

 しばらく長い沈黙が続いた後、アスナの目に悲しみの色がある事を察した俺は、重い空気を断ち切るように話題を逸らす。

 

「あ、あぁそいえばさ! 俺もキリトに聞きたいことがあったんだ! 機会があれば、今度連れてきてほしいな。明日には無菌室に引っ越すことになるだろうから、部屋は倉橋先生に聞いてくれればわかるからさ!」

 

 俺の妙な気遣いに察してくれたのか、明日奈は小さく笑みを溢した後、先ほどとは緊張感のぬけた軽い口調で話してくれた。

 

「……わかった。なら私も明日奈でいいよ、刀霞。それで、キリトくんに聞きたいことって?」

「それはまたキリトが来た時に話すさ。今はまだ秘密ってことで」

 

 アスナは「何よそれ」と、少し怪しむような表情を含ませていたが、すぐ笑顔に戻り、

 

「じゃあ、私そろそろ行くね。明日はキリトくんと一緒に来るから」

「あぁ、そうだ明日奈。その、なんだ。木綿季は元気にしてたか?」

 

 アスナはニッコリと微笑んで答えた。

 

「――元気だよ!」

「そうか。なら、いいんだ」

 

 アスナは「じゃあまた明日ね」と一言残して彼女は病室を後にした。

 ……明日奈の言葉を聞いて安心した。結局木綿季のことをそれなりに心配している自分がいる。無理してないか、ちゃんと食事はとっているか、リハビリは順調なのか。気づけば木綿季のことばかり考えている。

 

――まぁ、それは元の世界でも変わらないか。

 

 

 

 

 翌日。

 

 心配性な俺は頭上のメディキュボイドが本当に問題なく稼働するのか不安でならなかった。

 

「なんだ刀霞、意外と臆病だな」

「ほっとけ」

 

 幾度も倉橋先生に確認をとる俺を見て、キリトがからかってくる。

 メディキュボイドが設置されている無菌室に引っ越しが済んだ俺は、キリト、明日奈、倉橋先生の立ち合いのもと、はじめてのフルダイブをすることとなった。

 

 ――遡ること二時間前。

 

 メディキュボイドの始動と調整が必要なため、準備が完了するまでの間、俺はキリトと二人っきりで話すことができた。

 彼はすんなりと俺の話を信じてくれた。明日奈からあらかたの話を聞いていたらしく、問題点はどうやってここに来たかだった。

 

「それで刀霞さん。どうやって仮想空間でもあるALOに直接来ることができたんですか?」

「刀霞でいいよ。それに関しては俺もよくわかっていないんだ。仮眠とるために目を瞑っていたら気づいたら夢の中で飼い猫につれてこられたというか……」

 

 ファンタジーにも程があるが、ありのままをキリトに伝えることしかできない。

 

「そうか。なら、刀霞。ALOの世界に行きたかった意思、というか強い思いはあったのか?」

「あぁ、それはあったと思う。目的は木綿季を助けることだったし……もしかして直接現実世界に直接飛ばなかったのと何か関係があるのか?」

「断言はできないけど、木綿季にとってVRMMOが現実世界だ。だから刀霞の強い意思がALO、もとい木綿季のいる世界に引き合わせた可能性がある。つまり帰れる手がかりは木綿季にあるかもしれない。もしくは、可能性は低いがあいつが関わっている……か」

「茅場、晶彦……」

「可能性は低いけど、ね……」

 

 俺とキリトはしばらく思考していた。そして、俺はある結論に至った。

 木綿季の現実世界はもうここだ。フルダイブする必要がなくなったことで、彼女の意思は元の現実世界へ戻ったのだ。それなら俺はそれを尊重したい、と。

 

「まぁ、俺は誰かを利用してまで帰りたいとは思っていないさ。誰かが原因で帰ることができないのなら俺は帰れなくてもいいと思ってる」

「だけど……行動をおこさなきゃ一生帰ることはできないと思うぞ」

「それでもいいさ。俺の最後の仕事はメディキュボイドの被験者。帰ることは願望であって要望じゃあない」

「……とりあえずALOにも何かが手がかりがあるかもしれない。まだ断言するには早いと思うから、とにかくフルダイブしてみよう」

「……すまないなキリト。お前にまで迷惑かけてしまって」

 

 すっかり巻き込んでしまった。彼にも他にやらなければいけないことが多々あるし、本当に申し訳なかった。頭を下げて謝罪した俺の肩をポンと叩いてくれたキリトは、穏やかな表情で口を開く。

 

「何言ってんだよ。木綿季を助けてくれたんだ。もう刀霞は俺たちの仲間さ」

「そうそう、気にしちゃだめだよ、刀霞」

 

 後ろを振り向くとアスナが立っていた。

 

「大丈夫、キリトくんも私も迷惑だなんて思ってないわ」

「……ありがとう」

 

 謝罪ではなく、深い感謝を込めてもう一度キリトたちにお辞儀をした。

 そして、ふと思い出した疑問をそれとなしに尋ねる。

 

「そういえばキリト、なぜあの時俺を斬らなかった?」

「あの時……?」

「ユウキを助けようとした時さ。君なら俺がユウキに近づく前に攻撃することもできたろう? 何よりアスナに危険が迫っていると感じたんじゃないのか?」

「……あぁ、確かに最初こそはそう思ってたさ……だけど」

 

 キリトはそのまま視線を窓際に向けて、もの悲しげな表情で呟いた。

 

「――……苦しそうだったんだ」

「……苦しそう?」

「あぁ、ユウキを看取っていたあの中で、君が誰よりも一番苦しそうに見えたんだ……だから攻撃しなかった……いや、できなかったんだ」

「私も、そう見えたの。あの時の刀霞の顔、本当に辛そうだった。それに……」

「それに……?」

「ううん……なんでもない。気にしないで」

 

 明日奈は何かを言いかけるも、思い止まったように表情で誤魔化した。

 少し気になるが詮索はやめておこう。あの時は彼女もいっぱいいっぱいだったに違いない。

 キリトという大切な人を一度失いかけて、そして親友である木綿季を失いかけた。近しい人が離れていく恐怖を二度も経験している明日奈にとって、色々と思うこともあるのだろう。

 

「……あの時は俺も必死だったからよく覚えていないんだ。でも、おかげで木綿季を助けることができた。ありがとうキリト、アスナ」

「それを言うなら、こちらこそだよ」

「そうだよ……こちらこそ、木綿季を助けてくれて本当にありがとう……」

 

 二人の感謝が鋭く胸に刺さる。

 ――俺は本当に正しいことをしたのだろうか。そんな懸念が未だに晴れない。

 ……これ以上感謝されるのがなんだか辛い。

 

「――そろそろ準備も終わった頃だな。そろそろ戻ろう」

 

 俺は誤魔化すように会話を切る。

 お礼を言われて苦しくなるのは初めてだ。

 これが偽善と言うやつなんだろうな。

 

 俺は、その場から逃げるように《メディキュボイド》がある無菌室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を戻して二時間後。

 

「なんだ刀霞、意外と臆病だな」

「ほっとけ」

 

 キリトたちが病室に戻るやいなや、倉橋先生に何度も確認をとる俺の姿を見てからかってきた。仕方がないだろう。フルダイブなんて初めてなんだから。

 

「それでは始めたいと思いますが、とりあえずALOのアプリケーションを入れておいたので、そちらの方へリンクするということでいいですか?」

 

 倉橋先生の問に俺は緊張しながら答えた。

 

「え、えぇ……お願いします」

「刀霞、キャラクターを作成したらとりあえずその種族の拠点に飛ばされるはずだ。俺たちは隣室のアミュスフィアですぐ向かうから、合流するまで待っててくれ」

「あぁ、わかった」

「種族は決まっているのか?」

 

――そういえば決めてないな……どうしたものか。確か木綿季はインプだったから、拠点が被って会ってしまったら元も子もない。やはりここはインプ以外にしたほうがいいだろうな。

 

「得に決めてはいないが、インプ以外にしようと思う」

「そのことなら大丈夫、木綿季は私たちと同じレネゲイドだから拠点にはいないと思うわ。逆に他の種族にしてしまうとスリーピング・ナイツの誰かに出会う可能性があるから、木綿季以外誰も属してないインプがいいと思うの」

 

 明日奈は俺の気持ちを察し、アドバイスをしてくれた。俺はその考えを率直に受け入れ、インプに決めた後、改めてキリトから「インプ領で落ち合おう」と場所を再度確認し、いよいよフルダイブすることになった。

 

「では、刀霞さん。いきますよ」

「あ、その前に先生。一つお聞きしたい事が」

「なんでしょう?」

「俺の余命は、後どのくらいですか?」

「……今のところまだ分かっていません。何分初めての例ですから……ただ、初期症状が半年以内に発生する確率は低いと思います」

「つまり……半年後には歩けなくなる……か」

「……ええ、恐らくは……」

 

 十分すぎる。

 

「歩けなくなるまでの間、外出することは可能ですか?」

「えぇ、もちろん。性行為をしなければ基本感染はしませんので」

 

 なら問題ないな。童貞の俺には無縁なものだ。

 

「なら、キリト。今度おすすめの観光スポットでも教えてくれ。動けなくなる前に色々見たいところがあるんだ」

「……あぁ、まかせとけ」

「よし。じゃあ先生、始めて下さい」

「わかりました。落ち着いて、リラックスしてください。心拍数が危険域まで達すると強制ログアウトされてしまいますので」

「わかりました」

 

 メディキュボイドの起動音が徐々に大きなり、まるで飛行機のエンジン音のように音が高くなる感覚が脳へ響き始める。

 どうしよう、凄く不安だ。いよいよフルダイブするのか。落ち着け落ち着け。きっと大丈夫さ。

 そして、いよいよその瞬間が、というところで俺は肝心なことを思い出す。

 

――そいえば、これってリンクスタートって言わなきゃいけないのか? 確かキリトやアスナも言ってたよな……いやしかし、言わずとも起動する展開もあったような……でも、言わなければ起動しないってことになるとみんな俺の言葉を待っているのか……? 言った方がいいか……言った方がいい、よな。よ、よし、言おう。言うぞ。

 

「り……りんくすたーと!」

「あ、言わなくても大丈夫ですよ」

「…………」

 

 機械に覆われた視界の中で、アスナとキリトの喉仏を鳴らして咳き込むような、強引に押し殺しているような笑い声が聞こえた。後で覚えてろよ貴様ら。

 

 そして、今まで感じたことがないような、心中に渦巻く何かを、確かに俺は感じ取る。

 

 そうか、これが復讐心というやつか。




 今回も閲覧していただき、ありがとうございました。
 次回は主人公がALOにフルダイブする展開になります。
 今後、戦闘する展開が増えるのと、オリジナル設定を使用する部分がありますので、ご注意下さい。
 コメントしていただける方がいてくれて本当に感謝です。閲覧していただけるだけで、いろんな人から力をもらっています。
 またコメントいただけると嬉しいです
 今後も頑張りますので、よろしくお願いいたします。



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第七話を投稿させていただきます。

少しずつ物語が進展してきた気がします。

今回も少し短めになってしまいます。申し訳ありません。


 『アルヴヘイム・オンラインへようこそ!』

 

 女性の声が聞こえるとともに俺はハッと我に返る。気がつくと何やら見たこともない空間に飛ばされていた。どうやら無事にフルダイブできたらしい。

 

「これが……《VRMMO》……」

 

 俺はしばらく慣れない感覚に戸惑っていた。意識はハッキリしているし、頬をつねっても痛みは感じないが触れている感覚はわかる。とてもゲームの世界とは思えない状況に困惑を隠せなかった。

 

「よし、とにかくキャラクターを作成しないとな」

 

 ある程度落ち着いた俺は、どうすればいいのかわからず周囲を見渡していたところ、効果音が鳴ると同時に、透明のキーボードのような端末が表示された。

 

『最初にキャラクターの名前を入力してください』

「なるほど、これで入力すればいいのか……」

 

 俺はキャラクターの名前をどうする考える。

 

――そういや霧ヶ峰刀霞だから、俺もある意味キリトなんだよな。いや、同じ名前にしてどうする。キリトやアスナでもわかりやすいように本名でいいか。この世界で俺の個人情報なんて意味ないしな。

 

 キーボード端末を不器用ながらに《Touka》と入力した。エンターキーを押すと同時に、目の前に3Dビジョンのように九種類の種族が表示される。

 

『それでは、種族を決めましょう。九つの種族から一つ、選択して下さい』

「おー。実際に見てみると色々あるんだな」

 

 そう呟きつつも、当初の予定通り、インプを選択する。

 

『インプ、ですね。キャラクターの容姿はランダムで生成されます。宜しいですか?』

 

「そういえばランダムか……まぁ仕方ないな」

 

 現れたYes or NOに対して、躊躇いなくタッチする。

 

『それでは、インプ領のホームタウンに転送します。幸運を祈ります』

「え? 転送って?」

 

 そう聞きこうとした時には既に遅く、光に包まれたかと思えば、気づけば俺は真っ逆さまに落ちていた。

 

「なぁぁぁぁ!?」

 

 真下にはインプ領であろうと思われる大きな山岳地帯が確認できたが、今はそれどころではなかった。どうやって飛べばいいのか、着地すればいいのかもわからない俺はなすすべもなく地面に激突し、大きな煙を巻き上げる。

 

――もう引退したい……

 

 幸先が悪すぎた俺は若干後悔しつつも、痛みがなかっただけマシとするかと自分に言い聞かせ、体を起こす。

 しかしそこで、視界に黒い何かが、俺の視界の一部を遮った。

 

「ん……なんだこれ……」

 

 困惑しながら自分の頭をぺたぺたと触り、髪の毛の長さを確認すると、何故か無駄に長いことに気がつく。

 

「筋骨隆々ではないけど……さすがにこれは……」

 

 長さ的には背中の半分くらいか。とにかく首筋がむず痒くて仕方ない。それに華奢な体のわりには服装がゴツゴツしてて落ち着かない。

 とにかく髪を結ぶものが欲しかった俺は、インプ領内にあると思われる道具屋を探すことにした。

 

ここ、《インプ領》は暗闇に包まれた山河地帯に首都、領地を持ち、中央の環状山脈と接している。山岳地域のため、日光等が入りにくく首都は常に闇の中であるが、インプは暗視ができる為自由に行き来をすることが可能だ。

 入り口から入るとそこは本当に暗い世界だった。明かりなどは灯っているが、常に夜といった感じで、なんだか時間軸が狂いそうな場所に感じた。しかし周りの人たちは何の違和感もなく普段の生活のように出歩いていた。

 

「あぁ……後ろが落ち着かないな……とにかく道具屋にいこう……そういえば俺って所持金いくらあるんだろう……」

 

 メニュー画面の開き方がわからない俺は歩いている人たちをチラチラと見るように、人間観察をしてみた。しばらくすると、目の前のプレイヤーが左手の指先で空間をなぞるように縦にスライドしている姿を視覚に捉えたので、俺は見様見真似で同じ動作をすると、効果音と共にメニュー画面一覧が表示された。

 

「なるほど……こうやってやるのか……それで俺の所持金はー……千ユルド。初期金額ってことか」

 

 とにかく道具屋を探そうと、近くの人に片っ端から道を尋ねる。幸いにもすぐ目の前にあることがわかり、親切に教えてくれたプレイヤーに対し一言お礼をしたあと、道具屋の扉を開けた。

 

「いらっしゃい! ゆっくりしてってくんな!」

 

 部屋の奥には元気な老人が手を合わせて俺を歓迎するような笑顔が見える。そして近くには後ろ姿しか見えないが、プレイヤーであろう髪の長い女性が一人。

 俺はとにかく髪の違和感が気になって仕方がなかったので、その女性に目もくれず、老人の元まで歩み寄り、髪を縛るようなものがないか尋ねた。

 

「あぁ! それならこれでどうだい!素早さも上がるしお勧めだよ!」

「なになに……《エア・スプリング》……げ。八万ユルド……すまないが、とりあえず一時しのぎで結べるだけでいいんだ。もっと安いのはないか?」

「……っち。じゃあこれだね。七百ユルドだよ」

 

 今舌打ちしたぞこのじじい。

 

「あ、あぁ。これでいいよ。ありがとう」

 

 こうして俺は、何の効果もない普通のヘアゴムバンドを購入し、雑なポニーテールだが髪を整えることができた。毛先が首筋にあたって少し痒いが随分と楽になった。

 

――後はこの動きにくい服装を変えたいな。相場だけでも確認しておくか。

 

「じいさん。すまないが、防具屋はどこにあるか知ってるかい?」

「あぁ、それならこの店を出てすぐ隣の店だよ」

「そうか。ありがとう。次来る時はその装備買うよ」

「おっ。約束だぜにーさん!」

 

 老人の期待に答えるように背中越しで手をヒラヒラさせて店を出た直後、「ねぇねぇ! このお菓子いくらー!?」と何かなつかしい言葉を聞いたように感じた。俺は一瞬振り返り、閉まる扉を凝視したが、まさかな、と思いつつ隣の防具屋へ足を運び、しばらく観光を楽しんだ。

 それからかれこれ装備品を見たり、町を探索すること三十分。欲しい物の目星が大体済んだので、キリトとアスナが合流するまで近くのベンチに座って待機していた。

 なんとなく行きかう人々の姿や装備を観察していると、どうやらインプ族の男性は図体が大きく、両手剣や斧などの大柄な装備をしている人が多い事に気づいた。

 それに比べて俺はなぜ華奢な体で女のような姿なのだろう。ステータスで肉体が変化でもするのか。少し他のインプと違うことに若干疎外感を感じてしまった。

 そんなこともあったが、しばらく待機していると、キリトとアスナが合流してきた。最初俺だとわからなかったらしく、開口一番に見た目につっこまれてしまった。

 

「刀霞……なんだその髪型と体系に不釣り合いな防具は……」

「俺が教えてほしいくらいだ。なんで俺だけこんな姿にならなきゃいかんのだ」

「ま、まぁかっこいいよ! うん、いいと思う!」

「アスナ……無理に慰めないでくれ。凄く惨めだ」

 

 若干落ち込みかけたが、とにかく服装を変えたかった俺は、さっそくキリトにモンスターの倒し方を教えてもらおうとしたのだが、キリト曰く、「まずは飛び方を覚えた方がいい」という提案を受けて、インプ領の少し離れた山岳地帯で練習を開始した。

 最初こそ飛び上がる段階でかなり苦労したが、二時間ほどの練習で、大体の飛び方をマスターしてしまった。これにはキリトやアスナも驚いていた様子で、普通ならばシリカのように半年ほど時間がかかるものだと感心していた。まぁキリトは三十分もしないうちに覚えたらしいが。

 

 そして、いよいよモンスターの倒し方を教えてもらうことになった。

 

「トウカはどの武器で戦うつもりなんだ?」

「え? 特に決めてないけど……」

「とりあえず得意な武器を1つは決めておいた方がいいぞ。各武器にはスキルがあって、熟練度が上がるほど新しいソードスキルを覚えることができるんだ。つまり熟練度次第で強い技や装備を身につけることができるってことさ、まぁ見ててくれ」

 

 そう言うとキリトは二種類の剣を両手に持ち。独特の構えをする。

 

「はぁぁっ!!」

 

 咆哮と共に目では全く追いきれないスピードで突進したキリトは、一瞬にしてあの巨大なゴーレムを一刀両断した。

 

「お、おぉ……」

 

 俺はあまりのスピードに、愕然としてしまう。

 

「まぁ、この場所の敵はそんなに強くはないからトウカでもすぐ倒せるよ」

「……とんでもない速さだな……キリトは二刀流か、それでアスナは魔法兼、刺突系の武器だったか」

「うん、そうだよ。私の場合は攻撃支援も視野にいれてるから」

 

 キリトが小声で「さすが《バーサク・ヒーラー》」とボソッ呟くと、「怒るよキリトくん?」と引きつった笑顔で返すアスナ。

 

 俺はそんな姿を見て本当に仲いいんだな、と苦笑いを溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

――得意な武器……

 

 嫌な思い出が蘇る。本当に思い出したくない、辛い過去が。

 

「――……トウカ……?」

 

 ハッと我に返った俺は、キリトの呼びかけに「あぁ、すまない。ちょっとな」と返答し、自分の頬をパンッと両手で叩いて気合を入れなおしてから、今すべきことをキリトに確認した。

 

「当分はこの初期装備で頑張るさ。お金をためないことには何も買えないからな」

「それもそうだな。とりあえずここのゴーレムを倒してみようか」

「回復は私にまかせて、思いっきりやってみて!」

 

 俺はアスナとキリトに「わかった」と一言言い残し、初期装備である大剣を振りかざしてゴーレムに闇雲に突っ込んでいった。

 

 しかし、結果的に惨敗の連続。

 

 大剣は確かに一撃はあるのだが、一発一発のスキが大きく、扱いこなすには相当の時間が必要だと覚悟した。最終的に自力で狩れた数は一時間かけてたったの三匹。

 

「俺、才能ないなぁ……」

 

 がっくりと肩を落とす俺にキリトとアスナが「最初はみんなこんなものさ」と肩を叩いてくれたが、年下に慰められているかと思うと余計に情けなく感じてしまう。

 

「慣れるまで時間の問題さ。さて、そろそろ俺たちは帰るよ。続きは家に帰ってからだな」

「そうか、たしか病院のアミュスフィアでリンクしてたんだっけな」

「そうだ、トウカ。私たちとフレンド登録しようよ!」

「あぁ、もちろん。宜しく頼むよ」

 

 キリトとアスナに友達申請を送った後、その場で承認してもらい、はれて俺はキリトたちのフレンドとなった。その場でログアウトしたキリトとアスナを見届けた後、暫く一人でゴーレムと戦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから約1時間後。

 

「はぁ……」

 

 俺はインプ領内にあるカフェで一時休息をとることにした。あれから1人でなんとか倒せることはできたのだが、逃げたり死にかけたりと満身創痍で、決して余裕のある戦いとは言えなかった。

 溜息をつきながら飲む一杯のコーヒーが何故だかとても美味しく感じる。今だけは、このコーヒーが俺の唯一の心の拠り所になっていた。

 VRMMOの中では空腹を満たしたりすることはできないが、味覚はしっかりと感じることができ、喉の渇きを潤すには十分な感覚だった。

 

「それにしてもなんだあの様は……意気揚々とつっこんだらあっけなくやられたなぁ……」

 

 ブツブツと愚痴を溢す自分に、余計苛立ってしまう。自分の中ではもう少しまともに戦えると思っていた。

 どうやらここでは本当にプレイヤースキルが試される。ステータスや武器も大事だが、基本的にはデフォルト技が一番重要であるということが身に染みるように理解できた。

 俺はコーヒーカップを手に取り一口含むと、自分には何が合うのか改めて考える。近接アタッカー、防御特化、中距離攻撃、魔法支援。やれることは様々だが、どれもやりたいと思えるような武器とプレイスタイルではなかった。

 

「――……得意な武器かぁ……」

 

 ないわけじゃない。あるにはあるのだが、使うのはもの凄く抵抗を感じる。

 決していい思い出ではない。トラウマでもあるその思い出と武器は直結していて、その武器を使う度に、思い出す度に辛い過去が脳裏に過ってくる。

 本来であれば、使わずに済めばそれに越したことはないのだ。

 ただ、みんなに迷惑をかけるのが嫌なのもまた事実。

 

「……くそっ」

 

 うだうだと決められずに葛藤していた俺は、結局決断できない自分に嫌気が差し、コーヒーを一気飲みして、カフェを後にした。

 周りを見ると煌びやかな装備をしている人たちばかりだ。おそらく上級者なのだろう。自信に満ち溢れた顔と堂々たる姿をしている。

 

――……俺は自分の装備すらまとも決められないのか……

 

 その後、腕を組みながら物思いにふけるようにメインストリートを散歩していた俺は、いつのまにか武器屋の前に立っていた。

 

「うーむ……」

 

――……未だに一歩が踏み出せない。手持ちは3万ユルド近くある。決して強くはないだろうが、おそらくあの武器なら買えるだろう。だけどあんな思いをしてまで使う必要があるのか……でも足引っ張るのだけは嫌だしなぁ……

 

 しばらく店の前をいったりきたりしていると、突然、後方の方角から男の遠い叫び声が聞こえた。

 

「絶剣ちゃんかんわぃぃぃ!!」

 

――あぁ、なんだ。絶剣か。………絶剣!?

 

 一瞬耳を疑った。あいつはたしか《レネゲイド》のはずでは。穏やかには聞こえない声と、言葉の意味に一気に不安な感情が湧いて、俺の顔を曇らせる。

 嫌な息苦しさを押さえつけるように、俺は男の声のする方へ全力で走った。

 

 

 

 

 

 

 

  

 遡ること3時間ほど前。

 

 

「ねぇねぇ! このお菓子いくらー!?」

「あぁ、そりゃ三万ユルドだな」

「えー!? たっかいよー! 三千ユルドにまけてー!」

「お嬢ちゃん無理言うな! なかなか手に入らない《クラウン・ラビット》のマシュマロだぞ!? これでも安い方なんだ。ダメダメ、1ユルドもまけられないよ!」

「ちぇー……わかったよケチ! これください!」

「へいまいど! またきなよお嬢ちゃん」

「考えとくよーだ」

 

「わぁやったやった!! すっごく珍しいお菓子手に入れちゃったよー!」

 

 ボクはたまに、こっそりインプ領に流通する貴重なお菓子を買いに来る。実はちょっとした贅沢であって、この事はアスナや《スリーピング・ナイツ》のメンバーの誰も知らない。

 元々は、耐久の落ちた武器を鍛冶屋に預けている間の暇つぶしだったんだけど、いつの間にかこっちメインになってしまった。あ、今日はちゃんと預けたんだけどね。

 道具屋を出て、お菓子を食べながら歩いていると後ろから男の人に声をかけられた。

 

「あのー……もしかして絶剣さんですか……?」

 

 後ろを振り向くと、そこには三人のサラマンダーが立っていた。三人とも男性で、図体はでかくて、ちょっとチャラそうな見た目だったけど、表情はすごくおっとりしていた。

 

「うーんと……一応そうだけど?」

「わぁー。本物だぁ! 俺大ファンなんです、握手してください!」

「あ、うん。握手ぐらいなら……」

 

 本来であれば、異性に触れるとハラスメントコードが発動し、相手を監獄送りにできるのだけれど、ちょっと怪しかったとはいえ、人を見かけで判断するのは失礼だし、一時的にコードを解除した僕はそのまま握手に応じた。

 

「うわぁ、ありがとうございます! それで、絶剣さん……大変失礼なお願いとは承知の上で、お頼みしたいことがあるのですが……もし宜しければ少しだけで構いませんので、私たちとデュエルしていただけませんか……? いえ、もちろん無理でしたら本当に断っていただいて大丈夫なのですが……」

 

――うわー、見た目とは違って凄く謙虚な人だなぁ。

 

「あー……ごめんねー。ボクいま戦える武器もってないんだぁ。鍛冶屋に預けちゃってさ」

「――……そう、ですか。鍛冶屋に……」

「うん、だからまた違う日に声かけてくれれば、次はちゃんと戦うからさ!」

「……えぇ、そうですね! ではまた次の機会にお願いします」

「本当にごめんね! それじゃ、ボクはこれでー」

 

 そう言って、僕は三人に背を向けてマシュマロを一口食べながら再び歩き出した。

 

――ちょっと悪い事しちゃったかなぁ……それにしてもあの人たち……どこかでみたよーな……

 

「あ、絶剣さん! 一つお聞きしたいことが!」

 

――あれ、なんだろう。まだ何かあるのかな。

 

「ぅん? なに――ッ、がッ……ぁ……」

 

 振り向いた時にはもう遅かった。その場に倒れた僕は、体が痺れてまったく動かない。

 僕は倒れたまま、左上に表示されている自分のHPゲージを目で確認すると、痺れているマークが表示されている。どうやら僕はスタンにかけられたらしい。首筋に針のようなものが刺さっているのがわかる。

 

「俺たちのこと、覚えてねーだろう。ねーよなぁ、ぜっけんちゃーん?」

 

 ケラケラと笑う声にどこか聞き覚えがあった僕は、記憶の片隅に残っていたことを思い出した。

 

「お……まえ……たち……こじ、ま……で……ぼ……くに……」

「ぁんれぇー? 覚えててくれたんだぁ。やっべ、超うれしぃなぁ!!」

「てっきりザコにはまったく興味ねーと思ってたんだけどなぁ?」

「へっへっへっ。そう言ってやるなよ、今じゃ絶剣ちゃんがザコ扱いだからねぇー?」

「ちげーねーや!! うひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 その後、下品にボクをあざ笑った男は、僕を抱えて人気のない小さな路地に連れていかれた。

 

「こ……の……はな……して……!」

「おっとぉ。ハラスメントコードは解除させてもらうねぇ」

 

 そのまま別の男が僕の左手を手に取り、強制的にメニュー画面を表示させてハラスメントコードを解除してしまった。

 

「ぼ……くに……なに……する……つもり……なの……」

「まったまたぁ。絶剣ちゃんもわかってるくせにぃ。聞いてくるとか超へんたいじゃーん!!」

 

 三人は声を上げて高笑いしている。

 

 

 その声を最後に、恐怖と不安と痺れに耐え切れず、僕は気を失ってしまった。

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございました。

次回は早めにアップできるようにしたいと思います。

お気に入り登録が30名突破しました。

感激しすぎて涙が出ました。耳から。

いずれ刀霞のイメージ画像を挿絵としてアップできたらいいなと思います。

いつになるかわかりませんが、今後も頑張ります。

コメントしていただき、本当にありがとうございます。かならず返信いたしますので、今後もしていただけると嬉しいです。また、次回も宜しくお願い致します。


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第八話を投稿させていただきます。

少し遅くなって申し訳ありません。

今回の内容は少々残酷な表現が含まれています。

ご覧になる場合はご注意下さい。


「――……ぅ……」

 

 意識を失ってから30分後、ユウキは目を覚ました。

 

 若干意識が朦朧としつつも、ユウキがあたりを見渡すと、あまり綺麗とは言えない埃っぽい小さな部屋にいる事に気づいた。

 目の前には弱弱しい光を帯びた電球がぶら下がっており、窓の外には一本の街灯が見えるが、木綿季はインプ領内のどこかにある、人気のない2階の部屋にいることしかわからなかった。

 

 

 

――……ここ……どこだろ……あれ……ボクなんでこんなところに……確か……お菓子を買って――

 

――そうだ。ボクあいつらに……!

 

 ユウキは椅子に座らせられた状態で、手を後ろに組まされ、両手足共に縛られていた。スタンは解かれていたが、手が縛られているためメニュー画面を開く事ができず、ログアウトやGMコールによる通報ができない。暫くユウキはなんとか脱出しようとジタバタと暴れていたが、どうやっても拘束を解くことはできなかった。

 

「ぅ……く……うごけない……!」

 

 やがて、後ろから扉の開く音が聞こえる共に、聞き覚えのある男性の声が部屋に響いた。

 

「おんやー。やっとお目覚めかぃ絶剣さまぁ」

 

 ユウキは恐怖と怒りが入り混じるような感覚に陥るが、この部屋に連れ込んだであろう犯人の目を強く睨みつけ、抵抗の意思を示しすように訴えた。

 

「お前たち……なんでこんなこと……!!」

「よく言うぜ。人のプライド散々踏みにじりやがってよぉ」

「俺たちの方がよっぽど傷ついてるよなぁ?」

「ホントホント。手加減された上に落胆されたもんなぁ。ボク死にたくなっちゃうよぉ」

 

 煽るような笑い声で、木綿季は完全に思い出した。

 そう、かつてこのサラマンダーたちは、小島でユウキとデュエルで戦ったことがある。アスナがユウキと初めて出会う前の話だが、最初こそお互いに真剣に戦っていたのだが、三人目を倒した時点で、三人がインチキだとユウキに文句を言ってきたのが事の始まりだった。

 大して強くないわりに、下品な笑い声で挑発したり、文句ばかり言ってくるサラマンダーたちに落胆したユウキは、「三人同時に相手にしてやるからかかってこい」と喧嘩を売ってしまったのだ。結果的に圧勝したユウキは、ボロボロになった三人の前で観戦している人たちに向けてVサインをしたり、すぐに次の対戦相手を探すなど、逆に挑発し返すような行動をとってしまった。

 それが三人にとっては屈辱以外のなにものでもなかった。いつか復讐しようと心に決めていたのだが、絶剣と仲間たちがボス階層をクリアしたという事実から、リベンジした所で勝ち目がないと諦めかけていた。

 が、ある日風の噂で絶剣が帯剣もせずにインプ領でお菓子を食べ歩きしているという情報を入手した。

 彼らは、実力では敵わないということは承知していたため、彼女に精神的なダメージを与えようと拉致計画をしていたのだ。

 若干目立ちたがりなユウキは褒められたり尊敬されたりするとつい気が緩んでしまうため、そこに漬け込まれてしまった。

 

「さぁーて、それじゃあ声出されても困るからサイレンスかけさせてもらうねぇ?」

 

 そう言うと、縛られたユウキの手を勝手に操作し、デュエルの申請をしてしまう。抵抗ができないユウキはなされるがまま承諾され、事実上スキルが通るような状態になった。

 そして、そのまま三人で《サイレンス》という魔法をユウキに重ねがけをし、彼女は沈黙状態となってしまう。

 つまりユウキは魔法が使用できず、喋ることができないため、事実上大声で助けを呼ぶことが不可能になってしまったのだ。

 本来サイレンスという魔法の効果時間は5分ほどだが、三人に重複されてしまったため、15分は喋ることができない。ユウキは助けを呼ぶことも、拘束により自ら脱出することもできない。

 

「ま、あんまり暴れるようだったらまたスタンネイル使えばいいっしょ」

「あんまり使うなよー。効果時間短いわりに結構高いんだぜ」

「そう言うなって。その値段分、絶剣ちゃんに体で払ってもらっちゃおー!」

「………!!」

 

 ここでユウキはやっと、事の重大さに気づいた。身動きもとれず、助けも呼べず、ログアウトもできない。そしてあの男の言葉の意味。

 嫌悪と恐怖が一気に高まり、身体が板のように硬直する。

 恐怖に青ざめ手が震え、薄い刃物で背をなでられるような戦慄がユウキを襲う。

 

――やだ……やめて……怖い……怖いよ……

 

「……っ……!……!!」

 

――助けて……誰か……誰か……!!

 

 これから先何をされるのか想像しただけで体が震える。

 そんな恐怖に十五歳の少女が耐えられるはずもなく、ユウキはとうとう涙を流してしまった。

 

「うわぁぁぁ……絶剣ちゃんでも泣くんだねぇ! かんわぃぃぃ!!」

「お、おい。あんまり大きな声だすなって」

「大丈夫だって、こんなところ誰もこねーさ。それより見てみろよ……」

 

 ALO最強の剣士と言われたあの絶剣が涙を流して俺たちに恐怖している。

 それだけで男たちの気分は高揚してしまった。

 

「めっちゃ震えてるじゃん……たまんねぇ……」

「俺、俺先な!!」

「まぁそう急くなって。ゆっくり楽しもうぜ」

 

 そういうと、一人の男がユウキの手を再度手に取り、装備画面一覧を表示させる。

 

「…………?」

 

――なに……? なにするつもりなの……?

 

「これ一度はやってみたかったんだよねぇっ……!!」

 

 そう言うとステータス画面を操作し、ユウキの装備を強引に1つ外してしまった。胸部のミスリルプレートが外され、薄いインナーのような上着だけが露になる。

 

「――――ッ!!」

 

 ユウキは必死に抵抗しようとするが、強く固定された手足は動かすことができず、抗うことができない。

 

「おぉぉ……すっげぇ……」

「うわぁ……お前すげぇ性癖してんのな…」

「やっべ……これだけでヌけるわ俺……」

 

 ユウキは恐怖と羞恥が入り混じり、涙で溢れた赤面の表情でキッと男性たちを睨みつけるが、それは逆効果だった。

 

「あぁぁ……駄目だって……そんな顔されたら我慢できねぇよ……」

 

 そのまま続けるように足装備を外され、透き通るような細い素足が露になる。

 

「うわぁ……絶剣ちゃん綺麗な足してるねぇ」

「も、もういいだろ? 早く全部脱がしちまおうぜ……!!」

 

 必死に抵抗を続けていたが、やがて男たちの狂気に似た恐ろしい表情に体がすくんでしまい、それ以上体のいうことがきかなくなってしまった。

 

――やだ……やだよぉ……ボク……こんな……こんなやつらに…助けて……誰かボクを助けて……アスナ……みんな………姉ちゃん……

 

 がっくりと項垂れるユウキ。目には光がなく、抵抗する気力を失ってしまい、枯れることのない涙をただ流すことしかできなかった。

 それを目の当たりにした男たちの興奮が一気に頂点に達してしまう。

 

「それじゃ、絶剣ちゃんの恥ずかしいところみちゃおっかなー」

「もう死んでもいいわ……神様マジでありがとう!!」

「俺も俺も! あの絶剣ちゃんを強姦できるとか死んでも悔いないわ!」

 

 ――と、歓喜に身を震わせた、その直後。

 

「――だったら今死ねぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 長髪のインプが雄たけびを上げながら窓ガラスを蹴破り、そのまま突風のような鋭い勢いで後ろからサラマンダーの男を1人串刺しにした。

 

「が……っ……」

 

 悲痛な叫び声をあげる間もなく地に伏してしまったサラマンダーのHPはみるみる削れていく。さらに追い討ちをかけるにようにトウカは深々と大剣を突き刺し、三人のうちの一人をそのままリメインライト化させてしまった。

 死亡エフェクト後に1分間のみそのプレイヤーを示す炎が残り、その間に蘇生魔法やアイテムを使えばその場で復活できるが、しなければ自領地で蘇生される。

 

 この一定期間残ってる炎を《リメインライト》という。

 炎になっても意識がとどまっており見聞きが出来る為、迂闊に情報性のある会話は出来ない。1分経過してようやく動けるようになる、ということである。

 また死亡直前の死亡エフェクトを《エンドフレイム》といい、種族によってこのエフェクトは違う。同じくリメインライトの色も違う。

 

 項垂れていたユウキは一瞬の出来事だったため、見過ごしてしまったがサラマンダーの一人がリメインライト化したことは理解できた。

 しかし、拭うこともできない涙で視界がぼやけていたユウキは、誰が来てくれたのかは未だにわからなかった。

 

――……誰だろ……助かった……のかな……ボク……

 

「なっ……誰だてめぇ!!」

 

 トウカは相手の反応に構うことなく、ユウキのすぐ隣にいたサラマンダー1人に膝蹴りを食らわせ、彼女から引き剥がすと、素早く手足の拘束を解き、そのまま抱きかかえて窓から飛び去った。

 もう1人のサラマンダーはあっという間の出来事に一時的な放心状態になるが、膝蹴りを食らった男に「なにしてんだ早く追え!!」とつっこまれ「あ、あぁ!」と状況が呑み込めないままトウカを追う。

 トウカは窓から飛び出すと同時に急上昇し、自分が出せる最大のスピードでインプ領の中心街へと向かった。

 そして、暫く飛んでいる内に、ユウキの意識は少しずつ覚醒しつつあった。

 

――……おとこの……ひと……?

 

「……ぁ……ぅ……」

「悪いな。何か状態異常になってるみたいだが、俺は解除の仕方がわからないんだ。とりあえず安全な場所に移すから、すぐにログアウトしろ」

「……ぅ……」

「無理に喋らなくていい。後は俺が片付けとくから、そのまま寝とけ」

「…………」

 

――この人……なんだか、会ったことあるような……気がするなぁ……それに……なんだろ……凄くあったかい……

 

 精神的に疲れて果てたユウキは、そのまま刀霞に体を預けた。ユウキは彼が本当に敵か味方かわからなかったが、この人は凄く安心できる人だと直感的に受け入れてしまった。

 トウカは暫くユウキを抱えて飛んでいたが、後ろを振り向くとサラマンダーの姿が見える。

 最初の一撃は不意打ちだからこそ勝てたものの、相手もそれなりの手練れであることは間違いない。真正面から戦っていたら確実に負けるのはわかっていた。だからこそトウカはユウキの救出を最優先にした。恐らくユウキを人質にとられていたらトウカは何もできなかっただろう。

 とにかくユウキだけでも安全な場所へ避難させなければ。彼女の安全を最優先に考えたトウカはさらにスピードを上げ、全速力で飛ぶと、中心街とは遠いが小さい宿屋を発見した。

 そのまま急降下し、急いで一室を借り、ユウキをそこに寝かせ肌を隠すように毛布をかけた。

 

――……よし。とりあえずユウキはこれで大丈夫だな。だけどこのままじゃアイツらが追ってくる。すぐに戻らないと。

 

「君も……ログアウト……しなきゃ……」

 

――お。どうやら状態異常は解除されたみたいだな。ユウキも俺の初期装備を見て悟ってくれたのだろう。このまま戦ってもアイツらには勝てないと。まぁ、俺も勝てるとは思ってないさ……でもな……

 

「今あいつらを放置して逃げるほど、俺は冷静じゃあない」

 

 トウカ心底腸が煮えくりかえっていた。とにかく奴らを殺したくて仕方がない。ユウキの前では冷静さを装ってはいるが、心は勃然と憤怒が湧き上がっていた。

 彼女がどんな酷いことをされ、どれだけ辛い思いをしたか。想像しただけで怒りがこみあがり、唇を噛み締め、握り拳に力が入る。

 そんな怒りに猛っている彼が、ふとユウキの顔をみると、ユウキは疲弊しつつも、不安そうな目でトウカの表情を伺っていた。

 

「大丈夫。今はとにかく休め。今度は勝手に徘徊すんなよ」

 

 トウカは疲弊しきった彼女の頭をそっと撫でると「うん……助けてくれて、ありがと……」と一言お礼を伝えた後、ログアウトした。

 

「さて……」

 

 宿屋から出たトウカは、上空へ飛び上がり、敢えて奴らに目立つように姿を現した。するとほどなくして《リメインライト》から復帰したサラマンダー含め、三人全員が俺を囲うように立ちはだかる。

 

「てめぇ……わかってんだろうな……」

「あぁ、場所を変えよう。三対一でやるなら人目のつかないほうがお前らも都合がいいだろ」

「へぇ。GMコールしないんだ。敵討ちってやつー? マジかっこいいねぇ」

「もういいからとっとと殺そうぜ。早く絶剣ちゃん探して続きやろうよぉ」

 

――……槍と大剣、それに斧……か……ま、なるようになれ、だな。

 

「……向こうの山岳地帯でやろう」

「あぁ、いいよ。死に場所くらい選ばせてやる」

「どうせならこいつがリスポーンしたところに待機して何度も殺そうぜ」

「いいねーそれー」

 

 敵の挑発を軽く流したトウカは、山岳地帯まで三人を誘導した。

 

――……とにかく、これでユウキの安全は一時的かもしれないが保障されるだろう。仮に俺がここでやられたとしても、ユウキのログアウトした場所までは悟られていないし、待ち伏せされることもないだろう。後はユウキがGMコールしてこいつらを監獄送りすれば問題なく解決だ。

 

――……いや。違うな。監獄送りじゃ手ぬるい……絶対殺す。必ず殺す。有象無象の区別なく、俺はお前たちを許しはしない。

 

 しばらくして、山岳地帯に到着したトウカと三人のサラマンダーは、一定の距離を保ちつつ、お互いにデュエル申請をした。もちろん向こうからは三人分送ってきたので、トウカは迷うことなく申請を通す。

 

「俺に先やらせろよ……こちとら不意打ちくらってドタマにきてんだからよ……」

「あーいいよ。でも殺すなよー。甚振りてぇのはお前だけじゃねーんだ」

 

 そう言うと、刀霞が最初に《リメインライト》させたサラマンダーが斧を肩越しに担ぎ、ゆっくりと近づいてきた。

 

「……斧、か」

「あー……痛かったなぁおい。どう落とし前つけてくれんだテメェ……」

「さぁね。落とし所がほしいなら地獄に叩き落してやろうか?」

「ははっ……言うじゃねーか……ビギナーのくせによぉぉぉ!!」

 

 斧を振り上げた男が鬼のような形相で突っ込んでくる。

 

――遅い! これなら……!

 

 振り落とされた斧をかわすため、後ろにバックステップをするが、斧が地面にめり込むと同時にものすごい衝撃波がトウカの体を襲う。

 大剣で防御体勢をとるが、あまりの威力に吹っ飛ばされかけた。

 

「なんつー威力だよ……!」

「てめぇの貧弱な剣じゃ俺の攻撃は防ぎきれねーよゴミがぁぁ!!」

 

 そのままの勢いを維持するように斧を乱打するが、一発一発の攻撃はトウカよりも遅かったため、なんとか避け続けることができた。

 回避しつつ、攻撃の隙間を縫うようにトウカはひたすら大剣を叩き込む。

 

「くそがぁ!! んなもん効かねぇんだよぉ!!」

 

 トウカの振り下ろした大剣が、突如赤く発光した斧に強く弾かれ、そのまま後方に吹っ飛ばされてしまい、木に叩きつけられてしまった。

 

「ぐ……!」

 

鈍痛に耐えかね、そのまま崩れ落ちるように倒れてしまうトウカは、武器こそ手放すことはしなかったが初めて体験する状況に困惑する。

 

――……なんだ今の……攻撃が……弾かれた……? 衝撃で体がいうことを効かない……

 

斧にはソードスキルの一つに、《アックス・バッシュ》というスキルが存在する。

 

 お互いの武器が交差すると、相手の武器を弾き、ノックバックと一定時間の麻痺効果を与えることができる。武器同士の衝突が条件と、このスキルの存在を知っている者には回避されてしまう事がほとんどのため、発動条件は厳しいが、発動中は《ウェポン・ブレイク》などの破壊効果は一切無効化される。

 

「ビギナーじゃこのスキルはしらねーだろ? 雑魚のくせに粋がってんじゃねーよ」

 

 体が動かないトウカに、男が斧を担いだまま威風堂々と歩みより、唾を吐きかけ見下すような目で落胆する。

 

「おいおいもう終わりかよ……どんだけ弱いんだこいつ……」

「それなりにお前もくらってたじゃねーか。ま、所詮はビギナーだな」

「早く殺そうよー。もうこいつつまんねーよ」

「まぁそう急くなって」

 

 意気揚々と近づいたその男はあろうことか、動けないトウカの腹部を踏みにじり、あざ笑いながら挑発をし始めた。

 

「ぐ……ぁ……!」

「おいおいもーちょっと頑張れよー! まだ始まったばっかじゃねーか!!」

 

――くそ……さっきのが《ソードスキル》って奴か……はは……奥が深いな……

 

 初めて目にした《ソードスキル》と、自分の情けなさがあいまって、トウカの表情にはつい笑みがこぼれた。

 

「笑ってんじゃねーよくそが!!」

 

 その笑みが逆に怒りを買ってしまったのか、トウカの顔をおもいっきり踏みつけ、腹部に先端の尖った斧を突き刺した。

 

「……っぐ……!!」

「俺にもやったんだ……てめぇも味わっとけや!」

 

 みるみるうちにHPが減り、残すところ三分の一程度になってしまったところで大剣持ちの男が斧持ちの男の攻撃を制止する。

 

「おいまてよ。俺にもやらせろって」

「あぁ、悪い悪い、後はお前に譲ってやるよ」

 

 トウカの腹部に刺さった斧を引き抜いた男は、大剣持ちの男とハイタッチをした後、刀霞の元に歩み寄るやいないや、刀霞の左腕に大剣を振り下ろし、切断してしまった。

 

「……ッ……あ゛ぁ゛っ」

 

 ゲームのシステム上痛覚はないが、左腕を切られたという事実に脳が反応し、感覚的な痛覚がトウカを襲う。

 

「おお、いい悲鳴上げるねぇ」

「なー、もう早く殺して絶剣ちゃんさがそーぜぇ」

 

 槍持ちの男はすっかり萎えてしまったのか、刀霞に興味をもつことなく大剣持ちの男を急かしはじめる。

 

「あぁ、そうだなー。こんなゴミよりも絶剣ちゃんの体嬲るほうが楽しいわな」

「残念だったなぁお前、かっこいいヒーロー気取ってんだたろうけど、このゲームは実力がものをいうんだわ。おつかれぇ」

 

――……くそ……ここまでか……一人ぐらいは倒せると思ったんだがな……

 

「そーいやさ、俺たちBANされっかな?」

「そうだなー。まぁこのアカウントがBANされても別アカウントあるから問題ねーけとな」

「な……!?」

 

 その一言にトウカは驚愕した。

 そしてその表情を見逃さなかった男は、ニタニタと笑い、苦悶の表情を誘うようにさらに挑発を重ねる。

 

「あんれー? もしかして驚いちゃったー? 俺たちこのアカウント捨てアカなんだよねー」

「そーそー。ほとぼり冷めたら別アカでまた絶剣ちゃん捕まえちゃえば済む話だしー」

 

 キリトとアスナにこの状況を伝えようにもいつ戻ってくるかわからない。戻る前にユウキがログインしてしまったらあの人気の少ない宿屋から復帰してしまうことになる。

 男たちはトウカを《リメインライト》させたら別アカウントでインプ領に戻り、トウカが飛び上がった周辺を散策するだろう。

 

――もしそこでユウキが見つかってしまったら……

 

 トウカはその事実に動揺を隠すことができなかった。片腕を落とされ、未だ麻痺状態であった彼にできることは、懇願することしかできなかった。

 

「く……そ……やめろ……やめてくれ……俺はどうなってもいいから……あの子には手をださないでくれ……たのむ……」

「あぁだめだってそんなー。お前がどうなろうが価値なんてないんだから懇願しても意味ないよー?」

「それより絶剣ちゃん捕まえたら今度は下から脱がそうぜー!!」

「あーいいねぇーそれ」

 

――……何も……できないのか……また……

 

 諦めかけていたトウカの脳裏に、悲痛な姿が過ぎる。泣き叫び、苦しみ、助けを求めているユウキの姿が。

 

――……泣いてる……ユウキが……泣いてる……

 

――……誰が……やった…………誰が……

 

 今にも失いそうな意識の中で目を開けると、そこには不敵な笑みをうかべている男が三人。

 

――……お前か。……お前たちか。

 

『殺せ』

 

 トウカの心の中で何かが渦巻く

 

『殺してしまえ』

 

 それは、自分ではない何かが心の感情を代弁しているような感覚だった。

 

――……あぁ……殺してやるさ……

 

 トウカは、その感覚に全てを委ねた。彼女を守るために。

 

「――……や……る……」

「はー? なにー? きこえねーよゴミ」

「――……ころ……して……やる……」

「あー、はいはい。それじゃ殺してあげましょーかね。ほなさいならー」

 

 男が不適な笑みを浮かべ、剣を振り上げてトウカの腹部に剣を突き刺そうとした瞬間――

 

 それは起こった。




今回も閲覧いただき、ありがとうございました。

次回は早めにあげられたらいいなと思います。

コメントもいただいて、本当に嬉しいです。

誤字脱字が多いかもしれませんが、引き続き読んでいただけたら幸いです。


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第九話になります。

今回は疲れました。

戦闘の表現がむずかしくてへこたれそうです。


 俺がまだ5歳の頃だった。

 

 とある由緒正しい家系に生まれた俺は、父親の期待と母親の信頼に答えるために必死に努力してきた。

 だけど、いくら必死に努力しても報われない事だってある。

 才能がなく、努力ができず、根性がたりない。それが持って生まれた俺の運命だった。

 

「強くなれ」

 

 口癖のように父親は言っていた。

 

「刀霞! お前はこんな事もできないのか!!」 

 

ごめんなさい……ごめんなさい……

 

「謝る暇があるなら剣をとれ!! 父を見返してみろ!!」

 

ごめんなさい……もうふれません……ゆるしてください……

 

「……っ……この霧ヶ峰家の……出来損ないが!!」

 

 

 

 

 そんな言葉を言われたのは初めてではない。教えを受けたものを何一つ身につけることができず、自分の限界を感じるとすぐに根を上げてしまうのが俺の癖、というか性格だった。

 五歳児の俺には耐え難い苦痛だったが、そんな俺にも祖父だけは味方をしてくれた。稽古から逃げ、嫌なことから逃げ、辛いことから逃げた先にはかならず祖父がいて、俺を優しく受け入れてくれた。

 

「刀霞、お前は素直でいい子だ。自分に嘘がつけず、己の心に正直に生きておる。だからこそ、感情に流されない強い心が必要なのだ。強くなれとはそういうことだ」

 

 当時の祖父の言葉は俺には理解できなかった。自分の感情に流されることが、いけないことだとは思っていなかった。嫌な事から逃げ、辛い事から逃げ、苦しい事から逃げて何が悪いのか。誰にも迷惑かけているつもりはなかったし誰も困ることはないと思っていた。

 そして数年後、祖父が亡くなる数日前、泣きじゃくる俺に優しく諭してくれたあの言葉。それは今でもよく覚えている。

 

「刀霞、お前の心には鬼がいる。決して感情の赴くままに生きてはいけない。委ねてしまうことになれば、いずれ大切な人を傷つけてしまうことになるだろう……辛ければ逃げるのもいい……」

「だが、守るべき存在が現れた時、絶対に逃げるな。命を賭して戦いなさい」

 

 その言葉だけは信じて生きてきた。いつか俺にとって大切な存在ができたなら、命を懸けて守ろうと。

 それが、俺に残された唯一の存在意義なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

――……何が……起きた……何故……俺がリメインライト化されている……

 

――あのゴミに……剣を突き刺そうとしたところまでは覚えている……どうなってんだ……いったい……あいつは……

 

「おっ……おい!! どうした!何が起きた!?」

「し……しらねーよ!! 急にあいつ……リメインライトしちまったぞ!!」

 

 トウカは無意識のうちに立ち上がっていた。しかし、顔は項垂れたまま、右手には大剣を引きずるように持っている。

 

「てめぇぇ!! 何しやがったぁぁぁ!!」

 

 斧持ちの男は状況が呑み込めないまま、トウカを攻撃しようと斧振り上げ突っ込んでいった。

 勢いよく振り下ろされた斧は刀霞の脳天に後数センチというところまで迫っていたが、トウカは片手で斧を弾き返してしまった。弾き返された斧は遠心力が働き、男の手から離れ、後方の地面に裂き刺さる。

 

「なっ……こ、こいつ……!!」

「どけ! 俺が殺す!!」

 

 槍持ちの男は斧持ちの男とスイッチするように入れ替わり、刀霞の顔に目掛けて鋭い突きを放つ。

 トウカはそれに対し、体勢を落として大剣を懐に納め、抜刀するような構えを見せた。

 

「馬鹿が!! 俺のほうが速ぇんだよ!!」

 

 槍が刀霞の前髪に触れたその刹那、刀霞は男と入れ替わるように一瞬にして消え、一撃で槍持ちの男の体を一刀両断してしまった。

 その間実に一秒を切る。

 

「――……は……?」

 

 両断された槍持ちの男は斬られても尚、どういう状況か理解できなかった。

 そして、あっという間に《リメインライト》してしまった槍持ちの姿を見て、斧持ちの男は未だに状況を把握できず、消えていく仲間を見て動揺を隠せずにいた。

 

「お、お前……なんなんだよぉぉ!!」

 

 男は焦っていた。少なくともトウカよりは実力が上だと確信していたにも関わらず、片腕を失った瀕死のビギナーに圧倒されてしまうこの現状が、理解できなかった。

 トウカの目には光がなく、気を失っているようにも見えるが目の焦点は男の方へ向いていた。男の問いに答えることもなく、トウカはゆっくりと男に歩み寄る。

 

「く……くそぉ……!!」

 

 男は拾い上げた斧で必死に刀霞を攻撃するが、全て弾かれてしまう。そもそも大剣を片腕で振り回すことは本来できないはずなのだが、男が両手で振り下ろす渾身の一撃を、トウカは軽々と正面から弾いてしまった。

 

「これならどうだぁぁぁっ!!」

 

 がむしゃらに振り上げた斧が赤く染まり、《アックス・バッシュ》が発動する。既に瀕死のトウカがこれ食らってしまえば、《リメインライト》は免れないだろう。

 風を切り裂くような音が聞こえるほど鋭く振り下ろされた斧に対し、トウカは大剣の剣先を斧の刃に当て、軌道を変えるように受け流してしまった。

 軌道が反れた斧はそのまま地面を割り、大きな砂煙を巻き上げ広い範囲で視界を覆った。

 

「く……!! ど、どこいきやがった!!!」

 

 男は煙を掻き分けるようにトウカを探すが、視界に捉えることができない。

 そして、いつのまに背後をとったのか、トウカは先ほどと同じ抜刀するような構えをしつつ、男に呟くように一言声をかけた。

 

「――逝ね」

 

 男は振り向いてその声のする方へ視線を向けるが、既に銅と体が逝き別れた後だった。視界が逆さまになり、自分の下半身が彼方にあることを視認した瞬間、男は《リメインライト》化してしまった。

 周囲には淡く揺れる炎が三つ。トウカの頭上にはデュエルに勝利したエフェクトが表示され、効果音が勝利を知らせると同時に彼は糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が回復した俺は、少し休憩した後なんとかインプ領に戻り、キリトとアスナが来るのを待った。二人が合流すると、今まで起きた事を全て説明し、疲弊しきった俺はその場でログアウトした。

 その後、全てを引き受けてくれたアスナとキリトは俺がログアウトした後さっそくGMコールをしてくれたらしい。

 翌日、お見舞いに来てくれた二人から聞いた話では、《ハラスメントコード》に基づいた規約違反とみなされ、あの三人の男はメイン、サブアカウント共にALOの永久追放となり、現実世界でも悪質な犯罪行為だと咎められ書類送検となった。

 この事件に関してはユウキのプライバシーにも関わるため、全体的な公表はされなかったが、ALOはセキュリティ強化という名目で、『他プレイヤーから触れられた状態でメニュー画面を開く事はできない』ただし、フレンド登録していたプレイヤーのみ例外となる、というアップデートが追加された。

 俺は恐る恐るユウキの容態を確認するとアスナは話してくれた。一時的に精神的なショックを受けていたようだが、今はすっかり良くなったらしい。《スリーピング・ナイツ》のみんなやアスナたちが支えてくれたおかげでうまく立ち直ることができたようだ。

 俺はユウキが無事だという朗報が聞けてホッと胸をなでおろした時だった。

 

「と・う・か・く・ん?」

「は、はい」

 

 安堵したところにアスナの若干怒りが混じった声が突然耳に入った俺は、一瞬驚いてしまいつい敬語で返事してしまった。

 

「どうしてユウキがログアウトした後すぐ貴方もログアウトしなかったの? 誘導や戦う必要はなかったと思うの……それにGMコールで通報できるタイミングもあったはずよ。貴方があんなに危険な目に遭うことはなかったはずだわ」

「あー……そ……それはですね……混乱していたというか……なんというか……」

「ちゃんと、答えて」

「……き……キリト……」

 

 助けを求めるように視線をキリトに向けるが、「俺を見るな」と言わんばかり視線を逸らされた。

 アスナの鋭い眼光に観念した俺は、一つため息を漏らし、正直に話すことにした。

 

「……我慢できなかったんだ」

「……え?」

 

 アスナ表情が困惑に変化したが、俺は構わず続けた。

 

「……確かに、アスナの言う通りだ。そのまま通報していればあいつら追放されて終わっていたと思う。だけど、ユウキを玩具のように嬲っていたアイツらをどうしても俺は許すことができなかった……だから俺はあの時、アイツらを殺す事しか頭になくて……――あ、いや……殺すなんて穏やかじゃないな……すまない……」

 

 アスナは黙って聞いていてくれたが、キリトは俺の肩をポンと軽く叩き、優しく励ましてくれた。

 

「……もしアスナが同じような目に遭っていたら、俺もそうしたと思う。俺は刀霞のしたことが間違っているとは思っていないよ」

「……二人ともすまない……俺の個人的な我侭で後始末を任せることになってしまって……」

「違うわ……本当に悪いのはあいつらよ……刀霞、ユウキを助けてくれて本当にありがとう……これで二度目ね……私もしっかりしなくちゃ」

 

 いくら命の危険はないとはいえ、警戒しなければいけないことがあることを改めて認識した俺たちは、お互いに気をつけようと再確認した。その後しばらく雑談しているとキリトが俺と男たちのデュエルに関して質問を尋ねた。

 

「それにしても刀霞、どうやって倒したんだ? アイツら結構強いはずだぞ」

「普通に倒した……と思う」

「普通にって……刀霞があの三人を倒したなんて……ちょっと信じられないな……」

「別の俺が倒したというか、俺じゃない誰かが戦ってくれたというか……結果的には俺が倒したことになってるんだけど……なんと言えばいいか……」

「おいおい、デュエルなんだから誰かが助けに入ることはできないぞ。それにあの三人を独りで相手するのは俺でも厳しいと思う……どんな戦い方をしたんだ?」

「あの時は意識が虚ろだったというか、その、よく覚えてないんだ。まるで……そう、ステレオグラムのような……そんな感覚だった」

 

《ステレオグラム》とは、立体的印象をもつように描かれた平面に描かれた図や絵を目の焦点を意図的に前後にずらして合わせることで立体的に見ることができる。立体画ともいう。

 

 人間は、片眼では焦点距離、物体の大きさ、重なり、明瞭さ、移動速度、両眼では、両眼視差、輻輳などの情報を総合的に利用して立体を認識している。《ステレオグラム》は両眼視差を利用して画像を立体として認識させる。

 現実の立体を見るときには、両眼の位置の差から右眼と左眼では異なった像が写っている。この見え方の違いが両眼視差である。

 この2つの画像の差異を利用して脳は空間の再構築を行う。逆に、平面上の画像でも両眼に視差が生じるように映像を写すことで、脳に立体として認識させることができる。

 

「あの時の俺はこれがゲームだと忘れていた気がする。やるかやられるかしか考えてなかったから必死だった。だから偶々だよ、もう勝てないと思う」

「……そうか。無理に聞いて悪かった」

「気にしないでくれ。それよりアスナ。俺の事はユウキに言ってないよな?」

「えぇ、もちろん。でも助けてくれた人にお礼がしたいって言ってたから、この際会って見たら……?」

「いや、遠慮しとくよ。無事に助かればそれでいいんだ」

「またそんな事言って……でも、ユウキは少し気づいてたよ?」

「……え?」

「会ったことがある気がするって言ってたわ。ねぇ、もし偶然でもいいから出会ってしまったら、素直にお礼を聞いてあげて。ユウキは貴方の顔覚えているみたいだから、逃げてしまったらきっと傷つくと思うの……」

「……わかった。考えておくよ」

「うん、お願いね」

 

 そんな会話をした後、今回はキリトとアスナは病院でフルダイブせずに帰っていった。なんでも、エギルの店が新作のメニューを考えたらしい。その味見をするべく、今日は早めに帰るそうだ。俺にもいつか紹介してくれと頼むと、キリトとアスナは快諾してくれた。キリトとアスナを見送った後、俺はたまたま鉢合わせた倉橋先生と少し話をした。

 

 内容はちょっとした雑談程度の話だが、せっかくなのでユウキの容態を聞いてみた。倉橋先生曰く、元気すぎて困っているぐらいだそうだ。リハビリも順調で、食事の量も増えてきている。また売店や屋上に行きたいと駄々を捏ねているらしく、看護士が収めるのに苦労しているらしい。

 

「本当に、仕方のない奴ですね」

 

 とはいいながらも、つい笑みがこぼれてしまう。

 

「ええ、元気すぎも困ったものですね。あ、そういえば刀霞さん。これを」

 

 そう言うと倉橋先生は懐から一通の茶封筒を取り出し、俺に手渡した。

 

「……これは?」

「開けてみてください」

 

 開封してみると、そこにはお金が入っていた。大金というわけではないがここで今後生活する分に必要以上な金額だった。

 

「そんな……こんなの受け取れないですよ。それに謝礼については募金とユウキの生活費にと……」

「ええ、もちろん。それを差し引いた額を含めてこの金額なんです。今後観光するにしても何か必要となるでしょう。貴方が貢献していただいたおかげで我々も非常に助かっています。どうか、受け取って下さい」

「……ありがとうございます。大事に使わせていただきます」

「いえいえ、今後も定期的にお渡し致しますし、足りないようであればどうか仰って下さい。本来であればこの十倍はお渡しすることになっていますので」

「……わかりました。わざわざすいません」

 

 こんなに貰ったところで観光以外での使い道がまったくない。食べたいものがあるわけでもないし、ほしいものがあるわけでもなかったので、俺は使い道ができるまで貯めることにした。

 そして夕食を済ませ、無菌室に戻った俺は、ナースコールで看護士さんを呼び、《メディキュボイド》によるフルダイブで、ALOに再びログインしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はキリトとアスナがログインする時間はおおよそだが事前に教えてもらった。それまではソロでモンスターを討伐して資金を稼ごうと思う。

 インプ領に無事ログインできた俺は、現在地を確認し、近くの山岳地帯に向かおうとしたのだが、向かっている最中に武器屋を横切る際、ふと思い出した。

 

――……そーいえば……アレ買うか悩んでたんだよな……

 

 そう、武器を買おうと悩んでいた最中に事件が起きてしまったため、今まですっかり忘れてしまっていた。

 

――……まだやめておこう。武器を変えたところで強くなるとは限らないしな。それよりもポーションとか必要なものを買っておくか

 

 さっそく俺は以前ヘアバンドを購入した道具屋へ再び向かった。いざ到着して、扉を開けようとしたのだが、以前自分で約束してしまった『次来る時はそのヘアバンドを買う」という言葉を思い出してしまった。

 

――しまった……あれ買ったらポーション買えなくなる……ってゆーかたしか八万ユルドだよな……げ……俺三万ユルドしかもってないぞ…ま、まぁあのじーさんが俺のこと覚えてるとは限らないし……いけるか?

 

 おそるおそる扉を開け、店内の様子を伺うと、いつもの老人しかいなかった。老人は俺の姿に気づくやいなや、「おぉ、この前のにーちゃん!!」と明るく挨拶してくれたことに対し、どうやってあの装備を買わずに済むか必死に考えることしかできなかった。

 

「ど、どうも……」

「約束だったな! 《エア・スプリング》とっといたんだぜ!」

「あ、あぁ……それなんだが……少し手持ちが足りなくてさ……」

「なにぃ!? 買うって言っただろーが! 約束破るつもりかぃ!」

「い、いやそーいうつもりでは……あ、そうだ。このアイテム欄の中で、何か買い取ってくれるものはないか? あまりいいものはないと思うが、モンスターを少し倒してドロップ品を手に入れたんだ」

 

 俺はメニュー画面を開いて所持アイテム一覧を道具屋の老人に見せた。

 

「そうさなぁ……ここいらのモンスターじゃ禄なアイテムなん…て……なにぃぃぃ!?」

 

 老人は1つのアイテムに目がとまると同時に飛び上がり、後ろへ尻餅をついてしまった。

 

「お、おいおい大丈夫か……?」

「そんなことよりもにーちゃん!! これどこで手に入れたんだい!?」

「これ……? あぁ、なんか色違いのゴーレムを倒した時に手に入れた奴だけど」

「ま、まさか……そのゴーレムの名前って……まさか《ユミル・フロストゴーレム》って名前じゃ……」

「あ、あぁ、そんな長ったらしい名前だった気が……」

 

 そう言葉返すと、老人は過呼吸になり、汗を大量に流して終始興奮しっぱなしだった。

 

「にーちゃん……こりゃあ《属性結晶》だ……しかもソードスキルの属性にはない氷属性だぞ……」

「それはー……凄いのか……」

 

 それが価値あるもなのかわからなかった俺は、老人に尋ね返すといきなり俺の胸倉を掴み、これが如何に貴重なものなのかを力説し始める。

 

「凄いなんてもんじゃねぇ!! 《ユミル・フロストゴーレム》も、氷属性の属性結晶も逸話だと思ってたぐらいだ! この素材はな、にーちゃん! 《レジェンダリーウェポンに匹敵する武器が作れるかもしれねーんだぞ!?」

 

――唾が……唾が顔に……なるほど。武器の生産素材だったのか。でもなぁ…そんな武器作ったところで俺の熟練度じゃ装備できないしな。

 

「よし、じゃあこれ買い取ってくれ」

「はぁ!? そんな金うちにはねーぞ!!」

「そんな高いものなのか、これ」

「恐らく持っているのはお前だけだろうな……一千万ユルドは下らないぞ」

「そうか。じゃあ言い値でいいから買い取ってくれ」

「はぁ!?」

 

 老人は金魚のように口をパクパクさせ、体を震わせて俺の言葉を聞き返した。

 

「いま……なんて……?」

「いや、言い値でいいから……」

 

 俺がそう言いかけた瞬間、頭をおもいっきり殴られた。急に殴られた俺は一瞬何をされたのか理解できず、一時的に放心状態になってしまった。

 

「馬鹿たれが!! 男なら金よりも力を求めんか!」

「だ……だから、それ売ってヘアバンド買うって……」

「そんなもん後でいい! とっと鍛冶屋行って作ってもらってこい!! いつかその武器を装備して、お金を貯めたら売ってやるわい!!さっさといけ大馬鹿たれが!!」

 

――……二回も馬鹿たれと言われた。

 

 急かすように店から追い出され、老人の馬鹿たれという言葉ですっかり落ち込んでしまった刀霞はしょんぼりと頭をうなだれたまま、鍛冶屋へ向かうのだった。




今回も閲覧していただき、ありがとうございました。

UA総合数が2500を突破しました。

色々な人に見ていただくことができて本当に嬉しいです。

文才も表現力もない私ですが、どうか最後まで見守っていただけると嬉しいです。

コメントしていただいた方、ありがとうございました。また下さると励みになります。

今後も宜しくお願い致します。


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10

大変長らくお待たせいたしました。

第十話になります。祝!十話です!

遅くなってしまった理由は後書きにて報告致します。


「……気が進まないな……」

 

 俺は鍛冶屋の入り口で、扉を開けるべきか否か悩んでいた。

 

 武器を作ることは百歩譲って良しとしよう。だが装備を作ったところで装備できないし、武器を作るのにも金が要るのだろう。結局のところ売った方が俺の合った装備や防具を整えられると思うのだが。

 

 兎にも角にも聞くだけ聞いてみよう。もしかしたら買い取ってくれるかもしれない。老人には悪いが身の丈に合った装備を買おう。

 

 俺は気乗りしない気持ちをなんとかポジティブに変えつつ、扉を開けた。

 

 店内は思っていたよりも広かったが、夜も相まって中は暗かった。壁には多種多様な武器と防具が飾られていたが、僅かな照明灯の明かりだけで煌びやかな店とは言えなかった。

 カウンターまで近づき、あたりをキョロキョロと見渡すが店内には誰もおらず、仕方なく「すいませーん」と声を上げると、奥の扉から「少しまってくれー」と返事が返ってきた。

 

 あぁ、作業中かと察した俺は暫く店内の装備を見ながら待っていると、体中ススだらけの男が「いやぁお待たせしてすまない」とお詫びをしつつ扉から出てきた。見た目は三十代ぐらいだろうか。無精髭が特徴的な渋い男性だった。

 見た目から察するに鍛冶屋の主人だなと判断した俺は、さっそく属性結晶について話を聞く事にした。

 

「すまない、属性結晶を手に入れたんだがこの店で買い取ってもらうことはできないか?」

「へぇ……あんた見たところビギナーのようだが……よくそんな珍しいもの持っているな。それで属性は?」

「あぁ、俺はよくわからないんだが、氷属性らしい」

 

 俺はメニュー画面を開き、そのまま鍛冶屋の主人に見えるよう反転して見せた。すると道具屋の老人とは違い、落ち着いた目でメニュー画面を確認した主人は冷静な表情で口を開いた。

 

「……すまないが、買い取ることはできない」

「いや、言い値でいいんだ。高く売りつけるつもりはないよ」

「嬉しい申し出だがそれでも無理なんだ。買い取ったとしても俺の技術じゃこの素材で装備品を作ることができない」

「そんなに扱いが難しい素材なのか?」

「ああ、スミス系のアビリティをかなり上げていなければまず無理だろう。俺の営利目的は装備修繕と武器の強化だけなんだ。簡易装備も作れるがそこまでの素材だとさすがに手がつけられない……すまないな」

 

 そこまで扱いが難しい素材なのか。さて困ったな。これじゃあ売ることも武器を作る事もできない。

 

 俺はとりあえず作れる人を探してみようと主人に尋ねる。

 

「そうか、なら知り合いの鍛冶屋で作れる人を知らないか?」

 

 主人は眉をひそめ「うーん……そうだなぁ……」と腕を組みながら考えていると、入り口のドアが勢いよく開き、元気な女性の声が店内に響いた。

 

 

 

「おっじさぁーん!! 頼んどいた武器、もう終わってるー!?」

 

 

 

 どきり、と心臓の鼓動がでかくなる。

 雷に打たれたように目を大きく開き、体の中に異様な緊張が満ち溢れる。

 

 そう、振り向かずともこの元気な声の主である女性が誰なのか、俺はわかってしまった。

 その女性はテクテクと歩きながらカウンターに近づいてきた。主人はその女性の質問に対して、少し愚痴るように返答をしつつも彼女を歓迎した。

 

「よう絶剣。とっくに終わってるよ。てっきり昨日受け取りに来るかと思って待ってたんだがな」

「えへへー……ごめんね、ちょっと色々あってさ」

 

 近づいてくる足音に耐え切れなかった俺はつい顔を下に向けて表情を悟られないようにしてしまった。僅かな時間の中で俺はどう切り抜けるか必死に脳をフル回転させた。

 

――落ち着け、店内は暗いから俺が誰なのかは近づかれるまでわからないはずだ。このまま俯いたまま店を出るか? いや駄目だ、扉は1つしかない。このまますれ違ったら絶対にバレてしまう。そうだ、鍛冶屋の奥の扉に入らせてもらうか。トイレを借りたいと装って駆け込めば……いや、そもそもALOに排泄できるシステムなんてない。詰んだか、詰んだのか。いや諦めるな、まだ慌てるようなあわあわあわわわわ

 

 そこで俺の思考回路は停止した。

 

 ユウキはカウンターの前に立つと武器の修繕費用と思われる代金をカウンターに置き、それを受け取った主人は「少し待っててくれ。今持ってくる」と奥の扉へ戻って行った。

 

――大丈夫、バレやしないさ。

 

 俺は俯いたままカウンターに寄りかかり、ユウキを背にして悟られないようただただ必死に顔を隠すことしかできなかった。汗の滴る感覚が嫌に冷たく感じる。

 

 

 

――……あれー。なんだろこの人。随分不恰好な防具着てるなぁ。なんで背中向けてるんだろ……あれ……?……この変なポニーテール……どこかで……――あ、

 

「ボクを助けてくれた……人……?」

 

 ユウキは自然と言葉にしていた。

 

 その言葉を受けて、俺はどう返答すればいいかわからなかった。だが無視するわけにはいかなかったので、ユウキに背を向けたまま「……さぁ、人違いじゃないか?」と答えた。

 これでいい、変に関わるわけにはいかない。どうしたって彼女の人生をこれ以上狂わせるのはごめんだ。申し訳ないが人違いで通そう。

 自分に言い聞かせるように次の言い訳を考えていた俺は、背中越しでユウキが次にどう言葉を返してくるのか待っていた。しかし、ユウキが発したのは俺の予想とは大きくはずれた、しゃくり上げの声を漏らす、嗚咽の声だった。

 

「――あ、あれ……? ボク……どうして……」

 

 俺は嗚咽の声が聞こえると同時につい振り向いてしまった。ユウキの表情を見ると、自分でもどうして泣いているのかわからないとでも言うような、驚きと困惑が入り混じった顔をしていた。大きく見開いた目と頬はほのかに赤く染まり、細い涙が止め処なくあふれ出ている。ごしごしとユウキは拭っていたが、中々とまらない涙に自分でもどうしてよいかわからなくなっていた。

 

 その表情を見て俺は思い出した。アスナが病院で言っていた、あの言葉を。

 

『逃げないで聞いてあげて』

 

 俺はとっさにユウキの腕を掴み「ちょっとこい」と引っ張った。ユウキは「えっ」と驚いた声を上げていたが、俺はお構いなしにユウキを連れて店を出て、そのまま近くのカフェに向かって歩いた。

 

「あっ……ボ……ボク……」

「いいから、少し話そう」

 

――……あ……この人の手……あったかい……

 

 ユウキは触れられた腕に伝わる温もりに、過去にもこの人に触られた事があるような、そんな感覚を思い出す。

 

 俺は歩きながら先ほどの行為を自問自答していた。

 

――……俺自身なぜこのような行為をしたのか自分でもわからない。ただ、アスナの言葉を思い出したら勝手に体が動いてしまったような、突発的な行動に移ってしまった。いや、そうでもないかもしれない。

 一つだけわかっていることは、泣いてるユウキを無視してこれ以上嘘を突き通したり、逃げてしまうことは俺にはできなかった……

 

 カフェに到着した俺たちは、ユウキを先に座らせ、ホットココアとコーヒーを注文した。会話をする間もなく、すぐに運ばれたホットココアをユウキに差し出し、コーヒーは自分の方へ寄せた。

 ユウキは既に泣き止んでいたが、頬はまだ少し熱を帯びたように赤くなり、目も充血していた。暫く鼻をすすりながらじーっとココアを見つめていたが、俺が「飲みな」と勧めつつ自分のコーヒーを口にすると、ユウキも両手でカップを持ち、少しだけすするように飲んだ。

 ユウキの表情が落ち着き始めたのを確認した俺は、ゆっくりとした口調で彼女に話しかけた。

 

「もう、大丈夫なのか?」

「――……えっ……あ……その……えと……うん……」

「そうか」

 

 どう話していいかわからなかった俺は、会話を切るように返事をしてしまった。自分でしまったと思いつつ、どう話そうか考えながらコーヒーを口にしたが、その瞬間ユウキの方から口を開いた。

 

「――飴……」

 

 俺はその一言が耳に入ると同時にブッとコーヒーを噴出してしまった。

 

「やっぱり……あの時のおにーさん……なんだね……」

 

 慌てふためいた表情で俺は「え? え?」としか言い返せなかった。嘘をつくわけにもいかず、違うと言ったらまた彼女が涙を流す気がしてならなかった。そもそも関わるとしてもALO内だけだと思っていたのだが、まさか現実世界で繋がりができてしまうとは予測できなかった。俺はなぜわかったのかと尋ねることしかできなかった。

 

「俺……言ったっけ……?」

「うん。言ってた」

「……なんて?」

 

 俺が聞き返すとユウキの表情は少し笑みを浮かべ、ココアをスプーンでかき回しながらポツリと呟くように答えた。

 

「徘徊すんなよー……って」

「言ったっけ……」

「うん、宿屋で……」

 

まったく覚えていない。だが言ったと言われればそうなのだろう。あの時の俺は冷静じゃなかったし、もしバレたとするならば先日の事件での中でしかまともにユウキと接触していないあの時以外考えられない。恐らくその時に宿屋でつい言ってしまったのだろう。

 もはや何を言っても逃げられないと観念した俺は、とにかく言わなければいけないことを先に伝えた。

 

「すまない……」

「……え?」

 

 頭を下げ、謝罪の言葉を述べた俺を見て、ユウキは困惑しているような様子だったが、俺は構わず続けた。

 

「泣かせてしまったな……俺が――」

「ちっ……違うよ!」

 

 ガタンッと椅子から立ち上がり、俺の言葉を遮るようにユウキは否定した。

 

「ボク……お礼がいいたくて!……ログアウトしてから、助けてくれたのがおにーさんだったことに気がついて……ボク……その……」

 

 何か最後に言いだけだったが、言葉に詰まったユウキは熱が冷めたかのようにしゅんとなり、そのまま椅子に座りなおすと、悲しげな表情でユウキの方から謝罪の言葉を口にした。

 

「……二回も迷惑かけちゃって……ごめんなさい」

 

 ユウキはお礼ではなく、謝罪をした。

 予想とは反した言葉に、俺は胸元が締め木にかけられたように苦しい感覚に陥った。

 本来謝るべきなのは俺のほうだ。一体彼女にどれだけの嘘をついたのか。決して許されるような嘘ではないし、そもそも彼女をあんな目に遭わせたのは俺のせいだ。自分の身勝手な、偽善にも似た正義で彼女の人生を狂わせてしまった。あの時、彼女を安らかに眠らせておけばこんなに辛い目にも遭うことはなかった。

 

 生きていてほしい、そう願えば願うほどユウキの幸せが遠のいていく……

 

 やはり俺は彼女の傍にいるべきじゃない。俺が関わってしまうとユウキが不幸になるだけだ。

 罪を重ねすぎた俺は今更後戻りなんてできない。だけど、せめて自分が言える範囲で正直な気持ちをユウキに伝えよう――

 

「……俺は君を迷惑だと思ったことなんてないよ……それに……」

「……それに……?」

 

――これは、嘘じゃない。自信をもって、胸を張って言うんだ。

 

「――……それに俺は君に憧れ、羨ましいと思っている。どうしたら君のように強い心を持てるのか……俺には根性もないし度胸もない。だけど君は、俺にはもっていない強さを持っている。君のようになりたかったけど俺はなれなかった……

そんな憧れていた君を救うことができて俺は本当によかった。だから、謝らないでほしい」

 

 ユウキは少し驚いたような表情を見せたが、徐々に頬がみるみる紅潮し、恥ずかしさのあまり頬が赤くなった表情を隠すように俯き、もじもじしながら答えた。

 

「ぁ……あの……強く……なんて……そんなこと……ない……ョ……」

 

 そんなユウキの表情を見て、俺は少し馬鹿正直に話しすぎたかと反省した。

 表情も柔らかくなり、すっかり泣き止んだユウキはココアを飲みつつ、俺の不恰好な装備と髪型をからかうような雑談をかわした。

 そんなやりとりをしている内にちょうどお互いに飲み物も飲み終わり、落ち着きを取り戻したユウキと俺はすっかり忘れていた鍛冶屋の件を思い出した。

 

「あぁー! 鍛冶屋に預けてた装備とりにいかなくちゃ!!」

「しまった、俺も話の途中だった。すまない、無理やり連れてきてしまって……」

「ううん、大丈夫だよ! はやくもどろー!」

 

 俺とユウキは二人で鍛冶屋に戻り機嫌を損ねた鍛冶屋にお詫びをした後、無事用事を済ませた。結局鍛冶屋は仲間に属性結晶から武器を生産できる人はいなかったという。ユウキは武器を受け取り、主人にお礼を伝えた後二人は鍛冶屋を後にした。

 

「じゃあまたな。今度は気をつけろよ」

「うん……え?……あの……いっちゃうの?」

「あぁ、とりあえず用は済んだしな」

「あの……あのさ!もし良かったら……何かお礼したいなぁ……なんて……」

「いや、いいよ。元気な姿が見れただけでそれで十分だ」

 

 それに、これ以上一緒にいたら不幸にさせてしまう。

 そんなのはもう、たくさんだ。

 俺はユウキに背を向け、武器屋に行って素材の買取りを相談してみようと歩きだした。

 

「ま……まって!!」

 

 後ろから腕を捕まれ、動きを制止されてしまった。振り向くとユウキが何か言いたげな表情をしつつ、目線を逸らして唇を噛んでいた。

 

「ど……どうした?」

「――……やだ」

「え?」

「やだ!!」

 

 どこか聞き覚えのある拒否発言だ。

 

「えっ……と……何が……?」

「ボクだけ何もしないまま助けられて、いっちゃうなんてヤダ!」

 

 こんの小娘。

 

「別に俺が勝手にやったことなんだからいいだろう!」

「じゃあボクも勝手に助けるからいいもん!!」

「いや別に困ってないし、お前に助けてもらうようなこともないっての!」

「――!!……ぅ……ふぇ……」

 

 あ、まずい。

 

 ユウキは刀霞の言葉にショックを受け、顔をくしゃっと歪めて泣きそうな顔になってしまった。

 俺は女性と付き合ったことも好きになったこともなかったため、女性の扱いに酷く疎い。特に泣かれようものならいったいどうしていいのわからない。

ユウキの歪んだ表情を見るやいなや、とにかく泣かせまいと、必死に宥めてみた。もとい宥めることしかできなかった。

 

「あ、いや、ほら、気持ちは凄く嬉しいんだ! 別に助けてもらいたくないわけじゃないくて……いや本当に!!」

「……どうせ……ボクなんて……いらないんだ……」

「いやいやいや!! そ、そうだ! 腕のいい鍛冶屋を探しているんだが、心当たりはないか!?」

「……困ってるの……?」

「もう凄く困ってる!! 困り果ててる!!」

「……助けてほしいの……?」

「助けてくれ!! いやもうホント助けて下さい!! 助けてほしくて仕方がないんだ!!」

 

 するとユウキは先ほどの泣きそうな顔からうってかわって、あっという間に笑顔に戻り、「しょうがないなぁー!!」と胸を張って強気な態度をとって見せた。俺は一瞬にして変化したユウキの表情に放心してしまった。

 

「お……おまえ……嘘泣きだったのか……」

「にひひ、おにーさんってけっこー女の涙ってやつに弱い感じぃ?」

 

 ニシシと不敵な笑みを浮かべながら嫌な弱点を悟られてしまい、俺は酷く疲れがどっと出てきてしまった。

 俺は深いため息をついてニコニコ笑っているユウキに真面目な話を振って無理に恩を返す必要はないことを改めて説得を試みる。

 

「……俺と一緒にいてもきっと君は不幸になるだけだ。今みたいに本気ではないといえ、無意識のうちに君を傷つけてしまうことがあるかもしれないし、この先俺が原因で君が辛い目に遭うこともたくさんある。だから俺はこれ以上お前と一緒に行動することはできないんだ……だからすまないが……」

 

 そういうとユウキは笑顔で俺の説得を一蹴するような軽い口調で答えた。

 

「だいじょーぶ。そーゆー時は、ちゃんと嫌いになるから! 確かに嫌なこともあったし、おにーさんとか関係なくまた辛いこともたくさんあると思う。でも、ボクはおにーさんに会えて良かったと思ってるよ? それに……また危ない目にあってもおにーさんが助けてくれるでしょ?」

 

俺は心の内側に小さな波が立つような衝撃を受けた。

 

――……ちゃんと嫌いになる……か。

 

 そうか、そうだな。確かにその通りだ。いっその事本人から嫌いと言われるほうがいいのかもしれない。一緒にいたらいやでもそうなるだろう。それに目の届かないところで危険な目にあっていたら助けられなかった時にきっと後悔する。

 そもそも延命させた俺にも責任がある。それならできる限り彼女の傍にいて守ることが、俺の義務なのかもしれない。まぁ所詮嫌われるまでの間だけだが。

 

「まったく……他力本願なやつめ……どうなっても知らないからな」

「えへへ、ボクはユウキ。 宜しくね!」

「トウカだ、宜しくな、無許可徘徊のユウキさん」

「えー!! なんでそんなこというのさー!!」

 

 からかわれた仕返しにと一言愚痴を添えて返すと、ユウキは顔を膨らませ、俺の背中をポカポカと叩いてきた。痛くはないがそうなんども叩かれては敵わないため、俺は「あー無許可の次は暴力かー」と挑発するように逃げると、ユウキは「ひどいよー!!」と怒りながらもどこか楽しげな表情で追いかけてくる。俺はそんなやりとりが、少し幸せに感じてしまった。

 

 




今回も閲覧いただき、本当にありがとうございます。

遅くなってしまい大変申し訳ありません。

ニコ生でゲーム配信ばっかりしててすっかり遅くなってしまいました……

息抜き程度でやっていたのですがいつの間にかのめり込んでしまいました……申し訳ありません。

UA総合3000突破、お気に入り登録者数50名突破しました。

ここまで読んでいただけるとは思っていませんでした。次も頑張ります。

投稿予定日は……二日以内を目安に……目安に!!


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11

お待たせいたしました。十一話になります。

今日はとても残念なお話をしなくてはなりません。

後書きに続きます。


「――へぇ、もうこんな季節か……」

 

 病院の向かい側には公園を囲むように植えられている桜が満開に咲いていた。

 屋上から見下ろすように景色を堪能していた俺は、ここに来てからのことを振り返っていた。

 夢を見て、飼い猫にここの世界に連れてきてもらい、命と引き換えにユウキを助けることができた。

 こうして思い返してみると、嘘のような本当の出来事に俺は自分はまだ夢を見ているんじゃないかと感じることがある。

 

でも、実際はそうじゃない。

 

 確証たる根拠も証拠もないが、俺の中ではもうこれが現実であってほしいと願っている部分もあるからだ。どんな状況であれユウキがこうして生き残ってこれたことは俺の望みでもある以上、そう思うことは必然だった。

 しかしユウキと繋がりができてしまったことは想定の範囲外だ。ALOにフルダイブするにしても何万人といる人口の中、早々出くわすことはないと考えていたし、アスナのアドバイスを鵜呑みにしていたからまさかインプ領にいるとは思っていなかった…まぁ結果的に友達として宜しくすることになってしまったが、よく考えて見ればユウキを心配している自分がいる以上、彼女の人生に干渉しない程度に関わる分にはいいのかもしれない。

 

 それにユウキは言ってくれた。ちゃんと嫌いになると。

 

 その言葉が聴けて少し気が楽になった気がする。俺から離れて彼女が傷ついてしまうのなら、俺が傷ついて彼女から離れてくれるほうが理想的だ。そのほうがずっと楽でいい。

 あとは、俺がユウキの病気を抱えている事に関しては絶対バレないようにしないといけない。これだけは最後まで嘘を突き通そう。アスナもキリトも倉橋先生も口は固いだろうからバレることはないし、俺から話す事もないから大丈夫だとは思うが、仮にバレてしまったらユウキはきっと責任を感じてしまうことになる。それだけは絶対に避けないといけない。

 

 まぁ半年もあればユウキも退院してくれるだろうし、なんとかなるさ。

 

 自分にそう言い聞かせつつ飴を咥えていた俺は、雲ひとつない晴天から降り注ぐ日差しの温もりに、ふとある事を思い出した。

 

――……そういえば、インプ領に留まり続けていたせいか、日差しを浴びるなんて久しぶりだな。

 

 俺はつい心地のいい日差しに感謝するように空を見上げて呟いた。

 

 

「いい天気だ――」

「あー!トウカだー!」

 

 聞き馴れた声が後ろから聞こえる。

 

――おいおい、まさかまた1人で勝手に……

 

 と、若干焦りつつ後ろを振り向いてみると、倉橋先生が車椅子を押しながら「やぁ刀霞さん、こんにちは」と挨拶してくれた姿を見て、俺はつい肩を撫で下ろし、安堵の表情をしてしまった。そんな俺の姿を見たユウキは、指をさし、ふくれっつらで「あ、今一人で来たと思ったでしょ」と文句を言うように叫んだ。

 

「おや、紺野さん。刀霞さんの名前をご存知でしたか」

 

 あぁ、そうか。倉橋先生には俺の名前を伏せるように頼んでいたっけ。

 倉橋先生にインプ領での事件後からの出来事を説明するのを忘れていた俺は、ユウキが話す前に自分から事情を話した。

 

「えぇ、実はALOでたまたま会いまして、あの件からの繋がりで俺から名乗りました」

「そうでしたか、ではあの病気のことも――」

「先生!!」

 

 俺はつい叫び声を上げて倉橋先生の言葉を制止してしまった。倉橋先生はしまったという表情で自分の口を押さえ、ユウキに表情を悟られないよう後ろを向いた。

 ユウキは俺の叫び声に体がビクンと反応してしまい、ちょっとした沈黙が続いた後、困惑した表情で俺の様子を伺うように先ほどの言葉の意味を尋ねてきた。

 

「……病気って?」

「ああ、いや、ユウキの病気が良くなったという話を倉橋先生に聞いてさ。でしたよね?倉橋先生」

「え、ええ。すいません紺野さん。屋上の一件からお二人とも仲が宜しいようなので既にご存知かと思いまして……つい……」

 

 俺も倉橋先生も焦っていた表情を隠しきれない部分がでてしまったが、ユウキは俺の顔をじぃっと見つめた後、「そっか」と納得してくれた。

 倉橋先生はおほんと咳払いをした後、話題を変えるように俺に話を振った。

 

「で、では刀霞さん。もし差し支えないようでしたら紺野さんを暫く見ていただいても宜しいでしょうか?刀霞さんなら安心して任せられますので……」

「え、えぇ。それは構いませんが……ユウキはそれでもいいのか?」

「え、なんでー? ボクは全然平気だよ?」

「では、宜しくお願いします。同伴なら少しの間でしたら外での散歩も構いませんので」

 

 そう倉橋先生は言い残し、そそくさとエレベーターに乗り込み、扉が閉まる際片手で拝みを手つくり、俺に向かって謝罪する仕草をした。

 倉橋先生はもしかして口が軽いのだろうか。今後は気をつけなければ。

 先生の姿が見えなくなると、ユウキは「もう少し下がみたいなぁ」と呟いたので、俺は車椅子を押してちょうど公園の桜が見えるような位置まで運ぶ。

 すると彼女は「えへ、ありがと」と幼さが残るような微笑を浮かべた。

 

「うわぁ、すごいなぁ……やっぱりカメラ越しで見るのとは違うねぇ」

 

 そうか、たしかアスナと学校に行った時に視聴覚双方向通信プローブで見たことあったのか。

 俺はどこか寂しげな表情で見ているユウキに「そうか」としか返せなかった。

 暫く景色を見ていると、ユウキは視線は公園の方へ向けたまま、ポツリと口を開いた。

 

「……名前、本名だったんだね」

「あぁ、そういえば言ってなかったな」

「ボクも、紺野木綿季って言うんだ。一緒だね」

 

あぁ、知ってる。ずっと前から。

 

「――そうか、それは知らなかったな」

「これからも宜しくね、刀霞」

「……あぁ、こちらそ。木綿季」

 

 そう言うと、木綿季は先ほどとは逆に、不安な感情が湧いて顔を曇らせているような表情で視線逸らさず俺を見つめながら話しかけてきた。

 

「……刀霞は、いつ退院するの……?」

「いや、当分は退院できない。ちょっと色々あってな」

「だ、大丈夫なの……?」

「問題ないよ。病状が悪化したわけじゃないからな」

「――そっか……」

 

 安心させるため、言葉を作ってみたがどうも木綿季の雲がかった表情が晴れない。

 彼女なりに心配してくれたのか、それとも先ほどの言葉の真意を確かめたかったのか。どちらにしても木綿季が俺を気にしてくれたことに少し申し訳ない感覚になってしまった俺は自分が飴を咥えていたことを思い出し、ポケットにあったもう1つの飴を差し出して、木綿季にひとつ提案をした。

 

「今日はいい天気だしな、よかったら公園まで散歩してみるか?」

「……うん!」

 

 少しだけ明るくなった表情を見て安心した俺は、私服に着替えて木綿季を病院の外に連れ出した。倉橋先生の許可も得ていたので、一時間程度で戻ると看護士さんに伝え、初めてこの世界で外出することとなった。

 向かい側の公園にはあまり人はいなかったが、それでも遊具には子供たちが遊んでいたり、老夫婦が桜を見ていたりとそれなりに利用している人いるようだ。

 俺はできるかぎりゆっくりと車椅子を押して桜並木を歩き、木綿季と散歩を楽しんだ。木綿季も数年ぶりの外出に目をキラキラさせ、深呼吸したり桜の花びらを触ったりと、まるで小学生のように無邪気な笑顔を見せてくれた。

 俺も元の世界とはなんら変らない感覚だったが、それでも木綿季が楽しんでくれていることについ嬉しくなり、外出してして良かったと満足してしまった。

 そんな散歩中、桜の小枝を指揮棒のように振っていた木綿季は視線を前に向けたまま俺に語りかけてきた。

 

「ねーねー刀霞ー」

「ん?」

「刀霞はいつALOはじめたの?」

「あぁ、二日前かな」

「えぇぇッ でもあの三人やっつけたのって、刀霞だよね!?」

 

 そういえば、木綿季もあの三人が上級プレイヤーなのは知っていたのか。

 

「あー……まぁ、な」

「刀霞は他にもゲームしたことあるの?」

「いや、フルダイブのやつはあれが始めてだよ」

「うっそだぁ!」

 

 木綿季の驚いていた様子が背中越しでも十分伝わった。

 そう思われるのも無理はない。本当に自分が倒したのか俺自身が疑っているぐらいだからだ。あの時の俺は自分でもよく覚えていない。いや確かに自分が倒したという記憶は残っているのだが、どうもあいまいな部分がある。

 

「いやー……まぁ、あの時は俺も必死だったからな……偶々さ」

「……刀霞って実は凄く強かったり?」

「そんなわけあるか。木綿季だって知ってるだろ。俺の装備と資金はどう見ても経験者のステータスじゃないだろう」

「それはそうだけど……」

 

 いずれにしてもあの感覚はいつもの俺ではないことは確かだ。唯一覚えていることと言えば、とりあえず幼少期に叩き込まれた剣術が今でも使えるのは間違いないらしい。体に染み込んでいたせいか、体が勝手に動いたといえば説明はつくのか……いや、それでもあの感覚は俺じゃあない。それは確かはずだ。

 

――そろそろ一時間だな。ぼちぼち戻るとするか。

 

「よし、そろそろ戻るか」

「えー、まだいたいよー!」

 

 木綿季は顔を見上げて車椅子を押している俺を見ながら懇願した。が、ここで甘やかすのは良くない。

 

「駄目だ。看護士さんには一時間で戻るって言ったからな」

「少しくらい大丈夫だよー……」

「またいつでも連れてってやるから、今日は我慢しろ」

「むーっ……じゃあさ、今度刀霞の病室に遊びに行ってもいい?」

 

 一瞬どきりと心臓が高鳴る。

 俺がメディキュボイドの被験者だと知ったらきっと事情を倉橋先生に聞くだろう。倉橋先生のことだから誤魔化してはくれるだろうが、いずれ俺が木綿季の病気を取り込んだ話にたどり着く可能性がある。

 

 ならば、教えるわけにはいかない。

 

 嘘をつくわけではない。ないが、木綿季の要望に応えられそうにない俺は、つい車椅子を握っている手に力が入ってしまう。心苦しく感じながらも、俺はできるだけ木綿季が傷つかないよう断った。

 

「……すまない、それは勘弁してくれ。まだ木綿季だってリハビリ中で無理に体を動かせないだろう。代わりとは言えないかもしれないが、俺が木綿季の病室に遊びに行くよ」

「ほんとに!? 約束だよ、絶対だからねー!」

「ああ、約束だ」

 

 木綿季は嬉しそうな表情で桜の枝を振り回している様子から察するに、どうやら無事に回避できたようだ。

 それから俺たちは病室に戻り、看護士さんに木綿季を託した後、俺は公衆電話でキリトに電話をかけた。

 

「もしもし、キリトか? 俺だ、刀霞だ」

「あぁ、どうした? 電話してくるなんて珍しいな」

「いや、ちょっと話たいことがあってな。今日もアスナと木綿季のお見舞いに来るんだろ?」

「そうだけど……」

「悪いんだが、木綿季と面会する前に俺の方へ立ち寄ってくれないか」

「わかった。アスナには俺から伝えておくよ」

「すまないな。時間は取らせないからさ。じゃあ宜しく頼む」

 

 それから数時間後、学校から直接来たキリトとアスナは制服の姿で俺の病室に現れた。二人を椅子にかけさせ、俺は手短に木綿季と接触したことと、自分から名乗った事を話した。

 現在の状況をキリトとアスナは理解してくれたのだが、ここからが問題だ。

 

 昨日、俺と木綿季がお互いに自己紹介を済ませた後の話だ。

 

 改めて木綿季に属性結晶から武器を製作できる鍛冶屋がいないか尋ねたところ、一人だけ心当たりがあるという。どうやら友人の友人で、女性の鍛冶屋らしい……なので、まずは紹介をしても良いか確認する。ということだったのが……

 恐らく俺が知っている人物だ。もちろんアスナとキリトも知っている。なぜならその女性はかつてのSAO事件の生き残りだからだ。

 遅かれ速かれ木綿季が俺にキリトとアスナを紹介してくれることになるはずだ。だが既に俺たちは知り合いであるため、白々しい態度をとったり初対面の振りすることは器用に振舞えない俺では難しい。

 そこで、俺がキリトとアスナの友人だったということを木綿季にどう説明すればいいか相談したかったのが、今日来てもらった理由だ。

 

「俺から説明しようにも、どう言えばいいかわからなくてな……」

「そうね、でも正直に話していいと思うの。ここで誤魔化したり嘘をついたりしたら木綿季の信頼を裏切ることになると思う。だって刀霞はもう木綿季の友達でしょう?」

「刀霞、俺もそう思う。全ての真実を話す必要はないと思うけど、別に俺たちの関係を隠す必要はないよ」

「そう……だな、二人の言う通りだ」

 

 この件に関しては、アスナが木綿季に話してくれることになった。とりあえず一番木綿季と親しいアスナから話してくれるのであれば、木綿季も疑わずに信じてくれるだろう。

 

 

 

 

 その後、木綿季のお見舞いから戻ってきた二人曰く、快く信じてくれたらしい。寧ろ友達を紹介しやすくなって良かったと安心していたようだ。

 それから話はとんとん拍子に進み、今日の夜には、SAOの生き残りのメンバーに俺を紹介してくれる事になった。

 木綿季はその日、スリーピング・ナイツのメンバーでの用事があるため、行けないらしいので紹介に関してはアスナとキリトに任せるとのことだった。

 俺は宜しく頼むと二人に委ねたが、一つ不安に抱えていることがあった。

 

 それは、小島での一件が俺だとバレないかということだ。

 

 見た目は大きく変ったのでALO内でバレることはないと思うのだが、本人の姿は現実世界とまったく同じなので、現実世界で誰かに会ってしまったら恐らくバレてしまうだろう、俺はそれが不安でならない。

 キリトとアスナは信頼できる仲間だから刀霞が許してくれるのであれば話しておきたいと再度お願いされたのだが、とりあえず保留にさせてもらった。仮に話してもいいと判断した場合、自分から話そうと思う。本でみんなの性格を知っているとは言え、自分の目で見極めてから話したい。二人には申し訳ないが警戒している部分はある。

 とにかく一度会って見て、話してから判断しよう。

 

 キリトとアスナが椅子から立ちあがり、今日の夜での待ち合わせと時間を確認した後、病室から出て行こうとした瞬間、俺は一つキリトに頼みごとがあったのを思い出した。

 

「キリト、一つ頼みたいことがあるんだが……」

「ん、どうした?」

「実はな……」

 

 俺はキリトを近くまで呼び戻し、耳元でアスナに聞かれないようにごにょごにょとキリトに話す。

 

「なるほど……。でもそれって本人に確認してからの方が……」

「いや、多分遠慮するだろう。それでも今後のアイツには必要なものさ。いらなければ本人の自由にして構わないし、時間がかかればかかるほど厄介になる。だからそうなる前に頼んでおきたいんだ」

「わかったよ。出来るかわからないけど取り敢えず話だけはしてみる」

「すまないな。お前には迷惑かけてばっかりだな……」

「気にするなよ。この件に関しては俺も共感できる。まかせとけ」

 

 アスナは二人でコソコソ話していることにたいして「なになに?」とか「私にも聞かせて!」とぴょんぴょんと跳ねながら言っていたが、俺たちはお構いなしに話していたため、痺れを切らしたアスナが二人の会話を切るように大声で叫んだ。

 

「もー!! 仲間はずれにしないでよー!!」

 

 俺とキリトはアスナの叫び声びっくりして、一瞬放心状態になってしまったが、この件に関してはアスナにはあまり言いたくなかったため、キリトにうまく伏せるように頼み、二人で協力しながらアスナを説得した。

 

「いや、ちょっと男同士の話をだね……」

「刀霞はちょっと黙っててくれるかな?」

「はい……すいません……」

「で、キリト君? 二人で何を話していたの? もちろん私にも教えてくれるよね? 私だけ仲間はずれになんて、しないよね?」

 

 こんなに笑顔が怖い女性は初めてだ。余命宣告された時より恐ろしい。

 

「いや、アスナ。これは俺と刀霞だけの話なんだ。別にアスナを仲間はずれにとか」

「他に言い残すことは、あるかな? ないよねぇ?」

「ごめん刀霞……俺、今日ログインできそうにないかも……」

「落ち着けキリト。いや落ち着くのはアスナか。と、とにかくアスナ、事が済んだら絶対に話すから、今日は引いてくれないか。頼むよ」

「……絶対に話してよね!」

「あぁ、約束する」

 

 今日は約束が多い日だな。

 

 若干不機嫌なアスナと、若干満身創痍なキリトを見送り、俺は今日の夜、みんなにどう自己紹介すればいいか悩みながら時を過ごした。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

先日夢でユウキに会いました。二次創作をしていることを話したら「時間の無駄だよね!」と言われました。もう書く元気がなくなってしまいました。

いや書きますけど……

次回の更新は少し遅れそうです。精神的に参っています。

また宜しくお願い致します。


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12

第十二話になります。

時間の無駄ではありません。

頑張って書きます。


 新生アインクラッドの二十二層に、キリトとアスナが所有している森林に囲まれたログハウスがある。本来は二人の家なのだが、今ではすっかりいつものメンバーの憩いの場となっているようだ。

 今回は俺もそのいつものメンバーの一人として加わることになり、本日キリトとアスナに家へ招かれた。

 

「と、言うわけで宜しくたのむよ。みんな」

 

 俺が自己紹介する前に、キリトはSAO事件の生き残り組みであるリズベット、シリカ、クライン、そしてシノンとリーファの前で、インプ領での事件について一通り説明してくれた。

 キリトとアスナは、俺に出会ったきっかけについてはあまり具体的に話さず、ログインしたての際たまたま出会い、基本的な操作や戦闘について教えてあげたことがきっかけだった、ということにしておいてもらった。

 人前に立つことに慣れていない俺は、器用に自己紹介ができるわけでもなく「トウカだ。宜しくたのむ」と一言の挨拶と、軽い会釈を済ませる。

 今に至るまでどう自己紹介すべきか悩んでいたのだが、結局聞かれた質問に答えるスタンスでいこうという結論にたどりついた。

 

「トウカはまだALOを始めてまだ二日目だから、みんな色々教えてあげてね!」

 

アスナが改めて俺を紹介してくれると、キリトの胸ポケットから小さな少女の妖精が飛び出し、

 

「私はユイといいます!パパとママの子供です!」

 

 ――と、挨拶をしてくれたので、俺は「あぁ、宜しくユイちゃん」と返して小さな握手を交わす。

 本来であればキリトとアスナに子供がいるという時点で他人から見れば驚くべき事態なのだろうが、俺は本で彼らの成り行きを把握していたので、まったく動じず対応することができた。

 その後にクラインが俺の前に歩み寄り、手を差し伸べながら「俺はクラインってんだ。トウカの旦那、宜しくな!」と握手を求めてきたので俺はそれに応じた。

 

「あぁ、宜しく。でも旦那はどうかな、俺はクラインさんより年下だと思うよ」

「みずくせぇなぁ、クラインでいいって!」

 

 クラインが気さくに話してくれると、リズベットが俺の顔をまじまじと見ながら「私はリズでいいわ。でも私よりは年上よね?」と質問してきたので「あぁ、宜しくリズ。今年で二十歳かな」と返す。

 

 するとリーファが苦笑いしつつ、俺の見た目について痛いところをついてきた。

 

「私はリーファです。それにしてもトウカ……さんはインプ、ですよね? ではあまり見かけない姿というか……」

「あ、あぁ、トウカでいいよ。俺も困ってるんだ。ランダムに決まるにしてもベースは短髪巨漢なはずなのに、どうして俺だけ長髪で華奢なんだろう……」

「防具もサイズが合ってない……よね。普通サイズ関係なしにフィットするようにできているはずなのに……」

 

「で、でも、その方が怖くなくていいと思いますっ……インプの人って圧迫感ありますし、話し辛いところがありますよね……あ、私はシリカといいます!これから宜しくお願いしますね、トウカさん!」

 

 頭をぽりぽりとかいて困っている様子を見たシリカは、慰めにも似たフォローを入れる。

 

「そう言ってくれると助かるよ。ありがとう、シリカ」

 

 すると、シノンは俺の武器に興味があるらしく、じぃっと装備を凝視しながら無表情で話しかけてきた。

 

「私はシノン、宜しく。とりあえず防具は新調したほうがいいと思う、トウカは両手剣で戦っていくつもりなの?」

「宜しくシノン。防具に関して早い内にそうするつもりだ。武器は――……あぁ、そうだった。今回紹介してもらったのはリズベットに頼みたいことがあったからなんだ」

「へ? あたし?」

 

 リズベットは自分に指を挿し、ポカンと面食らったとする表情を見せる。

 

「あぁ、これなんだが」

 

 俺はメニュー画面を開いて属性結晶をアイテム化させてリズベットに見せた。すると――

 

「「「ええぇぇぇぇっ!?」」」

 

 周囲の態度が一変し、キリトやアスナも含めて部屋にいる全員が飛び上がるような勢いの悲鳴をあげ、俺はみんなの表情と声につい体がビクッと反応してしまった。

 

「お、おいトウカ……これ、どこで……」

 

 キリトは口をぱくぱくさせながら質問してきたので、俺は何を今更と首を傾げながら答えた。

 

「なにって……属性結晶らしいけど……」

 

――あれ、そういえば……

 

「言ってなかったっけ……?」

「聞いてませんが!?」

「私も初耳なんだけど!?」

 

 キリトとアスナが困惑と若干怒りも混じったような表情で俺を怒鳴った。

 その表情を見て俺は道具屋の老人を思い出し、まさか家から叩き出されるんじゃないだろうかとヒヤヒヤしたが、事情を説明をしたらなんとか納得してもらえた。

その話をみんな興味津々に聞いていたので、俺がこれってそんなに凄いのかと聞いたらリズベットの目がお金のような形になりつつ如何にこれが価値あるものなのかを説いてきた。

 

「あ、あんたねぇ!! この素材がどれだけの金額で売れるか知ってんの!?」

 

 こいつ、鍛冶屋の風上にもおけない。

 

「あぁ、数千万ユルドとかなんとか――

「私によこしなさいよ!!」

 

 先に本音が出てるじゃねーか

 

「リ、リズさんっ駄目ですよー!」

「シリカ!こんだけ大金があればいくらでも武器が強化できるのよ!?」

「あっ……あぅ……それは、そーですけど……」

 

 何言いくるめようとしてんだ。しかも負けそうになるなよシリカ。

 

「と、とりあえず売る売らないは置いといてだな、リズの腕を見込んで頼みたいんだが……この素材で武器を生産することは可能か?」

 

 リズベットは「腕を見込んで」という言葉で正気にもどり、オホンと一つ咳払いをした後、腕を組んで暫く考え込んでいた。

 このリズベットという女性はSAO事件の被害者の一人でもある。

 攻略組みではないとはいえ、上級者が使用する武器の製作やメンテナンス等の管理をするほどの腕前の持ち主だ。

 俺はもし彼女が製作できないと言えばあげるつもりだったのだが、予想していた答えとは違っていた。

 

「……作る武器によるわね。何を作ってほしいの?」

「そうだな……」

 

 気は進まないが仕方ない。気乗りしない気持ちを抑え、作成してほしい武器を言おうとした瞬間――

 

「弓……とかいいと思うのだけれど……」

 

 シノンが視線を逸らしつつポツリと呟く。

 確かに候補にはなかった。それも面白いかもしれない。

 

「俺は片手剣が一番だと思うけどな」

 

 キリトはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら俺の考えを妨げるように呟くと、リズべット、シリカ、クラインの目つきが変わり、そこから予想だにしない展開が起きた。

 キリトに続くようにリズベットが「メイスだって強いんですけど!?」と言えば、

 シリカが「短剣だって負けてないと思います!!」と対抗するように訴え、

 クラインは「刀は男の嗜みだぜ!!」と負け時と尊重する。

 リーファとアスナはまぁまぁみんなと宥めてくれていたが、自分の使っている武器の素晴らしさを理解してもらいたいがためか、当分の間みんなの熱は収まらなかった。

 全員VRMMOを長く経験しているせいか、譲れないものがあるのだろう。

 俺は暫く傍観していたが、結局トウカはどれがいいの!?と声を揃えて迫られたので、俺は気迫に押されつつも、

 

「え、えーと……刀……かな」

 

 と、答えた直後。クラインは歓喜の雄たけびをあげつつ、全力疾走しながら俺に抱きつこうとしてくる。それを両手で頭を押さえ、なんとか制止する。

 

「おぉぉぉおおぉぉトウカー! トウカ! カタナ!! トウカタナぁぁぁ!!」

 

 うん、こいつめんどくさい。

 

「と、とりあえずだな。リズ、作れるか?」

 

 リズは舌打ちをした後、「うーん、そうねぇ」と暫く考えこんでいた。これで駄目ならば諦めるかと心変わりしていたのだが、リズは思っていたよりも早く結論を出してくれた。

 

「結論から言えば、可能よ。でも確実に作れるわけじゃないわ。失敗する可能性もあるし、仮にそうなれば素材も失うことになるわよ」

「別に構わないさ。どうせ君以外に作れる人はいないだろうから、全て任せるよ」

「あんまり期待されてもね…でもトウカって始めて二日よね?作れたとしても相当熟練度が必要な武器ができるはずよ。さすがに装備できないと思うのだけれど……今刀のスキルっていくつまで上げているのよ?」

 

 本で強力な武器を装備するには、必要な数値までスキルを上げる必要があることは知っていたのだが、何分ちょっとした説明しか書かれていなかったので全てを把握しているわけではなかった俺は、「俺の武器スキルはどこから確認できるんだ?」とリズに聞き、「あんたそんなことも知らないの?ここを押して、こうスライドさせて、こうするのよ」とメニュー画面から自分のステータスの見方を教えてもらう。

 しかし、リズがどれどれと俺のステータス画面を覗いて確認するやいなや、「ちょっと……なによこれ!!」と耳元で驚いた声をあげられ、耳鳴りが頭に響いた。

 

「な……なんだよ」

「……これ、みんな見てみてよ! トウカ……あんたまさか……」

 

 全員が不思議そうな顔で俺のステータス画面を除き見ると、クラインが「嘘だろ……」と言ったりキリトが「トウカ、お前…」と全員が驚いた表情に変化した。

 俺はいったい何なんだと思いつつ、自分のステータス画面を見てみると、両手剣のスキルが5と表記されていることが確認できた。

 なんだ、別に普通じゃないかと思って画面下へ目を向けると刀剣のスキル数値が『980』と表記されているのが目に飛び込んだ。

 

「え?」

 

 つい言葉が漏れる。自分でも何故この数値が出ているのかまったく理解できていなかった。

 

「もしかして……チート……?」

 

 リーファがその言葉口にすると同時にみんなが一斉にリーファの方へ視線が向いた。

 俺は自分のしてきたことを必死振り返ってみたが、どうもそんな事をした記憶がない。

 チートを使用した覚えはまったくないが、この矛盾から察するに俺はどこかで何かをしたのかと自分を疑ってしまい、高鳴る胸の鼓動をつい片手で抑えてしまう。すると、

 

「大丈夫です、トウカさんのIDには改変された痕跡や形跡が見当たりません。純粋なアカウントだと思います」

 

 ユイが庇うように俺の潔白を証明してくれた。

 

 ユイ曰く、俺のアカウントから情報インターフェースを探し出し、プログラムの改変をした痕跡や形跡がないか調べてくれたらしい。結果、何もしていないことが分かり、俺への誤解は無事に解かれた。

 その後、キリトやアスナが、そもそもトウカはチートをするような人ではないと説得してくれたので、みんなには信じてもらえたのだが、何故刀剣スキルだけ異常な数値を叩き出しているのかは全員で考察しても結論に至らなかったので、この一件はユイに任せることにした。

 試しにクラインからそれなりの強さを兼ね備えた刀剣を持たせてくれたのだが、何の制限もなく装備できた。

 

 しかし――

 

「と……トウカよう……手が……」

「え……?」

 

 クラインの言葉の気づき、自分の手をふと見ると、カタカタと震えていた。

 

――そうか……ゲームとはいえ、やはり……

 

「すまない、大丈夫だ。ありがとう」

 

 俺は周りに悟られないよう震える手を押さえ、刀をクラインへ返した。

 とにかく装備することが確認できたので、改めてリズに武器を作ってもらえないかとお願いをしたのだが、しかし武器を製作しようにも鉱石が足りないとリズは言う。

 必要な素材に関しては、手元にあるもので足りるらしいのだが、刀剣のベースとなる鉱石がないのと言うのだ。

 リズ曰く、氷の属性結晶を生かすためには、ヨツンヘイムの最南端に位置するゲルマンの洞窟というところにある『シヴァ鉱石』というアイテムが必要らしい。

 

 ヨツンヘイムとは、アルヴヘイムに2025年年初めの大型アップデート時に実装されていた広大な地下世界、且つ最難関フィールドである。

 

 ダンジョンへ入るには央都アルンから東西南北に何キロも離れた階段ダンジョンまで移動し、最後に守護邪神ボスを倒してようやく入れる。

 また《氷の国》とも知られており、フィールドは広く直径30km、天蓋までの高さは500mある。常に雪が吹き荒れ、湖や建物は凍り付いている。また地下世界であるため日光、月光を翅に浴びて回復することが出来ないため「ルグルー回廊」同様、飛行は不可能である。ただし完全な暗闇というわけではなく、天蓋を覆う氷柱群が仄かに放つ燐光によって照らされており、雪景色に照らされる風景は実に綺麗なもの。

 フィールドは広大で森林、切り立った崖や城、等が散在し、中央の天蓋にはアルブヘイムを貫いて世界樹の根が垂れ下がり、逆4角錐の氷のダンジョンを抱えている。また、根っこの真下、ヨツンヘイムの中央には差し渡し約1.5Kmはあろうかという底なしの大穴、通称《中央大空洞(グレードボイド)》が口をあけている。この中央部から天蓋までは約1kmある。

 またこのフィールドを「最難関」たらしめるのが《邪神級モンスター》と呼ばれる異形の巨人のモンスターで、大人数連結(レイド)パーティーで挑んでも全滅するというむちゃくちゃな強さを誇る。徘徊している邪神1匹だけでも中ボスクラスに相当し、その巨体から1撃でももらえば一発で死亡確実である。代わりに邪神級をしとめれば多額のユルド等が獲得できるため、精鋭で造られた「邪神狩りパーティー」がよく利用している。

 

 簡潔に言うと一人で行くのは不可能だ。全員で行こうにも当分みんなの予定が合わないためPTで行く場合、等分先の話になってしまうらしい。

 だが、リズベットは一つだけ方法があると言う。むふふと不敵な笑みを浮かべながら、何やらアイテム画面から一つの飲み薬のようなものを取り出して意気揚々と語った。

 

「ふふん。私が愛用してるハイドポーション!これがあれば私とトウカだけで採りにいけるわ!」

「はいど……ポーション?」

 

 俺は本でも知らない初めて聞くアイテムの名に首を傾げた。

 

「これは最近実装されたアイテムでね、このポーションを飲めば一定時間透明状態になって敵との戦闘を避けることができるってわけよ!ただし、武器を装備していないことと、PTメンバー二人以内が使用条件だけどねー」

「つまり、それを飲んで洞窟に入り、シヴァ鉱石だけを採取して帰るってことか」

「そゆことー」

 

 まぁ、戦闘がないなら安心か。

 

「わかった、なら明日暇ならさっそく頼んでもいいか?」

「えぇいいわよ。属性結晶から作る武器なんて私も初めてだからワクワクするわね」

 

 というわけで、翌日の夜にリズと俺だけで採取することになった。

 話も無事まとまり、暫く雑談をしていたのだが、改めてリーファから「チートなんて言ってごめんなさい」と謝罪をしてきたので、「俺のほうこそ不安にさせて申し訳ない」と謝り、お互いの今後の関係に傷つけることなく事なきを得た。

 時間も経つにつれてシリカから「そろそろ寝ますね」とログアウトし、じゃあ俺もそろそろと、それに続くようにクラインやキリトとアスナ、リーファとリズベットが落ちていった。

俺もそろそろ落ちるかとログアウトしようとした時、

 

「トウカ、ちょっといい?」

 

 シノンに止められる。

 

「ん?」

「貴方、さっき……クラインの刀を持ったとき……手、震えてたわよね……」

 

――あぁ……そうか、彼女も……

 

「……言いたいことは分かってる。君と同じさ、シノン」

「え……?」

「いや、なんでもない。お休み、また明日な」

 

 そう言い残し、刀霞はログアウトしていった。

 

――私と同じ……?

 

 シノンは異様な不安が次第に増長し脈拍が速まるのを感じる。

 彼女の過去を知っている者は、キリトとアスナとリズしかいない。三人とも許可なしに誰かに話す事などありえないことはシノン自身十分に理解している。

 シノンは不安な気持ちが片付かないままであったが、首を左右に振り、あまり深く考えないようにしようと心を鎮め、一人静かにログアウトするのだった。

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

今回はちょっと短めになってしまいました。

物語としてはあんまり進展はしていないです。

みんなと打ち解ける展開を楽しんでいただけたら嬉しいです。

コメントしていただいた方、ありがとうございました。

またしていただけると失禁します。


※ヨツンヘイムの説明に関してはwikiを引用しております。ご注意下さい。


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13

 第十三話になります。
 ちょっとリズと採取しにいく前にユウキ成分をいれました。
 話の展開としては、みんなと自己紹介を済ませた翌日の話になります。


 メディキュボイドの被験者としてこの病院で生活を始めてから約二週間が経つ。必要なものは支給してくれるし、ゲームをしているだけで給与まで頂けている。残り余命が僅かとはいえ、順風満帆な生活と言えるだろう。

 だがそんな俺にも一点だけストレスを感じているものがある。

 

 それが何かと言うと――

 

 

 

 

「んー……」

 

 俺は病院から提供された病食を、ぼんやりと無気力な顔で食べていた。

 決して病食の味に不服を感じているわけではない。――ないが、元の世界では牛丼やハンバーガー、ラーメンなど所謂ジャンクフードを食べていたことが多かっただけに、二週間も病食生活を続けているとやはり恋しく感じてしまうものだ。

 

「あら、霧ヶ峰さん美味しくありませんか?」

 

 看護師さんが気遣うように、俺の表情を伺いながら心配そうに尋ねてくる。

 やってしまった。そんな表情を隠し切れず、慌てて言葉を返す。

 

「あ、いえっ……美味しいですよ」

「――もしかして……飽きてます?」

「いや、そんなことは……」

 

 看護士さんはクスッと笑みを浮かべ、

 

「霧ヶ峰さんって、嘘…へたですねぇ」

 

 ほっといてくれ。

 返せない言葉に俺は少し気分を落とすものの、それを察した看護師さんが俺にある提案を示す。それは、主治医である倉橋先生が許可を出したら外食をしても良いとのこと。

 本来であれば、できる限り延命を補助するためにも健康的な食事を取ることが被験者としての努めの一つでもあるのだが、俺の場合、エイズの症状が未だに人体に影響を及ぼしていないため、症状が明るみに出ていない現状であれば、好きなものを食べてもいいのではと看護士は言う。

 俺はその助言を聞き入れ、さっそく倉橋先生に許可を貰おうと彼の居場所を尋ねたのだが、今は木綿季の病室にいるらしい。

 

 

「この前木綿季にも遊びに行くと約束したし、行ってみるか……ありがとうございます」

「構いませんよー。木綿季さん最近貴方のことばかり話してましたから、早く行ってあげてください」

「俺のことを……?」

「ええ、あんな楽しそうな木綿季さんを見るのは……意識が回復してから初めてかもしれませんね」

「そうですか……」

 

 いったい何を話しているのか疑問に思う部分はあるが、木綿季が日が経つにつれて元気になってくれていることに関しては、俺自身嬉しかった。俺は、「これからも木綿季のことをお願いします」と看護士さんにお願いを申し入れ、木綿季の病室へ向かうことにした。

 

 

 

 

 

「あ、改めて入るとなると緊張するな……」

 

 俺の部屋の入り口とほぼ同じ、それなりに強固な風格を漂わせる扉が眼前にあった。

 入り口には『紺野木綿季』という名前が表記されてあるネームプレートが設置されており、すぐ真下にはカードを認証するであろう機材が確認できた。

以前までは、主治医である倉橋先生と担当の看護士しか出入りできないのだが、現在は木綿季曰く、ノックをすれば内側から開けてもらうことができるという。一つ大きく深呼吸をした後、扉をコンコンと軽くノックをしてみる。

 すると、内側から「はい、今開けますね」と聞き慣れた男性の声が聞こえると共にドアが自動的に開いた。「失礼します」と言いながら入ると、「わーわー!! 入ってきちゃだめー!!」と木綿季が声を上げて俺を制止した。

 開けてくれたのに入ってくるなとはどういうことだ? からかっているのかと思った俺はそのまま木綿季の言葉を無視して一言文句言ってやろうと思っていたのだが、そんな考えは次の瞬間、一瞬で吹き飛んでしまった。

 

「なんだ、来いって言ったのはお前……だ……ぞ……」

 

 思わず最後の言葉を飲み込む。そして見てしまった。

 木綿季の胸部に聴診器を当てている倉橋先生と、柔肌を晒している木綿季の姿を。

 これまで見たこともない光景が眼前に展開されるみたいに、息を呑んだまま唖然となってしまった。それは、ほとんどまばたきするほどの時間だったが、停止したフィルムの場面の中にいるような感覚に陥っていた。

 

「……あ……あ……」

 

 木綿季は驚愕のため喘ぐような呼吸になりつつ、羞恥の念で耳たぶまで真っ赤に染まり、頬がみるみる紅潮していく。

 

「……失礼致しましたぁぁっ!」

 

 これを言うのが精一杯だった。

 俺自身も身の置き所のない羞恥に駆られ、一目散に入り口を飛び出し、荒れる呼吸を強引に落ち着かせようと、必死に深呼吸を繰り返した。暫くすると、倉橋先生が「いやぁ申し訳ない。てっきり看護師さんかと」と頭を掻きながら笑顔で出てきたのだが、もはや怒る気になるほどの気力は残っていなかった。

 

「勘弁してくださいよ……」

「ははは、どうもすいません。さ、紺野さんがお待ちですよ」

 

 お待ちですよって……入りづらいにもほどがある……。

 俺は扉越しから「だ、大丈夫か?」と不器用ながらに話しかけてみると、「う、うん。どうぞ」と似たような口調で返答があった。いつもの調子で顔を出そうにも、さきほどの光景が頭から消えずに残っていたためか、こっそりと顔を覗かせると、木綿季が気まずそうな顔で俺見ながら、先ほどの光景に関して問い詰めてきた。

 

「――み……みた……?」

「お、おなかだけ……ちらっと……」

「……む…むねとか、見てないよね……?」

「あ、あぁ……先生で隠れていたから……」

「……ほんとに……?」

「ち、誓うよ、嘘じゃないって」

「……なら、いいけど……」

 

 その後の会話がまったく続かない。

 よくよく考えてみれば木綿季はまだ十五歳の少女だ。主治医である倉橋先生には慣れているとはいえ、他人に見せられる余裕なんてあるはずがない。俺の無神経が原因で彼女を傷つけてしまったことに罪悪感を抱いてしまった。

 なんとか淀んだ空気を払拭しようと俺からある程度の話題を振ったのだが、木綿季は「うん」とか「そっか」など二つ返事しか返ってこない。特に怒っている様子ではないのだが、俺は見てはいけないものを、そして木綿季は見られてはいけないものを目の当たりにしたことによって、どうもお互いの顔を見ながら会話を続けることができなかった。

 暫く気まずい空気が部屋を包み込んでいたのだが、「いやいや、先ほどは失礼致しました」と倉橋先生が戻ってきたので、俺は無理やり話題を作るように、当初の目的でもあった外食の件を確かめることにした。

 

「倉橋先生、俺って外食しても大丈夫なんでしょうか」

「えぇ、構いませんよ。特に制限しているものはありませんので」

「あれ…そんな軽くOK出してもいいんですか?」

「問題ありませんよ。症状が現れてからまた考えましょう」

 

 どうやら現状はそこまで切羽詰っているわけではないらしい。俺は倉橋先生の一言に一安心した俺は、こんな状況で会話をしても木綿季は楽しめないだろうと判断した俺は、外食するために木綿季の部屋から立ち去ることにした。

 

「じゃあ木綿季、また今度来るよ。さっきはすまなかった」

「え……あっ……どこいくの……?」

「外でご飯でも食べようかと

「ボクも行く!」

「いや、さすがに外食は駄目だろ……」

 

 と、言いつつ横目で倉橋先生を見たのだが、「刀霞さんがご一緒であれば構いませんよ」とあっさり許可を出してしまった。木綿季は先ほどのことを忘れてしまったかのように「やったやった!」と喜んでいたのだが、そんな彼女を尻目に俺は倉橋先生に木綿季の期待に背くような返答をした。

 

「先生、申し訳ありませんが、連れてはいけません」

「えぇー!」

「おや、それはまたどうしてです?」

 

 笑顔になったかと思えば俺の返答で表情が一変し、不機嫌に眉をしかめて口をへの字に曲げてしまったが俺は構わず続けた。

 

「公園とは違って人が多いところを歩きますし、木綿季の安全を保障できません。それに外食すると行ってもここの近辺は私もよく知らないので決められた時間に帰れるかどうか……」

「そうですか…確かに危険な目に遭わせるわけにはいけませんね……」

「ボクなら平気だってば!絶対我侭言わないから、ボクも行かせて!」

「だめだ。何かあったらアスナたちに顔向けできない」

「でもでも……!」

「だめだ」

 

 木綿季はしおれた花のように首を垂れる。

 当たり前だ。怪我させるわけにはいかない。なんの保障もなく軽い考えで彼女を連れて行って、万が一取り返しのつかないことしてみろ。アスナたちの信頼を裏切るばかりか俺が俺を許せなくなる。それには俺も耐えられない。今回は申し訳ないが……。

 俺は木綿季のベットの端に腰掛け、そっと頭に触れる。

 

「元気になったら一緒に行こう。大丈夫、約束するから……な?」

 

 木綿季は俯いたまま反応がない。多少の罪悪間を覚えながらも「じゃあ、またな」と腰掛けたベットから下りようとした瞬間――。

 体が急にピタリと止まり、何かに制止された感覚を覚えた。違和感を頼りに、ふと振り返ってみると、木綿季が俺の服の裾を、親指と人差し指だけで挟むように、ぎゅっと掴んでいた。

 それは病み上がりの少女とは思えないほどの力強さで、表情は俯いたままで確認することはできなかったが、木綿季は何も言わずただ裾を掴むだけで、それ以上のことは何もしなかった。

 ……なんとなくだが、それが彼女の最後の抵抗のように見えた。

 いくらでもやりようはある。倉橋先生に頼んで説得してもらい、離してもらうこともできれば、俺が直接叱って振り払うこともできる。これは彼女の我侭だ。身勝手な行動で他人を困らせている、良くないことだ。ここは心を鬼にして、大人としてしっかり正さなければいけない。

 

 そうしなければ、いけない。

 

――……俺は大人失格だな。

 

「倉橋先生、ここから一番近い食事処ってどのくらいかかりますか?」

「そうですね……ここからですと、通常のファミレスになってしまいますが、十分ほど歩けばありますよ」

「わかりました、ありがとうございます」

 

「ほら、早く支度しないと一人で行っちまうぞ」

 

 萎れた頭をぽんぽんと軽く叩くと、木綿季は頭を上げ「いいの……?」と不安そうな面持ちを見せた。

 そういえば、初めて木綿季と屋上に行こうとしたときもこんな顔してたな、と思い出しつつも、倉橋先生に「すいません、できるだけ早く戻りますので…」と言うと、「ええ、あそこまでの道中でしたら人も少ないので安全でしょうから、楽しんできて下さい」と返してくれた。

 そんなやりとりを見た木綿季は雲がかった表情が一気に晴れ、にんまりと嬉しそうな顔をほころばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして刀霞は木綿季とファミレスへ食事にいくこととなった。

 刀霞と木綿季は数分後に病院の入り口へ待ち合わせすることになり、刀霞は一度自室に戻り、私服に着替えながら自分の甘さを咎めていた。

 何故あの時木綿季を無理やりにでも抑えることができなかったのだろうか。

 木綿季の我侭を受け入れることが正しいことはでないことぐらい俺自身理解している。なぜなら、それを助長してしまえば彼女が益々我侭になってしまうからだ。

体調も良くなり、久しぶりに外出したい気持ちはよくわかる。だが『他人』に迷惑をかけるようなことは決して許されるようなことではない。

 

――他人? 他人って誰だ。

 

 他人とは、俺のことか?

 

 俺が迷惑しているのか? 木綿季の我侭に?

 

 ――――――。

 

 俺はそれ以上考えるのをやめた。この先自問自答をし続けても自分が納得するような答えはでてこないと無理やり結論付けてしまった。まるで、自分の求めていない答えが出てくるような気がしてならないのを強引に押さえ込むように。

 身なりも整え、木綿季と待ち合わせ場所に向かう。

 待ち合わせ場所の近くには、来院している患者やお見舞いに来ているであろう人たちがたくさんいて混んでいたのだが、キョロキョロとあたりを見回していると、木綿季と思われる少女が手を振っている姿を俺は目の端で捉えることができた。

 俺は答えるように手を振り返し、彼女の元へ歩み寄ったのだが、行きかう人が少なくなり、木綿季の姿が鮮明になると、普段とは違う、少女の私服姿につい体が固まってしまった。

 

「え……えっと……変じゃ……ないかな……?」

 

 木綿季は鼻をむず痒そうに掻きながら、頬を赤らめる。

 上はふわふわの白いセーター、下は細い足を隠すためか淡いピンク色のロングスカートを履いていた。膝上には寒さを凌ぐためか、小熊の絵が描かれている茶色のブランケットがかけられ、その上には猫のような形をした小さいポシェットがちょこんと置かれていた。

 普段見ることのない木綿季の私服姿に、俺は思わず凝視する。

 

「と……とうか……?」

「――……あ、あぁ、よく似合ってる。一瞬誰だかわからなかった」

 

 木綿季の言葉で我に返り、つい思ったままの意見を述べてしまったものの、「えへへ、ありがと」と素直な笑顔を見せてくれた。

 

「それじゃ、いこうか」

「しゅっぱぁーつ!」

 

 木綿季の掛け声と共に、俺は車椅子を押して病院を後にした。

 

 

 

 

 何事もなくファミレスについた俺たちは、店員に案内され無事に席につく。

 お冷とメニューを受け取り、木綿季から先に選ばせのだが――

 

「えっと、えっとね! カルボナーラとー、から揚げとー、ミラノ風ドリア、それとグラタンでしょ。後はイチゴパフェと、チーズケーキ、桃のタルトに、デザートにプリンアラモードかな!」

「まて、それはおかしい」

「あはは、刀霞もそう思う? デザートはやっぱり生チョコケーキだよねー! ボクあの口の中でとろける感じ好きなんだぁ」

「あぁ、とろけてるのはお前の頭の中だ」

 

 色々突っ込みどころはあるのだが、中盤はほとんどデザートなのにもかかわらず最後にデザートと言っているのが一番疑問だ。いやそんなことよりも、

 

「木綿季、お前それ全部食べきれないだろ」

「あったりまえじゃん! こんなに食べきれるわけないよー」

「……なら残ったのはどうするつもりだ」

「刀霞が全部食べるんだよ?」

「よしわかった。自分が食べきれるものだけにしろ」

「えー!!」

「ここは譲らないぞ、俺も全部は食べきれない。また来ればいいだろう」

「……けち!」

「聞こえないな」

「刀霞のけちけち! ボクの裸みたくせに! べー!」

「な――ッ」

「おねーさん注文おねがいしまーす!!」

 

 弁明する前に木綿季が早々と呼び出し鈴を押す。

 

「お前……覚えてろよ……」

「いいもん、アスナに言っちゃうから」

「それは本当に勘弁してください……」

 

 不可抗力とは言え、アスナにバレでもしたら俺は現実世界でリメインライトしてしまうだろう。一生リスポーンすることはできない。

 嫌な弱みを握られてしまったが、今回は木綿季も感謝してくれているせいか、自分が食べきれるようなメニューだけを頼んでくれたので、それに続くように俺も注文を済ませた。

 暫くお待ち下さいと店員が告げ、料理が来るまでの間、しばらく俺と木綿季は雑談を楽しんだ。

 程なくして、「おまたせ致しました」と店員が運んできたものは、木綿季が頼んだカルボナーラだった。木綿季は久々に見るパスタに目を輝かせ、今にも涎を垂らしそうだったため、俺は「先に食べてていいよ」と催促したのだが、「ううん、一緒に食べる!」と言い、待ってくれた。

 その後、待つ間もなく自分が注文したドリアが来たので、お互い手を合わせ食事を始める。

 初めて木綿季が食事をする姿を見たが、なんとも楽しそうに食べるなぁと関心してしまった。しばらく見ていたのだが、口の周りについていたパスタのソースが気になってしまい、

 

「木綿季」

「へ? むぐっ」

 

 ナプキンで口の周りを拭き、

 

「もう少し落ち着いて食べろ」

「えへへ、だって楽しいんだもん」

 

 楽しい? 美味しいではなくて?

 

「どういうことだ?」

「なんでもないよー」

 

 おかしな奴だなと思いながらも、もしかして木綿季は俺の今の気持ちと同じなのかと考えてしまった。つまるところ木綿季と食事をするのが楽しいのだ。からかわれたりもしたが、一人で自室で食事するよりも遥かに楽しい。そういう意味で言ってくれのだとしたら、俺はつい嬉しく思ってしまう。

 

「そーいえばさ、みんなと自己紹介済ませた?」

「あぁ、みんな優しくしてくれたよ。いい人たちだ」

「だよねー、ボクもそう思う!それで、リズに話したの?」

 

 俺は手を止めて、飲み物を一口飲んで今後の事を話した。

 

「作るにはシヴァ鉱石ってやつが必要らしい」

「あの洞窟に行くの!?」

「あぁ、でもハイドポーションとやらで二人で採りにいけるらしい」

「あー……あれなら、そうだね。いけるかも! ……ってふたり?」

 

 木綿季も話を聞きながら、俺と同じように飲み物をストローで飲んでいたのだが、途中、俺の言葉に反応するように一瞬体がピタリと止まった。

 

「そうだよ、ハイドポーションは二人以内じゃないと発動できないからな」

「それは知ってるけど……誰といくの?」

「そりゃあ、リズとだけど……」

 

 木綿季は、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が一瞬ギシッと軋むような感覚を覚えた。

 

「あれ……なんだろ……今の……」

 

 つい反射的に胸を押さえてしまった。それを見た刀霞は心配するように「大丈夫か?」と声をかけたが、木綿季は「うん……」としか返せなかった。

 

――なんか、やだな……

 

 何がどう嫌なのかは木綿季自身もわからなかった。

 ただその話を聞いただけで、木綿季の心は森の中の井戸に落っこちたような、寂しい気持ちになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 木綿季はその会話以降、不機嫌になってしまったようで、あまり口を利いてくれなくなった。

 会計を済ませ、帰りの道中に話しかけてもまったく会話をしてくれない。食事中に何か機嫌を損ねるようなことをしたのか思い返してみたのだが、まったく心当たりがなかったので、どう考えても、やはり部屋での一件が原因としか考えられなかった。

 

「なぁ、木綿季……悪かったよ……」

「……なにがー」

「本当に態とじゃないんだ」

「……わかってるよ」

「そうか……」

 

 木綿季自身、何故このような態度をとってしまったのかわからない。

 ただ、何かが気に入らなかった。だが何が気に入らないのかもわからない。そんなもやもやした感覚に耐え切れず、木綿季はつい刀霞にあたってしまった。 

 程なくして、病院に到着した刀霞は、入り口で待っていた看護士さんにそのまま木綿季を託した。

 刀霞は少し用事があるからと、木綿季と同じエレベーターに乗り込むことなく、彼女を見送った。

 木綿季はエレベーターが閉まる際、ふと刀霞の顔を見てみると、それは何とも言い表せないほどの悲痛で、悲しげな笑顔だった。そんな刀霞の無理に繕ったような、切ない表情を見てしまった木綿季は、先ほどのレストランでも体験した、ギシッと軋むような感覚に再び陥ってしまう。

 

――あれ……また……

 

 ほんの僅かの出来事であったが、先ほどと同じように、木綿季は反射的に胸を押さえ、最後に見た刀霞の悲しい表情を思い出すのであった。




 今回も閲覧していただいてありがとうございます。
 総合UA4700突破、お気に入り登録者数が68名になりました。
 嬉しくて泣きそうです。
 続きも頑張って書きます。
 コメントしていただいた方ありがとうございました。
 またしていただけると失血します。


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14

 洞窟探索編の前編になります。
 とはいっても、ほとんど書いちゃったので後編は少しだけになりそうです。
 時間がかかってしまい申し訳ないです。
 今回も一部wikiを引用させていただいている部分がございます。
 ご注意下さい。


――何か俺……悪い事したか……?

 

 確かに見てしまったことは悪いことだとは思うが、あれに関しては木綿季は許してくれたはずだ。……多分。

 

「おーい」

 

 いやそもそもあれは倉橋先生が悪いんじゃないのか。あの時先生が誰かを確認してから開けるべきだと思うのだが……。

 

「もしもーし?」

 

 そうだ。思い返してみれば俺は何も悪い事はしていないぞ。なら、どうして木綿季はあんなに不機嫌に……?

 

「トウカさーん?」

「ん」

「ん、じゃないわよ。さっきからずっと呼んでるんですけど!」

 

 物思いにふけるトウカに、リズは不満の表情を表しながらしっかりしてよと覇気を入れた。

 二人はトンキーの力を借りて、既にゲルマンの洞窟の入り口に到着していた。

 《トンキー》とは、リーファがヨツンヘイムでペットのように可愛がっている邪神級モンスターである。

 容姿は巨大なエラと長い口、後ろに続く胴体は饅頭のような扁平な円形でそれを支えているのは20数本の鍵爪めのついた肢。目は頭部の片面それぞれに真っ黒いレンズ状のものが三角形に3つずつ並んでいる。胴体上部にはふさふさとした灰色の短毛が生えている。

 《トンキー》と言う名はキリトとリーファが幼い頃に読んでもらった絵本の話にでてくる象の名前で、内容は昔の大戦(第二次大戦)期に動物園の鳥獣を殺すよう国から命令がでて飼育員がなくなく毒餌を与えるが、賢いトンキーはそれを食べず「万歳」の芸をしながら餓えて死んでいくという内容。発案したキリトに「縁起が悪い」といいつつもリーファが名づけた。

 2025年1月、キリトがアスナを救うために央都アルンに向かっていた時、トラップにはまり落ちたヨツンヘイムにて人型邪神から助けた所、強制的に背中に乗っけられ中央の《大穴》付近で固まってしまう。なにかのクエスト?と頭を捻っているとその時来たウンディーネのレイドパーティーに追い払われ、トンキーが襲われているところをリーファの懇願で二人で特攻、その後「羽化」し、4対8枚の飛行形態に移行したトンキーはレイドパーティーを追い払い、二人を背中に乗せ、世界樹中央付近を通過して「裏道」と呼べる空中の小道まで案内をした。

 その通過する途中、逆ピラミッドの氷柱(スリュムヘイム)内の最下層にキリトが気づき、リーファが遠視の魔法で《聖剣エクスキャリバー》を目撃していた。

 その後、ユイを通じてアスナもトンキーにのり3人で偵察に行ったものの「ないわー」というぐらいのダンジョン、邪神モンスターに逃げ帰って以来、「可愛い」とトンキーを慕うリーファや付き添いでくるキリト・アスナが遊びに来るぐらいであったが、後々に《湖の女王》ウルズの懇願によりトンキーらは《丘の巨人族》の眷属であり《霜の巨人族》の王、スリュムのクエストが判明。

 つまりトンキーはスリュムへイムの行き来に必要な邪神であったことがわかったのだ。

 その後、そのクエストはキリトたちが終わらせてしまったのだが、クエスト終了後もトンキーは消えることなく、後々ヨツンヘイム周辺を自由に行き来できる搭乗用ペットとして活用できることが判明した。

 今回刀霞とリズはそのトンキーを利用することによって、安全にゲルマンの洞窟まで移動することができたのだった。

 

「はいこれ」

「あぁ」

 

 リズベットはアイテム画面を開き、ハイドポーションを取り出すと、トウカに投げ渡した。

 片手で受け取ったトウカは瓶の蓋を開け、初めて口にするポーションに不安を覚え、つい匂いを嗅ぐとリズベットが口を尖らせて、

 

「大丈夫よ、別に味なんてしないわ」

「本当かよ……」

「心配性ねぇ。それよりも飲んだらすぐ入るわよ。効果は三十分しかないから。予備は持ってきたけど数に限りもあるし、クールタイムもあるから効果が切れたからってすぐには飲めないからね」

「あぁ、わかった」

 

 同時に飲んだトウカとリズベットはお互いに透明効果が反映されているのを確認すると、洞窟の中へゆっくり足を進めていった。洞窟の中は想像以上に暗く、数歩進んだところで光があっという間に遮断されてしまい、奥からはモンスターかと思われる鈍い声が洞窟を震わせている。

 

「ひっ」

「お、おい」

 

 リズベットは恐怖のあまりトウカの腕に抱きつく。

 トウカはリズベットが密着したことにより歩き辛くなり、リズベットの頭を抑えて、

 

「歩きにくいぞ、もう少し離れてくれ」

「じょ、冗談じゃないわ!あんたはインプだから暗視できるからいいでしょうけど、あたしは暗くて何も見えないのよ!?」

「わ、わかったわかった」

 

 恐怖で追い詰められつつあったリズベットの気迫にトウカは圧されてしまい、仕方なく今の状態を維持しながら慎重に洞窟の奥へ進んだ。暫く進んでいると、地下へ続くルートだろうか、幅十メートルはある広大で長い螺旋階段を発見した。

 リズベット曰く、多分この下にあるかもと言うのだが、トウカが根拠を尋ねても「女の勘」としか答えない。呆れつつも、まぁこの下に行くしか進む方法もないし行くだけ行ってみるかと決心し、警戒しながら下りていくが、そんな最中。

 

「ね、ねぇトウカ。あんた防具はどうするつもり?」

「あー、そうだな。身軽なのがいいんだが……」

「クラインみたいに軽甲冑ぐらいはつけたら?」

「いや、俺は服だけでいいよ。動きづらくてかなわん」

「それ耐性系防具何もつけないってこと!? あんたなに考えて――ッ」

 

 二人以外の足音を感じ取ったトウカは、声を荒げるリズベットの口を押さえて沈黙を強制させた。リズベットは何が起きたのかわからず「むーっ」「うーっ」と言いながらじたばたとトウカの手をどけようとするのだが、先ほどとは違った、彼の真剣な眼差しに体は硬直し、リズベットも無音の音に耳を澄ませた。

 

「何か……近づいてる」

 

 トウカは音する方向へ視線を向ける。

 

――上から聞こえる……?

 

 ズシン、ズシンと少しずつ、少しずつその音は大きなる。やがて地鳴りのように耳の奥に届く音のもとなった。そして、いよいよトウカとリズベットはその足音の主を捉えることになる。

 

「……まいったな」

「――――ッ」

 

 それは見たこともないような大きな巨人の姿だった。

 肌は青白く、一つ目で鋭い眼光を放ち、ニタリと微笑みながら口から舌を出しつつ右手の棍棒を引きずりながらゆっくりと刀霞たちに近づいてくる。

 リズは恐怖のあまり叫び声をあげそうになるが、トウカに口を抑えられていたため、なんとか声を漏らさず止めることができた。

 巨人の名は《ヨトゥン》以前キリトたちがエクスキャリバーを入手するクエストで戦った、霜の巨人の王スリュムの配下にあたるモンスターである。

スリュムを討伐する際キリトを含む七人がかりとサポートNPCで、なんとか倒せた相手だ。ヨトゥンも配下とはいえ二人で倒せるほど弱いモンスターではない。邪神級の中でも上位に位置するほどのモンスターだ。とはいえ、トウカたちはハイドポーションを飲んでいるため、ヨトゥンから視認されることはない。

 ぺたんとへたりこむリズベットをなんとか誘導すると、壁際に身を寄せてヨトゥンが去るまで静かにその場をやり過ごした。

 

「さすがに焦ったな……」

「焦るどころじゃないわよ!! 何かいるとは思ってたけど、まさかあんな奴がいるなんて……」

「先を急ごう、他にもいるだろうし、時間は限られてる」

「え、えぇ。そうね……って……あ……あれ……?」

 

 リズベットは立ち上がろうとするのだが、体に力が入らないらしく、へたり込んだまま動かない。どうやら腰が抜けてしまったようだ。

 

「お前……VRMMOは俺より長いだろう……」

「う、うっさいわね!! 仕方ないでしょ!これでも、女の子なんだからね……」

「わかってるよ、ほら」

 

 そういうとトウカは後ろを向いて、リズの前に腰を落とす。

 

「な……なによ……?」

「そんな状態なら、こうするしかないだろ」

「……こ、今回だけだから!勘違いしないでよね!!」

「はいはい……」

 

 リズベットは不満ながらもトウカの背中に体を預け、よいしょと彼女を背負いなおすと、二人は再び階段を下り始めた。

 

 

 

 

 長い階段を下り、ようやく到着したかと思えば、そこはヨトゥンの巣窟となっていた。とても広い間が蟻の巣のように続いており、開けた場所に出るたびにヨトゥンが徘徊していた。

 リズベットはブルブルと体を震わせトウカの体にしがみついていたのだが、トウカは抵抗することなく受け入れ、「大丈夫だって」と宥めながら奥へ奥へと進んでいった。

 暫く歩いていると、やがて行き止まりに突き当たってしまった。周辺を見回してみるとヨトゥンの姿がどこにも見当たらない。

 引き返そうとした瞬間、リズベットが「あ、あれ!」と声を上げてトウカの首を絞めて、動きを止める。

 

「ぐぉっ……お前なにを……」

「ほら、あれ見て! シヴァ鉱石!」

 

 トウカはリズベットの指差す方を見てみると、そこには青白く輝いてる結晶が壁から複数突き出していた。光が射さない場所に関わらず周辺を明るく照らしているその物質は、もはや鉱石ではく宝石かと勘違いしてしまうほど美しいものだった。

 

「これが……そうなのか」

「えぇそうよ! あたし採ってくる!!」

 

 リズベットは今まで震えていたのが嘘だったかのように、トウカの背中から軽快に下りると鉱石に負けない位に目を輝かせ、スキップしながら鉱石の元へ向かったかと思えば、小さなつるはしを取り出して、一心不乱に採掘を始める。

 

「えへ、えへへ……お金持ち……お金持ち……!!」

「お前……趣旨変ってるぞ……」

「いいのよ! これだけあるんだから多少持ち帰っても問題ないわ!」

「やれやれ……」

 

 仕方ない。武器を作れるのは彼女だけだし、手元にある素材も使ってくれるということなのだから、少なからず自己負担してくれているところもあるのだろう。そう考えるとトウカは止めることはできなかった。

 暫く採取を見届けているトウカであったが、彼はふと疑問に思う伏しがあることを思い出す。

 

――何故ここだけモンスターがいないんだ……? ――いや、いないならそれに越したことはない。ただでさえ周辺には邪神級モンスターがウロウロしているんだ。ここで変な奴に出くわすことは願い下げだ。……そろそろ引き上げたほうがいいかもしれない。

 

 

「リズ、そろそろ帰ろう。もう時間がない」

「もう少し、もう少しだけ……」

「おいリズ――」

 

 そう言いかけたところで、トウカはリズベットの上空に何か蠢く影が存在していることに気がついた。

 リズベットはその存在に気づいておらず、目を凝らして見てみる。すると、その影は少しずつリズベットの方へ近づいていくのがわかった。

 

――敵、か……? ハイドポーションの効果はきれてない……なら、なぜあの影は……。

 

 その直後――。

 

「リズ!!」

「へ? きゃあっ」

 

 トウカの思考よりも先に、蠢く影がものすごい速さでリズベットの方へ一直線に飛び掛っていった。

 すんでのところでリズベットを引き寄せ、落ちてくる影からなんとかリズベットを救うことに成功した。

 影が落ちた場所は、勢いよく地面が割れ、霧がかったような霜煙が舞い上がる。リズベットは「な、なんなの……」と困惑した表情で自分が元いた場所を見入っていると、霜煙が晴れたところで一匹のモンスターが姿を現した。

 それは上半身が女性で下半身が蜘蛛の怪物のような姿だった。

 名は《アラクネ》北欧神話にも存在する「傲慢」の大罪を戒める化身である。アラクネが姿を現すと共にHPゲージが表示される。それはヨトゥンの非ではなく、明らかに邪神の中でもボス級の強さを誇っているのが一目瞭然だった。

 とっさにトウカはリズベットの手を引っ張り、

 

「早く逃げるぞ!!」

「で、でもハイドポーションが……!」

「ボスには効いてない! でなきゃお前が攻撃されるかよ!」

 

 走りながらリズベットは後ろを振り向いてみるとアラクネがものすごい速度と剣幕で追いかけてくるのがわかった。その時点でアラクネにはハイドポーションが効いていないことがやっと理解できた。

 アラクネは咆哮しながら、刀霞とリズを喰らいたいがために死に物狂いで迫ってくる。道中のヨトゥンを蹴散らし、氷の柱を粉砕し、涎を撒き散らしている奴の姿はもはや怪物という一言で括れるような存在ではなかった。

 トウカとリズは必死に走って逃げていたのだが、リズベットがアラクネの咆哮で驚いた拍子に、何かにつまずいて、転倒する。

 トウカは足を止めて振り返り、その場で彼女の名を呼び叫ぶが、彼の声はリズベットに届かなかった。

 

「リズ!!」

「あ……あ……!」

 

 リズベットは迫ってくるアラクネを見て足が竦んでしまい、立ち上がることも、走ることもできなくなってしまった。ヘビに睨まれたカエルのように動けないリズは、トウカの呼ぶ声も耳にはいらず、ただ体を震わせアラクネが迫ってくるのを傍観することしかできなかった。

 やがてアラクネは彼女の元へ追いつき、恐ろしい金切り声を上げながら、足を振り上げ、風きり音が聞こえるほどの無慈悲な一撃をリズに向けて放つ。

 リズベットの視界がゆっくりとスローモーションになっていく。この先、あの化け物の切っ先が私の首元へ振り下ろされるのだろうなと考えられるほど、彼女の神経は研ぎ澄まされていくのを感じる。

 が、リズベットは避けることもできず、ただ目を瞑り、擦れた声で助けを請うことしかできなかった。

 

「――たす……けてぇ…っ」

 

 

「そいつは難しい相談だぁぁぁ!!」

 

 

 トウカは、全力疾走しながらアラクネの振り下ろされる足に向かって大剣を斬り上げるように交差させた。

 衝撃でお互いに仰け反るが、アラクネの一撃をなんとか食い止めることに成功し、放心状態のリズを抱きかかえ、トウカはそのまま階段の方へ走る。

 

「リズ! リズ!! 俺は武器を構えたからハイドポーションの効果が切れた! 階段まで運んだらお前だけ先に逃げろ!!」

「で、でも……予備が……」

「クールタイムがあるんだろう!? お前はまだ効果切れるのに五分もある! それだけあれば洞窟から抜け出せるはずだ!!」

「いや……いやよ! あたしのせいで……トウカだけ置いていけるわけないじゃない!!」

「俺がくたばったところで何も持ってないから問題ない!! 鉱石をもってるお前が死んだらデスペナルティでアイテム紛失するだろう!」

「でも……だからって……!」

 

 やがてトウカは、階段の真下へ到着すると、リズベットを下ろして反転し武器を構えなおし、

 

「行け! 早く!!」

 

――彼女はこのゲームを長くプレイしているからこそ、この状況じゃ二人で打破することはできないことを重々理解している。俺が時間を稼いでる間にリズは脱出し、無事鉱石を持ち帰らせることができればそれで十分成功に繋がる。それぐらいリズだって把握している。だから彼女は俺の言うことを聞いて、納得してくれるはずだ。

 

 ところが、そんな刀霞の思惑をリズベットはあっさり裏切ってしまうことになる。

 

「あたし……そんなのイヤ!!」

 

 そんな声が耳に入り、トウカは咄嗟に振り返ると、リズベットが体を震わせながら武器を構えていた。もちろんそれにより、残されていたハイドポーションの効果も失われてしまう。

 

「な――ッ」

「あたしは……仲間を見捨ててまで自分が助かりたいとは思わない!!」

 

 ALOはデスペナルティこそあるが、決して死に直結するゲームではない。そんなことはリズベット自身も理解している。しかし彼女の意思は理屈ではなかった。リズベットには耐えられなかったのだ。ゲームとはいえ、仲間が目の前で消えてしまうことが。SAO事件での経験からか、ゲームの『死』において彼女は敏感になっていた。だからといって、リズベットは攻略組みのように卓越した技や力を持っているわけではない。そんなリズベットができるのは、仲間と共に同じ道を歩むことだけだった。

 

「リズ……お前……」

「ごめんねトウカ……我侭で……」

 

 トウカは苦笑いで恐怖を誤魔化している彼女を見て、それ以上逃げろ言う気にはなれなかった。

 

――この子は自身が死ぬことよりも仲間を失うことのほうが恐ろしいのだろう。真面目でしっかり者ではあるが、その実誰よりも怖がりで、寂しがり屋だった。そんな彼女が自ら恐怖を押さえ込み、己を奮い立たせ敵に立ち向かおうとしている。

 

 ……そんな純粋な想いを、裏切るわけにはいかない。

 

「リズ」

「な、なに……?」

「俺が囮になる」

「あ、あたしは逃げないからね!」

「あぁ、わかってる。ここの入り口は蟻の巣のようになっているから、ここを塞ぐことができればあいつも入ってこれないだろう。だからリズはメイスで天井を破壊してなんとか塞いでくれ。それまで俺が中で時間を稼ぐから、崩落するギリギリになったら俺が戻る作戦でいこう」

「そ、そんな……! あんただけじゃ数秒も持たな――ッ」

「リズ。仲間、だろ?」

 

 そういうと、トウカはリズベットの頭に、手をそっと置いた。

 

「う……」

「頼りにしてるよ」

「わ、わかったわよ……子ども扱いしないでよね……!」

 

 そうこうしているうちに、アラクネの声が遠くから響いてくる。後数分もしないうちに追いついてくるだろう。トウカはリズの肩をポンと叩き「頼んだぞ」と一言言い残して入り口方へ走って行った。

 

――トウカは言ってくれた。頼りにしてるって……怖がってばかりで何にも役に立てなかったけど……あいつは最後まであたしを信じてくれた。――だから……応えなきゃ……!!

 

 リズベットは揺るがない意思と仲間への想いを胸に、勢い良く羽をはばたかせて空中へ舞い上がる。

 やがて高度ギリギリまで上昇し、メイスを振り上げソードスキルを発動させると、氷で生成された天井に向かって一直線に急降下していった。

 

「……キリトやアスナよりは弱いけど……あたしだって……あたしだって……!!

 

「仲間を――ッ 守れるんだからぁぁ!!」

 

 あっという間に加速し、やがてゲームの限界である最高速度にまで達すると、リズベットは金色に輝くメイスを力強く握り締め、渾身の一撃を天井に向けて放った。




 今回も閲覧いただき、ありがとうございます。
 ユウキ以外のネタも組み込みたかったので最初にしました。
 最終的にはシリカ、リーファ、シノン、クラインと、後できたらチョコ坊主も書けたらいいなと思います。
 それでもユウキ成分がほしいのでちょこちょこいれていきます。
 コメントしていただいた方、ありがとうございました。
 必ずお返事は書かせていただきます。励ましの言葉が凄く嬉しいです。
 次もしていただけると心肺停止します。


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15

 第十五話になります。
 大変お待たせいたしました。
 ゲルマン洞窟編完結です。



 アラクネたちの恨み、憎しみ、怒り、全ての負を込めたような咆哮と雄叫びが刀霞の全身を叩く。

 大地が大きく揺れ、天井からパラパラと小さな氷塊が刀霞の肩に落ちる。

 神聖な地を踏み躙られ、己の住処を荒らされ、我々の寝床を汚された貴様らを許さない。そんな恨みが募ったような表情がアラクネとヨトゥンに表われていた。

 しかしトウカには恐れや緊張などはなく、威風堂々と剣を構え、強大な力を持つ邪神級モンスターの迫力にまったく動じることもなく、表情には不思議と笑みがこぼれていた。

 

――俺の背中には共に戦ってくれている仲間がいる。

 

 トウカにとって安堵するには十分すぎるほどの理由だった。

 

「お、後ろは始めたみたいだな」

 

 後方からはリズベットが天井に攻撃を仕掛けたのであろう轟音が響いてくる。恐らく完全に決壊するまでは五分程度だろうか。その時間まで生き残る事ができたならば二人で脱出することも可能なのだろう。しかし、この時のトウカは少し違っていた。

 

「……よし、始めるか!」

 

 その言葉を口にすると同時に、アラクネが咆哮しながら前足を振り上げつつ飛び掛ってきた。

 トウカは横っ飛びでなんとか回避することができたが、その先にはヨトゥンが棍棒を振り上げ待ち構えて――

 

「くぉ……ッ」

 

 両手剣を盾にヨトゥンの攻撃をかろうじて受けることには成功したのだが、勢いで後方に吹き飛ばされ、氷の壁に背を打ち付けられる。

 いつしかの斧持ちの男に似たような攻撃されたことを思い出すトウカであったが、前回とは違いスタン効果はなかったため、すぐさま体勢を立て直し、剣を握り締めヨトゥンに向かって攻撃を仕掛けた。

 

「くあぁ!!」

 

 体を勢いよく一回転させ、水平斬りをしかける。足に一太刀浴びせることには成功したのだが、ヨトゥンはまったく怯むことなくそのままトウカを蹴り飛ばす。一撃与えたことに油断してしまったトウカはまともに食らってしまい、

 

「ぐぁ……ッ」

 

 大きなハンマーに叩きつけられたような衝撃がトウカを襲う。軽々と直線状に吹き飛ばされ、別方向にいたヨトゥンの腹部に衝突し、そのまま追い討ちをかけるように体を鷲掴みにされて、床に叩きつられてしまった。

 

「が……ッ」

 

 あっという間に瀕死の状態に陥ってしまったトウカであったが、それでも彼は臆することはなかった。

 

――もう少し……もう少しだけ……ッ

 

 よろよろと立ち上がったトウカは、力を振り絞るように地面を蹴り上げ、空中へ飛び上がる。ヨトゥンたちは追撃しようと棍棒を振り回すが悉く空を斬り、攻撃が届かない。

 

「よし、これなら……!」

 

 その安心が一瞬の隙を生んでしまった。

 瞬間、トウカの両足に糸のようなものが付着した。引っ張られた勢いで体勢を崩し、錐揉み上に落下しつつも目の端で糸の先を辿ってみる。それは、アラクネの口から射出しているものだとわかった。なんとか剣で糸を切り落とすことに成功したのだが、バランスを保つことができず、階段の入り口付近の壁へ強引に不時着するように体を預けた。

 その直後、入り口の方からリズベットの声が洞窟に反響した。

 

「トウカ! 戻ってきて! もう崩れちゃう!!」

 

――……間に合ったか……。

 

「先に行っててくれ、すぐ追いかける!」

 

 予定とは違うトウカの一言に、リズベットは青ざめた。

 

「なにしてんのよ!? 今いくから――ッ」

「来るな!! 俺は大丈夫だから早くいけ!!」

「でも……でも……!」

 

 トウカの強い制止にリズベットは困惑してしまうが、迷っている間にも天井はみるみる崩れ落ちていく。リズベットには最早悩む時間は残されていなかった。

 

――……良かった。なんとか敵を引き付けることができそうだ……。

 

 刀霞は安堵していた。

 天井を崩さずにトウカが囮になっていた場合、時間稼ぎすらできなかっただろう。そうなればリズベットは逃げ切れず、二人ともモンスターにやられていた。トウカは端から戻る気などなく、こうでも言わなければリズベットは言うことを聞かない。

 結果的にリズの気持ちを裏切ることになってしまったかもしれない。それでも一緒に戦えることもできたしきっと許してくれるはずだ。そんな満身創痍と極度の疲労で意識が薄れかけていくトウカの前に、アラクネたちが最後の止めを刺そうと一気に詰め寄る。

 敵の姿がぼやけて見える。後方からは天井の崩れる音が聞こえ、地面の揺れる感覚が妙に心地良く感じた。

 

「やれやれ……今日は……疲れた……」

 

 

――――。

 

 

――――――――。

 

 

「――男でしょ!! ちゃんとしなさいよ!!」

 

 聞き慣れた強気な女性の声が聞こえる。先に逃がしたはずの、不器用で怖がりで我侭な女の子の声が。

 トウカはふと目を開けるとリズベットに支えられ、ふらふらと飛行していることに気づいた。先に行けと言ったにも関わらず言うことを聞かないリズベットに、トウカは説教をして振りほどこうとしたのだが、疲労で体が動かすことができず、何も抵抗することができなかったため、精一杯の皮肉をこめてリズベットに言った。

 

「ばかやろう……先に行けって……いったろ……」

「うっさいわね!! 嘘つきに説教される筋合いはないわ!」

「はは、仰るとおりで……」

 

 天井は八割方崩壊し、もはや塞ぎきってしまうところであったが、リズベットはなんとかトウカを階段下まで運ぶことができた。が、そこでトウカの意識は完全に途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――なんだ……この感触……。

 

 随分と柔らかくて寝心地のいい感覚がトウカを優しく包んでいた。ついその心地良さに負けてもう一度眠ってしまおうかと思ったのだが、自分の現状がどうしても知りたかったため、重く感じる瞼をゆっくりと開ける。

 

「あ……気がついた?」

「――……リズ……?」

 

 目を開けるとそこにはリズベットの顔があった。

 

――……俺は……気を失っていたのか……? この柔らかさって……膝の……上……!?

 

「す、すまん……!! いまどくから――って……あ、あれ……」

 

 体を起こそうにも、体のいうことがきかない。早くどかなければと思い、トウカは無理やり体を転がそうと上半身を捻ろうとしたのだが、リズベットに頭を抑えられ動かすことができなくなってしまった。

 

「まだ動いちゃだめよ、あんたボロボロなんだから……」

 

 嫌がっていないところから察するに、自ら膝枕をしてくれたのかと察したトウカは、力が抜けるように、

 

「――……すまない……迷惑かけたな……」

「別にいいわよ。それよりも教えて、なんで嘘ついてまで先に行かせようとしたの…?」

「……仲間だから」

「どういうこと……?」

「俺も、リズと同じで不器用ってことさ」

 

 リズベットは驚きに目を丸くした。リズベット自身も自覚していたのだ。仲間に対する想いへの不器用さに、もどかしさを感じていたのはトウカも同じだった。助けたいのに助ける力がない。だからこそ彼女は裏方で仲間を支えることができる武具屋になったのだ。トウカの場合は自己犠牲の上で成り立つ、彼なりに仲間を支える唯一の方法だった。

 

――こんなにボロボロになりながらも私を守ってくれた……。私の我侭のせいで……こんな目にあってるのに……迷惑かけたのに……

 

「ごめんね……あたしのせいで……」

 

 本来ならば見捨てられて当然だった。独断で必要以上に鉱石を採取し、仲間の指示を無視し、仲間の気遣いにすら耳を傾けることをしなかった。リズベットは下唇をきゅっと噛み、肩をフルフルと震わせながら謝ることしかできなかった。

 そんな彼女の表情を見たトウカは、優しい口調でリズベットに感謝の言葉を口にする。

 

「……リズ、助けてくれてありがとな」

「どこまでお人好しなのよ……そこまでして助ける価値なんてあたしにはないのに……本当に馬鹿ね……本当に……」

 

「ほ……んと……ば……か……」

 

 リズベットの顔がくしゃっと歪み、瞳から大粒の涙が滴っていたが、咄嗟に腕で顔を隠し嗚咽しながらも必死に堪えていた。自分の弱い部分は、例え仲間の前であったとしても見せたくなかった。だからこそキリトのことを諦めた時も、誰にも悟られないよう一人で見つからない場所で粛々と自分の気持ちを収めていた。

 その事はトウカも知っていた。本で詳細に書かれていた部分であったため、今ここで涙を堪えている彼女がどういう気持ちなのかも理解していた。それを全て踏まえた上で、トウカはリスベットの頭をまるでガラス細工を扱うかのようにそっと撫で、二言で彼女の雁字搦めに巻かれていた心の鎖を切り落とした。

 ――惨憺な心を慰めるために。

 

「……我慢するなよリズ。俺の前でくらい素直になれ」

「――――ッ」

 

 リズベットは堰がきれたように大きな声で泣いた。今まで強気だった彼女が、自分の内に溜め込んでいたものを全て吐き出すように、トウカを強く抱きしめ、大粒の涙を流し続けた。

 彼女は羨ましかった。好きになれた人ができたかと思えば友人に先を越され、応援すればするほどキリトが遠ざかっていく。

 キリトの傍にいる女性はキリトと同じくらい強くなくては釣り合わない。そう自分に言い聞かせ、諦めたつもりだった。

 

 ――今後いくら私がアプローチをかけたところでアスナには勝てない。

 

 それは彼女自身嫌と言うほど自覚していた。しかし、好きなものは仕方ない。そう単純な話ではないのだ。そんな解決できないストレスが溜まりに溜まってできたのが、今のリズベットだ。

 本で見るよりも、実際の彼女はずっとずっと繊細だった。アイテムをちょろまかして売りさばいたり、必要以上に金銭を求めて採掘したりする行動は、今思えば彼女なりのストレスの解消の仕方だったのだろう……。

 

 ――できる限りに力になろう。俺でしか支えられないこともある。それはキリトでも、アスナ、シリカ、シノン、リーファでもできないことだ。……クラインは大人だが、まぁある意味無理だろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁすっきりした。ありがとね、トウカ!」

「ん、それはなによりだ」

 

 リズは太陽のような、明るい笑顔を俺に向けた。きっと全てを吐き出せたのだろう。つき物が落ちたように晴れ晴れとした表情で、とても満足そうな様子だった。

 その後、無事に洞窟を抜け出せた俺たちは、中都《アルン》まで移動し、武器の製作はまた後日にしようということで、今回は解散することになった。

 と、リズはログアウト際、

 

「ねぇトウカ、今度買い物に付き合いなさいよ」

「な、なぜ……?」

「女の子泣かした罰よ」

 

――俺が泣かしたわけじゃないだろう……

 

 リズは俺の心中を察したのか、顔を近づけギロっと睨らみ、

 

「なんか文句あんの?」

「いえ、ありません」

「ふふん、じゃあ詳しいことは連絡するから。今日は楽しかったわ。またね、トウカ」

「あぁ、おやすみ。リズ」

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 リズベットと見送った後、ポーションで回復済みとはいえ精神的に疲労困憊だった俺は、彼女に続くようにログアウトしようとしたのだが、メニュー画面を開いた瞬間、フレンドからメールが届いている知らせがきていることに気がついた。こんな深夜に一体誰からだと思いつつ、メールを開いて送り主を確認すると、そこには「Yuuki」と表示されていた。

 送り主がユウキだとわかった瞬間、あの不機嫌な表情をつい思い出す。結局何が原因で彼女の機嫌が悪かったのか、未だに心当たりが見つからず終いだったので、メールの内容を確認するのが妙に後ろめたく感じてしまった。

 

「あー……きっと怒ってんだろうな……」

 

 恐る恐るメールを開封してみると、そこに書かれていたのは意外にもシンプルな内容だった。

 

『今から会えないカナ。世界樹の根元で待ってます』

 

 世界樹の根元……。ということは、今俺がいる中都アルンの中心ということか。

 はたして何を言われるのか。二度と話しかけるなーとか、ボクに近づくなーとか。

 いつか嫌われるだろうとは思っていたが、意外と早くきたことに戸惑いを隠せない。しかしこれは覚悟していたことだ。元々はこういうことが目的で接点もった部分もあるし、これを機に丁度いいかもしれない。なによりこれでユウキもわかっただろう。俺と一緒にいたら不幸なことになったり、傷つけてしまうことになると。

 ……それでもいい気分にはなれないが。

 いつもよりもネガティブな思考をしつつ、足取りが重くなりながらも世界樹の根元へ向かった。傷つくことには慣れているが、傷つけることには慣れていない俺としては、そう告げられる前に一言でもいいから謝っておきたいと思った。

 何が原因で彼女を苛立たせてしまったのか知りたい気持ちもあるのだが、それを聞くのは無粋なのだろう。

 ただ、一言だけ謝罪をし、黙って去る。これが俺のできる最後のけじめってやつだ。

 

 

 

 

 曲がりくねった緩い階段を暫く上がっていると、少しずつ大きな扉が顔を覗かせてきた。

 やがて根元付近まで到着し、世界樹のほぼ真下まで歩み寄り、眼前にある扉を改めて見てみると、あまりの大きさにしばし圧倒されてしまった。

 そう、この強固で堅牢な扉は《グランドクエスト》を受注することができる場所である。以前アスナが世界樹の頂上にて捕らわれていた際に、キリトが無謀にも単身で乗り込んでしまった場所でもあった。その時は攻略が絶対不可能な仕様になっており、通常通りに進行しても、誰も辿りつくことはできなかった。

 しかしその後、キリトたちの大きな活躍により運営もゲーム方針も大きく変化し、人数と装備がしっかりしていれば攻略できるような仕様になっている。それでも世界樹攻略となればALO最大の大規模クエストになるため、未だに攻略できた種族もギルドも存在していない。

 

――あのシーンは熱い展開だったなー……

 

 自分が体験したわけではないのだが、何故だか感傷に浸ってしまった。

 と、そんな感情に入り浸っていると後ろから声をかけられる。

 

「あ、トウカ。来てくれたのね」

 

 それは、想像した人物とは違っていた。

 

「……アスナ?」

「こんな時間に呼び出しちゃってごめんね」

 

 確か、呼び出したのはアスナではなくユウキだったはずだが。つい理由を聞きたくなった俺は、「なぜアスナがこんな所に?」と言いかけたのだが、ふとアスナの後ろを見てみると、なにやらアスナの背後で紫色の何かがもぞもぞと動いていることに気がついた。

 モンスターというわけではないのだが、アスナの背後にぴったりとくっついているその何かが気になってしまい、当初の目的であったアスナがここにいる理由を尋ねることよりもそちらの存在について質問を投げてしまった。

 

「な、なんか……後ろにいないか……?」

「あ。もう……ちゃんと言うんでしょ。ほら、頑張って」

 

 アスナが目の端だけ後方に合わせ、誰かに話しかけたのかと思えば、その言葉に答えるように紫色の何かがアスナの背中からひょっこりと顔だけ覗かせた。

 紫色の長い髪、インプ特有の服装、眉間にしわを寄せてなにやらもじもじしているその姿は俺の良く知る人物だった。

 

「ユウ、キ……?」

「……うん……」

 

 ユウキは返答するが目線を合わせてくれず、何かを伝えようとしているように見えるのだがアスナの背後から出てくることもなく、ただもじもじと物怖じしている様子だった。

 ――こんなにもじもじしているユウキを見たことなど、未だかつてあっただろうか。

 元気で明るく、破天荒で感情表現の激しいあの最強の絶剣が自分の姿を隠し、怯えた様子でこちらを伺っている。そんな姿を目の当たりにしてしまった俺は、ある意味動揺にも似た妙な緊張感を覚えてしまった。

 アスナはいつまでたっても用件を話さないユウキを見て、まったくもうとため息をついていたのだが、このままでは埒があかないと、アスナが何故ここにいるのかの事情を説明してくれた。

 

「あのねトウカ……実はね、ユウキから相談を受けたの」

「相談……?」

「ええ、トウカに冷たい言葉を言ってしまったからちゃんと謝りたいんだけど、一人じゃ怖くてできないから力を貸してほしいって」

 

 それは俺の予想とはまるで違っていた。

 

「あっあっ……アスナ言うなんて酷いよぉ……」

 

 相談の内容に関しては俺には内緒にしてほしかったのだろうか、少しショックを受けたユウキはアスナの服を引っ張り、心苦しい表情をしつつ文句を言うのだが、いつまでたっても話さない彼女にしびれをきらしていたアスナは苦言するように、言葉を付け足した。

 

「……早く言わないとあの件も私が伝えちゃうよ……?」

「だめだめだめ! ボクが……ボクが言うの……!」

 

 『あの件』という言葉に反応するようにユウキは慌てつつアスナの背後から飛びだし、俺の前に姿を現したかと思えば、目線を逸らして指をいじりつつ、体を波打つようにクネクネと捩じらせていた。しかし、時間が経つにつれて落ち着いてきたせいか、ゆっくりと、途切れ途切れの口調ではあったが、ユウキは自分の心に留めていた言葉を少しずつ俺に口ずさむ。

 

「トウカ……あの……あのね……?」

 

 俺はユウキから目を逸らさず、ただ黙りこくって彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「ずっと……ずっとね、考えてたんだ。なんであの時トウカに酷いこと言っちゃったんだろうって……。結局、わからなかったけど……でも、ちゃんと謝らなきゃって……だってボク……もっともっとトウカと遊びたいし、もっともっとトウカと仲良くなりたい……だから……ごめんなさい……ごめんなさ……い……」

 

 言葉が重なるたびに、少しずつユウキの声が震えていく。最後の方は何を言っているのか聞き取れないほど言葉がつまり、彼女は涙を流しながらただ繰り返し謝っていた。

 アスナは「頑張ったね」と一言添え、ユウキの頭を優しく撫でつつ後ろからそっと抱きしめた。

 ――俺は彼女の言葉にどう答えればいいのだろう。

 いや、わかっているはずだ。それをそのまま口にすればいい。彼女が本心で俺に伝えてくれたように、俺の本心をユウキに伝えよう。

 

「ユウキ」

 

 俺は肩膝をつき、そっと包み込むようにユウキの手をとった。彼女に俺の気持ちがしっかり伝わるよう想いながら。

 

「確かにお前とは喧嘩をすることもあるし、我侭を聞き入れることができない時もある……だけど……俺はそんなお前と一緒にいるのが楽しいと思っている。だから……俺でよければいつでも甘えてこい。どんなにユウキが俺のことを嫌いになっても、俺がユウキを嫌いになることはないよ」

「…………」

 

――……うまく伝えられただろうか。それとも――

 

 と、次の瞬間。俺の一抹の不安をかき消すように、ユウキは咽び泣きながら俺の胸元へ飛び込んできた。

 ――1日に女性を二人泣かしてしまうのは今日限りにしよう。

 そんな反省を肝に銘じつつ、ユウキの気が済むまで俺は彼女の涙を受け入れた。




 今回も閲覧していただき、ありがとうございました。
 多忙が続き、投稿が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。休日中にあげたかったのですが、間に合いませんでした……。
 今週は時間があるのでもう少し早く投稿できると思います!
 総合UA6000突破、お気に入り登録77名になりました。本当に嬉しいです。次回も頑張ろうと励まされます。
 コメントもありがとうございました。一文一文大切に読ませていただております。
次回もしていただけると嬉しいです。
 次の話はユウキ成分をいれていくので楽しんでいただけたらといいな思います。
 アスナの言っていた「あの件」という言葉が次回に繋がります。今後も宜しくお願い致します。




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16

 第十六話になります。
 前編と後編に分けて書かせていただきます。




 四月十五日。水曜日。

 俺は央都アルンへと続く入り口付近に来ている。俺自身何か用事があってここにいるわけではないのだが、ユウキに今日の十時にここに来るよう指示されたのだ。

 何をするのか、寧ろ何かされるのか。内容は一切伝えられてないし、一日時間を空けといてほしいとまで言われた。

 破天荒な彼女の事だ、命に直結しそうな出来事が起きなければいいのだが……。

 

「とぉーかぁー!!」

 

 声のする方へ視線を向けると遠方から、見慣れた服装と笑顔で、長い髪を揺らしながら手を振り、こちらの方へ軽快へ走ってくる女の子が見えた。

 今日の晴天に負けないほどの、眩しい笑顔に答えるように手を振り返すと、俺の反応に気づいたその子はより一層目を輝かせながら「とぉーっ」と無邪気な声を上げつつ俺の元へと飛び込むように体を預ける。

 予想外の出来事に一瞬体がよろけてしまった。が、彼女をなんとか受け止めることができたので、飛び込んできた女の子に向かって「おいおい、危ないぞ」と注意を促した。

 

「へーきへーき! トウカなら受け止めてくれるでしょ?」

「んー……重かったしなぁ……」

「あーひどーい!」

 

 ぽかぽかと叩いてくるユウキに圧され、「冗談だって」と弁明するのだが、ユウキは俺の意地悪な返答に「もー!」と暫く顔を膨らませていた。そんなやりとりが少々続いて、俺は改めて何故ここに呼んだのかという疑問を彼女に投げかけた。

 

「それで、今日はどうした?」

「へ?」

「いや、俺に何か用事があるんだろう?」

「よーじ……?」

「お……おいおい……」

 

――何か用があって呼んだんじゃないのか……?

 

 ユウキは腕を組み、しかめっ面でなにやら考えごとをしていたのだが、数秒もしないうちに苦笑いで一つの結論を出した。

 

「トウカと遊びたかっただけ……かな?」

「そ、そうか……」

「だめ……かな?」

 

 ユウキは俺から目線を逸らさず、上目でまじまじと見つめてくる。そんな表情を見て、何故か俺はなんとなく気が落ち着かない感じになってしまった。

 自分でもよくわからないが、胸の奥から湧き出てくるような隔靴掻痒にも似た気持ちを抑えきれず、ユウキの質問につい曖昧な返答をしてしまった。

 

「あ……いや……別に駄目なんてことは……」

「だーよねー! ほら、いこいこー!」

「あ、ちょ、おい!」

 

 ユウキはからかうような素振りで俺の手首を掴むと「はやくはやくー!」とぐいぐいと引っ張る。

 俺はなされるがまま彼女に誘導され、アルンの中心街へと向かうことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これは……凄いな……」

「でしょー、ボクも久しぶりに来たよー」

 

 初めて中心街へ来たが、それは仰天するような光景だった。

 そこはたくさんの群集で溢れかえっていた。

 外食店の入り口に並べられた席にはインプとサラマンダーが肩を組みながら酒を飲み交わし、スプリガンとウンディーネが睦み合いながら手を繋いで歩いている。巨漢なレプラコーンが自分で製作したのであろう武器を声高らかに宣伝していたり、プーカが街灯際で複数人と美しい音楽を奏でていた。

 《央都アルン》は種族も人種も関係なく多種多様な交流ができる。また、中心街においては様々な店が展開されているためか初心者や上級者問わず利用する人は多いようだ。ギルドの打ち上げ、パーティの勧誘、装備の新調、素材の売買、ここ中心街でできないことはないだろうと思われるほど栄えていた。

 

――さすが《央都》と言われるだけのことはあるな……

 

 暫くそんな光景に釘付けにされてしまったが、ユウキは平然としながら周囲を見回していた。すると、何かを見つけた様子で「あ、みっけ!」と嬉しそうにその見つけた方向を指差し、走り出した。

 

「ほら、トウカこっちこっちー!」

「おいおい、どこに行くつもりだ」

「いーからいーから !早くしないとおいてくよー!」

「やれやれ……」

 

 人ごみでユウキを見失わないよう彼女から目を離さず早足でついていくと、ユウキが立っていた先にあるのは小さな移動販売店のようなお店だった。

 随分と小さな店だな思い、俺は店頭に飾られていた英語で書かれている看板をつい読み上げた。

 

「く、れーぷ……?」

「やっぱ遊ぶなら食べ歩きだよねー!」

「お前本当に甘いもの好きだな……」

「えへへー」

 

 「いらっしゃいませ!」と元気の良い挨拶をしてきた店員に俺は「どうも」と軽い会釈で返す。

 ユウキは既に決まっている様子で迷うことなく注文をする。

 

「バナナチョコ生クリームと、イチゴチョコチップくださーい!」

「畏まりました。少々お待ち下さい」

 

 あ、こいつ勝手に注文しやがった。

 どうせ食べるなら食べたいものを頼みたかったのだが……。

 

「ユウキ、俺がそれをたべ――」

「てやんでーい!!」

「おぶ――ッ」

 

 ずしりと肝臓をえぐるように拳が、俺の腹部へとめりこむ。

 腹パンをされた。理不尽すぎるほどの勢いで。

 

「四の五の言わず食べるの! 絶対に美味しいから!」

「わ、わかった。わかったから俺のリバーをえぐるのはやめてくれ……」

 

 アスナの次に怖い。

 クレープを焼く香ばしい匂いがたちこめてくると、ユウキは嬉しそうにクレープが出来上がるのを眺める。俺は彼女に殴られ、もとい抉られた腹部をさすりつつクレープが出来上がるまでユウキを警戒するように眺めていた。

 暫くすると「おまたせ致しました」と店員からの一声がかかり、ユウキは「どうもありがとー!」と二つのクレープ受け取ると、片方のクレープを差し出して、

 

「ほら、食べてみて!」

「さっきので胃が……」

「てやんで――ッ」

「うそうそ! いただきます!」

 

 再び握り拳を構えようするユウキからクレープを受け取り、少し距離をとりつつクレープを食べてみる。

 ……イチゴの芳醇な香り生地の甘さが口に広がるを感じる。過去に何度かクレープを食べてきたことはあるが、感動するほどのものではなかった。しかし、このクレープはどこか違う。ただ純粋にお世辞ではない言葉が自然と口に出てしまった。

 

「……美味い」

「ほらねー!」

 

 この味に共感してくれると思っていたのか、ユウキはドヤ顔にも似た表情で俺を見る。まるで崇めろといわんばかりの顔だ。

 

「何か言うことあるんじゃないのカナー?」

「……あぁ、美味しいよ。ありがとなユウキ」

「わかればいいのだよートウカくーん」

 

 心なしかユウキの鼻が三十センチほど伸びているように感じる。

 

――まったく、お前には負けるよ……。

 

 そんな負け惜しみにも似た感情を抱きつつ、俺とユウキはクレープを頬張りながら再び歩き出し、次にどこに行くのかをユウキに尋ねる。

 

「それで、次はどこに行くんだ?」

「うんほへ、ほーふやはんひいほーはな」

「何言ってるのかさっぱりわからん」

 

 ユウキは口周りがクリームだらけのままクレープを呑み込むと、口も拭わずにそのまま会話を続ける。

 

「防具屋さんに行こうかなって」

「お前の防具強そうに見えるけどな」

「ボクじゃないよ、きーみーのー!」

「俺のか?」

 

――まぁ変えたいと思っていたし、丁度いいか。いつまでもこんな不恰好な装備でいるわけにもいかなし、動き辛いままだしな……って口汚いなコイツ。

 

「ほら、もう少し落ち着いて食べろって」

「むー……っ……」

 

 ユウキの口を軽く拭くと、目を閉じて受け入れるユウキにパチンと軽くデコピンして「終わったぞ」とからかってみる。するとユウキは「あいたー!」とおでこを抑えて少し涙目になりつつもジト目を俺に向けた。

 

「さっきのお返しだ」

「うぅーっ……トウカのそーゆーとこ嫌い!」

「それは怖いな。次から気をつけるよ」

「ほんとにほんとに嫌いになるからねー!」

「はは、悪かったって。ほら、ひとくちやるから」

「……えっ」

 

 俺は「ほら」とユウキの口元へクレープを差し出すのだが、ユウキはモジモジしながら、「あの……その……」と何やら落ち着かない様子でクレープと俺をチラチラ見るだけで食べる気配がない。

 疑問に感じた俺は「どうした? 食べないのか」と尋ねるとユウキは気まずそうに答えた。

 

「だ、だって……ほら……ボク……食べたら……か、かんせつきす……とかになっちゃうじゃん……?」

「あ――す、すまん!」

 

 俺は慌ててユウキの口元に差出した手を引っ込めるのだが、ユウキは俺の手をぐっと掴み「やっぱり食べる!」と言いだして俺の返事を聞く前にクレープに齧り付く。

 急な出来事に俺は言葉詰まらせた。

 

「お……おい……」

「えへへ、おいしーね」

 

 ユウキは照れ笑いをしつつも頬はほんのりと紅潮し、まるで悪戯が見つかった少女のように顔を赤く染めていた。

 俺はそんなユウキを見て、再び落ち着かない気分に陥り、はがゆさに負けてつい視線を逸らしてしまった。

 ……もやもやした感情はいったいどこから湧き出してくるのか。俺は自問自答するように考えてしまうが、今までこんな気分になったことなどない俺には結局結論を出すことができなかった。

 時折ユウキを直視することができなくなる。

 恥ずかしいという感情にも似たこの気持ちはなんなのか。気まずい気分を払拭することが出来ずにいた俺は、暫く話しかけることが出来ず、結局目的地までユウキと会話をすることが出来なかった。

 

「あ、ここだよー!」

「――あ、あぁ。ここか」

 

 ユウキの一声で我に返り、眼前にある店をよく見てみると、それはインプ領で見た防具店よりも何倍も煌びやかな店構えだった。

 店頭のショーケースには高級感溢れる宝石がちりばめられた女性向けの装備や、銀色に輝く頑丈そうな防具が一式飾られていたりなど、見るからに高そうな商品ばかりが展示されていた。明らかに初心者の俺が来るような場所ではないのが見てわかる。

 

「お、おい。ここ大丈夫か……」

「だいじょーぶだいじょーぶ!ほら、いこいこー!」

 

 ユウキに引っ張られるように店内に入ると、綺麗な成りをしているシルフ族の店員に「いらっしゃいませ」と歓迎される。

 店内はゆったりと商品が眺めるできるように設定されているのだろうか、落ち着いたジャズ風な音楽が流れており、他の客が店員から商品の案内を受けているのがわかった。

 どうやら利用している人はそれなりにいるようで、店員が見るかぎり女性しかいない。案内を受けている男性客の表情が緩んでいるのも頷けるほどの美人が接客しているところから察するに、人気がある店なのは間違いないようだ。

 

「あら、ユウキさんいらっしゃい」

「えっへへ。今日はボクじゃなくて、この人の防具見繕ってほしいんだけど、いいかな?」

「えぇ、もちろんいいわよ」

 

 どうやら店員さんとユウキは知り合いらしい。

 自己紹介を済まし、店員から話を聞いてみると、スリーピングナイツのメンバーも利用しているお店らしく、初心者から上級者まで強さ問わず価格もピンキリで提供しているところが売りらしい。中心街で展開しているお店なだけあってそれなりに有名でもあるようだ。

 

「さて、トウカさんはどのような防具をお探しですか?」

「とは言ってもな……かたっくるしいのは苦手なんだ。できるだけ身軽なのがいいんだが……」

「でしたら、ユウキさんと同じように軽装の方がいいですね……こちらはどうでしょう?」

 

 店員から差し出されたのは胸部と間接部分がプレートで覆われた軽装甲の装備だった。防具のステータスを確認すると、確かに今つけている防具よりもかなり軽く、丈夫で動きやすそうなのだが、なんとなく装甲部分が動き辛そうに感じてしまった俺は、もう少し注文を狭めてよりわかりやすく伝わるように申し入れてみた。

 

「すまないが、装甲部分がない防具っていうのはあるのか?」

「ありますが……それは魔法系であったり、遠距離系という形になりますので近接系のトウカ様に合うような耐性効果はありません……一部のレア装備で存在致しますが、ボスドロップ限定がほとんどです。私どもが扱っている装備では……」

「あぁ、耐性効果とかは求めていないんだ。一応見せてもらってもいいかな?」

「え、えぇ、でしたらこちらです」

 

 店員に案内されるがままについていくと、ユウキが肘で俺のわき腹をつつきながらコソコソと話しかけてきた。

 

「ちょ、ちょっとトウカ。何考えてんのさ」

「何ってー……なんだ?」

「トウカって近接でしょ?物理耐性ないとすぐやられちゃうよ?」

「お前だって軽装だろう」

「ボクはトウカより強いからいいの」

「お前……それはハッキリ言い過ぎだ……」

 

 店員から「お待たせ致しました。こちらです」と案内された先を見てみるとそこは近接とは違い、かなり身軽そうな装備が綺麗に展示されていた。

 装備一つ一つ確認していくと、耐性効果一覧には火炎ダメージ減少、氷耐性、麻痺軽減であったりと、確かに近接とは無縁の効果がほとんどだった。

 

「やっぱり物理耐性はないか……」

「そりゃそーだよ。鉱石使ってない防具しかないからねー」

「だよなぁ……。――お、これ……」

 

 諦めムードになりつつ歩きながら流すように商品を見ていくと、俺は一つの装備に目が止まった。

 

「これは……着流し……か?」

「へ? 着流しって?」

 

 ユウキは見たこともない装備と聞いたこともない単語に興味心身な様子で店員に尋ねた。すると店員は同じ装備を取り出してユウキにしっかり理解してもらえるようにと服を広げて説明を始める。

 

「着流しというのは、男子が和服を着る際に袴を穿かない様のことです。 またその着こなしかたとも言えます。 古くは羽織を略したもののみを特に着流しと称し、袴をつけなくとも羽織を着ていれば礼装にかなうとされていたのですが、現在では羽織の有無にかかわらず袴を着けない様を指すことが多いですね」

「えっと……つまり……?」

「ま、昔の私服と言ったところだな」

「なるほどぉ!」

 

 俺の一言で理解してしまったユウキを見た店員が「どうせ私の説明なんて……」とシクシクと泣き出してしまい、ユウキは「あっあっ、ごめんねー!」と慌てて慰める様子を尻目に、俺はこの服をよく着ていたことを思い出す。

 

――昔はよく着付けされたっけな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じーちゃんじーちゃん! 僕、一人で着れるようになったよ!」

「おお、そうか。頑張ったな。えらいぞ刀霞」

 

 刀霞はくしゃくしゃの帯をズルズルと引きずりながら、祖父の元へ駆け寄る。

 祖父はとても着こなせてはいない刀霞の姿を見ても、決して怒ることはせず、褒め称えて優しく彼の頭を撫でた。

 

「そうだのぉ、もう少しだけ帯を締められるようになれれば、120点だな!」

「うん!僕頑張るよ!見ててね!!」

 

 刀霞は一生懸命帯を腰に巻き、見えない背中に手を回しながら必死に結ぼうと試みるのだが、体が回るばかりでまったく結ぶことができず、仕舞いには帯で足を滑らせて、頭から転んでしまう。刀霞は無言で起き上がるが、痛さに堪えかね鼻をすすりながら涙を流がす。が、そんな姿を見た祖父がそっと刀霞の服を掃い、あやすように背中を摩った。

 

「これこれ、大丈夫か。もうちょっとだぞ。ここを、こうして、こうすると……」

 

 祖父は刀霞の手を取り、帯をできるだけゆっくり、丁寧に教えながら巻かせてみると、きちっと背中で結び目が整い、綺麗な着流しの姿が刀霞の眼前にある鏡に写し出された。

 

「で、できた! できたよ!」

 

 刀霞は祖父に抱きついて歓喜する。祖父も優しく受け入れ「よくやった。150点だのぉ」と喜びを共に分かち合った。

 刀霞にとって、褒められることは唯一の喜びだった。父に叱られ、母に期待されず、兄弟にも見放された刀霞の唯一の拠り所が祖父ただ一人だけ。

 それでも刀霞は嬉しかった。自分が努力した結果認めてくれたことによって報われた、大切な大切な思い出でもある。

 そんな祖父が認めてくれた着流し。様々な辛い過去を思い出した刀霞であったが、その思い出だけは例外だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――久しぶりに、着てみるか。

 

「よし、これを貰おう」

 

 トウカの反応に、店員は驚いてその装備がいかに戦闘に不向きなのかを説く。

 

「これは、その……。戦闘用ではなくファッションのようなものでして……非戦闘地域や中立域の都心内……つまり安全地域で着るような私服的なものです。耐性効果どころか防御力自体ありませんよ?」

「いいんだ。これがほしい」

「さ、左様でございますか……」

 

 ユウキが「今つけてる防具より弱くなっちゃうよ!?」と訴えかけきたが、俺は「これがいいんだ」と言い、考えを改めることはしなかった。

 

 お金を支払い店を出てると、ユウキが「早く装備してみて!」と急かしてきた。

 トウカも少し乗り気だったため、さっそくアイテム欄から選択して装備をすると今着ている装備が一瞬にして消え、綺麗な黒い生地がふわりとトウカの体にピッタリと収まる。現実世界とは違い、確認ボタンひとつで勝手に着付けできてしまったが、トウカは着流しを身に着けた瞬間一気に体が軽くなるような感覚を覚えた。それもそのはず、防御力が皆無のため重さもない。それ故に今までにはなかった開放感が彼を包み、肩の荷が下りたようなすっきりとした気分になった。

 二人は歩きながら改めて服の具合や着こなしを確認する。

 

「懐かしいなー。この感じ」

「わぁ……なんだかお侍さんみたい」

「妖精には似つかわしくない姿だな……変か?」

「う、ううん!凄く似合ってる!」

「はは、ありがとな」

 

 言葉をつまらせてしまったユウキに、トウカは一つの懸念を抱く。

 

――どうやら気を使わせてしまったか……悪いことをしたな……。よく考えてみればこんな妖精の世界で和服なんてのもおかしな話だ。さすがに世界観壊すようなことをするのはまずかったかな……これは趣味として着ることにしよう。

 

 そんな考えを察したのか、ユウキは暫くの間、トウカの顔をじぃーっと見つめると、やがてポツリと呟いた。

 

「トウカ……今嘘だなって思ったでしょ……?」

 

 一瞬、どきりとトウカの体が反応する。

 

「いや、いやいや。そんなことないさ。嬉しいよ」

「……ホントだもん!」

「あぁ、わかってるよ。嬉しいと思ってる」

「……じゃあそれ、今からずっと着てくれる?」

「それは……」

「ほらね、ボク嘘ついてないもん! いいなって思ったもん!」

 

 ユウキはトウカの進行方向を防ぐように立ちはだかると、声が怒りに震えるのを抑えきれない様子で彼に訴えた。

 口調には怒気が混じり、息遣いが荒々しくなる。

 

「あ、あのなユウキ……そこまで気を使ってくれなくても変なら変って――」

「変って思ってないよ! トウカはかっこいいもん! ちゃんと似合ってるもん!!」

「ユウ、キ……?」

「ボクにいつも優しくしてくれて……ボクのこといつも大事にしてくれる人に嘘なんてつかないよ!!」

「お、おい……少し落ち着い――」

「落ち着いてるよ!! ボクだって……ボクだって……!!」

 

 

「――――ッ……トウカのばか! ばかばかばかー!!」

 

 トウカの困惑した表情にハッと我に返ったユウキは彼を罵った後、大きく羽を広げ、勢いよくどこかへ飛び去ってしまった。

 

「ユウキ……」

 

 どうして彼女はあんなにも怒りを顕にしていたのか。

 トウカは不穏な表情を抑えきれず、片手で頭をおさえ必死に思い出す。彼女の言葉、彼女の表情、彼女の気持ちを――。

 

『ボク……刀霞ともっと仲良くなりたい……』

 

「――馬鹿か俺は……!」

 

 飛び去ったユウキを直ぐに引きとめることができなかった自分の無責任さに対し、咎めるように自分の顔を強く殴りつける。

 そして羽を広げると、彼女を追いかけるべく、トウカは地面を強く蹴った。

 




 今回も閲覧していただき、ありがとうございます。
 ようやく投稿できました。遅くなってしまい申し訳ありません。
 今週はアニメの最終話が多かったので見入ってしまいました。はい、言い訳ですごめんなさい。
 当分ユウキ成分を含んだ話を進めていこうと思います。個人的に興奮したいので。
 コメントしていただいた方、ありがとうございました。
いつもありがとうございます。メリクリのメッセージもいただいて嬉しかったです。
 また、修正すべき点も含めてコメントしていただけると嬉しいです。結婚してください。
 評価もしていただけると助かります。
 年末までに次話が投稿できたらいいなと思います。
 一点だけ告知があります。
 過去の話を改めて振り返ってみると、明らかに表現がおかしい点をいくつか発見しましたので、予告なく修正を重ねていきたいと思います。話の内容自体は変化しませんので、そこだけご了承下さい。
 今後も宜しくお願い致します。



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17

 第十七話になります。
 後編です。



 《中都アルン》は積層構造で段上に町が並び、世界樹の根元が町中を走っており、それを利用した通路などが発達している。

世界樹の根元、つまりアルンの中心区ともいえるその場所は、《グランドクエスト》を受注する人だけではなく、世界最大である中立都市の町並みが見下すように一望できるため、観光スポットとして利用する人も多い。

 根元付近の街路はレンガで生成された石畳が世界樹を囲むように敷き詰められ、道端には所々に花々が咲いている。世界樹の根元の周辺には建築物もなく、見晴らしの良い景色と日光浴にお誂え向きな草原や木陰が広がっており、自然な雰囲気が出ているのも観光利用者が多い理由の1つでもある。

 そんな場所に、ユウキはトボトボと独りで歩いていた。

 やがて道端から少し外れた木に寄りかかるように腰を下ろし、広大な景色を宙に浮いた眼差しで眺めるが彼女の雲がかっている表情は晴れなかった。

 そしてポツリと呟く。隣に彼がいるわけではないが、言わずにはいられなかった。

 

「……トウカのばか……」

 

 拳を強く握り締め、つい唇をきゅっと噛んでしまう。

 

 どうして嘘だと思われてしまったのか。

 まるで自分がトウカを気遣っているように扱っているみたいではないか。

 しかも嘘だと思われたにも関わらず「有難う」と感謝されたということは、トウカもユウキを気遣っているということになる。

 彼女にはそれがどうしても我慢ならなかった。

 

――嘘じゃないもん……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウキ!」

 

 トウカの声が聞こえる。

 ボクは、トウカから顔を背けた。後ろから声が聞こえても振り向くことはせず、そのまま「なに?」と無愛想に返すことしかしなかった。

 

「ユウキ……俺……」

「――いいよ、もう」

 

 ボクは、トウカが謝罪の言葉を口にする前に全て吐き出した。

 元々思ったことを素直に口にしたり、堪え性のない僕には心に溜めた言葉を閉じ込めておくことはできなかった。

 

「どうせいつもみたいに悪かったとか、すまなかったとか言うんでしょ。真剣に謝れば済むと思って、頭を撫でてご機嫌をとればボクが許すとでも思ってるの? ボクだって怒るときは怒るし、許せないことは許さないよ」

 

「――それに、今まで嫌々接してたんだよね。きっとアスナから頼まれたからとかでさ。でなきゃこんなボクにいちいち気遣ったりしないもんね。

トウカは優しいから、仕方なく付き合ってただけでさ。本当は今までやってきたこと全部が迷惑だったんだよね」

「…………」

 

 トウカからの返答はなかった。

 ボクはそれを肯定と受け取り、トウカの言葉を待たずに続けた。

 

「色々迷惑かけちゃってごめんね! もう無理に気を使わなくても大丈夫だから……。これからは自分のしたいことをしてほしいな!」

 

 暗い気持ちを払拭するようにボクは無理やり笑顔を作る。トウカのことは許せなくても、今まで優しくしてくれた気持ちは嬉しかったから。

 すると、トウカは一言だけ僕に語りかけた。

 

「そうか」

 

 それだけ。

 たったそれだけの言葉を述べたトウカは、何故かボクの隣に勝手に座り込んで静かに景色を眺め始めた。尻目でトウカの顔をちらりと見たとき、表情はいたって普通だった。怒っているわけでも、悲しそうな顔をしているわけでもなく、ただボクと同じ方向の景色をずっと眺めているだけだった。

 

「……なにしてるの」

「何って、景色を見てるんだが」

 

 そんな事聞いてない。わかってるくせに。

 

「ボクに構わないでよ」

「ああ、構ってないよ」

「じゃあどっかに行って」

「断る。自分のしたいことをしてるだけだ」

 

 へりくつばっかり。いっつもそう。

 

「ボクの事嫌いなくせに」

「そんなこと言った覚えはないけどな」

「嫌なら嫌って言ってよ」

「それは言ったな。断るってな」

 

 ……確かに言ったけど。

 

「――……どうしてそんなに優しくしてくれるの……」

 

 思わず聞いてしまった。気遣いだってわかってるけど、どうしてもトウカの口から聞きたかった。今何を考えて、ボクの言葉をどう思っているのかどうしても知りたかった。

 トウカはボクの質問にはすぐに答えようとはせず、おもむろに足を崩したかと思えばそのままの流れでゴロンと仰向けになった。

 そして何か遠い空を見つめながらゆっくりと口を開く。

 

「優しく接しているわけじゃないよ。ただ、純粋に楽しいと思ってるだけさ」

「じゃあどうして無理に気遣うようなこと言ったの……?」

「――……不安なんだ」

「不安……?」

「無意識のうちにユウキを傷つけてしまわないかって怖くなる時がある……。もう嫌なんだ、これ以上君を傷つけるのは。――って、今日さっそく傷つけちまったけどな」

 

 トウカは苦笑いを見せてくれたけど、少し強がっているように見えた。

 ――ボクは、過去にトウカからそこまで傷つけられるようなことをされた覚えはない。確かに裸を見られたり、意地悪されたことはあったけど、変な話ボクはそこまで嫌だと思ったことはない。だって全部悪意を持ってやっているわけじゃないって知ってたから。

 何か勘違いしているのかもしれない。今ここで聞かなかったら二度と教えてくれない気がする。そんな予感がした僕は迷うことなくその意味を尋ねてみた。

 

「今回のこと以外でボクを傷つけたことあるの……?」

「……あるかもな」

 

 トウカは悲しそうな顔でずっと晴天の青空を見上げていた。強引に問いただせば教えてくれたのかもしれないけど、ボクはそんなトウカの表情を見ると聞く事ができなかった。

 心地のいい風が吹くと前髪を靡かせてそっと目を閉じる。物思いにふけるように考え事をしていたトウカは暫く喋ることはなかった。

 そんな姿を見て、ボクなんだか苦しい気持ちになった。

 ボクだってトウカに酷い言葉を投げかけた。傷つけたのは僕も同じだ。だからといって、譲れないこともある。どんな理由があるにしても、気遣われてまでトウカと一緒に遊びたいとは思わない。なによりボクのせいでトウカがこれ以上辛い思いをするのは絶対に嫌だ。

 

 ――でも……。

 

「……トウカは……ボクともう遊びたくない……?」

 

 違うよ。何言ってるのボク……。もう遊ばないって言わなくちゃ……。

 

「……それは悲しいな」

 

 なんでそうやって……いつも優しく頭を撫でてくれるの……。

 

「そんなことしても……許さないから……」

 

 だから……優しくしないで……。

 

「ユウキ。もう一度だけ、チャンスをくれないか?」

「え……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はユウキの目を見据えて、一つの約束を口にする。

 

「もう二度と、ユウキを変に気遣ったり裏切るようなことはしない。できるかぎり正直な気持ちを伝えると約束する。だから、もう一度だけ俺と一緒に遊んでくれないか?」

 

 これでユウキを傷つけてしまった気持ちを許してもらおうとは思っていない。ただ、このまま二度と関わることなく別れてしまうのが俺には我慢ならない。

 最初は嫌われたら諦めようと思っていた気持ちが今では何故か間逆の考えになってしまっている。

 ……もし許されるのであれば、もう少しだけ彼女の傍にいたい。断られたら、その時はその時だ。

 そんな諦めにも似た感情を片隅におきつつ、彼女の返答を待っていると、ユウキは何も答えずに仰向けになっていた俺の腹部に倒れこむように頭を乗せる。

 例えるなら、膝枕ならぬ腹枕のような形になり、ユウキは暫く俺の顔を黙視するよう睨んでいたのだが、やがて一言だけ。ポツリと呟くような声で言った。

 

「やだ」

「……なら、どうすれば仲直りできる?」

「……ん!」

 

 彼女は憤りが篭ったような短い言葉を発すると、察しろと言わんばかりに頭を差し出すように少しだけ身を丸める。

 

「え、えっと」

「んー!!」

 

 これ以上の言葉は許さない。

 という勢いで頭を体に押し付けられた俺は、もはやどうすることもできない。やれることはたった一つだけ。どうしたって彼女には敵いそうもなかった。

 

「……了解致しました。絶剣様」

 

 今回ばかりは彼女の言いなりだ。観念した俺はお詫びの意を込めつつ、できる限り優しく、そっとユウキの頭を撫でた。

 ユウキは子猫が日向ぼっこをするような幸せそうな顔で受け入れてくれた。彼女の髪がサラサラと手になじみ、いくら撫でても飽きることはなかった。

 暫くの間撫で続けていると、ユウキの反応がまったくないことに気がつく。不審に思った俺は彼女の前髪を掻き分け表情を覗くと、そこには気持ちよさそうに寝息をたてている様子が伺えた。

 

――これは一応、仲直りできたってことでいいのかな。

 

 ホッと一安心した俺も、気が緩んでしまったせいか暖かい日差しと心地良い風に負けるようにうとうとと、徐々に瞼が沈み、睡魔に導かれるようにうたた寝をするのだった。

 

 

 

 

「ん……ぅ……」

「お、起きたか」

 

 ユウキはゆっくりと体を起こし、大きな背伸びをした後に目をごしごしと擦る。

 俺に「いまなんじー……?」と寝ぼけながら時間を尋ねてきたので「今は十四時だよ」と返すと、きゅるると可愛らしい音がユウキの腹部から聞こえた。

 

「お腹すいたー……」

「そうだな、ご飯食べに行こうか」

「トウカの奢りだからね」

「ほぉー。絶剣は初心者にたかるのかね?」

「……やっぱりボク独りで食べる」

「はは、冗談だよ。好きなものご馳走するから勘弁してくれ」

 

 ユウキは顔を顰めていたのももの、それがどこか、ほんの少しだけ嬉しそうにも見える。

 その後、ユウキに七人前近いほどの食費を支払わされたものの、特に喧嘩もすることなく楽しく過ごすことができた。

 結局俺は着流しを一日中身に着けることとなり、周囲のプレイヤーからチラチラと見られることは多少あったが、時が経つにつれて次第に慣れてしまった。

 元々昔から着ていたものだけに、俺自身違和感はなかったが周りの目もあるし今後どうするかとユウキに相談したところ「トウカは絶対にその服が似合っているから着るべきだ」という後押しも相まって、当分はこの服を着続けることにしようと腹を決めた。

 そんなやりとりをしている内に、気づけば日もすっかりと沈んでいた。ユウキから宿屋を借りて休憩してからお互いにログアウトしようという提案を受け、二人で雑談をしながらのんびりと過ごす。

 そんなゆったりとした時間の中、俺は話を掘り返すようで申し訳ない気もしたのだが、一つ気になっていたことがあったので、ベットで寝転がりながらアイテム整理しているユウキに尋ねる。

 

「なぁユウキ」

「はいはーい、ちょっとまってねー……。ポーションをこっちにしてー、素材は預けるとしてー。――とりあえずこれでいっかな。おまたせ、なぁにー?」

「無粋なことを聞くかもしれないが、どうして俺が最初に着流しの格好を聞いたときに、ちょっと戸惑ったような素振りを見せたんだ?」

「あ、あー……あれねー……」

 

 ユウキは気まずそうにむくりとベットから起き上がると、枕を抱きしめて顔を隠す。

 

「いわなきゃだめかな……」

「いや、無理にとは言わないよ。少しひっかかってただけなんだ」

 

 ユウキの表情がわからなかった俺は、何か深い事情があるならば深入りしないほうがいいなと察し「別にそこまで知りたいことじゃないから、本当に無理しなくていいぞ」と付け加えたのだがユウキはなにやらボソボソと喋っているように聞こえて、

 

「え、なんだって?」

「……いいって……思ったから……したの!」

「――え、ええと。ごめんもういっかい……」

「か、カッコいいって思ったから緊張しちゃったの!!」

「――――」

 

 俺は体が固まってしまった。

 真正面からカッコいいと言われたことなど、生まれてこのかた一度もない。俺としては、絶対にお世辞だと疑ってしまったのだが、表情こそ見えないものの、真っ赤に染まったユウキの耳を見て察するに、どうもそうは聞こえない。

 俺はつい目線を窓際に逸らして、熱を帯びた頬を隠す。

 しかしこの時、実はユウキの方が重症だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――な……なにハッキリ言ってんのボク!?

 

 本音を言うつもりはなかった。しかし、純粋に感じたことを口にしてしまう彼女の性格がそんな器用なことを決して許さず、何故か誤魔化すことのできなかったユウキは酷く混乱していた。

 イケメンと思う人はゲーム内で何人も見てきた彼女であったが、純粋に一人の男性をカッコいいと思ったのはトウカが初めてだった。ましてやその人とさっきまで一緒に遊び、気づけば今は密室の部屋で二人っきりの状態である。

 そんなことを考えたとたんユウキは急に恥ずかしくなり、トウカの顔をまともに直視することができなくなっていた。

 妙に長い沈黙が続いてしまったが、トウカがそんな空気に耐え切れず、「あ、ありがとな」と躓くような口調でお礼を言うのだが、ユウキは「う、ううん! 全然なにも!」と、かみ合わないような返答をしてしまう。

 その直後、ユウキは今まで感じたことのないほどの緊張感に襲われ、心臓の鼓動が頭に響くような感覚に見舞われた。

 

――あ、あれ……。なに……これ……。

 

 胸騒ぎにも似た不思議な感性とでも言うべきだろうか。

 チラリと枕越しでトウカの顔を見ただけで、ドキンと急に心拍数が跳ね上がる。

 次第に呼吸が乱れ、息苦しさを感じたユウキは胸を手で押さえるも、一向に治まる気配がない。

 

「はっ……はぁ……っ」

 

 荒々しい呼吸に気づいた刀霞は「お、おい大丈夫か?」と近づくも、「だ、大丈夫大丈夫!全然へっちゃらだから!」とやせ我慢するように平常心を保つ。

 しかしトウカが近くにいるというだけで鼓動が強くなり、「熱でもあるのか?」と手をそっとおでこに当てると、ユウキは臨界点に達して――。

 

「あ、あぅっ……ぼ、ボク今日はこれで落ちるね! また明日連絡するから!!」

 

 そういい残し、トウカを置いて一人で早々にログアウトしてしまった。

 トウカは一人部屋に取り残されるものの、彼女の一言が頭から離れられず、脳内で先ほどの言葉が繰り返し再生される。

 

「……変な気分だな……」

 

 今まで感じたことのない違和感に戸惑いながらも、彼は暫くの間取り残された部屋で頭を冷やしていた。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ALOからログアウトした木綿季は、月明かりのみに照らされた暗い部屋で暫く呼吸を落ち着かせていた。手が顔に触れると、風邪でも引いたのかと思われるほど熱を帯びているのがよくわかる。

 緊張感はほどよく抜けかかっていたが、それでも刀霞の顔を思い出すだけで少しずつ鼓動が早くなる。

 

「……ボク……やっぱり……」

 

 胸元をぎゅっと鷲掴み、胸の奥底にある確信に近いものを木綿季は感じつつあった。しかし、自分が今まで経験したことのない感情から木綿季はどうすればいいのかわからない。

 心の片隅で燻っていた小さな予感が少しずつ膨れ上がり、痛みにも似た情感を治めることができない。

 一緒にいて楽しい、一緒にいて嬉しいという気持ちはアスナとみんな(スリーピング・ナイツ)で山ほど経験している。

しかし、こんなにも心が揺さぶられることは未だかつてなかった。

 刀霞の傍にいるとその感覚が少しずつ大きくなるような歯痒さには木綿季自身も薄々気づいてはいたのだが、形容し難い気持ちをどう表現すればいいのか説明ができない。日に日にその想いが強くなっていくことは、木綿季にとって唯一対応できないものとなっていた。

 だが、木綿季は恐れているわけではなかった。

 この感情の原因をよく知る者が、木綿季の友にいる。

 

――独りで悩んでてもしょうがないよね……

 

 木綿季は、信頼できる友へ。この想いを打ち明ける決意を固めた。




 今回も閲覧していただき、ありがとうございます!
 ここから木綿季の気持ちが少しずつ確信に変わります。
 まだもう少し時間がかかりますが、それでもお互いに意識し始めている段階です。
 もっと上手く表現できればいいのですが、少しずつ修正を加えながら完成させていきたいと思います。
 初コメしていただいた方もいて嬉しかったです。これらも頑張りたいと思います!


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18

 あけましておめでとうございます。
 今年も宜しくお願い致します。 
 投稿が非常に遅くなってしまい、申し訳ありません。
 多忙が重なり思ったよりも時間がかかってしまいました。
 失踪はしませんので、これからも生暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。


「えっと……ここがこうなって……こうなるからー……」

「そうそう、あと少しだよ」

 

 ホログラムに映し出された数式を、気難しい顔をしながら凝視しているユウキの隣で、アスナはヒントを与えつつも彼女が自力で解けるように静かに見守る。

 やがて、ユウキは「わかった! こうでしょ!?」と得意げにアスナに突き出すと、

 

「うーん、最後の計算がちょっと……」

「うぇーまたぁ!?」

 

 アスナが指先で間違えている場所を指定する。そこは先程再計算したにも関わらず間違えている様子で、これで五回目の計算ミスに、ユウキはとうとう力尽きるように項垂れて、机に伏してしまった。

 

「えっくすいこーるとか、るーとわいとか、どうも英語は駄目だなぁ……」

「数学だよユウキ……」

 

 ユウキは今、アインクラッド二十二層の、アスナとキリトが住んでいるログハウスにてアスナに勉強の教えを受けている最中である。

 病状は完治とも言っていいほど良好に回復し、現在は肉体的な回復を図るため日々リハビリを続けているユウキであったが、トウカに出会うまでは助かる見込みがないことを前提に生活していたため、学問をまったくといっていいほど修めていなかった。

 以前に女子全員で宿題をする機会があったので、アスナがユウキを誘い、リズベット、シリカ、シノン、リーファで女子会兼勉強会を開いたのだが、その日はユウキにとって、とても苦い思い出となってしまった。

 アスナは学校に通えないユウキのために、年齢相応に合う自作した宿題をプレゼントしたのだが、これが彼女にとっては相当な難題の連続であったようで、結果的にユウキは知恵熱を出してしまうほどの状況に見舞われてしまった。

 しかし解けないのも無理はなく、長く闘病生活を続けていたせいもあってか、年齢相応の問題とはいえ長らく学校に通っていない彼女にとっては、中学三年生の数式や英文は未知の領域でしかない。そもそも、学校は大好きであったが勉強が苦手であるユウキは、得意科目以外の勉強を積極的にすることをしなかった。

 それを見かねたアスナが、『退院したら学校に通うことになるんだから、少しでも予習しておかないと、私のいる学校に入学させてもらえないかもしれないよ?』と発破をかけ、最初こそごねられたものの、あることを条件に渋々承諾して今に至る。

 

 

「あーもう無理だよぉー……」

「でもここまでよく頑張ったね。ちょっと休憩しよっか」

 

 

 ぐったりと今にも溶けそうな顔で意気消沈しているユウキを見て、これ以上続けるのは難しいと悟ったのか、アスナは立ち上がるとキッチンへ向かい、片手にはティーポットを、もう片方には生クリームがたっぷりとデコレーションされたケーキを持ち、ユウキが伏している机の前へ置いた。

 ユウキの隣へ腰を掛けなおし、純白のティーカップへゆっくりと紅茶を注ぐと穂のかな甘い匂いがたちこめる。

 

「わぁ、いい匂い……」

「先日解放された階層で見つけた茶葉なの」

 

 アスナに手渡されたティーカップを受け取ったユウキは、甘い香りを堪能した後一口だけ口に含める。すると優しい甘さが口の中へ広がり、紅茶独特の苦味を僅かに感じる。呑み込むと体の芯が温まるような感覚になり、茶葉の香りが鼻へ抜けていくのがわかった。

 

「ふわぁ……これ凄く美味しい!」

「でしょ? 疲れた気持ちが癒されるのよ。私もキリト君もお気に入りなの」

 

 そんな言葉を聞いたユウキはなんとなく、ちらりとアスナの顔を見てしまった。

 その時のアスナはティーカップに注がれた紅茶を愛しむように眺めていただけであったが、きっとキリトの事を考えているのだろうなとユウキは察することができた。

 

――恋人、かぁ……

 

 ユウキは部屋をつい見回す。

 

――アスナとキリトは一体どんな苦難を乗り越えてこの家を買うに至ったのだろう。……アスナはどうしてキリトを好きになって、キリトはアスナを好きになったのだろう。

 

「……ユウキ、どうしたの? 大丈夫?」

 

 呆然と考え事をしているユウキに気がついたアスナは心配そうに尋ねるのだが、ユウキは「へ?」と聞きそびれたように呆けた返事をする。

 

「何か悩み事? 私で良かったら相談に乗るよ……?」

「やー……そのー……えっと……」

 

 相談したいと思っていたのだが、うまく話を切り出すことができない。言葉が詰まるだけでうまく返答できないユウキは誤魔化すように紅茶を飲み、目線を逸らす。

 アスナはそんな彼女の落ち着かない姿を見ると、そっとユウキの膝の上に手を置き、まっすぐな視線を向けて想いを投げかけた。

 

「無理しないで……? 話せば楽になるかもしれないし、いつだって私はユウキの力になるよ……?」

 

 アスナの嫌なもの全てを包み込んでくれるような優しい笑顔。

 そんな表情が姉の姿と重なって見えてしまう。

 

――いつもボクの力になってくれる大切な人。挫けそうになった時も、傷ついて苦しくなった時も、アスナはいつもボクを支えてくれた。こんなにもボクを心配してくれる人がいるなんて、なんて幸せなことなんだろう。迷うことなんてなかったんだ。……だってボクも、アスナを信頼しているんだから。

 

「アスナ……」

「なぁに……?」

「――キリトを好きになった時って、どんな気持ちだった……?」

「え……?」

 

 アスナは予想外の言葉に一瞬戸惑う。ユウキが何故そのようなことを聞くのか意図を汲み取ろうとするが、アスナが言葉を返す前にユウキは言葉を付け加えるように続けた。

 

「あのね。ボク、好きな人できちゃったみたい」

 

 たはは、と後ろ頭を掻いて恥じらいを隠すように苦笑いを作る。

 

「――……トウカのこと?」

「へっ……?」

 

 アスナはユウキの尋ねた理由を理解しても決して驚くことはなかった。なんとなくユウキが好きな人を直感的に察していたアスナは紅茶を一口飲み、一息いれた直後、その直感が正しいのか、予感していた名前をユウキに告げた。

 その言葉を聞いて結果的に驚いてしまったのはユウキの方だった。好きな人が刀霞だとは一言も言っていないにも関わらず、アスナはさも事前に知っていたかのように聞き返された。

 遠まわしに言ってもアスナには全てわかってしまう。そんな事実に観念したように手足を大きく伸ばし、ユウキは悔しそうな口調で重い空気を払拭した。

 

「あーあ! アスナは何でもわかっちゃうんだねー!」

「わかるよー。私はユウキの親友だもん」

「……ありがとアスナ。でもね、本当に好きなのか実はよくわからないんだよねー。人を本当の意味で好きになったことがないから、この気持ちが本当なのか確かめたくって。だから男の人を好きになる気持ちってやつをアスナに聞きたいなーなんて……」

「……そんなに難しいことじゃないよ?」

「そ、そうなの……?」

 

 アスナはクスッと笑みを溢すと、静かに天井を見上げ、物思いにふけるように眼を閉じてキリトの姿を思い描きながら彼に寄せる気持ちを素直に言葉にしてユウキに告げる。

 

「ずっと傍に居てほしくて、守ってほしくて……そんな人の傍に居たくて、そして守りたい。そう想えたら、それは好きってことだと思うな」

「……傍に居たくて、居てほしい……」

「ユウキは、トウカと一緒にいて楽しい?」

「……うん。喧嘩したりもするし、嫌いなところもあるけど……」

「私もだよ?」

「アスナも……?」

「もちろん喧嘩もするし、直してほしいところもあるけど、本当に好きな気持ちってそんなことぐらいで変わらないと思うな……。なーんて、ちょっと恥ずかしいな……」

 

 ほのかに顔を赤らめつつも、気持ちに嘘はないためか表情は終始穏やかだった。

 そんな表情を、ユウキはとても羨ましく感じてしまった。好きという感覚に絶対的な自信を持ち、嘘偽りなく好きな人への気持ちを誰かに伝えることができる。おそらくキリトも同じ気持ちなのだと思えるほど、アスナの信じるキリトへの恋愛感情は本物だった。

 アスナの話を聞いているうちに、徐々にユウキの心中にあるトウカに対する想いが確信へと変わっていく。

 

 トウカの傍にいたい。できることなら、傍に居てほしいし、傍に居たい。――でも、トウカはボクのことなんて……。

 

 そんな一抹の不安と淡い恐怖が入り混じり、ユウキの表情が次第に暗くなる。胸の奥が雲がかったようなザワザワするような嫌な感覚に見舞われるが、そんな様子を見たアスナが、そっとユウキを抱きしめた。

 

「大丈夫だよ。トウカはきっとユウキの想いに応えてくれるよ。だってトウカはユウキのこと嫌いにならないって言ってたじゃない。それに……」

「……それに?」

 

――トウカは貴方のために命を懸けてくれた人なんだから……。

 

「――……ユウキは可愛いんだから、トウカが振り向かないわけがないよ!」

「あはは……ありがとアスナ。うん……ボク、頑張ってみる」

 

 胸中にある想いとは違う言葉を告げてしまったアスナであったが、それは刀霞に口止めされている内容であったため、どうしても言うことができなかった。

 しかし言葉は違えどトウカは誰よりもユウキのことを考えて、想ってくれている。

 きっとユウキの気持ちにも応えてくれるだろうとアスナは信じていた。

 ユウキの気持ちが落ち着くまで、アスナは暫く抱きとめていたのだがその最中、沈黙を破るようにフレンドからメールが届いたことを通知する音が部屋に鳴り響いた。

 アスナとユウキは密着していたため、どちらから届いたのかわからなかった。お互いに顔を見合わせ、ほぼ同時にメニュー画面を開いてお知らせを確認すると「あ、キリト君からだ」とアスナが先に反応する。

 

「今から家に戻るけど……トウカも食事に誘っていいかな……って……」

「え……えぇぇー!?」

 

 ユウキは椅子から立ち上がり、慌てながら「どどどうしよう!?」とアスナに言うのだが、アスナは「お、落ち着いてユウキ。大丈夫だから」と宥めながらこの後のことについて話し合う。

 実は、勉強が終わった後ご褒美としてアスナの手料理を振舞うことになっていたのだ。キリトとユイは用事で外出していたため、帰ってきてから四人で食事にしようという計画になっていたのだが、ここでトウカが来るということは二人にとっても想定外のことだった。

 そんな突然の状況にユウキは心の整理がつくはずもなく、とにかく逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 

「あ……あの……ボク……実はこの後用事が……」

「あるわけないよねー? 私たちと食事する約束してたもんねー?」

「な、なんかお腹が痛くなってきちゃって……」

「状態異常のアイコンは見えないけど?」

「あ、あぁー……急に具合が……なんか病状が悪化してきたかも……」

 

 汗だくで焦点が合わず、必死に理由を作ろうとしているユウキを見たアスナは、大きなため息をついてとユウキの手を握った。

 

「ユウキ……今さっき頑張るって言ったばかりじゃない……」

「だ、だって……二日前から変にトウカのこと意識しちゃって……だから……その……全然会話してなくて……」

「いい機会じゃない。このままずっと長引けばもっと会話できなくなると思うよ?」

「で、でもでも……心の準備が……それに何話せばいいのかわからないよぉ……」

「大丈夫、私がちゃんとサポートするから!」

 

 アスナはニッコリと微笑む。

 ユウキには、その笑顔がどこか恐ろしく怖く見えて――。

 

「ぼ、ボク……やっぱり今日は帰るー!」

 

 逃げ出そうと玄関に向かって脱走を試みる。が、アスナに手をつかまれ逃げることができない。片手でユウキを捕まえつつ、アスナは「大丈夫だよ、楽しみにしててね……っと」と、もう片方の手でメール返信を済ませた後、ユウキに一つの提案を示す。

 

「ユウキ、私にいい考えがあるの。会話をするきっかけにもなるし、きっとトウカも喜んでくれると思うわ」

「な……なぁに……?」

「それはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、数時間前。

 

「うーむ……黒色を選ぶとはいいとして、なんかなぁ……」

「ほっとけ」

 

 キリトが俺の着流しをまじまじと見つめ、やはり妖精というコンセプトから離れているせいかどうも納得がいかない様子でぶつぶつと呟いている。そんな様子をキリトの肩に座っていたユイが、「私はかっこいいと思いますよ!」俺をフォローしてくれた。

 

「ほらな、わかる子にはわかるんだって」

「でも、パパが一番かっこいいです!」

「さすが俺の自慢の娘だ」

 

 親子で結託されたら敵うはずもなく、俺の着物に関してはそれ以つっこまれることはなかったが何故か敗北感にも似たような感覚を味わうハメになってしまった。

 今日はリズに依頼しておいた刀を受け取るために彼女が営む鍛冶屋へ向かう予定だ。

 一人で行く予定だったのだが、キリトが強い武器ができるのではという好奇心を抑えられず、どうしてもその武器のステータスが気になるから同行したいという連絡を昨日受けたため、ユグドラシルシティで待ち合わせする形となった。

 当日になって合流すると、ユイも面白そうだからとついてきてしまったようだが、別に困ることはなかったので快諾し、結局三人で鍛冶屋へ行くこととなった。

 

「あぁ、ここだな」

 

 キリトの言葉につられ、足を止めて店先の看板を見ると《リズベット武具店》と大きな文字で書かれているのが確認できた。決して大きな店ではなかったがインプ領の武具屋に比べれば上等な店構えに見える。ドアノブには《closed》と表記された板がぶらさがっていたが、俺はお構いなしに扉を叩き、「リズー。俺だ、トウカだ」と扉越しに呼ぶと、微かな声で「鍵は開けてるから入ってきてー!」と返す言葉が聞こえた。

 試しにドアノブを捻ってみると、確かに鍵は開いており、そのまま扉を開けて看板を潜る。

 

「リズー? キリトとユイちゃんもきたぞー」

「あれー。何しに来たのよ二人とも」

 

 言葉が聞こえると同時に奥の扉が開き、布で手を拭きながら出てくるリズの姿が見える。キリトは「武器のステータスが気になって……」応えるとリズは「あんたも物好きねー」と呆れたように言葉を返した。

 

「ユイちゃんいらっしゃい。何にもないとこだけどゆっくりしてね」

「とってもカッコいい装備がいっぱいです! 見学させていただきますね」

 

 ユイは羽を広げるとキリトの肩から飛び立ち、リズが今まで作成したのであろう展示されている装備を飛び回りながら見始める。

 リズは「ちょっとまっててね。今持ってくるから」と言い残し、奥の部屋へと再び消えていった。

 

「氷属性の刀か。なんだかわくわくするな」

「お前ほんと好きなのな……」

「今まで見たことないからな。同じ近接職としてチェックはすべきだろ?」

「エクスキャリバー持ってるじゃないか。あれってレジェンダリーウェポンなんだから流石にあれより強いってことはないと思うが」

「確かに強いけどレジェンダリーは強化もできないし属性付与もできないからな。基礎ステータスは高いけど属性がない分相性次第では尖った性能をもっている武器の方が強い時もあるのさ」

「なるほどね……」

 

 そんな会話をしている内に、リズが「おまたせー」といいながら一本の白鞘袋を持ってきた。カウンターの上に置くと、リズに促されて、俺は丁寧に結び目を解いて白鞘袋をストンと下げる。

 すると、透き通るような真っ白な鞘と柄が姿を現した。

 鞘には雪の結晶のような模様が施されており、柄は絹糸を使用したような綺麗な艶が伺える。まるで綺麗な素肌をもつ女性のような美しい形状に、俺は見蕩れてしまっていた。

 

「抜いてみて」

「あ、あぁ」

 

 リズに言われるがまま、慎重に鞘から引き抜いてみると、綺麗な直刃をもつ刀身が顔を見せた。刀身からは氷属性の特徴ともいえる冷気を仄かに漂わせ、そっと触れてみると冷たい感覚が手に伝わる。

 

「……これは凄いな」

「この刀の名前は、霧氷(むひょう)よ」

「ステータス自体はそこまで高くないな……。属性値はまぁまぁか」

「性能は鍛冶屋のステータスに反映されるからね……。ごめんねトウカ……せっかく頑張って採取したのに……」

「いや、俺は性能なんて求めてないよ。いい刀だし、色もデザインも俺の好みだ。リズに任せて正解だったよ。本当にありがとう、大事に使わせてもらうよ」

 

 何かお礼ができるといったわけでもなく、その場で出来る精一杯の感謝を込めて、俺はリズの頭を撫でる。

 リズは俯いたままで表情まではわからなかったが「別にいいわよ……私も楽しかったし……」と小声で返してくれたのが確かに聞こえた。

 とりあえず今柄を持つと手が震えてしまうのがバレてしまうため、装備をするのはまた今度にしようとアイテム欄へ武器を収める。

 

「そうだ、この後ログハウスで食事するんだけど、二人とも来るかい?」

「俺は別に構わないが……」

「私はパス。まだ請け負った武器のメンテナンス終わってないから、また今度お願いね」

「そうか、そしたらまた次の機会に誘わせてもらうよ」

「あまり無理しないようにな。体調崩したら元も子もないぞ」

「うん。ありがとトウカ、もう少ししたらちゃんと休むから」

「じゃあ、またな。ユイ、そろそろ行こうか」

「はーい!」

 

 無事に刀を受け取り、リズベット武具店を後にした俺とキリトはそのままの足でキリトたちの家へ向かうことになった。その道中、よくよく考えてみれば家族で食事するのに俺が邪魔していいのか疑問に感じたため、本当に行っても大丈夫なのかとキリトに尋ねると、

 

「別に構わないさ。それに、アスナの料理を食べるのは初めてだろう?」

「それはそうだが……」

「きっと驚くぞ。アスナの料理はアインクラッドのどの料理よりも美味しいからな」

「それはそれは……。さぞ幸せな家庭なんでしょうな……」

「パパもママも大好きです。料理も美味しくて幸せです」

「俺もユイが娘で凄く幸せだよ」

 

 羨ましくないと言えば嘘になる。愛すべき人がいて、愛してくれる人がいるというのは、俺も含め誰だって望んでいる。元の世界へいた頃の俺ならば彼女がほしいと思うこともしばしばあった。だけど今は……。

 

「トウカは彼女とかいないのか?」

「……いないよ。今後もできることはないし、ほしいとも思わない……わかるだろ?」

「……すまない。無粋だったな」

「どうしたんです? パパ」

「いや、なんでもないよ。ユイ」

 

 その後暫く会話をすることはなかった。

 俺がそう思う理由をキリトは十分理解している。無論、それは一部分でしかない。しかし内容が内容なだけに、少し重い空気になってしまった。だが俺は別に怒っているわけでも悲しんでいるわけでもなかった。やがてログハウスまでもう少しというところまで来た時に、キリトがなにやら腕を組んで考え事をしている様子だった。

 きっと先ほどのことで変に気を使おうとしているのだろうと察した俺は自らキリトに声をかける。

 

「キリト、どうしたんだ?」

「うーん……何か忘れているような……」

「ん……なにか買い物とかあったのか?」

「いや、そういうことではないと思う……」

「おいおい、大丈夫か……?」

「まぁ、たいしたことではないよ。ほら、着いたぞ」

 

 ログハウスの近くへ降り立った俺は、キリトの後ろをついていくように玄関へと向かう。

 キリトが玄関を開け、「ただいまアスナ」と帰りを告げるとアスナが奥の方から姿を現し、「お帰りキリト君、トウカもいらっしゃい。ほら入って入って」と招き入れてくれた。

 

「何か悪いな……。邪魔したみたいで……」

「え? どうして?」

「いや、家族水入らずで食事するところに俺が来てしまって申し訳ないなと……」

 

 アスナは俺の言葉聞くと同時に、表情が少しずつ強張り始め、キリトの方へ視線を向けて少し怒りが混じったような口調でキリトに詰め寄る。

 

「キリト君……もしかして……言ってないの……?」

「――あっ」

 

 キリトは何かを思い出したかのようにハッとした顔を俺に見せるが、その時は一体何が起きているのか、キリトが何を思い出したのかまったく理解できていなかった。

 

「あーすなー。隣の部屋からお皿もってきたよー」

 

 奥の部屋から聞き慣れた女性の声が聞こえると共に、その女性は俺の眼前へ姿を現す。

 

「「あ……っ」」

 

 お互いの声が重なり、俺はその場で硬直する。

 まさかこんな所で二日ぶりにユウキと再会するとは思わなかった俺としては、困惑を隠しきれず「よ、よう……」と挨拶することかできなかった。しかし、ユウキは比較的落ち着いている様子で、「い……いらっしゃいトウカ」と詰まりながらも言葉を返す。

 

――な……なんでユウキがここに……?

 

 俺は状況が飲み込めないまま、アスナに「まぁまぁ! いいからいいから!」と背中をぐいぐいと押され、強引に家の中へと押し込まれてしまったのだった。




 今回も閲覧していただき、本当にありがとうございます。
 今後は少しずつ木綿季の恋が進展していけたらと思います。
 ストーリー構成を考え直している部分がありますので、過去の内容を変更したいと思っているのですが、やりたい事が多くてあまり修正できていません。
 まるで部屋を掃除しようと思ったら、片付けているつもりが余計散らかしてしまったような感覚です……
 お気に入り登録、投票していただいた方、本当にありがとうございました。凄く嬉しいです。低評価でも高評価でも評価していただける時点で感謝に極みです。これからも少しずつ更新してまいりますので、今後とも宜しくお願い致します。
 コメントもしていただけると嬉しいです。とても励みになります。

 重ねて宜しくお願い致します。


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19

第十九話になります。

今回は少しだけ人物のセリフが多い内容となります。

表現が難しく、伝わりにくい部分が含まれているかもしれませんので、ご注意下さい。



――俺は今、人生でもっとも気まずい空気を味わっている最中だ。

本来であれば、アスナの料理を堪能する予定だったはずなのだが……とんだ前菜をいただくことになってしまった……

 

全ては俺の向かいの席に座っている、この黒色好きの剣士が原因だ。

 

そんな状況に耐えかねた俺は、ついため息をついてキリトを見る。すると彼は片手でお辞儀手を作り、苦笑いしつつ謝罪を表現するようなジェスチャーをするが、俺は別にユウキがいることに関して参っているわけではなかった。

 

「そんな睨むなって。悪かったよ……」

「いや睨んでなんかないさ……キリトには言ってなかったけど、なんだかんだでユウキとは交流しているし、会うこと自体に抵抗を感じているわけじゃないんだ。アスナから聞いてないのか?」

「いや……聞いてないな。俺もここのところ別件で少し忙しかったし……ならどうして、そんなに挙動不審なんだ?」

「それが……ここのところユウキに避けられててな……ALO内でもここ最近会っていないし、お見舞いに行っても扉を開けてくれなくてさ」

 

キッチンで作業をしているユウキを脇目で見るが、どうもその真意を探ることができない。表情はいささか緊張しているようにも見えるが今の俺と比べて、そこまで動揺しているようには見えなかった。

 

視線をキリトの方へ戻すと、彼は口元を手で隠しながらこそこそと話すように顔を近づけ、深刻な表情で「トウカ……お前まさか……」と言うのだが、途中で言葉を詰まらせ視線を逸らした。

 

「な、なんだよ……はっきり言えよ」

「――……ユウキにバレたんじゃ……」

「それはないと思うが……知ってるのはお前とアスナと倉橋先生だけだぜ?……バレてたらとっくに詰め寄って来るさ。ユウキの性格ならな」

「なら他になにが――」

 

「ちょっと二人ともー?何コソコソはなしてるのかなー?」

 

俺たちとの会話の間に、怪しいものを見るような目線でアスナが割って入ってきた。

俺とキリトは別に何も、とお互いに同じようなリアクションで返してしまい、よりアスナに疑われるような視線を送られるのだが、なんとか誤魔化し通すと「もう少しでできるからもう少し待ってね」と渋々納得してもらえた。

 

どうしてもユウキが気になった俺は、何故かここに居るのが場違いのように感じ、恐る恐るアスナに確認する。

 

「な、なぁアスナ」

「なぁに?」

「お、俺……やっぱりいない方がいいんじゃ……」

「へぇ……トウカは私たちの料理が食べられないんだぁ……?」

「いやいやいや、そういうことじゃなくて……ほら……その……」

 

会話が聞こえない距離とはいえ、ユウキがいる手前はっきり言うことができない俺はつい口ごもってしまう。

そんな様子を見たアスナは、クスッとささやかな笑みを浮かべ、俺の耳元へキリトにも気づかれないような声で小さく呟いた。

 

「大丈夫。嫌われてるわけじゃないよ?」

「それってどういう――」

「まーまー。後でわかるわよ」

 

途中まで言いかけた質問に答えることなく、ウィンクをしたアスナは再びユウキ

がいるキッチンの方へと戻っていった。

 

それから俺は料理ができるまでの間、アスナの一言がどういう意味なのか暫く考える。

 

 

――嫌われているわけじゃない……?

確かに頭の片隅でそう考えている部分もあったが、ユグドラシルシティでユウキと遊んで以降喧嘩どころか会話すらしていない。仮に嫌われたとしても原因がまったくわからないし、身に覚えもない。いったいなにが原因で――

 

「みんなおまたせ!今日はいっぱい作ったから、お腹いっぱい食べていってね」

 

俺の思考を遮るように、キッチンの方からアスナの声が聞こえてくる。

 

色鮮やかな料理が机の上に並べられ、食欲をそそる香りが部屋いっぱいに広がる。

 

アスナの声でロッキングチェアで寝ているユイが目を覚まし、大きな欠伸をかいて眠気に逆らうようにごしごしと目をこする。未だに眠そうな顔をしていたのだが、眼前のご馳走に気がつくと目を宝石のようにキラキラと輝かせた。

 

「わぁ、凄いごちそうです!」

「今日はユウキとトウカもいるし、ちょっと張り切りすぎちゃった」

「ありがとうアスナ。俺も運ぶの手伝うよ」

「トウカはお客さんだから座ってて。ユウキが今運んでくるから」

「そ、そうか。悪いな……」

 

席を立ち上がり、料理を運ぶのを手伝おうとするがアスナの言葉で制止され、申し訳ない気持ちを感じつつ再び腰を下ろした。

アスナと入れ替わるように、ミトン手袋をつけたユウキが慎重な面持ちで耐熱皿を運び、キリトの前へそっと置くと、絶妙な焼き加減のチーズの香りが部屋を包み込む。

 

キリトは「へぇ、グラタンか。美味そうだなぁ」とグラタンに顔を近づけ、香りを堪能しすると、「えへへ、アスナの調理に加えて、ボクも手伝ったからねー。味は保障するよー?」とユウキは自信満々な表情で胸をそらした。

 

「つまみ食いがほとんどだった気がするけどなー?」

「ア、アスナ!しーっしーっ」

 

ユウキのすぐ後ろで、アスナがジト目でにやけつつ、小声で呟いた言葉を俺は聞き逃さなかった。ユウキは慌てて口に人さし指をあてていたが、時既に遅しというやつだ。

俺は『食い意地の張ったユウキがしそうなことだな』とつい呟きそうになってしまったがキリトとユイの手前、今回は心にしまっておくことにした。

 

その後、次々と肉料理、魚料理などが運ばれ、やがてテーブルの上がご馳走でいっぱいになるのだが、一点の料理だけみんなの前には置かれていて、俺の前に置かれていないものがあった。

 

「あれ。俺のグラタンは?」

「ふふふ、実はね。今日はトウカのだけ特別製でーす!」

 

アスナがそう言うと、キッチンからユウキが慎重とは違うような面持ちで、恐る恐る俺の表情を伺いつつ俺の前へグラタンを置いた。

置かれたグラタンをよく見てみると、キリトたちが置かれたものとは若干違い、形は歪で、表面も少し焦げているようだった。アスナが作るにしては少々見栄えが悪いように感じたが、決して不味そうに見えるものではなかった。

 

「ぼ、ボクが作ったの!」

「ユウキが……俺のために?」

「アスナと比べれば見た目も悪いし、美味しくないかもしれないけど……」

「……ありがとう、本当に嬉しいよ。凄く楽しみだ」

 

素直に嬉しいと思った。普段料理などしないあのユウキが俺のために一生懸命作ってくれた。それだけで少し心が温まるような感覚になってしまう。

ユウキは俺のお礼を聞くと同時に、先ほどまで不安げだった表情が、ぱぁっと明るい笑顔に変わり「どういたしまして!」と嬉しそうに言った。

 

それを見たアスナが一安心したようにオホンと咳払いをし、「それじゃあ、いただきましょ!」と号令をかけると「いただきまーす!」とみんなで声を揃えて食事を始めた。

 

「おぉ、このグラタン美味いぞ」

「ママの料理は全部美味しいですよ!」

「うふふ、キリトくん、ユイちゃん。おかわりはたくさんあるからいっぱい食べてね!」

「ト、トウカも早く食べてみて!」

「あぁ、そんなに焦らなくてもちゃんと食べるさ」

 

ユウキに急かされ、グラタンにスプーンを入れるとチーズとクリームの濃厚な香りが鼻へ伝わる。これは食べなくても美味いとわかる。そう思えるほどの期待以上の匂いだった。

 

「じゃあ、いただきます……あむ……」

「ど……どう……」

 

――こ……これは……

 

「う……」

「う……?」

 

「――……美味い!」

「ほ、ほんと!?」

「ああ、こんなに美味いグラタンは初めてだ」

 

かきこむようにグラタンを頬張る俺を見たユウキは、胸をなでおろして安堵の表情を見せた。ユイとキリトは、俺が美味そうに食べる様子を興味津々に見ていたのだが、やがて「一口食べさせてほしい」とスプーンを伸ばしてきた。

俺は「断る。これは俺のものだ」と持っている皿を遠ざけ断固拒否を示しつつ、ひたすら皿をかきこみ食べ続けた。

 

「一口ぐらいいいじゃないか」

「駄目だ」

「じゃあパパの代わりに私が食べます!」

「悪いなユイちゃん。もう食べてしまった」

 

空になった皿を見せると「トウカさんだけずるいです!」と頬を膨らませて少し怒ってしまったのだが、アスナが「ほ、ほらユイちゃん。他にもユイちゃんの大好物あるよ!」とフォローをまわしてくれたおかげで、その場は落ち着いた。

 

 

――すまん、ユイちゃん……決して自分だけ食べたいわけじゃないんだ。

 

 

「ね、ねぇトウカ……なにもそこまで意地張らなくたっていいと思うけど……」

「ユウキが俺のために作ってくれたんだ。親友だろうが子供だろうが絶対に譲らん」

「そ、それは嬉しいけどさ……なんか今のトウカの方が子供っぽいよ……?」

「なんとでも言え」

 

――人の気も知らないでこいつ。

 

「そんなことより、早く食べないとそのグラタンも俺がもらうぞ」

「だ、だめだよー!おかわりすればいいじゃん!」

「あれ、おかわりの分もつまみ食いしたんじゃないのか?」

「それはしてないってば!――って……ハッ」

 

俺はユウキが怒る前にそそくさ立ち上がり「さーておかわりおかわり」と呟きつつキッチンへ向かった。

その直後、背後から「トウカのばかー!」と聞こえた気がしたが、片手で耳を塞ぎ聞こえないフリをした。

 

 

 

 

 

 

 

その後、机の下でユウキに何度も足を踏まれてしまったが、楽しい食事をとることができた。

つまみ食いしたのは事実なのに何故踏まれなければならないのかと言いそうになってしまうこともあったのだが、グラタンを作ってくれたこともあり、なんとか踏みとどまった。それに、からかい過ぎてしまった非もあるし美味しそうに食べている彼女を見たらあまり怒る気になれなかった。

 

「はぁー美味しかったぁ!」

「お前大丈夫か……?」

「えーなにがー?」

 

ユウキの目の前には、向かい側のアスナが隠れてしまうほどの皿がいく枚も重なっている。

 

「だいじょーぶ!デザートの分は残してるから!」

「そ、そうか」

 

――いやそういうことじゃないんだが……

 

 

 

一通り机のお皿を片付け、アスナとユウキとユイが洗いものをしている最中、キリトと俺は紅茶を飲みつつ食後の余韻に浸っている最中だ。

アスナの料理は流石と言わざるを得ない。料理スキルをマスターしているだけあって、全ての料理が一級品だった。毎日こんなご馳走を作ってくれる嫁さんがいるとは羨ましいかぎりだ。

 

「いい嫁さんをもったな、キリト」

「何だよ急に……」

「こんなに料理が上手くて美人なんだ。いうことなしだろ?」

 

キリトがちらりとキッチン方へ向き、アスナたちが洗い物をしているのを確認すると小声で「そうでもないぞ……」と小さくぼやいた。

 

「何か不満に思うことでもあるのか?」

「いや不満ってほどのものじゃないさ。ただ……」

「ただ……?」

「ちょっとだけ嫉妬深いところとか……」

「あぁ。でもそれは、お前に一途な証拠だろ?」

「それはそうだけど……リーファと買い物してたときでさえ問い詰められた時はまいったよ……」

「ま、まぁいいことじゃないか。――……あ……」

「それにアスナはあれで結構怖いところもあるんだぜ……?この前なんてさ……」

「キ、キリト……」

「ん?どうした?」

「後ろ……」

「…………はぁっ!?」

 

俺がキリトの後方を指差すと、キリトは後ろいるアスナの存在に気づき、素っ頓狂な声を上げた。

 

「キ・リ・トくーん?ちょーっとお話があるんだけどぉ……?」

「さようならキリト。お前はいい奴だったよ……」

「ちょっ……アスナさん!?いつからそこに……と、とりあえず右手にもっているナイフをしまって……あ゛ぁぁぁ!!」

 

キリトはアスナに首根っこをつかまれるように引きずられ、二人の寝室へと連れられてしまった。

その時のキリトの表情は今までみたものの中で、一番死を予感しているような青ざめているような顔だった。

俺は二度と彼に会うことはないだろう。引きづられて行く彼の前で十字を切り、安らかにと静かに祈りを送る。

 

葬式には絶対に行こう。黒色の花を添えなきゃな。

 

「あれ?トウカさん、パパとママはどこに行ったんですか?」

「あぁ、大丈夫。今寝室にいるよ。すぐ戻ってくるさ」

「ユイちゃん……君のパパはね、お星様になったんだよ……」

「こら、余計なこと言うな」

 

ユイをからかうような発言に、俺はコツンとユウキの頭をこづいた。

暫くユイとユウキの三人で雑談をしていると、二人は寝室から出てきたのだが、何故かアスナはご機嫌な表情で、キリトは少々ゲッソリとした顔つきだった。

 

……まぁ理由を聞くのはヤボだろう。

 

そんな俺の気遣いをよそに、ユイは二人に何があったのかとキョトンとした面持ちで尋ねるが、アスナは「ちょっとお話してただけよね?キリトくん?」と笑顔の奥に冷たい視線をキリトに送ると「そ、その通りです」とキリトは合わせるように頷くが、二人に何があったのか、俺とユウキはなんとなくだが想像ができた。

 

「キリトって、後々尻に敷かれそうだね」

「まぁ、アスナには特に弱いだろうな」

 

コソコソと話しつつ、アスナの「待たせてごめんね」という言葉に愛想笑いでしか返せない俺たちであったが、二人の今後がどのようなものになるのか期待せざるをえない。

いずれにしろ仲違いを起こしても二人ならいくらでも仲直りできるだろう。しっかりものの娘もいるし、なによりちょっとやそっとじゃ切れないような深い絆が三人にはあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ、このタルト凄く美味しい!」

「フルーツたっぷりです!」

 

食器を一通り片付け終えた後、食後のデザートとしてみんなでフルーツタルトを食していた。

甘いものが大好きなユイとユウキは興奮気味な様子でタルトをつついている。

俺も久しぶりに食べるタルトを堪能していると、甘いというキーワードでふとあることを思い出した。

 

「そういえば、昨日コレを手に入れたんだが……何かに使えるか?」

 

俺はフォークを口に咥えたままアイテム画面を開き、金色に淡く輝く小さな小瓶を取り出し、机の上に置いた。

全員が不思議そうにこの小瓶を見ていると、アスナが「これって……ハチミツ?」と呟く。

 

「あぁ、《バッカス・ビー》というモンスターからドロップしたんだ。どうやらアルコールが入っているらしい」

「初めてみる食材ね……ちょっといい?」

 

そう言うとアスナはアイテムの詳細を確認するため、そっと小瓶を手に取り小指入れて一口舐める。

 

「甘さは控えめだけど、ちょっとアルコールが強いわね……そうだ、紅茶に少しだけ入れたら美味しいかも!」

「お、おい大丈夫か?ゲームとはいえ未成年なんだからそういうのは……」

「平気よ、別に身体に影響がでるわけじゃないわ。ただ、過剰に摂取すると、一時的に状態異常として《陶酔》になるけど、少しの間だけスキルの使用ができなくなるだけよ」

 

――それはそれで問題な気もするが……

 

スプーンを取り出したアスナは、ハチミツを少しだけ掬い取り紅茶にいれクルクルとかき混ぜる。

一口すすると、グルメ漫画で見るような、とろけるような顔を見せる。

それに続くようにユイが「私も入れます!」と手を伸ばすがキリトに「ユイはさすがにまだ早いかな」と止められてしまった。アスナが代わりにと、違う蜂蜜を用意すると、ただ紅茶にハチミツを入れたかっただけなのか、それだけで満足したような笑顔を見せ、紅茶を堪能していた。

 

「ならボクもちょっとだけ……」

「ユウキもまだ早いだろ。やめとけ」

「子供扱いしないでよね。これでもトウカより強いんだよ?」

「それは剣術的な意味であって――あ、こら」

 

俺が言葉を返す前にユウキは身を乗り出し、ハチミツを掬い取って紅茶の中へ入れてしまった。しかもそれなりの量を。

やれやれと思いながらも味は俺も確かめていなかったので、これを機にと少量だけ掬い取って紅茶をかき混ぜ、一口だけ口に含んでみる。すると、今までの紅茶とは違う甘みが口の中へ広がり、美味さが一段と増した。

 

「おお、確かに美味いなこれ」

「ほんとね。他にも色々合いそう」

「俺には不要なものだから、よかったらアスナが使ってくれ」

「いいの?ありがとうトウカ。大事に使わせてもらうね」

「ユウキも必要ならあげるけど……って……ユウキ?」

 

「ほへぇー……これほんとにおいしーねぇー……」

 

いつの間にかユウキの顔ほんのりと赤く、恍惚とした顔になっている。

俺が「おい、大丈夫か?」と声をかけても、「えぇー?……なぁにー?」と反応が鈍くなっている様子で明らかに普通の状態ではなかった。

 

「もーちょっとだけいれるぅ……」

 

キリトとアスナが心配そうに見ているなか、ユウキはお構いなしにハチミツを掬い取ってはティーカップの中へといれ、量は少量どころか二杯三杯と注ぎ足すように追加し、一気飲みしては御代わりを繰り返した。

 

「ユ、ユウキ……お前、酔ってないか……?」

「やだなぁトウカってばぁ……ボクが酔ってるわけないじゃーん……ひっく……」

 

――今しゃっくりしたぞこいつ……

 

「キリト、アスナ。これってさっき言ってた《陶酔》ってやつじゃないのか?」

「た、確かに酔ってるように見えるけど……スプーン一杯掬っただけで状態異常になるものかしら……」

「もしかしたらステータスによる個体差があるかもしれないな……いずれにしてもそれ以上飲むはやめさせた方がいい」

「確かに……」

 

キリトの助言を聞き入れた俺は、改めてハチミツに手を伸ばすユウキを「ほら、そのへんでやめとけ」制止させる。

 

すると、ここから一気にユウキの態度が一変した。

 

「トウカはいつもそーやってぇ……ひっく……ボクを馬鹿にしてさぁ!!」

「だ、だれも馬鹿にしてなんかないだろ」

「ボクだって頑張ってるんだからねぇ!!」

「あ、あぁわかってるって。とりあえずおちつ――」

「全然わかってなーい!!」

 

あぁ、これは相当酔ってるな……

 

「キリト、少し休ませよう。どこか空いてるベットないか?」

「それなら客室用の寝室があるから、そこで休ませるといい」

「わかった。少し借りさせてもらうよ。アスナ、水を少しもらってもいいか?」

「ええ、すぐに寝室にもっていくわ」

 

このまま暴れられても困るので、被害が及ぶ前にユウキを休ませようと考えた俺は、寝室へ誘導しようとするのだが、相当酔っているらしく、俺の声などほとんど耳には入っていなかった。

 

「ほら、ユウキ。少し休もう。立てるか?」

「またすぐボクをばかにしてぇ……ひっく……ひとりでたてるよぉ……」

「フラついてるじゃないか……あぁほら、危ないって」

「あぁー!!ボクに触ったぁ!トウカのえっち!すけべ!あんぽんたん!」

「わかったわかった、もうなんでもいいからとりあえずおぶるぞ」

「パパ、あんぽんたんってなんですか?」

「アンパンマンの仲間だよ」

「嘘を教えるな嘘を」

 

その後なんとかユウキをおんぶしながら寝室へと運ぶが、頭を叩かれたり首を絞められたりと散々な目にあった。

アスナの手助けもあって、ユウキに水を飲ませた後ベッドで横にさせることはできたのが、中々寝付かずしばらくぶつぶつと文句のようなことを呟いていた。

 

「私、後片付けしておくから、ユウキのことお願いしてもいいかな?」

「あぁ、すまないな。迷惑かけるよ」

「いいのよ。今日は凄く楽しかったわ。それじゃ、また後で様子見にくるから」

 

――本当に人騒がせな奴だなお前は……

 

「ほら、いい加減もう寝ろ」

「むぅーっ……またこどもあつかいしてぇー……」

「わかったわかった……じゃあ、無理しないようにな」

「だ、だからってひとりにするなぁー!!」

「あ、ちょ、うおぉっ」

 

部屋を出て行こうと椅子から立ち上がりユウキに背を向けたのだが、突然ユウキに袖を掴まれてしまった。

その拍子に後ろに仰け反ってしまい、倒れ掛かってしまうが何とかうつ伏せの状態になろうと体を捻り手をつこうとするが、結果的にそれが間違いだった。

 

ユウキに覆いかぶさるようにベッドへと倒れこみ、ついにはユウキと鼻がついてしまうほどの接近をしてしまうことになってしまった。

未だかつてここまで顔を近づけたことがなかった俺は、急な出来事に放心状態へと陥ることになる。

 

「あ……お……す、すまん!」

「にへへ……つかまえたぁ……」

「お、おい……っ」

「すんすん……トウカいいにおーい……」

 

離れようとしてもユウキが俺の首へ手を回し、脱することができない。

強引に解こうとすればするほどユウキの力が強まり、顔が近づいてくる。

それだけで俺の緊張の糸は張り詰められ、ユウキの顔を直視することができない。情けなくも、俺は年下の女の子に手玉にとられてしまっているような状況になってしまった。

 

「わ、わかった……わかったから離れてくれっ」

「えへー……もー……離さないよー……だ……」

 

――駄目だ!こいつすっかり泥酔しちまってる……!

 

「傍に……いて……すぅ……」

「え……?」

 

よく見ると、ユウキは寝息をたててすっかり熟睡していた。

俺は大きなため息をついた後、ユウキが起きないように慎重に手を解き、彼女の体からゆっくりと離れる。

たった数分の出来事にどっと疲れを感じた俺は、とりあえずアスナに報告しようと部屋を出ようとするのだが、ユウキの寝言につい足を止めてしまった。

 

「ねぇ……ちゃん……いか……ないで……」

 

 

 

 

――いかないで……か。

 

 

 

出ようとした扉をそっと閉め、俺はベッドの端へ静かに腰を下ろす。

 

ベッドの軋むような音を抑えつつ、ユウキが起きないように彼女の手にそっと触れる。するとユウキは反応するように力強く握り返し、悲しそうな表情から一変して安心したような、安らかな表情へと変わっていった。

 

 

幸せそうに寝息をたてるユウキに俺は小さく呟く。

 

 

 

「どこにも行かないさ……今は、な……」

 

 

 

――後、グラタンに納豆とイクラは合わないと思うぞ……

 

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

ストーリー自体は進展しておりませんが、こういう話もあっていいかなと思い書かせていただきました。
設定上オリジナルの要素も含まれているだけに、原作とズレている部分があることをお許し下さい。

とうとう総合閲覧数が1万を超えました。お気に入りも120名を突破しました。

こんなに読んでいただけるなんて思ってもみませんでした。嬉しい限りです。

初コメントもいただき、俄然やる気が沸いてきました。

これからも書き続けていきますので、次回も宜しくお願い致します。


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20

第二十話になります。

あっという間に二十話になってしまいました。

今回からはシノンが出てきます。

※シノンの情報に関しては、一部wikiを抜粋し、改変させていただいております。あらかじめご了承下さい。


「すー……はー……」

 

鼻で小さく空気を吸い込み、口でゆっくりと息を吐く。

 

深呼吸を数回繰り返した後、刀霞は肩幅よりも少し大きめに足を広げ、ゆっくりと腰を落す。

左手で腰に収めている鞘を固定し、柄には触れずともそっと右手を添えたまま、その体勢を静かに維持していた。

 

 

――大丈夫、落ち着け。言い聞かせろ、俺ならできる。

 

 

刀霞の頭の中で過去に父親から受けた様々な苦行が奔走する。

 

決して思い出すべき過去ではないことは彼も重々承知している。しかし逃げているだけでは彼女を守ることができないことを、インプ領の一件で痛いほど身に沁みていた。

『強くなれ』『勇敢になれ』『雄雄しくなれ』、父親に求められた理想に近づくため、彼なりに努力したものの、結果的に報われることはなかったが、祖父はそう思わなかった。

奮励して得た技術は決して無駄になることはない。いつかその力がきっと誰かの役に立つ時が来る。幼少の頃にそう教示られた刀霞は今まさに祖父の言葉を反芻するように思い返していた。

 

 

――『無二の一太刀、雲散霧消』……

 

 

「……――ッ」

 

極限まで脱力させた力を一気に解放させた刀霞は、目にも止まらぬ速さで刀を引き抜き、弧を描くように横一文字に薙ぎ払った。

後から付随するように勢いよく辻風が舞い上がり、他を寄せ付けない静穏の空間が広がる。

それはまるで刀霞の周囲だけが真空になってしまったかのような、無音による恐怖感を他人に与えてしまうほどの静けさ。そんな森閑の世界が彼を中心に漂っていた。

 

「くそ……やっぱり駄目か……」

 

刀霞の一言で、周囲の時が動き出すように草原が揺らぎ始めた。刀霞の視線には地面に突き立てられた刀の姿が。

途中までは順調に集中力を高めていた刀霞であったが、抜刀した際に刀がすっぽ抜けてしまい、明後日の方向に飛んで地面に突き刺さってしまったのだった。

 

右手を見ると痙攣するように震えているのが確認できる。これで失敗したのは何度目だろうか。何度も繰り返しては失敗を繰り返し、まともに刀を振ることが未だにできずにいる。

誰かに見られるわけにはいかない、情けない姿を隠すように、ごく稀にではあるが刀霞はこうして町外れの草原で、刀を扱えるようにするためのリハビリを日々繰り返していた。

 

しかし、どんなにリハビリを積み重ねても、まともな一太刀を振ることができない。

 

柄は辛うじて持つことができるが長時間刀を支えることすら難しい。

幾度繰り返しても結果がついてこない現状に、刀霞は歯がゆさを感じていた。

 

「大人になっても恥晒しは恥晒しのまんま、か……」

 

刀を引き抜いて鞘に納めた刀霞は、半ば投げやり気味に仰向けに倒れこむと、空を静かに仰ぎ眺めた。

心地良い風が草原を靡かせ、透き通るような青雲が風と同じ方向へゆっくりと流れる。

本当にこれがゲームの世界なのか未だに疑ってしまうほど、刀霞の感覚はこの世界観に浸っていた。

心地良い感覚がやがて眠気を帯び、成長できない自分から逃げるように身をまかせ、刀霞はゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

寝返りをうつと草葉の先が俺の首を擽る。嫌な感覚に負けた俺は、二度寝することができず、ぼやけた意識で自分が何をしていたのかを眉間にしわを寄せつつ思い出した。

 

――あぁ……そうだ……不貞寝したんだっけ……

 

不貞寝ぐらいしたくもなる。あれだけ繰り返してもなんの結果も得られなかったんだ。一日や二日そこらで治るとも思っているわけではないが、何かしらの手ごたえぐらいはと期待していた。

しかし俺のトラウマは相当深手らしい。メンタル的な部分を努力の積み重ねでなんとかなると思っていたのは間違いだったのか。

 

――……そんな事を考えている暇があるなら剣を振れ、だな。

 

体にムチを打つように心の気合を入れなおした俺は、意識を覚醒させるために目を開けるのだが、眠る前の景色とは違うものが其処には映っていた。

 

 

「あら、ようやくお目覚めね」

 

俺の顔を覗くように、大きな青い瞳と同じ色の艶やかな髪、ケットシー特有の大きな耳がピコピコと動いている。無表情で整った、その綺麗な顔に俺は見覚えがあるのだが、いきなり視界に映りこんだその顔との距離に驚き、つい飛び起きてしまった。

 

「うぉ!!し、シノン!?」

「失礼ね。人の顔みて飛び起きるなんて」

 

無茶言うな。誰だって驚く。

 

「あんた、ALOがPvP推奨だってこと忘れてない?昼寝するのは勝手だけど私が通りがかってなかったら死んでたわよ」

「あ、あぁ……そういえばそうだった……ありがとうシノン」

「別に。私が勝手にしたことだからお礼なんていらないわ」

 

相変わらず真面目というか、クールというか。高校生とは思えないほど自立心の強い子だな。

 

「ちょうどいいわ。貴方に聞きたいことがあるの」

「俺に?」

 

シノンが無表情のまま、真っ直ぐ俺の瞳に目線を合わせる。いや、あくまでも俺の主観だが無表情の中に、どこか怒りにも似た感情が込められていたような気がした。

俺は威圧するように顔を近づけるシノンから逃げられるはずもなく、ましてや俺を守ってくれた彼女の命令に栄える余地などなかった。

 

「あ、あぁ。別に構わないけど……」

「そ。じゃあ近くのカフェで少し話しましょ」

 

シノンはスッと立ち上がり、手を後ろに組みながら町の方へ歩き出す。後に続くように俺も体を起こし、服を払った後彼女を追った。

 

「あんたのその服、この世界観に合ってないわよ」

「……ほっといてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

本を読んで、シノンに対して抱いた感情は、一言で言うならば『嫉妬』だった。

 

キリトと出会い、支えられ、奮い立ち、過去と向き合う彼女の姿はまるで俺の理想像でもあった。

元の世界では俺は決して人脈に恵まれているわけではない。自ら積極的に友達を作りたいと思うような性格ではなかったため、彼女に嫉妬するのは筋違いではあるのだが、俺にも小さなきっかけさえあればきっとこうなっていただろうと嫉妬することが多々あった。

 

 

だけど、今は違う。

 

 

シノンに薦められたカフェに入店した俺は、今こうして、互いに向かい合うようにしてコーヒーを飲んでいる。

店内のBGMが落ち着いた空間を支配しているが、シノンは俺に話しかけることはなく、かといって俺から話すこともなかった。

 

――俺に何か聞きたいことがあるんじゃなかったのか……?

 

気まずい空気の中、なんの反応も示さずにコーヒーを堪能しているこのシノンという女性。

 

俺は彼女のことを少なからず知っている。

 

彼女の本名は朝田(あさだ) 詩乃(しの)

 

MMORPG《ガンゲイル・オンライン》では対物ライフル《ウルティマラティオ・へカートII》をメインに使うスナイパー。《ガンゲイル・オンライン》のサバイバルトーナメント、《バレット・オブ・バレッツ》通称『BoB』での優勝を目指している。

 

リアルでは一人暮らしをして学校に通う女子高生。眼鏡をかけているが実際は度が入っておらず、弾丸すら防ぐとされる材質で作られたオーダーメイドの特注品。外出時などに不安を軽減する「防具」の役目をしている。

幼い頃に父が交通事故で他界。母もその時に精神年齢が逆行したことから、母を守らねばという義務感を強く抱くようになった。

そのためか自立心が強く同世代と比べても非常に大人びた性格で、辛辣かつドライな物言いをすることが多い。

11歳の時郵便局強盗に遭遇し、母を守るため相手の拳銃を奪って射殺してしまい、この事件に端を発するイジメや恐喝から逃れるため高校は東京の進学校を受験し実家を出て一人暮らしをしている。また、このことから銃器に対する強い《PTSD》に悩まされるようになり、《ガンゲイル・オンライン》のプレイ動機には発作が起きないことに加え、トラウマの克服も含まれている。

 

その後、ある事件をきっかけにキリトに助けられ、互いに過去の出来事を告白することで、彼の強さの何たるかを悟った。事件解決後はトラウマを徐々に克服しつつある。さらにキリト達の計らいにより、当時の事件で結果的に自分が救った母子と対面し謝罪と感謝を受けて自分の抱える罪と向き合い、前に進むことを選んだ。

その後アスナやリズベットと親しくなり、二人の勧めでこのALOに新規アカウントを取得。キャラネームは《ガンゲイル・オンライン》のと同じく『シノン』で、種族はケットシー。癖があり使いこなすのが難しいとされる弓を得物とする。《ガンゲイル・オンライン》のと同じくスナイピングを得意とし、システムを超越した弓術の技倆を持つ。

 

いや、ここまで知っていたらストーカーよりたちが悪い。

 

きっとバレたらセクハラ扱いされるのも確実だろう。いや、彼女の触れたくない過去を知っているのだから、軽蔑されてもおかしくはない。

だが、俺と彼女はどこか似ている部分がある。いや、寧ろ俺よりも彼女の方が意志が強く、過去の恐怖から立ち向かう勇気も兼ね備えている。

そういう意味では俺よりも大人なのだろう。

 

とにかくバレないように気をつけよう。棘がある彼女のことだ。きっと俺は殺される。

 

「ねぇ」

「……なんだ?」

「貴方……私のこと知ってるでしょ?」

「ぶふぅっ」

 

思いがけない質問に俺はコーヒーを噴出してしまった。過去を悟られたくない彼女がなぜ自分からその質問を?

咽ながらもどう切り返せばいいのか頭をフル回転させるが、答えあぐねてしまう。

 

――まずいまずいまずい。間が空けば空くほど肯定していると思われる……!

 

「あ、いや、その……それはだな……!!」

「やっぱりね……ユウキが言ってた通り」

「……え?」

「嘘つくのがへたってこと」

 

――あいつ……後で覚えてろよ……

 

そういうとシノンは机に肩肘をつき、ジロリと睨むような視線を俺に送る。

 

その視線で俺は悟った。今日ここで俺は死ぬのだと。

 

――さようなら、せめて最後に焼肉が食べたかった。

 

「……別に怒ってないわよ」

 

俺の死を悟った表情に悟ったのか、シノンは小さいなため息をついた後、コーヒーを一口含み、俺が返答する前に彼女は続けた。

 

「……何故知ってるのかは興味ないわ。だけど、教えて。それを知っていて、どうして私に対して何も言わないの?」

 

彼女の目は、まっすぐ俺を見据えていたが、どこか怯えているようにも感じた。

 

当たり前だ。キリトたちを除いて、彼女の過去を知るものは蔑んだ目でシノンを見ている。学校では特にそうだ。事情がどうであれ人を殺したことには変わらない。

決して虐めに屈するような性格ではないが、おもちゃの銃を突きつけられただけで恐怖してしまう彼女は、まるで当時の姿そのものだった。

無理もない。大人びている性格をしていても、実際はトラウマを抱えた一人の女の子であることには変わりないのだ。

 

そんな姿が、幼少の頃の俺と重なって見える。事情は違えど彼女も俺と同じように、強いトラウマを抱えていることが、俺にとっては他人事とは思えなかった。

 

――……シノンなら、いいか。

 

彼女には、隠す必要がない。そう感じた。

 

「俺は、君が羨ましい」

「……どういうこと?」

 

俺は机の上にそっと刀を置いた。

 

不思議そうにその刀を見つめる彼女をよそに、俺は右手で柄を持つ。すると、痙攣するように手が震えだし、カップに注がれたコーヒーの水面が小さく波打ちだした。

左手で柄を持つ手を強く抑えても震える手が治まることはなく、やがて連動するように左も震え始める。

体の意思とは関係なく、もはや条件反射としか言いようがない、この見るに耐えない姿にシノンは呆気にとられていた。

 

「ご覧の通りさ」

「トウカ……あなたも……」

「あぁ。君ほどではないが、俺もそれなりの事情を抱えててね。フルダイブしているのにも関わらずこの様だ」

「あの……私……知らなくて……ごめんなさ――」

「やめてくれ。君の事情を知っていたにも関わらず、黙っていた俺に非がある。それに、君になら知られてもいいさ。似た境遇を持つ者として……」

 

シノンはそれから暫く話すこともなく、俯いてしまった。

 

辛く耐え難い過去に触れられる恐ろしさをシノンは痛いほど理解していた。

隠していた俺が全面的に悪いのだが、彼女は他人の過去に干渉される恐怖を知っているからこそ、観点から見てシノンもまた、他人事とは思えなかったのだろう。

 

それに、シノンの落ち込んだ表情からはこんな言葉が伺える。

 

『きっとトウカは傷ついている』と。

 

――まいったな……シノンほど辛いと感じているわけじゃないんだが……

 

こういう重い空気が続くとどうもな……仕方ない。

 

「えい」

「うひゃぁ!?」

 

目の前にぴこぴこと動いている耳をつまむように触ると、シノンは普段の刺々しい態度とは間逆のような可愛らしい悲鳴を上げた。

ケットシーの耳はこんなにも柔らかいのか。家で飼ってた猫と同じくらい触り心地がいいな。なるほど、みんなが触りたがるわけだ。

 

「これはなかなか……」

「ちょ……っ……ひゃぅっ……やめ……!!」

「あ、すまんすま――おぶぅッ」

 

手を離すと同時に右フックが俺のテンプルを打ち抜いた。

 

若干朦朧する意識の中、シノンの「火矢ぶっこまれたいのあんた!?」という言葉が聞こえたが、死の予感が迫りつつも俺はいつものシノンの姿が見れたことで安堵していた。

 

「し、シノンはその方がいい……」

「はぁ!?」

「落ち込んでいるより姿よりも、刺々しいシノンの方が俺は好きだぞ……」

「な、なに言ってんのよ!?ばっかじゃないの!!」

 

何故だかはわからないが、頬に熱をもったように赤らめたシノンは暫くブツブツと俺に文句を呟いていた。

後にあの行為がハラスメント防止コードに引っかかるとは知らなかった俺は、ひたすらシノンに謝り倒し続け、今回はコーヒーとイチゴパフェを奢るという事で許してもらえたが「次やったら牢獄にぶち込むから」という約束の元、今回は事なきを得ることとなった。

 

「それで、どうするつもりなの?」

「どうするとは?」

「そのままじゃ、まともに戦えないじゃない」

「あぁ、それはまぁそうだが……」

「……仕方ないわね。私が付き合ってあげるわよ」

「付き合うって……何を?」

「だから、ちゃんと貴方が克服できるように手伝ってあげるって言ってるの」

 

それは予想外の言葉だった。

 

少なからず嫌われてしまったことで、彼女から話かけてくることはあまりないだろうと踏んでいたのだが、まさかシノンの方から克服の手助けをしてくれるとは思ってもみなかった。

 

「……どうしてそこまで?」

「教えられたのよ。支えてくれる仲間がいてくれたから、今の私がいる。支えてくれる強さを貴方にも知ってもらいたいの」

「……ありがとう、シノン。でもこれは俺一人で克服しなくちゃいけない問題なんだ。それに仲間の支えはしっかりもらってる。気持ちだけ受け取っておくよ」

 

別に遠慮しているとか、巻き込みたくないとか、そんなんじゃない。

本当に俺自身の力で解決しなければいけないことだと思ったんだ。

仮に仲間に支えられて克服できたとして、いざユウキに危機が迫った時に、同じように仲間の力に頼らなければ、きっと救うことなどできないだろう。

誰かに頼ってしまっては、俺はこの先誰かを守ることなんて一生できない。

これは今まで俺が一人で逃げてきた罪。だからこれは俺一人が背負うべきものだから。

 

「――私も、昔はそう思ってた」

 

俺の先ほどの言葉への返答か、もしくは俺の心中を察しての言葉なのか。それを聞くことができなかったが、俺の心へ直接語りかけるような口調で、彼女は続けた。

 

「自分で抱えた問題なのだから、自分自身で解決すべき。それは今でもそう思う。だけど、きっかけがなければ行動も起こせないの。私は、ただがむしゃらに銃を握り、吐いては同じことを繰り返して……無理やりにでも治そうとしたけど駄目だった。でもキリトやアスナたちと出会ってから変わることができた。小さなきっかけかもしれないけど、みんなのおかげで少しずつ前へ進めるようになった。最終的には貴方でしか治せないことだから、私はあくまでもそのきっかけを作るのを手伝うだけ。だから、難しく考えないで……?」

 

シノンがここまで他人に干渉してくるとは思っていなかった。

刺々しい彼女のことだから、一度断れば機嫌を損ねて終わると思っていたのだが、実際は違っていた。

同じような境遇を持つ、似たもの同士として真剣に関わってくれるその姿に、俺は少し嬉しくなってしまった。

 

――幸せものだな、俺は。

 

「……二つだけ、頼みがあるんだ」

「……なに?」

「このことは、誰にも言わないでほしい。キリトや、アスナたち、もちろんユウキにも」

「……わかったわ。約束する」

「そして、シノンが抱えてる恐怖心と苦しみを俺にも背負わせてほしい。少しでも君の心が軽くなれるように」

「……ありがと、トウカ」

 

差し出されたシノンの手に答えるように、俺たちは軽い握手を交わした。

 

こうして俺たちはお互いのトラウマを克服すべく、共に協力することを選んだ。

手段や方法なんてわからない。いつ乗り越えられるのか、もしかしたら克服できないのかもしれない。

 

だけど今はそれでいい。

 

共に歩んでくれる友が、俺にはいるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、早速戦いましょ」

「――え?早速って……誰と?」

「決まってるじゃない。私とよ」

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうごさいました。

前書きにも書かせていただきましたが、シノンの情報に関しては、一部wikiを抜粋し、改変させていただいております。ご注意下さい。

投票者数が10名になりました。評価していただける方が10名もいるなんて感激です。

読んでいただいた方たちがより楽しめるように、引き続き書いていきたいと思います。

前作もコメントしていただいてありがとうございました。一文ずつ、楽しく読ませていただいております。次回も頑張りますので、引き続き宜しくお願い致します。


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21

第二十一話になります。

まずは、投稿が遅れてしまったこと、深くお詫び申し上げます。

活動報告にて告知させていただきましたが、後書きにて改めてご説明したいと思います。

少し短めですが、楽しんでいただけると嬉しいです。


「あ、あのー……シノンさん?」

「なによ」

「俺の話、聞いてましたよね?」

「聞いてたけど?」

「そ、そうですか……」

 

 柔軟運動をしながら弓を構えている様子から、トウカにはどうしてもそのようには見えなかった。

 

シノンの『戦う』という意味が理解できないまま、手を引っ張られながら連れてこられたのは、《修練闘技場》だった。

 

PvPを推奨するこの《アルヴヘイム・オンライン》には、様々な広さをもつ闘技場が所々に存在している。

 主に団体戦や個人戦、チーム戦を目的としたプレイヤーが親善試合をする場所として活用されていることが大抵であるが、この《修練闘技場》は通常の闘技場とは違い、リメインライトされることはなく、戦績が反映されることもない。

 互いの技術を高めあう場として設けられたこの《修練闘技場》に至っては、種族や年齢関係なく利用することが可能ではあるが、修練以外を目的とした使用、賭け事を伴う決闘は固く禁止されている。

また、常に公平な状況での戦闘ができるよう、ある程度のルールを互いに決めることが可能でもある。

 武器能力の平均化、アイテムの使用禁止、自爆魔法の詠唱禁止など、様々なルールを付け加えた上、互いに同意した上で決闘することができる。

 

 今回トウカがシノンに連れて来られたその場所は、以前キリトとユウキが決闘(デュエル)を行った《大闘技場》とは大きく異なり、ローマのコロッセオを思わせるような古い闘技場だった。

 周辺の古い大理石には青苔が付着し、粉々になった石が散乱しているのが目立つ。そして中央には比較的小さめな円形状の舞台がぽつんと設置されていた。

 

トウカはその広さから察するに、一対一用に作られた闘技場なのだなと捉えることはできたのが、シノンの思惑は未だに理解できずにいた。

 

「あ、あのさ。何でこんなところに……?」

「武器は刀を使いなさい。私は弓を使うけど、お互いに武器能力を平均値化しましょ。後飛行は禁止。アイテムも使わないでね。それから時間制限もなしにしましょ」

「え?……あ、あぁ……え……?」

 

 詳しい説明もされず、シノンに指示されるがまま、申請された同意画面の『OK』をつい押してしまったトウカであったが、システムの音声ガイダンスがカウントをはじめたタイミングで、シノンが自分になにをしようとしているのかが、ようやく理解できた。

 

「え?え?ちょ、シノンさん?ちょっとま――ッ」

 

『待ってくれ』そう言いかけたその時、トウカの頬に何かが掠った。

 

「――……な……」

 

 眼前には弓を構え、既に一射放ち終えたシノンの姿が。

 

「待てば治るわけ?」

「そ、それは……」

 

 

――……治る、とは言えない……

 

 

シノンはトウカの過去を聞いて、確固たる核心を持っていた。

 

 トラウマというものは、日々の努力の積み重ねだけで治るとは限らない。

 ちょっとしたきっかけ、出会いが案外効果があることもある。それはシノンが身を持って経験していることでもあった。

 彼女自身、今現在も《PTSD》が完治しているわけではないのだが、シノンにとってはそれが大きな『きっかけ』となり、その力のおかげで過去と向き合うことができたのだ。

 

 そんなシノンが、強く信じているもの。

 

 それは過去に立ち向かう強い意思や、罪を受け入れる従順な覚悟などではなく、壊れそうな心を優しく包み込んでくれた『仲間への想い』だった。

 確かに意思や覚悟を持つことも大事なことなのだろう。だがそれは、一人でどうにかなるものではない。かつての朝田詩乃がそうだった。

 

 支えてくれる友がいるからこそ、今のシノンがあり、朝田詩乃がいる。

 

 だからこそ、リズベットとアスナが力を貸してくれたように、シノン自身も仲間のために力になりたいと感じていた。

 

 

――……この力はトウカにもきっと役に立つはず……

 

 

「荒療治かもしれないけれど、同じことを毎回繰り返しても駄目よ。色々な事を試していかないと、心の根にあるものはそう簡単に払拭できないわ。大丈夫、別に命の取り合いをするわけじゃない。だから――」

 

「男らしく立ち向かってきなさい!」

 

 シノンは力強い激励と共に、キリキリと満月のように弓を引き絞る弦を解き放つ。

 

 青白く輝く閃光の一射は、空を裂き、音の壁を超え、トウカの喉元へと勢い増しながら轟々と向かっていく。

 

「う、おぉぉ!? ……――ぶッ」

 

 突然視界に現れた鏃の先端を捉えたトウカは、横っ飛びするように間一髪で避けることはできたものの、勢い余って顔を地面にぶつけてしまい、悶絶しながら顔を抑えた。

 

「おおぉおぉぉ……ッ」

「避けた……? この距離で……!?」

 

 トウカとシノンの間は僅か数メートルにしか満たない。

 シノンが放った一射は、《ウルスヴェート・アロー》という《アルヴヘイム・オンライン》史上、もっとも攻撃速度の出るスキルでもある。その速さは細剣の《フラッシング・ペネトレイター》の非ではなく、アスナのオリジナルソードスキル(OSS)、《スターリィ・ティアー》をも凌ぐと言われている。

 

――偶然……? いえ違う。たまたま避けられるほどこのスキルは甘くないわ……もしかしてこの人……

 

「いつまでそうしているつもり!?」

 

 シノンは顔を抑えているトウカに向けて、スキルではなく通常のデフォルト技を仕掛けた。素早く弦を引き、二射三射と放ちながら素早く距離を詰めて行く。

 トウカはよたよたと体を起こしながら、何とか矢を避けつつ後方へ退き、シノンとの間隔を空けるため舞台端ギリギリのラインまでバックステップした。

 

「ど、どうしたものか……!」

 

――シノンは既にやる気だ。今更説得したところで彼女はもう止まらない。

 

「――……あぁもう!」

 

 トウカは意を決し、詰め寄るシノンに向かって突進した。

 

――来た……!!

 

 シノンは即座にトウカの行動を察知し、もう一度《ウルスヴェート・アロー》を放つため、詠唱を口ずさみながらギリギリまでトウカを引き付ける。

 

 五メートル、四メートル、三メートル。

 

 トウカが近づけば近づくほど、シノンの集中力は増していき、やかで周囲がスローモーションに感じてしまうほど限界まで研ぎ澄まされていた。

 

 そして、互いの間が二メートルほどの距離まで迫ったその瞬間――

 

 

――避けられるものなら……ッ

 

 

 シノンは渾身全力の《ウルスヴェート・アロー》を放った。

 

 

「避けてみなさい!!」

 

 

 そこからはほんの一瞬の出来事だった。

 

 いや、二人の間には酷く長い時間に感じただろう。

 

 

 シノンが放った一撃は、真っ直ぐトウカの額を捉えた。

 

――……取った!!

 

 この距離で避けられたプレイヤーはいない。そもそも《ウルスヴェート・アロー》を避けられるプレイヤーなど存在しない。

 あの攻撃魔法を叩き落したキリトでさえ、このスキルは避けられたことはない。直撃こそはしなかったものの、肩に命中させた実績もある。

 スナイパーとしての誇りがある彼女にとって、この一撃はそう確信できるものだった。

 

 

 

しかし、この時のトウカのある行動がシノンを戦慄させる。

 

 

 

 

 

 

 

「うそでしょ……」

 

 シノンの視線の先には、仰向けに倒れているトウカの姿が。そしてシノンの勝利を告げるシステム音が鳴り響く。

 彼女は背筋が凍った。そして見逃さなかった。トウカのあの動きを。あの表情を。

 

 トウカはあの《ウルスヴェート・アロー》を受け止めようとしていたのだ。

 

 左手で矢を掴み、右手で柄を引き抜こうとしたその直後、トウカの右手が痙攣を起こし彼の動きが止まってしまった。仮にあの硬直がなければ倒れていたのシノンだったかもしれない。

 そう考えると彼女は冷や汗が止まらなかった。

 

だが、彼女が何よりも恐怖していたのは、トウカのあの時の『表情』だった。

 

 彼は矢を掴んだその瞬間、笑っていたのだ。

 

 それはまるで、好敵手と出遭ったかのような、戦いを楽しんでいるかのような薄気味悪ささえ感じてしまうほどの、不敵な笑み。

 コンマ何秒という刹那の世界。そんな僅かな時間の中、シノンは決して見逃さなかった。

 

しかしその表情もほんの一瞬。トウカが刀に手をかけた時には、既に元に戻っていた。

 

「あー……やっぱり駄目かぁ……」

 

 ムクリと体を起こして頭をぽりぽりと掻くトウカは、特に悔しそうな素振りもなく、かといって開き直っている様子でもなかった。

 その言葉から察するに、本当にあの矢が見えていたのか。意図的にあの矢を掴んだとでも言うのか。

 シノンは彼の元へと走り寄り、恐る恐るトウカへ尋ねた。

 

「あなた……見えてたの……?」

「え?なにが?」

「何がって……私の《ウルスヴェート・アロー》……」

「馬鹿いうなよ。見えるわけないじゃないか」

「だ、だって……左手で掴んでたじゃない!」

「何言ってるんだ? 俺は刀を引き抜こうとしただけだぞ?」

「うそ……だって……だって……」

「し、シノン?」

 

――覚えて、ない……?いいえ。見間違いなんかじゃない。確かにトウカは絶対に掴んでいた。それにあの表情……

 

「とりあえず、今日は休もう」

「い、いえ、もう一回。もう一回だけやるわ!」

「シノン、悪いが今日はもうクタクタなんだ。それになんだか少し気分が悪い」

「そう……わかったわ。無理に連れてきて悪かったわね……」

「いや、いい練習になったよ。またお願いしてもいいかい?」

「ええもちろん。それじゃ、また明日」

「あぁ、おやすみ、シノン」

 

 トウカはそういい残し、シノンよりも先にログアウトをすると、シノンは緊張の糸が途切れたようにその場にペタンと腰が落ちてしまった。

 

 ふと気がつけば、既に日は沈みかけ、朱色の空が雲を透かし、木漏れ日がシノンに降り注ぐ。神秘的な世界が頭上に広がる中、シノンはその美しい情景に浸るほどの余裕は残されていなかった。

 

 あの時のトウカは一体なんだったのだろうか。

 

 おおよそトラウマを抱えているようにはまるで見えない。少なくとも、あの瞬間だけは殺されてしまうのではないかと感じてしまうほどの恐怖を刷り込まれてしまった。

 

――あの時……追い詰められていたのは私の方だった……

 

 その事実は彼女自身にとって受け入れ難く、勝ったところでちっとも嬉しさを感じることができないこの後ろめたさに、つい愚痴を溢してしまった。

 

「なんなのよ……もう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふぅ……」

 

 メディキュボイトから解放された刀霞は、暫く天井を見上げていた。その表情は下唇を噛み、眉間にシワを寄せてしまうほど、さきほどまでは見せなかった悔しさが伺える。

 

「くそ……っ……」

 

 彼は勝敗に関して悔しさを感じているわけではなかった。刀が抜けなかったことに苛立っていたのだ。

 あの時、あの瞬間、あのタイミングで抜けなかったということは、自分の弱さの表れでもある。このままでは大切な人を、友を守ることなど到底できない。

 確かにシノンの言う通りだった。あのまま愚直に一人で修練を積み重ねていたところで解決には至らなかっただろう。負けたとはいえ、いい経験になった。

 

しかし、『きっかけ』にまでは届かない。

 

 恐らくあのまま続けて戦っていたところで刀霞は抜けなかっただろう。

 それを悟ってしまった刀霞は、気分が悪いからと嘘をつき、逃げるようにログアウトしてしまった。

 

 シノンの好意にも応えられず、自身の過去にも向き合えない。

 

 そんな情けない事実に耐えかねた刀霞は、気分を変えようと静かにあの場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 外はシトシトと、絹糸のような雨が降っていた。

 

 傘を差すほどでもなく、産毛のように柔らかく、短く截れて降るその雨粒は刀霞にとってとても心地のよいものだった。

 

 深夜の病院から見る屋上の景色は、まるで刀霞の心を投影しているよう。

 

 とても静かで、落ち着いていて、暗くて、そして冷たい。

 

 できれば今の気持ちを拭い去ってくれるような、綺麗な月明かりで照らしてほしかった。しかしそれさえ叶わない。

 かつて父もこのような気持ちで俺を見ていたのかという心痛さが、刀霞に小さな弱音を吐かせた。

 

「――……出来損ないかぁ……」

 

 ここのところ上手くいかないことが多い。仲間が手を差し伸べてくれているというのに、なんと言う体たらく。

 いい大人にもなって年下に励まされ、本来自分で解決しなければならない私情に仲間を巻き込んでいる。

 やはり父の言うとおりだった。所詮俺は出来損ない。努力を重ねたところで報われることは決してない。

 

――諦めよう……俺に刀は向いてない。

 

 そうさ、別に無理して使うことはないんだ。《アルヴヘイム・オンライン》には何種類もの武器がある。そうだ、いっそのこと俺も弓とか使ってみるか。シリカみたいにナイフを使うのもいい。ああ、そういえば魔法があるな。

 支援回復職とか面白そうだ。なにも攻撃だけが全てじゃない。よくよく考えてみればアスナやリーファ以外は火力職ばかりの脳筋メンバーだからな。それなら俺もきっと役に立てる。そうだ、そうしよう。

 

「はは……また逃げるのか……」

 

 誰かに言われるのなら、自分で言う。少しでも言われ慣れておくために。仲間に言われても反論の余地はない。自覚しているのだから、これ以上解決する手段などない。

 こんな情けない姿を曝け出すぐらいならそれならいっそのこと、今すぐ発作とか起きて病死してくれないだろうか。それならばこれ以上傷つくこともない。とにかく逃げ出したい、こんな嫌な自分から。

 

――……あぁ、今の俺……最低だな。

 

「とう……か……?」

 

 後方から聞き慣れた声が聞こえる。雨に濡れたその顔を拭うことも、濡れた服を払うこともせず、振り返ることもなく、ただ漠然と空を見上げながら聞こえる言葉に応えた。

 

「……木綿季か。また勝手に動いて……早く戻れ、危ないぞ」

「看護士さんが刀霞を見なかったかってボクの部屋に聞きに来たから……もしかしたらここかもって……ボク……ほっとけなくて……」

「――……そっか、すまん。すぐ戻るよ」

 

 そう言いつつも、刀霞は動かなかった。

 

 この雨が、もうすぐ嫌な気持ちを全て洗い流してくれる。だから、もう少し。もう少しだけ。

 

 しかし、そんな願いでさえ、もはや叶わない。いくら待っても。いくら祈っても。

 

 

「かぜ……引いちゃうよ……?」

「木綿季……」

「……なぁに……?」

 

 

「――……俺……弱いな……」

 

 

 その時の刀霞の表情は、木綿季にとって酷く心に突き刺さるものだった。

 

 それは雨粒なのか、もしくは刀霞から流れているものだったのかはわからないが、木綿季は初めて目の当たりにしてしまった。

 

 刀霞が涙を流したその瞬間を。

 

 刀霞の瞳から頬を伝い、幾度も雫が零れ堕ちていく。

 

 強引に作る悲痛な苦笑いに、木綿季は何も応えることができなかった。

 

 

 その後、看護士が刀霞と木綿季を発見し、こっぴどく注意を受けることに。

 その頃には刀霞はいつもの様子に戻っており、木綿季に「もう一人で動くなよ」と念を押した後、各々の部屋へ戻ることとなった。

 

 それからというもの、自室に戻った木綿季は刀霞のことが気になって仕方がなかった。

 

 何故彼は泣いていたのか。そもそも本当に泣いていたのか。何れにしてもあの時の刀霞は何かおかしい。

 原因はわからない。だが、これだけはわかる。

 

 

 それは彼が苦しんでいるということ。

 

 

――……助けなきゃ……今度はボクが刀霞の力に……!!

 

 

 木綿季は揺るがぬ決意を胸に、「よぉーし!!やるぞぉー!」と声高らかに叫んだ後、大きく息を吸い込み、己に活をいれるように、あらん限りの力を込めた両手で頬を叩いた。

 

「ぁいっ……たぁ……っ」

 

 命を救われた最強の剣士が、命を絶ちたい最弱の剣士を救うという、矛盾にも似たこの物語。

 

 後にこの一件が、二人の人生を大きく変えることになる。

 

 




今回も閲覧していただき、有難うございます。

これからはストーリーが少しずつ進んでいきます。

ですが、投稿は少し遅れてしまうかもしれません。というのも、オリジナル小説を最近になって書き始めました。
期待している皆様には大変ご迷惑をおかけしてしまいますが、どうかご容赦下さい。
本当に申し訳ございません。

閲覧総数13000、お気に入り登録150件突破しました。

そして、某ブログにてこの作品が紹介されました。本当に有難うございます。引き続き頑張っていきますので、今後とも宜しくお願い致します。

もし宜しければ、ぜひオリジナル小説の方も見ていただけると嬉しいです。作品名は『my Non life』というものです。私のページから閲覧できます。差し支えないようでしたら辛口評価でも構いませんのでコメントをいただけるとなお嬉しいです!

宜しくお願い致します!


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22

第二十二話になります。

内容的にはそれほど進んでおりません。

誤字脱字が多いですし、今回は少し違った書き方をしているので違和感を感じさせてしまったら申し訳ないです。

少しでも楽しく読んでいただけたらと思います。


 いつか姉ちゃんが言ってたっけ。

 

 『好きになることは簡単だけど、好かれることは難しい』って。

 

 ボクはアスナが大好き。姉ちゃんや、みんな(スリーピング・ナイツ)のことも。

 

 もちろん刀霞のことも大好きだけど、刀霞だけは、なんだかちょっと違う気がする。

 

 でも、そのちょっとがわからない。

 

……ボクにとって、刀霞ってどういう存在なんだろう。

 

 知り合い? 友達? 親友? それとも……相棒?

 

……ううん、どれも違う。

 

 どの言葉もしっくりこない、どの言葉にも当てはまらないような人の傍に、なんでボクは居たいって思ってしまうのだろう。

 

 どうして、こんなにも刀霞のことばっかり考えてしまうのだろう。

 

 アスナに相談しても、結局ハッキリとした答えは見つからなかった。だけど日が経てば経つほど、あの人と一緒にいたいって気持ちが増してくる。

 

 そんなボクの気持ちをかき乱してくるような人が、ボクの前で泣いた。

 

 無理に笑顔を作りながら、心の中で苦しそうに泣いていたあの時、ボクは見ているだけで何もできなかった。

 

 

――……助けたい。

 

 

 そうだ、ボクは刀霞を助けたい。

 

 だって、どんな意味であれ、ボクは刀霞が大好きなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀霞を助けるといっても、何から始めればいいかわからなかったボクは、まずは信頼できる仲間に相談してみようと考えた。

 姉ちゃんによく教えられたのは『困ったことがあったらすぐ相談』という言葉。

 ボクは戦闘だけで他は何もできない。今まで姉ちゃんとスリーピング・ナイツのみんなにずっと頼ってきた。

 だけど、それは悪いことじゃない。ボクも、みんなも。お互いに必要としてくれているからこのギルドは成り立っているんだもの。

 

 けれど、よくよく考えてみればプライベートな事を相談するのは、これが始めてかもしれない。

 

 

――……なんて言えばいいんだろ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーそれでは! みんなの明るい未来を祝してー!」

 

「「「かんぱーい!!」」」

 

 

 

 今日は、いつもの反省会とはちょっと違う。本来であれば屈強なボスを倒したり、レアアイテムを求めて冒険をした後、そのネタを肴にみんなで打ち上げ兼、反省会をするのが日課になっていたのだけれど、今回の反省会に関しては、反省会というよりも、お祝いパーティという形でノリの音頭のもと、改めて乾杯をすることになった。

 

 ボクたちの病状が急変してから、みんなの予定が中々合わなくて、こうして全員が揃ったのは二週間振りでもある。

 

 アスナから、みんなの病気が急に回復していることを知らされた時、最初は嘘なんじゃないかと思ってた。

 ある程度落ち着いてからALOにログインしてみると、みんながボクを待ってくれていた。ノリとシウネーがボクに抱きつき、ジュンやテッチ、タルケンが『おかえり』って言ってくれた。

 

 あの時はみんなで手を取り合いながら大泣きしたっけ。こうやってみんなと楽しく話せる時間が生まれたのも、みんなの強い気持ちと絆があるからこそ、なんだと思う。

 

――なのに……

 

「それでさ、あたしとタルがスイッチした瞬間さ……ふふっ……タルが足滑らせてずっこけちゃってさ! もーほんとおかしくって!」

「そ、そんなに笑わなくても……」

「あはは……」

 

 ノリが楽しい話をしているのに、ボクは相槌をうつように愛想笑いをするだけで頭の中は刀霞のことばっかり考えていた。

 どうやって会話を切り出せばいいのかわからず、食欲も大して湧かず、飲み物をちびちび飲むだけで時間ばかりが過ぎていく。

 

「ユウキ……? 大丈夫……?」

「へ……?」

 

 シウネーがそんなボクをみかねて、ボクの膝にそっと手を添えながら気遣う言葉をかけてくれると、その言葉で全員が気づいたのか、五人の視線がボクの方へ集まった。

 

「ちょっと……どうしたの……?」

「お前がそんな顔するなんて珍しいな」

「何かあれば相談にのりますよ……?」

「話せば楽になるかもしれないぞ」

 

 ノリが、ジュンが、タルケンが、テッチが。ボクの様子を気遣いながら温かい言葉を投げかけたくれた。

 何を悩むことがあるんだろう。わざわざ話題を切り出さなくても、向こうから手を差し伸べてくれる。

 そうだよ、この人たちはいつだってボクの味方でいてくれたじゃないか。思ったことを思ったまま話せば良かったんだ。

 

 

――……ありがと……みんな。

 

 

「あの、あのさ。実は、みんなに相談したいことがあって……」

「へぇー、ユウキが相談なんて珍しいね……ま、とりあえずノリねーさんに言ってごらん?」

 

 ノリは少々あっけに取られながらも、飲み物を片手にボクの隣へ席を移動してくれた。なんだかんだって言っても、ノリはいつも凄くボクを気遣ってくれる優しい人。そんな人が親身になって力になってくれることに改めて嬉しさを感じ、「えへへ、ありがと」と小さいお礼を述べつつ、ボクは少しだけ笑みを溢した。

 

「んとね……友達が凄く辛い思いをしてるみたいなんだ……どうにか助けてあげたいんだけど、どうすればいいのかわからなくて……」

「友達……?」

 

 ジュンが腕を組み、視線を斜めに上に向けながらややしかめっ面気味で考え込んでいる。アスナのことであれば、わざわざ『友達』という回りくどい言い方などしないと考えている様子で、やがて何を思ったのか、指をパチンと鳴らし――

 

「あぁ、キリトさんのこと?」

「き、キリト……? な、なんで?」

「いやさ、結構前に決闘でキリトさんに勝ったろ?それで落ち込んでるんじゃないかって思ってさ」

「あはは、違うってば。キリトはそんな人じゃないよ」

 

――ほんとにもう、何言ってんだか……

 

 ジュンは勢いが良く、士気も上げてくれる頼もしい人だけれど、どうも的外れなことが多い。それでも真剣になって相談に乗ってくれているだけに、少々呆れた気持ちを表に出さないよう、ボクは丁重に否定した。

 

――とにかく変な誤解をされないように、大事な所だけでも話しておいたほうがいいかな……?

 

「あのさ、ボクがインプ領で悪い人にからまれちゃった件って覚えてる?」

「も、もちろんです!忘れるもんですか!!」

 

 ガタンッ!とシウネーが椅子から勢いよく立ち上がり、店内だということも忘れてしまったかのように声を荒げた。

 あの普段お淑やかなシウネーが、眉間にシワを寄せ、怒りを顕にする姿を見るのはこれが始めてかもしれない。どうしよう、姉ちゃんよりも怖いかも。

 

 ボクを含む全員がシウネーの豹変振りに戸惑っていたけど、憤りに震えていた肩を「まぁまぁ、落ち着きなさいって」とノリが摩りながら宥めてくれたおかげでその場はなんとか落ち着いた。

 

「ご、ごめんなさい……私、なんにもできなくて……ユウキが大変な目にあっていたのに……」

「あれは誰も悪くないよ。悪いのはアイツらで、寧ろボクが油断していた方にも責任はあったからさ。だから謝らないで、シウネー」

 

 これ以上話すと本筋から反れてしまうと思ったボクは、付け足すように続けて声を発した。

 

「それでね、その時ボクを助けてくれた人が、ボクと友達になってくれたんだ」

「な、なるほど。つまりその人が、何かしらの理由で落ち込んでいるけど、どう接していけばいいのかわからない、と」

「うん……」

 

 タルケンが察したように、ボクの言いたいことを代弁してくれた。女性に対してはいつもおどおどしている彼だけど、冷静に分析し、対応してくれる性格には何度も助けられている。ちょっとだけ頼りないけどね。

 

「ふむ……事情はわかった。だが、接し方を誤れば余計なお節介にもなりかねない、か……うーむ……」

 

 黙々と聞いていたテッチが、腕を組みながら椅子の背もたれに体を預け、気難しい顔をしながら仰け反るように天井を仰いだ。テッチは体格と性格がよく似ていて、いつもどっしりとした考えをもっている。いつもボクやジュンの勢いに任せた考えにストッパーをかけてくれるような人。だけど、いつも慎重に考えすぎちゃうんだよね。

 

「それってさ――」

 

 ゴクンと喉を鳴らすように飲み物を一口飲み、袖で口を拭うとノリは続けて言った。

 

「今すぐ何とかしなきゃいけないの?」

「え……?」

「よく考えてごらんなさいよ。落ち込んでいる時、変に気遣われたり心配されたりするとさ、余計落ち込むもんよ?」

「だ……だけど……ボクほっとけないよ……苦しんでるのに見ているだけだなんて……」

 

 屋上で見せたあの刀霞の顔を思い浮かぶだけで顔が俯いてしまう。何もできない自分に無力さを感じ、つい拳に力が入る。

すると、ボクの右肩に赤子の肌に触れるように優しく手を添え、シウネーは言った。

 

「わかりますよ、その気持ち……」

「シウネー……」

「ユウキが、孤島で息を引き取りかけた時、私は見ていることだけしかできませんでした……何かしたくてもできない辛さ、それは私も……いえ、私たちも嫌というほど理解しているつもりです」

 

 みんなが首を揃えて頷くと同時に、雰囲気が暗くて重たいものに変わってしまった。自責という名の重圧がみんなの背中にのしかかるように、表情が自然と下がり、全員が視線を伏せていた。

 

 だけどそれは、大きく違っていることだった。少なくともボクにとっては。

 

「そ、そんなことない! ボク、あの時みんなには最後の見送りはしないでって言ったけど……本当は凄く嬉しかった……みんなが傍にいてくれただけで、安心できた……だから、何もできなかったなんで言わないで!」

「ユウキ……」

 

 お別れ会をしたあの日、見送りをしないでほしいとお願いしたのはボクだった。それは、元々スリーピング・ナイツが結成した当時、見送るか否かは当人が決めるというルールだったから。

 クロービスやメリダの時は見送りをしたのだけれど、その時はみんなで大泣きして、いつまでもお別れすることができなかったから大変だった。

 ボクの場合、最後くらいはちゃんと楽しい思い出を残したまま、笑顔で送ってほしかったからそうお願いしたのだけれど、心のどこかでは来て欲しいって思ってた。

 

 そして、本当に来てくれた。

 

 来てくれた時は、夢かと思うぐらい嬉しかった。

 

 だってみんなわかってたような顔してたんだもの。ボクがそう思ってるって。

 

「ん! なら答えはもうでてるじゃん!」

 

 パチンッと両手を叩いた音にみんなが反応する。ノリが暗い雰囲気をかき消すように声を上げ、胸を張るように意気揚々と語った。

 

「つまり傍にいるだけでいいってことよね! ユウキも私たちも、それだけで十分力をもらってんだからさ! きっとその友達も例外じゃない! だから今は焦らずゆっくり見守ってあげなさいな!」

「そーそー。まぁそんな慌てなくても、いつでも俺たちが相談に乗るからさ!」

「そうですね、以前とは違って、時間はたっぷりありますからね」

「みんな……」

 

 先ほどとは違い、お互いの信頼と絆を強く認め合うようにみんなが頷いてくれた。

 

 思い返してみると、確かにボクたちは残り少ない命に怯えながら、ここ(ALO)に生きた証を残すため頑張ってきた。

 将来や未来も望めず、明日が急に来なくなってしまうかもしれないボクたちにとって、思い立ったらすぐ行動が当たり前になってきたけど、今はそうじゃない。

 

 そうだ、時間はたっぷりあるんだ。

 

 刀霞にも毎日会えるんだし、今ボクができることをすればいいんだよね。

 

 本当に相談してよかった。やる気も方向性も定まってきたボクは、湧き上がる強い気持ちに身を任せるように椅子から勢いよく立ち上がり、自身へ気合を込めつつ改めてお礼を口にした。

 

「みんなありがと! ボク、頑張ってみるよ!!」

「そーれよりもさぁユウキぃー?」

 

 しかし、そんな感謝の言葉を他所に、ノリが急にボクの肩に手を回しながら粘りっけのあるような言動でその友達についての質問を、まるで尋問するかのように尋ねてきた。

 

「その友達ってさぁ、どんな人なわけぇー?」

「どんな人……って……別に普通の人だけど……?」

「ふーん……」

 

 ノリはジロジロとボクの様子を伺うように確認した後、ボクの耳元で囁きかけた。

 

「……実は彼氏とか?」

「ちっ……違うよぉッ!」

 

 そう言いながらも、その意地悪な質問に、ボクは一瞬想像してしまった。病院の向い側にある、いつしか刀霞と散歩したあの公園で、二人で手を繋ぎながら歩く姿を。

 

――なななっ……何考えてんのさボクは!!

 

 できるかぎり悟られないよう、全力で顔を横に振りながらも、「ただの友達だってば!」と返すことで精一杯だった。ノリのニヤケながら聞くその態度にちょっとだけイラッとしたケド。

 だけど、ノリの態度とは打って変わって、シウネーは至って真剣な表情で、それも懇願に近い口調で改めてお願いをされてしまった。

 

「もし宜しければ、その人のことを今度紹介していただけませんか……? できればユウキを助けていただいたお礼も言いたいですし……」

「そ、そうだね。 まったくの無関係ってことはないと思う」

「え、えぇ……? うぅーん……」

 

 シウネーとタルが言うことにも確かに一理ある。けれど、元々刀霞は少し人見知りな所もあるし、今の刀霞を勝手に引っ張りまわして紹介するのは、彼の気分を余計に害してしまうのではと思った。

 

「わかった、とりあえず聞いてみるよ」

 

――本人に聞いて、大丈夫そうなら、いい……かな?

 

 なんにしても、とにかく一度会って話がしたかったボクは、メニュー画面を開いて刀霞宛にメールを送った。話がしたいこと、スリーピング・ナイツを紹介したいこと。

 

大まかな内容を書き終え、メールの送信ボタンを押したボクは今後の目標を定めつつ、自分に強く言い聞かせた。

 

 

 よし、まずはこれが第一歩だぞ、頑張れボク!

 

 

 慌てず落ち着いて、今のボクができることを一つずつ試せばいいんだ。

 

 

 ……大丈夫……きっと、伝わるよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日、ボクは待ち合わせした場所に、トウカよりも先に到着していた。いつもならある程度の時間や日程を決めるのに相談し合うのが当たり前なのだけれど、やっぱりいつものトウカとは違ってて、どことなく淡白な感じ。

 特に希望の時間や日程もなく、ボクが一方的に決めた日を提案すると、たった一言の返事。

 

 

『わかった』

 

 

 たったこれだけ。

 

 それに、文面も随分と単調だった。いつもならメールのやりとりの中でも冗談まじりでボクをからかってくるはずなのに、昨日のメールからはそんな素振りさえない。

 待ち合わせ時間にしたって、トウカが遅刻なんて珍しい。ボクの方が先に着いたことは何度かあったけど、それも待ち合わせ時間よりも早く着いた時だけだった。

 今日に至っては待ち合わせの時間からもう二十分も過ぎている。

 

 遅れる連絡すら一切ない。

 

――なにあったのかな……

 

 そう口走ってしまいそうになった瞬間、後方から「おまたせ」という言葉がボクの耳に入ってきた。

 

 聞き間違えるはずのない、あの声。

 

 なんだか久しぶりに聞くような気がしたその声に、ボクはつい嬉しくなった。

 今日はトウカを怒ったり、この前みたいに殴ったりするのは控えようと決めていたのだけれど、彼の声が聞けただけで落ち込んでいることをすっかり忘れてしまい、振り向きざまに初っ端から遅刻した件を愚痴ってしまった。

 

 

「もぅ! 遅いよトウカ……って……えぇぇぇ!?」

 

 

でも、それさえも忘れてしまうような、より衝撃的な光景がそこにはあった。

 

「な、なんだよ」

「と……とうか…… どうしちゃったの……それ……」

 

 一瞬見間違えてしまったかと思った。

 

 髪色に似た藍色の長いローブ包まれ、背中には木製の長い杖が。そして指輪、ネックレス、果てにはイヤリングまで。

 

 それは見た目だけでハッキリとわかった。後方支援を主体とした装備、そしてそれぞれの装備には各種魔法耐性が施され、明らかに以前のプレイスタイルとは異なった風貌だった。

 自分の着たいものを着るスタイルではなく、対人や攻略を目的とした至って真面目な装備の数々。

 

 他人から見たらどこもおかしいとは思わないだろう。

 

 でもボクは違和感しか感じない。

 

「どうしたって、転職しただけだが。何かおかしいか?」

「だ、だって……前の……前の着流しは……?」

「さすがにアレじゃでまともに戦えないだろ。それに――」

 

 そこまで言うと、トウカは口を紡いだ。何が言いたいのか、何が言いたかったのかはわからないけど、その時のトウカはどこか悲しげな表情をしていた。そんな表情を見せられたら、ボクはそれ以上追求することはできなかった。

 

「いや、なんでもない。それよりも遅れてすまん」

「う……ううん……」

「それで、話しがしたいって言ってたけど、どうした?」

「あ、うん……一緒に来てほしい場所があって、そこで話したいんだ」

「そうか、なら案内頼む」

「あの……あのさ……」

「ん?」

 

 どうしてボクに何も相談してくれないの?

 

 どうしてもっとボクを頼ってくれないの?

 

 どうしてさっきからボクの顔を見て話してくれないの……?

 

「……ううん……なんでもない……いこっか!」

 

 

 いっそのこと、ここで全部吐き出してしまいたい。

 

 言いたいことを我慢するだなんて、いつものボクだったら絶対できないことだった。

 

 でも、今回は違う。トウカにだってきっと理由はある。だから、まずはちゃんと聞かなきゃいけないと思うと、何とか我慢できた。

 

 

 ボクは羽を広げて飛び立つと、後ろからトウカがついてくるように羽を羽ばたかせた。

 いつもなら、目的地までお互いに足並みを揃えて楽しくお話したり、競争したりするのだけれど、トウカはボクの横で飛ぶことはなかった。

 尻目でちゃんとついてきているのかは確認するけど、いつもと違う雰囲気に負けてしまい、どうしても後ろを振り向くことができない。

 

 トウカは今、ボクの後ろでどんな顔をしているんだろう。

 

 そう思うと胸が苦しくなって仕方がなかった。

 

 

――……また一緒にクレープ食べに行こうね。今度はボクがご馳走するからさ……

 

 

 隣にはいないけど、ボクは心の中でトウカに話しかけた。

 

『あぁ、楽しみにしてる』

 

 ちょっと意地悪そうな顔をしつつも、微笑んで返してくれるトウカの姿が、ほんの少しだけ見えたような気がした。

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

今回はユウキの一人称視点で書いてみました。

丁寧な言葉遣いにすべきなのか、性格をそのまま反映させるか凄く悩んでしまった末、えらく中途半端な書き方なってしまった気がします。

比喩表現と行動描写がもっともっと上手くなりたいです。引き続き頑張ります。

次回はオリジナルの方を少し進めたいと思います。
なので少し投稿が遅れるかもしれません。ご了承下さい。

次回も宜しくお願い致します。



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23

 第二十三話になります。

 少し複雑な話になってしまうかもしれません。

 表現がへたくそな部分はご愛嬌ということで……

 どうか楽しんで見ていただけたらと思います。


――今の俺をみたら、ユウキは何を思うだろう。

 

 失望されてしまうのだろうか。嫌悪されてしまうのだろうか。

 

 それとも、仕方ないと慰められてしまうのだろうか。

 

 嫌な事から逃げ、辛い事から逃れた俺にとって、今のユウキが眩しく見えてしまう。

 

 俺は彼女のように強い心を持ち合わせているわけでもなれば、根性があるような人間でもない。

 

 だけど、正直今はそれでもいいと思っている。

 

 何故なら、強くなる理由も、トラウマを克服する必要も今は無くていいことに、俺は気づいたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、あそこだよ」

 

 飛行中のユウキは、スピードをじんわりと緩めながら後ろを振り向き、人差し指で目的地であろう方向を指し示す。

 トウカはユウキの示した遠方を額に皺を寄せ、目を眇めて見てみると、其処に見えたのは湖に囲まれた小さな小島であることが判った。

 

「――あれは……」

 

 トウカはその小島に見覚えがある事に気づき、つい言葉を漏らす。

 

 小島の中央には、世界樹の小型版のように立派な樹が四方に枝を広げている。その樹の根元から拡散するように美しい花々が咲き乱れ、穏やかな風が吹く度に花吹雪が麗しげに舞い上がっていた。

 降り立ったトウカは、周囲を見渡すまでもなく、中央の樹を見ただけでここがどこなのかが直ぐに把握できた。

 

 トウカの一歩前にでたユウキは、中央の樹を懐かしむような目で見つめ、トウカに背を向けたまま静かに云った。

 

「ここはね、ボクとアスナが初めて出会った場所なんだ」

 

 そう言うとユウキは、くるっと軽快に振り向くと「まぁ、みんなと最後にお別れした場所でもあるんだけどねー」とはにかむように言葉を続けた。

 

 「そうか……」

 

――あぁ、知ってるさ。全部、知ってる。

 

 トウカが目を伏せ、その場で片膝をつくように座りこむと、それに合わせるようにユウキはトウカの隣へストンと腰を下ろし、膝を抱えた。

 トウカはただ黙々と樹を眺めるだけで、自ら話そうとはしなかった。そして、ユウキも何も語ることはなく、ただ物思いに耽るトウカの表情をじっと覗き込むように見つめていた。

 

 時間はもの惜しげに一滴ずつしたたり――そして、いったいどれ程の時間が経ったのだろうか。

 

 やがて、トウカは緩やかな水の流れのように時が体を通り抜けていく感覚に浸りながらも視線は変えず「俺に何か話したいがあるんだろ?」とユウキに向けて淡々と話しを切り出す。

 すると、その言葉を聞いたユウキは、同じように視線を逸らそうとはせず、か細い声でぼそっと呟いた。

 

「トウカは……?」

 

 思いがけない言葉に、トウカはついユウキの方へ顔を向ける。

 

「あは、やっとこっち見てくれた」

 

 少し安心したような表情をユウキは見せるが、トウカはその言葉の意味が汲み取れない。『話したい事』そう言われても、今の俺がユウキに何を話せばいいのか、どう語りかけたらいいのかわからない。そもそもユウキから話したいともち掛けたのではないのかと思うトウカは、ただ小さく「別に……」と返すだけだった。

 

「……そっか!」

 

 トウカの反応を見るや、抱えていた膝をピンと伸ばし、まるで寝起きの猫が体を震わせながら欠伸をするように縮こまっていた背筋を大きく伸ばすと「それじゃ、ボクから話すね」と空を見上げながら静々と語り始めた。

 

「……トウカをここに連れてきたのは、実はボクのためでもあるんだよねぇ」

「…………」

 

 トウカは返す言葉もなく、ユウキは苦々しく笑いながらもトウカの表情を伺うように続けた。

 

「トウカ、ずっと悩んでるよね」

「――……そんなことはないさ」

「あはは、トウカってやっぱり嘘へたっぴー」

「…………」

 

 余計なお世話だ。そんな言葉が出そうになるが、図星なことも事実なため、トウカは反抗する意思を抑えるように口を紡ぐ。

 そんなトウカのしかめた顔を見たユウキは、クスクスと笑みを溢すと、そのままこてんと頭をトウカの肩に預け目を伏せて言った。

 

「ね、ボクってそんな頼りないかな……」

「……それは――」

「ボクの目を見て言ってよ!」

 

 トウカはどうしても彼女の顔を、目を直視することができなかった。だが、それは決してユウキが頼りなく感じていたからではなく、今のユウキを姿を見据えることができない原因は他にある。だが、それをユウキに伝えることがどうしてもトウカにはできなかった。

 ユウキの声色は、自然と濃くなり、真剣な表情で迫るがそれでも彼の反応に変化は見られない。

 そんなトウカを目の当たりにしたユウキは、純粋に彼の心に向き合いたいという気持ちを伝えるため、必死に言葉を重ねた。

 

「ボクだって、病気が原因でたくさん悩んだり、いっぱい苦しい思いもしたよ!」

 

――……わかってる……わかってるさ……

 

「だけど、姉ちゃんやアスナ、大切な仲間たちに相談したら、みんなが支えてくれた! だからボクも頑張ることができの!」

 

――たのむ……それ以上俺に……

 

「きっとトウカだって――ッ」

「やめてくれ!!」

 

 トウカは怒声をあげた。

 

 彼の恫喝にも似たような懇願に、樹に留まっていた鳥たちが反応し、その場から一斉に翼を羽ばたかせた。ユウキも、今まで聞いたことがない彼の豪語に返す言葉もなく、呆気にとられたように身を強張らせていた。

 

「誰もがみんなお前のように強くはないんだ!! 支えてくれる人がいようがいまいが結局は自分で立ち向かうしかないことぐらいわかってるさ!」

「とう……か……」

「でもな、いくら頑張っても、努力を積み重ねても解決しないことだってあるんだよ!! お前に俺の気持ちがわかってたまるか!! お前なんか……お前なんか……!!」

 

「お前なんかだいっ嫌いだ!!」

「…………!!」

 

 トウカは立ち上がり、怒りと悲しみに歪んだ顔で彼女を睨みつけ、腹の底に溜まった、自分に対する嫌悪感を八つ当たりするかのように言葉をぶつけた。

 彼には我慢ができなかった。勝者が敗者に、成功者が失敗者に手を差し伸べられても己が情けなるだけだと。いくら善意だとわかっていても差し伸べられた手に縋ってしまうことは、決して許されることではないと感じていた彼にとって、今のユウキは勝利者であり、成功者である人にしか見えなかった。

 

 そんな勝利者に慰められている自分に情けなさを感じたトウカはあろうことか、怒りの矛先を彼女に向けてしまった。

 

 『ありがとう』と言ってしまったら、勝利者である彼女に心から屈服してしまう。

 

 それはトウカの本能が決して認めなかった。

 

「――……もう、ほっといてくれ」

 

 そう言い残したトウカは、彼女の言い分も禄に聞こうとはせず、早々にログアウトしてしまった。

 

 

「…………」

 

 

 取り残されたユウキは、自身に向けられた憤然とした面持ちと最後に吐き捨てられた言葉に動揺を隠せず、ただその場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキと最後に会った日を境に、トウカがALOにログインすることはなかった。

 

 一切の面会を拒否し、アスナやキリトにも会うことを拒絶した。

 

 もういい。結果がどうであれ目的は達した。これ以上俺がすべきことはなにもない。失うものは全て失い、これ以上ここ留まることも、死に抗う必要も無くなった。

 

 そんな生を拒む意志が、彼の肉体を徐々に蝕み始めていた。

 

「刀霞さん……また残して……」

「……すいません」

 

 机に置かれていた食事には、ほとんど手をつけている様子はなく、刀霞の頬は痩せこけ、瞳には生気を帯びていない。

 

「これでもう一ヶ月になりますよ……? 体重も著しく低下していますし、既にHIV感染の初期症が起きはじめています……このままでは抵抗力も落ちる一方です……」

 

 刀霞の主治医でもある倉橋は経管栄養や高カロリー輸液による点滴を強く勧めるのだが、彼自身がそれを強く拒み続けている。『病は気から』とはよく言うが、まるでその言葉が彼を尊重しているかのように病状は急激に進行していた。

 

 身寄りもおらず、帰る場所もなく、ただ有りの侭に死を受け入れる。そんな日に日に衰弱していく刀霞の姿を見た倉橋は、以前の木綿季とどこか重なって見えてしまう。

 しかし、ただ一つだけ彼女とは違うところがあった。

 

 それは、死への渇望。

 

 自ら死に向かうようにただ生きているだけの刀霞に、倉橋は生きる望みを見出させるため、今に至るまで毎日のように言葉をかけ続けているのだが――

 

「……明日奈さんや桐ヶ谷くんも心配しています。もちろん紺野さんも……何かあったのかは敢えて聞きません。ですが、主治医として貴方の命を――」

「先生……私は、あくまでもメディキュボイドの被験者であって……延命したいわけではないんです……」

「刀霞さん……」

「すいません……一人にして下さい。お願いします……」

 

 結局、いつものように、刀霞は似たような言葉を返すだけだった。

 

 その後、倉橋はそれ以上語りかけようとはせず、刀霞の病室を後にした。もはや以前とは別人のような姿になってしまった彼に、主治医としてできることは、彼の意志を尊重することだけだった。

 人命を救うことは医師の務め。しかし本人に生きようとする気力がなければ最善の治療を施したところで意味を成さない。その後の人生に価値を見出すこと、それを彼が望まない限り、決して病気が回復することはないだろう。

 

 たが、それは本当に正しいことなのか。倉橋は今でも躊躇していた。

 

――このままでは、刀霞さんの残された時間は……

 

 彼には木綿季の命を救ってくれた恩がある。

 

 今まで通り慣例に従って、彼の自由意志に任せていいのだろうか。彼の尊重を無視してでも、アスナやキリト、そしてユウキに会わせるべきではないのか。いや、医師として身勝手な感情に決して囚われてはいけない。だが今のままでは。しかし、いや、でも。

 

 悩めば悩む程、もどかしい気持ちが膨らみ、胸を締め付けられる。

 

 そして、そんな心が刺されたような苦痛に見舞われている人物が、実はもう一人いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「水霧さん! 水霧さん!!」

「うひゃあい!?」

「もう! 休憩時間終わりでしょ、ぼさっとしてないで紺野さんのバイタル見てきて! それから霧ヶ峰さんもお願いね! 食事量のチェックも忘れないように!」

「は、はいー!!」

 

――はぁ……また怒られちゃった……

 

 萎れた花のように項垂れ、回診車を押しながら廊下をトボトボと歩いている彼女の名は水霧(みずきり) 靄華(あいか)

 木綿季と刀霞を担当にもつ看護士の一人で、未だ新人教育を受けている最中の若手でもある。

 

 今後末永く勤めていく新人看護士には、最新の医学技術として近い将来採用されるであろう《メディキュボイド》に逸早く触れることで、実装後の素早い確立、そしてマニュアルの統制を図るべきだという論議の元、新人の彼女が候補の一人として挙がり、現在に至る。

 

――……今日も、かな……

 

 靄華は木綿季のいる病室の扉の前に立つと、数回咳払いをし、軽いノックを二回。

そして看護士の心得とはそぐわないような、暗い表情と声色で「失礼します。紺野さん、お熱計りに来ましたよ」と中へ入った。

 するとそこにはベッドの上で膝を抱え、顔を伏せている木綿季と、ベッドの端に座り、静かに彼女の背中を摩っている結城 明日奈の姿が。

 

「……明日奈さん、いつも有難うございます」

「いえ、私は何も……ほら、木綿季、看護士さんがきたよ……?」

「…………」

 

 木綿季は何も応えようとはせず、沈黙を続けた。その様子から察した靄華は、いつものような素振りで「すいません……今日もお願いしても宜しいですか……?」と尋ねると、明日奈は一つ頷いて靄華から体温計を受け取った。

 刀霞がALOにログインしなくなってから、木綿季はまるで殻の中に閉じこもるように夜も眠らず一日中こうしている。

 時折、何かを思い出したかのように急に涙を流し、やがて泣き疲れて眠ってしまう時以外は毎日同じことを繰り返す日々が続いていた。

 明日奈がお見舞いに来る時だけ、少量ではあるが共に食事をしたり、ALO内で話を伺ったりしているのだがそれでも木綿季の心が晴れることはなかった。

 

 そんな現状に看護士である靄華が入れる隙間などない。だが、木綿季のため、そして刀霞のために何かしたかった彼女のある一言が、一つの大きな『きっかけ』を作ることになる。

 

「紺野さん……私、これから刀霞さんの病室に行くのだけれど……何か伝えてほしいこと、あるかな……?」

「――とうか……? 刀霞に会いにいくの……?」

「え、えぇ……」

「お願い!! ボクも連れて行って!」

 

 『刀霞』という言葉に反応した木綿季は垂れていた首を勢いよく上げ、靄華に詰め寄るように身を乗り出した。

 

「ご、ごめんなさい……それは……」

「やだ! 絶対行く! ボク……謝らなきゃ……!! 刀霞に謝らなきゃ……!!」

 

 そう言うと木綿季は無理の利かない体を強引に捩り、ベッドから降りようとするが、明日奈がすぐさま肩を掴み、彼女の行動を制止した。

 

「駄目よ! まだ一人で動けるような体じゃないのよ!?」

「離して! 離してよ姉ちゃん!」

 

 明日奈のことを『姉ちゃん』と呼んでしまうほど、今の木綿季は酷く興奮していた。

 そして木綿季を抑える様を見た靄華は、それに続くように木綿季の手を掴み、彼女が暴れないよう必死にベッドに留まらせた。

 

「お、落ち着きなさい! そんなことしても徘徊許可は出せないし、これが原因で二度と刀霞さんに会うことができなくなるかもしれないのよ!?」

「…………!!」

 

 二度と会えない。その言葉は何を意味するのか。木綿季は困惑のあまり動きが止まる。それに相対して、明日奈は特に動揺する様子もなく、ただ木綿季の表情を不安そうに見つめていた。

 

「……夜に隠れてこっそり刀霞さんの病室を探したり、無断で屋上に行ったりしているのは知ってるわ……倉橋先生は優しくても、周りの人たちはそうじゃないの……目に余る行動が多いと、自室待機だけでなく、最悪転院させられることもあるのよ……?」

 

 厳しい言葉を突きつけられた木綿季には、これ以上どうすることもできなかった。崩れ落ちるように脱力し、抵抗する力もなく項垂れ、胸を突き上げてくる気持ちで闇雲に涙が溢れてくる。

 

 刀霞に会いたい。会いたくて会いたくて堪らない。

 

 そんな抑えられない欲求を、木綿季は涙に変えて吐き出すことしかできなかった。

 

 が、それと同時に悲しみに打ちひしがれている木綿季を、明日奈は息が止まるほどギュッと強く抱きしめる。

 そして、肩を震わせながらも彼女は言った。

 

「……ごめんね……私も、知ってたの……それで、看護士さんに説得するようにお願いされて……でも……できないよ……木綿季の気持ち……私には……痛いほどわかるもん……ごめんね……ごめんね木綿季……」

 

 無力な私を許して欲しい。頼りにならない私を許して欲しい。そんな悲痛な思いが嗚咽となってこみ上げる。そして、耐える間もなくどっとおしよせる悲しさに負けるように、明日奈の瞳からも止め処なく涙で覆われた。

 

 しかし、その直後。靄華の一言が悲しみに満ちた空間を一転させる。

 

「――……手紙を、書いてみませんか?」

 

 その直後、二人の嗚咽がピタリと止まった。

 

 靄華の方へ視線を向けると、彼女は露のこぼれるような瞳を拭うこともせず、木綿季の両手を優しく包み込み、躊躇いなく言い放った。

 

「私、絶対に渡します。誰になんと言われようと、貴方の気持ちを、私が必ず刀霞さんへ届けますから」

 

 その言葉は、ただ真っ直ぐ、木綿季に心へ伝わった。

 

 他の看護士と比べ、ここ最近担当になった彼女がどうしてそこまでしてくれるのか。そう感じていた木綿季であったが、今はそれを考えている場合ではない。

 刀霞に想いを伝えることができる。これは最初で最後のチャンスかもしれない。そう捉えた木綿季は、靄華の言葉に小さく頷き、ゴシゴシと袖で涙を拭う。

 

 すると彼女の目は、先ほどとはまるで違う、決意が宿っている目つきへと変貌していた。

 

 木綿季のあっという間の変化に、明日奈は改めて悟ってしまった。

 

 あやふやな気持ちを虫けらのように押しつぶし、膝を抱えただ泣いていた過去を押し退け、先の見えない未来に立ち向かうその姿は、まさに《絶剣》の姿そのものだと。

 

――……そっか、だから木綿季は強いんだね……

 

 私の力など必要ない、支える必要もない。

 

 何故なら――

 

 刀霞を想う心は最初から挫けてなどいなかったのだから。

 

 

 

 使い慣れないペンを持ち、一枚の紙を前に木綿季は、ゆっくりと目を閉じる。

 

 そして、ただ一言だけ、小さく呟いた。

 

 

「……刀霞の嘘つき」




 今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

 物語が進み始めました。感情表現が多いので伝わり難い部分がありますことをご容赦下さい。
 なんとかへたくそなりに頑張ってはいるのですが中々上手くいかないことが多いです。もっと勉強しなければいけませんね。

 閲覧総数16000、お気に入り登録数180人を突破しました。

 180人の方々が、私の二次創作を読んで頂いてるのかと思うと嬉しいばかりです。

 これからも少しずつ投稿させていただけたらと思いますので、今後とも宜しくお願いします。

 そして、いつもコメントしていただける方々に、改めてお礼を言わせて下さい。本当に有難うございます。
 コメントを頂くのと同時に、元気とやる気も頂いております。より良い話が作れるように、努めて参りますので、今後も末永く宜しくお願い致します。


追記

オリジナル小説の第三話も投稿させていただきました。
『my Non life』という作品で、私の投稿小説リストから閲覧できます。もし宜しければ拝見していただけると嬉しいです。感想もお待ちしております。是非宜しくお願い致します。


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24

少しだけ短めです。

改めて誤字脱字が多いです。ご了承下さい。

また、若干の鬱な表現が含まれていますので、ご注意下さい。


「刀霞さんおはようございます! 朝食のご用意ができましたよ!」

「…………」

 

 靄華の明るい挨拶も虚しく、刀霞は何も応えない。

 いつもであれば『今日も元気ですね』の一言でも返すのだが、今の彼にそんな覇気は残されていなかった。

 着々と痩せ衰え、筋力も低下し続ける上に食事もとろうとしない。ここ最近ではトイレでさえ自力で行くことが難しい状態にまで陥ってしまっている。

 

 そんな刀霞の姿を一部始終見ていた靄華はいてもたってもいられず、勤務時間外でも刀霞の看病を率先して行っていた。休日でさえ刀霞のお見舞いや木綿季のメンタルケアに時間を費やし、今では刀霞の食事にほぼ毎日付き添っている。そうでもしなければ彼は何も口にしないからだ。

 

「少しだけ体起こしますからねー」

「……食べたくありません」

「駄目です、もう私に何言っても通用しませんよー」

 

 食欲がない、気分が優れない、一人にしてほしい。

 幾度も刀霞が拒否を示しても靄華は言うことを聞かなかった。他の看護師や倉橋医師は彼の気持ちを尊重し、無理には食べさせないというスタンスであったが、靄華だけは頑なに認めようとはしなかった。

 

「今日は柔らかいものが多いから食べやすいですよ! はい、あーんしてください」

「……一人で食べますから……」

「そう言っていつも食べないじゃないですか。さ、早くお口開けてください」

「…………」

 

 差し出されたスプーンを刀霞は無気力に咥える。

 

「――……ぐ……げほっ……ごほっ」

 

 弱々しく租借し、小さく飲み込むが体が受けつけないのか、吐き出すように酷く咽せ返る。掛け布団には刀霞が吐き出した軟食物が散乱するが、靄華は意に介さず刀霞の背中をタッピングしながら摩り続けた。

 

「……すいません……」

「私の方こそ……ごめんなさい……」

「もう、大丈夫ですから……」

「で、でも……せめてヨーグルトだけでも……」

 

 軟食ですら喉に通らない。しかし何か食べさせなければ、このままでは衰弱していく一方である。

 そんな靄華のもどかしい気持ちを他所に、刀霞は差し出されたスプーンを手で遮った。

 

「お気持ちだけで十分です。本当に、ありがとうごさいます……」

「刀霞さん……」

 

 過去を振り返れば、既に死を望んでいた刀霞にとって靄華の行動は決して望んでいたことではなかった。しかし毎日のように傍に居続け、身の回りの世話を積極的にこなしている彼女にはとても感謝していた。

 

 だが、それと同時に罪悪感も抱いている。

 

――……これ以上、誰にも迷惑をかけたくない。今更生き永らえたいとは思わない。水霧さんにはとても感謝している。しかしそれも今日で終わりにしよう。

 

 何故なら――

 

 この人は、俺のせいで苦しんでいるのだから。

 

 

「……もう、死なせて下さい」

 

 

 刀霞は目を伏せながら淡々と言った。

 

 口元は微笑を浮かべているが、目に生気が宿っていない。

 それはいつもとは違う、彼の笑顔だった。

 

 無理に繕い、自身を偽り、強引に歪めている苦渋の破顔。

 

 靄華の全身に、恐怖にも似た感覚が駆け巡る。

 

 このままでは本当に彼が死んでしまう。

 私を救ってくれた人が、私に手を差し伸べてくれた人が、いなくなってしまう。

 結局何もできず、ただ見殺しにしてしまうだけなのか。

 

 また、あの子のように。

 

「だめ……生きて……! 生きなきゃだめなの……!」

 

 靄華は耐えられなかった。

 

 咄嗟に刀霞を抱きしめ、声を振り絞るように熱願する。

 それに対し、刀霞は冷静に彼女の肩に触れ、ゆっくりと距離を開けた。

 

「……遅かれ早かれ死ぬんです。いつでも覚悟はできていますし……大丈夫ですよ」

「刀霞さんが大丈夫でも、私は大丈夫じゃないんです! もっと……いっぱいいっぱい刀霞さんには生きていてほしいんです!」

 

「……ありがとうございます」

「やめて……! そんなこと言わないで……!!」

  

 一番聞きたくない、感謝の言葉。

 『ありがとう』という言葉とは、これほどまでに残酷に感じてしまうものなのか。

 

 靄華は、彼が遠くへいってしまわないように、どこかへと消え去ってしまわないように、強く強く抱きしめることかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして……どうして駄目なんですか!?」

 

 靄華は張り詰めるような剣幕で倉橋医師に問い詰めた。

 

「靄華さん……落ち着いて下さい。我々には患者の権利と選択の自由を尊重する義務があることをお忘れですか?」

「それと手紙を渡すことと何の関係が――」

「彼は、誰にも会いたくないと。誰とも話したくないと言ったんです。手紙とはいえ、外部からの伝達を一方的に認めるということは、刀霞さんの主張を無視したことになります。それは、患者の人権を阻害することと同義です。主治医として……いえ、医者として認めるわけにはいきません」

「でも……でも……!!」

 

 言い分は理解できるが、納得ができない。焦りにも似た感情が靄華を追い詰めていた。このままでは、刀霞に残された時間が僅かしかない事をなんとか倉橋医師に伝えようとするのだが、うまく言葉が出てこない。

 ところが、それを察したように倉橋医師は靄華の肩をポンと軽く叩き、落ち着いた表情で言った。

 

「ええ、その『でも』です。私としても、本心では今すぐ紺野さんの気持ちを伝えてあげるべきだと思っています。だからこそ、貴方の力が必要なんです」

「私の……?」

「刀霞さんは今、生きる気力を見失っています。原因は……お察し通り紺野さんです」

「はい……」

「紺野さんは、彼を傷つけてしまったと言っていましたが、詳しい内容まではわかりません。今となっては確かめる術はないでしょう。ですが……貴方なら……貴方の言葉ならきっと刀霞さんに届くと私は信じています」

「私の……言葉……」

「お願いします。どうか……彼に生きる希望を見出してあげてください。そして、彼の気持ちが少しでも生を望んでいると気づいた時、その手紙を渡してあげてください」

「……できるでしょうか……私なんかに……」

 

 重い責任感がずしりと靄華の背中にのししかる。もちろん説得は過去に何度も説いたのだが、いずれも彼は考えを改めてはくれなかった。挙句の果てには自らが『死なさせてほしい』と悲願してしまうほどに、今の刀霞は追い込まれている。

 これ以上彼にどんな言葉を投げかけていいのかわからない。そんな靄華の心の迷いが、自然と項垂れるように首を垂れさせてしまった。

   

「……今の貴方ならできるはずです」

 

 倉橋医師の、唐突な一言。

 

 それは、靄華だからこそ理解できる言葉だった。

 

「先生……どうして……」

「言ったでしょう。本心では、貴方と同じ気持ちだと」

「…………」

「――……この話は、この一件が無事に済みましたら話しましょう。しかし、これだけは言わせて下さい。貴方はもう無力ではありません。無論、私もです。お互いに人の命を救える力をもっています。ならば、最後まで諦めずに戦いましょう……彼女もきっと、それを望んでいるはずですから」

「……はい!」

 

 諦めずに戦う。その言葉の意味は靄華自身十分に理解していた。

 それは、嫌な事から逃げるなという意味ではない。過去の弱かった自分自身に立ち向かえという意味だ。

 説得や言葉だけでは彼の死へ向かって行く歩みを止めることはできない。刀霞を止める方法があるとするならば、靄華自身の気持ちを、心を伝える必要がある。かつて刀霞が靄華の心を包み込んでくれたように。

 

 揺るぎない想いを胸に、靄華は力強く頷いた。

 

 

 

 

「刀霞さん、おはようございます!」

 

 昨日と同じような明るい挨拶が刀霞の耳へ入る。

 もう来なくていいのに。そう思いながらも声のする方向へ目を向けると、そこにはいつもと違う水霧靄華が照れくさそうに立っていた。

 

 水色のブラウスの上には白いカーディガンを羽織っており、下は髪色と同じ濃い藍色のガウチョパンツ。彼女の私服姿を呆然と見ていた刀霞に対し、靄華はもじもじしながらも「えへへ、驚きました?」と問い掛けるも、刀霞は特に驚いたり言葉を返したりすることはなかった。

 

「もぅ、『可愛いですね』とか『似合ってますね』とか言ってくださいよう!」

「……何の用ですか……?」

 

 冷ややかな言葉を投げかけられ、靄華は寂しそうな笑みを浮かべる。

 靄華はベッドの隣にある質素な丸椅子にゆっくりと腰を下ろし、刀霞の瞳を真っ直ぐ見つめ、彼の問いに答えた。

 

「今日は看護師ではなく、一人の女性として貴方に会いに来ました」

 

 靄華の言葉に、刀霞は眉をひそめる。

 

「……なんのために……」

 

 こんな襤褸切れのような、なんの価値もない命に今度は何を吹き込もうというのか。

 今さら説得されたところで俺は変わらないし、変えられない。

 そんな刀霞の想いとは裏腹に、靄華は予想外な言葉を返した。

 

「誰のためでもありませんよ。強いて言うなら、私のためです」

「…………」

 

 思ってもみない返答に、刀霞は言葉を失う。

 

「説得をするために来たわけではないんです。実は……その、刀霞さんと少しお話がしたくって」

「――……俺は……」

「わかってます。話すだけ話したらスグ帰りますから、どうか少しだけ聞いていただけませんか……?」

 

 一人にしてほしい。必ずそう言うだろうと察していた靄華は刀霞の言葉を遮るように話を進める。

 

 それから暫くの間、沈黙が続いた。

 

 時間にしては数十秒だが、靄華にとっては非常に長く感じたに違いない。刀霞は視線こそ合わせてくれなかったものの、やがて靄華の真剣な想いが届いたのか、観念したように小さく「わかりました……」と呟くと靄華はホッと安堵のため息を漏らした。

 

 やがて靄華は緊張を解すように一度だけ深呼吸すると、今まで刀霞に合わせていた視線を逸らし、か細い声で会話を切り出した。

 

「刀霞さんは、四年前の……あの事件を覚えていますか……?」

 

 刀霞は思い出すまでもなく、事件という言葉でハッキリと理解した。

 言うまでもなく《SAO事件》のことだろう。アーガス開発部総指揮、茅場晶彦起こした、今世紀最大のデスゲーム――

 刀霞がこのSAOの世界に現れたのはほんの二ヶ月近く前のことである。《SAO事件》から約四年程経過している今現在、忘れてしまった人もいる中、外の世界から見ていた刀霞にとっては決して忘れることのない出来事だった。

 何よりその事件をきっかけから、SAOの世界観に強く引き込まれてしまったからこそ、紺野木綿季を救うべくして彼はここ来たのだ。

 

 そして、靄華は刀霞の返事を待つこともなく淡々と続ける。

 

「私……妹がいたんです。少し気弱でしたけど、とってもとっても優しい……自慢の妹でした」

 

 刀霞はただ黙りこくって靄華の言葉に耳を傾ける。

 

「私たちは元々、二人でSAOをやる約束をしていました。だけど、あの事件の前日、私と妹はほんの些細なことで喧嘩してしまったんです……私が怒って外出している間に妹が一人で始めてしまい、知らせがきた頃には既に病院で保護された状態でした……」

 

 靄華はおもむろに手元にあった小さなバックから、花を象った小さな髪留めを取り出し、まるで愛しむように優しく握り閉める。

 

 刀霞は静かに口を開いた。

 

「……それは……?」

「妹が生前に唯一身につけていたものです。事件当時、ナーヴギアを外す訳にはいかなかったので、髪留めだけはずっとつけられていた状態でした……」

 

 少しずつ、靄華の声が震え始める。

 

「……刀霞さん……刀霞さんは、目の前で大切な人が命を落としてしまう瞬間を見たことがありますか……?」

 

 グサリ、と刀霞の心中に得体の知れない何かが刺さる。

 力のない靄華の弱々しい声が刀霞の胸を余計に締め付けた。

 

「謝ることも、助けることも、迎えることもできず……私の目の前で……妹は……」

「……水霧さん……」

「……私……何にも……何にもしてあげられなくて……今でも後悔ばかりしていて……ちゃんと謝りたかった……姉として助けてあげたかった……でも……もういないんです……二度と……会えないんです……」

「…………」

 

 靄華の心の痛みが、刀霞の心へと直接伝わる。共感できるからこそ、刀霞はかける言葉が見つけられずにいた。打ちひしがれている靄華のその姿は、まるで鏡に映っている自分自身を見ているかの様だった。

 

「……私はもう……妹に会うことはできません……でも貴方には……まだ会える人がいます……想いを伝えることもできるんですよ……?」

「……いいんです……俺なんか……」

 

 彼女と会う資格などない。そう言いたいのだが何故か言葉が出てこない。自身の覚悟を推し量るように声を振り絞ろうとするが、どうしてもハッキリと口にすることができなかった。

 

「……いくじなし……」

「――……え……」

 

 靄華の一言に、刀霞は顔を上げる。

 

「紺野さんは……紺野さんは……体を引き摺りながらでも貴方を探そうとしていました! 勝手に病室を抜け出して、怒られても、叱られても、諦めずに刀霞さんへ想いを伝えようとしています!!」

「…………」

 

 興奮のあまり椅子から立ち上がり、肩を震わせ大粒の涙を流しながらも彼女は続ける。

 

「それに比べて、今の刀霞さんは逃げてばっかりです! よわむしで、いくじなしで、臆病者です! 死ぬことに甘えている刀霞さんなんて――私は……私は……!! だいっきらいです!」

「…………!!」

 

 かつて木綿季に吐き捨てた言葉が自身へ向けられる。靄華に責められた瞬間、心の奥にズシンと響くような鈍痛が刀霞を襲った。

 

――言葉とは、こんなにも傷つくものなのか……

 

 刀霞はこの時初めて自覚する。俺は言葉という名の凶器で、木綿季の心を酷く傷つけてしまったのだと。

 

「嫌なことから、辛いことから逃げ続けて……! そして……次は紺野さんからも逃げるんですか……!?」

「俺は……俺は……」

 

――……アイツを……木綿季を助けたかっただけなんだ……

 命を救うことができればそれだけでよかった。彼女に干渉するつもりなどなかったし、自身の命と引き換えに彼女が生きつづけてくれるだけで十分に満足だった。

 絶剣とは俺にとって遠い雲の上のような存在だと感じていたからこそ、一枚隔てた壁のように憧れとして見ることができていたんだ。

 しかし、今は違う。彼女は目の前にいる。手を伸ばせば届いてしまうほどの距離に、いつしか俺は彼女が眩しく見えてしまった。

 

 憧れ? 尊敬? 

 

 ……いいや違う。

 

 嫉妬していたんだ。

 

――木綿季の持つ心の強さに。

 

「……刀霞……さん?」

「――え……?」

 

 いつもとは違う、靄華の唖然とした呼びかけに刀霞は自身の異常に気づく。

 濡れるような視線に違和感を感じ、指先で目元に触れるとポツリと小さな雫が零れ落ちる。

   

「あ……あれ……?」

 

 ゴシゴシと袖で拭うも止め処なく涙が溢れ出てくる。自身の意識とは無関係に流れてくる熱い水滴に、刀霞は動揺を隠せなかった。

 

「す、すいません……はは……なんだこれ……」

「刀霞さん……」

「大丈夫ですから……ほんと大丈夫ですから……」

「――……いいんですよ……?」 

 

 靄華は、刀霞の右手を自身の両手で優しく包み込む。彼女の温かい温もりが刀霞の心をそっと掬い取り、雁字搦めに縛られていた感情が少しずつ解けていく。

 

「たまには大丈夫じゃなくたって……」

 

 それはかつて刀霞が靄華を救ってくれた、たった一言の言葉だった。

 

「俺……俺は……」

「心の中にずっと溜め込んでた、言いたかったこと……本当に、伝えたかった貴方の気持ち……言ってみて……?」 

「――……ごめん……」

 

 刀霞の心が、言葉として溢れ出てくる。

 

「ごめん……ごめんな……俺……助けたくて……力になりたくて……」

 

 木綿季たちと絶縁してからの約一ヶ月間、彼は自身に強く言い聞かせていた。これでいいんだ、これで良かったんだと。

 個人的な我侭で彼女を救い、個人的な事情で彼女の心を深く傷つけてしまった。挙句の果てには逃げるように仲間を切り捨て、一方的に接触を絶った。

 ここまで眼中無人な行動をとったのだから、せめて死という形で静かに去るべきだ。罪滅ぼしにもならないがそれが今の俺が唯一できるせめてものの報いなのだろうと決意したはずだった。

 しかし、そう思いつつも心の奥底には僅かな後悔が残っていたのだ。

 

 もし許されるのであれば、一言だけでいい。死に逝く前に謝りたいと。

 

 刀霞はただひたすら謝り続け、涙を隠すように袖で顔を覆う。

 そして、靄華は彼の罪を受け入れるようにそっと抱きしめ、共に涙を流した。

 

 彼の罪を共有するかのように。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 靄華の説得から二日後。

 

 

「先生、霧ヶ峰さんの検査結果が出ました」

「はい、ご苦労様です」

 

 看護師が一枚のカルテを倉橋に差し出す。

 キィと椅子の擦れる音と共に倉橋医師は振り向き様に労いの言葉をかけ、看護師の差し出したカルテを片手で受け取った。

 

「……やはり、駄目でしたか……」

 

 かけていたメガネをそっと机に置き、静かに天井を仰ぐ。

 そして、草葉が霜にしおれるように、がくりと首を垂れながら小さく呟いた、

 

「――私も……覚悟をきめなければいけませんね……」

 

 

 2025年5月20日。霧ヶ峰刀霞、免疫力低下により細菌性急性咽頭炎発症。発声障害に陥る。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

またもや投稿が遅れてしまいました。申し訳ありません。

次回はオリジナルではなく、この二次創作の方を進めてまいりますので、また見ていただけると嬉しいです。遅れてしまった分、もっと書いていきたいと思います。

総合閲覧数22000、お気に入り登録者220名を突破しました。

駄文なのにも関わらず見ていただいて嬉しいです。本当にありがとうございます。

今後も宜しくお願い致します。



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25

今回は短いです。

それでも読んでいただけたら嬉しいです。


「失礼しまぁーす!」

 

 コンコンと、小さなノックと明るい声が病室の外側から聞こえ、俺は扉の方へ視線を向ける。

 

「刀霞さん、おはよーございまぁす!!」

 

 どうぞの一言を待つ間もなく、水霧さんが一面に満悦らしい微笑を浮かべつつ回診車を押しながらひょっこりと顔を覗かせた。

 そもそも俺は昨日から咽頭炎により言葉を発することができないため、入室時の意思疎通に応えることができない。仮に拒否したところで彼女は聞き入れないだろう。元より今は拒否する意志など無いのだが。

 

 短編小説を読んでいた俺は、小さいお辞儀で水霧さんの挨拶に応え、そっと栞を挟み本を閉じた。

 

「刀霞さん、今日のお体の調子はどうですか? 喉の方は痛みますか?」

 

 彼女の問いに、俺は机の上に常備している小さなホワイトボードとペンを手に取り、あまり綺麗とは言えない字で書き示す。

 

『昨日と比べればいい方です。咳はでますが、痛みはそこまでありません』

 

 そう書いたボードを水霧さんに見せると、彼女は「ほんとですか!?」と輝くような笑顔を浮かべた。

 

「喉の方もすぐ良くなりますから、この調子で頑張りましょうね!」

『今日はいつになく元気ですね。何かあったんですか?』

 

 ちょっとした疑問を水霧さんに投げかける。すると彼女は幼さが残るようなニンマリとした笑顔を見せると、いつものように回診車から脈拍計を取り出し俺の手首に取り付けながら嬉しそうに言った。

 

()()()刀霞さんが元気になってくれたんですもの。嬉しくだってなります」

 

 何気ないその一言に、胸元あたりをチクリと刺された気がする。

 水霧さんには頭が上がらないほどお世話になってしまったのは思い出すまでもない。いや、現在進行形で今もお世話してもらっている。まるで駄々っ子のように生を拒否し続けた結果、自立歩行もままならず、ボードに書いているペンにでさえ重さを感じてしまうほど、俺の今の筋力は衰えていた。

 過去の木綿季程ではないが、なんとなくアイツと同じ心境に近づけたことに少し嬉さを覚えているのも事実ではある。

 彼女の本来抱えていた辛さ、苦しさを体感することによって自身の罪の重さを体感できる。成り行きではあるがそれが俺なりの反省の仕方でもあった。

 

「そういえば……紺野さんの手紙、見ていただけましたか……?」

 

 何事もなく検診も終わり、右手の自由が利いたことで水霧さんの恐る恐る尋ねてくる質問に俺はペンを執る。

 

『拝見しました。返事を書いたので、渡していただけませんか?』

 

 書いたボードを水霧さんに見せた後、隣の引き出しから便箋を入れた小さな封筒を取り出し、水霧さんに手渡した。

 水霧さんに手紙を渡されたのは、悔悟した当日のことである。

 手渡された直後はあまりにも不安で開封することができなかったが、深夜頃には気持ちも大分落ち着き、検めることができた。

 内容に関しては、たった一言の言葉しか書かれていなかった。しかしそれでも木綿季の気持ちが透けて見えてしまう程、俺に対して何を想っているのが明確に理解できる言葉だった。

 蛇のように震え書かれていた字から察するに、恐らく数年ぶりにペンを握ったのだろう。

 それでも自身の手で一生懸命書いてくれたのだ。木綿季の想いに応えねば。

 ――と、思いつつ一筆認めてみたものの、どうも木綿季と似たり寄ったりな字になってしまった。うまく伝わってくれればいいのだが……

 

「わかりました。この後紺野さんの検診がありますので、その時にお渡ししますね」

『お願いします。ところで――』

 

 黒字で埋め尽くされたホワイトボードを無造作に消し、改めてペンを手に取る。

 

『木綿季には、俺の病状を伏せてありますか?』

 

 俺の問いに、水霧さんは僅かに憂い面持ちを溢す。

 

「……もちろん、誰にも言ってません。でも……」

 

 何か物言いだけな表情をしているが、水霧さんはハッキリとは言わなかった。

 もちろん、彼女の言いたいことは理解している。

 このまま俺の現状を伏せ続けるのは得策ではない。なによりみんなが心配している。

 そんな彼女の無言の訴えにも似た萎れる表情に察した俺は、早々にペンを走らせる。

 

『大丈夫ですよ』

 

 具体的な事など説明できるはずもなく、かといって彼女を安心させられるような言葉でもない。

 しかし、今はこの言葉が一番しっくりくる気がした。

 

 ボードに書かれた文字を見た水霧さんは、小さく頷き柔らかい表情へと戻っていく。

 

「――……なんだかホッとしました。やっといつもの刀霞さんに戻ってくれて、私凄く嬉しいです……」

『ご迷惑をおかけしました』

 

 謝罪の意を込めて、ホワイトボードに書いた文と共に深くお辞儀をすると、水霧さんはクスクスと笑みを溢す。

 

「迷惑だなんて思ってませんよ。それでは、そろそろ失礼しますね」

 

 そう言うが、ただの謝罪だけでは俺の収まりがつかない。

 回診車を引っ張り、そのまま部屋を出ようとする水霧さんの手を、俺は反射的に掴み行動を制止した。

 驚いた彼女は若干顔を赤らめつつ「うひゃう!?」と意味不明な言語を発し目を丸くした。何故水霧さんが慌てふためいていたのかはわからないが、兎に角何かお詫びをしたいと考えていた俺は彼女の挙動不審にも目もくれず、ホワイトボードを突き出した。

 

『何か、お詫びをさせて下さい』

 

 それを見た水霧さんは焦るように手を勢いよくぶんぶんと振る。

 

「そ、そんな! 私は何もしてませんから!」

『そうだとしても、俺の気が納まりません』

「あ、あう……っ」

 

 みるみるうちに彼女の耳たぶが真っ赤に染まる。何をそんなに切羽詰まっているのかが不明であったが、やがて水霧さんはもじもじしながらも一つの案を提示した。

 

「あ、あのそれじゃ……一緒にお食事とか……駄目ですか……?」

『食事、ですか』

 

 是非と言いたいところなのだが、生憎今の俺では自立歩行は難しい。そもそも外出許可が下りないため外食が不可能なのは水霧さんも知っているはずだが。

 そんな思考を巡らせていると、水霧さんは察したように言葉を続ける。

 

「あ、もちろん外食とかではなくて……刀霞さんのお食事の時間の時、私もここで食べたいなって……」

 

 何をもってそんなことがしたいのか、腑に落ちない点があることは否めない。

 それでも彼女がそうしたいと言うのであれば、俺に拒否できるはずもなく――

 

『わかりました。いつでもお待ちしています』

「や、やったぁ! 絶対ですよ! 約束ですからね!」

 

 水霧さんの差し出した小指に応え、久方ぶりの指きりを交わす。

 これは約束を違えてしまったら針千本を飲まされてしまうのだろうか。想像しただけでもゾッとする。病死の方が遥かにマシな気もするが、死にかけの体にムチを打つようなことだけはしないように気をつけようと、ささやかに肝に銘じた。

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に宜しいのですか?」

『ええ、もちろん彼女の意思次第ですが、その時はお願いします』

「わかりました。では、後ほど」

『倉橋先生』

「はい、なんでしょう?」

『色々ご心配をおかけしました』

「おや、その言葉を言うのは少し早いと思いますよ」

 

 謝意を込めた深い一礼に、倉橋先生は柔かな微笑で返す。

 今ままでの非を考えれば説教を受けても仕方のないことなのだが、倉橋先生は最後の最後まで俺の気持ちを尊重してくれた。頭が上がらないどころか下げる一方だ。先生の笑顔が逆に俺の胸を痛める。

 水霧さんにしてもそうだ。指では数え切れないほどの支障をきたしているのにも関わらず、彼女たちは笑顔で俺の度し難い発言を受け入れてくれている。

 いっそのこと罵りながらぶん殴ってほしい。

 寧ろ病院を追い出してくれたほうがスッキリする。

 どうにかして償いたいものだが、それはまた後で考えるとしよう。

 

 数分後、倉橋先生の号令の下、看護師がメディキュボイド側面のハンドルを握り、上半分をそっと回転させて俺の頭にゆっくりと被せる。

 視界を遮られ、暗闇であった世界はメディキュボイドの起動音と共に眼前から白光が広がり、やがて意識を現実世界から切り離していった。

 

 

 

 

 意識が覚醒して真っ先に目に飛び込んだものは、朱に染まりつつあった夕日に反射した、キラキラと宝石のように輝く湖だった。

 振り向くと同時に暖かい穏やかな風が俺の頬をそっと撫で、見覚えのある立派な樹から四方に伸びている枝木を静かにそよがせた。

 

――そうか、俺はここで……

 

「……って、声出せるのか。――ん~~~ッ やっぱり気持ちがいいな」

 

 大きく背伸びし、久しぶりの発声と直立歩行に感激し、ついストレッチをしてしまう。

 現実世界の影響を受けない仮想世界において、咽頭炎や身体力の低下などものともしないのは承知していたはずだったが健康体ではない今、改めて感激を覚えてしまった。

 さすがフルダイブと言ったところか。関心せざるを得ない。

 

 しかし久方ぶりにログインしたせいか、若干感覚的な違和感を感じる。暫く動いていれば時期に元に戻るのだろうが、今の見た目にはどうも慣れる気がしない。

 そう、自暴自棄の果てに購入した魔法系統の装備の数々。実のところ魔法など未だに一発も放ったことがないくせに後戻りはせまいとあえて高い物を購入した。今となっては恥ずかしい黒歴史だ。

 俺はそそくさと以前身に着けていた黒い着流しに着替え、リズに作ってもらった刀、《霧氷》を腰に携えるとその場に静かに腰を下ろし、胡坐をかく。

 

 視線の先には小島のシンボルともいえる大きな樹が一際目立つ。

 

「……色々あったなぁ」

 

 つい、思い耽るように干渉深いものを感じてしまう。

 そういえば、初めてこの世界に降り立った時もこの小島だった。そして、木綿季が最後の最後まで命を謳歌した瞬間も、この場所だ。

 

 あれから、どれくらいの月日が経ったのだろう。

 

 おおよそ三ヶ月程度しか経過していないのだろうが、俺にとってはとても密度のある時間のように感じる。

 走馬灯のように様々な記憶がフラッシュバックする。

 決していい思い出ではないものも幾つかはあるが、どの記憶の中にも最後に木綿季が笑っていた。

 

 屋上で出会った時も、二人で散歩に出かけた時も、喧嘩をして仲直りした時も、酒を飲んで酔いつぶれた時も、アイツはいつも俺の隣で無邪気な笑みを振りまいてくれた。

 

 記憶の中の彼女の笑みに釣られ、俺もつい笑みを溢す。

 

――あぁ、そうか。そうだったのか。

 

 ずっと分からずにいた。俺よりも遥かに強い彼女をどうして守りたいと思ってしまったのだろうと。

 

 それが、今になってようやくわかった。

 

 俺は、木綿季の笑顔を守りたかったんだ。

 

 

 

 

「……とう……か……?」

 

 

 

 

 その声は、突然背中越しから聞こえた。

 それは、酷く懐かしさを感じる、弱々しい声だった。

 俺は振り向くことなく、声の主に応える。

 

「おう、久しぶり」

「とう――ッ」

「だめだ!!」

 

 今にも走り寄ってきそうな彼女の声色に、俺は声を張り上げる。

 

「ここにいるってことは、読んだんだろ?」

「うん……で、でも……ッ」

「わかってる。だけど、今は駄目だ。……わかるだろ?」

「…………」

 

 木綿季は黙りこくってしまうが、俺は言葉を重ねる。

 

「手紙に書いてある通りだ」

 

 俺は立ち上がり、システムウインドウを開き、初めて操作する項目に指を走らせた。

 

 木綿季の視界に勇ましいSE音と共にある申し込み窓を出現させる。

 

 そして、俺は振り向いて淡々と言った。

 

 

「戦ってくれ。俺と」

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

今回のお話は短いです。理由としては投稿が遅れてしまうのであれば、短くても短期間で投稿した方が良いのではと思った次第です。

次回も、もしかしたら短くなってしまうかもしれません。ですが、暫くオリジナルの方はお休みしてこちらの二次創作を進めていこうかと考えています。

コメントしていただき、本当にありがとうございます。ここまでくると自分でも面白いのかどうかよくわからなくなってしまいますが、感想をいただけるだけで凄く励みになります。

また読んでいただけると嬉しいです。次回も宜しくお願い致します。


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26

第二十六話になります。

大変お待たせ致しました。

少しだけ時間が遡ってのお話になります。

楽しんでいただけたら幸いです。


「はっ……はっ……」

 

 靄華は廊下を駛走していた。

 刀霞から手紙を受け取ったことで、一刻も早く木綿季に渡さなければという逸る気持ちを抑えきれず、回診車を押しながらも気早に足を急がせる。

 

――これで、紺野さんもきっと元気になる!

 

 彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶ。そう思うだけで息切れすら意に介さないほど、今の靄華の気分は高揚していた。

 

「あ、水霧さん待ちなさい! 院内では走っちゃ――ッ」

「ごめんなさいー! 急いでんですー!」

 

 すれ違い様に先輩看護師から引きとめのお叱りを受けるが、遠すぎ早に申し訳ないとは思いつつも、尚足を止めることができない。

 後ろから先輩看護師が追いかけるも、靄華は気にすら留めず木綿季が待つ病室へと向かう。

 

 その道中――

 

「み、水霧さん?」

 

 急ぎ早に回診車を押す靄華の姿を遠方から捉えた明日奈は何やら得体の知れないその状況につい目を細める。

 後ろから鬼の形相をした、おそらく上司であろう看護師に追いかけられているのにも関わらず、何故彼女はあんなにも嬉しそうな顔をしているのか。

 徐々に靄華との距離が縮まるにつれ、異常とも言えるその状況に直面した明日奈は戸惑いながらも「あ、あの」と声をかける。

 すると、靄華は明日奈の姿を視認するやいなや、懐から手紙を取り出す。そして明日奈に向けてブンブンと振り回し、息を切らしながらも声高らかに叫んだ。

 

「お、お手紙です! 刀霞さんからおへっ……おへんじ……っ」

 

 回診車を急停止させるわけにもいかず、靄華は勢いに乗ったまま明日奈の横を通り過ぎていく。

 

「え、えぇ!?」

 

 あの刀霞から返事が。

 

 その言葉を聞いた明日奈は思考するよりも先に足が動いた。

 通り過ぎて行く靄華を駆け足で追走する。

 そして追いつくと同時に回診車に手をかけ、靄華と併走するように歩幅を合わせた。

 

「いつきたんですか!」

「さ、先ほどの検診でへぇ――ッ!?」

 

 靄華が言い切る前に、明日奈の手に力が入る。みるみるうちに回診車スピードが増し、靄華は躓き転倒しかける。しかし手だけは離さないよう引きずられながも必死に明日奈の押す回診車にくらいつく。まるで風に靡く洗濯物のように。

 

「水霧さん何してるんですか! もっと急いで下さい!」

「ひぇぇぇーっ 」

 

 

 

 

 

 

 

 

「木綿季!」

 

 ゆっくりとスライドする堅牢な扉を明日奈は待ちきれないとばかりに室内へと体を捻じ込ませた。

 後から続くように靄華は病室へ入ろうとするのだが、明日奈が入り口付近で直立したまま、何故か動かない。

 不審に感じた靄華は明日奈を避けるようにひょっこりと顔をだし、木綿季が横たわっているベッドへと視線を向けてみる。しかしそこには靄華の思い描いていたいつもの情景とは違う姿がそこにはあった。

 

 ベッドガードに手をかけ、若干ふらつきながらも少しずつ歩いている木綿季。

 

 肩で深呼吸を繰り返し、1メートルにも満たないような僅かな距離を数センチずつ摺り足で移動し、バランスを崩さないよう両手でベッドガードでバランスをとる。

 最初の明日奈の掛け声に気づいている様子はなく、靄華が「紺野さん!」ともう一度呼びかけると、木綿季は「あれー、どうしたのみんな?」と滴る汗を拭うこともなく不思議そうな顔で足を止めた。

 

「また勝手にそんなことして……すぐ横にならなきゃ!」

「えへへ、大丈夫だよ。ちゃんと許可もらったから」

「そうでしたか……でも、そろそろ検診のお時間ですからもう終わりにしましょ?」

「うんわかった。それじゃ、後三往復だけやらせて!」

「――わかりました。でも……無理しちゃ駄目ですよ?」

「わかってるって!」

 

 許可をもらったのであれば問題ないだろう。明日奈も靄華もそう思っていた。

 

「水霧さん、明日奈さん!」

 

 病室の入り口から怒気の篭った声が響く。

 靄華と水霧は急な怒声に体をビクンと強張らせ、恐る恐る後方へ振り返ってみると、そこには靄華の先輩である看護師が眉間にシワを寄せ、体をフルフルと震わせていた。

 

「貴方たちぃぃぃ……ッ」

「あっあっ……これはですね……!」

「あ、あうあう……」

 

 明日奈は必死に取り繕うとするが靄華は上司の怒気に当てられ言葉が上手く出てこない。両者共に体を振るわせ、雷が落ちてくるであろうと目を瞑ったその瞬間――

 

「紺野さん!? 何してるのッ早く横になりなさい!!」

 

 先輩看護師は明日奈たちを払いのけるように割り込み、木綿季の体を支え半ば強引にベッドに座らせる。

 

「あ……も、もうちょっとだけ……」

「何言ってるの!! 駄目に決まってるでしょう! 貴方たちも早く手伝って!」

「は、はい!」

 

 先輩看護師のただならぬ気迫に圧され、明日奈と靄華は木綿季を支えようと体に触れる。そこでようやく木綿季のおかれている状況を把握することができた。

 異常とも言える大量の汗。小刻みに痙攣する足。そして関節の至るところに見られる細かな擦り傷。恐らく幾度も転倒しては起き上がり、歩き続けたのであろう。

 それは規定のリハビリの時間を大幅に超過していることは一目瞭然であった。

 

「ごめんなさい……ボク……」

「いいから、少し眠りなさい」

「明日奈……ごめんね……」

「…………」

 

 明日奈は木綿季の言葉に何も応えることはなかった。

 体の汗を拭き、着替えを済ませると木綿季は糸が切れた人形のように眠ってしまった。特に暴れる様子もなく、大人しく横にはなってくれたものの、眠ってしまうその瞬間まで「ごめんなさい」とひたすら謝り続けていた。

 

 

 

 

「……三時間」

「そんなに……」

 

 先輩看護師の一言に明日奈はそれ以上の言葉が出てこなかった。

 手紙を書いてから無断で病室を抜け出したり無茶な行動はしなくなってきたことからこれならば問題ないだろうと安心していた矢先の出来事である。

 今から三時間と数分前、軽い運動ならばと先輩看護師が確かに許可を出した。ただし十分間の間のみという条件をつけて。

 結果的に直情径行な木綿季が規則時間など守れるはずもなく、体力の続く限り歩き続けてしまった。が、そこに悪意がないことは先輩看護師を含め靄華も明日奈も重々承知している。

 とはいえ、早い段階で木綿季の異常を察知することができなかった靄華はどうしても罪悪感を拭い去ることができず、先輩看護師に対し深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい……私、そうとも知らずに続けさせてしまって……」

「――今更怒っても仕方ないわ。それに、様子を見に行かなかった私にも責任はあるし……」

「私も……すいませんでした……」

 

 明日奈も靄華と同じように粛々と謝罪する。

 

「そうね。でも、次回から気をつけてくれればそれでいいのよ」

「はい……以後気をつけます」

「で、どうして二人ともそんなに急いでいたの?」

 

 顔を上げ、懐から封筒を取り出した靄華は先ほどとは打って変わって、ニコニコ顔で先輩看護師に見せつける。すると先輩看護師は全てを察し、靄華の笑顔に釣られるように小さな笑みを溢した。

 

「これで、ようやく前に進むことができるわね」

「はいっ私も今以上に頑張ります!」

「頼もしいわ。とりあえずこの一件は貴方たちに任せます。倉橋先生には私から報告しておくから、紺野さんが目を覚ましたら渡してあげなさい」

「わかりました」

 

 病室を出て行く先輩看護師に対して改めて一礼し、靄華と明日奈は木綿季が目覚めるまで静かに見守った。

 

 

 

 

 

「水霧さん……」

「はい、なんでしょう?」

「刀霞は大丈夫なんでしょうか……」

 

 安らかに寝息を立てている木綿季を心配そうに見つめる明日奈は、靄華へ幾度も尋ねてたきたであろう質問をあえて投げかける。

 手紙にはなんと書いてあるのかはわからない。それだけに今の木綿季を更に追い詰めてしまうようなことが書かれているのではないかと不安になってしまう。

 もちろん刀霞のことも心配ではあるが今の木綿季は精神的に限界まで来ている。これ以上彼女の負担になるようなことはできるかぎり避けたい。

 そう思うとどうしても聞かずにはいられなかった。

 

 しかし、明日奈の不安の募る質問とは裏腹に靄華は落ち着いた微笑みを見せ、

 

「刀霞さんから、明日奈さんたち充てへの伝言を預かっています」

「私たちに……?」

「『心配かけてすまなかった』」

 

 靄華の言葉に、いや刀霞の伝言に明日奈は瞠目するかのように大きく目を見張り、一滴の雫を頬に伝わせた。

 一ヶ月振りの彼の言葉。直接聞いたわけではないが、酷く懐かしさを感じさせる。彼がそういうのであればもう大丈夫なのであろう。今でも木綿季を想っているからこそ一枚の手紙という形で彼女に気持ちを伝えようとしている。その内容が彼女に負担をかけさせるものではないことは刀霞の伝言により確信を得た。

 

「よかった……本当によかった……」

 

 指で小さく涙を拭う明日奈。そして穏やかな感覚に包まれる靄華。

 いつしか張り詰めていた空気はどこかへと去り、窓一つない密閉された空間ではあるが、今は人心地のいい開放感が室内に広がっている。

 もう誰も悲しむことはない。そう思えるだけで明日奈は安堵の微笑みをもらす。そして木綿季の右手を両手で包み込み、目を伏せぽつんと呟いた。

 

「良かったね、木綿季……」

「――ん……」

 

 明日奈の微かな呟きに、木綿季の意識がゆっくりと覚醒する。

 ぼやける視界の中、最初に飛び込んできたものは靄華と明日奈の顔だった。

 

「あ……おはよ……明日奈」

「おはよじゃないでしょ、まったくもう」

「えへへ……」

「紺野さん、どこか痛いところはありませんか?」

「えっと、――うん、大丈夫。少しだけ足が軋むけど痛くはない、かな」

「当分リハビリはお休みですからね。ちゃんと体調を整えてから再開しましょう」

「ごめんなさい水霧さん。ボク……」

 

 木綿季は頭を下げようと体を起こすのだが、靄華に肩を抑えられゆっくりと制止され、再び枕に頭を預けた。

靄華は掛け布団をそっと木綿季の首元まで掛けなおし、叱る意志がないことを遠回しに言葉を添える。

 

「わかってますよ。ほんの少し……頑張り過ぎちゃっただけですよね」

「もう、こんなことしちゃ駄目だからね……?」

「うん……もう大丈夫。ほんとにごめんね」

 

 またやってしまった。そんな情けない感情が膨れ、木綿季は掛け布団の袖で口元を隠し苦笑いを溢す。

 決して反省していないわけではない。ただ、これ以上一度でも気分を落としてしまったら立ち直れる気がしないのだ。何かをしていなければ負の感情が幾重にも重なり、自身を駄目にしてしまう。今の木綿季がひねり出した強引とも言えるような前向きの考えが今回の結果を生じてしまったとも言える。

 

 そんな木綿季の苦々しい表情が靄華の心情を擽る。

 

――もう終わりにしなきゃ……これ以上紺野さんが傷ついてしまったら、刀霞さんもきっと傷ついてしまう……

 

 思い逸る気持ちに後押しされ、一刻も早く手紙を渡すべきだと確信した靄華は辛抱たまらずポケットから手紙を取り出す。

 

「あ、あの――ッ」

 

 今まさに木綿季に語りかけようとしたその瞬間、

 

「木綿季、私たちそろそろ行くね! 水霧さんと少しお話があるからまた後でね」

 

 ちらりと視線を靄華に合わせ、小さく首を横に振り制止を促す明日奈。

 

「う、うん。あれ、水霧さん今呼んだ?」

「あっ……いえ、なんでもないですよ!?」

 

 咄嗟の明日奈の行動に、靄華は慌てて手紙を後ろへ隠す。

 

「そっか。実はボクまだ疲れが残ってるみたいでまだ眠いんだぁ……ふわぁ」

 

 意識が若干虚ろなのか、大きな欠伸をかくと目が細くなり瞼を指で軽く擦り始める。

 

「お昼頃になったらまた来るね。お休み、木綿季」

「うん……ありがと……おやすみなさい……」

 

 明日奈と約束を交わし、木綿季は再び小さな寝息を立てはじめた。木綿季の柔らかな表情とは裏腹に、靄華と明日奈は僅かに固い顔色を浮かばせながら二人は起こさないように静かに病室を後にする。靄華はセキュリティカードをパネルに翳し、扉のロックを確認すると明日奈に気遣わしげな面持ちで尋ねた。

 

「どうして止めたんですか……?」

「あれだけ体を酷使したんです。木綿季自身は笑っていましたけど、きっと精神的にも疲弊しているはずですから……あんな状態で手紙を渡してしまったら、あの子はまた無茶なことをしてしまいます……」

「――そう、ですよね……」

 

 何かに耐えるように靄華は下唇を噛み締める。

 

「それに、刀霞は言ってました。心配かけてすまなかったと」

「で、でも……早めに渡してあげたほうが……」

「大丈夫ですよ。そんなに急がなくても――」

「急がなくちゃだめなんです!!」

 

 靄華の叫声が廊下へ響き渡る。

 発言を遮られた明日奈は呆然と目を丸くする。

 そんな明日奈の表情にハッと気づいた靄華は、自身の表情を隠すようにブンブンと両手を横に振りながら、

 

「――あ……ご、ごめんなさい!」

「み、水霧さん……?」

「あの、お手紙は明日奈さんが渡して下さい。私次の検診があるのでもう行きますね! 宜しくお願いします!」

 

 押し付けるように手紙を託した靄華は駆け足で回診車を押しながらその場を粛々と立ち去った。

 明日奈は呆気にとられたまま引き止めることもできず、ただ小さくなって行く彼女の背中を目で追いかけることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は午後12時30分。木綿季が目覚め、明日奈と共に食事を済ませた直後のことである。

 

「はい木綿季、これ」

 

 何気ない談笑の最中、区切りのいい所でアスナは手元にある鞄の中から一枚の封筒を取り出し、木綿季に差し出した。

 

「なぁにこれ?」

 

 差し出された手紙に首を傾げる木綿季。

 

「刀霞からのお返事」

「刀霞!? 刀霞からの!?」

 

 木綿季が奪い取るように手紙を鷲掴みしようと瞬間、明日奈はサッと手紙を持つ手を引っ込める。

 

「あ、明日奈ぁ!」

「どんな内容が書いてあるか私にはわからない。これは木綿季に宛てた手紙だから、内容も聞かない。だから一つだけ約束してほしいの。絶対に無茶なことはしないって」

 

 明日奈は真剣な表情で木綿季を見据え、切に願う。

 まるで姉が妹に強く言い聞かせるような言動。しかし木綿季には不安に駆られ、怯えているようにも見えた。

 だが、それと同時にその言葉の意味するところを十分に理解している。なぜそのような約束事を告げたのかを。

 

 それだけに、明日奈の言葉に対して即答できる覚悟が木綿季にはあった。

 

「約束する。絶対に明日奈を、みんなを裏切らない」

 

 その覚悟は一目瞭然だった。最早疑う余地はないだろう。

 明日奈は言葉を返すこともなく、そっと封筒を差し出す。

 受けとった木綿季は、奪い取ろうとした勢いとは真逆に、封筒を乱雑に破らないように丁寧に折り目を剥がし、ゆっくりと手紙を開いた。

 

「…………」

 

 二枚に渡る手紙を黙りこくって読む木綿季。そして、それを心配そうに見つめる明日奈。

 時間にして五分ほど経過しただろうか。無表情のまま微動だにしない姿に、明日奈は恐る恐る声をかける。

 

「だ、大丈夫……?」

「うん……」

「辛いこと……書いてあった……?」

「ううん、そんなことない。優しくて、刀霞らしい内容だったよ」

「でも、あんまり嬉しそうじゃないね……」

「うん。まだ終わってないから」

「終わってない……?」

 

 小さく頷いた木綿季は、手紙を丁寧に折りたたみ目を伏せる。

 

「今日の夜、ALOで待ってるって」

「…………」

 

 私も行く。

 

 そんな言葉が口から飛び出してしまいそうになるのだが、首を左右に振り強引に収める。

 木綿季が心配だから。刀霞が心配だから。また何かしらの原因ですれ違うのではないかと不安が募る。しかしその手紙は木綿季に宛てたもの。私たちが介入していいものではない。そう改めた明日奈ははにかむように、

 

「それじゃ、他の人が邪魔しないように私からみんなに伝えておく、ね」

「うん……ありがと明日奈」

「全部終わったら……またみんなでご飯たべよっか」

「……そだね!」

 

 木綿季も明日奈もは多くを語ろうとはしなかった。

 察するように互いに小さな笑みを浮かべ、それ以上言葉を重ねることはせず、暫くの間静かに時を過ごした。

 

 ――しかし日が沈みかけた夕暮れ時、刀霞と会う時間が迫ってくるにつれ木綿季はそわそわと落ち着かない様子で時計を気にし始める。もじもじと足先を擦り合わせたり、何度も手紙を読み返してはため息を繰り返していた。

 その様子に気づいた明日奈は木綿季の手にそっと触れ、

 

「どうしたの?」

「……怖い……」

「……刀霞に会うのが?」

「うん……」

「どうして……?」

「もう……刀霞に嫌われたくない……嫌われたくないよ……」

 

 明日奈は言葉を失った。

 向かうところ敵無しと言われたあの絶剣が、うずくまるように身を丸め、体を震わせている。

 想いを馳せた、たった一人の男性に突き放されても諦めなかった心情の裏には本人ですら自覚のできない大きな『怯え』があったのだ。

 失いたくない、忘れたくない。そう願いやっと手に入れた掛け替えのない僅かな幸せが、また自分の手から離れていってしまうのではないか。

 失うことの恐ろしさを痛いほど理解しているからこそ、受け入れたくはない最悪の結果を想定してしまう。

 

 そしてそれは、一度考えてしまうと止める事はできないのだ。

 どこまでも続く終わらない負の輪廻。そんな恐怖が木綿季の表情を歪ませ、息を詰まらせた。

 

「怖い……怖いよ明日奈……」

「――ね、木綿季」

 

 触れてしまえば今にも崩れてしまうような小さな背中に明日奈はそっと手を弄う。

 

「……刀霞のこと、好き?」

 

 明日奈の問いに膝元に埋めていた木綿季の顔がふと上がる。

 くしゃっと顔が歪み、濡れた瞳は溢れんばかりの水面を漂わせつつも、明日奈の顔をはっきりととらえ、

 

 そして迷わず答えた。

 

「好き……大好き……」

 

 はじめて口にした、素直な気持ち。

 人として好きなのではなく、一人の男性として好きだという明確な感情が涙と共に零れ落ちた。

 赤子の柔肌を包み込むように、明日奈は木綿季を優しく抱きしめる。

 

「わかるよ木綿季。その気持ち、私にもわかるよ……」

「うん……うん……」

「大丈夫、刀霞は木綿季のことを嫌いになんかならないよ。だって、そう言ってたもの……木綿季も信じてるんだよね……?」

「うん……っ」

「なら、大丈夫だよ……!」

「ありがと……ありがと明日奈……ボク、明日奈も大好きだよ……」

「私も、木綿季が大好き」

 

 木綿季が落ち着くまでの間、長い抱擁が続いた。

 

 ある程度の時間が経ち、面会の終了時間が迫ってきたことを明日奈が告げると、木綿季は改めるように明日奈を見据え、真剣な眼差しで言った。

 

 

「……明日奈、お願いがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

「紺野さん、準備は宜しいですか?」

「えっと、はい。お願いします」

 

 病室には、倉橋医師と靄華、そして木綿季の三人。

 倉橋医師の問いかけに、木綿季は二度三度呼吸を整え返事をする。

 

「あ、あの。紺野さん」

 

 靄華はそわそわと落ち着かない様子で、なにやらもどかしそうに木綿季に話しかける。木綿季は目をぱちくりとさせ「なぁに?」と応えるのだが、靄華は何を告げることもなく、下唇をきゅっと噛み締める。

 そして悟られないようできるかぎりの笑顔で激励の言葉を送った。

 

「――いえ……なんでもないです。どうかお気をつけて」

「うん!」

「では、いきますよ」

 

 倉橋医師自らメディキュボイド側部のレバーを下げ、木綿季の頭部を包みこむ。

 

 暗闇が広がる視界の中、刀霞がかつて木綿季に誓ったあの言葉が脳裏を駆け巡る。 

 あの言葉だけを信じ続け、再び会える日を望み、そしていつかまた彼の傍にいれることを今日という日まで必死に願い続けた。

 その想いの積み重ねが今日、幸か不幸一つの形となる。

 

――刀霞。ボク、ちゃんと会いに行くよ。あの時の言葉、信じてるからね。

 

 胸の内にある小さな勇気を握り締め、木綿季は眼前に広がる白光に意識を預けた。

   

 そう遠くない、近いうちに訪れるであろう永遠の別れが来ることも知らずに。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

大変遅くなり、真に申し訳ありませんでした。
多忙やPC不調が繋がり、二週間ほどの時間を空けてしまいました。
次回の投稿時間も明確に告知できそうにないので、投稿の目処が立ち次第改めて連絡したいと想います。

総合閲覧数26000、お気に入り登録270件突破しました。

間を空けてしまったのにも関わらず、読んでいただいて本当に嬉しいです。

次回も頑張ります。


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27

おまたせ致しました。二十七話でございます。


 どうして彼女が死ななければならない!!

 彼女にはもっと生きる権利があるはずだ。俺のように嫌なことから逃げ続けている人生とは訳が違う。

 彼女が何をした? 死ななければいけない運命を背負わせるようなことをしたのか?

 だとしたら、そんな運命糞食らえだ。

 俺は認めない。絶対に認めない。

 もっと生きていいんだ。生きていいはずなんだ。

 俺の命で彼女が救えるのなら、喜んで差し出せる。

 だから頼む。死なないでくれ……

 

 

 俺は何にも分かっていなかった。

 本人も生きたいと、もっと幸せになりたいと、そう望んでいるはずだと思っていた。

 だけどどうだ、彼女の顔が、心が、声がそう言っていない。

 死を悟っている。死を認めている。死を受け入れている。

 ふざけるな。そんな馬鹿なことがあっていいものか。

 なんであんなにも素直に受けいれられる?

 なんであんなにも満足そうにしている?

 なんであんなにも笑顔でいられる?

 なんであんなにも――――

 

 

 生かせてしまった。

 生き返らせてしまった。

 俺の我侭が、俺の願望が、俺の判断が、

 ユウキの覚悟を、歯を食いしばって生きてきたその努力を、踏みにじってしまった。

 なんて薄汚く、卑劣で、浅ましいのだろう。

 だけどそれでも、彼女を生かすことができた。

 だからこれでいいんだ。

 生き続けてくれるのであれば、それでいいんだ。

 

 

 死を受け入れたあの時の彼女の表情を思い出すたびに、罪悪感がこみ上げてくる。

 だからこそ俺は逃げるように関わることを、接点を持つことを避けてきた。

 近づいてはいけない。声をかけてはいけない。触れてはいけない。接してはいけない。

 何度も何度も自分にそう言い聞かせては逃げ続けてきた。

 

 なのに――

 

 どうして俺は今、ユウキと散歩している?

 ――決まってる。催促されたからだ。

 

 どうして俺は今、ユウキと外食している?

 ――決まってる。懇願されたからだ。 

 

 どうして俺は今、ユウキとクレープを食べている?

 ――決まってる。強要されたからだ。

 

 どうして俺は今、ユウキと昼寝している?

 ――決まってる。要望されたからだ。

 

 どうして俺は今、ユウキの手料理を胃にかきこんでいる?

 ――決まってる。期待されたからだ。 

 

 どうして俺は今、ユウキの頭を撫でている?

 ――決まってる。所望されたからだ。

 

 

 全て、アイツが求めたことだ。

 俺じゃない。

 俺じゃないんだ。

 

 

 

『――いや、違う』

 

『それは違うな』

 

『なぁ、刀霞』

 

『霧ヶ峰刀霞よ』

 

『貴様は求めた』

 

『全て、貴様が求めたことだ』

 

『自ら求め、拒否されることを恐れるからこそ、他人のせいにしてきたのだろう?』

 

『責任を押し付け、擦り付け、かぶせ、肩代わりさせ、お前はそうやって逃げてきたのだろう?』

 

『今回もまた逃げるのか』

 

『誰かに媚び諂い、のうのうと生き続けるのか』

 

『なぁ、刀霞よ』

 

 

 

 答えは、既に出ているぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱色の夕空に穏やかな風が揺れ動き、艶やかな濡れ羽色の髪と暗闇よりも浮き上がるような黒髪が呼応するようにゆらゆらと静かになびく。

 互いの相貌が夕日に染まり、時の流れがいたずらに二人の風姿を変えていた。

 

 しかしそれでも、瞳だけは真っ直ぐ、

 定規を当てたみたいにただ一直線に。

 彼女を、彼を、互いに捉えていた。

 

 久しく見るトウカの姿に、ユウキは刹那に焦がれる。

 許されるのであれば今すぐにでも彼の元へと駆け寄り、腕の中へ飛び込みたい。

 抱きしめたい。抱きしめられたい。離さない。離したくない。

 

 強く、強く望む程に胸の奥が張り詰める。

 

 そう、最後に見た記憶は心の傷を隠すようにローブに包まれた、あの姿だった。

 あの日の彼は目を合わせようともせず、内に秘めていた想いを打ち明けることを避けていた。

 

 ――しかし今は違う。

 

 夕闇を沁み込ませた様な墨黒色の着流し。純白の帯越しには透き通るような雪色の刀を帯刀している。

 それは、本来の悠々閑閑である刀霞のあるべき姿。

 そんな刀霞の瞳はユウキの瞳を一点に捉えていた。

 逸らさず、避けず、流すこともなく、ただユウキの存在を認めるように曇りのない眼差しを送り続けた。

 

 まるで、あの頃傷心していた、過去の自身と決別したかのように。

 

「トウカ……」

 

 爆ぜるような想いが、自然と彼の名を口にした。

 幾度も叫び、求めたあの彼が今は眼前にいる。

 緊張の糸がほんの少しでも緩んでしまうものなら、涙があふれ出てしまいそうになる。

 それ程今のユウキは情動に掻き乱されていた。

 

「……ユウキ」

 

 ユウキの情緒を捉えたのか、トウカは続ける。

 

「もし許されるなら、俺は――」

 

 傲慢だ。その先を言うのは。

 

「俺は……」

 

 だけど――

 

「お前の……」

 

 それでも――

 

「お前の傍にいたい……」

 

 決めたんだ。もう逃げないと。

 

「…………」

 

 その言葉に対するユウキの返事は、静観だった。

 彼は今、心の奥底で縛っていた劣等を、想いを、隠すことなく伝えようとしている。

 その最中に言葉を挟むのは、何故だか許されない気がして。

 ただ、トウカの言葉に耳を傾けていた。

 

「だけど、今のままじゃ駄目だ。今のまま、お前の隣にはいられない……」

 

 求めて、求めて、求めて。しかしそれでも――

 

「今の俺じゃあ、ダメなんだ」

 

 届かないのだ。今のままでは、まるで届かない。

 悔しくて、情けなくて、不甲斐ない。

 粘り気のある負の感情が心の中で入り混じり、膨らみ続け、やがて表情となって現れる。否定し続け、拒否し続けたトラウマとも言える過去の残像がトウカの顔を曇らせる。

 

「――だから……」

「あぁ、だから――」

 

「俺と戦ってほしい」

 

 シトシトと悲しさだけが募っていくような、心細さを感じさせる霧雨が降る、屋上で見せたあの時の表情がユウキには重なって見えた。

 目線を落とすと最上段の列には『Touka is challenging you』の文字と、『全損決着モード』に同意を求めるシステムウインドウが。そして窓越しには、かつてトウカと二人で腰を下ろし、痴話喧嘩した場所が薄く瞳に映る。

 

「……一つだけ教えて」

 

 それは、ずっと前から聞きたかったこと。

 それは、ずっと前から知りたかったこと。

 それは、ずっと前から確かめたかったこと。

 

「ボクのこと、――嫌い?」

 

 答える義務がある。

 答える責任がある。

 答える理由がある。

 

 しかしそれでも、トウカは小さな微笑を溢し、こう言うのだ。

 

 

「――あぁ、だいっきらいだ」

 

 

 以前にも吐き捨てられた、その言葉。

 どんな痛みよりも痛くて、痛くて、痛くて――

 それ以上に苦しかった

 

 ――が、今は違う。

 嫌悪や憎悪などはまるで感じない。

 眉をひそめ、意地の悪い笑みを浮かべるその表情が、どこかいたたまれなくて、酷く懐かしく感じる。

 

 優しく、繊細なのにどこか猛々しい。

 そんなトウカの傍に居たくて、居たくて、居たくて――

 それ以上に愛おしい。

 

「……ほんとにもう――」

 

――この人は、いつもそうだ。

 

「ほんとに……」

 

――いつもそうやって、

 

「嘘ばっかり……」 

 

――ボクに優しくしてくれる。

 

 ユウキは、システムウインドウに手を伸ばし、承諾を意味する『OK』をそっと押す。すると、勇ましいSEとともに視界上部にカウントが開始。傍らに浮かぶカラー・カーソルには『Touka』の名前が出現し、トウカのカーソルにもまた『Yuuki』の名前が刻まれた。

 

 ユウキは一つ小さく深呼吸すると同時に、腰に添えてある片手直剣に手をかけ、静かに引き抜き――

 

「ボクもトウカなんか、だいだいだい……だぁぁいっきらい!」

 

 それは、愛情の裏返し。

 

 本当に大好きだからこそ、言える言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いたくない。

 

 本音を語れば、そういう結論にたどり着く。

 トウカには戦う理由があってもユウキにはなく、故にそれが心情を複雑にさせた。手紙の内容には会ってから話すと綴られていたが、どのような理由にしろユウキは戦いたくはなかった。

 それは、トウカの実力を甘く図っているわけでも、自身が最強だと慢心しているわけでもない。ただ、勝敗に関わらずこれ以上関係が複雑になることを避けたいのだ。

 これ以上トウカの心に深く関わる事をユウキは恐れている。ただ好きな人の傍にいれるだけでいい。多くは望まない代わりにトウカの近くいることだけは許してほしい。そんなユウキの小さな願望が、胸の奥で渦巻いていた。

 

 しかし、トウカはユウキの質問に対してこう答えたのだ。

 

 『だいっきらい』だと。

 

 それは、ユウキが戦う切欠となる瞬間だった。

 仕方ない。嫌いならば、仕方ない。

 会話で解決しないのであれば戦うしかない。

 子供のようにがむしゃらに喧嘩して、一方的に意見を押し付けて、理解してもらうしかない。

 

 知ってほしい。分かってほしい。

 

 だから戦う。

 

 教えてほしい。伝えてほしい。

 

 だから戦う。

 

 そう、ぶつからなければ伝わらないことだってあるのだ。

 

 例えば、

 

 自分がどれだけ真剣な気持ちなのか――

 

 

 

 

「ボクが勝ったら、一つだけ質問に答えてほしい」

 

 それは、真剣な面持ちと言ってしまえばそれまでだが、この時のユウキの表情は少し違っていた。

 一人の女性としてではなく、一人のプレイヤーとしてでもなく、一人の友としてでもない。

 

「だから、約束して」

 

 その面構えは――

 

「一人の剣士として、絶対に嘘はつかないって」

「――――」

 

 トウカは言葉が出てこなかった。

 というより、初めてみる絶剣としてのユウキの気迫に面食らったと言ってもいいだろう。

 最早目の前にいるのは我侭な女の子ではない。今尚憧れ、目標にし続けていたあの絶剣の姿だ。

 何を問われるかは定かではない。

 しかし絶剣の前で自身を偽ることは、ユウキの存在をも否定することと同義であるとトウカは解釈している。

 故にここで逃げてしまっては覚悟を決めた意味がない。

 

 トウカは腰に携えた刀の柄を親指で持ち上げるように少し引き抜き、そして静かに収め――

 

「――あぁ、誓うよ。一人の剣士として絶対に嘘はつかない」

 

 自身の心に強く打ち咎め、迷うことなくトウカは言い切った。

 

 この所作は金打(きんちょう)と呼ばれ、おもに江戸時代の習俗で、武士はけっして違約しないという誓いのしるしに、自らの刀の刃や鍔を相手のそれと打ち合わせ、堅い約束や誓約そのものをいう。

 

 ユウキはその所作を知っていたのか、もしくはトウカの意を決した表情に確信を得たのか。小さく微笑むと長剣を中断に構え直し、自然な半身の姿勢を取った。対してトウカはユウキとは対象的に刀の柄に手を添え、静かに腰を捻り落とし、抜刀する姿勢に留めた。

 

――震えがこない……?

 

 覚悟していた発作が、何故か起きない。

 いつもであれば刀に触れただけで冷や汗が湧き、手が震え始めるのだが今回は不思議と何も起こらない。

 願ったり叶ったりではあるが、開きおなっているとはいえ少々不気味に感じてしまう。

 しかし考える間もなくカウントは残すところ十秒あまり。余計な考えを今はすべきではないとすぐさま気持ちを切り替え、大きく息を吐き続け極限まで脱力を求めた。

 

 二人の間に静穏が広がる。

 

 そよぐ風の音も、擦れる枝や鳥の羽ばたきすらも、今の二人には雑音にすら届かない。

 

 やがて無音の音が耳元で大きくなる感覚を互いに掴んだ瞬間――

 

 『DUEL』の文字が一瞬の閃光を発すると同時にユウキは全力で地を蹴った。

 

 約七メートルほどある距離を影を置き去るほどの速さで一直線に、トウカの喉元へ剣先を撃ち出す。

 

「やああっ!」

 

 風を裂くように突き出された剣と共にユウキの覇気がトウカの喉元へ迫り来る。

 だが、トウカは動揺など微塵も見せることもなく、ユウキの剣先が制空権に入った瞬間、捻った腰を開くように抜刀し、繰り出された刀の剣先が直剣の刃先へあてがわれた。

 互いの刃は火花を散らしながら交差され、トウカは刺突の軌道を右へと逸らし、受け流しながら体を素早く入れ替える。 

 初撃の軌道を逸らされたことにユウキの目が驚きに丸くなりながらも、行き場を失った勢いを殺すため、前転を素早く数回。そして追撃に備えるため片膝をつきながらも振り向き様に長剣を構えなおす。

 

 ――が、追撃がこない。

 

 僅かに見せた隙。二、三歩踏み込めば一太刀浴びせることも十分可能であったにも関わらず、トウカは初動と同じように抜刀する構えを見せたまま静かにユウキの攻撃に備えていた。

 

「な、なんで……」

 

 思わず言葉が洩れる。

 

「――俺はこういう戦い方しかできない」

 

 消極的な姿勢、ではない。

 言葉とは裏腹に、トウカの目には静かな闘志が宿っている。安直に制空権へ踏み入れようものなら、確実に斬られてしまう。

 自ら斬り合いを挑んでこない最弱の剣士を前に、ユウキは恐怖にも似た緊張感を覚えた。

 

 トウカは自身から攻め入ることは得意とはしていない。

 それは過去のトラウマに起因する。

 伝統とはいえ、人を殺すための技術を幼少期から叩き込まれた彼にとって、自らが攻撃することを酷く恐れていた。

 何故ならば――本能的にイメージしてしまうのだ。

 相手が剣を振りかぶれば、斬り下ろし様に懐へと入り込み、振り下ろされる手首に刃を合わせ斬りつける。

 横一文字に斬りかかるのであれば、刀線刃筋を予測し、刃先を受け流しつつ遠心力を加え、相手の体制を崩した直後脹脛の腱を断裂させ一時的な行動不能にさらしめる。

 唐竹ならば、袈裟切りならば、逆袈裟ならば、右薙ぎならば、左薙ぎならば、左切り上げならば、右切り上げならば、逆風ならば、刺突ならば――

 父に叩き込まれた幾度も繰り返す殺し合いの果てに、トウカの奥底に眠る本能がすっかり侵されてしまっていた。

 しかしそれでも、即死させるようなイメージだけは絶対にしなかった。例えそれが、『霧ヶ峰流抜刀術』の真髄を汚していたとしても。

 本来、霧ヶ峰流は『無二の一太刀』を旨としている。手首を斬りつけたり、足にダメージを負わせ行動を制限させたりと回りくどい技は存在しない。一太刀で首を斬り落とし、一撃で臓腑を両断させ、一突きで心臓を突き抉る。

 敵対する相手には全て『無二の一太刀』を以て応えるのみ。

 

 そんな人を殺すための技をトウカに叩き込むために、父親は木刀で何度も痛めつけながらこう言うのだ。

 

『一太刀で殺さなければ意味がない』

 

――冗談じゃない

 

『息の根を止めなければ意味がない』

 

――冗談じゃない!!

 

 殺す必要なんてどこにもない。

 

 活かすため、生かすためにこの力を。

 護るため、守るためにこの技を。

 

 誰にも文句は言わせない。

 

「これが俺の戦い方だ。こい、絶剣」

 

 

 いざ、尋常に――

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

お待たせして申し訳ありません。

次回も時間がかかってしまいますが、必ず投稿いたしますので、気長に待っていただけると嬉しいです。

総合閲覧数30000突破しました。
本当に嬉しいです。たくさんの人に見ていただけて幸せです。

今後とも宜しくお願い致します。


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28

五月二十三日はユウキの誕生日ということで。

ああ、間に合ってよかった。


 油断と言ってしまえばそれまでだ。

 

 ユウキから繰り出した初撃は、トウカの力を推し量るための行動でもあった。

 以前不良三人組に一人で立ち向かい、これを制したということであれば少なからず弱いということではないだろう。しかし、彼はALOを始めて三ヶ月と満たない。そして他のゲームからコンバートしてきたわけでもない。この情報から総合すると、リアルで何かしらの武道を身につけている可能性がある、というユウキの推察は正に的を得ていた。

 

 しかしここからユウキの思惑とは大きく外れてしまうことになる。

 

 武道とはいうが、現在は怪我を未然に防ぐため、ルールや防具に縛られた所謂近代スポーツと言ってもいい。所詮ゲーム内で反映されたとしても中々応用に利く技術はごく僅かである。まさにリーファがその例と言えるだろう。

 彼女はユウキと戦い、一度敗れている。リアルでは幼少の頃から剣道に身を置き、その技量は優秀な成績を収めている程で、キリトにも勝利している故にまさに折り紙つきだ。

 だが、そんな技術をもってしてもユウキにはデフォルト技だけで圧されてしまう。それ程に現在の武道とゲーム内での動きには大きな差が生まれてしまう。

 

 だが、トウカは違った。

 

 ユウキの刺突は約八割ほどの力で放ったもの。

 確かに全力で地を蹴った。スピードの乗りも良かった。しかしそれでも通常のデフォルト技だ。フェイントやソードスキルも併用できただろう。だがあえてそうしなかったのはトウカのプレイスタイルを把握するためのものだった。

 弾くのか、受け止めるのか、崩すのか、避けるのか、それとも食らってしまうのか。何れかの行動でトウカの本流を垣間見ることができるとユウキは考えていた。

 

 ――結果、彼は受け流した。

 

 これは予想の範疇を超えていた結果だった。

 『受け流す』というのは相手の技が見えているということ。尚且つそのスピードを以前に体感しているということになる。つまり――

 トウカは自身と同等、もしくはそれ以上のスピードを兼ね備えている可能性がある。

 

 ユウキは攻めて来る気配がないとわかると、ゆっくりと立ち上がり、改めて直剣を構えなす。

 体は開いているものの、先程とは違う構えだ。重心を落とし、明らかにスピードを加えようと後ろ足に力を溜めている。

 トウカもまた、大きく深呼吸しながら相手の行動に備えている。どんな一撃でも確実に受け流し、一太刀とまではいかなくとも、相手の力を利用し、カウンターを合わせて少しずつダメージを負わせることはできる。

 

 この集中力が持続できれば、だが――

 

 トウカが一抹の不安を過ぎらせた瞬間、ユウキは見計らったかのように再び地面を蹴った。

 しかし今度は一直線ではない。素早く左右に移動しつつ、つづら折りにトウカへと詰め寄る。それに加え直剣が青紫色の光を帯びている――ユウキのソードスキルだ。

 

――落ち着け、落ち着け。大丈夫、大丈夫だ。

 

 目の焦点をユウキの動きに合わせ、トウカは冷静を意地しようと自身に言い聞かせる。

 トウカはある予測を立てていた。それが正しければ、あの直剣から繰り出されるソードスキルを防げる可能性があると。そしてそれはスピードとは関係なく――

 

「たああっ」

 

 動きによるフェイントを混ぜながら、短い気合と共にユウキは剣を勢いよく振り下ろした。片手剣のソードスキル――《バーチカル》。

 トウカは脱力した力を糧に腰を開いて抜刀し、振り下ろされる剣技に合わせ、切り上げるように直剣と刃を交差させる。

 だが、僅かに刃先の角度を外側にずらし、流すように刃をあてがわせた。するとライトエフェクトを帯びた片手直剣はチリチリと線香花火のような火花を散らしながら空を裂き、行き場を失った矛先は地面へと導かれた。

 

 その刹那――トウカとユウキの瞳が互いを捉える。

 

 驚愕に目を丸くさせるユウキと、火花に目を細めるトウカ。

 対象的な表情ではあったが、二人が同時に感じたものは、『確信』だった。

 

 トウカの推察は当たっていた。ソードスキルは直撃しなければ効果は発動しないと。

 以前の不良組みとの決闘や、アラクネとの戦闘で、相手の攻撃を全て大剣という重量のある武器で正面から受け止めようとしていたことが多かった。

 しかしそれもソードスキルの前では無力に等しく、例え最も重量がある両手斧で片手直剣に対してデフォルト技で挑んだとしても、特定のスキルを使用されてしまえば弾かれてしまうことがある。

 そこでトウカの思考が前へと進む。仮に『受け止める』のではなく、『掠らせる』ことができたとしたら……? 

 

 そしまた、ユウキも確信する。トウカには自身の動きが確実に見えているのだと。

 つづら折りにフェイントを混ぜたのはトウカの目を見るため。案の定寸分違わぬタイミングで自身の動きに焦点を合わせてきた。間違いない、単発のスピードはほぼ互角。

 だが、それと同時にユウキはトウカの小さな綻びを見つけてしまった瞬間でもあった。

 

 刹那の間に互いの思考が疾走した直後、ユウキの直剣は地面へとめり込む。地面が唸るような轟音と共に大きな土煙が舞い上がり、二人はその煙幕に巻き込まれ、互いの姿が影となって消えた。

 その結果、受け流した後の事を考えていなかったトウカは吹き荒れる土煙に小さな動揺が生まれてしまった。

 ――ここはゲームの世界。現実では起こらないことが起こってしまうのだ。片手直剣がまさかこれほどまでの威力があるとはトウカも想定などしていなかった。

 

 そう、それこそが――

 

「――――ッ!?」

 

 トウカの弱点だった。

 

 背筋が凍る感覚に釣られ、トウカは目線を落とすと、懐に紫色の髪を靡かせた少女がいることに気づく。

 そして気づいた時には既に遅く――

 

「やぁーっ!!」

 

 気合を迸らせながらユウキはトウカの腹部に凄まじいスピードで突き込んだ。

 青紫色のエフェクトフラッシュが迸り、舞い上がっていた土煙が一気に晴れる。

 

 受け流そうにも、距離を詰められては抜刀できず、腰を起点に使う居合いは攻撃されてからでは無力に等しい。

 

――あぁ、ここまでか……

 

 眩い閃光が目を眩ませ、次々と腹部へと攻撃が吸い込まれていく感覚の中、トウカは彼女に惜しみない賞賛を送っていた。

 やはり、絶剣は強かった。当たり前だ、ユウキは俺の憧れなんだから。こんな簡単に負けてしまっては俺が困る。

 

――負ける……? 俺が……?

 

 

――――――――――――。

 

 

「諦めてんじゃ、ねぇぇぇ!!」

 

 

 トウカは自身への憤慨を八つ当たりするかのように、ユウキの最後の一突きを強引に薙ぎ払った。攻撃を弾かれたユウキは彼の咆哮に驚きつつも、反撃に備え数回バックステップして距離を開ける。

 

「……まだ……まだやれる……」

 

 片膝をつき、息も絶え絶えでライフゲージも残り僅か。

 軽装の彼ではユウキの攻撃に耐性があるわけもなく、あっという間に体力が削られてしまった。

 トウカはそんな満身創痍にも関わらず、以前ユウキから受けた忠告にもう少し耳を傾けておけば良かったと薄笑みを浮かべながらも、刀を杖代わりに弱々しく立ち上がる。

 

「……もう、やめよ……? もう十分だよ……」

「ふざ、けんな……かかってこい。負かしてやる……」

 

 好きな人をこれ以上傷つけたくない。

 そんな脆弱にも似た懇願が、トウカのプライドを傷つけると分かっていても、ユウキは言わずにはいられなかった。

 トウカは、最早抜刀する力も残されてはおらず、両手で刀を握り締め、脇構えを維持するので精一杯だった。それに対してユウキは戦う意志を放棄し、距離を詰めようともせず、悲哀な目で彼を見つめていた。

 

「来ないなら……俺から、いくぞ……」

 

 試合放棄したユウキに強い憤りを覚えたトウカは、痺れを切らしたかのように、迎え撃つという本来の戦い方も捨て、ふらふらとユウキの元へ近づく。

 

「トウカ……ボク、ボクは……」

 

 もう嫌だよ。

 

 そう言おうとするのだが、トウカは言葉を遮るように弱々しく刀を振り上げ、力なく振り下ろす。

 

「あ……」

 

 あの驚愕させた、鋭い一閃が今は見る影もない。

 ユウキが直剣でその攻撃を受け止めると、トウカは淡々しい声で言った。

 

「絶剣なんだろ……? 最強なんだろ……? 俺の憧れた絶剣は……俺の惚れた女は……こんなところで投げ出したりは、しない……」

「と……うか……」

「本当に……嫌い、なら……打ち負かして……みろ……!」

「――わあああああっ」

 

 叫換と咆哮が交じり合う掛け声が、猥雑にトウカの刀を弾き返した。

 

 全力で、全力で、全力で――!!

 

 ユウキは持てる力の限りを直剣に込め、一心不乱に剣を振るい続ける。

 トウカは流すように直撃こそ免れてはいるものの、所々攻撃が突き刺さる。

 瞳に涙を浮かべ、休むことなく剣技を叩き込み続けたユウキは、やがて無意識の内に、あるソードスキルを発動させた。

 

「うわあああああっ」

 

 悲痛な叫び声が、ユウキの右手を閃かせる。美しく輝く青紫色のエフェクトと、その構え方にトウカは見覚えがあった。 

 腹部右上から神速の突きを繰り出そうとしてる。初動の動きでトウカは見るまでも無く直感した。そう、これは――

 

――マザーズ……ロザリオ……

 

 アスナに託したはずのOSSが何故、いやそれよりも――

 これを食らったら、確実に終わる。

 受け流し、次の攻撃に備えようにも体が動かない。

 トウカは静かに悟った。自分は負けてしまうのだと。それでも諦めずに戦った。逃げずに戦えた。

 

 だから満足だ。負けても、満足だ。嘘ではなく、本当に――

 

 

 

『虚勢を張るな』

 

 

 

 どこか聞き覚えるのある声が、脳裏を過ぎる。

 しかもそれはずっと昔から、子供の頃。いや、

 赤ん坊の頃から知っているような――

 

『委ねろ』

 

 ふと気づけば視界は暗闇の中、目の前に映る得たいの知れないどす黒い物体だけはハッキリと捉えることができる。

 自然と不快な感覚はない。寧ろどこか清清しい。

 その不思議な心情に動揺しつつも、トウカは恐る恐る答えた。

 

――委ねて何になる。委ねたら勝てるのか? お前ならあの絶剣に勝てるのか?

 

『望め』

 

 その黒い異質ななにかは、漆黒の手を差し出す。

 それはゆらゆらと浮遊しつづけ、今にも折れそうな細枝のように見えるが、それでも尚手の形を維持していた。

 

 こいつに何ができる。こんな弱そうな奴の何が信用できる。

 しかし、今の俺にはもう何もできない。もし、この手を取れば本当に窮地を脱っすることができるかもしれない。

 

『求めろ』

 

 それは、今現在トウカが求めている、とても甘美な言葉。

 この手をとれば、助けてくれる。

 委ねて、頼んで、任せて、救ってくれる。 

 

――勝てる……ユウキに……絶剣に勝てるなら……

 

 トウカが、その手に触れた瞬間――

 

『――はは』

 

 気味の悪い笑い声を最後に、トウカの意識はぷつんと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 吹き荒れる突風がユウキを中心に広がり、足元の草がばあっと放射状に倒れ、数メートル先には吹き飛ばされ仰向けに倒れるトウカの姿があった

 

「ト、トウカ!!」

 

 ハッと我に返ったユウキは自身がOSSを使用したことに気づき、慌ててトウカの元へ駆け寄る。

 束ねた黒髪がばらばらにほつれ、夕空を吸い込むようにキラキラと輝いていたが、髪留めが外れてしまったせいか、前髪で表情が隠れどのような面持ちなのかわからない。

 謝ればいいのか、誇ればいいのか、そもそも声をかければいいのか。

 

「とう……」

 

 ユウキはいてもたってもいられず、恐る恐る手を伸ばす。

 

 が、次の瞬間――

 

 悲鳴のような甲高い風尾の音がユウキの耳に入った。

 

「――え……?」

 

 ふと気づけば、パラパラと紫色の髪の毛が散り散りに落ちている。

 何が起きた? 何をされた?

 ユウキは思わず後ろに飛び退く。事態の収拾がつかず、思わず直剣を構え周囲を見渡す。

 もちろん他に誰かいるわけでもなく、まして決闘中に他人が割り込めるシステムなど存在しない。

 この小島にはトウカしかいないのだ。目の前にいるトウカしか――

 

「トウカ……?」

 

 トウカは、直立していた。

 だらんと右手に持つ刀の剣先にはユウキと同じ色の髪の毛が絡まっており、ただ呆然と虚ろな目で空を見上げている。その目には光が宿っておらず、まるで感情という概念が存在しないかのようにも感じた。

 トウカの中心にのみ、無常な虚無感だけが広がる空気を感じ取り、ユウキはただごとではないと直感する。

 

 一時的に混乱を極めるも、距離空けたことにより冷静さを徐々に取り戻し、改めて状況を確認しようと静かに深呼吸を繰り返した。

 まずトウカのライフゲージ。見たところOSSを使用する前の残量がまるごと維持されている。それはつまり、トウカがユウキのOSSを受けきったことを意味する。

 防いだのか、受け流されたのかはユウキも一心不乱だったためわからない。故に今となっては確認のしようがない。

 だが、先ほど聞こえた風切り音の正体はわかった。それはトウカの持つ刀を見れば一目瞭然だ。

 そう、トウカが斬ったのだ。

 それも軌道上から察するにユウキの両目を狙った。

 あれほど満身創痍だった彼が何故これ程までの余力を残していたのかは定かではない。それに、今まで急所を避けるように攻撃してきた彼が、不意打ちするかのようになんの躊躇いものなく攻撃を仕掛けてくるとは思えない。

 

 様々な矛盾がユウキの思考を麻痺させつつも、たった一つだ言えることがあった。

 

 それは、今のトウカは普通ではないということ――

 

「絶剣……」

 

 トウカの口から零れた、自身の名称。

 

「トウカ……? トウカだよね……?」

 

 そうは言いつつも、ユウキは直剣を構え警戒心を怠らない。

 見ればわかる。あれは紛れもなくトウカだ。だけど何かが違う。

 確かめずには、聞かずにはいられない。

 

「…………」

 

 何も答えることはなく、天を仰いでいた瞳はすぅっとユウキの方へと傾く。

 

 そして、その男は独り言のように呟いた。

 

「逝ね」

 

 ユウキは長きに渡る戦闘を経て、相手の目を見ればある程度の戦闘能力は把握できる。その直観力が眼前の男の一言で瞬く間に危険信号を発した。

 この男は危険だと。

 身を強張らせるほどの悪寒がユウキの全身を駆け巡り、意識とは無関係に本能が臨戦態勢をとらせた。

 

 それが、結果的に功を奏した。

 

 その男は穿たれた飛矢のようなスピードでユウキの懐に滑り込み、首を切り落とそうと無二の一太刀を放つ。

 目の端で捉えたユウキは中段に構えた直剣を寸でのところで右へと逸らし、刀剣を受け止め、火花を散らしながらギリギリで耐え凌ぐ。

 

「ぁぐ……ッ」

 

 先ほど見せられた、洗練された技術などではない。急所目掛け、力技で捻じ伏せるような圧倒的な暴力。

 いったい彼のどこにそんな力があるというのか。いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

 改めて一旦距離を空け、自分のペースで戦いを運ぶ必要がある。

 纏まらない思考の中、自身のできることを一つずつ手繰り寄せ、導き出した答えを実行に移すため、ユウキは大きく後ろに飛び退いた。

 

 その瞬間、男はニタリと不敵な笑みを浮かべた。

 まるでそうすることを知っていたかのようにほぼ同じタイミングで間合いを素早く詰め寄ると、刀剣で地面を削りながら弧を描くように下から上へ大きく薙ぎ払った。

 

「――――ッ!!」

 

 ユウキは刃を受け止めるも飛び退いた瞬間を狙われたため、滞空していたことが仇となり踏ん張りが利かないまま後ろへ大きく吹き飛ばされ、受身も取れず地面に叩きつけられてしまった。

 

「いっ……たぁ……ッ」

 

 ペインアブソーバにより痛覚は遮断されてるとはいえ、内心的な痛みと斬られたことによる不快感がユウキを襲った。

 すぐに立ち上がらなければ。でないと次の攻撃が来る。

 しかし、甚振ることを好んでいるかのような暴力的な一撃と、あのトウカらしさのかけらもない不敵な笑みがフラッシュバックされ、体が思うように動かない。

 

――あれはトウカじゃない。トウカなんかじゃない!!

 

 そう体に言い聞かせるが、最早間に合わない。

 ユウキは蹲るように身を丸め、歯を食いしばり次の攻撃を待つ。が――

 

「……はは」

 

 繰り出されたのは攻撃ではなく、笑い声だった。

 

「はは」

 

 暗くて、怖くて、恐ろしい笑い声。

 

「ははは」

 

 男は笑っている。かつてトウカだった男が、ただ冷たく笑っている。

 ニヤニヤと、汚物を見つめ、自身よりも劣っていると言わんばかりの表情で。

 戦いを楽しみ、敵を傷つけることが何よりも快感だと言わんばかりの表情で。

 

――笑うな……

 

 トウカはそんな顔で笑わない。

 

――笑うな……!

 

 トウカの笑顔は、もっとあったかい。

 

「笑うなああああああっ!!」

 

 憤慨する感情を力に変え、ユウキは起き上がると全力で地面を蹴り上げた。

 羽を広げ空高く飛翔したユウキはトウカの頭上数十メートルから勢いよく降下し――

 

「トウカを返せえええええッ!!」

 

 雄たけびと共に直剣が青紫色に閃光する。

 降下によるスピードを加えた垂直斬りから、上下のコンビネーション、そして全力の上段斬り。高速の四連撃《バーチカル・スクエア》――。

 

 しかし――、

 

「はは」

 

 文字通り怒涛の四連撃を仕掛けるも、片手で全ていなされる。

 理不尽なほどの力にユウキは顔をしかめるも、攻撃はそれだけでは終わらなかった。

 武器が交差し、弾き合う武器の勢いが再び土煙を巻き上げる。互いの姿が煙に紛れ視界を遮られるがユウキには男のいる場所がしっかりと見えていた。

 これはインプの特性の一つで、暗視はもちろん、霧や吹雪の中でも可視できる。

 ――ただし、種族のスキルポイントを割り振ればの話であって、今のトウカにはそれが割り振られてはいない。

 

 つまりトウカの弱点は、『知識』にある。

 

 トウカはゲームのシステムの全てを把握しきれてはいない。それに比べてユウキは豊富とまではいかないが戦闘に関しての知識はトウカよりも優れている。

 それは結果的に、戦闘において大きなアドバンテージにもなる。

 残りはのライフゲージから察するに、最早ソードスキルは必要ない。土煙の中使用してしまうばライトエフェクトでこちらの居場所がバレてしまう。

 

 ユウキは冷静に、トウカの背後へと回り込み――

 

「うりゃあああッ」

 

 全身全霊の一撃を放った。

 

 ――ところが、

 

「はは」

「――ッ!?」

 

 短い声と共に土煙が晴れていく。

 目の前には、虚しくも火花を散らしている直剣と、見向きもせずに一撃を受け取とめる男の姿。

 

――これも、駄目なの……!?

 

 ユウキは負け時と鍔迫り合いに挑むが、男が刀を強く握り締めた瞬間、ユウキの体はいとも簡単に浮き上がり、直剣を叩き割るかのような力で強引に吹き飛ばした。

 

「ぎゃう……ッ」

 

 小島の中心に聳え立つ大木の幹に叩きつけられ、ズルズルとその場に崩れ落ちていくユウキ。そしてその苦痛な表情を慊焉たる目で見据えるトウカ。

 

 決闘が、終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……とう……か……」

「はは」

 

 トウカは答えない。

 

「…………」

「はは」

 

 トウカは応えない。

 

 これが、トウカの求めた決着だったんだろうか。

 これが、本当のトウカなのだろうか。

 もう何もわからない。何が本物で、何が偽者なのか。

 

 男は歩み寄ると、ユウキの首筋に刃をあてがう。

 最早表情など見る気にもなれない。恐らく笑っているのだろう。

 卑劣に、愚劣に、下劣に。

 

 ユウキは握り締めていた黒曜石の直剣を静かに手放した。

 これ以上足掻いたところでこの男には勝てない。ならば、大人しく諦めて楽になろう。これは所詮決闘。負けたところで命を失うわけじゃない。

 

――いいよね、もう……

 

 ユウキはゆっくりと目を閉じ、ただその時が訪れるのを待った。

 首筋にあでかわれた刃が離れ、カチャリと柄を持ち直す音が聞こえる。

 

「とうか……」

 

 そして振り下ろされた刃が――

 

 

 

 

 

 

 音を立てて何かを斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 痛みも、不快感も、決闘の終わりを告げる音も聞こえない。

 ユウキはふと目を開けてみる。

 すると、そこにはトウカが自身の足に刀を突きたてている姿があった。

 

「え……?」

 

 何が起きたのかもわからず、ユウキは恐る恐る顔を上げようするが、恐怖で身が竦み、トウカの顔を直視することができない。

 まだ、あの忌々しい笑みを浮かべているのだろうか。だとしたら見たくない。

 これ以上、あんなトウカなんて見たくない。

 思い出すだけで体が震え、目を固く瞑ってしまう。

 

 しかし、そんなユウキに聞こえてきたのは――

 

「ゆう、き……」

 

 その声は、優しくて、温かくて――

 

「とうか……?」

「だいじょ……ぶか……?」

 

 トウカはその場で崩れ落ち、倒れこむようにその身をユウキに預ける。

 

「ほんとに……ほんとにトウカなの……?」

 

 ユウキは体を受け止めるも、抱きしめることに躊躇していた。

 

「ごめん……俺……また逃げて……」

「あれは誰だったの……? 今のトウカは……本物なの……?」

「…………まだ、わからない……」

「そんな……」

 

 トウカはユウキの体から離れ、自身に突き立てた刀を強引に引き抜くと、最後の力を振り絞るように立ち上がった。

 

「ユウキ……最後の勝負をしよう……」

「まだ……やるの……?」

「あぁ、俺もお前も……あと一撃で決着が付く……だから、これが最後だ……俺ももう長くはもたない……だから――」

「どうしてそんなに決着をつけたがるの……? もう勝ち負けなんてどうでもいいよ……ボクたちもう仲直りできたのに……」

「それでも、だよ……今の俺が、お前の信じるトウカでありたいんだ……今の俺が誰かもわからないまま終わらせるなんて……またお前を怖がらせてしまうかもしれない……」

 

「それに……」

「――それに……?」

 

「俺が勝ったら……絶剣よりも強い男として、胸を張ってお前を守れるだろ……?」

「……あはは」

 

 ユウキは立ち上がると、羽を広げゆっくりと飛翔し、トウカから数メートル離れた位置で着地した。

 もちろん歩かなかったのは最後の一撃に備えるためである。

 歩く余力すら残されていなかったトウカは、自身が最も得意としている居合いに全てをかけるため、刀を納めて抜刀する姿勢に構える。

 それに対してユウキは赤い夕日を受けて、黒曜石の剣は燃えるような輝きを放ち、それを体の正面へと定め、真っ直ぐに構える。

 

「ちゃんと、後で説明してよね……」

「ああ。俺に、勝ったらな……」

 

 互いに小さな笑みを溢し、決闘の残された時間は僅か十数秒。

 その間ユウキはしばらく動かず、ただ残された最後の力のありったけを剣尖の一点に集め――

 

 残り時間が五秒を切ると同時に、あらんかぎりの力を踏みしめ、大地を蹴った。

 

 迫るスピードはそこまで速くはない。十分対応できる。トウカはそう確信した。

 だが、その瞬間――、ユウキの直剣が閃光に迸り、ライトエフェクトが発動する。

 あの構えから繰り出される技は、十中八九、マザーズ・ロザリオだろう。

 しかし――

 全てが想定の範囲内だと分かっていても、トウカは避けようとはしなかった。

 真正面から、正々堂々と立ち向かう。

 ユウキの信じるトウカであるならば、ここで逃げたり、誰かに委ねるわけにはいかない。

 そんなトウカの強い意志が、今までにない程の集中力を与えた。

 

 

「やあああああ――ッ」

「――――ッ」

 

 互いの気迫と剣先が交差し、ついに――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………はは」

「やっぱりトウカは、そっちのほうがいいよ」

 

 日もすっかりと暮れ、二人の頭上には月明かりが降り注いでいた。

 絶剣の膝枕に気恥ずかしさを感じたのか、トウカは無理やり笑顔で誤魔化すも、そんな彼の表情にユウキは安堵の言葉を洩らした。

 

「そんな酷い顔してたのか」

「うん。そりゃもーね。こぉーんな感じ」

 

 ユウキが五割り増しにトウカの気色の悪いにやけ顔を演じると、トウカはつい「うわ、気持ちわる」と口走る。すると、ユウキは顔を膨らませ、「トウカがしてたんだからね。ボクじゃないよ」と念押しを込めた。

 

「……で、あれはなんだったの?」

「正直、俺にもわからない……ただ、昔から知ってるような気がする。元々俺の中にいたような気もするし……」

「なんか……怖いね」

「昔じーさんが俺の中には鬼がいるって言ってたけど、これがそうなのかな」

「鬼……? なぁにそれ」

 

 膝の上に乗せたトウカの顔を、ユウキはじっと見つめる。

 

「俺、子供の頃から剣術やらされててさ」

「うん、戦った瞬間そんな気はしてた」

「でも、教えられたのは人を殺す方法ばっかりでさ。嫌で嫌で仕方なかったんだ」

「そっか……だから……」

 

 これで辻褄が合う。何故トウカが敢えて急所を狙わなかったのか。

 狙わなかったのではなく、狙いたくなかったのだ。

 ゲームとはいえ、それを狙うことは人を殺すこと同じ意味をもつ。だからこそトウカは避けていたのだと。

 ならば、あの時のトウカは――

 

「そしたらさ、じーさんが言ったんだ。お前の中には――」

「ね、トウカ」

「ん?」

 

 ユウキはそっとトウカの手をとり、優しく握りながら――

 

「それさ、倉橋先生に相談してみようよ」

「く、倉橋先生に……?」

「もしかしたら、何かわかるかもしれない。多分だけど……」

「そうか。そうだな、そうしてみよう」

 

 ユウキには少しだけ心当たりがあった。

 全く同じ、ではないが似たような経験を持つ人物を過去に見たことがある。

 仮に原因がわかったとしても、治す手立てがあるわけではないが、少しずつ彼の力になりたいと願うユウキにとって、これは最初の一歩になり得るに違いないと、そう確信したのだった。

 

「それじゃ、本題に入るか」

「ほんだい……?」

 

 トウカは体を起こすと、ユウキの隣に座りなおし星空を見上げながら、言った。

 

「俺に、会いたいか?」

「うん」

 

 ユウキは即答する。迷う必要も、躊躇う必要すらない。

 

「……そうか。俺も、ユウキに会いたい」

「会えないの……?」

「いや、そうじゃなくて、な」

 

 鼻をぽりぽりと、何かを言いたげそうな顔をするがユウキがいくらまっても切り出そうとしてくれない。

 痺れを切らしたユウキは身を乗り出し、トウカに迫る。

 

「約束だよ? 嘘はつかないって」

「嘘をつくつもりはないんだ。ただ――」

「……ただ?」

「絶対に取り乱さないって約束してくれないか?」

 

 トウカの言葉に、ユウキは一気に不安な面持ちへと変わる。

 

「取り乱す……どうして?」

「会えばわかるさ」

「……うん、頑張ってはみるけど、そうなったらごめんね」

「ま、できる限りでいいさ」

 

 トウカはユウキの頭をポンポンと撫でる。久しぶりの感覚に浸りたい気持ちがあったものの、どうもトウカの取り乱してはいけないという言葉にひっかかりを感じる。

 暫く雑談を続けた後、ユウキはトウカに指示された通りにその場でログアウトをすると、目の前には倉橋先生が待機していた。

 

「お帰りなさい、紺野さん」

「先生、トウカは……」

「お話は伺ってますね?」

「う、うん……」

「では、いきましょう」

「歩いて……行ってもいい?」

「わかりました。疲れたらいつでも言ってください。ゆっくり行きましょう」

 

――なんだかんだあったけど、喧嘩も無事に終わり、仲直りもした。

 クレープを食べる約束も交わしたし、いっぱい遊ぶ約束もした。

 これからたくさん冒険に出て、できたらキリトとアスナみたいに家を買って一緒に住みたいって話もした。

 もっともっと手料理を食べてもらう話もしたし、いつかスリーピング・ナイツのメンバーも誘って、みんなでパーティをしようって話しもした。

 

 だけど――

 

 現実の世界での約束は、まだ何一つしていない。

 

 だからこれから刀霞に会って、いっぱい決めるんだ。

 そのために自分の足で歩いて、「ボク、元気になったよ」って言うんだ。

 いっぱいいっぱい、頭を撫でてもらって、「頑張ったな」って褒めてもらうんだ。

 

 だから――まってて、刀霞。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

「紺野さん、少し休みましょう」

「大丈夫、ボクまだまだ平気!」

「わかりました。さ、もう少しですよ」

「うん!」

 

 長年この病院に入院してきたユウキにとって、今歩いている場所が一般病棟とは離れた病室だということは既に気づいていた。

 もしかしたら刀霞は凄く重たい病気にかかっているのではと、心の隅で予感はしていたものの、いつしか屋上で言っていた、「そんなに重たいものじゃない」と言ってた言葉を信じ続け、気持ちを鼓舞させながらひたすら歩いた。

 そんなユウキの姿に、倉橋医師も気づいてただろう。

 しかし敢えて言わなかったのは、刀霞のためでもある。

 刀霞はユウキに会う直前、倉橋医師にこう言ったのだ。

 

「本人が会いたいと決めたのであれば、何も言わず、連れて来て下さい」、と。

 

 それが本人の意思ならば、本人に委ねるべきだと、そう言ったのだった。

 

 やがて、長く続く廊下の先に、一室だけ明かりが漏れている部屋があることに、ユウキは気がついた。

 

「先生……あれが……」

「ええそうです。あそこに刀霞さんがいます」

「…………」

「どうします?」

「……いく。いかなきゃ」

 

 ユウキはゆっくりと歩を進めた。

 

 扉の前にはユウキの部屋と同じ厳重なセキュリティを思わせる大きなタッチパネルと、カードを挿入する小さな機材が設置されていた。

 見た限りではメディキュボイドが設置された病室とまったく同じである。

 まさかとは思いつつも、ユウキは「先生、お願いします」と申し入れる。倉橋医師は小さく頷くと首にさげたカードを挿入し、暗証番号を入力。

 ピピッと軽快な音が鳴り、扉が開かれる。

 

――やっと、やっと会える。

 

 この先にはきっと、刀霞が手を振って――

 

 

 

「うそ…………」

 

 

 

 鏡越しに映る刀霞の姿。

 頬は痩せこけ、腕はかつての自身と同じくらいに細くなり、体を起こすこともままならないような、いたたまれない姿がそこにはあった。

 どうして、刀霞も同時にログアウトしたにも関わらず、どうして彼は目を覚まさないのだろう。

 どうして、屋上では重たくないって言ってたのにあんな姿になっているのだろう。

 どうして、鏡越しでしか、刀霞を見れないのだろう。

 

「やだ……こんなの……こんなのって……」

 

 涙が溢れ、零れ落ちようとしたその瞬間――

 

 

 

『あーあ、だから取り乱すなって言ったろ?』

 

 

 

 スピーカー越しから聞こえたのは、刀霞の声だった。

 

「刀霞! なんで!? 大丈夫だって――ッ」

『ああ、大丈夫だよ?』

「嘘だよ……ッ こんなの……これじゃ……まるで……」

『ああ、お前と一緒だな』

「そんな…………」

 

 ユウキは窓に項垂れたまま、言葉を失ってしまう。

 そんな悲痛な姿を刀霞はカメラ越しで見ていたいたにも関わらず――

 

『おお、そうだ。ユウキに渡したいものがあるんだ』

「…………ボクに?」

「倉橋先生、渡してあげてください」

 

 軽い口調で刀霞がそう言うと、倉橋医師は大きな留め紐付きの茶封筒を一通、ユウキに手渡した。

 ユウキは素直に受け取り、無気力に揺さぶってはみるものの中に入っているのはどう考えてみても一枚の紙切れが入っているようにしか聞こえない。

 

『あけてみ』

 

 刀霞に言われるがまま、留め紐をくるくると取り外し、中身の紙切れを取り出す。

 

『誕生日、おめでとう。ユウキ』

 

 すると、そこに書かれていたのは――――

 

 

 

 以前ユウキが住んでいた住所が書かれている、土地の権利証だった。

 

 

 

  




今回も閲覧していただいてありがとうございます。

なんとか間に合わせることができました。

実はこの日のためにストーリーを調節してたり。

サプライズと言うことで、楽しんでいただけたらと思います。

お気に入り登録300名突破しました。本当にありがとうございます。

今後とも宜しくお願い致します。

ユウキ、誕生日おめでとう。


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29

大変お待たせ致しました。二十九話です。ごめんなさい編です。


「解離性同一性障害」

「か、かいり……?」

 

 シノンの口にする聞き覚えのない病名にトウカは首を傾げた。

 

「ま、平たく言うと――」

「多重人格」

「そーゆーこと」

 

 向かい席にいるキリトが、聞き馴染みのある単語に要約する。しかしどこか晴れない表情で眼前にある卓上にあるコップを一点に見つめ、その隣にいるシノンはテーブルに頬杖をついてストローを咥えたまま、冷ややかな目でその病名に該当するであろう人物を睨みつけていた。

 

 そして似たような面持ちの女性がもう一人――

 

「あんた、もしかして『今まで引き篭もってたのは俺じゃなくて、俺の中に住むもう一人の別人格だったんだ!』なんて言うつもりじゃないでしょうね」

 

 眉間にしわを寄せ、濃い溜息をつく桃髪のレプラコーンが気難しい面持ちを一層際立たせて咎めるような視線をトウカへ投げる。

 そのジロリと目を細くさせるリズベットの面持ちに、トウカは言い訳をすることもなくその場で立ち上がり、改めて深々と頭を下げると精一杯の謝罪を口にした。

 

「いや、それは間違いなく俺の意志で起こしたものだ。本当にすまなかった」

 

 今に至るまでどれほどみんなに心配をかけさせてしまったのかはトウカが一番良く自覚している。大切な仲間を一度裏切ったのだ。それ故に許してもらいたいとおこがましい言葉はとてもでは言えない。今のトウカにできることは深く反省し、心を込めて謝ることだけだった。

 

「ま、今回の一件に関しちゃ庇う余地はねぇぜ、トウの字」

 

 少し離れたところにあるロッキングチェアに揺れながら、クラインは情状酌量の余地なしと両手を頭にまわして天井を仰く。

 クラインは終始不機嫌な様子。というのも無理はなく、元ギルドのリーダーでもある彼は仲間の信頼や友情を人一倍意識している。今回のトウカの起こした騒動にはさすがのクラインも怫然とした態度を露にしており、恐らくメンバーの中で最もトウカに対して業を煮やしている人物だろう。

 

 そんなクラインの冷たく放たれた一言が、トウカの心中をチクリと刺す。

 当然だ、何を言われても仕方のない罪を彼は犯したのだから。

 

「……あぁ、わかってる」

「――――ッ」

 

 その言葉が、クラインの何かに触れた。

 

「わかってねぇよ!」

 

 トウカのか細く返した一言に、クラインが声を張り上げる。

 直後、憤然として乱暴に席を立つとクラインは今まで抱えていた行き場のない激しい怒りをトウカにぶつけた。

 

「お前なぁ、みんながどれだけ心配したと思ってんだよ!」

「…………」

「なぁ、トウカよう!」

「…………」

「俺らダチじゃねぇのかよ!? もっと信用してくれたって――ッ」

「クラインさん!!」

 

 澄んだ声がピシャリと室内に響き渡る。

 その場にいる全員が声の主へ視線が集まるも、彼女は構わず続けた。

 

「その話はもう終わったはずです。もういいじゃないですか、ちゃんと謝ってくれたんですから……」

「だ、だってよう……」

「私も、そう思います」

 

 シリカは、リーファの手にそっと触れ、

 

「今こうして私たちに悩みを打ち明けてくれてるんですよ? 信じてる証拠じゃないですか」

 

 リーファの意見にシリカが同調する。それはこの二人がトウカを許したことを意味していた。が、この場を設けた時点でほぼ全員がトウカを許していたのだ。

 

 実は、この場にいるリズベット、シノン、リーファ、シリカ、クラインを招いたのはトウカ本人である。昨日、謝罪する場所を設けたいとキリトとアスナに相談したところ、二人は自身が所有しているログハウスにみんなを集めようと心よく受け入れてくれたのだ。

 

 そうして今から一時間前、全員が集まると同時に、トウカは「本当に申し訳ないことをした」と粛々と頭を下げた。その直後、シノンとリズベットにおもっいきり頭をど突かれ「本当に心配したんだから」と瞳に涙を浮かべていたものの、最終的にはリーファやシリカと同じように「おかえりなさい」と、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 クラインに関しては皆の手前、怒るに怒れなかった様子で現在に至るまで釈然としない表情を見せていた。特にトウカへかける言葉もなく、ただ静かにトウカの謝罪に耳を傾けていたものの、落ち着いた状況を見計らってようやく自身の抱えていたトウカへの怒りをぶちまけた次第である。

 

「いいんだリーファ。俺が悪いことには違いない」

「でも……」

 

 トウカの肯定に、リーファはいたたまれない感情に見舞われる。

 しかしそんな不安をよそに、トウカはクラインを真っ直ぐ見据え、

 

「クライン」

「な、なんだよ……」

「もう俺は仲間を信じて疑わない。それを示すために今日みんなを集めたんだ」

「……さっきの多重人格ってやつが何か関係してんのかよ?」

 

 トウカは、首を小さく縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は倉橋医師に相談したところから始まる。

 

『もう一人の人格、ですか。確かに心当たりはありますが専門ではないので、確定的に病名を告げるわけにはいきません。ですが、幸いこの病院には精神科の専門医もいますので事情を説明してカウンセリングしてもらいましょう。私の方でも詳しく調べてみますので、少しだけ時間をいただけませんか? あと、もし宜しければ朝田さんにも相談してみるといいかもしれませんよ。彼女はそういうことに詳しいですから』

 

 そんな倉橋医師の提案を受けたものの、トウカの意向としてはあまり気はすすまないようにも感じた。

 何故なら彼女のトラウマに触れてしまう可能性があるからである。《PTSD》を患っている彼女にとってこういう事情を持ち出すということは、少なからず辛い過去を思い出させしまう引き金になりかねない。ならばできるだけシノンの負担になるようなことは避けるべきだ。

 

 ――という心中を本日、馬鹿正直に直接シノンへ打ち明けてみたところ、「馬鹿ね」と笑顔を綻ばせながらデコピンされてしまったのが冒頭の始まりである。

 以前のトウカであれば決して打ち明けることはしなかっただろう。『自身の抱えている問題は自身で解決すべきだ』という信念は今でも失われているわけではないが、その考えを酷く固着させてしまったが故に引き篭ってしまったのだ。もう、二度とあのような過ちを犯すわけにはいかない。だからこそ敢えて打ち明けた。

 

 そう、これがトウカの考える新たな罪滅ぼしの第一歩。

 

 共に悩み、共に考える。

 友と悩み、友と考える。

 

 それが、今のトウカが想う仲間の在り方。

 

 

 

 

「実は昨日、ユウキと決闘したんだ」

「はぁ!?」

 

 トウカの一言で、リズベットは驚きのあまり床を蹴るように席を立つ。

 

「それは俺も初耳なんだが……」

 

 キリトも唖然と目を丸くさせた。

 

「あ、あれ。言ってなかったか?」

「俺が聞いたのはお前のトラウマと余――」

 

 キリトはハッと咄嗟に口を紡ぐ。

 

「『よ』? よってなによ」

「い、いや。なんでもないよ」

「お兄ちゃん目が泳いでる」

「へぇ……」

 

 シノン、リズベット、リーファがジットリとした目線でキリトを見る。徐々にキリトが小さく縮こまっていく姿に耐えかねたトウカは「大丈夫、俺が順を追って全部話すよ」とその場を納め、そして静かに語りだした。

 

 ユウキに憧れていたこと、自身のトラウマのこと、克服するための努力が報われなかったこと、自暴自棄になってユウキに八つ当たりしたこと、それが原因で引き篭ったこと、靄華に救われたこと。

 

 トウカは想い咎めていた過去の残響を全て吐き出した。伝えていないことと言えば、別世界から来たことぐらいだろうか。それに関しては今言う必要はない。今回の件に関連性がないと言えば嘘になるが、本質はそこにない。確かに引き篭った理由の一つにユウキを救ったことに負い目を感じていた部分が含まれている。だがそれは友を裏切った理由とは関係がない。そして信じる信じないに関わらず場を混乱させて話しの本筋が反れてしまうのが落ちだと悟った。

 

 一通りの話を終え、「何か聞きたいことがあるか?」とトウカが皆に尋ねるとシリカが手を挙げ、

 

「あの、その鬼っていうのがいきなり出てきて私たちを襲ってくる可能性は……」

「多分大丈夫だと思う。うまく言えないが、少なからず敵意を抱いた相手にしか今まで出てきてない。みんなを敵視することはないから安心してほしい」

「よ、よかったです……」

 

 ホッと胸を撫で下ろすシリカ。そして次にリズが手を上げて、

 

「で、結局どっちが勝ったのよ。ていうかそもそも決闘した理由ってなんなの?」

「理由に関しては、ごめん。深く掘り下げるとユウキの過去に触れることになるから俺の一存で話すわけにはいかないんだ。だけど、まぁ、平たく言えば仲直りするための口実で喧嘩したようなもんさ。もちろん負けたよ。そりゃもう、ボッコボコにね」

 

 苦笑いを溢すトウカを見たリズベットは「ま、キリトでさえ勝てなかった相手なんだからとーぜんだわね」と肩を竦めた。

 

「蒸し返すようで悪いんだけど……」

 

 疚しいとは自覚しつつも、シノンは恐る恐る尋ねる。

 

「その……今は両親とうまくやってるの……?」

「いや、家を出てそれっきりさ。情を捨てろとか御託並べて犬や猫を平気で斬り殺す親に好かれたいなんて思わなかったからな。もう何年も会ってないよ」

「そんな……」

 

 冷たく言い放つトウカの言葉に、シリカはつい小竜ピナを強く抱きしめる。

 

「トウカ、すまねぇ……俺……」

「いいんだクライン。みんなに話せてなんだかスッキリしたよ」

「私も……ごめんなさい」

「なんでシノンが謝るんだよ。寧ろこれから謝るのは俺の方なのに」

 

 全員のキョトンとした顔がトウカに集まる。いや、一人を除いて――

 

「キリト、どうしたの?」

「…………」

「……キリト?」

 

 キリトとアスナだけが知っていて、他はまだ知らない。

 

 それは、昨日宣告された無慈悲な現実。

 

「三ヶ月――」

「三ヶ月?」

 

 リズベットが首を傾げ、なんのことやらと顔を顰める。

 

 

「俺の、余命さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲の時間が停止した。

 

 彼が何を言っているのか理解できない。全員がそう混乱してしまうほどに、トウカの一言は――

 

「あ、あはは。嘘でしょ? あんたこの後に及んで……」

 

 リズベットは不意打ちに遭ったような驚愕の色が見えるも、受け入れがたい現実のあまり口角が上がる。

 

「倉橋先生に聞いたんだ。長くても半年だそうだ」

「あは、あはは。そういうの、もういいから……ほんと……」

「リズ、これは嘘じゃ――」

「ふざけんなぁ!!」

 

 リズベットは怒鳴り吼えると同時にトウカへ掴みかかり、

 

「確かに入院してるって聞いた時は驚いたわよ! でも命に関わることじゃないってあんた言ってたじゃない!!」

「――あぁ、確かに言った」

「――――ッ このぉ……ッ」

「リズ、落ち着いて……ッ」

 

 リズベットが怒りと動揺に我を忘れ勢いのあまり拳を振り上げた瞬間、隣にいたシノンが慌てて抑えこみトウカから引き離す。トウカはといえば、特に慌てる様子もなくただその場で立ち尽くしていた。

 そして、今まで黙りこくって俯いていたキリトが静かに口を開く。

 

「トウカの言っていることは本当だ」

「どうして!? ちゃんと説明して!!」

「…………」

 

 とてもではないがキリトの口からは言えなかった。ユウキを救うために病気を肩代わりしたなど信じてもらえるわけがないし、信じてもらえたとしてもそれはまるでユウキのせいでトウカが死んでしまうような言い方になる。

 

「実は、俺もエイズでな」

「な…………ッ」

 

 キリトを含む、全員が硬直した。

 

「引き篭ってた時に不貞腐れて飯食わなくてさ。栄養失調で免疫力が低下してウイルスの進行が早まったらしい」

「じゃ、じゃあユウキさんみたいに幼い頃から……」

「いやいや」

 

 シリカの発言にトウカは手をひらひらと横に振り、

 

「入院したのはほんの数ヶ月前さ。倉橋先生のおかげて病気が発覚してさ、それからメディキュボイドの被験者として治療させてもらってたんだ」

「トウの字……絶剣の嬢ちゃんはそのことを……」

「ああ、余命のことまでは知らない。だからユウキには黙っておいてほしいんだ」

「そんなことできるわけ……ッ」

 

 リズベットは歯を食いしばり、肩を震わせる。

 辛い思いをしているのは皆同じ。だが、その中でも一番辛いのはユウキである他ない。彼女がトウカのために身を削り努力していたことはアスナから聞いている。

 それを黙っていることなどできるわけがない。しかし、トウカはそれを百も承知で頼んでいた。

 

「ユウキの人生はこれからなんだ。これ以上重荷を背負わせるようなことはしたくないんだよ」

「だけどいつか、かならず知られる日が来る」

「確かにそうだ。だけどな、シノン。俺はまだ諦めたわけじゃない。一日でも、一秒でも長く生きてアイツが成長するのを見守りたい」

「…………」

「ま、その時が来たらかならず俺から伝えるさ。大丈夫、ユウキだって分かってくれる。アイツは強い子だから」

「トウカ……」

「――と、思ってたんだけどなぁ……はぁ……」

 

 トウカは意気揚々と語るが次第に言葉弱々しくなり、そして最後には大きな溜息を吐くと、

 

「昨日仲直りしたばっかなのに、数分もしないうちにまた怒らせちゃったみたいでさ……」

 

 椅子にどすんと腰を落とし、ぽりぽりと頭を掻くと、酷く落ち込み参った様子を見せた。

 

「な、なにをしたんですか?」

「いやな、昨日ユウキの誕生日だったからさ、全財産はたいてユウキが住んでた土地の権利証をプレゼントしたんだが、床に叩きつけられちまってさ……何がいけなかったんだか……」

 

 リーファの敢えて踏み込んだ質問にトウカは意気消沈しながらも正直に答える。

 

「俺はいいプレゼントだと思ったんだけどな……」とぼそっと吐いたキリトの言葉にクラインはうんうんと頷きながら、

 

「俺もそう思うぜ。退院したら学校にも通うだろうし、帰る家があるってのはありがてぇもんだよな」

「だろ? だろ? 誕生日プレゼントに家だぞ家。大喜びしてくれると思ってたんだけどなぁ。最近の女の子は何貰ったら嬉しいのかねぇ……」

「そりゃやっぱりブランド物のバッグとか服っきゃねぇよなぁ。女性は着飾ってなんぼだって誰かが言ってたぜ?」

「そ、そうなのか……やっぱりアスナもそういうのが好きなのかなあ……」

「ばっかだなぁキリの字! アスナさんが着飾る必要なんてあるもんかよ。あの美貌だぜ? それよりも超レアアイテムとかプレゼントした方が喜ぶって。俺もそうだし」

「いや、クラインの好みは聞いてないから」

「ああ、いいなそれ。ユウキもそっちの方が喜びそうだな」

 

 男三人でワイワイと会話が盛り上がる。最早当初の論点とは大きくズレて、最終的には『男がカッコいいと思う装備』などと意味のわからない話題にまで膨れ上がっている。

 

「やっぱり二刀流だな」

「刀の美しさを知らないとは、キリの字もお子様だなぁ」

「別にかっこ悪いとは思ってないよ。ずっと使い慣れてるから好きなだけさ」

「それを言ったら俺もトウカも刀一筋だもんな。なぁ、トウの字?」

「俺、正直刀よりも魔法とかの方がカッコいいと思う」

「トウの字!?」

 

――と、ふと気がつけば、いつのまにやら女性陣がワナワナと肩を震わせていることにトウカは気がつく。

 

「ん、みんなどうしたんだ? 寒いのか?」

「…………ば」

「ば?」

 

 

 

「「「「馬鹿はお前らだあああああッ」」」」

 

 

 トウカ()()の余命が終わりを告げようとしていた。(物理的に)

 

 

 




 今回も閲覧していただき、ありがとうございました。

 二週間もお待たせして申し訳ありません。近況報告しましたとおり岩手でお葬式してきました。
 次回の更新も遅れてしまかもしれませんが、息抜きで載せているハンターハンターの二次創作の続編を先に投稿しようと考えています。あちらは大分ストックがあるので修正を重ねれば早く載せることができるので、暇つぶし程度に読んでいただけると嬉しいです。
 そして何故かメインの方よりも好評のようでちょっと驚いています。

 総合UA33000 お気に入り登録数333名になりました。

 こんなに読んでいただけて本当に嬉しいです。次回も頑張ります。
 更新は下記ツイッターにて報告しております。フォローしていただければこちらの方からもフォロバさせていただきます。

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 今後とも宜しくお願い致します。



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30

第三十話になります。


 この世界に来る前から不安に思っていることがあった。

 

 この世界の住人は所詮、架空の登場人物で本の中で語られている、偽られた物語の切れ端に過ぎないのではないかと。

 俺が知っているのはあくまでも《ソードアート・オンライン》の中に登場する彼らであって、それ以外の事は何も知らない。

 作者には失礼極まりないが、小説とは言ってしまえば綺麗毎だらけの御都合主義に基づいた、俺の生きていた現実の世界とはまったく正反対の、所謂『偽者の世界』でしかないのだ。星が手の届かない距離にあるから綺麗で美しいのと同じように、だからこそ俺はそんな世界観に引き込まれた。

 

 本当の彼らはもっと違っていて、例えばユウキやキリトがまったく別の性格を持った人間なのではないか?

 裏ではスリーピング・ナイツのメンバーは悉く病死していて、もっと言えばそもそも《ソードアート・オンライン》自体を未だに攻略できていないではないか?

 

 そんな不安を幾度も過ぎらせながら、夢の中でひたすらあの暗闇を歩き続けた。

 

 そして、俺は今。その世界の中心に立っている。

 

 思い返せば、あの時と考え方が随分変わったと思う。

 

 当初はユウキを救えればそれでいいと思っていた。

 結局は自己満足なのだから、どんな罪を背負おうとも最後まで毅然として生きようと。どんな選択をしても後悔することはないと。

 

 それが今はどうだ。俺はこうして、仲間の前で膝をつき、頭を下げている。

 

 まぁ、俺だけではないのだが……

 

 

 

 

「トウカさん、何か言うことは?」

「ありません」

「キリトくん?」

「あ、ありません……」

「クラインは?」

「いやぁ、俺はただ……」

「は?」

「ありません!!」

 

 リズの目力がいつしか二人で進入した洞窟に出てきた神話級のボスとまったく同じに見える。いや、リズだけじゃない。シリカも、リーファも、シノンも、全員が殺意の波動に目覚めたような、危機迫る眼光を放っていた。

 

――これは下手に発言しないほうがよさそうだ……

 

「これだから男って奴は駄目なのよ! 乙女心ってのがまったくわかってないんだから!」

「まぁ、少なくともここにいる三人には無理な話ね」

 

 呆れるように頭を抱えるリズと、冷ややかな目で見下すシノン。

 そう言われる理由はわからないが、どうやら俺たちは説教されているらしい。

 

「トウカさんの目。何で叱られているかわかってない目ですね……」

 

 シリカさん、貴方は読唇術かなにか会得しているのでしょうか。

 

「あ、お兄ちゃん! 目逸らしても駄目だからね!」

「いや、俺は別に……」

「そんなこと言って、都合が悪くなったら見計らってログアウトするつもりなんでしょ! 絶対に逃がさないから!」

「おうキリの字! 仲間置いて逃げるのは関心しねぇな!」

「そんなことしないって!」

 

 もうめちゃくちゃだ。とりあえずクラインの一言がさりげなく俺の心にチクリと刺さったのは伏せておくとして、ここは一先ず、一歩下がって穏便に――

 

「と、とにかく、何か気に障ったなら謝る」

「そうやって謝れば済むと思って! あんたねぇ、なんでユウキが怒ったのかほんっとにわからないの!?」

「だ、だからそれは……」

 

 お金で買えないものとか、何かしらの手作りとか、そういう目に見えない何かが足りなかったとでも言えばいいのだろうか。

 クラインの言うところの高級なバッグやネックレスはユウキには無縁な気もするが、それを察しろというのは無理がある。俺はそういう経験があまりにも乏しい。生まれてこの方女性に贈り物なんてしたことがないのだ。

 

「その、真心的な、あれがだな」

「はぁ……」

 

 シノンの溜息が決定打になった。これ以上俺の心がもちそうにない。

 冷や汗びっしょりな俺を全員が哀れな目で見下ろしているところから察するに、俺の言い訳は根本的にズレていることはわかった。

 しかし、それでも何故ユウキがあのような態度をとったのか未だに理解できない。そんな自分に少しばかり嫌になりかけていたその時、リズが静かに口を開いた。

 

「……誰もいないじゃない」

「え……?」

「ユウキの帰りを待ってくれている人……誰も、いないじゃない……」

「…………あ」

 

 失念だった。

 

 ユウキの家族は全員亡くなっている。両親も、そして姉である紺野藍子も。ユウキがあの家に帰ったところで、台所で料理を作っている母や、テレビを見ながら新聞を読んでいる父や、玄関先で迎えてくれる姉の姿はどこにもいない。

 外見は立派そのもので四人の家族が暮す分には最高の家なのだろう。何一つ不自由なく生活できるし、誰から見ても幸せに生活できる一軒家だ。

 

 だが、あの家は偽りの箱でしかなく、どこにも、どこにも家族がいない。

 

 だけど、今の彼女は――

 

 今の彼女なら――

 

「でも、今のユウキなら――」

「大丈夫だなんて言うつもりじゃないでしょうね」

「…………」

 

 シノンから発せられた言葉の中に、本当の意味で怒りが含まれていることを俺は感じた。そして、それを感じ取れたが故に返す言葉もなく、ただ沈黙という名の肯定を晒すことかできなかった。

 

「ゲームと現実は違うの。いくら絶剣だからといって、実際はまだ十五歳の女の子なのよ? 確かに根も強いし前向きな子だけれど、これから先ずっと耐えていけると思う?」

 

 正論だ。反論の余地もなく、シノンの言ったことは何一つ間違っていない。

 普通の別居暮らしとは訳が違うことぐらいはわかっている。苦難があることも理解している。

 

 そして、今のユウキは決して一人ではないことも。

 

「……明日奈やスリーピング・ナイツ、それにここにいる皆がいる。家族がいなくても、代わりをしてくれる仲間がいるさ。他力本願で無茶苦茶な言い分なのはわかってる。だけど、いつかユウキが誰かを好きになって、結婚して、幸せになってくれる場所が必要だと思うんだ。そう考えたらやっぱり、あの家が一番だろう?」

「その意見には俺も賛成したんだ。トウカなりにユウキが幸せになる方法を考えて、それを俺に頼んでくれた。ユウキが退院した時、やっぱり帰れる場所はあったほうがいいと思う」

「それに、他力本願だとは思ってないぜトウの字。絶剣の嬢ちゃんは一人なんかじゃねぇ。俺らだって支えていく覚悟はとっくにできてるぜ?」

 

 キリトとクラインが俺の考えに同調してくれた。別に庇ったわけではなく、ただ本当にそう思ってくれたのだろう。二人は俺に賛同の意を込めて微笑みを投げかけてくれたのだが、

 

「……どこにいるんですか?」

 

 リーファの一言が空気を一片させた。

 

「トウカさんは、どこにいるんですか?」

「どこにって……」

「帰るべき場所にも、支えてくれる仲間の中にも、トウカさんがいないじゃないですか……」

「――――」

「シノンさんが言った、『耐えていけるのか』って言葉の意味……あれは『一人で生活していく上で耐えられるのか』とかじゃなくて……」

 

「トウカさんのいない場所で耐えられるのかって意味ですよ……?」

「…………!」

 

 驚愕、としか言いようがなかった。

 

「きっと、わかったんだと思います。トウカさんが助からないこと……」

 

 シリカがピナを抱きしめながら、ぽつりと呟く。

 

「自分の病室でそのプレゼントを渡したんですよね……?」

「あ、あぁ……」

「当事者であるユウキさんだからこそ、一目で気づいたんだと思います……何年も、何年もその病気と闘ってきたんですから……」

「…………」

 

 気づいていたのだとしたら、どうしてあの時、何も言わなかったのだろう。

 権利証を渡したその直後、ユウキはそれを叩きつけ、泣き崩れて、怒鳴り散らし、疲れ果てて眠ってしまった。

 怒鳴り散らした内容は嗚咽交じりだっただけに全ては聞き取れなかったが、唯一『嫌だ』という言葉だけは聞き取れた。

 もしかして、あの嫌だという言葉はプレゼント内容に不服を感じていたわけではなく、俺の残りの余命を悟った上で……

 

「男だったらねぇ、一緒に暮そうぐらいの一言ぐらい言ってみなさいよ!」

「や、それはいくらなんでも……」

「ユウキのこと好きなんでしょ!?」

「ば、馬鹿言うな! 好きとか嫌いとか、そういう感情で贈ったわけじゃない!」

「はぁ!?」

「俺はただ、あいつが幸せになってくれればそれでいいんだ。それ以上でもそれ以下でも――」

「ばっかみたい!」

 

 リズの声が一層高まる。それは口論と言うにはあまりにも幼く、ただの感情のぶつけ合いでしかなかった。

 贈ったものに関しては、俺は間違ったことをしたつもりはない。本当にユウキにとって無くてはならないなもので、例えアイツが俺の死を悟っていたとしても何かが変わるわけでもなく、だからそうわかっていても自分の選んだ道筋を否定されたことが、悔しくてならなかった。

 

「なんで好きって素直に言えないの!? 幸せになってくれればとか、好き嫌いじゃないとか、ふざけんじゃないわよ!」

「リズ……」

 

 変な理屈を立てて、それを口実に避けているのは紛れもない事実だ。

 だけど、仮にそれを言ったところでどうなると言うのだろう。生い先短く、余命三ヶ月で、今もにも息絶えかねないような死に掛けの男が年端も行かない十五歳の少女に好きだなんて言えるだろうか。

 ……口が裂けても言えるものではない。しかも今まで散々我侭を重ねてきた俺がこれ以上の身勝手な感情を彼女に押し付けるわけにはいかない。

 

 生きている限り、彼女の傍にいれればそれでいい。

 それ以上のことは何も求めないし、それだけで俺は報われるのだから。

 

「……これ以上彼女の重荷にはなれない。仲直りもできたし、みんなに謝ることもできた。月並みの言葉だけど、俺的には思い残すことはなにもない。時には諦めることも必要なことは、リズ。お前ならわかるだろう?」

「そ、それは……」

 

 彼女も以前、一つの恋を諦めた。

 キリトを諦め、明日奈を支え、そして仲間として共に歩むことをリズは選んだ。それはとても苦痛なことで、時には傷つくこともあっただろう。だけどその選択は間違っていない。想い悩み、苦しみ、泣きながら導き出した一つの答え。その行き着く果てを知っていたからこそ、リズは自分と同じ道を歩んでほしくないと訴えてくれたのだろう。

 

「別に、前みたいに避けているわけじゃないさ。意地もとっくに捨てた。残りの人生はユウキのため、仲間のために使いたいんだ」

「でも……それじゃトウカが……」

「だから、簡単に死ぬつもりはないって。まだ時間はあるんだ。のんびりいこうぜ」

「……本当に……本当にそれでいいんですか?」

「いいんだよ。俺はそれで十分幸せなんだ」

 

 シリカの問いに、俺は即答する。

 無論、昔のような自己犠牲を伴う発想とはもう違う。病気が治ればそれに越したことはないし、簡単に死ぬつもりもない。足掻き、這いずりながら、一日でも長く行き続ける。それが今の俺ができる、唯一の償い――。

 

 いや、違う。

 

 それが、俺自ら望む、唯一のやりたいことなのだから。

 

「――それで、そのユウキは今どこにいるの?」

 

 シノンは眉を細め、雲がかった表情を晒したまま、俺に尋ねる。

 察するに、シノンも俺の言い分には納得していないのだろう。物言いだけに口を尖らせていた。

 

「……わからない。昨日の一件からまだ会ってないんだ」

「ユウキなら《ロンバール》の、いつもの酒場にいるよ。アスナたちと一緒にね」

 

 キリトが間を置くこともなく答える。

 

「『たち』ってまさか……」

「あぁ、いつものメンバーさ。因みに、ユイも同行してる」

「昨日言ってた用事ってそのことか……」

「ごめん、隠すつもりはなかったんだ。事情は、その、アスナから聞いてたからさ」

「いや、事の発端は俺が原因なんだ。俺の方こそすまない」

 

 どうやらユウキからアスナへ、アスナからキリトへと話が流れたようだ。敢えて彼が言わなかったのは、今日の謝罪の機会を設けた上でのキリトなりの配慮なのだろう。事前に知っていたら、きっと俺は心残りで燻らせたまま、純粋に頭を下げることができなかったと思う。だけど、こうして皆が受け入れてくれたことで、気持ちに少し余裕ができた。俺は、本当に仲間に恵まれていると改めて感じていた。

 

 そんな、謝罪を述べながらも感傷的な気分に浸りつつあった最中、シノンが唐突な一言を口にする。

 

「行きなさい」

「……え?」

 

 俺は目を丸くした。

 

「行くって……その、俺が? ロンバールに?」

「そう。あんたが。ロンバールに」

「それはつまり、今すぐ会いにいけと……」

「当然でしょ」

「あの……私も行ったほうがいいと思います」

「シ、シリカ?」

「私も行くべきだと思います」

「リーファまで……」

 

 次々と挙手が上がり、あっという間に多勢に無勢といった有様で、終にはキリトやクラインまでもが「そうしたほうがいい」と口を揃える始末。

 これが四面楚歌というものか。いや諦めるな、まだ慌てるような時間じゃない。徐々に追い詰められていく現状に、俺は苦し紛れの説得を試みる。

 

「い、いやいや! もちろん何れではあるが、スリーピング・ナイツの皆にも謝りに行きたいと思ってはいる! だが、ユウキの仲介もなしにいきなり会いに行くってのは図々しくないか!? ……それに、どんな顔して会い行けっていうんだ。と、とりあえずもう少し時間を置いてだな……」

「ああもう! ごちゃごちゃうっさいわね! そんな行ってから考えなさいよ!」

「い、いててて! 痛いって!」

 

 リズに鼻を摘まれ、半ば強引ながらも早く行ってこいと促される。

 こうなると言葉での解決では難しい。キリトやクラインはともかく、女性陣側は結束力が高いが故に引き止めてくれる人が誰もいない。たが、俺としてはなんとかこの場を収めて日を改めたい。そんな考えが捨てきれず鼻がもげそうな痛みに耐えながら必死に言い訳を考えていたのだが、ふとシノンの方に目をやると、俺の心中を察しているような、それはもう恐ろしい笑みを含ませながら歩み寄ってくるではないか。

 

 ああ、そうだとも。きっと彼女は俺に更なる苦痛を伴わせるつもりなのだ。

 

 だが舐めてもらっては困る。仮にも俺は大人だ。暴力に屈するような弱い心を持ち合わせているつもりは――

 

 つ、つもりは……

 

「……行ってきます」

「宜しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……」

 

 眼前に広がっていたのは先ほどまで皆といたような、陽気のいい燦燦とした世界とは間逆なものだった。

 アインクラッド27層は常闇の国だ。外周の開口部は極端に少なく、昼間でも差し込む陽光はないに等しい。内部はごつごつとした岩山がいくつも上層の底まで伸び、そのそこかしこから生えた巨大な水晶の六角柱がぼんやりとした青い光を放っていた。

 俺はキリトに言われた通りのルートを辿り、道中の飛行モンスターの索敵範囲を避けながら岩山の間を飛翔していく。

 やがて前方に出現する深い谷に飛び込み、尚も低速で一分ばかり飛ぶと円形に開けた谷底に張り付く小さな街が見えた。

 

「あれか?」

 

 まるで岩の塊から丸ごと掘り出したようなその街は細い階段やら路地やらが複雑に絡み合っていて、それらをオレンジ色の灯りが照らし出している。寒々とした夜の底にぽつりと燃える焚き火のように、どこかほっとする光景だ。

 入り口もわからないような複雑な街並みに混乱した俺は、とりあえず目についた、街の中心であろうと思われる円形広場目指してゆっくりと降下していく。

 

 街区圏内に入った証である穏やかなBGMが耳に届き、靴底がすとんと石畳を叩く頃には、俺は既に街の情景に魅入ってしまっていた。

 ロンバールという街は夜の精霊たちの街、というコンセプトに添っているらしく、大きな建物はひとつも存在しない。青みがかった岩作りの小さな工房や商店、宿屋がぎっしりと軒を連ね、それをオレンジ色のランプが照らし出す光景は幻想的な美しさと夜祭り的な賑わいを同居させている。そう意味では着流しを着ている俺はうまくこの街に溶け込んでいるようにも思える。

 

「凄いな……」

 

 さすがVRMMOといったところか。目を見張るような光景に、感動のあまりうわ言がつい洩れてしまう。

 あたりを見渡すと多くのプレイヤーたちが装備を鳴らして闊歩しているのが伺える。明らかにひと癖もふた癖もあるような古強者めいたオーラを漂わせ、まるで自分だけが浮いているようにも感じていたのだが、問題そこではなくこの後だ。

 

「どこにあるんだ……?」

 

 仮に自分が街の中心にいるとして、そこからユウキたちのいる酒場にたどり着くためにはどうすればいいのか、今のところ手段が思い浮かばない。

 ここへ向かう道中、酒場の場所を確認するためキリトにメッセージを送ったものの、一向に返事が返ってくる様子もなく、どうやらログアウトしているようだ。リーファもログアウトしているところから察するに恐らく説教という名の牢獄から脱獄したのだろう。アスナに聞くことも一考したのだが、近くにユウキがいるだけにバレる可能性がある。そうなるとログアウトされてしまうかもしれないだけに聞くわけにはいかない。まぁ、会いに行ったところでログアウトされる可能性も否めないわけではあるが、今更考えても仕方がない。その時はその時だ。

 

 とはいえ、とにもかくにもこれでは埒が明かない。自分の勘を頼りにまずは足を動かそう。

 

 

 

 

 十分程歩いただろうか。見渡す限り店、店、店。

 確か原作では『宿舎とおぼしき店』と『居眠りする白髭のNPC店主』と書いてあった。それを頼りに探してはいるのだが、この街の出店率といったら仰天するほどの数で、表に出ているだけでも数百件以上はあるだろう。そして路地裏から地下店も含めれば一日中探したところで見つかる気がしない。

 痺れを切らした俺は片っ端からプレイヤーに声をかけてみたものの、

 

『白髭の店主? そういう店は至るところにあるからなぁ……』

『宿舎だって? 馬鹿いうなよ。どこも同じなんだからいちいち覚えてないって』

『知らん。他をあたってくれ』

『絶剣? もちろん知っているよ! ALOで彼女を知らない人物はいないくらいだからね! え、なんだって!? 絶剣がこの街にいるのかい!?』

『うーん、居眠りする店主ねぇ……ごめんなさい。心当たりがありすぎてキリがないの。力になれそうにもないわ』

『スリーピング・ナイツか。ここいらでは有名なギルドだけど、溜まり場までは知らないなぁ』

 

 これと有力な情報が何一つ得られない。

 どうやらこの街は隠れた名店というものが多いらしく、その店を独占したいギルドが多いためか口コミがなあまり広がらないようだ。

 当たり前か。絶剣があの店にいるなんて広まってしまったらあっというまに人が押し寄せてくるに違いない。あまり本人は自覚していないのだろうが、そういう根回しをメンバーの誰かがしてくれているのだろう。

 

「とは言ってもなぁ……これじゃあお手上げだ……」

 

 行き交う人の流れを目で追いはするものの、まさかそんな都合よく知っている人物に出くわすわけでもなく、ただただ時間が過ぎてゆくばかり。

 店を探し始めてからかれこれ三十分近くが経っている。ここは一旦諦めて、また次の機会にすべきなのだろうか。

 進展のない現状に疲れを感じつつあった俺は、近くにあったベンチに腰掛け、背もたれに首を預け空を仰ぐ。

 

「――――」

 

 特に何を想うでもなく、とき偶に飛び交うプレイヤーが眼前を通過していくのを何気なくぼーっと見ていた。

 そんな時だった。

 

「なぁなぁ、にーちゃん。なんか困りごとかイ?」

 

 暗闇広がる空色が、突如現れた大きなフードを被った少女の顔に払拭されたのだ。

 

「うぉ!?」

 

 あまりの距離感に驚いた俺は身体が跳ね上がり、思わず後方へ飛び退く。それに対し声の主はと言えば特に驚く様子もなく、何か良からぬことを企んでいるような笑みを含まながら、俺を観察するようにまじまじと見つめていた。

 

「君は……?」

「オマエ、この街は初めてだロ?」

 

 あれ、この口調どこかで……

 

「知りたい情報があるならオイラが売ってやってもいいゼ?」

 

 少女はヘヘンと鼻を擦りながら、にやりと微笑を浮かべている。

 黄色のショートヘア。頬に両頬に描かれた三本の線。ケットシー特有のゆらゆらと揺れる長い尻尾。

 男勝りなその口調といい、情報を生業としているような発言といい、間違いない。

 

 ――俺は彼女を知っている。

 

 

「あ、あるご……?」

 




 今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

 かなり遅くなってしまいました。本当に申し訳ありません。
 色々と理由はあるのですが、体調を崩していた部分が長かったので非常に時間がかかってしまいました。
 次回はここまで時間はかからないと思いますが、気長に待っていただけると幸いです。

 今後も宜しくお願い致します。


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31

第三十一話になります。

少し短めです。ご了承下さい。



「なんだ。オレっちのこと知ってるのカ」

「あ、いや……」

 

 唐突に口ずさんでしまった彼女の名前に、俺はどう言い訳したものかと困惑の色を隠し切れずにいた。

 

「んー……? なんかお前、あやしいナ……」

 

 アルゴは眉を細め、じろりと俺の顔を覗き込む。そんな威圧的な視線にたじろぎながらも、脳内で必死に釈明を取り繕うが冷静が欠いてうまくまとまらない。彼女がここで現れるなど想定の範囲外だ。

 

 そう、彼女は原作に登場する人物の一人――そして、SAO事件の被害者でもある。

 

「そ、そうだ。君は確か情報屋だろう? 噂で聞いたんだ。君と同じ見た目をした情報屋がいるって。その時名前も小耳に挟んだからつい、な」

「ふーん……」

 

 噂で聞いた、なんて常套句だがそれ以外の言い訳が見つからない。冗談でも『君がSAO事件の生き残りだと知っているから』だなんて言える筈もなく、下手に情報を洩らしてしまったら情報屋の彼女のことだ、きっと俺のことを徹底的に調べるに違いない。適当に第三者を装っておけば俺に対する興味も薄れるはずだ。

 

「ま、いいけどナ。それより、お前みたいな初心者がなんでこんな所にいるんダ?」

「どうして俺が初心者だとわかる? 一言もそう言った覚えはないが……」

 

 そう言うと、アルゴは腕を組みながら鼻で笑い、

 

「オイオイ、ここは27層だゾ? この街に来る奴らは基本複数人か屈強なソロプレイヤーだけだからナ。こんな入り組んだ街に初心者が一人で来るはずねーだロ」

「なるほどな。じゃあ何故俺がその屈強なソロプレイヤーじゃないと?」

「簡単なことサ。オマエ、さっきからずっと道に迷ってたダロ」

「な……」

「悪いけど、後をつけさせてもらったヨ」

「……何が目的だ?」

 

 まさか既に尾行されていたとは……

 どうやら鼠の異名は伊達ではないらしい。

 それにしても、初心者だと知りつつ自ら話しかけてくるのは彼女としては珍しい行為と言える。基本情報屋から話しかけてくることはあまりない。何故なら必要以上に接触を許してしまったら、自分の情報が洩れてしまうからだ。必要であれば自分のステータスですら売る彼女にとって、情報に金銭的な価値あるとみているだけに見知らぬ誰かに話しかけ、盗まれてしまう可能性を踏まえると非常にリスキーなはず。それ程までに俺のような新参者が価値のある情報を抱えているとは思えないが……。

 

「オマエが腰に差しているソレ」

 

 アルゴが興味津々な様子で白い鞘を指差す。

 

「その武器に関する情報をオイラに売ってくれないカ?」

「――あぁ、そういうことか」

 

 なるほど。目的は俺ではなくこの刀らしい。

 確かに、この武器である素材はインプ領の鍛冶屋やリズたちも珍しいものだと唸っていた。察するに、この刀の素材である属性結晶のことだろう。

 

 ――これは千載一遇のチャンスかもしれない。

 

「いいだろう。ただし、売買ではなく、交換という条件でどうだ?」

「交換……?」

「いや、本当は無償提供してやってもいいくらいだ。別に独占するつもりはないし、既に友人には教えている情報だ。いつか知れ渡る情報を今の内にお金で売るなんて他のプレイヤーがフェアじゃない。だけど君は情報屋としてのプライドがある。だから売買じゃなくて、交換。これなら損得も無いし公平だろ?」

「――――」

 

 今のアルゴの表情を一言で言うなら、『唖然』だ。茫然自失放心状態。これを俗に言う『開いた口がふさがらない』とでも言うのだろうか。

 ――もしかして、俺は間の抜けた提案をしてしまったのだろうか。まさか、いつか知れ渡るぐらいなら、別に今知らなくてもいいとでも言われてしまうではなかろうか。もしそうだとしたらとんだ墓穴を掘ってしまった。今更やっぱ売るなんて言っても買い取ってくれるとは思えない。後の祭りだ。

 

「だ、大丈夫か?」

「ぷっ……あははははっ。オマエ面白いナ! いいぜ、交渉成立ダ!」

「……君の表情で肝を冷やしたよ」

「アルゴでいいヨ。オマエの名前は……『Touka』……トウカって言うんだナ」

「ああ、宜しくアルゴ」

「こちらこそ、お侍さン」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーン……」

 

 アルゴはぶつぶつと呟きつつ、あとからあとから湧いてくる思想に押されでもするかのように、俺の顔をじろじろ見ながら目の前を往ったり来たりしている。

 理由は言わずもがな……

 

「――とまあ、これで全部だ」

「…………」

 

 じぃっと睨むような、アルゴの鋭い視線が突き刺さる。

 

 ――正直、自分で説明しておきながらこう言うのもなんたが、荒唐無稽と言われたら返す言葉がない。

 

 今思い返してみれば、自分が得ている情報といっても結局その時の状況を語ることぐらいしか話すことがなかったのだ。意図して討伐していたわけではないし、そもそも属性結晶の存在でさえ知らなかったのだから。

 とりあえず今回提供した情報は、所謂《TPO》みたいなもので、当時のステータスや所持品の全て、所持金から身に着けていた装備まで事細かく説明した。初心者のステータースなど所詮水増しの域を超えない情報でしかないが、俺から提供できる材料がこれしかない。

 

「……解せないナ」

「まぁ、そうだよな……。だけど、本当に俺の知っていることは全て話したつもりだ」

「違う違ウ。オレっちが言いたいのは――」

 

 アルゴは組んだ腕を解き、ずかずかと歩み寄ると「お前のことダ」と俺の胸に指を突き立てる。

 

「お、俺……?」

「他に誰がいるんダヨ」

 

 そんな彼女の迫るような剣幕に圧され、思わずベンチの背もたれがギシリと軋む。

 

「属性結晶の入手方法はある程度知ってたサ。お前の情報はオイラの前持った情報と辻褄が合うし納得もできル。だけど、どうしてその初心者であるお前がその武器を装備できるんダ? それにソレを作るには高価な素材が他にも必要なはずだロ。お前みたいな初心者が一人で集められるとは思えナイ」

「い、いやそれはだな……」

「まぁいいさ。とにかく有益な情報はもらえたンダ、これ以上タダで聞くつもりはなイヨ。それで、トウカの知りたい情報はなンダ?」

「あぁ、ここの街にスリーピング・ナイツが拠点にしている酒場があるって聞いたんだ。知っていたら教えてほしい」

「――――」

 

 俺の要望が耳に入るや否や、アルゴは目を丸くした。その直後、先ほどまでの真剣な表情とは打って変わって、頬にこわばった枠を作りながら眉間にシワを徐々に寄せ、

 

「す、スリーピング・ナイツ……って、あの絶剣が所属しているギルドのことカ?」

「そうだけど」

 

 返す言葉により確信を得たのだろうか、アルゴは身体の内から込み上げてくるものに対し、口元を抑え必死に肩を震わせながら何かに耐えている。

 

「あの、最強の剣士がいるギルドで間違いないんだヨナ? ここの階層のボスをたった七人で討伐したあのスリーピング・ナイツでいいんだヨナ?」

「……そうだけど」

 

 アルゴの問いに俺は首を縦に振る。すると――

 

「……ぷっ、あははは! 無理無理、絶対に無理! やめときナ!」

 

 するとアルゴは隻が切れたように頬の内にあるものを拭き溢すと腹を抱えてケタケタと笑い出したのだ。

 まるで脇を擽られた子供のように無邪気に笑うその姿は自称『オネーサン』を改めて疑わせるものだった。まぁ、原作では知り得なかった彼女の一面を垣間見れたことはある意味嬉しいことはではあるのだが、それを今この状況で浸るような浮かれた気分にはなれない。

 

「何か誤解しているみたいだが……」

「へっ? お前も絶剣に決闘を申し込むつもりなんダロ?」

「違う違う。ただ、その。少しだけ話しをだな」

「まぁまぁ、気持ちはわかるサ。いいよ、こっちだ。ついてキナ」

「だから誤解だって」

 

 片腹を押さえ、浮かべた涙を掬いながらアルゴは歩き出す。軽く扱われているような彼女の失礼な態度に俺はほんの少しだけ眉を顰めるのだが、まぁ案内してもらえるだけでも良しすべきかと大きな溜息を一つ溢し、渋々後を追いかけた。

 

 

 

 

「なぁアルゴ、一つ聞いてもいいか?」

「なんだ。情報がほしいなら次からは金をとるゾ」

「いや、さっき決闘うんぬんの話をした際に、『お前も』って言ったよな? 俺の他にもスリーピング・ナイツの居場所を知りたい奴は多いのか?」

「あー……それぐらいなら別にいいカ。ギルドの場所というよりも、絶剣の居場所を知りたい輩が多いだけサ。ま、全員返り討ちにされるのが落ちだけどナ」

「そうか……あいつも大変だな……」

「なんだ。トウカは絶剣と知り合いなのカ」

「まぁそんなところ」

「ふーん……」

 

 アルゴはニヤリと微笑を含ませる。その不敵な笑みから伺える薄気味悪さのあまり、俺は彼女から半歩程距離を空ける。

 そしてこの先の展開が一体どうなるものか、彼女の笑顔で大体予想がついてしまう。なんといってもアルゴは情報屋。そして俺がユウキ、もとい絶剣と知り合いと分かれば――

 そんな嫌な予感を幾層に過ぎらせながらも、その笑みの意味の真意について敢えて尋ねてみる。

 

「な、なんだよ」

「お前に少し興味が湧いてきタ」

 

 ほうらやっぱりだ。

 これは俺にとっても、ユウキたちにとっても良くない展開だ。俺だけの情報ならともかく、ユウキの情報から鼠算的にスリーピング・ナイツのメンバーたちの情報も抜かれてしまう。そうなれば信用を失うどころか敵対視されかねない。仮にバレなかったとしても事の発端が俺だという事実は受け入れがたいものだ。

 

 なんとか、阻止できないものか……。

 

「なぁアルゴ、あまり友達に迷惑かけたくないんだ。頼むよ」

「絶剣の情報を欲しがってる奴はたくさんいるんダ。情報屋に目をつけられたのが運尽きサ」

「そうは言ってもだな……」

「強さにもそれ相応のリスクがあるんだヨ。小島の一件から絶剣は有名になりすぎたんダ。今じゃ特徴や弱点に至るまで秘密を探りたい情報屋は他にもいるくらいだからナ。それだけに需要と価値があるのサ、絶剣の情報にはネ」

 

 ALOというゲームは元々プレイヤーキル推奨仕様だ。

 それだけに最強の称号を持つ絶剣という名のブランドは伊達ではないらしい。それを決定付けたのがキリトとの決闘だった。

 かつての英雄である彼を全損はいかずとも窮地に追い込み、結果的に勝利した。当時『絶剣』対『英雄』との対決はALOの歴史に必ず刻まれるに違いないとまで言われた、それ程までに全プレイヤーが注目するほどのマッチメイクだったというわけだ。

 そしてその最強の称号をより明確なものとした彼女を打倒すべく、他の猛者たちが我先にと挑む者がここ最近後を絶たないのだとアルゴは言う。

 それ故に絶剣の情報は情報屋の中では今現在でもレートがうなぎのぼりに上がっているらしい。スリーピング・ナイツの情報もまた然りだ。

 

 ……確かに、勝ちに徹するのであれば相手の弱点を探ることは決して悪いことではない。寧ろゲームを楽しむための要素の一つでもあると言えるだろう。プライベートはともかく、ゲーム内での行動を監視することは規約に反しているわけではないのだから過去の不良三人組の騒動に比べれば遥かに良心的だ。

 だが、それでも身近な友人を探られるのは気分がいいことではない。もっと言ってしまえば絶剣が負ける姿など俺は見たくない。

 

 ――そう思うことは、俺の我侭なのだろうか。

 

「どうしても、引いてはくれないのか?」

「くどいナ。ボロを出したのはお前だゾ。盗まれる方が悪いのサ」

「…………」

「人に恨まれる家業だってことは理解しているヨ」

「……そうか」

 

 そういう覚悟を持っているのなら、仕方がない。

 それならば、俺もそういう覚悟を持って対応するしかないようだ。

 

「なぁ、アルゴ」

「なんだヨ。何言ってもオイラは引かないぞ」

「いや、君の実力を見込んで改めて依頼したいことがある。たしか君はメッセンジャーの仕事も請け負ってると聞いたんだが」

「ああ、場所と距離で別途料金を頂くけドナ。目的地はどこダ?」

「中都アルン」

「はァ?」

 

 すいすいと歩くアルゴの足がピタリと止る。

 

「何で態々誰でもいけるようなところに行かなくちゃならないんダ? お前も行ったことあるだロ?」

「ああ、あるよ」

「……お前、馬鹿にしてんのカ?」

 

 フードを被っていても表情が引き攣っているのがよくわかる。それは紛れもなく怒りを顕にし、好戦的な視線が俺の瞳を貫いていた。

 腰の据えてある短剣に手をかけるところから、この先の言葉は選ぶ必要がある。アルゴもSAO事件の生き残りだ。実力もあるし俊敏性も恐らく俺より上だろう。

 

「実はな、俺にはちょっとした夢があってな」

「…………」

「全ての街に犬を放して、自由に生活させてあげたいんだよ」

「なっ……」

「だから一番大きなペットショップがある中都アルンにテイム用のアイテムを大量に仕入れたいことを主人に伝えてきてほしいんだ」

「な、なんデ……」

「あ、もちろん極秘で頼むよ。まぁ金を払う以上言うまでもなく客なわけだから、あの《鼠のアルゴ》が洩らすようなことをするとは思えないが」

「なんで犬なんだよォ!?」

 

 先ほどまで警戒心を尖らせていたアルゴが明らかな動揺を見せた。いや、動揺と言うより怯えに近い。

 

「ん? 何か問題でもあるのか?」

「そそそ、そんなことする必要どこにもないだロ!!」

「おかしなこと言うな? 君は客の言伝に干渉するのかね?」

「そ……そうじゃなイ! オイラが言いたいのは、街に放す必要がどこにあるんだって言ってるんダ!」

「そりゃもちろん犬に触れたいプレイヤーもいるだろうし、何より癒されるからな。いて困るようなものじゃないだろう?」

「ぐ……ッ」

 

 俺はアルゴの唯一の弱点を知っている。

 ――それは、大の犬嫌いであること。触れるどころか、近づくことさえ彼女はできない。

 恐らくこの弱点を知っているのはキリトだけだろうが、原作を知っている俺からすれば、ほぼ全員の弱点を把握していると言ってもいい。もちろん誰かに暴露したり脅しの種にする気など毛頭ない。

 

「なぁ、アルゴ。 犬、お前も大好きだよな?」

 

 毛頭ないが――

 

「抱きたくて、触りたくて、たまらないよな?」

 

 彼女が恨まれる覚悟でいるのなら、

 

「なぁ、アルゴ?」

 

 俺も恨まれる覚悟で挑まなければ、同じ土俵には立てない。

 

「う、うぅぅ……ッ」

 

 涙目で、歯を食いしばる彼女の姿がどこか痛々しい。

 妙な罪悪感が俺の心中を劈くこの状況に、俺は耐えがたい苦痛を感じていた。元より本意ではないのだ。ただ俺は、守りたいものを守れればそれでいい。本当に、ただそれだけだ。

 

 いや本当だって。

 

「俺の言いたいこと、わかるだろ? 別にアルゴが嫌いで言っているわじゃないんだ。ただ、絶剣からは手を引いてほしい。それだけなんだ」

「なんで……どうしてお前なんかニ……」

「君にだって気にかけている人はいるだろう? 俺も同じさ」

「…………」

 

 彼女は決して無節操なハイエナではない。自分なりのルールをもって活動している。

 その内の一つに、SAO事件当時では、トラブルの元であるβテスター出身者についての情報も取り扱うことはなかったし、クリア後もキリトを何かと気にかけていることも知っている。

 自己の利益だけを追い求めていない彼女だからこそ、絶剣を攻略したいプレイヤーのために献上すべく情報を集めていることは重々承知している。

 だけど、今のユウキに心の余裕はない。そんな不完全な状態で勝負を挑まれるのはとても心苦しい。

 

 まぁ、俺が原因なのは否めないが……

 

「少なくとも、今だけはそっとしておいてくれないか? あいつも色々と疲れてるんだ。休ませてあげたいんだよ」

「……なら、一つだけ教えてくレ」

「絶剣に関わること以外なら」

「――お前は一体何者なんダ……?」

「…………」

 

 不安を交えながも、アルゴは恐る恐る尋ねてくる。覗き込むような視線の奥には興味と警戒心が折り重なっていた。

 彼女だけが知り得ている膨大な情報のどれにも当てはまらない俺は異様な存在としか見えないだろう。

 敵視されているわけではないようだが、かといって無害のようにも見えない。

 

 そんな不穏が募る空気の中、俺は足を止め、うっすらと微笑を浮かべてこう言った。

 

「ただの死にかけのオニーサン、かな?」

 




今回も最後まで閲覧していただき、ありがとうございます。

いつも遅くなって申し訳ありません。次回も不定期ですが、再来週までには投稿できるように頑張ります。

挿絵を描いてみたくなりましたので、近々絵を描く練習をしようと思います。

お気に入り登録が500名を突破しました。駄作にも関わらず読んでいただいて嬉しい限りです。

今後とも宜しくお願い致します。


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32

第三十二話になります。

久しぶりにユウキ登場です。



「ユウキ……大丈夫……?」

「うん」

「新しいの、頼む……?」

「…………」

 

 ユウキは小さく首を横に振る。

 

 このやりとりが幾たび続いただろうか。

 アスナの気遣いにユウキは目を合わせることはなく、口元に笑みを浮かべたまま無気力に返事をするだけで、それ故にアスナも多くを語りかけることはできなかった。

 ユウキの瞳にはすっかり温くなったコップだけが映し出され、それに反するように呆然と見つめている彼女の視線は酷く冷たい。

 そんな暗然とした雰囲気とは裏腹に、卓上には豪勢な食事の数々が並べられ、食欲をそそるような香りが辺りに立ち込めている。にも関わらず、今のスリーピング・ナイツにはそれを堪能できるような気分にはなれなかった。

 

「あーもう! 納得いかないよ私は!」

 

 重苦しい空気に耐えかねたノリは乱暴に椅子から立ち上がり、声を張り上げる。

 

「そのトウカって奴、会ったら一発ひっぱたいてやりたいよ!」

「ひ、ひっぱたくって……」

 

 ノリの険しい面持ちと荒々しい物言いにタルケンは思わず言葉を詰まらせた。

 

「タルは腹立たないの!? 自身の命に価値が無いような行動ばっかりとられてさ! 私たちは一秒先の未来を生き続けたくて、毎日必死で頑張ってるってのに!」

「俺もノリの意見に賛成だ。なにより、どんな事情であれ仲間であるユウキを散々傷つけたんだ。許せるわけねーよ!」

 

 ジュンが賛同を示すように、ノリと同様、ガタンと椅子から立ち上がる。

 

「――少し落ち着きましょう」

 

 刺々しい空気に変わりつつあった雰囲気の中、おっとりした声がそれを和らげる。

 しかし、その声色の中にはどこか葛藤が入り混じっているようにも思える。それは決してノリたちの意見を否定するような声風ではないことを、そこにいる全員が其とは無しに感じていた。

 

「私もその方の行為が正しいとは思っていません。でも、生きている以上誰にだって辛いことはあるはずです。例えそれが、私たちより恵まれた環境だったとしても。きっとトウカさんにも辛い悩みがあるのでしょう……きっと……」

 

 そんなシウネーの言葉に、アスナは静かに耳を傾ける。

 

 決してトウカを擁護するような意味で言ったのではない。ただ、悪戯に彼女を傷つけるような人ではないことをシウネーは間接的に悟っていたのだ。それに最たる理由があるが故に、頭ごなしにトウカの行為を否定することだけはできなかった。

 

「自分もそう思う。彼はユウキを助けてくれた人だ。そんな人がユウキの事情を知っている上で、ただ理由もなくそんな行為に及ぶとは思えない」

 

 のんびりとした口調でシウネーの心中を代弁したのはテッチだ。

 

「ボクが……ボクが悪いんだ……」

 

 コップを持つ手が小さく震える。

 堪えることのできない涙が静々と頬を濡らし、ユウキはただただ、自身を咎めるよう嗚咽を洩らした。

 

「違うよ、ユウキ……誰も悪くないんだよ……。ただ、ほんの少しだけ入れ違いがあっただけで、すぐ仲直りできるから……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「ユウキ……」

 

 ユウキを除く、スリーピング・ナイツのメンバー誰もが驚きを隠せなかった。

 こんなユウキを見たのは姉を失って以来のこと。

 彼はいったい何者で、どういう人物なのか。これほどまでにユウキの心情を掻き乱し、感情を震わせるトウカという男は、ユウキとどんな接点を持っているのか。少なからず分かることと言えば、トウカはユウキにとって、とても大切な存在なのだということだけ。

 

 スリーピング・ナイツの中で彼の存在が日に日に大きくなってゆく。

 

 そして、良くも悪くもメンバー全員が改めて窺い、知った。

 

 

 トウカという人間は今後、ユウキの人生に酷く影響を及ぼす可能性があると。

 

 

 ――そんな集会を最後に行ったのが、トウカから手紙を受け取る前日のこと。

 

 後日アスナから事なきを得たという知らせが届き、誰もが無事に解決したかのように思えた。

 

 それから五日が経過し、今に至る。今日はユウキの誕生日も兼ねて久しぶりに六人全員で楽しく飲み交わせるとノリを筆頭に、全員が楽しみにしていた矢先のことだった。

 アスナに手を引っ張られ、姿を見せたユウキの表情にはいつもの明るい笑顔が見られない。いつにもまして表情が暗く、まるでそれは自身の死期を悟っているような、そんな血相をしていた。

 

 ノリがまさかとは思いつつも、恐る恐るユウキに尋ねる。

 

「ちょっと……どうしたの……?」

「…………」

 

 ユウキは答えない。

 そんな状況に見かねたアスナが、静かに口を開く。

 

「……実は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……そんなことって……」

 

 ノリは愕然とする。

 先日まで抱えていたトウカへの憤慨がまるで嘘のように、呆気にとられたような顔を見せた。

 そしてそれはジュンも全く同様、

 

「同じって……それじゃその人も……」

「うん……」

 

 ジュンの問いに、ユウキは俯いたまま、ぽつりと答える。

 

「でも、もう前とは違うの。ユウキもちゃんと仲直りできたし、本人だってできる限り生き続けたいって……」

「で、ですが……」

「うむ……」

 

 アスナの言い分はわからないでもないが、タルケンとテッチがちらりと互いの顔を見合す。

 言いたいことはあるのだが、自分からはとても言えそうにない。

 かつてのユウキと同じ――すなわちHIVということは、話を聞く限りの病状から察するに、この先長く生きながらえることは難しい。それも病気の進行状態が酷く著しいのであれば、その時が来る瞬間はそう遠い話ではないだろう。

 それぞれが死に接近する病気を体験しているだけに、それは決して大げさな話ではないということは全員がわかっていた。

 だからこそ、誰もトウカを責めるような発言はできなかった。

 

「ボク……どうしたら……」

 

 その一言がきっかけに、その紫色の瞳には水面が漂いかける。

 一体どれほど流し続けただろうか。それでも尚枯れることのない悲壮の粒が溢れかけたその瞬間――

 

「泣いてはだめ!」

 

 シウネーが咄嗟にユウキの手をぎゅっと掴むと、その涙を抑え込むように強く、強く握った。

 

「シウ、ネー……」

「今ユウキがすべきことは涙を流すことじゃないの。互いに理解し合えることができたのなら、その次にすべきことがあるはずでしょう?」

「次に……すべき、こと……」

「思い出して? 貴方がこのギルドにいる理由。そして、お姉さんに教えてもらったこと……」

「――――」

 

 

 

 

 それは、クロービスに続き、メリダが他界してから日も浅い時のこと。

 いつものように行われたスリーピング・ナイツの集会。しかし仲間を失って間もない時に大いに盛り上がれるはずもなく、皆ただ粛々とその受け入れがたい現実に言葉を失っていた。

 何か言葉を発してしまったら、内に抑えていたものが溢れ出てしまう。いつかは自分がここを去らなければならない。そう考えただけで胸が張り裂けて、悲鳴を上げてしまいそうになる。メンバー全員が、いつかは我が身かと不安と恐怖に打ちひしがれていた。

 

 そんな時だった。

 

『みんな、顔を上げて』

 

 ユウキの姉、ランが椅子から立ち上がると、そこにいる全員に視線を送る。心憂い表情をしたジュンが、テッチが、タルケンが、ノリが、シウネーが、そしてユウキの視線がランへと集まる。

 

『私たちは、決して互いに慰めあうだけの集まりじゃない。確かにいつかはここを去る時が来るかもしれない。だけど、それは私たちの気持ち次第だと思うの』

『姉ちゃん……』

『ユウ、それにみんなもよく覚えておいて。泣いてたり悲しんだりすることは後でいくらでもできる。今すべきことは、お互いに支えあって一秒でも長く生き続けることよ。そして、私たちが生きた証をたくさん残していかなきゃ!』

 

 《スリーピング・ナイツ》は目的であって、手段ではない。

 死期が迫っているからなんだというのだ。遅かれ速かれ人は何れ死ぬ。それならば自身の残されている命という名の灯火を迸らせようじゃないか。

 そんなランの強気な思いが曇らせたメンバーの心を晴れさせ、もっと前向きに生き続けるべきだという想いに変わるきっかけとなった。

 

 

 

 

――そうだ。確かにボクは姉ちゃんに教えられた。ボクがここにいる意味、仲間がここにいる意味。ううん、それだけじゃない。

 

 隣にいるアスナに目を向ける。

 いつでも傍にいてくれた、とても大切な親友。それが自分にとってどれだけ価値のある宝物なのか。そして、周りにいる仲間たちもまた、かけがえの無い大切な宝物。

 ほんの少し前まではそうだった。意味がなくても生きていいのだと。例え価値の無い命だったとしても、結果的に生き延びてしまったとはいえ、最期の瞬間はあんなにも満たされて、溢れて、幸せに浸ることができた。

 

 ――だが、以前のユウキと比べて、確実に変化が起きている。

 

 今のユウキには生きる意味も理由も兼ね備えている。本人が自覚しているかは定かではない。しかし彼が――トウカの存在がそのきっかけ作ったのだ。

 

「支えてくれてたんだ……ずっと、ずっと……」

 

 ユウキはそこにいる全員の瞳を一人一人捉えていく。

 

 不安な時にはジュンが――

 悲しい時にはノリが――

 困った時にはシウネーが――

 躊躇う時にはタルケンが――

 恐れる時にはテッチが――

 苦しい時にはアスナが――

 

 そして、寂しい時にはトウカが――

 

 振り向けば、背中に手を添えてくれる仲間たちの温かさが感じられる。

 それを、ほんの少しだけでもいい。トウカに分け与えることが今の自身のすべきこと。それが、姉であるラン――もとい、藍子から教えてもらった大切な思い出の一つ。

 

「うん……そうだよね。ボク、とっても大事なこと、忘れてたよ……」

 

 ユウキは皆の前で頷いた。

 以前の無気力な返事とはもう違う。それはユウキを見ていた全員がそう感じただろう。目には生気が宿り、かつての自信を取り戻しつつあるユウキのその姿に、アスナは改めて自覚する。

 今日、今この場より、ユウキは新たな一歩を踏み出したのだと。

 

「まだ治らないと決まったわけじゃありませんし、みんなで方法がないか模索してみましょう」

 

 シウネーの提案に、全員が大きく頷く。完治したとはいえ、再発警戒のため皆大手の病院に入院している。各病院の医師に相談してみればなにか治療に繋がる手がかりが見つかるかもしれない。そんな希望を胸に、スリーピング・ナイツのリーダーは新たな目標を口にした。

 

「みんな、ボクの大切な人のために、力を貸して下さい!」

 

 声を張り上げ、頭を下げて懇願するリーダーの姿にメンバーは目を丸くするも、すぐにジュンが握りこぶしを作り、前へ掲げる。

 それを見たタルケン、テッチ、ノリ、シウネーが続々と拳を突き出し、そして最後にはアスナも同様に拳を差し出した。

 

「リーダー、いつもみたいに、明るくいこうぜ!」

 

 ジュンのかっこつけたような笑みが、心に明るさを、

 

「そうですよ。私たちみんな、ユウキの仲間なんですから」

 

 シウネーの優しい口調が、心に落ち着きを、

 

「そーそー。難しいこと考えないで、いつもみたいにガツンといけばいいのよ!」

 

 ノリの後押しが、心に自信を、

 

「困った時は、お互いさまですよ。少しずついきましょう」

 

 タルケンの温かな言葉が、心に安息を、

 

「だけど、決して無理はしないように」

 

 テッチの悠長な面持ちが、心に気楽さを、

 

「大丈夫だよ、ユウキ。私たち絶対に諦めないから!」

 

 アスナの絶対的な信頼が、心に覚悟を、

 

「――うん! みんな、一緒に頑張ろう!」

 

 

 街中に響き渡るような掛け声と、大きく掲げた拳が大きく天を貫いた。

 

 皆が望むべく未来に向かって、ユウキたちの新たな物語が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 メンバーの結束力もより高まったところで、腹が減っては戦はできぬというテッチの腹の音が催促を――もとい提案を示したことで、酒場に活気が蘇える。

 元々はユウキの誕生日祝いをする予定でもあったのでとりあえず景気づけに乾杯しようというノリの意向に、全員が快諾した。

 乾杯の号令がかかるや否や、並べられた皿を片っ端からかき込んでいる様子から察するに、ユウキはいつもの調子へとすっかり戻ったようだ。

 いつものアスナならば、お行儀が悪いと躾けるところではあるものの、ユウキの食欲が無事に回復したことに一安心していただけに、今夜ばかりは目を瞑った。

 そしてアスナもまた、シウネーからの晩酌を素直に受けて、束の間のディナーに舌鼓するのだった。

 

 そんな中、ジュンが口に物を含めながら、ユウキに向かって唐突な一言を口にする。 

 

「そーいえばさ、トウカさんってどんな人なんだよ?」

「うーん、変な人かなー」

 

 それを聞いたアスナとノリが、ぶふぅっと飲み物を噴出し、咽るように咳き込こんだ。

 

「けほっけほっ……ちょ、ちょっとユウキ!」

「あ、あれ? ボクなんかおかしなこと言った?」

 

 アスナの突っ込みにきょとんとするユウキに、ノリがすかさず肩を軽くはたく。

 

「もっとちゃんとした言い方があるでしょ! かっこいいとか、優しいとかさ!」

「あ、あぁそういうことね! ごめんごめん、ちょっと勘違いしちゃった」

 

 頭をワシワシとか掻くユウキに、一体どんな勘違いをしていたというのだろうかと突っ込みたくなるノリではあったが、それはさておき、オホンと咳払いをするとスプーンをマイクに見立てつつ、「質問ターイム!」と不敵な笑みを浮かべてユウキに詰め寄った。

 

「トウカさんとはどこで知り合ったのでしょう?」

「えっと……同じ病院のエレベーターで……」

「知り合ったきっかけは?」

「その、お菓子を買いに行った時に色々あって」

「彼との一番の思い出は!?」

「ええと……公園で一緒に散歩したこと、かな」

「へぇー! それでそれで!?」

「あ、あの……ノリ、顔が近いよ?」

「どこまでいったわけ!? 手は繋いだ? キスはしたの? 告白をしたのはどっちから? さぁさぁさぁ――ッ」

「あ、あすなぁ!」

「はいはい。ノリ、質問タイムはそこまで!」

「え~! もうちょっとだったのにぃ……」

 

 アスナの制止にぶーぶーと口を尖らせるノリではあったが、男性も見ている手前、その場で大人しく引き下がる。その男性陣はと言えば、そういったものには興味がない様子で、肉を頬張りながら男同士の雑談を続けている。もしくは、気遣ってわざと関心を示さないようなフリをしているのか……

 

――まぁ、恋愛話に興味あるのはノリだけだよね……

 

 何れにしても干渉しようとはしてこない彼らを見て、アスナとユウキはホッと胸を撫で下ろす。

 落ち着いた所で二人は改めて食事を続けようとフォークに手を伸ばした、その時だった。

 

 

 

「あの! ユウキにとってトウカさんとはどういう関係なのかはハッキリさせた方がいいかと!」

「シウネー!?」

 

 

 

 強敵現る。

 




今回も最後まで閲覧していただき、ありがとうございました。

投稿のペースが落ちてしまい、大変申し訳ありません。少しずつですが、必ず投稿は続けていきますので、最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。

次回はいよいよトウカがスリーピング・ナイツと接触を持ちます。

今後とも、宜しくお願い致します。


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33

第三十三話です。

少し短めです。ごめんなさい。


「いいですか? 好意というものは大きくわけて二つあるのです!」

「し、シウネー……?」

 

 シウネーは机をガタンと鳴らし、興奮冷めあらぬ様相をユウキに向けた。

 

「人として好きなのか、異性として好きなのか。それをハッキリさせない限り、ユウキはいつまで経っても子供のままです! そもそも恋愛というものは互いの信頼を得て初めて成立する、言わば心の一体化! ああなんて素晴らしい……。アスナさんなら分かっていただけますよね!? キリトさんと愛を享受し、分かちあっているアスナさんなら!」

「ひゃあい!?」

 

 予想だにしなかったシウネーの力説。その矛先が突如としてアスナへと変わる。

 シウネーに手を強く握られ、動揺のあまり素っ頓狂な声を上げたアスナはどう答えればいいのかわからず、つい頷いてしまった。

 

「やっぱり! 恋と愛は表裏一体なのですね! 私もいつか……ハッ」

 

 我に返った直後、瞳に飛び込んできたものは「あ、アハハハ……」と苦笑いを溢すアスナと温度差のある周囲の空気。シウネーの顔はみるみるうちに赤面へと変わり、恥ずかしさのあまりつい顔を覆い隠した。

 

「ご、ごめんなさい。私ったら……」

「いえ、シウネーさんは恋愛話がお好きなんですね」

「はい……。色恋沙汰となると自分を抑えきれなくって……」

「ボク、シウネーのあんな姿初めてみたよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 食事が始まって一時間程が経過し、宴も酣になってきた頃。それぞれが会話で盛り上がっている、そんな最中――

 

「ねぇねぇ、ユウキ」

 

 突然ノリがユウキの隣の席へと座り、脇腹を肩肘で小突きながら小声で囁く。

 彼女のニヤけ具合から察するにまたよからぬ事を考えていそうだと、そんな予感はしつつも、ユウキ飲み物を注がれたジョッキを口に含みながら「んー……?」と呆けた返事を返す。

 

「ホントのところ、どうなのよ」

「もう、ノリったら。あんまりしつこいと嫌われるよー?」

「だって気になって仕方ないだもーん」

「どうしてそんなに知りたいの?」

 

 ユウキの問いに、ノリの笑みは寂しさを交えたような表情へと変わっていく。

 そして手元にある飲み物を一口飲むと、目の前にはない何かを見るようにポツリと言った。

 

「……本音を言うとね、すっごく心配なんだ」

「ボクのことが……?」

「もちろん。そして、そのトウカって人ことも」

「……トウカはいい人だよ?」

「うん、ユウキが言うならそうなんだろうね。でも、やっぱり不安なの。あたしたちにとって、彼がどんな人なのかはまだわからない。知ってるのはユウキを救ってくれた人でもり、そして苦しめた人だってこと」

「それは――」

「わかってる。色々事情とか、理由とかあんだよね。だからこそユウキが大切にしている人って一体どんな人なんだろうって知りたくなるのさ」

 

 それは、ユウキを想っての言葉だった。

 彼を助けることに異議があるわけじゃない。むしろユウキが助けたいと思える人が現れたことは喜ばしいことだ。

 しかし、どんな事情であれユウキの心を追い詰めた過去があるだけに、なんの迷いもなしにユウキを任せられる程ノリはお人好しではない。もちろんそれはメンバー全員にも言えることだ。

 だからこそ、彼がどんな人で、ユウキをどう思っているか確かめたい。

 そういう想いが積み重なったことで、ノリを一際不安にさせてしまっている現状にユウキは心を軋ませた。

 

「こら、そんな顔しないの」

「あぅ」

 

 ついそれが表情に表れ、ノリにこつんと頭を小突かれる。

 

「ま、彼に対して怒ってないって言ったら嘘になるけど、それと同時に感謝もしてるんだから。なんせ何の恥ずかしげもなく、『ボクの大切な人をー』って言わせる程好かれてるわけなんだからねぇ~」

「あー! そういう言い方はずるいよー!」

「あはは、ごめんごめん!」

 

 ノリの笑い声とユウキのむくれた顔が周囲の笑顔を誘った。

 会話の内容は定かではないが、またノリがユウキをからかったのだろう。

 一同の笑声が部屋中に広がった――

 

 そんな時だった。

 

 

「だから何度も言ってるだろう!」

「そんなんで納得できるカ!」

 

 

 宿舎と酒場の入り口、計二枚の扉を挟んでいるのにも関わらず、突然聞こえてきた外の叫声。

 

「な、なんだなんだ?」

 

 ジュンが慌てた様子で椅子から立ち上がり、その声にいち早く反応する。それに続きタルケンも立ち上がるが、少しおどおどした様子で、顔を強張らせながら言った。

 

「喧嘩ですかね……」

「何怖気づいてんのよタル。ここじゃアンタだって強いんだからシャキっとしなさい!」

 

 また始まったと言わんばかりに、ノリがタルケンの肩をバチンと叩く。

 痛がるタルケンを他所に、近くにいたアスナとシウネーは静止を促すよう人差し指を口元にあて、静かに扉に近づく。

 そして耳を扉にピタリと充てがい、静かに外の声に集中する。すると――

 

「どこで知って――から聞いた――!」

「それを――ったら――言ったも同然――!」

「だから全部――って――んダ!」

「誰が――か!」

 

 声色から察するに若い男女の痴話喧嘩だろうか。扉越しだけに具体的な会話の内容はクリアに聞き取れないがあまり良い状況とは考え難い。

 シウネーは自身の頭の上で同じく聞き耳を立てているアスナに、確認がてら聞いてみる。

 

「……本当に喧嘩のようですね。何かあったのでしょうか?」

「うーん、うまく聞きとれないけど、大分白熱してるみたいだね」

 

 ノリが「どんな感じよ?」とアスナたちに尋ねる。

 シウネーが「内容まではわからないけど、痴話喧嘩みたい」と言ったとたん、ノリは大きな溜息を溢し、ドカッと乱暴に椅子に座ると声を荒げた。

 

「もう! せっかく人が楽しく食事してるってのに、迷惑ったらありゃしないよ!」

「まぁまぁ、いずれどこかへ行くさ。関わらないほうがいい」

 

 ノリが怒るのも無理はないと悟りつつも、タルケンはのんびりとした口調でノリを宥める。

 そして好奇心旺盛な一人の少女が「ボクも聞きたい!」と紫色の髪を揺らしながらシウネーとアスナの間に体を飛び込ませた。

 

「もう、お行儀悪いよユウキ」

「アスナだって聞いたんだから、これでおあいこだよー」

「も、もう少し左に……中々聞こえ辛くって……」

 

 三人の女性がドアの前でもぞもぞしている、なんとも言えないようなシュールな光景に男性陣は苦味のある表情を溢す。

 

「ここって人通り少ないはずなのにね」

「なんだか怪しいよねー!」

「あの、もう少し静かに……」

 

 いや、一番怪しいのは君たちだから。と言いたいジュンたちではあったが、シウネーは特に興奮冷めあらぬといったあり様で、目をギラつかせながら外の声に集中している。そんなに彼女を今引きとめようものなら、何を論されるかわかったものではない。

 俺たちは何も見ていない。そういうことにしておこう。ジュンがそんな目をタルケンとテッチに向ける。そして目が合った二人はその意味を汲み取るかのように静かに頷いた。

 

「ここまで――のは――のおかげだと――んダ!」

「それは――取引で――だろう!」

 

 そんな三人の覚悟を他所に、外では捲くし立てるような言い争いが続く。

 徐々に会話がヒートアップしていく中で、自然と声量も上がってきたせいか、アスナとユウキはある事に気がつき始める。

 

「あれぇ……私この声どっかで聞いたことあるような……」

「ボクもなんか聞き覚えがある感じが……」

 

 どこか耳にしたことがあるような声なのに、どうもピンとこない。二人は首を傾げながら眉を細めていた、その直後――

 

「あーもー! もう我慢の限界!!」

 

 ドカンッとジョッキを机に叩きつける音が部屋中に響いた。

 驚いたアスナ、ユウキ、シウネーが振り返ると、そこには袖で口を拭いながら恐ろしい剣幕でずかずかとこちらに歩み寄るノリの姿が。

 

「一言文句いってやる!」

「ちょ、ちょっとノリ!?」

 

 アスナが制止するように両手で待ったをかけるも、かまうもんかと酒場の扉をバカンッと勢いよく開ける。

 そしてそのまま宿舎の扉まで一直線に突き進むのだが、ユウキは慌てて追従しながらなんとかノリを引きとめようと試みる。

 

「ねぇノリってばぁ! やっぱりやめとこうよー!」

「こっちは宴の邪魔されてアタマにきてんのよ! 一言言ってやらないとあたしの気が収まらないっつーの!」

 

 こうなってしまうと、もうノリは止らない。

 猪突猛進と言える程の性格ではないのだが、彼女は無節操な人や便宜的な人には一切容赦がない。相手がどんな人間であれ、言いたいことがあればハッキリというノリの性格なだけに、寧ろ今までよく我慢した方だと言えるだろう。

 ある意味ノリのいいところでもあるし、迷惑していたことは事実なだけに、だからこそ誰も彼女を引き止めることができなかった。

 

「――って言ってるだろうが!」

「知るカ! ――はこっちの方ダ!」

 

 尚も止らない外の叫喚にノリの堪忍袋を順調に膨らませる。

 

「ったく! ぎゃーぎゃー喚き散らかして!」

「ええほんとに! しっかり注意しないといけませんね! それはもうしっかりと!」

 

 緊迫した緊張感が漂う中、ノリの愚痴にシウネーが便乗するように後押しをかける。

 しかし、シウネーはそんな怒り心頭な言葉を口にしたにも関わらず、ノリの背中に向かって小さくサムズアップした瞬間をアスナは見逃さなかった。

 それは近所迷惑なカップルに対しての憤りを代弁してくれることによる、敬意の表れなのか、それともただ単純にカップルに接触を持てるきっかけを作ってくれたことに対してのグッジョブなのか。

 その答えは彼女の燦爛たる眼差しが既に物語っていた。

 

 そして、いよいよその時が訪れる――

 

 初めて彼が、彼らと会う瞬間。いや、正確には二度目だろうか。

 

 その出会いはあまりにも劇的で、予想とは反した巡り合い。

 

 ノリは宿舎の扉を八つ当たりするかのようにバカンッと開けると、男女の姿を捉える間もなく、勢いに身を任せ咆哮する。

 

「さっきからうるさいのよあんたら!! 喧嘩するなら他いきなさい!」

 

 その声に男女の喧嘩がピタリと止り、ノリの方へと視線が向けられる。

 

 

「「あっ」」 

 

 

 眼前にいる二人の口から同じ言葉がぽろりと零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどとは間逆の、しんと静まり返ったとある一室。

 そこは酒場と言うにはあまりにも活気がなく、重苦しい情調がじっとりと空間を支配していた。

 

「で?」

 

 その一言だけで、彼女がいかに怒気を身に纏っているかがよくわかる。

 

「いや……あの……」

 

 その言葉に対して何を言えばいいのか、何を返せばいいのか。というか、今のこの状況がトウカの口により圧力をかけ、決してそれを許さなかった。

 何故なら、正座をしているトウカを中心に、屈強な猛者たちが取り囲んでいたからだ。

 ユウキを散々振り回した、あのトウカという人物が突如目の前に現れた。その予期せぬ出来事にスリーピング・ナイツたちの感情は大きく揺さぶられ、さすがのシウネーもすっかりと熱が引いていた。

 それぞれの面持ちは様々で、困惑や失念、憤怒など、それはもう顔が上げられないほどの痛い視線がトウカの全身を突き刺す、そんな中――

 

「まず、その子とどういう関係?」

 

 正面に仁王立ちしていたノリが、指を指しながらムスッとした顔をトウカに近づける。

 

「えっと、それはですね……」

「ただの取引相手だヨ。それ以上でもそれ以下でもないサ」

 

 壁に寄りかかっていたアルゴがちらりとノリを見ながら代弁する。

 そんなアルゴの言葉にノリは納得がいかない様子で、さらにトウカに詰め寄った。

 

「それで、何しにここに来たわけ?」

「…………」

 

 結局のところ、皆が気になっている理由はそこだけだった。アスナのフォローもあってアルゴという人物についての説明や、ここに来るまでの経緯を全て話しても、全員が困惑の色が晴れることはなかった。

 

 どう言えば納得してもらえるのか。どう伝えれば理解してもらえるのか。

 この街に降り立つまでの間、トウカはずっと考えていた。

 散々ユウキを傷つけてしまったのだ。罵声や辱めを受けることになったとしても、それは仕方がない。そういう覚悟はとっくにできている。

 それを踏まえた上でも、どんな言葉を口にすればいいのか、今だにみつからない。

 ただ漠然と会いに行って、頭を下げるだけでは償いにはならない。許して貰うための努力を尽くし、受け入れられて初めて謝罪として成立する。

 

 ならば――

 

――ならば、俺が今できること。ユウキのため、皆のために霧ヶ峰刀霞としてすべきこと。

 

 トウカは顔上げ、ノリの瞳をまっすぐ見て言った。

 

「――聞いてほしいんだ」

「……何を?」

「俺のことを」

「……誰に?」

「ここにいる、皆に」

「…………」

 

 トウカの言葉を聞いて、ノリは腕を組み、静かに瞼を閉じた。

 彼女が何を想い、何を考えているのかは定かではない。――が、やがてその目を開き、小さな深呼吸を一度してから、

 

「いいよ、聞いてあげる。みんなもそれでいい?」

  

 見渡したノリの視線に合わせ、スリーピング・ナイツのメンバー全員がコクリと頷く。

 

 ただ一人を除いて――。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 慌ててトウカとノリの間に割って入ったユウキが、庇うように両手を広げる。

 

「もうやめようよ……。怒る必要なんて、どこにも……」

 

 ユウキの咄嗟の行動に、ノリは不意をつかれたように一瞬瞠目する。しかし、すぐに彼女の行為を察したのか、ユウキの肩をポンと叩くと、先ほどとは違う柔らかな微笑を浮かべながら言った。

 

「違うよ、ユウキ。あの人の目、見てごらん」

「え……」

 

 振り向いた、ユウキの瞳に映るトウカの目。

 ひたむきで、ただ真っ直ぐに。

 揺れることもなく、ただ一直線に。

 その目を見ただけで、トウカの覚悟がひしひしと感じる。それは、ユウキの両の手を下ろすに十分たる理由となりえた。

 

「本当に、本当にいいの……?」

「……いいもなにも、皆には散々迷惑かけてきたんだ。知る権利ぐらいあるさ」

「でも……トウカのあんな辛い顔、もう見たくないよ……」

「皆の方が辛い思いしてる。そうさせた原因も俺だ」

「違うよ! 元はと言えばボクがトウカに酷いこと……いっぱい、いっぱい言ったから……ッ」

「ばか言うな」

 

 トウカはゆっくり立ち上がる。

 そして今にも泣きそうなユウキの頭をぽんぽんと撫でながら、困窮が入り混じるような顔を綻ばせ、続けて言った。

 

 

「償わせてほしいんだ。今の俺が、俺であるために……」

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

次回はハンターハンターの続きを投稿してから、こちらの方を更新していこうと思います。

不定期で大変恐縮ですが、かならず更新を続けて参りますので、引き続き宜しくお願い致します!


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34

第三十四話になります。

ちょっと長めです。


 丸テーブルを中心に並べられた椅子に、アスナを含むスリーピング・ナイツたちは改めて腰を掛け、トウカに注目する。

 ユウキはトウカの服の裾を掴み、寄り添おうとするのだがトウカは何を語ることもなく、首を左右に振った。

 『心配いらない、大丈夫さ』そんな面持ちを見せるトウカの表情に、ユウキは後ろめたさを煮やしながらも、渋々自分の席へと戻っていく。

 何も原因はトウカだけということではない。自分だって散々我侭を積み重ねてきた。こんなのうのうと傍観してていいはずがないのに。

 そんな自己嫌悪にも似た罪悪感が、無意識にユウキの表情を曇らせた。

 

「――俺は、自分の弱さを盾にしている卑怯者だ」

 

 静まり返った空間に、独り言のような言葉がぽつりと零れる。

 先ほどまで俯いていたユウキも、彼の声に体が反応し、自然と顔が上がる。

 

「嫌な事から逃げて、辛い事から避けて、その度に言い訳を積み重ね続けながらずっと生きてきた」

 

 その言葉に、ユウキは震える唇を噛み締める。

 彼がそんな人間ではないということは自分が一番よく知っている。もし本当に卑怯者であるならば、不良に絡まれたあの時、身を挺して自分を助けてくれるはずがない。

 ユウキは真っ向から「違う」と声を大にして叫びたかった。だが、結果的に思い留まった。

 彼が自分で言ったのだ。心配いらないと。今はその言葉を信じるべきだと、否定したい気持ちをぐっと抑え、静かに耳を傾けた。

 

「逃げ続けた果てにどんな結末が待っていたとしても、それを選択したのは俺自身で、後悔するのもまた俺だけだと、そう思い続けてきた」

 

 それは、目の前にいる人たちとは対象的な生き方でもあった。

 生き残るため、一心不乱に戦い続けてきたアスナとも、生き続けるため、不撓不屈に闘病生活を続けてきたユウキたちとも違う。

 きっと志半ばで倒れていたらいずれも後悔していたはずだろう。ところが、トウカの場合はまったく逆の発想で、またそれが自分にとって正しいことだと悟っている。

 そんなトウカの生き方に、全員が納得できるわけでもなく、ノリやジュンがその言葉を聞いて眉を細めた。

 トウカはその表情を汲み取ったのか――ふと腰に据えてある白鞘を引き抜くと、丸テーブルの中央に置く。

 ノリはその意図が汲み取れず、首を傾げて言った。 

 

「……刀?」

「――これが、そう思い至った俺の根源。理由のひとつだ」

 

 眼前にある一本の刀。それが思想理念の起源点だと彼は言う。

 皆その真意を考える。その武器が彼にとって何を意味するのかを。

 

「失礼を承知の上でお尋ねしますが、それはリアルでのお話し……ですよね?」

 

 シウネーの発言にトウカはこくりと頷く。

 ネットゲームにおいて相手プレイヤーのリアルに干渉することはマナー違反だと言われている。当然プライバシーを侵害する行為でもあるし、誰にでも知られたくない事情なんて一つや二つはあるというもの。特にスリーピング・ナイツのメンバーはそれぞれが重い事情を抱えていただけに、この刀がトウカにとってどんな意味をもつのか、リアルを追求することに皆が躊躇っていた。

 そんな湿っぽい空気が流れているような、淡い沈黙を唐突に放たれた、トウカのある一言が真っ二つに切り裂いた。

 

 

「『躊躇なく人を殺せるような、立派な人間になれ』」

 

 

 誰もが言葉を失った。

 

「親父から一番最初に教えられた言葉が、確かそんなだった気がする」

「ちょ、ちょっと待って下さい……」

 

 タルケンが夢から覚めたような面持ちで、慌てて椅子から立ち上がる。

 

「えっと……あれ……? リアル……リアルでの話……ですよね?」

「もちろん」

「は、ははは……それはいくらなんでも……」

 

 あまりにも非現実的で観念的な言の葉。いくらなんでも冗談が過ぎる。そうわかっていながらも、タルケンは笑顔とは言えない歪んだ顔を綻ばせてしまった。

 無理もない。普通そんな言葉を子供に説く親など存在しない。だが、その時のトウカはいたって真面目で、決してふざけているように見えない。アスナとユウキもまた、深い悲しみの色を眉の間に漲らしている。

 現実味の帯びないトウカの言葉、そしてユウキたちの表情が物語っている受け入れ難いこの真実に、ジュンはつい「マジか……」と小言を口走る。

 

「……もう少し詳しく聞かせて」

 

 ノリはそれぞれの心中を代弁する。そうしなければ先には進めないと悟ったからだ。深刻な内容であることは間違いないだろうが、それを聞かなければトウカという男の人物像に辿りつくことができない。

 

 ――彼は一体、どんな人生を歩んできたのだろう。

 

 先ほどの父親の言葉。それを起点に少し考えただけでもぞっとする。

 張られた弦のような緊迫感がシウネーたちの身体に纏わりく。皆の顔が徐々に強張り、自然と咎めるような厳しい目つきへと変わってゆく。

 そんな四方から圧し縮まってくるような重圧に息苦しさを覚えたトウカは、一際鋭い眼光を放っていたノリに、肩を縮こませて、ぼそりと言った。

 

「あ、あの……ちょっと……」

「なによ」

「そんなに睨まないでくれると有り難いんだが……」

「べっ……別に睨んでないわよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 トウカは語る。

 

 霧ヶ峰家の慣わし、ユウキとの出会いから今に至るまで。

 別世界から来たことを除き、嘘偽りなく、包み隠さず全てを明かした。その内容が聞く側にとってどのような解釈になるのか、トウカは大体の想像がついていたが、それでも敢えて話した。

 いや、正確には『話したかった』の方が正しいかもしれない。

 これ以上ユウキの周りにいる人たちに余計な不安を抱かせたくないという自責の心が耐えられなかったのもそうだが、なによりトウカ自身がこれ以上偽り続けることに対して、壮大な疲労感を抱いていた。

 トウカは懺悔するかのように淡々と話す。その言葉に皆は終始聞き入っていた。

 やがて一通り話し終え、数秒の沈黙が流れる。そしてトウカが予感していた通り――

 

「信じられません……」

 

 黙々と聞いていたシウネーが開口一番に言い放つ。

 誰もがそう感じていた。それが全員の視線で伝わるだけにトウカは頭をわしわしと掻いて、

 

「ま、そうだよな……」

「いくら家系による伝統的習慣とはいえ、非人道であるならば世間の目につくはずですし、そうなれば警察だって……」

「世間の目なんてどうにでもなるさ。由緒ある伝統を受け継ぐためとか、日本男児としての嗜みとか、そんな感じの綺麗事ならべてうまく誑かしてるよ。家族はこの技術を伝承することは美徳だと考えているから外に洩れることはないし、なにより……親父は警察と癒着してる」

「そんな……」

 

 トウカの父親は警察が定めている《術科特別訓練》の一環である剣道において、名誉師範を務めている。本人曰く「剣道など所詮はお遊びだ」と冷笑しているものの、既に段級位制の最高位である八段を取得し、終には範士の名も獲得していた。

 本来であれば、その名を汚すまいと心身を鍛錬し人間形成を目指す、手本となるべき存在にならなければいけないのだが、なんと彼はその真意に対して唾を吐いた。

 

『興味がない』

 

 言葉の通り彼はその身分をうまく利用し、一部官僚や警視との関係を経て、霧ヶ峰家の地位をより確固たるものへと上り詰めるための、手段として用いたのだ。

 名誉師範も、段位も、範士も。彼にとっては全て、人を殺めるための口実を作っていただけに過ぎない。

 

 仮に内情を悟られたとしても、最早介入はできないだろう。トウカは重々しい口調でそう言った。

 

「で、でもさ。実際に誰かを殺したわけじゃ……」

「……俺が知っているだけでも三人は斬ってる」

「うっそだろ……」

 

 ジュンは開いた口が塞がらず、唖然とした表情を見せる。タルケンやテッチも衝撃的な発言に動揺を隠せないでいた。

 ゲームや仮想世界とは訳が違う。怪我をすれば痛みが生じ、血が流れれば死に至る現実世界の出来事。仮想世界に身を置きすぎた彼らにとってそれは非常に受け入れ難く、それだけに、認めるにトウカの過去は飛躍しすぎていた。

 

「正当防衛、事故死、自殺。理由なんていくらでもこじつけられる。親父が罪に問われない立場になって……それからだな。俺が逃げ出したのは……」

「暴力に耐えかねて……とは聞きましたが、他にも何かあったんですか……?」

「…………」

「……トウカさん……?」

 

 シウネーの問いに、トウカはきゅっと口をつぐみ、どこか悲しげな面持ちと、揺れる瞳をユウキに向ける。

 

「大丈夫……?」

 

 トウカの物悲しい眼差しに不安を抱いたユウキは、心がかりに言葉を投げかける。

 その言葉を聞いたトウカは、何を想ったのか――身も世もないといった風に肩を落とし、一言だけ「すまない……」と低いくたびれたような声で呟いた。

 

「なんで……? どうして謝るの……?」

「隠していたわけじゃないんだ……」

「どういうこと……?」

「ユウキの前では言いたくない……言ってしまったら、きっと酷く傷つく……」

「…………」

 

 それは、思い出すのも嫌になるほどの過去の中で最も辛く、最も苦しい記憶。

 父親の過激な指導に耐えかねて逃げ出したという話は決して嘘ではない。しかし、所詮は動機の一つであって端緒ではなかった。

 言うこと自体は吝かではない。ただ、それを言ってしまったらユウキの心に深手を負わせてしまうかもしれない。家族がいない彼女にとって、今から言わんとしている言葉にはそれほどまでに劣悪な重みがあった。

 

「……無理に言わなくてもいいよ。誰にだって話したくないことぐらいあるわよ。私たちだってアスナに隠し事してたわけなんだしさ」

「そうですね。そこまで問い詰める必要もありませんし……」

 

 トウカは萎れた花のように頭を下げる。ノリとシウネーが態々気遣うように一歩引いてくれたとはいえ、ここで自分の我侭を圧し通すことがどれだけ傲慢なことなのかをトウカは恥じていた。確かにスリーピング・ナイツはアスナに対して全員が病人であることを隠していたが別に悪意があったわけではない。

 それに対しトウカは背負うべき罪を棚に上げ、告白することを放棄した。自身が傷つくのは構わないがユウキだけは傷つけたくない。そんな我侭を圧し通す立場ではないことを承知している。それでも自ら進んで吐露することに踏み切れなかった自分の弱さが堪らなく恨めしい。

 そんな強い恥と自責の念がトウカの肩をずしりと落とし、か細い謝罪を言わしめる。

 

「本当にすまない……意見するような立場なんかじゃないのに……」

「いいってば! それより重い話ばっかりで息苦しいったらありゃしないよ。少し話題変えて空気入れ替えない?」

「それ、賛成」

「ぼ、ボクも!」

 

 ノリと意見にジュンが素早く挙手をした後、ユウキも慌てて手を上げた。

 ジュンは疲労の色が目に見えているからともかくとして、ユウキは気を利かせてくれたに違いない。今のトウカの姿を見たらいてもたってもいられなかったのだろう。

 

――ありがとな……

 

 心の中で深く感謝したトウカは、ユウキに対して小さな微笑みを送る。するとユウキもまた、胸のつっかえがとれたように、髪の毛を僅かに掻き揚げ、にっこり微笑んだ。

 おかげで心に少しばかりの余裕ができたところで「俺に答えられる範囲でよければ」と自ら乗り出すと、ぐいっと太い眉ときりりとした両目をしたスプリガンがひょいっと手を挙げる。

 

「まずあたしから。といっても自己紹介がまだ済んでなかったね。あたしはノリ。普通にノリって呼んでくれて構わないよ。今更だけど宜しくね、トウカさん」

「俺もトウカで構わない。こちらこそ宜しく、ノリ」

 

 ノリにとっては初対面故、トウカは無難な言葉使いで丁寧に挨拶を交わす。

 トウカは原作を知っているだけに面識はなくても彼女の性格を把握している。ユウキに勝るとも劣らない威勢のよさと、強気で少々強引気味な一面もあるが、誰に対しても性別年齢種族問わず、毅然とした態度で接することがきる、スリーピング・ナイツいちの豪放磊落な性格の持ち主だ。

 そんなノリがトウカに対して尋ねた質問は、至極単純な疑問で、シンプルなものだった。

 片肘を突き、テーブルの中央に置いてある刀を指差して、

 

「それだけ悲惨な目にあってるのに、どうして今でもこれを使ってるわけ?」

「い、いきなりド直球な質問だな……」

「え、なんかまずかった?」

「いや、そんなことはない。――まぁ、嫌いなものを使ってでも守りたいものができただけのことさ」

 

 なんの恥ずかしげもなく、トウカは答える。

 紆余曲折を経てやっと決心しただけに、一点の曇りもなく告げた彼の勢いに圧され、ノリは堪らず頬を染め、口を両手で覆った。

 『守りたいもの』がなんなのかは聞かずとも何が無しにあれとわかる。全員が察し、ついその『守りたいもの』へと目を向けると、

 

「あ……あぅ……」

 

 ぷしゅーっと湯気立ったその少女剣士は、耳たぶまで真っ赤に染めて俯いた。

  

「聞いたことある。あれ、誑しって言うんだよな」

「や、それはちょっと違うと思うけど……」

「でもまぁ、そういうことをハッキリと言える人はめったにいないよ」

「俺が聞こえないところで話してくれ……」

 

 テッチ、タルケン、ジュンがこそこそと話す会話がだだ漏れなことに溜息を洩らしたところで、見計らうように「私からも一つ宜しいでしょうか?」と穏やかな濃紺の瞳を輝かせ、ぴしっと手を挙げる。

 すっと長く通った鼻梁に小さな唇。ウンディーネの特徴でもあるアクアブルーの髪を両肩に長く垂らし、年齢はトウカと同じかもしくは上だろう。華奢なその姿は正に水妖精族のイメージにぴったりとも言える。

 トウカが「もちろんです」と答えると、その女性は立ち上がり、落ち着いたウェットな声で自己紹介した。

 

「私はシウネーと言います。先ほどは失礼なことをお聞きして申し訳ありませんでした……」

 

 まさか頭を下げてくるとはトウカも思っておらず、慌てて起立して畏まるように言葉を返す。

 

「いえ、こちらこそ数え切れない程の迷惑をかけていますから。どうか謝らないで下さい」

「ありがとうございます。それで、その……トウカさんのご容態のことをご家族は……」

「……いえ、知りません」

「……そう、ですか……」

 

 シウネーたちはトウカの容態をユウキから聞いている。それだけに彼が生死の境を彷徨っていることは少なからず家族の耳に入っているのではないかと考えていたシウネーの思惑は外れてしまった。

 できることならば、家族と共に残された時間を過ごしてほしい。――そう願うことはおかしなことなのだろうか。身内に看取られることなく生涯を終えていく……。それはまるでかつてのユウキのようで、ただ悲しさだけがシウネーを暗くしていた。

 それ以上多くを語ることなく、静かに腰を下ろしたシウネーに何を察したのか――。

 トウカは付け加えるように言った。

 

「俺には、大切な仲間がいますから」

 

 照れながら頬掻くその表情は、本当に澄んでいて、純粋にそう思っていることが見て取れる。シウネーは一瞬、寂しそうな顔を見せながらも最後には「そうですね」と笑顔を綻ばせた。

 

「あの……僕も一つお尋ねしたいことが……」

 

 次に手を上げたのは、ひょろりと痩せたレプラコーンの少年。鉄ブチの丸メガネときちんと分けた黄銅色の髪が特徴的な、いかにもインドア派といったような見た目だ。

 

「あ……僕はタルケンといいます。よ、宜しくお願いします……イタッ!!」

 

 語尾に悲鳴が被る。

 若干強張りながら丁寧にお辞儀をする同時にノリが向うずねを蹴飛ばしたのだ。

 

「男の前でも緊張しちゃってどーすんのよ! しっかりしなさいよね!」

「だ、だって皆が見てるから……」 

 

――これどっかで見たな……

 

 自分が経験したわけでもないデジャヴに見舞われながら、トウカは「こちらこそ宜しく」と軽く会釈を済ませ、続けて「それで、聞きたいことって……」と話しの腰を折ると、「ああそうでした」とオホンと咳払いをしてタルケンは話しを続ける。

 

「質問というより、ちょっとした質問な疑問なのですが……その刀《エンシェントウェポン》ですよね? しかも属性付きの。一体どうやって手に入れたんですか……?」

「あぁ、これはリズが作ってくれたんだ」

「へぇ……リズさんが……」

 

 タルケンは難しい顔をしながらメガネを持ち上げ、白鞘に納められた刀をまじまじと見つめる。

 レプラコーンは武器生産及び各種細工を生産することに特化した種族。そしてタルケンはスリーピング・ナイツの装備全般の整備を担っているだけに、武器に対しての興味が人一倍強いようだ。

 

「少し拝見しても……?」

「ああ、構わないよ」

 

 トウカが二つ返事で許可すると、タルケンは白鞘から慎重に刀を引き抜き、頭上から降り注ぐ灯りに刃をあてがうと、片目でじぃっと見つめ始めた。

 皆が注目している中、上がり性の彼がここまで真剣な表情をしているのは作中でもあまり見たことがない。

 暫くの沈黙が続いた後、タルケンは目を見張りながら一言呟いた。

 

「凄い……」

「どのへんが? あたしにはちょっと強そうな刀にしか見えないけど」

「持ってみればわかるよ……」

 

 タルケンが刀を反転させて、柄の部分をノリに向ける。

 持てばって言われてもねぇ。

 そう言いかけるも、手に持った瞬間「うわっ、ナニこれ!」と驚きの表情を露にさせた。

 

「軽いなんてもんじゃないよ! 空気掴んでるみたい!」

「俺にも俺にも!」

「わ、私もいいかな!?」

「ボクにも触らせて!」

 

 ジュン、アスナ、ユウキが目をキラキラさせながら興味心身な様子でノリに詰め寄る。代わる代わる武器を手に取るといずれも反応は皆、口を揃えて「軽い!」と驚愕していた。

 そうなれば当然一つの疑問が浮かんでくるというもの。それを先に口にしたのは大柄で筋骨隆々とした容姿をもつテッチだった。

 

「自分はテッチと言います。それにしても、何故こんなに軽いものを? 装備も見たところ軽装ですし……耐久力のある敵や重装備のプレイヤーを相手にするには非常に不向きだと思うのですが……」

 

 テッチは武器が軽いことによって生じる問題を的確に説明する。

 防具の重要性、武器の重さによるメリットとデメリットはチームの盾役として活躍している彼が一番よく知っている。

 彼が問題視しているのは、刀という近接特化の武器であるにも関わらず、何故物理防御力の高い装備を身につけていないのか。斬り合いになることは必須であるこのゲームの世界において、それはいくらなんでも軽装すぎる。

 そして、ビーストテイマーであるシリカが使用している、短剣のようなサブウェポンとしてならともかく、何故メインウェポンとして使用しているのか。

 これでは近接武器特有のスキルである《弾き防御》やその他ソードスキルの効果が薄れてしまう。特に武器の重量は威力としてそのまま相手プレイヤーへのダメージに反映されるため、いくら他の武器より軽めな刀といえど多少の重たさを得ていた方が利点に繋がる。

 あのクラインでさえもプレート系の甲冑とそれなりに重量のある刀を愛用しているだけに、普通の刀使いのプレイヤーと比較しても、どう考えてもデメリット見当たらない彼の現状に、テッチは疑問を過ぎらせていた。

 ただ、彼がそんなことまで知らないようなプレイヤーだとは思えない。

 

――ALOを始めて間もないとはいえ、あの英雄であるキリトさんやアスナさんたちとお知り合いなのだから、きっと緻密に計算された、自分たちの考えが及ばないような、深い理由があるに違いない……!

 

 そんなテッチの鋭い思惑は、いとも簡単に覆される。 

 

「いやぁ、軽いほうがいいんだよなぁ」

「えっ」

「それに暑苦しいの苦手だし」

「えぇ!?」

「ほら、よく言うじゃないか。身軽言微って。初心者なんだからこれぐらいでちょうどいいのさ」

「いやでも、ソードスキルとか……」

「俺使えないんだよ。ソードスキル」

「はぁ!? 使えないってことないでしょ!」

 

 トウカの何気ない一言にノリがたまらず会話に割り込む。

 

「いや、本当なんだって。このゲームを始めた当時にキリトやアスナに散々教えられたけど結局何一つ使えなかったんだ」

「そ、そんなわけ――ッ」

「そーいえば、ボクとデュエルした時も、一度も使ってなかったね」

「でゅえるぅ!?」

「え、ちょっとまって! ユウキ。トウカといつデュエルしたの!?」

 

 次々と飛び出てくる発言に、ノリは驚きのあまり椅子から転げ落ち、そしてアスナも寝起きの顔へ水をかけられたような顔を見せ、ゼンマイ仕掛けの人形みたいに立ち上がった。

 

「えっと……ボクの誕生日の日だけど……あれ、言ってなかったけ?」

「全然聞いてないよ!? OSS(オリジナルソードスキル)を返してって聞いた時は何かあるのかなとは思ってたけど……」

「俺も今日、みんなに話したら頭をド突かれた」

「トウカは黙ってて!」

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「凄いんだよー! びゅーんってきたらしゃきーんってなって!」

「う、うん」

「それでさ、ずざざーって下がったらどこーんって飛ばされちゃって!」

「うん……」

「ボクがとりゃーってやろうとしたら、トウカにうおーっ、かきーんってされてさ!」

「わ、わかった。ユウキ、ちょっと……」

「最後にえーいってしたらトウカが『ハハハ』って」

「おいまて、そこの声だけ忠実に再現するな」

「何よ今の気持ち悪い笑い声……」

 

 ユウキが興奮しながら身振り手振りで一夜の大決闘についての全容を演じる。

 熱は伝わるが如何せん御座なり気味な演説に一同は混乱を極め、必死に理解しようとすればする程次々とわけの分からない効果音が脳内に飛び込んでくる。

 最初こそは皆わくわくしながら聞いていたものの、やがて観念したようにジュンが頭を抱え、手を挙げた。

 

「ごめん、ちょっと解り難い」

「えー! 迫真の演技だったじゃん!」

「『ハハハ』だけしかわかんねぇよ!」

 

 頬を膨らませるユウキに、ジュンが机を叩きながらつっこむが、こればっかりはジュンの意見に賛同せざるを得ない。

 とはいえ、彼との決闘がいかに激しいものだったのかはなんとなく伝わった。あのユウキがこれ程まで興奮しているのは初めてかもしれない。それだけにトウカの実力がどれ程のものなのか知りたいという好奇心は少なからず湧いているのも事実だ。

 だが、今確かめるわけにもいかないし、この場で争うけにもいかないだろう。

 そんな抑圧をそれぞれが押し殺していたものの、やっぱりというか、案の定耐えられない人物一人――トウカに向けて、口を開く。

 

「なぁ、トウカさん。その剣術ってやつ、少しだけ見せてくれないか?」

 

 悪戯っぽく好奇心に溢れた目でトウカを煽る、小柄なサラマンダー。

 頭の後ろで小さなシッポを結んだオレンジ色の髪を揺らしながらトウカに近づき、先ほどまで持っていた白鞘を胸に突きつける。

 それに対し、トウカは事を荒立てないよう両手で遮りながら、

 

「や、それはちょっと……」

「別に戦いたいわけじゃないんだ。なんかこう、技的なものを一つだけ見せてくれれば!」

「ううん……」

 

 トウカは当惑の眉をひそめる。

 人に見せるような技術でもなければ、魅せるような器量があるわけでもない。

 が、頑なに拒否を示しても知的好奇心旺盛な彼のことだ。こちらが諦めない限り食い下がるのが目に見えている。誰かに助けを請うのも考えたが……。

 全員の目がキラキラしている。

 よく言ったジュン! と言わんばかりのサムズアップが机の下でやりとりされていたのを見逃さなかったことは黙っておくとして、頼りのアスナですら引きとめようとしてくれない。

 ユウキはと言えば、むふーっと鼻腔を広げながら小刻みに飛び跳ね、期待の眼差しを送っている。

 

「……わかったよ」

 

 トウカは観念したように大きなため息をひとつつく。

 そして、少しだけ腰を落とし、鞘を胸元まで運ぶと、柄を逆手で持つ構えを見せた。

 

「うお……」

 

 ただそれだけのことで、瞬く間にピシッとした緊張感がこの場を支配し、近くにいたジュンは思わず数歩引き下がる。

 そんな最中、ユウキの中で雪に埋もれた地面から芽が出るように、ぽつりと疑問が現われた。

 

――あれ……いつもと違う……?

 

 決闘で見せた、あの時の抜刀する体勢とはまったく違う。

 少し窮屈なようで、前のような鋭い殺気のようなものは感じられないが、堂に入っているようにも見える。

 

――なんか、かっこいい……

 

 いつもと違う彼の姿。

 

 自然と頬が火照り、胸が弾む。 

 

 高鳴る心臓の音がはっきり自分で聞き取れる。

 

「ユウキ大丈夫? 顔赤いよ?」

「……えへ」

 

 アスナが顔を覗きこむと、ユウキはにんまりと嬉しそうに微笑んだ。

 意図はわからないが、とても幸せそうなユウキの表情にアスナも釣られて微笑を溢す。 

 

 瞬間――。

 

 

「…………え?」




今回も最後まで閲覧していただき、ありがとうございます。

スリーピング・ナイツとのやりとりはもう少しだけ続きます。
いつも長らくお待たせして申し訳ありません。次回も不定期ですが必ず投稿しますので、今後とも宜しくお願い致します。

また、私事ではございますが、ペンタブを買いました。まともに描けるようになったら挿絵をいれてみたいと考えています。いつになるかわかりませんが、気長待っていただければと思います。

お気に入り登録700名。総合評価1000ptに達しました。ありがとうございます!

色々な方に読んでいただけて幸せです。今後も頑張ります!


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35

第三十五話です。

少し短めです。


 今日は散々な目にあった。

 シノンたちに半ば強引に家を追い出され、

 街に到着しても宿舎の場所もわからず、道行く人々に尋ねても分からず終い。

 アルゴに会えたかと思えば結局情報を根こそぎたかられて、

 スリーピング・ナイツとのファーストコンタクトがまさかの叱咤。

 挙句の果てには――――。

 

 いや、まぁ自分が蒔いた種なのだから仕方がない。何度もそう言い聞かせてはいるのだが、さすがに今回は色々ありすぎて肉体的にも精神的にも参っている。

 こんな時には熱いお湯の張った浴槽にお気に入りの薬用入浴剤を一つ放り込み、温泉気分を味わいながらじっくりと体を解して、若干のぼせ気味な体を夜風に当たらせながら、眠気に誘われるまでのんびりと布団中で時を過ごしたいものだ。

 それが、かつての日常生活では最高の極楽だった。

 

 しかし、それも今は叶わない。

 

 朝起きて歯を磨くことも、朝食を食べながらテレビを見ることも、昼に気分転換がてら散歩をすることも、夜風呂に入ることも――。

 

 今の俺にとっての現実は、もうここ(仮想世界)だ。

 

 あの感覚を二度と体験することができないと思うと少し寂しい気もするが、それでも仮想世界の中であればなんら変わらない生活を送ることができる。

 その魁の第一歩として、ALO内での睡眠を試みようとしたのだが……。

 

「えへ」

「なんで、お前がいるんだよ……」

 

 

 

 

「あー、ユウキくん。そこへ座りなさい」

「らじゃー!」

 

 ベッドの上で礼儀正しく座る俺を真似ながら、ユウキはビシッと敬礼する。

 俺は一つ咳払いを溢してから、言った。

 

「ええと、君は何故ここにいるのかね?」

「トウカたいちょーが寝るって言ったからであります!」

 

 なるほど。さっぱりわからん。

 

「よしユウキ隊員、順を追って確認しよう。たしか宿舎で解散した後、スリーピング・ナイツの皆がログアウトしてから、ユウキ隊員とアスナ隊員が順次ログアウト、そして俺はそのまま宿舎のじーさんから部屋を借りて、二階の寝室へと向かった。ここまではいいな?」

「いえっさー!」

「使い方が違うが、まぁ今はいい。確かに俺は空き部屋を借りたはずだ。なのにどういうわけか、さっきログアウトしたお前がベッドで寝転んでいる。これは一体なんの冗談だ?」

「わーお、さぷらーいず!」

「――……よし、頭を出せ」

「うわぁ! 痛いのはやだよー!」

 

 俺の固く握られた拳を見た途端、ユウキは慌てて両手で頭部を覆うと、俺に背を向けてカタカタと体を震わせた。

 いや、そこまで本気で拳骨するつもりはまったくないのだが……。

 仮に鉄拳制裁をお見舞いしたとしても《ペイン・アブソーバー》がある故に痛覚を感じることはない。それを知らないわけでもないだろうに。

 何か深い事情でもあるのか、それともただ端に遊んでほしかっただけなのか。

 

「怒らないから言ってみろよ。何か用があるんだろ?」

「…………」

 

 ギシリ、とベットに腰掛けて言葉をかけると、ユウキは萎縮するように身を丸めた。

 そして、先程までの勢いはいったいどこへいってしまったのか――背を向けたまま、ちらちらと尻目で俺の様子を伺いながら細い声でぽつりと呟いた。

 

「だって……」

 

 達磨がつつかれたように丸めた体を揺すりながら、沈黙を続けるユウキ。

 何かもの言いたげな仕草を見せてはいるものの、続く言葉が中々出てこない。

 思い当たる節はたくさんある。プレゼントの件、余命の件、アルゴの件。例を挙げたらキリがない。それはこちらからも言い出しにくい内容のものばかりで、それだけになんと語りかけていいのかわからなかった。

 

 そんな沈黙が幾数分流れて――

 

「……少し、話してもいいか?」

「……うん」

 

 結局俺は、自ら歩み寄るを選んだ。

 ここでユウキに現れた事は、実は好都合なのかもしれない。

 ちゃんと話してみよう。逃げずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――案の定、バレていた。

 俺の余命については一目見て察したらしい。考え直してみれば当然か。当の本人が何年も経験している病気なのだから、隠し通せるわけがない。ユウキに心配かけまいと振舞っていた数々の行動が、透けるように伝わっていた。

 今だからこそ言えるが、まるで自分自身の生き写しのようで、鏡を見ている気分だったとユウキは言う。

 ……正に本末転倒だ。十五歳の少女に負担をかけまいと必死に取り繕っていた行為の数々を完全に見透かされていたというわけだ。

 

「でも……凄く嬉しかった」

「……そうなのか?」

「だって、一生懸命ボクのこと考えてくれてるんだもん」

「それは……」

「いいの。ボクがそう思ったことなんだから」

 

 とは言うものの、結局は功を奏していない。良かれと思っている全ての行動が裏目、裏目、裏目。結局のところ、最終的にはユウキの想いを裏切っている。

 

 そんな俺が、今言えることがあるとすれば……。

 せめてもの償いとして――。

 ありったけの気持ちを込めて――。

 

「……すまな――」

「だめ」

 

 燻っていた心の懺悔を口にしようとした瞬間、ユウキに鼻を摘まれ遮られる。そして真っ直ぐな瞳を俺に向けて、彼女は言った。

 

「そういうの、もう言っちゃだめ」

「だけど……」

「ボクがだめって言ったの。だから、だめ」

「……わかったよ」

 

 無茶苦茶な言い分だ。

 だけど、そう言われたならそうするしかない。俺の気持ちを他所にとか、そんなことを言える立場ではないのだから。――とか口にしたらまた怒られそうだ。

 あれだけ病院を勝手に徘徊するなとか、我侭言うなとか散々注意してきた二十歳のいい大人が、今では目の前に少女に頭が上がらないのだからとんだ笑い話だ。

 

「あ、今笑った……」

「ちょっとした思い出し笑いさ」  

「トウカの笑顔、久しぶりに見た気がする……」

「そうか?」

「うん。これ以来かも」

「こら。それはやりすぎだ」

 

 両目を吊りながらおどけるユウキに、こつんと頭を小突く。

 そんなやり取りに、俺とユウキはやがて耐えかねたように、声を立てて笑った。

 

「ユウキの泣き顔も中々のものだったぞ」

「え~? どんな感じ?」

「こんな感じ」

「ぷっ……あはははっ、なにそれへんなのー!」

「お互い様だ」

 

 可笑しくて、馬鹿馬鹿しくて、でもそんな無駄な時間が本当に愉快で堪らない。

 ――いや、無駄なんてことはない。こういう時間こそが今の俺には必要なのだろう。今まで散々思いつめながら日々を過ごしてきたのだ。少しぐらい息抜きしたっていい頃だ。きっとそれは、ユウキも同じように思ってくれている。

 

 ――だから、

 

「なぁ、ユウキ」

「なぁに?」

「――今日は、このままずっと一緒にいたい」

「……うん!」

 

 ――その瞬間、俺の眼前に、今までにないくらいの、とびっきりの笑顔が咲いた。

 屋上でお菓子を食べていた時よりも、いつしか公園で散歩をした時よりも、レストランで食事をした時よりも――。

 その眩しい程の笑顔が視界に飛び込んできたとき、俺の中で何かがふっきれたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そーいえばさ、あれってどうやったのー?」

 

 ベッドに寝転がりながら、足をぱたぱたさせるユウキ。

 コーヒーカップを片手に啜りながら「さっきのアレか?」と聞き返すと、

 この音だけは聞こえたんだよねぇ、と呟きながらいつの間にか手にしていた俺の愛刀を何度も抜き差し繰り返しながら、ユウキは確かめるように鍔鳴りの音を反芻させた。

 言わずもがな、数刻前に見せた居合いのことだ。

 

「きぎょーひみつだって言って結局誰にも教えてくれなかったし……ジュンへそまげてたよ?」

「ちょっと悪いことしたかな……」

 

 別になんてことはない。目の前にあった木製のジョッキを真っ二つに斬っただけだ。

 ――まぁ、見る側の視点からは、何もしていないように見えたかもしれないが。

 

「ねーねー、教えてよー」

「んー……」

「ねーねーとぉーかってばぁー」

「こら。埃が舞うからやめなさい」

 

 意味もなく布団をごろごろと転がりながら強請るその姿は子供のそれだ。

 あざとい上目遣いに若干心を擽られたことは認めよう。

 

 だが、それでも気が進まない。

 

 理由は簡単だ。いくら綺麗事を並べて『守る』ためにこの剣術を使うと言っても、結局は人殺しの技に変わりはしないのだ。

 俺の体に染み付いているのはあくまでも殺人剣であって、活人剣ではない。そもそもおいそれと簡単に見せていいものではない。

 だから、『人を殺すため』の技術をペラペラと話すわけにもいかないだろう。

 

――――って安直に説明したらまた空気が重くなりそうだなぁ……。

 

 ユウキのことだ。また無神経だったーとか、ボクが悪いーとか言って自分を責めるに違いない。そうじゃなくても、今のこの楽しい一時が湿っぽくなってしまうのだけは御免だ。

 俺は飲み終えたカップを机に置くと、ベッドで寝転がるユウキの傍へおもむろに腰を下ろし、頭を撫でながら言った。

 

「ま、いずれな」

「むぅ……またそうやってすーぐ誤魔化すんだから……」

「おっとこれは失礼。才色兼備な絶剣様にはご不要でしたか」

「誰も要らないとは言ってない!」

「うおっ」

 

 咄嗟に繰り出されたユウキの頭突きに、俺はひょうきんな声を上げつつも胸中に飛び込んできた小さな頭を受け止めて、そのまま仰向けに倒れこむ。

 俺の腹上で顔を膨らませながら、じぃっと睨み続ける十五歳の少女。

 ――この状況は以前にも経験がある。確かあの時も不機嫌ながらに頭を突き出され、有無を言わさず要求されたような……。

 

「――なぁ、これって……」

「んーっ! ん゛ーっ!」

「わ、わかった! わかったから顎に頭を捻じ込むな!」

 

 結局は、こうなる。

 頭を撫でるとユウキは幸せそうに、にんまりと笑顔を滲ませて恍惚にそれを受け入れた。

 ……こうして見るとただの甘えん坊な子供にしか見えない。本当に《アルヴヘイム・オンライン》史上最強の剣士なのだろうか。無邪気な素顔はまるで普通の女の子そのものだ。

 

――あれ、これまずくないか?

 

 満足そうに顔を埋めてくれるのは、俺にとっても大変幸せなことではあるのだが、よくよく考えてみたらベッドの上で未成年の少女と折り重なっているこの状況――非常に濃い犯罪臭が漂っている。

 いや、俺から何をするわけでもないが、やはりここは大人として多少の節度は守らねばなるまい。

 

「ほら、もう遅いし、今日はこのへんにしよう」

 

 撫でる手を一旦止め、ユウキを退かそうと体を起こした瞬間――

 

「やだぁ!!」

「ぬおぉ!?」

 

 少女の頭部が、絶剣の頭部が、ユウキの頭部が俺の鳩尾に機鋒のごとくめり込む。

 そう、俺は押し倒されたのだ。

 やがて込み上げてくる吐き気を抑えながら、咽返る酸素に目を白黒させていると、必死に縋りつく紫色の小さな頭が大きく吼えた。

 

「今日はこのまま一緒に寝るんだから、絶対離さないからね!」

「ばっ……お前これシングルベッドだぞ!?」

「こうやってくっついて寝れば平気だもん!」

「あほか! 一緒にいるって言ったって限度というものが――ッ」

「あほでいいよ! 今日は絶対一緒に寝る! 寝るったら寝るー!」

 

 離れまいと必死に抱きつく姿は、駄々をこねる子供のようだ。いや、まぁ子供なのだが。こうなるとユウキは絶対に引かない。もちろん俺も。

 ここで一喝して引き剥がすことは容易いかもしれないが、それは喧嘩になること必至だ。そしてそれはスリーピング・ナイツに再び迷惑をかけることと同義だ。

 できることなら避けたい。というか、喧嘩なんてしたくないしできることなら俺だって……。

 

――節度を守るか、一線を越えるか……。

 

「……なぁ、ユウキ。未成年の女の子が、成人男性に抱きついたまま一夜を過ごすっていうのは凄く如何わしいことだと思わないか……?」

「思わない」

「……もし俺に下心があって、寝込みに襲われたらどうするつもりだ?」

「トウカはそんなことしないよ」

「それはそうだが……」

「アスナが言ってた。お互いに求めているものが一緒なら、それ以上の理由はいらないって。ボクはトウカと一緒にいたい。トウカもそう言ってくれた。だから、それでいいんだよ」

「…………」

「それに、ボク……トウカなら……いい、よ……?」

「……ませがきめ」

「あぅ」

 

 額にデコピン一発。

 

「恥ずかしいなら最初から言うな」

「だって……」

「俺寝相悪いからな。どうなっても知らないぞ」

「……ん」

 

 ごしごしと額を抑えながらも、ユウキはこくりと頷く。

 先程の発言のせいか、ユウキの頬はすっかり紅潮していた。

 本当に、まったくもってけしからん。俺がそんな無節操な人間なわけないだろう。寝込みを襲うなんてまるで犯罪者じゃないか。

 俺は自制が利かないような性欲丸出しな人間では断じてない。ましてやこんな未成熟な少女に性的興奮なんて感じるわけがない。

 いや、決してユウキに魅力がないわけじゃない。可愛いのは認めるしこうしてまじまじと見てみると、十五歳にしてはなかなかどうして……。

 

 ――いや違う。落ち着け、馬鹿か俺は。

 

「どしたの……?」

「い、いや! なんでもない。のーぷろぶれむだ」

 

 そうだ。何も問題はない。

 

 余裕で乗り越えられるさ。

 

 ……多分。恐らく。きっと。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

ようやく書けましたイチャラブ展開。個人的には満足です。
次はもっとイチャイチャします。良くも悪くも。

次回更新も不定期になりそうです。予定としては今月中に投稿できたらいいなと思います。

今後も宜しくお願い致します。


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36

第三十六話になります。大変お待たせしました。おもち。


 子供の頃、辛い稽古を終えた後に、よくお袋の寝床に身を潜らせた事がある。

 シーツや枕、布団からお袋の匂いがして、それがまるで、お袋が俺のことを優しく抱きかかえてくれているようだった。

 甘えるように涙を流して、泣き疲れたらそのまま眠りに落ちる。それが、母から受けた愛情だと自身を偽らせて。

 何れ見つかるとわかっていても、例え酷い体罰を受けることになっても、それでも俺はやめることができなかった。

 

 もっと愛してほしい。もっと慰めてほしい。

 

 決して与えられることのない愛情を心の隅で求めながら、ずっとそうやって日々耐えてきた。

 無論、そんな甘ったるい感情など、親父もお袋も持ち合わせていない。

 それでも俺にとっては、数少ない幸せの欠片なんだ。 

 

 『いつか僕が誰かを好きになった時、この温もりをたくさん分けてあげたい』

 

 子供の頃、確かそんな事を考えていた。

 

 自分の掌の内にしか納まらないような、ほんの僅かな幸せ。それを誰かと分かち合うことができたら、きっとその時は誰かを傷つける必要のない、自分が望める道を歩むことができるだろうと。

 そんな夢を思い描いていた時期を今になって思い出す。

 

 ――もし、あの頃の俺に一言告げられるとしたら、きっとこう言うだろう。

 

 お前は間違っていないよ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『俺もいつか、この人のようになりたい』

 

 テレビの向こう側にいる、かっこいいスポーツ選手。それを自身の将来と投影させる子供のように、目を輝かせながら俺はその物語に没頭していた。

 きっかけは、なんてことはない。掌に収まるような、小さな文庫本。でも、その小さな本の中に登場する主人公が、俺の人生に大きな意味を持つ。

 

 絶対無敵の剣、空前絶後の剣。絶剣――。

 

 音を置き去りにする神速の剣技と、卓越した反射神経。風と舞うように相手を翻弄し、多彩な連撃を叩き込む。どんな屈強な相手による一撃も真正面から受け止めて、真っ向から立ち向かう彼女の姿に誰もが目を奪われ、圧倒され、そして憧れた。

 

 ――俺も、そのうちの一人だと思っていた。

 

 誰にだって自分の人生に意味があると信じるものだ。目的を見つけて、意味を探して、幸せを求めて、そうやって毎日を生きていく。それは至極当然なことで、十五歳であれば自分の将来に期待を膨らませているような初々しい夢を持っていてもおかしくはない。

 

 でも、あいつはこう言ったんだ。

 

 『意味なんてなくても生きていいんだ』って。

 

 定められた運命に抗い続け、例えその果てに確実な死が迫ってこようとも、ただひたすらに生を謳歌する。

 自分がユウキと同じ立場になって、その重さをようやく理解できた。

 俺は――あいつのように強く生きることはできない。憧れとか、目標とかそんな綺麗な言葉で括ってはいけなかった。

 

 ……ただの嫉妬だよ。それも酷く醜くて、汚らしいほどの嫉心だ。

 

 いつかなりたい? なれなかったから嫉妬していたのだろう?

 まったくもって馬鹿馬鹿しい。そんな単純な感情に気づけなかった自分が本当に情けない。

 

 ――でも、結果的にそれに気づけて良かった。

 

 今はただ、ユウキの笑顔を守りたい。俺の命が続く限り一日でも、一秒でも長く。

 この想いに辿りつけたのもまた、ユウキや仲間たちのおかげだ。もちろん、そのきっかけを作ってくれた靄華さんにも感謝している。

 だから、大切にしなきゃいけないんだ。掌の上にある小さな何かを。これ以上見失わないように、零れ落とさないように……。

 

 ――と、思っていたのだが……

 

「もっと、そっちにいってもいい……?」

「お、おう……」

 

 俺は今、その《アルヴヘイム・オンライン》史上最強の剣士と寝床を共にしている。

 こんなことになるなんて思ってもみなかった。いくら笑顔を守りたいからといって、犯罪コードぎりぎりの展開になるまで気を許したのが大きな失敗だった。

 今にも鼻が触れそうで、彼女の息遣いが聞こえる距離。五歳も年下だというのに、こんなにも緊張してしまうとはなんとも情けない。

 さっき自分で言ってたじゃないか。大切にしなきゃいけないって。一つ間違えれば零れ落ちるどころかバラバラに砕けて刑務所行きだぞ。いやバラバラに砕けるのは俺の体か? 少しでも手なんか出してみろ。アスナやノリたちが黙っちゃいない。残り僅かな寿命が今日か明日かになるなんて、俺に感染しているウイルスですら吃驚するに違いない。

 

 ここは大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を――――

 

「ね……とーか……」

 

 ユウキの囁く声が、小さな吐息と混じりあう。

 念仏のように唱えていた俺の自我を、あっという間現実へと引き戻したその声に、俺は思わず「お、おお」と言葉にならない淡白な返事をすると、ユウキはくすくすと微笑を綻ばせた。

 

「とーか緊張してるー」 

「仕方ないだろ……」

 

 今の俺は、明らかにユウキを女性として意識してしまっている。

 いつもの戦闘用の装備は身に着けておらず、髪色に合わせたような薄い藍紫色の肌着を召して、透明感あるみずみずしい素肌を露出させている。

 過去のように子供だから、とか割り切れるような状況ではない。今までの紆余曲折と相まってより親密な関係になっていることは紛れもない事実だ。しかし俺の中でユウキとの境界線はしっかりと引いている。現状そのラインを完全に超えてしまっているのもまた事実だが……。

 

「……えーいっ」

「あ、おいっ」

 

 そんな物思いに耽っている矢先の出来事だった。

 ユウキが突然、跳ねた声と共に俺の胸元へと飛び込む。そして何かを堪能するようにぐりぐりと顔を埋めてきたのだ。

 

「おまっ……そんな格好で……ッ」 

「えへへー……とーかいいにおいー……」

「離れろって……!」

「えぇー、やだよぅ……」

 

 女の子特有の甘い香りが俺の理性を嘲笑う。

 こんなことをされて、我慢できる男なんているわけがない。しかし、俺は耐えてみせる。煩悩と本能のせめぎ合い。ここで屈しては今までの覚悟が水の泡になる。

 俺はとにかく距離を空けようと、両手でユウキの二の腕を掴んだ。

 その瞬間――。

 

「あっ……」

 

 むにゅ。

 という泡に触れたような、指が沈んでゆくやわらかな感触と、甘えたような艶かしい声。

 ユウキの予想外の反応に、俺は一驚して胸を貫かれてしまい、

 

「す、すまん!」

 

 しどろもどろしながらも、動揺を曝け出したまま咄嗟に手を離す。

 今まで触れた物の中で、一番柔らかい感触だった。まるでマシュマロのようで、あんなにも手に吸い付くような触感を味わったのは生まれて初めてかもしれない。そして、耳の奥に絡みつくようなユウキの甘い声が脳内に焼きついて、どうしても頭から離れられない。

 視覚、触覚、聴覚、嗅覚。五感のほぼ全てが脳内に渦巻いて、俺の思考回路はフリーズ寸前だ。

 そんな締めつけられた感情に全身を強張らせながら、俯くユウキに必死に取り繕う。

 

「これは、その……離そうとしてだな……!」

「えへへ……ちょっとびっくりしちゃった」

「他意はないんだ! 別に襲おうとかそういうつもりは……!」

「わぁ……とーか、まっかっか……」

「――――ッ」

 

 顔を覆った、手の平から伝わる温度がそれを示していた。

 心臓の音が秒刻みに高鳴り、今にも胸が張り裂けてしまいそうだった。そんな痛覚に近いものに必死で耐えている所に、再びユウキがそっと顔を押し付ける。

 今度は下手に触れることができない。やり場のない手がユウキの周囲を漂うだけで、状況は悪化を辿るばかりで、

 

「ボクをちゃんと女の子として見てくれてるんだね……嬉しいなぁ……」

「あ、当たり前だろ……!」

「――とーか、どきどきしてる……」

「ぐ……っ」

 

 子供とはいえ、これは反則だろう。

 こんな状況下で、子供だから平気だなんて割り切れる男がいるものか。ケースバイケースという言葉を知らないのか。

 特に五感の中でも一際危険な香りを漂わせていたのが、文字通り嗅覚だ。脳が少しずつ溶かされていくようで、あとわずかで俺の中の本能が曝け出されてしまいそうに――

 と、ふいにユウキがぼそりと呟く。

 

「そういえばさ……」

「お、おう」

「どーしてあの権利証、トウカがもってたの……?」

「――あぁ、あれか」

 

 ユウキは、まるで俺が何か良からぬ行為に及んでしまったのではないかと不安を抱えている様子で、心配そうに見つめている。

 

「……心配するな。ちゃんと交渉して、正式な手続きを踏んで手に入れたものだよ」

「でも……確かパパのお姉さんが勝手に移譲しちゃって……」

「ああ、だからキリトに少し手伝ってもらった」

「キリトに……?」

 

 流れとしてはこうだ。

 ユウキは、元々家族と一軒家に住んでいた。といっても、滞在期間は病気が発覚してから入院するまで約一年程。最終的にはユウキを除くご家族が全員他界されて、現在の所有者は遺産も含めてユウキのものとなっている、はずだった。

 実は、ユウキが一人残されたことをきっかけに、あろうことか紺野家の財産に目をつけてきた人物がいる。

 その人物とは、ユウキの父親の姉――つまり伯母だ。

 話が進むに連れて、今まで避けていた親戚たちも仲間に加わり、どうすれば懐により金が入るのか内輪揉めを起しながらも必死に模索していたらしい。

 取り壊してコンビニにすべきか、更地にして売るべきか、はたまた貸し家として敢えて残すべきか。まぁ、何れにしても金のことしか頭にない連中だ。何を考えているのかわかりやすくて扱い易い。

 ただ、権利証の移譲も本人の意思ではないにも関わらず勝手に譲渡されてしまったところから察するに、最早ユウキの意志が介入できる余地はないと考えていた。

 

 ――だから、俺が第三者として介入した。

 

 ユウキの病気が完治すれば、義姉が手に入るはずだった紺野家の遺産もユウキが引き続き相続できる。となれば土地の権利証だけ持っていっても無意味になってしまう。

 何故なら、家を取り壊し、更地をするのにもそれなりの費用がかかるからだ。

 その費用の当てはユウキが亡くなった後の遺産で賄うつもりだったのだろう。幸いにもキリトの人脈は厚く、故にその辺の知識に長けている人物に仲介してもらい、交渉してもらったおかげて、すんなり手に入ることができた。

 まぁ、向こうからしてみれば金にもならない土地を解体費用の平均相場以上の金で売り渡すことができたのだから万々歳ってところか。

 

「でも……あの人、きっとまた……」

「仮にまた奪おうとしても、名義が俺になってるからユウキに火の粉が降りかかることはないよ。遺産も奪われることはないだろうし」

「なんでそう言い切れるの……?」

「今までユウキの家には義姉や親戚も含めて、誰も寄り付かなかったんだろ?」

「う、うん……」

「ってことは、通帳や印鑑、それに類するものは全部あの家の中だろ?」

「うん……」

「なら問題ない。なんせあの家、今は俺のもんだ。勝手入ったら不法侵入で犯罪だ」

「あ……」

「な? 中々の策士だろ」

 

 ちょっとしたドヤ顔を晒しているものの、結局は仲介してもらったキリトたちのおかげだ。俺はこの作戦と金しか提示しておらず、交渉関連はキリトと、その友人たちが手を貸してくれたが大きな勝因だ。因みにキリトは一部の交渉に関して俺になにか隠しているようだが、それも含めて色々と根回しをしてくれたのも知っている。教えてくれたアスナにも感謝しなければ。

 いつか別の形で礼をしないとな。キリト風に言うと、『いつか精神的に』ってやつで。

 

「――そんなに……」

「ん?」 

「そんなに、たくさんお金かけてまで……どうして……どうしてボクなんかのために……」

「…………」

 

 声が、震えている。

 泣いているわけではなかった。でも、悲観はしていた。

 きっと、自分の中にある、人として良くないものを踏まえた上で言ったのだろう。察するに『そこまでお金をかける価値なんて、ボクにはない』と言ったところか。

 ――少なくとも俺はユウキの至らない部分など、気にも止めていない。確かに常識の範疇を超える行動はしばしば目につくし、無節操な部分もあるだろうが、それでも。

 それでも、それはある意味ユウキの良さだと俺は知っている。

 

「大切な思い出なんだろ?」

「そう、だけど……でも、トウカには――」

「ああ、関係ないな」

「…………」

「関係ないから、勝手にやった」

「そんなの駄目だよ……」

「関係ないな」

「またそーやって……」

「でも、俺にとっては意味があるんだよ」

「え……?」

 

 心中と反した答えに、ユウキは目を見開いた。

 

「ユウキがあの家に住んでいた思い出を大切にしているように、俺にも大切にしたい思い出がある」

「……それって?」

「お前の笑っているところ」

「ボク、の……」

「残された時間、お前の笑顔が見れる瞬間を、できるだけたくさん見ておきたいんだ」

「――――」

「いつか来るその時に、俺も笑顔で行きたいからさ」

「そんなこと……そんなこと言わないでよ……」

「お前もボクなんかのためにーなんて言っただろ。これでおあいこだ」

「…………」

「あ、こら泣くなって。笑顔が見たいって言ったばかりだろーが」

「トウカのばか……ばかばかばか……っ」

「ああ馬鹿だよ。お前も馬鹿で、二人で大馬鹿だ」

「トウカの方がボクより、もっともっと馬鹿なんだからね……ッ」

「はいはい」

 

 ユウキは涙を隠すように、俺の胸の中で嗚咽を漏らす。

 泣かしたことには変わりない。だけど、その声にならないすすり泣きは、どこか幸せそうにも感じた。無論、それは俺も同じだ。

 前のような、泣きじゃくる子供をあやすような、母親のような感覚――ではない。

 ユウキという一人の女性を、包み込むように優しく抱きしめることで、俺はユウキから形容し難い何かを受け取っている。それが何かと言われれば、多分『幸せ』なのだろう。それ以外の言葉が思い浮かばない。

 

「とーか……」

「ん……?」

 

 ほんの少しだけ間があいて、たった一言。

 

 

 

「好き……」

 

 

 

 本当に、唐突だった。

 

「好き……大好き……」

 

 ぐしぐしと、目を擦りながら俺を見つめるユウキ。

 その言葉が自身の耳に入った瞬間、今まで込み上げていた緊張のようなものがすーっと溶けていくのを感じた。

 

 好き。

 

 その言葉の意味。俺に対してそう言った意味。友達としてとか、人としてとか、そんな回りくどい解釈なんてもうできない。

 ……わかってる。わかってるさ。

 何故なら、ユウキがその言葉を告げる前に、俺もそう考えていたから。

 ――言うなら、今なんだろうな、と。

 

「とーか……」

 

 絶剣が、そっと目を閉じて、唇を差し出す。

 

「ゆう、き……」

「…………」

 

 少女の名を口にしても、彼女はそれ以上答えてくれなかった。

 返事はいらない。ボクが今求めているものに、応えてくれるのなら。

 そんな想いを、閉じられた瞳に漂わせて。

 そんな願いを、紅く染まる頬に浮かせて。

 ただ、俺を待っていた。

 

 俺は、彼女の頬に手を添える。

 瞬間、ユウキはピクンと肩を震わせた。その拍子に零れる一筋の涙が、じんわりと枕を滲ませて、やがて消え逝くように溶け込んでいった。

 

 ――俺もいつか、この涙のように消えて逝く……。

 

 ――――――――。

 

 応えよう。

 

 彼女の想いを有耶無耶にしてはいけない。

 自分の気持ちをこれ以上誤魔化してはならない。

 

 自分の唇をそっと、ユウキの元へと寄せていく。

 

 静かに瞳を閉じて、頬に触れた手で優しく、慎重にユウキを手繰り寄せて、

 

 ――そして、

 

 そして俺は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん……」

 

 彼女の想いに応えることなく、抱きしめた。

 

 贖罪を請いながら、強く。

 

 ただ、強く……。

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

おかげさまで、wake up knightsも一年を迎えようとしています。
皆様のおかげで、どうにかここまで書き続けることができました。本当にありがとうございます。

ここだけの話、実は連載開始日から最終話までちょうど一年で終わらせる予定だったのです。連載開始日が11月22日(いい夫婦)ということで、その日にトウカとユウキを結婚させられたらいいなーと思ったのが執筆のきっかけでもあります。
ですが、ストーリーの進行上、最早間に合いそうにもありません……。

ですので、その代わりにと言ってはなんですが『wake up knights』一周年記念に向けて、ユウキとトウカのスピンオフを書きたいと考えています。

そこで、皆様にお願いがあります。

皆様の要望に合わせたストーリーを私に書かせて下さい。
お題はなんでも構いません。感想コメントに一言添えていただければ、第三十七話の後書きにて後日発表したいと思います。どれを採用するかはランダムです。多分ニコ生でやります。

締め切りは日程の都合上、今月末までとさせていただきます。

大変恐縮ですが、ご協力をお願い致します。

因みに何もテーマがなかった場合、えっちぃの書きます。それはもうげろしゃぶな。

……多分。


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37

大変お待たせいたしました。第三十七話です。
物語的には、そんなに進んでおりません。おもち。


 木綿季を救いたい。最初はそんな気持ちでいっぱいだった。

 仮にその世界へ行って、救える手立てがあるのならばいくらでも努力する。お金が必要ならば臓器を売ってでも用意するし、開発中の薬で人体実験が必要ならば、いつでも身を捧げる覚悟だってできている。

 プライドや意地なんてそこらへんの犬にでも食わせろ。地に頭をこすりつけ、靴を舐めて、這いずりながら必死に請え。

 

 それで、彼女の命が救われるのであれば――。

 

 そんな想いを静めるために、明くる日も明くる日も二次創作に没頭し続けた。その世界ではいくらでも彼女が救えて、何年でも生き続けることができるから。

 だけど、一時的な欲求は満たさせても、時が経てばまた胸が締め付けられるような感情に見舞われる。

 苦しくて、悲しくて、ただ辛いだけで。書いても書いても決して無くなることのないこの想いに、ある種の中毒性を感じていた。

 その中毒性に気づいてから、一時執筆を抑えた時もあった。このままではいけない、存在してはいない人物に感情移入してはいけないと。

 しかし、心はゴムのようなもので、抑えれば抑え込むほど本意に跳ね返ってくる。

 結局やめることもできないまま、気がつけば俺は、まるで自慰のように幾度と無く己を満たし続けていた。

 

 そして、その果てに見えたものがある。

 

 なにもない。ただのからっぽな世界だ。本当に何にも無くて、無限に続く平行線の中心に自分が立っているだけ。

 今まで作り上げてきたもの、抱いてきたものは自分の中に留まっているだけで、誰にも干渉することはなく、ただそれだけの世界だった。

 

 その現実を悟った時、俺は改めてこう思った。

 

 誰にも干渉できない、己が望む理想の世界であるならば、例えそれが他人を犠牲にする結果になったとしても……。

 

 ――俺は木綿季を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、結局なにもできなかったと」

『はっきり言ってくれるな……』

 

 机の上にしっかりと固定された、手のひらサイズ程のドーム型の機械に向けてキリトは小さな笑みを浮かべる。その機械に備えつらけれたスピーカーからは刀霞の声が発せられ、ドームの内側にある小さなカメラのピントがしっかりとキリトを捉えていた。

 

「これでよし、と。それじゃあ今から初期設定(イニシャライズ)するから、視界がクリアになったところで声を出してくれ」

『はいよ』

 

 刀霞の声を発しているこの半球形のメカの名は、通称《視聴覚双方向通信プローブ》と言うもので、キリトを含むメカトロニクスコースを受講している二人の生徒が開発した携帯型端末の一種である。

 簡単に言えばアミュスフィアとネットワークを現実世界の遠隔地と視覚、聴覚のやり取りをしようという機械だ。プローブ内部のレンズとマイクに収集されたデータは装備者の携帯を介してネットに送信され、横浜港北総合病院のメディキュボイドを経由して、専用の仮想空間にフルダイブしている刀霞に届くという仕組みになっている。レンズはドーム内を自由に回転し、刀霞の視線の動きと同期して映像を得ることができる。

 そう、これはかつて『学校に行ってみたい』という木綿季の願いを叶えてくれた。病気で体を動かすことができない者や意識が回復できない者にとって、現実世界の情景を視覚的に体験できるこの機会はまさに大発明と言えるだろう。

 ういいん、とレンズがフォーカスを調整するモーター音がキリトの部屋に響き、刀霞の『そこ』という声で止まった。

 

『はは、まるでデジャヴだな』

「……ああ、そうか。刀霞の世界じゃここが仮想世界なんだっけ?」

『まぁな。といっても向こうと何も変わらんよ』

「ふーん……」

『興味ないのか?』

「ないわけじゃないけど、さ」

 

 言葉を区切りながらも、手を休めず通信プローブの設定に勤しんでいるキリトに、刀霞は続ける。

 

『この先の成り行き、お前と明日奈の今後、この世界がどうなって、どんな進化を遂げるのか。そしてこの世界を作った人物がどんな人なのか知りたくはないのか?』

「知りたいさ。知りたいけど、この世界に刀霞が来た時点で、それはもう参考にはならないだろ?」

『仰るとおりで』

 

 霧ヶ峰刀霞という人物がこの《ソードアート・オンライン》の世界に降り立った時点でパラレルワールドと化してしまったことについては、キリトはとうに気づいていた。もちろん刀霞が別世界から来たことを知っている倉橋医師や明日奈もまた然り。

 刀霞はこの世界に来てからその辺の質問を今日に至るまで一度も受けていなかった。自分が未来を改変させてしまった張本人だけに、問われれば答えてしまいかねない立場だとはいえ、何も尋ねてこなかったことにある種のもどかしさを感じていた。

 

「刀霞はどうなんだよ」

『俺か?』

「木綿季の未来を知れる機会があったら、知りたいって思うか?」

『……聞かなくてもわかるだろ』

 

 その未来を知ってしまったから、刀霞は今ここにいる。

 彼女の行く末が受け入れられなかった結果、今の刀霞がある。

 そんなことはキリトも知っている。知っていて、だからこそ木綿季を受け入れられない理由がわからなかった。

 

「どうして木綿季から遠ざかるんだよ。仲直りもできたんだろ? 言葉も心も差し出してくれた彼女に、応えてあげられない理由はなんだ?」

『…………』

「刀霞の木綿季に対する想いは、俺が明日奈を想う気持ちによく似てる。だからこそ、俺にはわからないんだ」

『似てる……か……』

 

 通信プローブから漏れた刀霞の独白を最後に、少しの間沈黙が続いた。その際にもキリトはキーボードを打つ手を休めることなく、通信プローブのスピーカーに耳を傾ける。キリトは刀霞が今何を想い、何を考えているのか。この場でなら答えてくれるような気がしていた。刀霞と共感できる部分があることは確かだ。命を賭してでも愛する人を守りたい。そんな自己犠牲を備えた愛情に、何か大きな違いでもあるのだろうか。

 そんな疑問を抱いていると、やがてスピーカーから『一つ意地の悪いことを聞いてもいいか?』という声が発せられる。するとキリトはキーボードから一旦手を離し、ノートパソコンの隣に置いてあったコーヒーカップを手に取ると、一口飲んで通信プローブのレンズを真っ直ぐ見据えてから「ああ、いいよ」と答えた。

 そうしてまた、僅かな沈黙が流れてから、刀霞はゆっくりと語りだす。

 

『……自分にとって大切な人が死に瀕していたとする。それを救うための手立てがあるが、代償として自分と接点のない無関係の人間が一人死ぬとする。そんな選択を迫られた時、お前ならどうする?』

 

 通信プローブに備え付けられているスピーカーから流れる音質は決して良質なものではない。しかし、この時の刀霞の声は、驚くほど鮮明に聞こえた。まるでその人の目を見て直接訴えかけてくるように、彼の重苦しさを漂わせた感情の波打ちが、キリトの心へ覆い被さった。

 

「――それは……」

『答えなくていい。ほんの少しでも迷ったのなら、それが正常だよ。本来こんな問題に意味なんてない』

「じゃあどうして……」

『言ったろ? 『ほんの少しでも迷ったのなら』って。俺はそうならなかった』

 

 キリトは言葉を失った。

 その刀霞の言葉がどんな意味を指すのか――。

 

『この世界に来る以前の話だ。自分の命ならいくらでも差し出せる。だけど、他人の命がかかってる場合、俺はどうするのだろうと一度だけ考えたことがある』

「…………」

『今はどうかと問われても、きっと変わらない。だから、そんな気持ちを残したまま、俺は純粋に木綿季とは向き合えないよ』

「……刀霞……お前……」

『悪い。最低な質問だったな……』

「…………」

 

 理由はそれだけではない。

 木綿季と刀霞は良くも悪くも、互いに依存してしまっている。もしあの時、刀霞が木綿季を受け入れてしまったら、二人の関係性はより深みを増していたに違いない。その関係性が濃密になればなるほど、刀霞がこの世を去ってしまった際の木綿季の悲しみは絶大なものとなってしまう。

 もちろんそれは刀霞にも言えることだ。できれば彼女とは笑って別れたい。そのために彼は敢えて一歩距離を置いた。木綿季への想いは日に増して膨らんでいることも本人は自覚している。だが、それを欲のまま伝えてしまった瞬間、あのよこしまな気持ちを肯定したことになってしまう。それは、木綿季に対する裏切りだ。そんな刀霞は、木綿季が好きになった、あの霧ヶ峰刀霞ではない。

 

 これは、刀霞の最後のけじめでもあった。

 

 木綿季が初めて想いを馳せた男は、大切な人が生き延びてくれるのであれば、無関係な人が死んでも構わないと思うような、邪悪な人間ではなかったと胸が張れるように。

 刀霞はすっかり黙りこくってしまったキリトに罪悪を感じてしまったのか、それとなしに『カメラのフォーカス、もう少し緩くできるか?』と話題を変えて、キリトに促す。キリトは「あ、あぁ」とうわの空のように返事をすると、再び手を動かし始め、やがてカメラのピントが次第に刀霞の好みの値へと近づいて、

 

『そこだ。んん、さっきより大分マシになった。いい感じだ』

 

 うぃんうぃんと、スタビライザーが激しく動き、カメラがくるくると回転する。刀霞があたりを見渡している証拠だ。

 と、その直後。キリトはおもむろに立ち上がると、大きなため息を一つ吐いて、なにやら難しげな表情のまま隣のベッドへと音を立てて仰向けに倒れこむ。

 刀霞はその様子をカメラで追う。どうやら先ほどの話でキリトの気分をすっかり損なわせてしまったらしい。

 

――やっちまった……。

 

 自責の念に駆られながらも刀霞は恐る恐るキリトに語りかける。

 

『な、なぁキリト。さっきの話は忘れてくれ。本当にすまなかった』

「……いや、別に気を悪くしたわけじゃないよ。ただ、本当にそうなったら俺はどうするんだろうなって考えたらちょっと、な」

『本当にそうなったらって……お前まさか――』

「明日奈がそんな事態に陥ってしまったら……」

『……やめとけ。さっきも言ったが答えなんてない。迫られてるのはあくまで二択だ。自分が導き出した答えじゃない』

「それなら刀霞の答えだって――」

『俺の場合は迫られているんじゃなくて、自分から求めてるんだ。逆にその選択で木綿季が助かるなら、俺は喜んで縋りつくよ』

「だけど……それは……」

『もうこの話は終いにしよう。それよりも明日までにはこれの調整間に合うんだろうな? 間に合わなかったら明日奈きっと怒るぞー』

「……わかってるよ」

 

 キリトが唇を尖らせたところで、キリトの背後のドアから数回のノック音と「お兄ちゃんご飯できたよー」という声が聞こえ、がちゃりと扉が開く。

 

『やぁ、リーファ。お邪魔させてもらってるよ』

「あ、その声は刀霞さんですね。っていうか、今はゲームしてませんから直葉ですよー」

 

 通信プローブ越しの刀霞の挨拶に、直葉は笑顔で返すと、そのままとてとてとキリトの背後へ近づき、ひょっこりと顔を出す。 

 

「ごめんスグ。これが終わったらすぐ行くよ」

「今日はお兄ちゃんが好きなオムライスだよー」

「それは楽しみだ」

 

 兄妹の何気ないやりとり。そんな会話にどこか羨ましさを覚えた刀霞は、画面越しに笑みを漂わせ、合いの手を入れた。

 

『二人は本当に仲いいな。俺も妹が欲しいもんだ』

「あ、じゃあ私が一日だけなってあげましょうか? 剣道の稽古に付き合ってもらうのが条件ですけど!」

『と、言っておりますがお兄ちゃん?』

「スグは俺の()()()()だ。誰にもやらん」

『あっ。お前その言い方は……』

「え? ……おごぉ!?」

 

 キリトがある種の悪寒を感じ取ったその瞬間、直葉におもっいきり背中を叩かれる。激しく咽ながら背中の痛みに悶えるキリトに、直葉は顔を赤らめながらも怒鳴りつけるように叫んだ。

 

「うう、嬉しいけど! もっと他に何か、こう、言い方ってものが……お、お兄ちゃんのばかー!!」

 

 そう吐き捨てて直葉がキリトの部屋を飛び出した所で、絶賛悶絶中のキリトに、刀霞がボソリと呟く。

 

『今のはお前が悪い』

 

 

 

 

* 

 

 

 

 

「これでよし、と。どう木綿季、痛くない?」

「うん。だいじょーぶ!」

「刀霞は? ちゃんと正常に動作してるか?」

『ああ、視界も良好だ』

 

 明日奈が通信プローブを木綿季の右肩に固定し、細いハーネスを調整しながら具合を確認する。キリトは基部のソケットにケーブルを繋げて、小さなノートパソコンを立ち上げる。木綿季の上着のポケットに収められた携帯端末にも同様のケーブルが繋げられており、通信の設定や電波状況の確認をしながら、遅延が起きないよう最終調整に取り掛かる。

 

「まぁ、今回は明日奈の携帯からだからすぐ終わるよ」

「いいないいなー! ボクも携帯ほしいなぁ!」

「あ、それなら今度カタログ持ってくるね。手も使えるからいいリハビリになると思うし!」

「ホント!? そしたら明日奈ボクとメルトモになってくれる!?」

「もちろん! っていうか私たちもう友達でしょ?」

「あ、そうだった。えへへ……」

『メルトモなんて単語久しぶりに聞いたな……』

「なんか言った?」

『いえ、何も』

 

 横目でジロリと睨まれた刀霞は、ういいんと音をたててカメラを木綿季の視界の外へと向ける。

 

「あ、今は看護士さん見てたでしょ」

『誰が見るか!』

「あ、こっち向いた」

 

 カメラと刀霞の視界が同期しているだけに、カメラが向いている方向イコール刀霞が見ている視点ということになる。これがからかわれるネタにならなければいいのだがと刀霞が不安を過ぎらせていると、さっそく木綿季につんつんと突かれたり「肩乗りとーか可愛い」などと弄られたり、既に手中に落ちているのは言うまでもない。

 

「じゃあ、私たちは外で待ってるからね。無理しないで、ちゃんと靄華さんの言うこと聞かなきゃ駄目だよ?」

「わかってるってー。明日奈は心配性だなーもー」

「まぁ、今回は刀霞がいるんだから大丈夫さ。何か通信に問題が起きたら俺の携帯の方に連絡くれ」

『了解』

 

 そうして木綿季たちは二人を見送り、近くの待合室で、静かにその時が来るのを待った。

 木綿季たちが待機している待合室の目の前には、大きな文字で《リハビリステーション》と書かれた電光掲示板がチカチカと光っている。その他には待機番号の表示や案内のお知らせなど、忙しなく点滅を繰り返し、木綿季が待機している待合室もまた、多くの人々で賑わっていた。

 横浜港北総合病院は屈指の大規模病院だ。様々な診療科目が存在するなかで、特にこのリハビリテーションにおいては病床規模数200以上の数に合わせて備えてある。

 木綿季は《メディキュボイド》の被験者、そして病状の再発を疑われていた立場であるが故に、念のため今までのリハビリは自室であったり別の隔離室であったりと定められた場所で行われていなかった。

 ところがつい先日、なんの前触れもなく倉橋医師が公共施設でのリハビリを許可してしまったのだ。当時は木綿季も明日奈も手を合わせて喜んだのだが、いざその時が迫ってみると木綿季が酷く緊張してしまって、まとも体が動かせるか不安で仕方がないと訴えた。刀霞が近くにいるなら安心できると思うという願いを明日奈が聞き入れ、刀霞にお願いした結果、今に至るというわけだ。

 

「ね、刀霞」

『ん?』

「ボク、ちゃんと歩けるかな……」

『そのためのリハビリだろ? 心配すんな。ゆっくりいけば大丈夫だよ』

「う、うん……」

 

 カメラ越しに見えた、不安を漂わせる木綿季の横顔。こんな時、傍にいることができれば手を握ったり頭を撫でたり、落ち着かせるための手段があるのかもしれない。しかし、今はただ横で声をかけるだけで、何も力になれない。言葉だけで勇気付けられる程、饒舌でもない。

 そんな刀霞が、今できること――。

 

『……木綿季』

「なぁに……?」

『――俺がついてる。俺が、ちゃんとお前を見てる』

「とーか……」

『最後まで頑張ったら、言うことなんでも一つ聞いてやる。だから、一緒に歩こう』

「一緒に……」

『ああ。ずっと一緒だ』

「……振ったくせに」

『えっ』

「言うことなんでも一つかぁ! 何にしよっかなぁ~」

『えっ』

 

 困惑した刀霞を他所に、木綿季はぺろりと舌を出して、ぱちんとウインクを見せる。

 

『お前せっかく俺が……!!』

「えへ。女の子に恥をかかせた罰だよぉーだ」

『お……おま……ッ』

「はい、そこまで――――――ッ!!」

 

 ピ――ッと笛を咥えた若い看護士が突如木綿季の前に現れ、木綿季たちの話の腰を折ように会話に割って入った。

 

「う、うらやま……じゃなくて! ふじゅ、ふじゅんいせいてきなこーゆーは私が許しません!!」

 

 木綿季がぱちくりと呆気にとられたように目を丸くしていることにも気づかず、その看護師は顔を真っ赤にしながら手をぶんぶん振り回し、人が大勢いるのにも関わらず見境なく声を荒げた。

 

「と、刀霞さんは私の――……じゃなくて! まだ紺野さんは未成年なんですから! 手を出しちゃいけないお歳なんですから! 手を出すなら私というか、その、もっと健全にですからぁ!!」

『あ、靄華さん、あの……』

「はぁっ!?」

 

 刀霞の投げかけた声に我に返るも、とき既に遅く、公共の場で声を荒げたことで一斉に靄華へと注目が集まり、靄華はまるで時が一瞬止まったかのような状況に見舞われる。

 

「あ……あの……あ……あ……!」

 

 刹那の間に、靄華の脳は走馬灯のように時が疾走した。

 考え、捻り出し、絞って、濾して、どうにかこの場を凌がなければ。

 言い訳、言いくるめ、やり過ごし、丸く治める方法。

 数秒程の沈黙が続き、靄華の脳が導き出した結果、

 

「…………きゅぅ……」

「水霧さーん!?」

 

 その場でパタリと倒れ、靄華は担架で運ばれていった。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

投稿が今まで遅れて本当に申し訳ありませんでした。風邪をこじらせてしまい、完全に体調管理が疎かになっておりました。次回からはこのようなことがないよう努めて参ります。

総合閲覧数が70000を突破しました。本当にありがとうございます。

次回はスピンオフの投稿になります。なんとか22日までには投稿できるように頑張ります。

もしかしたら靄華とのイチャラブがあるかもしれません。おもち。

※通信プローブの一文はwikiや原作を参考させていただいております。ご注意ください。


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38

第三十八話になります。

長らくお待たせしました。おもち。


「水霧さん、大丈夫かな……?」

 

 通路際に並べられた待合ソファーに腰を掛けていた木綿季が、間もなく待機番号が表示されるであろう電光掲示板を見つめつつ、刀霞に不安を投げかける。

 

『まぁ、気を失っただけだから大丈夫だろ。……多分』

「多分って……」

 

 靄華が担架で運ばれてから数刻、囲っていた人だかりもすっかりと捌けて、今はあの独特の緊張感を誘う院内放送と廊下を慌しく移動する看護師の足音。そして少しあたりを見渡せば、各診療科に据え並べてある待機用の長椅子に腰掛けている利用者たちの話声がよく聞こえる。

 刀霞、木綿季共に一般病棟とは離れた、沈静な病室から長らく出ていなかったためか、VRとはまた違った賑やかな雰囲気に落ち着けず、そわそわと落ち着かない様子で今か今かと、掲示板に目を向けていた。

 

「うぅ……。なんだかドキドキするなぁ……」

『と、とりあえず深呼吸しよう。俺もさっきから妙な緊張感が……』

「う、うん」

 

 木綿季はすぅっと空気を吸い込み、数秒置いて、はぁーっとゆっくり息を吐く。

 刀霞も合わせるように深呼吸をして、ふとなにげなしに木綿季の方へ視線を向けてみる。

 普段の彼女からは見ることのできない、強張った表情が見てとれる。その様子から安心させる必要があるなとは察しつつも、かける言葉が見つけられず、レンズ越しでしか見守ることのできない不甲斐なさに、刀霞はわしわしと頭を掻いた。

 できることならば、隣に寄り添い手の一つでも握ってやりたい。今はただ漠然とそれらしい言葉を投げかけているだけでそれ以上のことは何もしてやることができない。

 自業自得。そんな四文字の言葉で簡単に片付けられてしまう自責の過去。今更悔いたところでなんの得にもならない。

 ならないとは思いつつも、刀霞は下唇を噛み締めて――。

 

「ねぇ、刀霞」

『…………』

「……刀霞?」

『……あ、あぁ。なんだ?』

 

 通信プローブを覗き込む木綿季に一瞬、カメラは音を立てて震える。慌てて後を追うようにピントが縮小し、声のする方へレンズを向けた。

 

「大丈夫? カメラの調子悪い?」

『いや、問題ない。ちょっと考え事をな』

「……ふーん?」

 

 と、その直後。

 木綿季が腰かけていた待機椅子のすぐ隣にある、白色の大きな引き戸が急くように開かれた。

 

「紺野さん、紺野木綿季さーん?」

「は、はい!」

 

 引き戸から顔だけ覗かせた、リハビリスタッフと思われる女性の声に、至近距離で名を呼ばれた木綿季は思わずぴしっと背筋を伸ばす。

 女性は「ああ、貴方ね!」と笑顔を綻ばせると、マスクを外してから手を差し出した。

 

「靄華から聞いてるよー。私は火乃瀬和美(ひのせ かずみ)。宜しくね、紺野さん」

「よ、宜しくお願いします!」

 

 木綿季は差し出された手に応え、女性は言葉を続ける。

 

「それからー……えっと、これは見えてるー……のかな?」

 

 つんつんと、指先でアクリル製のドーム部分を突いたところ、内部のレンズ機構がきゅるると稼動し、『見えてますよ』と火乃瀬の顔を捉える。すると火乃瀬は突如飛び込んできた男性の声に「うひぇっ」と頓狂な声を上げてたじろいだ。

 

『あぁ、すいません。急に声を出してしまって』

「こ、こちらこそ御免なさい! まさか本当にこの中に人が入ってるとは思わなくて……」

『無理もありませんよ。まだ一般的に普及しているものではありませんから』

「へぇ……。あ、自己紹介が遅れまして……私、靄華と同期で、火乃瀬和美と申します。よ、宜しくお願い致します」

『あ、こ、こちらこそ』

 

 木綿季の肩にぺこぺこと丁寧にお辞儀を繰り返す火乃瀬に、刀霞もまた、誰が見るわけでもない仮想空間の中で萎縮するようにお辞儀を返す。

 お互いの顔が見えない中での自己紹介はどうにも違和感を感じる。火乃瀬も刀霞も、互いのことはある程度聞いていたとはいえ、やはり表情が見えないこの状況では、分かっていてもつい畏まってしまうのだった。

 

『霧ヶ峰刀霞です。その、靄華さんにはいつもお世話になっております』

「……へ?」

 

 と、急に木綿季が放心したように目を丸くした。そして、ぱちくりと瞬きを繰り返し、刀霞を見る。

 

「靄華、さん?」

『え?』

「今、靄華さんって言った?」

『言った、けど……』

「…………」

『ゆ、ゆうき……?』

「紺野さん……?」

 

 何か様子がおかしい。刀霞と火乃瀬はそれだけは理解できた。

 ふと、木綿季は顔を伏せた。そして、火乃瀬よりも先に刀霞は気づいてしまった。

 木綿季の肩口が、わなわなと震えているいることに。

 

「――……つから?」

 

 木綿季の口から、ぽろりと言葉が零れる。

 

『な、なにが……?』

「――――ッ」

 

 瞬間、刀霞から見える映像が、木綿季の顔でいっぱいになり――

 

「いつから下の名前で呼ぶようになったのさー!!」

『うぉぉ!?』

 

 刀霞の顔面を癇癪声が叩いた。

 

「ボクと明日奈は水霧さんって呼んでるんだけど!! なんで刀霞だけ下の名前だけで呼んでるの!?」

『いや、さっきからそう呼んでただろう! 靄華さんって!』

「あー! また言った! いつから!? いつからそういう関係なの!? 早く答えろー!」

『ああああ! 酔う! 酔うってぇぇぇ!』

 

 通信プローブを肩から外し、胸倉をつかむようにガクガクと揺さぶる木綿季。それによりスタビライザーが荒々しく回転。刀霞の眼前に広がる巨大スクリーンには激しいノイズとハウリングが入り混じり、まるで木綿季に頭を鷲掴みされて、直接かき混ざられるような苦しみに見舞われる。

 そんな兄弟喧嘩のような状況に火乃瀬は暫し呆気にとられていたものの、やがてぷっと吹き出し「あはは! なるほどねー!」とお腹を抱えて顔を綻ばせた。 

 そんな突如とした挙動に木綿季はパチクリと目を瞬かせると、火乃瀬は手をひらひらをさせて、

 

「あぁ、ごめんね! 君たちの仲は靄華によく聞かされてたからさ、ほんっと仲良しだねぇ」

『あ、靄華さんに一体何を聞かされて――』

「む……ッ」

 

 彼女の名を口にするだけで、ギロッと木綿季に睨まれる。

 その視線を尻目に感じ取った刀霞は『そ、そういえば』と誤魔化すようにお茶を濁しながら、カメラをやや外側に向けつつ、

 

『その、あい――もとい、水霧さんは大丈夫ですか?』

「あー平気平気。いつものことだから。あの子あがり症だからねー。この前も定例報告の時に立ったまま気絶しちゃってさ……ってごめんなさい! 私ったらつい……」

『いえ、その話し方の方が俺も気楽で助かります。とりあえず無事なら良かったです。今後とも宜しくお願いしますね、火乃瀬さん』

「……ええ、こちらこそ!」

 

 そういって、火乃瀬と刀霞は見えない握手を交わし、互いの顔をしっかりと捉える。

 

 ――木綿季の殺気を孕んだ視線を横に感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わってリハビリルームの中。木綿季は室内中央に備えてある、ダブルベッドを四つほど繋げたような大きなリハビリ台に腰をかけていた。

 さすがは総合病院と言うだけのことはあって、室内はかなり広い。中央にはダブルベッドを四つほど繋げたような大きなリハビリ台が間を空けて二つ。それを囲むように手すり台やリハビリ機器が数多く設置され、一目で充実した設備が整っているのがよくわかる。

 

「なーんだ。それなら最初からそう言ってよー」

「いや、だから最初からそう言ってるだろう……」

 

 火乃瀬が諸々の準備をしている間、先ほどの一件についての弁明に刀霞は手を焼いていた。

 聞き始めこそはムスッとした態度で口を尖らせていたものの、そう呼んでほしいと言う靄華からの願いや、特にそれ以上の関係ではないとはっきりと告げたことで、なんとか誤解は無事解かれた。

 しかし、

 

「でも、もしそうだとしてもなんか納得できちゃうなぁ」

『納得?』

 

 木綿季は意地の悪い笑みを浮かべるとカメラを見て、

 

「水霧さん美人だしー、優しいしー」

『まぁ、色々良くしもらってるし、否定はできないな』

「胸もボクよりおっきいしー」

『ノーコメント』

「あ、逃げた」

 

 ふと、木綿季は視線を落とす。

 少し間があってから、何か後ろめたさを感じさせるような、細い声で言った。

 

「……ボクよりお似合いかもね」

『お前……』

「……振られた原因ってもしかしてそういうことかなぁって一瞬思ったり」

『……俺は――』

「ごめんね。ボク、今凄く酷いこと言った」

 

 僅かな寂しさを滲ませながらも、木綿季は自分の頬を抓る。そして、苦々しい笑みを刀霞に向けて――

 

「はーい、待たせてごめんね!」

 

 突然、沈んだ空気を明るい声が裂く。

 木綿季の一瞬の表情に火乃瀬は、「あれ……もしかして邪魔しちゃったかな?」と気遣うも、木綿季は手をぱたぱたと振り、「ぜーんぜん!」と前置きをしてから、

 

「どんな事するんだろうなーって話してただけですから。ね、とーか!」

『あ、あぁ』

 

 ぱっと見せる普段どおりの笑顔に、刀霞は言葉では言い表せないような、混淆とした気持ちに見舞われた。

 木綿季は「あ、そーいえば」と火乃瀬の方へと向き直る。が、刀霞は木綿季の横顔を見ている。

 二人の談笑も耳に入らず、先ほどの言葉だけが反芻して心に響いた。

 

 ――あれは意地の悪さから溢れ出た言葉などではない。

 

 本心のまま、本意のままに口にしてまった、彼女の心の形。それはどこか歪で、僅かな亀裂が入っているように刀霞は感じる。

 木綿季と寝床を共にしたあの日、彼女の告白に対して刀霞は謝罪を口にした。その一言を木綿季は素直に受け取り、ただそれ以上の言葉を交わすこともなく、刀霞に抱きしめられ、そのまま眠りについた。

 

 一筋の涙を、刀霞の胸に染み込ませて――。 

 

 あの時、どうすれば良かったのだろうか。 

 言い訳を重ね、答えを有耶無耶にしてしまうことが正しいことなのか。

 甘い言葉を囁き、欲のままに交わることが正しいことなのか。

 ――否、今更考えてもそれは既に手遅れというもの。

 

 だがそれでも、刀霞は想ってしまうのだ。

 

 もしあの時、木綿季の差し出されたものに、応えることができていれば……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいたた!」

「うーん……」

 

 火乃瀬は、木綿季の脹脛に触れた瞬間、諦めにも似た表情を染み付かせた。

 患者服の上から、特に膝や足首の関節を入念に確認している様子で、火乃瀬が角度を変えて、ぐりっと親指に力を込めると、木綿季は苦痛に顔を歪めた。

 

「こうすると痛いでしょ?」

「ふぎゃあ! 痛い痛いー!」

『ちょ、火乃瀬さん!』

 

 涙目の木綿季に見かねた刀霞がつい火乃瀬に静止を促す。

 すると、火乃瀬は手をピタリと止める。そして目じりを吊り上げ、僅かな怒気が漂わせ、木綿季に言った。

 

「靄華の言ってた通り、大分無茶したね」

「えっと……その……」

「ちょっと捲らせてもらうよ?」

「は、はい……」

 

 そう言って、患者服の裾から二十センチ程捲り上げる。と、白い肌が雪のように現れる。

 だがそれはほんの一部だけで……。

 

『――――ッ』

「あっちゃあ……」

「あは……あはは……」

 

 刀霞は絶句した。

 淡い影のような、青黒い痣が肌の表面を点々と覆っていたのだ。

 色が薄くなっているところから察するにその殆どが治りかけてはいる。だが、その残痕は当時の彼女が如何に無茶苦茶なのかを物語っていた。

 この時、以前靄華が言っていた『色々な無茶』という言葉の意味を刀霞は今になって理解する。

 全ては刀霞に会うため、ただそれだけの想いで木綿季は病院中を歩き回っていた。数メートル歩を進めただけで息があがり、躓いて、転ぶ。そうして体を起こしてはまた歩き続けて、身を打ち付けて、這いずりながら手摺りを掴む。

 ひたすらに、ひたすらにそれを繰り返して――。 

 

 もちろん仮想世界ではそんな怪我など反映されない。

 木綿季も自ら告白はせず、健康的な足を堂々と晒して今も尚仲間たちと共にALOを満喫している。無論、今更言う必要はないと理解しての行動だ。既に刀霞と和解も済んで、この期に及んで過去を掘り下げるようなことをしたくないという明確な意思を彼女は持っていた。

 

 そして刀霞もまた、その時の『無茶をした』内容については、敢えて言及しなかった。

 ――いや、できなかったと言っていい。

 彼は、そうさせたのは自身だと酷く悔いていたのだ。事の発端は刀霞で、その足を作ってしまったのも刀霞が理由だ。おそらく木綿季はそう思っていないだろう。だがそれでも刀霞は思いつめてしまうのだ。

 諸悪の根源は、自分自身なのだと――。

 

「こりゃ予定変更かなぁ……」

『俺……俺のせいなんです……』

 

 捲くった裾を下ろし、ぽつりと呟いた火乃瀬の発言に、刀霞が贖罪を口にした。

 その言葉を聞いた木綿季が「ち、違うよ刀霞!」と捲くし立てて、

 

「その、ボクが色々と馬鹿なことしちゃって! 刀霞は全然悪くないんです! ボクが全部やったことなんです!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて!」

 

 身を乗り出さんとばかりの勢いで迫る木綿季の肩を、火乃瀬は抑える。

 

「どんな事情があるにせよ、今日歩かせることはできないの。これは絶対」

「そ、そんな! こんなのもう痛くもないし、平気だから――ッ」

「最後まで話を聞く!」

 

 ピシャリと火乃瀬に圧され、木綿季は思わずびくっと体を震わせる。

 そして火乃瀬は到って冷静に、言葉を続けた。

 

「その痣があろうとなかろうと、今の状態じゃむりなの」

「え……それってどういう……」

「さっき、膝を触った時凄く痛かったでしょ?」

「は、はい」

「あれはね、腸脛靱帯炎(ちょうけいじんたいえん)と言って、所謂疲労の蓄積なの。ここ最近控えているみたいだから治ってきてはいるみたいだけど、規定外のリハビリを続けてた頃は、相当痛かったでしょ?」

「……確かに歩き始めの頃は痛かったけど、途中から痛くなくなったから一時的なものかなーって思ったんです。最終的には慣れちゃったというか、忘れてたというか……あうっ」

 

 語尾に小さな悲鳴が被ったのは、火乃瀬が木綿季の頭をぴしっと指先で小突いたからだ。

 

「おばか。痛みっていうのは体に負担がかかってる危険信号のようなものなんだよ? まだ治るからいいものの、この状態のままずっと歩き続けてたら疲労骨折や靭帯損傷、後遺症だって残るかもしれないんだから」

「ご、ごめんなさい……」

「わかればいいの。ただ、私が貴方の専属になった以上、陸上選手を目指せるぐらいにまで完璧に治すつもりだから、今後そういった決められた時間外でのリハビリは一切しないこと! 約束できる?」

「……うん! 約束する!」

 

 差し出された小指に、木綿季は応えた。

 

「それと、刀霞くん?」

『はい……』

「どんな事情があったにしろ、今こうして彼女の隣にいるということは、解決したってことでしょ?」

『ええ、まぁ……』

「なら、ちゃんと支えてあげなさいな。今の貴方は、この子に守られてる側だよ?」

『――よく、覚えておきます……』

 

 裏も表もない、真っ直ぐな言葉が、刀霞の心中に突き刺さる。そして木綿季もまた、その言葉の意味に口を噤んだ。

 

 火乃瀬は責任感が強い人間だ。捻くれたことや中途半端なことを好まず、人に尽くし、人を喜ばせることに人生の意義を見出している。思ったことは口に出し、上下関係関わらず意見を主張するが、直感的に行動してしまう部分があり、良くも悪くも自分に正直に生きている。

 ある程度の事情は靄華から聞いていた。無論、プライバシーを侵害しない程度の内容ではあるが、話を聞いた当時はそれはそれはご立腹だったという。

 どうしてもっと早く相談してくれなかったんだ、と。

 刀霞の引き篭もりに対してでもなく、木綿季の深夜徘徊に対してでもない。彼女にとって、喧嘩の内容はさほど重要視してはいなかった。火乃瀬にとって一番辛いことは、自分を必要としてくれないことだった。

 物事をシンプルに捉える彼女は相談直後、靄華にサムズアップしながら、「私にまかせて! ちょっとゲンコツしてくる!」と飛び出すも靄華に全力阻止されて有耶無耶になったが、当時精神的に思い詰めていた靄華を救ってくれた唯一無二の親友でもある。

 

 『この子に守られている』

 

 そんなことはないと、木綿季は言いたかったのかもしれない。

 守っているつもりだと、刀霞は口にしたかったのかもしれない。

 

 だが、それを火乃瀬の目を見て断言する程の自信は今の二人にはなく――。

 

 ほんの小さな蟠りのようなものが、互いの心を燻らせていたのだった。

 

 

 

 

「よし! それじゃあ今日は予定を変更して、関節のストレッチをしましょうか!」

「すとれっち?」

 

 はて、と木綿季が首を傾げると、火乃瀬は目の前に三メートル程の正方形方のマットを敷き始める。そして準備が整うと、リハビリ台に腰をかけていた木綿季を抱えて、その場に下ろした。

 

「これからのリハビリに支障が出ないように、体を柔らかーくするの」

「それって、膝の痛みとどんな関係があるの?」

「人間って、歩き出したら必ず踵から着地するでしょ? その負担は踵から足首、足首から膝、膝から股関節、ってな感じで連鎖していくの。関節が固いと受ける負担も大きくなって、怪我の原因に繋がっちゃうってわけ。肩こりの原因が踵の負担から来る場合だってあるんだから」

「はぇー……」

 

 関心と驚きに、木綿季はひょうきんな声を吐く。

 小さな綻びからやがて、大きな亀裂が生じる人体の不思議に木綿季は目を丸くして「ボク全然しらなかったよ」と刀霞を見る。刀霞もまた通信プローブ越しでも驚いているのがよくわかるように、「俺も初めて聞いた。なるほどなぁ」と関心の息を漏らした。

 

「ストレッチなら楽そうだね。ずっと不安だったから、なんだか気が抜けちゃったよ」

『まぁ、体を解す程度なら疲れることもないしな』

「多分さっきより何倍も辛いと思うよ?」

「「えっ」」

 

 そう言って火乃瀬は、木綿季の対面に腰を下ろして、膝に手を添える。

 そして、足を体前屈のようにぴんと整えさせてから、「それじゃあ力抜いてねー」と軽口に言った途端、

 

「ほぎゃあああ!!」

 

 断末魔のような声がリハビリルームに響いた。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

お待たせして大変申し訳ありません。
色々と忙しいということもありましたが、少し想うところがあったので更新が滞っていた次第です。
劇場版編の作成だったり、今後の物語の方向性だったり……。色々考えすぎてしまって鬱気味だった部分もありますが、これからも更新は続けていきたいと思います。

もう少しでお気に入り1000名突破になりそうです。色々な方に読んでいただけて感謝感激です。今後とも宜しくお願い致します。

また、過去の内容を少しだけ改変しようと思っています。難しくこじつけてしまった部分があるので、なるべくシンプルな展開になるように修正するつもりです。とはいえ、根本的な物語は変わりませんので。

そして、オーディナルスケール編についての公開ですが、今しばらくお待ち下さい。すぐにでも公開したいのですが見ていない方のためにも是非映画から楽しんでいただきたいので。来月中に投稿できたらいいなと思います。

また見ていただけると嬉しいです。
感想いただけると励みになります。おもち。


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39

三十九です。大変お待たせ致しました。

短いです。おもちです。

おもちーっ。


「あー、ユウキさん?」

「なぁに」

「飽きないか?」

「ぜーんぜん?」

「そ、そうか」

 

 ぐぃっと背伸びしたユウキが、ぽすんと俺の胸に体を預ける。

 胡坐の中にユウキがすっぽりと収まってから、かれこれ一時間が経っただろうか。

 俺たちは、今やすっかり見慣れた、あの小島へピクニックへ来ている。

 いやまぁ、別にピクニックと名称する程遠出するような距離でもないし、行こうと思えば散歩ぐらいのノリで来れる場所なのだが。

 それは兎も角として、どうだろうこの快晴たるや。

 ほってりとした陽気と、優しくすり抜ける穏やかな風。波打ち際のちゃぷちゃぷと揺れる水面の音と、中央に聳え立つ大樹から聞こえる木々が靡く音が不思議と心地いい。

 昼寝……もとい、日光浴するにはもってこいの天候だ。

 

「トウカが言うことなんでも聞いてやるって言ったんだからねー」

「まぁ、頑張ったのは事実だし、あんな断末魔聞かされたらな」

「あ、そゆこと言うんだ」

「悪い悪い」

 

 ユウキの、ぷっくりとした膨れっ面に人差し指を押し当てる。

 空気が抜けて、溶けるように、にへらーと笑うその表情は、なんとも幸せそうだ。

 

「なんだか久しぶりな気がするな」

「へー? なにがー?」

 

 空を仰ぐように、ユウキが俺の顔を覗き込む。

 

「こういう、のんびりとした時間を過ごせるのがさ」

「そだねぇ。色々あったからねー」

 

 確かに色々あった。

 色々ありすぎて、思い出すのが辛くなるほどに。

 一方的に怒鳴りつけて、勝手に縁を切って、独りで勝手に死のうとしたはずが、周りの人たちに助けられて。

 幾度となく喧嘩を繰り返し、馬鹿みたいに異見を押し付けて。何度も何度も下らない問答を繰り返して。

 最終的には丸く納まったのかもしれない。けれど……。

 ――いや、それ以上深く考えるのはよそう。

 せっかくの時間が、また無駄になってしまう。

 

「よっこいせ」

「ふわー」

 

 投げ出すように仰向けに倒れると、背もたれを失ったユウキも同じように倒れこむ。

 俺はトトロか。

 

「なんか、いいな。こういうの」

「だしょー。ほかほかーって感じがいいよねー」

「ああ、本当にな」

 

 心地よいという言葉がしっくりくる。

 暖かすぎず、寒すぎず。地面は程良く柔らかくて、不快に感じるものは一切ない。

 この小島をここまでのんびり過ごすことができたのはこれが初めてじゃないか? 事ある毎にここで衝突してきたから、本来ここが観光スポットだということをすっかり忘れていた。

 

「今日はここに来れて良かった」

「ほんと? ボク、ないすあしすと?」

「ああ、ないすあしすと」

 

 仰向けからうつ伏せに変わり、にやりとサムズアップするユウキに、同じく親指を立てる。

 

「ご褒美、もらってあげてもいいんだよー?」

「ほう、自分で言うか」

「誠意を見せたまえー」

「誠意ねぇ……」

 

 先ほどのお返しと言わんばかりに人差し指を頬にねじ込んでくる。

 正直、形のないものを見せるのはあまり得意ではない。

 努力とか、それこそ誠意とか。

 けれど、まぁ。

 決して自惚れているわけではないが。

 

「こうか?」

 

 とりあえず、ぎゅっと抱きしめてみる。

 すると、

 

「むぎゅぅ……」

 

 何かが潰れたような声で、ユウキが鳴いた。

 ……そこまで強く締めたつもりはないのだが。

 

「絶剣様? わたくしめの誠意は伝わったでしょうか」

「はむはむ……」

「襟元を食べるな」

「はふはふ……もっともっと……」

「お気に召したご様子で」

 

 言って、再び抱きしめる。

 以前はこんなこと冗談でもできなかっただろうな。

 慣れというものは末恐ろしい。

 や、今でも十分羞恥心は残っているつもりだ。

 ただ、それ以上に彼女のこの、なんだ。

 惚けた顔がまた――と、

 

「いいのかな……」

 

 ふと、ユウキが顔を埋めたまま口にする。

 

「いいって、なにがだ?」

「恋人でもないのに、こんなことしちゃって」

「…………」

 

 肯定も否定もできないようなその一言に、俺は一瞬、口を紡いだ。

 ユウキは続ける。

 

「ボク、トウカが大好き」

「……ああ」

「すごく、すごーく好き」

「…………」

「トウカとずっと、ずぅーっと。こうやって過ごしたいな……」

「……そっか」

 

 俺は、空を仰いだまま相槌を打ち、彼女は、胸に伏せたまま、言葉を放つ。

 対照的な間ではあるけれど、想いは多分……。

 いや、多分なんかじゃない。

 同じ気持ちだ。まったく一緒で、何一つ違わない。

 だけど、それを口にしたら俺は、また嘘つきのままで終わってしまう気がしてならない。

 そんなことは、これ以上俺自身が許せない。

 だから、言いたくても言えないんだよ。

 

『ゲームと現実は違うの。いくら絶剣だからといって、実際はまだ十五歳の女の子なのよ?』

 

 当たり前だ。分かってるさ。ゲームと現実は違うって事ぐらい。

 

『帰るべき場所にも、支えてくれる仲間の中にも、トウカさんがいないじゃないですか……』

 

 必要ないだろう。俺がいなくてもユウキは……。

 

『男だったらねぇ、一緒に暮そうぐらいの一言ぐらい言ってみなさいよ!』

 

 馬鹿言うなよ。そんな無責任な言葉、簡単に言えるか。

 

『ユウキの帰りを待ってくれている人……誰も、いないじゃない……』

 

 ――――。

 

 

『トウカさんは、どこにいるんですか?』

 

 

 

「ユウキ」

「へ……?」

 

 彼女を抱きかかえて、体を起こす。

 その後は、体が勝手に動いてしまっていた。

 

「あ……」

 

 ユウキの短い声が、僅かに色を帯びる。

 ――俺が彼女の額に口付けをしたからだ。

 

「――今は、これが精一杯だ。もし病気が治ったらとか、もし許されるならとか、そんないい加減な言葉でお前の気持ちを弄ぶようなことはしたくない」

「…………」

「だけど、俺はいつもお前を想ってる。お前が俺のことを想ってくれている以上に、俺はお前のことを想ってる」

「…………」

「だから……おわっ」

 

 言葉尻に、ドンッとユウキに押し倒されてしまった。

 ほんの少し前まで寡黙だった彼女は、頬がすっかり染め上がっていた。

 

「う~~……ッ」

「お、おい……」

 

 興奮して酔ったように赤くなり、目は血走る。

 その表情は羞恥心というよりも、何かを込み上げてくるものを必死に耐えている様子で、眉をひそめ、酷く強張らせている。

 動悸が荒いのか、胸を抑えながらズリズリと俺の顔元へ詰め寄る。

 鼻息が直に当たる距離。

 ユウキは押し殺すような、微かな声で訴えた。

 

「もっと……してくんなきゃ……やだ……ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい」

「ん」

「ん、じゃないわよ。ほら、できたよ」

 

 ふと気づけば、目の前には仏頂面のリズが立っていた。

 突き出された両手には、耐久値がしっかりと回復された、俺の愛刀『霧氷』が握られている。

 

「あ、ああ。ありがとう」

「どうしたの? ぼーっとしちゃって」

「いや、なんでもないよ」

 

 淡白な返事をしながら受け取る俺の不自然さに、リズはかくも怪しいと顔を顰める。

 ユウキと別れてから間もなく。俺は、リズベットが構える鍛冶屋へと脚を運んでいた。

 というのも、今日はスリーピング・ナイツの集会があるとかでどうしても行かなければならないとのこと。

 俺も顔を出した方がいいのか尋ねると、なんと絶対に来てはいけないと念を押されてしまった。ただ、ユウキ曰く、別に嫌われているとか牽制されているわけではない。寧ろ後々話さなければいけない事だから、今はただ待っていてほしいとユウキは言う。

 一体何を話してくれるのか不安が募るばかりだが、暇を持て余していた俺は、ユウキと別れてからちょうど良くリズが武器のメンテナンスが終わったから受け取りに来いというメッセージを受けて、こうして来たわけだ。

 

「まぁ、あんたのことだから、どうせまたユウキに何かしたんでしょ」

「いやいや。後半は寧ろアイツの方から――」

「後半……?」

「い、いや。なんでもないよ」

「……ははーん?」

 

 悪戯に笑みを浮かべるその姿は、一種の悪役に見えなくもない。

 何か良からぬことを考えているな。俺にはわかる。

 ていうか、仲間だったら多分誰でもわかる。

 

「そういえば聞きたいことがあるんだが」

「なによ?」

「ソロでも倒せそうなボスって何か心当たりあるか?」

「んーそうねぇ……」

 

 右手に持っているハンマーを手に打ちながら、リズは小難しそうに腕を組む。一回それを置け。

 どうやら心当たりはあるらしい。「アレは無理だしー……アイツはパーティ推奨だしー……」と呟くも、

 

「っていうか、あんた。そんな軽装で挑むつもりじゃないでしょうね」

「いや、一度見てみたいだけさ。戦うつもりはないよ」

 

 挑まないとは言っていない。

 

「どうだか……あー、でもごめん! 私じゃちょっと思いつかないわ。私ってば殆どソロじゃ狩りはしないし、採取も手伝ってもらってるぐらいだからね……」

「となると、知っている奴がいるとすれば……」

「まぁ、キリトかアスナ。後はー……そうね。お金がかかってもいいなら、アルゴに聞いてみたら?」

「アルゴ、か」

 

 残念ながらキリトとアスナは共通の用事がある故に連絡はとれない。

 無理に聞けないことはないが、プライベート中に首つっこむのはどうかと思う。

 となると、やはりアルゴが近道か……?

 確かに情報屋の中でも一番の在庫を抱えているであろうアイツなら知ってそうだ。

 ただいくつか問題がある。

 まず、俺とアルゴの仲は正直そこまで良くない。なにせ喧嘩別れしてからその日以降会っていないからな。いくらビジネスとはいえ嫌いな人物に情報を提供してくれるとは限らない。

 仮に提供してくれたとして、見返りはなんだ? 莫大な金銭か、情報の等価交換か……。無論ユウキや仲間の情報は絶対に売るつもりはないが、彼女のことだから知らず知らずに引き出されてしまうことだってある。

 そういう意味では情報屋は得策とは言えないな。

 

「わかった。まあ、観光程度に考えてたから気楽に探すよ」

「無茶なことして刀折ったら許さないわよ」

 

 軽く胸を小突いて、リズはクスリと笑う。

 

「大丈夫だって。それじゃ、またな」

「ええ、またね。トウカ」

「あ、そういえば」

「なによ」

「その髪留め、似合ってるぞ」

「……うっさい! 早く出て行け!」

「理不尽だ……」

 

 

「……誰も気づかなかったのに、なんでアイツだけ……あ――――もう! 私はキリト! キリト一筋なんだからぁ!!」




今回も読んでいただき、誠に有難うございます。

劇場版の方は現在進行形で編集中です。

まだもう少しお時間をいただく形になります。大変申し訳ございません。

今後とも更新は続けて参りますので、長い目で見ていただけたらと思います。
また、活動報告でも申し上げた通り、話数が非常増えていく作品になりますので、サブタイトルを撤去し、数字のみで区切りをつけていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。

細かな更新等はツイッターにて報告しております。
良し悪し関わらず感想も含めてフォローしていただけると嬉しいです。

@Ricecake_Land


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40

40話です。

短いです。

おもちです。

おもち。


 お前は守られている。

 

 かつてその言葉を誰かに吐き捨てられた記憶がある。

 親父か、それともじーちゃんか。今となっては思い出すことができない。けれど、火乃瀬さんがそう言い放った瞬間、呼応するように幼少の頃に受けた古傷が微かに疼いた。

 誰に吐かれたのかまでは判らなくても、言葉の意味は己の体が覚えていたらしい。多分、稽古の際親父に木刀で殴られながらそう言われたのか、もしくはどこか違う場面で――。いずれにしても良い気分ではない。

 だけど、そんなことよりも。

 あの音が頭から離れられない。今、この瞬間もだ。

 ズキリ、と胸の内が軋むような、あの音。古傷よりも疼いて、なによりも重く圧し掛かる。

 良かれと想い至った行動を、真っ向から間違っていると咎められた胸中によく似ている。

 守られているということは、結局甘えていることと一緒だということか。

 やはり親父の教えは正しかったようだ。甘えは俺にとって、不要なものでしかなかった。

 今まで甘えることに慣れていなかったから。子供の頃からずっと欲していたものが掌に収まって、すっかり有頂天になっていた。

 

 確かに火乃瀬さんの云う通りだ。

 仲直りできたから、分かり合えたからそれで済ませていいことか?

 仲間に頼って、乗り越えられたらそれでめでたしめでたしなのか?

 ……いいや違う。

 

 いつまでも甘えているわけにはいかない。

 今一度、よく思い出せ。

 俺は何故ここへ来た? 自らの命を捨ててまで来た理由はなんだ?

 決まってる。あいつを、ユウキを救うために俺は来たんだ。

 ずっと笑っていてほしい。普通に誰かを好きになって、普通に幸せになってほしい。そのために必要なことはなんだってやる。

 だから、よく考えろ。今俺がすべきこととはなにか。

 

 そうだ。火乃瀬さんがそう言ったように、今の俺が守られている側なら、もっと強くなればいい。

 誰よりも、ユウキよりも強くなって、他人から認められるような存在になれればきっと――。

  

 ……違うな。何か違う。

 

 守られているって、本当にそういう意味なのだろうか。

 火乃瀬さんは、俺が今考えているような意味合いでその言葉を口にしたのだろうか。

 力の強さとか、屈強な精神とか、そんな問題ではないような気がしてならない。 

 いや、そもそも強くなる必要があるのか? 他人から認められたら、それがなんだっていうんだ?

 命を救うという目的は果たせたじゃないか。それで十分だったはずだろう。それ以上なにを望むことがある。今更強くなる必要なんてどこにもない。

 そうさ。守る側になる必要も。幸せになってほしいと願う必要も……。

 ――ああ駄目だ、さっきから矛盾してばっかりだな。

 ついこの間、俺はユウキに想いの丈を伝えたばかりじゃないか。

 

『お前のことをいつも想っている』

 

 想っている? 想っているだって? ……ふざけるなよ。お前のような弱者はあいつの隣にいる資格なんてあるわけがない。

 傍観者でいいはずだ。それこそ無関係な存在であるべきはずなんだ。

 だから、火乃瀬さんが言った言葉は何一つ間違っていない。所詮俺はどの人間とも同じ、アイツの強さに敵うことのできない、劣った者として見られるべき存在なんだ。

 それで、いいはずなんだ。

 

 じゃあなんだ? このさっきから燻っているような、苛立ちが募るこの感覚は。

 さっきから言動と感情が一致しない。

 

 ……何がしたいんだよ。俺は。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってもなぁ……」

 

 適当に各階層の市街をぶらぶらと宛てもなく探索しているものの、アルゴがどこを拠点にしているのか皆目検討もつかない。

 人に尋ねても知らぬ存ぜぬばかりで尻尾すら掴めず終いだ。

 情報屋の情報がほしいなんて間の抜けた話ではあるが、それを教えてくれる情報屋なんて果たしているのだろうか。

 ……あれ、俺は何を探しているんだっけ?

 たしか、情報屋を探しているんだよな。アルゴの居場所が知りたくて、その場所を虱潰しに探していたわけだ。んで、結局見つからなくてアルゴの事を知っていそうな情報屋を探そうとして、情報屋のアルゴの拠点を知っている情報屋の拠点を聞きたいがために情報を集めようとして……。

 

「いかん……ゲシュタルト崩壊してきた……」

 

 頭を抱えた、その瞬間。

 

「なぁにぶつぶつ言ってんだ、ヨ!」

「おごぉ!?」

 

 突如として尻に衝撃が走る。

 車に轢かれたような勢いの如く数メートル先まで吹っ飛ばされて、余力を失った体はすり鉢のように地面に削られる。

 ああ、人が削れる音を初めて聞いた。ゾリゾリっと。トラウマになりそうだ。

 戦闘区域外なためダメージは感じない。しかし、何の前触れもなく訪れたインパルスに混乱を極め、路上に突っ伏していると……

 

「にゃハハ! 相変わらずダサダサだナ!」

「な、なん……ッ」

 

 目を白黒させて、なにがなにやらと振り返る。

 するとそこには向日葵のような黄色を靡かせた、いかにも性格の悪そうな《ケットシー》が立っていた。

 

「アルゴ……!」

「いい度胸じゃないカ。情報屋の情報を集めようだなんテ」

 

 言って、ふんすと鼻を鳴らすその表情からは不思議と機嫌の悪さを感じない。

 好戦的な態度あれば今すぐにでも立ち上がり、自衛のためにアルンで買い占めた小型犬のぬいぐるみを撒菱の如くばら撒いてやりたいところではある。が、今日は喧嘩をしに来たわけじゃない。

 堪えろ。堪えれるんだ俺……!

 

「何も蹴り飛ばさなくたって……」

「何言ってんダ。オイラの事を嗅ぎまわってたじゃないカ。蹴られて当然ダ」

「別に嗅ぎまわってわけじゃない……って、誰から聞いたんだ? そんなこと俺誰にも――」

「ばーか。オイラの情報網を甘くみるなってノ。侍の格好した変人が白昼同道とオイラのことを尋ねまわってるって連絡がきたんだヨ。変人って聞いてすぐにお前だってわかったサ」

「せめて侍の格好で気づいてくれ……」

 

 打って変わって、にししと笑うアルゴが手を差し伸ばす。流れのまま手を置いて、引かれるがまま体を起こす。

 どういうことだろう。言動とは裏腹な態度に戸惑いを隠せない。先日の口論からまだ日も浅くないだけに、顔を合わせたら避けられるか罵られるかの覚悟はしていたのだが……。

 予想が外れただけあって、彼女を直視できなかった。

 どこかで謝らなければいけないなと、反省はしていた。ゲームとはいえ、女性に対し本気で嫌がっているものを脅迫の材料として利用したのだ。ユウキのプライベートを守る為だとしても、ユウキ本人が耳にしたら気持ちの良い反応が返ってくるとは思えない。無論、俺も正しいことだとは思っていない。

 ――これがいい機会かもしれない。素直に頭を下げて、謝ってしまおう。

 と、思い至り「この前の事なんだが」と言いかけた、その直後だった。

 

「この前は悪かったナ」

「え……」

 

 彼女の口から、思いがけない言葉が零れ出てきた。

 頬を掻いて、不器用な面持ちでアルゴは続けて言った。

 

「聞いたんダ。キー坊とアーちゃんから」

「聞いたって――」

「ああいや、正確には話してくれた、だナ。絶剣のこと。一通リ」

「……そうか」

「先に言っておくけど、誰にも言うつもりはないし、これ以上あの子に干渉するつもりもないヨ」

「……随分、聞き分けがいいんだな」

「――まぁ、否定はしないサ」

 

 言って、アルゴはふわりと反転すると、

 

「オレっちに用があるんだロ? 丁度いい。オイラもお前にききたい事があるんダ。ついてきナ」

 

 若草色のフードを深く被ると、アルゴは羽を広げて地を蹴った。俺の返答を待つことなく。

 

「あ、おい!」

 

 行き先も告げることなく飛び立っていく彼女に、俺も慌てて羽を広げる。

 一体どこへ向かうのやら。尻を蹴飛ばしたり勝手に飛んでったり。忙しない奴だな。

 とはいえ、さっきの話も含めてこちらの用件だけでは終わらなさそうだ。とにかく見失っては適わない。

 ああ、ぶつくさ考えている間にただでさえ小さいアルゴがすっかり点になってしまった。

 すかさず後を追いかける。

 羽を靡かせ、風を裂き、勢いに勢いを重ねて飛翔する、が。

 

「…………!!」

 

 アルゴとの距離が中々縮まらない。

 それどころか差が開くばかりで、堪らずちょっと待ってくれと声を上げる。すると振り向いたアルゴが眉を八の字に曲げて、

 

「なにしてんダ! どんくさい奴だナー!」

「ちょ、も少しペースをだな……ッ」

「ちんたらしてると置いてくからなスカポンタン!」

 

 

 風を切る音で会話が噛み合ってない。だが最後のはハッキリと聞こえた。悪口のボキャブラリーが品薄すぎやしませんか。最近の小学生でも使わないって。すかぽんたん。

 そもそも俺は飛行自体得意ではない。や、飛べることは飛べるんだ。だがそれ以上に周りのスピードが異常に早いのだ。よく考えてみてほしい。百戦錬磨のSAO生き残り組みと半生を仮想現実空間で過ごしている《スリーピング・ナイツ》。経験と慣れがものをいうこの世界で、初めて降り立って数ヶ月の俺としてはよく飛べている方だと思うのだ。平均かそれよりも少し上ぐらいの飛行技術だと信じている。否、信じたい。信じさせてくれ。

 そんな希望的観測を抱いていたのは、何も今回が初めてではない。

 つい先日のことだ。いつもの仲間たちと、話の流れで空を飛ぶ際に使用する『補助スティック』と訓練次第では不要な『随意飛行』の差について意見交換をしていた。

 無論『随意飛行』の方がメリットが多い。その点については俺も含め皆同意している。それだけに、『補助スティック』を使用している仲間は誰もいない。俺自身もようやく随意飛行に慣れつつあったが故に、話にはそれなりについていけた。

 そして、やはりというか。そういう話になると競争したくなるものだ。揃いも揃って皆ノリノリだった。俺も成り行きで仕方なく参戦することに……というのは少し嘘で、内心ではそれなりにワクワクしていた。慣れからの影響も相まって、多少なりとも自信があったからだろうか。

 ――いや、恐らく殺生を交えた争いとはあまりにもかけ離れた、単純な競い事は久しく経験していなかったからだろう。年甲斐もなく昂ぶっていたあの時の心情は今でもよく覚えている。

 流石に古参のリーファやキリトに勝とうなどと思っているはずもなく、とはいえ飛行に関しては俺と同じく苦手意識をもっているというシリカとは同等程度だと。そう高を括っていた。

 ところがどっこいシリカのスピードときたら。肩を並べるどころか大差での決着だ。リズやクラインにも負けて、結局俺は最下位で皆にからかわれるハメとなり、赤っ恥をかいたというわけだ。

 その後シリカに『これが普通だと思ってました』なんて言われたら、返す言葉が見つからない。さらに、余程嬉しかったのだろうか、自身よりも格下が現れたことで、随分とはしゃいでは皆にハイタッチを求めていた。なんだ。大人を虐めて楽しいのか。俺だって傷はつくんだそ。

 ようするに、周りの水準がおかしい。

 

 そうだ。だから俺は悪くない。皆が悪い。ついでにアルゴも。

 

 

 

 

「ったく。見つかったらお前のせいだからナ」

「何にだよ……」

 

 飛び立った町から北西へ飛行して二十分。必死に追いかけて、ふと前触れもなく降り立ったそこは、何の変哲もない樹海だった。

 道という道はない。まさに富士の樹海とよく似ている。地面には木の根が波打つように群生し、岩やら倒木やらが一面に広がっていて、右を見ても左を見ても苔の絨毯だけが視界いっぱいに広がっている。無意識に数歩でも進んでしまったら、あっという間に方向感覚を失うことだろう。

 しかし、そんな中でもアルゴは一言「ついてきナ」と手を招いて、すいすいと奥へ進んでいく。つづら折りに歩める彼女を見失っては適わないと、俺は足早にアルゴの背中を追いかけた。

 

「随分と静かだな。モンスターはスポーンしないのか?」

「するけど限られた奴しか出てこなイ」

「へぇ、強いのか?」

「弱いらしイ」

「らしいって、見たことないのか」

「二ヶ月に一度しか沸かないからナ」

「二ヶ月に一度!?」

 

 さらっと発言したわりには、沸き時間があまりにぶっとんでいる。驚きのあまり、つい声が裏返ってしまった。

 

「お前まさかそいつの探索に付き合えって言うんじゃ……」

「馬鹿いうナ。お前一人でどーこーできるような相手じゃなイ。階層の三分の一を占めるこのマップの広さの中、沸く時間は分かってても場所はランダムなんダ。誰かがいつ倒したかも分からない状況で、二人で探しても時間の無駄サ。それに、仮に見つかったとしても、近づいたらあっという間に逃げちまうらしイ。なんでも、猫みたいな姿をしてるらしいゾ」

「へぇ……。って、いいのか。そんなに情報垂れ流して」

「別に構わないサ。攻略サイトにも載ってる情報ダ。その癖誰も探しに来やしないけどナ」

「まぁ、時間と労力を考えたらな……」

 

 アルゴが肩を竦めるのも頷ける。

 こんな生い茂った木々に囲まれては、上空からの散策は皆無だろう。徒歩での探索を進めたところで、こう似たような景色が広がってはまともに調べることもできないだろうし、見たところ小さな洞窟や丁度猫一匹が納まるような木の窪みが至るところに点在している。猫程の大きさで動きが素早いなら枝の上にもいるだろう。静かであるが故に足音でバレてしまう可能性だってある。どこにいても不思議ではないのだろうが、それだけにキリがないんだろうな。

 

「因みに見つけた際の情報提供の相場は?」

「目撃情報の場合の報酬はナシ。二ヶ月毎日二十四時間張り込むなんてできないからナ。ただし、討伐できた際の報酬は、まぁ情報屋にもよるけど……平均一千万ユルド程度ってとこかナ。それからドロップ品の提供とかモンスターのステータス、色々上乗せしたら一億ユルドは下らないゾ」

「それはまた豪い高額な……」

「キー坊やアスナでもお手上げのコンテンツだヨ。今となっちゃ都市伝説みたいなもんサ」

「――それで、なんでそんな場所にオレを連れて来たんだ?」

 

 都市伝説よりも気になる点をアルゴの背中に問いかける。

 すると、アルゴはくるりと振り向いたかと思えば、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「こういうこト」

 

 アルゴは後ろ向きのまま一歩後退する。

 すると、彼女の体は何かに吸い込まれるかのように忽然と消えてしまったのだ。

 

「は、はぁ!?」

 

 状況が飲み込めない。

 消えた場所をパントマイムのようにぺたぺたと触れてみるものの、何の感触も得られない。転移やスキルとも違う。まるで空間から切り取られたかのように跡形もなく、ただの静寂だけがそこには広がっていた。

 最初からアルゴなんていなかった? いやいや馬鹿言うな。さっきまでずっと一緒にいたじゃないか。

 

「アルゴ!! どこだ!? 大丈夫か!?」

「うるさいナー! 聞こえてるってノ!」

「おほほ!?」

 

 何もない空間から突如、アルゴの顰めた顔だけがにゅるりと飛び出してきた。

 物凄く恐い。生首こんにちは。変な声でた。




今回も読んでいただき、誠に有難うございます。

少しずつですが進展はしている……はずです。
劇場版に関しては正直、かなりてこずっています。ストーリーに矛盾が生じるばかりで現状結末まで至っていません。
頭では浮かんでいるのですが、表現に苦しんでいます。大変申し訳ございません。
今後の進行に関しましてはツイッターにて報告致します。

次回も宜しくお願い致します。

おもち。


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41

おもちです。久しぶりの更新です。

物語はまったく進んでないです。

うすのろどんがめです。

くそざこなめくじです。

のびのびきなこもちです。

は?


「まぁ適当に寛いでくれヨ」

「お、おう……」

 

 言葉に詰まったのは、先の阻害障壁だけが理由ではない。

 それは家というよりも、プレハブ小屋に近く、また寛ぐにもあるのは椅子と机、あとは寝床ぐらいなもので、それ以上の娯楽呼べる家具や雑貨類などは一切見受けられなかった。

 女子力の欠片も感じない質素――もとい、簡素な建物。そんな場所に招かれては困惑の色も露になるというもの。

 

「コーヒーでいいカ? と言ってもコーヒーしかないけどナ」

「あぁ。おかまいなく」

 

 机の上に差し出されたのは、アスナが来客時に持て成す陶器のティーカップとはかけ離れた、所謂キャンプ用のアルミニウム製のマグカップだ。確かに、ベアグリルス宜しくサバイバル生活するには丁度いい品だが、如何せんこれもまた女子力とは無縁の物。

 アルゴにはそういった趣味や娯楽には興味がない? それは違うだろう。SAOやALOをプレイしている時点でエンタメ好きな傾向は伺える。なにより種族をケットシーにしている時点で猫は好きそうなイメージもあるが……。

 

「なんだよジロジロ見テ。気持ち悪いナ」

「あ、いや……。すまん……」

 

 メニュー画面を開いて手際よく準備する彼女に、つい目がいってしまう。

 ――実際に、俺は彼女について知っている事が少ない。知っているのは『情報屋』としての彼女だけであり、その他の素性はまったくと言っていいほど皆無だ。原作でもリアルついては一切書かれていないだけに、決して利益に繋がらない、寧ろ損でしかない自身の住まいへ俺を招き入れたのか。おおよその検討すらつかない現状に、聊か警戒心さえ抱いてしまう。

 

「心配するなヨ。ここはあくまでも仮拠点サ。バレたって何の問題もなイ」

 

 俺の顔色を察してか、彼女は手動のコーヒーミルを挽きながら澄まし顔で言った。

 彼女が嘘を吐く、ということはありえない。それは経験済みだ。ならば、と警戒のレベルは下げてみる。

 今時珍しい、というよりもゲーム内で態々手挽きのミルを使う事自体にも驚きだが、それよりも気になる事実を思い切ってぶつけてみる。

 

「……必要以上に他人と関わろうとしないお前が、態々俺を招き入れた理由が分からない」

「随分な言い方だナ。オイラは誰とも関わっちゃいけないってのカ?」

 

 ムスッとした表情でアルゴは睨む。手は休むことなくゴリゴリと磨り潰すような音を立ててコーヒー豆を挽いている。

 

「俺から得られる情報なんて何もないと言いたいんだ。聞きたい事って、そういう話の類なんだろう?」

「…………」

 

 アルゴからの返答はない。

 表情は毅然として無骨なものだったが、それは不機嫌であるが故――ではない事を何となく悟った。どちらかと言えば物憂げなものに近く、まるで己の真意とは反して行動しているかのように見える。

 誰かに強要されて俺をここへ連れてきた? もしくはメッセンジャーとして何かを伝えるため?

 ……それはありえない。元々アルゴに用があったのは俺なのだから。深く考えすぎているのも否めないが、なによりアルゴという人物に心を許していいものかと疑心暗鬼に駆られている。

 アスナやキリトと違って俺はアルゴと関わって日も浅いし、口論したあの日から一度も会っていない。邪険にされても不思議ではなく、なんなら出来上がったコーヒーを顔面にかけられて、俺がコーヒーミルで挽かれるまである。

 そういう意味では先に謝っておいた方がいいのではなかろうか。

 

 そう思い至った俺は「あの、さ」と歯切れの悪い声をかけると、アルゴはおもむろに机のマグを引き寄せて、ぽそりと言った。

 

「――コーヒーってのは、荒すぎても、細かすぎてもダメなんダ」

「……え?」

「オイラの扱う情報は、あくまでもゲームを攻略するためだけにあル。リアルの個人情報やその人のプライバシーに関わるような情報は、絶対に取引しなイ」

 

 湯気立ち込める、芳しい香りを放つコーヒーの入ったマグを目の前に差し出す。そして、自身のマグにも湯を注いでから俺の向かいに座り、アルゴは続ける。

 

「でも……PK(プレイヤーキル)推奨のこのゲームにハ、どうしてもそのプレイヤー自身の情報を知りたい奴がごまんといるんダ。背格好、ステータス、正確なログイン時間、ギルド有無から人脈までナ」

「でも、それは――」

「ああ、そうダ。結局の所どこまで許されるかはオイラもわからなイ。だからと言って、規約に違反していなければ何をしてもいいってのは間違ってると思ウ。……それに昔とはもう違うんダ」

 

 最後の言葉は、細く掠れていたが、確かに聞こえた。

 昔、というのは恐らく――。

 ――ああ、そうか。

 何となく、理解できた。彼女はきっと……。

 

「改めて謝らせてほしイ。前回の件は、オイラが悪かっタ。許してくレ」

 

 あのアルゴが、深々と頭を下げた。素直に謝罪の言葉を口にした。

 ケットシー特有の猫耳が、しゅんと垂れ下がる。それは感情とリンクして反応する。故にアルゴが本当に萎縮しているのが目に見えて分かった。

 人に恨まれる稼業だと、覚悟していた彼女が初めて後悔の念を吐露したことに、俺は驚きを隠せなかった。だが、同時にアルゴという人物の人間性を垣間見た瞬間でもあった。

 

 ――彼女は必死だったのだ。

 

 自己利益だけが目的ではなく、それ以上に必要な、何かが彼女にはあった。

 きっと、真に迫るものがあったのだろう。生き残るために必要だからこそ彼女は戦った。その境界線が入り混じってしまったのか、単に迷走してしまったのかは定かではない。ただアルゴは、求める声に応えるべく、必死に走り続けただけだったんだ。隙間を縫い、這いずり回る鼠のように。

 

『攻略するためにはアルゴの情報が頼りなんだ!』

 

『必要な情報はアルゴに聞けばいい。そう聞いた』

 

『頼りになるよ。アルゴのおかげだ』

 

 SAOだろうが、ALOだろうが、それは変わらない。

 鼠のアルゴとして、情報屋のアルゴとして、そうあり続けた。

 悪意があってユウキに近づいたわけでは、断じてない。

 

 ――なら、悪意をもってユウキに近づいたのは誰だ?

 

 自己利益だけが目的で、それ以上に必要な何かがあるわけでもなく。

 自己満足だけが手段で、それ以外に不要な何かがあるわけでもなく。

 

 人の弱みに付け込み、陥れようとしたのは……。

 

「……謝るべきは俺の方だ。一身上の理由とはいえ、お前に酷いことをした」

「オマエ……」

「本当にすまなかった。本来は、俺が先に謝るべきだった。どうか許してほしい」

「…………」

 

 請うように、俺は深く陳謝した。

 無駄に長い前髪がぱさりと机が触れる程、体を畳むように。

 僅かな沈黙の後、旋毛の先からクスクスと吹くような音が聞こえる。恐る恐る表を上げてみると、アルゴが耐えかねたように、優しい口元に薄笑いを見せていた。

 呆気に取られていると、アルゴは机に肩肘をついて、ふわりと笑みを送る。

 

「アーちゃんが言っていた通りダ」

「アスナが?」

「『ちゃんと話せば、きっと好きになる』」

「……俺は善人なんかじゃない」

「言ったろ。荒すぎてもダメだし、細かすぎてもダメなのサ」

「……ちょうどいいってのは難しいな」

「ほんとにナ」

 

 

*

 

 

「フられたぁ!?」

 

 ノリの椅子がガタンと揺れる。

 おーばーりあくしょん気味なノリの顔は、それはもう驚きに満ちていた。その隣にいるシウネーもそのまた隣にいるアスナも信じられないといった表情で目を丸くして、ボクの言葉に身を乗り出す。

 

「えと、結果的に言えばそうなっちゃう……かな」

「ちょ、ちょっと待ってよ! あんたら相思相愛じゃなかったの!?」

「埋めましょう」

「シウネー!?」

「私、スコップ買ってくる」

「アスナも落ち着いて! これには訳があるんだよー!」

 

 三人の感情がむき出しになって、それぞれが怒りを露にしていた。剣幕というか、形相というか。怒られているわけじゃないのに、なんだか萎縮しそうになった。髪がメデューサみたいに逆立って、背後から「ゴゴゴ」とか「ズズズ」的な効果音が聞こえるような気がする。そうさせてしまったのはボクなのだけれど、冒頭一句から幾許もなく佳境に入ってしまうのはあまりにも早いので、三人を宥めながら順を追って説明する。

 

「それにしたって、理由ぐらい教えるべきだと思わない? アタシだったら胸ぐら掴んででも聞くけどなぁ」

「それはちょっと横暴な気もするけど……」

 

 アスナの引き気味な反応に、ノリは悔しそうに机をばしばしと叩いて、

 

「だってさぁ! 仮にも女の子から告白させたわけでしょ!? それも年下の女の子に! いい大人なら理由ぐらいバシッと伝えて然るべきよ!」

「あはは、ノリらしいなぁ……」

 

 ボクは、くぴりと飲み物を口に含む。

 物怖じしない、屈託のない意見だと思う。多分ノリの考え方が、普通なのかも。だって、他の子から同じような話を聞いたらボクもそう言うかもしれない。トウカがここにいたらきっと泣いちゃうね。

 ――今日は恒例の《スリーピング・ナイツ》の集会、とはちょっと違う。所謂女子会というやつで、ジュンたちには内緒で偶にこうして集まっては、男性がいる前ではちょっと話せないような話題に花を咲かせている。ただのがーるずどーく。えもくてじわるてんあげぱーりー? おけまるちゃけばおっけー! 意味は全然分からないけど!

 大体は今後の活動とか、体の悩みとか、恋愛相談とか、そんなとこ。ケーキの美味しいカフェを見つけたんだーって報告したり、あそこのダンジョンには待ち伏せしている奴らがいるんだよーって共有したり。そこまで中身のある会話じゃないんだけど、実は最近になって、凄く楽しいと感じられるようになってきた。

 以前までは攻略するにあたってゲームの事しか話してなかったけど、今は体の調子も良くなって、リアルでもいつか皆とカフェにも行けるようにんだなーって思うと胸が高鳴って……。

 ――ううん、『いつか』じゃない。いずれ、絶対行けるようになるんだ。皆と駅で待ち合わせして、手を繋いでショッピングに行ったり、喉が枯れるまでカラオケで歌ったり、手が痺れるまでボーリングすることだって。

 もう夢物語じゃない。今だからこそ、病気が治った今だからこそ、こういう会話が本当の意味で楽しく思える。

 

「本当はね、ボクの中では告白したつもりはないんだ。ただ、気持ちを伝えたかっただけで……」

「わかる! その気持ち凄くわかるよぉ~!」

 

 アスナが涙目で、ボクの両手を壊れやすい宝物のようにそっと握りしめる。

 

「好きな気持ちって抑えられないもん。ユウキは間違ってないよ絶対に!」

「えへへ。ありがとアスナ」

「それで、なんと言って伝えたのですか?」

「へっ?」

 

 割って入る、唐突なシウネーの一言に、ボクの体は一瞬にして凍りついた。

 

「なんと、言って、伝えたのでしょう?」

 

 あのしとやかで慎み深いシウネーが、ガラス越しにラッパを見つめる子供のような目でボクを見る。

 ――この時点で多少無理にでも会話を切っておけば良かった。色恋沙汰の話になった時点で、シウネーが暴走するのは分かってたのに。

 

「やー、その、普通に好きだよーって……」

「もっと具体的にお願いします」

「そ、そんな面白い話でもないし、聞いてもきっとつまんないよ! ねぇ、アスナ!」

 

 徐々に迫るシウネーのプレッシャーを両手で遮りながら、アスナに助け舟のアイコンタクトを送る。するとアスナは、ボクからふぃっと視線を外して、

 

「私もちょっと気になる、かも」

「はーい。アタシもー」

 

 姉ちゃん、助けて。

 

 

「それで……その……最後に、ぎゅーって……」

「わわわ……」

 

 いくらボクでも、恥じらいの一つや二つくらいあるのです。

 三人とも紅潮させて、指の隙間から顔を除かせているけど、一番恥ずかしい思いをしているのは、このボクなんです。

 

「も、もういいでしょ!」

「思ったより、その……ねぇ……?」

「え、えぇ……」

 

 羞恥心に唇を噛むボク。ノリとシウネーは互いを見合わせて、照れくささに目をパチパチと。アスナは机に突っ伏して、何か耐えるように足をじたばたしている。

 ボクが話したのは、初めてトウカが《スリーピング・ナイツ》と自己紹介を交わした、その後のこと。寝室に先回りしてトウカを待っていた所から始まる。

 お互いの気持ちに向き合ったこと。ボクのために色々根回しをしてくれたこと。一緒にいたいって言ってくれたこと。

 

 ――そして、大好きって言ったこと。

 

「……それで、トウカにぎゅーってされて、どうだった?」

「どうだったって……?」

 

 ノリが意地の悪そうな笑みを浮かべて、ぐりぐりと肘で小突く。

 

「好きな人に抱きしめられる気持ちってどんな感じよ?」

「…………」

「嬉しかった?」

「……しあわせ、だったよ?」

「かーわーいーいー!!」

 

 恥ずかしさに伏し目になりながらも、ボクは搾り出して答えた。あの時の気持ちも、今も想う気持ちも決して嘘ではないから。

 直後、三人ともボクに抱きついて、頭をぐりぐりと撫でてきた。それはもう摩擦で火がついちゃうくらいに。

 ……いくらボクが皆より年下だからってちょっとからかいすぎだと思う。ボクなりに真剣に恋しているのに、まるで子供のお飯事みたいにからかって! 少しぐらい怒ってやろうかなと、この時は思った。

 だけど、そんな考えは、一瞬にして消え去った。

 そう思う前に三人からの抱擁はするりと解放された。アスナも、ノリも、シウネーも。重みを感じさせないように、ボクの体に優しく、こてんと頭を預けて、ゆったりと。暖かい笑顔を浮かべた。

 

「ユウキが幸せで、本当に嬉しいです」

「まったく。これ以上聞いたら泣いちゃいそうだよ」

「私たちも今、凄く幸せ。ユウキのおかげだよ」

「……ずるいなぁもう」

 

 多分、これが初めてだったのかしもれない。

 自分が今誰に恋をしていて、どれだけ幸せなのかを話したのは。

 病気が治るまで、トウカとの一件からずっと思い悩ませる相談ばかりしてきた。不安にさせて、苦しい思いをさせて、ずっと繰り返して――。それでも皆、嫌な顔一つしないで、真正面からボクの悩みを受け止めてくれた。

 三人は最高の親友だ。ゲームの中だけじゃなく、これから続く長い人生の中で、胸を張ってそう言える。

 だから、ほんの少し恥ずかしいけれど……。

 恋愛相談も偶にならいいかなって思う。

 

「ボクも……ボクもね……」

 

 だって、この気持ちは――。

 皆を想うこの気持ちは――。

 

「皆が、大好きだよ」

 

 全然、これっぽっちも恥ずかしくなんてないから。 




今回も読んでいただき、誠に有難うございます。

投稿が非常に遅くなりまして、真に申し訳ございません。
次回(いつ投稿できるとは言ってない)は物語が進行しているはず。多分。恐らく。きっと。
夏が特に苦手なので、涼しい時期になれば、きっと更新頻度もあがっているはず。多分。恐らく。きっと。

もっと頑張らねば……!!

近況や更新等はツイッターにて報告しております。
良し悪し関わらず感想も含めてフォローしていただけると嬉しいです。

@Ricecake_Land


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Another story
貴方に幸あれ 1


アナザーストーリーとして書こうと思います。

これは水霧靄華という女性を軸にした物語です。

刀霞と木綿季に触れ、靄華は自分の立場に懸念を抱いてしまいます。

そして、靄華自身にも忘れられない悲しい過去があることを、刀霞は後に知ることになります。

楽しんでいただけたら嬉しいです。


「水霧さん! 採尿バッグ交換しといて!」

「は、はいー!」

「水霧さん、口腔ケア代わってちょうだい」

「わ、わかりましたぁ!」

「水霧さん!! また点滴交換忘れてるじゃない!」

「す、すいませぇん!」

 

 横浜港北総合病院に勤めてから二ヶ月が経った。

 自分で言うのもおかしな話だけど、どこか抜けているところがある私は、他の新人社員と比べて人一倍叱られたり、厳しい言葉をかけられることが多い。

 先輩の厳しい指導や指示の元、多忙の毎日に追われているが、人の死に直結するような仕事のため、泣き言を言っている場合ではない。

 

 では、ないのだけれど――

 

「も、もうだめ……」

「だ……大丈夫?」

 

 精神的に参ってしまったからか、入社当時の意気込んでいた気合がどこかへと去り、私はつい泣き言のような言葉を漏らしてしまった。

 机にへばりつくように意気消沈している私を見た友人が、気を遣うように労いの言葉をかけてくれたことに私は「なんとかねー……」と濃いため息を吐き返した。

 

「少し休んだら……? 休日も研修ばっかりでまともに休んでないでしょ」

「だめだよー……ここで休んだらきっとだらけちゃうもん……私って間抜けだから他の人よりもっと頑張らないと……」

「あんたねぇ……体壊したら頑張ることもできないっての。体調管理も仕事の内よ?」

「わかってるよー……」

 

 友人のもっともな意見に、私は気の抜けた力の無い言葉でしか反論できない。わかっていても患者の生死を考えると不安で仕方がない。今はまだ新人という言葉に甘えて学習する期間を設けられているが、患者の容態はそんな時間など待ってはくれない。

 いつ重大な危機に直面しても冷静に対応できる知識と自信がほしい。先輩の行動一つ一つを見逃してはいけないと思うと休んではいられなかった。

 この緊張感がいつまで維持できるだろうか、友人の言葉に危機感を感じ、なんとなくやるせないような気持ちに駆られていると――

 

 ピンポーンと、院内放送を知らせる音が室内に響き渡った。

 

『呼び出し致します、三階担当の水霧靄華さん。至急、七階師長室へ来て下さい』

 

――あれぇ……なんか呼ばれたような……

 

「ちょ、靄華。あんた呼び出し食らってるよ!」

「えー……? わたしがー……?」

「早く行ってきなって! 怒られても知らないよ!?」

「またまたぁ……なんかの間違いでしょー……」

 

 二ヶ月そこそこしか勤めていない私に師長が一体なんの用か。何かしらの指導ならば看護主任を通して、カンファレンスの際に指示されるはず。

 主任を飛んでいきなり師長から呼び出されるはずがないと軽視していた私は、唯一体を休めることができるお昼休憩を満喫しようと、友人の警告すら意に介さず、ゆっくり瞳を閉じた。

 

――はぁ……いよいよ幻聴でも聞こえちゃったかなぁ……少しでも休んでおかなきゃ……

 

 しかし、そんな浅はかな願いは瞳を閉じた数秒後、勢いよく開いた扉の音と、先輩の怒号であっという間に水泡と帰してしまうこととなった。

 

「水霧さん!! 何やってんの! 早く行きなさい!!」

「うひゃあい!?」

「放送聴いてなかったの!? 急ぎなさい!!」

「は、はいー!!」

 

 

 

 

――な、何言われるんだろ……うぅ……怖いよぉ……

 

 あまりにもミスが多いから減給通告されてしまうのではないか。いや、最悪クビにされてもおかしくはない。ネガティブな妄想が膨れに膨れて、つい身震いしてしまいながらも、恐る恐る師長室の扉を叩くと、中から「どうぞ」と固い声が聞こえた。

 落ち着け私、こんな時こそ冷静にならなければ。ドアノブに触れる手が震えているのを視認した私は二度、三度と深く深呼吸を繰り返し――

 

「し、失礼いたしまひゅ!!」

 

 ハキハキとした挨拶を試みようと口を大きく開けて声高々に言うのだが、緊張のあまり声が裏返ってしまった。扉越しから師長のクスクスと笑う声が聞こえた気がする。もうやだ、私帰りたい。

 この情けないミスで、師長から見た私の印象は最悪になってしまっただろう。

 そんな恐々とした面持ちを拭い去ることができず、覗くようにそっと扉を開けると「お疲れ様。大丈夫よ、そこへ掛けてちょうだい」と予想とはまったく違う、労いにも似た言葉をかけられてしまった。

 混乱した私は言われるがまま、差し出した手の方にある椅子に座ると、師長は互いにお茶の入った湯のみを置き、向かい合わせの椅子に腰をかけた。

 

「まぁ、とりあえずこれでも飲んで落ち着きなさい」

「は、はい。いただきます……」

 

 薦められた茶を一口飲むと、渋みのある温かい感覚が体の芯まで癒され、縮こまっていた緊張感がゆっくりとがほぐれていくのがよくわかる。徐々に落ち着き始めた私の様子を確認した師長はゆっくりとした口調で語り始めた。

 

「靄華さん、最近どうかしら? 仕事には慣れてきた?」

「い、いえ……ミスが多くて先輩に迷惑ばかり掛けて……私なんかまだまだです……」

「そう? 患者さんからは、好評みたいよ?」

「え……?」

「えぇ。まぁ、その話は後でするとして、靄華さんに相談したいことがあるの」

「私に……ですか……?」

 

 師長はそういうと、数枚の紙を私に差し出した。

 一番上の表紙には『メディキュボイド新人育成計画』と書かれている。

 

「めでぃ……きゅぼいど……?」

「そう、VR技術を医療に転用した医療用フルダイブ機器のことね。聞いたことはあるかしら?」

「は、はい。名前だけですが……」

「その計画の第一人者として、是非貴方にお願いしたいの」

「え、えぇ!?」

 

 私は仰天した。つい両手に力が入ってしまい、クシャっと計画書を歪めてしまうほど混乱してしまった。

 その様子を見た師長は「まぁまぁ、とりあえずこの計画の目的を話しましょうか」と宥めるように説明を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、まぁこんな感じかしら。何か聞きたいことはあるかしら」

 

 一通りの説明を終え、互いのお茶も底をついた。

 師長の説明はとてもわかりやすく、理解もできた。メディキュボイドの重要性はまさに今後の医療にとっては必要不可欠だろう。これが確立すれば医学の進歩は飛躍的なものになるのも頷ける。

 だからこそ、私は一番疑問に感じていたことを、師長に尋ねた。

 

「あの……何故私なのでしょう……私よりも優秀な人材はいると思いますが……」

「――……そう、そうね。確かに知識や技術だけで言えば貴方よりも優れている人はたくさんいるわ。だけど、貴方ほど患者に信頼されている人はなかなかいないのよ?」

「わたしが、ですか……?」

 

 それは私にとって衝撃的な言葉だった。

 今の私が唯一癒される時間は患者との会話でもあった。人と話し、会話することでその人の状態や悩みを把握することは看護士にとって重要な勤めの一つでもある。私の場合はその考えが二の次になってしまい、医療や看護の一環というよりもただ端に楽しくて無駄話が続いてしまうことが多かった。

 それは看護士にとってはあまり良くないことではない。先輩にも再三注意されていることでもあったけど、患者の笑顔が見れるだけでもっと頑張ろうという動力源にもなっている。患者を癒すのが看護士の仕事だけれど、それと同時に患者に癒されていることで、今の私が成り立っている。

 それが功をなしたのか、候補の一人として挙がったらしい。

 

「詳しくはまだ言えないのだけれど、現在メディキュボイドの被験者は二人いるわ。一人は十四歳の女の子、そしてもう一人は二十歳の男性。女の子の方は原因不明の寛解により経過観察とリハビリ中です。そして……」

 

 師長は一瞬言葉を切ると、真っ直ぐ私の瞳を見据えた。

 

「――男性の方は、余命宣告を受けています。あまり口には出さないけど、両名共に悩みを抱えています。そこで、貴方のメンタルケアが必要なの」

「私が……」

「もちろん、強制じゃないわ。一日ゆっくり考えてみなさい」

「はい……ありがとうございます……」

 

 

 

 

――私が必要、かぁ……

 

 『貴方が必要』こんな言葉を言われたのはいつ以来だろう。

 何度も諦めようと思って、挫折を繰り返した。その度に『あの子』のことを思い出して、もう少しだけ頑張ってみようと思い留まっていた。

 結局救うこともできず、ただ傍に居ることしかできなかった私が、ただ見ているだけで何もできなかった私が、今は必要とされている。

 救うことができるなら、支えになることができるなら、誰かの力になれるのなら、私は挑戦してみたい。

 

「貴方もそう思って……くれるよね……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい? 水霧さんの主な仕事はメンタルケアです。重要なことはコミュニケーションをとること。技術的な要素は患者との触れ合いに慣れてからにしましょう」

「は、はひ……」

 

 病室の入り口の時点で、私は驚かされた。

 通常の病室とは違い、デジタル化されたセキュリティによる堅牢な扉。一般病棟とは離れた場所に隔離されている一室。

 まるで秘密裏に行われているようにも感じる。今までとは違う雰囲気に、つい息が詰まってしまった。

 

「そう緊張しないで、紺野さんは明るくていい子だから。じゃ、入るわよ」

 

 数回ノックし、先輩が「紺野さん? 入りますよー?」と尋ねると、扉越しから明るい声で「どうぞー!」という返事が返ってきた。

 ドアがスライドして開くと、真っ先に目に入ってきたのは、笑顔が良く似合う一人の少女だった。

 頬が痩せこけ、眼球近辺が窪み、腕から足に至るまで。まるで細枝のように見えてしまうほど骨格が浮き出ていたその少女は、弱弱しく見える体のどこに元気があるのか不思議に思えて仕方ないほどの明るい笑顔を私に見せてくれた。

 周囲には多数のモニター。そして彼女の頭上には《MRI》に見えるような、大きな機材が伺える。

 

「あれー、知らない人だね。初めましておねーさん、ボク、紺野木綿季っていいます!」

「あ、わ、私は、み、みみ、水霧靄華と申します!よ、よよよ、宜しくお願いします!」

「あはは! おねーさん面白いねー」

 

 どうしよう、からかわれてる。涙でてきそう。

 

「紺野さん、紹介するわ。今日から貴方の担当になる水霧さんよ。何か困りごとがあったら水霧さんに相談してみて? きっと力になると思うわ」

「ほんと!? それじゃあボク、屋上に行きたいなー!」

「こ、ん、の、さ、ん?」

「あ……あはは……冗談です……」

 

 先輩の一括に押された紺野さんは、笑顔で誤魔化すようにお詫びをすると、それ以降すっかりしおらしくなってしまった。

 きっと、怒られたからではない。本当に行きたいのだと私は察した。寛解とはいえ、無理に体を動かすのは体調を悪化させる原因にもなる。問題になる行動は極力避けるべきという看護理念に基づくのであれば、怒るのも当然。

 だけど、彼女はまだ十四歳。色々したいこと、抑えきれないことがたくさんあるはず。好奇心を圧してしまったら、きっとストレスを抱えてしまう。

 

「それじゃ、私は倉橋先生を呼んでくるから、それまで紺野さんをお願いね」

「は、はい。わかりました」

 

 私は、先輩を見送り、周囲に誰もいないのを確認すると、少し暗い表情をした紺野さんに近づき、小声で語りかけた。

 

「ごめんなさい、意地悪で言ってるわけじゃないんです……」

「うん……わかってる」

「その……私からもお願いしてみます。付き添いであればいいと思いますし……」

「ほんと!? ありがとう、水霧さん!」

「期待に副えなかったらごめんなさい……」

「ううん! ボクすっごく嬉しいよ! 実はね、今までの看護士さんは厳しくてちょっと怖かったんだ……」

「そうだったんですか……きっと、悪気はないと思います。紺野さんの命を預かる立場ですから、そう想っての言葉なんです。どうか、嫌わないで下さいね」

「うん……そう、だよね。大丈夫、何かあればすぐ水霧さんに相談するよ」

「任せてください。私にできることがあれば、なんでも言って下さいね」

「うん!」

 

「おや、さっそく打ち解けられたようですね」

 

 背後から落ち着いた男性の声がする。

 振り返ってみると、眼鏡をかけた長身の白衣姿の男性が立っていた。

 

「どうも、倉橋と申します。紺野さんの主治医です」

「あ、ほ、本日より配属致しました、み、水霧と申します。宜しくお願い致します!」

「あはは、水霧さん緊張してるー!」

「も、もぅ! からかわないで下さい!」

「おやおや」

 

 

 

 

 その後、無事に挨拶を追え、倉橋先生と共にもう一人の被験者がいるという部屋へ向かった。

 その道中、紺野木綿季さんの生い立ち、入院するまでの経緯、そして現在の状況についての説明を受けた。倉橋先生の言葉一つ一つに重みを感じ、彼女の心中を考えただけで、胸を締め付けられるほどの苦しい感覚見舞われしまう。

 一言では表現しきれないほどの悲劇。とても私では背負いきれないであろう辛い人生を歩んでいた彼女が、どうしてあそこまで明るく振舞えるのかわからなかった。

 倉橋先生曰く、それは姉と友の存在だと言う。ゲームを通じて知り合った仲間と、お見舞いにも来ている結城明日奈という女性が、今の彼女の動力源と言ってもいいらしい。

 特に明日奈さんは姉の代わりとも言えるほど、紺野さんにとってはとても大切な人ということなので、今後関わることもあることを踏まえ、出会う機会があれば紹介してもらえることとなった。

 しかし、どうやらこれから会うもう一人の被験者の方も、明日奈さんと接点があるらしい。

 

「あの……そのもう一人の被験者の方って……どういう人でしょうか?」

「ええと、そうですね。少々訳有りでして……」

「訳有り……ですか」

「生い立ちや経緯は事情により話せませんが、難のある人ではありませんよ。話しみればわかります」

「だ、大丈夫でしょうか……私なんかで……」

「もちろん。彼もそうですが、紺野さんのお願いは極力聞いてあげてください。容態に差し支えない範囲内でしたら主治医である私に通していただければ許可しますので」

「で、でしたら、さっそくで大変申し上げ難いのですが……紺野さんから屋上に行きたいという相談を受けまして……」

「屋上、ですか。そうですね……水霧さんはどうしてあげたいですか?」

「個人的な意見になってしまいますが……体調に問題ないのであれば、短時間でもいいので行かせてあげたいです……もちろん私が責任を持って付き添います!」

「――ふむ、宜しい。許可しましょう。ただし、時間は十五分間とします。条件として、その日のバイタル次第とリハビリがお休みの時だけとします」

「い、いいんですか!? そんな簡単に許可してしまって……」

「メンタルケアは貴方の仕事ですよ? 貴方の意思と紺野さんの意思は同調していると信じています。貴方がすべきだと思うことを、してみてください」

「は、はい!」

 

 倉橋先生は、私が新人にも関わらず重要な仕事を一任してくれた。

 正直な所、自信があるわけではない。だけど、初めて能力を評価してくれたことが、私にとって凄く嬉しいことでもあった。

 期待に応えられるかはわからないけど、精一杯頑張ってみよう。

 信じてくた師長、倉橋先生、そして紺野さんのために。

 

 やがて紺野さんとは別の階にある一室へと辿りついた。紺野さんの隣部屋にもメディキュボイドはあったのに、何故わざわざ別の階のメディキュボイドを使用しているのか疑問に感じてしまったが、今はそれどころではない。

 男性で、同い年、そして訳有り。いったいどんな人なのだろう。難があるような人ではないと言っていたけど、正直なところ少し怖い。

 女性ならまだしも、同い年の男性が一番苦手であった私は、上手く接していけるか不安で仕方がなかった。そんな不安を余所に、倉橋先生は「それじゃ、入りますよ」とニコニコしながらノックを数回重ねる。すると――

 

「どうぞ」

 

 予想とは違った、落ち着いた声が聞こえる。

 声を確認した倉橋先生と私は声を揃え、「失礼します」と中へ入ると紺野さんの部屋と同じようにメディキュボイドと機材が一式、そして、先ほどまで読んでいたのであろう手元に文庫本を持っている男性の姿が。

 

「刀霞さん、どうですか調子の方は」

「ええ、特に問題はないですよ」

「それは良かったです。良かったついでに、もう一つ良い事がありますよ」

「良いこと……ですか?」

「えぇ、今日から貴方の担当になった子です。どうです、美人さんでしょう?」

「み、水霧あい……か……で、す……ってえぇぇ!? や、やめてください! 私そんなんじゃもっ……ちまっ……ちがくて……!」

 

 思いっきり噛んだ。倉橋先生って真面目なのか変なのかよくわからない。

 第一印象最悪。確実に変な人だと思われた。どうしよう、倉橋先生のこと嫌いになりそう。

 

「き、霧ヶ峰刀霞です。宜しくお願いします」

「……コ、コチラコソー……」

 

 あまりにも情けなくなってしまった私は、彼の表情をまともに見ることができず、カタコトの返事しかできなかった。

 

――うぅ……絶対引かれてるよぉ……

 

「それでは私はカルテの整理があるので……あ、せっかくですので刀霞さんのバイタルお願いしてもいいでしょうか」

「こっ……こんな空気でですか……!?」

「コミュニケーションも兼ねて、ですよ。お願いしますね水霧さん」

 

 私のメンタルケアは一体だれがしてくれるだろう。

 倉橋先生、この恨み絶対忘れませんからね。

 

 

 

 

「あの……その……じゃ、じゃあ体温計を……」

「大丈夫ですよ」

「ふぇ……?」

「倉橋先生って時々変なこと言いますよね。別に引いたり可笑しな人だとは思ってませんから。これから大変だと思いますが、無理なさらないで下さいね」

「――う……」

「う?」

「うぇぇぇん……」

「泣いたー!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい……私、患者さんにそんな優しい言葉かけられたのは初めてで……うぅ……」

「あ、あはは……なんとなくですが、歳は俺とさほど変わらなさそうですし、勤めて間もないような素振りだったので、つい……」

「ありがとうございます……精一杯頑張ります……」

「ほ、ほどほどにね……」

「う……」

「あー! ほら! バイタル計測するんですよね!? お願いしてもいいですか!!」

「は、はい……では、霧ヶ峰さん、脈拍計りますので、手首失礼しますね」

「あぁ、刀霞でいいですよ。呼び辛いですし、倉橋先生もそう呼んでいますから」

「はい、刀霞さん……」

 

 患者さんの言葉で、ここまで心を揺さぶられたのは初めての経験だった。

 なんというか、たった二ヶ月しか働いていないけれど、今までの努力が少しだけ報われたように思えた。患者さんを元気付けるはずだったのに、いつのまにか私の方が元気付けられてしまったのは少し情けないことだけれど、刀霞さんの言葉のおかげで、私の心に余裕ができた。

 

――良かったぁ……優しい人で……

 

 

 

 

 それからというもの、私の日課は大きく変わり、毎朝忙しかった時間が嘘のように穏やかなものとなってしまった。

 朝のカンファレンスから紺野さん、刀霞さんの健康状態の管理、食事量のチェック、カウンセリング、そして《メディキュボイド》の操作。これだけである。

 《メディキュボイド》に関しては確かに難しい内容ばかりだけれど、看護士として覚えるべき点に関してはそこまでではなかった。基本は医師の監修の元行われる機材なのでこれならば問題ないだろう。 

 そのおかげか、時間に余裕ができたことはとても嬉しいことなのだけれど、これで本当に良いのか疑問に思ってしまう。倉橋先生に相談すると『仕事量の良し悪しは関係ない、今の貴方にできること、それが今の最善である』という答えをいただいたのだけれど、どうしても歯がゆさが残ってしまう。急な生活の変化に、私は少しだけ不安な気持ちになってしまった。

 

「みーずきーりさーん?」

「へ? な、なんでしょう?」

「なんだか元気なさそうだね、どうしたのー?」

「そ、そうですか? 私はいつでも元気ですよー」

「ふぅーん……」

 

――私、顔にでちゃうのかな……? いけないいけない。患者さんに気を使わせたら私の立場がないよね。しっかりしなくちゃ……

 

「ねね、水霧さん。ちょっとこっちきて!」

「――……? なんでしょう?」

 

 紺野さんの手招きに応じた私は、彼女の元へと近寄ると「そこに座って、後ろ向いて!」と言われるがままベッドの端へと座り、紺野さんに背を向ける形になった。そして――

 

「えい!」

「うひゃあ!!」

 

 紺野さんに胸を鷲掴みにされた。卑猥に。 猥褻に。 猥雑に。

 

「な、なななぁ!?」

「ぼ……ボクより大きい……負けたぁー!」

「も、もう! 何するんですか!」

「えっへへ。どう? 少しは元気になった?」

「な、なんでこんなこと……」

「あはは、ごめんなさい! でもさ、こんな馬鹿馬鹿しいことで悩み事、忘れることできたでしょ?」

「あ……」

「ね? 一時的でも忘れることかできたってことはそんな大したことじゃないよきっと!」

「……ありがとうございます、紺野さん」

「えへへ、どーいたしまして!」

「では、同じ要領で紺野さんの長ネギ嫌いも克服してみましょう」

「そ、それは……」

 

 結局、紺野さんにも元気付けられてしまった。

 なんだか嬉しいような、情けないような。

 私が悩んでいることは本当にちっぽけなことだと痛感させられた。彼女の方がより辛い経験をしているはずなのに、こんな私が本当に彼女の力になれるのだろうか。彼女に比べれば、きっと私の人生は幸福に満ち溢れているに違いない。そう思えば思うほど、私に新たな不安が満ち溢れてくる。

 紺野さんが精神的に苦しんでいる場面に直面したら、私はきっと何もできない。何故なら、彼女ほどの悲痛な経験をしているわけではないから。幸せな人間が不幸な人間を慰めても効果がないように、私は肝心なところで何の役にもたたないのだろう。

 

 だけど、そんな私にある転機が訪れた。

 

 

 

 

「水霧さん?」

「は、はい。なんでしょう?」

「大丈夫ですか? あまり元気がないように見えますが……」

 

――……私……また……だめだめ。刀霞さんにまで心配かけるなんて……

 

「いえいえ、私は元気ですよ! 大丈夫! 大丈夫です!」

 

 これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。患者に対して個人的な事情を押し付けるのは看護士として最低な行為。それは先輩からとても厳しく教えられたことでもある。

 私は強引に表情を見繕って、できるかぎり笑顔を見せた。ところが―― 

 

「――……水霧さん、そこに座って下さい」

「えと……あの……」

「いいから、座ってください」

「は、はい……」

 

 刀霞さんの言う通りに座ると、彼は静かな目でこう言った。

 

「『大丈夫じゃない』そう言ってみて下さい」

「いえ、私は……」

「嘘でもいいです。偽っても構いません。大丈夫じゃないと、言ってみてください」

 

 意図がわからない。刀霞さんは何故そんなことを私に求めるのか。

 言えない。言えるわけがない。例えそれが嘘だったとしても、それを言うことは看護士失格なのは重々承知している。

 

 なのに。

 

 なのに私は……

 

「だ……だい……じょうぶ……じゃ、ない……です……」

 

 瞳が自然と熱くなる。不思議と涙が溢れてくる。

 顔がくしゃっと歪み、嗚咽が止まらない。

 そんな私を見た刀霞さんは、小さな飴玉を差し出し、穏やかな口調で言った。

 

「いいんですよ、たまには大丈夫じゃなくたって」

 

 嬉しかった。本当に嬉しかった。

 求めてはいけないことだと知りつつも、本当は誰かに言われてほしかった。

 人の命を預かる仕事。そんな重大な責務を私なんかが背負いきれるかどうかわからない。それを誤魔化すように、悩む時間も与えないほど必死に勤めてきた。

 そして、何もかも不足している私に与えられた、唯一の拠り所。そのメンタルケアでさえ患者に慰められてしまう始末。

 職務放棄、職務怠慢、看護士失格。

 いっそのこと辞めてしまいたいと何度思ったことか。

 

 私はたががはずれたように刀霞さんに抱きつき、我を忘れたように泣きじゃくっていた。

 

 刀霞さんは終始慌てていたけど、私が泣き止むまで受け入れてくれた。

 

 この人は、私を救ってくれた、初めての人。

 

 それは私にとって、刀霞さんが特別な人だと感じた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 それから数日後、紺野さんと刀霞さんはお互いに知り合いということがわかった。

 倉橋先生に『互いのことは秘密にしておくように』という指示があったけど、ある日突然撤回され、最近では刀霞さんが紺野さんの病室に訪れるようにまでなった。

 紺野さんと刀霞さんが知り合ったきっかけは最近流行のゲームということだけで、それ以上の詮索はせず、今後の方針として互いの関係については深く干渉しないようにという指示まで受けてしまった。

 

 ……もしかして二人は付き合っているだろうか。確かに年齢差はあるけれど、異性同士が惹かれあうことは、決しておかしなことではない。

 異性を好きになるきっかけなんて、案外単純なものだと私も知ることができた。

 もし、仮に付き合っていないとして、刀霞さんは私のことをどう思っているのだろう。

 別に好きな人がいるかな、異性として私を見てくれているのかな。迷惑な人だと思われないかな。

 

 そんなもどかしい気持ちを抑えつつ、私は今日も鏡の前に立つ。

 

「靄華! 自信をもて! 今日のお前は一味違うぞー!」

 

 鏡に写し出された自身に向かって、毎回同じセリフを投げかける。

 

 紺野さんには前を見据えるきっかけを、刀霞さんには立ち直るきっかけ教えられた。二人の励ましがなければ私はきっとこの仕事を辞めていたかもしれない。

 そして、もし許されるのであれば、刀霞さんには感謝の気持ち以外の言葉も伝えたい。

 

 もちろん今すぐは無理だし、闘病中の身だから彼に無駄な負担をかけるわけにはいかない。

 何ヶ月先になるかはわからない。ううん、もっと遠い先の話でもいい。告白とまではいかないけど、いずれこの想いを伝えことができたらいいな。

 

 

 そしていつか、刀霞さんと――

 




今回も閲覧していただき、有難うございます。

投稿の方遅れてすいません。修正と併用して書いていましたので時間が遅れてしまいました。

アナザーストーリーを書いた経緯としては、単純に妄想が膨らんでしまったのがきっかけです。自分の中でよりよいものを書きたいというイメージが、こんな形となってしまいました。

ただ、アナザーとは言っても設定はメインのものを採用しているのでそこまで物語に変化はないです。

あくまでも、水霧靄華という女性がどのような人物なのかを伝えていけたらいいなと思っています。

次回はオリジナルの方を進めます。次回も宜しくお願い致します。


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しょーとすとーりーてきなやつとか
バレンタインデーのやつ


一週間程遅れましたが!

ボクはチョコ貰ってませんが!

おもち。


「まったくよぉ! やってらんねぇよなホント!」

「飲みすぎだぞクライン」

「うるせぇうるせぇ! 飲まなきゃやってられねーんだっつの!」

「やれやれ……」

 

 バーカウンターに突っ伏して、キリトに背中を擦られるクライン。

 半泣きの彼はあれやこれやと酒を飲み続け、最早泥酔状態だ。

 無論、キリトは未成年で飲めるはずもなく、俺もそこまで酒に強くはない。

 そんな酒に弱い俺たちが何故、クラシックなバーにいるかと言うと……。

 

「キリの字はいいよな、アスナさんって素敵な嫁さんがいてよ。義理チョコばら撒かれる俺の気持ちなんてわかりゃしねーんだよ……」

「もらえるだけマシだろ。一つも貰えない人だっているんだから」

「本命貰える奴が言っていいセリフじゃねぇっつの! だいたいな……」

 

 年下の友人がヒロインたちに手作りチョコを渡されるのを目の当たりにするのは、どんな刑よりも酷なものだ。

 そんなクラインの一言で、俺たちは首根っこを掴まれて半ば強制的にこのバーへ連れて来られたというわけだ。……何故俺まで?

 まぁ、キリトは兎も角としてその気持ち、俺にはわからないでもない。

 ユウキを救う前の話だ。学生の頃、偶々渡しているカップルを何度か見かけたことがある。恥ずかしそうに手渡している女性もいれば、投げるように渡す人もいたり。何れも受け取った男性は嬉しそうな表情を綻ばせていたのを何となく覚えている。

 その時俺も、いつかそういう人ができたら俺も貰えたりするのだろうか、渡されたら彼らのように舞い上がってしまうのだろうか、と馳せたものだ。

 羨ましいとか、妬ましいとか、負の感情は沸かなかった。渡す側も、受け取る側も幸せそうにしている姿が尊く思えてしまって。

 ――結局一度も貰える機会もないまま、現在に至るわけだが。

 

「俺の気持ちわかってくれるよな、トウカよぅ……」

 

 突っ伏したままぐりんと首を回して、俺に泣きすがるクラインが酷く痛々しい。

 正直な所、クラインはそれなりに二枚目だと思うのだが。ほんの少しだけ物静かな佇まいをしていれば確実にモテるに違いない。実際SAO事件の彼の戦いっぷりには何度も惹かれたものだ。勇敢で逞しく、義理堅い所があり、リーダーシップにも長けている。クラインの魅力とはと話を切り出そうものなら、優に十五分は語れるだろう。あまり長くないな。

 決して何が悪いというわけではないのだ。隣の隣にいる英雄様がハーレム気質なだけであって。

 そんな悲運な彼の肩に手を置いて、宥めるように言った。

 

「ああ、わかるよクライン。俺たちは仲間だとも」

「そうだよな! キリトは俺らに奢るべきだよなぁ!」

 

 肩を組んでうんうんと頷くと、「なんで俺が……」とキリトは炭酸泡抜き麦茶をくぴりと口に運ぶ。

 

「どうせ明日美味しい思いをするのだから、ここは年上の俺らを敬うべきだろう?」

「そうそう! キリの字は薄情だ! 冷たいぞ!」

 

 俺とクラインは結託してハーレム主人公を冷やかす。

 悪く思わないでくれキリト。お前は明日、阿良々ハーレムならぬ桐ヶ谷ハーレムが仲睦まじく。一日宜しくしてくれるのだろう? それぐらいはな。

 するとキリトは一つため息をついてから、ボソリと。

 

「……トウカはユウキから貰えるじゃないか」

「へ?」

「あっ」

 

 間の抜けた声が出た。クラインは何かに気づき、驚きに目を丸くして俺を見る。

 そしてその一言を聞いてか、再びがっくりと項垂れてしまった。

 

「そうだった……トウの字、お前には絶剣の嬢ちゃんが……」

「い、いや。いやいや。アイツからは別に」

「別に……? 散々あんなことをしておいて……?」

「おいまて。その言葉は誤解を招く」

 

 確かに過去に色々あったのは確かだし、淡い期待を抱いているのも確かだが。

 意気消沈するクラインの肩を今度はキリトが叩く。

 

「奢りは決まったな」

 

 クラインは項垂れたまま、こくりと頷いた。

 

「なんで俺が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇアスナったらぁ……チョコ作るの手伝ってよぉ……」

「もう、それじゃあ意味ないでしょ?」

 

 ソファに腰掛けて、紅茶を含むアスナの膝に、ボクはもたれかかりながらぼやく。

 

「だって一人で作ったら絶対失敗しちゃうもん」

「大事なのは味じゃなくて気持ちだよ? ほら、難しいことなんて書いてないでしょ」

 

 言って、アスナはバレンタイン特集が目立つ見開きを、ボクのお腹の上にぽんと置いた。

 

「そんなこと言ってもなー……」

 

 ぺらぺらと捲っては見るものの、どうも記事の内容にはぴんとこない。

 実は、前々から調べていたり。だってちゃんとしたものを渡したいんだもん。

 ガトーショコラ、ブラウニー、ザッハトルテ。作り方自体は見ている限り難しそうには思えない。だけど、やっぱり作れる人が近くにいないと不安になる。味見とか袋の包み方とか。ボクは子供で、あの人は大人だから、自分の好みで作ってしまうと笑われてしまうような気がしてならない。だからアスナが手伝っててくれれば、きっと美味しくて気に入ってくれるものができるに違いない。

 と、思ったのだけれど……。

 

「自分のことは自分でやらなきゃだめよ」

「あーあ。姉ちゃんと同じこと言うだもんなー」

「ふふ、私はユウキのお姉ちゃんですから」

「姉ちゃんのいじわる」

「いじわるで結構」

 

 互いの顔を見て言うと、なんだか可笑しくなって、クスクスと笑い合う。

 本当に姉ちゃんみたい。今でも偶に無意識に姉ちゃんって言っちゃうぐらい、瓜二つ。

 それだけに、今回は若干駄目元な部分もあったんだよね。

 何故なら、我儘だって自覚があるから。こういう時、姉ちゃんはボクが自覚しているのを察してか、決まって『自分のことは自分でやりなさい』って言う。本当に悩んでたり、迷ってたりする時は、自ら手を差し伸べてくれる。

 

「自分のことは自分でやらないと、かぁ」

「そうだよ。誰かさんだって、ユウキが一人で作ったって知ったら、凄く喜んでくれると思うよ?」

「そうかな……?」

「絶対そうだよ。そう考えたら、ユウキだって自分だけ(・・)の想いを込めて、作りたいって思わない?」

「た、確かに……!」

「それに、過程も楽しまなきゃ。美味しいって言ってくれるかな、喜んでくれるかなって。その人の幸せそうな顔想像してみたら、こっちもついつい……なんてね」

「幸せそうな顔……」

「そう、幸せそうな」

 

 幸せそうな顔。

 トウカの幸せそうな、顔……。

 

 

『ユウキが作ってくれたのか……?』

『う、うん。自信ないけど、頑張って作ったんだよ!』

『今食べても?』

『ど、どうぞ……』

『――ん、美味しい……! 凄く美味しいよ。こんな美味しいチョコは生まれて初めてだ……!』

『そ、そう……?』

『ありがとなユウキ。俺のために一生懸命作ってくれて』

『えへへ、どういたしまして……』

『そうだ。何かご褒美あげないとな』

『い、いいよそんな! トウカが喜んでくれるなら、ボクはそれだけで……』

『いいから。ほら、目を閉じて』

『え、えぇ!? そんな、駄目だよこんな所で……!』

『嫌とは言わないんだな……?』

『そ、そんな……あっ……と、とうかぁ……』

 

 

『はい、キリト君』

『お、ありがとうアスナ』

『今日はちょっと気合を入れて作ってみたの』

『へぇ、凄いじゃないか。今回は一日じゃ食べきれそうにないな』

『もしかして、今まで一日で食べきってたの……?』

『当たり前だろ? アスナが愛を込めて作ってくれたんだから』

『もう、キリト君たら……。お腹壊しても知らないよ……?』

『君の愛で壊れるわけないだろ……? それに――』

『あっ……』

『アスナになら壊されても構わない……』

『キリト君……』

『アスナ……』

 

 

「「でへへへ……」」

 

 アスナの表情がだるだるに弛んでいた。多分、っていうかボクも。

 ハッと我に返って、互いに涎を拭うとアスナが「と、とにかく!」と区切って、すかさずボクが、

 

「た、大切なのは、気持ちってことだねー!」

「そ、そういうこと!」

 

 確かに嬉しい姿を思い浮かべると、自然とやる気が沸く。

 頬をぱちんと叩いて、気持ちを入れ替えてから、ボクは奮起して立ち上がった。

 

「よおーし! なんだかやる気が出てきたよ、ありがとアスナ!」

「頑張って。この雑誌、貸してあげるから」

「うん! さっそく作ってくる!」

 

 雑誌を片手に、ボクはアスナの家を後にした。

 

 作る場所は、スリーピング・ナイツが贔屓にしている、宿屋の一室。そこなら誰にも邪魔されないし、一人でじっくり作ることができる。

 ――とは言え、やっぱり不安だ。他の人に相談しようにも、ノリは食べる派だし、シウネーは用事で来れないし……。リーファたちも各々で作るって気張ってたっけ。そりゃそうだよね、皆上げる人は決まってるもんね。キリトはモテモテだなぁ。

 皆の作るチョコも気になるけど、今は自分の作るチョコに集中しなきゃ!

 

「え、えっとまずは……」

 

 敢えて口に出して反芻する。材料、器具、作業手順を一から確認する。心の準備もよし。

 作るものはシンプルなものにする。チョコレートを溶かして、型に入れて冷やすだけの、なんのことはない普通のチョコ。

 それに、ほんのちょっと手を加える。

 

「湯せん……溶かせばいいんだよね?」

 

 雑誌と器具を交互に見て再確認。

 

「ボールにチョコを割っていれてっと……」

 

 温度は50度を維持して、木ベラで根気強くかき混ぜる。

 

「おいしくなーれ。おいしくなーれ……」

 

 溶かしてるだけだからそんなこと言っても意味ないけど、なんとなくね!

 溶かした後は、氷水につけて一旦冷ます。その後は、また湯せんにかけて、少しずつ溶かす。

 て、てんぱ、りんぐ? という方法で、なんでもチョコがまろやかになる、らしい。トウカはまろやかな方がいいのかな?

 

「あ、そうだ。今の内に木の実を砕かなきゃ!」

 

 これがほんのちょっと手を加えるの、ちょっとの部分。

 てんぱりんぐ済みのチョコに、砕いたナッツや胡桃、アーモンドを入れて、型に流し込む。これだけ。

 何の変哲もないただのチョコレートだけど、やっぱり作ってると凄く楽しい。

 

「えへへ……喜んでくれるかなぁ……」

 

 トウカの笑顔が浮かんで、ついつい顔がニヤけちゃう。っと、いけないけない。ここは大事なところだ。

 袋に入れたナッツを木槌で叩く。あまり細かく砕きすぎると粉っぽくなって美味しくない。だから慎重に、丁寧に。

 ガンガンと叩いていると、少し強く叩き過ぎたせいか、テーブルに置いた雑誌がばさりと落ちた。

 

「む……?」

 

 拾い上げて、作り方のページまで捲ろうとするも、何気ない一コマに目が止まる。

 

「隠し味で他の女の子に差をつけよう……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつから貰う側だと錯覚していました?」

「ゆ、ユイちゃん?」

「パパもですよ。いつまでも貰う側では駄目なのです」

「ユイ、一体いつから……」 

「最初からです!」

 

 目の前で小さな妖精が腕を組み、ふんすと鼻を鳴らしていた。

 事の発端は、クラインを介抱し終わり、さて解散するかと腕をを伸ばした矢先の出来事だった。

 キリトの懐からふわりと、彼女――キリトの娘が飛び出してきたのだ。

 

「これは由々しき事態です! このままではいけません!」

 

 なにやら虫の居所が悪いらしい。手をぶんぶんと振り回して必死に訴える。

 俺はこっそりと、キリトの耳元で呟いた。

 

「おい、アスナに預けたって言ってなかったか……?」

「ああ、そのはずなんだけど……」

「聞こえてますよ!」

 

 クラインに拉致られる数刻前の話だ。ユイもクライン行きつけのバーへ一緒に行きたいと言い出したのだ。

 所謂お酒の付き合いなだけに連れて行くわけにもいかず、というかそれを言ってしまったらキリトも連れて行ってはいけないのだが。兎に角ユイにはまだ早いということで、アスナがその場を治めて、お守をお願いした。

 ――だったはずなのだが……。

 

「いいですか! 女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です! 欧米では恋人や親しい友人、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈るそうです。つまり、パパたちもママや私にも何かあげるべきだと思います!」

 

 パパたちって、俺も入ってるのか。

 というか、この必死さから察するに、

 

「……それはつまり、ユイちゃんも何かほしい、と」

「そそそ、そんなことは……!」

 

 どうやら図星のようだ。

 俺は改めて、キリトの耳元でこそこそと呟く。

 

「なぁキリト。ホワイトデーはまた別にあげるとして、何かプレゼントしてやったらどうだ?」

「そうだなぁ……」

 

 キリトがちらりとユイを見る。

 ユイは力の篭った眼差しで、キリトを凝視していた。これは一言二言ではビクともしないだろう。

 やがて何を思ったのか、キリトはおほんと一つ咳払いをして、わざとらしく、

 

「んーそうだなあ。黙って勝手についてきちゃう子には何もあげられないかなぁ。ちゃんとお家でママとお留守番できるような、いい子にだけプレゼントしてあげようかなあー」

 

 それを聞いたユイが慌てて踵を返し、

 

「あっあっ。お留守番します! いい子にして待ってますよー!」

 

 ぱたぱたと綺麗な羽を広げて、一目散に空へと飛び去って行った。

 

「おー、さすが親父」

「親父っていうな。そんなことより、プレゼント選ぶの手伝ってくれよ。トウカだってユウキにあげるんだろ?」

「俺が? ユウキに?」

「どんな間柄でも、感謝の一言ぐらい示すべきだろ?」

「ぐむ……しかしだな……」

「散々あんなことをしておいて……?」

「よせ、わかった。その言い方は誤解を招く」

「決まりだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで俺たちは街へと繰り出し、試行錯誤の末決めたのは、大きなウサギのぬいぐるみだ。

 抱き枕にも使える程度で、その割に値段はそこまで高いものではない。あまり高額になってしまうとユウキが気負いしてしまうのではないかと思ったからだ。

 そもそもこれにした理由は至極単純で、店員にそそのかされた。曰く「ウサギが嫌いな女の子はいない」とのこと。本当かよ。

 

 ユウキはこういう可愛い系の好きだったか……? 以前外食した時(13話参照)猫のポシェットをしていたような。いや、それだけで可愛いものが好きだとは断定できない。そもそも俺がこんなものをプレゼントしてユウキが果たして喜ぶだろうか。ならそもそも何をあげても一緒か? いやいやまてまて。どうせあげるなら俺も食べ物とかそっち系のものが喜ばれるんじゃないか。仮に欲しくないものを受け取ってしまったユウキの心情からしたら、いつまでも邪魔な馬鹿でかいぬいぐみの置き場に困るだけだろう? なら、今からでも遅くはない。返品してお菓子系の何かを買った方がいいのでは。だとしたら何を買うべきだ? ユウキが好きそうなお菓子を俺は把握しているのか? 確か前にお菓子はなんでも好きと言っていたような。なら俺の好みで買っても差し支えないか? なら、俺が好きなお菓子はなんだ。あれだ、かりんとうだ。いや馬鹿か! バレンタインデーにかりんとう送る男がいるものか。ああ俺か。違うそうじゃない。もっとこう、女性が好むお菓子をだな。……そうだ、女性が好む菓子に一つ心あたりがある。女の子に人気で、確かテレビでもやっていたような――あぁ思い出した! サクマ式ドロップスだ! ……いやそれ女の子っていうか節子が好きなお菓子だろ! 一旦落ち着け霧ヶ峰刀霞。お前は落ち着いて考えられる人間だ。冷静に事を運べばいい。そうだ。まずはぬいぐるみを返品してそれから――

 

「トウカ……?」

「おぅ!?」

「どしたの? 変な声だして……」

 

 気づけば目の前に、ユウキが立っていた。

 いつもの小島で、夕日を背にして、彼女は立っていた。

 

「もう、ちゃんと聞いてるの?」

「あ、ああ。ごめん……」

 

 夕日になろうとする太陽の光を反射して湖面がキラキラと輝いてた。

 ユウキの瞳も、水面以上に透き通っていて、綺麗で、ゆらゆらと揺れている。

 仄かに染まる頬に、夕日よりも見とれてしまって――。 

 

「あの……あのね。ボク……」

「ああ……」

 

 あまりにも呆けた返事。

 そうだ、時間はとっくに切れていた。今更返品することも、買いなおすこともできない。

 結局、これでいいものかとずっと悩んで、等々この日が来てしまった。

 多分なにを買っても正解はないのかもしれない。何をあげても、後悔が残るかもしれない。

 でもそれは、あくまで俺自身の問題であって、彼女の好みは関係ない。

 恐らく、ユウキも似たような心境だと思う。

 ――なら、男の俺が先に行くべきだろう。何故自ら踏み込もうとしない?

 今、彼女は勇気をだして、何かを告げようとしているじゃないか。

 散々悩みに悩み、今も尚緊張している俺よりも、ずっとずっと、勇気を振り絞って。

 戦闘スタイルが原因とか、性格とかそんなものは関係ない。

 また彼女を先に行かせて、安全な道だと確認できたら後からゆっくり追いかけるのか。

 同じことの繰り返しだ。今までと同じで、酷く汚いやり方だ。

 

 チョコを受け取ったらお礼に渡すだけから?

 先に話を聞いて、想いを受け止めてから自分も告げればいい?

 

 本当にそれでいいのか?

 

「……駄目だ」

 

 自然と口から零れ出た。

 それはかつて、ユウキの最後を看取った時に出た言葉と、同じものだった。

 

「え……?」

 

 ユウキは些か呆気にとられたように、きょとんとした。

 

「先に、渡したいものがある」

 

 言って、俺はアイテム欄からぬいぐるみを取り出し、具現化させる。

 わざわざ店員が気を利かせて、綺麗に包装してくれたものだ。

 

「今日はそういう日だって聞いたから。その、いつも感謝してる。ありがとな」

「え……え……?」

 

 ユウキは状況が飲み込めないようで、目を丸くするもそれを素直に受け取った。

 

「い、いやな。ほら、欧米じゃあ親しい人にも送るから男性とか女性とかも関係ないとかで……。いつもユウキには世話になってるから、何かあげるべきかとかそういう――」

「……開けてもいい?」

「ああ……気に入らなかったら……その、ごめん」

 

 ユウキはその場でぺたんと座り込み、丁寧の包み紙を開ける。

 やがて顔を出すウサギの姿を見るや否や、口を半開きにして、しばらくそのまま呆然と眺めていた。

 

「ああ、どうしよ……」

「やっぱり子供すぎたか……」

「ううん、そうじゃなくて……」

「うん……?」

「ボクの方が、先に幸せになっちゃった……」

「――――」

 

 頬を弛ませて、大事そうに抱きしめるその姿に、俺の胸は内から強く叩きつけられた。

 ユウキを女の子として、一人の女性として意識させるには、十分すぎる程の笑顔。

 気づけば、俺の口元も僅かに綻んでいた。

 嬉しかったのだ。喜んでもらえて、素直に嬉しいと思ってしまった。

 十四歳の女の子に、大の大人が惹かれてしまい兼ねない程に。

 

「そうだ……ボクもちゃんと、渡さなきゃ」

 

 そう言って、ユウキは立ち上がると、同じようにアイテム欄からそれを取り出して、

 

「頑張って作ったの……。受け取ってくれる……?」

「ああ、もちろん。ありがとな。凄く嬉しいよ」

「えへへ……。幸せになってくれるといいなぁ……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そんな事を言われてしまっては、食べようが食べまいが受け取った時点で、それはもう満たされている。

 渡されたチョコの入れ物は、包み紙もリボンもぴちっと綺麗に整えられて、鮮やかな色合いで綺麗なものだった。

 

「これをユウキが作ったのか……?」

「う、うん。ちゃんと材料から全部。アスナとかに頼らないで作ってみたんだけど……どうかな?」

「凄いな。お店で売ってるみたいだ」

「ほんと……? 嬉しいなぁ……」

 

 ウサギのぬいぐるみを抱きしめて、ユウキはにへらと頬を弛ませた。

 

「ね、食べてみて! 早く早く!」

「そう急かすなって」

 

 丁寧に包み紙を解き、ぱかりと開けると、小さめのナッツチョコレートが六つ入っていた。

 見た目も香りもごく普通のもので、ごく普通に美味そうだ。

 以前のグラタン(19話参照)ではあらゆる意味で凄い味だったからな……。

 まぁ、今回は普通のチョコレートっぽいし、何も問題ないだろう。

 俺は一つ取り出して、何の躊躇もなく口に放り込む。

 

「どう? 美味しい?」

「おお、これは中々……!」

 

 うん、中々の、その、あれだ。

 

「今回は隠し味を入れてみたんだよー!」

「へぇ、気になるな」

 

 凄く気になる。一体何を入れてしまったのか。それはもう本当に。

 

「知りたい? 知りたいー?」

「なんだよ、気になるじゃないか」

 

 気になるっていうか、不安になるよ。教えてくれないと。

 

「実はねー……スッポンの血を入れてみたんだぁ!」

「成る程な! 通りで奥ゆかしさを感じる味だと思ったんだよ! いや美味いなコレ!」

「でしょでしょー! 雑誌にね、『隠し味でこれを入れればイチコロ!』って書いてあったんだよね!」

 

 下手したら本当の意味でイチコロですよユウキさん。っていうかこれは味を隠してないですよ。チョコより大分、全面的に前へ出てますよ。

 とはいえ、まだ食べられるもので良かった。

 きっと味見してないのだろう。ボクも食べたいと言われたら適わないので、残りを全てぽいぽいと口に運んでゆく。

 ああ、幸せ。幸せっていうか、昇天しそう。

 

「ほんとはね、もっと色々入れたかったんだよ? でも変なのばっかりでさ……」

「へ、へぇ……。例えばどんな?」

「んっとね」

 

 おもむろに雑誌を取り出して、ぺらぺらとページを捲り、とある項目に指を指す。

 

「なになに……。な、なんだこれ。髪の毛……? つ、爪……?」

「ね、変だよね。自分の血液とか。なんか恐くてさ」

 

 おどろおどろしいにも程がある。

 記事自体はポップにまとめられていて、如何にも内容で明るく書かれているが、内容は酷く病んでいて記事の最後には『強引に奪っちゃえ☆』とぶっ飛んだ一文が書かれていた。

 女性誌は普段見ることはないが、もしかしてこれが普通なのか……? だとしてもこれは異様な気がするが。

 

「ほんとはね、その中に入れたいものがあったんだけど、それがよくわかんなくてさ……。詳しく調べようと思ったんだけど、先にチョコが固まっちゃって入れられなかったの」

「ち、ちなみに……?」

「えっと……あ、これこれ」

 

 指差した先、短文の中に、それは書かれていた。

 漢字二文字で――。

 

「これなんて読むの? あいえ――」

「ああああああああそれは入れなくていいものだ! 髪の毛とか爪よりもずっと酷いものだ!! だから忘れるんだ!」

「えーでも名前的には凄くよさそうだよ? 愛って言葉は特に――」

「おおおおおおおお忘れろ! それ以上は過ぎた話だ! 絶対調べたり他人に聞いたりするな! 約束しろ! 今ここで!!」

「う、うん。なんだか恐いよ? トウカ……」

 

 

 

 

 後日談というか今回のオチ。

 結局あの後、ユウキはアスナに尋ねてしまったそうだ。

 二日程顔を合わせてくれなかった。まぁ、そうなるよな。

 キリトはと言えば、アスナとユイにプレゼントを渡し、相変わらず仲睦まじく過ごしたとのこと。

 

 俺のあげたプレゼント。あのウサギのぬいぐるみが今、どうなっているかというと――。

 

 

【挿絵表示】

 




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

大分遅くなってしまいましたが、バレンタインデー編ということで楽しんでいただけたら何よりです。

今回は友人の力も借りて、挿絵を入れてみました。もちろん許可はいただいております。

この場を借りて友人、そして読んでいただいた皆様に改めて御礼を申し上げます。

メインストーリーを頑張って進めていきますので、今後とも宜しくお願いします!

更新、報告等はツイッターにて行っております。
フォローいただけると大変励みになります。
ぜひ宜しくお願い致します!

@Ricecake_Land


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一周年記念

 大変お待たせいたしました。

 wake up knights 一周年記念SS スピンオフ作品になります。

 読みきりのくせに大して長くはありませんが、楽しんでいただけたらと思います。

 おもち。


「ねーねー行こうよー。トウカってばぁ~」

「あ、こら。動かすなって」

 

 慣れないホロキーボードに苦戦中のところに、ユウキが粘っこい駄々をこねながら、背後から俺の首元に手を回す。唯でさえタイピングミスが目立つというのに、体を揺さぶられてはまともに作業が捗るはずもなく、繰り返されるちょっかいにとうとう耐えかねた俺はユウキの頬を軽くつまんで、言った。

 

「もう少し静かに待てないのかお前は。これが終わったら話を聞いてやるから大人しく座ってろ」

「むぅー……だってそう言ってからもう三十分も経ってるじゃーん……」

「仕方ないだろう。あっち(現実世界)こっち(仮想世界)じゃ勝手が違うんだ」

 

 先ほどから俺が何に四苦八苦しているのかと言うと、月に一度の《メディキュボイド》被験者による定期報告書の作成だ。自慢ではないが二次創作が趣味なだけにタイピングに自信はあるのだが、どういうわけかこのホロキーボードというやつはプッシュした感覚がない上にキーの配置が若干異なっている。たかが二、三枚程度のレポートであれば十分くらいで終わると高をくくっていたのがとんだ墓穴を掘ってしまった。

 

「ほらユウキ、邪魔したら余計終わらなくなっちゃうよ? それにユウキはもう終わったの?」

 

 向かい側のソファーに座っていたアスナが、子をしつける母親のように促す。するとユウキはえっへんと胸を張りながら、鼻高々に言った。

 

「ボクはもう終わってるよ! 何年も前から提出してるレポートだから、五分もあればあっという間でぇす」

「ドヤ顔で俺を見るんじゃない」

「まぁ、そういう意味ではユウキの方が先輩だしな」

 

 そこで、明日奈の隣に座っていたキリトが紅茶を口に含みながら割って入った。

 

「せっかくだからユウキにレポートの書き方を教えてもらったらどうだ? その方が作業効率も上がるし楽だと思うけど」

「それはまぁ、そうだが……」

 

 ごもっとも。確かにそのほうが早く終わるだろう。

 だが、それでも俺は下手に出るわけにはいかんのだ。何故ならこの自称先輩は――

 

「えーなになにー? トウカくんはこの紺野先輩に何を教えてほしいのかなー?」

 

 ごらんの有様だ。俺が下手にでると悪乗りする、ユウキの悪い癖だ。といっても、俺以外の人にはここまでからかうような振る舞いはなかなか見せない。俺が本気で怒ることはないと信頼されているのか、もしくは単純に絡みやすいと思ってくれているのか。一度注意してやろうとも考えたことがあるが、別に誰かに迷惑をかけているわけではないし、俺自身そこまで不快に感じているわけでもない。今回は、どうやらその『先輩』というフレーズが気に入ったらしい。

 ユウキは未だに中学校に登校したことが一度もない。――いや、確かアスナに何回か連れて行ってもらってはいるのか。とはいえ、上下関係を意識するほどの交流を図るにはあまりにも日が浅い。そういう意味ではその単語には新鮮な響きを感じているのだろう。だが、今それを譲歩するわけにはいかない。何故なら提出日が間近に迫っているからだ。大の大人が提出期限が守れないなんてことはあってはならない。もし遅れようものならユウキに馬鹿にされるだけでなく、水霧さんの仕事にも支障が生じてしまう。

 だから俺は、毅然としてこう答える。

 

「なにもないよ。だから安心して、静かに座っててくれ」

「まったまたぁ! やせ我慢しちゃってトウカってば可愛いんだからぁ。この大先輩(・・・)であるこのボクに、もっと頼ってくれてもいいんだよー?」

 

 ニヤニヤと意地の悪そうな目つきで言い寄ってくるその顔に、俺はほんの少しだけ苛立ちを覚えた。

 だから、その、つい。ぽろっと言ってしまった。

 

「こんなちんちくりんな先輩がいてたまるか」

「あー! 言ったなぁ!!」

 

 Round One Fight

 

 背後にいたユウキが、再び俺の首に手を回し、意識を断たんとばかりにギリギリと音をたてて締め上げる。確かに若干の息苦しさは感じるが、病み上がり少女のチョークスリーパーでは俺の意識を刈り取るには力が軟弱すぎる。本来ならばここで俺が『ぐぇー! 許してください絶剣様ー!』と、おれてやってもいいのだが、今は時間が惜しい。

 

「どーだまいったかー!」

「あー苦しい苦しい。助けてくれー」

 

 俺は意に介さず淡々と作業を進める。

 悪いなユウキ、首絞めでのKOは無理だ。残念ながらタイムアップでお互いノーダメージの引き分けといこうじゃないか。

 ……あれ、なんだか絞まる力が強まってきているような。いや、気のせいか。

 

「謝るなら今のうちだよー!」

「謝ってもらうようなことはあっても、謝ることはないな」

「まだ言うかこのぉ!」

「ははは。所詮は小娘の児戯よ。出直してくるがいい」

「トウカ……あ、謝っといたほうがいいかも……」

 

 正面にいたアスナが、なにやら引きつった表情で合いの手を入れてくる。

 

「俺もそう思う……」

 

 キリトに関しては、敢えて見てみぬ振りをしているかのように、目を背けている。一体どうしたというのだろうか。

 ――それにしても絞まりがどんどん強くなっているような気がする。いや、これは気のせいなどではない。さては今の今までは本気ではなかったということか。さすが絶剣といったところか。まだ耐えられない程ではないが、このままでは作業ができそうにもない。かといって負けは認めたくはない。我ながら意地っ張りと自覚はしつつも、俺は「いい加減に諦めろ」と振り向いてユウキに目を向ける。

 すると、ユウキの口に何か小さい小瓶を咥えているのが見えた。

 少々嫌な予感を漂わせつつも、それが何の小瓶なのか、俺は恐る恐る尋ねる。

 

「……何をお飲みになられたのでしょうか」

「ぱわーあっぷぽーしょん」

 

 俺、即効タップ。ぐぇー、許してください絶剣様。

 

 

 

 

「ハロウィン限定クエスト?」

「そ! 央都アルンから少し北へいったところに、大きな洋館ができたんだって! そこをクリアすると限定アイテムが貰えるらしいんだよー!」

「限定アイテムねぇ……」

「戦闘は一切ないんだってさ。聞くところによると、そこの洋館のどこかにある鍵を見つけることがクリアの条件だとか!」

 

 過去のイベントから遡っても、今までで一番楽で簡単かもしれないとキリトは言う。周回や難しいノルマはなく、ただの探索系のイベントだから、時間をかければ誰でもクリアできるらしく、イベント開始初日から制覇したプレイヤーも少なくないようだ。

 

「ただ、参加するにあたっていくつか条件がある」

「条件?」

 

 キリトはおもむろに指をスライドして、ホロウインドウを表示させると反転して俺に見せた。そこには《クリア済みクエスト一覧》と表示されており、一番上の項目には《隔離された呪いの洋館》というクエストが表記されていた。クエストの概要欄を目で追っていくと、《クエスト受注条件》というところで目がとまる。そしてそこにはこう書かれていた。

 

 その1、イベントに対応したアバターを装備すること。

 その2、最低二人以上のパーティを組むこと。

 その3、このクエストを一度もクリアしていないこと。

 

 なるほど、クリアは簡単だが参加条件がある程度縛られているというわけか。そして、一度クリアしてしまえば以降受注することができないと。

 

「このイベントに対応したアバターってのはなんだ?」

「仮装みたいなもんさ。一応ハロウィン仕様だからな。非戦闘タイプのアバターであればなんでもいい」

「なるほどな……。――ってあれ、キリトはもうこのクエスト終わらせたのか」

「ああ。つい昨日みんなとね」

「なんだよつれないな。俺も誘ってくれればいいのに」

「いや誘っただろ! その時お前、報告書に集中しててまったく聞いてなかったじゃないか……」

「そ、そうだっけ。すまん、まったく記憶にない」

「まったく……」

 

 とりあえず頭を掻いて誤魔化すが、思い返してみてもやはり記憶にない。ここのところ報告書に没頭していたから人の話に耳を傾けるほどの余裕がなかったんだ。すまないキリト。この埋め合わせは何れどこかで精神的に。

 と、ここで不意に疑問が浮かび上がる。 

 

「そういえば、どうしてユウキは一緒に行かなかったんだ?」

「本当はスリーピング・ナイツのみんなと一緒に行く計画だったんだけど、全員が揃うような予定が、なかなか合わなくってさ……」

 

 隣に座っていたユウキの横顔が、しゅんと萎れる。

 

「それは――まぁ、仕方がないな……」

 

 みんなと一緒に行けるに越したことはない。こういうイベントは仲間たちと参加するのが醍醐味でもあるし、ユウキも楽しみにしていたのだろう。残念ながらイベント自体には興味はないが、そんな顔をされてしまっては拒否なんてできるわけがない。それに、せっかくの楽しみを無碍にさせたくはないしな。

 ……なにより、ユウキの喜ぶ顔を、俺は見たい。

 

「わかったよ。ユウキ、一緒に行こう」

「ほんと!?」

 

 瞬間、ユウキの顔がぱぁっと明るくなって、目がキラキラと輝いた。

 

「ああ、でも大丈夫なのか? お化け屋敷だぞ? 怖いの苦手なんだろ?」

「うん……でも、トウカが傍にいてくれるなら、多分平気……かな?」

「そ、そうか」

 

 頬を赤らめながら、ちらちらとこちら見てくるユウキ。俺はその表情に妙な緊張感を覚えつつも、心のどこかではそれが悪くない感覚だと気づいている。そんな彼女の表情に、そんな彼女の面持ちに、ある種の嬉しさを身に沁みこませながら、頬を少し掻き、態と彼女から目を背けることでなんとか誤魔化す。

 かくして俺たちはその《隔離された呪いの洋館》へと向かうことになった。プレイヤーやモンスターとの戦闘もないし、それほど危険もないだろう。とにかく安全に無事にクリアできることを静かに祈るとしよう。

 

 何事もなければいいのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがそうか」

「う、うん……」

 

 既にぷるぷると身を震わせながら、服の端をつまむユウキ。理由は眼前に映るこの光景だ。

 中都アルンから数キロ飛行して移動したら、なんの前触れもなしに空が暗転したのだ。雲一つない快晴から、急に湿り気を帯びた真っ暗な世界に変貌を遂げ、カラスが鳴きだしたり生暖かい風が吹いたりと正にホラー要素満載な環境に仕上げてきている。極めつけはこの洋館のでかさだ。俺はてっきり学校の体育館程度の大きさだと思っていたが、実際はあの某ネズミーランドにあるお城を彷彿とさせる。いや、この際大きさの表現の下手さにはどうか突っ込まないでほしい。東京ドーム何個分とまではいかないし、俺が人生の中で最も大きな建築物といえばあそこのお城ぐらいしか思い浮かばないんだ。

 

「それにしてもユウキ、その格好は……」

「あ……ど、どうかな……? 変じゃない、かな?」

 

 ユウキが今回用意したコスプレ――もとい、仮装用のアバターは所謂学生服というやつだ。色は爽やかなセーラーカラーではなく落ち着いた紺色のもので、ユウキがくるりと回転すると、膝よりも少し丈を短くしたスカートがふんわりと浮き上がる。おそらく先日の先輩というキーワードに感化を受けてしまったのだろう。

 普段の彼女とは大きく異なるその姿に、少しばかり緊張しつつも、求められた感想に対して、不器用ながらに応える。

 

「まぁ、その、なんだ。悪くないと思うぞ」

「えー……もう少し、なんかこう、具体的にさぁ……」

 

 具体的にってなんだよ。

 

「……凄く似合ってる?」

「なんで質問口調なのさ……」

 

 俺に何を言わせたいんだこの小娘は。

 

「あー……まぁ、あれだ。可愛い、ぞ」

「へぇ、可愛いんだボク」

 

 ユウキがニンマリと俺の顔を覗き込む。これは何か良からぬ事を考えている顔だ。

 

「ねぇねぇ、ボクのどこが可愛いのー? 教えてよとーかぁ」

「も、もういいだろ。さっさと行くぞ」

「やーだよー。ボクのどこが可愛いのか教えてくれるまで絶対入らないもんねー」

「ほう。――なら、こうするしかないな」

「へ? わ、わわわっ」

 

 俺の周りをくるくるスキップしながら急かしてくるユウキの体を、俺はひょいと抱えて持ち上げる。所謂お姫様抱っこというやつだ。

 その華奢な体は、なんの抵抗もなくふわりと俺の腕を受け入れて、ユウキはひょうきんな声をあげながら、目をぱちくりと丸くする。

 

「言うこと聞かないやつは無理やり連れて行ってやる」

「あ、あう……っ」

「どこが可愛いか言ってほしいんだっけ?」

「も、もういいよぉ……」

 

 

 

 

 洋館の入り口はマホガニー色の重厚な両扉で、その扉を開いた先には薄暗い大きなホールとなっていた。吹き抜けの天井に垂れ下がる大きなシャンデリア。真正面には幅五メートルはあるであろう二階へと続く階段と、そこへ続く真っ赤な絨毯。壁には髑髏をモチーフにしたような絵画がいくつもかけられ、左右には入り口と同じような大きな扉が一枚ずつ。そして一番目立つのはそのホールの中央にいる、執事のような格好をしたNPCだ。白髪の老人で齢六十歳といったところか。背もかなり高く、優に二メートル近くはある。体系はひょろりとしていてカイゼル髭が特徴的なその男は、俺たちにゆっくりと近づくと丁寧をお辞儀を一つして、こんなことを口にした。

 

「私はこの館にお仕えしている執事でございます。この度は我が屋敷へご足労いただき、感謝の極みでございます。さっそく我が主様からのご挨拶を……と、いきたいところではございますが、真に残念ながら先日、ご病気で息を引き取られてしまいまして……。何分お独り身であるが故に、この館を引き継がれるご子息もおらず、後数日で取り壊されてしまうのです。私も間もなくこの館を去ることになりましょう……。ですが、一つ心残りがあるのです。主様が亡くなられる直前に、この宝箱をお預かりさせていただいたのですが、結局鍵の在り処を話すこともなくこの世を去ってしまわれまして……。この屋敷のどこかにその鍵があるのですが、未だに見つからないのです。どうか貴方たちの力をお借りすることはできないでしょうか……。もちろん、報酬はお約束致します」

 

 つまり要約するとこういうことだ。屋敷のどこかに鍵があるから探してこい、と。 

 俺たちがそれを承諾すると、執事からこの屋敷の見取り図を手渡された。執事曰く、自分はこの一階のホールにいるから見つけたら声をかけてくれのこと。ただし、制限時間は二時間。それを過ぎてしまうと執事を迎えに来る馬車が到着し、クエスト失敗とみなされ、屋敷から追い出されてしまうらしい。まぁ、受注し直せば何回でも受けられるのだが。

 

「えっと、つまりその時間内に鍵を見つけることができれば、クエストクリアってことだね!」

「まぁ、この部屋の広さから察するに、二時間じゃ足らない気もするが……」

「よぉーし! 片っ端からどんどん調べていこー!」

「あ、おい。勝手に――」

 

 ユウキが意気揚々と一階の左側の扉を開けた瞬間、雷のような鋭い音が全身を叩いた。ユウキは「うひゃぁ!」と飛び退いて、倒れそうになったところを俺が寸でのところで支え、なんとか尻餅をつくことは回避できたものの、目の前に映るその光景と先程の雷鳴に、ユウキはすっかり足が竦んでしまい――

 

「ととととーか! とーかぁ!」

「お前お化け屋敷だってこと一瞬忘れてただろ」

「も、もう帰ろ! こんなの無理だよぉ!」

「誘ったのはユウキじゃないか。せっかくここまで来たんだし、とりあえずこの二時間は頑張ってみようぜ」

「あうぅ……」

 

 これも一種の演出なのだろう。ユウキが扉を開けた瞬間、雷雨が降り出した。雨粒が轟々とガラス張りの大きな窓を叩き、雷に反射して見える一本の長い廊下は先が見えないほど続いている。右に目を向けるといくつものの扉が並んでいて、一つ一つが異様な雰囲気を漂わせていた。

 ユウキがコアラのようにしがみついていることに関しては、ひとまず置いといて、いかに効率良くこの屋敷を探索できるか考えてみよう。理想は散開しての捜索だが、それはまぁ無理だろう。今にも泣きそうなこの最強の剣士の技も、今回ばかりは役に立ちそうもない。やはりここは一つの部屋を手分けして探すしかないようだ。何かひっかかる部分があるのは確かだが、まだなんともいえない。とりあえず探しながら推理してみるとしよう。

 

「とりあえず、この部屋から調べてみるか」

「とーか……とーかぁ……」

「はいはい……」

 

 背中の裾をぐいぐいと引っ張るユウキに、俺はそっと手を差し伸べる。こうして見ると可愛いものだ。あの絶剣がクエスト一つでこんなにも弱気になってしまうとは。こういう汐らしい姿も悪くない。まぁ、端から見れば学生服を着た女の子と大人が手を繋ぐ時点で事案と疑われても否めないが。因みに俺はいつもの着流しだ。元々非戦闘向きのアバターだけに特に困ることはなかった。そういう意味では年中仮装しているようで少し複雑な気分だが、ユウキが似合ってると言ってくれたものだし、個人的にも気に入っている。

 ドアプレートには『客室』と書かれている。隣のプレートも、その先のプレートも確認してみたが、どうやらここにある扉全てが客室のようだ。とりあえず最初に手をかけた、一番手前の扉を開けてみると、そこは外とは違ってえらく落着いた雰囲気の部屋となっていた。ベッドと机が二つずつ。ベッドを挟んだ小さな本棚には『呪術の薦め』や『白い女』などいかにもなタイトルな本が並べられて、その上に今時珍しいダイヤル式の洋風な白い電話が一つ。特に薄暗くもなく、これといって怪しいものは見当たらない、普通の部屋に見える。

 

「あれ? 結構普通だね。てっきり血だらけの壁とか首吊りの死体とかあるのかと……」

「これはこれで違和感はあるけどな。とりあえず探してみよう」

「いえっさー!」

 

 びしっと敬礼したユウキは一目散にベッドへダイブすると、何をトチ狂ったのか楽しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね始めてしまった。

 

 この子全然いえっさーじゃない。

 

 ――が、まあしかし。怯えて泣きそうな姿よりもそっちのほうが俺としては嬉しい。気を紛らせてやるにはこうやって遊ばさせる方がちょうどいいのかもしれない。

 俺は机に備え付けてある引き出しに手をかけ、物色を始める。中にある物はメモ用紙や白紙のノート。特にこれといった、怪しいものはない。いきなり鍵で出てきたらそれはそれで驚くが、そんな簡単に見つかるはずもなく、その後本を手にとったりベッドの下を覗いたりと粗方探してみたものの、何も手がかりになるようなものは見つからなかった。

 

「んー、一部屋探し終えるのに約十分か。二階も含めてとてもじゃないが間に合わないな……」

「何か見つかったー?」

「パンツが見えてる女の子ぐらいしか見つからんかった」

「へ? ……あっ」

 

 暫しの沈黙の後、ユウキは何かに気づいたようにスカートの裾を抑えると、無言で俺の背中をばちんと音を立てて、何度もひっぱたたいてきた。

 

「ちょ、ユウキ。痛い、痛いって!」

「なんですぐ言ってくれないのさぁ!」

「仕方がないだろう。時間が限られているんだ。そもそも探さずにいつまでも飛び跳ねてるお前が悪い」

「だ、だって……」

「ま、いつもとは違う装備だしな。次からは気をつけろよ。何かあるたびに水色の縞々が見えてたら俺も目のやり場に困る」

「~~~~ッ」

 

 ユウキが再び、大きく手を振りかぶった、その瞬間――

 

 ジリリリリリッ

 

 と、警報のような音が室内に響いた。音のする方へ目を向けると、そこにはあのダイヤル式の電話が。

 一番近いユウキが恐る恐る受話器を手に取り「も、もしもし……?」とか細い声で返事をする。すると、

 

「……………………」

「あの……もしもーし?」

「……………………」

「なにも聞こえないよ……?」

 

 帰ってくる音はプツプツと切れるようなノイズのみで、一向に言葉が返ってこない。ユウキは首を傾げて受話器を切ると、数秒もしないうちに再び黒電話が音を鳴らす。

 再びユウキが受話器を取って、送話口に語りかける。

 

「えっと、もしもし……?」

「……………………」

「あの、どちらさまですか……?」

「……………………」

「あのう…………」

「……………………」

 

 いくら話しかけて返事が返ってくる気配がない。俺が代わりに取ってみても同様の現象だ。とりあえず受話器を切って、再度かかってくるか待ってはみたものの、それ以降かかってくることはなかった。が、気味の悪い現象はその後も続く。

 そろそろ次の部屋へ行こうかと思っていた矢先、今度はコンコンと扉を叩く音が耳に入る。風や気のせいなのではなく、明らかに外から誰かが叩いてるように、一定の間隔を刻んでいた。ユウキはなぜか布団に包まって蹲り、少し顔を覗かせてからトウカが出てよと言わんばかりの表情でじっと俺を見つめる。仕方なく俺が扉の前に立ち、返事をしてみるが外からの反応はない。

 もう一度返事をする。それでも反応はない。

 致し方なく扉を少し開けると、生暖かい風が室内に入ってくるだけで人の気配を感じない。扉から顔を出し、廊下を見渡しても人らしい姿はどこに見当たらなかった。

 

「……誰もいないな」

「ほんと……?」

「ああ。さっきの電話といい、なんだろうな」

「なんだか気味が悪いね……」

 

 兎にも角にもこの部屋に留まっていても埒が開かない。不安気に胸を押さえるユウキを引っ張りながら、俺たちは一室ずつ部屋見て周るのだった。

 

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

「うん……」

 

 クエストを始めてから一時間と三十分。とりあえず一階の部屋の六割程度は探し終えたが、ユウキはすっかり疲弊しきっている。それも致し方なく、各部屋を周る毎に謎の怪奇現象が発生し、そのたびにユウキは悲鳴を上げたり体を強張らせたりと、終始神経を尖らせっぱなしの状況だ。いきなり停電したり、女性の影が横切ったり、誰かの悲鳴が聞こえたり。とにかく間接的に怖がらせてくる。

 今俺たちは一階の客室にいる。この部屋が最後の客室のようだ。最初に調べた部屋と違ってここは一人用で、シングルベッドと机が一つずつあるだけでその他に調べられるようなものはない。本来であれば次の部屋へと向かいたいところではあるのだが、ユウキの現状から考えるとこれ以上は無理そうだ。

 

「ユウキ、もうやめとこう」

「…………」

「これ以上探しても見つかるとは思えない。時間切れまでこの部屋で休んでいこう」

「……ごめんね」

 

 ユウキはベッドの上で膝を抱え、縮こまりながら目に悲哀の色を深く漂わせていた。

 

「ボクが怖がってばっかりで、全然力になれなくて……」

「何言ってんだよ。一生懸命探してたじゃないか。それに、ここまで引っ張りまわしたのは俺だぞ。謝るのは俺の方だって」

「そんなことない……。ボク、トウカに迷惑かけてばっかりだ……」

「…………」

 

 自分の膝に顔を埋め、ひたすらに自傷を吐露している。その姿はまるで、かつての俺のようだった。殻に閉じこもり、自分を傷つけて、ただ独りでひたすらに。誰かの言葉に耳を傾ける余裕もなく、深々と己の無力さに嘆いて……。

 ――そんな、お前の姿なんて俺は見たくない。

 俺はベッドに上がり、ゆっくりとユウキの横へ腰を降ろしてから、彼女の名を呼んだ。

 

「ユウキ」

「…………」 

 

 もう一度。

 

「ユウキ」

「…………」

 

 少しだけ、ユウキの顔が浮く。それを見て、俺は手を差し伸ばし、続けて言った。

 

「おいで」

 

 ほんの少しの沈黙が流れた後、ユウキは何を語ることもなく、そっと俺の手に触れる。それを肯定と受け取った俺は、そのまま彼女を引き寄せ、胸の中へと誘い、包み込むように抱きしめた。

 

「お前が俺に迷惑かけてくれる程、嬉しいことなんてないよ」

「……ほんと?」

「ああ、本当だ」

「ほんとに……ほんと……?」

「本当に、本当だ」

 

 俺がそう頷くと、胸の中にすっぽりと収まっていたユウキは、ひょっこり顔を出す。そして僅かに頬を染めながらも俺の目を見据えて、懇願した。

 

「……じゃあ、今だけ……今だけでいいから、とーかに甘えても、いい……?」

「遠慮すんな。どんとこい」

 

 その懇願に俺が小さな微笑で返すと、ユウキもまた俺の背中に手を回して、強く、強く抱きしめ返す。あまりの力に行き場を失った俺の体は、仰向けのまま押し倒されるような形になり、その上にユウキが折り重なるような体勢へと変わる。俺の胸の中に顔を埋め、しばらく固まっていたユウキは、唐突に俺の右手を掴むと、ぽとりと自分の頭へと落とす。俺はそのまま彼女の頭を優しく撫でなると、惚けた表情を溢しながら、まじまじと俺の顔を見つめ、呟いた。

 

「ボク、今凄く幸せ……」

「それはなにより」

「とーか、凄くいい匂いがする……。アスナはお日様の匂いがして、ぽかぽかする感じだったけど、トウカの匂いは心臓がどきどきして、胸がきゅーってなるの……」

「そうか……? 自分で嗅いでもはそんな気持ちにならないけどなぁ……」

「ね、ボクのも嗅いでみて……?」

「い、いいのか?」

「うん……とーかなら、いいよ……」

 

 俺は誘われるがまま、ユウキの頭に顔を近づけて匂いを嗅いでみる。女の子の甘い香りと、シャンプーの微かな清涼感が鼻からぬけて、なんともいえない心地良さが体全体に広がっていくのが分かる。これを幸せと詠うならば、俺は今幸福の真っ只中にいるわけだ。

 それにしても、ああこれは……まずいかもしれない。

 

「……どう、かな?」

「……足らない」

「へ……? ひゃう……っ」

 

 俺はユウキを抱きしめたまま、ひたすらにユウキの頭部を堪能した。嗅げば嗅ぐほど脳裏を刺激するこの芳醇な香りは、一種の麻薬のようなもので、それは俺の理性を簡単に崩してしまうほどのものだった。

 

「あっ……とーか……とーかってばぁ……」

「ごめん……俺……止まんなくて……」

「あぅ……そ、そんなに嗅いじゃだめだよぉ……」

「これ、堪んないな……」

「えへへ……どきどきして、きゅーってなった……?」

「ああ、なった。俺も今、幸せになれた気がする」

「やったぁ。一緒に幸せになれて、ボク嬉しいよ……」

「そうだな。俺も、ユウキと幸せになれて嬉しいよ」

 

 そうやって、またお互いの顔を見つめ合って、幸せそうに笑い合う。残り二十分もの間、俺たちは時間の許される限り抱き合っていた。

 できることならずっとこうしていたいとユウキは言う。お前がそう望むのなら、俺はそれを受け入れたい。……なら、俺はどうだ? 俺はユウキとずっとこうしていたと思っているのか?

 ――それを考えるのは無粋というものだ。何故なら俺にはそれができない。それをするには、あまりにも余生が短いからだ。きっといつか、遠い先の未来まで、ユウキを受け入れてくれる人がきっと現れる。その人物がどんな人間なのかはわからない。だが、その人は本当の意味でユウキを幸せにしてくれる。俺は今この時だけ、幸せを与えられればそれでいい。少しでもユウキを笑顔にすることができるなら、俺はそれだけで御の字というものだ。 

 まぁ、だからこそ、このクエストもクリアして、ユウキの喜ぶ顔が見たかったのだが、この広さではどうも二人だけではな……。

 

「それにしても、キリトの奴。簡単だと言っていたくせに難解にも程があるぞ」

「やっぱり答え聞いといたほうが良かったね……」

「いや、それはユウキが正しいよ」

 

 実はクエストを受注する前にキリトから、なんなら答えや報酬の中身を教えようかと持ちかけてくれたのだが、敢えて断った。挑戦する前から答えを知ってしまっては楽しめないというユウキの冒険心には共感できるし、今こそ後悔しているものの、知らなかったからこそ今のこの状況が生まれているのだから、俺としては感謝している。

 

「あと五分かぁ。なんだか悔しいなぁ……」

「まぁ、仮に七人パーティだとしても見つかるとは思えないな。手分けしてもこの部屋の数じゃあな……」

 

 そう、この部屋数ではとてもではないが……いや、待てよ……?

 

「そうだねー……キリトたちよく見つけられたよね」

「…………」

 

 ――何か、見落としている気がする。

 

「……とーか?」

「そういえば、NPCから見取り図もらったよな? ちょっと貸してくれないか?」

「いいけど……どしたの?」

 

 先程から腑に落ちない点がいくつかある。

 例えばクエストの受注条件についてだ。最低二人以上とあるが、俺たちが一時間半かけて探索できたのは一階の部屋だけでたったの六割。急ぎ早に調べたとしても一階だけで精一杯だろう。だが、最低二人ということは、少なくとも二人だけでもクリアが可能だと捉えてもいいはずだ。

 ユウキを膝の上に置いたまま、見取り図を広げてみる。ボロボロで色褪せてはいるものの、屋敷の全体像が詳細に描かれ、そして過剰とも言える程の部屋数が記されていた。

 

「……やっぱり」

「やっぱり?」

「多すぎるんだよ、部屋の数が。くっそ……そういうことかよ。やってくれたな……最初から見取り図全部確認しておけば良かった」

「え? え? どういうこと?」

 

 ユウキは、ぽすんと頭を俺に預けて、しかめっ面で顔を見上げる。

 

「クエストの受注条件に二人以上ってあっただろ? ってことは最低二人でもクリアできるってことだ。なのにこの屋敷の部屋数は全部で75部屋もある。一人一つの部屋を調べるのに約十分。二人じゃ確実に時間が足らない。七人でもギリギリだ。人数が多い方がクリアしやすいのは理解できるが、これじゃあまりにも不公平だとは思わないか?」

「た、確かに……」

「それにあの怪奇現象も今思えばおかしい。どうして間接的に驚かせることしかしないんだ? 仮想世界ならもっと迫力があって、恐ろしい演出にもできるだろうに」

「それはそれで怖いから嫌だけど……」

「リタイアさせる程でもなく、かといってスムーズに探索させない程度に怖がらせる。俺にはそれが時間稼ぎとしか思えない」

「時間稼ぎってなんのために? 鍵の場所を探らせないようにってこと?」

「いや、より長く楽しんでもらえるようにってとこだろうな。ほら、いくぞ」

 

 ユウキの頭をぽんぽんと叩いて促すと、ユウキは目を丸くして、

 

「ほぇ? 行くって、どこに?」

「あの執事のところさ」

「え、え、ちょっと待って。鍵は? 場所がわかったの!?」

「ああ、全部わかった。だけど説明してる時間がない。とにかく早く行こう」

「あ、あの……でも……ボク……」

「どうした?」

「…………」

「……ユウキ?」

 

 そう言葉を区切ったまま、ユウキは合わせていた目を背けて、先程のように膝を抱えて身を丸める。

 何か言いたげな様子ではあるが、言葉が出てこない。その束の間の重苦しい空気に気まずくなってしまったのか、ついにユウキは萎れた花のように俯いてしまった。

 ユウキは背を向けたまま、何も語らない。しかし、俺は気づいてしまった。ユウキの肩が小刻みに震えていることに。

 

「……怖いのか?」

 

 撫でるようにユウキの背中に触れてみる。先程まで感じていたあの温もりが、まるで白湯のように冷えきってしまっていた。

 そう。ユウキは今、怯えている。

 この部屋は廊下の突き当たりで、戻るにはあの長い廊下を歩いていかなければならない。俺たちはこの部屋にたどり着くまでに、幾度も心霊現象に襲われた。地鳴りを伴うほどの大きな雷。背後から忍び寄る謎の足音。布を裂くような女の悲鳴。絵画が勝手に動くポルスターガイスト。例を挙げたらキリがない。そんな体験をもう一度味わうのかと思うと、ユウキが怯えてしまうのも無理はない。

 残り時間、後三分。俺としてはユウキを怖がらせてまでクリアする必要もないと思っている。だがしかし、このままリタイアしてしまったらユウキはまた自分を責めてしまうだろう。それだけはできるだけ避けたい。

 俺は、ユウキの頬を両手ではさみ、こちらの方へ向かせてから、言った。

 

「俺が連れてってやる」

「……トウカが……?」

「ああ、俺がユウキを抱えて運んでやる。だから、ユウキは俺だけを見てろ」

「トウカ、だけ……」

「他は何も見なくていい。聞かなくていい。俺だけを見て、俺だけの声に耳を傾けてくれ」

「…………」

「できるか……?」

 

 じっと、俺はユウキの瞳を見つめ続けた。そしてユウキもまた、揺れる瞳に俺を重ねて――

 

「……うん。ボク、頑張ってみるよ!」

 

 力強い返事と共に、ユウキは大きく頷いた。

 ――そうだ。それでこそ絶剣だ。どんな困難な状況にでも果敢に立ち向かい、決して諦めず、疑わず、決然たる強さを見せてくれる。

 そんな猛々しくて、時折見せる眩しい笑顔に、俺は……。

 

 

 

 

「残り二分。さっさとクリアしてみんなの所へ帰ろう」

「うん……」

 

 ユウキを抱えて、俺は廊下を歩き出す。案の定、男の悲痛な叫び声や、通りかかる扉から、蹴破ってくるかのような勢いで音を立てて、俺たちの恐怖心を煽ってくる。やはり恐ろしくなってしまったのか、ユウキはぎゅっと目を瞑り、唇を噛み締めながら、しがみついて必死に耐えていた。俺は「大丈夫。すぐ着くさ」「心配すんな、俺がついてる」などと声をかけながら、足早に歩を進める。

 と、あと少しといったところでユウキが、今にも泣きそうな声で、

 

「トウカは怖くないの……?」

「まぁ、多少はな」

「どうしてそんなに平気いられるの……」

 

 平気なわけじゃない。正直怖いと思うし、できることなら早々に出たい。だけど俺はそれ以上に、あるものが失われてしまうことを酷く恐れている。それが何なのかは直接伝えることはできないけれど、俺はいつだって頼れる存在でありたい。

 

 だから――

 

「――お前の前でくらい、かっこつけさせてくれよ」

「――――」

 

 ユウキはそれ以上語ることはなかった。少し俯いて、ただそれだけで時間は過ぎていった。

 やがて執事のいるホールへと到着し、ユウキを下ろすと同時に、また俯きながらも俺の服の裾を少し摘む。ほんの少しだけ見えたその頬には薄紅を浮かべて、より近くに。俺の傍らへと寄り添う。

 互いに歩幅を合わせながら、執事元へと歩み寄る。後、一分――。

 

「おや、鍵は見つかりましたかな?」

 

 俺たちの姿を捉えた執事は微笑を浮かべるも、その中に潜む何かを隠すように確固として正しい姿勢を崩さない。

 

「トウカ、ほんとに大丈夫……?」

「ああ、多分な」

 

 そう言って俺は執事に歩み寄り、執事に指を突きつけて、

 

「鍵、持ってるはあんただろ?」

「え、えぇ!?」

 

 執事が反応する前に、ユウキが驚きに目を見開いた。

 

「……ほぉ。理由をお尋ねしても?」

「――あんた言ってたよな? 『この屋敷のどこかにその鍵がある』って。どうしてそれが言い切れる? 主さんは鍵の場所を言う前に亡くなったのなら、その鍵がこの屋敷にある保障なんてどこにもないじゃないか。それに、その宝箱に鍵がかかっているとはあんたは一言も言ってない。この屋敷の広さに対して時間制限という矛盾といい、あの足止めを狙ったような、あからさまな時間稼ぎといい……二人だろうが七人だろうが、どう考えたって見つけられるわけがない」

「……それが、答えですかな?」

「そう言われたら自信はないが……まぁ、手応えならあるかな」

「…………」

 

 時間にしてほんの数秒程度の沈黙が続き、険しい面持ちをした執事が俺に歩み寄ると、俺の肩に触れて――

 

 

「――ご名答! 見事だ!」

 

 

 執事がホールに反響する程の大きな声で叫喚した瞬間、突如として天井のシャンデリアが盛大なクラッカー音と共に煌き輝いた。

 

「うおぉ!?」

「うひゃあ!?」

 

 今までの湿っぽさを含ませた薄暗い世界観が卒然と逆転したことで、俺たちはかんしゃく玉を噛み砕いたような衝撃に襲われ、ひょうきんな声を上げて飛び上がってしまった。

 

「やぁやぁすまない! 気味の推察通り、実はこの宝箱に鍵なんてかかっていないんだ! まさか初見でクリアされるとはね! 君たちが初めてだ! 本当におめでとう!」

 

 先程の丁寧な言葉遣いとは一転して、そのNPCはなんとも気安いノリと口調で俺の肩をバンバンと叩いて労うのだが、まったく頭に入ってこない。眼前にはにこやかに笑うおっさん。周りは燦燦とした明かりが上空から降り注ぎ、キラキラと紙吹雪が舞っている。ユウキはといえば、ぽかーんと口をあけたまま、ただすひたすらに目を丸くしていた。

 

「君は中々に素晴らしい洞察力を持っているねぇ! や、実はこの屋敷の主は私なんだ。他人を驚かせるのが趣味なんだけど、場所が場所だけに誰も寄り付かなくてねぇ! 偶に客人が来ては、こうして執事の格好をして、時間いっぱいまで怖がらせるのがもう楽しいのなんのって!」

「そ、そうですか……」

 

 この人がNPCで本当に良かったと思う。仮に攻撃できる対象だったら俺のとなりにいる最強の剣士が貴方を細切れに斬り刻んでいたことでしょう。

 

「本来の達成報酬なら、この《パンプキン・ネックレス》だけなのだが、初見でクリアした君たちには特別にこれをあげよう!」

「はぁ、どうも……」

「ボク、なんだか凄く疲れちゃったよ……」

 

 そう言って差し出したのは最初に見せてくれたあの宝箱。俺たちはそれを受け取ると、自動で央都アルンへと転送されてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日談、というか今回のオチ。

 

「ね、ね! 早く開けようよー!」

「そう急かすなって」

 

 とある酒場で、俺たちは食事をしながら、先程貰ったあの宝箱を開けると、そこには一つフォトデータが入っていた。

 

「写真……? これどうやってみるんだ?」

「うんとね、これはね、こうしてファイルを読み込んで、それから………ふぎゃあ!」

「なんだなんだ。猫が尻尾踏まれたような声だして」

「ああぁ! 見ちゃだめ! 絶対に見ちゃだめぇ!」

 

 ユウキがあたふたと自分のホロ画面を隠すが、残念ながらこのデータは共有ファイルなんだ。そして見ちゃだめと言われたら見たくなるのが性というものよ。

 自分で指をスライドさせてから、転送されたフォトファイルを開いてみる。するとそこに映されていたのは……。

 

「これ……全部ユウキがビックリしてる写真だな」

「だ、だから見ないでって言ったのにぃ!」

 

 どうやら、あの屋敷の中で起きた様々なギミックに対してのプレイヤーのリアクションを収めた写真集のようだ。この場合驚いていたのはユウキだけだったから、全ての写真にユウキが写っていて、それはもう絶妙な角度から撮られたものばかりで、ついつい、

 

「あ、とーか今笑ったでしょ!」

「いや……でも……これは……ちょっと……ブフゥッ」

 

 駄目だ。俺の服の中に顔だけ突っ込んでる写真なんて見たら、我慢なんてできるわけがない。

 

「酷いよー! ボクだって頑張ったのにー!」

「ご、ごめんごめん。あ、ほらこれは普通のだから……っておおい!?」

 

 予想外の一枚に、つい椅子から立ち上がってしまった。

 

「へ? なになに? あ! さてはボクの知らないところでトウカもビックリしてたんでしょ!?」

「いや! 全然違うがこれは駄目だ! 絶対見るな!」

「そんなこと言われたら見たくなるのが性ってもんだよトウカくーん! えーっとどれどれー……あっ……」

「…………」

「…………」

 

 そりゃ互いに言葉を失うのも無理はない。

 何故なら、それ以降の写真には、俺とユウキが抱き合っていたり、互いの匂いを嗅いでいたりしていた時の姿が幾枚も写っていたのだから。




 今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

 内容も薄く、表現に乏しい点がいくつもありますが、少しでも楽しんでいただけたら本当に嬉しい限りです。
 おかげさまで無事一周年を迎えることができました。投稿予定日が不定期であるにも関わらず、お気に入りに登録者が800名以上もいることに驚きを隠せません。
 ここまで来られたのはこの作品を見ていただける方々のお力添えがあるからこそです。本当に、本当にありがとうございます。
 今後も、wake up knightsをどうか宜しくお願い致します。未だに完結する目処はたっていませんが、できれば二周年を迎えてまた皆様と一緒に楽しむことができたらいいなと感じております。

 最後に、このネタを提供して下さった閲覧者様、そしてwake up knightsを読んでいただいた全ての皆様に、改めてお礼を申し上げます。

 本当に、ありがとうございました!

 そして、来年もまた宜しくお願い致します!

 おもち。


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二周年記念

wake up knights ニ周年記念SSになります。

もともと完成していたものなので、本編よりも先に投稿する形となってしまいました。

短いですが楽しんでいただけたらなによりです。

おもち。


 『拝啓、紺野藍子様。お元気ですか? ボクは、とても元気です』

 

 ……なんかしっくりこないなぁ。

 

 『やっほー姉ちゃん! 元気にしてるー?』

 

 うーん、これも違う気がする。

 

 『姉ちゃん。ボクは――』

 

 …………。

 

 『まだ慣れないや。姉ちゃんが向こうの世界へ旅立ってから、毎週書いてるのに。なんでだろうね? ――なーんて、本当はわかってたり。

 きっと、わざわざ文字で書き起こさなくたって、ボクたちは言いたいことが言い合える程仲良しで、言えなかったこが一つもないくらい。ずっと一緒にいたんだよね。

 こうやってじーっと画面を見ていると、『ランがログインしました』ってお知らせが今にも来るんじゃいないかって、時々思っちゃうんだ。変だよね。もう随分経つのにさ。

 それでね、また泣いちゃったんだ。今でも偶にアスナのこと姉ちゃんって言っちゃたり、ちょっとでも寂しいなって感じたら無意識に涙が出ちゃったり……。

 ボク、姉ちゃんみたいに大人っぽくなれないかも。嫌なことは嫌だし、泣きたくなったら泣いちゃう。いつまでもアスナたちやスリーピング・ナイツのみんなに甘えてばっかりじゃ良くないって分かってるんだけど……。

 こんな時、姉ちゃんならどうしてたのかな。また怒ってくれるのかな。

 ……きっとダメだよね。今のままじゃ。

 早く大人になって、皆が安心してくれるように頑張るよ!

 またね、姉ちゃん。

 

 いざ生きめやも、どうか健やかに。』

 

 

「そーしん、っと……。はぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうすれば大人に、ですか?」

 

 薄紅色の小花が描かれた、白色のティーカップを片手に、シウネーはきょとんと首を傾げた。

 その隣にいるアスナもまた同様に目を丸くしている。

 へんてこな表情になるのも頷ける。だってこんな幼稚な質問に対して、ボクは至って真剣なのだから。

 

「ボクもアスナやシウネーみたいに大人っぽい女性になりたいなって」

「うーん……シウネーはともかく、私は大人っぽくなんてないと思うけどな」

「そんなことないよ。少なくともボクが知っている人の中では十分大人っぽいと思う」

 

 手をぱたぱたと否定するアスナに対して、ボクはすかさず擁護する。だって本当にそう思うんだもん。少しずるいって思うくらいに。

 同性のボクが見とれちゃうくらいナイスバディだし、性格や考えもしっかりしてる。ないすばでぃ以外姉ちゃんと本当にそっくり。ないすばでぃ以外。

 今、一瞬背中がゾクッとした。なんでだろ。

 

「どうしてまた急に? また、その……喧嘩しちゃった?」

「ううん! そうじゃなくて、ただ単純にそう思っただけ! ほら、ボクって基本ワガママでしょ? そういう女性になれたら皆から見るイメージも変わるのかなーなんて!」

 

 心配そうに伺うアスナに、露骨に手を振って苦々しい笑顔を返す。シウネーも心配そうに見つめるけど、言葉尻にウィンクして、どうにかお茶を濁した。

 ちょっと大げさすぎたかな。でも、こうでも言わないと二人はボクを心の底から心配してくれて、一生懸命正そうとしてくれるから、これぐらいが丁度いいのかも。

 そうなったらボクは多分、心が折れちゃうと思う。こんなにボクの事を考えてくれているのなら、きっとそれは正しいことなんだって。無理に自分を変えようとしなくてもいいんだって考えちゃう。

 アスナもシウネーもきっと、間違ってない道に引っ張ってくれる。だけど、それをずっと繰り返してたら、ボクは自分で選択することを放棄する。これじゃ姉ちゃんがいた時となんにも変わってない。なにより、それは良くない事だって教えてくれたのは姉ちゃんだから。

 

「大人……大人かー……」

「そうですね。歳を重ねれば大人になる、という単純な話ではないようですし……」

 

 二人は腕を組んだり、眉を細めて指を口に当てたり、難しそうに考え込んでいる。

 悩みがある、と相談を持ちかけてみたものの、二人にとっては拍子抜けだったのかもしれない。これじゃあ悩みというよりただの子供の背伸びだ。

 それでも快く受け入れてくれた二人にはすごく、すごーく感謝してる。アスナが家に招いてくれたことだって、きっと誰にも知られたくないような問題を抱えているのだろうと気遣ってくれたんだと思う。

 ボクだったら絶対そこまで考えてないだろうなぁ。そういう心優しい所も大人っぽさを感じるよね。

 

「あ、シウネーみたいに、口調をお淑やかにしたりとか、どうかな!?」

 

 アスナが閃いたように手を合わせて、シウネーに目を向ける。

 

「わ、私の、ですか?」

 

 目をぱちくりとさせたシウネーが自分を指差すと、アスナはうんうんと頷く。

 

「な、なるほど……!」

 

 確かにシウネーの口調はおっとりしていて、正に大人って感じがする!

 ボクみたいに騒いだり喚いたりすることもないし……。恋愛話の時のシウネーは別人みたいだったけど。

 ともかく、そういうことであれば二人には確かな共通点がある。それは二人とも基本的には『お淑やか』というところだ。

 性格も落ち着いてるし、口調も丁寧でボクとは大違いだ。ボクなんて始めてアスナと会った時、友達そっちのけで連れ回した挙句、内容も録に話さずに手を貸してほしいなんて頼んじゃったもんね。

 そういえばこの前アスナが貸してくれた、大人向けのファッション誌。大きいサングラスをかけた、派手な服を着飾った女性がカッコいいポーズをキメて『体はHOTに、心はCOOLに』なんて書いてあったっけ。かじゅあるとれんどでぐらますぼでぃにすてっぷあっぷ! よくわかんないけど!

 

「私の場合、地味と言いますか……質素な性格も相まって自然とそうなってしまっただけなので、お淑やかとは違うような気もしますが……」

「そんなことないよ! そういうのは地味じゃなくて、慎ましやかって言うんじゃないかな。クラインも素敵な人だよなーって言ってたよ?」

「そ、そうですか……? なんだか照れますね……」

 

 アスナの励ましに口に手を当てて、控えめに微笑むシウネーの姿はまさにお淑やかな女性の理想像だと思った。

 こういう人になりたい。なってみたい。そうすれば少しは子供っぽさが抜けて、しっかりしたよなーとか思われたり。大人になったねって認めてもらえるかもしれない。それはボクにとって、大きな前進に繋がる気がする。

 やる気に背中を押されたボクは、蹴るように椅子から立ち上がって、大きく鼻息を鳴らした。 ふんす!

 

「よ、よし! やってみるよボク!」

「その意気だよユウキ! さっそく会話して、色々試してみようよ!」

「うん! シウネーも色々教えて!」

「ええ、まずは落ち着いてゆっくり話してみましょう」

 

 

 

 

 シウネーたちと通称『お淑や会話』を始めて一時間。

 使い慣れない敬語に四苦八苦。喉もやけに渇いて、その度に紅茶をお代わりして。ついでに椅子に腰掛ける際の膝の閉じ方だとか、手の置き方も教えてもらったり。一人称も無理やり変えて、アスナからは女性としての立ち振る舞いを。シウネーからは言葉の使い方を教わって、あれこれ試して、ようやく――。

 

「凄い! 上出来だよユウキ!」

「そ、そうでしょうか。勿体ないお言葉です」

 

 アスナがキラキラとした眼差しを送ってくれるのだけれど、さっきからずっと背中がむず痒くてしょうがない。

 脚は、膝とかかとをつけて一直線に魅せる。そうすることで、脚が長く上品に表現できるんだとか。腰掛はないものと考えて、背筋を伸ばして正しく座る。ぐったりと寄りかかると気品さに欠けてだらしなくなる。肩はリラックスして、少し撫でるように魅せると細い印象を受けてくれるらしい。アスナが頭からつま先まで一つずつ丁寧に教えてくれた。やっぱりアスナって凄いや。だけど、それと同時に厳しい家庭なんだなって、ほんの少しだけ寂しい気持ちにもなった。アスナは楽しそうに振舞ってくれたけど、きっとこれを身に着けるために苦しい努力を重ねて来たんだなって……。たった数分で顔が引きつっちゃう程、ボクには物凄く窮屈に感じた。

 

「言葉遣いも間違っていませんし、大人っぽさも出ていると思います。より素敵な女性に見えますよ」

「恐れ入ります。今後も、えっと……精進致します」

「素晴らしいです。はい、では一旦ここで区切りましょうか」

「――も、もう大丈夫……?」

 

 アスナとシウネーが深く頷くと同時に、かちこちに強張った体の力がすぅっと抜ける。ボクはさっき教えてもらったばかりの作法を投げ捨てるかのように「ぼへぇー! 疲れたー!」と体を大きく伸ばした。

 

「お疲れ様。それだけできれば十分だよ」

「そうですね。徐々に慣れていけば、自然と疲れることもなくなりますよ」

「うん、二人ともありがとー……」

 

 ふわふわのソファーに疲れきった心身をどろどろと溶かしながら、怠けた返事を返す。

 これがまだVRの中だから良かったものの、実際に試したらきっと数秒も持たないだろうなぁ。もっと体力つけないと……。あと集中力も。

 と、呆けたボクの姿を見たアスナが傍に置いてあるティーカップを手にとり、もの悲しげな表情を漂わせて、紅茶を注ぎながら言った。

 

「でもね。これは作法であって、マナーじゃないの。寧ろ知らない大人が殆どだと思うな。大人っぽく見えても、実際に話してみたら内面は子供だったなんて人も珍しくないよ?」

「そうですね……良く魅せるための所作ですから、本来の自分を偽らせることになりますし……。自分を押し殺して、表現することが大人になることなのか問われると、考えるものがありますね……」

 

 透き通るような、オレンジ色のハーブティーの香りに誘われて、溶けた体を起こしてカップを受け取る。

 ハーブティーの水面に反射した自分の顔は、全然大人っぽくなくて。だけど、飲んでみたらほろ苦さが残る大人っぽい味で。なんだかアスナたちの言葉を表現してくれているみたいだった。

 たった一時間程度の努力で大人になれるとは思っていなかったけど、大人になるためにはそれこそ色々な努力が必要だと知ることができた。知れたからこそ、改めて悟った。ボクは、一生大人にはなれないかもしれない。

 きっとこれは必要ことなんだよね。大人になる上で身に着けなきゃいけないことなんだ。そうやって色々我慢して、辛い事に耐えて、そんなことをずっと繰り返すんだ。そう思ったら、自然と苦痛に感じて、悲しい気持ちになった。

 

「大人になるって、大変だね……」

 

 自然と口から零れ出る。

 だって、今までの痛みとはまるで違うだもん。病気の苦しみとか、リハビリの痛みとかも大変だったけど、いくらでも耐えられた。上手く言い表せないけど、少なくとも皆の力があってこそ、ボクは今まで笑顔でいられることができたんだ。

 そんなボクが、これから誰にも頼らず生きていくことができるのかなって思うと、自信が沸いてこない。逆に恐怖すら感じる。誰にも甘えず、一人で生きていくことがこんなに辛いことだなんて。

 無理無理。絶対無理だよ……。

 ……大人になんかなりたくない。

 

「――聞いてみてはどうでしょう?」

 

 不意に、シウネーのおっとりとした声が、俯きかけた顔を上げさせた。

 

「聞いてみるって……何を?」

「大人になれる方法を」

「……誰に?」

「貴方が大切にしている人、貴方を大切に想っている人に」

「…………」

 

 本当は聞かなくても、分かってた。

 実は二人に相談するよりも、先に相談してみようかなって考えたりもした。

 だけど……。

 

「笑われないかな……」

 

 言うと、シウネーがボクの左手にそっと手を重ねて、

 

「かもしれませんね、けれど、彼なら私たちよりも明確に答えてくれると思いますよ?」

「……からかわれるよ、きっと」

 

 言うと、アスナがボクの右手にそっと手を重ねて、

 

「そうかもね。だけど、それでもあの人は、誰よりもユウキの力になりたいって思ってるよ」

「…………」

 

 本当は恥ずかしくて、言いたくないだけ。

 会って、顔見て相談したら、色々考えすぎて脱線しちゃいそうで、凄く怖い。

 こんなお子様よりも、大人の女性の方が好みなのかな。

 少しでも大人びた方が好きになってもらえるのかな。

 成長したボクをみたら、喜んでくれるのかな……?

 ――違う違う! そういうことじゃなくて!

 ……こんな幼稚な悩みに、あの人ならどう答えてくれるんだろう。

 アスナたちは絶対からかったりしないって分かってるから、安心して相談できるけど、相手は異性なわけだし、歳の差も離れてるから真剣味も伝わりづらいだろうし……。

 でも、会いたいな。相談とか関係なく、会いたい。

 

「――ボク、行ってくる!」

「ん、いってらっしゃい」

「二人ともありがと! 大好き!」

 

 出る前に、二人の間に飛び込んで、ぎゅーっと抱きしめた。

 アスナもシウネーもビックリしてたけど、笑顔で抱きしめ返してくれて、凄くいい香りがした。

 ぽかぽかしてて、あったかくて。

 大人になっても、こういう気持ちは忘れたくないなぁ。

 そんな事を想いながら、ボクはアスナの家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう何度目になるのかな。あの小島へ向かうのは。

 のんびり過ごしたい時。なんとなく寂しくなった時。傍にいてほしい時。

 ほんとは、決闘場にちょうど良くて、ただそれだけの場所だったのに、今ではすっかりボクのお気に入りの場所になっている。

 いつもと同じように、今まで飛んできた道をなぞるようにして風を切る。日も少しずつ沈み始めて、綺麗な夕日が湖に反射している情景がいつ見ても綺麗だ。そして、あの小島が近づくにつれて、ボクの心臓は次第に昂ぶっていく。

 あの人が、既にそこで待ってくれているって分かっているから。

 いつもボクより先に待っていてくれていて、遠めから手を振ったら、優しい笑顔で振り返してくれる。それがとっても。とっても心地よくて、我慢できなくてついその人の胸の中へ飛び込んでしまう。すると、彼はボクの頭を優しく撫でながら「危ないぞ」って叱ってくれるんだ。

 

 霧のような雲を掻き分けて、遠めに目を凝らすと、小島の中心に黒っぽいシルエットが見える。彼がいた。いつもの着流しの姿だ。

 

「と――か――!!」

 

 他に誰かがいてもお構いなし。ボクはお腹に力を込めて、できる限りの声でその人の名前を叫んだ。

 すると、トウカはいつものように優しい笑顔を向けて、手を振ってくれた。

 ――ああ、ダメだ。やっぱり胸が高鳴って、自分を抑えられなくなってしまう。自然と表情が綻んで、分かっててもニヤけちゃう。

 早く会いたい。会って、飛び込んで、たくさん撫でてほしい。早く。早く。はやく――。

 

 ――――。

 

 ――……大人はそんなことしないかな。

 大人になったら、誰かに甘えたりすることも、こんな風に考えたりするのもダメなのかな。

 もし、トウカに「いい加減にしろ」って言われちゃったら、どうしたらいいんだろう。

 そう思うと、自然と飛行するスピードは落ちていって、やがてトウカの前にふわりと着地してしまった。

 

「おう、来たか」

「う、うん! お待たせ!」

「珍しいな。いつもならミサイルみたいに突っ込んでくるのに」

「や、そういうのはもう止めた方がいいのかなーなんて……」

 

 いずれトウカに嫌がられてしまうのなら、自分から卒業した方がずっと良い。

 大人になる以上にトウカに嫌われてしまう方が、ずっとずっと辛い。

 さっきまでこみ上げてきた、あの嬉しさの塊が、瞬く間にズキンと響くような痛みに変わる。きっと、大人はこういう気持ちも押し殺して、強くなっていくしかないんだろうな。……慣れたくないなぁ、この痛み。

 その疼きを誤魔化すように頭を掻いて、たははーって笑って見せると、トウカは不思議そうに首を傾げて、

 

「なんだか今日は随分と大人しいな。何かあったのか?」

「失礼だなぁ。ボクだって、日々成長するんだよ? さっきもアスナたちに大人のマナーを教えてもらったし、言葉遣いもお淑やかにしなきゃって思ってるんだよ。どう? 偉いでしょ!」

 

 胸を張って、えっへんと威張ってみる。その時点で子供っぽさが露呈しちゃったわけだけど、まだ初日だしそこらへんは割愛ってことで。

 その時、ボクはちょっとぐらい褒めてくれるかなって思った。「凄いなぁ」とか「偉いなぁ」とか。それかおもいっきり笑われて「お前にはまだ早いよ」とか。そんな事言ったら、お腹にぐーぱんちするけど。

 でも、どれも違った。

 

「そっか。寂しくなるなぁ」

「――へ……?」

 

 予想外の反応に、ボクは困惑の色を隠せなかった。

 だって、そんな風に思っちゃいけないのが大人でしょ? そういうのを我慢しなきゃいけないのが大人になるってことなんでしょ?

 心配かけないように欲を抑えて、嫌なことも辛いことも受け入れて進むのが大人になるってことでしょ?

 ……違うの? 

 何かがボクの内側で弾けて、後はもう、無意識のうちに口にしていた。

 

「なんで、なんで寂しいの……? ボクが大人になったら、嬉しくないの……?」 

「難しい質問だな……よっと」

「わ、わぅ……っ」

 

 トウカはそう言うと、ボクをひょいっと抱えて、膝の上にストンと落とした。

 景色を眺める時は、いつもこの格好だ。胡坐のなかにボクを置いて、後ろからトウカが優しく支えてくれる。トウカがずっと触れてくれてるから、凄く安心する。元々はボクが我侭言って、毎回この形になっちゃうんだけど、今日は珍しくトウカの方からしてくれた。

 きっと、こういうことも何れできなくなっちゃう。そう思うと、嬉しかったけど素直に喜べなかった。

 ほんの少しの沈黙があった後、トウカが綺麗に燃え靡く夕日を見つめながら、ぽつりと言った。

 

「ユウキは大人になりたいのか?」

「……うん」

「どうして?」

「いつまでも甘えられるわけじゃないから……。大人になれば、皆も安心してくれるだろうし、心配かけなくて済むから……」

「おお、ご立派」

 

 後ろから、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。

 すると、トウカは後ろに手をついて、其れと無しに夕空を見上げた。自然と体が傾いて、ボクの背中がトウカの胸へ寄りかかる。

 見上げるトウカのを顔を、仰ぐように見つめると、ほんの少しだけ悲しい面持ちになっているのが見てとれた。

 

「嬉しくない……?」

「……めでたい事ではある。けど、な。大人ってのはさ。なりたくてなったわけじゃなくて、ただ単に子供でいられなくなっただけなんだよ」

「…………」

「アスナたちに色々教えてもらった時、どうだった?」

「大変だった……」

「窮屈に感じたろ」

「うん……」

「俺もそう思う」

「でも、我慢しなきゃ――」

 

 そこまで言いかけると同時に、不意にトウカが「やかましい」と言って、ボクの頬を両手でつまんだ。

 

「誰がそんなこと言った? アスナか? 俺か? 他の誰かか?」

「あうあうあう……」

「白状しろ。しなきゃ言うまで続けるぞ」

「ふぁ、ふぁぃー……もふれふ(ぼくです)ぅー……」

 

 観念したボクは手を上げてトウカの腕にタップすると「やっぱりお前か」と言って、手を離した。

 ボクは振り向いて、トウカの正面へ向き直る。顔を睨みつけて、反論してやるんだ。

 

「だ、だって、必要なことでしょ? トウカも色々我慢してきたでしょ? キリトやアスナだって……。皆そうやって自分のしたいことを我慢して、そうすればボクも皆が認めてくれるような大人に――」

「なれないな」

「な、なんで――ッ」

「俺がそうだったから」

「…………!!」

「俺だけじゃないよ。キリトやアスナもそうさ。皆どこかで挫折して、どこかで諦めて、それをずっと繰り返してる。大人でいたいと思える大人なんて一人もいない。だから、今すぐなる必要なんてない。それに――」

「……それに?」

 

 ふと、アスナとは違う優しさが、トウカの表情から伝わってくる。その手が微かにボクの頬に触れて、ぬくぬくとした温かさが、まるで夕日が境界線に溶け込むように浸っていった。

 そして、慈しむような眼差しで、トウカはボクに言った。

 

「今までたくさん我慢してきたろ? 人一倍甘えたって、罰は当たらないさ」

「…………」

 

 ボクは、トウカをありったけの力で抱きしめた。

 トウカも、静かにそれを受け入れてくれた。

 ボクはこの世に生を受けた。やがて病気になり、両親を失って、姉ちゃんもこの世から去って……。それでもボクは負けるわけにはいかないと、強くあるべきだと必死に言い聞かせて、ずっと頑張ってきたんだ。

 膝から崩れ落ちて、泣きたくなる日もあった。でも、無理やり明るく振舞って乗り越えてきた。何度も。何度も。何度も。

 今まで笑って生きてこられたのは仲間の支えがあったから。それは分かってる。分かってるけど――。

 何処かで褒めてほしかった。慰めてほしかった。よく頑張ったな。偉いな。凄いなって。

 一生懸命耐えてきたんだなって。

 ずっと辛かったんだよなって。

 

「よしよし。今までよく頑張ってきたな。それだけで十分大人だよ、お前は」

「うん……うん……ッ」

 

 こんな近くにいてくれた。

 一番褒めてほしかった人に、一番誇りたかった人に、気づいてくれた。

 それだけでボクは、嬉しくて。本当に嬉しくて。

 たくさん、たくさん涙を流した。

 

 

 『お姉ちゃん、今日はとてもいいことがありました。

 今までの人生が報われたような。それぐらい、とっても素敵なことです。

 なんだと思いますか? ……残念、今は秘密です。大人の女性に秘密はつきものです。

 ――なんて、少しだけ背伸びしちゃった。 やっぱり、ボクにはまだ早かったみたい。

 今日はね、アスナとシウネーに女性のマナーを教えてもらったんだ。椅子の座り方とか、会話の作法とか、そういうの。いつか姉ちゃんに会えたら、ボクがちゃんと教えてあげるね。何せ、今はボクの方がお姉ちゃんなわけだし!

 ……でも、ごめんね。もう少し、もう少しだけ、子供でいさせてほしいんだ。子供でいられなくなる、その時まで。

 それでいいって言ってくれたんだ。ボクの大好きな人が、その方がいいって。

 だから、ボクは今のまま、ありのままを生きていくよ。これから先、辛い事が山ほどあると思うけど……。

 姉ちゃんもそっちのほうがいいって、思ってくれるよね……?

 

 それじゃ、またね姉ちゃん。姉ちゃんも大好きだよ。

 

 いざ生きめやも、どうか健やかに』

 

「そーしんっと……。よし、そろそろ寝ようっと!」

 

 あ、皆にお休みって言う前にログアウトしちゃった。

 まぁ後でLINEで言えばいっか。

 

「あ、そーだ。にひひ……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 終わり。

 




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

投稿が滞っている状態が続いておりますが、なんだかんだで二周年です。

UAも10万を突破し、数ある二次創作の中から私の作品を見ていただけることはとても光栄でなことで、感謝の一言に尽きる次第です。

相も変わらず不定期な状況が続いておりますが、今後も末永くお付き合いしていただけると嬉しいです。

次回も宜しくお願い致します。


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三周年記念

三周年記念になります。

ただのいちゃいちゃです。ストーリーとかないです。

おもち。


「初撃を掻い潜るだけなら俺の大剣で十分だって!」

「あんたがスキルでパリングしたらそれだけで集団戦にワンテンポ遅れるでしょーが!」

「はいはーい! ボクがやりたーい!」

「皆が前に出たらタンクの意味がなくなるじゃないか! ここはしっかり自分にヘイトを集めてだな」

「テッチの言うとおりエンゲージするのであれば、やはりタンクからイニシエートした方が……」

「ボクも! ボクもやりたーい!」

「ユウキはキャリーするポジションなんだから最初はピールしやすい位置にいてもらわないと駄目だってば! それよりもシウネーとかアスナにハラスしてもらった方が安全に釣れるっつーの!」

「だーかーらー! それじゃあ楽しくないってー!」

 

 対集団戦攻略を網羅された黒板を指して、いつものメンバーがやいのやいのとお祭り騒ぎ。

 ジュンが定石の攻略方法ではつまらないと一蹴し、それを咎めるノリを他所にユウキが先陣をきりたいと飛び跳ね、テッチがそれでは自分の立場がないと断固拒否すれば、タルケンが冷静に収めようと説くもこれといって効果はなく――。 

 そんなやりとりを後方から見守るように――もとい、諦めたようにシウネーとアスナが傍観しているが、これも最早見慣れたものだ。

 どちらかと言えば俺も後方組みなのだが、俺の場合傍観というより呆然に近い。何しろ皆が口々にする専門用語の殆どが理解できない。

 エンゲージ? イニシエート? ハラス? 何それ美味しいの?

 単純な英単語であればなんとなしに察することはできるのだが、どうもゲームで使う用語だと意味合いも違ってくるようで中々理解に苦しむ。

 そもそも俺のような初心者如きが居ていい場所ではない気がする、が。

 

「はいはい、今日はここまで! 予定にはまだ時間はあるし、作戦の続きは明日にしましょう」

 

 アスナが手を打つと、どこか納得がいかないという様子で、ノリたちは唇を尖らせる。

 

「敵の数や使用してくるスキルも不明ですし、下見をしてから決めるのも良いかもしれませんね」

 

 シウネーの的確且つ一歩引いた意見に俺は頻繁に頷く。それを見たノリがやれやれと肩を竦めて、

 

「ま、トウカはうちらと初めて組むわけだし、いきなり連携とれって言っても無理もないわね」

「ユウキとは何度か組んでいるようですし、彼女に合わせる事ができれば問題ないと思いますよ」

 

 タルケンが言うと、ユウキは自慢げに胸を叩いて、ふんすと鼻を鳴らした。

 

「だいじょーぶ! トウカはすっごく強いんだから!」

「おいよせ。俺ができる事なんて何もないぞ」

「へーきだってばー。いつもみたいに、ボクとデ……狩りしてるように戦えばいいんだよ!」

「『デ』? 今、『デ』って言った?」

 

 にんまりと笑みを浮かべたノリがすかさずユウキに詰め寄ると、ユウキは「いいい言ってない! 言ってないよー!」と手を振って顔を逸らした。両手をわきわきさせたノリが白状しろと逃げるユウキをぐるぐる追いかけ回した所で、一応今日の作戦会議は締めとなった。結局捕まって擽られていたけど。最初から最後まで騒がしい会議だったな。

 

 

*

 

 

「あ~あ。今日も決まらなかったなぁ」

「まぁ、実装まで時間はあるし、それまでに決めればいいさ」

「そうだけどさぁー……」

 

 天を仰いで不満を漏らすユウキを見るのは今日で三日目になる。

 というのも、来週実装予定であるダンジョンがどうやら一定数加入しているギルドのみが参加できるとか、なんとか。

 公開された情報によると、開放条件は最低でも八人は必要らしく、現在の《スリーピング・ナイツ》のメンバーは残念ながら七人。このままでは生殺しもいいとこだとユウキに半ば強引に袖を引かれ、致し方なく一時的に加入するに至ったわけだ。

 勿論、キリトや他のメンバーの方が良いのではという意見具申もした。実際俺は二人以上のパーティでどこかのダンジョンに篭った経験がないし、悲観抜きにして技量も知識も豊富な仲間がいくらでもいるはずだと。そしたらユウキはなんて言ったと思う?

 

 『ボクはトウカがいいの』

 

 そう言ってくれた時の彼女の笑顔は、太陽のように輝いていた。

 ……悪い気はしない。――いや、正直凄く嬉しい。

 攻略を優先することより、楽しさを選んでくれたユウキやそれを受け入れたくれた皆のために精一杯尽くすつもりだ。

 

「俺ももっと勉強しないとな」

「えー? 動きとかそういうのは実装してからいいんだよ?」

 

 ユウキが俺の顔を覗き込むように、こてんと首を傾げる。

 

「いや、動きもそうだけど専門用語がまったくわからないんだ」

「あーそっか。ボクたちは自然に覚えちゃったけど、トウカには難しいもんね」

「すいませんね。未熟者で」

「いいんですよ。未熟者で」

 

 奥歯に物が挟まるような言い方に、頭を小突いてやろうと手を振り上げた瞬間、ユウキは「ひゃー! トウカが怒ったー!」と嬉しそうに、とてとてと前を走る。

 遠慮なしに言うその性格からか悪気があって言ったわけではないのは知っている。いや、悪気は多少あるか。何はともあれ、こうやって笑っているユウキが見れるだけで、少しだけ寒い夜も忘れてしまうくらいに胸が温かくなってしまう。

 この感覚がずっと続けばいいのに。そう耽りたい気持ちを抑えながら、俺もまた微笑を漏らしてユウキを追う。

 と、先を行くユウキの足がぴたりと止まった。そのままくるりと振り返ると、満面の笑みを俺に向けて、

 

「そうだ! これから一緒に勉強しよー!」

「勉強って、いいのか? 夜も遅いしそろそろ――」

「今日はトウカと一緒に寝るからへーき! はい決まりー!」

「いや、それだと寝床が――」

「いいからいいから! 早くいこ!」

 

 リアルでは細枝のごとく痩せ細った少女だというに、どこにそんな力があるのかという程、否応なく右手を引かれる。

 あぁ、きっとアスナもこんな感じで彼女に連れて行かれて、《スリーピング・ナイツ》の皆と出会ったのだろうか。困惑と期待が混じったような、例えようのないこの感覚。

 と、同時に。ほんの少しだけだが、俺にはもったいないような気がしていた。いつでも嬉しそうに、楽しそうに走る彼女の後姿。この情景は、しかるべき主人公とか、彼女を守ってくれるヒーローとか。そういう人だけが許される感覚のように思えて。

 本当に、俺みたいな奴が彼女の手に触れていいのだろうか。そんな考えが一瞬脳裏を過ぎってしまった。

 ……今の想いを喋ったりしたら、きっとまた叱られるに違いない。

 

 仄かに照らす街灯が、石畳にたなびいてどこまでも続いていた。

 花束を解きほぐしたように、きらきらと絶剣を輝かせる。

 勇者に恋焦がれる、お姫様のように。

 王子に庇護される、お妃様のように。

 美しく。愛おしく。

 どこまでも。

 どこまでも。

 

 

*

 

 

「デバフ」

「えーっと、一定の能力を低下させる特殊効果、だったか?」

「ぴんぽーん。次、スペルヴァンプ」

「ええと……通常攻撃の際に相手のHPを吸収する……」

「ぶっぶー。それはライフスティール。スペルヴァンプはスキルでHPを吸収するんだよー」

「頭が痛くなるな……」

「少し休憩しよっか?」

「そうしてくれると助かる……」

 

 トウカと専門用語の一覧表と睨めっこ。そんな状態が続いてかれこれ二時間くらい。

 ボクは大体頭に入っているから大丈夫だけど、やっぱりトウカには少し難しかったかも。

 改めて見ると百項目以上はあって、戦闘中に使う用語だけでも三十弱。それを全て頭の中に叩き込んで臨機応変に対応しろだなんて無理があると思う。だから、よく使う単語だけ予習するつもりだったのだけれど、解説文の中にまた違う横文字があったりとかでもう大変。一つの単語を理解するのにまた違うスキルの内容を把握しなくちゃいけないし、理解できても今度はそのスキルから身を守るスキルを覚えなくちゃいけないし。トウカがこんなに頭を掻くのは初めて見たかも。

 

「そんなに掻いたら禿げちゃうよ?」

「髪もライフスティールされるのは勘弁だなぁ」

「あはは! なぁにそれ!」

 

 あんまりに可笑しくて、ベッドの上でけらけら笑い転げると、トウカもどこか嬉しそうに眉を細めて「コーヒーでも入れてくるよ」と席を立つ。ボクはすかさず指を二本立てると、トウカはぐっとサムズアップして、

 

「わかった。ブラックだな」

「違うよお砂糖ふたつ!」

「え? お砂糖がなんだって?」

「ふたつ!」

「な、なに? ちょっとラグくて……」

「いじわる!」

 

 枕を投げつけると、トウカはそれを片手で受け止めてふわりと投げ返し、意地の悪そうな笑みを浮かべて部屋を後にした。

 トウカは偶に、変な意地悪をしてくる。嫌がらせとまではいかないような、本当にどうしようもない、子供っぽい悪戯。聞こえてるのに聞こえてないフリとか、一緒にお昼寝している時に鼻をつまんできたりとか。それで嫌いになったりはしないし、寧ろちょっと嬉しいなーって感じてしまう自分もどうかとは思うけれど……。

 でも、そんなトウカでも極稀に寂しそうな表情をする時がある。

 多分、気づいているのはボクだけかもしれない。

 捨てられた子猫を見るような、侘しい目。瞳の奥に、ひっそりと佇む。仲間と話している時、一緒に狩りをしている時、ご飯を食べている時でも。

 隠しているつもりはないんだと思う。だけど、ボクが一番トウカを近くで見ているから、なんとなくわかる。

 ボクだけが知ってる、小さな小さな秘密。

 投げ返された枕をぎゅっと抱きしめて、思いを募らせていると、樫の木の扉からコンコンとノックする音が飛び込んでくる。返事をすると、扉の向こう側から「おおい、開けてくれー」というトウカの声が聞こえた。きっと二人分のマグカップを持っているから両手が塞がっているのだろう。

 ボクは駆け寄って、さっきのお返しに悪戯してやろうと扉に耳を立て、おほんと一つ咳払いをしてから初老の王様のように声を低くして、言った。

 

「合言葉を言うのだ」

「……お砂糖ふたつ?」

「ぶー。はずれ」

「王様の耳はパンの耳」

「ちがいまーす」

「…………」

「……とーか?」

「このお菓子美味いな」

「にゃー!!」

 

 慌てて開けるとトウカはもぐもぐと口を動かして、ボクの大好きな大好きな洋菓子をこれ見よがしに頬張っていた。

 

 

「もうっ。なんで先に食べちゃうかな!」

「さっさと開けないのが悪い」

「トウカが悪い」

「ユウキが悪い」

「トウカ」

「ユウキ」

「…………」

「…………」

 

 トウカも、膝の間にすっぽりと収まっていたボクも、じろりとお互いに睨み続けて、やがて耐えようにも耐え切れず、笑みが口角に浮かぶ。そうして、二人とも笑い会って、穏やかな空気がボクたちを優しく包み込んだ。

 ああ、楽しい。本当に楽しい。こんなにも心がぽかぽかするなんて、幸せに嬉しさがとめどなく溢れてくる。

 こうして自分の背中を彼の懐に預けることで、何もかも委ねてしまいたくなるような。こんな感情を抱いたのは本当に久しぶり。……ううん、きっと初めて。アスナや皆と一緒にいた時の感情とはちっともそぐわない。

 

「えへへ……」

「うん? どうした?」

「ふへへぇ。なんでもなーい」

 

 ボクたちはコーヒーを飲みながら、なんでもないような会話を暫く交わしていた。

 

「明日は作戦が決まるといいなぁ」

「そうだな」

「そーいえばね、シウネーがクラインに食事に誘われたって」

「へぇ、それでお返事は?」

「まだ悩んでるみたい」

「まぁ、根はいい奴だからな」

「ボクもそう思う。面倒見がいい人って感じ」

「皆そうさ。アスナにしてもキリトにしても。本当に良くしてくれてる」

「ボクはー?」

「ユウキも良くしてくれてるよ」

「えへへ。トウカもいい子いい子」

「子っていう歳じゃないけどな」

「じゃあ、おじいちゃん?」

「そこまで老けてないだろう」

「トウカおじいちゃん。晩御飯は食べたばかりですよ」

「おおそうかいそうかい。ユウキおばあちゃん、それはわしじゃなくて炊飯器じゃよ」

「ボクもボケちゃってるじゃん」

「老いも楽しむもんさ」

「ボクがお年寄りになっても面倒見てくれる?」

「今とそう変わらないだろ」

「じゃあ、いつか本当にトウカおじいちゃんになったら、ボクが面倒みないとね」

「その頃にはサイボーグになってるから問題ない」

「えー。頭がぴかぴか光るのー? なんかやだなぁ」

「お前はサイボーグにどんなイメージをもってるんだ……」

「だけどそうなったらボクもサイボーグだよ? いいの?」

「お前までサイボーグになったらお菓子食べられなくなるぞ」

「いいよ。その代わりロケットパンチで世界征服しちゃうから」

「いいな。その機能俺にもつけてくれよ」

「トウカは奥歯からガムシロップが出てくる機能つけてあげる」

「涎垂らしてるようにしか見えないな……」

「ボクは目からビームとか、肩からミサイルとか出てくるんだよ」

「ずるいぞ。俺にも何か攻撃システムないのか」

「じゃあ木工用ボンドあげる」

「売ってる。それ売ってるやつ」

「我侭だなー」

「俺が悪いのか……ん……」

 

 ふと、トウカが目をぐしぐしと擦って、小さな欠伸をかくのが見えた。

 

「眠くなっちゃった?」

「そう、だな。少し」

「今日はもう寝よっか。明日また勉強しよ」

「だな。昨日もあまり眠れなかったし、疲れが残ってるみたいだ」

「ベッド使っていいよ。ボクは暫く起きてるから」

「そうか……。それは……悪いな……」

 

 トウカはそのままベッドへと横たわる。

 いつもならボクが眠くなるまで会話に付き合ってくれているのに。今日はなんだか珍しい。

 うとうとしながらも必死にボクの瞳を捉えて、薄れていく意識と戦っている。 

 ボクはそっと、トウカの頭に手を乗せて、慈しむように撫でる。

 

「大丈夫、ボクもちゃんと寝るから」

「……ああ」

「おやすみ、トウカ」

 

 ――――。

 数分としない内に、すうすうと静かな寝息が聞こえる。

 まるでボクよりずっと年下の、子供のみたいな寝顔だった。暫くの間、彼の頭を撫で続けていたけれど、どうしても我慢できなくなって、そろりと。少しだけ頬を突いてみる。

 

「う……ん……」

「あは」

 

 ぴくんと眉を細めて、もぞもぞと枕に顔を埋める仕草が、たまらなく可愛い。

 ボクよりずっと年上で、ボクよりずっと大人の彼が見せることのない隔たり。

 優しくて、意地悪で。そして、大切な人。

 そんな彼の普段見せることのない表情にボクは、思わず身悶える。

 

「えへへ……」

 

 頬突いて、鼻を突いて、頭を撫でて。

 手を握って、指を触って、おでこに触れて。

 かっこいい。可愛い。好き。大好き。

 そんな感情だけが溢れに溢れて、ボクはとうとう我慢できなくなってしまった。

 

「お邪魔しまーす……」

 

 誰か見てるわけではないけど、辺りをキョロキョロを見渡してから、トウカの寝床にもぞもぞと入り込む。

 できるだけ起こさないように、物静かに。足から順番に、体勢をトウカと鏡合わせになるように。

 既に人肌と同じ体温までぬくぬくに暖まっていた布団を改めてかぶり、ボクはそっとトウカの胸を顔を埋めた。

 

「ふへへぇ……」

 

 惚ける声が、自然と零れる。

 トウカの芳しい香りが、ボクの体を覆う。今で経験した緊張とは比べようもなく、胸が高鳴る。と同時に、ボクの意識はすっかりと溶かされて、幸せが声となって漏れてしまっていた。

 

「幸せ……幸せぇ……」

 

 堪らず、すんすんと嗅いてみる。

 香水やコロンのような、作られた匂いとはまるで違う。少しだけ汗っぽくて、力強いような感じ。でも、一切不快感は感じない。多分だけど、違う人が嗅いだら良い香りには思えないかもしれない。

 でも、ボクはそんなトウカの香りが大好きで仕方がない。こういう場合、好きだからいい香りがするのかな? それともいい香りだから好きなのかな? どっちだとしても好き。はふはふ。

 

「あ……」

 

 ふと、顔を見上げてみると、寝息を立てている顔が間近に見える。

 ほんの少し近づいただけで、唇が当たってしまいそうな距離。心臓が今にも破裂しそうで、だけど好奇心が抑えられなかったボクは、試しに指先でトウカの唇に恐る恐る触れてみる。

 

「わぁ……」

 

 ぷに、と柔らかい感触が指を伝う。

 初めて男の人の唇に触っちゃった。ほんのちょっぴりかさかさしてて、自分の唇とはまた違った感触。

 いけないと分かってるのに、その行為を止められないボクは、きっと悪い子なのだろう。トウカは良くしてくれてるって言ってくれたのに。ボク自身もそうでありたいと願っているのに。

 ――ううん。これは、トウカが悪いんだ。

 ボクをこんなにドキドキさせる。トウカが悪い。

 

「トウカが悪いんだよ……?」

 

 唇に触れた指を、自分の唇に宛がう。

 初めての間接キス。心が締め付けられて、罪悪感と共に激しい鼓動がどこまでもボクの好奇心を擽らせて止まない。

 

――もっと近づけ。もっと前に出ろ。欲しい物はすぐ目の前だ。

 

 あと少し、ほんの少し身を捩じらせて顔を傾ければ、トウカとキスができる。

 ずっとずっと、したくて、されたいと思っていた。大好きな人とのキス。

 

「あ……う……」

 

 したい。

 我慢できない。

 その唇に触れて、想いの丈を目一杯絡めたい。

 ボクは欲求に抗うことなく、首を傾けてそっと目を閉じる。

 

「ん……ぅ……」

 

 トウカが悪いんだ。いつまで経ってもボクの気持ちを受け入れてくれないトウカが――。

 

「ユウ……キ……」

「ひゃぅ……ッ」

 

 突如として強い力で抱き寄せられ、ボクの体はしなやかに湾曲した。

 後ほんの数センチといったところで、ボクはの悪事は未遂に終わってしまったのだ。

 再度身を捩ろうにもトウカに腕にがっちり固定されて、動かせるのは僅かな頭の回転と手回りだけ。一瞬起こしてしまったと慌てて仰ぐも、依然として変わらず規則正しい寝息だけ聞こえるだけだった。

 

「もうちょっとだったのに……」

 

 ボクは諦めて、彼の胸に頬を寄せる。

 心臓の上に耳をつけると、トウカの優しい心臓の音がとくんとくんと脈打つ音が全身に伝う。ボクの感情は徐々に熱を冷まし、やがて気持ちのいい心地に誘われ始めた。

 

「ま、いっか……」

 

 キスはいつか、トウカからしてもらいたい。

 ボクと同じ感情をいつか共有できたら、それは本当の意味で幸せなれるから。

 だから、今日は――。

 

「……ちゅっ」

 

――ほっぺで我慢してあげる。

 

 ボクは、頭部を右に傾けて、トウカの頬に唇を寄せる。

 むず痒そうにむにゃむにゃと顔を顰めるトウカの顔が、とっても可笑しかった。

 

 ボクは、トウカの背中に手を回して、優しく抱きしめ返す。

 目を覚ましたら、きっとボクは怒られる。

 未成年と寝床を共にするのは良識に反するーとか言って渋るのは分かってたし、結局勝手に布団の中に入って、トウカが起きるまで眠るのだから。

 

 どうせ怒られるなら、夢の中でくらい、いっぱいちゅーしてやる。

 好きな人の腕の中で見れる夢なんだから、トウカに会えないわけがないもの。

 ――それくらい、きっと許してくれるよね。

 

 

*

 

 

 後日談というか、今回のオチ。

 案の定ボクは怒られて、ほっぺをむにむに引っ張られました。

 とっても痛かったけど、悪戯の件はバレてないみたい。

 結局あの後、ちょっともったいないと思って、眠気に負けるまでトウカの頬にたくさんちゅーをした。

 回数は五十回から後は数えないけど。

 これは、トウカと一緒になれる日がきたら、正直に話そうと思う。絶対また叱られるのは避けられないなぁ……。

 

 でも、これって不可抗力だよね。

 トウカを好きになった原因はトウカが作ったんだよ?

 だから、トウカが悪い!

 

「罰として、一週間お菓子禁止」

「ふぎゃあ! デバフはやだよー!!」




 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 投稿が滞っているのにも関わらずUAも気づけば12万も突破しておりまして……。三年も経っているだけに感無量です。

 最近はモチベも相まって中々進行できていませんが、なんとか更新は続けていきたいという意志もありますので、少しずつ、細々と更新できたらいいなと思います。

 妄想をぐっちゃぐちゃに混ぜて、レンジでチンした感じの内容で申し訳ないです。

 すっかすかですが楽しんでいただけたら何よりです。


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誕生日記念(2017)

ユウキお誕生日おめでとー!

間に合ってよかったー!

おもちーっ

※即興で書いたので、内容スッカスカです!


「めるしー?」

「そ! スイーツ専門カフェ、めるしー!」

 

 口に加えたフォークをずいっと突きつけて、ユウキは目を燦爛とさせた。

 

「アスナがね、明日一緒に行こうって誘ってくれたんだー」

「まぁ明日は土曜日だし、お出かけにはもってこいだろうな」

「でしょでしょ! ボクすっごく楽しみだよー!」

 

 と、言いつつケーキを頬張りながら恍惚な表情を晒す。

 俺は常々思うのだが、どうして女子はこうも甘いものが好きなのだろうか。

 いや俺も好きではあるが、こう毎日のように食べていては胸焼けを起こすに決まっている。

 だが俺の周りにいる女子たちはお構いなしと言わんばかりに、アスナが腕を振るっては皆幸せそうな顔で甘味をつついている。

 

 だから時偶に、つい。ぽろって言ってしまいそうになる。

 

『そんなに食べたら太るぞ?』

 

 ……なんて言おうものなら鉄拳が飛んでくるに違いない。

 紅茶をスプーンで掻き回しながら、そんな事をぼーっと考えていると、ユウキがフォークを加えたままじーっとこちらを睨んでいた。

 

「……なんだよ?」

「太るわけないじゃん。ばか」

「……俺、口に出してた?」

「顔に書いてありました」

「消しゴム持ってたら貸してくれ」

「油性なので消えませーん」

 

 と、まぁ。偶にここが仮想世界だということを忘れてしまう時がある。

 俺がここの生活に慣れてきた証拠になのか、もしくはただ単純にボケているだけなのか。

 特に深い意味はない。悲観しているわけじゃないからな。

 ユウキがかつてそうだったように、何れ俺もここ(仮想世界)の住人として馴染んでいくのだろう。

 それはそれで良い。そういう運命なら、ある意味面白みが増すというもの。

 今までの自分だったら絶対に周囲をつっぱねて独りになろうとしていたに違いない。

 けど、こいつの笑顔一つで、もうどうでもよくなった。

 無邪気で純粋で、幸せそうなその笑顔と比べたら、俺の考えなんてちっぽけなものだ。

 感謝してるよ。本当に。

 

「えへへ……」

「顔がニヤけてるって。そんなに美味しいのかそのケーキ」

「美味しいけどちがーう。やっぱりトウカはそういう風に笑うのが一番いいって。そう思ったの」

「好きで笑ったわけじゃないって」

「こんな感じ? ハハハー」

「前よりへたくそになってる」

「あ、あれ?」

 

 できればあまり思い出したくはない過去ではあるが、どうやらユウキはそう思っていないらしい。

 小島で戦った、あの決闘のことだ。

 単純に語ればただの喧嘩だ。お互いに譲れないことがあって、だからぶつかり合って互いを理解しようとした。

 ユウキ曰く、それも大切な思い出だから忘れたくない、らしい。

 改めてあいつの強さを思い知らされた気がする。

 今だって偶に思う。俺にはもったいないくらい彼女はよくできている。

 強くて、凛々しくて、それでいてどこか猛々しい。男の俺から見てもカッコいいと思える程に。

 こうして二人で面と向かって会話をすることに、ほんの少しだけ後ろめたさを感じてしまう。

 ……これも言ったら鉄拳が飛んできそうだ。

 

「それで、さ」

 

 かちゃり、とフォークを皿の上に乗せる。

 ユウキは、言葉尻を僅かに区切ってから、

 

「一緒に、来てほしいなーなんて……」

「行くって、その『めるしー』にか?」

「うん……」

「別にいいぞ? 俺も興味はあるし」

「ほ、ほんと!?」

 

 料理スキルをカンストさせたアスナが美味しいと唸るような店なら、ぜひとも行ってみたい。

 これからここで生きていくのであれば、そういう店を知っておいて損はないだろう。

 そもそも断る理由なんてないしな。

 

「ていうか、俺が行っていいのか? 女子会的な、そういう奴じゃないのか?」

「ぜーんぜん! キリトも来るし、寧ろトウカも誘ったほうがいいって二人も言ってたし、っていうかトウカにしか頼めないし……」

「へ? なんだって?」

「ううん! なんでもない!」

 

 最後らへんがなんか聞こえなかったが、なんとなしに察することはできた。

 多分、気を使ってくれたのだろう。

 ここのところ皆リアルが忙しくてALOにログインする暇はなかったようだし、それぞれ学校や部活がある上進路のことだってある。

 毎日長時間ゲームをするわけにもいかないのは当然だ。

 因みにユウキはほぼ毎日ログインしては会いに来てくれている。メンテ日に至っては歩いて俺の病室にまで来てしまう。

 それ自体は、その、嬉しいというか、なんというか。

 ま、まぁ。それはそれとして、体調面が心配だったので一度注意したことがあるのだが、その時は逆ギレされて色々ともう大変だった。

 二回目はあくまで友好的かつ諭すように説得してみたのだが、その場で大泣きされてしまった。

 最終的にはキリトがメディキュボイドなる物を提供してくれたおかげでなんとか丸く収まったのだが……。

 

 兎に角ここのところユウキに振り回されることが何かと多い。

 喧嘩らしい喧嘩はない(結局は俺が妥協することになる)が、口での鍔迫り合いが少し目立つ今日この頃。

 せっかくユウキたちが御呼ばれしてくれるのだ。

 今回は甘えさせてもらうことにしよう。スイーツカフェなだけに。

 

 スイーツカフェなだけに。

 

 スイー

 

 

 

 

 

 

 

  

「帰る」

「ま、まぁまぁ。とりあえず落ち着いて」

「俺は聞いてないぞ! 俺はてっきり――」

「言ったら絶対来てくれないじゃん!」

「ゆ、ユウキも落ち着いて……」

 

 俺とユウキの間に、アスナとキリトが割って入る。

 周囲の注目が集まっていることもお構いなしに俺とユウキはがなり合っていた。

 当然だ。俺はてっきりスイーツカフェで普通に、普通にだぞ? ごく普通にスイーツを堪能できるのかと思っていた。

 それが蓋を開けてみれば、

 

「カップル限定だなんて聞いてないぞ……」

「ご、ごめんね! 私がトウカなら来てくれるよって言っちゃったから……」

「知ってたら絶対断ってたよ……」

 

 ここに来るまでの道中、もしやとは過ぎっていた。

 央都アルンの東側。そこはスイーツカフェだけでなく、デートにお誂え向きな公園や遊園地、ショッピングが楽しめるということで話題になっていた。

 発信元は確かリズだったか。先日、キリトたちのログハウスにて熱く語っていたのを小耳に挟んていた。

 俺には無関係だと。そう思っていた。

 

「ほ、ほら。周りも同じだから入っちゃえば気にならないと思うけど」

「口実だけなら、別に俺じゃなくたって……スリーピング・ナイツの誰かでも良いじゃないか」

「……みんなと時間合わない」

「そうは言ってもだな……」

 

 ぼそりと呟く言い訳に、俺は頭を掻く。

 するとユウキは地面を強く蹴った。

 

「そんなに嫌なら、もういい!」

 

 上擦った声で羽を大きく広げると、どこかへと飛んで行ってしまった。

 飛び去り際に、ユウキの頬から数滴の雫が落ちるのが見えた。

 

「お、おいユウキ!」

「待って!」

 

 アスナもすかさず羽を広げて、後を追従する。

 俺は、動かなかった。……違う。動けなかった。

 キリトも後を追うことはなかった。

 ほんの少し間が空いてから、キリトに、どん、と。肩を軽く小突かれる。

 

「……わかってるよ」

 

 

 

 

 キリトは英雄だ。

 数多くの挫折と絶望に打ち勝ち、長きに渡る戦いに終止符を打った、SAO最強の剣士だ。

 アスナは華だ。

 キリトと共に恐怖を乗り越え、勇猛果敢に立ち向かうその姿は閃光と呼ぶに相応しい。

 ユウキは強さそのものだ。

 果てに待つ深淵が如何に暗くとも、それを乗り越えられる心を持っている。

 心技体。全てにおいて不屈とも言える彼女の強さは、正に絶剣と言える。

 

 三人だけに限ったことじゃない。シリカにも、リズにも、リーファにも、シノンにも、クラインにも。

 それぞれ俺にはない強さを持っている。

 

 じゃあ、俺は?

 

 俺には何がある?

 

 ――ああ、そうさ。なにもない。

 だから、俺は相応しくない。

 皆の隣にいることも。

 彼女の隣にいることも。

 

「俺みたいな奴が近くにいるとさ、ユウキに迷惑かかると思う。今回みたいなのは特にだよ。お前とアスナはそういう関係なのはそれなりに広まってるからいいとしても、ユウキは違うだろ? どこのわけもわからない奴が絶剣とカップルになってる噂が広まったら、情報屋のいい的じゃないか。そうなったらスリーピング・ナイツの皆にまで迷惑がかかる。まだメンバーの誰かだったら周囲も納得するだろうし、違和感はないと思う」

「――だからあんなに、露骨に嫌がったのか?」

「……いや、半分は違うかもしれない。単純に怖いだけかもな。余計な噂こさえて皆に嫌われるのが」

 

 多分、ていうかそれが本音に近い。

 ここまで来て皆から遠ざかるつもりはない。けれど、何かの拍子で、今の関係性が壊れてしまうような、土足で踏み込むようなことはしたくない。

 言ってしまえば事勿れ主義なのだろう。今の俺は、それ程までに臆病になってしまっている。

 だから嫌なんだ。自分が責任を取れないようなことをしてしまうのは。

 

「いい大人がビビってばかりで情けないとは思ってるよ……だけど――」

「それを、ユウキに直接言ったことはあるのか?」

「いや、ないけど」

 

 首を横に振ると、キリトは俺の背中をぽすんと叩いて、笑みを浮かべた。

 

「それ、ユウキに全部ぶちまけてみろよ。一度でいいからさ」

「……余計に負担かけることにならないか?」

「俺も似たようなこと、アスナに言ったことがあるんだ」

「お前が……? いつ……」

「SAOに囚われていた頃にさ、久しぶりのボス攻略戦で凄く弱気になってたんだ。俺はどうなってもいい。せめてアスナだけでも安全な場所で待っていてほしいって話したらさ、凄い顔で『自殺するよ』って言われたよ」

 

 ……思い出した。

 確か、スカルリーパー戦の時だ。

 アスナは現実世界に戻れなくてもいいから、あの森の家でいつまでも一緒に暮らしたいと言っていた。

 でもそれはいつまでも続くわけではない。出来ることなら現実の世界で共に生き、共に歳をとっていきたいと。

 

「少なくとも俺たちから見たら、トウカとユウキは凄く信頼し合ってるように見えるよ。だからこそアスナもトウカなら引き受けてくれると思ったんだ。もちろん、黙ってたユウキも悪いと思う。でもさ、他に頼める人がいる中でお前を選んだってことは……つまりそういうことじゃないのか?」

「いや、でもユウキはみんなと時間合わないって……」

「いいからとりあえず行って、まずは話してこいよ。ユウキの位置はフレンド設定から追えるだろ?」

「……わかったよ」

 

 言って、俺は地面を蹴って羽を広げる。

 ホロウィンドウを開き、指を走らせてユウキの位置を確認する。そう遠くへ行ってないようだ。

 飛び去る前に、キリトの方へ向き直る。

 

「キリト!」

「なんだ?」

「……ありがとな!」

「……ああ!」

 

 出来る限りのスピードで飛翔する。

 思い悩むことはいくつか残っている。

 キリトが言うほど、俺は単純に解釈できない捻くれ者だ。

 だけどそれは全部話してから考えることにする。

 

 俺はまた、思いつめて抱え込むところだった。

 理解されなくたっていい。とりあえず全部話そう。

 そうしなきゃ、いけない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後にここへ来たのは何時以来だろうか。

 央都アルンの中心区、世界樹の根元。

 あいも変わらず観光スポットとしては有名所なだけに、それなりに人が行き来している。

 降り立った俺は、改めてユウキのいる場所を確認することもなく、ただ一点の場所へ目指して歩を進めた。

 ユウキの初めて喧嘩して、仲直りした場所。

 石畳沿いに進み、やがて開けた草原が見える。緩やかなカーブを抜けて、そのまま進んでいくと道端から外れた、寂しく立っている一本の成木が顔を出す。

 

 木の根元に目をやると、紫色の長髪の女の子が、体を丸めて座っているのが見て取れる。

 少し体を揺すらせて、ただ呆然と町並みを見下ろしているようだった。

 

 俺は黙って近づく。

 ユウキは、とっくに気づいてる様子だったが、これといった反応はない。

 

「……アスナは?」

「トウカが来るだろうから、少し席外すって」

「……そうか」

 

 アスナに怒られる覚悟もしていたのだが、彼女の方が一枚上手だったようだ。

 話し合う機会を与えてくれたことに、改めて感謝と非礼を詫びなければいけないな。

 

「ボクに構わないでよ」

 

 唐突に、ユウキは掠れた声で口にした。

 いつか聞いたその台詞に、俺は「ああ、構ってないよ」と返したことを思い出す。

 今回もそう言えば無事仲直りができるのだろうか……。

 いや、出来ない。そうしてはいけない。

 

「構うかどうかは、話をしてからだ」

「……ふーん」

 

 興味のない返事。

 恐らく、多くを語っても言い訳や屁理屈にしか解釈してくれないだろう。

 キリトの言う通り、全てをぶちまけて話すことは簡単だ。しかし、理解してもらうためには順を追って話す必要がある。

 ユウキは俺を必要としてくれた。そこにどう向き合えればいいのか。そこが要点だ。

 

「ユウキ」

「なに」

 

 冷たい声が間もなく返ってくる。

 機嫌を損ねているのがよくわかる。当たり前か、まだ年端も行かない女の子だ。

 

「俺が恋人になってもいいのか?」

「…………」

「仮に一日だけそういう関係になったとしても、周りはそう思ってくれるわけじゃないんだぞ?」

「…………」

 

 ユウキからの返事はない。

 それでも俺は続ける。

 

「絶剣に彼氏ができたらどうなる? 噂は一気に広まって、その……変な誤解を生むことになると思うんだ。スリーピング・ナイツの皆にも火の粉がふりかかるかもしれない」

「……変な誤解って?」

「えっと……例えば、どこぞの馬の骨があの最強の剣士に付きまとっている! とか、大人が絶剣を誑かして街中を連れ回している! とか……」

 

 自分で言ってて物凄く悲しくなってくる。

 けれど、絶対にそうならないとは限らない。

 今の俺とユウキの間にはそういった差があるのだ。

 

 ふと、ユウキは顔を上げてこちらを見る。

 

「……じゃあ、ボクとトウカに差がなかったらいいの?」

「え?」

「周りから見て、トウカとボクが同い年に見えたらいいんだよね?」

「それは、まぁ……多少の誤魔化しは利くだろうけど……」

「……ボクのこと嫌い?」

「その言い方は卑怯だぞ……」

 

 頭を撫でると、僅かに頬を緩ませたユウキは、おもむろにアイテムウィンドウを開くと、一つの飴玉を取り出した。

 見るからに普通の飴玉だ。色からしてイチゴ味を感じさせる程度のもので、特にこれといった特徴は感じられない。

 ユウキは丁寧に包みを開けてそれを俺に差し出した。

 

「これね、《トランスキャンディー》っていうの」

「とらんす……きゃんでぃー……?」

「一時的に、好きな年齢に変身することができるんだって」

「は、はぁ」

 

 漠然としすぎて理解ができない。

 

「つまり若返りの薬みたいものか?」

「そんな大層なものじゃないよ。一定時間の状態異常のようなものだから、時間が切れたら、ちゃんと元に戻るよ」

「な、なるほど」

 

 理解はできたが今度は先が見えない。

 

「要約すると、俺がこれを食べて、ユウキと同じ年齢にまで若返って、一日彼氏として付き合うってことか……」

「……嫌なら別にいいから。後はトウカが決めていいよ。ボクもう怒ってないし」

「いただきます」

「あっ」

 

 有無を言わさず口の中へと放りなげる。

 あっけらかんとしたユウキの頬を少しばかり引っ張って、

 

「分かりやすい捻くれをどうもありがとう」

「ふあうあうあー……」

「後悔しても知らないからな」

「……しないもん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ! ようこそメルシーへ!」

 

 可愛らしいウェイトレス服を召した女性店員が、それはもう明るさ満点の笑顔を振りまいた。

 案内された席について、キリトとアスナを待つが一向に現れない。

 これは何か、嫌な予感がする。

 

「キリトたち遅いな……」

「う、うん」

 

 とにかく落ち着かない。

 見た目に関しては周りから変な目で見られることはないだろうが、いつもとは違う目線の高さにどうも違和感を感じる。

 二人が来たら来たでこの姿でからかわれるだろうし、とにかくこの妙な緊張感から早く開放されたい。

 

「とりあえずずっと待つのも悪いし、先にメニュー頼むか?」

「そう、だね。うん、そうしよ!」

 

 メニューを広げてみると、さすが有名と言わしめるだけのことはあって、かなり豊富なメニューとなっていた。

 ケーキだけではなく、和スイーツやジェラートまで取り揃え、紅茶に至っては幾種類もの名前が何ページにも渡って記載されていた。

 その天国のような絵柄やいかにも美味しそうな写真にユウキは目を輝かせた。

 

「ふわぁ~……ここ天国だよぉ……」

「確かに、これは凄いな……」

「メニューはお決まりですかー?」

 

 店員がニコニコ微笑みながら、ずぃっと少し身を乗り出す。

 

「い、いえ。まだです」

「それでしたら、只今キャンペーンをしておりましてぇ!」

 

 さらに店員は身を乗り出してメニューの端っこを指差した。

 俺とユウキはそれを見て、声を揃えた。

 

「「ほっぺにちゅーキャンペーン……彼氏また彼女の頬にキスをすると、好きなメニュー二品無料……」」

「はいー! 店員である私が目視で確認すれば、それでオッケーですのでぇ! どうです! 一発ぶかちましてみますー!? ぶちゅかましてみちゃいますー!?」

「ちゅ、ちゅちゅちゅ……ちゅー!?」

「い、いやそれはさすがにちょっと……」

 

 ずいずいっと身を乗り出して迫ってくる店員。人差し指と中指の間に親指を挟んでいるが、それは意味が違う。

 キャンペーンを勧めるというより、単純にこの人が見たいだけのような気がする。

 ユウキは顔を真っ赤にしてモジモジしていた。

 とりあえず周りの注目もある手前、やんわり断った。

 結局通常のメニューを頼み、事なきを得たのだが、去り際に店員の舌打ちが聞こえたのを俺は聞き逃さなかった。

 

「とんでもない店だなまったく……」

「ちゅー……したかったなぁ……」

「え?」

「な、ななんでもないよー!」

 

 手をパタパタと振りまくユウキは終止顔が真っ赤だった。

 と、ここでフレンドからメールが届くSEが二つ重なった。

 どうやらユウキと俺に同時に届いたようだ。俺たちは顔を見合わせて、メールを開封してみる。

 すると俺宛てにはキリトから、

 

『悪い、急用ができて行けなくなった。ちゃんとエスコートしろよ』

 

 ユウキ宛にはアスナから、

 

『ごめんね、ちょっと急用ができて行けなくなちゃった……また今度一緒に行こ! デート楽しんできてね!』

 

 ……確信犯だな。

 

 無事にスイーツも堪能できて、とりあえず本来の目的は達成された。

 アスナたちが来れなかったのは残念だが、まぁ。あの二人はいつでも行けるだろうし。

 というか、俺はハメられたような気がしてならないのだが……。

 ――いや、疑うのは良くない。そういう考えはやめておこう。

 

「ね、トウカ。 せっかくだから色々見ていかない?」

「それはいいが、ここの東地区でか?」

「うん……駄目かな?」

 

 そんな目で見られたら断るものも断れない。

 ……断る気はないが。

 

「ま、一日付き合うって言ったからな。どこにでも行くよ」

「えへへ……じゃ、いこー!」

 

 引っ張られたの温もりを感じながら、ユウキにつられて、俺も走り出す。

 その時の嬉しそうなユウキの表情に、僅かながら心臓が強くはねるのを、確かに感じた。

 

 

 

 

「あー楽しかったぁ!」

「確かに、貴重な経験だったな」

 

 気づけば夜中の六時ぐらい。

 日も沈みかけて僅かな紅が空を神秘的に染め上げて、綺麗な情景が広がっていた。

 俺とユウキは、近くの公園で足を休めている。

 賑やかだったこの場所も、日が落ちるにつれて、静かな空気を漂わせ始めていた。

 

「プリクラ、後でファイルデータにして送っておくね」

「ああ。そういえば人生で初めて撮ったなぁ」

「男の人は興味ないもんねぇ。それこそ彼女でもいないと撮らないだろうし」

「まぁな」

「あ、そういえば。ちゃんとあのシャツ着てよ? せっかく買ってあげたんだから」

「あの残念Tシャツのことか!? なんだあれ、胸元に平仮名で『さむらい』って書いてあるだけじゃねーか!」

「それが可愛いんだってばー! もーわかってないなぁトウカはー」

「いや、その『さむらい』の下に寿司のプリントがあるのも意味わからん」

「トウカなら似合うよ、絶対!」

「それなら、俺が買ってやったあのぬいぐるみもちゃんと飾れよ?」

「え、あの『ぜっ犬』て紫色のぬいぐるみのこと!? やだよ可愛くなーい!」

「ありゃ良くできてる。そっくりだ」

「鼻水でてたじゃん! 全然似てないよー!」

 

 そんな話が続きながらも、俺たちはずっと手を握っていた。

 彼氏と彼女だからとか、そういう意識で握っているわけじゃない。多分そのことはお互いに気づいていたと思う。

 柔らかくて、温かくて、なんだか落ち着く。

 手を繋ぐことが、こんなにも安らぐなんて思っていなかった。

 

「あ……」

 

 ふいに、ユウキが俯いてしまった。

 

「どうした? 大丈夫か?」

 

 顔を覗き込むと、頬が仄かに染まっているのが見える。

 周囲の気配に気づき、あたりを見渡してみる。

 すると、当然のことではあるが、周りがカップルだらけだったのだ。

 その環境には徐々に慣れ始めてきてはいたのだが、互いに抱きしめあう者もいれば口付けを繰り返す者もいたり。

 なんというか、大人のムード的なものへと変わってた。

 

「そ、そろそろ行くか」

「あ、あの、さ……!」

 

 立ち上がろうとした瞬間、服の袖口をくいっと引っ張られる。

 拍子に再びベンチへ腰を下ろす形となり、完全に立ち上がるタイミングを逃してしまった。

 ユウキの、指をいじいじとする姿がなんともいじらしい。

 

「ボクたち……その、今は恋人同士……なんだよね?」

「えっと、まぁ……今日一日に限っては、そうだな」

「てことは、ボクはトウカが好きで、トウカはボクのことが好き……って、こと……だよね?」

「ま、まぁ……そうなる……かな」

「ん……んっと……えっとね……」

 

 僅かにユウキがこちらへと寄ってくる。

 目線の高さが一緒で、それだけに俺も酷く動揺していた。

 大体この時点でユウキが何を言うのか察しがついている。

 

「渡したいものがあるんだ……ちょっと恥ずかしいから、両手を出して、目を瞑ってほしいな……」

 

 渡したいもの?

 なんだ、俺はてっきり目を瞑って口を寄せてくるものだとばかり。

 いやいや。馬鹿か俺は。そうなったとしてもそこはきちんと断る。

 確かに今日に限っては恋人同士ではあるが、それとこれとは話が別だ。

 だからそういう展開になったとしても、大人としての威厳を示すつもりだ。

 

 ――と、思っていたのだが?

 渡したいものはいったいなんなのだろう。

 

「えっと、これでいいか?」

 

 俺は言われた通りに両手を差し出して、目を瞑る。

 何か他にもプレゼントがあるのか? 残念Tシャツの他に一体何をもらえると言うのだろう。

 ま、そういったものなら受け取っても問題はない。

 

「うん、じゃあ……今から渡すから、ちゃんと目……瞑っててね……?」

 

 言って、ユウキは俺の両手をそっと掴んだ。

 

 瞬間――。

 

 ちゅっ。

 と、右の頬に柔らかな感触が走った。

 

「――――――」

「えへへ……」

 

 フリーズ。

 一体何をされたのか。

 考えることも、勘が得ることもできないまま、

 右の頬をただ漠然と指先でさする。

 

「そろそろ帰ろっか!」

「――……あ、ああ」

 

 その時の俺は一体どんな顔をしていたのだろう。

 ニヤけていたのか。はたまた無表情だったのか。

 今となってはその感触すら思い出すこともままならない。

 だが、一つだけ言えることがある。

 

 頬に柔らかな感触が走ったその刹那。

 耳元に囁かれたその言葉だけは今でもしっかりと覚えている。

 何故なら……。

 俺もいつか、きっと。その日を迎えることができるのなら。

 面と向かってそう言いたいと願っていたから。

 

 




今回も読んでいただき、誠に有難うございます。

ユウキのお誕生日記念ということで投稿させていただきました。

内容がスカスカだった件については、何も言わないでいただきたい!

お祝いする気持ちが大事だからネ! おもち!

wake up knightsはこれからも続きます!

また見ていただけると嬉しいです。

改めまして、木綿季そして藍子さん! お誕生日おめでとう! 

おもちは三月がお誕生日だったけど、プレゼントはおばあちゃんのキットカットだけだったよ! うれしいな!


ツイッターやってます。更新等のお知らせはそちらから。
@Ricecake_Land


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誕生日記念(2018)

ユウキ誕生おめでとう!

ちょっとえっちぃです!

偶にはいいかなって!


自分にとって居心地のいい場所とは、なんて聞かれたら一つだけに絞ることは難しいだろう。

 例えば、寝起きの布団の中とか。眠気眼を擦りながら感じる、あの人肌温い毛布の心地良さといったら。あれに嫌悪する人間なんて地球上に一人だっていまい。生まれてこのかた一度も浮気をしたことがない堅物な旦那がいたとしてもあの二度寝を誘う魔性の力に抗い難いものがあるはずだ。痴話喧嘩だろうが夫婦喧嘩だろうが、一度布団に包まってしまえば大体あの心地よさが治めてくれる。万能にして有能。完全にして完璧。正に居心地のいい場所って感じだ。……単純に寝るのが好きなだけか?

 ああ、居心地の良さで言えば温泉も悪くない。朱に染まる夕凪。しとしとと舞い落ちる雪景色。月光に煌く夜桜。そんな情景を独り占めに熱燗を一杯――。まぁ、俺は飲めないが。とはいえ、飲めなくても文字通り入り浸れるあの感覚が大好きだ。時間の流れを楽しめるというか、誰にも邪魔されず観賞しながら感傷に更けて、在り方のようなものをじっくりと考えることができる。勿論、皆と共有するのも悪くない。感情が和らぐ上に体も解れて、そういう空間で話せる会話には、何か特別なものを感じ得る。そういう意味では『裸の付き合い』なんて言葉も存外にできない。

 どうやら、俺にとって居心地のいい場所とは、静かで、温かくて、落ち着きのある空間のことを指すようだ。確かに騒がしいのは苦手かもしれない。ライブやコンサートといった人混みの激しい所よりも広い大草原で寝転がって昼寝している方が有意義だと感じてしまう。

 つまり、何が言いたいのか。他人の観点から考えれば『何故そんなものが?』と疑問を抱いてしまう事でも、その人にとっては価値があれば、決して無碍にしてはいけないということだ。

 理解できないのは仕方ない。する必要もないかもしれない。ただ、その人にとって一番充実していた時間を過ごしていて、何故懸念されなければならないのか。

 月並みの言葉だが価値観なんて人それぞれだ。だからこそ、人は人を尊重しなければならない。

 当たり前だ。それができてこその大人だろう?

 

 例えそれが、場所であっても、物であっても。

 ……お菓子であっても。

 

 

「あー、絶剣様?」

「うるさい」

「…………」

「あ、あはは……」

 

 アスナの苦笑いが酷く胸に突く。

 いや、苦笑いを溢しているのはアスナだけではない。キリト、シリカ、リズベット、リーファ。そして、鼻で呆れるシノンと、はてと首を傾げているユイ。その中に一人だけ頬面を膨らませている少女だけが、俺に対しそっぽを向いていた。

 

「どうしてユウキさんは怒っているのでしょう?」

 

 ユイが、ふわりと浮いてアスナの肩に着地する。

 

「実は、トウカがユウキのお菓子を食べちゃて……」

「いや、ユウキのものだと知ってれば俺はだな」

「肩」

「はい」

 

 アスナの言葉に対し弁明を請うと、ユウキは低い声で自身の肩に指をさす。

 幾分俺が悪いのは理解しているが、若干釈然としない感情をどうにか飲み込み、俺は黙って肩を揉む。

 先程からずっとこんな調子だ。

 

「ジュース」

「はい」

「お菓子」

「はい」

「肩」

「はい」

 

 空いたグラスにオレンジジュースを注ぎ、テーブルに並べられた菓子を口元に運び、そしてまた肩を揉む。

 すると、一部始終を目の当たりにしたキリトが複雑な微笑を向けて、ぎしりとロッキングチェアを揺らす。

 

「まるで召使だな……」

「代わるか……? 給与無し、定時無し、定休無しの三拍子だぞ……」

「え、遠慮しておくよ」

「人の物を食べたあんたが悪い」

 

 ぴしゃりと言葉で叩いたのはシノンだ。マグカップを口に含んで呆れるその様子からは、ゲームのしすぎで親父に媒体を取り上げられた息子に言い放つ母親の様によく似ている。おかしいな。一応俺の方が年上のはずなのだが……。

 

「ま、食べものの恨みは怖いって言うし。今回は諦めなさい」

 

 リズベットが、やれやれと薄笑いを浮かべてポッキーを口に運ぶ。

 次いで、シリカがエンゼルフレンチを手に取ると、穴越しにリーファを覗いて、

 

「そんなにレアなお菓子だったんですか?」

「うん、20万ユルドはするとか……」

「20万!? あっちゃあ……。そりゃ救いようがないわね」

 

 リーファの一言に、リズベットは驚きで椅子から飛び上がる。

 その金額をユウキの口から聞いた時は、確かに俺もひっくりかえった。

 貴重なお菓子であることには違いないが、何を隠そう、そのお菓子は製作することができない固有アイテムなんだとか。このゲームにおいて大抵食べ物は料理スキルさえ整っていれば製作することができる。アスナはそのスキルがずば抜けて高いせいか、最早作れないものはないと言っても過言ではない程だ。だが、残念ながらたまたま(・・・・)俺が食べてしまったお菓子は流通している中でもとびきりレアなもので、モンスターからの直ドロップでなければ手に入らないお菓子、だそうだ。

 で、あるならば普通豪華な包みや見た目をしているものだろう? ところがどっこいその菓子は見た目なんの変哲もない、ただのマシュマロだったわけだ。それが机の上にぽんと置いてあったら、そりゃ食べてしまうでしょう。味は美味かった。ごちそうさまです。

 たかがお菓子、されどお菓子。見かけたら買って返すからと諭したものの、今の手持ちじゃ確実に足りないし、次にいつ流通するかもわからない。根気強く店に通わなければ入手できないアイテムなだけに、ユウキにとってお宝だったのだ。そこに「あ、すまん」と軽口に頭を下げる無責任な謝罪に、ユウキは機嫌を損ねっぱなしだ。

 お菓子はユウキにとって体の一部のようなものだ。食べてしまったと告げた時の、絶望と失意と呆然が入り混じる相貌面といったら……。

 

「ユウキ悪かったよ。機嫌、治してくれないか?」

「つーん」

「弁済とは別に、好きなお菓子買ってやるから。な?」

「…………つーん」

「だめか……」

 

 一瞬、ユウキの瞳が若干揺らいだが、やはり顔を背けてしまう。自分で「つーん」と言うのは不機嫌を表しているのか、片頬を膨らませている姿は小学生低学年のような反応で、少しばかり可愛いなとも思ってしまう。決して罪悪感を失っているわけではない。

 シリアスな雰囲気でもないので、ユウキがそこまで憤慨していないのは、重々承知している。それでもどうにか機嫌を直してもらいたく、あれやこれやと身の回りの世話をしていると、突然キリトがロッキングチェアから体を起こして、

 

「しまった。リーファ、今何時だ?」

「えっと、リアルタイムは夜の22時過ぎだけど」

「不味い……。明日は、朝から班の集まりがあるんだった……これ以上夜更かしはできないな」

「あはは、一回寝坊して怒られちゃったもんね」

 

 以前にもその話の件を聞いた気がする。

 確か、ユウキや俺が世話になっている、あの視聴覚双方向通信プローブに手を加えたいんだとか。

 なんでも視覚情報をカメラからリアルタイムで読み取って、見る側の空間に同じ物体を投影する、とかなんとか。今まではカメラ越しでしか見ることのできなかった三次元の世界を、通信プローブを通じてVRの世界に立体化することができれば、仮想空間でも現実世界の人間と食事を共にしたり、共同生活することもできる、というもの。

 今はまだ開発段階の途中らしいが、近いうちに必ず可能になると、キリトは息巻いている。

 何故そんなものを? と言う奴は誰もいない。皆知っているからだ。

 

「パパ、無理しちゃ駄目ですよ……?」

「大丈夫だよ、ユイ。完成したら、一番に見せてやるからな」

「はい、楽しみです!」

 

 ユイは、ふわふわとキリトの周りを舞い踊り、喜びを露にする。

 それを見たアスナも優しさに笑みを咲かせた、次の瞬間――。

 

「きゃあっ」

「わぁ!?」

 

 突如として、短い悲鳴と共に体をびくりと弾ませたアスナ。これに対し、隣にいたユウキも驚きに身が跳ね上がる。

 

「び……びっくりしたぁ! 大丈夫アスナ?」

「う、うん。母さんに体を揺すられただけ。警告音でビックリしちゃった」

「ビックリしたのは私らの方よ……」

 

 リズベットを中心に全員がこくこくと頷いて、手を合わせて謝るアスナに大した問題でなくて良かったと、ほっと胸を撫で下ろす。

 まぁ、時間も時間だし早く寝ろと注意しに来たのだろう。ここにいる全員は学生の身分だしな。因みにクラインはエギルの店で飲んでいるらしい。

 それを拍子に、リーファが「さてと」とソファから立ち上がって、

 

「それじゃお兄ちゃんが寝坊しないように、私も早めに寝て起こしてあげようかなー」

「私も宿題残っていますし、そろそろ落ちますね!」

 

 シリカが同調し、ぐぃっと背伸びをして同じく立ち上がる。

 

「私はGGOのデイリークエストが残ってるし、日が変わる前に終わらせてくる。報告が済んだらそのまま寝ようかな」

 

 画面端の時間を確認したシノンは、眼前のティーカップを手に取り、残った紅茶をぐぃっと飲み干す。

 

「あたしも親が五月蝿いからそろそろ寝るわー。ゲームばっかりしてないで勉強しなさいってしつこいのよ!」

 

 リズベットは両手の人差し指を頭の上に付け、鬼のような面相で怒る真似をすると皆が声を立てて笑った。

 

「叱ってくれるうちが花だぞリズ。大人になって、後々勉強しとけば良かったーなんてならないようにな」

「うわぁ、おっさんくさー」

「こいつ……」

 

 人がせっかく注意してやっているというのに。何れ大人になったらがちがちの縦社会を見せてやるからな。将来的に俺の部下になるようなことがあれば絶対に扱き使いまくってやる。コーヒーが温いとか言って何度も煎れ直しに行かせるからな。……あいつのことだから雑巾の絞り汁とか入れそうだ。やっぱりやめておこう。

 そして、必死に笑いを堪えているのがバレバレだぞ、ユウキ。お前は部下になった暁には俺のデスクを毎日掃除してもらうからな。整理整頓から筆記用具の手入れまで、全てだ。指先に少しでもホコリがついてみろ。サービス残業の上早朝出勤させてやる。……掃除どころから占拠されそうな気がする。勝手に好きなもの飾られて俺が窓際社員までありそうだ。っていうか指示しても言うことを聞く気がしない。だめだ、俺の将来が危うい。やめておこう。

 

「それじゃ、俺は先に休ませてもらうよ。お休み、みんな」

「おう、おやすみ」

「おやすみなさい、パパ」

 

 それぞれと挨拶を交わし、キリトは手際よくホロウインドウをスライドさせると、消えるようにログアウトしていった。

 立て続けにリーファから順に、シリカ、シノンが手を振りながらログアウトしてゆく。

 

「おやすみ! また明日ー」

「ユウキも程ほどにね。おやすみ」

 

 リズベットに促され、ユウキもまた、にこやかに手を振り返す。

 最後にはアスナがログアウトしようとホロウインドウに手を翳しながら、

 

「お皿とかカップはそのままでいいからね。二人ともゆっくりしていってね」

「ああ、ありがとう」

「うん! おやすみアスナ」

 

 小さく微笑んで、軽快な音と共に落ちていった。 

 ユイもアスナたちの見送りが済むと、是非キリトたちの手伝いをしたいと興奮冷めあらぬ様子で、翌日に備えてか、キリトが所有している通信プローブの方へダイブして行った。

 次々と皆が落ちてしまい、結果。このコテージにいるプレイヤーは俺とユウキだけである。

 先程まで賑やかだった空間が、一気に熱が下がったかのように、しんと静まり返った。

 

「ほら、ユウキもそろそろ」

「…………」

「お詫びの話は、また明日だ」

「もう少し」

「リハビリあるんだろ?」

「午後からだから、だいじょぶ」

「……そうか」

 

 まぁ、靄華さんもいるし寝過ごすなんてことはないだろう。

 それにしても、ユウキの姿が先程とは打って変わって、どこかしおらしい。

 ソファの上に体育座りをして、両手で持ったティーカップをちびちびと口に運ぶ。

 肩を揉んでいた俺は一旦手を休め、ユウキの隣に座る。

 

「どうした? 皆がいなくなって、寂しくなったのか?」

「それもあるけど、なんだか羨ましいなって……」

「羨ましい?」

 

 思いがけない返答に、俺はユウキの顔を覗いて、

 

「学校か?」

「ううん」

「……お菓子の件か?」

「ううん、そうじゃなくて」

 

 はにかむような笑顔を見せたユウキは、顔をふるふると横に振った。

 別段俺のせいで落ち込んでいるようではないようだ。なら、何が原因で……?

 考えに意識を集中していると、膝を抱えていたユウキは、口元を少しばかり隠して、ぽそりと言った。

 

「家族と過ごせる時間が羨ましいなぁって」

「家族……」

 

 ああ成る程と、軽々に言うことは憚れる様に感じた。

 ユウキには家族同然の仲間がいるじゃないか。……そういう励ましはどこか的が外れている気がする。

 姉同然のアスナ。そしてスリーピングナイツ。常に一緒にいる友がいるだけに、寂しいということないはずだ。

 ――そう、ユウキは『羨ましい』と言ったんだ。友達や仲間からはどうしても得られることのできない、何かを求めて、そう言った。

 そして、俺はそれが何かを知っている。俺もそうだった。それを求めて、必死に祖父に摺り寄ったのだから。

 

「――俺に、何かできることはあるか?」

「トウカ……?」

 

 ユウキの方に面と向き直って、小さく丸まった手にそっと触れる。

 少しだけ冷たくて、それでも仄かな温かみを感じる女の子の手だ。この手が剣を豪快に振り回し、最強を欲しいままにしているのが信じられないくらいに。

 今はただか弱い、紺野木綿季という一人の女の子の手だ。

 

「あ、あはは。大丈夫。ちょっとそう思っただけだから。ボクは皆と一緒に居られればそれで――」

「それは違う」

 

 言って、微かに震える彼女の手を引っ張り、自身の胸元へと導いた。

 意外にもユウキの体は抵抗なく俺の元へとすっぽり納まる。咄嗟の出来事にユウキは目を丸くしていたが、俺は構わず背中に手をまわした。 

 何故自分でもそうしたかはわからない。ただ、傍へ置いておかないと壊れてしまいそうな気がして――。

 

「あ……あぅ……」

 

 くぐもった声が心臓に響く。冷えきった彼女の体温が、とくんとくんと脈打ちながら上がっていくの感じる。

 俺も酷く緊張している。ふわりと香る女性の香りが鼻腔をくすぐり、改めてとんでもない行動を犯しているのだと実感する。

 それでも。それでも俺は止めることができない。本能が彼女を放すな、しっかり抱き支えろと訴えかけてくるのだ。

 ユウキの揺れる瞳が、朱に染まる頬が、より近くに感じた所で、俺は静かに囁いた。

 

「お前が頑張り屋なのは知ってる。辛いことを必死に乗り越えてきたことも。痛みに堪えて耐えてきたことも」

「…………」

「でもな、その頑張りを耐えることに使っちゃ駄目だ」

「そう、なの……?」

 

 ユウキの瞳が俺を捉える。どこか困惑しているようで、俺の服の端をきゅっと握り締めていた。

 小さく頷いてから、俺は続ける。

 

「幸せを探すために頑張ればいい。自分のしたいこと、やりたいことを見つけて、その時が来たら頑張ればいいんだよ」

「しあわせ……」

「時には我慢することも必要だ。でもそれは今じゃない」

「…………」

「言ってみろよ。俺にできることがあれば、なんでもするから」

「……ほんと?」

「ああ、言ってみろ。どーんとこい」

 

 言うと、ユウキはおもむろに俺の背中にするりと手をまわす。

 胸元に顔をぐりぐりと擦りつけ、何度か鼻で深呼吸をすると、もぞもぞと口を動かして、

 

「お詫びのつもり……?」

「違う。俺がそうしたいだけだ」

「お菓子もちゃんと買ってくれる……?」

「勿論。クレープもご馳走する」

「……デートもしてくれる?」

「頑張ってエスコートする」

「一緒にお昼寝してくれる……?」

「俺でよければ」

「…………ちゅーは?」

「それは駄目だ」

「……けち」

 

 一つ一つ受け答えをしながら、ユウキの頭を撫でていく。

 その度にユウキは小さく、甘く呻いて強く抱きしめる。

 赤子をあやすような感覚に近いが、それと同時に、あぁやはり女の子なのだなという緊張感もあった。甘えてくるその仕草がとても心地良くて、強く意識してしまったらきっと耐えかねてしまうだろう。今更ではある。だがしかし、どうしても慣れないのだ。未だ年端もいかない子供であるにも関わらず、どこか女性としての魅力を禁じ得ない。これがもし、俺と同い年であり、同じ状況下であるならば……。いや、考えるのは止そう。

 

「ボクね、トウカにお願いしたいことがあるんだ……」

 

 ふと、ユウキが見上げて俺を見る。

 惚けた表情にどきりとするが、平静を装い「ん? なんだ?」と返してみる。というか、緊張でそれ以上のことができなかった。

 

「でも、ちょっと恥ずかしくて……」

「俺にできることか?」

「う、うん。心の持ちようだけっていうか、こんなことトウカにしか頼めなくて……」

「なら、言ってみろよ。今更断らないって」

「あ、あのね……。実は――」

 

 

*

 

 

 あれから翌日の夜。今夜はユウキからお願い(・・・・)された、約束の日だ。

 色々手回しをして、今夜一日だけキリトたちのコテージを貸切にすることができた。といっても、事情はアスナにしか話いないわけだが。内容が内容なだけに、スリーピングナイツの皆にも話していないのが現状だ。今回ばかりは仕方ない。ユウキが恥を忍んでお願いしてくれたのだから。

 事情を理解してくれたアスナのおかげで根回しは完璧だ。説明した当初は大分複雑な表情をしていたが……。ブツブツと何かを呟いて俺を睨んできた時は、それはもうひやひやした。「ユウキのためだもんね」「でもトウカじゃなくたって」「次は私が……」そんな言葉が重低音で念仏のように聞こえてくるのだから堪ったものではない。この仮はいつか精神的に。ユウキが返してくれる。はず。

 そんなこんなで、俺はコテージの玄関先に立っている。両手にはユウキが希望した材料と菓子類。手が塞がっているので「おーい、帰ったぞー」と声を上げる。

 ぱたぱたと走ってくる音と共に、樫色の扉ががちゃりと開いた。

 

「兄ちゃんお帰り!」

「あぁ、ただいま」

 

 満面の微笑みいっぱいでユウキが出迎える。

 そう、これがユウキのお願い(・・・・)と言うやつだ。

 

 

「ちゃんと材料買ってきてくれた?」

「もちろん、ユウキの好きなお菓子もいっぱい買ってきたぞ」

 

 袋を開いて見せると、ユウキはキラキラと目を輝かせて、ぴょんぴょん跳ねた。

 

「うーわ! これ高かったでしょ? こんなに買ってきて良かったの?」

「妹の喜ぶ顔見れると思ったらつい、な」

「えへへ……やったぁ。兄ちゃん大好き……」

 

 ぽすんと抱きついて無邪気いっぱいに甘えるユウキ、もとい……妹の頭を撫でる。

 ようは、ごっこ遊びだ。それも、今夜限りの家族ごっこ。

 俺が兄で、ユウキは妹。一緒に食事を作り、一緒にテレビを見て、一緒に寝る。たったそれだけの話だ。

 他人から見たら酷く滑稽に見えるかもしれないだろうが、俺は特に抵抗は感じない。寧ろ、こういう演技には少しばかり自信がある。理由はまた別の機会に。

 何故兄役なのかと言うと、これまたシンプルな話で、兄か弟がほしいと思っていたと。それだけのことだ。弟役を演じるには歳や身長差があるので言わずもがな無理がある。父親役でなくていいのかと尋ねたら「ボクの家族はパパとママ。それに姉ちゃんだから」と即答した。代わりは必要ない。亡くなっても尚、家族であることには変わらないのだから。そう言いたかったのだろう。だからこそ元々存在しなかった『兄』が適役だったわけだ。

 

「それじゃ、今日の夕食は紺野家特製カレーといくか!」

「おー!」

 

 色違いのエプロンを身に付け、二人で台所に並び、調理に取り掛かる。

 ユウキは主菜のカレー担当。俺は副菜のサラダ担当だ。サラダといっても野菜を刻むだけで特にこれといった手を加えたりはしない。手際よく野菜を洗い、トマト、きゅり、レタスを軽快に刻んでいく。

 それを見たユウキがフライパンを振りながら目を丸くして、

 

「わぁ、兄ちゃん上手……」

「だろ? これでも兄ちゃんは――って、ユウキ! 前、前!」

「ほぇ?」

 

 秒でフライパンの中身が空っぽになった。

 なんという料理センス。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

「なくなっちゃった!」

「なくなっちゃったな! よし、ユウキ。兄ちゃんと一緒に作ろう。まずカレーはフライパンじゃなくて鍋で作るんだ」

「あいあいさ!」

 

 びしっと敬礼する姿は軍人顔負けだ。消えた具材にまで敬礼しなくていい。

 それからてんやわんやの連続で、食材をOSS(マザーズ・ロザリオ)で切ろうとしたり、鍋にレトルトのカレーを入れようとしたり。

 料理が出来上がる頃にはすっかり夜も更けて。

 気づけば真っ白なシチューが出来上がっていた。

 

「うんまー!」

「何故美味い……?」

 

 

*

 

 

「ん……ふぁ……」

「お、そろそろおねむか?」

「もーちょっとー……」

 

 食事も済ませ、ソファの上で寝転がりながら、だらだらテレビを見ていると、懐に収まっていたユウキが眠気眼をぐしぐしに擦らせていた。俺の催促に首を横に振るが、幾分か眠気も限界に達しているようだ。

 ここで寝てしまっては具合が悪い。テレビを消してユウキを抱きかかえると、ふわりと浮くように持ち上がる。

 

「兄ちゃん……」

「うん?」

「一緒に寝てくれる……?」

「当然だろ? 兄ちゃんなんだから」

「えへー……」

 

 力なく甘えてくる妹を、落ちないよう抱き寄せながら、寝室へと連れて行く。

 このまま眠って明日になれば、いつもの関係へと戻る。短い時間であったが、俺自身懐かしい一時を過ごせた。

 ……家族として甘えてくれる姿はこれで最後かもしれない。それが俺には少し寂しく思えてしまう。求めてきたのはユウキのはずなのに。

 赤子の手を扱うように、慎重にベットへ降ろし、むにゃむにゃと髪を食べそうになったところをそっと掻き上げて、丁寧に布団をかける。

 ユウキは、ぼうっとした表情で俺を見つめたかと思えば、にへらと笑顔を綻ばし、抱きしめろと腕を伸ばしてきた。

 そうしてあげたいのは山々だが、部屋を散らかしたままではキリトたちに申し訳ない。伸ばした腕を優しく折りたたませて、寝室の電気を消す。

 

「兄ちゃんは寝ないのー……?」

「部屋を片付けてくるだけだから、少し待っててくれ」

「ふぁーい……」

 

 ――本当に、妹ができた気分だった。

 部屋を片付けながら、今日の出来事一つ一つを反芻する。

 料理は楽しかった。過程も味も満足いくものができた。当初の予定とは大分変わってしまったが、それでも楽し食事を過ごすことができた。一緒にテレビを見て、一緒に笑って。お笑い芸人のやりとりやCMの真似なんかもしたりして。ユウキが『兄ちゃん』と呼んでくれる度に胸が躍るような気持ちになった。甘えくれる行為が嬉しかったわけじゃない。家族として過ごす時間を本当に楽しんでくれのたが嬉しかったんだ。

 

 だから俺が――。

 

 ……いや、俺じゃなくてもいい。

 

 そう遠くない未来、あいつが本当の意味で家族と笑顔を共にすることができたなら。俺もまた笑顔で見送ってやりたい。

 

 片付けも滞りなく終わり、紺色の寝巻きに着替えた俺はユウキの待つ寝室へと戻る。

 もしかしたら先に寝てしまっているかも。そうだとしたら、それはそれで構わない。眠くなるまでその寝顔を堪能して――

 

「あ、兄ちゃんおかえりー!」

「なんだ、起きてたのか……ってうぉ!?」

 

 消えていた電気が明々とついていた、ことよりも。

 寝ぼけてユウキがすっかり覚醒していた、ことよりも。

 淡紅藤色の薄い肌着に着替えていたことに驚いた。

 

「お、おま……。それ……ッ」

「もう、家族なんだからこれぐらい普通でしょ? いいから早く寝よ!」

「お……おう……」

 

 発言とは裏腹に、ユウキは照れながら少しばかり身を捩る。

 こういうことを言及するのは兄として不味いのか……? 俺は電気を消して、動揺もそのままに、そそくさとベットの中へと歩を進めた。

 

 

 ユウキが入っていたせいか、既に人肌並みに暖められていた。少し目を閉じてしまえば、あっと言う間に意識が落ちてしまうだろう。

 だが、今は隣にユウキがいる。甘え上手な妹が、薄い肌着を召したまま俺の胸の中へと摺り寄っている。こんな状態で睡魔に襲われる筈もなく、どちらかと言えば――

 

「えへへ。兄ちゃんあったかい……」

 

 妹に襲われていると言っても過言ではない。

 幸い妹として接しているせいか、普段よりも理性は保てている。彼女の心境を最優先にさせたいという意識だからだろうか、自然と頭を撫でられる自分がどこか恐ろしい。

 

「もっと、もっとぎゅーって……」

「こ、こうか?」

 

 触れてる部分が服などではない。滑るような地肌そのものだ。肌着といっても下着となんら変わらないような形状で、腹部は晒し、胸元も浅い。健康的な足はこれ見よがしに晒され、俺の膝を挟んで抱き枕のような状態になっている。

 そんな状況の上、緊張も相まって力加減が難しい。

 

「はぅ……っ」

「す、すまん! 痛かったか?」

 

 辛そうに喘ぐユウキの体を咄嗟に離す。すると首を横に振って、何度か深呼吸を繰り返すと、再びふわりと身を預けてきた。

 

「無理するな……?」

「違うの……。幸せすぎて、おかしくなっちゃいそう……」

「そうか。それは、兄冥利に尽きるな……」

「…………」

「……ユウキ?」

 

 僅かな沈黙があってから、ユウキはもぞもぞと体を起こし、何を思ったのか。

 

「今日はありがと、とーか……」

 

 仰向けの状態で寝ていた俺の上に、折り重なるように抱きついてきたのだ。

 そしてその言葉は、最早妹としてではなく、いつもの俺の知っているユウキへと戻っていた。

 

「もう、いいのか?」

「うん……」

「満足できたか?」

「まだ、かな」

「それなら――」

「駄目」

 

 ユウキの人差し指が、俺の口を遮る。

 そして、あてた指を自身の唇へと運んで――。

 

「兄ちゃんじゃなくて、トウカと一緒に寝たいの……」

「――――ッ」

 

 ドクン、と鼓動が強く脈打つ。

 不味い――。ここから先は――。

 

「ユウ――ッ」

「何でもするって言った……」

「な……ッ」

 

 色気を帯びるユウキの吐息が、俺の肌へと触れる。それだけで、びりびりと痺れるような感覚が全身を走る。

 寝巻きを僅かに捲られ、細い指が縫うように伝っていく。

 惚けるユウキの表情からは理性を感じられない。

 

「駄目だユウキ、それ以上……くぁ……っ」

「ごめんね……。ボク、抑えられなくて……」

 

 言って、おもむろに首筋へ口付けをしながら、押さえつけるように手を絡める。

 跳ね除けようにも体が痺れて動けない。明らかに様子がおかしい。

 言葉を介すことすら適わず、ユウキは只管に俺の体を貪っていた。

 

「ん……ちゅ……あむっ、んむぅ……」

「うぉ……ぐ、ぁ……ユウ、キ……!」

 

 ユウキの腰が悶えるようにくねり動く。俺の大腿に肌着が擦りついて、じんわりと湿ったような感覚を帯びる。

 不味い不味い不味い!

 指も絡んでログアウトもできず、このままでは本当に……。

 

「ちゅーじゃないから……いいよね……えへへ……」

「いいわけ、ある、かぁ……!」

「ねぇ……とーか……ボクのここ……触ってー……?」

「…………!!」

 

 ユウキが口を離し、片手を解いたその一瞬を俺は見逃さなかった。

 咄嗟に両の手を解いて、ユウキの両肩を掴んで仰向けに押し倒す。

 

「やぁん……っ」

「こら、大人しくしろって!」

 

 内ももをもじもじと捩じらせて、官能的に体をくねらせる姿に見惚れしまいそうになるが、ふとユウキのステータスに目がとまる。

 そこには状態異常のマークと共に『魅了』という文字が。

 それを見た俺はすぐにピンときた。

 

「あのシチューか……!」

「とーかぁ……ちゅーしよー……? とーか好き好き好きぃ……」

「やかましい!」

「ふぎゃ!」

 

 おでこにチョップをかますと、ユウキは「きゅう……」と、いとも簡単に気絶した。

 論理コードが解除されていた上に、装備も全て外していたからだろうか。

 気がつけば、俺の状態異常は既に解かれていた。なるほど、お代わりを何度もしたユウキの方が、魅了される時間も長かったというわけか。

 やはりあの時、隠し味をユウキに任せたのが間違いだった。

 俺が見ては隠し味にならないと後ろを向かせた後、懐から色々な種類の調味料をぶち込んだ中に、状態異常につながる食材も混ざってしまったようだ。今回ばかりは不可抗力だけに怒るに怒れない。悪気があって入れたわけではないのだから。

 とはいえ、もし俺もお代わりをしてしまったらと思うと……。

 

「んぅ……とーか……好き……」

「……そういうことは、シラフで言えっての」

 

 意識が落ちても尚だらしなく笑みを溢すユウキに、どこか気が抜けてしまった俺は、改めて彼女を抱きかかえて、布団を掛けなおす。

 妹でもそうじゃなくても、とことん世話のかかる奴だよ。

 

 まったく、本当に。

 

 可愛い寝顔で一体どんな夢を見ているのやら。

 

「えへへ……」

「――おやすみ、木綿季」

 

 

*

 

 

 後日談というか、今回のオチ。

 寝室での一件に関して、ユウキはなんにも覚えていないらしい。

 あの後ユウキはぐっすり寝てしまい、結局俺は客室のソファで一夜を明かした。

 本人は楽しかった記憶しか残っていないみたいだし、知る必要もないからあの一件は墓場まで持っていこうと思う。

 問題はその後だ。その日の内にアスナがずかずかとユウキに詰め寄り『今度は私と泊まろうね!』と半ば強引に約束を持ちかけたのだ。

 アスナはずっともやもやしていたようで、ユウキと翌日家族ごっこをするまでは夜も眠れなかったらしい。

 

 まぁ、アスナの方が付き合いが長いし、姉としての立場もあるから、そこは申し訳ないと思う。

 

 ただ、これだけは言わせてくれ。

 

 ユウキの隠し味には気をつけろ。




誕生日記念です!

本編も頑張ります!

たぶん!

おもち!


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誕生日記念(2019)

ユウキ誕生日おめでとー!!

記念日の時だけは投稿するという謎のプライド。


「好きな女性のタイプ?」

「おうよ」

 

 口をへの字にして、俺の顔を覗き込むクライン。

 真剣な面持ちの割には質問の内容が中学生レベルであることに肩透かしを食らった俺は「お前なぁ……」とため息をついた。

 

「真面目な相談があると聞いて来てみたらこれか……」

「ばっかおめぇ、俺はいたって真剣なんだっつの!」

「そもそも質問の意図がつかめない。俺の好みを聞いてどうするんだ?」

「そこがお前とキリの字の差よ。大親友であるキリの字は俺の意図を汲み取った上で、察してくれてるもんなぁ? なぁ、キリの字……」

 

 クラインが隣の席にいるキリトの肩をバシバシと叩いて、飲み込み顔を反転させる。彼の心中には「当たり前じゃないか。俺たちは親友だろう?」的な微笑みとサムズアップな期待を抱いていたのだろう。

 だが俺は知っている。冒頭の質問からキリトはじっとりと冷めきった瞳で哀れみと軽蔑の線を送っていた事を。

 

「帰っていいか……?」

「うぉぉぉん! そりゃないぜキリの字よぅ!」

 

 泣いて抱き着く様は三人の中で一番年上のものとは思えない。

 そんな彼が態々俺たち二人を呼び出して相談を持ち掛けたのはつい三日前の事だ。いつも剽軽な彼とは違う、神妙な顔で「友達(ダチ)として相談がある」と言うのだからそれは俺たちも只事ではないと思ったものだ。

 デリカシーには欠けるが人柄は良く信頼も厚い。そういう意味で言えば彼は仲間の中で一番情に長ける男だ。解決できない悩みがあるのなら俺だって力になりたい。

 ――そう思っていたのだが。

 

「お前たちはいいよな。好いて好かれる人がいてよ。俺なんか刻々と歳が経っていくばかりで恋人なんてできやしない……」

「や、キリトはともかく俺は――」

「うるせえうるせえ! 俺は知ってんだぞ! ユウキと手繋いで歩いたり、クレープをあーんって……あーんってしている所を俺は見たんだ!」

「ぶふぅ!?」

 

 口に含んだ飲み物を盛大に吹く。

 いつ? どこで?

 いや、そんな事をしていないと嘘を吐くつもりはないが、仲間とは鉢合わせし難い時間であったり、それなりに場所も考えてデ……もとい、散歩していたのだが。

 それを聞いたキリトが一変、含むような微笑を浮かべて、

 

「へぇ、トウカもなんだかんだ言いながら――」

「や、違うんだ。断るとユウキの奴が泣いて我儘をだな!」

「そうかそうか。 トウカは嫌々付き合ってるのか。本音は断りたくて――」

「好きな女性のタイプだったな!? なんでも俺たちに相談しろよクライン! ダチ(・・)の悩みくらい解決してやろうぜ! なぁキリト!!」

「……はいはい」

 

 その後、時折見せるキリトのにまにまとした表情が癪に障りながらも、俺たちはクラインの愚痴を三時間も聞いてやった。

 俺だって可愛い彼女がほしい。いや、別に可愛くなくたって、俺を愛してくれる人がほしい。

 そんな失恋ソング宜しく彼女がいた経験があるわけでもなし、いい大人が泣きだから話す姿を見て、なんだか哀れで仕方がなかった。

 クラインは別段何が悪いというわけではない思う。やる時はやる男だし、義に篤い部分は男女関わらず惹かれている。もう少し大人としての落ち着いた佇まいを身に着けていれば、女性に持て囃されても不思議ではない。まぁ、そんな彼なんて見たくはないが。

 誰かを紹介しようにも俺自身女性に疎い。どうにか力になってやりたいが、さてどうしたものか……。

 

 

*

 

 

「――ってなことがあってさ」

「ふぅん」

 

 ずずずっとストローを啜る音が、然程興味の無さを表している、ような気がする。

 あれから、それなりに考えてみた。

 結局の所、俺は紹介できる女性は誰もいない。どうしたって、繋がりのある人物は大抵クラインとも繋がりがあるからだ。

 リズ、シリカ、リーファ、シノン。今更紹介した所で進展は期待できそうにない。というか、寧ろ好感度が下がりかねない。紹介した俺も含めて。

 それを踏まえ、昨日の出来事を一部伏せた上で昼食ついでに、ユウキへ持ち掛けてみた。本来、年下の女の子にそんな話を持ち込むのはナンセンスなのだろう。ぶっちゃけると、別段解決してもらいたいわけではないのだ。ただ、彼の人柄を女性視点でどう思っているのかとか、そういうのが聞きたいわけで。

 ユウキは悩に眉を顰め、肩肘をつく。

 

「うーん……。いい人だとは思うんだけどねー」

「節操がないというか、なんというか……」

「うん……」

 

 碁盤に向ったときのように腕組みをし、眉を八字によせて考えこむ。

 ふと、俺は何気なしに思い至る。

 

「思うんだけどさ」

「うん」

「クラインは今まで誰かに本当の意味で好かれた事があるのかね」

「付き合った経験は一度もないって言ってたよね」

「ああ。例えばなんだけどさ、誰かに好かれて、真剣にお付き合いできる機会があったとしたら、あいつの女好きは収まると思うか?」

「うん」

 

 ユウキは間をおかずコクリと頷いた。

 同調するように俺も相槌をうつ。

 

「だよな。ナンパ気質な所はあるが、誰かを裏切ったり見捨てるような奴ではない――と、思う」

「あ、ちょっと不安そう」

「あいつに恋人ができるという展開が想像できなくてな……」

「……あのさ、あのさ」

 

 何やらモジモジとした様子で、ユウキは両手の人差し指をくりくりさせ、目を細めて言った。

 

「ボクが誰かにナンパされたら、やだ?」

「……さあな」

「えー。ボクが他の人の所へついて行っちゃってもいいのー……?」

「こんなちんちくりんをナンパする奴なんていない」

「あー! 言ったなこのぉー!!」

「あでででで!?」

 

 腹を立てたユウキが、突如としてテーブルに身を乗り出し、俺の両頬を引っ張り上げる。

 堪らずタップするが、頭からもうもうと湯気を立てるユウキは「トウカのバカ! おたんこなす!」と憤慨し、引き千切らんばかりのピンチ力を込めながら、小学生並みの罵声を浴びせた。

 店員が慌てて止めに入り、その場はなんとか収める事ができたが、あれ以上止めに入るのが遅れていたら、俺の頬が餅のように伸び切っていたに違いない。

 お店を追い出されても尚、道中ユウキは不機嫌で俺に対しそっぽを向いていた。

 

「ふーんだ!」

 

 頬を膨らませてぷりぷりと怒る様はまさに子供のそれだ。

 そんながきんちょをナンパする奴なんて一部例外を除いているわけがない。いたとして、ユウキがそれについて行くほど脳足りんな奴でもない。何を言わせたかったのか俺にはさっぱりだ。

 

「まだ怒ってのんか」

「どーせボクはちんちくりんだよ!」

「クレープでも食べに行くか?」

「行かない!」

 

 いつもなら、霧が晴れたように明るくなって嬉しそうに乗ってくれるのだが、今回はそうもいかないようだ。先ほどの件がよほど気に入らないらしい。

 

「俺は食べたいけどな。クレープ」

「どうせちんちくりんな子供と食べても楽しくないでしょ」

「そんなことないって。俺はユウキと食べたいけどな」

 

 ずしずしと歩いていたユウキの足がぴたりと止まる。

 刺々しい言葉が、少しだけ潮らしさを帯びて、覇気を透いてゆく。

 

「……ボクはボクをナンパしてくれる人じゃないと行かない」

「ナンパって……。そんな見ず知らずな奴の――」

 

 ――あぁ、そうか。そういうことか。

 単純に、こいつは――。

 

「ユウキ」

「なぁに……――ぅひゃあッ」

 

 俺は咄嗟にユウキを抱きかかえ、羽を広げて大地を蹴った。

 できるだけ空高く飛翔し、驚きに身を丸めるユウキを優しく体を持ちながら、雲を突き抜け蒼天の空を仰ぐ。

 ぱちくりと目を丸めるユウキを他所に、俺は力いっぱい羽を伸ばし、滑空する。

 

「な、なに? どしたの急に……」

「…………」

「どこ行くの……?」

「クレープ屋」

「くれーぷ……」

 

 別に飛ばなくともある程度歩いたら辿り着く距離だ。

 そんなことはわかっている。

 

「俺は、お前と一緒に食べたいんだ」

「――もしかして、ボクをナンパしてる……?」

「うぐ……」

 

 仕方ないだろう。俺はクラインのように口達者ではないんだ。

 飛んだ理由だって、問われたら答えようがない。自分でもわからない。わからないが、こうでもしないと恥ずかしさでどうにかなりそうだ。叫べるものなら叫びたい気分だ。

 

「えへへ……ふへへぇ」

「な、なんだよ」

「そんなにボクと食べたかったの?」

「――ああそうだよ。お前と食べたかったんだ」

「いひひー。トウカにナンパされちゃった」

「うっせ」

 

 ユウキがとろんした表情で俺の懐へ顔を埋める。

 そこだけが熱くなって、心の奥へ奥へと熱が浸透した。

 ナンパされて他の所行くだって? 冗談じゃない。そんな事は絶対にさせない。以前の俺ならユウキがそうしたいならそうすればいいとか、俺に引き留める権利はないとか、また意中に反した言葉を紡いだのだろう。独占欲ともとれる感情がきっと、今の俺を仕立て上げたのだろうか。だとしても、それはきっと正しい。こんな子供の言葉に一つに振り回されている状況が少しだけ癪でもあるが、それ以上に幸せそうにはにかむユウキの笑顔を見れたのだから、それはそれで良しとしよう。

 俺が折れてやったんだ。ユウキのために、仕方なくだ。そこを勘違いしないように。

 

 

*

 

 

「コ、コノタビハ! オヒガラモヨク! ワ、ワタクシノタメニ――ッ」

「固い。クライン固いって」

 

 静観な街の入り口に向かって、足のつま先から頭の先までびしりと姿勢を正したサラマンダーが叫換する。緊張のあまり声も裏返り、冷や汗も滴り強張った様子に、俺は笑いそうになるのを、口の中を奥歯で嚙むようにし堪える。

 

「お、おい! 笑うなよな!」

「悪い悪い」

「あははははは!! クライン緊張してるー!!」

「ああひでぇ! 絶剣の嬢ちゃんまで……」

 

 クラインの姿を見たユウキは腹を抱え、けたけたと笑い転げた。

 それを見た一人の青く艶やかな長髪のウンディーネが、白水のような声でそれを諫める。

 

「いけませんよ。人を見て笑うのは決して……ふふっ」

「シウネーだって笑ってるよー!」

「ああ……皆してひでぇや……」

「悪かったってクライン。ほら、早く行こうぜ」

 

 肩を落とすクラインの背を押しながら、俺たちは門を潜り、先日新しく開放されたばかりの街へと歩を進める。

 今回はいつもの探索とは少し違う。面子は俺とクライン、ユウキとシウネーの四人だ。まぁ、探索とは名ばかりのただのショッピング件マッピングだが、これは所謂きっかけ作りに過ぎない。

 事の始まりはこうだ。

 初対面の女性に対し、いきなりナンパをふっかけるような奴が、スリーピング・ナイツの女性陣には全く手を出さない事を俺は常々疑問に思っていた。

 クラインの相談から翌日、改めて聞いてみると、なんでも彼女たちは例外なんだと。

 

『確かにシウネーさんはお美しいし、ノリさんも素敵な人だぜ? お話もしたいし酒だって飲み交わしてぇよ。けど病み上がりの女性を狙う程俺は屑じゃねぇ。あの二人――いや、皆にはこれからやりたい事、楽しい事が沢山待ってるんだよ。そういう時間を俺ぁ邪魔したくねーのさ』

 

『それによ、絶剣の嬢ちゃんの面子だってある。俺も曲がりなりにもギルドの頭張ってんだ。絶剣の知り合いが、メンバーに迷惑かけるよう事は絶対あっちゃならねぇ。特に、あの人たちにはな』 

 

 その言葉を聞いて、俺は心から打ち震えた。

 クラインがそこまで考えているとは思っていなかったのだ。

 普段は無節操に女性をひっかけるような奴だが、心の奥底には芯があり、本当に彼女たちの幸せを考えている。それが俺には嬉しくてならない。

 その話をユウキに伝えると、同様になるほど素晴らしいと感銘を受けた。

 実の所、クラインがどこまで女性に対し欲を持て余しているのかはわからないが、その言葉を真だと捉えると、きっと心に決めた人であるならば問題ないだろうと信じ、俺とユウキがシウネーに頼み込んだ次第だ。

 彼女は彼女で恋愛に興味があるとはいえ、意外にも二つ返事で快く受け入れてくれた。

 シウネーはクラインの事を良くも悪くも思っていないらしい。出会った当初は自己紹介や軽く話しただけのようだし、女好きという部分は聞いてはいたが、自分やユウキ、ノリにそう言った話題を振ってこないが故に疑っている点もあったようだ。

 歳も近いようだから、これをきっかけに仲良くなることができたら、或いは……。

 

 ――クラインが本当に、彼女に対し、心から幸せを願っているのなら、そういう関係もあっていいのかもしれない。

 

「し、シウネーさんは、とてもお美しいですネ!」

「ふふ、ありがとうございます」

「い、いい天気ですねぇホントに! いやー晴れてよかったな!」

「そうですね。お出かけには良い陽気です」

 

 いつもとは違う、初々しい態度に違和感があるものの、雰囲気は悪くない。

 ……上手くいくといいが。

 

「ねぇねぇトウカ!」

「うん?」

「ボクはー!? ボクもお美しい感じー!?」

「はいはい、美しい美しい」

「ボクの気分も陽気でぽかぽかだよ! トウカもぽかぽか?」

「はいはい。ぽかぽかぽかぽか」

「ぽかぽかー!」

「お゛ん゛っ!?」

 

 満面の笑みで腹をグーでぽかぽかされた。

 こっちは上手くいきそうにない。

 

 

 続く?




続編は後日改めて投稿予定です(投稿するとは言ってない)

最後まで書き上げようとすると間に合わないので、とりあえず分けて投稿させていただきます。後ほど編集して最後まで書き上げたいと思うので、気長にお待ちいただけたらと思います。

ほぼ更新は休止状態ではありますが、死んではいないのでモチベが上がり次第投稿を続けていけたらいいなと。それまではVRchatで女の子になります。

更新情報や執筆状況等はツイッターにて随時報告致します。

後は単純に絡んでいただけると嬉しいです。ユウキ誕生日おめでとー! おもちーっ

@Ricecake_Land


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