色付く柳の木の下で (たま紺)
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第壱話


 この作品は【上海アリス幻樂団】様の作品【東方Project】の二次創作作品です。
 故に原作との相違点がございます。極力そのようなものを無くそうと努力してはいるのですが、少々のものは目を瞑ってくださいませ。
 では、どうぞ。







 

 

 暗い霧が立ち込めて、ざーざーと雨が降る日。

 そんな土砂降りの中、水たまりができてドロドロになった地面の上に立つ少女がいた。周りの家屋は関わることを拒んでいるように、不自然なほど静かであった。

 家の壁はより壁としての効果を発揮しており、広い大通りにいるはずの少女は何故か閉じ込められているような感覚に陥ってしまう。

 少女は人としてあり得るはずのない緑髪を持っているものの、それ以外は普通だ。淡い赤色をした上品な着物を身に纏い、後ろで括られた髪の艶やかさからそれなりにお嬢様であることがうかがえた。

 しかしそんな少女に駆け寄る人影はない。

 彼女には探し回ってくれる両親もいなければ、愚痴を聞いてくれる友人さえいないのだ。故に一人雨の中佇む。

 もちろん少女にだって親はいた。だが村八分にあっていたのである。少女を育て、忌み子と囁かれてもなお育て上げてくれた両親。しかしその灯火も先日潰えてしまい、彼女は拠り所を失ってしまった。

 頬に滴る水は涙か雨か。

 それは誰にもわからない。……………………………そう、少女にさえも。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「〜♬」

 

 川に浮かぶ紅葉が美しい韓紅のくくり染めの布に見えるほど深まってきた秋。

 赤いゴスロリのような服を着た緑髪の女性──鍵山(かぎやま) (ひな)は誰に教えてもらったかわからない曲を鼻歌で優雅に奏でていた。

 川のほとりの突出した岩。河川の上流では比較的頻繁に見ることのできる岩の上に彼女は座っていた。

 別段、理由などない。もとより厄神になった雛には厄を溜め込んで神々に渡す以外に仕事はないのだ。強いて言うならひな祭りの日に流し雛を回収する程度である。

 だから年がら年中ぶらぶらと天狗を刺激しないぐらいに妖怪の山を練り歩いているのだ。

 あまりにも暇なら友人の河城(かわしろ) にとりの元へ向かってもいいかもしれない。

 だが現在はそのあまりにも暇というわけではないので、雛は動こうという気になれなかった。ひらりと真っ赤に染まった紅葉が目の前を滑るように落ちていく。そういえば白狼天狗にも同じ名前を持つ子がいたなぁ、いやあの子は〝椛〟か。

 閑雅な景色が雛の目に映る。彼女はこの光景が大好きだった。愛しているといっても過言ではない。

 ……その背景には、自分の過去が一枚噛んでいると思ってしまうと、雛は「なんだかなー」と呟いてしまう。

 今の生活は好きだ。こののんびりとしたライフは人間の時には味わうことができなかっただろう。

 だけど……好んで厄神になったわけではないのだ。あんなことがあったから今の私がいる。それは唇を噛まずに思い出すことはできなかった。

 

「……でも、振り返るにはちょうどいい時期かもしれないわね」

 

 雛は空を仰ぎ見る。赤や黄色に染まった葉っぱに隠された、蒼天の中に雲が浮いている。ゆっくりとゆっくりと流れるその様を見て、なんだか懐かしいことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 少女は幼少の頃の記憶がない。

 ただ忘れているだけのような気もするし、そもそもなかったような気もする。だけどちゃんと両親はいたのだ。これが余計にややこしくする。

 普通小さい頃のことを覚えていないと言っても、少しぐらいはあるはずだ。断片的に何かを想起することは誰でもできる。

 しかし少女にはそれがない。昔のことを思い出そうとしても、あるところできっぱり思い出せなくなってしまうのだ。

 忘れているだけかもしれないが、十歳前後の健全な少女がたった数年前を思い出せないということは、やはり何かを勘ぐってしまう。

 少女が思い出せる限界は、ただの何気ない日常。暖かな父と母を思い出したところでそれ以上先に進めない。

 両親が村八分にあっていたことに理由があるんだろうか。

 少女は村を追い出されたので、限りなく村に近い村の外の川のほとりで石を投げていた。遠くへ行ってやろうかと思ったが、ちょっぴり妖怪が怖かったのである。

 大きく放物線を描いた石は、やがて重力に逆らうことなく水に落ちた。一瞬だけ水面が波立ったがすぐに川の流れによってかき消されてしまう。

 

「これからどうしよう……」

 

 彼女のこれから当分先までの問題である。

 住むところもなければ、食べるものもない。この川がある限り何かが釣れそうなものだが、餌もないから難しいものだ。

 もう一球放り投げる。その小石は川の中の大きな石に当たったようで、コツンと音を立てて静かに消えていった。

 加えて夜には妖怪が跋扈する世界へと様変わりする。この幼い身体で強靭な肢体の妖怪に立ち向かえるのだろうか。逃げ切れるだろうか。

 考えれば考えるほど思考はドツボに嵌っていく。

 

「早めに隠れるところ探そ」

 

 まだ陽は高い。太陽が地平線の彼方へ顔を隠してしまうまでには安全なところを見つけることは可能だろう。

 幸い今は夏である。ギラギラと照りつける太陽と喧しく大合唱している蝉が、その暑さを物語っていた。

 そのため寒さに凍えることはないはずなので、目下のところ外敵に見つからない場所を探すことが目標だ。

 どうせ村の近くにいても、誰かに見つかれば石を投げられるのは明白である。確実に酷い目にあう安全な場所か、誰の目にもつかない安全なはずの場所かを選ぶなら、もちろん少女は後者を選ぶ。

 ぴょこん、くるりと少女は立ち上がり、元気よく川辺を歩き出した。

 ずんずん川辺を進んでいく。この辺りは山に囲まれているので隠れ家を探すにはもってこいである。……ただ妖怪だって隠れている可能性は高いので気をつけなければいけないが。

 彼女の後ろ姿からは、悲しみというものが感じられない。

 それは昔から少女が虐められていたということが関係しているのだろう。

 ──道を歩けば石を投げられ。

 ──誰かと話せばすぐに逃げられ。

 ──家へ帰っても日に日に身体に傷が増えていく両親のみ。

 しかし今は少女を囲うしがらみが一つもない。だからその歩く足はとても軽やかなのだ。

 ……両親だって、特別な存在ではなかった。なぜなら───────少女が親だと認識していなかったから。

 ようやく山の麓までやってきた。ここからはかなり険しい道のりだ。気合いを入れよう。さっきは山が怖いと思ったが、よく考えてみれば川も山もどうせ夜には妖怪が来るときは来るのだ。見つかるかどうかは運次第。見つかった時はそれが少女の運の尽きといったところか。

 

「……んー。しばらくは森だから着物を破る必要はないわね」

 

 そう、基本的に山に入る前には森がある。この山とて例外ではない。森の勾配は比較的なだらかなので動きにくい着物でもある程度は問題無かった。

 もちろん地面が腐葉土になっていて足を取られたり、見えにくいところで隆起した木の根っこで躓く可能性は否めないが。まあそれは着物を破らなくても起こりうる事象である。

 よし、と元気に気合を入れて少女はずんずん進んでいく。とりあえず隠れる場所を探していくが、運良く洞窟があったり木の洞が隠れることのできる大きさになってたりするほど世界は甘くない。

 コケそうになりながら一生懸命森の中を進んでいくもいい場所が見つからなかった。せいぜい倒木が折り重なっている程度だ。

 帰り道がわからなくなるほど進んできたが、そろそろ日が落ち始める。

 少女は倒木の場所が一番マシかなぁと考え、戻っていった。さすがに川辺に戻るのは道がわからなくなってしまったけど、倒木の場所なら目視できる。

 だが気をつけないと目と鼻の先でも森の中というのは迷ってしまうのだ。四方八方が同じような景色で目印にしたものと似ているものなど腐るほどある。加えて道なんかないし、あっても獣道なので通るのが困難なのだ。もちろん何回も足を運んだり、若干の勾配があればなんとなくでも方向はわかるが。

 残念なことにこの森は真っ平らだ。周囲は緑、翠、碧。

 足元をよく見ながら、目的の場所を見失わないように頑張って頑張って少女は歩いた。

 そしてようやくたどり着く。行き道よりも時間がかかってしまった気がする。

 

「ふぅ……。今日はここにいよう」

 

 一日二日食べなくても生きれるだろう。それに今は空腹も喉の渇きも一切感じないのだから。

 少女は倒れた木の上とその上に重なっている木の交錯する場所──この木で一番高さがある場所に背を預けた。ここは二方向から死角になっていて、何もないところにいるよりは気休め程度だが安全だ。

 太陽の当たらない土は湿気ていて、じんわりとお尻の方の着物が濡れていく不快感と戦いながら少女は目を閉じる。

 上半身はねっとり汗で濡れていて、下半身は下からの水でじんわり濡れていく。

 

「最悪……」

 

 やっぱり川の方にいればよかったかしら、と今更ながら考えた。

 あそこなら水浴びもできるし、あわよくば魚も獲れる。

 そう考えると、自分は相当間違った判断をしてたんじゃないのかと思えてきた。

 だがすぐに頭を振ってそんな考えを振り払う。どうせあそこにいてもいいことなんてないんだから。

 少女は改めてこれからどうしようか考える。さっきまでの目標である安全な場所は確保した。

 次は食料である。この時期なら食べれそうな雑草がたくさん生えているだろうが、少女には殺菌・調理するほどの技量は無いし、そもそもどれが食べれてどれがダメなのかの知識が無い。というか本当にここで妖怪から身を守ることはできるのだろうか。

 そう思いだすと止まらない。まだまだ安全確保が十全でないと気づいた少女は隠れることのできそうな材料を付近で探した。

 一番いいのは大きなシダ植物だ。あれは葉っぱが大きくて身体の小さい少女ならたくさん集めることで隠れることが可能になる。

 次に木の枝か。組み合わせれば屋根みたいなのが作れるかもしれない。だんだんワクワクしてきた。

 幸いこの場所は木が二本倒れている、つまりもともと木が二本占拠していた場所なので比較的開けていた。おかげで近くからならわかるし、あまりにも遠出をしなければ迷う心配さえないだろう。

 少女は辺りを見渡していいものがないかを探す。だがここから見る限りではシダ植物はない。となると木の枝だ。早々に狙いを切り替えて落ちている木を拾っていく。

 生えている木の枝も折ろうとしたがまだ瑞々しくてパキンと折れなかったため諦めた。

 枯れ木の裏にいる蟻やへばりついている白いモノが気持ち悪かったが、気にしていられない。湾曲しているものではなく、できるだけまっすぐなものを選んでいく。

 最終的に目指しているものの形がわかっていないので、必要に応じてその都度拾えば問題ないはずだ。

 少女は小脇に抱えることのできないほど枝を集めた。

 

「……。どうしよう」

 

 勢いで集めてしまったが、改めてこの〝隠れ家〟を木の枝で作るのは無謀な気がした。

 しかし挑戦して失敗したところでデメリットがあるわけではない。ただ何もしないより、やってみてできなかったから元に戻したというほうが精神的に楽だ。

 少女は手におそらく一番大きい枝を持った。それをとりあえず屋根になりそうなところへ置いてみる。しかし高さが段違いになっているためうまく固定できない。

 ここで留める材料が必要なことに気づいた。

 

「えと……」

 

 家の屋根はどうやって固定されていただろう。いや、あれは木を加工して固定している。

 それ以外になると……縄か。

 少女は辺りを見回してそれっぽい材料を探す。そして見つけた。木に巻きついている(つる)である。

 自分の小指ほどの太さのそれを木から剥がそうと手をかける。しかし思いの外硬くて柔軟性がなかった。

 

「うーん……」

 

 縄は縄だからこそ縄になるのだ。

 それを思い知った少女は組み立てるのを諦めて定位置にぺたりと座り込む。

 夏でいくら日が落ちるのが遅いと言ってもコレだけ色々やっていてはすぐに暗くなってしまう。すでに周囲は明るいとは言い難いほど暗くなってきていて、これ以上動くのは危険だ。

 これから妖怪の跋扈する夜へと突入する。妖怪以外にも鹿や狸などの動物たちだっているのだから、何かあったら諦めよう。

 ふと見上げた空は茜色をしていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 肌にポタリポタリとぬるい水が落ちていく。それは確かに身体の体温を奪っていった。

 そこへ生暖かい空気。不規則な周期で吹きつけてくるその風は身体の芯から拒絶するほど気持ちが悪い。

 そしてどこからともなく漂ってくる腐臭は少女の快眠を妨害している。

 

「……っ。ぅん」

 

 ごろりと身体の向きを無理やり変える。しかしそれで不快感が消えるわけではない。

 

「────!」

 

 唐突に悪寒が頭からつま先まで迸った。それは人間が持つ危機的状況に陥った時の本能なのかもしれない。頭が寝起きとは思えないほど鮮明になって──嫌な予感がした。何かいるかも。

 少女は気づかれないようにそっと、そしてほんの少しだけ、視界に瞼が被っているほど少しだけ目を開ける。

 正面、何もなし。

 右、何もなし。

 左、何もなし。

 上、雨が降っていた。

 

「雨降ってるの……?」

 

 身の危険が去った少女はさっさと立ち上がり、悲愴に満ちた声で言った。

 そしてその場でくるりと一回転。このように回るのは彼女の癖だった。悲しい時も泣きたい時もしんどい時も嬉しい時もくるっと回れば気持ちが晴れるのである。

 だが、この時だけは何ももたらしてくれなかった。たまり続ける悲しみがそれを上回ったのだ。

 だがふとあることを思う。この雨で、ベタベタした身体を洗えるんじゃない?

 そう思った少女は早速取り掛かった。

 ぺちぺちと衣ずれとは言い難い音を周囲に響かせながら雨と汗で重くなった着物を脱いでいく。

 やがて一糸纏わぬ生まれた時の姿になった少女は両手を広げて、雨を全身で受けた。少女の身体はやはり十歳前後で、胸は膨らむ兆ししか見えておらず、下腹部やその他の場所にも体毛は生えていない。

 ぽたぽた葉っぱの間から落ちてくる雨である程度濡れてくると手で洗い始めた。

 腕に始まり、首、胸、お腹、股、太もも、膝、つま先と上から順々に洗っていく。ぬるい水でも水なんだから汗よりはマシだった。

 きっちり洗い終わってから、着物を着ようとして少女は気付く。

 

「着物、濡れちゃってるよね」

 

 これも野宿を選んだから起こってしまったことだ。仕方ない。

 そう割り切った少女はさっきよりも重くなった着物を着た。着物はいつもよりずっと重くて、だいぶ時間がかかってしまったが。

 

「それよりも」

 

 さっきから感じてる腐臭の正体を探そう。できるだけ気にしないようにしてきたが、そろそろ限界である。

 少女は背伸びをして辺りを見渡す。が、視界には緑と茶色しかない。

 仕方なしに少女は歩き回る決断をした。この重くなった着物で歩き回るのはしんどい。それに()()()からもらった大切な着物だ。あんまり汚したくないという気持ちもあった。

 しかし腐臭には耐えられない。いっその事服を脱ぎ捨ててしまえば、身体も軽くなるし着物も汚れないしの一石二鳥でいいのかもしれないが、それは羞恥心が勝ってしまう。こんな場所で全裸になっても誰かに見られることは無いに等しいのだが。

 少女はゆっくりと歩く。その度に膝に痛みが走り、足が土に汚れていく。

 少女が履いているのは薄っぺらい草鞋だ。直に地面の感触を感じれるし浮いてくる水で気持ち悪い。ここに来てから気持ち悪いことばかりだなぁ。

 微かに漂ってくる腐臭。それを追ってふらりふらりと彷徨い続けてちょっとばかし。

 

「あった……」

 

 臭いの原因。それは動物の死骸だった。

 少女の知識ではそれが何の動物かわからない。四本脚の茶色い毛の動物で、地面に横たわっており周囲には蝿がブンブン飛んでいた。

 その動物は血を流しており、少なくとも何か外的要因があって死に至ったようである。

 何でだろうと少女は動物の近くを見てみると、一部木の根っこが隆起していた。そこに脚を引っ掛けて頭でも打ったのだろうか。何にせよ()()なことである。

 少女は静かに合掌してから下に落ちている木の枝を拾って死骸をつついてできるだけ隠れ家から遠ざける。ぶにぶにとした肉の感覚が手に伝わってきて、途中で押すのを躊躇ってしまった。

 まあ、別にある程度押せたしいいかな。原因がわかったなら我慢できる。

 少女が踵を返して隠れ家へ戻る途中、食料にできないか考えたが、あそこまで蝿がたかっていたら食べる気にはならない。……まだお腹も空いてないし喉も渇いてない。

 ちょっぴり自分の身体が怖くなったが、これも危機的状況に陥った時の人間の反応なのかな、と結論付けた。

 

「気にしてても意味無いしね」

 

 ……それは本当に人間の反応なのか、少女が真相を知るのはまだ当分先のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 





 いかがでしたでしょうか。この作品は週一投稿をし、12月13日に完結します。
 来週は12月6日17時17分に投稿します。また読んでいただけるとありがたいです。


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第弐話

 

 

 

 雨の匂いを意識してたら腐臭が気にならなくなってきた。……慣れてきたとも言うが。

 多分お日様が一番高いところに来た頃、なぜか食欲もなく、喉も渇かない少女はもう少し歩き回ることに決めた。いっぱい材料を拾ったが、あまり意味の無いような気がしたし、どうせなら何かを見つけた方がいい。

 少女は奥に続いていそうな方向を選び、歩き出した。

 座ったままだったが昨日はよく眠れたし、体調も万全だ。葉っぱをかき分けかき分けまだ見ぬ何かを探した。

 少女の予想では、洞窟や木の洞があるのは山だと踏んでいる。ただ樹洞は人が入れるほど大きいものは無いに等しいと思っているので、当分は洞窟探しである。

 何にせよここから山に入るまでは歩き続けなくてはならないことは確かだ。少女は静かに気合を入れた。──だが出端を思いっきりくじかれてしまう。

 ごろごろと雷鳴が聞こえだしたのである。びくりと身体を震わせた少女は自分の肩を抱いた。瞳には涙が浮かんでいる。

 

「……こわい」

 

 もともと雷が得意なわけでは無い。目を刺激する閃光は唐突で怖いし、体の芯にまで響いてくる轟音は心臓を鷲掴みにされたような気分になる。

 でもまだまだごろごろ鳴ってるだけだ。大丈夫、大丈夫。

 なけなしの勇気を振り絞って少女は歩くのを再開した。

 瞬間にくしゅん、と可愛らしいくしゃみを一つ。だいぶ体が冷えてきた。いくら夏とはいえ体がびしょびしょなんだから寒いのは道理。

 ──早く屋根のあるところを探さなきゃ。

 重い身体を引きずって歩くペースを上げる。しかし雷神様はどうしても少女を怖がらせて立ち止まらせたいらしく、轟く雷鳴は回数が増え心なしか近くなっているような気がした。

 恐怖で少女の心が折れそうになった時、ついにそれはやってきた。

 

──────(キャ──────────)ッ!」

 

 閃く稲妻と轟く雷鳴。全く同時にやってきたそれは、叫ぶ少女の声を掻き消した。どこかに落ちたのか、微かに地面が揺れる。轟音がおさまると一瞬だけ無音の時間を経て、何もなかったかのように雨が降り続けた。

 恐い、怖い、(こわ)い、(こわ)い、(こわ)い。あまりのことに思わず少女はぺたりとその場に座り込んでしまった。

 同時に心細さが少女を襲う。小さな体へ襲ってくる孤独感に打ち勝つ力を少女は持ち合わせていなかった。──怖い、助けて。

 誰か、後から考えても結局わからなかった誰かに助けてもらおうと虚空へ手を伸ばす。だがその手を掴んでくれる人は誰一人としていない。

 いつもなら、誰かが掴んでくれた。だけど今はそんな人はすでにいなかった。

 

「うぅ……。ぇぐっ、だ、れかぁ」

 

 だれも返事をすることなく、ただ雨音が少女の鼓膜を揺らす。

 知らずに目頭が熱くなり視界が濁ってきた。そして雨とはまた違った温かい水が頬を滑り落ちていく。

 それが何かの引き金を引いたのか、目尻から止め処なく涙が溢れていった。

 そうしてやっと気づいた。こんな時いつも手を握ってくれたのは家の人だったのだ。家の人はちゃんと少女の親だったのである。最近の嫌な記憶ばっかりが両親のことをあまりよく思わせてくれなかったが、よく考えてみれば彼らは立派な人だった。……たとえ血が繋がっていなくても。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 少女の親は村の中でも比較的裕福な家だった。少女がまだ家にいない時は閉塞的なこの村で唯一都市との交流があり、自家栽培した野菜を売りにいっては稼いだお金で何かを買ってくる。

 日頃は夫と妻、そして夫の父が協力して畑を耕していた。季節に応じたものを育てていなくては都市では売れない。そのためいつも畑には何かが植えてあった。

 ある日のこと。それは夫が都市へ野菜を売りにいった時のことだった。

 爽やかな秋晴れの空の下、いつものように妻と父は夫を見送る。野菜をいっぱいに詰めた大きなカゴはいずれ空っぽになり、空いたその場所へはきれいな服やら農具やらを買って入れてくるのだ。

 それが妻には嬉しくてたまらなかった。だが閉塞的な村ということもあって、都市と関係を持つことについて他の村民はあまりいい顔をしない。だがその交流のおかげで夫婦と父は安定し、なおかつ裕福な生活を営むことができていたのだ。……そう、彼女が来るまでは。

 父親が都市へ出てから数日が経過した。もともとここは一日やそこらで往復できるような立地ではないため、その時間の経過は当然のものだった。

 しかも毎回毎回野菜を売りきるまで夫は帰ってくるつもりはないらしく、帰宅するまでの日数はいつもまちまちである。

 妻は早く帰ってこないかなと思う反面、時間がかかるんだから夫の帰宅はまだまだ先、と考えることではやる気持ちを紛らわせた。

 ──外で物音がする。

 父は家の中にいるし、他の村民は滅多なことでは近づかない程度には他の家から離れた場所にある家だ。物音がするなんて────夫が帰ってきたとしか思えないじゃないか。

 修繕していた着物をその辺にほっぽかして妻は急いで外へ出た。しかし妻を待っていたのは信じられない光景だった。

 いつものカゴ。雑に投げつけるものを夫はワレモノが入っているかのようにそっと置いたのである。

 そんな様子を不審に思いながら妻は中を覗き込む。そこで、本当に息が止まった。

 

『この子、どうしたの……?』

 

 そう、カゴには五歳かもう少し下の少女が入っていたのだ。うずくまった体勢で窮屈そうなカゴの中なのにスヤスヤ眠っている。

 

『俺たち、子どもできないだろ?』

 

 確かに夫婦が何度コトに及んでも子どもを孕む気配がなかった。……だから子どもを持って帰ってきたのか? どこから? 誰の子を?

 妻の疑問が尽きない。

 

『この子、川のほとりで倒れてたんだ。周りは何もない場所のはずなんだけどなぁ』

 

 その疑問全ての答えを夫が言う。

 夫が言った意味を要約するならば、この子は捨て子なのだろう。そう考えると不憫で助けてあげたいという気持ちにもなってきた。

 だが相手は赤ん坊ではなく幼児だ。前の親のことを覚えていたら絶対騒ぐに決まってる。

 渋い顔をした妻の思いを夫は汲み取ったのか、

 

『その子、記憶がないみたいなんだ』

 

 普通に受け答えはできるんだけどね、と夫は続けた。そんなことを言われるとますます引き取ってもいいんじゃないかという気持ちが大きくなってくる。

 

『引き取ってもいいんじゃない? 減るもんなんて微々たるものなんだから』

 

 夫が念を押してくる。こうなった夫を止める術は妻は持っていない。

 だが、その子の髪の色は緑色だったのだ。その点が最後まで妻を渋らせる。緑髪ということは少なくとも人間ではないはずである。

 それでも愛する夫が子を連れてきたんだから、育ててみたいという気持ちも多少はあった。私たちの子供として。

 

『わかったわ』

 

 結局夫を信じて折れた妻は、その緑髪の子を引き取り娘として育てることにしたのである。

 そうしてその日から夫は父親に、妻は母親に、父は祖父に、子は……忌み子として呼ばれることになったのだ。

 

 

 

 

 

 少女が忌み子と呼ばれるようになったのは理由がある。

 まず少女を引き取った日から数日後に祖父が亡くなったのだ。祖父は結構高齢だったこともありそれ自体は何も問題視されなかった。

 しかしそれを皮切りに次々と少女の周りで不幸なことが起こり始める。

 少女はその不気味な緑髪のせいで周りから若干敬遠されていたのだが、ある時村のガキ大将が好奇心に突き動かされた結果、道行く少女に拳よりは少し小さい程度の石を投げたのだ。

 少女は幼いながらもかなり綺麗で、難しい時期の男の子が気になったのでとりあえずちょっかいを出してみようという思考に至るための条件が見事に揃っていた。だからガキ大将はそんな行動をとったのだった。

 少女はまっすぐに飛んでくる石に気づくはずもなく(あた)ると思われた。だがその石は少女に中らず突っ切るように駆けてきた村一番の強面の男に中ったのである。

 たまたまだった。

 このような出来事が一回だけならば、その言葉で片付けることができたのだろう。だが実際は同じようなことが何度も起きた。

 少女に触れれば、少女と話せば、挙げ句の果てには少女を見ただけで、不幸になってしまったという人まで出てきた。

 そんな中でも少女の両親だけは彼女の味方だった。どんな時でも絶対に少女を敵に回すことなどせず、どんな時でも少女の手を握っていたのだ。

 ……そんな両親も少女に深く関わったから命を落としたのかもしれない。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 鼻をつく雨の匂いで少女は目が覚めた。

 いつの間にか木に凭れて眠っていたようだ。涙の跡でほっぺたがかぴかぴするが、少し擦ってやると問題なくなった。

 立ち上がろうと腰を浮かせる。だが変な体勢で寝てたのか、体のいたるところに痛みが走った。少女はその痛みに顔を顰めながらも立ち上がってみせる。

 すでに雨は止んでいた。

 相変わらず雨の匂いが鼻にまとわりつくが、空を見上げると雲の切れ目からお日様が顔を見せている。

 

「……! やった、雨止んだ」

 

 少女は静かに喜ぶ。

 これで重たくなった着物がだんだんと乾いていくはずだ。太陽が味方になってくれたと思った少女は歩くのを再開する。

 やはり太陽は偉大だ。燦々と葉っぱの上から少女を照りつけてくるが、それは全く苦痛にならず、逆に元気が出てくるぐらい。

 進む足は疲れを感じず、荒んだ心は豊かに戻る。

 少女の体感で雨が降っている時の倍程度歩いた頃、突然その音は聞こえた。

 ──ザァァァァァァ。

 雨とはまた違った、多くの水が一気に流れていく音。

 少女はその音を聞いて一度立ち止まった。目を瞑り音の根源を集中して探す。ここで迷ったら二度と音の元へは向かえないだろう。

 

「…………。──!」

 

 右斜め前。音はそこから聞こえてくる。……気がする。

 意を決して少女は歩き出す。もしここで間違ってしまったら、もう戻れないだろう。音が聞こえなくなったら間違った道を歩いているということだが、そんな心配に対して音は大きくなってきた。

 前を見てみると、鬱蒼としていた木が途切れている。──あそこが出口ね。

 少女は見失わないように一度たりとも目を離すことなくその場所へ向かった。

 その場所は意外にも遠くで、予想よりもずいぶん歩いてしまったがやっと着いた。

 そこから望む景色にあったのは、美しい渓流だった。対岸はまた山で、川の部分が小さな谷のようになっているらしい。

 山を登ってきている感覚はなかったため裾を破かなかったのだが、だいぶ上流の方まできていたらしくその川は飛沫をあげるほど流れが早い。足を取られようものなら一瞬で呑まれてしまうほどだった。

 そして河原も広かった。ゴツゴツした大きな岩がそこかしこに点在していて、隠れられる場所も十分にある。場所によっては人一人が雨宿りができる程度に入れる場所もあった。

 

「よしっ。しばらくはここにいよう」

 

 ここなら森の中の木漏れ日と違って直に太陽に当たることができるし、川も近くにあるから身体も洗える。いざとなったら魚だって捕まえれそう。

 歩き出してすぐ絶好の場所に出会えてことは、少女にとってとてつもなく幸運だった。……お腹も空かないし、喉も未だに渇かないのは少し心配だが。

 

 

 ──果たしてここで安寧の地を見つけてしまったのは本当に正しかったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三日目。

 昨日と違って雨は降らず、久しぶりに心地よい朝を迎えることができた。もちろん蝉たちの大合唱による目覚めなので心地よいかと聞かれると首を捻ってしまうが。

 少女は大きな岩と岩の間の隙間で寝ていた。球状の岩が隣り合わせに並んだ時、下側にできる空間である。岩自体はかなり大きく、少女が体を起こす程度なら障害はなかった。もちろん寝ているのは砂利の上だ。岩だったら背中が痛い。

 ……カニやらなんやらが一杯いそうだったが、大自然の中で欲を出してはいけない。というか選択の余地がない。

 少女はもぞもぞと尺取虫のように動いて岩の隙間から脱出する。

 

「っ、はぁ」

 

 出てくる時に乱れた髪を手櫛で解いてまっすぐに戻すと、そのまま少女はぺたりとその場に座り込んだ。

 まだ起きたばかりで頭が全然回らない。ただ照りつけてくる太陽が鬱陶しかったので、河の冷たい水を掬った。

 その水をぱしゃりと自分の顔にかけてやると、目が醒めるほど冷たくて気持ちよかった。ジリジリと灼けつく肌も冷たくなって一石二鳥だ。

 サッパリとした少女はこれからのことについて考え始める。

 安全な場所は確保した。夜は岩の下にいれば危険は回避されるだろう。昼は明るいので論外。

 次は人間の三大欲求の一つである食事だ。……だけど、三日間飲まず食わずなのに何も感じない。さすがに不思議で不気味で不可解だと思うようになってきた。もしかしたら色々あったせいで身体のどこかがおかしくなってしまったのかもしれない。

 もし本当にそうならば、非常にマズイ。脳が欲してなくても身体が欲している可能性があるんだから。

 急に身の毛がよだって怖くなってきた少女は川の水を掬って飲んだ。ここの水は本当に綺麗で、底の方まで結構あるのに何もないかのように透き通っている。だから飲んでもだいじょぶ……多分。

 

「んっ、ぷはぁ」

 

 少女は美味しそうに喉を鳴らしながら水を飲む。

 やっぱり喉は渇いていたんだろうか。いつもより美味しく感じる。

 となると今度は食料だ。おそらくこの川ならいっぱい魚がいるはずである。ただ少女には魚を捕らえる術がない。

 どうしようかと腕を組んで考える少女。すると急に立ち上がった。そのままクルリと一回転。そして「いーこと考えたっ」と一言。

 家は農家のため魚取りに関しては無知に等しいが、道具ぐらいはわかる。

 釣竿に、網に、籠みたいなやつ。少女はそのどれもを作ったりすることができないが、そのうちの一つである籠からヒントを得た。

 つまりどこかに入っていれば、素手でも捕まえることができるだろうということだ。朝一番、まだ太陽が本気を出してくる前にやってしまおうと少女は早速行動に移った。

 まず川で一番幅の狭い場所を探す。これに関してはしっかりやらないといけないので、投げやりにすることなく川を行ったり来たりした。

 そしてとある場所を見つける。そこはこの川で一番大きい淵のすぐ上の場所で、川幅が一番狭かった。淵に魚がいるのをすでに見ているので、この場所から深いところに行くんだなと思った結果である。

 だが川幅が一番狭いということは、流れが速いということでもある。少女はその場所がどれだけ深いのか知りたかったため、自分の頭ほどある大きさの石を持ち上げよろめきながら放った。

 パシャン、と派手に水を巻き上げながらその石は川底についた。……と言ってもだいぶ浅いらしく、その石の上側は川面から露出している。

 

「深さは、私の足首くらい。……いけるわね」

 

 少女は着物を腰のあたりまでたくし上げさっきと同程度の石を持った。そしてそれをさっき投げた石の隣に置く。

 少女の作戦はこうだ。このような感じで急な流れの中に石を置き、ある程度堰きとめる。もちろん水が流れるぐらいに隙間がないと、決壊してしまうので大きな石だけを使って堰き止めるのだ。

 そして少し待ってから見に行くと魚が岩のせいで先に行けず、かといって戻ることができる場所でもないので、少女が捕らえることができるのである。

 我ながらなかなかいい作戦だ。少女はテキパキと動きあっという間に堤防を作り終えた。川に足を突っ込みながら川辺に座り、額に浮き出た汗を手で拭う。

 

「ふあー……。つかれた」

 

 石を十数個置いただけなのだが、意外に疲れた。単純な作業故に飽きやすく、なおかつ暑い。ずっと中腰だったため腰も痛いし石を掴んでいた手も擦れてヒリヒリする。

 草鞋が流れていかないように親指を曲げて押さえつけながら、少女は辺りを見渡した。さっき見回った時、上の方に柳の木がポツリと立ってたはず。

 あの木の下が涼しそうで中々に魅力的だったのだが、その時はやる事があったので無視していた。しかし今になって思い出してみると、凶悪なほどに涼しそうな陰がこっちへ来いと誘ってきている気がした。

 もちろん誘惑に逆らう理由がないのであっさり少女は負けてびちゃびちゃの足のまま木陰へと走った。

 そして太陽によって肌が痛いと感じ始める前に到着。流れるように鮮やかに、幹を背もたれにして座り込んだ。

 木陰は予想以上に涼しい。遠くには陽の光を反射しながら流れていく川があり、近くには風で揺れる柳の葉っぱがある。

 この柳は両脇の山から少し離れた本当に河原の真ん中あたりに生えており、少女には少し不自然に思えた。しかも辺りは一面砂利のはずなのに、柳の根っこあたりのみ土ということも少女を不審がらせた。……まあ、だからどうってこともないのだが。

 ふう、と少女が一息吐いてあくびをする。その際、チラリと視界の右端に何かが映った。動く気配がなかったので何の気なしに覗き込んでみる。

 ──地蔵だった。

 そこにはポツリと雨風から守ってくれるものなど一切ない状態で地蔵が鎮座していた。長年風雨にさらされてきたのだろう。結構な範囲が緑になっていて可哀想だった。

 そう思った少女は腰を上げて地蔵の目の前まで行く。いくら少女でもお地蔵様が尊いものぐらいは知っているので、そこで合掌。目をつぶり何かを祈ってから、おもむろに手で緑の部分をこすり始める。

 

「……。お地蔵様なんだから綺麗にしなくちゃ」

 

 一生懸命親指の腹で緑の汚れを落としていく。本当は布があれば文句なしなのだが、さすがに要らない布は持ってないし自分の服で拭うのもしたくない。

 その点手であれば、痛いかもしれないがじきに治るし汚れても洗って終えばすぐに落ちる。

 

「……っ。よ……しょ」

 

 やがて綺麗になった地蔵を眺めながら少女はまた座り込んだ。朝から結構動いてきたので思ったよりも疲れていたらしい。足には鈍い痛みが走る。

 キラキラ光りながら流れていく川を見ていたら、少女の瞼がだんだん落ちてきた。そして視界が真っ暗になってすぐに少女は夢の世界へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

 何かに急かされたように少女は跳ね起きた。予想以上に気持ちよくていつの間にか眠っていたらしい。

 影を見ると、向きが朝起きた時と反対向きになっていたので昼は過ぎたのだろう。伸び方からして夜が近いかもしれない。

 寝ぼけ眼の目をこすりつつ魚が引っかかっていないか確認しに、罠を仕掛けた場所へ向かう。寝起きなので足元がおぼつかないがだんだん目が覚めて足取りがしっかりする。

 罠の設置場所を見てみると、そこには何もいなかった。もちろんわかっていたことだが、実際失敗すると意外と悔しい。

 ただ罠にかかってないことは誰の目からもわかる事実なので、今度は改良してみようと明日の予定を作ってみる。

 この時期はだいぶ日暮れが遅いものの、夜起きているわけにはいかない。寝床にいれば当たり前のことだが安全だ。だがそれ以外の場所が安全かどうかと問われれば答えに迷ってしまう。

 ……だからいくら昼寝をしすぎて眠くないからといって、星を眺めることは許されないのだ。

 もうじき日が完全に落ちる。谷のようになっているこの場所は他の場所よりも早く暗くなるはずである。さっさと寝床に行かないと。

 身をよじらせて岩の隙間に入っていく。岩の下自体は広いのだが、入る場所はそうでもない。むしろ狭いと言っても差し支えない。

 やがて定位置に着くと少女はどうしようか考え出した。今一番後悔しているのは昼寝のしすぎだ。寝返り程度しか身動きが取れないのに、眠れないというのはなかなかしんどい。

 そしてそのような状況に陥ってしまったらどうしてもいろんな変なことを考えてしまう。

 ──私はいつまで生きれるのだろうか、とか。

 ──なんでお腹空かないんだろう、とか。

 ──一回も妖怪を見かけないのはなんで、とか。

 

 ──そもそも私は人間なのか、とか。

 

 変な方向に流れ出した思考は止まるところを知らない。イヤな感じがして別のことを考えようとしても、なぜか同じ場所に戻ってきてしまう。

 私の昔の記憶が無いのはやっぱりあの人たちから生まれてないから? でもあの人たちは最期まで少女をかばい続けた。

 それはなぜ? 愛おしかったから。産んでもないのに? 子どもというのに変わりはないのだろう。

 私はなんで虐げられた? 髪の色が原因だ。気味悪がられた。でも世界は広いんだから同じ髪色の人だっているかもしれない。

 でも身近に緑髪の人なんていなかった。そもそも私は人間なの? 否定する要素が少ない。逆に肯定する要素は? お腹が空かない。つまり永遠に生きれる? それはわからない。

 じゃあ妖怪を見かけない理由は? わからない。でも私に何かありそう。

 そういえば私に関われば不幸になるとか。それはなぜ? 私が人間じゃないから。これが妖怪を寄せ付けない理由? ありえない話ではない。

 話を戻そう。人間である要素は? 人間の親がいる。人の村で育った。でも最たる理由がない。

 人間じゃないなら何? わからない。妖怪? 違う。あんなに屈強じゃない。じゃあ? 人間じゃないナニカ。

 ずっと生きれるんだったらこれからどうするの? どうしようもできない。一生ここにいるかも。服とかは? 成長したら小さくなるんじゃ? 無理して着れば問題ない。

 一生ここで生きれるの? 無理かも。途中で死のうかな。

 生きようよ。どうして? せっかく育ててもらったんだから。死ぬことだけはダメだよ? わかった。

 心が翳り、だんだん昏くなっていく。黒い靄は幼い心を包み込み、周りから隠した。だけど微かに抵抗する少女の心もあった。ただ、絶望へと向かう力で負けそうになっていた。

 ──そうして夜は更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──いったいわたしはだあれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 閲覧ありがとうございました。
 次回は最終話となります。12月13日17時17分に投稿します。


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第参話

 

 

 いつもの柳の木の木陰。どれだけ暑い夏でもここだけは変わらず涼しかった。

 そして隣に佇む小さなお地蔵様。少女が心細い時はなんとなくここへ来てしまうのである。理由はわからない。でもここに来た時は毎回合掌をしてから手でこすって綺麗にしてあげるのだ。

 それから気が向いた時にはいろいろ喋っていた。どうでもいい雑談から、幼い時には自分の村のことまで。

 今日も今日とてお地蔵様を綺麗にしてあげる。昨日もきたので汚れはそんなになかったが、なんとなくこする。少女の手はすでにまんまるとしたものじゃなくなっており、スラリと伸びた白い指は大人の女性のそれだ。

 それもそのはずで、少女が河原に訪れてから幾星霜。どれだけの夏が来たか数えるのをやめるほど長い年月が経っている。

 やることなどない。夜には何度目かの秋に少し遠いところで見つけた小さめの洞穴で寝泊まりし、陽が昇れば河原で水の流れを見続ける。

 そんな怠惰な生活を何年何十年と続けてきたのだ。もちろん少女も変わった。身長はだいぶ大きくなり、胸はたわわに実った。着ていた着物はもう羽織る以外に使い道がない。

 冬は洞穴にいればある程度あったかいので、身動きせずに冬を越すのだ。でないと寒さで死んでしまう。

 だが今は夏だ。痛いほどに陽が照りつける今日のような日は、毎回この柳の下にやってくる。数少ない少女の習慣である。

 流れる川をただ見つめるだけの日々。記憶は混濁し、何も思い出せない。というよりは思い出したものがなんなのかわからなかった。

 それも無理はない。なにせ数え切れないほど何もない日々が、少女の少ない思い出の上に被さるのだから。もともとあまり思い出したい記憶じゃなかったので、できる限り忘れようとしていたら、両親や自分の名前、なんでこんなところにいるのかさえ忘れてしまった。

 少女が思い出す昨日は、果たして本当に昨日なのか。一昨日じゃないのか。もしかしたら去年の夏のとある日なんじゃないのか。記憶を見分ける鍵は、この柳と周りの木の特徴しかない。

 少女の煌めく翠眼は光を失い、色褪せてしまっていた。その眼が見るものは木と空と川と地面とお地蔵様のみ。あとは知らない。

 少女は一度も動物や妖怪に会わなかったのだ。なぜかはさっぱりわからない。もしかしたら少女が忌み子と呼ばれる所以を第六感で感じているのかもしれない。

 ああ、暑い。けど吹き抜ける風は秋の冷たさを持っていた。そして少女は今日もまた同じように過ぎ行く日々を眺めているのであった。

 少女は空を仰ぎ見る。風に流される柳の葉っぱに隠された、蒼天の中に雲が浮いている。ゆっくりとゆっくりと流れるその様を見て、なぜか寂しい気持ちになった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 少女が壊れた。

 それは誰の目から見ても明らかだった。瞳からは微かに灯っていた光が完全に消え失せ、柳の木の下から完全に動かなくなったのである。

 木の幹に背を預け、虚空を見つめながら固まった少女はどこか置物のようだった。

 確かに何十年と変わらない風景の中で過ごしていたらおかしくなってしまうだろう。それも下手に動けない山の中で、である。ある程度開けた場所で、人通りもあればまだ持っただろう。

 ただ誰とも喋らず延々一日を過ごすだけ。これで永い時をまともに生きることのできる知能を持った生命体なんて本当にいるのだろうか。

 ともかく少女は物言わぬ像になってしまった。雨の日も、風の日も、どんな日だって彼女が動くことはない。一定のリズムで瞬きをし、呼吸によって少しだけ体が揺れる。近くで見ないと生きているかどうかさえわからない。

 少女が生きているかどうか分かるのは、一番近くで見ているお地蔵様だけである。

 いつもはピカピカだったお地蔵様も少女が壊れてしまってから、苔に塗れ出すようになった。もう一度綺麗になることはないだろう。だが今までの恩返しだろうか。石の目には、絶対に少女を幸せにしてあげるという決意が現れていた。

 そもそも地蔵とは菩薩の中の一つであり、仏界では意外と位が高いのだ。上から如来、菩薩、明王、天となる。かの不動明王や毘沙門天、金剛力士よりも位が高く、地獄の閻魔大王と同じ。いくら見窄らしい姿になっても、菩薩は菩薩だ。願いくらい叶えてくれるかもしれない。

 もしかしたら、本当に願いを叶えてくれているのかもしれない。

 なぜなら、いつの間にか────いつもの場所からお地蔵様がいなくなっていたのだから。

 

 

 

 現在の季節は秋。

 たくさんの広葉樹が赤に黄色に紫に、染まって山を色付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おーい、ひなー!」

 

 遠くから親友の声が聞こえる。物思いに耽っていた雛は一旦思考を停止し、声の主の方へ顔を向けた。

 案の定歩いてきているのは、河童のにとりだ。蒼い髪の毛をツインテールにして、大きな緑のリュックサックを背負いながらよいしょよいしょと川を上ってくる。

 やがてにとりは雛の隣の岩に腰掛けた。

 

「ふぃー疲れた」

 

 手で額の汗を拭いながらにとりが一言。その言葉に雛は「なんでこんなところに?」と聞いた。

 

「何でって、たまたまここに座ってるのが見えたからさ。赤の中に緑が混じってたら結構目立つよ?」

「へー、そうなの」

 

 自分では知り得ることのなかった事実に雛は目を丸くした。確かに紅葉の中に緑が混じってたら目立つだろう。知らなかった。

 そして今度はにとりが質問が質問をする番だった。

 

「雛こそこんなところでなにやってるんだい。珍しく黄昏てるのが見えたけど」

 

 私が黄昏てるのは珍しいのか。これまた雛の知らない事実だった。結構ぼーっとしていることが多いと自分では思っていたが、他人の目から見るとそうでもないらしい。

 

「私が幻想郷(ここ)に来るまでのことを思い出してたのよ。で、だいぶ佳境のところであなたが来たってわけ」

「あ、そうだったんだ。なら邪魔しちゃったね。というわけで最初から説明しておくれ」

 

 ………数秒の間を経て。

 

「えぇっ!」

 

 にとりの言葉を理解した雛が驚きの声を上げる。あまりいい思い出ではない過去を洗いざらい話せというのは酷な話である。だが拒否したところで彼女が引き下がってくれなさそうなのも事実だ。

 というか問題はそこじゃない。なぜ最後の最後で最初に戻らなくてはならないのか。もどかしい気持ちが心を覆う。

 肩を揺らしながら「いーじゃんかー」とにとりが念をおしてきた。その言葉に根負けして、まあ隠すことじゃないしと割り切った雛は一から話し始めた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 少女が微動だにしなくなった期間は実に一年とちょっと。季節が一周して、秋になった。固まってから二度目の秋である。

 いつどんな時でも地球のサイクルは変わらない。今年も鮮やかに葉っぱが色づき、風が冷たく乾いてきた。

 いつもならキレイだなぁと呟く声が聞こえるはずだが、声の主はすでに壊れている。しかし珍しく──否、初めてこの川付近で別の声が聞こえた。

 

「へぇ……美しいですね。幻想郷に負けず劣らずです」

 

 右手に持った(悔悟の棒)を口元に当て、その少女はクスリと微笑んだ。

 右側を少し伸ばした緑の髪に、紅白のリボンをつけている。黒に近い青色の服を着ており袖は白。スカートをはいており、誰がどう見てもこの時代の人間でないことは確かだ。

 その少女──四季映姫・ヤマザナドゥは辺りをキョロキョロと見渡す。

 

「おかしい……。この辺のハズなんですけど」

 

 映姫は目当てのものを探して上流の方から下の方まで歩き回る。しかしいくら探しても見当たらなかった。

 絶対にここら辺にあるはず。なのに見つからないというのはどういうことだ。

 うーん、と腕組み目をつぶり岩に腰掛けながら考えることに集中した。地蔵卒の新米閻魔が言うには柳の木の下にいるらしい。

 だがいくら探してもその木が見つからない。もしかしたら場所を間違えたのかも、と思ったが新米閻魔から聞いた特徴にここはピッタリ合っている。

 ならどこだろう。もう少し上の方だろうか、目を開けて顔を上流の方へと向けた時に目当てのものを見つけた。

 

「あった……。くぅ」

 

 なんというヘマだろうか。自分がこの状況を見てしまったら、『そう、あなたは視野が狭すぎる』とかなんとか言って説教し出すところである。

 幸いにも自分のことを周囲には誰もいないため、からかわれることもないだろう。

 目当てのもの──動かなくなった少女は川の対岸にいた。

 そもそもなぜ地獄の閻魔である映姫がこんなところにいるのか。それはある別の閻魔によって懇願されたからである。

 その閻魔はごく最近地蔵から閻魔になり是非曲直庁へと配属になった新米だ。映姫自身も地蔵卒の閻魔なのでどこか親近感を覚えたのは確かである。

 そんなある日。今日も今日とて人を裁いた後、小休憩をしていた映姫に突然の来客があったのだ。今疲れているんだから帰ってもらおうとすると、なんと来客は件の閻魔である。

 映姫は同じ地蔵卒の私に何か質問でもあるのかな? とどこか先輩風を吹かせながら対応しようと画策していたがそんな策は一瞬でチリになった。

 赤茶色の短髪イケメンだった新米閻魔は映姫の前にくると同時に土下座。そしてハキハキとした口調で用件を告げた。

 

『四季様。わたし、どうしても説教してもらいたい人がいるんです』

 

 へ? と映姫が固まった。というか意味がわからない。ただでさえ突然の土下座にわたわたしていたのに、追加でそんなことを言われてしまっては思考回路がストップする。

 そんな映姫のことを気にも留めずに新米閻魔は喋り続ける。

 

『その者、いえその少女はどうやら昔から忌み子と呼ばれていたらしく、おそらく村から追い出されたのでしょう。山奥の誰の目にもつかないはずのわたしの元へ幼い時にやってきました』

 

 どうやら長くなりそうだと判断した映姫は一度口を挟む。

 

『顔をあげてください。目をそらしながら人と喋ってはいけません』

 

 あえて叱ることで無理やり顔を上げさせる。

 新米閻魔も言葉の真意を理解したのだろう。ありがとうございます、と言ってから立ち上がって話を続けた。

 

『それからその少女はほぼ毎日わたしの元へ来て綺麗にしてくれるのです。たまに自分のことを喋ってくれたりもしました』

 

 その少女、偉いじゃない。会ったことはもちろんないが、ちゃんと躾られて育てられたのだということがわかる。

 

『ですがそんな日が何十年も続いたある日、少女の心が壊れてしまったのです。一度も動くことなくわたしの隣で呼吸をす──』

『ちょ、ちょっと待ってください。その少女は人間なんですよね?』

 

 とっさに疑問をぶつける。だが自分の言葉に反して映姫自身なんとなく予想はついていた。

 何十年も年月が過ぎたのに、この新米閻魔は未だに少女と呼んでいる。ただ昔の呼び方が抜けないだけかもしれないが、少女の姿が大して変わってないということも考えられた。

 そこから導き出される答えは──

 

『少なくとも人間ではありません。ですが少女の昔話を聞いている限り、人間として育てられたようです。多分彼女自身は人間だと思い込んでいたはずです』

 

 なのに何十年経っても大して体に変化がない。最終的に自分が何かわからなくなって心が壊れた、あるいは閉ざしたという結果になったのだろう。

 少女が壊れた理由というのはわかった。だがなぜそれを私に。

 

『四季様に説教していただきたい理由は、……えと』

 

 初めて新米閻魔が口ごもった。映姫にはなぜそこで詰まるのか、なんとなく理由が読めてしまう。地蔵卒の先輩だから話しやすいとか、女性だから親身になって話してくれるだろう、とか。要はこっぱずかしいんだろう。

 だが答えは斜め上、というかありえない方向のものだった。

 

『四季様、は……その、緑髪ですよね。その少女も緑髪なので少しでも勇気付けられるかな、と。も、もちろん他にも理由はあります! なんでも休憩時には幻想郷に赴いて説教をなさっているとか。ですので私なんかよりも説教にも慣れているかと思いまして……』

『……………………………………』

 

 ああそう。そうですか。確かに休憩の時は説教をしてますよーだ。

 こめかみ辺りに血管が浮いてくる。頭の中でドクドクと脈打っているのがわかった。

 だが映姫だってこんなことでいちいち怒るほどお子様じゃない。全神経を動員して怒りを無理やり抑えた。

 

『……わかりました。後で場所を教えてください』

『ほ、本当ですか! ありがとうございます!』

 

 それから綺麗に一礼。失礼しましたぁー! という声とともに風のように新米閻魔は走って行った。

 それから紆余曲折あって今この場にいるのだが、あの時のやり取りを思い出すと今でも腹がたつ。同時に新米閻魔にいろいろ話を聞いてるだけで「ついに、春がやってきたか⁉︎」などと冷やかしてきた同僚にも殺意が芽生えてきた。

 だが今はそんな場合じゃない。足元を流れる清流を見ていると、心も洗われていった。

 ふう、と一つため息を吐く。それで心のリセットを完了させると映姫は空中に浮遊した。この浮遊は幻想郷の住民にとっては必須スキルである。

 ふわふわと対岸にたどり着き柳の木の下に降りた。そして少女の様子を見て新米閻魔が映姫に頼んできた理由を知る。……これは確かに私が適任かもしれない。

 体つきはほぼ大人のそれだが、顔の所々にあどけなさが残っている。きわめつけは少女の今の格好である。全裸の上に小さくなった着物を羽織っているだけ。これじゃあ他の男の閻魔には頼めないのは道理である。

 映姫がその少女に近づく。すると少しだけ首を動かし、ハイライトのなくなった目で映姫のことを見上げてきた。

 幽霊や妖怪にはない不気味さに身震いするが、今はそんな場合ではない。映姫は少女の眼の前でしゃがみこんだ。

 

「……あぁ、た。……だ、ぇ?」

 

 どれだけ声を出さずにいたのだろう。声はガラガラで聞き取りづらい。

 ただ意識はあるのだろう。声も出したから当然である。

 

「貴女を助けにきました。とりあえず話をしたいので、水を飲んでください」

 

 そう言うと映姫は是非を問わず少女の両手をつかんで立ち上がらせる。足の筋肉も衰えているのか、ふらりと映姫に倒れかかってきた。

 だが映姫もそんなに柔じゃない。自分より少しだけ背の大きい少女を支えるぐらいは朝飯前だ。

 何度か転びそうになりながら、ようやく水のそばまでたどり着く。映姫が片手で水を掬い、零れ落ちる前に少女の口へと運んだ。

 じゅるっと音を立てて少女は水を飲む。いくら飲まず食わずで生きれるからといっても、実際は喉が渇いたりするのだろう。証拠に、少女は映姫の肩から手を外して自ら川の水を飲んでいた。

 その行為が落ち着くのを待ってから映姫は再度少女の脇に首を入れ、柳の木の下へ連れて行く。さすがにこんな一瞬では筋力が回復するはずもなく、少女は倒れそうになりながら必死に歩いた。

 目的地に着いた少女はドサリと倒れるようにして座り込んだ。映姫は最初に会った時のように目の前にしゃがみこむ。

 

「しゃべれますか?」

「うん。だいぶマシになったわ」

 

 さっきよりもクリーンになった声で少女が言う。同時に、少女は見た目に反して少しだけ精神が幼いように思えた。

 ──まあ、子供の時に追い出されてるんだからしょうがないか。

 言葉遣いが荒いような気がしたのだが、少女の人生を(おもんぱか)ってみると仕方ない。ので気にしない。

 

「では本題に入ります。さっき貴女を助けると言いましたよね? ……もし貴女がここから離れたいと(こいねが)うならば、人と妖怪が共存する世界──幻想郷へ来ませんか?」

 

 唐突に少女の頭へといろんな情報が入り込んでくる。だんだんとぐちゃぐちゃしてきたので少女は考えることをやめた。

 

「えっと……。どういうこと?」

 

 少女が首を傾げながら映姫に問うてくる。その様子がなんとも可愛らしかったのだが今は仕事中だ。

 服のポケットから映姫はとある手鏡を取り出した。

 

「少し辛いかもしれませんが、この手鏡を見ててください。貴女の過去が映し出されます」

 

 その手鏡──浄玻璃の鏡を少女に見せる。

 すると水面(みなも)の如く波立ってきたかと思うと、すぐに少女の顔が映っていた鏡からいつかのこの場所へと切り替わっていた。少女の姿も今より随分幼く、どれだけ昔かわかる。

 また鏡が波立ってくる。すると今度は過去に自分が住んでいた村が映し出された。無邪気に遊ぶ子供たち、それを遠くから見る少女。それを心配する両親。

 そう、両親。

 生きている両親の姿を見て少女の視界がじわじわ滲んできた。いつの間にか少女が一人になってから、家族でいる時よりも親の存在が大きくなっていた。まさに失ってから気づいた状態である。しかも少女の記憶からは両親の顔が消えていた。それがたった今思い出されたのだ。

 涙が止まらない。止めようと思ってごしごし目をこすっても止まる気配がない。それどころかどんどん増えていく一方だ。

 そんな少女の様子を見かねて映姫が上着のポケットからハンカチを取り出す。それを使って少女の涙を拭いてあげた。少女はなすがままにされながらもまだ涙が止まらない。

 

「次、行きますよ」

 

 また少女が答える前に鏡が揺れる。

 そこに映ったのはどこか見知らぬ川だった。そのほとりに自分が倒れている。そこへ一人の男の人が歩いてきて少女を起こした。

 

「これが貴女のヒトとしての始まりです」

 

 静かに映姫は告げた。

 その頃にはすでに少女は落ち着きを取り戻しており、しっかりと鏡に映る光景を目に焼き付けている。

 そして映姫の言った言葉もしっかり理解していた。

 同じように鏡が揺れる。

 今度映ったものは一体の雛人形だった。雛人形、そう呼ぶにしては難しいぐらい質素なものだがなぜか少女には分かってしまう。

 その雛人形が川を流れていく様子が鏡には映っていた。

 

「これは流し雛という風習。そして貴女の前世ともいうべき姿です」

 

 淡々と映姫が事実を伝えていく。

 その言葉で少女に起こった全ての事柄の辻褄があった。なぜ自分の記憶に幼少の頃が無いのか、なぜ自分の髪が緑色なのか、なぜ忌み子と呼ばれたのか。……なぜ死ねないのか。

 なぜなら自分は──

 

「貴女は人間ではありません」

 

 映姫がハッキリとした口調で少女に告げると、少女の目からまた乾いたはずの涙が溢れ出る。その涙は悲しみなどではない。心から安心した安堵の涙である。

 

「わ、わた、しは……人間じゃ無い、のね」

 

 声が震える。口元が痙攣してうまく言葉が出てきてくれない。

 でも少女の心は安らかだった。今までは一人で抱え込んできた。自分は何か、という永久に答えの出ない問いかけを。

 それがたった一人、ちょっと前にやってきた見ず知らずの人に助けてもらったのだ。自分一人ではあってるかどうかわからなくて不安だった答え。故にずっと悩み続けていた問題。目の前の女性はそれをあっさりと解き、しかも明確な理由もつけてくれた。

 これで少女は人間という言葉のしがらみから解放されたのである。

 

「そう、貴女は自分を人間だと信じすぎた」

 

 突然映姫の声が刺々しくなる。それと同時に少女も肩を強張らせた。自然と涙も止まる。

 

「貴女は自分を人間だと信じることで心を壊した。人間だと信じきっていたから忌み子として扱われたときに悲しくなった。貴女の罪は一度たりとも自分を疑わなかったことです。もちろん、両親にそんなことを話しても聞く耳は持ってくれないでしょう。他の誰かに言ったところで解決する問題ではありません。ですからこれから──」

 

 一度映姫は言葉を区切った。一呼吸の間を空けて強調するように言う。

 

「人外として胸を張って生きること。これが貴女が積める善行よ」

 

 

 

「──はい」

 

 

 

 ただの言葉のはずなのに胸に打ち付けてくるように響いた。それはまるでお湯をかけたお餅のように、縮んで固まった心をふやかし温めていった。

 

「まだ話は終わってませんよ」

 

 少女はまた溢れ出した涙を目をごしごしこすって無理やり涙を止める。少し強めにこすりすぎたようで目尻が赤く腫れてしまっていた。

 少女の翠眼がしっかり映姫の顔を見ていることを確認して話を続ける。

 

「ここからが本題です。貴女は人間で無いことがたった今わかりました。そして人外として胸を張って生きなくてはなりません。それで……これからどうするんですか?」

 

 いきなり問われて少女は答えるのに困ってしまう。そんなこと言われたってわからない、顔がそう言っているのを映姫は見てから言った。

 

「行き先、無いんですよね? では妖怪や妖精の存在が当たり前のように認められ、なおかつ人間とも関係を持つことができる世界──幻想郷へ来ませんか?」

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 少女──否、鍵山雛。それが映姫から与えられた新たな少女の名前だった。もともとの名前はあったはずだが、映姫は教えてくれなかったし雛自身知りたいとも思わなかった。

 そして雛は自分の種族も同時に教えてもらった。〝厄神〟というのが雛の種族である。

 雛人形から厄神になることは非常に珍しいらしく、映姫も雛の種族を浄玻璃の鏡で見たときに驚いていた。

 具体的に厄神とは何をすればいいのか雛が映姫に問うと、自分の能力──厄をため込む程度の能力で人間の方へ厄がいかないようにし、そうして溜まった厄を定期的にやってくる神様に渡せばいいのだという。

 この能力。雛は生まれながらにして持っていたらしく、溜め込んだ厄は周囲の人に不幸をもたらすのだという。だから雛は忌み子として扱われていたのだ。納得がいった。

 ちなみに映姫は、白黒はっきりつける程度の能力を持っていて、厄などという曖昧なものは効かないらしい。

 そのあとに映姫が自分の自己紹介を怠っていたことに気づき慌てて自己紹介をされた。

 なんでも映姫は地獄の閻魔様らしく、休憩時間の合間を縫って説教しに来てくれたらしい。なんともありがたいことである。

 でもそんな閻魔様がなんで私なんかのことを。それも映姫は答えてくれた。雛がずっと綺麗にしてきたあのお地蔵様。いつの間にか新米閻魔として映姫の下で働いているそうだ。その閻魔が映姫に直談判してきたため根負けした、というのをうんざり顏の映姫から聞けた。

 

「では、そろそろ行きましょうか」

 

 映姫が雛へ手を差し出す。雛はその手を借りて立ち上がり、フラフラになりながらくるりと意地で回って見せた。

 どんな時でもこれを欠かすことはできない。厄神になってからほぼ毎日回っていたが、だいぶ期間が空いてしまったのはこれが初めてだ。目に映る光景が瞬く間に過ぎていくのが懐かしい。

 

「? どうして回ったんです?」

 

 だがそんな習慣も他の人からしてみればよくわからない行動にカテゴライズされる。映姫もその例にもれず不思議に思ったようだ。

 

「これは、私の習慣っていうか……癖なのよ。回るのをやめたら、私が私でなくなるのと同義よ」

 

 柳にもたれかかりながら雛は言う。

 雛が回り始めたのは人型になってから。つまり自我を持ってからずっとである。人間であっても厄神であっても雛は雛だ。種族が変わったから、名前が変わったからといって何かを変えれば、それはもう雛という存在では無い。故に以前と同じように過ごす。

 

「ちょっと、長居しすぎちゃったわね」

 

 名残惜しそうに雛は柳の木を見つめる。

 初めて見たときよりも幾分か大きくなっている気がした。それだけの間雛はこの木の下にいたのである。それはちょっとどころでは無い。

 ざわざわと別れの挨拶をするように、柳は色付いた葉っぱを揺らした。

 それを見て雛の中で何か踏ん切りがついたのか、鮮やかな炎が宿った翠眼で映姫を見る。

 

「決心がついたようですね。では改めて──幻想郷へようこそ」

 

 差し出された手を握る。

 すると視界がとんでもない速さで移り変わっていった。

 

「────」

 

 柳の木の下にはもう誰もいない。

 何十年と続いた光景は、たった一日だけで終わりを告げてしまった。山の木々は寂しそうに葉を散らし、柳は別れを惜しむように風に揺られた。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「はい、終了」

 

 ふう、と雛は一息吐いた。

 自分の中で思い返すのは簡単だが、それを人に話すとなると倍以上の労力が必要だ。鈍い痛みが頭を駆け巡る。

 

「へぇー。雛ってそんな方法で幻想入りしたんだ。じゃあいっつも説教してる閻魔様と顔見知りなの?」

「ええ、というより彼女が私を幻想入りさせてくれたのよ」

 

 ほえー、とにとりが感嘆の声をもらす。

 確かに幻想郷の住民にとって映姫はやりづらい相手だ。閻魔様だから下手に強気に出れないし、そもそもあの八雲紫でさえ逆らえないという。

 

『──ですから魔理沙さん! やっぱりロボアニメの鉄板は【当たらなければどうということはない】か、【あなたと合体したい……!】とかありますけどなんだと思います⁉︎ 私はやっぱり【逃げちゃダメだ】だと思いますっ』

『……早苗。私に会うたびに同じこと聞いてないか? っていうのを前もやった気がするぜ……』

 

 唐突にワイワイと賑やかな声が頭上を通る。

 上を見上げてみると、真っ赤な紅葉の隙間から二人の人間が見えた。人間の魔法使いである霧雨魔理沙と、新しく山にやってきた神社の巫女である東風谷早苗である。話している感じからして早苗が一方的に喋り倒しているらしい。

 

「賑やかだねぇ……」

 

 にとりがしみじみと言った。確かにそうだ。

 雛自身は魔理沙とは顔見知りだが、早苗とはこちらが一方的に知っているだけだろう。……もちろん魔理沙との出会いも思い出したいものではないが。

 なぜなら早苗が起こした異変を解決するために、魔理沙によって巻きぞえのような形でコテンパンにされたのだ。今思い出しているだけで頬が引きつる。

 

「どうしたの雛。顔が引きつってるけど」

「…………なんでもないわよ。早苗に親近感を感じていただけだから」

 

 ありのままを言うのは憚られたので、とっさに口から別の言葉が滑り出る。「ほんとにー?」とにとりが怪しんでくるも、実際そう思っていたのは確かだ。

 あの髪。緑の髪は誰にでも気味悪がられるだろう。妖怪なんかが忘れ去られた外の世界では特に。それでも元気に生きている姿を見ると、自分も周りに助けてくれるような人がいればあんな風になれていたのかなと思ってしまった。

 隣ですっと息を吸う音が聞こえた。

 

「ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは──」

 

 唐突に流れるような声でにとりが歌を詠んだ。六歌仙の一人、古今和歌集の中でも特に有名な在原業平の歌である。

 様々なことが起こっていたという神代でも聞いたことがないくらい川に浮かぶ紅葉がくくり染めのようで美しい、という歌だ。まさに今雛たちの目に映る景色とぴったりである。

 

「在原業平ね」

「そうだよ。昔の人はスゴイよね。この景色をたった三十一音で見事に表してんだから」

 

 風に吹かれて宙を舞う紅葉を眺めながら、雛はため息をついた。

 

「なら私も」

 

 すうっと大きく息を吸う。すでに肌寒いでは済ませることができなくなってきた空気は、肺に入ってきて痛みが生じる。

 

「道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ──」

 

 詠んでから涙が出そうになった。

 

「おっ、西行法師だね。んー……でもなんで?」

 

 にとりの疑問はもっともである。業平の歌はこの時期にぴったりの歌だが、西行の歌はそうじゃない。雛の詠んだ歌は夏のとある日、柳の陰で休んでいたらいつの間にか涼しくてつい長居してしまったという歌である。

 どうも季節外れだ。

 

「言わないわよ。言うわけないじゃない」

 

 恥ずかしそうに雛はそっぽを向く。

 それから雛はずっと座っていた石から飛び降りた。河原にスタッと着地、そしていつものようにくるりと一回転。

 

 ──わざと分かりにくくしたのに、自分で答え合わせなんて恥ずかしいじゃない。

 

 今日も今日とて彼女は回り続ける。なぜなら彼女は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────鍵山雛、なんだから。

 

 

「あだっ」

「……珍しいね。回りすぎで雛がコケるなんて」

 

 今日も幻想郷は平和です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






閲覧ありがとうございました。これにてこの作品は完結しました。
……ただ、毎月17日は雛の日らしいので、12月17日にあとがきという形でもう一話投稿します。おそらく何の面白みもないですし、本編に関しても大したことは書かないつもりなので、読後感を大事にされたい方はこのお話を読み終えた後、次話に進まないでください。


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あとがき

 これはタイトル通りあとがきです。ですので読後感を大事にされたい方はすぐにお戻りください。


 これはこの作品のあとがきにあたります。

 故にこの後は作品自体には関係ありません。ですので読後感を大事にしたい方、またはそういったものが嫌いな方はすぐにブラウザバックをしてください。

 

 

 

 

 

 はい、みなさんどうも。作者のたま紺です。

 僕の作品はいかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたのなら幸いです。

 何故作品に関係ない話を投稿したかというと、毎月17日は雛の日ということらしいので無理に投稿させていただきました。

 いや、だったら3話の投稿日を延ばせって話なんですけど、13日は13日で僕の1周年記念でもあったんです。ですのでこんな形になりました。

 この作品、実はというか分かってらっしゃる方絶対いると思うんですが、西行の歌をもとに書きました。幽々子さんと西行に関連性があるのは前々から知っていたし、今回たまたま授業でこの柳の歌を扱ったので、そこから妄想をはかどらせた次第です。

 ついでに言うと、業平の歌も書いている時はぴったりの季節(秋)だったので織りこみました。1話を読んで、情景描写の時に業平の歌ってわかった方はなかなかに博識だと思いますね。とは言っても〝くくり染め〟なんていう現代ではあまり使わない言葉を用いているため、そういうところで気付いた方はいるかもしれませんね。ちなみに現在は〝絞り染〟って言います。

 

 それでは作中でおざなりにしすぎた点を解説します。というよりは原作を全く知らない方向けですけども。

 

 是非曲直庁……地獄に存在し、死後の人や妖怪の魂を裁いたりする場所。映姫や小野塚小町が所属しています。

 

 地蔵………………仏界の位で上から如来・菩薩・明王・天となり、地蔵は菩薩にあたります。ちなみに東大寺の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は如来で、同じく東大寺にいる金剛力士像は天です。上杉謙信の代名詞(?)である毘沙門天も、この天に入ります。

 56億7000万年後に人々を救済すると言われている弥勒菩薩は名前の通り菩薩です。そして作中で説明した通り、閻魔は地蔵の中の一つ。つまりみなさん何気なく地蔵を目にすることがあるかもしれませんが、その地蔵はかなり高位なものなんです(ウチが田舎なだけかもしれませんが、山道歩いているとたまに見つけるんですよねw)。

 お参りしてはいかがですか? 何か願い事が叶うかもしれませんよ?

 断じて僕は怪しい宗教の勧誘をしているわけではありません。 はい、絶対。

 

 以上2点です。以上です。ええ。(あからさまな字数稼ぎから目をそらしつつ)

 少ないのはわかってます。また何かこれがわからないとか教えていただければ、追記していくつもりです。

 

 

 

 では、たま紺先生の次回作

 

 ──「公私混同は許されざること。でも……会いたい、です」

 そのまっすぐな性格故に、嘘はつけず、単刀直入にものをいう性格。けれども恋愛ごとには超奥手。そんなきまじめ閻魔の心を惹くのは、正反対のおちゃらけ閻魔。

 誰とでも気さくにしゃべるおちゃらけ閻魔を見て、やきもきするきまじめ閻魔。彼は仕事のパートナー……でも! そんな彼女の恋愛譚!

 

 ──おちゃらけ閻魔ときまじめ閻魔──乞うご期待!(大嘘)

 

 書きたい方います? チラッチラ

 

 

 

 





 最後のやつは本当に嘘です。執筆時間がありません。
 でも本当は書いてみたくてたまらないんですがねぇ……。主人公は映姫、他はこのお話に出てきた茶髪の閻魔と幻想郷の住民たち。ああああ…………三ヶ月ぐらい文字しか書かない日々を送りたいです……。

 こんな蛇足としか言いようのない話まで見てくださった方、本当にありがとうございます。では、また別作品で会えることを祈って。
 


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