霊使い達の黄昏 (土斑猫)
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1話

 

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 風が吹く。

 飄々と、咽び泣く様な声を上げて風が吹く。

 風が吹く度に木々は悲鳴を上げる様にざわめき、その葉を散らす。

 不気味に変色したそれは風に乗り、地へと舞う。

 舞ったその先にあったのは、小さな集落。

 だが、そこにあるべき人々の生活の音は、今はない。

 聞こえるのは、呻き。

 そこに住む人々が、その地に住む動物達が、倒れ、もがきながら漏らす苦しみの呻き。

 そんな、地獄の如き様相の集落の道端に、一人の少女が倒れていた。

 頭の後ろで纏められた緑色の髪。身に纏ったカーキ色のローブが土埃に塗れている。

 少女は苦しげに咳き込みながら、何かを求める様に右手を伸ばす。血の気の失せた唇が、戦慄く様に言葉を紡いだ。

 「・・・ウィン・・・」

 その言葉を最後に、少女の手はパタリと地に落ちた。

 

 

                   ―1―

 

 

 その日の朝、魔法族の里立ミナコ魔法専門学校の寮はいつも通りの喧騒に包まれていた。

 「ふにゃあ~、皆、おはよ~。」

 「おはよ~、じゃねえよ、ウィン!!遅い!!ほら、そこに朝飯用意してあっから、さっさと食っちまえ!!」

 寝ぼけ眼のウィンに向かって、エプロンを着けたヒータが怒鳴る。

 怒鳴りながら、片手でフライパンに乗ったパンケーキを器用に返す。

 「こら、エリア!!顔作りなんざ後にして飯食え飯!!また遅刻してお仕置き喰らいてぇのか!?」

 言葉とともに、ポーンと宙に舞うパンケーキ。それを皿を構えたギゴバイトが見事にキャッチし、化粧に余念のないエリアの前に置く。

 『ヒータさんの言う通りだよ。そんなの後にして、さっさと食べちゃいなよ?』

 「何言ってんのよ。身だしなみは女にとって最重要事項よ。寝癖のついた起き抜けの顔そのまんまなんて、見せられるもんですか!!」

 顔にパシャパシャと化粧水などつけながら、エリアが言う。

 『何言ってんの。そんな念入りにお化粧したって、どうせ見るのは他の霊使い皆か使い魔僕達くらいのもんじゃない。」

 その途端、エリアがギッと射殺しそうな目でギゴバイトを睨む。

 『な、何さ・・・?』

 「何でもないわよ!!」

 ことのほか不機嫌そうに言うと、エリアはグサリとフォークをパンケーキに突き刺した。

 「あー、なにするですか!?かえすですー!!」

 唐突に飛んできたのはライナの声。

 見れば、シロップの小瓶を持ったダルクにライナが絡みついている。

 「駄目だ!!」

 「なんでですかー!?ヒータちゃんのパンケーキは、バターとシロップをたーっぷりぬるのがおいしいんですー!!」

 「駄目だって言ってんだろ!!ついこの間、虫歯でリリー先生のお世話になったばかりだろうが!!」

 「あれはもうなおりましたー!!いいからはやくシロップわたすですー!!」

 「しつこい!!」

 「あーもう、うっせぇな!!いいから、黙って食え!!」

 こんがりと焼けたソーセージを、ボウルいっぱいに敷いたサラダ菜の上に乗せながら三度怒鳴るヒータ。

 「いやあ、今日も皆、元気だねぇ。」

 そんな喧騒から一歩引いた場所で、面白そうに皆を眺めているのはアウス。

 もう自分の分の食事は終えたらしく、空の皿を前に優雅にカプチーノなど嗜んでいる。

 「おいコラ、アウス!!手ぇ空いてんなら手伝えよ!!」

 「いやぁ、ヒータ女史。料理の腕前はとても君には及ばないよ。下手に手を出して、邪魔になっても悪いしね。」

 ヒータの声も何処吹く風で、乳白色の泡をすする。

 「お、お前なぁ・・・」

 ぶつくさ言いながらも、ヒータの手は止まらない。

 立派なものである。さぞかしいい主婦になる事であろう。

 ―と、

 ココンッ

 「!?」×12

 突然響いた音に、全員の視線が集まる。

 「何だ?今の音。」

 「窓の外からの様だね。」

 言いながら、窓を開けるアウス。

 「おや?」

 彼女としては珍しい、戸惑った様な声。

 それに釣られる様に、残りの面子も窓から顔を出す。

 そこには、地に伏すモンスターが1頭。

 犬に似た姿。緑の毛に覆われた身体を甲冑で包んだそれは、地べたの上でプルプルと微かに震えている。

 先の音は、彼が窓を叩いた事によるものらしい。

 「・・・見慣れねぇモンスターだな・・・。この辺にいるやつじゃねぇよな?」

 首を傾げるヒータ。

 「いや・・・。このモンスターは・・・」

 アウスが何事かを言おうとしたその時、

 「ああ!!」

 不意に響いた声が、皆を飛び上がらせた。

 声の主はウィン。

 その手に齧りかけのソーセージを刺したフォークを持ったまま、瞬きもせずにモンスターを見つめている。

 かと思うと―

 「ザッくん!!」

 そう叫んで、窓から飛び出した。

 「ザッくん、ザッくん、しっかりして!!」

 モンスターの頭を抱え、必死に声がける。

 「ザッくん?」

 「ウィンちゃん、しりあいですか?」

 困惑する皆。

 と、些か調子の違う声が響く。

 「ザッくん・・・。やっぱり、『ガスタ・ザンボルト』かい?彼は。」

 問うアウス。

 ウィンは緑のモンスター、ザンボルトの頭を抱えたまま頷く。

 「・・・“ガスタ”?」

 その言葉に、ダルクの眉根がピクリと動く。

 「おい、ガスタって言ったら・・・」

 「ああ。」

 アウスが頷く。

 「北の方向、氷結界の少し手前。ミストバレー湿地帯に居を構える、原住民族・・・。」

 眼鏡の奥の眼差しが、地面で緑の獣を抱く級友を映す。

 「ウィン女史の、一族・・・いや、家族だよ。」

 皆の表情に、緊張が走る。

 目の前に横たわるザンボルトの様子は、只事ではない。

 それは、彼の来た場所に何かの災厄が起こった事を如実に表していた。

 「とにかく、リリー先生の所へ連れて行こう。」

 あくまで冷静なアウスの言葉。

 皆は、それに従うしかなかった。

 

 

 「これで、取り敢えずは大丈夫。」

 学校医のリリーの言葉に、皆は安堵の息をついた。

 「ザッくん・・・良かった・・・。」

 治療台に横たわるザンボルトの頭を、ウィンは再び胸に抱く。

 「けっきょく、なんだったんですか?せんせい。」

 ライナの問いに与えられた答えは、酷くあっさりしたものだった。

 「”毒”ね。」

 「・・・毒?」

 「ええ。それも普通の毒じゃない。魔力で構成された毒だわ。」

 ピクリ

 その言葉に、エリアの肩が微かに揺れた。

 「・・・魔力で構成って、どういう事・・・?」

 エリアが問う。

 その声音を、微かに震わせながら。

 「魔法と同じ構成原理を持つって言う事よ。簡単に言うと、魔力を使って魔法を構築する代わりに、毒を構築したって事。」

 「そんな事、出来るのかよ?」

 「勉強不足ね。『ポーション』の類とか、『ご隠居の猛毒薬』とか、あるでしょう。あれらの魔法薬なんか、その典型よ。もっとも・・・」

 言いながら、リリーはザンボルトの毛皮を撫でる。

 「この子を侵してた毒は、”特別”みたいだけど・・・」

 「特別?」

 「気管及び、肺等の呼吸器官に重大な罹患が見られたわ。多分、毒の状態は気体・・・毒ガスって事ね。」

 「毒ガス?」

 それを聞いたアウスが、小首を傾げる。

 「妙ですね。ボクの知る限り、そんなものを生み出す術式なんてなかった筈ですが?」

 「公にはね・・・。」

 潜める様な声で、リリーは言う。

 「魔法の可能性は無限大よ。公に存在が認められているものだけとは、限らない。各地の原住民族や一族、組織だけが保有する”秘術”と言う可能性もあるわ。」

 「秘術・・・。」

 その単語を反芻する様に、呟く者がいた。

 「エリアちゃん・・・?」

 その者―エリアの様子がおかしい事に気がついたライナが声をかける。

 「どうしたですか?おかおがまっさおですよ?ぐあいでもわるいですか?」

 「・・・何でもない・・・。」

 「でも・・・」

 「何でもないってば!!」

 不意に荒げられる口調。

 皆の視線が、それに集まりかけたその時―

 「ザッくん!!」

 響いた叫びが、皆の意識を引き戻した。

 見れば、意識を取り戻したザンボルトが、クンクンと鼻を鳴らしながらウィンに擦り寄っていた。

 「ザッくん・・・。良かった・・・。ホントに、良かった・・・。」

 涙声でザンボルトを抱き締めるウィン。

 と・・・

 パチ・・・

 不思議な音が、室内に響く。

 パチパチ・・・パチ・・・

 ザンボルトが、額に頂く一本角。

 それが、パチパチと帯電する様に光を放っていた。

 「お、おい。何だよ?これ・・・」 

 ヒータが、慌てた様に声を漏らす。

 しかし、ウィンは何かを悟ったかの様にザンボルトの瞳を見つめる。

 「・・・何か、伝えたいんだね?」

 呟く。

 肯定する様に鼻を鳴らすザンボルト。

 「・・・分かった。」

 そう言って、火花を散らす角に己の額を当てる。

 「え、ちょ、だいじょうぶなのですか?」

 「心配ないよ。」

 思わず手を出そうとしたライナを、アウスが止める。

 「でも、ほら、あんなバチバチーって・・・」

 「あれは放電じゃない。サイキック・エネルギーだ。」

 「さいきっく・・・?」

 ポカンとするライナに、アウスは説明を続ける。

 「ガスタの系統は、サイキッカーだ。当然、属するモンスター達もその能力を持っている。」

 「へ?でもウィンちゃんは・・・」

 「学校(ここ)に入る時に、洗礼を受けて種族変更をしたんだ。彼女も、元々はサイキック族だよ。」

 「ふぇ~。それじゃ、あれは・・・」

 「ああ、精神感応(テレパス)による記憶交換だろう。」

 そんな二人の会話も、今のウィンには届かない。

 意識を深く集中し、ザンボルトの精神と同調させる。

 (教えて・・・。何が、あったのかを・・・)

 やがて、無へと達した意識の中に何かの映像が浮かび始める。

 ザンボルトの記憶が流れ込んでいるのだと理解する。

 その瞬間、記憶(それ)は確かな光景となってウィンの精神の前に広がった。

 そう。

 紛う事ない、地獄の光景となって。

 

 

 ガタンッ

 唐突に響いた音に、場の全員が驚いた。

 否。それは正確ではない。

 皆が驚いたのは、その音を立てた張本人。

 ―ウィン―

 その様子に、驚いたのだ。

 いつも華の様な笑顔に飾られている筈のその顔。

 それが今、真っ青に青ざめて色を失っている。

 見開いた目の瞳孔は何か恐ろしいものでも見たかの様に縮まり、カラカラに乾いた唇がプルプルと怯える様に震えている。

 震えているのは、唇だけではない。

 その小さな身体も、瘧に罹った様にガタガタと震えている。

 「お・・・おい。どうした?」

 急に立ち上がった彼女の有様に当惑しながら、ヒータが問う。

 けれど、返事はない。

 代わりの様にその口から出たのは―

 「・・・リリー先生・・・」

 「・・・何ですか?」

 「ザッくんの事、お願いします!!」

 言うやいなや、窓に向かって走り出す。

 バタンッ

 大きく響く音。

 ほぼ同時に、開いた窓から飛び出すウィン。

 「お、おい!!」

 「どうしたですか!?」

 皆が慌てる中、一人全てを察した様な顔でアウスが問う。

 「・・・行くのかい?」

 コクリ

 地面に降り立ちながら、無言で頷くウィン。

 「分かった。先生にはボクから言っておく。」

 「ありがとう、アーちゃん。」

 そう言うと、ウィンは右腕を振る。

 瞬間、広い袖口から滑り出る杖。

 それを手に取ると、流れる様な動きで地面を突く。

 「来て!!うぃっちん!!」

 途端、巻き起こる暴風。

 舞い散る羽とともに現れたのは、紺色の羽毛にその身を包んだ巨禽。

 ウィンのしもべの一体、『ウイング・イーグル』。

 雄叫びを上げる“それ”の背に、ウィンは一時の間をも惜しむ様に飛び乗る。

 と、それを追う様にウィンに飛びつく小さな影。

 ウィンの使い魔、プチリュウが彼女の腕に絡みつく。

 「ぷっちん!!危ないから、キミはここで待ってて!!」

 『いやだ!!僕も行く!!』

 「ぷっちん!!」

 プチリュウを睨みつけるウィン。しかし、プチリュウも負けずに睨み返す。

 しばしの間―

 折れたのは、ウィンの方だった。

 「危ないよ?」

 『分かってる!!』

 「死んじゃうかもしれないよ?」

 『大丈夫!!僕がウィンを守るし、僕も死なない!!』

 「・・・分かった。行こう!!」

 言葉とともに、ウィンがウイング・イーグルの背を叩く。

 「ウィッチン、お願い!!」

 キィエェエエエエエッ

 それに応える様に一声鳴くと、ウイング・イーグルはその巨翼で空を叩いた。

 凄まじい風とともに舞い上がる巨体。

 そしてウイング・イーグルは、ウィン達を乗せて東の方角へと舵を切った。

 見る見る遠ざかるその姿を、皆は呆然と見送る。

 「何だよ・・・?どういう事なんだよ!?」

 ヒータが、我に返った様にそう叫ぶ。

 「どうもこうも、見ての通りさ。」

 淡々と答えるアウス。

 「見て分かんねーから、聞いてるんだろ!?」

 「分かってるんじゃないのかい?」

 胸倉を掴む勢いで詰め寄ってくるヒータに、しかしアウスはそう言って後ろを指差す。

 その先には、今だ力なく治療台に横たわるザンボルトの姿。

 「彼の様子を見れば、ウィン(彼女)の故郷で何かが起こったのは明白だ。そう例えば・・・」

 眼鏡の奥で、細まる眼差し。

 「一族の、存亡に関わる様なね・・・。」

 その言葉に、皆が息を呑む。

 「マジかよ・・・!?」

 「そんな・・・!?」

 突然の事態に、出るのは困惑の声ばかり。

 だからその時、誰もが気付かなかった。

 その場にもう一人、ウィンと同じ目で彼女が飛び去った空を見つめる者がいる事を・・・。

 

 

                                     続く

 



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2話

 

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                      ―2―

 

 

 ビュウゥウウウウウウッ

 鋭い音を立てて、幾つもの雲が後方へと流れ去っていく。

 果てしなく続く雲海の中、ウイング・イーグルに乗ったウィンは一直線に北の方向へ進んでいた。

 「うぃっちん、無理しないで、だけどなるべく急いで!!」

 難しい主の注文に、それでもどうにか答えようとウイング・イーグルはその巨翼を羽ばたかせる。

 そうして、数時間も進んだだろうか。

 異常に気付いたのは、懐に潜り込んでいたプチリュウだった。

 『ウィン、何だか、風がおかしい!!』

 「うん・・・風が、泣いてる・・・!!」

 ウィンもそう言って頷く。

 先まで澄んでいた筈の空気は、いつしかどんよりと濁り、まるで渦を巻く様に澱んできていた。

 「・・・何、これ!?」

 言った瞬間、

 「う・・・ゴホッゴホッ!!」

 唐突に咳き込み出すウィン。

 『ウィン・・・息が・・・苦しい!!』

 プチリュウも、ウィンの懐の中で苦しげに身をよじる。

 ウイング・イーグルの羽ばたきにも乱れが生じていた。

 その身体が大きく右に、左にと揺らいだと思った瞬間―

 カハッ

 「きゃあ!!」

 ウイング・イーグルが大きく息を吐いたかと思うと、たちまち失速し、墜落を始める。

 どうやら、気を失ったらしい。

 「・・・だ、駄目・・・!!」

 彼の身を守るため、朦朧とする意識の中でウィンはウイング・イーグルの召喚を解く。

 目端でウイング・イーグルの姿が消えるのを見届けると、胸の中のプチリュウをギュッと抱き締める。

 もはや、為す術はない。

 (・・・ごめん、皆・・・!!)

 目を瞑り、その身が地へとぶつかるその時を待つ。

 しかし―

 「あんた、馬鹿ぁ!?」

 そんな声とともに、落ちていた身体がガクンと止まる。

 「・・・え・・・?」

 ぼやける視界で見上げると、そこには自分の襟首を掴む鉤爪と固そうな甲羅。そして巨大な翼手をもったモンスターの姿。

 そのモンスターの肩越しに、誰かがこちらを覗き込んでいる。そして、それを見とめるのを最後にウィンの意識は闇に落ちた。

 

 

 

 「えーん。えーん。えーん。」

 ・・・それは、一体いつの頃の記憶だろう。

 そこでは、幼い自分が大声を上げて泣いていた。

 「どうしたの?ウィン。」

 近くでガルドと戯れていた“彼女”が、急いで駆けつけてくる。

 「噛まれたぁ・・・」

 自分はそう言って、赤い血が滲む人差し指を差し出す。

 「あれあれ。ちょっと待ってて。」

 “彼女”はそう言うと、血の滲む人差し指にそっと口をつける。

 しばしの間。

 やがて、“彼女”は傷口から吸い出した血を、ペッと吐き出す。

 「一体、どうしたの?」

 指先の傷に、細く裂いた布を巻きながら“彼女”が訊いてくる。

 「この子達がぁ・・・」

 自分の周りでは、警戒に尾を膨らませたスクイレル達が全身の毛を逆立てて唸っている。

 それを見た“彼女”が、苦笑いをする。

 「あー、また無理強いして使役しようとしたでしょう?」

 「う・・・」

 図星。

 この頃の自分はモンスターの気持ちを読む事が出来ず、どんな場合でも力押しで事を進める事しか出来なかった。

 「いつも言ってるでしょう。モンスター達を使役するには、力で押し通すだけじゃ駄目。例え最初はそうだったとしても、最後に大事なのは、心と心を通わせること・・・。」

 そう言うと、彼女はいきり立つスクイレルにそっと手を伸ばす。

 「おいで・・・。」

 その言葉に誘われる様に、サワリと優しい風が吹く。と、その風に身を撫でられたスクイレル達から緊張が消えていく。警戒心で自分の身体より太く膨らんでいた尾も、見る見る元の太さに戻っていく。

 「おいで・・・。」

 もう一度、“彼女”が言う。

 キキッ

 短くそう鳴いて、スクイレルが“彼女”の腕を駆け上る。

 「わぁ・・・。」

 羨望の眼差しで見つめる自分の前で、“彼女”は自分の肩のスクイレルの喉をくすぐりながら微笑んだ。

 「いい?ウィン・・・。」

 “彼女”が言う。

 優しい・・・いつもと同じ、優しい、歌う様な声。

 「風の声を聞くの。風を感じて、心を風に放ちなさい。そうすれば、風が全てを繋いでくれるわ・・・。」

 「・・・わたしにも、出来る・・・?」

 不安げに問う自分に、でも彼女は自信たっぷりといった態で頷く。

 「出来るわよ。何てったって、貴女は賢者ウィンダールの娘にして、このウィンダの妹なんだから。」

 その言葉が、萎れかけていた心に新風を送る。

 「うん!!」

 満面の笑みを浮かべて頷く自分。

 それを見て、“彼女”は優しく、とても優しく、微笑んだ。

 

 

 ・・・それは、遠い記憶。

 もういつの頃かも思い出せない、遠い遠い頃の記憶。

 だけど、大切な記憶。

 いつまで経っても色褪せない、大事な大事な、あの日の記憶・・・。

 

 

 ・・・目を覚ましてまず視界に入ったのは、心配そうに覗き込んでくるプチリュウの顔だった。

 『ウィン!!ああ、良かった!!気がついたんだね!!』

 「・・・ぷっちん・・・あれ・・・?あたし達、何で・・・」

 事態が飲み込めないウィンに抱きつきながら、プチリュウが尻尾で右手を指す。

 『それはね・・・』

 「あら、やっと目ぇ覚めたのね?」

 「――!?」

 プチリュウの言葉を遮った声に、ウィンは思わず飛び起きた。

 飛び起きた視線のその先で、長い青色の髪が風に踊る。

 「エ、エーちゃん!?どうしてここに!?」

 ウィンが寝ていたのは、平原に突き出した崖の上。

 その崖の縁に、エリアが立って下を見下ろしていた。

 「ふん。どっかの猪突猛進馬鹿をほっとくと、事がどうなるか分からないからね!!心配だから“コイツ”でついて来たのよ。」

 そう言って、傍らに座している“それ”の甲羅をコンコンと叩く。

 そこにいたのは、固そうな甲羅に身を包み、その中から大きな翼手を伸ばした奇妙なモンスター。

 空飛ぶ奇亀。『タートル・バード』。エリア彼女の手持ちの中で、唯一飛行が可能なしもべ。

 「そんで来てみたら、案の定。あんたのお仲間がぶっ倒れてんのよ。あんた自身だって危ないって、何で頭回んないのかしら?このお馬鹿!!」

 近づいてきたエリアが、ウィンの頭をペシペシと叩く。

 「う・・・。」

 返す言葉もないウィン。

 「とにかく、もう少し休んどきなさい。少しは馬鹿が良くなるようにね。」

 そう言うと、エリアはまた崖の縁までいって座り込んでしまう。

 「馬鹿馬鹿って・・・。エーちゃんに言われる筋合いないもん・・・。」

 『そんな事言っちゃ駄目だよ。ウィン。』

 ふくれ顔でブツブツ言うウィンを、プチリュウが諌める。

 『どうして、ぼく達がこの風の中で平気になってると思うの?』

 「え・・・?」

 言われて見れば、先程まで身体を蝕んでいた脱力感と息苦しさがウソの様に消えていた。

 目を閉じ、風を読む。

 相変わらず風は濁り、澱んだままだ。

 「何で・・・?」

 その問いに、プチリュウが答える。 

 『エリアさんがね、『明鏡止水の心(ハート・オブ・クリスタル)』をかけてくれたんだよ。ぼく達二人にね。』

 「・・・!!」

 ウィンは、慌てて自分の身体を確かめる。確かに、淡い水色の光が彼女とプチリュウの身体を包んでいた。

 『大変だったんだよ。こんな高位魔法、2回連続で使ったりしたから負担が酷くて。ついさっきまでエリアさんも寝込んでたんだから。』

 それを聞いたウィンは、思わずエリアを見る。

 「・・・勘違いしないでよね。これから大事に取り組むのに、病人の足手まといはごめんだからよ。」

 言いながら、髪に着いた土埃が気になるのか、しきりに髪をこすっている。

 「エーちゃん・・・。」

 「いいから、もう少し横んなってなさい!!大変なのは、これからなんだから!!」

 「でも・・・!!」

 「シャラップ!!」

 事を急くウィンの言葉を、エリアが一括する。

 「言ったでしょ!?大変なのはこれから!!今大事なのは、“そん時”に備えて体調を万全にしておく事!!違う!?」

 「う・・・。」

 返す言葉に詰まるウィン。

 と、その視線がエリアの横顔を捉える。

 ・・・真剣な顔だった。怖いほどに。

 彼女が臨む崖下。そこには、惨事の場であるミストバレー湿地帯と、ガスタの村が見えている筈である。

 それを、エリアはこの上なく厳しい瞳で見つめていた。

 ウィンは思う。

 彼女は、何故ここに来たのだろう。

 ウィン自分が心配だから来たのだと言う、その言葉自体に嘘はないだろう。

 いつもはその自己中心的な性格ばかりが目立つ彼女だが、その実、仲間内の義理に堅い事は周知の事実である。

 しかし―

 それだけではない様な気がした。

 眼下の光景を見つめる、その瞳。

 ひょっとしたら、彼女も何かを背負っているのだろうか。

 ここに住まう一族や家族を想う自分の様に、彼女も何かを背負ってここまで来たのかもしれない。

 そう思い至った時、ウィンは波立っていた心が静かに凪いで行くのを感じた。

 この大事に、得体の知れない敵に、立ち向かうのは自分だけではない。ここにもう一人、同じ志をもった友がいる。

 その事は、憤りと不安にひび割れかけていたウィンの心を、確かに癒していた。

 「分かった!?分かったなら、大人しく寝てなさい!!」

 エリアが、また言う。

 「・・・うん。」

 ウィンは今度は素直にそう言うと、もう一度その身を柔らかい草の上に横たえた。

 

 

 「様子、どうだった?」

 『ちょ・・・ちょっと待って・・・ちょっと、休ませて・・・』

 岩の上に座って問いかけるエリアに、そう答えるのは、汗だくになって仰向けに寝っころがるギゴバイト。

 エリアの命に従い、そこら一帯を走り回って様子を調べてきたばかりである。

 「だらしないわね。たかだか3、4時間走り回ったくらいで。それでもアタシのパートナー?」

 そう言いながらも、エリアは荷物から引っ張り出したブルーポーションをギゴバイトに渡す。

 それをンクンクと飲み干すと、ギゴバイトはようやっと一息をつく。

 『そうは言うけどさ、大変だったんだよ。この辺り、ぬかるみが多くて足場悪くてさぁ、もうつまずいてばっかり。』

 ブルーポーションの回復効果が効いてきたのか、むっくりと起き上がるギゴバイト。

 「当たり前じゃない。湿地帯だもの。で、どうだった?」

 『酷いもんだよ。草木はボロボロに枯れてるし、風属性モンスターの死骸がゴロゴロ転がってる。出来ればウィンさんには見せたくないなぁ・・・。」

 エリアの問いに顔をしかめながら、ギゴバイトは頭を振る。しかし、

 「・・・覚悟は出来てるよ。」

 不意に後ろから飛んできた声に、驚いて振り返る。

 そこには、プチリュウを従え、杖を携えたウィンの姿。

 「・・・もういいの?」

 「うん。」

 問いかけるエリアに、ウィンはそう言って頷く。

 「そう。じゃあ行こうか。タルト!」

 主の声に答えて、傍らに控えていたタートル・バードが、ググッと身を屈める。

 「乗りなさい。」

 「あ、いいよ。二人も乗せたら、その子が大変でしょ?あたしはあたしのしもべでいく・・・」

 「お馬鹿!!」

 「ひゃん!?」

 いきなり怒鳴られ、首をすくめるウィン。

 「さっきので、懲りてない訳?いい、今この辺りを覆ってる風はね、風属性あんた達には致命的な毒性を持ってるのよ。あんたがいくら新しいしもべを出したって、それが風属性である限り、片っ端から侵されてぶっ倒れるのがオチなの!!」

 「うぅ・・・。」

 「分かった?分かったなら黙って乗る!!心配ないわよ。タルト(この子)、女の子が二人乗っかったくらいでバテるほど、やわじゃないわ。それとも・・・」

 先にタートル・バードの甲羅に乗ったエリアが、ニヤリと笑う。

 「あんた、そんな事心配しなきゃならないくらい、目方重い訳?」

 「・・・んな!?」

 「あははは、そりゃそうよねぇ。日頃からあんだけ馬鹿食いしてりゃ、体重も馬鹿にならなくなるわよねぇ?」

 その言葉に、見る見る真っ赤になるウィン。

 「そんな事ないもん!!あたし、太ってないもん!!」

 「あら、そう?なら、乗って御覧なさいよ。」

 「うん!!」

 そう言って、目の前の甲羅に飛び乗る。

 飛び乗られたタートル・バード。当然の様に平然としている。

 「ほらね!!」

 「・・・みたいね。」

 胸を張るウィンに微笑むと、エリアはタートル・バードの頭に向き直る。

 「タルト、お願い!!」

 ゴォアァアア!!

 主の声に一声吠えると、タートル・バードは崖から宙へと身を躍らせる。

 巨大な翼手が上昇気流を掴み、その巨体を高空へと舞い上げる。

 「このまま、あんたの村まで行くからね!?」

 「うん!!」

 二人の少女を乗せたタートル・バードは、その舵を目指す場所、ガスタの村へと切った。

 

 

 村への道程は、ギゴバイトの危惧したとおり、ウィンにとっては辛いものとなった。

 眼下に広がるのは、何処まで行っても無残に荒れ果てた大地。元は豊かな命あふれる場所だったであろうそこは、いまや死の地と化していた。

 草木は枯れ果て、モンスターの死骸があちこちに転がっている。

 その有様を苦々しげに見ていたエリアが、ちらりと後ろを見る。

 ウィンは泣いていた。

 胸元をギュウと握りしめ、歯を食いしばり、声も立てず。けれど、あふれる涙を止める術はなく。

 ・・・かけるべき言葉はない。

 エリアはただ目を伏せ、気づかないふりをした。

 

 

 そうやって進む事数十分、彼女達の目の前に村らしきものが見え始めた。

 「・・・あれが、あんたの村?」

 エリアの問いに、ウィンが頷く。

 「うん。あたしの・・・ガスタの村だよ。」

 「そう。じゃあ、降りるわよ。」

 エリアの命に従い、タートル・バードが村の中に向かって降下を始めたその時―

 ザバァアアアアッ

 「きゃあっ!?」

 「な、なになに!?」

 突然地面から立ち昇った水流が、皆の行く手を遮る。

 タートル・バードはそれを突破しようとするが、触れた瞬間にそれは水流は硬化し、タートル・バードを弾き返してしまう。

 「何なのよ!!これ!?」

 訳がわからないと言った態でエリアが叫んだその時、

 「何者か!?」

 下から、鋭い声がかけられる。

 見れば、村の入り口を守る様に、一つの人影が立っていた。

 その身体は白銀の鎧に包まれ、蒼く光る宝石に飾られている。まるで、中世の騎士を彷彿とさせる姿。

 そして、件の水流はその騎士の両手から吹き上がっていた。

 「何者か!?」

 騎士が、再び叫ぶ。

 「今、この地は変事の惨禍にある。この村に用向きあらば、そなたらの素性を示されよ。さもなくば、害意あるものとみなし、排除の対象とさせていただく!!」

 慇懃だが、激しい口調。

 「何よ、あいつ!!」

 苛立つエリアに向かって、ウィンが囁く。

 「エーちゃん、あの人、『ジェムナイト』だ。あの人の前に降りて。」

 「でも・・・」

 「大丈夫、悪い人じゃないよ。」

 ウィンの言葉に、エリアはタートル・バードに降りるよう促す。

 それに従い、タートル・バードは『ジェムナイト』と呼ばれた騎士の前へと舞い降りた。

 「拝聴、感謝する。」

 手からの水流を止めた騎士が、そう言いながら近付いてくる。

 タートル・バードから降りる、エリア達。

 「では、改めてお訊きしたい。そなたらは何者か?今、この村に如何なる用向きか?」

 その言葉に、エリアが苛立つ様に答える。

 「ちょっとアンタ。人に名前訊く時には、自分から名乗るのが筋ってもんでしょう?そういうの、慇懃無礼って言うのよ!!」

 「む!これは失敬!!」

 騎士はそう言うと、ビシッと左手を後ろに回し、右手を前に構えてお辞儀をする。

 「小生、現在この村の警護を担っている『ジェムナイト・サフィア』と申す者。以後、お見知り置きのほどを。」

 「え?あ、ああ、ア、アタシはエリア。水霊使いよ。よ、よろしくね・・・。」

 嫌味で言った言葉を大真面目に返されて、エリアは慌てて頭を下げる。

 「あたしはウィン。風霊使いです。」

 『僕、ギゴバイトのギゴ。この娘達の使い魔やってます。』

 『ぼく、プチリュウのぷっちん。右に同じく。』

 続けて頭を下げるウィンに、ギゴバイト達もならう。

 「了解致した。それでエリア殿にウィン殿。双方、此方にはどの様な用向きで?」

 サフィアの問いに、ウィンが身を乗り出す。

 「わたし、この村の出身なんです!!それが、大変な事になってるって知って・・・。お願いです!!村に入れてください。」

 その言葉に、サフィアの目がキラリと光る。

 「ウィン・・・?もしやウィンダール氏の・・・!?」

 「はい!!そうです!!ガスタの賢者、ウィンダールの娘です!!父は、皆は無事なんですか!?」

 今にもすがりついてきそうな勢いのウィンを、サフィアが制する。

 「待たれよ。それを証明するものは?」

 冷静に、悪く言えば冷徹にかけられたその言葉に、エリアが食ってかかる。

 「何よあんた!?この後に及んでまだ疑う気!?この娘がどんな気持ちでここまで来たか知りもしないで・・・」

 「いいんだよ。エーちゃん。」

 憤るエリアを、ウィンが遮る。

 「この人は、ガスタ(この村)を護るって役目を責任もってこなしてくれているだけ・・・」

 そう言いながら、ウィンは懐からメダルの様なものを取り出す。

 「これを・・・」

 風車の様な紋章が刻まれたそれを、サフィアに渡すウィン。

 「む・・・。確かにこれはガスタの紋章。」

 サフィアはメダルをウィンに返すと、改めて頭を下げる。

 「数々のご無礼、申し訳ない。そなたの素性、確かに確認した。どうぞ、入られよ。」

 そう言って、サフィアは初めて道をあける。

 急いで中に入るウィン。

 サフィアはそのまま、エリア達も促す。

 「あら?アタシらはいいわけ?」

 嫌味たっぷりの口調で訊ねるエリアに、サフィアは微笑んで(そんな風に見えた)答える。

 「ウィン(この方)が心を許し、ウィン(この方)のために憤る事ができる貴女が、悪しき者である筈もなかろう。その使い魔たる方々も然り。どうぞ、共々に。」

 「え?あ、そ、そう?それじゃ・・・」

 些か赤顔しながら、ウィンに続くエリア達。

 「ウィン殿・・・」

 「はい?」

 「良い友を、持たれてる様だな。」

 その言葉に、ウィンはここに来て初めての笑顔で答えた。

 「はい!!」

 

 

 「ラズリー!!」

 サフィアが、村の中に向かって声をかける。

 「ハイハーイ!!」

 その呼びかけに応えて、村の中から小柄な影がかけて来る。

 現れたのは、少女の様な姿をしたジェムナイト。

 その鎧を飾る宝玉の色は、瑠璃色である。

 「何ですか?サフィアさん。」

 「客人だ。ウィンダール氏の御令嬢と、その友人の方だそうだ。療養所へと案内して差し上げて欲しい。」

 「はい。」

 サフィアに向かってそう答えると、ラズリーと呼ばれたジェムナイトは

 エリアとウィンに向き直りペコリとお辞儀をする。

 「わたし、『ジェムナイト・ラズリー』と言います。良くしてくださいね。」

 「あら、アンタは良い感じね。いいわ。良くしてあげる。」

 これでもかというくらいの、上から目線のエリア。

 ポカンとするラズリーに、「ア、アハハ、あたし、ウィン。よろしくね。」などと言って場を取り繕うウィンなのだった。

 

 

 「それで、皆は無事なの?」

 人気のない村の中を歩きながら、ウィンがラズリーに訊ねる。

 その問いに、ラズリーは顔を伏せながら心苦しそうに答える。

 「ご無事とは、言い難いです・・・。」

 その答えに、ウィンの顔が青ざめる。

 「村の使いのコドルから、ジェムナイト(わたし達)が知らせを受けたのは昨日の真夜中ですが、その時にはもう村の方ほぼ全員が毒に侵された状態でした。」

 その時の様子を思い出す様に、ラズリーが宙を仰ぐ。

 「わたし達も手を尽くしましたが、何せ原因も分からない事で・・・。ただ、汚染された空気から皆さんを隔離するのが精一杯でした・・・。」

 「・・・一体、何があったの・・・?」 

 唇を噛み締めるウィン。

 と、それまで黙って歩いていたエリアの口が動く。

 「・・・『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』・・・。」

 「・・・え?」

 囁く様に紡がれたその言葉に、ウィンの足が止まる。

 「・・・風属性をもった生物に対して、致命的な毒を孕んだ風を流す、永続魔法(エターナル・スペル)・・・。」

 表情の消えた、能面の様な顔で、エリアは淡々と語る。

 「・・・そんな術、あたし知らないよ・・・?」

 戸惑う様に言う、ウィン。

 「当たり前よ。一般に知られてる術じゃない。僻地のある一族だけに伝わる、秘術だもの・・・。」

 「・・・エーちゃん、何でそんな事・・・」

 ウィンが問おうとしたその時―

 「お二方、どうしました?着きましたよ。」

 ラズリーの声が響いた。

 

 

                              続く

 



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3話

 

【挿絵表示】

 

 

                    ―3―

 

 

 ゴォオオオオオオオッ

 「うわっぷ!?」

 「な、何!?」

 ウィン達は、一様に驚きの声を上げた。

 療養所らしき建物を、猛烈に吹き荒ぶ風が覆っている。

 その勢いたるや凄まじく、中に入ろうものなら目を開けるどころか呼吸もままならない有様である。

 「何よこれ!!これじゃ入れないじゃない!!」

 喚くエリア。

 その横から、小さな人影が進み出る。

 「ちょっと待ってください。エメラルさーん!!」

 ラズリーが上方に向かって、そう声をかけた。

 釣られて見れば、建物の屋根の上に大きな翼を持った人影が立っている。

 どうやら建物を覆う風は、その人影が振るう翼と、両手に持った盾が回転する事によって巻き起こされている様だった。

 「エメラルさんってばー!!」

 ラズリーはもう一度、その人影に向かって声を張り上げる。

 【ん?】

 ようやくその声が聞こえたのか、人影は風を起こす手を休めると、屋根の上からウィン達の前に舞い降りてくる。

 「もう。前から言ってるじゃないですか!!人が呼んだら直ぐに返事してください!!」

 【悪ぃ悪ぃ。慣れない力なもんで、神経を集中しなきゃならなくてよ。】

 ラズリーに叱られ、頭を下げるその姿は、まるで翼の生えたジェムナイト。

 鎧を飾る宝石は、緑色。

 「・・・何?こいつ・・・」

 「ジェムナイト・・・?でも、この“力”はガスタの・・・」

 【お?何だ?この娘達・・・?】

 ウィン達の前に降り立った有翼の騎士は、初めて気付いた様にそう言った。

 「ウィンダールさんの娘さんと、そのお友達だそうです。中に入れてあげてください。」

 【へえ、ウィンダールさんの・・・】

 エメラルが言いかけたその時、

 【あら~?貴女、ひょっとしてウィンちゃん~!?】

 エメラルの身体から、今までとは全く違った調子の声が響く。

 「え、何今の!?」

 【良かった~。来てくれたのね~?ウィンダちゃん、ずっとあなたの事呼んでて~。】

 狼狽するウィン達に、声は構わず語り続ける。

 「え?何コイツ、ひょっとしてオカマ!?気持ち悪いわねぇ!!」

 あからさまに嫌そうな顔をするエリア。

 【うぇ!?い、いやちょっと待ってくれよ。これは・・・】

 【ウィンちゃん~。わたしよ~。わたし~。】

 弁解する声に被さる、その“声”。

 不意に、ウィンがハッとした様な顔になる。

 「その妙に間延びした声、ひょっとしてカームさん!?」

 【そうよ~。当たり~。】

 嬉しそうな響きが歌う。

 「良かった!!無事だったんですね!?」

 【ウィンちゃんこそ~。よくここまで無事で~。】

 「えぇ、ちょっと、どういう事?」

 『説明してよー!!』

 話についてこれないエリア達が叫んだ。

 

 

 「『『エクシーズ?』』」

 【そう~。この“器”は~、『ダイガスタ・エメラル』。エメラルさんと、カーム(わたし)のエクシーズ体よ~。】

 彼女の“声”が、そう説明する。

 「・・・“エクシーズ”って、えーと、何だっけ?」

 はてな顔でそんな事を言うエリアに、ウィンが呆れた様な顔をする。

 「“エクシーズ”。召喚術式の一つで、同等のレベルを持つ複数の術者、あるいはモンスターの魂魄同調(オーバーレイ)によって構成される擬似生体鎧装。授業で習ったじゃない。エーちゃん、忘れたの?」

 「え?あ、そうそう!!それよそれ!!何言ってんの!?知ってるに決まってるじゃない!?あんたがちゃんと覚えてるかどうか試しただけよ!!あは、あはは、何よ。ちゃんと覚えてるじゃない!!エライ!!エライ!!あはははは!!」

 慌てて繕うエリア。

 それに溜息をつきながら、ウィンはエメラルの中のカームに尋ねる。

 「皆、毒に侵されたって聞いてたけど、カームさんは大丈夫なんですか?」

 【ええ~。ダイガスタ・エメラル(この)の中にいれば~、基本魂だけの存在になるから~、毒の影響は受けないみたい~。それより貴女こそ~、ここまでどうやって~?】

 「それは・・・」

 ウィンは、ここに来るまでの顛末を話した。

 【そう~。いい友達持ったのね~。ウィンちゃん~。わたし、嬉しいわ~。】

 「は、はは、こりゃどうも・・・」

 愛想笑いをしながら、エリアがウィンの腰をツンツンと突く。

 (・・・ちょっと、誰なのこの声。なんかやたらのんびりしてて毒気抜かれるんだけど・・・)

 (ガスタの静寂、カームさんだよ。神官見習いの人で、小さい頃よく遊んでもらったんだ。)

 ヒソヒソと話すウィン達。

 その横でラズリーがダイガスタ・エメラルに言う。

 「と言う訳ですから、風壁に入り口作ってください。この方達を入れます。」

 【分かった。少し待ってくれ。】

 そう答えると、ダイガスタ・エメラルは診療所を覆う風壁に向き直る。

 「結局、何な訳?この風の壁。」

 吹き荒ぶ風壁を見上げながら問うエリア。ラズリーが答える。

 「防波堤みたいなものです。汚染された空気はこの辺り一帯に広がっていますから、この風で遮る事によって、少しでも毒気が療養所内に進入するのを防いでいる訳です。」

 「な~る。でもそれなら、こんなみみっちい事してないでもっと大きな風起こして汚染された空気そのものを押し返しちゃったら?出来るんじゃない?このパワーなら。」

 その言葉に、しかしラズリーは頭を振る。

 「もちろん、試してみました。けれど、毒気は後から後から押し寄せてきます。結局、この毒の元を絶たない限り、根本的な解決にはならないでしょう。」

 「・・・・・・!!」

 それを聞いたウィンの肩がピクリと動く。

 「そうか・・・あの“術”なら・・・」

 ゴバァッ

 呟くウィンの目の前で、風の壁がその流れを変える。

 今まで横殴りに吹いていた風が、下から上へと吹き上げる気流へと変わっていた。

 その気流の合間に、療養所の入り口が見える。

 「さぁ、早く中へ!!」

 ラズリーに促され、入り口へと飛び込むウィン達。

 と、その時―

 【ウィンちゃん~。】

 背後から聞こえる、カームの声。

 振り返った先には、こちらを見つめるダイガスタ・エメラルの姿。

 それに、カームの姿が重なって見える。

 【・・・心を、強く持ってね・・・。】

 その言葉に、ウィンは力強く頷く。

 ゴォッ

 そして療養所の入り口は、再び風によって閉ざされた。

 

 

 「・・・酷い・・・!!」

 療養所に入ったウィンの第一声が、それだった。

 同様に、エリア達も顔をしかめる。

 それ程に、療養所の中は燦々たる有様だった。

 ズラリと並べられたベッドには一つの空きもなく、それでも収まりきらない人々が床にまで横たわっている。

 聞こえるのは咳き込む声や、ゼェゼェという苦しげな息遣い。

 複数のジェムナイト達が右へ左へと世話をして回っていたが、とても手が足りないらしい。比較的症状が軽そうな者達が、ふらつきながらもそれを手伝っていた。

 「ウィン・・・アンタ、大丈夫・・・?」

 「うん・・・うん・・・」

 戦慄く口元を押さえながら、エリアの問いに何とか答えるウィン。その声の響きから、必死に気を張っているのが見て取れた。しかし、一つの部屋の前を通りがかった時、

 「―――っ!?」

 ウィンの目が見開かれ、その足がガクリと落ちる。

 そこにあったのは、床に並べられ、白い布をかけられた村人達の姿。

 それが何を意味するのか、察するのに時間はいらなかった。

 「う、うう・・・ううっ・・・う・・・っ」

 床に崩れ落ちたウィンは両手で顔を覆い、堰が切れたかの様に嗚咽をもらす。

 「酷いよ・・・こんなの、酷い・・・どうして・・・どうして、こんな事・・・!!」

 悲しみに震える、小さな肩。その場にいる誰も、かけるべき言葉は見出せない。エリアは白くなるほどに手を握り、その唇を噛み締めた。

 ―と、

 「ウィン・・・!?ウィンではないか!!」

 飛んできた声に、ウィンが振り返る。

 そこには、自分の身体を杖で支える盛年の男性の姿があった。

 「ムスト様!!」

 ウィンはそう叫んで立ち上がると、彼に駆け寄る。

 「あれは誰?」

 「ガスタの神官、ムストさんです。」

 エリアの問いに、ラズリーが答える。

 「ムスト様、よくぞ御無事で・・・」

 「うむ・・・わしは良い・・・。しかし・・・ゴホッゴホゴホッ!!」

 咳き込むムストを、ウィンが支える。

 「大丈夫ですか!?無理しないで!!」

 「すまぬ・・・だが、ウィンダールと巫女が・・・」

 「お姉ちゃんとお父様が・・・!?」

 ムストの言葉に、ウィンは全身の血が下がるのを感じた。

 

 

 「お姉ちゃん・・・お父様・・・!!」

 声を詰まらせるウィンの前には、ベッドに横たわる二人の姿。

 一人は壮年の男性。そしてもう一人はウィンによく似た少女。

 「この人達が・・・?」

 エリアの問いにウィンが頷く。

 「うん・・・。あたしのお父様、ウィンダールに、お姉ちゃんのウィンダだよ・・・。」

 言いながら腰を屈めると、二人の枕元に囁く。

 「お父様・・・、お姉ちゃん・・・ウィンだよ・・・。わたし、来たよ。」

 かけられた声に、しかし返る声はない。

 二人とも深く昏睡し、時折苦しげな息を漏らすばかりだった。

 『ピィ・・・』

 『キュイ・・・』

 二人の枕元に止まっていた鳥が、か細い声を上げてウィンに擦り寄ってくる。

 「ありがとう・・・ガルド、イグル。お父様達の事、守ってくれてたんだね。」

 二羽の頭を優しく撫でるウィン。その傍らで、椅子に腰掛けたムストが心苦しげに話す。

 「・・・二人は、村の皆を少しでも安全な所に逃がそうとしてな・・・。最後まで現場に残って、より多くの毒を吸ってしまった・・・。」

 ムストの手が、ギリリと杖を握り締める。

 「情けない話だ・・・。神官であるわしは、逃げる民人を先導する役目に回って、結果むざむざ生き残ってしまった・・・。わしが、二人の役を担っておれば・・・」

 苦悩する様に手で顔を覆うムスト。と、その手が温かい温もりに包まれる。

 ウィンがその手で、ムストの手を優しく包んでいた。

 「ムスト様、そんな事を言わないでください。お父様達は、自分達の役目を果たしたんです。もし貴方の言う様に、別の誰かが犠牲になっていたら、二人とも自分を責めて苦しんでいた筈です。ちょうど、今の貴方みたいに・・・」

 「ウィン・・・」

 そして、ウィンはムストの顔を見つめて言った。

 「ムスト様、お願いがあります・・・。」

 

 

 「・・・何、話してんのかしらね?」

 『さあ?でもきっと、大切な話だよ。』

 少し離れた所で、ムストと話すウィンを見つめるエリア達。

 ―と、

 ガシャアンッ

 「きゃっ!!」

 『ひゃあっ!?』

 突然背後で響いた音に、飛び上がる二人。

 振り返ると、そこには驚いた様な顔でエリアを見つめる少年の姿。

 歳は、エリア達より4、5歳下だろうか。

 その足元には、彼が落としたのであろう桶と布が、ぶちまけられた水と一緒に転がっていた。

 「な、何よ?アンタ。ビックリさせないでよ。」

 しかし、そんなエリアの言葉には答えず、少年はただエリアの顔を凝視する。

 「どうしました?カムイ君。」

 何事かと近づいてきたラズリーが、少年を見てそう声をかける。

 それで我に返ったのか、彼はクルリと背を向けるとタタタッと走り去っていった。

 「何よ?アイツ。」

 遠ざかっていくその背中を、エリアは訳が分からないといった体で見送った。

 

 

 「馬鹿な!!無茶な事を言うな!!」

 室内に、ムストの声が響き渡る。

 「でも、それしか手はありません!!」

 それに負けない様に、ウィンも声を張り上げる。

 「“あれ”は魔力の消耗が激しい!!無理をして使わば、“術”に全ての魔力を吸い取られ、廃人になってしまうぞ!!」

 「分かってます!!それでも、いま“それ”を出来るのはわたしだけです!!」

 そう言って、ウィンは自分を見据えるムストの目を負けずに見返す。

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 しばし睨み合う二人。

 やがて根負けしたかの様に、ムストはハァと息をつく。

 「・・・とどまるつもりは、ないのだな・・・?」

 その言葉に、ウィンは黙って頷く。

 「・・・情けのない話だ。今、この身が毒に侵されてさえいなければ、あたらお前の様な若者の身を賭けずとも・・・」

 そこまで言って、ムストはまた咳き込む。

 それを労わりながら、ウィンは言う。

 「いいんです。ムスト様。お父様やお姉ちゃんが自分の役目を果たした様に、わたしにも、役目を果たさせてください・・・。」

 そして、ウィンは左手の掌を差し出す。

 「・・・分かった・・・。」

 ムストはコクリと頷くと、ウィンの手に自分の手を合わせる。

 途端―

 ムストの身体が、淡い緑の光を放ち始める。

 それを見たギゴバイトが、驚きの声を上げる。

 『エリア、あれって・・・!?』

 「ええ・・・。“術”の継承式だわ・・・。」

 そう言うと、エリアは息を潜める様に沈黙する。

 その場の皆が見守る中、ムストの身体を包む光は重ねた掌を渡り、ウィンの身体へと移っていく。

 「く・・・。」

 ウィンの口から漏れる、苦しげな声。

 ひとすじの汗が、その額を伝う。

 しばしの間。

 やがて、移り切った光はそのままウィンの身体に染み込む様に消えていった。

 「・・・終わりだ・・・。」

 光をその身に受け入れたウィンが、はぁ、と息をつく。

 「ありがとう。ムスト様。」

 言葉とともに、微笑むウィン。

 そんな彼女に、ムストは沈痛な面持ちで語る。

 「・・・せめて一つだけ約束してくれ・・・。決して無理はするな。もしお主の身に何かあったら、それこそわしはウィンダールへの顔向けが出来なくなる・・・。」

 「・・・分かりました。約束します。」

 小さな手が、杖を手に取る。

 「・・・行くのか・・・?」

 「はい!!」

 ムストに向かってそう言うと、ウィンは寝ているウィンダールとウィンダの額にキスをする。

 「行ってきます。お父様、お姉ちゃん!!」

 そして踵を返すと、その勢いのままエリアに向かって走ってくる。

 「エーちゃん!!お願い、力を貸して!!」

 「え?あ、ああ、うん!?」

 訳が分からないと言った顔のエリアの手を掴み、療養所の出口に向かって突っ走っていく。

 その後ろ姿を見送ったムストは、ふふ、と笑いを漏らす。

 「あの猪突猛進ぶり・・・幼い頃とまるで変わぬ・・・。だが・・・」

 まだその温もりが残る、己が手を見つめる。

 「強くなった・・・本当に、強くなった・・・。」

 そう言って、ムストはその手を握り締めた。

 

 

 『ちょ、ちょっと!?』

 『ぼく達はどうすればいいの!?』

 「ぷっちん達は、ラズリーさん達のお手伝いをお願い!!」

 狼狽するプチリュウ達にそう言い残し、ウィンは療養所の戸を開ける。

 途端、吹き荒れる防毒の烈風。

 「エーちゃん!!さっきの子をお願い!!」

 「さ、さっきのって・・・ああ、タルトの事?」

 「うん!!この風を利用して、空まで上がる!!」

 その言葉に仰天するエリア。

 「ちょ、無茶よ!!こんな暴風、あの子じゃ受けきれない・・・」

 「大丈夫!!あたしが風の道を教えるから!!早く!!」

 「わ、分かったわよ!!どうなっても知らないからね!?」

 ウィンの剣幕に押される様に、エリアは杖で地を突く。

 「おいで!!タルト!!」

 ゴギャァアアアア!!

 飛び散る水飛沫とともに現れる、タートル・バード。

 すかさず、二人はその背に飛び乗る。

 「エーちゃん、あたしの言葉をこの子に伝えて!!」

 「分かった!!」

 目を閉じ、風の音を聞くウィン。

 一拍の間、そして―

 「今!!右上60度!!」

 「タルト!!右上に60度よ!!」

 主の声に従い、風の中に身を躍らせるタートル・バード。

 ゴォオオオオオオオッ

 「「―――っ!!」」

 吹き荒ぶ暴風。

 その中で、ウィンとエリアは互いに手を繋ぎ、吹き飛ばされない様に甲羅にしがみつく。

 風に揺れる視界の隅で、驚くダイガスタ・エメラルの顔が見えた。

 【お、おい!!何だ、お前ら!?】

 【あら~、ウィンちゃんにエリアちゃん、お出かけ~?】

 「は、はい、ちょっと!!カームさん、エメラルさん、もう少し、皆を頼みます!!」

 相変わらずの調子で訊いて来るカームに、そう言い残す。

 その間にもタートル・バードはその翼手にしっかりと風を掴み、上空高く舞い上がっていく。

 1分。

 5分。

 10分。

 気付いた時には、ウィン達は遥か雲の上、大地を遠く下に望む高空にまで到達していた。

 「ヒェエエエー!!た、高いー!!」

 情けない声を上げるエリアの横で、ウィンはスックと立って眼下を見下ろす。

 「よし・・・この高さなら、術の効果を最大限に生かせる・・・。」

 そう言うと、ウィンは杖を構えて目を閉じる。

 しばしの精神統一。やがて、その口が厳かに呪文を紡ぎ始める。

 「天に鳴りしは神鳥の叫び 大気に満ちしは風帝の怒り・・・」

 それとともに、ウィンを中心に巨大な魔法陣が展開する。並の大きさではない。天を覆わんばかりのその大きさに、エリアが息を呑む。

 「何よ・・・これ・・・?」

 「三界に踊る大いなる御霊 天つ神が意によりて・・・!!」

 ―と、エリアの前で突然、ウィンの足がガクリと折れた。

 「ウィン!?」

 「あ・・・く・・・」

 杖にすがり、辛うじて身体を支えるウィン。しかし、ガクガクと震える足が言う事を聞かない。

 ウィンを中心に展開した巨大な魔法陣。それは己の存在を維持するため、文字通り湯水の如くウィンの魔力を吸い出していた。

 「こ・・・のぉ・・・!!」

 ウィンは歯を食いしばり、術式の構築を続けようとする。

 しかし、身体にかかる負荷のためにそれもままならない。

 「負け、る・・・もんかぁ・・・!!」

 もう一度、震える足に力を込めたその時―

 スッ

 急に軽くなる、身体。

 「え!?」

 振り返る背中に、感じる温もり。

 いつの間にか立ち上がったエリア。

 彼女が、己の背をウィンの背に合わせる様にしてその身を魔法陣の中心に置いていた。

 手にした杖には、魔力の放出を意味する光が灯っている。

 「キ・・・キッツイわねぇ!!これ!!」

 「エーちゃん!?」

 驚くウィンに、汗の浮いた顔でエリアが言う。

 「あ・・・あんた、“こんな”の一人でやる気だったの・・・!?っとに、馬鹿ね!!」

 「エーちゃん・・・」

 「ほら!!何ボサッとしてんのよ!!早くやっちゃいなさい!!いくらアタシでも、こんなの長くは持たないわよ!!」

 その身にかかる負荷を振り払う様に、エリアが叫ぶ。

 それだけで、充分だった。

 「うん!!」

 ウィンは己が背をエリアに預ける様に足を踏ん張ると、もう一度杖を構える。

 目を閉じ、息を一吸い。其が後に、己の全てをかけて紡ぎ上げるかの呪文。

 「天に鳴りしは神鳥の叫び 大気に満ちしは風帝の怒り 三界に踊る大いなる御霊 天つ神が意によりて 万物数多を律する烈風となれ 空座す神が意によりて 万理万象を祓う暴風となれ 其は神意 其は神威 天より降りし真理の鉄槌 其が意のもとに   地に這う全てを薙ぎ払え 其が威のもとに 地に在る全てを吹き崩せ!!」

 広い空に、今度こそ朗々と流れる言の帯。

 そして―

 「『大嵐(ティターンズ・ブラスト)』!!」

 最後の言葉を紡ぎ上げるとともに、ウィンは杖を振り上げ、力いっぱい魔法陣に叩きつけた。

 瞬間、魔法陣が稲光にも似た蒼白い光を放ち―

 ゴバァアアアアアアアッ

 巨大な爆音にも似た音とともに、膨大な空気の固まりが魔法陣から噴出した。

 ズドォオオオオオオンッ

 天から雪崩落ち、大地にぶつかった空気の塊はそのまま暴風となって吹き荒れる。

 それはあまりにも純粋で、あまりにも圧倒的な風の力。

 渦巻き、うねり、猛荒び、地に満ちていた毒の風を飲み込み、引き裂き、蹂躙する。

 まるで、その地に住まっていた輩達の怒りを代弁するかの様に、風は思う様に暴威を振るう。

 その様子を、上空から息を呑んで見つめるウィンとエリア。

 ビュウウウウウウウ・・・

 やがて、見つめる二人の眼下で荒ぶっていた暴風が静まり始める。

 嵐は大風となり、大風は小風となり、小風はそよ風となり、そして―

 消えた。

 「・・・・・・。」

 ウィンが目を閉じ、風の声を聞く。

 それまで聞こえていた、風の泣き声が消えていた。

 大地を覆っていた毒の風が、微塵も残さず消え去っていた。

 「や・・・った・・・!!」

 「・・・みたい・・ね・・・!!」

 ウィンとエリアは、お互いの顔を見合わせる。

 汗に塗れ、ゲッソリとやつれた、疲労困憊の顔。

 と、

 「・・・ぷっ、あはははははっ!!」

 唐突にウィンが、堪えきれないといった体で笑い出す。

 「な、何よ・・・!?」

 「エーちゃん、酷い顔!!」

 「はあ!?」

 一瞬憮然とするエリア。しかし、すぐにこちらも吹き出す。

 「く・・・プフフフフ、何よ、そう言うアンタだって・・・!!」

 「え、ええー!?」

 慌てて自分の顔をゴシゴシ擦るウィン。

 「アハハハハハ、ほんと、酷い顔ー!!」

 「・・・だね。アハ、アハハハハハハハハ!!」

 そうやって、ひとしきり笑った後―

 カツン!!

 二人は満面の笑みで拳を打ち合わせた。

 

 

 その頃、ガスタの村では―

 ジェムナイト・サフィアは呆然と空を見上げていた。

 「何だったのだ・・・?今の嵐は・・・。」

 「サフィアさーん!!」

 己を呼ぶ声に振り返ると、こちらに走ってくるラズリーの姿が見えた。

 「凄い嵐でしたね。大丈夫でしたか?」

 「ああ、大事無い。不思議な嵐だったな。あれだけ強く吹いたのに、この身にはなんの負荷も感じなかった。」

 「ええ。療養所の方も、被害はありませんでした。けど・・・」

 「・・・気付いたか?」

 そう頷き合うと、サフィアとラズリーは青く澄み渡った空を見上げた。

 

 

 療養所の屋根の上では、ダイガスタ・エメラルがキョロキョロと辺りを見回していた。

 【凄い嵐だったな。】

 【わたし達の風壁、かき消されちゃいましたね~。】

 【ああ・・・だけど・・・】

 【・・・ええ・・・。】

 彼らも気付いていた。それまで重く澱んでいた風が、まるで洗われた様に澄み切っている事を。

 

 

 「やりとげたか・・・。」

 療養所の窓から外を見ていたムストはそう呟くと、窓を大きく開け放つ。

 澄み切った風が吹き込み、療養所の中の暗く沈んだ空気を洗っていく。

 「・・・大したものだ・・・。」

 そして彼は、己の澱を吐き出す様に大きく大きく、深呼吸をした。

 

 

                                      続く

 



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4話

 

【挿絵表示】

 

 

           ―4―

 

 

 ・・・そこは、ガスタの村から数キロ離れた場所。

 そこに、広いミストバレー湿地帯の中でも特に『怨霊の湿地帯』と呼ばれる場所がある。他の地よりも泥濘が多く、厚く茂った木々のせいで昼間も薄暗い。視界が利かず、動きがとりにくい上、危険なモンスターが潜んでいる事も多い。

 この地を住まいとしているガスタの人々ですら、滅多な事では近づかない。そんな場所だった。

 しかし、今日に限ってはその場所で、酷く不似合いな声が響いていた。

 「あーもう、何なのよ!!今の嵐はー!!」

 響いていたのは女性の声。それも、歳若い少女の声である。

 「アタシの『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』がかき消されちゃったじゃない!!一体、どーなってんのよー!!」

 「エリアル、余り騒ぐな。姦しくて仕方ない。」

 それに被さるのは、若い男の声。

 「これが大人しくしてられるかっつーの!!人がどんだけ苦労して術式構築したと思ってんのよ!!」

 がなりたてる少女の声に、また一つ別の声が重なる。

 「ふむ・・・。『大嵐(ティターンズ・ブラスト)』か。はて、かの村で唯一の使い手も毒に侵されたと聞いておったが。他にも使える者がいたか?だとしたら、クポポ・・・大したものじゃ。」

 老いた老人の様なその声は、暗い水底でしゃべる様な濁りをもって響く。

 「何誉めてんのよ!!あームカつく!!ちょっと、ヴィジョン!!あんた、村まで行って誰が術を使ったのか調べてきなさい!!」

 名を呼ばれたらしい男の声が、驚いた様に答える。

 「は、はい?一体、どうしますので?」

 「決まってるじゃない!!そいつの事、八つ裂きにしてやんのよ!!」

 「ひぇ!?そ、そんな・・・」

 極めて物騒な言葉に、男の声が震える。いかにも気が弱そうだ。

 「何よ!!何か文句ある!?」

 「クポポポ、そう急くでない。」

 濁った声が、苛立つ少女の声を制する。

 「お主の術は、十分に役を果たしてくれた。後は、機を待つだけ・・・」

 「“機”って何よ!?」

 若い男の声が、代わって説明する。

 「今、奴らの村は悲しみと憤怒の中にある。そして、行き場のない悲しみと憤怒は、やがてお互いの猜疑へと変わる・・・。」

 「クポポ・・・その通り。この災厄の手引きをした者がおるのではないか?我の息子は死んだのに、何故隣の息子は生きているのか・・・とな。」

 「猜疑は亀裂となり、亀裂は割れ目となる・・・。」

 「・・・そうなれば、アイツらの結束は瓦解するってか?」

 「そう。その時こそ、好機・・・。」

 「我らはその時を待てばいい。ゆっくり、ゆっくりとな・・・。」

 クポポポポ・・・

 立ち込める闇の中に、濁った嘲笑が静かに響いて、消えた。

 

 

 ヒュウウウウウウウ・・・

 広い湿地帯を眼下に臨みながら、ウィンとエリアを乗せたタートル・バードはガスタの村を目指して空を駆けていた。

 「・・・見えるモンスターの数が増えてきたわね。」

 地上を見下ろしていたエリアが、そう呟く。

 「そうだね。毒は吹き飛ばしたけど、身体に染みた毒までは消せてない筈なのに。何でだろ?」

 同じ様に眼下を見ていたウィンが、首を捻る。

 それを聞いたエリアが、呆れた様に叫んだ。

 「はぁ!?アンタ、ひょっとして何の考えもなしに、あんな術使ったわけ!?」

 「え?あ、だってさ、カームさん達が風壁で毒を遮ってたでしょ?だから、もっと大きな風なら毒を全部吹き飛ばせるかなって・・・。」

 「アンタ、ホントに馬鹿ね!!」

 「ひゃんっ!!」

 怒鳴られ、首をすくめるウィン。

 「リリー先生の話聞いてなかったの!?あの毒は『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』!!ある一族が、風属性モンスターを殲滅するために作り出した秘術!!魔法なのよ!!ま・ほ・う!!」

 「そ・・・そう言えば、エーちゃんもさっきそんな事を・・・」

 ウィンの言葉に、エリアは頷く。

 「アンタが今さっき使った風の術、“破術”の効果があったでしょう?何度も言うけど、あの“毒”は“魔法”。あの風に文字通り、“消された”のよ。それは、あの風が身体を通った生き物も同じ。解毒されたのよ。みんな。」

 「それじゃあ!!」

 パッと顔を輝かせるウィン。

 その笑顔が言わんとする事を察しながらも、エリアは大げさに溜息をつく。

 「アンタのお父様とやらも大変ね。毒でぶっ倒れて、やっと起き上がってみたら待ってるのがこんな猪突猛進のお馬鹿娘だなんて。」

 「むう!!あたし猪じゃないし、馬鹿でもないもん!!」

 「はいはい。」

 むくれながらも、喜びに浮き立つウィン。だが、ふと何か思い当たった様に真顔に戻る。

 「・・・そう言えば・・・」

 緑の瞳が、エリアを見つめる。

 「・・・何よ?」

 「どうしてエーちゃん、そんな魔法知ってたの?それも、あんなに詳しく。先生からも習ってないし、ムスト様だって知らなかったのに・・・。」

 「・・・・・・。」

 「ねえ、何で?」

 それは、純粋な好奇の瞳。

 それを受けたエリアが、視線を逸らす。

 まるで、その純粋さが耐え難いと言わんばかりに。

 「村についたら話すわ。ゆっくりとね・・・。」

 「?」

 そんなエリアの態度に、ウィンは首を傾げるばかりだった。

 

 

 村に着いたウィンを待っていたのは、回復した村人達による賛美の嵐だった。

 ある者は涙を浮かべ、またある者はその顔に歓喜の笑みを溢れさせ、一族を救った小さな英雄を褒め称えた。

 『ちぇっ。何か、面白くないなぁ。』

 群集から一歩離れた所で、揉みくちゃにされるウィンを眺めていたエリア。その足元でギゴバイトがそう言って鼻を鳴らした。

 「何が?」

 エリアが問う。

 『だってさ、ウィンさんをあの毒の風の中空まで運んだのはエリアだし、例の術だってエリアが魔力を分けてあげたから成功したんじゃんか。なのに、皆ウィンさんばっかり・・・。』

 そうブツブツ言うギゴバイトの頭を、エリアは微笑みながら撫でる。

 「ありがと。でも、仕方ないわ。アタシはガスタここでは所詮、余所者だもの。」

 『エリアも、何か変だよ。いつもなら、「主役はアタシよ~」って猛アピールする所じゃない!!何でそんなに大人しいのさ?今日に限って!!』

 そんなギゴバイトの言葉にも、エリアはどこか寂しげに微笑むだけ。

 『?』

 不審に思ったギゴバイトが、さらに言い募ろうとしたその時―

 ヒュンッ

 ガッ

 「痛っ!!」

 『エリア!?』

 突然飛んできた石が、エリアの肩に当たった。

 『おい!!何だよ!?誰だよ!?こんな事したヤツは!!』

 響き渡る、ギゴバイトの怒りの声。

 その剣幕に、浮かれ騒いでいた村人達がシンと静まる。

 『誰だって訊いてんだよ!!出て来い!!』

 肩を押さえて顔をしかめているエリアを庇いながら、ギゴバイトは怒鳴る。

 ―と、

 「そいつだ!!」

 響いてきたのは、少年の声。

 ざわめく村人達を押し分けて出てきたのは、その顔にまだ幼さを残す一人の少年。

 ギゴバイトはその顔に見覚えがあった。

 先刻、療養所の中でラズリーに『カムイ』と呼ばれていた少年。

 そして、彼に続くように数人の村人がゾロゾロと進み出てくる。

 彼らは皆、一様に険しい視線をエリアに注ぐ。

 それは、怒りなどと言う生やさしいものではない。深い悲しみに彩られた、憎悪の視線。

 『な・・・何だよ!?一体!!』

 「そいつだ!!」

 うろたえるギゴバイトの声を遮る様に、エリアを指差し、カムイは叫ぶ。

 「オレ、見たんだ!!死霊の湿地帯の辺りで、“そいつ”が変な術を使っている所を!!あの毒の風が吹いてきたのは、そのすぐ後だった!!“そいつ”がやったんだ!!“そいつ”が、あの毒の風を流したんだ!!」

 ザワリ

 静まり返っていた村人達の間に、ざわめきが走る。

 『な・・・な・・・!?』

 「・・・・・・。」

 絶句するギゴバイト。

 エリアは押し黙ったまま、何も言わない。 

 「ちょ、ちょっと待ってよ!!」

 慌てて飛び出したウィンが、エリアとカムイ達の間に割って入る。

 「エーちゃんは、今朝まであたしといっしょに魔法族の里の魔法学校にいたんだよ!?この事件を知ったのも、ザっくん・・・ザンボルトが教えてくれたからで・・・!!そんな事、出来るわけないよ!!」

 必死に弁解するウィン。しかし、カムイは引かない。

 「でも、オレは見たんだ!!間違いなく、“そいつ”だった!!」

 「待ってってば!!あたしの話を・・・」

 「そいつが殺したんだ!!」

 その叫びに、ウィンは思わず息を呑む。

 「そいつが・・・そいつが殺したんだ!!オレの・・・オレ達の家族を・・・!!」

 カムイの叫びはいつしか涙へと変わり、そして嗚咽へと変わる。

 「・・・返せよ・・・オレの・・・父さんと、母さんを・・・返して、くれよぉ・・・!!」

 そう言って、崩れ落ちるカムイ。そんな彼を労わる村人達を見て、ウィンはハッとした。

 カムイの後ろについていた村人達は、あの白い布に覆われた村人達が安置されていた部屋にいた者達。

 例え毒が消されても、もう戻ってくる事のない人々を親しき仲に持つ者達だった。

 誰も、何も言わなかった。

 否、言えなかった。

 静まり返った中に、カムイの泣き声だけが響く。

 ザワザワ・・・ザワザワ・・・

 泣き続けるカムイの周りで、村人たちがざわめき始めた。

 それまで周囲に満ちていた歓喜の空気は消え、代わりに異様な空気が満ち始める。

 それは、“猜疑”という名の、暗く、どこまでも暗く沈み込んでいく負の感情。

 その空気の変化に、ウィンとギゴバイトが息を呑んだ瞬間―

 カツンッ

 カムイの後ろにいた少女が投げた小石が、ウィンの足元で跳ねた。

 それが、張り詰めていた糸を切った。

 ヒュンッ

 ヒュンッ

 ヒュンッ

 カムイの後ろから、幾つもの小石がエリアに向かって投げ付けられる。

 しかし、それを止める者はいない。

 ただ、立ち尽くすエリアを見つめ、囁きあうだけ。

 「やめて!!やめてよ!!」

 『おい止めろ!!止めろってば!!』

 降り注ぐ石の中で、ウィンとギゴバイトは必死にエリアを庇う。

 「エーちゃん!!何とか言って!!このままじゃ、本当にエーちゃんが犯人にされちゃう!!」

 その身に石の雨を浴びながら、黙りこくっていたエリアに向かってウィンは言う。

 ―と、

 「ウィン・・・さっき、約束したわね・・・。」

 「・・・え・・・?」

 エリアの口から出た言葉に、ウィンは思わずポカンとする。

 「何であたしが、『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』に詳しいか、教えるって・・・」

 「い、今はそんな事言ってる場合じゃ・・・!!」

 「今だから言うのよ・・・。」

 「・・・え・・・?」

 訳が分からないと言った体のウィンを、エリアは手で退けて前に出る。飛んできた石が額に当たり、血が滲むがそれを気にする様子もない。そしてエリアは一度大きく息を吸い、そして話し始めた。

 「・・・その昔、とある事情で故郷を放逐された一族があった。彼らは流れ着いた僻地で、痩せた土地を耕して作物を作り、沼や川で漁をして何とか日々の糧を得ていたわ。だけど、その地には凶暴な『スピア・ドラゴン』の巣があったの。ドラゴン達は度々一族を襲い、その都度に沢山の犠牲者が出た・・・。一族の生活は、いつもドラゴンの襲来に怯えながらのものだったわ。でも、とうとう、その脅威に耐えかねてね、一族の力を結集して、一つの”術”を造った。」

 「エーちゃん・・・?」

 表情の消えた顔で言葉を紡ぐエリアに、戸惑うウィン。

 ざわめいていた村人達もいつしか押し黙り、エリアの言葉に耳を傾ける。

 「術の効果は絶大だったわ。ドラゴン達は見る見る衰弱して、次々と息絶えていった。でも、誤算はその後に起こったの・・・。」

 誰も、何も言わない。

 ただエリアの声だけが、淡々と流れる。

 「その“術”の効果は、ドラゴンだけに留まらなかった・・・。他の風属性を持つ動植物達にすらも影響を及ぼして、根絶やしにしてしまった。結果、土地の生態系は崩壊して、不毛の地へと変わってしまったわ。結局、その一族達も荒れ果てたその土地を捨てざるを得なくなってしまった。以来、一族は自戒の意味も込めてその術を“禁忌”にしたの・・・。」

 「エーちゃん・・・まさか・・・!?」

 何かを察したウィンの顔から、血の気が引いていく。

 それを見たエリアが、ゆっくりと頷く。

 しばしの間。

 そして―

 「そう・・・あたしの、あたしの一族が造ったのよ・・・!!あの、『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』を!!」

 縊られた喉から搾り出すような、けれどはっきりとした声で、エリアはそう言い放った。

 

 

 始めに訪れたのは、沈黙だった。

 その場にいる誰もが、エリアの言葉の意を直ぐには飲み込みかねていた。

 しかし、やがてそれは染みていく。

 ゆっくりと。

 しかし、確実に。

 染み込み、溜まり、逆流し、そして―

 「―――っ!!」

 弾けた。

 声にならない叫びを上げ、村人達がエリアに殺到する。

 その中には手に木の棒や石を持った者、携帯していた刃物を抜く者までもいた。

 そこにあるのは、あまりにも純粋で明確な害意。

 凶事の中、村人達の間に澱の様に溜まっていた猜疑や憤怒、憎悪の念は、唐突に穿たれた出口―エリアに向かって、一斉に吹き出そうとしていた。

 「エーちゃん!!逃げてー!!」

 ウィンの絶叫も、村人達の怒号に飲み込まれる。

 エリアは動かない。

 まるで、全ての責めを受けようとするかの様に、諦観した眼差しで迫り来る村人達を見つめる。

 『やめろー!!』

 その人々の奔流を防ごうと、ギゴバイトが飛び出す。

 しかし、猛る人々の猛威を遮るには彼はあまりにも非力だった。

 あえなく殴り倒され、蹴り飛ばされ、エリアの足元に転がる。

 「ギゴ!!」

 その様を見て、我に帰った様に叫ぶエリア。

 自身に群がる群集の中、気絶しているギゴバイトを抱き上げると守る様にその胸に掻き抱く。

 しかしその姿も、今の村人の目には激情を煽るものとしか映らない。

 無数の手が、その腕の中からギゴバイトをもぎ取ろうと蠢く。

 無数の爪が、その身を引き裂こうと白い肌に食い込む。

 髪を鷲掴みにされたエリアが、短く悲鳴を上げる。

 そこにはもはや、人が人として持つべき理性もなければ、人が人として守るべき道義もなかった。

 あるのはただただ、行き場所を求めて暴走する怒りと言う名の狂気だけ。

 一人の男の手が、エリアの襟を掴む。

 その手にあるのは、冷たく光る小刀。

 無骨な手がエリアの襟首を絞める様に捻り上げ、手の凶器を振り下ろす。

 ウィンが声にならない悲鳴を上げたその瞬間―

 バチィンッ

 小さな影が舞い、鋭い音と共に固い鎧に覆われた足がその男の手を打った。

 低い呻きを上げて、エリアを放す男。

 バチンッ

 バチンッ

 バチンッ

 立て続けに響く炸裂音。

 小さな影が躍る度、エリアに群がっていた者達が次々と弾き飛ばされていく。

 そして―

 バチィンッ

 一際高い音と共に最後の一人が弾き飛ばされ、エリアと村人達の間に空間が空く。

 次の瞬間―

 ゴバァアアアッ

 轟音とともに、激しくうねる水流がその空間に雪崩れ込む。

 水流はそのまま高い水壁となり、エリア達と村人達を隔てた。

 ギゴバイトを胸に抱いたまま、へたり込んだエリアは呆然とその水の壁を見つめる。

 「少しは、頭が冷えたか?」

 そんな声とともに響く、ガシャリという重たい足音。

 歩み寄って来るのは、ジェムナイト・サフィア。その横に、小さな影―ラズリーがふわりと舞い降りる。

 「何でそいつをかばうんだ!?」

 「ジェムはガスタの味方じゃなかったのか!?」

 「お願い、仇を!!あの人の仇を!!」

 「勘違い召されるな!!」

 水壁の向こうから飛んでくる声を、サフィアは厳しい声で一喝する。

 「ジェム我らが従うは、誠の正義のみ!!そこにいかな理由があれど、道義に外れし暴威を許す道理はない!!」

 しかし、水壁の向こうから聞こえてくる怒りの声はまるで収まる様子を見せない。

 「やれやれ、しばらく放っておくしかないようだな。」

 手に負えないと言った態で、サフィアは首を振る。

 「大丈夫ですか?」

 ラズリーが、座り込んでいたエリアを労わりながら、彼女と気絶してるギゴバイトの傷に薬をすり込んでいく。

 「・・・あんた達は疑わないわけ?あたしの事・・・。」

 自嘲気味に問うエリアに向かって、ラズリーは首を振る。

 「貴女が悪しき者でない事は、もう見切っています。ジェム(わたし達)は、正しき事を決して見誤りません。」

 キッパリとそう言うラズリーに、エリアは苦笑する。

 「エーちゃん!!」

 走り寄ってきたウィンが、エリアに抱きつこうとする。

 しかし―

 「来るな!!」

 突然響いたエリアの叫びが、それを制した。

 ビクリと動きを止めるウィン。 

 「エーちゃん・・・?」

 「あんた、また話聞いてなかったの?」

 エリアはそう言って、戸惑うウィンを見上げる。

 光の失せた瞳。それがウィンの足をすくませた。

 「いい?『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』はあたしの一族が造ったの。あたしの一族だけが使えるの。つまりあんたの村を、お父様を、家族をこんな目に合わせたのは、あたしの仲間・・・。」

 一語一語、言い聞かせる様にエリアは言う。

 「そ、それは・・・。」

 「分かるわね?アタシはガスタ(あんた達)の敵の仲間。敵の仲間は敵・・・。近寄らないで・・・。」

 「・・・何で・・・何でそんな事言うの・・・!?」

 エリアの態度に呆然とするウィン。その瞳から、ポロポロと涙が溢れる。

 「エーちゃんは、あたしに力を貸してくれたじゃない!!あたしの村を、助けてくれたじゃない・・・!!」

 行き場を失った手を、ギュウっと握りこむ。痛く、爪が食い込む程に、握りこむ。

 「関係ない・・・。関係ないよ・・・!!何処の誰かも知らない奴がやった事なんて、関係ない!!エーちゃんは助けてくれた・・・!!あたし達を助けてくれた・・・!!確かなのはそれだけ・・・。それだけで十分なのに・・・!!」

 「・・・それでも、アタシはアンタの敵よ・・・。」

 涙をこぼすウィンから目を逸らしながら、エリアは立ち上がる。

 「・・・手当て、ありがとう・・・。」

 オロオロしているラズリーにそう言うと、エリアはまだ気絶しているギゴバイトを抱き上げて踵を返す。

 「あ・・・あの、どちらへ・・・?」

 ラズリーの問いに、エリアは振り向きもせずに答える。

 「村を出るのよ。こんな所にいたら、どんな目に会わせられるか分かったもんじゃないからね・・・。」

 そして、その足を村の出口へと向ける。それに、慌てて追いすがるウィン。

 「待って!!それならあたしも・・・」

 「しつこい!!」

 再び飛んできた声が、ウィンの足を止める。

 「何度も言わせないで!!あたしはあんたの敵!!ついてくるな!!」

 「エーちゃん・・・」

 ペタリと座り込み、顔を両手で覆うウィン。その姿に振り向く事もせず、エリアは村の出口へと向かう。しかし―

 「・・・ウィン嬢のためか?」

 不意にかけられた声に、その足が止まる。

 顔を上げれば、そこには成り行きを見守っていたサフィアの姿。

 「今、ガスタの方々は冷静な思考を欠いておられる。そんな中で、ウィン嬢が貴女をかばえば、猜疑の目は彼女にまで及ぶ。故に、心にもない事を言って突き放した。違うか?」

 「・・・・・・。」

 その問いに、答えはない。しかし、それを見越していたかの様にサフィアは続ける。

 「貴女は、今回の凶事の裏で糸を引いた者がいる事を知っていたのだな?」

 その言葉に、エリアの肩がピクリと揺れた。

 「それ故、自身に疑いが向けられた時、あえてそれを一身に引き寄せたのだ。村人同士の間に猜疑が生まれ、結束に軋轢が生まれる事を防ぐためにな。」

 しかし、そんな指摘にエリアはつまらなそうに答える。

 「・・・あんまり買い被らないでくれる?そんな小知恵、回らないわよ。アタシは、アウスじゃない・・・。」

 「アウス?はて、どなたかな?」

 「ウィンあの馬鹿の仲間よ。あんたみたいに慇懃だけど、その実知恵が回って腹の中は真っ黒。アイツを敵に回すなら、暗黒界の悪魔達を相手にする方が何ぼかましって代物。」

 その言い様に、目を丸くするサフィア。

 「・・・何とも、大した御仁の様だな・・・。」

 「縁があったら会えるかもね?“あれ”なら一周して、逆にアンタみたいのと気が合うかも。」

 そう言ってクスリと笑うと、エリアはまた歩を進め始める。

 「・・・どうしても、行かれるのか?」

 「言ったでしょう?村ここにいちゃあ、どんな目に会わせられるか分からないのよ。」

 繰り返されるその言葉。しかし、サフィアはその裏に別の意を見て取る。

 故に、彼はあえて言を重ねた。

 「一つ、苦言を呈したい。」

 「しつこいわね。何よ?」

 今度は立ち止まらず、エリアは声だけを返す。

 「貴女の心と覚悟には敬意を表する。しかし、その自己犠牲の精神だけはいただけない。」

 「・・・え?」

 当惑するエリア。結局、その足は再び止まる。

 「一族の咎は己の咎。そう思われたか?だが、それは違う。」

 静かな声で、諭す様にサフィアは語る。

 「咎とは個人自身が負うべきもの。その血を引くとは言え、他の者までが負うべき道理はない。」

 淡々と紡がれるその声が、届いているのかいないのか。エリアは何も言わず立ち尽くす。

 「今の貴女には、一族の枷以上に守るべきものがあるであろう?そして、それは決して一方向だけに向けられるものではない。」

 そう言ってチラリと見やるのは、背後の光景。

 そこには、地に崩れて涙をこぼすウィンと、彼女を慰めるラズリーの姿。

 「自身を労われよ。己が為ではなく、己を想う者達の為に。其を介さぬ自己犠牲など、所詮態の良い自己満足に過ぎぬ事を、貴女は理解しておくべきだ。」

 「・・・・・・。」

 それを黙って聞いていたエリアの肩が、小刻みに震え出す。

 まるで、込み上げてくる何かをこらえる様に。

 「・・・何よ。結構痛い事言うじゃない・・・。ますます、アウスあいつみたいだわ・・・。」

 声の震えを押さえながら、背を向けたままサフィアに言う。

 その頬に一瞬、光るものが見えたが、サフィアはあえて気付かないふりをした。

 「・・・分かった。“一応”、心がけとく。でも・・・」

 エリアはグイッと顔を拭うと、クルリとサフィアに向かって向き直る。

 振り向いたその顔は、いつも通りの不敵な表情を湛えていた。

 「その代わり、あたしの頼みも一つ聞いてくんない?」

 「ふむ?」

 その言葉に首を傾げながらも、サフィアは迷う事なく答える。

 「如何様でも。」

 それを聞いたエリアは、突然サフィアに向かって頭を下げた。

 「“ウィンあの馬鹿”と“この村”、絶対に守って・・・!!」

 伝える願いの強さを示す様に、深く、深く下げられる頭。

 いつもの彼女から見れば、余りにも不似合いな姿。

 サフィアは微笑むと、腰を屈め、その肩に手を置いた。

 「・・・承った。」

 その答えにエリアは顔を上げると、サフィアの顔を正面から見つめる。

 蒼く澄んだ瞳の輝き。サフィアはそれを、自分の守護石の様だと思った。

 「約束よ・・・!!もし、破ったりしたら、承知しないからね・・・!!」

 蒼い瞳でじっと己を見据えるエリアに対して、サフィアははっきりと言い放つ。

 「ジェムは約定を違えない。貴女の友とこの村は、我が誇りと守護石の輝きにかけて、必ずや護ろう。」

 それを聞いたエリアは、ようやく安心した様にホッと息をつく。

 「お願い・・・。」

 最後に呟く様にそう言うと、エリアは踵を返し、再び歩み始める。

 水壁の向こうからは、相変わらず村人達の怒声が聞こえている。

 ウィンは地に崩れ落ちたまま、肩を震わせている。

 ラズリーとプチリュウは、そんな彼女のそばから離れられない。

 その意を察したサフィアは、もう何も言わない。

 ギゴバイトは、彼女の腕の中で気を失ったまま。

 ―止める者は誰もいない。

 憎悪、悲嘆、哀憐、畏敬・・・。

 その背に、数多の想いを負いながらエリアは歩く。

 一歩、また一歩と遠ざかるその姿。

 そして、エリアの姿はガスタの村から消えていった。

                                     

 

                                   続く

 



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5話

 

【挿絵表示】

 

 

                 ―5―

 

 

 エリアが村を立ち去ってからしばらくの事。

 その頃、村の療養所は目に見えて人気が少なくなっていた。

 それは、村人達が順調に回復し、徐々に元の生活に戻りつつある事を示している。

 しかし、その一方で今だ臥せったままの者も多くいた。

 他者を助けようとして、より多くの毒を吸った者。

 元より虚弱だった者や、病を患っていた者。

 そういった人々は、毒によって与えられたダメージが抜けきらず、まだ深い眠りの中にあった。

 ウィンの父と姉。ウィンダールとウィンダもまたそうであった。

 二人はまだ目覚める事なく、診療所の一室で昏々と眠り続けていた。

 けれど―

 「呼吸が大分静かになったわ~。この分なら、もう大丈夫ね~。」

 眠る二人の様子を見ていた歳若い女性が、そんな事を言いながらホッと息をついていた。

 彼女は、つい先ほどまで『ダイガスタ・エメラル』としてこの療養所を守っていた魂の片割れ。名を、『ガスタの静寂・カーム』と言う。

 「早く目を覚まして、“あの娘”を癒してあげて・・・。」

 言いながら、白い指でウィンダの額にかかる髪をかき上げる。

 と、

 「どうだい?お二人の様子は?」

 ガシャリと金属の軋む音を響かせて、緑色の宝石で鎧を飾った騎士がカームに近づいてきた。

 「あら~、エメラルさん~。もう、休んでなくていいんですか~?」

 カームはそう言って、先刻まで同体となっていた相方に微笑みかける。

 「なに、同じ事やってたあんたがそんなピンピンしてるんだ。オレがいつまでも寝とぼけてちゃあ、笑われるよ。それに・・・」

 そう言って、『ジェムナイト・エメラル』は親指で扉一つ隔てた隣の部屋を指す。

 「どうにも、“あれ”が気になってね・・・。」

 「そう・・・ですね・・・。」

 そして二人は、そろって隣の部屋を見つめた。

 

 

 その部屋では、もうすっかり回復したムストが椅子に座している。

 彼の前には、プチリュウを抱いたウィンが空になったベッドに座って向き合っている。

 ムストは、絞る様に声を出す。

 「・・・すまん。よもや、そんな事になっていようとは・・・。療養所(こちら)の事で手一杯で、気が回らなかった・・・。」

 ムストは、黙りこくるウィンに、そう言って頭を下げた。

 「・・・エーちゃん達を庇ったラズリーさんやサフィアさんも、今は白い目で見られてるよ・・・。」

 ぼそりと呟く様に、ウィンが言う。その顔からはいつもの天真爛漫さは消え、今は深い影が色を落としていた。

 「わたし、ガスタの民はもっと誇り高い一族だと思ってた・・・。なのに、なのに・・・!!」

 その声音に篭る失望と嫌悪を隠しもせず、ウィンはギュッと手を握り締める。

 「・・・返す言葉もない。だが、これだけは分かってくれ。今は皆、誰かを恨まなければ、己を保てぬのだ。それほどまでに、皆の悲しみは深い・・・。エリア殿の濡れ衣は、わしが必ず晴らそう。だが、今は・・・」

 「そんな屁理屈、聞きたくない!!」

 自分の手を握ろうとしたムストの手を振り払いながら立ち上がると、ウィンは激昂する!!

 「誰かを恨まなきゃ自分を保てない!?ふざけないで!!そんなら、自分なんか捨てちゃえばいいんだ!!関係ない・・・ううん!!自分達を助けてくれた人まで恨まなきゃ保てない自分って何さ!?そんな自分なんか、いらないよ!!」

 「ウィン・・・」

 いつもの彼女からは想像も出来ない程に、ウィンは荒ぶる。

 その様子にムストはただ途方に暮れ、プチリュウはオロオロするばかり。

 「エーちゃんの濡れ衣を晴らす!?それなら早くそうしてよ!!村の皆を集めて!!エーちゃんを探して!!そして謝ってよ!!エーちゃんに!!ギゴ君に!!殴ってごめん!!傷付けてごめんって!!」

 『ウィン、さすがに今は・・・』

 「ウィン、落ち着いてくれ・・・」

 何とかなだめようとするムストとプチリュウを、ウィンの言葉が突き放す。

 「こんな村、帰ってこなきゃよかった!!いっそ、皆、あの毒の風で・・・」

 『ウィン!?』

 「おっと。」

 「んむぐ!?」

 最後の言葉を放とうとしたウィンの口を、固い鋼に覆われた手が塞いだ。

 いつの間に来たのか。彼女の背後にはエメラルが立ち、その手でウィンの口を覆っていた。

 ジタバタするウィンを押さえながら、エメラルは言う。

 「その続きは、あんたの周りの者も、あんた自身も傷付けるもんだろ?やめときな。」

 「―――!?」

 その言葉に、我に帰った様にウィンは動きを止める。

 「飲み込め。」

 ゴクン

 ウィンの喉が、空気の塊を飲み下す。

 「よーし。良い子だ。」

 そう言うと、エメラルはウィンの口から手を離す。

 はぁ、と息をつくウィン。

 そのまま、しばしの間うつむいて沈黙する。

 しかし、

 クルリ

 突然踵を返すと、何かを振り切る様に部屋を飛び出していく。

 『ウィン!!』

 そんな彼女の後を、プチリュウも追う。

 「あら~、どうしたの?ウィンちゃん~。」

 すれ違う様に部屋に入ってきたカームが呼びかけるが、ウィンは振り向きもしない。

 そのまま、その姿は療養所の外へと消えていった。

 後に残されたのは、ムストとエメラル。そして、カームの三人。

 「大丈夫かい?大分まいってるみたいだけど?」

 エメラルの問いに、ムストは片手で顔を覆ったまま首を振る。

 「・・・わしはいい。だが、ウィンあの娘が・・・」

 「あの娘だけじゃないぜ。“もう一人”もだ」

 すかさず、エメラルが釘を刺す。

 「話は聞いたが、酷いもんだ。言っちゃ悪いが、呆れて擁護のしようがない。」

 容赦のない言葉。

 ムストの顔が、苦悩に歪む。

 「ちょっと~、エメラルさん。あんまりムスト様を苛めないで~。」

 「いや、いい。エメラル殿の言う通りだ・・・。」

 カームの抗議を、ムストが遮る。

 「・・・全く、何という事か・・・。正義を尊び、慈愛を徳とする筈のガスタの民が、こうまでも人の・・・それも同胞とその友を傷付けてしまうとは・・・。」

 そう言って、ムストは深く深く息をつく。

 と、

 「―あの“毒”は、わたし達が思っていたよりも、ずっと恐ろしいものだったのかもしれませんね・・・。」

 そこに響いてきたのは、いつもと違った調子のカームの声。

 ムストもエメラルも、思わず彼女を見る。

 「ガスタ(わたし達)の身体のみならず、目も、そして心さえも濁らせてしまった・・・。」

 淡々と語る彼女。

 その言葉にムストは再び顔を覆い、エメラルはただ沈黙するだけだった。

 

 

 『ウィン!!待ってってば!!一体どうする気なの!?』

 わき目も振らず村の出口に向かうウィンに、プチリュウは尋ねる。

 「決まってる!!エーちゃんを探しにいく!!」

 『でも、エリアさんは来るなって・・・』

 「そんなの関係ない!!探しにいく!!」

 まさに、取り付く島もないとはこの事だ。しかし、それでもプチリュウは必死に追いすがる。

 『無茶だよ!!もうじき日が暮れる!!村の外には、危ないモンスターだって住んでるんだよ!?』

 「だったら、なおさら急がなくちゃ!!」

 『何言ってんのさ!?大嵐(あれ)で消耗しちゃった今のウィンに、何が出来るって言うの!?』

 「怖いなら、ついて来なくていいよ!?」

 『だからそうじゃないって!!ああ、もう!!』

 「待ちなよ。」

 言い合う二人の間に、唐突に別の声が割って入った。

 振り返る視線の先にあったのは、一本の木。

 「『?』」

 「どこ見てんのさ。ここだよ。ここ。」

 声に従い、視線を上に上げる。

 木の枝の一本に、一人の少女が腰掛けていた。

 歳はウィンより2、3歳年上だろうか。引き締まった身体を、ガスタ特有の衣装が包んでいる。若葉色の髪は両サイドで纏められ、その先端は亜麻色に染められていた。

 少女は身軽に木から飛び降りると、そのままツカツカとウィン達に近づいてくる。

 「今の話から察するに、あんた達用心棒が必要なんだろ?どうだい?アタイなんか。」

 そう言ってニッパリと笑うその顔に、先刻の村人達の様な邪気はない。

 「・・・あなたは、誰?」

 尋ねるウィンに、少女はやっぱりニッパリと笑う。

 「覚えてないかい?仕方ないか。あんたが村ここにいた頃は、あんまり付き合いがなかったからね。」

 言いながら腰を屈めると、その視線をウィンに合わせる。

 「アタイはリーズ。『ガスタの疾風・リーズ』さ。よろしくね。小さな英雄さん。」

 彼女はそう言って、ポカンとしているウィンの頭をクシャクシャと撫でた。

 

 

 ヒュウウウウウウウ・・・

 夕焼けに染まる崖の上で、エリアは心地よい風に身を委ねていた。

 長い青色の髪が澄んだ風に梳られ、サラサラと流れていく。

 その感覚を心地よく思いながら、彼女は眼下に広がる湿地帯の光景を眺めていた。

 草原には大型のモンスターが群れ、空には鳥の類が舞っている。

 大嵐(ティターンズ・ブラスト)によって清められた大地は、徐々にそのあるべき姿を取り戻しつつあった。

 動き回る生物の姿は目に見えて増え、生命力の強い植物にはもう新芽を出しているものさえある。

 「国破れて山河在り・・・か・・・。」

 エリアが誰ともなく、そう呟いた時―

 『う、うう・・・』

 その傍らから、声が上がった。

 「あら、やっと起きたの?ギ・・・!?」

 タップリ数時間も気絶していた相方に、嫌味の一つも言ってやろうとする。

 けれど、その言葉が口を出る事はなかった。

 『うぅ・・・う、うう・・・』

 ギゴバイトは泣いていた。

 固く引き結んだ口から嗚咽を漏らし、オレンジ色の瞳からは大粒の涙をこぼしていた。

 「ちょっと、アンタ何泣いてんのよ!?何?どっか痛いの!?」

 慌てて自分を気遣うエリアの手を払い、ギゴバイトは泣き続ける。

 『畜生・・・畜生・・・何も、何も出来なかった・・・』

 「ギゴ・・・?」

 『僕・・・僕、エリアの使い魔なのに、エリアを・・・守れなかった・・・』

 その言葉に、エリアの胸が高鳴る。

 『畜生・・・もっと力があったら、もっと強かったら、エリアを・・・エリアを守れたのに・・・』

 と―

 フワリ

 泣きじゃくるギゴバイトを、柔らかな温もりが包む。

 エリアが、彼を背後から抱き締めていた。

 「何言ってんのよ・・・。アンタ、馬鹿・・・?」

 『エリア・・・?』

 柔らかい髪が、サラサラとギゴバイトの頬を撫でていく。

 「アンタはずっとあたしの側にいてくれた・・・。そして今もいてくれてる・・・。それだけで、十分なのよ。」

 戸惑う相方を抱き締め、エリアは優しく微笑んだ。

 『エリア・・・』

 「ねぇ、ギゴ、聞いて。」

 そう言ってギゴバイトを抱いたまま、エリアは立ち上がる。

 上昇気流が彼女の髪を掴み、翼の様に舞い上げる。

 「あたしは、これから“けじめ”をつけにいく。」

 『けじめ・・・?』

 「そう。けじめ。」

 語るエリアの顔は、それまでギゴバイトが見た事がないほどに凛々しかった。

 「・・・正直、大変な仕事なの。ひょっとしたら、死んじゃうかもしれない・・・。」

 エリアの瞳が、ギゴバイトを見つめる。

 「でも、あたしはアンタに側にいて欲しい・・・。」

 ギゴバイトには、水色の瞳に映る自分の姿が見える。

 「ねえ・・・。」

 薄い唇が、問う。

 「それでも、ついてきてくれる・・・?」

 不安げな、声。

 躊躇する理由など、ある筈もなかった。

 『行くよ!!エリアの行く所なら、何処へだって!!』

 はっきりと言い放つ、その言葉。

 エリアの顔が、花の様にほころぶ。

 「ありがとう!!」

 そう言って、力いっぱいギゴバイトを抱き締める。

 『く、苦しいよ。エリア!!』

 「あはは、ゴメーン。でも、放さないー!!」

 夕日の中、キャラキャラと笑いながらじゃれ合う二人。

 「ねぇ、ずっと一緒にいてね。」

 『うん、ずっと一緒にいるよ。』

 それは、違いなき誓いの言葉。

 決して途切れぬ、絆の契り。

 「大好きだよ・・・。ギゴ・・・。」

 頬を桜色に染めたエリアが、ギゴバイトの耳元で微かに囁く。

 『え・・?何?エリア・・・。』

 耳に届きそこねた言葉を確かめようと、ギゴバイトが顔を寄せる。

 その瞬間―

 フッ

 急に暗くなる、エリア達の視界。

 「『―え?』」

 何が起こったのか、二人が上を向いたその瞬間―

 ガスッ

 鈍い衝撃が、二人を襲った。

 

 

 ―その日、カムイは自身の守護鳥である『ファルコス』に乗り、村から大分離れた場所を飛んでいた。

 深い理由があった訳ではない。

 村でも、神託を受けた数人のみが駆れる『ダイガスタ』。

 彼は幼くしてその神託を受け、異例の若さで『ダイガスタ』の主となった。

 しかし、それは名誉であると同時に、いざ事あらば村を護る先駆けとしての責任を担う事でもある。

 父は誇り、母は心配した。

 ガスタの希望としての重圧は、まだ幼い彼の双肩にずっしりと圧し掛かった。

 そんな皆の期待に、何よりも両親の想いに応えようと、彼は日々鍛錬に没頭した。

 しかし―

 「お、おいコラ、そっちじゃない!!そっちじゃないって!!」

 「う、うわ、ちょ、高い高い!!もっと低く・・・ってそんな急降下すんなって!!うわ、わぁああああっ!!」

 「う、うぇ・・・!!おま、こんな、回ったら・・・!!お、おえ・・・気持ちワル・・・」

 素質があるのと、実力があるのとは別問題である。

 『ダイガスタ』を駆る様になってまだ日の浅い彼は、相方のファルコスに翻弄されてばかりだった。

 その日もファルコスに引きずり回された挙句、いつもは近づきもしない筈の『怨霊の湿地帯』の上空にまで来てしまっていた。

 「おいおい・・・勘弁してくれよ・・・。」

 ファルコスの背中でぐったりしながら、カムイはそんな事をぼやいていた。

 「だけど、相変わらず薄っ気味悪いな~。この辺りは。」

 眼下の湿地帯を見下ろしながら、彼がそんな事を呟いた時―

 「ん?」

 その目が、その地に非常に不釣合いなものを捉えた。

 湿地帯の中心にある沼。その中に小さな人影があった。

 「・・・誰だ?」

 興味を持ったカムイは、ファルコスにギリギリの高さまで降下するように指示を出す。

 ファルコスも同じ気持ちだったのか、素直にそれに従った。

 広い大地と、高い空を生活の場にするガスタの民の視力は鋭い。

 低く、しかし十分な距離をとりながら、カムイは水面に映るその顔を見た。

 「女・・・?」

 そう、人影は女。それも少女だった。

 黒装束に黒い帽子。いかにも魔術師調の衣装の中からは、長い青色の髪が踊っている。

 薄く目を閉じた彼女の周囲に展開するのは、見た事のない蒼い光を放つ魔法陣。

 術の構築に集中しているのか、上空から自分を盗み見るカムイには気付かない。

 「・・・・・・?」

 その様子に些かの不審を感じたものの、この辺りを旅人が通りかかるのはさして珍しい事でもない。

 彼女も、そういった人々の類なのかもしれない。

 何か取り込み中の様でもあるし、下手に声をかけて邪魔をするのも悪いだろう。

 一人そう納得すると、カムイは再び鍛錬に励む為にその場を離れた。

 

 

 ―ガスタの村を『猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)』が襲ったのは、それから数刻後の事だった―

 

 「・・・アイツだ・・・!!絶対、アイツだったんだ・・・! !」

 沈みかける夕日の中、呪詛の様にそう呟きながらカムイはファルコスを駆っていた。

 夕焼けに暗く輝く彼の目には、昨夜の村の光景がありありと焼き付いていた。

 ―そこは、地獄だった。

 昼間青々と茂っていた木々は見る影もなく枯れ果て、色とりどりに村を飾っていた花々は無残に散った。

 生活を共にしていたモンスター達は次々に息絶え、村人達も苦悶の呻きを上げて次々と倒れていった。

 そんな中、事態を悟ったカムイの両親は彼を庇う様に抱き締めると、自分達の腕の内側に風の魔法を使って弱い気流の結界を作った。

 その結界は辛うじて毒気を遮り、カムイを守った。しかし、その範囲はわずかばかり。結界の外側に面した彼の両親は、毒気にその身を晒した。

 半狂乱になって結界から出ようとするカムイ。そんな彼を、父親は厳しく叱りつけ、母親は優しく微笑みながらなだめた。

 それからどれほどの時が経ったのか。両親の願いを聞き届ける様に、結界はカムイを守り続けた。

 やがて、知らせを聞きつけたジェムナイト達が駆けつけた時、カムイは一人泣いていた。

 ―今だ自分を守り続ける結界の中、その両手に両親の亡骸を抱き締めながら―

 

 最初、混乱の態にあった彼の思考は、冷静さを取り戻すにつれて一つの考えをとり始めていた。

 古くからこの地に住む老人達は口々に言った。今回の様な凶事は今だかつてなかった。 

 そして、この地域にこんな災害の元となる様なものも無かったと。

 ・・・自然現象として起こったものではない。

 ならば、これは人為的なものとして起こされたもの。

 一つの答えが、カムイの中で組み上げられていく。

 あの時、沼地で見た少女。

 彼女が展開していた、見た事のない魔法陣。

 彼の中で、疑惑は確信に変わっていった。

 あの女だ。

 あの女がやったんだ。

 やがて、その確信は憎悪へと変わる。

 仇を・・・。

 仇を討ってやる・・・。

 いつしか、カムイの心はその想いにのみ捕らわれていた。

 そしてそんな中、“彼女”は現れた。

 最初は見間違いかと思った。

 服装は違った。

 あの特徴的な帽子も被っていなかった。

 見おぼえのない使い魔も連れていた。

 だけど。

 だけど。

 忘れる筈が無かった。

 その顔を。

 その容姿を。

 あろう事か、村の療養所に現れた少女。

 その少女は違うことなく、あの女だった。

 あの、沼地にいた少女だった。

 カムイは、自分の心に暗い焔が燃え立つのを感じた。

 

 

 ・・・幼い彼に、今の彼に、それを悟れと言うのは無理な話だろうか。

 時に憎しみは、己が目を曇らすという事を―

 

 件の少女は、カムイを始めとした村人達の糾弾に合い、村を“逃げ出して”いた。

 ―逃がすもんか―

 彼は人目を盗み、『ダイガスタ・ファルコス』を駆って村を発った。

 他者にその旨を伝えなかったのは、たった一つの想いのため。

 ―誰にも―

 ―誰にも渡すもんか―

 暗い焔を胸に滾らせたまま、カムイは飛ぶ。

 ―オレの仇だ―

 今の彼には分からない。

 ―オレが殺る―

 ―オレが殺ってやる―

 憎しみという名の暴風に身を任せ、ダイガスタを駆る今の姿。それが果たして、両親が望んだものなのかという事を。

 

 

 ボキャアァッ

 横殴りに振られた杖(というより棍棒)が、襲い掛かってきた『グロス』の右頬を痛打する。杖はそのまま振り抜かれ、殴られたグロスは綺麗な放物線を描いて吹っ飛んだ後、頭から地面に着弾した。

 「『・・・・・・。』」

 「とまぁ、こんなもんさ。」

 唖然とするウィン達の前で、リーズは杖でポンポンと肩を叩きながらニパッと笑ってみせた。

 「・・・今、この女ひと片手だったよね・・・?」

 『5mは飛んだよ・・・。あれ・・・。』

 遥か先で頭から地面に突き刺さり、ピクピクと痙攣しているグロスを見つめながら、冷や汗など流すウィン達であった。

 「伊達に疾風(切り込み役)を担っちゃあいないよ。だけど・・・」

 キョロキョロと辺りを見回しながら、リーズは言う。

 「大分日が堕ちて来たね。今日はこの辺りで宿を取った方がいいなぁ。」

 その言葉に、ウィンが噛み付く。

 「馬鹿言わないで!!あたしは早くエーちゃんを・・・」

 ボコンッ

 「フギャア!!」

 『ウィンー!?』

 脳天をリーズにどつかれ、引っくり返るウィン。

 「全く。少しは頭の血を下げないと、あんたの方が先にまいっちまうよ。それと、あんた。」

 『は・・・はひゅわぃいいい!!』

 呆れを含んだ声が自分に向けられて、ビビるプチリュウ。

 「ちょっと手伝いなよ。焚き火用の薪を集めるから。」

 『は・・・はい!!』

 もはや、言われるがままのプチリュウなのだった。

 

 

 パチパチパチ

 夜闇の中に、焚き火の光が明るく燈る。

 「はぐ、もぐ、ふぐ・・・」

 「呆れたね。食料も持たずに夜通し駆けずり回る気だったのかい?」

 火にあたりながら、携帯食をパクつくウィン。

 その様を見て、リーズは苦笑いをした。

 「もぐ・・・だって、エーちゃんが・・・」

 「心配いらないよ。あんたの友達は強い。身体も、心もね。」

 言いながら、リーズは薪を一本折って火にくべる。

 「どうしてそんな事・・・」

 「分かるさ。あの時の様子を見てりゃあね。」

 携帯食を頬張るウィンの手が、ピタリと止まる。

 「・・・見てたの?」

 「・・・ああ。というか、アタイもあの中にいた。」

 刺すような視線を正面から受け止め、リーズは言う。

 「―――っ!!」

 憤怒の形相で立ち上がるウィン。

 しかし、リーズは動じない。

 「・・・座りなよ。怒るのは、アタイの話を聞いてからでもいいだろ?」

 『ウィン・・・少しは話を聞いてあげなよ。今のウィンは、あまりにも周りが見えてなさ過ぎるよ。』

 「・・・・・・。」

 相方の言葉に、ウィンは憮然としながらも腰をおろした。

 「・・・ありがとう。」

 そう言うと、リーズはポツリポツリと話し始めた。

 「アタイはね、孤児だったのさ。まだちっちゃい頃、両親を流行り病で亡くしてね・・・。」

 パチンッ

 軽い音を立てて、薪が火の中で爆ぜる。

 「そんなアタイをさ、自分らの子供みたいに面倒見てくれた人たちがいたんだ・・・。」

 リーズは軽く宙を見上げ、何かを思い出す様に目を閉じる。

 「優しい人達だったよ。アタイは大好きだった・・・。でも・・・」

 バキリッ

 日に焼けた手が、また一本薪をへし折る。

 「二人とも、あの毒の風で死んじまった・・・。」

 「―――っ!!」

 目を見開くウィンの前で、リーズは続ける。

 「・・・正直、気が狂うかと思ったよ。悲しくて、悔しくて・・・。そんで、毒の風(あれ)が人為的なもんで、その犯人が村にいるって聞いて聞いた時、一気に頭に血が上った。」

 「・・・・・・。」

 ウィンは何も言わず、話を聞き続ける。

 「・・・その気だったさ。この手で仇を討ってやるって、息巻いてた。だけど・・・」

 また一本、薪を放る。火に巻かれた薪は見る見るうちに焼け付いた。

 「直にあんたの友達を見てて、思ったんだ。ああ、“これ”は違うなって・・・」

 「!!」

 その言葉に、ウィンはハッと顔を上げる。

 リーズの顔は、悲しげに微笑んでいた。

 「あんたの友達、綺麗な目をしてたよね。そして、あんな目に合わされても、あの目は曇らなかった・・・。毒なんて卑劣な真似をする奴が、あんな目をしてる筈がない。」

 そう言って、リーズは頭を下げる。

 「悪かったよ。あの時、アタイが・・・いいや、アタイの他にも気付いてる奴はいた筈なんだ。そんなアタイ達が、皆を止めなきゃいけなかったのに・・・。」

 言いながら、リーズは唇を噛み締める。

 「なまじ、皆の悲しみが分かるせいで、動く事が出来なかった・・・。いいや、言い訳は駄目だね。思っちまったんだ。余所者一人の命で、皆の苦しみが癒されるならって・・・」

 「・・・・・・。」

 「すまない・・・。」

 そして、リーズは再び頭を下げる。

 「情けない話さ。慈徳の民、ガスタが聞いて呆れる。自分達の憂さ晴らしをするために、罪もない女の子を嬲り者にしようとしたんだから・・・。」

 リーズはそのまま、頭を上げようとしない。しばしの間。

 そして―

 「・・・いいよ。」

 「!!」

 こぼれる様な呟きが、リーズの顔を上げさせた。

 その視線の先には、能面の様に表情をなくしたウィンの顔。

 「わたしには、いいよ。その言葉は、エーちゃんにあげて・・・。エーちゃんのために、とっておいて・・・」

 そう言って、ウィンはまた携帯食を黙々と齧り始める。

 「・・・そうだね。その通りだ・・・。」

 呟いて、リーズは苦笑いをした。

 「ねえ・・・。」

 携帯食を齧る手を止めて、ウィンが言う。

 「うん?」

 「あなたが、あたしに協力してくれてるのは、エーちゃんのため?エーちゃんに、謝るため。」

 「・・・それもあるけど、もう一つ、理由がある。」

 「?」

 小首を傾げるウィンに、リーズは続ける。

 「あの娘を連れて、もう一度あの娘に会わせて、弟に・・・弟に正してやりたいんだ。今でも、憎しみの行き先を誤って苦しんでる弟にさ・・・。」

 「弟?」

 『でも、リーズさん孤児だったって・・・?』

 ウィン達の問いに、首を振るリーズ。

 「弟って言ったって、本当の弟じゃない。そんな関係で育ってきたって事さ。ほら、さっきも言ったろ。アタイを育ててくれた人達がいたって。その人達の実子なんだよ。そいつは。」

 『へえ・・・。その子、なんて名前なの?』

 何気に聞かれたプチリュウの問いに、リーズは一瞬躊躇し、そして答えた。

 「カムイ・・・」

 「・・・え?」

 「カムイなんだよ。その弟ってのは・・・。」

 「!!」

 思わぬ答えに、ウィンは顔を強張らせた。

 

 

 ・・・それより、ほんの数刻前。

 見つけた!!

 見つけた!!

 見つけた!!

 夕焼けに染まる大地を眼下に臨みながら、カムイは暗い喜びに胸を躍らせていた。

 彼の視線の先には、崖の上で踊る青色の髪がしかと映っていた。

 使い魔を抱き締め、はしゃいでいるのか、笑う声が微かに聞こえる。

 その事が、カムイの暗い焔をさらに燃え滾らせる。

 笑うのか。

 お前が。

 オレから、大切なものを奪ったお前が。

 自分は大切なものを抱き締めて!!

 ファルコスに向かって、命を出す。

 皮肉だった。

 負の感情とは言え、その命に堅固な意思を感じたファルコスは素直にそれに従った。

 上空から、鋭い角度で滑空を始めるファルコス。

 打ちつける暴風の中でも、カムイはその目を閉じない。

 視界の中で、見る見る女の姿が大きくなってくる。

 気配に気づいたのか、女がこちらを向くがもう遅い。

 カムイはその顔に、会心の笑みを浮かべる。

 次の瞬間―

 ガスッ

 朱い飛沫が散る。

 鋭く一閃したファルコスの爪が、女の頭を打っていた。

 女の身体が、グラリと揺らぐ。

 その身が崖から落ちる瞬間、カムイは風に舞う青色の髪を掴んだ。

 ブチッブチブチッ

 鈍い音を立てて千切れる髪。

 そのまま、女の身体は力なく崖から堕ちていく。

 その腕の中の使い魔が、見開いた目で自分を凝視するのが一瞬見えた。

 女は、真っ逆さまに堕ちていく。

 みるみる小さくなる、その姿。

 やがて、その姿は完全に谷底へと消えた。

 カムイはしばしの間、女が消えた谷底を凝視していた。

 沈黙が、闇を引きずる様に連れてくる。

 やがて、

 「・・・アハ・・・アハハ・・・」

 それは、胸の底から湧き上がる様にカムイの口から溢れ出てきた。

 「アハ、アハハ、アハハハハハ!!」

 それは、幼い少年のそれと思うにはあまりに濁った哄笑。

 「アハハ、ハハ、アハハハハハ、やった!!やったよ!!」

 手に残った青色の束を握り締め、カムイは笑う。

 「やったよ!!父さん、母さん、仇、討ったよ!!」

 いつしか、その目からは涙がこぼれていた。

 けれど、それを拭う事も忘れ、カムイは笑い続ける。

 昏い宵闇の中、嗚咽混じりの少年の哄笑は、いつまでも絶える事なく響いた。

 いつまでも。

 いつまでも・・・。

 

 

                                    続く

 



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6話

 

【挿絵表示】

 

 

                     ―6―

 

 

 最初に見えたのは影。

 赤黒い陽光を受けて黒く染まる、巨大な鳥影。

 次に見えたのは朱。

 彼女から散る、真っ赤な飛沫。

 次に見えたのは顔。

 鳥の背からこっちを見下ろす、子供。

 泣きながら笑う、奇妙な顔。

 ゆっくりと揺らぐ視界。

 宙に浮かぶその先で、同じ様に宙に舞う彼女の姿。

 手を伸ばす。

 必死に。懸命に。

 だけど。

 だけど。

 届かない。

 空しく空を掴む、手。

 落ちる。

 堕ちる。

 “彼女”が、落ちていく。

 決めたのに。

 誓ったのに。

 守ると。

 絶対に守ると。

 ああ、この手が。

 この手が、もっと大きければ。

 この手に、もっと力があれば。

 巡る思考。

 落ち行く視界。

 そして、全てが闇に堕ちて―

 

 エリアを崖に突き落としたカムイが、その場を去ってしばし後―

 すっかり日が沈み、薄闇の満ちた湿原にボソボソと響く声があった。

 「あ~、もうすっかり日が暮れてしまったがな。」

 「ろくに足元も見えないでやんす。」

 【ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ。さっさと済ましちまえ。】

 そんな会話を交わしながら歩くのは、三人の異形の者。

 一人は蛸。

 一人は鮫。

 そして最後の一人は、他の二人にも増して奇怪な姿。

 全身を覆う火山岩の様な鱗。

 その間から吹き出るのは、紅蓮の炎。

 メラメラと燃え立つ身体を宵闇に揺らす、大蜥蜴。

 彼はその身を篝火代わりとし、闇に包まれた周囲を淡く照らし出していた。

 「それにしてもチェイン。オメー便利な身体になったもんでやんすなぁ・・・。」

 鮫の男―『リチュア・アビス』にそう声がけられた火蜥蜴が、ギラリと鋭い視線を彼に送る。

 『な、何でやんすか?』

 ビビるアビス。

 【“チェイン”じゃねえ!!『ラヴァルヴァル・チェイン』だ!!】

 怒鳴る声に呼応する様に、全身の炎が猛り立つ。

 「あち!!熱いでやんす!!」

 「ちょ、やめぇな!!たこ焼き・・・もとい焼きだこになるやないか!!」

 蛸の男―『リチュア・マーカー』が飛び跳ねながら悲鳴を上げる。

 【いいか。テメェらとはもう格が違うんだよ。気安く声かけるんじゃねぇ!!】

 「分かった!!分かったから落ち着きぃな!!」

 「これじゃあ、大事な資源(お宝)まで丸焦げになるでやんす!!」

 必死でなだめる二人。

 【ケッ・・・。分かりゃあいいんだよ。】 

 チェインがそう言うと同時に、火が収まっていく。

 「ああ、酷い目にあったがな。」

 ホッと息をつくマーカーに、アビスが耳打ちする。

 (なあ、チェインの奴、ああなってから性格変わったと思わんでやんすか?)

 (うぅむ・・・。まぁ、なんだかんだでノエリア様のおメガネに適ったんは確かやからなぁ・・・。少々天狗んなるのもしゃーないんやないか?)

 (心が広いでやんすなぁ・・・。マーカーは・・・)

 ポソポソ囁き合う二人の背を、チェインのイラついた声が叩く。

 【オラ!!何コソコソやってやがる!!んな暇あったら、さっさと手ぇ動かしやがれ!!テメェらに付き合って午前様なんざ、ゴメンだからな!!」

 「へいへい。」

 「うーぃ。」

 気のない返事をしながら、シュルシュルと伸ばした触手で手近な茂みをまさぐるマーカー。

 一拍の後、茂みから引き抜かれた触手が掴んでいたのは小さなモンスターの死骸。

 おそらくは、猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)によって命を落としたもの。

 それを持っていたズタ袋に放り込むと、マーカーの触手はまた次の獲物を探し始める。

 「にしても、スゲェでやんすなぁ。キリがないでやんす。」

 同じ様に拾った死骸を手にしたまま、アビスは辺りを見回す。

 よくよく見れば、死骸の数は一つや二つではない。

 チェインの炎が照らし出す範囲だけでも、無数に散らばっている。

 かの毒の凄まじさを示すその光景に、アビスは背筋を震わせる。

 次々と死骸を袋に放り込みながら、マーカーは言う。

 「しかし、こいつらも因果やなぁ。死んでからまで”資源”にされるなんて。ワイやったらよう成仏出来へんわ・・・アン?」

 草むらを漁っていたマーカーの手が止まる。

 「ちょお、二人共、こっちきーなー。」

 【あん?】

 「どうしたでやんす?」

 その声に、集まってくる二人。

 「見てみぃ。何かちょいと毛色の変わったのが転がってんで。」

 マーカーが指差す先のものに、他の二人の視線が集まる。

 「おんや?こいつは、ほら、何てったでやんすかな?」

 「ガガギ・・・じゃなくてギゴガ・・・?」

 【コイツ、本来の住み場は“アトランティス”とか海の方じゃねぇか?何でこんなトコでくたばってやがるんだ?】

 言いながらチェインが上を見上げる。

 そこにあるのは、高く切り立った崖。

 その天辺には薄靄がかかり、彼の炎も届かない。

 「あそこから落ちたんでやんすねぇ。ほれ、体中の骨、バッキバキでやんす。」

 草むらから“それ”を掴み上げながら、アビスが気の毒そうに溜息をついた。

 「で、どうするんでやんすか?」

 「どうするもこうするもないわ。こうやって見つけたんも何かの縁や。ありがたく“使わせて”もらいまひょ。」

 そう言って、マーカーは冷たくなったギゴバイトの亡骸を持っていた袋に放り込んだ。

 

 

 その頃、カムイはファルコスを駆って夜の空を飛んでいた。

 今、その顔に涙はない。

 仇を討ったという高揚感は胸に満ち、両親を失った悲しみから一時彼を解放していた。

 その手にはエリアからむしり取った髪が一束、しっかりと握られている。

 早くこれを、村の皆に見せてやろう。

 ただその想いだけを胸に、カムイは空を駆けていた。

 と、その目に一つの光が映る。夜闇にぼんやりと浮かぶ、朱い光。それが、誰かが焚く焚き火だと気付くのに、時間はかからなかった。

 (旅人か?)

 思い当たったその考えが、彼の胸に警戒感を沸き起こらせる。

 そもそもあの時も、ただの旅人だと見過ごした油断がこの凶事を起こしたのだ。

 犯人が、あの女一人だけとは限らない。

 カムイは、その目に険しい光を灯らせながらファルコスを降下させた。

 

 

 「あんたも眠りなよ。見張りはアタイがしていてやるからさ。」

 焚き火の横で丸くなったプチリュウを撫でながら、リーズが向かいに座るウィンに言う。

 「・・・眠れないよ・・・。エーちゃんの事考えたら・・・」

 毛布に包まりながら、呟く様に言うウィン。

 「大丈夫だって。あの娘は強いし、便りになる使い魔もついてるんだろう?」

 「でも・・・」

 毛布に包まったまま、ゴロゴロと転がるウィン。

 その様に、リーズは苦笑いをする。

 ―と、

 『ん?』

 焚き火の横で丸くなっていたプチリュウが、不意に頭を上げた。

 『ウィン、リーズさん、何か来る!!』

 その言葉に、転がっていたウィンと座っていたリーズがガバリと立ち上がる。

 見上げた彼女達の目に映るのは、こちらに向かって降下してくる巨大な鳥影。

 「あれは・・・」

 「『ダイガスタ』?一体、誰が?」

 訝しがる彼女達の前に、そのダイガスタが舞い降りる。

 巻き起こる羽風に、焚き火の火が大きく揺らめいた。

 

 

 一方、焚き火に近づくにつれ、カムイの警戒心は薄れていった。

 燃える炎の傍らに座る人影。その頭で揺れる、見慣れたツインテール。

 「リーズ姉ちゃんだ・・・!!」

 それは、幼い頃から姉弟同然に育った少女の名。

 彼にとっては、亡き両親と同じくらいに心を許せる相手。

 そしてまた、両親の死に共に涙を流した同士でもあった。

 (姉ちゃんに、教えなくちゃ!!)

 カムイの警戒心は、逸る心へと変わる。

 (姉ちゃんに教えるんだ!!仇を、父さんと母さんの仇を討ったって!!)

 その逸る心のまま、カムイはファルコスを焚き火の前にと降り立たせる。

 揺らめく光の中、驚くリーズの顔が見える。

 焚き火の向こうにも誰かがいるのが見えたが、気にもかからなかった。

 「リーズ姉ちゃん!!」

 彼女の名を呼びながら、ファルコスの背から飛び降りる。

 「カムイ!!あんた、どうして・・・!?」

 「リーズ姉ちゃん、これ!!」

 駆け寄ってくるリーズに、手にした髪を突き出した。

 「・・・え?あんた、これ・・・?」

 うろたえるリーズに向かって、カムイは興奮に満ちた声でまくし立てる。

 「オレ、討ったんだよ!!仇!!母さんと父さんの仇!!あいつを、あの女を、崖から落として!!殺したんだ!!仇を、討ったんだよ!!」

 「な・・・!?」

 カムイの言葉に、絶句するリーズ。

 その後ろで―

 「殺した・・・?エーちゃんを・・・?」

 魂を抜かれた様な声が、ボソリと響く。

 立ち尽くすリーズの後ろから、ユラリと現れるウィン。

 「エーちゃんを、殺したの・・・?」

 「え・・・?な、何だよ?あんた・・・」

 今度は、カムイが動揺する。

 見知った顔ではあった。

 あの毒の風を祓ったとかで、村中で英雄扱いされていた娘だ。

 だけど、なぜそんな奴が、こんな所でリーズと野宿しているのか。

 カムイには、訳が分からない。

 しかし、そんな彼が目に入らないのか、ウィンの視線はカムイの手の中のものに集中する。

 小さな手の中で揺れる、青色の髪の束。

 「エーちゃんの・・・髪・・・?」

 茫然と呟く声。

 そして―

 「う・・・うわぁああああああっ!!」

 突然の叫び声とともに、ウィンがカムイに掴みかかった。

 「わぁ!?」

 もつれ合い、地に転がる二人。

 主の危険を察したファルコスが、ウィンに一撃を加えようとする。

 しかし、

 『シャアァアアアアアアッ!!』

 その前に、牙をむいたプチリュウが立ちはだかる。

 いつもの大人しい彼からは、想像も出来ない様な形相。

 その気迫に押され、ファルコスは思わず後ずさる。

 「返せ!!返せ返せ返せ返せ返せ!!エーちゃんを返せぇ!!」

 ウィンはカムイに馬乗りになり、その胸倉を掴んで激しく揺する。

 「な、何だよ!?何なんだよ!?あんた!!」

 戸惑いながら、されるがままのカムイ。

 その顔に、ウィンの目から散る涙が当たる。

 「おい、落ち着け!!落ちつけったら!!」

 リーズが慌てて二人を引き離す。

 「はあはあ・・・何なんだよ!?一体!!」

 息を整えながら、カムイがウィンを睨みつける。

 「・・・そう言えば、あんたあの時も“あいつ”をかばってたな。さては、あんたもグルか!!二人で自演して、オレ達の村を・・・」

 パシンッ

 夜空に響く、高い音。

 リーズが、カムイの頬を打っていた。

 「ね・・・姉ちゃん・・・?」

 リーズの厳しい目が、唖然とするカムイを見据える。

 「カムイ・・・アンタの目は何処まで曇っちまったんだ!?」

 厳しい声が、カムイを打ち据えた。

 「見な!!アンタのやった事の答えが、これだよ!!」

 言われて、示された方を見やる。

 そこには、カムイから奪った髪を胸に抱き、身を震わせるウィンの姿。

 「エーちゃん・・・エーちゃん・・・」

 その口からは嗚咽に震える声が洩れ、その目からは涙の粒が止め処なく零れ落ちる。

 あまりにも痛々しい姿。

 カムイは、絶句する。

 「アンタには、あれが毒を使って無差別に人を殺める奴の様に見えるのかい!?」

 「・・・でも、だって・・・だってオレは・・・オレは・・・」

 動揺し、戦慄くカムイにリーズは詰め寄る。

 「崖から突き落としたって言ったね!?どこの崖!?」

 その剣幕に怯えながら、カムイは自分達が飛んできた方を指差す。

 「西・・・オベリスクの渓谷の方か!?」

 言うと同時に、リーズの杖が地を突く。

 「おいで!!『スフィア』!!」

 その声とともに、地面から光が溢れる。

 夜闇を照らす輝きの中から現れたのは、球形をした奇妙な物体。

 リーズはそれに向かって手をかざし、高らかに言い放つ。

 「神化降霊(カムイ・エク)!!『ダイガスタ・スフィアード』!!」

 途端、一層強い光が閃き、強い風が巻き起こる。

 「な・・・なに・・・!?」

 吹き荒れる光の嵐に翻弄される、ウィンとカムイ。

 やがてその光の中から現れたのは、『スフィア』と呼ばれた物体を鎧の様に身に纏い、長い髪を風になびかせるリーズの姿。

 「ね・・・姉ちゃん・・・」

 「あなたも、『ダイガスタ』を・・・?」

 茫然と呟くウィン達の前で、リーズ―ダイガスタ・スフィアードは杖を宙に浮かし、それに飛び乗る。

 「来な!!」

 そう言って、ウィンに向かって手を伸ばす。

 「・・・え?」

 「まだ、あの娘が死んだって決まっちゃいない!!探そう!!一緒に!!」

 戸惑うウィン。そんな彼女にスフィアードは激を飛ばす。

 「こんな所で、ウジウジ泣いてたって何も始まりゃしない!!」

 「そ・・・それは・・・」

 「あの娘が生きてるのか、死んでるのか、アンタはどっちを信じるんだ!?」

 その言葉に、ハッと我に帰るウィン。そして―

 「うん!!」

 力強く頷くと、差し出された手を取り、杖に飛び乗る。

 『ボクも!!』

 プチリュウも、それに付き従う。

 杖に上がったウィンが自分の腰にしっかりと手を回すのを確認すると、スフィアードはゆっくりと宙に舞いあがっていく。

 と、その目が茫然と自分達を見上げるカムイを見止める。

 「カムイ・・・、頭を冷やして、もう一度じっくり考えな。何が正しいのか、何が間違ってるのか・・・」

 「姉ちゃん・・・」

 「アンタがそんなんじゃあ、父さんと母さんあの人達は、安心してsophia様の所に行けないよ・・・。」

 そう言って、ほんの少し優しげな視線をカムイに向けると、スフィアードはキッと前を向く。

 「最高速で行くよ!!しっかり掴まってな!!」

 「うん!!ぷっちん、ここに!!」

 その言葉に、プチリュウがウィンの胸元に潜り込む。

 次の瞬間―

 パシィッ

 空気の破裂する音を残し、スフィアードとウィンの姿は一瞬で消え去った。

 「・・・・・・。」

 カムイはその様をただ茫然と見つめ、佇むだけだった。

 

 

 パンッ パンッ パンッ

 空気の壁を突破する音が、連続して耳を打つ。

 「いいかい!!絶対放すんじゃないよ!!そしたら、風に吹っ飛ばされてミンチになっちまうからね!!」

 スフィアードのその言葉に、ウィンは声も出せずただ頷くだけ。

 けれど、細い腰に回された手には、今もしっかりとエリアの髪が握られている。

 (エーちゃん・・・絶対、助けるからね・・・!!だから、無事でいて・・・!!)

 二人を乗せた杖は、風の咆哮を響かせながら文字通り疾風の如く進む。

 必死にしがみつくウィンの、その想いすらも置き去りにして―

 ・・・夜明けは、まだ遠かった。

 

 

                                     続く

 



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7話

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―7―

 

 

 空には、真っ青な真円が浮かんでいた。

 この世界では、太陽と月は対を成す二匹の龍であると言われている。

 夜天の中、月はその名にふさわしく、ユラユラと蒼白い光を長い龍の首の様にたゆたっていた。

 と、その光が降り注ぐ湿地帯。

 そこを、三つの異形が歩いている。

 一つは火蜥蜴。

 一つは蛸。

 一つは鮫。

 空には月が浮かんでいるとは言え、その光では深い夜闇を散らすには至らない。

 松明の様に身を燃やす火蜥蜴を先頭に立てて、彼らは闇の中を歩いていた。

 「いやぁ、今夜もようけ働いたでやんすなぁ。」

 大きなズタ袋を背負った鮫―リチュア・アビスが言う

 「全くや。ホンマえらいなぁ、ワイら。」

 その言葉に応じるのは、同じズタ袋を二つ背負った蛸―リチュア・マーカー。

 【おい、てめぇら、グチャグチャくっちゃべってねーでさっさと歩け!!置いてくぞ!!】

 そんな二人にイラつく様に怒鳴るのは、全身を煌々と燃やす火蜥蜴―ラヴァルヴァル・チェイン。

 「へいへい・・・。」

 「分かっとるから、そうがなるなや。」

 ブツブツと言いながら、チェインに追尾いする二人。

 その向かう先には、あの『怨霊の湿地帯』があった。

 

 

 そこは今の季節にはそぐわない、異様な冷気に包まれていた。

 鬱蒼と茂る木々のあちこちには『運命のろうそく』がかけられ、その炎をユラユラと不気味に揺らしている。

 本来、沼地である筈のそこ。

 それは今は固く凍りつき、氷色(ひいろ)の絨毯となって広がっていた。

 その様はまるで、そこに座する者達の心を映す鏡の様にも見える。

 「ふぃー、着いた着いた。肩こったでー。」

 氷の絨毯の上に担いでいたズタ袋を下ろしながら、マーカーがペチョぺチョと触手で肩を叩く。

 「どんもー。帰ったでやんすー。」

 こちらもズタ袋を下ろしながら、声を上げるアビス。

 一方、チェインは湿地帯の端に佇んだまま入ってこない。

 「何やっとんや。お前。こっちきて休みーな。」

 マーカーがチェインにそう呼びかけた時、

 「駄目よ!!」

 後方から飛んできた声が、それを遮った。

 「止めてよね。そんなジリジリ燃えて、暑っ苦しいったらありゃしない。あんたは端っこにいればいいのよ。」

 その声の方を振り返れば、氷の絨毯の上に腹這いで寝っ転がる少女が一人。

 長い青色の髪に、いかにも魔法使いといった衣装を身に纏っている。

 可愛らしい顔立ちをしているが、その瞳に宿る光は周囲に広がる氷の様に冷たく、鋭い。

 冷たい氷の上に身を横たえているというのに、寒さに震える様子もない。

 それどころか、まるで温かい毛布の上にでもいるかの様に心地良さ気にゴロゴロと転がっている。

 「遅かったわね。ただ”資源”を拾ってくるだけの仕事に、どんだけかかってんのよ。相変わらず、三人そろって愚図ねー。」

 「お嬢~・・・。」

 「んな殺生な~。」

 と、情けない顔で抗議するマーカー達の後ろから別の声が響く。

 「クポポ。エリアル、そう無碍にするな。この暗い中一仕事してきてくれたのじゃ。」

 そんな言葉とともに現れたのは、術師の衣装に身を包んだ異様な風体の男。

 その腰の曲がった背格好や、水の中で喋る様にくぐもり、しゃがれた声から相応の老体である事が見て取れる。

 しかし、長い法衣から覗く手足はヌメヌメとした体表に覆われ、その顔は爬虫類や両生類を思わせるもの。

 異形の老人―シャドウ・リチュアはペタペタと湿った足音を立てながら、チェインに近づいていく。

 「ご苦労じゃったな。チェイン。どれ、魂魄同調(オーバーレイ)を解いてやろう」

 しかし、チェインは左手を上げて拒否の意思を示す。

 【いえ・・・。俺はこのままで・・・。】

 「ポ?そうか?慣れぬうちの長期同調は魂に負担をかけるんじゃがの。」

 些か、残念そうに言うシャドウ。

 その様子を見ていた少女―リチュア・エリアルは、頬杖をつきながら呟く。

 「何、優しげな顔して言ってんのよ。白々しい。ただ、“あれ”がしたいだけのくせに・・・。」

 「お嬢、やっぱ“あれ”、痛いんでっか?」

 マーカーが恐る恐ると言った感じで尋ねると、エリアルは物憂げに頷く。

 「そーねー。その気のない“ラヴァル”の魂を術で無理やりくっつけてる訳だからぁ、引っぺがす時に痛いのは仕方ないのよねー。ほら、接着剤でくっ付いちゃった指を無理やり剥がすと皮が剥けて痛いでしょ。あれのすっごい版みたいなもんだからねー。」

 「うへぇ・・・。」

 「えらいこっちゃ・・・。」

 顔をしかめる、マーカーとアビス。

 エリアルは、呆れた様に呟く。

 「全く、いい歳してサディストなんだから・・・。もっとも・・・」

 ふと、その顔に笑みが浮く。

 「“あれ”は、そんな餓鬼っぽい理由じゃ・・・いや、やっぱり餓鬼かしら?」

 面白そうに笑む視線の先には、沼に踏み入らず燻るチェインの姿。

 クスクスクスと、笑う鈴音。

 「「・・・・・・?」」

 マーカーとアビスは、訳が分からぬといった体で顔を見合わせた。

 

 

 「クポポ。どれ、それでは今日の収穫を見せてもらおうかの。」

 そう言いながら、シャドウが転がっていたズタ袋に手をかける。

 「どれどれ~。アタシにも見せて~。」

 エリアルも楽しそうな顔で、いそいそと寄って来る。

 バサバサ

 『ブレードフライ』に『ドラゴンフライ』、『アーマード・ビー』に『キラー・ビー』。

 ひっくり返したズタ袋の中から出て来る、無数の風属性モンスターの死体。

 「ホウホウ・・・これはなかなか・・・。」

 「へーえ、結構良いモン捕れてるじゃない。さっすがあたしの猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)!!」

 「ふむ。伊達に秘法の名は冠しておらんようじゃのう。」

 「やーだ。そんなに誉めないでよー♪」

 そんな二人の会話を聞きながら、下っ端はブツブツと呟き合う。

 (拾ってきたのは俺らでやんすのに・・・)

 (しっ!!聞こえたらまたお嬢に尻けられるで!!)

 そんな彼らを他所に、シャドウとエリアルは陰惨な品定めに熱中する。

 「にしても、惜しかったわねー。大嵐(あれ)がなけりゃあ、あの村全滅させて、もっと上等な資源が沢山手にはいったのにー。」

 「まあ、そう急くなと言っておるじゃろう。「果報は寝て待て」じゃよ・・・おや?」

 死体の山を漁っていたシャドウの手が止まる。

 「コイツはまた、面白いものを拾ってきたのう。」

 そんな言葉とともに、シャドウの手が死体の山から緑色のものを拾い上げる。

 それを見たエリアルが、怪訝そうな顔をする。

 「あら、それ『ギゴバイト』じゃない。何でそんなもんまで混じってんのよ?」

 マーカーが答える。

 「ああ“それ”っでっか?何や、えらい高い崖の下に転がとったんです。どうやら落ちたらしくて・・・。これも縁や思うて、拾ってきたんですけど・・・。」

 それを聞き、不気味にほくそ笑むシャドウ。

 「クポポ・・・“縁”、か。確かにこれは、なかなか良い“縁”じゃのう・・・。」

 そう言うと、その手にギゴバイトをぶら下げたまま立ち上がる。

 「ヴィジョン!!」

 「・・・お呼びで・・・?」

 シャドウの呼び声に応じる様に、彼の前の空間がクニャリと歪む。

 歪む空間から溶け出す様に出てきたのは、シャドウと同じ異形の顔をした男。

 『ヴィジョン・リチュア』。

 その名の通り、幻影を操る能力を持つリチュアの斥候。

 そんな彼に、シャドウは問う。

 「ガスタ村の様子はどうじゃ?」

 「は・・・。」

 ヴィジョンは申し訳なさそうに顔を歪める。

 「どこぞの余所者が犯人を名乗ったと言う事で、村の意識がその者に集中しております。シャドウ様のおっしゃった内部瓦解はどうやら免れた様で・・・」

 「ふむ・・・。そうか・・・。」

 「いえ!!しかし、此度の事で住民達が精神にダメージを負った事は確か!!士気は充分に下がっているかと・・・」

 シャドウの声音が些か低くなるのを察したヴィジョンは、あわてて繕う言を発する。

 相当に気の弱い質らしい。

 「よいよい。お主のせいではないわ。このまま、偵察を続けてくれ。」

 「・・・はっ。」

 ホッとした様な息をつくと、ヴィジョンの姿は再び空間に溶け消えた。

 それを見届けると、シャドウはエリアルに向き直る。

 「・・・と、いう訳じゃ。」

 「アラアラ。」

 わざとらしく笑うエリアル。

 「アテが外れたみたいじゃない。ついに老い呆けたかしら?軍師様?」

 遠慮のない言葉に、しかしシャドウはクポポと笑って返す。

 「まあ、長く生きておればこんな時もあるものよ。それでも、ガスタの者共の心身は崩れた。それで充分じゃ。」

 「ものは言いようね。」

 冷ややかな声。

 「不満そうじゃな。」

 「そりゃそうよ。せっかく面白いものが見れるかと思ったのに。消化不良もいいとこだわ。」

 そう言うと、エリアルはプクりとむくれる。

 そんな彼女に、シャドウはニタリと歪んだ笑みを浮かべる。

 「クポポ・・・そう拗ねるな。埋め合わせはしてやろう。」

 「埋め合わせ?」

 怪訝そうな顔をするエリアルに、クルリと背を向けるシャドウ。

 「着いて来い。丁度良い“座興”の種が手に入った。」

 その言葉に一瞬キョトンとするエリアル。

 だが、すぐに何かを悟った様に笑みを浮かべる。

 それは可愛らしい顔にはそぐわない、邪悪としか言い様のない笑み。

 「面白そうね。行く行く!!」

 そう言うと、パッと飛び起きてシャドウの後を追う。

 二人が向かうのは、凍てついた沼の中心。

 そこにあったのは、氷の沼から浮き上がる様にして凍りついた巨大なモンスターの姿。

 かつてこの沼の主として、ガスタの民達を恐れさせていた『沼地の魔獣王』。

 その、成れの果て。

 大きく開かれたままの口には、まるでつっかえ棒でもするかの様に太い丸太が立てかけられている。

 シャドウとエリアルは、その口の中へと入っていく。

 それを見たアビスとマーカーが声を上げた。

 「あ、お嬢、シャドウさん。“城”に帰るんでやんすか?」

 「あー、ちょっとねー。」

 「ほな、ワイらも・・・」

 「このお馬鹿!!」

 「痛!!」

 いそいそと後に続こうとしたマーカーに、エリアルが手近に転がっていたスカイ・ハンターの死骸を投げ付ける。

 「アンタ達はここで留守番!!」

 「ええ!?そんな殺生な!!」

 「ワイらも城のベッドでおねむしたい!!」

 悲痛な懇願。

 けれど、聞く耳は持たれない。 

 「何言ってんのよ!!留守にしてる間に村の連中に見つかったりしたらどうすんの!?いい、ちゃんと“寝ない”で番してるのよ!!」

 「「そ、そんなぁ~!!」」

 二人そろって抗議の声も、虚しく夜闇に溶けるだけ。

 「ほれ、エリアル、行くぞ。」

 「はいは~い。じゃ、しっかりね~。」

 言うと同時に、エリアルの足がつっかえ棒を蹴り飛ばす。

 グワッ

 支えを失った魔獣の口が、猛スピードで閉まる。

 その鋭い牙が、エリアルとシャドウに突き刺さるその瞬間―

 パシュンッ

 朱い魔法陣が閃き、二人の姿が掻き消える。

 ―『位相転移(シフト・チェンジ)』―

 そして―

 ガシャァアアアアンッ

 完全に落ちかけた顎の下。そこにいたのは、すんでの所で剣で支えている貝顔の男と、その傍らで青い顔をしている獣の様な風体の男。

 「よう・・・。『ビースト』・・・『シェルフイッシュ』・・・。」

 「・・・がぅ・・・。」

 「・・・・・・(汗顔)」

 マーカーにそう呼びかけられた獣―『リチュア・ビースト』と貝顔の男―『リチュア・シェルフィッシュ』は、ほうほうの体で魔獣王の顎あぎとから抜け出すと、深く息をついた。

 「お互い、難儀やな・・・。」

 「がぉ・・・。」

 頷きあうマーカーとビースト。

 どこまで行っても報われない、下っ端達。

 その様を見ていたチェインが、小さく舌打ちをした。

 

 

 ・・・そこは、氷の様に冷たい霧に満たされていた。

 何時の何処かも知れない場所。

 何処の誰も知らない場所。

 白く濁った大気の底。煌々と揺らぐ水をたたえ、広がる湖。

 その中心に、氷山の様に佇む城がある。

 名はない。

 付ける者はいない。

 呼ぶ者もいない。

 もし、呼び名を求むなら。

 人は其をこう呼ぶだろう。

 “リチュアの城”、と。

 

 

 その荘厳さに反して、人気もなく静まり返った城の中。

 長く伸びた回廊を、シャドウとエリアルは連れ立って歩いていた。

 エリアルが、お預けを喰らった子供の様に喚く。

 「ちょっと~。面白そうだからついて来たのにぃ。早く何するか教えてよ。」

 「まあ待て。先ずはノエリア様にお伺いを立てねばならん。」

 愚図る孫を諭す様な調子で言いながら、シャドウは回廊を進む。

 やがて、二人の行く手に大きな扉が現れる。

 その前に立ち、シャドウは声を上げる。

 「ノエリア様。エリアルとシャドウめにございます。お目通りをお願いしたく存じます。」

 すると―

 (入れ。)

 何処からともなく、響く声。

 同時に、重い扉が音もなく開いた。

 「失礼いたします。」

 うやうやしく頭を下げ、足を踏み入れる。

 広い空間。

 視界を損ねぬ程度の薄闇が満ちている。

 その中を、またしばし歩く。

 やがて、闇の向こうに何かが見えてくる。

 それは、壁にかけられた巨大な鏡。

 その前に置かれた、白く輝く玉座。

 そこに、細身の影がしなだれる様に座っていた。

 「ノエリア様。ご機嫌はいかがですかな?」

 言いながら、傅くシャドウ。

 「ごきげんよう。ノエリア様。」

 ローブの端をつまんで挨拶すると、エリアルも倣う様に足を折る。

 「ふむ・・・。」

 影が、気怠そうな声を漏らす。

 「退屈じゃ・・・。」

 天窓から、ふと月光が射し込む。

 光の中に浮かび上がる玉座。

 座っていたのは、妙齢の女性だった。

 天の月を見上げながら、彼女―『リチュア・ノエリア』は言う。

 前に傅くシャドウ達には、一瞥すらも向けない。

 「シャドウ。エリアル。お前達は今度の“狩り”の先駆けを荷っていたのではないのかえ?何故、戻ってきた?」

 問い詰める訳ではない。

 責めている訳でもない。

 ただ、”言っている”だけ。

 けれど、それだけで鋭い氷柱に貫かれる様な感覚がエリアルを襲う。

 「え、あ、それは、その~・・・」

 しどろもどろになるエリアル。

 そんな彼女を他所に、シャドウは動じる様子もなく話し出す。

 「はは、ノエリア様。実は面白い座興を思いつきまして・・・」

 その言葉に、ノエリアがカクンと首を傾げる。

 物憂げな視線が、初めてシャドウ達を映す。

 「座興とな?」

 「は。まずは、これを御覧ください。」

 そう言って、シャドウは手にしていたギゴバイトの亡骸を差し出す。

 目を細めるノエリア。

 「何じゃ。水蜥蜴の死骸ではないか。汚らしい。そのゴミが一体どうしたというのじゃ?」

 シャドウは続ける。

 「はは。仰せます通り、死骸このままではただの“ゴミ”。要を成しませぬ。よって、まずは“かの術”の使用をお許しくださいませ。」

 「ふむ?あの“術”か?」

 頷くシャドウ。

 「はい。さすればこの“ゴミ”、この上ない座興の種と変わりまする。」

 その言葉にノエリアはしばし考える素振りを見せると、やがてこう言った。

 「何やら腹積もりがあるようじゃの。許す。やってみるがよい。」

 「ありがとうございます・・・。」

 (こうべ)を低く垂れながら、シャドウはその顔に冷たい笑みを浮かべた。

 

 

 一方その頃、エリアとギゴバイトが落ちたオベリスクの渓谷では―

 パァンッ

 暗闇の中、響き渡る最後の炸裂音。

 月の浮かぶ上空に、杖に乗ったスフィアードとウィンの姿が現れた。

 「着いたよ!!」

 言われて、ウィンは下を見下ろす。

 深く切り立った崖の底は、月の光も届かない。

 ただ深々と、深い夜闇だけが満ちている。

 「エーちゃん・・・こんな所から・・・」

 ウィンの身体が、カタカタと震え出す。

 そこに、間髪入れずスフィアードが檄を飛ばす。

 「しっかりしな!!まだあの娘が死んだって決まった訳じゃない!!信じるって言ったろ!!あんた!!」

 「―ッ!!う、うん!!」

 その言葉に我に帰り、頷くウィン。

 「崖の途中には、いくらか木が生えてる。ひょっとしたらそれに引っかかってるかもしれない。あんた、“光”は灯せるかい?」

 「うん!!」

 そう答えると、ウィンは杖を取り出す。

 「光の精霊よ 我が命に従え!!『闇をかき消す光(シャイニング・ウィスプ)!!』」

 ポゥ・・・

 詠唱とともに、ウィンの杖に眩い光が灯る。

 「よし、それじゃあ、こっからは手分けだ!!ちまっこいの、あんたにも手伝ってもらうよ!?」

 『合点だ!!』

 ウィンの胸元から顔を出したプチリュウが、そう言ってガッツポーズをした。

 

 

 その後、スフィアードは光を灯した杖に乗り、ウィンは召喚したシールド・ウィングに乗って、プチリュウは夜でも効く目と鋭い嗅覚を使って、崖の途中に生えている木々を上から下へ向かって探し回った。

 しかし、求める姿は見つからない。

 探す箇所が下に移るにつれ、焦りは強くなる。

 見つかる場所が下になる。それは、それだけ生存率が下がる事を意味する。

 皆は祈る様な気持ちで探す。

 けれど、やはり求める姿は見つからなかった。

 そして、とうとう一同は崖の麓へとついてしまう。

 誰も、流石のスフィアードでさえも、何も言わない。

 言えない。

 絶望的な気持ちで、周囲を探す。

 ウィンは、身体の震えを止める事が出来なかった。

 酷く、恐ろしかった。

 あの高い崖から落ちたというエリアが、どんな事になってしまったのか。

 それを知るのが、たまらなく恐ろしかった。

 その想いに逆らう様に、黙々と探し続ける。

 「あんたはもう、休んでな。」

 瘧に罹った様に震えながら探す彼女を気遣い、スフィアードが言う。

 けれど、ウィンが探す手を止める事はなかった。

 今のエリアの惨状を見るのは、確かに怖かった。

 けれど、それ以上に親友の亡骸をこんな寂しい場所に野晒しにしておく事が耐えがたかった。

 早く。

 少しでも早くエリアを、安らかに眠れる場所へ。

 今のウィンを突き動かすのは、ただその想いだけだった。

 1時間。

 2時間。

 3時間。

 時間だけが、刻々と過ぎていく。

 やがて、東の空が白ずんできた頃―

 「駄目だ!!」

 スフィアードが、大きな声でそう言った。

 「見つからない!!どうなってるんだ!?」

 「エーちゃん・・・一体何処に・・・」

 憔悴しきった顔で、ウィンが呟く。

 そのまま、黙りこくってしまう二人。

 この時、お互い口にこそしないものの、二人が思い至っていた可能性があった。

 それは、彼女達より先に肉食のモンスターがエリアの亡骸か、もしくは重傷を負って動けない彼女を見つけ、その身体を持ち去ったという可能性。

 原生モンスターが多く住むこの地域では、十分にありえる事である。

 けれど、もしそうだとしたら、今頃エリアは・・・

 ウィンは思わず頭を抱えると、その考えを振り払おうとブンブンと首を振った。

 あんまりだ。

 それでは、余りにも救いがないではないか。

 助けた筈の人々に。

 無実の罪で糾弾され。

 傷つけられ。

 その挙句が、モンスターの腹の中だと言うのか。

 ありえない。

 そんな事が、あっていい筈がない。

 しかし、いくら振り払おうとしても、最悪の可能性は頭を離れない。

 それに耐えかね、ウィンが悲鳴を上げそうになったその時―

 『ウィン!!』

 近くで茂みを調べていたプチリュウが、何かを咥えて飛んできた。

 「どうしたの!?ぷっちん!!」

 『こ・・・これ・・・!!』

 プチリュウが口に咥えていたもの。それは、エリアの写真と名前が印字された、名刺の様な札。

 「エーちゃんの・・・学生証・・・?」

 そう。それは魔法専門学校から生徒一人一人に発行される、学生証だった。

 外出の際には必ず携帯する事が義務付けられるそれが、ボロボロになって落ちていたのだという。

 これがあるという事は、やはりエリアはここに落ちていたのだ。

 そして、それにも関わらず姿がないという事は―

 最悪の事態に、王手がかかった。

 助けを求める様にスフィアードの方を見るが、彼女も心苦しそうに顔を伏せるだけ。

 もはや耐え切れない。

 ウィンは、大声で叫んだ。

 「エ―――ちゃ―――んっ!!」

 しかし、それに答える者はなく、声は朝靄の立ち始めた渓谷に空しく響いては消えてゆく。

 「・・・・・・っ!!」

 脱力したウィンが、足から地面に崩れ落ちようとしたその時―

 「エリアがどうしたって?」

 ひどく懐かしい声が、その耳を打った。

 

 

                                     続く

 



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8話

                 ―8―

 

 

 カチャ・・・カチャ・・・

 薄暗い部屋。燭台の灯りだけが灯る広間で、シャドウとエリアルは一つの儀式の準備をしていた。

 広間の床に描かれたのは、彼らリチュアの象徴、『儀水鏡』を模した魔法陣。

 その中心には、ギゴバイトの亡骸が無造作に置かれている。

 「さて、これで準備は良しじゃな・・・」

 魔法陣を描き終わったシャドウは、その身を起こすとトントンと腰を叩く。

 「やれやれ、この作業は腰に響くわい。」

 と、

 「ふ・・・。百戦錬磨の外法師も、よる年波には勝てないか?」

 そんな声が響き、部屋の暗がりから一人の若い男が現れる。

 「おぉ、お主か。ヴァニティ。」

 「キャー、ヴァニティー!!」

 エリアルが黄色い声を上げながら、ヴァニティと呼ばれた男に抱きつく。

 「どうやら、またノエリア様に奉げるおべっかの種を見つけたらしいな。何を企んでいる?」

 絡み付いてくるエリアルを適当にあしらいながら、『リチュア・ヴァニティ』はその端整な顔に酷薄な笑みを浮かべる。

 「クポポ、これは人聞きの悪い。全てはノエリア様の御愉しみのためじゃよ。」

 「ノエリア様のためが聞いて呆れるよ。この冷血爺。」

 また別の方向から声がした。

 サララ、と布が床を擦る音がする。

 現れたのは、黒いマントを羽織った小柄な人影。

 見れば、まだあどけなさの残る顔をした少年。しかし、その目は獲物を狙う猛禽の様に鋭い。

 「おお、アバンス。お主も来たのか。」

 少年―『リチュア・アバンス』は、不快そうにフンと鼻を鳴らす。

 「馴れ馴れしく呼ぶなよ。冷血爺。ノエリア様のためとか言いながら、その実腹の中じゃあ何を企んでるかわかりゃしない。」

 言いながら懐から何かを取り出すと、それをシャドウに放ってよこす。

 「そら。」

 「おおっとと。」

 飛んできたそれを、おどけた調子で受け取るシャドウ。

 その手の中に飛び込んで来たのは、儀水鏡とは違う、しかし禍々しい意匠の鏡。

 「これこれ。手荒に扱うでない。『写魂鏡(これ)』も、儀水鏡に並ぶリチュア我らの秘宝ぞ。」

 「ふん。」

 聞き耳を持たぬと言わんばかりに、そっぽを向くアバンス。

 「やれやれ。嫌われたものじゃ。」

 苦笑いするシャドウ。

 「ふ。お前の様な腹の底が見えぬ者。好く奴などそうはいるまい。」

 まとわり付くエリアルをあしらいながら、ヴァニティが言う。

 「クポポ。手厳しいのぅ。しかし・・・」

 シャドウの口調が変わる。

 おどけた好々爺体のものから、暗く鋭い策謀家のものへと。

 「ならば、お主達は何のためにここにおる?この好かぬ爺の元に。」

 「どうという事はない。」

 4つの鋭い視線を受けながら、ヴァニティは平然と返す。

 「お前の“座興”の手伝いをしてやれとのノエリア様の命だ。気は進まんが、手を貸そう。」

 「クポポ。なるほど。それで“おこぼれ”にあずかろうと寄ってきた訳か。まるで大魚に付きまとう雑魚じゃのぅ。」

 「大魚に巣食う寄生虫よりは、マシだと思うが?」

 「クポポ。言ってくれよる・・・。」

 周囲に流れる、引きつる様な空気。

 しかし、それも一瞬の事。

 すぐにシャドウが相好を崩す。

 「まあ、よかろう。これは大呪。手勢は多い方が良いからの。」

 そう言って、シャドウは改めて辺りを見回す。

 「うむ。準備はこんなものかの。残るは・・・」

 『・・・お呼びならぁ、ここにぃいるんですけどぉ・・・。』

 唐突に上から響く、気怠げな声。

 皆の目が、上を向く。

 薄暗い大広間。

 唯一、月明かりの通る大窓。

 ステンドグラスで飾られたその縁に、一つの人影が腰掛けていた。

 「げ!?」

 それを見たエリアルが、変な声を上げる。

 件の人影、見た目は少女。

 エリアルとよく似た、魔術師風の衣装を身に着けている。

 けれど一つ、異なる事がある。

 その姿には、影がない。

 月光を背から受けているのに、伸びるべき影がない。

 それどころか、降り注ぐ月光はその身を透して床に落ちる。

 半透明な身体。

 明らかに、生身の人間ではない。

 「何だ、エミリア。来てるなら、最初っから出てこいよ。」

 少女に語りかけるアバンス。

 その口調に、先の様な険はない。

 『本当はぁ、出て来たくなんてなかったんですけどぉ~。顕界ってぇ、ゴチャゴチャ面倒だしぃ~。』

 この世のものではない身体を揺らし、少女―『リチュア・エミリア』は語る。

 「・・・じゃあ、何で出てきたのよ?」

 『“お母様”に言われた訳でぇ~。マジ、メンドイんですけどぉ~。』

 何か嫌そうな、エリアルの問い。

 ブツブツ答えながら、エミリアはふわりと舞い降りる。

 その足先が音も無く床に着くと、そのままスルスルとエリアルとヴァニティに近寄っていく。

 「ちょっ!!こら、近づくな!!」

 突然、慌てたような口調でヴァニティの後ろに隠れるエリアル。

 しかし―

 『無駄なんですけどぉ~』

 そんな言葉と共に、エミリアがスルリとヴァニティの身体を通り抜ける。

 伸ばした腕が掴んだのは―

 「うみゃ~~~~~っ!!」

 響くエリアルの悲鳴。

 彼女に抱きついたエミリアが、その身をエリアルに擦り付けている。

 肌が擦れ合う度、エミリアの身体がエリアルの中に沈み込む。

 その度に襲う、例え様もない怖気と不快感。

 所謂、”霊障”というやつである。

 『あ~、やっぱり”身体”はいいしぃ~。色んな感覚が、ビリビリくるぅ~。』

 「みゃあああっ!!キモい!!寒い!!おぞましい!!入ってくんな出て行けこの怨霊娘~~~!!」

 悲鳴を上げながら転げ回るエリアル。

 「大体、何でいっつもアタシなのよ~!?他の奴に憑きゃいいでしょうが~!!」

 『良い身体してるけどぉ、頭は相変わらずおバカだしぃ~。エミリアは女の子だからぁ、女の子の身体が一番しっくりくるに決まってるんですけどぉ~。て言うかぁ、男なんてキモいしぃ、人外なんか論外なんですけどぉ~。』

ケタケタと笑うエミリアの手が、エリアルの手に重なる。

 途端、白い手がビクンと跳ね上がった。

 「へ?」

 『こうしてぇ~、ドコが”イイ”かも知ってるしぃ~』

 そんな言葉と共に、あらぬトコロに手が向かう。

 意図を察したエリアルの顔が、一気に赤くなった。

 「ちょ!!おm!!何考えてんのよ!!こんな場所で!!」

 『いいからいいからぁ~。良くしてやるけん。ほら、全部委ねてぇ~。』

 「バカ言え!!この色情霊、やめろ!!やめないと除霊すんぞー!!」

 『出来もしない事で脅されたって、怖くもなんともないんですけどぉ~。』

 「いや――っ!!やめて―――っ!!」

 エリアル、半泣き。

 エミリア、ニンマリ。

 何か、色々やばそうな雰囲気が漂ってきたその時―

 スパコーン

 『ンギャア!!』

 飛んできた何かが、エミリアの後頭部を”直撃”した。

 勢いで彼女の身体がエリアルからスポンと抜ける。

 そのまま吹っ飛んでいくエミリア。

 彼女を包む蒼白い燐光が、箒星の様にキラキラと散った。

 「やれやれ・・・。悪ふざけも大概にせんか。」

 『八咫鏡』を投げつけたシャドウが、呆れた様に溜息をついた。

 魔法道具、『八咫鏡』。

 本来、霊体(スピリット)が装備するための道具。

 当然、霊体(スピリット)に触れる訳で、よって殴る事も普通に出来る。

 「全く。若い身空で逝くとロクな事にならんのう。情が強くて暴走ばかりしよる。・・・これ、アバンス!!」

 突然呼ばれたアバンス。

 思わず飛び上がる。

 「な、何だよ!?」

 「何をボケ~っとしとる!?エリアルを止めんか!!」

 「へ?」

 見れば、震える手で八咫鏡を振り上げたエリアルが、それを昏倒しているエミリアの頭に振り下ろそうとしているところだった。

 「死ナス・・・。」

 恐ろしい形相で呟くエリアル。

 正しく、修羅羅刹の如くである。 

 「う、うわ!!ま、待て!!待てって!!」

 慌ててエリアルを羽交い締めにするアバンス。

 「放せー!!ヴァニティのいる前でよくもあんな醜態を!!この淫魔、現世からも冥界からも永遠に除外してやるわー!!」

 「落ち着け!!落ち着けって!!」

 「うるさい!!”元”自分の女だからって、かばう気か!?ならアンタも敵よー!!」

 「え!?うわ、ちょ!!やめ、やめろって!!」

 「死ね!!死ね!!死ねー!!」

 ブンブンと鈍器を振り回すエリアルから逃げ回るアバンス。

 「やれやれ。血の気の多い・・・。全く、若いのう・・・。」

 呆れた様に息をつくシャドウ。

 「・・・いい加減、事を進めないか?」 

 いつまでも続く喧騒に、流石にウンザリしながら呟くヴァニティだった。

 

 

 薄暗い広間。

 天井につけられた、大きな天窓。

 その中心には今、ユラユラと揺らめく蒼白い満月がかかっていた。

 「・・・頃合じゃの。」

 それを見上げていた、シャドウが呟く。

 呟きながら、陣の上空でむくれているエミリアを見る。

 「これ、いつまでもむくれているな。大人げない。」

 しかし、赤髪の少女の霊は仏頂面のまま。

 『ふん。折角出てきたのに、お楽しみがない上に頭どやかされて、普通でいろって方が無理ですしぃ~。』

 「仕方あるまい。自業自得と言うものじゃ。それに・・・」

 シャドウの口調が変わる。

 「これ以上駄々をこねると言う事は、ノエリア様のお楽しみを邪魔するのと同義じゃぞ・・・。」

 『う・・・!!』

 ノエリア。

 その単語が出てきた途端、エミリアの顔色が変わる。

 「それがどういう意味か、分からぬ訳ではあるまい?」

 『・・・・・・。』

 煮え切らぬ顔をしながらも、頷くエミリア。

 「そうじゃ。存在を続けたければ、せいぜい仕える事じゃ。あの方の、興のためにな。」

 そう言うと、シャドウは手にしていた写魂鏡を放る。

 黙ってそれを受け取るエミリア。

 シャドウはペタペタと湿った足音を響かせながら自分の“場”へと足を進める。

 見れば、魔法陣の四方にはすでに陣取った皆の姿。

 「それでは、始めるぞ。」

 そして、異形の老爺は厳かに宣言した。

 

 

 「・・・にしてもよ・・・。」

 「何じゃ?」

 アバンスの声に、シャドウが答える。

 「“あんなもん”にこんな面倒な術使って、どうする気だ?」

 そう言って、陣の中心を指差す。

 そこには、無造作に転がされたギゴバイトの亡骸。

 「やれやれ、皆同じ事を訊きおる。」

 溜息をつくシャドウ。

 「いい加減、説明するのも疲れたわい。黙ってやれば良い。そうすれば事の次第は洗い浚い分かるというものよ。」

 「ああ、そうかい。じゃあ、せいぜい楽しみにさせてもらうさ。」

 そして、アバンスは瞑想する様に目を閉じる。

 しばしの間。

 「皆、準備はよいな?」

 その声に、全員が頷く。

 それを確認し、シャドウは自分の杖を構える。

 「イビル・イビリア・イビリチュア・・・」

 込める念とともに、紡がれ始める呪文。

 場にいる皆が、それに倣う。

 「昏き泉に迷いし御魂 黒き水面みなもに堕ちし禍月 其は架け橋 其は導 汝を望むは我が御神 汝が求むはかの慈愛 其が導きに身を委ね 虚ろの地より戻り来れ 在りし真理を欺きて 冥主が地より逃げ来たれ」

 ポゥ・・・

 言葉の結びと共に、それぞれが持つ儀水鏡が銀色の光を放ち始める。

 そして、

 ドロリ・・・

 光は、まるで液体の様に儀水鏡からあふれ出し、魔法陣の内側へと流れ込んでいく。

 四つの儀水鏡から流れる光。それが、見る見るうちに魔法陣の中を満たしていく。

 その様は、まるで巨大な鏡。

 そこに、中天にかかる月から煌が堕ちる。

 煌は魔法陣の鏡に反射し、再び天に昇る。

 と、その煌を、今度は鏡の中心に浮いていたエミリアの写魂鏡が受け止めた。

 煌を受ける鏡に映るのは、横たわるギゴバイトの亡骸。

 合わせ鏡。

 動かぬギゴバイトの姿が、幾重にも連なり映る。

 そして、その奥に―

 『つかまえた・・・。』

 呟く様な、エミリアの声。

 その瞬間、

 ボウッ

 上下幾重にも連なる鏡の奥。

 そこに、蒼白い光が灯る。

 『さぁ、おいで・・・。』

 その声に答える様に、光が鏡の中を動き始める。

 ボッ ボボボボボボボボッ

 ギゴバイトの亡骸に向かって迫る、光の塊。

 そして―

 ボンッ

 上下の鏡から飛び出した光が、挟み打つ様にギゴバイトの身体にぶつかる。

 一瞬、宙に浮くギゴバイト。

 ポタリ

 その身が落ちると同時に、床に広がっていた鏡が消えた。

 それを見届けると、

 「・・・プハァッ!!」

 「ああ~、しんどかった。」

 口々にそう言いながら、床に崩れるアバンスとエリアル。

 「クポポ、情けないのう。これしきの事で。まだまだ修行が足りん証拠じゃ。」

 笑うシャドウ。

 汗まみれになりながらも、その足取りには微塵の揺らぎもない。

 「・・・うっせぇ!冷血爺・・・!」

 「あんたみたいな化け物と一緒にしないでよね・・・。こちとらか弱い女の子だっつーの・・・!!」

 口々に毒づきながら、アバンスとエリアルは床の上のギゴバイトを見る。

 「・・・で、上手くいった訳?これで“失敗でした~”なんて洒落になんないんだけど?」

 「・・・心配ない。」

 エリアルの問いに、一人平然としているヴァニティが答える。

 「手ごたえはあった。見ろ・・・。」

 そう言って指し示す先で、ギゴバイトの身体がビクンッと跳ねた。

 ビクンッ ビクンッ

 降り注ぐ月明かりの中。もの言わぬ骸であった筈のその身体が、陸に上げられた魚の様に何度も跳ねる。

 そして―

 『あ゛、あ゛ぁああああ゛あああ~・・・!!』

 大きく開けられたその口から、呻きとも悲鳴ともつかない声が発せられた。

 それを聞いた皆の顔に、笑みが浮かぶ。

 「(こん)(はく)、滞りなく戻り宿った様じゃな。『儀水鏡の反魂術(リチュア・ウテーロ)』、成功じゃ。」

 シャドウは満足気にそう言うと、クポポ、と冷たく笑った。

 

 

 『儀水鏡の反魂術(リチュア・ウテーロ)』。

 リチュアが有する、禁呪の一つ。

 転生術の一つでありながら、其が属するは闇の領域。

 離れた魂魄を肉体に戻す代わりに、その精神や心を犠牲にする。

 本来、生き傀儡等の素材を作り出すための術であり、逝きし者を悼み、その想いを成就させるために行われる他の蘇生術や転生術とは根本的に袂を分かつ代物である。

 今、それを施されたギゴバイト。

 彼も例に洩れず、ただ“生きているだけ”の存在として暗い床の上でのたうっていた。

 『ああ゛ぁああ゛ぁぁあぁあ・・・!!』

 「五月蝿いわねぇ。で、この後どうすんの?まさか、フツーに人形(労働力)にする訳じゃないでしょう?」

 絶え間なく上げられる奇声に顔をしかめなが、エリアルが訊く。

 「そう急くな。物事には順序と言うものがあろう。」

 汗を拭き拭き答えるシャドウ。

 エリアルは、露骨にウンザリした顔になる。

 「はぁ?ここまで来て、まだ引っ張るってか?下手な芸人じゃあるまいし、いい加減にしてよね!!」

 余程イラついたのだろう。エリアルはのたうち回るギゴバイトに近づくと、八つ当たり気味に蹴り飛ばそうとする。

 と―

 宙を彷徨っていたギゴバイトの視線が、エリアルに合った。

 途端、

 『あ、あぁ・・・え・・あ・・・』

 「は?」

 『えり・・・エリ・・・ア・・・エリ、ァア・・・!!』

 半開きの口が確かにそう紡ぎ、空をかいていた手がエリアルに向かって伸ばされる。

 「ほ?」

 「な!?」

 「ほう・・・?」

 『え!?』

 その場にいた全員が、声を上げる。

 「こいつ、“心”が残ってるのか!?」

 「その様じゃのう・・・。これはまた奇異な・・・。」

 驚きを隠せないアバンスにそう頷きながら、シャドウはギゴバイトに近づいていく。

 『エリア・・・エリア・・・エリァア・・・!!』

 「・・・どうも、エリアル(お主)の事を呼んどる様じゃのう?知り合いじゃったか?」

 シャドウの問いに、エリアルはあからさまに嫌な顔をする。

 「知らないわよ!!こんな貧相な蜥蜴なんか!!だいたいあたしは“エリア”じゃなくてエリアルだっての。」

 嫌悪も露なその態度に、苦笑いしながらもシャドウは続ける。

 「ギゴバイト(こやつ)、そう馬鹿にしたものでもないぞ。ほれ。」

 そう言うと、シャドウは自分の杖をギゴバイトに押し付ける。

 淡く光り、魔力を発し始める杖。禍々しい光が、ギゴバイトの中へと流れ込んでいく。

 すると、ギゴバイトの身体に変化が現れ始める。

 メキ・・・メキメキ・・・ゴキ・・・

 「え!?えぇ!?」

 「な、何だぁ!?」

 『な、何事~!?』

 驚く皆の前で、小さなギゴバイトは精悍な体躯を持つ『ガガギゴ』へと変貌を遂げていた。

 「ほい。」

 プシュ~

 シャドウが杖を離すと、ガガギゴの身体は見る見る縮み、ギゴバイトへと戻る。

 「あ~ビックリした。何よ?今の。」

 「今行ったのは、”擬似契約”じゃ。」

 「”擬似契約”?」 

 目を丸くしているエリアルに、シャドウは言う。

 「一部のモンスターに見られる特性じゃがな。特定の主に使役し、魔力の供給源を得た場合、それによって急激にレベルアップするのじゃ。」

 「へぇー、何それ。結構面白いじゃない。」

 エリアルの顔に、初めて興味の色が浮かぶ。

 感心の息を漏らしながらしゃがむと、横たわるギゴバイトの顔を覗き込む。

 虚ろな目がエリアルを映し、戦慄く口がその言葉を紡ぐ。

 『エリ・・・ア・・・エェリィ・・・ア・・・』

 「はーい。エリアはここでちゅよー。良い子でちゅねー。よちよち。」

 すがる様に手を伸ばすギゴバイトに己の手を握らせながら、エリアルはからかう様に笑う。

 そんな様を見ながら、シャドウは頷く。

 「ふむ・・・。丁度良い。エリアル。この玩具、お主にくれてやろう。」

 「へ?良いの?」

 ポカンとするエリアル。

 「うむ。」

 「だって、これはノエリア様のための座興だって言わなかった?」

 「その座興のために必要な事なのじゃ。お主にはこやつ用の魔力ブースターになってもらう。」

 「・・・どういう事?」

 エリアルはシャドウの言葉に、頭を捻るばかり。

 「すぐに分かる。今はとりあえずこやつに証印を押せ。お主の使い魔にするのじゃ。」

 「はぁ。何考えてんのか知らないけど、そういう事なら遠慮なく。」

 そう言って、エリアルはギゴバイトの胸に自分の杖を押し付ける。

 杖が魔力の光を放ち、ギゴバイトにリチュアの証印を刻み付けた。

 『う・・・うぅ、あ・・・エリ・・・アァ・・・』

 「何?まだ何か言いたい事あんの?」

 耳を寄せるエリアルに向かって、戦慄く声が言う。

 『ち・・・ちか、ら・・・』

 「ん?」

 『ち・・・から・・・ちから・・・』

 「力?」

 『ほし・・・い・・・ち、から、が・・・ほ・・・しい・・・』

 「・・・ほう?」

 その言葉を聞いたシャドウが屈み込む。

 「お主、“力”が欲しいのか?」

 焦点の合わない目。

 それが頷く。

 「そうかそうか・・・。ならばその願い、叶えてやろうぞ。」

 その顔に老獪な笑みを浮かべながら、シャドウは言う。

 胸に下げられた儀水鏡がギゴバイトを映し、妖しく輝いた。

 

 

 シャドウとエリアルがギゴバイトを連れて去った後、残された三人は彼らの消えた通路を見据えながら佇んでいた。

 「まったく、あの冷血爺、えげつない事考えやがる。」

 「だが、確かに面白い・・・。」

 嫌悪も露に毒づくアバンスに対し、相変わらず冷静な口調のヴァニティ。

 「成功すれば、ノエリア様に奉げる座興としてはなかなかのものになるだろう。」

 言いながら、クルリと踵を返す。

 「けどよ。アイツ、それをノエリア様のために使うとは限らないぜ。」

 懐疑的なアバンスの言葉に返るのは、しかしクックッという酷薄な笑い声

 「放っておけばいい。大方、“この間の失態”を取り戻すのに必死なのだろう・・・。」

 歩くヴァニティの姿が、部屋の闇の中へと溶け込み始める。

 「何かを企んでいるとしても、所詮は多少知恵が回るだけの老いぼれ。事が起こればその時叩き潰せばそれでいい・・・それに・・・」

 白い親指が、肩越しにシャドウ達が去った方向を指差す。

 「“あいつ”にも、いつまでもただ飯を食わせておいてやる道理はないのだからな・・・。」

 そして、またクックッという笑いを残し、ヴァニティの姿は闇の中へと消えた。

 「・・・チッ!!」

 苛立たしげに舌打ちをすると、アバンスは腰に挿した剣を抜き一閃させる。

 パララ・・・

 燭台に挿された蝋燭が根元から絶たれ、床に散らばる。

 落ちた蝋燭の火が、絨毯に燃え移って大きな炎を上げる。

 『・・・やめなよ。みっともない。』

 そんな言葉とともに、白い手がかざされる。

 それに制される様に炎は勢いを失い、消えた。

 『気持ちは分かるけど、荒んだ所で何にもなりゃしない。』

 「・・・ああ・・・。悪かったよ・・・。」

 ガラリと口調の変わった“彼女”に向かって、アバンスは言う。

 そして、しばしの間の後彼はもう一度口を開く。

 「けど、それはお前もそうだろ。あんな真似、やめてくれ。見ていて、辛い。」

 『はは・・・。少しは、サービスになったかな?』

 「馬鹿!」

 声音を少しだけ荒げ、彼は言う。

 『ごめん・・・。でもね、最近は正気を保つのも辛くて・・・。』

 「・・・・・・。」

 『たまに、分からなくなる・・・。今の自分が正しいのか、道化でいる自分が本当なのか・・・。』

 「それは・・・」

 『御免ね・・・。貴方はこうやって、頑張ってくれてるのに・・・。』

 「・・・・・・。」

 もう、言葉は続かない。

 彼は黙って彼女に近づくと、その身体をかき抱く。

 腕の中にあるべき温もりは、空気の様に虚ろだった。

 

 

                                 続く

 



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9話

 

【挿絵表示】

 

 

                 ―9―

 

 

 カツカツカツ・・・

 暗い階段に響く足音。

 リチュアの城の地下階に通じる階段を、シャドウとエリアルは連れ立って降りていた。

 「相変わらず陰気臭いところねー。まぁ、“アイツ”にはお似合いだけどー。」

 そう言うエリアルの腕の中には、口輪をはめられたギゴバイトの姿。

 口を塞がれ、苦しげな呻きを上げるギゴバイトを両手で弄びながらエリアルは自分の前を行くシャドウに話しかける。

 「ねーえ。乗っといて言うのもあれだけどさぁー、“アイツ”って、あてになるわけ?実際の所。」

 その問いに、シャドウはいつもの様に薄笑いを浮かべながら答える。

 「クポポ、それを確かめるための今回の座興よ。折角“飼って”おるのじゃ。“家畜”は役に立ってこその“家畜”じゃろう?それに・・・」

 シャドウの四つの目が、妖しく光る。

 「役に立たんと分かったのなら、“資源”として使ってしまえば、それでよい。」

 「はん。あんな雑魚、幾らの足しにもならないわよ。」

 剣呑な会話を何という事はない世間話の様に話しながら、二人のリチュアは深く深く、地の底へと潜っていった。

 

 

 しばしののち、シャドウとエリアルは一つの扉の前に立っていた。

 厚い鉄板で作られたらしいその扉の上には、「Laboratory(研究室)」の文字。

 その扉をノックしながら、エリアルが叫ぶ。

 「ちょっとー!!聞こえるー!?入るわよー!!」

 シーン・・・

 返事はない。

 エリアルは舌打ちしながら、今度は強くドンドンと扉を叩く。

 「ねぇ、ちょっとってばー!!聞いてんのー!?」

 シーン・・・

 やっぱり、返事はない。

 「むー!!」

 イラついたエリアルが、扉を蹴ったぐろうと足を上げたその瞬間―

 『はいはい。どなたでございますか?』

 そんな声が響き、扉の表面がグニャリと歪む。

 思わず上げた足を止めるエリアルの前で、その歪みの中から何者かがニュウと顔を出した。

 『あら、エリアルさん。シャドウ様。どうなさいました?』

 閉じきられた扉。そこから、物理法則を無視して上半身だけを突き出したのは、長い銀髪を後ろで束ねた、穏やかな顔の女性。

 「ナ、ナタリア!!ビックリさせないでよ!!心臓止まるかと思ったじゃない!!」

 『あら、すいません。急に呼ばれたものですから、つい横着してしまいまして。』

 バクバク言う心臓を押さえながら抗議するエリアルに、ニッコリと微笑みかけながら銀髪の女性―『リチュア・ナタリア』は言う。

 「ほんとに・・・スピリット(こいつら)ときたら、どいつもこいつも・・・!!」

 「おお、ナタリア。“監視”の役、大儀じゃな。“あやつ”の方、どうしておる?」

 ブツブツ言っているエリアルを無視して、シャドウが問う。

 『あー、あの“方”でございますか?それは、そのー・・・』

 何やら言いよどむナタリア。

 『説明するより見た方が早いでしょうし・・・。お入りになってみます?』

 「・・・?いや、無論そのつもりで来たのじゃが・・・?」

 彼女の様子に、何やら不穏なものを感じながらもそう答えるシャドウ。

 『分かりました。それではただ今開けますので・・・』

 言いながら、引っ込もうとするナタリア。

 と、半分ほど引っ込んだ所で一端止まり、

 『ああ、一応、“壁”か何か用意しておいてくださいませ。』

 そう付け加えて引っ込んだ。

 「「・・・・・・。」」

 無言のまま、顔を見合わせるシャドウとエリアル。

 『じゃあ、開けますよー。』

 扉の向こうから、微かに聞こえる声。

 ギギィ・・・

 重苦しい音を立てて、扉が開く。

 途端―

 ギュウラララララララッ

 開いた扉の向こうから現れたのは、巨大なドリル。

 訳が分からず立ち尽くす二人に、轟音とともに“それ”が迫る。

 そして、今まさにドリルが二人を巻き込まんとしたその瞬間―

 ポゥッ

 展開する朱い魔法陣。

 そして―

 ビンヨヨォ~ン

 そんな間の抜けた音とともに魔法陣から飛び出したガラクタの塊が、そのドリルを受け止める。

 『くず鉄のかかし(スクラップ・スケアクロウ)』。

 相手からの攻撃に対して、召喚した案山子を身代わりにして無効化する罠魔法(トラップ・スペル)

 キュラキュラキュラ・・・

 数多のガラクタを巻き込んだドリルが、二人の顔面スレスレで止まる。

 「「・・・・・・。」」

 唖然としながらドリルの向こうを見てみると、そこに連なるのは空にそびえる(くろがね)の城・・・ではなく、くず鉄のかかしと大差ないガラクタの寄せ集めの様な巨大な人型らしき代物。

 『エリアルさん、シャドウ様、大丈夫でございましたか?』

 人型の脇から、ヒョッコリと顔を出すナタリア。

 「・・・何よ?これ・・・。」

 目の前のドリルをチョンチョンとつつきながら、エリアルが訊く。

 『えーと、これは・・・』

 「オーゥ、ミィス・エリアルにミィスター・シャドウ!!これはしっつれいしましたー!!」

 ナタリアの言葉をさえぎる様に響く、甲高い声。

 「ちょっとした試運転のつもりだったのでぃすがー、ちょっと興に乗りすぎてしまった様でぃっす!!」

 見れば、人型の頭のてっぺんから何者かが顔を出していた。

 「ちょっと、コザッキー!!何よ!?このガラクタの塊はー!!」

 冷や汗を流しながら喚き散らすエリアルに、『コザッキー』と呼ばれた男も負けず劣らずの勢いで喚き返す。

 「ガラクタとはしっつれいな!!これはワタクシの血と涙の結晶!!優美にして強壮なる究極のスゥーパァー・ロボォット!!その名も『G・コザッキー』なのであっりまぁっす!!」

 「・・・優美・・・?」

 「・・・強壮・・・?」

 返す言葉も見つからず、立ち尽くすシャドウとエリアル。

 それを感嘆と感動による放心と勘違いしたのか、G・コザッキーは二人の前でボディービルダーの如く次々とポーズをとり始める。

 ガチャコン

 ガチャコン

 ガチャコン

 安物の玩具みたいな音を立ててポーズをとるG・コザッキーを前に途方に暮れるシャドウとエリアル。

 『すいません。あまり勝手な事をするなとは申したんですが、聞いていただけなくて・・・』

 申し訳なさそうに頭を下げるナタリア。

 ―と、

 バチッバチバチッ

 そんな音が皆の耳に入る。

 見てみれば、G・コザッキーがガッタンゴットンと揺れながら、体のあちこちから火花と煙を出している。

 「おーぅ!!こっれぃはいっけっまっせーん!!」

 「お約束きたし・・・。」

 『お城、大丈夫でございましょうか?』

 「心配いらん。『限世結界(フィールドバリア)』がかかっておる。」

 皆が一通り、意見を述べたのを見計らった様に・・・

 チュド~~~ン

 爽快な音を響かせて、G・コザッキーが爆発した。

 飛んでくる爆風や破片をくず鉄のかかし(スクラップ・スケアクロウ)で防ぎながら、エリアルが言う。

 「・・・やっぱり、資源にした方がよくない?」

 「・・・ううむ・・・。」

 もうもうと立ち込める白煙の中、頭を捻るシャドウだった。

 

 

 「いやぁー、まぁいりましたぁ。どうやらエンジン系統に不備があったよぅですねぃ。やっぱり三徹のやっつけ仕事はいっけませぇ~ん。HAHAHA!!」

 身体のあちこちに包帯を巻いたコザッキーはそう言って笑いながら、ナタリアの煎れたお茶をチュヒ~と啜る。

 「血と涙の結晶じゃなかったのかよ・・・。」

 「おおっとぅ!!キツイ突っこみ、さっすがはミィス・エェリアル!!」

 エリアルの呟きに、自分の頭をぺチッと叩くコザッキー。

 しかし―

 「しぃかっしぃ、そぉれは違いまぁす!!失敗は成功の母といぃまぁす!!すぅなわち今日の失敗もぉ、明日の成功のぉ糧となるのでぃす!!HAHAHA!!」

 「話通じねぇ~・・・。」

 どこまでもめげないその姿勢に、頭を抱えるエリアル。

 「・・・シャドウ、あたしやっぱコイツ苦手だわ。話、あんたがして・・・。」

 「・・・うむ。コザッキー。」

 口にしていたお茶を置くと、シャドウはコザッキーに話しかける。

 「なぁんでぃすかぁ?ミィスター・シャドウ。」

 「リチュア(我ら)がお主を拾ってから、どれくらいになるかのぉ・・・?」

 お茶を啜りながら、少し考える素振りをみせるコザッキー。

 「そぅでぃすねぃ。ざっと二年三ヶ月と二十日という所でぃすかねぃ?」

 「ほぉ・・・?もうそんなになるか。で、どうじゃ?目的の“研究”とやらは進んだかの?」

 その言葉に、コザッキーの顔からオチャラケの色が消える。

 「もちのろんでぃす・・・。ミーに精神崩壊などとイチャモンをつけて追放したDM言語学会・・・。彼奴らに思い知らせるための研究・・・。一日とて休めるものではありませぇん!!」

 その身体が、怒りに震える。手にしたカップに、ピシリとひびが入った。

 「リチュア(貴方達)には感謝しているのでぃす・・・。あのままでは野垂れ死ぬだけだったミーを拾い、こうして復讐の研究を行う術まで与えてくれたのでぃすから・・・。」

 「ほう?それは良かった。それでは、そろそろこちらも見返りを貰ってもいい頃かのう?」

 その言葉に、コザッキーの眼鏡が怪しい光を放つ。

 「・・・と言いますとぉ・・・?」

 「試して貰いたい事がある。エリアル。」

 「はいはいっと・・・。」

 シャドウの声に応じて、エリアルがギゴバイトをテーブルの上に横たえる。

 「ほう?これは・・・?」

 「こやつ、“力”が欲しいそうじゃ・・・。」

 シャドウが四つの目を細める。

 「哀れな木っ端のささやかな願いじゃ・・・。叶えてやってくれんかのぉ?」

 興味深げにギゴバイトを観察するコザッキーを眺めながら、そう言ってシャドウはクポポ、と笑った。

 

 

 辺りに立ち込める朝靄をさらう様に、一陣の冷たい風が吹く。

 その中で、ハタハタと翼の様にはためくのは自分と同じ、カーキ色のローブ。

 サヤサヤと揺れる朱色の髪と同じ色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 鋭い目。だけど、とても優しい目。 

 肺の腑の底までを満たす様な朝の冷気の中、凛と立った彼女は懐かしい声でもう一度言った。

 「エリアがどうしたって?ウィン。」

 「・・・ヒー・・・ちゃん・・・?」

 その言葉の主-ヒータを、ウィンは何かの奇跡でも見たかの様に見つめていた。

 「何だよ?オレの顔、何かついてっか?」

 そう言いながら、ヒータは自分の顔を撫でる。

 途端―

 ドッカン

 「ゲフゥッ!!」

 胸にウィンの突撃を受けて、もんどりうって倒れる。

 「な・・・何すんだよ!!ウィ・・・」

 抗議の声を上げようとするが、胸の中のウィンの様子に息を呑む。

 「ヒーちゃん・・・ヒーちゃん・・・!!」

 「お・・・おい、どうしたんだよ?」

 肩を震わせ、そう繰り返しながら抱きついて離れない。

 そんなウィンに、当惑するヒータ。

 「ヒーちゃん!!エーちゃんが・・・エーちゃんが・・・!!」

 「エリアちゃんがどーかしたですか?」

 突然上から響いた声に頭を上げると、そこにはフワンフワンと浮かぶ巨大な球体。

 「モイ君・・・?って事は・・・!!」

 「トゥッ!!」

 そんな声とともに、その球体から声の主が飛び降りる。

 彼女は空中でクルクルと回ると、見事にスターンと着地してビシッとポーズを決める。

 「100てんです!!」

 「・・・普通に降りれないのかよ。お前は・・・。」

 フヨフヨと降りてきた『モイスチャー星人』から降りながら、ダルクはまだポーズを決めているライナに向かって米神を押さえながらそう言う。

 「ライちゃん・・・ダル君・・・。皆、どうして・・・?」

 「どーもこーもないです!!」

 言いながら、ズンズンと近づいて来るライナ。

 「みずくさいですよ。ウィンちゃん。」

 ヒョイと屈みこみ、ウィンの鼻っ面をツンツンとつつく。

 「じぶんのごかぞくがたいへんなら、なんでそれをいわないですか?まったくもって、みずくさい。」

 そう言って膨れるライナの後ろから、ダルクが顔を出す。

 「・・・馬鹿に高飛車に猪突猛進。僕の周りときたら、何でこんな奴らばっかかな・・・?全く、ついてないったらありゃしない・・・。」

 いつも通りブツブツ言いながら、懐から一枚の紙を取り出す。

 「・・・ほら、長期休暇願許可証。これで問題なく事に当たれるだろ・・・。」

 「ダル君・・・。」

 「・・・悪かったな。もっと早くに来るべきだったんだけど、流石に6人分となると手続きが面倒で、丸一日潰してしまった・・・。何かまずい事は、なかったか・・・?」

 「そーいえば、エリアちゃんがどーとかいってましたね?なにか、ありましたか?」

 口々に言うダルクとライナ。

 友の言葉が、ウィンのヒビけた心に染みていく。

 「ったく、情けない顔しやがって。」

 ヒータが身を起こしながらそう言って、取り出したハンカチでウィンの顔を拭いた。

 

 

 「・・・で、何があった?」

 ウィンが落ち着くのを見計らい、ヒータが改めて訊く。

 「あの・・・あのね・・・」

 「・・・アタイが話すよ・・・。」

 言葉に詰まるウィンに代わり、それまで少し離れた場所で事態を見ていたリーズがそう言って進み出た。

 もう、神化(シンクロ)は解いている。

 「あんたは?」

 「アタイはリーズ。ガスタの村で、疾風(先駆け)を勤めてる・・・。」

 ヒータの問いにそう答えると、今度は彼女達に向かって問い返す。

 「その格好・・・。あんた達、ウィン(この娘)の友達・・・だね?」

 ヒータ達が頷くのを見とめると、リーズは事の次第を話し始めた。

 村を襲った毒の風の事。

 それを打ち破った、ウィンとエリアの活躍の事。

 そのエリアに、ガスタの民が行った仕打ちの事。

 村を出て行ったエリアを、ウィンと一緒に追った事。

 自分の弟が犯した、愚行の事。

 そして、行方の知れなくなったエリアの事。

 今までに起きた一切合切の事を、隠す事無く、漏らす事無く、語り伝えた。

 話を聞く内に、ヒータ達の表情が険しさを増していく。

 「・・・いけすかねぇな・・・。」

 険のこもった声で、ヒータが言う。

 「自分達を助けた奴に対して、それがガスタとやらの流儀かい!?」

 リーズに向かってダンッと片足を踏み出し、怒鳴る様に啖呵をきる。 

 そんな主人の怒りに同調する様に、傍らのきつね火も唸りながら牙を剥く。尻尾の炎が猛々しく燃え上がり、朱い燐光を散らした。

 その怒りに答える術も持たず、ただ俯くだけのリーズ。

 ―と、

 「ク・・・ククク・・・」

 パチパチと爆ぜる炎の音に混じって響いてきたのは、低く抑えた様な笑い声。

 見れば、俯いたダルクがその肩を震わせて笑っている。

 「クク・・・クククク・・・顔が、ただ顔が似てたって・・・それだけかよ・・・。それで女一人私刑リンチにしようとしたってか・・・?クク・・・それで“誇り高き”風の民・・・!?・・・笑わせんな・・・!!」

 腹の中の何かを堪える様に、溢れ出る笑いを噛み殺すダルク。

 その横で、今度は酷く冷ややかな声が上がる。

 「・・・ダルクが笑ってるです。この子、本気で怒ると笑っちゃうんですよねー。」

 ライナが、ライトグレーの瞳でリーズを睨みつけていた。

 「大したものですね。ダルクは滅多な事じゃ怒らないのに。それをこんなに怒らせるなんて、ホント、大したもんです。」

 そう言うライナの瞳は、いつもの彼女からは考えられない程に冷たかった。

 彼らの使い魔であるD・ナポレオンとハッピー・ラヴァーもその目を細め、爛々と怒りの色に輝かせている。

 そんな様子の皆を前に、リーズはただ俯くだけ。

 「返す言葉もないよ・・・。そして、その挙句がこの様だ・・・。あんた達に、形見分けすらしてやる事が出来ない・・・。本当に、すまない・・・。」

 「すまないで済むかよ!!」

 ヒータが、リーズの胸倉を掴みながら怒鳴る。

 「もし本当にそんな事になっていて見やがれ!!ガスタ(テメェら)の村、柱一本残さず黒炭にしてやるからな!!」

 「ククク、なら僕達にもやらせろよ・・・。・・・デミスに一人残らず、消し飛ばさせてやる・・・」

 「・・・明日のお日様、無事に拝めると思うなです・・・。」

 「皆、待って!!リーズさんは・・・」

 憤る皆とリーズの間に、ウィンが割って入ろうとしたその時―

 『あのぉ~、お取り込み中すいまへんが・・・』

 「!?」

 急に頭上から聞こえた声に、皆は思わず宙を見上げた。

 

 

 ・・・彼女は、真っ暗闇の中にいた。

 何も見えず、何も聞こえない。

 ただ、一面の闇。

 その中で彼女はただ一人、ポツンと佇んでいた。

 ・・・“彼”は?

 ふと気付く。

 “彼”は何処に行ったのだろう。

 ずっと一緒にいると、誓ったのに。

 ずっと側にいると、言ってくれたのに。

 “彼”は、何処にいるの。

 闇を彷徨う視線。

 ただ、“彼”を。

 “彼”だけを求めて。

 と、その視界に一つの影が入る。

 小さい、緑色の背中。

 “彼”だ!!

 呼びかける。

 だけど、“彼”は振り向かない。

 聞こえない筈はない。

 “彼”が、“あたし”の声を聞き逃す筈はない。

 もう一度、呼びかける。

 でも、結果は同じ。

 “彼”は振り向かない。

 堪らず、走り出す。

 “彼”に向かって。

 “彼”の元へ。

 “彼”の側へ。

 だけど。

 けれど。

 “彼”との距離は、縮まらない。

 すぐそこなのに。

 ほんの、数歩の場所なのに。

 やがて、“彼”の姿が遠ざかり始める。

 待って!!

 何処へ行くの!?

 必死に、呼びかける。

 必死に、追いかける。

 だけど、“彼”は振り向かない。

 だけど、“彼”は止まらない。

 見る見る小さくなっていく、その姿。

 待って!!

 待って!!

 そして、その姿が闇の向こうに消えて―

 

 

 「―ギゴ!!」

 叫び声とともに、彼女は飛び起きた。

 はぁはぁと、荒い息をつく。

 冷たい汗が一筋、頬を滑ってかけてあった毛布に落ちた。

 「あ・・・れ・・・?」

 訳が分からず、目をシパシパさせる。

 真っ先に目に入ったのは、眼前に広がる雲海。そして、その中から頭を突き出している切り立った台地。

 辺りには白い霞が漂い、その中に背の低い潅木がそこここに生えている。

 身体の下に敷かれたシーツの下に広がるのは、ゴツゴツとした大小の石が転がる礫地。

 どう見ても、高地の風景。

 全く、見覚えのない風景。

 自分は、なぜこんな所にいるのだろう。

 「あたしは・・・村を出て、高い丘に登って、そしてそれから・・・」

 思い出そうとした瞬間、右側頭部に鋭い痛みが走る。

 「い、痛・・・!?」

 思わず頭に手をやると、そこには包帯が巻いてあった。

 手に薄っすらと、赤い痕がつく。

 「・・・そうか・・・。あたし、あの鳥に・・・」

 気を失う瞬間に目にした光景が甦り、背筋が震えた。

 「でも・・・どうして・・・」

 何故、あんな崖から落ちて無事だったのだろう?

 誰が、傷の手当をしてくれたのだろう?

 ここは、一体何処なのだろう。

 幾つもの疑問が次々と浮かび、彼女を混乱させる。

 ―と、

 「ようやく目が覚めたようだね?エリア女史。」

 横から響いてきた声に、エリアはハッと我に帰った。

 反射的に振り向く。

 そこにあったのは、パチパチと燃える焚き火。

 そして、その傍らに座る一つ目の獣と一人の少女の姿。

 その姿を、エリアは茫然と見つめる。

 「どうしたんだい?まるで化け物でも見た様な顔をして。ボクの顔を見忘れるほど、時は経っていないと思うけど。」

 彼女は言いながら立ち上がると、エリアに向かって近づいて来る。

 「それとも、打ち所でも悪かったかな?頭の傷だから出血は酷かったけど、一応重篤なものにはならないと見立てたんだけどね?」

 言葉とともに、少女はエリアの頭をクシャリと撫でた。

 眼鏡のガラスに映った自分の姿が、ユラリと揺れる。

 「アウス・・・。あんた、どうして・・・?」

 「ほら、やっぱり覚えてるじゃないか。」

 そう言って、眼鏡の少女―アウスはニコリと笑った。

 

 

 「・・・え!?」

 「・・・へ!?」

 『・・・は!?』

 思いもしない言葉に、キョトンとする皆。

 「あ・・・あんた、何言って・・・?」

 『何もかにも、今言ったとおりでんがな。』

 戸惑うリーズに、空から降りてきたモンスター―デーモン・ビーバーが言う。

 『どんだけ無事かはまた別の話ですがな、少なくともエリアはん、まだ死んだりなんかしてまへんで。』

 「え・・・?え・・・?何?何言ってるの・・・?」

 訳が分からないと言った態のウィンに、デーモン・ビーバーが近づく。

 「なぁ、ウィンはん。何でワイら、この場所が分かったと思います?」

 「え・・・?」

 ポカンとする彼女の襟を、デーモン・ビーバーの手が返す。

 そこには、ちょっと見には分からないほどに小さな小さな点がくっ付いていた。

 よく見ると、それがモゾモゾと動いている。

 『『ダニポン』です。』

 デーモン・ビーバーが言う。

 『うちのマスターの、“しもべ”でんがな。』

 「デヴィ君のマスターって・・・“アーちゃん”の・・・?」

 『はいな。』

 そう言って、ウィンの襟に付いているダニポンを指差す。

 『ダニポン(コイツ)なぁ、あんさんが寮飛び出してく時に、うちのマスターがくっ付けとったんや。』

 「・・・アーちゃんが・・・?」

 その言葉に、コクリと頷くデーモン・ビーバー。

 『せや。先にも言いましたけんど、こいつはマスターのしもべや。こいつの念波は、何処にいてもワイやマスターがキャッチ出来る。そないして、マスターはあんさん“達”の動きをずっと感知しとったんやで。』

 「あんさん・・・“達”・・・?」

 突然与えられた情報の山に、処理落ちでも起こしたかの様に固まるウィン。

 「分かりまへんか。あんさんにそんな事してたんでっせ。マスターが、“もう一人”の方だけそれをしないなんてヘマ、すると思いまっか?」

 そこまで聞いて、やっと気付く。

 そう。ここには、“彼女”がいない。

 何だかんだと言いながら、こんな時には必ずそばにいてくれる彼女が。

 「それじゃ・・・それじゃあ、アーちゃんは・・・!?」

 「えと・・・なんかきゅうようができたとかいって、めーくんにのってどっかいったです・・・。」

 ライナの言葉に、やっと事態を把握し始めたウィン。

 「・・・皆も・・・知ってたの・・・?」

 そう言って見れば、他の面子も目を丸くしている。

 どうやら、そういう訳でもないらしい。

 「・・・いや、ただ単にデヴィの言うとおりについて行く様に言われただけで・・・」

 「まさか、そんなタネがあるとはー・・・」

 「・・・あの野郎、また肝心な所の説明省略しやがったな・・・。」

 皆の言葉に、唖然とするウィンとリーズ。

 その時―

 「あーっ!!」

 ライナが叫んだ。

 飛び上がる皆。

 「何だ!!何だ!!」

 「ど、どうした!?ライナ!!」

 「はい!!アウスちゃんをのせてっためーくんからつうしんです!!『ぶじにエリアちゃんをほご。ふしょうはしているが、とくにじゅうしょうではないもよう』だそうです!!」

 「・・・マジか!?」

 『ヤリマシタ!!』

 『おし!!』

 「よっしゃーっ!!」

 思わず歓声を上げるヒータ達。

 茫然としているウィンの肩を、リーズが叩く。

 見れば、彼女の目にも涙が浮いていた。

 「・・・よかったな・・・。」

 その言葉に、ウィンは涙でグチャグチャになった顔で頷いた。

 

 

 「それじゃあ・・・アンタ、ずっとアタシ達の事見てた訳?」

 「見てたって言うのは、正確じゃないね。聞いてたというべきだろ?この場合。」

 シーツの上に、上半身を起こしたエリアの横で、焚き火に薪を放りながらアウスが言う。

 「・・・プライバシーもへったくれも、あったもんじゃないわね・・・。この出歯亀小悪魔・・・。」

 「フフ、それも窃視趣味の代名詞だよ。言ったろ?“見てた”んじゃなくて“聞いてた”んだって。それに、君達の動向全てを認知してたわけじゃないよ。あくまでダニポン(その子)が認識出来る範囲での話さ。」

 「・・・うっさい。人の揚げ足ばっかり取ってんじゃないわよ・・・。」

 そう言って顔を背けるエリアを見て、アウスはまたフフ、と笑う。

 「随分と御機嫌斜めの様だね。“死に損ねた”のが、そんなに気に食わないかい?」

 「――!!」

 「そう自分を無下にするもんじゃないよ。君が助かったのは、それこそ天の采配と言うものだ。あそこから落ちる途中で、“あんなモノ”にさらわれるあたり、全く持ってそうだと思わないかい?」

 そう言って、アウスは自分の後方を示す。

 そこには、光る網の様なものに雁字搦めになって地面に縫い付けられている、巨大な怪鳥の姿。

 時折ピクピクと動いている所を見ると、とりあえず生きてはいるらしい。

 「『霞の谷の大怪鳥』。いやあ、君を放させるのに苦労したよ。結局、『超重力の網(グラヴィティ・バインド)』なんてものまで使う事になってしまった。」

 苦笑するアウスに、エリアは苦々しげに唇を噛む。

 「余計な事を・・・!!」

 「・・・・・・。」

 そんな言葉に、アウスは黙って立ち上がると、つかつかと彼女に近づいていく。

 エリアの横に屈みこむとその顔を覗き込む。

 その眼鏡に、エリアの顔が映り込んでキラリと光った。

 「・・・何よ・・・!?」

 「何を、そんなに自暴自棄になってるんだい?」

 「・・・・・・。」

 その言葉に、アウスを睨むエリア。

 「そんなに、ショックだったかな?一族の負の遺産が、“あんな”事に使われた事が。」

 「・・・あんたに、何がわかるのよ・・・!?」

 「分からないさ。だから訊いてるんだよ。」

 「・・・正直だこと。」

 「それがとりえだからね。」

 「・・・どの口が・・・!!」

 皮肉をしゃあしゃあと返され、苛立ちのままに喚こうと口を開いたその瞬間―

 ムギュウッ

 その顔が、温かくて柔らかいものに覆われた。

 アウスが、エリアの顔を自分の胸に抱き込んでいた。

 「さ、これで君の顔はボクには見えない。」

 「・・・・・・!!」

 「言ってごらん。友人一人の想いを受け止めるくらいの度量、ボクは持っているつもりだよ。」

 いつもの彼女とは違う、優しい声音。

 豊かなふくらみに押し込まれ、何やら喚きながらもがいていたエリア。

 しかしアウスの言葉に、やがてそのもがきは収まっていく。

 そして―

 「・・・てたのよ・・・」

 呟く様な声がもれる。

 「うん?」

 「・・・子供が、乗ってたのよ・・・。アタシを突き落とした鳥に・・・」

 「・・・・・・。」

 「・・・アタシに石を投げた人達に、女の子が混じってた・・・」

 「・・・・・・。」

 「あの場所で・・・。療養所の安置所にいた子だったわ・・・」

 「・・・・・・。」

 「・・・泣いてたわ。あの子達・・・泣いてたのよ・・・」

 「・・・・・・。」

 「・・・苦しんでた・・・ぶつけ場所が・・・心のぶつけ場所が見つからなくて・・・」

 「・・・・・・。」

 アウスは何も言わず、エリアの身体を抱き締め、その言葉に耳を傾ける。

 そっと近づいてきた『エンゼル・イヤーズ』が、二人を護るようにその身を横たえる。

 「・・・どうするの・・・どうすれば、あの子達の傷を癒せるの・・・」

 「・・・・・・。」

 「あの子達だけじゃない・・・あの村の人達・・・皆・・・皆・・・」

 「・・・・・・。」

 「どうすれば、いいの・・・?あたしは・・・あたしは・・・!!」

 エリアの声が、震えだす。

 声を殺し、それでも洩れ出る嗚咽を抑えきれず、エリアは身体を震わせる。

 そんな彼女を、アウスは黙って抱き締めていた。

 いつまでも、いつまでも抱き締めていた。

 

 

                                     続く

 



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10話

 

【挿絵表示】

 

 

                 ―10―

 

 

 辺りは、ピリピリとした空気に包まれていた。

 場にいるのは5人の術師と、5体の使い魔。

 つい先刻まで喜びに沸いていた彼女達は、今は打って変わって深刻な顔で見つめ合っている。

 術師の一人―ウィンが震える声を漏らす。

 「ギゴ君が・・・見つからない・・・?」

 その言葉に、ライナが無言で頷く。

 『あいつなら、死んでもエリアさんにくっついてると思ったのに・・・』

 プチリュウが、信じられないと言った顔で呟く。

 「崖から落ちる時に、離れ離れになったとしか思えないな・・・。」

 言いながらリーズが見上げる先には、高く高く切り立った崖。

 そこから落ちた者の末路を思うと、背筋が震えた。

 「でも、あれだけ探しても見つからなかったんだよ!?」

 ウィンが、もう訳が分からないと言った体で喚く。

 『そ・・・それじゃあ、やっぱり肉食のモンスターに・・・?』

 『・・・いや。多分、それはないぞ。』

 戦慄く様なハッピー・ラヴァーの言葉を、今度はきつね火が否定する。

 『・・・その心は?』

 『・・・血の匂いがしない。』

 『うぇ!?』

 思わず顔をしかめるラヴァーに構わず、きつね火は続ける。

 『モンスターに喰われたなら、多かれ少なかれ血が出るだろう。あいつら爬虫類族の血は、青臭い様な独特の匂いがする。』

 確かめる様に、クンクンと鼻をひくつかせる。

 『それがしない。少なくとも、相応の出血が伴う様な事態はここじゃ起きていない。』

 「確かか?」

 『某の鼻に間違いはない。信じてくれ。姫。』

 使い魔の言葉に、ホッと息をつくヒータ。

 「でも、それじゃあ、ギゴ君はどこに・・・」

 途方に暮れるウィンの横で、今度はD・ナポレオンが声を上げる。

 『ソウデス!!マスター達と私達ハ主従ノ契約ヲ結ンデイマス!!マスター達ガ召喚権ヲ行使スレバ、呼ビ寄セラレマス!!えりあ様サエ無事ナラ・・・』

 しかし、

 「やれるなら、とうにやっているだろう?」

 自分の使い魔の言葉を、ダルクが遮る。

 『ウ・・・!!』

 言葉に詰まるD・ナポレオン。

 「そんな事、精霊使いなら言われずとも承知の上だ。まして、エリアなら何よりも先にそれをやるさ。」

 『タ・・・確カ二・・・。』

 ヒータが、デーモン・ビーバーに詰め寄る。

 「おい!!アウスは、どういうつもりだったんだよ!?」

 『え、は、はぁ・・・ワイも、さすがにそこまでは・・・。』

 「あー、畜生!!あいつときたら、いつもいつも!!」

 苛立たしげに頭を掻き毟るヒータ。

 『マスター・・・どないすればいいんですのや・・・?』

 騒然とするその場で、デーモン・ビーバーは空を見上げてそう呟いた。

 

 

 その騒ぎより少し前、ウィン達から離れた場所にある高地では・・・

 「・・・みっともない所、見せたわね・・・。」

 ひとしきり泣いた後、アウスから身を離したエリアが、乱れた髪を整えながらそう呟いた。

 「なに、大した事じゃないよ。むしろ、これでこの無駄に大きい脂肪の塊にも存在意義が見出せたというものだ。」

 「・・・遠回しに自慢してない?アンタ・・・。」

 「何を言ってるのかな?君だってなかなかのものだと思うけど?」

 涙で腫れぼったくなった目で睨むエリアの視線を受け流しながら、そんな事を言うアウスだった。

 「ねぇ、ところでさぁ・・・」

 「何だい?」

 「ギゴは、何処に行ったの?」

 「・・・・・・!!」

 その言葉にアウスの顔が一瞬険しくなるが、エリアは気付かない。

 「どっか、薪拾いにでも行ってんの?何よ、アイツ。こんな時にご主人様の近くにいないなんて。下僕失格ね。」

 わざとらしく憤慨するふりをしながら、エリアは辺りをキョロキョロする。

 「エリア女史・・・」

 そんな彼女に、アウスが声をかける。

 「何?」

 「ギゴ氏の念波を、探れるかい・・・?」

 「え・・・?どう言う事・・・?」

 「いいから!!」

 らしくもなく真剣な面持ちの彼女に、エリアは面食らいながらもギゴバイトの念波を探る。

 1分・・・。

 2分・・・。

 やがて、その顔に焦燥の色が滲み出してくる。

 「・・・ギゴの、念波が・・・追えない!?」

 その言葉に、アウスが微かに歯噛みする。

 「どういう事!?ねぇ!!どういう事なの!?」

 取り乱したエリアが、アウスにすがり付く。

 「何で!?何でギゴの念波が追えないの!?ねぇ、いるんでしょ!?あいつ、ここにいるんでしょ!?」

 「・・・・・・。」

 ゆっくりと首を振るアウス。それを見たエリアの顔が強張っていく。

 「そんな・・・そんな・・・!!あたし、抱いてたのよ!?あいつの事、この手に、この手に、しっかり・・・確かに・・・!!」

 「エリア女史、落ち着いて聞いてくれ。」

 半狂乱のエリアを制しながら、アウスは言う。

 「君を、霞の谷の大怪鳥やつから取り戻した時、もうすでにギゴ氏の姿はなかった。多分、落ちる途中で君がさらわれた時、彼だけが取りこぼされたんだろう。」

 その言葉を聞いたエリアの表情が、絶望に彩られていく。

 「・・・それじゃ・・・それじゃあ、ギゴは・・・」

 「君がギゴ氏の察知する事に、一抹の期待を抱いていたんだけど・・・」

 無念そうに唇を噛むアウス。

 「念波が追えないと言う事は、相手の思念が停止しているという事だ。それが何を意味するか、分かるだろう・・・?」

 「・・・・・・!!」

 息を呑むエリア。その目が一瞬放心した様に宙を泳ぎ、そしてその身がヘタヘタと崩れ落ちる。

 「嘘・・・!!」

 戦慄く口が、呟く。

 「嘘・・・!!嘘よ・・・!!あたし達、約束したもの・・・!!一緒にいるって・・・!!ずっと一緒にいるって、約束したもの・・・!!」

 「・・・すまない・・・。」

 脱力し、立ち上がる事も出来ないエリア。彼女に向かって、アウスが言う。

 「君は掴みやすい衣装を身にまとっているけど、ギゴ氏にはそれがない。恐らくは、その差だ。ギゴ氏につけたダニポンは、落下の途中で振り落とされてしまったらしい・・・。」

 唇を噛むアウス。

 その様には、いつもの余裕に満ちた様子は微塵もない。

 「止めてよ・・・」

 「ボクのミスだ・・・。本当に、すまない・・・。」

 「止めて!!」

 血を吐くような叫びが、その言葉を遮る。

 地面に屈みこんだエリアが、その身を震わせる。

 「・・・止めてよ・・・。そんなの、あんたらしくない・・・。止めてよ・・・。」

 自分を見つめるアウスに向かって、力ない声で言うエリア。

 「あたしの・・・あたしのせいよ・・・!!考えもなしに、カッコ付けた事したから・・・!!」

 ショックのあまり涙も出ないのだろう。乾いた瞳を虚ろに彷徨わせながら、エリアはただただ己の身をかき抱く。

 まるで、その腕の中に“彼”がいるとでも言うかの様に。

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 しばしの沈黙。

 しかし、

 「・・・けど・・・」

 エリアに向かって、アウスが再び声をかけた。

 「・・・まだ望みはある。」

 「・・・・・・?」

 その言葉に、虚ろな瞳が上がる。

 「知ってるだろ?霊使いボク達の契約証印はしもべが死んでいても、その効力を保っている。つまり・・・」

 アウスは腰を屈めると、放心状態のエリアの瞳を見つめる。

 「君が召喚権を行使すれば、ギゴ氏は君の元に戻ってくる。例え、“どんな姿”になっていても。」

 「―――!!」

 その言葉を聞いたエリアが、目を見開く。

 やがて、その意味を理解したのか、その身体が再び瘧に罹った様に震え始める。

 アウスの手が、そんなエリアの肩をガシッと掴んだ。

 「いいかい?気をしっかり持って、聞いてほしい・・・。」

 震えの止まらない身体をかき抱く様にしながら、アウスは続ける。

 「例え、彼がそうなっていたとしても、肉体さえあれば、転生術や蘇生術で蘇らせる事が出来る・・・。」

 「あ・・・!!」

 その言葉に、エリアが小さく声を上げる。

 虚ろだった瞳に、微かに戻る光。

 「分かるかい?まだ、“彼”を助ける事は出来るんだ。」

 「ギゴを・・・助けられる・・・?」

 力強く、頷くアウス。

 それを見たエリアの瞳に、今度こそ確かな光が宿った。

 

 

 「・・・いいかい。第一に考えなければならないのは、ギゴ氏の“肉体”を取り戻す事だ。魂の寄り代となる肉体がなければ、どんな術も蘇生させる事は叶わない。」

 「分かってる・・・。」

 杖を構えたエリアが、ゆっくりと頷く。

 「さっき、めー氏の携帯を通してウィン女史達と連絡をとった。向こうでも、ギゴ氏の“身体”は見つかっていないそうだ。となると、やはり大怪鳥に運ばれる途中で落とされた可能性が高い。」

 アウスはそこで一旦言葉を切ると、エリアの方を見る。

 杖を握る彼女の手は、プルプルと震えていた。

 無理もない。

 これからひょっとしたら・・・否、ほぼ確実に想い人の無残な姿を見る事になるのだから。

 その心の負担は、計り知れないものだろう。

 しかし、それを知りながらもアウスは次の言葉を紡いだ。

 「事態から考えて、ギゴ氏の身体は“相応”の事になってると思われる。繰り返して言うけど、覚悟はしておいてくれ。」

 「分かってる・・・。」

 再び頷くエリア。

 そう。

 それが、どんなに辛くとも。

 それが、どんなに残酷な事でも。

 これは、エリアにしか出来ない事。

 アウスでも、否、他のどの術師でも、エリアと契約したギゴバイトを召喚する事は出来ない。

 術者はしもべの全てを背負い、しもべは全てをかけて術者を護る。

 そこには、他の誰しもが介入する事は出来ない。

 それが、しもべ契約というもの。

 術者とモンスターとの間に交わされる、絶対の不文律。

 だから、エリアはここに立つ。

 自分に全てを委ねてくれた、彼の全てを救うために。

 カチャリ・・・

 エリアが、静かに杖を構える。

 震える手。

 カタカタという音が止まらない。

 ―と、その手をもう一つの手が包み込む。

 「・・・・・・?」

 見れば、エリアの傍らに寄り添ったアウスが、彼女の手を自分の手で包み込んでいた。

 「・・・これで、幾らかましだろう・・・?」

 そう言って、優しく微笑むアウス。

 「ホント、今日のアンタ、らしくないわ・・・。」

 弱々しく、けれど確かに微笑み返しながら、エリアは杖を掲げる。

 そして―

 「来て!!ギゴ!!」

 叫びと共に、杖が地面に叩きつけられる。

 しかし、

 ガキィイイイイインッ

 「キャアッ!?」

 「クッ!?」

 一瞬、見た事のない魔法陣が浮かび上がり、高く響く音とともに、エリアの杖が弾かれた。

 その衝撃で倒れ伏す、エリアとアウス。

 「な・・・何・・・!?今の!?」

 「召喚喚起が拒絶された・・・!?」

 茫然とするエリアの横で、アウスが呟く。

 「召喚権を・・・奪われた・・・!?」

 「・・・・・・!!」

 アウスの言葉に、エリアは思わず息を呑んだ。

 

 

 ―その頃、エリア達のいる場所から遠く離れたリチュアの城。

 その地下室で、“ある事”が行われていた。

 ゴポ・・・ゴポゴポ・・・

 薄暗い部屋の中には、得体の知れない機器が幾つも設置されている。部屋の中をグルリと囲む様に置かれたそれらの中心には、大きな筒状の水槽が柱の様にそびえ立つ。

 その中は淡く輝くコバルトの液体に満たされ、何本ものチューブやコードが漂っている。

 そして、それらの先にあったのは―

 「ふんふふーん♪おーぅ!!経過は順調ですねぃ!!」

 機械をカチャカチャと弄っていた白衣の男―コザッキーが、手元の計器を見ながら楽しそうな声を上げる。

 と、

 「ねーぇ。これ、いつ終わんの?アタシ、早く遊びたいんだけど?」

 水槽の傍らに立っていた青髪の少女が、コザッキーに向かってそう言った。

 「おーぅ、ミス・エリア~ル。そう急くものではありません!!急いては事を仕損じる、といぃまぁ~す。大丈夫!!作業は順調でぃす!!あと半日程、待ってくぅださ~い。」

 「えぇ~、そんなにぃ!?もぅ、じれったいわねぇ。」

 苛立たしげにそう言いながら、少女―リチュア・エリアルは水槽に手を這わせる。

 「ねぇ、“アンタ”も早く、遊びたいわよねぇ?」

 そんな言葉と共に、見上げる水槽の中。

 そこには、“彼”がいた。

 “彼女”が探し求める、“彼”がいた。

 しかし、もし今の“彼”の姿を見たなら。

 見てしまったのなら。

 “彼女”は間違いなく悲鳴を上げた事だろう。

 コバルトブルーの揺らぎの中、幾本ものチューブやコードに束縛されて、“彼”はいた。

 「だから、早く出ておいで・・・」

 言いながら、エリアルが水槽にキスをする。

 それに呼応する様に、薄く開いた“彼”の口からゴポリと気泡が上る。

 『エ・・・リァア゛ア゛アァア・・・』

 細く濁った声が、闇の中に漏れて消えた。

 

 

                     続く

 



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11話

 

【挿絵表示】

 

                ―11―

 

 

 「ねえ!!どういう事!?どうして、“あの子”を召喚(呼べ)ないの!?どうして“あの子”は来てくれないの!?ありえない!!“あの子”がアタシを拒むなんて、絶対ありえない!!」

 「落ち着いてくれ。エリア女史・・・。」

 半狂乱のエリアを制しながら、アウスは考えていた。

 しもべ契約。

 それは、他者の介入を決して許さない、絶対の契り。

 例えしもべの命が絶えたとしても、その契約は途絶えない。

 しもべが、“しもべ”として存在する限り。

 まして召喚権が奪われるなど、通常では在り得ない事である。

 しかるに、その事態が現実に起きている。

 これは、何を意味するのか。

 アウスの思考が、あらゆる可能性を検索していく。

 そして― 

 「―!!―」

 やがて、それは一つの答えへとたどり着く。

 「そうか・・・!!」 

 そう言いながら、アウスが立ち上がる。

 「・・・?・・・」

 そして、ポカンとするエリアに向かってアウスは言った。

 「エリア女史、ギゴ氏は生きている!!」

 その言葉に、エリアは目を見開いた。

 

 

 いつしか、日は高く昇っていた。

 その日の下で、ウィン達はアウスからの連絡を待っていた。

 しかし―

 「連絡・・・ないね・・・。」

 「・・・だな・・・。」

 ウィンの呟きに、ヒータが答える。

 「ギゴくんのこと、まだわからないんですかね・・・?」 

 途方に暮れた様に空を仰ぐライナ。

 その横で、崖に背もたれながらダルクが言う。

 「・・・アイツの事だ。何か分かれば必ず言ってくるさ・・・。それよりも・・・」

 黒い瞳が、皆を見渡す。

 「僕達は、どうする?」

 「どうするって・・・?」

 「ここでこうやって突っ立ってても、どうにもならないだろう。何か、行動するべきじゃないのか?」

 「・・・そうだな。」

 その言葉に、ヒータが頷く。

 「どうするですか?」

 「とりあえず、ガスタの村に行こう。」

 「むら、ふっとばすですか?」

 「そう、面倒な事は先に済ませとこう。」

 「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」

 交わされる剣呑な会話に、慌てるリーズ。

 「・・・冗談だよ。」

 そんな彼女に向かって、ヒータは冷ややかな視線を向ける。

 何処か呆れた様で、何処か疲れた様な瞳。 

 「んな事、する訳ねえだろ。」

 ライナとダルクも、同意する様に頷く。

 「あんた達・・・」

 「・・・言っとくけどな、勘違いすんなよ・・・!!」

 ホッとした様子のリーズに、ヒータがすかさず釘を刺す。

 「ガスタ(あんた達)を許したわけじゃねぇ。“それ”をやっちまったら、命がけでガスタ(あんた達)を守ったウィンやエリアの気持ちを無駄にしちまうからだ!!」

 ヒータは、あくまで厳しい声音で言う。

 「村に行くのは、エリアに付けられた言いがかりをぶち壊すためだ!!」

 「・・・絞める所は絞めさせてもらうからな・・・」

 「かくごはしとくです~。」

 「・・・ああ、分かったよ・・・」

 口々に言うヒータ達に向かって、リーズはコクリと頷いた。

 

 

 「おいで!!うぃっちん!!」

 キイアァアアアアアアッ

 ウィンの呼びかけに応えて、ウィング・イーグルが姿を現す。

 「リーズさん、乗って。」

 「ああ、ありがとう。」

 そう言ってウィング・イーグルの背に飛び乗るリーズ。

 後ろを見れば、モイスチャー星人の上で居場所を巡って押し合いへし合いしているヒータ達の姿。

 「なあ、アンタ・・・。」

 「何?リーズさん。」

 「本当に良い仲間、持ってるんだな・・・。」

 その言葉に、ウィンは驚いた様にリーズを見る。

 リーズは、そんなウィンに向かって優しく微笑む。

 「・・・うん!!」

 そして、久しぶりに、本当に久しぶりに、ウィンは心からの笑みを浮かべた。

 

 

 「いいかい?エリア女史・・・。」

 訳が分からないといった体のエリアに、アウスは語りかける。

 荒れ果て、ひび割れた彼女の心に染み入る様に。

 優しく。

 ゆっくりと。

 静かに、語りかける。

 「通常、霊使い(ボク達)のしもべ契約は、その対象(しもべ)が死んでいても変わる事なく履行される。それはさっきも言った通りだ。」

 アウスの言葉に頷くエリア。

 「それが、無効化されたという事は、可能性は一つしかない。」

 「・・・何よ?それ・・・?」

 「“彼”が一度死に、そして蘇生もしくは転生させられたということさ。」

 「・・・・・・!?」

 目を見開くエリアの前で、アウスは続ける。

 「霊使い(ボク達)の契約証印が有効性を保ち続ける条件はただ一つ。対象となるしもべが“そのしもべという存在”である事だ。」

 「・・・“そのしもべという存在”・・・?」

 まだ要領を得ないといった体のエリアに向かって、頷くアウス。

 ―曰く、例えて言えば契約の対象が“ギゴ”という名の“存在”であるならば、それがそのまま変わる事無く“ギゴ”であり続けるという事。

 “ギゴ”は、あくまで“ギゴ”であるという概念。

 普通、それは不変である。

 「ギゴ」という存在がその存在の過程で、「デヴィ」や「吉」に変わるという事はありえない。

 例え対象たる存在が死んでいたとしても、その遺体が“ギゴ”であるという事に変わりはない。

 故に、霊使い彼女達の契約証印は、その遺体を“ギゴ”と認識して効力を発揮する。

 しかし・・・

 「それには二つ、例外がある。」

 「例外・・・?」

 「ああ。“蘇生”と“転生”だ。」

 「!!」

 “蘇生”とは、一度死した肉体に、再びその魂を宿す事で新たな生の道へと導き直す事。

 “転生”とは、死した肉体を一度分解し、その魂とともに新たな存在へと構築し直す事。

 プロセスは違うが、両者に共通する事がある。

 それは、事を成された対象者が、“新たな存在”として生まれ変わるという事。

 一度離れた魂と肉体が、もう一度一つに結び付けられる時、それを世界は新たな“誕生”として受け入れる。

 例え、それが生前の記憶を持っていたとしても、生前と変わらぬ心を持っていたとしても、その摂理は変わらない。

 つまり、甦りし者は、生前の存在とは全く別の存在として、世界に認識されるのだ。

 「・・・それじゃあ・・・」

 エリアの呟きに、アウスは再度頷く。

 「ああ。霊使い(ボク達)の契約は、そのしもべが蘇生もしくは転生した時に限り、履行をキャンセルされる。だからボクは、ギゴ氏を蘇生させた後に改めて君達にしもべ契約を行わせるつもりだった。」

 「・・・でも、ギゴは呼べなかった・・・」

 「そう。それはギゴ氏がすでに、蘇生もしくは転生させられているという事を意味する。」

 「・・・誰が・・・そんな事・・・」

 「そこだよ。ボクが悩んでいたのは。」

 そして、アウスは言葉を続ける。

 先刻、エリアがギゴを召喚しようとした際、起こった事象。

 浮かび上がった奇妙な魔法陣が、その召喚喚起を拒絶した。

 ただ契約がキャンセルされただけなら、そんな現象はおこらない。

 召喚喚起が不発となって終わるだけである。

 つまりそれは、すでに新たな契約が現在のギゴを束縛しているという事を意味する。

 ならば、それを行ったのは何者か。

 「あの時、浮かび上がった魔法陣を覚えているかい?」

 「う、うん。確か、変な鏡を象った様な・・・」

 「そう。“鏡”だ。そこに、思い当たる事はないかい?」

 その言葉に、ハッとした様に顔を上げるエリア。

 「ひょっとして・・・!!」

 「そう。“リチュア”だよ・・・」

 「――!!」

 息を呑むエリアに向かって、アウスが言う。

 「君も、薄々・・・いや、確信していたんだろう?今回の事件の裏では、彼らが糸を引いているっていう事を・・・」

 「・・・・・・。」

 無言で俯くエリア。

 それをアウスは肯と受け取る。

 「彼らがギゴ氏を使って何を企んでいるかは分からない。だけど、自分達以外の存在を“資源”としか見ていない様な連中だ。多分、ろくな事じゃないだろう。」

 「・・・・・・。」

 俯いたまま、何も言わないエリア。

 そんな彼女に、アウスはあくまで静かに語りかける。

 「エリア女史。辛いだろうが、今は事実を認識してくれ。今考えなければならないのは、ギゴ氏をどうやって取り戻すかだ。それをするためには君の力が・・・」

 ―と、

 「・・・フ、フフ・・・」

 うつむいていたエリアの口から、そんな声が漏れる。

 「・・・エリア女史・・・?」

 「フフ・・・ウフフフフ・・・」

 怪訝そうなアウスの声には答えず、エリアは笑い続ける。

 「だ、大丈夫かい?エリア女史・・・」

 さすがに心配になったらしいアウスが、そう問いかける。

 途端―

 「ふざけんなーっ!!」

 そんな叫びと共に、ガバリと立ち上がるエリア。

 「何よ!!何々!!って事はつまり、あの新興宗教の引き篭もりどもが、あたしからギゴを奪ったって事!?」

 「いや、君の契約がキャンセルされてた時点での契約だろうから、奪ったってのは正確では・・・」

 「同じ事よ!!」

 怒鳴るエリア。

 甲高い声が、静かな高地でクワンクワンと木霊する。

 「許さない!!リチュアだかカルチャーだか知らないけど、絶対に許さない!!ぶん殴って、踏んづけて、クシャクシャにして、あたしからギゴを奪った事とこの世に生まれた事を後悔させてやるわ!!」

 さっきまでの無気力ぶりが嘘の様に、ギャンギャンと喚き散らすエリア。

 そんな彼女を前に、唖然とするアウス。

 実に稀有な光景である。

 「アウス!!何か食べ物ない!?」

 「え・・・?あ、ああ、このバックに携帯食が幾らか・・・。どうするんだい?」

 「食べるに決まってるでしょ!!血が足りないの!!こんな体たらくじゃ、連中をボコる事もできゃしないじゃない!!」

 そう言いながらバックをかっぱらうと、中から引っ張り出した携帯食にかぶりつく。

 バクバクと頬張るその姿を眺めながら、アウスはクスリと笑う。

 「・・・リチュアの諸君、とりあえず礼を言っておくよ。君らのお陰で、ボクの友人が気力を取り戻したようだ・・・。」

 独り言の様にボソボソと呟く。

 「近いうちにお礼をさせてもらおう。そう、たっぷりとね・・・。」

 そう言って、アウスはその顔に密やかに笑みを浮かべる。

 ・・・見た者が怖気を誘われる様な、そんな冷たい笑みだった。 

 

 

 ビュウウウウウウ・・・

 涼風の吹く空を、ウィン達はそれぞれウィング・イーグルとモイスチャー星人に乗って駆けていた。

 「おーい。ガスタの村ってのは、まだかかんのかよ?」

 「ううん。もうすぐ見えてくるよ。ホラ。」

 ヒータの問いに、ウィンが眼下を指し示す。

 その先には、確かに小さな村が見えてきていた。

 「あれか。よーし、お前ら、準備はいいか?」

 「・・・当然だろ・・・。」

 「じゅんびはばんたんなのです~。」

 そう言いながら、パキポキと拳を鳴らす二人。

 「はは・・・。お手柔らかに頼むよ・・・。」

 そんな皆を見て、苦笑いを浮かべながらそんな事を言うリーズ。

 ―と、

 ズガァアアアアンッ

 周囲に鳴り響く轟音。

 「な、何!?」

 「おい!!あれ!!」

 ヒータの指し示す方を見ると、眼下の村から大きな土煙が上がっていた。

 「な・・・何が・・・!?」

 茫然とするウィン達の前で、再び轟音が響いた。

 

 

 ―村に戻ったカムイは一人、物思いにふけっていた。

 一人っきりの家の中で足を抱えて。

 縮こまりながら。

 息も潜めて。

 身動ぎもせず。

 ただ。

 ただ。

 考えていた。

 (返せ!!返せ返せ返せ返せ返せ!!エーちゃんを返せぇ!!)

 (カムイ・・・アンタの目は何処まで曇っちまったんだ!?)

 頭の中で、交互に木霊するのはウィンとリーズの声。

 (エーちゃん・・・エーちゃん・・・)

 (カムイ・・・、頭を冷やして、もう一度じっくり考えな。何が正しいのか、何がまちがってるのか・・・)

 瞑った目蓋の裏に浮かび上がるのは、青い髪を抱いて涙をこぼす少女の姿。

 それに被さる様に響く、リーズの言葉。

 (アンタがそんなんじゃあ、父さんと母さんあの人達は、安心してsophia様の所に行けないよ・・・。)

 堪らず、頭を抱える。

 その脳裏に浮かぶのは、過ぎ去って行った情景の数々。

 見慣れない魔法陣。

 術を使う、青髪の女。

 村を覆う、毒の風。

 父と母。

 最後の、笑顔。

 療養所に現れた女。

 見覚えのあった、青い髪。

 連れ合いの少女と、飛び出していく姿。

 吹き荒れた大風。

 晴れる毒風。

 戻ってきた女の、疲れ切った顔。

 そこに投げつけられる、罵声。

 荒れ狂う憎悪。

 ただ黙って、それに耐える彼女。

 村を去っていく、後姿。

 夕日の中で、使い魔とじゃれあっていた無邪気な顔。

 突き落とした時、キラキラと散った朱い雫。

 自分を見つめる、使い魔の瞳。

 そして、全ては谷の底へと落ちていく。

 グルグルと回る、記憶。

 グルグルと巡る、思考。

 ・・・分からなかった。

 答えが、分からなかった。

 自分がした事。

 自分がしたかった事。

 自分がしなければならなかった事。

 何もかも。

 何もかもが、分からなかった。

 「父さん・・・母さん・・・オレ・・・オレ・・・!!」

 幼い心と脳髄にかかる、重い負荷。 

 それに耐え切れず、助けを求める様に呟いたその時―

 ドガァアアアアアンッ

 突然の爆音が、辺りに響いた。

 「な、何だ!?」

 慌てて外に飛び出すカムイ。

 ―村は、パニックに陥っていた。

 逃げ惑う村人達。

 見る影もなく潰され、崩れ落ちる家々。

 立ち込める、土煙。

 その向こうで、巨大な影が蠢いた。

 

 

 同じ頃、村の上空に差し掛かったウィン達も、その様を目の当りにしていた。

 「な、何!?何があったの!?」

 「ヒータちゃん!!あんまりきがはやすぎるですよ!?」

 「馬鹿野郎!!オレじゃねえよ!!」

 「見ろ!!あそこに何かいる!!」

 立ち昇る煙の元を、ダルクが示す。

 そこに立つ姿を認めたとき、皆が息を呑んだ。

 

 

 「サフィアさん!!サフィアさん!!」

 自分を呼ぶ声に、サフィアは朦朧としていた意識を戻した。

 見れば、目に涙をためたラズリーが彼の顔を覗き込んでいた。

 「う・・・む・・・?ラズリー・・・小生は、いったい・・・」

 そう言って、地に倒れていた身を起こそうとする。

 「待って!!動いちゃ駄目です!!今、傷の手当をしますから!!」

 言われて見れば、サフィアの白銀の鎧には巨大な爪痕が刻まれ、その身体は無残にひしゃげていた。

 「む・・・これは些か手酷くやられたな・・・。」

 「そうです!!だから、動かないで!!」

 しかし、その声に抗う様に、サフィアはその身を起こそうとする。

 裂けた身体が、ギギギッと軋んだ悲鳴を上げた。

 「ああ、動いちゃ駄目ですってば!!」

 涙混じりの声で言うラズリーを制しながら、サフィアはその視線を村の方へと巡らせる。

 彼が護っていた村の入り口は無残に破壊され、その奥にある村からは白煙が上がっていた。

 「いかん・・・!!」

 それを見て、立ち上がろうとするサフィア。

 「止めてください!!身体が持ちません!!」

 「そうはいかぬ・・・。この村を守るのは、エリア嬢との約定なれば・・・」

 そう言って尚も身を起こそうとするサフィアに、ラズリーが抱きつく。

 「それは分かっています!!だけど・・・だけど!!」

 「ラズリー・・・」

 「お願いです・・・。せめて、この傷の手当が済むまでは・・・」

 「・・・分かった・・・。」

 根負けした様に、再び身を横たえるサフィア。

 それを見たラズリーは、ホッとした様に相好を崩すと手当ての準備を始める。

 「出来るだけ・・・手早く・・・頼む・・・。時が・・・惜しい・・・。」

 「・・・はい。」

 傷の手当てを受けながら、サフィアは先刻自分が対峙した存在の事を思い返していた。

 (・・・あの姿・・・、あの声・・・。まさか・・・)

 自分の考えに言い知れぬ不安を感じながら、サフィアの意識は闇の中へと堕ちて行った。

 

 

 ギィガァアアアアアアアアッ!!

 騒然とする村の中に、轟音の様な叫びが響き渡る。

 「何だよ・・・?何なんだよ・・・!?アレ!!」

 逃げ惑う村人達の中、カムイは立ち尽くし、目の前で暴威を振るう存在を茫然と見上げていた。

 身の丈は数メートル。筋骨隆々とした深緑の身体を、鎧とも機械ともつかない銀色の金属パーツが覆っている。その双眼は禍々しい朱色に染まり、爛々と狂気に満ちた光を振りまいていた。

 ギィガァアアアアアアアアッ!!

 大きく裂けた口が、また咆哮を上げる。

 と、その口中に蒼白い光が集束し―

 バチュンッ

 一筋の閃光となって放たれる。

 ヂュンッ

 その閃光が通った場所には一瞬青白い線が残り、そして―

 ドキャアアアアアアアアンッ

 凄まじい爆音とともに弾け飛ぶ。

 家々の破片とともに降ってくる水飛沫。

 それが、超圧縮された水の一閃と気づく。

 振るわれる暴威はそれだけではない。

 鋼鉄の爪が生えた腕が唸る度、家屋の壁は布切れの様に千切れ飛ぶ。

 巨蛇の様な尾がのたうてば、それだけで地が深く抉られた。

 「まずい!!これ以上暴れられたら・・・!!」

 村の護り手、ダイガスタは自分を入れて五人。

 そのうちの二人、賢者ウィンダールと巫女ウィンダはまだ毒の影響から回復しきっていない。

 もう一人のリーズは今、村を離れている。

 最後の一人、エメラルはまだ姿が見えない。そもそも一種の賭けで成されたエクシーズ体。ひょっとしたら、慣れない魂魄同調(オーバーレイ)に手間取っているのかもしれない。

 それならば―

 自分はダイガスタ。

 ガスタの民を護る者。

 ならば、すべき事はただ一つ。

 「オレが・・・やらなくちゃ・・・!!」

 震える足に力を込め、カムイは相棒の名を呼ぶ。

 「ファルコ!!」

 『ピィイイイーッ』

 呼びかけに答えて、ガスタ・ファルコがカムイの元に舞い降りる。

 「神化降霊(カムイ・エク)神霊降臨!!『ダイガスタ・ファルコス』!!」

 高らかに響く声。

 突風が渦巻き、巨大化したファルコとそれに騎乗したカムイが現れる。

 「行け!!」

 その指示に答え、ファルコスは怪物に向かって舵を切る。

 鋭い風切り音を響かせながら、怪物に肉迫するファルコス。

 土煙に遮られてよく見えなかったその顔が、カムイの前に晒される。

 「――!?」

 それを見た瞬間、カムイの目が驚きに開かれる。

 ―と、

 『ピィイイイイー!!』

 響き渡る、警戒の声。

 ハッと我に帰る。

 慌ててファルコスを上昇させる。

 ゴウッ

 一瞬の後、彼らがいた場所を鋼の爪が轟音を立てて通り過ぎた。

 「はあ・・・はあ・・・」

 恐怖と緊張でカラカラになった喉を、ゴクリと唾で湿らせる。

 「あの顔・・・まさか・・・!?」

 奈落に落ちていく中、自分をしかと見つめていたあの使い魔の顔が思い出される。

 「そんな・・・そんな、馬鹿な・・・!?」

 そう。

 そんな筈はない。

 あの時、確かに。

 確かに、突き落としたのだから。

 あの女と一緒に。

 この手で。

 殺したのだから。

 訳が、分からない。

 カムイが、混乱の極みに達しようとしたその時、

 「あら、アンタ、飛べるんだ?」

 聞きなれない声が、頭上から響いた。

 顔を上げると、その視線の先で踊る、青い髪―

 一人の少女が、杖に腰掛ける様にして宙に浮かんでいた。

 「ああ、ひょっとしてアンタが“ダイガスタ”ってやつ?ふ~ん。意外と貧相なのね。」

 そう言って、せせら笑う少女。

 腰近くまで伸びた長い青髪。

 魚の鰭の様な意匠をあしらった、黒い衣装。

 その姿に、カムイは覚えがあった。

 「お前・・・誰だよ・・・?」

 戦慄きながら、問いかける。

 「アタシ?アタシはエリアル。リチュア・エリアル。」

 そう言って、エリアルは清楚な顔にもう一度冷たい笑みを浮かべた。

 

 

 「――!!エリア女史!!」

 しっかりと携帯食を腹に詰め、腹ごなしにと体操をしていたエリアは背後からかけられた声に振り向いた。

 「どうしたの?アウス。」

 声の主、アウスは右手を耳に当てて宙を睨んでいた。

 「ねぇ。どうしたのよ?」

 再び訊いて来るエリアに、アウスは固い表情で答える。

 「ヒータ女史達と一緒に、ウィン女史の方に向かったデヴィからの通信だ。どうやら、事態は想定以上に面倒な事になっているらしい。」

 「・・・どういう事・・・?」

 「とにかく、ボク達もここを立とう!!話は道中でする!!めー氏、頼む!!」

 アウスの言葉に、異形の天使はゆっくりと身を起こした。

 

 

 カムイは愕然としていた。

 目の前で冷笑を浮かべる少女の姿は、違う事なく“あの時”見たもの。

 確かに、青い髪も、その顔も、自分が手にかけた“あの少女”によく似ている。

 けれど、違う。

 いくらその髪色が同じでも。

 いくらその顔が似ていても。

 その身に纏う雰囲気も。

 その顔に張り付く冷笑も。

 あの少女のものとは、まるで違っていた。

 「そんな・・・そんな・・・!!」

 「?、どうしたのぉ?まるで化け物でも見た様な顔して。」

 そう言って、エリアルと名のった少女はケタケタと笑う。

 「お前・・・お前なのか・・・?おれ達の・・・ガスタの村を毒に染めたのは・・・?」

 その言葉に、エリアルは一瞬キョトンとし、そして直ぐに相好を崩した。

 「ああー。そうそう。どうだった?アタシの猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)。結構、いい感じに逝けたでしょう?」

 決定打。

 カムイは、よろめく足を辛うじて留める。

 馬鹿な。

 そんな馬鹿な。

 それじゃあ、自分のした事は・・・。

 (カムイ・・・アンタの目は何処まで曇っちまったんだ!?)

 頭の中に、リーズの言葉がクワンクワンと木霊する。

 「ああ、そう言えば、アタシも訊きたい事があるんだけどぉ・・・」

 「・・・・・・?」

 エリアルの言葉に、カムイは顔を上げる。

 「アンタ、アタシの“ギディ”に何かした?」

 「・・・え?」

 「何かさっきから、凄い目でアンタの事見てるんだけど?」

 「・・・え?」

 ゾクゥッ

 途端、背筋を貫く悪寒。

 思わず振り返ると、自分を見つめる紅い光と目があった。

 ・・・下にいた怪物が、その赤眼でカムイを見つめていた。

 それは、憎しみ。

 例え様もない憎悪に満ちた、光。

 「あ・・・ああ・・・」

 その光に縛られる様に、足が竦む。

 怪物の口が、ゆっくりと開いていく。

 「エ゛リ゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛・・・」

 空ろに響く、虚ろの声。

 開いた口の中に、蒼白い光が集束していく。

 逃げなければ。

 頭がそう悲鳴を上げる。

 しかし、身体は動かない。

 主の動揺を感じてか、ファルコスの動きにも迷いが生じる。

 そして―

 バチュンッ

 放たれる閃光。

 蒼白い光が、ダイガスタ・ファルコスを貫いた。

 

 

                                     続く



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12話

 

【挿絵表示】

 

 

                ―12―

 

 

 「なるほど。これはなかなか良い趣向じゃ。シャドウ、誉めてつかわす。」

 薄暗い城の中に、艶ある声が厳かに響き渡る。

 玉座に腰を据えたリチュア・ノエリアは目の前の巨大な儀水鏡が映し出す光景を見ながら、満足気に目を細ませた。

 「はは、ありがたきお言葉、恐悦至極にございますれば・・・。」

 彼女の前に傅いたシャドウ・リチュアが深々と頭を垂れる。

 そこから一歩引いた場所では、リチュア・ヴァニティとアバンスが同じ様に傅いてその様を見ている。

 (・・・憎しみに憎しみを喰わせる・・・。相変わらず、悪食な事を・・・。)

 愉快気に儀水鏡を覗き込むノエリアと、その前で頭を垂れるシャドウ。

 それを苦虫でも噛み潰した様な顔で見ながら、アバンスはそう心の声で呟いた。

 ―と、

 「ふふ、そう言うでない。悪食も、極めれば美食ぞ?」

 不意にノエリアが発した言葉に、アバンスの背筋を怖気が貫く。

 「え、あ、それは、その・・・!?」

 文字通り心を見透かされ、慌てるアバンス。

 彼に向かって、ノエリアは妖艶に微笑む。

 「美物も下手物もありはせぬ。わらわの前では、皆平等よ。勿論、“主ら”もな・・・。」

 「――!!」

 その言葉に込められた意を悟り、総毛立つアバンス。

 「つまらぬ矜持など捨て、受け入れよ。さすれば、この世の万物全てはおもろかしい。」

 そして、魔女の教主は教えを説く。 

 「醜く爛れたこの顕界。己も堕ちるが安寧に生きる術ぞ。」

 「は・・・はい!!こ、心得ました!!」

 震えながら平伏するアバンスにもう一度笑みを落とすと、ノエリアは儀水鏡へと視線を戻す。

 (・・・ふ。相変わらず、恐ろしいお方だ・・・。)

 傍らで事の次第を見ていたヴァニティは、心の中で苦笑する。

 無論、己の声もノエリアには筒抜けであろう事を知りながら。

 「しかし、“これ”は実に良いのう。その身に溢れる憎悪がひしひしと感じられるわ。実に心地良い。この蜥蜴、あの村の者共に何ぞ良き(えにし)でもあったのかえ?」

 悦に行った表情でに鏡を眺めるノエリア。その問いに、シャドウは頭を捻る。

 「さて、残念ながら。ただ、“それ”を寄り戻した時より、その魂はかの村の者共に対する怨嗟で溢れかえっておりました。」

 その答えに、ほくそ笑むノエリア。

 「そうか。よいよい。理由など、些細な事じゃ。要はこの魂魄が良き闇に染まっているという事。憎悪、怨嗟、憤怒、殺意。それらこそ、“我ら”の望む力の源泉足りうるものなれば・・・。」

 優しく、けれど冷たく響く声音。

 その場にいる皆が、同意するかの要に頭をたれる。

 「今は、存分に暴れるが良い。そして、より多くの憎悪をその身に取り込むのじゃ。そして、その暁には・・・」

 生白い手がゆっくりと上がり、儀水鏡に映るその姿を愛しげに撫でる。

 「誉れ高き“贄”として、“我ら”が糧としてやろう・・・。」

 破壊されゆく村と、“彼”を映した儀水鏡が妖しく輝く。

 楽しげな笑い声が、城の薄闇に響いて消えた。

 

 

 目の前に、青白い水槍が迫る。

 その軌道は、カムイとファルコをもろともに刺し貫かんとするもの。

 「―ファルコスッ!!左だっ!!」

 咄嗟の指示。

 それに従い、ファルコスは急旋回を試みる。

 しかし、避けきれない。

 貫かれる右翼。

 ピィイイイイイイイイイッ!!

 飛ぶ術を奪われたファルコスが、体勢を崩す。

 「ウワァアアアアッ!!」

 成す術もなく落下する、ダイガスタ・ファルコス。

 「アハハハハハハハハ、落ちた落ちた!!」

 嘲る様に響く、エリアルの哄笑。

 「クゥッ!!」

 カムイは混乱しそうな思考を必死に保ち、落ちるファルコスの体勢を立て直す。

 ズザァアアアアアッ

 結果、何とか脳天からの墜落は免れる。

 しかし、それが限界。

 ファルコスの腹が地面を削り、カムイは地面に投げ出される。

 「う・・・くぅ・・・!!」

 全身を襲う鈍痛。

 それに耐えながら、何とか身を起こす。

 「ファ・・・ファルコ・・・」

 霞む視界で、シンクロの解けたパートナーの姿を探す。

 はたして、彼はカムイより数メートル先で傷ついた翼をバタつかせながらもがいていた。

 「ま・・・待ってろ・・・今・・・」

 フラフラと立ち上がりながら、そのもとへ行こうとするカムイ。

 しかし―

 ゾクゥ

 背後に感じる視線。

 全身を襲う悪寒。

 振り向いたその瞬間、目の前に迫る青白い光―

 逃げられない。

 思わず目をつぶる。

 直後、彼がいる場所より少しずれた場所に着弾する水槍。

 弾け飛ぶ地面。

 「うわぁあああっ!!」

 爆風に弄ばれ、小石の様に転がった身体が壊れた家の柱に叩きつけられる。

 「かはっ!!」

 激痛に詰まる息。

 霞む視界に、迫り来る巨大な足が見えた。

 「―――っ!!」

 痺れる身体に力を込め、何とか身を逸らす。

 耳元を、轟音と共に通り過ぎる鉄の爪。

 木っ端微塵に砕け散る、家の残骸。

 「は・・・はぁ・・・!!」

 バラバラと落ちてくる破片の中を這いずりながら、必死に逃げる。けれど、その背に張り付く視線は決して離れない。

 再び迫る轟音。

 巨木の様な尻尾がその背をかすめ、小さな身体を再び転がらせた。

 ・・・嬲られている。

 気付いた事実に、カムイは戦慄する。

 この身が地に落ちてから、“アレ”が自分を殺す機会など、掃いて捨てる程あった筈。

 なのに、それをしない。

 と言う事は、わざと外しているという事。

 いたぶっているのだ。

 いたぶっていたぶって、いたぶりぬいて、その上で殺すつもりなのだ。

 霞む目で、“ソレ”の顔を見上げる。

 鈍く光る白金しろがねに覆われた、醜い顔。

 しかし、その顔には間違いなく、あの使い魔の面影がある。

 あの少女とともに奈落に落とした、使い魔の面影が・・・。

 「・・・お前、なのか・・・?」

 自分を見つめる紅い目に向かって、カムイは呟く。

 「・・・オレを、殺しにきたのか・・・?」

 その声が届いているのかいないのか、“ソレ”は黙って彼を見据える。

 「・・・仇を、取りにきたのか・・・?あの娘の、仇を・・・?」

 ギギ・・・

 と、軋む様な音を立てて、鋼の口がゆっくりと開いていく。

 大きく、大きく開く、口。

 その奥にあるのは、虚無。真っ暗な、がらんどう。

 それが振るえ、静かに大気を揺るがせる。

 「エ゛ェリ゛リィァアアァアアアア・・・」

 虚ろに、だけど悲しげに響く声。

 それが、全てをカムイに悟らせる。

 (ああ・・・そうなんだな・・・)

 全身から、力が抜けていく。

 自分は奪われた。

 両親を。

 友を。

 仲間を。

 だから、奪ってやろうと思った。

 あの娘から。

 命も。

 何もかも。

 その願いが間違っていたとは、今でも思えない。

 大切な者を奪われた悲しみは。

 苦しみは。

 空虚さは。

 今でもこの心の中にある。

 確かに、ある。

 確かな憎しみとして、心ここにある。

 だけど。

 だけど、それならば。

 “それ”をなす権利は、“彼”にもある。

 不条理に。

 理不尽に。

 大切な者を奪われた悲しみを。

 苦しみを。

 空虚さを。

 その相手にぶつける権利は、“彼”にもある。

 それを否定する事は出来ない。

 決して、出来ない。

 何故ならば。

 それを否定する事は、自分を否定する事になるのだから。

 ただ一つ、“彼”と自分に違う所があるとしたら。

 自分は、間違えてしまった。

 この憎しみを、この想いを。

 ぶつけるべき相手を、間違えてしまった。

 (カムイ・・・アンタの目は何処まで曇っちまったんだ!?)

 頭の中に、何度も響くリーズの言葉。

 今なら、その意味がよく分かる。

 この想いは。

 憎しみは。

 曇らせるのだ。

 カムイはもう一度、“彼”の目を見る。

 自分を見据える、真っ赤な目。

 憎悪と怒りに燃えて、紅く、紅く濁った目。

 あの時の自分も、きっと同じ目をしていたのだろう。

 でも。

 でも、大丈夫。

 “彼”は間違っていない。

 その憎しみを。

 その想いを。

 ぶつけるべき相手は、“ここ”にいる。

 今確かに、“ここ”にいるのだ。

 大丈夫だよ。ほら・・・。

 諦観、贖罪、自嘲。

 それらの想いを持って、カムイは両手を広げる

 “彼”の口が、ゆっくりと開く。

 その奥に広がる、虚ろな闇。

 そこに集束していく、青白い光。

 それに向かって、カムイはゆっくりと目を閉じる。

 その目蓋の裏に、“向こう”で待っているであろう人達の姿が浮かぶ。

 父さん・・・。母さん・・・。

 闇を揺るがし、放たれる閃光。

 その光に照らされながら、カムイは微かな微笑みを浮かべた。

 

 

 その頃、療養所の付近では―

 【くっ!!何なんだ!?お前ら!!】

 【やめてください~!!】

 周囲の家々が燃え盛る中で、ダイガスタ・エメラルが数体の異形の人影達と対峙していた。

 彼らはコソコソと動き回り、逃げ惑う村人、特に子供を標的にして襲い掛かる。

 炎の中響き渡る、子供達の悲鳴。

 「ああ~、良い子や良い子や。泣きんとき。すぐいいトコに連れてったるさかいな。」

 人影の一人、蛸顔の男―リチュア・マーカーがそう言いながら泣き叫ぶ少女をその触手で絡め取る。

 【この!!やめろっつってんだろ!!】

 そう叫び、マーカーに向かってエメラルが旋風を飛ばす。

 しかし―

 ゴオゥッ

 突然吹き上がった炎が、その旋風を遮った。

 【チッ!!】

 【おおっと。ワリィが、テメェの相手はオレだぜ?】

 そんな言葉と共に、エメラルの前に立ち塞がるのは全身を紅蓮の炎に包んだ火蜥蜴。

 大きく鰭を広げるその影に隠れながら、マーカー達は蛮行を続ける。

 「皆!!こちらへ!!」

 「ムスト様ー!!」

 マーカー達の手を逃れた子供達が、ムストの元へ集まる。

 それを背に庇いながら、ムストはマーカー達を睨みつける。

 「お主ら、何者だ・・・!?何の故あって、ガスタ(我ら)が村を襲う!?」

 「何・・・?」

 「何者だと・・・?」

 その言葉に、チェイン、マーカー、アビス、ヴィジョンの四人はニヤリと笑みを浮かべる。(シェルフィッシュは無表情。)

 【なんだかんだと訊かれたら!!】

 「答えてあげるが世の情け!!」

 「闇に闇へと暗躍しせし、誉れ高き悪の組織!!」

 「禁呪集団リチュアとは、我らが事よ!!」

 「・・・・・・(キメ)」

 ビシィッとポーズをキメる五人を前に、ムストはその表情を険しくする。

 「リチュアじゃと・・・!?それではあの毒の風は・・・!?」

 「はいなぁ。ご察しの通り、わてらの仕業でんがな。」

 「!!」

 その言葉に、騒然となる村人達。

 「ホンマならなぁ、あれで皆さん具合いよう昇天してもろて、その後ゆっくり回収する手筈やったんやけど、実際にはご覧の有様や。世の中、ようけ上手くいかへんもんですわ。それで、ちょいと方針を変えさせてもろた訳で。」

 そう言って、ニョッニョッニョッと笑うマーカー。

 それに合わせて、他の面子も笑う。

 「おのれら・・・!!」

 【そうか・・・。事は全部テメェらが・・・!!】

 【許せない・・・!!】

 例えようもない怒りに、三人の声が震える。

 しかし、当のマーカーはあくまでおどけた調子を崩さない。

 「おお、こわ。せやけどなぁ、だからってどうするんでっか?そちらさん、一番腕っ節強そうな鎧の方でもウチのチェインとどっこいどっこいみたいですけどなぁ?」

 【・・・ちっ・・・!!】

 【うぅ・・・。】

 確かに、ダイガスタ・エメラルとラヴァルヴァル・チェインの力は拮抗していた。

 お互いの力が同等である以上、一瞬の隙が勝負を決める。

 その事を十二分に理解しているのだろう。

 チェインは常にエメラルの前に回り、その焔の大鰭で行手を遮る。

 少しでも気をそらせば、紅蓮の焔がエメラルの身を包むだろう。

 今のエメラルに、逃げ惑う民達やムストの援護に向かう余裕はない。

 「これ以上、子供達に手出しはさせんぞ!!」

 その事を悟り、ムストは決死の覚悟で四人のリチュアの前に立ちはだかる。

 「おやおや、血の気の多いおっさんでやんす。あんまり興奮すると、頭の血管切れるでやんすよ?」

 「何故だ!?何故子供達を狙う!?」

 「シャシャ。そりゃ、潰しがきくからでやんす。」

 その問いに、アビスが答える。

 「何・・・!?」

 「リチュア(ウチら)、少数勢力でしてな。人材不足にゃいつも苦労してるんでやんす。だから、こうやってガキ共さらってって、小さい内から仕込むんでやんすよ。ガキの可能性は無限大でやんすからな、上手くいけば良い手駒になると・・・。それに・・・」

 「それに・・・何だ!?」

 ムストの言葉に、アビスはその大きな口を歪に歪める。

 「どうにもならん落ちこぼれなら、儀式の生贄(エサ)に出来るでやんすからなぁ・・・。」

 「・・・!!この外道共めが・・・!!」

 ムストの表情が憤怒のものへと変わり、その身からその歳からは考えられない程の闘気が立ち昇る

 「おおぅ!?」×4

 その勢いに押され、思わずたじろぐ四人。

 「貴様らの様な輩に、これ以上民達に手出しはさせん・・・!!」

 手にした杖を刀剣の様に構え、ムストは叫ぶ。

 「病み上がりと思って甘くみるでないぞ!!おのれら雑魚を打ち倒す程度の力、ないと思うか!?」

 その覇気にタジタジとなりながらも、マーカーはなおもその顔に笑みを浮かべる。

 「ニョニョ・・・。確かにこれは、まともにやり合ったら敵いそうにありまへんな。せやけど・・・ヴィジョン!!」

 「はい!!」

 マーカーの声に答えるヴィジョン・リチュア。

 しかし、その声が聞こえたのは・・・

 「うわーん!!ムスト様ー!!」

 「何!!」

 背後から響いた声に驚いて振り向いたムストの目に映ったのは、子供達を両脇に抱えるヴィジョンの姿。

 「貴様!!いつの間に!?」

 「すいませんねぇ。これも渡世の義理というやつです。どうぞ、御容赦を・・・。」

 「おのれ!!」

 ムストの杖が、鋭く宙を凪ぐ。

 しかし―

 ヴォン

 その目の前で、ヴィジョンの姿が子供達ごと揺らいで消える。

 「なっ!?」

 再び驚くムスト。

 ―と、その背中に迫る殺気。

 「!!」

 咄嗟に振り返れば、両手の双剣を振りかざして飛びかかって来るシェルフィッシュの姿。

 「・・・・・・(殺)」

 「ぬぅ!!」

 ガキィイイイイインッ

 振り下ろされる剣を、何とか杖で受け止めるムスト。

 ギリギリギリッ

 そのまま、鍔迫り合いの体勢となる。

 その視線の先で、再び具現化するヴィジョン。

 その両脇には、しっかりと泣き叫ぶ子供達が抱えられている。

 「く・・・!!」

 歯噛みするムストを、マーカー達が嘲笑う。

 「ニョッニョッニョッ。どうでっか?どうやら能力と人数の利はこっちにあるようでんなぁ。」

 「・・・・・・!!」

 「まぁ、わいらの仕事は資源の調達ですからな。テキトーに集めたら、トンズラこかせてもらいまっさ。ヴィジョン、シェル。その間、このじーさんの足止め、頼みまっせ。」

 「はい。」

 「・・・・・・(了解)」

 「卑怯な・・・!!」

 「卑怯?なら月並みですが、言わせてもらいまっさ。“良い響きでんなぁ”!!」

 ニョニョニョッ、と高らかに笑うマーカー。

 エメラルとムストが、悔しげに顔を歪める。

 たった二人で事に挑まなければならないガスタ。

 数で勝り、必要最小限の任務をこなせばいいリチュア。

 情勢の優劣は、明らかだった。

 「ニョニョニョ。もう諦めなはれ。勝敗はつい・・・」

 ・・・と、それまで余裕の態だったマーカーが途端にキョロキョロし始めた。

 「どうしたでやんす?マーカー?」

 同輩の様子に、怪訝そうに問いかけるアビス。

 「いやな、ホレ。こないだも、こないな具合に調子良うやっとったら突然上からグチャーッと・・・」

 その言葉に、アビスがあからさまに嫌な顔をする。

 「あの電波娘でやんすか?嫌な事思い出させるなでやんすよ。」

 「いやぁ・・・事がこう上手く進んどると、どうにも気になってなぁ・・・」

 「完全にトラウマでやんすな。あんな事、そうそうあるもんじゃないでやんす。気にするなでやんす。」

 そう言って、肩をトントンと叩くアビスに、マーカーは苦笑いで返す。

 「そ、そうやな。あないな凶事、そうそう起こるわけないわ。ニョニョ。阿呆やなぁ、わい。つまらん事気にしおってからに。」

 「そうそう。今は素直にこの勝利に酔いしれればいいでやんす。」

 「全く!!全くや!!ニョッニョッニョッ!!」

 そしてマーカーは天を仰ぎ、高らかに笑う。

 ―と、

 フッ

 上を向いたその顔に、落ちる影。

 「・・・へ?」

 マーカーがそう言って目を開いた瞬間―

 「ちょいなーーーっ!!!」

 ゴブチャァアアアアアアアアッ

 「エブォラァアアアアアアッ!!?」

 降って来た靴底に顔面を踏み抜かれ、マーカーは陸揚げされた蛸の様に地に伸び転がった。

 「マ、マーカーァアアアアアッ!?」

 目の前で起こった再びの惨劇に、アビスの叫びが虚しく空に響き渡った。

 

 

                                  続く

 



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13話

 

【挿絵表示】

 

                   ―13―

 

 

 「はぎゃあああああっ!?おめぇは!?おめぇはでやんすー!?」

 天から降ってきた厄災・・・もとい少女に、アビスは腰を抜かして絶叫する。

 その表情は、この上ない恐怖一色に彩られている。

 「あれ?なんかふんだです?」

 一方、当の少女―ライナは足元で伸び広がる“それ”を見下ろしながら、顔をしかめていた。

 「なんですか、これ?きもちわるいですねー。」

 そう言いながら、確かめる様に足を擦り動かす。

 その度に“それ”はグチャネチャと気色の悪い音を立て、「ラフゥウウゥウウウウ・・・」とこれまた気味の悪い断末魔の様な声をあげる。

 「はれ?でもこのふみごこち、なんかおぼえがあるような?」

 そう言って、さらにグチャネチャ。

 「ギュフゥエェエエエエエ・・・」

 グチャネチャ グチャネチャ

 「グブゥフゥウェエエエエ・・・」

 「やめてぇえええ!!もうやめたげてぇえええええ!!」

 傍らで腰を抜かしていたしていたアビスが、我に帰った様に止めに入る。

 「何でやんすか!?何なんでやんすか!?アンタは!?一体全体、オイラ達になんか恨みでもあるでやんすか!?」

 ライナの足にすがりつき、そう泣き叫ぶ。

 もう涙目である。

 何だかんだ言って、こっちも結構なトラウマだったらしい。

 そんなアビスを見て、ライナは小首を傾げる。

 「おや?どっかでみたような、みてないようなそのおかお。どちらさまでしたかね~?」

 「んな・・・!?」

 アビスの背後にガ~ンという擬音が浮かび、その顔にタテ線が入る。

 「忘れたでやんすか!?あんだけの事やっといて、忘れたとのたまうでやんすか!?アンタって人はぁああああ!?」

 あまりと言えばあんまりな態度に、絶叫するアビス。

 気持ちは分からなくも、ない。

 「ふ~む?」

 しばし考えるライナ。

 腰につけたポシェットをあさり、何やら取り出す。

 出て来たのは大きめの冊子。その表紙には「にっき」と書いてある。

 ペラペラペラ・・・

 沈黙の中響く、ページをめくる音。

 そして―

 「あーーーっ!!」

 ライナが叫ぶ。

 「あなたをかくしん!!」

 そう言って、ビシィッとアビスに指を突きつける。

 「あなたは、あのときのリチュアさんバカさんのひとり!!」

 「そ・・・そう!!そうでやんす!!そうでやんす!!」

 涙を滝の様に流しながら頷くアビス。

 三馬鹿うんぬんはもう、どうでもいいらしい。

 「・・・と、いうことは、“これ”はまさか・・・!?」

 ハッとした様に足元を見下ろすライナ。

 途端―

 「そのまさかじゃあぁあああああああっ!!」

 ガバァッ

 渾身の力を込めて起き上がるマーカー。

 「きゃうっ!?」

 慌てて飛びのくライナ。

 その前で仁王立ちになり、マーカーはゼイゼイと肩を揺らす。

 「一度ならず二度までも!!さんざんぱら踏み躙りおってからに!!骨折れたらどないするゆーとるやんけ!!」

 「お前、骨ないけどなぁ!!」

 とりあえず、お決まりを一巡するアビスとマーカー。

 しかし、それを終えたマーカーはギッとアビスを睨む。

 ビクッと身を竦ませるアビス。

 それに構わず、マーカーは怒鳴る。

 「見てみぃ!!アビの字!!お前があんな能天気な事ゆうからて、それに乗ったらこの有様や!!」

 「堪忍!!堪忍でやんす!!」

 「堪忍やない!!」

 ビシィッ

 「あぅっ!?」

 マーカーの触手が、アビスの頬を張る。

 「ええか!?分かったつもりになって過去と同じ失敗を繰り替えすんは、阿呆や!!阿呆の所業や!!」

 「う、うぅ・・・」

 「こんな事ばっかやっとったら、ワイら一生三下の使いっ走りのまんまやで!?ええのか?それでええのんか!?」

 「あの・・・」

 「全く・・・全く面目ないでやんす・・・」

 「あの日、あの夕日の下で誓ったやろ。ワイらは決してこのままでは終わらん!!必ず・・・必ずや、この手でリチュアのてっぺんまで登りつめて見せると!!なのに、こんな様ではそれもままならん!!」

 顔を茹蛸の様に赤くして熱く語るマーカー。その目には、涙が浮かんでいる。

 「マーカー・・・」

 「ええか?ワイはお前が憎くて言うてるんやない・・・。ワイらの・・・いや、お前の未来を憂いとるから言っとるんや・・・。分かるな・・・?」

 「あの~」

 「分かってるでやんす・・・。分かってるでやんすよ!!マーカー!!」

 こちらも涙を浮かべ、頷くアビス。

 「そうか!!分かるか!!分かってくれるか!!アビの字!!」

 「ありがとう!!ありがとうでやんす!!マーカー!!」

 「アビの字ぃ!!」

 ひしと抱き合い、男泣きに泣く二人。

 一つとなった二人の影を、真っ赤な夕日が真っ直ぐに・・・

 「あのですね・・・」

 「「・・・・・・。」」

 「あのですねぇ!!」

 「「・・・はい~~・・・?」」 

 横から割り込んでくる声に、この上なく嫌そうな顔で振り向く二人。

 見れば、頭に#の字を浮かべたライナが、ジト目でマーカー達を睨んでいる。

 「さっきからきいてれば、あなたたち、ライナのことをむししようむししようとつとめてませんか?」

 「無視しようっちゅーか・・・」

 「なるべく視界に入れたくなかったでやんす・・・」

 ブツブツと言い合う二人。

 そんな二人を睨みながら、ライナは続ける。

 「だいたいあなたたち、こんなところでなにを・・・ってそうだ!!ここがかじになってたからライナたちは・・・!?」

 そう言って、辺りを見回す。

 すると目に入ってきたのは・・・。

 轟々と燃え盛る家々。

 逃げ惑う人々。

 そしてマーカー達の後ろで、縄で縛られて泣いている子供達。

 「・・・・・・。」

 それを目にしたライナの眉根が、キリキリと上がっていく。

 「あなた達・・・さては・・・」

 ギロリ

 鋭くなった目線が、マーカー達を射抜く。

 ビクゥッ

 思わず竦み上がるマーカーとアビス。

 「また悪い事をしていましたね!!」

 眉根を吊り上げ、アホ毛を逆立てながら、ライナは怒鳴る。

 「そ、そないな事言われても、なぁ・・・?」

 「これがオイラ達の仕事でやんすからね~・・・」

 困った様に顔を見合わせる二人。

 「むぅ~!!せっかくあの時助けてあげたのに!!もう許さない!!“シナトの顔も三度まで”なのです!!」

 その言葉に、慌てるマーカー。

 「ま、待ちぃな!!ソレ言うなら、まだ二度目やないか!?」

 「一度はフェイントなのです!!」

 「な、何や!?それ!?」

 「問答無用!!」

 そう言って、ライナが杖を振り上げたその瞬間―

 「危ねぇ!!」

 そんな声とともに、ライナの背後に降ってくるもう一つの人影。

 ゴウッ

 それと同時に、猛烈な火炎がライナともう一人を襲う。

 「きゃあ!!」

 悲鳴を上げるライナ。

 しかし―

 「させるかよ!!」

 もう一つの人影が手にした杖を回転させ、迫る火炎を巻き込む。

 杖に巻き込まれた火炎は見る見る小さくなり、そして消えた。

 【チッ!!今回も仲間がいやがったか!!】

 舞い散る火粉の中、憎々しげな声が響く。

 火炎を繰り出した張本人、ラヴァルバル・チェインは己の炎をいなした少女―ヒータを鋭い眼光で睨みつけると、その向こうでポカンとしている同僚二人に怒鳴り散らす。

 【テメエら、いつまでそんな小娘と漫才かましてるつもりだ!?良く見ろ!!手勢は同等!!訳の分からねぇ化け物共はいねぇ!!丁度いい機会じゃねぇか!!この間の借り、返しちまえ!!】

 その言葉に、ハッとするマーカー達。

 「そ、そうでやんす!!この間とは違うでやんす!!」

 「そ、そうや!!やれる!!これならやれるで!!」

 そう言って、二人は各々武器を構える。

 「馬鹿野郎!!そんな蛸と魚にばかり気ぃとられてんじゃねぇよ!!敵は他にもいるんだぞ!?しゃんとしやがれ!!」

 ヒータの方も、俄然張り切りだしたマーカー達に戸惑うライナにそう檄を飛ばす。

 「は、はいです!!」

 「憑依装着、いくぞ!!」

 「はい!!ラヴ君!!」

 「吉!!」

 『了解!!』

 『合点だ!!姫』

 それぞれの使い魔が、それぞれの主の胸に飛び込む。

 瞬間、眩い光と朱色の炎が渦巻く。

 そして―

 「「憑依装着、完了!!」」

 憑依装着の衣を纏った二人が、光と炎の中から現れた。

 「・・・ライナ。」

 「はいです。」

 「オレはあっちの蜥蜴野郎に話がある・・・。お前らはそっちの海産物勢を頼む。」

 「お話・・・?」

 ヒータの言葉に、ライナは一瞬怪訝そうな顔をするが、そのいつになく真剣な表情に何かを察した様に頷く。

 「分かったです。」

 そう言って、ライナは再びマーカー達へと向き直った。

 

 

 「な・・・何ですか!?あの急に湧いて出た娘達は!?」

 「・・・・・・(不可解)」

 慌てたのは、ムストと交戦していたヴィジョンとシェルフイッシュ。

 数的優位に心理的余裕を持っていたのが、ここに来て突然事態が急変したのだ。

 動揺するのも、無理はない。

 「は、早くこの方を斃してマーカーさん達の加勢に・・・」

 「・・・・・・(同意)」

 しかし、戦場において焦りは隙を生む。

 次の瞬間―

 バキンッ

 真っ二つに叩き折られる、シェルフィッシュの双剣。

 「・・・・・・(驚愕)」

 そして―

 バキャァアアアアッ

 鋭く突き出された杖が、シェルフィッシュの顔面を貫いた。

 「・・・・・・(敗)」

 声もなく(元からないが)昏倒するシェルフィッシュ。

 「シ・・・シェルフィッシュさん!?」

 「わしの前で隙を見せるとは、いい度胸よ。」

 そう言って、ヴィジョンの前に仁王立ちするムスト。

 「さあ、命が惜しければ子供達を放して疾く去れ!!さすれば、今回ばかりは見逃してやろう!!」

 その口から吐き出される強声。

 それに、残されたヴィジョンは圧倒される。

 しかし―

 「そうはね・・・、いかないんですよ・・・」

 その口調が一変する。

 暗く。

 冷たく。

 それと同時に、

 ヴゥオォオオン

 ヴィジョンの身が揺らぎ、その姿が幾つにも分かれる。

 「む!?」

 「私達にね、撤退(そんな選択)はないんですよ・・・。もし、そんな醜態を晒せば、ノエリア様にどんな目に合わされるか・・・」

 ユラユラと揺らぐヴィジョン達が、一斉に小刀を握る。

 「これだけの数、疲弊した今の貴方では避ける事もままならないでしょう?」

 「ぬぅ・・・。」

 ムストの顔が、悔しげに歪む。

 無論、それが虚言であり、本体が一体だけなのは承知の上ではあった。

 しかし、ムストは先刻までの攻防で精神を限界まで疲弊していた。

 その彼に、今の状況を打開するのは難しい。

 それを理解しているのだろう。無数のヴィジョンが一斉に笑みを浮かべる。

 「すいませんが、死ぬのは貴方の方です。お覚悟を・・・。」

 声と共に振り上げられる無数の小刀。

 対するムストは、あえてその目を閉じる。

 視覚で見抜く事が出来ないのなら、刃が身体に触れる瞬間を捉える他ない。

 多少の負傷は覚悟の上。

 余計な感覚を全て閉じ、全身の神経を張り詰める。

 と、それを見たヴィジョンが目を細めた。

 (かかりましたね・・・。)

 四つの目が、上に視線を送る。

 見つめる先は、天井の暗がり。

 そこに、異形の影が張り付いていた。

 手足の長いヤモリの様なフォルム。

 獰猛な獣を思わせる顔が、ギシリと牙を鳴らす。

 ―『リチュア・ビースト』―

 分散したヴィジョンの気配に隠れ、音も無くムストへ忍び寄る。

 その身がムストを射程に収めるのを見たヴィジョンが、目で合図を送る。

 (やりなさい!!)

 フワリと天井から離れる、ビーストの身体。

 大きな口を開け、落ちるはムストの頭上。

 鋭い牙が、彼の首をえぐらんと迫る。

 そして―

 「・・・まあ、話から察するに、悪いのはお前らの方だよな・・・?」

 「え?」

 唐突に響く声。

 途端―

 シャアァアアアアアアアアッ

 鋭い声と共に、空間を滑り抜ける”何か”。

 「グワァッ!?」

 悲鳴と共に、ビーストの身体が弾き飛ばされる。

 その身体は軽々と宙を舞い、地面に叩きつけられる。

 「ビ、ビーストさん!?」

 悲鳴の様な声で叫ぶヴィジョンの前で、泡を吹いて昏倒するビースト。

 視線を戻せば、そこには件の行為の張本人。

 星の様な外殻に身を覆った、奇妙な生物が宙に浮いている。

 「げ・・・『幻殻竜』・・・?」

 「何故、こんなものが・・・?」

 顔色を失うヴィジョンと、異変に目を開けたムストが同時に呟いた瞬間、

 「・・・余裕してる暇があるのか・・・?」

 また響く声。

 そして―

 ボッ ボッ ボッ ボッ ボッ

 周囲に浮かび上がる、無数の朱色の魔法陣。

 「―なっ!?」

 ジャッ ジャッ ジャラァアアアアッ

 驚く皆の目の前で、魔法陣から飛び出すのは幾本もの闇色の鎖。

 それらは目にも止まらぬ速さで宙を走り、違う事無くヴィジョンの群の中の一体に殺到する。

 「なっ!?なっ!?なぁあああっ!?」

 慌てるヴィジョン。

 その身に、闇色の鎖は幾重にも絡まりついていく。

 ガシャアアアアアアアンッ

 無慈悲に響き渡る金属音。

 ヴィジョンの身体は、無数に絡まった鎖に完全に束縛されていた。

 「こ、これは―!?」

 「『闇の呪縛(ダークネス・リストリクション)』・・・!!」

 鎖に宙吊りにされてもがくヴィジョンと、消え行く幻影達を見つめながら茫然と呟くムスト。

 と、その後ろから響く声。

 「・・・上手くいったか・・・。珍しいな・・・。」

 それに振り向くと、一つの人影がゆらりと柱の後ろから現れる。

 「闇の呪縛(そいつ)は発動すると、ターゲットを察知して自動追尾するんだ。いくら分身を増やしたところで、意味はない。」

 漆黒の髪を風に揺らしながら進み出た少年―ダルクは、そう言いながら擦り寄ってきた幻殻竜の頭を撫でる。

 「く・・・まだ仲間が・・・。それも召喚術持ちとは・・・。」

 「何悔しがってる?先に数の差を傘に着てたのはお前らだろ?」

 歯噛みするヴィジョンに向けられる、冷めた視線。

 「卑怯者め・・・!!」

 「・・・言われる筋じゃないな・・・。リチュア(お前ら)には・・・。」

 そして、杖でヴィジョンの腹を一撃。

 「ゲフッ!?」

 呻き声とともに、白目を向くヴィジョン。

 「・・・邪魔なんだよ・・・。お前・・・。」

 そう言って気絶したヴィジョンを一瞥すると、ダルクは唖然としているムストに向き直る。

 「・・・どうやら、あんたが連中のトップみたいだな・・・。」

 辺りで固唾を呑んで事態を見つめる、ガスタの民。

 彼らを見回しながら近づいて来る少年に、戸惑いながらもムストは問う。

 「貴殿らは・・・?」

 「・・・この格好を見て、察しがつかないのか・・・?」

 冷ややかな声とともに揺れる、カーキ色のローブ。

 「その服・・・ウィンの・・・いや、エリア殿の同輩か!?」

 「・・・当たりだよ・・・。」

 言いながら、なおも近づいてくるダルク。

 見上げてくる、漆黒の瞳。

 そこに燃える冷たい炎が、ムストを圧倒する。

 「・・・僕らの仲間に、随分と面白い事をしてくれたそうじゃないか・・・。」

 礼儀も前置きもない。ズッパリと切り込む。

 「・・・随分と、笑わせてもらったよ・・・。“誇り高き風の民”とは、よく言ったもんだ・・・。」

 そして、燃え盛る家々をゆっくりと眺め回す。

 「・・・最初は、僕達が“これ”をやるつもりだったんだが・・・。先を越されたな・・・。」

 本気とも、冗談ともとれない声音。

 しかし、その言葉にムストも、そしてガスタの民達も一斉に息を呑む。

 「待ってくれ!!それは・・・」

 「言い訳は聞かない。弁明も釈明も許さない。」

 取り付く島もない。

 「どう正当化しようが、言い繕おうが、意味はない。あるのは、ガスタ(あんた達)エリア(あいつ)の心を裏切り、傷つけた。その事実だけだ。」

 淡々と紡がれるは、違う事ない断罪の言葉。

 それに、場にいる者達全員が言葉を失う。

 リチュア達の存在を知った今、彼らに反論すべき言葉はない。

 その事をムストはもちろん、他の民達も、今は十二分に理解していた。

 そんな彼らに、ダルクは続ける。

 「さて、どうしてくれる?」

 静かな声が、冷たい響きをもって響く。

 「ガスタ(あんた達)は、どうけじめをつけてくれる?」

 しばしの間。

 「・・・・・・。」

 やがて、ムストは何かを悟り、覚悟するかの様に目を閉じる。

 「貴殿の言う通りじゃ。此度のガスタ我らの業は深い。許しをこう術も、権利もない・・・だが・・・」

 そこでムストは目を開き、見上げるダルクの眼差しを真っ直ぐに受け止める。

 「それを承知であえて言わせてほしい。どうか、民達には罪を問わないでくれ。」

 「へぇ・・・。許せっていうのか?あんた達を。」

 酷薄さを増す、ダルクの声。

 しかしムストはゆっくりと頭を振る。

 「そうは言わぬ。我らの犯した罪は罪。ならば・・・その業、全て神官たるわしが被う。」

 ザワ!!

 その言葉に、周りの民達からざわめきが起きる。

 「へえ、あんたが?」

 黒い瞳がゆっくりと細まる。

 「そうだ。この身、この命、好きにしてくれて良い。そしてそれをもって、ガスタ(我ら)が罪の清算として欲しい。」

 「ふぅん・・・。」

 ダルクの腕が、ゆっくりと上がる。

 魔物の頭骨を模した杖が、ムストの顎をクイッと上げた。

 暗く落ち窪んだ杖の目が、ボンヤリと妖しい光を放つ。

 黙って目を瞑るムスト。

 その時―

 「待ってくれ!!」

 周囲の民の間から、声が上がる。

 「ムスト様は、ムスト様は違うんだ!!」

 「そうよ!!ムスト様は、“あの事”には関わっていない!!」

 「やったのはわたし達!!わたし達なの!!」

 「罰するなら俺達を・・・俺達を罰してくれ!!」

 口々に上がる叫び。

 「お主ら・・・」

 茫然と呟くミスト。

 その様を、ダルクは冷めた目で見回す。

 と、その袖がクイクイと引かれる。

 見れば、幼い少女がその大きな目に涙を溜めてダルクの袖を引いていた。

 ・・・あの時、エリアに向かって石を投げ付けていた少女だった。

 「・・・ごめんなさい・・・」

 小さな口が、言葉を紡ぐ。

 「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」

 他に、紡ぐべき言葉を知らないのだろう。ポロポロと涙をこぼしながら、その言葉ばかりを繰り返す。

 拙く、けれど純粋に。

 気付けば、場にいる民達全員が泣いていた。

 愛する者を不条理に奪われた悲しみ、怒り。

 それを、違えた場所にぶつけてしまった後悔、懺悔。

 その狭間の中で苛まれ、涙をこぼし、嗚咽を上げていた。

 と、その様を見ていたダルクが大きく一つ、溜息をつく。

 突き付けていた杖をムストから離し、自分の裾を掴む少女の頭をポンポンと優しく叩く。

 訳が分からず、キョトンと見上げる少女。

 そして―

 「あんた達は、本当に分かっていないんだな。」

 呆れた様に、言った。

 「ガスタ(あんた達)を殺したとこで、エリア(あいつ)の心は癒えやしないんだよ。」

 「!!」

 「その目玉のイカれたフィルター外して、思い出してみろ。エリア(あいつ)は、そんな事を喜ぶ様なやつだったか?」

 「・・・・・・。」

 言葉を失う、ガスタ達。

 「もし、本当にエリアあいつに償いをしたいなら・・・」

 沈黙するガスタに向かって、ダルクは言い放つ。

 「今はただ、エリア(あいつ)に向かって頭を下げろ。心からな。」

 「――!!」

 その場にいた皆が、ハッと顔を上げる。

 その様を見たダルクは、また一つ大きな溜息をつくと踵を返した。

 「それまで、皆ちゃんと生きてろよ。死なれちゃ、身も蓋もないんだからな。」

 そう言いながら、炎の燃える戦場へと歩いていく。

 その背に、ムストは慌てて声をかける。

 「貴殿は―」

 「・・・ダルク・・・。」

 「!?」

 「・・・ダルクだよ。向こうの二人は、ライナとヒータだ。覚えとけ・・・。」

 そう言って、ダルクは再び歩き出す。もう、振り返りもしない。

 その杖に、何処で見ていたのか、D・ナポレオンが飛んできて止まる。

 とたん、その身を包む黒い光。

 やがて現れるのは、憑依装着した二人の姿。

 炎の燃える音の中、聞こえてくるのはいつものぼやき。

 「・・・あ~あ。回ってきたお鉢が、こんな面倒な役回りだなんて、全くもってついてないよ・・・。」

 『マァ、ソウ言ワズニ・・・』

 身につけた衣を吹き付ける熱風にはためかせながら、遠ざかっていくダルク。

 「・・・すまぬ・・・。」

 その背にムストはそう呟き、頭を下げた。

 

 

 ―その頃、ライナと対峙していたマーカー達は―

 「ちょ、ちょお!!ヤバイで!!ヴィジョン達、やられてもうたがな!!」

 「ほんで向こうは色々増えてるでやんす!!本格的にヤバイでやんすよー!!」

 「そう思うなら、もう諦めてお家に帰ったらどうですか?」

 見てる方が気の毒になるくらいテンパる二人に、ライナは呆れた様にそう進言する。

 しかし、

 「アホぬかせ!!そないな事したら、今度こそノエリア様に酢だこにされて晩酌の肴にされてまうがな!!」

 「オイラも捌かれて、フカヒレの姿煮にされるでやんす!!」

 「・・・何か、この間といい上司に恵まれてないみたいですねぇ~。」

 「えぇい!!見るな!!そんな目で見るんやな~い!!」

 心底気の毒そうに見つめてくる視線を振り払いながら、マーカーが叫ぶ。

 「こうなったら自棄や!!アビの字、二人がかりでこの電波娘だけでも〆るで!!」

 「お、おうでやんす!!」

 そんな彼らに、ライナは真顔で答える。

 「無理ですよ。貴方達は勝てないです。」

 「「んなっ!!」」

 あまりにもキッパリ言われ、絶句するマーカー達。

 「な、何おぅ!!舐めるんやないで!!いくらワイらが雑魚でも、力合わせりゃあんさん一人くらい・・・」

 「そうでやんす!!だいたい、この間オメェが勝てたのは、あの訳の分からん天使どもがいたからでやんす!!独り身の今日の身で、何を偉そうに・・・」

 茹蛸の如く真っ赤になって憤る二人に、ライナははぁ、と溜息をつく。

 「その事なんですけどね・・・。」

 「「あぁん!?」」

 「何でライナ達、上から降ってきたと思ってるですか?」

 「・・・へ?」

 「・・・は?」

 その言葉に思わず上を仰ぎ見た瞬間―

 ズビズビバーッ

 「「アビブベバーーーッ!!?」」

 天から降ってきた光線に打ち抜かれ、引っくり返るマーカーとアビス。

 見れば、はるか上空にプカプカと浮くモイスチャー星人の姿。

 「お・・・おった・・・おったやんけ・・・」

 「だ、誰でやんすか・・・いないなんて、言ったのは・・・」

 「だから、言ったのに。」

 ほら見ろと言わんばかりに、ライナがポリポリと頭を掻く。

 「お・・・おにょれ・・・」

 「ま・・・マーカー、最期の言葉を・・・」

 「・・・わ、分かった気になって、同じ失敗を繰り替えすんは・・・」

 「・・・あ、阿呆の証拠・・・」

 そして、二人はガックリと倒れ伏す。

 「全くもう・・・」

 チリチリと香ばしい焼きタコと焼き魚の香りが漂う中、二人の屍(?)を乗り越えて、縄で縛られた子供達の元へと向かう。

 「大丈夫?」

 縄を解かれ、半泣きの顔で頷く子供達を慰めながら、ライナはふと思う。

 (この子達を人質にとれば、もっと楽に戦況を進められたのに・・・。)

 それをしなかったのは、一重に“彼ら”の愚かさ故か。

 それとも・・・。

 ちらりと、のびている二人の顔を見る。

 「・・・・・・。」

 酷く甘い考えだと知りながら。それでもライナは密かにその事を祈った。

 

 

                                続く



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14話

 

【挿絵表示】

 

 

 

                   ―14―

 

 

 ・・・それは、今から一ヶ月ほど前の事・・・

 『何か・・・おかしいぞ。姫・・・』

 「ああ、そうだな・・・」

 黒い噴煙が立ち込める空を見上げながら、ヒータとしもべのきつね火はそう言い合った。

 その日、ヒータは新たなしもべの獲得と自己の鍛錬をかね、炎山・バーニング・ブラッドの麓、炎樹海を訪れていた。

 確かに、久方ぶりの訪問ではあった。

 しかし、それを考慮に入れたとしても―

 何かがおかしかった。

 暗い空のその下では、大きくそそり立つ巨山がいつも通り、その天辺に開いた火口から真っ赤な血を流し続けている。

 辺りに響き渡る低い地響きも、変わらない。

 炎樹海の木々も、炎々と燃えるその枝葉を静かに揺らしている。

 変わらぬ光景。

 いつもの風景。

 けれど。

 けれど―

 何かが違う。

 何かが抜けている。

 「――!!」

 途端、何かに思い当たった様にヒータが走り始めた。

 その方向は―

 『お、おい!!姫、何処行くんだよ!?そっちは―』

 ヒータの向かっている場所に気付いたきつね火が、慌てた様に声を上げた。

 『“ラヴァル”の集落じゃないか!!』

 ―“ラヴァル”―

 それは、この地域に居を構える原住民族の名。

 紅く灼熱した岩石状の皮膚が特徴の彼らは、その姿に相応しく好戦的な種族であった。

 目につくもの全てに小競り合いを仕掛けるその姿は、この世界でも有数の蛮族の一つとしてその名を知らしめていた。

 実際、ヒータもこの辺りを訪れた際に彼らに遭遇し、冷や汗ものの経験をした事が幾度かあった。

 そのため、彼女もこの辺りを散策する際には、極力彼らに出会わない様に注意していた。

 一部の、例外を除いては―

 しかし、今ヒータは自らその彼らの集落に向かって走っていた。

 『姫、危ないよ!!勝手に集落に近づいて、ラヴァルの奴らの癇に障ったりしたら・・・』

 耳元で、相方が喚いているが気にもしない。

 火炎草の群落を飛び越え、燃える藻の茂みを潜り抜ける。

 そうやって、炎樹海を抜けた先の広場。

 そこに、ラヴァルの集落があった。

 しかし―

 「何だよ・・・これ・・・」

 茫然と呟くヒータ。

 集落の姿はそのまま残っている。

 領主の住まっていた城。民達の暮らしていた家々。家畜小屋。

 全てがそのまま、残されている。

 けれど。

 だけど。

 気配が、なかった。

 そこに在るべき、生ける者達の気配がなかった。

 『誰も・・・いない・・・?』

 「そんな、馬鹿な!?」

 ヒータは、そのまま集落の中に走り込む。

 バンッ バンッ バンッ

 家々の扉を次々と開けていく。

 集落の中心にある作業場を覗き込み、家畜小屋を見て回る。

 兵舎の中を探索し、果ては領主の城にまでも入り込んだ。

 しかし、結果は同じ。

 いなかった。

 集落を彩る民達も

 城を守る兵達も。

 その兵達が駆るモンスター達も。

 そして、この地を統べる領主さえも。

 その全てが消えていた。

 「・・・どうなって、やがんだ・・・?」

 集落の真ん中で、ヒータは途方に暮れる。

 と、その時―

 クン!?

 きつね火の鼻が何かを捉えた。

 『姫、誰かいる!!』

 「何!?何処だ!?」

 『こっちだ!!』

 きつね火が走り出す。

 その後を追うヒータ。

 「そいつ、ラヴァルなのか!?そこらの、野生モンスターじゃないのか!?」

 『特有の、焼けた硝石みたいな匂いがする!!間違いなく、ラヴァルだ!!』

 かくして、彼女らの行き着いた先に、“彼”はいた。

 ラヴァル特有の灼熱した岩石の体表。大木の様に太い手足。ガッシリとした体躯。

 集落の隅で佇んでいるその後ろ姿に、ヒータは覚えがあった。

 「お前・・・フロギスか!?」

 その声に、フロギスと呼ばれた彼はゆっくりと振り返る。

 「ひー・・・た・・・?」

 丸く無垢な目がヒータを映し、呟く様な声がその名を呼んだ。

 

 

 ―『ラヴァル・フロギス』―

 木こりである彼は、好戦的なラヴァルの中にあって珍しく温和な性格であり、その仕事場である炎火山(バーニングブラッドを中心に連なる大小の火山)において、ヒータとしばしば面識のある仲であった。

 「一体、何があったんだよ!?他の連中は・・・妖女のやつやカエンのおっさんはどうした!?」

 フロギス()のみならず、実はヒータはラヴァルの何人かと密かに親しい仲にあった。

 フロギス同様、性格が温和な者。ヒータと馬の合った者。その理由は多々なれど、皆単身この地を訪れるヒータを気遣い、気の荒い他の面子と遭遇しない様、動向を教えてくれたりしていた。

 他の連中に気付かれたら立場が危うくなるのではと心配するヒータに、彼らは気にするなと笑ったものだった。

 「なあ、どうしたんだよ!?教えてくれ!!そうしょぼくれてちゃ、分かんねぇだろ!?」

 そう詰め寄るヒータに、フロギスはその円らな瞳を瞬かせながら答える。

 「分カラナイ・・・」

 「分からない・・・?」

 「おれ、炎火山ノ奥デ木、切ッテタ。ソシタラ、突然村ノ方ノ空ニ見タ事ナイ魔法陣ガ浮カンデ・・・」

 「・・・・・・。」

 「急イデ戻ッタラ、モウ皆、イナカッタ・・・」

 その言葉に、ヒータは息を呑む。

 「皆、皆、イナクナッテシマッタ!!ろーど様モ、妖女も、かえんサンモ、皆、皆!!」

 フロギスの瞳から、紅く灼熱した雫がこぼれる。地面に落ちた雫が、ジュッジュッと小さな穴を穿った。

 

 

 結局、そこではフロギスが話す以上の事は分からなかった。

 集落を出て、街に来てはどうかとヒータは言った。

 しかし、フロギスはゆっくりと首を振る。

 自分は集落(ここ)を守る。

 いつか、皆が帰って来た時のためにと。

 

 

 この事件は、街ではほんの一時、紙面の片隅を賑わせただけで終わった。

 ただでさえ争いの多いこの世界。

 日々、大小の部族が戦いの中で台等しては消えてゆく。

 そんな中で、いかに世間に名の知れた部族とはいえ、所詮は一地方の小さな、それも蛮族と呼ばれる輩達。その繁亡に興味を持つ者は少なかった。

 皆が思ったのだろう。

 大方、ちょっかいを出した他の種族の逆鱗に触れ、返り討ちにあったのだろうと。

 そしてこの事件も、他の大きな時勢の波の中に流され、人々の記憶から消えていく。

 まるで、そこには最初から何もなかったかの様に。

 それでもこの一件は、ヒータの胸の内に大きなしこりとして残り続けていた。

 人知れず消えていった、友人達への想いとともに―

 

 

 ゴウッ

 吹き荒ぶ熱風が朱色の髪を揺らす。

 ゴヒュッ

 ゴァアアアッ

 今、そこでは二つの力がうなりを上げていた。

 息の詰まる様な強風と、焼け付くような猛炎がせめぎ合い、ぶつかり合っていた。

 その中を、ヒータは真っ直ぐに前を見つめて歩いて行く。

 その目には、叩きつける風に対するひるみも、燃え盛る炎に対する恐れもない。

 彼女はただ、ローブをはためかせ、炎熱の嵐の中を歩いて行く。

 いつまでも続くかと思われた灼熱の壁。

 しかし、どんな存在にも、終わりはある。

 最後の一歩。

 ついに壁は途切れ、ヒータの前にそれを成していた者達の姿が現れた。

 【な!?お、おい、何だ、お前!?】

 戸惑ったような声を上げたのは、吹き荒ぶ風の奏者。

 翠の翼と緑玉の鎧を身に纏った騎士、『ダイガスタ・エメラル』。

 【あぁん?何だぁ、またテメェか!?】

 鬱陶しそうに声を荒げたのは、燃え猛る焔の主君。

 紅蓮の大鰭と灼熱する岩石の鱗で身を覆った火蜥蜴、『ラヴァルバル・チェイン』。

 対峙する二人の目は、自然と自分たちの間に割って入った少女に向けられた。

 【何やってんだ!?こんな所にいたらまきこまれるぞ!!早く逃げろ!!】

 エメラルの言葉に、ヒータはしかし、ひどく冷静な眼差しを向ける。

 「あんた・・・」

 【え?】

 「ここはオレにまかせてくれねぇか・・・?」

 【な!?】

 突然の提案に、仰天するエメラル。

 【何言ってる!!こんな化物、お前みたいな娘にどうにか出来る筈ないだろ!?】

 「あんた、風属性だろ?」

 【え?あ、ああ・・・】

 「風に煽られりゃ、火は大きくなるばかりだ。あんたに“コイツ”は倒せない。」

 【!!】

 「オレはこれでも“炎術師”だ。あんたよりは、(コイツ)の扱いに長けてる・・・。」

 言葉に詰まるエメラル。

 【だ、だけどよ・・・】

 彼が、何とか言い募ろうとしたその時―

 【危ない!!】

 エメラルの中の、“もう一人”が叫ぶ。

 ゴォウッ

 二人の会話の隙を狙ったチェインが、巨大な炎弾を放ってきた。

 しかし―

 バシィッ

 掲げられたヒータの杖が、その炎弾を受け止める。

 ギュルルルルッ

 杖はそのまま回転し、炎弾を巻き込む様に吸収した。

 【チッ!】

 舌打ちするチェイン。

 【おお・・・!?】

 「これで、少しは信用してくれたかい?」

 そう言って、不敵に笑うヒータ。

 【エメラルさん、ここはこの娘の言うとおり、お任せしましょう。】

 【カーム!?】

 自分の内で響いた声に、エメラルは驚きの声を上げる。

 【どうやら、確かにこの場はこの娘の方が適任の様です。それに・・・】

 ダイガスタ・エメラルの中のもう一つの眼差しが、ヒータを見つめる。

 【私はもう一度・・・いえ、今度こそ、本当の意味で信じてみたいんです。“この子達”を・・・】

 【!!】

 ”彼女”の意識が、一心となる彼に重なる。

 その意に、何かを察するエメラル。

 やがて、その顔がコクリと頷く。

 【・・・頼めるか?】

 「ああ!!」

 エメラルの問いに、ヒータはハッキリとそう答えると言った。

 「村の入り口の方でも騒ぎが起こってる。もうあんた等の仲間とオレのダチが行ってるけど、それだけじゃ手にあまりそうなんだ。あんたはそのフォローに行ってくれ。」

 【!!、それって、ひょっとしてウィンちゃん!?】

 カームの声に、黙って頷くヒータ。

 【大変!!早く行かないと!!】

 【分かった!!】

 そして、ダイガスタ・エメラルはその大翼を広げる。

 【おい。】

 「ん?」

 【お前、名は?】

 「・・・ヒータ。火霊使いのヒータだ。」

 【そうか・・・。死ぬなよ。ヒータ。】

 「端から、んなつもりはねえよ。」

 その答えに、エメラルの鉄面の向こうが満足そうに微笑んだ様な気がした。

 次の瞬間―

 バシュンッ

 ダイガスタ・エメラルの身体が空高く舞い上がる。

 【逃がすかよ!!】

 それに向かって、チェインが紅蓮の炎弾を放つ。

 しかし―

 キュキュンッ

 同時に放たれた朱色の炎弾が、それを尽く相殺した。

 【ぬぅ・・・!!】

 遠くに消えていくエメラルの姿を、忌々しげに見送るチェイン。

 「どこ見てやがる?テメェの相手はオレだろ?」

 その声に振り返れば、しもべの稲荷火を従えてこちらを見つめるヒータの姿。

 【ちっ・・・。さっきと言い、今と言い、癇に障る餓鬼だぜ・・・。】

 苛立たしげに牙を鳴らすラヴァルバル・チェイン。

 「そうかよ。悪かったな。けどよ・・・。」

 そう言って、ヒータは杖を構える。

 「オレはオレで、テメェに訊きてぇ事があるんだよ・・・。」

 朱い瞳がチェインの姿を映し、炎の様に艶と輝いた。

 

 

 【あぁん?俺に訊きたい事だぁ?】

 ヒータの言葉に、チェインは怪訝気に目を細める。

 「ああ・・・。ぜひ訊きたい事がな・・・。」

 ジリジリと距離を取りながら、ヒータは言う。

 「あんた、“ラヴァル”って知ってっか・・・?」

 【――!】

 チェインの四眼が、ピクリと動く。

 【さぁて・・・。知らねぇなぁ・・・?】

 「そうか・・・?」

 ヒータの目が、何かを確信した様に細まる。 

 「こっから南、炎火山の麓に住んでた部族だ。荒っぽい連中でさ、あっちこっちにケンカ吹っかけちゃあ騒動を起こしてた・・・。世間じゃ結構有名だったんだぜ?」

 【ほう?悪ぃなあ。こんな生活してちゃあ、どうも世間様の事にゃ疎くなっていけねぇ。】

 おどけた様に、両手をあげるチェイン。

 しかし、構わずヒータは続ける。

 「んで、一ヶ月程前、そいつらが突然消えちまった・・・。」

 【・・・へえ、それはそれは・・・。】

 「ホントに、キレイさっぱりだ。何も遺さずにな・・・」

 沈黙に包まれる炎樹海。

 誰もいなくなった集落。

 遺されたフロギスの涙。

 何を遺す事もなく、消えた友人達。

 「オレはそいつらと少なからず縁があってな、ずっと引っかかってたんだ。その事が・・・。」

 朱色の炎をいただく杖が、チェインに向けられる。

 「それでよ、あんたの見てくれがそいつらに良く似てるのさ・・・。」

 その身から噴出す紅蓮の炎。

 身体を覆う、灼熱した岩石状の鱗。

 それが、ラヴァルの者達の姿と重なる。

 「だから、何か知ってんじゃねぇかと思ってよ・・・。」

 【・・・・・・。】

 かけられる、真意の問い。

 しかし、チェインは答えない。

 ただ、濁った赤色の四眼でヒータを見つめる。

 「なぁ、どうだい?」

 【・・・・・・。】

 やはり、答えはない。

 「なぁ・・・」

 【あーーあ!!】

 突然、チェインが大あくびをした。鬱陶しそうに、長い首をコキコキと回らす。

 【持って回った言い方すんじゃねぇよ!!ウザッてぇ!!言いてえ事があるなら、はっきり言いな!!】

 「ああ、そうかよ!!なら言ってやらぁ!!」

 その言葉に、ヒータも声を荒げる。

 「さっき、テメェの炎を往なした時気付いたんだ!!その炎は、その紅蓮の炎はラヴァルの炎だ!!間違いなくな!!だが、テメェはラヴァルじゃねえ!!ラヴァルじゃねえテメェが、何でその炎を持ってる!?操れる!?さぁ、答えてもらおうじゃねえか!!」

 【――!!】

 「・・・・・・。」

 二人の間に流れる、しばしの静寂。

 やがて―

 【・・・カ・・・カカ・・・】

 「!?」

 【ヒカカカカ・・・ヒーカッカッカッカッカッ!!】

 身をよじって笑い出す、ラヴァルバル・チェイン。

 「・・・何が可笑しいんだ?」

 ヒータの言葉に返るのは、嘲笑を纏った声。

 【いいねぇ!!たまらねぇ!!その青くせぇ正義感!!腹が千切れるぜぇ!!】

 そして嘲りの笑いの中、言葉は紡がれる。

 【いいぜ!!答えてやるよ!!笑わせてもらった礼になぁ!!】

 笑う火蜥蜴の大鰭がバサリと翻り、紅い火の粉を散らす。

 その邪悪を孕んだ熱風に、ヒータは顔をしかめる。

 【そうさ!!こいつはラヴァルさ!!ラヴァルの力さ!!】

 その紅い四眼を爛々と輝かせながら、チェインは言う。

 【そうよ!!リチュア(俺ら)がやったのよ!!リチュア(俺ら)が、あいつ等を喰ってやったのさ!!】

 「喰った・・・?」

 絶句する、ヒータ。

 その様を見たチェインは、ますます楽しげに顔を歪ませる。

 【すげぇだろ!?ノエリア様が、俺らの頭がやったのさ。一部族丸ごと喰っちまうなんて、ホントにすげぇ!!ほれぼれしたぜ!!】

 その目に狂気の色さえ浮かべながら、紅蓮の火蜥蜴は哄笑を上げる。

 背筋に走る、嫌悪の悪寒。

 【最高だったぜぇ!?この身にラヴァルの力が、命が雪崩れ込んでくるあの感覚ぁ!!とんでもねぇ快感だった!!】

 ヒータの中の熱が、急激に形を変えていく。

 細く、鋭く。だけど、より熱く。

 「・・・黙れよ・・・。」

 【それだけじゃねぇ!!力と一緒に入ってくる、苦しみや絶望、悲しみなんかの感触もたまんなかったなぁ!!上の連中が儀式に凝るのも分かるぜ!!それこそ、女犯すのの何倍も・・・】  

 と―

 ゴバァッ

 【グゲェッ!!】

 突然宙を裂いた炎弾が、チェインの口内を直撃した。

 口を押さえ、のたうつチェイン。

 【こ・・・この餓鬼・・・!?】

 怒りに燃える視線の先で、杖を構え直したヒータが言う。

 「黙れっつってんだろ・・・?耳が腐るんだよ。」

 ヒータの静かに燃え立つ声が、チェインを打ち据える。

 その傍らでは、稲荷火が同じ様に怒りに全身を震わせ、唸り声を上げていた。

 「・・・つまり何か?リチュア(てめぇら)は力なんかを得るために、ラヴァルの奴らを生贄にしたってのか?」

 【・・・・・・。】

 口から白煙を漏らしながら荒い息をつくチェインに、返す言葉はない。

 そんな彼に構わず、ヒータは続ける。

 「確かにラヴァルは厄介な連中だったよ・・・。気が荒くて、喧嘩っぱやくてな。だけど・・・。」

 ヒータの脳裏に、かつてのラヴァル達の姿が甦る。

 生きるに厳しい土地に生まれた彼ら。

 生きる為に、常に戦いを選ばざるを得なかった彼ら。

 それ故に、蛮猛ならざるを得なかった彼ら。

 それでも、己らの生き様に誇りを見出していた彼ら。

 弱い者は襲わず。

 卑怯な手は使わず。

 無意に殺める事はせず。

 ただただ、己らに強いられた生き方を受け入れ、それを高みに昇華しようとしていた彼ら。

 そして何より、そんな生き方から脱落せざるを得なかった者達を、迫害する事もなく仲間として受け入れていた彼ら。

 「そんな奴らでもなぁ、生きてたんだよ!!一生懸命に!!その命を燃やして!!」

 そう。

 かつての友人達は言っていた。

 自分達を、哀れだなどとは思わない。

 だからといって、正しいなどとも思わない。

 だけど、掲げる誇りに嘘はつかない。

 たとえ蛮族と呼ばれようと。

 たとえ戦狂いと蔑まれようと。

 胸ここに抱く、誇りは絶対。

 そんな一族に生まれた事を、後悔はしないと。

 その信念を。

 その想いを。

 ヒータは尊いと思った。

 だから。

 だから、彼女は叫ぶ。

 「確かにな、生き物は他のやつを食わなきゃ生きていけねぇ時もある!!戦わなきゃ、守れない時だってある!!だけど、それは平等な命と命のぶつけ合いだ!!燃やし合って、傷つき合いながら、必死の思いで勝ち取るものなんだ!!それが誇りだ!!生きるっていう、炎の誇りだ!!あいつらは、ラヴァルはそれを分かってた!!」

 ヒータの杖の炎がゴゥと燃え立つ。

 まるで、その昂ぶりを表すかの様に。

 「だけど、リチュア(てめぇら)はそうじゃねぇ!!誇りも、矜持もありゃしねぇ!!自分達だけ、安全な高みから薄笑み浮かべて喰い散らかすだけだ!!そんな奴らに、ラヴァル(あいつら)をどうこうする権利なんかありゃしねぇんだよ!!」

 ありったけの想いを吐き出すヒータ。

 その目の前で、グツグツと沸き立つ長虫の身体が蠢く。

 【・・・言いてぇ事は、それだけか・・・?】

 ようやくダメージから立ち直ったのか、チェインがズルリとその身を起こす。

 その手に握られるのは、真っ赤に焼け付く鎖刃。

 【気に喰わねぇ・・・。全く、気に喰わねぇ事この上ねぇ餓鬼だぜ・・・。】

 真っ赤な殺意に滾る四眼でヒータをねめつけながら、チェインは鎖刃を構える。

 【胸糞の悪い屁理屈こねやがって。正義の代弁者にでもなったつもりか?あぁ!?】

 「・・・そんなんじゃねぇよ。」

 しかし、その視線を受け流しながらヒータは答える。

 「オレはアウスみたいに賢くねぇ。ライナやダルクみたいに信念もねぇ。ましてや、ウィンやエリアみたいに守るべきものもねぇ。テメェの言う通り、ただの餓鬼さ。だから・・・」

 彼女の手の中で、ヒュヒュンと杖が踊る。

 「行動原理も、至極単純なんだよ!!」

 踊っていた杖がピタリと止まる。

 それを構え、ヒータは言う。

 「ダチ達とその仲間の仇、キッチリと討たせてもらうぜ!!」

 凛とした声が、燃え立つ炎の中に響いた。

 

 

                                    続く

 



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15話

                            続く


 

【挿絵表示】

 

 

                 ―15―

 

 

 「吉、こいつはオレ一人でやる。手を出すな。」

 『・・・御意。』

 主の言葉に従い、後方に下がる稲荷火。

 【ヒカ、ヒカカカカカカカカ!!】

 そんな彼女達を見て、ラヴァルバル・チェインは高らかに笑う。

 【威勢がいいのは結構だがよ、オメェなんざで俺様の相手が務まるのかねぇ?】

 そう言って、チェインは紅蓮の大鰭とともに両手を広げる。

 【俺様には、ラヴァル全員分の魂が宿ってるんだぜ?言わば、今の俺様はラヴァルの力全てを束ねた究極の炎術師も同然!!】

 チロチロと火の粉が混じる吐息を吐きながら、大声で叫ぶ。

 【俺様はなぁ、這い上がるのよ!!この“力”を持って!!もっと高みに、天辺に!!もう誰にも、エリアルにもシャドウにも、三下なんて言わせねぇ!!俺様は最強!!俺様は究極!!最高にして至高のリチュアの戦士だ!!そんな俺様が、オメェみてぇな小娘に負けるわけねぇだろ!?】

 その威容と威力が、遥か高みからヒータを威圧する。

 しかし、それに動じる事無く、彼女は不敵に笑う。

 「へぇ。それはそれは。けどよ・・・」

 【?】

 「その小娘に、馬鹿みたいにおっ開けた口を撃たれてヒイヒイ言ってたのは、どなたさんだった?」

 【――!!】

 あからさまな挑発に、チェインの顔から笑みが消える。

 「あの程度の火礫も往なせねぇとは、大した炎術師もいたもんだ。」

 【餓鬼ぃ・・・!!】

 与えられた恥辱に、鋭い牙がギリリと鳴る。

 「弱い犬ほどよく吠えるってな!!」

 熱風にはためくローブをバサリと払い、ヒータはキッと前を見据える。

 朱色の髪が、猛る獅子の鬣の如く火の粉を纏ってたなびいた。

 「教えてやるよ!!本当の炎術師ってのが、どんなもんかをな!!」

 そう言って、燃え盛る杖を突きつけるヒータ。

 そんな彼女に向かって、チェインは吼える。

 【楽に死ねると思うなよ!!嬲って嬲って、嬲りぬいたあげくに、ジリジリ炙りながら生きたまま喰ってやらぁ!!ラヴァル(こいつら)みたいになぁあ!!】

 そして焼け付く鎖刃を振りかざし、紅蓮の火蜥蜴は朱の衣を纏う少女に向かって襲いかかった。

 

 

 ゴォッ

 ゴォンッ

 ゴァアアアッ

 燃え盛る炎獄の如き戦場で、二色の炎が唸りを上げてぶつかり合っていた。

 一つは朱色。紅玉の様に澄み渡り、熱く、それでいて涼やかに輝く純潔の(あか)

 一つは紅蓮。地より湧き出でる溶岩の如く灼熱し、全てを飲みつくさんと暴れる暴威の(あか)

 朱色の炎の主はヒータ。

 紅蓮の炎の主はラヴァルバル・チェイン。

 ラヴァルの力を束ねたチェインの紅蓮の炎は、脆弱なヒータの朱の炎を容易に飲みつくし、彼が駆る灼熱の縛鎖が為す術をなくした彼女の身体を炎熱の苦痛とともに絡め獲る。

 彼は捉えた少女を焼け付く身体で組み敷き、苦悶と屈辱の悲鳴をあげる彼女を、加虐の愉悦とともに思う様に蹂躙する・・・筈であった。

 しかし―

 「炎の飛礫(ファイヤー・ボール)!!」

 ボゴンッ

 【ガァ!?】

 「火あぶりの刑(ギルティ・ブレイズ)!!」

 ゴァアアアッ

 【グェエッ!!】

 カーキ色のローブが舞い、朱色の炎が踊る。

 その度に、苦悶の声を上げるのはチェインの方であった。

 それどころか―

 【この餓鬼ぃい!!】

 ゴウッ

 「無駄だよっ!!」

 ギュルルルルルルッ

 【こ、この・・・!!】

 彼の放つ炎は尽くヒータに往なされて霧散し、吸収されては消え果てた。

 【馬鹿な・・・馬鹿な・・・!?】

 焦りを募らせるチェインに、ヒータが冷淡な声をかける。

 「テメェ、本当に分からねえのか?」

 【な・・・何ぃ・・・!?】

 投げかけられる言葉の意味が、チェインには分からない。

 狼狽する彼に、ヒータは言う。

 「それが分かんなきゃ、テメェは永久にオレには勝てねぇよ。」

 【だ・・・黙りやがれぇ!!】

 そして、彼は再び紅蓮の炎を放つ。

 結果は同じと、薄々気付いてはいながらも・・・。

 

 

 一方、ヒータも言うほどの余裕があった訳ではない。

 ラヴァル全ての力を束ねたというチェインの力は、確かに凄まじかった。

 吐き出す吐息はそれだけで『昼夜の大火事(エンドレス・バーン)』になり、大鰭が放つ火球は彼女の持つ最上位魔法、『死恒星(デス・メテオ)』に匹敵した。

 ヒータの手は呪文もなしに放たれるそれらの対処に忙殺され、自身の攻撃はそのスピードに対応するため詠唱破棄の容易な『炎の飛礫(ファイヤー・ボール)』や『火あぶりの刑(ギルティ・ブレイズ)』といった低レベルの魔法に限定されていた。

 今はそれでも何とか、相手の体力を削る事に成功している。

 しかし、決め手にはならない。

 しかも、一発でも喰らえばひっくり返される。

 その精神的圧迫が、ただでさえ詠唱破棄の苦手なヒータの体力を少しづつ、しかし確実に削っていた。

 

 

 【こ、このままじゃやべぇ・・・!!】

 自分のダメージが確実に溜まってきている事を自覚するにいたって、チェインはその事を認めずにはいられなかった。

 それはこの上ない屈辱ではあったが、同時に彼に冷静な判断力を与えていた。

 このまま、術の応酬を続けても勝ち目は薄い。それならば・・・

 “肉弾戦に持ち込めば良い。”

 術師としては自分より上手でも、所詮は非力な小娘。力勝負になれば完全にこちらに分がある。

 彼は密かにほくそ笑むと、手にした鎖刃を握り締めた。

 

 

 ボゥンッ

 炎の飛礫が、チェインの顔面に当たる。 

 【グァアッ!!】

 わざと大げさに悲鳴を上げる。

 空中で攻撃を当て、地に降り立ったヒータが会心の顔で自分を見る。

 【ちくしょぉおおおおっ!!】

 自棄になったふりをして、火球を放つ。

 それを往なす為、ヒータが杖を前に出した。

 今だ!!

 この時を待っていたのだ!!

 次の瞬間―

 ジャララララララッ

 目にも止まらぬ速さで繰り出された鎖が、ヒータの手をその杖もろともに絡め取る。

 「――っ!!」

 手に巻きつく熱感に、ヒータの顔が歪むのが見えた。

 それに幾ばくか溜飲を下げながら、チェインは力一杯鎖を引く。

 ズザザザザザッ

 ヒータの身体はあっけなく地に倒れ、為す術もなく引きずり寄せられる。

 チェインは勝利の雄叫びを上げると、すかさず大鰭でその華奢な身体を組み敷いた。

 【さぁあ、捕まえたぜぇ!!】

 自分の身体の下で仰向けになったヒータに顔を寄せ、その頬を舐める。

 嫌悪からか、それとも身体を焼く熱感からか。顔をしかめるヒータ。

 その様に、チェインはゲラゲラと笑った。

 【これで決まりだなぁ!!さぁ、どうなるか、分かってんだろうなぁ!?】

 しかし、そこでチェインは奇妙は事に気付いた。

 ヒータが、笑っていた。

 この絶望的な状況下において。

 焼け付く火蜥蜴の身体に炙られながら。

 それでも、彼女はその顔に笑みを浮かべていた。

 【オメェ、何が・・・何が可笑しい!?】

 「・・・・・・。」

 ヒータは答えない。

 ただ戸惑う彼を見上げ、微笑むばかり。

 それが、彼を激昂させる。

 【自分の状況、分かってやがんのか!?これからオメェは俺様に犯されて、刻まれて、焼かれて、喰われるんだぞ!!なのに、なのに何を笑ってやがる!?】

 その叫びに、ヒータはフッと息を漏らす。

 それは、駄々をこねる子供に呆れた様な、そんな表情。

 「テメェ、本当に分かってねえんだなぁ・・・。」

 【な、何ぃ!?】

 「テメェがオレを焼く?無理だね。絶対に。」

 【な、何だと・・・!?】

 「聞こえなかったか!?無理だって言ったんだよ!!テメェの炎じゃ、オレを焼くなんて絶対に出来ない!!」

 【貴様・・・!!】

 その言葉が、仮にも炎術師を名乗ったチェインの自尊心に火を点けた。

 恥辱に満ちた陵辱も。

 惨烈に満ちた蛮行も。

 絶望に満ちた生贄すらも。

 彼女に与えようとしていた虐業の全てが、その頭から一瞬ですっ飛ぶ。

 そして、残る望みは唯一つ。

 ―焼キ殺ス―

 カッ

 その欲求に従い、彼は大きく口を開く。

 紅く赤熱した喉に、灼熱の呼気が溜まっていく。 

 そして―

 【無理かどうか、その身で試してみやがれぇええええ!!】

 ゴウッ

 紅蓮の炎が、至近距離からヒータに吹き付けられる。

 瞬く間に、炎に包まれるヒータ。

 その様に、狂喜の叫びを上げるチェイン。

 【ヒカカカカカカ!!どうだ!!どうだ!!熱いだろぉ!!痛ぇだろぉ!!俺様をコケにした罰だ!!たっぷりとくる・・・!?】

 しかし、その言葉は最後まで続かない。

 【な・・・何・・・!?】

 絶句するチェインの目の前で、驚くべき事が起こっていた。

 苦痛に悶える事もなく、静かに目を閉じたヒータ。

 その身体を包み、焼き喰らう筈の炎。

 しかしそれは、彼女の髪一本焦がす事なく宙へと霧散していく。

 【そんな・・・そんな・・・】

 恐怖の混じった声で、チェインが言う。

 【し・・・知らねぇ!!こんな術、俺様は知らねぇ!!】

 「・・・術じゃねえよ。」

 【・・・え・・・?】

 戦慄くチェインを、目を開いたヒータが見つめる。

 「これは(じゅつ)じゃねえ。(すべ)だ。」

 【術(すべ)・・・?】

 その言葉に、彼女はゆっくりと頷く。

 「オレはこの炎の声を聞いて、それが望む道を開いてやっただけだ。テメェの炎がオレを焼かないのは、オレの意思じゃねぇ。炎自身の意思さ。」

 【な、何だと・・・!?】

 愕然とするチェイン。

 その様を見ながら、ヒータはなおも微笑む。

 「懐に入れてくれてありがとよ。ここまで近づきゃ、この炎達と直に繋がれる・・・。」

 途端―

 パァ・・・

 紅蓮の輝きが、チェインの視界を覆う。

 【―なっ!?】

 再び上がる、驚きの声。

 彼を覆っていた炎が、ラヴァルの魂が、その身から離れ始めていた。

 束縛から放たれた炎達は、紅く輝く霧と化し、虚空へと消えていく。

 【オ、オメェ、何をしやがった!!】

 混乱の極みで、叫ぶチェイン。

 ヒータは言う。 

 「いま言ったとおりさ。道を開いてやったんだよ。(こいつら)が、真に望む道を・・・。」

 【な・・・な・・・】

 そうしている間にも、紅蓮の炎達は宙へと散っていく。

 【ま、待てよ!!待ってくれ!!】

 それに追いすがる様に、手を伸ばすチェイン。

 しかし、霧と化した炎は虚しくその手の中をすり抜けていく。

 【ち、“力”が!!俺様の“力”がぁあああ!!】

 「・・・火の声を聞き、火の心を読み、火と一つになる・・・。炎術師なら、出来て当然の事だ・・・。」

 無様にうろたえるチェインを見つめながら、ヒータは言葉をぶつける。 

 「言っただろ!?テメェは気付かないのかって。テメェの炎は、ラヴァルの魂は、テメェに使われる事を拒んでたんだよ!!」

 【――っ!!】

 「炎と心も通じれない奴が、『炎術師』を名乗るんじゃねぇ!!」

 【あ、あぁあああああーーーっ!!】

 響く絶叫。

 宙を満たす、紅色の輝き。

 やがてそれは空に溶ける様に消えて行き―

 後には、全てを失った水蜥蜴。

 『リチュア・チェイン』の姿が残されていた。

 

 

 「こんな・・・こんな・・・」

 「・・・へ、随分と貧相な見てくれになったじゃねぇか。」

 自分の上で茫然としているチェインに向かって、ヒータは冷淡な視線を送る。

 「よくも・・・よくも・・・!!」

 ワナワナと震えながら、ヒータを見下ろすチェイン。

 牙を食い縛るその顔には、涙すら浮いている。

 「殺してやるぅあぁあああああ!!」

 絶叫とともに、手にした鎖刃を振りかざす。

 それを、ヒータの心臓に振り下ろそうとしたその時―

 「・・・もう一度言うぜ。ありがとよ!!懐に入れてくれて!!」

 ヒータが笑った。

 「・・・え?」

 「それと、“時間稼ぎ”に協力してくれてな!!」

 次の瞬間―

 ヴォンッ

 彼らを中心に展開する、緑色の魔法陣。

 「なっ!?魔法!!いつの間に・・・!?」

 「ありがたく思いな!!本当の奥の手だ!!」

 そして、ヒータは高らかに叫ぶ。

 「開放(レリーズ)!!『火炎地獄(ゲヘナ・フレイム)』!!」 

 ゴォウッ

 チェインの驚きを飲み込む様に、魔法陣から巻き起こる朱炎。

 「ひっ!?」

 すくみ上がる身体を、熱風が包む。

 ケタケタケタ ケタケタケタ

 荒ぶる炎の音とともに、耳朶いっぱいに響き渡る嬌声。

 思わず周りを見回す。

 炎風と共に舞い上がったそれは、朱色の翼をはばたかせる天使達。

 その可憐な様に、目を奪われるもつかの間。

 踊り狂う彼女達が、笑いながらチェインの身体に纏わり着く。

 「―――っ!!」

 身体を焼く熱感に、乾いた喉から漏れる悲鳴。

 次の瞬間―

 ズルリッ

 天使達の姿が崩れ、渦巻く朱色の業火と化す。

 ゴゥアッ

 うねる炎の帯。

 目にも鮮やかにそそり立つそれは、天と地を繋ぐほどに巨大な朱炎の竜巻。

 チェインは為す術もなく、ただ飲み下される。

 「グギャァアアアアアアアーーーーーッ!!」

 響き渡る断末魔。

 咲き乱れる炎華。

 舞い踊る火燐。

 一分。

 五分。

 炎々と。

 延々と続く、炎の狂宴。

 けれど、永遠に続くかと思われたそれにも、やがて終りがくる。

 グゴゴゴゴゴゴ・・・

 静かな唸りを上げて、治まっていく朱色の竜巻。

 火燐は風に散り、炎華は空に溶けていく。

 そして全ての炎が消えた後、そこに残されていたのはボロボロに焼け焦げたチェインの姿。

 グラリ

 その身体が傾ぎ、ドサリと地に倒れる。

 二度三度と痙攣し、そのまま動かなくなる。

 その下で、大の字になったままのヒータ。

 熱風の中をぬって吹いて来た涼風に髪を揺らされ、彼女はハァ、と大きく息を吐いた。

 

 

                                 続く



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16話

 

【挿絵表示】

 

 

                ―16―

 

 

 轟々と黒い煙を上げながら、燃える家々。

 朱に染まる世界の中、地に倒れ伏す影が一つ。

 立ち燃える炎が嘲笑う様に見下ろす中、それはビクリビクリと身体を震わせる。

 (畜生・・・畜生・・・!!)

 全身を被う火傷の痛みと、朦朧とする五感。

 その中でたゆたいながら、リチュア・チェインは一人ほぞを噛んでいた。

 完敗だった。

 力では、上だった筈である。負ける要素など、ない筈だった。

 小娘と侮りさえしなければ。己の力の本質を見誤りさえしなければ。

 しかし、いくら後悔しても後の祭り。

 やがて、悔しさは諦めへと変わっていく。

 そう、所詮自分は三下。

 力を持って這い上がるなど、夢のまた夢だったのだ。

 幸い、かの少女には自分の命まで取るつもりはないらしい。

 あれだけの業火に包まれて、なお生きているのがその証拠。

 ならば、いっそその甘さに委ねよう。

 そうすれば、いずれは・・・

 彼がそう考えた、その時―

 『―無様よのう。チェイン―』

 (――っ!?)

 意識の中に響き渡る声。

 心臓が、竦み上がる。

 気のせい?

 否。

 気のせいではない。

 今のは確かに―

 『―折角、その働きに免じて“力”を与えてやったというに。雑魚は所詮、雑魚と言う事かのう?―』

 ・・・間違いなく聞こえた。

 火傷の熱感が、一瞬で消える。

 代わりに沸いてくるのは、氷の様に冷たい汗。

 『―挙句、敵の情けにすがろうなどと、リチュアの戦士として実にあるまじき事じゃ。そうは思わんか?チェイン・・・―』

 熱い筈の身体が、ガクガクと震える。

 カラカラに乾いた気管が、ヒュウヒュウと音を立てて鳴いた。

 『―よいか?チェイン。今一度、機会を与えてやろう―』

 声が、響く。

 孕むのは、怒りではない。

 情けでもない。

 子供が小虫を嬲って遊ぶ様な、残酷な享楽。

 『―何。今更そなたに勝ちなど期待はせぬ。せめて一矢、報いるがよい。それで、この度の愚は不問に伏そう。ただし、それすらも叶わぬというのならば・・・―』

 不意に、声から色が消えた。

 『―わらわ直々に、喰ろうてやろう・・・―』

 (―――っ!!)

 身体に走る、例え様もない怖気。

 その怖気に喰われる様に、身体から傷の痛みが消えていった。

 

 

 「あ痛たた・・・」

 『大丈夫か?姫。』

 顔をしかめながらフラフラと歩いてくる主ヒータに、稲荷火が急いで寄り添う。

 身体のあちこちには痣が浮かび、胸元には『火炎地獄(ゲヘナ・フレイム)』の代償である火傷が紅い爛れを残していた。

 ボロボロの体の主を気遣いながら、稲荷火は呆れた様に言う。

 『全く、あの局面で“詠唱遅延”など、無理にも程がありますぞ。』

 「しょうがねえだろ?チェインあいつの懐に潜り込んで火炎地獄(あれ)ぶっ放すには、それしか手がなかったんだから・・・」

 通常魔法(ノーマル・スペル)火炎地獄(ゲヘナ・フレイム)』。

 『死恒星(デス・メテオ)』に比肩する、高位の炎術系魔法だが、射程が短いという欠点がある。

 しかし、密着した状態で呪文を詠唱すれば、流石に相手に警戒される。

 その穴を埋めたのが、ヒータの使った“詠唱遅延”。

 これは詠唱した呪文を直ぐに発動させずに溜めておき、ずれたタイミングで発動させる技術。

 詠唱を完全にキャンセル出来る“詠唱破棄”に比べれば下位の技術ではあるが、使い所を見極めればそれに値するだけの働きをする。

 「まぁ、練習してて良かったよな。」

 『呪文を唱えたのは、鎖で引きずられてる時ですか?』

 「ああ。おかげで舌噛みそうになったけどよ。」

 全く。呪文どころか、悲鳴が口を塞いでもしょうがない状況だったろうに。

 呆れる稲荷火。

 「発動時間が来るまでの時間稼ぎも上手くいったしな。チェイン(あいつ)があーゆー小物性格で助かったぜ。」

 ヒータの“詠唱遅延”には、術の発動を任意で決められないという欠点がある。

 熟練した術師であればその発動期を自在に決められるらしいが、生憎と彼女の手腕はそこまでではない。

 遅延させた呪文が高位であればあるほど、その発動は遅くなる。

 故にヒータは話術を使ってチェインを翻弄し、その時間稼ぎを行っていたのだ。

 (相変わらず、無茶をなさる・・・。)

 自分の主の胆力に、稲荷火は今更ながら舌を巻く。

 もし、チェインが冷静な性格で、あの話術に乗ってこなければそれまで。

 逆にそれが相手の不審を呼び、術の発動前にとどめを刺されていたかもしれない。

 「もっとも・・・」

 『うむ?』

 「“あいつら”が手を貸してくれたのもあったけどな・・・」

 そう言って、ヒータは空を仰ぐ。

 禁呪の束縛を離れ、天へと還った紅蓮の光。

 もう、その残滓も残ってはいない。

 「・・・ありがとよ・・・。」

 “彼ら”に向かって、ヒータは静かに呟いた。

 その時―

 ジャララララララッ

 不意に二人の耳を打つ、鎖の音。

 「『何!?』」

 咄嗟に身を翻す二人。

 鋭い鎖刃の切っ先がヒータの肩をかすめ、朱い飛沫を散らす。

 「痛っ!!」

 『主!?』

 「あぁあああっ!!避けんじゃねぇよぉおおおおっ!!」

 ヒータの苦痛の声に被さる様に、絶叫が響き渡る。

 見れば、たった今まで満身創痍で転がっていた筈のチェイン。彼が起き上がり、血走った目でヒータ達を睨みつけていた。

 「お前!?」

 『馬鹿な!!あの身体で動ける筈が・・・!?』

 狼狽するヒータ達に向かって、チェインは言う。

 「なぁ・・・殺されてくれよ・・・。」

 「・・・え?」

 「殺されてくれよっ!!頼むからよぉおおおおっ!!」

 絶叫とともに、チェインが鎖刃を振り回す。

 縦横無尽に飛び交うそれが、ヒータの身体を削っていく。

 「あっ・・・くっ・・・あいつ、どうしたってんだ!?」

 『おのれ!!』

 先の激戦で心身ともに疲弊しきったヒータは、満足に攻撃を防ぐ事も出来ない。

 そんな主を守る様に、稲荷火がチェインに向かって炎弾を吐く。

 直撃。

 しかし、チェインは少し身をよろめかせるだけ。すぐにまた、鎖刃を振り回し始める。

 『完全に精神が肉体を凌駕している・・・!!何があった!?』

 飛び交う鎖刃をかわしながら、稲荷火は驚愕を隠せない。

 『・・・ならば!!』

 稲荷火の尾の炎が、一際大きく燃え上がる。

 けれど―

 「駄目だ!!」

 『姫!?』

 ヒータの制止の声に、稲荷火は驚く。

 「これ以上やったら、あいつ本当に死んじまう!!」

 『そんな事を言っている場合では・・・』

 戸惑う稲荷火に、ヒータは頑として首を縦に振らない。

 「駄目だ!!絶対に駄目だ!!」

 『姫・・・』

 稲荷火が何とか説き伏せようとしたその時、

 「へ・・・へへ・・・」

 生気のない、不気味な笑い声がヒータ達の耳を打った。

 見れば、両手をダラリと垂らしたチェインが、狂気の宿った目でこちらを見つめていた。

 「へへへ・・・何だよぉ・・・?お前、俺様の命、心配してくれてるのかよぉ・・・?」

 仄暗い水の底から響く様な声が、ユラリユラリと響く。

 「ならよぅ・・・。死んでくれよぅ・・・俺様のために・・・俺様が生きるために・・・」

 ジャラリ・・・

 地に這う鎖刃が、蛇の様に動く。

 「死んでくれよぅ!!」

 ジャラララララッ

 獲物に襲いかかる毒蛇の様に、ヒータに迫る鎖刃。

 「く・・・っ」

 何とかそれを避けようとするヒータ。

 しかし―

 (あ・・・)

 不意に襲う目眩。

 疲労によるものか。出血によるものか。はたまた魔力の枯渇によるものか。それは分からない。

 いずれにしても、結果は同じ。

 遅れる、初動。

 そして、

 ザグゥッ

 「あぐっ!!」

 『姫!?』

 飛び散る朱の飛沫。

 響く、悲鳴。

 「へ・・・へへ・・・捕まえたぜぇ・・・」

 荒い息をつきながら、チェインが笑う。

 ヒータの身体が、鎖刃の鎖に幾重にも巻き取られていた。

 鎖刃の刃は、そんな彼女の背中に食い込んでいる。

 このまま鎖を引かれれば、鋭い刃が彼女の身体を寸断するだろう。

 ギリリ・・・

 鈍い音を立てて、刃が華奢な身体にさらに食い込んでいく。

 「くぅ・・・う・・・!!」

 苦痛に顔を歪めるヒータ。

 『おのれぇ!!』

 怒りの形相で牙を向く稲荷火。

 しかし―

 「吉!!」

 ヒータの声が、またしても彼を制止する。

 「駄目だ・・・絶対に、殺しちゃ、だめだ・・・!!」

 苦しい息の中で、それでもそう言うヒータ。

 『何故です!?何故いかんのです!?』

 叫ぶ稲荷火。

 そんな彼らを見て、チェインは言う。

 「良いなぁ・・・。お前ぇ、ホントに良い女だなぁ・・・。死んでくれるんだなぁ・・・。俺様のために、死んでくれるんだなぁ・・・。」

 「・・・勘違いすんな・・・」

 その目に涙を浮かべながら笑うチェインに、ヒータは口に満ちる鉄錆の味を飲み込みながら叫ぶ。

 「オレがテメェを殺さねぇのは、テメェの為じゃねぇ!!これ以上、ウィンの村を死で汚さねぇためだ!!」

 『!!』

 「この村は、ウィンが・・・エリアが必死で守った村だ・・・。命をかけて、リチュア(テメェら)が撒いた死を拭った地だ!!それを、テメェなんかの血で汚すなんて出来るか!!」

 『姫・・・』

 絶句する稲荷火。

 そんな彼に、ヒータは優しく微笑みかける。

 「吉・・・今までありがとな。ワリィけど、後、たのまぁ。」

 そう言うヒータの身体を中心に、朱い魔法陣が展開する。

 それを見た稲荷火が、驚愕に目を見開く。

 『これは・・・『反衝爆(バックファイア)』!?』

 罠魔法(トラップ・スペル)、『反衝爆(バックファイア)』。

 それは炎属性の生物が死滅する際、その今際の生命力を爆炎に変えて相手に叩きつける術。

 それを今、ヒータは自分へとかけていた。

 「何、火力は抑えておくさ。チェインあいつは死なねぇ。せいぜい気絶するくらいだ。そしたら、適当なもんでふんじばっておいてくれ・・・。」

 『・・・・・・。』

 身体を震わせる稲荷火。

 「じゃ、頼むぜ。」

 そして、ヒータはまた、ニッコリと笑う。

 その笑顔を見た瞬間、稲荷火の中で何かが弾けた。

 『・・・姫、その命は聞けませぬ!!』

 「・・・え?」

 グゥルァアアアアアアアアッ

 次の瞬間、稲荷火は牙を剥いてチェインへと走り出していた。

 「吉!?」

 『ウィン殿達の想いを守るが、姫の矜持!!しかし、某にも使い魔としての矜持があります!!』

 チェインの喉笛を噛み裂くべく、稲荷火は走る。

 しかし―

 「ひぃいいいいいっ!!死なねぇ!!俺様は死なねぇぞぉおおおお!!」

 チェインが、鎖刃を持つ手に力を込める。

 ピンと張った鎖が、ギシリと軋む。

 ―間に合わない―

 稲荷火が絶望の思いで歯噛みしたその瞬間―

 「その意気や、良し!!」

 突然、上空から声が響いた。

 

 

 「「『!!』」」

 驚いた皆が、思わず上を向く。

 その目に映るのは、天から降ってくる紅い影。

 そして―

 「墳っ!!」

 真紅の炎に包まれた拳が、チェインの鎖を打ち据える。

 ジュワッ

 一瞬で融解し、千切れる鎖。

 「ひぃっ!?」

 「うわっ!?」

 つながりを絶たれたチェインとヒータが、同時に尻餅をつく。

 『こ、これは・・・!?』

 狼狽する稲荷火の前で、“彼”はゆっくりと立ち上がる。

 緋色に染め上げられた鎧。その胸で輝く朱の宝石。固く握り締められた拳を包む炎は、真紅。

 その姿を見た稲荷火は、茫然と呟く。

 『ジェムナイト・・・?』

 「いかにも!!」

 頷いた“彼”は、高らかに名乗りを上げる。

 「我が名は、『ジェムナイト・ガネット』!!誉れ高きジェムの騎士なり!!」

 『ガネット・・・?』

 「貴殿らの心、しかと見届けた。その想い、これより自分が荷わせてもらう。」

 戸惑う稲荷火にそう言うと、ガネットはヒータとチェインの間を遮る様に立つ。

 「さあ、貴殿は彼女の元へ。後は自分にまかせられよ。」

 『しかし・・・』

 「急の事、不審たるはいたしかたないが、今は自分を信じて欲しい。自分は、貴殿らの味方だ。」

 『・・・・・・。』

 ガネットの目を見つめる稲荷火。そして―

 『・・・かたじけない!!』

 その目の輝きに真の誠意を見た彼は、一礼すると倒れているヒータの元へと向かう。

 ガネットは満足そうに頷くと、今だ混乱の抜けきらない様子のチェインへと向き直った。

 「何だ!?何だよぉ!?お前ぇえええ!!お前も俺様の邪魔をするのかよぉおおお!?俺様に死ねって言うのかよぉおおおお!!」

 「・・・哀れな。」

 その様を見て、ガネットは溜息をつく。

 「命を喰らい、奪い、弄び、その果てに己の命には執着するか。かの少女の覚悟、誇り、そして気高さ。その片鱗すらも持ち得ぬとは、何と卑小で哀れな存在・・・。」

 そう言うと、ガネットはギリリと拳を握り締める。

 ゴゥッ

 その拳が真紅の炎に包まれるのを見て、チェインが悲鳴を上げる。

 「ひぃいいいっ!!嫌だぁ!!死なねえ!!俺様は死なねぇぞぉおおお!!」

 叫びながら、手に残った鎖を滅茶苦茶に振り回すが、それは全て緋色の鎧に弾かれる。

 「安心するがいい。今、その苦しみから解き放ってやろう。」

 言いながら、ガネットはチェインに向かって突進する。

 「ひぁあぁあああああっ!!」

 チェインは大鰭を広げ、ガードする様に全身を覆う。

 それを前にして、ガネットはなお走るスピードを緩めない。

 「―我が拳は矛 灼熱の矛 我が足は槍 焦熱の槍 我これに宿りし真理を持ちて 万物全てを貫く神威と成さん―」

 その口が紡ぎあげる呪文。

 真紅の拳が、緑の魔法陣に包まれる。

 「彼女の願いだ。命はとらぬ。」

 そして―

 「『炎華襲撃(ビッグバン・シュート)』!!」

 ガネットの拳が紅い閃光となり、チェインの身体をその防御ごと貫いた。

 

 

 『姫、ご無事で!?』

 ヒータに巻きついた鎖を慎重に解きながら、稲荷火はそう問いかける。

 「・・・ああ、なんとかな・・・。」

 そう答える彼女の背中から、稲荷火は食い込んでいた刃を引き抜く。

 「痛っ!!」

 ヒータが一瞬顔をしかめるが、傷は思ったよりも浅かった。恐らく、内臓には達していない。口を汚す血は、口内を切ったものだろう。

 安堵の息を漏らす稲荷火。

 「いってぇなぁ!!お前、もう少し丁寧に・・・」

 悪態をつこうとしたヒータの口が、そこで止まる。

 稲荷火が、畏まる様に彼女の前で姿勢を正していた。

 「・・・どうした?吉。」

 怪訝そうな顔をしながら問いかけるヒータに、彼は答える。

 『某は先刻、貴女の・・・主の命に背きました・・・。」

 「・・・・・・!!」

 その言葉に、ヒータの表情が固くなる。

 そんな彼女に向かって、稲荷火は頭を垂れる。

 『使い魔が主の命に背くは絶対の禁忌。これなるは、いかなる処罰でも・・・』

 「・・・覚悟は、出来てるってか・・・?」

 『・・・は。』

 そして稲荷火は目を閉じ、ヒータの次の言葉を待つ。

 しかし、浴びせかけられる筈の断罪の言葉は、いつまで経っても降っては来なかった。

 その代わり―

 フワリ

 優しい温もりが、稲荷火を包んだ。

 驚いて目を開ける稲荷火。

 ヒータが、彼の首を優しく抱きしめていた。

 薄い唇が、耳元で囁く。

 「・・・んな事、する訳ねぇだろ・・・。」

 『!!・・・姫、しかしそれでは・・・!!』

 「[使い魔は、主に絶対の忠誠を誓い、この命に逆らう事決してあたわず。]か?」

 ヒータの言葉に、頷く稲荷火。

 「[使い魔がこれに反した場合、主たる術者は然るべき処置を成す事を責務とする]ってのもあったな。」

 また、頷く。

 主と使い魔の主従関係の在り方は、魔法法で厳密に決められている。

 それに反する事は、処罰の対象ともなっていた。

 『この事がおおやけになれば、某のみならず姫までもが・・・』

 「お前、ばらすのか?」

 『は?』

 ヒータの口をついて出た言葉に、稲荷火はポカンとする。

 「ばらすのか?」

 『え?あ・・・いや・・・』

 「なら、ばれねぇな。」

 そう言ってヒータは笑う。

 『姫・・・それは・・・』

 「ああ、アウスの常套句だよ。意外と役に立つな。これ。」

 笑うヒータの手が、稲荷火の毛を撫でる。

 「心配すんな。何があったって、お前はオレが守ってやる。」

 『姫・・・』

 そして、抱き締める腕にいっそうの力が込もる。

 「オレの相棒は、お前だけだよ。今までも、これからもな。」

 その言葉に身を震わせる稲荷火。

 血の匂いに混じる、甘い香が胸を満たす。

 「よろしく頼むぜ・・・。ずっと、ずっとな・・・。」

 『・・・御意・・・。』

 稲荷火の瞳から、澄んだ滴が数滴、溢れてこぼれた。

 

 

 「・・・良い主従だ・・・。」

 全てを見ていたガネットが、そう呟く。

 「お主も次に仕えるのなら、己の想いを汲んでくれる者と契るのだな・・・。かの者達の様に・・・。」

 そう言って、ガネットは足元で気絶しているチェインを見下ろした。

 

 

 ―その頃、遠く離れたリチュアの城では―

 玉座に座ったノエリアが、瞑想する様に目を閉じていた。

 周りに傅く者達は邪魔する事を恐れる様に、身動ぎもせず沈黙に伏している。

 と、彼女の目がスゥと開く。

 「・・・やれやれ、他愛のない事。折角機会を与えてやったというに・・・。」

  そう言って、ノエリアはフゥと溜息をつく。

 もっとも、その口調には怒りや苛立ち、幻滅と言った色はない。

 それもあくまで享楽の一環と言わんばかりの、冷笑の気配すら感じさせる物言いだった。

 「しかし・・・」

 目の前の儀水鏡に視線を戻しながら、ノエリアは言う。

 「あの小娘達、何者かのう?ガスタの民でもジェムの者でもないようだが、何故リチュア我らに敵するか・・・。」

 酷薄な瞳が、己の前に座する者達の一人に向けられる。

 「のう、シャドウ。“どう思う”?」

 声をかけられた者―シャドウ・リチュアの身体がピクリと動く。

 「・・・さて、何故でしょうな。ただ・・・」

 「ただ?」

 シャドウの目に、暗い光が灯る。

 「かの娘達、たいそう活きが良い様で・・・。ぜひとも、“資源”として欲しいものかと・・・」

 その言葉の裏に潜むどす黒い感情に、ノエリアは心地よさ気にほくそ笑む。

 「使えるかのう?」

 「かの娘達の生気、苦悶、絶望、悲嘆、憎悪に堕とさば、この上なきものに・・・」

 「ふふ・・・随分と“乗り気”じゃのう。シャドウ。」

 そう言ってククと笑うと、ノエリアは儀水鏡をピンと指で弾く。

 水鏡に波紋が広がり、映る景色がユラリと揺らぐ。

 「よかろう。丁度こちらの“駒”も、大分減ってしまった事・・・。このままでは興が冷める・・・。」

 不吉に揺らめく景色を眺めながら、邪教の女帝は言う。

 「こちらもそろそろ、“大駒”を動かすとしよう。」

 その言葉に、その場に座していた者達がユラリと立ち上がった。

 

 

                                  続く

 



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17話

 

【挿絵表示】

 

 

                 ―17―

 

 

 「ヒータちゃーん!!」

 地べたに座って息を整えているヒータに、駆け寄ってくるライナとダルク。

 そんな彼らに、ヒータが声をかける。

 「おう、そっちも済んだか?」

 「はいって、あやや!!ヒータちゃん、ズタボロのちまみれですよー!!だいじょうぶですかー!?」

 「そう喚くなよ。傷に響くだろ。」

 テンパるライナを無視して、ダルクがヒータに近づく。

 ズタズタになった衣装。

 血に塗れた身体。

 あちこち、焼け爛れた肌。

 その様を見た彼の目が、ビクリと震える。

 「・・・随分、手酷くやられたんだな・・・。」

 何処か戦慄く様な口調。

 その顔は、心なしか青ざめて見える。

 「へ、大した事ねーよ。傷口は広いけど、それほど深かねーし。」

 「・・・強がり言うな・・・。」

 そしてダルクは、腰のポシェットから紅い液体の入った小瓶を取り出す。

 その指が、カタカタと震えているのは目の迷いだろうか。

 「『天使の生き血』だ・・・。飲め・・・。」

 「げー、オレ、これ苦手なんだよなぁ・・・。鉄臭くて・・・。」

 「いいから、黙って飲めよ!!血が足りなくなったらどうする!?」

 半ば怒鳴りながら小瓶をヒータに押し付けると、ダルクは傍らに立つガネットに向き直る。

 「アンタが助けてくれたんだな・・・。ありがとう・・・。」

 ペコリとお辞儀をする彼に、ガネットは微笑みながら言う。

 「否、全ては彼女が成した事。自分は最後の一打ちをしたのみ。」

 「それでも、助けてくれた事に変わりはないだろ・・・。」

 あくまでお辞儀の姿勢を崩さないダルクに、苦笑するガネット。

 「ぷへー!!まじぃ!!」

 小瓶の液体を飲み干したヒータが、大げさな声を上げながら立ち上がる。

 「さ、ガネットさんよ。始めよーぜ。」

 「うむ。」

 頷き合う二人に、ライナが小首を傾げる。

 「なにをはじめるですか?」

 その問いに、ヒータは周囲で燃え盛る炎を見回す。

 「オレ達で、この火事を何とかする。ちょっと遊ばせすぎた。このまんまじゃあ、この炎は村全体を喰っちまう。」

 「・・・大丈夫なのか・・・?」

 心配げに声をかけるダルク。

 「どうって事ねぇよ。“こいつら”も、元はラヴァルの炎だ。性は悪くねぇ。ちゃんと言う事を聞いてくれるさ。」

 あっけらかんとした調子で答えるヒータに、ダルクは少しばかり苛立たしげに言う。

 「火事の事を言ってるんじゃない。お前の方だ。傷の手当てもしないで、大丈夫なのか?」

 その言葉に、ヒータはすぐに合点した様な顔をすると「ああ」と呟いて頭を掻く。

 「大丈夫だって。今くれた生き血のお陰で大分回復出来たし、事が済んだら手当てもちゃんとするからよ。だからこっちはまかせて、お前らはウィンのフォローに回れ。」

 言いながら、さっさと行けとばかりにピラピラと手を振る。

 しかし、そんな彼女の様にも、ダルクの表情は晴れない。

 拭いきれない不安の混じった目が、ヒータを見つめる。

 「だけどな・・・」

 「だいじょーぶだっつってんだろ?大体、男お前がいちゃ、おちおち傷の手当ても出来ねーよ。場所が場所だしな。それとも・・・」

 ヒータはふ、と目を細めるとズイッと顔をダルクに寄せる。

 「ひょっとして、見たいのか?」

 「な、何をだよ・・・!?」

 当惑するダルクの顎を人差し指で撫で上げながら、ヒータは艶のこもった声を響かせる。

 「オレの、“た・ま・の・は・だ”。」

 「――っ馬鹿言え!!誰がそんな貧相な身体――!!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る彼を見て、ケタケタと笑うヒータ。

 「言ってくれるねぇ。分かってるよ。お前が“お姉さま”一筋だってのはさ。」

 「・・・!!」

 思わず黙りこくるダルクを、キョトンと見つめるライナ。

 そんな二人を面白そうに見つめながら、ヒータは言う。

 「何年一緒にいると思ってんだ。お前が、“そういう事”を極端に怖がってるのは知ってるさ。それを踏まえて言ってる。オレは大丈夫。ここにゃ、相棒だって、ガネットだって、ガスタの連中だっている。心配すんな。な?」

 「・・・・・・。」

 「それに、今ヤバイのは“あっち”の方に行ってるウィンの方だ。もし、“あっち”で起こってる事がオレ達の思う様な事だったら・・・分かるだろ?」

 言い聞かせる様な言葉。

 ダルクは返す言葉もなく、ヒータを睨みつける。

 その様は、まるで大人に言い含められる子供の様に見えた。

 「お前が“それ”を怖がるなら、今はウィンあいつの所に行ってやれ。」

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 しばし、見つめ合う二人。

 そして―

 「分かったよ・・・。」

 ダルクが何かを振り切る様に踵を返す。

 「・・・いいか!?絶対に無理するなよ!!」

 「分かってるよ。」

 後ろ髪を引かれる様な気配を残す背中にそう声をかけると、ヒータはチョイチョイとライナとD・ナポレオンを招く。

 『ハイ?』

 「なんですかー?」

 近寄ってきた二人に、声を潜めて言う。

 「ダルク(あいつ)の事、少し気をつけといてやれ。平気そうな面装ってやがるが、エリアの事があってからかなりナーバスになってやがる。このままだと、ちょっとした事で暴走しかねねぇ。」

 「それなら、言われなくても分かってるです。」

 『私モ、承知シテオリマス。』

 ヒータの言葉に、当然という顔で返す二人。

 「伊達に長年、お姉さんやってないです。」

 『右二同ジク。伊達二5年モ使イ魔ハヤッテオリマセン。』

 そう言って、胸を叩く(D・ナポレオンにはないが・・・)二人に向かって、ヒータは頼もしそうな笑みを浮かべる。

 「それならいい。頼むぜ。“姉貴”。“相棒”。」

 「まかせとくです!!」

 『ソレガ私ノオ役目ナレバ・・・』

 そう言い合い、頷き合う三人。

 そんな彼女らに向かって、

 「何モタモタしてる!?おいてくぞ!!」

 ダルクが怒鳴る。

 「はいはい。わかりましたよー。」

 『タダ今・・・』

 と、ダルクの後を追いかけかけた足を止めて、ライナとD・ナポレオンが振り返る。

 「何だよ?」

 「ダルクじゃないですけど、本当、無理しちゃだめですよ?」

 『貴女二何カアレバ、主ハ一生後悔スル事二ナリマスノデ・・・』

 二人の言葉に、ヒータは苦笑する。

 「全く、どいつもこいつも・・・。分かってるって。いいから、さっさと行け。」

 「なら、いいです。」

 『ソレデハ、行ッテマイリマス。』

 そして、彼らは新たな戦場へと駆けて行く。

 それを見送ると、ヒータは表情を引き締めて燃え盛る炎へと向き直った。

 その傍らに立つガネットが呟く。

 「なかなか、気苦労が多い様だな。」

 「・・・よく言われるよ。」

 ヘヘッと笑うヒータ。

 「皆、色々と譲れねぇもんがあるからな。仕方ねえさ。」

 「その想いを酌むか・・・。ならば・・・。」

 囁く様に、ガネットは言う。

 「貴女も忘れるべきではないな。自分の想いも、彼らが酌んでいてくれると言う事を・・・。」

 その言葉にしばしキョトンとするヒータ。

 やがて、その顔がはにかむ様に綻ぶ。

 それは綺麗な、とても綺麗な微笑みだった。

 

 

 ・・・時はそれよりしばし前―

 場所は、村の入り口近く。

 無残に破壊された家々の残骸の中に、一つの巨大な影が立っていた。

 強堅な筋肉で盛り上がった緑色の肌。 

 それを覆う、銀色に光る装甲。

 巨蛇の如くのたうつ尾が瓦礫を散らし、白金の爪に掴まれた大地には、それだけで地割れの如き亀裂が生じる。

 グゥルルルルルル・・・

 太い喉が唸りを上げ、耳まで裂けた口が白い呼気を漏らす。

 爛々と輝く朱色の眼光。

 それが見下ろすその先にあるのは、まだ幼さの残る一人の少年の姿。

 周りには、逃げ惑う村人の姿が多くある。

 しかし、怪物の目は他の何者にも揺れない。

 ただただ、その少年のみを見つめる。

 対する少年は、怪物を前にして逃げる様子も、怯える様子すらもない。

 静かに。

 とても静かな眼差しで、自分に向けられる朱眼を見つめ返すだけだった。

 「コラ、ギディ!!」

 と、その二人の間に満ちる静寂を裂くように、甲高い声が響く。

 見れば、いかにも魔術師と言った体の少女が杖に腰を下ろした格好で宙に浮かんでいる。

 彼女はフワリフワリと浮きながら、ギディ―怪物の名らしい―に向かって喚いていた。

 「いつまでそんな餓鬼一匹に構っているつもり?仕事はまだたくさんあるんだからね!!さっさとケリ、つけちゃいなさい!!」

 『エ゛ェエリィァアアアア・・・』

 その言葉に応じる様に、怪物が喉から濁った声を漏らす。

 と、同時に―

 コォオオオオオオ・・・

 怪物の口に生じる、青白い光。

 「そう・・・。“当たり”だよ・・・。」

 その光に向かって、少年はそう呟きながら両手を伸ばす。

 「お前は、間違ってない・・・」

 まるで、救いを差し伸べる様に。

 まるで、救いを求める様に。

 少年は、その顔に淡い微笑さえ浮かべて怪物に手を伸ばす。

 「さぁ・・・。来いよ・・・。」

 集束する、光。

 やがて、それは一本の線となって怪物の口から放たれる。

 バシュウッ

 輝く死の色を纏ったそれが、少年を貫こうと迫る。

 閃光が、大きく開け放たれた胸へと飛び込もうとしたその時―

 「カムイーッ!!」

 響き渡った声とともに、少年の前の空気が動く。

 動いた空気は瞬く間に風となって渦を巻き、そこに光の線を巻き込んだ。

 バシュンッ

 風の渦に巻き込まれた光は一瞬で方向を捻じ曲げられ、怪物に向かって反射される。

 ズドォッ

 ギィガァアアアアアアッ!!

 己の攻撃をその身に受けた怪物が、苦悶の声を上げる。

 白金の装甲に覆われた身体に傷こそつかないものの、閃光が通った跡は灼熱し、白い煙を上げている。

 「な、何よ!?ナニナニ!?」

 急な事態に驚く少女。

 その一方で少年―カムイは茫然としつつ、自分の身に起こった事を理解していた。

 「風の鏡(レラ・シトゥキ)・・・?」

 「この馬鹿!!」

 彼の頭上から降ってくる、声。

 風が舞い、先端を亜麻色に飾った若葉の髪が揺れる。

 「何ボーっとしてんだよ!!死ぬ気か!?」

 「リーズ・・・姉ちゃん・・・。」

 カムイは自分を守る様に降り立った少女に、そう声をかける。

 「全く・・・どこまで世話かけさせるんだい!?お前は!!」

 言いながら、リーズ―ダイガスタ・スフィアードは目の前の怪物に向かって身構える。

 グゥルルルルル・・・

 低い唸り声を上げながら、怪物は再び足元の標的に朱い眼光を向ける。

 「こりゃまた、随分な大物だね・・・。」

 戦いの緊張と高揚に、一筋の汗が頬を伝う。

 それを、スフィアードの舌がペロリと拭った。

 そんな彼女に向かって、カムイは思わずすがりつく。

 「待ってくれ!!姉ちゃん!!アイツは・・・アイツは!!」

 「!!、伏せろ!!」

 制止しようとした彼の声はしかし、彼女の叫びによってかき消される。

 次の瞬間―

 ピシュンッ

 ピシュンッ

 ピシュンッ

 鋭い音が連続して空を裂き、三条の閃光が二人を襲う。

 しかし―

 「無駄だよ!!」

 再び渦を巻く大気。

 『風の鏡(レラ・シトゥキ)』が先刻と同様に、蒼白の閃光をその主に打ち返す。

 ギィガァアアアアアッ

 またもや自身の力で打たれ、苦痛の叫びをあげる怪物。

 「ああ、もう!!じれったい!!『水槍閃(アークヴォ・ランツォ)』が駄目なら、直接叩き潰しちゃいなさいよ!!頭悪いわね!!」

 その様を見た少女が、怪物の頭の上で苛立たしげに喚く。

 グゥウウウウウ・・・

 その言葉に答え、怪物は二人に向かって手を伸ばす。

 「・・・・・・!!」

 身構えるスフィアード。

 息を呑むカムイ。

 鋭い爪が二人にかかろうとしたその時、

 【ところがどっこい!!】

 ギュラァアアアアアアアアアアッ

 そんな声とともに、凄まじい旋風が怪物を直撃する。

 ガァアアアアアアアッ

 「うぴゃああーっ!?」

 不意をつかれた怪物が地響きを立てて倒れ、あおりを喰った少女がクルクルと体勢を崩す。

 「あれは・・・」

 驚いたスフィアードが空を見上げると、そこには大翼を羽ばたかせる翠の騎士―ダイガスタ・エメラルの姿。

 【間に合ったわ~。リーズちゃん。カムイくん。大丈夫~?】

 「カーム・・・!!来てくれたのか!!」

 喜びの声を上げるスフィアード。

 しかし、場にはそれとは間逆の心境の者が一人。

 「や~ん!!髪がクシャクシャになっちゃったじゃない!!」

 空ではようやく体勢を立て直した少女が一人、怒りに我を忘れて喚き散らしていた。

 「もう!!何なのよ一体!!次から次へと!?ゴキブリみたいにワシャワシャワシャワシャ湧き出してウザったいったらありゃしない!!大体、こんなに活きの良いのが残ってるなんて聞いてないわよ!?こうなったら、もう一度猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)で・・・?」

 と、その喚きが止まる。

 彼女を、何か大きな影が覆っていた。

 「?」

 上を見ると、自分を覆い隠す様に翼を広げる巨大な影。

 両手を伸ばしても足りない程に巨大な鳥が、彼女を見下ろす様にホバリングしていた。

 「・・・何よ?これ・・・。」

 胡乱気に目を細める少女の耳に、これまで聞いていたのとは別の声が響く。

 「あなたは・・・誰・・・?」

 「あん?」

 見れば、鳥の上から誰かがこちらを見下ろしている。

 逆光になって影しか見えないが、声から察するに自分と同年代の少女らしい。

 鳥に乗った人。

 少女は一瞬、この村の護り手である『ダイガスタ』かと警戒する。

 しかし、“それ”からは特有の神気が感じられない。

 「ダイガスタ・・・じゃないわね。何よ?アンタ。」

 問いかける。

 しかし、その問いに答えは返らない。

 鳥の上の人影は、独り言の様にブツブツと言葉を紡ぐ。

 「エーちゃん・・・じゃない。似てるけど、違う・・・。水属性・・・?だけど、違う・・・。冷たい魔力・・・邪気・・・あなた、一体・・・?」

 戸惑う様な声音。

 相手のその様に、少女はだんだんイライラしてきた。

 ついには、声を荒げて言う。

 「あーもう!!ブツブツブツブツ五月蝿いわね!!“エーちゃん”て何よ!?“エーちゃん”て!!アタシはエリアル!!『リチュア・エリアル』!!そんな貧相な名前じゃないわよ!!」

 少女―エリアルの言葉に、相手の声に驚きがこもる。

 「“リチュア”!?それって、この間ライちゃんが言ってた・・・!?それじゃ、あの毒の風を撒いたのは・・・!?」

 「そうよ。アタシ。アタシがやったの。何か、文句ある?」

 「――!!」

 確かに伝わる、怒りの気配。

 しかし、それにもエリアルはシャアシャアとした態度を崩さない。

 「何よ?見たとこアンタも“ガスタ”みたいだけど?ひょっとして、“アイツら”みたいに死に損ねた口?そりゃ残念だったわね。」

 「・・・残念・・・?」

 怪訝そうなその言葉に、ほくそ笑むエリアル。

 「そうよ。これから、この村ではすんごく愉快な事が起こるの。猛毒の風(あれ)で死んでた方が、よっぽど楽だったって思うくらいのね。」

 その言葉に、影の少女が息を呑む。

 そして、

 「・・・そんな事、させない・・・!!」

 今にも怒りに我を忘れそうな自分。

 それを必死に押し殺す様な、苦しげな声。

 その響きに、多少の愉悦を感じながらエリアルは言う。

 「それはそれは・・・。やってごらんなさいな。その方が、リチュア(アタシ達)も楽しいわ。」

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 しばし、睨み合う二人。

 やがて、鳥の上の影が言う。

 「・・・もう一つ、答えて・・・。」

 「何よ。」

 「“あの子”は、何?」

 そう言って、影は地で身を起こそうとしている怪物を指す。

 「ああ、ギディの事?あの子は、アタシのペット。『ギガ・ガガギゴ』よ。」

 「ギガ・ガガギゴ・・・?」

 不審げに首を傾げる相手に向かって、エリアルは得意げに胸を張る。

 「そうよぉ。元はね、ただの水蜥蜴の死体だったの。それを、アタシ達の力であんな風に強くしてあげたのよ。どう?凄いでしょ?」

 しかし、相手はもはやその言葉を聞いてはいなかった。

 戦慄く声が、再度問いをかける。

 「その、水蜥蜴の死体って、ひょっとして西の渓谷で・・・?」

 「あら、何でアンタがそんな事知って・・・!?」

 エリアルは、言葉を最後まで言えなかった。

 突然踵を返した大鳥が、ギガ・ガガギゴに向かって猛スピードで滑空していったのだ。

 「何よ・・・?あれ・・・。」

 後に残されたエリアルは、ただ茫然と呟くだけだった。

 

 

 その頃、スフィアード達はエメラルから事の次第を話されていた。

 「何だって!?それじゃ、あの毒はこの化物の仲間達が!?」

 【ああ!!間違いない!!そういう事だ!!】

 驚くスフィアードに、頷くエメラル。

 スフィアードの目が、ギラリと鋭さを増す。

 「・・・そう言う事かい・・・。それなら、その借り、たっぷりと返させてもらわなきゃなぁ!!」

 憤怒の形相で杖を構えるスフィアード。それに習う様に、エメラルも円盾を回し始める。

 ヒュウウウウ・・・・

 ギュララララララ・・・

 周囲の大気に満ち始める、怒りの気配。

 「おじさんとおばさんの・・・そして、皆の・・・仇!!」

 「姉ちゃん、待って!!」

 カムイの声も、今のスフィアードには届かない。

 二人が、まだ身を起こしきれてないギガ・ガガギゴに向かって攻撃を放とうとしたその時―、

 バサァッ

 巨大な鳥―ウィング・イーグルが皆の間に割って入った。

 「なっ!?」

 【ウィンちゃん、何を!?】

 「皆、やめてー!!」

 狼狽する二人に向かって、ウィンは力の限り叫ぶ。

 「何だよ!?何で邪魔するんだよ!!」

 怒りの色を隠さないスフィアードに向かって、ウィンは言う。

 「あれは・・・あの子は化物なんかじゃない!!」

 「・・・え?」

 「あの子はギゴ君・・・。エーちゃんの使い魔の、ギゴ君なの!!」

 「【!?】」

 その言葉に、場にいる全員が息を呑んだ。

 

 

                              続く



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18話

                  ―18―

 

 

 ギィガァアアアアアッ

 身を起こしたギガ・ガガギゴが怒りのこもった咆哮を上げた。

 グオゥッ

 轟音とともにうねった尾が地を凪ぐ。

 【くっ!!】

 「ちぃっ!!」

 咄嗟に身をかわすスフィアード達。

 「おい!!どういう事なんだよ!?アイツがエリア(あの娘)の使い魔だって!?」

 【言われてみれば~・・・】

 【確かに、面影が・・・それに、魔力の波動も・・・】

 暴れるギガ・ガガギゴを、改めて注視したダイガスタ・エメラルが呟く。

 「それじゃあ、何でこんな事に・・・!?」

 スフィアードの問いに、ウィング・イーグルを旋回させながらウィンが叫ぶ。

 「リチュアだよ!!リチュアがギゴ君に何かしたんだ!!」

 『ウィン!!』

 プチリュウの声に、ウィンはハッと顔を上げる

 「キャッ!?」

 鋼の爪が頭をかすめ、ウィンは思わず悲鳴を上げた。

 『気をつけて!!近くに寄り過ぎると危ない!!』

 「う、うん!!分かった!!」

 大きく円を描くように飛びながら、ウィンとプチリュウはギガ・ガガギゴに呼びかける。

 「ギゴくん!!わたしだよ!!ウィンだよ!!分からないの!?」

 『お前、何とち狂ってんだよ!!あんな魔女の言いなりになんかなって!!使い魔の矜持を忘れたのか!?』

 ギィガァアアアアアッ

 しかし、その呼びかけに応えるのは狂気の叫びだけ。

 ドガッ ガシャアアアッ

 その巨体が動くたび、村の建物が破壊されていく。

 逃げ惑う村人の悲鳴が響き渡る。

 「こ、この・・・!!」

 それを見たスフィアードが、武器を構える。

 しかし―

 「止めて!!」

 その耳に届く、悲鳴の様なウィンの声。

 「生きてるんだよ!!どんな形になっても、ギゴ君、生きてるんだ!!ここでギゴ君を斃しちゃったら、エーちゃん、本当に立ち直れなくなっちゃう!!」

 血を吐く様な訴え。スフィアードは唇を噛む。

 「畜生!!どうすりゃいいんだよ!?このままじゃ・・・このままじゃ村が・・・!!」

 と、そんな彼女の袖を引く者がいた。

 振り返ると、そこに立っていたのは小柄な少年。

 「カムイ・・・?」

 「・・・リーズ姉ちゃん・・・もう、いいよ。」

 「え・・・?」

 義姉(あね)の袖を、力なく引くその言葉にスフィアードは思わず呆けた様な声を出す。

 「もういいんだ・・・。」

 そう繰り返す少年の目には光はなく、全てを諦めた様な無力感がその全身を包んでいた。

 「アイツは、アイツはオレを狙ってるんだ・・・。アイツの、大切なものを奪ったオレを狙ってるんだ・・・。」

 そう言いながら、カムイはフラフラとした足取りで、スフィアードの前へと出て行こうとする。

 「だから、オレが・・・、オレが殺されれば、アイツは・・・」

 「――っ!!馬鹿!!」

 震える声とともに、スフィアードはカムイを抱き締める。

 「・・・姉ちゃん・・・。」

 「・・・馬鹿な事、言わないでくれ!!おじさんも、おばさんもいなくなって、その上お前にまで死なれたら、アタイはどうすりゃいいんだよ・・・!?」

 自分を包む、細い腕。

 その温もりを感じながら、それでもカムイの目が“彼”から離れる事はなかった。

 

 

 「リーズさん・・・。カムイ君・・・。」

 そんな二人を、そして破壊され行く村を、ウィンは歯噛みする思いで見つめる。

 と、そこにかけられる妙に間延びした声。

 【ウィンちゃん~。】

 「へ・・・?いや、はい!?」

 我に帰り、驚くウィン。

 いつの間にか、ダイガスタ・エメラルが近くに来ていた。

 【ギガ・ガガギゴあの子、貴女に気付いてくれそう?】

 「分かりません・・・。今は、とにかくリチュアの呪縛が強くて・・・」

 【・・・そうか。それなら!!】

 言いながら、エメラルは翼を広げ上を見る。

 「エメラルさん・・・?」

 【お前さんは、呼びかけを続けろ。俺達は・・・】

 翠の鎧の奥で、その目が鋭く光る。

 【“あいつ”を墜とす!!】

 言葉と共に、翼が一閃。

 次の瞬間、エメラルは上空で事の次第を見ていたエリアルに肉迫していた。

 「!!」

 彼女に向かって振り下ろされる円盾。

 「ひゃあ!!」

 エリアルはすんでの所で身をかわす。

 「ちょっと、アンタ!!危ないじゃない!!いたいけな少女に向かって、何すんのよ!!」

 【・・・“いたいけ”な?笑わせるな。】

 ギュルルルル・・・

 エメラルの両手に備わった円盾が、回転を始める。

 「な、何よ・・・?」

 【今、ギガ・ガガギゴ(あいつ)を操ってるのはお前だろ?】

 「!!」

 確かに強張る、エリアルの顔。

 【女の子を痛めつけるのは、趣味じゃねぇが・・・】

 ギャアララララララッ

 回る円盾から巻き起る旋風。

 それは周囲の風を巻き込み、小規模の竜巻を生み出す。

 【親玉を狙うってのは、常套手段だよなぁ!!】

 そう言って、エメラルは円盾から巻き起こる竜巻を鞭の様に振るう。

 唸りを上げる竜巻が、蛇の様にうねりエリアルを急襲する。

 「キャアアア!?」

 叩きつける様に振り下ろされる竜巻を、すんでの所で回避するエリアル。

 【リチュア(貴女達)が今回の黒幕だって事は、知ってるわ。】

 ダイガスタ・エメラルの中のカームの意識が言う。

 【我らが民の苦しみ。その報い。しかと受けなさい。】

 【心配するな!!殺しはしない!!少しばかり、眠ってもらうだけだ。】

 そして、エメラルは再び両腕を振るう。

 二匹の暴風の蛇が、怒りの咆哮を上げてエリアルに襲いかかった。

 

 

 その頃、ライナとダルクは一路ウィン達の元へと急いでいた。

 「ウィンちゃん、だいじょうぶでしょうか?」

 「分からない。」

 後ろで問いかけてくるライナを振り返りもせず、ダルクは答える。

 「ガスタの疾風が一緒だし、さっき療養所にいたダイガスタも援護に行った。」

 「じゃ、だいじょうぶですね?」

 「だけど、あの通りの猪突猛進だ。また悪い癖を出して深入りしてたら、万が一という事も・・・」

 すぐにそう言って顔を曇らせるダルクに向かって、ライナが喚く。

 「もう!!どうしてそうやってネガティブなほうこうにかんがえるですか!?」

 「しょうがないだろ!!性格なんだから!!」

 「ときとばあいをかんがえるです!!」

 「だったら訊くな!!」

 走りながら、ギャアギャアと言い合う二人。

 ―と、

 ピタリ

 不意に二人の足が止まった。

 「・・・おい。」

 「・・・です。」

 二人の視線が、目の前の物陰に集中する。

 「・・・ウザいな・・・。こっちは急いでるってのに・・・。」

 「でも、向うはやる気まんまんみたいですよ・・・。」

 その言葉に答える様に、物陰の中の闇が蠢く。

 「クポポポ。気配は消していたのじゃがな・・・。」

 暗がりの中から響いた声に、ライナが目を見開く。

 「その声・・・!!」

 闇の中からユラリと現れる、シャドウ・リチュア。

 「久方ぶりじゃな。娘。息災そうで何よりじゃ。」

 水の中で喋る様な、くぐもった声が嬉しそうに言う。

 「・・・あの三人がいた時から、もしやとは思っていましたが・・・。」

 「何だ?知り合いか?」

 「ええ・・・。以前に少し・・・。」

 怪訝そうに訊くダルクに、ライナが身構えながら応える。

 「・・・その割には、友好的とは言い難そうな雰囲気だな・・・。」

 「ライナとしても、もうお会いはしたくなかったのですが・・・。」

 「クポポ。連れないのぅ。あれだけ深く関わった縁だというに。」

 ペタリペタリと湿った足音を立てながら、近づいて来るシャドウ。

 血熱の通わないその顔に浮かぶ笑みが、二人の背筋に悪寒を走らせる。

 「・・・あなたも、今回の事に関与していたのですね。」

 いつもの乗りにはそぐわない、険しい眼差しでライナが言う。

 「当然じゃよ。この地は生贄(資源)の宝庫じゃからな。リチュア(我ら)としては是非とも欲しい所じゃ。」

 「・・・相変わらず、なのですね。」

 「この歳じゃ。いまさら、そうそう生き方は変わらんよ。」

 そんな言葉を吐きながら、嘲る様にシャドウは笑う。

 笑いながら、一歩、また一歩とライナに近づいてくる。

 その気配のおぞましさに顔をしかめるライナを庇う様に、ダルクが間に入る。

 「・・・久しぶりの再会を邪魔する様で悪いけどな・・・。」

 手にした杖を、シャドウに向かって突きつける。

 「・・・世間話が目的なら後にしてそこをどけ・・・。戦やるならさっさと戦やって、寝くたばれ。こっちは急いでるんだ・・・!!」

 そんなダルクの冷たい視線を受けて、シャドウはなお笑う。

 「おぅおぅ。これはまた、活きの良い坊主じゃの。顔がよう似とるが、お主の姉弟か何かか?」

 「ダルクはライナの弟です。余計な事訊いてないでさっさと退くです。じゃないと、今度は本当に容赦しないですよ?」

 共に杖を構えるダルクとライナ。それにならって、二体の使い魔達も臨戦態勢に入る。

 「4対1とは、これまた不公平じゃなぁ。」

 呆れた様におどけてみせるシャドウ。

 「卑怯とは言われる筋合いはないだろう・・・。リチュア(お前達)相手に限ってはな・・・。」

 「クポポ。これは痛い所を突きおる。なかなか、見所のある坊主じゃ。」

 酷く愉快そうに喋るその様が、ライナは違和感を覚えさせる。

 「あなた・・・」

 「うん?」

 「随分楽しそうですね?このシチュエーションじゃ、どう転んでも貴方に勝ち目はないと思いますが・・・?」

 その言葉に、シャドウの顔が歪に歪む。

 「・・・いい所に気がついたのう・・・。それはな・・・。」

 瞬間、背後から襲う猛烈な殺気。

 「―!?」

 いち早く振り返ったダルクの視界に入ったのは、いままさに振り下ろされんとする白刃。

 「―っ!!ちぃっ!!」

 咄嗟に杖を水平に構え、それを受け止める。

 ガキィイイインッ

 硬い物同士がぶつかる、硬質の音が響き渡る。

 「ダルク!?」

 振り向いたライナの目に映ったのは、ダルクと鍔競り合う銀髪の少年の姿。

 そしてその後ろでは―

 『・・・なかなか、鋭いのね・・・。』

 そう呟いて目を細める、半透明な少女の姿。

 どちらも、それを誇示するかの様にリチュア特有の衣装を纏っている。

 「わしも、一人ではないと言う事じゃ。」

 茫然とするライナに向かってそう言うと、シャドウはクポポと笑った。

 

 

 パキィイイイイイイインッ

 【グァアアアッ】

 【キャアアアッ】

 空に閃く、朱い閃光。

 同時に響く、衝撃音と悲鳴。

 全身から緑の欠片を散らしながら、ダイガスタ・エメラルが弾き飛ばされた。

 クルクルと錐揉みしながら墜ちる身が淡く光ったかと思うと、その身体が二つの人影に分かれる。

 「カームさん!!エメラルさん!!」

 悲鳴に近い声を上げながら、ウィンは墜ち行く二人の下にウィング・イーグルを走らせる。

 ドサッ ドサッ

 重い音を立て続けに立てて、二人が次々と巨鳥の背に落ちる。

 キィッ

 急な負荷に耐えかね、一瞬バランスを崩すウィング・イーグル。

 「うぃっちん、頑張って!!」

 苦闘するしもべに、必死で呼びかけるウィン。

 それが通じたのか、ウィング・イーグルは何とか体勢を立て直すと安定した飛行に戻った。

 「二人とも、大丈夫!?」

 ウィンの声に、二人がヨロヨロと身を起こす。

 「あ、ああ・・・。なんとかな・・・。しかし、何が起こった?」

 「・・・『戦壊障(バトル・ブレイク)』・・・。一体、誰が・・・?」

 訳が分からないと言った態のジェムナイト・エメラルに答える様に、カームが言う。

 「・・・“あいつ”だよ・・・。」

 その目に怒りを燈らせながら、ウィンが上を見上げる。

 上向いた視線の先には、エリアルの乗る杖の先端に立つ、黒い影法師の様な姿。

 「・・・この程度の事にも対処出来ないとは、不甲斐ないぞ。エリアル。」

 払う様に振った手から、朱い魔法の残滓を散らしながらリチュア・ヴァニティはそう言った。

 「ヴァニティ!!助けに来てくれたの!?」

 思わず飛びつこうとしてくるエリアルを片手で押さえながら、ヴァニティは下の光景を見下ろす。

 「全く。たかが原住民の村落一つ潰すのに、どれだけ時間をかけている?ノエリア様も、些か飽き気味だぞ。」

 「ぶ~。そんな事言ったってぇ~。思ったより、邪魔が多いんだもん~。」

 不満そうにぶ~たれるエリアルを一瞥すると、ヴァニティは天を仰ぐ。

 「まあ、いい。その為に、我らは来たのだからな・・・。」

 呟く視線のその先で、妙に冷たい風が宙を舞った。

 

 

 ギシギシギシ・・・

 噛み合った白刃と黒杖が、鈍い音を立てて軋み合う。

 「往生際が悪いな。こっちは後がつかえてる。さっさと斬られてくれよ。」

 剣を持った少年―リチュア・アバンスが手に力を込めながら、ダルクに向かって言う。

 「・・・そう言われて、『はい。そうします。』なんて言う馬鹿がいると思ってるのかよ・・・!?」

 両肩にかかる負荷に耐えながら、ダルクはそう言って剣を押し返す。

 「・・・じゃあ、仕方ない。」

 途端、アバンスが足元の土を蹴った。

 「――っ!?」

 蹴り上げられた土を顔に受け、思わず怯むダルク。

 「悪いな。さよならだ。」

 冷たい声と共に、アバンスが剣を振り上げる。

 しかし―

 「ダルク!!」

 『ますたー!!』

 白刃がダルクの脳天を断ち割る直前、ライナの雷光と、D・ナポレオンの熱線が同時にアバンスを襲う。

 「ちっ!!」

 たまらず飛びずさるアバンス。

 「逃がさないです!!」

 ライナの雷撃が、地を焼きながらアバンスを追う。

 「!!」

 青白い閃光が彼を捉えようとしたその時、

 飛び込んできた人影が、その光を遮った。

 「エミリア!!」

 響くアバンスの声。

 それに答える事なく、人影はその身で雷撃を受け止める。

 『く・・・!!』

 乱れ舞う緋色の髪。

 苦しげに歪む顔。

 けれど、雷撃がその身を焼く事はない。

 ほとばしる閃光は波紋の様に歪む身体に溶け混じり、消えていく。

 その様を見たライナが、驚きに目を見開く。

 「霊体(スピリット)・・・!?」

 ハァと苦しげに息を吐いた少女が、赤い瞳でライナを睨む。

 『アバンスに、手を出さないで・・・。』

 昏く燃える視線が、ライナの背筋を震わせる。 

 「お前ら・・・」

 少女の背後から歩み出たアバンスが、怒りのこもった声を漏らす。

 ゆっくりと向けられる、刃の切っ先。

 「なます切りくらいは、覚悟しろ・・・。」

 ライナに向けられる、明確な殺意。

 それを遮る様に、ダルクも彼女の前に出る。

 「・・・何やら、竜の尾に触れたみたいだな・・・。」

 「・・・ですね・・・。」

 ダルクの背に己の背を預けながら、ライナは周囲を見回す。

 前には、薄笑みを浮かべるシャドウ。後ろには憤怒に髪を揺らすアバンスと、冷めた視線を向けるエミリア。

 「囲まれました・・・。」

 「だな・・・。だけど・・・」

 面するアバンスの動きを伺いながら、ダルクは珍しくも不敵に笑む。

 「正面からの勝負になれば、憑依装着してるこっちの方に分があるってのが、今の感想だけどな・・・。」

 「足元すくわれて、殺られかけた後に言う台詞ですか?それ。」

 苦笑するライナに、渋い顔をするダルク。

 「けれど・・・」

 すぐに表情を引き締めると、ライナは目の前のシャドウを見つめる。

 「その意見には賛成ですね。“油断さえ”しなければ、負ける相手じゃないです。」

 その言葉に、小さく舌打ちをするアバンス。

 「クポポポポ、見抜かれたのう。アバンス。つまらん小細工をするからじゃ。」

 愉快気に笑うシャドウ。その様を見て、ライナは訝しげな表情をする。

 「・・・随分と余裕ですね・・・?その言い様だと、憑依装着(ライナ達)と自分達の力の差は充分理解している様に思えますが・・・。」

 「おおぅ。良く理解しておるよ。伊達に歳はとっておらん。人を見る目には自信がある。」

 かけられる問いに、シャドウはあくまで飄々と答える。

 「・・・そうですか。ならさっさとどいてくれるとありがたいのですが。逃げる分には、追いかけたりしませんよ?」

 しかし、シャドウの顔から薄笑みは消えない。

 「あいも変わらず、甘い娘じゃなぁ。」

 「甘さがなけりゃ、この世は地獄です。」

 「クポポ、その若さで何ゆえそんな考えを持つ様になったのか、是非とも知りたいところじゃが・・・。もう、そうもいかんのう。」

 そう言って、シャドウは空を見上げる。

 「どういう事です・・・?」

 問いかけるライナに向かって、シャドウの顔がクシャリと歪む。

 それは、今までの好々爺然とした笑みとは全く違う、酷く歪んだ笑み。

 邪悪という言葉。それを、そのまま具現化した様な笑み。

 ライナの背筋が、改めてゾクリとを震える。

 そして、シャドウはゆっくりと次の言葉を紡ぎ上げた。

 「・・・お主達が、死ぬでのぅ・・・。」

 次の瞬間―

 ゴンッ

 辺り一帯を襲う、強烈な霊圧。

 「「―なっ!?」」

 驚いて上を見るライナとダルク。

 彼女達の目に映ったのは、いつの間にか黒い雲に覆われた空。

 そして、そこに浮かび上がる巨大な存在。

 「魔法・・・陣・・・?」

 「でかい・・・!!」

 絶句するライナ達。

 それを見て、シャドウは酷く楽しげに哄笑を上げた。

 

 

 薄闇に包まれていた筈の広間は、不気味な青白い光に包まれていた。

 暗く揺らぐそれがたゆらう空間は、まるで深く仄暗い水の中の様に見える。

 その怪しの水中みずなかに、一人の女性が立っていた。

 鋭く、冷たい眼差し。氷の様に透き通った肌。その全身から漂う邪気。

 長い髪を高く纏め、魚の鰭を思わせる意匠の衣を身に纏ったその姿は、まさに魔女という言葉を思い起こさせるもの。

 そんな彼女の前にあるのは、これまた奇怪な意匠を施された巨大な鏡。

 リチュアの象徴たる、暗き淀みの鏡。

 儀水鏡。

 氷の様に澄み切ったその鏡面に、女性の姿が映り込む。

 鏡の中の自分に微笑むと、女性はその口を開いた。

 「準備は良いかえ?『ディバイナー』?」

 「・・・はい。ノエリア様・・・。」

 彼女―リチュア・ノエリアの声に応えたのは、床に腰を下ろした異装の男。

 ノエリアと同じく、魚の鰭の様な意匠に黒い法衣。赤褐色の肌に埋め込まれた四眼の下は、口当てと布によって覆われている。

 ディバイナーと呼ばれたその男とノエリアの間の床には、儀水鏡を模した巨大な魔法陣。

 そしてその上に並べられるは、数多のモンスターや人の姿。

 彼らは贄。

 かの地に巻かれた毒風によって、命を落とした者達。

 今はただ、贄としてのみ在る事を許された存在。

 「・・・恐ろしゅうございますな・・・。」

 ボソリと呟く様に、ディバイナーが言う。

 「何がじゃ?」

 ノエリアの問いに、彼は覆面の下で薄く笑いながら答える。

 「ノエリア様がでございますよ・・・。」

 「ほう?」

 「本来、“かの術”は術師一人がその魂魄を削り、ようやく一つを成せるもの。それを貴女様はたった一人で、かような数を成してしまう・・・」

 ポゥ・・・

 ディバイナーが合わせた手の中に、青白い炎が灯る。

 その灯火に照らされた彼の緑色の四眼は、心なしか恐怖に震えている様に見えた。

 「ほほ・・・。何を言う。この程度の事、熟した術師であれば造作もない事。それが出来ぬは、己らの鍛錬が不足と知るがいい。」

 まるで何でもない事の様にそう言って、ノエリアは妖艶に笑う。

 嘲りの色を隠さないその言葉に、ディバイナーは苦笑する。

 「わたくしも、シャドウも、それなりの時を重ねてきたのですがな・・・」

 「なら、さらにそれ以上の時を重ねれば良いまでの事・・・」

 「フフ・・・無茶をおっしゃられる・・・。」

 それに・・・とディバイナーは思う。

 恐ろしいと思うのは、その力だけではない。

 緑色の四眼が、贄達の群を見る。

 否。見つめていたのは、その群の中心。

 そこは、周りの贄達を故意に退かしたかの様に丸い空間が空いていた。

 その空間の中心には、少女が一人。

 他の贄達同様に、身動き一つなく薄闇の中に横たわっている。

 ただ静かに眠る様に、瞳を閉じて。

 知る者がその姿を見たら、果たして何と思うだろうか。

 少なくとも、ディバイナーは感じていた。

 恐ろしい。

 ただただ、恐ろしいと。

 視線を、少女からノエリアへと移す。

 笑っていた。

 見下す様に。

 嘲る様に。

 そして、酷く楽しそうに。

 自分の考えは、全て筒抜けの筈だった。

 今まで思ってきた事も。

 今思っている事も。

 それを。

 それらを。

 全て知った上で、ノエリアは笑っていた。

 楽しげに、笑っていた。

 「では、始めるとしよう。」

 「御意に・・・。」

 その言葉に、ディバイナーは頭を垂れる。

 異を唱える気など、毛頭ない。

 逆らう事など、思えもしない。

 ただただ、動く。

 全ては、ノエリア(彼女)の思うまま。

 全ては、ノエリア(彼女)の願うまま。

 彼は動く。

 リチュア(彼ら)は、動く。

 ギィ・・・

 軋む様な音を立てて、ノエリアの前に浮いていた儀水鏡が向きを変える。

 冷たく光る鏡面が映し出す、贄の群。

 それらを舐める様に眺めるノエリア。

 そして、彼女はゆっくりと“かの呪文”を紡ぎ出す。

 「イビル・イビリア・イビリチュア 時の澱みに沈みし混沌 古き水に眠りし邪神 我が求むは其が忌名 我が望むは其が恵み 愚なる現世うつよは堕せし偽物 汝なれの夢こそ尊き真理 暗き水面みなもに映せし御魂 其を導に此方に来たれ 深き淵に沈みし現身うつしみ其を礎に穢土へと降くだれ 我が御魂は汝が盾 我が身体は汝が矛 其を持ち荒すさびて全てを呑み込め 其を持ち猛りて全てを喰らえ」

 その声に呼応する様に、光を放ち始める儀水鏡。

 鏡面に浮かび上がる、贄達の姿。

 彼らの姿が、水面みなもに映るそれの様にユラリと歪む。

 そして―

 ギュルッ

 呻くその姿が、次々と揺らぐ儀水鏡に吸い込まれていく。

 ギュルッ

 ギュルッ

 ギュルルッ

 まるで、蛇が鼠を呑む様に。

 まるで、大魚が小魚を喰う様に。

 儀水鏡は、次々と床に転がる贄を呑み喰らう。

 その度に、澄んでいた鏡面は墨を落とした様に黒く濁り、染まっていく。

 やがて、それが全て闇色に染まる頃。

 数多の贄は全て消え、後には件の少女だけが残されていた。

 「ディバイナー。」

 「御意。」

 ノエリアの言葉に、ディバイナーは手に灯していた焔を床の魔法陣に落とす。

 ボゥ・・・

 青白い光が、魔法陣の線を走る。

 魔法陣はみるみる光に覆われ、薄闇の中に浮かび上がる。

 それを覗き見るノエリア。

 青白く光る陣の向こうに、一つの光景が透けて見える。

 それは、いずこかの村落の風景。

 並び立つ家々。

 燃える炎。

 暴れる、何かの影。

 それらが全て、航空写真に写した様に陣の向こうに見えている。

 ノエリアはほくそ笑むと、ただ一言、こう言った。

 「堕ちよ。」

 瞬間―

 ゴポリ

 宙に浮かぶ儀水鏡から、“それ”が溢れ出す。

 深い。

 どこまでも深い、闇色の水。

 止め処なく溢れ流れるそれは、見る見る内に魔法陣の中を満たしていく。

 闇色の水面みなもに染まっていく魔法陣。

 チャプ

 チャプ

 陣の中心に横たわった少女の身体が、揺れる水面みなもに弄ばれ、ゆっくりと揺れる。

 まるで、揺り籠に揺られる様に。

 その様を愛しげに見つめると、ノエリアは言った。

 「さあ、お行き。可愛い“娘”・・・。」

 途端、

 チャプンッ

 少女の身体が、沈んだ。

 呑まれる様に。

 引かれる様に。

 あっさりと、沈んだ。

 後に残るのは、ウワンウワンと広がる、波紋だけ。

 それを眺めながら、ノエリアは笑う。

 楽しげに。

 だけど冷たく。

 ノエリアは笑う。

 「・・・怖や・・・怖や・・・」

 ディバイナーは身をすくめる。

 沈み行った少女と、かの村の住人達に、幾ばくかの憐憫を感じながら―

 

 

 ダルクとライナは、今だ空を見上げたまま絶句していた。

 「クポポ・・・」

 そんな二人を嘲る様に、くぐもった笑い声が響く。

 笑い声の主―シャドウ・リチュアはその蜥蜴の様な顔を歪めながら、また一歩、ライナ達に近づく。

 「のう。娘・・・」

 「な、何ですか・・・?」

 その鬼気にたじろぎながら、ライナは返す。

 「何故、リチュア(我ら)は“ここ”にいる・・・?」

 彼女の顔を楽しそうに眺めながら、シャドウは言う。 

 「・・・え?」

 「リチュア(我ら)は今までその身を隠し、闇を這いずって活動しておった。それが、何故この期に及んでこの様な表の世に出てきたと思う・・・?」

 「・・・何が、言いたいですか・・・?」

 「分かるか?分からんじゃろうなぁ・・・」

 クポポ・・・と笑いながらシャドウは続ける。

 「・・・ないからじゃよ・・・。」

 「・・・・・・?」

 「もはや、その必要がないからじゃよ・・・。」

 「何・・・ですって・・・?」

 「もはや、身を隠す必要がリチュア(我ら)にはないからじゃよ!!」

 ゴゥン

 瞬間、ライナ達にかかっていた霊圧が重さを増す。

 同時に昏さを増す、辺りの大気。

 「「!!」」

 驚きと共に、再び空を仰ぐダルクとライナ。

 空が、闇に染まっていた。

 否、染まっているのは、先ほどまで村の上空を覆っていた魔法陣。

 それが、ゆらゆらと揺らめく闇に満たされていた。

 その闇を見たライナが、目を見開く。

 「あれは・・・まさか!!」

 彼女が思わずそう口走った瞬間―

 ザァッ

 闇色の雨が、ガスタの村に降り注いだ。

 

 

 「な、何だよ!?こりゃあ!!」

 降り注ぐ闇にその身を打たれ、スフィアードが驚きの声を上げた。

 「黒い・・・雨?」

 「とんでもない、邪気・・・だ!!」

 身を滴る冷感に振るえながら、ウィン達は天を見上げる。

 そこには、村を覆う様に広がる魔法陣。

 「・・・誰か、いる・・・。」

 濡れそぼる身体をかき抱きながら、ウィンは闇の向こうを凝視した。

 

 

                                 続く



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19話

                  ―19―

 

 

 雨が降る。

 その雫、一つ一つに闇を抱き。

 しとどしとどと。

 雨が降る。

 

 

 「ふぅん・・・。そういう事か・・・。」

 雨を吸い、重く下がる己の髪をかき上げながら、エリアルが言う。

 「そういう事だ・・・。」

 それに答える様に、ヴァニティが繰り返す。

 「今からこの村は“実験台”だ。今のリチュア(我ら)の力を試すためのな。」

 「そういう趣旨だったっけ?」

 「違う。だが、ノエリア様が、そう決められた。」

 その言葉に、エリアルはその愛らしい顔を歪めて苦笑する。

 「ああ、またノエリア様の気まぐれか。大儀だよねぇ。アタシらも。」

 「・・・言葉を慎め。ノエリア様の意思は、リチュアの意思だ。」

 「はいはい。分かってますよ。」

 そう言うと、エリアルはすっくと杖の上に立つ。

 「じゃあ、行ってくるね。」

 「うむ。」

 「ちゃんと見ててよね。アタシの事。」

 「・・・・・・。」

 無言のままのヴァニティ。

 その頬に、身を伸ばして口付けをする。

 クスリ

 その顔に浮かぶ、年相応の微笑み。

 そして、エリアルはそのまま杖から身を投げた。

 「あっ!?」

 「あいつ、何を!?」

 ウィン達が驚きの声を発する中、その身体はまっ逆さまに地へと向かって落ちて行く。

 その落ち行く先にあったのは、水溜り。

 降り注いだ雨が溜まり作った、黒い黒い、闇色の水溜り。

 しかし、それは落ち来る少女を受け止めるには、あまりにも浅すぎる。

 エリアルの身体が、猛スピードで地に迫る。

 数秒後に広がるであろう惨状に、その場にいた皆が目を覆う。

 しかし―

 トプン

 そんな皆の思いをあざ笑うかの様に、エリアルの身体はあっさりと暗い闇に呑まれて消えた。

 

 

 ライナは焦っていた。

 闇色の雨は絶え間なく降り続き、見る見る内に地面のあちこちに水溜りを作っていく。

 黒い水。闇の水溜め。

 その意味を知る彼女は、焦燥の思いそのままに、ダルクや使い魔達に呼びかける。

 「いけません!!早く、その人達を止めて!!」

 「何だ!?どうしたってんだ!?」

 その様に、ダルク達も目を丸くする。

 「いいから、早く!!」

 言いながら、ライナは杖を構えて目の前のシャドウに向かう。

 『姉上様ハ、一体ドウナサレタノデショウ?』

 「・・・さぁな。だけど、この雨は確かにやばそうだ!!」

 ダルクは相方の問いにそう答えると、自分も杖を構えて対峙するアバンス達へと突っ込む。

 「クポポ。悟ったか。良い判断じゃ。」

 愉快気に笑うシャドウ。

 その足元には、ジワリジワリと水が溜まりつつある。

 「“儀式”なんて、完了させません!!」

 叫びながら、シャドウに向かってライナは杖を振りかざす。

 「・・・何か、ウチのがろくでもなさそうな事を言ってるんだけどな・・・?」

 低い姿勢で疾走しながら、ダルクはアバンスとエミリアに向かって言う。

 「気になるなら、黙って見てろよ・・・。すぐに、分かる。」

 闇色の雫に身を染めながら、アバンスは迫るダルクを見つめる。

 「お前をふんじばってから、ゆっくり訊くさ。」

 そして、ダルクはアバンスめがけて杖を横殴りに振るう。

 ライナの白杖。

 ダルクの黒杖。

 それぞれが、相手を薙ぎ倒そうとしたその瞬間―

 バチィッ

 「キャウッ!?」

 「なっ!?」

 何もない空間に衝撃が走り、ライナとダルクを弾き飛ばした。

 「な、何ですか!?これ!!」

 「・・・“結界”!?いつの間に・・・!!」

 痺れる手を押さえながら、ダルクが事態を把握する。

 「クポポ・・・。儀式はリチュア(我ら)の要。そして儀式の欠点はその発動時間。その様な見え透いた弱点を、捨て置くと思うか?」

 「何・・・ですって・・・!?」

 驚愕の表情を浮かべるライナに、シャドウは嘲りの言葉をかける。

 「克服済みなのじゃよ。そんな弱点はな・・・。」

 体温を持たないその顔が、冷たく、冷たく歪んだ。

 

 

 冷たく降り注ぐ闇の中、リチュア・ヴァニティはエリアルが残した杖の上に立ち、静かに目を閉じていた。

 グッショリと濡れそぼる我が身など、気にも留めないという風に。

 黒衣に包まれたその身は闇色の雨に濡れ、まるで影そのものが伸び上がっている様に見える。

 そんな闇一色に染められた姿の中で唯一、生白く浮き上がっているものがあった。

 それは右手。

 胸の高さまで上げられたそれは奇妙な印を結び、淡い光を放っている。

 卓越した術者ならば、気付く事が出来たかもしれない。

 その右手から発せられる不可視の“何か”が、まるで包み込む様に村全体を覆っている事を。

 

 

 「結界師・・・!?」

 シャドウから告げられた言葉に、ライナは茫然と呟く。

 「そう言う事じゃ・・・。分かるか?儀式が妨害されぬ以上、もはやリチュアに盲点はない・・・」

 ズポリ・・・

 話すシャドウの足が、黒い水溜りに沈む。

 ズプリ・・・

 ズプリ・・・

 足だけではない。

 腰が。

 続いて胸が。

 次々と闇の中へ消えていく。

 まるで、底なし沼に呑まれる様に。

 しかし、当の本人には恐怖も焦燥も見てとれない。

 ただただ、沈み行くその顔に薄笑みを浮かべるだけ。

 「おぅ。そうじゃそうじゃ。」

 首まで沈んだ姿で、思い出した様に口を開く。

 「この“芸”は、お主には披露済みじゃったな。それならば、別に面白いものを見せてやろう。」

 「・・・何を、言ってるですか・・・?」

 成す術もなく見つめるライナが、問う。

 「面白いものじゃ。ほれ、上を見てみぃ。」

 言われるままに見上げたライナの瞳に、あるモノが映る。

 降り注ぐ黒雨の中を、何かの影が落ちてくる。

 思わず目を凝らす。

 見上げる目に、雨が入る。

 にじむ視界。

 ゴシゴシと、目を擦る。

 目に入った水は、なかなかとれない。

 結局、しっかりと“それ”を見たのは、“彼女”が目の高さまで落ちてきた時だった。

 「――え・・・?」

 ドポォンッ

 湿った音を立てて、“彼女”が地面の水溜りに落ちる。

 「・・・・・・?」

 唖然とするライナの足元で、闇に浮かぶのは一人の少女。

 何処から落ちてきたのか。

 一体、何処の誰なのか。

 そんな当然の疑問をしかし、ライナは持つ事が出来なかった。

 その目が、少女の姿を凝視する。

 闇の中、水藻の様にたゆらう緋色の髪。

 魚の鰭を模した、リチュア特有の衣装。

 静かに上下する胸。

 眠っているかの様に、薄く目を閉じた顔。

 カタカタと震え始める、身体。

 ゆっくりと上げる、視線。

 見れば、ダルクが青ざめた表情で自分の前にいる“彼女”を見つめていた。

 ライナは思う。

 自分もきっと、同じ表情をしているのだろうと。

 (・・・どうじゃ?面白いじゃろう・・・?)

 地の底で囁く様に、シャドウの声が響く。

 闇の中に、すっかり沈み込んでしまったのだろう。

 その姿は、もう跡形もない。

 けれど、それに構う余裕など、もはやある筈もなかった。

 

 

 ライナもう一度、眼下にある“彼女”と目の前に浮かぶ“彼女”を見比べる。

 『どう?面白いでしょ?』

 薄く笑みを浮かべながら、“彼女”―エミリアが言う。

 「貴女・・・これは・・・そんな・・・」

 戦慄きながら、ライナは言う。

 「純正な霊体(スピリット)じゃない・・・。まさか・・・そんな事・・・?」

 信じられない。

 信じたくない。

 けれど、目の前の現実は容易にその想いを否定する。

 「お前・・・まさか、自分の魂魄を・・・」

 絶句する彼女の代弁をする様に、ダルクが問う。

 『見て分からないなら、説明しても分からないと思うけど。』

 能面の様な顔で、クスクスと笑うエミリア。

 「馬鹿な!!生きた肉体から魂魄を切り離すなんて、そんな真似出来るはずが・・・」

 「見たものは、素直に認めろよ。」

 同じ様に能面の顔で呟く様に、アバンスが言う。

 「これがリチュアだ。真理も、道義も関係ない。万物万象全てを呑み喰らい、力とする・・・。。」

 淡々と語るその瞳に、光はない。

 まるで、大事な何かを捨て去ったかの様に。

 『便利でしょう・・・。一つの資源から、二つの資源が取り出せるんだから・・・。』

 昏い笑みに顔を歪ませながら、エミリアは笑い続ける。

 「何て・・・事を・・・。」

 強い目眩が、ライナを襲う。

 確かに、儀式魔法(セレモニー・スペル)でもっとも重要なのは生贄の確保。

 リチュア(彼ら)の“それ”に対する渇望と執着は、その身に染みて分かっているつもりだった。

 しかし、これはその理解を超えていた。

 そのために、肉体を生かしたまま魂魄を剥ぎ取るなど、もはや神の摂理を踏みにじる所業としか言い様がなかった。

 「リチュア(貴女達)は、命を何だと・・・!?」

 「知ったふうな口をきくな!!」

 ライナの激高の声を、もう一つの声が遮った。 

 「お前らに、何が分かる!?。」

 剣を握った手をダラリと下げたアバンスが、燃える様な眼差しでライナを見つめていた。

 仄暗く燃える様な視線が、ライナを射抜く。

 「”そこ”に在れるお前らが!!”そこ”で生きてるお前らが!!」

 血を吐く様な声で、彼は叫ぶ。

 「その道しか知らず、その術しか知らずに生きるしかない者の想いが分かるか!?」

 「お前・・・?」

 唖然とするダルク達。

 叫びは続く。

 「教えてやるよ!!誰がエミリアをこうしたのか!!誰が、こいつにこんな在り方を強いたのか!!」

 『アバンス!!』

 「!!」

 エミリアが叫ぶ。

 それに、アバンスは我に帰った様に言葉を呑み込む。

 一瞬、辺りを包む静寂。

 けれど―

 (・・・ノエリア様じゃよ。)

 「「「『!?』」」」

 全然別の方向から飛んできた声に、ライナ達は驚き、エミリアとアバンスは顔を強ばらせる。

 「シャドウ・・・!!」 

 (クポポ・・・。いかんのぉ。言いかけで止めては。聞き手が困るじゃろうが?)

 歯噛みするアバンスを嘲る様に、闇の深淵からシャドウは言う。

 「ノエリア・・・?」

 (そう、ノエリア様じゃ。我らリチュアを統べる教主。そして・・・)

 困惑するライナに、シャドウは歪んだ笑みを声だけで向ける。

 酷く。酷く、()んだ笑みを。

 (エミリア・・・その娘の、実の”母親”よ・・・。)

 「な・・・!?」

 絶句するライナ達。

 それを嘲笑う様に、声は消える。

 しかし、それに構う余裕はない。

 母親・・・。

 今確かに、“母親”と言ったか。

 ありえない。

 こんな狂事のために、自分の娘を犠牲にするなど。

 もはや、正気の沙汰とは思えない。

 「狂ってる・・・。」

 その呟きを聞いたエミリアが、ククッと笑う。

 『何?その顔。同情でもしてるの?』

 影の挿した顔を歪に歪めながら、彼女は言う。

 『貴女達の物差しで計らないで。リチュアの崇高な教えが、貴女達に理解出来る筈もないもの。』

 崇高な教え?

 そんなもの、理解したくもない。

 嫌悪の表情を露わにするライナ達を無視する様に、エミリアは続ける。

 『わたしは、満足しているの。お陰で、お母様に尽くすための力を手に入れられたのだから。』

 「尽くす、力・・・?」

 『そうよ。ほら。』

 エミリアが杖で、ライナ達の足元を指す。

 「!!」

 ハッと目を戻す。

 そこに、“抜け殻”のエミリアの姿はなかった。

 ただ、地に溜まった闇がブクブクと泡を立てているだけ。

 それを見たライナが青ざめる。

 「まさか・・・」

 『そのまさかよ。』

 危惧を、肯定する言葉。

 そして、

 『“器”はそちらに。そして、“わたし”は・・・』

 エミリアの魂魄(スピリット)は、傍らで事の次第を見ていたアバンスに寄り添う。

 『待たせたわね。』

 「ああ・・・。」

 何かを諦観する様な表情で頷くアバンス。

 エミリアが、クスリと笑む。

 『そんな顔をしないで。こうなったからこそ、わたしと貴方はこういう形で在れるのだから。』

 言いながら、エミリアはアバンスに絡み付いていく。

 「エミリア・・・。」

 『愛してるわ。アバンス。』

 沈むアバンスをあやす様に、軽く唇を重ねる。

 しばしの間。

 やがてアバンスから顔を離すと、エミリアは緋色の視線をライナ達に向ける。

 明らかな敵意が、ライナとダルクを射抜く。

 『だから、今はわたし達の役目を・・・。』

 「分かった・・・。」

 アバンスの足が、一歩踏み出す。

 その先には、いつの間に溜まったのだろう。

 静かに揺れる、闇色の水面(みなも)

 「!!、待て!!」

 事を察したダルクが止めようとするが、やはり不可視の壁に阻まれる。

 「くっ!!」

 「慌てるなよ。すぐに相手してやる。」

 闇に沈みながら、アバンスが言う。

 「ちょっとの間だ。その間に、相方とあの世に行った後の予定でも立てておけ。」

 トプン

 そして、アバンスとエミリアの姿も、闇の中へと消えた。

 

 

 いつしか、闇色の雨は止んでいた。

 しかし、光は訪れない。

 知らぬうちに日は沈み、世界は夜に抱かれていた。

 夜闇に包まれるガスタの村。

 その中で、少女達はただ立ち尽くしていた。

 それぞれの眼前にある、禍しい闇の残滓を見つめながら。

 深々と積もる様な静寂。

 誰も動かない。

 喋らない。

 空中に浮かぶ杖に立つ男も。

 鋼の鎧に覆われた巨獣さえも。

 まるで、何かを待つ様に。

 静かに。

 静かに。

 佇んでいた。

 

 

 ノエリアは元通り玉座に身をゆだねながら、静かに上を仰いでいた。

 その視線の先にあるのは、巨大な天窓。そして、その先に浮かぶ白銀の円。

 「・・・月よ・・・。」

 それに向かって、ノエリアは語りかける。

 「美しき月よ。今はしばらく、その身を隠すが良い。これより始まる宴、見ざる事を望むのならば。その無垢なる身体を、紅き色に染めたくないのであれば。」

 その言葉に答えるかの様に、天は見る間に雲に覆われ、月はその中へと消えた。

 それを見届けると、ノエリアは眼前の儀水鏡へと視線を戻す。

 「さあ・・・」

 音もなく、その右手が上がる。

 儀水鏡に向かって。

 差し伸べる様に。

 「出ておいで・・・」

 囁く。

 「わらわの・・・」

 優しく。

 「可愛い・・・」

 愛おしく。

 「子供達・・・。」

 そして冷たく。

 邪狂の教主は、言葉を紡いだ。

 

 

 ドパァアアアアンッ

 静寂を裂く様に、闇が悲鳴を上げる。

 ザパァアアアアアッ

 ジュバァアアアアアッ

 己が子宮を引き裂かれ。

 己が胎内を割り破られ。

 闇が苦痛の、悲鳴を上げる。

 そして。

 そして―

 ギョオオオオオオオオオ・・・

 世の黄昏を告げるかの様に。

 永夜の始まりを知らせるかの様に。

 産声が響いた。

 深い。

 深い。

 闇の中。

 昏きモノ達の、産声が響いた。

 

 

                                    続く



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20話

                  ―20―

 

 

 カシャカシャ

 カシャカシャ

 堕ちて来た宵の中に、無機質な音が絡む様に響き渡る。

 闇色の水に濡れた鱗はヌメヌメと光沢を放ち、鋭い歯牙の並んだ巨口からは白く濁った呼気が漏れる。

 三対の節足は、互いのつなぎ目を軋ませる様に蠢めき、翼の様な大鰭が緩慢に開閉する。

 青白い複眼がギョロギョロと動き、己の周囲の贄達を見回した。

 「・・・何・・・だよ・・・?“コイツ”、は・・・?」

 その姿に例え様もない怖気を感じながら、ダイガスタ・スフィアードは茫然と呟く。

 「ン・・・フゥ・・・」

 そんな彼女の視線の先で、その怪物の頭に“生えた”少女が、ク・・・と身を伸ばす。

 華奢な身体が艶かしい曲線を描いて、弓なりに反った。

 「アア・・・久シブリ。コノ感ジ・・・。」

 身を起こしながらそんな事を言うと、少女―エリアルは愛しげに己が身体をかき抱いた。

 「あれは・・・何・・・?」

 「あの化けモンの頭に生えてんの、さっきの娘・・・だよな・・・?」

 魔性と化した少女の上を旋回する、ウィング・イーグル。

 その背の上で、カームとエメラルもまた、自分達の目を疑っていた。

 「・・・儀式(リチュアル)・モンスター・・・。だけど、自分の身まで巻き込むなんて・・・!!」

 何が起こったのかを、学んだ知識から察するウィン。

 知っているからこそ、そこにある狂気のおぞましさに総毛立つ。

 と、その耳に・・・

 ギョオオオオオオオオッ

 キシャアアアアアアアッ

 ジュラァアアアアアアッ

 村の奥の方から聞こえてくる、異様な雄叫びの群。

 「なっ!?」

 「――っ!!この声!!」

 「まさか、他にも!?」

 驚愕の目で、村の奥を振り仰ぐウィン達。

 彼女達が、思わずそれに気を取られたのはほんの一瞬。

 しかし―

 「危ない!!」

 唐突に、下から響いてくる声。

 それがスフィアードのものだと気付き、視線を戻した瞬間、

 ギロリ

 ウィンの目の前で、青白い複眼が蠢いた。

 「「「―――っ!!」」」

 息を呑む三人の前にあったのは、大鰭を翼の様に開いて空に舞う魔形の姿。

 その頭部に生えたエリアルが、憎々しさと嘲りの混じった声で言う。

 「サッキハ、ヨクモヤッテクレタヨネ。タップリト、オ返シシテヤルカラ!!」

 グゴォオオオオオオオッ

 雄叫びと共に、怪物―『イビリチュア・マインドオーガス』がその脚を振り上げる。

 「落チロ!!」

 「いけない!!うぃっちん、戻って!!」

 そう叫びながら、ウィンはウィング・イーグルの背を杖で叩く。

 召喚を解かれたウィング・イーグルが消えるのと、その場を棍棒の様な節足が唸りを上げて通り過ぎるのは、ほぼ同時だった。

 「お、おお!?」

 「きゃあ!?」

 急に足場を失い、成す術なく落下するウィン達。

 硬い地面が猛スピードで迫る中、ウィンがカームに叫ぶ。

 「カームさん!!“風”を!!」

 「え?あ、はい~!!」

 杖を構え、念を込める二人。

 その下に展開する、朱い魔法陣。

 二人の声が、同時に紡ぐ。

 「「『ガスタのつむじ風(ガスタ・レラシゥ)』!!」」

 途端、魔法陣から巻き起こるつむじ風。落ちる三人の身体を受け止める。

 風はそのままクッションの様にたわみながら、皆を優しく地へと下ろした。

 「・・・あ、焦ったぜ・・・。」

 そう言って、冷や汗を拭うエメラル。

 「ウィンちゃん、大丈夫~!?」

 「あ、あたしは・・・」

 「平気。」と言いかけたウィンの周りが、突然暗くなる。

 「!!」

 思わず上を向いた三人の視界に飛び込んできたのは、自分達を押し潰さんと迫ってくる巨大な妖魚の腹。

 「うぉお!?」

 「いけない!!避けて!!」

 「は、はい~!!」

 慌てて影の中から転げ出るウィン達。

 ズシィイイイイイイイイン

 間一髪、逃げ出した三人がいた場所に叩き落ちる巨体。

 「アン、惜シイ!!上カラ下カラ、内蔵ヒリ出サセテヤロウト思ッタノニ!!」

 黒光りする魚体をズズズッと蠢かせながら、マインドオーガスは舌打ちをする。

 「冗談じゃねぇ!!」

 「そうです~!!女の子がそんな下品な言葉使っちゃいけません~!!」

 「突っ込む所、そこじゃねえだろ・・・」

 「・・・マァ、イイワ。一度ニ殺ッチャウヨリ、一人ヅツ切リ刻ンダ方ガ楽シイシネ。」

 言いながら、マインドオーガスはウィン達に向き直る。

 「け・・・。魚に三枚に下ろされるなんざ洒落にもならねぇよ・・・。」

 「皆の無念の為にも、負けられません・・・。」

 各々に武器を構えるエメラルとカーム。

 しかし、その身体には先に受けた『戦壊障(バトル・ブレイク)』のダメージが色濃く残っている。

 恐らくは、二人とも立っているだけで精一杯。

 もう、頼みのエクシーズ体にもなれないだろう。

 その事を見てとったウィンは、自分の傍らを舞うプチリュウに向かって声をかける。

 「ぷっちん、憑依装着!!」

 『合点!!』

 途端、光に包まれるウィンとプチリュウの姿。

 「きゃっ!?」

 「な、何だ!!」

 「――!!コノ光ハ・・・!?」

 驚く皆の前で、羽衣を身に纏ったウィンと、猛々しい風龍へと姿を変えたプチリュウが姿を現す。

 「ウィンちゃん・・・」

 「カームさんとエメラルさんは休んでて。ここは、あたしとリーズさんで押さえる!!」

 そう言うと、ウィンは杖を構えてマインドオーガスに対峙する。

 と、その様を見ていたマインドオーガスが顔を歪める。

 「ソノ格好・・・。ソウカ。アンタ、“アイツ”ノ同輩ネ・・・。」

 「え・・・?」

 「イイワ。相手シテアゲル。アンタハ、特別念入リニ切リ刻ンデアゲルカラ・・・」

 その愛らしい顔に、禍々しい笑みを浮かべながらマインドオーガスは言う。

 「ト・・・。ソノ前ニ・・・」

 ブゥンッ

 バチィッ

 不意にその尾鰭が振られ、後方で傅く様に動きを止めていたギガ・ガガギゴの頬を打った。

 「アンタ、イツマデボサットシテンノヨ!?サッサト仕事、始メナサイ!!」

 ギ・・・ガァ・・・

 その言葉に答える様に低く唸ると、ギガ・ガガギゴは再びその巨体を動かし始める。

 「ギゴ君・・・。」

 目の前に立ち塞がる二体の巨獣を前に、それでもウィンの目は逃げる事なく彼らを見据えた。

 

 

 同じ頃、村の入り口と療養所を結ぶ道では・・・。

 「こんな・・・」

 「おいおい・・・、ついてないにも程があるだろ・・・。この状況・・・。」

 互いの背を合わせながら、ライナとダルクは共に青ざめた顔で周囲を見回していた。

 そんな彼女達の周囲を囲むのは、不気味に蠢く三つの巨影。

 一つは巨人。

 青銅色の鱗に身を包み、鋭い鰭骨で全身を飾った、半人半魚の巨人。

 一つは巨怪。

 ウジュウジュと蠢く触手の群の頂に、清楚な少女の半身を掲げた異様の海魔。

 一つは巨龍。

 長くのたうつ身体に、白赤のたてがみ。無骨な腕に大剣を握った異形の邪龍。

 そんな怪物達がライナとダルクを取り囲み、禍しい光を湛えた眼差しで彼女らを見下ろしていた。

 「ぎゅぽぽぽぽ・・・ドウシタ?娘。コノ姿ハ前ニ一度見テオロウ?今更、驚ク事デモアルマイ?」

 驚愕を隠せないと言った態のライナを見て、青銅の魚人―『イビリチュア・ソウルオーガ』がせせら笑う。

 「・・・こんなに沢山の儀式を、一度に執行するなんて・・・。」

 「ぎゅぽぽ・・・我ラガ盟主、のえりあ様ニトッテハ造作モナイ事ヨ。」

 言いながら、ズシリと一歩、ソウルオーガが前に出る。

 「く・・・」

 ジリ・・・と後ずさるライナ。

 「御主ニハ、れいんぼー・るいんデノ貸シガアッタノ・・・マズハソレヲ返ストシヨウ。」

 暗くくぐもった声。水掻きの張った足が、黒い水を弾いてビチャリと湿った音を立てた。

 鋭い爪の生えた手が、ゆっくりとライナに向けられる。

 それに向かって、身構えるライナ。

 しかし―

 「オゥ、忘レル所ジャッタワ・・・」

 不意に、魚人の顔がニヤリと歪んだ。

 「興ヲ削グ邪魔者ニハ、消エテモラワントノウ!!」

 突然そう言うと、ソウルオーガは自分の傍らに立つ海魔に向かって叫んだ。

 「ヤレイ!!『がすとくらーけ』!!」

 その瞬間、無数の触手の上でダラリとうなだれていた少女がガバリと身を起こす。

 バサリと振り乱れた赤髪の中から現れる、可憐な、しかし生気のない顔。

 ジュウララララララッ

 薄い花弁の様な口が、裂けんばかりに咆哮を上げる。

 同時に、その下ある海魔の身体がガバリと口を開き―

 ゴブゥアァアアアア

 空に向かって濁紫の爆煙を大量に吹き上げた。

 「!!」

 思わず空を振り仰ぐライナ。

 その視線の先で、煙が弾ける。

 「ジェアァアアアーッ!!」

 響き渡る悲鳴。

 紫煙に包まれた丸い身体が、その空間ごとグニャグニャと歪む。

 「モイ君!?」

 絶叫の様な声で、ライナが“彼”の名を呼ぶ。

 その叫びが終わらないうちに、煙は濁った欠片を散らしながら消えていく。

 やがてそれが完全に消えた時、“彼”の姿ももろともに消えていた。

 「あ・・・あぁ・・・?」

 忘我の視線が、消えたモイスチャー星人の姿を追って虚空を彷徨う。

 そんな彼女を嘲る様に、ソウルオーガが笑った。

 「ぎゅぽぽぽぽぽぽ。何ヲ泣キソウナ顔ヲシテオル?何、心配ハイラヌ。”あれ”ハ己ノ居ルベキ場所二戻ッタダケヨ。」

 「自分の・・・居るべき場所・・・?」

 言葉の意をとれないライナを、この上なく愉快そうな眼差しが見つめる。

 「ソウ。コヤツ・・・『いびりちゅあ・がすとくらーけ』ノ『輪廻狂典(フレネーゾ・ウトピオ)』ハ、受ケタ者ヲ生マレシ地ヘト強制送還スルモノ・・・。”アレ”ハ帰ッタノヨ。己ノ生マレシ地ヘナ・・・。死ンデハ、オラヌ。モットモ・・・」

 言いながら歪む。歪な顔。

 「二度ト会エルカドウカマデハ、責任持チカネルガナ・・・。」

 愕然とするライナを前に、彼はまたギュポポと笑った。

 

 

 ギィガァアアアアアッ

 響き渡る雄叫びと共に、鋼の爪が空を裂く。

 「クッ!!」

 それを『風の鏡(レラ・シトゥキ)』で受け止める、ダイガスタ・スフィアード。

 しかし―

 ギャガガガガガガッ

 反衝して己が主を傷つける筈のそれは、等のギガ・ガガギゴの身体を逸れて明後日の方向の地面に突き刺さる。

 「・・・相手を傷つけない様にってのは・・・中々骨が折れるもんだねぇ・・・。」

 ハァ、と息をつくスフィアードの額を汗が流れる。

 ガガギゴを傷つけないために、防戦一方を強いられる彼女。その体力は、徐々にではあるが確実に削られていた。

 しかし、そんな彼女の想いに構う事もなく、ギガ・ガガギゴはその鋼爪を冷淡に振り下ろす。

 そして、その先にいるのは―

 「この!!」

 再び展開する、風の鏡(レラ・シトゥキ)

 反衝した斬撃が、後方の瓦礫を弾く。

 「アンタ・・・あくまでも”この子”を狙うのかい・・・?」

 そう呟くスフィアードの後ろには、佇むだけのカムイの姿。

 ギィガァアッ

 苛立たしげな声を上げて、ギガ・ガガギゴが蹴足を放つ。

 ズゥンッ

 「グゥッ!?」

 全身の骨がバラバラになりそうな衝撃を受け止めながら、それでもスフィアードはその場を退かない。

 「・・・よっぽど、怒ってんだね・・・。この子の事・・・。」

 軋む杖を身体で支えながら、スフィアードは苦笑する。

 「分かるよ・・・アンタの気持ち・・・。許せないよな。許せる訳ないよな・・・。だけど・・・」

 杖を持つ両手に、力がこもる。

 「それは、アタイも同じなんだよ!!」

 細い腕が風を纏い、渾身の力をもってギガ・ガガギゴの足を押し返す。

 ギィイッ

 バランスを崩し、仰向けに転がる巨体。

 絶好の勝機。

 しかし、追い打ちはない。

 その代わり、この間に上がる呼吸を少しでも落ち着かせようと大きく息を吐きながら、スフィアードはポソリと呟く。

 「・・・もう、失くさせゃしない・・・。亡くさせるもんか・・・仲間を・・・家族を・・・!!」

 ギィ・・・

 そんな彼女を、半身を起こしたギガ・ガガギゴが忌々しげな目で見つめた。

 

 

 そんな彼女らの様子を、エリアル―イビリチュア・マインドオーガスは酷く冷ややかな目で見ていた。

 「全ク、何ツマラナイ茶番二付キ合ッテンダカ。サッサト仕事済マセロッテ言ッタノニ・・・」

 そうボヤく彼女の背後で、緑の人影が踊る。

 「『風の刺嘴(レラ・エウシ)』!!」

 声と共に、穿ち込む様な風を纏った杖がマインドオーガスに突き立てられる。

 しかし―

 ギィンッ

 「キャンッ!?」

 硬い音を立ててあえなく弾き返される、風の槍。

 悲鳴と共に、ウィンの身体が地に転がる。

 「何ヨ?アンタモ懲リナイワネェ。ソンナヒョロッポイ槍ナンカ、効キヤシナイッテノニ。」

 「く・・・」

 嘲るマインドオーガスに、歯噛みをするウィン。

 『風の刺嘴(レラ・エウシ)』。憑依装着状態になったウィンの特殊攻撃。

 『炎華襲撃(ビッグバン・シュート)』と同じく、守備力の低い相手の防御を貫く効果がある。

 しかし、今回は相手の守備力が上回っているため、その貫通効果が十分に生きないでいた。

 「ホラ、ぼうっトシテルト刻ンジャウワヨ!!」

 地に転がるウィンに向かって、マインドオーガスが襲いかかる。

 『シャアアアッ!!』

 その爪がウィンにかかる寸前、守る様に間に入った風龍が烈風を吐きつける。

 「アア、モウ!!うざっタイワネェ!!」

 髪が乱れるのを嫌がる様な素振りを見せて身を引く、マインドオーガス。

 『大丈夫か!?ウィン!!』

 「う、うん。ありがとう、ぷっちん。」

 体勢を立て直しながら、礼を言うウィン。

 『けど、厄介だぞ。あいつ、責めも守りも隙がない。』

 「うん・・・。多分、あたし達だけの力じゃ・・」

 悔しげに言いかけたその時、

 「ウァアッ!!」

 突然響いた声が、彼女の目を奪った。

 

 

 「・・・こいつは、ちょっとヤバイかな・・・?」

 目の前の光景に、スフィアードはゴクリと息を呑んだ。

 彼女の前に立ったギガ・ガガギゴの口に蒼白い光が収束を始めていた。

 最大の攻撃、『水槍閃(アークヴォ・ランツォ)』が放たれる前兆。

 対するスフィアードは、巨体から繰り出される攻撃を何度も受け止めた影響でもはや疲労の極みにあった。

 頼みの綱である風の鏡(レラ・シトゥキ)も、満足に使えるか疑わしい。

 「カムイ・・・」

 荒い息をつきながら、後ろで佇むカムイに語りかける。

 「あの一撃は、何とか食い止める。だから、アンタは逃げろ・・・!!」

 しかし、カムイは動かない。

 忘我の表情のまま、ただ立ち尽くすだけ。

 「カムイ!!」

 怒鳴るスフィアード。

 けれど、その声は空風の様に虚しく彼の身体を通り過ぎるだけ。

 「カム・・・」

 もう一度、叫ぼうとする。

 その意識を逸した一瞬が、隙になった。

 カァ・・・

 その身を不気味に照らす、蒼白い光。

 ハッと戻した視線に迫る、高熱、高圧の水閃。

 「くっ!!」

  咄嗟に風の鏡(レラ・シトゥキ)を展開する。

 しかし、間に合わない。

 バチィッ

 ぶつかり合う、水の熱閃と風の烈渦。

 跳ね上がる、水の穂先。

 しかし、中途半端に展開した風もその威力を殺しきれない。

 余った負荷が、疲弊したスフィアードの身体を打ち据える。

 「ウァアッ!!」

 全身を襲う衝撃。

 軽い身体が、悲鳴と共に宙を舞う。

 「リーズさん!!」

 叫ぶウィンの声が、酷く遠くに聞こえる。

 回る視界の隅に、馬鹿の様に立ち尽くす”彼”の姿が映る。

 (カムイ―)

 声はもう出ない。

 出ない声で、”彼”の名を呼ぶ。

 けれど、想いは届かない。

 (おじさん・・・おばさん・・・ごめん―)

 消えゆく意識の中、スフィアードの胸を過ぎったのは、今は亡き愛しき者たちへの想いだった。

 

 

 「ぎゅぽぽぽぽ・・・」

 昏い黄昏の堕ちた中、水底で汚泥が泡立つ様な声が響く。

 青黒い巨体を震わせ、イビリチュア・ソウルオーガは満足気に笑う。

 「サテ、無粋ナ“邪魔者”ハ消エタ。ソロソロ、第二幕ヲ始メルトシヨウカノ・・・。」

 「第・・・二幕・・・?」

 周囲を取り囲む魔性の者達。

 彼らから注がれる視線に怖気を感じながら、ライナは問う。

 「ソウ。のえりあ様ニ奉ゲル、愉快ナ愉快ナ喜劇ノ第二幕ヨ・・・。」

 答えるソウルオーガの口から、冷たい呼気が白く流れる。

 「オ主達二ハ、ソノ劇ノ”華”トナッテ貰ウトシヨウ・・・」

 ゴボゴボ・・・ゴボ・・・

 ライナの耳に、どこからともなく聞こえる水音。

 見れば、水かきの張った大きな手に、黒く濁った水が湧き出す様に溢れ出していた。

 「全テハのえりあ様ノ為・・・全テハのえりあ様ノ御心ノママ・・・」

 呪詛の様に紡がれる言葉。

 それに習う様に、他の2体も動き始める。

 邪龍が手にした刀をゆっくりと掲げる。

 海魔がジュクジュクと奇怪な音を立てて、その触手を蠢かす。

 「サア、舞ウガイイ・・・。」

 手の上の濁水が、丸い水球を形作っていく。

 黒い水晶玉に、歪んで映るライナの顔。

 反対側に映る、魚妖の顔も歪む。

 歪に。

 歪に。

 歪んだ顔が。

 歪な言葉を。

 歪に紡ぐ。

 「可憐ニナ・・・。」

 そして、ソウルオーガはその濁った水球をライナに向かって叩きつけた。

 

 

                                     続く



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21話

                  ―21―

 

 

 ガスタの村が、リチュアによって蹂躙されていたその頃―

 「サフィアさん!!サフィアさん!!」

 破壊された村の門に、悲痛な叫びが響いていた。

 「サフィアさん、目を開けて!!サフィアさんってば!!」

 声の主は、小柄な人影。

 鎧で覆われた身から発せられる声。

 それから察するに、まだ幼さの残る少女である事が分かる。

 彼女は瑠璃色の宝石で飾られた鎧を震わせながら、自分の前に横たわるもう一つの人影を必死の体で揺さぶっていた。

 彼女の前に横たわるのは、細身の鎧を蒼色の宝石で飾った騎士。

 白銀のその身体には、巨大な爪痕が深く深く刻みこまれている。

 鎧の少女―ジェムナイト・ラズリーはその身を揺さぶり、声をかけ続ける。

 しかし、それに応えるのはひしゃげた鎧が軋む音だけ。

 暗く閉ざされた騎士の目に、光が戻る事はない。

 「そんな・・・そんな・・・」

 目の前の、現実と言う名の絶望。

 それに耐え切れず、ラズリーが顔を覆ったその時―

 「泣かなくていいよ。」

 そんな声が背後から聞こえ、ラズリーは思わず振り返る。

 立っていたのは、見知らぬ少女。

 栗色のショートヘアをサラサラと揺らす彼女は、地に崩れていたラズリーを見下ろすと、眼鏡の奥の眼差しをニコリと微笑ませる。

 「何者!?」

 反射的に身構えるラズリー。

 「おっと、待っておくれ。ボクは敵じゃないよ。」

 そんな彼女に、少女は持っていた杖を置くとピラピラと両手を振った。

 その様をしばし注意深く見ていたラズリーは、やがてホゥと息をついて構えを解いた。

 「・・・確かに、害意はない様ですね・・・。」

 「流石はジェムナイト。話が早くて助かるよ。」

 そう言いながら杖を拾うと、少女はラズリー達に向かってツカツカと近づいてくる。

 「・・・この地に何の用向きですか?今ここは・・・。」

 「知っているよ。」

 サラリと答えると、少女はラズリーの横を通り過ぎて、横たわる騎士の脇にしゃがみこんだ。

 「・・・彼が、サフィア氏・・・かな?」

 ラズリーの目が、軽く見開く。

 「・・・何故、彼の名を?」

 「ちょっと”つて”があってね。そう言う君は、ラズリー女史だろう?」

 「・・・もう一度問います。貴女は、何者ですか?」

 怪訝そうに尋ねる彼女にもう一度微笑むと、少女は手にしていた杖を構える。

 「何を・・・?」

 「細かい話は後だ。今は黙って見ていてくれないか?」

 「今会ったばかりの貴女を、信用しろと?」

 「今はそう願うしかないな。と言うか、ボクの本質は見抜いているんだろ?」

 「・・・・・・。」

 沈黙するラズリー。

 「ホントに、話が早くて助かるよ。」

 言葉とともに、少女が杖で地面を突く。

 「おいで。『ガイアフレーム』。」

 ズズ・・・

 その呼びかけに応える様に、地が揺れる。

 土煙を上げながら浮き上がって来たのは、幾つもの方体を複雑に組み合わせた様な岩の塊。

 『ガイアフレーム』。

 生贄となる為だけに存在する、魂無き人工擬似生命体。

 ただ、ドクドクと脈打つだけのその表面を少女が優しく撫でさする。

 「・・・悪いね。”借りる”よ・・・。」

 そう言うと、少女は杖を正眼に構えると目を閉じる。

 途端、少女と騎士を囲む様に展開する魔法陣。

 「マルグ・マルグナ・グランマグ 大地に満ちし慈悲の声 世界樹に実りし久遠の果実 永久なる存在 永劫の連鎖 其を統べしは地帝の理 巡り連なる命の調べ 枯れよ 芽生えよ 天理の輪巻 絶えし骸は安なる褥 其が恵を導とし 次なる新世あらよに降り来たれ」

 紡がれる調べと共に、陣から湧きいでる黄金(こがね)の光。

 それが、ガイアフレームと横たわる騎士―ジェムナイト・サフィアを包み込む。

 「『地霊術-「鉄」』。」

 結ばれる言葉。

 光に包まれたガイアフレームが、その光の中に溶けていく。

 「・・・・・・!!」

 その様を、ラズリーは息を呑んで見つめる。

 やがて、『ガイアフレーム』を溶かし込んだ光はサフィアへと収束していき、その身の中へ染み込む様に消えていった。

 そして―

 「う・・・む・・・?」

 力なく横たわっていた身体がピクリと動き、暗く沈んでいた瞳に光が灯る。

 「!!、サフィアさん!?」

 思わず駆け寄るラズリー。

 その横で、構えを解いた少女がフウと息をつく。

 「サフィアさん・・・。良かった・・・。」

 「ラズリー・・・?」

 泣きながら、自分の胸に顔を埋めるラズリー。

 彼女をなだめながら、サフィアは身を起こす。

 己の身体を確かめるが、そこに刻まれていた筈の爪痕も今はない。

 「小生は・・・一体・・・?」

 「あの方が・・・」

 自分の身に起こった事を把握しかねているサフィアに、ラズリーが傍らに座っている少女を示す。

 「貴女は・・・?」

 「ボクはアウス。地霊使いのアウスだよ。」

 汗でずれた眼鏡を直しながら、少女―アウスは初めて名乗る。

 その言葉に、ハッと目を見開くサフィア。

 「アウス・・・?と言う事は、エリア嬢が言っていた・・・?」

 「ああ、彼女が言っていたのかい?なら、そのアウスはボクの事だね。」

 「そうか。貴女が・・・。」

 サフィアはそう言って姿勢を正すと、アウスに向かって頭を垂れる。

 「此度は、貴女の御陰で助けられた。この恩義は、必ずや・・・」

 「気にしなくていいよ。ボクはエリア女史に頼まれただけさ。君らには借りがあるから、返しといてくれってね。」

 「!!、エリア嬢は無事なのか!?」

 「ああ、ピンピンしてるよ。」

 「・・・そうか・・・。」

 「良かった・・・。」

 安堵の息を漏らすサフィアとラズリー。

 しかし、そんな彼らにアウスは言う。

 「だけど、そのピンピンもいつまで続くか分からないけどね。」

 「・・・む?」

 アウスの視線は、土煙の上がる村の中へと注がれている。

 「では、エリア嬢は”彼”の元へ!?」

 「見るなり、君らをボクに任せてすっ飛んでいったよ。」

 「いかん!!今の”彼”は・・・!!」

 「そう言う事さ・・・。」

 言いながら、アウスはよっと腰を上げる。

 「事態は大体把握してる。正直、ボク達だけじゃ手に余りそうだ。蘇生したばかりで悪いけど、手を貸してくれないか?」

 「言われるまでもない。」

 「及ばずながら・・・。」

 そう言うと、三人はそこにある戦場を見据えた。

 

 

 ギィガァアアアッ

 壊れた村の中に、壊れた叫びが響き渡る。

 凶機の巨獣が、狂喜と狂気にその身を震わせていた。

 昏い光に満たされたその瞳が見つめるのは、己の足元に佇む一人の少年。

 憎い。

 憎い。

 愛しいまでに、憎い相手。

 先まで、彼を守っていた者はもういない。

 だからもう、手が届く。

 伸ばすだけで、手が届く。

 何故憎いのか。

 どうして憎いのか。

 それはもう、思い出せない。

 思い出す事も、出来ない。

 だけど。

 けれど。

 この胸に滾るもの。

 熱く。

 冷たく。

 滾るもの。

 怒り。

 憎しみ。

 絶望。

 それは、確かなもので。

 それは、違う事なきもので。

 だから。

 だから。

 だから、壊そう。

 壊しつくそう。

 跡形も。

 髪の一筋も残らぬまでに。

 自分は。

 今の自分は。

 その為だけに、存在しているのだから。

 生きて、いるのだから。

 胸に滾る冷たい炎を吐き出す様に。

 彼はその口を大きく開いた。

 

 

 「ダメ!!ギゴ君、止めて!!」

 スフィアードを退けたギガ・ガガギゴが、狂気に満ちた眼差しをカムイに向けるのを見て、ウィンは悲鳴の様な声を上げる。

 途端―

 ゴァンッ

 「キャアッ!!」

 横殴りに振られた節足が、彼女を急襲する。

 かろうじて杖で防御するものの、その勢いを殺しきれない。

 小柄な身体が、大きく弾き飛ばされる。

 『ウィン!!』

 慌てて飛びよった風竜が、壁に激突する寸前のウィンをその身体で受け止める。

 『ぐぅっ!!』

 「ご、ごめん!!ぷっちん!!」

 自分の身体と壁の間で顔をしかめる風竜に、ウィンはそう声をかける。

 『だ、大丈夫・・・。それよりも、早くギゴ(あいつ)を止めないと!!』

 「うん・・・でも・・・」

 「ホラ、何シカトカマシテンノヨ!?」

 その呟きを遮る様に響く声。

 同時に振り上げられた節足が、再び二人を襲う。

 「キャッ!?」

 『うわぁっ!!』

 咄嗟に身をかわす二人。

 空打った節足が、そこにあった壁を粉砕する。

 「きゃははははは!!逃ゲ足早イネェ!!流石ハ風ノ民ッテカ!?」

 揶揄の言葉を放ちながら立ち塞がる、イビリチュア・マインドオーガス。

 「邪魔しないで!!今はあなたに構っている場合じゃない!!」

 槍嵐の様に襲いかかる節足を必死に避けながら訴えるが、マインドオーガスはせせら笑うだけ。

 「ツレナイ事言ワナイデヨ!!モット一緒二踊リマショウヨ!!」

 「この・・・!!」

 歯噛みするウィンの視界の端で、ギガ・ガガギゴが口を開くのが見える。

 「!!、いけない!!」

 「ホラァ、マタァ!!」

 気を逸したウィンに、マインドオーガスが躍りかかる。

 しかし、次の瞬間―

 ポウッ

 マインドオーガスの腹の下に浮かび上がる、朱い魔法陣。

 「!!」

 ゴバァン

 大量の土煙を巻き上げて、巨大な旋風が立ち上がる。

 「ブワッ!?」

 風と砂塵に巻き込まれ、思わず怯むマインドオーガス。

 「コ、コノ・・・!!悪足掻キヲ・・・!!」

 毒づくその目に、さらに浮かび上がる魔法陣が映る。

 その数、三つ。

 「ンナ!?」

 ドォン

 ドォオン

 ドォオオオン

 続けざまに砂爆の竜巻が弾け、マインドオーガスの周囲を覆う。

 「げほっ、げほごほっ!!ナ、何ヨ!?コレェ!!」

 罠魔法(トラップ・スペル)、『砂塵の大竜巻(ダスト・トルネード)』。

 本来は起動している魔法を強制解除する為に使う、破術系の魔法。

 その特性に、術の発動中に他の術の発動準備を重ねられると言うものがある。

 ウィンはそれを利用し、同術をほぼ同時に複数発動させる事によって煙幕を張っていた。

 「コ・・・コノ・・・!!」

 完全に視界を奪われ、狼狽するマインドオーガス。

 その足の間をくぐり抜け、ウィンと風竜は砂煙の外へと飛び出す。

 「ギゴ君ダメだよ!!目を覚まして!!」

 『いい加減にしろよ!?この馬鹿!!』

 ギガ・ガガギゴに向かって、血を吐かんばかりに声を張り上げる二人。

 しかし、その動きは止まらない。

 それどころか―

 ギロリ

 血走った眼差しが、ウィンと風竜の方を向く。

 「!!、危ない!!」

 咄嗟に急ブレーキをかける二人。

 バチュン

 そんな二人の眼前に突き刺さる、熱水の槍。

 次の瞬間、滾る水閃が大地を沸騰させ―

 ドグゥアァアアンッ

 爆発する。

 「キャアッ!?」

 『うわぁああっ!?』

 爆風に吹き飛ばされる二人。

 そんな彼女らを睥睨する、ギガ・ガガギゴ。

 その様は、まるで「邪魔をするな。」と言っているかの様だった。

 『畜生!!アイツ、洒落んなんないぞ!!』

 身を起こしながら怒鳴る風竜。

 「ダメだ・・・。あたし達の言葉じゃ、今のギゴ君には届かない・・・。」

 少なからずの絶望が混じった声でそう言いながら、ウィンがギガ・ガガギゴを見上げたその時―

 バキィイイイッ

 『ぐぁうっ!?』

 鈍い音が響き、風竜の身体が弾き飛ばされる。

 「ぷっちん!?」

 思わず振り向いたその瞬間、ウィンの身体を鋭い錐の様な足が絡め取った。

 「あぅっ!!」

 ギリギリと身体を挟み切られる様な痛みに、思わず悲鳴を上げる。

 「あ・・・ぐぅ・・・!!」

 「サア、捕マエタ。」

 顔をしかめるウィンを見つめる、憎々しげな目。

 「舐メタ真似シテクレルジャナイ。タップリオ礼シテアゲルカラネ。」

 砂塵の煙幕を大鰭で振り払ったマインドオーガスが、顔についた砂埃を払いながら妖艶な笑みを浮かべる。

 「邪魔・・・しない、で・・・!!」

 「マダ言ウカ。」

 ギシリッ

 身体を掴む足に込められる力。

 「――っ!!」

 苦痛に歪むウィンの顔を見て、マインドオーガスは愉しげにケタケタと笑う。

 「何?あんた、ソンナニアノ餓鬼ノ事ガ心配ナノ?」

 ギガ・ガガギゴの前で立ち尽くすカムイを横目で見ると、ウィンの顔を覗き込む様に小首を傾げる。

 「アノ餓鬼、一体何ナ訳?サッキ吹ッ飛バサレタ女と言イ、あんたト言イ、ツイデ二うちノ“ぎてぃ”ト言イ、何デソンナニゴ執心ナノカシラ?」

 茶化す様な言の響き。

 ウィンは、唇を噛み締める。 

 「あなた、が・・・元はと言えば・・・あなたが・・・!!」

 「は、何ソレ?訳分カンナインダケド?」

 「・・・・・・。」

 問いに対する答えはない。

 ウィンはただ、燃える様な眼差しでマインドオーガスを見つめる。

 「・・・フーン。何カ、面白ソウネ。」

 途端、ウィンとマインドオーガスの間に朱い魔法陣が展開し、怪しく光る目の様な紋章が浮かび上がる。

 「!!」

 「見セテ貰ウワヨ。アノ餓鬼ガ何ナノカ。何ガ起コッタノカ。」

 言いながら、マインドオーガスは目を覗き込む。

 『真実の目(イロウジョン・アイ)』。

 それは、人の内を暴く魔法。

 喜びも憎しみも。

 怒りも悲しみも。

 その全てを晒し出す忌術。

 胸をまさぐる、不可視の視線。

 ウィンは唇を引き結び、その怖気に耐える。

 やがて、”目”を覗き込むマインドオーガスの顔が、歪に歪み始める。

 冷たくも愛らしいその顔が、ニタリニタリと歪んでいく。

 「うふ・・・ふふふふ・・・」

 歪んだ唇から漏れ始める、笑い声。

 澄んでいるけれど、濁った嘲笑。

 それに細い肩を揺らしながら、魔性と化した少女は禍しく笑う。

 そして、

 「あは、あはははははは!!何コレ、超受ケルー!!」

 耐え切れぬとばかりに、吹き出した。

 「あたしノ『猛毒ノ風(カンタレラ・ブリーズ)』、コンナ展開起コシテタンダー!!何ヨ!!別ノ方向デ大成功ジャンー!!」

 キャラキャラと笑うその様に、ウィンが怒りを露にする。

 「何が・・・可笑しいの・・・!?」

 「何ガッテ、コンナ笑エル事ナンテナイジャーン?勝手二勘違イシテ、勝手二恩人追イ出シテ、挙句ノ果テ二ブッ殺シチャッタナンテ、あはは、馬鹿バッカー!!」

 「ふざけないで!!全部あなたが・・・ウグッ!!」

 ウィンの身体が嫌な音を立て、その言葉が絶たれる。

 「あはは。何言ッテンノォ?フザケテンノハ、がすた(あんた)達ノ方ジャン。責任転嫁シナイデヨォ。」

 ウィンに絡める足。

 それに嬲る様に力を込めながら、マインドオーガスはなおも笑う。

 笑いながら、その首をギガ・ガガギゴの方に向ける。

 「ソウカソウカ。あんた、ダカラソノ餓鬼二ゴ執心ダッタ訳ネェ?」

 グルルル・・・

 そうだと言う風に、低く唸るギガ・ガガギゴ。

 それに、満面の笑顔を返すマインドオーガス。

 「あはは!!イイジャナイ、イイジャナイ!!ソノ溢レ出ル憎悪、ソレコソあたしノ、りちゅあノ下僕二相応シイ!!」

 嬉しげに、楽しげに、マインドオーガスは嬌声を上げる。

 「イイワ!!イイワ!!壊シナサイ!!殺シナサイ!!ソノ怒リノママ二、ソノ殺意ノママ二!!今ノアナタノ力ハ、ソノ為二アルノダカラ!!」

 ギィイイイ・・・

 昏い喜びを表す様に、ギガ・ガガギゴの眼差しが光る。

 それとともに、その口に収束していく青い光。

 その光が、ゆっくりと立ち尽くすカムイへと向けられる。

 「駄目・・・!!ギゴ、君・・・!!」

 ウィンが、締め付けられる苦しみの中で声を振り絞る。

 「それ・・以上、堕ちたら・・・君は・・本当に君じゃ、なくなっちゃう・・・!!」

 必死に呼びかける言葉。

 しかし、ギガ・ガガギゴの動きは止まらない。

 「お願い・・・ギゴ君に・・・元のギゴ君に・・・戻って・・・!!」

 霞む視界。

 遠ざかる意識。

 その中で、紡ぐ声。

 だけど、届かない。

 届かない。

 その憎しみの疼くままに。

 その殺意の赴くままに。

 ”彼”はその身を動かす。

 集まる光。

 照らし出される、少年の姿。

 響き渡る、魔性の哄笑。

 こぼれる、涙。

 そして。

 そして―

 

 

 その光景を、カームとエメラルは歯噛みする思いで見ていた。

 「ウィンちゃん!!カムイ君!!」

 「クッ、やべえ!!」

 場に向かって走り出そうとするエメラル。

 しかし、その足がガクリと落ちる。

 二人が先に受けたダメージは、未だ抜けてはいない。

 「クソッ!!こんな時に!!」

 自由の利かない己の足を殴りつけ毒づくが、それで事がどうなる訳もない。

 「ああっ!!」

 そんな中、カームが悲鳴をあげる。

 ギガ・ガガギゴの口から、水の槍が伸びる。

 マインドオーガスの足に、目に見えて力がこもる。

 それが意味する事を察し、カームは目を覆い、エメラルは呻きを上げる。

 絶望の時が訪れるのは、何秒後か。

 彼らがそれを覚悟したその瞬間―

 「行きなさい!!ピア!!」

 涼やかな声が空を切り、青い風が二人の横を走った。

 

 

 「きゃははは!!何?ソンナ二あいつガアノ餓鬼ヲ殺ス所ヲ見ルノガ嫌?」

 己の脚に掴んだウィンを覗き込みながら、マインドオーガスは笑う。

 その顔を、ウィンが霞む目で睨み返す。

 「アラアラ、イイオ顔。」

 そんな彼女を嘲りながら、その愛らしい顔を残酷に歪める。

 「イイワ。ソンナ二嫌ナラ、あんたノ方カラ逝カセテアゲル。」

 その言葉とともに、ウィンに絡む脚に力がこもる。

 ギリッ

 苦痛に歪む、ウィンの顔。

 それを見ながら、マインドオーガスはキャラキャラとはしゃぐ。

 「あはは、チョーット痛イケド我慢シテネ!!スグ二済ムカラァ!!」

 ギリギリッ

 華奢な身体に食い込んでいく妖魚の脚。

 肺の中の空気が絞り出され、ウィンは大きく喘ぐ。

 「ホラ、モウ少シモウ少シ!!我慢我慢!!」

 いたぶる様に、ゆっくりと力を込めていくマインドオーガス。

 ミシリッ

 細い身体が、最後の悲鳴を上げる。

 その感触に、マインドオーガスが恍惚の笑みを浮かべたその時―

 「行きなさい!!ピア!!」

 凛と響き渡る声。

 それとともに、鋭い音が大気を切り裂く。

 ドスッ

 「・・・エ・・・?」

 身体に伝わる、鈍い衝撃。

 目を丸くしたマインドオーガスが、ウィンを掴む己の脚をキョトンと見つめる。

 硬い甲殻に覆われた節足。

 その節の間に、何かがぶら下がっている。

 見れば、それは一匹の魚。

 鼻先に鋭い刃を備えた鮫が、甲殻の節の隙間に突き刺さっていた。

 「・・・何?コレ・・・?」

 タタタッ

 唖然とする彼女の視界の端を、青い何かが駆け抜ける。

 「!?」

 「やりなさい!!」

 それと同時に、再び声が響く。

 瞬間―

 ギュウラララララッ

 鮫の身体が高速で回転を始める。

 「―――――っ!?」

 それまで哄笑を上げていた口が、声にならない悲鳴を上げる。

 鮫の刃が、見る見る節の間へと潜り込む。

 そして―

 ブツンッ

 「きゃあああああああっ!!」

 悲鳴と共に、ウィンを掴んでいた脚が千切れて飛んだ。

 

 

 ―カムイは、ただ黙ってその光を見つめていた。

 光の向こうで、自分を見つめる瞳と目が合う。

 怒り。

 憎悪。

 悲しみ。

 狂気。

 その全てが入り混じった、濁った輝き。

 きっと、あの時の自分も同じ瞳をしていたのだろう。

 (カムイ・・・アンタの目は何処まで曇っちまったんだ!?)

 あの時、義姉あねにかけられた言葉が、また脳裏を過ぎる。

 今なら、痛い程に分かるその意味。

 そう。

 あんな濁った瞳で、正しき事など見える筈がないのだ。

 だから、自分は間違った。

 彼から。

 目の前の彼から、大事な者を奪ってしまった。

 自分が憎む筈の者達と、同じ過ちを犯してしまった。

 だけど。

 けれど。

 それを知った所で。

 その事を、悟った所で。

 もう、取り返しはつかない。

 自分が、失った者を取り戻せない様に。

 彼から奪った者を返す事も、また出来ない。

 せめてもの救いは、彼が間違っていない事

 彼が、違う事なく自分にたどり着いた事。

 彼が、その想いを遂げられる事。

 だから。

 だから、自分は―

 「なぁ・・・」

 知らずのうちに、声が漏れていた。

 「オレ、向こうで、皆に会えるかなぁ・・・。」

 『・・・・・・。』

 答えはない。

 「あんたの主に・・・あの娘に、会えるかなぁ・・・。」

 『・・・・・・。』

 やっぱり、答えはない。

 「もし、会えたら・・・オレ・・・オレ・・・」

 『・・・・・・。』

 沈黙の中、青い光が収束していく。

 細く。

 鋭く。

 収束していく。

 やがて、それは一本の槍となり。

 カムイへとその切っ先を向ける。

 青い光が視界を覆う。

 そして。

 そして―

 ドンッ

 鈍い衝撃が、身体を襲う。

 けれど、それは想像していた様に冷たく、熱いものではなくて。

 温もりに包まれた身体が、宙に浮く。

 目の前で舞う青。

 あの光が纏う、荒々しい青ではない。

 優しく、柔らかく舞う、髪の色。

 ふわりと漂う、甘い香り。

 浮いていた背が、地面に着く。

 その身にかかる、確かな重み。

 次の瞬間―

 ドォオオオンッ

 それまでカムイが居た場所が、青い水閃に貫かれ、爆発する。

 パラパラと降ってくる土砂。

 それから彼を守る様に覆い被さっていた身体が、ゆっくりと起き上がる。

 「~~、イッタイわねぇ・・・!!もう・・・!!」

 心地よく耳に響く、苛立たしげな声。

 白い手が、青い髪に絡まった土埃を払い落とす。

 「・・・っとに、ドイツもコイツも・・・!!」

 バサァッ

 大きく音を立てて翻る、カーキ色のローブ。

 そして―

 「何でこう、バカばっかりなのよっ!!」

 長い青髪を翼の様に閃かせ、水霊の少女―エリアは高らかにそう言い放った。

 

 

                                    続く

 



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22話

                  ―22―

 

 

 「ピア!!」

 エリアの声に答えて、『スピア・シャーク』が空を走る。

 千切れたマインドオーガスの足を跳ね飛ばし、落ちるウィンを背に受けて、そのまま主の元へ向かう。

 「グッジョブ!!」

 尻尾を振るスピア・シャークをそう労うと、エリアはその召喚を解く。

 トサン

 スピア・シャークの姿が消え、乗っていたウィンの身体が地に落ちる。

 「んきゅ!?」

 放り出されたウィンが、踏み潰されたアマガエルみたいな声を上げる。

 「ほら、ちょっとアンタ、しっかりしなさいよ!!」

 朦朧としている彼女の頭を持ち上げると、その頬をペチペチと打つ。

 「う、ううん・・・?」

 虚ろだった目の焦点が、ゆっくりと合っていく。

 やがて、翠色の瞳がパッチリと開いて―

 「あ・・・」

 「うん?」

 カチリと合う、翠と碧の視線。

 しばしの間。

 そして、

 「エーちゃん!!」

 ドスゥッ

 「グフゥッ!?」

 腹部に強烈なタックルを受けたエリアの口から、苦悶の呻きが漏れる。

 「ゲホ・・・ちょ・・・アンタ、何す・・・」

 抗議の声を上げようとするエリア。しかし、その声は、出かけた所で止まる。

 「エーちゃん・・・。エーちゃん・・・良かったよぅ・・・。」

 自分の身に顔をうずめ、身体を震わせるウィン。

 「・・・・・・。」

 その様にエリアはしばし手を彷徨わせた後、右手でポンポンとウィンの頭を叩く。

 「バッカね。何泣いてんのよ。このあたしが、そんな簡単に死ぬわけないでしょ。」

 そう言いながら、若葉色の髪をクシャクシャと撫でる。

 ―と、

 「・・・あんた・・・」

 「あん?」

 後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには呆然とした表情でこちらを見つめる少年の姿。

 その身を戦慄かせながら、カムイはエリアを凝視する。

 「・・・生きて、たのか・・・?」

 拙く言葉を紡ぐその顔には、目の前の現実を信じられないと言った色が濃い。

 そんな彼を、エリアはジト目で見返す。

 「何よ?アンタもあたしが死んだと思ってた訳?失礼ね。ドイツもコイツも、勝手に人を殺さないでくれる?」

 「だって・・・だって、オレは、あんたを・・・」

 「は?あー、そうね。あれ、アンタだっけ?」

 返ってきたその言葉に、カムイはビクリと身をすくめる。

 「痛かったわよー。ほら、ここ見てごらんなさい。」

 そう言って、頭に巻かれた包帯を指差す。

 「・・・・・・!!」

 それを直視出来ず、目を逸らすカムイ。

 「これのお返しは、キッチリさせてもらうからね?」

 「・・・・・・。」

 「エーちゃん・・・。」

 カムイは俯いて沈黙し、ウィンは不安げに二人を見つめる。

 「だから・・・」

 エリアはおもむろに懐に手を差し込むと、何かを引っ張り出した。

 そして、小刻みに震えるそれをカムイに向かって差し出した。

 「え・・・?」

 差し出されたそれを、カムイはポカンと見つめる。

 エリアの手の上にあるもの。

 それはプルプルと小刻みに震える、翠色の羽の鳥。

 「ファルコ・・・!?」

 カムイの呟きに答える様に、ガスタ・ファルコは小さく「クゥ」と鳴いた。

 「アンタの相棒でしょ?しっかり守りなさい。」

 「連帯で責任とってもらわなくちゃいけないんだから。」

 そんな事を言いながら、カムイにファルコを押し付け、一言。

 「そん時まで、しっかり生きてなさい。」

 「!!」

 かけられた言葉に、カムイはハッと顔を上げる。

 見つめたエリアの顔は、優しく、優しく微笑んでいた。

 「あ・・・」

 思わず喉から漏れる、声にならない声。

 そんなカムイに笑いかけるエリア。

 そして―

 「でも、その前に・・・」

 青い髪が、シャラリと翻る。

 「この一番のバカの、目を覚ましてやらないとね!!」

 そう言って振り返った先には、立ち尽くす銀鎧の巨獣の姿。

 その前に、彼女は凛と立ちはだかった。

 

 

 バチャアッ

 地に叩きつけられた水球が、飛沫となって飛び散る。

 ジュウワァアアアア

 水球の弾けた地面が、抉られた様に溶け落ちた。

 「オウ、惜シイ惜シイ。」

 笑いを含んだ声が、黄昏に沈み始めた村中に響く。

 「ハァッ!!ハァ・・・ハァッ!!」

 ソウルオーガの攻撃から転がって逃れたライナが、身を起こしながら体勢を立て直す。

 ―と、

 ザシュアッ

 「うぁっ!!」

 背後から、聞こえる何かを切り裂く様な音と弟の悲鳴。

 「!!、ダルク!?」

 思わず振り返ったその身に、飛んで来たダルクの身体がぶつかる。

 「んきゃう!?」

 「き、気をつけろ!!馬鹿!!」

 「ば、馬鹿とは何ですか!?ぶつかってきたのはそっちでしょう!?」

 ギャアギャアと言い合う二人。

 そこへ―

 ギャルルルルッ

 唸りを上げて襲いかかる触手の群れ。

 「うわっ!?」

 「きゃあっ!!」

 『『危なイ!!』』

 触手が二人に巻き付く寸前、ハッピー・ラヴァーとD・ナポレオンがその目とハートから光を放つ。

 螺旋を描く様に空を走ったそれは、二色の燐光を散らして触手を弾いた。

 「ジュルア・・・!!」

 触手の主、ガストクラーケが短く声を上げて後退する。

 『御二人共、シッカリシテクダサイ!!』

 『内輪もめしてる場合じゃないよ!!』

 「う・・・」

 「す、すいません・・・。」

 使い魔達に怒鳴られ、バツが悪そうに押し黙るダルクとライナ。

 「足掻クナヨ。ソウスレバ、痛ミモ苦シミモ無ク、黄泉路ヲ一緒二行ケル・・・。」

 そんな二人に向かってかけられる、場違いな程に静かな言葉。

 少年と少女の声が重なった、奇妙な声。

 その声を裂けた口から放ちながら、紺色の邪竜が手にした刃を揺らす。

 「ソウヨ。セメテモ安ラカ二、送ッテアゲルカラ・・・。」

 ダルクを弾き飛ばした剣に映る邪竜の四眼。それが、潤むかの様に光を放つ。 

 と、割り込んでくるのは昏くくぐもった声。

 「マア待テ。『りう゛ぁいあにま』。コノ者達ハ良イ資源贄二仕上ゲネバナラン。ソノ為ニハ、ソノ身二、心二、苦悶ヤ憎悪ヲ存分二溜メ込マセル必要ガアル。」

 「しゃどう・・・。」

 「貴方ハ、マダソンナ事ヲ・・・」

 「ソレガ、りちゅあ我ラノ存在意義デアロ?」

 反論しようとする邪竜の声を、魚面の巨人は嘲りを込めた言葉で遮る。

 「イイ加減、悟ル事ジャ。コレガ主ラ二許サレタ、唯一無二ノ生キル術トナ。」

 「・・・・・・。」

 反する言葉はない。

 邪竜―『イビリチュア・リヴァイアニマ』は、ユラリとその刃を上げる。

 「悪イナ・・・。」

 「セメテト、思ッタノダケド・・・。」

 手にした剣が、零れる涙の様に光を落とす。

 「あなた達は・・・」

  ”彼ら”の様子に、戸惑いを覚えるライナ。

 「惑わされるな!!」

 そんな彼女の背を、ダルクの声が叱咤する。

 「そいつらの真意がどこにあれ、今倒さなきゃいけない相手である事に変わりはないんだぞ!!気をしっかりもて!!」

 「――っ!!は、はいです!!」

 我に帰った様にそう叫ぶと、ライナはダルクと使い魔達に呼びかける。

 「『団結の力(フォース・オブ・コネクト)』を使うです!!皆、力を貸して!!」

 『ハ、ハイ!!』

 『了解!!』

 「ちっ・・・。僕のカラーじゃないけど、他に手はなさそうだな・・・。」

 それぞれの表情を浮かべながら、頷くメンバー。

 「行きます!!」

 ライナがそう言って、杖を構える。

 杖に灯る光。

 しかし―

 「オゥオゥ。ソウ言エバ、オ主ニハ”ソレ”ガアッタノウ。怖イモノジャ。」

 何処かおどけた調子で、ソウルオーガが言う。

 「・・・怖いんですか?」

 構えを崩さぬまま、ライナが尋ねる。

 「オゥ。怖イ怖イ。”アレ”ハ、手二負エヌ。」

 「それなら・・・」

 「ジャカラ・・・」

 「引いてください」と言おうとしたライナの声を、ソウルオーガが遮る。

 「”ソレ”ハ、控エテモラオウ。」

 ゾワッ

 その言葉が響いた瞬間、ガスタの村が真っ赤な光に包まれた。

 

 

 ”彼”は混乱していた。

 悲願は、今一歩で果たされる所だった。

 この身を満たす、昏く冷たい想い。

 悲しみ。

 絶望。

 憤怒。

 怨嗟。

 憎悪。

 狂おしい。

 狂おしい程に胸を焼く、それらの想い。

 その痛みを。

 その苦しみを。

 ようやく、吐き出せる所だったのだ。

 ようやく、癒せる所だったのだ。

 しかし、それはまたもや阻まれた。

 またか。

 また、邪魔をするのか。

 暗闇に満ちた心に沸き起こる、昏い怒り。

 新たに現れた邪魔者。

 それを排除しろと、歪んだ本能が叫ぶ。

 狂気の焔を灯した目が、その姿を追う。

 そして、視界がそれを捉えた瞬間―

 ”彼”の時間は動きを止めた。

 

 

 最初に視界に入ったのは、青い髪だった。

 清冽に流れる清水の様な、青く長い髪。

 止まる鼓動。

 硬直する身体。

 放とうとしていた破壊の水閃が、喉の奥でその滾りを絶やす。

 髪の主は、”彼”が壊そうとしていたモノに向かって何か語りかけている様だった。

 その姿を、”彼”は凝視する。

 華奢で、か細い、少女の身体。

 自分がその気になれば、それは一撃で木っ端の如く砕け散るものだろう。

 そのつもりであった。

 そうするべきであった。

 己にその機会をくれた者達に答えるために。

 己の主の命に殉ずるために。

 そして何より、己の悲願の成就のために。

 全ての障害を排除し。

 愛しく呪うその者を壊し。

 その痕跡の全てを抹消する。

 其がためだけに、今の自分は存在している筈だった。

 けれど。

 だけど。

 その意に反し、身体は動かない。

 何かが。

 まるで、その内で別の誰かが押しとどめている様に。

 身体が。

 心が。

 動かなかった。

 やがて、話を終えたのか、青髪の少女が立ち上がる。

 シャラリと流れる、長い青の束。

 それが、バサリと翻る。

 同時に舞い散る、甘い香り。

 ”彼”の心臓が、再び跳ねる。

 そして、舞い踊る髪の向こうから、”彼女”の顔が現れる。

 それを見た時。

 その碧い瞳に射抜かれた時。

 そして―

 「何やってんのよ!?このバカギゴ!!」

 『―――ッ!!』

 清らかに流れる水音を思わせる、澄んだ声音。

 それに耳朶を打たれた時。

 ”彼”の全ての機能は、今度こそ完全にその動きを止めた。

 

 

 「止まった・・・?」

 目の前の巨体が、その動きを止めた。

 それを見たカームが、ポツリと呟く。

 「届いたのか・・・?あの娘の声が・・・。」

 その隣のエメラルは、何かの奇跡でも見る様にその光景を凝視する。

 と、

 「・・・精霊使い(ボク達)にとって、しもべとの繋がりは絶対だ・・・。」

 横から響いてきた声に、思わず二人は振り向く。

 そこには、栗色の髪に眼鏡をかけた少女が一人。

 「例え、その絆が絶たれたとしても、魂の奥底では繋がり続けている。そういうものなんだよ。」

 その手が、己の肩に止まる小獣の頭を愛しげに撫でる。

 「・・・まして、”あの二人”なら尚更ね。」

 そう言って、少女はカーム達に向かって近づいてくる。

 「あ、あの~。どちら様ですか~?」

 問いかけるカームに向かって、少女はペコリと一礼をする。

 「初めまして。ボクはアウス。地霊使いのアウス。この節は、同輩がお世話になりました。」

 「あら~、これはこれは。ご丁寧にどうも~。」

 「霊使い・・・?って事は、あの姉ちゃん達の・・・?」

 丁寧にお辞儀をし返すカームの横で、エメラルが言う。

 「そう言う事だ。エメラル。」

 そんな言葉とともに、アウスの後ろから現れる蒼銀の騎士。

 「サフィアじゃねえか!!無事だったのか!?」

 「ああ、彼女の御陰で、命拾いした。」

 そう言いながら、ジェムナイト・サフィアはアウスの方を見る。

 「ふ~ん。そういう訳か。ありがとよ。姉ちゃん。」

 「感謝してもらう筋じゃないよ。こっちにはこっちで、打算もある。今この場を収めるには、君達の力が必要だ。」

 エメラルの謝辞をそっけなく流すと、アウスはエリア達の方を見る。

 「は、こりゃえらくハッキリした姉ちゃんだ。」

 苦笑するエメラル。そんな彼に構わず、アウスは言葉を続ける。

 「ギガ・ガガギゴ()エリア(彼女)に任せよう。ボク達は・・・」

 眼鏡の奥の眼差しが、鋭く光る。

 「”もう片方”を叩く。」

 その視線の先で、もう一匹の魔が雄叫びを上げた。

 

 

 「きゃあぁあああああっ!!痛イ!!痛イ!!痛ィイイイイッ!!!」

 耳をつんざく様に甲高い叫び声。

 震える身体と共に千切れた節足が揺れ、その断面からビチャビチャとどす黒い体液が溢れ出る。

 「チクショウ!!チクショウ!!ヨクモ・・・ヨクモ!!」

 有脚の妖魚―イビリチュア・マインドオーガスは、そこだけは変わらない少女の目に涙をためながらその視線を巡らせる。

 ギョロリと蠢く魚妖の双眼は、すぐにその視界に求める者を映し込む。

 馬鹿の様に呆け立つ下僕。

 その前に立ちはだかっている、一人の少女。

 「テメェカ・・・!!」

 その花弁の様な口からは思えもしない、濁った声が呻く様に漏れ出す。

 「殺シテヤル!!」

 そう雄叫びを上げると、マインドオーガスは少女に向かって突進した。

 

 

 「おっと、こいつはいけねぇ!!」

 その様を見たエメラルが、言う。

 「暇はない。力を貸してもらうぞ。エメラル!!」

 「分かった!!」

 サフィアの言葉に、全てを理解したかの様に答えるエメラル。

 「ち、ちょっと待ってください~。」

 それを聞いたカームが、慌てた様な声を出す。

 「エメラルさん、さっきのダメージが抜けてないじゃないですか~。そんな身体で無理しちゃあ~。」

 しかし、そんな彼女の訴えに、エメラルは笑って返す。

 「なぁに。心配いらねぇよ。こちとら、”こっち”が本業なんだ。かえって、元気になるってもんさ。」

 「え?」

 ポカンとするカームの前で、サフィアとエメラルが拳を打ち合わせる。

 「「『宝騎錬成(ジェムナイト・フュージョン)』!!」」

 唱和される言葉。そして―

 ボゥッ

 眩い光が閃き、二人の姿が碧い光球に包まれた。

 

 

 「死ィネェエエエエエエ!!」

 怒りと憎悪の赴くまま、マインドオーガスが少女―エリアに向かって躍りかかる。

 鋭い脚が、その身体を貫かんと突き出されたその時―

 ギュンッ

 ガキィイイイイイッ

 突如飛来した碧色の光球が、その脚を受け止めた。

 「ナッ・・・!?」

 「「想い人達の邂逅を邪魔するなど・・・」」

 光の中から響く声。

 紺色のマントが、光粉を散らして翻る。

 「「無粋たるにも、程があろう!!」」

 突き立てる脚の先に現れるのは、真円の刃盾。

 深碧の宝石に飾られたその表面には、一筋の傷さえもついていない。

 「ナ、何ヨ!?アンタ!!」

 「「『アクアマリナ』・・・」」

  狼狽するマインドオーガスに向かって、厳かに”彼”は答える。 

 「「『ジェムナイト・アクアマリナ』!!勇敢たる想いを守る、藍玉の騎士なり!!」」

 言葉とともに、振り抜かれる刃盾。

 碧い軌跡が、妖魚の脚を弾き返す。

 ギャキキキキィッ

 「クァッ!?」

 その勢いに抗しきれず、後退するマインドオーガス。

 「一体何ダッテノヨ!?次カラ次ヘト!!」

 もはや悲鳴に近い声で、マインドオーガスは叫んだ。

 

 

 「あれは・・・魂魄同調(エクシーズ)・・・?」

 妖魚の前に立ちはだかるアクアマリナの勇姿を見て、カームは呆然と呟く。

 そんな彼女に向かって、アウスが言う。

 「違うよ。あれは『宝騎錬成(ジェムナイト・フュージョン)』。ジェムナイト彼らが生まれつきその身に宿す、固有能力(パーソナル・エフェクト)だ。」

 「パーソナル・・・エフェクト?」

 「ジェムナイトは個にして全。全にして個。あれは、彼らが彼らたる意味。正義の名の元に想いを一つにする、ジェムナイトの魂の力さ・・・。」

 「は・・・はぁ・・・?」

 分かった様な分からない様な顔をしているカームを残して、アウスは一歩、前に出る。

 「・・・守りは彼が固めてくれる。後は、ボクの役目だ・・・。」

 バサバサ

 その肩から、デーモン・ビーバーが羽音も高く飛び立った。

 

 

 「チクショウ!!コノ!!コノ!!」

 辺りに、マインドオーガスの苛立ちの声が喚き散らされる。

 彼女は槍撃の様な脚の攻撃を嵐の様に放っていたが、その全てはアクアマリナの刃盾によって弾き返される。

 「クソゥ・・・!!ソレナラ・・・!!」

 ザクザクッ

 5本の脚が蠢き、次々と地面に突き刺さる。

 己が身体を固定した妖魚の口がガパリと開き、その奥に青白い炎が燃え立つ。

 「コレデ、ドウダァ!?」

 ゴバァッ

 無数の歯牙の並ぶ洞穴から溢れ出す、青白い砲炎。

 それが渦を巻いて、アクアマリナの姿を飲み込む。

 会心の笑みを浮かべるマインドオーガス。しかし―

 「「破ぁっ!!」」

 気合一閃。

 それだけで、青い炎は千々となって弾け飛ぶ。

 その中から現れるアクアマリナ。

 碧色の鎧には、焦げ跡どころか一点の曇りすら浮いてはいない。

 手にしていたマントをバサリと払うと、残っていた炎の残滓が星屑の様に散って消えた。

 「「無駄な事だ・・・。」」

 マントを羽織り直しながら、彼は言う。

 「「かような汚れた炎では、我が聖鎧に傷一つとて付ける事は敵わぬ。」」

 凛と言い切る言葉。

 マインドオーガスはただただ、歯噛みする。

 「チクショウ・・・。チョット、ぎてぃ!!アンタイツマデツッ立ッテンノヨ!?コッチ来テ、手伝イナサイヨ!!」

 歯牙の軋む間から、怨嗟の様に響く声。

 しかし、それは届かない。

 その声を受け取るべき相手は、目の前の少女を凝視したまま。

 微塵とも、動かない。

 「ぎてぃ!!」

 もう一度、切羽詰った様な声で叫ぶ。

 しかし、結果は同じ。

 「「諦めよ。互いの心を通じぬ主従など、所詮その様なものだ。」」

 諭す様に、淡々と告げるアクアマリナ。

 「ク・・・!!」

 悔しげに歯噛みするマインドオーガス。

 ―と、

 「―・・・地帝の鉄槌 巨神の咆哮 大地を走るは地精の怒り・・・―」

 「――!?」

 不意に聞こえてきた”それ”が、マインドオーガスの背筋に悪寒を走らせる。

 振り返ると、いつの間に近づいたのか。栗色の髪の少女が彼女の背後で杖を構え、呪を唱えていた。

 その言の綴りが、彼女に不吉な予感を走らせる。

 「アンタ・・・何ヤッテンノヨ・・・。」

 戦慄く声でかける問い。

 しかし、少女―アウスは答えず、呪を唱え続ける。

 「何ヤッテンノカッテ、訊イテルジャナイ!!」

 激昂し、その脚を横凪に振るう。

 鉄棍の様な脚が、アウスの身体をなぎ払う。

 しかし―

 ボフンッ

 その身体は一瞬小さな子羊へと姿を変え、そして掻き消える。

 「・・・ナ・・・何、コレ・・・!?」

 「―其を持って 汝を飲み下さん―」

 「――!!」

 強ばる身体の後ろから、呪を結ぶ声が響く。

 震えながら振り向くと、そこには掻き消えたそれと違わぬ姿が幽鬼の様に立っていた。

 「『贖罪の供物(スケープ・ゴート)』だよ。知らないのかい。」

 「ア・・・アンタ・・・。」

 「その濁った目じゃ、分かる筈もないか・・・。」

 「ナ・・・何ヲ・・・」

 瞬間、マインドオーガスの真下に展開する魔法陣。

 「ヒッ!?」

 引き攣る様な声が、細い喉から漏れる。 

 「悪いけど、君には消えてもらう。」

 冷淡に告げるアウス。

 「チョ・・・チョット・・・」

 「”彼”の開放には、君の存在は邪魔なんでね。」

 「マ・・・待ッテヨ・・・」

 「悪いけど、ボクは他の皆ほど優しくないんだ。」

 白魚の様な指がユラリと上がり、マインドオーガスを指差す。

 「待ッテェエエエッ!!」

 懇願の声も、彼女には届かない。

 最後の言葉は、酷くあっさり紡がれた。

 「―地砕き(アース・クラッシュ)―」

 途端―

 ゴシャアァアアアッ

 マインドオーガスの下の地面が、幾つにもひび割れる。

 ガクンッ

 「キャ・・・キャアァアアアアアッ」

 響く悲鳴。

 マインドオーガスの巨体が、割れ千切れた地面へと沈み込んでいく。

 「イヤ!!イヤァアアアアアッ」

 己の下に開いた奈落から逃れようと、渾身の力で抵抗する。しかし、もがけばもがくほど、割れた大地はその身体を呑み込んでいく。

 「助ケテ!!助ケテェ、う゛ぁにてぃいいい!!」

 堕ちゆく恐怖と絶望の中で、彼女は”彼”の名を呼んだ。

 

 

 ・・・続く戦乱。

 その命のせめぎ合いを眼下に眺めながら、リチュア・ヴァニティは静かに佇んでいた。

 今、彼の耳には二つの声が届いている。

 (―怖イ怖イ。”アレ”ハ、手二負エヌ―)

 (―助ケテェ、う゛ぁにてぃいいい!!―)

 耳の中に響く同胞の声に、彼は姦しそうに眉根を動かす。

 「・・・いつも威勢がいいわりには、いざとなったらすぐ人を頼る。全く、身分のいい事だ・・・。」

 その顔には、窮地にある仲間達への想いなど微塵も浮かびはしない。

 それでも、漆黒の双眼を細めながら彼はゆっくりとその右手を上げる。

 「・・・まぁ、これもノエリア様のためか・・・。」

 そんな言葉と共に、白い右手が印を結ぶ。

 そして―

 「・・・結・・・。」

 薄い唇が、そう呟いた瞬間―

 ゾワッ

 ガスタの村を、真っ赤な光が覆い包んだ。

 

 

 ―異変は、すぐに現れた。

 「な、何だ!?」

 周囲を包む赤光と、同時に身体を覆う奇妙な束縛感。

 ダルクが戸惑いの声を上げるその傍らで、ライナはもっと重大な異変に気づいていた。

 その視線の先にあるのは、たった今団結の力(フォース・オブ・コネクト)を発動させたばかりの杖。

 その輝きが、目の前で満ちる赤光に溶け入る様に消えていく。

 「・・・魔法が・・・発動しない・・・!?」

 その言葉に、前に立つソウルオーガがニヤリと顔を歪める。

 しかし、それに気づく余裕も今はない。

 消えゆく魔法の残滓を見つめながら、彼女はただ愕然と立ち尽くしていた。

 

 

 一方、異変は、アウス達のいる場所でも起こっていた。

 「これは・・・!?」

 さしものアウスも、驚きにその目を見開く。

 地にのたうつ魚妖を、今まさに呑み込もうとしていた地面の亀裂。

 それが、満ちる赤い光の中でみるみるうちに塞がっていく。

 「魔法が・・・強制キャンセルされている・・・?」

 突然の異変に驚きつつも、アウスの頭脳は冷静に状況を分析する。

 そして、出た答えは―

 「まさか・・・『王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)』・・・!?」

 ・・・上空の杖の上。その言葉が聞こえた様に、黒衣の結界師はその丹精な顔に酷薄な笑みを浮かべた。

 

 

                                    続く



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23話

                   ―23―

 

 

 「な・・・何だよ?これ・・・」

 場所は、療養所の近く。

 空を見上げたヒータは、困惑の声を発した。

 「ぬぅ・・・!?」

 「これは・・・!?」

 同じ場にいたムストとジェムナイト・ガネットも同様の声を上げる。

 彼女達が見上げる空。

 それは目に痛いほどの、緋色の光に包まれていた。

 それまでその空を焦がしていた炎は、すでにヒータとガネットの手によって消し鎮められている。

 炎の色ではない。

 今空を覆う色は、炎のそれよりもさらに赤く、そして禍々しかった。

 そして、何よりもその異変を如実にしていたのは・・・

 「・・・何だ?この感じは・・・。気持ち悪ぃ・・・。」

 ヒータが、怖気る様にその身をかき抱く。

 「確かに、身が束縛される様な感じがするが・・・。」

 ガネットが、その感覚がヒータだけのものではない事を告げる。

 と―

 「・・・これは・・・まさか!?」

 ムストが、何かに思い当たる。

 スッ

 目の高さに掲げる手の平。

 「・・・ ・・・・・・ ・・・・」

 呟く呪。

 手の上に浮かぶ、緑色の魔法陣。しかし―

 シュ・・・

 その魔法は発動する事なく、赤く染まった世界の中に溶けていく。

 「な・・・!?」

 「何と・・・!?」

 それを見た、ヒータとガネットが同時に驚きの声を上げる。

 ムストの顔が、険しさを増す。

 「魔法の強制キャンセル・・・。やはりこれは・・・」

 「・・・『王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)』ですよ・・・。」

 「「「!?」」」

 その言葉を引き継ぐ様に響いた、昏い声。

 それの出処へ、皆の視線が集まる。

 そこには、鎖で縛られたリチュアの面々の姿。

 多くが変わらず昏倒している中で、ただ一人。

 魚面の男―ヴィジョン・リチュアだけが、ヒータ達を見て薄笑いを浮かべていた。

 「王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)だって・・・!?」

 『馬鹿な!!あれは禁呪の筈!!』

 ヒータと稲荷火が、上ずった声を上げる。

 禁呪。

 それは、魔法が生存の術として存在するこの世界においてなお、禁忌とされる魔法の数々。

 世の摂理を狂わす程の破壊をもたらすもの。

 あまりにも道義に欠けた効果を有するもの。

 その理由は多々あれど、其が孕む危険性故に世のあらゆる知ある存在から忌まわれ、恐れられる魔法。

 それが禁呪。

 『王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)』もその一つ。

 それは、この世界の根幹の一つである魔法を永久に無力化する術式。

 世の摂理を脅かすものとして、古くから禁呪に数えられているものだった。

 しかし―

 「禁呪・・・?」

 ヒータ達の言葉に、ヴィジョンは不気味に顔を歪ませる。

 「貴女達、私達リチュアの二つ名をお忘れですか・・・?」

 「「「!!」」」

 思わず息を呑むヒータ達。

 その様を見たヴィジョンは、さらに顔を歪める。

 「リチュア私達は”禁呪集団”・・・」

 濁った声が、呪詛の様に響く。

 「全ては力を得る為・・・。その為ならば、禁呪であろうと呑み喰らう・・・。それが、リチュアの教義です・・・。」

 「しかし・・・」

 皆が絶句する中、ムストが言う。

 「王宮の勅命これはその強大な威力に応じて、術者の生命力を大量に削り続ける筈・・・。お主らは力の為に、己の命をも犠牲にすると言うのか・・・?」

 けれど、その言葉にもヴィジョンは笑うだけ。

 「その為の儀水鏡ですよ・・・。」

 「何・・・?」

 異形の水人の喉から漏れる、クプププという嗤い声。

 「儀水鏡に溜め込んだ魂資源を使えば、そんなコストなど、何の問題にもなりません・・・。」

 そして、ヴィジョンはまた嗤う。

 「・・・お主らは、一体どこまで・・・」

 皆から注ぐ、嫌悪と怒りの視線。

 しかし、それをそよ風の様に受け流しながら、ヴィジョンは言う。

 「そんな事よりも、いいんですか?貴女・・・。」

 その視線の先にいるのは、ヒータ。

 「・・・何・・・?」

 「貴女のお友達ですよ・・・。」

 体温の無い顔。裂けた口角がニタリと歪む。

 「霊使い(貴女達)は魔法使いでしょう?この中では、翼をもがれた鳥も同然の筈・・・。」

 「・・・・・・!!」

 引き攣る、ヒータと稲荷火の顔。

 「無事だといいですねぇ・・・。お友達・・・。」

 瞬間、脱兎の如く走り出そうとするヒータ。

 「待て!!」

 その肩を、ガネットが掴む。

 「邪魔すんな!!離せ!!」

 「落ち着け!!」

 自分の手を振り払おうとするヒータに向かって、ガネットは言う。

 「今無策に突っ込んで行った所で、どうにもなるまい!!そなたは手負いの上、魔法が使えぬは同じ筈!!」

 「分かってる!!けどな、」

 叫ぶ様にヒータは言う。

 「そんなの、理由になんねぇんだよ!!」

 「む・・・」

 朱色の瞳が、ガネットの目を真っ直ぐに射抜く。

 「ダチが危ねぇんだ!!そんな時に、テメェの身が可愛いって寝くたばってられるか!!」

 そんな彼女に、ガネットは言う。

 「・・・今度こそ、死ぬかもしれぬぞ?」

 「上等じゃねぇか!!こんなポンコツでも、アイツらの盾になれんなら上出来だ!!」

 一息で吐き出される啖呵。

 絶句するガネット。

 「放せ!!」

 ヒータは彼の腕を振り払うと、今度こそ脇目もふらずに走り出す。

 『すみませぬ。これが、我が姫なれば―』

 そう言って一礼した稲荷火も、彼女の後を追って走り出す。

 「・・・・・・。」

 ガネットは、そんな彼女達の後ろ姿をしばし見つめる。

 そして―

 「神官殿・・・」

 彼は、一部始終を見ていたムストに向かって言う。

 「申し訳ないが・・・」

 「ふ・・・。侮るでないぞ。若造が。」

 その声を受けたムストが、何かを察していた様にニヤリと笑う。

 「すみませぬ・・・。」

 「何、皆も承知の上。」

 その言葉に、目を向ける。

 向けた視線の先では、ムストを中心としたガスタの民達が一様に彼を見つめていた。

 ムストは言う。

 「行ってくれ。ガスタ(我ら)は十分に助けてもらった。今度はあの娘の・・・ウィンの、友の番だ・・・。」

 「あんた達のおかげで、火も消えた。」

 「わたし達は、もう大丈夫・・・。」

 「だから・・・」

 「行って!!」

 口々に叫ぶ、ガスタの民達。

 「貴公ら・・・」

 「その代わり・・・」

 「絶対にあの娘達を助けてくれ!!」

 自分の背を押す言葉。

 緋色の鎧が震える。

 恐怖ではない。

 不安でもない。

 その内に燃える、正義という名の昂ぶりに。

 ガネットは一息息をつくと、自分を見つめる皆に向かって言い放つ。

 「必ずや!!」

 次の瞬間には、踵を返して走り出す。

 緋炎の騎士の姿は、ヒータ達の後を追ってみるみる皆の視界から遠ざかる。

 後に残るは、緋く煌く燐光。

 それは宵闇の中、キラキラと瞬きながら星屑の様に散っていく。

 「sophiaよ・・・。かの者達にご加護を・・・。」

 それを見送りながら、ムストは静かにそう祈った。

 

 

 「はぁ・・・はぁ・・・はぁ!!」

 崩壊の止まった地面から己の身体を引きずり出すと、マインドオーガスは大きく息をついた。

 「テメェ、ヨクモヤッテクレタナ・・・!!」

 憎々しげな声が、アウスに向かって投げかけられる。

 しかし、それに怯える様子もなくアウスは空を見上げる。

 その視線の先には、宙に浮かぶ杖に立つ、黒衣の術者の姿。

 「彼か・・・。」

 眼鏡の奥の眼差しが、それを見つめてキュウと細まった。

 「無視シテンジャネエゾ!!コラァ!!」

 怒号を上げて、飛びかかるマインドオーガス。

 しかし、素早く回り込んだアクアマリナがその寸前で刃盾を構える。

 「「『永久氷盾(レジェンド・ガーディアン)』!!」」

 ガキィイイイッ

 刃盾を中心に広がった氷壁が、突き出された脚を弾く。

 「ちぃっ!!」

 舌打ちするマインドオーガスを氷壁越しに見据えながら、背後のアウスに問う。

 「「大事はないか!?」」

 その言葉に、アウスは頷きながら答える。

 「ああ。確かに威力は感じるけど、身体をどうこうする術式じゃないからね・・・。」

 「「しかし・・・」」

 「うん。もう、ほとんどの魔法は使えない。」

 自分の手を見つめながら、淡々と語る。

 「術式構築を必要としない固有能力(パーソナル・エフェクト)や召喚術、術式構築を脳内で行う罠魔法(トラップ・スペル)の類は使えるけど、ボク達の持ち札やこの状況下じゃ、決め手に欠ける。」

 「「痛いな・・・。」」

 「手がない訳じゃない。」

 そう言って、アウスはまた上空を見上げる。

 その視線が示すのは、上空に立つヴァニティ。

 「この術の発動者は”彼”だ。彼を落とせば、術は解ける。」

 「「成程・・・。しかし、どうする?我らではあそこまで行く術は・・・」」

 「あたしが行く!!」

 唐突に割って入った声に振り返る、アウスとアクアマリナ。

 そこには、ボロボロになったウィンが杖で身を支える様にして立っていた。

 「ウィン女史・・・。」

 「「しかし、そなたは傷が・・・」」

 「こんなケガくらいで、ヘコたれてなんかいられないよ!!」

 皆の声を押さえ込む様に、ウィンは言う。

 「あたしがやる・・・!!頑張ってる皆のためにも、無念に散っていったガスタのためにも!!」

 その目に宿る光が、その意思の硬さを皆に伝える。

 「・・・分かった。頼む!!」

 「「地の守りは、引き受けた!!」」

 「・・・ありがとう。」

 そう言って微笑むと、ウィンはウィング・イーグルを召喚するために杖を構える。

 ―と、

 『ひどいなぁ。僕を置いてくのかい?』

 いつの間にか、ウィンの傍らには彼女の使い魔たる風龍が寄り添っていた。

 「ぷっちん・・・。」

 『いつでも一緒だろ?ウィン。』

 そう言う彼の姿も、ウィンと同じくボロボロだった。

 しかし、その目には主と同様の強い光が宿る。

 「・・・うん!!」

 しばしの間の後、ウィンは力強く頷くと杖で地面を突いた。

 

 

 「・・・む?」

 宙で印を結んでいたヴァ二ティは、下の気配に薄目を開けた。

 見下ろすと、眼下で何やら土煙が上がっている。

 やがて―

 ブワァッ

 それを突き破り、何やら大きな影が自分に向かって来る。

 見れば、それは一羽の巨鳥とそれに乗った少女。そして付き従う一匹の龍だった。

 彼女達は、脇目も振らずに突っ込んで来る。

 その瞳には、しかとヴァニティの姿が映っていた。

 彼は、少女達の狙いが自分である事を瞬時に理解する。

 「・・・やはり、そう来るか・・・。」

 呟く様にそう言うと、ヴァニティはその右手を上げる。

 途端、空中に浮かび上がるのは巨大な儀水鏡を模した魔法陣。

 「・・・想定内だ・・・。」

 ルォン

 その言葉に答える様に、魔法陣の鏡面が揺らぐ。

 そして、

 キキ・・・キキキキキキキィ・・・

 呟きとも鳴き声ともとれない声を発して、何かが揺らぐ鏡面から現れる。

 一匹ではない。

 何匹も。

 何匹も。

 何匹も。

 ”彼ら”は揺らぐ鏡面から現れる。

 現れ続ける。

 それは、紅い頭部に三つの眼球。翼の様な大鰭に蛙の様な手足を持った、体長50センチ程の魚人の群れ。

 見る間に数を増し、陣の鏡面を埋め尽くしていく。

 「・・・喰らいつくせ。『キラー』よ・・・。」

 言葉と共に、ヴァニティが右手を振り下ろす。

 途端―

 ゴバァッ

 ”彼ら”が溢れ出た。

 多眼の魚人、『リチュア・キラー』。

 その大群は、雪崩を打つ様に迫る少女達に向かって襲いかかった。

 

 

 『ウィン!!あれ!!』

 ウィング・イーグルに乗ったウィンに付き従っていた風龍が、自分達に向かって殺到してくるリチュア・キラーの群れを見て叫んだ。

 「・・・ものすごい数・・・!!」

 それを見たウィンが、生唾を飲み込む。

 しかし、その目の光は揺るがない。

 『回避するか!?』

 「あの数!!そんな事やってたら、らちがあかないよ!!」

 『じゃあ・・・?』

 「このまま突っ込む!!」

 『そう言うと思った。』

 風龍は苦笑し、ウィンに付き従う。

 『守るからね。ウィン。』

 「・・・ありがとう・・・」

 迫る、キラーの群れ。

 5メートル。

 1メートル。

 そして―

 「いっけぇえええええ!!」

 叫ぶウィンに倣う様に、風龍とウィング・イーグルが咆哮を上げる。

 次の瞬間、ウィン達と魔性の群れが、真正面からぶつかり合った。

 

 

 それは、離れた療養所からも遠目に見る事が出来た。

 突如、宙に現れた巨大な魔法陣。

 そこから汚水の様に湧き出る、おぞましい黒い影の群れ。

 「・・・何?あれ・・・。」

 「凄い数・・・。」

 場にいる民達が、不安げに言い合う。

 「ぬう・・・。」

 ムストもまた、その異景に声を漏らす。

 空に浮かぶ魔法陣。

 王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)の影響下でも発動している所を見ると、その効果の適用範囲外である召喚術の一種だろう。

 問題は、それを発動している者。

 その答えは、かの魔法陣が如実に表している。

 儀水鏡を模したその形。

 間違いなく、術者は・・・。

 「リチュアの手の者か・・・。」

 ギリ・・・

 杖を持つ手に、力がこもる。

 「ウィン・・・。皆・・・。無事でいてくれ・・・。」

 ムストはそう言って、唇を噛み締めた。

 

 

 ギィギィ・・・

 ギィギィ・・・

 耳朶を覆う、無数の鳴き声。

 バシュッ

 ザシュッ

 壊れた歯車の様なそれが耳元をかすめる度、鋭い牙が身を削っていく。

 一つ一つは、大した傷ではない。

 しかし、それが幾十、幾百ともなれば話は別である。

 刻まれる傷はそれに応じて大きくなり、流れる血の量も増していく。

 ―長くは持たない―

 目の前を飛び交うリチュア・キラーを叩き落としながら、ウィンはそう思った。

 『ウィン!!大丈夫か!?』

 噛み獲ったキラーを投げ捨てた風龍が、その口から血飛沫を散らしながら叫ぶ。

 「大丈夫・・・。まだまだ・・・!!」

 そう答えながら、肩に齧り付こうとした一匹を振り払う。

 多眼の魚妖、『リチュア・キラー』。

 一匹の攻撃力は、決して高くはない。

 しかし、真の脅威はその物量。

 魔法陣から無限の様に湧き出るその魔群は、落としても落としてもその数を減ずる事はなかった。

 否。

 むしろその数はさらに増え、ウィン達を呑み込もうと雪崩を打つ。

 「あ、くぅ・・・」

 『ぐぁ・・・』

 全身に突き立てられる牙の痛みに、視界が霞む。

 その視界に、群れの向こうに立つ黒衣の術師の姿が映る。

 「もう・・・少し・・・!!」

 ウィンがそう思ったその瞬間、

 グラリ

 彼女の足元が揺らいだ。

 見れば、彼女を乗せるウィング・イーグルの翼に無数のキラーが取り付き、牙を突き立てていた。

 ピィルルルルルッ

 苦悶の声を上げる、ウィング・イーグル。

 「うぃっちん!!」

 ウィンが叫ぶと同時に、ウィング・イーグルの体勢がガクリと傾ぐ。

 「あ・・・」

 (―落ちる―)

 思わず目を瞑ったその瞬間―

 ガボォッ

 突然、数多の影に覆われていた視界が開けた。

 ギィイイイイイイッ

 耳元を、キラー達の悲鳴が猛スピードで通り過ぎていく。

 「何!?」

 咄嗟に、下を見る。

 そこには、地面に浮かび上がる朱い魔法陣と、その中心に開く、深い深い漆黒の穴。

 キラー達は断末の声を上げながら、その穴の中に吸い込まれていく。

 「『大落とし穴(サートゥルヌス・スワロー)』!!」

 『アウスさんか!!』

 ―『大落とし穴(サートゥルヌス・スワロー)』―

 モンスターの複数召喚をトリガーに発動し、その全てを地に開いた奈落の穴へと呑み込む罠魔法(トラップ・スペル)

 地系魔法を得手とする、アウスの奥の手。

 全てのリチュア・キラーがその呪縛に囚われると同時に、ウィン達を見上げていたアウスが叫ぶ。

 「ウィン女史!!」

 「!!」

 気づけば、行く手を阻んでいたキラーの群れはゴッソリといなくなっていた。

 目の前にハッキリと見える、黒い術師の姿。

 次の群が召喚されるまでは、一拍の隙。

 ウィン達は、事態を理解すると同時に宙を走る。

 「ほう・・・。」

 それを見た術師―リチュア・ヴァニティがス、と右手を上げる。

 ヴォン

 その掌から展開する、朱い魔法陣。

 (―罠魔法(トラップ・スペル)!!―)

 魔法陣が、ウィン達に向けられる。

 『ウィン!!』

 「予定通り!!」

 ギュンッ

 言葉と共に、ヴァニティに向かっていた筈のウィン達が急に方向を変えた。

 「!?」

 翼を急旋回させ、ヴァニティの斜め上へと舞い上がる。

 「奴は!?」

 『動けてない!!今だ!!』

 魔法の発動体制に入ったヴァニティは動かない。

 否、動けない。

 それを見止めたウィンの目が、鋭く光る。

 特攻前、ウィング・イーグルが巻き起こす砂煙の中でのアウスとのやり取りが脳裏を過ぎる。

 

 

 ―ウィング・イーグルに乗ろうとする彼女を呼び止め、アウスは言った。

 「一案がある。」

 「一案?」

 「ヴァニティ()は、倒さなくていい。」

 「え・・・?」

 思わぬ言葉に、ウィンは戸惑う。

 「今の君は消耗が激しい。戦いになれば、万が一と言う事もあり得る。」

 「でも・・・」

 「要は、王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)を潰す事。そして、君にはその為の手札がある。」

 それを聞いたウィンは、ハッとする。

 「あ・・・!!『砂塵の大竜巻(ダスト・トルネード)』・・・。」

 「そう。罠魔法(トラップ・スペル)で、破術の効果を持つあれなら、王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)の影響を受けずに、”それ”を破壊出来る。」

 「そうか・・・。ようし・・・。」

 杖を構えるウィンを、アウスは再び制止する。

 「待った。ただ打つだけじゃ駄目だ。」

 「え?」

 「王宮の勅命(これ)リチュア(彼ら)にとって戦術の要。必ず何か防護策を用意してる。」

 「う・・・」

 口ごもるウィン。

 アウスは言い聞かせる様に続ける。

 「見た所、今の戦況において後方支援に回っているのはヴァニティ()一人。他のメンバーは戦闘要員だ。だから、防護策も彼が担っていると考えていい。」

 「だったら、やっぱりあいつを・・・」

 「戦う必要はないと言っただろ?」

 「じゃあ、どうすれば・・・」

 「まずは、彼に仕掛ける”ふり”をしてくれ。」

 「ふり?」

 ポカンとするウィンに向かって、アウスは頷く。

 「そうすれば、彼は自衛のための体勢を取らざるを得なくなる。彼は術師だ。恐らく・・・いや、確実に敵撃退用の罠魔法(トラップ・スペル)を使うだろう。そこが狙い目だ。」

 「狙い目って・・・?」

 「罠魔法(トラップ・スペル)とはいえ、術式構築中は動きが取れない。かと言って、すでにこんな大魔法を展開している中では複数の術の並行起動はほぼ不可能だ。」

 「!!」

 アウスの言わんとしている事が、ようやく脳内で形を成す。

 「分かったかい?」

 そう言って、微笑むアウス。

 「彼の術式構築によって生じる隙。そこに、君の砂塵の大竜巻(ダスト・トルネード)を叩き込んでくれ。そうすれば・・・」

 「王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)を破壊出来る・・・。」

 その言葉に、アウスは頷く。

 「これだけの大魔法だ。一度破壊してしまえば、一生物が内包出来る魔力量から考えても再びの構築は無理だろう。”これ”さえ取り払ってしまえば、こちらの枷は解ける。」

 「・・・分かった。」

 受け取った策をもう一度頭の中で整理すると、ウィンは大きく頷いた。

 「地ここからも、出来うるサポートはさせてもらうよ。」

 「うん。」

 「それじゃあ、頼む。」

 「了解!!」

 そう言い合って、二人はコツンと拳を打ち合った―

 

 まさに今が、そのタイミングだった。

 動かないヴァニティを眼下に、ウィンは杖を振り上げる。

 その杖の先で展開する、朱い魔法陣。

 そして―

 「いっけぇえええ!!砂塵の大竜巻(ダスト・トルネード)!!」

 ゴバァアアアアアッ

 一気に振り下ろされた杖の先端から巻き起こる、猛烈な旋風。

 身に痛いほどの砂塵をまとって吹き荒れるそれに、村を包む朱い光が軋みを上げる。

 (行ける!!)

 ガッツポーズをとるウィン。

 アウスもそれを見上げながら、会心の笑みを浮かべる。

 そして―

 吹き荒ぶ旋風の中で、ヴァニティは黒衣をはためかせながら佇んでいた。

 その手には、先刻展開した魔法陣が行き所を失ったかのように虚しく揺らめいている。

 「・・・成程。特攻は、囮か・・・。」

 うなだれる様に、顔を伏せる。

 「・・・全く・・・」

 薄い唇が、呟く様に紡ぎ―

 「・・・全くもって・・・」

 グニャリと歪んで、丹精な顔に亀裂の様な笑みを貼り付けた。

 「想定通り!!」

 叫ぶと同時に、かざしていた掌をグッと握り込む。

 途端―

 パキィイイイインッ

 そこに浮かんでいた魔法陣が、割れる。

 ヒュヒュンッ

 割れた魔法陣は、7つの鋭い破片となって宙を舞い、そしてうねる旋風へと突き刺さった。

 途端―

 「―え!?」

 『何!?』

 それを見たウィン達が、驚きの声を上げる。

 朱い破片の突き刺さった旋風が、消えた。

 止むのではなく、消えた。

 まるでそんな事はなかったかの様に。

 空気の揺らぎすら残さず。

 消え去った。

 「そ・・・そんな・・・」

 呆然とするウィン。

 そんな彼女を、ヴァニティが見上げる。

 「見るのは初めてか?ガスタの娘。」

 酷薄な笑みを浮かべながら、彼は言う。

 「なら、覚えておくがいい。これが、『対滅罠(カウンター・トラップ)』だ。」

 「――っ!!」

 目を見開くウィンの前で、宙に描かれた儀水鏡の鏡面がルォンと揺らいだ。

 

 

 「「馬鹿な!!何が起こった!?」」

 地で全てを見ていたアクアマリナが、狼狽の声を上げる。

 「・・・『盗賊の七つ道具(セブンス・トリック)』・・・。」

 苦しげな声が、その術の名を告げる。

 思わず向けた視線の先で、アウスがよろめく身体を杖で支えながら荒い息をついていた。

 「・・・あらゆる罠魔法(トラップ・スペル)を無効化する対滅罠(カウンター・トラップ)・・・。」

 ガクリ

 膝が折れ、座り込むアウス。

 その顔は蒼白で、多量の汗をかいている。

 「まいったな・・・。まさか、そんなものを持ってたなんて・・・。」

 苦しい息の中、上空で勝ち誇った様に立つヴァニティを見上げる。

 「・・・って言うか、最初から自衛のつもりなんかなかった訳か・・・。少し、甘く見てたかな・・・?」

 『マスター!!』

 「「アウス氏!!」」

 慌てて近寄ってくる、デーモン・ビーバーとアクアマリナ。

 彼らに向かって、アウスは言う。

 「気にしないでいいよ・・・。ちょっと、魔力を消費し過ぎただけだから・・・。」

 確かに、彼女はここまでに『』、『地霊術‐「鉄」』、『大落とし穴(サートゥルヌス・スワロー)』と魔力消費の大きい魔法を立て続けに使っている。

 比較的魔力容量の大きい彼女とは言え、限界は近かった。

 『気にしないでって・・・。顔真っ青ですやん!!気にするな言う方が無理や!!』

 「・・・本当に、ボクはいい・・・。それよりも、ウィン女史が・・・」

 「「!!」」

 その言葉に、アクアマリナはハッと上空を仰ぎ見る。

 その目に映ったのは、再び魔法陣から湧き出したキラーの群れに呑み込まれるウィン達の姿だった。

 

 

                                    続く



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24話

                 ―24―

 

 

 ・・・それは、有意なのだろうか。

 それとも、無意と言うべきなのだろうか。

 まるで、濁った羊水の中でまどろむ様に。

 白骨(しらぼね)の揺り篭に揺られる様に。

 彼の自我は曖昧だった。

 明確な思考も。

 自己認識すらも。

 全ては白痴。

 全ては忘我。

 黒く澱んだ、白紙の様な意識。

 そこに嘔吐する様に注ぎ込まれるのは、絶える事無き衝動。

 麻薬の様な悦楽。

 劇薬の様な狂気。

 微かに残る意識を蝕みながら、それは言う。

 壊せ。

 壊せ。

 全ての、モノを。

 殺せ。

 殺せ。

 あらゆる、イノチを。

 憎め。

 憎め。

 世に在する、万物を。

 憎め?

 憎む?

 そう。

 自分は、憎んでいるのだ。

 何故かは、分からない。

 思い、出せない。

 けれど、自分は憎んでいる。

 今、赤く染まる目の前の光景を。

 今、足元で蠢く卑小なる者達を。

 それだけは、確かな事。

 想いは目的となり。

 目的は衝動と化す。

 それに促されるまま、壊した。

 砕いた。

 引き裂いた。

 けれど、溺れる乾きは止まらない。

 壊す。

 壊す。

 壊す。

 癒えない。

 癒されない。

 だから壊す。

 壊し続ける。

 そんな時、彼の前に現れた一つの存在。

 それまで足元で蠢いていた者達よりも、なお小さな存在。

 飛ぶモノを駆って、肉薄してきたもの。

 それを見止めた時、ひびけた心臓が強く打った。

 赤い視界の中で、なお赤く浮かび上がるその姿。

 顔。

 瞬間、脳裏を突き刺す映像。

 紅い空。

 クルクルと回る蒼い髪。

 打ち下ろされる爪。

 飛び散る飛沫。

 朱く染まる視界。

 伸ばす手。

 届かない。

 届かない。

 届かない。

 堕ちてゆく。

 堕ちてゆく。

 堕ちてゆく。

 上から伸びる手。

 たなびく蒼を掴む。

 引きちぎる。

 見上げたもの。

 歪に歪む笑顔。

 顔。

 顔。

 顔。

 それが、目の前の顔と重なる。

 コレだ。

 コレだ。

 コレだ。

 のたうつ狂気が、喜びに跳ねる。

 この痛みを癒すもの。

 この乾きを癒すもの。

 喜びのままに、凶禍が渦巻く。

 迸る熱。

 叩き落とす。

 無様にもがきまわるソレ。

 乾きヒビけた心。

 歓喜に軋む。

 後は、壊すだけ。

 それで、癒される。

 全てが、癒される。

 多少の邪魔も入ったが、それはもう排除した。

 だからもう、壊すだけ。

 狂喜のままに、手を伸ばす。

 もう、少し。

 そう、少し。

 だけど。

 だけど。

 その時。

 水が、流れた。

 流れる水が、手の先からソレを奪い取った。

 怒りは、沸かなかった。

 その代わり、世界が止まった。

 蒼い。

 どこまでも。

 どこまでも。

 どこまでも蒼く、澄んだ流れ。

 腐敗した心を、清い流れが優しく撫でた。

 

 

 「ギゴ!!あんた一体何やってんのよ!?」

 目の前で佇む巨獣に向かって、エリアは叫ぶ。

 その声に、ギガ・ガガギゴの巨体が揺らぐ。

 「言ったじゃない!!ついてきてくれるって!!」

 叫ぶ。

 「約束したじゃない!!ずっと一緒にいようって!!」

 叫ぶ。

 「なのに、あんた何やってんのよ!?」

 喉が裂けんばかりに、叫ぶ。

 ギ・・・ゴァ・・・ア・・・

 戸惑う様に呻く、ギガ・ガガギゴ。

 「戻って!!」

 届いている。

 確実に。

 確信したエリアが、さらに声を張り上げる。

 「戻ってきて!!ギゴ!!」

 言葉とともに、差し伸べられる手。

 ギィ・・ァアアアアアアアァアッ!!!

 鋼の巨獣は頭を抱え、苦しげに悲鳴を上げた。

 

 

 ギャリィイイイインッ

 鉈の様に振り下ろされた節足が、白銀の氷壁に弾き返される。

 「んっきぃいいいっ!!壊レナイィイイイ!!」

 痺れる脚先をプルプルと震わせながら、イビリチュア・マインドオーガスは苛立たしげに喚く。

 彼女は先刻から氷壁の中にいるアウス達を狙って攻撃を仕掛けていたが、アクアマリナの硬い防御をどうしても破れずにいた。

 「ア゛ァアアアアアッ!!苛ツク苛ツク苛ツクゥウウウッ!!」

 「「やれやれ・・・。品のない事だ。」」

 氷壁の向こうで叫び散らす魔獣を見ながら、アクアマリナは溜息をつく。

 しかし、ジリ貧なのは彼もまた同じだった。

 彼―ジェムナイト・アクアマリナは防御に特化した戦士である。

 一旦守りに入れば、その鉄壁とも言える防御を破れる者はそうはいない。

 しかし、それはあくまで守りにおいての事。

 攻撃面においては、素体を同じくするエクシーズ体の『ダイガスタ・エメラル』に劣る。

 彼の攻撃では、目の前のマインドオーガスを倒す事は出来ない。

 戦いにおいて、敵の数を減らせないと言う事は、紛う事無き弱点である。

 まして、今の彼には守りを解けない理由もあった。

 紺碧の目が、チラリと後ろを見る。

 そこには膝をつき、苦しげに息を吐く少女―アウスの姿。

 杖でかろうじて身体を支えているものの、滝の様に滴る汗と虚ろな眼差しがその疲労が並大抵のものではない事を物語っている。

 魔法、特に高位のものの使用は術者の魔力と精神力、そして体力を大幅に削る。

 それを成した彼女の身体は、限界に近い疲弊に悲鳴を上げていた。

 まして、今は禁呪・『王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)』の影響下。回復魔法はおろか、それに類する魔法アイテムすら効力を発揮出来ない。

 『お嬢、お嬢、大丈夫でっか!?しっかりしてぇな!!』

 彼女の使い魔がその周りを飛び回り、懸命に励ますものの、そんな事で事態が好転する筈もない。

 「・・・君・・・」

 苦しい息の間から、彼女が声を放つ。

 「・・・ボクは・・いい・・・。それより、も・・彼女、達・・・を・・・」

 その言葉の意味は、即座に知れた。

 今、彼らの周りでは二人と二匹の仲間が危機に陥っていた。

 上を仰ぎ見る。

 傷ついた身を押し、空の敵へ向かった風の少女とその使い魔達。

 彼女達の姿は、もう見えない。

 空に浮かんだ儀水鏡から溢れ出す魚妖の群れに呑み込まれ、その無事を確認する術すらない。

 視線を地に戻す。

 その先にいるのは、鋼の巨獣と一人向かい合う水の少女。

 必死に巨獣に呼びかけるその姿は、無防備以外の何物でもない。

 もし、巨獣かマインドオーガスのどちらかが攻撃に転じれば、その結果は目に見えている。

 否、彼女達だけではない。

 崩れた民家の向こうで気絶している、スフィアード。

 忘我の様子で佇むカムイ。

 今だ、先のダメージが抜けきらないカーム。

 守るべき者達は、あまりにも多かった。

 「「むぅ・・・。」」

 歯噛みするアクアマリナの背に、また声がかけられる。

 「・・・頼む・・・。どうか、皆を・・・。ボクにはまだ、手があるから・・・」

 見え見えのウソだった。

 魔法使いが『王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)』の影響下で、しかもその衰弱しきった有様で、どうやって身を守ると言うのか。

 彼が他の者の元に向かうために、この氷壁を解けば、彼女はマインドオーガスによって即座に八つ裂きにされてしまうだろう。

 そんな事が、許される筈はなかった。

 多を守るために、個を捨てる事が出来ない自分。

 それを誇るべきなのか、忌むべきなのか、今の彼には分からなかった。

 と、不意に魔獣の脚が氷壁を叩く音が止んだ。

 視線を上げたアクアマリナの顔が歪む。

 マインドオーガスが、”彼女”を見ていた。

 鋼の巨獣に呼びかける少女。

 その姿を、二つの双眼と四つの魚眼が、しかと映していた。

 

 

 最初は、いつまで経っても事を成さない”飼い犬”を殴りつけるつもりだった。

 けれど、“彼”の方を向いた瞬間、その前に立つ少女の姿が目に入った。

 先刻、つまらない手を使って自分の脚の一本を切り飛ばした女だった。

 そうだ。まだ、アイツが居たのだ。

 アウスやアクアマリナに対する鬱憤が、全て彼女に向かう。

 矛先を変えようとしたその時、妙な様子に気がついた。

 少女は、彼女の”飼い犬”に向かって何やら必死に呼びかけていた。

 その表情を見て、ピンと来る。

 それは、自分も良く知るもの。

 そう。

 それは。

 その顔は。

 恋人に。

 想う相手に、心をさらける女の顔。

 それを見止めた瞬間、ある思考が頭を巡る。

 ”アレ”の出処。

 魔法使いの女。

 対峙する、二人の様子。

 数個のファクターが導き出す、一つの結論。

 それに達した時、マインドオーガスはその可憐な顔に歪んだ笑みを浮かべた。

 

 

 「ギゴ!!お願い、戻って来て!!」

 言いながら、前へと踏み出すエリア。

 ゴゥルルルルル・・・

 対するギガ・ガガギゴは、低く唸りながら怯える様に後ずさる。

 それに追いすがる様に、さらに前に出る。

 「逃げないで!!」

 叫ぶ声が、鋼に侵された心臓へと突き刺さる。

 「あたしを見て!!ギゴ!!」

 また一歩、エリアが”彼”に近づこうとしたその時―

 ズガァンッ

 「何ヤッテンノォ?アンタ。」

 二人の間を隔てる様に、節くれた脚が地面に突き刺さった。

 「!!」

 ハッと振り仰ぐエリア。

 向けた視線の先には、歪んだ笑みを浮かべて自分を見下ろすマインドオーガスの姿。

 「「いかん!!」」

 マインドオーガスがエリアに近づく様を見たアクアマリナが、思わず飛び出そうとする。

 しかし―

 「ほぉ?その壁を解くか。」

 不意に上から降ってきた声に、足が止まる。

 見上げれば、上空に浮いた杖の上からリチュア・ヴァニティが酷薄な顔でこちらを見下ろしていた。

 「それは朗報だな。その壁がなくなれば、そこの娘もキラー達の餌にしてやろう。そう・・・」

 言いながら、ヴァニティは目の前で蠢くキラーの群れを指指す。

 「この、娘の様にな・・・。」

 白い顔に浮かぶ、亀裂の様な笑み。

 その言葉に応じる様に、氷壁の天井には空の晩餐から溢れた無数のキラー達が、カチカチと歯を鳴らしながら取り付いていた。

 「「・・・・・・!!」」

 アクアマリナはその瞳を歪め、沈黙する。

 せめても、アウスを守る事。

 今彼に出来る事は、他に何もなかった。

 

 

 「サテ、アンタ。あたしノ『ぎてぃ』二何ノ用?」

 カシャカシャと節足を鳴らしながら、マインドオーガスがエリアとギガ・ガガギゴの間に入り込む。

 その威容に青ざめながらも、エリアは気丈に”彼女”を睨み返す。

 「エリアル・・・。アンタだったのね・・・。」

 「は?」

 自分に向けられる言葉と視線に、”彼女”はしばしポカンとして眼下の少女を見つめる。

 やがて、その目が何かに気づいた様に軽く見開くと、次の瞬間一気に破顔する。

 「アラァ、ヤッダァ~!!”えりあ”ジャン!!ナッツカシィ~~!!」

 キャラキャラと、酷く愉快そうに言葉を紡ぐ。

 「ソウ言エバ、あんたモ一族ヲ飛ビ出シテタンダッケ。退屈ダッタモンネェ。アソコ。」

 ケタケタと笑うマインドオーガス。

 そんな”彼女”に向かって、エリアは黙って険しい顔を向ける。

 「デ、ドウ?ソノ後ハ?随分ト貧相ナ格好シテナサルケド?」

 からかう様な調子で言いながら、マインドオーガスはググッとその顔をエリアに近づける。

 「マア、あんたハあたしミタイ二明確ナ目標ガアッタ訳ジャナイシネェ。野垂レ死二シナカッタダケデモ、儲ケモノカシラ?」

 嘲る様にエリアを見つめる、暗蒼色の瞳。

 しかし、それをエリアは真正面から見返す。

 「アラ、怖イオ顔。ヒョットシテ、怒ッテルゥ?」

 「・・・怒ってるわ。」

 エリアの口が、ボソリと呟く。

 「アレマ。デモ、本当ノ事ダシネェ~。」

 「・・・違う。」

 「ウン?」

 「違うつってんのよ!!」

 ビュッ

 瞬間、エリアが手にした杖でマインドオーガスの顔を突く。

 「!!」

 ジャッ

 咄嗟に顔を逸らすマインドオーガス。

 その頬を杖がかすめ、赤い跡を残す。

 「・・・・・・。」

 昏い怒りに彩られる、蒼い双眼。

 しかし、そこから発せられる殺気にも、エリアは怯まない。

 「そんな、くだらない事で怒ってんじゃないわ!!」

 「・・・何・・・?」

 「アンタなんかに用はないのよ!!邪魔!!さっさとどきなさい!!」

 物凄い剣幕で、怒鳴る。

 その様を見つめる、マインドオーガスの目。

 それが、キュウと細まる。

 「アア、ソウ言エバあんた、妙二『ギティ』二絡ンデルワヨネェ・・・。」

 「『ギティ』・・・?何よ、それ?」

 「『ギティ』ハ『ギティ』ヨ。あたしノ、”ぺっと”。」

 そう言って、後ろで頭を抱えて呻いているギガ・ガガギゴを示す。

 それを聞いた途端、エリアの顔がその険しさを増した。

 「何寝惚けた事言ってんのよ!?その子は『ギゴ』!!あたしのギゴよ!!」

 「ヘェ?あんたノ?」

 「そうよ!!あたしの!!他の誰のでもない!!誰にも渡さない!!あたしの、あたしだけのギゴ!!」

 肺の中の空気を全て叫びに変え、エリアはゼイゼイと荒い息をつく。

 その様を、黙って見ていたマインドオーガス。

 しかし次の瞬間、その顔がピシリとひび割れる。

 「・・・あは、あはははは・・・」

 「!?」

 割れた亀裂は見る見る広がる。

 広がった割れ目は歪んだ笑みとなり、その可憐な顔に張り付いた。

 「あは、あはは、あはははははははははは!!」

 濁った嬌声を響かせながら、マインドオーガスがその細い身体を逸らす。

 艶かしい肢体を覆った鱗が、黄昏の日を受けてキラキラと光った。

 「何よ!?何が可笑しいの!?」

 「あはははは、ダッテ、『あたしノぎご』ダッテサァ!!コンナとかげ相手二、何むき二ナッテンダカ!!受ケルー!!」

 「・・・・・・!!」

 さらに険しさを増す、エリアの顔。

 けれど、”彼女”は意にも介さずに笑い続ける。

 「ソウカソウカ。ぎてぃガ言ッテタ”えりあ”ッテ、あんたノ事カ。納得納得。」

 クワンクワンと、破鐘の様に響く笑い声。

 それを黙らせようよ、エリアがもう一度口を開いたその時、

 グイッ

 マインドオーガスが、逸らしていた身を急に起こした。

 同じ高さでつながる、二人の視線。

 「!!」

 咄嗟に飛びずさろうとするエリア

 しかし、その前に”彼女”が囁く。

 「あんた・・・」

 その言葉を、言う。

 口を三日月の形に歪ませながら。

 「アノ子二、惚レテルンデショウ?」

 「―――っ!!」

 思わず固まる、身体。

 その様を見たマインドオーガスは、大口を開けてまたケラケラと笑う。

 「涙グマシイワネェ。オ互イ二求メ合ッテタ訳カ。えりある、妬ケチャウ!!」

 目尻の涙を拭きながら、揶揄する様にウンウンと頷く。

 「―――っ!!うるさい!!」

 怒鳴りながら、杖を横殴りに振るうエリア。

 それをヒョイと避けながら、マインドオーガスはなおも笑う。

 「オオ、怖イ。」

 「余計な事くっちゃべってないで、さっさとそこをどきなさい!!でないと、アンタから片付けるわよ!!」

 「あはは、怒ラナイデヨ。ソンナ二ぎてぃノ事ガ恋シイナラ、ソノ想イ、叶エテア・ゲ・ル。」

 「・・・え?」

 ポカンとするエリアを、不気味な程に優しげな眼差しが見下ろす。

 「”コレ”ノ、オ礼二ネ・・・。」

 スルリと上がる、一本の脚。

 途中で断ち切られたそれは、生々しく脈打つ断面からドクドクとどす黒い体液が流れ出している。

 それが、先刻エリアがつけた頬の傷をズルリと撫でる。

 頬に付いた黒い模様をペロリと舐めて、マインドオーガスはニヤリと微笑む。

 それは、先までのものとは違う、怖気を誘う様な笑み。

 邪悪と言う言葉をそのまま貼り付けた様なそれに、エリアの背筋を冷たい感触が這い登る。

 「何、言って・・・」

 エリアの言葉が紡ぎ終わる前に、マインドオーガスの身体が動いた。

 そして―

 ドズゥッ

 ギィガァアアアアアッ!!

 「―――っ!!」

 唐突に響く、鈍い音。

 地を裂く様な絶叫。

 エリアが、声にならない悲鳴を上げる。

 後方で頭を抱え、苦しんでいたギガ・ガガギゴ。

 その米神に、鋭く伸びたマインドオーガスの脚が突き立てられていた。

 「バ・・・何すんのよー!!」

 思わず駆け寄ろうとするエリア。

 しかし、それは蠢く他の脚に阻まれる。

 「く・・・!!」

 「イイカラ、大人シク見テナサイナ。」

 そう言うマインドオーガスの身体が、昏い光を放ち始める。

 昏い、昏い。深海に沈みゆく様な、深く蒼い輝き。

 それは突き立てられた脚を伝い、ギガ・ガガギゴの身体へと流れ込んで行く。

 グゥガァアアアアアッ!!

 苦悶の声を上げる、ギガ・ガガギゴ。

 その様を見たエリアの顔から、血の気が下がる。

 「アンタ、魔力を無理矢理・・・!?」

 マインドオーガスは答える代わりに、歪んだ笑みで肯定する。

 「やめて!!そんな過剰に魔力を供給したりしたら・・・!!」

 バチィッ

 その言葉が終わらないうちに、ギガ・ガガギゴの身体に異変が起きる。

 バチバチッバチッ

 鋼に覆われた身体に光が走り、ドクンと大きく波打つ。

 全身にビキビキと血管が浮き上がり、筋肉が肥大する様に盛り上がる。

 白金(しらがね)の鎧が赤く灼熱し、盛り上がる身体に押されて悲鳴を上げる。

 ガァアアアアアアアアアッ

 苦悶の叫びが狂気の咆哮へと変わり、大地と大気を震わせた。

 ズルリ

 その米神から、突き刺さっていた脚が引き抜かれる。

 赤いものがネチョリと糸を引き、地面に滴る。

 「あはは、具合ハドウ?ぎてぃ・・・イエ、『ごぎが・ががぎご』!!」

 ゴォオオオオオオオ・・・

 かけられる問いに答える様に、『ゴギガ・ガガギゴ』は雄叫びを上げる。

 それを見て、マインドオーガスは楽しげに、本当に楽しげに笑い声を上げる。

 ガハァア・・・

 半開きになった口。

 その牙の間から漏れる、熱い呼気と唾液。

 紅く濁った双眼。

 それがギョロリと動いて、エリアを映す。

 そこにはもう、彼女に対する想いはない。

 先刻まで、確かにあった筈のそれがない。

 あるのは狂気。

 そして、凶気。

 そこにはもう、『ギゴ』であった彼はいない。

 『ギティ』であった者さえいない。

 在るのはただただ、破壊の衝動のみで動く”怪物”だけ。

 「ギゴ・・・」

 そんな”彼”を、エリアは呆然と。

 ただ呆然と、見つめる。

 「ドウ?気二入ッテモラエタカシラ?」

 マインドオーガスが、その顔を邪やましく歪めながら言う。

 「惚レタ男二”食ベテ”貰エルナンテ、女冥利二尽キルデショウ?」

 そして、”彼女”はまたケタケタと笑う。

 それも聞こえているのかいないのか、エリアはただ立ち尽くすだけ。

 グゥフルルルル・・・

 そんな彼女に向かって、ゴギガ・ガガギゴはその巨腕を伸ばす。

 エリアは動かない。

 動けない。

 そして、その華奢な身体を、赤熱する鋼爪がゆっくりと握り締めた。

 ケタケタ ケタケタ

 黄昏の満ちる空に、魔女の笑いだけが響いて溶けた。

 

 

                                    続く

 



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25話

                    ―25―

 

 

 彼女は、濁った虚ろの中を彷徨っていた。

 肺の腑に満ちた苦い風。

 渦巻く闇。

 澱んだ意識。

 いつ果てるとも知れない深淵で、彼女はただ己の終わりを待っていた。

 

 

 ミシ・・・ミシミシ・・・

 体内を巡る、不気味な感触。

 身体中の骨が、かかる負荷に悲鳴を上げる。

 「ク・・・ァ・・・」

 苦痛の悲鳴も、形を成さない。

 押し潰される肺。

 漏れるのは、かすれる様な苦悶だけ。

 気を抜けば、消えてしまいそうな意識。

 それを繋ぎ留めるのは、ただ一つの想いだけ。

 「ギ・・・ゴ・・・」

 霞む視界に映る、”彼”の顔。

 血走った目。

 大きく裂けた口。

 歪に歪んだ表情。

 赤熱した筋肉。

 彩るは狂気。

 染め上げるは凶気。

 誰もが、そこに見るのは恐怖と絶望。

 けれど。

 だけど。

 彼女の目は見通す。

 その内でもがく、違うもの。

 誰もが、もう戻ってこないと思っているもの。

 彼自身さえもが、持っていた事を忘れているもの。

 ―心―

 彼と魂を繋ぎ。

 想いを共にした。

 そんな彼女だからこそ、見えるもの。

 そんな彼女だからこそ、感じ得るもの。

 泣き。

 苦しみ。

 助けを求める、心。

 エリアは、言う。

 「ギ・・・ゴ・・・」

 軋む身体に構わず。

 「大・・・丈夫・・・」

 壊れかける己を捨て置き。

 「今・・・」

 呼びかける。

 「助けて・・・あげるから・・・」

 と、

 「きゃははははははっ!!」

 その呼びかけを裂く様に響く、嬌声。

 彼女達の様を横で見ていた怪物。その頭に根生えた少女が、文字通り腹を抱えて笑い転げていた。

 怪物―イビリチュア・マインドオーガスは言う。

 「馬ッ鹿ジャナイノ!?コンナ時二マデ、何カッコツケテンノヨ!?」

 目の前の事を、全て茶番だと言わんばかりに笑い飛ばす。

 「モウ、ソイツニハ欠片程ノ理性モ残ッチャイナイワヨ!!無駄ナ事止メテ、泣キ叫ビナサイヨ!!」

 しかし、その凶声もエリアを揺るがす事は叶わない。

 「五月蝿い・・・」

 「ア?」

 「五月蝿いって言ってんのよ!!この下手生モノ!!」

 「ナ・・・!?」

 マインドオーガスの米神がピクつく。

 「まだ分かんないの!?アンタなんか眼中にないのよ!!あたしはギゴと話してる!!魚は魚らしく、泡でも吐いてりゃいいのよ!!」

 「コ・・・コノ小娘・・・!!」

 歪な歯牙を軋ませながら、マインドオーガスは昏い声を漏らす。

 「イイワ。セイゼイ虚勢ハッテナサイ。ドウセ、スグ二ソンナ減ラズ口叩ケナクナルカラ。」

 ギシシ・・・

 魚怪の顔が、軋りながら笑む。

 「ソノ顔ガ噛ミ潰サレル時、あんたガドンナ声デ喚クノカ楽シミダワ。」

 呪詛の様に響く言葉。

 それに応える様に、ゴギガ・ガガギゴの口が裂けんばかりに開く。

 そして―

 ガシャァンッ

 死の断頭台が、重い音とともにその顎あぎとを閉じた。

 

 

 ―世界は、ゆっくりと崩れていく。

 世界は精神。

 そして肉体。

 淀みに侵された身体と心が、朽ちていく。

 成す術など、ありはしない。

 抗う気力も、腐ち果てた。

 彼女はその様を、虚ろな意識でただ見つめていた。

 と、

 その思考の端を過ぎるものがあった。

 それは、とても懐かしい。

 そして、とても温かい。

 腐ち落ちかけた意識の中で、”彼女”が微笑む。

 濁り澱んだ世界に、微かにそよ風が吹いた。

 

 

 「「む・・・?」」

 己の張った氷壁の中で、アクアマリナは微かに”感じた”。

 眼前で繰り広げられる蛮業。

 かの少女の命が、あと数分で噛み砕かれるのは明白だった。

 しかし、その足は動かない。

 いや。動かさない。

 「・・・どうして、行ってくれないんだい・・・?」

 背後から響く、恨めしげな声。

 血の気が失せた身体を辛うじて杖で支えながら、アウスが彼を見つめていた。

 「・・・君の気持ちは受け取るよ・・・。だけど、ボクと彼女を計りにかけて彼女を見殺すと言うのなら・・・ボクは、君を一生許さない・・・。」

 アクアマリナはまんじりとする事なく、その声を受け止める。

 「頼む・・・。ボクは、いいから・・・皆を・・・」

 もはや、懇願にすら近い訴え。

 けれど、アクアマリナは動かない。

 理由は明白。

 この場でもっとも知略に長けたアウス(彼女)の策が破れた時、大局は決まっている。

 故に、アクアマリナ彼は彼女だけは守ろうとしている。

 知者は己を知る。

 もう、自分に戦況を覆す術はない。

 アウスは、認識していた。

 ならば―

 覚悟を、決める。

 的確に。

 けれど、冷徹に。

 もし、アクアマリナが自分を守る事に固執すれば、他の皆の命運はそこで尽きる。

 手負いのカームやスフィアード、そして忘我の体のカムイと言った面々に期待できる事はない。

 霞む視界を凝らす。

 その中に、皆の現状が映る。

 おぞましい魔性に貪られるウィン。

 愛しき者に噛み砕かれんとするエリア。

 共に、その想いを求め、傷ついた仲間。

 彼女達を、これ以上邪教の戯れに陵辱される事は許せなかった。。

 ギリッ

 唇を噛む。

 生温かい鉄錆の味が、口の上に広がった。

 

 

 何が、彼にそれを悟らせたのか。

 彼の種族の特性か。

 はたまた、幾つもの戦場いくさばをかいくぐった本能のなせる業か。

 理由は定かではない。

 とにかく、彼はその事を確信していた。

 それだけは、確かな事―

 ユラリ

 背後で、動く気配がする。

 ジャッ

 後ろを振り返る事なく、アクアマリナはその行く手を塞ぐ。

 「・・・どいて、くれないか・・・。」

 かすれた、けれど威圧する様な声が響く。

 「「・・・何をするつもりだ?」」

 「皆を・・・仲間を、助けに行く・・・。」

 フラフラの身体に、羽衣を纏ったアウスが呟く。

 「「その身体で、何が出来る?」」

 「ボクなんか、どうでもいい・・・。皆を、ウィンとエリアを、助けるんだ・・・」

 まるで、うわごとの様に虚ろな言葉。

 アクアマリナは、静かに語勢を強める。

 「「・・・其方はかように愚かではない筈だが。己の想いは彼女達の想いと、気づけぬか?」」

 『・・・そう、言わんといてな。』

 頭上から降ってきた声に顔を上げる。

 そこにいたのは、蝙蝠の様な翼を広げて宙に浮くモンスター。

 一瞬身構えるが、その姿に見覚えがある事に気づく。

 「「・・・貴殿、アウス殿の使い魔か・・・?」」

 『さいでんなぁ。デーモン・ビーバ・・・いんや、今は『デーモン・イーター』言いますぅ。』

 蝙蝠の翼をバサバサと羽ばたかせながら、デーモン・イーターは言う。

 『ウチのお嬢の事、大目に見てはくれんかなぁ・・・?』

 「「・・・己の主を、見殺しにせよと?」」

 『大丈夫や。お嬢の事は、ワテが絶対お守りしますんで・・・。』

 「「・・・・・・。」」

 アクアマリナは、もう一度視線を落とす。

 そこにいるのは、魔法に生命力を喰われた少女。

 その衰弱ぶりは、見ただけで明らかだった。

 けれど、デーモン・イーターは続ける。

 『お嬢はな、ずっと孤独やったんや。詳しい事は言えんけど、ちょいと事情があってなぁ。あん人らは、そんなお嬢に出来た初めての友さんなんや。』

 長い尾がシュルリと伸びて、主の額の汗を拭う。

 『まあ確かに、腕っ節任せの荒事はお嬢の畑じゃありませんな。ほんでも、代えられませんのや。こればっかりは・・・。やから・・・』

 「「・・・・・・。」」

 しかし、アクアマリナは答えない。

 ただ、沈黙するのみ。

 デーモン・イーターは、乞う様な視線を彼に向ける。

 『通してもらえまへんか?』

 しかし、蒼珠の騎士は動かない。

 そこに強固な意思を見てとったデーモン・イーターは、その声音を変える。

 『・・・あきまへんか?なら・・・』

 全身の毛が逆立ち、その両手の間に仄暗い光が灯る。

 『力づくででも・・・!!』

 強風の様に叩きつける殺気。

 瞬間、アクアマリナが動いた。

 閃く剣閃。

 しかし、それが向かうのは宙のデーモン・イーターではなく、己の足元。

 ガスゥッ

 地面に突き刺さる刃。

 構成を絶たれた朱い魔法陣が、塵となって消える。

 「「・・・これで、分かったろう。」」

 彼は言う。

 傅く様に地に手を付くアウスに向かって。

 『・・・お見通しでっか・・・。』

 宙のデーモン・イーターが呻く様に声を漏らす。

 構う事なく、アクアマリナは続ける。

 「「其方ほどの者が、この様な浅策にしか頼れぬ。今の状態で敵に向かうは、無駄に死人を増やすだけだ。」」

 抑揚もなく告げられる言葉。

 ズ・・・

 地から抜かれる刃。

 それを、アウスの手がガシッと掴んだ。

 「「・・・・・・。」」

 黙って刃を止めるアクアマリナ。

 その彼に向かって、アウスはかすれる声を張り上げる。

 「・・・そんな事、関係ないって言ってるだろ!!」

 ギリリ・・・

 刃を握る手に力がこもる。

 蒼白の鋼に、朱い雫が伝う。

 「あの娘達は・・・あの娘達だけは駄目なんだ!!あの娘達を失ったら、ボクは・・・!!」

 「「・・・・・・。」」

 「あの娘達に置いて逝かれるくらいなら、いっそボクも・・・」

 発する声に鬼気すらこもらせ、アウスは刃にすがる。

 それを支えに立ち上がろうとした時、

 フワ・・・

 彼女の髪に、何かが落ちた。

 冷たい様で温かい、不思議な温もり。

 それが、アクアマリナの手だと気づくのにしばしの間があった。

 彼は腰を屈め、アウスの髪を撫でていた。

 「・・・・・・?」

 戸惑う彼女に向かって、彼は言う。

 「「どうやら、自分は其方の事を見誤っていた様だ。」」

 蒼い鎧に覆われた顔。

 それが微笑んでいる様に見えたのは、気のせいだろうか。

 「「その知略と物腰に惑わされていたが、其方もまた一人の少女なのだな。」」

 「何を・・・」

 「「ならば、あえて言おう。」」

 父親が娘を諭す様な声音。

 鎧の奥の眼差しが、アウスを見つめる。

 「「その様に仲間を想うのなら、信じるのだ。」」

 「・・・信じ・・・る・・・?」

 「「そう。其方が想い、其方を想う仲間達。その力を、信じる事・・・。それを成すのが、真の仲間というもの。」」

 「・・・・・・!!」

 その言葉に、アウスが目を見開いた瞬間―

 パシィッ

 鋭い波動が、周囲の空気を揺らす。

 「!!」

 思わず上を振り仰ぐアウス。

 その視線の先には、ウィンを貪る魚妖キラーの群れ。

 そこから漏れ広がる、朱い光。

 象られる、真紅の魔法陣。

 魔性の群れがビクリと震え、動きを止める。

 「・・・何?」

 それを見たヴァニティが、訝しげに目を細めた次の瞬間―

 「だぁあああああああああっ!!!」

 響き渡る雄叫び。それとともに―

 バシィイイッ

 走る衝撃音。

 弾かれる様に飛び散る、キラー達。

 その中から現れる、ウィン達の姿。

 身体中ボロボロで、憑依装着も解けている。

 しかし、その目には命の光が今だ断える事なく息づいていた。

 弾き飛ばされたキラー達が、再びウィン達に向かって牙をむく。

 けれど、その試みは達せられない。

 牙の群れは白い肌に喰い込む事無く、弾き返されていく。

 見れば、ウィン達の身体は淡い光の様なもので覆われていた。

 それを見て取ったアウスが、驚きの声をあげる。

 「あれは・・・まさか『憑依開放(ソウル・リべレーター)!?』

 永続罠(エターナル・トラップ)、『憑依開放(ソウル・リべレーター)

 それは、精霊使いのみが仕える固有魔法(パーソナル・スペル)

 その効果は常時の場合は術者の防御力を上げ、憑依装着状態では攻撃力を向上させる。

 今のウィンは憑依装着を解いている。

 その身体は魔力を帯び、不壊の鎧と化していた。

 「ウィン・・・一度も成功した事がない筈なのに・・・」

 呆然と見上げるアウスに応える様に、ウィンは傷だらけの顔でVサインをする。

 「初めて上手くいったよ。火事場の馬鹿力ってやつかな?」

 アウスにそう言って微笑むと、杖を一閃。牙を立てようと足掻くキラーを杖で振り払う。そして、彼女は吠える。

 「こんな事で、わたし達は負けない!!諦めない!!守りたい人達のために!!譲れないもののために!!絶対に挫けない!!そう、絶対の絶対の、絶対!!」

 暗く澱んだ空に、凛とした声が響きわたる。

 そして、呼びかける。

 「そうだよね!?君も、そうだよね!?エーちゃん!!」

 その声に、マインドオーガスが振り返る。

 「はあ?何言ッテンノ、アイツ。」

 呆れた様に言う。

 「こいつハ、モウ・・・」

 戻した視線の先で、言葉が止まった。

 ギシシシシ・・・

 かの少女の頭を噛み潰した筈の顎(あぎと)。

 それが、あと僅かの所で阻まれていた。

 慌てて見れば、ゴギガ・ガガギゴの口に突き込まれたエリアの身体を、何か青いものが渦巻く様に包んでいた。

 ビュルルルルルル・・・

 “それ”は、青い液状の身体で迫る牙を止めている。

 決して、強固な訳ではない。

 鋼の牙は確実に”それ”に食い込み、突き破っていく。

 しかし、”それ”はそれを上回る速さで再生し、牙がエリアに届く事を阻んでいた。

 「アレッテ・・・マサカ・・・」

 その正体に思い当たったマインドオーガスが、目を見開く。

 「『りばいばる・すらいむ』・・・!?」

 それを肯定するかの様に、青い流体は鋼の牙を押し戻していく。

 「コノ状況デ、下僕ヲ召喚シタッテ言ウノ!?ソンナ・・・」

 その言葉を聞いているのかいないのか、ゴギガ・ガガギゴの口の中でエリアが腕を支えに上体を起こす。

 「はは・・・言ってくれるじゃない・・・。ウィンのくせに・・・。」

 口の端についた血糊を拭い、不敵に笑むエリア。

 「ありがとう・・・ライム・・・。もう少し、頑張って・・・。」

 リバイバル・スライムに向かって呟く。

 青い流れが、頷くように揺らいだ。

 「ごめんね・・・。待たせちゃって・・・。」

 手の先に触れる”彼”に囁く。

 「迎えにきたよ・・・。だから・・・」

 顔に掛かる髪をかき上げ、身を屈める。

 「戻って、おいで・・・」

 優しく、愛しげに撫ぜる。

 そして―

 「あたしの、ギゴ・・・。」

 その唇が、“彼”へと触れて―

 シャアン・・・

 深紅の光が、彼女達を包んだ。

 「罠魔法(トラップ・スペル)!?」

 叫ぶ、マインドオーガス。

 「道連レニシテ、死ヌツモリ!?」

 「「ほう・・・。お前には、そう見えるか?」」

 「!?」

 驚いて、背後を向く。

 「「その濁った眼では、それも致し方なしと言うものか。」」

 そびえる氷壁の向こう。

 蒼珠の騎士が、こちらを見つめていた。

 「何ヲ・・・」

 「「分からぬなら、教えてやろう・・・。」」

 眩く光にその聖鎧を煌めかせながら、彼は言う。

 「「あれは、想いの光・・・。絆の光・・・。そして、救いの光だ!!」」

 「!!」

 向き直った先で、マインドオーガスは見た。

 光の中で、ゴギガ・ガガギゴの鎧―拘束具が粒子となって散っていく。

 溶けゆく凶気。そして狂気。

 リチュアの束縛が。呪いが。消えていく。

 「・・・馬鹿ナ・・・」

 呆然とするマインドオーガス。

 そんな彼女と同様に、アウスも再度驚きに目を見開いていた。

 「・・・『洗脳解除(リライブ・ハート)・・・。』」

 『洗脳解除(リライブ・ハート)』。

 それは、束縛された心を解き放つ魔法。

 蘇生により書き換えられた命さえも、在るべき姿に戻すと言う上位魔法。

 「「また、意外だったか?」」

 目の前の光景を、奇跡でも見るかの様に見つめるアウス。

 彼女に向かって、アクアマリナは言う。

 「「其方は確かに賢しい。しかし、過ぎた自信はその目を曇らせる。其方も、心の何処かで彼女達を軽んじていたのではないか?」」

 「・・・・・・。」

 「「奢ってはいけない。目を澄まし、耳を澄ませよ。真理を見通し、それを信じよ。己が支え、そして己を支える想いをしかと抱け。真の仲間とは、そういうものだ。」」

 アウスの頬を、一筋の雫が流れ落ちる。

 吹き荒ぶ風の中、揺るがぬ闘志を持って立つウィン。

 青い流れの中、断つ事の叶わぬ絆と抱き合うエリア。

 ・・・希望は、確かにそこにあった。

 

 

 小さなそよぎは、いつしか逆巻く強風となった。

 満ちる澱を引き裂き、闇を散らす。

 澄みわたっていく世界。

 その中で微笑む、懐かしく愛しい顔。

 崩れかけた、手を伸ばす。

 それを優しい温もりが、しかと包む。

 おかえり。

 ただいま。

 昏い視界に、光が満ちた。

 

 

                                 続く

 



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26話

                  ―26―

 

 

  ギィンッ

 静まり返った空間に、鋭い音が響きわたる。

 ダンッ

 「ぐぅっ!!」

 重い剣撃に、ダルクの身体が宙を舞う。

 そのまま背後の壁に叩きつけられ、彼はえづく様に息を吐き出した。

 「ダルク!?」

 悲鳴の様な声を上げるライナ。

 そこへ、ウゾウゾと蠢く触手が毒蛇の群れの様に襲いかかる。

 『ライナ!!危ない!!』

 戦闘形態に進化したハッピー・ラヴァーが、額から熱線を放つ。

 ジュウ・・・

 吐き気を催す様な臭いとともに、数本の触手が焼け縮れる。

 しかし、

 じゅうらぁああああ・・・

 触手の主―ガストクラーケは何の反応も見せず、さらに触手を繰り出してくる。

 「・・・無駄ヨ・・・。」

 ダルクを弾き飛ばした邪竜―リヴァイアニマが、その風体に似合わない声で言う。

 「“ソレ”ノ媒体ハ、私ノ身体(うつわ)ダケ。何ヲシタ所デ、何ノ痛痒モナイワ・・・。」

 「傷つけられてるのは、貴女の身体なのですよ!!何も思わないのですか!?」

 絡みかかる触手を必死に打ち払いながら、ライナはリヴァイアニマの中のエミリアに向かって叫ぶ。

 けれど、返ってくるのは淡々とした言葉だけ。

 「・・・ソンナ事、ドンナ意味ガアルノ?意識ト別レタ身体。ソレハ、モウタダノ”物”・・・。執着スル意味ナンテ、アリハシナイワ。」

 その声は、どうしようもない諦観と自嘲に満ちていた。

 「言うだけ無駄だ。ライナ・・・。」

 杖を支えに立ち上がりながら、ダルクが言う。

 「こいつら、揃ってイカれてる。話も常識も、通じやしない。」

 その言葉に、リヴァイアニマの口がギリ・・・と軋む。

 そこから響くのは、先とは違う声。

 「オ前ハ物分リガイイミタイダナ・・・?ソウサ。俺達ヲ黙ラセタイナラ、言葉ジャナク力デネジ伏セロ。モットモ・・・」

 少年の声とともに、金色の瞳がキュウと細まる。

 「ソレガ出来タ所デ、りちゅあノ教義ガ正シイ事ヲ証明スル事ニシカナラナイケドナ・・・。」

 「・・・・・・。」

 ダルクには、返す言葉がない。

 ただ悔しげに歯噛みするしか、術はなかった。

 

 

 じゅうらぁあああああっ

 怖気を走らせる叫びとともに、無数の触手を蠢かせてガストクラーケが襲いかかる。

 「くっ!!」

 掴みかかる触手をかいくぐりながら、ライナは地面に手を叩きつける。

 ヴォンッ

 展開する、朱い魔法陣。

 罠魔法(トラップ・スペル)

 しかし―

 バチバチバチッ

 不可視の力が弾け、魔法陣が崩壊する。

 「強制キャンセル!?」

 呻くライナ。

 と、

 「・・・無駄ヨ・・・。」

 リヴァイアニマの中から聞こえる、エミリアの声。

 「サッキ、結界ヲ張ッタ・・・。罠魔法(トラップ・スペル)ハ、使エナイワ・・・。」

 「!!」

 その言葉に目を剥くライナ。

 「まさか・・・貴女も、結界師・・・!?」

 「・・・・・・。」

 沈黙で肯定する、リヴァイアニマ。

 「ぎゅぽぽぽぽ・・・」

 響く笑い声。

 一歩離れた場所で戦況を見ていたソウルオーガが、嘲る様に笑っていた。

 「言ッタデアロ?最早、りちゅあ二弱点ハナイト・・・。」

 その顔をゲラゲラと歪ませながら、妖魚の王は言う。

 「コノ力ヲ持ッテ、我ラハ潜ミシ深淵ヨリ這イ出ル。ソシテ、世ノ全テノ力ヲ手二入レルノヨ。コノ地ハ、ソノ足掛カリトナル。」

 ビシャリと湿った足音を立て、ガストクラーケに追い込まれたライナに近づく。

 「オ前達ハ、ソノ門出ノ祝イノ贄ヨ。」

 「く・・・」

 壁を背にしたライナが呻く。

 「栄誉ト知ルガイイ。りちゅあノ糧トナレル事ヲ・・・。」

 音もなく上がった腕が、ヌラリとライナに迫る。

 「ライナ!!」

 それを見たダルクが駆け出そうとするが、リヴァイアニマの刃に阻まれる。

 「退け!!」

 叫ぶが、リヴァイアニマは動かない。

 「モウ、諦メロ。抗エバ苦シミガ伸ビルダケダ・・・。」

 「くっ!!D(ディー)!!」

 『ハイ!!』

 ダルクの声に答え、ダーク・ナポレオンが宙を走る。

 その目が光り、ソウルオーガの腕に向かって光線を放つ。

 しかし、ギュルルと舞った触手がそれを阻む。

 ジュウ・・・

 光線に炙られた触手が煙を上げてちぢけるが、ガストクラーケは意にも介さない。

 次の瞬間には、伸び上がった別の触手が彼女を叩き落としていた。

 「ああ!!」

 「D(ディー)ちゃん!!」

 叫ぶダルクとライナ。

 囲む魔性達が、それぞれの意で目を細める。

 「コノ期二及ンデ、尚ソノ様ナ雑魚ヲ気ニスルカ。」

 「ダカラ言ッタロ・・・。抗エバ、仲間ノ苦シム様ヲ見続ケル事二ナル・・・」

 言いながら、リヴァイアニマが手にした刃を振り上げる。

 「サア、大人シク受ケ入レロ!!」

 ビュッ

 重い音とともに振り下ろされる刃。

 「くっ!!」

 咄嗟に杖を掲げるダルク。

 しかし、受けきれない。

 重い刃が、杖ごとダルクの肩口に押し込まれる。

 「ダルク!!」

 悲鳴を上げるライナ。

 一瞬の間。

 そして、真っ赤な飛沫が散った。

 

 

 ドサァッ

 重い音と共に、鮮やかな朱が地面に咲く。

 朱は鮮血。そして、朱い髪。

 「「・・・・・・!!」」

 それを見たライナとダルクの顔が凍りつく。

 地に倒れた少女。

 間違える筈もない。

 それは、ヒータだった。

 その肩口からは止めどなく血が溢れ、地面を染めていく。

 リヴァイアニマの刃がダルクの身を裂く瞬間、彼女が両者の間に割って入った。

 刃はヒータの肩を裂き、ダルクの身を逸れていた。

 「誰ダ!?」

 「コノ人達ノ、仲間・・・?」

 「ホゥ?」

 リヴァイアニマの言葉に、ソウルオーガが気を取られたその瞬間―

 ジャジャッ

 何かがガストクラーケと彼の間をすり抜け、ライナの身体を触手の檻から救い出した。

 『ご無事か!?ライナ殿!!』

 「吉君!?」

 自分の襟を咥える稲荷火に、ライナは一時驚きの声を上げる。

 しかし、その意識はすぐに倒れ伏す友人の元へと向けられる。

 「ヒータちゃん!!」

 「待テ!!動クナ・・・」

 駆け寄ってくるライナの動きを制そうとするリヴァイアニマ。

 しかし、

 「どけぇ!!」

 ドズゥッ

 怒号とともに、彼らの身体を重い衝撃が襲う。

 「がはっ!?」

 もんどりうって転がる巨体。

 「コ・・・コノ・・・!!」

 こみ上げた胃液とともに声を吐き出し、起き上がる。

 見れば、当の相手はライナとともに倒れた少女―ヒータの傍らに傅いていた。

 「ヒータちゃん!!ヒータちゃん!!」

 「おい、しっかりしろ!!」

 ヒータに向かって、必死に呼びかける二人。

 しかし、返事はない。

 肩の傷は深く、流れ出る血が止まらない。

 ただでさえ、先の戦いで受けたダメージは軽くはない。

 そこにこれだけの深手を受ければどうなるか。

 答えは明白だった。

 『すみませぬ!!しばし、おどきを!!』

 二人の間に割って入った稲荷火が、ヒータの傷に尾の炎を押し付けた。

 ジュウ・・・

 辺りに立ち込める、肉の焼ける臭い。

 ヒータの口から、苦しげな息が漏れる。

 息を呑むライナとダルク。

 しばしの間。

 やがて、稲荷火はゆっくりと尾を離す。

 火の中から現れた傷。

 それは、血こそ止まっていたものの、痛々しく焼けただれていた。

 稲荷火が、ハァと息をつく。

 『これで、当面は大丈夫でしょう。しかし・・・』

 皆まで聞く必要はなかった。

 黙り込む、ライナとダルク。

 その様を見ていたソウルオーガが嘲る。

 「くぽぽ、ソウ嘆クナ。然シタル間モナク、輪廻ノ際デ会エヨウ・・・。」

 言いながら、近づこうとしたその時。

 「・・・黙れ・・・。」

 「・・・五月蝿いです・・・。」

 暗く沈んだ声が、唱和する。

 そこに篭る、異様な鬼気。

 リチュア達の、動きが止まる。

 ユラリ・・・

 幽鬼の様に立ち上がる、ライナとダルク。

 「ム・・・?」

 周囲に満ちる、重苦しい気配。

 それに気づいたソウルオーガが、眉をひそめる。

 『ライナ殿!?ダルク殿!?』

 何かを察した稲荷火が叫ぶ。

 しかし、その声も今の二人には届かない。

 「・・・傷つけたな・・・。」

 「・・・傷つけましたね・・・。」

 「仲間を・・・。」

 「友達を・・・。」

 チャリ・・・

 チャリ・・・

 奇妙な音が、辺りに響く。

 「こんなにも・・・」

 「たくさん・・・」

 それが、二人の手首に架せられた鎖が揺れる音と気づくのに、しばしの時間がかかった。

 「・・・許さない・・・。」

 「・・・許さない・・・。」

 まるで、意識が同化したかの様に同調する声。

 チャリ・・・

 チャリ・・・

 鎖が鳴る。

 「ナ・・・何・・・?」

 「コレハ、一体・・・?」

 その異様に気づいたリヴァイアニマが、上ずった声を上げる。

 もっとも、それが震えている事に気づいていたかは定かではないけれど。

 「主ラ、ドケ!!」

 唐突に響く怒号。

 リヴァイアニマを押し退けたソウルオーガが、闇色に濁った水球を投げつける。

 しかし、

 ジャララララララッ

 鎖が踊る。

 半メートルにも足らなかった筈のそれが、まるで(くちなわ)の様に宙を走っていた。

 ザシャアッ

 放たれた水球はそれに断ち割られ、無残に弾け散る。

 「ヌゥ!?」

 呻くソウルオーガ。

 彼の本能が告げていた。

 何かが、危ういと。

 「がすとくらーけ!!」

 背後の海魔に向かって叫ぶ。

 じゅうらぁあああああああっ

 湿った咆哮とともに、ガストクラーケが『輪廻狂典(フレネーゾ・ウトピオ)』をライナ達に吹き付ける。

 けれど、無駄。

 狂輪の紫煙も、うねる鎖にかき消される。

 ス・・・

 ライナが、左手を上げる。

 それに、ダルクが右手に重ねる。

 ジャカカカカカッ

 重なり合った手を束ねる様に、鎖が巻きつく。

 ゾリッゾリリッ

 鈍い音。

 鋼の鎖が、肌を削る。

 瞬く間に、赤く染まっていく二人の腕。

 飛び散る鮮血が、ライナとダルクの顔を飾っていく。

 微動だにする事なく、佇む二人。

 虚ろに沈んだ瞳。

 それが、三体の魔を射抜く。

 「言ったな・・・。」

 「言いましたね・・・。」

 昏い声が、響く。

 「お前らを黙らせるなら、力でやれと・・・」

 「いいでしょう・・・」

 ポタリ・・・

 ダラリと下がった鎖の端から、雫が滴る。

 「望むなら・・・」

 ポタリ・・・

 「その通りに・・・」

 ポタリ・・・

 「お前らの、望む通りに・・・」

 ポタッ・・・ポタッ・・・

 「してあげましょう・・・。」

 ボタタッ

 雫は流れとなり、地面へと堕ちる。

 見る見る地面に広がる、朱い溜り。

 ダルクの血。

 ライナの血。

 闇の血。

 光の血。

 二つの色が、混じり合う。

 見つめる魔達は、何もしない。

 出来ない。

 周囲に立ち込める、異様な空気がそれを許さない。

 まずい。

 まずい。

 まずい。

 本能が叫ぶ。

 泣き喚く。

 けれど。

 身体は、動かない。

 ドプ・・・ドプン・・・

 溜りゆく、光と闇。

 先に天から振り落ちた澱よりも、尚深い深淵。

 例えて言うなら、それは・・・。

 「何・・・ナノ?コレ・・・」

 リヴァイアニマの中から漏れる、エミリアの声。

 「出来ナイダロ・・・?何モ、出来ナイ筈ダロ・・・?」

 続くアバンスの声も、震える。

 「・・・儀式魔法(セレモニー・スペル)?融合術・・・?否、コレハ・・・」

 ソウルオーガの脳内を、ある可能性が過ぎる。

 しかし、微かに残った理性がそれを否定する。

 有り得ない。

 有り得るはずがない。

 あれは・・・。

 あの”召喚術”は・・・。

 彼の理性が、今一度否定の言葉を叫ぼうとした時―

 ドパァアアアアアッ

 立ち上がる、朱。

 交わる、光と闇。

 その向こうで、”彼ら”が言う。

 「許さない・・・。」

 「絶対に・・・。」

 「お前達は・・・」

 「もう・・・」

 

 消 え ろ 。

 

 そして―

 ゴパァッ

 ”混沌”が弾けた。

 

 

 「ヌゥ!?」

 目指す先から流れてきた気配に、ジェムナイト・ガネットは思わずその足を止めた。

 それは、彼がその存在を得てから一度も感じた事のない気配。

 昏く。

 深く。

 そして、虚ろ。

 今まで満ちていた邪気を、容易く飲み下す。

 「何だ・・・。これは・・・。」

 本能が叫ぶ。

 この先に、行ってはいけないと。

 しかし。

 彼が追い、そして護ると誓った少女。

 彼女は、まさにその先にいる。

 迷いは一瞬。

 再び走り出そうとした、その時―

 「ガネットさん!!」

 横道から聞こえてきた声が、彼の足を止める。

 見れば、自分に向かって駆けてくる小さな姿。

 「ラズリーか!?」

 「はい!!」

 ガネットの呼びかけに、瑠璃の少女は息を整えながら頷く。

 「サフィアの元にいたのでは、なかったのか?」

 「そのサフィアさんに言われました。ガネットさんの元に行けと。」

 「む、サフィアが?」

 「はい。必ずや、私の力が必要になると。」

 戦友の先見に、ガネットは苦笑する。

 「ふ・・・。あいつめ・・・。」

 しかし、綻んだ心はすぐに引き締まる。

 「どうやら、向こうはただならぬ状況の様だ。それでも、来るか?」

 ガネットの問いに、ラズリーは躊躇する事なく答える。

 「はい!!私も、誇り高きジェムの騎士です!!」

 「分かった!!行くぞ!!」

 「はい!!」

 そして、二人は再び地を蹴った。

 

 

 「お、おお・・・」

 歪んだ口から、上ずった声が漏れる。

 それは、恐怖か感嘆か。彼自身にも分からない。

 出来る事は、ただ一つ。震える視界で、その存在を凝視するだけ。

 彼らの前に佇む、ライナとダルク。

 その二人を護る様に、一つの人影が立っていた。

 それは、漆黒の鎧を纏った戦士。

 右手には大振りの剣。左手には重厚な盾。

 目深に被った兜から覗く顔は闇に沈み、表情を伺う事は出来ない。

 背丈は高いが、それでもリチュアの怪物達には及ばない。

 しかし、その身から漂う気配は彼らのそれを遥かに凌駕していた。

 彼―ソウルオーガは震える声で呟く。

 「・・・開闢ノ・・・使者・・・。」

 呼びかけとも取れるそれに、しかし答えは返らない。

 ”それ”はダラリと剣を下げたまま、ただ無言でそこにいる。

 「『開闢ノ使者』・・・!?」

 まとわりつく恐怖を払う様に、リヴァイアニマが口を開く。

 「マサカ・・・有リ得ナイ・・・!!」

 喋る呼気は、から風となり乾いた喉をヒュウヒュウと鳴らす。

 と、その空気を切り裂いて声が響く。

 「がすとくらーけ!!」

 声の主は、ソウルオーガ。

 「如何二”混沌”トハ言エ、所詮ハ存在アリシ者!!」

 叫ぶ。

 声を張り上げて。

 まるで、何かにすがる様に。

 「消シ去ッテヤ・・・」

 声は、最後まで続かなかった。

 ザスン

 背後から響く、重い音。

 「!!」

 振り向いたその先にあったのは、真っ二つになって崩れ落ちるガストクラーケの姿。

 「―オ・・オオ!?」

 驚きの声を上げかけたその瞬間―

 バキンッ

 一時の間も置かず響く、絶望の音。

 「・・・エ・・・?」

 返した視線の先には、折れた刀を手に、呆然と立ち尽くすリヴァイアニマ。

 その額から、ボトボトと落ちる黒い鮮血。

 「ア・・・アァ・・・」

 戦慄き、震える声。

 「エミ・・・リ・・・」

 「アバン・・・」

 共に、言葉を最後まで紡ぐ事は叶わなかった。

 ズシャア・・・

 湿った音を立てて、リヴァイアニマだったものは地へと崩れた。

 

 

 「・・・ぎゅぽ・・・ぎゅぽぽぽぽ・・・」

 全てを見ていたソウルオーガが、乾いた笑いを上げる。

 その視線の先には、影の様に佇む戦士の姿。

 二体の怪物を断ち割った剣には、一寸の曇りも浮いていない。

 キロリ・・・

 兜の奥で、光が揺らめく。

 ゾクリ

 身を貫く悪寒に、ソウルオーガが後ずさろうとしたその時、

 ユラリ・・・

 それの姿はもう、彼の前にあった。

 「ぎゅっ!?」

 引き攣る様な、声が漏れる。

 ボシュッ

 咄嗟に放つ、濁毒の水球。

 しかし、それは哀れな蟷螂の斧。

 バシュッ

 バシュッ

 バシュッ

 放ったそれは尽く叩き割られ、地へと散る。

 彼の目には、その剣閃すらも捉える事は叶わない。

 「ぎゅぽぽ・・・ぎゅぽ・・・ぽぽぽ・・・」

 笑いが、止まらなかった。

 恐怖があった。

 絶望もあった。

 だけど、それ以上に。

 歓喜があった。

 彼は、力を求めていた。

 焦がれていた。

 血族。

 財産。

 身体。

 そして、魂。

 力を得るがため、全てを捨てた。

 捨てるものがなくなれば、他者から奪い、それを捧げた。

 数多の血を捧げ。

 数多の命を捧げ。

 その代価として、力を求め続けた。

 それでも、渇望は止まらなかった。

 もっと。

 もっと。もっと。

 もっともっともっともっともっと。

 無間地獄の様な渇きの中で、彼は足掻き続けた。

 けれど。

 だけど。

 ”それ”が今、目の前にあった。

 圧倒的な。

 絶対的な。

 力。

 その権化。

 それを目の当たりにした喜びが、あらゆる”負”を凌駕した。

 「素晴ラシイ・・・。」

 彼は言う。

 怨嗟でも。

 負け惜しみでもなく。

 心からの賛辞を込めて。

 「繰ルカ・・・!!奏デルカ・・・!!」

 視線を向ける。

 ”それ”に。

 その向こうに立つ、二つの存在に。

 「”コレ”ヲ・・・。”混沌”ノ、力ヲ!!」

 彼女達は、何も言わない。

 握り締めた手から、混沌の血を滴らせ。

 彼を見ていた。

 昏く、冷めた目で。

 彼を見ていた。

 「素晴ラシイ!!素晴ラシイゾ!!」

 叫ぶ。

 ただ、叫ぶ。

 「見セテクレ!!モット、モット!!見セテクレ!!」

 恐怖と言う恍惚の中。

 満たされぬ渇きが、確かに癒されるのを感じながら。

 「力ヲ!!ソノ真理ヲ!!」

 ピクリ

 ”それ”が、初めて目に映る動きを見せた。

 ゆっくりと、手にした剣が上がる。

 「オオ・・・オオ・・・!!」

 手を伸ばす。

 まるで、神に救いを乞う様に。

 そして、振り下ろされる混沌の剣。

 ズシャアアアアアアアッ

 響きわたる斬撃。

 身体は、傷つかない。

 その代わり―

 バキャアァアアアッ

 悲鳴を上げて、背後の空間が裂ける。

 「オォ―――・・・」

 傾ぐ身体。

 開いた異空の裂け目が、彼を呑み込む。

 抵抗も。

 命乞いもなかった。

 彼はただ、見つめていた。

 全てをとして、己が求め続けたもの。

 その形を。

 その在り様を。

 最期の最期まで、見つめていた。

 耐え難き恍惚の中、彼は一言だけ呟いた。

 「アリ ガ ト ウ・・・」

 届いたのかは分からない。

 そもそも、誰に向けたのかも分からない。

 それでも、その一言だけを産み残し―

 ガシャアァアアアアンッ

 空間の、顎あぎとが閉じる。

 そして、ソウルオーガ―シャドウと呼ばれた存在は消えた。

 己が、望み見続けた想いの果てで。

 永遠に―

 

                                                                         続く

 



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27話

                   ―27―

 

 

 シュウ・・・シュウ・・・

 地に崩れた異形の亡骸が、酸で焼かれる様に溶けていく。

 鱗が剥がれ、触手が萎び、濁った血が揮発していく。

 やがて、溶け落ちた腐肉の中から現れるのは倒れ伏した二つの人影。

 一人は、マントを羽織った白髪の少年。

 もう一人は、鰭を模した法衣に赤色の髪を伸ばした少女。

 「う・・・」

 少年―アバンスの口が、呻きを漏らす。

 まだ、生きている。

 見止めた”二人”が、冷たい視線を泳がせる。

 それに答える様に、ユラリと動く黒鎧の戦士。

 『ライナ・・・』

 『ますたー、イケマセン・・・。ソレ以上、負ノ衝動二身ヲ任セテハ・・・』

 傷つき、地に落ちた使い魔達が必死の体で呼びかける。

 しかし、声は届かない。

 カチャ・・・

 ゆっくりと掲げられる、混沌の剣。

 それが、冷たい音とともにアバンスの首へと振り下ろされる。

 そして―

 ガシャアァアアアアン

 響いたのは、刃が肉を切り裂く音ではなく、硬質の物同士がぶつかる音。

 アバンスの首を跳ね飛ばす筈だった剣は、その間に滑り込んだ戦斧によって受け止められていた。

 「「・・・すまないが、それを成させる訳にはいかぬ・・・。」」

 戦斧の長柄を握り締めた手鎧が、ギチギチと軋む。

 剣を受け止めたのは、一人の騎士。

 屈強な体躯に、輝く深紅の鎧と真紺のマントを纏っている。

 尚も押し込まれる剣を、渾身の力で阻みながら赤の騎士―『ジェムナイト・ルビーズ』は声を張り上げる。

 「「そこな二人!!」」

 叩きつけられる様な声音。

 けれど、呼びかけられた二人―ダルクとライナは、昏い眼差しをアバンス達に向けたまま、何の反応も示さない。

 「「その衣装、ヒータ殿のご同輩とお見受けする!!」」

 ヒータ。

 その言葉に、反応があった。

 二人の身体が、ピクリと震える。

 「「この地を、これ以上血で汚さぬは彼女の想い!!貴殿らは、友でありながら其を無下とするおつもりか!?」」

 「ヒータの・・・」

 「想い・・・?」

 虚ろだった二人の瞳に、微かに光が灯る。

 「「今ここで成すべきは命を絶つ事ではない!!今ある命を救う事!!」」

 畳み込む様に、言葉をかける。

 「う・・・」

 「あぁ・・・」

 「「如何!!」」

 パシンッ

 二人の頭で、何かが弾ける。

 「・・・僕は・・・」

 「・・・ライナは・・・」

 ガクリ

 二人が同時に膝をつく。

 と、

 ユラリ

 混沌の戦士の姿が、陽炎の様に揺らいだ。

 ユラリ

 ユラリ

 ユラリ

 揺らぐ空間の中で、形を失っていく戦士。

 手にかかる負荷が軽くなるのを感じ、ルビーズは戦斧を引く。

 視線を戻した時、そこには色のない虚空が広がるばかりだった。

 それを見届け、息をつく。

 途端、

 「ヒータちゃん!!ヒータちゃん!!」

 「おい!!目を開けろ!!開けてくれ!!」

 二つの悲痛な声が、その耳を打った。

 見れば、ライナとダルクが倒れたヒータに取りすがっていた。必死に呼びかけ、その身を揺する。

 けれど、反応は一向にない。

 「ああ、どうしよう!!どうしよう!!」

 半狂乱で泣きじゃくるライナ。

 「くそ・・・!!王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)さえなければ・・・」

 ダルクは悔しげに呻くと、地面に拳を叩きつける。

 手の中で弱くなっていく、ヒータの鼓動。

 それを握り締め、ライナは叫ぶ。

 「嫌だ!!いかないで!!いかないで!!お願い!!お願い!!」

 その声が、狂気の気配すら感じさせ始めた時―

 「「失礼する。」」

 そんな言葉とともに、ライナ達の間に割って入るルビーズ。

 大きな手が、繊細な動きでヒータの首筋に当てられる。

 「「・・・いかんな・・・。」」

 眉を潜め、呟く。

 「「ラズリー、融合を解くぞ!!」」

 「「はい!!」」

 重なる、二つの声。

 次の瞬間、眩い光がライナ達の視界を覆う。

 驚く皆の前で、ルビーズだったものが二つに分かれる。

 一つは、朱鎧の騎士。

 一つは、騎装の少女。

 騎士―ジェムナイト・ガネットが言う。

 「ラズリー、頼む。」

 「はい!!」

 一拍の間も置かずに答えると、騎装の少女―ジェムナイト・ラズリーは地面に手をつき、念を込める。

 「・・・来たれ・・・。」

 地面に光が走り、その中から何かが浮かび上がってくる。

 「これは・・・」

 「召喚術・・・?」

 見つめるライナ達。

 その前で、光が何かを形取っていく。

 舞い踊る煌きが編み上げた存在。

 それは、眩い金色(こんじき)に輝く名も知れぬ武具。

 意思が在るが如く宙に舞い浮かぶそれを、ラズリーはそっと胸に抱く。

 「聖なる星の奇跡よ・・・。我に力を・・・。」

 呟く言葉。

 そして、

 「宝騎錬成(ジェムナイト・フュージョン)・・・。」

 「!?」

 瞬間、眩い輝きが辺りを覆う。

 狭まった視界の中で、皆は見る。

 はためく、純白のマント。

 羽ばたく、光の双翼。

 煌きの中かられた者に、ライナ達は息を呑む。

 そこにあったのは、澄み通る白金の鎧に身を包んだ天使の如き姿。

 「・・・綺麗・・・。」

 呟くライナに、彼女は優しく微笑みかける。

 ガネットが言う。

 「『ジェムナイト・セラフィ』・・・。星の力を継いだ、ラズリーのみが成せる奇跡・・・。」

 「星の・・・」

 「力・・・?」

 呆然と見つめるままの、ライナとダルク。

 その前に、フワリと降りるセラフィ。

 「「今しばし、ご辛抱を・・・」」

 言いながら、横たわるヒータの傍らへと膝まずく。

 そして―

 ブワッ

 光に象られた翼が、ヒータの身体を包み込む。

 「何を!?」

 驚くライナを、伸びてきた炎尾が制した。

 「吉くん!?」

 尾の主は、それまで無言でヒータの元に傅いていたきつね火。

 彼は光に包まれていく主を見つめながら、呟く様に言う。

 『・・・大丈夫だ。』

 「でも・・・」

 狼狽するライナを一瞥もせず、続ける。

 『・・・信じる。』

 「え・・・?」

 『某は、彼らを信じる。』

 一切の迷いなく、言い切る言葉。

 凛と座したまま、きつね火はその光景を見据える。

 その眼前で―

 「「創天星(クリエーション・トランスファー)・・・。」」

 静かな声が、優しく響いた。

 

 

 その光景を、マインドオーガスは信じられない思いで見つめていた。

 サラサラと音を立て、崩れていく拘束具。

 風に吹き散らされていく、その向こう。

 観喜に踊る様に渦巻く青い流れの中、抱き合う二つの影が見えた。

 「・・・ギゴ・・・。」

 青髪の少女が、胸の中の存在に呼びかける。

 『エリア・・・ごめん・・・』

 その時の記憶を、残しているのだろう。

 彼女に視線を合わせる事も出来ず、小さな彼はただ震えるだけ。

 「いいの・・・。戻って来てくれて、ありがとう・・・。」

 抱き締める。

 その温もりに答える様に、抱きしめ返す。

 ―と、

 「・・・フザケンナ・・・」

 おぞましい、声が響く。

 「揃イモ揃ッテ、馬鹿二シヤガッテ・・・。」

 ガシャリ

 軋む音を立てて、節くれだった脚が蠢く。

 「ぎでぃ・・・。アンタ、裏切ルツモリ・・・?」

 怒りに震える巨体を引きずりながら、彼女は迫る。

 「忘レタカ・・・?」

 ギシギシと牙を鳴らしながら、少女の口が問う。

 「誰二命ヲ拾ワレタカ、忘レタカァ!?」

 吠える。

 ありったけの、憎悪を込めて。

 けれど、それを受けながら彼は真っ直ぐに彼女を見返す。

 『・・・その事は、感謝するよ。けど・・・』

 キッ

 その眼差しが、鋭く光る。

 『魂まで、救われた訳じゃない!!』

 「!!」

 凛とした叫び。

 顔を歪める、マインドオーガス。

 『今までの事で、借りは返した!!今度は、”お返し”の番だ!!』

 そう言って、彼―ギゴバイトはエリアの腕の中から飛び降りる。

 「上等ダヨ・・・。」

 響く、怨嗟の声。

 「ナラ、モウ一度アノ世ヘ戻リナァ!!」

 ビュバァッ

 空気を引き裂き、マインドオーガスの脚が槍の様に襲いかかる。

 『エリア、憑依装着!!』

 「ええ!!」

 ピッタリと合わさる、二人の息。

 清冽な水柱が彼らを包み、濁った空に飛沫を散らす。

 その中から現れるのは、羽衣を纏ったエリアと戦いの身と化したギゴバイト。

 「今更ソンナモノガ、何二ナルゥ!!」

 構わず迫る槍脚。

 『!!』

 咄嗟に手をかざす、ギゴバイト。

 途端―

 バチィッ

 その手から青白い光が走り、マインドオーガスの脚を撃つ。

 「―――痛ッ!?」

 思わず脚を引く、マインドオーガス。

 その脚には、ジンジンとまとわりつく様な疼きが残る。

 感電したのだと悟るのに、時間はかからなかった。

 「ナ・・・何ヨ、コレ!?」

 狼狽する彼女の前で、エリアもまた目を丸くする。

 「ど・・・どうしたの?ギゴ!」

 『いや・・・僕にも何が何だか・・・』

 バチバチと帯電する身体。

 自身も戸惑いの声を上げる。

 『・・・何か、色々いじられたからね。その影響かも・・・。』

 「大丈夫なの?」

 気遣うエリアに、彼は頷く。

 『ああ、どうって事ない。それどころか・・・』

 ブンッ

 腕を振る。

 バチバチバチッ

 放たれた電撃が、凪ぐ様に地面に焼け跡を残す。

 『結構使えるぞ。これ。』

 「ギゴ、凄い!!」

 感嘆の声を漏らすエリア。

 『うん。ギゴバイトじゃなくて、『ジゴバイト』ってところかな?』

 「何それ?センス悪ぅ!!」

 コロコロと笑うエリア。

 『何だよ。ヒドイなぁ。』

 ジゴバイトも、バツが悪そうに笑う。

 「何笑ッテンダ!!」

 激高の声とともに、襲いかかるマインドオーガス。

 しかし―

 バチバチバチッ

 ジゴバイトの手から放たれた電撃が、その身を阻む。

 「コ・・・コノ!!」

 たたらを踏むその脇に滑り込む、青い影。

 「蒼の麗槍(アジュール・ソヴァジヌ)!!」

 麗水の様に響く声。

 同時に、水流を纏った鋭い刺突が硬い鱗を削る。

 「くっ!!」

 「どこ見てるの!?足元がお留守よ!!」

 「コノ(あま)ァ!!」

 横殴りに振られる脚。

 しかし、間に滑り込んだリバイバル・スライムがそれを防ぐ。

 「ちぃっ!!」

 「ギゴ!!」

 『了解!!』

 合わさる声。

 バチィッ

 エリアの水槍が、電撃を纏う。

 『これで!!』

 「どうだ!!」

 ギュララララララッ

 水と雷が渦を巻き、マインドオーガスの土手っ腹に突き刺さる。

 「がぁあああっ!?」

 ねじ込まれる様に吹っ飛ぶ巨体。

 ガシャアアアアアッ

 そのまま半壊した家屋に突っ込み、瓦礫に埋まる。

 『や・・・やったんか!?』

 それを見たデーモン・イーターが身を乗り出すが、その言葉をアウスが否定する。

 「いや・・・まだだ!!」

 途端―

 ゴボォアアアアアアッ

 瓦礫の山を吹き飛ばし、青く濁った炎がエリア達に襲いかかる。

 『エリア!!』

 「クッ!?」

 エリアを庇う様に抱き込むジゴバイト。

 その二人をリバイバル・スライムが包むのと、濁蒼の炎が呑み込むのは同時だった。

 ガラガラガラッ

 瓦礫の中から這い出す、マインドオーガス。

 口から溢れる血を拭い、凶気の宿った目でエリア達を見据える。

 「調子コイテンジャネェゾ!!蚊蜻蛉共ガァアアアッ!!」

 叫びと共に、炎がその勢いを増す。

 『く・・・!!』

 「動けない・・・!!」

 吹き付ける炎は、絶対零度の氷獄の息吹。

 圧倒的な圧力をもって、エリア達を押し包む。

 リバイバル・スライムが限界まで身体を広げて遮るが、その身体もピシピシと凍てつき始める。

 「コノママ、血ノ一滴マデ氷漬ケニシテヤルヨ!!」

 その可憐な顔を凶喜に歪め、マインドオーガスは雄叫びを上げる。

 『ク・・・』

 「この・・・」

 ついにリバイバル・スライムが氷結し、刃の様な冷気がエリア達を侵し始める。

 『エリア・・・大丈夫か・・・?』

 「大丈夫・・・こんなの、トリシューラの冷気に比べれば屁でもないわ・・・。」

 そう言って、自分を抱き締める彼に向かって微笑みかける。

 「大丈夫・・・。貴方が一緒なら、どんな事になっても、あたしは平気・・・。」

 『エリア・・・。』

 ジゴバイトの手を、冷え切った手が握り締める。

 「・・・放さないでね・・・。」

 『・・・ああ。もう、絶対に放さない・・・。』

 凍てつきながらも離れない、小さな手。

 それを強く、強く握り返す。

 「あたし達は・・・」

 『僕達は・・・』

 ゆっくりと近づく、二人の顔。

 互いの唇が、触れ合う。

 「『一つ・・・』」

 そして、鼓動までもが重なって―

 

 ―魂魄同調(オーバーレイ)

 

 ズバァアアアアアッ

 「きゃあぁあああっ!!?」

 突如立ち上がった光に目を射られ、マインドオーガスは悲鳴を上げた。

 狭まる視界。

 涙に潤むその向こうに、目を凝らす。

 そこに映ったのは、散り散りに消え飛ぶ氷獄の炎。

 そして、その中から立ち上がる一つの影。

 「ナ・・・何・・・?」

 答えはない。

 ただ、白い呼気がフシュウと漏れる。

 今だ煌く光を背に立つ姿。

 それは、純白の鎧に身を包んだ闘士。

 佇むだけのその身体から放たれる覇気が、マインドオーガスを威圧する。

 「何ヨ・・・。」

 戦慄く唇が呟く。

 「何ダッテノヨォオオオオオッ!!?」

 悲鳴にも似た咆哮は、濁った空に虚しく響いて溶けた。

 

 

 彼らは、一つだった。

 個々の意識は、確かにある。

 けれど、彼らは間違いなく一つだった。

 【ギゴ・・・】

 彼女が言う。

 【あたし達、どうなっちゃったの・・・?】

 彼も言う。

 【分からない・・・。けど・・・】

 絶望は、なかった。

 恐怖も、なかった。

 ただ、熱い程に沸る温もりと、感じた事もない力が漲っていた。

 鼓動を感じる。

 溶け合う様に同調する、”三つ”の心音。

 魂の、音色。

 【・・・・・・?】

 気付く。

 自分達を護る様に流れる、もう一つの意識。

 【・・・そうか・・・。】

 感覚の指を伸ばす。

 それが、”彼”に触れた。

 【あなたも、力を貸してくれたのね・・・。ライム・・・。】

 リバイバル・スライムの意識が、嬉しそうに頷く。

 一緒に微笑む、二人の意識。

 と、その身が雑音を感じた。

 意識を向ける。

 おぞましい叫びを上げながら、向かってくる妖魚の姿が映る。

 【・・・エリア・・・】

 静かに呼びかける、意識。

 【うん・・・。大丈夫・・・。】

 穏やかに頷く、意識。

 【もう、何も・・・】

 三つの想いが、重なる。

 

 【怖くない!!】

 

 ギンッ

 白銀の闘士の目に、光が走った。

 

 

 ”それ”に突進しながら、マインドオーガスは叫ぶ。

 「何二”変ワッタ”ノカ知ラナイケドォッ!!」

 白い鎧を噛み砕こうと、その口を開く。

 「覚醒モシテナイ、デクノボウナンカァアッ!!!」

 飛びかかる。

 本能が告げていた。

 この機を逃せば、後はないと。

 「あたしハァ、コンナ所デ終ワラナインダカラァ!!」

 死の(あぎと)を、渾身の力を込めて振り下ろす。

 しかし―

 ガクンッ

 その牙が、届く事はなかった。

 「ひっ――」

 双眼が、恐怖に見開く。

 闘士の左腕が、ただ一本で彼女の牙を受け止めていた。

 兜の奥の瞳が、ギラリと光る。

 ギリギリギリッ

 力強く握り込まれる、右の拳。

 それが、眩い輝きに包まれる。

 

 【いっけぇえええええ―――っ!!!】

 

 響く雄叫び。

 グシャァアアアアアッ

 覚醒の勇士。

 その拳が、禁呪の邪神を撃ち貫く。

 「ギャアァアアアアアアアアア―――――ッ!!!」

 炸裂する煌き。

 粉々に砕ける、マインドオーガスの身体。

 飛び散る鱗。

 折れ飛ぶ脚。

 その中を、ボロボロになったリチュア・エリアルの身体がキリキリと舞う。

 「ヴァニ・・・ティ・・・」

 霞む視界が、冷淡に見下ろす彼の姿をほんの一瞬だけ映す。

 そして、彼女の意識は闇に落ちた。

 

 

                                 続く



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28話

                  ―28―

 

 

 暗い曇天の下に、鈍色の鱗がキラキラと散る。

 それはほんの少し宙を舞うと、地に伏した少女の身に降り積もる。

 その様はまるで、力尽きたその身をを悼む様に見えた。

 【・・・終わったな・・・。】

 ”彼”の中のジゴバイトが言う。

 【うん・・・。】

 答える少女の意識は、何処か悲しげに響く。

 【エリアル・・・】

 呼びかける。

 【何がアンタを歪ませたのかは知らないけど、アンタのやった事は許されない。だから・・・】

 彼女の意思に従って、”彼”が屈む。

 無骨な指が、横たわるエリアルの口についた血を拭う。

 【今は、眠りなさい。目が覚めたら、思いっきり怒鳴り飛ばしてやるから・・・。】

 それは、歪んでしまったかつての同胞に送る精一杯の想いだった。

 

 

 「「・・・どうやら、決まった様だな。」」

 「うん・・・。」

 アクアマリナの言葉に、アウスが頷く。

 「「これで、残るは・・・」」

 「・・・・・・。」

 二人は揃って空を仰ぐ。

 その視線の先。

 羽ばたき蠢く、無数の妖魚。

 切れ間さえない闇の中、一条の光の様に若葉色の風が舞った。

 

 

 「・・・勝負、あったみたいだね・・・。」

 傷だらけの腕で杖を構えながら、ウィンは目の前のヴァニティにそう語りかける。

 「・・・ふむ。」

 黒衣から覗く手を顎に当てながら、ヴァニティは辺りを見回す。

 「確かに、こちらの駒はあの有様。シャドウ達も、音沙汰がないところを見るとやられた様だな・・・。全く、不甲斐ない事だ・・・。」

 そう言って、ため息をつく。

 「物分りがいいね・・・。なら、早くこの子達つれて村から出てって!!」

 迫るウィン。

 しかし、ヴァニティは酷薄な笑みでそれに返す。

 「ふ・・・。見え透いた虚勢はよせ。手がないのは、お前も同じだろう?先刻から防御にだけ回っているのは何故だ?」

 かけられた言葉に、表情を固めるウィン。

 「憑依開放(その術)、どうやら高めるのは防御力だけの様だな。守りだけ固めた所で戦況が揺るがないのは、お前の仲間が証明済みだろう。」

 言いながら見下げる先には、こちらを見上げるアクアマリナ達の姿。

 「・・・そう思う・・・?」

 呟く様に、ウィンが言う。

 「憑依開放(これ)が防御に特化するのは、霊使い(この)状態の時だけだよ・・・。憑依装着すれば、この魔力磁場は攻撃力に変換される・・・。そうすれば、アンタなんか・・・!!」

 「ならば、何故それをしない?」

 「!!」

 笑うヴァニティ。

 漆黒の瞳が、見透かす様にウィンを射抜く。

 「分かっているぞ。お前は、自分の下僕達を気遣っているのだろう?」

 「う・・・」

 「お前がその状態でいる限り、接する下僕達もその魔力磁場によって守られる。しかし、それを解けばそいつらは瞬く間にキラーの餌食だ。」

 キィ・・・

 『く・・・』

 悔しげな声を上げる、ウィング・イーグルとプチリュウ。

 「難儀な事だな。仲間など、戦いにおいては足枷以外のなにものでもないだろうに。」

 嘲る彼を、ウィンは強い眼差しで睨みつける。

 「そんな事ない!!仲間がいるから、わたし達は頑張れる!!守るべき人達がいるから、わたし達は強くなれるんだ!!」

 「詭弁だな。」

 ウィンの叫びを、ヴァニティは一蹴する。

 「それほど言うのなら・・・」

 そう言いながら、黒衣の術者は両手を広げる。

 その背後で、展開する妖鏡の魔法陣が怪しく光る。

 そして―

 ザワ・・・ザワザワザワ・・・

 「――――っ!?」

 場の皆が、思わず息を呑む。

 輝く魔法陣が吐き出したのは、先の何十倍にも及ぶ数のキラーの群れ。

 ボトボトと溢れる妖魚達は、次々とその大鰭を広げて舞い上がる。

 そのままウィン達に襲いかかると思いきや、群れを成したそれは別の方向へと向かい始めた。

 「え!?」

 『こいつら、何を!?』

 呆気にとられる皆の前で、キラー達の群れは渦を巻く様に流れいく。

 その方向に気づいたアウスが叫ぶ。

 「まさか、療養所を!?」

 「「何!?」」

 【ちょ、何よそれ!!】

 真っ青になったウィンが声を張り上げる。

 「何するの!?相手はわたし達でしょう!?」

 「それは、そっちの勝手な思い込みだろう?」

 能面の様に白い顔が、楽しげに歪む。

 「相手の弱点、弱みを狙うは兵法の初歩の初歩。」

 せせら笑いながら、彼は言う。

 「さあ、お決まりの選択だ。」

 ウィンを指す、白い指。

 「その術を解いてもらおう。さもなくば、あそこにいる村人全てを喰い尽くす。」

 凍りつく、皆の顔。

 それを見て、ヴァニティは初めて声を上げて哂った。

 

 

 その頃、村の療養所では村人達が恐怖に震えていた。

 「何!?あのモンスター!?」

 「ものすごい数!!」

 「こっちに来るわ!!」

 狼狽える皆に、ムストが激を飛ばす。

 「皆、落ち着け!!女、子供、そして怪我人は建物の奥へ!!戦える者は武器をとれ!!この村は、ガスタ(我ら)の手で守るのだ!!」

 「おお!!」

 「ガスタの名にかけて、もう醜態は晒さん!!」

 口々に言いながら、武器を手に取る男達。

 陣を組む彼ら目指して、迫り来るキラー達。

 と、気味の悪い声が皆の耳を打つ。

 「クププププ・・・。無駄な事を・・・。」

 皆の目が、振り向く。

 声の主は、ヴィジョン・リチュア。

 鎖で雁字搦めにされた彼は、その顔を歪ませながら言う。

 「あの数のキラーを前に、烏合の貴方達に何が出来るというのです?」

 「ぬ・・・。」

 「無理、無駄、無謀!!千切り、裂かれ、喰われる!!最後の一人、血の一滴まで、我らがリチュアの糧となる!!それが、ガスタ(貴方達)の変わらぬ宿命!!」

 タガの外れた様に響く哄笑が、村人達を蝕んでいく。

 踏みとどまろうとする、彼らの心。

 それを喰い崩す様に、ヴィジョンの声が鳴る。

 「クパパパパパッ!!さあ、焼き付けなさい!!今のこの情景を!!それが貴方達にとっての・・・モガッ!?」

 唐突に途切れる、その言葉。

 見れば、大きく開いたその口に、これまた大きなパンがポクリとハマっていた。

 「モ・・・モガ、モゴ・・・」

 「みっともないなぁ。男の軽口なんて、吐くだけ空気の無駄だよ。」

 「厶、ムガゴ・・・ムガガ!?」

 「ほら、くだらない事喚く口はこれかこれかこれか!?」

 ボタボタボタ

 雪崩る様に降るパンの山が、見る見るヴィジョンの口に積もる。

 「モゲガ―――ッ!!!」

 無数のパンに気道を塞がれたヴィジョン。

 哀れ、成す術なく白目を剥いて沈黙する。

 「ああ、やっと静かになった。」

 泡を吹いてピクピクしているヴィジョンを見下ろし、”彼女”はフンスと腰に手をやる。

 と、そんな彼女の後ろから現れる影が一つ。

 「おいおい。抵抗出来ない者に、あまり無茶をするな。」

 諌める”彼”と、肩を竦める”彼女”。

 その姿を見た村人達から、歓声が上がる。

 「お主達・・・」

 感極まった様に息を漏らすムスト。

 そんな彼に向かって、”彼”は微笑みながら声をかける。

 「すまない。苦労をかけてしまった。後は、私達に任せてくれ。」

 「そんな事はいい。いいのだ。それよりも、あの娘が・・・ウィンが・・・。」

 「分かってます。ムスト様。」

 そう言って、”彼女”は空を仰ぐ。

 「風が、全てを見せてくれました。・・・強く、なったんですね。あの娘・・・。」

 「・・・!!」

 ムストが無言で頷いた、その時、

 「来たぞー!!」

 誰かが、叫ぶ声が聞こえた。

 見れば、療養所の上空を覆ったキラーの群れが、今まさに雪崩落ちてこようとしている所だった。

 凛とした声で、”彼”が言う。

 「行くぞ!!ウィンダ!!」

 ”彼女”が答える。

 「はい!!お父上!!」

 同時に天を突く、二本の神杖。

 舞い上がる、緑翠の翼。

 そして―

 「「神化降霊(カムイ・エク)!!」」

 ゴバァッ

 輪唱する言葉とともに立ち上がる、二条の風柱。

 清く、けれど強く吹き荒ぶ。

 悲鳴を上げる妖魚達。

 神の嵐はそれを片端から呑み込み、撃ち散らしていった。

 

 

 「何!?」

 ヴァニティの顔が、初めて色を変える。

 見れば、療養所を襲う筈のキラーの群れが突然吹き上がった暴風に次々と蹴散らされていく。

 風は巨蛇の様にうねり、渦巻き、荒びながらこちらに向かって来る。

 「あれは・・・まさか・・・!?」

 呟くウィンの髪を、風が揺らす。

 身を抱く、その感覚。

 見上げるその前で、風の道が弾けた。

 空を覆う、鳳の翼。

 夢でも見るかの様に、呟く。

 「・・・『イグルス』に、『ガルドス』・・・。それじゃあ!!」

 彼女の言葉に答える様に、声が降る。

 「そうだよ!!ウィン!!」

 「久しいな。旅の目的は、果たしたか?」

 緑翠の翼の上から覗く顔。

 ウィンの顔が、喜びに咲く。

 「お父様!!ウィンダお姉ちゃん!!」

 場所の問題さえなければ、今すぐにでも飛びつきそうな勢い。

 「治ったんだね!?」

 かけられる言葉に、ウィンダが微笑む。

 「貴女のおかげ。頑張ったね。」

 満開の華の様に綻びた顔で、ウィンは頷く。

 「来るぞ!!ウィンダ!!」

 再会に踊る二人の心を、ウィンダールの声が引き締める。

 見れば、ヴァニティの展開する魔法陣から新たなキラーが湧き出していた。

 「ガスタの賢者と巫女か・・・。大人しく寝ていれば良いものを・・・。」

 憎々しげに呟くヴァニティに向かって、ウィンダールは笑う。

 「悪いな。黙って大人しくしていられるほど、人間が出来ていないものでね。」

 「ほざけ!!」

 ヴァニティの叫びに応じる様に、キラー達が襲いかかる。

 「行くぞ!!イグルス!!」

 「ガルドス、お願い!!」

 キィイイイイイッ

 ピィルルルルルルルッ

 主達の思いに答え、二羽の神鳥は雄叫びを上げる。

 「『神の渦(カムイ・モレウ)』!!」

 「『嵐の刃(ルヤンベ・マキリ)』!!」

 ゴブァッ

 キシュシュッ

 羽ばたく緑の双翼。

 嵐の渦がキラー達を呑み込み、風の刃が叩き落とす。

 見る見るその数を減じていくキラー達。

 「お父様!!お姉ちゃん!!」

 妖魚の群れを相手に風神の如き奮闘を見せる二人に、思わずウィンが身を乗り出したその時―

 「!!」

 ウィンダールとウィンダ。二人の視線が、ウィンを見た。

 その意図を、彼女は瞬時に悟る。

 「小賢しい・・・!!」

 風に弾かれて飛んできたキラーを片手で叩き落としながら、ヴァニティは言う。

 「いくら足掻こうと、王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)がある限り、貴様らは片翼をもがれた鳥も同然!!いずれは疲れ果て、この物量に圧し潰されるが関の山よ!!」

 「そうかな?」

 不敵に笑むウィンダール。

 次の瞬間、ヴァニティに向かって突っ込む。

 鋭く突き出された杖が、朱い光を纏う。

 「貫け!!『ガスタの風塵(ガスタ・ヌプル)』!!」

 「罠魔法(トラップ・スペル)か!?」

 咄嗟に対滅罠(カウンター・トラップ)の発動を試みるヴァニティ。

 しかし―

 「何!?」

 展開しかけた術式が、杖が散らす朱い燐光に触れた途端崩壊する。

 「強制キャンセルだと!?」

 「どうだ?自分のお株を奪われた気分は。」

 交錯する、二人の言葉。

 そして―

 ドズゥッ

 「グハァッ!?」

 薄い唇から飛び散る鮮血。

 ウィンダールの杖が、ヴァニティの腹部に抉り混んでいた。

 グラリ

 たまらず体勢を崩す。

 その視界の隅に、朱い魔法陣を展開する少女の姿が映る。

 「――っ!!させぬ!!」

 咄嗟に一匹のキラーを差し向ける。

 けれど。

 「大気に宿りし偉大なる御霊!!我が祈りに答え、其が意思を示せ!!」

 清く響くは、巫女の詠唱。

 鮮やかな円を描く、蛍緑の光。

 使えないはずの、通常魔法(ノーマル・スペル)

 次の瞬間、

 「『ガスタの交信(ガスタ・ハウ)』!!」

 ピシャアァアンッ

 天を降る、一条の光。

 雷神の一撃が、ウィンに迫るキラーを粉砕する。

 (王宮の勅命(エンペラーズ・トレアニー)までもか!?)

 光の風塵の中、沈黙する封呪の結界。

 歯噛みする、ヴァニティ。

 賢者と巫女が叫ぶ。

 「ウィン!!」

 「今よ!!」

 それに答える様に、ウィンは杖を振り下ろす。

 渾身の、想いと力を込めて。 

 「いっけぇえええええ!!『砂塵の大竜巻(ダスト・トルネード)』!!」

 ゴバァアアアアアアアアッ

 猛り立つ、破術の旋風。

 その威力に、禁呪の結界が悲鳴を上げる。

 「おのれぇえええええええっ!!」

 虚しく木霊する叫び。

 杖を振り抜くウィンダール。

 薙ぎ払われた黒衣の術師が、血反吐を散らしながら地に落ちる。

 同時に、吹き荒ぶ風の中で『』が微塵と散った。

 

 

                                    続く



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29話

                 ―29―

 

 

 堕ちゆく視界の中、崩壊していく紅い結界。

 それに自分達の謀略の瓦解を重ねながら、それでも足掻く様に彼は叫んだ。

 「喰いつくせ!!キラー共ぉ!!」

 その声に反応する様に、残っていたキラー達が再び蠢き始める。

 しかし―

 「もう―」

 「無駄だ!!」

 凛とした声と共に、緑翠の神鳥が舞い踊る。

 羽ばたく羽に。

 巻き起こる風に。

 キラー達は次々と叩き落とされ、地べたを這う。

 リチュア・キラーの脅威はその物量。

 圧倒的な数で覆い込み、押し潰し、喰らい尽くす。

 しかし、それは逆に言えばあくまで数に頼った単純な戦術しか取れない事を意味する。

 キラー一体一体は、あくまで貧弱な低レベルモンスターでしかない。

 頼みの綱の数が減じれば、その弱点は容易に顕になる。

 その物量を支えていたヴァニティが討たれた今、頼みの召喚術はすでにその効果を失っている。

 供給源を絶たれたキラー達に、最早勝機など在る道理はなかった。

 せめてもの道連れにと、疲弊したウィンやアウス、今だ身動きの取れないカームやスフィアードへと殺到する。

 しかし、それも窮鼠のひと噛みにすらなりえない。

 彼女達を守るため、2体のダイガスタやガガギゴ、アクアマリナが立ち塞がる。

 成す術なく、右往左往するキラー達。

 そして、そこに最後のダメ押しが突き刺さる。

 「『雷鳴(サンダー・ハウル)』!!」

 「『黒の宝珠(ブラック・コア)』!!」

 「『炎の飛礫(ファイヤー・ボール)』!!」

 次々と響く声と共に、三色の色が空を彩る。

 雷(いかづち)に撃たれ、闇に呑まれ、炎に焼かれ。

 バタバタと堕ちるキラー達。

 そして―

 「「『焦熱の閃(ブレイズ・シュトローム)』!!」」

 紅蓮を纏った戦斧が渦を巻き、残ったキラー達をまとめて叩き落とした。

 「「む!?」」

 「これは!?」

 驚いた面々が視線を向けた先には、4つの人影。

 「・・・やあ、遅いじゃないか・・・。」

 「ライちゃん!!ダル君!!ヒーちゃん!!」

 「「貴殿か。ルビーズ。」」

 各々が、それぞれの形で喜びを伝える。

 受ける面々も、それぞれの顔で安堵の息をつく。

 「「うむ。待たせたな。」」

 「ふぅえええ、まにあったですぅ~。」

 「・・・って言うか、もうカタついてたっぽいぞ・・・。ついてない・・・。」

 「皆無事・・・みてぇだな。とりあえず。」

 駆け寄ってくるヒータ達。

 迎えるウィンやアウス。

 空では、二羽のダイガスタが舞っている。

 地では、落ちたキラー達が力無く蠢いている。

 魔魚は滅び、神鳥は蘇る。

 それはそのまま、二つの勢力に訪れた結末。

 村を包んでいた妖気は消え、いつしか穏やかな風が戻り始めていた。

 

 

 「あ~、ウィンちゃん~!!ごぶじでよかったですぅ~!!」

 地に降り立ったウィンに、ライナが半泣きで抱きつく。

 「く、苦しいよ。ライちゃんってば。」

 口ではそう言いながら、ウィンはその身をしっかりと抱きとめる。

 傷だらけの顔を突き合わせ、笑い合う二人。

 その横では、ヒータがへたりこんでいるアウスに声をかける。

 「よお、大丈夫か?」

 「おかげさまで・・・。見ての通りの有様さ。」

 「珍しいな。お前のそんな様見れるなんて。長生きはしてみるもんだねぇ。」

 意地悪く笑うヒータ。

 けれど、アウスも同類の笑みを浮かべながら言う。

 「”死に損ねてみる”の間違いじゃないのかい?」

 「あん?」

 言われて、アウスの指が示す先を見る。

 それが指すのは、自分の胸元。そこには、塞がったばかりの大きな傷跡が一つ。

 もっとも、アウスが指しているのはそこではない。

 地肌に傷がついているという事は、当然そこを覆っていた衣服も同程度に裂けている訳で・・・。

 元々露出の多かった衣装はますます生地が減り、無理やり絞り上げた残りのそれを胸の辺りで縛っている。

 半身を露に晒したそれは、ほとんどビキニの水着である。

 「随分と、扇情的な格好をしているじゃないか。男子諸君には些か毒じゃないかな?」

 その指摘に、薄く頬を染めながらヒータは言う。

 「しょうがねえだろ?場合が場合で、着替えを調達する暇なんてなかったんだから。」

 膨れるヒータに向かって、アウスはくっくっと笑った。

 「・・・お前、エリアか・・・?」

 【あ~、うん。そうみたいね。一応・・・。】

 唖然とした顔で見上げてくるダルクを前に、ガガギゴの中の”彼女”はポリポリと頭をかきながら答える。

 「・・・何か、随分と大事(おおごと)になってる様に見えるんだが・・・」

 【大事っちゃあ、大事ねぇ・・・。】

 「・・・取り敢えず、元に戻ったらどうだ・・・?」

 ダルクの提案に、しかし彼女”達”は首を捻る。

 【そうは言ってもねぇ・・・。戻り方が分かんないのよね。これ。】

 「・・・落ち着いてる場合か・・・。」

 顔を引きつらせるダルク。

 けれど、”彼女”はあくまで平然と答える。

 【あたしは別に構わないんだけど。このまんまで。】

 「はあ!?」

 【だって、何かいい感じなんだもん。これ。ギゴとの一体感がたまんないって言うか。】

 「あのな・・・。」

 何げに赤面ものの発言をする”彼女”に、米神を抑える。

 『あのさ・・・』

 『アナタハ・・・』

 『それで・・・』

 『宜しいのか?』

 『ギゴはん。』

 集まって来た他の使い魔達も、ガガギゴの中の”彼”に向かって尋ねる。 

 【え?あ、いや、それは・・・】

 しどろもどろで答える”彼”の声。

 と、

 【もちろん、無問題よねー!!】

 【むぎゅー!?く、苦しいって!!エリア!!】

 聞こえてくる、そんなやり取り。

 『・・・なんか・・・』

 『オ超エ二ナラレタ様デスネ・・・。』

 『何と申すか、その・・・』

 『色々と・・・。』

 『仲良きことは美しきかな・・・でっか・・・?』

 そして、使い魔達はダルクと一緒に米神を抑えるのだった。

 

 

 「ウィンダちゃん~。ウィンちゃんの所には行かないの~?」

 ガルドスから降りたウィンダに介抱されていたカームが、彼女に向かって訊ねる。

 「うん・・・。何て言うか、入って行き辛いかな?あの中には・・・。」

 ウィンと彼女の周りの輪を見ながら、ウィンダは少し寂しそうに答える。

 「あの娘はもう、ガスタの加護を受けるだけの娘じゃない・・・。新しい絆を結んだ、立派な一人の術師・・・。」

 羨望するかの様に細まる、緑の瞳。

 「保護者はもう、一線を退かなくちゃね・・・。」

 「ウィンダちゃん・・・。」

 ニコリと笑うその目尻に、光る滴が一つ。

 カームは黙って手を伸ばし、そっとそれを拭った。

 

 

 「大事はないか?リーズ。」

 そう言いながら、手を差し伸べるウィンダール。

 「・・・すいません。長・・・。『疾風』の名をいただいておきながら、ザマァない・・・。」

 彼の手を借りながら身を起こしたリーズが、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 そんな彼女に向かって、ウィンダールは穏やかな笑みを浮かべながら言う。

 「何を言う。私達が臥せっている間、お前は十二分に役目を果たしてくれた。その名に恥じる事は、何もない。」

 「長・・・。」

 「・・・そうだよ・・・。」

 割り込んできた声に、二人が視線を向ける。

 そこには、力無く佇む少年の姿。

 「カムイ・・・。」

 リーズが、呟く様にその名を呼ぶ。

 「姉ちゃんは、オレを守ってくれた・・・。必死に村を、守ろうとした。恥じる事なんてない・・・。だけど・・・だけど!!」

 ギリリ・・・

 小さな手が、白くなる程に握り込まれる。

 「・・・オレは、違う・・・」

 血の気の失せた唇が、うわ言を言う様にパクパクと言の葉を紡ぐ。

 「・・・オレは間違った・・・。怒って、自分を忘れて・・・憎んで・・・目を曇らせて・・・。風の声を聞かずに・・・関係ない人を傷つけて・・・殺しかけて・・・しまいには、ファルコの羽まで汚してしまった・・・。」

 クゥ・・・

 彼の足元で、ガスタ・ファルコが悲しげに喉を鳴らす。

 「もう・・・オレに『ダイガスタ』を駆る資格なんて・・・ない!!」

 ガバリ

 カムイが、ウィンダールの足元に両手を付く。

 「長・・・!!お願いです!!どうか・・・どうかオレから、ダイガスタを奪ってください・・・!!」

 「カムイ、何を・・・!?」

 驚くリーズを制すると、ウィンダールはカムイの前に膝を下ろす。

 「・・・すまない。」

 「・・・え・・・?」

 思わぬ言葉に、顔を上げる。

 自分を真っ直ぐに見つめる、ウィンダールの眼差しと目があった。

 戸惑うカムイに向かって、ウィンダールは言う。

 「私は、お前の・・・お前達の両親を救えなかった。その事がお前の眼を曇らせ、心を濁してしまった。」

 「・・・!!」

 心臓が跳ねた。

 声は出ない。

 代わりに、ヒュッと引きつる様な呼吸が漏れた。 

 ウィンダールは続ける。

 「許しは乞わない。いかなる怒りも受け止めよう。その上で、お前に言いたい。」

 一拍の間。

 そして、風の長は言う。 

 「目を、逸らさないでくれ。」

 「・・・え・・・?」

 「確かに、お前は過ちを侵した。それは、許されるべきものではないかもしれない。だが、それから逃げないで欲しい。」

 ウィンダールの右手が、カムイの頬を包む。

 亡き父のそれにも似た温もりが、染みていく。

 「此度の事で、お前は知った筈だ。奪われる、悲しみも。奪う、愚かしさも。」

 「・・・・・・。」

 頭を、身体を、数多の記憶と想いが巡る。

 腕の中で冷たくなっていく、両親の身体。

 エリアを突き落とした時の、醜悪な感触。

 無くす事も、捨てる事も出来ない、心の傷。

 「それを、受け止めろ。喜びも、悲しみも。光も、闇も。どちらか一方だけでは人は歪んでしまう。二つの想いを受け止め、受け入れた時、”ヒト”と言う生物は初めて”人間”という存在になれる。」

 優しく、けれど強く。

 語りかける言葉。

 ヒビ欠けた心に慈雨の様に降り注ぐそれは、彼が賢者であるが故か。それとも、父であるが故か。

 「喜びを知り、悲しみをしり、優しさを知り、憎しみを知ったお前は、必ずや正しき人間になれる。強い男になれる。そしてその先に―」

 大きな手が、小さな手を握り締める。

 「ガスタ(我ら)の希望は、あるのだから―」

 「――――っ!!」

 息を呑むカムイにもう一度微笑むと、ウィンダールは立ち上がる。

 その瞬間―

 ゴボァッ

 腐り泡立つ様な音と共に、闇色の水柱が下り堕ちた。

 周囲にいた皆の悲鳴が響く。

 「長!!」

 思わず、叫ぶ。

 けれど、ウィンダールは微笑みを浮かべたまま。

 「カムイ、今の言葉、すぐに呑み込めとは言わん。ただ、忘れないでいてくれ。」

 そう言って、ウィンダールは踵を返すと闇の濁流へと進み始める。

 遠ざかる背に、問いかける。

 「長!!オレは・・・オレは、何をすればいいんですか!?」

 その声に、ウィンダールの足が少しだけ止まる。

 「そうだな・・・。まずは・・・」

 振り返らずに、届ける言葉。

 「思い出す事だな。今”そこ”で、お前を想っている友の事を。」

 「え・・・?」

 視線を向けたそこには、自分を見つめる澄んだ瞳。

 「ファルコ・・・。」

 クゥ・・・

 数多の時を共にした友が、そこにいた。

 「思い違うな。」

 賢者は言う。

 「ダイガスタは、まだお前を見限ってはいない。」

 そして、彼は新たな戦場へと向かった。

 

 

 ・・・その声が、脳裏に響く。

 (ヴァニティ・・・)

 「・・・・・・。」

 宵闇の深淵から。

 (ヴァニティよ・・・。)

 「・・・・・・」

 降り積もる、澱の底から。

 (終わりかえ・・・?)

 「・・・・・・。」

 その声が。

 (座興はもう、終わりかえ・・・?)

 「・・・・・・。」

 甘く。

 おぞましく。

 (ヴァニティ・・・?)

 脳漿を、犯す。

 「・・・いえ・・・」

 ゴボリ 

 気管に溜まった血漿が揺らぐ。

 「いいえ・・・ノエリア様・・・」

 ゴボリ

 ゴボリ

 溢れ出る紅。

 構わずに、呪詛を紡ぐ。

 「・・・終わりでは、ありませぬ・・・」

 投げ出されていた手が、ピクリと蠢いた。

 

 

 「何!?」

 「こいつ、まだ!?」

 皆の驚きの声が響く。 

 ウィンダールに討たれ、地に落ちていたヴァニティ。

 彼が、幽鬼の様に起き上がっていた。

 ボトボト ボト

 低い呼吸音が鳴る度に、その口から大量の紅がこぼれ落ちる。

 それを見たウィンダが叫ぶ。

 「やめなさい!!それ以上無理をしたら、命に関わるわ!!」

 けれど、その声はヴァニティには届かない。

 彼の目はただ、虚ろに虚空を見つめる。

 「・・・ノエリア様・・・」

 ゴボゴボと泡音を鳴らしながら、言葉を放つ。

 「・・・私の・・・私共の、最後の座興の”種”でございます・・・。どうぞ、お納めを・・・」

 ズルリ

 黒衣の中からまろび出る手。

 異様に青白いそれが握るのは、ひと振りの小刀。

 皆が、思わず身構える。

 しかし、違う。

 逆手に握られたそれが向く先は、霊使いでもなければガスタでもない。

 それが向かうのは―

 「――っ!!」

 気がついたウィンダが叫ぶ。

 「止め――っ!!」

 言葉は、最後まで届かなかった。

 ズリュッ

 怖気の走る様な音とともに、真っ赤な闇が散る。

 紅に染まった手。

 握った小刀の先。抉りとったドクドクと動く真紅の塊を掲げ、彼は最後の呪詛を放つ。

 「さあ、刮目せよ!!(きた)る死の姿を!!逃れえぬ滅びの証を!!」

 ゴボリ・・・

 水が、蠢く音が響く。

 重く、おぞましく、空が揺れる。

 そこに己が願いの成就を悟り、彼は凄絶な笑みを浮かべる。

 最後の力を振り絞り、望むは破滅の言の葉。

 「顕現せよ!!最後のイビリチュア!!最凶の禁呪神よ!!」

 雷鳴の様にすら聞こえるそれが響いた瞬間―

 ゴブァッ

 空から漆黒の水流が雪崩堕ちた。

 

 

 異常は、リチュアの城でも起こっていた。

 白い巨塔に並ぶ窓。

 その全てから濁黒の水が溢れ出していた。

 水は城の内部全てを満たし、そこに在る命の全てを呑み込んでいく。

 「ひぃいいいいいー!!こぅれは、何でぃっすかぁー!?」

 地下に流れ込む濁流の中で、コザッキーが悲鳴を上げていた。

 「がぼががが!!ミィズ・ナッタリィアァ~!!たっすけぇてくぅださぁいぃい~!!」

 彼の叫びを聞いているのかいないのか。リチュア・ナタリアは激流に身を晒しながら中空を見つめていた。

 『・・・”奴”を、呼ぶのね。”ノエリア”・・・。』

 その口から、いつもとは違った口調の声が漏れる。

 『・・・何時になっても、何処へ行っても、”あの日”の”あの時”から、私達は同じ回廊を巡るだけ・・・。』

 諦観した様な眼差しが、地下室の天井を、否、その先にいるであろう”彼女”を見つめる。

 『・・・いいわ。これは、貴女の罪。けれど、私の罪。付き合ってあげる。何処までも・・・。何時までも・・・。でも・・・』

 その瞳に一瞬、ある想いが浮かぶ。

 『いい加減、”あの子達”は放してあげても、いいんじゃないかしら・・・。』

 「ががぼがぼ・・・」

 足元から聞こえた異音に、視線を下ろす。

 見れば、頭まで黒水に呑まれたコザッキーが最期の力を振り絞って柱にしがみついている。

 『・・・可哀想な人・・・。』

 憐憫の篭った声音で、ナタリアは言う。

 『でもね、私達の真意を知り、それでなお追従したのはあなた自身。その罪は、己で被るしかないわ・・・。』

 半透明の身体が、音も無く動く。

 もはや、声も出せないコザッキー。

 その彼の真上で、ナタリアは腰から剣を抜く。

 『これは、せめてもの贖罪・・・。』

 鋭い刃先が、下を向く。

 『楽に、お逝きなさい・・・。』

 そして―

 ズンッ

 鈍い音が響き、黒い水が紅く染まる。

 けれど、それも一瞬。

 次の瞬間には、黒い渦がコザッキーとナタリアの姿を呑み込んでいた。

 

 

 その頃、城の玉間も黒い水に満たされていた。

 水の出処は、壁に飾られた巨大な儀水鏡。

 それが、その鏡面を揺らしながら滝の様に黒水を吐き出していた。

 その飛沫を浴びながら、ノエリアはいつも通りに玉座に座し、黒に侵食されていく世界を物憂げな視界で見つめていた。

 「・・・ナタリア殿が、逝きましたようで・・・」

 水音の向こうから聞こえた声に、チロリと視線を向ける。

 そこには、座した姿のまま首まで水に浸かったディバイナーがいる。

 「・・・その様じゃな・・・。」

 返すのは、気のない返事。

 ディバイナーは問いかける。

 「幾度目でしょうな?この輪廻を巡るのは・・・」

 「さてな。」

 「後悔は、ございませぬか?」

 些か、からかう様な声音。

 けれど、禁呪の女王は揺るがない。

 「可愛い手下(てか)の捧げ物ゆえな。無下にする訳にはいくまい?」

 「左様で・・・。」

 クックと笑う声が、水音に揺れる。

 「ノエリア様・・・」

 「何じゃ?」

 「次の世でも、お使い申し上げます・・・。」

 その言葉に、ノエリアの顔が初めて微かな笑みを浮かべる。

 ディバイナーを満たす、満ち足りた想い。

 そして彼もまた、黒い水面(みなも)の底へと沈んでいった。

 

 

 下り落ちてきた闇色の水が、ヴァニティの身体を呑み込む。

 その瞬間、例えようもない怖気が皆を襲う。

 「何!?」

 「これは・・・さっきと同じ・・・!?」

 「ヴァニティ(あいつ)も怪物に!?」

 口々に叫ぶライナ達。

 しかし、それをアウスの声が否定する。

 「違う!!さっきの様な異常な生命力の肥大化が感じられない!!」

 「ど、どういう事だよ!?」

 ヒータの問いに、青ざめながら彼女は答える。

 「まさか・・・自身を儀式の生贄に・・・?」

 「何!?」

 皆が戦慄したその瞬間―

 ジュバァッ

 天から堕ちる水柱から漆黒の触手が伸び、皆に襲いかかる。

 「「なっ!?」」

 「危ない!!」

 全員が、咄嗟に身をかわす。

 【ギゴ!!エリアルを!!】

 【分かった!!】

 ガガギゴの腕が、倒れていたエリアルの身体を救い上げる。

 獲物を失った触手はそのまま伸び進み、地でもがいていたキラー達を巻き込む。

 いたる所で響く、キラー達の悲鳴。

 『な・・・何だよ、これ・・・!!』

 グジュ・・・グジュル・・・

 黒い水が、キラー達を呑み込んでいく。

 「全て喰い尽くすつもりか!?」

 叫ぶウィンダール。

 その前で、水柱が膨らみ始める。

 太く。

 丸く。

 おぞましく。 

 まるで、何かを孕む様に。

 闇色の水は、受胎していく。

 声を出す者は、もういない。

 誰もが成す術なく、その異様を見つめる。

 そして―

 唐突に―

 何処からともなく―

 ”それ”が―

 聞こえた。

 

 「―いでよ。」

 

 水の、動きが止まる。

 

 「―『イビリチュア・ジールギガス』―」

 

 瞬間、闇が弾けた。

 

 

                              続く

 



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30話

                   ―30―

 

 

 ―そこに、絶望が立っていた。

 青銅色の肌。

 見上げる程に巨大な体躯。

 筋骨隆々とした4本の腕。

 悪魔の羽の如く広がる大鰭。

 そして、凶気の宿る形相から天を突く二本の豪角。

 金色(こんじき)の鎧を纏った、異形の巨人。

 禁呪(リチュア)の子宮を破り、現れたそれは太い首をゴリリと巡らすと口を開く。

 奈落の様な洞穴に、無数に並ぶ鋭い歯牙。

 ゴォルゥアァアアアアアアアアアッ

 響き渡る咆哮が、世界を揺らす。

 その場にいる者は皆、ただ呆然とそれを見上げるしかなかった。

 

 

 「お・・おお・・・あれは・・・あれは!!」

 突如現れた巨人の姿は、距離のある療養所からも容易に見て取れた。

 村人達がざわめく中、ムストは戦慄に身を震わせる。

 「まさか、あれは・・・」

 戦慄く唇が、言葉を紡ぐ。

 その名が、頭の中で反鍾する。

 「”イン・・・ヴェルズ”・・・」

 こぼれた声音は、絶望の色にと染まっていた。

 

 

 かの地に古く、伝わる存在がある。

 ある時代。

 ”彼ら”はこの地へと現れた。

 不運な偶然だったのか。

 それとも、愚かな導きでもあったのか。

 それは分からない。

 ただ、こことは異なる世界よりまろび出た。

 それだけは、確かな事。

 ”彼ら”は、貪欲だった。

 地に住まう、あらゆる命を手当たり次第に狩り、喰い漁った。

 動物も。

 植物も。

 人間も。

 モンスターも。

 果ては、己らの同族でさえも。

 それは絶望の体現であり、滅びの担い手だった。

 当時の人々は、恐怖に焼け付く声帯で、”彼ら”の事をこう呼んだ。

 『絶対捕食者(インヴェルズ)』・・・と。

 

 

 そして今、伝承を知る神官も、恐怖にひりつく喉でその名を紡ぐ。 

 「馬鹿な・・・。インヴェルズ(かの者)達は、世界の狭間へと封印された筈・・・」

 

 

 ・・・地の住み人達が、ただ餌となる事をよしとする筈もなかった。

 彼らは種族を超えて手を組み、武器と術をもってかの脅威に立ち向かった。

 しかし、相手は余りにも強大かつ凶悪だった。

 同胞は次々と喰われ、世界は暗黒へと染まっていった。

 そして、捕食者達の爪が最後の希望を摘み取ろうとしたその時―

 奇跡は起きた。

 突如として天を降り下った流星群。

 それから散り落ちる、光の粒子。

 舞い降りたのは、星の聖騎団と機械仕掛けの天使達。

 星光の剣に貫かれた悪魔達はその身を散じ、精巧なる神律によって魂を次元の狭間へと幽閉された。

 かくて、悪夢の刻は終焉を告げる。

 残された希望の種達に己らの欠片を分け与え、星の使徒達は姿を消した。

 世界に神話を。

 希望に未来を。

 久遠に託して―。

 

 

 「何故・・・何故それが・・・」

 目の前の現実を、せめて夢へ変えようと、ムストは幾度も目をこする。

 しかし、幾ら望もうとそこにある世界は変わりはしない。

 彼は、熱病に侵された様に呟き続ける。

 「・・・いかん・・・。そやつと、戦っては・・・。逃げろ・・・。逃げてくれ・・・!!」 

 微かな風に乗る願い。

 それを、凶魔の王の叫びが無慈悲にかき消した。

 

 

 グゥフルルルルル・・・

 地鳴りの様な唸りを上げながら、巨人―イビリチュア・ジールギガスが地べたを睥睨する。

 その様はまるで、最初の獲物を物色する様にも見える。

 そして―

 「来るぞ!!」

 誰かが叫んだ。

 次の瞬間、

 ゴワッ

 迫る、巨大な爪。

 狙われたのは、動きの鈍かったアウス。

 「「させぬ!!」」

 ギガスの手が彼女を鷲掴みにする瞬間、咄嗟にアクアマリナが氷壁を張る。

 しかし、

 メキメキ・・・バリ・・・

 「「何!?」」

 響く、驚愕の声。

 マインドオーガスの攻撃すらものともしなかったそれが、爪先が触れただけでひび割れた。

 「危ない!!」

 「「マリナ!!」」

 ガルドスが風矢を。ルビーズが炎閃を放つ。

 ガゥンッ

 鈍い音とともに大気が弾け、ジールギガスの腕を揺らす。

 その隙にアクアマリナはアウスを抱え、手の下から転げ出る。

 一瞬の後、氷壁は粉々に砕け散り、ジールギガスの爪が地を抉る。

 ガルドスとルビーズ。二者の攻撃が直撃した筈の腕には、傷一つついていない。

 グフルルル・・・

 目の前の前菜を攫われたジールギガス。

 不機嫌そうに唸ると、次の標的を邪魔をした”小鳥”へと向ける。

 グワッ

 4本の腕が、ガルドスを囲い込む様に宙を滑る。

 「速い!?」

 その動きを注視していた筈のウィンダ。

 しかし、彼女の予想を上回る動きで腕は迫る。

 「―――っ!!」

 必死に羽ばたくガルドス。

 その尾羽根に、鋭い爪がかかる。

 悲鳴を上げるガルドス。

 そして―

 グラリ

 ジールギガスの巨体が、急に傾いだ。

 見れば、その片足にガガギゴとスフィアードが組み付いている。

 【んっぎぃいいいい!!おっもいわねぇ!!このデカ物―――っ!!】

 「デカ物なのはアンタも一緒だろ!!グダグダ行ってないで、もっと踏ん張りな!!」

 【んなっ!?何て事を!!二人の愛の結晶を、こんな化け物と一緒にするなんて――っ!!】

 【ケンカしてる場合じゃないだろ――!?】

 ギャアギャア言いながらも、組み付く腕に力を込める二人。

 グググッ

 ジールギガスの足が、微かに浮く。

 【リーズさん!!今―――っ!!】

 「おっしゃあ!!」

 瞬間、ギガスの足と地面の間に展開する『風の鏡(レラ・シトゥキ)』。

 「よし!!離せ!!」

 【あいよ!!】

 同時に飛び退く二人。

 落ちる足。

 ジールギガスの体重が風の鏡(レラ・シトゥキ)に触れた瞬間、

 ガゥンッ

 その重量に等しい反動が、ジールギガスの身体を弾き飛ばした。

 ズズゥウウンッ

 地鳴りの如き振動と共に、仰向けに倒れ込む巨体。

 「!!、勝機!!」

 今の隙に爪から逃れていたガルドスが、鋭く旋回する。

 「「正しく!!」」

 ルビーズも戦斧に紅蓮を纏って突進する。

 他の者達も、追従する様に構えを取る。

 倒れたジールギガスに向けて展開する、複数の魔法陣。

 皆が、一斉攻撃を仕掛けようとしたその時―

 ヴゥンッ

 ジールギガスの胸の鏡が、不気味な光を放つ。

 ゾワリ

 背筋を這い登る悪寒。

 ウィンダールが叫ぶ。

 「皆、離れろ!!」

 その叫びに反応したウィンダ達が身を翻すのと、同時だった。

 ゴバァッ

 鏡から放たれる、青白い光。

 「きゃあっ!?」

 「「ウォアッ!?」」

 幾条にも放たれた光が、空を、地面を貫く。

 途端―

 ブォアッ

 光に触れた雲が。

 家が。

 地面が。

 魔法陣さえもが。

 消えた。

 散らされたのでも、砕かれたのでも、焼かれたのでもない。

 文字通り、消えた。

 瞬間、

 ゴォウッ

 悲鳴の様な音を立てて、大気が歪む。

 「きゃあぁっ!!」

 捻れる空気の狭間に巻き込まれるガルドス。

 引き寄せられる先は、大きく開いたジールギガスの口中。

 「お姉ちゃん!!」

 悲鳴を上げるウィン。

 「させん!!」

 ウィンダールの声とともに、イグルスが走る。

 うねる大気の渦を掻い潜り、ガルドスの肩を掴む。

 ガキャァアアアアンッ

 閉じる(あぎと)の内から、彼女達は何とか逃れた。

 「は・・・はぁっ!!」

 「大丈夫か!?」

 蒼白な顔で息を吐くウィンダを、ウィンダールが労わる。

 「お・・・お父上、風が・・・」

 戦慄く様な娘の言葉に、ウィンダールは頷く。

 「ああ。風が、大気が、”消された”・・・。」

 

 

 「な・・・何だよ!?今のは!!」

 「分からない・・・。だけど、効果は把握した。」

 青息を吐くヒータの横で、アクアマリナの腕から降りたアウスが言う。

 「消えた存在の残滓が感じられない・・・。」

 「はあ!?」

 「破壊されたのでもなければ、消し飛ばされた訳でもない・・・。存在を、”還された”んだ・・・。」

 「ど、どういう事だよ!?」

 「存在自体をキャンセルされたと思えばいい。”あれ”は、触れた存在全てを”無に還す”んだ。」

 皆の顔が引きつる。

 「全てが、存在を否定される。物理攻撃も、魔法も、意味がない。還されたが最後、多分蘇生も転生も叶わない。」

 「・・・マジかよ・・・!!」

 ズズズ・・・

 青ざめるヒータの後ろで、不気味な地鳴りが響く。

 虚壊の巨人が、再びその身を起こしていた。

 ゴォオオオオオッ

 轟く咆哮。

 胸の鏡が、再び光を宿す。

 「逃げ・・・」

 誰かの叫びをかき消す様に、虚無の光が世界を染めた。

 

 

 ガラガラガラ・・・

 その身を光に喰われ、支えを失った家々が瓦礫となって落ちてくる。

 光が舐めた場所は整地された様にまっさらになり、無機質な地肌を晒す。

 と―

 ポッ ポッ ポッ

 何もなくなったそこに、淡い灯が浮かび始める。

 ポッ ポッ ポッ

 幾つも。幾つも。

 ポッ ポッ ポッ

 浮かびゆく。

 

 

 「「何だ?あれは。」」

 瓦礫の影から様子を伺っていたアクアマリナが問う。

 「多分、魂魄(スピリット)だよ。」

 彼の横で、瓦礫に身を預けていたアウスが大きく息をつきながら言う。

 魔力の大半を失った状態で身を動かす彼女。

 かなりの労苦である事は、間違いない。

 「魂魄(スピリット)って、どういう事だよ?」

 アウスの傍らでは、ヒータが片膝をついて彼女の汗をローブの端で拭っている。

 「言ったままさ。この世との繋がりを消された魂達が、行き場を無くして漂ってるんだ。」

 「スゲェ数だぞ?」

 見る間に数を増していく”それら”を、ヒータは不吉そうに見上げる。

 「多分、光に巻き込まれた植物や小動物、大気中の微生物のものだろう。全く、業の深い事をするよ・・・。」

 と、ジールギガスの胸の鏡が輝き始める。

 「「!!、またか!?」」

 身構えるアクアマリナ。

 しかし、先だってとは違う。

 鏡が瞬いた瞬間、魂魄(スピリット)達の動きが変わる。

 無秩序に漂っていた筈のそれらが、まるで何かの目標を定めたかの様に流れ出す。

 その先にあるのは、ジールギガスの鏡。

 それが、流れ来る魂魄を次々と呑み込み始める。

 魂魄が呑まれる度、悲鳴の様に大気が揺れる。

 それを身に感じながら、ジールギガスは愉悦に浸る様に顔を歪めた。

 「・・・喰ってやがる・・・。」

 その様を目の当たりにしたヒータが、呆然と呟く。

 「・・・あれほどのエネルギー、どこから調達してるのかと思ったら・・・。ループ回収ってわけか・・・。良く出来てるよ・・・。」

 苦笑いしながら皮肉を言うアウス。

 「「・・・醜悪なり・・・。」」

 アクアマリナは、怒りにその身を震わせた。

 

 

 震える足をバチンと叩いて、スフィアードが言う。

 「・・・最後の最後で、とんでもない奴が出てきたもんだね・・・。」

 「・・・全くだ。ついてない・・・。」

 答えるダルクの声も、震えている。

 「・・・ライナ、もう一度、”呼べる”か・・・?」

 答えの分かりきった問い。それでもライナは、笑って応じる。

 「にゃはは・・・。誰に訊いてるですか?あんなもん、いくらでも・・・」

 「「止めておけ。」」

 その言葉を遮るのは、ルビーズ。

 「「”あれ”は、貴殿らの命を削る。これ以上やれば、貴殿らが持たぬ。」」

 「でも・・・」

 「「この場の誰も、それを望む者はおるまい。」」

 反論も、その一言で封じられる。

 「「今考えるべきは、皆がこの場を生き延びる事だ。それ以外は、考えるな。」」

 (そう言う事だよ。)

 突然、しかし密やかに声が響く。

 驚いた皆が辺りを見回すが、声の主らしき者はいない。

 しかし―

 「今の声・・・。」

 「アウスか!?」

 (そうだよ。)

 ライナとダルクの言葉を、”声”が肯定した。

 

 

 「ちょっとあんた、何だか知らないけど”念話”なんかして、大丈夫なの!?」

 (心配ないよ。”これ”は周囲に散らした『ダニポン』達を中継して行ってる。魔力の消費は最低限に押さえてるよ。それより・・・)

 ”エリア”に向かって、アウスが訊く。

 (君達、いつ魂魄同調(オーバーレイ)を解いたんだい?)

 「あ~、これ?全く、腹立つったら、ないわ。」

 ブチブチ言うエリアに代わって、ジゴバイトが答える。

 『実は、さっき例の光を食らっちゃって・・・』

 (何だって!?)

 声の調子が変わる。

 (無事なのかい!?)

 その問いに、自分も訳が分からないと言った体でジゴバイトは続ける。

 『いや、実際もう駄目だと思ったんだけど。気がついたら魂魄同調(オーバーレイ)だけが解けてて・・・』

 (・・・ふむ・・・。)

 しばし、考える様な間。

 そして、アウスは答えを導き出す。

 (どうやら、『ガガギゴ』と言うエクシーズ体の存在だけが否定された様だね。なるほど、存在の上にもう一つの存在を重ねた身体なら、一度の猶予がある訳か・・・。)

 また、間。

 やがて・・・。

 (手は、あるかもしれない・・・。)

 静かな響きで、彼女はそう言った。

 

 

 「”手”って何!?」

 アウスを代弁するダニポンに向かって、ウィンは言う。

 後ろにいるウィンダとウィンダール、そしてカームも次の言葉を待つ。

 (・・・”あれ”を使う。)

 「!!」

 その言葉に、ウィンが息を呑む。

 彼女だけではない。

 他の霊使い達も同様に、その表情を変える。

 「あれって、”あれ”か!?」

 ヒータが聞き返す。

 (ああ。)

 冷静に返す声。 

 「なるほど・・・。まだ“あれ”があったわね。」

 不敵に笑むエリア。

 「だけど、”あれ”をやるには少なくともアウスちゃん達4人が揃わないと・・・」

 ライナが困った様に言う。

 「今みたいにバラバラじゃあ・・・」

 (なら、集まればいい。)

 その言葉に、ダルクが眉を潜める。

 「そう言うけどな、今下手に動いたらお前らが集まる前にギガス(あいつ)に殺られるぞ!?」

 それは、確かな事。

 先の一撃から必死に逃れた結果、今は皆散り散りの状態。

 複数名がジールギガスの目を盗んで集まるには、あまりにも距離があり過ぎた。

 しかし、アウスはたった一つの解を述べる。

 (・・・だから、陽動役が要る。)

 「陽動役!?」

 皆が、驚きに顔を強ばらせる。

 「馬鹿言わないで!!あんな化け物相手に陽動なんて、死にに行く様な・・・!?」

 言いかけたウィンの言葉が止まる。

 思い当たる事があった。

 さっきの話。

 エリアと、ジゴバイトの例。

 ―”存在の上にもう一つの存在を重ねた身体なら、一度の猶予がある”―

 ウィンの背後で、風が舞う。

 「なるほど。妙案だ。」

 「頭いいなぁ。流石、我が妹の友!!」

 

 

 ダルクとライナの両脇で、立ち上がる気配がする。

 「は、良い役じゃないか。」

 「「うむ。実に誉れ高い。」」

 

 

 アウスとヒータの目の前で、鉄の軋む音とともにアクアマリナが身を起こす。

 「「ふふ。エリア氏の言う通りだな。実に、頼もしき軍師だ。」」

 そう。

 複数の命を寄り代に召喚されるシンクロ体。その亜種である『ダイガスタ』。

 文字通り、複数の命の合成で生まれる融合体。それを極めた『上級ジェムナイト』。

 彼らなら、エクシーズ同様、アウスが見出した条件に合致する。

 しかし、それはあくまで一度きりの事。

 次は、ない。

 「ちょ、ちょっと待てよ!!」

 「・・・すまない・・・。」

 ヒータは慌て、アウスは目を伏せて詫びる。

 けれど、彼らは言う。

 

 

 「「何を謝る事がある?」」

 「アタイらは、死にに行く訳じゃないよ。」

 「「正しく。」」

 「これ以上、この地で犠牲者は出さない。君達も。そして勿論、我々もだ。」

 「そういう事。」

 

 

 ウィンの前で、舞い上がっていく2羽の神鳥。

 「後は頼むぞ。ウィン。」

 「そう。私達の命運、貴女達にかかってるんだからね。」

 二人の笑顔が、呼びかける。

 声も出せず、見上げるウィン。

 ウィンダは、何処かにいるアウス達に向かって言う。

 「ガスタ(私達)とウィンを助けてくれて、ありがとう。今度は、私達が守るから。」

 「お父様!!お姉ちゃん!!」

 叫ぶウィンの背を、重なる声が押す。

 「行きなさい!!」

 「我らの、そしてこの地に生ける全ての命のために!!」

 「―――――っ!!」

 走り出すウィン。

 背後に聞こえる、風切りの音。

 響き渡る、魔王の咆哮。

 滲む涙を振り払い、ウィンは走る。

 振り返る事は、もう許されなかった。

 

 

                                    続く

 



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31話

                   ―31―

 

 

 曇天を貫く様にそびえ立つ、異形の巨影。

 それに向かって、五つの影が走る。

 空を駆るは三体のダイガスタ。

 地を駆けるは二体のジェムナイト。

 先頭に立つはダイガスタ・イグルス。

 その背のウィンダールが叫ぶ。

 「皆!!固まらず、散開して攻めるぞ!!個々の負担は増えるが、一撃で全滅させられる愚は犯せない!!出来うる限り、時間を稼ぐ!!」

 「はい!!」

 「あいよ!!」

 「「了解!!」」

 「「承知した!!」」

 それに従い、バッと散らばる皆。

 見下ろす赤眼が、胡乱げに細まる。

 その視線を避けながら、ウィンダールが号令を放つ。

 「攻撃を!!」

 それに答える様に、皆が一斉に攻撃を放つ。

 風が唸り。

 氷が弾け。

 炎が吼える。

 ジールギガスの巨体を、瞬く間に爆煙が覆った。

 

 

 「・・・始まったわね・・・。」

 瓦礫の影から事態を確認したエリアが呟く。

 「じゃあ、あたしも行くから・・・。」

 そう言って、向ける視線の先にはジゴバイトの姿。

 「ギゴ、”そいつら”の事お願いね。」

 『ああ、分かった。』

 頷く彼の頬に、エリアが手を添える。

 『死ぬなよ。エリア。』

 「当たり前じゃない。これからなんだからね。あたし達は。だから・・・」

 優しい声音が、鈴の様にジゴバイトの耳をくすぐる。

 「貴方も、死なないで・・・。」

 『大丈夫。もう、あんな思いはさせない。』

 微笑み合う二人。

 互いの口が、そっと触れ合う。

 そして、エリアは踵を返す。

 最後に叫ぶ言葉は――

 「”あんた達”も、しっかり生きてなさいよ!!言いたい事、沢山あるんだからねー!!」

 そう言い残し、水霊の少女は走り出す。

 見る見る遠ざかる、後ろ姿。

 それを見送ると、ジゴバイトは後ろを振り返った。

 そこには、今だ昏倒したままのエリアル。

 そして、人形の様な瞳で”彼女”を見下ろすカムイの姿があった。

 

 

 そこには、あの時見たのと寸分違わない姿があった。

 魔女の様な衣装。

 青い髪。

 幼さと妖艶さを合わせる、少女の顔。

 そして、その身から漂う邪悪な気配。

 そう。邪悪だった。

 今なら、手に取る様に分かる。

 自分が殺し、自分を助けた少女とは全く違う。

 冷たく爛れた、氷塊の如き気配。

 どうして、気づく事が出来なかったのか。

 療養所の中で。

 広場の中心で。

 あの、黄昏の中で。

 気付くチャンスなど、いくらでもあった筈なのに。

 (お前の目は、どこまで曇っちまったんだ?)

 リーズの声が、脳裏に響く。

 そう。曇っていたのだ。

 悲しみに覆われて。

 憎しみに侵されて。

 青い空の色すら、見分けられぬ程に。

 けど。

 だけど。

 今は違う。

 今、目の前にいるのは。

 紛う事なき、毒禍の魔女。

 許し得ぬ、両親の仇。

 カムイの拳が、ギリリと軋みを上げる。

 『どうした?』

 「!!」

 不意に響いた声が、カムイを我に返した。

 思わず向けた視線の先に、”彼”がいた。

 自分が奪おうとしたもの。

 自分が奪ったもの。

 その、答え。

 『殺さないのか?』

 ”彼”が言う。

 「え・・・?」

 言葉は、続けてかけられる。

 『止めたりは、しないぞ。』

 「・・・な・・・!?」

 思わぬ言葉に、呆気にとられる。

 「な・・・何を・・・?」

 『聞こえなかったのか?止めないと言ったんだ。』

 自分を見つめる、金色の瞳。

 憤怒ではない。

 憎悪でもない。

 悲しげで、けれども何かを達観した様な眼差し。

 それが、カムイを戸惑わせる。

 『僕に、それを止める資格はない。』

 瓦礫の向こうで、また大気が弾ける。

 周囲を一瞬照らし出す爆炎。

 その中に浮かぶ影。

 影が言う。

 『僕は、憎しみに呑まれた。それに、流された。』

 声が響く。

 悔恨でも。

 嫌悪でもなく。

 ただ、淡々と。

 『流されるままに、お前を殺し、ガスタを滅ぼそうとした。』

 一瞬の筈の時は、まだ終わらない。

 ”彼”は続ける。

 『奪われた怒りを、悲しみを、奪う事で癒そうとした。』

 口が、カラカラに乾いていた。

 それを癒そうと喉を鳴らすが、唾液は一滴も出なかった。

 『・・・お前と、同じだ。』

 そう。

 そこにいるのは、自分だった。

 形が違うだけの、自分だった。

 だから、喘ぐ。

 ”彼”の。

 もう一人の自分を、慰する為に。

 「違う・・・。」

 『何が?』

 「お前は、オレとは違う・・・。」

 『何が、違う?』

 「だって、お前はオレが堕としたんだ!!リチュア(あいつら)が、狂わせたんだ!!お前に、罪なんて・・・」

 『”罪”だよ。』

 自慰の言葉を、断罪の一言が切って捨てる。

 心臓が、ビクリと震え上がる。

 『僕は、自分の意思で堕ちたんだ。自分の意思で、狂ったんだ。お前のした事も、リチュアがした事も、それを成すためのきっかけでしかなかった。』

 「・・・・・・。」

 言葉が続かなかった。

 彼は。

 もう一人の自分は。

 強かった。

 立ち竦む程に、強かった。

 『だから、僕は止めない。お前が仇を討つのも、それは確かな権利だから。』

 ゴクリ

 もう一度、喉を鳴らす。

 逸らす様に下ろした視線。

 そこに映るのは、無防備に横たわる少女の姿。

 カムイは、その喉を見やる。

 白く、細い喉。

 それは、まるで繊細な氷細工の様で。

 手をかけて。

 力を込めれば。

 容易に。

 砕く事が、出来るだろう。

 幼くか細い、自分の腕でも。

 握り締めた手の中に蘇る、感覚。

 抱きしめる腕から抜けていく、力。

 遠ざかっていく、声。

 増していく、身体の重み。

 二度と戻らない、温もり。

 胸の内に、燻るものがある。

 それは、絶望と後悔にすり潰され、小さくこそなったけれど。

 今も、間違いなく滾り続けている。

 冷たい。

 冷たい。

 冷たい、焔。

 憎悪。

 それが、叫ぶ。

 仇を。

 仇を。

 母の仇を。

 父の仇を。

 仇を、討てと。

 握り締めていた、手が開く。

 まるで、獲物を掴み殺す猛禽の様に。

 腕を、伸ばす。

 そこにある、少女の首に向けて。

 ”彼”は、何も言わない。

 ただ、金色の目でカムイを見つめる。

 ゆっくりと。

 ゆっくりと。

 けど、確実に。

 近づいていく、手。

 そして、その爪が白い首にかかろうとしたその瞬間―

 ピィ

 一声の、風が吹いた。

 「!!」

 思わず向ける視線。

 そこに、”彼”がいた。

 ―『ガスタ・ファルコ』―

 神託によって選ばれた、運命の輩。

 ともに空を駆け、未来を夢見た命友。

 そして、憎しみに己を失った自分に寄り添い続けた、もう一人の家族。

 琥珀色の眼差しが、自分を映す。

 どこまでも、澄み渡った瞳。

 どこまでも、優しい輝き。

 その輝きが、心の中の何かを呼び起こす。

 それは、この世でもっとも尊きもの。

 それは、この世でもっとも気高きもの。

 そう。

 それは・・・。

 「父さん・・・母さん・・・」

 それは、両親の眼差し。

 愛しき者を、守る強さ。

 慈しむ者を、抱く優しさ。

 かつての自分が、至る高みと望んだもの。

 琥珀の双眸。

 その向こうに。

 「そうか・・・。」

 風が吹く。

 全ての汚れを、さらい行くかの様に。

 そよぐ大気。

 その中で、手を伸ばす。

 「こんな近くに、いたんだね・・・。」

 吹き渡る風の中、微笑む二人の姿が見えた。

 

 

 見上げるジゴバイトの身体を、緑の羽風が包む。

 舞い上がる”彼ら”に向かって、彼は言う。

 『行くのか?』

 「ああ。」

 頼もしい相棒の背に乗ったカムイが頷く。

 「エリアル(そいつ)の事、頼むな。言いたい事は、山ほどあるから。」

 『そりゃ、僕も同じだ。』

 「だよな。」

 旧来の友の様に、笑い合う二人。

 『なら、生きろよ。しっかりとな。』

 「言わずとも!!」

 そして、カムイは天を仰ぐ。

 「行くぞ!!ファルコス!!」

 ピィロロロロロロロッ

 誇りを取り戻した主の命に、若き神鳥は猛り吼える。

 彼らの目に映るは、滅びへと立ち向かう尊ぶべき先達達の姿。

 その背を追い、希望の翼、『ダイガスタ・ファルコス』は力強く羽ばたいた。

 

 

 「あれは・・・ファルコス!!」

 ウィンダール達の後を追う様に飛び立つその姿を見て、カームは思わず声を上げた。

 「振り切ったのね・・・。迷いを・・・」

 沸き起こる喜び。

 しかし、その一方でどうしようもないもどかしさが彼女を包む。

 「皆が、戦っている・・・。なのに、私は・・・」

 先の一戦で、彼女が受けたダメージは軽くない。

 身体は、今だ言う事を聞かない。

 例え戦線に出た所で、足でまといにしかならない。

 それは、理解している。

 けれども、心はそれを許さない。

 皆の力が必要とされるこの時に、そうある事が叶わない。

 「くぅ・・・。」

 カームが、悔しげに唇を噛んだその時―

 「・・・”力”が、欲しい・・・?」

 「!!」

 不意に背後からかけられた問いに、振り向くカーム。

 いつの間に近づいてきたのか。

 二つの人影が、彼女の背後に立っていた。

 一人は少女。ウェーヴのかかった、長い緋色の髪。

 一人は少年。燃え立つ炎の光を反して光る、白銀の髪。

 「力が欲しいなら、私達を使って。」

 戸惑うカームに、少女が言う。

 「貴女達は・・・?」

 見覚えのない顔。

 その姿に、視線を走らせる。

 魚の鰭を模した様な意匠の、特徴的なマントやローブ。

 それが、ある答えをカームに悟らせる。

 「――っ!!”リチュア”!!」

 目に敵意を灯らせ、身構えるカーム。

 反射的に、少年が腰の剣に手を伸ばす。

 その手を、少女の手が押さえた。

 「待って!!もう、ガスタ(貴女達)と戦うつもりはないの!!」

 少女―『リチュア・エミリア』は、必死の顔でそう叫んだ。

 

 

 ―目覚めた時、一番初めに目に入ったのは自分を見下ろす少女の顔だった。

 幼い頃から、見慣れた顔。

 その瞳が、涙に濡れていた。

 落ちる滴が、頬を濡らす。

 「アバンス・・・。」

 少女が、名を呼ぶ。

 「エミ・・・リア・・・?」

 名を呼び返しながら、身を起こす。

 ズキリ

 頭を襲う鈍痛。

 傾いだ身体を、エミリアが支える。

 その時、気付く。

 自分を抱く少女の身体に、確かな質感と体温がある事を。

 「エミリア・・・お前、身体が・・・!?」

 彼女が頷く。

 「気づいたら、元に戻ってた。きっと、混沌の力が儀水鏡の呪縛を断ったんだと思う・・・。」

 「そうか・・・。そうか!!」

 考えるよりも早く、身体が動く。

 エミリアを抱き締めるアバンス。

 抵抗する事も、赤面する事もなく、それを受け止めるエミリア。

 しばしの間、少女と少年はお互いの存在を確かめ合う。

 しかし―

 グゥルァアアアアアアアアアッ

 響き渡る咆哮が、その慈しみの刻を絶つ。

 振り向いた二人の視界に映ったもの。

 それは、天を突く程に巨大な四椀の巨人の姿。

 「あれは・・・!!」

 「ジールギガス!!」

 戦慄に顔を引きつらせる二人。

 「母さん・・・。あんなものまで・・・!!」

 「まずい!!逃げるぞ!!」

 立ち上がり、エミリアの腕を引こうとするアバンス。

 しかし、少女の身体は動かない。

 「エミリア・・・?」

 彼女の目は、真っ直ぐに魔神(ジールギガス)を見つめていた。

 「戦ってる・・・。」

 「え・・・?」

 呟く声に示される様に、それを見る。

 魔神(ジールギガス)の周囲を舞い飛ぶ、翡翠の鳥影。

 その翼が閃く度、青銅の身体に小さな爆発が起きる。

 「あれは・・・」

 「ガスタの連中か!?」

 目を見開いて見入るエミリアの横で、アバンスが歯噛みする。

 「馬鹿な・・・。敵う訳ないだろ・・・。餌食にされるだけだ・・・。」

 そして、彼はもう一度少女の腕を引く。

 「行こう!!エミリア!!このままじゃ、巻き込まれる!!」

 けれど―

 「駄目!!」

 エミリアは叫び、その手を振り払う。

 「エミリア!?」

 「あれは・・・、この地で起こった事は、リチュア(私達)の罪!!せめて、私達が贖わなくちゃ!!」

 その言葉に、アバンスは声を荒げる。

 「馬鹿言え!!折角取り戻した命なんだぞ!!それをまた捨てるつもりか!?」

 しかし、エミリアは動かない。

 「エミリア・・・。」

 「お願い・・・。アバンス。私が、こうして命を取り戻したのは、きっとこの為・・・。」

 「・・・・・・。」

 「リチュア(私達)が・・・いいえ、母さんが弄んだ命を、この身で償う為・・・」

 アバンスの手を、エミリアの手が包む。

 「これ以上、続けちゃいけない・・・。これ以上、重ねちゃいけない・・・。だから、だから・・・!!」

 濡れた瞳が、アバンスを見つめる。

 その奥に灯る光を、アバンスは見る。

 そして―

 「・・・分かったよ・・・。」

 溜息をつく様に、彼は言う。

 「アバンス・・・。」

 華の様に綻ぶ、エミリアの顔。

 「ただし!!」

 釘を刺す様な声が飛ぶ。

 「行くなら、俺も一緒だ。」

 「ええ!?」

 目を丸くする彼女に、アバンスは言う。

 「何だ!?自分は散々我侭言っといて、人には来るなとか言わないだろうな!?」

 「で、でも・・・。」

 「俺は、”あの時”お前を守れなかった。だから・・・」

 ガシッ

 アバンスの両手が、エミリアの肩を掴む。

 「二度と同じ愚は犯さない。」

 「アバンス・・・」

 「守らせてくれ!!今度こそ、お前を!!」

 エミリアを見つめる、白銀の瞳。

 少しの間、それを見つめ返すと彼女ははにかむ様に頷いた。

 それを見て、微笑むアバンス。

 そして、彼女達は立ち上がる。

 「よし!!」

 「行こう!!」

 手を取り合い、駆け出す二人。

 その姿は、瞬く間に新たな戦地へと消えていった。

 

 

 「・・・それを、信じろと言うの・・・?」

 戦火の中、対峙するガスタとリチュア。

 杖を構えたまま、問うカーム。

 「虫のいい話だという事は、分かってる!!」

 そんな彼女に向かって、エミリアは言う。

 「でも、お願い!!今だけは・・・今この時だけは信じて!!」

 届くかどうかも知れない言葉を、説きかける。

 「もう・・・もう、これ以上、母さんに・・・リチュア()の罪を重ねさせる事は出来ないの!!」

 「・・・勝手な理屈ね・・・。」

 「!?」

 エミリアの懇願を、カームは冷淡に切って捨てる。

 「母親に、仲間に罪を重ねさせたくない?それなら、すでに犯した罪はどうなるの?」

 翠緑の瞳が、冷たくエミリアを貫く。

 「死んだガスタ(わたし達)の仲間は?遺された人達はどうなの?その中には、貴女の言う母親と引き裂かれた子供達だっているのよ?」

 「そ・・・それは・・・」

 返す言葉を探すエミリア。

 けれどそんなもの、ある道理もない。

 「さあ、答えて。」

 カームが詰め寄る。

 「貴女はどうやって、罪を贖うつもり?」

 一歩、近づく。

 思わず後ずさるエミリア。

 逃がさぬとばかりに、カームも動く。

 「さあ・・・。」

 また、一歩。

 そして、一歩。

 カームが、ガスタが問う。

 「さあ!!」

 「待ってくれ!!」

 「「――――っ!?」」

 突如響いた声に、二人が視線を返す。

 「アバンス!?」

 エミリアが、悲鳴の様な声を上げる。

 二人が視線を向けた先。

 そこにあったのは、手にした剣で今まさに己の首を切り裂こうとするアバンスの姿だった。

 冷たい刃を頚の動脈に当てながら、彼は呆れた様に笑う。

 「元に戻っても、相変わらず馬鹿だな。お前。そんな読めた問いの答えくらい、ちゃんと用意しておけよ。」

 そして、彼はその言葉をカームに向ける。

 「あんたの言う通りだな。」

 臆する事なく、己の罪を認める。

 「リチュア(俺達)のやった事を見返れば、当然の言葉だ。でも・・・」

 白銀の視線が、エミリアを示す。

 「そいつの事だけは、信じてやってくれないか?その想いがまやかしかどうか、ガスタ(あんた達)なら分かる筈だ・・・。」

 「・・・・・・。」

 自分を見つめるカームに、微笑むアバンス。

 「リチュアの罪は、全部俺が持っていく。だから・・・」

 剣の柄を握る手に、力がこもる。

 「頼む!!」

 引かれる刃。

 エミリアが、悲鳴を上げる。

 次の瞬間―

 カンッ

 響き渡る、甲高い音。

 「――――っ!!」

 痺れる手を押さえたアバンスが、声にならない呻きを上げる。

 「アバンス!!」

 駆け寄るエミリア。

 「・・・そんな事は、もうたくさん・・・。」

 小さく響く、溜息の音。

 剣を弾いた杖を下ろしながら、カームは言う。

 「己の真理を示したいのなら、命ではなく魂で示しなさい。」

 言葉とともに、白い手が上がる。

 それが向けられるのは、エミリア。

 「貴女達の真の想い、見定めさせてもらうわ。」

 差し出された手を見つめるエミリア。

 やがて、ゆっくりと頷くと己の手を上げる。

 「エミリア・・・。」

 呼びかけるアバンスに、微笑むエミリア。

 「・・・待っててね。必ず、帰ってくるから。」

 「ああ・・・。」

 アバンスもまた、微笑み返す。

 「俺も、必ず誓いを果たすよ・・・。」

 己の想いを確かめ合う二人。

 その瞳の中に、確かな真実を認めながらカームは言う。

 「・・・行きましょう。」

 「・・・はい。」

 近づく、カームとエミリアの手。

 二人の指先が、求め合う様に触れて―

 ―魂魄同調(オーバーレイ)

 ピシャン

 光と共に散る、澄んだ飛沫。

 見上げるアバンスの前で、しなやかな身体が跳ねる。

 その身に刻まれた儀水鏡が光り、ガスタの紋章が彼を見下ろす。

 「・・・死なさないからな・・・。」

 【ええ・・・。】

 【もう、誰も・・・。】

 頷き合う、三つの魂。

 そして―

 パシャンッ

 青い尾鰭で宙を蹴り、『イビリチュア・メロウガイスト』は天へと舞った。

 

 

                                  続く



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32話

                 ―32―

 

 

 グゥルァアアアアアッ

 曇天が立ち込める黄昏に、魔王の咆哮が響き渡る。

 怯える大気が鼓膜を揺らす度、例え様もない怖気が身体を走る。

 ともすれば、恐怖に止まりそうになる思考。

 それを必死に奮い立たせ、ウィンダはガルドスを駆る。

 「そこ!!」

 ジールギガスの死角に回り、烈風の一撃を放つ。

 風が唸り、巨人の青銅の肌を揺らす。

 しかし、それは幾ばくのダメージも与えるに至らない。

 ジールギガスが、ゆっくりと振り返る。

 ウィンダを捉える赤眼。

 昏い光が灯るその中に見える、底知れぬ餓欲。

 それが伝える意思はただ一つ。

 ―喰い尽くす―

 身体に走る震えを抑えながら、ウィンダは思う。

 「絶対に、ここで止めなくちゃ・・・」

 さもなくば。

 さもなくばこの怪物は。

 全てを喰い尽くしてしまう。

 この村を。

 この地を。

 そして、世界の全てを。

 グオオ・・・

 餌食を掴まんと伸びる四腕。

 それを掻い潜り、再び放つ風撃。

 炸裂する波動。

 無傷。

 それでも。

 「あの子達が、あんなに頑張ってるのよ・・・!!」

 脳裏を過ぎる、彼女達の姿。

 自分が伏せる間、村を、人々を守り続けた少女達。

 「臆病風なんかに・・・」

 彼女達への想いが、力へと変わる。

 ガルドスの翼の中に集束する暴風。

 それは巨大な風の珠となり、轟々と唸りを上げる。

 「吹かれてられるか!!」

 叫びと共に放たれる風弾。

 絶対たる大気の暴威が、ジールギガスを襲う。

 しかし―

 カッ

 風が青銅の肌をえぐる寸前、放たれる魔光。

 貫かれた風弾が、一瞬にして消滅する。

 「!!」

 歯噛みする暇もあるや、大きく乱れる気流。

 ジールギガスの魔光は、あらゆる存在を”否定”する。

 その光の軌道上にある大気も、例外ではない。

 光が通った後の大気は消滅し、一瞬真空状態と化す。

 そこに周囲の大気が流れ込み、狂った気流を生み出す。

 それが、風の道を読み、戦いの術とするガスタの六感を弄ぶ。

 「く・・・つぁ・・・」

 正気を失った風に翻弄されるガルドス。

 乱れる風が、視覚と聴覚を塞ぐ。

 そして―

 「ウィンダ!!危ない!!」

 ようやく耳に届いたそれが、命友であるリーズの声と気付いた瞬間、

 ガシィッ

 「あぅっ!?」

 大気を引き裂いて現れた青銅の手が、体勢を崩していたガルドスを鷲掴みにした。

 メキッメキメキッ

 強大な圧力に、ガルドスの身体が悲鳴を上げる。

 「ウィンダ!!」

 「まずい!!」

 それを見て駆け付ける、イグルスとスフィアード。

 「放せ!!この化け物!!」

 「腕に攻撃を集中させろ!!」

 言葉とともに、無数の風爆がジールギガスの腕を被う。

 しかし、魔王の巨腕は微塵とも揺らがない。

 「お父上・・・!!!駄目!!・・・固まったら、奴の、思う壷・・・!!」

 身体がひしゃげる苦痛の中で、ウィンダは必死に声を上げる。

 「バカ!!そんな事言ってる場合か!!」

 「力を抜くな!!押し返せ!!」

 攻撃を続けながら、懸命の呼びかけを続けるウィンダールとスフィアード。

 それを愉悦の目で眺めながら、ジールギガスはゆっくりと腕に力を込めていく。

 「あ・・・ぐ、ぁ・・・」

 ウィンダの意識が遠のきかけたその時―

 ザァ・・・

 不意に吹き渡る、緑色の光。

 「・・・え・・・?」

 光が吹き抜けた瞬間、全身の痛みが溶ける様に消えていく。

 それだけではない。

 身体の内に、感じた事のない力がみなぎってくる。

 そして、それはウィンダだけではなかった。

 「な、なんなのさ!?これ!?」

 空を吹き通る光の風。満ちる力に、スフィアードは訳が分からないと言った体で言う。

 「これは・・・『勇者の風(オロチョン・レラ)』!?」

 ウィンダールが何かを悟ったその時、

 「長!!巫女様!!リーズ姉ちゃん!!」

 響く呼び声。

 「!!」

 「あれは!?」

 澱んだ大気を蹴散らすように吹き届く、深緑の風。

 イグルスとスフィアードの前に、緑の燐光を散らしながら舞い来るは新たなダイガスタ。

 ―『ダイガスタ・ファルコス』―

 その翼が羽ばたく度、緑の光は風となって空を染める。

 「カ、カムイ!!あんた、一体・・・!?」

 「話は後だ!!今は巫女様を!!」

 そう言うと、ファルコスがいっぱいに翼を広げる。

 優しく、眩く輝く光。

 「巫女様!!受け取って!!」

 ザァッ

 羽ばたき下ろされた翼から、降り注ぐ光風。

 ガルドスの身体に、更なる力が満ちる。

 霞みかけたウィンダの目に、戻る輝き。

 そして、それは溢れる粒子を浴びたイグルス達も同じ事。

 湧き出る力に、ウィンダールとスフィアードが拳を握る。

 「これなら!!」

 「いける!!」

 雄叫びとともに、二人の風撃がジールギガスの腕を挟撃する。

 メシィッ

 軋みを上げる巨腕。

 ジールギガスの口から、初めて苦痛の声が漏れる。

 「巫女様!!」

 「ウィンダ!!」

 「今だ!!」

 重なる三人の声。

 それに答える様に、ウィンダが吼える。

 「こっんのぉおおおおおっ!!!」

 渾身の力を込めて翼を広げるガルドス。

 バキィッ

 異音とともに弾ける拳。

 開いた指の中から飛び立つ神鳥。

 「お返しよ!!」

 離れ際に放つ一撃。

 頬を打たれたジールギガスの首が、微かに揺れた。

 

 

 「「・・・見たか?」」

 「「ああ。」」

 始終を目の当たりにした二体の騎士が頷き合う。

 「「どうやら、迷いを抜けたらしいな。少年・・・。」」

 カムイの姿を見とめた蒼の騎士、アクアマリナが呟く。

 「「ガスタの民に力を与えるか・・・。まさに”希望”だな。」」

 そう言って、感嘆の息を吐くルビーズ。

 「「我らも、遅れを取る訳にはいくまい。」」

 「「さればこそ!!」」

 そして彼らは再び地を蹴る。

 眼前に迫る巨人の足。

 それに向かって叩きつけられる、紅と蒼の輝線。

 ガガガッ

 岩を削る様な音が響き、青銅の肌に紫色の跡が刻まれる。

 「「やはり!!」」

 「「相応の力をもっての物理攻撃ならば・・・」」

 「「「「通る!!」」」」

 腕の痺れに確かな手応えを感じながら、二人の騎士は刃を振るう。

 ガガッ

 ガキッ

 ザガァッ

 撃音とともに増える傷。

 薄皮一枚程度のダメージ。

 しかし、それは確実にジールギガスの注意を引く。

 グゥウウウ・・・

 苛立たしげに漏れる呼気。

 巨蛇の如き尾がピクリと動く。

 そして―

 ゴウッ

 横薙ぎに振られた尾が、地を削りながら二人を襲う。

 「「ぬ!?」」

 「「来るか!!」」

 身構える二人。

 迫る尾。

 強大な力が、二人をまとめてはじき飛ばそうとしたその時―

 【水霊衝波(アクヴォ・インプルソ)!!】

 ザバァアアアアアアッ

 声とともに押し寄せた水波が、迫る尾を受け止める。

 「「何!?」」

 「「これは!?」」

 驚きと共に向けられた視線の先。

 そこにいたのは、杖を構えた魚人の姫。

 【早く回避を!!長くはもたない!!】

 彼女の言葉に、我に返る二人。

 咄嗟に、身を翻す。

 ゴゥッ

 一瞬の後、阻む水壁を破り散らした尾が、二人のいた場所を通り過ぎる。

 咄嗟の危機を回避した騎士達は、その隙をもたらした本人へと向き直る。

 「「・・・貴殿は・・・」」

 「「・・・ガスタではない・・・。その姿・・・」」

 鎧の奥の双眸が細まる。

 「「・・・リチュアとお見受けするが?」」

 「「如何なる所存か?」」

 鋭い視線が、彼女―『イビリチュア・メロウガイスト』を見つめる。

 まるで、その真意を見透かそうとする様に。

 【・・・大丈夫。この娘に悪意はありません。】

 不意に、声が響いた。

 それに、アクアマリナが反応する。

 「「その声・・・。カーム殿か!?」」

 【はい。】

 メロウガイストの中の、カームの魂が応える。

 【魂魄同調(オーバーレイ)をして分かりました。エミリア(この娘)は、私達に敵するつもりはありません。】

 「「・・・・・・。」」

 返ってくるのは、沈黙。

 【信じてください!!この娘は・・・】

 【・・・信じてもらえないのは、当たり前・・・。】

 カームの声を遮り、エミリアの声が響く。

 【わたしが・・・リチュア(私達)がした事は、許されない事・・・。どんな理由があろうと、絶対に・・・!!】

 「「・・・・・・。」」

 【その罪は、わたしが担う。リチュアの一員として。その教主の娘として。だけど・・・だけど・・・!!】

 声が、涙に咽る様に震える。

 【お願い!!今は、今この時だけは信じて。ジールギガス(あれ)を・・・ノエリア()の罪を止めるために!!】

 「「・・・・・・。」」

 「「・・・・・・。」」

 二人の騎士は、沈黙したまま。

 【お二方!!】

 カームの声が、もう一度訴えようとしたその時、

 「「了解した。」」

 アクアマリナが頷いた。

 【!!】

 メロウガイストが、ハッと顔を上げる。

 「「その心根、信ずるに値すると見た。」」

 ルビーズも言う。

 「「我らの背、貴殿に預けよう。」」

 【信じて、くれるの・・・?】

 震える瞳で見つめるメロウガイストを、二人の騎士は真っ直ぐに見つめる。

 「「カーム殿なら、分かっておられる筈。」」

 「「ジェム(我ら)は、正しき事を見誤らない。」」

 ルビーズが、刃を返した戦斧をメロウガイストに向ける。

 「「認めよう。貴殿を、新たな我らの盟友として。」」

 【・・・ありがとう・・・】

 エミリアの声で、メロウガイストが言う。

 スっと持ち上がる杖。

 そして、

 カチィンッ

 絆と誓いを結ぶ様に、戦斧と杖が打ち合った。

 

 

 ・・・彼に、明確な思考はない。

 そんなものは遥か過去、一度滅ぼされたその時に消え失せた。

 今、その内を満たすのは際限なく渦巻く憎悪と破壊欲。そして、飢餓。

 喰いたい。

 喰いたい。

 喰い尽くしたい。

 かつて、インヴェルズ(絶対捕食者)として万物を蹂躙した邪悪な本能。

 それだけが、今の彼の原動力。

 獲物は、掃いて捨てるほどに在る。

 足元の村に。

 その奥に。

 その向こうに広がる大地に。

 そして、ずっとずっと向こうの、世界に。

 衝動の赴くままに飽食しようとした彼を、しかし邪魔する者達がいた。

 周りを飛び交う、翠の羽虫達。

 足元を駆け回る、甲羅を被った地虫。

 自分にとって木っ端にすら足らないそれらが、しつこく纏わりついては彼の邪魔をした。

 それらが蠢く度に、皮膚をチクチクとした刺激が走る。

 幾ばくの疼痛にもならない。

 しかし、不快だった。

 酷く、不快だった。

 飛び交い、跳ね回るそれらが発する気配。

 それが、彼を苛立たせる。

 本能を逆撫でする嫌悪感。

 勇気。

 絆。

 想い。

 そして、光。

 失った、記憶が疼く。

 かつて、”それ”に屈した屈辱が。

 かつて、”それ”に斃された痛みが。

 ”それ”に、怯えた憎悪が。

 彼の内で渦を巻く。

 ゴ ォ ア ァ ア ア ア

 響く咆哮。

 大気が。

 大地が。

 恐怖に怯え、揺れる。

 瞬間、負の意思が破滅の光となってほとばしる。

 

 

 ジュバァアアアアアアッ

 ジールギガスの胸から、一際昏く眩い光が迸る。

 「むぅ!?」

 「きゃあっ!!」

 幾条にも迸る閃光。

 「うわぁ!!」

 すぐ脇を通り過ぎた閃光に、ダイガスタ・ファルコスが体勢を崩す。

 「カムイ!!」

 思わず呼びかける。

 それが、彼女の隙になった。

 一筋の閃光が、スフィアードを捉える。

 「くっ!!」

 回避する間はない。

 咄嗟に展開する、風の鏡(レラ・シトゥキ)

 しかし、意味はない。

 魔性の光は触れた瞬間にそれを消し去り、スフィアードを直撃する。

 「うわぁああああっ!!」

 悲鳴と共に吹っ飛ばされる、身体。

 「姉ちゃん!!」

 「駄目だ!!間に合わない!!」

 思わず近づこうとするファルコスを、ウィンダールが制する。

 「でも!!」

 「この位置!!行けば、お前もやられる!!」

 「!!」

 厳しい声音に、カムイは言葉に詰まる。

 「忘れるな!!我らの役目を!!今の我らは盾だ!!”彼女達”のために一分一秒でも多く時間を稼ぐ!!お前達も、それは承知の筈!!」

 「・・・・・・!!」

 唇を噛み締めるカムイ。

 それを力づける様に、ウィンダールは言う。

 「心配するな!!リーズは死んでいない!!シンクロ体(我々)には一度の猶予がある!!一時の感情に流されて愚を踏めば、それこそ彼女の想いに反する事だ!!」

 「・・・くっ!!」

 かけられる言葉に、ファルコスは何かを振り切る様に旋回する。

 それを見届けると、ウィンダールもイグルスの舵を切る。その顔に、深い苦痛の色を浮かべて。

 

 

 その間に、リーズは地べたに叩きつけられていた。

 刹那、風を繰って衝撃を和らげたものの、全身を走る痛みに身動きが出来ない。

 シンクロはジールギガスの魔光によって無効化され、分離したスフィアがコロコロと足元を転がる。

 霞む目で見上げると、再び輝き始める魔神の鏡が目に入った。

 このままでは、第二撃が自分を直撃するだろう。

 「・・・まずいかね・・・?こりゃ・・・。」

 声にならない声で呟きながら、身を動かそうと試みる。

 しかし、叶わない。

 魔神の鏡が、輝きを増す。

 そして―

 カァッ

 滅びの閃光が、彼女に襲いかかった。

 「!!」

 なす術なく、目を閉じる。

 その時、

 ヒュンッ

 空気を切る音とともに、飛んできた何かが光を遮った。

 途端―

 バシィッ

 リーズに迫っていた閃光が、弾き返される。

 「え!?」

 驚くリーズの目の前で、クルクルと舞った儀水鏡が燐光を散らしながら塵と散った。

 「今のは・・・」

 「おい!!あんた!!」

 背後から聞こえた声に振り返る。

 そこには、瓦礫の影から身を乗り出した銀髪の少年の姿。

 彼は瓦礫の山を駆け下りると、リーズの腕を掴む。

 「ボウっとするな!!早くこっちへ!!」

 「だ、誰だよ!?アンタ!!」

 自分の身体を担ぎ上げる少年に問うが、返ってくるのは苛立たしげな声。

 「そんな事、今はどうでもいい!!とにかく隠れろ!!足手まといになりたいか!?」

 「え、あ、でも・・・」

 「うるさい!!」

 リーズの当惑をねじ伏せると、少年―アバンスは彼女を手近な瓦礫の影へと引っ張り込んだ。

 

 

 「ハア・・・ハア・・・ハア・・・」

 戦禍の音が響き合う中、ウィンは懸命に駆けていた。

 絶え間なく流れる血。

 跳ねる度に悲鳴をあげる傷。

 ともすれば、絶えそうになる呼吸。

 戦いで消耗した身体。

 それに鞭打ち、彼女は走り続けていた。

 視界の隅。

 破壊の限りを尽くす魔神。

 それに立ち向かう、皆の姿。

 幾度も弾かれ、傷つき、それでも臆する事なく、また立ち上がる。

 その想いが、今の彼女を突き動かす。

 今の自分が担うもの。

 それは、皆の”希望”。

 それを成すために。

 それを掴むために。

 皆は戦っている。

 その全てを、”彼女達”に託して。

 だから、ウィンは走る。

 ”その場”を目指して。

 カッ

 視界の半分が、昏く染まる。

 魔神の胸から放たれた光が迫る。

 それが彼女を呑み込む瞬間、飛び出した影が間に割り込む。

 昏い光の中、消えゆく真紅の騎士の姿。

 それと引き換えに、光の帯は立ち消える。

 ウィンは立ち止まらない。

 許されない。

 それは、彼の意思を無下にする事。

 だから、彼女は止まらない。

 汗と共に頬を伝う滴。

 それを拭いながら、ただ走る。

 再び、視界を光が被う。

 迫る悪寒の中、一瞬懐かしい温もりが身を包む。

 目の前を一枚、翠の羽が舞って消えた。

 

 

                                 続く



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33話

                 ―33―

 

 

 「キャアアアアアッ!!」

 耳に響く悲鳴。

 目の前で、細身の身体が地面に叩きつけられる。

 力尽きた様に地に広がる、若葉色の髪。

 それを見た瞬間、気管が引きつる様な音を立てる。

 「お姉ちゃん!!」

 思わず駆け寄ろうとする。

 しかし、

 「来るな!!」

 苦しい息の下から放たれた、厳しい声音がその足を遮る。

 傷ついた身を細い腕で支えながら、彼女は妹に向かって言う。

 「足を止めちゃ駄目!!走りなさい!!」

 「でも・・・!!」

 「何のために、皆が命をかけてると思ってるの!?」 

 苦しい息の下から放たれる叱咤に、身が竦む。

 「分かるでしょ!?分かるなら、行きなさい!!一族(ガスタ)のために!!世界のために!!そして、私達のために!!」

 「――!!」

 瞬間、若葉色の結び髪が踵を返す。

 拍子に散った雫が、微かに頬を濡らす。

 遠ざかっていく後ろ姿。

 それが視界の向こうに消えるのを見届けると、ウィンダの意識はゆっくりと闇に堕ちた。

 

 

 「「ぐぅあぁあ!!」」

 【ああッ!!】 

 目の前をかすめる、滅びの邪光。

 彼女をかばった騎士の姿が、昏い眩きの中に消える。

 【く・・・!!】

 悔しげに唇を噛んだその時、胸を飾る鏡が震える。

 (無事か!?エミリア!!)

 幼い頃から、聞き慣れた声。

 竦みかけた心が、静かに凪いでいく。

 【ええ・・・。”彼ら”が守ってくれたから。】

 再び唇を噛みながら、碧の騎士が消えた先を見つめる。

 上級ジェムナイトは、二つの魂を持つ融合体。

 その存在を否定されたとしても、元の肉体が魂の受け皿となる。

 ―無事な、筈―

 その事を信じながら、彼女―イビリチュア・メロウガイストは杖を構え直す。

 再び震える、鏡。

 ”彼”の声が響く。

 (無茶するな!!今援護に行く!!)

 気遣う声。

 伝わる、想い。

 同時に、感じる視線。

 委ねたくなる、衝動。

 けれど、寸での所で振り払う。

 【来ないで!!】

 (え!?)

 【私には構わないで!!貴方は、”あの娘”達や倒された人達の援護を!!】

 (けど、それじゃあ・・・!!)

 【忘れたの!?】

 抱きしめようとする温もりを、振り払う。

 【私達がここに立つのは、犯した罪を償うため!!私達がここに在るのは、絡む呪いを断ち切るため!!】

 (エミリア・・・)

 【だから、守って!!私ではなく、私達の未来を紡ぐ者達を!!】

 叫ぶ様に言って、胸の鏡を引きちぎる。

 放り投げられる鏡。

 クルクルと宙を舞う鏡。

 次の瞬間、視界を覆う昏い輝き。

 バチィッ

 視界の向こうを走る朱髪の少女。

 それを呑み込もうとした光が、投げた鏡に弾かれる。

 少女の姿が、瓦礫の向こうに消える。

 見届けた様に、役目を果たした鏡は消えてゆく。

 もう、自分の声は届かない。そして、”彼”の声も届かない。

 けど、それでいい。

 今の自分達は、己の為にあるのではない。

 まして、リチュアの為でもありはしない。

 初めて。

 そう。初めて。

 世界の為に、在れるのだから。

 光の中に、立てるのだから。

 ふと、感じる視線。

 見上げれば、見下ろす赤眼とかち合う焦点。

 ”それ”は、哂っていた。

 彼女達の無力さを。

 卑小さを。

 そして、愚かさを。

 見下し。

 睥睨し。

 嘲笑っていた。

 【・・・哂うのね・・・。】

 彼女は言う。

 【私達を、哂うのね・・・。】

 輪廻を巡る様に、記憶が回る。

 【でしょうね・・・。あなたにとって、”私達”は玩具・・・。勝手に踊って、勝手に壊れて、それでも喜劇を演じ続ける、滑稽な自動人形(オートマタ)・・・。ずっと、ずっと、そうだった・・・。けど・・・!!】

 ブンッ

 振りかぶる、杖。

 その先端に、灯る青い光。

 【それも、ここで終わらせる!!】

 見下ろす巨躯の中心にも、光が灯る。

 昏い、昏い、奈落の光。

 自分の。

 リチュア(自分達)という存在。

 その根源。

 そして、絶対たる至高。

 意思とは裏腹に、心が竦む。

 畏怖という鎖。それに縛られ、強張る身体。

 ―呑まれる―

 心が、悲鳴を上げるその瞬間―

 【・・・怯えないで。】

 【!!】

 穏やかな声が、その心を抱き締める。

 【・・・大丈夫。貴女の想いは、わたしが受け止める。】

 それは、優しい。どこまでも優しい、風の歌。

 【だから、一人で負わないで。一人で、泣かないで・・・】

 【・・・・・・】

 【忘れないで。今の貴女は一人じゃない事を・・・】

 崩れかけた心が、凪いでいく。 

 抱き締める気配。

 それに、そっと意識を伸ばす。

 つながる、想いと想い。

 【・・・ありがとう・・・。】

 呟いて、目を見開く。

 視界を覆うのは、奈落の光。

 けれど、心はもう揺るがない。

 【・・・不思議ね。もう、何も怖くない。】

 その口元に、浮かぶ笑み。

 光の向こうに見える赤眼。

 それにむかって、語りかける。

 【哂うなら、笑えばいい。見下すなら、そうしなさい。だけど・・・】

 ヴゥン

 萎えかけていた杖の光が、再び輝く。

 【見下すだけの目に、先の世界は映らない!!】

 放たれる、滅びの光。

 つながる意識を、握り合う。

 【滅びしか知らない者が、未来を得るなんて出来はしない!!】

 振り下ろす、杖。

 青い光が、刃となって飛ぶ。

 【哂いなさい。そして、知りなさい。己という存在の脆さを。滅びという名の城の、砂上なる様を!!】

 迫る奈落を、青い閃光が切り裂く。

 (つばくろ)の様に飛んだそれは、ジールギガスの鏡へと当たって弾ける。

 ピシッ

 微かに響く音。

 耳に届く筈もない、か細い泣き声。

 けれど、確信を持って”彼女達”は、上を向く。

 その先にある、確かな明日を見据えて。

 雪崩込む、昏き光の奔流。

 それに呑まれる瞬間まで、その瞳が逸らされる事はなかった。

 

 

 「・・・エミリア・・・!!」

 メロウガイストの姿が光の中に消える様を、離れた瓦礫の上から見たアバンス。

 ギリッ

 悔しげに唇を噛む。

 広がる鉄錆の味は、気付け薬替わり。

 次の瞬間には揺れるマントを翻し、瓦礫の山を駆け下りる。

 嘆く暇も。

 憤る暇も。

 今はない。

 ただ。

 今はただ。

 彼女の託した想いをつなぐ為。

 彼は、宵闇の中を駆け抜けた。

 

 

 いつしか、”それ”に対峙するのは彼らだけになっていた。

 「巫女様・・・」

 視界の下で、光に呑まれた彼女。

 その身を案ずる声が、虚しく夜闇に溶けていく。

 「気を逸らすな。カムイ。」

 かけられる声に、目を向ける。

 そこにはいつの間に浮かんだのか、昏い空を朱に染める赤い月。

 そして、それを背に負って佇む”彼”の姿。

 「長・・・」

 「忘れたか?今の我々の役目を・・・。」

 抑揚のない声音で、ウィンダールは言う。

 「でも・・・!!」

 口元まで出かかった言葉。

 それを、カムイは呑み込む

 闇の向こう、苦しげに唇を噛み締めるウィンダールの横顔が見えた。

 そう。

 心が揺るがない筈がない。

 けれど、今の自分達の両肩には一族の、否、世界の存亡がかかっている。

 その重さを、自分達は分け合い、背負った。

 皆はただ果てていくのではない。

 その代価の様に、身に負う重さを先にある光への架け橋と変えていく。

 そう。

 一人、一欠片。

 確かに、組み上げて。

 ならば。

 自分も。

 自分達も。

 この背に負うそれを。

 確かに、継がなければならない。

 断ち切れる迷い。

 恐れ。

 ためらい。

 カムイの、ダイガスタ・ファルコスの身体が淡い光に包まれる。

 早春の野を駆ける、若葉香る光の風。

 『勇者の風(オロチョン・レラ)』。

 それを纏ったファルコス。そしてイグルスの身体が、新緑の輝きを放つ。

 グゥウウウウ・・・

 その輝きを煙がる様に、魔人―ジールギガスが上を向く。

 「カムイ。」

 「はい。」

 上向いた魔鏡に、昏い光が灯る。

 「行くぞ!!」

 「はい!!」

 二羽の巨鳥が、煌きながら空を裂く。

 二条の輝きは絡み合い、一本の流星となって駆け下る。

 ゴォオァアアアアッ

 響く咆哮。

 迎え撃つように、ジールギガスの魔鏡が光砲を放つ。

 ぶつかり合う、聖風の煌きと滅びの光。

 拮抗は一瞬。

 滅びの魔光は、瞬く間に翠の煌風を蝕み始める。

 しかし、彼らは怯まない。

 恐れない。

 「オォオオオオオオオッ!!」

 「ワァアアアアアアアッ!!」

 雄叫びをあげながら、翠の流星は進む。

 滅びに喰われながら。

 けれど、確実に。

 その身を斬り込む様に、突き進む。

 もう少し。

 あと少し。

 その切っ先が魔鏡に届いた瞬間。

 バシュウ・・・

 最後の灯火が消える様に、翠の流星は消え散った。

 けれど。

 遠のく意識と視界の中、カムイは見た。

 昏い光の向こう。

 小さく欠け落ちる魔鏡。

 そして―

 ボッ

 勝ち誇る魔神の前に、天を突く様に立ち上がった四色の光を。

 「てめぇ!!」

 声が響く。

 「いつまでも調子こいてんじゃないわよ!!」

 凛と。

 「奢るのも、ここまでだよ。」

 気高く。

 「お父様、お姉ちゃん、そして、皆の想い!!」

 力強く。

 「「「「無駄にはしない!!」」」」

 彼女達は猛る。

 カツンッ

 (こうべ)を合わせる、四彩の杖。

 そこから広がる、巨大な魔法陣。

 四人の少女達が、声を揃え張り上げる。

 

 「「「「『四霊彩華(エレメンタルバースト)』!!」」」」

 

 四色の輝きに彩られる世界。

 それをしかとその目に収め、カムイは安らかに瞳を閉じた。

 

 

                                   続く

 



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34話

                  ―34―

 

 

 ハア・・・ハア・・・ハア・・・

 滅びの光に蝕まれる世界の中を、ウィンは必死に駆けていた。

 絶対たる絶望。

 それに立ち向かう者達。

 彼らの想いを、その背に負って。

 幾つ目かもしれない瓦礫の山を乗り越えた時―

 「ウィンちゃん!!」

 懐かしい声が、彼女の耳を打つ。

 半壊した小屋の影から出てきた姿を見て、ウィンは思わず声を上げる。

 「ライちゃん!!ダル君!!」

 互いに駆け寄る、友と友。

 「大丈夫!?怪我はない!?」

 「はい。ウィンちゃんは・・・?」

 「うん!!どうって事ないよ!!」

 「良かった・・・。」

 軽く包容を交わす二人。

 「おい、あまり和んでる暇はないぞ!!」

 少しだけ和らいだ心を、ダルクの声が引き締める。

 「念話は聞いた。”あれ”をやるんだな?」

 「うん。ジールギガス(あいつ)をやっつけるには、きっとそれしかないから!!」

 「そうか。なら―」

 次の瞬間、ライナとダルク、そしてその下僕達の身体が光に包まれる。

 憑依装着。

 光る羽衣をなびかせながら、ライナは言う。

 「ウィンちゃんは、ライナ達がお守りします!!」

 闇に煙る衣をたゆらせ、ダルクも言う。

 「だから、お前は進む事だけを考えろ!!」

 「ライちゃん・・・ダル君・・・。」

 一瞬交錯する、三人の瞳。

 ウィンが、大きく頷く。

 「分かった!!お願い!!」

 「合点です!!」

 「ああ!!」

 そして、三人は夜闇の中を走り出した。

 

 

 「さて・・・。」

 エリアは腰に手をやると、目の前に現れた少年を値踏みする様に見つめる。

 「どなたかしら?その格好、どう見てもリチュアなんですけど?」

 あからさまな懐疑を隠しもせず、エリアは少年―リチュア・アバンスに問いかける。

 「ああ。リチュア・アバンス。察しの通り、リチュアのメンバーだ。」

 下手な弁明は信頼を損ねるだけと心得ているのか、アバンスは淡々と事実を述べる。

 「あら、素直です事。で、そのリチュアが今更何のご用?」

 向けられる冷ややかな、しかし隙のない視線。

 それを前に、しかしアバンスは動じない。

 「用?用は、一つだけさ。」

 言葉と同時に、腰の剣を抜き放つ。

 「!!」

 身構えるエリア。その前で、剣が一閃。そして―

 バガァンッ

 エリアの脳天を狙う様に降ってきた瓦礫が、粉々に粉砕された。

 「・・・どういうつもり?」

 頭にかかった礫砂を払いながらもう一度、問う。

 「見ての通りさ。あんた達を守る事が、今の俺の目的だ。」

 「その心は?」

 アバンスの指が上がり、ジールギガスの方を指す。

 「俺の大事な奴が、あそこで”あれ”と戦ってる。その力になりたい。」

 「!」

 「今更、贖罪なんて虫の良い事は言いやしない。事が終われば、裁きも受ける。だけど、今だけはこの想いの為に動きたい。それじゃ、駄目か?」

 それを聞いたエリア。一瞬沈黙し、そして―

 「あ~。そう言う事ね。」

 そう言って、スタスタと歩き出すとアバンスの横を無防備に通り過ぎる。

 「お、おい!?」

 「ほら。何ボサッとしてんのよ。こっちは急いでんの。置いてくわよ?」

 「お前・・・」

 目を丸くするアバンスに向かって、彼女は続ける。

 「言ったでしょ。大事な奴の力になりたいって。信用してあげるわ。その気持ち。」

 「・・・・・・。」

 「それ、分からないでもないしね。」

 そう言って、微笑むエリア。

 「・・・すまない。」

 そう呟くと、アバンスは彼女の後を追った。

 

 

 その頃、ヒータとアウスはアクアマリナが残した氷壁の影に身を潜めていた。

 「おい、大丈夫か?」

 ヒータが、座したまま魔法薬のボトルをあおるアウスを労わる。

 「ああ。お陰様で。だいぶ回復してきたよ・・・。」

 ボトルから口を離すと、アウスはハァ、と息をつく。

 「君達と違って、身体的なダメージを受けている訳じゃないからね。いつまでもへばってはいられないよ。」

 「そんな事言ってんじゃねぇよ・・・。」

 地面に散らばった魔法薬の空ビンを蹴飛ばしながら、ヒータは言う。

 「”アレ”の魔力消費は半端じゃねぇ。そんな状態でもつのかよ?」

 その問いに、アウスは少し考える様な素振りを見せて言った。

 「・・・うん。五分五分ってところかな・・・?」

 「・・・おい・・・。」

 「心配いらないよ。ウィン女史の想いは無駄にしない。もしもの時には、この命を魔力の底上げに・・・」

 「それが駄目だっつってんだよ!!」

 突然怒鳴られ、キョトンとするアウス。

 「お前のこった!!そう言うと思ったんだ!!これが合理的だからとか何とか言ってな!!」

 朱色の眼差しに睨まれたアウス。やれやれと言った感じで苦笑いをする。

 「君に見透かされるとはね・・・。これは、ますます焼きが回ったかな?」

 「お前、人を何だと思ってんだ。」

 腰を屈めながら視線をアウスに合わせると、そのおでこをビンッと弾く。

 「よしんばそれであのバケモンを倒せてもなぁ、お前がくたばっちまったらウィンにとっちゃ同じ事なんだよ!!」

 がなりつけながら、イラつくように自分の赤髪をガシガシやる。

 「全く、知恵が回るくせして、どうしてそういう事には気が回らねえかな!?」

 そんな級友を不思議そうに眺めながら、アウスは問う。

 「けどね、他に手は・・・」

 バシッ

 言いかけた手から、魔法薬のボトルがひったくられる。

 ポカンとするアウスの前で、ヒータが半分位残っていたそれを一気にあおる。

 「プハッ!!」

 大きな息をついで、グイッと口を拭う。

 「オレがやる。」

 「え?」

 「お前が足らない分は、オレが埋める。だから、妙な気起こすんじゃねぇぞ!?」

 「・・・・・・。」

 「わかったか!?」

 アウス、息がかかるくらいの距離まで顔を寄せてがなるヒータをしばし見つめ、そして―

 「フ・・・フフフ・・アハハハハ・・・」

 愉快そうに笑いだした。

 今度は、ヒータの方がキョトンとする。

 「な、何だよ!?急に!!オレ、何か変な事言ったか!?」

 ムッとした様子の彼女に向かって、アウスは言う。

 「いやいや。すまない。何の事はないよ。些か、神の選択を呪っていただけさ。」

 「ハ?」

 「何で、ボクと君は同性に生まれたのかな?」

 「ハイ?」

 「ボクが・・・もしくは君が男性なら、間違いなく口説く所なんだけどね?」

 「・・・ハァ!?」

 一瞬、言葉の意が脳に浸透しかねる。

 ジックリと間をおいてそして―

 「バッ!!バババ馬鹿野郎!!何トチ狂った事言ってやがんだ!?」

 顔を染めながらテンパるヒータ。

 それを見たアウスが、ニッと笑む。

 久々の、小悪魔スマイルである。

 「おや?面白い反応だね。ひょっとして、君も乗り気かい?」

 「え?あ、いや、これはだな・・・!!」

 「そう言えば、巷では”こういうの”を指す言葉があったね?確か、何か花の名になぞらえて・・・」

 言いながら伸ばす手。

 細い指が、ヒータの顎をツツ・・・、となぞる。

 「な・・・な・・・!?!?」

 「どうせ、いつかは通る道だ。そこらの有象無象に散らさせるくらいなら、いっそこの場でボクが・・・」

 艶のこもった声で囁くと、アウスは硬直しているヒータの口に顔を寄せ―

 

 「アホか――――!!!」

 「ブッ!?」

 

 唐突に響いた叫びとともに、飛んできた靴がヒータの顔面を強打した。

 ちなみに、アウスはちゃっかり避けている。

 「この非常時に何やってんのよ!?あんた達は!?」

 そんながなり声と共に、肩をいからせながら近づいて来たのはエリア。

 「やあ、エリア女史。無事で何よりだよ。」

 「何よりじゃないわよ!!人が死ぬ思いして駆けつけたってのに!!」

 言いながら靴を拾うと、それでヒータの頭をペシペシする。

 「何、何処ぞの薄い本みたいな真似してるかな!?この脳天お花畑は!?」

 「ちょっと待てよ!!何でオレばっかり!!元はと言えばアウスが・・・」

 「そうですー!!」

 そこへ割り込んで来る声。

 「もうちょっと待ってれば、リリィで耽美な世界が垣間見れ・・・」

 「・・・リリィって何?」

 「知らなくていい!!」

 「あら、遅いご到着ね。」

 反対側の瓦礫を乗り越えてきたウィン達に向かって、エリアが言う。

 「ああ、遅れて悪かった・・・。けど・・・」

 エリアから一歩下がった所にいるアバンスを見て、目を険しくするダルク。

 ライナも、真顔に戻って彼を見つめる。

 「どっかで、見たお顔ですね・・・。」

 「この期に及んで、まだ邪魔するつもりか・・・?」

 杖を構える二人。

 しかし―

 「はい。ストーップ。」

 三人の間に、エリアが割って入る。

 「エリアちゃん?」

 「そいつは・・・」

 「言いたい事は分かってるわ。でも、無問題。」

 「けど・・・」

 「あたしが、こいつに背を預けてる。それで十分でしょ?」

 そう言って胸を張るエリア。

 「今は、くだんない事で時間食ってる場合じゃない。OK?」

 一拍の間。

 そして―

 「・・・それもそうか。」

 「ですね。」

 あっさりと構えを解くライナとダルク。

 拍子抜けしたのは、アバンスの方。

 「・・・それで、いいのか?」

 「まあ、全面的にという訳ではないですが・・・。」

 「それどころじゃないのも、確かだしな。」

 「・・・すまない・・・」

 そんな二人に、アバンスは静かに頭を下げた。

 

 

 「さあ、時間がないわ。さっさとやるわよ。」

 「うん。このままじゃ、お父様達も持たない。」

 「そうだね。早く始めて、早く終わらせよう。」

 「あのデカ物の喚き声も、いい加減耳障りだしな。」

 それぞれの言葉と共に、集う四人。

 「・・・皆、半端な負荷じゃない。覚悟はいいかい?」

 皆を見回し、問うアウス。

 「何を今更。」

 フフンと鼻を鳴らすエリア。

 「お父様達の苦難に比べたら・・・」

 表情を引き締めるウィン。

 「胸糞悪いもんも見飽きたしな・・・。」

 巨人の鏡が魂を喰らう様を想起し、怒りを顕にするヒータ。

 「・・・何をする気だ・・・?」

 怪訝な顔をするアバンスに、ライナが答える。

 「必殺技です。」

 「必殺技?」

 ますます訳が分からないと言った体のアバンス。

 「黙って見てろ。」

 ダルクが言う。

 「すぐに、分かる。」

 その声音に何かを感じ取ったのか、沈黙するアバンス。

 その三人が見守る前で、ウィン、エリア、ヒータ、アウスの四人が円陣を組む。

 それぞれが杖を正眼に構え、瞑想する様に目を閉じる。

 そして―

 「鎮め地精 万刻刻みし真理の黄土 不変の礎 座して抱け」 

 「清め水精 万里を流れる真理の蒼水 永久なる浄成 舞いてせせらげ」

 「猛れ火精 万物焦がす真理の紅火(くれび)無限の再生 逆巻き燃やせ」

 「踊れ風精 万世を旅する真理の緑風 絶えなき調律 奏で歌えよ」

 一斉に始まる唱和。

 ヴォン

 同時に、四人を中心に巨大な魔法陣が広がる。

 「これは!?」

 見た事のない、四彩の魔法陣。

 アバンスが当惑の声をあげる。

 「言ったでしょう?必殺技だって。」

 「あいつら最大の、そして最後の、奥の手だ。」

 呟く様に言うライナとダルク。

 そんな彼らを抱き込みながら、世界はゆっくりと四色に染まりいく。

 

 

 「・・・温かい・・・。」

 地に横たわるウィンダが呟く。

 「分かるか・・・?ラズリー。」

 「はい・・・。世界が、歌っています・・・。」

 ひびけた鎧を支えながら、大地の騎士達はそれを感じる。

 「ああ・・・。ここに、いるんだね・・・。」

 瓦礫にもたれるリーズの頬を、一筋の雫が流れる。

 「おじさん・・・。おばさん・・・。」

 優しい光が、静かにその頬を拭った。

 「・・・私を・・・私達を、受け入れてくれるの・・・?」

 ボロボロになった身体を水たまりに揺らしながら、エミリアは言う。

 「・・・気付かなかった・・・。”あなた達”は、こんなにも・・・」

 振り絞る様に掲げた手の中で、降り注ぐ光が踊った。

 「おお・・・」

 光の中、佇むムストの周りに子供達が集まる。」

 「ムスト様・・・。これは、何?」

 「とても、優しくて・・・温かい・・・。」

 ムストは腰を屈め、子供達を抱きしめる。

 「お前達・・・どうか、覚えておいてくれ・・・。」

 温かい雫が、子供達の顔に落ちる。

 「これが、大地の意思・・・。風の、声だ・・・。」

 滅びの光の中で、ウィンダールは見る。

 天と地を染める四色の光。

 その中に立つ、愛しき者の姿を。

 「ウィン・・・。」

 微かに、微笑む。

 そして、彼の意思は光に溶ける。

 その瞬間、四色の柱が天を貫いた。

 

 

 グゴォオオオオオオオッ

 目の前を染めるそれに、滅びの魔神は初めて驚愕の声を上げる。

 遠雷の如く響く咆哮の中で、それでも少女達は凛と立つ。

 「てめぇ!!」

 「いつまでも調子こいてんじゃないわよ!!」

 「奢るのも、ここまでだよ。」

 「お父様、お姉ちゃん、そして、皆の想い!!」

 

 「「「「無駄にはしない!!」」」」

 

 (こうべ)を合わせる、四霊の杖。

 輝く魔法陣。

 四つの声が、その名を結ぶ。

 

 「「「「『四霊彩華(エレメンタルバースト)』!!」」」」

 

 瞬間、世界の意思が鉄槌となって降り下った。

 

 

 ゴォオオオルァアアアッ

 天から己に向かって振り落ちてくる、四彩の光柱。

 それを見上げ、ジールギガスは雄叫びを上げる。

 シュウウウウウ

 その胸の鏡に収束する力。

 そして―

 ゴバァッ

 滅びの黒光が、それまでにない密度をもって放たれる。

 落ちくる光。

 猛昇る光。

 ドォオオオオオオオオオンッ 

 二つの光が、互いを喰い合う龍の如くぶつかり合う。

 無限たる命の光。

 絶対たる滅びの光。

 相反する二つの力は拮抗し、互いを呑み込もうと唸り吠える。

 その圧力の凄まじさ。

 術者たる少女達の身体が、悲鳴を上げる。

 「く・・・ぁ・・・」

 「やろ・・・う、往生際が・・・悪ぃんだよ・・・!!」

 「どう・・・せ・・引く気は・・・ないだろうけど・・・ね・・・」

 「しつっ・・・こい、男は・・・キラ、イ・・よ・・・!!」

 血が滲む程に歯を食いしばり、震える足に力を込める。

 汗でぬめる手で必死に杖を掴み、骨が軋む痛みに耐える。

 続く膠着。

 しかし、かかる負荷は次第に少女達の方に傾き始める。

 当然かもしれない。

 如何に複数人とは言え、所詮は限りある人間(ひと)の身。

 他者の魂を喰らい、無限の糧とする魔神相手は分が悪い。

 そして―

 「くっ!!」

 「アウス!?」

 「アーちゃん!?」

 アウスが膝を屈した。

 「・・・やっぱり・・・足りない、か・・・」

 想定の範囲内。

 「・・・それなら・・・」

 先に言っていた事を、成すまで。

 杖を持つ手に、もう一度力を込める。

 生命力の、魔力への変換を始めようとしたその時―

 ガシッ

 横から伸びた手が、つえを掴む彼女の手を包んだ。

 「・・・だから・・・馬鹿な真似、すんじゃねぇよ・・・!!」

 「!!、ヒータ女史・・・!!」

 「言ったろ・・・足りない分は、オレが持つって・・・」

 言葉と同時に、アウスの方へと流れ込み始める魔力。

 「く・・・!!」

 苦しげに歪むヒータの顔。

 「よしてくれ!!そんな事をしたら、今度は君が・・・」

 「・・・この非常時に、屁理屈こねるな・・・!!」

 今度は、反対側から伸びてきた手がアウスの方を掴んだ。

 「!!、ダルク氏・・・!!」

 「・・・僕だけじゃないぞ・・・」

 同時にアウスの頭に乗る、柔らかい感触。

 『お嬢。たまには頼りにしてーな。こんなん時の為の、使い魔やろ?』

 「デヴィ・・・」

 『如何程ノ助ケ二ナレルカハ、分カリマセンガ・・・。』

 デーモン・ビーバーとD・ナポレオンも、彼女に寄り添いながら言う。

 「・・・魔力の不足分は、僕達が補う。お前は魔力の属性変換にだけ集中しろ・・・。」

 「・・・ありがとう・・・」

 軽く目を閉じてそう言うと、アウスは再び立ち上がる。

 「ここまでしてもらっては、やるしかないね!!」

 その言葉に呼応する様に、地霊の杖に確かな光が戻った。

 

 

 『見せ場をとられたな。姫。』

 「みてーだな・・・。」

 ヒータの肩で、きつね火が笑う。

 「で、お前は何してんだ?」

 『訊くのかい?』

 「いや・・・。ありがとよ・・・。」

 そう微笑んで、ヒータはきつね火の頭を撫でた。

 

 

 「・・・ライちゃん・・・」

 「ニャハハ。最後のイイところを、ウィンちゃん達だけに持って行かれる訳にはいきませんからね―。」

 『そうだよ。ウィン。いいとこ取りはなしだよ。』

 『トモダチは、いつだって一緒じゃなきゃ。』

 自分の手を握るライナの手。

 寄り添うプチリュウとハッピー・ラヴァー。

 魔力とともに伝わる温もりに、ほんの少し、安らぎの息をつく。

 そして、ウィンの足は再び大地を掴んだ。

 

 

 「・・・お前の使い魔は、来ないのか?」

 問いかけるアバンスに、エリアはつまらなそうに鼻を鳴らす。

 「あの子には、ちょっと役目を持ってもらってるから。」

 「役目?」

 「ええ。エリアルってゆーおバカを見てもらってんのよ。」

 「!!、エリアルを!?あいつ、生きてるのか!?」

 驚くアバンスに、エリアは不思議そうな顔をする。

 「当たり前でしょが。何で死なさなきゃなんないのよ?」

 「・・・すまない・・・。」

 「あんた、謝ってばっかりね。」

 ククッと笑うエリアに、アバンスは問う。

 「寂しくは、ないのか?」

 「何で寂しいの?心は繋がってる。十分よ。」

 「・・・・・・。」

 「あんたも、そうじゃないの?」

 「!!」

 「分かるわよ。あんたも同じだものね。」

 エリアの言葉に、アバンスは苦笑する。

 「・・・敵わないな・・・。」

 「そうよ。あたしに敵うやつなんていないの。だから、あんなブッキーな化物なんて、ちょちょいと片付けちゃうわ。」

 「その割には、顔色が悪いみたいだけどな?」

 「ちょっと、ガス欠気味なだけよ。でも、もう無問題。」

 ガシッ

 エリアの手が、アバンスの腕を掴む。

 「丁度、替えのボンベが来たからね。」

 「おい・・・」

 「そのつもりで来たんでしょ?」

 アバンス、少し困り顔。

 「まあ、そりゃそうなんだが・・・」

 「なら、働きなさい。馬車馬の様にね。」

 心持ちゲッソリしながら、アバンスは言う。

 「・・・お前、実はエリアルよりタチ悪いだろ・・・?」

 「さーて。どーだか?」

 そして、エリアは汗まみれの顔で綺麗に笑った。

 

 

 グゥオォオ・・・!!

 ジールギガスは狼狽していた。

 たった今まで、確かに圧倒していた筈の”それ”が勢いを増してきていた。

 ジリ ジリ

 押されている。

 その事実を、屈辱と共に受け止める。

 しかし、滅びの王たる矜持と狂気は消えはしない。

 ゴォオオオオオオオッ

 鏡から迸る光が、勢いを増す。

 それが、落ちる光柱を再び押し返そうとしたその時―

 ピシンッ

 微かに響く音。

 鏡の端に、一筋の亀裂が走っていた。

 それは、ウィンダール達が、そしてエミリア達がその身を賭してつけた傷。

 ピキキキキ・・・

 亀裂は瞬く間に広がり、そして―

 パキンッ

 欠けおちる。

 同時に、滅びの光に生じる一筋の欠影。

 それはまさに、堤防に開いた一つの穴。

 ―見逃す、筈がなかった―

 「みんな!!」

 「おぅ!!」

 「行くわよ!!」

 「うん!!」

 吠える少女達。

 それに答え、世界が、精霊達が猛る。

 勢いをます四彩の光。

 砕け、押しつぶされる滅びの光。

 ゴゥオァアアアアアッ!!

 叫ぶジールギガス。けれど、勢いは止まらない。

 吠える。

 猛る。

 世界が。

 生命(いのち)が。

 そして―

 

 滅びの魔神が、四彩の光の中に呑まれて消えた。

 

 

                                   続く

 



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35話

                 ―35―

 

 

 ズゴォオオオオオオオ・・・

 天と地を繋ぎ、渦を巻く光。

 その光の中で、巨大な影が崩れ落ちていく。

 やがて、光の柱は少しずつその身を減じ、四色の光の粒子となって大気に溶けた。

 「ぷはぁっ!!」

 「はっ、はぁっ!!」

 同時に、支えを失った様に崩れる少女達。

 「き、きっつぅ~!!」

 「ほんと・・・ギリギリ・・・。」

 汗だくの身体で息を付きながら、ある者は座り込み、またある者は大の字に転がる。

 そんな中で、一人杖を支えに立っていたウィン。

 虚ろな眼差しで皆を見つめ、ゆっくりと口を開く。

 「みんな・・・」

 その口が、「ありがとう」と呟こうとしたその時―

 

 グゥルァアアアアアアアアアッ

 

 絶望の叫びが、響き渡った。

 

 

 「何!?」

 「そんな!!」

 驚く皆の目の前で、巨大な影が起き上がった。

 それは紛う事なく、たった今光の中に崩れた筈の姿。

 角は折れ、大鰭はズタズタとなり、鏡を失い、全身はひびに覆われている。

 満身創痍。

 そう言うに相応しい有様。

 それでも、狂気に彩られた眼差しは今だ爛々と光り、その身体は凄まじい凶気を吹き散らす。

 「・・・マジかよ・・・?」

 「もうひと押し、足りなかったか・・・。」

 「ほんっと・・・しつっこいわねぇ・・・。」

 言いながら、立ち上がろうとする少女達。

 しかし、満身創痍なのは彼女達も同じ。

 支えとなるべき足はガクガクと震え、身を動かす事もままならない。

 「これ・・・ちょっとやばくねぇか・・・?」

 ヒータの言葉を、皆が無言で肯定する。

 と、

 ザッ

 よろめきながらも、立ち上がる者が一人。

 彼女はふらつきながらも、身を引きずる様にして前に進み始める。

 「・・・ちょっと・・・」

 それを見たエリアが、呼びかける

 「・・・何する気よ?」

 それに、振り返る事なくウィンは答える。

 「・・・ガスタ(ここ)は、わたしの故郷・・・。わたしが、守らなきゃいけないの。」

 その目には、虚ろながらも強い光が宿っている。

 「エーちゃん、皆、ありがとう。ジールギガス(あいつ)は、ガスタ(わたし)が止める。だから、皆は・・・」

 ゴギャン

 「ふんぎゃっ!?」

 飛んできた杖に脳天を強打され、ウィンは踏んづけられたアマガエルみたいな声を上げる。

 「君は実に馬鹿だなぁ!!」

 聴き慣れた声に、耳慣れた言葉。

 杖を放り投げたアウスが、彼女としては珍しく甚だ憤慨と言った顔で睨む。

 ちなみに、アウスの杖はその先端に固くかつ角ばった水晶がいくつも飾られており、当たると非常に痛い。

 「ちょっとアウス。人がやろうとした事、先にやんないでよ。」

 エリアが上げる、抗議の声。

 しかし、アウスは取り合わずにフンと鼻を鳴らす。

 「君”も”実に馬鹿だな。気持ちは皆同じだろう!?なら、早い者勝ちだ。」

 言いながらヨロヨロと立ち上がると、アウスは頭を押さえて悶えているウィンに詰め寄る。

 「何かい?君はここに至って、ボク達に君らを置いて逃げろとでも言うつもりかい!?」

 「だ・・・だって・・・」

 「君は実に・・・」

 拾った杖を振り上げるアウス。

 思わず頭を庇うウィン。

 「バカ野郎!!」

 ジュウッ

 尻を炙られた。

 「うみゃあーっ!!」

 ウィン、飛び上がる。

 落っこちてきた彼女を見下ろす、ヒータ。ダルク。ライナ。

 三人とも、目が怖い。

 「・・・あ、あの・・・?」

 怯えるウィンを睨めつけながら、ライナがダルクに意見を訊く。

 「ライナ達は、どうしましょうか?」

 「・・・そうだな。取り敢えず、『黒の宝珠(ブラック・コア)』でもかましとくか?お前は『雷閃爆(サンダー・クラッシュ)』でもぶっぱなせ。魔力、残ってるか?」

 「それくらいなら、余裕なのです。」

 「ちょっと待って!!死んじゃう!死んじゃうから!!」

 慌てて手をふるウィン。その胸倉を、ヒータが掴む。

 「お前!!マジふざけんなよ!!一人だけ、いいかっこして死ぬ気か!?」

 「だ・・・だって・・・」

 「『周りを顧みない自己犠牲は、体のいい自己満足』。」

 「!!」

 「どっかの”お節介”のお言葉よ。言う側になると、よく分かるわね。」

 コツコツと杖でウィンの頭を小突きながら、エリアは言う。

 「ここであんたが犠牲になって、それでどうなるって言うのよ?」

 蒼い瞳が、真っ直ぐにウィンを見つめる。

 「先生は?先輩達は?あんたの家族は?村の連中は?どれだけの人が、泣くんでしょうね?」

 「エーちゃん・・・でも・・・」

 「そして、あたし達も。」

 「あ・・・!!」

 「ここでおめおめあんたを死なせて、その後あたしらにどんな面して生きてけって言うのよ。あんたは。」

 言葉を失う、ウィン。

 「霊使い組は、いつでも一緒。そうでしょ?」

 「エーちゃん・・・。」

 皆を見渡す。

 皆、同じ顔、同じ瞳で頷く。

 ウィンの目から、あふれる涙。

 「ごめん・・・。ごめんね・・・。」

 それを拭いながら、エリアは言う。

 「ほら、泣いてる暇はないわよ。」

 フッ

 その言葉と同時に、堕ちる影。

 ジールギガスが、その巨体を押し倒す様に襲いかかってきていた。

 遠くで、誰かが叫ぶ。

 迫り来る魔神を見据えながら、ウィン達は互いの手をつなぐ。

 「一緒・・・だね。」

 「とーぜん。」

 「牙の一本くらい、へし折ってやるぜ。」

 「いい考えだね。乗らせてもらうよ。」

 「全く、ついてないな。」

 「さーて。あっちじゃ何人トモダチ出来るですかね?」

 互いに、フフッと笑い合う。

 「お前ら!!逃げろー!!」

 倒れていたアバンスが声を振り絞る。もう、それが叶わない事と知りつつも。

 ジールギガスの巨体が、空を覆う。

 伸びる、4本の腕。

 魔神が、少女達を呑み込まんと口を開ける。

 そして―

 

 「やれやれ。まだまだ、詰めが甘いですね。」

 

 穏やかに流れる声。

 瞬間―

 ドゴォアァアアアッ

 月光を纏った白銀が、ジールギガスを弾き飛ばした。

 

 

 ゴギァアアアアアアッ

 ジールギガスの巨体が、絶叫とともに転がる。

 しかし、それは最早視界には入らない。

 破滅の魔神を、玩具の如く蹂躙せし存在。

 月天の王の如く、そびえる巨体。

 それは、白銀に輝く鋼殻に身を包んだ一頭の巨龍。

 蒼い、海の底の様に蒼い瞳。

 無様に這いつくばる魔神を睥睨し、見下し、そして―

 グゥオォオオオオオンッ

 咆吼した。

 その場にいる全ての者が、ただ呆然とその様を見つめる。

 誰かが、呟く。

 畏敬と。

 畏怖を込めて。

 「青眼の(ブルーアイズ)・・・」

 「白龍(ホワイトドラゴン)・・・。」

 その名を、呼んだ。

 

 

 「ほら、皆さん。何をボーッとしてますか?」

 忘我の極地にあった皆の背にかかる声。

 心臓が飛び上がる。

 振り返ったその先で、シャラリと揺れる黄金(こがね)の髪。

 「せ・・・」

 「「「「「「先生―!?」」」」」」

 皆そろって驚いた。

 「ど、どうしてここに・・・?」

 「教え子達の一大事ですからね。のんびりお茶を楽しんでいる訳にもいかないでしょう。それに・・・」

 ニッコリと笑う先生こと、精霊術師ドリアード。

 シャラシャラと髪をさざめかせながら、続ける。

 「あなた達がいないと、退屈でしかたありません。」

 「先生・・・。」

 目を潤ませるウィン。

 しかし、ドリアードはその表情を引き締めると、教え子達の背後へと視線を送る。

 「申し訳ありませんが、気を緩めるのはまだ早いですよ。」

 「!!」

 ズズ・・・

 低く響く地鳴り。

 彼女達を守る様に立ちはだかる、青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)。その向こうで、巨大な影が蠢く。

 「あいつ・・・」

 「まだ・・・」

 ゆっくりと起き上がるジールギガス。

 グルルルルル・・・

 身構える白龍。

 その前で、ジールギガスの身体に異変が起きる。

 ビッビシッ

 巨体を覆う無数のひび。

 そこから、昏い光が漏れ出していた。

 「な、何だ!?」

 「あいつ、何を・・・!?」

 「先生・・・あれは・・・」

 「ええ。その様ですね。」

 皆が狼狽する中、アウスとドリアードは冷静に事態を分析する。

 「どうやら、体内に溜め込んだ破滅の力を・・・」

 「その身を砕いて放出するつもりの様ですね。」

 出された結論に、皆が仰天する。

 「な・・・!?」

 「マジ!?」

 「そ、それされたら、どうなるですか!?」

 「そうですねぇ・・・。」

 しばし、何かを考えるかの様な素振りを見せると、ドリアードはこう言った。

 「恐らく、ここを中心に半径数十キロメートル内の全ての物質が消滅するでしょうね。」

 「・・・お、おい・・・!!」

 「そ、そんなの駄目!!」

 ウィンが、悲鳴の様な声で叫ぶ。

 「ここは、この村は、ガスタの・・・皆の故郷・・・!!ううん、それだけじゃない!!皆が、お父様達や皆が命をかけて守ってくれた場所!!だから・・・だから・・・!!」

 「落ち着きなさい。」

 ポン

 半狂乱のウィンの頭に、ドリアードの手が乗せられる。

 「この地が、大事なのですね?」

 もう一度、確かめる様な声音。

 頷く、ウィン。

 「それなら・・・」

 ポウ・・・

 ドリアードの手の平に浮かび上がる、緑色の光。

 それを、ウィンの前に差し出す。

 「・・・え?」

 「貴女が、守りなさい。」

 「先生・・・?」

 「知っていますよ。この5年間、貴女が一人で頑張っていた事・・・。」

 手渡される、光。

 それを見たウィンの目が、驚きに見開かれる。

 「この子は・・・!!」

 「足りない欠片は、”その子”だけ・・・」

 自分に向けられる視線に笑顔で応えると、ドリアードは言った。

 「ご家族に、見せて差し上げなさい。貴女の歩んできた道の、如何なるかを。」

 「・・・はい!!」

 力強く頷くウィン。

 そして―

 「おいで!!ぴよっち!!」

 ポウンッ

 呼びかけに応えて左手に召喚されるのは、玉子のカラを被ったヒヨコの様なモンスター。

 その名も『ぴよコッコ』。

 パタパタと懸命に翼を動かして空中に舞い上がる姿に微笑みかけると、右手に向かって呼びかける。

 「ぷっちん!!お願い!!」

 『了解!!』

 それはもう、阿吽の呼吸。翼を広げ、天に昇るプチリュウ。

 そして、

 「お願い。力を貸して・・・。」

 手の中の光に口付けすると、それを天に解き放つ。

 光は、猛スピードで先に向かった2体を追う。

 切り裂かれる大気の中で、光の中から現れた姿。

 「あれは!?」

 それを見たアウスが、驚きの声を上げる。

 「『デブリ・ドラゴン』!!」

 皆が見上げる中、三体のモンスターの軌跡が重なった。

 

 

 グルゥオオオオオオァッ

 それに何かを察したジールギガス。

 奈落の様な口を開き、体内に渦巻く滅光を放つ。

 しかし―

 「抑えなさい。ホルティア。」

 静かに響く、ドリアードの声。

 グォアアアアアッ

 応えるように響く青眼の咆哮。

 その口からほとばしる、青白い閃光。

 『滅びの爆裂疾風弾(バーストストリーム)

 光の滅光と闇の滅光。

 ぶつかり合う、二つの滅び。

 互いに喰らい合い、無の光へと散じていく。

 吹き荒れる爆風の中、身動ぎ一つする事なく立つドリアード。

 「困りますね。可愛い生徒の晴れ姿を邪魔されては。」

 そう言って、眼前の魔神にニコリと微笑んだ。

 

 

 「・・・いける!!」

 荒ぶ暴風。

 その向こうに感じる、確かな希望

 天に伸ばした己が手の先。輝く奇跡。

 それを見つめ、ウィンは高らかに叫ぶ。

 「神化降霊(シンクロ・アドベンド)!!」

 差し伸べた手。

 力。

 願い。

 想い。

 全てを集め、握り締める。

 力は風に。願いは翼に。想いは御霊に。

 結ぶ言の葉は、ただ一つ。

 

 「『クリアウィング・シンクロ・ドラゴン』!!」

 

 瞬間、澄んだ風が閃いた。

 

 

 クゥオォオオオオオオンッ

 高風(たかかぜ)の如き、雄叫びが響き渡る。

 吹き荒ぶ風の中から現れたもの。

 それは、蒼銀の身体に6枚の翠緑の翼を閃かせる巨龍。

 「クリアウィング・・・」

 「シンクロ・ドラゴン・・・」

 「ウィン(あいつ)、いつの間に・・・」

 驚きを隠せない皆の中、ドリアードは静かに頷いた。

 

 

 ウィンは、優しい風の中にいた。

 澄み渡ったそれで胸を満たすと、静かに閉じていた目を開ける。

 手が感じるのは、冷たくて温かい、不思議な感覚。

 見下ろすと、肩越しに自分を見つめる金色の眼差しと目があった。

 「・・・初めまして・・・かな・・・?」

 ”彼”の背を撫でながら言う。

 金色の光が、確かに微笑む。

 それに微笑み返しながら、ウィンは願う。

 「力を、貸してね・・・?」

 クゥオォオオオオオオンッ

 答える様に響く咆哮。

 そして、透麗なる風の如き竜はその背にウィンを乗せ、空を駆けた。

 

 

 「お父上・・・ウィンが・・・」

 「ああ・・・」

 彼らは見ていた。

 互いの身体を、支え合いながら。

 風の竜に乗り、空を駆ける愛しき者の姿を。

 その様は、まるで・・・。

 「なんて、綺麗な風・・・」

 万感のこもった娘の言葉に、ウィンダールは誇らしげに頷く。

 「ウィン・・・!!」

 握り締めた手を突き上げ、ウィンダは叫ぶ。

 「やっちゃえ!!」

 答える様に、三度の咆哮が響いた。

 

 

 竜は駆ける。

 恐れも、迷いも、散り飛ばし。

 一直線に。

 ”それ”に向かって。

 そして、“それ”も気づく。

 己を貫かんと迫る、翠緑の風に。

 もはや、生に対する執着はなかった。

 そんなものは、あの四彩の光の中に置いてきた。

 今の彼が望むもの。

 それは、全ての破滅。

 滅びの王たる自分の、最後の矜持。

 雄叫びを上げる。

 己を、自分を滅さんとする不敬の輩を。

 その存在を許す、この世界を。

 消し去る為に。

 身体中のひびから、放たれる黒光。

 滅びの斜光が、全てを焼き尽くそうとしたその時―

 迫る竜が、吠えた。

 閃く、6枚の翼。

 途端、吹き荒ぶ翠の風。

 彼が放った光はそれに吹き散らされ、細かな欠片となって散り消えた。

 吹き荒ぶ風の中、彼は悟る。

 最期の時を。

 微かに、笑む。

 滅びは、初めてではない。

 幾度も繰り返し。

 幾度も阻まれた。

 今この時も、その無限の内の一度であるだけ。

 この次は。

 いつかは。

 受け止める様に、四腕を広げる。

 瞬間、風の竜が流星となり、その身体を貫いた。

 崩れ落ちる身体。

 その顔に、不遜な笑みを浮かべ。

 滅びの王は、風の中の塵と散じた。

 

 

                                   続く

 



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36話

                  ―36―

 

 

 彼女は見ていた。

 己の手下(てか)達の行く様も。

 魔神(ジールギガス)の崩れゆく様も。

 そして、リチュアの崩壊も。

 

 

 彼女の周り。

 何もない。

 誰もいない。

 けれど、彼女の表情は変わらない。

 薄く笑みを浮かべたまま、目の前の暗闇を見つめている。

 ―と、

 ス・・・

 無音で上がる手。

 それが向けられた先で―

 ボウッ

 唐突に、緑色の魔法陣が現れる。

 詠唱破棄。

 グニャリ

 一拍の間の後、魔法陣の中の空間が歪む。

 グニャリ

 グニャリ

 歪み果てるその先。

 開くのは、現世ここではない世界。

 ―『次元融合(コラプス・スクエア)』―

 現世と、そうでない世界をつなぐ禁呪。

 並みの術師では、魔力磁場の構築すらも困難な代物。

 それを息の一つも乱さずに成すと、彼女は崩れた空間に向かって手招きする。

 途端―

 ズルッ ベチャッ

 湿った音を立て、そこから何かがまろび出る。

 ゴチュ・・・グチュル・・・

 おぞましく蠢きながら、身を起こすそれ。

 顕になる姿。

 知るものが見れば、息を飲んだに違いない。

 複数の目を持つ、蜥蜴の様な顔。

 湿った鱗に覆われた、身体。

 そして、それを包む鰭を模した法衣。

 そう。

 その姿は紛う事なく。

 『シャドウ・リチュア』そのもの。

 ズル・・・ピチャ・・・

 混沌の剣によって次元の狭間に堕とされた筈の身体を引きずり、彼は彼女へと這いよる。

 ゴボゴボ・・・

 膨らんだ喉が、溺れる様な音を立てる。

 やがて、粘液に濡れた口が開き、声が零れる。

 「カノタッワオ?」

 それは、以前の彼とは、否、世に在するあらゆる生物のそれとは異なる言語。

 しかし、それを向けられた彼女は平然とそれに答える。

 「ムウ。」

 「カタエキモズレグ?」

 「ヨノモイナイガフ。アア。」

 彼女の口から漏れる言葉も、同じもの。

 不協和音の声音が、闇の中に静かに木霊する。

 「ルスウド、ハデ?」

 小首を傾げる、”シャドウだったもの”。

 それに向かって、彼女はただ淡々と言葉を放つ。

 「ウロムネ。」

 「カノルムネ?」

 「ダウソ。」

 メキッ

 静寂の中に響く、異音。

 いつしか、彼女の身体が変貌を始めていた。

 「ルムネ、ニエユ。ウヨレサザトニリカヒキヨツ、モテイガアラクイ。イルワガレガナノキトハマイ、ラヤウド。」

 メキ・・・バキ・・・ゴキ・・・

 白い皮膚がめくれ上がり、現れるのは黒い鋼殻。

 細い身体を突き破り、伸び開くのは異形の翼。

 その身が裂ける度、鮮血がしぶき滴るが、その顔には微塵の苦悶も浮かばない。

 「ドホレド?」

 変わりゆく彼女に向かって、”シャドウだったもの”は問う。

 「ンネクャヒ。」

 「エユニナ?」

 「ルイテッイガシホ。」

 黒に覆われた己が手。

 それを慣らす様に蠢かしながら、”彼女だったもの”は笑む。

 「ウオナカハイモオノラレワ、ソコキトノソ。ルズンヘトヘミヤハリノヨ、バレスサ。」

 ニタリ

 ニタリ

 笑みを向け合う、二体の異形。

 「ウロムネ、ハデ・・・。」

 ギシリ・・・

 硬い鋼殻を軋ませ、”彼女だったもの”が立ち上がる。

 ギシリギシリと鳴きながら、空虚となった部屋を進む。

 向かう先は虚無の中に浮かぶ、儀水鏡。

 「リムネトヒノンホ、ラナンネクャヒ・・・。」

 後を追う様に、”シャドウだったもの”も鏡に向かう。

 「ラカダノタイテッマヲキトナカルハ、ハレワレワ・・・。」

 「ウソ・・・。」

 ズルリ・・・

 その身体が、昏い鏡面に沈み行く。

 「モンマクイ・・・。モンセクイ・・・。」

 「ウヨミヲメユ、デマキトノソ・・・。」

 「ヲメユノイカセルナウコウス、ノズルェヴ・・・。」

 トプン

 そして、二つの影は鏡の中の闇へと溶ける。

 ―後に残るは、昏く揺らめく鏡が一枚―

 

 

 チチ・・・チチチチチ

 耳元で響く声が、微睡んでいた意識を捕まえた。

 引き寄せられる様に、ゆっくりと目を開く。

 飛び込んできたのは、こちらを覗き込む竜の顔。

 『ああ、良かった!!目、覚めたんだね!!』

 その声に驚いたのか、ベッドの頭にたむろっていたスクイレル達が慌てて散っていく。

 『ウィン、大丈夫?どっか、痛かったりしない?気分悪くない?お腹空かない?』

 「だ、大丈夫だよ。ぷっちん。」

 怒涛の様に質問を速射する相方の頭を撫でると、ウィンは視線を巡らす。

 見覚えのある天井。

 微かな薬の匂い。

 村の、療養所だ。

 「・・・どれくらい、寝てたのかな・・・?」

 労わる様に見つめてくるプチリュウに訪ねる。

 「まる二日。心配したんだよ?全然目を覚まさないからさ。」

 「そっか・・・。ごめんね。」

 そういって、もう一度頭を撫でる。

 キュウ、と甘える様な声をあげる相方に微笑みかけると、ウィンはゆっくりと身体を起こした。

 「ん・・・」

 長い睡眠のせいで強ばった身体が軋む。

 だが、他に特にこれと言った不調はない。

 もっとも、身体のあちこちが包帯でグルグル巻になってはいたが。

 「よぅ。目、覚めたか?」

 飛んできたのは、聴き慣れた声。

 視線を上げると、自分と同じように包帯を巻かれたヒータがベッドであぐらをかいていた。

 「あんたが最後よ。まったく、こんな時まで寝ぼすけなんだから。」

 隣を見れば、上半身を起こしたエリアが呆れた様に頬杖をついていた。

 「ヒーちゃん!エーちゃん!皆、無事だったんだね!?」

 「見ての通りさ。」

 本を読んでいたアウスが、眼鏡を直しながら言う。

 「『四霊彩歌(エレメンタルバースト)』で消耗した所に、慣れない神霊(シンクロ)召喚なんてしたからね。倒れるのも当然さ。」

 「せんせーがダイジョブとはいってくれてたんですけどね。しんぱいなものはしんぱいなのです。でも、これでひとあんしん、です!!」

 いつもの口調に戻ったライナも、嬉しそうに言う。

 「心配・・・って言えば、ダル君は?」

 他のメンバーが揃う中、一番仲間を気遣いそうなダルクだけがいなかった。

 「ああ、あいつは・・・」

 「彼なら別室よ。」

 ヒータの声を遮りながら入ってきたのは、ウィンダだった。

 「お姉ちゃん!」

 「男女七歳にして席を同じうせずってね。年頃の女の子が、やすやすと男の子に気を許しちゃだめよ?」

 その言葉に、ウィンが憤慨する。

 「酷いよ!!お姉ちゃん!!ダル君はそんな子じゃ・・・」

 「ないわねぇ。アレは・・・。」

 そう言って、溜息をつくウィンダ。

 「へ?」

 ポカンとするウィンに、笑いながらヒータが教える。

 「アイツも、もともとは同じ部屋だったんだよ。それが、オレらの手当てとか着替えとか、その他諸々目の前でやられちゃたまらんて言って、別室に移してもらったんだと。」

 「別に、カーテン引いてやるんだから無問題なのにねぇ。」

 「今更、恥ずかしがる様な仲でもないだろうにね。」

 「むかしはいっしょにおフロにはいったりしたですのに・・・。」

 などと、ほかの面子も好き勝手な事を言って笑う。

 「全く。折角外に出たのだから、婿殿の一人も咥えてくるかと思えば、これじゃあまだまだ望み薄ねぇ・・・。」

 などと言いつつ、その顔は妙に嬉しそうなウィンダ。

 「・・・お姉ちゃん、自分の事完全に棚に上げてるよね・・・。」

 ジト目で睨むウィン。

 けれど、ウィンダは何処吹く風。

 上機嫌に、花瓶に水を注いだりしている。

 「あ、でも・・・」

 思い出した様に言うライナ。

 「ウィンちゃんには、”ふうくん”がいたですよね?」

 途端―

 メギョン

 変な音がした。

 見れば、ウィンダの手の中の花。それが哀れ、握り潰されてひしゃげている。

 「ラ、ライちゃん!!」

 ウィンが真っ赤な顔で抗議しようとしたその時、

 ガシィッ

 猛禽のそれの様に伸びた手が、彼女の肩をガッチリと掴んだ。

 「みゃっ!?」

 驚いて声を上げるウィン。

 「・・・ウィンちゃん・・・?『ふう君』って、どなたなのかな・・・?」

 手の主、ウィンダが地の底から湧き上がる様な声で言う。

 「だ、誰って、友達だよ!!向こうで出来た・・・」

 「・・・友達・・・?」

 ブンブンと頷くウィン。

 しかし、姉は納得しない。

 「それなら、何でそんなに真っ赤になってるのかな~?」

 「え?いや、それは・・・」

 「正直に答えなさい・・・。ふう君って、だ~れ?」

 「・・・はい・・・。」

 結局、洗いざらい白状させられた。

 

 

 「ほう・・・。『暴風小僧』の風君・・・ねえ・・・。」

 翠色の瞳を昏く光らせながら、ウィンダが呟く。

 「この娘ったら、しっかり色気づいてるじゃないの・・・。このっ!このっ!!」

 両手でウィンの頬を掴み、グニグニと引っ張る。

 「い・・・いひゃい!!いひゃい!!」

 痛がるウィンを、ひたすら嬲るウィンダ。

 その様をチラ見しながら、部屋の隅に集まった面々がボソボソと言い合う。

 「・・・おい。何か行動がさっきと矛盾してねーか?」

 「こっちの方が本心だろうね。表向きは歓迎すれど、本心では可愛い妹を取られたくないんだろうさ。」

 「・・・地味に歪んでるわね・・・。」

 「はて・・・?きもちがよくわかるような・・・?」

 そんな会話が聞こえているのかいないのか、ウィンは渾身の力をもって姉の魔手を振りほどく。

 「もう!!やめてよ!!」

 「あら、いいじゃない。もう少し遊ばせてよ。」

 本気とも、冗談とも取れない口調で笑うウィンダ。

 「もう・・・。子供の頃からすぐ玩具扱いするんだから・・・。」

 ブツブツ言いながら、赤くなった頬を撫でさするウィン。

 「で、用はなあに?」

 「あら?よく他に用があるって分かったわね。」

 「なかったら怒るよ!!」

 プリプリとむくれるウィンを前に、ケラケラと笑うウィンダ。

 「・・・すごいネーちゃんだな・・・。」

 「見事な鞭さばきね・・・。あのマイペース娘が、完全に手玉だわ・・・。」

 「ふむ。少しご教授願おうかな?」

 「アウスちゃん、もうそっちのほうのしんかはやめてくださいなのです・・・。」

 「そっちの皆さんー。」

 「「「は、はい!?」」」

 急に話をふられ、思わず気を付けする三人(アウスは当然の如く通常運転。)。

 「貴女達も、是非参加してね?」

 「へ・・・?参加?」

 「なんのことでしょう?」

 「あら?聞いてなかった?」

 ポカンとする一同に、ウィンダが小首を傾げる。

 「今晩、村の皆が集まって宴を開くの。それのお呼びかけ。」

 「宴?」

 「いいの?よそ者(あたし達)なんかが混じっちゃって。」

 エリアの問いに、ウィンダは答える。

 「何言ってるのよ。主賓は貴女達よ。来てくれないと、盛り上がらないわ。」

 そう言って、ウィンダはニコリと笑んだ。

 

 

 やがて日が暮れると、村の入口近くの広場に人々が集まりだした。

 厄災の爪痕はまだ生々しかったが、ある程度の瓦礫は片付けられている。

 その中心に薪が組まれ、火が灯される。

 始めこそ小さかったそれは、みるみる大きくなって夜空を明るく染めた。

 事は、厳粛な雰囲気の中始まった。

 村人は皆、焚き火の向こう側に座して目を閉じる。

 前列に座して黙するのはウィンダール。

 その反対側に進み出るのはムスト。

 彼は火に向かって頭を垂れると、厳かな声で何事かを唱え始めた。

 土地の言語なのだろう。意味こそ分からなかったが、それが祈りである事は容易に分かった。

 祈りの合間合間に、横に傅いたカームの持つ器から何やら砂の様なものをつかみ出し火の中に放る。

 瞬間、パッと明るさを増す炎。

 香の類なのだろう。炎が燃え上がる度、不思議な香りが辺りを流れた。

 ムストの後ろ。丁度、村人達と対面する位置に席を設けられた霊使い一同。

 想像していたものとは違うその雰囲気に、些か戸惑う。

 「な・・・何か、空気重くねえか・・・?」

 「・・・確かに、宴って雰囲気じゃないな・・・。」

 ヒソヒソと言い合う皆に、ウィンが言う。

 「静かに・・・。今してるのは、送霊の儀式だから。」

 「そうれい?」

 「ああ、なるほど。今回の事で亡くなった人達を・・・」

 「うん。この炎が起こす風に乗せて、天に送るの・・・。」

 そして、ウィンはまた目を閉じる。

 他の皆も、それに倣って目を閉じた。

 

 

 炎が燃える。

 明々と。

 炎々と。

 その身に纏う送り風。

 それに数多の御霊を乗せて。

 彼らの行くべき導を照らし。

 燃える。

 燃える。

 炎が、燃える。

 

 

 やがて、神官(ムスト)の祈りが終わると、宴が始まった。

 次々と料理が運ばれ、皆には酒が振舞われ始める。

 それまで厳かだった空気は次第に解れ、場には人々の喧騒や笑い声が響いてきた。

 ウィン達も膝を崩すと、目の前に置かれた料理や飲み物に手を伸ばす。

 土着の料理なのだろう。見慣れないものが多い。

 けれど、独特ながらも滋味のあるそれらは十分に皆の舌を楽しませた。

 

 

 「これ、なあに?何か、生魚の切り身みたいに見えるんだけど・・・。」

 平皿に並べられた赤い身をつまみながら、エリアが訊く。

 「”ルイベ”だよ。魚の身を凍らせてスライスしたの。」

 「・・・食べられるの・・・?」

 「大丈夫。凍らせてあるから、危ない寄生虫とかはいなくなってる。このソースつけて食べてみて。」

 不安そうなエリアに、小皿を差し出しながらウィンが進める。

 小皿の中には、赤味がかった黒い液体が怪しく揺らめいている。

 それを切り身につけ、恐る恐る口に運ぶ。

 シャク

 冷たく心地よい歯ざわりとともに口内に広がる、脂がのった魚の甘い味。それが、しょっぱ味の強いソースと絶妙に絡まる。

 「あ・・・、美味しい・・・。」

 「でしょ?」

 エリアの言葉に、ウィンは嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 「これ、何て言うんだ?」

 ヒータは、見慣れない魚料理に興味を持っていた。

 野菜といっしょに蒸し焼きにされたらしいそれを口に入れると、素朴であまじょっぱい、香ばしい味が口中を喜ばせる。

 「これはね~、”チャンチャン”って言うのよ~。」

 皆の杯に酒を継ぎにやってきたカームが説明する。

 「塗ってあるソースは?」

 「お豆を発酵させて作ったものよ~。”おミソ”って言うの。それを、お酒でといで塗ってあるの~。」

 「へえ。変わってるけど、美味いな。」

 「あら~。ありがとう~。」

 喜ぶカーム。

 「・・・少し、貰っていこうかな?」

 そんな事を考えながら、ヒータはもう一口頬張った。

 

 

 「あんた、随分いけるじゃないか。」

 アウスの杯に酒を注ぎながら、リーズが言う。

 それをスルリと空けて、アウスは笑む。

 「地属性だからね。底なしだよ。地面にどんなに水を注いでも、染み込んでしまうだろう?」

 「上手い事言うねぇ。」

 「美味いのはこのお酒だよ。米類から作ったらしいけど、癖がなくて水みたいにスルスル飲める。」

 「ありがたいね。ここらの湿地帯で育つ米で作った地酒だよ。好きなだけ、飲んどくれ。」

 「ありがとう。」

 そう言って、アウスはまた杯を空にした。

 

 

 「そういえば、リチュアのみなさんがどうなったかききましたか?」

 料理をつつきながら、隣のダルクに問うライナ。

 「・・・ああ・・・。」

 杯の酒を舐めながら、ダルクは言う。

 「・・・下っ端連中は、皆まとめて先生が連れてったよ。そのまま(エンディミオン)まで行って、官憲につき出すそうだ。相応の裁きを受けるんじゃないか・・・?」

 「そうですか・・・。ちゃんと、こうせいできるといいんですけど。」

 三下達の何処か憎めない顔を思い浮かべながら、ライナは呟く。

 「・・・あまり他人事でもないぞ。例のエリアルとか言うエリアのそっくりさんだけどな・・・」

 「む・・・。」

 思わず息を呑むライナ。

 エリアルは今回の惨劇の張本人。

 生半可な処罰では、ガスタの民達は納得しないだろう。

 「・・・先生が直々に、”再教育”するとさ・・・。」

 「・・・え゛・・・?」

 思わず、引きつる。

 「・・・”どうやら、エリアのやつがギゴを通して先生に頼み込んだらしいな・・・。」

 心底気の毒そうに言うダルクに向かって、ライナは些か青ざめながら問う。

 「あの・・・、それでみなさんなっとくされたんですか・・・?」

 「・・・当然、受け入れられないって言う連中は多かったさ・・・。けど・・・」

 「?」

 「・・・そう言う連中集めて、先生が”しっかりと”説得したんだそうだ・・・。」

 結果。

 説明を受けた面々は、一様にドリアードの提案を受け入れた。

 曰く、”楽に死なせるよりよっぽどいい”との事らしい。

 「・・・じごくですね・・・。」

 「・・・地獄だな・・・。」

 背筋を走る悪寒を振り払う様に、二人はそろって杯を空けた。

 「となると、のこるのは・・・」

 「”あいつら”だな・・・」

 呟いて、ダルクは村の外に広がる夜闇を見つめた。

 

 

 その頃、村を遠く見下ろす高台に彼らはいた。

 「・・・明るいわね・・・。」

 「ああ。あの様子なら、大丈夫そうだ。」

 村の明かりを愛しげに見下ろすエミリアに、アバンスは微笑みながら言う。

 「まさか、見逃してもらえるとは思わなかったけど・・・。」

 「”彼ら”には感謝しなきゃな・・・。」

 最後の戦いの後、処罰を受ける筈だったエミリアとアバンス。

 しかし、彼らの救済を願う者達がいた。

 エミリアと魂魄同調(オーバーレイ)したカーム。そして、そのエクシーズ体であるメロウガイストと戦いを共にしたジェムナイト達。

 彼らはエミリアとアバンスの心が清浄である事を説き、罪を贖う為の猶予を与える事をウィンダールに進言した。

 そしてしばしの思考の後、ウィンダールは判断を下した。

 彼らが、リチュアの一員として犯した罪は軽くはない。

 それは、一時の苦痛をもって贖えるものでもない。

 故に、彼らには枷を架す。

 その一生を、犯した罪と共に生き、贖罪に費やす事を。

 風は如何なる所でも吹き渡る。

 もし、彼らが再び道を外せば、風はその事をガスタの民に伝えよう。

 その時こそは、如何なる慈悲もなく、その命を断つと。

 そして、エミリアとアバンスは放逐された。

 その罪と、枷の証を負うたまま。

 「・・・光が、恋しいか?」

 村の明かりに見入るエミリアに、アバンスは問う。

 「そうね。恋しくないと言えば、嘘になる。でも、それは許されない事・・・。」

 そう言って、エミリアは己の首を撫でる。

 そこに刻まれたのは、ガスタの紋章を象ったタトゥー。

 見れば、アバンスの首にも同じものがある。

 それこそが、彼らに架せられた枷。

 風の呪が込められたそれは、彼らが道を踏み外した時、真空の刃となって首を裂くのだと言う。

 死神の鎌とも言えるそれを、愛しげに撫でながらエミリアは言う。

 「行きましょう。私達の罪は、許された訳ではないのだから。」

 「・・・ああ。」

 そして二人は踵を返す。その先に淀む、闇の中へと。

 「・・・まずは、どうする?」

 「母様を、解放する。”奴ら”の呪縛から。」

 「・・・易くは、ないぞ?」

 「分かってる。でも、それをしなければわたし達は前に進む事は出来ない。」

 「・・・そうだな。」

 深い闇の中で触れ合う、互いの手。

 指を絡む様に、しっかりと握り締める。

 「・・・そばに、いてね・・・。」

 「ああ。決して、放さない・・・。」

 そして二人の姿は、深い夜闇の中へと消えていった。

 

 

 宴は、一番の盛り上がりどころに入っていた。

 皆程よく酒が回り、場は温かい談笑に満ちていた。

 ウィンも、久方ぶりの故郷本来の様子を、穏やかな思いで見つめていた。

 と、

 ~♪~♪♪~

 何処からともなく響いてくる音色。

 幾人かの村人が、楽器を奏で始めていた。

 そして、流れ始める歌声。

 カームの声だった。

 「お・・・」

 「へえ・・・」

 「きれいなこえ・・・」

 霊使い達が、その歌に心奪われようとしたその時―。

 シャラン

 涼やかな鈴の音と共に、燃える炎の前に進み出る者が一人。

 「あ・・・お姉ちゃん・・・。」

 思わず呼びかける妹に、彼女は微笑みかける。

 ささやかに着飾られた衣装。

 薄らと施された化粧。

 決して艶ではないが、野に咲く花の様に清楚な美しさ。

 その様相に、皆が溜息を漏らす。

 そして― 

 シャラン

 彼女は曲に合わせてステップを踏むと、軽やかに舞い始めた。

 シャラン

 シャラン

 シャララン

 細い身体がしなやかに舞う度、手に持った鈴が優しくテンポを刻む。

 いつしか雑談の声は消え、場に座す皆がその歌と舞いに酔い始める。

 それは、霊使い達も同じ事。 

 「すてき・・・」

 「これは、いいものだね。」

 他のメンバーは勿論、アウスまでもがその目を年相応の少女の様に輝かせる。

 と、

 「綺麗だけど、何て歌ってんのか分かんねーのが残念だなぁ。」

 場の雰囲気に障らない様に、囁く様な声でヒータが言った。

 確かに。

 件の歌は土着の言語らしき言葉で象られ、皆には内容を理解する事は叶わなかった。

 ウィンが言う。

 「それなら、わたしが訳してあげる。」

 そして、彼女は調べに合わせて小さな、とても小さな声で紡ぎ出した。

 それは、カームに比べれば稚拙。

 けれど、確かな希望に満ちた歌声。

 少女たちは、静かに耳を澄ます。

 

 

 ―空流る雲よ 汝は何故悲しみを歌うのか―

 ―逃る事は叶わず 帰る事も出来ない―

 ―信じるはただ太陽と 風の調べのみ―

 

 それは、風とともに旅する命の歌。

 

 

 ―歩き出す先 風の流れに身を寄せて―

 ―見ゆる事なき道を―

 

 流れる調べ。

 少女達は奏でる。

 生きる厳しさと、尊さと、その先にある希望を。

 

 

 ―地を噛みて―

 ―光に消えゆく原道―

 ―はるか彼方―

 

 

 穏やかな静寂。

 流れる歌と、鈴の音。

 

 

 ―我を待ち続けるは―

 ―永久なる大地―

 

 少女達は歌う。

 生命の導。

 いつかたどり着く、その果てを。

 

 

 ―我を待ち続けるは―

 ―優しき大地―

 

 風が吹く。

 肌に冷たく。

 けれど優しく。

 旅する生命を、導くために。

 

 

 吹きゆく風に見守られ、ささやかな幸福は更けていく。

 

 

 巡る。

 巡る。

 生命が、巡る。

 

 

                                   続く



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最終話

                  ー37ー

 

 

 瞼を射す光が、ウィンの意識を覚醒させた。

 ゆっくりと、目を開ける。

 飛び込んでくるのは、懐かしい天井の景。

 身体を起こすと、開け放していた窓を通ってきた風が下ろした髪を揺らす。

 目を巡らせば、遠い山の丘陵を生まれたばかりの太陽が朱に染めている。

 故郷の朝の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、ウィンは大きく伸びをする。

 窓の外で、さえずる小鳥達の声が聞こえる。

 ・・・”その日”の、訪れだった。

 

 

 「ほら、ウィン。支度は終わったの?もう、皆待ってるわよ。」

 「ふふぁい!!もうふほひもって!!」

 急かす姉の声に、口いっぱいにパンを詰め込みながら答える。

 「もう。そんなに欲張って。パンなんて、何処でも食べられるでしょう?」

 「ん、んぐ!!だって・・・」

 口を塞ぐパンを、温かいスープで流し込む。

 プハッ

 大きく息をつくと、ウィンは満面の笑みを浮かべる。

 「やっぱりね、違うの。向こうで売ってるのと、お姉ちゃんが焼いたのとじゃ。」

 「ウィン・・・。」

 「それに、今度いつ食べれるか分からないし・・・」

 そう言って、エヘヘ、と笑う。

 その瞬間―

 ガバッ

 「んぎゅ!?」

 思いっきり、抱き締められた。

 「何言ってるかな?この娘は・・・。」

 ウィンの頭を優しく撫でながら、ウィンダは言う。

 「好きな時に、食べに来たらいいじゃない。ここは、貴女の家なのよ・・・。」

 「お姉ちゃん・・・。」

 「いつでも、帰っておいで・・・。私も、お父上も、必ずここで待ってるから・・・。」

 「・・・うん・・・。」

 そして、ウィンはその温もりを力いっぱい抱きしめ返した。

 

 

 広場に着くと、他のメンバーはもう集っていた。

 見送る為に集まった村人達に囲まれる中、少女達は思い思いの相手と話をしている。

 

 

 「傷の方は、もうよろしいのですか?」

 「ああ。あの後しっかり手当してもらったからな。もうピンピンだぜ。」 

 心配そうに問いかけてくるラズリーに、ヒータは笑顔で返す。

 「まあ、一番ヤバイ時に助けてくれたのはお前だけどな。」

 そう言うと、ヒョイと腰を屈めてラズリーに顔を付き合わせる。

 「ありがとよ。」

 ニコリと笑むヒータ。

 「い・・・いえ。そんな・・・」

 顔を赤らめてはにかむラズリー。

 それを横目で見ながら、ガネットはきつね火に向かって苦笑する。

 「貴殿の姫は、なかなか”その道”の才がある様だな。」

 『ああ、自覚と”その気”がないのが救いかな?』

 「違いない。」

 そして、二人(?)は声を上げて笑った。

 

 

 「貴女には命を救われた。改めて礼を言わせて貰う。」

 「それはお互い様じゃないか。頭を上げてくれ。」

 うやうやしく頭を下げるサフィアに、困った様に言うアウス。

 「いや。此の身に受けた恩義、礼を失する訳にはいかない。」

 「いや、だから・・・」

 その様を傍で見ていたデーモン・ビーバー。

 感心した様に息をつく。

 『はあ。あのお嬢があんなんなるとはなぁ・・・。』

 「あの嬢ちゃん、普段はそんなにすごいのか?」

 問いかけるエメラルに頷く、デーモン・ビーバー。

 『はあ、そらもう。すごいゆうか心の臓に悪いゆうか・・・。とにかく、気の休まらん方でんのや。』

 「へえ。そんな風には見えないがなぁ・・・。」

 『そやから、わても驚いてまんのや。何やろな。普段、あないな扱いされるの慣れておらんからかな?』

 しばし、オロオロするアウスを眺めていたデーモン・ビーバー。

 ふと、思いついた様に手を打つ。

 『そうや!!わてもこれからあないな態度でいれば・・・』

 彼が目を輝かせかけた途端、

 (デヴィ・・・)

 『わひぃ!?』

 どこからともなく、響く声。

 デーモン・ビーバー、固まる。

 (あまり調子に乗らない事を勧めておくよ・・・?)

 抑揚のない、淡々とした声。

 それが、余計に恐怖を煽る。

 『は・・・はひ・・・』

 直立不動の姿勢で敬礼する、デーモン・ビーバー。

 「・・・なるほど。こりゃ、おっかねぇや・・・。」

 デーモン・ビーバーの羽にくっついているダニポン。

 それを見止めながら、エメラルは軽く身震いした。

 

 

 エリアとギゴバイトの前には、二人の人影が立っていた。

 大きい影はリーズ。小さい影はカムイ。

 「ほら、まだしっかり謝ってないんだろ?ちゃんとケジメつけな。」

 リーズがそう言って促すが、言うべき言葉が見つからないのだろう。

 カムイは、黙ってうつむいている。

 「悪いね。どうにも、女々しくて・・・」

 申し訳なさそうに言うリーズ。

 ギゴバイトが、苦笑いしながら応じる。

 『気にしなくていいよ。そいつとは、もう話はついてるし。エリアにも、ちゃんと伝えたよ。』

 「けどさ・・・」

 と、エリアがヒョイと身を屈めた。

 青い視線が、カムイのそれと合わさる。

 驚いて身を引くカムイ。

 そんな彼に向かって、エリアの手が伸びる。

 そして、

 グニャッ

 「ふぎゃ!?」

 口の両側を掴まれ、思わず声を上げる。

 「まったく。何しけた顔してるのかしら!!」

 そんな事を言いながら、エリアはグニグニとカムイの顔を弄りまわす。

 「こんな腑抜けに殺されかけたなんて、七代先まで残る恥辱だわ!!」

 グニグニ

 グニグニ

 リーズ、ぽかん。

 ギゴバイト、オロオロ。

 「んが!!ふが!!い、いい加減にしろ!!」

 堪らずエリアの手を振り払うカムイ。

 「ふん。やっと顔を上げたわね。」

 赤くなった頬を押さえながら、涙目で自分を睨みつけるカムイ。

 そんな彼を見て、エリアはフフンと笑う。

 「いい顔出来るじゃない。そうでなくちゃ。」

 そして、改めて視線をカムイに合わせる。

 底意地の悪かった顔が、優しく澄んだ笑みへと変わる。

 「・・・あんた、エリアルを殺さないでくれたんだって?」

 「え・・・あ・・・」

 突然の言葉に、戸惑うカムイ。

 エリアは、構わずに続ける。

 「ありがと。あいつの罪は、死んで終わらせるにはちょっと重すぎるからね。」

 「・・・・・・。」

 「大丈夫。あいつにはしっかりと分からせて、償わせるわ。だから・・・」

 エリアの手が上がり、カムイの頭をクシャリと撫でる。

 「あんたは、前に進みなさい。」

 「!!」

 「ジールギガス(あの化け物)相手に張り合ったんでしょ?その気概があれば、何だって超えられるわよ。」

 向けられる笑みは、どこまでも優しい。

 「きっと、いい男になるわ。そうしたら・・・」

 ひょいと、視線を隣に向ける。

 「この娘くらい、ものに出来るかもよ?」

 「はぁ?」

 「あんた、何言ってんだ?」

 同時に目を丸くする、カムイとリーズ。

 エリアはケタケタと笑う。

 「はは、ま~だ早いか。この手の話は。」

 言いながら、立ち上がるエリア。

 「ま、せいぜい頑張んなさい。次に会うの、楽しみにしてるからね。」

 「あんた・・・」

 「返事は!?」

 「は、はい!!」

 そう答え、力強く頷くカムイ。

 「よし!」

 そしてエリアは、綺麗に、とても綺麗に微笑んだ。

 

 

 「行ってしまうのね~」

 「もう少し、ゆっくりしていってもらってもいいのだが・・・」

 カームとムストが、ライナとダルクに向かって名残惜しそうに言う。

 「う~ん、そうもいかないのです~。」

 「・・・もう、休暇願いの期日が切れるんだ。ついてない・・・。」

 溜息をつくダルク。その横で、ふと真顔になるライナ。

 「・・・それに、やらなきゃならない事があります。」

 「・・・モイ君とやらを、探しにいくのだな?」

 ムストの問いに、ライナは頷く。

 彼女の友人の一人、モイスチャー星人のモイ。

 彼は、先の戦いにおいてイビリチュア・ガストクラーケの輪廻狂典(フレネーゾ・ウトピオ)によって何処ともしれぬ場所へと消されてしまっていた。

 「シャドウ(あの人)は言っていました・・・。死んだ訳ではないと。それなら・・・」

 ライナの瞳が、キッと前を向く。

 「また、会えるのです!」

 その様子を見たムストが、感嘆の息をつく。

 「強いな・・・。」

 「貴方達も、ついていくの~?」

 カームに聞かれ、ダルクやD・ナポレオン、ハッピー・ラヴァーが溜息つきつき答える。

 「・・・ほっとく訳にもいかないだろ・・・?」

 『アノ通リノ方デスカラ・・・』

 『目が離せないからね~。』

 「大変ね~。」

 「・・・まったく、ついてないよ・・・。」

 『『だヨね~~www』』

 そう言って疲れた様に笑うダルク達に、カームもニコニコと笑い返した。

 「とにかく、何か手伝える事があれば言ってくれ。ガスタの民は、助力を惜しまぬだろう。」

 「ありがとうなのです。」

 そう言って、ライナはムストに頭を下げた。

 

 

 「みんな~、ごめ~ん!!」

 大きなリュックを背負ったウィンが、息せき切って走ってくる。

 「遅いわよ!!ウィン!!」

 「あんまり待たせっと、おいてくぞ・・・って何だよ!?その大荷物は!?」

 「えへへ~、これはね・・・。」

 目を丸くする皆に、ウィンはリュックの中身を見せる。

 「・・・はぁ・・・?」

 「なんですか?これ。」

 リュックの中には、無数のパンがみっちりと詰まっていた。

 「お姉ちゃん特製のクルミパン。とっても美味しいんだよ。」

 「いや、だからってな。お前・・・」

 「君は実に馬鹿だなぁ。いくら美味しくったって、そんなにあったら食べきる前にカビてしまうじゃないか。」

 アウスの指摘に、ハッとするウィン。

 「そ、そうか!!じゃあ、早く食べないと!!」

 そう言って、リュックからパンを取り出すと猛然と頬張り始める。

 「お、おい!!何もここで・・・ムガッ!?」

 止めようとしたヒータの口に押し込まれる、パン。

 「ほらほら、皆も食べて!!」

 言いながら、次々と皆の口にパンを詰め込んでいくウィン。

 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」

 迫るウィンに慌てるエリア。

 あわや彼女もその毒牙にかかろうとしたその時、

 「こら!!ウィン!!」

 飛んできた声に、ウィンの動きがビクリと止まる。

 「は、はい~。」

 ギギギ

 軋む様な音を立てて振り返るウィン。

 振り向いた先に立っていたのは、ウィンダール。

 「まったく。お前ときたら、落ち着きがないのは相変わらずだな。」

 言いながら近づいてくる、ウィンダール。

 「その爛漫さがお前の良い所だが、友人に迷惑をかけるのは感心しないぞ。」

 「ふ・・・ふぁい。」

 しょげかえるウィン。

 と、その頭を温かい感触が包む。

 「もっとも、ウィン(お前)ウィン(お前)のままでいてくれた事は、喜ばしいがな。」

 ウィンの頭を撫でながら笑む、ウィンダール。

 「お父様・・・。」

 「此度の事、誇らしかったぞ。」

 クシャクシャと愛しむ、大きな手。

 その感覚に、ウィンはしばし身を委ねる。

 「暇が出来たなら、いつでも戻ってこい。俺達は、必ずここにいる。」

 かけられる言葉に、はにかむウィン。

 「それ、お姉ちゃんにも言われたよ?」

 「ん?そうか?」

 「うん。」

 そして、父と子は愛しく笑いあった。

 

 

 「おいで!!うぃっちん!!」

 ザァアアアアアッ

 沸き起こる風と共に現れる、ウィング・イーグル。

 他のメンバーも、各々に飛行能力を持つしもべを召喚する(ちなみに、その手のしもべのいない者は相乗りである。)

 「うぃっちん。また、お願いね。」

 言いながらウィング・イーグルの背に上がるウィン。

 ウィング・イーグルは、短く鳴いてそれに答える。

 「皆、準備はいい?」

 「おう。」

 「OKよ。」

 「こっちもオーケーなのです。」

 「・・・ああ・・・。」

 「頼むよ。」

 皆の言葉に、頷くウィン。

 そして―

 「それじゃ、行くよ!!」

 その声を合図に、羽ばたく翼達。

 見る見る上昇を始める視界。

 集まっていた村人達が、口々に呼びかける。

 「ありがとうー!!」

 「また来てねー!!」

 「待ってるからなー!!」

 それらに笑顔で答えながら、少女達は南に向かって舵を切る。

 大きく羽ばたく翼。

 視界が、後方に向かって流れ始める。

 ウィンが、何かを振り切る様に目を拭ったその時―

 「ウィンー!!」

 後方から響く声。

 振り向くと、そこには宙を舞う四つの姿。

 ファルコスに乗ったカムイが声を張り上げる。

 「ありがとなー!!」

 「気をつけて行くんだよー!!」

 杖にまたがったスフィアードも叫ぶ。

 そして、最後にガルドスの上からウィンダが。

 「いってらっしゃーい!!」

 彼女らの後ろでは、羽ばたくイグルスと微笑むウィンダールの姿。

 一瞬込み上げる何かを抑え、ウィンは満面の笑みで返す。

 「いってきまーす!!」

 その声は、遠い空に響いて溶けた。

 

 

 その日の夕方。

 魔法使いの里は、魔法専門学校。

 暮れゆく斜光の中、寮の前には何かを待つドリアードの姿。

 「そろそろですかね。」

 誰ともなく呟く言葉。

 と、それに答える様に遠くの空にいくつかの影が見え始める。

 それらは見る見る大きくなると、寮の上でしばし旋回して降り立った。

 背を屈める大鳥。その背から、人影が一つ飛び降りる。

 ”彼女”に向かって、微笑みながらドリアードが言う。

 「おかえりなさい。」

 「ただいま!!」

 それに向かって、ウィンは満面の笑顔で答えた。

 

 

                                   終わり



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