緋弾のアリア~影の武偵~ (ダブルマジック)
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武偵殺し編
Bullet1


 習慣とは恐ろしいモノで、オレは日々の生活リズムをほとんど崩さないため、毎朝6時に自然と目が覚める。

 起きてからしばらくはダラダラと過ごすのだが、そうするうちに腹も減るわけで、いつものように買い溜めしてある食パンにジャムなんかを塗ってムシャムシャと食べる。

 オレの住む学生寮は4人が共同で使う広い部屋なのだが、運が良いのか悪いのか、ルームメイトはいなく独り占め状態。

 下手なホテルよりリッチな気分だな。

 朝食を食べ終える頃には時間も7時になっていて、高校2年生になったオレは、始業式に出るために『防弾制服』を身に付ける。

 それから校則に従って刃渡り30センチほどの『小太刀』を懐に入れ、登校の準備を整えた。

 まぁわかるだろうがオレの通う東京武偵高校は『普通じゃない』。

 近年凶悪化する犯罪に対抗して新設された教育機関で、警察に準ずる活動ができる国際資格『武偵』を育成する学校である。

 武偵は警察とは違い金で動くいわゆる便利屋。

 この東京武偵高では、通常の一般科目に加えて、武偵の活動に関わる専門科目を履修できる。

 オレは諜報や工作を専門とする諜報科(レザド)を履修しているが、その評価は6段階で最低のE。落ちこぼれといったところだ。実際銃の腕は壊滅的だしな。

 そんなわけで男子寮を出たオレは、普段なら7時58分の武偵高行きのバスに乗るのだが、今日はなんとなく歩きたかった……まぁぶっちゃけるなら始業式がだるいので歩いて行くことにした。

 男子寮を出た矢先、前方に見知った女生徒を発見。

 男子寮の前にいるというのも変な話だが、この子については心当たりがある。

 

「おはよう、白雪」

 

「あっ……お、おはよう猿飛くん」

 

 長い黒髪にパッツン前髪の大和撫子を地で行くおっとり少女、星伽白雪(ほとぎしらゆき)。現役の巫女さん武偵である。

 

「いい加減すんなり話すくらいにはなってほしいんだけど……」

 

 オレに話しかけられて少し慌てる素振りを見せる白雪は、男性への免疫があまりなく、知り合ってから1年経つが未だに慣れないみたいだ。

 

「あ、あのごめんなさい」

 

「……いいんだけどさ。キンジのところに行ってきたのか?」

 

「う、うん。最近キンちゃんのお世話できなかったから」

 

「キンジとは仲良く話せるのにな」

 

「キ、キンちゃんはキンちゃんだから大丈夫なんです」

 

 ……意味わからん。

 これ以上意味不明なこと言う前に終わるか。

 

「まぁ、話をしてくれるようになっただけマシか。それじゃあな、白雪」

 

「うん。猿飛くんも気をつけてね。『武偵殺し』の模倣犯とか出るかもしれないから」

 

「はいはい、気をつけますよ」

 

 武偵殺し、ね。

 確か年明けに周知メールが出てた爆弾や短機関銃(サブマシンガン)付きのラジコンヘリを使って武偵を追い詰める奴だったか。

 犯人は逮捕されてるし、模倣犯って心配しすぎじゃないかと思うが、『あの』白雪が言うんだから注意するに越したことはないか。

 そんなことを考えながら通学路を歩き始めたオレは、この後起きる事件に首を突っ込むことになる。

 東京武偵高は、レインボーブリッジの南に浮かぶ南北およそ2キロ、東西500メートルの長方形をした人工浮島(メガフロート)の上にある。

 通称『学園島』と呼ばれるその人工浮島で日々生活しているオレは、間に合ってしまいそうな始業式に出るため体育館のある方向へ歩いていた。

 ――ビュンッ!

 そんなオレの後ろからチャリの全力疾走で追い抜いていった武偵高の男子生徒が。

 よくまぁ朝からあんなに元気に走れるもんだ……と思ったのもつかの間。

 その男子生徒の後ろ姿に見覚えがあった。

 

「……あれキンジか」

 

 遠山キンジ。

 探偵科(インケスタ)の2年でオレの1年からの腐れ縁。

 あいつはちょっと『変わった奴』だから、オレの中での評価はかなり高い。

 オレが評価したからなんだってのは考えたら負けだ。

 そのキンジが漕ぐチャリと並走するように無人のセグウェイ? だったかに、人の代わりに1基の自動銃座が載ってるな。

 銃には詳しくないが、たぶん短機関銃の類だろう。

 とりあえず現状把握のためにキンジに連絡を入れてみたが出ない。

 そうこうしてるうちにキンジが小さくなっていくが、その進行方向の建物の屋上。あれは確か女子寮だな。

 そこに人影が見えた。

 と思った瞬間にその人影が屋上から飛び降りたから驚きだ。

 

「ツインテール……女子か。色はピンク……ああ、最近こっちに来たっていう強襲科(アサルト)の……」

 

 オレはそう考え至ると、落下しながらセグウェイを両手の2丁拳銃で撃破し、パラグライダーを開きキンジの救出に乗り出した少女を見ながら走りだした。

 ――なんだか面倒臭そうなことになってるなぁ……

 そんな堕落したようなことを思いながら。

 それからパラグライダー少女に救出されたキンジは乗っていたチャリを乗り捨てる形で降り、コントロールを失ったチャリは道路の真ん中で盛大に爆発した。

 チャリに積む爆薬の量じゃないだろこれ。

 ってか、チャリに爆弾ってチャリジャック? 今時変わった奴もいるもんだな。

 などと考えながら爆破現場を走り抜けたオレは、パラグライダーの跡を追って体育倉庫の前までやってきた。

 とりあえず様子見のため体育倉庫には入らず草影に隠れてみるが、一向に2人が出てくる気配がない。

 

「ヘンタイ――――!」

 

 うおっ! なんか聞こえた。

 さらに続くように「さっ、さささっ、サイッテー!! このチカン! 恩知らず! 人でなし!」などと噛み噛みな声が聞こえてきたが、おいキンジ。お前は中で何をしてるんだ?

 などと考えていたら、体育倉庫の入り口に先ほどのセグウェイが7基姿を現し、中に向けて掃射を始めた。

 

「武偵高が基本的に防弾仕様じゃなかったら即死だなあれ……」

 

 オレはその様子を見ながら、本当なら蜂の巣にでもなりそうなその掃射に肝を冷やすが、物陰にいれば大丈夫かもと楽観視する。

 短機関銃による掃射が1度止み、中からの射撃で一旦射程圏外に追い払われたセグウェイ。

 応戦したのはおそらくツインテールの子。キンジは『いつも』は役に立たないからな。

 そう思ったのも束の間。

 再びセグウェイが体育倉庫に接近し掃射を開始した。

 今の間でちゃんと安全な位置に移動をしてればいいが。

 オレがそんな心配をしていると、7基から放たれる銃弾の雨を潜り抜けて出てくるキンジ。

 あの目付き……『今のキンジ』なら大丈夫だな。

 キンジは襲い来る銃弾を恐れることなく平然と避けて、手に持つ愛銃、ベレッタ・M92Fで7発の弾丸を放ち、その全てを7基の短機関銃の『銃口』に入れ一瞬で破壊した。相変わらず人間離れしてんな、キンジ。探偵科から強襲科に戻れよ。

 などと思っていると、体育倉庫に戻っていったキンジが、数発の発砲音がしたあと突然中から飛び出してきた。

 いや、飛び出してきたというか、投げ飛ばされてきたって感じだな。

 

「逃げられないわよ! あたしは逃走する犯人を逃がしたことは! 1度も! ない! ――あ、あれ?あれれ、あれ?」

 

 キンジに続く形で出てきたツインテールの子は、キンジに叫びながらスカートの内側を両手でまさぐっていた。

 弾倉(マガジン)を探してるみたいだが、お探しのモノはたぶんキンジが今持ってる。

 ってあーあ、投げんなよキンジ。弾倉だってタダじゃないんだから……な!

 オレは思いながらあさっての方向に投げられた弾倉をフック付のワイヤーを伸ばして空中で掴み確保した。

 

「もう! 許さない! ひざまずいて泣いて謝っても、許さない!」

 

 その後ツインテールの子は銃をホルスターにぶち込み、怒りそのままに背中から刀を2本抜き構えた。

 さすが『双剣双銃(カドラ)のアリア』。2つ名は伊達じゃないな。

 まぁでも、『今のキンジ』には及ばないか。

 オレはその様子を見ながら回収した『空の弾倉』を片手で弄びつつ結末を見届ける。

 

「強猥男は神妙に――っわぉきゃっ!?」

 

 キンジへと突っ込んだツインテールの子は、足下に蒔かれたキンジが投げた弾倉の中身の銃弾に足を取られて奇怪な声を上げて真後ろにすっ転んだ。

 その隙に逃げ出したキンジは、すっ転ぶツインテールの子を置いてその場を離れてどこかへ行ってしまい、置いてきぼりを食らった本人は、

 

「この卑怯者! でっかい風穴――あけてやるんだからぁ!」

 

 などと叫んでいた。

 オレは悔しそうにするツインテールの子を見ながら草陰から出て近寄ってみると、警戒されたのか刀を向けられるが、武偵高の制服を見てすぐに刀を下げてくれた。

 

「あんた誰よ」

 

 不機嫌丸出しの顔で尋ねてくるツインテールの子。

 近くで見るとかなり可愛いな。

 

「名乗るほどの者ではないな」

 

 オレは言いながら辺りに散らばる銃弾を持っていた弾倉に入れていき、全て入れ終えてからツインテールの子の目の前にそっと置いた。

 まぁ、1度地面に転がった銃弾なんて使い物になるかは知らないけどな。

 

「神崎・H・アリア。強襲科のSランク武偵に新学期早々に会えるとは光栄だよ」

 

 オレは言ってからツインテールの子、アリアに手を差し伸べて立ち上がらせてから、軽く土埃を払ってあげる。

 

「……あんたは強襲科では見かけなかったから、他の学科ね。どこの誰か名乗りなさい。これは命令よ」

 

「諜報科の2年、猿飛京夜だ」

 

 何故か怒り気味なアリアをこれ以上怒らせるのも嫌なので、名乗るだけはしておこう。

 触らぬ神に祟りなしだ。

 

「諜報科の京夜ね。あんたいつからここにいたのよ」

 

「最初から」

 

 普通に即答したオレにアリアは目を丸くしていた。

 何故そんなに驚く。

 

「嘘よ!? だってあたしが気配に気付かないわけない!」

 

 ああ、そういうことね。

 それは仕方ないだろ。オレは『そっち系』のスキルが他人より高いんだからな。

 

「気配を消すことくらい諜報科では基礎で習うからな」

 

「それでもあたしの『カン』ではわかるの!」

 

 カンねぇ。素晴らしい感性をお持ちで。

 今までそのカンとやらに頼って事件を解決してきたのなら、それはそれで凄いな。

 その証拠に犯人逮捕は99人全員1発逮捕の達成率100%。

 こんなちっこい身体でやることはずば抜けてる。

 

「まぁ神崎の「アリアでいいわ」……アリアのカンがどんなもんか知らないが、万能なもんでもないんだろう? ほら、冷静さを欠いたら誰だってカンくらいは鈍るし」

 

 よし、それらしいこと言った気がするぞ。

 アリアもアリアで「確かにそうね」なんて顔してるし、とりあえず追求は逃れられそうだ。

 だが、これ以上アリアと一緒にいたら色々『バレそう』だな。

 そのカンとやらが働く前に離脱するとしますか。

 

「そこに転がってる残骸、回収してもらった方がいいよな?」

 

 オレはアリアの後ろに転がるセグウェイの残骸を見ながら携帯でどこかへ連絡する素振りを見せつつアリアにそう問い掛けて、それでアリアが後ろを向いてる隙に気配を完全に消して『全く気付かれることなく』その場から姿を消した。

 

「そうね。鑑識科(レピア)に連絡入れて、探偵科にも調査してもらいましょ――ってあれ? いない……」

 

 今頃アリアはキョトンとした顔をしてそうだな。

 オレはアリアのそんな顔を想像して笑みをこぼしながら、結局出なかった始業式の会場である体育館に行かずに教室へと歩いて向かっていた。

 ……いや待て!

 あの時のアリアは冷静さを取り戻していた。

 そこでオレが完璧に姿を眩ましたら、逆に怪しまれたんじゃ……

 失敗したな、オレ。

 まぁバレたところでどうなるわけでもないだろ。深く考えすぎたな。

 オレはこの判断が間違いであったことを、すぐに思い知ることになった。

 

「理子、おはよう」

 

 新しいクラス、2年A組に辿り着いたオレは、今現在で最も仲良しの女友達、峰理子(みねりこ)の姿を発見し軽く挨拶する。

 理子はツーサイドアップに結ったゆるい天然パーマの金髪をしていて、武偵高の制服をヒラヒラのフリルだらけに改造したちっさい子であるが、胸の発育はいいアンバランス少女。

 ちなみに科目は探偵科。

 その理子はオレの挨拶を聞くや否や、ハイテンションで席を立つ。

 

「キョーやん、おいーっす!」

 

 言いながらハイタッチを求める理子に合わせてオレも渋々ではあるが右手を挙げてハイタッチを交わした。

 理子は他人に勝手にあだ名をつけて呼ぶ癖があり、オレの場合は京夜だからキョーやん。そのまんまだな。

 

「キョーやんや。始業式にいなかったが、一体何をしていたんだい?」

 

「事件見学」

 

 オレのそんな答えに首を傾げた理子。

 説明するのは面倒臭いな。

 あとで教務科(マスターズ)から周知メールが来るはずだから、それで推理しろ。

 仮にも探偵科にいるんだからな。

 

「まぁいいや。キョーやんは変わってるから気にしてたらキリないしー」

 

「失礼な。そういう理子もオレからすれば変わり者だけどな」

 

「えー、理子はフツーだよー」

 

 普通の奴がそんなフリルだらけの制服を着るのか?

 などとは言ってはいけない。言ったら最後、このウザいレベルの理子に延々絡まれる。

 オレはこれでも色々と察しが良い、はずだ。

 理子とそんな風に流れで話していると、クラスに疲れた顔をしたキンジが入ってきて、自分の席に座ってぐったりと伏せた。

 朝からご苦労様だな、キンジ。

 何か言ってやりたいが、生憎とHR(ホーム・ルーム)の時間だ。ねぎらいの言葉は休み時間にでもしてやるよ。

 

「先生、あたしはアイツの隣に座りたい」

 

 ……神崎・H・アリア。せめてキンジを休ませてやってくれ。

 先生から紹介された転入生、アリアは、開口一番にキンジを指差しそう言うと、指名されたキンジは訳がわからないといった顔をしていた。

 オレはキンジを哀れみながら視線をアリアへと向ける。

 ……あっ……目が合った。しかもなんか凄く嫌な予感がする。

 オレはそんな予感がしつつ知らん顔で視線を逸らすと、あんたはあとみたいな雰囲気でアリアは持っていたベルトをキンジへと投げ渡した。借りていたみたいだな。ベルト。

 

「理子分かった! 分かっちゃった! これ、フラグばっきばきに立ってるよ!」

 

 その2人の様子を見た理子が、席を立ちながらおバカ推理を発動。

 恋愛だなんだと騒ぎ始めて、クラスも浮き足立ってきた。

 よしよし、そのまま騒いでHRよ終わってしまえ。

 ――ずぎゅぎゅん!

 そう思った矢先に2発の銃声が教室に響き渡り、その内の1発が壁から跳弾しオレの机に当たる。

 危なっ! オレにはキンジみたいな超人能力はないんだ! 下手したら顔に当たってたぞ!?

 

「れ、恋愛だなんて……くっだらない! 全員覚えておきなさい! そういうバカなことを言うヤツには……」

 

 突然の発砲により騒いでいた奴らも一瞬で沈黙し、理子などシュバッと綺麗に着席する変わり身の早さだが、そんな一同に対してアリアが発した言葉は、実に武偵高らしく暴力的だった。

 

「――風穴あけるわよ!」

 

 その夕方。

 学校でのらりくらりとアリアから逃れて過ごしたオレは、着ていた制服の上着をリビングのソファーに投げて座りくつろぎ始めた。

 ――ピンポーン。

 こう静かだと、真下の部屋のチャイムもかすかに聞こえるな。

 ――ピンポンピンポーン。

 …………

 ――ピポピポピポピポピピピピピピンポーン! ピポピポピンポーン!

 うるせー!!

 どこのピンポン魔だコラ!

 真下の部屋はキンジだったな!

 今日はゆっくりさせてやろうと思ったが、我慢できん!

 オレはイライラしながら両手に黒の防刃グローブをはめてベランダに出ると、持っていたワイヤーをベランダの手摺りに巻き付けて両手に持ちながら、逆さ吊りの状態で下の階のベランダを覗き込み叫ぶ。

 

「キンジ! 近所迷惑を気に掛けないバカはどこの誰だ!」

 

 ……見て言って気付いた。

 神崎・H・アリア……またお前か。

 そして目が合うなりアリアは、バカ呼ばわりされたことが頭に来たのか、ホルスターから銃を抜いてオレに発砲してきた。

 この時命の危険を感じたオレは、つい『本気』になってしまった。

 誰だって自分の命は惜しいだろ?

 オレは発砲の瞬間にワイヤーを手放しベランダに着地して初弾を躱すと、履いていた部屋用スリッパをアリアの目線上に蹴り放ち、オレが一瞬だけ視界から消えるようにした。

 

「とりあえずバカ呼ばわりしたのは謝るから、銃を収めてくれ」

 

 その一瞬でオレはアリアとの距離3メートルを詰めてすかさず謝りながら銃を持つ両手の手首を掴み外に開かせて射撃線から外した。

 

「あっ……わ、わかったから放して!」

 

 アリアは顔を真っ赤にしながらオレに叫ぶ。

 まぁ、命の危険がなくなったので、オレもアリアの両手を解放しキンジの部屋のソファーに大きな息を吐きながら座り込んだ。

 あー、強襲科のSランク武偵様を取り押さえちまった。

 これは嫌な予感しかしないな。

 キンジ。旅は道連れっていうが、どうやらオレは余計な好奇心の所為で墓穴を掘ったみたいだ。

 こうしてオレ、猿飛京夜(さるとびきょうや)の比較的静かな日々は終わりを告げた。

 



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Bullet2

 

 強襲科のSランク武偵であるアリアを取り押さえてしまったオレ、猿飛京夜は、現在オレの部屋の真下のキンジの部屋のリビングに備え付けられたソファーに座りながら落ち着きを取り戻したアリアと状況を整理できていなさそうなキンジを見ていた。

 

「やっぱり京夜は見込みがあるわ。まさか今日1日で2人も候補を見つけられるなんて思わなかったけどね」

 

 2丁の拳銃をホルスターにしまいながらアリアはオレにそんなことを言ってきた。

 いったいオレが何の候補に選ばれたというのか……

 オレがそんなことを思っていると、アリアはオレとキンジが一辺に見えるベランダ付近に移動して、夕焼け空を背景にし振り返りオレ達に左手の人差し指を差して言葉を発した。

 

「あんたたち、あたしのドレイになりなさい!」

 

 ……うん、意味わからん。

 色々とツッコミたいが、キンジの表情を見るかぎり同じようなことを思ってるんだろうな。

 呆然とするオレとキンジを余所にアリアは近くのソファーに腰を下ろして「飲み物くらい出しなさいよ!」と偉そうに言い、キンジは易々と帰ってはくれないと悟ったのか、渋々注文されたコーヒーを淹れにキッチンに引っ込んだ。

 

「……ドレイって、どういう意味だ?」

 

 オレはその間に先ほどの発言について詳しく聞いてみることにした。

 アリアはそんなオレを見て両足をもてあそばせながら答えた。

 

「あたしのパーティーに入って、一緒に武偵活動をしましょってことよ」

 

 あー、なるほどね。わかりにくい誘い方をありがとう。

 

「京夜は諜報科だから、基本は後衛でのサポートかしらね。必要に応じて前衛にも出てもらうかも」

 

 そんなオレを放置して、すでにパーティー内の立ち回りなどを説明し始めたアリア。

 オレの返事も聞かずにな。

 しかしだ。せっかくのSランク武偵様からのお誘いだが、オレの答えは1択しかない。

 

「悪いなアリア。残念だがオレはパーティーには入らない」

 

 それを聞いた瞬間のアリアはピタリと話をやめて、少しだけ不機嫌そうな顔をしながらも理由を聞いてきた。

 断られるのもある程度想定していたか。

 だがあの顔は中途半端な理由なら許さないぞと言ってるな。

 

「理由は2つ。まずオレも将来的にチームを作ろうとしてる。希望は2人1組(ツーマンセル)でな。これにはちょっとだけこだわってるし、だからこそ相手も慎重に選びたいんだよ。2つ目はまぁ、アリアがオレの求めるタイプじゃないことだな。オレの求めるタイプはオレを『ちゃんと理解』した上で使ってくれる人だから」

 

 嘘は一切言ってない。これでもパートナー選びは慎重だし、チームの理想型も頭にはある。

 まぁ、人に話すのはアリアで『2人目』だがな。

 そんなオレの理由を聞いたアリアは、ふむふむと腕を組みながら何やら考えていて、

 

「……わかったわ。京夜なりに考えを持って活動してるなら、あたしも身を引く。ただ京夜にはこれから『個人的に』仕事を依頼するかもしれないから、その時は頼むわよ。もちろん仕事した分の報酬は払うから」

 

 なんとも武偵らしい回答が返ってきたもんだ。

 要はパーティーに入らなくてもいいけど、『依頼』として頼んだらその時は協力しなさいということらしい。

 まぁ実際、それでアリアがパーティーへの勧誘をやめてくれるならオレとしてもありがたいからな。

 ここでうだうだと言っても仕方ないし。

 

「出来る限り最善を尽くす努力はするが、期待しすぎるなよ?」

 

「京夜はできる人間よ。あたしを撒いて、さっきは動きまで封じた。諜報科ではEランク評価みたいだけど、京夜は多分無闇に実力を面に出さないタイプね。陽菜(ひな)もそう言ってたし」

 

 陽菜?

 ああ、諜報科1年の風魔(ふうま)か。

 あいつには確かに「侮りがたし」とか言われたことあったな。

 それにしても鋭いなアリア。

 オレは確かに必要以上に自分の実力を晒したりしない。

 まぁ、必要以前に普段の授業でも実力を見せないからEランク扱いなわけだがな……

 知り合って半日でそれを見抜くとは、侮りがたしアリア。

 

「『能ある鷹は爪を隠す』。オレはまぁ、自分を有能だとは思っちゃいないが、それを見せびらかしたり誇示したりはしないってだけさ」

 

「それは良い心がけね」

 

 それで互いに笑顔を向け合ったオレとアリア。

 これでとりあえず話は終わりだな。

 そう思ったオレはソファーから立ち上がって、入ってきたベランダに出て風になびく2本のワイヤーを手に持ち部屋に戻ろうとした。

 

「でもね、京夜」

 

 そんなオレに諭すような口調で話し掛けてきたアリア。

 オレもワイヤーを掴んだままアリアを見る。

 

「他人より優れた能力を持っていても、それを隠し続けて出し惜しみするようなら、それは宝の持ちぐされよ」

 

 チクリ。と、オレの胸に何かが刺さるのを感じた。

 そんなオレにアリアは一変して「なんてねっ」などと言って笑顔を見せつつ「また明日会いましょ」と見送ってきた。

 オレはそれに「また明日」などと言って返して上の自分の部屋に戻っていった。

 

「……宝の持ちぐされ……か」

 

 部屋に戻ったオレは、ソファーに座りながらさっきのアリアの言葉を復唱していた。

 思えば今日のキンジが巻き込まれたチャリジャック。

 不謹慎にも「面倒臭そうだ」などと考えずに、真っ先に助けに行っていたら。

 体育倉庫の近くの草陰などに隠れずに、すぐ加勢していればどうなっただろうか。

 結果的にキンジもアリアも無事で済んだわけだが、もしあそこでオレが加勢しなかった所為で2人が命を落としたとしたら……

 

「……違う。オレは仮定の話をしたいわけじゃない。最善を尽くしたかどうかが問題なんだ」

 

 そうだ。

 オレの今日の行動は武偵憲章1条にも反する恥ずべき行動だった。

 

「『仲間を信じ、仲間を助けよ』。今日の自分はここに置いていく。明日からは……」

 

 自分の行動を恥じないようにしよう。

 まぁ、基本的にはあまり変わらない気がするがな。

 そんな結論を導き出したオレは、さっさとシャワーを浴びてベッドへと潜り込んで夢の中へとダイブしていった。

 翌日。

 いつもの時間に起床したオレは、ダラダラとしながらも身体を起こしつつ頭を覚醒させて、朝ご飯を済ませ登校の準備を整えていった。

 

「……さ……はん……しな……い」

 

 オレが部屋を出る頃、丁度真下の階から誰かの甲高い声が聞こえてきたが、よく聞こえなかったし興味もなかったオレはさっさと部屋を出て武偵高行きの余裕のある時間帯のバスに乗って登校していった。

 ……なんだアレは……

 何事もなく武偵高へと辿り着いたオレだったが、バスを降りて一般校舎へ歩を進めていた前方方向に妙な人物を発見した。

 

「や、やめてくださいぃ」

 

「ニャアー」

 

(すばる)はあなたの餌じゃないですよぉ」

 

「ニャアーニャアー」

 

 黒猫と戯れる女の子武偵。

 わぁ、朝から変な子発見しちゃったよ、ハハッ!

 って思うオレではもうない。

 そんな自分は昨日に置いてきたわけだからな。

 その女子生徒は肩の辺りまで伸ばした茶髪をしていて、背は150センチくらいでパッと見で幼い印象を受ける。

 よく見ると少女の頭の上に黄色いインコが羽をばさばさと広げながら乗っていて、黒猫はそのインコを狙って少女目がけて大ジャンプ+猫パンチを繰り返していた。

 周りの生徒はその様子をただ見るだけで何かしようとする気配は全くない。

 その間にも少女は涙目で頭の上に乗るインコを守ろうと黒猫を追い払うが、効果はなさそうだ。

 武偵なら黒猫なんかに負けるな。

 と言ってやりたいが、なんか可哀相だから助けてやるか。

 オレは考え至るや否や少女と黒猫に近付いていき、大ジャンプ+猫パンチを繰り返す黒猫を空中でキャッチし捕えた。

 黒猫は始め、オレの腕の先でふがふがと暴れていたが、オレと目が合うと途端に大人しくなり「ニャアーン」と甘い声を出した。

 説明しよう。オレはあらゆる動物に好かれる特殊な体質を持ち、初対面でもすぐに仲良くなることができるのだ!

 どうだ、別に自慢することでもないだろう?

 大人しくなった黒猫を地面に下ろしてやると、黒猫はオレに擦り寄って甘えてくる。

 しかしまあ、懐かれても少し困るので程々に付き合ってあげてからどこか行くように促してやった。

 その一連の行動を間近で見ていた少女は、瞳に涙を溜めながらポカーンと口を開けていた。

 おっ、目の前で見ると結構可愛いなこの子。

 ただ、オレのタイプとは正反対の位置にいるから、恋愛対象としてはアウトだがな。

 言うなれば「守ってあげたくなる」タイプって感じだな。小動物みたいなもん。

 

「あ、あの、助けていただいてありがとうございますっ!」

 

 オレがそんなことを考えていると、少女はペコペコと頭を下げながらお礼を言ってきた。

 インコはいつの間にか少女の右肩に移動し何やらオレを見ているようだった。

 

「気にするな。黒猫を追い払うくらい朝飯前だ」

 

 本当に大したことはしてないしな。

 オレはそう思いつつ少女に言葉を返してさっさと別れようとするが、少女はなにやらわたわたとしながら話をしようとするので、とりあえず待ってみた。

 

「あ、あのあの、私武偵高1年の橘小鳥(たちばなことり)って言います。この子は私の親友の昴。科目は探偵科です」

 

 少女、小鳥は自分と肩に乗るインコの紹介をオレにしてきた。

 って、高1なのか!? てっきり中等部くらいかと思ってたが……

 まぁ、アリアみたいなちっこい高2がいるなら、この子みたいな高1がいても不思議ではないか。

 

「すみません。お名前をうかがってもよろしいですか?」

 

自己紹介を終えた小鳥は次に申し訳なさそうにオレの名前を聞いてきた。

 

「諜報科2年の猿飛京夜だ」

 

 答えない理由もないし簡潔にそう返したオレ。

 

「それにしてもインコを放し飼いなんて凄いな。どっか行ったりしないのか?」

 

 せっかく話しかけてきてくれたし、少しだけ話してみるかと思って自己紹介のあとにそんな質問をしつつオレはインコに右手の人差し指を差し出してみた。

 

「昴は家族で親友ですから檻に入れたりは絶対にしません。あっ! 昴は知らない人には懐かな……」

 

 小鳥は言いながらオレの行動を止めようとしたが、そのインコ、昴は躊躇することなくオレが差し出した人差し指にピョンッと乗り移ってきた。

 オレは鳥にも好かれるらしいな。初めて知ったよ。

 

「……昴が懐いてる……。猿飛先輩凄いですね」

 

「昔から動物に好かれる質なんだよ。何でかはオレも知らないがな」

 

「へぇ……ん? ふふっ、昴が『助けてくれてありがとう』って言ってます」

 

 オレの言葉に納得しつつ、小鳥は笑いながら突然そんなことを言ってきた。

 ……おおう……普通っぽい子だと思ったが、どうやら違うらしいな。

 昴が『助けてくれてありがとう』だって? まさか小鳥は鳥語? を解するとでも言うのか。

 まぁ、ここ武偵高には超能力捜査研究科。通称『SSR』なんてオカルトな科目もあるから、全否定できないところが少し恐ろしいな。

 実際そこを履修する白雪なんかは本物の超能力者(ステルス)だからなおさらな……

 キョトンとするオレを余所に、小鳥は笑顔から一変。

 突然ハッとしたかと思うと、ポケットから携帯を取り出して時間を確認していた。

 

「あ、あのすみません! 私急がなくてはいけなかったのでこれで失礼します! 助けていただき本当にありがとうございましたっ! 昴、行くよ!」

 

 どうやら急ぐ理由があったらしい小鳥は、もう1度オレにお礼を言って頭を下げてから、くるりと反転し昴に呼び掛けて校舎へと走っていってしまい、昴もそれを追うようにオレの手から飛び立って行ってしまった。

 橘小鳥ね……

 個人的に少し調べてみるか。

 電波な子なのか。はたまた凄い子なのか……気になって仕方ないからな。

 オレは小鳥にそんな興味を持ちつつ、午前中の一般教科の授業を受けるためにその足を進めて校舎へと再び歩き出した。

 武偵高では1時間目から4時間目まで普通の高校と同じように一般科目の授業を行い、5時間目以降、それぞれの専門科目に分かれて実習を行うことになっている。

 オレはその5時間目以降の時間を活かして現在、朝に遭遇した武偵、橘小鳥について調査していた。

 まぁ、在籍してる生徒なんだから調べるなら資料室。

 ってわけで、今オレは目の前のパソコン画面と格闘していた。

 だが、自慢じゃないがオレはコンピュータ関係の操作は苦手分野だ。

 携帯だってメールと通話くらいしかまともに扱えない。

 そんなわけでオレはあらかじめ助っ人を頼んでいたりする。

 

「ほいほーい。キョーやん、来たよー」

 

 同級生の峰理子である。

 理子は普段からアホなおバカキャラ。

 ギャルゲー好きのマニアで知られているが、探偵科では上位ランクAの格付けで、情報収集能力がずば抜けて高いのだ。

 ただまぁ、理子に何か頼むといつも条件付きになるからあまり頼りたくないのが本音だが、ただの興味だけで自分の足を使って調べるなんて労力を費やすのも嫌だからな。

 理子が資料室に入ってくると、オレはパソコンの席を譲って座らせてその様子を眺めていた。

 おお……なんか画面が忙しなく切り替わる。何が起きてるかよくわからん。

 

「キョーやんや。突然女の子のことを調べるなんて、もしかしてキョーやんにも春が!?」

 

 調べながら理子はオレに顔を向けずにそんなことを言ってくる。

 

「違う。頼む前にも少し話しただろ」

 

「ちぇー。キョーやんつまんなーい」

 

「面白くする気がないからな。それより報酬の方は考え付いたのか?」

 

「あい! 実はさっきキーくんからも調査依頼をされたので、今回はうっはうはですよ!」

 

 キーくんってのはキンジのことだ

キンジが調査することねぇ……

 アリア辺りか? まぁどうでもいいか。

 

「そんで、報酬は?」

 

「そだねー……前はアキバでデートしたからー……アキバでデート!」

 

「もう少し捻ってくれ」

 

「前はギャルゲー漁りだったから、今回はコスプレデートなのです!」

 

 うわぁ、すっげー嫌だ。

 ただのデートの方が100倍マシだ。しかしだ……

 

「……女装とかはなしな」

 

 調査を頼んだオレに拒否権はないのだ。

 だから最悪の状況だけは回避して承諾した。

 

「キョーやん素材はいいから何でも似合うよー。女装も目付きを柔らかくすれば……」

 

「しない! それよりキンジの依頼もあるならさっさと済ませてくれ」

 

「らじゃー!」

 

 理子はそう言ってから数分間沈黙し、黙々と作業をやっていった。

 

「……高い買い物をした気分だ」

 

 資料室を出て、時間帯的にまだ6時間目くらいだったため、とりあえず理子から貰ったA4サイズの資料に目を通しながらやることはないが諜報科の専門棟を目指して歩いていた。

 理子から貰った資料には、橘小鳥の生年月日や経歴などが記されていて……ん? スリーサイズまである……これは見なかったことにしてあげよう。

 橘小鳥。

 探偵科でCランク。

 取り立てて目立つ経歴はないが、依頼(クエスト)達成率は100%。

 内容は捜索物関係が多く、捜索能力に関しては高水準である。

 携帯する銃はアメリカ産ジュニア・コルト、と。

 とりあえず簡易データのみをざっと眺めてみたが、オレが知りたいのはこういった部分ではない。

 そう思いつつ資料の先を見ようとした矢先に諜報科の専門棟に辿り着いたオレは、その出入口に茶髪の女子生徒を発見。

 あれは小鳥だな。諜報科に何の用なんだ?

 小鳥がそこにいる理由を考えながら、オレは持っていた資料を制服のポケットに入れて近寄り後ろから話しかけた。

 

「諜報科の誰かに用なのか?」

 

「うひゃー!!」

 

 そんなに驚かなくてもいいだろ。

 右肩に乗ってた昴も驚いて少し飛んだぞ。

 

「はっ! さ、猿飛先輩! 探しました!」

 

「オレを? 何で?」

 

 どうやらオレを探していたらしい小鳥は、1度自分を落ち着けてから、話を始めた。

 

「あ、あの、猿飛先輩! 先輩は今徒友(アミカ)契約をしている方はいますでしょうか?」

 

 徒友?

 先輩が後輩をマンツーマンで指導するあの面倒極まりない制度か。

 

「いや、誰とも契約してない」

 

 そもそも諜報科でEランク評価のオレと徒友契約を結ぼうとするおバカな後輩はまずいないからな。

 小鳥はオレの答えを聞いて笑顔になったかと思うと、すぐに真剣な顔になり何やら決意した瞳でオレを見てきた。

 

「さ、猿飛先輩! わ、私と徒友契約してくださいっ!」

 

「やだ」

 

「ふえええー!?」

 

 ヤバイ、この子楽しい。

 リアクションが大きいし期待通りの反応をしてくれる。

 

「まぁ冗談だが、何でオレとなんだ? そもそも専門科目が違うから教えられるようなことも少ないぞ?」

 

「猿飛先輩のこと調べました! 猿飛先輩はランクこそEですけど、それ以上の実力を持ってるはずなんです! それに昴も『凄い人だ』って!」

 

 ……また昴か。

 いや、それ以前にわざわざオレのことを調べるとはな。

 

「猿飛先輩が徒友契約を結んでくださるなら、私はすぐにでも諜報科に転科します! 手続きとかあるので、今日申し込んでも来週にはなりますが、私は本気ですっ!」

 

 真面目だな。というかまっすぐだ。

 何でそこまで真剣なのかわからないが、門前払いする気にはなれないな。

 

「そうだな。橘がそこまで決意して徒友契約したいなら、少しだけ実力テストといこうか」

 

 そう思ったオレは真剣な顔をする小鳥を見ながらそんな提案をしてみる。

 

「は、はい! 何をすればいいんですか?」

 

 うんうん、期待どおりの反応だ。

 それならオレも久しぶりに『本気』出してみるかな。

 それにアリアにまた宝の持ちぐされなんて言われたくないしな。

 

「そうだな……じゃあ、オレとかくれんぼするか」

 

「……へっ?」

 

 小鳥のそんな意表を突かれたような声は、響くことなく風の通り過ぎる音にかき消されていった。



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Bullet3

 

 諜報科の専門棟の前で話をしていたオレと橘小鳥。

 オレと徒友契約を結びたいという小鳥に対して、実力テストを兼ねてあるゲームを提案していた。

 

「かくれんぼ、ですか?」

 

「そう、かくれんぼ。これから1時間、オレが橘に見つからないように隠れ続ける。エリアは……学園島の北側半分。橘はそのエリア内にいるオレを捜索する。ノーヒントはキツいから、オレはある程度の『痕跡』を残しつつ、エリア内を一定時間毎に移動する。捜索は人に聞くなりなんなりしてくれてもいいが、他人に協力を求めたりはなしな」

 

 まぁ、オレは潜入や工作が専門の諜報科だ。

 隠れることに関しては少し自信があるし、小鳥は探偵科で、簡易データによれば捜索能力は高いはず。

 実力を計るにはこれが手っ取り早いだろ。

 まぁ、この実力テストの結果が徒友契約をするしないには結びつかないが、よく知りもしない子を易々と徒友にして、それで才能を潰したりしたら大変だからな。

 要は事前調査ってやつだ。

 オレの説明を聞いてゲームを理解した小鳥は、より一層張り切った表情をして右肩に乗る黄色いセキセイインコ、昴に「頑張ろうねっ!」なんて話し掛けていて、昴もなんだか「頑張ろう」と言ってるように見えた。

 オレも電波になったか……

 

「じゃあオレは隠れに行くから、橘は10分後にスタート。ちなみに第1ヒントで、隠れるのは建物の角とか木の裏とか。『建物内部』や『密閉空間』には隠れない」

 

「はい! わかりました!」

 

 意味をちゃんと理解したか?

 小鳥ちゃんよ。そこを誤解すると、1時間じゃ絶対に見つけられないぞ。

 

「オッケー。それじゃあ、お手並み拝見といこうか」

 

 これ以上ヒントを与えるのも甘やかしみたいで嫌だからな。

 さっさとスタートさせてしまおうか。

 考えたオレはさっそく走ってその場を去って小鳥の視界から消えていき、いくつかの痕跡を残しながら学園島北半分のどこかへと身を隠していった。

 

 

 

 

~小鳥視点~

 

 猿飛先輩が行動してもうすぐ10分。

 いよいよ実力テストスタートだね。

 この10分で最初の行動(アクション)は大体決まったし、やることも大分絞れた。

 学園島は南北2キロ、東西500メートルの浮島。

 その半分でも端から端まで走って5、6分かかる。

 つまり無闇に動き回っても体力を消耗するだけだし、制限時間も1時間しかない。

 少ない情報からなるべく早く、正確に推理しないとダメ。

 ……3……2……1……よし!

 実力テストスタート!

 私は時間を確認したあとすぐに行動を開始していった。

 

「頑張ろうね、昴!」

 

 走りながら私の右肩に乗る親友、昴にそう言った私。

 ……うん。一緒に頑張ろう!

 かくれんぼは大抵の場合、鬼……この場合私を常に視界に入れて行動するパターンと、ひたすら1ヶ所に留まるパターン。あるポイントを押さえて危険を察知しやすくした上で行動するパターンがある。

 だけど今回、猿飛先輩は『一定時間毎に移動する』と言ってましたから、おそらく私の行動を監視していないし、1ヶ所にずっと留まってない。

 それに『痕跡』を残すとも言っていた。つまりその『痕跡』を正確に辿ることが出来れば、必ず見つけ出せるはず!

 それに建物の中とかに隠れないとわかっていれば、捜索も幾分か楽になるしね。

 私はなるべく見逃しがないように建物と建物の間や草木の茂みなどを注意して見つつ、見かけた武偵の方々に話し掛けていく。

 昴は先行して低空飛行で猿飛先輩を探しに行ってくれてて助かります。

 

「あの、黒髪ですらっと背の高い男子生徒を見かけませんでしたか?」

 

「うーん、見てないなぁ」

 

「そ、そうですか。お時間取らせてすみませんでした」

 

 そうだ。確か猿飛先輩の簡易データに興味深いことが書かれてたっけ。

 ミスディレクションと無音移動法(サイレント・ムーブ)

 ミスディレクションは、マジシャンやスポーツ選手が使う相手の『意識』を他に逸らしたりする技法。

 無音移動法はその名の通り、音を立てずに移動する技法。

 さらに猿飛先輩は諜報科を履修してるから、気配を消すのも得意なはずだから、これらを使われたら目撃者がいる可能性は限りなく低いけど、目撃者を『任意』で選択も出来ることになる。

 もちろん、そんなことが出来るなら確実に猿飛先輩はEランクなんかじゃない。

 低く見てもBランク。もしかしたらそれより……ど、どうしよう。私すごい人見つけちゃったかも。

 って、今は浮かれてる場合じゃないぞ小鳥!

 これに合格しないと猿飛先輩の徒友にだってなれないかもしれないんだから!

 とにかく、人に聞いていくことは手がかりになりえるし、目撃者がいればそれは有力な情報だから。

 そうやって見かける人達に片っ端から話しかけていった私は、5人目の男子の先輩から有力な情報を聞き出すことが出来た。

 

「そいつならさっきあそこの角を曲がって行ったはずだよ」

 

 先輩は言いながらその方向を指差しつつ教えてくれた。

 あの方角は北東かな?

 先輩にお礼を言いつつ、私は急いで示された場所へと走り出し、丁度その角から、先行していた昴が戻って来て私に報告をくれた。

 ……うんうん。猿飛先輩は見つからなかったけど、不自然な痕跡を見つけたって!? 凄いよ昴!!

 

「それじゃあ、そこまで案内して!」

 

 よし! 手がかりが掴めそう! このまますぐに猿飛先輩を見つけちゃうぞ!

 時間は……開始から14分か。

 余裕はまだある、かな?

 考えながら昴の案内でやってきた場所は、建物の周りに植えられた草木の茂みの隙間だった。

 そこには数分前まで誰かが座って身を隠していたであろう不自然な跡があり、移動した足跡もわずかに残されていた。

 

「昴! この足跡の先を見てきてくれる? 私はまた聞き込みとかでルートを特定するから」

 

昴は私の言葉を聞いたあと、足跡の先へと飛んでいって、私も同じ方向に進みつつまた聞き込みや周りを注意深く見始めた。

 

 

 

 

 ゲーム開始から23分。

 まだ近くに小鳥が来てる感じはしないな。

 最初のポイントには辿り着いてそうではあるが、捜索が遅れれば、オレの跡を辿るのも難しくなるぞ。

 時間が経てば経つほど、情報は増えて錯綜するからな。

 そういえば小鳥は何でオレと徒友になりたいんだろうか?

 どんな将来像を描いているのかもちゃんと聞いてやらないといけないな。

 というか、オレも本気でパートナー探しに力入れないといけないな。

 今の有力候補は理子だが、あいつは実力は認めてるがどうにも知り合った時から本能が距離を置きたがる不思議ちゃんだ。

 あっちもあっちでパートナー関連の話題は避けてる感じだしな。

 ……おっと、考えてるうちに25分か。次のポイントに移動するかな。

 そう思ったオレは、小鳥にわずかなヒントを残しつつ隠れる場所を移動していった。

 

 

 

 

 開始から30分。もう半分の時間が過ぎちゃったよ……

 次に猿飛先輩がいたであろう建物と建物の間のすっごく細い道を見つけたのが今しがた。

 というか半身にならないと通れないよぉ!

 猿飛先輩どうやって通ったの!? 不思議すぎる……

 私が細い道に悪戦苦闘してる間、私の頭に乗る昴は呑気に休憩していたり。

 でもまぁ、昴には頑張ってもらってるから文句は言えないかな。

 そんな私のわずかな不満を察知したのか、昴は私の頭をくちばしで軽くつついてきた。

 ちょっと痛いし、つつかれた場所ハゲたりしないかな……不安だよぉ。

 痕跡を探しつつどうにか細い道を抜けた私は、また昴に先行してもらいつつ、猿飛先輩の跡を追う。

 ちなみに細い道からは壁の側面に布を引きずったような跡が残されていた。

 身長から察するに猿飛先輩とだいたい一致するので、おそらく制服が壁と擦れて出来た跡なんだと思う。

 私もケッコー汚れついちゃったし。

 抜けた先は道が2つに別れていて、昴にはそのうち1つの道を行ってもらって、私は昴とは別の道を走る。

 私は今、猿飛先輩に迫ってるのか、引き離されているのかもわからない。

ううん、たぶん引き離されてる。

 でも、絶対に諦めたくない。

 絶対に猿飛先輩と徒友になって、お父さんやお母さんみたいな凄い探偵になるんだ!

 お父さんとお母さんは、海外で活躍するケッコー名の通った探偵。

 まぁ、かの有名な『シャーロック・ホームズ』には遠く及びませんが。

 そしてお父さんは私の親友、昴より大きな鷹『ハリスホーク』を相棒にしてるし、お母さんは犬の『ドーベルマン』をいつも連れてる。

 私の家は代々、動物と共に暮らすことを義務付けられている。

 私も昴とはずいぶん前から一緒のパートナー。

 さらに私の家系では『動物と意志疎通を交わすことが出来る』不思議な能力が脈々と受け継がれている。

 この能力は、動物が『何を伝えたいか』を直感的に理解してこちらの意志を伝えたり出来るモノ。

 動物の言語がわかるわけではないけど、普通に話し掛けたりするから、他人からは奇怪な目で見られがちになっちゃうけど。

 お母さんは家に嫁いできたからその能力はないけど、お父さんにはバッチリ備わっていて、私も受け継いでいる。

 ただ、私の場合は『仲良くなった動物』に限られてしまうのが残念なところ。

 この能力の所為で武偵高ではいつの間にか『不思議ちゃん』なんて呼ばれるようになっちゃったけど、SSRっていう一風変わった専門科目があるおかげでそこまで目立たないで済んでるかな。

 あそこの人達、専門棟で闇の儀式とかやってるとか色々凄い噂を聞くし。

 わわっ! 考え事してたら5分も経ってる! 急がないと時間がー!

 刻々と迫るタイムリミットに急かされるように動く私は、気付けば冷静な推理が出来なくなっていた。

 それでもなんとか昴と協力して、次の隠れ場所まで辿り着けた私だったけど、時間は開始からすでに45分を経過していた。

 猿飛先輩がいたと思われる場所は、最初にいた草木の木の上。大胆すぎますね、猿飛先輩……

 木の上の枝にはワイヤーを巻き付けて登ったような跡があって、さらに降りた時の着地跡がくっきり残っていた。

 残り15分。

 移動回数と経過時間から察すると、おそらく次が終着点。

 でも、私もずっと走りっぱなしで余裕はほとんどないし、昴だって疲れてる。もう遠回りは出来ないかな。

 とにかく、今は行動しないと!

 私は体力を消耗した身体に鞭を打って走り出し、その間に昴には出来るだけ休んでもらうことにした。

 

「昴には頑張ってくれたご褒美に後で美味しいもの食べさせてあげないとね……えっ? ご褒美は猿飛先輩と徒友になれたらで良いの? 昴は頑張り屋さんだね。……ん? 私が弱気になってるって? ……うん、そうだね。少しダメかもって思ってた。そうだよね。まだ諦めるには早いよね? ありがとう、昴! 最後まで一緒に頑張ろう!」

 

 昴に激励された私は、無意識に弱気になってたのを正されて、また力強く走り始めた。

 残り8分。おそらく猿飛先輩が最後に目撃されたであろう建物の間の道にやってきた私と昴。

 そこから周辺を片っ端から捜索していった私と昴だったけど、手掛かり1つ見つからない。

 まるで『突然消えたかのように』。

 ここじゃない?

 ううん、この辺りにいるのは確か。

 でもホントにここで痕跡がプツリと途絶えてる。

 落ち着け小鳥。

 焦ったら見えるものも見えなくなる。

 お父さんとお母さんが教えてくれたじゃない。

 『行き詰まったら捜査を見直せ』って。

 猿飛先輩は最初に建物内部と閉鎖空間には隠れないって言ってたから、自ずと捜索場所も限定できるから……ん?

 待って。私はもしかしてひじょーーに大きな見落としをしていた?

 建物『内部』には隠れない。

 確かに猿飛先輩はそう言った。

 それで私は勝手に『ある場所』を捜索範囲から外してた……

 ううん。その可能性を考慮できなかった。

 そしてプツリと途絶えた痕跡。なら猿飛先輩は……

 私は考え至ると建物のほぼ真下の位置から視線を『上』に向けた。

 私の考えを察した昴は、何も言わずに肩から飛び立ち上昇していった。

 

 

 

 

 ゲーム開始から55分か……

 少し本気出しすぎたかな?

 今隠れている場所はズルって言われれば聞こえは悪いが、一応ルールには従ってるしな。

 小鳥がちゃんと推理できれば辿り着けるようにはしてやったし、本当の捜索任務なんかじゃ、オレが残したような痕跡だってほとんどないことが多々ある。

 オレとしては易しめなんだよな。

 おっと、そういえば理子が調べてくれた小鳥の資料を全部見てなかったな。

 どうせ残り時間も移動しないから暇だし、見ておくか。

 オレはそう思って制服のポケットから折り畳んだ資料を取り出し、目を通そうとした。

 その時、広げた資料に小さな影が浮かび、オレの頭上辺りに何かいると察知し真上を見ると、そこには小鳥の親友、昴が小さな円を描きながらオレの頭上3メートル辺りを飛び続けていた。

 あれは……訓練された鳥が目標を見つけた時に操主に知らせるための合図か?

 それでオレは自分が小鳥に見つかったことを悟りつつ、携帯が示す時間を見た。

 あと3分。はたして間に合うか、小鳥。

 小鳥の到着を期待しつつ、オレは広げていた資料に目を通すと、丁度そこにはなんともオカルトな『動物と意志疎通を交わすことが出来る能力』が備わってると書かれていた。

 しかしまぁ、あんな昴を見せられたらな。

 

「電波な子じゃ……なかったか……」

 

 その時、オレが隠れていた場所に扉を開けて『出てきた』小鳥が、息を切らせながらオレに近寄り笑顔を向けてきた。

 昴はそんな小鳥を見ていたいのか、オレの右肩に降り羽を休めて小鳥を見ていた。

 

「さ、猿飛……先輩……み、みつけ……ました……よ……」

 

 時間は残り32秒。ギリギリセーフだな。

 

「私、大きな……見落としを……していま……した」

 

「とりあえず落ち着いてから話せよ。オレは逃げたりしないんだからよ」

 

「は、はい。すみま……せん……」

 

 小鳥はそう断ってから、ペタンと床に座り込み呼吸を整えていった。

 オレは最初から柵に寄り掛かる形で腰を下ろしていたので、それで小鳥とは丁度目線の高さが一緒になった。

 小鳥は荒くなった呼吸を落ち着かせると、ゆっくりここに辿り着けた理由を話す。

 

「猿飛先輩が初めに言った建物内部には隠れないってヒント。私はこれで最初『建物全部』を捜索対象から外してしまいました。だから猿飛先輩が『建物の屋上』にいることも推理できませんでした」

 

 そう。オレと小鳥が今いるのは、学園島にある建物の1つの屋上。

 

「思い込みや見解の違いで見えてくるモノが変わるだろ? 言葉や文字に含まれる意味を吟味することの重要さ。理解できたか?」

 

「はい! 猿飛先輩はやっぱり凄い人でした! 私、先輩から学びたいこといっぱいできました! それであの……私は……合格……ですか?」

 

 合格? いったい何の話だ?

 

「ん? ああ、橘の実力が知れて良かったよ。不思議ちゃんじゃないことがわかったのは大きいな」

 

「えっ? えっ? あの、じゃあ、私は先輩と徒友契約……」

 

「徒友? それは始めから承諾してただろ?」

 

「え、ええー!? 聞いてませんよー!?」

 

 ん? 言ってなかったか?

 そんなことを思いつつ、何故か脱力した小鳥から昴に顔を向けると、昴も「そうなの?」と言ってるかのように首を傾げた。

 

「よ、よーし。それじゃあ早速契約の手続き済ませに行くぞ。諜報科への転科もするんだろ? やるならさっさとやっちまうぞ」

 

 これはもう強引に話を進めよう。

 細かいことをごちゃごちゃ言われるのも嫌だしな。

 オレの強引な切り返しに小鳥はまだポカーンとしていたが、疲れているのもあるんだろうな。

 だからオレは床に座り込む小鳥を背中に乗せて建物を出ることにした。

 

「ひゃあ!? あ、あの猿飛先輩! 私、1人で歩けますから!」

 

「頑張った後輩への配慮も先輩の務め。それに黙っててくれた方が歩くのは楽なんだが?」

 

「う……は、はい……ありがとう、ございます……」

 

 顔を真っ赤にして言われると照れ臭いが、なんだか本当にオレの妹みたいで可愛いと思える。

 それに小鳥はなんだか小動物みたいで放っておくのが怖いな。

 つい守ってあげたくなる。

 思いつつ建物から出たオレは、小鳥と頭に乗る昴を背負ったまま、教務科へと向かうがてら話をしてみた。

 

「ああそうだ。オレの部屋の合鍵渡しとくな。男子寮で、今は1人で使ってる部屋だ。徒友だし、出入りに不自由とかあると面倒だし。橘は今はどこに住んでるんだ?」

 

「は、はい。私は女子寮の方に。それから私のことは小鳥でいいですよ、猿飛先輩」

 

「じゃあ、オレも京夜でいいよ、小鳥」

 

「は、はい! 京夜先輩!」

 

 ホントにまっすぐな子だな。

 でも、こういう子は教えたことを鵜呑みにする傾向にあるからな。

 指導には細心の注意を払わないとな。

 

「オレの部屋にはいつでも自由に来てくれてもいいが、あんま騒がれたくないから誰かに見られたりとかはしないように注意しろよ?」

 

「自由に……わかりました」

 

 仮にも男子寮。

 そこに女子を連れ込んだとなると、情報の伝達が神掛かって早い武偵高では命取りになるからな。

 小鳥にも注意してもらわないと。

 それから教務科で徒友契約と小鳥の転科申請をしたオレと小鳥は、その日はそのまま別れて帰宅していった。

 その翌日の夕方。

 学校が終わり自分の部屋でくつろいでいたところに早速小鳥がやってきた。

 何故か『大きな荷物を持って』。

 ……待て待て。その荷物の量は明らかにおかしいだろ。

 まるで『住み込み』でもするかのような……

 

「今日からこちらで住まわせていただきます! その方が京夜先輩から学ぶ機会が増えますしね。もちろん家事の方は私が精一杯やらせていただきます。これでも料理なんかは人並みには作れますから。これからよろしくお願いします!」

 

 ……オレはどこで言葉を間違えたんだ?

 確かに小鳥の言い分は正論だし、こっちとしても家事をやってくれるのは凄く有り難い。が!

 やはり住み込みはおかしくないか!?

 オレのそんな疑問も、まっすぐな目で見る小鳥を前にしては言えず、オレは流されるように引き入れてしまったのだった。



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Bullet4

 橘小鳥と徒友になった翌日の夜。

 現在オレの部屋には、その小鳥が『住み込み』で押し掛けていた。

 小鳥は自分の荷物を余って空いている部屋に持っていった後、「今夜は私が夕飯を作りますね!」などと言って、只今キッチンにて調理中。

 その間オレはソファーにちょこんと乗りながら、部屋の中をキョロキョロと眺めるセキセイインコ、昴と戯れていた。

 

「うるさいうるさい!」

 

 ……またか。今度ははっきり聞こえたな。

 昴と戯れていたオレは、突然下の部屋から聞こえた甲高い怒鳴り声にため息が出てしまう。

 またキンジの部屋にいるのか、神崎・H・アリア。

 キンジも大変だな。

 オレみたいに断るのに納得のいく理由がなさそうなあいつは、イエスと言うまで解放されないだろうな。

 それから依然として聞こえてくるアリアの甲高い声が少し煩わしかったオレは、テレビの電源を入れてシカトモードに突入。

 小鳥の料理が出来るのをのんびり待ち始めたのだった。

 小鳥が作ってくれたのは、ありあわせで作った炒飯と野菜の盛り合わせ。

 冷蔵庫には大したモノがなかったはずだが、よくまぁ作れたもんだ。

 

「あの……私の料理、何か変なところありました?」

 

 料理を見て固まるオレに不安を感じたらしい小鳥がそんなことを尋ねてきた。

 

「いや、冷蔵庫にまともな食材なかったのによく作れたなと思ってな。小鳥は良いお嫁さんになれるな」

 

「えっ!? お、お嫁さん!? そ、そんな私にはまだ早いです……」

 

 そりゃそうだろ。

 オレだって今から誰かと結婚しろなんて意味で言ってないんだから。

 だからそんなにテンパるなよ。

 顔まで真っ赤にして……いちいち反応が可愛いんだよ。

 

「とりあえず食べるか……って、昴がもう摘んでるな」

 

 せっかく作ったのに、温かいうちに食べないと勿体ないので強引に切り出したのだったが、よく見ると昴がすでに野菜の盛り合わせからレタスを摘んでいた。

それを見た小鳥も落ち着きを取り戻して、一緒に炒飯を食べ始めた。

 

「京夜先輩。お暇ならご指導をお願いしたいんですけど……」

 

 夕飯を食べ終わってからリビングのソファーでくつろいでいたオレ。

 そんなオレにさっきまで荷物を広げて自室の整理をしていた小鳥が、やり終えたのかリビングに来て対面する位置に来てそう言ってきた。

 

「ご指導って……オレはまだ小鳥が何を学びたいのかもよく知らないんだが?」

 

「そ、そうでしたね。では……ミスディレクションを教えてください!」

 

 言われてすぐにオレは右手人差し指で天井を指す動作を何気なくやる。

 すると小鳥は釣られるようにその指の指し示す先に視線を向けた。

 その一瞬の隙にすかさず左手で小鳥の鼻を摘んだ。

 

「これがミスディレクションだ」

 

「ふ、ふみゃ!?」

 

 鼻を摘まれて変な声を出す小鳥。

 すぐに左手を放してやったオレは、理屈っぽく話を始めた。

 

「人間ってのは無意識に色んな情報を取り込もうとするんだ。オレが使うミスディレクションは人間のそういった無意識に起きる現象の穴を突くわけ」

 

 言いながらまたさり気なく、今度はチラチラとベランダの方へと視線を向けてみると、案の定小鳥はそっちを向いたのでまた鼻を摘んでやった。

 言ってるそばから引っ掛かるなよ。

 

「まぁ、オレの場合はこれに諜報科でほぼ必須の気配を消す技術と無音移動法も併用してるから、今の小鳥には少し難しいな」

 

 しかしまぁ、理屈をわかったところで、実際にやるとなるとかなり難しいし、コツを掴むセンスも大事だったりする。

 

「まぁ、出来るかどうかは別にしても、習得したいって気があるなら、精一杯教えてやるよ」

 

 言いながらオレは小鳥の頭を優しく撫でて微笑んでやると、小鳥は顔を真っ赤にして「は、はい、よろしく、お願いします」と小声に近い音量で返してきた。

 それから小鳥に少しだけミスディレクションを仕込んでみたが、さすがにすぐには出来なかったので、毎日練習することにしてその日は終わり。風呂に入って――もちろん別々にだ――寝ることにした。

 オレの部屋は本来4人が共同で使うための造りなため、1つの部屋に2段ベッドが2基設置されていて、出入口から右側の下の段を普段オレが使い、小鳥は左側の下の段を使うことになった。

 しかしだ。やはり後輩といえど女の子。

 一緒の部屋で寝るというのは少し気まずい。

 だからオレは隣の2段ベッドに寝る小鳥に背中を向ける形で寝て、なるべく意識しないようにしていた。

 

「あの、京夜先輩。まだ起きてますか?」

 

 ベッドに入って数分くらいだろう。

 申し訳なさそうな声で尋ねてきた小鳥。

 

「……起きてるよ」

 

「その……私、いきなり京夜先輩の部屋に押し掛けてきて、しかも泊まり込みでなんて、正直迷惑でしたよね?」

 

「そうだな」

 

「あう……ご、ごめんなさい……」

 

 おっと、半分冗談だったが真に受けたか。

 

「まぁ確かにマジか!? とは思ったが、小鳥が真剣なのがわかったからそれを迷惑だとは思ってないよ。それに家事をやってくれるのはオレも助かるしな」

 

 言いながら小鳥の方に体を向けると、それを聞いた小鳥は嬉しそうな声色で「よ、良かったぁ」とホッとしていた。

 

「だからこれからよろしくな、小鳥」

 

「はい! よろしくお願いします!」

 

「……もう寝るぞ。おやすみ」

 

「はい。おやすみなさい」

 

 翌日。

 さすがに一緒に男子寮から出るわけにもいかないので、小鳥にはオレよりも早く登校することを義務付けし、オレは時間ギリギリの通学バスでの登校をしていった。

 その日は面白いことに、キンジが古巣の強襲科に出向いたらしく、強襲科の友人、不知火亮(しらぬいりょう)なんかが嬉しそうにしていた。

 ついにアリアの勧誘に折れたか、キンジよ。南無三。

 とか思ってたオレだったが、実はこの日オレもアリアから呼び出され、半ば強引に携帯のアドレスと番号を交換させられた。

 まぁ、協力する約束はしてたし、連絡手段くらいはないと困るよな。

 さらに翌日。

 オレは小鳥が登校して行った後に7時58分発の通学バスに乗るために部屋を出た。

 今日は雨が降ってるのか。

 いつも1時間目が始まる直前に一般校区に着くこのバスはほぼ満員でたまに乗れなかったりするのだが、今日は絶対に乗らないとな。

 雨の中走るなんてまっぴらごめんだ。

 案の定、来たバスはほぼ満員。

 我先にとバスに乗り込もうとしたのは、同じクラスの車輌科(ロジ)武藤剛気(むとうごうき)

オレも武藤の後に続いて、ぎゅうぎゅうのバスに乗り込んだ。

 し、しんどいな……

 

「の、乗せてくれ武藤! 猿飛!」

 

 そこへ遅れてきたキンジがオレと武藤に乗せてくれと懇願してきた。

 しかしまぁ、無理だ。

 武藤が同じ意見で無理だと即答する。

 

「俺のチャリはぶっ壊れちまったんだよっ。これに乗れないと遅刻するんだ!」

 

 ああ、そういやこの前盛大に爆破されてたな。

 

「キンジ。世の中っていうのは理不尽なことで溢れてる。時には諦めも肝心だ」

 

 オレはキンジを可哀相に思いつつも、譲るつもりもさらさらないのでそう言ってやった。

 そしてバスは無情にも扉を閉め、キンジを置いて出発してしまった。

 

『 このバスには 爆弾 が 仕掛けて ありやがります 』

 

 バスが出発してすぐ。

 乗っていた中等部の女子生徒の携帯から、そんな人工音声が聞こえてきて、バス内はにぎやかムードから一変。

 緊張と静寂に包まれた。

 

『 速度を落とすと 爆発しやがります 』

 

 次に聞こえた音声により、バス内は騒然とした。

 しかし、乗っているのは仮にも武偵。

 運転手以外はすぐに状況を把握し無駄に騒ぐのを止めた。

 まずは運転手にこれ以上速度を落とさないように指示を出し、何人かが車内に不審物――爆弾だ――がないかを調べる。

 しかし、今日の車内はぎゅうぎゅうの寿司詰め状態。

 動こうにもかなり無理があるため細かな部分を見られなく、さらに事態を仕切るリーダー的人間がいなく統率が取れてない。

 そう思っていたオレの元に突然携帯の着信が入る。

 マナーモードにしていた携帯の表示を見ると、相手はアリアだった。

 まさかこの事態に気付いた?

 しかし、今通話に出るわけにはいかないため、オレは仕方なく着信を切り電源を落とす。

 車内に犯人がいる可能性や、外から監視されてる可能性を考えれば、不自然な行動は怪しまれるからな。

 緊急連絡は通信科(コネクト)情報科(インフォルマ)の専門に任せた方がいいだろう。

 しかしまとまりがない。

 緊急時に冷静に指揮を取れる奴がいないってのは少し厄介だ。

 パッと見でSランク武偵はいないな。

 ……やるしかないな、オレが。

 武偵憲章1条。仲間を信じ、仲間を助けよ。だろ?

 

「みんな少し聞け。状況を整理するからとりあえず好き勝手やるのを止めろ」

 

 バスの運転手の横にいたオレは、車内全体に聞こえる声でそう言うと、爆弾探しなどをしていた武偵も作業を止めたが、あれは素直にオレの指示に従った顔じゃないな。

 まぁ、理由はわからんでもないが。

 

「お前、諜報科の猿飛だろ? Eランクの落ちこぼれが仕切んなよ!」

 

「ならお前が全体をまとめろ。好き勝手やって爆弾を爆発させられておしまいにならないうちにな」

 

「ぐっ……それは……」

 

 オレの発言で強気な態度が一変した男子武偵。

 よし。これでとりあえず文句を言う奴は出ないはずだ。

 

「車内に爆弾があったかどうかを教えてほしい。それから知らない人物がいないかも互いに確認してくれ。あと、犯人からの指示があるかもしれないから、携帯はこっちに」

 

 要約はしたが、いちいち説明しないといけないほど、みんなバカじゃない。

 オレはすり替わっていたらしい女子生徒の携帯を貰いつつ、運転手に聞こえるようにするため、隣にいた武藤に持つように頼んだ。

 報告によるとどうやら爆弾は車内にはなかったらしく、身元がわからない人物もいなかった。

 となると犯人は中にはいないか。

 その間、携帯の人工音声の指示があるまで速度を落とさずに学園島をぐるぐると回っていたバス。

 やがて携帯から移動の指示があり、ついに学園島から出て、台場に向かって走り出した。

 さてさて、とりあえず車内をまとめることはできたが、事態を良くする案が思いつかない。

 オレがそう思っていると、外の建物と建物の間からちらりとヘリが見えた。

 あれは武偵高のヘリか。

 しかし行動が早すぎないか?

 事件発生から通信を受けて動いたとしたら明らかに無理なスピードだ。

 だとするとあれに乗ってるのはアリアか。

 思えば携帯の着信タイミングがジャストだった。

 数分後、バスの上にドンドン! 

と、何かが乗っかってきた音がした後、横窓から武装したキンジが入ってきた。

 

「キンジ!」

 

 横にいた武藤が叫びキンジを呼び込むと、オレが状況を伝えた。

 

『キンジ、どう!? ちゃんと状況を報告しなさい!』

 

 状況報告を終えると、キンジの持っていた無線からアリアの声が聞こえてきた。

 

「お前の言った通りだったよ。このバスは遠隔操作されてる。そっちはどうなんだ」

 

『――爆弾らしいものがあるわ!』

 

 おそらくバスの外枠にいるであろうアリアからのそんな報告を聞いて、オレはバスの後方にワイヤーと逆さ吊り状態のアリアの両足らしきものを発見。

 おそらく爆弾は車体の下にあるのだろう。

 

『カジンスキーβ型のプラスチック爆弾、「武偵殺し」の十八番よ。見えるだけでも……炸薬の容積は、3500立方センチはあるわ!』

 

 ……アホか!

 爆発したら電車も吹き飛ぶ炸薬量だぞ!?

 

『潜り込んで解体を試み……あっ!』

 

 その時、バスにドン! という衝撃が襲い、バス内からは悲鳴が上がる。

 この衝撃は……何かがぶつかった?

 オレとキンジはほぼ同時にバスの後ろの窓を見ると、1台のオープンカーがグン! と退がってバスから距離を取っていた。

 

「大丈夫かアリア!」

 

 後ろにはアリアが逆さ吊り状態でいた。

 キンジは慌ててアリアの安否を確認したが応答はなかった。

 キンジはそれに焦ったのか、横窓から身を乗り出して屋根に上がろうとしていたが、先ほどまでバスの後ろにいたオープンカーが横に回り込んできていて、その座席には、いつかのセグウェイのような短機関銃を載せた銃座がこちらに狙いを定めていた。

 

「みんな伏せろっ!」

 

 キンジの叫びに反応して皆が頭を低くしたとほぼ同時に、バスの窓を撃ち破る無数の銃弾が突き抜けていった。

 武偵高の制服は防弾性だから、頭などが守れれば命の危険はない。

 銃弾が止んだと思って少し安心した矢先、突然バスがぐらっと妙な揺れ方をした。

 ……しまった。運転手は運転してるから、伏せられなかったのか。

 見れば運転手はハンドルにもたれかかるようにして倒れていて、肩に被弾していた。

 さらにバスの速度も落ちてる。マズイな。

 

『 有明コロシアムの 角を 右折しやがれです 』

 

 そこに追い詰めるかのように携帯の人工音声が指示を出してくる。

 

「武藤! 運転を代われ!」

 

 運転手を引っ張り出しながらオレは武藤に運転を代わるように促し、武藤は空いた運転席に座って免停だなんだと愚痴りつつもしっかり運転をしてくれた。

 さすが車輌科の優等生だ。

 バスはそのままレインボーブリッジへと突入。

 オレは撃たれた運転手の怪我の応急手当てを手際よく行っていき、その間にキンジは武藤にヘルメットを渡してバスの屋根へと登ってしまった。

 それを見逃したオレはキンジを止めるのができなかった。

 外には銃を構えたオープンカーが並走してんだぞ。

 無防備にも程がある! くそ! 『今のキンジ』は使えない。

 そう判断したオレは、残りの応急手当てを衛生科(メディカ)の生徒に任せてオープンカーの対処に乗り出した。

 オープンカーはバスの前方を陣取り、短機関銃の銃口はわずかに上に向けられていた。

 車内を狙ってない? だとすると……っ!

 

「武藤! 少し速度上げてオープンカーに接近しろ! それと前の扉開けろ!」

 

「ああ!? 何で……「いいから!」……ったく、わかったよ!」

 

 言ってる間に素早く2本のクナイを懐から取り出したオレは、武藤が開いてくれた前方の入り口から身を乗り出して、右手で手すりに掴まりながら左手に持った2本のクナイを振りかぶった。

 その時、オープンカーから発砲があり、それとほぼ同時に載っていた銃座が破壊された。アリアか?

 そう思っていると、オープンカーはバスの側面へ移動を始めた。

 よし、チャンスだな。

 オレは銃の腕は破壊的なまでに下手だ。

 あの手に馴染まない感覚と撃った時の反動が何より肌に合わない。

 しかし『投躑』となれば話は変わってくる。

 投げナイフなどの命中精度は自慢じゃないがかなりのもんだ。

 狙ったところにほぼ行くからな。

 オレは2本のクナイを同時に投げ放ち、オープンカーの左タイヤの前後をパンクさせてやった。

 高速で回転するタイヤにクナイを刺すなんてことはできない。

 だからオレは『コンクリートとタイヤの接触部分』にクナイを投げ入れて、まきびしの要領でパンクさせたのだ。

 パンクしたオープンカーは制御を失ってぐるぐるとスピンを始め、ガードレールにぶつかりバスの後方で爆発した。

 これであとは爆弾だけか。

 次に車体の下に設置されてる爆弾をどうにかしようと動くオレだったが、そんなオレの視界にレインボーブリッジの真横にバスと並走するヘリが入り、同時にその動きを止めた。

 ヘリのハッチは大きく開いていて、そこには膝立ちの姿勢でこっちに狙撃銃を構える女の子の武偵がいた。

 その構えた狙撃銃の銃口が3度の光を放ち、それに合わせてバスには何かが当たる衝撃が伝わってきた。

 車体の下に設置されてる爆弾を狙撃で取り外したのである。

 爆弾はバスから外され、道路に転がるが、それをさらに狙撃しレインボーブリッジの下の海へと落としてのけた。

 爆弾は海へと落ちてから爆発。

 それにより大きな水柱が上がり、爆弾を外されたバスは速度を落として停止した。

 事後処理の最中。オレは頭を撃たれて病院に運ばれたアリアの安否を心配しつつも、先ほどヘリから神掛かった狙撃をした武偵、レキと会話をしていた。

 レキは体が細く、身長はアリアより少し大きい程度のショートカットの美少女。

 しかし、いつも無表情で何を考えてるかわからないことから『ロボットレキ』などと呼ばれていたりする。

 これで同い年だというから、アリアの次くらいに疑ってしまう。

 レキは狙撃科(スナイプ)でSランクの格付けにある正真正銘の天才少女で、前に目視で500メートル先のモノを見ていたため、興味本位で聞いてみたら、視力が両目とも6.0だと平然と言ってきたから驚きだ。

 いつもはでかいヘッドホンをつけて何か聞いているレキだが、今は耳から外して首に掛けてオレと話す気になってくれてる。

 

「レキもアリアに呼ばれたのか?」

 

「はい」

 

 抑揚のない返事。レキらしいっちゃらしいが、なんかな……

 

「なるほどな。アリアは人を見る目がある」

 

「アリアさんは私の依頼主(クライアント)です。京夜さんもキンジさんと一緒に勧誘を受けたと聞きましたが?」

 

 アリア本人から聞いたのか?

 あまりオレのことを他人に話してくれるなよ、アリア。

 

「勧誘はきっぱり断ったが、個人的に依頼はするって言われたよ。ところでアリアは今回のバスジャック、誰よりも先に動いてなかったか?」

 

 レキの質問に答えたオレは、ついでに今回の疑問点を尋ねてみた。

 

「はい。アリアさんは通報の前からヘリを用意し私とキンジさんを集めて出撃しました。京夜さんにも連絡していましたが、繋がらなかったようです」

 

 やっぱり事前に察知してたか。

 しかしまぁ、ジャックされたバスに乗ってりゃ通話に出るなんて無理だからな。

 

「結果として合流したし、結果オーライだろ。アリアは大丈夫そうなのか?」

 

「傷は浅いとのことですが、頭を撃たれて脳震盪を起こしているので、MRIを撮ると」

 

 まぁ、重傷にならなきゃ万々歳だな。

 それからレキとは別れて事後処理の手伝いに加わったオレは、その日はそれだけで1日が終わり、帰ったら帰ったで心配して待っていた小鳥に泣きつかれてそれをあやすのにかなりの時間をとられてしまった。

 もうへとへとになっていたオレは、翌日の小鳥曰く、その日死んだように寝ていたそうだ。



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Bullet5

 バスジャック事件の翌日。

 オレは右手に花束、左手にバスケットに入った果物セットを持って、武偵病院に来ていた。

 昨日頭を撃たれてここに運ばれ入院したアリアの見舞いをするためだが、怪我自体は額への外傷だけで済んだらしい。

 運が良かったとしか言えないがな。

 アリアの病室はVIP用の個室で……ってそうか。アリアはイギリスの『H』家の貴族だったな。

 などとアリアが転入してきた頃に興味本位で不知火から聞いた情報を引っ張り出していた。

 アリアの病室に入るためノックしようとしたのだが、中から話し声が聞こえてきたため、あまり感心できないとは思いつつもドアに聞き耳を立てた。

 

「あたしはあんたに、期待してたのに……現場に連れて行けば、また、あの時みたいに、実力を見せてくれると思ったのに!」

 

「……お前が勝手に期待したんだろ! 俺にそんな実力は無い! それにもう……俺は、武偵なんかやめるって決めたんだ! お前はなんでそんなに勝手なんだよ!」

 

 話をしてるのはアリアとキンジ。

 どうやら今回の反省会って言えるほど、おだやかな内容じゃないらしい。

 

「勝手にもなるわよ! あたしにはもう時間が無い!」

 

「なんだよそれ! 意味がわかんねーよ!」

 

「武偵なら自分で調べれば!? あたしに……あたしに比べれば、あんたが武偵をやめる事情なんて、大したことじゃないに決まってるんだから!」

 

 時間が無い?

 確かにそれは気になるな。

 皆目見当もつかないが、近いうちに調べてみるか。また理子頼みにならない程度にな。

 しかしこれは険悪ムードがプンプンするな。

 何事もなけりゃいいが……まぁ、いざとなったら割って入るくらいのことはしてやるか。

 

「とにかく……俺は武偵なんてもう辞めるんだ。学校も、来年からは一般の高校に移る」

 

「……」

 

「聞いてるのか」

 

「分かった……分かったわよ……あたしが、探してた人は……」

 

 キンジ。アリアにその先を言わせる気か? それならオレはお前を殴るかもしれない。

 今のお前は『逃げてる』だけだ。

 武偵をやめるのも、アリアの期待に応えられないのも、自分の『力』と向き合えないのも全部。

 

「あんたじゃ、なかったんだわ」

 

 キンジの実力に落胆したアリアの哀しそうなその声は、決して大きな声ではなかったが、ドア越しのオレにもハッキリと聞こえてきた。

 その後すぐにキンジが病室から出て来ようとしたので、オレは鉢合わせにならないように廊下の角に隠れて見送った後、再びアリアの病室の前に立った。

 今キンジと顔を合わせたら、オレはたぶん止まれなかったから。

 それに、キンジにも色々と思うところがあるんだろうし、深く事情を知らないオレが割って入ってこじれると面倒だ。

 だからオレは、この2人のわずかに繋がった『糸』が完全に切れないようにしてやる。

 オレはドアをノックして、アリアの了承を得てから、先程までの話を聞いていなかったような明るい顔でドアを開けて中に入った。

 

「京夜……」

 

「おう。元気そうだな」

 

「こんなかすり傷程度で、医者は大げさなのよ」

 

 アリアは言いながら包帯が巻かれた頭に手を当ててみせた。

 

「じゃあ、見舞いの品は必要なしだな。気に食わなきゃ捨ててくれ」

 

「京夜は意外と気が利くのね。せっかく持ってきてくれたんだから、ありがたくもらっておくわ」

 

 言われてオレは、アリアのベッドの横にあったテーブルに花束と果物セットを置いて、備えてあった椅子に座った。

 ん? ゴミ箱になんか……ファイル?

 椅子の横に置いていたゴミ箱の中にあったファイルが気になったオレはそれを拾い上げざっと目を通した。

 

「バスジャックの調査報告とかか。犯人は狡猾な奴だから手掛かりなんて見つかってないだろうが」

 

「それ、さっきキンジが持ってきたの。でも、そんな調査結果じゃ事件の進展に繋がらない」

 

「事件ってのは『武偵殺し』か? 確か前に犯人は逮捕されたとか言われてたが、このレベルだとさすがに模倣犯とかいうレベルじゃないな」

 

 言いながら持っていたファイルを閉じて、再びゴミ箱へ……は、さすがに調べてくれた探偵科や鑑識科の連中に悪い気がするから、ゴミ箱の上にうまく乗せてみた。机にはちょっと置くスペースがな。

 

「……誤認逮捕なのよ。『武偵殺し』はまだ捕まってないわ」

 

「アリアは『武偵殺し』を捕まえたいんだな?」

 

「『武偵殺し』だけじゃないんだけどね。京夜には話せないことが多いから、深くは探らないで。知れば京夜にも危険が及ぶかもしれないから」

 

 武偵に危険はつきものだ。

 って言ったところで話してくれそうにないな。

 Sランク武偵が『危険だ』と言うなら、深追いはしないさ。

 

「でも、京夜はやっぱりあたしが見込んだだけの実力を持ってたわね。あたしとキンジがバスに降りた時に混乱が少なかったのは、京夜がうまくみんなをまとめてたからだって聞いたわ。バスに張り付いてたオープンカーを撃破したのも。ホント……役立たずなキンジとは大違い」

 

「アリアが言ったんだろ? 宝の持ちぐされは良くないって。オレはオレに出来る最大限のことをしただけだ」

 

「……ねぇ京夜。もう1度あたしとパーティーを組むの、考えてくれない? キンジは……!」

 

 言いかけたアリアに対してオレは最後まで聞かずに首を左右に振って答えた。

 考えは変わらない、と。

 

「アリアのパートナーはキンジだよ。オレはキンジ以外にアリアのパートナーはいないと思ってる」

 

「どこにそんな根拠があるっていうのよ」

 

「キンジはやる時はやる奴だ。オレは何度かそれを見てきた。そして、その時のキンジは間違いなく本気のオレよりも何倍も頼りになる。だからほんの少しでもいいから、まだあいつを……キンジを信じてやってほしい」

 

 キンジの『調子の波』とも呼べるモノ。

 オレには何が要因となってるのかはよく知らない。

 だが、やる時のキンジは本当に圧巻の一言だ。

 事実、その時のキンジは入試の実技試験でオレに『ほぼ何もさせず』に捕縛しやがった。今でも鮮明に憶えてる。

 まぁ、あの時はオレもだいぶ『あれな心理状態』で試験を受けてたから、割とあっさり諦めたのもあるが。

 それでもキンジは凄かった。

 オレのそんな言葉を聞いたアリアは、いまいち納得いかないような表情をしたが、キンジの『あの時の実力』を自分の目で見たこともあるためか、否定はしてこなかった。

 

「……京夜がそんなに言うなら……ううん。あたしのカンを信じるなら、まだちょっとだけキンジを信じてみたい。でも、キンジが実力を見せるのを待ってる時間は……あたしにはない」

 

「……ロンドン武偵局に戻るのか?」

 

「……かもね」

 

 諦め。

 おそらくアリアがここ、東京武偵高に来たのは、自分の実力に合わせられるパートナーを探すためだ。

 ここで見つけた候補キンジは昨日のあの役立たずぶりを披露し、オレもキッパリと断ってしまった。

 そうなるとアリアがここにいる理由がなくなってしまうのだろう。

 

「……アリアはきっと後悔するぞ。『あの時キンジを意地でもパートナーにしておけば良かった』ってな」

 

 オレはもう1度、アリアを引き止めるようにそう言って椅子から立ち上がり病室を出ていこうとする。

 

「京夜は……良いパートナーが見つかると良いわね」

 

「他人事じゃないだろ?」

 

 それからオレはアリアの顔を見ずに病室を出ていってしまった。

 ……大丈夫さ。

 アリアとキンジは離れたりしない。

 アリアの言うところのカンになるわけだが、これはなぜか確信に似たものを感じてる。

 だからきっと大丈夫さ。

 それから数日が経ち、週末の土曜日。

 その昼下がりの時間帯にオレは、秋葉原の駅前である人物と待ち合わせをしていた。

 服装は凄く面倒だったから武偵高の制服。

 しかしこれを着てるとアキバじゃ何げに目立つな。

 武偵高ってだけで周りからは若干距離を置かれるし、仕方ないんだが。

 

「キョーやん、おいーす!」

 

 オレが周りから少し浮く形で待つこと15分。

 やっと待ち人が到着。フリフリの改造制服を着た理子だ。

 

「さっさと終わらせるぞ。オレは好きで付き合うわけじゃないんだからな」

 

「うわぁ……キョーやんストレートに言うとか酷いー! 理子は今日すごく楽しみにしてたのにー!」

 

「オレは今日という日を1秒でも早く終わらせたいんだよ」

 

「むー! そんなこと言うキョーやんには、凄いコスプレ強制しちゃ……」

 

「さぁ行こうか理子姫! 素晴らしい1日をプレゼントしますよ」

 

 察したオレは理子の言葉を最後まで聞かずに態度を一変させ、多少強引に手を引いてさっそく歩き出す。

 強制されるのは嫌だからな。

 オレが理子とアキバに来た理由。

 それは先日の小鳥の件での調査依頼の報酬を払うためだ。

 理子はその報酬でオレとコスプレデートをしたいなどと言うから、仕方なくこうして理子が指定したアキバに足を運んでいるわけだ。

 そんなわけでまずはそのコスプレをするために専門のレンタル店にやってきたオレと理子。

 理子はまずオレに着せるコスプレ衣装をなんか息を荒くしながら選び始め……ヤバいな、危ない子に見える。

 

「むはぁ、キョーやんはぁ……これ着てみよっか!」

 

 そんな危ない子、理子が厳選して持ってきた衣装は、男物の忍者の衣装。

 しかし色は青を基調とした作りで、忍ぶ気はさらさらない。

 対して理子は赤を基調としたくのいちのミニスカ衣装を選択したらしい。

 こちらも忍ぶ気はさらさらない。

 それから数分後、まったく忍ぶ気のない忍衣裳に着替えを終えたオレは、まだ準備中の理子をレジ付近で待ちながら自分の格好を改めて見ていた。

 諜報科では潜入捜査などでよく変装をしたりするため、こういったことには多少の慣れがあるのだが、今回のは変装とは違うな。

 変装とは本来、自分が怪しまれないように……目立たないようにするためにする。

 言うなれば『木を隠すなら森の中』の理屈だ。

 しかし、今回のこれはその真逆で、あえて目立つためにしている。

 言うなれば『砂漠のど真ん中に青々とした木を植えた』みたいなモン。

 変装と仮装だからその目的が違ってくるのは自然なことだが、正直目立つのは苦手である。

 さらにこれでアキバを練り歩くのだからなおさらである。

 

「ジャジャーン! 見て見てキョーやん! 理子かっわいーでしょ?」

 

 そんなことを考えていたら、着替えを終えた理子が姿を現わしてセクシーポーズを披露する。

 ……何故だろう。意図的なのか何なのかわからんが、服のサイズが小さいのか、かなりピチピチな感じがして、胸やらお尻やらが強調されてて……ぶっちゃけエロい。

 可愛いには可愛いがな。

 

「はいはい可愛いですよ理子姫。可愛いですからさっさと行きたいとこ行きますよ」

 

「むー! キョーやんのためにせっかく1サイズ小さいの着たのにー! がおー!」

 

 やっぱり意図的だったか。

 しかし両手で角を作ってがおー! なんて言われても恐くないわ。むしろ可愛いし。

 そんなこんなで2人の忍者はアキバの街に乗り出して、道を歩くオタクや外国人観光客なんかから写真撮影やら握手やらを求められながら、喫茶店でお茶したりギャルゲーを買いに行ったりしていった。

 そんな理子姫とのデートという名の拷問を耐え抜いたオレは、夕方頃フラフラになりながら帰宅し、小鳥の手料理を食べてひと休みしたあとに『らしくないこと』を始めた。

 先日のアリアの『時間がない』と言った意味。それを調べてみたのだ。

 アリアは『武偵殺し』が誤認逮捕だと断言した。

 そこから察すると、武偵殺しの記事から何かがわかるかもしれないと思ったわけで、小鳥が自前のノートパソコンでその記事を漁ってくれていた。

 そして、見つけた記事にはアリアを突き動かすには十分な理由が存在していた。

 

「武偵殺しの容疑者は『神崎かなえ』さん。武偵殺しの他、多数の犯罪容疑にかけられ、現在の量刑が懲役864年。事実上の終身刑ですね。まだ高裁による判決ですが、最高裁まであまり猶予はないみたいです」

 

 ……アリアの親族……年齢からして母親だろうな。

 そんな人があらぬ罪で捕まってるとなれば、躍起にもなるか。

 新宿警察署に今は身柄を確保されてるのか。なら明日にでも『直接』話を聞いてみるか。

 オレは小鳥にお礼だけ言って、その日はそのまま眠りに就いていった。

 翌日。

 朝早くから神崎かなえさんが留置されている新宿警察署に来たオレは、無駄とわかりつつも面会の申し込みをしてみた。

 結果はまぁ、親族および関係者以外は面会謝絶というわけで、正規の方法ではダメらしい。

 それが予測できていたオレは、バレれば大変なことになるであろう『裏技』を使って神崎かなえさんとコンタクトを取ることにした。

 看守に変装し内部に潜入。

 言うのは簡単だが、実際かなり無謀な行動である。

 しかし別に警察に喧嘩売りたいわけでも、テロなんかするわけでもないから、穏便に実行したい所だ。

 それでオレが取った行動は、トイレに入った看守を素早く拘束し衣服を拝借してしまうというシンプルなもの。

 その際に拘束した人には心苦しいが、トイレの個室で休憩してもらうことにした。

 我ながらバカらしいことをしてると思う。

 ただ気になったから程度でやることではない。

 バレない自信はあるが、それでも普段のオレなら絶対にやらないだろう。

 そんなオレがこうも動いてしまうのは、やはりアリアのことが気になってるんだと思う。

 恋愛感情とかではなく、同じ武偵として、そして協力者として気になってしまうのだ。

 そんなわけで看守になりすましたオレは平然と内部に入り込み、神崎かなえさんが留置されている場所へと向かったわけだが、

 

「神崎かなえに面会の要請だ。一緒に来い」

 

 同じ看守の男にそう言われてオレはその男と一緒に移動を開始した。

 面会の申し込みがあった。ってことは……

 男と一緒に来た場所に神崎かなえさんはいた。

 かなえさんは、柔らかな曲線を描いた長い髪にオニキスのような瞳をしていて、パッと見だとアリアのお姉さんではないかというくらい若く見える。

 本当にお姉さんじゃないだろうな……

 オレは一緒にいた男とかなえさんを挟んで連れ出し、面会室へと移動していった。

 案の定、面会に来たのはアリアで、何故か傍らにはキンジまでいた。

 2人はどうやらオレには気付いていないらしい。

 気付かれたらオレのプライドとか色んなものが砕け散るがな。

 

「まぁ……アリア。この方、彼氏さん?」

 

「ち、違うわよママ」

 

 アクリル板越しに話す2人の親子。

 どうやらかなえさんは母親で確定らしいな。

 それでも若すぎる。正直な話、かなりタイプの女性なんだが。

 などとオレが考えてるうちに、かなえさんとアリアの話が進み、キンジの紹介やらが行われていたが、それが終わるとアリアが真剣な表情で話を始めた。

 

「ママ。面会時間が3分しかないから、手短に話すけど……このバカ面は『武偵殺し』の、3人目の被害者なのよ。先週、武偵高で自転車に爆弾を仕掛けられたの」

 

「……まぁ……」

 

「さらにもう1件、一昨日はバスジャック事件が起きてる。ヤツの活動は、急激に活発になってきてるのよ。てことは、もうすぐシッポも出すハズだわ。だからあたし、狙い通りまずは『武偵殺し』を捕まえる。ヤツの件だけでも無実を証明すれば、ママの懲役864年が一気に742年まで減刑されるわ。最高裁までの間に、他もぜったい、全部なんとかするから。そして、ママをスケープゴートにしたイ・ウーの連中を、全員ここにぶち込んでやるわ」

 

 ……イ・ウーだと!?

 おいおい……こいつはとんでもないこと聞いちまったぞ。

 知らぬが仏って言葉が初めて身に染みたな。

 オレがいま極秘で追ってる『ヤツ』もイ・ウーのメンバーだって話だし、どうやら他人事じゃなくなりそうだ。

 

「アリア。気持ちは嬉しいけど、イ・ウーに挑むのはまだ早いわ――『パートナー』は、見つかったの?」

 

「それは……どうしても見つからないの。誰も、あたしには、ついてこれなくて……」

 

「ダメよアリア。あなたの才能は、遺伝性のもの。でも、あなたには一族の良くない一面――プライドが高くて子供っぽい、その性格も遺伝してしまっているのよ。そのままでは、あなたは自分の能力を半分も発揮できないわ。あなたには、あなたを理解し、あなたと世間を繋ぐ橋渡しになれるようなパートナーが必要なの。適切なパートナーは、あなたの能力を何倍にも引き延ばしてくれる――ひいお爺さまにも、お祖母さまにも、優秀なパートナーがいらっしゃったでしょう?」

 

「……それは、ロンドンで耳にタコができるくらい聞かされたわよ。いつまでもパートナーを作れないから、欠陥品とまで言われて……でも……」

 

「人生は、ゆっくりと歩みなさい。早く走る子は、転ぶものよ」

 

 ……強い人だ。かなえさんは。

 母は強しとはこういう人を言うんだな。

 

「神崎。時間だ」

 

 そこで近くに立っていた管理官が時計を見ながら告げると、オレと一緒に来た男でかなえさんを連れ出す準備を始めた。

 

「ママ、待ってて。必ず公判までに真犯人を全部捕まえるから」

 

「焦ってはダメよアリア。わたしはあなたが心配なの。1人で先走ってはいけない」

 

「やだ! あたしはすぐにでもママを助けたいの!」

 

「アリア。わたしの最高裁は、弁護士先生が一生懸命引き延ばしてくれてるわ。だからあなたは落ち着いて、まずはパートナーをきちんと見つけ出しなさい。その額の傷は、あなたがもう自分1人では対応しきれない危険に踏み込んでいる証拠よ」

 

「やだやだやだ!」

 

「アリア……!」

 

「時間だ!」

 

 アリアを心配するかなえさんをオレは仕方なく引っ張り面会室から連れ出す。

 正直心が痛むが、ここでオレも不審な行動を取るわけにもいかない。

 

「やめろッ! ママに乱暴するな!」

 

 する気はないんだよ。許せ、アリア。

 それから神崎親子を引き離して面会室を出たオレは、その直後。

 監視カメラなどがないことを確認してから、かなえさんを取り押さえていた男と、お堅そうな管理官に少しだけ眠ってもらい、かなえさんと話をする時間を作り出した。

 

「あなたは……」

 

 かなえさんはオレの行動に驚いた顔をして見てきた。

 

「武偵高の生徒です。娘さんのアリアとはクラスメイトです。少しだけお話をしてもよろしいですか?」

 

 聞きたいことは山ほどあるが、全部聞いてる時間はない。

オレは作り出したわずかな時間で、かなえさんと話をし出したのだった。



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Bullet6

 アリアの母親、神崎かなえさんとわずかに話をする時間を作り出したオレは、細かい疑問をすっ飛ばして、シンプルな質問を始めた。

 

「単刀直入に聞きます。あなたを……かなえさんを冤罪に着せた奴らはイ・ウーって連中なんですね?」

 

「あなたは、イ・ウーが何なのかを知っているの?」

 

「知りません。ただ、オレが半年くらい前から追ってる奴が、そのイ・ウーのメンバーだという情報があったんです。だから……」

 

「……教えられないわ。知ればあなたに危険が及びます」

 

 ……何だってんだ!

 イ・ウーってのはそんなに危険な奴らなのかよ!?

 まさか国家機密とかじゃないよな?

 ちくしょう! 時間がもう……これ以上は……

 

「……わかりました。アリアの友人として今度はちゃんとご挨拶に来ます」

 

「力になれなくてごめんなさい。こんな危険を冒してまでコンタクトしてくれたのに」

 

「いえ、本当は違うこと聞こうとしたんですが、さっきの話で解決しちゃったんで」

 

「気を付けて。あなたが追うイ・ウーの力は強大よ。止めても止まらないのは目を見ればわかりますから、これだけ言っておきます」

 

「……ご忠告感謝します。では……」

 

 オレはそのあと眠らせていた看守と管理官を起こして、何事もなかったかのようにかなえさんを連れていき、そのままトイレに戻って拘束していた看守さんに口止めと謝罪を述べてから、新宿警察署をあとにしていった。

 もちろん身元が割れるような証拠は一切残さずにな。

 その後、新宿警察署の警備がより厳重になったとかを風の噂で聞いたが、オレにはもうどうでもいいことだな。

 翌日。

 オレはアリアの抱える問題を知ったことで、積極的に協力しようという考えを固めながら登校したのだが、そのアリアが学校に来なかった。

 何か不安を感じつつも、その日の授業を何事もなく終えたオレは現在、教務科に来ていた。

 理由は単純明快。呼び出されたからだ。

 しかし、その呼び出しをした教師がまた恐ろしい人なんだよなぁ……

 綴梅子(つづりうめこ)。2年B組の担任で尋問科(ダギュラ)の教諭。

 いつも真っ黒なコートをだらしなく着ていて、編み上げブーツを履き、ところかまわずタバコを吸っている。

 何よりいつも目が据わっているため、ラリってるんじゃないかと思うほどである。

 綴はここ武偵高の教師の中でも、危ない人の筆頭みたいなモノ。

 武偵を育成する学校なのだから、それを育成する教師陣がまともなわけがないのだが、この人はその中でも確実に上位にいる危ない人だろうな。

 そんな綴がいる教務科の個室に来ていたオレは現在、生徒の目の前で気にもせずに椅子に座ってタバコを吸っている綴の正面に腰を下ろしていた。

 

「猿飛ぃ。お前を呼び出した理由はだいたい見当が付くな?」

 

 タバコをくわえながら、据わった目でオレにそう言ってきた綴は、呼び出した理由を話さずにすぐに本題に入ろうとした。

 てか、その据わった目をどうにかしろ。未だに慣れない。

 そう思いつつも、オレは綴の質問に首を縦に振って答えた。

 

「『アイツ』の仕業と思われる事件が発生した。事後処理にはなるが、いつも通りに頼むぞぉ。場所なんかはこれに書いてあるから読んどけぇ」

 

 綴は言いながら机から薄いファイルを取り出しオレに手渡してきた。

 ファイルを受け取ったオレは、さらっと中身を見たあとすぐに綴に向き直り話をする。

 

「オレも頑張って追ってるんで『アイツ』が存在するのは信じてますが、こうも姿を見せないとなると、疑いたくもなります」

 

「まぁ確かに『アイツ』……『魔剣(デュランダル)』が実際にいるという確たる証拠はない状況ではあるがぁ、最近のSSRの予言にもそれらしい影がちらついてんのも事実だしぃ、それがうちの生徒を狙ってるなら見過ごすわけにもいかんわけよぉ」

 

 魔剣。

 超能力を使う武偵、超偵を狙う連続誘拐犯。

 オレが半年前から追っている犯罪者である。

 魔剣はいるとされてはいるが、その姿を見た人物は未だいなく、その存在自体が空想の人物とさえ言われている犯罪者。

 だが実際、魔剣の犯行と思われる超偵の失踪事件は起きていて、今もこうして事後報告という形でオレにも話が来ている。

 

「猿飛ぃ。私はあんたがこーゆーのを得意なの知ってて、すっごく個人的に頼んでるわけだけどさぁ、くれぐれも他人に言ってくれるなよ。特別依頼ってことで単位もやってるわけだしさ」

 

 ……よく言うぜ。

 半年前に引き受けなきゃ有無を言わさず武偵ランクを『S』にくり上げるとか言って退路を断ってきたくせに。

 オレが注目されるのを嫌うと知っててだ。

 性格が歪んでるとしか思えない。さすが尋問のスペシャリスト様だよ。

 まぁオレにも『目的』があったから完全に嫌々というわけではないが。

 

「あー、いま不満そうな顔したなー。先生知ってるんだぞー。お前が戦妹(アミカ)と一緒に1つ屋根の下で暮らしてるって」

 

「ブッ!」

 

 なんで知ってんだこの人は!?

 

「先生、言うこと聞かない生徒の秘密をポロッと言っちゃうかもなー」

 

 ……本当にこの人だけは敵に回したくないな。

 心底思うよ。この人には逆らえない……逆らいたくない……

 

「……わかってますよ。それで依頼の方は明日の朝出発で問題ないですね?」

 

「まぁ、アイツと出くわすことはないだろうが、一応準備だけは怠るなよぉ。移動手段はこっちで整えておくからさ。よし、お話は終わりだ。帰っていいぞー」

 

 綴は言ったあと厄介払いでもするかのようにオレを部屋から追い出してしまった。

 自分で呼び出しておいてこの扱いはないと思うが、自分の立場を悪くするだけだから文句は言わないさ。

 それに、魔剣を捕まえることができれば、おそらくアリアの母親、かなえさんの罪の減刑もできるはず。魔剣も情報ではイ・ウーのメンバーだって話だしな。

 とにかく、オレはオレに出来る最大限のことをしよう。それが結果としてアリアの助けになるのなら、なおさらな。

 てなわけで綴に追い払われたオレはまっすぐ帰宅。

 今週から晴れて諜報科に転科したオレの戦妹、小鳥のプチ祝いも兼ねて少し豪華な夕食を堪能して休みを入れてから、小鳥に依頼の話を始めた。

 もちろん内容は極秘事項だから説明は曖昧になるがな。

 

「明日から4日くらい依頼(クエスト)で出かけてくる。内容はまぁ、ある組織の内部調査ってところだな」

 

「あ、あの、危ない依頼じゃないですよね? もしそうなら……」

 

「心配だって? どうやらオレの戦妹は戦兄(アミコ)を信用してくれないらしい」

 

 こう言うと小鳥の性格上、必ず納得する。

 純粋な感情を操るみたいで嫌だが、無駄な心配をさせたくないというのもあるし、これで押し通すさ。

 

「うぅ……わかりました。京夜先輩を信用してますから、余計な心配はしません! 頑張ってきてくださいね!」

 

 健気だな、小鳥。なんで普通のこと言ってるのにこんなに可愛いのか。

 依然として恋愛感情は全くないが、理子風に言うなら『妹属性』ってやつか。恐るべし。

 しかしロリコンではないぞ! 決してな!

 

「帰ってきたら美味しいご飯を作りますから、楽しみにしていてくださいね!」

 

「お、おう、今から楽しみで仕方ないよ」

 

 言いながらオレは小鳥の頭を優しく撫でてあげた。

 すると小鳥は緩みきった顔でなんか嬉しそうにしていた。何故だ?

 なんかテーブルに乗ってる昴も嬉しそうにしてるし、わからん。

 ――ピリリリリリリリ!

 そんな時にオレの携帯が鳴り響き、こんな時間に誰だよと思いながら小鳥から手を離して携帯を取り着信を見ると、相手は車輌科の武藤だった。

 

「おう武藤。なんか用か?」

 

『猿飛! 大変なんだ! とりあえず今から教室に来れるか? いや来い!』

 

「嫌だ」

 

 言った瞬間、武藤が盛大に頭を打った音がしたが、気にしないでおこう。

 

「用件は簡潔に。且つ的確に述べろ。今のじゃ何もわからん」

 

 正直いまから教室になんて行きたくない。

 雨だって降ってきて外にすら出たくないんだからな。

 

『アリアが乗ってる羽田発ANA600便・ボーイング737‐350、ロンドン・ヒースロー空港行きの飛行機がハイジャックされた』

 

「今から行く。詳しい情報を言ってくれ。走りながら頭に入れる」

 

 言うが早いか、オレは小鳥に待機を命じて速攻で部屋を出て、武藤がいる2年A組へと向かっていった。

 アリアの乗った飛行機がハイジャック……偶然……じゃないだろうな。

 いいかオレ。よく考えろ。今までの情報をすべて整理して、繋ぎ合わせろ。

 確かアリアが追っていたのが『武偵殺し』。

 そいつは以前、バイクジャック、カージャックと犯行に及んだあと、かなえさんをスケープゴートに姿を消した。

 そしてこの前のチャリジャックからバスジャックときて、ハイジャックもそうなら……ん? 待てよ。

 今回のが3段階の乗り物ジャックだとする。なら、前回もひょっとして3段階の事件だったんじゃ……

 雨の中走りながらそんな推論を立てたオレは、ある人物に連絡を入れた。

 

『はいはーい。りっこりんでーすッ! どしたのキョーやん?』

 

「理子。突然すまん。確か前に『武偵殺し』の犯行資料をまとめてたよな? その中に『公表されてない武偵殺しの事件』が1件なかったか?」

 

 ――くふっ。

 携帯越しに理子のそんな含んだ笑いが聞こえた気がした。

 まるでオレを品定めし終えたような笑いだった。

 

『あるよ。可能性事件ってことで、事故になってるけど、実際は武偵殺しの仕業じゃないかって言われてる事件がね。2008年12月24日。浦賀沖海難事故』

 

 ……シージャックか!

 そして『武偵殺し』は武偵を狙う犯罪者。なら……

 

「その事故で武偵は犠牲になってないよな?」

 

 ――くふっ。

 まただ。今度は確信を持った。

 理子は今の状況を楽しんでる。

 

『事故の犠牲者は1人。遠山金一武偵。19歳』

 

 ……そうか。

 キンジが武偵をやめるなんて言い出したのもその時期だったな。

 だが今はそれはいい。これで全てが繋がった。

 

『凄いな「京夜」。まさか1人でここまで辿り着けるなんて思わなかった。びっくりしたよ』

 

 理子の口調が、変わった。

 いつものバカっぽさが欠けらもない、強い口調。

 そしてオレを『京夜』と呼んだ。知り合って初めて。

 

『でも残念。もう京夜と話してる時間が無くなっちゃった。だけどお前もいずれ……』

 

 オレは声が出なかった。

 理子のあまりの変貌ぶりにではない。

 この状況で理子が『武偵殺し』であると確信したからだ。

 

『イ・ウーに迎えてやる』

 

「理子!」

 

 いつの間にか立ち止まって話をしていたオレは、すでに切られた携帯に思わず叫んでいた。

 理子がイ・ウーのメンバー。

 その事実がオレに少なからずダメージを与えていた。

 理由は単純だ。

 武偵高で一番最初に知り合って以来、向こうからしつこいくらい話しかけてきて、いつの間にか親友……いや、悪友かもしれないが、そんな存在になっていたから。

 嫌な思いもたくさんしたが、それでも最後には少しは楽しいと思えていた。

 それにオレの求めるパートナーにだって最も近かったかもしれない。

 

「……今は落ち込んでる場合じゃない」

 

 そんな色んな思いを巡らせて、やっと出た言葉で、オレは再びその足を動かして武藤がいる教室へと向かっていった。

 ……そうだ。今はアリアが危ないんだ。

 オレが立ち止まるわけにはいかない。

 オレが動いてどうこうなるかはわからないが、何もしない自分は許せないから。

 

『他人より優れた能力を持っていても、それを隠し続けて出し惜しみするようなら、それは宝の持ちぐされよ』

 

 ああ、そうだよな、アリア。

 それに、武偵憲章1条は……

 

「仲間を信じ、仲間を助けよ。そうだろ?」

 

 そう考え至ったオレの足は、驚くほどに軽く、そして力強く地面を踏みしめて駆け出していた。

 しかしハイジャックとかどうやって助ければいいかわからないな。

 教室に着く前に良いアイディア浮かべばいいんだが。

 そう思ったら走るスピードが少し落ちたのは、反射的なものだと信じたいな。

 オレが雨でびしょ濡れなまま武藤のいる教室に辿り着くと、そこには武藤以外にも何人かの武偵がいて、武藤を取り囲む形で集まっていた。

 そしてその輪から外れるように教室の隅にレキの姿もあった。

 

「状況は?」

 

 軽い息切れを起こしながらも落ち着いて武藤に近付きそう質問すると、武藤の手に通話中の携帯が持たれていることに気付いた。

 

『その声、猿飛か?』

 

 スピーカーホンにしてあったらしい携帯から、オレの聞き知った声が聞こえてきた。

 キンジだ。だが、今の感じは……

 

「ああ。どうやら『使えるキンジ』らしいな」

 

『そういうことだ。いま燃料漏れした飛行機を着陸させる方法を聞いていた』

 

「着陸って、まさか今お前が操縦してるなんてことないよな?」

 

『そのまさかよ。機長も副機長も負傷させられたんだから、そうするしかないでしょ!』

 

 アリアの声だ。良かった、無事だったか。

 

「とんでもないなお前等……。で? 今から何するんだ?」

 

『近接する全ての航空機との通信を同時に開いて欲しい』

 

『い、いや、それは可能だが……どうするつもりだ』

 

 ん? どうやら別のところ、管制塔とも同時に通信が繋がってるらしいな。

 

『彼らに手分けさせて、着陸の方法を1度に言わせるんだ。武藤も手伝ってくれ』

 

「1度にってキンジお前、聖徳太子じゃねーんだから……!」

 

『できるんだよ、今の俺には。すぐにやってくれないか。なにせもう、時間がなくてね』

 

 唖然。

 使えるキンジはそんなことまで可能なのかよ。理子風に言うならチートだな……

 その後、一気に喋る11人の言葉を全部聞き分けたキンジは、着陸の方法を理解したようだった。マジか……

 その上で、現在羽田に引き返している最中、横須賀辺りで、

 

『ANA600便。こちらは防衛省、航空管理局だ』

 

 別のところから割り込みがかかった。

 

『羽田空港の使用は許可しない。空港は現在、自衛隊により封鎖中だ』

 

「なに言ってやがんだ!」

 

 聞いて叫んだのは武藤。

 確かに今の命令には納得しかねる。

 

「600便は燃料漏れをおこしてる! 飛べて、あと10分なんだよ! 代替着陸(ダイバード)なんてどこにもできねえ、羽田しかねえんだよ!」

 

『武藤武偵。私に怒鳴ったところでムダだぞ。これは防衛省による命令なのだ』

 

『おい防衛省。窓の外にあんたのお友達が見えるんだが』

 

 これはキンジの声だ。

 防衛省のお友達……空……戦闘機か。

 

『……それは誘導機だ。誘導に従い、海上に出て千葉方面に向かえ。安全な着陸地まで誘導する』

 

 ……言い淀んだな、防衛省。

 羽田以外に安全な着陸地なんて本当にあるのかよ。

 

「おいキンジ」

 

『わかってるよ』

 

 さすが。話が分かるヤツは楽でいい。

 なら余計な話を飛ばすか。

 

「で? 防衛省の糞みたいな命令を無視して、どこに着陸させる?」

 

『武藤。滑走路には、どのくらいの長さが必要だ?』

 

「エンジン2基のB737‐350なら……まぁ、2450メートルは必要だろうな」

 

『……そこの風速は分かるか?』

 

「レキ。学園島の風速はどのくらいだ?」

 

「私の体感では、5分前に南南東の風・風速41.02メートル」

 

 流れのままにレキにそう尋ねてしまったが、何で学園島の風速なんか聞くんだ?

 

『じゃあ武藤。風速は41メートルに向かって着陸すると、滑走路は何メートルになる?』

 

「……まぁ……2050ってとこだ」

 

『――ギリギリだな』

 

 ……ああ、そういうことかよキンジ。

 まったく、考えることが常軌を逸している。

 学園島は南北2キロ、東西500メートルの人工浮島。対角線上に使えばギリギリ足りる。

 そして学園島のレインボーブリッジを挟んだ北側には、同じ造りの何もない『空き地島』がある。

 理論的には可能だが、

 

「キンジ。自分でどんな無茶しようとしてるかわかってるか?」

 

『……わかってるが、やるしかないだろ?』

 

 こいつは……

 空き地島には文字通り何もないんだぞ。

 飛行機を誘導する誘導灯すらないし、夜ともなれば島の輪郭すら見えるわけがないんだ。

 だがまぁそれなら……

 

「キンジ。武偵憲章1条!」

 

『……仲間を信じ、仲間を助けよ』

 

 それを聞いたオレは武藤達を連れて教室を出て、まっすぐ空き地島を目指した。

 誘導灯がないなら、設置すればいい。

 武偵高からありったけの照明器具をパクって、それをモーターボートに積んで空き地島へとやってきたオレ達は、迅速に、かつ規則的に照明器具を島の外周を縁取るように設置し、一斉に点けた。

 

「キンジ! あとはお前がなんとかしろ! 死んだら承知しない!」

 

 持ってきた携帯でキンジにそう怒鳴ってやった。

 オレの他にも割り込みをかけてキンジ達を激励する奴らもいた。

 そして飛行機は空き地島に着陸を始め、それでも止まりそうになかったが、最後の最後で唯一の建造物、風力発電の風車の柱にぶつけることで、その動きを完全に止めたのだった。

 ……なんとかなったな。

 こんなぶっ飛んだこと、今回が最初で最後であってもらいたいな。

 翌日の朝。

 オレは無断でモーターボートや照明器具をパクった武藤達をほったらかして、自分の依頼のために綴が用意したヘリに乗り込んでいた。

 あの日、オレは武藤達と一緒に照明器具をパクって行動を共にしていたが、その際についでに監視カメラなどに映り込まないように行動していた。

 理由は反省文を書かされたくなかったから。

 オレが現場にいた証拠がなければ、罪には問われないからな。

 それに友人などの証言だけでは証拠としては扱われない。

 つまり武藤達には尊い犠牲になってもらったわけだ。

 帰ったらなんか奢るくらいはしてやるか。

 しかし才能の使い方を色々と間違ってる気がするが、面倒なことは避けられるなら避けるべきだし、生き方としては間違ってないはずだ。

 アリアも言ってただろ? 宝の持ちぐされってよ。

 そんな屁理屈を考えつつ、オレは離陸を始めたヘリから見える景色を眺めながら、これから開始する依頼へと意識を集中していった。



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Bullet6.5

 ハイジャックされたANA600便が、空き地島に着陸した翌日の朝。

 私、橘小鳥の戦兄である猿飛京夜先輩が、単独の依頼のために出かけて行ってしまいました。

 依頼の内容は詳しく教えてはもらえませんでしたが、おそらくEランクの武偵が受けるような依頼ではないのだろうとか勝手に思ったりしてます。

 だって、京夜先輩は本当に凄い人だから。

 そんなことを考えながら、登校の支度を整えていった私は、今日も元気いっぱいな友人、昴と一緒に余裕を持って部屋を出ていきました。

 登校した武偵高では案の定、昨夜のハイジャック事件の話で持ちきりでした。

 なんて言ったって、学園島のすぐ近くの空き地島に飛行機が着陸してきたんですから、話題にならない方がおかしかったりしますが。

 京夜先輩の部屋のベランダからも、その光景がバッチリ見えてましたので、私も着陸の瞬間を見ていたりしました。

 いやぁ、よく着陸出来たなぁとか本気で思ったりしました。

 しかもその飛行機を着陸させたのが、武偵高の生徒さんだと言うからさらにビックリです。

 高校生が飛行機の操縦なんて出来るんですね……車輌科の生徒さんだったのでしょうかね。

 京夜先輩はその着陸の手助けをしてきたと昨夜帰ってきて説明してくれましたが、詳しいことは聞けずじまいのままでした。

 今日学校に着いてから、無断で車輌科のモーターボートや照明器具が持ち出されて、それを行なった武偵さん達が反省文を書かされていると聞きました。

 たぶん京夜先輩もその中にいたはずなんですが、どうしてお咎めなしなのでしょう?

 不思議で仕方ないです。

 そんないつもより騒がしい武偵高の私のクラス、1年C組でそれでもいつも通りに一般授業を受けていた私は、話半分に先生の話を聞きながら『あること』をしていた。

 教科書を前に立てて手元を見えないようにして、その隠れた空間で携帯を開いて調べものです。

 何を調べてるかと言われれば、未だに謎の多い京夜先輩についてです。

 以前、徒友契約をする前に京夜先輩について少し調べたのは記憶に新しい。

 だけどその時わかったのは京夜先輩が漠然と『凄い人』だってことくらいで、具体的なことは未だ何1つ知らないんですよねぇ……

 今週から晴れて諜報科に転科して、これから本格的に色々と教わることになるし、自分の戦兄について何も知らないなんて恥ずかしいですしね。

 そんなわけで、京夜先輩が出かけていないうちに、色々とやってみようというわけです。

 あっ、そういえば京夜先輩が帰ってくる間にやっておくように言われたこともあったっけ。

 そっちはまあ、協力してくれる友達がいるから大丈夫かな。

 えーっと……前は京夜先輩の簡易プロフィールだけ調べたから、今回はもう少し深いところも調べようっと。

 武偵高のデータベースからだと、調べられることも限られるけど、それでも色々とわかることもある。

 ふむふむ、京夜先輩は京都出身で、かの有名な『真田家』の側近の一族の子孫なんだ……

 

「って、えーーーー!!」

 

「ど、どうしましたか? 橘さん?」

 

 京夜先輩の家系図を見て思わず声が出てしまった私に、先生が訝しげな表情でそう問い掛けてきた。

 は、恥ずかしい……

 

「な、なんでも、ありません。すみませんでした」

 

 うぅ、みんな笑ってるよぉ……いっそこの場から消え去りたい。

 そんな恥ずかし体験をしたあと、みんなが再び授業に集中していったのを確認した私は、改めて情報収集を始めた。

 えっと……真田家っていうと、あの真田幸村……正確には真田信繁が有名な家系だよね。

 うちのクラスにも真田百合(さなだゆり)ちゃんがいるけど、真田姓は割といるからなぁ。

 そして京夜先輩の名字は猿飛。

 ここから推測すると京夜先輩の先祖は猿飛佐助。かの真田十勇士の長か……

 猿飛佐助は生前、忍の術を用いていたとされてる。

 それが関係してるのかはわからないけど、京夜先輩もそれらしい技術を多数習得してる。

 京夜先輩の諜報科での評価は最低のE。

 それが示すように訓練内容でも射撃は諜報科で最下位。

 潜入も下の下。破壊・工作も落第点ギリギリ。

 本当に目も当てられない落ちこぼれぶり。

 まともな平均値に達してるのが徒手格闘と投躑術のみ。

 依頼もパーティーを組んだことがほとんどなくて、ほぼ単独行動タイプ。

 そんなデータ実績から諜報科の中では『反面教師』と呼ばれてる、と。

 そういえば諜報科にいる時の京夜先輩って、みんなからすごく避けられてるっていうか、眼中にないですって感じだったなぁ。なんだか嫌な感じ。

 みんなわかってないんです。京夜先輩が本当は凄い人だって。

 この前のバスジャック事件だって、バラバラなみんなをうまくまとめて先頭指揮を取ったって報告にあるんですから!

 このぶつけようのない憤りを私は胸の内に秘めるしかないのが、凄く歯痒いです。

 えっと、気を取り直して次は京夜先輩の依頼内容を。

 依頼は諜報科ですから、潜入調査なんかが主で、苦手なんでしょうか、破壊工作の依頼は1件も記録がありませんね。

 使用してる武装は手動巻き尺式の籠手型ワイヤーを右腕に常備。

 懐に刃渡り30センチの小刀と投躑用クナイを数本。

 ピッキング他を行うための万能ツールも常備。

 比較的軽装なんですね。帯銃もしてませんし……ってそっか、京夜先輩は射撃がダメなんだっけ。

 えっと……右腕に装着してるワイヤー装備は装備科(アムド)の2年、平賀文(ひらがあや)さんの特注で、最長150メートルの長さまで籠手に巻き付く形で収納できて、手ごろな長さに切って使ったりもできて且つ、ワイヤーは武偵高の制服にも使用されているTNK(ツイステッド・ナノ・ケブラー)製。強度も申し分ない。

 いい仕事するなー、平賀先輩。

 でも平賀先輩って武器の違法改造とか普通にやってくれる代わりに仕事が雑な時があって、それでいて報酬がぼったくりだって評判が。

 そのせいで本来は装備科でSランクの実力なのにAランクに止められてるとかなんとか。

 おっとっと。今は平賀先輩はどうでもいいんだよねぇ。

 それでこの武装の名称が『巻き尺式籠手型ワイヤー』、通称『ミズチ』。

 名前がカッコいい。京夜先輩も教えてくれればいいのになぁ。

 キーンコーンカーンコーン。

 そこまで調べ終わると、授業終了のチャイムが鳴って休み時間に。

 みんなが思い思いの時間を過ごす中、私は開いていた携帯を閉じて机にとっ伏していた。

 

「小鳥殿、先程はどうしたでござるか?」

 

 そんな私に話しかけてきたのは、同じクラスの友達の風魔陽菜(ふうまひな)ちゃん。

 陽菜ちゃんは長い黒髪のポニーテールで、いつもマフラーのような布を首に巻いて両手で印を結んで「忍!」とかやってるちょっと変わった子です。

 まぁ、私が言えることではないのですが。

 陽菜ちゃんはなんでも高名な忍の末裔とかで、そのせいか言葉も若干古い感じですが、今ではまったく気になりません。

 専門は諜報科でランクはB。

 諜報科らしく情報収集が得意で、転科した私に良くしてくれる一番の親友です。

 あっ、昴も一番ですよ。人間以外ではですがね。

 そんな陽菜ちゃんの質問に私は顔だけ陽菜ちゃんに向けて机にとっ伏したまま答えた。

 

「ちょっと京夜先輩のこと調べてたんだよねぇ」

 

「猿飛殿をでござるか?」

 

「うん。私、京夜先輩の戦妹にはなれたけど、まだ全然京夜先輩のこと知らないなぁって思って」

 

 そういえば京夜先輩が猿飛佐助の子孫なら、忍の末裔である陽菜ちゃんもいくらか知ってることがあるかもしれないよね。

 

「猿飛殿は普段から抜かりがない人でござるから、なかなかにその正体を掴むのは難儀でござるよ。拙者も師匠とよく一緒にいる人物故、ずいぶん前から色々探ってはみてるでござるが、さっぱりでござる」

 

「師匠って、陽菜ちゃんの戦兄の……」

 

「遠山キンジ師匠にござる」

 

 遠山キンジ先輩。

 去年の冬まで強襲科にいた武偵で、今は探偵科に転科してしまっている。

 驚きなのはあの強襲科で最高のSランクだったってこと。

 でも転科した探偵科では最低のEランク。

 なんだか京夜先輩に似た感じの方です。

 

「陽菜ちゃんでも探れないんじゃ、私には無理だよぉ」

 

 机にとっ伏していた私は、陽菜ちゃんの言葉を聞いてさらに脱力してしまう。

 

「しかし、ここ最近はその実力を少し面に出している節があるでござるよ。その傾向が見え始めたのは、神崎殿と接触してからでござる。おそらく神崎殿との接触によって、猿飛殿になんらかの変化が生じたのだと拙者は推測してるでござるよ」

 

 神崎……神崎……って! 神崎・H・アリア!?

 強襲科のSランク武偵さんじゃないですか!?

 そんな人と知り合いだなんて、知らなかった……

 それを聞いて思わず机から飛び起きた私。

 陽菜ちゃんもそれにはちょっと驚いたりした。

 

「……もしかして、昨夜のハイジャック事件って、アリア先輩が絡んでる?」

 

「その通りにござるよ。小鳥殿は本当に何も聞かされていないのでござるな」

 

「昨日は疲れた顔をしてたから詳しく聞かな……はっ! な、なんでもないよ陽菜ちゃん。はははっ」

 

 あ、危ないよ!

 私が京夜先輩の部屋に居候してることは秘密なんだった!

 そんな私の不可思議な言動に案の定陽菜ちゃんは首を傾げていた。

 マズい。話題を変えよう。

 

「そ、そういえば京夜先輩から無音移動法の練習をしておくように言われてたんだけど、陽菜ちゃん今日付き合ってくれる?」

 

「……問題ないでござるが、放課後は修行がある故、それまでならお相手つかまつるでござるよ」

 

「ありがとう陽菜ちゃんっ!」

 

 良かったぁ。なんとか誤魔化せ……

 

「それから小鳥殿が猿飛殿の住居に居候してるのはすでに承知してるでござるよ」

 

 てなかったよ!!

 でも気を遣ってくれたのか、私にだけ聞こえるように耳元で言ってくれた陽菜ちゃん。

 たぶん他人には話さないでいてくれるんだと思う。

 あ、ありがとう陽菜ちゃーん。

 そこまで話すと授業開始のチャイムが鳴ったので、陽菜ちゃんも「忍!」とか言って自分の席に戻っていって、私も脱力状態から気を引き締めて授業に取り組んでいきました。

 ……私の膝の上で昴がすやすやと寝てるのが凄く気になりますが。

 そんなわけで一般授業が終わって、専門学科での授業。

 私と陽菜ちゃんは諜報科の専門棟内の自由訓練スペースに移動して、無音移動法の練習をし始めました。

 練習って言っても、陽菜ちゃんは元々出来たりするので、私が陽菜ちゃんからアドバイスをもらって実践する形に自然となるわけなんですが。

 教わってみてわかったけど、無音移動法ってかなり難しい。

 陽菜ちゃんが言うには「己を自然と一体化させるのでござる」ってことだけど、なんか精神論を言われたみたいな感覚で正直コツすら掴めないよぉ。

 京夜先輩は京夜先輩で摩擦がどうだ接触角度がなんだとやたら現代科学っぽい教え方だったし、何故か根本的に理解できない。

 同じ技術なのにどうして理屈が違うの! 教えて偉い人!

 

「小鳥殿。始めはゆっくりやってみるでござるよ。抜き足差し足忍び足と昔も言われている歩法故、本来であれば走ったりすることは前提にはないのでござる。拙者も走るとなるとそれなりに気配が漏れてしまうでござるし、猿飛殿もそこまでの要求はしていないのではござらぬか?」

 

 あっ、そうなんだ。

 陽菜ちゃんでも完璧に出来ないなら私が変に落ち込むこともないかな。

 それに京夜先輩も陽菜ちゃんが言うように「日常生活で自然に扱えるように」って話だったし。

 それでもハードル高い気がするけどなぁ。

 

「でも音を立てずにゆっくり歩くのとは違うんだよね? 私にはその違いがよくわからないんだけど……」

 

「大雑把に言ってしまえば実践的かどうかの違いでござろうな。武偵憲章にもござろう? 『行動に疾くあれ。先手必勝を旨とすべし』と」

 

 確かにそうかも。

 実際の任務では機敏に動けるに越したことはないし、迅速性を求められることがほとんど。

 使えない技術は切り捨てられるのが現実。

 

「しかしまぁ、小鳥殿にも向き不向きというものがあるでござろうし、身につかぬ技術なら見限ってしまうのもまた1つの選択にござる。自分の長所と短所を知ることも大事にござる」

 

 自分の長所か……

 短所ならたくさんあるけど、長所ってなんだろうな……

 そんなことを考えながら陽菜ちゃんが修行と言う名のアルバイトに行く時間まで無音移動法の練習を繰り返しました。

 陽菜ちゃんと別れた私はそのまままっすぐ帰宅。

 留守を任された部屋でさっそく夕飯を作り始めました。

 でも……京夜先輩が帰ってこないってわかってると、少しだけ寂しいかな。ご飯も作り甲斐がないし。

 そんなことを考えながら料理をしていると、それを察したように昴が私の頭の上に飛び乗ってきてくちばしで突いてきた。

 僕がいるだろって?

 ……うん、そうだよね。昴はずっと私の傍にいてくれたもんね。ごめんね。それからありがとう。

 言葉にしなくても昴は私の考えがわかるみたいで、満足したのか頭から飛び立ってテーブルに移っていきました。

 それから昴と一緒に夕飯を食べて、後片付けを済ませた私は、いつもなら京夜先輩からご指導をもらう時間になってから、やることがなくなってしまった。

 

「昴ぅ、何しよう……」

 

 本当に何も思い浮かばなかった私は、つい昴に問い掛けてしまう。

 昴に聞いたって仕方ない……え?

 

「お部屋の掃除?」

 

 なんか凄い意見が返ってきた!

 そっかそっか、お掃除ね……その手があったか。さすが昴様。頼りになります。

 そんなわけで急遽お部屋の掃除をすることにした私。

 京夜先輩の自室はプライバシーとか色々あるのでノータッチですが、そこ以外はバッチリやっちゃうぞー。

 そして三角巾にエプロンと装備を整えた私が動き出したのです。

 ピカピカになって見違えた部屋を帰ってきた京夜先輩が見たらなんて言うかな?

 最初は驚くのかな。それで京夜先輩からありがとう、なんて言われちゃったりして。

 そ、そうなったら嬉しいな。

 

「やっぱり――いた!! 神崎! H! アリア!!」

 

 うわっ!? な、なに!?

 声からして下の階の部屋からだよね……

 

「ま、待て! 落ち着け白雪!」

 

「キンちゃんは悪くない! キンちゃんは騙されたに決まってる!」

 

 な、なんだか物騒なことになってそうですね。

 あっ、でも京夜先輩に「下の階で何かあっても気にするな」って言われてたっけ。

 

「この泥棒ネコ! き、き、キンちゃんをたぶらかして汚した罪、死んで償え!!」

 

「や、やめろ白雪! 俺はどこも汚れてない!」

 

「キンちゃんどいて! どいてくれないと、そいつを! そいつ殺せない!」

 

「き、キンジぃ! なんとかしなさいよ! な、なんなのよこの展開!」

 

 ……すっごい気になるんですけど。

 武偵高の生徒は基本的に好奇心が旺盛。

 私も例外じゃないみたいです。

 ってことで、京夜先輩ごめんなさい。

 思い立ったが吉日。

 私はフック付きのロープをベランダのてすりに固定して、レスキュー隊みたいにロープで下の階に下降を試みた。

 

「天誅ぅ―――ッ!!」

 

 降りたベランダから見えた中の光景。

 それは私の想像を遥かに越えた戦場だった。

 巫女装束に日本刀を持った黒髪の女の人が、ピンクのツインテールの女の人に容赦なく斬りかかったんです。

 さらに驚きなのは、その振るわれた日本刀を左右の手で挟んで止めた相手の人。

 し、真剣白羽取りなんて現実に使える人がいるんだ……世の中広いなぁ。

 それからその2人の冗談抜きのマジバトルが勃発。

 部屋は見る見るうちに無残な姿へと変わり果てていきます。

 だって、1人は日本刀を振り回し、もう1人も2丁拳銃を抜いてバシバシ撃ったかと思うと、すぐに背中から2本の小太刀を抜いて応戦したりともうメチャクチャ。

 そういえばここって男子寮なのに、どうして女の人がいるのでしょうか?

 京夜先輩の部屋に居候してる私が言える立場ではないですが。

 ロープにぶら下がりながら私がそう考えて観察していると、中にいた男子生徒さんがベランダに出ようと近付いてきました。

 たぶんこの人がこの部屋の住人なんでしょうね。

 って、覗いてたのバレる! 気付かれる前に退散しなきゃ!

 そこで焦った私は、迂闊にも手を滑らせてそのまま下のベランダへと落ちてしまった。

 しかも丁度男子生徒さんがベランダへ出てきたバッドタイミングで。

 

「うおっ!?」

 

「キャッ!」

 

 私はその男子生徒さんに突っ込む形でベランダに不時着し、その人を下敷きにしてしまいました。

 あぅ……どうしよう。

 とりあえず急いで男子生徒さんから退いた私は、その場で土下座。

 顔も見れませんよぉ……

 

「す、すみませんすみません! ちょっと騒がしかったのが気になってチラッと覗いてました。どうかお許しを!」

 

 あぅ……許されなかったらどうしたらいいかわからないよぉ。

 

「あぁ……その……なんだ……こっちも騒がしくして悪かったな」

 

 でも、返ってきた言葉は意外にも謝罪だった。

 それには私も思わず顔を上げてきょとんとしてしまった。

 

「とりあえずあの2人が危ないから、お前は元いた場所に戻れ。死にたくなけりゃな」

 

 そして目の前の男子生徒さんは、部屋の中で大乱闘をする2人の女の人を指しながら私に戻るように促してきた。

 確かにこちらに飛び火する可能性があるかも。

 

「は、はい! 本当にすみませんでした!」

 

「……ところで、上の階から来たみたいだが、もしかして猿飛の知り合いか何かか? 女子が男子寮にいるってのも変だが……」

 

 ギクッ!

 こ、答えづらい質問が……

 って、京夜先輩を知ってる風な物言いだった気が。

 

「わ、私は猿飛先輩の戦妹の橘小鳥って言います! あなたは猿飛先輩を知っているんですか?」

 

「知ってるというかなんというか、同じクラスだからな。それにしても猿飛に戦妹がいるとはな……」

 

 京夜先輩のお知り合いでしたか。

 

「あの、お名前は……」

 

「俺か? 俺は遠山キンジ」

 

 遠山……キンジさん。って、陽菜ちゃんの戦兄だよ!

 こんな近くにいたんだ……

 

「それより早く戻れ。俺も物置に避難する」

 

 そう言った遠山先輩は、ベランダに備えられた防弾性の物置にそそくさと隠れだし、私も聞いてから慌ててロープを掴んで上の階に戻っていき、騒がしい下の階を気にしつつも部屋の掃除をしていったのでした。

 あとから知りましたが、あの部屋の中で大乱闘を繰り広げていた2人は、武偵高生徒会長の星伽白雪さんと、あの神崎・H・アリアさんだったとか。

 なんだか京夜先輩が下の階で何かあっても気にするなと言った意味がわかった気がしました。

 あんな環境、危なすぎますよね。



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魔剣編
Bullet7


 

 世の中唐突なことだらけだと思う。

 それをいかにして打開し道を切り開くかが、この世の中生きていくには大事なことだろうな。

 数日ぶりに戻ってきた武偵高。

 わざわざ長旅してまで依頼をこなしてきたオレ、猿飛京夜を待っていたのは、真っ先に自宅へ戻る権利もない教務科からの呼び出しだった。

 放課後に当たる時間帯に戻ってきたオレは、早く帰って戦妹である小鳥の作ってくれているあったかいご飯を食べてさっさと寝てしまいたい衝動を抑えつつ、教務科のとある個室へと赴いた。

 綴梅子。

 待っていた人物は、いつも通りの据わった目でオレを見ながら、タバコを吸っていた。

 

「おーう、お疲れさーん。長旅は楽しめたかな少年?」

 

「むしろ疲れが貯まって爆発寸前です早く帰してくださいお願いします綴先生」

 

 息継ぎなしで一息に言い切ったオレに対して、綴は表情1つ変えずに1服したあと話を始めた。

 

「用件はまぁ、当事者が来てからにはなるが、とりあえず期待してないが収穫を聞こうか」

 

 期待してないならわざわざ呼び出すなよ。

 明日にでも報告書を提出してやるんだからな。

 

「収穫はなし。目撃者及びその痕跡すらなかったです。ただ、気になるのは……」

 

「徐々に『ここ』へ近付いてきてる、か?」

 

 魔剣。超能力を使う武偵、超偵を狙う幻の連続誘拐犯。

 オレは昨日までその魔剣が引き起こしたとされている誘拐事件について極秘に調査しに行っていたわけだ。

 その魔剣の事件発生地点が、段々とここ武偵高に近付いてきてるのである。

 というか、それすらわかってたなら呼び出してまで聞くことじゃないっつーの。

 

「狙いはまぁ、おそらく……」

 

「星伽白雪」

 

 ……マジでこの人殴りたい! 1発でいいから全力で!

 ……そんなことしたらオレが死に目を見るに決まってるので、この怒りは後日まったく罪のない武藤に吐き出してしまおう。

 オレがそうして怒りのはけ口を決定したのと時を同じくして、個室にノックをして中に入ってきた人物がいた。

 噂をすればなんとやらだな。

 星伽白雪。

 我が東京武偵高が誇る数少ない優等生にして現生徒会長。そしてSSRの『秘蔵っ子』である。

 その白雪は中に入るや否やオレがいることに驚いた顔をして身を縮めた。

 

「おーし来たなー。おい猿飛ぃ。とりあえずお前はあっちな」

 

 白雪が来たのを確認した綴は目の前に座るオレに対して、左手の親指で部屋の後ろの隅をクイックイッと指して退かしにかかってきた。帰っていいですか?

 まぁさっさと帰さないところをみると、おそらく本題はこれからなんだろうな。

 オレは渋々椅子から立ち上がって白雪に席を譲ると、壁に背を預ける形で部屋の隅に移動した。

 それから綴は表情1つ変えずに白雪と話を始めた。

 

「星伽ぃー……おまえ最近、急ぅーに成績が下がってるよなー……」

 

 ああ、そういえば綴は白雪のクラスの担任だったな。

 それにしても白雪の成績が下がってるねぇ……

 

「あふぁ……まぁ、勉強はどぉーでもいぃーんだけどさぁ」

 

 どーでもいーのかよ。

 それから気付かないでいようと思ったが、無理だ。

 どうやらこの部屋には『2人』ほど、招かれざる客がいるらしい。

 伊達で諜報科に身を置いてないぞ。

 さてさて、いつ綴に教えるか。

 

「なーに……えーっと……あれ……あ、変化。変化は、気になるんだよね。ねぇー、単刀直入に聞くけどさァ。星伽、ひょっとして――アイツにコンタクトされた?」

 

「魔剣、ですか」

 

 なんだ。白雪本人にも話は通ってたのか。

 てっきり教務科がそれとなく警戒してるだけかと思ったが。

 

「それはありません。と言いますか……もし仮に魔剣が実在したとしても、私なんかじゃなくてもっと大物の超偵を狙うでしょうし……」

 

「星伽ぃー。もっと自分に自信を持ちなよォ。アンタはウチの秘蔵っ子なんだぞー?」

 

「そ、そんな」

 

 謙遜しやがって。まぁ、白雪らしいっちゃらしいが。

 

「星伽ぃ、何度も言ったけど、いいかげんボディーガードつけろってば。諜報科は……つーか、こいつが魔剣がアンタを狙ってる可能性が高いってレポートをこれから出すんだ。SSRだって、似たような予言をしたんだろ?」

 

 おい、オレのは極秘じゃなかったのか綴よ。さらっと言いやがって。

 ただまぁ、なんとなく綴の考えが読めてきたぞ。

 

「でも……ボディーガードは……その……」

 

「にゃによぅ」

 

「私は、幼なじみの子の、身の回りのお世話をしたくて……誰かがいつもそばにいると、その……」

 

 キンジ……1回死ね。

 オレが白雪に身の回りのお世話をされたら幸せすぎて死ぬぞ。

 小鳥で死なないのはまぁ……あれだ。線引きがしっかりしてるからだな。

 ……すまん小鳥。

 

「星伽、うちらはアンタが心配なんだよぉ。もうすぐアドシアードだから、外部の人間もわんさか校内に入ってくる。その期間だけでも、誰か有能な武偵を――ボディーガードにつけな。これは命令だぞー」

 

「……でも、魔剣なんて、そもそも実在しない犯罪者で……」

 

「これは命令だぞー。大事なことだから、先生2度言いました。3度目はコワイぞー」

 

 ……冗談に聞こえないのが綴の怖いところだ。

 さすが尋問科教諭。

 

「けほ。は……はい。分かりました」

 

 綴の吐いたタバコの煙にむせつつ、白雪は渋々ボディーガードをつけることを了承した。

 ――がしゃん!

 その時、この部屋の天井に備えられた通風口のカバーがぶち開けられ、そこから今まで話を盗み聞いていた神崎・H・アリアが、中のダクトから飛び降り、室内に降り立った。

 

「――そのボディーガード、あたしがやるわ!」

 

 その言葉のあと、盗み聞きしてたもう1人、キンジがダクトから落っこちてきて、アリアを下敷きにした。

 あーあ、綴へのチクリ情報がなくなっちまった。つまらん。

 そのまま隠れててくれりゃあ、明日にでも面白いことになったのに。

 

「き、きき、キンジ! ヘンなとこにそのバカ面つけるんじゃなうにゅえ!?」

 

 上から退かしてキンジに向かって怒鳴っていたアリアを、綴がキンジとまとめてネコ掴みして壁際に投げつけた。凄いな綴。

 

「んー? ――なにこれぇ?」

 

 それから不良みたいな感じで2人の顔を覗き込んだ綴。

 様になってるとか死んでも言えない。

 

「なんだぁ。こないだのハイジャックのカップルじゃん」

 

 2人を見て思い出したようにそう言った綴は、次にアリアとキンジの詳細なプロフィールをスラスラと述べ始めた。

 その中にはやはりオレのように普通なら知り得ない個人の弱みとも言える情報も含まれていた。

 本当にこの人に隠し事はできないな。

 せめて弱みを増やさないようにしないと。

 そしてプロフィール朗読という名の軽い暴露話を終えた綴は、話を本筋に戻すために頭を切り替えて改めて話を始めた。

 

「でぇー? どういう意味? 『ボディーガードをやる』ってのは」

 

「言った通りよ。白雪のボディーガード、24時間体制、あたしが無償で引き受けるわ!」

 

「お、おいアリア……!」

 

「……星伽。なんか知らないけど、Sランクの武偵が無料(ロハ)で護衛してくれるらしいよ?」

 

「い……いやです! アリアがいつも一緒だなんて、けがらわしい!」

 

 おっ?

 アリアと白雪の間になにやら険悪な空気が。

 どうやらオレがいない間に何かあったらしいな。惜しい現場を逃したか。

 

「――あたしにボディーガードをさせないと、こいつを撃つわよ!」

 

 ボディーガードを断る白雪に対して、アリアはいきなり銃を抜きキンジのこめかみに銃口を当ててそう言った。

 おお、白雪の性格をよくわかってらっしゃる。

 案の定白雪は慌てふためく。

 しかし本当に撃つなよ?

 武偵法9条『武偵は人を殺せない』だ。

 その状況をニヤニヤ見ていた綴。あ、面白がってる。

 

「ふぅーん……そぉかぁー。そぉいう人間関係かぁー。で? どーすんのさ星伽は?」

 

「じ、じょ、条件があります!」

 

 キンジを人質にとられた白雪は、仕方なさそうに折れたが、タダでは折れないらしい。

 

「キンちゃんも私の護衛をして! 24時間体制で! 私も、私も、キンちゃんと一緒に暮らすぅー!」

 

「……プッ……アハハハハハ! 良かったなキンジ! 依頼人から直々のご指名だぞ! 白雪も大胆というかなんというか」

 

 それで今まで一言も発していなかったオレも耐えられず笑いながら言葉を発してしまった。

 それを聞いたキンジは魂が抜けたような表情をして、白雪はゆでダコみたいに顔を真っ赤にして俯いた。

 それから話は白雪がキンジの部屋に住み込んでアリアとキンジがボディーガードをする方向に決まり、3人はその準備のためそそくさと部屋を出ていってしまい、残りはオレと綴だけとなった。

 オレもキンジ達と一緒に出ていけば良かったんだが、そこはまぁ、あれだ。空気を読んだ。

 

「話は大体わかったなぁ、猿飛。まぁ、当初の予定とは違った形にはなったが……」

 

「オレもキンジとアリアと協力して白雪のボディーガードをする……ってことなら、3人を帰す前に話しますよね?」

 

「聡いな。お前には2人とは別行動で星伽のボディーガードを頼む。はっきり言ってしまえば『保険』だ。神崎や遠山、あと護衛対象の星伽にもバラすなよ。もちろん単位はそれなりにやる」

 

 要するにアリアとキンジが表立って白雪のボディーガードをして、オレが裏でそれと感付かれないように2重でボディーガードをするということだ。

 そんなことをする理由はないに等しいが、今回は魔剣の影がちらついている。

 用心するに越したことはないといったところか。

 教務科の過保護ともとれるが、オレも楽観視はしたくない。

 一応魔剣を追ってる者として断るのもおかしな話だしな。

 そんなわけで今回は真面目にやるさ。

 それに目立たない役回りはオレも得意だ。

 今回はオレの本領発揮といったところか。

 

「了解です。ただ、白雪が危険だと判断した場合はアリア達と結託しますが、問題ないですよね?」

 

「お前も武偵だろ? 判断は任せる。はい、お話終了ぅ。帰ってよし」

 

 ……もう怒りすら湧いてこない。

 さっさと帰って小鳥の作ってくれてる美味しいご飯を食べて寝よう、そうしよう。

 思ったオレは、タバコを吸う綴を見ることなく部屋を出て、まっすぐ帰宅して待ちわびていた小鳥に少しだけ付き合ってやってから、すぐに夕飯を食べてその日は眠りに就いた。

 翌日、さっそくキンジの部屋に自分の荷物を運ぶという白雪の迅速すぎる行動に半ば呆れつつも、武藤が何故か無償でその荷物を軽トラで運んできたので、とりあえず武藤のキモい善意な行動は無視しつつ白雪に話しかけた。

 

「部屋に運ぶの手伝うぞ。どうせ暇だしな」

 

「えっ? あ、ありがとう猿飛く……あっキンちゃん!」

 

 オレにお礼を言い切る前に、男子寮のロビーから出てきたキンジを発見した白雪は、そこで笑顔満開。

 とりあえずお礼を言うなら最後まで言え。

 

「キン……遠山?」

 

 その様子を見た武藤が頭の上に?マークを浮かべながら呟く。

 なんだ、何も知らないで荷物運びを請け負ったのか武藤よ。

 

「あ、あのね武藤くん。私、今日からキンちゃ……遠山くんのお部屋に住むの」

 

「――き、キンジのっ?」

 

「言っておくが、仕事だからな。俺は白雪のボディーガードにさせられちまったんだよ。アリアのせいでな。言いふらすんじゃねーぞ」

 

 聞いた武藤は口をあんぐり。プッ、アホ面が。

 しかしまぁ、今のでなんとなく武藤が荷物運びを無償でやった理由がわかった。

 頑張れ武藤。オレは応援してるぞ。

 などと武藤にささやかなエールを贈りつつ、オレはキンジ達と一緒に軽トラから荷物を降ろして部屋に運んでいった。

 しかしだ。

 オレがわざわざこんな面倒なことを勧んで手伝うような行動をするように思うだろうか。

 答えはノー。

 普段のオレならせっせと働くキンジ達に「頑張れー」と横でずっと言うだけに留まるだろうな。

 嫌な奴と思いたければ思え。オレはそういう奴だ。

 ならどうして手伝いなんて面倒なことを自らやろうとするのか。

 それはオレなりのボディーガードの『準備』のため。要は仕込みだな。

 アリアやキンジ、そして本人にも気付かれずにボディーガードをするとなると、やはりそれなりに工夫が必要になってくる。

 例えば盗聴器や隠しカメラ。

 これらをキンジの部屋に仕掛けるにしても、ボディーガードはまず住居のセキュリティーを上げるため、事前に仕掛けておくと取り外されたりする。

 アリアなんかは特に顕著な例だな。

 事実、荷物を運んだキンジの部屋で、せっせと警戒網を張り巡らせているアリアがいた。

 というか何で部屋が戦場跡地みたいになってるんだ?

 人の住む場所ではなくなってるぞ。特にリビング。

 

「何やってんだ」

 

 そんなせっせと働くアリアに対して、キンジが問いかけると、アリアは手を動かしながら即答する。

 

「見れば分かるでしょ。この部屋を要塞化してるのよ」

 

「すんなよ!」

 

「なに驚いてるのよ、武偵のくせに。こんなのボディーガードの基礎中の基礎でしょ? アラームをいっぱい仕掛けて、依頼人に近づく敵を見つけられるようにしておくの。ちょうどいろいろぶっ壊れたし、やりやすいわ」

 

「ぶっ壊したんだろ」

 

「OK。あとは天窓ね」

 

 凄いスルースキルだ。さすがアリア。

 しかしそのちっさい身体じゃ天窓なんか届かないだろ。

 思ったオレは案の定四苦八苦するアリアの代わりに天窓に探知器をつけてやった。

 

「あ、ありがとう京夜。で、でも別に届かなかったわけじゃないんだからねッ!」

 

「はいはいわかってますよ……っと。ほい終了。次は何するんだ?」

 

「次は台所ね。というか、なんで京夜がいるのよ?」

 

「お手伝いであります」

 

「嘘ね」

 

 間もなく否定された。まぁそうなんですがね。

 しかしそんなキッパリ否定されると少しヘコむ。

 

「まぁ手伝い半分、用件半分ってなところだ。依頼先での土産があるんだが欲しいだろ?」

 

「物によるわよ」

 

 などと話してるうちにキンジと白雪が玄関で話をしていたが、そこは世間話だろうから気にしないでおくか。

 

「ちょっと待ってな。今オレの戦妹が持ってくるはずだからよ」

 

「あんた戦妹なんていたのね。少し意外だわ」

 

「オレも意外だわ」

 

「フフッ、なにそれ」

 

 なにやらアリアのツボに入ったらしい。面白かったか?

 そんな話をしながらアリアの手伝いをしていると、白雪も荒れ果てた部屋の掃除を開始。テキパキと作業を進めていく。

 ……嫁に欲しいな。

 世の男性諸君も良妻賢母には少なからず憧れるだろ?

 つまりオレの思考は正常なのだよ。そう思いたいがな。

――ピーンポーン。

 各々が作業に没頭する中、不意に鳴った部屋のチャイム。

 わざわざチャイムを鳴らすってことは、小鳥か。

 真っ先に対応したのは白雪。それに続く形でオレも玄関へと赴く。

 案の定訪問者は小鳥で、白雪は初対面の小鳥に少し戸惑ったが、オレが説明することでことなきを得、中へと招いた。

 

「は、はじめまして先輩方。わ、私は京夜先輩の戦妹の橘小鳥と申します。以後お見知りおきを!」

 

 小鳥は中に通されリビングに入るなり礼儀正しく正座し深々とお辞儀をしつつアリア達に自己紹介をした。律儀だな。

 

「小鳥。指示したものは持ってきたな?」

 

 自己紹介を済ませた小鳥に対して、オレはさっそく用件を済ませにかかる。

 

「はいッ! 指示通り部屋から持ってきました!」

 

 小鳥は言った後、一緒に持ってきた割と大きな荷物を広げた。

 

「あっ! そ、それは……!」

 

 荷物の中身を見たアリアは、突然表情が一変。デレッとしていた。

 

「アリアにはこれ、『ももまん10個入りパック』。好物だってキンジから聞いたから買ってみた」

 

 言いながらアリアに袋詰めにされた冷蔵保存用ももまんセットを手渡す。

 

「ありがとう京夜! ももまんももまんももまんももまん……」

 

 そんなに好きなのか、ももまん。

 

「キンジはこれな。『魔除けの御守り』」

 

「何でだよ! ってか魔除けの御守りっていうよりむしろ魔を招き寄せそうな外観なんだが!」

 

 次にキンジに魔除けの御守りを渡したのだが、まぁキンジが言うように一般的な御守りの形状ではあるが、その色合いがこの上なく暗く、『魔除け』と書かれた部分なんか血文字っぽい。

 我ながらベストチョイスだと思う。キンジもナイスツッコミだぜ。

 

「白雪にはこいつだ」

 

「えっ? 私にも?」

 

 残った物を白雪にプレゼント。

 それはクッションほどの大きさの白いライオンのマスコット人形――なんでもレオポンというらしい――で、昨日小鳥に渡したら抱き心地が最高らしい代物だ。

 本当は小鳥が欲しがったのだが、こいつはちょっとダメだ。

 こいつは『この部屋になくてはならない』。

 白雪は最初、貰うのを躊躇ったが、オレがリビングにでも置いといてくれと言うと、少し笑って貰ってくれた。

 

「レオポン! レオポンだわ!」

 

 そこでももまん天国から戻ってきたアリアが、巨大レオポンに気付き白雪から強奪。そして胸に抱え込んでしまった。

 

「……アリア。それは白雪への……」

 

「やあやあ、ボクはパパレオポンさ。息子よ、元気にしてたかい? 元気だったよ。パパは一段と大きいね」

 

 ……え……なんか1人人形劇が始まってしまったぞ。

 アリアが元々持っていた携帯ストラップの子レオポンも持ち出して始めた人形劇。もう勝手にしてくれ。

 

「満足したら白雪に返せよ? さて、用件も済んだし、オレ達は戻るか。行くぞこと……りぃ!?」

 

 そして自然な流れで自分の部屋に戻るため立ち上がろうとしたオレは、その襟首を後ろから掴まれ止められた。

 

「まだやることはあるんだから、最後まで手伝いなさい!」

 

 止めたのはアリア。

 そのまま人形劇を続けてくれればいいものを、オレが戻ると聞くと我に返ったらしい。

 そんなわけで結局、オレとなぜか小鳥まで、夜まで部屋の要塞化と片付けに付き合わされたのだった。



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Bullet8

 キンジの部屋に白雪が越してきた翌日。

 なんだかんだで依頼から帰ってから色々あってまともに休めてないオレは、登校するなり自分の席で寝始めていた。

 

「猿飛君、久しぶりだね」

 

 そんな安眠モードに入りかけていたオレに前の席に座りつつ話しかけてきたのは、同じクラスの1年からの知り合いである強襲科の不知火亮だった。

 不知火は強襲科でAランクに位置付けされた武偵で、なんでもそつなくこなせる言ってしまえばオールラウンダーな奴だ。

 しかもルックスも良いから女子にもモテる。浮いた話を聞いたことがないのが不思議なくらいだ。

 

「久しぶりってほどじゃないだろ。先週いなかったってだけだ」

 

「友人がいない時間は案外長く感じるものだよ」

 

 なんかこいつに友人とか言われるとむず痒いぞ。

 それを爽やか笑顔で言ってくるから余計にな。

 

「で? オレの安眠を妨げてまで何の用だ? そこら辺は空気を読む不知火にしては珍しいからな」

 

「さすが猿飛君だね。用件っていうか、猿飛君がいなかった間の情報が2つあるんだけど、少し残念な情報と残念な情報、どっちが先がいいかな?」

 

 どっちも残念な情報かよ。オレもつくづく運がないな。

 

「ダメージの少ない方から」

 

「了解。少し残念な情報は、猿飛君とほとんど同じ時期に峰さんが極秘任務とかでアメリカに行ってしまったらしいよ。なんでも長期の任務とかで、しばらく帰ってこないらしいね」

 

 理子……やっべ……色々ありすぎてすっかり頭から飛んでた……

 理子はハイジャックのあった日にオレに自分が『武偵殺し』であることを告げ、さらにイ・ウーのメンバーであるらしい発言まで残していった。

 その時はアリアの事を優先して頭の隅に追いやっていたが、このまま放置しておけるものでもないよな。

 

「極秘任務ね……Aランク武偵ともなると、色々と面倒な任務が舞い込んでくるんだろうな」

 

 オレはそんな心情を悟られないように不知火に対してそう切り返した。

 

「あれ? 猿飛君なら結構なダメージになると思ったけど、そうでもなかったかな? 峰さんと仲良かったし」

 

「いや、正直理子がいない学校はそれでそれで嬉しい。こうして寝ていたい時なんかは特に」

 

「それは猿飛君の眠りを現在進行形で妨げてる僕の方もダメージを受ける発言だね」

 

「おお、そういう意味にもなるか。悪い悪い」

 

 悪気はなかったんだがな。言葉は選ばなくちゃダメだな。反省だ。

 

「それでもう1つの残念な情報は?」

 

「うん、猿飛君もわかってると思うけど、もうすぐアドシアードが開催されるよね」

 

 アドシアード。

 年に1度行われる武偵高の国際競技会で、スポーツでいえばインターハイ、オリンピックみたいなモノである。

 主に強襲科や狙撃科による物騒な競技がメインな聖典とは程遠いモノなんだがな。

 

「それで僕達も競技に参加するか手伝い(ヘルプ)を必ずやらないといけないわけだけど、猿飛君がいない間に色々と役割が決まっちゃったんだよ」

 

「……まさかオレがいない間に勝手に役割を当てられたのか? 拒否権もなく?」

 

 先を読んだオレの質問に、不知火はこくり。苦笑混じりに首を縦に振った。

 

「猿飛君はみんなやりたがらなかった学園島のメインゲート警備。警備って言っても、来場者の案内やパンフレットの配布になるだろうけどね」

 

「……不知火は何やるんだよ?」

 

「僕は競技には参加しないことになったから、遠山君と武藤君と一緒に閉会式のチアのバックバンドをね」

 

 閉会式のチア? ああ、アル=カタか。

 アル=カタとは、イタリア語の武器(アルマ)と日本語の(カタ)を合わせた武偵用語で、ナイフや拳銃による演武をチアリーディング風のダンスと組み合わせてパレード化したもので、武偵高の人間はそれをチアと呼んでいるのだ。

 実戦でも用いられてる戦闘法だというのに、チアと呼ぶのはどうかと思うが、そこはまぁ、武偵高らしいといえば納得できなくはない。

 

「オレもバンドやる……といきたいところだが、残念なことに楽器を1つも演奏できん。そして役割を決めた奴に異議を申し立てる」

 

 休んでたから仕方ないとか言われても、これは納得できないぞ。

 なんでやりたくない仕事をやらなきゃならん。

 やりたい仕事なんてものもないが、一番面倒な仕事を押しつけられて素直にやる気にはなれない。

 それにオレが笑顔100%で来場者にパンフレットを配る姿なんて、想像するのも恐ろしい。身の毛がよだつぞ。

 

「異議を申し立てても、猿飛君の担当する時間は一番混むアドシアード開始時から2時間だから、いまさら替わってくれる人もいないだろうね。こればっかりは諦めるしかないよ」

 

「……最近、なんかやたらと不幸が重なるんだが、見返りはいつ返ってくるんだろうな……」

 

「見返りか……それなら少しはあるかもしれないね。猿飛君と同じ時間帯の担当の中に武藤君の妹さんがいたから言い方は悪いけど、目の保養にはなると思うよ」

 

 武藤の妹……貴希(きき)か。あいつレースクィーンのバイトとかやってるくらいの美人だからな。それはせめてもの救いだ。

 

「それなら渋々だがやってやるが、未だにあの貴希が武藤の妹とは思えん。腹違いじゃないか?」

 

 とりあえず仕事は引き受けることにした。

 しかし次に言った言葉には不知火も苦笑いを浮かべてしまい、否定はしてこなかった。それだけ似てない兄妹なんだよ。

 などと話していたら、突然誰かに背中をバン! と叩かれて、オレは反射的に身体が飛び跳ねた。

 

「腹違いとは言ってくれるな、猿飛! しかし残念ながら正真正銘オレとキキは兄妹なんだよ」

 

 背中を叩いてきた人物、武藤は、そう笑いながらオレに話してきた。

 そんな武藤の腹にオレは帰ってきてから貯まりに貯まったストレスを右手に込めて全力で撃ち抜き、それを受けた武藤は身体をくの字に曲げてうつ伏せに床へと倒れた。

 

「さ、猿飛……お、お前……なん……で……」

 

「ん? いやなに、貯まったストレスを発散しただけだ。他意はない」

 

「お、おま……ひ、轢いてや……る……」

 

 武藤はオレの言葉を聞いてから、そんな口癖を言いつつ意識を手放したのだった。南無三。

 武藤にストレス発散という名の八つ当たりをしてから一般授業を全て寝て過ごしたオレは、昼休みに携帯でアリアに一般校舎の屋上へ呼び出されていた。

 アリアは今日は一般授業には出ずに何かしていたようで顔を見ていなかったが、あらかた白雪の周りのガードを固めていたのだろう。

 身辺警護はキンジがやってるみたいだったしな。

 考えながら購買で自分の分の昼食であるパンと、アリアへの戦利品としてのももまんを買って屋上へと向かっていたオレ。

 つか、なんでももまんが購買で売ってる? そんなメジャーな食いモンだったかこれ?

 屋上に着くとすでに到着していたアリアが腕を組んでフェンスに背中を預けていた。

 

「遅い! レディーを待たせるなんていい度胸してるわね」

 

「連絡受けて15分で来たんだから文句言うなよ。オレだってやることがあるんだ。食料の調達っていう重要な案件がな」

 

 言いながら袋からももまんを取り出しアリアに放り投げてやると、アリアは少し慌ててそれをキャッチしていた。

 

「それで待たせた分はチャラってことで」

 

「ま、まぁ、この辺気が利く京夜はバカキンジとは違うわね。はふッ」

 

 言ってからさっそくももまんをぱくり。どうやら許されたらしい。

 オレはアリアの横の床に座りつつ、パンを食べ始めると、もうももまんを平らげたアリアも腰を下ろしてさっそく本題に入った。

 が、なぜかアリアは周りを警戒する素振りを見せつつ小声で話してきた。

 

「京夜、あんたも白雪のボディーガードに加わりなさい。あたしの予想では、魔剣はかなりの強敵よ。警戒は厳重にすべきだわ」

 

 ……あー……これは……困った状況になった。

 魔剣の絡む案件だから、オレとしても力になりたい。

 ところがだ。オレはすでに綴から極秘で白雪のボディーガードを請け負っている。

 疲れのせいとか言い訳はしたくないが、だいぶ思考能力が低下していたオレは、今になってアリアのその発言が自然な流れであると理解した。

 昨夜わかったが、どうやら限定的にレキにも白雪のボディーガードをさせているアリア。

 信頼に足る人物を動員するのはアリアのやりそうな行動だ。

 その中にはどうやらオレも含まれてるらしいからな。

 

「京夜には魔剣の監視や盗聴の危険がある範囲外からの周辺警護に回ってほしいの。諜報科ならそういう方向の方がやりやすいでしょうし……って、どうしたの京夜?」

 

 淡々とオレの役割を述べていたアリアだったが、オレが頭を悩ませているのを感付きそんな質問をしてきた。

 表情には出さなかったんだがな。恐るべしアリア。

 

「んー、いやな。オレもアリアに協力したいのは山々なんだが……」

 

 そこでギロリ。アリアに睨まれてしまう。

 なんか前にもこんなことあったな。確かパーティーに勧誘された時だったか。

 

「意外に勤勉なオレは、1週間ほど遅れた授業の分を取り戻すため、しばらく図書館に入り浸ることになります。よって白雪のボディーガードに費やしている時間は皆無です」

 

 あー……納得してないよ。

 そりゃ自分で言ってて反吐が出る嘘だが、そこまで信じてもらえないと傷付くぞ、オイ。

 

「……京夜は魔剣がいるって……存在するって思ってる?」

 

 これは真剣な質問なんだろうな。

 魔剣はイ・ウーのメンバー。アリアの母親、かなえさんに罪を着せてる犯罪者の1人だ。

 

「……存在しないとされてはいるが、そう『思わせる』ほどの策略と能力があると考えれば、逆に存在すると言えるよな。つまりオレはそういう考えだ」

 

「……京夜はやっぱり変わってるわ。良い意味でね。まぁ、京夜にも何か事情があるんだろうし深くは追求しないけど、気が変わったらいつでもあたしに言いなさいよ」

 

 ……アリアは不安だったんだろう。

 いるかもわからない敵に備えて、それで段々と神経を擦り減らしていって。

 だからオレに何かを言ってほしかったんだ。

 オレならきっとプラス思考になる答えをくれると思って。

 

「気が変わったらな。なぁアリア。聞くタイミングを逃してたからいま聞くんだがいいか?」

 

 それでボディーガードの件を終わらせたオレは、もののついでにアリアに理子のことについて聞こうと考えた。

 

「なにかしら?」

 

「この前のハイジャック事件。アリアはハイジャック犯……『武偵殺し』と顔合わせしたか?」

 

「!? あんたなんであれが『武偵殺し』の仕業だって……」

 

 う……しまった。迂闊にしゃべったか。

 しかしまぁ、隠す気もないしいいか。

 

「自力でそう導いた。それでどうなんだ?」

 

「自力でって……あんたも『あのキンジ』並みね。確かにあたしは『武偵殺し』と直接対決したわ。逃げられちゃったけどね」

 

 やっぱり理子はあの日、ハイジャックした飛行機に乗っていたか。

 おそらくオレと話してる時間がなくなったってのは、アリアと、それからキンジもか。2人と直接対決になるからだったのだろうな。

 だが、理子は負けて飛行機から逃亡。消息を絶ったってわけだ。

 

「……犯人は誰だった?」

 

 それにアリアは口を開かず首を左右に振るだけだった。

 教えられない、と。

 武偵少年法により、犯罪を犯した未成年の武偵の情報は公開禁止となっている。

 それが武偵同士であっても、共有したり教えたりもしてはいけないのだ。

 だがまぁ、オレが知りたかったのは『武偵殺し』が理子であるという確証だけ。

 今のやりとりでそれはわかったから、この件は終わりだ。

 

「そっか。まぁ、アリアとキンジが無事で良かったよ。いまさら言うのも変な話だが、オレも依頼があったからな」

 

「あ、当たり前でしょ! あたしが武偵殺しなんかに負けるわけない! ……キンジがいなきゃ死んでたかもしれないけど……」

 

 最後の方はごにょごにょと言ったから聞き取りづらかったが、聞こえたぞアリア。

 それからアリアは照れ隠しなのかそのまま屋上から去ってしまい、オレは1人寂しく食べかけのパンを頬張るのだった。

 理子は武偵高では『アメリカでの長期任務』ってことになってる。

 つまりいずれ何らかの手段を使ってここに戻ってくるはずである。

 ならオレはその時を待てばいいさ。話なら本人から聞いた方が得るものも多いしな。

 それから何事もなく学校から帰宅して、戦妹の小鳥が作った夕飯を食べ、いつも通りに小鳥に指導をし終えたオレは現在リビングのソファーに座ってイヤホンを付けながら、普段右腕に装備している特注のワイヤーが収納された籠手を整備していた。

 ちなみに小鳥は相棒の昴と一緒に仲良く入浴中だ。

 この装備、装備科の平賀文に作ってもらった特注品で、正式名は『巻き尺式籠手型ワイヤー』というが、長いから勝手にミズチと呼んでる。

 籠手にコイル状に巻き付く形で収納されたワイヤーが、手首のすぐ下にある引っ張り口から引っ張ることでワイヤーを出せるようになっていて、望む長さで切り離すためのボタン式の引っ張り口を閉じるカッターも搭載されている。

 ワイヤーを出しすぎても、これもまたボタン一つで巻き取ってくれる。イメージとしては掃除機のコードのアレに近いだろう。

 あとは別途でフックや分銅なんかを持ち歩けば、それと繋ぎ合わせて使える超便利品だ。

 しかもちゃんと整備しておけばほとんど音を立てずに使える精巧さ。あやや、良い仕事するぜ。

 とまぁ、そんなわけで最近やることがなかったこのミズチの整備をやるがてら、オレはイヤホンから聞こえる音に意識を集中していた。

 別に音楽を聴いているわけではない。

 ましてやご近所さんを気にしてテレビにイヤホンを繋いでいるわけでもない。

 ――盗聴。

 聞こえは悪いが、まぁ一応綴の依頼通りにその仕事を全うしてるわけだ。

 そして盗聴となれば、当然どこかに盗聴器を仕掛けているわけだが、その場所はこの部屋の真下、キンジの部屋である。

 正直あのアリアの警戒具合から盗聴器の設置など不可能に思われたわけだが、そこはうまい具合に潜り抜けた。

 『お土産』ってことでな。

 昨日、オレが白雪にあげたあのレオポンぬいぐるみ。あの中に仕込んでおいたわけだ。

 触られてもわからないように中の素材をわざわざ高反発仕様にしたくらいだ。まずバレんだろ。

 ついでにキンジにあげた魔除けの御守りの中にも発信機を仕込んでおいた。

 こっちは屋外活動における保険だがな。

 キンジには一応常に持ち歩くように言っておいたし、今はキンジあるところに白雪ありな状況だからミスではないはずだ。

 そんなわけで盗聴器から聞こえてくる音に意識を集中していたのだが、ちょいとぬいぐるみの中身が悪かったのか、正直聞こえが良くないためかなり集中しないとまともに聞き取れなかったりする。

 つまりミズチの整備が完全にストップである。片手間では無理だ、こんな作業。

 一応聴音弁別――音だけで判別する技術――なんかも授業に組み込まれているため、集中さえしていれば大丈夫なのだが、BGM程度で聴くはずだっただけに誤算である。

 ぱたぱたぱた。

 そんな反省をしつつ聴いていると、誰かの足音が聞こえてきた。

 足音から察すると歩いてはいない。駆け足気味だな。

 

『――キンちゃん!? どうしたの!?』

 

 次に聞こえたのは白雪の声。

 盗聴器からだいぶ遠いみたいだ。聞き取るのも辛いぞ

 

『は、はっ!? な、なんだよ急にっ!?』

 

『えっ、だ、だって、キンちゃんが……で、電話』

 

『――電話?』

 

『す、すぐ来いって言って、急に、切っちゃったからっ』

 

『電話なんかかけてねーよ!』

 

『確かにキンちゃんだったよっ、非通知だったけど――「バスルームにいる!」って!』

 

『シャワー浴びながら電話がかけられっか! なんでそんなヘンなことが起きる!』

 

『で、でも、で、でん、でんでん――!』

 

 どうやら白雪の携帯にキンジから電話があったらしいな。

 だがそのキンジはシャワーを浴びていて、電話なんてかけられる状態ではなかったと。

 なんとも不思議な現象だ、程度で済ませるのは簡単だろう。

 だがしかし、オレはこの手の『やり口』に憶えがある。

 奴は相手の行動を制限、操作するためにいくつかやり口があるのだ。

 1つは脅迫メール

 従わなければ大切な人間を殺す、などと言ったモノを誘拐対象に直接送り付ける手段。

 2つ目は変声術による人物なりすまし。

 こちらも電話で直接やる手口なのだが、偽者だということを疑う余地すらないほど似ているらしい。

 しかし、これだけで魔剣が白雪の身に迫っているという確信に至るにはまだ些か弱い。

 オレが確信に至る時、それは白雪の行動に『変化』が生じた時だろうな。

 

『おあいこ!』

 

 やべっ、集中切ったから会話が飛んだ。今のは白雪だが、何がおあいこなんだ?

 

『キンちゃんも私のお着替えを見れば、公平になるんだもん!』

 

『――はっ!? ま、待て! それはちっとも公平とかそういうことじゃねえ! 脱ぐな!』

 

『脱ぐ脱ぐ脱ぐぅー! 平気なの! キンちゃん様になら見られても平気なの! むしろ平気なの! だから安心してくださいーっ!』

 

 ……脱いでんの!?

 くそっ、今からベランダから覗きに……

 

「何してるんです京夜先輩?」

 

「うおっ!?」

 

 イヤホンから聞こえる誘惑に負けそうになってベランダのカーテンに手を掛けたオレは、そこでタイミング良く入浴を終えた寝巻姿の小鳥に声をかけられ動きがピタリと止まる。

 

「バカキンジぃいいいい――――!!」

 

 バスバスッ!!

 それとほぼ同時に、下の部屋からそんなアリアの怒鳴り声と銃声が聞こえてきた

 

「……小鳥。お前は命の恩人だ。もう少しでオレはこの世からおさらばするところだったよ」

 

 オレは言いながら小鳥に近付き両肩をガシッと掴んで真面目な顔をした。

 マジで危なかった。2つの意味で。

 

「あ、あの……京夜先輩。なにやら下の階のお部屋から物騒な言動と止まない銃声が聞こえるんですが……」

 

「気のせいだ。オレには何も聞こえないぞ。さて、明日も学校だ。良い子はもう寝る時間。オレも今日はもう寝る。寝室へレッツゴーだ」

 

「え、あ、あの京夜先輩、まだ10時ちょっと過ぎ……」

 

 小鳥が何か言っているが、もうそんなのどうでも良い。

 今は一刻も早く下の部屋で起きている修羅場を忘れて寝たい。

 願わくば覗きに行こうとしたオレの存在を忘れ去りたい。

 結局その日はそのままキンジを供養しつつ床に就いたのだった。



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Bullet9

 あの珍騒動から数日。

 その一件でキンジが男子寮のベランダからすぐ下の東京湾にダイブして翌日に風邪を引いたりなどがあったが、それ以外は平和そのもので、アドシアード開催の準備も着々と進み、白雪の身にも何事も起こらなかった。

 だから……『こういうこと』になる可能性を今はすでにベストコンディションのオレにも考えられたわけで、これすらも魔剣の思惑の内なのだと想像しただけで鳥肌が立ってしまう。

 そんなオレは現在、強襲科の施設の屋上へと出る扉の横に座っていた。

 目的としてはここでアドシアード閉会式のチアの練習をする女子を観賞……もとい見学するためだったが、まぁそれは表向き。

 本当はそのチアの監督をする白雪をそれとなく観察するため。

 でまぁ、それも終わってさっさと施設を出るのかと思ったのだが、風邪から回復したボディーガードのキンジが仕事を放って屋上へと行き、その少しあとにアリアがそれを追い掛けていったのだ。

 気にならないわけないだろ?

 

「いざ、って、ここ数日白雪に張りついたけど何も危ないことなんて無かっただろ! こうなりゃもういっぺん言ってやる! 敵なんて、魔剣なんて、いねえんだよ!」

 

 それで来てみたらこんな話が始まってるわけだ。やれやれだな。

 

「お前が一刻も早く母親――かなえさんを助けたいのは分かってる。でもな、今のお前はそのために平常心を失ってんだよ! 敵の一員かもしれない『魔剣』って名前を聞いた時、お前はその敵を『いてほしい』って思っちまったんだ。それでいつの間にか、自己暗示ってやつで、『いる』ような錯覚に陥ってんだよ!」

 

「――違うっ! 魔剣はいる! あたしのカンでは、もう近くまで迫ってるわ!」

 

 この2人って、仲良くしてる時があるんだろうか?

 いやないな。何故か確信を持って言える。

 ただ、今回はこれが『悪い方向』に転がりそうだ。つまりは魔剣にとっての『良い方向』にな。

 もちろんオレは魔剣が『いる』と信じてる。

 たとえキンジが何を言おうとそれは変わらないし、『いない』という『証拠』もないのだから。

 まぁ、キンジの言うように逆も然りだがな。

 

「そういうのを妄想っつーんだよ! 白雪は絶対大丈夫だから、どっかいけ! アドシアード終了まで、あとは俺が1人で白雪のボディーガードをやってやる!」

 

「なによそれ! ――あったまきた! そうよねそうよね! あたしはあんたたちにとってジャマな、妄想女だもんね! 依頼人とボディーガードのくせに! ふ、ふ、服を脱がし合ったり……サイッテー!」

 

「そ……その事だってそうだ! お前は何でも思い込みの独断で事を進めすぎなんだよ! ちょっといい家に生まれたからって、いい気になんな! お前は天才かもしれねーけどな、世の中は俺たち凡人が動かしてんだ! お前はズレてんだよ!」

 

 いい家?

 ああそっか。アリアは確か『H家』……『ホームズ家』の4世だったか。

 オレにとってはどうでも良かったから忘れてたな。

 しかし、こいつは何か考えないと事が起きてからじゃ対処できないぞ。

 キンジ1人でボディーガードなんて不安で仕方ない。

 となるとオレは……

 

「あんたも……そうなんだ。そういうこと言うんだ」

 

 ……ん?

 なんかアリアの声が弱々しくなったな。

 

「みんな、あたしのことを分かってなんかくれないんだ。みんながあたしのことを、先走りの、独り決めの、弾丸娘――ホームズ家の欠陥品って呼ぶ。あんたも――そう!」

 

 みんな……か。

 きっと色々あったんだろうな。

 オレにはその苦悩は理解できないが、『似たような経験』はした事がある。

 自分の意志を一切認められず、否定しかされない苦痛……まるで自分という存在を否定されたかのような、あの感覚。

 オレは昔のことを思い出しつつ、無意識の内に手に力が入ってしまっていた。

 

「あたしには分かるのよ! 白雪に、敵が迫ってることが! でも、でも、それをうまく説明できない! 偉大なシャーロック・ホームズ曾お爺さまみたいに、誰にでも分かるように、状況を論理的に説明することができない! だからみんな、あたしを信じてくれなくて――あたしはいつも独唱曲(アリア)で――でも、でも、直感で分かるのよ! こんなにあたしが言ってるのに、どうして! どうしてあんたは信じてくれないのよ!」

 

「……ああ、分かんねえよ! いもしない敵が迫ってるなんて、信じられるか! 主張があるなら証拠を出せ! それが武偵だ! 何度でも言ってやる! 敵なんかいねえ!」

 

「――この――この、どバカ! バカバカバカバカバカ――――――ッ!!」

 

 そんなアリアの叫びのあと、ばきゅばきゅばきゅばきゅきゅ!! と銃声が。

 本当にところかまわずぶっ放すよな。

 

「キンジのバカ! バカの金メダル! ノーベルどバカ賞ー!!」

 

 ばきゅばきゅばきゅばきゅきゅ。

 さらにぶっ放したかと思うと、突然横の扉が開き、オレは勢い良く開かれた扉と後ろの壁に板挟みにされてしまった。いってーなちくしょう!

 それに涙目になりながら勢い良く扉を開いて階段を下りていった人物を見たオレ。アリアだ。

 おっと、痛がってる場合じゃないな。

 オレはすぐに頭を切り替えて立ち上がり、アリアのあとを追いかけた。

 だがまさかあのアリアが依頼を放棄とはね。過去のデータにもないことだぞ?

 なにせ依頼達成率99%なんだから。

 ちなみに残りの1%はキンジの強猥が原因らしい。記録にはないが。

 にしても足速いなアリア。

 結構マジで走ってんのになかなか差が縮まらない。もう叫ぶか。

 

「待てアリア! ちょっとストップ!」

 

 オレのそんな声が届いたのか、アリアは強襲科の出入口付近で足を止め後ろを駆けていたオレに振り返った。

 

「……京夜?」

 

 オレに呼び止められる理由が見当たらなかったアリアは、追いついたオレを不思議そうな顔をして見ていた。まぁそうなるよな。

 

「用があるなら手早く済ませて。あたしはこれからやることがあるから」

 

 ……ん? やることがある? なんか変な話じゃないか? アリアは依頼を放棄したはず……

 

「あー……んー……とりあえず2人きりで話せる場所に移ろうか」

 

 不思議な言動を見せたアリアにオレが混乱しかけたので、とりあえず自分が落ち着くためそんな提案をして、近くのファミレスに行くことになった。

 ファミレスに移動したオレとアリアは、隅のボックス席に着いてテキトーな注文を取ってから話を始めた。

 

「あたしやることあるって言ったわよね?」

 

「なら断れば良かっただろ。別に強制はしてない」

 

「京夜が引き止めてまでする話なら、聞く価値はあると思ったのよ」

 

「そりゃどうも」

 

 なら最初に文句を言わないでくれ。口には出さないが。

 

「さて、まずは確認をするか。さっき強襲科の屋上でキンジとの会話をこっそり聞いてたわけなんだが……」

 

「やっぱりね。引き止めるタイミングがおかしかったもの。でも盗み聞きは良くないわ。たとえそれが専門でもね」

 

「んー、これでも考えて動いてるからな。咎められると困る」

 

「考えて動いてる?」

 

 アリアは言って首を傾げる。

 まぁそれが普通のリアクションだな。前にボディーガードを断ってるし。

 

「まぁそっちをいま話すかはこれから決めるよ。んで、キンジとの会話から察するとアリアはボディーガードを止めたように聞き取れたんだが……違うのか?」

 

「そう思わせたのよ。魔剣にね。あいつは確実に白雪に近付いていて、常に監視してる。だからあたしが1度ガードから外れたように見せるためにキンジと喧嘩したフリをしたの。まぁ、ムカついたのは事実だけど」

 

 ……なるほど。

 だが綱渡りでもあるぞ。なんて言ったってあのキンジ1人にボディーガードをやらせるんだから。

 

「魔剣の動くタイミングを作り出すってのか? ずいぶんと危険な作戦だな」

 

「白雪は絶対守るし魔剣も捕まえる。それで解決よ」

 

 どんだけ自分に自信あんだよ、アリアさん。

 だが確かに裏で動いてるオレの独自の警戒網にもかからないような奴と睨み合いを続けるのは消耗戦になる。それも守る側が不利な、だ。

 アリア、それとレキもか?

 この2人が白雪から離れれば、魔剣ももしかすれば仕掛けてくるかもしれない。

 それにアリアには魔剣を『逮捕』しなければいけない理由がある。追い払ってはダメなんだ。

 

「まぁとにかく、アリアが依頼を放棄したわけじゃないなら安心ってところか」

 

「武偵憲章2条。依頼人との契約は絶対守れ。あたしは引き受けた依頼は投げ出さないわ」

 

 立派ですこと。

 さて……こうなったならアリアにオレの事情を話しても問題なさそうだな。

 オレとしても緊急時にバタバタするのは嫌だったし、事前に打ち合せができるのはありがたい。

 

「そういうことなら話すよ。オレが会話を盗み聞きしてた訳をな」

 

 そこでひと呼吸置いてから、オレはアリアに白雪のボディーガードを影ながらしていたこと、白雪自身にもそれを知らせていないことを説明した。

 話を聞いたアリアは案外落ち着いていて、驚きはさほどなかったようだった。

 おそらくここに来るまでとその前の話で勘づいていたんだろう。大したカンだよな、まったく。

 

「それで? あたしにそれを教えて京夜は何がしたいの? 急にあたしの動きが変化したら、魔剣に怪しまれるかもしれないわよ」

 

「特に何かしてほしいわけじゃない。ただアリアがこれから白雪やキンジから離れるなら、教えておいて損はないだろ? 緊急時にはアリアの手札(カード)としてオレを使える」

 

 そう話すとアリアは顎に指を当ててしばし沈黙。何かを考えているようだ。

 その間に注文した物――オレがブラックコーヒーとショートケーキでアリアがパフェ――が届けられ、話は食べながらに変わった。

 

「まぁ……あむ……京夜を使えるのは……あむ……あたしとしても心強いわね……はむ……レキもあんたのことは……はむ……見込んでるみたいだしね」

 

「食うか話すかどっちかにしろよ」

 

 パフェを食べながら話すアリアに軽くツッコミを入れつつ、オレはショートケーキにフォークを入れ口に放りコーヒーを飲む。

 

「だが、オレを使えるのは実際に何かあった時に限るぞ。何もなければそれに越したことはないわけで、教務科……つーか、綴も保険としてオレに依頼してるしな」

 

「わかってる。でも京夜には近々動いてもらうことになるわ。あたしのカンが正しければね。それまでは京夜も今まで通りに依頼をこなしなさい。魔剣はイ・ウーでも……はっ!」

 

 アリアはそこまで言いかけて口を閉ざす。

 おそらくイ・ウーの名前を口に出したからだろう。

 

「……イ・ウーについてはオレも名前ぐらいは聞いてる。危険がないレベルの話ならしても大丈夫だよ」

 

 それにはアリアも「へっ?」などと間抜けな声を出していた。

 

「そ、そうなんだ。さすが京夜って言うのかしらね。じゃあ改めて。魔剣はイ・ウーでも指折りの策士なの。だから魔剣の計画に狂いを生じさせる存在は大きいわ。頼りにしてるからね」

 

 それでアリアはニコッと笑顔をオレに向ける。可愛いなこのやろう。

 そして話し終えてパフェを黙々と食べたアリアは、自分の分の会計をしてそそくさと帰っていってしまった。

 そういや、やることあるって言ってたしな。

 思いつつオレはまだ半分も食べてないケーキをのんびり食べていく。

 さて、オレも白雪のボディーガードに戻るか。

 アリアとも繋がりを持てたし、収穫としては上々。

 あとは何も起こらないことを祈りつつ、気を抜かずに依頼を全うするだけ。

 

『……5月5日、東京ウォルトランド・花火大会……一足お先に浴衣でスター・イリュージョンを見にいこう……?』

 

 その夜、小鳥の指導を終えてから、すでに日課になりつつある盗聴を開始していたオレは、イヤホンから聞こえてくる白雪とキンジの会話に意識を集中していた。

 

『行け』

 

『えっ!』

 

『そんな驚くことじゃないだろ』

 

『だ、だめだよ、こんなに人が沢山いるところ……私……』

 

『心配するな。ウォルトランドには入らなくていい。少し遠くなるが、葛西臨海公園から見ればいいだろ。1日ぐらい、外出のトレーニングだと思って学校から出てみろ』

 

『で、でも……私……』

 

『……俺もついてってやるよ。ボディーガードとしてな』

 

『キ……キンちゃんも、一緒に……?』

 

『ああ。一応それ、アドシアード前だしな』

 

 ……どうやら仲良くお出かけらしいな。

 こっちはずっと気を張ってるのに、呑気なことで。

 そう思いつつオレはイヤホンを耳から外すのだった。

 世はゴールデンウィークに突入。この連休が明ければアドシアードも開催される。

 そんな連休中の5月5日夜8時過ぎ。

 オレは花火を見に外出したキンジと白雪を尾行していた。

 尾行と言ってもドラマとかであるあんな怪しげな感じではなく……

 

「京夜先輩っ! 花火、楽しみですね!」

 

「そうだな。あんまりはしゃいで転ぶなよ?」

 

「大丈夫ですっ! 京夜先輩に迷惑はかけません! ねー、昴っ!」

 

 戦妹の小鳥と一緒に同じ場所、葛西臨海公園に向かっているのである。

 こうすることで万が一鉢合わせになっても誤魔化しが利くし、どこかで監視してるはずの魔剣の目からも逃れられる……はずだ。

 そして花火を見に行くと話した時の小鳥のはしゃぎようが異常で、どこから引っ張り出したのか、浴衣まで着てきた。

 浴衣はピンクの生地にひまわりの柄をあしらったモノで、赤い帯。可愛いタイプの小鳥には似合ってると思う。

 実際に似合ってると言ったら顔を真っ赤にして「あ、ありがとうございましゅっ!」って噛んでたし、あれは笑えた。

 そこでつい思い出し笑いをしてしまったオレは、隣を歩く小鳥に不思議がられてしまう。

 

「何かおかしなことでも?」

 

 オレを見上げながらそう尋ねる小鳥はとても可愛らしくて、つい頭を撫でたくなる。というか撫でてしまった。

 

「いや、さっきの小鳥の噛み噛みの台詞を思い出してな」

 

「あう……ひ、酷いです京夜先輩! 私は恥ずかしかったんですよ!」

 

「いやいや、小鳥らしくて良かったぞ?」

 

「良くないです!」

 

 それで小鳥はオレの前に立ち塞がり頬を膨らませる。

 

「わ、私は確かにテンパりやすいとは思いますけど、好きで噛んでるわけじゃないんです!」

 

「わかったわかった。だからとりあえず歩くぞ。肝心の花火を見逃す」

 

 切実な小鳥の言い分を軽く流しつつ、オレは言いながら小鳥の体を180度回転させてその背中を押して歩き始めた。

 小鳥はそれに慌ててわたわたしたが、すぐにオレの隣に移動して歩き始めた。

 そんなこんなでモノレールやら電車やらを乗り継いでポンポンと葛西臨海公園までやってきたわけだが、一応持ってきたキンジ限定発信機の現在地がまだ葛西臨海公園駅。

 どうやら追い抜いていたらしい。テキトーな尾行だなオレよ。

 まぁ、遅からずここに来るわけだしいいか。

 オレがそう思いながらこの公園で花火が見えるであろう人工なぎさに向かっていると、いつの間にか小鳥が近くの売店で買ったであろう缶ジュースを横を歩きながら差し出してきた。

 できた戦妹だなおい。帰りになんか奢ってやるか。

 貰いつつ人工なぎさへと出たオレと小鳥は、近くに備えてあったベンチに腰を下ろして缶ジュースを開けて花火を見始めた。

 のだったが、花火は見始めてから数分で終わってしまい、なんだか味気ないものになってしまった。

 キンジ達に合わせたらこれだ。時間にルーズなんだよキンジ!

 

「……終わっちゃいましたね、花火……」

 

「……すまん。時間にミスがあったみたいだ」

 

 いや、オレにミスはない。悪いのは7時に出かけるはずだったあの2人が8時に出かけたからだ。

 

「で、でも私は京夜先輩と2人きりでお出かけできてすごく嬉しかったんですよ! あっ、昴もいますが。これはホントにホントですから!」

 

「ありがとうな、小鳥。だがその優しさは時に大きなダメージを与えるんだ。覚えておけ」

 

 今のオレは申し訳なさMAX。小鳥の優しさが逆にダメージになっていた。

 そんなやりとりをしていると、やっと来たキンジと白雪の姿を遠目に発見した。

 あちらはまだオレ達に気付いていないようだ。

 まぁ、外灯があるとはいえ暗いし、オレも小鳥も武偵高の制服を着ていないからぱっと見なら気付かれないだろう。

 あれは外では色んな意味で目立つから困る。

 

「そういえば小鳥の両親って、ずっと海外を飛び回ってる探偵なんだよな? なんか面白い話とか聞いたりしてないのか?」

 

 オレは白雪とキンジを観察がてら、小鳥に話題を振って自然な感じを作る。

 

「えっと、そうですねぇ……うちのお父さんとお母さんも私と同じで動物のパートナーがそれぞれいるんですけど、先月その子達が……」

 

 小鳥が楽しそうに話し始めたのを聞きながら、時折視線だけキンジ達に向けて観察していると、あろうことかキンジの奴、白雪から離れてどこか行きやがった! あんのバカが!

 そう思ったのも束の間、キンジの制服の上着を羽織った浴衣姿の白雪は、近くにあったベンチに座って数秒、おもむろに携帯を取り出して開いた。

 どうやらメールを読んでるようだが、表情が見えない。

 しかしメールを読んでいた白雪の動きがピタリ。時間が止まったかのようになっていた。

――魔剣は相手に脅迫メールを送る。

 この情報が頭をよぎったオレは、小鳥にトイレとだけ言って離れて、公園の公衆トイレから白雪に連絡を取ってみた。

 

『猿飛くん? こんな時間にどうしたの?』

 

 普通の反応……か?

 

「今日はやけに下が静かだと思ったら、誰もいないのな。キンジとデートか?」

 

『……ううん。キンちゃんに連れられて花火を見に来たの。見られなかったんだけどね』

 

 ……これはおかしいな。

 いつもの白雪ならキンジとデートか? なんて聞かれたらテンパりまくってなに言ってるかわからなくなるはずだ。

 

「そうか。オレ的にはもう少し静かな夜を過ごしたいから、ゆっくり帰ってこい」

 

『キンちゃんにもそう言っておくね』

 

「おう、それじゃあな」

 

 ……ふう。これで確定か……

 白雪は魔剣に狙われている。それが今確定した。

 となると動きがあるのはアドシアードの期間中かそれに近い頃。

 武偵高のセキュリティーが下がる期間と見て間違いないな。

 アリアは始めから魔剣がいると言っていたから、改めて連絡を取る必要はないか。

 それにあまり動きすぎれば魔剣にオレの存在を気付かれる。

 いや、すでに気付かれてると思って行動した方が良さそうだな。

 オレはそう考え至ってから、小鳥の元へ戻って帰路についたのだった。

 そして……アドシアード開催……



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Bullet10

 ……忙しいっ! なんだこれ!?

 アドシアード開催に合わせて入場口でパンフレット配りをしていたオレは、次々に来場する人の波に対応を追われていた。

 

「ご来場ありがとうございます! こちら学園島のパンフレットになります」

 

 いまさら思うが、なんでこんな物騒な祭りに人が集まるのか不思議でならない。

 やってる競技なんて狙撃競技(スナイピング)やら拳銃射撃競技(ガンシューティング)やらだぞ。

 確かに日常生活でそんなもの見る機会なんて日本にはほとんどないが、それにしてもだ。

 それにこのパンフレット配りにしたって、オレみたいな無愛想な奴がやるより、近くでパンフレットを配るモデル並みのスタイルとルックスの武藤貴希みたいなのが全員やればいいと思う。

 実際オレと貴希の周りの人の数は雲泥の差……というか貴希の前に男どもの行列ができてるんだが?

 などと思いつつ忙しいことに変わりないパンフレット配りを黙々と営業スマイル全開でやっていると、少し気が付いたことがあった。

 

「お兄さんありがとうっ!」

 

「ありがとうございまーす」

 

 何故かオレの元に来るのが小中学生だと言うことだ。しかも女子。

 パンフレットを貰った女子中学生なんかは「今の人なかなかだったよね?」「うんうんっ」などと話していた。

 そういや前に不知火に「猿飛君って、普通の学校だったら女の子にモテるだろうね。武偵高は実力主義なところあるから仕方ないけど」とか、理子にも「キョーやん素材はいいから」とか言われたか。

 ……嬉しくない。人に好かれようと思ってない側としては迷惑極まりないぞ。今から営業スマイルやめるか。

 だが何故年下ばかり……オレは何で年下に好かれるんだ?

 京都にいる『あの子』も1個下だし……オレに何か特殊な能力があるとか?

 そんな疑問を抱きつつ、最初の混雑を乗り切ったオレは、入場口前のテントに避難して休憩していた。

 

「京夜先輩っ! お疲れさまですっ!」

 

 そこに同じく休憩中の貴希が、紙コップに入ったお茶を渡しつつ隣に座った。

 

「貴希の方がお疲れだな。男共が群がってただろ」

 

「京夜先輩も女の子に囲まれてたじゃないですか」

 

 どうでもいいがこの貴希。キンジや他の先輩には平気でタメ口なのだが、何故かオレには敬語を使う。

 少し砕けた感じではあるのだが。

 

「囲まれてない。目が腐ったか?」

 

「腐ってません! これでもちゃんと京夜先輩を見てま……!」

 

「みてま?」

 

「うっ、今のなし! 問い詰めたら轢いちゃうぞ?」

 

 出た。武藤兄妹の口癖「轢いちゃうぞ」。兄貴は「轢いてやる」だ。

 

「ふむ、轢かれたくはないな。オレはそっちの趣味はないし」

 

「どんな趣味ですか……」

 

「それはそうと、ちょっと参考までに貴希に聞きたい。オレはこう……年下の女子から見たら、見た目がいいのか? パンフ配りしてて疑問に思ったんだが……」

 

 変な方向に話が進みそうになったので、とりあえず話題を変えてみることにした。

 しかしそんなオレの質問に貴希は赤面し顔を伏せてしまう。何でだオイ。

 

「京夜先輩は……その……一部では『反面教師』って言われてますけど、それを抜きにしたら女子の間では割と人気でして……最近では戦妹の橘さんが1年の女子達に京夜先輩が実は凄いって自慢気に話したりしてて……」

 

 小鳥……帰ったら尋問だな。

 それにしてもまさか『反面教師』の称号があってもというのは……

 ちなみにオレは実践授業でほとんどドベの成績なため、武偵高……特に同学年には『反面教師』の称号を与えられている。

 だから自分が密かに女子に人気がある事実には正直驚きである。

 

「なるほどな。だがオレが年下に好かれる理由が見えん。この疑問は迷宮入りか……ちなみに貴希はオレのことどう思ってる?」

 

「は、はい!? 私はその……お兄ちゃんとも仲良くしてくれますし、私にも優しくしてくれるので、その……好……」

 

 貴希がそこまで言いかけると、入場口にまた人の波が来たようで、オレと貴希にもヘルプが入る。

 

「悪い貴希。話はまた後でな」

 

「あ……はい……」

 

 何で落ち込む貴希よ。オレが何かしたか?

 そんな残念そうにする貴希を見て、オレは手を引っ張り立ち上がらせる。

 

「ほら、そんな顔でパンフ配ってたら来場者に悪い印象与えるぞ。オレは貴希の笑ってる顔、好きだぞ?」

 

「す!? 好き!?」

 

 そう言ってやると貴希は途端に赤面したかと思うと、今度はにへらぁと緩んだ顔になる。表情豊かだな。

 

「よーし! 頑張りますよ、京夜先輩!」

 

「お、おう」

 

 それで貴希のエンジンに火が点いたらしく、そのやる気に満ちた笑顔にオレは気持ちで圧されてしまった。

 時間は11時過ぎ。

 地獄のようなパンフ配りを終えたオレは、貴希と少し話してからアドシアード準備委員会のテントが見える建物の屋上に移動して、別れ際に貴希が差し入れてくれたサンドイッチを食べていた。

 理由は簡単。そのアドシアード準備委員会の委員長が白雪で、朝からずっとそこにいるからだ。

 今も忙しそうに生徒達に指示を出しながら動いている。相変わらずの優等生ぶり。オレには絶対無理だな。

 など考えながらサンドイッチ片手に携帯を開いていたオレは、そこに映るこの近辺の地図とその中に点滅する赤い点を見て苛立っていた。

 

「バカキンジが。白雪から離れやがって」

 

 点滅する赤い点はオレがキンジにあげた魔除けの御守り……の中に仕込んだ発信機。

 それは現在、白雪のいる場所からかなり離れていた。

 案の定、『魔剣がいない』と思ってるキンジの油断が行動に出た結果だろう。

 だがまぁ、これでアリアの作戦はほぼ成功。1人になった白雪を見逃す魔剣ではないだろう。

 あとは出てきたところを『無事に逮捕できるか』という最大の難関をクリアするだけ。

 言うのは簡単だが、相手は今まで人前に『姿すら見せたことがない』強敵、魔剣。一瞬の油断や判断ミスが結果を変える。

 オレも慎重に、そして場合によっては大胆に立ち回らなきゃいけない。

 キツい任務を請け負っちまったよ、まったく。

 時間は昼の3時を回った。

 未だにキンジは白雪から離れて開会式会場辺りにいるし、白雪にも異常はない。

 何もないのは良い事だが、逆に何もなさすぎて不安になってくる。

 集中の切れかけたオレが大きなあくびをしつつ空を眺めていると、なにやらこちらに近づく鳥の姿が目に入った。

 あれは昴だな。よく見ると左足に布切れが付いてる。小鳥からの伝言か? 連絡なら携帯でしてくりゃいいの……

 オレはそこまで考えて頭を覚醒させ昴を招き、足から布切れを取って内容を確認する。

 ――兆しあり。注意されたし――

 布切れにはそう書かれていた。

 小鳥は聞くとアドシアード準備委員会の一員だったらしく、アドシアード期間中は白雪の近くにいることが多いと昨夜になってわかった。

 そこで昨日、小鳥には白雪が自分から持ち場を離れようとしたりしたら内密に昴を使って伝えるように言っておいたのだ。

 これはオレが白雪のボディーガードにつけない時――アドシアード開催時――の保険だったのだが、良い刺激になった。おかげで眠気が吹き飛んだ。

 ちなみに小鳥には依頼について話していないが、必要あってのことと話したら快く了承してくれた。

 本当に良い子だよ。今度何かお願いでも聞いてやるか。

 そうして改めて白雪の監視に集中していったオレは、その1時間後に行動を開始することになる。

 時刻は夕方4時を回る頃、白雪が誰も引き連れずにテントから離れた。行き先はSSRの専門棟のある方向。

 さて、どこに行く白雪よ。

 オレは白雪を見失わないように屋上をあとにして、その跡を追った。

 白雪は始め、SSRの専門棟に入ったかと思うと、十数分で出てきてまた違う場所へ。

 その際に武偵高の制服から巫女装束に着替えて、さらに手には日本刀が。

 確かアレは『イロカネアヤメ』とかいう星伽に伝わる名刀って前に話してた気がするぞ。そんなもんを持ってどこに行く、白雪。

 改めて白雪の跡を追い始めた矢先、突然携帯にメール着信が。

 白雪を追いつつメールを確認すると、武偵高の周知メールだ。

 ――ケースD7。

 その暗号が意味するところは、『アドシアード期間中、武偵高内で事件が発生したことを意味する』もの。

 その中でD7は『事件であるかは不明確で、連絡は一部の者のみに行く。なお保護対象者の身の安全のため、みだりに騒ぎ立ててはならない。武偵高もアドシアードを予定通り継続する。極秘裏に解決せよ』というもの。

 タイミング的にどうやら白雪のことらしいな。

 おそらくあの花火大会の夜、魔剣に『抵抗すれば誰か殺す』とでも言われたのだろう。

 その際に『誰にも何も告げるな』と付け加えられてな。

 オレは携帯をポケットにしまいつつ、どんどん学園島の中心から離れる白雪の跡を追い続けた。

 白雪がやってきたのは、武偵高で3大危険地域に数えられる地下倉庫(ジャンクション)に繋がる通路だった。

 一般の学校なら危険なんて皆無だろう。だがここは武偵高。

 授業で銃弾やらなにやらを大量に使うここの地下倉庫はいわば火薬庫。

 こんな場所で銃をぶっ放して誘爆なんてしてみろ。学園島が吹き飛ぶぞ。

 そんな通路の中に入っていった白雪を見ながら、オレはどうするべきかを考えていた。

 アリアにはとりあえずメールで知らせるとして、問題はあのバカキンジに知らせるかどうかだ。

 発信機が未だに動いてないところを見ると、あいつ周知メールにも気付いてないぞ。寝てんのか、こら。

 時間はもうすぐ5時になるな。

 チンタラやってると白雪が連れ去られる。かといってオレが先陣切るわけにもいかん。

 いきなり魔剣の『想定外』が起きては、かえって状況を悪くしかねない。

 ……仕方ない。バカキンジにも知らせるか。

 そう考え至ってまずアリアにメールを送り、次にキンジに連絡を入れようとすると、やっと発信機が動き出した。おせーよバカキンジ。

 だが発信機はしばらく動くとその動きをピタリと止めた。おそらくアテもなく走り回っていたのだろう。焦っても仕方ないだろうに。

 それにケースD7だ。極秘裏に動かなければならない。

 ――タァーン……

 そんな時に遠くの方からわずかに銃声が聞こえた。

 音のした方角や大雑把な距離を割り出してみると、その辺りの範囲には狙撃科の専門棟があるな……って、だからなんだって話だ!

 かなり集中してるからどうでもいいところにも意識が行く。

 それからキンジに連絡を入れてみると、誰かと通話中らしい。

 誰だ? すると数秒の内に同時回線通話に切り替わりキンジと繋がる。

 

「お取り込み中か? キンジ」

 

『京夜さんですか?』

 

 ん? この無機質で抑揚のない独特の声は……レキか。

 

「相手はレキか。しかしこのタイミングでする話となると……」

 

『はい。冷静さを欠いていたようでしたので、今キンジさんには強引ではありましたが落ち着いてもらいました』

 

 強引に落ち着かせた? 今?

 

「……撃ったのか?」

 

『はい。街灯に1発』

 

「……手間が省けた。サンキューな、レキ。それじゃあ、落ち着いたキンジ君に朗報だよーっと」

 

『な、なんだよ?』

 

「白雪の居場所について」

 

『ど、どこだ!?』

 

「地下倉庫に繋がる道に入ったのを確認してる」

 

『キンジさん。私もその近くの海水の流れに違和感を感じます。第9排水溝の辺り』

 

『マジか……わかった。ありがとうレキ、猿飛。今向かってみる』

 

「おう、頑張れや」

 

『……ところで何で猿飛がそんなこと知って……』

 

 ……レキよ。お前は狙撃科の専門棟から学園島外周の排水溝の流れまで見えるのか。化け物だな。

 キンジに無駄な質問をされる前に通話を切ったオレは、レキの超人能力にため息を吐きつつ、アリアから「了解」とだけ返ってきたメールを確認してから、今の自分の装備の確認を始めた。

 ミズチは……整備のおかげで音なく使える。異常はない。クナイは……8本。小刀は……ある。万能ツールもオッケー。

 中は火薬の山だ。クナイは投げると危ないから温存。使えるのは小刀とワイヤー、万能ツールか。

 おそらく事前にエレベーターなんかの手段は使えないようにされてるはずだから、オレは諜報科らしく中に入りますか。

 そしてオレは、キンジより少し早く地下倉庫内部へと侵入していった。

 武偵高の地下は船のデッキみたいな多層構造になっていて、地下2階からが水面下になる。

 とりあえずそこまでは階段で音なく駆け下り、その階にある立ち入り禁止区域に続くエレベーターを確認したが、白雪が使用したような痕跡はあったものの、やはり動かなくされていた。

 予想してたし使う気もなかったからな。別ルートから行きますか。

 しかし地下倉庫は地下7階。

 浸水用の隔壁などを兼ねる非常扉くらいしかエレベーター以外に降下手段がないのは痛い。

 それにオレがアリア達と合流せずに地下倉庫に行っても仕方ない。

 ここはアリアとキンジを信じて『先手』を打っとくか。

 考えながら変圧室に入り、そこにある3重の隔壁を開け非常ハシゴを下りて、また隔壁を開けハシゴを下りてを繰り返し地下6階まで到達。

 すぐ下は危険物満載の地下倉庫がある。おそらく今は白雪と魔剣もいる。

 オレは地下6階のコンピュータ室を歩きながら、その内部構造を把握していくと共に並列して思考を巡らせる。

 魔剣の計画にキンジが来ることは想定内だと考えよう。

 しかしアリアの登場はおそらく魔剣の想定外になるはず。

 そうなるとレキの情報から察して、地下倉庫から繋がる排水溝からの脱出は使わない。

 白雪も仕方ないといって切り捨てる可能性もある。たぶんなんらかの手段で3人をまとめて仕留めにかかる。

 そうなると脱出手段はオレが通ってきた非常扉か、別の排水溝しかない。効率を考えれば、すぐ上の階にある排水溝が定石だ。

 考えながらここに1つだけある排水溝を確認した。手が加わっている形跡はない。まぁ、それならレキが気付いてるか。

 続いて下の階に続く非常扉の確認。何ヵ所かあったが、1ヵ所だけ事前にロックを開けられた扉があった。ビンゴ。

 

「んー、策士が逃走ルートを事前に作るのは確かに基本だが、相手はイ・ウー。存在が曖昧だった自分を世間に認知させる可能性を残して逃走するか?」

 

 そうなるとアリア達を確実に仕留め、それを自身で確認する。

 聞けば魔剣は剣の達人とか。1対1ならアリアクラスの化け物と考えていいだろう。

 こう予測すると、地下7階でまとめて仕留めるための仕掛けがあって、ここ地下6階は唯一の逃げ道として各個撃破に用いるといった形か。

 このコンピュータ室は機材が乱雑に置かれていて、ちょっとした迷路になってるし、銃撃戦になっても盾になるものが多い。

 そんな魔剣が手を加えたであろうここに、オレが手を加えるのは危険……とは思うが、アリア達はいま綱渡りをしてる。オレがここで綱渡りしなくてどうする。

 幸いここは薄暗くて細かいところはわかりづらい。仕掛けるならワイヤートラップが一番か。

 ただ、アリア達を考慮するなら手動式の起動トラップにしないとな。

 やることを決めたオレは、ワイヤーを切ることで作動する起動トラップを天井すれすれに設置していく。床に近いとこちらの意図としない作動があるかもしれないからな。

 そうしてトラップを仕掛け終えた頃、オレ以外いないはずのこの階に人の気配がした。誰だ?

 息を潜めながら気配がした方にゆっくり向かっていたが、少ししてまた別の気配がして、そちらの方が距離的に近かったため優先順位を変更。

 懐の小刀を抜き、大きな機材越しにまで気配へと近付き、フッ……小刀を相手の首筋にあてがう。が、ほぼ同じタイミングでオレの腹に銃口を突き付けられた。完璧に気配は消したはず……って……

 

「「アリア(京夜)!?」」

 

互いに顔を確認したオレとアリアは、小声で同時に口を開いた。

 

「あんたここで……!」

 

 オレは話し出したアリアに対して、人差し指を口元に当てて静かにするようにと促した。

 

「魔剣がこの階にいるのか?」

 

 アリアはそれにこくり。首を縦に振り応えた。

 

「キンジと白雪は?」

 

 それには右の人差し指で下の階を指し示す。

 

「オレが必要になったら右手でツインテールの先を触れ。仕込みは万全だ」

 

「わかったわ」

 

「よし、行け」

 

 運が良かった。

 魔剣との対決の前にアリアと打ち合わせが出来た。具体的な説明はしてないが、アリアレベルなら咄嗟でも対応できるはずだ。信じよう。

 それから数分が経ち、下の階から何故か大量の水が出てきて、その吹き出し口付近にキンジと白雪の姿を確認。

 水が溢れ出たということは、下の階はもう水で一杯なのだろう。なるほど、浸水による溺死狙いか。

 この階にこれ以上水が入らないようにキンジが出てきた扉を力技で閉めてロック。ひとまず浸水の危険はなくなったか。

 

「――キンジ。よかった、無事だったのね……」

 

 そこにアリアが合流。

 白雪は吹き出した水に流されてはぐれてしまったようで、オレも見失っちまった。

 

「――なんで逃げなかったの。『戦わなくていい』って言ったでしょ」

 

「可愛いアリアを置いて逃げられるほど、俺は理性的なタイプじゃないんでね」

 

「……な、なによそれっ」

 

 ん? この感じのキンジは……『使えるキンジ』か。

 よしよし、状況はこちらに有利になりかけてるな。

 

「それよりアリア――魔剣は?」

 

「……まだ見つからない。あの臆病者、あたしと戦うつもりがないみたいだわ」

 

「――そうか」

 

 それから白雪と合流しようとしたタイミングで、微かな咳の音を聞き取ったオレ。

 どうやらキンジとアリアも気付いたらしい。

 

「白雪だわ。あっちにいる」

 

 それで2人は移動を開始。オレもそれに合わせて移動をしていった。

 

「……けほっ、けほっ……て、敵、は……?」

 

「姿が見えないわ。白雪、あたし達から離れないで」

 

 これでとりあえず全員合流。あとは魔剣を逮捕するだけだな。

 オレがそう思って手元にあるクナイを確認していると、なんとなくだがキンジの表情が安心していないように思えた。

 白雪と合流できたのにあの何かを警戒するような表情は……何だ?

 

「唇、大丈夫か。さっきの」

 

「うん、大丈夫」

 

「血が出てたろう。見せてみろ」

 

「ううん。大したことなかったよ。口の中を切っただけ」

 

 キンジが白雪とそんな話をした後だった。

 

「アリア逃げろ!」

 

 キンジが叫び白雪めがけて発砲したのは。



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Bullet11

 突然白雪に向けて発砲したキンジ。

 おいおい何やってる……と思ったのは一瞬で、白雪はそれをあたかも予想していたかのように白小袖でキンジの腕を弾き狙いを外してみせた。

 白雪はそれからアリアの側面へと回り込み、背後へ。

 そして隠していたであろう刀を取り出し鞘から抜く。あれは白雪のイロカネアヤメだな。

 アリアも危険を察知したようで、両手に銃を抜き白雪に振り返ろうとしたが、その首、頸動脈にピタリと刃が当てられ動けなくされる。

 

「しら……ゆき! 何よ! どう、したの!」

 

 喚くアリアの右拳に白雪はフッと息を吹きかける。

 するとアリアは短い悲鳴と共に持っていたガバメントを落としてしまった。

 さらにその落ちたガバメントの周囲がパキパキッと氷に包まれていくのを見て、オレは驚愕する。

 超能力(ステルス)……この目で見たのは『久しぶり』になるか。

 

「アリア! 違うんだ! ――そいつは白雪じゃない!」

 

 様子を見ていたキンジがアリアに叫ぶと、白雪はアリアの左手にも息を吹きかけガバメントを手放させる。

 

「――只の人間ごときが、超能力に抗おうとはな。愚かしいものよ」

 

 そんな白雪から、今度はまったく別の声色の……凛とした女性の声が発せられる。ああ……こいつが……

 

「……魔剣……」

 

 正体に気付いたアリアが凍らされた両手を胸に寄せながらそう口にした。

 

「――私をその名で呼ぶな。人に付けられた名前は、好きではない」

 

「あんた……あたしの名前に、覚えがあるでしょう! あたしは、神崎・ホームズ・アリア! ママに着せた冤罪、107年分は――あんたの罪よ! あんたが、償うのよ!」

 

 いきり立つアリアに対して、魔剣は……

 

「この状況で言うことか?」

 

 フンッ、とアリアを嘲笑っていた。

 

「それに、お前の名――たかだか150年ほどの歴史で名前を誇るのは、無様だぞ。私の名はお前より遥かに長い――600年にも及ぶ、光の歴史を誇るのだしな」

 

 ……600年前……歴史には疎いが、中世時代の有名人は……わかるかそんなの!

 ヒントがまったくないぞ! ヒントプリーズ!

 

「なるほど、お前は『双剣双銃』が――リュパン4世が言った通りだ」

 

 リュパン……フランスの大怪盗、アルセーヌ・リュパンの子孫か?

 その4世がイ・ウーにねぇ……いったいどんな悪顔してんのやら。

 今度会わせてくれよ、魔剣さんよ。

 

「アリア。お前は偉大なる我が祖先――初代ジャンヌ・ダルクとよく似ている。その姿は美しく愛らしく、しかしその心は勇敢――」

 

「ジャンヌ・ダルク……!?」

 

 だと!?

 口に出したアリアと同じことを思ったオレは、魔剣の祖先に気配が漏れそうになった。

 危なっ! とんでもないな、魔剣。だが確かジャンヌ・ダルクは……

 

「ウソよ! ジャンヌ・ダルクは火刑で……10代で死んだ! 子孫なんて、いないわ!」

 

 そうだ。ジャンヌ・ダルクは子孫なんて残せるほど長生きしていない。

 そんなの歴史にも書かれている。

 

「あれは影武者だ」

 

 それを魔剣はバッサリ切り捨てた。マジかよ……

 

「我が一族は、策の一族。聖女を装うも、その正体は魔女。私たちはその正体を、歴史の闇に隠しながら――誇りと、名と、知略を子々孫々に伝えてきたのだ。私はその30代目。30代目――ジャンヌ・ダルク。お前が言った通り、我が始祖は危うく火に処されるところだったものでな。その後、『この力』を代々探求してきたのだ」

 

 言い終わると同時に魔剣……ジャンヌはアリアの太ももに触れる。

 するとアリアの膝小僧に氷が張りつき、それにアリアも呻く。

 

私に続け(フォロー・ミー)、アリア。リュパン4世が攫いそこねたお前も、もらっていく。それとも――死ぬか? そういう展開も、私は想定済みでな」

 

「……アリア……!」

 

 それを聞いたキンジは持っていたベレッタでジャンヌに狙いを定めるが、あの位置関係じゃアリアを盾にされて、頭か手くらいしか狙えないし、何より武偵法の9条で武偵は人を殺せない。

 ジャンヌはそれがわかっててあの位置関係を作り出したのか。

 

「私の変装を見抜いたお前は『普段のお前』ではないのだろうな。警戒せねばならないのは確かだが、今のお前の弱点は『女を人質にされること』、だろう?」

 

 おいおい、『今のキンジ』と『いつものキンジ』の変化まで知ってるのか。さすがは策士。余念がない。

 

「遠山。動けば、アリアが凍る。アリアも動くな。動けば、動いた場所を凍らせる」

 

「キンジ……撃ち、なさい……!」

 

「喋ったな、アリア? 口を動かした。悪い舌は、いらないな」

 

 ジャンヌは口を開いたアリアの顎を強引に押さえ、自らの唇を寄せていく。

 冷気を口に吹き込むつもりか!

 おいアリア。使われずに終わる手札は一番惨めなんだぞ。早く合図を出せ! 死ぬぞ!

 

「――アリア!」

 

 そこに響いた別の声。この声は……白雪!

 じゃりっ!

 声のあと、ジャンヌの背後、3メートルはあるコンピュータの山から分銅つきの鎖が伸び――ジャンヌの持つ刀の鍔に巻き付き、ぐいっと引っ張られジャンヌの手から離れた。そのコンピュータの上には……

 

「キンちゃん、アリアを助けて!」

 

 白雪がいた。

 白雪は鎖を引き上げて刀をキャッチ。

 それからアリアとジャンヌを分断するようにコンピュータから飛び降り刀を振り下ろし、対応しようとしたジャンヌをアリアがカンガルーキックで妨害。それにはジャンヌも思わず後退した。

 キンジ、アリア、白雪の3人はまとまり、ジャンヌは孤立。状況は好転した。

 そしてやっと全員集合だな。

 

「白雪――貴様が、命を捨ててまでアリアを助けるとはな」

 

 言いながらジャンヌは緋袴の裾から発煙筒を落とし、白い煙幕を作り出した。

 逃げるつもり……ではないだろうな。

 ばっ。ばっ、ばっ。と、煙を感知した天井のスプリンクラーが作動し水を撒き始める。

 その間に白雪はキンジとアリアにじりじりと退がって近づいていった。

 

「ごめんねキンちゃん。いま、やっつけられると思ったんだけど……逃がしちゃったよ」

 

「上出来だよ、さすが白雪だ。アリア、大丈夫か」

 

「や……やられたわ。まさか、白雪が2人とはね……」

 

 言いつつ、アリアは屈んだまま両手を開閉していたが、あれではおそらく刀も銃も扱えないな。

 

「白雪――2つ、思い出してくれないか」

 

 そんな中、キンジは白雪に対して質問を始めた。

 今のキンジなら無意味な確認はしない。何か気になったのか?

 

「アリアのロッカーに、ピアノ線を仕掛けた覚えはあるか?」

 

「ロッカー……? そんなこと、誓ってしてないよ」

 

「あともう1つ。白雪はこの間、花占いしてるところを不知火に見られたか?」

 

「え、あ、うん……」

 

 それがなんだというの……いや待て。さっきのジャンヌの変装……今回『だけ』だったのか?

 

「俺は同じ時刻に、もう1人の白雪とすれ違ってる。あの女は今までずっと、白雪に化けて武偵高に潜んでいたんだ。だから俺たちを細かく監視し――分断できた。アリア。お前のロッカーにピアノ線を仕込んだのも恐らくジャンヌだ。さっき下の階に仕掛けてあったピアノ線を覚えてるだろう。木を隠すなら、森――白雪のアリアへの嫌がらせの中に、奴の殺人罠(キルトラップ)を紛れさせてたんだ」

 

「キンジ……あんた、また……なれたのね!?」

 

 アリアもどうやらキンジの変化に気付いたらしい。

 遅い気もするが、状況が緊迫してるからな。仕方ないか。

 

「魔剣! ――あんたがジャンヌ・ダルクですって? 卑怯者! どこまでも似合わないご先祖さまね!」

 

 今のキンジに強気になったのか、アリアは煙の向こうにいるジャンヌに挑発する。

 

「お前もだろう。ホームズ4世」

 

 そんなジャンヌの声が返ってくると、少し前から気にはなっていたが、室内の気温が急激に下がっていく。

 さらに煙の向こうのスプリンクラーから出る水は空中で氷の結晶となり、雪のように舞っている。

 あの現象は……なんて言ったか……そうだ、ダイヤモンドダスト。

 しかしこの室温、吐息が白くなるから息を潜めるのも難しいぞ。ジャンヌに気付かれるかもしれない。

 

「キンちゃん……アリアを守ってあげて。アリアは、しばらく戦えない。魔女の氷は、毒のようなもの。それをキレイにできるのは修道女(シスター)か――巫女だけ。でもこの氷は(グレード)6かG8ぐらいの強い氷。私の力で治癒しても、元に戻るまで……5分はかかると思う。だからその間、キンちゃんが守ってあげて。敵は、私が1人で倒すよ」

 

「――何を言うんだ白雪。お前を1人で戦わせるなんて、できない」

 

「キンちゃん……そう言ってくれるの、うれしいよ。でも今だけ、ここは超偵の私に任せて。アリア、これ、すごく……しみると思う。でもそれで良くなるから。ガマンして」

 

 白雪は会話の間にアリアの前で片膝をつき、アリアの手を両手で包み込んで何か呪文のようなものを呟き始めた。

 

「……あっ……! んくっ……!」

 

 白雪の言ったように、治癒は痛みが伴うらしく、アリアは痛々しい声を出すが、ジャンヌに悟られないように声を殺していた。

 それから治癒を終えた白雪は、キンジとアリアの近くにあったコンピュータに御札を張り付けて立ち上がり、1歩前へ踏み出す。

 

「ジャンヌ。もう……やめよう。私は誰も傷つけたくないの。たとえそれが、あなたであっても」

 

 フン。

 白雪の言葉に煙の向こうからそんな笑い声が聞こえた。

 

「笑わせるな。原石に過ぎぬお前が、イ・ウーで研磨された私を傷つけることはできん」

 

「私はG17の超能力者なんだよ」

 

 笑い声が、聞こえない。というかG17!?

 京都にいた頃、幸姉(ゆきねえ)が自分をG7の超能力者だって言ってたが、それでも人外と思うレベルだったぞ? 信じられん……

 おそらくジャンヌもオレと同じことを思ったのだろう。

 

「――ブラフだ。G17など、この世に数人しかいない」

 

「あなたも感じるハズだよ。星伽には禁じられてるけど……この封じ布を、解いた時に」

 

「……仮に、真実であったとしてもだ。お前は星伽を裏切れない。それがどういうことを意味するか、分かっているならな」

 

「ジャンヌ――策士、策に溺れたね。それは今までの、普段の私。でも今の私は、私に星伽のどんな制約(おきて)だって破らせる――たった1つの存在の、そばにいる。その気持ちの強さまでは、あなたは見抜けなかった」

 

 沈黙。

 白雪の言葉にジャンヌは応えない。

 その間に室温は元に戻り、煙も晴れ、スプリンクラーも止まっていく。

 

「――やってみろ。直接対決の可能性も想定済みだ。Gの高い超偵はその分、精神力を早く失う。持ち堪えれば私の勝ちだ」

 

 言ったジャンヌは着ていた緋袴と白子袖を脱ぎ捨て、その下に着ていた西洋の甲冑を露にする。

 

「リュパン4世による動きにくい変装も、終わりだ」

 

 次にべりべりっと被っていた薄いマスクを剥いで、その素顔をさらすジャンヌ。

 ……サファイアの色の瞳。2本の3つ編みをつむじの辺りに上げて結った銀髪。雪のように白い肌。

 ヤバい……冗談抜きで綺麗だ……ってそんな場合じゃないぞオレ! 危うく気配が漏れるところだった! くっ、ジャンヌの策、恐るべし。

 

「キンちゃん、ここからは……私を、見ないで」

 

「……白雪……?」

 

「これから――私、星伽に禁じられてる技を使う。でも、それを見たらきっとキンちゃんは私のこと……怖くなる。ありえない、って思う。キライに……なっちゃう」

 

 次いで白雪は頭にいつもつけていた白いリボンに手をかける。

 

「白雪――安心しろ。ありえない事は、1つしかない。俺がお前のことをキライになる――? それだけは、ありえない」

 

 しゅらり。

 それを聞いた白雪は白いリボンを解き微笑む。

 

「すぐ、戻ってくるからね」

 

 言って刀を右手だけで、柄頭のギリギリを握り、頭上に掲げるようにして構えた。

 

「ジャンヌ。もう、あなたを逃がすことはできなくなった」

 

「――?」

 

「星伽の巫女がその身に秘める、禁制鬼道を見るからだよ。私たちも、あなたたちと同じように始祖の力と名をずっと継いできた。アリアは150年。あなたは600年。そして私たちは……およそ2000年もの、永い時を……」

 

 白雪が言い終えてから、振り上げていた刀の刀身にバッ! と強い焔が纏われる。

 

「『白雪』っていうのは、真の名前を隠す伏せ名。私の(いみな)、本当の名前は――『緋巫女』」

 

 カッ! 

 言ったと同時に床を蹴ってジャンヌへと迫る白雪。

 ジャンヌはそれを背後に隠していた見事な洋剣で受け止め、炎と氷が入り乱れる。

 鍔迫り合いの後、さっ――それをいなしにかかったジャンヌにより、白雪の刀は傍らのコンピュータに向きを変え、それを音もなく切断した。

 その間にジャンヌは白雪から距離を取り後退した。

 ジャンヌとしては相性が悪いのだろう。炎と氷。当然といえばそうか。

 

「いまのは星伽侯天流(ほとぎそうてんりゅう)の初弾、ヒノカガビ。次は、緋火虞鎚(ヒノカグツチ)――その剣を、斬ります」

 

 再び炎を纏う刀を頭上に掲げた白雪。

 

「それで、おしまい。このイロカネアヤメに、斬れないものはないもの」

 

「それは――こっちのセリフだ。聖剣デュランダルに、斬れぬものはない」

 

 それから白雪とジャンヌの壮絶な切り結びが繰り広げられ、2人の刀と剣が触れたコンピュータなどは、豆腐のように切断されていく。

 しかし、2人が切り結ぶ刀と剣には傷1つ付かない。

 互いに斬れぬものはないと謳った得物は、ただその1点にだけ矛盾を生んでいた。

 しかし、あんな大出力の超能力が互いに長続きするわけがない。

 超偵は万能ではない。

 大きな力を使うには、それに比例して精神力を消耗する。

 見ればアリアの手も動くようになったみたいで、今キンジとどう動くかを話しているようだった。

 おそらく狙うならガス欠の瞬間。ようやくオレにも出番が回ってきそうだな。

 そうこう考えているうちに、ジャンヌが壁際まで追い詰められていた。

 しかし、追い詰めた白雪の方が息が上がっているようで、逆にジャンヌにはまだ余力を感じられた。

 

「甘い――お前はまるで、氷砂糖のように甘い女だ。私の肉体を狙わず、剣ばかりを狙うとはな。聖剣デュランダルを斬ることなど――絶対、不可能だというのに」

 

「くっ……」

 

 ついに刀を落ちていた朱鞘に収めてしまった白雪は、膝をつきながら歯を食いしばる。

 しかし、白雪はまだ何かを狙ってる。あの状況で、わざわざ鞘に刀を収めたのだから。

 アリアも動こうとしたキンジを制しているのが見て取れた。

 そして、室内の温度が急に下がり、ジャンヌが持っていた聖剣を構えた。

 

「見せてやる、『オルレアンの氷花』――銀氷となって、散れ――!」

 

「キンジ、あたしの3秒後に続いて!」

 

 その瞬間、アリアが2本の刀を抜き、弾丸のように飛び出す。

 

「ただの武偵如きが!」

 

 力を溜めた一撃を、ジャンヌはアリアに向けて横凪ぎに払い振るう。

 そしてアリアはさっきジャンヌが脱ぎ捨てた巫女服を刀で払い上げて視界をわずかに塞ぎ、その一瞬でスライディングで横凪ぎの下を潜り抜ける。

 ジャンヌの一撃は、アリアの上空を氷で埋め尽くし、天井に砲弾のように突き刺さった。

 

「今よキンジ! ジャンヌはもう超能力を使えない!」

 

 アリアの掛け声より早くキンジがジャンヌへと駆け銃撃する。

 ジャンヌはそれをデュランダルで弾き、キンジへと突っ込むが、その足をアリアが2刀流で払う。

 それをさらにジャンヌは信じられない跳躍で躱しキンジに突っ込む。

 ――さわっ。

 このタイミングでアリアは自身のツインテールの先を右手で触る。やっとか。

 

「キンジ! 1歩下がれ! アリアは動くな!」

 

 言いながらオレの声にすぐ対応したアリアとキンジを確認したオレは、天井に仕掛けたワイヤーを手元の手動に用いるワイヤーをクナイで切ることでトラップを起動した。

 トラップはジャンヌのいる地点の天井から網のように張ったワイヤーを四隅につけた重りで落とし、ジャンヌを捕らえようと迫った。

 ジャンヌはそれに一瞬動揺を見せたが、すぐに持っていたデュランダルでワイヤーを切断。

 しかしキンジへの攻撃は中断せざるを得なく、ジャンヌはアリアとキンジの間に着地するが、そこで間髪入れずに分銅付きワイヤーを投げつけて持っていた剣の柄と手をまとめて絡め取る。

 

「バカな!? 猿飛京夜だと!? お前は私の予定にない!」

 

 ん? オレを知ってる? まぁ今はどうでもいいがな。

 

「切り札ってのは最後まで取っとくもんだろ?」

 

 カッ! カカカッ!

 ジャンヌの前に姿を見せワイヤーで力比べをするオレと同時に下駄を鳴らしてジャンヌに近付いた白雪は、オレが拘束したジャンヌの持つデュランダル目がけて鞘に納めた刀を下から上へと抜き放つ。

 

「――緋緋星伽神(ヒヒノホトギカミ)――!」

 

 その一撃でワイヤーごとデュランダルを両断し、大きな炎が天井へと突き刺さった。

 

「30代目ジャンヌ・ダルク!」

 

「未成年者略取未遂の容疑で」

 

「逮捕よ!!」

 

 デュランダルを両断され、放心したジャンヌにオレとキンジが互いにクナイと銃を向けながら、アリアが超能力者用の手錠をかけた。

 これで、一件落着だな。

 それからジャンヌは尋問科の綴に取り調べを受けることになった。

 つーん、とそっぽを向いて黙秘を決め込むジャンヌを見た綴が「イジメ甲斐がありそうだなァ」とか言ってたのが怖かった。

 あれは本気でジャンヌが壊れるかもしれない。南無三。

 そして綴はジャンヌを連れてきたオレを見てニヤリ。

 

「ご苦労さん。おかげで星伽も無事だったよ」

 

 と、綴らしからぬ発言をしてきたのが衝撃だった。それにはなんだか照れ臭くなった。

 それから元に戻ったキンジと白雪に「いたなら最初から加勢しろ」などと非難を浴びたり、アリアとレキからは「さすが京夜(さんです)ね」とか喜んで良いのかどうかわからない状態になり、それから逃げるように帰宅したオレは、先に帰ってきていた小鳥に例の噂の件で小1時間ほど説教したあと、疲れ果てて眠りに就いた。



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Bullet11.5

 アドシアード最終日。今日で全競技日程が終了します。

 私は武偵高生徒会長の星伽白雪先輩が先頭に立つアドシアード準備委員会の一員として現在、各競技の成績処理や撤収作業に追われています。

 初日はそりゃもう色々と大変でしたね。

 朝から開会式準備に追われて、競技が始まれば成績処理に追われ、もう忙しかったですよ。

 教務科ももう少し役割分担を考えてほしいですね。白雪先輩に今後の改善案でも提出してみようかな。

 それから夕方頃に届いた周知メールによるケースD7の事件。

 私は詳細をまったく知りませんでしたが、陽菜ちゃんからの情報によると、どうやら白雪先輩が巻き込まれた事件だったらしいです。

 確かに夕方頃から姿が見えなくて準備委員会がバタバタした記憶があります。

 それでその事件、解決に関わったのが、強襲科のアリア先輩と探偵科で陽菜ちゃんの戦兄のキンジ先輩。

 そして非公式みたいですけど、京夜先輩も関わってたらしいです。

 聞いた時はもうビックリでした。

 思い返せば確かにアドシアード開催前夜に私に白雪先輩をそれとなく観察するように言ってきたり、普段しないイヤホンで何か聴いてたりと思い当たる節がちらほら。

 でも、言われないと気付きませんよね、そんなこと。

 そして一番の驚きはその事件の犯人。

 なんと!

 あの都市伝説とまで言われていた超偵誘拐犯、魔剣だったと言うんです!

 実在してたという事実に衝撃を受けましたし、陽菜ちゃんも自分で仕入れた情報なのに「嘘か真か定かではないでござるよ」とか自信なさげでした。

 普段は確実な情報しか言わない陽菜ちゃんにしては珍しかったですね。

 そして私はその事件解決の夜、くたくたになって帰ってきた京夜先輩をいつも通り料理を作って出迎えたのですが、何故か1時間ほど説教を食らうハメに。

 なんでもお昼頃に武藤貴希さんから1年内で私が京夜先輩のことを凄い人だって言いふらし……エフン、自慢していたのが知られたようで、説教の内容を要約すると、それを金輪際やめろということでした。

 私としては京夜先輩に貼られている『反面教師』のレッテルを剥がそうと結構真剣に話していたんですが、「周りにどう思われようとオレはまったく気にしてないんだよ。だから余計なことするな」と一蹴されました。

 善かれと思ってやったのに……難しいものです。

 その後やっぱりくたくただった京夜先輩は、さっさと料理を食べてシャワーを浴びて寝てしまいました。

 そんなこんなで色々あったアドシアード初日。

 それ以降も忙しかったですが、戻ってきた白雪先輩のおかげでだいぶ楽できました。

 そして今現在、私はアドシアード閉会式の準備を黙々とやってます。

 閉会式では恒例となっているチア(アル=カタ)がありますが、これは色々と物騒な武偵高のイメージを少しでも良くしようと行っている華やかさが売りのアドシアードの締めです。

 私はちょっと鈍臭いのでチアのメンバーには入ってません……といいますか、たとえ誘われてもチアのユニフォームはとてもじゃないですが着れません。

 あんなむ、胸元に銃弾型の穴が開いた服。着たら最後、私の主張してない胸が……言ってて悲しくなるよ……

 そ、それで今とっても面白い話になってます!

 

「これは命令よ白雪! あんたはあたしと一緒にチアのメインをやるの!」

 

「む、無理だよアリア。私が人前で踊るなんてできるわけ……」

 

「あたしの前で無理とかできないとか言わない! そもそも振り付けはあんたが考えたんだから踊れないわけはないでしょ!」

 

「だってあんな衣装恥ずかしいし、私がメインリードなんて……」

 

 私達が閉会式会場の準備をしている脇。

 チアの打ち合わせをしていたメンバーの皆さんと白雪先輩。

 そのチアのメイン担当だったアリア先輩が、今日になって白雪先輩を同じメインとしてメンバーに入れると言い出したのです。

 ですが白雪先輩はさっきからやらないの一点張りで首を縦に振りません。

 アリア先輩もアリア先輩で意地があるみたいで全く退く様子がないので、話は数分間平行線。

 でも白雪先輩があの衣装を着たらきっと似合うだろうなぁ。

 胸も大きいですし……きっと踊ったらあの胸も楽しそうに……って、何か男の人みたいな想像してるよ私!

 でも羨ましい。お母さん、そんなに大きい方じゃないから期待できないんだよなぁ……そういえば胸の大きさって遺伝なのかな?

 おっと、話が変な方向に行ってる。

 

「ああ! もう! これはもう決定事項! 白雪に拒否権はないわ!」

 

「あ、ありますぅ! それにアリアにだって決定権はありませんー!」

 

「なら多数決にしましょ? 白雪にチアをやってほしいメンバーは手を挙げて?」

 

「「「「「はーいっ!」」」」」

 

「ひゃあ!」

 

 あれ?

 話がいつの間にか多数決に。

 しかもチアのメンバー全員手を挙げて白雪先輩もビックリしてるし。

 でもアリア先輩せこいよ。チアのみんなが前から白雪先輩を誘ってたのを知ってて多数決なんて。

 

「会長! お願いします!」

 

「お願いします!」

 

「え……え? え!?」

 

「はい決まりね。じゃあ白雪に合うサイズのユニフォームを……」

 

「「「「「もうありまーす!」」」」」

 

「準備が良いわね。ならさっそく着替えて練習よ!」

 

「え、あ、ちょっと待って……」

 

 ……そうして白雪先輩はアリア先輩とチアのみんなに拉致されていきました。一件落着? ですね。

 でも、普段はあんな感じの人達が、あの都市伝説並みの犯罪者、魔剣を逮捕したなんて未だに信じられません。

 しかも事件発生、解決から数日しか経ってないのに、もうあんな調子なのも凄いなぁと。

 私だったらたぶんまだ逮捕した余韻とかに浸りまくってます。

 そういえば京夜先輩も事件後は緊張の糸が切れたみたいに脱力しまくって、アドシアード初日以降は登校もしてなかったです。

 さすがに閉会式がある今日は来ているみたいですけど、今頃何してるのでしょうか。

 

「……何してるんですか、京夜先輩……」

 

 そんなことを考えていたわずか数十分後。

 ユニフォームに着替えたアリア先輩達がチアの最後の練習を始めた頃に京夜先輩がふらふらとやってきて、その様子をありがたそうに見学してました。隣には武藤先輩も。

 

「知ってるか小鳥。男性には女性を無意識に見る性質がある。逆もまた然り」

 

「それはちょっと違う気がします……」

 

「せっかく見せるために着てる衣装なんだから、それならたっぷり見ておこうってわけだ、小鳥ちゃん」

 

「武藤先輩はそうじゃなくても覗きとかしていそうです」

 

「小鳥、合ってるぞ」

 

「合ってねーよ! そりゃ『たまたま見えるもんは見る』けどよ……」

 

「お前は将来悪いニュースで名前を見ることになるな。先のない人生、今のうちに堪能しておけ」

 

「猿飛……てめぇ……」

 

「お? ほら、貴希がお前に手を振ってるぞ?」

 

「あれはお前にだ。鈍いねぇ」

 

 そんな調子でチアを見ながら話すお2人に私は溜め息を1つ。

 でも貴希さんって京夜先輩のことが……やっぱりわかる人にはわかるんですね、京夜先輩のいいところ。なんだか嬉しいです。

 けど何故でしょう、素直に喜べない自分もいます。

 

「京夜先輩はやっぱり、胸が大きい女性が好みなんですか?」

 

「…………は?」

 

「はっ! いや! あの! ち、違います! 今のなしです!」

 

 あわわわわ! 口に出ちゃったよ!

 何してるんだろ私。それに聞いたって京夜先輩が答えるわけ……

 

「こいつはそうだろうがオレは違うな。そもそも今の見学だって全体は見てるが、こいつとは見てるポイントが根本的に違う」

 

 な、何か語り出した!

 てっきり「何聞いてんだお前は」って言われるかと。しかも止まりそうにない。

 せっかくだししばらく聞いてよう。

 

「こいつは胸の揺れを見てよだれ垂らしてるが」

 

「垂らしてねーよ!」

 

「オレはむしろああいった衣装で時折見えるチラリズムに重点を置いている。普段はスカートとニーソックスの間の絶対領域に芸術を感じる。故に胸の大きさは特に関心はない。それに好みなんて好きになった奴になるんだから、容姿や体格は関係ない。しいて挙げるなら長髪の方が好きなくらいか」

 

「わかってないな、猿飛。揺れを生む胸というのは現代においては国宝も同然! それを見ずして男を語れるか!」

 

「浅いな武藤。だからお前はいつまで経っても年齢=彼女いない歴なんだよ」

 

「お前も彼女いたなんて話聞いたことないぞ!」

 

「あ、白雪の胸が激しく……」

 

「なに!?」

 

 えぇと……話がなんだか性癖っぽいものまで語ってた気がしますが、ツッコんだらダメなんですよね、たぶん。

 でもそっか……京夜先輩は髪が長い方が好きなんだ……

 私ショートだしな……って! 何で私が京夜先輩の好みに合わせようとしてるの!

 京夜先輩は私の戦兄でそれ以上でも以下でもないよ!

 

「そ、それで京夜先輩はわざわざチアの練習を見にここに来たんですか?」

 

「ん? ああ、ついでにバンドやるキンジ達をからかいに+特等席の確保にな」

 

「お前ってホントいい性格してるよな」

 

「褒めるなよ」

 

「褒めてねーよ! ってかこのパターンのツッコミ何回させんだ!」

 

「からかいに来てるからな。オレが飽きるまでか。だがそろそろ飽きてきた」

 

「なんかお前とは親友になれてる気がしない。というかハイジャック事件のも結局お前だけお咎めなしなのが今更だがムカついてきたぞ」

 

「後先考えない行動は身を滅ぼすって教訓を教えてやったまでだ。感謝しろ?」

 

「……もうツッコまないぞ」

 

「……ちっ」

 

「舌打ち!?」

 

 ……お2人とも、質問1つしかしてないのにずいぶん話を広げますね。

 間に入れないのは私が未熟なんですかね。精進しないと!

 

「……キャッ!」

 

 そんな話をしていると、チアの練習をしていた方向からそんな短い悲鳴が。

 私達がすぐにそちらを向くと、何やら倒れている1人のメンバーをアリア先輩達が囲んでいました。

 

「どうした? アリア、白雪」

 

 京夜先輩はすかさず声をかけ事態を把握しにかかり、それにアリア先輩がすぐ答えた。

 

「この子足を挫いちゃったのよ。ちょっと立てないみたいね」

 

「とりあえず保健室に連れていってあげて」

 

「すみません……」

 

 それから白雪先輩の指示でメンバー2人が足を挫いたメンバーを支えて保健室へと行って、残りのメンバーは少し沈黙してしまいました。

 

「どうする白雪? 今からフォーメーションを変える?」

 

「私がメインから外れてもいいけど……」

 

「それはダメよ! なんのために白雪をメインにしたと思ってるの!」

 

「でも……」

 

 ああ……なんだか暗雲立ちこめてきましたね。

 武藤先輩は何も言わなくなっちゃいましたし、京夜先輩も……

 

「要は替わりがいれば良いんだろ? だったらできる奴を知ってるぞ?」

 

 そんなこと言ってるし……って、えぇ!?

 

「まさか京夜がとか言わないでしょうね?」

 

「バカかアリア。なんで見る側のオレが代わりをやらなきゃならん」

 

「バ、バカですって!?」

 

「ア、アリア! 今は押さえて! 猿飛くん、それって誰なの?」

 

「うちの戦妹」

 

「…………えっ!? わ、私ですか!?」

 

 え? え? 京夜先輩? なんでなんで? なんで私なんですか? おかしいですよ。

 

「あら、小鳥ができるのね。なら早速準備しなさい。時間もあと30分ないし、練習も1回できれば良い方だからね」

 

「え? ちょっと待ってください! 私まだやるなんて……」

 

「やるかやらないかじゃないわ! できるかできないかが重要なの!」

 

 あれ? 私あっという間に白雪先輩の二の舞に?

 

「いや、その、そもそも私チアできるなんて一言も……」

 

「やってたろ。誰もいないところで密かに黙々と。オレにバレてないとでも思ってたのか?」

 

 た、確かにちょっと練習してはいましたけど、ホントに誰もいないの確認してからやってたのにー!

 うぅ……そんなわけで急遽私がチアをやることに。

 しかも閉会式まであと20分ないから合わせは1回しかできないとか急すぎるよー!

 京夜先輩のアホー! 今日は夕飯抜きだー!

 そんなわけで急いでユニフォームに着替えてみんなの前に姿を晒した私。

 でもやっぱりこれ恥ずかしいよぉ……スカートの中は見えてもいいようになってるけど、この胸元の銃弾型の穴の向こうは素肌だし、胸がない私じゃ下手したら服との隙間から中が……

 そんな私の内心など知る由もない京夜先輩は、出てきた私を見て何故か少し目を逸らしました。

 なんですかそれ! そりゃ見られないなら私も変に緊張することないのでいいですけど。

 

「まぁ、あれだ、似合ってるぞ」

 

 そう考えていたら、不意に京夜先輩が近づいてきて話しながら私の頭を撫でてくれました。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

 ズルいです京夜先輩。そんなこと言われたら夕飯抜きとかできないじゃないですか。

 

「ほら小鳥。時間もないし早速合わせやるわよ。白雪もいい加減ジャージ脱ぎなさい! 本番まで15分しかないのよ!」

 

「だ、だってアリア。やっぱり恥ずかしい……」

 

「白雪先輩はいいですよ……出るとこ出てるんですから……私なんて……」

 

「た、橘さん!?」

 

「2人とも時間がないって言ってるでしょ! さっさとやる!」

 

「「は、はい!」」

 

 アリア先輩こういう時は頼もしいくらいに引っ張ってくれるから助かるなぁ。

 それから私を入れたメンバーで1回だけ合わせをしてから、閉会式まで待機となりまして、京夜先輩は会場最前列をキープしに行き、武藤先輩はバックバンドのドラム担当だったのでその準備をしに舞台裏に。

 そして私は出番まで昴とリラックスタイムです。こうでもしないと本番まで持ちません。

 

「橘小鳥だよね?」

 

 そんな私に近づいて話しかけてきたのは、武藤先輩の妹さんで同じ学年の貴希さん。

 彼女もチアのメンバーに入ってて、先ほど練習中に京夜先輩に手を振っていましたね。

 といいますかスタイルいいですよね、貴希さん。

 聞いた話だとレースクィーンのアルバイトをしてるとか。

 

「はい、そうですけど……」

 

「あなたが京夜先輩の戦妹……こうして面と向かって話すのは初めてだね」

 

「そうですね。貴希さんみたいな有名な方とは話す機会なんてまずないですから」

 

「あんたもある意味有名だよ。ただ互いに接点がなかっただけ。最近までは」

 

「最近までは?」

 

「そ、それでちょっと聞いてもいいかな? 橘さんは京夜先輩のことをどう思ってるの?」

 

「どう……って言われるとどう答えていいのかな……」

 

「た、例えば、戦兄として以外に、京夜先輩を異性として見てる、とか……」

 

「それは京夜先輩は男の人ですから当然ですよ。今だってちゃんと家では線引きを……はっ!」

 

 や、やばっ!

 思わずポロっと話すところだった!

 京夜先輩の家に居候してるのは内緒なんだよね。

 

「線引き?」

 

「ああ、えっと……その、京夜先輩とは互いに深く関わらないって線引きを、です」

 

 苦しいよ私。もう一押ししないと!

 でも私にこんなことを聞くなんて、やっぱり貴希さんって京夜先輩のことを……

 

「えっと……京夜先輩とは徒友なだけであって、それ以上でも以下でもないです。その、貴希さんが想像するようなことはまったくこれっぽっちもないです。安心してください」

 

 ズキン……。

 なんでかな。今そう言ったら胸に何かが。き、気のせいだよね、きっと。

 

「私が想像するようなことって何よ。で、でもまぁ、橘さんがそう言うならそうなんだろうね。橘さんは嘘つける人っぽくないし」

 

 あれ、なんかちくりと刺が……案外当たってるから余計に。

 

「そっか、そうだよね、徒友だもんね。うん、話はそれだけ。ありがとね。本番は互いに頑張ろう!」

 

「は、はい!」

 

 それから貴希さんは明るい表情をして他のチアメンバーの元へ行ってしまいました。

 そして本番。

 キンジ先輩達の奏でる演奏と同時に両手にポンポンを持った私達が舞台に上がりチアを踊り始めました。

 その直前に白雪先輩がギリギリまで躊躇ってましたが、そこはアリア先輩の強引パワーで押し切りました。グッジョブです!

 会場にはたくさんの武偵高生徒とその他大勢の記者やカメラマンがいて、正直凄く恥ずかしかったです。

 でも、舞台に上がってから吹っ切れたのか、白雪先輩がしっかりとリードしてくれて、アリア先輩も普段どおり堂々としててとても頼もしかったです。

 そんなチアの最中に、最前列にいた京夜先輩に何度か視線を向けると、京夜先輩も諜報科らしくしっかり視線に気付いて、その度に笑みを見せてくれます。

 それだけで私も何故か嬉しくて緊張も解けていきました。ありがとうございます、京夜先輩。

 

「でも何で私がチアの練習してるなんて知ってたんですか? 京夜先輩、ずっと白雪先輩を護衛してたんですよね?」

 

 アドシアードが終わって帰ってから夕飯を食べた後、私は絶対に見られてないと思いつつ京夜先輩に改めて問い掛けてみた。

 

「バーカ。お前いっつも料理作ってる時にチアの曲を鼻歌混じりに歌いながら軽くステップとか踏んでたろ。それ以外でも生活の中に普段と違う感じが混じってた。誰だって気付くぞ」

 

「あ、あれ? そうでしたか? お、おかしいですねー、アハハハハ……」

 

 そ、そんなに面に出てたの!? 無意識って怖いよぉ。

 えっ、す、昴? 「最初からバレバレだったよ」って、今さら言うの!? 酷くない!? 親友に裏切られた気分だよー!

 

「まぁいいじゃないか。今回はそれが功を奏したわけだしな。万々歳ってことでこの話は終わり」

 

「……それもそうです……」

 

「ただし、今後は自分の感情とかをコントロールしていけよ。諜報科じゃ基礎中の基礎だからな。そこら辺は見逃せない」

 

「うぅ……精進します」

 

 そうしてアドシアード最終日の夜は明けていきました。



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吸血鬼編
Bullet12


 

 アドシアードが終わってしばらく。

 オレのところに1通のメールが届いていた。

 送信元のアドレスは未登録で、誰からかを特定できる内容も書かれていなかったそのメールを、オレは読んでから無視しようとした。

 内容は「今から第2女子寮の屋上に来い」というもの。

 時間としては日も沈んだ夜中で、しかも男子禁制の女子寮。

 普通ならまず行く気にはなれない。武偵高の女子寮なんて入ったら最後、蜂の巣にされる。

 冗談抜きで、な。

 そんな理由からオレは完全にシカトモードに入ったのだが、そのメール、どうやら改行でずいぶん下までスクロールできたらしい。

 そしてその下に書かれていた内容を読んで、オレはシカトモードから一変。すぐに指定された女子寮の屋上へと足を運んだ。

 ――キョーやんの一番の悪友より――

 割とダッシュで女子寮まで辿り着いたオレだったが、さすがに女子寮の真正面から堂々と入って屋上に行くわけにもいかない。

 だからオレは壁伝いにワイヤーで登って屋上まで行くことにした。

 だけど2、3階の高さなら躊躇わないが、それ以上はしんどいんだよなぁ。

 などと思いながらも屋上へとさしかかったところで、その屋上から誰かの声が聞こえてきた。

 

「――理子!」

 

「あぁ……今夜はいい夜。オトコもいて、硝煙のニオイもする。理子、どっちも大好き」

 

 この声、間違いないな。峰理子。そしてアリアか。

 オレはメールの送り主が予想したその人物、理子だと確信しつつ、様子を伺うために物陰に隠れて身を潜める。って、キンジもいるのかよ。

 

「峰・理子・リュパン4世――今度こそ逮捕よ! ママの冤罪、償わせてやる!」

 

 そう叫んでアリアは手に持つガバメントを屋上のフェンスに腰掛けた理子に向けた。

 ……ん? リュパン4世? 確かつい最近その名前をどこかで聞いた気が。

 どこだったか……あ……魔剣……ジャンヌが口にしてたか。

 確かアリアをさらいそこねたとかなんとか。あれ理子のことだったんだな。

 へぇ……って! 理子がリュパン4世!? マジか……

 

「やれるもんならやってみな。ライム女(ライミー)

 

「言ったわね。カエル女(フロッギー)

 

 ん?

 よくわからんが互いに祖国語の侮蔑か。仲悪いなオイ。そりゃそうか。つい最近正面衝突してんだから。

 などと考えてるうちにフェンスから降りた理子がばっ! と屋上を駆けた。

 

「キンジ! アル=カタ戦でいくわ! 離れ際に援護しなさい!」

 

 それに反応したアリアがキンジに叫びガバメントで発砲しながら理子に突っ込んでいき、理子は笑いながらそれを側転で躱し中央でアリアと交錯。

 たんッ!

 月面宙返り(ムーンサルト)でアリアを飛び越えると、背負っていたランドセルから愛銃ワルサーP99が2丁出てきて理子の手に収まった。

 バッ! ババッ!

 しばらくの間互いに1歩も引かないアル=カタ戦を繰り広げた両者。

 早く打ち倒して身柄を押さえたいアリアと、戦いを楽しんでいる理子。

 その両者の手持ちの弾が尽きて互いに距離を取った頃、オレはふと疑問に思った。

 どうやって理子は武偵高(ここ)に戻ってきた?

 不知火の話ではアメリカに長期任務という名目で不在していた理子だが、その実、先の『武偵殺し』の犯人なわけだ。

 つまりは『犯罪を犯した武偵』ってことになる。そんな奴が普通にここに戻ってこれるわけがない。

 そしてハイジャック事件が4月に起きて、6月に入った今になって戻ってきたってことは、その間に『なんらかの策で問題を解決した』ということになる。

 

「あんたブサイクだから、いま気付いたんだけど……髪型、元に戻したのね」

 

「よく見ろオルメス。テールが少し短くなった。お前に切られたせいだ」

 

 おっと、なんだか不毛なやりとりになる予感。

 

「あら。ごめんあそばせ」

 

「言ってろ、チビ」

 

「何よブス」

 

「チビチビ」

 

「ブスブスブス!」

 

「チビチビチビチビ」

 

「ブスブスブスブうっぷぇ!」

 

 あ、アリアが噛んだ。

 それからまた理子がアリアとの距離を詰めにいくが、その間にベレッタとバタフライナイフを手にしたキンジが割り込み2人を強引に止めた。

 あの化け物2人の間に割り込めるのは『使えるキンジ』くらいだな。

 

「今は堪えてくれ、アリア。それに――愛らしい仔猫同士のケンカを鑑賞するのは、俺の趣味じゃない」

 

「……こ、こね、こね、ね……?」

 

「――理子。本気じゃない恋も、本気じゃない戦いも……味気ないモノだとは思わないかい?」

 

 キザな台詞でアリアを黙らせたキンジは、続いて理子にそう質問すると、理子は寂しげな表情で1歩下がり言葉を返した。

 

「半分ハズレ。理子、キーくんには本気なんだもん。でも、半分アタリ。今の理子は万全じゃない。だから、アリアとは……まだ決着をつける時じゃないんだよ」

 

「そうかい」

 

 む、なんか全部わかった風なキンジだな。

 使えるキンジは頭も抜群に冴えるから仕方ないか。

 

「――アリア。理子と戦っちゃダメだ」

 

「キ……キンジ!? あ、あんた理子に何されたの!? ――どうして止めるのよっ!」

 

「アリアを犯罪者にしたくないからだよ」

 

「さすがキーくん! あったりー! 分かってくれちゃった!? 理子とキーくん、カラダだけじゃなくてココロも相性ぴったりだねー!」

 

 ……ダメだ。意味わからん。答えだけで内容のない会話はイライラするな。

 アリアもオレと同じ思いらしい。

 

「……犯罪者……って、どういうことよっ」

 

「『司法取引』、だろう? 理子」

 

「あったりー! そうでぇーす! 理子はもう4月の事件についてはとっくに司法取引を済ませているんですよー、きゃはっ!」

 

 なるほど、司法取引か。

 アメリカでは割とメジャーな制度。

 簡単に言うなら犯罪者が犯罪捜査に協力したりすることで罪を軽減、なかったことにする制度だな。

 日本にも近年導入されたとか授業で聞いた記憶があるが、馴染みがないからやっぱりピンとはこなかったな。

 

「つまり理子を逮捕したら、不当逮捕になっちゃうのでーす!」

 

「ウソよ! そんな手にあたしが引っかかるとでも――」

 

「ウソかもしれないが、本当かもしれない。俺たちはここでそれを確かめられない」

 

 確かに理子がウソをついてる可能性もあるが、司法取引が本当なら、今の理子に罪はない。

 それがわからないほどアリアもバカではないが、やはり納得しかねてはいるようだった。

 

「でも、ママに『武偵殺し』の濡れ衣を着せた罪は別件よ! 理子! その罪は最高裁で証言しなさい!」

「いーよ」

「イヤというなら、力ずくでも……って……え?」

 

 返答早っ!

 アリアまだしゃべってたろ。

 

「証言してあげる」

 

「ほ……ほんと?」

 

 おいアリア。そんな簡単に信じるのか?

 相手はお前を殺そうとした奴だぞ。

 

「ママ……アリアも、ママが大好きなんだもんね。理子も、お母さまが大好きだから……だから分かるよ。ごめんねアリア。理子は……理子は……お母さま……ふぇ……えぅ……ふえぇえぇええぇえぇ……!」

 

 すると突然泣き出す理子。

 それにはアリアもどうしていいかわからなくなってしまう。

 まぁ、オレはあの理子が人前で簡単に涙を見せるような奴とは毛ほども思ってないから、呆れ気味だな。

 

「ちょ、ちょっと。なに泣いてんのよっ。ほ、ほら……何よ。ちゃんと話しなさい」

 

 そんな理子でもアリアは心配らしく、持っていた日本刀を納めて理子をなだめ始め……あ……理子の奴、今ニヤってしやがった。

 

「理子、理子……アリアとキーくんのせいで、イ・ウーを退学になっちゃったの。しかも負けたからって、『ブラド』に――理子の宝物を取られちゃったんだよぉー」

 

「……ブラド。『無限罪のブラド』……!? イ・ウーのナンバー2じゃない……!」

 

 へぇー、そうなのか。

 イ・ウーについては何も知らないに等しいから、アリアの反応に感情が追い付かないな。

 

「そーだよ。理子はブラドから宝物を取り返したいの。だからキーくん、アリア、理子を『たすけて』」

 

「……『たすけて』……って。何をしろっていうんだ」

 

 キンジがもっともなことを聞くと、理子は涙を拭って笑顔を作り言葉を返した。

 

「キーくん、アリア、一緒に――『ドロボーやろうよ』!」

 

 その言葉にキンジとアリアはえっ!? とでも言いそうな顔をしてしまうが、そんな2人に理子は「詳しい話はまた後日するからぁ」と言って返事を聞かずにささっと帰してしまった。

 そしてこの屋上には今、理子とオレの2人だけに。

 

「ってことなんだけど、キョーやんわかったかな?」

 

 そうやってどこに隠れているかわからないオレに対して確認をする理子。

 

「オレにもそのドロボーの片棒を担げってことか?」

 

 オレは言いながら理子の前に姿を現しゆっくりと近づいていく。

 

「くふっ、真面目なキョーやんす・て・き」

 

「茶化すなよ理子。オレはお前に言いたいことは山ほどあるんだからな」

 

「きゃっはー! まさかキョーやん、理子りんに愛の告白ですか? いやーん、だいたーん!」

 

 こいつはホントに変わらないなこのやろう。

 

「さっさと用件を言え。オレが泣き落としやごり押しで丸め込められるほどお人好しな性格じゃないのは知ってるだろ」

 

「うん、知ってるよー。知ってるからわざわざここに呼んだんだもん。アリア達に話をしてから2人っきりでお話するためにね」

 

 言いながら理子は背負っていたランドセルを下ろして中から何かの資料を取り出しオレに手渡してきた。

 

「理子の宝物が隠されてる場所がここ。横浜郊外にある『紅鳴館』」

 

 資料には写真付きの洋館の見取り図やらなにやらが書かれているようだが、ぶっちゃけ月明かりだけじゃほとんど読めないし見えない。

 

「ここね、ブラドの別荘のうちの1つなんだけど、中はマゾゲー並みのセキュリティーらしいんだー」

 

 マゾゲーとか専門用語出されても困るが、まぁガチガチに固いセキュリティーなんだろうな。

 

「それでキョーやんには……」

 

 ……もういい。わかったよ理子。

 

「中のセキュリティー状況を調べて、あわよくば宝物とやらを取り返してほしいってことだろ」

 

「ピンポンピンポンピンポーン! キョーやん大正解ー! キョーやん大好きー!」

 

「お前の大好きは信用できん。それにオレはまだやるとは言ってない」

 

「キョーやんひどーい。理子の大好きはホントだよー。それに――」

 

 いつもの調子で返してきた理子だったが、それから男喋りの時の声色に変わり、

 

「『真田幸音(さなだゆきね)』についてあたしは知ってる――」

 

「ウソだな」

 

「ウソじゃないぞ、京夜。あたしは交渉材料でウソはつかない。京夜がこの依頼を引き受けて、最低でも洋館の内部を探れて戻ってきたなら、真田幸音についての情報を教えてやる――」

 

 こいつが……理子が何で幸姉の情報を持ってるのかは知らないが、あの人はちょっと調べた程度で掴める情報を流したりしない。そういう人だ。

 

「どうする? 猿飛京夜」

 

 なら、オレの答えは決まってる。

 

「……やるさ。そのかわり、報酬はきっちり払ってもらう」

 

「くふっ。さっすがキョーやん! キョーやんになら、報酬とは別にご褒美あげちゃう!」

 

 オレの返事を聞いた理子は、怪しく笑ったあといつもの調子に戻ってそんなことを言い加えてきた。

 ホントに読めない奴だよ、オレの悪友は……

 それから理子はオレとのホットラインを確保したあと、さっさととんずらしてしまい、家に戻って資料に目を通しながら侵入経路などを探っていたオレの元に細かい依頼内容をメールで送ってきたのだった。

 そして翌日。

 作戦開始にはまだ準備が十分にできていなかったオレは、いつも通りに登校して、一般授業の時間にその作戦を詰める作業に集中していた。

 

「たっだいまぁー!」

 

 そんなわけであっという間に一般授業が終わってしまって、未だ唸っていたオレの耳にそんな陽気な声が聞こえてきて、一気に集中力を削がれた。

 声の主、理子はヒラヒラの改造制服で2年A組に入ってきて、それにクラスのバカ連中が沸き立つ。頭痛くなってきた。

 その理子は教壇に上がってハイテンションなままくるりんぱっと1回転。

 

「みんなー、おっひさしぶりー! 理子りんが帰ってきたよー!」

 

「理子りん! 理子りん!」

 

 ……改めて思うぞ。バカばっかりだこのクラス。

 理子りんコールしてる奴は間違いなくバカ筆頭だ。もうダメだ、集中できん。

 

「理子ちゃんおかえりー! あーこれなにー?」

 

「えへへー。シーズン感を取り入れてみましたー!」

 

 近寄ってきた女子に背中の赤ランドセルを指されて、理子は見せ付けるようにそれをアピールする。

 側面にはてるてる坊主がぶら下がっている。

 ああ、そういやそろそろ梅雨のシーズンか。

 

「くふっ。キーくんもおいでよー!」

 

 みんなにちやほやされる理子は、わなわな震えてるアリアと一緒にいるキンジを手招きするが、そのキンジはフンとソッポを向いていた。

 そうなると次は……

 

「むぅ、じゃあキョーやん!」

 

「じゃあってなんだ」

 

「あれれー? キョーやんやきもち? きゃっはー! 理子りん照れちゃうー!」

 

 しまった。関西の血が騒いだ。

 しかもクラスの奴らの視線がイタい。

 お前らも理子の冗談を真に受けるな、面倒臭い。

 

「敵が多そうだからパス。今まで通り悪友で頼む」

 

「奪い取るくらいの根性見せてよキョーやん」

 

「オレがそんな青春野郎に見えるか?」

 

「青春してるキョーやんとかキモいね」

 

「青春してる理子も負けず劣らずだがな」

 

 それでお互いにクスリ。

 2ヶ月ぶりの悪友との変わらないやりとりでわずかに笑みがこぼれてしまった。

 放課後、すぐに帰宅したオレは、明日に依頼を遂行することを決めて早々に装備の準備を始めた。

 明日は中間テストがあるから学校に行きたくない。ってのが本音かもな。

 そうして準備をしていると、またも下の部屋から話し声が。

 もうキンジの家は溜り場に成り果てたらしい。

 ならオレも混ざってやるか。準備も急ぐ必要はないしな。

 それでオレはウキウキで夕飯を作る小鳥に一言残してベランダから下の部屋に侵入。

 何事もなかったかのようにアリアの隣の空いたソファーに腰を下ろした。

 

「猿飛!? なんでお前!?」

 

「京夜!?」

 

「ああいいから続けろ。どうせ理子についてだろ? オレもあいつに手玉に取られててな。愚痴の1つも言いたくなる」

 

 そう話すオレに対してキンジとアリアは少し戸惑いを見せるが、オレの性格をわかってきた2人は気にかけながらも話を続けた。

 

「で、いいのかお前は。理子は俺たちに盗みの片棒担ぎをさせるつもりだぞ」

 

「よくないに決まってるでしょ。リュパン家の人間と組むなんて、ホームズ家始まって以来の不祥事になるわ。けど、今は状況が状況よ。理子がママの裁判で証言するって言うんだから……これも必要悪と割り切って、本当にやってもいいっと思ってる。それに、聖書にもあるでしょ。汝の敵を赦せ、って」

 

「盗みでもするのかお前ら?」

 

「「あっ」」

 

 ぷっ。2人揃って間抜けな声出しやがって。

 

「冗談だよ。昨夜の理子との話は……」

 

「「だろうと思った(わ)よ」」

 

おお、息の合った2人だな。この2ヶ月で互いに理解してきたってところか。うらやましい。

 

「まぁ、柔軟なのは結構なことだけどな。泥棒はつまり窃盗罪だ。前科一犯、つくんだぞ。まぁ武偵なんて、その辺が身ぎれいなヤツの方が少数派だけどな……それも覚悟の上か?」

 

 おっ、キンジ君。ついにスルースキルを会得したか。生意気な。

 

「ああ。そこ。そこは心配しなくていいのよ。これは犯罪にはなり得ないわ」

 

「……何でだよ?」

 

「イ・ウーが絡んでるからさ、キンジ。イ・ウーはどの国の国家機密でも最上位に位置するレベル。それが意味するところは理解できるだろ?」

 

「京夜、あんたイ・ウーのこと……」

 

「知らないさ。知らないながらも今までの事件を整理するとそのくらいでないと納得いかない部分が多い」

 

「……付け加えるなら、深く知れば存在が消されるわ。戸籍、住民登録、銀行口座、レンタルショップの会員情報に至るまで、その痕跡を全てね」

 

 さらっと怖いこと付け加えたなアリア。キンジも引いてるぞ。

 オレも消されたくないし、イ・ウーについては詮索やめるか。

 

「そんなことよりね、キンジ」

 

 そんなことより!? そんなことで済む話だったか?

 

「あんたはどうするの。やるの?」

 

「あ……ああ」

 

「ふーん。なんで理子を手助けするのよ」

 

「それは……お前に関係ないだろ」

 

 ん?

 この感じはオレと似てるな。何か情報を取り引きに使われたか。

 哀れキンジ。ついでにオレもな。

 

「……カワイイ子に泣きつかれたから、助けるってわけ?」

 

「なんだよそれ。それはどちらかと言えばお前だろ。泣いて済むなら武偵はいらない」

 

「じゃあ、なんでよ」

 

 そこで少し黙ってしまうキンジ。そんなに知られたくない情報握られてるのか。

 

「キンジ? どうしたの」

 

「あ、いや……お前には関係ないことだ」

 

「――知ってるんだから。ふん。あんたが言わなくてもだいたい分かるわよ。理子はブリッ子だから、男子ウケいいもんね。むっ、むっ、胸もあるし」

 

 おっと、なにやら夫婦喧嘩に発展しそうな流れだな。

 巻き込まれる前においとまするか。

 しかし見てて飽きない奴らだよホント。ネタに尽きないというかなんというか。

 思いつつオレは興奮してきたアリアとそんなアリアを不思議に思うキンジの目を盗んでベランダへと出て上の階に戻っていった。

 案の定それから下の部屋からはアリアの止むことのない叫び声が。

 オレはそんなアリアの叫び声をBGMに、明日の準備を整えていったのだった。



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Bullet13

 早朝。

 まだ陽も低い位置にある明け方に、オレは横浜郊外にある洋館。紅鳴館の近くまでやって来ていた。

 理由は簡単。理子の依頼を遂行するためだ。

 しかし、写真で洋館の外観を見ていたにしても、実際見ると3割増しで不気味だなここ。

 辿り着いた洋館、紅鳴館は薄暗い鬱蒼とした森の奥にあり、周囲を囲む鉄柵は真っ黒な鉄串を突き上げていて、さらに内側は茨の茂みが続いていた。

 一言で言い表わすなら……そうだな……ホラーハウス!

 これがしっくりくるな。さらに言うなら、空想の生物、ドラキュラでも住んでいそうな館だ。

 そんな洋館をまずは外側から観察していく。

 監視カメラの数、位置から死角に至るまで逃すことなく確認記録し、次に仕掛けられた防犯システムを1つずつ見つけていく。

 実はそれに関するツールの用意が一番面倒臭かった。昨日はそれを用意するのに午後の時間は丸々潰れたからな。

 赤外線センサーからブービートラップの類、果てはないに等しいであろう殺人トラップの有無まで徹底的に調べ尽くしていった。

 そして洋館の外周を調べあげるだけでたっぷり3時間使ってしまった。

 まぁ、一番調べる範囲が広く面倒臭い作業を先にやったのだ。あとは中に侵入して調べ上げるだけ。

 だけとは言うが、この侵入も楽じゃないんだがな。

 今調べた外周の防犯システム――調べた限りでは監視カメラと赤外線センサーだけ――に引っ掛からずに、さらに中にいるハウスキーパー2人の目と、中の監視カメラ他を潜り抜けなければならない。

 理子の事前調査では、この洋館には主であるブラドは何年も来ていないらしく、今はほとんど来ることのない管理人と、ハウスキーパー2人がいるだけらしい。

 外周を調べるついでに時折館の中を観察していたが、やはり中にはハウスキーパー2人しかいないらしく、当初設定していた難易度は下がってくれた。

 とは言え、だ。これだけのセキュリティーで、まったく気付かれずに侵入して中を調べ、出ていくなんてのは、諜報科でもなかなかできるヤツはいないだろう。

 それなのに理子がオレに依頼してきたのは、きっと出来るという確信があったからだと今更ながらに思う。

 理子がどうやって幸姉の情報を得たのかは知らないが、あの人の情報を引き出せたなら、オレの『過去』について調べるなんてのは朝飯前だろうからな。

 おっと、今はどうでもいいか。今はその依頼主の期待に応えるとしよう。

 失敗したら幸姉の情報も手に入らないしな。

 オレはそれから頭を切り替えて、監視カメラと赤外線センサーの網を潜り抜けて、ハウスキーパーが換気のために開けていた2階の窓からするりと侵入。さっそく内部を調べにかかる。

 まずハウスキーパーが出入りする場所と廊下には監視カメラくらいしかついていないだろう。

 これはほぼ間違いない。そんな場所に防犯システムを仕掛けて、毎回ブーブー鳴られたらたまったもんじゃない。

 たとえ仕掛けてあっても、確実にハウスキーパーの活動しない時間帯にしか作動させないはずだ。こっちの確認は最後だな。

 オレは侵入した部屋からハウスキーパーと監視カメラの目を盗みながら、事細かにカメラの位置や死角になるところを記録していき、ゆっくりだが正確に、そして確実に歩を進めていく。

 2階が済むと3階へ。それも一苦労である。

 何せこの館、監視カメラの数がおかしい。何をそんなに警戒してる? ってくらいの数だ。死角なんてないに等しいしな。

 それでも死角はあるからこうやって動けてるわけだが。

 そうして3階も調べ終わったオレは、休憩がてらに書き込んでいた資料に目を通して見落としがないかをチェックしていく。

 こういう防犯システムは、だいたいどの位置に仕掛けられるか中を見れば分かってくるもので、見落としがあればどこかにぽっかりと監視の穴が空いたりする。

 そういうのがないかを確かめるのも大事になってくる。

 そして休憩と確認を終えて、3階から1階へ音もなく降りたオレは、2、3階同様に隅々まで観察し記録していった。

 ここまでは順調と言っていいだろう。

 しかし、この洋館最大の難所がオレの前に立ちはだかった。

 ――地下室。

 これは……無理だ……

 こいつが理子から渡された見取り図から見ても、出入口が1階に1つあるだけ。

 つまりは隔離部屋のような場所なのだ。しかもその地下室に続く扉付近には、昼でハウスキーパーがいるにも関わらず、監視カメラ以外に防犯センサーが作動していた。

 隅々まで館を見て回ってみたが、理子の言っていた宝物――理子の話では青く輝くピアスみたいに小さな十字架らしい――とやらは地上階には見当たらなかった。

 というか金庫なんかの貴重品入れもなかったし、管理するのに適した物も場所もなかった。

 つまりはそういった貴重品は全て地下室にあると仮定できるわけだ。

 館内部に侵入してもうすぐ1時間。

 そろそろ換気の時間も終わりと見ていいだろう。午後からは確か雨も降るらしいからな。

 そうなってハウスキーパーが窓を閉めてしまうとオレはこの館から『痕跡なく脱出する』ことができなくなる。

 脱出できなくなるわけではないが、やはりここら辺は確実に行きたいしな。

 理子との取り引きをオレ優位で進めるために、宝物とやらも取り返しておきたかったが、どうやら今から地下室への道を突破する猶予はないらしい。

 あとは怪盗アリアと怪盗キンジに任せるか。

 オレはそれで引き際と思いまた2階へと上がり、侵入した窓のある部屋に入りまたハウスキーパーと監視カメラの目を盗みながら、紅鳴館をあとにした。

 しかしその脱出する間に少し気になるものを発見した。いや、ものというか、行動だな。

 ハウスキーパーが防犯システムを少しいじっていたのだ。大したことではないが、あれはおそらく定期的に防犯システムの位置を変えているのだろう。

 手つきが手慣れていたから、習慣づいてないとハウスキーパーが防犯システムをいじるなどないに等しいからな。こいつも書き加えておくか。

 そうして無事に依頼を終えたオレは夕方、理子と合流するために、秋葉原のとあるメイド喫茶に来ていた。

 

「ご主人様、お帰りなさいませー!」

 

 理子との付き合いで何度か来ることはあったが、やっぱりこの独特の空間は慣れないな。

 まずご主人様って呼ばれ方に抵抗があるし、ここが理子イキツケで顔を覚えられてるのも居づらい理由だろう。

 さらにご丁寧なことに個室まで用意されてるし、何故かメイドさん3人がにこにこ笑顔で離れず接待してきて、ホントに困る。

 

「あのさ、他にお客さんいるだろ? そっち行かないのか?」

 

「理子さまから到着するまで丁重におもてなしするように伝えられておりますので」

 

「ご主人様がご不自由がないように精一杯のおもてなしをさせていただきます!」

 

「ですから、なんなりとお申し付けくださいね」

 

 理子のやつ、いらんことを……っていうかなんで理子がここのメイドさんに命令できる!? 店長かあいつは!?

 

「じゃあ、他のお客さんのところに行ってく――」

 

「「「それはダメです!」」」

 

 なに? 即答だと?

 しかも言った後オレの座るソファーの逃げ道を塞ぐように両隣を占拠され、テーブル越しの正面にもにこにこ笑顔のメイドさん。もう嫌だ、帰りたい。

 そんなオレの表情を読み取ったらしいメイドさん達は、途端に涙目になり悲しげな表情をする。

 理子に仕込まれたのか? いらんことを教えやがって。

 

「……わかったよ……理子が来るまでいてくれ」

 

「「「はいっ! ご主人様!」」」

 

 それからオレは張り切って会話やおもてなしをする3人のメイドさんにほどほどで付き合いながら、依頼主の理子の到着を待ったのだった。

 しかしよく話す。というかオレへの質問がやたら多いな。

 好みの女性のタイプとか、好きな女性の仕草とか……

 

「理子りんとーちゃーくっ!」

 

 1時間後、いつものハイテンションで個室に入ってきた依頼主、理子は、接待をしていたメイドさん3人を集めて何やらひそひそ話をしたあと、個室から出してオレの左隣に腰を下ろした。悪いが耳は良いから聞こえたぞ。

 

「ごめんねキョーやん。ちょっとキーくんとラブラブデートしてたの。きゃはっ!」

 

「きゃはっ! じゃねーよ。最初からオレを待たせるのが目的だったろ」

 

「あ、わかっちゃった? んーとね、ここのメイドちゃん達がー、前々からキョーやんとお話したいって言うから、今回取り計らってみましたー!」

 

「それでまた明日も取り計らうって話をしたのか?」

 

「キョーやん地獄耳ー。いーじゃんいーじゃん。明日はアリアとキーくんも交えてここで『大泥棒大作戦』会議やるんだからー」

 

「オレの依頼はこれで達成だろ? なら明日ここに来る理由はない」

 

 オレは言いながら今日調べ上げた紅鳴館のセキュリティー状況を記した資料をテーブルに投げて理子に渡す。

 理子はさっそくそれを広げて目を通しながら、持ってきたノートパソコンを開き、書かれた内容を細かくデータ入力していった。

 

「……京夜、約束と違うぞ。地下室のデータがない」

 

「……地下室の守りは厳重で、無傷での突破は無理。時間的にも限界だった。加えてお前の宝物とやらは他の隠せそうな場所にはなかった。その代わり、他は申し分ないだろ」

 

「違うな京夜。あたしは最低でも館のセキュリティー全てを調べ上げてこいと言ったはずだぞ。これはお前の落ち度だ」

 

 ちっ……やはりそう上手くいかないか。

 どんなに強気に言っても、理子の依頼を完遂できてないのは事実だからな。

 だがオレも素直に退きはしない。

 

「……理子。お前最初からオレが地下室を探れないと分かってて、それでもオレを動かすために真田幸音の情報を餌にしたな?」

 

「100%じゃない。だが80%くらいはそう読んでいた。だから始めからお前を『第1の策』として使った。ここで済めばそれが最高だったが、あたしはお前にそこまでの期待をしてないからな」

 

「それならお前も契約違反だ、理子。始めから失敗の確率の方が高い依頼なら、依頼したそちらにも落ち度がある。それならお前には報酬を払う責任がある。違うか?」

 

「……確かにな。やはりお前は簡単に丸め込めないか。だが20%はお前を信用していたのも事実だ。なら互いにもう1度正当な契約をしよう」

 

 ああ、なるほどな。だから『明日』か。

 

「それでオレが改めて契約した依頼を全うできたなら、真田幸音についての情報をくれる、だろ?」

 

「その顔、理子だーいすき。頭の冴えてる京夜、クラッときちゃう」

 

「キンジが恋人なんだろ? 浮気はよくないんじゃないか?」

 

「京夜もキンジと同じで理子の好きを受け入れてくれないんだ。やっぱり『初恋』が忘れられな――」

 

 ガンッ!

 理子が言い切る前にオレはテーブルを左拳で思い切り叩く。

 そのテーブルにはわずかにひびが入っていた。

 

「おしゃべりが過ぎるな、理子。何も知らないお前がズカズカと土足でオレの中に入り込むなよ。確かにオレはお前を凄いヤツだと認め、友人として少し親しくはしてるが、心まで許したつもりはない。これは警告だ。次は気を付けろよ」

 

「くふっ。京夜が感情を面に出すなんて珍しい。レアなもの見ちゃって理子ラッキー。でもちょっとゾクッと来たから、これからは気を付けておくよ」

 

「……明日はいつ来ればいいんだ?」

 

「夜にメールしまっす! 本日はおつとめご苦労様でしたっ! 隊長っ!」

 

 オレの怒りが収まってきたのを悟った理子は、それからいつもの調子に戻ってそう話し、個室を出ようとするオレに笑顔で手を振って見送りをしてきた。

 ったく、調子の狂う相手だよお前は。

 オレもまだまだだな。あんな程度で感情をむき出しにするなんて。

 それからオレは頭を冷やしながらメイド喫茶を出て家へと帰り、小鳥の作った夕飯を食べてから、言ったとおりに届いた理子からのメールを確認してさっさと就寝したのだった。

 翌日。

 理子の指示通りの時間にあの店に行ったオレは、またもあの個室に通されてキャッキャと騒ぐメイドさん達と昨日同様ほどほどに話をしながら、『大泥棒大作戦』なる会議に参加する役者達の到着を待つ羽目になった。

 てか、なぜ理子がいない! お前はまず先にいるもんだろうが!

 ……まぁ、型にはまるような奴なら、オレもあいつを認めたりはしないんだが……

 

「京夜! あんたがなんで!?」

 

 1時間後、個室の扉が開いて入ってきたのはアリアとキンジ。

 入って早々アリアがメイドさんと一緒にソファーに座ってるオレを見てそう言った後、何か怖い目をしてオレを見てきた。オレが何をした?

 

「依頼人様からの召集だよ。内容はまだ全く聞かされちゃいないがな」

 

「そう。じゃあその待ち時間は女の子と遊ぶんだ?」

 

「これも依頼人の悪ふざけだよ。オレの意志じゃない」

 

「そんな、酷いですご主人様」

 

「私達がこんなに一生懸命尽くしていますのに」

 

「それがお気に召さないだなんて」

 

「「「ぐすん」」」

 

「……な?」

 

「猿飛も大変だな」

 

「……とりあえずあなたたちは部屋から出なさい。あたしが落ち着かないわ」

 

 それからメイドさんを追い出したアリアは、メイドさんの格好を批判しながらご機嫌ななめなまま理子の到着を待つのだった。

 

「ごっめぇーんチコクしちゃったー! いそぐぞブゥーン!」

 

 それからしばらくして、そんな空気を読まない発言で個室に入ってきた理子は、ゴスロリ制服にしましまタイツ、首にはでかい鈴というふざけた格好だった。

 そして理子は自分とオレ達の注文を勝手に取ってからソファーに腰を下ろしていった。

 

「……まさか、リュパン家の人間と同じテーブルにつくとはね。偉大なるシャーロック・ホームズ卿もきっと天国で嘆かれてるわ」

 

 勝手に注文されたももまんを食いながら、これまた巨大パフェを平らげてる理子にそう話を切り出すアリア。

 お前らはここに何しに来た?

 

「理子。俺たちは茶を飲みに来たんじゃない。まず確かめておくが――アリアと俺にした約束は、お前、ちゃんと守れるんだろうな?」

 

 おっ、キンジが流れを作るとは珍しい。いいぞ。

 

「もちろんだよダーリン」

 

 しかしそれを打ち砕くのが理子。困る。

 

「誰がダーリンか」

 

「ぷは。キーくんに決まってるじゃーん! 理子たちコイビトじゃーん!」

 

「コンマ1秒たりともお前とそういう関係にあったことはねえ!」

 

「ひどいよキーくん! 理子にあんなコトまでしといて! やりにげだ!」

 

「なんもやってねえだろそもそも!」

 

 だんっ、だんっ!

 ……アリア。タイミング的にはベストだが、机を撃つな。ビビる。

 

「そこまで。風穴あけられたくなければ――いいかげんミッションの詳細を教えなさい」

 

「お前が命令すんじゃねえよ、オルメス」

 

 喧嘩腰な2人をオレはやれやれといった感じでスルー。

 誰が止めてやるか。こんな奴ら。頑張れキンジ。

 男喋りになった理子はそれから昨日データを打ち込んでいたノートパソコンを開いて起動させ、画面をオレ達に向けた。

 

「横浜郊外にある、『紅鳴館』――ただの洋館に見えて、これが鉄壁の要塞なんだよぉー」

 

 一瞬でいつもの理子に戻ってそう話す中、アリアとキンジは画面から目を離さなかった。

 そこには洋館の見取り図と、昨日オレが調べ上げた防犯システムについて、さらに侵入と逃走に必要と思われる作業が……想定されるケース毎、予定日時ごとに緻密に計画されていた。これはさすがに凄いな。

 

「これ……あんたが作ったの」

 

「うん」

 

「いつから」

 

「んと、先週。仕上げは昨日」

 

 それには聞いたアリアも口あんぐり。

 確かにこれだけの計画はなかなか作れない。

 

「どこで誰に作戦立案術を学んだの」

 

「イ・ウーでジャンヌに習った」

 

 習った程度で身に付くもんかは怪しいが、あのジャンヌから習ったなら納得もできるか。

 

「キーくん、アリア。理子のお宝は――ここの地下金庫にあるハズなの。でもここは理子にも1人じゃ破れない、鉄壁の金庫なんだよ。もうガチでマゾゲー。でも……息の合った優秀な2人組と外部からの連絡役が1人いれば、なんとかなりそうなの」

 

「それで、あたしとキンジをセットで使いたいってワケね」

 

 ……ん?

 今の話だとオレ必要ないぞ。どうなってる理子よ。

 

「……で、理子。ブラドはここに住んでるの? 見つけたら逮捕しても構わないわね? 知ってると思うけど、ブラドはあんたたちと一緒にママに冤罪を着せたカタキの1人でもあるんだからね」

 

「あー、それムリ。ブラドはここ何十年も帰ってきてなくて、管理人とハウスキーパーしかいないの。管理人もほとんど不在で、正体がつかめてないんだけどねぇー……」

 

「まぁ……分かった。で、俺たちは何を盗み出せばいいんだ」

 

「――理子のお母さまがくれた、十字架」

 

「あんたって――ほんと、どういう神経してるのっ!? あたしのママに冤罪を着せといて、自分のママからのプレゼントを取り返せですって!? あたしがどんな気持ちか、考えてもみなさいよ!」

 

「おいアリア、落ち着け。理子の言うことでいちいち頭に来てたらキリがないぞ」

 

「頭にも来るわよ! 理子はママと会いたければいつでも会える! 電話すればすぐ話せる! でも、あたしはママとアクリルの壁越しに、ほんの少しの間しか――」

 

「うらやましいよ、アリアは」

 

「あたしの何がうらやましいのよ!」

 

 収まることを知らないアリアの怒りはとうとう最高潮に達し、うらやましいと言った理子に立ち上がってからガバメントを抜き放った。

 しかしそんなアリアに対して理子は対抗せずに視線を落として寂しそうに言葉を発したのだった。

 

「アリアのママは、生きてるから」

 

 それを聞いたアリアが、ガバメントを持つ手の力を緩めたのがオレにはわかった。



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Bullet14

「理子には――お父さまも、お母さまも、もういない。理子は、お2人がお歳を召されてからやっとできた子なの。お2人とも、理子が8つのときに……亡くなってる」

 

 寂しげな表情のまま、オレ達にそんな話を始めた理子。

 こればかりは本当に寂しいのだろうなと感じずにはいられないが、100%かと言われれば、怪しいな。

 

「十字架は……お母さまが、理子の5つのお誕生日に下さった物なの」

 

 そこまで聞いたアリアは、向けていたガバメントを下ろしてすとんと席に着いた。

 

「あれは理子の大切なものなの。命の次ぐらいに大切なものなの。でも……ブラドのヤツ。アイツはそれを分かってて、あれを理子から取り上げたんだ。それを、こんな警戒厳重な所に隠しやがって……ちくしょう……」

 

 感情が入ってはいる。おそらく母親に対する愛情も、ブラドに対する憎悪も本物だ。

 だが、そういった感情すら利用するのが、峰理子という人物だ。

 だからオレは情には流されない。オレはオレの目的だけを考える。

 そうしないと、非情にならないとこいつに出し抜かれるかもしれない。

 

「ほ、ほら。泣くんじゃないの。化粧が崩れて、ブスがもっとブスになるわよ」

 

 そんなオレとは対照的に、アリアは情に訴える理子に優しく手を差し伸べる。

 

「ま、まぁ……とにかく、その十字架を取り返せばいいんだな?」

 

 キンジもアリアに合わせるようにそう言い話を本筋に戻す。

 

「泣いちゃだめ理子。理子はいつでも明るい子。だから、さぁ、笑顔になろっ」

 

 自分にそう言い聞かせた理子は、その時お冷やを注ぎに来たメイドさんを見ていつもの調子に戻って話を再開した。

 

「ふつーに侵入する手も考えたんだけど、それだと失敗しそうなんだよね。奥深くまではデータが無いし、お宝の場所も大体しか分かんないの。トラップもしょっちゅう変えてるみたいだから――しばらく潜入して、内側を探る必要があるんだよ!」

 

「せ……潜入?」

 

「どうすんだよ」

 

 アリアとキンジが当然の質問をすると、理子は両手を高々と上げて宣言した。

 

「アリアとキーくんには、紅鳴館のメイドちゃんと執事くんになってもらいます!」

 

 潜入捜査は武偵としては今や珍しくない。オレも最近はやってないが、何度かやってるしな。

 それで、今回潜入する紅鳴館。

 理子の話では、ハウスキーパーが休暇を取るらしく、管理人が帰ってくるのに加えて、臨時の雑用係を2人募集していたらしい。

 その採用通知をすでに貰っていたという理子の仕事の早さに驚きつつ、アリアとキンジはその雑用係2人に選ばれたわけだ。

 そして除け者と思われたオレにも仕事が与えられていた。

 『紅鳴館内部に潜伏しアリアとキンジのサポートに回る』という仕事だ。

 まぁ、当然管理人に見つからないようにという条件付きではあるが、アリアとキンジが雑用係な分、俄然やりやすい。これがハウスキーパー2人だったら地獄だ。

 そんなことを考えながら、オレは学園島の一角にある工場現場の上階で理子の与えた仕事をシミュレーションしていた。

 そのオレの目に不意に飛び込んできたものがあった。

 ――白い犬。

 だとは思った。

 その犬はオレがいる工場現場に入っていき、すぐに姿が見えなくなったが、遠近法からその犬の寸法を概算で出すと、明らかに大きい。大型犬という枠にすら入らないほど。

 その後すぐにその犬を追いかけるかのように1台のバイクが疾走してきて、そのバイクにはキンジと、後ろに下着姿のレキが乗っていた。

 ……いけない関係か、キンジ。おっと、冗談言ってる場合じゃないか。ちょっと気になるし下に降りるか。

 そうして降りた階には、バイクで犬と押し合うキンジとレキの姿が。

 しかしあれは……犬じゃない。『狼』だ。

 マ、マズイ! 狼はマズイぞ。オレは狼が……

 思っていると狼はキンジ達から離脱し、10メートルはあろう工事中の亀裂を飛び越えて逃げてしまう。

 

「キンジ! レキ!」

 

「猿飛?」

 

「京夜さん」

 

「あの狼は……」

 

「急に現れて俺たちを強襲してきた。逃がすわけにはいかないだろ」

 

 キンジは言ったあとベレッタを抜き工場現場の足場を撃ち崩してジャンプ台にしてから、狼が飛び越えていった亀裂をレキを乗せたままバイクで飛び越えていった。

 お、置いていかれた。ちょっとこの亀裂は飛び越えられないぞ。

 

「――私は1発の銃弾――」

 

 亀裂をどう飛び越えようか考えていたオレの耳に、レキの狙撃の時の呪文が聞こえてきた。

 見ればレキはバイクの後ろで立ち上がり、狙撃銃、ドラグノフを目の前の新棟を登っていく狼に向けていた。

 

「銃弾は人の心を持たない。故に、何も考えない」

 

 待てレキ。待ってくれ。そいつはオレが……

 

「ただ、目的に向かって飛ぶだけ――」

 

 ――タンッ。

 オレの願いも虚しく、レキのドラグノフから1発の銃弾が飛び、それは狼の――背中を掠めただけで、命中しなかった。

 レキが外した? 初めて見たぞ。

 思いつつ、仕方なく遠回りしてそちらに行き、新棟の屋上へと辿り着くと、そこには力なく倒れる狼と、対峙するレキに、おそらくは『使えるキンジ』がいた。

 

「――脊椎と胸椎の中間、その上部を銃弾で掠めて瞬間的に圧迫しました。今、あなたは脊髄神経が麻痺し、首から下が動かない。ですが――5分ほどすればまた動けるようになるでしょう。元のように」

 

 おいおい。外したんじゃないのかよ。

 もう殿堂入りだな、レキ様よ。

 

「逃げたければ逃げなさい。ただし次は――2キロ四方どこへ逃げても、私の矢があなたを射抜く」

 

 そしてそのままレキと狼はしばらく見つめ合っていた。

 それに緊張を覚えたキンジがベレッタを抜いたが、オレはそれを手で制して黙ってその様子を見ていた。

 

「――主を変えなさい。今から、私に」

 

 そう言ったレキに対して狼はよろよろと立ち上がり、レキの前まで来ると、そのふくらはぎに頬ずりをした。まるで従順な犬のように。

 ……はぁ、先を越されたか。

 キンジはその様子に驚きつつも、安堵の息を吐いてベレッタを収めた。

 

「……で、どうするんだ? その狼」

 

「手当てします。服従していますから」

 

 キンジの問いに対してレキはそう即答し狼を撫でてみせる。

 

「それからどうする」

 

「飼います」

 

「か……飼う?」

 

「始めからそのつもりだったな、レキ」

 

「はい」

 

「そ、そうだったのか……でも女子寮はペット禁止だぞ。まぁ、そんなルールは厳密には守られてはないと思うが、ソイツはでかすぎる」

 

「では武偵犬ということにします」

 

 ははっ、強引。武偵犬は警察犬や軍用犬の武偵版だが、狼を犬とはね。

 

「いいんじゃないか? オレとしてはソイツを手懐けたかったが、まぁレキなら仕方ないさ」

 

 オレは言いながらレキのそばで屈んで狼と目線を合わせて見つめると、狼は数秒オレを見てから、顔を執拗に舐め始めた。

 もうオレの動物に好かれる体質は誇っていい気がしてきた。

 

「京夜さんもこの子を?」

 

「ま、まぁな。子供の頃に怪我した狼の子供の世話をしたことがあってな。その頃から狼には目がなくてつい。だが、レキに服従したなら諦めるさ」

 

「そうですか」

 

「……まぁいいよ。レキの意思を尊重して、その狼のことは任せる。あと……そろそろ、服を着てくれないか?」

 

 その後、『ハイマキ』と名付けられたその狼は、レキの武偵犬として正式に通ったらしく、時々オレも構いに行ったりしていた。

 そんなこんなで数日。

 どうやらアリアとキンジのメイド、執事化する準備に手がかかるとかで、オレは半ば放置気味にされていた。

 オレはバリバリ専門分野だから、何かを新たに仕込む必要はないからな。こればかりは仕方ないと割り切ろう。

 そう思いつつ音楽室の前を通りかかったオレは、そこにいた人物をつい2度見して、気付けば話しかけていた。もうほとんど無意識でだ。

 

「ジャンヌ」

 

「猿飛京夜か」

 

 そこにいたのは、武偵高のセーラー服姿の魔剣、ジャンヌ・ダルク30世だった。

 ジャンヌは何食わぬ顔でオレを見て名を呼ぶと、座っていたピアノの椅子から立ち上がり窓の外に目を向けた。

 見ればポツポツと雨が降り始めていた。

 改めて見てもこいつは……綺麗だな。細長い2本の銀髪おさげを頭の上でまとめ、さらに長い後ろ髪を背中に垂らした切れ長の碧眼。

 

「同じ人間に見えん……」

 

「なんだ? 猿飛」

 

「あ、いや、なんでもない」

 

 やべっ、口に出た。

 ジャンヌには聞こえてなかったみたいだな。良かった。

 

「それよりお前がここでその制服を着て自由にしてるってことは……」

 

「察しのとおり、司法取引だ」

 

 やっぱりか。

 理子の件もあったからな。予想は容易だったが、まさか武偵高で堂々としてるとはな。

 

「とはいえ、自由とは程遠い。今の私は囚われの身も同然だ。取引条件の1つで、東京武偵高の生徒になることを強制されているのだからな。そして今の私はパリ武偵高から来た留学生、情報科2年のジャンヌだ」

 

 ……タメかよ!?

 てっきり1つくらい年上かと思ってたぞ。

 

「今の待遇に不満か?」

 

「本来であれば拘置所行きだったことを考えれば、幾分マシだ。しかしこの制服はなんだ。いくら女性が拳銃を腿に隠すのがデリンジャー時代からの伝統とはいえ――未婚の乙女は、こんなにみだりに脚を出すものではない」

 

 そう話すジャンヌはオレとは顔を合わせずに、窓ガラスに映る自分の姿を恥ずかしそうに見ていた。

 それにしても古い考え方だなオイ。第1、未婚の乙女って……

 まぁ、オレも好きな女性には過度な露出はしてほしくはないが……ってなに考えてる。

 

「嫌なのか? 制服。オレは似合ってると思ったが」

 

「なっ!? 私が似合ってるだと!?」

 

 ジャンヌは言われてバッ!

 オレに振り向きそんな確認をしてきた。

 その顔はほんのり赤く染まっていたが、可愛い一面もあるんだな。

 

「オレは女性を褒める時は正直だよ。特にジャンヌみたいな美人にはな」

 

「口が達者だな、猿飛。だが、褒められて悪い気はしない。ありがたく受け取っておくとしよう」

 

「京夜でいい。武偵高にいる以上はジャンヌもオレと仲間ってことだろ?」

 

「その辺りの割り切りの良さはリュパン4世……理子から聞いた通りと言ったところか。だが、私は私をこんな仕打ちへと追いやったお前と馴れ合うつもりはない」

 

 ああ、だからアドシアードの時、オレを知ってる風だったのか。

 しかしオレも嫌われたもんだ。

 

「いいじゃないか。これを機に武偵として真っ当な道を歩んだってよ」

 

「私は魔女だ。貴様等と対等な立場に納まると思うのか?」

 

「自ら孤独になろうってか? 寂しいねぇ。なら対等に見なくていいさ。困った時はオレを頼れ。出来る限りの力は貸してやる。いや、こうかな? 『力をお貸ししますよ、姫君』?」

 

 オレは言いながら紳士さながらの丁寧なお辞儀をしてジャンヌに敬意を払う。

 

「私を蹴落としたお前が力を貸すだと? これはいい。それならば存分に利用させてもらうとしよう。お前が割と優秀な人種であることは確認済みだからな」

 

「割とって……まぁ互いに可もなく不可もなくな関係が今のところはベストだろ」

 

「それ以上にはならないぞ」

 

 それで互いにフッ、と薄い笑みを浮かべて、オレは机に浅く座り、ジャンヌはピアノの椅子へと腰を下ろしたのだった。

 

「ジャンヌ、少し話を聞いてもいいか?」

 

 互いに座って数秒、オレはジャンヌにそう話を切り出すと、ジャンヌは目を閉じたままピアノの鍵盤を開けて音の調子を確かめるようにドから順に音を鳴らす。

 

「内容にもよるが、とりあえず話してみるといい。答えるかはそれからだ」

 

 とりあえず話は聞いてくれるらしいな。

 それだけでも十分だ。たとえ答えが返ってこなくても、本気になれば表情の変化から探れることも多々ある。

 やって損はないだろう。実は逮捕した時に聞きたかったことでもあるし。

 

「ジャンヌは真田幸音という名に聞き覚えはあるか?」

 

「真田幸音? ああ、あの変人か。知っているよ」

 

 この反応は……ジャンヌは絡んでないっぽいか?

 オレはずっと魔剣が絡んでると思ってたんだが……となると幸姉は自分の意思で家をってことになるのか……

 それにしても変人……ねぇ……

 確かに世間一般から見たら群を抜いてるくらいの変人ぶりだよな、あの人は。

 だが『ジャンヌも知っている』となると、ある可能性が生まれてくる。

 

「その人は今、イ・ウーにいるのか?」

 

「……知りたいか? 猿飛京夜」

 

「当たり前だ」

 

「ふむ……しかしイ・ウーは知っているだけで身に危険が及ぶ、国家機密だ。そうほいほいと話すわけにもいかない」

 

「今更オレの心配か? 優しいじゃないか」

 

「違う。問題はイ・ウーが私闘を禁じていないことだ。話す内容によっては、私が狙われる」

 

「仲間なのにか?」

 

「イ・ウーに仲間意識などない。ついでに言うなら、私はイ・ウーでは『最弱』だ。私闘になれば勝ち目はまずない」

 

 ……はっ? ジャンヌが最弱だと?

 オレ達が束になってやっと逮捕したこのジャンヌが……イ・ウーで最弱、だと?

 冗談も程々にしてほしいもんだ。

 

「イ・ウーでは、天賦の才を神より授かった者達が集い、技術を伝え合い、どこまでも強くなる――いずれは、神の領域まで」

 

 要は互いの長所を集め合って無敵の超人になろうってのがイ・ウー。

 これが可能なら確かに神にでもなれるかもな。

 

「組織としての目的はない。目的は個々人が自由に持つものだ」

 

 だが、その集まりに法が存在しないのだ。

 そんな無法者達が集まってるとなると質が悪い。なんて組織だ。

 

「じゃあ、ジャンヌが理子の得意な変装や変声術を使えるのも、理子がジャンヌから作戦立案術を学んだりも、その理念の賜物ってわけか」

 

「そういうことだ。だが、全員が全員、仲良くやれているわけではない。ああ、私は理子は好きだぞ。あれはイ・ウーきっての努力家で、そのひた向きさには好感を持てる」

 

「理子が、努力家?」

 

「イ・ウーで最も貪欲に力を求め、勤勉に学んでいたのが――峰・理子・リュパン4世だ。理子は自分を誰よりも有能な存在に変えたがっていた。悲痛なまでに、一途に……な」

 

「……有能な存在に変わる必要があったから?」

 

「そうだ。理子は少女の頃、監禁されて育ったのだ。理子がいまだに小柄なのは、そのころロクな物を食べさせてもらえなかったからで……衣服に対して強いこだわりがあるのは、ボロ布しか身にまとう物がなかったからだ」

 

「……リュパン家は泥棒家系だが、それなりに裕福だったんじゃないのか?」

 

「リュパン家は理子の両親の死後、没落したのだ。使用人たちは散り散りになり、財宝は盗まれた。最近、母親の形見の銃を取り返したそうだがな。没落した当初、まだ幼かった理子は、親戚を名乗る者に『養子に取る』と騙され……フランスからルーマニアに渡った。そこで囚われ、監禁されたのだ。長い間な」

 

「……ブラドに、か?」

 

「察しがいいな。その通りだ」

 

 なるほどな。これで理子のブラドに対する怒りの正体が見えてきた。

 だが、今まで監禁されていた理子が今こうして動けている理由は……なんだ?

 

「とはいえ――理子が監禁されていた話については、私も詳しくは知らない。ブラドから僅かに聞いただけだからな。しかし……ブラド本人については、少しだけ教えておこう。あいつは危険すぎるからな。先日ここに現れたというコーカサスハクギンオオカミ。あれは私の見立てではブラドの下僕と見てまず間違いない」

 

 先日、となると、レキが手懐けたあの狼しかいないな。

 

「ブラドについて、詳しいのか?」

 

「我が一族とブラドは、仇敵なのだ。3代前の双子のジャンヌ・ダルクが初代アルセーヌ・リュパンと組んで、3人組でブラドと戦い――引き分けている」

 

 ……はっ? 3代前? 初代アルセーヌ・リュパン? 一体いつの話を……

 

「1888年。まだ下半分しかできていなかった、パリのエッフェル塔で、ブラド本人とな」

 

「120年以上前……まさかブラドは人間じゃないとか言わないよな?」

 

「そうだ。奴は人間ではない。日本語でなんと言えばいいかはわからないが――強いて言うならばオニ、と言ったところか」

 

「……それを信じろと?」

 

「信じる信じないはお前が決めることだ。だが、私は嘘は言っていない。……そしてブラドは理子を拘束する事に異常に執着していてな。檻から自力で逃亡した理子を追って、イ・ウーに現れたのだ。理子はブラドと決闘したが、敗北した。ブラドは理子を檻に戻すつもりだったが、イ・ウーで成長著しかった理子に免じて――ある約束をした。『理子が初代リュパンを超える存在にまで成長し、その成長を証明できれば、もう手出しはしない』と」

 

 それでその証明にアリアを……シャーロック・ホームズ4世を倒そうとした……いや、してるってわけか。納得。

 

「ブラドって奴がヤバい相手だってのは理解できた。ついでに理子の行動目的も、今に至る経緯もなんとなく、な。話を聞けて良かったよ」

 

「礼など不要だ。これからブラドの屋敷に潜入しようというお前に、警告してやったまでだ」

 

「優しいんだな、ジャンヌは」

 

「なっ!? やめろ! お前はそのような言葉を平然と言う奴ではないと理子から聞いていたが、訂正しなければならないな」

 

 言ったジャンヌはオレから顔を逸らしてしまうが、照れ隠しに見えて仕方ない。

 

「オレをわかった気でいる理子にはあとでげんこつ混じりに言っておくとして、潜入前に話を聞けて本当に助かった。なんか幸姉の話から逸れたが、そっちはまたの機会にしておくよ」

 

「そのまた、があればの話だがな」

 

「怖いこと言うなよ」

 

 オレはそれで机から立ち上がり音楽室を出ようと歩を進めた。

 

「おっと、肝心なことを言い忘れた。お前が武偵高の生徒なら、オレがお前をパートナーに勧誘してもいいわけだな」

 

「バカかお前は。そんな誘いに応じるわけ……」

 

「オレは結構本気だぞ。実力はこの目で見てるしな。まぁ、心の片隅にでも留めておいてくれよ」

 

 そう言い残して音楽室を出たオレは、その直前に本気で困惑した顔をしたジャンヌを見て、思わず笑みがこぼれたのだった。



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Bullet15

 6月13日。ついに潜入作戦開始の日が来た。

 どうやら貴族であるアリア様のメイド化が予想以上に大変だったらしいが、オレはノータッチだったからよく知らん。

 しかしこれから2週間も館に潜伏するとか、気が狂うかもな。

 アリアとキンジは姿を晒していいからいいが、オレは姿を晒さずに2週間だ。

 そんなわけで朝早くからモノレールの駅で待ち合わせしていたアリアとキンジと一緒に、理子の到着を待っていた。

 

「キーくん、アリア、キョーやん、ちょりーっす!」

 

 そんなオレ達に理子の声が聞こえ、一斉に声がした方を向くと、そこにはオレが顔だけ知る人物がいた。

 

「……カナ?」

 

「あれ? キョーやん、カナちゃんを知ってるんだ」

 

「いや、京都にいた時に挨拶程度だがな」

 

「……り、理子……なんで、その顔なんだよ!」

 

 カナの顔をした理子とオレが話す横で、何故か動揺するキンジがそんな質問をする。

 カナと知り合いか?

 

「くふっ。理子、ブラドに顔が割れちゃってるからさぁ。防犯カメラに映って、ブラドが帰って来ちゃったりしたらヤバいでしょ? だから変装したの」

 

「だったら他の顔になれ! なんで……よりによってカナなんだ!」

 

「カナちゃんが理子の知ってる世界一の美人だから。ちょっと『ゆきゆき』と迷ったけどぉ。それにカナちゃんはキーくんの大切な人だもんね。理子、キーくんの好きな人のお顔で応援しようと思ったの。怒った?」

 

 ゆきゆきって、幸姉か?

 ずいぶん親しい呼び方だが、今は反応しないでおくか。

 

「……いちいち……ガキの悪戯に腹を立てるほど俺もガキじゃない。行くぞ」

 

「心の奥では喜んでるくせにぃ」

 

 それでキンジは理子と一緒にさっさと改札に向かっていき、オレとアリアはポカーンとしていた。

 

「な、何。急にどうしたのよキンジ。理子が……ずいぶん美人に化けてきたけど、これ、誰なのよ。ねえ――キンジ、理子! ちょっと! 誰なのよそれ! ねぇ――カナって誰よっ!」

 

 叫ぶアリアだが、キンジも理子もまったく取り合わない。

 さすがにそれはないんじゃないか、お前ら。

 そしてオレ達はそのままモノレールに乗り、降りた先からタクシーで目的地の紅鳴館まで来たわけだが、その間カナに変装した理子とキンジが話しっ放しで、それをアリアが不安そうに見ていて、それをさらに遠目に我関せずに徹していたオレと、空気は良くなかった。

 潜入前に大丈夫か? このチームはよ。

 

「の、呪いの館……って感じね」

 

 紅鳴館を見たアリアの第一声にキンジも同じ気持ちなのか引きつった顔をしていた。

 オレは2回目だからもうリアクションは取らん。

 

「さて、キョーやんはお外で待機ねぇ。アリアとキーくんから合図があったら中に侵入。んで、完サポよろしくぅ!」

 

「あいよ」

 

 それからオレは管理人に挨拶に行く3人とは離れて、物陰に身を隠して合図を待つことになったのだが、やはり管理人とやらの顔は確認しておきたかったので、門の前で理子達と話をしている管理人を遠巻きに確認してみた。

 ん?

 あいつは……小夜鳴(さよなき)か?

 武偵高の救護科の非常勤講師で、女子生徒から『王子』とか呼ばれてるメガネ、長身、長髪のイケメン。性格も優しいときてる野郎だな。

 まぁ、女癖が悪いとか聞いたが、本当かどうかは今はどうでもいいか。

 てか、管理人が小夜鳴となると、アリアもキンジも顔が割れてる気がするが、大丈夫かこの作戦。

 などと思っていたが、小夜鳴はそんなオレの予想を裏切って、すんなり3人を中へと招き入れていった。

 あれ? オレの考えがおかしいのか?

 その後しばらくして理子だけが館から出てきてオレの元へと来ると、中での会話を手短に話してくれた。

 

「管理人は小夜鳴先生だったけど、作戦は特に問題なく実行。ブラドも来る気配はない。この後すぐキンジとアリアから合図があるはずだから、準備しておけ」

 

「了解。これからねずみのように住まわせていただきます」

 

「そして馬車馬のように働け。そうすれば約束は守ってやる」

 

「言うねぇ。だが、今は何も反論しないでやるよ。溜まった分は全部終わったらまとめて吐き出してやるから覚悟しろ」

 

「くふっ。えー! 理子怖ーい! キョーやん優しくしてぇ」

 

「言ってろ」

 

 それから理子は怪しい笑みを浮かべてどこかへと行ってしまい、オレは物陰からアリアとキンジの合図を待ち、それを確認してから迅速に館内に侵入し、これから2週間お世話になる屋根裏を占拠したのだった。

 そしてアリアとキンジは館内の防犯システムと小夜鳴の行動パターンを観察しながら、雑用係としての仕事をこなし、オレは当初の予定通りに防犯システムと小夜鳴の目を盗んで『とある作業』に精を出していた。

 で、あっという間に7日目の深夜2時。

 当初の打ち合わせにあった理子達との定期連絡の時間。

 それは3者間通話サービスを使った携帯で行われているわけだが、『3者間』なため、主要メンバー3人に携帯が渡り、どうしてもオレが参加できない残念仕様で文句を言いたくなる。

 そんなわけでオレはキンジの部屋に赴いてそれに参加してするわけで、今夜はキンジの部屋に赴いていた。

 

「――アリア、理子、聞こえてるか」

 

『聞こえてるわ。理子、あたしの声はどう?』

 

『うっうー! ダブルおっけー! そんじゃアリアから中間報告ヨロ!』

 

 テンションが1人だけ違う。何故か今はそのハイテンションがイライラする。

 

『……理子。あんたの十字架は、やはり地下の金庫にあるみたいよ。1度、小夜鳴先生が金庫に出入りするのを見たけど……青くてピアスみたいに小さい十字架よね? 棚の上にあったわ』

 

『――そう、それだよアリア!』

 

「だが、地下にはいつも小夜鳴がいるから侵入しにくいぞ。どうする」

 

『だからこその2人チームなんだよ、アリアとキーくんは。超・古典的な方法だけど――「誘き出し(ルアー・アウト)」を使おう。先生と仲良くなれた方が先生を地下から連れ出して、その隙にもう片方が十字架をゲットするの。具体的なステップは……』

 

 そうして理子は作戦を修正しながらオレ達にこれからの動きを指示していった。

 潜入10日目の夜。

 作戦も順調に遂行しつつ、その日も理子達と電話連絡をすることになっていたが、ずっと姿を隠したまま作業をしていたオレは予想通りストレスが溜まりまくり、どうにか発散させないと4日後の作戦決行のキンジ達が働く最終日まで持たない。

 そう思ったオレは、前回キンジの部屋に行って会話に参加したが、今回はアリアの部屋に行ってみた。

 理由はまぁ、3人のリアクションでも楽しもうと。

 

「きょ、京夜!? あんたなんでこっち!?」

 

 案の定アリアは電話連絡前に姿を現したオレに驚きつつ、ベッドから飛び上がる。

 しかし、過度に動いたり声を上げると小夜鳴に気付かれる可能性もあるため、必死に自分を制していた。

 

「野郎の部屋に夜中に忍び込むとか、萎えるだろ?」

 

「そういう問題じゃないでしょ! 今からキンジの部屋に……」

 

「おっ、時間だ。繋がないと何かあったと思われるぞ?」

 

「あんた最初から狙ってギリギリの時間に来たんでしょ。面倒だから余計な事言わないでよ」

 

「へいへい」

 

 それからアリアは携帯を取り出して理子達と繋いでいった。

 

『なぁアリア。猿飛がこっちに来てないんだが、そっちにいたりしないか?』

 

「いるわ。でも京夜はあたし達の反応見て楽しみたいだけみたい」

 

 おっ? 察しがいいなアリア。まさにその通りだ。

 キンジの質問にオレを睨みながら答えたアリアは、その後オレの思惑に嵌まるのを避けるように、夜這いだ密会だなどと騒ぐ理子を黙らせ話を進めていった。

 

「理子、キンジ。マズいわ。掃除の時に調べたんだけど……地下金庫のセキュリティーが、事前調査の時より強化されてるの。気持ち悪いぐらいに厳重。物理的な鍵に加えて、磁気カードキー、指紋キー、声紋キー、網膜キー。室内も事前調査では赤外線だけってことになってたけど、今は感圧床まであるのよ」

 

『な……なんだそりゃ……』

 

 聞いたオレもなんだそりゃ、だ。

 感圧床って確か、床に負荷がかかったら警報が鳴るんだよな。

 もはや室内に入るのにも飛ぶ羽がいるぞ。オレ達に鳥になれというのか?

 

『よし、そんじゃプランC21で行くかぁ。キーくん、アリア、キョーやん、なんにも心配いらないよ。どんなに厳重に隠そうと、理子のものは理子のもの! 絶対お持ち帰り! はうー!』

 

 ははっ、さすが怪盗の一族だ。厳重と聞いても燃えるとはな。

 

『んで、いま小夜鳴先生とはどっちの方が仲良しになれてるのかな? かなかな?』

 

『アリアじゃねーの。お前、新種のバラにアリアとか命名されて喜んでたもんな』

 

「よ、喜んでなんかないわよっ。何言ってんの? バカなの?」

 

『おいアリア、気をつけろよ? 小夜鳴には、女関係で悪いウワサがある』

 

「別に……悪い人には見えないけど?」

 

『いや。俺には少し怪しく見えるぞ。少なくとも、あまり好きじゃない』

 

 あー、また始まったよ、夫婦喧嘩が。はい我関せずモード。

 

『おお? おおおー? 痴話ゲンカってやつですか?』

 

「『違う』わよ!」

 

 こんな会話に割り込む辺りは理子らしい。

 オレは死んでもお断わりだが。

 

『じゃあ、とりあえず先生を地下金庫から遠ざける役目はアリアで決まりね! どう? できそう?』

 

「……彼は研究熱心だわ。おびき出しても、すぐ研究室のある地下に戻りたがると思う」

 

『夜もいつも起きてるし……いつ寝てるのか全くわからん。何の研究をしてるんだろうな』

 

「こないだちょっとお喋りしたとき聞いたけど……なんか、品種改良とか遺伝子工学とかって言ってたわ」

 

『キーくん、アリア。じゃあ時間でいえば、何分ぐらい先生を地下から遠ざけられそう?』

 

『アイツの普段の休憩時間の間隔から見て、まぁ、10分ってとこだろうな』

 

『10分かぁー。なんとか、15分がんばれないかなぁ。たとえばアリアがー、ムネ……は無いから、オシリ触らせたりして。くふっ』

 

「バ、バカ! 風穴! あんたじゃないんだから!」

 

『おおこわいこわい。まぁその辺は理子が方法考えとくよ! じゃ、また明日の夜中2時にね! 理子りん、おちまーす!』

 

 言いたいことだけ言って消えた。

 理子らしいが、この後はけ口になるのはオレなんだぞ。

 

「キンジ、ちょっと聞きたいんだけど」

 

 ん?

 キンジとまだ話すのかアリア。

 

「……仮に、あくまで仮によ? あたしがあのバラのこと、喜んでたように見えてたとしたら、ね? どうしてあんたが不機嫌になるのよ」

 

『……別に不機嫌になんか』

 

「なってるじゃない」

 

『そんなこと、お前に関係ない』

 

 ……お前等は不思議な関係だよな。

 互いに内に秘めてるものを出そうとしない。それがパートナーであっても、だ。

 

『切るぞ』

 

「ちょっと待ちなさいよ。この流れでついでに聞いとく。――カナって誰。……あんたの……その、昔の……いわゆる、えっと……も、元カノ、とかだったり……するの?」

 

 ああ、それはオレも気になってた。グッジョブアリア。

 

『それこそ――そんな事、お前には関係ないだろ』

 

「――そうね。関係ないわね。誰にだって……触れられたくない過去はあるもの。自分でもなんでか分かんないけど、今のは……ちょっと踏み込みすぎたわ。あたし、理子がカナって子に変装した時のあんたの態度、ヘンに……気になってたの。でも、もう聞かないよ。ごめん。謝る」

 

『別に謝らなくていい。俺も……ちょっと言い方がキツかったかもしれん。ごめんな』

 

 それからキンジとの通話を切ったアリアは、力なくベッドに横になりオレに背中を向けた。

 

「……ねぇ京夜。ちょっと耳と口だけ貸して」

 

「カナについてか?」

 

「…………」

 

「沈黙は肯定したとみるぞ」

 

 オレは言ってからベッドに背を預けて床に座り、対面せずに話を始めた。

 

「オレがカナとは1度会ってるって前に話したよな?」

 

 それにはアリアは答えない。

 あくまでオレが勝手に話してる風を装いたいらしい。別にいいがな。

 

「イギリス育ちのアリアに言ってもピンと来ないだろうけど、オレは真田信繁……有名な通り名では真田幸村を先祖に持つ真田家。その側近の家の長男で、京都にいた頃は毎日その家に入り浸ってたんだよ。んで、その真田家の次期当主になるはずだった人を訪ねてカナが来ていたんだ」

 

「なるはずだった?」

 

 おっと、いらんこと話したな。アリアも食い付くなよ。

 

「そこは今はどうでもいいな。んで、その時にカナとは短い会話をしたが、あの人には圧倒的な『存在感』と、微かな『違和感』があったよ。それが何かはわからないが、こっちに来てわかったことは、あの人はキンジとどことなく『似てる』ってことだ。雰囲気というか、なんというか、な」

 

「それ、どういう……」

 

「おっと、よい子は寝る時間だ。てなわけで布団が恋しいわたくしめをベッドに入れてはくれないですか? んで、今夜はアリアと一緒に寝ようかな」

 

「バ、バカ! なに言ってんのよ! そそそんなこと許すわけないでしょ! は、早く戻りなさいよ!」

 

 やっぱりアリアはこっち方面に弱いな。追及を逃れるのも楽だ。

 

「へいへい。ではわたくしめは寝心地最悪な屋根裏に戻りますよ。あと最後に、カナとキンジはたぶん、彼氏彼女とかそんな関係じゃないと思うよ。男のオレから見たら、キンジの反応はそういうのとは少し違ったからさ」

 

「え……」

 

 それだけ言い残したオレはさっさとアリアの部屋から出ていって、自分の寝床である屋根裏へと戻り床に就いたのだった。

 そして作戦決行の最終日。

 キンジ達が館を去る1時間前の午後5時。

 作戦通りアリアが小夜鳴を地下室から外の庭に誘き出して、帰りの荷物を整理するフリをしていたキンジと、すでに撤退準備を終えたオレが動く。

 そして今いる場所は遊戯室のビリヤード台のそば。

 

「聞こえるか理子。これからモグラが畑に入る」

 

 オープンフィンガーグローブ、赤外線ゴーグルなどの特殊部隊さながらの装備をしたキンジが、ビリヤード台の裏に張り付けた携帯を中継機にしたインカムをテストする。

 そしてこのタイミングでオレに携帯が支給されたのだが、おせーよ! と本気でツッコミたくなった。

 思いつつオレはビリヤード台の下の床板を取り外しキンジに道を譲る。

 

「モグラさん、どうぞおくつろぎください」

 

「改めて思うが、これも猿飛がやった方が良くないか?」

 

『キョーやんは連日の潜伏と作業でお疲れなのでぇ、手元が狂うかもなのです。だからぁ、キーくんよろよろ』

 

「らしいよ?」

 

「お前のことだろ。ったく」

 

 キンジはそれだけ言って諦めたようにビリヤード台の下にあった穴へと入っていった。

 

『こちらキンジ。モグラはコウモリになった』

 

 ――モグラ・コウモリ(モール・バット)――

 理子が考えたその作戦は、地上階から金庫の天井までモグラのように穴を伝って到達し、ちなみに穴はオレが掘った。

 そしてその天井から、コウモリのように逆さ吊りになったキンジがお宝を頂戴するといった具合だ。

 

『あと7分だよ、キーくん』

 

 当初の作戦予定時間は10分。

 アリアの頑張り次第では15分だが、期待はできないため猶予はない。

 しかし、しくじれば警報が鳴ってドボン。まさに極限状態だな。

 それから金庫に辿り着いたキンジが、赤外線の網をカメラから見える映像から曲線で伸ばせる針金のレールを繋げる指示を出す理子に従って、十字架へと迫っていく。

 実際はオレには見えてないが。おそらくそうなってるはずだ。

 1分、2分、3分と理子の「A7、F23」などの接続レールの番号だけが聞こえ、時折庭にいるアリアの様子を見ながら経過を待つ。

 

『よし、フックを下ろす』

 

 ようやく十字架まで届いたらしいキンジからそんな報告が来るが、時間はもう3分ない。

 しかも外は都合悪く雨が降ってきた。これはマズい。

 

「理子、今からアリアの救援(ヘルプ)に行く。1、2分だが時間を稼ぐから、なんとかしろ」

 

『キョーやんさっすが! いま理子も言おうとしてた!』

 

「んじゃ頼むぞ」

 

 オレは言ってから携帯を切り館の裏から出て素早く表に回り傘を差し、あたかも偶然その前を通りかかったかのように庭にいるアリアと小夜鳴を発見し話しかけた。

 

「ん? おいアリア! なんだお前、どっかに実習に行くって聞いてたが、花嫁修行か? しかも小夜鳴先生と一緒」

 

「きょ、京夜!? なんでここに……」

 

 その「なんでここに」は演技のリアクションなのか素のリアクションなのかわからんな。

 

「おや、君は確か……猿飛君ですね。こんな場所に来るなんて、何かの依頼ですか?」

 

「まぁ、小遣い稼ぎで迷い猫探しを。三毛猫の雄っていうんで報酬が良いんですよ。これで案外余裕ないですし。小夜鳴先生はこちらにお住まいで?」

 

「ええ、まぁそんなところですかね。おっと、雨が強くなってきてしまいました。神崎さんも風邪を引いてしまってはいけませんし、そろそろ中に戻りましょうか。猿飛君も良かったら」

 

「いえ、オレは依頼をこなしに行きますよ。情報は新鮮さが命ですからね。情報が古くなる前に動かないと時間もかかりますから」

 

「そうですか。猿飛君とはゆっくり話をしてみたいと思っていましたが、またの機会としましょうか」

 

「小夜鳴先生も、可愛い生徒においたとかしちゃダメですよ? 男連中からは良い噂を聞きませんし」

 

「ははっ、気を付けましょう。さ、神崎さん中に入りましょう」

 

「あ、はい。京夜、今度会ったら風穴!」

 

「それは勘弁! じゃあな」

 

 最後のアリアのは演技だな。まぁ、打ち合わせなしでやったにしては上出来だな。

 そうして館の中へと戻っていった2人を横目で見ながらオレも館から離れてすぐに携帯を繋いだ。時間にして1分34秒。雨が降ってる中ではずいぶん持たせた方だろう。

 

『キョーやんありありー! おかげでミッションコンプリートぉ!』

 

「そうじゃなきゃ困る。んで、オレは今回依頼主様のご期待に沿えたかな?」

 

『くふっ。そうだね。期待通りといったところ。まぁ、それはアリアとキンジにも言えることだけど』

 

「そうかい。だが依頼は達成だ。報酬はきっちり貰うぞ」

 

『まっかせなさーい! 理子りんは約束は守りまーす!』

 

 それからすぐに携帯を切ったオレは、そのあと任期終了で館から出てきたアリア達と合流して、理子と合流するために、横浜ランドマークタワーへと足を運んでいった。



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Bullet16

 高度296メートル。

 日本一高い超高層ビルである横浜ランドマークタワー。

 オレとアリア達は取り返した十字架の受け渡しのために、理子が指定したこのビルの屋上に来ていた。

 ヘリポートにもなっているそこは縁が少し高い段差になっているだけでフェンスがないため、下手をしたら落ちかねない。

 まぁ、そんなヘマはしないがな。

 

「キーくぅーん!」

 

 そんなオレ達の元に理子がとててててっと改造制服をなびかせながら近寄ってきてキンジに抱きつく。

 

「やっぱりキーくんとアリアは名コンビだよ! それにキョーやんも! 理子にできないことを平然とやってのける! そこにシビれる憧れるゥ!」

 

「キンジ。さっさと十字架をあげちゃって。なんかソイツが上機嫌だとムカつくわ」

 

「おーおーアリアんや。キーくんを取られてジェラシーですね? 分かります」

 

「ちがうわよぎぃー!」

 

 喚くアリアを横目にキンジはポケットから十字架を取り出し理子に見せる。

 

「これだろお望みの物は。やるから離れろ」

 

 渡された理子はそれを素早く首につけていた細いチェーンに繋いでしまう。

 

「乙! 乙! らん・らん・るー!」

 

 そしてガキのように飛んだり跳ねたりして喜びを表現する理子。

 それにはアリアがますます不機嫌になる。

 

「理子。喜ぶのはそのくらいにして、約束は――ちゃんと守るのよ?」

 

「アリアはほんっと、理子のこと分かってなぁーい。ねぇ、キーくぅーん」

 

 苛立つアリアにそう言った理子は、怪しく笑いながらキンジを手招きした。

 

「お礼はちゃんとあげちゃう。はい、プレゼントのリボンを解いてください」

 

 言われてキンジが理子の頭に結ばれていたリボンを解くと、理子は怪しく笑ってからキンジに不意打ちのキスをしたのだった。

 羨まし……じゃない。何かまだ企んでるな?

 

「り……りりりりり理子おッ!? な、なな、ななな何やってんのよいきなり!」

 

 それを見たアリアが動揺しながらそう叫ぶと、理子は何も言わずにふわっと移動して、階下へ続く扉の前に立ちふさがった。

 

「ごめんねぇーキーくぅーん。キーくんがさっき言った通り、理子、悪い子なのぉ――。この十字架さえ戻ってくれば、理子的には、もう欲しいカードは揃っちゃったんだぁ」

 

「もう1度言おう――『悪い子だ、理子』。約束は全部ウソだった、って事だね。だけど……俺は理子を許すよ。女性のウソは、罪にならないものだからね」

 

 ん?

 この感じ……『使えるキンジ』だな。

 今の僅かな時間で切り替わる要因ってなるとアレしかないが……なるほど、キンジの切り替わりのスイッチが見えてきた。

 おそらくは『女性との一定以上の接触』。

 キンジ基準になるからどの程度がセーフかアウトかはわからんが、十中八九そうだろう。

 だが、理子は何故わざわざ使えるキンジにした? そうする必要があった?

 

「とはいえ――俺のご主人様は、理子を許してくれないんじゃないかな?」

 

「ま、まぁ……こうなるかもって、ちょっとそんなカンはしてたけどね! 念のため防弾制服を着ておいて正解だったわ。キンジ、闘るわよ。合わせなさい。京夜も」

 

「オレはパス。理子と闘る理由がない。それにオレはもう理子から『報酬を貰ってる』」

 

「なっ!? 京夜!」

 

 やる気満々のアリアはそれを聞いてカクッ。膝が少し折れてから、引き締め直すように叫ぶ。

 実はここに来る少し前に理子からメールが届き、その中にオレが欲しがっていた真田幸音についての情報があったのだ。

 いや、正確には『ある日のある時間にある場所に行け』という指令じみた物だったが、これが真実であった場合、オレは理子と戦うわけにはいかないのだ。

 理子め。それでオレにだけ先に報酬を。

 ――初代アルセーヌ・リュパンを越える。

 今の理子を見て、以前ジャンヌから聞かされた言葉がオレの頭の中でリピートされていた。

 

「くふふっ。そう。それでいいんだよアリア。京夜。理子のシナリオにムダはないの。アリアとキーくんを使って十字架を取り戻して、そのまま2人を斃す。キーくんも頑張ってね? せっかく理子が、初めてのキスを使ってまでお膳立てしてあげたんだから」

 

「だがな、理子。オレは『仲間』が危険になったら迷わず助けるぞ。武偵憲章に従ってな」

 

「いいよ。京夜が割り込む前に一瞬で終わらせるから。んじゃ、先に抜いてあげる、オルメス――ここは武偵高(シマ)の外、その方がやりやすいでしょ?」

 

 オレの言葉を聞いた理子は全く動じることなくそう返して、スカートの中から、ワルサーP99を2丁抜き放った。

 

「へぇ、気が利くじゃない。これで正当防衛になるわ」

 

 それを聞いたアリアも理子と同じく漆黒と白銀のガバメントを抜き放ち構えた。

 

「風穴あける前に――1個だけ教えなさいよ、理子。なんでそんなモノが欲しかったの。何となく分かるけど……ママの形見、ってだけの理由じゃあないわよね?」

 

「――アリア。『繁殖用牝犬(ブルード・ビッチ)』って呼ばれたこと、ある?」

 

「繁殖用牝犬……?」

 

「腐った肉と泥水しか与えられないで、狭い檻で暮らしたことある? ほらぁ。よく犬の悪質ブリーダーが、人気の犬種を殖やしたいからって――檻に押し込めて虐待してるってニュースがあるじゃん。あれだよ、あれ。あれの人間版。想像してみなよ」

 

「何よ、何の話……?」

 

 そして理子は突然感情を爆発させたかのような表情をしてみせた。

 

「ふざけんなっ! あたしはただの遺伝子かよ! あたしは数字の『4』かよ! 違う! ちがうちがうちがう! あたしは理子だ! 峰・『理子』・リュパン4世だっ! 『5世』を産むための機械なんかじゃない!」

 

 まるで自分という『個』を主張するような叫びは、アリアに対して言っていなかった。

 そして吐き出して少し落ち着いた理子は、話を戻す。

 

「……『なんでそんなモノが』って訊いたよね、アリア。この十字架はただの十字架じゃないんだよ」

 

「これはお母さまが、理子が大好きだったお母さまが、『これは、リュパン家の全財産を引き替えにしても釣り合う宝物なのよ』って、ご生前に下さった――一族の秘宝なんだよ。だから理子は檻に閉じ込められてた頃も、これだけは絶対に取られないように……ずっと口の中に隠し続けてきた。そして――」

 

 そこまで言った理子は、ツーサイドアップの髪のテールをわささっ、と自在に動かしてみせる。

 おいおい、理子も超能力者かよ。

 

「ある夜、理子は気づいた。この十字架……いや、この金属は、理子に『この力』をくれる。それで檻から逃げ出せたんだよ。この力で……!」

 

 そして理子はその髪で背の襟に隠していた2本のナイフを器用に持ち構えた。

 その様はさながら4刀流。言うならアリアと同じ双剣双銃だな。

 だが、3人とも気付いてないな。この場に『別の気配が近付いてる』ことに。

 まぁ、オレが諜報科だからってのもあるかもしれないが、確実に良くない気配だ。

 危険予知は昔から冴えてるから、こういう気配は退散が常なんだがなぁ。

 理子退いてくれないだろうし。

 

「さぁ……決着をつけよう、オルメス。お前を斃して、理子は今日、曾お爺さまを超える。それを証明して、自由になるんだ……! オルメス、遠山キンジ――お前たちは、あたしの踏み台になれ!」

 

 理子が叫んだ瞬間。

 バチッッッッッッッ――!!

 小さな雷鳴のような音が上がり、突然理子が強張った顔をして振り返り力なく膝をついた。

 その後ろにいた人物は……

 

「小夜鳴先生――!?」

 

 アリアが言ったとおり、館の管理人、小夜鳴だった。

 小夜鳴は手にしていたスタンガンを足元に捨ててから、懐にあった拳銃を取り出し倒れる理子の後頭部に狙いを定めた。

 

「遠山君、神崎さん、それに猿飛君も。ちょっとの間、動かないでくださいね?」

 

 小夜鳴はオレ達に落ち着いた口調でそんな制止を促す。

 そのすぐあと、小夜鳴の後ろ、扉の向こうの階段からハイマキと同じ銀狼が2匹姿を現した。

 

「前には出ない方がいいですよ。3人が今より少しでも私に近づくと、襲うように仕込んでありますんで」

 

 それを聞いたキンジが試しに少しだけ動こうとした瞬間、銀狼達はキンジを睨み付けた。

 

「よく飼い慣らしてるな。腕のケガも、オオカミと打った芝居だった――ってワケかよ」

 

「紅鳴館でのお2人の学芸会よりは、マシな演技だったと思いますけどね? ですが猿飛君も1枚噛んでるのは分かりませんでしたよ。今日、あのタイミングで現れるまではね」

 

 小夜鳴が言ってる間に、銀狼の1匹が理子から武器を取り上げ屋上から投げ捨ててしまう。理子を無力化したか。

 

「3人ともそのまま動かないで下さいね。この銃は30年前に造られた粗悪品でして、引き金が甘いんです。つい、リュパン4世を射殺してしまったら――勿体ないですからねえ」

 

 理子がリュパン家の人間だって知ってるのか。

 それに銀狼はブラドの下僕だって話だからな。

 

「どういうこと……? なんであんたが、リュパンの名前を知ってるのよ! まさか……まさか、あんたがブラドだったの!?」

 

 アリア、その説はないぞ。だったら理子がとっくに気付いてる。

 

「彼は間もなく、ここに来ます。狼たちもそれを感じて、昂ぶっていますよ」

 

 ほらな。だからそんなに恥ずかしがるなよ。

 

「そ、そう。それにしても、そのブラドから理子のことも聞いて、銃も狼も借りて、そのくせ『会ったことがない』だなんて……半月前は、よくも騙してくれたわね」

 

「騙したワケではないんです。私とブラドは、会えない運命にあるんですよ」

 

「……あの時あんた、ブラドは『とても遠くにいる』なんて言ってたけど……あのあと、コッソリ呼んでたってわけね。あたしたちの学芸会に気づいてながら泳がしてたのは……1人じゃ勝てないから、ブラドの帰還を待ってたんでしょ」

 

 アリアがそんな推理をしてる間にオレとキンジはアイコンタクトでやることを理解し、状況を把握しにかかっていた。

 しかし、まずは理子をどうにかして助けないとダメだ。

 それからブラドが来るならその前になんとかしないと。

 化け物と戦う気にはなれないからな。

 銀狼ならオレでもなんとかできるかもしれないが、理子を撃たれちゃ元も子もない。

 

「遠山君。ここで君に1つ、補講をしましょう」

 

「……補講?」

 

 突然小夜鳴はキンジに話を振り、キンジも分析する作業をやめ視線を小夜鳴に向ける。

 

「君がこのリュパン4世と不純な遊びにふけっていて追試になったテストの、補講ですよ。遺伝子とは――気まぐれなものです。父と母、それぞれの長所が遺伝すれば有能な子、それぞれの短所が遺伝すれば無能な子になります。そして……このリュパン4世は、その遺伝の『失敗』ケースのサンプルと言えます」

 

 言って小夜鳴は倒れる理子の頭を石でも蹴るかのように蹴った。

 

「10年前、私はブラドに依頼されて……このリュパン4世のDNAを調べたことがあります」

 

「お、おまえだったのか……ブラドに、下らないことを……ふ、吹き込んだのは……!」

 

「リュパン家の血を引きながら、この子には――」

 

「い……言、う、な! オ、オルメスたちには……関係……な、い……!」

 

「――『優秀な能力が、全く遺伝していなかったのです』。遺伝学的に、この子は『無能』な存在だったんですよ。極めて稀なことですが、そういうケースもあり得るのが遺伝です」

 

 言われた理子は、知られたくなかった事実をオレ達に知られて、顔を背けるように地面に額を押しつけた。

 

「自分の無能さは自分が一番よく知っているでしょう、4世さん? 私はそれを科学的に証明したに過ぎません。あなたは初代リュパンのように1人で何かを盗むことができない。先代のように精鋭を率いたつもりでも……ほら、この通りです。無能とは悲しいですね。教育してあげましょう、4世さん。人間は、遺伝子で決まる。優秀な遺伝子を持たない人間は、いくら努力を積んでも――すぐ限界を迎えるのです。今のあなたのようにね」

 

 言った小夜鳴は、懐からすり替えてきたニセモノの十字架を取り出し、理子から本物を奪うと、ニセモノを理子の口に押し込んだ。

 

「あなたにはそのガラクタがお似合いでしょう。あなた自身がガラクタなんですからね。ほら。しっかり口に含んでおきなさい。昔、そうしていたんでしょう?」

 

 そして小夜鳴は理子の頭を踏み付け、その理子からは哀れな嗚咽だけが聞こえてきていた。

 だが、それ以上はオレも我慢の限か……

 

「い、いいかげんにしなさいよッ! 理子をイジメて何の意味があるの!」

 

 どうやらアリアも同じらしい。もちろんキンジもな。

 

「――『絶望が必要なんです』。彼を呼ぶにはね。彼は、絶望の詩を聴いてやってくる。この十字架も、わざわざ本物を1度盗ませたのは……こうやってこの小娘を1度喜ばせてから、より深い絶望にたたき落とすためでしてね。おかげで……いいカンジになりましたよ。……遠山君。よく見ておいてくださいよ? 私は人に見られている方が、『掛かりがいい』ものでしてね」

 

 何の話をしてる?

 だが、小夜鳴からはヤバイ気配がしてきた。それも身の毛がよだつくらいのレベルだ。

 

「ウソ……だろ……?」

 

「そうです、遠山君。これはヒステリア・サヴァン・シンドローム――」

 

 キンジにだけわかる話なところを見ると、おそらくキンジの切り替わりの元の話だろうな。

 へぇ、れっきとした症状現象なんだな。

 

「ヒステリア……サヴァン?」

 

「遠山君。神崎さん。猿飛君。しばし、お別れの時間です。これで、彼を呼べる――ですがその前に1つ、イ・ウーについての講義をしてあげましょう。この4世か、ジャンヌから聞いているでしょう。イ・ウーは能力を教え合う場所だと。しかしそれは彼女たちのように低い階梯の者達による、おままごとです。現代のイ・ウーには、ブラドと私が革命を起こした。このヒステリア・サヴァン・シンドロームのように、能力を写す業をもたらしたのです」

 

「聞いたことがあるわ。イ・ウーのヤツらは何か新しい方法で人の能力をコピーしてる」

 

「方法自体は新しいものではありません。ブラドは600年も前から、交配ではない方法で他者の遺伝子を写し取って進化してきたのです……つまり、『吸血』で。その能力を人工化し、誰からでも写し取れるようにしたのが私です。君たち高校生には難しいかもしれませんが――レトロウィルスを使った選択的なDNA導入を用いて、ね。それからは優れた遺伝子を集める事も私の仕事になりました。先日武偵高にお邪魔した時も、採血で優良そうな遺伝子を集める予定でしたが……遠山君がノゾいていたおかげで、あれは失敗してしまいましたね。不審な監視者がいれば襲うよう狼たちに教え込んであったのが、アダになりました」

 

「ブラド。ルーマニア。吸血……そう、そういうことだったのね。どうして今まで気づかなかったのかしら。キンジ。京夜。ナンバー2の正体――読めたわ。ドラキュラ伯爵よ」

 

「「ドラキュラ……?」」

 

 そいつは架空の生き物だろ。存在するわけ……

 だがなぁ、ジャンヌの例もあるし。

 

「ドラキュラ・ブラドは、ワラキア――今でいうルーマニアに実在した人物の名前よ。ブカレスト武偵高で聞いたことがあるの。今もまだ生きてる、っていう怪談話つきでね」

 

「――正解です。よくご存じでしたね。遠山君たちは、間もなくそのブラド公に拝謁できるんですよ。楽しみでしょう?」

 

 そこからまた長々と語り出した小夜鳴の話によると、ブラドは人間を吸血していくにつれて小夜鳴という人間の殻に隠されてしまったらしい。

 そしてそのブラドを呼び出すのに、キンジの兄の能力を使ってるという。

 

「さぁ、かれがきたぞ」

 

 話を終えた小夜鳴は、それから信じられない変化を遂げる。

 いや、変化というより『変身』だろう。

 びり、びりびり、とスーツが破け、その下から出てきた赤褐色の肌。

 筋肉はどんどん盛り上がり、身体はケモノのように毛むくじゃらに。

 

「Ce mai faci....いや、日本語の方がいいだろう。初めまして、だな」

 

 声帯の変わった不気味な声の小夜鳴、ブラドは、そんな挨拶をしてきた。

 そして足元にいた理子の頭を片手で掴み軽々と持ち上げた。

 

「おぅ4世。久しぶりだな。イ・ウー以来か?」

 

 その瞬間、理子から銃が逸れたのを見逃さなかったキンジが、その腕と拳銃を撃ち抜く。

 しかし撃たれたブラドの腕は何事もなかったかのように治ってしまった。

 

「遠山。お前は、トマトを握り潰せるだろ? オレにとって、人間の頭を握り潰すのはその程度のコトだ。だからもう、こんな道具で脅す必要もねえ」

 

 言ったブラドは持っていた拳銃を握り潰してしまった。

 

「ブ……ブラドぉ……! だ、だました、な……! オ、オルメスの末裔を斃せば、あ、あたしを解放するって、い、イ・ウーで……約束、した、くせに……!」

 

「――お前は犬とした約束を守るのか? ゲゥゥウアバババハハハハハハ! 檻に戻れ、繁殖用牝犬。少し放し飼いにしてみるのも面白ぇかと思ったんだがな。結局お前は自分の無能を証明しただけだった。いいか4世。お前は一生、オレから逃れられねぇんだ! イ・ウーだろうがどこだろうが関係ねぇ。世界のどこに逃げても、お前の居場所はあの檻の中だけなんだよ! ほれ、これが人生最後の、お外の光景だ。よーく目に焼き付けておけよ! ゲハッ、ゲババババッ!」

 

 言われた理子は、頭を掴まれて振り回されながら、何の抵抗もできずに、見れば大粒の涙を流していた。

 ほら、理子。強気で自信家な理子は好きだが、命を大事にしない奴は嫌いだ。

 だからもう本音を言わないとな。オレもそれで腹くくってやる。

 

「……あ……アリア……キン、ジ……京夜……」

 

 今度は正真正銘、マジの言葉をな。

 

「…………た、す、け、て…………!」

 

「「言うのが遅い!!」」

 

 言われてオレとアリアは同時にそう叫んだ。それには2匹の銀狼も思わず怯んでいた。

 だから最初に言っただろ?

 『仲間』が危険になったら迷わず助けに入る、ってな。

 ただし、本人の意思は尊重したかったから、ずっと我慢してたんだぞ。

 なぁ? オレの一番の悪友さん。



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Bullet17

 ブラドに捕まった理子の心の底からの助けの声に応えたオレ達は、すぐに動き出す。

 

「――キンジ、京夜、まずは理子を救出(セーブ)するわよ! 側面はあんたたちに任せるわ!」

 

 言ったアリアは一直線に怪物ブラドへと弾丸のように突っ込む。

 しかしそれを阻むように左右から銀狼がアリアに牙を向く。

 

「キンジ、お前は銀狼を頼む」

 

「理子はどうする?」

 

「任せろ」

 

 言うが早いか、オレはクナイを2本取り出してアリアに続いて走り出し、キンジは迫る銀狼に1発ずつ撃って先日のレキの神技、神経の圧迫による麻痺でその動きを止めてみせる。

 そこを2人で抜けてアリアの牽制射撃の横からブラドに接近したオレが、持っていたクナイを投げて理子を掴むブラドの腕。そこの握力に関係する筋肉を一時的に切断。

 それで握力を失ったブラドは理子を手放し、落ちる理子を肩に乗せる形で受け止めちょっと失敬もしつつ通り過ぎる。

 その時ぐふっ、とか小さい呻き声が聞こえたが無視。

 アリアは銃弾の雨でブラドを牽制した。

 

「――ガキどもが。遊び方を教えて欲しいみたいだな」

 

 オレ達を見ながら嘲笑うように言ったブラドは、オレ達が付けた傷を一瞬で治しながら余裕を見せ、キンジとアリアが一旦下がって理子を持つオレのそばへと合流。

 

「さっきの話――結局なんだかよく分かんなかったけどね! 理子! あたしを騙したきゃ騙す、使うなら使うで、こそどろなんかじゃなくって――こういう戦闘の方に使いなさいよ!」

 

「ぷっ、確かにアリアにこそこそする作業は似合わないよな」

 

「京夜、あとで風穴! それとブラド! あんた今、あたしの事を『ガキ』って言ったわね? あたしはもう16歳よ! その言葉、明らかな侮辱と受け止めるわ!」

 

「人間なんざみんなガキだ。800年生きてる俺から見ればな」

 

「……また言ったわね!? もう、ひざまずいて泣いて謝っても許さないわよ! あんたもルーマニアの貴族だったんでしょ? 貴族を侮辱したらどうなるか分かってるわよね!?」

 

「――どうするってんだ? え? これからどうしようってんだ、この俺を」

 

「決まってるでしょ。逮捕するのよ! ママの冤罪、99年分は――アンタの罪! ママの裁判の証言台に、耳引っぱって引きずってでも立たせてやるんだから!」

 

「ゲァバババハハハ! 俺をタイホときたか! ホームズ家の娘!」

 

「『無限罪のブラド』――あんたは、あたしのターゲットの中でもいちばん正体不明で、見つけにくそうな相手だったわ。それが警戒心もなく、あたしの目の前で正体を現したんだからねっ。覚悟なさい!」

 

「吸血鬼と人間は、捕食者と餌の関係だ。狼が、ネズミを警戒すると思うか?」

 

「年寄りのくせに無知ね、ブラド。世の中には、毒を持ったネズミだっているのよ」

 

 言いながらアリアはブラドに見えないように指信号(タッピング)でオレ達に指示を出す。

 えーと、なになに……「リコ ヲ カクセ キンジ ワ エンゴ」ね。了解。

 指示されたオレは理子をヘリポートの陰、段差の下に連れていった。

 そこで下ろして容態の方を軽く診るが見た目ほど酷い怪我ではない。

 それに安堵しつつ心配そうに見てくる理子の顔に手を当て少しだけ笑いながら、ブラドと交錯した時に取り返した十字架をまた理子につけてやる。

 

「大事なものなら今度はしっかり持ってろよ」

 

「あ……で、でもブラドは強いの! あたし達が束になっても絶対に勝てない! だから逃げよう! 逃げたって誰も文句を言わない!」

 

「逃げようって意見には賛成したいが、んー、文句ならオレがあるぞ」

 

 十字架を返してもらって心の底から嬉しそうな顔をしかけながらも、状況が状況なのですぐに険しい顔になった理子がその恐怖から逃げる提案を真っ先にしてきた。

 しかしオレはそうして袖を掴んできた理子の手をほどいて文句を言ってやる。

 

「いま逃げたら『助けて』と言ったお前を本当の意味で助けられない。それは依頼を受けたオレに依頼破棄させるのと同じなんだよ。依頼した以上、お前はオレ達に助けられろ」

 

 なかなかの暴論だ。

 でもそんな言葉でも理子の心には届いてくれたのか、さっきの悔し涙とは違う別の涙が溢れそうになる。

 それを流れる前に指で拭ってやってから立ち上がり、現在進行形でブラドと戦う2人と合流するために動き出す。

 

すばらしい(フィー・ブッコロス)。アリア。生意気な女ほど、串刺しにするといいツラをするんだよなァ。ゲバッ、ゲバッ、ゲバハハッ」

 

 合流した先ではアリアの挑発に乗ってブラドが意識をアリアに向けていた。

 しかし、あの再生力を見たあとだと、無闇に戦っても消耗するだけだな。

 

「アリア。少しブラドを銃弾で牽制してみてくれ。ちょっと観察したい」

 

「なに悠長なこと言ってんのよ! 一緒に戦いなさい!」

 

「生憎オレは戦闘向きの装備が乏しい。援護はそこそこしてやれるが、正面切って戦うのは――!」

 

 と、オレが言い終える前にブラドが突っ込んできたため、アリアとキンジは横っ飛びでブラドの左右に避け、オレは振り回してきたブラドの右腕を軸に跳び箱のように跳び月面宙返りをしてブラドを跳び越えた。

 

「まだ話してる最中だろ。気を遣え」

 

「ネズミに気を遣えだと? ゲバハハッ! 面白ェことを言うな」

 

「ネズミというよりサルだがな、オレの場合」

 

「バカ言ってないで手を動かす!」

 

 アリアはオレにそんなツッコミを入れると同時にブラドへと発砲を開始。

 しかしブラドは全く守る素振りを見せずアリアへと突っ込みその剛腕を振るう。

 アリアもそれをひらりと躱しながら周囲を回りながら発砲を続けた。

 さて、あの再生力。体全体が同じ再生スピードなのか?

 どこか再生が遅かったり、治ってない箇所はないか?

 オレはそうやって撃ち抜かれるブラドを観察しながら、時おり迫る剛腕を先ほど言ったようにサルのように躱していく。

 すると少し気付いた。ブラドの体には左右の肩、右の脇腹に目玉のような模様があるのだが、そこの傷の治りがわずかに遅い。

 弱点と呼べるレベルではないが。痛がってすらいないし。

 そうこうしてると少し離れていたキンジと合流。それを見たブラドはニヤリと笑ったかと思うと、屋上の隅に立つ携帯電話用の基地局アンテナの方へ向かった。

 何か企んでるのは見え見えだが、こっちも企むチャンス。

 

「……あいつ。あたしたちをあの爪で突き刺すチャンスが何度もあったのに、掴もうとしてきたわ」

 

「生け捕りにするつもりだったんだろう。ヤツは名家の血のコレクターだからな」

 

「――血統書付きのイヌネコかオレ達は」

 

「……アリア。猿飛。ブラドには体の4ヵ所に弱点がある。その4ヵ所を全て同時に攻撃すれば、きっと斃せる。イ・ウーのナンバー1は、そうやってアイツを従えたらしい」

 

「ど……どこで聞いたの、そんな話」

 

 情報源は……まぁ、ジャンヌしかいないよな。

 理子はブラドと戦うことを想定してなかったし。

 

「あの目玉模様の所。傷の治りが若干悪かった。あれか?」

 

「そうらしいな」

 

「キンジ。京夜。でも、3つしかないじゃない」

 

「4ヵ所目がどこなのかは……分からないんだ。戦いながら探すしかない。同時攻撃する時は――アリアがあの両肩の目をやってくれ。猿飛は狙いが逸れないように少しでいい、ブラドを拘束してくれ。俺が、脇腹と第4の目をなんとかする」

 

「さすがキンジ。オレにピッタリな役目だ」

 

「……分かったわ。でもあたし、実はもう銃弾が2発しかないの。だから同時攻撃の時は『撃て』って言って。それまで、弾切れしたフリをする」

 

「キンジの弾は使えないのか?」

 

「ムリだ。アリアのガバとは口径が合わない。1発勝負になるな」

 

 ばきん!

 そんな話をしていると、ブラドが5メートルはあろうかという携帯基地局アンテナを屋上からむしり取って自らの武器にしていた。

 その様は鬼に金棒といったところか。

 

「……人間を串刺しにするのは久しぶりだが、串はコイツでいいだろう。ガキ共、作戦は立ったか? 銀でもニンニクでも何でも持ってこい。俺はこの数十年の遺伝子上書きで、何もかも克服済みだ。まァ……いまだに好きではないがな。ホームズ4世。おめぇもリュパン4世と同じような、ホームズ家の欠陥品みてえだな。ウサギみてぇなすばしっこさと射撃の腕はともかく……初代ホームズの推理力が、まるっきり遺伝してないと聞いたぞ。それから猿飛。お前は確か京都武偵高にいた頃は『猿飛佐助の再来』とまで言われてたようだが、まるっきりダメだな。お前も欠陥品だ。だから家を追い出されたんだろう?」

 

 コイツ……余計なことを。人の過去をベラベラしゃべりやがって。

 

「それが何? 遺伝、遺伝って粘着質ね。たまにいるのよ、そういう家系図マニア。あのねぇ。あんたは遺伝子の書き換えと才能だけで強くなったみたいだけど――人間は、遺伝子だけじゃ決まらないのよ! 先天的な遺伝は、確かに人間の能力をある程度決めてしまうわ。でも人間はそれ以上に、努力や鍛練で自分を後天的に高めることができるのよ! ――理子に何も遺伝してないって言うんなら、あの子はその生きた証拠だわ!」

 

 ……ホントに、まっすぐな奴だよな、アリア。

 だが、おかげで怒りも治まった。冷静さを欠いたら危なかったから助かったよ。

 

「――あたしはあの子と2度戦ったけど、本当に強かったんだから!」

 

「――それは、欠陥品同士だからそう感じたんだろう? ただ……今のお前には遠山という、欠陥を補うパートナーが揃っている。それに同じ欠陥品だが猿飛もな。ホームズ家の人間が誰かと組んだ時は警戒しろ、と昔聞いたことがあるんでな。まずはお前にご退場願おうか。遠山キンジ。ワラキアの魔笛に酔え――!」

 

 言ったブラドは、大きく身体を反らすと、ずおおおおおッ、と、不気味な音を立てて空気を吸い込み始めて、その胸はバルーンのように膨らんでいった。

 おいおい、魔笛ってまさか……

 ビャアアアアアアウヴァイイイイイイイイイイイイイイイイ――ッ!!

 咆哮――それはランドマークタワー全体を振動させる大音量だった。

 オレ達はそれを耳を塞ぎ目を閉じて堪えるので精一杯だった。

 下手をすれば意識が飛びかねないほどの大音量。アリアなんかはその威力で尻餅をついてしまっていた。

 そして音の嵐が止む。

 

「ど……ドラキュラが、吼えるなんて……聞いてないわよッ!」

 

 まったくだ。だがこれで何が変わる?

 と思ったオレがキンジを見ると、すぐに分かってしまった。

 キンジの表情、雰囲気に覇気がない。つまりは『使えるキンジ』ではないのだ。それにはキンジ自身が一番驚いていた。

 そして放心に近い状態のキンジにブラドが近付きその巨大な凶器を振るう。

 

「もう殺傷圏内(キリングレンジ)よバカっ! なにボーっと突っ立ってんの!」

 

 立ち尽くすキンジにアリアが叫び足払いをし転ばせると、そのキンジの頭があった位置をブラドの金棒が通り過ぎた。

 そして代わりにアリアが2本の小太刀で受けてヘリポートの隅まで冗談のように吹き飛んだ。

 オレは後退してそれを躱していたが、転んでまだ動かないキンジにブラドが返しの一撃を放つ。

 咄嗟にキンジの襟首を掴んで引き戻そうとしてみたが、1歩遅くキンジは金棒に掠められただけで吹き飛び、最悪なことに屋上から身体を投げ出された。

 

「キ――!」

 

 叫ぼうとしたオレにブラドがすかさず金棒を振るってきたため、慌ててそれを躱し、キンジの落ちていった方向を見つつ、吹き飛んで呻くアリアに狙いを定めたブラドに気付き、いち早くアリアの元に行き、左脇に抱えてブラドから逃げた。

 

「京……夜……」

 

「回復までどの程度かかる?」

 

「1分……ちょうだい」

 

「了解」

 

「キンジ……は?」

 

「理子が追う形で飛び降りたから、自殺願望とかじゃなきゃ無事だとは思うがな」

 

「ゲバハハッ! 小娘を抱えたまま俺から逃げ切れるのか?」

 

 屋上の縁を走りながら逃げるオレにブラドが笑いながらそんなことを言う。

 

「アリアはちっこいし軽いから余裕だな。むしろオレ達を殺る気ならお前が本気を出せ」

 

「ゲバハハッ! 後悔するなよ猿飛」

 

「悪いが、お前は人間を舐めすぎだ。すでにオレの包囲は完了してる」

 

「ん?」

 

 言った後オレは右手に持っていたワイヤーを引っ張り、逃げながらブラドの足元に垂らしていたワイヤーを引き寄せ両足に巻き付かせた。

 ご存知かな? キュウリなどに糸を巻き付けて絞るように引っ張ると、それを輪切りのように切れるということを。

 そいつを頑丈なワイヤーでやったらどうなるだろうな?

 そしてオレは巻き付いたワイヤーを勢い良く引っ張りブラドの足首を切断……まではいかないまでも、腱を切って一時的に動きを止めることに成功した。

 その隙にブラドから距離を取り、動けるようになったアリアを下ろした。

 これで時間稼ぎにはなったかな。

 

「こざかしい真似をしてくれる」

 

 ブラドは腱を切られて膝をついたが、すぐに回復して立ち上がり、再びオレとアリアと対峙した。

 そしてオレはさらに仕掛けていた最終手段を使う。

 タイミングとしてはベストだろ? キンジ!

 

「本気のオレは、少し鬱陶しいぞ、ブラド」

 

「アリア! ――撃て!」

 

 オレが言ったのとほぼ同時、改造制服を広げてできるらしいパラグライダーで下着姿の理子と一緒に上空から返ってきたキンジが、屋上に着地すると同時にアリアに叫び、それを聞いたアリアも瞬時に銃を抜きブラドに向け、見れば理子も胸の間から1丁の銃を抜きパラグライダーを切り離しブラドに向かっていた。

 そんな3人……いや、4人をまとめて倒そうとブラドが金棒を振るおうとした。

 しかしその金棒は6本のワイヤーがピンと張り付き、屋上の縁と繋がれてピクリとも動かなかった。

 つまりは振るう方向に力を入れようとすると、ワイヤーが張って動きを止めるのだ。

 初動さえ十分にさせなければ怪力も発揮できない。これでブラドの攻撃は止めてやったぞ。

 

「さ、猿飛ぃぃぃぃ!」

 

 そしてキンジ達がその隙にブラドの弱点を撃ち抜こうとした時、ビカッ!

 近くで稲光が起き、それにビックリしたアリアが目を閉じながら撃ってしまい、1発だけ狙いが逸れてしまった。

 しかし、それをどうにかするのが、いつの間にかまた使えるようになったキンジだ。

 キンジはアリアが撃った後に軌道が逸れていることに気付き、自分の銃弾をアリアの銃弾に掠めさせて軌道を修正しつつ、自分の銃弾も本来の軌道に乗せたのだ。

 あっ、これは後からキンジに聞いた話だが。オレが銃弾の軌道なんか見えるわけねぇだろ。

 そして3発の銃弾はブラドの両肩と右脇腹の目玉模様を撃ち抜き、最後の1つを理子が撃ち抜き、銃撃を終えた理子は、ブラドの頭を踏み、背後に跳んで可愛らしくターン。

 

「ぶわぁーか」

 

 アカンベーをしてみせた。

 ブラドは隠されていたベロの先の目玉模様を晒しながら崩れ落ち、持っていた金棒の下敷きにされてしまった。

 撃たれた箇所からは血が流れ出ているから、本当に動けないんだろうな。

 そしてオレはブラドとやり合う前に捕えていた銀狼達の元に行き、通じるかはわからないが話をしてみた。

 

「お前達の主人はあの有様で、もう一生、日の目を見ることはないだろう。そうなるとお前達は捕獲されて動物園行きかもなぁ」

 

 オレの言葉がわかったのか、銀狼達の身体がビクッと跳ねた。

 

「それが嫌ならオレの武偵犬になれ。不自由はさせない」

 

 そう言ってから、銀狼達が身体が動くようになったのを確認し、倒れるブラドを少し見てから、膝をつくオレの顔に自らの顔をすり寄せてきた。交渉成立、だな。

 それから2匹の銀狼を従えたオレは、アリア達と合流。

 

「お前もレキみたいにそいつらを?」

 

「狼には目がないって言ったろ?」

 

「好きにしろよ。しかし、初代アルセーヌ・リュパンにも倒せなかったブラドが、ほら。ごらんの有様だよ」

 

「なんか理子、初代を超えるだの超えないだのってこだわってたけど――あんた、いま、初代リュパンを超えたわね」

 

 ああ、そういや初代リュパンとやり合ったとか話してたな。

 確かに初代リュパンが倒せなかったブラドを倒したなら、そうなるか。

 数は4人で1人多かったけどな。

 

「ブラドのこと――感謝はしないよ、オルメス。今回は偶然、利害が一致しただけだ」

 

 強がんなよ、理子。本当は嬉しいくせに。

 

「オルメス家がリュパン家の宿敵であることに変わりはない。永遠にな」

 

「そうね。あたしもあんたなんかと馴れ合うつもりはないわ。で? あんた、これからどうするの。逃げようってんなら捕まえるわよ。ママのこと、尋問科にぶちこんででも証言させてやるんだから。観念しなさい――理子。得意の口先ももう通用しない。得意の双剣双銃をやろうにも、武器が無い。得意技を全部封じられたら、人間、何もできないものよ」

 

 アリアが言ってキンジが屋上の階段を塞ぐ形で立つ。

 でもなぁ、オレはそれでも万全じゃない気がするぞ。諜報科のカン、だがな。

 

「……神崎・ホームズ・アリア。遠山キンジ。猿飛京夜。あたしはもう、お前たちを下に見ない。騙したり利用したりする敵じゃなくて、対等なライバルと見なす。だから――した約束は守る。Au revoir. Mes rivaux.(バイバイ、ライバルたち。)あたし以外の人間に殺られたら、許さないよ」

 

 言った理子は、オレ達の死角で先ほどのパラグライダーをリールでたぐり寄せて屋上から飛び降り、そのまま夜の街に消えていった。

 な? 万全じゃないだろ? さすがオレの悪友だ。

 それからどっと疲れた状態で、2匹の銀狼を連れて帰ってみると、案の定小鳥がビックリして腰を抜かすことになったが、その日はもう全部小鳥に任せて床に就いた。

 その翌日。

 アリア達と一緒に『司法取引』のうんたらかんたらを済ませて、今回の件――理子の大泥棒大作戦の方とブラドの逮捕――は他言無用のお咎めなしとして、飼い馴らした2匹の銀狼を武偵犬登録し、それから理子にもらっていた報酬の内容通り、夕方の時間に指定された人工浮島、その角の端に来ていた。

 そこにはオレがよく知る……本当によく知る人物が沈んでいく夕日を背に立っていた。

 若干青みがかった黒の長髪と白地のワンピースを風になびかせ、そして透き通った藍色の瞳のその女性。

 間違いない。この人は……

 

「幸姉……」

 

 しかしオレはまだ信じていなかった。

 目の前にいる人物が本当にあの『真田幸音』であるのかを。

 

「京夜」

 

 そんな優しそうな声で名前を呼ばれて、声を聞いてやっと本物だと確信したオレは、一瞬涙が出そうになった。

 何せ1年半ぶりに再会したのだ。嬉しくないワケがない。

 幸姉も1年半ぶりに会ったオレを見て、うっすらと涙を浮かべて走り寄ってきた。

 

「幸ね……」

 

「京夜ぁぁ! 会いたかったよぉ!」

 

 幸姉は言いながら走る速度を上げて……というかこれ止まる気ないんじゃという加速でオレに突っ込んできた。

 オレは突撃してきた幸姉を抱き止めるが、勢いは殺せずそのままかばう形で後ろに倒れた。

 

「ああー、久しぶりの京夜は良い抱き心地ねー」

 

「ゆ、幸姉! 苦し……」

 

 幸姉は下敷きになって倒れるオレを上半身だけ起こして、その決して大きくはないが女性らしい胸にオレを抱き寄せる。

 その結果胸に顔が埋まって息ができない。

 

「よーしよーし、京夜は凄いねぇ。自力で私まで……イ・ウーまで辿り着いた」

 

 それを聞いたオレはバッ! 幸姉の胸から強引に顔を離し幸姉の顔を見た。

 

「やっぱり幸姉、イ・ウーにいたのか?」

 

 1年半前に突然家を出て、それ以来行方不明になってしまっていたこの人は、真田の家からは相続権を奪われ、当時『パートナーだったオレ』にも何も言わず今まで音信不通の状態だったのだ。

 その幸姉がイ・ウーにいるかもと思ったのは、理子から話を持ち込まれ、ジャンヌの話を聞いてから。

 

「今まで連絡もあげられなくてごめんね、京夜。でも仕方なかったの。『私も私のやるべきことがあった』。今はこれしか言えないけど……」

 

 話をする幸姉は本当に申し訳なさそうな表情をしていて、何か深い事情があったことをなんとなく理解できた。

 

「それで、理子ちゃんから京夜に報酬の他に『ご褒美もあげる約束』をしてたって聞いたから、無理言って私が引き受けちゃいました」

 

 続けて言った幸姉は、オレの両頬を両手で固定すると、自らの顔を近付けていき、

 ――チュッ。

 その唇を奪ってきたのだった。



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Bullet17.5

 6月も終わりに差し掛かった本日。

 京夜先輩が2週間という割と長い依頼から帰ってきます!

 この2週間、京夜先輩と会えない間に無音移動法を練習したり、民間の依頼をこなしたりと、京夜先輩がいない間に色々とやりましたが、やっぱり帰って誰もいないのは少し寂しかったです。

 4月の頭まではそれが普通だったんですけど、慣れって恐いですね。

 そしてその日の夜、久々に京夜先輩の分の量も加えた夕飯を作っていた私は、鼻歌混じりに作業を進めていると、昴もキッチンテーブルで鼻歌に合わせて楽しそうに跳ねてます。

 昴も京夜先輩に会えるのが嬉しいみたいです。

 そうして夕飯を作り終えて少しして、京夜先輩からもうすぐ帰るという2週間ぶりの短いメールが送られてきました。

 

「昴! 京夜先輩もうすぐ着くって!」

 

 それを聞いた昴は羽を広げてバサバサと動かして喜びを表現する。

 ……え? 私の顔がニヤけてるって? そ、そうかな? そんなつもりは全くないけど。

 そうして待つこと数十分。

 突然昴が私の頭に飛び乗ってきた。これは昴が京夜先輩の帰ってくる直前に取る予知行動。

 それがわかってる私は椅子から立ち上がり玄関に足を運んだ。

 

「ただいまぁ……」

 

 その後すぐ、玄関の扉が開いて、そこからぐったりとした京夜先輩が入って……

 ガゥガゥ!

 くる前に、信じられない子達が勢い良く中に入って私に飛び掛かってきた。

 

「えっ? えっ! お、オオカミぃ!? うえっぷ」

 

 入ってきたのは2匹の銀狼。

 確かコーカサスハクギンオオカミとかいう絶滅危惧種だったかな。

 この子達、私に飛び掛かるなりいきなり顔を舐め回し始めて、私はあっという間によだれまみれに。ベトベトだよぉ。

 昴はいち早く危険を察知して天井すれすれに飛んで逃げて、「な、なんだこいつら!?」だって。私もビックリだよ。

 私を舐め回して満足した銀狼2匹は、次に天井を飛ぶ昴に興味を持ったみたいで、猫さながらの跳躍と猫パンチもとい狼パンチで昴を打ち落とそうとします。

 

「ダ、ダメ! 昴は食べ物じゃないよ!」

 

 私はすかさず立ち上がって昴を庇うようにして2匹に注意する。

 でも100キロはありそうなこの子達は言うことを聞きません。うえーん、助けて京夜先輩ぃ!

 そんな私の視線を感じた京夜先輩は、やれやれといった感じで頭を掻いて玄関から上がると、銀狼達の頭をぽんぽんと軽く触ってリビングに行ってしまい、触られた銀狼達も騒ぐのをやめて京夜先輩についていきました。凄っ!

 

「いいかお前達。これからここに住むわけだが、オレとあの子の言うことは素直に聞くこと。あと……」

 

 リビングのソファーに腰を下ろした京夜先輩は、目の前でお座りをする2匹に身振り手振りでそんな説明をしていき、丁度左肩に降りた昴を指差し、

 

「この鳥、昴とも仲良くしろ。ここの暮らしでは、お前達の先輩だぞ? わかったな?」

 

 ワゥ!

 銀狼2匹は京夜先輩の言葉を理解したかのように吠えると、友好の証なのかよくわからないけど、タオルで顔を拭きながらソファーに座ろうとした私を押し倒してまた顔を舐め回してきました。

 

「ちょっ!? まっ……うっぷ……とま……ふえ……」

 

「小鳥、せっかくだしそいつら風呂に入れてくれ。お前もよだれまみれの唾液臭い顔は嫌だろ?」

 

「そ、それは……うぇっぷ……いいですけ……どうぱぁ……この子達……のぅ……名前は……ひゃあ……なんて言うんで……すぅ!」

 

「ああ、そういやまだ決めてなかったな。小鳥が考えていいぞ。明日そいつらを武偵犬登録するから朝までに頼む」

 

「わ、私が決めて……うぇ……いいんです……かぅへぇ」

 

「小鳥はそいつらと意志疎通できるだろ? 話し合って納得いくのにしてくれ。オレはもう今日は頭が回らない。夕飯食ってさっさと寝る」

 

 京夜先輩はそう言ってからキッチンに行って私が作った料理を盛り始めてしまう。

 確かに仲良くなりさえすればこの子達とも昴同様に対話みたいなことはできますけど、私に任せていいんですか。

 

「ほら、早く風呂に入ってこい。オレは勝手に食って片すからよ」

 

 そうして京夜先輩に促された私は、未だに舐め続ける銀狼2匹に脱衣場に行くように指示。

 すると銀狼2匹は京夜先輩が言った通りに私の言うことを聞いて脱衣場に向かい、私も続く形で着替えを持って昴と一緒に脱衣場へ。

 

「あなた達は水を嫌がったりしない?」

 

 服を脱ぎながら隣でじゃれ合う2匹に問いかけながら浴室の扉を開くと、2匹は何の抵抗も見せずに浴室に入っていきました。大丈夫ってことだよね。

 そう思った私はパパっと服を脱ぎ終えて昴と一緒に浴室へ入り、早速2匹の身体を洗いにかかった。の前によだれまみれの自分の顔を洗い流し。

 

「あなたは……女の子か。君は……男の子だね。兄弟なのかな?」

 

 まずは身体を洗うついでに2匹の性別を確認。

 それでまず女の子の方から洗いながら、2匹にそんな質問をしてみると、2匹はワゥ! と鳴いて首を縦に振った、ように見えた。

 

「そっかそっか。どっちがお姉さん? お兄さん?」

 

 それには男の子の銀狼が首を振って女の子を指し示す。

 

「じゃあお姉ちゃんと弟くんだね。それにしてもおっきいなぁ。身体洗うのも一苦労だ」

 

 2匹の関係が判明したところで、やっと身体の半分を洗い終えたけど、たぶんこれで5分はかかってる。

 つまり1匹洗うのに約10分かかる計算。結構大変かも。

 でも嫌がって暴れたりしないから全然楽だなぁ。こんな巨体で暴れられたら私じゃ手に負えないし。

 

「ああ、でも2匹とも綺麗な毛色だねぇ。なんか高潔な雰囲気もあるし、凄くかっこいいよ」

 

 何気なく洗いながらそう言ってみると、意外なことにもう2匹が何を言いたいかがわかるようになっていました。

 向こうが心を開いてくれると意志疎通も早くできますから、2匹とも私と仲良くしてくれるみたい。ちょっと嬉しいな。

 それでなんて言ったかというと、男の子の方は「そうだろう? かっこいいだろ?」って自信満々に。

 対してお姉さんは「かっこいいじゃなくて可憐と言って!」だそうです。やっぱり女の子ですね。

 

「ごめんね。お姉ちゃんはかっこいいじゃ嫌だよね。すっごいベッピンさんだ。弟くんは自信満々だね。その自信が顔にも出てる気がするよ」

 

 私がそんなことを言うと、2匹は目を丸くして「何でわかったの?」と同時に訴えてきた。

 うん、私もなんとなくわかるってだけだから、説明難しいなぁ。

 

「うーんとね、私には生まれつき仲良くなった動物さんの言いたいことを理解できる能力が備わってて、あなた達も心を開いてくれたから、なんとなくわかるんだよ」

 

 これが精一杯かな。あ、2匹とも「そうなのか」って。良かったぁ、わかってくれた。

 そうこうしてるとお姉さんの方は洗い終わって、シャンプーを流していきます。これも嫌がらないんだね。

 ん? ははっ、「気持ちいい」って? それは良かった。

 それでシャンプーを洗い流したお姉さんは、毛に染み込んだ水分を飛ばすため身体を激しく振る。

 

「キャッ! 冷たい!」

 

 飛んでくる水に私は思わず両手でガードして目をつぶってしまって、至近距離からそれを浴びた弟くんは「手加減しろよ!」と抗議。

 でもお姉さんは「あらごめんなさい」と余裕の返事。け、喧嘩しないでね?

 

「よ、よし! 次は弟くんの番だよ!」

 

 言われた弟くんはお姉さんと場所を入れ替わって私の目の前でおすわり。

 「手は抜かないでよ」という念を押されました。ちょっと生意気さんみたいですね。

 

「そうだ! あなた達の名前を考えないとね。どんな名前がいいとかあるかな?」

 

 弟くんを洗いながら、私は2匹にどんな名前がいいかを提案。

 すると弟くんは「響きがかっこいいの!」で、お姉さんが「気品溢れるエレガントな名前がいいです」と。なかなか難しい注文を……

 そして2匹の意見を聞いた昴も意見をくれました。

 えっと「ハクとギンでいいんじゃない?」って? それは安直すぎるよ昴。

 ほら、2匹とも文句言ってる。

 それで2匹はガゥガゥ! 昴に吠えて抗議。昴も天井すれすれを飛びながらピィピィ鳴いて反論。

 

「こら、喧嘩しない! これから一緒に暮らすんだから、仲良くしないとダメだよ。昴も真面目に考えてあげてね」

 

 私がそう言うと、2匹は「ごめんなさい」と意外と素直に謝ってきて、昴は「結構真面目だったんだよ」と呟く。

 

「名前って大事だから真剣に決めようね。えっと、お姉ちゃんはエレガントな名前で、弟くんはかっこいい名前だよね。和名の方が良い? それとも外国名?」

 

 それにはお姉さんが「カンジって言うのがニホンにはあるのよね?」ときて、弟くんが「カンジってかっこいいのか?」なんて言ってきたから、漢字を使った和名に決定。

 

「えっと、かっこいい漢字に……気品溢れる漢字か……」

 

 などと考えてるうちに弟くんのシャンプーも終了。お姉さん同様にシャワーで洗い流してあげると、弟くんも水分を飛ばすため身体を激しく振った。冷たいんだよもう!

 

「うーん……そうだねぇ、弟くんは……煌めく牙って書いて『煌牙(こうが)』」

 

 言いながら私は湯気で曇った鏡に漢字を書いてみせると、弟くんは「いいじゃん! かっこいい!」だって。じゃあ決まりだね。

 それを見たお姉さんは「私は? 私は?」と私の右腕に顔を擦り付けてくる。くすぐったいよ。

 

「えっと、お姉ちゃんは……そうだなぁ……美しく麗しいで『美麗(みれい)』とかどうかな?」

 

 それでキュンキュン鳴くお姉さんに字を見せてあげると、お姉さんは「エレガントなジなのね?」と。

 

「どっちも綺麗な人を褒める漢字だから、大丈夫だよ」

 

 それを聞いたお姉さんは「それならいいわ」と承諾。これで2匹とも名前が決まったね。

 

「じゃあ改めて。美麗、煌牙、これからよろしくねっ!」

 

 ワゥ!

 私がそう挨拶すると、2匹も「よろしく」と吠え返してくれた。

 

「さて、名前も決まったし、私も身体洗っちゃおっと」

 

 2匹のシャンプーと名前決めが済んだから、私も身体を洗おうとした時。美麗と煌牙がお礼に身体を洗ってあげると言ってきました。

 え……なんか嫌な予感しかしない。

 そして予感的中。2匹は私の返答を聞く前に私の身体を舐め始めました。

 

「あ……アハハハハハ! く、く、くすぐった……アハハハハハ! ちょっ、ちょっと待っ……アハハハハハ!」

 

 た、確かに犬や猫は身体を舐めることで清潔にするけど、それが人間に適応するかって言ったら、違うよぉ!

 

「ちょっ、ちょっと待って! アハハハ! あ、あん! そ、そこは……ダメ……」

 

 文字通り全身を舐め回してくる2匹に為す術がない私。ちょっと困る場所も舐めるから……恥ずかしいよぉ。

 そうして数分間続いた舐め回しくすぐり地獄を味わった私は、浴室でしばらく力なく倒れてました。何してるんだろう、私……

 そのあと2匹を先に脱衣場に出してから、改めて身体を洗った私は、今後一切の舐め回しを禁じてから、寝間着を着て2匹をドライヤーで乾かしていった。

 でも2匹ともおっきいから乾かすのも大変だなぁ。電気代大丈夫かな?

 そんな心配をしつつ、時間をかけて乾かした2匹はとっても綺麗になって、私も苦労した甲斐があったな、なんて思ったり。

 そして気付けば入浴開始から1時間半くらい経ってて、まだ京夜先輩がお風呂に入ってないことを思い出して、急いで京夜先輩に報告に行きました。

 すぅ……すぅ……

 その京夜先輩は、私の料理を完食してきちんと片付けまで済ませて、リビングのソファーで横になって寝ていました。

 どうやらお風呂を待つ間に寝ちゃったみたいです。よほど疲れてたんですね。

 ベッドで寝ない京夜先輩なんて、初めて見ました。

 私はそんな京夜先輩の珍しい光景に笑みをこぼしつつ、寝室から毛布を持ってきてそっとかけてあげ、美麗と煌牙はそんな京夜先輩の近くで静かに腰を下ろして丸くなりました。

 

「美麗、煌牙、起こさないようにね」

 

 小声で2匹にそう言うと、2匹もあくびをしつつ「大丈夫」と返してきた。

 それから私はリビングの電気をそっと消して、物音を立てずに寝室に入って床に就きました。おやすみなさい。

 翌朝。

 いつものように早くに起きて朝ご飯を作りにかかった私は、リビングで固まってすやすや眠る京夜先輩と美麗、煌牙を横目にテキパキ作業を進めていきます。

 あ、美麗と煌牙のご飯はどうしようかな……確か冷蔵庫にベーコンとレタスがあったから、朝はそれで我慢してもらうしかないかなぁ。

 でも狼ってドッグフードとかで良いのかな? やっぱり生肉とかの方が良いのかな? 食費とかは全部京夜先輩持ちだから、贅沢はしたくないしなぁ……

 そうして朝ご飯も作り終わる頃、匂いを嗅ぎつけた美麗と煌牙が起床。「お腹へったぁ」なんて言いながら大きなあくびをして起き上がってキッチンまで歩いてきた。

 

「おはよう美麗、煌牙。もうすぐ朝ご飯できるから、京夜先輩起こしてくれる?」

 

 言われた2匹はワゥ、と小さく吠えてからリビングに戻って京夜先輩の顔を優しく舐めって起こした。

 え、加減できるなら私にもしてほしかったんだけど……

 グッスリ眠れたらしい京夜先輩は、それでむくりとソファーから身体を起こして2匹の頭を撫でた後、さっと脱衣場の洗面台に移動して顔を洗っていきます。

 私はその間にテーブルにできた料理を並べて、2匹にも皿いっぱいに盛り付けた焼きベーコンとレタスと飲み水を床に置いてあげて準備完了!

 2匹もちゃんと待てができてます。けど、よだれ出てますね。

 それで顔を洗い終えた京夜先輩が席に着いて、みんなで朝ご飯を食べた後、私が片付けをしてる間に京夜先輩は昨日浴びられなかったシャワーを浴びて登校の準備を整えていきます。

 そしていつもの私の登校時間になったので、先に家を出ようとすると、珍しく京夜先輩が引き止めてきました。

 

「ああ小鳥。こいつらと寮の外で待っててくれるか? 武偵犬登録、オレと小鳥の2人で通す。お前にもこれから依頼の時に使えるようにしたいからな」

 

「え!? 私はいいですよ! 昴もいますし、この子達のスペックを引き出せる自信もありません」

 

「形だけでもそうしとけ。どのみち1匹は常にお前に付けておくから。美麗、煌牙、どっちが付く?」

 

 京夜先輩は身支度をしながらそう言って話を進めて、2匹にそんな質問をすると、煌牙がワゥ! と吠えて私の足元に歩み寄ってきた。

 

「んじゃ煌牙に決まりな。美麗はオレに付け」

 

 言われた美麗もワゥ! と吠えて京夜先輩に擦り寄り了解の意志を示す。

 

「あの……京夜先輩。本当にいいんですか?」

 

「問題ない。いや、問題はあるか。こいつら連れてると目立つ。まぁ、それも時間が解決するか」

 

 私の質問に対する答えじゃないよ、京夜先輩。

 でも京夜先輩が言うんだし、ご厚意に甘えとこうかな。

 

「ありがとうございます、京夜先輩! さっ、行くよ、美麗! 煌牙!」

 

 そうして私はひと足早く寮を出て、その入り口前で美麗と煌牙と京夜先輩を待って一緒に登校していき、まっすぐ教務科へと足を運んでいきました。

 

「あら、京夜、小鳥」

 

「猿飛、やっぱりお前もか」

 

 その教務科に辿り着いた私達は、そこにいたアリア先輩と遠山先輩を発見して近寄ると、遠山先輩が何やら意味深なことを京夜先輩に言いました。

 

「ん? 何の話だ、キンジ。オレは武偵犬の登録申請をしに来ただけだが」

 

「今朝教務科からメールが来なかったか? 昨夜の件で」

 

「あ、そういや帰ってから携帯放置してた」

 

「京夜って変なところで抜けてるわよね」

 

 言われて京夜先輩は携帯を開いてメールのチェックをし始めた。昨夜の件? なんだろ?

 

「……あー、やっぱりそうなるんだな。小鳥、武偵犬登録はお前に任せる。オレはちょっとやることができた。頼むぞ」

 

「え? あ、はい。わかりました。それで何の用事でしょうか?」

 

「秘密。その方がミステリアスだろ?」

 

「ミステリアスになってどうしたいんですか。まぁ、京夜先輩のことですから、政府と取引でもするんでしょ、きっと」

 

 完全に冗談のつもりでそう言った私でしたが、それを聞いたアリア先輩と遠山先輩が驚いたように目を見開いていました。

 それを見て京夜先輩がお2人をそそくさと連れていってしまいました。

 え? まさか本当に政府と取引を? そ、そんなわけないよね、ハハハ……

 それから私は美麗と煌牙を連れて武偵犬の登録申請のために渡された書類をテキパキと書いて提出。何の問題もなく申請は通りました。

 え、狼ですけどそんな簡単に通していいの? という私の疑問は一瞬で吹き飛ばされました。

 さすが武偵高。色々とアバウトです。

 などと思いながらも、すんなり武偵犬登録を終えた私は、まだ教務科にいるらしい京夜先輩を待とうとしましたが、どうやら一般授業に間に合いそうにないので、とりあえず美麗と煌牙を連れて教室に行くことをメールで送って報告してから、一般校舎に足を運んでいきました。

 でもその途中で、思わぬ発見をしました。

 美麗と煌牙と同じ銀狼を連れた武偵さんがいたんです。あの人は確か……狙撃科のレキ先輩、だよね。Sランク武偵は少ないから見間違うはずないし。

 思いながらレキ先輩を見ていると、視線に気付いたレキ先輩が私の方を向いて、美麗と煌牙に気付いて近寄ってきました。だ、大丈夫だよね。

 

「その子達は?」

 

「へ? あ! はい! 京夜先輩の武偵犬です! 先ほど登録してきたところです!」

 

 肩に狙撃銃――ドラグノフ、でしたっけね――をかけたレキ先輩は、それを聞いて無表情のまま隣の銀狼に目を向けました。

 

「京夜さんの……そうですか」

 

 そしてそれだけ確認するとすぐに私に背を向けて歩き出してしまいました。

 

「あ……あの!」

 

 気付けば私はレキ先輩を呼び止めていて、レキ先輩も振り返り何か用か? といった顔をする。

 

「あ、あの、その子のご飯って、何をあげてますか?」

 

 あれ? 私なに聞いてるんだろう?

 気になったのはあの銀狼で間違いないけど、何かズレた質問にぃ!

 

「……魚肉ソーセージです」

 

「……え? ぎょ、魚肉ソーセージ?」

 

「はい、魚肉ソーセージ」

 

 黙る私にそれで質問は終わりと思ったレキ先輩は、今度こそ行ってしまい、私は両隣にいる美麗と煌牙を見て一言。

 

「魚肉ソーセージで、いい?」

 

 そう尋ねたのだった。



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イ・ウー編
Bullet18


 不意打ちのごとく、ご褒美と言って突然オレにキスをしてきた幸姉。

 悔しいが、それは凄く嬉しくて、幸姉が離れるまで拒むことができなかったオレは、それからゆっくりと名残惜しそうに唇を離した幸姉から目を逸らせずにいた。

 

「ふふっ、京夜ったら、もっと欲しそうな顔してる」

 

「なっ!? そんな顔はしてない! ただ、突然でビックリしただけで……」

 

「私は嬉しかったけどなぁ、京夜とのキス」

 

「誰も嬉しくないなんて言ってないだろ」

 

「その様子だと彼女はいないな? 京夜は奥手だからねぇ」

 

「からかうなよ、幸姉。幸姉だってその『性格』のせいで彼氏なんていた試しがにゃい!?」

 

 そうしてオレが反撃混じりの言葉を言い切る前に、幸姉はオレの両頬を引っ張って言葉を切る。

 

「私はいいの! 京夜が私を理解してくれてればそれで満足。だからそんな話しない! アーユゥオーケイ?」

 

「イ、イエフイエフ!」

 

「よろしい」

 

 オレの返事を聞いた幸姉はそれで手を放してオレの上から退いて立ち上がり、手を差し伸べて立ち上がらせてくれた。

 

「さてさて、話すことも色々あるけど、話せないことも色々だ。どうしよっか?」

 

「……とりあえず『今日の幸姉』はまだ話ができるから、日付が変わらないうちに話せるだけ話してほしいかな」

 

「まだとは失礼ね。私はいつでもきちんと話す時は話すよ」

 

 そうは言うけど、実際そうじゃないから困るんだよ、幸姉。

 明日には『話さなくなる』かもしれないんだから。

 そう思ってると、察した幸姉がまたオレの両頬を掴もうとしたので、今度はしっかりガードした。

 防がれた幸姉はムスッとしたが、まぁスルーだ。

 

「それで? 幸姉はイ・ウーで1年半も何してたんだよ。まさか犯罪なんかしてないよな?」

 

「それは大丈夫よ。京夜を裏切るような真似はしないわ。ただ、イ・ウーについては何も話せないわ。京夜はこれ以上踏み込んじゃダメ」

 

「イ・ウーが危険な組織なのは今までで十分理解できてるよ。そんなところに幸姉がいるのが心配なんだよ」

 

「京夜は優しいね。昔から私の心配を一番にしてくれる。そして『私の言うことをなんでも聞いてくれた』。それは……今でも変わらない?」

 

 ……なんだ? 何を言うつもりだ? 幸姉……

 オレは少し嫌な予感を感じながら、その問いにためらいながらも首を縦に振る。

 

「そっか! じゃあ、これから京夜のお家でしばらく厄介になりたいな!」

 

「…………はっ?」

 

「はっ? じゃないよ京夜。私これからしばらくこっちにいる予定なの。宿代なんてバカにならないし、『あの人』と一緒なんて色々心配だもん。だから泊めて? あ、もしかして寮だから他の子がいる? それだと私も気を遣うかもなぁ……」

 

 ……オレのカンが外れた? いや、あながち外れてはいないが。

 今オレの部屋に招いたら、もれなく小鳥と鉢合わせだからな。どうなるかはなんとなく予測できるし。

 だが、あの嫌な感じ……無視するには少々はっきりしすぎた。

 

「一緒に住んでるのは……オレの戦妹だけだけど……」

 

「あら! あらあらまあまあ! 京夜ったら戦妹と同棲? お姉ちゃんビックリ!」

 

「はぁ……幸姉、同じ『武偵』なんだから徒友制度くらい知ってるだろ。健全な師弟関係だよ。線引きはちゃんとしてる」

 

「向こうはそう思ってないかもよ?」

 

 はっ? んなわけあるかよ。幸姉も面白いことを言う。

 

「それでは早速その戦妹ちゃんに会いに行きましょう! さぁエスコートして京夜!」

 

 こうなった幸姉はオレの意見を半ば無視するからなぁ。やっぱり『今日の幸姉』も話が通じにくいし。

 日を改めるしかないか……『何日かかる』だろう……

 思いながらオレは、テンション高めな幸姉をエスコートして家へと連れていった。

 その間、誰にも見られないようにしないと、後日変な噂が流れるからな。武偵高はそういう意味では厄介極まりないよホント。

 

「おかえりな……さ……い……」

 

 誰にも見られないように部屋まで帰ってきたオレは、いつものように中に入ると、それを察知した小鳥がキッチンからパタパタと玄関に来て迎えてくれたが、後から入ってきた幸姉を見て声が小さくなってしまった。

 

「あら、あなたが京夜の戦妹? やだぁ! 超可愛いー!」

 

 幸姉は迎えた小鳥を見て目を輝かせると、オレを押し退けて小鳥に抱きつき頬擦りを始めた。

 

「え? あ、あの、京夜先輩? この方は?」

 

「あー……んーと……オレの……」

 

「京夜のご主人様よぉ」

 

「ちょっ!? 幸姉!」

 

 ざっくり言いすぎ!

 確かに間違ってないけど、説明省くと何か色々問題が……ほら、小鳥も驚いてるし。

 

「あ! 正確には『元』ご主人様だねぇ」

 

「幸姉は黙っててくれ。小鳥、この人は真田幸音。オレの姉みたいな人だ。今幸姉が言ったのは、家のしきたりに従った主従関係だったって意味。他意はない」

 

「そ、そうなんですか……と、とりあえず離れていただけるとありがたいです」

 

 ふう。なんとか誤解されずに済んだか。

 それから騒ぎを嗅ぎつけた銀狼、美麗と煌牙がやってきて、煌牙の頭の上には昴が乗っていた。新しい特等席か、昴。

 

「ん? この子達、ブラドの下僕? 京夜が手懐けたの?」

 

「幸姉!」

 

 小鳥を抱いたまま、美麗と煌牙を見た幸姉がなんのためらいもなくブラドの名を口にしたため、慌てて注意する。

 小鳥は何も知らないんだから、余計なこと言わないでくれ。

 

「ブラド?」

 

「ああごめんね。ブラドっていうのは私の知り合い。その人は最近連絡取れなくなっちゃって、それで色々と手放しちゃったみたいなの。この子達も身寄りがなくなったところを京夜に拾ってもらったんでしょ。そうよね? 京夜」

 

「あ、ああ。まぁ、な」

 

 ……ったく。こんな感じでも頭の回転は抜群に良いから驚かされるよホント。

 

「あ、まだ名前聞いてなかったね。ホワッチュアネィム?」

 

「あ、はい。私は橘小鳥って言います。よろしくお願いします!」

 

「はーい、よろしくねー」

 

 とりあえず幸姉の来訪によるドタバタを治めて、夕飯を食べ始めたオレ達。

 まぁ当然幸姉の分まで作ってあるワケもなかったので、オレと小鳥の分を分けて食べることに。

 美麗と煌牙は魚肉ソーセージをガツガツ食べ始めて……って、それで満足なのかお前達。なんだかレキのとこのハイマキみたいだな。

 

「やっだぁ! これ全部小鳥ちゃんが作ったの? 美味しーい! これならいつでもお嫁に行けるね」

 

「そ、そそそそんなお嫁さんだなんて!」

 

「もう私の妹にしたいくらいよ。京夜が貰ってあげなさいよ」

 

「幸姉には『幸帆(ゆきほ)』がいるだろ。それに小鳥にだって好きな奴くらいいるって」

 

「私、昔からあの子に嫌われてるのよねぇ。話しかけても素っ気ないし、壁作られてるもん」

 

「気のせいだろ。オレがいる時は仲良く話してたし」

 

「さてさて、妹とそうなっちゃった原因。それは一体誰のせいでしょうね?」

 

「他人のせいにするなよ。そいつが可哀相だろ」

 

「小鳥ちゃんも大変ねぇ。京夜は昔からこんなんなのよ? 困っちゃうわよね」

 

 こんなんって酷くないか幸姉。小鳥も同意するように「へぇ」とか言うなよ。

 思いつつオレは黙々と夕飯を食べて、もう仲良しになった幸姉と小鳥は、ゆっくり話しながら食べていく。

 

「ねぇ小鳥ちゃん! 一緒にお風呂入ろっか! 洗いっこしよっ!」

 

「はい! 喜んで! 幸音さんって凄くお話しやすい方で安心できちゃいます!」

 

 小鳥、それは『今日の幸姉』だからだ。明日にはそのイメージが崩れるかもしれないぞ。

 オレはそんなことを考えつつも、楽しそうにする2人を見て割り込む気にもなれず、さっさと食べ終えてリビングに移動して美麗と煌牙とテレビを見ながらくつろぎ始めた。

 

『連日、港区において砂金や砂鉄といった工業用の砂が盗まれる事件が発生し、いずれも同一犯である可能性が高いようです。警察は武偵高にも調査依頼を要請したようで――』

 

 何気なくニュースを見ていたオレだったが、夕飯を食べ終えた幸姉がすぅっとリビングにやってきてチャンネルを許可なく変えていき、動物バラエティー番組でその手を止めた。

 

「あら可愛いワンちゃん!」

 

「幸姉、風呂入るんじゃないのかよ」

 

「小鳥ちゃんが片付け終わらせたらね。お客様に手伝わせたくないってきかないから、それまで暇潰し。あと着替え用意してほしいな。小鳥ちゃんのはちょっとサイズが合わないから」

 

「……ジャージでいいよな?」

 

「えー、そこはYシャツでしょ。京夜はわかってないなぁ」

 

「Yシャツがいいならそうするけど」

 

「違うー! 私が着たいんじゃなくて、京夜が着てほしいんじゃないかって意味!」

 

「意味わからん」

 

「想像してみなさい? 私のジャージ姿とYシャツ姿。どっちがエロい?」

 

「そりゃYシャツのが……って! 幸姉にエロとか求めてないし!」

 

「じゃあ私に何を求めてくれるのかな?」

 

「健全でまともな思考……イタッ!?」

 

 オレが言い切る前に神速のチョップが頭に振り下ろされる。

 ちなみに言っておくが、オレはこういう時でも油断は一切してない。

 つまり幸姉は『オレの反応を越える動き』で手を加えてきてるのだ。

 アリアにさえさせないオレのちょっとした自慢なんだが、この人の前では自慢にすらならない。

 

「私は十分まともよ! 失礼なこと言わないで! あ、そうだ京夜。あなたにこれ渡しておくわね」

 

 そうやって文句を言ってきた幸姉は、突然思い出したようにそう言って、ポケットから碧い小さな宝玉がついたペンダントを取り出しオレの首にかけた。

 

「これは?」

 

「うーんと、『魔除けのお守り』。それ、私だと思って大切にしてね」

 

「……幸姉がオレにプレゼントなんて初めてじゃないか?」

 

「そうだっけ? じゃあ特別大事にしてね」

 

「努力はする……イタッ!」

 

 そう言ったらまた幸姉はチョップ。恥ずかしいから濁しただけだよ、幸姉。

 幸姉からのプレゼントなら、一生大事にするって。

 それから片付けを終えた小鳥と一緒にお風呂へと向かったのを確認してから、着替えを引っ張り出すため部屋に行くと、ジャージがない。

 あ、そういや着てないから教室に置きっぱだった。そうなるとオレの普段着とかを……

 そうして悩んで用意したのはYシャツ。オレも男なんだなと強く思うよホント。

 それで幸姉の着替えを脱衣場にパッと入り、置いてすぐ退散しようとしたが、浴室から聞こえる2人の会話につい耳がいってしまった。

 

「ねぇ、小鳥ちゃんは京夜のこと、好き?」

 

「はい! 好きですよ。頼りになりますし、私の面倒もよく見てくださいますし」

 

「あらら。そういう話じゃなかったんだけどねぇ。本当に公私をきっぱり分けちゃってるんだね。お姉さんちょっと残念。じゃあ京夜って学校でモテてたりする? あの子普通にしてたらカッコいいから、気になっちゃうなぁ」

 

「そうですねぇ……京夜先輩は悪評もあるので表立ってアプローチする方は見かけませんね。あ、でも陰では人気ですよ」

 

 何の話してんだ。もっと他に話すことあるだろ。家族の話とかそういうの。

 

「悪評ねぇ……あの子京都の武偵高ではインターンで私と同学年の扱いになってたくらいなのに。武偵ランクだってえ……」

 

「幸姉!」

 

 ……はっ! しまった! 思わず叫んじまった。

 

「京夜のエッチー。覗きに来たなぁ?」

 

「着替え持ってきただけだ。あんまり余計なこと言うなよ。特に『昔』のことは」

 

「京夜に注意されちゃった。じゃああがろっか小鳥ちゃん」

 

「え! まだ入ったばっかり……それに今京夜先輩が……」

 

「真に受けるな小鳥。反応見て遊んでるだ……」

 

 ガランっ!

 そう思い込んでたオレは、突然開かれた浴室のドアの向こうを思わず見てしまった。

 そこには何の恥じらいもなく正面から向き合う幸姉と、反射的に背中を向けた小鳥がいて……

 

「やだ京夜ぁ! あがるって言ったのにぃ! これはもう訴えたら勝てちゃうよぉ。それから責任とってね?」

 

 と、遅れて身体を隠した幸姉に、興奮よりも怒りが上回ったオレは、それをぶつけるように浴室の扉を乱暴に閉めたのだった。

 

「京夜、結局Yシャツにしてるじゃないの」

 

 そのあとちゃんとお風呂から上がった幸姉は、用意したYシャツ姿でリビングに顔を出し言いながらにやにや笑ってきた。

 しかもYシャツのボタンは真ん中の2つしか留めてなくて、非常にきわどい。

 そして小鳥に至ってはオレと目を合わせない。恨むなら幸姉だよな、あれは。

 

「ジャージがなかったんだ」

 

「じゃあ普段着でいいじゃない?」

 

「京夜先輩も……やっぱり男の人なんですね」

 

「やっぱりってなんだ小鳥。とりあえず幸姉はちゃんとボタン留めてくれ。目のやり場に困る」

 

「あ、今ブラ付けてないのよ?」

 

「言わなくていいっての!」

 

 くそっ……『今日の幸姉』と話すといつも主導権が握れない。

 今日はもう寝よう。明日になれば状況も変わるはずだし。

 オレに注意された幸姉はにやにやしながらボタンを下から留めていったが、上2つは留めるつもりがないらしい。谷間が見えるが、まぁこのくらいなら。

 思いつつオレは立て続けにちょっかいを出してくる幸姉に疲れてしまい、のそのそと寝室に向かうのだった。

 

「あら、もうおやすみ? 疲れてたのかしら?」

 

「幸姉が疲れさせてるんだよ。久々なんだから加減してくれ。幸姉は楽しいだろうけど、オレはしんどい」

 

「添い寝してあげよっか?」

 

「……幸姉は小鳥の上のベッドで寝てくれ。オレの上でもいいけど、絶対騒ぐなよ」

 

「あら、スルーされちゃった。ホントにお疲れみたいね。じゃあ私はもう少し小鳥ちゃんとお話しよっかな。いいよね、小鳥ちゃん?」

 

「あ、はい。大丈夫です。京夜先輩はゆっくり休んでくださいね」

 

「ああ、おやすみ……」

 

 そうしてオレはいつもより圧倒的に早くベッドに入り、まだリビングで楽しそうに話す幸姉と小鳥の声を聞きながら、驚くほど早く深い眠りに就いた……

 ――どうか明日、起きたら『一番まともな幸姉』でありますように――

 そんな淡い願いを抱きながら……

 そして翌朝。

 射し込む日の光で目が覚めたオレの視界に最初に飛び込んできたのは、すぐ隣ですやすや眠る幸姉の顔だった。

 それにはオレもビックリして頭を引き横の壁に後頭部をぶつけてしまう。

 幸姉、寝ぼけてたか、面倒臭がったな。

 などと思いながらも、眠る幸姉を起こさないようにベッドから抜けたオレは、すでに起きてキッチンで朝食を作っている小鳥に話し掛けながら席に座る。

 

「幸姉、最初からオレのところに潜り込んでたか?」

 

「えっと、私が寝る時にはちゃんと京夜先輩の上のベッドで寝てましたよ。朝起きたら京夜先輩のところで寝てましたけど」

 

「はぁ……ってことは面倒臭がったわけだな……」

 

 となるとこれから起きてくる幸姉はどっちかだな。

 考えていると、朝食の準備が終わり小鳥がテーブルに料理を並べていると、匂いに釣られたのか幸姉が大きなあくびをしながら、右肩からずり落ちたYシャツも直さずに起きてきて、寝呆けたまま席に座る。

 

「幸姉、だらしないから顔洗って目を覚ましてこいよ」

 

「いいわよそんなの。食べたらまた寝るし」

 

「いつも言ってるだろ。食べてすぐ寝るのは体に悪いって」

 

「京夜うっさい。私に指図するなって言ってるでしょ? あんたは私のすることに口出ししない」

 

 ああ、『こっちの幸姉』か。こっちならだいぶ楽だな。

 

「オレはだらしない幸姉が嫌なんだよ。せっかくの美人なのに勿体ないだろ?」

 

「バ、バカ京夜! なに言ってんのよ!? もう!」

 

 幸姉は言われてかあっ。

 顔を真っ赤にしてから、着崩れていたYシャツをさりげなく直して、留めてなかった上のボタンも1つ留めて胸元を隠してしまった。

 

「あ、あの……なんか幸音さんの様子が昨日と違いますが、どうしたんです?」

 

 そんな幸姉を見た小鳥は、明らかに昨日と違う幸姉に疑問を持ち、オレにそう耳打ちしてきた。

 

「これが幸姉なんだよ……。幸姉は『日毎に7種類に区分された性格に変わる』んだよ」

 

「え!? あの、それってつまり多重人格ってやつですか?」

 

「違うよ。幸姉の意思は1つだ。言うなら『多重性格』ってところだな。もっと簡単に言っちまえば『究極の飽き性』なんだよ、幸姉は」

 

 そう。幸姉は『1日毎に性格が変わる』のだ。

 その性格は全部で7種類あり、それによって言動、行動、考え方、好き嫌いがごっそり変わる。

 昨日の幸姉は『フレンドリー』とオレは呼んでいて、とにかく人当たりが良く壁を作らない。ついでに若干自己中。

 そして今日の幸姉は『男勝り』。

 勝ち気で負けず嫌い。細かいことは気にしないのだが、女性として扱われるのに恥じらいを見せたりする。今みたいにな。

 幸姉は最初からこうだったわけではないのだが、『とある事情』でいつしかこれが普通になってしまっていた。

 オレも最初こそ戸惑ったが、オレを信頼してくれる幸姉に変わりはなかったから、オレもそんな幸姉を今では理解し受け入れている。

 昨日みたいなことは京都にいた頃は日常茶飯事だったが、あんなのに合わせてたんだな、オレ。

 

「小鳥、早く座りなよ。学校あるんでしょ?」

 

「あ、はい。すみません」

 

 オレと話をして、いつまでも座ろうとしない小鳥を見た幸姉は早く座るように促して箸を手に持ち、小鳥も謝りつつすぐに席に着き一緒に朝食を食べていった。

 

「幸姉、オレ達が学校行ってる間はどうするんだ?」

 

「テキトーよテキトー。私もやることあるしね。ああ、京夜と小鳥には迷惑かけないから安心していいわ」

 

 朝食を食べ終えて、いつも通り小鳥が先に登校していって、オレと幸姉だけになってからそんな質問をすると、幸姉はソファーでくつろぎながらそう言ってきた。

 まだ幸姉が何をしにここに来たのかを具体的に聞いていなかったオレは、一応幸姉に美麗を付けて行動を監視することにした。

 なにせあのイ・ウーに1年半もいたのだ。完璧には信用できない。

 幸姉も美麗を付けることには異論がないようで、オレもそれからすぐに登校していったのだった。



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Bullet19

 幸姉を残して部屋を出たオレは、今日から夏服となった制服に少々疑問を持ちながら登校していた。

 武偵高にも暑くなる夏に合わせた夏服があるわけで、女子は赤と白の色合いが水色と白の爽やかカラーになるだけなのだが、男子は上着1枚を脱ぐというだけのお手軽具合だ。

 しかし防弾仕様である制服をわざわざ脱いで薄くする辺りは武偵としてどうだろうと本気で思う。

 それにオレは基本的に上着とYシャツの間に色々と装備を仕込んでるから余計困る。ミズチだって袖の短いYシャツだと丸見えだ。

 だからオレは長袖のYシャツを着て、左右の足にクナイを4本ずつ仕込み、腰の簡易ポーチに分銅や万能ツールを入れるスタイルに変更。小刀はここ最近使わないからお蔵入りだ。

 しかし幸姉は何のためにここに来たんだ?

 今日の幸姉も具体的な話はしないだろうし、話ができる幸姉になるのを待つしかないか。

 でも早くに聞き出さないと、取り返しのつかない事態になる。そんな気がする。

 ――私の言うことをなんでも聞いてくれた。今でも……それは変わらない?――

 昨日の幸姉のあの言葉が、オレの頭の中でリピートされる。

 確かに今まで幸姉の言うことに異論を唱えたことはない。

 だが、幸姉はそれを確認するようなことをしなかった。1年半前……行方を眩ます前までは、な。

 そんなことを考えていると、一般校区にある教務科からの連絡掲示板の前に生徒が集まってるのが見えた。

 ああ、そういやもうすぐ夏休みか。となると単位不足の生徒の貼り出しとかか?

 武偵高も一応は高校だ。単位不足者は一般高校と同じで例外なく進級できない。

 まぁオレは単位とは無縁だから気にしてない。理由としては、綴のおかげといったところか。

 以前の魔剣に関する依頼をこなしたことで、オレは教務科……綴から十分すぎる単位を貰っているのだ。それこそあとの高校生活で民間の依頼をこなさなくていいほどに。

 つまりあとは一般授業の単位を取っていけば、問題なく進級、卒業できるワケだ。

 だが、その生徒の集まりの中に知り合いを発見したオレは、現在抱く疑問の解決に繋がる可能性も考え、近寄って話し掛けた。

 ジャンヌ・ダルク30世に。

 

「おはよう、ジャンヌ。今日も綺麗だな」

 

「社交辞令とはまた面白い趣向だな、猿飛」

 

「京夜でいいって言っただろ。ん? その足どうしたんだ?」

 

 近寄って気付いたが、ジャンヌは少々幅広な松葉杖をついていて、足に怪我をしているようだった。

 ジャンヌは言われてカツン。松葉杖をついて振り返りオレと向き合う。

 

「ん? 金属質っぽい音が混じってたな。松葉杖に何か仕込んでるのか?」

 

「ほう。耳もいいのだな猿飛。以前、星伽白雪に斬られたデュランダルを幅広の鎧貫剣(エストック)に打ち直して仕込んである。足は……虫がな、膝に張りついて、それに驚いて道の側溝に足がはまって、そこをちょうど通ったバスに轢かれたのだ」

 

「轢かれたのだって、ずいぶん軽く言うな。大丈夫なのか?」

 

「全治2週間だ」

 

「化け物かお前」

 

 バスに轢かれて全治2週間って、考えられん。

 

「魔女だからな。その表現はあながち間違いではない。それより私に何か用があったのではないのか? でなければわざわざ敵である私に話しかけたりはすまい」

 

「敵とは思ってないが、まぁ話したいことはある。だが……んー……やっぱ改めて時間を設けたい。放課後ウチに来れるか?」

 

「人目をはばかる内容というわけか。いいだろう、面白そうだ」

 

 そんな理由かよ。

 まぁ、話ができるだけいいか。となると小鳥にはしばらく出てもらって……ついでに理子も呼ぶか。

 

「じゃあ放課後迎えに行くよ」

 

「気遣いは無用だ。勝手に邪魔させてもらう」

 

「左様でございますか。ところでなに見てたんだ?」

 

「あれだ」

 

 ジャンヌは言って掲示板を指差し、そこにはサバイバルナイフで貼られていた『1学期・単位不足者一覧表』なる張り紙があった。

 ジャンヌが見てるってことは、知ってる奴の名前が……あ……キンジの名前がある。

 しかも2単位必要な専門科目――キンジの場合は探偵科だ――で1.9単位不足って、足りないにも程がある。

 

「キンジが来たら言ってやれ。『バカだな』ってよ」

 

「直接言えばいいだろう。私を伝言板に使うな」

 

「会ったら直接言うさ。じゃあ放課後な」

 

 それからオレはジャンヌに背中を向けて手を振りながら、一般校舎へと歩き始めていった。

 今更なことだがこの学校はつくづく普通じゃない。

 教師――綴の奴だ――が2日酔いだかなんだかで授業を放棄。2時間目が暇になった。続く3時間目の体育のプール。

 これも担当教師である強襲科の蘭豹(らんぴょう)が「拳銃使いながら水球やれ。2、3人死ぬまでやれ」と言い残して消え、フリーダム状態。

 屋内プールにはキンジと不知火、それから水着に着替えてもいないオレくらいしかいなかったりする。

 あいつらこれで給料貰ってるとか詐欺だろ。

 とか本気で思いながら、プールサイドのデッキチェアでくつろいでいたオレは、隣にいる朝にバカと再認識したキンジと話をしていた。

 

「カジノ警備の依頼ねぇ。そんなんで1.9も単位取れるのかよ。甘くないか?」

 

緊急任務(クエスト・ブースト)にあったんだからいいだろ。というか猿飛はなんで単位不足になってないんだ? お前だって俺と似たような状態で依頼どころじゃなかったろ」

 

「バカキンジぃ。オレは専門に関してはもう依頼を請けなくても卒業できる単位揃えてんだよ。残念でした」

 

「い、いつの間にそんなに単位揃えたんだよ。そんなに依頼をこなしてる風には見えなかったぞ」

 

「数はそんなにこなしてないからな。まぁ企業秘密ってこった」

 

 詳しく話さないオレにキンジは納得いかない表情をしたが、これが現実だ、受け入れろよキンジ。

 

「おー、ほとんど人がいねえ! おーい不知火、プールから上がれよ! ジャマだ!」

 

 キンジとそんな話をしていると、武藤がなにやら他の車輌科と装備科の生徒と一緒に水着姿で何か黒い物体をせっせとプールに運び入れ始めていた。

 

武藤(むとー)君! すぐ浮かべて! 時間無いのだ!」

 

 そんな武藤を急かすように叫んだのは、装備科の平賀文。

 彼女はスクール水着姿で大きめな何かの操作器具を両手に持ちながらプールサイドに崩れた正座で座り無邪気に笑っていた。

 あやや、お前はA組じゃないが、授業はどうした?

 アリア並に小柄な同級生、あややを見つつ、オレはその集団がこれから何をするのかを何気なく観察していた。

 ちなみにオレがあややと呼んでるのは理子の影響だ。子供っぽいからしっくりくるんだよな。

 

「すぐって、平賀、暖気運転(ウォーミング)しなくて平気なのかよッ!?」

 

「そこは改造(かいぞー)しといたよ! 人間に不可能は無いのだ(Nothing is impossible)!」

 

 どうやら持ってきた黒い物体は、潜水艦の模型のようで、こいつらはその運転をしに来たみたいだ。

 何してんだお前らは。暇人め。

 

「さっそく発射なのだ!」

 

 水に浮かばせた潜水艦を確認したあややは、早速手元の操作器具を動かし始め、その声とともに潜水艦の背中でぱかぱかぱか! と小さなハッチがたくさん開き、そこからロケット花火が打ち上がる。

 おい、ここ屋内プールだぞ。凝った造りなのはわかったが、天井にロケット花火が当たってる。

 などと思ったが、連中はそれを見て拍手喝采。やっぱここの連中は基本的にアホが多い。

 

「おぅキンジ! 猿飛! 見ろよこれ! 超アクラ級原子力潜水艦『ボストーク』だ!」

 

 今頃オレ達に気付いた武藤は、プールから上がってテンション高めに話しかけてくる。乗り物オタクの話は眠くなるんだが。

 

「『ボストーク』は悲劇の原潜なんだぜ。空前絶後の巨大原潜だったんだが、1979年、進水直後に事故で行方不明になっちまったんだ。それをオレと平賀が現代に甦らせた!」

 

 聞きながらオレは大きなあくびをして、それからそんなオレに文句を言ってくる武藤を華麗に無視して屋内プールをあとにし残りの時間を昼寝に費やしたのだった。

 そうして何事もなく4時間目の授業も終えたオレは現在、5時間目の専門科目の授業を諜報科棟の2階で受けていた。

 このまま放課後になれば、ジャンヌと、それから昼休みに誘って話に乗った理子と幸姉について話せる。

 そう思いつつ授業の話を右から左に流しながら、窓の外を眺めていると、段々眠くなってきた。

 うとうとし始めたオレが完全睡眠モードに移行しようとした時、窓の外に眠気を吹き飛ばすものが飛び込んできた。

 朝から幸姉につかせていた美麗が、この諜報科棟の出入口付近に姿を現したのだ。

 美麗には何かあった時に知らせに来いと命令してあったため、オレはそっと窓を開けて教師の目を盗みそこから教室を離脱。

 2階からではあったが難なく着地して美麗と合流。すぐに案内をさせ走り出した。

 何だ? 何があった?

 今日の幸姉は好戦的ではあるが、自分から問題を起こしたりはしないはず。

 となると何かに巻き込まれた可能性が有り得るか。

 こういう時に小鳥がいればいいんだが……って、諜報科棟にいたんじゃないか?

 などと後悔したことを考えていると、美麗が向かう先が進むにつれなんとなくわかってきた。強襲科の専門棟、か?

 そしてその道中に、見知った奴が同じ方向へ走ってるのを発見した。キンジだ。

 これは偶然じゃないな。走りながらキンジとの距離を詰めそのまま並走する形でオレは話しかけた。

 

「なんかあったらしいな。向かう先は強襲科の専門棟か?」

 

「猿飛!? ああ、アリアが危ない!」

 

 アリアが?

 じゃあ幸姉はアリアと接触した? なんだ? 何が起きてる?

 キンジからアバウトな状況を聞いたオレは余計に混乱してしまう。

 これはもう見てみないことにはわからない。

 そう判断したオレは、考えるのをやめてキンジと一緒に強襲科棟に入り、美麗に導かれるままに第1体育館――実際は戦闘訓練場――へとたどり着き、そこの闘技場(コロッセオ)と呼ばれる楕円形のフィールドの防弾ガラスの衝立の前に生徒が大勢集まっていた。

 その人だかりをかき分け進むキンジと、美麗を使って道を開けて進んだオレ達が見たのは……

 

「――アリア!」

 

 片膝をついた状態のアリアと、武偵高の女子制服を着てアリアを見下ろすカナと、それを我関せずな感じで闘技場の隅に立って見る同じく女子制服姿の幸姉だった。

 カナは長い3つ編みの髪に吸い込まれるような瞳をしていて、誰が見ても美人と答えるような女性で、幸姉もそのカナに引けを取らないほどの美人だが、昨日とは違い髪をポニーテールにしていた。

 今日の幸姉はポニーテールが基本だしな。

 

「おいで、神崎・H・アリア。もうちょっと――あなたを、見せてごらん」

 

 闘技場でアリアと対峙していたカナは、言って……パァン! 発砲した、らしい。

 らしいと言うのはおかしな話だが、オレにはカナが『発砲した動作が見えなかった』のだ。

 パシイッ!

 アリアも撃たれたという事実だけを理解している感じで、ほぼ無抵抗で防弾制服に弾が当たっているみたいだ。あのアリアが手も足も出ないのかよ。

 

「蘭豹、やめさせろ! こんなのどう考えても違法だろ! また死人が出るぞ!」

 

 それを見たキンジは防弾ガラスの衝立の上にいた蘭豹に叫ぶ。

 しかしあの蘭豹。年齢は19歳とオレ達に近く、香港では無敵の武偵として名を馳せた女傑らしいが、その凶暴さ故に武偵高を転々としているような奴だ。

 

「おう死ね死ね! 教育のため、大観衆の前で華々しく死んでみせろや!」

 

 ほらな。ついでに言った後ひょうたんに入った酒を飲んでんだから、あてにならん。

 だからオレは言ってる間に防弾ガラスの扉をICキーで開けて中に入り、キンジもそれに続いた。

 

「カナ、やめろ!」

 

「カナさん! 何やってるんだ! 幸姉も!」

 

「くォらこの遠山ァ! 猿飛ィ! 授業妨害すんなや! 脳ミソぶちまけたいんか!」

 

 蘭豹は言い切る前にドウッ!! 世界最大級の巨大銃、M500をオレ達の足元に撃ち出し威嚇する。

 しかしオレ達は止まらな……い……

 しかし、オレは止まってしまった。蘭豹の威嚇に臆したわけではない。

 『幸姉の射抜くような視線を浴びて』、足が前に出なくなってしまったのだ。

 キンジが動けてるのを見るに、くそっ! オレにだけ『あれ』を使ってるのか、幸姉!

 

「……キンジ?」

 

 キンジが近寄ったことでカナは一瞬アリアからキンジに視線が行き、その隙にアリアがバッ! と逆立ちするように跳ね起き左右の足でカナの顎に蹴りかかる。

 しかしカナはそれをほとんど動かずに躱し、躱されたアリアは着地より早く2丁拳銃を抜きカナを撃とうとしたが、これも左右の手首を軽く押され銃口を逸らされてしまう。

 それでもアリアはカナの後ろへ回り込み、2丁拳銃を放り投げて、背中から2本の小太刀を抜き斬りかかった。

 ギギンッッ!!

 弾かれたのはアリアの小太刀。

 小太刀は力なく闘技場に転がり、アリアの手には何も持たれていない。

 そして何が起きたかすら、誰にもわからなかった。

 ただ、カナが3つ編みの後ろ髪を揺らして振り返った。それだけで小太刀が弾かれたのだ。

 しかもその動作だけで、アリアの顎にも殴打を加えていたらしく、アリアはよろよろとふらつき、口元から血を流していた。

 

「はぁ……はぁ……さ……さっきの銃撃……『ピースメーカー』ね……!?」

 

 まだ闘争心を見せるアリアは、カナの見えない何かに気付いたらしく、確認するようにそう問いかけた。

 

「――よく分かったわね。そう。私の銃は、コルトSAA――通称、平和の作り手(ピースメーカー)。でも、あなたはそれを視ることができなかったハズだけど」

 

「あたし、には……分かる。銃声と、マズルフラッシュで。骨董品みたいな古銃だから、はぁ、はぁ……いまいち、思い出しにくかったけど――」

 

「――じゃあ、もっと見せてあげる」

 

 パァン!

 カナの言葉のすぐあと、右前方が光り、アリアはそれで撃たれたらしく、真後ろにひっくり返った。

 

「幸姉! 止めてくれ!」

 

 動けないまでも、しゃべることはできたオレは、その様子を未だ我関せずで眺める幸姉に向かって叫ぶ。

 

「京夜。私は言ったわよ? 『やることがある』って。京夜は今『私の邪魔』をしてるの。理解したなら、そこで石のように固まってなさい」

 

 アリアを助けることが幸姉の邪魔になるだって?

 そんなの……納得できるかよ!

 

「だったら……幸姉が何をしてるのか、オレが納得できるように説明しろよ!」

 

「うるさいわ、京夜。あなたは今『邪魔』。これ以上『しゃべらないで』」

 

 幸姉がそう言った後、オレは言葉どおり『口も動かせなくなった』。

 嘘だろ!? 1年半前の幸姉にここまでの『力』はなかった。やっぱりイ・ウーで……

 そうして無力化されたオレは、カナとアリアの間に割り込んだキンジをただ見ていることしかできなかった。

 

「ど、どきなさい……キンジ……!」

 

「どきなさい、キンジ」

 

 割り込まれたことで両者共にキンジを退かそうと声を出す。

 

「あなたのような素人は動きが不規則な分、事故が起きやすい。危ないわ」

 

「そんなことは分かってる、あんたに言われなくても……!」

 

「なら、どうして? 何のために危険に身をさらすの? まさか、私と戦うつもりではないでしょう? 未完成なあなたが私に勝てるハズは、万に一つも――」

 

「そんなことは分かってるんだよッ!!」

 

 そんなキンジにカナは少し目を見開き驚きの表情を見せる。

 

「……あなた、変わったのね」

 

 淋しそうな……しかし何かを納得したようにそう言ったカナは、キンジとアリア、それにオレを見てから、訓練場の入り口に目を向けた。

 

「こ、こらぁー! 何をやっているんですか! 逮捕します! この場の全員、緊急逮捕します!」

 

 そこからは湾岸署の婦警がホイッスルを鳴らしながら近寄ってきていた。

 そしてその瞬間、オレは突然動けるようになった身体を前に倒し両手と両膝をつき呼吸を整えた。

 見れば幸姉はゆっくりオレに近付いて、手前で屈み話をしてきた。

 

「京夜が踏み込もうとしてるのは、こういう次元の戦い。頑張ってどうにかなるレベルじゃないこと、理解なさい」

 

「はぁ、はぁ、幸姉、あんた、何をしようとしてるんだ」

 

「私の目的は『昔から何ひとつ変わってない』わ。そう、昔から、ね……」

 

 何かを秘めた瞳をした幸姉は、それからすっかり戦意をなくしたカナと一緒に闘技場を去っていった。

 

「キョーやん、大丈夫?」

 

 そんな呼び方をする人物を1人しか知らないオレは、幸姉が去ってから近寄ってきた『婦警に変装した理子』の手を借り立ち上がる。

 そして脇には心配そうに美麗が擦り寄ってきていた。

 

「悪いな、理子。助かった」

 

「いいよ、キョーやんが無事でよかったよかった。だが、これで京夜があたしとジャンヌを家に招いた理由が分かった」

 

 相変わらず切り替わりが凄いな、理子。そして頭の回転もいい。

 

「まさか幸姉がオレに『あれ』を使うなんて思わなかった。それほどまでに邪魔されたくない目的って、なんだよ……」

 

「京夜、あたしは『あれ』を幸音から受けたことがないが、本当に『何もできなくなる』のか?」

 

「……感覚としては『心臓を鷲掴みにされた状態』だ。その上で『いつでも殺せる』という圧力を与えられる。下手をすれば呼吸すら許されないかもな」

 

「幸音は『あれ』をイ・ウーで『1度も使わなかった』。あたしは過去の資料を漁ってようやく掴んだが、凄まじいな。カナ同様に化け物だ」

 

「……幸姉を化け物って呼ぶな、理子。お前でも次は許さないぞ」

 

「……キョーやんはやっぱりゆきゆきラブなんだね……理子ちょっと残念」

 

「何が残念だ。思ってもないくせに」

 

「あー、酷いキョーやん! 理子けっこー本気でキョーやん好きなのにぃ!」

 

 さて、アリアは……気絶してるのか。当たり前か。むしろよくあそこまで持ったよ。

 気絶したアリアはその後キンジが救護科に運んでいき、オレは「無視するなキョーやん、がおー」などとふざける理子と美麗と一緒に訓練場を出て、理子にほどほどに付き合ってやってから、また放課後に話をすることを改めて約束して別れた。

 幸姉が何をやろうとしてるのか。もう一刻も早く聞き出さなくてはならなくなった。

 じゃないとアリアが危ない。

 そんな予感がオレにはしていた。



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Bullet20

 アリアとカナがやり合った放課後。

 オレはこれから話をする2人の化け物とどう段取り良く話すかを考えながら帰路についていた。

 化け物、と表現したのは、バスにひかれて全治2週間で済んでる魔女ジャンヌ・ダルク30世と、我が悪友にして超偵の峰・理子・リュパン4世だからだ。

 この2人。放課後になって気付いたが、1人でも話すのが手一杯になる可能性がある。

 だからといってあちらに今さら日を改めてもらうなんて恐ろしくてできん。

 そう考えて腹を括ったオレは、ダラダラと歩いていたのをしゃきっとして歩き始めた……矢先、前方に帰宅途中らしいレキを発見。傍らにはハイマキもいる。

 

「よっ、レキ」

 

 オレは後ろから近寄って左肩を軽く触って話しかけると、レキはそれでオレに気付き顔を向けた。

 レキはいつもヘッドホンをして『風の声』なるものを聴いているから、死角から話しかけてもすぐ気付いてくれない。

 

「京夜さん。何か?」

 

「いや、特に用はないさ。それとも友人に用もなく話しかけちゃいけない決まりでもあったか?」

 

「いえ」

 

 相変わらず会話が続きにくいな、レキは。

 しかしまぁ、オレもそんなレキらしさを受け入れてるし、こっちが続くようにちょっと頑張ればいいだけだ。

 

「そうだレキ。最近の風はどんな感じだ? やっぱり可もなく不可もなく、か?」

 

「いえ、良くない風が吹いています。京夜さんも気を付けた方がよろしいかと」

 

「……まぁ、オレの場合はすでに良くない風に吹かれてるのかもな……」

 

「?」

 

 試しに聞いてみたが、あまり良くない結果に少し納得してしまった自分が悲しかった。

 レキは歯に衣着せない物言いだから嘘は言ってないだろうしな。

 

「ありがとな、レキ。おかげで諦めもついた」

 

「お礼を言われることは何もしていませんが、お役に立てたのなら幸いです」

 

「レキも良くない風に吹かれて風邪とか引くなよ? じゃな」

 

「はい」

 

 そうして最後にハイマキと少し戯れてからレキと別れたオレは、ジャンヌ達を待たせてる可能性も考えて少し足早に家に戻っていった。

 

「遅いぞ猿飛」

 

「キョーやん、女の子を待たせるなんて、ぷんぷんがおーだぞ?」

 

 リビングに入ってすぐ、ソファーに座りながら茶をすすってくつろいでいたジャンヌと理子を見て、呆れてしまう。

 小鳥なんてわけがわからないまま給仕扱いされてるし。

 

「それにしても猿飛、お前は良い戦妹を持ったな。初対面の私にもすぐに茶を出す辺りは特にな」

 

「ジャンヌに同じくー! あ、ことりんお茶のおかわりよろしくー」

 

「あ、はい。今淹れてきますね」

 

「小鳥をこき使うな。道具じゃないんだぞ」

 

「キョーやんが待たせるからだよー」

 

「ちなみにいつからいる?」

 

「私は40分ほど前からだな。鍵が開いてなかったから、橘が来るまで待ちぼうけを食らったぞ」

 

「理子は30分くらい前かなぁ。せっかくのキョーやんからのお誘いだし、チコクはしたくなかったのです!」

 

 こいつら授業終わってほぼ直行かよ!?

 ジャンヌに至っては直行どころか授業終わって10分くらいで来てる計算になる。授業ちゃんと受けてんのかよ。

 などと考えても仕方ないので、とりあえずオレが1番遅く着き2人を待たせたことには変わりなかったので、素直に謝る。

 それから理子のお茶のおかわりとお茶菓子のせんべいを持ってきた小鳥に話をした。

 

「小鳥、悪いがこれからこの2人と大事な話をする。煌牙と昴を連れてしばらく外に出ててくれ。話が終わったらメールで知らせるから、それまで買い物でも楽しんでこい」

 

「え? あ、はい。わかりました。何か買ってくるものとかありますか?」

 

「いや、お使いじゃないからな。気にしなくていい」

 

「あ! 理子今欲しいギャルゲーが……がにゃにゃにゃ!」

 

 余計なことを言う理子にオレはアイアンクローをお見舞い。

 ぎりぎりと締めあげると理子は締めあげる腕をタップ。ギブらしいが、小鳥が出かけるまでオレは締めあげてやった。

 

「キョーやん酷いよDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)だー! 理子も怒っちゃうぞー? ぷんぷんっ」

 

 小鳥が出かけていってから、理子は頬を膨らませながら両手で角を作りオレにそう言ってきたが、DVは家庭内暴力の意味だから言葉として適切じゃないし、いちいち相手するのも面倒なので、小鳥が出していった大福を理子の口に放り込み黙らせてから話を始めた。

 

「さて、まずは2人を呼び出した理由についてだが……」

 

「理子から聞いた。あの変人、真田幸音についてだろう?」

 

 なんだよ理子、ジャンヌにもう話してたのかよ。まぁ、手間が省けて助かるが。

 

「そうだ。まずは……そうだな……イ・ウーでの幸姉はどんな感じで、何をしていた?」

 

「真田幸音は……誰かと特別仲良くするわけでもなく、ずっと自らの超能力を研き続けていた。まぁ、私や理子は比較的仲良くしていた方かもしれんがな」

 

「ゆきゆきはコロコロ性格が変わる変人だけど、基本的に話しやすい人ではあったねぇ。やってたこともジャンヌが言ったとおり、他の超能力者から制御法とか色々聞いてたかな。でもゆきゆき、イ・ウーでは1度も自分の超能力を使わなかった」

 

「真田幸音は何かを隠しているようにも見えたから、私も深く教えることをしなかったが、あれはそれでも天才の部類だろう。イ・ウーで誰1人として深くは教えなかった中で、それでも独自の見解と技法でG7程度だった超能力を私を越えるG18にまで引き上げたのだからな。それに関しては私も感心を通り越して恐怖すら覚えたよ」

 

 幸姉はイ・ウーで自分の超能力を晒さずにずっと自らを高めていた?

 だとしたら不完全だった『あれ』を完全な制御下に置こうとしたってところか。

 確かに以前ジャンヌから聞いたイ・ウーの理念が本当なら、幸姉の能力を向上させる環境としては最適。武偵高のSSRなど比較にならないほどにな。

 そうなると幸姉は昨日言ってたように、本当に犯罪行為には手を染めていないだろう。それは信じていい。

 

「猿飛、私もいくつか尋ねたいことがあるのだが、2、3質問していいか?」

 

 話を聞いて情報を整理していると、1度茶をすすってからジャンヌがオレにそう尋ねてきた。

 ジャンヌがオレに質問なんて、何だ?

 

「話を聞かせてもらってるんだし、答えない理由はないな。言ってみろよ」

 

「うむ。真田幸音について私はここにいる理子から少し聞いた程度でしか昔のことも何もかも知らない。武偵高に身を置いてから少し調べてもみたが、『真田の家の長女だった』こと以外なに1つ過去のことがわからないのだ。まるで『真田幸音という人物が存在しなかったかのように』な。あれは一体、何者だ?」

 

「……昔、京都武偵高にきまぐれな天才がいたんだ。その人は入学時にSSRを専門にしたが、わずか1ヶ月で強襲科も同時に履修。さらに半年後にはその強襲科をやめて探偵科を履修。2年に進級後は情報科に移り、また半年後に衛生科へ。3年進級後は装備科。さらに半年後に車輌科へ。在学時に7つの専門科目を履修して、そのいずれも武偵ランクAの評価。空手道、剣道、弓道、あらゆる武道に長けていて『天才武偵』とまで称されたその人は、3年の2008年1月11日に忽然と姿を眩まし行方不明になった」

 

「ゆきゆきすごーい。ただの変人さんじゃなかったんだねぇ」

 

「つまり武偵高にいた頃からあの変人の向上心は人並み以上だったということか」

 

「あのさ、2人とも。あんま幸姉を変人変人言わないでくれ。あの人は確かに普通とは言い難いけど、ジャンヌみたいな魔女でも、ブラドみたいな吸血鬼でもないんだからさ」

 

 こうも他人に幸姉を変人呼ばわりされるとさすがに嫌な気分になる。幸姉はオレにとって大事な人だから余計にな。

 言われて2人も気をつけるとだけ言ってくれたが、いつまた無意識で言うか心配だ。

 

「んで、ジャンヌが言った幸姉の情報の不自然な消え方はその行方不明が原因だ。武偵高卒業と同時に真田家の当主になることが決まってた幸姉は、それを目前にして武偵高を自主退学。誰にも何も理由を話さずに姿を眩ました幸姉を真田の家は『当主になりたくない』のだと判断し、幸姉を家の恥として『切り捨てた』んだよ。『真田の家にいた』という過去以外全てな」

 

「なるほどな。そして真田幸音のあの性格も巧い具合に作用して、目撃証言も一致せずに今日まで来たというわけか」

 

「あれぇ? キョーやん自分のことは話さないのかなぁ? キョーやんもそれが原因で猿飛の家を追い出されてるよね。だから今東京武偵高(ここ)にいるんだし」

 

 理子、余計なことを。

 確かに昔こっちに来た経緯を少し話したが、そこから自力で調べ上げたのか?

 

「……オレは当時、幸姉のパートナーとして、そして真田に仕える猿飛の者として傍にいた。だがオレは幸姉が行方を眩ました時に何もできず、何も知らされていなかったとして猿飛から、そして真田からも役立たずとして責められた。それで家にいられなくなってこっちに来たってわけだよ。今も真田と猿飛の家には出入り禁止ときてる。笑えるだろ?」

 

「笑うところは何ひとつなかったが、お前が笑い話とするなら私はそうなのかと受け止めておこう。それから調べてわかったが、今の真田と猿飛は低迷してるらしいな。次期当主の育成から何まで。それほどにお前と真田幸音の存在は大きかったというわけか」

 

「幸姉はそうだろうが、オレは大したことないぞ」

 

「ほう、つまり私はそんな大したことないお前に計画を狂わされ、今こうしてるというわけか」

 

「キョーやんは大したヤツだよぉ! 理子が好きになるくらいだもーん!」

 

 ……2人はどうやらオレを高く評価してるらしい。

 周りの評価を気にしないオレだが、この2人に評価されると何故か悪い気はしない。

 まぁ言ってみれば超人集団、イ・ウーに評価されたようなものだからかもな。

 

「じゃあ大したヤツってことにしとくか」

 

「過小評価を自らするのは殊勝だが、他人からの賛辞を素直に受け取るのも大事なことだからな。それでは次の質問だ。真田幸音の『あれ』は、彼女の超能力の1つに過ぎないのか、或いはまだ何かを使えるのか」

 

「『七変化(セブン・カラー)』は、ジャンヌも理子もその目その身で体験してるだろ? あれが超能力に関係しているらしい。幸姉は『あれ』の他に陰陽道なんかで知られる五大元素を操る超偵で、まぁ『あれ』が先天的能力で、五大元素は元々素養があって後天的に扱えるようになったって昔話してた」

 

 七変化。幸姉の性格がコロコロ変わる症状を幸姉自らがそう名付けて定着した呼び名。

 それが超能力に影響を与えるらしいのだが、その仕組みが説明されてもオレにはよくわからなかった。

 

「つまり性格を変えることで体内の歯車をはめ替えて、その性質に合った超能力を引き出すわけか。確かに性格や性質で引き出せる力の大小に変化は生じるが、真田幸音のような発想はなかった……いや、普通なら考えるワケがないな」

 

「ん? 言ってることはよくわからんが、ジャンヌが言うならたぶんそうなんだろ。オレは超能力なんて使えないから詳しくは知らないしな」

 

「私とて現代の分類では第Ⅲ種超能力者と呼ばれているが、理子のような特異ケースも存在するのが超能力だ。一括りに超能力と言っても、その属性や特質、相性などは多種多様。まだまだ説明できない事象も多い」

 

 話を聞くと超能力は便利そうだが、面倒臭そうでもあるな。

 幸姉も色々考えて今に至ったなら、その苦悩をオレは理解してなかったのかもしれない。

 幸姉は昔からオレにだけは悩みを打ち明けてたから、勝手に理解してた気になってたけど、深い部分は明かしてなかったのかもしれない。

 だからあの時もオレに何も言わずにイ・ウーに……

 

「そういや理子はその十字架が超能力の鍵だって言ってたな。直球で聞くが、そいつは一体何なんだ?」

 

「キョーやんの知りたがりぃ! そんなに理子のこと知りたいならぁ……」

 

「あ、じゃあいいや」

 

 前置きのある理子は面倒臭い要求してくるから却下だ。これについてはまたの機会にするか。

 

「まぁ、話は大体わかったか。それじゃ単刀直入に聞く。2人は何で幸姉がここに来たのか、その目的を知ってるか?」

 

「「知らない」」

 

 ガクッ。タメも何もない見事なシンクロ即答にオレは肩から崩れる。

 

「補足するならば、カナがこちらに来た件については知り得ている。そして真田幸音はそれに同伴すると言ってきたらしい」

 

「だねぇ。理子もカナちゃんからそれを聞いたくらいだし」

 

 言ってジャンヌはヨウカンをひと切れ取り口にヒョイっ。理子は包装を取り払い苺大福をパクっ。

 いや待て。そんな和菓子がウチにあったか? 小鳥凄いな。

 しかし、結局幸姉がここに来た目的はわからないままか。

 

「となるとやっぱり幸姉本人から聞き出すしかないか……。だが、まともに話ができる幸姉は2パターンしかないから、日付が変わるのをのんびり待つことになるんだよなぁ」

 

「そう急ぐ必要もないだろう。カナもすぐには動かないと言っていたのだからな」

 

「……それを先に言ってくれるとありがたかったよ」

 

「話が回りくどかったのでな。合わせてやったまでだ」

 

「キョーやん、話術は大したことないよねぇ。本題丸見えなのに遠回りして。でもそんなキョーやんもステキぃ」

 

「……話すのが苦手なのは認めるよ……。特にお前等みたいな頭がキレるヤツ相手だと余計にな」

 

 そこまで話してオレもお茶をすすり一息入れる。

 そうして少しの沈黙が流れて、このまま解散になろうかという空気になりかけた時、唐突に部屋のドアがバァン! と開かれて、そこから両手に買い物袋を持った幸姉と、あわあわしてる小鳥が入ってきた。それに続いて美麗と煌牙も帰宅。

 

「今日は焼肉やるわよぉ! ジャンヌも理子も食べていきなさい!」

 

「ゆ、幸音さん! お客様来てるからまだ帰っちゃダメだって……」

 

「小鳥、私はジャンヌ達がいるって言うから、2人が帰っちゃう前に突撃したの。みんなで食べた方が焼肉も美味しいってもんよ」

 

「お、おい猿飛。真田幸音がなぜここに……しかも今日のこいつは……」

 

「わーお! ゆきゆき隊長太っ腹ぁ! 食べる食べるぅ!」

 

「よし、理子一等兵。さっそく準備に取り掛かりなさい!」

 

「うー、ラジャー!」

 

「昨日からここに住み着いてるんだよ、この人は……」

 

「わ、私は帰らせてもらう! 今日のこいつは苦手だ……ああ!?」

 

 まるで空気を読まずに部屋に踏み入って焼肉をやると言い出した幸姉を見て、理子はノリノリでキッチンに向かい、対してジャンヌは今日の幸姉は苦手らしく、すぐに退散しようとしたが、幸姉に首根っこを掴まれ阻止されていた。

 

「ジャンヌぅ、ツレないこと言わないで食べていきなさい? タダ飯よタダ飯!」

 

「は、離せ真田幸音! 私は貴様等と馴れ合うつもりは毛頭ない!」

 

「小鳥ぃ! ジャンヌがあなたの料理を食べたくないんですって」

 

「え!? そんなぁ……」

 

「くっ、卑怯だぞ真田幸音!」

 

「ジャンヌも意地張ってないで食べていきなよぉ! お肉だよ! お肉!」

 

「ジャンヌ、食べてから帰れ。今日の幸姉は一切退かないぞ」

 

「……食べたら帰る。これは絶対だ」

 

「はい決まりー! ほら京夜も手伝いなさい。ジャンヌは怪我してるから座ってて。理子は……料理出来るのかしら? 出来るなら小鳥の手伝いね」

 

「ゆきゆき隊長! 理子は焼き肉セットの設置に全力を注ぐであります! ことりんの手伝いはキョーやん二等兵が適任かと!」

 

「さりげなく面倒を押しつけるな! だがまぁ、たまには小鳥の手伝いくらいやるか。幸姉はどうせ食べる担当とか言うだろうし」

 

「あら、よくわかったわね、その通りよ。さすが京夜」

 

「威張るなよ! ったく……」

 

 そうして急遽、5人で焼き肉パーティーが開催されることになり、ジャンヌも渋々ではあったが参加して、1時間後準備を整えてリビングで一緒に食べ始めた。

 

「あ! キョーやん、その肉は理子が育ててるから取っちゃダメだよ!」

 

「野菜も食え。太るぞ」

 

「大丈夫! 脂肪は全部おっぱいにいくから!」

 

「それ以上アンバランスな体型になる気か」

 

「峰先輩はいいですね……胸が育って……私なんて……」

 

「大丈夫大丈夫! ことりんもまだ見込みあるよ! あとはキョーやんに揉んでもらえば……ムフフ」

 

「猿飛! 貴様そんなハレンチなことを……」

 

「してねーしする気もねーよ」

 

「仲良いわねあなた達。京夜が女の子と同じテンションで仲良くしてるのを見るのも珍しいし」

 

「腐れ縁だ。ジャンヌは確かに珍しいが」

 

「それで? 京夜はどっちが……ううん。『誰』が本命なのかしら?」

 

 本命?

 何の話をしてるんだ、幸姉は。

 と思った瞬間、突然理子が隣に移動してきて肉を掴んでオレに食べさせようとしてきた。

 

「もっちろん理子だよねぇ。キョーやんと理子はコイビトだからねぇ。はいキョーやん、あーん」

 

「いつからそうなった。いいから自分で食え」

 

 バカなことを言う理子をはがしつつ、差し出された肉を理子の口に強引に誘導して食べさせると、理子は「あーんされちゃった」などとぬかしてきた。自分で持った肉を食ってんだろうが。

 

「ふぅん。理子はいいとして、ジャンヌは京夜のことどう思ってるの?」

 

「別段どうということはない。武偵としての能力は評価するがな」

 

「なら脈なしではないか。小鳥は昨日聞いたし、京夜は微妙な人間関係を築いてるのね。付かず離れずみたいな微妙な、ね」

 

「意味わからん。武偵なんてみんなそんな感じだろ。互いに深く知ることをしない。基本だ」

 

「武偵としてじゃなくて、人間としてよ、京夜。信頼関係は悪いより良いに越したことはないんだし、特にジャンヌ達とは仲良くしなさい」

 

「仲良くしてるつもりだよ。自分から歩み寄らないと他人と仲良くできないって昔教えたのは幸姉だろ」

 

「良いこと言うわね、私も」

 

 そうして幸姉は年上らしくオレ達に色々言いつつ、しっかり肉を平らげていき、理子とジャンヌもそれなりに焼き肉パーティーを楽しんでから帰っていったのだった。



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Bullet21

 7月5日。現在の時刻は午後8時。

 オレはいつものようにリビングのソファーに座ってテレビを観ながらまったりと時間を過ごしていた、のだが……

 

「うぇっ……えぐ……」

 

 オレの隣には現在、半べそをかきながら美麗と煌牙に抱き付く小鳥が、ちょこんと崩れた正座でじゅうたんに座っていた。その理由は……

 

「はーい、2人ともお茶が入ったよー」

 

 幸姉である。

 幸姉は言いながら丁寧な持ち運びでオレと小鳥のテーブルの前にお茶を置き自らも腰を下ろしお茶を美味しそうにすすり始めた。

 

「京夜先輩ぃー! 幸音さんにお仕事全部とられましたー!」

 

「あー、はいはい。明日になればまた小鳥が大活躍できるから、今日のところは我慢してくれ」

 

「ふんふんふーん」

 

 そうやって仕事をとられたと泣く小鳥をあやしつつ、幸姉が淹れたお茶をすする。

 そして幸姉は呑気にテレビを観ながら笑顔全開。あなたのせいで小鳥が泣いてるんですがね。

 今日の幸姉は朝から小鳥より早く起きてみんなの分の朝食と昼食の弁当を作り、オレと小鳥が学校に行ってる間に掃除、洗濯、買い物などをそつなくこなしつつ、夕食とお風呂の準備と余念が一切ない完璧家政婦さんぶりを発揮。

 今も何かあらばすかさず動ける位置に陣取って座っていたりする。

 そのせいで小鳥は朝から何もさせてもらえずに、こうしていま美麗と煌牙に泣きついているのだ。

 今日の幸姉は『世話好き』。

 読んで字のごとく、他人のお世話が大好きな性格で、ことお世話に含まれることをやらせたらパーフェクトにこなすスーパーメイドと化す。

 ちなみにこの性格は他の6つの性格より出現率が圧倒的に低い。

 理由はわからないが、幸姉の七変化には出現率にムラがあるのだ。

 たぶんだが、世話好きな幸姉は肉体的にも精神的にも相当疲れるのだろう。オレの今までの統計でも世話好きな幸姉は月に1、2回しか出てこない。

 ちなみに一番出現率が高いのはフレンドリーな幸姉だったりする。こちらは週2、3回は出てくる。

 事実幸姉がここに身を置いてから、フレンドリー、男勝り、真面目、フレンドリー、妖艶、世話好き、ときてる。真面目と妖艶はまぁ、想像の通りになるな。

 

「ぐすっ……でも幸音さんって、家事もちゃんとできたんですね。今までまったくやってなかったので少しビックリです」

 

「私もかつては当主となる身だったから、それを支える下の者の大変さを学ぶために一通り習得したのよ」

 

「あれ? 昔は花嫁修行とか言ってなかったか?」

 

「それは中等部1年の頃の話よ京夜。あの頃は私も女は嫁ぐものだと思ってたから……良妻賢母を目指してたんです」

 

「あ、そっか。幸音さんは真田の当主になるから、婿を貰うことになるんですね」

 

「そうなのよねぇ。私としては京夜を貰いたいところなんだけど……」

 

「ぶっ!?」

 

「あら京夜大丈夫? まったくもう」

 

 幸姉は言いながらお茶を吹き出してしまったオレの口元やテーブルを手早くおしぼりで拭いていき、出遅れた小鳥は煌牙の身体にのしかかって崩れ落ちた。

 

「まぁ、真田と猿飛は絶対に交わっちゃいけないって昔から決まってるから、仕方ないのよね」

 

「本気で言ってもいないくせに、変なこと口走らないでくれよ幸姉。第一、今はオレも幸姉も家から追い出されてる身だろ」

 

「そうなんだけどね。まぁそれならそれで京夜と駆け落ちって考えもあるし、私としては願ったり叶ったりだよ?」

 

「はいはいわかったからさっさと風呂入って寝てください。今日最後のお仕事は小鳥達の洗浄だけなんでよろしくお願いします」

 

「え? 洗浄って京夜先輩……」

 

「それなら今からやろうとしてました。小鳥ちゃんも美麗達も残すところなくピカピカにしてあげるからね」

 

 それを聞いた昴、美麗、煌牙は何か恐ろしい気配を察知したのか、小鳥を押し退けて脱兎のごとく寝室に逃げ込んだ。

 野性のカンってやつか。さすがだ。手抜きを一切しないからな、この幸姉は。

 

「あ、そうだ京夜。確か明日で武偵高は1学期終わりなのよね?」

 

 唯一捕まった小鳥の首根っこを持ちながら寝室に向かおうとした幸姉は、確認するように立ち止まってそう質問してきた。

 武偵高は一般の高校よりずいぶん早い7月7日で夏休みに入るのだ。つまり明日で1学期は終了することになる。

 それに肯定を示すよう首を振ると、幸姉は寝室に入って笑いながら100キロはある美麗と煌牙を猫を掴むように引きずり出して、浴室に行くように指示し、昴もそれに恐れをなして浴室に向かっていった。

 

「じゃあ7月7日の夏祭りに一緒に行きましょ? どうせだから理子ちゃんとジャンヌちゃんも誘ってみんなで。もちろん小鳥ちゃんも」

 

「え? あ、はい! 私は喜んで!」

 

「なんで理子達もなんだよ。3人でもいいだろ」

 

「祭りは大勢の方が楽しいものよ。じゃあ明日は2人をちゃんと誘ってくるのよ? さぁ、小鳥ちゃんは今からピカピカにしてあげるわよ」

 

 拒否権なしかよ。

 てかすでに浴室に向かってしまった辺り、最初からオレの返答など聞く気はなかったな。

 だがまぁ、オレも別に理子とジャンヌを誘うことに反対する理由もないしいいんだけど。

 いや、訂正しよう。理子とはあまり行きたくない。どうせろくなことにならん。

 

「……そういやジャンヌの連絡先知らないな。明日はまずジャンヌ探しからしないといけないのか。だる……」

 

 そうやってオレは明日の行動予定を決めつつ、テレビを観ながら浴室から聞こえてくる恐ろしい叫び声に合掌していたのだった。

 その翌日。

 理子は教室で会って早々に話すと2つ返事でオッケーしてきたが、浴衣の中には下着は付けない方が良い? などと聞いてきたので、好きにしろとテキトーに返しつつ、よくよく考えたら朝ならジャンヌも自分のクラスにいるだろうと思いすぐに行動して誘いをかけると、特に予定もなかったらしく、すぐに了承してくれた。

 どうやら日本の祭りに興味があったらしく、出店だの花火だのとぶつぶつ言っていた。

 そうして迎えた夏休み初日の7月7日。

 その夜6時になる10分前にオレは上野駅の出入口付近で待ちぼうけを食らっていた。

 今日の夏祭りは上野の緋川神社で行われる七夕祭り。祭りの終盤には派手に花火も打ち上げるとあって、行き交う人もお祭り気分の人達で溢れて賑わっていた。

 そしてオレは現在、浴衣のレンタルに行ってしまった幸姉と小鳥、時間にルーズな理子を待っていて、横には……

 

「猿飛。一応聞いておくが、今日の真田幸音は大丈夫なのだろうな?」

 

 残念なことに武偵高制服を着たジャンヌが松葉杖をついた状態で割と真剣な顔でそう質問してきた。

 

「今日の幸姉は問題ない。フレンドリーと男勝りの幸姉はジャンヌが苦手っぽいから、気になるのはわかるがな。しかし残念だ」

 

「何が残念なのだ猿飛。私はまだ何もしていないぞ」

 

「いや、ジャンヌの浴衣姿を期待していただけに、その期待を裏切る辺りはホントに残念でな……」

 

「わ、私とて日本の浴衣には興味があったが、この足では仕方ないだろう!」

 

「あーそっか。そいつは気が付かなくてすまん。ジャンヌも本当は可愛らしい浴衣を着たかったんだよな」

 

「可愛らしいは余計だ」

 

 などとコントのようなやりとりをしていると、上野駅から出てきた浴衣姿の理子がこちらを発見してパタパタと近寄ってきた。

 

「おやおや、お2人さんは制服ですかい。つまらないですなぁ。まっ、らしいっちゃらしいけどねぇ。それでどおどおキョーやん、理子のゆ、か、た、す、が、た、は?」

 

 理子は合流するや否やベラベラと喋り出し、紺色の生地に花柄をあしらって紅の帯で着付けてフリルで盛ったミニスカ浴衣をくるりと可愛らしく回ってオレに見せてきた。

 悔しいけど可愛いんだよなぁ、こいつ。浴衣の概念はだいぶ崩れてるがな。

 

「おお、可愛いぞ理子。惚れちゃいそうだ」

 

「あー! キョーやんそれだと今まで理子りんに惚れてなかったみたいに聞こえるんだけどぉ」

 

「いや、実際惚れてないし」

 

「ぶー! 理子りんはこーんなにキョーやんのこと好きなのにー!」

 

 言った理子は人目もはばからずにオレの左腕に抱きついて、左手に自分の右手を絡ませて俗に言う恋人つなぎをしてきた。

 

「今日はこのまま祭りに行くのか?」

 

「もっちろん! あ、でもキョーやんが嫌だって言うなら……」

 

 なんでそこで乙女っぽい反応するんだこいつは。キャラじゃないだろうが。

 

「理子。そのような策に嵌まるほど猿飛はたやすい奴なのか?」

 

 ……しまった!

 よく考えたら理子の常套手段だこれ!

 ジャンヌに言われるまで気付かんとは……オレも気が抜けてたってことか。

 

「ジャンヌはわかってないなぁ。キョーやんは意外とこういうのに引っ掛かるんだよぉ」

 

「そうなのか。女に弱いとは情けないな」

 

「好き勝手に言うな。今日くらいはいいかとか考えてただけだ。だから理子の策に嵌まったわけじゃない」

 

 そういうことにしておこう。そうしよう。

 

「ただ、今日の幸姉がなぁ……」

 

「そいえば今日のゆきゆきはどのゆきゆき?」

 

「そうだ猿飛。私もまだそれを聞いていないぞ」

 

 お前が話を逸らしたんだろ。まぁいいけど。

 

「京夜。お、おまたせ」

 

 そうこうしてると、丁度やってきた当人の声に反応して、そちらを振り向くオレ達。

 そこには白地に桜をあしらった淡いピンクの帯で着付けた浴衣で、長い黒に近い髪を後ろの上で結ってかんざしを刺して留めている幸姉と、ゴールデンウィークの時と同じ浴衣を着た小鳥が並んで立っていた。

 

「わあ! ゆきゆき超美人さんだぁ! ことりんもかっわいい!」

 

「うむ、こういうのを大和撫子というのだろう? 橘も愛らしいな」

 

「そんな可愛いなんて滅相もない! 理子先輩の方がずっと可愛くて綺麗ですし、幸音さんとはもう天と地ほどの差がありますから!」

 

「こ、小鳥ちゃん! そんな担ぎ上げないで! 凄く恥ずかしいから……」

 

「あれ? もしかして今日のゆきゆきは『お姉様』か! ムハー! 興奮しますなぁ!」

 

「一番まともな真田幸音か。これなら私も安心だ」

 

 お姉様ってなんだ理子よ。

 そうして小鳥達に褒められた幸姉は顔を真っ赤にして俯いて恥ずかしがっていて、見てるこっちが恥ずかしくなる。

 そんな幸姉にオレはつい言葉も出ないまま固まってしまう。

 可愛い……というか、凄く女性らしい幸姉に見惚れてしまったのだ。

 今日の幸姉は『乙女』。

 男性から見たら可愛いと思える言動や仕草を超自然的にやってのける、ある意味では一番危険な幸姉である。

 しかも何故かこの幸姉。恥ずかしそうにしながらもオレに対して昔から……

 

「あ、あの、京夜? ど、どうかな私、変じゃない?」

 

 そう思って固まっていたオレに幸姉は胸の前に手を持ってきて顔を赤くしてモジモジしながらオレにそんな質問をしてきた。やめてくれホントに。

 

「大丈夫だよ幸姉。凄く似合ってる」

 

「そ、そう? 嘘じゃないよね、京夜?」

 

 今度はぐいっと顔を近付けてのうるうる涙目。ヤバいっての!

 

「ホントだから! だから離れて!」

 

「あっ、ごめんね京夜。そっか、似合ってるか。ふふっ」

 

 言われて幸姉はすぐに離れてくれたが、何故か嬉しそうに笑うと、突然オレの右手を取って左手を繋いできた。

 

「じゃ、行こっか」

 

「あー! お姉様ずるーい! 理子もキョーやんと手ぇ繋ぐぅ!」

 

「あ、あ、ああ……」

 

「残念だったな橘。猿飛の手は2つしかない」

 

「い、いえ、私は別にそんなことはないですはい!」

 

 なにやら後ろでジャンヌと小鳥が話をしていたが、両手を引っ張って先に進む幸姉と理子のせいでよく聞き取れなかった。

 というか2人とも、ジャンヌが松葉杖なんだから歩くペースくらいは合わせようぜ? 誘ったのは幸姉なんだしさ。

 今日の幸姉は乙女な性格なのに意外と積極的なんだよな。

 理子も何故か負けじと張り合うし意味わからん。

 右手を幸姉、左手を理子に取られてしまったオレは、少し後ろを歩くジャンヌと小鳥に歩幅を合わせながら、緋川神社までの道のりにある屋台の通りに差し掛かった。

 

「祭りって言ったらまずはわたあめだよねぇ」

 

「えっ、最初はたこ焼きじゃないんですか? 理子先輩」

 

「私はりんご飴と呼ばれるものを食べてみたいのだが」

 

「私は……京夜が食べたいのでいいよ」

 

「うーん、とりあえず食べたいやつ食べればいいんじゃないか? というかみんなして食べ物ってどうなんだ? 他にも射的とか金魚すくいとかあるだろ」

 

「射的なんて理子達がやったらチートだよキョーやん」

 

「ですねぇ。いつも本物振り回してますし」

 

「金魚すくいか……」

 

「ジャンヌは金魚すくいをやりたいのね」

 

「ち、違うぞ真田幸音! 私は別に金魚すくいなど……」

 

「しばらくしたら花火も始まるらしいし、それまではじゃあ、順々にやりたいもの食べたいもの回っていくか」

 

「じゃ最初は理子りんねー。理子りんはわたあめ! キョーやん買ってー」

 

「自分で買え」

 

「お姉様ー、キョーやんが意地悪言います!」

 

「理子、京夜を困らせちゃダメよ。京夜だってギリギリの生計で生活してるんだから」

 

 いやいや、わたあめ1個奢れないほど生計苦しくないって幸姉。

 

「……わたあめだけだぞ」

 

「いやたー! さすがキョーやん!」

 

「む、理子だけ奢りとは少々ズルくはないか?」

 

「ジャンヌまでそんなこと言って。京夜は優しいから断れないのよ? ごめんね京夜」

 

「あのさ……幸姉が色々言うから後に退けないんだけど……。もういいよ。1人1品奢ってやる」

 

「うむ、それが最良の選択だな。橘もたこ焼きとやらを奢ってもらえ」

 

「すみません京夜先輩。私まで奢ってもらってしまって」

 

「ご、ごめんね京夜。私が余計なこと言っちゃったから……」

 

「小鳥も気にしなくていいぞ。幸姉はもう謝らなくていいから、祭りを楽しんでくれ」

 

「ほらキョーやん、早くわたあめ買ってー」

 

 話がまとまると、理子はさっそくグイグイとオレの左腕を引っ張ってわたあめ屋台に連行し始め、みんなもそれに続いていった。

 その後はたこ焼き、りんご飴、焼きそば、フランクフルト、かき氷と食べ物尽くしの屋台回りを繰り広げていき、初めての日本の祭りの雰囲気と七夕の話を堪能したジャンヌは満足そうな表情を浮かべていて、小鳥なんかは留守番をしている昴達動物組のお土産をすでに手に提げている。

 理子は新たに買ったチョコバナナをむしゃむしゃと食べていて、わざとか何か知らないが口の回りにチョコがついてるし。

 そして幸姉はといえば、常にオレの隣をキープしつつ終始みんなの顔色をうかがう謎行動をしていた。

 どうやら周り優先な性格は変わってないらしいが、それでもたまにオレにドキリとする行動や言動をするから質が悪い。

 オレが武偵高の制服を着てなければ、今頃幸姉はナンパの嵐に遭っていただろうな。

 幸姉だけじゃなくてジャンヌと理子もそうか。小鳥は……まぁ可愛いんだけどな。

 それから道を進行する御輿も観賞し、これから始まる花火をゆっくり見るために、ひとけがあまりない緋川神社付近にあった見晴らしの良いベンチがある空間に移動した。

 ベンチには3人しか座れなかったため、オレと幸姉が遠慮する形で後ろに立って花火を見始めた。

 ドン! パァン!

 様々な花火が上がり、小鳥と理子がジャンヌに「玉屋」「鍵屋」を教える中、横にいる幸姉はそっとオレの肩に頭を寄せてきて本気で心臓が飛び出そうになった。

 

「私今、とっても幸せ」

 

「幸姉……」

 

 ホントに今日の幸姉は色々危ない。今日だけで何回抱き締めたい衝動に駆られたかわからん。

 

「あー! お姉様抜け駆けズルい!」

 

 そこで不意に振り向いた理子が言いながら幸姉を引き剥がしにかかる。助かった。

 そうして少しだけ孤立したオレは、騒ぐ4人を見ながら花火を見ていたが、耳元に羽を振動させるあの虫特有のブーンという煩わしい音を拾い周囲に目を向けると、突然バチン! というスタンガンみたいな電撃が胸元から発生し、何かを打ち落としたようだった。

 発生源は……幸姉のくれたペンダント?

 不思議に思いながら携帯片手に打ち落とされた虫を探すと、黄金虫、か?

 

「どうしたの、京夜?」

 

 そんなオレに気付いた幸姉が素早く反応して近付いてきたので、黄金虫がいたんだと話す。

 

「……え、なんで……」

 

 すると幸姉は小さな声でそう言った後、少し怒りを含む表情でお手洗いに行くと言ってその場から離れてしまった。

 幸姉の変化が気になったオレは、跡を追うようにトイレに行くと言って気付かれないようについていってみた。

 その幸姉はトイレには行かずに道から逸れて茂みに入り木に背中を預けると、携帯を取り出し誰かと通話し始めた。

 気付かれる可能性もあり、会話はほとんど聞き取れない距離なのだが、幸姉の表情は明らかに怒気が込もっていた。

 

「パ……あなた……約束……れない……ぶすと言った……ええ……」

 

 ダメだな。ほとんど聞き取れない。

 そう思っていると、月明かりで幸姉の口元が見えるようになり、そこから読唇術で読み取りにかかった。

 ――コンカイ ワ ミノガスケド ツギ ワ ナイワヨ――

 おいおい、なんだか物騒な話してるぞ。

 しかもあんなに怒りを面に出す幸姉は珍しい。

 最後に見たのはオレが真田の家に一時期出入り禁止になった時か。あの時は幸姉がマジギレで真田現当主に牙向いたからな。

 そのおかげで出入り禁止は解けたから感謝してるけど、できれば2度と見たくない表情でもあった。

 通話を終えた幸姉は、それから道に戻ってトイレに向かい、オレも後から追い付いた風を装いながら幸姉と一緒にトイレに行き、みんなのところへと戻っていった。

 その後すぐに花火も終わってしまい、その日はそれで解散。

 理子が別れ際にキスしようとしてきたのをデコピンで追い払って、送っていくと言ってみたがあっさり断ったジャンヌを見送ってオレ達も部屋に戻っていった。

 気掛かりなのは幸姉のあの言葉なのだが、考えても仕方ない、か……



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Bullet22

「くたばれ神崎アリア! これは天誅! 天誅なのですっ! あはっ、あははははは!」

 

 ――ばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりぃ――!!

 幸姉と小鳥と一緒に七夕祭りから帰宅後しばらくして、階下の部屋から聞こえてきたのは、そんな狂気に狂った白雪の笑い声と、明らかに高火力な銃器の連射音。

 ブラドの一件の少し前に星伽の実家に戻っていた白雪。帰ってきてたのか。

 しかも帰って早々アリアと喧嘩って物騒極まりない。

 そんな階下の騒動にもすっかり慣れてしまった小鳥と、武偵としての経験豊富な幸姉はほとんど気にすることなく、買ってきたお土産を広げて昴達にあげていた。

 バダンッ!

 そこでいきなり寝室の扉が開いて、そこから何故かアリアが登場。

 しかもバニーガールの格好をしてるという謎すぎる状況。推理するのも嫌だ。

 

「いったいなんなの! いきなりM60マシンガンをブッ放すなんて普通じゃないわ!」

 

「いや、オレはアリアがなんでここの寝室から出てくるのかとか、なんでバニーガールの格好してるのかとか、そっちの方が気になるんだが」

 

「そんな些細な事はいいのよ。それより京夜。アンタの寝室の床も弾が貫通してるから中が大変よ?」

 

「は? はあ!?」

 

 言われてすぐに寝室を覗くと、床に無数の穴が開き、さらに部屋の何ヶ所かに被弾して残念なカンジで散らかってしまっていた。

 一応防弾素材でできた男子寮なんだけどな。そこを貫通までしてくるか。

 そうして散らかった寝室の隅に、アリアが使ったとおぼしき階下とを繋ぐ簡易扉を発見。

 いつの間に作ったあんなもの。とアリアを見ると……

 

「あれよ。白雪の護衛をした時に緊急避難用に作っておいたの」

 

 先読みしたアリアは即答。

 だが普通、避難なら外に逃がさないか?

 などと言っても仕方ないので、とりあえず怖いがそれを使って下の部屋に行くか。白雪にはちゃんと弁償してもらわないとな。

 思いながらひょいっと下の階に下りたオレは、まだ臨戦態勢だった白雪に日本では違法所持になる戦争用機関銃、M60マシンガンの銃口を向けられ、マジで死ぬかと思った。

 

「はっ! 猿飛くん!? ご、ごめんなさい! てっきりあの泥棒ネコかと」

 

「ああ……いや……撃たれなかっただけ良かったよ。それよりオレの寝室も被害を被ったんだが、できれば弁償、修繕してもらいたい」

 

 言われた白雪は持っていたM60マシンガンを床に落としてピョンッ! ザシュッ! ジャンピング土下座を決めてオレに謝罪。

 すげーな今の。もう1回やってほしい。

 

「只今キンちゃん様の寝室ともどもお片付けを致しますので、何卒お許しを!」

 

「いや、直してくれるなら文句は言わないよ。それよりおかえり白雪。帰郷は楽しかったか?」

 

「あ、うん。妹達に会えたからそれなりには、ね」

 

「ん? 何か良くないこともあったか? いやまぁ、星伽の掟破って戻されたんだから、そりゃ楽しいことだけじゃなかっただろうがな」

 

「うん、そんなところ。猿飛くんは優しいね。気になっても深くは尋ねてこないから」

 

「優しいんじゃなくて面倒な話を避けたいだけだ。それで巻き込まれたりしたら迷惑だからな。それじゃ、寝室の修繕よろしくな」

 

「うん」

 

 面倒事はなるべく避ける。

 最近はそれを実感させられることが多い。オレまでキンジレベルの災難に見舞われたら命がない。

 それに今は幸姉という爆弾も抱えてる。

 何を企んでるかは知らないが、野放しにしておくのも危険だし、これ以上の面倒は御免被りたいのがやっぱり本音だ。

 だから白雪の言う優しさとは違うな。

 思いながら上の階に戻ると、今度はリビングでアリアと幸姉が睨み合いを繰り広げていた。

 いや、睨み合いというか、アリアが一方的に睨み付けてる状況なんだが。幸姉は蛇に睨まれた蛙状態だし。

 

「ちょっと京夜! こいつカナと一緒にいた奴じゃない! どういうこと!」

 

「ここで居候してる」

 

「どうしてここにいるのかって意味!」

 

「ほら、前に話したろ。オレが真田の家に仕えてたって。んで、この人がオレの元主様ってわけ。武偵で言うところのパートナー。だからそんな睨むなよ」

 

「なに企んでるかわからない奴を近くに置くなんて正気じゃないわね。まっ、確かに今のところあたしも何かされたわけじゃないからいいけど、何かあったら京夜の責任だからね」

 

「へいへい、肝に銘じておきますよ。んで、アリアは今夜はどうすんだ? キンジのとこにはバーサーク白雪がいるし」

 

「何か上に着るものちょーだい。今夜は自分の部屋に戻るわ。こんな格好じゃ外も歩けないわ」

 

 そういや何でバニーガールの格好なんてしてんだ? キンジの趣味か?

 なるほど、キンジはうさぎさんが好みなのか。

 などと考えながらアリアにオレの制服の上着を貸してやると、アリアはそれを着てささっと部屋から出ていってしまった。

 それから少しして白雪が部屋に来て寝室の修繕をやると言ってきたのだが、リビングにいた幸姉を見て目を丸くした。

 

「幸音……さん?」

 

「あ、白雪ちゃん。久しぶりね。前見た時よりずいぶん綺麗になったわ」

 

「い、いえ! 私なんて幸音さんに比べたらまだまだ子供です、はい!」

 

 言いながら白雪は幸姉と対面の位置に正座してペコペコし始めた。

 え? 知り合い? どこで接点があったんだ? オレが知らない繋がりがあるとは思ってなかった。

 

「で、ですが幸音さんは1年以上前に行方不明になったって話を耳にしましたが、どうして猿飛くんのお部屋に?」

 

「京夜は唯一私が頼れる人だから、少しの間お世話になってるの。あ、ごめんね京夜。白雪ちゃんとは『玉藻(たまも)』様との会談の時に席を同じくしてね。その時に知り合ったの。もうずいぶん昔の話なんだけどね」

 

「玉藻様って……あの化けぎつ……」

 

 確認しようとしたら幸姉と白雪に睨まれてしまった。

 悪口ととられたか。次言ったら殺されかねんな。

 

「ダメよ京夜。目上の人には敬意を払わないと」

 

「いや、だって人じゃな……」

 

 また睨まれた。もう何も言わないですごめんなさい。

 

「まぁ幸姉と白雪が知り合いなのはわかったよ。それより寝室の修繕を頼む。小鳥なんかは祭りで疲れてすでにあんなだし」

 

 これ以上睨まれたらたまらないので、話を切り替えるようにそう言いながら、煌牙にのしかかる形でうとうとする小鳥を指して白雪に修繕を急がせると、白雪も目的を思い出したように動き出し、幸姉は撃沈寸前の小鳥を連れてお風呂に入っていった。

 それからの白雪はまぁ手際の良いことこの上なく、20分ほどで寝室の修繕を終わらせてしまった。職人ですかあなたは。

 

「ご迷惑をおかけしましたが、無事に終わりました」

 

「お疲れさん。お茶淹れたから飲んで戻ってくれ」

 

「うん、ありがとう猿飛くん」

 

 言った白雪はリビングのソファーに座ってお茶をすすると、ぴょこっと何かに反応したようにオレを見て話をしてきた。

 

「猿飛くん。その首から提げてるペンダントはどうしたの?」

 

「これか? これはこの前幸姉から貰ったんだけど、どうかしたか?」

 

「それ、その宝玉に退魔の紋様が刻まれてるの。効力は強くないけど、呪いなんかの類は寄せ付けないよ」

 

「呪いって……でも確かに幸姉も魔除けのお守りだって……」

 

「ねぇ猿飛くん。最近身の回りで変な虫を見なかった?」

 

 白雪に言われて記憶を遡ってみる。変な虫ってなんだ?

 とか思ったが、1つ心当たりがあった。

 

「……今日、見たな。祭りの時に近くを飛んでた黄金虫かなんかをこのペンダントが打ち落とした」

 

「じゃあ幸音さんは知ってて猿飛くんに? ……猿飛くん、実はさっき星伽の実家の妹から連絡があって、星伽によくない虫が忍び込んでたって。誰かの使い魔みたいなんだけど、何か良くないことが起きるかもしれないから、猿飛くんも気を付けてね」

 

 いや、あの、そんな漠然とした注意をされても構えようがないんだが。

 と言おうとしたら白雪は気になることがあるのか、グビッとお茶を飲み干してさっさとキンジの部屋に戻っていってしまった。

 さてさて、レキにも前に気を付けてくださいって言われたし、なんだか怪しいカンジになってきたぞこれは。

 オレの知らない水面下で何が起きてるんだ一体……

 それから程なくして幸姉と小鳥がお風呂から上がり、小鳥はそのまま就寝。

 幸姉は眠たくないのか、リビングにいた美麗と煌牙のブラッシングを始めて、オレはそんな幸姉の隣に座ると、幸姉は少し肩を跳ね上げて俯いてしまうが、黙々とブラッシングをしていた。

 

「白雪がさ、教えてくれたよ。魔除けのお守りって、本当だったんだな」

 

「私が嘘つくと思ってた? 酷いなぁ、京夜は」

 

「幸姉、オレが確かめたいことはわかってるだろ? いい加減話をしてくれないか。幸姉が何をしようとしてるのか……いや、何をしてるのかを」

 

 言われて幸姉はブラッシングをしていた手を止めて、俯いたまま口を開いた。

 

「……私は『何もしてない』のよ。たとえこれから何かが起きるとしても、私は『何もしない』。それが私の今の最良」

 

「何もしないって……じゃあ目的があるって言ったのはなんなんだよ」

 

「それは……言えない。それを言ったらきっと京夜は『動いちゃう』」

 

「動く?」

 

「ダメ。教えないよ京夜。こればっかりは絶対! 時が来たら絶対に話すから、今は聞かないで。お願い」

 

 言いながら幸姉は俯いていた顔を上げてオレをまっすぐに見つめて、Yシャツの袖をキュッと握ってきた。

 これは嘘は言ってない。時が来たら話してくれると言うのも信用できる。

 だが、それがこれから起きる事態の後で、それに関わりがある話なら、きっとオレは幸姉を許せなくなる。

 何よりそれが原因で何もできなかった自分が許せないだろう。

 

「……わかった。オレは幸姉を信じる。でも、この選択で誰かが……オレの仲間が傷付いたりするなら、オレは幸姉を許さない。絶対にだ」

 

「……京夜……」

 

 それっきり幸姉は沈黙してしまい、すとんと袖から手が落ちて再び俯いてしまい、そのあと一言「おやすみなさい」とだけ言って寝室に行ってしまった。

 ……初めてだった。

 オレが幸姉の言うことに素直に従わなかったのは。

 幸姉はたぶん、そのことに動揺したんだ。絶対的な信頼を置くオレに牙を向かれたのだから。

 明日からどんな感じで話せばいいかわかんなくなったな。

 でも、幸姉のあんな顔は、もう見たくない。そうさせたのはオレだけど、間違ったことを言ったとは思わない。

 それでもまぁ、明日はまず謝るか。

 そうして少しだけ考えを巡らせてから、寝室に行くのもはばかったオレは、ソファーで横になり、美麗と煌牙と一緒に夜を過ごしたのだった。

 その翌朝。

 そんな昨夜のオレの心配を吹き飛ばすように現われたのは、元気100%のフレンドリー幸姉で、昨夜の話などなかったかのように普通に接してきたから、もう全身の力が抜けてしまった。

 それからあっという間に2週間が過ぎ、気付けば日付は7月24日に。

 この日は確かキンジ達が台場にある都営カジノ『ピラミディオン』で警護の依頼をするはずだったか。

 などと思いながら、昼下がりにうちわ片手にだらだらとソファーに座ってテレビを観ていると、隣で同じくぐだっていた幸姉が着ているシャツの下部分をばっさばっさとうちわ代わりで扇ぎながら話しかけてきた。

 

「ねー京夜ぁ、貴重な高校生の夏を無駄に過ごすのはどうかと思うよ?」

 

「じゃあデートでもするか。それとだらしないからシャツで扇がないでくれ」

 

「京夜うっさい。あとデートに誘うならもう少し真剣に言ってほしいわ」

 

 などとミニコントをやっていると、テレビのニュース速報で動物園に搬送中だった2頭の豹を乗せたトラックが横転し、2頭が逃げ出したとあった。

 物騒な話だな。と思っていた矢先に突然オレの携帯が鳴り出し、誰かと思えば未登録の番号。

 ニュースを観ながら電話に出ると、相手はなんとあのジャンヌだった。

 

「ジャンヌからの電話なんてな。デートなら喜んで付き合うが?」

 

『何の冗談かは知らんが、とりあえずテレビを観ろ。ライブ中継でニュースが流れてるはずだ』

 

「丁度いま観てるよ。豹が逃げてるってやつだろ?」

 

『なら話は早い。今しがた警察から武偵高に緊急依頼として来て綴……先生から直で依頼された。依頼内容は「台場湾岸に追い込んだ豹2頭の安全無事な捕獲」だ。猿飛、お前は以前私にこう言ったな。困ったことがあったら手を貸すと』

 

 なるほどね。

 しかし綴『先生』ね……確かにジャンヌは前に綴の尋問を味わった身だから、怖くもなるか。

 

作戦(プラン)は? オレは何をどうすればいい?」

 

『私にお前と銀狼2匹のGPSを送れ。リアルタイムで指示を出す。ターゲットを指定ポイントまで追い込む詰め作業もこちらでやることになってるからな』

 

 つまりジャンヌは指令官に徹して現場はオレと美麗達に任せるわけか。

 策士らしいやり方だな。というかまだ足が完治して日が浅いのか。納得。

 それから細かい指示を受けながら、肩と耳で携帯を挟みながら準備を整えていると、先に準備を完了させた幸姉がオレから携帯を取り上げてジャンヌと話を始めた。

 

「私も手伝うわ。ジャンヌ、うまく使いなさいよ。タイムリミットは日が沈むまでに、でしょ? ならさくっと終わらせるわよ」

 

 そう言った幸姉は、すぐに携帯をオレに投げ返して「早く行くわよ」とでも言いたいように玄関へ向かい、オレは美麗と煌牙の首に無線付きの首輪を付けてから、あとを追うように部屋を出て現場へと向かっていった。

 今回のミッションはこうだ。

 まず警察が台場まで2頭を追い込み包囲を狭める。

 警察ではそこまでしか人員を割けないらしく、オレ達はその包囲の中でさらに2頭を追い込み、可能な限り無傷での捕獲をするということになる。

 ジャンヌからの情報によると、2頭は臆病な性格らしく、単独で行動しているが美麗達でも威嚇誘導が可能らしい。

 だが、あまり追い込むとかえって危険になるかもしれない。

 さらに幸姉が言っていたように暗くなってしまえば、夜行性である豹の活動が活発になる。

 現在時刻は15時。日没まであと3、4時間くらいといったところか。

 移動開始から30分ほどでジャンヌに指定されたポイントに到着したオレ達は、無線の調子を確認してから各々で散って行動を開始した。

 幸姉が作戦に加わったことで各自の現場での役割が自然と決まり、オレと美麗、煌牙はジャンヌの指示で豹を誘導し幸姉のいる地点に向かわせて、幸姉には『あれ』を使って安全無事に捕獲してもらうことになった。

 

『美麗、次の角を左に。煌牙は次の角を右に曲がって交差点で待機。猿飛は豹が高所へ逃げた時に随時行動しろ。つまりバックを追い続けろ』

 

 オレだけ指示がアバウトだなおい。美麗と煌牙はまぁ狼だから仕方ないとは思うがな。

 よくよく考えれば、美麗達の誘導は先回りしないと出来ないから、どのみち速度で劣るオレには無理だったな。

 などと考えながら、1頭目の豹の移動ルートをGPSで追いながらやっとすぐ後ろまで接近できた。

 思ったよりしんどいなこれ。気付いたら走りっぱなしだ。

 GPSでは真後ろにつけてるが、実際はまだ姿も見えていないことに不安はあるが、ジャンヌの止むことのない指示の言葉と、時折聞こえる美麗達の吠え、豹についてるGPSがジャンヌの誘導するルート通りに進んでいることから順調であろうことはうかがえている。そして……

 

『真田幸音。15秒後にその通りに出る。準備はいいな?』

 

『当然! 誰にものを言ってると思ってるの、ジャンヌ』

 

『そうだな、変人にかな』

 

『ジャンヌ、あとでおしりペンペンだからね』

 

 残り数秒でこんなやり取りする辺りにオレは苦笑いを浮かべながらも、余裕のある2人に安心できていた。

 そうしてジャンヌが言った通りに幸姉のいる地点に誘導された豹は、幸姉と接敵した瞬間にその動きを止めた。

 

『はい、1匹目捕獲完了。とりあえず暴れないように渡された麻酔針は打ち込んだから、警察の方に頼んで回収お願いね』

 

 さすが幸姉だな。豹と対峙してものの数秒で押さえ込むなんて普通できない。

 というか幸姉武器すら持ってきてなかったから、生身だからな。オレなら死んでるかも。

 そんな幸姉の余裕な声を無線機越しに聞いたオレは、インターバルなしで指示を出してくるジャンヌに動かされて、もう1匹の捕獲に駆り出されていた。

 ここまでで大体1時間弱か。今の調子なら日没までには間に合うかな。

 まぁ、そんなオレの予想は見事に裏切られるわけで……

 

「ジャンヌ、目標は狭い通路を利用して逃げてる。美麗と煌牙だけだと誘導し切れないぞ」

 

『焦るなよ猿飛。警察も封鎖区画を徐々に狭めていってる。それにこいつの行動パターンももうすぐ計算できそうだ。お前はそのままバックを追い続けろ』

 

「了解。だがオレも美麗達も体力は無限じゃないから、そこら辺気にかけてくれよ」

 

『問題ない。それより目標が道から外れているんだが、施設に入ったりしてないか?』

 

「公園だな。どこに誘導すればいい?」

 

 指示を促しながら公園に入ると、ジャンヌは美麗と煌牙も動かして誘導する場所を示し、やっと豹の姿を捉えたオレはすぐにクナイを取り出して足下に投げつけ豹の誘導を始めた。

 どうやら臆病な性格というのは本当らしく、オレには襲い掛かろうともしなかった。

 クナイも数に限りがあるので、投げては拾い、投げては拾いで繰り返し使用。今の世の中エコだからな。

 などと考えながらやってると、こちらの意図がわかってるかのような逃げ方をする豹に少し手間取ってしまったが、それでジャンヌも行動パターンを把握したようで、誘導ルートに待機させていた美麗と煌牙も使い効率を上げてきた。

 どうやら幸姉もこちらに向かっているみたいで、総力戦になるようだ。

 確かに気付けば時間は17時30分を回っている。タイムリミットも近いか。

 そうしてオレと美麗がジャンヌの指示で豹を追い詰めて、近くまで来た幸姉の場所へ向かわせると、接敵した瞬間に決着。早っ!

 

『これで依頼は完了ね。さっさと帰って小鳥の作った夕飯を食べましょ』

 

『2人ともいい働きだった。美麗と煌牙もよく動いてくれたな。これで私も綴先生に折檻……いや、安心して報告できる。協力感謝する』

 

 なんか物騒な言葉が聞こえたが、気にしないでおこう。

 さて、時間は18時ジャスト。思ったより時間かかったか。

 それによく見たらここからキンジ達が警護の依頼をしてるカジノ『ピラミディオン』が一望できるな。

 そう思っていると、そのピラミディオンの近くの海上に異様な船が浮いていた。

 異様なというのは、明らかに現代の船ではなく昔の造りをしているからだ。

 

「幸姉、そこから時代錯誤した船が見えるか?」

 

『京夜……そこから動かないで。私と一緒に帰るわよ』

 

「……幸姉、あれが何か知ってるな? ならイ・ウー関連だ。放っておけな……」

 

『いいから動くな!!』

 

 動こうとしたオレに突然叫んだ幸姉。

 それには美麗と煌牙も目を丸くし、オレも思わず無線を耳から離す。

 らしくない幸姉の言動に仕方なく動かず船を眺めていると、美麗と煌牙が突然唸り出して周囲を警戒し出し、オレも遅れてその異変に気付きクナイを構えた。

 そしてオレ達を囲むように現れたのは、エジプトの壁画などに描かれるジャッカルの頭をした人型の怪物だった。



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Bullet23

 突然奇妙なジャッカル怪人に取り囲まれたオレと美麗達。

 明らかに人ではないその怪人達は、その手に刃をギラつかせた斧を持ち襲う気満々だ。

 こっちには襲われる覚えが全くないんだがな。

 最近不気味なほど平和だったが、こういった事態でも意外に落ち着いてる自分にため息が出てしまう。

 こんな非日常に慣れたくないんだが。

 そんな感じで面倒臭いなぁと思っていると、ジャッカル怪人達は、ジリジリと囲いを狭くしていき、いつ襲いかかってきてもおかしくない距離にまでなる。

 そして一斉に襲い掛かろうと動いた時に、それは起こった。

 オレと美麗達を囲んでいたジャッカル怪人達が、何かに吹き飛ばされて一瞬で蹴散らされたのだ。

 それを行った人物はやはりこの人、幸姉である。

 幸姉は呆然とするオレ達の前に背を向けて立ち、右手には何かの文字が書かれたお札をいくつも貼り合わせて鞭のような形をしたものを持っていた。

 あれは幸姉の超能力『言霊符(ことだまふ)』だな。

 お札に術的な意味を込めた言霊を乗せて文字に書き形を成す、とか昔に説明されたっけな。

 簡単に言えば、お札に『鉄』と書けば、実際に鉄のような硬度を持たせることができるらしい。

 今はたぶん、『鞭になれ』とか書いてあるのだろう。

 

「確認するわよ京夜。私の指示通り、ここから動いてないわよね?」

 

 幸姉は持っていた鞭の調子を確かめながら、振り向かずにそんな質問をしてきた。

 

「動いてないよ。それで今のやつは?」

 

「これは蟲人形(むしひとがた)。あの船の主の使い魔よ。直接触れれば呪われるから気をつけて。その御守りも強い力は防げないの。それにしてもパトラのやつ……もう許さないわよ……」

 

 呪われるからとかさらっと言わないでくれ幸姉。それにパトラって誰だ?

 などと考えをまとめる時間もなく、吹き飛ばされた蟲人形が立ち上がり再びこちらに狙いを定めてきたため、幸姉と協力して倒そう……と思ったのだが、幸姉はアリア並みの行動力と制圧力ですでに蟲人形を蹴散らし始めて、ものの数十秒で全滅させてしまった。

 あれぇ……オレ何もできなかったぞ。

 倒された蟲人形は、サァァ、と砂や砂鉄になり、出来た砂の山の中から黄金虫が出てきてそのままどこかへと飛んでいってしまった。

 それから少しして海上に浮いていた船も姿を消し、幸姉も危険を感じなくなったのか、臨戦態勢を解いて鞭を空中に放り投げて一瞬で燃やしてしまった。

 言霊符は基本使い捨てになるらしいから、幸姉は使い終わったらいつも燃やして始末している。

 なんて言っても紙だからな。持ち運びに不便さはほとんどないし、応用も利く。超能力って便利だよな。

 

「ジャンヌ、今から『オルクス』を車輌科に運んでもらって、改造できそうな生徒に声をかけて。もしかしたらあなたのも必要になるかもしれないわ」

 

『お、おい真田幸音! 何があった!? ちゃんと説明しろ!』

 

「説明ならあとでするわ。それより指示通りによろしく」

 

 幸姉はまだ繋がっていた無線でジャンヌにそんな指示をすると、さっさと回線を切って移動を開始した。

 

「幸姉、オレにも説明してくれよ。こんなのに襲われて説明もなしじゃ納得できない」

 

「わかってるわ。でも今は武偵高に行くわよ。たぶん、時間があと1日しかない」

 

「時間がないって、なんのだよ」

 

「神崎・H・アリアの命の寿命」

 

 聞いた瞬間、オレはサクサク先を歩いていく幸姉の右腕を掴みその足を止める。

 

「前に言ったよな幸姉。仲間に何かあったら許さないって」

 

「京夜……それに関してはいくらでも私を責めなさい。全部引き受けて、受け止めてあげるわ。でも今は足を止めてる時間も惜しいのよ」

 

「そうなる前にどうにか出来たんじゃないのか?」

 

「その選択は色々と犠牲が増えたのよ。でもこうなった以上、私は介入する。あちらから約束を破ったのだからその報いを受けてもらうわ」

 

 まだ話が全く見えないが、どうやら幸姉はアリアを助けるために動き出したみたいだ。

 話も武偵高に着いたら詳しくしてくれるらしい。

 なら今は文句を言ってる場合じゃない。なにしろアリアが死ぬかもしれない事態みたいだからな。

 そうしてオレは幸姉の腕を離し、一緒に武偵高へと向かっていった。

 移動の最中、互いに何も話さないまま武偵高に着くと、その先には待っていたであろうジャンヌと今しがた到着したのか、若干息が荒く右目に眼帯をした理子がいて、オレと幸姉を車輌科の専門棟に導く。

 

「理子、その目はどうしたんだ?」

 

「眼疾だよ。完治まで1週間はかかる。それよりさっきカナから連絡があった。アリアがさらわれたらしいな」

 

「いや、オレは全然状況を把握してない。アリアにしたって命が危ないとしか聞いてないし」

 

「真田幸音、貴様は自らの元パートナーに何も説明していないのか? 優しさの欠片もないのだな」

 

「説明するならやることやってからと思っただけよ。それにカナから聞いたなら説明はジャンヌと理子の方が適任でしょ。私はこれから『オルクス』を改造しないといけないし。誰か適任者は見つかった?」

 

「理子の推薦で武藤を呼んだ。今構造のチェックをしているから、指示を出せばすぐにでも動いてくれるはずだ」

 

 もうオレ蚊帳の外だな。話の半分もわからん。

 とりあえずジャンヌと理子について行き、車輌科の専門棟、その奥の水上バイクなどを整備するドックに入り第7ブリッジと表記された場所で立ち止まる。

 そこには海から引いた海水の上に浮く横倒しにしたロケットのような乗り物があり、その中から興奮気味の武藤が顔を出す。キモっ!

 

「おお猿飛! 突然呼び出されて何事かと思ったんだがよ、こんな代物を拝めるなんてラッキーだぜ……って! その隣にいるべっぴんさんは誰だ!」

 

「キモいうるさいキモい死ね」

 

「ひでぇ! しかもキモいって2回言ったなこのやろう!」

 

「あなたが武藤くんね。時間もあまりないしさっそく改造するけど、問題ないわね?」

 

「え、あ、はい。問題ないっす!」

 

 幸姉はキモ武藤にそんな確認をとると、さっそく武藤の乗っていたロケットのような乗り物に乗り込み、中で何やら専門用語を言い出し、武藤も真剣な顔になってそれを聞いていた。

 

「猿飛、オルクスの改造は私達にはできん。今のうちに話せることを話すから場所を移すぞ。そろそろ遠山達も運ばれてくるから手間も省ける」

 

 どうやらこのロケット、オルクスって名前らしいが、改造する訳があるらしく、その合間の時間でジャンヌと理子がオレに今回の件の話をしてくれるみたいで、幸姉と武藤を残して休憩室へ移動をしていった。

 車輌科の休憩室へと移動して数分、そこになだれ込むようにやって来たのは、意識のないキンジとそれを担ぐ白雪とレキの3人だった。2人はキンジを休憩室のベッドに寝かせると、オレ達の輪の中に加わり静かに腰を下ろした。

 どうやら事前に話をまとめていたようだ。

 これでとりあえずは全員揃ったようで、ジャンヌは1度咳払いして喉の調子を整えると、ゆっくり話を始めた。

 

「まずは今の状況と私達の立場について話す。現在、イ・ウーでは2つの勢力に二分されている。私や理子のように純粋に己の力を磨くことを主とした研鑽派(ダイオ)。その超常の力を以て世界への侵略行為を本気で目論む主戦派(イグナティス)の2派だ。そしてそれら2派の誰もがいま現在で大それたことをしていないのは、『教授(プロフェシオン)』と呼ばれる絶対的なリーダーがいるからだ」

 

「でも、その教授にも時間がなくなった。寿命という限界がな。もうすぐ教授は死ぬ。そうなればイ・ウーでは次のトップを据えなければならない。しかし主戦派がその主権を握れば、たちまち世界は殺戮と争乱で溢れる。イ・ウーにはそれを可能と思わせるだけの力があるからな」

 

「しかし研鑽派はそれを望まない。だから私達は1つの答えを出した。教授に変わる絶対的な力を持った後継者を探し新たなリーダーとするというな。それで白羽の矢が立ったのが、アリアだ」

 

「イ・ウーを全員逮捕しようとしてるアリアがイ・ウーのリーダーにねぇ……そうなるようなとびっきりの仕掛けがあるんだろうが、今はどうでもいいな」

 

「アリアをさらったのは、イ・ウーの元ナンバー2、パトラだ。名前から察しがつくかもしれないが、パトラはクレオパトラの子孫だ。そして世界でも最強クラスの魔女(マッギ)でもある。パトラはその素行の悪さ、乱暴さでイ・ウーを退学になった。私や理子のこれも今にして思えばパトラの呪いのせいだった。おそらくこの事態で動かれては面倒な人物を先に封じたのだ」

 

呪蟲(スカラベ)だね。猿飛くんにも忍び寄ったっていう黄金虫だよ。あれがパトラの使い魔。直接呪うよりは弱くなるけど、パトラの魔力を運んで接触した敵に不幸を呼ぶの」

 

 今の話から察するなら、やはり幸姉は最初からこうなることを予測していたことになる。

 オレへの被害も考えてこの御守りを渡し、今にして思えば、オレをこの件から遠ざけようとしていたとも考えられる。

 

「それじゃあ幸姉とカナ……さんは何をしようとしてるんだ? 2人が主戦派だとは思えないし、いまいち行動が読めない。それからアリアは今どこにいるんだ?」

 

「カナは私と理子の上役だったのだ。真田幸音は以前話したように、特別誰かと交友を深めようともしていなかったが、私達同様研鑽派だった。カナとはそれ以前から何か繋がりがあったらしいが、詳しいことは本人から聞くといい」

 

「アリアにはあたしが事前にGPSをつけておいた。それが示す場所は、太平洋、ウルップ島沖の公海だよ」

 

「海の上、なのか?」

 

「たぶん、船か何かの上にいるんだと思う。私の占いでも峰さんのGPSと同じ場所を示してるから間違いないよ」

 

「だからさっきのオルクスだったか? あれを持ち出したのか。あれ、潜水艇か何かだろ? だがたとえそこに行けて、世界最強の魔女と戦うにしても勝算はあるのか?」

 

「ないわ。勝率にして1%あるかないかくらいね」

 

 その問いに答えたのは、武藤とオルクスの改造をしていたはずの幸姉だった。

 幸姉は休憩室に入ると皆の顔を一通り見てから話をする。

 

「オルクスの改造は明日の朝までには終わりそう。あの子もう機構のほとんどを把握したから、ジャンヌのオルクスの改造に回したわ。それであれ、元は3人乗りなんだけど、改造の関係で2人しか乗れなくなったの。私は確定として、あと3人。今の状態だとジャンヌと理子は戦力外。そこで寝てるカナの弟くんは確定としてあと2人ね」

 

 ……ん?

 今さらっととんでも発言があった気がするんだが……みんな反応しないしツッコまない方向か。

 

「白雪ちゃんはイロカネアヤメをパトラに盗られてるみたいだけど、取り返せれば十分な戦力にはなるわね。となると残りは1人」

 

「……オレが行かなくてどうするんだよ幸姉。今さらそんな確認作業、意味がないって。幸姉の全力を引き出せるのはオレ以外にあり得ない。それは幸姉が一番わかってるだろ? オレの覚悟はもうできてる。だから心配しなくていいよ」

 

 ここにはレキもいるが、今回に至っては狙撃手はその力を十分に引き出せないだろう。

 そうなれば残りはオレだけ。

 幸姉は最初からわかってる上で……最強の魔女が相手と聞いてなお行くかをオレに問いかけたのだ。

 幸姉はオレの答えを聞くと身を翻して休憩室の出入口に行き、皆に声をかけた。

 

「出発はオルクスの改造が済み次第。乗り込むペアは私と京夜。カナの弟くんと白雪ちゃんでいいわね。今のうちに準備を整えておいて」

 

「幸姉、オレと一緒に戦った時の勝率はどのくらいだ?」

 

 また第7ドックに向かおうとした幸姉にオレは、答えを聞く前の勝率を意識しながら問いかけると、幸姉は笑顔で振り返り即答した。

 

「私と京夜『歴代最強の真田と猿飛』の力を信じなさい。それに星伽と遠山の力もあるし、きっと勝てるわ」

 

 根拠が弱いよ幸姉。歴代最強なんてのも、一体誰が証明出来るんだって話になるし、キンジと白雪が凄いってのもわかるんだがなぁ。

 でもまぁ、幸姉の口からそう聞けたなら、少しくらいは信じるさ。歴代最強の力ってやつをな。

 それからオレは準備を万端にするために1度帰宅して、今回は留守番になる美麗と煌牙を小鳥に任せて、黙々と準備を始めた。

 武偵高には厳重装備としてA装備などの身を固める装備があるのだが、正直動きにくいからオレは使ったことがない。

 第一オレは最前線に立つこと自体が異常だからな。完全に裏方専門だ。

 だが今回はそんなことも言ってられない。こうなった以上、あの頃の……幸姉と組んでた頃の装備で臨むしかない。

 思いながら少し暑いが制服の上着を取り出し、内ポケットにあの頃の装備を仕込んでいき、あの頃にはまだなかったミズチの調子も確かめて、その全てを済ませてから上着を着たのだった。

 さて、これで準備は万端。あとはなるようにするしかない。

 それに、やることは昔と変わらない。

 オレはただ、最短距離を進む幸姉の行く手を阻む障害を、ひとつ残らず排除するだけだ。

 そうして小鳥の作った差し入れも持って車輌科に戻った頃には、時間もすでに夜の11時を回っていて、ジャンヌと理子、レキは仮眠を取っていたのか休憩室で横になっていて――レキは壁を背に座りドラグノフを抱えていたが――白雪は寝ているキンジの横に腰を下ろして看病していた。

 オレが入ってきたのを察知した一同は、1度オレを見てから起きてきて、理子なんかは我先にと差し入れにがっついた。

 意地汚いなオイ。幸姉とキモ武藤の分を抜いといて良かった。

 それから幸姉と不本意だがキモ武藤に差し入れを持っていくと、油まみれになった幸姉とキモ武藤は作業を中断して小鳥の差し入れを食べ始めた。

 

「聞いたぜ猿飛。幸音さん、お前の昔のパートナーなんだってな。しかし幸音さんはすげぇよ! こんな改造、車輌科や装備科にもできるやつは少ないぜ? これで美人とあっちゃあ、非の打ち所もねぇよな」

 

「お前キモい早く作業に戻れついでに死ね」

 

「そうね。武藤くんのペースだとあんまり休んでる暇はないかも。無理させるけどお願い」

 

「こいつぁ手痛い。幸音さんに言われたらやるっきゃねぇな。猿飛、この件が片付いたら幸音さんを少し貸してくれ。色々勉強になりそうなんだ」

 

「幸姉の気分次第だ。本人から許可とれ」

 

「そうね、考えておくわ」

 

 それを聞いた武藤はテンション高いまま、またオルクスの中に入って作業を再開させていった。

 それで2人になったのを確認したオレは、幸姉にさっき聞けなかったことを聞いた。

 

「幸姉は何をしようとしてるんだ? その先の未来に何を見てる?」

 

「それは明日になったら教えるわ。明日の私は絶対に『あの私』だから。パトラと戦うからには、私も全力を出さないとだし」

 

「じゃあカナとはどんな繋がりがあるんだ?」

 

「それも明日教える。さて、私もさっさと改造を終わらせて仮眠取らないとだし、京夜も今のうちに休んでおきなさい。寝不足でしくじられても困るんだからね」

 

 それで幸姉はパチン。オレにウィンクしてからまた作業に戻っていった。全ては明日、か。

 そう思いながらオレは幸姉に言われた通り仮眠をとるため休憩室へ戻りベッドで横になるのだった。

 翌日の朝。

 仮眠のつもりがすっかり熟睡していたオレは、自然と覚めた意識で目を開けると、その目の前には幸姉の寝顔があって驚きのあまりベッドから落ちてしまい、それで目を覚ました幸姉が慌ててオレに手を差し出し起き上がらせてくれた。

 

「ごめん京夜。ちょっと休んで起きるつもりだったんだけど、寝過ぎちゃったみたいね」

 

「……オルクスの改造は?」

 

「私達の乗る分は完成。もうひとつの方はまだかかるかな。それでも待ってられないからすぐに行くわよ、京夜」

 

「移動時間はどのくらいなんだ?」

 

「およそ10時間。あんまり余裕もないのよ。その間に話せなかったことも話すわ」

 

「幸姉が準備できてるならいつでも……って、もう万全みたいだな」

 

 見ると幸姉はすでにシャワーを浴び終えて着替え直し、その綺麗な長い後ろ髪を左右2つでまとめて縛っていた。この髪のまとめ方は『守人(もりびと)』の幸姉だ。

 他のどの幸姉より優しく、気高く、そして何よりも誰かを守る時に一番強くなる七変化の中で最強の幸姉であり、七変化を取り入れる以前の幸姉の『元々の性格』になる。

 そしてこの時の幸姉が何かをしくじるところは、今まで1度も見たことがない。

 だからオレは不安など微塵もなかった。

 この幸姉となら、世界最強の魔女パトラにもきっと勝てる。そう確信していた。

 午前6時半。

 まだ目覚めないキンジとそのパートナー白雪より早く準備を終えたオレと幸姉は、皆に見送られながらオルクスに乗り込み起動させると、オルクスは驚くほど静かに発進し、その後もほぼ無音で海中を魚雷のように突き進んでいった。

 よくわからんがこのオルクス、凄い技術でできてるらしい。

 あの乗り物オタク、武藤が興奮して徹夜で改造作業をするほどだからな。相当なものなのだろう。

 などと思いながら狭いオルクス内のオレの手前、操縦席に座る幸姉を見ると、ほとんど自動操縦らしい装置を時折触って微調整している。

 その合間に幸姉は、決して振り向かずに話を始めた。

 

「カナ……いえ、遠山金一とは、イ・ウーを討つために協力関係にあるの」

 

「……は? 遠山金一って……まさかキンジの兄さん?」

 

「そうよ、カナは男。ある種の自己暗示で自分を女性と思い込んで『HSS』になることができる稀有な存在。その強さは超能力全開の私より少しだけ上よ。京夜も見たことがあるでしょ? 遠山の人間が超人的な能力を引き出すところを。その中でもカナは別格なのよ」

 

 あんな綺麗な人が男……すっごい騙された気分だ。女性不信になりそうなくらい。

 そういや昔、キンジはあの桜吹雪で有名な遠山の金さんの子孫だって話を聞いたことがあったか。

 おそらく遠山の人間は何かのきっかけでその能力を一時的に引き出すことができるのだろう。圧倒的なまでの、な。

 

「カナと私はあの無法集団、イ・ウーを内部から探り倒すためにある可能性を見出だしたの。それは『同士討ち(フォーリング・アウト)』よ」

 

「……同士討ち……そんな危険なこと……」

 

「危険だから、だから私は真田から消えたの。自分をいなかったことにしてね。それで京夜にまで迷惑をかけたのは本当にごめんなさい。まさか京夜まで家を出されるなんて思わなかった」

 

「……それはもういいよ。おかげでこっちでも新しい交友ができたし、濃い経験も積めたよ」

 

「そうだね、京都にいた頃より京夜、ずっとカッコ良くなった。昔からカッコ良かったけど、何て言うか、うん、とにかくカッコ良くなった」

 

 なんだよそれ、恥ずかしいな。

 今絶対顔赤いぞオレ。だから振り向くなよ幸姉。

 

「話が逸れたね。それで同士討ちを狙うためにはまず、リーダー不在の状況を造り出さないといけなかった。それを造り出せる可能性は2つ。『第1の可能性』は教授の死と同時期にアリアを抹殺して、新たなリーダーを見つけるまでの空白期間を作ること。そして『第2の可能性』は、教授の、暗殺」

 

 そうか。カナのやろうとしたことは見えた。

 おそらくカナはアリアを『試した』んだ。教授に立ち向かうだけの力があるかどうかのテスト。

 だから幸姉もあの時オレを邪魔者扱いした。

 それで昨日、決めかねていた2つの可能性の最終選択を決定した。

 

「私は最終判断をカナに委ねて、パトラとの衝突でどうなるかを見ることになった。教授はパトラよりも強い。そのパトラに負けるなら、教授には絶対に勝てないから。結果は残念だった。でもカナの最終選択は『第2の可能性』。昨日、あの船の上で弟くんに自分が敗れたから、その可能性に賭けたいってね」

 

「……ん? 待ってくれ幸姉。今の話だと昨日の幸姉の行動は少し早くないか? カナさんがキンジに負けたのがあの船の上だったなら、幸姉はカナさんから1度連絡をもらうことになる。だが幸姉はそんな素振りを見せなかったし、たぶん連絡を受けたのは武偵高に着いてからだ」

 

「京夜は鋭いなぁ。もうちょっと慎重に動ければよかったんだけど、昨日の私はたまに行動が先行するから仕方ないか。それにもう全部話すって言ったしね。実はパトラともある約束をしていたの。内容は端的に言えば………『互いの行動に干渉しない』こと。パトラから私に、私からパトラに関わらないってね」

 

 なるほどな。パトラがどんな奴かは知らないが、幸姉の実力を知ってるなら邪魔をされたら障害になり得ることもわかる。

 なら互いに干渉しない約束があれば、無駄な力を使わずに済むわけだ。

 だが、パトラはその約束を破った。だから幸姉はパトラに干渉を始めた。こんなところか。しかし……

 

「だけどパトラは幸姉に直接干渉してないはずだ。それなのに約束を破ったっていうのは……」

 

「あの……その……それはね……ちょっと自分で言うのは恥ずかしいって言うかなんと言うか……」

 

 何で恥ずかしいんだよ。意味わからん。

 てかモジモジしないでくれ幸姉。顔見なくても可愛いのがわかるからさ。

 

「まぁいいや。とにかくパトラは幸姉との約束を破った。だから幸姉はカナさんの判断を待たずに行動を開始した。んで、結果的にカナと意見が一致して今に至ると」

 

「そ、そういうこと! さすが京夜!」

 

 幸姉はそれで話すべきことは話したとでも言うように沈黙し、オレも何を話すべきかわからず沈黙してしまった。

 それから10時間後、アリアがいるはずの海域に着き、幸姉が装置を動かして周囲を探ると、何故かクジラの群れがいて、その先を進むとそこには洋上に浮かぶ船があった。

 船は沈みそうなほど船体を海に沈め、その甲板には巨大なピラミッドが増設されていた。

 

「あ、話してなかったわ。パトラは近くにピラミッドがあるかぎり無限に魔力を使える。底無しの魔力を持つ超能力者。それがパトラをイ・ウーのナンバー2までのし上げた力よ」

 

「今になってそれを言う幸姉の神経がおかしいとしか言えないんだけど」

 

「怖くなった?」

 

「行く前から怖かったよ」

 

「実は私も怖いんだよ。でも京夜がいるなら私は怖くない。京夜となら大丈夫だから」

 

「オレも幸姉となら大丈夫だよ。今まで2人で成し遂げられなかったことは」

 

「そうだね。1度もない。じゃあ行くよ、京夜」

 

 覚悟を決めたオレと幸姉は、それからオルクスを船につけて甲板に上がると、ピラミッドの中にいるらしいパトラの元へと歩き始めた。

 ピラミッドの中は入り組んだ造りになっていたが、幸姉の感知でまっすぐ迷うことなく進んでいき、象形文字で『王の間』と書かれた大きな扉の前まで来た。

 ここまでに妨害がなかったのが不気味だったが、パトラという人物はおそらくそんなことをしなくてもオレ達など敵ではないと言いたいのだろう。

 その余裕、打ち砕いてやる。

 扉はオレ達が触れることなく自然と開き、オレと幸姉は招かれるように中へ入り、その豪奢な黄金で出来た部屋に見向きもせずに、その奥にいた玉座に座る女性を見据えた。

 女性は裸に近い古代エジプト王妃のような格好をしたおかっぱ頭の美人で、いかにも「王様です」と言わんばかりの態度をしていた。

 あれがパトラか。

 

「誰が来たかと思えば、サナダユキネ、お主だったか」

 

「あら、じゃあ遠山金一の方が良かったかしら?」

 

「な、何を言うか貴様! 妾はそのようなことは申しておらんわ! しかしそのような小僧を連れただけで、ずいぶんと強気になったのぅ、サナダユキネ。まさかとは思うが、妾に勝てるとでも?」

 

「あなたはまだ知らない。私と京夜の本当の実力を。そしてパトラ、あなたは2度も私との約束を破った。私を本気で怒らせたこと、後悔させてあげる!」

 

 そう言った幸姉にオレはかつてないくらいの恐怖を覚えたのだった。



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Bullet24

 全てが黄金で出来た王の間。

 その玉座に座るパトラを見ながらオレと幸姉は臨戦態勢を取る。

 

「サナダユキネ。お前はトオヤマキンイチ、いや、カナ同様美しいでの、妾が次代のイ・ウーの王になった暁には、側近としてやる。ぢゃが妾は男がキライぢゃ。そこにおるサルトビキョウヤには消えてもらおうかの」

 

「それは叶わないわパトラ。今の私は守ることに関してなら、あのカナよりも優れてる。そして京夜もそんな私だけを守ることに関しては右に出る者はいない。互いに守り合う私達の連携は、あなたでも破れない」

 

「守り合う連携なぞ攻めには向かぬ。そんなこともわからぬか」

 

「パトラ、お前の思い描く連携はオレと幸姉には当てはまらない。今からそれを見せてやる」

 

 オレが言い切るより早く、幸姉は懐から言霊符を出し目にも止まらぬ早さで字を書くと、言霊符は一瞬で弓の形を作り出し、さらに1本の矢を作りそのまま引き即座に放った。その間約3秒。

 放たれた矢はまっすぐにパトラ目掛けて飛んでいき、それを見たパトラは近くの黄金を砂金に変えて即座に壁を作り出し防ぎにかかるが、矢はそれをものともせずに貫通し、パトラの顔、その少し横を通り過ぎていった。

 

「な、なんぢゃ今のは……」

 

「今のは破魔矢。魔を絶ち穿つ超能力では決して防げない矢よ。次は避けなさい、パトラ」

 

 どうやら幸姉がイ・ウーで力を隠していたと言うのは本当らしいな。

 だが破魔矢は幸姉の言霊符の中では最上位の威力だ。射ててもあと2発が限界。

 今のは本気でパトラの肩を狙ってたはずだが、砂金の壁を貫いて軌道が逸れたか。

 幸姉も砂金の壁は突破できるが、当たるとわずかに軌道が逸れてしまうのがわかり、すぐに弓を燃やし次の戦法に切り替えた。

 それを見たパトラはゆっくりと玉座から立ち上がり、しかし1度落ち着いてから来いとでも言わんばかりの仁王立ちをした。

 

「パトラ、私はあなたから持ち出した約束をきちんと守っていた。なのにあなたから破るなんてバカなことをしたわね」

 

「1度目はアリアを呪いに向かわせた呪蟲がたまたま通っただけと云うたであろう。2度目はお前が悪いのぢゃ。お前が妾の行動範囲に入りおったから、邪魔をしに来たと思ったのぢゃ。第一、そこのサルトビキョウヤに危害を加えぬ代わりに妾の目の届かぬ場所に留まらせておくと云うたのはお前であろうが」

 

「あなたが何もしなければ京夜をぶん殴ってでも連れて帰る予定だったのよ。こっちも依頼で仕方なくあそこにいたのだから、まず様子を見ることを学びなさい、パトラ」

 

覇王(ファラオ)である妾に説教とは何様ぢゃ! その生意気な口、2度と開けないようにしてくれる!」

 

 ぶん殴ってでもとか聞きたくない言葉を聞いたが、どうやら幸姉はオレをこの件に巻き込まれたり関わったりしないようにするために行動していたことがわかった。理由など聞く必要はない。

 ーー私の目的は昔から何ひとつ変わってないわーー

 昔からオレが幸姉を守るのと同様に幸姉もオレを守ってくれていた。

 幸姉は誰よりもオレに優しくて、誰よりもオレを信頼してくれた。

 そんな幸姉だからオレは……世界で一番大切なこの人を守りたいんだ。

 そうしてオレが視線だけ横の幸姉に向けると、幸姉は「言われちゃった」と舌を出してみせてから、すぐに真剣な顔をして前を見た。

 

「幸姉の道は、オレがこじ開ける! だから幸姉はパトラに『魅せてやれ』!」

 

「ええ。でも私に見とれちゃダメよ、京夜?」

 

「問題ない。毎日見とれてる」

 

 それで幸姉は少し驚いていたが、すぐに意識を集中してパトラへと歩み寄っていった。

 

「さぁパトラ。私から目を逸らしちゃダメよ? 逸らしたら最後、あなたはさっきの矢に射抜かれることになるわ。そして私に少しでも『恐怖』を抱けば、それでも終わり」

 

 幸姉の戦術が始まった。ああして相手にゆっくりでも確実に近付きながら恐怖を抱かせる。

 ゆっくりでも確実に距離を詰められるのは、相手にしてみればわかるが、かなりの恐怖を感じる。

 どんなに妨害をしてもその歩みが止まらない。そんな現実を突きつけられるのだから当然か。

 そうして幸姉に恐怖を抱いた相手はそれでチェックメイト。

 幸姉を歴代最強の真田と呼ばせる由縁となった『あれ』で動きを封じられる。

 ――魔眼。

 漫画やゲームにも出てくるあの見たら石になったり幻を見せたりするアレだ。

 幸姉の魔眼はそこまで強力なものではないが、生き物に対しては幸姉に恐怖を感じたり勝てないと思った相手の脳の命令伝達神経を一時的に麻痺させて動けなくし、生き物以外ならその運動エネルギーを著しく削ぎ落としてしまう。

 以前オレが動けなくなったのはこれのせいだが、イ・ウーでその力を強めた今の幸姉なら、心肺機能すら止められるかもしれないな。

 さらに今回は1度破魔矢の威力をパトラに見せつけてる。

 あれがパトラの頭に焼き付いた以上、迂闊に視線を逸らせなくなったわけだ。

 こうなれば自分で言うのは気が引けるが、間違いなくオレは『最強』だ。

 いや、そうでなくとも、オレのフルパフォーマンスはできる。

 忘れるな、オレは諜報科。『裏方専門』なんだよ。

 

「凄んだところでお前など怖くないわ。ぢゃが長引かせるのも面倒ぢゃ。さっさと終わらせてしまうか」

 

 パトラは言うとすぐに右手を前にかざしてみせると、ざぁ、と砂金が集まり固まり翼を鋭利な刃とした鷹を4羽作り出した。

 作り出された鷹は幸姉めがけて左右前方上方から襲い掛かる。

 オレはそれを見て、いや、鷹を作り出した辺りから動き出し、2本のクナイ、10メートルに切り離した2本のワイヤーを瞬時に取り出し両手に1本ずつワイヤーを巻き、その先にクナイを結びつける。

 それが完了してすぐに2本のクナイを投げ放ち、幸姉に迫る左右の黄金の鷹にまっすぐ飛ばす。

 クナイが鷹の頭を貫き破壊すると、次に両手を動かしワイヤーを巧みに操りクナイの軌道を変えると、続けて鷹の両翼を破壊し打ち落として、さらに両手を動かし前方と上方から迫る鷹も同様に頭と翼を破壊して打ち落とした。

 その間、幸姉は一切の構えもせず何事もなかったようにパトラへと歩み寄っていく。

 

「な、何事か!? サナダユキネ! お前、何をしたのぢゃ!」

 

「私は何もしてないわ。でもあなたはこの簡単なカラクリに気付けない。いえ、気付いていたとしても、易々と攻略はできない。さぁ、考えなさいパトラ」

 

 ヒントを与えないでくれ幸姉。

 まぁわかったところでどうこうできることじゃないんだけど、相手は世界最強の魔女だ。今までの相手とは格が違う。

 

「……はっ! サルトビキョウヤか! おのれ小癪な!」

 

「パトラ、気付いても無駄だ。お前はオレを『見つけられない』」

 

「何をバカな。お前など少し探せば簡単に見つけられ……」

 

 パトラは言いながら王の間の全体に視線を向けるが、その一瞬で幸姉はすかさず弓を作り出し矢を引く動作まで完了させる。

 それに気付いたパトラはすぐに幸姉に意識を集中させた。

 

「言ったでしょパトラ。私から目を逸らしちゃダメよ? って」

 

 言って幸姉は構えを解き弓と矢を燃やすと、再びゆっくり歩き出して玉座に続く階段に足を乗せた。

 苛立ち始めたパトラはまた砂金を操り黄金の鷹を4羽作り出すと、幸姉に攻撃を仕掛けるが、またオレがそれを防ぎ切り幸姉の歩みは止まらない。

 これがオレと幸姉の『連携』。

 幸姉の圧倒的な存在感で相手の意識のほとんどを幸姉に集中させて、オレは可能な限りの気配を消して幸姉に迫る脅威を排除する。

 そのために磨いてきたのが無音移動法とミスディレクション。

 相手からしてみればオレは見えないに等しく、たとえ存在を意識していても、幸姉という存在が大きすぎて探せないのである。

 オレは幸姉の影だ。相手に見えざる1手を打てる魔手。

 この連携を攻略した人間は、今まで1人もいない。

 故に幸姉とオレは『歴代最強の真田と猿飛』と呼ばれていたのだ。

 1段ずつ、ゆっくりと階段を登り着実にパトラへと近付いていく幸姉。

 パトラはまだ恐怖を抱いていないようだな。大したもんだ。さすが自分を覇王とか言うだけはある。

 

「なるほどの。サナダユキネの威光に隠れ潜むがサルトビキョウヤのやり口というわけぢゃな。なかなかに面白いが、サルトビキョウヤの手に負えぬ1手を打てばなんの問題もないわけぢゃ」

 

 パトラは言い終わると左腕を右に振りかぶり笑ってみせると、幸姉の近くの砂金が生き物のように動き出し、パトラの左腕と連動するように移動した。

 

「ほれサルトビキョウヤ! 見事サナダユキネを守ってみせぃ!」

 

 言ってパトラは左腕をばっ! と横に振り、砂金は大きな津波となって幸姉を飲み込もうとした。

 これは無理だ。パトラはやはり今までの相手とは格が違う!

 

「京夜!!」

 

 そんなオレに声をかけたのは、今まさに津波に飲まれようとしてる幸姉だった。

 それだけでオレには何を言おうとしたかが伝わり、瞬時に行動を始めた。

 ここまでの連携ができるのは、生涯で幸姉とだけだろうな。

 ――ザァァアア!!

 それから幸姉は砂金の波に飲み込まれてしまい、オレはその様子を被害のない場所から見つつ、今やるべきことを全うする。

 

「ホホホ! サルトビキョウヤもさすがにこれは防げなかったようぢゃの!」

 

 ああ、確かに防げなかったよ。だがそんなの幸姉も最初からわかってた。

 だからオレは大振りになったお前を狙ってんだよ! パトラ!

 オレは高笑いをするパトラめがけて十字手裏剣を4つ、その全てを死角に投げ放ち、両肩、両足の腿を狙った。

 オレも武偵だ。パトラを殺すわけにもいかない。

 パトラはオレの放った手裏剣に気付く様子がなかったが、さすがに直前で気付きどこから取り出したのか、その右手に1本の刀を持ち全てを弾き落とした。

 あれは白雪のイロカネアヤメじゃないか。そういや盗まれたとか言ってたか。

 

「ほほう、サナダユキネを捨て置いて妾に一矢報いようとは、なかなかに非情。少々驚いたぞ」

 

「捨て置く? パトラ、あんたは自分で放った技で生死も確認できないのか? 幸姉は無傷だぞ」

 

「なに!?」

 

 言われてパトラは慌てて幸姉がいた場所を見ると、平らに伸びた砂金の海をざぁ、とかき分けてドーム状に展開された言霊符が姿を現し、次にはボウ! 一瞬で燃え尽きて中からは無傷の幸姉が不敵の笑みを浮かべた。

 

「さてパトラ。そろそろ怖くなってきたんじゃない?」

 

「バカを云うでない。どんなに近寄ろうとも、妾はお前などに恐怖は感じぬ!」

 

 確かにもうパトラと幸姉の距離は10メートルほどだ。ここまで近寄って決められなかったのは初めての経験だ。

 そう思いながら幸姉を見ると、その顔にはうっすらと汗が滲んでいた。

 やはり今の防御はかなりの力を使うみたいだ。これは不味いぞ。幸姉だって無敵じゃない。

 あんな力を何度も使えるわけがない。あの様子だと破魔矢も射てて1発。余力はほとんどないはずだ。

 対してパトラの魔力は、このピラミッドがあるかぎり無限。疲れ知らずの底なし。

 それでも幸姉は威風堂々。疲れの顔も息の乱れすらもパトラに見せずなおも前に歩み続ける。

 幸姉がそうすることで『オレがパトラに見つからない』から。

 そんな幸姉と一瞬だけ目が合う。すると幸姉は笑顔でウィンク。その考えは……『2人じゃない』?

 ……ははっ、そうだった。

 この状況で冷静なのは、余力を十分に残すオレではなく、いつ倒れてもおかしくない幸姉の方だった。

 

「パトラ、あなたは強いわ。でも、私達はそれ以上に強い『絆の力』であなたを倒す」

 

「戯れ言を云うでない、サナダユキネ。お前達では妾に傷ひとつ付けることも出来ぬ!」

 

 しかしこの覇王様、ちょっと挑発するだけで隙が出来るな。

 幸姉もわかってて絶えず話をしてるみたいだ。

 さて、これであとは『あいつら』に任せられるか。

 

「とりあえず王様が後ろを取られるなよ」

 

「な!?」

 

 オレは幸姉が注意を引き付けてくれたおかげでパトラの後ろに回り込むことができ、パトラが声に反応して振り向く前に右手に持つイロカネアヤメをするりと取り上げると、タンッ! 月面宙返りでパトラの頭上を通り着地。

 パトラもすぐに向き直りオレに何かをしようとするが、オレは自らの身体をブラインドにして幸姉の最後の一撃を隠し、放たれ自分に当たるギリギリの瞬間に首を振ってそれを避けた。

 至近距離でのブラインドアタック。

 これはパトラもさすがに避け切れず、その右肩に幸姉の放った言霊符の矢が突き刺さった。

 これでやっと一撃、か。しんどいな。

 

「「そんなわけで、あとはよろしく!!」」

 

 矢が突き刺さり怯んだパトラから離れたオレは、その手に持つイロカネアヤメを力の限り投げてから幸姉と口を揃えてそう叫び、グロッキー状態の幸姉を抱えて前線を離脱した。

 

「任せてください!」

 

 パシッ!

 オレが投げたイロカネアヤメを右手でキャッチした『白雪』が、そんな返事を返して入れ替わるように前へ出る。

 その手にはイロカネアヤメともう一振り、西洋の鎧貫剣が持たれていた。デュランダル、か?

 そしてそのあとを追うようにキンジも前へ。目的はアリアの奪還。

 

「おのれ、極東の愚民の分際で妾に血を流させるとは……もう許さぬぞ!」

 

 治療術か何かで傷を治しながら怒りを露にするパトラは、近くにあった黄金柩を守るように鎮座した黄金のスフィンクス像を動かしてオレ達をまとめて倒そうとする。

 しかしその前には万全の白雪。

 

「星伽候天流、奥義ーー緋火星伽神・双重流星(ヒヒホトギガミ・フタエノナガレボシ)ーー!!」

 

 十文字にクロスさせるように、渾身の力を込めて、イロカネアヤメとデュランダルをスフィンクスに振るった白雪。

 ――ずああああああああっ!

 刀剣から放たれた深紅の光がスフィンクスを襲い、それを受けたスフィンクスは大破。

 その隙にキンジは黄金柩へと駆けていく。ああ、あの中にアリアがいるのか。

 

「行かせぬ! 止まれトオヤマキンジ!」

 

「キンちゃんの邪魔はさせない!」

 

 柩に迫るキンジに手を加えようとするパトラを、まだ力を残す白雪が止めに入り、咄嗟に作り出した砂金の盾と1刀1剣がぶつかる。

 そのつば競り合いの最中、このピラミッドの斜面をがががん! 何かが登ってくる音が響き、がしゃん! キンジの近くのガラスが割れ、そこから赤く着色されたオルクスが乱入してきた。

 そしてその中から出てきたのは……

 

「幸音さん、ずいぶんお疲れみたいね」

 

「……ふふ、あなたと違って私は『か弱い』のよ」

 

「あら、それだと私がか弱くないみたいじゃない?」

 

「トオヤマキンイチ……いや、カナ!」

 

 出てきた人物、カナは幸姉とそんな挨拶代わりの会話をして、カナを見たパトラは焦るように白雪とつば競り合いをしながら砂金のナイフをオルクスにメッタ刺しにした。

 しかしカナはそれより早くオルクスから脱出し、華麗な月面宙返りをしながら、パパパパパパっ! とその手元を光らせてみせる。

 あれはアリアでも避けられなかった『見えない銃弾』。もちろん狙いはパトラ。

 パトラは白雪から離れてバック転をしてそれを避けるが、その膝には一筋の血が流れていた。

 

「出エジプト記34章13ーー汝ら還りて彼等の祭壇を崩し、偶像をこぼち、きり倒すべしーー」

 

 着地したカナはそんな聖書の一文のような言葉を呟き、空中に6発の銃弾をばらまき、ジャキン! 持っていたリボルバー銃をぶつけるように振り、弾倉に全弾装填してみせた。大道芸かよ。

 

「京夜、ちょっとお願いしていいかな?」

 

 何やらカナとパトラの戦いが始まり出した矢先、オレに支えられてどうにか立っている幸姉が、少し恥ずかしそうにそんなことを言ってきた。

 

「なんだよ幸姉。キスしてとかそういう死亡フラグならお断りだが?」

 

「え……ダメ?」

 

 アホかこの人は。この状況でんなことするか!

 

「まぁそれは冗談として、今から少し強制睡眠で精神力を回復させるから、起きるまでおんぶ……出来ればお姫様だっこしてて?」

 

「なんかカナが来て形勢有利になったけど、まだ何かするのか?」

 

「戦局なんてコロコロ変わるわ。その時になって何もできなかったはカッコ悪いでしょ。じゃあしっかり守ってね、私の王子様」

 

 オレの返事も聞かずに幸姉はさっさと眠りにつきその体がずしりと重くなる。

 そんな幸姉を仕方なくおんぶしてやる。お姫様だっこなんて恥ずかしいっての。

 じゃき、じゃきじゃきじゃきッ!

 幸姉が眠りについて数分、パトラの攻撃を防いだカナは、その拍子に3つ編みを結んでいた布を斬られると、その中からいくつもの金属片を出して組み上げ、大きな曲刃となり、さらに襟に隠していた三節棍と繋いで大鎌を作り上げ構えた。

 

「よくやったわパトラ。私にこれを出させたのは、あなたが2人目よ。通称、サソリの尾(スコルピオ)ーー砂漠に似合うでしょう?」

 

 あれは忍の暗器に似てるな。だが髪に隠すとは斬新すぎる。

 それに2人目、か。たぶん最初の1人は今オレの背中で寝てるこの人だろうな。カナも言ってから幸姉をちらっと見たし。

 

「わ、妾はーー覇王ぞ! お前ごときに……お前ごときに!」

 

 それを見たパトラは砂金から鷹、豹、アナコンダと色々作り出しめちゃくちゃにカナへとけしかける。

 明らかにカナを恐れてる。あのパトラが。

 対してカナは手に持つサソリの尾をひゅんひゅん! バトンを操るかのように縦横無尽に振り回し、その回転をどんどん早めていく。

 そして、ばん! ばん! ばん! 速度は音速に達して、空気を裂く音が響き、周囲には桜の花びらのような円錐水蒸気(ヴェイパー・コーン)が発生し、パトラのけしかけた黄金の敵は無惨に散っていった。

 

「ーーこの桜吹雪、散らせるものなら……散らせてみなさい?」

 

 圧巻。

 幸姉が自分よりほんの少し強いと言った人は、圧倒的だった。

 幸姉、ちょっと自分の実力を盛ったな? ほんの少しじゃないぞこれ。

 などと思いながら幸姉を見たら、寝てるはずなのに両手に力が入りオレの首をホールド。

 え、待って幸姉、死ぬかも……

 そんなカナに慌てたパトラは、近くにいた白雪を盾にしようとしたが、白雪にはまだ十分な余力が残っている。簡単に捕まりはしない。

 そうしてパトラがよそ見をした瞬間、カナは回転する鎌で地面を軽く擦り砂金のつぶてをパトラの頭の金冠に当て向き直させる。

 

「よそ見はいけないわ、パトラ。今は、私だけを見なさい。まっすぐ、まっすぐにーー」

 

 あれ? これ幸姉の戦術に似てる。というかやり方は多少違うけど同じだ。

 自分から目を逸らさせない魔法のような戦術。どっちが先駆者だろうな。

 

「私が教えたのよ、あれは」

 

 そこで寝ていた幸姉が起床。

 オレの心を読んだように話して、何故か首を絞めてくる。

 

「私、お姫様だっこがいいって言った。なのにどうして京夜の背中にいるんだろうね?」

 

「始めはしてたけど、疲れたからおぶったんだ、よ!?」

 

「嘘言う京夜嫌い。ちょっとおしおきね」

 

 幸姉は言いながらオレの首を締め上げていき、マジで落ちる1歩手前まで追い詰めてくる。

 てか幸姉、10分くらいしか寝てないけど回復したのかよ。

 

「何してるんです、幸音さん、猿飛くん」

 

 そこにパトラから離れた白雪が近づき声をかけてきた。

 見ればキンジがいない。柩もないぞ? どこいった?

 

「白雪ちゃん、ちょっとその剣貸してくれる? もう言霊符に余裕なくて」

 

 白雪を確認した幸姉は、それでオレから離れて地面に降りると、白雪が持っていたデュランダルを指差しそんな要求をする。

 白雪はジャンヌの剣だから壊さないで下さいねとだけ言って手渡した。

 

「ねぇ幸音さん、そろそろ手伝ってもらえるかしら?」

 

「いま詰めをしようとしてたのよ。それとオリジナルの前でそれやらないで。私がパクったみたいじゃない」

 

「あらごめんなさい。幸音さん寝ていたからいいかなって思ったんだけど」

 

「な、何を呑気に話をしておるか! 妾を除け者にするとは何様ぢゃ!」

 

「「黙りなさい、パトラ。あなたはもう、蛇に睨まれた蛙」」

 

 うお! 見事なシンクロ。一字一句違えてないぞ。

 この2人、なんか根底の部分で似てるのかもな。そんな感じがする。

 そう思いながらすたすたとカナの横に移動した幸姉は、たじろぐパトラとまっすぐに視線を合わせて一言。

 

「さぁパトラ。恐怖しなさい」

 

 言われた瞬間、パトラはその身体を強張らせて一切動かなくなってしまった。

 あれはパトラのカナへの恐怖心を利用して発動させた魔眼だな。効果は若干弱くなるけど、今なら十分な威力になる。

 

「わ、妾は覇王ぞ……お前達に負けるなどあってはならぬのぢゃ」

 

 強がるなよパトラ。もう指1本動かせないはず……だ?

 そう思った矢先、このピラミッド全体が何かの影響で震動した。

 耳をすませば微かに爆発の音、しかも下から聞こえてくる。

 ――ずざああ!

 その影響で床も傾き、皆がバランスを取るために1度パトラから目を離してしまい、その隙にパトラは柩があった場所から、いつの間にか出来ていた穴に逃げ込み下の空間に降りてしまいその穴も塞いでしまう。

 

「まずいわ。下にはキンジとアリアしかいない」

 

 カナはそう呟くとすぐに下へ行ける道を探し出し、オレ達も一緒に動き出した。

 移動中、なんだかんだで流していた疑問について幸姉に問いかける。

 

「幸姉、気になってたんだが、何でアリアがイ・ウーの次期リーダーの候補になったんだ? 予想だと、それを納得させる十分な理由があるはずなんだけど、オレには見当もつかない」

 

「それはアリアが……」

 

 幸姉は特に隠そうともせずに答えを言おうとしたが、それより早くカナが侵入口を発見し、全員一斉にその侵入口であるガラスを割って侵入した。

 入ったその空間には異様な光景があった。

 キンジの近く、そこにいたアリアの瞳孔が緋色の光を放っていたのだ。

 あれはアリアなのか? と疑うほどの存在に、対峙していたパトラも、オレ達ですら言葉を発することができなかった。

 そのアリアは立ち止まったままその右手を前に出し、すぅ。人差し指でパトラを指した。

 それだけでパトラはすくみ上がり身体を震わせる。恐怖してる……アリアに。

 そしてアリアの人差し指、その先端が緋色に輝き出して、小さな太陽のように大きくなっていく。

 あれは、よくわからないが危ない。本能がそう告げている。

 

「……緋弾……」

 

 白雪がその光景を見ながら、そんな単語を呟く。

 『緋弾』……あれがアリアをリーダーにさせうる力、なのか?

 ーーぱあっ!

 

「避けなさいパトラ!!」

 

 緋色の光が飛び出す瞬間、カナは固まるパトラに叫ぶと、パトラもなりふり構わずにそこから転がるようにして離れて、間一髪避けると、アリアが放った光は砲弾のように発射され、バシュウウウウウウウウッ!

 閃光となって全てを塗りつぶし、ピラミッドの上部をゴッソリもぎ取って、頭上には空の青色が広がっていた。

 あれは破壊したというのではない。消滅させた。しかも説明できない力で。

 オレがその光景に唖然としてると、ピラミッドを壊されたことで力を失ったパトラが、その身に飾り付けていた金の装飾を砂金に戻していき、薄い布だけの姿になっていた。

 こうなるとパトラもただの人だな。

 そんなパトラをカナが転がっていた黄金柩を鎌で弾いて擦るようにぶつけると、パトラは両足を真上に上げてひっくり返り柩に落っこちる。

 さらに近くにあった柩の蓋を白雪が跳ね上げてキンジがベレッタでそれを撃ち微調整すると、蓋はピッタリ柩の上に重なって、パトラが開けられないように幸姉と白雪がペタペタとお札を貼ってしまう。

 光を放ったアリアは気を失ってしまったが、命に別状はないようで、パトラも逮捕。とりあえず一件落着、かな。

 そう、思っていた……



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Bullet25

 ピラミッドを出て、傾いた船の舳先に移動したオレ達。

 しばらくして意識のなかったアリアが目を覚まし、感極まったキンジが抱き締めて、白雪が持ってきていた防弾制服を着せてあげる。

 これであとは武藤達の迎えを待つだけ、か。

 ーーがくん。

 しかし、そんなオレの両膝が突然力なく折れて、膝をついてしまう。確認すると身体も小刻みに震えている。

 これは、安堵からきた脱力じゃないぞ。それにあとから来たこの身体の震え。

 そんなオレの変化を敏感に察知した幸姉がすかさず寄って来てくれたが、その幸姉も、見れば3つ編みを結び直したカナも、何かを感じ取ったかのように海の方を見つめた。

 

「ーーキンジ……逃げなさいッ!」

 

 そしてカナが叫んだ。

 あのカナが、逃げなさいと。

 

「京夜、あなたはやっぱり凄い。あれに私達より早く反応するなんてね……」

 

「幸姉……何を言って……」

 

 震える身体を幸姉に支えられながら、幸姉とカナが見ている海に視線を向けると、ずずずず……っざああああああああああ!!!

 突如として海面が持ち上がり、そこから100メートルは優に超える黒い巨大な何かが浮上してきたのだ。

 一目では何なのか理解できないこの巨大な物体は、その巨体に2メートルはある『伊』と『U』の2文字があった。

 

「イ……ユー?」

 

 違う。もっとしっくりくる読み方をオレは知ってる。

 それにこの黒い物体は、何故か見覚えがある。大きさは違うが、あれは夏休み前のプールで乗り物オタクの武藤とあややが動かしてた原子力潜水艦……

 

「ボストーク号……!」

 

 キンジもこの黒い物体の正体に気付き、潜水艦の名前を口にすると、カナと幸姉は見てしまったかといったように話をする。

 

「そう。これはーーかつてボストーク号と呼ばれていた……戦略ミサイル搭載型・原子力潜水艦」

 

「ボストーク号は、沈んだのではないの。盗まれたのよ。史上最高の頭脳を持つ、『教授』に……!」

 

 カナと幸姉がそんな話をすると、こちらに横っ腹を見せてターンを終えたボストーク号。

 その艦橋に男が立っていた。

 あれだ。あれがオレの感じた『恐怖の根源』!

 

「『教授』! やめてください! この子たちとーー戦わないで!」

 

 その男に対してカナがオレ達を守るように舳先に立ち声をあげると、幸姉は何かに気付きカナへと走り寄った。

 ビシュッ! ビシュッ!

 そんな2人が、突然何かを受けたように身体を折り倒れる。

 オレは震える身体に鞭を打って立ち上がり、倒れる幸姉を受け止め、キンジがカナを受け止めると、2発の銃声が辺りに響き渡った。

 見ればカナの身体からは出血があり、幸姉に至っては『呼吸をしていない』。

 2人は撃たれたのだ。しかも、カナの使っていたあの見えない銃弾で、防弾制服を貫通する弾を。

 だが、カナには出血があるが、幸姉に出血がない。

 何かで防いでたとしたら、これは被弾の衝撃によるショック状態か!

 気付いたオレはすぐに幸姉を寝かせて人工呼吸と心臓マッサージをする。死ぬな! 幸姉!

 

「……ごふっ、がはっ!」

 

 数回の蘇生術でなんとか呼吸を再開した幸姉。良かった。

 

「残りの言霊符を全部防御に回して、なんとか貫通は防いだけど、次は無理……」

 

 言いながら幸姉は制服を捲り上げて胸元を見せると、そこには言霊符が幾重にも重なって銃弾をギリギリで止めていた。

 

「……曾、おじいさま……!?」

 

 幸姉を支えて起こしながら、幸姉を撃った人物にして、イ・ウーのリーダー『教授』を見ると、アリアが掠れた声でそう呟くのを聞いて、目を、耳を疑う。

 男は20代くらいのひょろ長い、痩せた身体。鷲鼻に、角張った顎。右手に古風なパイプ、左手にはステッキ。

 歴史の教科書にも載っている『武偵の原点』にして、世界最高の探偵。

 ――シャーロック・ホームズ1世――

 その人だった。

 

「伏せろアリア! 俺達は攻撃されてるんだ! 撃たれたいのか!」

 

 シャーロックを見ながら立ち尽くすアリアを、キンジがカナ、いや、金一さんを抱えたまま叫び腕を掴んで引き寄せたが、アリアは力なく尻餅をついてシャーロックを見ながら放心していた。

 無理もない。自分の母親を無実の罪に着せ、隠れみのにしたイ・ウーのリーダーが、自らの先祖にして、おそらくアリアの最も尊敬する人物であるシャーロック・ホームズ1世だったのだから。

 そこに2つの爆音と船体を揺るがす激震がオレ達を襲う。

 近くからは水柱が上がり、巻き上げられた海水がデッキに降り注ぐ。

 

「一瞬見えただけだが……恐らくMk‐60対艦魚雷だ! イ・ウーが撃ちやがった!」

 

 キンジのその言葉でオレは今の揺れが何だったのか把握。

 そして今のでかろうじて浮いていたこの船が完全にダメになったことがわかり、同じ見解をしたキンジが白雪に救命ボートの確保へ向かわせた。

 さらに厄介なことにこのいざこざでパトラが柩から逃げ出てきてしまうが、真っ先に重症な金一さんに駆け寄り、その傷を超能力で治し始めた。

 その必死さはさっきのオレと似ていて、すぐにパトラの気持ちに気付いたが、今はどうでもいい。

 今は……あのシャーロックをどうにかしないとダメだ。

 シャーロックの乗る原潜イ・ウーは沈没しかけたこの船に接舷して、燃え盛る舳先の向こうからシャーロックが歩いてくる。

 どうやってこっちに来る気だ? というオレの疑問は一瞬で解ける。

 歩くシャーロックの周囲の炎と黒煙が、キラキラと輝く氷によって消し去っていく。あれはジャンヌの魔術、だよな。

 シャーロックはそうして炎と黒煙を退けて姿を現し、その身なりが鮮明になる。

 古めかしいデザインのスーツで身長は180センチくらい。髪をオールバックにしていて、本当に150年も前の人物なのかと疑う見た目の若さだ。

 さらにシャーロックはパトラの砂金を操り足場とすると、そこから堂々とこちらの船に乗り移り舳先に降り立った。

 幸姉と金一さんがなぜ恐れたのかわかった。

 この人はあらゆる能力をその身に宿した、紛れもない『超人』なんだ。

 だからイ・ウーの頂点になり得た。

 

「ーーもう逢える頃と、推理していたよ」

 

 シャーロックの第一声。それを聞いただけでオレはわかってしまう。

 この人とは次元が違うのだと。

 

「ーー卓越した推理は、予知に近づいていく。僕はそれを『条理予知(コグニス)』と呼んでいるがね。つまり僕はこれを全て、予め知っていたのだ。だからカナ君……いや、遠山金一君。それに真田幸音君。君達の胸の内もーー僕には推理できていた」

 

「『教授』……あなたは最初から……」

 

 幸姉はそれを聞いてなんとか反応を示し、瀕死の金一さんも何かを言っていたが、声が霞んで発声がほとんどできてない。

 

「さて、遠山キンジ君。それに猿飛京夜君。君達も僕の事は知っているだろう。いや、こう思う事は決して傲慢ではないことを理解してほしい。なにせ僕という男は、いやというほど書籍や映画で取り上げられているのだからね。でも、可笑しいことにーー僕は君達に、こう言わなければならないのだ。今ここには、僕を紹介してくれる人が1人もいないようだからね」

 

 あなたの事はもう知ってるが、確かにそうなるんだよな。不思議な感覚だ。

 

「ーー初めまして。僕は、シャーロック・ホームズだ」

 

「……初めまして。猿飛、京夜だ」

 

 敵の自己紹介などあんまり聞きたくなかったが、相手はあのシャーロックだ。オレも名乗らないと失礼だからな。

 震える身体を押してそう言ったオレに対してシャーロックはにこり。笑顔を返してきた。

 

「幸音君から聞いた通り、君は『強くあろう』とするんだね。名乗り返しをありがとう。さて、アリア君」

 

 まるで確認作業のようにオレと話したシャーロックは、呆然とするアリアに視線を向けて話しかけて、アリアもそれに反応して視線を合わせた。

 

「時代は移ってゆくけれど、君はいつまでも同じだ。ホームズ家の淑女に伝わる髪型を、君はきちんと守ってくれているんだね。それは初め、僕が君の曾お婆さんに命じたのだ。いつか君が現れることを、推理していたからね。アリア君。君は美しい。そして強い。ホームズ一族で最も優れた才能を秘めた、天与の少女ーーそれが君だ。なのに、ホームズ家の落ちこぼれ、欠陥品と呼ばれ……その能力を一族に認められない日々は、さぞかし辛いものだったろうね。だが、僕は君の名誉を回復させることができる。僕はーー君を、僕の後継者として迎えに来たんだ」

 

「……ぁ……」

 

 語り聞かせるように話すシャーロックに、アリアは言葉がまだ出ない。

 だが、これはまずいぞ。このままだとアリアが……

 

「おいで、アリア君。君の都合さえ良ければ、おいで。悪くても、おいで。そうすれば、君の母親は助かる」

 

 シャーロックの側に行ってしまう。

 シャーロックは緩やかな足取りでアリアの目の前まで行くと、ひょい、とお姫様だっこをしてしまう。

 

「ーーとかく、好機は逸して後で悔やむことになりやすいものだからね。行こう。君のイ・ウーだ」

 

 アリアを抱いたシャーロックはそのままくるりとターンして、自らが乗っていた原潜に戻ろうとする。

 

「アリア君。君たちは、まだ学生だったね。ではこれから『復習』の時間といこう」

 

 そう言ったシャーロックは、ふわり。

 たったの一足で舳先から原潜とを繋ぐ流氷に跳び移っていった。

 それは理子が髪を自在に操るかのように、長いコートの裾を操って落下を抑えていた。

 

「アリアァァァーーーーーーッ!」

 

 抵抗もせずに連れていかれるアリアに、パートナーであるキンジが叫ぶ。

 しかしその叫びもアリアには届かない。

 

「京夜、もうちょっと私に付き合ってね。この船は日本船籍。今ならシャーロックを合法的に逮捕できるのは、京夜もわかるわね?」

 

 シャーロックの登場で誰も動けずにいた中、幸姉はオレの肩を借りて立ち上がりそんなことを言う。

 見れば金一さんも治療をするパトラを押し退け、髪をほどきサソリの尾を投げ捨てて、その身を漆黒の服として立ち上がっていた。

 日本船籍の船。その上でシャーロックはアリアを『拐った』。

 つまりは日本の法律、未成年者略取の罪に問われることになるわけだ。

 

「まだ震えてるわね。怖ければ京夜はここにいなさい。怖れがあるなら前へ出るべきじゃないから」

 

「……幸姉が行くのにオレが行かないなんてあり得ないな」

 

 オレは幸姉に言われて未だ震える自分が情けなくなって、言ったあとその手を思いっきり甲板に叩きつけた。

 いってー……けど、これで震えは止まったな。

 

「武偵憲章1条! 仲間を信じ、仲間を助けよ! 行こう、幸姉!」

 

「ええ、行きましょう京夜。まずはアリアを救助して」

 

「シャーロック・ホームズを逮捕する!」

 

 叫んだあと、オレと幸姉、キンジと金一さんはほぼ同時に沈没しかけた船からイ・ウーへと続く流氷に降り立った。

 

「幸音さん。あなたはもう超能力を使えないんだ。無理はするな」

 

「ナメないでほしいわ。あと1回なら魔眼を使える。それに見るからに死にそうな人に心配されてもね。ヒステリア・アゴニザンテだったかしら? 命懸けの超人も大変ね」

 

「俺の前で死なないでくれよ。人の死は見るのが辛い」

 

「努力はするわ」

 

 流氷の上を走りながら幸姉と金一さんはそんな会話をすると、オレとキンジもアイコンタクトで互いに意志を確かめた。

 そうしてオレ達はイ・ウーの甲板の上に到達した。シャーロックとの距離はまだ少しある。

 

「ーーシャーロック!」

 

 叫んだ金一さんは次の瞬間、手元を光らせあの見えない銃弾をシャーロックに放った。

 しかしシャーロックはこちらを向くことなくその銃弾に同じ見えない銃弾を当てて防いでみせる。やっぱり化け物だな。

 

「キンジ!」

 

「ーー分かってる!」

 

 それからの攻防は人間業ではなかった。

 金一さんとキンジはシャーロックに向けてありったけの銃弾で連射の雨あられ。

 対するシャーロックは2人の銃弾を全て銃弾で弾き逸らし、その弾いた銃弾を金一さんとキンジも弾いてまたシャーロックへ向けて、それをさらにシャーロックが弾き……と、その銃弾の数をどんどん増やしての銃撃戦を繰り広げていったのだ。

 オレと幸姉はその流れ弾に当たらないように金一さんとキンジの背後に立ってチャンスをうかがう。

 

「京夜。今から私がこの銃撃戦を止める。その瞬間一直線にシャーロックを狙える?」

 

「やってみるよ」

 

 言われてオレは右手にクナイを3本持ちいつでも放てるように構えた。

 

「いくわよ!」

 

 確認した幸姉は、それからオレの肩を踏み台にして、百数発の銃弾が行き交う射撃線の上に跳び出て、魔眼を発動した。

 その瞬間、あれだけの銃撃戦が嘘のように止み、行き交っていた銃弾は全て勢いを失い甲板にバラバラバラと落ちていった。

 おそらく幸姉の魔眼は視界に入った物体の運動エネルギーを一瞬でゼロにしたのだろう。

 そんなことまでできるようになったのか、幸姉。

 などと感心してる余裕もなく、オレは幸姉の魔眼が発動してすぐにシャーロックめがけてクナイを3本同時に投げ放ち、まずはアリアを抱き上げている腕を使えなくしてやろうとした。

 ――キンキンキンッ!

 しかしオレのクナイはシャーロックの見えない銃弾で難なく弾かれてしまう。

 だが、それも狙い通り。あのクナイには3メートルほどのワイヤーがついてる。

 気づいていた幸姉は、着地してからすぐに右足を振り靴にワイヤーを絡めてシャーロックめがけて遠心力を利用したクナイを叩きつけた。

 アリアに当たらないように膝狙いでな。

 それでシャーロックはまたふわり。あの飛ぶような跳躍で7メートルはある艦橋まで後退した。

 それからシャーロックは狙わせないためにアリアをこちらに向けて振り返り、何故かアリアに耳を塞がせた。

 そして大きく息を吸い込み、その胸をパンパンに膨らませて……っておいおい、あれは見たことあるぞ!

 ブラドの『ワラキアの魔笛』!!

 ーーイェアアアアアアアアァァァァァァァァアアアア!!!

 シャーロックから放たれた大音量の咆哮に、オレとキンジは直前で耳を塞ぎ目を閉じて身を守ることに成功する。

 成功と言っても、やはり咆哮は空気の振動である。それだけでは完全には防ぎきれないが、それでも最良の防ぎ方はした。

 だが、幸姉と金一さんは違った。

 2人は初めて受けたワラキアの魔笛を防ぐことができなく、その場で硬直してしまう。

 そしてオレもキンジも2人を凝視してしまい、シャーロックから目を逸らしてしまった。

 

「「京夜(キンジ)! 避け(ろ)なさい!!」」

 

 そこに幸姉と金一さんが振り絞った声で叫びオレ達に駆け寄り、その場から突き飛ばすと、ビシュッ! ビシュッ!

 オレとキンジがいた場所で幸姉と金一さんの鮮血が舞った。

 倒れる2人を考えるより早く支えたオレ達は、その現実に悔しさを感じていた。オレ達のせいで2人が倒れたのだから。

 2人は倒れながらもまだシャーロックのいる方向を向いていたが、そこにはもうシャーロックの姿はなく、おそらく原潜の内部に入ってしまったのだろう。

 

「追いなさい……京夜……私なら……大丈夫だか、ら……」

 

「バカか!? 明らかに致命傷だろ!」

 

「魔眼で……心臓を貫く前に……弾を止めた……のよ。ちょっと遅れちゃったけど……大丈夫。私、衛生科にだって……いたんだから……」

 

「そんなの気休めにもならないっての!」

 

「じゃあ……京夜から元気もらおっかな」

 

 言った幸姉は、弱々しい手でオレにおいでと手招きしてきて、オレも幸姉に顔を近づけると、触れたかどうかも曖昧なほど優しいキスをしてきた。

 そしてそれと同時に隣ではガスッ! という鈍い音が響き、金一さんがキンジに頭突きで活を入れていた。

 

「はい、元気100%。私はもう大丈夫だから、行きなさい。行って、アリアを助けて、シャーロックを、逮捕しなさい」

 

 そうして活を入れられたオレとキンジは、重症の2人を残してイ・ウーに乗り込んでいった。

 開け放たれていた耐圧扉から中に入り、螺旋状の階段を駆け降りると、劇場のように広いホールに出る。

 そこには恐竜の全身骨格標本や動物の剥製などが展示されていて、おそらく価値は億とかになるだろうな。

 オレとキンジはその剥製などに身を隠しながら移動していく。

 しかし、妙なことに迎撃がない。ここはイ・ウーの本拠地。シャーロック以外のメンバーもいる、はずなのに。

 だが、来ないなら来ないで助かる。オレ達もそこまで余裕はないからな。

 それから誘うように開く扉から螺旋階段を降りて、熱帯魚の入った水槽が並ぶホール。植物園。鉱石、宝石類の展示ホール。広大な書庫。音楽ホール。様々な部屋を駆け抜けていく。

 まったくなんなんだここは。本当に潜水艦の中なのかと疑いたくなる。

 その移動だけでかなり疲弊したオレとキンジは、出口の見当たらないホールで足を止め息を整えながら周りを観察する。

 ここには肖像画や石碑がたくさん並べられていた。添え書きなどから察すると、この肖像画の人物達は歴代の艦長であることがわかった。

 その中、一番右にあったシャーロックの描きかけの肖像画。その裏側から、微かな人の気配を感じた。

 キンジは物音を聞いたようで、オレ達はその肖像画を破いてみると、そこには隠し通路と下に伸びるエスカレーターがあり、降りたその先には、教会があった。

 奥には綺麗なステンドグラスがあり、その下には……

 

「……アリア!」

 

 が、祈りを捧げるかのように膝をついていて、キンジの声で振り返り立ち上がった。

 

「……キンジ! 京夜も」

 

 オレ達はすぐにアリアに駆け寄り、怪我がないか確認する。どうやら怪我はないようだ。

 そしてシャーロックがいないのが少し気になる。

 

「とにかく合流できたのは好都合だ。一旦移動して、態勢をーー」

 

 そう言いかけたキンジだったが、そのキンジからアリアはつっーーと、1歩下がった。

 

「帰って。2人とも、今ならきっと、まだ逃げられるわ」

 

 ……まぁ、そんな気はしてたんだよな。

 シャーロックに連れていかれた時も、拒もうと思えばできたはずだし。

 

「あたしは、ここに残る。これから……ここで、曾お爺さまと暮らすの」

 

「んじゃ、そうすればいい」

 

「ちょっ!?」

 

 オレがそう言った瞬間。アリアは驚きと疑問が混じった声を出す。キンジも一瞬驚いたが、すぐにその意図に気付きアリアを見た。

 そう、オレがアリアの決定に関して抵抗を見せなかったことに『動揺した』のだ。つまり……

 

「あとは任すわ、キンジ」

 

「……ああ」

 

「ちょっ!? ちょっと京夜! あんたなに勝手に行こうとしてるの!」

 

 アリアはまだ迷っている。イ・ウーのリーダーになることを。

 だが、そのアリアを引き戻すのはオレができることじゃない。それができるのは、パートナーであるキンジだけだ。

 だからオレは、キンジを信じて先に進む。

 

「アリア、オレはお前に何も言わない。オレが何を言ってもアリアの意志を変えることができないとわかってるからな。ならキンジにそれは任せてオレは先に行く」

 

「あたしが曾お爺さまのところに行かせると思ってるの?」

 

「いや、思ってない。だがアリアは通すしかないさ。何故なら本気のオレはまだアリアに『捕まったことがない』」

 

「それはあたしへの宣戦布告と捉えていいのよね」

 

 おお怖い怖い。

 だが今はアリアとじゃれてる時間はない。出し惜しみする気もないし、使うか。

 オレは今にもガバを抜きそうなアリアに気付かれないレベルの動作で足に仕込んでいた閃光弾を出し炸裂させてその場を走り抜けようとしたが、アリアは持ち前のカンの良さで閃光弾をくぐり抜けオレに2丁のガバを向け発砲した。

 だがそれも予測していたオレは、タンっと月面宙返りでそれを避けて、着地前に自分の足下とアリアの足下に刺激臭入りの煙玉を投げて姿を眩まし、無音移動法で教会を出ていったのだった。任せたぜ、キンジ。

 教会を抜けて奥へ進むと、そこには鋼鉄の隔壁があり、人力では開けられそうになかった。

 どうしようかと考えていると、その隔壁は自動で上下・左右・ナナメに開いていった。来いってことかよ。ナメやがって。

 挑発するように開いた通路を進み、何やら危ないことを知らせるマークがあったが、気にすることなく開いた隔壁を抜けると、今までで一番広いホールに出た。

 そこにはとてつもなく大きな柱が8本あり……いや、あれは……ミサイルだ。しかもその上部だろう。下の部分は空いた穴に収まってるのか。

 こんなものブッ放したらどうなるかわからん。物騒すぎるぞ、イ・ウー。

 

「君が来たのは少しばかり驚いているよ」

 

 オレが少しばかりミサイルに意識を向けていると、不意に目の前にシャーロックが姿を現し話しかけてきた。

 

「幸音君の話では、君は勝てない勝負はしない主義だと聞いていたからね。しかし僕はそれも予測はしていた。人は時に感情で動くことがあることを知っているからね」

 

「じゃあ、オレが今あなたに対して怒りを持ってることも理解してますね」

 

「ああ、僕は君が大切に思っている幸音君を2度、手にかけた。仕留め損なってはいるけど、君が怒る理由としては十分すぎるだろう。これは推理するまでもないね」

 

 イラつくなこの人。何でもわかった風に話しやがって。

 

「日本にはこんな言葉がある。『1発は1発』ってな。だからオレはあなたを逮捕する前に、絶対殴る。2回目はオレの責任だからノーカンにしてあげます。感謝してくださいよ」

 

「その言葉は初耳だね。だが実に理にかなった言葉だ。それに老体をいたわって1発に止めてくれるわけだ。優しいじゃないか」

 

 この人苦手。いま確信した。さすが100年以上は生きてるだけあって、人を引っ掻き回すのが得意だな。

 と言いたいが、あの人のペースに乗せられるのは凄く嫌だ。

 

「長話もあんまり好きじゃないし、そろそろ殴りにいくけど、いいですか?」

 

「僕に断りを入れる必要はないよ。君は思ったよりも随分正直な性格のようだね」

 

「いや、我ながらかなりズルい性格だと思ってますよ」

 

 話しながらもオレは袖の中を通して残りの閃光弾をシャーロックに見えないよう左手に持ち、最初に接敵した時からジリジリと仕込んでいた最高の1手の準備を整えた。

 そしてポトリと閃光弾を落として炸裂させると、光が止んだと同時に両手のクナイを投げ放ち、上下で綺麗に重なるように速度を揃え、さらにその2本のクナイを追うようにワイヤー付きのクナイを投げてみせ、さらにオレ自身もシャーロックへと迫る。

 『影手裏剣』と呼ばれるこの投擲技術は、相手から見れば下と後ろのクナイが死角に入るため1本のクナイにしか見えない。オレの今できる最高の1手だ。

 まぁ、閃光弾を使ったから、手数を増やした方が良かっただろうが、何故かそれをしたくなかった。

 理由はわからないが、アリア的に言えばカンが働いたのだ。

 ――ガギギギィン!

 そんなオレのカンは正しかったらしく、シャーロックは笑いながらその手に持つステッキで3本のクナイをまとめて弾いてみせた。

 おいおい、閃光弾も影手裏剣も読まれてたのか? だが!

 まだ手はある。3本のクナイの内、1本のクナイにはワイヤーがついてる。

 それをオレはシャーロックに迫りながら左手に巻き付け、鎖鎌のように振り回しシャーロックに投げ放つが、直前でワイヤーを切られてしまう。まだまだ!

 ここまででもうオレとシャーロックの距離は一足で届くまでに迫った。

 あとは全力の拳を叩きつける!

 

「良い動きだったよ」

 

 ――パシィ!

 そのオレの拳をシャーロックは笑いながら素手で受け止めてしまう。

 咄嗟にオレはステッキで反撃を受けないように両手を封じた。

 

「うん、良い判断だ。これなら僕は銃を抜くことも反撃することもできない。理子君が勧誘しようとしたのも頷ける実力だ」

 

「……あなたのような人に誉められるなんて、光栄ですよ」

 

 この人は憎たらしい言い方しかできないのか。

 だがまぁ、世界最高の探偵に誉められたのは少し嬉しかったりもするな。顔には出さないが。

 とりあえず今の手が通用しないとなると、正面からの突破はまず無理だ。

 思ったオレは、懐から残りの煙玉を落として一旦シャーロックから距離を取り、気配を消して身を隠した。

 残りの装備はもう小刀と手裏剣4個にクナイが1本。それにミズチの中にワイヤーが100メートルくらい、か。詰みそうだ。

 ーーキンキンバシュッ!

 そんなわずかにため息をした瞬間、オレの胸元、心臓の辺りに突然銃弾が突き刺さったのだった。



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Bullet26

 胸元への突然の銃撃にオレは息が止まりかけるが、その弾が防弾制服を貫通してこなかったのを確認しつつ、1度呼吸を整えてから状況を整理しにかかる。

 オレは確かにシャーロックから見えない位置に隠れていた。

 だが、今のは明らかにシャーロックからの攻撃だ。

 信じたくないが、あの人は『跳弾』を利用してオレに銃弾を撃ち込んできた。

 しかも音から察するに2バウンドしてる。それでオレの心臓を正確に狙ってきたのだ。

 昔レキがやってるのを見たことがあるが、そんな簡単にやられると恐ろしいぞ。

 

「怒りは人の感情をさらけ出すものだ」

 

 場所がバレたと思ったオレは、すぐに移動して身を隠すと、シャーロックは先生のような感じでオレに話をしてきた。

 

「今の君は少しばかり自制心を欠いているね。それでも漏れ出す気配は実に希薄だ。並みの人ならばまず気付けないだろう。しかし僕には今の君の居場所が手に取るようにわかる」

 

 言われて最初はハッタリだと思ったオレは、息を潜めて気配を殺すが、ガゥン!

 1発の銃声が響き、キンキンキンビシュッ! またも跳弾がオレの胸元に襲いかかる。

 ……どうやら本当にオレの居場所はバレてるらしい。

 撃たれた胸を押さえながら、オレはまた息を整えてシャーロックを観察する。

 

「僕を殴る。君は今それにこだわりすぎているね。そのせいで君は君自身の良さを殺してしまっている。それでは及第点はあげられないよ、猿飛京夜君」

 

 マジで先生発言になってきたな。

 だからといって、はいそうですねと言うほどオレも素直な性格をしていない。シャーロックは宣言通り殴る。全力で。

 しかしまぁ、シャーロックの言ってることもわかる。

 ――パァン!

 だからオレは1度自分の頬をひっぱたいて気持ちをリセットした。

 そうしてあらゆる私情、雑念を取り除き、およそ人が発するべき気配を消し去った。

 

「……素晴らしい。この僕でさえほとんど君の動向を掴めない。それが君の良さであり、他者を寄せ付けない絶対的なアドバンテージだ。さて、京夜君が本領発揮となったところで時間だ。君は隙あらば僕に仕掛けてくれて構わないよ。それが君の戦い方なのだからね」

 

 時間? 何のだ?

 と思いながらシャーロックを観察していると、そのシャーロックは傍に置いていたであろう蓄音機を動かして音楽を流し始めた。

 

「音楽の世界には、和やかな調和と甘美な陶酔がある」

 

 その言葉は、オレに対しては言っていないことがすぐにわかる。

 よく見れば、この空間にいつの間にかキンジとアリアの姿があった。どうやら説得には成功したらしいな。

 

「それは僕らの繰り広げる戦いという混沌と、美しい対照を描くものだよ。そして、このレコードが終わる頃にはーー戦いの方も、終わっているのだろうね」

 

 そう話すシャーロックに対して、キンジはようやくといった顔をしていた。

 

「はは。いよいよ解決編、という顔をしているね。だがそれは早計というものだよ。僕は1つの記号ーー『序曲の終止線(プレリュード・フィーネ)』に過ぎないのだから 」

 

「序曲……?」

 

「そう。この戦いはキンジ君とアリア君が奏でる協奏曲のーー序曲に過ぎない。僕のこの発言の意味は、直に分かる事だろう。さて、ところで、同士討ちーーカナ君がイ・ウーに仕掛けようとしていた罠の味は、いかがだったかな」

 

 途中から呑気にパイプを取り出し一服して話すシャーロックに、キンジとアリアは横目を見合わせる。

 やっぱり実力行使になってたのか。オレも撃たれたしそんな気はしてたがな。

 

「曾お爺さま……あ、あたしは……私は、曾お爺さまを尊敬しています。だから、この銃を向けることはできません。あなたに、命じられない限り」

 

 おそらく決死の覚悟でここまで来たアリアは、1歩前に出てシャーロックにそう言うと、足元に自分の銃を置いてしまった。

 

「私は恐らくあなたの思惑通り……あなたに立ち向かおうとするパートナーと友人を、この銃で追い返そうとしました。でも、止めることはできなかった。彼は……遠山キンジは、私がやっと見つけ出した、世界にたった1人のパートナーで、京夜は頼れる仲間です。曾お爺さま、どうかお許し下さい。私は……彼らに協力しようと思います。それは……あなたに敵対する行動を取るという意味なんです。どうか、お許し下さい」

 

「いいんだよ、アリア君。ーー君は今、僕の存在を心の中で乗り越えた。そして1人の特別な男性を理由に、僕と敵対することさえ決意した。それは君の心の中で、僕よりもキンジ君の方が大きな存在になったという意味なのだ。まだ、愛の量は僅差のようだがね。君たちは子供だが、男と女だ。女心は僕の不得意な分野ではあるがーー敢えて語るなら、女というものは、どんなに男から酷くされてもとことんまで男を憎みきれるものじゃない。たとえそれが銃を向け合うような事態であったとしてもね。『雨降って地固まる(After a storm comes calm)』という諺の通りーー君たちは戦いを経て、より強く結びついたことだろう」

 

 ……何だ?

 シャーロックの意図が見えなくなった。ここまでがシャーロックの展開通りなら、あの人の狙いがわからない。

 思えばオレに対しても始めから手加減してる感じではあったし、今だってオレが生かされているともとれる。

 これはどういうことだ?

 

「ーーつまり、何もかも自分の推理通り事が運んでるって言いたいのか。シャーロック」

 

「ははっ。こんなのは推理の初歩だよ、君」

 

「じゃあ、これも推理できたか」

 

 そうしてキンジが取った行動は、ベレッタの銃口をアリアの側頭部に突きつけるというもの。

 いやいや、そんな子供騙し以下の作戦じゃ……とは思ったが、ここにきてそれがわからないキンジではないとすぐに考え直し、ゆっくり移動を開始。

 シャーロックに仕掛けてみるか。

 

「君は撃たない」

 

「言っとくが、俺はもうヤケクソだぜ。そういえばシャーロック。あんたにプレゼントがあるんだ。ーー兄さんからのな!」

 

 叫んだキンジはピンッ!

 何か小さな物を投げ放つと、それは次の瞬間にはまばゆいまでの閃光を放った。

 もしかしてあれは、職人にしか作れなくて、かつ超一流の武偵にしか与えられないっていう武偵弾か?

 実物を見るのは初めてだが、本当に手投げでも使えるんだな。

 などと思いながら閃光を防ぎつつ、直前までシャーロックが目を開けていたことを確認していたオレは、光が止んだと同時に背後に音もなく降り立ちその右拳をシャーロックに振るう。

 ――ドスッ!

 しかし、それがシャーロックに当たるより前にシャーロックが持っていたステッキの先端で腹に殴打を加えられて拳を引っ込めざるを得なくなり、さらに怯んだオレにシャーロックは胸ぐらを掴んで投げ飛ばし、キンジとアリアの足元まで後退させられた。

 

「うん。今のは知恵を回した方だと思うよ。人質を取るフリをして、実際にはーー閃光を使う作戦だったんだね。京夜君も仕掛けるタイミングとしてはベスト。打ち合わせていなかったのに素晴らしい。しかし、君たちは推理不足だったようだ」

 

 言われながら立ち上がりキンジと並ぶと、オレはそこで気付いた。

 目眩ましが通用しない。2度も確認できればわかる。シャーロックは……

 

「ーー僕は盲目なのだよ。60年ほど前、毒殺されかけた時からね。でも、それを知る者はいない。何故なら僕は目が見えるように振る舞っていたし、実際視覚に頼る君たちよりも、自分の周囲で何が起きているのかよく分かっているのだからね。初めの頃は推理力が助けてくれたものだが、今は音や気流で分かるんだよ。たとえばいま、キンジ君の心拍数が驚きのために上がっていることもーー手に取るように、分かる。京夜君は仕掛けられるまで気付けないんだがね。実際、今君がキンジ君の近くにいるかも自信がないよ」

 

 よく言うぜ。そんな顔微塵もしてないだろうがよ。

 

「キンジ……京夜もそこにいるの? 逃げなさい! 曾お爺さまは、あたしが説得を……!」

 

 先程の武偵弾で怪しまれないように目を閉じなかったアリアは、虚空を見ながらオレとキンジに言葉をかけるが、

 

「ーーできる相手だと思ってんのか」

 

「今更あとには退けないさ。まだ幸姉の分の仕返しもしてねぇしよ」

 

 つまりはそういうことだ。

 そうしてアリアの前に出たオレとキンジは、並んでシャーロックと対峙する。

 

「シャーロック」

 

「ここで決めよう」

 

「何をだい」

 

「「探偵と武偵ーーどっちが強いか」」

 

「……キンジ君、京夜君。僕は150年以上、世界中で凶悪かつ強靭な怪人たちを数多仕留めてきた。一方の君たちは、たかだか17年を平和な島国で生きてきた子供だ。その未熟な君たちがーー僕と、決闘しようというのかね」

 

「ああ。俺は確かに、偉大な名探偵様から見りゃ未熟者だろうさ。武偵としてもEランクの落ちこぼれだしな。だけどな……自分のパートナーに手ぇ出したヤツを放っておけるほど、腐っちゃいねえつもりだぜ」

 

「オレはそんな大層な理由じゃないが、目の前で大切な人が傷つけられて黙ってるような人間になりたくない。それだけだ」

 

 シャーロックの上からの物言いに対して、オレとキンジはそれぞれの決意をシャーロックに語る。

 聞いたシャーロックは、やれやれといった顔をしながらコートを脱ぎ捨て、手にしていたステッキを構えた。

 

「僕は強者として君たちに警告したが、君たちはそれを受け入れなかった。理解できているね?」

 

「いいのか、銃じゃなくて。俺は年寄り相手でも油断しない性格(タチ)だぜ」

 

「銃も、後で1度だけ使わせてもらうよ。そしてそれは僕の『緋色の研究』にピリオドを打つ、極めて重要な1発になると推理している」

 

 要はオレ達2人が相手でも余裕と言いたいんだろう。

 その鼻っ柱、へし折ってやるよ。

 

「おいで。君が言う通り、決闘に敬老精神なんかは不要なのだ。遠慮はいらないよ」

 

「心配するなシャーロック。俺は武偵だ。武偵の任務はーー無法者を狩ること。任務は、遂行するッ!」

 

 ガウンッ!

 言ったキンジは1発の銃弾をシャーロックめがけて放ち、シャーロックはそれを当然のようにステッキを突き出し防ぐ。

 

「シャーロック!」

 

 続けて2発目を放つキンジだったが、これも同様にステッキで防がれてしまう。が、

 ーードウウウウウッ!!

 防がれた銃弾は紅蓮の炎を撒き散らして炸裂し、シャーロックを襲った。

 あまりの威力に撃ったキンジもオレも爆風から身を守るため両腕で顔を覆った。

 どうやらまた武偵弾らしいな。なんであの小ささでこの爆発が起きるのか不思議でならない。

 キンジも撃つまでこの威力を知らなかったみたいだが、死んだんじゃないか? これ。

 

「キャーヒトゴロシヨー」

 

「…………いや、マジで冗談じゃないぞこれ……」

 

 ははは、キンジさん。あなた冗談が上手くなったわね。笑えませんわよ?

 と、現実逃避をしたのも束の間。武偵弾の炸裂した煙の中から、シャーロックの気配をはっきりと感じた。

 生きてんのかよ、今ので。

 しかも、さっきまでより手強い気配になってやがる。

 これは知ってるぞ。キンジと『同じ』だ。ヒステリア・サヴァン・シンドローム……HSS……だったか?

 

「ーーここまでが『復習』だよ、君たち」

 

 何かの噴射音と共に白くて重たい煙が流れ込んで、炸裂した黒煙を混ぜ合いながら押し退け、シャーロックの姿が見えてきた。

 

「ここからは……これから君たちが闘うであろう難敵の技を、『予習』させてあげよう。なにしろ僕は、古い仇敵と同じ名前ーー『教授』と呼ばれているのだからね、ここでは」

 

 言ってから武偵弾で破けたジャケットとシャツを脱ぎ捨てたシャーロックの身体は、とても引き締まった筋肉質だった。

 あんたホントに150年以上生きてるのかよと疑いたくなる。

 思っていると、足元からよろしくない振動が伝わってくる。

 見ればこの部屋にあるミサイルの下部から白煙が吹き出し始めていた。

 え、発射すんの? 危なくないか?

 状況が刻一刻と変わる中、オレはもう1つのことしか考えないようにした。

 シャーロックを殴る。

 ただこの一点に意識を集中させた。後のことは超人のキンジ君に任せます。

 ーーバキィィインッ!

 オレが半ばやけくそになりかけた時、シャーロックが持っていたステッキを床に叩きつけて割り、中から仕込まれていた片刃剣を取り出した。

 あの人が持ってる剣だ。きっと名前を聞いたら目が飛び出るような代物なんだろうな。

 

「……いい、刀だな」

 

「ーー銘は聞かないほうがいい。これは女王陛下から借り受けた大英帝国の至宝。それに刃向かったとあっては、後々、君たちの一族がそしりを受けるおそれがあるからね」

 

「イギリスだと、エクスカリバーとかアスカロンとかそんなんじゃないのか?」

 

 オレはテキトーに知ってる剣の名前を述べてみると、シャーロックは少しだけ驚いたような顔をして眉を上げた。

 

「ははっ。凄い推理力だ。君には探偵の素質がある。僕が保証しよう」

 

「それなら将来を考え直そうか。探偵業も良さそうだ」

 

「僕でよければ働き口を紹介しよう。もちろん英国にはなるがね」

 

 どこまでが冗談なんだこの人。これ以上はオレも付き合わないぞ。

 そんなオレの胸中がわかったのか、シャーロックは笑みを消してみせる。

 

「もう、時間もあまりないようだ。1分で終わらせよう」

 

「気が合うな。こっちも、そのつもりだ」

 

 ゆっくりと歩き出したシャーロックに合わせて、キンジも言ってシャーロックへと歩み寄っていき、両者の距離が5メートルまで近付くと同時に駆けた。

 ゼロ距離となった両者は剣とナイフで切り結び、その動きを止めたが、バチィィン!

 突然出現した雷球でキンジが後ろへと吹き飛ぶ。

 その一瞬前、オレはキンジの後方から左右に2つずつの手裏剣を投げてシャーロックを狙い、吹き飛ぶキンジと入れ替わる形で跳躍して前に出て残りのクナイを正面から投げ下ろす。

 しかし、左右前方から迫るそれらをシャーロックはその手に持つ剣で全て弾き、跳躍から迫っていたオレに鋭い突きを放ってきた。

 咄嗟に取り出した小刀で切り結びつつ、落下の勢いを生かした蹴りをシャーロックに放つオレだったが、剣を持つ反対の腕にガードされ、キンジ同様に突然出現した雷球で吹き飛ばされてしまう。

 初見ではなかったからなんとか直撃は避けて着地してみせたのだが、ピチャッ。着地した床が濡れている。これはおかしい。

 そう思った矢先、オレとキンジは煙と一緒に現れた濃霧に覆われ、そして見えない何かで身体を撃ち抜かれた。

 痛みを堪えながら傷口に触れてみるが、銃撃ではない。高圧の水の矢で撃ち抜かれたのだ。

 ならばと交錯の瞬間に仕掛けたワイヤーでシャーロックを絡め取ろうとワイヤーを引っ張って見せるが、そのワイヤーは途中で寸断されていたようで、手応えなど皆無だった。

 バッ!

 次には何かが足元に迫ったのを察知したオレはジャンプで躱すが、キンジはそれを受けてしまったらしく、膝をつく。

 見ればキンジの足には何かで斬られたような一文字の傷があった。今までの現象から鑑みると、鎌鼬か?

 雷に濃霧に水に鎌鼬。もう何でもアリだなこの人は。

 それに『予習』とか言ったか。当然これらを使えるイ・ウーのメンバーがいるってわけだ。

 ーーブゥン!

 感覚に頼る動きは少しコツはいるができないことじゃない。

 オレは濃霧を突っ切って迫るシャーロックをいち早く察知して、横っ飛びで難を逃れたが、キンジはシャーロックの鋭い剣撃と切り結び壁に叩きつけられてしまう。

 マズイな。もう投げられる物がない。

 壁に叩きつけられて怯むキンジに対して、シャーロックは容赦なく追撃の突きを左胸に放ち、その命を刈り取りにかかる。

 その速度はオレの反応を上回るレベルだったが、直前でキンジの腕にワイヤーを巻き付けていたオレは、その腕を引っ張り狙いからずらしてみせた。

 ーーガスンッッッ!

 シャーロックの剣はキンジの防弾制服を貫いてその脇を抜け壁へと突き刺さり、なんとか難を逃れたが、キンジは自力で避けたように見えた。余計なお節介だったか。

 剣が刺さって動きが止まったシャーロックに対して、キンジはすぐさまその手のナイフでシャーロックに切りかかるが、その手を足場にフワリと宙返りをして、大きく距離を開けた。

 ーーここだ!

 好機と感じたオレは、宙を舞うシャーロックの着地点に迫り、剣も手放したシャーロックに切りかかる。

 そのシャーロックは、上下逆さのまま右手の人差し指と中指でオレの小刀を真剣白刃取りし、そのままくるりと身体を回転させて小刀をひねり着地した。

 腕をあらぬ方向に曲げられそうになったオレは、素早く小刀を手放し着地際の足を払いにいくが、シャーロックは奪った小刀を床に突き刺してその蹴りの軌道に割り込ませてオレの動きを止めてしまう。

 ヤバイ!

 思った瞬間、オレはコンマ1秒の間に水の弾丸、鎌鼬、雷球を連続して浴びて数メートル吹き飛ばされてしまう。

 こいつは……効いたなぁ。目眩までしやがる。

 

「猿飛!!」

 

 朦朧としていたオレの耳に、キンジの叫び声が聞こえる。

 見ればシャーロックがオレの小刀を手に正面から迫っていた。うへぇ、動けねぇよバカ野郎……

 片膝をついた状態でかろうじて床に座っていたオレは、恐ろしい速度で小刀を振るうシャーロックに対して何もできなかった。

 ーーガギィィィン!

 何もできなかったはずだったオレは、ほぼ無意識。人間の防衛本能とも言える反射で右腕を出して小刀を受けていた。

 右腕にはミズチが装着されていたため、小刀との接触により粉々になってしまったが、耐えたぞ!

 オレは少し驚いた表情をするシャーロックの小刀を持つ腕を左手で掴み、バラバラとミズチの部品を撒き散らしながらその右腕を振りかぶり、今の精一杯の一撃をシャーロックの顔に叩き込んでやった。

 いっってぇぇぇ……

 拳で人を殴るなんて久しぶりだからなぁ。

 でも、届かせたぜ、幸姉。借りは返した。

 ーーバチィィン!

 そのことに安堵したオレは、そのあと放たれたシャーロックの雷球で入ってきた隔壁まで吹き飛ばされて床に倒された。

 そこでレコードから聞こえる曲の音が1つになる。何て言ったか。ああ……確か『独唱曲(アリア)』だったな。

 

「このオペラが独唱曲になる頃にはーー君たちを沈黙させているつもりだったのだがね。君たちは僕が推理したよりも長い時間を戦い抜いた。つまり僕は生まれて初めて、推理をし損じたのだ。君たちは、賞賛されるべき男たちだ。さて、戦いの最中で悪いけど、ここから先は僕の『緋色の研究』について話す時間だ。しかし京夜くん。これからの話を全部聞くには、どうやら君は限界らしいね。そこでゆっくりと休みたまえ。世の中には必要以上に知らなくてもいいことが多々あるのだからね」

 

「……元々、あんたの小難しい話なんて、聞く気もねぇよ。さっさとキンジにやられて逮捕されろ」

 

「ははっ。それは聞き入れたくはないね。僕にもまだ、やるべきことが……」

 

 そこから先の言葉は、もうオレの耳には届かなかった。

 冷たい床の上で意識を手放してしまったオレは、その直前にキンジとアリアが無事であることを願っていたのだった。

 次に目を覚まして最初に視界に飛び込んできたのは、オレの顔を柔らかな表情で覗き込む幸姉の顔だった。

 

「起きた? どこか痛いところは?」

 

 どうやらオレは寝ている間、ずっと幸姉に膝枕されていたようで、頭を撫でながらそう言ってきた幸姉に対して恥ずかしくなりながらも言葉を返した。

 

「骨とかに異常はなさそう。外傷も見た目ほど酷くない、かな。それより幸姉が大丈夫かよ。胸に穴開きかけたんだぞ?」

 

「パトラが治してくれたわ。あの子、本当は優しいのよ」

 

 うっそだー。絶対なんかあるぞ。

 完全に覚醒したオレは身体を起こして改めて状況を確認すると、どうやらここは水上飛行機の中らしく、前方の操縦席には武藤が座っていて、オレと幸姉の前方の席にぐっすりと眠る金一さんとパトラ。

 後ろの席にはキンジを挟む形でアリアと白雪が座り、全て終わったという顔で眠っていた。

 

「あの人は……逮捕、できなかったのか……」

 

「落ち込むこともないわ。あの人はいずれにせよ寿命。逃げ仰せても永くはない」

 

「結局、オレ達はあの人の手の上で踊らされてただけ、か。いま思えば、オレ達を殺るチャンスなんていくらでもあったのに、それをせずにオレ達を試してた節がある」

 

「あの人の考えはおよそ人には到達し得ない領域にあるわ。結果として私達は誰1人死なずに生還してるし、京夜の言うように、試されてたのかもね」

 

「あ、そうだ幸姉。あの人に1発借りは返しといたから。その代償は高かったけど……」

 

 言った後オレは右腕をそっと触ってみるが、やはりミズチは壊れてしまったんだな。なんか寂しい。

 帰ったらあややに新しく作ってもらわないとな。

 

「よくやったわ京夜。私なんてあの人に一撃を入れることすらできないだろうから、大したものよ。さすが私の京夜ね」

 

「おう猿飛! いま聞き捨てならねぇ言葉が聞こえたが、俺の聞き間違いか?」

 

 そこで入ってくんな武藤。黙って操縦してろ。

 

「所有物みたいな言い方はやめてくれ幸姉。あらぬ誤解を招く。武藤もどうでもいいところに食いつくなよ。轢くぞ」

 

「てめ! それは俺の台詞だろ! パクんなよ!」

 

「轢いちゃうぞ?」

 

「それはキキの台詞だ! ったく、お前はそんなになっても変わらないな」

 

「褒めんなよ」

 

「……もういいっての。やっぱお前とのやりとりは疲れるわ。運転に集中させてもらう」

 

 そうして武藤は再び運転に集中していき、そんなやりとりを見た幸姉はクスクスと笑いながら大きなあくびをして口を押さえた。

 

「まさか幸姉、オレが起きるまで寝てなかったんじゃ……」

 

「気にしなくていいわよ。私が好きでしたことだし。それに京夜が起きた時に話す相手がいないと困ると思ったのもあるから。ほら、報告とかその他諸々」

 

「そんな気を遣わなくても良かったのに。だけどまぁ、せっかくだし聞いておこうかな。ボストークは? あと、あの組織は?」

 

 せっかく起きていてくれた幸姉の厚意を無駄にしないため、とりあえず武藤に聞こえないようにそう聞いてみる。

 

「ボストークは後日国連が回収、かな。組織の残党はみんな散り散りになったから、事実上では壊滅。ただ、この結果は……ううん、今はやめましょう」

 

「なんだよ幸姉。焦らして……」

 

「それは戻ったら話してあげる。長くなるからね。ふぁあ……京夜が起きたら安心して一気に眠気が襲ってきちゃった。京夜、膝枕とかしてくれない?」

 

「肩くらいなら貸すから、それで勘弁してくれ」

 

「ん、ありがと、京夜」

 

 それから幸姉はオレに寄りかかる形で眠りに就いてしまった。

 幸姉、お疲れ様。あと、ありがとう。

 

「猿飛、死ね」

 

 そんなオレと幸姉をバックミラー越しで見た武藤が涙ながらにそんなことを言ってきたが、またコントを繰り広げるのも疲れるだけなので華麗にスルーしつつ、しばらくしてからまた深い眠りに落ちていった。



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Bullet26.5

 た、大変です! 緊急事態です! 大事件です!

 先日、私に美麗と煌牙を預けてどこかへ行ってしまった京夜先輩が昨晩帰ってきたみたいで、私にこんなメールを送ってきました。

 

『幸姉と一緒に入院する。引き続き美麗と煌牙の世話は頼んだ』

 

 こんなメールを送られて慌てない人がいるのでしょうか!?

 さすがの私もこれは詳しく聞かないといけない気がして、すぐにそうなった経緯について聞きましたが、何時間待っても返信が来なく、電話にも出ないので、翌朝にお見舞いに行った時に問いただそうと今こうして救護科に隣接するここ、武偵病院に来たのです。

 受付に病室の場所を聞いて、面会も問題なくできるとのことだったので、すぐに教えられた病室に行き、入る前にちゃんと名札も確認し……あ、幸音さんの名前もある。同じ病室だったんですね。手間が省けました。

 そう思って扉を1度ノックして入室確認を取ってみると、「ふぁい、ふぉふふぉ」という発音が全くできていない女の人の声が聞こえてきました。

 声質からそれが幸音さんであるのと、入っていいよと言ったのはなんとなくわかった私は、何かを口に含んだ状態で喋っていたであろう幸音さんに疑問も持たずに扉を開けて中を見た。

 瞬間、私の時間は止まった。

 ベッドが手前と奥で2基備えられた少し狭めの病室。

 その奥のベッドに、押さえつけられるようにして寝る京夜先輩と、その上に4つん這いで乗っかりながら切り分けたリンゴをくわえた幸音さんが、ポッキーゲームでもやるかのように京夜先輩に顔を近づけていた。

 扉が開いたことで2人は誰が来たのか確認するように同時にこちらを向いて、沈黙。私も何がなんだかなんですが。

 えっと、これはあれですね。

 つまり京夜先輩と幸音さんは現在進行形でイチャイチャしてたわけで、私は完全にお邪魔虫ということですね。

 だったら入れないでくださいよ幸音さん!!

 

「あ……あのな、小鳥……これは……」

 

 京夜先輩が何か説明をしようとしてますが、大丈夫です。全部わかってますから。

 今私がやることはひとつしかありません。1秒でも早くこの扉を閉めてここから離れることです!

 

「あ、えと、その、あの、お、お邪魔しましたぁ!」

 

 何故かテンパった私は噛み噛みでそう言ってからそのまま扉を閉めて全速力で走り出して病院を出るため出入り口へ向かったのですが、何故か必死の形相で私を追いかけてきた京夜先輩が「ち、違う!! 小鳥の考えてるような事態では断じてないから! だから止まれ!」と走りながらに弁明。

 えっ、違うんですか?

 その後、廊下を走っていた私と京夜先輩は、看護師さんに捕まってがっつり怒られてから病室に戻り、改めてお話を始めました。

 ベッドへと戻った京夜先輩をよく見ると、身体の所々に包帯を巻いていて、結構な怪我なのがわかったのですが、今さっき普通に走ってたのでたぶん見た目ほど悪い状態ではないのだと勝手に判断。

 幸音さんなんてケロっとしてて、本当に怪我をしてるのかも疑うのですが。

 

「えっとだな……さっきのはあれだ。幸姉の悪ふざけというか、そんな感じのやつだ。双方の合意でやってたわけじゃない」

 

「そんなこと言ってぇ、まんざらでもなかったくせに。京夜の恥ずかしがり屋さん」

 

「えっと……ちなみに今日の幸音さんはどの幸音さんですか?」

 

 話から察すると、幸音さんが強引にリンゴを食べさせようとしていたことはわかったのですが、こんなことする幸音さんは、私の知る限りだと……

 

「妖艶だよ。男を手玉にとる、色気を武器にした一番面倒臭い幸姉。小鳥が赤面レベルの話を平然としたから、苦手だろ?」

 

 やっぱりですか……今日の幸音さんは私も苦手かもです。

 前に1日中Yシャツ1枚で部屋をウロウロしてて、京夜先輩も注意してましたけど全く取り合わなくて、逆に京夜先輩を言葉巧みに誘惑しててかなり無防備でしたし。

 たぶん蜂蜜色の罠(ハニートラップ)のお手本を見たのですが、あれは真似できませんね。

 あんな……色々と凄い言葉。私の口からは一生言えません!

 

「今日の幸音さんがそうなら、京夜先輩を信じます。ですけど、京夜先輩も少し幸音さんに強く言ってもいい気がするんですよね……」

 

「長年主従関係やってると、なかなかそうもいかなくてな。どうあっても真田と猿飛の上下関係は崩れない。オレと幸姉も例に漏れないってことだな」

 

「そーんなこと言ってー。ホントは私に色々してもらいたいとか思ってるんでしょ? 京夜だって雄なんだから、雌に迫られたら期待しちゃうわよね。フフッ」

 

「雄と雌とか生々しいからやめてくれ幸姉。あと期待とかそういうのもない。幸姉はちょっと積極的すぎるから、オレとの温度差が凄いし」

 

「そっかそっか、京夜はあの私が一番好きだもんねぇ。七夕祭りの日なんて見とれてたでしょ」

 

「否定はしないけど、オレの好みというよりは、男としてあの幸姉はヤバイって思う」

 

 あ、これは話が逸れていくパターンだ。早々に切り上げないと長話になっちゃう。

 思った私は盛り上がり始めたお2人に割って入る形で言葉を挟んだ。

 

「そ、そういえば! お2人の容態はどうなんですか? メールでは入院するとだけ聞かされたので、気になって仕方なかったんですよ?」

 

「ん、ああ、オレは打撲やらなにやらたくさんあるけど、見た目ほど酷くなくて1週間くらいで退院できるってよ。んで、幸姉は……」

 

「今日の検査が終わったら、明日にでも退院になります!」

 

 ズコッ。

 何故か敬礼をしながら元気よくそう言った幸音さんに私はギャグ漫画みたいなコケ方で椅子から落ちてしまいました。

 

「ゆ、幸音さんも一応、怪我をされたんですよね? まさかかすり傷で入院したとか言わないです?」

 

「いやね小鳥ちゃん、冗談キツいわ。ちゃんと胸に穴開きかけたんだからね。その証拠にほらっ」

 

 私の問いに対して幸音さんは笑いながらそう答えて、着ていた上着を捲り上げて上半身裸に。

 京夜先輩は察したのか直前にそっぽを向きましたけど、いきなり脱ぐとか非常識ですよ!

 とは思いつつも、どうせ聞く耳持たないだろうことはわかってたので軽くスルーして幸音さんの胸を見ると、やっぱり私よりおっきい……じゃなくて! 確かに胸の中心辺りに弾痕のようなものがあり、傷自体はすでに完全に塞がっていた。

 

「えっと、怪我したのは……いつ頃ですか?」

 

「えーと、2日前? だよね、京夜」

 

 確認を終えて再び上着を着ながらさらっとそんなことを言った幸音さんに対して、京夜先輩もそうだよなどと返してこちらに向き直る。

 

「……冗談ですよね? こんな痕が残る傷が2日で治るはずがありませんし……」

 

「割り切れ小鳥。オレも信じたくない。だが世の中には説明できない事象がたくさんある。これから武偵としてやってくつもりなら、この程度で驚いてたら身が持たない」

 

「お、重い言葉ですね。心なしか京夜先輩のこれまでの経験を垣間見た気がします」

 

「いい観察力だな」

 

 えへへ、褒められちゃった。私も成長してきたってことかな。

 それからまた他愛ない話に切り替わっていったのですが、少しして病室に武偵高の先生と、なんだか偉そうな人が入ってきて、私は居ちゃマズイらしく結構強引に病室を追い出されて帰るように言われてしまいました。

 結局私は今日はそのまま帰ることになり、お2人がいない少し寂しい夜を美麗達と過ごしたのでした。

 

「ただいまー」

 

 翌日のお昼前。

 夏休みの宿題などを片付けつつ、昼食に何を食べようか考えていたところに、そんな声と共に部屋に入ってきたのは幸音さん。

 リビングのテーブルで作業をしていた私と昼寝をしていた昴と美麗達も幸音さんを同時に見ると、その幸音さんは両手に買い物袋を持ってそれをテーブルに置くと、その中から魚肉ソーセージと鳥用の餌を取り出して昴達にご馳走していった。

 丁度お昼にしようとしてましたから、助かりますね。

 

「小鳥ちゃん、お昼はまだかな?」

 

「あ、はい。これから作ろうかなと思ってまして」

 

 あれ?

 こんなこと聞く幸音さんはちょっと珍しくはないかな。

 それに普段の幸音さんならこんな気の利いたお買い物も……あっ。

 

「じゃあパパっと作っちゃうから、少し待っててね。小鳥ちゃんには心配かけちゃったし、その償いってわけじゃないんだけど、ちょっとくらいは何かやらせてね」

 

「あ、幸音さん! 私作りますよ! 幸音さん病み上がりですし、何より京夜先輩のお客様ですから!」

 

 ヤバイ! 世話好きな幸音さんだ!

 ここで退いたら今日1日なにもさせてもらえないよ!

 前回で思い知らされたパーフェクト幸音さんの実力を脳裏に浮かばせつつ、そうはさせまいと必死になる私に対して、幸音さんは笑顔全開で私をたしなめつつしっかりキッチンへと向かおうとする。だ、ダメー!!

 

「お、お願いです幸音さん……私のお仕事とらないでください……」

 

「え!? 小鳥ちゃん!? なんでそんな涙目で訴えてくるの!?」

 

 だって……家事は私のお仕事なんです……それをとられたら私はどうすればいいんですか。

 そんな私の必死の訴えに怯んだ幸音さんは1度足を止めて何かを考え始め、ポンッ。と両手を合わせると再び笑顔になる。

 

「じゃあ2人で作ろっか。それなら分担もできるし、早く作れるでしょ?」

 

「あ、はい! それなら賛成です!」

 

 やったー! 幸音さんが折れた!

 京夜先輩、私は今日、1つ成長できた気がします!

 そうして無事に自分の立場を守り抜いた私は、幸音さんと一緒に昼食をパパっと作って仲良く食べ始めた。

 ーーぴろりろりんっ。

 食べ終えて仲良く片付けをしていると、私の携帯にメールが届いて、誰からだろうと確認すると、陽菜ちゃんですね。

 えっと、なになに……

 

『まこと急な頼みごと故、忙しい身であらば断ってもいいでござる。実は拙者の修行場「新都城」にて夏風邪が流行り少々人手が足りず、多忙にござる。報酬はしっかりとお支払いする故、助太刀を頼み申す!』

 

 相変わらず古風な文脈だな陽菜ちゃんは。

 えっと、確か陽菜ちゃんのバイトしてる新都城は、アクアシティお台場にあるラーメン・レストランだったかな。

 なんだか大変みたいだし、助けてあげよう。友達だもんね。

 

「あの、幸音さん。私これから友達のバイトのお手伝いに行くので、美麗達とお留守番してもらってもいいですか?」

 

「あら、なんのお手伝いかしら?」

 

「飲食店のお手伝いです。たぶん閉店まで手伝うことになるので、帰るのは夜中になるかと」

 

「それなら私も手伝うわ。人手不足で小鳥ちゃんにお呼びがかかったのなら、邪魔にはならないはずだしね」

 

 おお! 最強の助っ人ゲットだよ陽菜ちゃん!!

 

「幸音さんが良いなら喜んで! あっ、そうなると昴達をどうしましょうか。飲食店なんで動物はダメですし」

 

「この子達も留守番くらいできるわよ。ご飯だけ置いていけば飢え死にはしないしね」

 

 確かにそうでしょうけど、なんだか可哀想なんですよね。

 そんな眼差しで昴達を見た私でしたが、その当人? 達は自信満々に「留守は任された!」「泥棒なんて追い返してやるよ!」「ちゃんと留守番するからお土産買ってきてね」と豪語。

 大丈夫そうだね……

 

「昴達も大丈夫だって言ってるので、行きましょうか幸音さん」

 

「ホントに動物の言葉を理解できるんだねぇ。お姉さんちょっと羨ましいかも」

 

 そんな羨ましがられるような能力ではないんですがね。周りからはちょっと変わった子に見えますし。

 そうして陽菜ちゃんに助太刀了解と追加の援軍の返答を返してから、私と幸音さんは急いで台場へと足を運んでいったのでした。

 

「貴殿が真田幸音殿でござるか。小鳥殿から話は常々聞いていたでござる。某は風魔陽菜と申す」

 

 新都城に辿り着いて早々、出迎えてくれた陽菜ちゃんは私の隣にいた幸音さんに挨拶をする。

 

「よろしくね。それじゃあ早速働きましょうか。厨房とウェイトレス、どっちもできると思うけど、どっちに回ればいいかしら?」

 

「今は丁度お昼時ゆえ、小鳥殿はウェイトレスを。幸音殿は厨房を頼み申す」

 

「じゃあ私はどっちにも対応できるようにウェイトレスの服を着ようかな。フフっ、可愛い服よね」

 

 幸音さんは笑いながら陽菜ちゃんのウェイトレス姿をまじまじと見ていた。

 確かに可愛いですね。私に似合うかなぁ。

 などと思いつつ、陽菜ちゃんに通された店内の店員スペースでお着替えを済ませた私と幸音さんは、店長さんから仕事の仕方を聞いて早速作業を開始。

 幸音さんはウェイトレス姿に厨房用のエプロンをして手際よく調理を始めて……って、幸音さんラーメンもお手のものなんですね。本職の方と遜色ないくらいです。

 

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 私も助太刀として幸音さんに負けてられませんから、精一杯やらせてもらいます!

 時間は午後1時を少し回った辺り。混雑を避ける客が押し寄せてくる頃ですかね。

 店内は満席とまではいかないまでも、まだ客は多く、確かに陽菜ちゃんが救援を求めるくらいの忙しさ。

 私も幸音さんも働き出してから休みなしで足と手が止まらない。

 

「醤油2! 塩1! 豚骨1です!」

 

「これ3番のお客様に。帰りにボックス席の器回収してきて!」

 

 厨房ではオーダーとラーメンが行ったり来たり。

 幸音さんは働き出して30分ですでに厨房を半分くらい仕切ってしまって、さらに手が少しでも空けば厨房を出て接客。

 息切れも汗も見せずに動き回る幸音さんに陽菜ちゃん達新都城スタッフは開いた口が塞がらない様子です。

 私もここまで凄いとは思ってなかったよ。正に最強の助っ人。

 しかも幸音さんは美人なので客受けも非常に良いみたいで、幸音さんを目で追う客が男女問わずに大勢いて、中には携帯を取り出して何かをしている人も。

 ブログか何かに書き込んでいるんでしょうかね。

 そんなこんなで時間もあっという間に2時を回ったのですが、少々おかしな現象が発生。

 明らかにお昼を食べるには遅い時間にも関わらず、客の足が途絶えずあとからあとから来客。ど、どういうことですか!?

 

「どうやら幸音殿の評判が『ねっと』なるものでたちまち広がって、一目見ようとこぞって来店してるようでござるよ」

 

 料理待ちの合間、陽菜ちゃんがしっかりとお客さんから情報を仕入れてきたようで、聞いたままを私に話してきた。

 陽菜ちゃん、ネットくらいは知っておこうよ。

 

「凄いね。幸音さん1人で客寄せしちゃったってことでしょ? でもわかるなぁ。幸音さんって、女性から見ても綺麗だもん」

 

「いやいや、これがなかなかに小鳥殿の評判も良いらしいでござる。可愛いウェイトレスということで幸音殿の影でひっそりと人気が……」

 

 え!? そうなの!? やだ、私そんなに見られてたの? 仕事に集中してたから気づかなかったよぉ。

 陽菜ちゃんに言われて自然と嬉しくなっていた私は、その場で身体をくねくねと動かして恥ずかしがっていると、料理を持ってきた幸音さんが私を見て苦笑い。イヤー!

 

「もうとっくにお昼の時間は過ぎてるのに、繁盛してるわねぇ。この分だと閉店時間前に食材切れで閉店よ」

 

「ですねぇ。なんでも幸音さんを見たいがために来店してる客もいるみたいですよ?」

 

「私を? 酔狂な人もいるのね」

 

 それはどうでしょうか幸音さん。

 1度鏡で自分の顔を見直してみてくださいよ。

 

「ああ、小鳥ちゃん、陽菜ちゃん。ちょっとあの人注意して見ていてくれないかしら。さっきから挙動が気になるのよね」

 

 そんなことも別段気にしてないような素振りを見せる幸音さんは、お盆にラーメンを乗っけてから私達にそう言って出入り口に一番近い席に座る客を見て注意を促してきた。

 幸音さんに言われてその客を見ると、すでに料理を食べ終えて店を出てもよさそうな状態なのに、時折出入り口や私達従業員をチラチラ見ながら携帯を弄っていた。

 えっと、あれは探偵科の授業で習ったことあったな。

 確か食い逃げとかやる人の典型的パターンだったっけ。もしそうなら確かに注意してないとかも。

 

「めざといですね、幸音さん。こんなに忙しかったら普通見逃してますよ?」

 

「忙しいからこそ、不審な人の挙動は目立つのよ。明らかに不自然だからね」

 

 そういうものでしょうかね。勉強になります。

 そうして私と陽菜ちゃんがその客をマークしようとした矢先、その客は突然席を立ち出入り口へ。

 どうやらレジ係がいない隙をついての犯行に及んだようです。

 そして客はそのままお金を払わずに店の外へ。

 

「陽菜ちゃん! 食い逃げ犯の確保に行こう!」

 

「承知!」

 

 私と陽菜ちゃんは幸音さんのおかげでいち早く反応して食い逃げ犯を追いかけに動く。

 幸音さんは、どうやら普通に働くみたいで、私達に任せたといった感じで、中の騒動を収めていた。

 店を出た私と陽菜ちゃんは、食い逃げ犯の背中を捉えてすぐに確保に移るが、接近に気付いた食い逃げ犯はなりふり構わずダッシュ。

 意外なほど速くて私では見失わないようにするのが精一杯なくらいだった。というかウェイトレス姿だから走ると色々大変なんだよー!

 

「陽菜ちゃん! 挟み撃ちにしよう。陽菜ちゃんならアクアシティお台場の出入り口に先回りできるでしょ? この方向なら出入り口は1つしかないし!」

 

「御意にござる。食い逃げなど不届き千万。必ず捕まえるでござるよ!」

 

 陽菜ちゃんはそう言って私とは違う道から先回りするために別れて、私はスピードで振り切ろうとする食い逃げ犯にこれ以上引き離されまいと必死に食らいついていった。

 多分、あの人常習犯だ。店内に足の速そうな人がいないことを確認した上で犯行に移ってる。

 でも残念だったね食い逃げ犯さん。あそこには武偵が3人……幸音さんは今は違うんだっけ?

 とにかく! 武偵がいたんだから……ってああ! み、見失うー!

 とにもかくにも、予想通りアクアシティお台場を出ようとする食い逃げ犯は、私の追跡を振り切る1歩手前の段階で出入り口に到達。

 しかしその前にどこからともなく煙と一緒に陽菜ちゃんが両手で印を結びながら登場。さすが忍の末裔です。

 周りにいた人達もビックリしてますね。

 

「さぁ、覚悟なされよ」

 

「ちぃ!」

 

 陽菜ちゃんの登場で食い逃げ犯は足を止め舌打ちすると、手強そうな気配がわかったのか、途端にその身体を翻して逆走を開始。必然的に私と鉢合わせになる。

 走りながら食い逃げ犯は懐からナイフを取り出し私に向けて振りかざしてきた。

 どうしよう! 今は銃も携帯してない!

 私は咄嗟にいつも携帯してる銃に手を伸ばすが、そこには銃はおろか、ホルスターすらない。バイトー!

 そんな時、私の脳裏に京夜先輩の言葉が蘇ってきた。

 

『諜報科が正面切って敵と衝突することになった場合は、まず死ね。そんなことになるやつは向いてない』

 

「……って、まともなこと言ってないー!」

 

 そんな京夜先輩にツッコミを入れた私は、迫る食い逃げ犯に履いてる靴を片方蹴り投げてやる。

 それをナイフを持つ逆の手で弾いてなおも迫りナイフを刺しに来た食い逃げ犯でしたが、その一瞬で私は相手の懐にスルッと入り込み、突き出してきた腕を掴んで一本背負い。

 華麗に相手を地面に叩きつけて倒すと、持っていたナイフを取り上げてしまい、すぐに駆け付けた陽菜ちゃんが、あっという間に縄で縛ってしまった。どこから出したの?

 

「見事でござる! あのような華麗な体さばきは某も久方ぶりに見たでござるよ」

 

「あはは、無我夢中で何が何やら……」

 

 食い逃げ犯を縛りながら陽菜ちゃんが私にそんなことを言ってきたけど、ホントに身体が勝手に動いた感じだったなぁ。

 あ、そういえば京夜先輩こんなことも言ってたっけ。

 

『死ぬのが嫌ならミスディレクションを一瞬でも自由に使えるようになれ。それができれば最悪不意打ちくらいはできる。そのために毎日こうやって教えてやってるんだから、ちゃんと覚えろよ?』

 

 やっぱり京夜先輩は私の自慢の戦兄ですね。

 いざとなったらちゃんと身体が動くように教えてくれてるんですから。

 それから通報してやってきた警察に食い逃げ犯の身柄を渡して事後報告などを済ませてから、忙しい新都城へと戻った私と陽菜ちゃん。

 その店の前では幸音さんがにこにこ笑顔で出迎えてくれてました。

 

「ご苦労様。さすが現役の武偵ね」

 

「陽菜ちゃんがいなかったら取り逃がしてたかもですけど……」

 

「いやいや、小鳥殿は見事な活躍ぶりでござった。謙遜なされるな」

 

「そうよ。それに京夜の戦妹なんだから、戦兄の顔に泥を塗ったりしたら大変なんだから」

 

 うへぇ、幸音さん怖いこと言うなぁ。

 でも確かに私がミスったら京夜先輩の評判にも少なからず響いちゃうんだよね。

 

「そうですよね。私は京夜先輩の戦妹ですから!」

 

「ふふっ、小鳥ちゃんはホントにまっすぐな子ね。さぁ! お店はまだ忙しいから、頑張って働くわよ!」

 

「「はいっ(御意)!」」

 

 そうして食材切れによる閉店まで働いた私達は、何故か涙目の店長さんから謝礼として割に合わないほど多いバイト代を直々に手渡されて帰路についていた。

 陽菜ちゃんが言うには、開店以来最高の売り上げになったらしいのですが、それってほとんど幸音さんのおかげだよね。私までこんなにもらってよかったのかな?

 などと考えながら幸音さんと並んで歩いていると、私の携帯が振動してメールの着信を知らせてきたので、誰かなと思いながらメールを見ると、

 

「…………い、いやぁぁぁぁぁぁああ!!」

 

 突然立ち止まって奇声を上げた私に、隣を歩いていた幸音さんは目を真ん丸にして私を見る。

 

「ど、どうしたの!?」

 

 携帯を見ながらカタカタ震える私に幸音さんは恐る恐る声をかけてから、申し訳なさそうにしながらも携帯の画面を覗いて文面を確認した。

 

『件名 お母さん

 題名 おひさー

 本文 はーい小鳥ちゃんお元気かしら? 私達は元気ハツラツでーす!

実は急なんだけど、8月の頭に一時帰国しまーす! その時に小鳥ちゃんに会いに行くから、よろしくね~

 P.S.ついでに小鳥ちゃんの戦兄さんにも会いたいなぁ(照)』

 

 このメールを読んだ瞬間、私は確信してしまいました。

 京夜先輩に確実に『迷惑をかけてしまう』と。



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夏休み編
Bullet27


 夜中、武藤の運転する水上飛行機から武偵病院に移されたオレ達は、そのまま診察と治療を受けて入院。

 オレは思いのほか傷は大したことないらしく、1週間くらいで退院とのこと。

 幸姉に至っては明後日にも退院とか馬鹿げた診察結果を受けていた。ホントに死にかけたんですか?

 一番ひどいのはキンジだな。

 あいつは骨折やらその他色々で1ヶ月は入院らしい。南無三。

 だがよく死ななかった。それだけは敬服に値するよ。

 アリアは今回のことで母かなえさんの冤罪を晴らせると帰ってきてからどこかへと行ってしまって、白雪は「これから毎日キンちゃんの看病できるよ!」などと言って張り切っていたし、金一さんとパトラはいつの間にか消えてしまっていた。

 新婚旅行とかなら微笑ましいんだけどな。

 そうして幸姉と同じ病室で夜を過ごしたオレは、朝方に届いた小鳥からの「お見舞いにいきます」メールで起きる。

 目が覚めて最初に視界に入ったのは、ベッドの横で鼻歌混じりにリンゴを剥く幸姉の姿だった。

 幸姉はオレが起きたのを確認すると、ニコッと笑顔を向けてきた。

 

「おはよう、京夜。頭は覚醒してる?」

 

「バッチリだな。寝過ぎたくらいだし」

 

「そっ。じゃあ小鳥ちゃんが来る前にパパッと話しちゃうから、聞き逃さないでね」

 

 話、というのは、おそらくイ・ウーについてだろう。

 それがすぐにわかったオレは、真剣な顔で幸姉を見た。

 

「そ、そんな顔で見られたら、興奮しちゃうよ京夜」

 

 しかしオレを見た幸姉は急にもじもじしながらそんな爆弾を投下してきた。

 ああ……今日の幸姉は『妖艶』だったのか。面倒臭い。

 妖艶の幸姉は……一言で言ってしまえば『エロい幸姉』だ。それ以上の表現が見つからないな、うん。

 

「そういうのいいから話をしてくれ」

 

「はいはい。じゃあ夜にでもいけないことしようね」

 

「しない」

 

「ええー、京夜の意地悪ー。ま、夜這いするからいいや」

 

 いや、良くないし。今夜は寝たら取られるな。

 何をって、色々だ。

 

「イ・ウーは組織としては壊滅。ただ、残党は散り散りになって逃亡したわ」

 

 いきなり話をするな!

 とは言えなかったオレは、気まぐれな幸姉に渋々合わせて話を聞く。

 

「イ・ウーの壊滅は一見すると良いことのように思えるけど、実際はそんなに甘くないわ。金一も私もそれはわかってたけど、主戦派が主権を握る方が大惨事になることを理解していた。さてさて、ここで問題です。今の世の中に『裏の組織』と呼べる団体はいくつあるでしょうか?」

 

「……そんなの大小含めたら数えきれないだろ」

 

「はい正解。イ・ウーもその裏の組織の1つであることは言うまでもないわね。でも、イ・ウーは圧倒的な力を持つ組織。なにせ国すら滅ぼせる戦力を有してたんだからね。そんな組織があれば、当然裏の組織だって組み入ろうとする。何故なら敵対すれば確実に滅ぶからね。でも教授はどこの組織とも組まず完全中立を保ち続けた。その結果どうなると思う?」

 

「……どの組織もイ・ウーを恐れて面立って動けなくなる?」

 

「そう。だから今まで裏の組織はイ・ウーという抑止力によって他の敵対勢力と『休戦』せざるを得なかった。でも、その抑止力が先日なくなった。これが意味するところは……もうわかるわね」

 

 つまり、イ・ウーが壊滅したことによって、また裏の組織がしのぎを削って争いを始めるってことか。

 ははっ、一難去ってまた一難とはよく言ったものだな。

 これから武偵や警察その他法に準ずる組織は大変な目に遭うわけだ。

 

「序曲の終止線か……。確かに始まるのはこれから、だな」

 

「それ、教授が言ってたのね? ホントに困った人よ、あの老人は」

 

 皮肉にも似た言葉を漏らした幸姉は、それで丁度リンゴを剥き終わって、ひと切れ口にくわえると、考え事をして意識を逸らしていたオレの上に四つん這いで乗っかってきて顔を近づけてきた。

 

「ちょっ!? 幸姉!?」

 

はべはへてはへふ(食べさせてあげる)

 

 ふざけるな! 普通に食うっての!

 と言おうとした矢先、この病室の扉をノックする音が響き、そのまま終わるかと安堵したオレだったが、

 

ふぁい、ふぉふふぉ(はい、どうぞ)

 

 幸姉がそのままの状態で中に通す。

 アホか!? アホなのかこの人は!? アホだったなそういえば!!

 そして扉を開けて入ってきたのは、見舞いに来た小鳥。

 小鳥は今のオレと幸姉の状態を見た瞬間固まり、動かなくなってしまう。

 マズイ。何か言わなきゃ大変なことになる。

 

「あ……あのな、小鳥……これは……」

 

「あ、えと、その、あの、お、お邪魔しましたぁ!」

 

 オレがなんとか弁明を図ろうとしたら、小鳥は噛み噛みの台詞を言い残して扉を閉めて逃走。ちょっと待てぇぇぇい!!

 当然オレは上でクスクスと笑う幸姉を押し退けてダッシュ。

 病院にも関わらず全力疾走する小鳥を追いかける羽目になった。

 それから2人して看護師さんにこっぴどく怒られてから病室に戻り、なんとか誤解を解いてしばらく雑談みたいなことをしていると、突然ノックもなしに綴のやつが押し入ってきて、なんだか見るからに怪しい黒服男を連れてきたかと思うと、お邪魔虫のように小鳥を追い出してしまった。

 

「こっちの黒服は政府関係者。んで、私達が来た理由は大方わかってるはずだし、サクッと終わらせるぞぉ。先生休みなのに駆り出されてイライラしてっから」

 

 そういう私情は言わないでほしい。

 まぁ、理由はイ・ウー関係だろう。今頃キンジのところにも行ってるだろうな。

 それから2日酔いなのかダルそうにする綴を横目に、黒服男はオレと幸姉からイ・ウーに関しての話を根掘り葉掘り聞いてきて、あとの事後処理を自分達がやる旨と、この件に関して他言無用と言い残して本当にサクッと終わらせて帰ってしまったのだった。

 翌日。

 幸姉が無事に退院して部屋に戻っていき、少し寂しくなった病室でくつろいでいたオレは、あまりにも暇だったので、『ある人』を呼んでいた。

 その間オレはノートにある物の設計図を簡単に描いていく。どうせ説明するなら図もあった方がいいしな。

 そう思いながら待ち人を待つこと2時間。

 長いと文句は言わない。あの子は1日中忙しいくらいの人だからな。オッケーしてくれたのが奇跡なほどに。

 

「さるとびくん! おまたせなのだ!!」

 

 そんな声と共に扉を開けて入ってきたのは、我が東京武偵高が誇る装備科の天才にしてアリア並みの幼い体格をした平賀文その人。待ってたぞ、あやや。

 

「悪いな、あやや。忙しいのに呼び出しちまって」

 

「だいじょーぶなのだ! ちょーどとーやまくんからも装備のしんちょーを頼まれたから、いっせきにちょーなのだ!」

 

 言ってあややはオレのそばまで来て備えた椅子に座ると、背中に背負っていたリュックを下ろして中から見覚えのある剣を取り出してみせた。

 これはシャーロックが使ってた剣じゃないか。あいつ持ってきたのかよ。

 それにあややに預けたってことは、自分の使いやすいようにするんだろう。泥棒だな。

 と、キンジの盗人行為はさておいて、あややが来てくれたことに感謝しつつ早速話を本題にして今までノートに描いていたものを見せながら説明を始めた。

 

「連絡した時にも話したけど、新しいミズチの製作を頼みたい。それでこの際だからちょっと改良してほしいんだよな。一応これが付け加えてほしい機構の案」

 

 そう言ってさっきまで描いていたものをあややは目を輝かせながら食い入るように見始めた。

 

「さるとびくんは仕事が早いから助かるのだ! それにミズチは去年さるとびくんの注文通りに作ったらすごい単純な構造になったから、前々から手を加えてみたかったのだ!」

 

 まぁ、オレでも整備できるようにってことで単純な構造を注文したからな。

 常に新しいものを作り出すこの子としては、少々物足りないものだったのかもしれない。

 

「さるとびくん画が上手いのだ! とっても分かりやすいのだ!」

 

「そうか、ありがと。んで、作れそうかな? それ」

 

「問題ないのだ! 既存の製品を盛り込んで作れるくらいなのだ! でもあややはこの画よりもっとすごくてかっこいいのを作れそうなのだ!」

 

「さすが平賀源内の子孫。頼もしいね。報酬は後払いでいいのか?」

 

「足りない部品がいくつか出そうだから、前払いで少し欲しいのだ。さるとびくんは前回奮発して払ってくれたいい人なのだ! だから今回きっちり作るから安心してほしいのだ!」

 

 前回とはミズチの製作の時だが、あの時は仕事分の報酬を払ったつもりだけど、どうやら多かったらしいな。

 それにあややは違法改造などを平気で請け負ってくれる代わりに時々雑な仕事をするので有名だ。

 そのあややの口からきっちり作るからと言われたら喜ぶしかないだろう。

 

「じゃあ前金は退院したらすぐに払うよ。できれば夏休み中に完成させてほしいんだけど、無理かな?」

 

「よゆーですのだ! 他のことやりながらだけど、さるとびくんのは面白そうだから優先しちゃうのだ!」

 

 この子ええ子や……ホンマええ子やで。

 今のあややはオレには天使のように見える。聖母にはどうやっても見えないがな。

 そうしてしばらくオレの描いた新しいミズチの設計図とにらめっこしていたあややは、微調整のためなのか、突然ベッドに上がってオレの足のある位置に崩れた正座で座りテーブルにノートを置きオレに質問しながら描き加えをしていく。

 本当に手抜きなしで作ってくれるんだなぁと思いながら、黙々と無邪気な笑顔で設計図を描いていくあややを見ていると、なんだか和む。

 こう、子供がお絵描きに一生懸命になってるみたいで可愛い。

 まぁ実際はオレと同い年の女子が専門用語や使う材料をどんどん描き加えていってるわけだが。

 しかしあれだ。ずっとあややを観賞してるのも変なので、とりあえず沈黙だけは避けようと話題を探してみる。

 

「そういえばあややってさ、誰かと付き合ったこととかあるのか?」

 

「ないのだ! あややのこいびとは昔からこれなのだ!」

 

 オレの普通なら答えにくい質問にも即答したあややは、自慢気に描いていた設計図をオレに見せてくる。

 昔からこんな感じなんだな、あややは。

 

「じゃあ、その恋人以外と付き合おうと思ったことは?」

 

「あんまりそーゆーことは考えたことないのだ。頭はいつも新しいアイデアでいっぱいなのだ!」

 

 つまり恋愛に現を抜かしてる余裕はないってか。可愛い見た目でバリバリのキャリアウーマンとはね。

 

「でもあややは彼氏には割安で仕事とか請け負ってくれたりしそうだな」

 

「それはなってみないとわからないのだ!」

 

 ほほう。そいつは面白そうだ。ちょっと揺さぶってみるか。

 あとでちゃんと土下座するのを神に誓って。

 

「じゃあ、それを確かめるためにオレと付き合ってみないか?」

 

 ぴろりろりーん!

 オレがそう言った瞬間、病室の扉付近からそんな電子音が聞こえてきて、固まるあややを横目に恐る恐るそちらに視線を向けると、そこには携帯のカメラを向ける我が悪友、理子の姿が。

 

「キョーやん……理子というコイビトがいながら、理子よりロリなあややに手を出すなんて……酷いよぉぉぉぉおお!! キョーやんのロリコーン!!」

 

 そうして理子は泣きながら逃走。あれ絶対に嘘泣きだけど……いかーん!! あいつ確実に言いふらす! しかも察すると、間違いなく動画。写メなんて撮っても仕方ないし、そう考えないと納得がいかない。

 そう思ったオレはベッドから飛び出て理子の捕獲を開始。

 情報が漏洩する前に証拠を隠滅する!

 

「ぬおぉぉぉぉぉおおお!!」

 

 病院にも関わらず2日連続で廊下を全力疾走する羽目になったオレは、なんとか病院を出る前に理子を捕獲。

 また看護師さんにこっぴどく怒られてから病室に戻り理子の携帯を没収。

 そして未だに固まっているあややには深いふかーい土下座をして告白が冗談だったと説明しながら、理子にもついでに説明。

 もう悪いことはしません絶対。

 

「やっぱりねー。キョーやんは理子にゾッコンラブだから心配してなかったよ」

 

「誰がゾッコンラブか。ホントごめんな、あやや。お詫びと言っちゃなんだけど、報酬は上乗せしとくからさ」

 

「気にしないで欲しいのだ。ちょっとビックリしただけで怒ってはいないのだ。でも貰えるものはしっかり貰うのだ!」

 

「お金で解決とかキョーやん汚いね」

 

「あややが良いって言ってんだから横から口出すなよ。あ、ついでとかじゃないけど一応言っとくな。あややは可愛いぞ。これはホントだ」

 

 未だ土下座をしたままだったオレは、最後にそれだけ言って頭を上げて笑顔を向けると、あややもいつもの笑顔でオレを見てくれた。

 

「ありがとうなのだ! 嬉しいのだ! でもあややはお邪魔虫みたいだから退散するのだ! 帰ったら早速作るから、楽しみにしててほしいのだ!」

 

 そう言ってあややはベッドから下りて置いていたリュックを背負うと、軽快な足取りで病室を出ていったのだった。

 

「あややに何の注文したの? キョーやん基本的にあややと無縁な装備だよね」

 

 2人になってから理子はオレにあややが来ていた理由について聞いてきたので、素直にミズチのことを話すと、理子もそれには納得。

 新たな改良を施すことにも疑問はないみたいだ。

 

「とりあえずさっきの誤解が解けたなら、撮った動画を消して欲しいんだが?」

 

「あいっ! キョーやんはもう少し携帯を使いこなす努力をしよーよ」

 

 理子のいい返事を聞いたオレは、取り上げていた携帯を理子に返して証拠隠滅を完了させる。

 自分ではどうやって動画を消すのかもわからんからな。だが余計なお世話だ。

 携帯を使いこなせないからといって世の中生きていけないわけじゃないし。

 

「教授を殴ったらしいな」

 

 パチンと携帯を閉じてポケットに入れた理子は、それでスイッチを入れ換えたように口調を変えてオレにそんな確認をしてきた。

 

「1発だけな。そのあとは反撃受けてやられたし」

 

「いや、あの教授に一撃入れただけでも勲章ものだぞ。キンジと協力したとしてもできることじゃなかったはずだ。つまりお前は教授の条理予知を上回る『何か』をしたはず」

 

 理子のそんな問いかけにオレも思うところがあったため、その時の状況を冷静に分析してみた。

 

「……身体が勝手に動いた、な。たぶんそれがシャーロックの条理予知を狂わせた」

 

「……京夜、それは自分を守る時に動いたのか? それとも相手を倒す時に動いたのか?」

 

「守る時だな。たぶん防衛本能の一種だろう。脊髄反射だからコントロールもくそもないし」

 

「お前は何を言ってるかわかってるのか? 脊髄反射なんてせいぜい熱いものを触ってすぐに放してしまうくらいのものだぞ。自衛にしても両手で顔を覆うくらいが限界。とてもじゃないが、迫る脅威に対してピンポイントな防衛なんて出来ない。不可能なんだよ」

 

「……何が言いたい?」

 

「京夜のそれは『条件反射』だ。脊髄反射は先天的な反射だが、条件反射は訓練などで身に付く後天的な反射だ。あたし達武偵が何かあると自然と銃に手が伸びるのと同じもの。お前、いったいどんな生活してきたんだ? 自己防衛の反射なんて命の危機でもない限り身に付かないぞ」

 

 言われて昔のことを思い出したオレは、少年期のトラウマが蘇ってきて途端に顔から血の気が引く。

 その様に理子も思わずいつもの理子になって心配してきた。

 

「そんなに嫌な思いをしたんだね。思い出させちゃってごめんね、キョーやん」

 

「……大丈夫、気にするな。それに嫌な思い出ってわけでもないし」

 

 まぁ、実際あれのせいで何度も死にかけたから、良い思い出でもないが。

 

「それで、何が目的だったんだ? ただの興味本意だけでこんなことは聞かないだろ」

 

 持ち直したオレは、話を本筋に戻しつつ理子の目的を単刀直入に聞く。

 

「キョーやんがこれからも理子やジャンヌ、キーくんやアリアと一緒にいるなら、確実に危険な目に遭うよ。だから教授に一撃入れた力は確実にキョーやんの武器になるって思ったから、そのための確認」

 

「心配してくれたのか?」

 

「心配くらいするよ。キョーやん理子より弱いし」

 

 うわっ、傷つくなぁ。

 だがまぁ、直接の戦闘能力なら確かに理子より下かもしれない。

 

「優しいんだな、理子は。いや、最初から知ってたけど、ありがとな」

 

「……キョーやんは理子がリュパンの子孫だってわかってからも変わらずに『理子』として見てくれたから、お礼を言うのは理子の方だよ。ありがとね、キョーやん」

 

 理子はそう言って顔を少し赤くしながらお礼を言ってきた。

 オレもなんだか照れ臭くて少し俯いてしまう。

 

「……眼帯、いつ取れるんだっけ?」

 

 なんだか会話しにくい空気になってしまったため、この空気をどうにかしようと話題を探したオレは、先日パトラの呪いで眼疾を患って今もその目に眼帯をしてる理子の顔を見ながらそんな質問をした。

 

「来週には取れると思う。キョーやんも来週には退院なんだよね。お揃いだね! やふー!」

 

「そっか、来週にはまた理子の可愛い顔が拝めるわけか。そりゃ楽しみだ」

 

「むふふ、キョーやんってば正直なんだからっ! そんなに理子のこと好きならいっそのこと付き合おうよ。理子はいつでもオッケーだよ」

 

「いや、それはお断りだ。理子とは今まで通り付かず離れずな関係でいないとお互いにらしくなくなると思うんだ。というか理子と付き合ってるオレの姿が想像できない」

 

 理子との関係は今のままが一番良い。お互いにバカ言い合ってイタズラして……そんな関係が……

 

「……キョーやんはさ……そろそろ前に踏み出した方がいいよ? キョーやんの気持ちってさ、ずっと同じとこで立ち止まってる」

 

 ん? 何の話を……

 オレの返答を聞いた理子は、突然何を思ったのかそんなことを言い出して少し暗い表情でオレを見る。

 

「ゆきゆきは、きっとキョーやんのこと好きだよ。たぶん世界一大切な人なんだと思う。キョーやんだってゆきゆきが好きで、でもその気持ちをずっと胸の内に秘めてる。イ・ウーでゆきゆき言ってた。『京夜は私の傍にずっといてくれた。でもそれは同時にあの子の自由を私が奪ってしまってる』って。正直に言うとね。理子はキョーやんのこと東京武偵高に来る前からゆきゆきに聞いて知ってたの。だからキョーやんに近付いたのは意図的。もっと言えば、理子の将来の手駒として使えるかどうかを品定めしてた。あのゆきゆきがずっと手元に置いていた駒なら、ハズレではないって確信してたから」

 

 そうやって淡々と話す理子は、今まで溜め込んでいたものを一気に吐き出してるようで、オレはただ聞くことしかできない。

 

「結果は当然アタリ。あとは飼い慣らせばいいだけ。そう思ってた。ほら、理子ってかわゆいから、キョーやんもすぐオトせるって踏んでたの。でもキョーやん、最初から理子と……ううん、キーくんや他のみんなとも壁を作ってた。根っこの部分を必死に守ってる感じがして、それは今も変わらないかも。でも、ゆきゆきといる時のキョーやんは、すっごく自然で、それと同時に自分を抑えてるのもわかった」

 

「……理子?」

 

「理子ね、ゆきゆきが羨ましかった。キョーやんにこんなに想われてて、誰よりもキョーやんの近くにいるゆきゆきが羨ましかった。でもキョーやんとゆきゆきは絶対に結ばれない。そんな恋愛しても意味ないよ! 叶わない恋をいつまでもするより、理子と新しい恋、しよ?」

 

 理子はオレに聞きたくなかった事実を突きつけながら、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 

「理子ね、本気の恋愛ってしたことないんだ。だから京夜が初めてなんだよ?」

 

 ささやきながら確実に顔を近づけてくる理子に、オレは返す言葉も見つからず動くこともできない。

 そうしてオレと理子の唇が重なりそうになった時、病室の扉が静かに開き、そこには小さな見舞い用の花束を持ったジャンヌが。

 

「あ、いや、すまない。これは私の落ち度だ。ノックもせずに部屋に入った私が悪い。みなまで言わなくていい。私は見なかったことにしてここから立ち去る。だから続きをしてくれて構わない。邪魔したな」

 

 ジャンヌはオレ達を見て少し顔を赤くしながらそう言って花束だけ床に置いてパタン。

 すぐに扉を閉めて退場していった。

 

「ちょおおぉぉぉぉおっと待てぇぇぇぇえい!!」

 

 そうしてオレは通算3度目となる廊下全力疾走をする羽目になったのだった。

 それから3日間、オレは廊下を走る元気があるならと言う名目で、病院で問題児としての扱いを受け、面会謝絶の下、少し早くに退院することになったのだった。

 そして、退院までの暇な時間、理子に言われたことがずっと胸の中でモヤモヤしていて、オレはその事しか考えられなくなっていた。

 オレと幸姉は絶対に結ばれない、か……



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Bullet28

 8月1日。

 半ば追い出される形で退院したオレは、所々に包帯を巻いたまま装備科の専門棟に来ていた。

 理由は単純明快。新しいミズチを製作している平賀文ことあややに頼まれた前金を払うためだ。

 装備科棟内はいつも銃器やらなにやらがずらららら! と廊下の左右びっしりに置いてある棚に並んでいて、いかにも装備科らしい風景。

 そこを通ってあややの作業部屋まで行ったオレは、相変わらずよくわからないものが乱雑に積まれた物置のような室内を進み、無事にあややに前金を渡し終えて任務完了。

 前金を確認したあややはいつもの調子で「毎度ありなのだー!」と言ってオレを見送り再び作業に戻り、オレはそのあと予定も特になかったのでさっさと部屋に戻ることにした。

 ――ピリリリリ!!

 男子寮に戻る道中、携帯に着信があり誰かと確認すると、相手は小鳥。

 そういえば入院中は面会謝絶にされた上、ずっと携帯の電源切ってたから退院して初めての着信だな。

 などと思いつつ通話に出ると、小鳥は第一声で「やっと繋がった!」と言ってから捲し立てるように話をし出した。

 

『あのですね! とっても急なお話で悪いのですが実は今日私の……』

 

 小鳥の言葉をそこまでちゃんと聞いて歩いていたオレは、前方に立ち塞がるように立つ1組の男女を視界に捉えて歩みを止める。

 学園島にいるにしては少々年齢的に大人なその2人ーー見た目からだいたい父母の年齢ーーは、明らかにオレを見ていて、その視線に気付いたからオレも歩みを止めたわけなのだが、

 

『……あの、京夜先輩聞いてますか?』

 

 携帯越しにそんな小鳥の声を聞いて少しだけ意識をそちらに持っていくが、どうやらよくない雰囲気だ。

 オレのカンがそう言ってる。となると今は小鳥と話してる場合ではない。

 

「すまん小鳥。話ならあとで聞くから、今は……!!」

 

 小鳥にそう話した瞬間、オレは背後に何かの気配を感じてチラッと視線を後ろに向ける。

 ドーベルマン。

 番犬などで知られる比較的大きな犬種。

 豪邸の庭なんかにいるイメージが強いあの犬が、オレの背後数メートルの位置に立っていた。

 見た感じで明らかに軍用犬か何かの訓練を受けている。

 退院早々からろくな目に遭わない自分の不幸を呪いながら、オレは小鳥との通話を切って携帯をポケットに入れてから、前にいる人物達に話しかける。

 

「オレに何か用ですか?」

 

 第一声でそんな質問をしたオレに対して、女性の方が最初からさしていた日傘をくるくると回しながら笑みをこぼす。

 女性は身体のラインがわかる肩を露出したドレスを着ていて、その上からストールを羽織っている黒髪長髪の綺麗な人で、対してオレに凄い睨みを効かせてくる男性の方は黒のタキシードにツンツンした茶髪、顎に携えたダンディーな髭が特徴のガッチリした体格。おそらく相当鍛えてる。

 

「うふっ、猿飛京夜さんで間違いありませんね?」

 

 続けて女性は笑みを崩さないまま確認するようにそんな問いかけをしてきたため、オレは警戒しながらも首を縦に振る。

 

「そうですか。ありがとうございます。私は『今の』で十分ですけど、あなたはどうですか?」

 

 確認を終えた女性は、隣に立つ男性にそう話して返答を待つ。

 

「この程度、武偵なら気付いて当然だろう」

 

 おっと、なにやら不穏な香りがしてきた。さらに後ろにいたドーベルマンがオレに近づいてくる。

 警戒しながらドーベルマンを横目にいつでも逃げられる態勢をとり、前にいる2人からも目を離さない。

 しかしドーベルマンはオレの警戒とは裏腹に、軽快な足取りで横を通り過ぎて、日傘をさす女性の傍らにちょこんとお座りをしてみせた。

 この人達、何が目的なんだ?

 

「というかな、オレは『娘』をたぶらかしたあの小僧を最初から認めるなんてこと、死んでもできないんだよ!!」

 

 ……はて、『娘』っていったい誰のことを……

 などと考えを巡らすより早く男性はアスリート並みのダッシュでオレに突撃してきて、オレはそれに驚きつつも逃げるように走り出した。

 

「京夜さん、死なないように逃げてくださいね」

 

 逃げるオレに対して、落ち着いた口調でそう言った女性は、オレを追いかける素振りを見せずに呑気に手を振っていた。

 どういうわけかは知らないが、とにかくこの追いかけてくる男性に捕まったら最後、命がないことが理解できたオレは、まだ治りきってない身体に鞭を打って学園島で逃走を開始したのだった。

 ったく、何なんだよこの状況は!!

 しかし不幸中の幸い。ここは学園島。

 冷静に考えればオレにとってはホームも同然であることから、最初は簡単に撒いて男子寮に戻れると思っていた。

 だが現実はそんなに甘くはなかった。

 曲がり角という角を幾度も使ってあの男の視界から完全に消えているはずなのに、ものの数十秒で捕捉し直して、その無限なのかと疑うスタミナとダッシュ力で追跡してくるのだ。

 しかも顔が合う度にこめかみに浮き出る血管が増えていく。軽いホラーである。

 

「逃げんなやガキぃぃ!!」

 

 どっかのヤクザですかあなたは!?

 そんな鬼の形相で追いかけてくる人見て逃げないヤツがいるか!

 オレの後ろをピタリとマークする男はそんな威圧的な言葉を飛ばしながらジリジリとその距離を詰めてくる。

 第一、オレには追われる理由がよくわかっていない。それなのに捕まったら殺されるとかなんの冗談かと疑いたくなる。

 だがしかしだ。この状況も時間が経つと案外慣れてくるもので、一時的に隠れてやり過ごしてる間に色々と考えるだけの余裕ができてきた。

 まずは今のオレは退院したばっかりで装備が皆無。あるのは携帯とクナイ1本。

 とてもじゃないが肉弾戦であんな人とやり合う気にはなれない。

 となると解決策はあの人が言っていた「娘をたぶらかした」という言葉の意味。

 いや、言った通りなんだろうが、オレには全く心当たりがない。

 第一、女子でまともに話をしてるのは頭に浮かんだだけで指で数えられるくらいだ。

 その中でまず幸姉はない。あの人の両親は知ってるし、現真田の当主と妻だ。

 次に消えるのはジャンヌ。

 あの2人はどこからどう見ても日本人。生粋のフランス人であるジャンヌの親であるはずがない。

 そして理子もあり得ない。理子の両親はすでに他界してるからな。

 そうなるとあとは後輩連中とアリア、白雪、レキくらいなんだが……

 

「見つけたぞ小僧!!」

 

 と、もう見つかったか。

 というかさっきからどうやって捕捉し直してるんだこの人。

 オレなりに工夫して目撃者含めて情報撹乱してるんだが、聞き込みとかではないのか?

 などと男の能力を探りながらまた走り出したオレは、このままでは捕まるまで続きそうなのを確信したため、ダメ元でもとりあえず男と話をしてみようと思った。もちろん走りながら。

 

「すいません、追われる理由がわからないのですが、とりあえず名前だけでも教えていただけませんか?」

 

「とぼけやがって! てめぇがうちの可愛い1人娘をたぶらかしたおかげで、こちとら数少ない親子の会話でお前の話聞かされるはめになってんだよ!」

 

 それオレが悪いのか?

 話なんてその子が勝手にしてるだけで、別にオレが家族に話してくれって頼んだわけでもないし。

 

「てめえ!! 今『オレは悪くなくねぇ?』とか考えただろ! そもそもてめぇが娘と知り合わなきゃこんなことにならなかったんだよ!!」

 

 エスパーかこの人……というかあんな怒鳴りながら走ってるのに息ひとつ乱さないとか人間離れにもほどがある。

 

「あのぅ、やっぱりオレには身に覚えがないので、あなたのお名前を聞かせてもらえませんか?」

 

吉鷹(よしたか)だ!!」

 

「あの、名字は……」

 

「教えるかバカが! それに名前って言ったのはてめぇだろ!」

 

 大人に屁理屈言われた。

 名字から誰の親かわかると踏んでたが、失敗か。

 だがまぁ、1人娘ってことはアリアと白雪は除外だな。確かアリアにはメヌエットとかいう妹がいたはずだし、そもそも母親のかなえさんと面識があり、白雪には下に6人の妹がいるはず……とか考えてる間に距離が詰まってた!

 そうしてオレはまたくねくねとあっち行ったりこっち行ったりしながら吉鷹さんの追跡から逃げ続けるのだった。

 吉鷹さんと命懸けのおいかけっこを始めて1時間が経過。

 さすがのオレもそろそろスタミナが危うくなってきた。

 一応あの幸姉のハチャメチャ具合に合わせるために体力は衰えさせないようにしてたんだが、やっぱりあの人化け物だ。

 オレより歳上であの無限のスタミナは恐ろしい。

 そうして何度目かわからないオレと吉鷹さんのインターバルと言う名の潜伏&捕捉タイム。

 今度はアリア達以外の容疑者――言い方はおかしいが――を頭に浮かべる。

 レキ。こいつはないな。

 まず親がいるかもわからんし、定期的に連絡し合うような子ではないだろう。

 それに親と仲睦まじい会話を楽しむレキの姿が想像できない。

 となるとあとは後輩。

 んーと、貴希……はどうだろうな。保留としておくか。

 んで……他に話したことある後輩は……島麒麟(しまきりん)か。

 あれはない。男嫌いだし理子の戦妹だった頃に凄い嫌われてたからな。というか姉が同学年にいたな。

 あとは風魔と間宮くらいか。

 風魔は知らんが、間宮とはまともに話したのは2、3回だし、アリア一筋みたいだからこれもなし。

 

「死ねやガキぃぃぃ!!」

 

 そこでため息を吐いた瞬間、オレはそんな声に反応して真上を見ると、そこからは建物の高所から飛び降りてきた吉鷹さんが血眼で迫ってきていた。

 わざわざ声出してくれるのはありがたいが、オレが接近に気付かないと言うのも妙な話だ。

 ここまでの接近を気付かず敵に許すのはここ何ヵ月かなかったことだ。

 何か洗練されたものを感じる。本当に何者だよ。

 思いつつも、冷静に吉鷹さんを避けてまた逃走を始め、ちょっとずつでも問題を解決していく。

 

 あっ、そうだ。

 吉鷹さんから話が聞けないなら、『もう1人の方』に聞いてみればいいのか。

 走りながら思い至ったオレは、迫る吉鷹さんを撒きつつ、おいかけっこを始めた最初の地点目指して走り出した。

 目的の人物はすぐに見つかった。

 吉鷹さんと一緒にいた女性。その人はスタート地点のすぐそばにあったベンチに腰を下ろして、足下にドーベルマンを座らせて楽しそうに日傘をクルクルと回していた。

 オレが警戒しながらも近づいていくと、女性は遊んでいた日傘をピタリと止めオレを笑顔で見てきた。

 

「だいぶ早かったわね」

 

「……オレが来るのを予測してた?」

 

「あの人ではお話にならないとわかれば、好戦的ではなかった私に自然と辿り着くのではないですか?」

 

 にっこり笑顔でそう話す女性からオレは、落ち着いた物腰とは別に最近体験したことのあるものを感じた。

 あの人ほどのものじゃないが、実に卓越した『推理力』だ。

 

「お名前をうかがってもよろしいですか? できればフルネームで」

 

「それは教えたら面白くないわ。あなたも武偵なら辿り着いてみて。そのための情報はすでにあなたには与えられている。でもそうね。名前くらいは……英理(えり)って言います。よろしくね」

 

 ……面白くないとか、この人も期待したより頼りにならないらしい。

 さて、どうしたもんかね。

 

「ですけど、あの吉鷹さんからここまで逃げおおせた人はここ最近では京夜さんくらいしかいませんよ。さすがは娘の認めた人と言ったところですね」

 

 頭を悩ますオレの様子を見た英理さんは、クスクスと笑いながらも話がしたいのか、オレにそんなことを言ってきた。

 娘が認めた? あれ? なんか今のでなんとなくわかったぞ。

 

「あら、少し言い過ぎてしまったかしら。それでは私は行きますね。のちほど『また』お会いしましょう」

 

 何かに気付いたオレの表情を見て英理さんは少し慌てた様子で立ち上がり、しかし落ち着いた物腰でそう言ってまた日傘をもてあそびながらドーベルマンと一緒にどこかへと歩いていってしまった。

 なんだかあの人にオレを見透かされてるみたいで少々怖いが、悪い人ではなさそうだ。

 

「ガキぃぃぃ!! ちょこまかしてんじゃねえぞ!!」

 

 おっと、もう見つかったか。

 だがまぁ、誰の親かは特定できたから、あとはあの人をどうにかして止めればこの件は終わりだろ。しかしどうしたら止まるんだあの人。

 とりあえず考えがまとまるまでは捕まるわけにはいかない。

 そうなるとまだこのおいかけっこは続く。それに吉鷹さんの能力がまだ不明だ。

 

「……いや、不明じゃないな」

 

 走りながらオレは『あの子の能力』を思い出す。

 最近は日常的に見ていたあの不可思議な能力を。

 そうしてまた吉鷹さんを振り切って身を隠したオレは、そこであの子が話していたことを思い出しながら自分の遥か頭上、青色が広がる空に目を向けた。

 今日は雲も少ない快晴。夏も本格的に始まって容赦ない陽射しがオレを照りつける中、オレはその空にあるものを見つけた。

 姿こそはっきりとわからないが、少なくともこの辺りを飛んでいるはずがない鳥。

 おそらくは鷹の一種がオレの遥か頭上を飛んでいた。

 

「動物と意志疎通ができる。改めて考えるとスゴい能力だよな」

 

 あの鷹がオレの位置を常に吉鷹さんに教えて、捕捉できたってわけだ。まさにリアル『鷹の目』。

 武偵用語ではあるが、要は監視である。オレの位置情報は初めから筒抜けだったってこと。

 おまけにあっちは『現役の探偵』だ。尾行術だって当然心得があるし、依頼解決には推理力も求められる。謎はすべて解けた!

 と、どこかの少年探偵の台詞が頭に浮かんだところで、オレはまた吉鷹さんに見つかる前に行動を開始。

 向かう先は探偵科棟。正直あんなことがあったあとに会うのは気まずいが、なりふり構ってられない。

 探偵科は今日、0.2単位分の補講があるとさっき走り回ってる時に教務科の掲示板で確認したから、不真面目なオレの悪友なら確実にいると踏んでいた。

 案の定、探偵科棟内には補講が終わって帰ろうとする悪友、理子の姿があった。

 

「おお、キョーやん! そんな汗だくでどしたの?」

 

 良かった。いつも通りに接してくれた。これならオレも気が楽だ。

 

「ちょっと面倒なことになってな。理子の力を借りたい」

 

 会って早々にそう言ったオレに対して、理子は首を傾げながらも怪しい笑みを浮かべて話を聞いてくれた。

 しまった……理子への協力要請はハイリスクハイリターンだった……こりゃあとでろくでもない要求をされるな。

 そうして打ち合わせをしたオレと理子は、2人で探偵科棟を出て、仲良く話をしながら歩いていく。

 当然出入り口で待ち伏せていた吉鷹さんが、待ってましたとばかりに近寄ってくる。

 

「ようやく観念したかこの野郎が!」

 

「キャー!! ストーカーだよぉぉ!」

 

 そんな吉鷹さんに対して反応したのは理子。

 理子は話しかけられた瞬間にそんな大音量の声をあげてオレの後ろに隠れる。

 それには帰宅を開始していた周りの武偵も反応する。

 

「いや、あの、お嬢ちゃん!? オレはこの男に……」

 

「いやぁぁあ! 拐われるぅぅ! 犯されるぅぅ!!」

 

「おかっ!?」

 

 さすがにやりすぎだ理子。

 だが理子のそんな声に反応した武偵達が一斉に吉鷹さんに銃を向けて制圧にかかる。

 数にして十数人。いくら吉鷹さんでも多勢に無勢ではどうしようもないだろう。

 予想通り吉鷹さんは大勢の武偵により一瞬で無力化され、そのまま教務科へと運ばれていった。

 これで吉鷹さんは止められたかな。だが、

 

「犯されるは言い過ぎだ。あとで謝れよ」

 

「あれくらいやんないとみんな危機感を感じないよぉ。それよりあの人ホントに『ことりんのお父さん』なの?」

 

「間違いないだろ。ほらあれ」

 

 吉鷹さんを見送りながら先ほど話したことの確認をしてきた理子に、オレはその頭上を見るように促す。

 そこには吉鷹さんの頭上をピタリとついていく鷹の姿があった。

 

「おお! 鳥使いだ! ことりんとおんなじぃ!」

 

「それじゃ吉鷹さんの釈放もしなきゃなんねぇし、オレの部屋行くぞ。ついてくるだろ?」

 

「いくいくー! ことりんのお母さんにも会いたーい」

 

 そうしてオレと理子はいつもの調子で話しながら男子寮へと向かっていったのだった。

 

「あら、ずいぶん早い到着だったわね。やっぱりヒントを与えすぎちゃったかしら」

 

 オレの姿を確認した英理さんは、オレの住む男子寮の前にいて、その横には何故か幸姉もいた。

 どうやら仲良く話でもしていたらしい。波長が合いそうだもんな、この2人。

 

「うわー、この人がことりんのお母さん? 若ーい!」

 

「ふふっ、ありがとう。あなたは……京夜さんのお友達? それとも彼女さんかしら」

 

「おお! ことりんのお母さんなかなかするどーい。理子りんはキョーやんの彼女で……イタッ!」

 

 笑顔で嘘を吐く理子に対して頭にチョップを降り下ろしつつ、オレは簡単に理子の紹介を『正しく』してから、話を本題に切り替える。

 

「えっと、吉鷹さんは止まりそうになかったので、ちょっと強引に教務科へ連行させてもらいました。冤罪なんですぐに釈放になると思いますけど、すみません」

 

「気にしなくていいわ。あの人も少しやりすぎだったし、反省させるために今日は大人しくしててもらいましょ。そんなことより小鳥ったら困った子よね。両親に内緒で男の人と『同棲』してるなんて」

 

「小鳥のやつ、英理さん達に話してなかったんですか? それは吉鷹さんも怒るのは当たり前ですよ。ああ、それと小鳥には何もしてませんので!!」

 

「あら、吉鷹さんはまだその事を知りませんよ? あの人が怒ってたのは小鳥に悪い虫がついたことに対してです。あ、私は京夜さんのことは先ほど認めさせていただきましたから、その件は気にしてません。同棲どんとこいですよ。ふふっ」

 

「ん? じゃあ英理さんは何でここに来られたんですか? 小鳥が話してないなら、あいつが住んでる女子寮の方で待ち合わせとかしてるんじゃ……」

 

「あ、確かにそだね。ゆきゆきが教えたの?」

 

「私は何もしてないよ。知り合ったのも今さっきだし。ねっ、英理さん」

 

「ええ、幸音さんとは今さっき。確かに小鳥には女子寮の方で待ち合わせと言われたんですけど、あの子ダメね。メールに『女子寮の前で待ってる』って書いたのよ? 女子寮に入れたのは私達なんだから、わざわざ『女子寮』なんて書かなくてもわかるわよ。だったら戦兄である京夜さんの住居が怪しくなるじゃない?」

 

 この人やっぱり凄いな。娘の隠し事を正確に見抜いて今ここにいるわけか。

 

「じゃあ小鳥はいま女子寮の方に?」

 

 英理さんの卓越した推理に感心しながら、小鳥が今頃待ちぼうけを食らってる様を想像しつつ問いかけると、英理さんはニコッと笑ってから男子寮の中へと歩き始めてしまった。

 

「申し訳ないのですけど、呼び戻していただけるかしら。ちょっとしたサプライズ。立ち話もなんだし、お部屋に案内してもらえるかしら?」

 

 そんなこんなで英理さんに完全に場を掌握されたオレ達は、言われるままに部屋へと足を運んで小鳥の到着を待つのだった。

 ここ男子寮なんだけどな……

 

「お、お母さん!? なんで……」

 

 オレの呼び戻しですぐに帰ってきた小鳥は、部屋に入って早々リビングで美麗と煌牙を触ってくつろいでいた英理さんを発見して驚きの声をあげ、そのあとぺたりと床に座り込む。

 

「待ち合わせは女子寮の前って言ったのに……」

 

「小鳥が京夜さんの部屋で同棲してることを隠すから悪いのよ? それにしてもこの子達可愛いわね。京夜さん、一緒に連れていったらダメかしら」

 

「それはちょっと。美麗達もそんな顔してますし」

 

「なんでお母さんにバレたのぉ。必死に隠したのにぃ」

 

「あ、京夜さん、今日はこちらで宿泊させてもらいますけどよろしいですよね?」

 

「お母さん! 会話が成り立ってないよ!」

 

 なんだか小鳥は英理さんに振り回されてるな。

 たぶんいつもこんな感じなんだろうと直感的に理解しながら、オレはガヤガヤと騒がしくなったリビングから離れてダイニングテーブルの椅子に座っていた。

 

「まぁベッドは1つ空いてますから問題はないですけど」

 

「はいはーい! それなら理子りんも泊まるー!」

 

「今言っただろ。ベッドは1つしか空いてない。却下だ」

 

「そこは問題ないよ。理子りんはキョーやんのベッドで一緒に寝るから! くふっ」

 

「ならオレはソファーで寝る」

 

 そう言うと理子は頬を膨らませて抗議してくるがスルーだ。

 

「大丈夫ですよ。私は小鳥と一緒のベッドで寝ますから安心してください。それより今夜は皆さんでパァーッとやりましょうか。これでも稼いでますから費用は全部持ちますし、小鳥がいつもお世話になってるご恩返しもしたいので」

 

 それを聞いた瞬間、幸姉と理子は一気にテンションMAXに。

 これでもかと言うくらい英理さんを持ち上げてワイワイし出すが、オレが小鳥の戦兄なんだけど……

 それからみんな揃って買い物へと向かい、アホかというほどの食材を買って帰ってきてから、橘親子がせっせと調理を開始。

 オレと幸姉、理子はその間美麗達と戯れたり、英理さんのドーベルマン――ハヤテというらしい――を触ったりして時間を潰していった。

 そうして料理が出来上がった頃には丁度時間も午後6時過ぎとなり、リビングテーブルに和洋中色とりどりの料理が並べられて、それをみんなで囲む。

 傍らには美麗達の分の料理もちゃんと置いてあって、初めての豪華料理に美麗と煌牙はよだれがだらだら。

 さすが世界を飛び回る探偵。料理のバリエーションが半端じゃない。

 

「それじゃあいただきましょうか」

 

 みんなが席に着いたのを確認した英理さんは、コップに注がれたビールを持ちながらみんなにジュースを持つよう指示して乾杯の音頭をとる。

 

「それでは……えっと、日頃小鳥がお世話になってますパーティーを始めまーす! カンパーイ!」

 

「ちょ!? お母さん!!」

 

 そんな小鳥のツッコミは軽く無視して乾杯したみんなは、ジュースをグイッと飲んでから一斉に料理に手をつけていく。

 幸姉は一応成人してるからビールを飲んでるけど、大丈夫だろうか。

 不安的中。

 幸姉はパーティー開始から英理さんに合わせて缶ビール4本とワインを1本飲んで完全にグロッキー状態に。頻繁にトイレへと足を運んでいた。

 対して英理さんはインターバルなしに次々にお酒を飲んでいて、全く酔ってる気配がない。酒豪なんだなこの人。

 そうして盛り上がる室内。

 さすがに夏本番ということもあり熱気がこもるため、換気のためにベランダの窓を開けると、そのベランダの手すりに全長60センチくらいの鷹が留まっていた。

 その鷹に驚いていると、中から小鳥が近寄ってきてひょいっと顔を出しその鷹を見て笑顔になる。

 

小町(こまち)!! 久しぶりだねー!」

 

 小鳥はそう言ってから鷹に手を伸ばして腕に飛び移させると、オレに紹介してくる。

 

「この子はモモアカスリ……ハリスホークの小町です。お父さんの相棒なんですけど……小町、お父さんは?」

 

 ああ、あの吉鷹さんの鷹か。

 ってやべぇ。まだ小鳥に吉鷹さんのこと話してない。

 

「小鳥。お父さんは今日は近くの宿泊施設に泊まるらしいのよ。明日にでも顔くらいは見せるから安心して」

 

 何やら小町と会話しそうになった小鳥を制するように英理さんがそう言うと、小鳥はそうなんだとすぐに納得。

 どうやら小鳥と英理さんの居場所を確認しに来ただけらしい小町は、それからすぐに夜の空に消えていった。

 楽しいひとときはすぐに過ぎるもので、気付けば時間も午後11時を示していて、現在オレと理子はグロッキー状態の幸姉を介抱しながらリビングのソファーでくつろいでいた。

 そして小鳥と英理さんは寝室でおやすみ中。

 

「キョーやん気を遣ったでしょ?」

 

「理子もだろ? 家族だけで話したいこともあるさ。仲良さそうだもんな」

 

「ちょっとだけ、ことりんが羨ましいなぁ。理子はもうお母様とお話もできないし」

 

「……オレにクサイ台詞を期待するなよ」

 

「してないよ。でも優しい言葉くらいかけてくれてもいいのにね」

 

 そう言われてオレも寂しそうにする理子に少し思うところもあり、

 

「……オレが話し相手くらいにはなってやる。だから理子はできるだけ笑ってろ。その方がオレも嬉しいからよ」

 

 うわっ、クサっ! 恥ずかしいぞこれ! 今すぐ理子の前から消えたい!

 そう思いながら赤くなってるであろう自分の顔を理子から背けつつチラッと理子を見ると、理子も顔が赤い。

 もうやだこの空気!

 

「……ありがとね、キョーやん」

 

「……おう」

 

「なに甘酸っぱい恋愛してんのよ。私がいるんだぞ?」

 

 そんな空気を壊したのはソファーでぐったりしていた幸姉。た、助かった。

 

「京夜ぁ、水ちょうだい。まだ気分悪い」

 

「飲めないのに無理するからだろ。ちょっと待ってろ」

 

 オレはそれでキッチンへと移動して水を汲みに行ったのだが、その時チラッと見せた幸姉のなんとも言えない表情が気になった。

 まるで何かを決断したような、そんな表情だった。

 結局その日はリビングのソファーで一夜を明かしたオレ達は、翌日早くから飛行機で海外に行くという英理さんと吉鷹さんを見送るため、学園島の出入り口に来ていた。

 去り際、英理さんはオレの側まで寄ってきて一言。

 

「娘のこと、これからもよろしくお願いしますね」

 

 親心を感じたオレは、それにしっかり答えてから、まだ睨んでくる吉鷹さん共々笑顔で見送ったのだった。



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Bullet29

 8月9日。天気は快晴。日中の最高気温は36度を超えるとか。

 そんな日にオレは……いや、オレ『達』は現在、朝早くから武藤の運転するマイクロバスで熱海へと向かっていた。

 理由は簡単。先日の吉鷹さんの件で不覚にも悪友、理子に助力を頼んでしまったその報酬である。

 

『夏といったら海だよねー! どうせだから温泉にも入りたいし、ちょっと遠出して熱海にプチ旅行に行こー! それになんと予約した旅館は10人以上の団体さんの宿泊なら2割引! キョーやんは私の分の費用を払えば報酬はオッケー! 足とメンバーはもう集めたから心配ナッシング! 日程は9日と10日の1泊2日! 朝早くから出発するから準備よろよろー!』

 

 そんな内容のメールが前日の朝に届いた。

 もっと早く連絡しろや! と、強く言えるわけもなく、仕方なしに旅行の準備を整えて今に至る。

 そして今回理子が集めたメンバーは、まずオレ、小鳥、幸姉に運転手武藤。それからジャンヌに不知火、貴希。あとは……

 

「ちょっとそこのクサレ外道! 理子お姉様にそれ以上近付かないでくださいですの!」

 

「京夜先輩はクサレ外道なんかじゃありません! 謝ってください!」

 

「あー、すんません猿飛先輩。ここは戦姉のあたしに免じて許してください」

 

「いやいい、気にしてない。去年は日常的に言われてたし」

 

 と、オレに対して罵声を浴びせたのが頭のてっぺんに大きなリボンを付けたウェーブの長髪少女、島麒麟。

 そしてその麒麟の戦姉で金髪ポニーテールの子が火野(ひの)ライカ。

 麒麟は去年、理子の戦妹だったから個人的に顔見知りではあるが、男嫌いで女好きなため、理子と行動を共にすることが多かったオレはメチャクチャ嫌われている。

 火野に至っては今回が初顔合わせ。

 オレの噂を知ってるからか、言葉遣いが少し砕けている。ナメられてるんだろうが気にしない。

 以上の10人が今回のメンバー。もうすでに危ない気配しかしない。

 

「くそっ、ここに星伽さんがいれば最高だったのに。キンジが来れないからってそりゃねぇぜ!」

 

「神崎さんもなんだかバタバタしてて来れなかったみたいだね。峰さん、他に誰を誘ったんだっけ?」

 

 ワイワイ盛り上がってる後方とは裏腹に、運転席にいる武藤が泣く泣くそんなことを呟き、助手席に座る不知火が反応してあげて、すぐ後ろの席にいた理子に問いかける。

 ちなみにオレは通路を挟んで理子の隣に座ってる。

 

「あとはレキュとあややとあかりん、志乃っち、なっちー他色々だねぇ。さすがにみんなが都合つくわけもないし、話も急だったしねぇ」

 

「オレは昨日の朝知ったしな。しかも決定事項で頭数に入ってた」

 

「キョーやんは毎日暇人じゃん! 部屋でニートしてるのわかってるのに了承とる必要なし!」

 

 こいつ殴ってやろうか。

 本気で1発殴ろうと、やっと眼帯の取れた理子に少し近づくと、またも麒麟が察知してギャアギャア騒ぎ出す。なにこれ帰りたい。

 

「おい猿飛。温泉とは様々な効能があると聞くが本当か?」

 

 話すのも億劫になってきたオレは、到着まで寝ようと思ったが、不意に後ろの席からジャンヌが顔を出して意気揚々とそんなことを聞いてきた。

 

「確かに天然温泉なんかはそうだな。てか理子に聞けよ。これから行く旅館だって理子が予約入れたんだから詳しいだろ」

 

「そだね。泊まる旅館の温泉は美容とか疲労に効果があるみたい。お肌すべすべになるよぉ」

 

「ふむ、なるほどな。温泉とはスゴいな」

 

「ジャンヌはもう十分綺麗だと思うがな」

 

 ジャンヌのそんな返事にオレがボソッとそう言った瞬間、ジャンヌは赤面し顔を引っ込めてしまった。

 

「猿飛君って、サラッとそういうこと言うから凄いよね」

 

「不知火だって言ってるだろ? いや、イメージでだけど」

 

「僕は全然。奥手だしね」

 

「よく言うぜ。月1くらいで告白されてんだろお前。くそー! オレも女の子から告白されてぇよ!」

 

「武藤は一生ムリだよ。ぬいぬいとキョーやんはかっこいいからダイジョブだ! 理子が保証しよう!」

 

「ふ、ふふふ。いいぜ。こうなったらお前らの水着姿をこの目に焼き付けて脳みそに永久保存してやる!」

 

「みんなー! 武藤がみんなを視線で犯すって公言しましたー! 旅館に監禁しますか?」

 

「お兄ちゃん、サイテーだわ……」

 

「だぁぁああ! くそぉぉおお! お前らみんな轢いてやるぅぅううう!!」

 

 そんな武藤の絶叫が木霊してから約1時間半後。

 今日泊まる旅館へと到着して、早速案内された部屋へと入ると、そこはふすまを1枚隔てただけの和室。いわゆる大部屋だった。

 おい待て。男女で部屋分けくらいしろ。

 そんな意味を込めて予約をした理子を睨み付けると、理子はケロッとした顔で笑ってみせる。

 

「ダイジョブだ、モンダイない。こんな大勢いて『間違い』が起きたら奇跡だよキョーやん」

 

「じゃあ寝る時はオレから一番離れた位置に寝ろよ」

 

「それは却下でーす! 夜寝る布団は……夜に争奪戦でもしようかと思っておりますがいかがでしょうゆきゆき隊長!」

 

「許可する! ただし、得物はなしで健全に奪い合いなさい」

 

 奪い合いの時点で健全じゃないがな。それに男女で同じ部屋の段階ですでに不健全だ。

 などと思いながらみんなを見渡すと、何故かみんな目の色がさっきと違う。何かに狙いを定めた獣の目をしている。こえーよ!

 

「それよりまずは海に行こー! 歩いてすぐのところに熱海サンビーチがあるから、レッツバカンス!」

 

 そんな獣達をまとめあげて理子は荷物から水着などが入ったバッグを取り出して高々に掲げてみせると、みんなもそのテンションについていった。ホント騒ぐの好きだよなこいつら。

 そうして旅館に荷物を置いて海へと向かったオレ達は、親水公園の隣にある熱海サンビーチに水着に着替えて集結することに。

 まだ女子グループは来てないが、オレ達男衆はその間に人でごった返すビーチに陣を張り、ビーチパラソルとシートを広げて女子グループを出迎える準備を整えた。

 数分後、迎えに行った不知火と一緒に女子グループが合流。その晴れ姿を披露した。

 

「みてみてキョーやん! 今日のために新作を買ってみましたぁ!」

 

「理子、お前の水着は少々布の面積が小さくはないか? 見てて恥ずかしいのだが」

 

「私、このメンバーで一番胸が小さい……」

 

 いの一番にオレの元に駆けてきた理子は、水色のビキニを見せつけるようにポージングしてきて、ジャンヌは白のビキニを着ているみたいだが、上着を着てしまっていて全容は見えない。

 そしてテンション低めな小鳥はピンクのワンピース水着を着て胸を気にしていた。

 

「あの、京夜先輩。私似合ってますか?」

 

「おお、さすがレースクィーン。バッチリだな」

 

 貴希は恥ずかしそうにしながらもオレにその抜群のプロポーションとオレンジのビキニを見せてきた。けしからんボディーだ。

 

「ライカお姉様も理子お姉様も素敵ですの」

 

「や、やめろ麒麟! くすぐったいっての!」

 

 黄色のビキニを着た麒麟はオレ達男衆に目もくれずに赤と黒のビキニを着たライカに抱きつき、頬擦りしていた。どうぞご勝手にしてください。

 

「あっついわねぇ。死人出るんじゃないかしら?」

 

 そして幸姉は黒のビキニで腰にひまわり柄のパレオを巻いていて、やはり女子グループ最年長の女性らしさを醸し出していた。

 

「むー! キョーやんゆきゆきに見とれすぎ! 理子ももっと見てよぉ!」

 

 そこで突然視界に理子が割り込んできて強引に水着を見せてくるが、近い! 近いから!

 

「いやぁ、男にとっちゃハーレムだなこりゃ。おい猿飛! 不知火! 早速ナンパしに行こうぜ!」

 

「僕は遠慮しとくよ」

 

「武藤、お前1人で成功したら祝杯を上げてやる」

 

「なんだよノリ悪いなお前ら! ならオレは1人でも行くぜ! ヘーイそこのお姉さーん!」

 

 そうして武藤はオレ達を置いて足早に姿を消した。帰ってきたら慰めてやるか。

 こうして1人はぐれた武藤は放って、オレ達は夏の海で遊び始めたのだった。

 

「見て見てジャンヌ! エッフェル塔ぉ!」

 

「こ、これは……素晴らしい!」

 

 遊び始めて30分。

 理子と麒麟が早々から砂遊びを始めたなぁと観察しながら貴希達と遊んでいたら、いつの間にか超精密なパリのエッフェル塔が再現されていた。

 砂だけで。というか4点の足でどうやってあの形を保ってるんだ? 絶対自重で崩れるだろあれ。

 などとは思っていたが、そのエッフェル塔にフランス人のジャンヌは大絶賛。ビーチに来ていた他の客もカメラや携帯で写真を撮っていた。

 

「あいつらは武偵やめても食いぶちに困らなさそうだな」

 

「多才な人はいいよね。少し羨ましいよ」

 

「不知火、お前も色々できるだろ。オレへの嫌味か?」

 

「そんなつもりはないよ。それに猿飛君だって多才じゃないか。もっと自分に自信を持って」

 

 オレの場合は限定的な技術ばっかりなんだよ。

 昔から専門的に訓練されたから仕方ないんだが、普通の社会ではほとんど必要ない。

 つくづく普通とは縁がないよオレは。

 

「それよりさっきからうちの女性陣は凄いね。ちょっと目を離したら男の人から話しかけられてる」

 

 それで不知火は話題を変えるように辺りを見回しながらそんなことを言ってみせる。

 確かにさっきから貴希や理子、ジャンヌは時おり男から話しかけられているのを見かける。

 全員撃沈しているが、ちょっと煩わしいな。こっちは遊びに来てるのに。

 そう思いながら荷物番のために陣取ったシートに座っている幸姉を見ると、ナンパされてる。しかも男4人。

 それを見たオレは考えるより先に幸姉の元に歩き出していた。

 

「幸姉。荷物番代わるから遊んできてくれ」

 

「京夜? じゃあお願いしようかな。それじゃああなた達もナンパ頑張ってね」

 

 ん? もしかして幸姉、ナンパしてきた男で遊んでた?

 そういや今日の幸姉は『フレンドリー』だったな。話しかけてた男達もなんかぐったりしてるし、取り越し苦労だったか。

 幸姉はオレの言葉に甘えてそれからすぐに理子達の元に歩いていき、オレはビーチパラソルの下のシートに腰を下ろすと、ついてきたらしい不知火も隣に座る。

 

「猿飛君ってさ、真田さんのことずいぶん気にかけてるよね。幼馴染みって話で峰さんから聞いてたけど、本当にそれだけなのかなって」

 

 鋭いな。面倒だから話さないが、その好奇心は殺してくれるわ。

 

「幸姉は『情緒不安定』なんだよ。だからナンパとかに対応できなかったりする時もあるんだ。一緒にいる時間が長かったから、自然と気を遣うんだよ」

 

「情緒不安定、ね。そういうことなら仕方ないのかな。でも猿飛君。君も女の子から見たらカッコ良い部類に入るんだから、気を付けなよ? ここは武偵高の外なんだしね」

 

「ハッ、こんな目付き悪い男に話しかけてくる女子がいるわけないだろ。むしろオレは不知火の心配をしてやるよ」

 

 と、不知火の意見を鼻で笑って一蹴した直後、オレと不知火に近づいてきた同い年くらいの女子2人がそわそわしながら話しかけてきた。

 

「あ、あの、今ヒマですか? 良かったら私達と一緒にお昼でも食べませんか?」

 

 ……いま不知火の顔を見たくない。絶対に「ほらね」って顔してる。

 くそっ、不知火と一緒にいるのが悪いんだな。優顔が隣にいるだけでこうも予想を覆されるとは。

 それでオレ達の返答待ちなのか、女子2人は黙っていて、不知火もオレに任せたのか言葉を発しない。

 

「京夜先輩! なに休んでるんですか?」

 

「ちょっとキョーやん! 次は東京より先にスカイツリー建造するんだから手伝って!」

 

 そこで現れたのは何故か怒り気味の貴希と理子。

 2人はそんなことを言ってからオレの腕をそれぞれ掴み有無も言わさずにオレを連行していき、逆ナンしてきた女子2人と不知火はそれをキョトンとした顔で見送っていた。

 

「京夜先輩気を付けてください! ああいう子は清楚そうで遊びまくってますから!」

 

「そうだぞキョーやん! ああいう子は男で遊んでるんだよ! キョーやんは理子だけ見てればいいの!」

 

「お前ら失礼すぎだろ。人を見た目で判断するな。あとなんでそんなに怒ってるんだ?」

 

「「怒って(ません)ないもん!!」」

 

 怒ってるだろ。

 だがおそらくそう言っても2人は意見を変えないだろうと考えてそれ以上は言わずにオレが謝る形で事態を収拾。オレ悪くないけど。

 その様子を遠目から見ていたジャンヌはなんだか呆れたような顔をしていて、幸姉は大笑いしていた。ってこら!

 それから見事ナンパで撃沈してきた武藤を連れてみんなで昼食を食べたあとも、どこから来るのかわからないその元気で遊びまくり、オレは終始理子達に振り回されていった。

 そして日が沈み旅館へと戻ってからは、豪勢な夕食を堪能してみんなで温泉へ。

 なんでもここの旅館の露天風呂は女子風呂と男子風呂が同じ源泉から入れてるらしく、高い壁を隔てただけの空間らしい。

 そうなると張り切るバカが出てくる。

 

「よし、猿飛、不知火。ミッションスタートだ」

 

「ああ、行って死んでこい。そして後日ニュースで報道されろ」

 

「だね。僕達だけならまだしも、一般のお客さんもいるわけだし、武偵3倍刑もあるから」

 

「見つからなきゃいんだよ!」

 

 そう言って武藤はどこから持ち出したのか、簡易の昇降装置を組み立て、勇猛果敢に高い壁を登り始めた。

 ちなみに武偵は罪を犯すと通常の3倍罪が重くなる。それが武偵3倍刑。

 

「キョーやーん! いるかなー?」

 

 そんな時に壁の向こうから理子の呼びかけてくる声が聞こえ、オレは恥ずかしくなりながらもそれに応えた。

 

「おおー! ホントに声届くね! キョーやんは覗きに来ないのかい? みんな全裸だよ? くふっ」

 

 ……キョーやん『は』? なんか知らんがバレてるっぽいぞ武藤。

 

「風呂で全裸じゃないやつがいるのか? あと他の人に迷惑だから大声出すなよ」

 

「もう、ちょい、だ」

 

 だから武藤。もうバレてるっての。

 まぁいいや。武藤が死のうが捕まろうがオレには関係ない。

 

「キョーやんに怒られちゃった。てへっ。そんじゃ、上がったら2人きりでどっか行こっか」

 

「ちょっと峰先輩! 抜け駆……そんなのダメです!」

 

「そうです理子お姉様! あんな野猿と2人きりなんて!」

 

「理子、この露天風呂はどんな効能があるのだ?」

 

「ジャンヌ、あなたいろんな意味で凄いわね」

 

 なんだか色々と聞こえてくるが、もうツッコむのも嫌だ。

 そして不知火。その「大変だねぇ」みたいな顔はなんだ。

 ムカついたオレは不知火の顔に思いっきりお湯をかけてから、壁の向こうに顔を出した武藤が全員からゴム弾を浴びせられて落ちていった様を見送ってから露天風呂を出てさっさと上がった。実は逆上せやすいんだオレ。

 それから1人で大部屋に戻ったオレは、涼むために窓を開けて夜風に当たっていた。

 そこへ戻ってきたのは、浴衣姿のジャンヌ。

 ジャンヌはオレ1人なのを確認すると、モジモジしながらオレに話しかけてきた。

 

「さ、猿飛。今のうちにお前に確認してほしいことがあるのだが、いいか?」

 

「ん? 別にいいが、他のやつらは?」

 

「理子達なら今ごろ温泉卓球で布団の位置決めをしてるはずだ。私は別にどこでもいいから戻ってきたのだが、猿飛が1人でいてくれたのは都合がよかった。では少し待て。すぐに終わる」

 

 そう言ってジャンヌは何やら荷物を持って部屋を区切るふすまを閉めて姿を隠す。準備は見られると困るってことか?

 しかしオレを差し置いて布団の位置決めをするとは何事か。ジャンヌに頼まれ事をされなきゃ今からでも行くんだが。

 そうして10分ほどの時間が過ぎて、少し遅いなぁと思い始めてふすまを開けようとした時に、ジャンヌからふすま越しに声がかかる。

 

「さ、猿飛。まず最初に言っておく。正直な感想を頼むぞ。あと見ても笑わないでくれ」

 

「なんの念押しだよ。大丈夫だから早くしてくれ。このままだとオレの預かり知らぬところで布団の位置が決定する」

 

「わ、わかった。だが、絶対に笑うなよ?」

 

 そうして意を決したようにふすまを開け放ったジャンヌは、その姿をオレの眼前に晒した。

 ふすまの向こうにいたジャンヌは、昼間に着ていたであろう白のビキニを着ていて、なんというか、凄く眩しかった。

 

「ど、どうだ猿飛。何か言ってくれ。でないと恥ずかしくて死にそうだ」

 

「あ、いや、凄く似合ってるよ。理子や幸姉に負けないくらい魅力的だ。でもなんで昼間に見せてくれなかったんだよ。勿体ない」

 

「あ、あんな人の多い場所で肌を晒せる訳がないだろう! 恥ずかしいではないか!」

 

 ああ、そういや武偵高の制服のスカートですら恥ずかしがってたな。

 だがまぁ、なんか得した気分だ。

 つまりジャンヌの水着姿を拝んだ男はオレ1人なわけだし、服の上からではわからなかったジャンヌのプロポーションも見れた。

 

「な、なんだ猿飛。言いたいことがあるならはっきり言え」

 

「いやいや、ジャンヌの水着姿を見られてラッキーって思っただけ」

 

「そ、そうか。それならばいい。だが似合っているか。ふふふ、そうか似合っているか……」

 

 なんかジャンヌさんが怪しい笑い方をして悦に浸っておられる。

 オレはどうすればいいんだ。

 

「うむ、猿飛、率直な感想をありがとう。今回はこれだけで十分な収穫……いや、なんでもない。着た意味もあったというものだ。礼を言う」

 

 そうしてジャンヌは何かを誤魔化しつつオレに言葉をかけてから、またふすまを閉じて着替えに入った。これで終わりかな。

 

「ああそうだ猿飛。ついでに1つ質問に答えろ」

 

 オレが断りを入れて大部屋を出ようとした矢先、ジャンヌがそう言ってオレに問いかけてきたため、オレもすぐ了承する。

 

「お前は以前、私をパートナーにしたいと言っていたな?」

 

「ああ、言ったな」

 

「その真偽については今はどうでもいいのだが、お前、これからどうするのだ?」

 

 どうするとは? と聞き返そうとしたのだが、またすぐにジャンヌは口を開く。

 

「真田幸音の目的であるイ・ウーの壊滅が成された以上、あの女は遠からず真田の家へと戻る。事情諸々すべてを明かせぬ状況ではあるが、おそらく過去の件については不問となる。そうなればお前の責任問題もなくなり、真田幸音同様実家へ戻れる。そうするとだ。お前はまたあの女の従者として戻ることになるのではないか?」

 

 言われてオレはジャンヌの言いたいことが理解できた。

 確かにそうなればオレは東京武偵高を出ていくことに……いや、『武偵をやめる』ことになるわけだ。

 そもそも幸姉が武偵高に通っていたのは、超能力者を育成する術を持たない真田以外の場所で超能力を学ぶため。

 オレはそれに合わせて武偵になったに過ぎないのだ。

 

「言葉が返ってこないところを察するに、予想すらしていなかったか? 或いはその答えをまだ出せていないか。いずれにせよ、お前は遠からず選択することになるわけだ。武偵をやめ、真田幸音についていく道か、このまま武偵を続ける道。或いはまた違った道か。選ぶ権利があるかは知らないが、心しておくのだな」

 

 急に突きつけられた現実問題にオレは途端に考えがまとまらなくなる。

 しかし、オレが悩んで解決する問題でもないわけで、全ての決定権は幸姉に委ねられていることになるのが現状。

 オレには未来を選択する権利はない。

 

「だがまぁ、お前がもし、武偵としての道を選ぶと言うのであれば、考えてやらんこともない。最近のお前は私の評価をグッと引き上げているからな」

 

「……へっ?」

 

「だ、だから、パートナーの件だ! ああもう! 余計なことを言った! 今のは忘れろ猿飛!」

 

 頭を悩ませていたオレにジャンヌはそう言って思考を途切れさせると、世迷い言だったかのように言い放って着替え終わったのか向こうの出入り口が動いた音がした。

 ふすまを開けてみればそこにはジャンヌはもういなく、また1人となったオレは、何をどうすることもできなかった。

 

「……あ、京夜先輩!?」

 

 呆然と立ち尽くしていると、ジャンヌと入れ替わるように大部屋に入ってきた貴希がオレを発見し驚いたような声を出す。

 その声でやっと動けるようになったオレは、心境を悟られないように平静を装いできるだけいつも通りに反応した。

 これでも感情のコントロールくらいはできる。

 

「貴希、お前1人か? 今は温泉卓球やってるとか聞いてたけど、そっちはいいのか?」

 

「え、あ! はひ! そっちは敗北してしまったのでもう。……こ、これはチャンスこれはチャンスこれはチャンス……」

 

 なんか後半から小声でチャンス連呼してるがどうした?

 そう思ってると、貴希は何かを決意したようにオレに近づき顔を真っ赤にして、

 

「あ、あにょう! 京夜先輩! 昼間遊んだビーチ! 今の時期は夜になるとライトアップされるらしいんですが、い、一緒に見に行きませんか!? ふ、2人きりで……できれば……」

 

 噛んだ上に声まで裏返ってるその言葉にオレはつい笑いが込み上げてくるが、何やら必死な様子だったからそれをグッと飲み込んですぐに言葉を返した。

 

「別に構わないよ。ならパパっと浴衣から着替えて見に行くか」

 

 それを聞いた瞬間の貴希の嬉しそうな顔ときたらやたらと可愛かった。

 それからオレと貴希は浴衣からシャツとショートパンツの軽装に着替えて旅館を出て、熱海サンビーチの見える親水公園に向かった。

 ライトアップされた夜のサンビーチはまさに幻想的。綺麗な砂浜は蒼く輝き、波の立つ海は白く光っていた。

 これは凄いな。女性は見たがっても不思議はないと納得できる。

 現に今、オレの隣に立っている貴希もその光景に目を奪われている。

 しかし、やはりこういった場所はカップルが多くて少し居づらい。

 慣れてないんだよな、こういう雰囲気。

 

「京夜先輩、見て良かったですね。とっても綺麗です!」

 

「だな。誘ってくれてありがとな、貴希」

 

「あ! は、はひっ! どういたしまして! それでその、今度は2人きりで……旅行に行きたい、ですね」

 

 貴希はそう言って顔をまたサンビーチへと向けてオレから視線を外すがその頬が真っ赤になっていることに気付いた。

 そしてついでにオレ達をじっと見る視線に気付いてしまった。

 

「旅行は大勢で行った方が楽しいだろ。オレなんかと2人きりじゃ、貴希が疲れちまうよ」

 

 あれ? オレは今、なんて言った?  旅行は大勢で行った方が楽しい? そんなこと、京都にいた頃は考えたこともなかった。

 そうか……オレは自分でも気付かないうちに、この居場所を『楽しい』と思えていたんだ。

 いつも騒がしいうるさい嫌だと思いながらも、それをオレは心の底では気に入ってたんだ。

 ……京都に戻りたくない。

 そんな気持ちがオレの中に微かでも芽生えたのがわかり、だが同時に幸姉の傍から離れたくないという気持ちも膨れ上がる。

 たとえ選択する権利がない未来だとしても、そんな考えが浮かんでしまうほどにオレの心は揺らいでいた。

 突然話さなくなったオレに心配した貴希が話しかけてきたため、慌てて思考を切ったオレは、それでそろそろ貴希にも教えることにした。

 

「なぁ貴希。大事な話があるから、聞いてくれるか?」

 

 聞いた瞬間、貴希は一瞬時が止まったように固まり、次には顔を真っ赤に染め上げた。何故?

 

「実はな、ずっと前からオレ達、理子達に尾行(つけ)られてるんだ」

 

「……え? ええ!?」

 

 言ってから理子達が隠れている場所を指差してみせると、貴希はそれを目で追って理子達の姿を確認すると、

 

「い、いやぁぁぁぁああ!!」

 

「ま、待ってください貴希さーん!!」

 

 全速力で走り去ってしまい、慌てて小鳥がそれを追いかけていった。迷子になるなよー。

 それから改めてみんなでサンビーチのライトアップを見たオレ達は、旅館に戻るついでに夜会用の菓子やジュースを買ってそのままバカ騒ぎをして一夜を明かした。

 結果としてみんなほとんど起きていたため、死に物狂いで勝ち取ったのであろう布団の位置も無駄になっていた。

 翌日は寝不足の武藤に鞭を打ってバスを運転させて、みんなぐったりした状態で学園島へと戻ったのだった。

 その帰りのバスの中で静かに寝息を立てる理子達を見ながら、ホントに、こんなバカなやつらと離れたくないと、オレはそう思えていた。



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Bullet30

 8月20日。午後1時過ぎ。

 この日オレはある人に会いに新宿警察署に来ていた。

 

「あなたもアリアに似て危険を省みないのね。困った人だわ」

 

「誉め言葉ってことで受け取っておきますね、かなえさん」

 

 目的の人、神崎かなえさんは独房の扉越しからそんな呆れた声を出し、『看守の格好』をしたオレはその独房に背を向けながら応対した。

 言われたようにオレは春先に行った警察署潜入を敢行して今この場に居る。

 前より警備が厳重になってたが、まだ穴があったぞ警察よ。

 

「今回はモニタールームの音声切ってきたんで監視カメラに動きを悟られなければ10分くらいは話せます」

 

「次はアリアと一緒に面会に来てくれるって聞いた記憶がありますけど、こうしなきゃいけない理由があるのかしらね」

 

 ビンゴ。さすがホームズ家の人間ってところか。

 かなえさんは直系ではないはずだけど。

 

「今アリアは忙しく駆け回ってますよ。あなたの冤罪を晴らすためにね。ホントに嬉しそうにしてます」

 

「……そう、なのね」

 

「ただ、これはアリアの前では言えないので、今回はこうした形でまた来ました」

 

「……私は、おそらく『ここから出られない』わね」

 

 ……ホントに、何で話してもないのにわかるんだよ。

 

「まだ可能性の話でしょ? オレだってそうなってほしくないです。ですが、かなえさんが被った罪は『イ・ウーのメンバーの罪』。今回イ・ウーは壊滅しましたが、その残党は散り散りになって世界中に逃げてしまった。そいつらの分の罪を冤罪と証明する材料は、おそらく見つからない」

 

「そうね。そうなると今まで逮捕、または自白してくれた人達の分の減刑がせいぜい。それでも終身刑の範囲になるでしょう」

 

「だからまだ可能性の話だって言ってるじゃないですか。そんな悲観的にならないでください」

 

「ええ、ありがとう。優しいですね。私とアリアのために気を遣ってくださってありがとう」

 

 そう言ったかなえさんの独房越しからの声は、ホントに嬉しさしか込もっていなくて、悲しみや落胆の色は伺えなかった。

 こんな可能性の話、聞きたくなかっただろうに。

 

「優しいんじゃない。逃げたんですよオレは。一生懸命になるアリアの姿を見て、こんな話ができなかっただけです」

 

「大丈夫ですよ。あの子にはもう、あなたやキンジさんのような方々が傍にいる。だからあの子がつまずいたら、手を差し伸べてあげてください」

 

「それは……はい、わかりました」

 

 約束できない。とは言えなかった。

 何故ならオレは遠からず武偵をやめることになるから。

 武偵をやめたからといって友人関係がなくなるわけではないが、アリアを支えるとなると、力とそれを振るえる立場が必要になるのは必然だから。

 

「……かなえさん、1つ聞いてもいいですか?」

 

「私に答えられることであれば。言ってみてください」

 

「もし、かなえさんが『選択できない未来』を迫られた時、どうしますか?」

 

「私にとっては今の状況がそうなんでしょうけど……あなたのその質問は自分自身の話なのかしらね」

 

 うっ、バレてる。相変わらず話術が苦手だなオレ。

 

「選択できない、って言ったわね。そうね、私ならまず、それが『選択できる未来』にできないかって考えて行動してみるかしら。この世の中『絶対』なんてないもの。一番大事なことは『諦めないこと』。私もまだ諦めたわけではないの。だからあなたも諦めずに考えて考えて、考え抜いて。確か武偵憲章にもそんな箇条があったわね」

 

「武偵憲章10条。『諦めるな。武偵は決して、諦めるな』」

 

「あなたも色々あるのでしょうけど、人生は長く険しいわ。でも、それを乗り越えてこその人生よ。まだ30そこそこの私が言っても大した言葉にはならないのだけど、あなたの倍以上は生きてる人生の先輩としてのアドバイス、受け取ってくれるかしら?」

 

「喜んで受け取りますよ。アリアがかなえさんを好きでいるのには、きっと母親ということ以外にもたくさんあるんでしょうね。オレもかなえさんみたいな人好きです」

 

「まぁ。男性に告白されたのは結婚してからあの人以外では初めて。子持ちのバツイチでもよろしくて?」

 

 この人もやっぱり紛いなりにもホームズ家の人間だ。ユーモアのセンスがシャーロックに似てる。

 あの人は腹が立つ言い方だったけどな。

 あとバツイチとか新情報があったが、そうか。合法か……なんてな。

 

「じゃあ次はオレとかなえさんの『娘』と一緒に会いに来ますね」

 

「ふふっ、ええ。楽しみに待ってますね、あなた」

 

 やっぱり人間笑うのが一番。

 暗い話をしてしまったお詫びに最後は冗談半分で話してからオレはかなえさんの元をあとにして、また何事もなかったように全てを元に戻してから新宿警察署を出たのだった。

 諦めないこと、か。

 ハハッ、元気付ける立場のオレが逆に元気付けられてるし。

 昔から年上はやっぱり苦手だよ。

 思いながら学園島へ戻ろうと歩いていたオレの元に携帯の着信を知らせるバイブレーションが。

 誰からかを確認すると、通話表示で相手はジャンヌだった。

 ジャンヌだとほとんど私用の可能性がないから、少し緊張しながら通話に出る。

 

『猿飛、今どこにいる?』

 

「新宿駅の近くだけど、いきなりなんだよ」

 

『新宿駅? アリアの母親にでも会っていたのか?』

 

 頭の回転早いなおい。場所だけでそんなピンポイントにオレの行動を当てるなよ。

 

『まぁ今はどうでもいい。武藤の妹、新宿駅だ。急げ。猿飛、今迎えに行くからそこを動くな』

 

「……事件か?」

 

『池袋の家電量販店で立てこもり事件だ。情報が少なくて詳しくは話せないが、私が綴に召集された。使える駒は使う主義だからな。いま多方面に呼びかけている』

 

 池袋か。学園島からなら向かうついでにオレを拾えるな。

 

「警察は?」

 

『出ているが、どうにも事態がよろしくない。付近の封鎖は済んだようだが、現状で店内の情報が全くないらしい。どこに何人いて、人質が何人いるのかも』

 

「要求は?」

 

『まだ提示されてない。とにかく今は現場に行かなければどうにもならん。あと3分くらいでそちらに着く』

 

「早ッ!? ちゃんと道交法守ってんのか?」

 

『言っただろ、池袋に向かってると。細かいことは気にするな』

 

 まぁ確かに。

 それにしても立てこもりか。当初の目的が強盗だったりとかもわからないのか?

 そうして本当にすぐ貴希が運転するワゴン車が到着してオレを後部座席に乗せると、全く無駄なく出発した。

 ご丁寧に車内には私服だったオレのための防弾制服もあり、現場到着前に着替えておき、助手席に座っていたジャンヌはノートパソコン片手に携帯で方々にまだ連絡していて、後部前席にはレキとハイマキが。

 

「レキもジャンヌから召集されたのか?」

 

「はい。歩いていたところを詳しい話もなしに乗せられて」

 

「拉致か!」

 

「うるさいぞ猿飛! 通話中だ」

 

 怒られたのでオレは到着までの間に装備を確認して現場で何ができるのかを思案していた。

 ミズチがないのが心許ないな……

 現場に着いて車を降りると、そこには警察の他に綴と蘭豹の姿があり、オレ達はすぐに発見され呼び寄せられる。

 

「来たか。おっ? 猿飛と狙撃科の天才児まで連れてくるとは良い仕事だ」

 

「それより状況はどうなってるんですか」

 

「立てこもりに使われてる建物は6階建ての立方四方形。隣接する建物もないし、向こうさんも手練れや。屋上に各方面で1人ずつ狙撃手がおる。近付こうもんなら額に穴開けられんで。おまけに中の様子が全くわからんくて、ぶっちゃけいま手詰まり状態や。とりあえず建物全体の電力供給は切ってるから、犯人どもが防犯装置の利用をすることはできんはずや」

 

 蘭豹の要点だけ引き抜いたような説明で現状を概ね把握したオレ達は、とりあえずジャンヌの言葉を待つ。

 

「猿飛。お前が中に入って内部を探ることは可能か?」

 

「無理。定点カメラとかならまだなんとかなるんだろうが、監視の目が動くとなると狙い撃ちされる。それに内部に潜入したのがバレるような入り方も人質が危険に晒される可能性がある」

 

「人質がある以上、狙撃手を沈黙させても同じでしょうね」

 

「となると、犯人達に悟られないように中に侵入する方法が必要だな。この建物には地下が存在しないから、やはりどこかしらの入り口から侵入しなければならない。猿飛、方法はないか?」

 

 こんな状況で内部侵入とか、透明人間にでもならないと無理だろ。

 身を隠して近付けるような都合の良い物もないし、狙撃手の気を逸らすにしても1秒程度じゃ7、8メートルしか近付けない。

 

「爆発とかで車が炎上とかすればなんとかなるかもな……」

 

「ふむ、綴先生。車の1台くらいで事態が進展するなら安いのでは?」

 

「おーい、車がドカンってなるくらいの爆薬用意しろー。急げよぉ」

 

「…………ホントにやんのかよ……」

 

「お前が言ったのだろう。しっかりやれ」

 

 ジャンヌさん、オレの評価が前より上がってるのはわかったけど、そこまでしなくても……

 などと言うオレの意見は音速で却下され、1時間後には完璧に準備が整えられた。

 動きを阻害しないように高性能らしい小型カメラと通信端末を装備したオレは、行動開始前に作戦事項の確認をする。

 

「お前のカメラが捉えた映像はリアルタイムで私のパソコンに送られる。そこにさらにお前が詳細情報を知らせる形で内部状況を網羅する。そのあとの対応は臨機応変にだ。一応音響分析を通信科の中空知(なかそらち)に頼んでいるから、お前が逃した情報もこちらで勝手に拾う。第1に見つからないよう心がけろ」

 

「了解。それじゃいま中空知と話せるか?」

 

『問題なく。何かご用ですか?』

 

 うおっ!? ビックリした。

 いきなりイヤホンから中空知のアナウンサーのような声が聞こえてきて驚きつつも用件を話す。

 

「確か中空知はジャンヌと相部屋だったよな? 今度遊びに行っても大丈夫かな?」

 

 そこで抜群のタイミングでジャンヌから殺気を浴びたところで冷や汗をかきつつ頭を切り替える。

 

『今はそのようなことを話している場合ではないかと。集中してください』

 

「了解。今ジャンヌに目で殺されそうになった。フォローの方、頼むな」

 

 そういえば中空知とは顔を合わせたことないな。冗談で言ったけど、今度マジで遊びに行くか。

 こうして潜入前の緊張ほぐしも終えて、いざ作戦開始。

 まずは狙撃手に気付かれないように近くにあった1台のパトカーに遠隔操作の爆弾を設置。

 そのパトカーの付近から数人の突入隊が突入する素振りを見せて狙撃手の注意を引き、実際に動きを見せて何発か撃たせて後退し、なんとか上手い具合にパトカーに銃弾を当ててタイミング良く爆破。それに驚く突入隊の演技付きでな。

 スコープを覗いてるはずの狙撃手は突然の爆発で視界が遮られるので、オレはそのわずかな時間を使って別の位置から一気に建物の壁面へと走り抜けた。

 狙撃手の位置からどうやっても見えない位置は把握していたので、安全圏にまで走り抜けて無事に建物への接近に成功するが、嫌だなぁ、みんな見てる前でこういう潜入ミッションは。

 

「防犯カメラとかは作動してないんだったな。んじゃ中に入るぞ」

 

『くれぐれも見つかるなよ』

 

『音響分析を開始します』

 

 ジャンヌ、中空知と声が返ってきてからオレは自動ドアを手でこじ開けて中へと侵入していった。

 とりあえずまずは案内板で内部の情報を頭に入れる。

 階段、非常口、エスカレーターにエレベーター。その全ての位置を正確に覚えた。

 次に1階の偵察。おそらくだがこの階には人はいない。籠城においては高い場所の方が有利。

 敵さんが手練れなら定石は心得ているはずだし、人員の無駄な配置もしないだろう。

 この階にあるとしたら侵入者用トラップくらいか。

 予想通り、電力供給がなく薄暗くなっている1階には誰もいなかった。

 中空知も物音らしきものは拾えなかったと言うから間違いない。

 ちなみに中空知については顔こそ見たことはないが、その優秀さは知っている。

 中空知美咲(みさき)

 通信科の2年で随一のオペレーター。

 特に音響分析においては右に出る人はいないと言われてる。

 4月のハイジャック事件でキンジがやった聖徳太子みたいなことを平然とやり情報処理するレベルだ。

 今もオレのつけている通信機から聞こえるホントにわずかな音を逃すことなく拾って逐一報告している。

 現場にいるオレより集める情報が多いって納得いかないんだが、武偵は専門特化する職業だ。

 オレは中空知にできないことをやって、オレにできないことをジャンヌやレキがやる。それがチームワークってものだ。

 さて、次は上の階に上がるわけだが、難関だな。

 階段というのは待ち伏せに遭う可能性が高い。突入なら見つかってもいいが、今回は見つかるとアウトだ。

 そうなると階段以外のルートを……おっ? みっけ。

 

「階段は避けて昇る。暗くてカメラからはほとんど何も見えなくなるが、中空知フォローよろしく」

 

『『了解』』

 

 双方の了承が取れたところで早速オレは1階スペースの隅にあった天井扉から1階と2階の間にするりと入り、そこから2階を目指す。

 オレは暗い場所でも目が利くように訓練されているから問題なく進める。

 そして2階の床下扉を下から開けて2階へ到達。

 テレビやデジタルカメラが置かれるこの階にもやはり人はいない。

 だが、非常口の階段と一般用階段にはそれぞれ2人ずつ武装した犯人達がいた。

 犯人達は全身軍隊のような完全武装で、顔もわからないようにマスクをしている。

 そしてその手にはアサルトライフルが持たれていた。

 

2人1組(ツーマンセル)の防衛配置だな。担当分担してる配置で、この階にいる4人はおそらく見回り担当。定時で階を移動する感じだな」

 

『足音が4つ。全員戦闘訓練された人の足使いです』

 

『階段を使わないのは正解だったな。よし、2階の情報も掴んだ。上に上がれ』

 

 人使い荒いぞジャンヌ。戻ったら文句言ってやる。

 そうして3階、4階も無事に調べ終えたオレ達は、次の5階でやっと本丸にぶつかった。

 犯人グループとその人質。

 ひとかたまりで集められたその集団は、5階フロアの中央付近、ちょうど開けた通りにあった。

 犯人グループは四方にそれぞれ1人ずつの4人。いずれも同じ完全装備にアサルトライフルを持っていて、人質は老若男女合わせて……18人か。

 特に拘束のようなものは施されていないが、1ヶ所に集められて座らされている。

 

「5階が本陣で間違いないな。とりあえず今は上の階に行く。レキはもう動いてるか?」

 

『お前が6階を網羅する頃にはスタンバイも終わるだろう。なんだ? 何か算段ができたか?』

 

「いや。ただジャンヌならもうオレを使う作戦を考え始めてるかなってよ」

 

『作戦とは万全を期すものだ。まだ不確定要素の残るうちに算段はしない。それより早く仕事をしろ。お前の動きが全体の動きを左右するのだからな』

 

「了解。この事件終わったらデートくらいしてくれよ?」

 

『資金はそちら持ちでなら考えてやらんでもない』

 

 ひでぇ。なにそのオレ損な条件。ジャンヌとのデートは対価が割に合わないらしい。

 と、気持ちに余裕を作ったところで、気付かれないように6階へと移動したオレは、速やかに行動を終えて全ての情報を揃えたジャンヌの作戦立案タイムをひっそりと息を潜めて待つのだった。

 ……ふざけてる……こんなのあり得ない。

 数十分後、ジャンヌによる作戦を聞いたオレは、明らかに自分の仕事以上の役割に汗がダラダラ。

 

「ジャンヌ、オレは諜報科だぞ。こんなの強襲科の仕事だ」

 

『問題ない。作戦上成功率9割は確実だ。それに暗殺は日本忍者(ジャパニーズ・ニンジャ)の得意技と聞く。頼むぞ』

 

 暗殺とか言うな。オレがそんな技術ばっかり身に付けてるわけないだろ。

 せめて急襲……って、暗殺術なんか始めから使えねぇよバカ!

 もう何を言ってもジャンヌの作戦は実行されるみたいなので、オレは1度深呼吸して頭を切り替えると、作戦開始までに準備を整えていった。

 まずは犯人グループの本陣がある5階に下り、ちょっとした仕掛けを作っておく。

 

「合図はオレから出していいんだよな?」

 

『当然だ。お前の判断が全て私達に連動する。っておい! お前なぜ制服を脱ぐ!?』

 

「ジャンヌが任せるって言ったんだから、オレを信じろよ。あと怪しまれるかもしれないから無線も置いてく」

 

 オレは言いながら小型カメラ付きの防弾制服の上着を脱いで商品棚の奥に隠し、耳に付けていた無線も取り外し準備を完了させた。

 

「レキ、そこから狙撃手4人とも確認できるな?」

 

『問題ありません。合図があればいつでも撃てます』

 

「じゃあ頼む」

 

 ――タンッタンッタンッタンッ!

 オレの合図のすぐあとに、無線からそんな銃声が聞こえてきて、作戦が開始されたことをわかるとすぐに無線を切り犯人グループの動向をうかがう。

 

「何!? 撃たれただと!? さらに警察も中に突入!? 正気か!? ここに人質がいるんだぞ?」

 

「とにかくこれ以上の進行は防がなければならない。ここには2人残って迎撃に出るぞ」

 

 そう言って犯人グループのうち2人がこの場から離れて見回りのグループと合流していき、人質の見張り役が2人になる。

 ジャンヌの予想通り、か。

 人質がいる以上、強行策を取らないと思ってる犯人達は、いざやられた時の適切な対処を即座にできない。

 殺しに簡単に踏み出せない日本じゃなきゃまず不可能な作戦だ。

 前にシャーロックに言われたっけな。日本は『平和な島国』だって。

 そうして手薄になった見張りの穴を潜って、オレはするりと人質の人達に近寄りその中に加わった。

 幸いにも防弾制服を脱げば私服のオレは、別段怪しまれることなく紛れることに成功。暗いのもあるしな。

 さて、いくら向こうが混乱してるからといって、そんな悠長にやっていられない。

 時間が経てばこちらが不利。下手をすれば人質が危ない。

 そうして人質の中に紛れて犯人2人の位置を確認しタイミングを見計らっていると、イレギュラーを発見した。

 人質の中の一番外側、オレと同じように周りを観察する20代半ばの女性がいたのだ。

 あれは警察関係者とか武偵ではない。明らかに人質達の動きを観察してる。

 なるほどな。だから人質の拘束をしていなかったのか。

 よくある手法だ。人質の中にはたまに反抗する人も出てくる。そういったイレギュラーを防ぐために『人質に紛れた監視役』が用意されることがある。

 もしもに備えた予防策であるが、まさかこの場で配置されてるとはな。

 くそっ、あれも処理しないとな。

 こうしてオレは急遽作戦を変更。

 事前に手に持ってきたアラーム付きの腕時計を一瞬だけ鳴らしてみせた。

 当然犯人達も音がした方向を向き、一番近い犯人がオレに近づいてくる。

 そのタイミングで仕掛けていた仕掛けを発動。少し離れた位置でノートパソコンが棚から落ちる。

 そこでまた音に反応した犯人達はそちらを向き視線が外れ、オレはその隙に一番近くにいた犯人の顎を打ち、さらに対角線上の側頭部を即座に打ち脳震盪を引き起こし行動不能にする。

 続けて懐に隠していた銃を取り出そうと身構えた人質に紛れる監視役女性に一気に近付きその腹に1発キツいのを入れて銃を取り上げて遠くに投げ捨てる。

 最後に落としたノートパソコンの位置に行こうとしていた犯人を後ろから急襲。

 後頭部に飛び蹴りを喰らわせて一瞬で意識を奪った。

 この全行動。アラームを鳴らしてから約10秒。我ながらよくやったよ。

 犯人達が完全に沈黙したのを確認したオレは、人質を全員屋上に行くように指示して、防弾制服と無線を回収。

 ついでに犯人が持っていたアサルトライフルを手に屋上へと上がった。

 屋上には腕を撃たれた狙撃手4人が、レキの狙撃から逃れるために死角に退避していて、その4人を持っていたアサルトライフルで牽制しながら人質を守る。

 まぁ、オレはこんな銃撃てないが、レキがいるしなんとかなるだろう。

 それから少しして、下の階で犯人達が全員捕まったと報告があり、屋上にいた狙撃手達もほどなくして逮捕された。

 事件が解決され、神経をすり減らしてヘトヘトになりながらもジャンヌ達と合流したオレは、ニヤニヤする綴と蘭豹を発見。うっわ、嫌な予感。

 

「おお猿飛ぃ。お前ついに公に名前が出る仕事したな。これでEランク評価も返上だなぁ」

 

「なんやおどれ、こない実力あんなら始めから示さんかい。まぁ今回の件でおどれを反面教師呼ぶ奴もおらんなるやろな」

 

「……これ、ニュースでは『警察の活躍』ってことで処理してくれるか、ジャンヌ」

 

「始めからそのつもりだ。すでに報道関係には手が回っている。この件でお前の名前が世間に知られることはない」

 

「ありがとな、ジャンヌ」

 

「なんや勿体ないなぁ。堂々名乗っとればヒーローになれる言うのに」

 

「蘭豹先生、オレは諜報科です。矢面に名が知られるのは避けたいんですよ。あと目立つのは苦手なんで」

 

「まっ、お前はそういうやつだよなぁ。だが今回の働きはそれ相応に評価する。吉報を待つんだな」

 

 それ凄く嫌なんだけど。

 それ相応に評価ってことは、ほぼ確実に武偵ランクに関わることだろうし、最悪だ。

 

「ジャンヌ、中空知は通信科にいるのか? 会ってお礼くらいしたいんだが」

 

「ああ、それはやめておけ。中空知は少々性格に難がある。礼なら私から言っておくから気にするな。だがなんだかんだでキッチリ仕事をこなす辺りは流石だな。聞けば人質の中に犯人が紛れていたとか」

 

「ギリギリ処理範囲内だっただけだ。もう頼まれてもあんな強襲しないぞ。オレを使うなら専門の範囲に収めろ」

 

「それは約束できんな。私は少々お前を使うのが好きになった。これからもよろしく頼むぞ」

 

 そう言ってジャンヌはふっ、と少しだけ笑って見せてから貴希の車へと先に乗ってしまった。

 どうやらオレはジャンヌの手駒その1に認定されたらしい。

 それはそれでジャンヌに認められたと思えて嬉しいのだが、扱いに不満がある。

 せいぜいこれからは都合の良い駒にならないように気を付けよう。

 そしてこの事件はオレやジャンヌ達の名前が一切出ることなく『武偵高の生徒の活躍で解決』と報道され、騒ぎ立てられることもなかった。

 その翌日、オレは教務科に呼び出されて足を運び、諜報科の教諭、チャン・ウーの席の前に来たのだが、あの人の姿見たことないし今もこの場にいないのに声だけするしでぶっちゃけ苦手だ。

 そのチャン・ウーの言葉に従って机の引き出しを開けて中から1枚の書類を取り出す。

 

『猿飛京夜

此度の件は高評価に値する活躍を見せた貴殿を武偵ランクAに引き上げとする。

なお、今後Sランクの定員枠が空いた場合のくりあがりで優先される武偵としても扱う』

 

 この記述の下にその場合の試験内容がズラっと書かれてたが、要約するとSランク相当のAランク武偵から考査し選出するってだけ。

 まさかのSランクへの格上げの可能性に一気に血の気が引く。

 当然この情報は音速で学園島を駆け巡り、明日には全校生徒が知ることとなるだろう。

 なんとかSランク措置だけでも取り消してもらおうとチャン・ウーに抗議しようとしたが、すでに気配がない。死ねやあの野郎!

 仕方ないと諦めるわけにもいかなかったオレは、以前からオレに目を付けていた綴に藁にもすがる思いで頼むと、凄く面倒臭そうにしながらも、先の魔剣の件もあるからと渋々了承してくれて、なんとか優先権を取り除きAランクに留まったのだった。

 第一、オレがSランクになったらアリアやレキ他、世界中にいるSランク武偵に失礼だしな。

 それでもやはり騒がれないことはないだろうから、新学期が始まったら面倒臭そうだ。

 まぁ、こんな悩みも意味がなくなるかもしれないんだがな……



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Bullet30.5

 

 8月21日。

 この日私は朝早くに教務科に呼び出しを受けた戦兄、京夜先輩に同行して教務科の前まで来ていました。

 昨日、池袋の家電店で立てこもり事件があり、その事件解決に秘密裏に関わったとかで京夜先輩がこうして呼び出されたわけですが、特別報酬か何かが出るのでしょうかね。

 私はつい数分前に1人で教務科へと入っていった京夜先輩を正面入り口で武偵犬――登録はそうなってますが、狼――の美麗と煌牙、そして相棒であるインコ、昴と他愛ない意志疎通で時間を潰しながら出てくるのを待っていた。

 武偵高3大危険地帯とまで言われる教務科の前にいるのはなんだか落ち着きませんでしたが、出入り口にただ居るだけなので特にそれを咎める人もいなく、私のソワソワとした気持ちとは裏腹に何事も起きることなく十数分後に建物から出てきた京夜先輩と合流。

 ですがその京夜先輩の表情に明るさがなく、私が良くないことでもあったのかと心配な顔を浮かべると、大きなため息を吐いてから苦笑してポケットから折り畳まれたA4サイズの1枚の紙を取り出し私に渡してきました。

 浮かない表情の原因がこの紙に書かれているのだと断定した私は、受け取って恐る恐るその紙を広げると、そこには『武偵ランクAへの格上げ』という概要が記されていました。

 

「え……ええ!?」

 

「お、ダジャレか?」

 

「違いますよ!! 驚いたんです!! あ、いえ! 別に京夜先輩がAランクの実力を持ってたことにではなくてですね……今さっきまでEランクだった評価が一気に上がったなぁって意味でです」

 

 私が驚いた理由を聞いた京夜先輩は「わかってるよ」とでも言わん笑みで私を見てから、ひょいっと紙を取り上げて、さっさっと紙飛行機を作成。

 出来た紙飛行機を教務科の建物横に生えていた木に向けて飛ばした。

 紙飛行機はシュワッとまっすぐに木の幹上部へ飛んでいき、ぶつかる直前にその木の中から誰かが降りてきて紙飛行機をキャッチし地面に着地。

 

「気付いて申したか。某もまだ修行が足りぬでござるな」

 

 木の中から出てきたのは、夏真っ盛りなのに暑そうなマフラーを首に巻いた私の友人、風魔陽菜ちゃんでした。

 いつからいたんだろう。気付かなかったよ……というか何で隠れてたの?

 

「お前は顔見知りだからそれで許してやるが、『他の奴等』にはこっちを投げるぞ」

 

 京夜先輩は陽菜ちゃんにそう言ってから懐に忍ばせていたクナイを右手で3つ取り出して投げる構えをとる。

 え? 他の奴等って、何?

 そう思った私が周囲に意識を向けると、ホントに希薄な人の気配が隠れられそうな場所にいくつかあって、京夜先輩の言葉を聞いて一斉にこの場から離れていったのがわかった。

 陽菜ちゃん以外の人の気配がなくなったのを確認した京夜先輩は、構えていたクナイを懐に戻しながら「ったく」と一言漏らして、キョトンとする私に話をしてきました。

 

「『教務科からの呼び出し』なんていう滅多にない情報で好奇心から集まったバカ共(武偵高生徒)だ。こういうことに能力を出し惜しみしないのがまたバカを引き立ててる」

 

 武偵高の生徒は無駄に知りたがりですからね。

 情報が半日くらいで当人以外には筒抜けになっていたりもよくありますし、ホントに武偵なのか犯罪予備軍なのかわかりません。

 京夜先輩の言葉につい苦笑してしまった私は、こちらに近付いてきた陽菜ちゃんに視線を移しながら話を再開する。

 

「それで京夜先輩は何で突然Aランクになれたんですか?」

 

「そんなの簡単だ。『本物の目は誤魔化せない』ってだけ。綴……チャン・ウーもらしいが、オレはだいぶ前から教師連中に『武偵ランクに疑い有』ってマークされてたんだよ。昨日まではA以上の評価を下せるような実績を残してこなかったから、教師陣も手を打てなかったんだが……」

 

「えーと、つまり教務科は始めからいつでも京夜先輩のランクアップの準備万端で、そこに京夜先輩が昨日スプリンター並みの全速力で飛び込んだってことですね?」

 

「かなーり不本意だったんだがな。ジャンヌの奴にはいつかフランス料理のフルコースを奢らせる」

 

 京夜先輩はそんな冗談なのか判断が難しいことを言ってから、そばまで来た陽菜ちゃんに話をした。

 

「時間の問題だとは思うが、オレがAランクになったことは言いふらすなよ。少なくとも今日1日くらいは今まで通りでいたいからな」

 

「承知」

 

「んじゃ帰るか。小鳥はどうする?」

 

「あ、じゃあ私も帰ります」

 

「おっと、小鳥殿は待たれよ。実は某、今朝方に高千穂(たかちほ)殿から小鳥殿宛に言伝を預かってござる」

 

 京夜先輩が陽菜ちゃんに釘を刺してから帰ると言うので、私も一緒に行こうとしたら、陽菜ちゃんにそれを止められる。

 それに伝言を預かった人って言うのがあの高千穂さんなのは少し意外。

 陽菜ちゃんに止められてしまった私は、申し訳なく京夜先輩に断りを入れて美麗と先に帰ってもらい、陽菜ちゃんと、すっかり隣にいるのが普通になった煌牙と相棒昴とでその場に残る。

 伝言を預かったって言う高千穂(うらら)さんは、私達と同じ1年C組の人で、進んで組長をやってる強襲科Aランクの実力者。

 上からの物言いがあんまり印象良くないけど、悪い人ではないと思う。

 それに美女しか入れないCVRにも誘いの声がかかる美人さん。羨ましいです。

 

「それで陽菜ちゃん。伝言ってなに?」

 

「実は本日の昼食時に、高千穂殿主催の食事会なるものが催されており申して、某も呼ばれてござるが、友人を招くようにと言われ小鳥殿をお誘いしようと思い、猿飛殿の件のあと伝えようとしていたのでござる」

 

「お昼は京夜先輩も幸音さんもそう麺食べるって言ってたから大丈夫かな。場所はどこ?」

 

「1年C組の教室を拝借するとか。費用は全額高千穂殿負担とのことなので、某も快く参加申した次第」

 

「……陽菜ちゃん。いくらギリギリの生計だからって、食べ物に釣られてってのは不純だよ……」

 

 私がそう言った瞬間、陽菜ちゃんは何か弁明しようとしたけど、あまりに的を射られたからなのかぐぐぅ、と唸ってから「た、確かに伝えたでござるよ!」って言い残して煙玉で退散、逃げました。どうせ行ったらまた会うのに。

 

「まぁ、高千穂さんがご馳走を振る舞ってまで招待してるなら、誘われた側としては行かない理由はないよね。せっかくだからご馳走になろっか。昴、煌牙」

 

 陽菜ちゃんに逃げられてから私が2人――1羽と1匹――にそんな相談をすると、2人も「僕が食べられるものあるかな?」「帰ったら姉ちゃんに自慢してやる!」と乗り気。

 美麗の分は持ち帰ってあげようかな。あの子が暴れると大変だし。

 そうして即決したあと、京夜先輩に昼は外食することをメールで伝えてから、お昼までのわずかな自由時間を適当に潰していったのでした。

 

「わたくしの招きに応じた皆様、今日は存分に食事を堪能してくださいませ」

 

 時間通りに行った1年C組の教室には、バイキング式の料理が4面の壁すべてにズララァァ! と並んでいて、教室中央にいくつかくっつけた机が備えられていた。

 そして私が来たことで今日集まるメンバーは全員来たらしく、主催者である高千穂さんが食事前にそんな挨拶も兼ねた音頭をとった。

 その言葉のあとに「そ、そして友人間での交友を深め……」と小さな声で言いかけてから、取り消すように首をブンブン振って食事会開始を告げた。

 私はさっそく皿を持って料理を取りに行った陽菜ちゃんに苦笑しながら、今回この場に集まった人達を確認する。

 まずは私を誘ってくれた陽菜ちゃん。

 それから一時期あのアリア先輩の戦妹ということで騒がれた間宮あかりさん。

 私より小柄でアリア先輩の真似かはわかりませんが、髪を両側でまとめていて、なんだかいつも小動物のように可愛らしく、パッと見ではとてもあの難攻不落とまで言われたアリア先輩の戦姉妹試験勝負(アミカチャンスマッチ)をクリアした人には見えない……

 っと、そんなことを思いながらあかりさんを見ていたら、私に対して物凄い殺気というかプレッシャーを放ってくる人がいて、その人は黒髪長髪のいかにも日本女子といった可憐さと綺麗さを兼ね備えた人で、名前は確か……佐々木志乃(ささきしの)さん、だったかな。白雪先輩の戦妹とかってどこかで聞いたような。

 私は黒い何かを噴き出しながらこちらを睨む佐々木さんに負けて視線を別の人に逸らすと、その先では先日の熱海プチ旅行で一緒に遊んだ火野ライカさんと島麒麟さんが、仲良さそうに料理をよそっていました。

 あとは高千穂さんの取り巻き、愛沢湯湯(あいざわゆゆ)さんと夜夜(やや)さんがいつものように高千穂さんの脇に控えているだけですね。

 なんだが料理の量に対して人数が少ないように感じますが、高千穂さんって友達少ないのかな。

 さっきもモゴモゴ何か言ってたし。

 

「小鳥殿、そんなところで案山子になっていては料理を食べられぬでござるよ」

 

 この場にいる人達を見終わった私は、それからすぐに陽菜ちゃんに声をかけられてそちらを見ると、すでに陽菜ちゃんは皿に山盛りで料理を盛り付けて席につき、普段は「某はこれで素顔を隠してござる」とか言ってバイトの時以外は頑として取ろうとしない口当てを下にずらして両手を合わせて頂きますの姿勢。

 そんなに急がなくても料理は逃げないと思うけど……

 そう思いつつも口には出さずに、隣にいた煌牙も「早くオレの分!」と急かしてくるので、せっかちな友人と護衛役に合わせて私も料理を盛り付けて席についたのでした。

 人数も数える程度だったこともあり、そのあとすぐに間宮さん達とも打ち解けて一緒に料理を囲んで話をしながら手をつけていく。

 間宮さんはよっぽど好きなのか、話の節々にアリア先輩の名前を出してテンションを上げていて、そのアリア先輩の名前が出る度に佐々木さんから黒い何かが噴き出したりして少し怖いですが、それが日常なのか気にしてる人がいませんでした。

 間宮さんは素で気づいてない感じですが。

 

「そういや橘。ここに来る前にちょろっと小耳に挟んだんだけどさ」

 

 しかし話が間宮さんのアリア先輩自慢オンリーになりかけて、佐々木さんが阿修羅のような顔になったのをさすがにまずいと感じたのか、火野さんが話を区切って私にそんな切り出しをしてきて、私も何だろうと視線を火野さんに向け、他の人達も火野さんを見る。

 

「あんたの戦兄の猿飛先輩、いきなり武偵ランクがEからAに上がったらしいな。経緯はわかんねぇけど、あんまないケースだよな」

 

 は……早い……さすが武偵高……最初に知らされた私ですら今から数時間前に知ったことなのに、もう火野さんの耳に届いてる。

 

「ええー!! そんなのずるいよぉ! 橘さん! 先輩はどんなインチキをしたの!」

 

 火野さんの話に真っ先に反応したのは間宮さん。

 間宮さんはぐいっと顔を私に近づけて言及してきますが、佐々木さんが落ち着かせて鎮めにかかる。

 

「あのクサレ外道。やっと本性を現しましたか」

 

 私がクールダウンした間宮さんに説明しようとしたところで、デザートのケーキを食べていた島さんが口を開いた。

 京夜先輩はクサレ外道ではないですが。

 

「どういうことだ、麒麟?」

 

「どうもこうもありませんわ、ライカお姉様。あのクサレ外道がどうして1年の時から探偵科のエリート、理子お姉様や強襲科の元Sランク、遠山キンジ先輩と普通に……いえ、普通以上の付き合いができているとお思いです?」

 

「……つまり、猿飛先輩は当初からEランクにいるのがおかしかった……ということですか?」

 

「認めたくありませんがそういうことですの。『反面教師』なんて呼ばれても気にもしない性格。特に目立とうともしない秘匿性。必要以上のコミュニケーションを取らない社交性。これらを全てプラスに考えれば『実力を隠している』裏付けになり得ますの。要は『元の鞘に収まった』といったところですの」

 

 島さんのそんな説明に一同はなるほどと相槌を打ち納得。

 えへへ。なんだか京夜先輩のことを認められたようで私はとても嬉しいです。

 

「つーことは、橘はそれを知ってて猿飛先輩に徒友申請したってことか? そうならあたしは橘も十分スゲーと思うぜ」

 

「あ、私は別に確信があって戦妹になったわけじゃないです。それに京夜先輩の実力を見抜いたのは昴ですし」

 

 次いで火野さんは私を高く評価するようなことを言ってきましたが、やっぱりここは相棒に感謝しなければと思いすぐにそう返しながら、机で野菜をつついていた昴に視線を移したのですが、私のそんな言葉に陽菜ちゃん以外はきょとんとしてしまいました。

 あ……最近私の能力を自然に受け入れる人達が増えて、ついいつもの調子で言ってしまいました。

 また電波な子とか思われたんだろうなぁ……

 

「橘さんってホントに動物の言葉がわかるの? だったら今この子はなんて言ってるの?」

 

 私がやっちゃったって顔をする中、微妙な空気を破ってくれたのは間宮さん。

 間宮さんは目を輝かせながら私の隣で骨付き肉をがつがつ食べる煌牙を指差してそう言ってきて、煌牙もそれには「なんだなんだ?」と困惑。

 

「えっと……『何か用なのか?』って」

 

「……な、なんか普通……」

 

 間宮さんのその返答に不満があったのか、煌牙は懐に骨付き肉を乗せた皿を抱えるようにガードしたままガウガウ! と吠えて抗議。

 

「『お子様が偉そうにオレを評価するな』」

 

「な、なによー!! い、犬の分際で!」

 

 ガウガウ!

 

「『オレは気高い狼だ。そこらでキャンキャン吠えてるやつらと一緒にするな、小娘』」

 

「む、むきー!」

 

 ガウガウ!

 

「『そうやってすぐムキになるところが小娘なんだよ。うちのご主人を見習え』」

 

「た、橘。そのくらいにしてやれ。あかりが茹でダコみたいになってる」

 

 煌牙と間宮さんの口喧嘩がエスカレートしてきたのを察してすかさず火野さんが止めに入りその場を収める。

 

「ご、ごめんね間宮さん。煌牙の言葉をそのまま言っちゃって……」

 

「ううん、気にしてないよ。それよりあかりでいいよ、橘さん。私たちもう友達だもん!」

 

「え、あ、はい。あかりさん。じゃあ私のことも小鳥でいいですよ」

 

「よろしくね、小鳥ちゃん! それからそこのインコと生意気なワンちゃん! もね」

 

 そうして改めて挨拶してくれたあかりさんは、煌牙とバチバチ視線で戦い始めましたが、煌牙には手は出すなと指示して、そのあと火野さんや佐々木さん達とも名前で呼び合うようになりました。

 その様子を恨めしそうに高千穂さんが見ていましたが、終始私達の輪に入ろうとせずに食事会が終わってしまいました。

 そんな感じでお食事会を終えた私は、高千穂さんから了承を得て残った料理を少し貰ってお土産として持ち帰り、帰り道で「その肉はオレが食うからな!絶対だぞ!」とか煌牙が言ってましたが、残念ながらこれは美麗の分です。

 煌牙はもう十分すぎるくらい食べてましたしね。

 

「ただいま帰りました」

 

 そうして帰ってきて、玄関からリビングへ入ると、そこでは珍しく京夜先輩が教科書とノートを広げて一般教科(ノルマーレ)の勉強をしてました。

 その傍には暇そうにあくびをしながら丸まって日光浴をする美麗に、ソファーに足を組んで座って黙々と文庫小説を読む幸音さんが。

 

「夏休みの宿題ですか?」

 

「そっ。なんだかんだで少しずつやってたんだが、まだ半分くらいあったから今やっつけてる」

 

「小鳥もまだ終わってないならやっちゃいなさい。夏休み終盤で慌ててやるのは見るに耐えないしね」

 

「幸音さんは何の本を読んでるんです?」

 

「恋愛小説。読み終わったら小鳥に貸してあげるわよ?」

 

 そう言って幸音さんが中身を見せてきた本は全文英語の日本人殺しな内容で、とてもじゃないですが読めないのでやんわりお断りしてから美麗にお土産を渡して部屋から宿題を持ってきて京夜先輩の向かいに腰を下ろして勉強開始です。

 

「んーと、ここはこの公式を使ってで……こうなるから……」

 

「小鳥。お前勉強する時はブツブツ独り言するタイプか」

 

「あ! すみません! 考え込むとつい声に出しちゃうんです」

 

「いや、別に気にしてないんだが、そこの問題、答え間違ってるぞ」

 

「え? どこです?」

 

 勉強を始めて数分。

 いつものように勉強してたら独り言する癖が出た私は、京夜先輩にそう言われて申し訳なく思っていると、本当に気にしてないのか、何気ない感じで私の宿題を見て数学の宿題での間違いを指摘。

 しかもちゃんと丁寧に解き方まで教えてくれました。

 そのあとも違う教科の宿題を何気なく見てくれて、所々で間違いを指摘してくれました。

 

「京夜先輩って、ひょっとして頭イイですか?」

 

「ひょっとしてってなんだ。小鳥から見たらオレは普段はバカに映ってんのか?」

 

「ち、違いますよ! なんか京夜先輩って、授業中とか寝てそうなイメージあるから……」

 

 そこまで言って完全に言葉の選択を間違えたと気づいた私でしたが時すでに遅く、京夜先輩に両頬を引っ張られてお仕置きされました。

 

「小鳥。京夜が勉強できるのは当然なのよ?」

 

「え? どうゆうことれすか?」

 

 両頬を引っ張られて呂律が微妙に回らなかった私が、視線を一時も本から外さない幸音さんにそう聞き返すと、幸音さんは尚も視線を外さずに淡々と言葉を紡ぐ。

 

「京夜は京都武偵高では私と同じ学年にインターンとして在籍して一緒に勉強してたのよ。ほぼ3年間ね。それでこっちでまた高1から同じ内容の勉強してるんだから、京夜からすれば小鳥に勉強を教えるなんて『復習の復習』。いま自分でやってる宿題もそうなのよ」

 

「ほえー。ちなみに学力試験って平均何位なんですか?」

 

「一般教科なんて武偵高では大して取り立たされないからな。オレも普通に10位以内には入ってる。白雪には勝とうとも思わないがな」

 

 白雪先輩……あの人は確か偏差値75とかってアドシアードの時に他の先輩から聞いた気が……

 平均偏差値が40くらいの武偵高では考えられない数値です。

 

「白雪先輩は別格と言いますかなんと言いますか……とにかく、京夜先輩が頭イイっていうのは新たな発見です! ゆ、優等生に敬礼であります!」

 

「バカにしてんのか」

 

 何はともあれ、京夜先輩が優等生なので別段含むところなど一切ない敬礼をしたのに、京夜先輩はそう言ってまた私の両頬を引っ張ってお仕置きしてきました。素直に尊敬してたのにぃ!

 

「そういえば幸音さんが『宿題をやりなさい』なんて言ったの初めてですよね。それにそんな外国の恋愛小説読んでますし。いつもなら漫画とかラノベじゃないですか」

 

 これ以上京夜先輩の機嫌を損ねたら私の両頬がだらしなく垂れてしまうので、多少強引でしたが話題を変えてみることに。

 

「今日の幸姉は『真面目』だからな。基本的に有益なことしかしないし、何より静かな空間を作りたがる癖があるんだよ」

 

「読書は静かにしたいもの。それに英語は万国で通用する最もメジャーな言語なんだからわからないと今の時代困るわ。そしてこの静かな空間で京夜達がやれることなんて勉強くらいなものでしょ? 残り数日の夏休みをのんびり過ごせると考えれば十分なプラスよ」

 

「あれ? でも今までも何回か私『真面目』な幸音さんを見てますけど、私達に何か言ってきたりはしなかったですよね」

 

「京夜も小鳥も別段何も言わなくてもやることはやるし、基本的に騒いだりしないでしょ? 私が前にいた場所なんて、読書してたらお菓子持って部屋に押し入ってきたり、突然武器を売りつけにきたり、漫画のアシ頼まれたり、チェスの相手させられたり、メイド学を説き始めたりでとてもじゃないけど落ち着かなかったわ」

 

 そう話した幸音さんは、その当時を思い出したのか今まで読んでいた本から目を離して頭痛でもするかのように頭を抱えた。

 それはそれで楽しそうなところだなぁ、とか思った私でしたが、思い出すだけで気疲れしてる幸音さんを見ると、きっと度が過ぎたりするんだろうなぁ。

 

「あ、漫画のアシで思い出したわ。京夜、確か夾竹桃も東京武偵高にいるのよね?」

 

「ん? ああ、4月に間宮達が逮捕してどっかにいるって話だけど、詳しいことは知らない。理子とかジャンヌなら知ってんじゃないか?」

 

「まぁ、あの人はペンと原稿さえあれば生きられるから心配してないけど、今度会ってこようかしらね」

 

 どんな人ですかその人……その前に逮捕って、犯罪者? そんな人と知り合いの幸音さんって……

 そんな私の表情を読み取ったのか、幸音さんは心配するなとでも言うように笑みを浮かべてまた視線を本に向けて話す。

 

「大丈夫よ。夾竹桃は犯罪者だけど悪人じゃないわ。ただ時々自身の探求心が暴走するだけ」

 

 それで犯罪者になるって、どんな探求心ですか……

 そんな感じでずっと手が止まっていた私と、話しながらも淡々と宿題をこなしていた京夜先輩。

 総量的には私の方が少なかった宿題もいつの間にか逆転されてました。は、早いよ京夜先輩……

 こうして今日1日をいつもより穏やかに過ごした私は、この日で残りの宿題をやり終えて、翌日からの夏休みをのんびり過ごし始めたのでした。



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Bullet31

 8月22日。の、もう夜9時を過ぎているのだが、この日は確かキンジが長い入院生活から脱出する日だったはずだ。

 だからオレはキンジの奴が部屋に戻ってくるのを待っていたのだが、この時間になってようやく下の部屋のリビングの灯りが点いたのだ。

 退院初日から何を道草食ってんだと思いながら、ベランダで涼みながらやっていた幸姉とのガチの罰ゲーム付き将棋をオレの王手で終わらせて、幸姉に美麗と煌牙のシャンプーを頼んでから、いつぞやの件でアリアが勝手に貫通させた寝室の上下扉を通ってキンジの部屋の寝室へと降りてリビングへと足を踏み入れた。

 

「おいキンジぃ。退院祝いに小鳥の手料理を恵んでやるから、上に来な……いか……」

 

 当然オレはリビングにいるのはキンジだと思って話しかけたのだが、そこにいたのはキンジではなく、白雪と同じ緋袴の巫女装束を着たこれまた白雪をそのまま幼くしたような少女だったのだ。

 

「……お……おと……」

 

「…………ずいぶんと小さくなったな、白雪。ついに星伽は若返りの薬でも作ったのか?」

 

 突然寝室から出てきたオレを見て、少女は何か言葉を発しようとしていたが、オレもオレでミスが恥ずかしかったので、冗談混じりにそう言って少女の頭に触れる。

 

「猿飛くん!? どうしたの!?」

 

 そこに事態を察知した本物の白雪が登場。お風呂にでも入ろうとしていたのか、武偵高のセーラー服のリボン――夏服ではリボン――を外して、靴下も脱いでいた。

 

「白雪……お前はいつから分身の術を使えるように……オレでもそれはできないぞ」

 

「そんな術使えないよ! それにその子は私の妹の粉雪(こなゆき)

 

 あ、やっぱ妹なんだ。

 そうだろうなとは思ってたけど、なんでまたキンジの部屋にいるんだよ。

 と、オレが思いながら隣にいる粉雪ちゃんを見ると、何故かワナワナと体を震わせて顔を伏せていて、

 

「お、おとこぉぉぉお!! 不潔です! 不潔不潔不潔!! き、清めを! 一刻も早く清めの儀式を!」

 

 突然爆発したようにそう叫んでオレの手を振り払って白雪の後ろに隠れてしまった。

 あ、なんか島麒麟と同じ匂いがする。

 

「どこから沸いたんですかあなたは! さっさと出ていきなさい! ここはいま男子禁制です!」

 

 いや、ここ男子寮……などと言わせる時間すら与えない粉雪の剣幕に押されるようにオレはリビングから寝室へと後退して、申し訳なさそうに両手を合わせる白雪と1度視線を交わらせてから、今夜はもう来ない方がいいことを悟り、大人しく退散したのだった。

 そのあとキンジにはメールで退院のお祝いをして用件を済ませこの日はそのまま就寝。

 翌日。

 オレは先日の武偵ランク引き上げの件で夏休み明けに話題にされてああだこうだと騒がれるのを予想していたため、そうなる前に『仕方なく』諜報科の専門棟に足を運んで先に事態を収拾しに行った。

 こんなことに美麗達を巻き込むのも嫌だったから、今回は彼女達には留守番してもらい、ものすっごい嫌な顔をしてるであろう自分の顔を自覚しながら、諜報科の専門棟に足を踏み入れた。

 

「お? 猿飛じゃないか!」

 

 入り口に入って数秒。

 早速どこからともなく諜報科の生徒が姿を現してオレに寄ってくる。

 

「何か用なのか?」

 

「用がなきゃ話しちゃいけない決まりでもあんのかよ」

 

 用があってもあんまり聞く気はないんだがな。

 そんなことを思いながら入り口で止まるのも迷惑なので取り敢えず廊下を歩いていったのだが、何でついてくるんだよ。

 いや、理由はわかってるんだけどさ。

 

「おい、猿飛が来たぞ!」

 

 廊下を少し歩くと、今度は別の生徒が突然天井から顔を出してそのままするりと降りて近付いてきて、その声を聞き付けた他の生徒も隠れられそうな場所から虫のように湧いて出てくる。お前らそんなに暇なのか。

 そんな感じでいつの間にか十数人の生徒に取り囲まれたオレは、廊下のど真ん中でとおせんぼ状態にされてしまった。

 

「猿飛、お前は前から何か隠してるような感じはしてたんだよ!」

 

 嘘つけ。ついこの間まで諜報科の恥だとか思ってる視線を向けてたくせに。

 

「猿飛君ってよく考えたらクールでできるオーラ出てる!」

 

 そんなオーラは微塵も出したことないし、ここではいつも死んだ魚の目をしてたっての。

 

「猿飛先輩! かっこいいです!」

 

 おお、凄い手の平返しだな後輩よ。その変わり身の早さはさすがと褒めてあげよう。

 それにしても武偵ランクが上がっただけでこうも周りの態度が変わるというのは笑えるな。

 諜報科の『反面教師』が一変。ちょっとした英雄のようになってしまった。

 

「……人に酔いそうだ……」

 

 こんな状態が数分間も続き、オレが人払いをするようにそう呟くと、いち早く反応した後輩女子が「大丈夫ですか?」と言い寄ってきて、他の女子が「猿飛君が嫌がってるから解散解散!」と人を散らせてくれた。

 ありがたいけど、君達も解散してください。

 そうして女子2人だけとなって、その子達にも大丈夫だと言ってお礼を述べたあと、医務室に連れていこうとするのをやんわり断ってそのまま別れ、何とか今回の目的を達成。

 これで諜報科棟内では他の場所より安全な場所になったはずだ。

 それで帰ろうとも思ったが、何もしないで帰るというのも無駄足に近いので、遊び感覚で『タイ〇ショック』のあの縦横無尽にぐるんぐるん回転する装置をやることにした。

 この装置で酔う人は数多いるが、オレのように延々と回されても酔わない奴等もこの諜報科には少なくない。

 いつも回ってる最中は基本的に無心になるのだが、この時は周りの声に意識を向けて目を閉じ、同時に聴音弁別も行っていた。

 この装置のある部屋には他に数人の生徒がいて、その生徒達の声を集中して聞き取ると、もうすぐ15分くらい回ってることになるオレの話をしているようだった。

 そんな注目するようなもんでもないんだから、自分の訓練に勤しんでください。

 と本気で思いつつ、もうすぐやめようかなと考え出した矢先、オレの耳によく知る人物の声が入ってきた。

 オレはその声を聞いた途端に装置の回転を止めて降り、すぐその人物を探す。

 

「何でお前がいるんだ? キンジ」

 

 探していた人物、遠山キンジは、オレがいた部屋を覗く形で入り口付近に姿を見せていて、オレの存在に気付いてすかさず言葉を返してきた。

 

「学園案内だよ」

 

 は? この時期に学園案内やってたか?

 なんて思ったオレだが、そのキンジの隣にもう1人いたことに近付いて気付く。粉雪ちゃんだ。

 

「猿飛様ですか」

 

「会いたくなかったって感じがプンプンするな」

 

 心底機嫌の悪そうな粉雪ちゃんは、武偵高のセーラー服とは違うサマーセーターの制服を着ていて、この場所ではちょっと目立つ格好だった。

 しかし学園案内とか言ってるが、この感じからして粉雪ちゃんが『付き合ってあげてる』感がハンパないな。

 

「その学園案内で単位が貰えたりとかなのか?」

 

「鋭いな。その通りだ」

 

「お前まだ単位足りてないのか? バカなのか? バカなんだな。粉雪ちゃんもお疲れ様」

 

「遠山様がバカなのは周知の事実です。あと私を気安くちゃん付けで呼ばないでください!」

 

「これは失敬を、お嬢さん。これ以上引き留めては機嫌をますます損ねてしまいそうなので、そこのバカは速やかにお嬢さんを案内してあげなさい」

 

 粉雪ちゃんは学園案内を受けているからたぶん中3なんだろう。

 そんな子にオレがムキになっても言い争いにしかならないのは目に見えているので、この場は大人な対応をしてキンジにあとを任せる。

 言われたキンジは何かオレに言いたそうにしていたが、粉雪ちゃんがそそくさと先を行ってしまったので、見逃してやるとでも言うように睨んでから諜報科棟の出入り口へと歩いていった。

 それから少し休憩して諜報科棟から部屋に戻ったのだが、その間にまた例の件でチョロチョロと近付いてくる生徒が何人かいて、正直鬱陶しかったが、なんとか捌いて難を逃れた。

 まだ昼を少し過ぎたくらいの時間帯なのに、何故か疲れてしまったオレは、部屋に戻るなり寝室へと移動してベッドで横になり昼寝を始め、ものの数十秒で眠りに就いた。

 長らく人に注目されることを避けてきたから、おそらくその反動だろう。

 しかしイ・ウーの連中との戦いと同じくらいの疲労感とかあり得ない。オレは自分が思ってる以上に注目されるのが嫌いなようだ。

 そうして昼寝から目を覚ましたのはまさかの夜8時。

 さすがに寝過ぎだろと自分にツッコんでからベッドから起きてリビングに入ると、幸姉と小鳥が美麗と煌牙を枕にしてうつ伏せに寝ながらダラっとテレビを観ていて、オレが起きたのを確認した小鳥がそそくさとキッチンへと向かい夕飯を温め直してくれた。気を遣って起こさなかったのか。

 おっと、そうだそうだ。昼に聞き忘れてた件を片付けよう。

 バカキンジ君が単位不足なのはわかったが、あといくつ足りないのか聞いてなかった。

 オレとしてはキンジが留年しても何の問題もないんだが、切羽詰まってオレにまで何かないかと詰め寄られるのは避けたいからな。

 そう思いつつ、昨夜の粉雪ちゃんの珍事件を踏まえて、今回は寝室の上下扉を通ってからすぐにリビングに入らずに様子見をする。はずだったんだが、

 

「ついに老化まで進んだか、バカキンジ。まだ寝るには早いぞ」

 

「俺だってまだあんまり眠くない。だが粉雪に逆らうと色々面倒なんだよ」

 

 まさかのキンジ君がベッドで就寝中だった。

 しかし何はともあれ手間は省けたのはラッキーだ。

 

「バカキンジ。お前今日の学園案内で進級の単位は揃ったのか?」

 

「……いや、あと0.7足りない」

 

「…………これだけは言っとくぞ。オレを頼るなよ」

 

「それは約束できん。すでに緊急任務も受けられないし、今だって何かないか目下捜索中だ」

 

「まぁ、依頼を探せとか言わないで依頼解決に協力しろって話ならやらんことはない。内容にもよるがな」

 

「助かる」

 

「よし、用件終了だ。また粉雪ちゃんに見つかると面倒だから退散する。じゃあな」

 

 これでキンジが泣きついてくることはないだろう。

 しかし0.7不足とは豪快だな。夏休みもあと1週間しかないし、これは本当に留年かもな。

 そう考えつつ、粉雪と鉢合わせる前に上階へと戻ったオレは、そのあと小鳥の料理を食べてから、少々寝すぎて冴えてしまっている体を少しでも寝やすい状態にするために夜の散歩に出かけた。

 武偵高の夏服では少々肌寒くなってきた晩夏の夜。

 オレは色々目立つ武偵高制服は着ずに、紺色のジーンズに無地のTシャツで黒のジャケットと、街を歩けば似たような格好がいそうな服装で男子寮を出て、のんびり散歩を始めた。

 散歩に出かける際に、ついでだからと幸姉に『旅行用スーツケース』と『犬用シャンプー』を買ってくるように言われてしまい、散歩だからと学園島から出てるモノレールには乗らずに歩いて台場まで足を運んだオレは、まずそちらを片付けにかかった。

 というか美麗達用のシャンプーは昨日まで余裕あったはずなんだが、幸姉に罰ゲームでシャンプー任せたのは間違いだったか。昨日は『男勝り』だったし。

 そんなこんなでパパっとお使いを終わらせて――どちらにせよ、閉店時間があったため優先しなければならなかった――から、すぐに戻ろうと思ったのだが、ちょうど台場のモノレール駅前を通ったところで見知った顔を発見した。

 

「キンジ? 何やってんだあいつ……」

 

 モノレール駅から出てきたキンジは武偵高の夏服姿で、見た感じですぐに遊びに出てきたのではないとわかった。

 一般人から見たら何気なく歩いているキンジだが、武偵目線で見ると誰かを尾行している。

 ならばその尾行している人物は誰なのかと確認すると、キンジの歩く方向の先。

 尾行するには最適な距離と位置にいたのは、今時の女子! といった明るい服装をした粉雪ちゃんだった。

 時間を見れば夜9時を回ってしまっているため、おそらくお忍びで台場まで足を運んだ粉雪を心配してキンジが跡をつけた、といったところか。

 確か白雪も最近まで星伽の決まりとかで外に出ることが許されなかった筋金入りの箱入り娘だったから、粉雪ちゃんも本来なら台場なんて来てはいけなかったはずだ。

 そういやオレ、粉雪ちゃんが何で東京武偵高に来たのか知らないんだ。

 武偵になりたいわけではないのは昼の様子でわかったし、白雪に会いに来たってだけで青森の星伽神社からわざわざ来るだろうか。

 などと推測を立てたところで答えがわかるわけもないので、考えるのをやめてから今度は散歩だけよりも神経も使っていいかもと思い、オレも粉雪ちゃんの護衛に参加。

 さらにキンジにもバレないようにとちゃっかり難易度も上げてみる。

 だが、この作戦を成功させるには少々目立つアイテムを装備しているのがイタい。

 このローラー付きのスーツケース。中身が空だから担ぐこともできるが、どうやっても目につくよな。

 仕方ない。格好自体は目立たないから、2人を見失わないギリギリのラインで尾行するか。

 そうして粉雪ちゃんとキンジを見失わないように尾行を開始したオレは、楽しそうに夜のショッピングモールで買い物をする粉雪ちゃんと、それを護衛するキンジを見守っていた。

 しかしまぁ、店から店へ入る度に買い物袋を増やしていく粉雪ちゃん。

 星伽が金持ちなのはわかるが、中学生が溜め込む貯金ではない気がするぞ。いくつか敷居の高そうな店があったし。

 と、そこまでの様子を見ていたオレは、そんな粉雪ちゃんの行動からある仮説が頭の中に浮かんだ。

 ――粉雪ちゃんは何かこちらに来るだけの理由があった。だが、それを好機として、巡ってきた少ないチャンスで今この場所にいるのではないか――

 星伽の巫女は一生のほとんどを神社の中で過ごすらしい。

 京都にある分社ですら、外周から浮き世離れした空気を醸し出しているのだから、こんな街でショッピングなんて一生縁がないと言っても過言ではないのだろう。

 そう考えると、今ああして楽しそうに買い物をする粉雪ちゃんは『夢を叶えた少女』と言えるのか……って、粉雪ちゃん見失った!!

 オレが数秒くらい思考している隙に移動したらしい粉雪ちゃんを慌てて探すが、ギリギリまだキンジが視界内にいてくれた。あ、危なかった。

 それから粉雪ちゃんは、両手にいっぱい提げた買い物袋が重かったのか、休憩しようとオープンカフェへと入っていき、キンジもそれに続く。

 オレはそこまで接近するわけにはいかなかったので外で出てくるのを待つ。

 少しして自販機で買った缶コーヒーを飲みながらオープンカフェとその周囲を何気なく見ていると、またもや見知ったシルエットを発見。お姉さんまで心配して来たのか、白雪。

 そんなわけで粉雪ちゃんの護衛がまた1人増えたところで、オープンカフェから出てきたお嬢様は満足したような顔で歩き始めて、ようやく帰るような素振りを見せた。

 が、そのルートは台場駅までの遠回りの道で、おそらく景色でも眺めながら先程までの夢のような時間の余韻に浸りたかったんだろうな。

 しかし迂回ルートとなるとひとけがなくなるから、何事もなければいいが……

 まぁ、何か起こってもキンジも白雪もいるしな。それから頼りないがオレも。

 そんな悪い予感というものを都合よく的中させてしまう不幸スキルを発動させたオレは、公園から出てきた大学生くらいのチャラチャラした男達4人が粉雪ちゃんを囲むように近寄ったのを見て頭痛がしてきた。

 

「こんばんはー、いっぱいお買い物したねー」

 

「あっれぇー? もしかして1人ぃ? 可愛いーのにもったいなーい」

 

 今時の大学生ってのは女子中学生にもあんなナンパみたいなことするんだな。

 などと一部の大学生の生態調査を始めるのも全国の大学生に失礼なのでやめて、彼らに対して気丈に振る舞う粉雪ちゃんを観察する。

 さて、1人でどうにかできるかな?

 

「の、退きなさい。星伽の巫女は、悪徒の威迫には応じません!」

 

 あー、その対応はダメだな。相手を挑発するだけだ。

 やるなら悲鳴を上げるとかそんなのじゃないとな。

 

「ハァ?」

 

「日本語喋れやガキ!」

 

「剥くぞオラ!」

 

 粉雪の反発にヘラヘラしていた大学生達は態度を変えてそんなことを言い、その内の1人が尻のポケットから拳銃を取り出した。

 おいおい、中学生に銃抜くとかアホなのか。というか日本も規制が緩くなったな。あんな大学生に銃なんかが出回っちまって。

 さすがに銃なんかが出てこられては見守るだけなんて出来ない。

 さらに残りの3人もナイフやスタンガンを取り出したからなおさらだ。

 それには気丈に振る舞っていた粉雪ちゃんも抵抗できなかったのか、その場にしゃがみこんで泣き出してしまう。

 そのタイミングでようやくキンジも動き、男達に分かりやすい挑発をしながら姿を現したので、オレは持っていたスーツケースなどをその場に置いて、キンジに視線を向けた大学生達に回り込むように後ろをとって近付き、

 

「ンだテメーは! 消えろ! って、あれ?」

 

 拳銃を持っていた男が姿を見せたキンジに銃を向けようとしたので、盗られたことにも気付かないレベルで銃と捨てずに持っていた空の缶コーヒーをすり替えてやった。

 当然男はその手に持つのが拳銃じゃないことに気付き驚く。

 そのあと流れるように他の男達から持っていた武器を盗んで無力化し、キンジとは真逆方向に離れて盗んだ拳銃などを見ながら一言。

 

「物騒な世の中になったもんだ」

 

 その言葉で初めてオレの存在に気付いたらしい男達は、一斉に後ろを向き、オレの手に自分達の武器が持たれていることに驚き、目を丸くする。

 

「ホントに、俺もそう思うよ」

 

 オレの言葉に返事を返してきたのはキンジ。

 キンジはオレがこの場に出てきたことに一切驚いた感じがなく、その反応で初めて尾行がバレていたことに気付いてしまった。

 あの野郎、またHSSとかいうのになってやがったな。

 

「な、何なんだよテメーらは……」

 

「「武偵高(あそこ)の生徒だよ」」

 

 戸惑う男が苦笑するオレ達を見ながらそんなことを聞いてきたので、キンジと一緒に顎で学園島の方を示してやる。

 それで伝わったのか、男達は武器を失ったのもあり一斉にその場から逃げ出していき、この場にはオレとキンジと粉雪ちゃんだけとなった。

 突然のオレ達の登場に泣くのも忘れていた粉雪ちゃんは、3人になってやっと状況を呑み込めたのか、ささっと正座をしてオレ達に深々と頭を下げてきた。

 

「……ほ、星伽にはこの事、な、何とぞ内密にしてください……!」

 

 白雪まで護衛に出てきた辺りから確信してたが、やっぱり内緒で来てたか。

 しかしお礼じゃなくてそっちの件で頭を下げるとは思わなかった。

 それを聞いたオレはそもそも粉雪ちゃんが何をしようと口外する気など毛ほどもなかったので、その返答をキンジに任せると、キンジは頭を下げる粉雪ちゃんに近付いてその頭をそっと撫でる。

 

「言わないよ。今夜のことは3人だけの秘密だ」

 

「そんなことよりよ、キンジ。まだそちらのお嬢さんは『夢の中』にいるんだから、出てきた以上はちゃんと最後までエスコートしてやれ。よく言うだろ。帰るまでが遠足だって」

 

「そ、そんなこと……」

 

「それもそうだな。ではお嬢様を安全無事に家までお送りいたします。猿飛も出てきたからにはちゃんとエスコートするんだろ?」

 

 まぁ、せっかく知り合いがいるのに今から別れて1人で帰るより、その方が自然ではあるか。帰る場所も同じだしな。

 それでこのあとの行動が決定したオレとキンジは、頭まで下げて秘密にしてもらったことを「そんなこと」の一言で片付けられてしまって呆然としていた粉雪ちゃんから、持っていた買い物袋を全て取り上げて代わりに持ち、パッと見で2人のお世話役をはべらせたお嬢様状態にしてあげると、凄く恥ずかしそうにしていた。

 そのあと放置していたスーツケースなどを回収して、大学生から盗んだ拳銃などを空のスーツケースにしまい、歩いて台場駅目指して歩く。

 拳銃とかは後日あややにでもプレゼントすれば喜んで分解して備品にしてしまうだろう。

 それから男子寮に戻る――オレもモノレールに乗った――まで粉雪ちゃんはオレとキンジの少し後ろを恥ずかしそうにしながら黙ってついてきて、バレないように様子見に来ていた白雪が先に帰れるようになるべくゆっくりと歩いたのだった。

 翌朝、粉雪ちゃんが早々に帰ることを昨夜ちゃっかり聞いていたオレは、男子寮の前に冗談みたいに長いリムジンが止まってるのを見て、改めて星伽の凄さを実感しつつ、寮から出てきた巫女装束姿の粉雪ちゃんとキンジにひと声かける。

 するとキンジに軽くお辞儀をしてから粉雪ちゃんはオレに近寄ってきて目の前で止まる。

 

「昨夜はありがとうございました」

 

「いえいえ、お気になさらずにお嬢さん」

 

「……私は此度、お姉様を連れ戻すためにこちらへ参りました。武偵高、武偵というものを認められず、そのようなところにお姉様がいてはならないと、そう思ったからです。ですが、それは些か軽薄な考えであったことが理解できました。今の世に武偵は必要なのかもしれません。猿飛様にも無礼を働いたことを謝ります」

 

 まぁ、武偵は社会的にもまだ立場が全肯定された存在じゃないから、そんな考え方だったとしても仕方ない。

 

「それであの、突然ですみませんが、猿飛様に『(たく)』が降りましたのでお伝えしますね」

 

 と、先程の謝罪に対して気にしてない風を醸し出していたら、それを察してか突然粉雪ちゃんはオレにそう言って話を変える。

 託って、占いの一種って考え方でいいのか?

 

「猿飛様は近々、大変……大変大きな『選択』を迫られます。今後の人生を決めてしまうほどの大きな『選択』です」

 

 それを聞いた瞬間、オレの頭にはいつかジャンヌに言われたことがフラッシュバックしたが、あれは『選択』ではない。

 と思い意識を粉雪ちゃんに戻すと、まだ何か言いたそうにしていた。

 

「それから、私のことは粉雪、とお呼びください。そ、それでは『また』!」

 

 割と早口でそう言った粉雪ちゃんは、バッ! バッ! と頭を上下に振ってお辞儀をしてから脱兎のごとくリムジンに乗り込んで行ってしまった。

 『また』か。今度会う時はたくさん話ができればいいな。



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Bullet32

 8月25日。

 現在オレは唐突にやって来た理子にわけもわからないまま連れられて、キンジの部屋の扉前まで来ていた。

 

「いいかねキョーやん、キーくんが出てきそうになったら打ち合わせ通りにね!」

 

「やることの意味がわからん」

 

 やらないと喚くので言う通りにはするが、キンジのポカンとした顔が浮かぶな。

 そうしてチャイムを押して数秒、扉越しにキンジの気配を察した理子が、両手を鶴の羽を見立ててふわりと広げて片膝をしゅっと上げて奇抜なポーズを取り、オレがそんな理子の腰を持って体を持ち上げた。

 やっても意味わからん。

 

「白雪、忘れ物なら……」

 

「荒ぶる理子のポーズ!」

 

 扉を開けたキンジは白雪と勘違いしたのか最初にそう言って、理子の姿を見て固まった。そりゃそうだ。

 理子はリアクションに困ってるキンジに上げていた足を前に出して蹴りを入れて「ほわたー!」とかどっかの格闘家みたいなことをしたが、その体を支えてるオレは動かれるとしんどいのでさっさと降ろした。

 

「キーくん大変だ! 落ちこぼれは留年の危機だ!」

 

 ここでやっと来た目的を話した理子は、その荒ぶるポーズとやらをやめてキンジの横を抜けて室内に侵入。

 オレも行かないといけない流れか。いや、帰ってみよう。

 

「キーくんもキョーやんも早くー」

 

 考え至った途端に理子からお呼びがかかってしまったので、キンジと顔を合わせてからすでにリビングのソファーに座っている理子に近寄った。

 

「そこで理子りんが、なんと全学科共通になる任務をお届けに上がりましたよ!」

 

 オレ達を確認した理子は、そこで最初から背負っていた赤いランドセルからDVDを取り出して、DVDデッキの挿入口にフリスビーのように投げ入れた。すげぇな。

 再生されて映った映像は、海外のサッカーの試合。これが任務に関係あるのか。

 それから理子を真ん中にしてソファーに座った――こうじゃなきゃ嫌だと理子が言うから――オレ達は、逆ハーだ! と意味のわからないことを言う理子を黙らせて話を進めるよう催促する。

 

「これ、ついさっき武偵高の校内ネットに出てた緊急依頼なんだよ。依頼元は東京武偵高。『サッカー部全員を停学処分としたため、全国高校サッカーチャンピオンシップ2次予選に出場する代理選手11人を求む』! サッカー部、みんなでダムダム弾を密造してたんだって。そんで全員停学2週間」

 

「アホくせぇ……いや、武偵高(バカ)らしい理由だ」

 

「そしてぇ! 代理で出場して勝てば1.2単位、負けても0.6単位もらえるんだよ!」

 

 ん? 確かキンジの残りの必要単位は0.7。勝てばクリアじゃないか。キンジも表情が明るくなったし。

 

「よし……やるか。他に良さそうな仕事もないし」

 

「やったぁ!」

 

「面子が集まらなかったら声かけろ。サッカーは小学校以来だが下手ではなかったかもしれん」

 

「あれ? キョーやん戻るの?」

 

「オレの危険察知能力がこれ以上この場に留まるのを良しとしないんだよ。じゃな」

 

「待て猿飛! それは俺も危険なんじゃ……」

 

「知らん」

 

 オレは自らの身体が感じる危ない気配に従い、キンジの言葉をスルーして部屋を出て自分の部屋へと戻った。

 その後ちょっとして下の部屋からギャアギャアと騒ぐアリアの声が聞こえてきたので、オレのカンは当たったらしい。

 しかしあのアニメ声、久しぶりに聞いたな。

 その翌日。

 キンジの召集により第2グラウンドに来ていたオレは、そのキンジが集めたというイレブンと顔合わせすることとなった。

 のだが、その集まったイレブンは、あまりにも不安でバランスが悪かった。

 まずFW(フォワード)にキンジとアリア。ここはやる気十分だからさほど問題はない。

 MF(ミッドフィルダー)はオレとサッカー経験者だという不知火に、パスが異常に上手いレキとサッカーの「さ」の字も知らない風魔とジャンヌ。

 DF(ディフェンダー)がガタイのいい武藤に運動音痴のあややと白雪。

 GK(ゴールキーパー)が何故か理子。

 これで試合になるのかも怪しいし、近年男女平等の精神がどうとかで男女混合でも試合に出ていいらしいルールで、それで女子率が高いのはいただけない。

 しかしキンジの手回しではこれ以上人数も集まらないだろうし、やるしかない。

 だがそんなキンジのやる気とは裏腹に、皆の結束力は皆無で、30日の試合当日までの練習ではほとんど練習にならず、サッカーの形にすらならなかった。

 そんな様子を面白そうだからと見学に来ていた幸姉は、あまりにサッカーをしないオレ達を見かねて自ら監督になると言い出して、途中からああだこうだと仕切っていたのだが、幸姉自身もサッカーをあまり知らないので、結局具体的な指導はできなかったのだった。

 それでも当日までにすんごい作戦を考えてくる! と意気込んで、帰ってからも1人で頭を悩ませていた。

 そして試合当日。

 ユニフォームのないオレ達が試合会場で体操着にゼッケンという恥ずかしい格好で相手チームである港南体育高校を待っていた。

 そして前日まで一番張り切っていた幸姉は、肝心な時に限ってその性格を『乙女』に変えて、今は何故か日本代表のユニフォームを着て理子達に弄られてアワアワしていたのだった。

 あの感じだと作戦なんてないと確信できる。

 元から頼りにしてなかったが、キンジなんかは頼りにしてたみたいで、幸姉の今の姿に落胆していた。

 

「おいおい。なんだコイツら。カワイイのばっかり出てきやがったぞ?」

 

「こりゃ当たり甲斐がありそうだぜ」

 

「見ろよ。今さらルールブック読んでる素人もいるぜ」

 

「ああ。可愛がってやろうぜ、お嬢ちゃんたちをよ」

 

 姿を現した港南体育高校の選手は、オレ達を見るなりそんなことを言って完全に勝ちムードを漂わせる。

 しかも何語かはわからないが、1人外国人選手までいる。

 ちなみにルールブックを読んでる素人というのはオレのことだ。

 

「不知火、レキ。ちょっといいか」

 

 オレはそんな相手の言葉を全く気にすることなく、試合開始前に不知火とレキを呼びとある指示を出しておいた。

 まぁ、十中八九防戦一方になるであろう試合。それで勝とうとするなら、一筋縄ではいかない。

 そうしてメンバー全員で円陣を組み、

 

「いいか、俺たちは……」

 

 キャプテンであるキンジが何か言おうとしたが、

 

「俺たちはまだキンジ(オモチャ)に飽きてない! 一緒に進級させるぞ!」

 

 武藤がそんな号令を叫び、全員が「おー!」と叫んだ。憐れキンジ。

 それで始まった試合。

 序盤から相手はセクハラで訴えられそうなタックルをジャンヌ達に仕掛けて攻めてきて、反則スレスレのプレーや審判に見えない位置からのラフプレーで主導権を握る。

 そんな中で唯一相手に対抗できる不知火が、ボールをカットしてすぐさまトップ下にいたオレにパスを送る。

 しかしオレはそのボールに全く反応することなくスルーして、呑気に空を見上げていた。今日もいい天気だ。

 

「ちょっと京夜! あんたやる気ないなら引っ込みなさいよ!」

 

 それを見て早速前線でボールを待つアリアが噛みついてくる。

 だがオレはそれすらスルーして心ここにあらずな感じでフィールドをテキトーに歩いていた。

 続いて武藤がクリアしたボールをレキが持って、すぐさまオレにパスを送るが、またもオレは見もせずにそれを見送る。

 

「おいおい。こいついる意味あんのかよ。ははっ」

 

 さすがに2回目となると相手選手も呆れるしかないらしく、それからオレはフリーになっても相手にマークすらされなくなった。

 ついでにアリアとキンジ、その他味方側からも無視されたが。

 試合はこちらの起点となる不知火を徹底的に潰されてペースを握れず、ゴール前からのフリーキックを皮切りにポンポン失点していった。

 実質10対11で戦うオレ達――オレが試合に参加してない――は、前半で唯一通ったキンジへのパスからのシュートが、相手の巨漢なGKユンカースに難なく止められてそれで前半終了。

 スコアは0対5。野球かと見間違うスコアだなこれ。

 皆が控え室でハーフタイムを過ごしている中、オレは廊下でアリアに呼び出しを食らって現在説教中。

 

「京夜、あんた勝つ気があるの!? 前半のプレーはなによ!」

 

「凄いだろ? 中盤以降からはオレがいないみたいに無視されて」

 

「アウトオブ眼中なだけでしょ! あたしでも無視するわよ!」

 

「これぞ必殺『いるのにいない』だ!」

 

「い・ば・る・なー!」

 

 オレのそんな様子にますます機嫌が悪くなるアリア。

 現状しか見ないでガミガミ言うのは早計だぞ、ホームズ4世。

 

「大丈夫さ、アリア。アリアは後半もアリアらしくプレーしてくれ。オレも『オレなりに』プレーするからよ」

 

 話しながらアリアの肩をポンポンと叩いて笑ってみせると、アリアはそれでオレの意図にようやく気付いたようで、さっきまでの剣幕を治めて「うぐぅ」とひと鳴きした。

 

「……そういえば京夜。あんたAランクになったんだってね」

 

 それで説教終了かと思ったら、急に話題を変えてきたアリア。恥ずかしかったのか。

 オレはその問いに首を縦に振る。

 

「おかしいわね。あたしの見立てでは、京夜は絶対Sランクなのに」

 

「あのな、アリア。諜報科は強襲科と違って、単純に戦闘能力が高ければランクが上がるわけじゃ……」

 

「そういう面倒な話は聞きたくないわ。それに武偵ランクなんて飾り。あたしの中で京夜は最初からSランクなんだから、考えてみたらそれで問題ないわ。それにしても、周りは京夜の評価が甘いわ」

 

 などとぶつぶつ言って控え室へと戻っていったアリアは、それで上手くオレから逃げたつもりらしい。

 それからオレも控え室へと戻ろうとしたのだが、その途中でまたもアリアと遭遇。

 ん? なんかおかしいぞ。

 

「どうしたアリア。何か言い忘れた……か?」

 

 と言い切ってから、オレはそのアリアの違和感に気付いた。

 失礼かもしれないが、本物より胸が大きい。

 

「……何を仕込む気だ? 『理子』」

 

「やっぱキョーやんはすぐ気付くかぁ。結構自信あったのになぁ。残念ながら、もう仕込み終わりました!」

 

 そう言ったアリアに変装していた理子は、アリアフェイスを脱いでその素顔を晒すと、何か企んだ時に見せる笑みを浮かべた。

 

「何が残念なのか知らんが、仕込み終わったなら後半は逆転するぞ。これで負けたらアリアに風穴あけられる」

 

「アリアだけじゃないよ。理子も風穴あけちゃうからねぇ。後半も『さっきまでのキョーやん』なら確実に風穴だよ?」

 

 そう言うってことは、理子はもうオレの『仕込み』を理解していることになる。

 まぁ気付いてないのはキンジとあやや、武藤、風魔くらいだろうがな。

 そうして改めてみんなが集まる控え室へと戻ったオレと理子は、人が変わったようにキャプテンシーを発揮し出したキンジの2つの指令を聞き、顔を合わせて笑う。なるほど、理子の仕込みはこれか。

 そしてキンジに出された指令は以下の2つ。

 1つ。今までの自分のポジションや通常のサッカー理論は、全て忘れていい。

 2つ。自分らしくやれ。ただし港南チームを『見習い』、反則を取られない程度にな。

 それを命じられたオレ達は、後半開始前の配置からすでに生来のサッカーのポジションを作っていなく、各々が一番やりやすそうな位置に立っていた。

 それを見た港南チームは大爆笑。もう完全に勝ち試合と思っているみたいだ。

 それじゃあ、オレ達なりのサッカーを見せてやりますか!

 

「反撃の号砲は受け持とう――私に、続け(フォローミー)!」

 

 港南のキックオフで始まった後半戦。

 前半は序盤でつけていたコンタクトレンズを落としてしまったらしいジャンヌが、危険を覚悟で眼鏡をかけて出陣し油断していた相手選手から華麗にボールを取りパスを繋ぐ。

 これで初めて知ったのだが、ジャンヌは軽い乱視があるらしく、たまに眼鏡をするらしい。

 今まで見たことなかったから、ちょっと新鮮だ。

 そう思いながらオレは前半と同じくボールに絡もうとせずにボーッと空を見ながら、フラフラと前線に歩いていく。

 前半にあんなやる気のないプレーをしたオレを、案の定港南は無視して、GKなのに前線へと走り込んできた理子を見て爆笑しながらボールを奪いに来る。

 しかしこちらも前半とは違い、簡単にはボールを奪われず、不知火からレキへとボールが渡り、そこで一瞬レキと目が合う。やりますか。

 レキはトラップしたボールを前線のGKとDFの間に落ちるような山なりのボールを上げる。

 しかしそこには味方は誰もいなく、ミスキックと判断した港南もGKに任せて動きを止めた。

 ――ぱすっ。

 しかしそのボールはGKの手に収まることなく、その後ろのゴールネットに吸い込まれて、港南の初失点となってしまった。

 一瞬何が起きたかわからなかった港南も、そのボールが落ちた地点にいたオレの姿を見て、初めて『シュートされた』のだと気付いた。

 

「反撃の1発はこんな感じでいいよな?」

 

 オレは時間をロスするのを避けるため、すぐにボールを持って自陣に戻りセンターにボールを置き、待っていたキンジとアリアとハイタッチを交わしてリスタートを待った。

 今オレがやったことは、試合が始まる前からの長い仕込みによる『奇襲』である。

 オレは試合開始前にわざわざ相手が見てる中でサッカーのルールブックを読んで、初心者ですよとこれ見よがしにアピール。

 さらに試合が始まってから、無関心を装って不知火とレキからのパスをわざと見逃した。

 そしてオレが相手から『いないもの』とされて終えた前半。当然後半もオレはいないものとされる。

 そこでオレが急に動けば、相手は当然ノーマーク状態だから、対応がワンテンポどころの騒ぎじゃなく遅れ、結果としてオレが難なくボールを追ってシュートを決めることができたのだ。

 たった1度きりの仕込みプレー。

 これを成功させるためだけにオレは前半までを犠牲にした。

 もう同じ手は使えないし、当然得点したオレにはマークをつけられることになる。

 だが、それすらオレの策である。

 リスタートして攻めに転じた港南だったが、もはやサッカーという型にはまらない動きをするオレ達に対応できずにボールを奪われてしまう。

 そして守勢になった瞬間、オレにマークがガッチリと2人もついた。オレの実力なんて素人中学生が精々なのにな。

 そんなオレにボールが渡らないように張り付く相手選手を見ながら、オレは再び我関せずな無気力プレーを開始。

 一切ボールに絡む動きをせずに、のそのそとフィールドを歩いていた。

 その間にもキンジ達は前線へとボールを運んで、あっという間に得点を上げてしまう。

 これがオレのもう1つの狙い。

 前半から一転してスゴいプレーをしたオレを見て相手がマークをつけると、理子まで上がっている今のこちらは数的に優位に立てるのだ。

 これは必ず誰かがフリーになるということで、戦況的にかなり有効で、そんな中でオレが再び無気力プレーをすれば、相手はマークをするべきなのか判断ができなくなる。

 対するオレは、相手の出方を見ながら無気力プレーをするか奇襲をするかを選択することができるのだ。

 言ってしまえば駆け引き。心理戦である。しかも相手が圧倒的不利な。

 それから後半はずっとオレ達ペースでキンジとアリアのシュートがゴールに突き刺さり、後半終了の間際には同点まで追いついていた。

 そしてオレはあのワンプレー以降、1度もボールに触れていない。しかし影の功労者としてあとで労ってもらおうか。

 そして後半のロスタイム。

 引き分けでも勝ち進める港南は、徹底した守りの姿勢でゴール前を固めて試合終了までの時間を稼ぎに入り、その堅い守りをこじ開けられないアリア達も焦る。

 オレを除く全員が相手陣営に入り、徐々にゴールに迫るのをセンターサークルで見ていたオレは、もうごちゃごちゃしすぎて何も見えなくなった相手ゴール付近で、大きな土煙が上がったのを確認し、そのすぐあとに得点したことを知らせるホイッスルが鳴ったのを聞き取った。

 どうやら逆転したらしい。そしてすぐに鳴らされた試合終了のホイッスル。

 勝ったぞー! これで風穴あけられることもなくなったな。

 試合後、制服に着替えたオレは、結局ベンチでアワアワしていただけでほとんどマスコットみたいになっていた幸姉と一緒に帰る支度を済ませて控え室を出ようとしていた。

 

「あ! そうなのださるとびくん! 伝えるのをすっかり忘れていたのだ!」

 

 そんなオレを引き留めたのは、装備科の天才、平賀文こと、あやや。

 彼女は急いで着替えたのか、微妙に乱れた制服を直しながらオレに伝え忘れていたという用件を話す。

 

「例の『新作』、バッチリ作り終わったのだ! 明日にでも取りに来て大丈夫なのだ! 使い方とか整備の変更点とか色々あるから、時間に余裕がある時に来てくださいですのだ!」

 

 例の新作? と思ったオレは、それですぐに依頼していたとある武装の製作のことを思い出した。

 

「おお、すっかり忘れてたな。じゃあ明日の昼にでもお邪魔していいかな」

 

「さるとびくんが夏休みまでに作って欲しいって頼んできたのに、それはないのだ! でもあややも作ってて楽しかったから気にしないのだ! じゃあ明日はよろしくなのだ!」

 

 確かにそんなこと言った気がする。悪いなあやや。

 と思いつつも、終始笑顔なあややに見送られて帰路についたオレと幸姉は、それから無言で黙々と歩いていった。

 しかし考えてみれば、あややに頼んだあれも、これから必要とされる機会がなくなるかもしれないことに気付いたオレは、すぐ横を歩く幸姉をチラリと見る。

 オレはもうすぐ、武偵をやめる。幸姉が真田に戻れば、否応なく。

 そう考えていると、今まで黙っていた幸姉が、勇気を振り絞るかのようにオレを見て立ち止まり口を開いた。

 

「きょ、京夜! あ、明日、平賀ちゃんの用件が済んだら、お話がしたいです! 大事な、大事なお話です! いいかな?」

 

「あ、ああ、問題ないよ」

 

 それを聞いた幸姉は、大きな仕事を終えたかのように大きな息を吐いてから、また歩き出していった。

 大事な話、か。

 その後、サッカーの試合がオフサイドという反則に引っ掛かって最後の得点が無効になったことを知ったが、その後のキンジのことは深く詮索しないことにした。



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Bullet33

 8月31日。

 夏休み最終日となる今日この日。

 オレは昨日のあややの呼び出しに応じて、装備科の専門棟へと足を踏み入れていた。

 相も変わらず乱雑に積まれた部品やら何やらを崩さないように進んだあややの作業室。

 その奥には、いつものように無邪気なあややが何かをしていた。

 

「あややー、来たぞー!」

 

「おおー! さるとびくんいらっしゃいなのだ!」

 

 作業中は大抵騒音が酷いので、割と大声であややに話しかけて気付かせると、あややは一旦作業をやめてオレに向き直り待ってましたと言わんばかりに辺りをゴソゴソと漁り出した。

 

「ちょっと待ってほしいのだ! 確か少し前までこの辺に置いておいたはずなの……だ!」

 

 だ! で目的のものを取り出せたあややは、一応不具合がないかを見て確かめたあと、オレにそれを手渡してきた。

 

「お待たせしたのだ! 頼まれてた新作『ミズチ』! 注文以上の出来なのだ!」

 

 手渡されたのは、腕に装着するガントレットのようなもので、見た目は以前のミズチとそこまで大きな違いは見受けられない。

 持った感じでは少し重くはなっているが、微々たるものだろう。

 

「んーと、装着の仕方は前と同じでいいんだよな?」

 

「問題ないのだ! 外観はさるとびくんの要望通りシンプルなものにしたけど、中身は革命が起きたのだ! あやや自慢の最高傑作なのだ!」

 

 中身、というのはおそらく内部機構を指すのだろうが、あのあややがして革命が起きた、最高傑作というからには、相当のものなのだろう。

 オレは言われて以前のミズチ同様に新作ミズチを右腕に装着すると、早速ウズウズしているあややに使い方のレクチャーを頼む。

 

「ここで使うのは色々困るから、実験場の方に移動なのだ!」

 

 実験場は、基本的に装備科がその製作・製造・修理その他の出来を確認するために備えられた空間。

 確かにあややの工房で動かすのは色々危険だ。

 何かの拍子に化学反応か何かで爆発が起きたりもあるかもしれない。

 それで実験場へと移動してきたオレは、あやや指導の下、早速試運転を開始した。

 

「まずは従来のミズチに搭載されていたワイヤーは、前作と同じ場所からの取り出し方なのだ!」

 

 言われて手首の裏部分からワイヤーを取り出してみると、確かに以前と同様にワイヤーが出て、カッターでのカットを可能にしていた。

 

「でも今回は色々追加で機能を盛り込んだから、収納できるワイヤーの長さは80メートルに減ったから注意してほしいのだ!」

 

「了解」

 

 前作のミズチが150メートルまで収納できたから、半分近く減ったことにはなるが、元々半分使うくらいで補充していたから特に問題はないな。

 

「次は新しく追加した機能の説明なのだ! まずはさっきのワイヤーの取り出し口の反対側。そこに赤いボタンがあるから押してみるのだ!」

 

 言われて今度は手首の表側に目を向けると、確かに指1本で押せる程度の赤いボタンがあり、なんのためらいもなくそこを押すと、その近くのシャッターのような扉が開き、そこから直径3センチくらいの丸い玉が出てきてワイヤーと繋がっていた。

 試しにその玉を持ってみると、異常なくらいの粘着力で手とくっついて離れなくなった。

 

「その玉はあやや特製のアンカーボールなのだ! どんなものにでも8秒間くっついて離れなくなるから、内部の取り出し用とは別のワイヤーと繋げて昇降装置みたいな使い方ができるようにしたのだ! こっちは最長15メートルまで伸ばして使えて、巻き取りも電動式に変えてワイヤーも2重で強度を上げてみたのだ!」

 

 要はこの玉を投げてどこかにくっつけて、ターザンみたいなことをしたりエレベーターみたいに登ったりできるということか。

 

「でもあやや。この作りだとミズチが重さで腕からすっぽ抜ける気がするんだが……」

 

 しかしこれでは軽い圧迫で装着するミズチが重さですっぽ抜けてしまうのは目に見えていた。

 だからすぐに欠点を指摘したのだが、あややはそこで指を振りちっちっちっ。抜かりはないと笑う。

 

「そこで役に立つのが折り畳み収納された持ち手なのだ! さるとびくん! ミズチの裏側に折り畳まれた持ち手を開放するのだ!」

 

 カッコ良く言うあややに釣られて、オレはミズチの裏側に180度駆動する持ち手を手の方にガチャリと動かして持つ。

 その持ち手の先端、親指が来る位置には、押しボタンがあった。

 

「そのボタンが内部の電動モーターの操作ボタンなのだ! 押しっぱなしで巻き取って、離すと止まるのだ。防水処理も万全だけど、電動モーターの馬力がそこまであるわけじゃないから、吊るしたまま巻き取れる重量は150キロが限界なのだ。最大充電でたぶん20回くらいは使えて、充電は携帯の充電器とかに普通に対応してるのだ。挿入口は後ろの方にあるのだ」

 

 さすが自分で最高傑作と言うだけあって、いま聞く限りでは欠陥はないな。

 あとはオレが注文してた設計が反映されてるかだが、

 

「あとはさるとびくんの要望だった簡易収納ポケットは全部で4つあるから有効に使ってほしいのだ!」

 

「ありがとな、あやや。こんな凄いのをたった1ヶ月で作ってくれて。報酬の方は割り増しで払うから受け取ってくれ」

 

「毎度ありですのだ! それから何か不具合があったらすぐに知らせてほしいのだ。たぶん中をいじれるのはあややだけなのだ」

 

 それからしばらくは実験場で新しいミズチの試運転をしながら、あややから整備の仕方を教えてもらって、全てを終わらせたあとに報酬を支払って装備科を出た頃にはどっぷり3時間が経過していた。

 それからオレはもう1つの約束を果たすために、携帯でメールを送ると、数十秒で返ってきたメールに時間と場所が記されていた。

 オレはその指示通りに移動して、SSRの白雪の個室に辿り着いた。

 このSSRの専門棟は、秘匿性が高いため他の学科の生徒が入ることもできないのだが、出入り口前で待っていた白雪に案内されて初めて入ることができた。

 が、中はどう表現したらいいのかわからないが、とにかく色んな宗派の怪しい物品がごちゃ混ぜ状態で鎮座していて、とてもじゃないが落ち着かなかった。

 白雪に通された個室は、純和風の造りでオカルトな部分がなくてホッとした。

 

「白雪ちゃん、ありがとね」

 

 その個室の奥には、オレにこの場所を指定した当人、真田幸音が静かに正座していて、オレと白雪を確認して口を開いた。

 

「いえ。お話が終わりましたら声をかけてください。私はロビーの方にいますので」

 

 そうして白雪は幸姉に一礼してから礼儀正しく部屋を出ていってしまった。

 

「座って京夜。あまり長く話してしまうとそれだけ白雪ちゃんを待たせてしまうから」

 

 言われてオレはすぐに幸姉の向かいに置いてあった座布団にあぐらで座ると、幸姉はいつになく真剣な目でオレを見ながら話を始めた。

 

「まずはわざわざこうして2人きりになれる空間を作った理由について話す必要があるかしら?」

 

「いや、いい。そうしなきゃいけない理由なんて外に漏れたらダメな内容だからしかあり得ない」

 

「じゃあ本題に入るわね」

 

 ここまでふざけた調子を一切見せない今日の幸姉は『守人』。

 7種類の幸姉の中で一番幸姉らしい幸姉といっても過言ではない。

 

「とは言っても、京夜はもう私が話す内容をほとんどわかってるんじゃないかしら? ジャンヌ辺りに諭されて、ね」

 

「…………オレと幸姉の今後について、だよな」

 

「そう。以前私は京夜にイ・ウーに入学した理由を話したわね。私は遠山金一と共にイ・ウーを内部から崩壊させるために潜入していたって」

 

「ああ。そしてそれに失敗して身の回りに危険が及ぶリスクを考えて幸姉は家族との縁を切る形で姿を消した」

 

「ええ。そしてイ・ウーは私と金一の思惑とは少し違う形ではあったけど崩壊の道を辿り、私の目的は達せられた」

 

「だからもう姿を消す理由もないから、幸姉は真田の家に戻るんだろ? そしてオレも戻ることになる……」

 

 そこまでは以前ジャンヌから聞いていたから驚きはなかったが、いざ幸姉の口から言われると重い。

 そんなオレの少し暗い表情を読み取ったのか、幸姉は1度笑ってみせて空気を軽くすると、話を続ける。

 

「そうね。確かに私達は元の鞘に収まることになるわ。私は真田の家を継ぐ権利を取り戻して、京夜も猿飛の家に帰属して代々の生業を継ぐことになる。でもね京夜。私は真田の家を出る前から、決めていたことがあったの。それはイ・ウー壊滅とは違うもう1つの目的」

 

「え?」

 

 それを聞いた瞬間、オレは完全に予想していなかった言葉にそんな声が出てしまい、幸姉はそれでクスリと笑っていた。

 

「気付かない? 私がどうしてイ・ウーに入学してから一生懸命に『超能力を磨いてきた』のかってこと」

 

「それは武偵高より圧倒的に高いレベルで超能力を研磨できるから、じゃないのか? あとはイ・ウーに入学するに値する理由がそこにあったから……とか」

 

「ふふっ、確かにイ・ウーに入学するにはある程度の力がなくてはいけないわ。そのために超能力を利用したのは当たり。でもそうじゃなくて、何で私がそうまでして超能力を磨く必要があったのかってことよ。イ・ウーは入学さえしてしまえば、あとは何をしようと無法。強制も何もないのよ」

 

「それじゃあなん……」

 

 そこまで言いかけて、以前どこかで思い当たることを聞いた気がして記憶を遡る。

 いつだ。どこで聞いた?

 

『イ・ウーでゆきゆき言ってた。「京夜は私の傍にずっといてくれた。でもそれは同時にあの子の自由を私が奪ってしまってる」って』

 

 ……そうだ。入院してる時に理子がそんなことを言ってたんだ。

 

「……超能力の完全なコントロール……」

 

「正解だけど本質ではないわね。問いかけばっかりして意地悪だったかな。答えは簡単。私が『自分の身をちゃんと自分で守れるようにするため』」

 

 その答えはオレにとっては存在の全否定に等しい言葉だった。

 何故なら今までオレは、真田幸音という存在を『守る』ためにその身を捧げてきたと言っても過言ではなく、そのために死ぬような修練も乗り越えてきた。

 今こうして武偵として活動できている能力も、全ての大元が幸姉を守ることに集約されたものだ。

 オレの人生は幸姉を守ることが全てで、事実、幸姉が姿を消したあとのオレはしばらく何をしていいのかわからなくなってしまった。

 そんなオレを救ってくれたのは、今や関西で知らぬ者はいないほどの武偵として活躍する人達だが、そうして他人の手を借りなければ自分の足で立つことすらできなくなってしまったのが現実問題。

 だから、今オレはとてもじゃないが人に見せていい顔をしていないだろう。

 幸姉にも見せたくはないが、その死刑宣告を告げたのは幸姉だ。

 だが同時に、オレがこんな顔をするのがわかっていたから、幸姉は今まで言う決心がつかなかったんだというのも伝わってきた。幸姉は誰よりも優しいからな。

 

「……京夜。私はね、昔から京夜に守ってもらってばかりで、それを当たり前なんだって思ってた。真田と猿飛の関係。主君と従者。そんな昔からの伝統とでもいうべき関係になんの疑問も持たなかったの」

 

 生気の抜けかけたオレに、幸姉はいつも通りの優しい声で話を再開するが、オレはその言葉がなかなか頭に入っていかない。

 

「真田も武家の血筋だから、護身術として色々な武術を学ぶけど、そういった能力は今はほとんど猿飛の家が上回ってしまってる。だから京夜も当然のようにご両親から指導を受けてきた。でもね、ある日唐突に家を訪れた1人の武偵がこう言ったの。『強きが弱きを守るのは世の運命。だけど弱きがいつまでも弱きままでいていいはずもない』ってね。私はそれで初めて自分があぐらをかいていたことに気付いたの。私には生まれつき弱きでいていいはずがない力が備わっていた。でも私の傍にはいつも京夜がいたから、必要ないんだって自分に言い聞かせてきた」

 

 そこまでの話で、ようやくオレは思考が回復してきて、そこから先の話が、オレの顔を上げさせる。

 

「そう考え直したのが、武偵高に入学する1ヶ月前のこと。それから少しして、私と京夜の『互いに守り合う連携』が生まれたはずよ」

 

 言われてみると、確かに幸姉は突然武偵高に通うと言い出し、それらしい理由もちゃんと説明していた。

 連携にしたって幸姉からの発案だった。

 

「でもね、現実はそんなに甘くなくて、いざ強くなろうとしても、なかなか上手くいかなかったの。色んな学科を履修してみたけど、すぐに天井が見えちゃってね。ああ、私ってこんなに才能ないんだなって本気で落ち込んでたの」

 

「……それでイ・ウーに……」

 

「……そう。前に空き地島で話したよね。『私の目的は昔から何ひとつ変わってない』って。あれね、京夜を守るのが目的だって言ったけど、一番根っこのところは、京夜を家のしがらみから解放してあげたいっていうのがあったの」

 

「じゃあ、幸姉は最初からオレを猿飛のお役目から外すために……」

 

「少し違うよ京夜。私は『選ばせてあげたかった』だけなの。京夜達は夏休みが終わってすぐに、武偵のチーム作りのために修学旅行Ⅰ(キャラバン・ワン)で関西に行くでしょ? その時に私も真田の家に戻るつもり。だからその時までに選んでほしいの」

 

 選ぶ、とはつまり幸姉についていくか、このまま武偵を続けるか、或いは全く別の選択か、ということだ。

 これはジャンヌに言われていたからすぐにわかったが、まさか自分の意思で選択を迫られるとは思ってなかった。

 

「……幸姉は、オレにどうしてほしいんだよ」

 

「私は……ううん、選ぶのは京夜。私がそうしてほしいって言えば、それで京夜は簡単に心を決めちゃう。それじゃあダメなの。だから、よく考えなさい」

 

 ここで幸姉に「一緒にいてほしい」とでも言われれば、オレは素直にそれを聞き入れて即決できただろう。

 しかし幸姉は自身の本心を言わずにオレ自身の意思を尊重した。

 それは本当に、自分の気持ちより優先する大切なことだからだ。

 それを感じたオレは、もう幸姉にすがることはできない。

 そしてこれがオレの人生で初めての『選択できる未来』となるわけだ。

 いつかかなえさんも言っていた。絶対なんてあり得ないと。

 まさかここでその絶対が覆るとは思わなかった。

 

「でも良かったわ」

 

 究極の選択をされて渋い顔をするオレを見て、幸姉は今まで溜め込んでいたものを吐き出してスッキリしたのか、優しい笑みでそう呟く。

 

「私が真田の家を出て、京夜まで家を追い出されたって聞いた時は、正直取り返しのつかないことをしたって思ったの。でも京夜はちゃんと自分の足で立ってここまで1人で歩いてきた。それに久しぶりに会って言ったよね。前よりカッコ良くなったって。だから京夜が今ここにいるのはきっと、必然だったんだと思う」

 

「オレをここに導いてくれたのは『月華美迅(げっかびじん)』のみんなだよ。そしてここに留まらせてくれたのは、どうしようもないバカ達のおかげだ」

 

「そうだね。眞弓(まゆみ)達にも帰ったらちゃんとお礼を言わないとね。理子達にも感謝しないと。そうじゃないと私がこんな話することはなかったかもしれないし、京夜が東京武偵高に思い入れがなければ、きっと同じ話をしてもそんなに迷わなかったよね?」

 

「ぐっ、確かにそうかもしれない」

 

「ふふっ、正直だね京夜は。でもそれでいいのよ。そうやって悩んでくれることが私は嬉しいし、本気の男はカッコ良いものよ」

 

 それでまた幸姉はオレに優しい笑みを見せてきて、いつの間にかすっかり立ち直っていた自分自身に驚きつつも、恥ずかしいので視線を逸らすと、幸姉はそれで本当に言うべきことを終えたのか、スッと立ち上がって部屋の出口に歩いていった。

 

「結局長話になっちゃったわね。白雪ちゃんを待たせちゃったから、早く帰りましょ」

 

「幸姉、答えはいつまでに言えばいいんだ?」

 

「焦らなくていいわよ。答えは京都に行ってこっちに戻る前まで。だからあと半月くらいね」

 

「……わかった」

 

 残り半月、か。こうなったらとことん悩んで後悔しない選択をするしかない。

 そう決心したオレは、先に部屋を出る幸姉を追って部屋を出て、いつも通りの幸姉と他愛ない話をしながら家に帰ったのだった。



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修学旅行Ⅰ編
Bullet34


 幸姉からの究極の選択を迫られた翌日。

 9月1日は武偵高の新学期開始の日で、同時に日本では世界初の武偵高・ローマ武偵高の制服を模した『防弾制服・黒(ディヴィーザ・ネロ)』と呼ばれる黒の制服を着る慣例があり、オレも京都にいた頃に着たことがあるが、あまりにも風景に溶け込まないから嫌いだ。

 幸姉とかには好評貰ったけど、やっぱり嫌いだ。

 そんな理由で始業式をサボったオレは、出欠を取られないことも相まって現在、同じくサボりの理子と一緒にファミレスでお茶中だった。

 

「そっかそっか。ゆきゆきはとうとうキョーやんを手放したか」

 

「そういうことじゃないだろ」

 

 そこでオレは少し口が軽いと思いながらも、昨日幸姉に話された内容をざっくり理子に話していた。

 

「いやいやキョーやん。理子にはゆきゆきの女心がわかっちゃうんですよ! きっと生半可な気持ちでその話をしたわけじゃないよ」

 

「それはわかってるよ。幸姉もオレが決めたことなら文句はないからって言ってくれた。それがどれだけの意味を持つのかは、オレが一番よくわかってる」

 

「そんで理子りんに相談というわけですな?」

 

「あくまでオレの立場になった意見を聞きたいだけだよ。最終的に決めるのはオレでなくちゃいけない」

 

「キョーやん言ってることとやってることが支離滅裂ー。それなら理子りんの意見とか必要ないもん」

 

 ……そうなんだよなぁ。オレは何やってんだか。

 昨日からちょっとずつ冷静さがなくなってきてるのを実感する。

 

「……京夜」

 

 そこで頭を掻いたオレに、口調を変えた理子が真剣な眼差しを向ける。

 

「あたしと京夜は立場が似てる。状況こそ違うけど、あたしは長い間ブラドに監禁されて自由がなかった。京夜も家のしがらみに囚われて自由を失っていた。そこに今、一筋の光が差し込んだんだ。あたしはその光に手を伸ばした。その手を掴んでくれたのは、京夜とキンジ。認めたくないがアリアだ。いいか京夜。チャンスというのは待ってはくれない。あたしは自身の自由を掴み取るために手を伸ばし掴んだ。お前はその選択で真田幸音を取るか、自身の自由を取るかなんだよ」

 

 核心を突いていた。色々と飾ってはみても、結局のところオレの選択はそういうことなのだ。

 真田幸音の従者としての未来。そこに不満など一切ないし、オレとしては先のことを難しく考えることがない未来。

 しかしもう一方の自由の未来には、明確な自分の意思が存在する。

 自分で考え自分で行動する。先など当然見えないし、常に頭を悩ませることだろう。

 

「それでこっからは理子りんの独り言」

 

 話がシンプルになったところで、理子がまたいつもの調子に戻って話を続けるが、どうやら独り言らしい。

 

「理子りんはキョーやんと会えなくなるのはすっごく寂しい。会えない寂しさで毎晩泣いちゃうかもしれない。だから行ってほしくないよ……」

 

 理子……それがお前の本音なのか?

 たとえ嘘でも、そんな切ない表情をされたらオレは……

 

「今の聞こえた? 聞こえてないよね? よし、この話終了! ジュース代はキョーやんの奢りねー!」

 

 そこで理子はさっきまでの寂しそうな表情から一変、笑顔全開になって席を立つと、そう言い残してファミレスから出ていったのだった。

 本当に本心を読むのが難しい相手だよ、お前は。

 ファミレスを出たオレは、人目を気にしながら表通りを歩いていく。

 武偵高にはもう1つ厄介な悪習『水投げ』がこの日に行われていて、元々は校長である緑松の母校で行われていた「始業式の日には誰が誰に水をかけてもいい」というケンカ祭りみたいなものなのだが、それがどう変化したのか武偵高では「徒手でなら誰が誰にケンカをふっかけてもいい」というルールの真のケンカ祭りになってしまったのだ。

 そしてこれを教務科でも容認しているから質が悪い。

 そんなわけで今日はどの生徒も一段と警戒心が強くなり、血の気の多いやつなんかは相当暴れているわけだ。

 強襲科の生徒なんかは表通りを歩くだけで標的にされかねないから、自然とひとけの少ない道を歩くことになり、オレも例に漏れずにそれを実行する。

 裏をかいて表通りを歩くと、その裏を読んだ奴等がふっかけてくるから、深読みするとダメなんだよな。

 去年は諜報科の奴等にストレス発散のはけ口にされかけたしな。逃げ切ってやったが。

 それでファミレスを出てから何気なく歩いていたように見えるオレだが、実はその時から異常なくらいの視線を感じてそれから逃れようと動いてみたのだが、完全にマークされている。一体誰だよ。

 いつまでもこんな視線を感じてるのも落ち着かないので、オレは路地裏の行き止まりへと移動して壁を背に振り向き立ち止まる。

 はぁ、こんなことなら水投げを警戒して小鳥に美麗と煌牙をつけるんじゃなかった。

 

「おい、オレに用があるなら姿を見せろ。話くらいなら聞いてやる」

 

 不意打ちを警戒してこの位置取りをしたオレは、いざとなったら新作ミズチで上から逃げられるように軽く構えて声を出す。

 そんなオレの声に応えるかのように、正面前方の曲がり角から姿を現した人物がいた。

 その人物は中学生くらいの黒髪ツインテールの女の子で、中国の民族衣装のような格好をしていた。

 その容姿を理子風に表現するなら、あのピンクツインテールの双剣双銃様の2Pキャラといったところか。

 そしてこの少女にオレはおぼろげに『見覚えがあった』。

 

「久しぶりネ、キョーヤ」

 

 少女は姿を現してから距離を開けたまま、訛りのある日本語でオレにそう言った。

 そうだ。この少女とは以前1度だけ会ったことがある。まだオレと幸姉が京都で武偵をやっていた頃に、1度。

 そして当時の活動で唯一『取り逃がした相手』だ。

 あの時は依頼自体は完遂したから問題はないが、あの人達も悔しがってたのを思い出す。

 

「何でお前がここに……『ココ』」

 

(ウォ)日本(リーベン)に来る理由、『ビジネス』以外にあると思うカ?」

 

「……だとしたら大胆だな。お前の言うビジネスをこんな『敵地のど真ん中』に乗り込んでやろうとしてるんだからな」

 

 この少女、ココは過去に武器の密輸取引に関わってオレ達と出くわしている。

 そこから考えるとココのビジネスとは法に引っ掛かるものなのは明白だ。

 そしてこの場所は武偵の卵がウジャウジャいる学園島。武偵のホームグラウンドということ。

 

「きひっ! 私、無能違うネ。キョーヤでも今のココ捕まえる、無理ネ」

 

 それに対してココは怪しい笑いで余裕の態度。それにはオレも少し思考する。

 

「……証拠がないのか」

 

「キョーヤさすがネ。私、ビジネスで尻尾出さない。だから捕まえる無理ネ」

 

 そうだった。こいつは以前も自身の痕跡を全く残すことなくオレ達から逃げおおせた。

 たとえいま警察に突き出しても証拠不十分ですぐに釈放されてしまうだろう。

 

「なら早く尻尾を出せ。今度こそその尻尾を掴んでやる。お前は幸姉にとっての『最大の敵』だ。絶対に逃がさない」

 

「キョーヤのその顔、素敵ネ」

 

 厄介な敵に対して真剣な表情で挑発したオレを見てココは、怯むどころか真っ赤になった頬に両手を当てて体をクネクネさせて悶えた。

 何その反応……

 

「キョーヤ、ココの婿にするネ。それでココと子を成すヨ」

 

「………………へっ?」

 

「私、中華の姫。不自由させないヨ。『夜の方』も頑張るネ……」

 

 あまりに突然だったため、最初なにを言ってるのか理解できなかったオレだが、冷静に考えてそれがプロポーズであることに気付いた。

 

「……冗談にしては笑えないな」

 

「私、冗談嫌いネ。答え聞かせるヨ」

 

「答えも何も、ココはオレの『敵』だ。そんな子の告白に応えるわけにはいかない」

 

「きひっ、キョーヤはそう言うオモたヨ。だから貰いに来たネ。私、気に入ったモノ必ず手に入れるヨ。ついでに使えそうな駒も貰ってくネ」

 

 オレはモノじゃないんだが、使えそうな駒だと?

 それはオレ以外に標的がいることを指す。

 

「まさか幸姉を……」

 

「サナダユキネ、使えないネ。これから超能力者はみんな使えなくなるヨ。だから『藍幇(ランパン)』ただの人間の中で強い人間集めるネ」

 

「超能力者が使えなくなる? どういうことだ」

 

「今日は挨拶だけネ。次は絶対キョーヤ連れてくヨ。再見(ツァイチェン)

 

 そう言い残してココは最後に投げキッスなんてして姿を消す。

 すぐに跡を追おうとしたが、角を曲がってもそこにはもうココの姿はなかった。

 くそっ、美麗がいれば追跡できたかもしれないのに。

 過ぎたことをいつまでも悔やんでも仕方ないから、すぐに頭を切り替えたオレは、携帯を取り出して幸姉に連絡する。

 

『……んあ?』

 

 すると電話に出た幸姉は死ぬほど眠たそうな声で対応してきて、いま起きたのだとわかった。

 この時間まで寝るのは『男勝り』の幸姉しかいない。

 

「幸姉、今しがた学園島でココに会った。どうやら何か企んでるらしい」

 

『………………そのココって、京夜のことを「知ってた」?』

 

 はっ? 何を意味のわからないことを……

 

「当たり前だろ。じゃなきゃわざわざ挨拶なんて来ない」

 

『そっか、「藍幇」はもう「動き始めた」か。泳がせなさい。どうせ仕掛けようにも尻尾を出さないし後手に回るのは気に食わないけど、今はそれが最良よ』

 

「……わかった」

 

『そうそう。あと京夜の周りで何か「変化」はなかった? 具体的に言うと、金一の弟の周り。交友関係とかその辺』

 

 ココについての話は速攻で終わり、次に幸姉が聞いてきたのはキンジの近況。

 確か無事に進級の単位を揃えたのは聞いたが、他に何か……あった。

 

「確か今朝方にレキの奴と一緒に女子寮から出てきて登校してたみたいだ。詳しく話を聞いてくるか?」

 

『いいわ、それで十分。一応確認。レキって、あの口数少ない狙撃科の子よね?』

 

「そうだよ。でもなんでキンジのことを気にかけるんだよ。ココと関係あるのか?」

 

『そんなのわかんないわよ。私は超能力者じゃないんだから』

 

「いや、超能力者だろ」

 

『ああ、そうだったかな。うーん……どのみちこれからしばらくは超能力も使えそうにないし、私は支援(バック)に回るわ。それじゃもうひと眠りするから切るわよ』

 

 それで幸姉は返事を待たずに通話を切ってしまう。

 これだから男勝りの幸姉は話にならない。肝心な話を中抜けで話して終わる。

 だが、超能力が使えないとはどういうことだ?

 ココもそんなことを言っていたし、ちょっと調べるか。

 ということでまずはSSRの秘蔵っ子である白雪に話を聞くことにして、忙しい中少しだけ時間を取って話をしてくれることになった。

 そういえば白雪は生徒会長だったな。始業式ともなれば忙しいに決まってる。

 だからオレは急いで白雪のいる始業式開場だった講堂へと移動して、教務科との打ち合わせの合間休憩中に話を切り出した。

 

「えっ!? 超能力が使えない現象? ……私でも気付いたのは今朝方なのに猿飛くんがどうして……まさか幸音さん?」

 

「今朝方? じゃあ幸姉は起きてすぐ気付いたのか。それにしても白雪まで使えなくなってるのか」

 

「あ、ちょっと違うんだよ猿飛くん。使えないんじゃなくて、力が安定しないの。原因はよくわからないけど、日本……ううん。世界規模で起こってる現象かもしれなくて、星伽でもさっき調査を開始したところなの」

 

 おいおい、世界規模ってずいぶん大事だな。いよいよもってココの言葉が意味深になってきた。

 

「ってことは、その現象が戻るかも、戻らないかも現状ではわからないんだな? だとすると超能力者はかなり弱体化するんだよな」

 

「そうだね。特に私や幸音さんみたいな強い力は制御にそれだけ集中力を使うから。何かわかったら知らせた方がいい?」

 

「いやいいよ。どうせオレは超能力を使えないから問題ないし、幸姉もなんか心当たりあるみたいだからさ。時間取らせて悪かったな。ありがと」

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 それで話を済ませたオレは、集まった情報を元に今度はゆっくり話せそうな人物に連絡を取ってみた。

 情報は多いに越したことはないし、この際とことんだ。

 連絡をした人物は、ちょうど近くのオープンカフェでお茶の最中ということですぐに向かうと、その店のテラスの端の席で知的に眼鏡をかけて足を組みながらコーヒー片手に何かの雑誌を広げて読んでいる目的の人物、ジャンヌがいた。

 あの空間を切り取って画に描けそうだな。

 とか思いながら近付くと、寸前まで来てようやく気付いたのか、慌てて雑誌を閉じて後ろに隠してしまった。何の雑誌を読んでたんだ?

 

「け、気配を殺して近付くとは趣味が悪いな、猿飛」

 

「消してない。単にジャンヌが雑誌に没頭してただけだろ」

 

「そうだとしても、近付く前にひと声かけるのは常識だ」

 

「悪かったよ」

 

 何故か挙動不審のジャンヌ様がいつになく怒るので、機嫌を損ねられても困るからすぐに謝って向かいの席に座りコーヒーを注文する。

 さっき理子とお茶したばっかりだが、細かいことは気にしないでおくか。

 

「んで、今なんの雑誌読んでたんだ?」

 

 と、開口一番にそう尋ねると、ジャンヌは予想もしてなかったのか椅子からずり落ちそうになる。大丈夫かよ。

 

「き、貴様はそんなことを聞くために私のところへ来たのか!」

 

「いや、用件とは別に気になったからさ。そんな怒るなよ」

 

「怒ってなどいない。くだらんジョークに呆れただけだ」

 

 嘘つけ。明らかに動揺した顔だったぞ。

 あ、いま後ろの雑誌を尻に敷きやがった。絶対見せない気だな。

 

「まぁいいや。それで本題な。ジャンヌは今朝から調子悪かったりしないか? こう、超能力が上手く使えなかったりとか」

 

「急になんだ? 私の心配なら無用だぞ。お前に心配されるほど私は落ちぶれていな……」

 

 言いながらちゃっかり手に持っていたコーヒーを凍らせでもしようとしたのか、カップの表面に霜が降りるが、何やら様子が変だ。

 

「……うむ、今日は暑いな、猿飛。こう暑いと集中もままならん」

 

 どうやらジャンヌさんはいま異変に気付いたらしい。

 普段それほど超能力を使ってないからなのかは知らないが、その事実に動揺してるようだ。

 

「うーん。ジャンヌもとなると、こりゃやっぱり白雪の見解が正しいか」

 

「私もとはなんだ……いや待て。私以外の超能力者もということはこれは『璃璃』……いや……」

 

「なんだよ、心当たりがあるのか?」

 

「確証がないことは言わん。それに超能力者でないお前には関係のないことだ。もし真田幸音に探りを入れるよう言われて来たなら直接聞きに来いと言っておけ」

 

 なら直接言ってください。

 などと言うわけにもいかなく、何か知ってそうなジャンヌさんも話す気はないようなので結果進展なし。これ以上は手詰まりかな。

 

「時に猿飛。お前は京都出身だったな」

 

「唐突だな。それがどうしたんだよ」

 

「再来週に修学旅行Ⅰがあるだろう。その時に京都市内の案内(ガイド)を頼みたいのだ。土地勘のある者がいた方が無駄なく歩けるだろう?」

 

 ああ、確か前に熱海に行った時も温泉に興味持ってたし、日本文化を色濃く残す京都は魅力的なのか。

 だけどオレも京都に行ったら行ったで大変なんだよな。

 正直案内どころではないかもしれない。幸姉への返事もまだ出せてないし。

 

「できることならしてやりたいが、オレもオレでやることがあるからな……」

 

「真田幸音と実家の件か? それならばすんなり終わるはずだ。真田幸音本人がそう話していたからな」

 

「いつの間に……」

 

 とは思ったが、最近だとあのサッカーの時以外ないだろうな。

 何故オレに話さない、幸姉よ。

 

「なら大丈夫かもな。んで、当然報酬は貰えるんだよな?」

 

「当然だ。何を要求する?」

 

「その尻に敷いた雑誌の正体を教えろ」

 

 それを聞いた瞬間ジャンヌはぐぬぬ、と抵抗を見せたが、よほど京都観光が重要らしく、渋々テーブルに雑誌を置き、それには様々なコスチューム衣装や可愛らしい服が載せられていて、所々に赤丸がついて「買」の文字が。

 当然ジャンヌの顔は真っ赤っか。

 意外な趣味だ。だが笑ったりは決してしない。

 好きなものを外野がとやかく言うものではないからな。今度着てみたところを見せてもらおう。

 そうしてジャンヌの意外な少女趣味を発見したのも束の間。

 修学旅行Ⅰの始まりは着実に近付いていった。



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Bullet35

 9月12日。

 修学旅行Ⅰを明後日に控えた今日この日の夜。

 オレの部屋には珍しく大勢の客が舞い込んできていた。

 来客者はお騒ぎ要員の理子。愚痴要員のジャンヌ。タダ飯の風魔と夾竹桃。バカの武藤。鍋奉行の白雪。兄貴の引率の貴希。優男不知火。マスコットのあやや。

 一見しただけではなんの集まりかさっぱりわからないメンバーだが、リビングにドカッと置かれた大きめの丸テーブル2つに、そのテーブル中央に鎮座する鍋でそれが夕食会なのだと無理矢理にわからされる。

 そしてこの鍋パーティー、何故行われることになったかと言うと、明後日で幸姉が修学旅行Ⅰの折にオレと一緒に京都に帰るため、小鳥がせっかくだからパアッとやろうと言い出したのがことの始まり。

 それで実際集めてみればまぁ集まる集まる。

 一応こっちで幸姉と関わった人達に限定して声をかけたのだが、この集まり方はちょっと予想外。

 これも幸姉の人柄と人望が為せる技なのかと納得させつつ、2つの鍋を囲む理子達を見ながらキッチンで具材の下準備を進めていたオレは、鍋奉行に抜擢された小鳥と白雪――まともに出来る人が他にいなかった――に準備した具材を渡しつつ、目を離した隙に席決めで乱闘しかけてるバカどもを止めにリビングに殴り込みに入った。

 それからどうにか6人ずつで鍋を囲んで分かれたオレ達は、グツグツと煮えてきた鍋を確認してから今回の主役である幸姉の音頭で乾杯して鍋をつつき始めた。

 

「でも残念だわ。これで私のアシが1人減るのね……」

 

 鍋パーティーが始まって数分。

 小鳥が盛った小皿の肉を食べながらそう呟いたのは、日本人形みたいな黒髪長髪の少女、夾竹桃。

 彼女は理子やジャンヌと同期のイ・ウーメンバーで毒使いの毒マニア。

 今も左手には白い手袋をはめていて、理子が言うにはその下の爪には毒が仕込まれているらしい。

 

「桃子、人手が欲しいならこの私に描かせろ。いつでも力を貸そうではないか」

 

「ジャンヌ、あなたはワク線とベタ塗りだけにしときなさい。背景とかは理子が上手いんだから」

 

「えー! 理子りんアシには積極的じゃなーい!」

 

「待て真田幸音! その言い分だと私の絵が理子に劣っているようではないか!」

 

「人には得手不得手っていうのがあるのよ。ジャンヌは上手いじゃない。ワク線とベタ塗り」

 

「そんなことを褒められても嬉しくないぞ」

 

「困ったわ。せっかく新作を閃いて冬に合わせて絵にしてる最中だったのに、幸音の抜ける穴は大きいのよ」

 

「……身内話すぎて入れん……」

 

 イ・ウーメンバーとオレと小鳥で囲んでいたテーブルは、早速の身内話を始めたため、オレと小鳥はポカーン。

 おそらく夾竹桃の描く漫画の話なのだが、イ・ウーまるで関係ない。

 あなた達はイ・ウーで漫画とアシスタントの能力を研鑽してたのですか?

 

「そうだ夾ちゃん! キョーやんが絵上手いからゆきゆきの穴埋めにはキョーやんを推薦しよう!」

 

「待て。オレは漫画なんて手伝わないぞ」

 

「漫画なんて? あなたいい度胸ね。一辺お花畑でも見てみる?」

 

 話に入れないでいたオレを見て理子がアシスタント候補に挙げてきたのですかさず拒否すると、そんなオレの言葉が気に食わなかったのか、夾竹桃が箸を置いてその左の手袋を取り払おうとする。やめてくださいごめんなさい。

 というか夾ちゃんとキョーやんはややこしい。

 

「ほらほら今日はドンパチ禁止。やるなら明日にしなさい。それより煮すぎると肉が固くなるわよ。ってことで理子が育ててたお肉いただき!」

 

「ああーー! 理子りんの秘蔵っ子ー! ゆきゆきのバカー! キョーやーん、ゆきゆきが理子りんをいじめるー!」

 

「今日の主役は幸姉なんだし多少のことは我慢しろよ。ほら、オレの肉やるから」

 

 手が出そうになった夾竹桃をやんわり制しながら鍋から理子の秘蔵っ子を掠め取った幸姉。

 それで理子が泣きついてくるが、オレが肉をあげるとすぐに機嫌を直してもぐもぐ食べるのを再開する。子供かよ……

 

「そいえばジャンヌは明後日キョーやんと一緒に京都観光するんだよね?」

 

「そうだ。別に含むところはないぞ。単純に地元民に案内してもらおうというだけだ」

 

「ずるいずるいー! 理子もキョーやんと一緒に京都観光したいー!」

 

「別にオレは理子が一緒でもいいぞ? それとも何か別件か?」

 

「明後日は呉に行くんだよ」

 

 駄々をこねる理子に変わって答えたのは、隣の鍋をつついていた武藤。

 武藤が知ってるってことは、武藤も行くのか。

 

「呉ってどこだっけ?」

 

「広島ー。アリアに付き合わされるのー」

 

「ふーん。武藤はもうチームメンバーが決まってるんだよな?」

 

「おうよ! ここにいる平賀も入れた兵站系のチームだ! だから修学旅行Ⅰも特に気にしなくていいってわけ」

 

「不知火はどうなんだ?」

 

「僕は強襲科の何人かで強襲系のチームをね。猿飛君はやっぱり峰さんと?」

 

「あ、いや……それはまだ……」

 

 武偵チームの話を返されて返答に困るオレ。

 そんなオレを見て名前を挙げられた理子もメンバー候補のジャンヌも何も言わない。

 おそらくオレの『決断』がなければこの話は先に進まないからだ。

 猶予はあと3日。オレの心はまだ決まらないでいた。

 

「まぁ、猿飛君は最近のあれの件で人気急上昇中だしね。色んなところから勧誘されてるのかな」

 

 歯切れの悪いオレを見た不知火は空気を読んでそんな解釈をして話を終わらせてくれた。

 メンバー勧誘も事実ではあるが全て断ってるのが現状。どんどん追い詰められてるな、オレ。

 それからまた他愛ない会話で鍋をつつきながら幸姉のお別れ鍋パーティーは終了したのだった。

 9月14日の早朝。

 オレと幸姉は小鳥に見送られて新幹線に乗るために品川駅に行き、そこでジャンヌと合流。

 少しでも多くの場所を回りたいというジャンヌの要望のために、9時には京都に着く新幹線に乗り込んでいったのだった。

 ちなみに今回は煌牙はお留守番。美麗だけ連れていくことにしたのだが、別れ際の煌牙の遠吠えが切なかった。

 修学旅行。とは名ばかりで、その本来の目的は2年時の9月に国際武偵連盟(IADA)に登録する武偵チームを編成するための最終調整期間で、このチームは将来ずっと協力関係であり続けることが出来る。

 だから今回教務科から渡された旅のしおりには

 

『場所 京阪神(現地集合・現地解散)

1日目 京都にて社寺見学(最低3ヶ所見学し、後ほどレポート提出の事)

2日目・3日目 自由行動(大阪か神戸の都市部を見学しておく事)』

 

 これしか書かれていない。引率など当然いない。確保された宿すらない。放任主義の無責任である。

 だからと言って蘭豹や綴が引率について京都を回るなんて死んでも御免だ。見学どころじゃない。

 そんな背景があるわけでジャンヌのように『真面目』に見学をするような生徒の方が珍しい。

 大半の生徒はテキトーに回ってあとは自由に行動する。

 

「猿飛、私としては清水寺は外せないと思うのだが、案内してくれるんだろうな?」

 

「メジャーな場所はあえて避けようとしてたんだが」

 

「京夜、意地悪言わない。ちゃんと行ってあげなさい」

 

 出発して数分。

 座席に着いたジャンヌは、案内役をオレにしてあとをお任せにしていたために気になって話しかけてきたので、冗談混じりに答えたのだが、幸姉にさらっと注意されてしまった。

 それから京都に着くまでそわそわしっぱなしのジャンヌの問答にずっと答え続けて時間を過ごしたオレと幸姉。

 着くまで足元にいる美麗同様に寝ようと思ってたのに、なんと生き生きとしたジャンヌさんでしょうか。

 昨夜もちゃんと寝たのか心配になるくらいだ。

 そんな感じでハイテンションなジャンヌさんのおかげで一睡もできないまま京都駅に降り立ったオレは、まだ9時を少し回ったくらいの時間を確認して、久しぶりの故郷の空気を深く吸い込んだ。

 周りからは聞き慣れたイントネーションの大阪弁や京都弁も聞こえ、改めて帰ってきたことを実感した。

 

「……なんか落ち着く」

 

「ホームだからだろう?」

 

「私も和むわー。東京って生き急いだ人が多かったからねぇ」

 

「それで幸姉はすぐに家に戻るんだろ? 送った方がいいよな」

 

「ああいいよいいよ。子供じゃないんだし1人で帰れるから。京夜はしっかりジャンヌを案内してあげて」

 

 故郷を懐かしむのもほどほどにして、すぐに幸姉にそう言ったのだが、幸姉はそれを断って改めて荷物を持ち直し駅の出口へと体を向けて歩き出そうとした。瞬間にその足が止まった。

 何事かとオレは幸姉が見つめる駅の出入り口に目を向けると、そこには幸姉と同じようにピタリと動きの止まった女性がいて、ジーンズにジャケットと仕事に向かうような格好ではなかったが、そのショートヘアのジャンヌより暗い銀髪と表情の読めない線目には見覚えがあった。

 

「「…………あっ」」

 

 そして幸姉とその女性は同時に声を出し我に返ると、銀髪の女性は持っていたバッグから携帯を取り出して誰かに電話を繋いだ。

 

「ああ早紀(さき)はん? 今からみんな拾って京都駅来てな。待つんは嫌やから10分以内で頼んます。ほな」

 

 女性はそんな一方的な電話をしてから携帯をしまって、その表情の読めない線目でニコニコしながらオレ達に近付いてきて、幸姉の前まで来ると、ガチャン! いきなり手錠をはめて自分の手と繋いでしまった。

 

「はい、『迷子』の幸音はん確保や」

 

「え……あの……ま、眞弓?」

 

「あ、京夜はんお久しぶりどす。しばらく見んうちに大きなりはりましたなぁ。早紀はんより大きなりはったん?」

 

「た、たぶんそうですね。眞弓さんはまたお綺麗になられて……」

 

「いややわ京夜はん。褒めても何も出まへんえ? そちらの外人さんは彼女どすか? あら、狼まで連れてはりますやん」

 

「ちょっと、眞弓さーん」

 

「気ぃつけなあきまへんえ? 今みんな呼んださかい、京夜はんに彼女おるゆうのがわかったら、愛菜(あいな)はんが暴れ出すかもしれへんからなぁ」

 

「ちょっと待て! 私は猿飛の彼女では断じてない!」

 

「ムキになって否定するんも怪しいどすえ? 京夜はんも男になってしもて、お姉さん嬉しいやら寂しいやら……」

 

「まーゆーみー!!」

 

「彼女はんお名前は? 人の名前覚えるんは苦手やけど、京夜はんの彼女はんなら大丈夫やろし」

 

「彼女ではないが、ジャンヌだ。ところでお前は誰だ?」

 

「申し遅れました。ウチは薬師寺(やくしじ)眞弓いいます。よろしゅう」

 

 そこでオレと幸姉の級友、眞弓さんは懐から扇子を取り出して広げ自己紹介。

 喋って疲れたのかそのままパタパタと扇子で扇ぎ始めた。

 

「眞弓ぃ、無視しないでぇ」

 

 そこで今まで無視され続けた幸姉が泣きそうな顔で眞弓さんに懇願。手錠で繋がった手を必死に揺すっていた。

 幸姉をあんな状態に出来るのは眞弓さんくらいだろうな。

 

「なんや? ウチらになんも言わんと勝手にいななった人が泣いとりますなぁ」

 

「根に持たないでよぉ。事情が……事情があったのぉ。許してよもう……」

 

「許す? ウチは何も怒っとりませんよって。ただ……」

 

 やっと幸姉と会話をした眞弓さんは、表情こそ柔らかいが、やはり幸姉が言う通り怒っていて、それをやんわり否定しつつ途中で言葉を切り、何か察したのか駅の出入り口に顔を向けた。

 

「マユも急やわ。いきなり全員集めて駅に来いとか何の罰ゲームや」

 

「それで間に合わせとるさっちんはなにもんやねん」

 

「まぁ、私も千雨(ちさめ)(みやび)も家におったし、運が良かったっちゅうことやね」

 

「そんで何で京都駅なん? 足なら早紀がおるし、移動に困るようなことないやん……か」

 

 そんな会話をしながら駅の出入り口からやって来たのは、横並びの4人の女性。

 4人は話しながら駅の中に入りオレ達を発見すると、さっきの眞弓さんみたいにピタリと動きが止まった。

 うわぁ、ガン見されてる。

 

「ジャンヌ、オレから離れとけ。美麗もバック」

 

「なんだ猿飛。何が起きる?」

 

 そんなジャンヌの問いかけには、すぐ答えが出ることになった。

 

「京ちゃあぁぁぁぁあん!!」

 

 4人の女性のうち、金髪ショートの緩いウェーブの女性が、オレ目掛けて突撃してきた。これデジャヴ……

 ダイブしてきた女性を抱き止めはしたが、勢いまでは殺せずに後ろへ倒れてしまったが、怪我はしない転び方をしたから問題ない。

 

「どうもです……愛菜さん」

 

「ああーん! 京ちゃん京ちゃん京ちゃん京ちゃーん!」

 

「おおー! 早紀見てみぃや! なんやごっついワンコおんで!」

 

「ワンコやなくて狼や思うで」

 

「おやおや? よう見たらねっちんもおるなぁ」

 

「もう私の味方は雅だけよぉ!」

 

 抱きついてきた愛菜・マッケンジーさんは、オレに頬擦りをしながら悦に浸って、美麗を見つけた黒髪ショートボブの沖田(おきた)千雨さんは水色の髪の長身ポニーテールの進藤(しんどう)早紀さんと警戒心なく近付きじゃれ始め、アリアに負けないくらいの身長のオレンジの3つ編みをした宮下(みやした)雅さんは、唯一泣きそうな幸姉に話しかけていた。

 というか皆さん相変わらずの自由人っぷり。

 ――パァン!

 ワイワイし出した一同の耳にそんな乾いた音が届き、それを聞いた愛菜さん達は一斉に動きを止めた。

 

「皆さん再会が嬉しいんはわかりますけど、まずは公共の場や言うことを忘れたらあきまへんえ?」

 

 その音を鳴らした眞弓さんは、音の根源であろう閉じた扇子を持ってニッコリ笑顔。

 しかし扇子をペシペシ手で遊ばせている様で長年の付き合いのオレ達には怒る1歩手前なのがわかってしまった。

 とりあえず眞弓さんが怒ると大変なので、みんな大人しく言うことを聞き落ち着く。

 

「えっと、ジャンヌには改めて紹介するな。この人達は……」

 

「いや、不要だ。さっきは誰だと尋ねたが、この顔ぶれが揃えば私もさすがにわかる。薬師寺眞弓、宮下雅、進藤早紀、沖田千雨、愛菜・マッケンジー。京都市内を拠点に関西で活躍する武偵チーム『月華美迅』とまさか直接会う日が来るとは思わなかった」

 

「説明不要か。皆さん有名になりましたね」

 

「最近は武偵のイメージアップのためとかで色んなことやらされとりましてなぁ。肩が凝ってしゃーないんどす」

 

「今テレビ点けたらあたしらが出とるCM流れんで。関西地区限定やけどな」

 

「何やってんですか皆さん……」

 

「眞弓の営業スマイルとか怖すぎて見たくな……ひぃ!」

 

 一言多い幸姉にニッコリ笑顔を向けた眞弓さん。

 幸姉は全力で逃げようとするけど、まだ手錠繋がってるしな。

 しかしCMに出てるとか、本当に何やってるんだろう。

 

「それより京ちゃーん。そこの眞弓とキャラ被りな子は誰なん? ジャンヌ言うたけど、まさか京ちゃんの……あかんよ! 京ちゃん彼女さんできたらお姉ちゃんに真っ先に報告せぇ言うたやん!」

 

「おお! 久々お姉さんモードの愛菜や。拝んどこ」

 

「まっちゃんのご利益ありがたやー」

 

「いや、拝んでもなんもご利益あらへんって」

 

「みんなちょう黙っとって! ジャンヌちゃん! 京ちゃんとお付き合いしたくば、私を倒してからにしや!」

 

 千雨さんと雅さんがボケて早紀さんがやんわりツッコむのを流して、愛菜さんはジャンヌを指差してそう言い放ってから、腿を堂々とさらけ出すショートパンツのせいで丸見えとなっている2丁の銃――FN ブローニング・ハイパワー――をホルスターから抜き放ちその銃口を向けた。

 ――スッパァン!

 その瞬間、愛菜さんの頭に眞弓さんの扇子が鉄槌の如く振り下ろされ、首が縮むのではというダメージを受けた愛菜さんはその場でしゃがんで頭を押さえた。

 それもそうだろう。眞弓さんの扇子は骨部分が鋼鉄製。扇面もTNK繊維で織り込まれてる特別仕様だ。

 そんなもので頭をどつかれたら痛いのも当然。

 

「早とちりはあきまへん。そこにおるジャンヌはんは京夜はんのお友達やそうや。銃口を向けるならこっちの『迷子』や思います」

 

「ちょっ!? 眞弓、何で私……」

 

「いったいわー。でも確かに幸音には1発入れたらなと思っとったんや。あんたのせいで京ちゃん廃人になるところやったんやからね」

 

「あー、愛菜さん。その件は幸姉も予想外だったらしいんで、許してやってください。皆さんも幸姉を責めないでください」

 

「ホンマ京ちゃん優しすぎやわ。幸音は京ちゃんに感謝しや? あと、おかえりなさい、やね」

 

「愛菜……」

 

 オレに免じて銃をしまってくれた愛菜さんは、それで過去の件を流して改めて幸姉にそう言うと、幸姉もその瞳を潤ませて愛菜さんを見つめた。

 

「すまん猿飛。感動の再会はいいのだが、いい加減に駅から出ないか? これでは早くに来た意味がなくなる」

 

「…………あっ」



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Bullet36

「それじゃあ夕方くらいには私の家に来てね。その時に今までのことをざっくり話すから」

 

 1年半ぶりに会って早々に眞弓さんに手錠をかけられた幸姉は、ようやく解放してくれたことに安堵しつつ、本来の目的を遂行するために今度こそ家へと帰っていき、オレ達全員を家に来るようにとも言い残していった。

 

「ほな、早速京都観光と行きましょか?」

 

「え、あの、眞弓さん依頼とかはないんですか?」

 

「雅、今日は『例のイベント』のお仕事だけや思いますけど?」

 

「そやねー。あとは武偵庁から横槍があるかどうかくらいや」

 

 幸姉が帰っていったあと、何故か自然にオレ達についてくるような素振りの眞弓さん達。

 仕事があるかと思いきや、今日はほとんどないらしい。偶然なのか?

 

「早紀はん、車はちゃんと7人と1匹乗れますやろね? もし乗れんのやったら、愛菜はんから降りてもらいますえ」

 

「何で私やねん! イヤや! 私は京ちゃんの隣キープやから、千雨先に降りや。千雨はチャリ漕ぐんめっちゃ速いやん」

 

「いくらあたしでも車には勝てんて! それにそない頑張ったら汗だくなってまうやろ!」

 

「アイもチィも落ち着きや。ちゃんと全員乗れるって」

 

「ジャンヌはんもバスやタクシー使うより安上がりやろ? ウチら土地勘もあって効率エエどすえ?」

 

「うむ、ではお言葉に甘えさせてもらおう。行くぞ猿飛。時間が惜しい」

 

 …………なんかそういう方向で決まってしまい、即断即決の眞弓さんは早速運転手兼ルートアドバイザーの早紀さんと情報通の雅さんとタイムスケジュールを組みながら駅を出て停めてあった8人乗りの黒のワゴン車に乗り込んで、それに続く形でオレ達も車へと乗り込んでいった。

 

「ウチら3時頃にイベントあるさかい、寄り道しますけど付きおうてもらいますえ?」

 

「イベントって何なんです?」

 

「それは見てのお楽しみや、京ちゃん」

 

 ミーティングで決まった最初の目的地、東福寺を目指す最中。

 眞弓さんは扇子を扇ぎながらこれからの予定をざっくり話し、イベントが気になったオレに隣で腕に抱き付く愛菜さんが焦らすようにそう答えた。

 

「猿飛、お前は愛菜・マッケンジーにずいぶん好かれているようだが、そういった距離感は普通なのか?」

 

「愛菜は京ちゃんをホンマの弟みたいに思っとるんよ。京ちゃんも京ちゃんで冷たくつき離さんからこれが当たり前になっとるけどな」

 

「あんまりくっついとるから昔はまっちゃん信者が京くん暗殺未遂にまで及んだゆうバカ騒ぎもあったくらいや」

 

 後部前席に座るオレと愛菜さんを見て、後部後席に美麗と雅さんと座るジャンヌがそんな問いかけをすると、愛菜さんとは反対の隣の千雨さんと雅さんが苦笑混じりにそう答えて昔を思い出す。

 あれは停学処分になった人達が多すぎて京都武偵高の黒歴史として葬られたのに、掘り返さないでください。

 これ以上何か聞かれると、また何が出てくるかわからないから、ジャンヌにはオレから追々聞きたいことに答える形で黙ってもらった。

 笑いながら語るにはあまりにも黒歴史が多すぎて無理があるからな。

 それからすぐに最初の目的地、東福寺へと辿り着き、眞弓さんとジャンヌを先頭にずかずか歩き始める。

 

「東福寺は京都五山の第4位に指定されとって、国宝の三門を始め、重要文化財の開山堂、禅堂、東司(とうす)偃月橋(えんげつきょう)と重要なもんが数多くあります。京都五山の第5位、万寿寺もここの敷地内にありますけど、残念ながら一般公開はしとりまへん。秋には東福寺三名橋の1つ、通天橋から見る紅葉が綺麗なんやけど、9月やとまだ見れまへんな」

 

「ちょっと待ってくれ薬師寺眞弓。あまりにさらりと話しすぎて頭に入ってこない。もっと景観を吟味しながらだな……」

 

「そないな時間ありまへんえ。今雅が色々写真に収めとりますから、移動中に補完したります。このあとまだ6ヶ所回るさかい、立ち止まるんも無しや」

 

 歩きながら隣のジャンヌにすらすら説明をしていく眞弓さんだったが、その間も一切立ち止まることなく敷地内をざっと歩いて、雅さんがデジカメ片手にどんどん写真に収めていく。

 これ、観光って言えるのだろうか。

 

「早紀さん、このあとどこに行くんですか?」

 

「次は北上して三十三間堂、清水寺、銀閣寺、詩仙堂。そんで私らのイベント挟んでちょう遅いお昼休憩。それから金閣寺と龍安寺で終いや。ホンマは嵐山近辺も行きたいんやけど、時間ゆうんは残酷やねぇ」

 

「最低3ヶ所見学でいいのに、一気に過密スケジュールに……」

 

「ジャンヌちゃんは眞弓と雅と早紀に任せて、私らはラブラブやっとればエエんよ」

 

「愛菜はそれでエエかもしれんけど、あたしはどないせ言うねん。このワンコとじゃれとればエエんか?」

 

 なんという弾丸ツアーと思いつつ、完全にお役御免になったオレは、隣で緩みきった顔のまま左腕に抱き付く愛菜さんと、すっかりあぶれてしまい美麗と仲良くなった千雨さん、ドライバー早紀さんと他愛ないことを話しながら眞弓さん達のあとをついていった。

 その途中、見学に来ていた小学生が、愛菜さん達を見て「ブルーや!」「ブラックもおる!」「イエローもや! かっこエエ!」などと騒ぎ出して、愛菜さん達もフリフリ手を振ってそれに答えていたが、なんのことだかさっぱりだった。

 

「三十三間堂は正式名を蓮華王院本堂言うて、『通し矢』で有名な場所どす。本堂の軒下は120メートル言うんが一般的やけど、実際は121メートル相当あります。そない違いもあらへんから問題あらへんけど、今でも弓を習った新成人が弓を射る慣習や大々的な弓道大会があります。ちなみにウチらも今年新成人やから、早紀はんが弓を射ます」

 

「何!? 今年で成人なのか!? 薬師寺眞弓はとっくに成人してると思って……」

 

 ――スパァン!

 三十三間堂に場所を移して早速説明を始めた眞弓さんに対して、ジャンヌが失礼極まりないことを叫ぶと、すかさず眞弓さんの『鉄扇制裁』が頭に振り下ろされていた。南無三。

 

「眞弓はあたしらの中では一番大人っぽく見えるさかい、ジャンヌの驚きも納得……ギャア!」

 

「聞こえとりますえ千雨はん? 嫌どすなぁ、自分が子供っぽくて年齢相応に見られへんのをひがんでウチに矛先向けるんやから」

 

 ジャンヌの様を見て千雨さんがボソリと呟くと、地獄耳の眞弓さんはくるりと顔を千雨さんに向けてニッコリ笑顔。やはり心が笑ってない。

 

「まぁ千雨は女性としてのパーツにメリハリないからひがむ気持ちはわからんでもないわ。気合い結びもガキっぽいってやめとるんよ」

 

「おう愛菜! 喧嘩売っとんのやったら買うたるで! ここは傷モンにしたらあかんモンばっかやから、愛菜が圧倒的不利やけどな!」

 

 眞弓さんに乗っかる形で愛菜さんがそう言うと、スレンダーすぎることを気にしてる千雨さんが、その腰に携えたふた振りの日本刀に手をかけて構える。

 しかし挑発した愛菜さんは、全く取り合わずにオレの腕を引いてさっさと先に行こうとした。

 そういえば千雨さん、前髪をひとまとめに結ぶ自称『気合い結び』をしてないなと思ったら、そんな事情があったのか。

 

「ダメやで千雨ー。私らは治安維持貢献しとるから武装許されたままここに入れてんねんで? 私情でポンポン刀抜いたらあかんよ」

 

「そやでチィ。それにチィより年齢不相応な体しとるんがあそこにおるやろ」

 

 京都の寺社などには重要なものが多いため、基本的に銃器や刀剣類は入り口の受付でシャットアウトされてしまう。

 現にジャンヌは装備していた銃――ツァスタバ・Cz100――とデュランダルを受付に一時的に預けている。オレも例に漏れずにクナイや手裏剣を預けている。

 しかし月華美迅の5人は、そんな決まりを無視するように武装したまま入れている。

 そこで彼女達が『凄い人達』なのだと再認識させられる。普段がこれだからな。

 そういった正論を愛菜さんと早紀さんに言われた千雨さんは、ぐぐぅと唸りつつも刀から手を離して、せっせとデジカメで写真を撮る雅さんを見やりホッと息を吐いた。

 雅さん、見た目は小学生と遜色ないからな……中身はとんでもないけど。

 それから流れるように清水寺へと場所を移したオレ達は、さっさと移動してあっという間に有名な本堂『清水の舞台』へとやってきてそのせり出した縁に立った。

 

「まぁ、ここが京都で最も有名な場所や言うてもエエさかい、今更説明も何もないやろうから、ちょっと趣向を変えましょか。諺にもある『清水の舞台から飛び降りる』つもり言うんは、ここから飛び降りるくらいの気持ちで思い切って行動する言うもんどすけど、実際にここから飛び降りたんが過去に234件あった言う話どす。高さ的には危ないんやけど、生存率が8割以上言うんは不幸中の幸いどす」

 

「よし、では飛び降りろ猿飛」

 

「ふざけるな! 生存率8割って言っても、怪我しないわけじゃないだろ!」

 

「なに、私はお前ならば怪我ひとつせずに着地すると信じているぞ」

 

 そんな冗談なのか判断しにくいことを言うジャンヌは、柵に寄りかかって下を覗きながら笑顔を向けてくる。

 期待されても飛ばないっての。確かに昔飛んだ……というか落とされたことはあるがな。眞弓さんに。

 そんな過去があるからなのか、話をした当人の眞弓さんは、愛菜さんや千雨さんと一緒に、オレ達と同じく社寺見学に来ていた武偵高生徒に声をかけられてそちらに対応していた。

 やっぱり有名人だな。サインなんてねだられてる。

 その後眞弓さん達と一緒に行動してたオレ達が言及されそうになったが、面倒臭いのでテキトーにあしらってさっさと移動し次の目的地である銀閣寺へ。

 ちなみにこの移動の時点ですでに昼の12時を回っていたが、気にしないでおこう。

 

「銀閣寺ぃ! 正式には慈照寺(じしょうじ)言うんやでぇ。銀閣寺言うても金閣寺の金箔みたいに銀箔塗りたくってピカピカしとるわけやないよ? 実際は黒漆で塗られとって、それが光の反射で銀色に見えたからそう呼ばれるようになったって説や銀箔を塗る予定やったから言う説もあんねんて」

 

 到着して早々、役割を交代してデジカメを持つ眞弓さんと説明を始める雅さん。

 しかし雅さんの手には開かれたままの携帯が。

 たぶんいま調べたことを我がもの顔で言っているのだろう。雅さんらしい。

 だがここにも武偵高の生徒がちらほらいて、眞弓さん達を見つけては握手やら何やらを求めてくる。

 愛菜さんなんかはオレと一時的にではあるが離れることになるから少し不機嫌そうにしていたが、そこは長い付き合いだからわかる心境であるため表情には出ていない。

 オレもオレでまた言及されることになり、京都武偵高で一時期インターンでいたからと嘘を言って誤魔化していた。

 実際は同級生だったが、それを話すとまた面倒なことになるから黙っておく。

 

「それにしても東京もんはミーハーが多すぎます。おんなじ武偵なんやから、そない騒がんでもよろしやろ」

 

「ホンマや。やっとることも大差ないんやから、知名度聞いて寄ってくるんはちょう迷惑やわ」

 

 武偵高生徒をあらかた処理してから近寄ってきた眞弓さんは、肩を叩きながらにポツリと呟き、早紀さんも便乗する。

 思ったことを口にするのはこの人達の良いところであり悪いところだろうな。

 

「あかーん。京ちゃんと全然ラブラブ出来んでストレス溜まるわぁ。幸音ん家行ったら膝枕くらいのご褒美もらわな死んでまう」

 

「大袈裟やで愛菜。京ちゃんはちゃんと断りぃよ?」

 

「さすがに膝枕をする勇気はありませんって」

 

「昔は2人で一緒に寝たりしたことあるやんか……」

 

「それは愛菜さんが……とにかく膝枕はしないです。幸姉から真面目な話もあるでしょうし、オレも家に顔出さないといけないですし」

 

 また一般公開できない話をしそうになったので、続けるわけにはいかないと言葉を飲み込んで終わらせると、愛菜さんはショボくれてしまったが気にしたらダメだ。

 あれは愛菜さんの罠。手を差し出せば際限なく甘えてくる。

 それは色々と困る。嫌ではないが困る。

 そうして続く詩仙堂丈山寺も見学し終えて、いよいよ眞弓さん達が言っていたイベントなるものにお昼休憩も兼ねて付き合うこととなった。

 それでやって来たのは、北大路にある文化会館。

 イベントまで準備があるとのことで、その間に文化会館があるキタオオジタウンのファミレスで昼食を済ませていたオレとジャンヌは、注文した料理に手をつけながら話をしていた。

 

「今だから話してやる」

 

「何をだよ」

 

「私はイ・ウーにいた頃、どうしても手が出せなかった……いや、出そうと思えなかった場所があった。それが京都武偵高だ」

 

 手が……ということはおそらくジャンヌが超偵専門の誘拐犯『魔剣』として活動していた頃のことだろう。

 

「当時は京都武偵高にイ・ウーの目に止まる超偵がいなかったから私も見て見ぬふりをしたが、まさか当時密かに恐れていた月華美迅があんな能天気な集団だとは思わなかった。正直拍子抜けだ」

 

「そりゃ『いつもの』眞弓さん達を見ればそう思うかもな」

 

「うむ、しかし実績はどうだ。調べれば任務達成率はほぼ100%。ここ2年の京都市内での犯罪率は5割減。その貢献者達があれだというのだから我が目を疑う」

 

「昔からスイッチのオンオフがハッキリしてる人達なんだよ。特に眞弓さんは文字通り『人が変わる』しな」

 

「……何か事件が起きないものか。そうすれば彼女達の実力を垣間見れるかもしれん」

 

「冗談でもやめてくれ。眞弓さんは使える駒は全部使う主義だから、オレもジャンヌも顎で使われるぞ」

 

「だが薬師寺眞弓は『衛生武偵(メディックDA)』だろ? それが総指揮など取れるものなのか?」

 

「そこら辺は月華美迅が他の武偵チームとは違うっていう証明になるのかもな」

 

 まだ月華美迅の実力が計れていないジャンヌは、それでふむふむと思考していたが、それで何かわかるわけでもないため、すぐにやめて料理に手を伸ばしていった。

 そして眞弓さん達に言われた時間に文化会館のコンサートホールに足を踏み入れたオレとジャンヌは、そこにいた小学生とそれ以下の育児の親子集団に呆然。席はほとんど埋まってしまっていた。

 仕方なくホール後ろで立つことにしたオレ達は、ホール出入り口に立て掛けてあった『武偵戦隊マモルンジャー・ヒーローショー』なるものに冷や汗を流しつつそれが始まるのを待った。

 

「京都の平和を守るため!」

 

「京都の人を守るため!」

 

「武偵の国からやって来た!」

 

「愛と正義の使者!」

 

「武偵戦隊!」

 

「「「「「マモルンジャー! 見参!!」」」」」

 

 そんな掛け声で登場したのは、いかにも戦隊モノといった赤、青、黒、黄、桃。5色のコスチュームをした眞弓さん達。

 各々が決めポーズをする眞弓さん達の首にはそれぞれの色のなびくくらい長いマフラー。顔はオープンでマスクは被ってないから、どれが誰かはすぐにわかった。

 そしてその手にはそれぞれの武偵活動での武装が。

 

「……おい猿飛。本当にあれが関西で最高レベルの武偵チーム、月華美迅なんだな?」

 

 さすがのジャンヌもあの様を見て本気で疑いたくなったようだ。

 オレも初めて見る眞弓さん達の姿に言葉を失ってしまった。

 しかしそんな眞弓さん達の登場に子供達はおおはしゃぎ。ホール全体が揺れるほどの歓声が沸く。

 それでオレはここに来る前の小学生や園児達の眞弓さん達に対する「イエローや!」「ブルーもおる!」などの声の正体がわかった。

 そのあと、ずいぶんと手慣れた演技でヒーローショーをこなす眞弓さん達は、悪役を倒したあとにホールを歩いて子供達と握手をしたり写真を撮ったりと大忙し。

 その間オレとジャンヌはホール後ろで呆然と立ち尽くしていたが、1度だけ近寄ってきた眞弓さんにヒーローショーが終わったら控え室に来るように言われて我に帰り、その言葉通りに客がみんないなくなってから、ホール脇の扉を潜り裏の控え室へと足を運んだ。

 

「ビックリしましたやろ? 京夜はん昔からネット使て調べたりせぇへんから絶対知らん思て黙ってたんどす」

 

「京ちゃん京ちゃん! 私の演技どやった? いつもよりかわエエ感じでやったんやけど」

 

「とりあえずオレを男として扱ってくれませんか。そんな堂々と着替えられると悲しくなります」

 

 控え室に入ってすぐに着替えていた眞弓さんが、下着姿のまま笑ってそう説明して、これまた下着姿の愛菜さんが無邪気に近寄ってきたが、この人達はオレが入ってきたのに全く抵抗なく堂々と下着姿を晒して着替えをするのでちょっとイラッとした。

 オレももう17になるのでそこら辺の羞恥心を持ってほしいが、この人達にとってオレはいつまでも『年下の男の子』なんだなと感じさせられた。

 しかしジャンヌのオレを見る視線が冷たい。

 オレだって好きでこんな扱いを受けているわけじゃない!

 と、俯きながら言ってる間にとりあえず直視できるくらいにまでは着込んだ眞弓さん達にオレは安堵しつつ、今回のイベントについて言及した。

 

「言いましたやろ? 武偵のイメージアップのための宣伝。今年の春から京都だけで行なっとるローカルヒーローどす」

 

「駅で言うてたCMもあの格好で出とんねんで。今じゃ京都で知らん人がおらんくらい有名になってもうて、街歩いてても『ブラックや!』『刀の人や!』言うて名前で呼ばれんくらいや」

 

「千雨は一番男の子受けエエからな。刀は男の魂! 言うんもホンマなんやねぇ。ちなみに早紀のワルサーが次点で人気や」

 

「これはデリケートやから人にお勧めはしたないんやけどね……」

 

 愛菜さんに言われて早紀さんは持ち込んで壁に立て掛けていた狙撃銃――ワルサー WA2000――を見ながら呟く。

 ちなみにこの狙撃銃は7月に遭遇したパトラも使っていたものだ。

 

「さて! 人気のないウチや雅に振られる前に寺社見学に戻りますえ! 寺社の営業時間は基本夕方5時には終わってまうさかい、こっからノンストップどす。終わったら終わったで幸音はんの家に行かなあきまへんし、急ぎましょ」

 

 そこで話題が自分に向く前に話を区切った眞弓さんは、パンパンと手を鳴らしてみんなを急かすと、ジャンヌの腕を引いてさっさと控え室を出ていき、それに続く形でオレ達も控え室を出て文化会館を後にして、金閣寺、龍安寺と本当にノンストップで見て回った。

 それはもう見学と言えるのかもわからないほどのスピードであのジャンヌが振り回されていたくらいだ。



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Bullet37

 

 秋の訪れを告げるように日照時間の短くなって空が茜色に染まった夕方6時頃。

 社寺見学を終えて早紀さんの運転するワゴン車でやって来たのは、京都市北東、比叡山が近くにある修学院月輪寺町。

 鷺森(さぎもり)神社よりも少しだけ比叡山に寄った場所にある結構な敷地面積を誇る武家屋敷。その目前まで来ていた。

 そしてその家紋の六文銭を掲げた門前まで車を走らせて止まり、でかでかと立てられた表札には『真田』の文字が。その隣には遠慮するように『猿飛』の小さな表札も。

 

「皆様、よくいらっしゃいました」

 

 ワゴン車が止まってすぐ、眞弓さん達が車から降りて姿を現すと、最初から門前にいた着物姿の黒髪少女が丁寧なお辞儀と一緒にオレ達に挨拶。

 たった1年半なのに成長したな。

 

「幸帆ちゃんちょっとぶりやねぇ。元気にしとりましたか?」

 

「はい、皆様のおかげで」

 

「車は裏回せばエエんよね?」

 

「あ、はい。裏門から入ってくだされば問題ありません」

 

「ほなお邪魔します」

 

 いかにも手慣れた感じで幸帆と呼んだ少女と会話しながら行動する眞弓さん達は、それでそのまま門を潜って中へ。早紀さんも車を動かしていった。

 そしてオレとジャンヌ、美麗はその少女、真田幸帆の前で立ち止まり向き合う。

 

「お元気そうですね、幸帆様」

 

「きょ、京様もお元気そうで何よりです! そ、それと様はやめてください。昔のように幸帆と呼んでくれた方が、私も嬉しいです」

 

「ですが……当主様の前ではちゃんとするからな? じゃあ幸帆、久しぶり、だな」

 

「はい! そちらの方はジャンヌ様ですね?」

 

「お前が真田幸音の『妹』か。なるほど、話で聞いていた以上に似ているな。真田幸音をそのまま幼くしたようだ」

 

「……どうぞ中へお入りください。眞弓さん達同様、手厚い歓迎をいたしますので」

 

 ジャンヌに幸姉に似ていると言われて少しだけ表情を曇らせた幸帆は、それを隠すように笑ってからジャンヌと美麗を中に通していった。

 そしてオレはここに『もう1人』いる人物にも声をかける。

 

「ちゃんとお役目は果たせてるか? 誠夜(せいや)

 

 数秒の沈黙のあと、その声に応えるように音も無く幸帆の隣に片膝をついて姿を現したのは、中性的な顔つきの黒髪少年。名前を猿飛誠夜という。

 

「お久しゅうございます、兄者」

 

 この時代錯誤な話し方をするオレの『弟』は、オレが家を出たあとの猿飛の後継者であり、現在の当主候補、幸帆の側近である。

 つまり今オレの目の前にいる2人は、次代の真田と猿飛の頭ということだ。

 

「高校は幸帆と一緒に一般高か?」

 

「はい。幸帆様は幸音様のように武偵の世界で学ぶことはありませんので、一般の進学校にて勉学に勤しんでおられます」

 

「そうか。幸帆には武器とかは持って欲しくなかったから良かったよ。その分誠夜が鍛錬してるだろうけど」

 

「一応武道も続けていますけど、今はそんな話は置いておきましょう。京様、どうぞ中へ」

 

 自分の話をするのが恥ずかしいのか、幸帆はそう言って話を区切りオレのために道を開けて中へと促すが、どうしても入るのには抵抗があった。

 それを察してか幸帆が表情を和らげてオレを見ると「大丈夫です」と視線で言ってきた。

 誠夜も立ち上がって同じ表情をする。

 

「……ただいま」

 

 そうしてオレは幸帆と誠夜に後押しされて、1年半ぶりに真田と猿飛の家の門を潜ったのだった。

 門を潜ってまっすぐ歩いた先にまず真田のお屋敷がある。

 純和式の瓦屋根の木造建築。古き良き日本の雰囲気を醸し出すその家を、1年半前までは当たり前のように見て出入りしていたのだと思うとなんだか不思議だ。

 

「京夜、おかえり」

 

 その家の玄関前には、すでに眞弓さん達を家の居間に通して最後に来たオレを待っていた幸姉がいて、京都に来た時と同じ格好のままそう言ってくれた。

 

「……話は終わった?」

 

「とりあえずお父様とお母様にはあらかたね。もちろん京夜のご両親にも話したわよ」

 

「じゃあオレは顔だけ見せてから行くよ。その間に眞弓さん達に話をしてあげてくれよ」

 

「うわ……私を1人にさせるんだ? 話したあとに絶対眞弓にグチグチ言われるんだけど……」

 

「聞こえとりますえ幸音はん?」

 

「にゃあああ!!」

 

 オレが猿飛の家の方に行くと言うと、幸姉はそんなことを言って明らかに嫌な顔をするが、玄関からその眞弓さんが音もなく出現して、絶望の表情をした幸姉の首根っこを掴んでズルズルと連行していってしまった。

 

「幸帆はもう話を聞いたのか? まだなら眞弓さん達と一緒に聞いてこい」

 

「私も帰ってきたのは1時間ほど前だったのでまだ……誠夜は京様と一緒に戻りなさい。久しぶりの家族全員での顔合わせなのですから」

 

「承知しました」

 

 幸姉が玄関の奥へと消えてから、後ろに控えていた幸帆を送り出して、オレは誠夜と一緒に真田の家の敷地内の隅にある猿飛の家へと足を運んだ。

 結果から言えば、猿飛の家での家族間会話はものの十数分で終わった。

 まず母親である静乃(しずの)に優しく出迎えられ、次に父親であり現猿飛の頭、14代目猿飛佐助と顔を合わせた。

 猿飛は代々、その家を継ぐ長男に『佐助』の名を与えられる世襲制。

 だから父親の佐助は本名ではないが、昔から佐助の名を持つ間は本名を秘匿する決まりがあるため、オレも父親を本名では呼ばない。

 父親との会話は極々普通のもので、この1年半の間でちゃんと食っていっていたのかということと、病気をしなかったかということだけ。

 幸姉から事前に話があったのだとしても、聞かれたことがたったそれだけだったことに拍子抜けとなったオレは、またお役目に戻っていった父親に何を言えるわけでもなかった。

 しかしそれでも心配はされていたのだということがわかり、何となく安心もしていた。

 半ば追い出される形で家を追われたオレとしては、今回それこそ敷地に入るのも躊躇うくらいだったのだから、歓迎されないことを前提にしていたのだ。

 たとえ最終決定が真田の家でのことだったとしても、ここまですんなりいくと拍子抜けもするだろう。

 そんなわけで夕飯は真田の家で盛大にやるとのことで、オレも誠夜もすぐに真田の家へと移動して、現在居間にて眞弓さん達に必死に納得のいく説明をしているであろう幸姉の邪魔をしないように気を遣って、真田の家で働く使用人さん達に挨拶回りをしていっていた。

 真田の現当主も奥様も仕事で出掛けてしまい、父親もそれに同行していったため、そちらへの挨拶ができなかったが、昔から変わらず働く使用人さん達もオレを歓迎してくれてホッとした。

 それでまだもう少しかかりそうな話を見越して、中庭へと足を進めてみると、その中央にある池の縁に立つ幸帆を発見。幸姉の話を聞いてたんじゃなかったか?

 そう思いつつ幸帆に近付き隣に立ってみると、幸帆は接近に気付かなかったのか凄く驚いて肩を跳ね上げた。

 

「ご両親とのお話は終わったのですか?」

 

「幸帆こそ、まだ幸姉の話が終わってないだろ」

 

「……私には聞いてもあまり必要性を感じなかったので。それに姉上が戻られた今、私は近日中に後継者としての地位を奪われてしまいます」

 

「それが気に食わないか? 勝手にいなくなって、勝手に帰ってきて、当主の座を奪っていって」

 

「……あの人は私の努力を踏みにじるんです。昔からそう。何をやっても私は姉上の2番煎じ。どんなに頑張っても姉上を越えられない。今回も姉上以上の才覚を示せていれば、後継者としての地位を奪われることもなかったです」

 

「幸帆は頑張ってるよ。才能だってある。努力も人並み以上だ。ただ、幸姉もそれに負けないくらい努力をして、挫折を味わって今に至ってるんだってこと、妹ならわかるだろ? オレは最近知ったんだけどな」

 

「……わからないですよ。あの人とは昔からそんな話すらしていません。京様には黙っていましたが、私はあの人が嫌いなんです。そして、それ以上にそんな自分自身が大嫌いなんですよ」

 

 突然の独白に少し驚いたオレだったが、いつの間にか一緒に行動していた誠夜がいなくなっていて、お役目どうした! と思いつつも何も言わないのもどうかと思考し言葉を発した。

 

「嫌よ嫌よも好きのうちってな。幸帆が幸姉をそうやって意固地になってライバル視してるのは、きっと根っこのところで幸姉を認めてるからだと思うよ。だから負けたくないんだろうし、勝てないことに苛立つんだ。人間ってのは本当に心の底から嫌いな奴は視界にすら入れないもんさ。自己嫌悪も悪いとは言わないよ。自分の嫌なところを見るってのはなかなかできないことだ。それにそこから前に進めることもある。幸帆もそこから前に歩き出せばいい。俯いてばかりだと、見えるものも見えてこないからな」

 

「…………京様かっこいい……」

 

 オレの返答に幸帆は何やら小声で呟いたが、さすがに聞き取れなかった。

 しかし先程よりスッキリした顔になっていたので、どうやら幸帆の力にはなれたようだった。

 

「なんやのこの『身分違いな家柄で先に踏み込めずにいる』みたいな雰囲気は」

 

 話が一段落した矢先に割り込んできたのは、ぶすぅ! と不機嫌丸出しの愛菜さん。

 しかもなんかわけのわからない言葉で割り込んできた。

 

「あ、愛菜さん!? これはその、ち、違うんです! ただ京様とお話ししていただけで別にそういう雰囲気は出してなかったといいますかなんというか……」

 

 そして何故動揺する幸帆。

 

「幸音はんのお話も終わりましたし、呼びに行こ思たらすぐに見つかってしもて拍子抜けどす。愛しの京夜はんとの久々の会話、楽しめましたか? 幸帆ちゃん?」

 

「ま、眞弓さんのバカぁあ!」

 

 続いてやって来た眞弓さんが何やら怪しい発言をしていたが、それで幸帆は暴走。

 果敢にも眞弓さんに飛びかかっていったが、案の定片手でひと捻りにされていた。

 

「それからさっきの話、幸音はんの後釜なんてつまらんもんやるより、幸帆ちゃんは幸帆ちゃんの好きな道を歩む方が断然楽しい思いますえ。姉の背中ばっか見とっても、世の中なんも見えまへん」

 

「そやなぁ。私も誰かにあーしろこーしろ言われる人生イヤやわ。京ちゃんになら束縛されるんもやぶさかやないけど」

 

「絶対しません。強いて言うなら愛菜さんは危ない発言をやめてください」

 

「やーんもう。京ちゃんに注意されてもうたわぁ。キャハッ」

 

 反省してないだろこの人。

 しかしさすが眞弓さん達。オレなんかよりずっと幸帆のためになることを言ってくれた。

 同時にオレにも同じことを言われた気がして、未だ出せていない答えを急かされたような気がした。

 期限は、あと1日ないくらいか。

 

「それに幸音はんはちゃーんと幸帆ちゃんのことも考えてはりますえ。――――」

 

 それから眞弓さんは制していた幸帆の耳元で何かを話して解放すると、夕飯の準備もできたからとオレ達を呼び居間へと戻っていき、愛菜さんに捕まったオレも、何かを言われて呆然としていた幸帆も居間へと足を運んでいった。

 それから居間では使用人さん達も含めての軽い宴会のようなものが行われ、いつ武偵庁から要請があるかわからない月華美迅はお酒を飲んではいなかったが、それでもノーマル状態で騒がしい人達なので関係ない。

 その月華美迅に乗っかる形で使用人さん達も騒ぐので、居間ではおちおち食事もできなくなっていたが、オレは楽しそうな眞弓さん達を横目に居間から出たすぐの廊下で中庭を眺めて夜風に当たっていた。

 時間はすでに夜8時を回っている。

 

「まったく、騒がしくて満足に食事もできん。それに社寺見学のレポートも全然まとまらん」

 

 そんなオレの元にグチグチ言いながら寿司を持ってやって来たジャンヌ。

 そういえばレポートも眞弓さん達に手伝ってもらう予定だったっけ。

 

「オレでよけりゃ手伝ってやらんこともないぞ? 昼間はサボったしな」

 

「本当だ。あんな弾丸ツアーで見学などできるか! ありがた迷惑とはこの事だ」

 

「それよりジャンヌは今夜どうすんだ? 予約してたホテルとかあるのか?」

 

「ある。が、このままではレポートが仕上がらん。だから予約はさっきキャンセルして真田幸音に宿泊を許可してもらった。あのバカ騒ぎが終わったらレポートをやるから手伝え」

 

「へいへい」

 

 オレのそんな答えに満足したのか、ジャンヌはフッ、と笑ってからマグロの握りをぱくり。

 しかしワサビが多かったのか涙を流して鼻を摘んだ。素直にサビ抜き食べればいいのに。

 

「そうだ猿飛、前から少し疑問に思っていたのだが」

 

「なんだよ」

 

「お前や真田幸音、ひいては真田幸帆に猿飛誠夜。生まれ、育ちが京都なのに、何故薬師寺眞弓達のように訛りがないのだ?」

 

「真田と猿飛について前に少し調べたって言ってたよな? ならどんな仕事してるかも調べてるだろ?」

 

「ああ。確か海外との貿易関連のそれなりに権限のある役職、だったか」

 

「そう。んで、その貿易交渉の場ではどうしても言語に違いが出るだろ?」

 

「……なるほどな。通訳か」

 

「……最後まで説明させろよ……」

 

 頭のキレがいいのはわかるが、聞いといてそれはないだろ。

 

「要は通訳で不備が出ないように、最初から標準語で育てられるんだ。これは後継者とか関係なく、真田と猿飛の家で義務化されてる」

 

「日常で聞き慣れてしまうとそちらに釣られると言うからな。環境作りも徹底してるわけか。うむ、これで疑問が解けた。感謝する」

 

 それで本当にスッキリした顔をしたジャンヌは、また握りをぱくり。今度は大丈夫だったか。

 

「きょ、京様助けてー!」

 

 話が一段落すると、今度は居間から幸帆のヘルプコールが。

 何事かと居間を覗くと、そこでは幸帆を後ろから抱き締めて胸を揉む千雨さんが。

 

「うーん、着物の上からやとようわからんなぁ。うりゃ!」

 

「ひゃあ! も、やめ……」

 

 もはや酔ってるんじゃないかと思うくらいはしゃぐ千雨さんは、胸を揉む手を着物の中へと潜り込ませてダイレクトキャッチ。

 男がオレと誠夜だけで良かったな、幸帆。

 

「む! むむ! これは……あたしよりおっきい……そ、そんなバカな……じゅ、16歳に負けるやなんて……」

 

 そして幸帆の胸をダイレクトキャッチした千雨さんは、それでばっ! と手を引き抜いて幸帆から後退り、驚愕の顔をしたかと思うと、この上なく落ち込んだ四つん這いポーズへと移行した。

 それには騒いでいた愛菜さんが大笑い。落ち込む千雨さんの背中をバシバシ叩いて腹を抱えて隣で同じようなポーズになっていた。

 

「も……お嫁に行けない……」

 

 解放された幸帆は逃げるように居間から出てオレの傍まで来ると、そう言って着崩れた着物を直し涙ぐむ。

 そんな幸帆の頭を優しく撫でるくらいしかオレにはできなかったが、それでも幸帆は嬉しかったらしく、すぐに落ち着いてくれた。

 それから全く衰えることのない皆さんのバカ騒ぎは1時間以上続き、時間もあっという間に夜9時を回っていた。

 幸帆はオレと話をする間に眠気がピークになり寝室に行ってしまい、ジャンヌも待ってられんとか言って別室にてレポートに取りかかっていった。

 眞弓さん達におもちゃのように扱われていた美麗は、隙を見て逃げ出して現在オレの足に頭を乗せて休憩中。

 オレも濃厚すぎた今日1日を振り返ると急に眠くなり、1つ大きなあくびをした。

 ジャンジャンジャーン! ジャンジャンジャーン!

 その瞬間、どこかのサスペンスで流れるような事件臭漂うメロディーが居間に響き、途端、今までバカ騒ぎをしていた眞弓さん達の表情が一変。

 騒ぐのもやめて、音の発信源である眞弓さんの携帯が取り出され電話に出る。

 そのわずかな時間に千雨さんと愛菜さんは武装を整えていつでも動けるように準備し、早紀さんは眞弓さんのそばに寄り車のキーを手に持つ。

 雅さんは持ち込んでいたノートパソコンを開き待機。

 完全にお仕事モードに入っていた。

 オレも幸姉もそれに順応。眞弓さんの一挙手一動に注意を払う。

 眞弓さんは電話を切ると、すぐにオレ達に概要を説明した。

 

「武偵庁から緊急の依頼どす。比叡山付近の民宿で襲撃事件が発生したさかい、その対処に当たってほしい言うことどす」



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Bullet38

 賑やか宴会ムードから一変。

 完全お仕事モードになった月華美迅とオレと幸姉は、ごちゃごちゃとするテーブルを一瞬で片付けて会議場を作り出すと、早速詳しい内容を話し始めた。

 

「襲撃にあった民宿は比叡山ドライブウェー沿いの『はちのこ』言うとこどす」

 

「予約客は1件だけやね。名前は遠い山で『遠山』。人数は2人と1匹。カップルかなんかやろか」

 

 眞弓さんの話を聞いてものの数秒でノートパソコンを使って調べた雅さんは続く形でそう告げた。

 

「通報してきた女将さんの話やと、2人とも東京からの修学旅行生で武偵や言う話どす」

 

「っちゅうことは京の知り合いか?」

 

「ですね。それもよく知る2人です」

 

 2人と1匹。1人はキンジで間違いないだろう。

 そしてもう1人はおそらくレキ。

 キンジの知り合いに動物連れの武偵なんてレキくらいだろ。

 

「そんで、襲撃犯の狙いはなんやの?」

 

「犯人はラジコンヘリに銃器取っ付けたもんで民宿を襲って、姿は見せてまへん。狙いは民宿やなくて泊まっとった武偵みたいどす。そんでその武偵2人は比叡山の森に逃げ込んだ言う話どす」

 

「武偵狙って襲撃やなんて度胸ある犯人やなぁ。狙いもようわからんし」

 

「京ちゃん、その襲われた武偵と連絡取れへんの?」

 

 ポンポン話が進んでいく中、愛菜さんにそう言われて携帯を取り出してキンジに繋ぐが、聞こえるのはツー、ツー、という繋がる気配すらない音だけ。

 レキにも繋いでみるがダメ。

 

「襲撃時に連絡手段を絶たれたゆうこっちゃな。これで合流も難しいなぁ」

 

「美麗なら臭いで追えるかもしれないですが、今日は風がほとんどないから索敵範囲も広大になって時間がかかりますし」

 

「とりあえずウチと雅と早紀はんは一旦車でその民宿に行きますえ。それから武偵庁に行って乗り換えどす。車やとタイムラグ出てまいそうやし、『あっち』の方が機動力ありますやろ。千雨はんと愛菜はんは京夜はんと幸音はんとここに待機。幸い比叡山は目と鼻の先どすし、地形は京夜はんが詳しいやろ?」

 

「はい。比叡山は庭みたいなもんです」

 

「頼りにしとんで、京ちゃん」

 

 そうやって指示を飛ばした眞弓さんは、雅さんと早紀さんと一緒に行ってしまい、具体的な指示があるまではオレ達も待機となった。

 

「幸姉、ラジコンヘリに銃器って、なんとなくやり口に覚えがあるんだけど」

 

「私もそれで引っ掛かってた。たぶん私達に関わりのある人物が犯人ね」

 

 待機中、オレは先ほどの眞弓さんの情報から、4月に理子の行った武偵殺し事件を思い出して幸姉に問いかけると、幸姉も心当たりがあったみたいだ。

 

「なんや、襲撃犯に心当たりあるん?」

 

「オレは微妙です。幸姉はもっと確信に近いでしょうけど」

 

「幸音、黙っとったら眞弓にどつかれんで?」

 

「私も確信はないわよ。ただ、犯人は狙った武偵を殺す気はないってことくらいは確信してる、かな。でも追い詰めるところまでは追い詰めてるはず」

 

「それなら襲撃犯は必ず武偵2人を常に視界に捉えとるはずやな」

 

「いえ、襲われた武偵の1人は狙撃手です。それも絶対半径(キリングレンジ)が2051メートルの天才。あれの視界に入ったら確実に迎撃されてますよ」

 

 絶対半径とは、狙撃手がその範囲内でなら標的を捉えたら確実に仕留められる距離を指す。

 そしてレキの絶対半径は狙撃手としては超がつく1流だ。

 その言葉に千雨さんも愛菜さんも心底驚くが、逆にこれで相手の姿も判明してきた。

 

「っちゅうことは犯人はその範囲外から監視できる狙撃手の可能性があるわけや。非現実的やけど、そないなことになっとったら、確実に森ん中で張り付けにされて持久戦になっとんで」

 

「狙撃手同士の戦いは根比べやからね。たぶんそない優秀な武偵ならもう自分の絶対半径に相手を入れとるはずや。いずれ何らかのアクションはあるやろし、後手になるけどアンテナ張っとった方がエエんかな」

 

「それはオレと美麗がやりますよ。愛菜さん達は万全で動けるように適度に休んでてください」

 

「京ちゃん頼もしいわぁ。美麗も頼りにしてまっせ」

 

 いずれにせよ、今はアクションがあるまでどうすることもできないので、眞弓さん達からの追加の情報と指示を待ちつつ、適度にリラックスしながら家の屋根に上がって比叡山の方向に意識を集中させていった。

 ちなみにジャンヌはこの事態に気付いてはいたが、自分がやれることはないだろうと判断して速攻でレポートに戻っていた。

 いざとなったら引っ張り出すつもりだ。人員は多いに越したことはない。

 それから約3時間弱。

 時刻にして夜の0時を回ったくらいに、屋根に登ってきて隣に座ってきた愛菜さんは、コーヒーの差し入れをくれた。

 それを貰いつつ落ちていた集中を引き締めて比叡山を観察する。

 

「京ちゃん、昔よりかっこエエな」

 

 集中し始めた矢先、隣でコーヒーを飲む愛菜さんは、突然オレの顔を見ながらそんなことを言ってきて、思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになる。

 

「オレはそんなに変わったつもりはないんですが……」

 

「自覚ないんはしゃーないわ。そないおっきな変化でもないからなぁ」

 

「幸姉にも似たようなこと言われましたがね」

 

「ウソや!? 絶対私しかわからん思ってたのにぃ!」

 

「カッコ良いって言いますけど、外見の変化ですか?」

 

「ちゃうよ。あ、もちろん身長も伸びて男の子としてかっこエエけど、こう、なんちゅうかそのぉ……昔はクール! って感じだけのカッコ良さやったんやけど、今はそれにプラスして背中がおっきなったなって、そんな感じや」

 

 言われてもよくわからなかったが、愛菜さんはそれでも昔のオレよりも今のオレの方が好きだと言ってくれている。恥ずかしい。

 

「まぁ、ホンマの姉弟やないけど、私はお姉ちゃんとして京ちゃんがカッコ良くなるんは嬉しいねん。そんで1年半前に東京に泣く泣く送り出して正解やったな、って思えてんのや」

 

「愛菜さ……」

 

 単に年上のお姉さんとしてだけではここまで言ってはくれないだろう。

 愛菜さんは昔からオレを本当の弟のように接してくれた唯一の人だ。

 だからいま唐突に横から優しく抱き締められても、驚きはしたが抵抗はしなかった。

 

「幸音から聞いたよ。京ちゃん、武偵続けるかどうか選ばせてもろてんのやろ? 私にはなんも言えんけど、絶対後悔せんようにしや?」

 

「……ありがとう、愛菜お姉ちゃん」

 

「お姉ちゃん呼んでくれたん、これで2回目やね。いっつもそう呼んでくれたらもっと嬉しいんやけどなぁ」

 

「無理ですよ。こんな恥ずかしいこと、人前でなんて」

 

「もう、京ちゃんかわエエわぁ」

 

 そこで空気が和やかになり、オレも愛菜さんの優しさに落ち着きかけた瞬間、比叡山の方で一瞬だけ夜の闇を照らす発光があり、思わず立ち上がった。

 それには愛菜さんは気付いていなかったが、オレの変化で再びお仕事モードに。

 ――キィィィイイン!

 そして数秒のあと、今度は耳をつんざくような甲高い音が聞こえてきて、オレも愛菜さんも屋根から降りて幸姉と千雨さんと合流。

 

「今のはたぶん音響弾(カノン)ね。撃ったのはおそらくレキちゃん」

 

「その前に閃光弾(フラッシュ)も撃たれてる。たぶん今の2発で敵にダメージを与えたはず」

 

「閃光弾と音響弾……となるとやっぱり敵は狙撃手やったんやね。それも精密機械を使った超精密狙撃。拠点を構えての狙撃やろうから、眞弓達なら犯人を見つけられるかもしれん」

 

「キンジ達も移動を開始してるはず。オレは森に先行して探ってみます。美麗を置いていくので、何か見つけたら連絡しますから美麗に追わせてください」

 

「気ぃつけや」

 

 取り急いで情報をまとめてから、オレは昔サバイバルをした比叡山の森へと入り、おそらく方角もわからずに走っているキンジ達を捜索し始めた。

 事前にキンジ達が宿泊していた民宿の位置とドライブウェーを確認していたオレは、そこから概算でキンジ達の移動距離を割り出し、視覚的に少し開けた場所に限定して森を駆ける。

 狙撃は撃つために色々と条件が必要になると、昔早紀さんがブツクサ言っていたのを思い出しつつ、庭のような比叡山森で記憶にあるポイントを巡っていく。

 そして辿り着いたのは小さな川の流れる場所。

 長期戦を可能にしていたなら、必ず水分補給のできる場所を確保してるはずだ。

 普段はバカなキンジはともかく、レキならそうする。

 そして周囲を警戒しながら見つけたのは、岩についた血痕。しかも付着してそれほど時間が経っていない。

 急いで携帯で幸姉にコールすると、その間に近くから微かだが獣の声がした。

 コールだけで察してくれるだろうと信じて、オレは繋がる前に携帯を切り、その声がした方へ走り出し、そこでたくさんの犬と勇猛果敢に戦うハイマキを発見した。

 真夜中で姿こそはっきりしないが、その毛色がいつもの綺麗な銀色をしていないことはわかったオレは、急いでハイマキを取り囲む犬達に牽制のクナイを投げ放ち離れさせ、その間にハイマキの傍へ。

 

「ハイマキッ! 大丈夫か!?」

 

 オレの姿を確認したハイマキは、血まみれになりながらも周囲を威嚇するが、今にも倒れてしまいそうなほどに弱っていた。

 ハイマキがこんなになるまで戦うってことは、おそらく時間稼ぎ。

 つまりキンジとレキは逃走のために苦渋の選択をしたことになる。

 それに今オレとハイマキを取り囲むたくさんの犬は、明らかに品種改良を加えて大きく獰猛にされている。

 人1人くらい噛み殺すのは容易いレベルだろう。

 

「誰ネ。私の獲物、生け捕りにして連れてく予定だたヨ」

 

 そんなオレに木の陰から姿を現して文句を言ってきた奴がいた。

 そいつは始業式の日にオレの前に姿を見せ、意味深な言葉を残して去った中国人少女、ココに間違いなかった。

 

「……ココ。お前か」

 

「ん? 何故ココを知ってるネ」

 

 …………はっ? 何をとぼけてるんだこいつは。

 そんなボケをかましてきたココは、それで改めてオレを凝視し、数秒黙ったかと思うと、ようやくわかったのか両手を合わせて頷く。

 

「お前キョーヤか! これは好都合ネ。お前もココの獲物の1人。そこの姫の犬と一緒に生け捕りで連れてくネ。きひっ!」

 

「そいつは困る。前にも言ったが、オレはお前の仲間になる気なんてないし、捕まってやる気もない」

 

 怪しく笑うココに対して、オレはそう断言して、弱々しくもまだその足で立つハイマキと一緒に周囲の犬達を警戒する。

 そして同時に考えなしで突っ込んでしまったなと反省。

 ハイマキの姿を見て感情的になってしまった。

 

「それにしてもキョーヤ。お前1人で来るなんて馬鹿ネ。本当にココが気に入ったサルトビキョーヤか? きひっ!」

 

 くそっ。いま思ってたことをズバリ言いやがって。心でも読んでんのかよ。

 そんなココにひと睨みしてから、どうにか打開策を探っていると、隣のハイマキがピクリと何かに反応したような仕草を見せる。

 その仕草に少し考えてからオレはその反応の意味するところに気付き、不敵に笑うココにさらに不敵な笑みで見返す。

 

「1人? なに言ってんだよ」

 

「強がりはやめるネ。きひっ!」

 

 オレに対して笑いながらそう言ったココ。

 しかしその笑い声を止めるように響いたのは、1発の銃声だった。

 

「こんなん動物愛護団体に訴えられんで」

 

「大事な弟が死体で見つかるよりマシやろ?」

 

「殺さなくても威嚇くらいならしてあげるわよ」

 

 そして登場したのは、先ほどコールしていた幸姉達。

 おそらくコールだけだったから何かあったと悟り全速で駆けつけてくれたのだ。

 

「サナダユキネ! それに『ダブラ・デュオ』!」

 

「なんや? 今時あたしらをその名前で呼ぶやなんて珍しい。昔から知っとるんか?」

 

「あれやよ千雨。2年前に逃がしたあの子や」

 

「…………ああ! あの生意気なガキか! ならここで2年前の汚点を拭ったろうやないの」

 

「ココガキ違うネ! 中華の姫、馬鹿にされるの大嫌いネ!」

 

 愛菜さんと千雨さんに馬鹿にされたココは、それで控えさせていた犬達を一斉に動かして襲わせてきた。

 しかしそれに怯むような人達じゃない。

 犬達が突っ込んできたのとほぼ同時に飛び出した千雨さんは、その手にふた振りの日本刀を持って峰打ちでバッサバッサと犬達を叩き伏せていく。

 愛菜さんもその手にある2丁の銃で犬達を牽制しながら千雨さんの援護をし、幸姉は超能力を使うみたいで動いていないが、それを美麗が守る。

 オレも負けじとハイマキと協力して肉弾戦で犬達をボコり退けていった。

 それには犬達も本能的に倒せないと悟ったのか、1匹、また1匹と後退していく。

 そして襲ってくる犬達がいなくなったタイミングで幸姉が魔眼を発動。

 全ての犬達をその眼力で萎縮させ戦意を根こそぎ奪い取った。それで決着。

 それより前にココは敗色を察知し戦線を離脱していて捕まえ損ねたが、月華美迅は愛菜さんと千雨さんだけじゃない。逃げられないさ。

 終わってみれば愛菜さん達は全くの無傷。

 先ほどココの言った『ダブラ・デュオ』を象徴するふた振りの日本刀と2丁拳銃をそれぞれ納めた2人は、息1つ乱していなかった。

 ダブラとは、双剣・双銃を扱う使い手を指し、デュオは兄弟や重奏。所謂パートナーやコンビを指すものだ。

 2人は元々コンビで活動していた武偵で、その2人を眞弓さんが引き入れて出来たのが今の月華美迅。

 その実力は昼間ジャンヌが言っていた通りで数値にも出ている。

 ココも犬達も引き上げて安全となり安堵したのか、踏ん張っていたハイマキがパタリと足を折り倒れてしまい、近寄った美麗が傷口を舐めてやっているが、下手をすると命が危ないかもしれない。

 かと言って体重100キロクラスのハイマキを背負って森を抜けるなんて無理だ。

 

「その子結構危ないなぁ。急がんと手遅れになるかもしれん」

 

「ここならスペースもあるし、呼んでも問題あらへんやろ」

 

「やね」

 

 ハイマキの様子を見て急を要すると判断した愛菜さんは、周りを確認してからもう1度銃を抜いて弾倉に別の弾を込めてそれを空に向けて撃った。

 するとその弾は白い煙の軌跡を残しながら、オレ達の遥か頭上で炸裂し、数秒間真っ赤な光を放って消えた。信号弾だ。

 その数分後、オレの耳に空気を裂くプロペラの回転音が聞こえてきて、段々とこちらに近づいてくるのがわかった。

 そして頭上に現れたヘリは、丁寧な操縦でオレ達の目の前に着陸してきて、プロペラを回したままの状態で静止しその扉が開かれた。

 

「お待ちどうさん」

 

 そこから現れたのは、別行動で情報を集めていた眞弓さんだった。

 さらに雅さんと何故かジャンヌも乗っていて、操縦席には早紀さんが。ヘリの操縦もできるようになったんですね。

 というか月華美迅。昔より凄くなってません?



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Bullet39

 まさかのヘリコプターで比叡山の森の中、オレ達の場所へとやって来た眞弓さん達は、パッと見で大まかな状況を理解して、ヘリのプロペラ音が響く中で指示を出してきた。

 

「とりあえずその子を乗せてあんさんらも乗りなはれ! ここじゃなんもできまへん!」

 

 言われてオレと愛菜さん達は、倒れるハイマキを協力して持ち上げてヘリに乗せて全員が乗り込む。

 それを確認した眞弓さんがハッチを閉めて早紀さんがノータイムで離陸。ここら辺も無駄がない。

 

「眞弓さん、こいつを診てやれますか?」

 

「人間以外の動物は専門やあらへんから本格的な処置は無理やろうけど、見たところ外傷による出血で弱っとります。止血するだけでもだいぶ変わりますえ。幸音はん、手伝ってくれますか?」

 

 ぐったりするハイマキを診て眞弓さんはそんな判断をして、衛生科にいたことのある幸姉と一緒にテキパキと止血や消毒を行っていった。

 ――ピリリリリ!

 その最中、不意に鳴ったのはジャンヌの携帯で、こんな深夜に電話なんて誰だよと思っていると、相手は白雪なんだとか。

 

「星伽……? どうした」

 

 通話に出て数秒、ジャンヌは向こうの声を聞いてから、その相手が白雪ではなくキンジであることを知らせてきた。

 白雪と合流できてたか。良かった。

 

「レキは無事か?」

 

「遠山、レキは無事かと猿飛が聞いている。……ん? 何故猿飛がいるかだと? そんな些細なことは今はいいだろ。とにかく状況を教えろ」

 

 それからキンジによる状況説明が行われ、それによるとキンジとレキはココに襲撃を受けて、命からがら逃げたがそれでも追い詰められ、そこを間一髪のところでオレ達と同じように事態を察知した白雪に助けられ、重症を負ったレキも一緒に現在車で星伽神社に向かっているらしい。

 

「重症患者がおるんやな? ほならジャンヌはん、ちょう星伽のお嬢さんに替わってくれまへんか?」

 

 話を聞いた眞弓さんは、それでジャンヌに白雪に替わるように促して携帯を受け取ると、何やら話をしてから通話を切ってしまった。

 

「決まりました。早紀はん、星伽神社に向かってください。着陸許可取りましたえ」

 

 ……マジか。

 確か星伽神社って他所者は厳しく選定するはずだが。特に男性は完全禁制。オレ大丈夫なのか?

 

「星伽のお嬢さんは京夜はんのお友達なんでっしゃろ? いやぁ、持つもんは友達やねぇ。星伽神社なんて生まれて初めて敷地に入りますえ」

 

 そんな嬉しそうに言う眞弓さんにオレは苦笑しつつも、重症を負ったというレキの心配をしながら星伽神社に到着するのを静かに待つのだった。

 小高い小山の上に砦のような様相で構える星伽神社。

 その中のヘリポートへと降り立った早紀さんのヘリから飛び出るようにハッチを開けて降りたオレ達は、迎えてくれた星伽の寵巫女(めぐみみこ)――白雪や粉雪ちゃんのような正規の巫女に仕える巫女のこと――にハイマキを引き渡して、これから来る白雪達を待つ。

 その後さほど経たずにやって来た白雪達は、担架で運ばれるレキと一緒に姿を現しオレ達を見つけると走り寄ってきた。

 そして担架で運ばれてきたボロボロのレキを眞弓さんがすぐに診る。

 

「こらまたエライやられ方しはりましたなぁ」

 

「眞弓さん! レキは助けられますよね?」

 

 意識のないレキを見て不安が漏れるオレやキンジ、白雪の顔を見回した眞弓さんは、そこで優しい笑みをこぼした。

 

「ウチを誰や思とりますのえ? 京都で一番の衛生武偵やっちゅう話どす」

 

 それを聞いたオレは安堵の息を吐き、眞弓さんも早速治療のために場所を移動しようとする。

 

「おう眞弓ぃ。ずいぶんおっきく出るやないか!」

 

 そこにやって来たのは、フチ無しの眼鏡をかけた女医。

 おそらく白雪が呼んだ医者だろう。

 

「おばんどす。先生もいはったんですか。これは気付かんですんまへんでした」

 

「その生意気な態度、あとで更正したるからな!」

 

 どうやら顔見知りらしい2人はそれからナース達と一緒に適切な治療を施せる場所へと移動していき、オレ達は落ち着くために別室で休むことになった。

 

「おい猿飛。さっきの眞弓さんとか言う人といい、そこにいる人達は誰だ?」

 

 レキの心配が薄れて、そこでキンジが近くにいた愛菜さん達に疑問を持ったのか、オレにそう尋ねてきた。

 

「月華美迅。オレが知る京都最高の武偵チームだよ」

 

「月華……美迅!?」

 

 さすがのキンジもその名には覚えがあったらしく、聞いた瞬間に目を丸くしたが、次には疲労で限界だったのかぐらりと体が崩れて倒れてしまった。

 それを白雪が慌てて介抱して、意識がないことを確認したオレがおぶって白雪の指示で部屋に運んでやった。

 それから休息を満足にとっていなかった愛菜さん達も別室で睡眠を始め、幸姉は白雪と一緒に何やら話をするとかで消え、ジャンヌは白雪の1つ下の妹である風雪(かざゆき)ちゃんと中を見学。

 オレは治療を終えて落ち着いたハイマキと美麗と一緒に現在治療中のレキの安全確認ができるまで起きていた。

 それも杞憂だったのだが、改めて治療を終えて眞弓さんから大丈夫と聞かされたオレは、そのあとやっと落ち着いて睡眠をとれたのだった。

 翌朝、十分とは言わないが活動に支障がないほどには寝たオレは、白雪にあまりウロウロ歩かないように言われていたので寝ていた部屋の横の縁側に座って朝の日差しを浴びる。

 しかしやっぱり男子禁制となるとオレはずいぶんな異質らしく、廊下を通る巫女さん達が妙な視線で見ては軽いお辞儀で挨拶してくる。

 い、居づらいなぁ……

 そんなことを感じながら、美麗のブラッシングをしてやっていると、白雪を先頭に眞弓さん達が姿を現してオレに近寄って挨拶してきて、中を案内してもらっていたことを聞く。朝から元気ですね。

 

「ああそうや京夜はん。ウチらこれから早紀はんのヘリで昨夜の現場調査しに行きますけど、一緒に行きはりますか?」

 

「いえ、皆さんなりのやり方があるでしょうし、調査の方はお任せします。それにいま寝てる奴と情報の共有とかもしたいので」

 

「そうどすか。ほな昼過ぎには1度こちらに顔出しますさかい、星伽のお嬢さんもよろしゅう」

 

「あ、はい。お気をつけて」

 

「京ちゃん、帰ったらギュッてしてや!」

 

「約束しかねます」

 

「ほら行くでアイ」

 

 そうして愛菜さんは早紀さんに首根っこを掴まれて引きずられていき、眞弓さん達は比叡山へと向かっていってしまった。

 

「賑やかな人達だね。でも猿飛くん、凄い人達と知り合いなんだね」

 

「まぁ同級生だったし、色々お世話してされてな感じだったしな……良い意味でも悪い意味でも……」

 

「……あまり聞かない方がいいかな?」

 

「そうしてくれるとありがたい。聞いても笑えない話ばっかりだし」

 

 それから少ししてキンジが目を覚まして、ウロウロしていたジャンヌも捕まえて朝食を食べるため移動を開始。

 さらに途中で幸姉も見つけたので5人となった。

 膳殿(ぜんでん)と呼ばれる料亭みたいな場所に来たオレ達に出された料理は、いずれも豪勢な逸品ばかりで正直朝食としては重いと感じたが、何故かエプロン姿の寵巫女達が期待の眼差しでオレ達を見るので、食べないわけにもいかずに両手を合わせてから口へと運んで食べ始めた。

 そんなに客人が珍しいのか。いや、男の客なんて今までいなかったんだったな。

 それでオレやキンジ、ジャンヌの反応を見た巫女さん達は満足したのか引っ込んでくれて、オレも少し落ち着いて食べ始める。

 

「それじゃ情報交換といきますか。まずキンジ。お前が最近レキと昼夜問わず一緒に行動してるのは知ってたが、その経緯は?」

 

「昼夜問わず……キンちゃんとレキさんが……」

 

 食べながら情報整理も兼ねてとりあえずキンジに話題を振ってみたのだが、食い付いたのは白雪。

 おっと、これはキンジの返答次第では血を見るぞ。

 

「誤解するな。俺はレキに狙撃拘禁されてたんだ」

 

「それでリマ症候群(シンドローム)を狙ってレキと仲良く京都を回り、一緒の宿に泊まっていたところを襲われたのだ」

 

「仲良く……一緒の宿に……ふふ……ふふふふふ……」

 

「狙撃拘禁? また面倒なことになってんな。というかジャンヌ。知ってたなら教えろよ」

 

「聞かれなかったのでな。それに遠山には内密にと頼まれていた」

 

 ああそうですか。性格の悪い聖女様ですこと。見た目は幸姉と同じくらい綺麗なくせに。

 と思っていると、ジャンヌは素知らぬ顔で黙々と食事を進めて、白雪は何やらぶつぶつ小声で空恐ろしいことを呟いていて、キンジはその白雪に顔を青ざめ、幸姉は我関せずといった表情で沈黙。

 狙撃拘禁とは、狙撃手によって逃げられない状況に置かれてしまうことを言い、ジャンヌの言ったリマ症候群は、そういった状況を打開するために相手と仲良くなりそれ自体をやめてもらうよう働きかける心理的解決策の1つだ。

 

「んで、狙撃拘禁の理由はお前がレキの言い分をはいわかりましたって承諾しないから、だろ? 何を要求されたんだよ」

 

「……結婚」

 

「け、けけけけけ結婚!? キンちゃん様とレキさんがけけけ結婚!? そんな私の預かり知らぬところですでにキンちゃん様とレキさんは大人の階段をぉぉ!?」

 

「落ち着いて白雪ちゃん。いま京夜が言ったでしょ。すんなりはいと言わなかったから狙撃拘禁されたって。だからまだ大人の階段は登ってないわよ。リマ症候群のために『手段』として使ってない限りは、ね」

 

「生々しいな、真田幸音……」

 

 確かに生々しい。というかジャンヌは『そういう知識』はあるんだな。

 キンジなんかは本気でわかってないし、白雪は想像したのか顔が真っ赤……

 いや、瞳に光が宿ってない。怖っ!

 

「まぁ、それも含めて食事が終わったら改めて話しましょうか。私達超能力者の最近の不調の原因である璃璃色金(リリイロカネ)も関わってくるでしょうし、昨夜白雪ちゃんからレキちゃんが源氏の末裔かもとも聞いてるし」

 

 話が逸れつつあったオレ達を見て、年長者として話を区切った幸姉は、そんな意味深な単語を次々出してから朝食を普通に食べていき、それを聞いたジャンヌは1度幸姉を凄い目で見るが、あとで話すと言われては言及するのも躊躇われてしまう。

 そうして朝食を食べ終えたオレ達は、場所をレキの寝かされる救護殿へと移して、風雪ちゃんも交えて改めて話を始めた。

 

「さて、面倒だから詳しい説明を省くけど、京夜はまだイロカネについては何も知らないのよね?」

 

「確かシャーロックが『緋色の研究』とかって何度か口にしてるのは聞いたが、肝心な時に気絶してたからな。キンジはちゃんと聞いたんだろ?」

 

「あ、ああ。シャーロックが言ってたヒヒイロカネは超常の金属だって。それがあればただの人間でも超能力が使えるようになるらしい。理子の持ってる十字架もそれと同種の金属が含まれてるとか。緋緋色金。緋弾は今はアリアの体に埋め込まれる形で継承されてる」

 

「オッケオッケ。それくらいの知識でいいわ。それでそのイロカネの中にさっき言った璃璃色金っていうのがあるのよ。それは私達超能力者に悪影響を及ぼす璃璃粒子っていうものを散布する。それでその璃璃色金は代々『ウルス族』と共にあった。たぶんレキちゃんはそのウルス族の1人。だよね、風雪ちゃん?」

 

「はい。蕾姫(レキ)という名前もウルスの純血姫が代々使ってきた名前ですので間違いないかと」

 

 淡々と語られる話に、オレは具体的な質問などが出来ない。

 

「さすがシャーロックと暇潰しの娯楽を共にしていただけあって、色々と聞いていたらしいな、真田幸音。しかしレキはやはりウルス族だったか」

 

「んで? そのウルス族ってのはどこにいる部族なんだよ」

 

「ウルス族はロシアとモンゴルの国境付近に隠れ住む少数民族だ。その祖先は弓と矢でアジアを席巻した蒙古の帝王――チンギス・ハン。ウルス族は皆、彼の末裔だ。しかしウルスは閉鎖的な民族だったため、シャーロックがイロカネ絡みの交渉に訪れた5年前にはすでに47人しか生き残りがいなく、それも全員が女だったらしい」

 

「ふーん。だからキンジを狙撃拘禁までして求婚したわけか。女しかいないんじゃ子孫もくそもないしな」

 

 レキがチンギス・ハンの末裔だってことには驚いたが、それよりもキンジへの求婚の謎が解けたのが大きかった。

 おそらくレキはキンジのHSSを知っていて、強い男を選んだってわけだ。

 

「ちょっと待ってくれ。確か真田さんの話だと、レキは源氏の末裔かもとかって。チンギス・ハンは源氏じゃないだろ」

 

「キンちゃん。チンギス・ハンは1000年ぐらい前に日本から大陸に渡った九郎判官――源義経なの。当時の蒙古帝国では、彼はゲンギスケンって呼ばれてて、それが訛ってチンギス・ハンになったんだよ」

 

 …………牛若丸ー!

 などと心で叫んでみる。

 史実では源義経=チンギス・ハンはまゆつばものだと言われていたが、それは昔の星伽が隠ぺいしたことらしい。

 星伽って凄いな。確か弥生時代より前からの歴史があるんだっけ。

 オレと幸姉の表立った先祖の歴史は安土桃山時代からだから、文字通り桁が違う。

 それから話は一段落となり、各々が自由に時間を使い始め、キンジはレキのドラグノフを整備してやっていて、白雪と風雪ちゃん、幸姉はまたどこかへと行ってしまい、ジャンヌはこのあとすぐにかなえさんの裁判関連で京都を発つという。

 だから京都観光を急いでいたんだな。

 オレはというと、キンジとジャンヌが現在廊下で話しているのを確認しつつ、すぐ横の室内でレキの傍らで丸くなる治療済みのハイマキの体を触りつつ怪我の程度を素人なりに改めて診ていた。

 安静にしていれば無事に治りそうだな。

 

「おい、猿飛」

 

 そこで話を終えたらしいジャンヌがふすまを少し開けてオレに声をかけてきたので、促されるまま外に出てジャンヌのあとをついていき、星伽神社の本殿正面の石段までやって来た。

 その下ではジャンヌの送迎のためか車が1台待機していた。

 

「まだ決まらないのか?」

 

「決まらない? あ……」

 

「……それでは流されてしまうぞ猿飛。今までは何のための猶予だったのだと本気で怒られても文句を言えん」

 

「……だよな」

 

「私はもうこちらに来ることはない。もしかするとお前と会うのもこれが最後になるかもしれん」

 

「……ありがとな、ジャンヌ。最後までオレのこと気にかけてくれてさ」

 

「……私は留学生という体だ。だから日本の武偵連盟の通りにチームを作る必要はない。私もチームなど……そもそも武偵であること自体無理強いされていることだ。それなのにお前が……いや、これ以上は言わん。お前の選択だ。せいぜい真田幸音に泣きつかないようにするんだな」

 

「ジャンヌ。お前は武偵に向いてるよ。オレが保証してやる」

 

「お前の保証など何の役に立つというのだ。まったく……では『また』な」

 

 そう言ってジャンヌは石段を降りて車に乗り込んで星伽神社をあとにしていった。

 何がこれ以上は言わんだよ。ちゃんと『また』とか言ってんじゃねーか。

 そう思いつつも、まだあちらで引き留めてくれる人達の顔を頭に浮かべたオレは、自然と笑みがこぼれてしまっていた。

 それから昼の3時頃に比叡山での調査を終えて帰ってきた眞弓さん達は、オレやキンジに調査の報告をしてくれたが、ココ達を追う手がかりなどは掴めなかったとのこと。

 さすが2年前にも月華美迅とオレと幸姉から逃げ切っただけある。尻尾すら掴ませないとはな。

 そしてその報告を聞いたあと、キンジと白雪もジャンヌ同様かなえさんの裁判関連の案件で京都を発つことになり、未だ眠るレキを心配しつつもオレや風雪ちゃんに任せて行ってしまった。

 オレはかなえさんの裁判関連ではキンジとほぼ同様の証言になるため、そちらにはあまり関わってない。

 だから未だオレは『猿飛京夜』としてはかなえさんと対面していない。

 あの人にもどんな結果にせよ、ちゃんと言わないといけないな。相談しっぱなしは無礼すぎる。

 そうして報告を終えて食事を始めた眞弓さん達を横目に、オレは決断のために頭を悩ませるのだった。



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Bullet40

 

 キンジ達が星伽神社を発ってから2時間ほどが経ち、そろそろ東京行きの新幹線にでも乗ったかという頃。

 昨夜からの調査をまとめていた眞弓さんと雅さんが、おもむろにオレを見て手招きをしてきた。

 愛菜さんと千雨さんはテレビを観ながら少しだけ意識をこちらに向け、早紀さんは神社のガレージを見学中。

 なんでも高級な車やヘリまであるというので、いてもたってもいられなかったらしい。

 

「京夜はんやあの根暗っぽい少年、星伽のお嬢さんその他の証言から犯人はココ言う少女で間違いなさそうどす。話やと中国武将、曹操孟徳の子孫や言うことどす」

 

「ただ、そのココ言う少女が出現した場所や時間をまとめると、おもろいことがわかったんよ」

 

「おもろいこと?」

 

 そんな雅さんの言葉に、テレビを観ていた愛菜さんと千雨さんも話に加わってきた。

 

「そや。昨夜の狙撃戦。私らが本格的に動く前やな。そん時に向こうで寝とる子と根暗少年は確実に2キロ近く離れた場所から撃ち合っとった。それから閃光弾と音響弾を撃ち込んで狙撃はシャットアウトしたんやけど、その直後にあの子が原因不明の負傷を負わされて、それから森を抜けとる。調べてわかったんやけど、京くんが駆けつけた場所はその出発地点からすぐ近くやったんや。京くんが音響弾を確認してからあそこに到着するまではだいたい15分くらい」

 

「森の中……しかも真夜中の視界の悪い状態で2キロ近い距離を15分程度で移動するのはかなり難しい、ですか?」

 

「それだけやありまへん。ちょうど京夜はんがそのココ言う少女と遭遇して撃退、信号弾を打ち上げてウチらが駆けつけるまでの間に根暗少年がココと遭遇しとります」

 

「そら凄いなぁ。あないなわずかな時間であの森ん中抜けて追撃したんか? もう瞬間移動やん。幸音とおんなじ超能力者やわ」

 

「その線もなしどす。幸音はんや星伽のお嬢さんの話やと、ここ最近は超能力が絶賛不調中やそうどす。瞬間移動がどない凄い超能力かは知らんけど、尻尾も見せんような慎重な犯人がそない失敗のリスクが高いことするはずない」

 

 そこまでの話を聞いてオレも眞弓さんの意見には同意できた。

 だが、だとするとココが高速移動を可能にしているカラクリがわからない。

 そこでそれを踏まえて眞弓さんが口を開こうとした時に、ちょうど幸姉がやって来て、雅さんがノートパソコンでまとめていた資料に目を通して状況を理解。

 少し考えてから口を開いた。

 

「これ、いま言うと眞弓に怒られそうだけど、いいかな」

 

「もう怒る寸前やからかまいまへんえ」

 

「やめてほしいわそういうの。えっと、私の前にいた組織に、そのココに瓜二つの少女がいたの。名前はツァオ・ツァオ。天才技師で爆弾術に長けてる曲者」

 

 そう幸姉が言った瞬間、眞弓さんが神速の扇子を頭に降り下ろしてほほほ、と笑う。こ、怖い。

 

「今さら組織の名前伏せても遅いわ。こっちには武偵庁のメインサーバーに『ハッキング・クラッキングを黙認』されとる人間がおるんどすえ?」

 

 そう言って眞弓さんが見たのは、隣にいた雅さん。

 この人は昔から遊び感覚で武偵庁にハッキング・クラッキングを仕掛けて、あまりに酷いからセキュリティー強化の手段としてその行為を黙認されているという隠れた実績がある。

 その代わりに武偵ランクをBに下げられてはいるが、ただの幼児体型のお姉さんではないのだ。

 眞弓さんも圧倒的なリーダーシップとSランク評価の医療技術を持っていて、早紀さんもドライバーとして1流。おまけに狙撃も出来てしまう。

 月華美迅は個々の能力もさることながら、総合的な能力も高いチーム。1人として2流はいないのだ。

 

「まぁ、言うてもそこで得た情報は秘匿することになっとるから、雅からそれとなく聞いただけどすけど。それより話の続きをしなはれ」

 

「眞弓が止めたんじゃないのよ……イエナンデモナイデス。えーっとぉ……それで昔そのツァオ・ツァオに初めて会った時に話しかけたらこう言われたのよ。『お前誰ネ』ってね。とぼけた感じもなくて嘘ついてる感じもなかったから、私も『ココとは別人』なんだって最近まで納得してたのよ」

 

 ……それを聞いてオレは同じような経験をしたなと記憶を遡っていた。

 ココと再会したのは始業式のあった日、学園島でだ。

 そこでココは開口一番でオレに「久しぶり」と言った。これはココの記憶にオレが完璧に存在していたことを意味する。

 だが昨夜会ったココは、暗がりではあったが、最初オレを見て「誰だ」と言ったのだ。

 それ以前にオレの声までも記憶したはずのココが気付かないはずがない。

 

「それで雅の資料を見て納得したわ。おそらく彼女、ココは……」

 

 その話を踏まえて、幸姉がココのカラクリの正体を言おうとした時、点けっぱなしだったテレビの番組が勝手に切り替わって、何かの臨時ニュースに替わった。

 あまりに突然だったため、幸姉も言葉を切ってテレビを見て、眞弓さん達もオレも釣られるようにテレビを見た。

 

『――現在、東京行き山陽・東海道新幹線のぞみ246号が走行中、何者かの手により占拠されました。これにより乗客と運転手が人質となり、犯人からは日本政府への身代金の要求がされているとのこと――』

 

 エクスプレスジャック。

 しかもこの新幹線は確か……

 

「これ、星伽のお嬢さんと根暗な少年の乗ったやつやな。偶然やとしても運のない子らどす。疫病神にでも憑かれとるん違いますか?」

 

「眞弓、冗談言うとる場合やないって。京ちゃんの知り合いが巻き込まれとんのやで。助けな」

 

「まっちゃん、言うても私らにお呼びがかかっとらん時点で畑違いや言うことや」

 

「それにウチ、あんま関西から遠出したないどす。要請や依頼やないことにまで手を回しとる暇もあらへんしな」

 

 一見すれば眞弓さんが面倒臭がっているように見えるが、実は違う。

 眞弓さんは眞弓さんでちゃんと後先を考えて動かないと即決したのだ。

 それがわからない愛菜さん達ではないので、リーダーの判断に渋々了承した。

 

「……京夜、あなたはどうする?」

 

 少しの沈黙のあと、最初に口を開いたのは幸姉。幸姉はまっすぐにオレを見てその答えを待つ。

 オレは月華美迅や幸姉とは違い、今すぐにでも現場へと行けるし、行動に制限もなにもない。だからこその問いかけだった。

 

「……オレは……」

 

 だが、オレが行ってどうなるわけでもない、かもしれない。

 ひょっとしたらもうキンジと白雪が解決のために動いていて、助けなんて必要ないかもしれない。ならオレが行く意味は……

 ――ガシャン。

 そんな時にテレビの音とは違う別の、何かを持ち上げたような音を聞き取ったオレは、その音の発信源である部屋のすぐ横の廊下に目を向けた。

 そこには、体のあちこちに包帯を巻いたままの状態で、自らの唯一無二の武器、ドラグノフを肩に担いだレキが。

 起きたのか。いや、そんなことは今はいい。問題なのは……

 

「レキ、どうするつもりだ?」

 

「行きます。キンジさんが危ない」

 

 どうやらオレ達の会話を聞いていたらしいレキは、いつもの無表情のままそう言い放った。

 

「ダメだ。眞弓さんも言っていた。お前はまだ絶対安静。ましてや戦闘行動なんて死にに行くようなもんだ」

 

「戦えます」

 

「ダメだ!」

 

「行きます」

 

 ……こりゃ折れないぞ。

 これ以上言い合っていたら強引にでもオレ達を排除して行ってしまう。それこそ銃を向けられて、な。

 その様子を眞弓さんはクスクス笑いながら静観。幸姉達も何も言わない。なんなんだよ。

 

「……何でそんなに必死になる?」

 

「キンジさんは私の大切な人です。助ける理由などそれしか必要ありません」

 

「……わかった。ならオレも行く。お前のことはキンジからお願いされてるからな。それで死なれたらオレがキンジに殺されるかもしれん」

 

「京夜さん……」

 

 それでレキはほんの少しだけ無表情の中に喜びを含めたような表情をした。

 お前はもっと人間らしく感情を出せよ。

 

「幸姉、オレは行く」

 

「ダメね」

 

 それからすぐに幸姉に向き直り、さっきの返答をすると、今度は幸姉がオレの前で仁王立ち。

 その表情は、若干怒っている?

 

「そんな判断で私はあなたを行かせるわけにはいかない。気付きなさい。これはあなたにとっての分岐点。中途半端は許されないのよ」

 

 分岐点……何故……

 と一瞬思ったが、それもすぐにわかってしまう。

 これはオレが『自分の意思で武偵として行くか』を問われている。

 つまりは今この場でオレはあの時の返事を出さなければならない。

 武偵としてレキと一緒に行けば、それはもう真田幸音の従者としての道を捨てることになる。

 

「……事件を解決したらまた戻って……」

 

「甘えるな! 猿飛京夜!」

 

 だがそれはいま急いで出すこともない。

 とも思ってそう言いかけたが、幸姉は最後まで聞かずにオレに対して怒鳴る。これは本気の本気。

 

「『武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用の事』。あなたの助けなんて金一の弟には必要ないわ! 『自ら考え、自ら行動せよ』。あなたの選択を金一の弟とレキちゃんに押し付けるな!」

 

 いま言われたのは、武偵憲章の4条と6条。

 武偵は簡単に人に頼ってはいけない。どうしてもの時には必ず連絡を寄越してくる。

 オレにいま何も連絡がないなら、それは確かにキンジに必要とされていないということ。

 武偵は自ら考えて行動し、その行動に責任を持たねばならない。

 今オレはキンジとレキにその行動理由を押し付けた。そこにまるで強制力でもあったかのように、だ。

 

「それでもあなたが行くと言うなら、あなたは私や眞弓達に納得のいく理由を提示しなければならない。自らの意志で! あなたの行くべき理由を!」

 

 そんなの、ない。理由なんてあるわけがない。

 今のオレは何もかもを他人に委ねてしまっている。その行動理由も、責任も、何もかも。

 そこにオレの意志など何1つとしてない。情けない。どうしようもなくカッコ悪いな、オレ。

 そんなオレを愛菜さんが見かねて声をかけようとしてくれたが、それを眞弓さんが手で制した。

 幸姉の甘えるなという言葉の意味は、眞弓さんにも理解できているのだ。

 

「京夜さん」

 

 そんなオレに声をかけたのは、オレのせいで足を止めているレキ。

 

「京夜さんが現在置かれている状況は理解しかねますが、行動理由など深く考えることではない。と、私も最近考えました。京夜さんはキンジさん達が危機と知って、どうしたいと思ったか。それが答えではないのでしょうか」

 

 ……レキが、オレに『感情』を説いた。

 それは自分には感情はないと言っていた昔のレキからは到底出ることのない言葉だった。

 つまりはこの十数日でレキの中の何かが変わったのだ。キンジ、お前何をしたんだ?

 だが、それを言われてオレはテレビの映像が流れた瞬間の自分を思い返していた。

 ニュースを聞いて、眞弓さんの言葉を聞いた瞬間、オレは無意識の内に降ろしていた腰を上げて『立ち上がっていた』のだ。

 それはつまり考えるより先にオレが『キンジ達を助けに行こうとしていた』という事実になる。

 そこに悩みなど入る余地はなかった。

 

「そうだよな……そうだったよ。まさかレキに諭されるとは思わなかったけど」

 

 そんな失礼な言葉にも、レキは何もリアクションなし。

 しかし肩に担いだドラグノフをもう1度担ぎ直してオレをまっすぐに見つめ、その目は「早くしろ」と急かされているようだった。

 

「決めたよ。幸姉、オレはキンジ達を助けたい。それはあいつらがオレの『仲間』だから。そこに武偵とかそんなの関係ない。仲間っていうのは、そんな勘定で助けたりしないし、オレもそんなこと考えてない。レキも言ってたな。大切だから守るんだ」

 

 そんな答えに幸姉は真剣な顔のまましばらく沈黙。

 しかし次に見せた表情はオレの知る限りで一番優しい笑顔だった。

 

「それが『意志』よ、京夜。武偵は自らの感情を抑えないといけない。でもそれは感情を殺すことではないわ。命令や作戦でその通りに動くのは当たり前だけど、本当の窮地で動けるのは明確な自分の意志を持つ人。眞弓達がそうであるように、ね」

 

「感情的に動くな言うんは、冷静な判断が欠ける場合がほとんどやからどす。その点では京夜はんは始めから問題あらへんかったえ。あとはそれを自分の意志で動かすことができるかっちゅうことどす」

 

「それからこれは言っておくわね。京夜は私1人だけを守るなんて『小さな器』に収まる存在じゃないのよ。あなたはもっと大きなもの、たくさんの人達を守れるわ。だって京夜は私が……この真田幸音がただ1人愛した男なんですから」

 

「あー!! 幸音が告白とか卑怯や!! 京ちゃん幸音のことずっと……」

 

「愛菜黙っとき!」

 

 ……この人達は最初からオレがこうすることをわかってたんだ。

 だからここで決断『させてくれた』んだ。

 やっぱりオレはまだまだ『年下の男の子』、『世話の焼ける弟分』なんだな。

 

「オレも幸姉のこと、ずっと好きだった。だから凄く嬉しい。でも、オレはこの想いを、気持ちを1度捨てる。それはオレが前に進むため。幸姉への執着を完全になくすためだ」

 

「ぷぷー! 幸音フラれとるわ! 今日はやけ酒でも飲みに行こか!」

 

「まっちゃん、ホンマ黙っとき……」

 

「私も長い間京夜を独占しちゃったし、そろそろ他の男をちゃんと見ないといけないなーって思ってた。だからお互いこれでまたゼロからスタートね」

 

「京ちゃんの彼女が幸音になっても絶対認めんけどなぁ」

 

「愛菜お姉さんは厳しいどすなぁ。この分やと京夜はんは一生独身どすえ」

 

「愛菜が嫁ぐ選択肢はないんか?」

 

「弟を寝取る気なんてあらへんよ。私は京ちゃんの幸せを一番に考えとんのや!」

 

「え、ちょっと待って愛菜。それだと私が京夜を幸せにできないと解釈できるんだけど……」

 

 ……なんか話が脱線してきたが、とにかくこれでオレは自分の意志で前に進んだ。

 もう誰かに道を選んでもらうわけにはいかない。相談はするだろうけど。

 

「ほな! そうと決まったらパパっと解決してきましょ! 雅!」

 

「もうさっちんに連絡入れといたわ。いま星伽のヘリをスタンバイしてくれとる。京くんと無口ちゃんははよガレージに行き! さっちんが片道切符で送ったる!」

 

「はいっ! レキ、行くぞ! 美麗はハイマキについていてやれ。解決したらちゃんと戻ってくるからな」

 

「美麗、よろしくお願いします」

 

 話が完全に脱線する手前で眞弓さんが両手を叩いて本筋に戻して、雅さんがオレとレキを誘導。

 それに従いオレとレキは星伽神社のガレージへと足を運んでいった。

 

「はよ乗りや! 間に合わへんで!」

 

 ガレージに着くと、すでにヘリに乗り込んでコクピットに座った早紀さんがオレとレキを急かしており、その近くには風雪ちゃんが。

 おそらく一緒に行く気なのだろう。姉のピンチだからな。

 

「猿飛様、早くお乗りください」

 

「風雪ちゃんも行くんだろ?」

 

「いえ、このヘリはパイロットと2人乗りなので副座は1つしかありません。なので私は待機します。お姉様を、よろしくお願いします」

 

 言った風雪ちゃんは、本当は行きたいのに、それをグッと堪えているように見えた。絶対に助けないとな。

 そう思って先に乗り込んだレキに続いてヘリの手すりに手をかけて1度だけ後ろを向くと、そこには笑顔で送り出してくれる幸姉達が。

 

「やるなら中途半端はなしよ!」

 

「ウチが京夜はんの名前を憶えたゆう意味、ちゃんと理解して行きなはれ!」

 

「京くん! 本気の力、ビシッと見せたってや!」

 

「今度東京遊びに行くさかい、よろしゅうな、京ちゃん!」

 

「困った時はいつでもお姉ちゃんを頼りぃよ? 絶対やで!」

 

「幸帆と誠夜にもよろしく言っておいてください! 皆さんありがとうございました!」

 

 それで1つしかない後ろの副座にレキを抱くようにして乗り込んでハッチを閉めたあと、ヘリはすぐに離陸を始めて、現在ノンストップで走るのぞみ246号を追いかけて京都を出発した。

 

「京、着く前に言っとく。あんたの携帯に私らの番号登録しといたさかい、困った時はいつでも連絡しぃや。京から1度も言われたことないけど、私らは昔から京の『仲間』やからな」

 

「いつの間に……でも、ありがとうございます」

 

 移動中、早紀さんが余裕のある内にオレにそう言って、いつの間にか登録されていた月華美迅5人の番号を確認したオレは、1年半前にもう京都には戻らないと決めて手放したものが戻ってきたことに感謝しつつ、これからの戦いのために準備を整えていった。

 レキも満身創痍の体でキンジが整備したドラグノフを懐に抱えて、ただ来たるべき時を待ち続けていた。

 だが、レキに無理は絶対させない。レキに何もさせずに終わらせるのがベスト。

 負傷などさせたら送り出してくれた幸姉達に顔向けできない。

 だから頑張らないとな。オレが自らの足で踏み出す最初の1歩だ。躓いたらカッコ悪い。

 ――やってやるさ!



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Bullet41

 

「京! 捉えたで!」

 

 京都を早紀さんの運転する高速ヘリで出発してしばらく、ようやく見えてきた目的の新幹線を見つけた早紀さんが後ろに乗るオレに声をかけてきたので、オレも膝に乗せるレキを避けて目線をズラして前方を見ると、長く伸びた線路の先に、キンジ達が乗る新幹線が走っているのを確認できた。

 

「それでどないする? 京ならその子抱いたまま乗り移ることもできそうやけど」

 

「ギリギリまで並走しながら近寄ってくれればできる、はずです。やったことないですけど……」

 

「京夜さん。先頭車両の上にキンジさんがいます」

 

 早紀さんとどうするかを決めてる最中、突然レキが前方を見ながらそう言うので、オレも目を凝らすが、遠くに何か影がある程度しかわからない。

 しかしレキが言うのだから間違いないだろう。

 

「他に2人。昨夜私もスコープから確認したココという少女です」

 

「……2人?」

 

「2人です」

 

 そう言うレキが至って普通なのでそうなんだろうが、ココが2人?

 ――ガコッ!

 その事実に少し考えようとすると、いきなりレキが副座のハッチを開け放って身を乗り出すので、風を受けながらもそのレキの体を支える。

 

「そのまま支えていてくださると助かります」

 

 次にそう言ってきたレキは、身を乗り出した状態でドラグノフを構えて、前方の先頭車両の上にある影に狙いを定めて、タァン! タァン! 2発の銃弾を放った。

 それが何を狙ったかはオレにはわからないが、先頭車両の上の影が動くのが見えたので、おそらくココの体のどこかを撃ったのだろう。

 

「キンジさんを助けました。次は1人戦闘不能にします」

 

 淡々と結果を述べるレキは続けてまた1発撃ってから身を引っ込めてオレの膝に戻る。

 

「アキレス腱を掠めるように撃ちました。1人はもう立てないでしょう」

 

「京、その子なにモンやの? 今度狙撃のコツ教わりたいわ」

 

「視力が6.0あれば努力次第ですね」

 

「アホか!」

 

 レキの狙撃の腕を初めて生で見た早紀さんが驚きを隠せない声でそんなことを言ったので、冗談半分に答えてツッコませてからまた意識を集中させる。

 

「いま近付けるさかい、はよ乗り移りや! どうやらチンタラやっとる場合やないみたいやしな……」

 

 ハッチが開いてることでバッサバサうるさい音に負けないように叫んだ早紀さんは、それで新幹線と並走しながら最後尾へと降下を始め、近付ける限界まで近付く。

 だが、それを拒むように見えてきたのは、トンネル。

 その上は山だから、早く乗り移らないとヘリが山に激突してしまう。ヤバイ!

 オレはレキに首に腕を回すよう指示して左手を膝裏に回して支えて副座から身を乗り出し下を確認。

 高さ的には2メートルない。ここまで近付ける早紀さんの操縦テクには驚かされるな。

 そして空けた右腕の新作ミズチ、初披露目。

 その中に備わるアンカーボールを取り出して新幹線の屋根に投げ下ろしてくっ付けて固定。

 これで最悪落下は防げるはず。しかし固定してられるのはわずか8秒。

 

「早紀さん! ありがとうございました!!」

 

「はよ行き!」

 

 そうして早紀さんに感謝を述べてから躊躇なく新幹線の最後尾に飛び降りたオレは、しっかりとレキを抱いたまま静かに着地。

 アンカーボールのワイヤーも巻き取り完全に乗り移りに成功。怖かったぁ。

 それからすぐに新幹線はトンネルへと突入して、離脱した早紀さんも無事にUターンで切り返したのが確認できたのでひと安心。

 トンネルへと入ったことで気圧が変化し肺が破裂しそうな感覚を覚えるが、今は事件解決が優先。

 

「レキ、トンネルを抜けたら肩車で先頭車両まで突っ走る。両腕が空くから援護できるよな?」

 

「はい、問題ありません」

 

「決まりだ」

 

 トンネルの天井にぶつからないように身を屈めた状態でレキとの打ち合わせを終えたオレは、本来なら絶対安静のレキの体を気遣ってどうするべきか考えて出した案で了承してくれたことにホッとしつつ、どこまでレキにやらせるかも迷う。

 しかしキンジのところに行くまでは止まらないだろうレキに少し諦めもある。

 なるようになるしかない、か。

 そうしてトンネルを抜けて新幹線の先頭車両を改めて見ると、400メートルくらいあるな。

 肩車した状態でこの距離を走り切れるか心配になったが、言った以上やるしかない。

 それでちょっと抵抗はあったが、レキの股の間に頭を通して一気に立ち上がり、脇の下にレキの両足を挟んで固定して腿に手を添えて安定感を高める。

 しかし軽いなコイツ。ちゃんと食うもの食ってるのか心配になる。

 というか足柔らかいし頭の後ろが落ち着かない。

 と、どうでもいい感想が浮かんだところで頭を切り替えて先頭車両目指して走り出したオレは、その上でドラグノフを軽く構えるレキが怖がってないかと思ったが、足も震えてないし、走り出してからは自分でバランスを取る挙動が伝わってきた。

 時速300キロくらいの新幹線の屋根の上で肩車されながら走られるなんて、常人なら失神するって。

 そんなレキの強心臓に感心しつつ、慎重に素早く先頭車両へ向けて歩を進めていく。

 先頭に近付いていくと、オレの目でもキンジとココの区別がつくようになり、先ほどレキが撃ったココかはわからないが、車両の中央に立つキンジと、車両前方にいるココが見えて、もう1人のココの姿は確認できない。

 

「レキ、もう1人いたんだよな? まだいるか?」

 

「どうやらこちらの狙撃を逃れるために死角へ逃げたようです。それより射程圏外とはいえ威嚇射撃をされていますので、無力化します」

 

 走りながら視力が優れるレキに現状を尋ねると、抑揚のない言葉でそう返してきてドラグノフを構え、威嚇射撃をしているココの銃を撃ち手放させることに成功。銃はどうやら線路に落ちたらしい。

 これで撃たれる心配はなくなったか?

 

「もう1人も先頭の方に身を隠しました。おそらくまだ武器を隠し持っています。こちらが近付いたところを迎撃するつもりでしょう」

 

「オレは新幹線の上で銃弾を避けるなんて離れ業出来ないぞ。だからキンジのフォローはレキに任せてオレは中に行く。現状がさっぱりだしな。だけどレキも無理はするなよ」

 

「約束はできませんが、死なないようには努力します」

 

 ……それでもいいか。努力してくれるなら。

 1両がだいたい25メートルの車両を14両分。距離にして350メートルは走り抜けた地点。

 キンジのいる先頭車両まであと1両と迫ったところで、やっとキンジの表情まで見えるようになったオレは、そのこれ以上こっちに来るな。

 という必死な表情を読み取ったが、おそらくレキを心配してだろう?

 だがオレが止まったって、レキは止まらないさ。だから悪いな、このまま行かせてもらう。

 そうして先頭から2両目の中央くらいまで歩を進めたオレだったが、ここでまさかの事態。

 1両目と2両目を繋ぐ接続部分の辺りから、シュバッ! とまばゆい緋色の光が(ほとばし)り、次にはばくんっ、という重い音がして、先頭車両と2両目以降の車両がゆっくり離れていった。

 つまり接続部分が切断され、先頭車両と切り離されたのだ。

 

「あの光……それにこんな離れ業出来るのは白雪しかいないな……」

 

 キンジと一緒に乗っていた白雪の顔を思い出しつつ、これがキンジの策であろうことも理解したオレは、愚痴っても仕方ないと諦め、レキの腿から手を離してミズチの収納から両端に分銅のついたワイヤーを2つ取り出して2両目の先頭まで来ると、2本のワイヤーを離れていく先頭車両の巻き付きそうな場所に巻き付けて、2両目と繋ぐと、意を決してそれを実行。

 綱渡りのように2本のワイヤーの上を駆け抜けた。

 

「猿飛くん!?」

 

 2両目の接続部分から、白雪の声が聞こえてきたが、今は無視。後ろなんて見てたら死ぬ。

 

「これは……死ぬっての!」

 

 ワイヤーの長さはまだたわむほど余裕があるが、これ以上車両間の距離が開けばプツンと容易く切れるだろう。急げ!

 そして世界広しといえど、時速300キロオーバーの場所で命綱なしでワイヤー渡りした奴はいないだろうな。しかも肩車までしてるし。

 そしてワイヤー渡りの間に、レキの足を脇から外して左の手の平に両足を乗せて、右手は再びアンカーボールを準備。

 足場のワイヤーはあと3秒くらいで切れそうだ。

 

「行け! レキ!」

 

 それを見越してオレは伸びきってしまいそうなワイヤーに力を込めて左手を上に持ち上げて、レキを先頭車両の屋根に向かって投げ飛ばす。レキもすぐに察して、腕が伸びきったタイミングでジャンプした。

 ――プチンッ!

 それとほぼ同時に足場だったワイヤーが切れて、オレは微妙に先頭車両に手の届かない位置で落下するが、それより早くアンカーボールを車両の上部に投げつけて速攻でモーターを回転させて巻き取り、地面に足が付く10センチ手前で車両に手が届き難を逃れた。

 それに安堵しつつ後ろの遠退いていく車両を見ると、白雪がホッと息を吐いているのが見えた。

 まぁ、これで白雪の安全は確保だな。風雪ちゃんとの約束は守れた。

 オレの意図ではなかったが。

 

「あんたも無茶するわね。あたし、あんな芸当生まれて初めて見たわよ?」

 

 後ろの車両を見ていたオレは、不意に後ろ。先頭車両の切断部分から声がしたので振り返ると、そこには腰に手を当てたアリアが呆れ顔で立っていた。

 何で乗ってるんだ? 別にいいけど。

 

「おやおや、これはこれはアリアさんではないですか。お久しぶりですね」

 

「ああ、そういえば最近会ってなかったわね。って、今はそんなことどうでもいいの! あんたなんでレキと一緒に……」

 

「いやね、頑固なレキさんが行く行く利かないから保護者として同伴しないとって思いまして」

 

「そーおーじゃーなーくーてー!」

 

「オレに何ができるかはわからないけどさ、助けに来た。それで答えになるか?」

 

 冗談を言ってる場合でもなかったのだが、オレも命がけの綱渡りしたあとでクールダウンしたかったのでアリアで少し遊んだが、冗談の後の言葉で「ふ、ふーん。そう」などと言って少し嬉しそうにしたのが表情からわかった。何で喜ぶ?

 そのあとアリアはオレと場所を入れ替わって、うんしょうんしょと上に登ってキンジとレキの援護に行ったので、オレはとりあえず車両内部へと入ってみる。

 

「おおー! キョーやんの登場だー! キャー! 理子の王子様ー!」

 

「…………さて、他に乗ってる人は運転手だけか?」

 

 なんだか入ってすぐの座席にオレの悪友らしき奴が座っていたが、それは見なかったことにして進もうとすると、ガシッ! と座ったままの理子に腕を掴まれて捕獲された。

 いやな、いつだかにアリアと一緒に呉に行くとかなんとか言ってたから、そのアリアが乗ってるならもしかしてとか思いはしたけど、本当に乗ってるとは思わなかった。

 乗ってても絶対後ろの車両に避難してると思ってたし。

 

「キョーやん! 緊急事態であります!」

 

「なるほど、わかった。だから離せ。オレも暇じゃない」

 

「わかってないよ! 絶対わかってないよキョーやん! ホントに緊急事態なんだよ!」

 

 いや、ホントに緊急事態ならあなた男口調になるでしょ。だから手を離せ。

 しかし何で理子は座席から『立ち上がらない』んだ?

 

「お手洗いに行きたいの! これ死活問題なり!」

 

「……お前、そこから『動けない』のか?」

 

「運転室の前の洗面室。そこにツァオ・ツァオの気体爆弾『爆泡(バオパオ)』が密封されてる。酸素と混ざると爆発するから、いま手立てがない。あたしの座席はそこに仕掛けられた小型爆弾の爆破スイッチだ。あたしがここから離れれば、その時点でドカン」

 

「確かに漏電して誤爆されでもしたら問題だな」

 

「理子もう限界なのー! 助けてキョーやん!」

 

 なるほどな。だから真っ先に逃げる性格の理子がここにいるわけか。

 ツァオ・ツァオってのは確か幸姉も言ってたな。おそらく上にいるココのどっちかだろう。

 状況説明だけは真面目に言った理子が再びいつもの調子でそわそわし出したので、これは本気でトイレに行かせないとヤバイ気がしてきた。

 よく見れば近くにジュースの空パックがたくさん落ちてるが、どんだけ飲んでんだコイツは……

 

「理子。サバイバルでは痕跡を残さないために自分の排泄物をペットボトルとか袋に入れてやり過ごすんだが……」

 

 苦肉の策として座席に備えてあった袋を持ち出しながら言ってはみる。

 

「キョーやん……そういう趣味があったんだね。ううん、理子は気にしないから大丈夫だよ。それを含めてキョーやんのことを愛せるから!」

 

 よし大丈夫そうだ。

 たとえそうでなくても漏らしたら自分も死ぬんだから膀胱炎になってでも耐えるだろう。

 オレはそう判断し理子を突破して先頭の運転席まで移動。

 そのついでに爆泡とかいう爆弾がある洗面室の窓を覗くと、確かにドアは開かないし、よく見れば蛇口やコンセントなどの酸素に触れそうな穴は塞がれていて、小型の爆弾が窓に設置されていた。

 気体爆弾とか言ったか。目視じゃわからないが、この密封具合ならこの空間にすでに満たされているのだろう。

 爆発による規模は、現物を見てないからなんとも言えないが、たぶん桁外れのものと考えていいだろうな。

 それを確認してから運転室に入ると、そこにはアリアと理子と一緒に呉に行っていた武藤が、運転席に着いて操縦をしていた。

 コイツも運がないな。キンジといると事件に巻き込まれるからな。

 

「おお猿飛。キンジが喚いてたぜ? 何で来たんだってよ」

 

「お呼びじゃなかったってか? 悪いね、オレも事情があったってことで許せ」

 

 まぁ、オレが来たこと自体にではなく、何でレキを連れてきたのかってことだろうが、それで助かってんだから文句は言うな。

 

「状況はだいたい理解したが、この新幹線は減速すると爆発するのか?」

 

「それより質が悪いぜ。3分おきに10キロ加速しないと爆発しやがる。もうすぐ機体の速度限界に達するし終点も近いから、ヤバイぜ?」

 

 そう話す武藤は笑ってみせたが、そんな状況で運転手をやらされて狂わない辺りはさすがと言わざるを得ないな。

 思いつつ武藤を見ると、耳にインカムらしきものを発見し、それをちょっと拝借。これでキンジ達と会話ができるか。

 それでインカムを耳につけてると、突然運転室に影ができ、トンネルにでも入ったかと思うがそうではなく、新幹線の上をヘリが並走している。その影響で暗くなったのだ。

 そしてそのヘリを、オレも知る顔の人物が操縦していた。

 

「ここにも分身の術を使う奴が……」

 

 ココである。

 あのヘリがこれに乗ってるココ2人の救助用だとすると、ココは3人いることになる。

 もうどれがオレの知るココなのかさっぱりわからん。

 そしてヘリに乗っていたココはどうやら上に飛び乗ってきたらしい。そんな音がしたしな。

 

「キンジ、アリア。援護するか?」

 

『運転室からどうやってだ?』

 

『任せるわ。京夜を信頼してるから』

 

「突然出てきても撃ったりするなよ?」

 

 上の状況はイマイチわからないが、ここ最近のアリアとレキの仲の悪さは噂になっていたので、おそらくこの状況下でもギクシャクしてるだろうことはアリアとレキの性格から予想できる。

 原因はキンジらしいが、女で問題抱えるのがキンジだし、そこも納得してる。

 そこでオレはここにいてもやれることがないので、キンジとアリアにそう告げてから武藤に車両のドアを開けるように頼み、その開け放たれた先頭側のドアの前に移動して理子から借りた手鏡を外に伸ばして、その反射する鏡面を利用してキンジ達のだいたいの位置を確認。

 角度的な問題で、真上辺りにいるココは確認できなかったが、そこは何とかしよう。

 そしてドアの上部の手がかけられそうな部分を見つけて軽く懸垂をして安全を確認――ドアが開いてる時点で安全ではないが――し、インカムから聞こえる会話を頼りに機をうかがう。

 

『アリア、レキ。俺は信じる。2人が、心の奥では……お互いを信じてることを信じてる』

 

 インカムから聞こえたキンジの声から、2人がやはりギクシャクしてたことを理解し冷や汗が流れるが、どうやら何かするみたいだな。

 オレは手鏡を突き出しながら、鏡面からキンジ達を観察。

 

『――さぁ、仲直りの握手だ』

 

 暗くて鏡面からでは細かな動作は見えないが、そう言ったキンジは何かを真上に投げて、両隣にいたアリアとレキに何かして屈み、途端、アリアとレキの位置がぐるん!

 と入れ替わって、先頭の方にレキ。後ろの方にアリアとポジションを変え、次には上で数発の発砲音がして、真上辺りから「()っ!」と悲鳴に似た声が聞こえたので、ココだろう。なら今か。

 思うが早いか、手鏡を車内に軽く放って両手でドア上部を掴むと、逆上がりの要領で車両の上に足からのうつ伏せのスライディングみたいな感じで滑るように上がり速攻で立ち上がると、目の前には車両先頭の斜面から落ちそうになっていたココがいた。

 

「キョーヤ!」

 

「お前はどのココなのかね?」

 

 そんな問いに答える前に、落ちそうだったココはその民族衣装の袖から桃色のスモークを出して煙幕を張り、ばっ! と新幹線から飛び降りて、パラシュートのようなものであっという間に後方へと流れていった。

 捕まるくらいならって感じか。というかオレなんにもしてないな。

 自分の活躍のなさに苦笑しつつ、近寄ってきたレキと一緒にココが乗っていた並走している無人ヘリを見ていたのだが、あれどうやって動いてるんだろうな。

 と思っていたら、まもなく最高速に達しようとする新幹線についていけなくなったのか、徐々に後ろへと後退していき自動で着陸していった。

 そういや幸姉がツァオ・ツァオは天才技師とか言ってたから、あれにも凄い改造がしてあったんだろう。

 そして流れるように車両後方を見ると、アリアがガウガウしながら残り2人のココをワイヤーで締め上げ終わったところだった。

 これで犯人は確保だな。残すは……コイツだ。

 考えながら足場の屋根をコンコンと足の爪先で叩いてから、ひと仕事終えたキンジと目を合わせて作戦会議開始。

 と思ったのだが、その前に仲直りしたアリアとレキが向き合った。

 

「……かっ、勘違いしないことね、レキ。さっきのは……体が勝手に動いただけよっ」

 

「――私も、体が勝手に動いただけです」

 

「お前らまだそんなこと言うのかよ。素直じゃないなぁ」

 

「「京夜(さん)は黙って(ください)なさい」」

 

 ほら、仲良しじゃないか。キンジもそれには苦笑い。

 

龍虎相博(りゅうこあいうつ)――お前達道連れネ」

 

「ココ達の負け違うヨ。爆泡でみんな吹っ飛べ! バーカバーカバーカ!」

 

 なんだか気を抜きかけのオレ達を見て、縛られたココ2人が現実に戻す言葉で罵倒してきたので、オレはそれぞれの顔を睨んでやるが、怯むことなくバカバカ言ってくる。

 ガキか! そういやガキだったな。

 

「どうやらお前ら2人とも、オレにプロポーズしてきたココじゃないな。だとするとさっきのがオレの知ってるココか」

 

 その反応からオレの知るココがさっき離脱したココだとわかったオレは、オレの言葉で目を丸くするキンジとアリアをよそ目に改めてコイツらの京都での不可思議な行動の正体を暴く。

 比叡山での高速移動は、それぞれのココが行動したことにより可能となったもの。容姿がそっくりの3姉妹ならではの戦術と言ったところか。

 目撃情報を集めれば瞬間移動にも捉えられてしまうわけだ。

 3姉妹だなんて誰が予想できる。そんな常識破りな戦術がオレ達を混乱させた。見事だった。

 

「お前達戦うしか能無い。ココ達とは違うネ」

 

「キンチお前、ドジでグズでノロマな亀ネ。キョーヤはバカだが、あまり言うと狙姐(ジュジュ)怒るからバカだけにしとくヨ」

 

 狙姐?

 ああ、逃げたココか。オレそんなに好かれてるのかよ。

 何でだ? あの子に特別なにかした覚えがないんだが……

 

「バカで結構。バカなくらいでないと武偵なんかやってられないからな」

 

「京夜! それだとあたしまでバカみたいじゃない!」

 

「失礼ですね、京夜さん」

 

 罵倒に対して罵倒じゃなくなる言葉で返したら、味方から文句が飛んできたのでオレはもう黙る。なんなんだお前ら。

 何故か対応だけで疲れてしまったオレは、1つ大きな息を吐いてから、この新幹線に近付いてくるもう1つの新幹線を後方に発見した。

 おいおい、キンジさん。手回しが良すぎませんか?

 それを見て何故か余裕を見せていたキンジを見ると、オレの視線の意味に気付いたキンジは、それで笑って見せてきたのだった。

 

「そうだな。俺は1人じゃ何もできない。でも、俺『達』は何でもできる」



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Bullet42

 

「――この修学旅行Ⅰは、そういうことも学ぶものらしいんでね」

 

 加速を続ける爆弾付き新幹線に後ろから迫ってるもう1つの新幹線を見ながら、キンジは捕まえた2人のココに言ってウィンクなんてしてみせる。

 HSSのキンジはキモいなぁ。いや、男目線からだけどさ……

 

「んで? 誰を呼んだんだよ。関西方面から来るってことは、修学旅行Ⅰであっちにいた2年だろ?」

 

「悟いな猿飛。まぁ見てからのお楽しみってやつだ」

 

 そう問いかけてみればキンジはまたニコッと笑ってそう返してきた。

 だから男にそういうスマイルやめろ。感想がキモいしか出てこない。

 それから車両後方から車内に戻ったオレ達は、捕まえたココ2人を理子の近くに放っておき、横の線路を並走してきた新幹線を見る。

 すると先ほどオレが上へと上がるために開けたドアから、向こうの新幹線とを繋ぐチューブトンネルが接続され、人や物の通れる通路ができる。

 

「あや、あやややっ!」

 

 そのチューブから尻餅をついてこちらに滑り降りてきたのは、運動神経ゼロの装備科の天才、平賀文だった。あやや! あやや!

 

「……悪いな、平賀さん。こんな事に巻き込んで」

 

「なんのなんの! お得意様のピンチなら、あややはどこにでも駆けつけるのだ! とーやま君、レキさん、理子ちゃん、みんな大口顧客さまですのだっ。あ、さるとびくんも面白い顧客なのだっ」

 

「すみませんね、面白い顧客で」

 

 なんだか悪気が全くないのに、オレだけ3人と別枠扱いなのが気に食わないが、確かにあややを頼ったのはミズチの件だけだし仕方ないか。

 そう言ったあややは、チューブから伸びるロープを引っ張って工具やら何やらをこちらに引き込んで、それから新幹線を繋いだチューブは取り外された。

 線路と線路の間には信号とか色々あるからな。

 

「あ、あややー! も、も、漏れちゃうー!」

 

 この状況下で何故か上機嫌で機材を組み立てるあややに、後ろの方から理子のヘルプコールが聞こえてきた。

 膀胱炎になったら見舞いくらいには行くから、我慢しろ。

 

「もう少しガマンするのだ! 漏れたら座席のスイッチが漏電しちゃうのだ!」

 

「理子も漏電しちゃう! 早く早く! たすけてー!」

 

 ……なんかコントに聞こえるのはオレだけか?

 

「解除できんのか、平賀よー!」

 

 とはいえ事態は一刻を争う。武藤のそんな運転室からの叫びに、あややは、

 

「――Nothing is impossible!!!」

 

 お決まりの台詞を笑顔で言ってみせた。今はあややが頼りだ。この命、あややに預けるぜ。

 新幹線の速度も390キロに達し、新横浜駅を通過。終着まであと7分あるかどうかといったところ。

 あややは消火器みたいな機材から伸びる管を2本、丁寧な作業で洗面室の窓に張り付けて固定。

 

「気体爆弾は酸素と混ざると爆発する、ってさっき理子ちゃんから無線で聞いたのだ」

 

 言いながらあややは管の先端に据えられたカッターで小さな穴を2つ空け、片側の管から風船のようなものを広げ始めた。

 

「窒素で膨らます、シリコンの風船なのだ! 隅々まで広げて、気体爆弾をこっちの真空ボンベに押し出すのだ」

 

 つまり、片側の管から風船を膨らませて、もう一方の管からボンベに爆泡を移す。ということらしい。

 これなら理子の座る爆破スイッチも窓を割る程度の小型爆弾になり、新幹線も止められる。さすがとしか言いようがないな、あやや。

 しかしその作業も時間との戦い。品川駅を通過。あと3分とないだろう。

 

「キンジ、最後の加速……410キロ……いくぜ!」

 

 そして新幹線は時間的な最後の加速をして、死の時間にさらに近付く。

 ――ピィイイ。

 そこに機材が完了の音を上げて、あややのオッケーも出てすぐ、キンジが武藤に叫んで新幹線に急ブレーキがかかり、オレとキンジは停止にかかる衝撃から守るため、アリア、レキ、あややを抱きかかえて壁に背をつけた。

 ――ィィィィィィィイ――ギィィィィィィィィィ――

 耳をつんざくようなブレーキ音にアリア達を抱きかかえているために耳を塞ぐこともできないまま、その衝撃にも耐え続け、洗面室の窓からは、ばすんっ! と爆発音がして窓が吹き飛んでいたが、爆泡は爆発しなかった。成功したようだな。

 そのあと新幹線は窓越しにも見てとれるブレーキによる激しい火花を上げながら1キロほど走り続け、東京駅のホームまで入っていった。

 ギィィィィィ……ギィ……

 そして後ろにもうもうと煙を上げながらの新幹線は、そのホームでやっと停止したのだった。ホントにギリギリセーフだな。

 東京駅のホームは前もって人払いがされていて、爆発した際の盾のつもりか、無人の列車がいくつも停められ、さらに土嚢(どのう)まで積み上げられていた。まぁ、最良の対応かもな。

 そうしてキンジ達がホームへと出ていく様を見ながら、武藤が2人のココを鷲掴みで持ち運ぶのを最後に車両を出ようとしたが、理子の姿がない。アイツ先に降りたのか?

 そう思ってホームとは反対の窓から外を見ると、いた。

 どうやら女の子としてトイレに駆け込む姿を見せたくなかったみたいだな。わざわざ反対のホームに行くあたりがその証拠だろ。

 それで全員の無事を確認したオレは、借りていた手鏡を返そうとホームから降りて車両に背を預けながら線路の上で待っていると、何やらスッキリしたような表情の理子がひょいっと反対のホームから降りてオレに近付いてきた。

 

「ほれ、借りてた鏡」

 

「そんなの戻ってからでいいのに。それとも理子と2人きりでお話ししたかったとか? きゃはっ」

 

「まぁそれもある。決めたよ理子。オレは武偵を続ける」

 

「そっか。駆けつけてきた時からそんな気はしてたけど、後悔はしてない?」

 

「幸姉曰く、オレは幸姉1人を守るような小さな器ではない、らしいぞ?」

 

「じゃあ、これからは理子のこともちゃんと守ってよね」

 

「報酬は払ってもらうぞ?」

 

「じゃあ体で……ふぎゃっ!」

 

 ふざけたことを言う理子にデコピンをお見舞いしつつ、オレはまたこんなバカな言い合いができることに少し嬉しさを感じている自分を自覚していた。

 

「――妹達、撤退ヨ。一旦、香港に戻るネ」

 

 理子との話も一段落として、キンジ達と合流しようとホームに上がろうとした時、遠くの方。

 おそらくホームの端からココの声が聞こえてきて、反射的に行動をキャンセルして姿を隠す。

 位置的には車両先端を影に、キンジ達のいるホームの端。そこにココがいるようだ。まさか狙姐か?

 そこでオレは逃げた時の狙姐の行動に余計な行程があったことを思い出した。

 ただ逃走するだけなら、煙幕を張る必要がなかったのだ。

 あれはパラシュートのようなもので飛んだのがダミーであることを隠すために使用したということ。

 そして本人はこの新幹線にここまでしがみついていたということ。根性あるな。

 

「レキ動くだめネ!」

 

 そこでまた狙姐の声が聞こえて横のホームを覗き見ると、ドラグノフを構えようとしたレキが、言う通りに構えるのをやめた。

 おそらく狙姐は拳銃の有効距離から離れて狙撃銃でレキが殺されると困る人間。ここだとキンジが狙われていたから言う通りにしたのだろう。

 これでキンジとレキが動けない。姿が見えてるはずのアリアも。

 

「理子、ホームの下を通って狙姐の近くに接近するぞ。いま動けるのはオレ達だけだ」

 

「無音移動法は京夜の十八番だ。あたしが気付かれない保証はない。リスクは避けるべきだ」

 

「ならオレだけで……」

 

 オレは状況を把握したところで隣の理子に言いつつ、停まってる車両とホーム下の空白地帯を指差すが、理子は成功率を見た意見で却下してきたので、オレが行こうとした時。

 

「風、レキをよく躾けた。人間の心、失わせてる。この戦いでよぉーく分かたヨ。お前、使えない女ネ。だからもう、お前、いらない。キョーヤ! どこかに隠れてるの分かてるネ! 大人しく姿を見せないと、皆殺しネ!」

 

 まさかのご指名を受けてしまった。そりゃお気に入りの特技を封じにかかるのは当然だよな。

 時間をかけると誰か殺しかねないので、オレは理子にやっぱりホーム下を行かせる事にしてジェスチャーで促すと、理子も言うことを聞いてホーム下へと行ってくれて、オレはホームに上がってキンジの隣に立って姿を見せた。

 予想通り、狙姐はホームの端で狙撃銃を構えてこちらに狙いを定めていて、アリアは捕まえていたココ2人に足でしがみつかれて動けなくされている。

 狙姐との距離は約100メートルくらいか。

 

「レキ――お前、まだ弾を持ってるはずネ。それで死ね。今、ここで」

 

 オレが姿を見せて満足した狙姐は、次にこの交戦距離で一番厄介なレキに自害を命令する。

 

「お前死ねば、キンチは殺さないネ。キンチは使える駒ヨ、ココも殺したくない」

 

「ココ。あなたが言う通り……私はあと1発、銃弾を持っています。私が自分を撃てば、キンジさんを殺さないのですか」

 

 ちょ、ちょっと待てレキ! まさか本当に死ぬ気か!?

 

「よせレキ! どうせアイツは俺を――」

 

「レキ、言ったよな? 死なないように努力するって」

 

「キンチ、キョーヤ喋るな! レキ、今の話は曹操(ココ)の名にかけて誓ってやるネ」

 

 名にかけて?

 ああ、確か眞弓さんが曹操孟徳の子孫とかってチラッと言ってた気が。

 いや、そんなことよりレキだ。頑固なレキのことだ。

 オレ達の言葉なんて聞き入れやしないだろう。

 

「待つ、ココに不利ネ。レキ、今すぐ自分を撃つネ。待たされたら、ココ、キンチを撃つ。レキ、その後でココを撃てばいいネ。他にキンチ取られるより、ココは相討ちを選ぶヨ」

 

「ココ。藍幇の姫。ウルスの蕾姫が問います。今の誓い――キンジさんを殺さない事、守れますか」

 

「バカにする良くないネ。ココは誇り高き魏の姫ヨ」

 

「――誓いを破れば、ウルスの46女が全員であなたを滅ぼす。かつて世界を席巻したその総身を以て、あなたの命を確実に奪う。分かりましたね」

 

 淡々と話すレキは、言いながらドラグノフのストックを足元に置き、銃口を自らの顎の下につけて自害の準備を整えた。

 

「よせ……レキ!」

 

「レキ……怒るぞ」

 

「キンジさん、京夜さん。ウルスの女は銃弾に等しい。しかし私は……失敗作の、不発弾だったようです。不発弾は、無意味な鉄くずなのです」

 

「やめなさいレキ! あんた騙されてるわよ!」

 

 アリアもココ2人にしがみつかれながら叫ぶ。

 全くその通りだ。死ねば約束を破ったこともわからないんだからな。

 

「キンジさん。あなたは人を殺すなと私に命じましたが、私は今、主人を守るために――私自身を撃ちます。ですが、これは造反には当たらない事を理解してください。なぜなら――私は1発の銃弾――」

 

 銃弾を撃ってもそれは人を殺してないから造反じゃないってか?

 お前のおまじないの言葉ってのは、都合がいいな。だがどうする?  オレの本気の武偵としての活動で、早速仲間が死ぬなんて耐えられないぞ。

 考えている間に、レキはその靴を脱いでドラグノフの引き金に足の指を掛ける。

 

「「お前は銃弾なんかじゃない!」」

 

 オレとキンジが同時にそう叫ぶが、それでもレキは躊躇うことなく、その引き金を引いてしまった。

 ――ガチンッ!――

 しかし、そのドラグノフから銃弾が発射されることはなかった。

 この事態に驚いたのは、オレはもちろんだが、引き金を引いたレキ自身が一番驚いていた。

 

不発弾(ミスファイア)……」

 

 アリアもレキの不発弾に驚きの声をあげ、じたばたと動くのも忘れていた。

 レキが不発弾するところなんて初めて見た。

 レキは徹底した整備と弾の選別を行うことで不発弾の出る確率を万に一つ……いや、億や兆に一つの確率まで下げている。

 だからこそ、この状況下で不発弾など、奇跡以外でもなんでもな……

 そこでオレはここに来る前に星伽神社でのキンジの行動を思い出す。確か、レキのドラグノフを整備したよな?

 そう思いキンジを見ると、あのキモい笑顔を向けてきたので、それに軽い吐き気を覚えつつ、レキの自害を止めたキンジに感謝。

 これで状況は変わった。レキのドラグノフにはもう不発弾だけ。

 なら狙姐が次に狙うのは、HSS状態のキンジ。次点でオレだろう。

 この空白の思考時間でオレが出来る最良は、狙姐に撃たせること。

 キンジが軽いジェスチャーでボルトアクションの装填動作をして見せたことから、狙姐の狙撃銃がボルトアクション式のライフルであると理解したオレは、1発1発を排莢して装填する、撃つために連射ができない特性の弱点を突く1手を考えた。

 ――ダッ!

 全員が動きを止めてる中、狙姐めがけて一直線に走り出したオレは、こうすることでさらに狙姐の判断に迷いを生じさせる。

 いま近付くオレを撃つべきか、驚異となるHSSのキンジを仕留めるべきか、はたまた体勢を立て直すため1度退くか。

 そして仕留めにかかるなら優先度ではほぼ五分。どちらが狙われてもおかしくない。

 だが、キンジは自害に失敗したレキに近寄っていった。そこに意図するところがあるなら、オレがやれることは、次に繋げること。

 100メートルなら、全力で走れば10秒後半くらいか。近付けばそれだけオレが狙われる可能性が高い。

 だが、オレも勝算がなくて前へは出てない。

 

『自己防衛の反射なんて、命の危機がない限り身に付かないぞ』

 

 それはシャーロックとの対決を終えて、武偵病院で理子に言われた事だ。

 自己防衛の反射。これは言われてみれば確かに昔、比叡山で1ヶ月に渡るサバイバル生活で、トラウマになるレベルで身に付けていた。

 下山を許さない過酷な条件で、親である佐助に昼夜を問わずに命を狙われ続け生き残った。

 江戸幕府が崩壊してから、猿飛はその忍の術を多岐に渡る術から、たった1つの秘伝へと凝縮した。

 減退したのは『殺し』の術。暗殺術もこれに伴い使わなくなり、猿飛は主を守ることに特化した。

 その究極が『死なない術』。不老不死とかそんな桃源郷のような夢物語ではない。

 自分が死ぬことなく、主から危険を退ける。それが猿飛の行き着いた秘伝。

 その秘伝の第1段階である『自分が死なない術』を、すでにオレは習得している。

 第2段階の『対象を死なせない術』も、現在進行形で磨いてる最中だ。

 自分が死なない、とは言うが、それがどのようなものかと言えば、『死に至る脅威を反射的に回避する』こと。

 つまり即死レベルの攻撃なら、逆にオレの体は簡単にそれを回避してしまうということ。中途半端に腕や足を狙われる方が対応が難しい。

 だから今この状況で、狙姐がオレの額か心臓、或いは出血の止まらない箇所を撃つなら、オレは体の動くままに避ければ、死にはしない。

 しかし、この土壇場で今まで意識的に頼ったことなどない術に、簡単に信頼を置けない。

 これは未知への恐怖と同様だ。絶対じゃないからこそ、不安が体を硬直させる。

 

「キョーヤ!」

 

 そうしてオレが自らに備わる力を信じきれないでいた時に、狙姐がオレの名を叫びその狙いをオレへと定めてきた。

 こうなったら信じるしかない。シャーロックの攻撃を防ぎ、オレに一撃入れるだけの隙を作ってくれた、この力を。

 ――パァン!

 覚悟を決めた瞬間、狙姐はオレへと銃弾を放つ。

 ――疑うな、信じろ――

 そう心に言い聞かせて、オレは減速することなく走り続け、クンッ! とオレの意思とは別に左に曲がった首の痛みと、右のこめかみを掠めていった狙姐の銃弾による痛みに顔が歪むが、死んでない。

 こめかみから血は流れたが、切った程度だろう。問題ない。

 それには撃った狙姐も唖然。銃弾の再装填も忘れていた。

 『死の回避(デス・イべーション)

 やればできるもんだな。トラウマもののサバイバルも無駄ではなかったか。

 だがこれで狙姐はもうオレを止められない。距離もあと30メートルない。

 再装填はしてるようだが、もう……

 ――ヒュン!

 そう思っていたオレの後ろから前へ、高速の何かが通り過ぎていった。

 おそらく銃弾。だがこの距離となると、レキしか撃てないぞ。

 後ろを振り返ろうとも思ったが、狙姐から目を逸らすのは危険と考えそのまま走っていたが、その狙姐はまたオレへと発砲。

 しかしその狙いは斜め上、あさっての方向へと銃弾は飛んでいった。

 そして狙姐は、よろっ、よたたっ、とよろけてから、その場にコロンと倒れた。

 あれは、いつかのハイマキに放ったレキの狙撃技術か? だとしたら今の後ろからの狙撃は100%レキだ。

 だっ!

 もはや立てなくなった狙姐を捕まえるのは簡単だったため、走るのをやめてワイヤーを取り出していると、ホームの下から理子が飛び出してきて狙姐のその背にへばりつく。ああ、頑張ってここまで近付いてたんだな。偉いぞ。

 

「み、峰理子ッ!」

 

「ツァオ・ツァオ! あれもツァオ、これもツァオ。3人もいたんだねェ。くふっ!」

 

 理子は両足で狙姐の胴にしがみつき、両手で両腕を羽交い締めにし、ツーサイドアップのテールを動かして首を締める。

 あれは抜けられない。オレでも決まったら無理だな。

 

双蛇頸刎崩(シャンシケイケイホー)。自分の技で眠りな、ツァオ・ツァオ。あたしに教えたのがアダになったな」

 

 それでもまだ抵抗しようとする狙姐にオレは目の前まで近寄って話しかけた。

 

「もうやめとけ狙姐。素直に捕まって、それでまともな『ビジネス』をしてくれるなら、オレも突っぱねたりしないからよ。藍幇が『善の一面』を持ってることも知ってるから、なおさらな」

 

 そう言ってやると、狙姐は抵抗をやめてキュッと身を縮めるので、理子も絞め技を解いてオレがワイヤーで縛る。

 

「キョーヤ……お姫様だっこがいいネ」

 

「ん? それは叶わん願いだな。君はいま犯罪者。立場を理解しろ」

 

 ワイヤーで縛ってから、持とうとしたオレを見て狙姐が顔を赤らめてそんな要求をしてきたが、それを笑顔で却下したオレは、右肩に狙姐を担いで荷物のように運ぶ。いやー、軽い軽い。

 

「あはははは! ツァオ・ツァオ! キョーやんに色目使うなんて100年早いって!」

 

「み、峰理子!」

 

 担がれた狙姐を見て理子はゲラゲラ笑いながら、オレの左腕に抱きついて、これ見よがしに見せつけ煽り、それに反応して狙姐がじたばた暴れるので2人に黙るように怒鳴ってからキンジ達の場所まで無言で到着。

 捕まっていたココ2人に狙姐も加えてこれで一件落着っと。

 見れば何故かキンジの右頬から血が出ていたが、どうやら先程の狙姐の狙撃はオレだけじゃなく、後ろのキンジの額も同時に狙っていたらしい。恐ろしいな。

 しかもそれを防ぐキンジもまた化け物だ。なんでも両手の人差し指と中指で銃弾を挟んで軌道を逸らしたとか。

 それで突き指で済んでるからまた化け物。その事をそのまま言葉にして感想としたら、

 

「猿飛、お前もたいがい化け物だよ。あの距離で狙撃銃の銃弾を避けるって、どんな反応速度だって話だ」

 

 こうだ。こっちは『避ける』のワンアクション。しかも条件反射だ。

 だがお前はなんだ。『見る』『構える』『処理』のスリーアクションだぞ。次元が違うわ!

 また1つ、キンジ超人伝説に歴史が刻まれたのを認識しつつ、崩れた正座でドラグノフを抱くレキを見ると、そのレキが、涙を流していたのだ。

 

「もう……聞こえないのです。風の声が――もう、聞こえない。風はもう、何も言いません」

 

 風、か。

 レキもどうやらオレと同じで、今まで自分で考えて歩んできてなかったんだろう。風が命じるままに。

 オレで言う、幸姉のような存在に、ずっと従って。

 

「いいじゃないか。オレもやっと自分で歩き出したけどさ、言われた通りの道を歩くより、ずっと楽しいよ」

 

「だな。風は気ままに吹くもんだろ。それに――1人じゃない。俺が一緒だ。何たって、お前が学校にチーム登録を提出しちまったからな。この間、勝手に」

 

 オレとキンジの言葉に、レキは黙っていた。

 しかし、それからレキは顔を上げて、しばらく1人でその綺麗な声で不思議な歌を歌い始めて、オレ達はそれが終わるまでその歌に聴き入っていた。

 これは風との別れの歌。そんな気がしたオレは、歌い終わってこちらに振り返ったレキが、ほんの少しだけ、微笑んでいたような、そんな気がしていたのだった。



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Bullet43

 

 それからレキはオレ以外の誰にも悟られることなく姿を眩まし、アリアが慌てていたが、オレにはどこへ行ったのかわかっていた。

 これからレキがどうするのかはさすがに予測できないが、今までのレキよりこれからのレキの方が素敵になっていることを信じている。

 その後、自衛隊の爆発物処理班や警視庁のお偉いさん、武偵高の蘭豹、綴、高天原といった先生や事後処理班の武偵高生が何人かやってきてせっせと動き始め、捕まえたココ3姉妹は車輌科の先輩が護送。

 オレやキンジ達は東京駅を出てその出入り口に停まっていた何台かの黒塗りの武偵車に分乗した。

 オレ、理子、キンジで乗り込んだ車では、先ほどのレキの不発弾について話を始めた。

 

「レキの不発弾、あれはどうやったんだ?」

 

「これだよ京夜」

 

 唐突な質問だったが、理子が言いながら空の薬莢を取り出してオレに渡してくる。これは、レキの撃ったやつか?

 思いながらそれを受け取り何気なく見てみると、どうにも不可思議なナイフの跡がうっすら見えた。

 

「ナイフの跡?」

 

「銃弾の薬莢には雷管っていう点火装置があるんだ。それが無ければ弾は発射されない。キンジはその雷管をあらかじめ抜いていたんだよ。そして不発弾と思わせて雷管を戻し、次は正常に発射されたってこと」

 

「レキが自害用に1発残すことを知ってたってことか?」

 

「それらしいことを比叡山でされかけたし、ジャンヌからもその可能性を忠告されていたからな。一応の措置をしておいたってだけだ」

 

「ちょっとレキのことを甘く見てたからな。助かったよ」

 

 何はともあれ、キンジの事前の対策で事なきを得たのは事実。感謝感激雨あられってな。

 ――ピリリリリッ!

 そこで一段落すると、突然オレの携帯が鳴り、電話の相手を見ると、いつの間にか登録されていた愛菜さんの名前が。

 なんとなく第一声が予測できたオレは、携帯を隣の理子に渡して出るように促す。

 不思議に思いながら理子がその電話に出ると、

 

『京ちゃん!! 大丈夫やった? 怪我とかしてへん!?』

 

 耳に直接当ててないのに聞こえたその大音量は、理子の鼓膜を破らんばかりの威力で、被害を受けた理子は耳鳴りが起きたようだ。

 

「だ、誰ですかあなた?」

 

『ん? そっちこそ誰やねん。かわエエ声やけど、それ京ちゃんの携帯やよね?』

 

「理子りんはキョーやんの『彼女』ですけど、キョーやんに何かご用ですか?」

 

『……ほほぅ。おもろいこと言う子やね。京ちゃんに替わってくれるか?』

 

 ……うわぁ、替わりたくねぇ。

 にっこり笑顔で携帯を渡してくる理子も理子でなんか怖いし、替わらなきゃ替わらないで京都に帰れなくなる。

 どちらにしろ選択肢は出るしかないので、恐る恐る携帯を受け取り通話に出る。

 

「もしもし?」

 

『ああ京夜? 愛菜なら今みんなでなだめてるから大丈夫よ。それより理子がいるのね。ちょっと意外』

 

 しかし電話の相手はいつの間にか幸姉に替わっていて、なんだか電話の向こうでふがふが聞こえるのはとりあえず聞かなかったことにして話をする。

 

「一緒に乗り合わせてたみたいだ。事件は無事解決。オレとキンジはちょっと出血あったけど、もう止まってる」

 

『ニュースでもいま東京駅に着いて爆発はしなかったって。一応事後報告ってことでそっちからの連絡待ったんだけど、愛菜が待ちきれないって』

 

「ああそっか。たぶん事件の方はあんまり話せないと思う。この後色々とやるみたいだし」

 

『みんな無事ならいいのよそれで。よく頑張ったわね、京夜』

 

「……頑張れたかな、オレ」

 

『もっと胸を張れ、猿飛京夜。あなたはちゃんと守ったんでしょ? 大事な仲間を』

 

 そう、だといいな。

 思いつつ横の理子とキンジを見ると、幸姉の言葉が聞こえたわけではないのだろうが、2人とも少しだけ笑顔を見せてくれた。

 

「京都の方には明日にでも戻って美麗を迎えに行くから、風雪ちゃんにも言っておいてくれ」

 

『りょうかーい』

 

 それで電話を切ろうとしたのだが、オレの肩をチョンチョン叩く理子が替わってと訴えるので、仕方なく幸姉に替わることを伝えて携帯を理子に渡した。

 

「ゆきゆき! キョーやんをフッたの? どうなの? くふっ」

 

 ぶはっ! こいつこんなこと聞くために替わったのか! 死ね!

 幸姉が答える前に速攻で携帯をブン取り通話を切ったオレは、それから武偵高に着くまで執拗に理子の問い詰めにあった。

 当然黙秘を決め込んだがな。

 すっかり日の暮れた夜に武偵高に着いたオレ達は、すぐさま学科ごとに分けて調書を取られ、今回のココ達の犯行は、日本政府を脅迫して金をせしめようとしていたせい。ということと、一般市民を守ったとして、新幹線を真っ二つにしたことその他は責任問題にはならなかった。

 しかし今回のココ達の本当の目的が、キンジやアリアだったことは伏せると言うことらしい。

 もちろん途中乗車のオレもココ達に狙われていたので、これも口外しないこととされた。

 詳しくはわからないが、貴族のアリアが日本で狙われたとあっては、外交問題になるとかなんとかと、後からアリア本人から聞いた。

 それが終わってくたくたになって帰宅してみれば、部屋には誰もいなく、珍しく静かな部屋になっていた。

 小鳥はどうした? と一瞬考えたが、小鳥も小鳥で依頼とか何かをこなしに行ってるのだろうと結論付けた。

 おそらくオレが予定通り帰宅してたら、小鳥もそれまでには帰宅できる内容だから、オレに連絡がなかったのか。

 ならこちらから連絡する必要もないか。過保護も良くないし。

 そうしてオレはさっさとシャワーを浴びて、本当に久しぶりの静かな部屋で一夜を過ごした。

 ちょっと寂しいとか思ったら負けだな。

 翌日。

 昼過ぎ頃に京都へと到着する新幹線に乗ったオレは、その道中でジャンヌに連絡を入れていた。

 理由は単純明快。オレが武偵として東京武偵高に残るから、保留にしていたチーム申請の了承を取るためである。

 ついでに昨日の事件のことも少し話しておき、早速話を本題に移す。

 

『そうか、わかった。チームの方は私がリーダーということになっているから、申請はこちらで行う』

 

「…………ん? リーダーということになっている?」

 

『そうだ。何かおかしいのか?』

 

「いやいやいやいや、おかしいよ? だってオレ、ジャンヌと『2人のチーム』だと思ってますもん。だったらその言い回しは明らかにオレ以外のメンバーがいるよね?」

 

『ん、私はお前と2人のチームなどと一言でも言ったか? いや、言わなければわからなかったのか。日本語とは難しいな。そうだな、改めて言おう。猿飛京夜。お前を私がリーダーの通信系チーム「コンステラシオン(Constellation)」に引き入れる。メンバーからもすでに了承は取れているからな。案ずるな』

 

 あ、そうですか……それは素早い手回しですこと。

 しかし自分で組もうと言っておいて今さら「2人じゃないとやだ」と駄々をこねるのは、いただけない。まして時間的にも今日が修学旅行Ⅰの実質的最終日だ。

 チーム登録が1週間後の9月23日までとはいえ、今からジャンヌのチームを蹴って自分の理想のチームを作れるかと言えば、無理だ。

 理子もなんだかんだでアリアが引き抜くと言う話だし、というかアリアのチームのメンバーは昨日教えてもらったから、理子は予約が入った状態。

 それを何故知ってるかと言われれば、ダメ元ながらアリアがオレをチームに誘ってきたから。

 つまりオレが組みたいと思った2人はすでに他にメンバーがいる状態。

 それでも組んでくれると言ってくれているジャンヌの申し出は非常にありがたいというわけだ。

 

「……コンステラシオンって、名前の意味は?」

 

『うむ、フランスの単語なのだが、日本語に訳すと「星座」だな。それで答えは?』

 

「オッケーだ。通信系のチームにオレが噛み合うかは知らないが、オレを入れても問題ないってリーダーの判断なら、喜んで入らせてもらうよ」

 

『そこは私個人の戦力として扱うから問題はない。メンバーのリストなどはメールする』

 

 個人の戦力って……それはメンバーと言えるのか?

 そんな疑問も沸いたが、携帯越しのジャンヌの声が少し嬉しそうにも聞こえたので、アリアで言うドレイと同じようなものかと勝手に納得して通話を切った。

 その後に届いたジャンヌからのメールを確認すると、話の通りチームメンバーの名前と簡単なチームでの役割などが書かれていた。

 島(いちご)……麒麟の姉で車輌科のロリッ子。

 京極(きょうごく)めめ……虚弱体質の鑑識科の引きこもり。

 あとは……中空知がいるのか。実物はまだ拝めてないから、登録の時の楽しみができたな。

 それから自分の席へと戻って京都までのほほんとしてようと思っていたら、オレの席に誰か座っていて、後ろから近付いたのだが、その金髪の頭に見覚えがある。我が悪友だ。

 

「なにしてんのお前?」

 

「甘いよキョーやん! 理子の前で京都に行くこと喋るとか甘すぎー。そんなの知ったら一緒に行くに決まってるじゃーん」

 

 ああ、そういや昨日幸姉との会話でそんなこと言ったな。理子の隣で。

 それでこいつ、わざわざオレの乗る時間を調べて乗り合わせてきたわけか。あっちで待ち伏せでもすればいいだろ。

 

「ほらほら、そんなとこ立ってたら邪魔になるから、こっちに座りんさいな」

 

 そう言う理子は席を1つ横にズレて窓際に座ると、オレの席を空ける。

 そこがお前の席か。どこまで仕込んでんだよ。

 

「京都に着くまでキョーやんとラブラブしようと思ってぇ、頑張りました!」

 

「じゃあ京都に着いたら解散な。どうぞ観光を楽しんできてください」

 

「京都と言ったら生八つ橋! 京風お好み焼き! それからそれからぁ……」

 

 聞いてねぇ。絶対ついてくる気満々だぞ。

 そんなハイテンション理子と終始くだらない話をしていたら、あっという間に京都に着いてしまい、どこぞの日本文化大好きフランス人と乗った時と同じような結果になってしまった。

 まぁ、暇しなくて悪いわけではなかったけどな。

 そして京都に着いたら着いたでまた問題発生。

 昨夜の段階でオレがこの時間に京都に着くことは幸姉達に告げてあったので、そこで待っていた愛菜さんが、一緒にいた理子を見てフリーズ。

 理子も理子で腕に抱き付いていたから面倒だ。

 

「幸音に特徴聞いといて正解やったわ。あれやろ? 昨日の電話に出とった理子言う子やろ?」

 

「こっちもちょっと調べちゃいましたー。まさか天下の月華美迅の愛菜・マッケンジーさんが、キョーやんと知り合いだったなんてビックリですぅ。くふっ」

 

「知り合いやなんてもんやないけどなぁ。そっちはワガママ通して抱き付いとるようにしか見えへんわぁ」

 

「くふっ、ご冗談を。キョーやんは理子りんとこうしてるのが嬉しいんですよ」

 

 フフ、フフフ。

 そんな不気味な笑いを互いに漏らしながらの睨み合いは、心臓に悪すぎる。誰か助けてー!

 

「そ、そういえば愛菜さん。今日はお仕事ないんですか?」

 

「今日と明日はお休みもろたから問題あらへんよ。その代わりしばらく休みなしなんやけど……」

 

「とりあえず理子は離れろ。険悪になられても困る。愛菜さんもお暇なら一緒に行きますよね」

 

「そのために出迎えとんのやから当然やね」

 

「はいはーい! 理子りんまずはお昼食べたーい! キョーやんと2人きりで」

 

「ワガママ多い子は京ちゃん嫌いやから気ぃつけなあかんで?」

 

「とりあえず美麗を迎えに行ってからにしよう」

 

 そうしてバチバチ視線で戦う2人にため息が出つつ、まずは置いてきぼりにしてきた美麗を迎えに星伽神社へと足を運んでいったのだが、その道中の2人の一触即発の空気がたまらなく怖くて、割って入ることすらできなかった。

 星伽神社に着いてみれば、事前に連絡が行っていたのか、入り口付近で巫女装束の風雪ちゃんと美麗が待っていて、オレ達の姿を確認すると風雪ちゃんは軽くお辞儀をして、美麗はオレに走り寄って顔を擦り付けてきた。

 あれ? 風雪ちゃん学校とか大丈夫なのか?

 思いながら風雪ちゃんへと近付いて改めて挨拶を交わして話をする。

 

「昨日は白雪お姉様を救っていただき、ありがとうございました。星伽を代表してお礼を申し上げます」

 

「いいよいいよ。助けたのはオレじゃないし、新幹線ぶった切ったのも白雪だしな。それよりハイマキは?」

 

「それが、先ほどこちらでお待ちしている間にフラッとどこかへと行ってしまって。ですがこちらの美麗が探さなくてもいいと訴えてきたのでそのまま……申し訳ありません」

 

「いや、大丈夫だろ。たぶん飼い主が近くに来たのを察して動いたんだろうしな」

 

 やっぱり京都に来てたか、レキ。

 あれから連絡がつかないってアリア達が騒いでたが、オレの予想は当たってたな。

 まぁ、このまま東京武偵高に戻ってこないってこともないだろうし、ゆっくりさせてやるか。気持ちの整理も必要だろ。

 

「それより風雪ちゃん、学校とか大丈夫なのか? 平日の真っ昼間だけど……」

 

「はい、都合の方は融通が効きますので。今日は問題ありません」

 

「じゃあじゃあ! 理子りん達と一緒にお昼食べよ? ゆきちゃんの妹なら大歓迎だよー! もちろんキョーやんの奢りだし!」

 

 おい、勝手に決めるな。しかもオレの奢りかよ。

 しかし愛菜さんと理子の仲が険悪な今、オレ以外の人間がいるのはありがたい。

 

「……残念ながら星伽は規則が厳しいのでご一緒するのは叶いません。申し訳ありません」

 

 あ、そうだった。白雪も箱入りだったから、風雪ちゃんもそうだよな。

 くそ、星伽の規則め。オレを1人で死地に追い込むのか。

 などと八つ当たりしたところで風雪ちゃんと別れて街へと戻り、愛菜さんの薦めでお好み焼き屋へと入ったオレ達は、4人用テーブル席について各々自由に注文。

 美麗も愛菜さんの計らいで店内オッケーとなり、オレの足下で伏せていた。

 

「あー! ちゃうちゃう! 焼く時はどばーっと一気に鉄板に広げんねん。ひっくり返すんは下が完全に焼けてから!」

 

「おおー! 本場の焼き講座! キョーやんは教えてくれなかったからねぇ」

 

「お好み焼きなんて一緒に焼いたことないだろ」

 

「京ちゃん焼くんメッチャ上手いんやで? 私らでお好み焼きパーティーした時はずっと焼き担当しとったくらいや」

 

「愛菜さん達がおしゃべりに没頭して焦がすからでしょ。タコ焼きだってタコ入れ忘れたりとかひどかったですし」

 

 注文した生地を焼きながら、2人とも勝手なことを言うのでやんわりツッコむと、2人ともそうだっけ? という顔をする。この2人、なんか似てるなぁ。

 などと思いながら、さっきまでオレの隣の席を争っていた2人――結局2人が隣同士――が、いつの間にか仲良く話をしながら焼けたお好み焼きを食べているので、その光景に苦笑しつつ美麗に食べられるように作ったお好み焼きを床に置いてやる。女ってわからん。

 それからすっかり意気投合した愛菜さんと理子は、オレと美麗そっちのけで食後のデザートと称して和菓子やら何やらを買って食べ歩き、本来なら夜にでも東京へ出戻りしようとしていたのに、そのまま勢いに任せた2人のせいで愛菜さんの家に1泊することになってしまった。

 そしてオレの意思は当然のごとく無視された。

 それで愛菜さん案内でやって来たのは、京都駅から南下した烏丸通りと九条通りの交差点近くの割と新築臭がある6階建てのマンション。その1階に愛菜さんは住んでいるらしい。

 実家は京都市北部の上賀茂にあるのだが、京都武偵高卒業と同時に1人暮らしにしたとか。

 玄関を通って、すぐに部屋に通されるのかと思いきや、104と書かれた部屋の扉の前で「ちょう待っとってや」と言われてしまい、愛菜さんは理子と一緒に部屋に入っていき、オレはその間部屋の外の廊下で待ちぼうけ。

 扉の横のマッケンジーと書かれた表札から奥の105号室の扉を見て、沖田の表札を確認し、その向かいの110の進藤の表札、愛菜さんの部屋の向かいの109の宮下の表札を見て、オレは笑うしかなかった。

 眞弓さん以外の月華美迅みんな住んでんのかよ!!

 しかもよく考えたら眞弓さんの実家もすぐ近くだった気がするし!

 それでこの前早紀さんが10分以内に全員集めて京都駅に来れた謎がわかったところで、愛菜さんからオッケーサインをもらって室内へとお邪魔した。

 部屋は1LDKの1人で暮らすには少し広く感じる洋式の造りで、カーテンやカーペットなんかは愛菜さん好みのピンクや白で統一されていた。

 そしてオレを最初入れなかった理由はおそらく、部屋が散らかっていたからだろう。

 女性はそういうの気にするって言うからな。

 

「愛菜さん。このマンションに千雨さん達も住んでますよね」

 

「あ、気付いてもうた? なんや眞弓が集合かけやすいようにってまとめて用意してくれてん」

 

「えー! なになに? もしかして月華美迅の他の人達も同じマンションなの? 理子会いたーい!」

 

「夜になったらみんな帰ってくるさかい、呼んどいたる」

 

「やたー! きゃふー!」

 

 そう話して携帯で連絡を始めた愛菜さんに、ウキウキの理子。

 でもそうか。ここが月華美迅の今の拠点ってことになるのか。1人1部屋じゃなくて2人1部屋でも十分なスペースの気がするけど、そこはプライベートとか色々あるのかね。

 そんな予測をしつつ、愛菜さんがお茶菓子を出して、理子が棚に並べてあったDVDから、洋物のスパイ映画を取り出して勝手に観始めた。相変わらず自由だ。

 それから愛菜さんと理子は仲良く話しながらDVDを何本か観て時間を使い、オレは時々振られる話にうんうんテキトーに相づちを打ちつつ、傍ですやすや寝てる美麗とまったりしていた。

 夜になると仕事から帰ってきた千雨さん達が色々なデリバリーと一緒にやって来て、またも宴会モードに突入し、理子も理子で速攻で千雨さん達と仲良くなり一緒になって騒ぐ。

 眞弓さんは今回いなかったが、それでも賑やかな人達だよな。

 賑やかなメンバーはそのまま愛菜さんの部屋で騒ぎ続けて、明日の昼前には京都を発つ予定のオレが眠たそうにしていると、気を利かせてくれた早紀さんが自分の部屋に移って寝るように言ってくれて、その厚意に甘えて美麗と一緒に逃げるように早紀さんの部屋に移り、渡された毛布を被ってリビングのソファーで一夜を過ごした。

 翌朝、徹夜したらしい愛菜さんと理子が寝ているオレにイタズラしに来ていたが、そんな危険をいち早く察知した美麗に起こされてそれを回避し、うっすら目の下に隈ができてる2人に寝るように促してから、部屋を提供してくれた早紀さんにお礼を言いつつ部屋を出て、もう1泊するらしい理子を置いて東京へと戻ったのだった。

 それから戻る最中に教務科からのチーム登録に関する確認の電話がかかってきて、それに『承認』。

 これであとはチーム全員で写真撮影をすれば『登録』となる。

 写真撮影は必ず『防弾制服・黒』でする決まりなので、オレは東京武偵高へと帰ってからすぐに借り物の防弾制服・黒に着替えて撮影場所に行くと、すでにジャンヌ達は集合していて、オレを待っていたようだった。

 

「悪い。ちょっと予定通りに帰ってこれなくてな」

 

「理子から聞いている。遅れたことには猿飛に非はないから許してやってほしいと言ってきたぞ」

 

 理子が? アイツも気を遣えるようになったのか。

 いや、ずっと前から気を遣えるやつだったかもな。単にそれを面に見せないだけか。

 

「おい! 全員揃ったなら早よ撮れや!」

 

 そこで撮影係の蘭豹が急かしてきたので、話も区切りカメラの前に立つ。

 武偵の写真撮影は、真正面を向かず、正体を微妙にぼかすのが習わし。

 ジャンヌがリーダーとする5人構成のチーム『コンステラシオン』は、中央にジャンヌが腕組みの状態で体を少し正面からずらして顔も右半分が写らないようにする。

 他の島と京極はオレも顔くらいは知っていて、各々ジャンヌの左右に散ってぼかすポーズを取る。

 そしてこの中で唯一見たことのなかった人物が中空知であるのだが、撮影前にジャンヌに「中空知の視界に入るな」と言われてしまったので、ジャンヌの右横に物凄く遠慮しつつ写ろうとするその中空知の少し後ろ。

 ジャンヌの左横に来る位置で、先日の狙撃によるこめかみの傷を隠すように顔を傾けて、ネクタイを直すような仕草で写った。

 

「9月17日13時42分、チーム・コンステラシオン――登録!」

 

 蘭豹が時計を見ながらシャッターを切り、それでオレ達のチーム登録は終了した。

 これからオレは、1人の武偵として歩んでいくんだな。

 そんなことを実感しつつ、これからお世話になるチームメンバーを後ろから見て静かに誰にも見られることなく微笑んだのだった。



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Bullet43.5(上)

 

 9月14日。

 朝早くに修学旅行Ⅰで京都へと発った京夜先輩と美麗。実家の方に帰るため、一緒に発った幸音さんを玄関で見送ってから、「オレを置いていくなー!」と遠吠えをした煌牙に苦笑いを浮かべながら登校の準備を整えて、いつものように少し早く男子寮を出ていった。

 そういえばここが男子寮だって最近忘れそうになるなぁ。幸音さんと普通に生活してたからそれが普通になってたのかな。

 でも、部屋に帰ってももう幸音さんとは会えないんだよね。寂しいな……

 振り返ればたったの2ヶ月ほど一緒に生活しただけだったけど、それでもそれ以上の時間を一緒に過ごしたと思えるのは、それほどに充実した毎日だったからだと確信を持って言える。

 携帯のメモリにはちゃんと幸音さんも登録されているから、一生会えないってことはないけど、声が聞きたくなったらいつでもかけてきなさいって言われた時は泣きそうになっちゃいました。

 実際泣いちゃったんですけど。

 そんな幸音さんとの思い出に浸っていると、いつの間にか一般教科の校舎に着いていて、いつまでも感傷的になってると幸音さんに怒られてしまいそうなので、そこでしっかり気持ちをリセットして、校舎へと踏み入った。

 

『あー、あー、うぇ……んーと、1年A組の佐々木志乃ぉ。C組の橘小鳥と風魔陽菜ぁ。至急教務科の綴のところに来るようにぃ』

 

 教室へと向かう最中に、具合悪そうな綴先生からの放送による呼び出しを受けた私。

 私の他に陽菜ちゃんと志乃さんも呼ばれたけど、何か問題起こしたっけ?

 というか綴先生。具合悪いなら休んで……ああ、具合悪そうなのはいつものことだった。

 それで進行方向からUターンした私は、待たせたら待たせただけ対応が雑になる綴先生を待たせないために、急いで教務科へと向かった。

 教務科へと着き、綴先生のいる個室へと通された私は、先に着いていた陽菜ちゃんと志乃さんに軽く挨拶して隣に並ぶと、正面で椅子に座っていつものように据わった目でタバコをふかす綴先生に一礼。

 慣れないなぁ、この先生。

 

「あー、うん。お前らに任せたい依頼がある。本来なら3年に任せるレベルだが、生憎と依頼に合う人材が出払ってて、2年も今朝から修学旅行Ⅰで関西に出払ってる。んで、お前らの戦兄と戦姉を見込んでの選出だぁ。文句は聞かん」

 

「さ、3年に任せるレベルって、そんなの大丈夫なんですか?」

 

「こっちとしても1年にやらせるのはって思ってるけどさぁ、依頼では日本の警察と武偵庁が動けないとかで、しかも明後日までに何とかしないと死人出るかもって話だし、猶予もないわけ」

 

「それで、その依頼内容というのは?」

 

 綴先生の緊張感のないしゃべりでイマイチ危機感が薄いけど、死人が出るかもしれないなら、断るわけにもいかない。

 それを察した志乃さんが依頼の内容を聞くと、そこで部屋に誰かが入ってきて、綴先生の隣に立つ。

 その人は165センチくらいの身長で、肩甲骨辺りまで伸びた黒の髪を後ろでひとまとめにして、一見すると日本人のようだけど、キリッとしたその目の色は深い蒼。

 黒のロングコートを着た少し大人びて見える男性で、そのコートにはロンドン武偵局の紋章(エンブレム)が。

 年齢的には私達とさほど離れていない歳上の人、だと思う。

 

「依頼は表向きは民間からの依頼で、本命はロンドン武偵局からのもの。それでこいつが今回の依頼でリーダーを務める。ほい、自己紹介」

 

「はい。ロンドン武偵局所属、羽鳥(はとり)・フローレンスです。名前からわかるように、日本人の血が混じっていますので、以後お見知りおきを」

 

 男性としては少し高い綺麗な声と自然な日本語に対して、私達は少し戸惑いながらもこれからのリーダーにそれぞれ自己紹介をして、それから本題へと戻る。

 

「さて、依頼の方だけど、先生のおっしゃった通り警察は動かせない。というのも、今回逮捕する犯人(ホシ)が相当なレベルの警戒心を持っていてね。イギリスの警察がお手上げという惨事さ。元々はイギリス国内に留まっていたんだけど、ふた月前にこの日本で彼の犯行とおぼしき事件があった。イギリスとしても英国人による国外での犯行は不祥事。なんとしても捕まえるために私を寄越したわけだ。それでこれが今回の犯人」

 

 フローレンスさんは説明しながらコートの中から数枚にまとめられた資料を私達に渡してきて、私達もそれに目を通す。

 

「ウォルター・クロフォード。男性。26歳。身長約180センチ。体重約76キロ。大学では解剖学を学び、コンピューター関係の勉強もしていて、大学卒業後からの経歴はなし。顔写真や住所までありますけど……ここまで素性がわかっていて足取りを追えないんですか?」

 

 志乃さんがプロフィールをざっと読んでの意見をフローレンスさんにすると、そのフローレンスさんはにっこり笑顔でごもっともといった感じで腕組みをする。

 

「その顔写真は『アテにならない』んだよ、志乃ちゃん。彼の起こした事件について次のページから記述されている。読んでみてくれ。それから改めて質問タイムだ」

 

 言われるがまま、私達は次の資料をめくって目を通す。

 

「――夫婦連続殺人。犯人は夫を殺害してからその人物になりすまして、その妻と1ヶ月近く生活し、複数回の性行為を行い、妊娠が発覚したあとにその妻の腹を開き殺害。先に殺害していた夫と一緒に家のベッドに遺棄し逃走。夫婦はいずれも子供のいない家庭である。この犯行の手口から『詐欺師(CONMAN)』とマスコミが報道――なりすましによる犯行……」

 

「事件件数はイギリス国内で昨年7月から4件。3ヶ月ごとに繰り返された犯行も今年の4月を最後に7月は何も起きなかったが、日本で同様のケースの犯行が7月に起こっていたことが判明。これによりウォルター・クロフォードは国外へ出ての犯行に及んだと予測」

 

 志乃さんがすらすらと犯行内容を読み、私が続くようにその足跡を読むと、フローレンスさんはどういった依頼なのかを改めて説明してきた。

 

「君達にはこのウォルター・クロフォードを逮捕するために協力を願いたい。彼の犠牲者をこれ以上出すわけにはいかない。もちろん君達の安全は私が保証する。必ず彼を捕まえ、君達も守り抜きます」

 

 そう言い切ったフローレンスさんは、右手を胸に添えて左手を背に回し頭を下げてくる。

 その立ち振舞いはいかにもという英国紳士を思わせた。

 ともかく時間がなく、制限もある中で、それでも人員が必要とされてる依頼なら、断るわけにはいかない。

 私達は3人で顔を揃えて頷き合うと、頭を下げるフローレンスさんに協力することを告げた。

 死人なんて出したくないですからね。何としてもやり遂げてみせます!

 それから場所をフローレンスさんが宿泊している台場のホテルへと変えて、改めて今回の任務の詳しい会議が行われ、私達は1つのテーブルを囲んでソファーに腰を下ろしながら、ロングコートを脱いで黒スーツ姿となったフローレンスさんの話を聞いていた。

 フローレンスさんって、黒が好きなんでしょうか。

 

「さて、猶予もないから短く、かつ分かりやすく説明するから、一言一句聞き逃しのないように」

 

「あの、フローレンスさん。日本にはいつ来られたんですか? 事前に話があればこんな急ごしらえな私達が呼ばれることもなかったのでは?」

 

 会議の前にずっと疑問だったことを私が切り出せないタイミングになる前に尋ねると、フローレンスさんは少し呆れた表情をして大きな息を吐く。

 あれ? 何か変な質問したかな?

 

「全く以てその通り。私が日本に来たのはつい昨日のことだよ。それまで確証がないだの誰が行くだのとロンドン武偵局と警察がごちゃごちゃと言い合ってね、痺れを切らした私が強行してやって来たわけだ。そんな言い合いをしている間に犠牲者がまた出るだろ! ってね。まったく、アリアがいなくなってロンドン武偵局は日本に人員を出したくないだのと言った時は本気でキレかけたよ」

 

「アリア? アリアって神崎・H・アリアさんのことですよね? やっぱりお知り合いだったんですね。ロンドン武偵局と聞いて気にはなってました」

 

「ん? ああ、そういえばアリアはいま君達の武偵高にいるんだったね。彼女とはあまり絡むことはなかったけど、久しぶりに会いたいものだ」

 

 そうやって昔を思い出しているフローレンスさんは、とても楽しそうで表情からも見てとれた。

 

「大変申し上げにくいでござるが、時間のほどがないと申されていたかと」

 

「ああ、そうだそうだ。ありがとう陽菜ちゃん。では改めて説明するよ。今回の犯人、ウォルター・クロフォードは、元の顔を整形によって変えてしまっている。しかし犯行時にいちいち整形してるわけではなく、資料にもあるように何らかの特殊メイクかマスクでなりすます人物の顔を完全に再現し、声まで忠実に真似している。その辺りのブツが見つからないからどういったものかはわからないが、一緒に暮らす妻が違和感を覚えないほどの精巧さは脅威だ」

 

「犯行と犯行に間があるのは、その準備をするためでしょうか」

 

「標的を探すのに約1ヶ月。その夫の素性を調べながら特殊マスクの製作に約1ヶ月。潜伏に約1ヶ月。これが私の推理だ。潜伏に関しては必ず妊娠させるところから、女性の月経周期での計算で間違いないだろうね」

 

「犯行に及ぶまではいいとして、問題は誰を狙うかわからない点では? だから警察もお手上げだったはず」

 

「甘いよ志乃ちゃん。彼の犯行にはいくつかの共通点がある。それを踏まえればかなりの数に限定できる。まず1つ。彼の身長は誤魔化しが効かない点。今までなりすましを可能とした夫5人は皆、彼との身長が誤差1センチまでにあること。2つ。彼が狙うのは必ず結婚した夫婦であり、その全てが25から30歳の妻。3つ。子供がいない一世帯夫婦に限る。4つ。殺害された妻が皆、腰まである長髪で、専業主婦であること。ラスト。次の犯行は前の犯行からさほど離れていないところで起きる。以上の点から次の犯行の被害者になりうる人物を特定することができる」

 

 すらすらと事務的に広げた手の指を折りながら断言したフローレンスさんに、私達はふむふむと相づちを打ち、それから日本で起きた事件の場所を確認すると、千葉県の八千代市内とある。

 

「考えてみれば簡単なんだよ。彼はかなり限定した女性を標的にしている。ここまで条件が当てはまる女性がイギリス国内にだってそんなに多いはずがない。日本に高跳びしたのは、西欧諸国ではすぐにこちらが動けるからと、彼が日本語も使える人物だからだ。それで先程の条件で近隣を調べると、これら全てに当てはまる女性が2人いることがわかった。そして彼が犯行に及んだ7月16日をスタートとするなら、9月14日になる今日から前後数日が、ちょうど潜伏開始の期間に当たるわけだね」

 

 潜伏開始の期間。つまりは女性の旦那さんを殺害してなりすましを完了させる期間ということ。

 それならば確かに猶予はない。もしかしたらもう……

 そんな考えに志乃さんも陽菜ちゃんも行き着いたらしく、顔を伏せるけど、そんな私達を見てフローレンスさんは笑ってみせて、それから真剣な顔で今後の動きを説明する。

 

「君達についてはプロフィールと略歴ですでに知っている。その上で陽菜ちゃんと志乃ちゃんで1チーム。私と小鳥ちゃんで1チームとして、その2人の女性の夫の身辺を探る。私と探偵科の志乃ちゃんは夫に近づく人物を監視しながら、外での尾行と監視。諜報科である陽菜ちゃんと小鳥ちゃんは本人との接触(コンタクト)を禁じた情報収集。なりすますと言っても完璧ではないだろう。なりすましが完了しているなら、必ずどこかで不審な点が挙がるはずさ。何かわかったら必ず私に報告。独断での行動を絶対にしないこと。いいね?」

 

 フローレンスさんはこの任務で私達の安全も保証すると言った。

 だから独断行動はかえってフローレンスさんに迷惑をかけてしまう。

 接触を禁じるのは、警戒心の強い犯人が、それに気付き逃走されないようにするため。

 ここで逃げられると、足跡を追えなくなる可能性が出てくるのと、予測できない事態を避けたいのがあると思われる。

 

「あ、でもフローレンスさんが日本に渡ってきたのは警戒されるんじゃ? ロンドン武偵局所属の武偵が日本に、ですから」

 

「問題ないよ。心配性だな、小鳥ちゃんは。ちゃんと偽造パスポートといくつもの空港を経由して日本に来てるし、ロンドン武偵局でも『勤務』扱い。つまり私は今もイギリスにいることになってる」

 

 そ、そうだよね。少し考えればわかるじゃない私。頭悪いとか思われたかな?

 そんな調子の私にも終始笑顔を見せるフローレンスさんは、最後に疑問がないかの確認をしてから、私達にホットラインとなる無線やGPSを支給して作戦開始となった。

 改めて考えるけど、難しそうなの引き受けちゃったなぁ。

 フローレンスさんが調べた条件に当てはまる女性2人の所在は、それぞれさいたま市と横浜市。

 旦那さんの職場はいずれもその市内のコンピューター関係の会社らしく、フローレンスさんと私が横浜市へ。

 陽菜ちゃんと志乃さんがさいたま市へと向かって、早速自宅と勤めてる会社の所在を確認。

 陽菜ちゃん達の方は一戸建ての住宅で、会社は近いらしく自転車での勤務とか。

 対して私達の方は、高層マンション住まいで車での通勤。

 フローレンスさんが運転免許を持っていなかったら非常に困難になっていた。

 そこら辺もフローレンスさんの事前調査があった故の振り分けだったのかな。

 私とフローレンスさんは武偵とバレない服装へと着替えて、フローレンスさんが用意した青のミニバンに乗り、旦那さんの勤める会社の近くで作戦会議。

 今回は隠密行動になるから、昴と煌牙にはフローレンスさんの車で待機と言うことが始めに決まり、それには昴も煌牙も後部座席から「えー」と文句を言ってきましたが、どう考えても一緒にいたら目立つし仕方ないよ。

 

「しかしどうしたものかな。小鳥ちゃんはどうやらまだ潜入調査(スリップ)での実績がないようだし、今回の会社にいるには見た目が若すぎる」

 

「あうぅ……幼くてすみません」

 

 ……私は子供体型ですからねぇ。

 自覚はありますよええ……泣いていいですか……

 

「いやいや、小鳥ちゃんを幼いなんて思ってないよ。見方としては年相応だってことが言えるからね。会社内にいても不思議のない潜入法はあるかい?」

 

「えっと、清掃員とかなら中に入るのはたぶん問題ないですけど……私の戦兄なら……」

 

 誰にも気付かれずに潜入して脱出、なんてやってみせたりするかもなんて、言えないよねぇ。

 

「戦兄? ああ、君達の選出基準になった人物の1人だね。小鳥ちゃんの1年先輩なら、私と同い年になるわけだ」

 

「え、フローレンスさんって17歳なんですか?」

 

「いくつに見えたのかな? おっと、それはいいとして、とりあえず清掃員に変装で潜入。ターゲットと外部の人間が接触できる可能性を調べ、できれば会話の盗み聞きなどができると好ましいね。私はその間にターゲットの車に発信器なんかを取り付けてくるよ」

 

 テキパキと指示を出すフローレンスさんは、それで私を車から降ろすと、私を回収する時間を定めてどこかへと行ってしまった。

 時間にして13時47分。一般的な清掃業って朝方の社員さんの通勤前にパパッとやっちゃう感じだよねぇ。どないしよ……

 そんなエセ関西弁が出たところで会社へととりあえず入ってみると、絶妙すぎるタイミングで清掃業者2人を発見。

 工具や作業着の社名からしておそらく修理業もやってるところかな。たぶんだけど、何かの機械のトラブルで呼ばれた感じ。

 でもあの人達に混ざるにはまず作業着がない。機械知識が乏しい。幼い……

 うぅ……幸音さんから大人っぽさを分けてもらえばよかったよー! そんなことできないけどー!

 と、ないものねだりをしてる場合でもないので、今できる私の精一杯でやれることをやろう!

 そうして取り出したのはメモ帳とペン。こうなったら強引にいきます!

 私は少し髪型をいじって、普段の印象を変えてから、意を決してその清掃業者の方に近付いていき、中年の温厚そうなおじさんと若手っぽいお兄さんに話しかけた。

 

「あの、私こちらでお仕事をされる業者さんの現場風景をレポートにするように学校から課題として出されたのですが、お話は通ってますか?」

 

 突然の私の話に困惑する2人は、互いに顔を見合わせて聞いていないと回答。

 当然です。嘘ですから。

 

「なにぶん急なお話でしたから、私としてもお邪魔になるなら後日改めてということで出直させていただきます。お引き留めして申し訳ありませんでした……」

 

「あー、いや、その、別に邪魔だなんて思わないけど……まぁ、せっかく来たんだし、静かにしてくれるなら問題ないよ」

 

「あ、ありがとうございます! おじさま、お兄さん!」

 

 よし! 作戦成功!

 名付けて『ちょっと悲しげな少女に同情させてオッケーを言わせてしまおう!』作戦!

 そしてオッケーが出た瞬間に明るさを見せる演技! 完璧です!

 罪悪感はハンパないんですけどね……ごめんなさい、おじさんとお兄さん。

 こうしておじさんとお兄さんと一緒に内部に潜入した私は、どうやら冬に備えての暖房設備の点検に来たらしいおじさん達の働きぶりをメモ帳に表面上は書きながら、セキュリティー面のチェックをしていく。

 中に入ってしまうと意外とすんなり歩き回れるけど、要所では社員IDが必要な部屋もあるみたい。

 そして調査対象のいるフロアにさしかかって、私は事前に確認していた顔写真を思い出しつつフロア全体を何気なく観察。

 すると普通にデスクワークをこなす対象を発見。

 そちらに意識を向けつつ、おじさんとお兄さんの跡をとことこついていくと、幸か不幸か近くへ接近できた。

 しかし接触は禁止。顔を覚えられるのもいただけないので、おじさんとお兄さんを影に使ってやり過ごした。

 フロアでは社員同士の会話は全然なくて、得られるものはなかったけど、この会社内にいる限りは、直接呼び出しでもない限り外部との接触はなさそうで、今回のような業者さんが一番危険に思えた。

 それから最後までおじさんとお兄さんについて回って、たっぷり2時間ほどかけてようやく終わった。

 私は感謝と謝罪の混ざったお礼をおじさんとお兄さんに言ってから、逃げるように別れてフローレンスさんと合流。

 無線から潜入のことを理解していたフローレンスさんは、私の言った嘘をアフターフォローしてくれたらしく、ちゃんと業者さんの本社の方に生徒が見学に来ていたことを説明してくれていた。

 その手回しが早くて、無駄のない仕事ぶりに私は感心を覚えたのと同時に自分の至らない部分を痛感した。未熟だなぁ、私。

 それでもフローレンスさんから言われたことはこなせたと思うし、全然ダメだなんて思っちゃいけないんだ。

 だってそんなことしたら、私の戦兄である京夜先輩に申し訳が立たない。戦妹(いもうと)戦兄(あに)の面目を潰すわけにはいかないんだから、頑張らないと。

 最近京夜先輩も株が上がって人気急上昇中ですしね。

 そんなことを考えて気持ちを上向きにしていると、会社の勤務を終えて対象が会社から出て駐車場へと向かい、その道中を私が尾行。

 フローレンスさんは同じ駐車場にてすでに待機。車に乗り込んだのを確認してから、私もフローレンスさんの車に乗り込んでその跡を追う。

 その日はまっすぐに家へと帰り、セキュリティーが万全のマンションへと入っていったのを確認。

 

「小鳥ちゃん。これから寝る時はその助手席になるけど大丈夫?」

 

「あ、はい。どこでも寝れるように鍛えられてますから」

 

 主に京夜先輩の来訪者が度々泊まりに来るので、多少うるさくて寝づらいところでも寝れますよ。

 そんな感じで夜は交代交代で仮眠を取ることとした私とフローレンスさんは、今日の陽菜ちゃん達の報告を聞いたあとに順に仮眠を取り始め、陽菜ちゃん達の方でもたくましい陽菜ちゃんのおかげで夜風はしのげてるとか。

 そのフローレンスさんの仮眠中に、志乃さんからメールが届き、内容を見てみるとフローレンスさんについてのプロフィールが書いてあった。

 気になって調べたことを報告してきたのだ。

 

 ――羽鳥・フローレンス。

 昨年春からロンドン武偵局で働き始め、専門は尋問科。他にも強襲科・諜報科・救護科で高い評価を得ていて、専門においてはSランク。付けられた2つ名(ダブ)は『闇の住人(Dark Resident)』。

 武器は主にサプレッサー付きのH&K HK45T。状況に応じてTNKワイヤーと手術用メスを用いる。

 男性に対して強い攻撃性を持っていて、女性を優先して庇護する傾向にある。

 依頼や任務に関しては選り好みがあり、男女間トラブルの解決や男性犯罪者の逮捕に積極的。

 尋問においてはその多様な手段と話術で多くの犯罪者を自白させている――

 

 だ、尋問科……しかも結構なアグレッシブ。

 普段は凄く落ち着いていて、そんな面を一切見せていないのに。人は見かけによらないんだなぁ。

 そんなことを考えつつ、横で寝るフローレンスさんを見るが、志乃さんのメールにはまだ続きがあったようで、スクロールしてそこを読むと、

 

 ――女性に対して良く見せようとする言動や行動を意図的にする傾向があり、アプローチが積極的。

 P.S.簡単に気を許さないように気を付けてください――

 

 ……まぁ、私は女性として魅力ないし、問題ないよ志乃さん。

 ハハハ………はぁ……

 そうして夜は明けていった。



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Bullet43.5(下)

 

 調査開始2日目の朝。

 私が仮眠を取っていて、少しずつ明るくなってきた外の光で目を覚ますと、横でシートを倒して私をニコニコと見ているフローレンスさんを視界に捉えて少し驚く。

 な、なんで私を見てるんですか……

 

「おはよう小鳥ちゃん」

 

「お、おはよう、ございます……あの、なんで私を見て……」

 

「ん? なんでって、小鳥ちゃんの寝顔が可愛かったからついね。あと起きないようならちょっとイタズラでもって思ったんだけど、どうにも噛みつかれそうで。ははっ」

 

 言ってフローレンスさんは視線を後部座席に寝そべる煌牙に向けるので、私もそちらを見ると、煌牙が鬼の形相で犬歯をむき出しにしていた。

 

「一応、私のボディーガードってことなんで、すみません」

 

 ガウ。

 そうやって私がフローレンスさんに謝ると、煌牙は小さく吠えて私に抗議。

 そいつずっと小鳥を見てたぞ。おちおち眠れやしねぇ。だそうで、なんだか寝不足らしい。って、ずっと私を見てたの!?

 

「フローレンスさん、ちゃんとお仕事してましたか? 煌牙が私ばっかり見てたって……」

 

「ふふっ、小鳥ちゃんは面白いね。この狼君がそう言ったって?」

 

「え……あ! その、私、動物の言いたいことがわかるんです。仲良しの子限定ですけど……」

 

 しまった! ついいつもの調子で言っちゃったよ! また不思議ちゃん扱いかぁ。

 そう思ってフローレンスさんを見てみると、意外にも私の言うことを受け入れているらしく、逆に感心されてしまった。

 

「今の時代、超能力者は少なくないから、小鳥ちゃんのそれも超能力の一種なのかな。じゃあそこの狼君とインコちゃんの目が光ってる限り、小鳥ちゃんにイタズラはできないな。こりゃガードが固い」

 

「昴はオスですよ……あとイタズラとか考える余裕あるんですか?」

 

「適度に緊張をほぐすのも大事なスキルだよ」

 

 そうやってウィンクなんかしてからシートを元に戻したフローレンスさんに合わせて、私も少し倒していたシートを元に戻してお茶をひと口含んで気持ちを切り替えた。

 それから尾行対象の女性の旦那さんが車で通勤を始めて、私達もそれに続いていき、昨日と同じようにその道中での接触に細心の注意を払うが、今朝もコンビニなどにも寄らずにまっすぐ会社へと到着し社内に入っていった。

 それをきちんと確認した私達は、9時を回った辺りでようやくの朝食タイム。

 それから朝の報告とミーティングを同時に進行。無線もさいたま市にいるはずの陽菜ちゃんと志乃さんと繋がっている。

 

『こちら、昨日からの調査の段階では、対象に変化はありませんでした。なりすましが完了していることはなさそうです。風魔さんもいま現在社内に潜入中です』

 

「さすがは『風魔』といったところかな。こちらはまだなりすましかどうかは判断できないから、今日中にはそこだけでもはっきりさせておくよ」

 

「すみません、力足らずで」

 

『気になされるな小鳥殿。失敗はしてないのでござろう? ならば力足らずとは誰も思わないでござるよ』

 

『そうですね。努力に結果が必ず伴うとは限りませんが、精一杯できることをやることに意味はきっとあります。気を落とさずにいきましょう』

 

「……ありがとう、陽菜ちゃん、志乃さん」

 

「微笑ましい女の友情だね。とても美しいよ。さて、それでは志乃ちゃん達は対象に接触する人物に細心の注意を払ってくれたまえ。何かあっても単独、もしくは2人でどうにかしようと考えないように」

 

『『了解(御意)』』

 

 それを最後に無線も一時切断。

 会議に集中したのと、ちょっと慰められていたことで、朝食を食べる手が止まっていた私は、急いでそれを口に含んで胃袋に流し込む。

 

「それで私達はどうするんですか? 対象がなりすましかどうかなんて確かめる手段がパッと思い付きませんが……」

 

「彼の犯行にはもう1つ、金の動きがある。夫婦殺害後、彼は銀行口座から預金をほとんど引き出して逃走しているんだ。おそらくその金を次の軍資金にしてるんだろうけど、彼が潜伏期間中は、その預金からの引き出しが妻含めてほぼない。つまり節約するんだよ」

 

「なるほど。今後の自分の資金を減らさないようにしてるんですね。でもそれでどうするんですか?」

 

「僕が対象を。小鳥ちゃんが奥さんの監視をする。一応念のために対象の住む部屋を監視できる部屋と機器を用意してあったんだよね」

 

 そうしてサラッと笑って言ってみせるフローレンスさん。

 そんな準備があったなら、最初から使えば良かったのに……

 

「なんで最初から使わないんだって顔だね。でも機器の中には集音器とかあるし、非常時にはすぐ駆けつけられるようにしなくちゃいけないから、私がそこを使うわけにもいかないから、必然として小鳥ちゃんにやらせることになっちゃうでしょ?」

 

「何か問題があるんですか?」

 

「うーん、ハッキリ言っちゃうと小鳥ちゃんには『刺激が強い』かなって。要するに『夫婦のSEX』を監視+盗聴する可能性があるわけだからね」

 

 …………ほ、ほええええええ!!  せ、せ、はわああああ!! お、落ち着け小鳥! 呼吸しろ! ひっ、ひっ、ふぅ。ひっ、ひっ、ふぅ……ってこれラマーズ法! 妊婦さんじゃないよ私!

 そうやって顔を真っ赤にしてアワアワしてる私に対して、フローレンスさんは「やっぱりね」と笑ってから、確保している部屋の鍵を私に手渡してきた。

 

「だから昼間。旦那さんといない時間帯の監視を頼むね。対象が帰宅したら合流。もしそのまま続行できるならその時に言って」

 

 必死に落ち着かせた頭でフローレンスさんの言葉に了解した私は、それから昴と一緒に車を降りて自力で教えられた部屋へと向かった。

 フローレンスさんに教えられた部屋は、対象の夫婦のマンションから100メートルほど離れたホテルで、部屋には言っていた通り分解された状態の機器がバッグに詰められていた。

 組み立て・分解の説明文が全部英語だったので、読んで2秒で元に戻した私は、授業で習った記憶を頼りに機器を組み立てた。

 京夜先輩が機械苦手だから、せめて私はって勉強を頑張った甲斐がありましたね。扱い方もなんとなくわかります。

 そうして望遠鏡、集音器、映像カメラを設置。

 カメラと集音器にリンクした映像解析・制御用のパソコンを立ち上げて、集音器の指向性アンテナをマンションの対象の部屋へと向けて望遠鏡のピントを合わせた。

 実際に使いながら微調整を滞りなく終わらせた私は、そこから本格的に行動を開始。

 外出する時に備えての最短ルートも頭に入れて備えはたぶん万全。

 あとはバレないようにしないと。これで何も起きてなくて、裁判になったら勝てないし……

 そんな恐ろしい未来を想像しながら、監視を続けること7時間。

 特にこれといって報告するようなこともないまま、時間だけがイタズラに過ぎていき、18時を回った頃に一緒にいた昴は設置したカメラの上で寝てしまいました。

 さすがに何もなくても報告くらいはしないとと思って、無線を取り出して被っていたヘッドホンを外し無線の方に切り替えてフローレンスさんに繋ぐ。

 

『何かあったかい?』

 

「いえ、今のところこれといったことは特にありません。ただ、そろそろ何かしらの報告でもって思いまして」

 

『確かにそろそろ小鳥ちゃんの可愛い声を聞きたいなとは思ってたから、報告は嬉しいよ。ありがとう』

 

「お礼を言われるようなことは何も。報告は義務ですし」

 

 むしろ今まで音沙汰なしだったのがいけなかったくらいかも。

 

「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」

 

『何かな? 私の好みの女性なら、かなり幅広いけど』

 

 これは冗談、だよね。でも笑うのは失礼かな。

 

「えっと、そうではなくて。フローレンスさんがどうして強行してまで日本に来て犯人を逮捕しようとしてるのか、少し気になって。もちろん正義感とかそういうのは理解してますけど、なんていうか、何がなんでも自分がってなった理由がわからないと言いますか……」

 

 これは昨夜送られてきた志乃さんからのフローレンスさんのプロフィール。そこから浮き出てきた疑問だ。

 フローレンスさんは尋問科。つまり逮捕を専門としてはいない。

 もちろん強襲科や他の履修歴はあるけど、それでも祖国を出てきてまで専門外の仕事をするというのは、何かしらの強い意思があるということにはならないか。そう思った。

 

『……小鳥ちゃんにとって、人が人を殺す動機で、最も残酷な解答って何かな?』

 

「えっと……殺しに何かしらの快楽を求めてる、とかではないですかね。そこには罪の意識がないわけですから」

 

『小鳥ちゃんとは気が合いそうだね。私もそう思う。そしていま捕まえようとしてる奴は、そんな快楽主義者の1人だ。自分の欲求を満たし、人を騙し、辱しめ、全てを奪った上で殺す』

 

「そんな人に、10人も犠牲に……」

 

『15人だよ、小鳥ちゃん』

 

 言われて私は今までの事件件数を思い返すけど、5件だよね。夫婦の両方が殺害されたなら10人……

 

『彼は自分と女性との間にできた子供も殺害している。そんなことを5度もね。私は許せないのさ。女性を幸福から絶望へと叩き落とすことに悦を覚えている奴が。そんな奴がのうのうと街を歩いていることが』

 

 今までで一番の怒気を含んだその声に、私は無線越しからでもその表情を想像できた。

 それほどまでに見逃せない犯罪者を追うのに、それ以上の理由がいるか。

 必要ないんだ。フローレンスさんにとっては。

 

「……フローレンスさんは凄いです。そこまでの正義感があるなら、きっと自分を誇れるんでしょうね。私はまだまだです」

 

『いや、私はおそらく一生、この世に生まれた自分のことを呪うよ。私の中に流れるこの「血」を、誰よりも呪う……』

 

 ……どういうことだろう。

 そう思った矢先、外の方から緊急放送が聞こえてきた。

 

『只今、東京着、山陽・東海道新幹線のぞみ246号が、何者かによりコントロールを奪われ暴走しています。新幹線には爆弾が仕掛けられているとのことで、東海道新幹線から3キロ圏内は避難警報が発令されました。住民の皆様は慌てず落ち着いて避難されるようお願い致します』

 

 こんな時にエクスプレスジャック!?

 放送を聞いて慌てて部屋のテレビを点けた私は、車のラジオ放送を点けたであろうフローレンスさんと頭を切り替えて話をする。

 

「フローレンスさん。こっちは避難警報の影響はたぶんなさそうですけど、そっちは避難民が流れる可能性がありますよね」

 

『そうだね。人でごった返す可能性を考慮すると、少々厄介だよ。車では動けなくなるかもね』

 

 横浜市の東京湾寄りにある対象の自宅近辺には影響はなさそうだけど、東海道新幹線寄りの会社はその影響を受けそうで、少々面倒なことに。

 これで会社から対象が外に出た場合は尾行が困難になるのは目に見えていた。

 早く避難警報解除されてよー!

 そんな思いとは裏腹に、19時を回った頃には、フローレンスさんのいる場所は人と車で溢れてしまったようで、混雑を極めていると言う。

 そしてさらに最悪な事態が発生。

 なんと、対象の車につけていた発信器が動き出したのだとか。

 つまりは対象が会社を出て車を運転し出したということ。

 

『マズイね。いつ外に出たのかさっぱりわからない上に、こっちは車を動かせない』

 

「フローレンスさん! 煌牙を車から出してください。無線をつけてあげれば、リアルタイムで私に情報が伝わって指示も出せますので」

 

隠密行動(スニーキング)はできるかい?』

 

「煌牙は優秀です。信じてください」

 

 断言した私に対して、フローレンスさんは少しの沈黙。

 それからガソゴソと無線から音が聞こえてきて、煌牙のガウ、という声から「くすぐってぇ!」と聞き取った私は、それで煌牙に無線をつけているのだと理解。

 次には車のドアが開かれる音が聞こえた。

 

『じゃあ頼むよ小鳥ちゃん。対象を見失わず、見つからないギリギリの距離で追跡してくれ』

 

「任されました!」

 

 状況に臨機応変に対応するのも武偵には必要なこと。

 フローレンスさんに任されたんだから、失敗は許されない。頑張るよ、煌牙!

 フローレンスさんの車から飛び出した煌牙は、混雑する人混みを避けて細い道を選択しながら、フローレンスさんが発信器と煌牙のGPSを見ながら指示を出して、確実に距離を縮めていく。

 それを私が煌牙側からの状況を聞く形でサポートしながら、ようやく対象の車を捕捉すると、暗くなってきた外のおかげで煌牙もいくらか動きやすくなったらしく、結構テンションが高い。ミスだけはしないでよ。

 そんな私の注意に「余裕だ!」と応えた煌牙は、現場のまったく見えない私達のハラハラを知ってか知らずか、対象の車と絶妙の距離でピタリと後方をマークして追跡していた。

 その間にフローレンスさんも移動を試みてはいるようだけど、混雑は解消されていないから厳しい。

 ニュースではそろそろ横浜を通過するような中継がされているから、事後処理とか安全確認が終わって混雑が解消されるのは20時を過ぎると予測してるけど、これがなければこっちも慌てることがなかったのに。

 そうこう考えながらも時間は過ぎていき、ついに対象の車は市内の料亭の駐車場に停まったらしく、煌牙には駐車場の隅に隠れて様子をうかがわせていた。

 

『小鳥ちゃん。対象の奥さんに旦那から連絡のあった様子は? 外食ならおそらく連絡がいくと思うんだけど』

 

 そこでフローレンスさんからそんな問いが来たので、回しっぱなしだったカメラの記録映像を巻き戻して見ているけど、そんな素振りは映されていなかった。

 

「映ってませんね。食事も普通に作っているようですし」

 

『……妙だ』

 

 フローレンスさんはそれを聞いて少し声色を低くして呟く。

 確かに外食なら奥さんに連絡を入れるのは普通。

 事前に言ってあったとしたら、旦那の分まで食事を用意してることに説明がつきにくい。

 ガウ!

 そんな時に無線から煌牙の声が聞こえてきて、そちらに意識を向けて聞き取ると「追ってる男じゃねぇぞ」と恐ろしい事実を言ってきた。

 おそらく駐車が終わって車から出てきた顔を確認したのだろう。

 

「フローレンスさん! 乗っている人が対象じゃないみたいです!」

 

『……しくじった……おそらく会社の社員の誰かに車を貸したんだろう。迂闊だった』

 

 ……マズイ。

 私もフローレンスさんもこの状況で思ったことは同じだ。要するに今、対象を完全に見失った状態に陥ったのだ。

 こうなってしまうと対象が家に帰るまでこちらは動けない。下手に動き回っても仕方がないから。

 まだ会社にいる可能性もあるけど、交通状況は悪く、煌牙を動かすのもいただけない。

 もし車を貸した当人と合流を図ったら、入れ違いになるかもしれない。

 そうして待つこと約1時間。

 対象を見失ってから1時間半ほどの20時35分を回った頃に、対象はマンションにタクシーで帰宅してきた。

 その様子を望遠鏡から覗いていた私は、すぐにフローレンスさんと無線を繋いで報告。

 

「対象捕捉。タクシーから出て……きましたけど、何やら大きめのバッグを……あれはゴルフクラブを入れるバッグ、ですかね。それを持って外の物置小屋に運んでます」

 

『ゴルフクラブ? 対象はゴルフの経験がなかったはずだし、その周りの人もゴルフはやっていない。確認できるかい?』

 

 言われて私はすぐに部屋を出てホテルから外へ。

 マンション近くまで行って、何食わぬ顔で自然と敷地内に入り、対象の物置小屋の扉を発見。

 鍵はかけられていたけど、警報装置のようなものはないことを確認し、解錠(バンプ)キーで鍵を外して扉を静かに開けて中を拝見。

 目的のゴルフバッグはドスンと立てて置かれていた。

 そして意を決してその中を確認。そこには……

 

「そ、そんな……」

 

『……小鳥ちゃん、中には何が?』

 

「…………対象の……遺体を確認……関節部を折られて……コンパクトにされた状態で……異臭防止のためか、透明な袋で密封……」

 

 私はそこで言葉が出なくなってしまい、小さな嗚咽だけが込み上げてきた。

 守れなかった。

 そんな現実を目の当たりにして、私は自分の無力さに絶望した。

 この嗚咽も悲しみから来るものではないことを、自分でわかっていた。

 

『……小鳥ちゃんは一旦待避。私がそちらに着いたら、全てを終わらせる』

 

 私を慰めるように優しくそう命令してきたフローレンスさんに、私は嗚咽混じりに応えてから、物置小屋を静かに閉めてマンションの敷地内から出て、近くの自販機の横で小さくうずくまった。

 そうしてフローレンスさんを待つ間、足下でずっと昴が「小鳥は悪くない」って言ってくれて、合流した煌牙も「悪いのは殺したやつだ」って私を慰めてくれた。

 ありがとう、2人とも。

 それから到着したフローレンスさんは、対象の家に直接電話をかけて女性をマンションの外へと呼び出して、住民にも部屋の鍵をかけるように手回しをしてから、マンションの対象の部屋へと向かっていき、私も絶望ばかりしていられないと同行。

 煌牙と昴にはマンションの外で待機してもらって逃走された際の対応に回ってもらった。

 そうして部屋の前の扉まで来たフローレンスさんは、手に銃口の先にサプレッサーの付いたHK45Tを持ち、女性から借りた鍵でゆっくり解錠すると、そこでジュニア・コルトを持った私を手で制して銃を下げさせた。

 ――あとは私がやる――

 そう目で言ってから、フローレンスさんは扉をガバッ! と開けて中へと侵入し、私はその扉付近で身を隠すが、中からはバシュッ! バシュッ! バシュッ! バシュッ! と4発の発砲音がして、その音がサプレッサーによる減音機能によるものであるので、撃ったのがフローレンスさんであることを理解。

 次に聞こえてきたフローレンスさん以外のうめき声で私は中へと侵入。

 そこにはリビングで両手と両腿を撃ち抜かれて血まみれの対象になりすました犯人、ウォルター・クロフォードが、動けない状態でフローレンスさんに手錠をかけられていた。

 

「大人しくしていれば死にはしない。さて、貴様のその変装術。どんな仕組みか洗いざらい吐いてもらおうか」

 

「ま、まず止血を……してく……」

 

 ――バシュッ!

 手錠をはめられて弱っていた犯人は、止血を求めたが、その瞬間にはフローレンスさんがまた発砲。

 今度は膝下の左足を撃ち抜く。

 

「私はそんな発言を許していない。もう1度聞く。貴様のその変装術。どんな仕組みか洗いざらい吐け」

 

 犯人にそうやって質問以外の解答を言わせないフローレンスさんは、普段の優しそうな表情など一切なく、綴先生のような据わった目で犯人を見ていた。

 でもこれはもう……拷問……だよ。

 

「フローレンスさん! その、聴取は後でできます。今は搬送と治療を優先しましょう」

 

 少し怯えながらそう言った私に、フローレンスさんは1度犯人を睨んでから、乱暴な感じで止血をして、それから搬送の手筈を整えた。

 

「……嫌なものを見せたね。私も『ここまでやった』のは初めてだった。止めてくれてありがとう、小鳥ちゃん」

 

 そう話すフローレンスさんは、また優しい口調で、さっきまでのあれが嘘のようだった。

 フローレンスさんの2つ名……『闇の住人』って、どんな意味が込められているんだろう?

 そんな疑問が頭に浮かぶが、今は深く考えずに犯人を逮捕できたことを良しとするべきだと思った私は、その疑問をかき消してから、夜遅くに武偵高へと戻って、そこで陽菜ちゃんと志乃さんと合流。

 状況だけは聞いていた2人は、揃って私を慰めてくれて、それがたまらなく嬉しかった反面、己の力の無さを改めて痛感した。

 請け負った依頼で生まれて初めて死者を出してしまった。

 この責任は全てフローレンスさんが自分にあるとは言ってくれたけど、私がもっと優秀ならという考えは消えない。

 そのあと事後処理や何やらに追われて、そのまま武偵高で一夜を過ごした私達は、翌日の昼頃にロンドン武偵局からの迎えのジェット機で犯人と一緒に帰るフローレンスさんを見送りにヘリポートへと赴いていた。

 

「志乃ちゃん、陽菜ちゃん、よくやってくれたね。それと小鳥ちゃん。今回の件はあまり気にしないんだよ? 責任はリーダーが至らなかったせいだ」

 

 ジェット機に乗り込む前に、フローレンスさんは私のことを最後まで気にかけてくれて、私も寝たおかげで気持ちの整理ができてきていたのでそれに「はい」と笑顔で答えて、それを聞いたフローレンスさんは、優しく笑った。

 

「それにしてもこの学校はなかなか興味深いね。陽菜ちゃんしかり、小鳥ちゃんの戦兄しかり……『過去』には興味はなかったけど、『風魔』と『猿飛』……『間宮』までがいるなら……ふふっ」

 

 くるりと身を翻しながら、ジェット機へと乗り込もうとしたフローレンスさんは、そんな呟きを漏らしてからジェット機に乗り込んでいってしまった。

 最後の方は聞き取れなかったけど、何が興味深いんだろう。

 こうして私の気持ちを大きく揺らした依頼は完了となり、私はこれから今まで以上に精進することを自らの心に誓ったのだった。



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過去編~京の都の勇士達~
Reload1


 凶悪化する犯罪に対抗して新設された国家資格『武装探偵』、通称『武偵』を育成するための総合教育機関。

 その武偵を育成するための学校が日本全国に分布し、ここ関西の古都、京都にもずいぶん前に武偵高が建設された。

 しかし京都は歴史的に貴重な物が多いため、中心市内に建設するわけにもいかず、京都市北部の二軒茶屋の東側にある小高い山を土地として建設された。

 世間ではまだまだ武偵の扱いというものが良くない。

 それは警察とは違い金で雇えば武偵法の許す限りで何でもする『便利屋』としての側面を持つから。

 と、ここまで電車に揺られながら京都武偵高の入学パンフレットを読んでいたオレ、猿飛京夜、12歳。

 今年で13歳になる、本来ならば中学1年生のガキは現在、その京都武偵高に入学するため、3つ年上の姉のような人と一緒に初登校をしていた。

 

「ふふーん、ふふーん、ふっふふーん」

 

 その3つ年上の姉のような人、真田幸音は、ピッカピカの武偵高セーラー服を着て窓に映る自分の姿に上機嫌。

 電車内が比較的空いていることを良いことに、長い黒髪を揺らしてターン。何故か可愛くポーズまで決める。恥ずかしい。

 

「どう京夜。似合ってる?」

 

「家を出る前にも言ったはずですけど。よくお似合いですよって」

 

「こーらぁ! お父様のいないところでは敬語禁止令を発令したはずだけど」

 

「当主様がいようといまいと主従の関係は崩れません。オレも幸音様もいつまでも仲良しだけではいられませ……」

 

 ぶっすぅ!

 オレの家系は代々、真田信繁を先祖に持つ真田の人間を守るためにその身を捧げてきた。

 この間、オレが小学校を卒業するまでは何の気兼ねもなく普通に会話をしていたが、この進学を境にきっちりするように親から言われていた。

 だから幸姉に対して敬語を使ったのに、その幸姉は敬語で話す度に頬を膨らませていき、終いにはフグみたいになってしまう。メッチャ怒ってる。

 

「いいですよーだ! 京夜がそんな態度なら私もそれ相応の対応するんだから! 今から京夜が敬語を使う度にデコピンが容赦なく飛びます。おでこが真っ赤っかになる前にいつも通りになることをオススメしよう」

 

「それは勝手ですよ幸音さばっ!」

 

 怒った幸姉はいきなり敬語禁止ルールを発令して、それに対して抗議したら、早速デコピンが飛んできて言葉を切られる。

 くっそぅ、割と痛いぞこれ。

 こうなると幸姉は頑固だ。それに『今日の幸姉』はこの状況を半分くらい楽しむのもわかる。

 現にデコピンしたあとの幸姉は楽しそうに笑ってオレを見る。

 ……仕方ない。

 

「じゃあ家の外にいる間だけ。それが妥協案」

 

「バカもん。家でもお父様がいなきゃオッケーよ。私は京夜とは対等でありたいの」

 

「対等って……なんか最近それを妙に強調するよな。武偵高への編入だってホントに受験ギリギリのタイミングだったし」

 

「別に強調はしてないわよ」

 

 それなら別に言及することもないんだが。

 とまぁ、いつものように幸姉の強引な物運びにしてやられて、結局昔と変わらない話し方にされてしまって、やっと落ち着いた幸姉が隣に腰を下ろして話をしてくる。

 

「でも良かったよね。武偵高が実力主義の学校で。じゃなきゃ中坊の京夜じゃ一緒には通えなかったし」

 

「京都には中等部ないしな。インターン制度で引っ掛かれなきゃ今頃は別の電車に揺られてるよ」

 

「その辺は心配してなかったよ。だって京夜は強いもんね。そこらの同年代とは格が違うわよ」

 

「それでも世の中凄いやつで溢れてるだろ。それに幸姉の尺度は一般人との差だろ。基準からしておかしい」

 

「まぁまぁ、そんな謙遜しない。インターンで私と同じ学年にいられるってだけで実力は認められてるわけだし、暫定ランクも諜報科でAもらってるじゃん」

 

「幸姉だって期待値足してSSRでAだろ。1年でAランクは数えるくらいだって話だし、十分凄いだろ」

 

 などと互いに褒め合うオレ達。端から見たら変な感じだろうなきっと。

 いま話したように、京都武偵高には中等部がない。

 というのも、京都市に武偵高を建てるだけで色々と問題があったのと、生徒の大部分が関西最大の大阪武偵高に流れるため、中等部もそちらで生徒を集められてしまい、たとえ京都市内に中等部が建てられても、生徒が集まらないことが見えているのが実状らしい。

 だからなのか、京都武偵高の生徒数は1学年で100人程度。

 おそらく通学の利便性で中等部からこちらに流れる生徒と高校からの編入組でなんとか存在しているのが、今の京都武偵高。

 名古屋武偵女子高(ナゴジョ)のように生徒の8割が強襲科といった学科に偏りはないが、それでも狙撃科・尋問科・鑑識科・通信科・救護科・CVRの6学科は履修項目に存在しない。

 これだけで切羽詰まってる感はうかがえてしまう。

 武偵高にはインターン制度というものもあり、実力を認められれば中等部の学年であっても高等部で学んだりすることができる。

 オレは今回、入学試験。その実技試験において、同年齢の受験者と模擬戦をして完封。

 それならと現武偵高生徒と模擬戦をさせられてそれもほぼ完封。

 それを受けて教務科から太鼓判を押されて幸姉と同じ高校1年生からスタートとされていた。

 そうこう話していたら電車は二軒茶屋駅に停まり、オレも幸姉もそこで電車を降りて、そこから徒歩で武偵高へと向かい、この辺りになると他の生徒の姿もちらほらと見えてくる。

 地味に高い場所に建てられた京都武偵高の校舎は、登校時はちょっとしんどい。

 どうにも作為的なものを感じ、武偵ならこの程度問題ないだろと言われてるみたいで嫌だ。しんどいものはしんどい。

 その地味にしんどい坂を登って辿り着いた校舎は、一般の高校とさほど違いはなく、通う生徒さえ普通なら一般校で通せそうなものだ。

 その校舎の前、校門の辺りに朝早くにも関わらず護送車が停まっていて、どうやら朝の臨時ニュースで報道されていた強盗犯が捕まってきたらしい。

 ちょうど護送車からその犯人が出てきた辺りでオレと幸姉がそれを避けるように校門を潜ろうとした時、その犯人は何を思ったのか突然逃走を図り、護送していた武偵を振り払ってあろうことかこっちへ走り出した。

 なに考えてるんだか。

 

「京夜、お願いね」

 

 そんな逃走犯にチラッとしか目を向けなかった幸姉は、しかしオレにしっかりと命令してきて、そうくるだろうことは読めていたオレも言われるより早く懐から両端に分銅をつけたTNKワイヤーを取り出して投げ、逃走犯の両足を巻き付け転倒させた。その間2秒。

 端から見てオレがやったことは分かりにくいようにほとんど幸姉と同じく目だけそちらに向けてわずかな動作で行ったのだが、再び取り押さえられる犯人を挟んだ校門の端に、取り押さえられる犯人ではなく、明らかにこちらを見る視線があることに気付いたが、すぐにその視線も消えてしまい、それが誰のものかまでは特定できなかった。

 

「上出来上出来。さすが私の京夜ね」

 

「そりゃどうも。でも少しくらい危機感持ってくれた方が守る側としてはやりがいがあるんだけど」

 

「にゃるほど。あそこで『きゃー! こわーい! たすけてー!』って言っとけば、京夜に『大丈夫さ幸姉。オレがついてる!』とかって展開にできたわけね。惜しいことしたか……」

 

 この人ホントにアホなんだよなぁ。

 今日の幸姉に限ったことでもないけど、残念な考えしかできないっぽい。

 

「キャラじゃないことされてもシラけるよ。特に今日の幸姉は『フレンドリー』だからそういうの似合わない」

 

「だよねぇ。京夜的には『乙女』な私が一番好きなんだもんねぇ」

 

 ぬぐっ……否定しにくいところを。

 からかうようにニヤニヤする幸姉は、オレの反応を見て心底楽しんでいて、それをわかっていながらオレは期待通りの反応をしてしまっている。

 というかどんな反応をしてもこの人は楽しむから諦めているが正しいか。

 そんな感じで漫才みたいなことをしていたら校舎へと辿り着き、自分達の一般教科でのクラスを確認――同じA組だった――して教室へと足を進め、各々自分の席に着くが、真田と猿飛なので前後で席が隣り合ったため、早速幸姉が後ろを向いてホームルームまでの時間を潰しにかかってきた。

 この人は黙ってることができないのか。ああ、できない人だったなそういえば。

 この真田幸音という人物は、お世辞にも普通とは言えない性格をしている。

 『七変化』という日毎に性格がガラリと変わる特異体質……いや、体質というのは少しおかしいので、特異性質を持っている。

 これは幸姉が元々持ち得た性格を大雑把に7種類に分けて、それが日毎に顔を変えるようにされたもの。

 ちょうど幸姉が中学に上がる直前に、自称化生の玉藻と伏見という2人にかけられた強力な『呪い』の一種らしい。

 もちろん人間憎さにそんなものを幸姉にかけたわけではないことは聞いているが、そのおかげで幸姉は中学時代にずいぶん大変な思いをしたのを知っている。

 小中高一貫の学校にいなかったら、オレがそばにいてあげられなかったら、きっともっと大変な目に遭っていた。

 この呪いは術者の技量を上回る術で『祓う』ことが唯一の解呪方法なのだと言うが、本人曰く、解呪にはあと10年くらいかかりそうとのこと。

 そして今日の幸姉はオレ名義で『フレンドリー』。

 とにかく周りと仲良くするのに長けた性格で、若干アホっぽいのが特徴。それを演じているのか素なのかは不明。

 

「んお? なんやえらいちっさいのがおるな」

 

 そんなフレンドリーな幸姉と話をしていたら、教室の前のドアから入ってきた黒髪ショートカットの女子生徒が、鞄を右肩に担いだスタイルでオレを見て興味津々といった感じに目を丸くする。

 そしてその腰には武士のように大刀と小刀のふた振りを携えていた。

 

「見てみぃや愛菜。あれ絶対あたしらより年下やで」

 

 その女子生徒はケラケラと笑いながら今度は教室のドア付近にいるだろう生徒を手招きしてオレを指差す。

 そうして手招きされて教室に入ってきたのは、緩いウェーブのかかった金髪をした綺麗な女子生徒で、招いた女子生徒の指差す方向をすぐに向いてオレと目が合う。

 するとその女子生徒はみるみるその表情を明るくして、何やら最高潮に達したらしいテンションでオレに駆け寄っていきなり抱き締めてきた。

 く、苦しい……というかこの人胸おおき……

 

「ああーん! なんやこの子!? メッチャかわエエ! なんやの!? なんやの!?」

 

 こ、こっちがなんやのなんですけど!

 突然の事態に話をしていたあの幸姉でさえフリーズ。

 オレに至っては強力な抱擁……というかホールドによって胸に顔を押し付けられ、意識が飛ぶ5秒前。し、死ぬ……

 

「ちょ、ちょっとあなた! 京夜が窒息死するわよ!」

 

 その前にフリーズが解けた幸姉が注意してくれて、言われた女子生徒も我に返って顔色の悪いオレを見て慌てて解放。た、助かった。

 

「ご、ごめんな。君があんまりかわエエから自分を抑えられんで。許してや」

 

「い、いえ、大丈夫です……」

 

 すかさず謝罪してきた女子生徒なのだが、何故かオレの頭を撫でながらに謝ってくる。

 それはとりあえず無視して言葉を返すと、先程の黒髪女子生徒が近寄ってきてその女子生徒をポカッと殴る。

 

「いきなり何しとんねん。アンタがショタコンやったなんて初めて知ったわ」

 

「ちゃうって! 私はショタコンやない! なんやひと目見て『弟みたい』って思たらテンション上がってもうただけや!」

 

「なんやそれ? アンタに弟なんかおらへんやないか」

 

「だから『みたい』って言うとるやん! 千雨はアホやな」

 

 おいてけぼりとはこのことか。

 オレと幸姉は2人の言い合いをただ黙って聞くことしかできなく、呆然とそれが終わるのを待っていると、視線に気付いた2人がピタッと言い合いをやめてオレ達に向き直った。

 

「いやぁごめんな。これとは中等部の頃からの腐れ縁で、いっつもこんな感じやねん」

 

「これとはなんや千雨! じゃあアンタはそれやで!」

 

「これとそれってどこの漫才師やねん……もう終いや終い。それより自己紹介せなな。あたしは沖田千雨言うねん。強襲科やさかい、よろしゅう」

 

「仕切らんといてや千雨。私は愛菜・マッケンジー。アメリカ人とのハーフで強襲科やから、よろしゅうな」

 

「猿飛京夜。インターンの中1です。専門は諜報科。よろしく、です」

 

「真田幸音よ。専門はSSR。よろしくね」

 

 各々が自己紹介を終えて、1度場が落ち着くかと思ったら、実際はそうならず、2人はオレと幸姉の隣の席を借りて座り込んでしまい、そのまま会話が続く。

 

「なんや、SSRってオカルトな学科におんのやな。火とかポッと出せたりするんか?」

 

「出せない出せない。それにまだ自分自身で上手く制御できないのよ。それでここに編入してきた感じ」

 

「京夜やから京ちゃんやね。京ちゃん中1やのに私らと同じ学年って凄いやん! 2人とも中等部におらんかったなら、まだ誰が誰やようわからんやろ。私らは編入組以外なら顔見知りやさかい、困ったことあったら頼ってな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「なぁ愛菜。今年の編入組って1年やと何人やったっけ?」

 

「10人おらんかった思うで。このクラスも知ってる顔ばっかやしな」

 

 へぇ、編入組ってそんなに少ないのか。てっきり半分くらいはオレ達と同じなんだと思ってた。

 それを聞いて教室をよく見てみれば、確かに大抵の人達は親しそうに話していて、初対面のよそよそしさというものを感じない。

 彼らからしたらオレと幸姉はずいぶん新鮮に映っていたのだろうか。

 そのあとも話しっぱなしの愛菜さんと千雨さん。

 それに合わせるように幸姉まで口数がどんどん増えていき、気付けばオレは蚊帳の外……となる前にホームルームを告げるチャイムが鳴り、教室にいた他の生徒も続々と席に着いていく中、愛菜さんと千雨さんは「ここ私の席にするから」とほぼ同時に本来の席の生徒に言って、強引に席を交換。

 チャイムに構わず話し続け、他の生徒もそれを聞いて勝手に席替えを始めて、気付けば最初の席に座っているのはオレと幸姉くらいになってしまった。いいのだろうか。

 そして、いきなりの席替えのせいでガヤガヤとうるさい教室に入ってきたのは、なんだかダルそうな足取りで寝癖もピョンピョン跳ねてふらつく茶髪のセミロングをした赤ジャージ姿の女性教師。

 見るからにやる気も何もない。おまけに目も虚ろ。大丈夫か?

 

「はーい……今日からこのクラスの担任ってことらしい古館遊姫(ふるだてゆうき)でーす。担当は国語と探偵科。よろしくぅ……」

 

 ――ダメだこいつ。何とかしないと――

 いま教室内で意志が1つになったのを感じ取った瞬間だった。

 もはや半分寝てる古館先生は、自己紹介のあと教壇で出席簿を開いているが、首がカクンカクンいってる。

 そんな時、教室の後ろのドアを開け放って姿を見せたOL風のビシッとした黒髪メガネ女性が、教壇に立つ古館先生に向けていきなり発砲。

 ガス式のエアーガンだったようだが、見事額に命中。古館先生はそのまま教壇の後ろへ倒れてしまった。

 

「あれは低血圧で朝はいつもあんなんだから、テキトーに刺激与えて起こすのが吉。頑張れ少年少女よ」

 

 エアーガンを撃った女教師は、オレ達にそれだけ言うとドアを閉めて引っ込み、おそらく隣のB組の教室へと戻っていった。なんだあの人……

 

「今のは京都武偵高で一番有名な先生や。名前は夏目美郷(なつめみさと)。専門は情報科。一時期は武偵庁のセキュリティー部門におったっちゅうホンマもんのエリートやさかい、実力は折り紙つきやから怒らせんようにせなあかんよ」

 

 武偵庁か……

 オレの隣の愛菜さんが耳打ちするようにオレと幸姉にそんな話をしてきて、オレも幸姉も思わず生唾を飲む。

 武偵庁とは、プロの武偵の中から優秀とされ引き抜かれた人材で構成される武偵のエリート集団で、警察庁の公安などとも並ぶ実力者達が働いている組織。

 その実力は武偵高生徒など取るに足らないレベルだ。

 そんな人がどうして京都武偵高にいるのかは知らないが、教えてもらえて良かった。ありがとう愛菜さん。

 

「いったーい……ミッちゃん容赦無さすぎぃ」

 

 それから教壇の後ろに倒れていた古館先生が額を押さえながら起き上がってきて、もう見えない夏目先生をミッちゃんなどと呼び愚痴を漏らす。

 しかし先程までのダルそうな様子はなく、どうやら頭に血が回ってきたらしい。

 

「ほいじゃまぁ、入学式とかめんどいしフケようか。どうせ校長の長ったらしい話があるくらいのイベントだし、みんなのプラスにはならん。それより自己紹介やるよー! はい最初の子……って、名前男子なんだけど座ってるの女子だね。席替えしたのかな? いいよいいよぉ。積極的に席なんて変えていきなさいな。というか好きなとこ座れ。んじゃ端から名前と学科と好きなやつの名前言ってけ。なははっ!」

 

 おそらくこれが本調子らしい古館先生は、こっちの顔色など一切うかがわずにペラペラと話し出し、こっちのターンとでも言うように口が止まって教壇で早く早くというように目で訴えてきた。

 まず入学式をフケるとか教師の言うことじゃない。

 席替えされているのも気に止めてないし、自己紹介で何で好きな人を言わなきゃならん。

 そのあと廊下側の席から順に自己紹介が始まり、名前と学科は普通に言うのだが、やはり好きな人を言う人はいなく、その度に先生からだけブーイングが飛ぶ。

 それで千雨さんにまで順番が回ってくると、何故か周りがワッと少し沸き立つ。

 

「沖田千雨言います。学科は強襲科。得物はこれで中等部時代は『やんちゃ』やっとりましたが、まぁよろしゅう。好きな人はあたしより強い男! 証明したきゃサシで勝負しよーや!」

 

「いいねー! さすがは『ダブラ・デュオ』の一角。1年の中じゃ期待高いから頑張んなさい」

 

「おおきに」

 

 へぇ、千雨さんってそれなりに有名なんだな。だから周りも沸いたのか。

 思いながら席に座る千雨さんを見てると、目が合った千雨さんはニコッと笑顔を向けてきたので、オレも軽く手を挙げて応えた。

 

「はいはーい! 愛菜・マッケンジー言います! 学科は強襲科。得物はこれで、ここにおる千雨と同じく中等部時代に『やんちゃ』しとりました」

 

 次に後ろの愛菜さんが元気良く立ち上がって自己紹介を始め、そのスカートに隠れた両腿に収めてある拳銃2丁をチラッと見せてから、前の席の千雨さんの肩をバシッと叩いて舌をペロッと出して笑う。

 するとその可愛さになのか、男子生徒がうおー! と大興奮。うるさい。

 

「そんで好きな人は……京ちゃんやね!」

 

「うえっ!?」

 

 と、オレが周りの声に煩わしさを感じていた時に、愛菜さんはそう言って座ってるオレの腕を引っ張って立ち上がらせると、ギュッと両腕で抱き締めてきた。ええ!?

 それには周りの男子が唖然。

 次にはオレに対して物凄い殺気を放ち始めた。

 

「あ、好き言うてもあれやで。弟みたいなって感じの好きやから、彼氏は募集中。ちなみに好みは強引に引っ張ってくれる人がエエかな。そんな感じや。よろしゅう」

 

「ダブラ・デュオはどっちもノリが良いねー! 他のやつらも見習いなよ! はい次!」

 

 今の愛菜さんの自己紹介でオレはこのクラスの男子のほとんどを敵に回したっぽい。

 とばっちりもいいところだが、まだオレ自身の自己紹介が終わってない。

 そこでちゃんと挽回しよう。オレの好感度というか、そんなやつを!

 そんなことを考えて自分の番を待っていたのだが、この時オレはその前にまた厄介な人が控えていることを見逃していた。

 

「真田幸音。編入組で学科はSSR。得物は一応なんでも使えますけど、これからしっくりくるものを探していくつもりです。好きな人は後ろにいる京夜。以上、よろしくね」

 

 ギロッ!

 幸姉のその自己紹介によって、またもオレは男子から殺気の込もった視線を浴びせられ、この場から逃げたくなる。もうやだ。

 

「ほほう! モテモテじゃないか少年。入学初日から美女2人の告白は貴重な体験だぞ? それじゃあ少年の自己紹介いってみよーか!」

 

「猿飛京夜。インターンで入った中1です。学科は諜報科。得物は黙秘。よろしくお願いします」

 

 もう色々面倒になったオレは、先生に煽られたのも無視して淡々と自己紹介をしてパッパと席に着いた。

 

「京ちゃん、好きな人で私の名前出してもバチ当たらんかったで?」

 

「そうよ京夜。そこは私の名前を出すところでしょ」

 

 席に着くなり前と隣からそんな言葉がかけられるが、オレは机に突っ伏してそれ以降誰の言葉も耳に入れなかった。

 オレは目立ちたくないのに……学科的にも、性格的にも……

 

「よーし、とりあえずみんな自己紹介が終わったな。んー、今頃体育館で入学式の最中だけど、どうせ行ってるのはC組だけだろうし『遊ぶ』か」

 

 頃合いを見て顔を上げてみれば、唐突に先生はそう言って黒板に何かデカデカと書いてバン!

 黒板を叩いてそれを読み上げた。

 

「『鬼ごっこ』! まぁ入学式よりは楽しいはずだから全員強制参加な」

 

 おいおい……高校で鬼ごっことか、この先生大丈夫か?



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Reload2

 入学早々から担任の自由なスタイルに振り回されるオレ達A組。

 現在は入学式をフケて古館遊姫先生によって怪しげな遊びに強制参加させられている。

 

「んじゃ遊姫先生考案の『鬼ごっこ』ルール説明な。まぁ今回は初めてってことでシンプルな『追い込み』ルールでやるか」

 

 古館先生はそれから説明は1度だけと付け足してから、その追い込みルールとやらの説明をし出し、拒否権のないオレ達はとりあえず真剣に説明を聞き出した。

 

「追い込みはまず『逃走者』を1人決めます。あとは全員でそいつを捕まえる。以上」

 

 えっ? それだけ? それなんていじめ……

 

「はい先生! どないすれば捕まえたことになるんです?」

 

「いいね千雨ちゃん。簡単簡単。動けなくしてここに連れてきたら終了」

 

「逃走者の勝利条件はどないなんです?」

 

「愛菜ちゃんも良いカンしてるね。今回は制限時間制と全滅制でいくかね。逃走者は制限時間内を逃げ切るか、鬼を全滅させれば勝ち。鬼は見えるところに必ずこのステッカーをつけて、それを逃走者に取られたら脱落。素直に教室に戻ってきな」

 

 大雑把なルールを言ってから千雨さんと愛菜さんの質問に答えた古館先生は、質問に答えながら教壇から直径10センチくらいの『鬼』と書かれたシールタイプのステッカーを取り出して見せてくる。

 というかルール説明されてないこと多い。何が以上だったんだか。

 

「でもまぁ、初日から怪我人が多数ってのもあれだからさ、得物はなしね。使っていいのは徒手格闘のみのCQC(近接格闘戦)。行動範囲は校舎内のみ。外出るなよー。制限時間は1時間。それじゃ逃走者決めるよー!」

 

 それを最後の説明とばかりにスラスラと述べてから、なんか軽いノリで逃走者決めが始まる。

 

「でも君らに決めさせてジャンケンとかで情報科の子とか逃走者にされてもつまんないし、遊姫先生が勝手に決めちゃいます。なんかいきなり男子から不評を買った猿飛京夜君! 君が逃走者だ!」

 

 ズビシッ!

 そんな効果音でもしそうな指名で逃走者にされたオレ。

 途端、教室内の男子から物凄い殺気が立ち上がり、やる気のゲージがMAXに。

 完全に『殺る気』だ。それならいっそ……

 

「それじゃ逃走者は今から5分やるから逃げて。その間に鬼はこのステッカー貼って作戦会議なりなんなりしなさい。逃走者を捕まえてここに連れてきたら、そいつは逃走者に好きな命令を1つして良しとする」

 

「えっ! 先生! それいま言うんですか!」

 

「だって君、テキトーに捕まって終わりにしようとしたでしょ。探偵科教諭ナメんなよ?」

 

 くそっ!

 開始早々に幸姉に捕まって終わりにしようとしたのに、それだと捕まるわけにはいかなくなった。

 何故ならこういう報酬がつくと幸姉は……ぎゃあ! すでに目が「なに命令しようかな」ってなってるし! 愛菜さんも千雨さんも「面白い」みたいな笑顔になってる!

 ダメだ……この鬼ごっこ、勝つしかない。

 

「……先生、逃走者が勝った場合の報酬は?」

 

「おっ、いいね。じゃあこのクラスの全員に共通の命令を1つできるってことで。それじゃ行けーい!」

 

 もうやるしかない。男子に捕まったらほぼ死ぬ。

 幸姉達に捕まったらなに命令されるかわからない。これは酷い……

 入学早々から酷い目に遭ったオレは、先生の合図で教室からダッシュ。

 とにかく1時間逃げ切ることに集中し出した。

 というか教室出て隣のB組覗いたら、普通にみんないるし。この学校自由すぎないか?

 などとどうでも良いことを考えたのを最後に、まずは校舎内を走りながら散策。

 ただ逃げるだけだと、袋小路に追い込まれたら終わりだ。

 なにせ相手はクラスメート約30人。うち前線の学科の生徒が……ああ! 自己紹介途中から聞いてねぇ!

 とにかく約半数は強襲科とかその辺だ。あとはバックの情報科とか装備科、車輌科。

 そこら辺にタイマンで負けるとは思わない。SSRもCQCだけならほぼ無力だろ。幸姉はそうも言ってられないけど。

 さて、向こうが連携してくるとすれば、数人のグループに分かれての蹂躙……ローラー作戦といったところか。端から端へ逃げ場を奪っていく。

 2人1組として約15組。半分がバックと考えれば実質的には7、8組。

 その数でローラー作戦をやるには少々穴ができる広さはあるな。

 生徒手帳にあった校舎の見取り図を見ながら冷静に構造を把握したオレは、逃げ始めて5分が経ったことを確認すると、とりあえず2階の階段のところで待機。

 校舎は屋上付きの地下1階含めての5階建て。逃げ回るには階段は必要不可欠だ。

 校舎は中央に中庭を据えてドーナッツ型に造られていて、地上階は校舎を1周できるが、それは単に挟撃に合いやすいことを意味する。横の動きだけでは逃げられない。

 地下階は大きなT字路の廊下と専門学科用の訓練スペースと外への出入り口しかないから今回は使わない。

 あとはステッカーの貼る位置が気になるところ。

 取られづらい場所となると、やはり背中。追う側が背中を向けることはまずないからな。

 逃げてるだけではあちらの数を減らすのは困難だろう。

 だが、数を減らさなければ1時間も逃げ続けるなんて不可能に近い。消耗戦で1人のオレが不利なのは明白だからな。

 とにかく発見された時の最初のアクションは決まっていた。出会い頭で相手が2人以下なら倒す。以上なら逃げる。これでいい。

 そうして待ち構えていると、1階の階段の方に気配を感じた。わずかな足音から察するに、数は2。

 それならと2階の階段を踊り場を通らずに飛び降りて静かに着地し、1階階段の両サイドの角に隠れてる2人の内、1人を素早く拘束し後ろ手に取ると、もう1人を捕らえた武偵で距離を取る。

 そのあとすぐに予想通り背中に貼られていたステッカーを剥がしてリタイアさせると、その武偵を前に押し飛ばして、前の武偵が横へ躱したところを逃さず床に沈めてステッカーを剥がす。ふぅ、まずは2人。

 しかしそこで油断もしてられない。何故ならこの2人、見れば耳にインカムをはめていて、今ので居場所を知られたに違いない。

 だがこれはオイシイ。オレは失格になった強襲科の男子2人からそのインカムを奪い、1つは自分の耳に、もう1つはポケットにしまって再び動き出す。

 期待通り、インカムからは逐一で機動組の場所と移動経路が報告されて、オレはそれを参考に逃走ルートを模索。

 しかしこの中に今のところ幸姉や愛菜さん達の声が聞こえない。どういうことだ?

 とはいえ数を減らすチャンスを棒に振るわけにもいかない。

 

「ターゲットを発見。場所は3階多目的ホール」

 

 まだ声変わりが完了してないオレの声は幼さがあるが、それなりに太くすることもできるので、その声でインカムを通して誤情報を流す。

 先程までの報告から、誰がどこからそこへ向かうかを最短距離で予測しその道中で待ち伏せ。確実に鬼の数を減らす。

 結果、待ち伏せで仕留めたのは強襲科と諜報科の2人組。

 しかしそれに少し手間取ってしまい、さっきのが誤情報だったことが知れ、挙げ句予測してなかった経路から来た鬼に発見されてしまい、逃走。

 その間に手に入れて耳につけていたインカムを外して廊下に投げ捨ててみせ、階段と角を使って振り切ることに成功。包囲前に振り切れなきゃ危なかったな。

 それから少し消耗した体力を回復する間に、奪っていたもう1つのインカムを耳に装備。

 

『……つはインカムを捨てた。また報告を頼む』

 

 どうやらグッドタイミングだったらしい。

 先程の予期せぬ発見はたまたまだが、これは作戦の内だった。鬼の前で『あえてインカムを捨てる』という行動にはこういった意味がある。

 情報撹乱に用いたインカムを敵の前で捨てれば、敵はもうオレがそれが出来ないと思い込む。

 そこで今度は撹乱に用いずに聞くことだけに用いて相手の情報を掴む。

 幸いインカムは小型で片耳に取り付けられるタイプだから、注視しないと付けていることはわかりにくい。

 さて、これであとはだだ漏れの情報の元に鬼を狩っていく。追われる立場?

 違うぜ。立場はいま逆転した。

 

「おったで! 2階、2年生の教室前!」

 

 それから鬼の位置情報を元に、おびき寄せの作戦を実行したオレは、まずあえて見つかり逃げに徹すると、1階へと降りてその先でぶつかる鬼に気付いてないように衝突地点へと駆けて、ちょうど角で待ち構える鬼に正確な回避行動をやってのけて、すれ違い様にステッカーを取り撃破。これで6人。前線の戦力はだいぶ削った。

 しかしそこで終わると後ろを追いかけてくる鬼2人と別の鬼に捕まる。

 なので時間的にそろそろ入学式も終わるだろうと踏んで、1階の体育館へと行ける廊下へ行けば、ちょうど入学式に出ていたC組の生徒が教室へと戻ろうとしていたので、オレはそのままその中に突っ込む。

 なんだなんだと道を開ける生徒の中、オレはその中心でザッと止まり、後ろを追いかけていた鬼2人と対峙。すぐに元来た道を帰る。

 そして鬼2人と激突する前に、横の窓枠の下に足をかけて跳躍。

 鬼2人を飛び越えてすぐに横に避けていた生徒達に紛れて、一瞬見失った隙を突いてステッカーを剥がした。

 これで前線の数は半分くらいには減ったか。

 

「おもろい子がおりますなぁ」

 

 ――パチンッ。

 それから次の行動をどうするか考えてると、不意に後ろから聞き覚えのない女性の声と何かを閉じた音が聞こえて、そちらを振り向くと、そこには銀色のショートカットで開いてるのか疑う線目の閉じた扇子を持った女子生徒がいて、その顔には何故か笑顔があった。

 

「『今朝も』なんやさりげなく逃走犯を捕まえとりましたが、今度は逃げる側どすか。忙しおすな」

 

 おそらくはオレと同じ1年生でC組。

 だがわかった。今朝の視線の正体はこの人だ。

 肩をポンポンと扇子で叩きながらに語るその女子生徒は、今のやり取りを見てオレの状況を把握し、その状況を面白そうにしていた。

 

「そない警戒せんでもなんもしまへんて。それより黙っとると危ないんとちゃいますか?」

 

 この人に意識を向けていたら、自分がいま置かれてる状況も一瞬忘れていた。

 言われてからオレは目の前の女子生徒を無視して再び駆け始めた。

 そうだ。今は鬼ごっこに勝利しなきゃ。

 

「『駒』としては優秀そうどすな」

 

 去り際にボソッと聞こえたその声は、妙にオレの耳に残った。

 なんなんだあの人……入学早々にまた変な人に目をつけられてしまった。

 残り時間はあと30分。

 次にオレが起こすアクションは結構大胆なもの。

 おそらくは支援系学科の生徒は教室から出ずにサポートに徹していると予測し……というかこれだけ校舎を動いて鬼との遭遇率が低すぎるから、1ヶ所に固まってるのはほぼ確定的。

 だからこそ拠点への突攻は奇襲としてはなかなか。一網打尽にできるかもしれない。

 思いつつA組の教室前まで行ってみると、ガード的な役回りの鬼は見えない。

 中にいたら若干厳しいが、インカムから聞こえる情報からは教室内からの報告が上がらないので、たぶんいないと信じたい。

 戦闘員がいないとは言っても、連絡手段は当然万端なので、時間をかければ救援によって教室に閉じ込められて終了。電撃戦ってやつになる。

 それで意を決して教室の後ろのドアから侵入したオレは、すでに脱落して談笑してる鬼達を教室内で捉えて、次に教室の奥二隅に机と椅子を積み上げて出来てる2つのバリケードを見てちょっと怯む。

 これに突っ込むにはリスクが高そうだ。

 

「来たよ! 教室!」

 

 教室のドア付近でどうするか考え直す間に、バリケード内の女子生徒がそんな声をあげて、おそらく救援を呼んだ。

 これは予測された上での陣形だな。バリケードが2つというのもイヤらしい。

 2つを壊して鬼を減らしてる間に救援が到着してしまうからな。こんな先読みしたような動き、まだ情報量の少ないオレに対しての布陣ではない。

 そう結論付けてから、バリケードの奥に見える鬼の人数をパパッと数えて、その中に幸姉と愛菜さん、千雨さんがいないことを確認してから急いで教室を脱出して、インカムの報告から逃走ルートを導き出すが、最悪なことに安全なルートが見つからなかった。どこを通っても鬼とぶつかってしまう。

 仕方ない。考えたオレは隣のB組の教室に後ろから音もなく侵入してやり過ごす。

 しかしドアはどうしても開閉しなくてはいけないため、当然のごとくB組の生徒と担任の夏目先生の視線がオレに集まる。あ、やべぇ……夏目先生って確か元武偵庁……

 

「なんだ少年。さっきから騒がしいと思っていたが、遊姫のやつがさっそく何かやらせてるな? 逃げてるところを見るに鬼ごっこの『追い込み』だな。大抵は逃走側が速攻死ぬんだが、どのくらい逃げてる?」

 

「あ、えっと……3、40分くらいですかね」

 

「よく逃げてる方だな。銃声がないからCQCのみなんだろうが、それでも上出来だ」

 

 どうやら古館先生のこれはずいぶん有名らしい。

 確かに考えてみれば武偵としての能力を『使わされてる感』はある。

 おそらく古館先生はこういった遊び形式の授業を好んでやる性格なのだろう。

 

「でもあんまり頑張りすぎるなよ? 遊姫は面白そうな生徒がいたらお気に入りにして授業で『遊ぶ』からな。入学早々そのリストに載りたくはないだろう? 少年」

 

 確か古館先生は探偵科の先生だって言ってたから問題ないよな。

 そう思っているオレに対して、夏目先生は怪しい笑みでオレを見て甘いなと一言。読心術ですか……

 

「遊姫は探偵科の教諭だが、生徒数も多くはないからな。学科の枠を越えて合同授業なんて週に2、3回はあるぞ」

 

 うげっ……マジかよ……

 あの先生の意味のわからないハイテンションはちょっと合わないんだよな。目をつけられたくない。

 夏目先生の言葉によって渋い顔をしたオレは、そのあと横の廊下を走る足音を聞き身を屈め、意識をそちらに集中。隙を見てここから出なきゃな。

 

「ふむふむ、君が今年唯一のインターンか」

 

 と、オレが廊下に意識を向けた矢先に、目の前で立ち膝の状態で声をかけてこちらを至近距離から観察する女子生徒が現れる。

 背丈は立っても140センチくらいか。

 明らかに場違いな幼さを感じる可愛い容姿に、綺麗な茶髪を3つ編み……いや、3つ編みにした髪を3つ使ってさらに3つ編みにしている。なんか手間がかかってるなぁ。

 そして膝の上には開かれたノートパソコンが乗せられていて、紐で首から補助もしている。

 

「編入試験で上級生を倒してまうとはなかなかやな。あ、私は宮下雅。雅でエエけど、これでも今年で16歳やから、ちゃんとさん付けせなメッ! やからね」

 

 可愛らしい声でそんな自己紹介をしてきた雅さんは、それからオレに名乗らせようとしたのか、沈黙。

 しかし名乗る前に夏目先生がそれを遮る。

 

「ミヤ、自己紹介とか今する時間じゃないんだけど」

 

「エエやんミッちゃん。細かいこと気にしとったら婚期逃すで? 現に24になった今も彼氏おらへんみたいやし」

 

「ミヤ、お前明日からしばらくプロファイリングの方に回すけど、文句はないな?」

 

「それは堪忍や! ミッちゃんめっちゃ美人さんや! 惚れてまうやろー! 男子もみんなそう思うやろ?」

 

 何やら知り合いっぽい雰囲気の夏目先生と雅さんは、割とタメ口でそんな会話をして、雅さんはクラスの男子を強制的に巻き込んで巻き返しを図った。

そりゃ元武偵庁の武偵相手に下手なことは言えない。

 男子も雅さんに振られて慌てて「夏目先生さいこー!」とか「付き合ってください!」とか言い始める始末。

 そんな中で男子を煽る雅さんを後ろからひょいっと両脇を持ち上げた人物がいて、足が浮いてしまった雅さんはほえ? と頭上を見上げた。

 

「そんくらいにしとき、ミヤ」

 

「さっちん! その持ち方やめてや! スカートの中見えてまうから!」

 

 確かにオレの位置からだとモロ見えだが、そこはノートパソコンが上手い具合にブラインドになってセーフ。

 しかし容疑をかけられたくないので立ち上がり同じくらいの目線になった雅さんを見て、それから後ろのさっちんと呼ばれた人物を確認した。

 身長は170センチくらいあり、水色の長い髪をポニーテールにしてまとめて、キリッとした目と端正な顔立ちにモデルのような体型で、いわゆるカッコ良い系の女子生徒。

 現在155センチのオレからすれば結構迫力のある人だ。

 

「ミヤは情報通やさかい、知りたがりなところあんねん。ぐいぐい距離詰めてくるんは許したってな」

 

「いえ、別に気にしてません、けど……」

 

「ほれ、『京くん』もこう言うとるやんか。っちゅうか下ろしてやさっちん!」

 

「名前知っとんのにわざわざ自己紹介させようしとる小娘はこうや!」

 

 そう言ったさっちんと呼ばれる女子生徒は、持ち上げたままの雅さんをその場でぐるんぐるんと回し始め、目が回った辺りで床に下ろして解放。

 雅さんはフラフラとしながら教室のドアに手をかけるが、ふらつく体をコントロールできずにドアを開放。廊下に倒れ込んでしまった。

 それによって廊下にいた鬼連中がなんだなんだと視線を集めたため、一転してピンチな状況に。何してくれてんの!

 

「おお進藤。お前なかなかに鬼畜だな。逃げ隠れてるやつを部外者が追い込むとか性格ひねくれてるとしか思えん」

 

「せ、先生! 誤解される言い方せんといてください! 私はそないなつもりあらへんかった!」

 

 まぁ雅さんがこんな動きするなんて予測できる方が凄いが、そもそもさっちんさんが回さなきゃこんなことにはならなかったわけで……

 と、悠長に考えてる時間も鬼連中がこちらに近づいてくるので、もう覚悟を決めて2、3人仕留めて逃げるしかない。

 それで動き出そうとしたオレに対して、さっちんさんが両手の平を合わせて謝罪してきた。

 

「堪忍な。私は進藤早紀言うねん。これで捕まったら責任は取るさかい、何でもゆうてな?」

 

 いや、そんな責任とかは……

 返事を返そうとしたのだが、これ以上は教室を出るタイミングを逃すので、左手でフリフリ。

 別にいいですと表してから教室を勢いよく出て、無警戒で近寄ってきていた鬼2人を真っ先に倒して、それから廊下で倒れる雅さんを教室に押し返して教室内に一礼してからドアを閉め、「いたで! やってまえ!」などと叫ぶ鬼2人から逃走。

 階段を登って、踊り場からUターンして飛び降りて2人いっぺんに巻き込み転げ落としてからステッカーを奪い取り撃破。

 結果として挟み撃ちなどを受けずに4人撃破できたので、雅さんと早紀さんには感謝すべきか。いや、結果オーライだしそうでもないよな。

 とにかくとして、残る前線の鬼は教室にいたバック組の人数から逆算して4人。

 それにおそらく別行動の幸姉と愛菜さん、千雨さんで7人だな。

 さすがにここまで来ると疲労が出てくる。1時間逃げるというのは、想像よりしんどい。

 『経験値』として持っていなければ、神経をすり減らしてすでに捕まっていただろう。

 でもまさか猿飛の修業がこんなところで役に立つとは思わなかったが。

 廊下の角に身を潜めながら2年前に行った地獄のサバイバルを思い出してぞぞぞ、と寒気を覚えたのを無理矢理振り払い、また頭を切り替える。

 あれで何回死にかけたっけな……じゃなくて!

 それから約10分かけて慎重にかつ、大胆に幸姉達以外の数が減ったことによって分散していた残りの前線の鬼4人を各個撃破して、残り時間が10分を切る。

 あとは幸姉達に遭遇しなければ万々歳なんだけど。

 しかしそれは叶わない願いとなった。

 やはり逃げるなら階段を利用するべきと思って、そこまで行ってみれば、そこには腕組みして仁王立ちする幸姉の姿があり、キョロキョロと周りを観察していた。

 仕方なしに校舎に2ヶ所ある階段のもう1つに向かってみれば、そこに今度は愛菜さんの姿が。

 ここは1年の教室がある3階だが、階段を押さえられてしまった。

 いやだが、幸姉達がオレの居場所をわかってやってる感じでもない。

 たぶん1階から順にあぶり出しでもやり始めていたのだろう。

 となると姿の見えない千雨さんがこの階を徘徊……

 

「おったで! 京ちゃんはっけーん!」

 

 してたー!

 愛菜さんの様子を確認していたら、直線廊下の端っこから千雨さんの大声が響き渡り、それを聞いた愛菜さんもぐりん! とこちらへ向き直り、一目散に駆け出し、千雨さんも距離を詰めてきた。

 2人とも陸上短距離走者レベルに速い。このままでは挟み撃ちに遭う。

 だが、これは鬼ごっこ開始当初から予測していた1つ。最悪挟み撃ちにあっても、片方だけ相手して撃破できれば、突破し逃げられることを想定していた。

 だから1対1ならむしろありがたいくらい。

 はずだったのだが、現実とは残酷なもので、そうそう上手くはいかなかった。

 何故なら接近してきた愛菜さんも千雨さんも、ステッカーを自分の胸に堂々と貼っているから。

 これではどうあがいても撃破には愛菜さん達の胸を直接触ることになる。卑怯だ!

 そうやって躊躇ってるうちに2人に挟まれてしまうが、愛菜さんも千雨さんもひと息に飛び込めないギリギリの間合いで距離を取り、あえてオレに選択肢を与えて停滞させてくる。

 くそぅ、突っ込んできてくれれば何がなんでも躱して突破したのに……

 

「そのステッカー、誰の案ですか?」

 

「これは幸音や。京ちゃん思春期突入しとるからあたしらの胸触るんは抵抗あるやろって」

 

「千雨は触るとか言うだけの胸ないやん。中等部の3年間でカップ数も上がらん万年Aカップのつるぺったんやろ」

 

「うっさいわデカパイ! なんやEカップって! イヤミのEかっちゅう話や! それにデカイと動くたんびに揺れて痛そうやし、ホンマご愁傷さまやわ」

 

「ないよりある方がエエに決まっとるやろ。男はみんなおっぱい好きやねんで。そない揉んでも揉んだかわからん胸やと付き合う男が可哀想や。それとイヤミはIやアホ。あ、Aはアホやね。プッ!」

 

「誰がアホや! デカパイなんて所詮男を引っかける道具やねん! それで釣っても長続きせーへん言う話や。そっちの方が涙出てくんで」

 

「それあんた全国の巨乳敵に回したで! 世の中巨乳がコンプレックスの女がどんだけおるか千雨は考えたことあんのかいな!」

 

「貧乳かてコンプレックスの女がどんだけおるか考えたことあんのかいな!」

 

 えっ……なんでステッカーの話から胸の話になってるの……

 でもこれなら横抜けそう……

 

「なら京夜に好みでも聞いてみればいいんじゃない?」

 

 それで実際に千雨さんの横を抜けようとしたところで、その後ろから幸姉も合流。

 愛菜さん達同様に胸にステッカーを貼っていて、さりげなく逃げ道を潰してくる。

 

「それエエな。京ちゃんは巨乳派? 貧乳派?」

 

「えっと……オレは胸にはこだわりは……」

 

「嘘はあかんで京ちゃん! 今朝愛菜に抱き付かれた時、胸押し付けられて嬉しそうにしとったやんか!」

 

「そんなことない……ですよ」

 

「エロガキやな。巨乳好きのエロガキや」

 

「だからしゃーないねんて。男はみんなおっぱい好きやねんから。京ちゃんエエんやで? 巨乳好きでも恥じることないねん。健全そのものや!」

 

 なんか勝手に巨乳好きにされた……本当に胸の大きさとか好みに入らないのに……

 そんな言い合いに無理矢理参加させられてうなだれた瞬間、オレの視界は天井へと向きを変え、気付いたら廊下に倒されていた。

 やったのはもちろん幸姉。幸姉は倒れるオレの額に右手を置き、腹に乗っかる形でマウントポジションを取って一言。

 

「さて、京夜は誰に捕まりたい?」

 

「…………できれば無理な要求のこなさそうな愛菜さんがいいです」

 

 その後両腕に幸姉と愛菜さんが抱き付いた状態で千雨さんが背中におんぶされるという意味不明な拘束――抜け出せなかったから凄いが――で教室に連行されたオレは、開始前に取り決められた通りに捕まえた愛菜さんの命令を聞く。

 

「ほんなら、これからずっと仲良くしてください。お願いします」

 

 言い渡された命令は命令ではなかったが、オレは本当に無理な要求をしてこなかった愛菜さんに感謝しつつ、そのお願いを受け入れて、慌ただしい京都武偵高の初登校は幕を閉じたのだった。



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Reload3

 色々あった初登校からはや1週間。

 たったの1週間と片付けるには少々濃いものではあったが、そこは少し割愛。

 この1週間ではまず、幸姉の『七変化』は『ちょっと変な人』程度の認識しかされず、それのせいで他の生徒から距離を置かれたりといったことはなく、幸姉もごくごく自然に接することができて安心したのだが、オレの方はと言えば、入学初日から1年男子から大人気の愛菜さんご指名で『弟』にされ、自己紹介の好きな人宣言で愛菜さんと幸姉から告白――決して付き合いたいとかのではなく――され、あまつそのあと行われた担任の古館先生による突発的なゲーム『鬼ごっこ』によってクラスの強襲科ほか前線系の男子をほぼ全員撃破。

 男子からの好感度は最悪のスタートを切り、以降の学科別の授業でも距離を置かれてしまう。

 オレとしてはそこまで仲良くする気もないから気楽ではある。が、

 

「ほんでな、そん時の強盗犯もまさか人質に武偵がおるなんてって顔しよるから、それがおもろくて思わず笑ってもうてん」

 

「あれはなかったで愛菜。あたしがちゃんとやっとらんかったら1発もろてたかもしれんねんで? 感謝しや?」

 

「なに言うてんの? あの日千雨がちゃんとその刀腰にぶら下げとったら、強盗かて実行せえへんかったっちゅう話やん。何のための得物やねんてな」

 

「まぁいいじゃないの。2人ともそれで無事だったわけだし、犯人だって捕まえたんでしょ」

 

 そうやっていつものように教室で幸姉、愛菜さん、千雨さんが楽しそうに昔の話をする中で、オレはといえば、その話をする愛菜さんの目の前の椅子に座らされて、愛菜さんが机の上に座った状態から両腕をオレの後ろから回して頭を優しく包み込まれて撫でられていた。

 これはもう毎日愛菜さんが定位置とばかりにこの状態を維持するので、オレも3日目くらいから抵抗を諦めてされるがままが続いていた。

 離れようとすると「京ちゃんは私が嫌いやねんな?」と涙ぐむのはズルすぎる。

 

「そういえば京夜も去年、祇園祭でハメ外しすぎた連中を一網打尽にして警備に受け渡してたっけ」

 

「あれは幸姉が煽って怒らせたのが原因だろ。今の『男勝り』の性格で」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

 愛菜さん達の中等部時代の武勇伝を聞いていた幸姉は、それでオレの去年の話を掘り返すが、少し事実をぼかしてきたので修正すると、覚えてない風にとぼけてしまう。

 今日の幸姉は細かいことを気にしなく、行動が積極的かつ大胆になる『男勝り』。

 髪もストレートへアからポニーテールに。この幸姉はこういう昔話をさせると、少々話を盛られたりするので困る。

 

「幸音、小学生の頃の京ちゃんとかメッチャかわえかったやろ!」

 

「そりゃあね。いっつも私の後ろを幸姉ぇ、幸姉ぇってついてきたわ」

 

「またそういうこと言う……違う。後ろについてたのはそれが役目だからだし、むしろ幸姉が京夜京夜っていつも言ってたから。いなきゃ寂しいって泣きそうになってたくせに」

 

「あはは! 幸音はさみしがり屋さんだったんやな! こらエエこと聞いたわ!」

 

「千雨、そんな事実はないから忘れなさい。京夜も事実をねじ曲げるとはいい度胸ね。帰ったら使用人さん達に『好き勝手券』渡しておくわ」

 

「事実は事実だよ。たとえ今日の幸姉がやってないところで、別の幸姉がそれをしてたんだから、曲げようのない事実」

 

「今日の幸音は口は弱いみたいやな。ホンマオモロイ性格やわ」

 

 そんな他愛もない話をしていたら、朝のホームルームのために低血圧の担任、古館先生がやってきて、皆が席に着いてから今日の『先生起こし』の千雨さんが先生の額にデコピンをお見舞いし覚醒させたところでいつものようにホームルームが始まる。

 

「なんかいつもよりおでこがヒリヒリするんだけど、千雨、ちゃんと手加減してるか?」

 

「もちろんしてますよ先生。あたしが本気出したら先生ぶっ倒れてまいます」

 

「デコピンで人を倒せるかアホ。はーい、今日の出席はぁ……まぁ全員いるんじゃね? 全員出席っと」

 

 相変わらずのテキトーな出席を取った古館先生。

 この1週間でもう先生のことはなんとなく理解したので、それにツッコむ人もいなく、話もサクッと次に進む。

 実際は早くも民間の依頼を受けて3人くらいいないのだが。

 

「んじゃ連絡事項な。武偵高の恒例科目みたいなもんで、4対4戦(カルテット)がもうすぐ行われるから、メンバー集めて申請書提出しろ。1年は必修だから受けれないと単位もらえなくて留年だから、1年多く通いたいとかいうマゾ以外はテキトーでも真剣でもやっとけ」

 

 カルテット?

 などと思う暇もなく古館先生は教壇に申請書をドンッ! と置いてからホームルームを終わらせて教室からいなくなってしまい、それから教室内はいつものようにワイワイと賑わい出して、中には早々に教壇から申請書を持っていく生徒もいた。

 

「あの、愛菜さん。カルテットってなんです?」

 

「ん? ああ、京ちゃんは編入組やから知らんのやね。千雨、申請書持ってきてくれる?」

 

 オレはすぐに隣の席の愛菜さんにカルテットについて聞くと、愛菜さんは千雨さんに申請書を持ってきてもらって、その申請書を机に置き、幸姉も含めた4人でそれを囲んで話が始まった。

 

「簡単に言うたら4対4の実践形式のチーム戦。実弾は使わへんで非殺傷弾(ゴムスタン)になる程度のもんやから、ほとんどマジのやり合いになるな」

 

「対戦形式は教務科が定めたいくつかの特殊ルールを元に行われるらしいから、強襲系ばっかのチームでも情報系チームに勝てへん、なんてこともたまにあるらしいで」

 

「チームパワーよりバランスが大事になるわけですか」

 

「そうやけど、私らはこれで組んでエエと思うで? 千雨も幸音も問題あらへんやろ?」

 

「あたしは別にエエで」

 

「私も異議なーし」

 

 そんな簡単に決めて良かったのか?

 カルテットの説明を聞いて素直にそう思うオレだったが、すでに愛菜さんが申請書にオレ達の名前と学科を書いていて、その行動の早さに呆れてしまい、結局それで申請書は通ってしまったのだった。

 それからこの1週間で判明した事実はまだある。

 入学初日に古館先生が千雨さんの自己紹介時に言っていた『ダブラ・デュオ』という通り名的なもの。

 あれは千雨さんと愛菜さんがそう呼ばれているのだという話で、現にダブラ……武偵用語で2刀流や2丁銃使いを意味する言葉の通り、千雨さんはその腰に2本の刀を携えているし、愛菜さんもスカートの下から時折見える両腿に2丁の銃――FN ブローニング・ハイパワー――を携えていた。

 未だ実力のほどは専門学科での実戦授業でしかお目見えできていないが、それでも男子に全く引けを取らない実力者なのは容易にわかった。

 武偵ランクも共に強襲科Aランク。2人で協力した時にはSに届くのではないかと風の噂で聞いた。

 もっとも、2人が中等部時代を大阪の方を中心で過ごしていたために、オレも情報が曖昧で計りきれないところがある。

 そこら辺を調べるにはネットなどを使うのが早いが、生憎とオレは機械いじりが大の苦手。

 携帯も持ってはいるが、電話とメールくらいしかまともに使えない。

 そんなわけで今日の午後の専門授業は、そのダブラ・デュオの実力を見るために、幸姉とも一緒に警察からの依頼を受けた2人に同行。

 内容は臓器売買の闇組織が行う取引の阻止と一斉逮捕。

 密売といえば夜の港や倉庫。

 などというイメージはドラマとかでよく出てくるため昔からあるが、京都市にはそもそも港はないし、周囲には山、山、山。山景には困らないくらい山がある。

 そんなところで密売となると、当然イメージというのは崩れてしまうわけで、警察からの提供情報によれば、西京区のとある公園付近で行われるらしく、時間もあえて人通りの多い夕方を選択しているらしい。

 この辺は学校がそれなりに密集しているために、下校中の生徒の姿が絶えない。

 オレ達はその警察の情報を元に公園内で散って待機。今回の警察側からの絶対条件は『被害ゼロ』。

 取引には数人の屈強なガードがつくはずと情報があり、場合によれば拳銃などが出てくることもあるとのことで、その前に片をつけなければならない。

 しかしこうまで情報を仕入れていながら、なぜ警察が動かないのかと言われれば、それは警察側がその情報を得るだけでも細心の注意を払っていることにある。

 つまりは警察側の動きは密売側も細心の注意を払っているということ。

 だからこそ今回の依頼は武偵ランクもAを持っていないと受諾されないものだったし、推奨人数も4人以下と慎重そのものだった。

 それでいざ張り込みを開始してみれば、警察の努力の甲斐あってか、愛菜さんと千雨さんの張っていた付近に1台ずつの黒塗りの車が停まったらしく、オレと幸姉はそれぞれ愛菜さんと千雨さんに合流して行動開始。

 車からは温厚そうな眼鏡の男がキャリーケースを持って出てきて、それに付き添うように2人のガタいの良い男が脇を固めて公園内にいたって普通に侵入。

 向こうも同じような陣容で公園内に侵入したと千雨さんから報告があり、それを聞いてから愛菜さんはオレに車の処理を要求。

 愛菜さんは取引の現場を押さえるとのことで、向こうも連携の取れる千雨さんが出て幸姉が車の処理に回った。

 一応武偵高の防弾制服から依頼前に支給された防弾性の私服に着替えていたので、公園内を普通に歩いていればただの民間人になりすませるので、オレは普通の足取りで公園から出ていき、車の近くでポケットから500円玉をポロリと落とし、あたかも偶然のように車体下に潜り込ませると、困った風に車の周囲を少しうろついてから運転席の窓をノック。

 それに反応して窓を開けた運転手に車をずらしてもらうように要求。

 

「ったく、500円なんてポケットに入れとくんやないでボウズ」

 

 男の運転手はそう言ってからしゃーないなぁとオレから視線を外して車を動かそうとする。

 その瞬間を狙って開いてる窓からシュッ。

 素早い手刀を運転手の首に打ち込んで一撃で気絶させ、前に倒れるのを押さえてシートに戻して任務を完了。

 幸姉も同じような手口で事を済ませたようだ。

 オレ達の完了報告を聞いたあと、今度は愛菜さん達が動く。

 今まさに取引が終わろうとした瞬間に2人は挟み込むように取引現場へと姿を現して、有無を言わせる暇もなく速攻でガードを1人ずつ接近戦で倒す。

 その様を公園の端から見ていたが、まさに電光石火。相手が愛菜さん達を視認した瞬間にはもう倒していた。

 しかも2人とも自分の得物を抜いてすらいない。

 絵に描いたような強襲を成功させた愛菜さんと千雨さんは、続いてもう1人のガードへと標的を変えるが、さすがにガードなだけあって対応が早く、懐に忍ばせていた拳銃に手を伸ばして護衛対象を逃がすように位置取り、すぐに愛菜さん達に銃口を向ける。

 ガァン! ギィン!

 しかしそのガードの拳銃から銃弾が発射されることはなかった。

 それよりも早く、愛菜さんはその腿に携えていた銃を抜いてガードの手を撃って迎撃。

 千雨さんは鋭い抜刀からの峰打ちでガードの手首を強打して拳銃を弾き飛ばした。

 そのあと得物を失ったガード2人は銃と刀相手では分が悪いと察したのか、ホールドアップ。

 しかし降参したにも関わらず愛菜さんも千雨さんもしっかり気絶させていた。

 不意打ちを恐れての対処だろうが、容赦なかったなぁ。

 それで公園から逃げてきた売人も足を失ったと知ったところをオレと幸姉で押さえて無事に依頼完了。

 身柄も警察に引き渡して報酬金も貰い、今日はそのままファミレスにて軽く祝杯をあげた。

 

「もう京ちゃんスマートすぎやわ! あない短時間でやってほしいことやれる人間、そうはおらへんよ」

 

「運転手を無力化するだけでしたから……」

 

「はいはーい! 私もやりました! だからこのステーキセットは愛菜が奢って!」

 

「なんで私が奢らなあかんねん! 私はいま京ちゃんにあーんしてあげるんで急がしいんや! 千雨にでも奢ってもらえばエエやろ」

 

「ちょい待ち! そのステーキセット……ポテトついてへんやん! ダメやで幸音! 同じ値段やとお得なセット食べな損やで! あと奢るんは愛菜や。ガードの1人に悶絶もんの1発ぶち込んどるし、あそこは銃撃ちゃ終いやった」

 

「千雨かて銃だけ弾けば終いやったやん。それに私は無力化する確率の高い方を選んだんや」

 

「あたしかてそうや! あーもう! こんなんで揉めたないわ。幸音、こっちのステーキセットでエエか?」

 

「オッケオッケ。まっ、あんた達の余計な手間を省いてやったんだから、このくらいの報酬はもらわないとね。付き合った甲斐がないってもんよ」

 

「あんま調子乗らんといてや幸音。別に幸音がおらんでもどうにでもできたのをわざわざ仕事割り振ったんやから、上から言うんは少しちゃうで」

 

 いつでもどこでも元気な幸姉達。

 ファミレスのボックス席で隣の席に座る愛菜さんは、執拗に食べさせようとしてくるが、それとなく断り続けていると、向かいの席の幸姉と千雨さんはメニューを見ながらどれを頼めば得かの真剣な話し合いを開始。

 この辺はやはり関西の血がそうさせるのだろうか。

 それでなんだかんだ言い合いながらも仲良くする3人に合わせて食べていると、このファミレスに見知った顔が来店してきて、いち早く発見したオレがそちらを向けば、視線に気付いた愛菜さんが続いてそちらを向く。

 

「お? 雅に早紀やないの!」

 

「おお! まっちゃんや! ちっちもおるし!」

 

 愛菜さんはファミレスに入ってきた雅さんと早紀さんを見るやすぐに声をかけて呼び寄せると、向かいの千雨さんと幸姉もそちらに顔を向けて軽い挨拶を交わす。

 

「チィもアイも、なんや警察からの依頼引き受けた言う話やん。終わったんか?」

 

「丁度さっき終わらしてきたわ。いま打ち上げ中」

 

「そっちは寄り道なん?」

 

「ちゃうねんなまっちゃん。今日はちょっとした打ち合わせや。ここが待ち合わせ場所やねん」

 

 オレ達に近寄ってきた雅さんと早紀さんは、それぞれ愛菜さんと千雨さんを独特な呼び方で会話して隣のボックス席を陣取ると、こちらの料理を摘まみながら会話を続けた。

 

「待ち合わせって誰とや?」

 

「C組の幼馴染みやねんけど、まっちゃんとちっちはわからんかもしれん。そこの2人と一緒の編入組やからな」

 

 そう話す雅さんは、オレと幸姉をチラッと見てからポテトをパクッ。

 当たり前のように食べてますけど、代金払って貰いますよ?

 

「それにしても京くん凄いなぁ。いきなりまっちゃんの好感度MAXにするやなんて、なかなか出来ることやないで?」

 

「そやな。アイは中等部時代にメッチャモテてんけど、そない気に入られとる男子見るんは初めてやわ」

 

「男子として見られてないみたいですけどね」

 

「ちゃうちゃう! 京ちゃんはかっこエエ、かわエエ、抱き心地エエの三拍子揃っとるんや!」

 

 それでまた愛菜さんはオレを横から抱き締めてくるが、どうにも現れた2人と面識がない幸姉が「誰?」と視線で訴えてきたので、抱き付く愛菜さんを押し戻して自己紹介を促したのだった。

 宮下雅。幼児体型の茶髪3つ編み――本人談で9つ編みと言うらしい――が特徴の情報科。

 ランクはBなのだが、それには事情があるらしい。

 B組の担任で情報科教諭の夏目先生とは従姉妹関係なのだとかで、学校でもよく先生と生徒の枠を越えた会話を耳にする。

 従姉妹関係なのを抜きにしても雅さんは夏目先生から高い評価を得ているらしく、裏では色々物騒なこともしているとは風の噂。

 進藤早紀。水色の長い髪をポニーテールにしたモデルを思わせるルックスを持つカッコ良い系の人で、所属は車輌科。

 中等部時代は狙撃科にいたらしいが、京都武偵高には狙撃科が存在しないことと運転好きを理由に移ったとのこと。

 しかし狙撃科の名残で所持する武器が狙撃銃――ワルサー WA2000――らしい。

 ランクは今のところB。これから色々と運転できる乗り物を増やすとかで燃えている、らしい。

 2人とも中等部時代から愛菜さんと千雨さんと交友があったので、呼び方が雅さんは『まっちゃん』『ちっち』と耳を疑うセンス。早紀さんは『アイ』『チィ』と簡単にした感じ。

 それで自己紹介を終えたら、幸姉も早速命名され、雅さんには『ねっちん』。早紀さんには『ネィ』と名付けられ、何故かもう仲良しになっていた。

 ちなみにオレは『京くん』『京』といたって普通。

 そうしてあっという間に輪を広げて賑わい始めた幸姉達は、ジャンジャン注文を追加して話も盛り上がっていき、そのテンションについていけなくなってきたオレが外の景色を見ながらウーロン茶を飲んでいると、またも見知った顔がこのファミレスに入るのを目撃。

 あの地獄の鬼ごっこをしていた時に出会った扇子を持ったC組の女子生徒だ。ん? C組?

 その人はファミレスに入ってから、店員と話をしながら店内を見回して、こちらに目を向けるとまっすぐに近寄ってきて、オレとがっつり目が合うと、その細い線目でどうもといった感じで会釈してから、その手に持つ扇子を存在に気付かず話をする雅さんの頭に文字通り落とした。

 ――ドスッ。

 それはもう扇子で当たった音ではなかった。

 実際その一撃を受けた雅さんは、オレ達の座る席のテーブルに顔面を打って倒れて沈んでいた。

 それには会話をしていた幸姉達も沈黙。

 

「やかましいどすえ。 営業妨害で訴えられても弁護しまへんで?」

 

 扇子を持つ女子生徒はそう言ってから隣のボックス席へと移動して何事もなかったかのようにメニューを開いて店員を呼び注文をすると、閉じていた扇子を開いて軽く扇いで涼み出す。

 

「眞弓ぃ! むっちゃ痛いわ! それで叩くんなしやて何回も言うたやんか!」

 

「騒いどる方が悪いんやありませんの? そら叩かれても仕方のない話や思いますけど。叩いてへんどすが」

 

 扇子を落とされた雅さんはそこでようやくガバッ! と起き上がって文句を言うが、眞弓と呼ばれた女子生徒は全く取り合わない。

 それで雅さんは言い合いをしても折れなきゃならないとわかっているのか、ため息を1つ吐いてからぶつけた頭を押さえながらに自己紹介をする。

 

「これが待ち合わせしとった薬師寺眞弓。私と小学校からの幼馴染みやねんけど、武偵になったんは今年から。その前は……」

 

「雅、あんまウチのこと話さんでくれます? プライバシーの侵害で訴えますえ?」

 

「……衛生科でランクは現状A。次のランク考査で『上の席』が空いたら最優先で入れるようすでに取り計らわれとる、期待の衛生武偵や」

 

 そんな雅さんの語った話は、みな初耳だったらしく、そのあと少しの間、開いた口が塞がらなかった。

 Aの上のランクはS。しかしSランクに入れる武偵の数は現在で712人と枠がある。

 そこに穴が空いたら最優先で繰り上がるというのだから驚くしかない。

 そのあとオレ達も自己紹介をしようとしたのだが、当の眞弓さんが、

 

「ウチは覚える気のない人の名前は覚えまへんので、不要どすえ」

 

 とそれを拒否したので、それで怒った愛菜さんと千雨さんがファミレスを出ていってしまい、それを追うようにオレと幸姉も会計を済ませてファミレスを出てそのまま解散となってしまった。

 数日後。

 カルテットの申請締め切りとなって、組み合わせが発表となるが、それでオレ達の班、『マッケンジー班』の相手が『薬師寺班』となっていて、どうやらあの眞弓さんが組んだチームとの対戦になってしまった。

 それには先日の件もあり愛菜さんと千雨さんは燃えまくり。闘志むき出しの超やる気であった。

 そして注目すべきはその対戦で用いられるルール。

 

救出&脱出(セーブ・リーブ)

 

 教務科によって発行されたルールブックによれば、チーム内で1人ずつ『人質』を相手チームに渡し、その人質の奪還を目的としたルールらしい。

 しかし人質も自分で脱出して逃げたりしてもいいとあり、その戦術の幅は結構広そうだ。

 

「人質は京ちゃんでエエな?」

 

 それで対戦の日時が2日後と定められていたために、早速午後の専門授業の時間に集まって戦略会議。

 他に誰もいないA組の教室を使って話し合いを始めれば、開口一番で愛菜さんから人質に任命された。

 まぁ、妥当ですけど。

 

「てゆーか、京ちゃん人質とかもうマジでやる気MAXやねんけど! お姉ちゃんが絶対助けたるからな!」

 

「助けられるかは京ちゃんに任せるとして、相手のメンバーで厄介なんは早紀やな」

 

 人質がオレに決まって燃えまくる愛菜さんを軽く流して、千雨さんは次に相手の戦力の分析に入る。

 眞弓さんのメンバーは雅さんに早紀さん。それから装備科の1年男子。

 その中で千雨さんがまず名前を挙げたのが早紀さん。元狙撃科だからか。

 

「狙撃は早めにシャットアウトせな堂々動きにくいで。たぶん雅は狙撃のサポートやろうし、元々直接戦闘能力は皆無や。ぶつかっても問題あらへん。『変態』は100%人質やろ。幸音に頼むわ」

 

「ちょっと待って。『変態』って何」

 

 千雨さんの話にウンウン頷く中、おそらく残りの装備科の男子のことなのだろうが、変態と聞いてはウンウン頷けなかった幸姉が待ったをかける。ちなみに今日の性格はフレンドリー。

 しかし千雨さんは「どうせ拘束するんやから問題あらへんって」と軽く返して、実際の動き方を話し始めてしまい、幸姉も気になりつつも話に耳を傾ける。

 それにしても変態か……そんなあだ名をつけられるって、どんな人なのか……

 結局作戦としては至極シンプルな内容となった。

 幸姉が人質を見張り、愛菜さんと千雨さんがオレの救出に動き、オレは人質として捕まるが、隙あらば拘束を解いて脱出する。

 そういうことで特に異論もなく終わってしまった。

 具体的なことは一切決めず『常に臨機応変に』がスローガンとなったこの班。大丈夫なのだろうか。

 そんな不安を抱きつつ、とうとう対戦の当日を迎えることとなってしまったのだった。



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Reload4

 

「それじゃ、これから『マッケンジー班』対『薬師寺班』の『救出&脱出』、4対4戦を始めるぞ」

 

 夏目先生のそんな言葉で始まった特別授業、カルテット。

 今は校舎裏の車輌科のために作られたサーキット上でオレ達マッケンジー班と薬師寺班とが対面している状態。

 これからオレは人質として眞弓さん達の拠点へと移動して拘束されることになり、愛菜さん達も眞弓さん側の人質と一緒に別の拠点へと移動して作戦開始となる。

 今回、眞弓さん側の拠点は校舎端にある体育館で、オレ達の拠点が今いる校舎裏の校舎から一番遠くに建てられた車輌科・装備科の専門棟。

 強襲科や諜報科・探偵科といった学科は校舎の1階と地下1階に専門の区画が存在し、特別広いスペースが必要になる車輌科や装備科は別個で棟を建てられている。

 他にSSRの専門棟も存在するが、そちらは秘匿性が高くて基本的にSSRの生徒以外は自由な出入りすらできない。

 この対戦は普通に別の生徒が授業中に行われるため、今でも車輌科の生徒がサーキットで車やトラックを運転していたり、校舎からは絶え間なく銃声が聞こえていたりする。

 そんな中で行われる実践。一応想定では周りへの被害は出さないこととされているが、どうなるかはわからないな。

 

「雅の幼馴染みかなんか知らんけど、潰す! それで京ちゃんも助ける!」

 

「まっちゃん、この前のは根に持たんといてや。眞弓は人の名前覚えるんが苦手なだけやから……」

 

「かまいまへん。そんくらいの気迫で挑んでもらわな、こっちもやりがいがありまへんから」

 

「愛菜、アイツ絶対泣かすで! そんであたしらの名前を意地でも覚えてもらう!」

 

 それで顔を合わせればすでにヒートアップする愛菜さん達。

 それをよそ目にオレや早紀さんはヒソヒソと小声で会話。

 その早紀さんの肩には狙撃銃が担がれていた。やっぱり狙撃か。

 

「あっちは熱くなっとるけど、マユもあれで悪気はない言うから怖いで」

 

「名前を覚えるのが苦手っていうのは本当なんですか?」

 

「さぁ? ミヤの話やとホンマみたいやけど、なんや私は名前を覚えるに値する人を選別しとるようにも思えんねん。現に私の名前もまだ聞いてもらえてへんし」

 

 チームメイトですらそうなのか。

 ここに来て物凄いことを聞いてしまったが、うるさくなってきた愛菜さん達が煩わしかったのか、夏目先生がギロッ! と人でも殺せそうな視線をオレ達に向けて黙らせてきたので、それにはみんな沈黙。

 しかし約1名。空気の読めない輩が。

 

「君がSSR期待の新星、真田幸音ちゃんか。いやはや、美人すぎて眩しいよ」

 

「そ、それはどうも、です」

 

 今日に限って無自覚で周囲の男を惹き付ける行動や言動をする『乙女』の幸姉にそんな口説き文句を言っていたのは、眞弓さん側の人質要員の男子。

 名前は青柳空斗(あおやぎそらと)

 装備科の1年で、ランクはB。装備の調達から整備、改造に売買。

 装備に関してなら何でもござれと優秀ではあるようだが、その依頼人は絶対に『女』でなくてはいけないのと、報酬に『特別料金』なる支払い方法が存在する人でもある。

 要は女性限定の装備科生徒というのがこの人。

 その空斗さんは幸姉にグイグイと迫っていたが、オレが手を出す前に眞弓さんから容赦ない扇子による一撃を受けて気絶。その首根っこを掴まれてオレ達の方に投げられた。

 

「さっさとそれ連れてってください。どうせ逃げ出せるような実力もありまへんし、期待もしとりまへん。それでそっちの人質はそこのおもろい子でよろしおすか?」

 

 眞弓さんはもうさっさと始めよう的な雰囲気で空斗さんをこちらに引き渡すと、今度はオレを見て薄く笑う。

 それに促されるようにオレが眞弓さんの側へと足を運ぶと、それで夏目先生が息を1つ吐いてから「散れ。開始は20分後」とだけ言って校舎の方へと行ってしまい、オレ達もそれに続くように移動を開始したのだった。

 眞弓さん達の拠点である体育館。

 そこのステージで背もたれつきのパイプ椅子に座らされたオレは、まず防弾制服の上着を剥ぎ取られ、次に口の中に指を入れられて何も含んでないかを確認され、靴も脱がされて何か仕込めそうな部分を徹底的に調べられた上で体に縄を巻かれ、後ろ手に縄で縛られ、足もパイプ椅子の足に繋がれた。

 これでオレはこのパイプ椅子と一心同体だな。拘束が半端じゃない。

 

「相手が諜報科やと、これでも安心できまへんな。それでも抜け出せるようなら、それはそれでウチとしては嬉しい誤算どすけど」

 

「嬉しい誤算、ですか?」

 

「今は話すつもりはありまへんから、聞き流してもらうと嬉しおすな」

 

 まぁ、なんにせよこの人はこのカルテットをただの授業として受けてはいない。

 その辺も探る必要が出てくるのか?

 そうこう考えていたらあっという間に開始の時間となり、もうすでに姿のない早紀さんと雅さんは、おそらく迎撃に出ている。

 ここに今いるのは眞弓さん1人。

 しかしこの人、柔らかい物腰でありながら、案外隙がない。

 こちらが不穏な動きをすれば即座に反応しかねないほどに洗礼された集中力だ。

 こんな人が今まで武偵じゃなかったのなら、いったい何をしていたのか疑問に思うほど。

 しかしそんな眞弓さんに躊躇っている場合でもない。

 ここで愛菜さん達が助けに来るのを待つのも選択肢ではあるが、もしかしたら迎撃されて辿り着けない可能性だってあるし、ここにいる眞弓さんが愛菜さん達より強ければ、倒されてしまうことも考えられる。

 今回の勝利条件は『人質を解放して拠点へと帰還させる』か『人質以外の敵を全滅させる』。それから『拘束を解かれた人質が倒されてしまった』場合。

 人質は拘束を解くまでは倒すことを許可されないが、1度でも解いてしまえばその限りではなくなる。

 だから今回の人質の拘束をあえて抜けられる手を残して、逃げたところを仕留めるなんて手も考えていたが、眞弓さんはそれでは危ないとでも踏んだのか、ガチガチに拘束をしてきた。

 それはもう強襲科や探偵科では抜け出せないと悟れるくらいに。

 オレもかなりの綱渡りをしたが、なんとかこの拘束を脱出する手を残せた。

 身ぐるみ剥がされなきゃ相当楽だったんだけど、そんな優しい人でもなかったな。口の中まで調べられたのは予想外だったし。

 諜報科に限らないが、諜報などを専門にする武偵の中には、暗器と呼ばれるものを体に仕込む人もいる。

 その中で有名なのが口内に隠せるカッターやワイヤー。それすら眞弓さんは警戒して調べてきた。

 生憎とオレは体内にまで何かを常時隠したりはしないので、警戒のしすぎなのだが、それでも眞弓さんの逃がす気はないという意思はヒシヒシと伝わってきた。

 とにかく、この残せた手を眞弓さんにバレないように使い、隙を見て逃げる算段までしなくてはならない。

 しかしそれには眞弓さんの実力が未知数。やはりいくらか情報を引き出さないとダメか。

 そんな結論に至ったオレは、拘束状態にある自分の現在の稼働域を確かめながら、扇子を扇ぐ眞弓さんをまっすぐに捉えて話を振ってみる。反応してくれよ……

 

「眞弓さんって、雅さんと幼馴染みなんですよね? 雅さんはいつから武偵をやってるんですか?」

 

「少年、雅に興味あらはるんどすか? エエ趣味しとりますのやな。もっと身近にナイスバディがおりますやろ?」

 

「いえ、そういう趣味の話ではなくて……」

 

 どう切り出そうかと考えた結果、雅さんを話の種にしてみれば、意外にも眞弓さんは普通に話をしてくれた。

 いや、返しは普通ではなかったけど。

 

「その、雅さんが少なくとも中学は大阪武偵中に通っていたらしいことはわかってるので、その時に眞弓さんはどこにいたのかなって。眞弓さんの身のこなしは素人のそれとは違いますし」

 

「中学には、行っとりませんのや」

 

 オレが言い終わるかどうかというタイミングで即答した眞弓さん。

 その時にはオレと目を合わせずにどこか遠くを見ていたように感じた。

 

「別に不登校やったとかそんなんと違いますえ。家が代々医者の血筋やさかい、ウチも中学に上がった時には親の手伝いをしとりましたって話どす」

 

「……ですけど、それで何でそんな身のこなしとかを……」

 

「おりました場所が場所やさかい、必要を迫られてしもうた、といったところどす」

 

 必要を迫られた?

 そんな場所が日本に存在するのだろうか。

 というか医者がいる場所と言うと、やっぱり病院、だよな。それで必要を迫られるって、やっぱり変だ。

 

「納得できまへん。みたいな顔しとりますな。そら常識的に考えればそうどす。けど、医者の全てが『安全な場所で治療をしてる』いう認識は、日本人らしいとしか言えまへんえ」

 

 日本人らしい?

 それってもしかして、眞弓さんはずっと『日本にいなかった』ってことなんじゃ……

 そうオレが口に出そうとした時、この体育館の屋根から、2発の発砲音が届き、オレも眞弓さんも1度頭上を見上げて頭を切り替える。

 

「もう来はりましたか」

 

「今のは、早紀さんが撃ったんですか?」

 

「体育館の屋上を陣取って撃つ人なんて普通いまへんえ。生憎と昏倒程度で撃退には至ってへんみたいどすが」

 

 あの愛菜さんと千雨さんに被弾させたのか。それでも十分凄い。

 あの2人の実力は身近で見ていたからこそ、その凄さがわかる。

 となるとやはり、愛菜さん達を信頼して黙ってるというのは安牌ではなさそうだ。オレもオレでできることをしよう。

 そうしてたった1つの策、左耳の少し上の髪に紛れさせて仕込んだTNKワイヤーを、汗を拭くような動作で肩で擦って落とし、後ろ手に縛られた手でキャッチ。

 そのあと怪しまれないように逆でも同じ動作をしておく。

 一瞬何かと反応されたが、そこまでの反応でもなかったので、なんとかここはクリアした。

 気を緩めたら簡単に勘づかれてアウト。本当にこの人、医者家系か?

 

「それよりもウチがこれだけ自分のことを話したんやし、そっちも質問に答えんなんて水くさいこと言わへんどすな?」

 

 オレが慎重に事を進める中、先程の愛菜さん達の攻防を頭の隅に置いた眞弓さんは、オレに向き直ってニヤッとその口角を上げて笑みを浮かべる。

 これは話に応じる義理はない。あっちが勝手に話したのだから。

 と一蹴するのは容易いが、話に意識を持っていってくれるなら、こちらとしても作業が幾分やり易くなるため、適当に付き合うことにする。

 

「答えられる範囲でなら」

 

「エエ子どす。とはいえ、こっちもおんなじような質問になりますけど、あんさん、その歳であれだけの動きをどこで身に付けたんどすか? 雅に聞きましたえ。あんさん、まだ12の子供やて」

 

「……そういうのを身に付けなきゃいけない家系だったからですよ。眞弓さんと変わりません」

 

「履き違えてもらわんでください。ウチの医療の技術は別に身に付けなあかんわけやありまへんでした。ただ生まれた時から身近にそれがあったから、自然と身に付けるもんやと思っとっただけどす」

 

 少しだけ声のトーンが落ちた眞弓さんは、そうやってオレの言葉を否定して、1度視線をオレから外す。

 確かにそれならオレとは違う。

 オレは家の言いつけで身に付けろと半ば強要されたようなものだが、眞弓さんは誰に言われたわけでもなく、自分でそれを身に付けた。

 そこには明確な違いがある。

 

「でも、オレは後悔はしてないです。この力で守れるものがあるなら、それはとても喜ばしいことですから」

 

「守れるもの……あんさんといつも一緒におる長い黒髪の女どすか? 確か主従関係や言う話を聞きましたな」

 

「家が決めたことですけど、それでもオレはあの人を守れることを誇りに思ってます。それはこれから先もずっと変わりません」

 

「……寂しい生き方どすな……そこに己の意思がない……」

 

 ボソッと、全てを聞き取れない声量で何かを呟いた眞弓さんは、それから少しの間沈黙。持っていた扇子を広げて軽く扇いだりし始めた。

 何を言ったのか気になるところではあるが、眞弓さんの意識が他所へいっているならチャンス。

 先ほど手にしたワイヤーを指先だけで器用に動かして手首に巻かれた縄に引っ掻けて左右に動かし切りにかかる。

 早くやるとワイヤーの切れ味で指がボロッと取れてしまうので、ゆっくり確実に作業を進める。

 それで手首の縄を解き、切った縄を尻のポケットに入れて落ちないようにしたあと、今度は胴体に巻かれた縄の切断。

 しかしこれは巻かれる段階で少し手を加えている。

 人間は大量の空気を体内に取り入れた状態とそれを吐き出した後の身体の膨張具合がだいぶ変わる。

 それを利用すると、がっちり巻かれたはずの縄も息を吐き出せばいくらか余裕ができて緩む。そのわずかな緩みは結構重要。

 始めは胴体に巻かれた縄も切ろうと考えたが、切った拍子に全体が緩み、眞弓さんに気付かれる可能性があったため、そのわずかな緩みを利用して結び目を解く作業に変更。

 ここはすぐに解ける1歩手前でやめて、最後の難関、足の拘束をどうするか考える。

 パイプ椅子は前足、後ろ足がそれぞれ左右で繋がってるオーソドックスなタイプで、縄を巻かれたまま足を抜くといった具合にはできない。

 かといって今の姿勢からでは足など触れることすらできないし、変に足を意識すれば眞弓さんが反応してしまう。

 やれるとすれば、胴体の拘束を解いた瞬間に手に持つワイヤーで素早く足の縄を切ることだが、それには最低でも4秒はかかる。

 それだけあれば眞弓さんなら容易に無力化できるだろう。どうしたものか。

 

「そういえば、あんさんのご主人様、SSRや言う話やけど、代々そういう家系なんどすか?」

 

 オレがもう1つくらい案がないかと模索し始めた瞬間、もう狙っているのではないかというタイミングで眞弓さんが急に口を開いたので、内心少しびっくりしながらも、あたかもただ黙っていたかのように振る舞い眞弓さんを見る。

 

「いえ、幸姉の家はそういうのとは無縁だったんですけど、幸姉だけが持って生まれてしまったんです」

 

「……京都武偵高になんでSSRがあるか知ってはりますか?」

 

 オレの返答を聞いた眞弓さんは、何か意図があるのか、唐突にそんな質問をしてきた。

 だが、考えてみれば少しおかしな話だ。

 SSRは正式名を『超能力捜査研究科』と言い、文字通りに超能力を扱う武偵、超偵を育成する学科ではあるが、狙撃科や救護科といった学科がないこの京都武偵高にSSRはあるというのは不思議だ。

 SSRというのはそれだけ生徒数も少なく、限られた人間しか入れないから。

 

「伏見稲荷の天孤の化生が言うには、ここが古都であるがゆえに数年に1人か2人、『ホンモノ』が生まれるらしいのどす」

 

「ホンモノ?」

 

「人の枠に当てはまらん力を持った『バケモノ』のことどすえ。そんなホンモノを引き取る場所がここのSSRや言う話で、あんさんのご主人様がもしかしたらそれやないかと思たんどす」

 

 バケモノ? 幸姉を……そんな風に言うな……

 ――ガバッ!

 眞弓さんの言葉を聞いてほとんど反射的に身体が動いたオレは、ほとんど解けていた胴体の縄を振りほどき、想定より早いスピードで足の縄を両方とも合わせて2秒で切り解く。

 ワイヤーを雑に扱ったため、それを持っていた指に食い込み血が出るが、それにも構わず身体から離れたパイプ椅子を眞弓さんめがけて思い切り投げつける。

 しかし2秒もあれば眞弓さんも迎撃の体勢が整う。

 投げつけたパイプ椅子はヒラリと最小限の軸移動で躱され、それと同時に右腿に携えていた拳銃に手が伸びるのが見えた。

 眞弓さんがホルスターから銃を抜きその銃口をオレへと向け構えたのと同時に、懐へと入り込み構えた右腕を掴み両足を払って床へと仰向けに押し倒すと、銃を持っていた右手を床に数回叩き付けて手放させると、マウントポジションを取って両の手首を掴んだ。

 

「訂正してください。幸姉はバケモノなんかじゃない!」

 

「超偵言うんは結局、自分が他人と違うことを認めな前に進めまへん。そういう星の下に生まれてしもうてるんどす」

 

 オレに押し倒されたというのに、眞弓さんは表情1つ変えずにそう言って笑みを崩さない。

 ――ゴヅンッ!

 眞弓さんの笑みに違和感を覚えたのとほぼ同時。

 突如オレの後頭部に重くて固い何かが直撃し、一瞬ではあるが眞弓さんの拘束を緩めてしまうと、その一瞬で眞弓さんはオレの腕を振り払って手首を掴み、ぐるん! 右手を左へ、左手を右へと引っ張りオレを上から退けて素早く立ち上がり、落ちていた銃と扇子を拾い上げて、オレに再び銃口を向けた。

 

「これ、銃弾も弾き飛ばす強度やさかい、殴打に使ても威力があるんどすえ」

 

 言いながら眞弓さんは左手に持つ扇子を広げて優雅に扇いでみせる。

 おそらく眞弓さんは交錯の時にあの扇子を上に投げておき、丁度オレの頭に落ちるように倒れた。そういうことなのだろう。

 完全に銃の処理に気を取られた結果だ。

 

「拘束を抜けた事は嬉しい誤算どす。やけど、そない頭に血が上りやすいのはマイナスを付けなあきまへんえ。武偵は冷静さが友や言いますからな」

 

 強い。若干冷静さを欠いたとはいえ、オレが1対1で地に伏せられた。

 しかも強襲科や諜報科といった前線の学科ではなく、あくまで自らの生存率を上げるために戦闘技術を身に付ける衛生科にだ。

 マジでこの人、衛生科とか疑いたくなる。

 だが、この状況でもまだ詰みではない。

 幸い、眞弓さんはこの形勢になった瞬間にオレを撃って無力化しなかった。そこは大きい。

 

「……避けますよ、オレ。たとえいま撃たれても、確実に避けて眞弓さんから銃を奪えます」

 

「あー……んー……そらぁ、そうどすなぁ……これはウチも詰めが甘かったことを認めなあきまへんな」

 

 片膝をついた状態のオレが不敵にそう言ってみれば、意外にも眞弓さんはそれを素直に受け入れて、扇子を閉じて頭を軽く叩く。

 普通はそんな戯れ言と一笑に伏すところだと思うんだが……

 そう思ってオレがほんのわずかに気を緩めた瞬間、眞弓さんの銃を持つ手に、その引き金にかける人差し指に力が入ったのを見て、全力で身体を左へずらした。

 眞弓さんの放った銃弾は、オレの右肩を弾き飛ばすように命中し、オレも反動でのけ反るが、今はそれどころではないと身体に鞭を打ち前へ。

 眞弓さんの持つ銃を下から蹴り上げて、今度は左手の扇子も視野に入れつつ眞弓さんの腹へ蹴りを入れるが、それを扇子によって阻まれてしまう。

 だがいい。オレの蹴りで動きが少し止まった眞弓さんよりも早く、打ち上げられた銃をキャッチ。そのまま体育館の出入り口へと向かう。

 それを眞弓さんは追おうともしなかったが、オレが体育館を出る直前に言葉をかけてきた。

 

「名前、覚えておきます。名乗ってから行きなはれ」

 

「……猿飛京夜。諜報科のインターン、です」

 

 それに対して眞弓さんは何も言わずにただオレのことをまっすぐに見つめて笑みを浮かべた。

 そのあと体育館を出たオレは、早紀さんからの狙撃を抜けてきた愛菜さんと千雨さんに合流し、すぐに拠点へと帰還。

 それでこちらの勝ちとなったわけだが、その拠点では意識の戻った空斗さんが拘束された状態で幸姉にナンパしていて、幸姉も決着するまで人質に手が出せないルールのせいで精神的に参っていた。

 そんな様子にイラッとしたオレは、空斗さんに1発だけ蹴りを入れて床に転がして幸姉の側に寄り保護。

 そのあと愛菜さんと千雨さんは容赦なく殴る蹴るの雨あられ。夏目先生や眞弓さん達と合流した頃にはボロ雑巾のようにされていた。

 さすが『変態』と言われるだけあって、そんな姿にされても誰も心配する人がいなかった。可哀想を通り越して哀れだ。

 

「まぁ、4対4はマッケンジー班の勝ちだ。負けた薬師寺班は後日教務科の出す課題をやって提出すること」

 

 全員集まった中で夏目先生は淡々とそれだけ述べてさっさと校舎の方へと行ってしまい、残されたオレ達もすぐに解散かと思われたが、そうもいかなかった。

 

「なんや、えらい上からの物言いやったのに、京ちゃんに逃げられてもうてるやんか」

 

「やめや愛菜。今こいつ、めっちゃ恥ずかしくてしゃーないんやって」

 

「ウチは別に逃げられたことに関しては恥じることもありまへんえ。京夜はんはウチより優秀やった。それだけの話どす。それより、ダブラ・デュオ言うけったいな名前で売り出しとる2人組は、最後まで姿が見えまへんでしたけど、昼寝でもしてたんどすか?」

 

「「なんやと!!」」

 

 どうやら愛菜さん千雨さんの2人と眞弓さんは水と油の関係らしく、そこからまた言い合いが始まってしまう。

 そんな言い合いを横目にオレに近寄ってきた雅さんと早紀さん。

 ちょいちょいとしゃがむように促されたので、3人で小さな輪を作ってヒソヒソ話を始めた。

 

「京くん凄いなぁ。あの眞弓がこんな早くに他の人の名前覚えるやなんて思わへんかった」

 

「そういえばこの中では雅さんだけですね。名前で呼ばれてたの」

 

「私は今回はマユのお眼鏡に叶わなかったらしい。お疲れさんどすで話も終わってもうたからな」

 

「不思議な人ですよね、眞弓さんって。あ、この銃、眞弓さんに返しておいてください」

 

 そうして話の中で雅さんに眞弓さんの銃を手渡したところで、不意に後ろの襟を引っ張られて立ち上がらせられたオレは、そのまま眞弓さんに抱き寄せられてしまっていた。な、なんだ?

 

「あんさんら2人より、京夜はんの方が優秀や言うことがわかりまへんか? それでウチ、京夜はんのこと気に入ってしまいました。これからよろしゅうな、京夜はん」

 

 ――チュッ。

 そう言った直後、眞弓さんは何を思ったかオレの頬にキスをしてきて、にっこり笑顔を向けてきた。

 それには目の前の愛菜さんが鬼の形相。両手に銃を持って鬼神が如く眞弓さんを睨んだ。こ、恐い。

 

「何してくれとんねん。私もまだしたことなかったいうのに……」

 

 そこなの!?

 意外すぎる愛菜さんの言葉に内心ツッコミつつ、オレを盾に笑顔で後退を始めた眞弓さん。

 しかもご丁寧に腕の関節を極められて逃げれない。

 

「なんどすか。京夜はんは別にあんさんのもんでもないどすえ。怒られるのは筋違い思いますけど?」

 

 この人こんなこと言ってるけど、絶対こうなるってわかっててやった。

 その後眞弓さんと愛菜さんはしばらくおいかけっこをしたようだったが、眞弓さんの方が1枚上手で、結局逃げられた愛菜さんがその怒りをオレを強烈なハグをすることで治めて事なきを得たのだった。



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Reload5

 

 あの衝撃の4対4から早くも2ヶ月以上が経過。

 5月には日本で最大の武偵高、東京武偵高で『アドシアード』とか言う武偵のオリンピックのような大会が大々的に開催されて、それには強襲科の中でもトップクラスの銃の腕を持つ愛菜さんが拳銃射撃競技(ガンシューティング)の代表に選ばれたが、「東京なんか行ったら京ちゃんと離ればなれになってまう!」とわけのわからない理由で辞退。

 それに対して担任の古館先生がバカ笑いしたのは今でも鮮明に覚えている。

 それから4対4の件以来、1年の中でも頭1つ抜けている実力者、衛生武偵、薬師寺眞弓さんに気に入られてしまったようで、週に1度くらいの頻度で幸姉も同行するという条件の下、一緒に依頼をこなしたりしていた。

 その中には雅さんと早紀さんもいたりいなかったりがあったが、愛菜さんと千雨さんは1度として同行を許されていなく、依然として眞弓さんとダブラ・デュオの仲は険悪だったりする。

 幸姉も5月には専門のSSRと同時履修で強襲科の授業にも出るようになり、今はその右腿に帯銃――H&K P2000――もしている。

 腕も愛菜さんが仕込んだおかげでなかなか様になっている。

 千雨さんにも刀剣術を学んでいて、次のランク考査では最低でもBは取れるとの評価だとか。

 幸姉は昔からやればできないことはほとんどなかったからな。

 そしてオレは京都武偵高の1年の中でも台頭してきた眞弓さんや愛菜さん達といつも一緒にいるということで注目を集め、さらには愛菜さんをアイドルのように崇める男子生徒からは毎日その恨みやら妬みやらの念を送られ続けるという精神的に若干参ることが起こっている。

 いつかその恨み妬みが爆発しそうで怖いところ。

 そんなわけで今日も男子諸君から暑苦しい視線を受けていた6月31日の朝、最初のホームルームの時間。

 いつものように低血圧ゆえに覚醒しきってない担任の古館先生を叩き起こして始まったのは、夏休みの話。

 京都武偵高の夏休みは圧倒的に早い7月1日からのスタート。

 他の武偵高も一般高校よりずいぶん早いのだが、京都武偵高がそれより早いのには訳がある。

 京都市東山では毎年7月から1ヶ月に渡って行われる日本3大祭にも数えられる『祇園祭』が開催され、多くの人で賑わいを見せる。

 しかしその一方で揉め事も年々増加し、最悪なのは銃などが出てくる大騒動にまで発展するケースが発生したこと。

 それを受けて京都武偵高では毎年祇園祭の開始から夏休みとして、その警護の任を引き受けているというわけだ。

 これは京都武偵高生全員の評価で連帯責任となるため、何か問題が起きれば2学期からの授業が地獄と化すので、こればかりはみな協力体制を惜しまなかったりするらしい。

 何より歴史ある祭事。参加者運営者問わず、全員が楽しかったと思える祭りにできるならそれが一番だろう。

 

「それじゃあ明日から始まる祇園祭の警備シフトをスパァン! と決めていくぞ! 1年A組の担当する日付は7日と16日と25日。何か問題起こったら日付でどのクラスがしくじったか丸わかりだから肝に命じとけよ。というかしくじったら担任も減給されるから手を抜いたら全員2学期の依頼報酬なしで受けてもらうから」

 

 それは死ねる。普段装備の消費がほとんどないオレはまだしも、毎回銃弾を消費する愛菜さんや幸姉なんかは補充もままならなくなる。

 つまりこれは暗に依頼を受けられなくすることで、『2学期単位不足で落第したくなかったら死ぬ気でやれ』ということ。

 それがわからないオレ達ではなかったので、古館先生の減給はともかくとしても、依頼完遂はみんな誓った。

 そのあと古館先生は教室の隅へと移動して警備の詳しい内容決めをオレ達に任せて、自分は拳銃――グロック19――の分解整備を始めてしまった。

 ちなみにもうすぐ終業式が体育館で行われるが、例によってフケるらしい。

 というよりここではそういった習わしなどは基本無視する傾向にあるらしく、古館先生や夏目先生他、多くの先生が「そんなのに出てる暇があるなら別のことをする方が利口」と謳っているとか。

 それはそうなのだが、これはこれで校長とかが涙目だろう。

 

「それじゃあ決めてくから、文句あったら挙手頼むよ」

 

 そんなこともお構いなしに先生の退けた教壇にパッパと上がった愛菜さんが仕切ってクラス会議が始まる。

 リーダーシップという意味では愛菜さんはそれなりに高い資質を持っていると思う。みんなからの信頼もあるしな。

 

「まぁ言うても間空いての3日やし、みんな1日くらいどうってことないやろ。やからブロック分けして分担した警備でエエと思うねんけど、異論はある?」

 

 確かに依頼の中には何日も動き回る内容のものもいくつかあるし、1日警備するくらいは問題はないよな。

 みんな愛菜さんの意見に賛同してそこはあっさりと決まる。

 

「それで編成やけど、とりあえず私と京ちゃんは同じチームとして……」

 

 しかし次のチーム編成で当然のごとくサラッと流すようにそう言った愛菜さんにほぼ全員が「なんでやねん!」とツッコむ。

 さすがは関西、なのか?

 

「愛菜、さすがにそれは無理あんで」

 

「なんでや? 私はみんなに疑問しか持てんねんけど」

 

「あのなぁ……このクラスに何人Aランクおるかわかっとるか? 現状でたった7人や。あたしや愛菜、京ちゃんが分かれるんは当然の流れやろ」

 

 何故か頬を膨らませてブーブー言う愛菜さんに千雨さんは呆れ気味にそう諭す。

 確かに戦力は均等に分けた方がいい。それがわからない愛菜さんでもないのだが、ここではちょっと頑固になっていた。

 そうまでしてオレと同じチームがいいのか。愛菜さんのこだわりはよくわからないな。

 それで愛菜さんと千雨さんの言い合いが始まってしまい、教室内は会議どころではなくなってきたのだが、それに待ったをかけたのは、オレのご主人様である幸姉。

 幸姉は自分の机をバン! と叩いてから、席を立って静まった教室内を歩き、愛菜さんの横まで来ると、ニコッと笑顔を向けてから鼻を摘まんで引っ張って教壇から退け自分が教壇に立つ。

 

「我を通すのは結構だけど、それがメリットを生むかどうかをきちんと考えなさい。愛菜と京夜が固まってもバランスが崩れるだけ。そこに異議のある人はいる?」

 

 いつもとは違い後ろの髪を半ばほどでまとめた幸姉は、キリッと目を鋭くして教壇に両手をついて全員を問いかけると、愛菜さん以外はそれに異議なし。

 

「ちょう待ってや幸音! 私は京ちゃんとおらんとステータス50%ダウンやで? それでもエエんか!」

 

「あなた、今だって土日は京夜と会えてないんだから問題ないでしょ。そんなの気持ちの問題。そんな下らない理由でステータスダウンしたら、わかってるわよね?」

 

 ギロッ!

 まさに目力と呼ぶに相応しい視線で愛菜さんを見た幸姉は、何も言い返せなくなり萎縮した愛菜さんを席に戻すと、話を再開させた。容赦ねぇ……

 そんな今日の幸姉は、超効率主義で真面目さでは右に出る者がいなくなるくらいの『真面目』。

 今のようにグダグダになることを特に嫌うところがあり、物事をより良い方向へと持っていく。

 ちなみに静かな空間を好むため、うるさい空間をこの上なく嫌う。

 その真面目な幸姉にかかれば、この会議もあっという間に終了。

 クラスメートの学科やランクを考慮した実にバランスの良いチーム編成をして、それでいて生徒間の相性も意見を参考に配慮していた。

 もちろん愛菜さんのオレと同じチーム案は即却下されていたが。

 それで1時間もしない内に会議も終了。

 銃の整備をしていた古館先生も予想より早く終わったからか、少し遅れて整備を終えて再び教壇に立つと「単位不足者は教務科の掲示板に貼り出すから確認しとくように」と言い残して教室を出ていってしまい、この日の授業はそれで終わってしまった。

 ぶっすぅ!

 そんな表現がピッタリなむくれっ面を披露している愛菜さんは、先程の会議終了からご機嫌ななめなご様子で机に寝ながら、恨めしそうに幸姉に視線を送っていた。

 その視線をものともせずに文庫小説を黙々と読む幸姉のスルーっぷりも場の空気を険悪にする。

 

「幸音はズルいわ。私と京ちゃんの仲を引き裂いといて、自分はしっかり京ちゃんと同じチームにするとか、ズルすぎやん」

 

「別に仲まで引き裂いた覚えはないし、ズルくもないわよ。私は編入当初は期待値込みでAランク判定だったけど、現状での判定はC。強襲科ではまだランクが付いてないし、Aランクの京夜と同じチームでも不公平ではないわ」

 

「おーおー、手強いで愛菜。どう返すん?」

 

「それでも! ズルいもんはズルいねん!」

 

 まさかのゴリ押し。

 妙に説得力のある幸姉を前に愛菜さんは自分のペースに持ち込めず、それを最後に机に突っ伏してしまう。

 

「……仕方ないのよ愛菜。私は家の外にいる間は可能な限り京夜と一緒にいなきゃいけないの。それが守られないと京夜が叱られてしまうから」

 

 そんな愛菜さんを見てさすがに少し悪く思ったのか、幸姉は本来あまり言うべきところではない家の事情を愛菜さんと千雨さんに説明する。それで納得してくれるならと。

 それから幸姉はオレに目配せをして「京夜からも何か言いなさい」と伝えてくるので、気の利いたことはあまり言えない性格ゆえに言葉に詰まるが、それでも何かをひねり出してみる。

 

「あのですね、愛菜さん。幸姉のそばにいるのはオレの役目でして、それをズルいとか言われちゃうとオレも困ってしまうんですよ……」

 

 自分なりになんとか納得してもらおうとひねり出してはみたのだが、それに対して幸姉と千雨さんが「そういう風に言うか」みたいな微妙な表情でオレを見てきた。

 いや、他にどう言えと?

 

「……京ちゃん、私が文句言うてたら困ってまうん?」

 

 2人の視線に若干怯んでいると、机に突っ伏していた愛菜さんが顔だけをこちらに向けて涙目で問いかけてくる。この人の方が十分ズルい。

 武偵は『闇』『毒』『女』に注意しなければいけないわけだが、愛菜さんの『女』という武器は極めて強力で本当に困る。

 

「……しゃーない。幸音が京ちゃんと一緒のチームなんは納得しといたる。私も京ちゃん困らせたいわけやないし、警備の時くらいは我慢したる」

 

 愛菜さんの涙に負けそうになっていたオレだったが、困ってるのが顔に出たのか、それを汲み取った愛菜さんがはぁ、と1つ息を吐いてからそう言って顔を上げて笑顔を見せてきた。これには正直ホッとする。

 だがホッとした直後、オレは愛菜さんに腕を引っ張られてその胸に引き寄せられると、そのまま愛菜さんに抱き締められてしまい、何が何やらといった事態に発展。

 

「でもあれやろ? 要は幸音が家にさえおれば、京ちゃんはその間外で自由に動けるわけやん。そこで幸音に提案や。警備の話を納得する代わりに、今夜京ちゃんを私の家に泊めたいねんけど」

 

 なに言ってんだこの人……

 オレを抱き締めながら幸姉にそう交渉した愛菜さんはいたって真剣らしく、その腕にぎゅうぅ! と力が入っていて、そのせいでオレも胸に顔が埋まっていく。

 

「ダメって言ったら?」

 

「幸音とはもう口聞かん」

 

「……それはこちらとしても痛手ね。幸い明日から夏休みだし、今日帰ってから明日京夜が帰ってくるまで私が外へ出なきゃなんの問題もないと。いいわ、それで愛菜の気が済むなら許可する」

 

「やたー!! 勝訴ー!」

 

 訴訟沙汰にすらなってませんけどぉ!

 そんなことを完全に埋まってしまった胸の中からモゴモゴと言ってはみたが、喜びのせいなのかさらに腕に力が入って、すでにオレは呼吸困難に陥っていた。

 誰か助けて……というかオレの意思は尊重されないのでしょうか……

 そんな感じでオレの意思とは関係なく、今夜愛菜さんの家に泊まることになったオレは、愛菜さんの胸の中で失神しかけるという窮地を乗り越えて、そのあと異常なほどハイテンションになった愛菜さんに促されるまま、民間からの護身術講習なる依頼に付き合わされてから帰宅したのだった。

 オレと幸姉の家は鷺森神社にほど近い比叡山のすぐ近くにある結構な敷地面積を誇る武家屋敷。

 土地の周りは高い塀に囲われていて、その土地内に幸姉の住む真田家とオレの住む猿飛家がある。

 もちろん真田家が本家に当たるため、敷地面積は真田家の方が広いし、猿飛家は土地の端っ子に遠慮するように建てられている。

 その敷地内に入るための正門へと幸姉と一緒に辿り着いてから、いつものように正門を潜ろうとしたところでオレも幸姉もいま来た道から見知った顔が2つ歩いてくるのを見つけて足を止めると、その2人もこちらの変化に気付いて小走りで近付いてきて目前でピタリと止まりぺこり。軽く頭を下げて挨拶をした。

 1人は幸姉に瓜二つといっていい容姿と髪型をしている女の子で、もう1人はオレに瓜二つな容姿の男の子。

 2人ともその背中には小学生の証明であるランドセルが背負われている。

 

「お帰りなさいませ、姉上、京様」

 

「お帰りなさいませ、幸音様、兄者」

 

 その2人は頭を上げてから、小学生に似つかわしくない言葉遣いでオレ達にそう言ってくるが、これが家では普通なので、オレも幸姉も特に気にすることなく普通に返してから4人一緒に正門を潜って中へと入っていった。

 女の子の方は真田幸帆。

 幸姉の実の妹で、これでもかというほどの努力家。小学生にして書道2段、合気道初段など華々しい実績を持っていて、自由奔放な幸姉とはその部分で大分印象が違う。

 オレのことを様付けで呼ぶのは、単に次期真田のお側役ということでなのだが、今ではそう呼ばないと違和感を覚えるとのこと。

 もう1人は猿飛誠夜。

 オレの実の弟で、おせっかい焼きな性格のためか、本来あまり必要ではないが、進んで幸帆の護衛役をしている。もちろん幸帆が嫌がらない距離感でではある。

 性格としては生真面目の一言に限る。話し方も昔見た時代劇の影響か古風でオレのことも兄者と呼ぶ始末。

 こいつを表現するなら『生まれる時代を間違えたやつ』。昔からどうにも歯車が合わないため、少し苦手意識があったりする。

 2人ともオレの1つ下で現在小学6年生。

 どちらも小さい頃からよく知るため、幸帆も実の妹のように思っているが、最近は幸帆の方の話し方が妙にあたふたしていたり、オレとの距離感が心なしか遠くなっていた。

 何かあったのかと誠夜に聞いても知らないの一点張りなので、学校で何かあったわけではないようなのだが、ずっとあの調子では気にするなというのが無理だろう。

 

「えっ? 京様、今日は夕食をご一緒できないんですか?」

 

「これからクラスの人の家に泊まりで行くんだよ。夕食は向こうで用意してくれるって言うからな」

 

 正門を潜ってまずは真田の家の居間で少しの間お茶タイム。

 その延長で夕食を一緒に食べることもあるが、これは別段珍しいことでもなく、むしろ日課になりつつある。

 何より真田の家で働く使用人さん達――みんな女性――がオレと誠夜を我が子のように扱ってくるので、無下にもできなかったりする。みんな良い人だからな。

 それで今日は学校も依頼も早く済んだことで、いつもよりゆっくり過ごしていると、部屋着に着替えて小説を持ってやってきた幸姉に「支度はしなくていいのか」と問われて今に至る。

 

「そう、ですか……ですがそれでは姉上のお側を離れることに……」

 

「私が許可したのよ。今日もこれから外には出ないし、明日京夜が帰るまでは大人しくしてるわ」

 

「……京様を所有物みたいに……」

 

「幸帆、何か言いたいならはっきり言いなさい」

 

「何もありません!」

 

 なんだ幸帆のやつ。ブツブツ何か言ったかと思えば、何でもないとか。

 怒ってるようにも見えたが、幸帆は表情をコロコロ変えるからわからん。

 それから幸姉と幸帆はピタリと会話をやめてしまい、幸姉は静かに小説を読むのを再開し、幸帆はグビッと出されていたお茶を一気飲みしてから、オレに顔を向けてきた。

 

「京様は明日から夏休みなのですよね?」

 

「まぁな。だから幸姉も外泊を許してるわけだし」

 

「で、でしたらその、武偵のお仕事というのも幾分減りますよね? 京様がよろしければで良いのですが、お時間に余裕がある時にお手合わせをお願いしたいのですが……」

 

 若干視線を下に向けながら両手の人差し指をツンツンしてそう話す幸帆。

 そのもじもじとした感じになる理由はよくわからないが、確かに夏休みなら時間的な余裕は少し増えるだろう。

 そんな毎日依頼をこなしているわけでもないし。

 しかし幸帆もわかってはいたが、かなりの努力家だ。

 別に合気道や薙刀などの武術は強要されているわけでもないのに、ほぼ毎日怠ることなく稽古に励んでいるし、真田の家に備えてある小さな道場からは毎朝幸帆の朝練の声が響いてくる。

 

「誠夜とはやったりしないのか?」

 

「誠夜はいつも遠慮して手を緩めるというか、押し切らずにやめてしまう悪い癖があって」

 

「真田の次女で幸音様より世継ぎの順位が低いとはいえ、そのお体に何かあってはと。申し訳ない、兄者」

 

「そんなことだろうとは思ったけど。じゃあ幸姉は? 幸姉だって空手やら何やら色々やってて相手としては不足はないだろ」

 

「姉上は……次代の当主となる身ですから……私の都合には付き合わせたくはないのです……」

 

「オレはいいのか」

 

「京様はその、とてもお優しいので、頼み事をしやすいというかなんというか……」

 

 そこでまたゴニョゴニョとした口調になってしまう幸帆だったが、まぁ、頼られて悪い気はしない。妹のような幸帆なら尚更な。

 

「まぁ、幸帆からの頼み事なら断る理由もないし、いつでも声をかけろよ。もちろんオレが暇かの確認はしてもらうけど」

 

「はい! ありがとうございます、京様!」

 

 それを聞いた幸帆は両手を合わせて笑顔全開。

 そのあと口元が動いたのが見えたので、今度は読唇術で読み取ると「京様と2人きり」だそうだ。

 オレと2人でいてもつまらないと思うがね。

 

「京夜、時間」

 

 そうやって嬉しそうにする幸帆を微笑ましく見ていると、読書をしていた幸姉が唐突に口を開き、言われて時間を確認すると夕方の5時を少し過ぎていた。

 愛菜さんには6時までには家に来るように言われていたため、今から準備してギリギリになりそうなので、急いでお茶を飲み干して誠夜と一緒に家へと戻り、身支度を整えて出発していった。

 歩きでの移動では少々辛い距離に愛菜さんの家はあるため、自転車で移動していくこと十数分。

 家からほとんど西に国道を利用して移動した先、上賀茂桜井町。そこに愛菜さんの家はあるらしい。

 近くには植物園や資料館、賀茂川が存在し、暇を潰そうと思えばどうとでもなりそうなところで、オレの家とはえらい違い。周りに何もないし。

 それで帰る前に渡された家の地図を頼りに細い道へと入り、家の前で出迎えると言っていた愛菜さんの姿を探しながらキョロキョロしていると、目的の人物はすぐに見つかった。

 おそらくは自分の家の塀なのだろうが、その上に登って直立してオレの到着を待っていたのだ。

 ご近所さんに変人とか言われたりしないのだろうか心配になる。

 その愛菜さんもオレの姿を発見すると、ブンブンブンブン両手を振ってお出迎えして塀から飛び降りる。

 すでにリラックスモードなのか、その姿は薄ピンクのタンクトップにグレーの短パンとかなりのラフ具合。男勝りの幸姉の家での姿とほとんど被ってる。

 でも最近は暑くなってきたから違和感というのはまるで感じない。薄着ゆえに大きな胸がより強調されてはいるが。

 

「京ちゃん、いらっしゃーい」

 

 それで愛菜さんの目の前まで行けば、出迎えの挨拶なのか軽いハグをしてきて、それに苦笑してから自転車を置いて中へと通される。

 家の造りはどこにでもありそうな特にこれといった感じのものもない2階建て。

 玄関から入った中からは洋風のフローリングや照明器具が見え、オレや幸姉の家とは全然違う近代的な造りだった。

 その玄関からまっすぐにリビングへと通されたオレは、何やら良い匂いを鼻で感じ取りつつお邪魔し、スキップなんかしながらキッチンへと向かった愛菜さんを見送りつつ荷物を備えられたソファーの横に置き、何をするでもなくそのままソファーに座って待機。

 こういう時はどうするのが正解なのだろうか。

 そう思ったのも一瞬。オレが視線をさ迷わせ始めると、キッチンの方から愛菜さんが「あんま部屋とか見んといてな?」と行動を読まれたような声が聞こえてきて、とりあえず視線を天井に固定。うん、白いな。

 そんな感じで愛菜さんの家にお邪魔したオレは、このあと巻き起こる愛菜さんの行動の数々に困り果てることになるのだった。



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Reload6

 

 6月31日。

 明日から夏休みというこの日にオレこと猿飛京夜は、なんだかよくわからない思惑やら何やらで半ば強制的に同じ武偵でクラスメートの愛菜さんの家に泊まりでお邪魔していた。

 現在時刻は午後6時を少し回った頃。

 愛菜さん手作りの夕食をご馳走になるところで、準備でも手伝おうとしたのだが、何もしなくていいと言われてしまい呆然と待つこと数分。

 やっと全ての盛り付けを終えた愛菜さんに呼ばれてダイニングテーブルに行くと、そこには主食、ミートスパゲッティ。おかずにグラタン。主菜でポテトサラダとレタス、トマトの盛り合わせ。スープにはコーンポタージュとあまりにも豪勢な食べ物が置かれていた。

 これ、2人で食べるには多い気がするんだが。

 思いつつウキウキしながらエプロンを新たに身に付けた愛菜さんが向かいの椅子に座るのを見ると、その張り切り様が目に見えるようでそんなことを言えなく、早く座ってと目で訴える愛菜さんに押されて椅子へと座ると、2人揃って両手を合わせていただきますの号令。

 それから頼んでもいないのに小皿にグラタンをよそって渡してくれた愛菜さんにお礼を言いつつまずはミートスパゲッティに口をつける。

 味のほどは普通に美味しかった。

 それでまだ口をつけずにこちらの様子をニコニコとうかがう愛菜さんが視界に入ったので、なんとなく感想を求められてることはわかったので、1度口の中を空けてからその要望に応えた。

 

「美味しいですよ。とっても」

 

「ホンマに? 手料理を他人に食べてもらうなんて家族と千雨以外には経験なくて心配やってん。千雨は食えれば何でも腹に入れてまう子やから参考にならへんくて」

 

「千雨さんって豪快な性格ですからね。でもこの腕ならいつでもお嫁に行けると思います」

 

「イヤやわ京ちゃん、お嫁さんやなんて恥ずかしいわ。褒めてもキスくらいしかできへんよ?」

 

 いやいや、キスできるのも困りものですけど。

 そんな言葉に苦笑しつつ、本気の照れを見せる愛菜さんを見てると、誤魔化すように他の料理にも手をつけるように言ってきて、オレが再び料理に手をつけたのを見て、愛菜さんもようやく料理に手をつけ始めた。

 

「そういえば愛菜さんのご両親ってどうしてるんです? 今は気配からして家にはいませんよね?」

 

 食事も少し進んでから、話題をと思いそんな切り出しをしてみたオレは、食べた先から小皿に補充してくる愛菜さんの気遣いなのかわからない優しさをやんわり制止するが、愛菜さんは動きを一切止めずに会話に応じてきた。おうふ……

 

「お母さんは現役の芸妓さんやねんで。帰ってくる時間はまばらやけど、今日はもうすぐ帰ってくるはずや。お父さんの仕事はシークレットやね。教えられるんは日本で働いてへんっちゅうことくらいや。帰ってくるんは半年に1度あるかどうかっちゅうくらい珍しいから、顔忘れてまうくらいレアキャラ扱いやねんで」

 

 それであはは、と笑っているあたり、家族の仲は悪くないらしい。

 ちなみに芸妓とは一人前となった舞妓さんの呼び方であり、東京などではまた違う呼び方をするが、要は舞妓の中の舞妓ということ。

 そんな人が母親というのは誇らしいことだろう。

 父親の仕事も気になるところであるが、教えない辺りは愛菜さんと同じような道の人なのかもしれない。

 

「京ちゃんはあれやねんな。幸音の先祖の真田幸村。その従者の子孫」

 

「ええ、まぁ。今じゃ真田も海外貿易なんてやってますけど、猿飛は昔から何1つ変わらず、常に真田の側にいました。今の家も真田に与えられてるみたいなところがありますから、真田がないと猿飛も生きられないでしょうね」

 

「問題あらへんよ。もし真田が潰れても、私が京ちゃん養ったるさかい、いつでも私の義弟になってや」

 

 流れのように愛菜さんがオレの家のことについて尋ねてきたので、立場の弱い猿飛の現状を吐露してみれば、冗談でも笑えない話が返ってきて困ってしまう。

 真田が潰れたらって、幸姉が聞いたら泣くぞ。

 

「義弟とか……オレが愛菜さんに気を遣いそうですね」

 

「そんなんいらへんて。むしろ毎日甘えてほしいくらいやし、私が甘えたいわ」

 

「それもそれで困るというか……」

 

 この人ホントに隠すことなく本音を言うな。

 恥ずかしすぎてこっちが穴にでも入りたくなる。たぶん今オレの顔は少し赤くなってる。

 

「あーん! 恥ずかしそうにしとる京ちゃんかわエエ! お姉ちゃんテンション上がってまうやんか! これはもうひと押しせな!」

 

 そのオレを見た愛菜さんは激しく萌えたような表情となると、何かずっと我慢していたらしい行動を実行に移すために、その椅子から立ち上がって身を乗り出してオレの小皿からグラタンをすくい取ると、それをオレの口へと運んできた。いわゆるこれは「はい、あーん」というやつだろう。無理無理無理無理!!

 

「ちょっと愛菜さん! それは無理ですから!」

 

「ひと口だけ! ひと口だけでエエから! ねっ? ねっ?」

 

「さすがにこればっかりは愛菜さんの涙目も通用しませんよ!」

 

「おーねーがーいーやー!」

 

 まったくもって諦めないぞこの人。

 だがこっちも負けるつもりはない!

 ここで退いたら男としてなんかダメな気がする! そう! 男として!

 などとよくわからない意地を張り通して愛菜さんと終わらないやり取りをしていると、それを止めるように家の玄関が開く音がして、次にはただいまの声と共に凄く綺麗な黒い長髪をした女性がリビングに入ってきて、愛菜さんがあーんの状態、オレがそれを拒んでる状態で動きを止めてる姿を見てピタリとその動きを止めてしまった。

 おそらくは頭を整理してる最中だろうか。

 

「……あー、あれや! 愛菜が言うとりました猿飛京夜君! おいでやす」

 

「……お邪魔してます……」

 

「まぁなんやようわかりまへんけど、食事は行儀よく食べなあきまへんえ? そやないとお母さん、余計な説教せなあきまへんからな」

 

「ちゃ、ちゃうんよお母さん。これは京ちゃんとのスキンシップの一環であって、決してはい、あーんを恥ずかしがる京ちゃんを楽しんでたわけやなくて……」

 

「愛菜は正直やな。とりあえず愛菜はあとでお尻ペンペンです」

 

 うひぃ!

 どこか寒気を感じさせる女性の笑顔に愛菜さんが恐怖しつつシュバッ! と俊敏な動きで席を立ち、女性の分の料理を盛りにキッチンへと動き、それを見た女性は普通の笑顔になってから愛菜さんの隣の席に腰を下ろしてこちらにニッコリ笑顔を向けてきて、オレも軽く頭を下げて応答。なんか不思議な迫力がある。

 それが愛菜さんのお母さんとの最初のやり取りだった。

 

「京夜君すんまへんなぁ。家の愛菜がわがまま言うとったみたいで」

 

 愛菜さんのお母さんの分の料理を揃えて全員が席に着いたところで、改めて話を始めたお母さんの愛沙(あいさ)さんは、開口一番で愛菜さんの頭を手で強引に下げさせながら謝罪をし、愛菜さんはなされるがままだった。

 

「いえ、オレも厄介になってる身として反発しすぎたところがありましたし……」

 

「京ちゃんもああ言うとんのやからエエやろ? お互い様いうことやねん……て!?」

 

「愛菜は京夜君の気遣いにも気付けへんアホな子やったんか。お母さんそないな子に育てた覚えはあらへんのやけど、その辺は父親に似てしもたんかなぁ」

 

 オレの返しに対して頭を上げようとした愛菜さんだったが、お母さんの手にさらに力が入ってテーブルにおでこがぶつかって再び沈む。痛そうだなぁ。

 

「京夜君もホンマに嫌なら強く言わなあきまへんえ。愛菜は調子に乗ったら暴走する癖ありますさかい、誰かが止めたげな1人でブレーキかけれまへんのや」

 

「……善処します」

 

「ほな、改めてお夕飯にしましょ。愛菜も寝とらんと頭上げ。行儀悪いで」

 

「お母さんが沈めたんやないか!」

 

 愛沙さんってマイペースだなぁ。

 今も愛菜さんの言い分にとぼけて返したりと相手のペースなどお構いなしだ。

 でもこんな親でもないと愛菜さんは大変なことになるのだろう。

 想像するに容易いというのも考えものだが、それでも仲の悪い親子には全然見えない辺りは素直に凄いことだと思った。

 それから3人で改めて夕飯を食べたあと、後片付けも3人でやったのだが、こういった作業を家族ともほとんどしたことのなかったオレにとってはとても新鮮なものだった。

 幸姉の家なら全部使用人がやってしまうし、猿飛家でも『家事は女の仕事』と男尊女卑の古めかしいしきたりのせいで台所にすら立つことがない。

 だからなのか、こんな些細なことでオレは『家族』というものの温かさを感じてしまった。

 オレの家も決して家族の仲が悪いわけではない。

 だがそれでもこの温かさは一生味わえないだろうことがわかって……わからされてしまった。

 オレがそんなことを考えていると、いつの間にか後片付けが終わっていて、手が空いた直後に愛菜さんが後ろから抱き付いてきて前に倒れそうになるが、なんとか踏ん張って留まる。

 

「京ちゃーん! 一緒にお風呂入ろや! 背中の流しっこしてみたいねん!」

 

「無理ですから! 絶対に無理です! それにお風呂となればその……愛菜さんだって裸、になるわけでしょ……」

 

「そらお風呂やからね。大丈夫やて。私は別に京ちゃんに裸見られてもかまへんし、京ちゃんの裸も問題あらへんから」

 

「愛菜さんに問題なくてもオレに問題があるんですって! 何で愛菜さんはオレを男として扱ってくれないんですか!」

 

「そら弟みたいに思とるし、京ちゃん言うてもまだ中1やんか。中1男子ならセーフや!」

 

「何がセーフなんですか! アウトですよアウト! 思春期男子舐めないでください!」

 

 密着されながらのこのやり取り。

 愛菜さんはどうにもオレのことを男として見ないところがあって本当に困る。

 今だってその豊満な胸を背中に押し付けての会話をしているだけで結構おかしな話。

 あまりにもオレに対しての警戒心がない。さすがにここまで来ると異常とも取れてしまうから考えものだ。

 これだけ拒否しても一緒にお風呂に入りたがる愛菜さんだったが、次に飛来した身も凍るような視線を感じて、反射的にオレから離れて直立不動になる。

 その視線を浴びせた愛沙さんは、オレの真正面で腕組みしながら愛菜さんに目で何かを訴えていた。

 それは親子じゃないとわからないアイコンタクトのようなもので、オレにはさっぱりわからなかったが、愛菜さんにはしっかり伝わったようで、脱兎のごとくキッチンを去った愛菜さんは、そのままお風呂へと直行したようだった。た、助かった。

 

「京夜君、ちょっとお話したいんですが、よろしおすか?」

 

 愛菜さんがいなくなって少し。

 おそらく洗面所の辺りのドアが閉まった音を聞いた愛沙さんは、唐突にオレに話しかけてきて、またダイニングテーブルの方に座るように促してきたので、オレも促されるまま愛沙さんと対面の位置に座って話を聞く態勢に入った。なんだろうか。

 

「……ホンマは京夜君に話すようなことでもあらへんことはわかっとりますが、今日の愛菜見とったら、話さな思いました」

 

 そんな前置きをした愛沙さんの表情は、先程までの明るい感じを完全に失って、若干俯き気味であった。

 

「…………愛菜には、弟がおりました。ちょうど今やと京夜君と同い年になります」

 

 ……ん?

 確か初めて会った時に千雨さんが愛菜さんには弟なんかいないって言ってたような……

 愛菜さんもそれを否定しなかった気がする。それに愛沙さんの今の言い回しと暗い表情。良くない流れか。

 察したオレがより真剣な顔になったのを確認した愛沙さんは、それを汲み取ったように話を進める。

 

「その弟は……産まれる前に私のお腹の中で死んでしまいました。ちょうど安定期に入って、性別の判別がつくくらい成長した時期のことでした」

 

 その時、オレはどんな表情をすればいいのかわからず、少し俯いてしまったが、愛沙さんはそれでも頑張って話してくれているのだと痛いほどわかるので、黙って続きを聞く。

 

「丁度その日は愛菜と一緒にお出かけしとりました。その出先で不幸にも強盗の人質にされてしまいましてな、私は幼い愛菜とお腹の中の子を守ることで頭が一杯になっとりました。それで強盗を刺激せんようにじっと黙ってましたが、交渉が上手くいかへんかったのでしょうな。苛立った強盗があろうことに愛菜を見せしめに殺そうとしましてな。私はそれを必死に止めました。その時に強盗にお腹を撃たれまして……私は一命をとり留めることができましたが、その代償は……お腹の中の子の命と、2度と子供のできへん体です……」

 

「もういいですよ。そんな辛い話、これ以上口にしなくて……」

 

「おおきに。でも最後まで聞いてほしいんです。その時の愛菜はまだ3歳。物心もつかへん頃の出来事やったはずやのに、愛菜はこの日のことを今も鮮明に憶えとります。何より弟が産まれることを一番楽しみにしとりましたのは、『お姉ちゃんになるはず』やった愛菜で……」

 

 そこで愛沙さんは言葉を詰まらせて1度俯いてしまい、少しではあるが泣いているようだった。

 お姉ちゃんになるはずだった、か。

 

「……愛菜が武偵になる言うたのもそれが根っこのところにあります。『あの時私がしっかり守れていれば』って。そないなもん背負わせとうなかったのに、あの子は聞く耳持ちまへんでした。武偵として活動し始めた頃までの愛菜は、そらもう笑わん子で見てて痛々しかったんですえ。それを変えてくれた千雨ちゃんには頭が上がりまへん」

 

 愛菜さんにそんな笑いもしない時期があったなんて想像もつかないが、今の愛菜さんの笑顔があるのは千雨さんが関わっているらしい。

 その辺の過去は愛沙さんからは語られることはなかったが、それで1度話は区切りとなり、愛沙さんはお茶を用意してから改めて話を再開する。

 

「愛菜はたぶん、その時……産まれてくるはずの弟へ注ぐはずやった愛情を、京夜君に向けているんですわ。愛菜はずっと、そのどこへ吐き出してエエかわからん愛情を吐き出す対象を探してたのかもしれまへん」

 

「それが産まれてくるはずだった弟さんとたまたま歳が同じオレだった。そういうことですか」

 

 その問いに対して、愛沙さんは少し笑ってから、黙って淹れたお茶を飲み、それからしばらく沈黙してしまった。

 愛沙さんが沈黙したことで何を言えばいいかわからなくなってしまったオレがどうにかこの間を乗り切ろうとした時、本当に突然リビングにバスタオルを体に巻いただけの風呂上がり愛菜さんが現れて、瞬時に頭をテーブルにぶつけて伏せ、見ないようにしたが、この人は!

 

「愛菜! 京夜君の前ではしたない。ちゃんと服着なあきまへんえ!」

 

「お母さんが直行させるから着る服なかったんやて。それにお風呂上がりは喉乾くし」

 

 そんな会話をしながら愛菜さんはどうやら水分補給にキッチンへと行ったらしく、気配だけ探ってその動向をうかがい、完全にリビングからいなくなったのを察したところで頭を上げて大きな息を1つ吐く。

 額ぶつけて痛いが、すぐに治まるだろう。

 

「あの子はホンマに……すんまへんなぁ。お見苦しいもん見せてしまいまして」

 

「いえ……気にしないでください」

 

「……あないな子でも、私にとってはたった1人の娘です。やからあの子の好きにさせてあげたい気持ちもあります。さっきの話はまぁ、あそこまで京夜君に心を開く愛菜の理由の1つを話したに過ぎまへん。それにきっかけでしかあらへんと思いました。京夜君に弟の影を見とるのもどこかにありますやろ。それでも愛菜が京夜君に心を開くんは、きっと京夜君が好きやから。そう思います。今日話したことはあまり意識せんで、どうかこれからも愛菜と仲ようしてあげてください」

 

 きっともう子供を産めなくなってしまった愛沙さんも辛いであろうに、それでもそんな自分の辛さなど微塵も感じさせずに笑ってみせた愛沙さんに、オレはハッキリとはいとは言えなかった。

 それから勧められるままにお風呂へと入って、その間ずっと先ほどの話について、愛菜さんと愛沙さんの心境を考えてしまっていた。

 愛沙さんはおそらく、愛菜さんがどうしてこうもオレに対して優しくするのか。その納得できる理由の1つを話してくれた。

 オレがどうしてという疑問を感じているのを察したから。

 そして愛菜さんがオレをどう見ていたのか改めて考えてしまう。それこそ『亡き弟の代わり』なのではと脳裏に浮かぶほどに。

 でも、それで愛菜さんが明るくいてくれるなら、それでもいいのかもしれない。

 だがそれは同情ではないだろうか。憐れみでは、ないだろうか。

 そんなことばかり考えていたら、どうやらのぼせてしまったらしく、少しふらつきながら風呂から上がり無地のTシャツに短パンを着て洗面所を出ると、何故か同じようなラフな格好の愛菜さんが、その手に牛乳入りのコップを持って待ち構えていて、オレにそのコップを差し出して飲んでと催促。

 正直ありがたいので促されるままにそれを飲み干すと、愛菜さんはそのコップを回収しつつ、キッチンの方へ引っ込む際に自分の部屋へ行くように言ってきたので、その案内の通りに2階へと上がってその部屋へと入った。

 中は女の子らしい明るい色――ピンクや白が中心――が散りばめられていて、ベッドなどには可愛らしいぬいぐるみや抱き枕もあり、実に年頃の女子高生といった感じ、なのだろうか。

 女の人の部屋など入る機会がないから、その辺はわからないな。

 しかし部屋にあった机だけは異彩を放つ。

 何故ならその上には細かく分解された愛菜さんの愛銃、ブローニング・ハイパワーが置かれていて、脇には箱詰めにされた銃弾が何段かセットで積み重ねられていたりと、普通とはかけ離れてしまっていた。

 やっぱり愛菜さんも武偵なんだよな……

 そんな異彩を放つ机に苦笑しつつ、中央に置かれたテーブルの近くに腰を下ろすと、すぐに愛菜さんもやって来て、オレに楽にするように言ってから机の椅子に座って、途中だったらしい愛銃の整備を再開しつつオレとの会話を始めた。

 話の内容は本当に他愛ないもので、普段この時間に何をしてるだとか、棚にズラリと並ぶガンアクションの海外映画の話や、ベッドにあるぬいぐるみの入手の経緯だとか。

 それらの話を聞く中でオレは、やはり先ほどの愛沙さんの話が引っ掛かってしまって、本人に聞くかどうかを迷ってしまう。

 聞いたところでどうしようもないことではあるが、それでもこのまま聞かずにいることもできそうにない。

 そうこうしてるうちに愛菜さんは愛銃の整備を終えて椅子から立ち上がりベッドへとダイブすると、大きな伸びをしながらあくびをした。

 

「今日は京ちゃん来るからって張り切りすぎて疲れてもうたね。いつもより早いけど、もう寝ようかな」

 

「それじゃあオレは客間の方で……」

 

「移動せんでエエよぉ。京ちゃん一緒に寝よ?」

 

「……なんとなく言うだろうなとは思ってましたよ。拒否します」

 

「ほなら私は拒否することを拒否すんで」

 

「じゃあ拒否することを拒否することを拒否します」

 

「私は拒否することを拒否することを拒否する……って! わけわからんくなるわ!」

 

 このままどこまで重ねていくかと考えたところでツッコミを入れる辺りはさすが。

 それには思わず笑みがこぼれるが、次に愛菜さんが見せた顔には、ほんの少しだけ真剣な色がうかがえたため、ため息を1つ吐いて了承。

 しかし愛菜さんは床に布団を敷いてくれるわけでもなく、自分のベッドにもう1人入るくらいのスペースを作ってポンポンと叩いて招いてきた。そこで寝ろと?

 しかしここでまたうだうだ言ったところで愛菜さんが退かないのは目に見えてるので、可能な限り愛菜さんから離れる形でその空いたスペースに入って寝てはみた。

 体は当然愛菜さんに背中を向けている。

 そんなオレに対してクスリと声を出して笑った愛菜さんは、部屋の電気を消して布団へと再度潜ると、やはりというかなんというか、布団の中でオレに寄ってきて、抱き枕代わりにされてしまった。

 あー、良い匂いがする……この匂いで現実逃避しよう。

 

「……お母さんから、聞いたんやて?」

 

 今の状況を意識しないようにした矢先で、いつもの明るい調子ではない声色でそう問いかけてきた愛菜さん。

 後ろから抱き締められてる形ではあるが、その表情はなんとなくわかってしまう。

 だが、愛菜さんからその話を振られるとは思わなかった。

 その問いに対して、一言はいと答えたオレに、愛菜さんは少しだけ抱き締める力を強くして1拍置き、ささやくような小さな声で話を続けた。

 

「私な、弟がおったらしてあげたいことっていっぱいあってん。こんなことしたら喜ぶかなぁとか、こんなことしたら笑ってくれるんかなぁとか。ホンマ、考え出したら止まらんくてな。日に日にその思いが強なって……そんな時にや。あの事件が起こって……」

 

 そこで1度言葉を切ってしまう愛菜さん。

 耳を澄ませば、微かにだが泣いているかのような声が聞こえ、オレを抱き締める手も震えてしまっていた。

 オレはそんな愛菜さんの手に自分の手を重ねて触れて、せめてもと慰めに入る。

 それを察した愛菜さんは、震える手を止めてまた話を始める。

 

「……そん時にな、私、お母さんにちょっと酷いこと言ってんねん。『どうして私やなくて弟を守ってくれへんかったんや!』って。ホンマは助かったお母さんにありがとうって言おう思てたのに、弟がお腹の中で死んでしもたこと聞いたら、なんやわけわからんくなってもうて……お母さんは全力で私と弟を守ろうとしてくれてたのにや……最低やろ……」

 

「……最低ではない、と思います。その時に愛菜さんがちゃんとありがとうって言えたとしても、弟さんが亡くなってしまった事実はあります。それに愛菜さんは、そのあとちゃんと愛沙さんにありがとうって、伝えたんでしょ?」

 

「……高校に上がるちょっと前にまでなってしもたけどな」

 

「なら愛菜さんは最低なんかじゃないです。最低なのはその言葉を悔いずにそのままにすることだと、オレは思います。大丈夫ですよ。愛菜さんはちゃんと愛沙さんに愛されてます。今日一緒にいただけで、オレにもそれがわかったんですから、愛菜さんはもう、その事を引き摺らないでください」

 

 らしくないことを言っているのを自覚し、しかも自分より年上の人に対してこんなことを言ってることに物凄い違和感を感じはしたが、背中に感じる愛菜さんが本当に霞むような声で「ありがとう」と言ってくれたのは、なんだかとてもホッとした。

 

「……こんな話のあとに聞くのはなんですけど、愛菜さんはオレのことをどう思って接してくれてたんですか? やっぱり、弟さんの代わり、ですか?」

 

「……ちゃうよ。でも……うん、半分正解やろな。初めて京ちゃん見て、歳を聞いた時は、私も弟が産まれてきてたら、きっとこんくらいなんやろなって思たんよ。そしたらなんや、ずっと圧し殺しとったもんが溢れてきてしもて、気付いたら京ちゃんにあれやこれやしたなっててん」

 

 やっぱりそうなのか。

 このまま終われば良い雰囲気をあえて壊してまでオレが突っ込んだ質問に対して、愛菜さんは当然のように語ってくれて、それにまた申し訳なさを感じつつも、今を逃すと聞く機会はおそらくもうないと決心して聞いたのだが、半分正解らしい。

 もう半分は、愛沙さんが言った通りなのかもな。

 

「京ちゃん優しいから、私もつい調子に乗って色々してもうてるけど、考えてみたら私のしてることって、弟にしてあげたいことそのままやねんな。自覚とかそんなんしてへんかったけど、やっぱり弟の代わりに使てたのは、事実や。でもこれだけは言うとく。私は京ちゃんのこと、ホンマに好きやから。弟の代わりとか、そんなん関係あらへんよ。そこは勘違いせんといて。今は弟の代わりなんてこれっぽっちも思うとらんから」

 

 きっかけに過ぎない。やっぱり愛沙さんは愛菜さんの母親なんだな。娘のことをよくわかってる。

 もう半分の理由を聞いた時に、素直に感心してしまったオレだが、同時に本当に照れ臭くなってしまった。

 幸姉は昔から『守らなきゃ』と思うお姉さんで、オレにとって『守ってくれる』お姉さんというのは、凄く新鮮なものだった。

 自分の身は自分で守ると教えられてきたオレには、愛菜さんのその優しさが痒くなるほどに耐性がない。

 でも、その優しさはとても安心できるもので、不思議と心が落ち着いた。

 

「……オレなんかに優しくしてくれてありがとう、『愛菜お姉ちゃん』」

 

 その心の隙から出てきたのかは知らないが、無意識のうちにそう口にしてしまったオレは、次には体温が一気に上がるのを自覚して、フリーズしてしまった。

 ああ! 恥ずかしい!

 

「……京ちゃんズルいわ……」

 

 それに対して愛菜さんが返してきた言葉は、たったそれだけ。

 何がズルいのかは知らないが、ありがとうとかそういう言葉が返ってこなくて、それ以上フリーズすることもなかった。が、

 

「ほなら今夜はお姉ちゃんの温もりを一生忘れられんようにしたるからね」

 

 次にはその抱き締める手にこれまで以上の力が入って、これ以上ないくらいに密着してきた愛菜さん。もう足まで絡めてきて完全に抱き枕にされてしまった。

 それから愛菜さんは寝ても絶対に離れてくれなかったため、オレも諦めてそのまま寝たのだが、今日のことで、少しだけ愛菜さんのことを知れたような、そんな気がしたのだった。



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Reload7

 

 あの濃すぎるくらいだった愛菜さんの家での一件も、そのあとの祇園祭の警護任務も無事に乗り切ってなんやかんやとやっていたら、いつの間にか夏休みも終わり、季節も夏から秋へと移り変わる9月へと突入。

 この時期には2年生がこれから先、武偵として活動する上で永久的に協力関係でいられる武偵チームを結成するために、その編成をよく考えるための修学旅行Ⅰが行われ、大阪武偵高の2年生と一緒に関東――ほぼ東京かその周辺――へと2泊3日で出張っていなくなる。

 来年はオレも行くことになるのだが、幸姉とオレは卒業しても武偵としての道は進まないことは決まっているので、ただの観光になるだろう。

 そんな修学旅行Ⅰで2年生がいなくなって、すでに一人前の1歩手前で、日々を依頼や任務で忙しい3年生があまり授業にも顔を出さない時期に、これはチャンスとばかりに元気になったのが、オレ達A組の担任、古館遊姫先生。

 古館先生は、敷地内のほとんどに1年生しかいないこのタイミングで、ご自慢のお遊びを開催。

 これまで先生のお遊びと称した授業に嫌々ながらも参加させられてきた身としては、この上なく嫌な予感しかしなかったが、それを拒否する権利を有さないオレ達生徒は、半ば諦めて古館先生のお遊びに参加させられた。

 今回の強制参加のとばっちりを受けた学科は、強襲科・諜報科・探偵科・衛生科・SSR。それから別の内容で情報科もらしい。

 そして問題のお遊びの内容は古館先生が自らバリエーションを誇る『鬼ごっこ』シリーズ。その中の『追跡と逃亡』。

 追跡と逃亡は、参加者全員が捕まえる標的が違い、1人の標的を追い、また1人の標的に狙われるといった状況になる。

 その関係を数珠繋ぎにすれば、1つの大きな輪になるため、別名を『サークル鬼ごっこ』とも言う。

 基本的な流れとしては、標的を無力化して、右腕に予め貼ってある支給品のGPS付校章ステッカーを剥がして自分の左腕に貼り、次はその標的が狙っていた標的を狙い、そうして残り人数が2人になるまで続けるといったもの。

 GPS付のステッカーを使うのは、もちろん古館先生が残り2人になったかどうかを自分が動かずして知るため。

 しかし今回は古館先生には珍しく、最後まで生き残った2人と、撃破数の一番多かった生徒に金一封が贈られるといったものがあり、そうなると目の色が変わるのが大多数の武偵。

 オレとしては大迷惑なことだが、それでさっさと脱落するといったことをするのも許されない。

 報酬を与える一方で、古館先生は撃破数が1未満の生徒は来月の依頼の報酬は教務科へ全て献上の上で受けるという最悪の条件を出しているのだ。

 現1年生の各学科メインの人数は、強襲科25人。諜報科16人。探偵科19人。情報科12人。装備科10人。車輛科12人。衛生科7人。SSR4人の計105人。

 それで今回の参加者は依頼でいない人を除いて62人。

 全員が撃破数を分け合ったとしても、最低2人――最初にステッカーを取られる人2人か、前者1人に最後まで生き残ってもステッカーを取れない人――はそのとばっちりを受けることになる。

 犠牲者が出る以上、このお遊びは真面目にやらないわけにはいかなく、誰かが金一封を狙えば、その分犠牲者が増えるという性格が悪いとしか思えない古館先生の条件の出し方には、悪意しか感じなかった。

 そういった内容の話を前日にされたオレ達参加者である1年生は、今朝になって個別で最初の標的を古館先生から言い渡されてステッカーを貰い、1日をいつも通りに過ごしながら鬼ごっこに興じることになった。

 

「個人的には京くんと眞弓に賭けとんのやけど、撃破数となると悩みどころやね」

 

 と、A組参加者が全員ステッカーを配布されて教室へと戻った段階で、何故かB組の雅さんがオレの席を陣取って、床に届かない足をプラプラさせながらにオレや幸姉、愛菜さん達に唐突な話をしてきた。

 

「あの、何の話をしてるんですか?」

 

「京くんや。今回なんで情報科が別枠で参加しとるか考えてみたんか? ミッちゃんもあれで『ゆうたん』と仲エエから、裏で分け前とか色々企んどるんやで。そんで情報科もついででそのとばっちり受けてん」

 

 ゆうたんとは古館先生のことだが、先生にたん付けするのは雅さんくらいだろう。

 今回のペナルティーは、1ヶ月報酬を教務科へ献上することだが、その全部が古館先生の懐に収まるのは確定的に明らかだったのだが、どうやら夏目先生も1枚噛んでるらしい。

 あの2人の先生が悪巧みをすると、とことんやるというのは京都武偵高では有名らしいが、今まではナリを潜めていたということなのか、はたまた大規模な悪巧みはそんなにやらないのか、オレが遭遇するのは初めてということになる。

 それで先ほどの雅さんの言葉を思い出せば、オレと眞弓さんに賭けてると言っていたところから推測するに、おそらく情報科は賭博でもやらされているんだろう。

 

「……賭博って、どんな感じなんです?」

 

「生き残る2人と撃破数の一番多い人を当てるだけやねんけど、生き残る2人は賭け金で1万円取られて、しかもピタリ賞やないとミッちゃんの総取りやし、撃破数は早いもん勝ちの1人指名制で、一律2000円やから、勝ってもプラスで22000円にしかならへん。ミッちゃんこっちに勝たせる気ほとんどないねんで。自分は掛け金払わんし、卑怯やねん」

 

 と、オレの問いに対してスラスラと述べた雅さんは、最後にプンプンと効果音の付きそうな膨れっ面で腕を組んだ。

 

「情報科のとばっちりはまぁエエとして、雅ぃ、何で生き残る2人が京ちゃんとあの線目な・ん・や?」

 

 とりあえず雅さんの話の全容が見えたところで、今まで黙っていた愛菜さんが、雅さんの後ろへと回って左右から頭をがっしりと押さえてぐわんぐわん動かし始めた。

 どうやら自分の名前が挙がらないで、眞弓さんの名前が挙がったのが不満だったらしい。

 愛菜さんに頭をミキサーされた雅さんは、解放されると同時に机へと倒れ込んでしまい、今日はバリバリに男勝りで、先日のランク考査において強襲科でちゃっかりAランクを取得した幸姉が、心配そうにほっぺをつついていた。

 

「でもなんで愛菜さんは雅さんの予想に文句を言うんです? あくまでも予想ですよ?」

 

「京ちゃんはわかってへんなぁ。競馬とかの合法賭博でも、下馬評とかあるやろ? んで、ここは武偵高で、その下馬評を作るには自分で色々調べなあかん言うこっちゃ。そんで誰が生き残る可能性が高いかを推測する。ただの賭博やけど、当てるためにはデータ収集を必要とされる情報科にはうってつけの内容やってこっちゃ」

 

「その情報科の1年で実質トップの実力を持っとる雅の予想が最も信頼ある下馬評やってこと。それで名前が挙がらん言うんは納得したないってだけや」

 

 なるほどなぁ。

 千雨さんの説明と愛菜さんの補足で納得するオレと幸姉。

 そこでちょうど教室に古館先生が入ってきて、どうにも自分のお遊びが楽しみらしく、いつものように低血圧によるローテンションな様子はなく朝から絶好調で、その様子を見た雅さんが物凄いフレンドリーに「今日は元気やなゆうたん!」と言って、古館先生と2、3言葉を交わしてから教室を出ていってしまった。

 それを見届けてから空いた席に着いたオレは、古館先生のハイテンションに苦笑しつつも、これから始まる鬼ごっこに意識を向けていった。

 そういえば雅さんの撃破数の予想、誰か聞いてなかったな。誰って予想したんだろう。

 古館先生による朝のホームルームが終了すると同時にスタートした鬼ごっこ、追跡と逃亡。

 午前授業は一般教科なので、普段なら何気ない会話で賑わいを見せるのだが、今回ばかりはそうもいかないようで、教室にはすでにピリッとした空気が流れていて、皆が皆、周囲への警戒をしていた。

 情報科と装備科と車輛科の生徒は関係なくいつも通りなのだが、それ以外の学科の生徒は、誰が自分を狙っているかわからないから、いつ狙われても動けるように各々が牽制し合っていた。

 

「そんで京ちゃんのターゲットは誰なん?」

 

 そんな中で隣の席の愛菜さんは、こんな空気などお構いなしにオレへと笑顔で話しかけてきて、その話に食いついた幸姉と千雨さんもオレ達の方に振り向いてきた。

 というか食いつかれても教えるわけないんですけど。

 

「いいんですか? 一応オレも愛菜さん達の敵ってことになってますけど、呑気に話なんてして」

 

「エエんやて。こないに人の多いところでアクション起こすアホがおったら、そっちの方が問題やし」

 

「何で自ら『あたしはこいつ狙ってますよー!』って言わなあかんねんって話やろ」

 

「殺るならもう少し利口に殺るって話よ、京夜」

 

 3人が3人、オレに言うというよりも、異常に警戒する他の人達に言うようにしてそう話すので、それが聞こえたクラスの参加者の何人かは、それで苦笑しつつピリッとした空気をわずかに緩めて何食わぬ顔をして姿勢を変えていた。

 実際のところ、この追跡と逃亡では、ただ標的を狙って、自分を狙う相手を見つけて身を守るだけでは生き残れない。

 入学式の際にオレがやらされた『追い込み』では、逃げる側に要求される能力が『危険予知』『強襲』『状況判断』と色々。

 追い込む側でも『連携』『索敵』『作戦立案』などと必要とされる能力が非常に多い。

 そうして何気ない会話を幸姉達としたあとは、いつものように授業を受けていたのだが、この時にも情報戦は行われている。

 追跡と逃亡において、まず最初にやることは、誰が自分を狙っているかを知ること。

 標的はすでに明確にされてる以上、そちらをどうするかなど後回しでいい。

 とはいえ人間というのは、何かを狙えと言われれば、意識的にしろ無意識的にしろ、必ずどこかで違和感が生じる。

 わかりやすいところでは視線がそうだが、そういったものを注目して見れば、誰が誰を狙っているかを大雑把にでも予測することが可能となる。

 その予測を1つの線とするなら、それをいくつも作り出して繋ぎ合わせていくことで、1本の線になって、端と端が合わさり円になる。

 つまりはこの鬼ごっこにおける全体像が見える。これがこの追跡と逃亡の最重要ポイント。

 参加者の脱落は右腕のステッカーの有無で確認できるし、全体像が見えていれば、そのぶん前後の敵に集中できるということだ。

 それを最も成功させやすい方法は、自分の前後の生徒が誰を狙っているかを順を追って調べていくこと。

 安全性などを考えれば、自分を狙ってくる生徒をマークするのがベスト。

 相手への牽制をしつつ、その後ろで狙う相手を調べられるからだ。

 だからといって見える情報を放っておくことも勿体ない。

 だからこそこういった授業中に得られる情報を整理して、線の数を増やしておく。

 どのみち午前中はこの情報戦が主流になるはずなので、ここでアクションを起こすやつがいれば、さっき愛菜さん達が言ったように、相当のアホか、はたまた相当のやり手かだ。

 行動が早ければ、獲得したステッカーを左腕に貼る関係上、誰が仕留め仕留められたかが明白になるしな。

 あとは参加者同士での情報の共有も視野には入るが、こちらは可能性としては低い。

 あってもせいぜい2人組。自分達が生き残るための共同戦線といったところが限界だ。

 むしろ厄介なのは情報科だろう。

 今回は賭博参加ではあるが、自分が勝つことを強く望むならば、賭けてる生徒が勝つように仕向けることもしかねない。

 古館先生も夏目先生もその事について何も注意をしていない辺りでも、わかってて黙認してる可能性が高い。下手をすれば出来レースにもなりかねないわけだ。

 もう1つ、可能性としてあるのは、ペナルティーを回避するだけの共同戦線。

 そういった消極的な作戦ならば、3人以上の徒党で標的を倒して回ることも考えられる。数の暴力とはよく言ったものである。

 考え出せば様々な予測が立つわけなのだが、こればかりは蓋を開けてみないことにはわからないため、とにもかくにもまずは情報収集が先決。

 幸いというならこのクラスにオレの標的がいないため、授業中なら標的に悟られることなく情報収集ができ、クラスの参加者を視線などで攪乱もできること。

 それら様々な情報戦を静かに繰り広げて最初の授業が終わってみれば、確定とはいかないまでも、A組にオレに探りを入れてくる生徒はいなかった。

 となれば後手に回るのは癪なので、早めに動いておく。

 結論を出したオレは、今にも抱きついてきそうだった愛菜さんに「トイレへ行く」と言って回避すると、教室を出てなるべくゆっくりと目的を達成する。

 この状況下でトイレのような狭い空間に入るのはある意味でチャレンジャーと言える。出入り口が1つしかないからな。

 だからなのか、トイレにはオレしかいないし、何かの偶然であってほしいが、装備科と車輛科の生徒の姿も見えなかった。飛び火を恐れたか?

 と思っていれば、どうにも悪い予感というのは当たるもので、用を足した辺りで2人の男子が出入り口を塞ぐように姿を現してこちらに明らかな敵意を向けてきたので、オレも早速かと思いつつ臨戦態勢に入った。

 2人共に強襲科の生徒でランクはB。数的不利はあるが、油断すれば一瞬で決着する戦力差しかない。

 それはあちらもわかってる上で2人で挑んできたのか。

 とにかく、狭い空間で逃げ道も絶たれたオレは、唯一の脱出路となる窓へと近付くが、窓を開けて脱出するにしてもここは4階。

 しかも窓は下から45度しか開かないタイプなので、破壊でもしないと体すら入らないし、そんなことをやってる隙に2人に倒されてしまう。

 しかしそれしか方法もないと2人もわかってるはずなので、意を決して窓に手をかけて行動開始。

 それを見た2人もほぼ同時にオレへと接近をしてきた。が、

 

「うおっ!?」

 

「なっ!? バカッ!!」

 

 2人はオレへと近寄ろうとした瞬間に、足元で引っ掛かるように仕掛けていたオレのワイヤーに足をとられて転倒。

 そこに間髪入れずに封殺しにかかって終了。両手両足を後ろでひとまとめにして拘束した2人をトイレから引きずり出して廊下へと放り投げてから、その2人を狙う生徒を目の前で待ってみた。

 追跡と逃亡において、襲撃側を迎撃してはダメなルールは存在しないため、こうして無力化してもいいし、こうなった標的からステッカーを奪うなど簡単。

 だからこそ強襲での失敗は許されないわけだ。

 そうして次の授業の開始まで放置してみたが、さすがに人の目がある中で堂々それを行う勇者はいなかったので、仕方なく情報を対価に2人を解放して次の授業へと出席していった。

 引き出した情報はもちろん誰を狙っているのかだが、どうにも2人ともオレが標的というわけでなはなかったらしく、後々厄介になりそうなオレを先に脱落させてしまおうという魂胆だったようだ。

 迷惑極まりない。オレは前後の相手とか関係なく狙われるらしい。

 これは愛菜さん達や眞弓さん達と行動してる影響が大きそうだな。

 トイレでの襲撃以降、これといったアタックをしてくる生徒もいなくて、午前授業が終了した時点での脱落者は未だなし。

 水面下ではどうだったかは把握できていないが、ここまではやはりほとんどが情報収集に徹していたようだ。

 しかし昼以降はそれだけに留まるわけはなく、むしろここからが本番。

 昼休みはどうやら動き出す生徒が多くなってるようで、今まで教室内に留まっていた生徒の姿がいくらか見えなくなって、愛菜さんと千雨さんも性格上待つタイプではないので、早速狩りに出掛けていて、幸姉は空腹でやる気が減少していたのか、今はオレと一緒に昼食にありついていた。

 

「幸姉は動かないのか?」

 

「腹が減ってはなんとやら。焦ってヘマするのだけは避けたいしね。京夜はどうするのよ」

 

「オレは標的がステッカーを獲得したら動く予定。先生方の思惑通りに動くのは癪だし」

 

「それで京夜もステッカー取ったら適当に脱落するわけね。優しいんだか甘いんだか」

 

 言いながら焼きそばパンの最後の一切れを口に放り込んだ幸姉は、それをお茶で胃袋に流し込んでから席を立って、オレに軽く手を振って教室を出ていってしまった。

 幸姉が言った通り、オレはそうしようと当初から考えていたわけだが、オレがそうしたところで全体の流れを制御できるわけでもないので、結局は前後の生徒の安全だけしか確保はできない。

 

「なんや難しい顔しとんな、京くん」

 

 1人考えながら昼食を食べていたら、なんの目的かはわからないが、雅さんがやってきて前の席を陣取ってそうやって尋ねてきた。

 

「何かお得な情報でも入手しましたか?」

 

「そんなん京くんに必要ないやろ。私は『みんなみたいなこと』はする気もあらへんし、そないなことせんでも京くんは生き残るやろ?」

 

 みんなみたいなこと、とは、おそらく他の情報科の生徒を指しているはず。

 実際のところ、すでに他の情報科生徒2人から、独り言と称する耳打ちをいくつかされてしまっているが、それは言わないでおこうか。

 

「そういえば雅さんは撃破数の予想は誰にしたんですか?」

 

「およ? 朝に言うてへんかったっけ? 私はもちろん京くん! って行きたいところやけど、京くん倍率高くて賭博開始時点で早いもん勝ちやったからなぁ。無難に眞弓に入れといたわ」

 

「……なんでオレの下馬評ってそんなに高いんですかね?」

 

「そら京くん自身がわかっとるはずやで。これは一部での話やけど、『猿飛佐助の再来』ってくらいに言われとるのも事実やし。まぁ、お前ら猿飛佐助を見たことあるんかい! ってツッコミ待ちの称号みたいなもんやから、気にせんでもエエと思うで」

 

 本当にそうだよ。そんな初代様に失礼な称号はいりません。

 昔は戦国時代だったから、平和ボケしてる今の時代で再来なんてしたら、それこそ超人レベルだって話だ。

 

「まぁ、あの眞弓に認められとる時点で私の中での株価は相当なもんやし、素直に自分を誇ってもエエと思うで」

 

「それも意味深ですよね。雅さんの眞弓さんに対する評価が凄く高いのも気になります」

 

「それは眞弓が本当の意味で『強い』って知っとるからな。身内ならぬ親友贔屓や思われてもしゃーないけど、眞弓も飄々としとるように見えるけど、ホンマは……」

 

 ゴヂンッ!!

 そうやって雅さんが何か重要なことを話そうとした瞬間、突然雅さんの頭に鋼鉄製の扇子が落とされて、それを受けた雅さんは机に顔面を激突させて沈黙。

 それを行った張本人、眞弓さんは、いつもの笑顔でオレに挨拶してから沈黙した雅さんの首根っこを掴んでしまう。

 

「雅も意外とおしゃべりで困りますわ。京夜はんも他人の秘密を本人のいないところで聞こうとしたらあきまへんで? どっかの馬の骨ならまだしも、ウチは知られとうないことがぎょうさんあるさかい、深追いして死にとうないやろ?」

 

 それだけをオレに言い残した眞弓さんは、気絶してしまっていた雅さんを引きずりながら教室を出ていってしまい、オレはその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 普段から線目だから、マジのトーンが異常なプレッシャーを放つんだよな、あの人。

 去り際、その眞弓さんの左腕にちゃっかりステッカーが貼られていたのが見えた時はさすがだと思ったが、この前のランク考査で上の席を実力でもぎ取った――枠に空きがなかったが、入れ替えでSランク入り――あの人だからなのか驚きは特になかった。

 その後の午後の授業時間中で、予定通りにステッカーを獲得した標的を撃破したが、その間に4回も襲撃され、その全てを迎撃して吊し上げていたりした。

 当然襲撃者は全員身動きのとれないまま狩られて、今のオレを狙う生徒は、幸か不幸か幸姉となっていた。

 そしてオレが次に狙う標的はこれまた幸か不幸か千雨さん。

 これまでの情報を整理して残りの生徒数を数えてみたところ、午後の授業終了の今の時点で残り6人以下という結果になった。

 幸姉の後ろが愛菜さんで、千雨さんの前が眞弓さんだったので、愛菜さんと眞弓さんの間に1人2人いるかなくらい。

 やはりというか、残ってくる生徒も1年の筆頭ばかりになったな。

 とにかくノルマはクリアしたので、さっさと幸姉に負けようかと思ったのだが、その幸姉からメールが届き、内容を見てみれば『手を抜いたら使用人全員によるおもちゃの計』と書かれていて、それに戦慄したオレはわざと負けることも出来なくなってしまった。

 使用人さん達、前から女装させようとか画策してるのを耳にしてたからな。これはヤバイ。

 まさかの幸姉との真剣勝負を余儀なくされたオレだったが、この際千雨さんに玉砕覚悟で仕掛けて拘束されるくらいやればいいかと思い、千雨さんにアタックしようとしたのだが、その千雨さんはちょうど眞弓さんに仕掛けていたのでその様子を見ていれば、近くには眞弓さんに倒されたらしい生徒もいて、撃破後の隙でも突いたのかと予想。

 しかし眞弓さんはそんなことも意に介さずに千雨さんと相まみえると、扇子を用いた合気道のようなもので千雨さんの突撃を無効化して地に伏すと、持っていた手錠で備え付けの固定ベンチの足と千雨さんの手を繋いでしまった。

 

「なんや猪でも来たんかと思いましたわ」

 

「死ね! いっつもニヤニヤしとってキモいねん!」

 

「さーて、残りは猪の片割れと主従コンビだけやろか」

 

 犬猿の仲……

 ギャアギャアと怒鳴り散らす千雨さんをガン無視してボソボソ呟きながらその場をあとにした眞弓さんを見送って、持っていた刀で手錠を破壊しようとする千雨さんに近づいたオレは、申し訳なく思いながらも、その腕からステッカーを頂戴して脱落させ、悔しそうにする千雨さんの手錠を解錠してあげてから、一言「頑張りや」と貰って、眞弓さんの尾行を開始した。

 眞弓さんに隙がないなぁ。

 と思いながら、幸姉の襲撃を警戒していたのだが、その幸姉はと言うと、照れた様子で正面からオレの目の前に現れて、愛菜さんに負けたことを告げてきたので、なんだか拍子抜けしてしまったが、眞弓さんがいま愛菜さんに狙いを定めてるところから、3すくみ状態で、あと1人脱落すれば終わることが確定した。

 ので、もう完全にスイッチを切って愛菜さんに負けようとしてたら、校内放送が始まり、古館先生によって鬼ごっこが終了したことが告げられた。

 結局、雅さんの予想通りになったな。

 そうして結果発表を行ってみれば、撃破数においても眞弓さんの6人が最高記録となり、全額儲けが雅さんの懐に入っていたのは、全くの余談である。



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Reload8

 

「これは『遊び』なのだよ、ワトソン君」

 

 季節も完全に冬へと移行した12月の中旬。

 『とある依頼』で行動を共にしていた雅さんは、全く悪びれる様子もなく胸を張ってオレにそう言ってきたのを説明するには、時間を早朝まで巻き戻す必要があるだろう。

 

「うへへ。京ちゃん独り占めや」

 

「キモッ! 愛菜キモッ!」

 

 早朝。

 登校してから愛菜さんが抱きついてきて、オレはもう毎日の日課となるそれをヒラリと躱してから千雨さんに挨拶すると、いつもと違って幸姉がいないことに気付いたようでどうしたのか聞いてきたので、風邪で寝込んでると言うと、今の台詞と一緒に愛菜さんが自分を抱き締めるような格好でクネクネやり始めたのだ。

 それを見た千雨さんが、どストレートに感想を述べるので、空笑いをしつつ席に着こうとしたのだが、そこで珍しく校内放送がかかり、夏目先生がオレを呼び出ししてきた。

 な、何か悪いことしたっけ……

 元武偵庁の先生ということもあって、しかも担任でもないのに呼び出しを食らったことにこの上ない恐怖がオレを襲い、何故か千雨さんが肩をポンポンと叩いて「ご愁傷さま」とか言うので、余計に怖くなったが、行かなきゃ行かないで死亡の未来しか見えないので、合掌までしてきた千雨さんと涙を流しながらハンカチ片手にヒラヒラさせる愛菜さんに送り出されて、死地――教務科――へと向かったのだった。

 その際にクラスの男子から「ざまぁみろ」とか聞こえたが、気にしないことにしよう。

 そうしてわずか数分で死地へと辿り着いたオレは、恐る恐る教務科の室内へと入ると、自分の席で半分以上寝てる古館先生の緩みきった顔を見て少し心を落ち着けつつ夏目先生を探すと、夏目先生はオレを見つけるや否や足早に備え付けの個室へと誘導してきたので、それに素直に従って椅子へと腰掛け夏目先生と対面した。

 

「あの……オレ何かしましたか?」

 

「ん? いやいや、そういうのじゃないから」

 

 俯き気味にまずはそうやって切り出してみたオレだったが、オレの予想とは違って、夏目先生はそうではないと言いつつ懐から小さな紙切れを取り出してオレへと投げ渡してきたので、それをキャッチして見てみれば、そこにはどこかの部屋番号らしきものと、よくわからない法則性も何もないアルファベットと数字が50以上並んでいた。なんだこれ。

 

「それ、ミヤのやつの『作業部屋』の暗証番号。使えるのは朝9時まで。アンタ今日はご主人様がいなくてフリーでしょ? ミヤとも交流あるっぽいし、ちょっと頼み事しようと思ってな」

 

 何で幸姉が休んでるの知ってるんだよと思ったが、そういえばオレが登校する前に使用人さんが連絡してたことを思い出して納得しつつ、夏目先生の頼み事とやらについて詳しく話を聞いてみる。

 

「まぁ、今に始まったことでもないんだけど、ミヤのやつが登校してから作業部屋に閉じ籠って『趣味』をやってるんだよね。それな、そろそろやめとかないと武偵庁からお叱り受けるのよ。主に私が。それは避けたいからアンタからやめるように説得してくれ」

 

「何で先生が直接行かないんですか? 暗証番号だってあるのに」

 

「私はこれですぐに手が出るからさ。ミヤには『そういうの』は絶対ダメだから、私は適任じゃないんだよね。アンタはずいぶん甘いって報告があるから、安心かなって思ったわけよ。報酬はちゃんと払うから、やってくれるな?」

 

 夏目先生が行かない理由のほどはよくわからないまでも、要はいま現在に雅さんが行なっている『趣味』とやらをやめさせればいいわけだ。

 

「夏目先生がオレにできると思って頼んでくれたなら、やってみますけど、失敗したらどうなります?」

 

「遊姫がそれはそれは『面白い催しの主役』にしてくれるだろうね」

 

 い……嫌だぁぁああああ!!

 前にそれらしきものを授業でやらされていた上級生を見たけど、あんな思いをするのは死んでも避けたい! 絶対に失敗は許されない。

 目に見えて青ざめたであろうオレを見た夏目先生は、それで席を立ってオレの肩に手を置いて「頑張れ少年」と言ってから個室を出ていってしまった。

 もはやあとに退けなくなったオレは、背水の陣で今回のミッションへと臨み、授業などお構いなしでメモにあった部屋がある情報科の区域へと踏み込んでまっすぐ目的の作業部屋とやらに到着。

 部屋の名称プレートを見れば『コンピュータ室』とあり、普段なら生徒が自由に使える部屋だろうことはうかがえたが、大事なデータもあるということで結構な電子ロックが設置されている。

 とりあえず時間はもうすぐ9時になってしまうため、渡された暗証番号が無駄になる前にさっさと入力を開始。

 無駄に多いというか、多すぎるくらいの桁数に手間取りながらも、9時ギリギリで解錠に成功し重々しい扉を開くと、中は窓など一切ない空間で、その空間内に可能な限りのパソコンやらの電子機器が備え付けられていた。

 その代わりなのか、換気と冷暖房設備はしっかりとしていたが、雅さんがいるはずなのに電灯が点いていなく、薄暗い空間にチカチカと浮かぶ光源が目立ち、居場所に関しては1発でわかった。

 オートロックなのか、扉は締め切ると同時に施錠がされてしまい、開け方もいまいちよくわからないため雅さんの元へと歩いて近づいてみれば、その雅さんは『コ』の字型に並んだ机に置かれた3台のパソコンを同時に起動して非常に楽しそうに回転椅子を動かしながらに3つのキーボードを休みなく叩き続けていた。これが趣味?

 

「おはようございます、雅さん」

 

「んー? おお! 京くんじゃーあーりませんかー! いらっしゃーい!」

 

 よほど集中していたのか、オレに声をかけられるまで存在に気付かなかったらしい雅さんは、そこで1度手を止めて非常にハイテンションな挨拶を返してきた。

 朝のテンションじゃない。古館先生にその元気を分けてやってほしいくらいだ。朝限定で。

 

「ミッちゃんからの刺客やね。今までで一番手強いの送ってきてくれたで、ミッちゃん」

 

「ああ……今までにもあったんですね……まぁそういうわけなんで、やめてくださると助かるんですけど、無理ですか?」

 

「京くん。その言葉はな、京くんにとって『ねっちんの護衛をやめてください』って言われるのと同じくらいのレベルやで!」

 

 そんな屁理屈を言った雅さんは、机越しのオレにズビシッ! と小さな手で指差してきた。

 やめる気は毛頭ないらしいが、それはそれでこっちが非常に困るので、オレも食い下がる。

 というか背水の陣で臨んでるんだから、最初から退路はない。

 

「そういえば今日はねっちんが休みなんやってね。だから京くんもここに来れてるってわけやろうけど」

 

「どこからそんな情報を……」

 

「教務科の情報は私には筒抜けなんやでぇ。データ情報に限ってやけどな」

 

 なんか誇らしげに胸を張って言う雅さんだったが、要は教務科の情報を盗み見てるってことなんだろうな。バレたらどうなるやら。

 

「そういえば雅さんが夏目先生にやめるように言われることって、何なんですか?」

 

 雅さんの犯罪スレスレ――アウトな気もするが――の行動にはツッコまない方向で流しつつも、やはり雅さんが趣味と言うものの正体が気になったオレが特にためらいなく尋ねてみると、雅さんはにっこり笑顔でオレを手招きしてきたので、それに従うように机を回り込んで近くへと寄ってみれば、机の下にはレジ袋にびっしり入った板チョコが2袋もあり、それに少し驚きつつも促されるままパソコンに映される画面を見てみた。

 そこにはアニメチックな遊園地の入場口を正面から映したような映像があって、遊園地の看板には『武偵庁セキュリティーランド』などと可愛らしいカラフルなフォントで書かれていた。

 よく見れば同時に起動させている両隣のパソコンは、真ん中の映像の延長で左右を映しているようだった。

 

「…………何ですか? これ?」

 

「京くんは機械はダメなんやったっけ。簡単に言えば武偵庁のセキュリティーシステム。その入り口で止まっとる状態やね。ホンマはもっとつまらんウインドウで表示されるんやけど、ちょっと自作でソフトを組み込んで可愛くしてみてん」

 

 ウキウキしながらオレに説明をする雅さんは、無邪気全開といった感じでその目を輝かせていた。

 

「これからこの中に入るわけなんやけど、中にはファイアウォールっちゅう防壁システムがあんねんな。それが警備員っぽいグラフィックで映るんやけど、それをうまーく見つからんよう進んで、先に見えるお城。この場合やと武偵庁のメインサーバーまで行くっちゅうわけ」

 

「それって……クラッキングってやつなんじゃ……」

 

「京くんや。私は別にファイアウォールを強行突破して行こう言うてへんねやで? 京くんで例えたら、痕跡残さんでただ建物の中に入って出てくるっちゅう感じや。言うてもクラッキング寄りのハッキングやから、全否定もせんけどな」

 

 にゃはは。

 自分で言って笑ってしまった雅さんだが、確かにこれは夏目先生も止めるよな。

 これを『趣味』と称してやられては武偵庁もたまったものではないだろう。

 だがこれを今まで何度もやっていて、夏目先生の今朝の言葉を解釈するなら、この趣味自体はまだ武偵庁にバレていないということになる。

 それはもう凄いとかのレベルじゃなく、単純に怖い話だ。

 一体雅さんはどれほどの実力を持ってるというのか。その底が全く見えない。

 

「さーて、それじゃ始めんで!」

 

 オレが雅さんの実力に改めて驚いていると、懐からテレビゲームのコントローラのようなものを取り出して、履いていた靴を脱ぎ捨て椅子の上であぐらをかいて座り直した。

 だからダメなんですって!

 と、オレが少し強引にでも雅さんを止めようとしたところで、ふと夏目先生の言葉を思い出して踏み留まる。

 確か、物理的な手段でやめさせるのはダメだって話だったか。

 それでギリギリのところで交渉に切り替えたオレだったが、雅さんはオレの声に全く反応しなくなってしまって――というかいつの間にかヘッドホンを装着していた――いて、ただ一心に手に持つコントローラを操作しながら、パソコンの画面に映る映像に集中していた。

 試しにパソコンの画面を遮るように視界に手を割り込ませてフリフリ振ってみたが、意に介さず。

 それならとヘッドホンを取って目隠しをしてみたら、1秒とせずに後頭部による頭突きを鼻に受けてしまい後ろをのたうち回る結果になってしまった。

 あれ? 物理的なのダメなんじゃ……と思ったら、その雅さんは後頭部が痛むのか、右手で擦りながらも再びヘッドホンを装着して趣味へと戻っていった。

 雅さんに物理的な手段がダメなら、パソコンの電源を落としてしまおうかと考えて電源コードに手をかけたオレだったが、それもまた直前で踏み留まる。

 何故なら、いま雅さんがやっているのは、ずいぶん可愛い画面だが、武偵庁のシステムへの不正侵入。

 そんなことをやっている最中に電源を落としたら、どうなる。

 最悪、雅さんがやってることがバレて、夏目先生がとばっちりを受ける。

 つまりオレの死刑が決定する。やべぇ……

 ということで雅さんに下手に途中でやめさせることもできなくなってしまったので、少し無駄とはわかりつつも対話を試み続けながらに、雅さん作の遊園地っぽい映像を見ていた。

 見ていた限りでは、どうやら雅さんに激似の3頭身キャラを操作して街のような造りの内部を警備員や監視カメラなどに見つからないように進んでいくゲーム形式みたいで、おそらくこれを本来の形で出力すれば、オレが何をやってるのかすらわからない内容だったに違いない。

 そんな雅さんの趣味が始まって数十分。

 その間、ほっぺを引っ張ってみたり、脇をくすぐったりしてみたのだが、微動だにしなくて少し驚いた。

 というよりも、趣味に集中してる時の雅さんは周りが気にならないを通り越して、完全に別世界にでもいるような感じさえした。

 一言も発することなく手に持つコントローラを操作する雅さんを見てると、段々邪魔する気も失せてしまい、オレは一旦考えるのをやめて雅さんの行なっている行為を観察してみた。

 画面に時折顔を見せるガードマンの格好をした男やドーベルマンなどを、視界や壁の死角を利用して避けていく。

 見ている限りでは、進めるルート自体が1つ2つ程度しかなく、動くタイミングを少しでも誤ると見つかってしまうほどに難易度は難しい。

 よく考えてみれば、武偵庁の防壁システムをすり抜けているということなのだから、本来なら『抜け道がある』こと自体がおかしいのだ。

 だからこのゲーム形式の侵入方法だって攻略不可能と考えて当然。

 それなのに雅さんは、かのナポレオンの言葉、『我輩の辞書に不可能という文字はない』を体現するかのように、少しずつではあるが確実に奥へ奥へと進んでいった。凄すぎる……

 気付けばオレは雅さんを止めることなど考えずに、ヒヤヒヤする場面がいくつもありながらも、ミスなく進んでいくことにある種の感動を覚えていた。

 開始からどのくらい経ったかを確認すらしてなかったオレは、画面内で完全な死角か何かなのか、キャラの操作を1度やめてヘッドホンを外しコントローラを机に置き大きく上に伸びをした雅さんを見て、初めて時間を確認。

 なんと開始から1時間半も経っていた。そんなに経ってたのか。

 

「んんー…………チョコォオ!!」

 

 ビクッ!

 オレが部屋の時計へと視線を向けていた時に、突如として雅さんがそう叫んだため、癖で思わず懐のクナイに手が伸びてしまうが、すぐに手を離した。チョコ?

 叫んだあと雅さんは足元に置いてあった袋詰めの板チョコを持ち上げて机の上に置くと、その中から板チョコを1枚取り出してかなりのスピードでガツガツと食べ始めてしまう。

 

ふぁ、ひょうふんほはへふ(あ、京くんも食べる)?」

 

「い、いえ……」

 

 リスのように両頬が膨らんでしまうくらいにチョコを含んだ雅さんは、ちょっと引くくらいのペースで次々と板チョコを開けては食べ、開けては食べを繰り返していく。どんだけ食べるんですか。

 そんな食事タイムが数分間続き、袋から板チョコが完全になくなったところで、ようやくその手が止まり、最後の仕上げとでも言うようにミルクココアをグビッと飲んでゲップを1つ。汚いですって。

 

「そんなに甘いものばっかり摂って、糖尿病になりますよ?」

 

「問題あらへんよ。そのぶん頭は使てるし、これくらい食べな十分な補充ができへんから」

 

 言い終えてから雅さんは、少しだけいつもの明るい雰囲気から、出るはずもない微妙な笑顔を浮かべた。

 その言葉の意味がよくわからなかったオレだが、すぐにいつもの調子になった雅さんは、今が休憩時間なのかオレと正面から向き合う形で椅子を回して「何か話そう」みたいな顔でオレを見てきたので、良くも悪くもそれを読み取れてしまったオレは、本来の目的を思い出して、これが最後のチャンスになるだろうと決意して話を切り出した。

 

「雅さんって、いつからこういうことやってるんですか?」

 

 チャンスではあるが、だからといってただやめるように言ってもさっきの二の舞。

 それならと少しアプローチを変えて質問をしてみると、雅さんは近くの椅子に座るように促してきたので、それに従って椅子へと座って雅さんと向き合った。

 

「京くんも、私が『ちっこい』って思うやろ?」

 

「え? まぁ、一般平均から見ればとは思いますけど、個人差とか個性とかそんな程度のもの、ではないんですか……」

 

 趣味について問いかけたはずが、いきなり予想もしてなかった質問を返されたため、素直に返してみると、雅さんが先ほどの微妙な笑顔を浮かべたので、何か理由があることを悟ってしまった。

 確かに雅さんは16歳で140センチに満たない低身長と体格で、お世辞にも年齢相応の成長具合とは言えない。

 

「私な、生まれつき他の人よりもエネルギーの吸収率が悪いんよ。生まれた時も未熟児やったって話やし、普通に生活しとったら栄養失調になってまうくらいには深刻な問題やねん。やから体も大きなってくれんで、この歳になってもこの有り様っちゅうわけ。骨も弱くて、激しい運動とか衝撃ですぐひび入ったり折れたりしてな。みんなみたいに飛んだり跳ねたり出来んで、いつの間にか外で遊ばんようになっててん」

 

 雅さんが話す内容は、とても重い。

 しかしそれは前置きとばかりに、いつもと同じ笑顔を作った雅さんは、近くに置いていたいつも持ち歩いているノートパソコンを取り出してその小さな体で抱くようにして持つ。

 

「そんな時にこれをくれんたんが、ミッちゃんやねん。その当時はミッちゃんもピッチピチの女子高生やったんやけど……あ、ちなみに東京武偵高のOGやで。従姉妹やから、親に元気ない私の状況聞いとったみたいで、何もできんと思ってた私のところにいきなり現れて、これを渡してきてな、『この中でならミヤにもできることがたくさんある』って。そう言われたんよ。わざわざ東京から京都までそれだけのために学校休んで来てくれてな。その翌日にはさっさと帰ってしもたんやけど、その日はずっとこれの使い方頭に叩き込んでくれてん。それがめっちゃ嬉しくてな、ミッちゃんが帰るのを最後まで嫌がってたんは今でも憶えとる。ミッちゃんがおらんかったら、きっと私は今も部屋で閉じ籠って、何もできん情けない人間やって思い続けてたんちゃうかな」

 

 最後の方は照れ臭そうに言っていた雅さんだったが、夏目先生がそんな優しい一面を持っていたことと、あの言葉の意味を理解したオレは、少しだけ、夏目先生の認識を改めざるを得なかった。

 夏目先生が物理的な手段でやめさせるのを嫌がったのは、体の弱い雅さんに怪我を負わせたくなかったからだろう。

 

「まぁ、ここまでが前置きやね。京くんの質問への答えとしては、それ以降、どっぷりコンピュータ技術にハマってもうて、とどめを刺したんは眞弓や。学校で体育の授業を見学しとった私に近付いてきた眞弓がな、『ウチ、この前のテストの結果が不安でしてな。ちょっと学校のサーバー覗いたりできまへんか?』って、アホなこと言うてきてな。渋る私に『そうですの。できまへんのやね。それは残念どす』って言うもんやから、私もムキになってやってもうたんよ。そっからはもう、眞弓と悪い意味でつるむようになって、小学生のイタズラで済まんようなことたくさんやってん。あの頃は楽しかったで」

 

 つまり雅さんのこれは小学生の時から始まってたってことか……

 というか、小学生が学校のサーバーを覗くとか飛び抜けてるとしか思えない。

 まさか夏目先生もここまでやっちゃう人になるとは当時思いもしなかったんだろうな。

 

「武偵庁のメインサーバーへの侵入は中1の時に初めてやってん。そん時はミッちゃんが武偵庁におったんやけど、誰にもバレてへんと思ったらミッちゃんにだけはバレとって、『黙っておくから2度とやるな』って釘刺されたんやけど、翌年にミッちゃん武偵庁からここに働き口変えたんで、4ヶ月に1回くらいの頻度でまたやっとんねんな」

 

「他にいくらでも雅さんの技術を生かせることはあるでしょうに、何でわざわざ危険なところに不法侵入するんですか……」

 

「フッフッフッ。これは『遊び』なのだよ、ワトソン君」

 

 誰がワトソンですか。

 そんな顔で雅さんを見てみれば、その雅さんは自慢気な顔へと変わってまたヘッドホンを装着して趣味を再開させようとする。

 

「あの、雅さん。どうして武偵庁なんですか?」

 

「京くんや。ゲームでもあるやろ? 全クリ、フルコンプとかやってもうてやることないってなってから、自分に縛りを加えて難易度上げるってやつ。私にとってそれとおんなじやねん」

 

 この人にとって、武偵庁のメインサーバーへの侵入すら『遊び』にしかならないという。

 それは間違いなく武偵ランク的にはSを獲得できるレベル。

 それがどうしてBランク止まりなのか、おそらくはこういった趣味にほとんど能力を使っているからと、夏目先生に公表できないような何かをさせられているからと予想できる。

 そもそもとして、悪いことをしてる感覚のない雅さんに正論を説いたところで、首を傾げられてしまう。なら、どうするか。

 

「…………あの、雅さん。この趣味をやめられないっていうなら、夏目先生とかに文句を言われないようにしちゃう手はないですかね?」

 

「……例えばどないな?」

 

「えー……武偵庁に侵入して『侵入できちゃってますよー』ってあえて知らせてセキュリティーの強化を促す、とか」

 

「…………京くんは天才やな。お姉さん思わず戦慄したで」

 

 苦し紛れに言ったことに質問を返され、意外とテキトーに言ってみたことに対して、雅さんは本当に驚愕したような劇画風の表情をして固まったのだった。

 

「ふーん……で? ミヤの趣味は武偵庁にも黙認されたから、ミヤの趣味はやめさせる必要がなくなった、と?」

 

「…………はい」

 

 と言うわけで、あのあと本当に武偵庁のメインサーバーまで侵入した雅さんは、『京都武偵高情報科所属の宮下雅参上! お前たちのセキュリティーには抜け道があるぞ! 次は私が侵入できないように強化しておくのだな!』などというメッセージを残して生還し、またたくさんのチョコでオレと一緒に祝杯をあげ、それから夏目先生のところへ雅さんと一緒に行けば、武偵庁から直に連絡がいったらしい夏目先生に個室にて報告。

 あの話のあとだけど、やっぱり怖いわこの人。視線で人を殺せる。

 

「…………まぁ、ミヤの武偵ランクが今後B以上にはならないって条件付きでセキュリティー強化に極秘で協力することを認めるってお上からのお達しだ。今回はこれで一件落着としとくが、ミヤ、あんまり私を心配させないでくれ」

 

「ミッちゃんに迷惑はかけんつもりや。これまでも、これからも。だから安心しや」

 

「……お前にそれを渡したのは失敗だったかな。私の想像以上の問題児になってしまった……」

 

「ミッちゃんの従姉妹やからね。やんちゃなところもミッちゃん譲りってことや」

 

 それで最後に「なんだと?」と言いながらに雅さんの頭をわしゃわしゃとした夏目先生。

 そんな2人の顔には笑顔があって、そんな笑顔に釣られて、オレも少しだけ笑みがこぼれたのだった。



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Reload9

 新学期。

 京都武偵高に入学して早くも1年の月日が経ち、オレや幸姉達も無事に進級。

 今日からまた学校生活がスタートするわけなのだが、その最初のクラス。

 一般授業におけるクラスを確認してみれば、何か作為的なものを感じざるを得ない人達が一同に介していた。

 

「やたぁああ!! また京ちゃんと一緒やでぇええ!!」

 

「日に日に愛菜がキモいテンションになっていくんやけど、早紀、どう思う?」

 

「まぁ、違うクラスになってウジウジされるよりは100倍マシやろ」

 

「まっちゃんの壊れ具合は見てておもろいで。京くんは抱き付かれて窒息死しそうやけどな」

 

「雅、そう思うなら止めてあげたら? 私は止めないけど」

 

「やかましいクラスどす。今からクラス替えの申請は通りますやろか……」

 

 愛菜さん、千雨さん、早紀さん、雅さん、幸姉、眞弓さん。今の2年生筆頭が今年は同じクラスになっていた。

 愛菜さんに殺人レベルの抱擁を受けながらクラスを見てみれば、装備科の空斗さんもいて、早速女子に話しかけて変態扱いを受けながら振り払われていた。哀れなり。

 さらに見回してみれば、オレを見る男子達の視線が怖い。

 その理由についてはもう考えるまでもないが、今年は眞弓さん達も同じクラスとなると、ますます視線が痛くなるだろうな。

 そうこうやっていて、愛菜さん千雨さんが眞弓さんと口喧嘩を始めそうになったところで、担任の古館先生――今年もA組――が、例によって弱々しい足取りで教壇へと着いたので、前学期の後半において古館先生の目覚まし担当となった千雨さんが、眞弓さんとの喧嘩も中断させてやれやれといった感じではあったが、いつものように強烈なデコピンをお見舞いして覚醒を促した。

 

「うらぁ! 千雨こら! そんな強くしなくても大丈夫だって何回言えばわかんだ!」

 

「先生がデコピンしてくださいお願いしますって顔で突っ立っとんのが悪いんやて! デコピンされたなかったら始めからしゃんとせぇ言うこっちゃ!」

 

 ぐぬぬ。

 完全覚醒を果たした古館先生は、正論すぎる千雨さんの意見に拳をわなわなさせながら呑み込むと、今のやり取りはなかったことにでもしたようにいきなり出欠を取り始めて――教室を見回すだけ――早々に終わらせると、黒板に何やら生徒の名前を書いて改めて教壇に手を付いて話をしてきた。

 というか黒板にオレの名前があるんだが……

 

「はいはーい。例によって始業式とか入学式とかどうでもいいんで、新学期突入記念の鬼ごっこやるぞー! 今回は2年生全員参加の『だるころ』だ! 逃走者は黒板に書いてある5人な。2年生全員参加だから100対5になるから、100の方は負けたら1学期の依頼は全て半額で請け負うことになるから覚悟しとけ。逆に5の方は勝ったら今年の進級に必要な単位全部やるよ。にひひっ!」

 

 さ、最悪だぁぁああああ!!

 新学期早々で貧乏くじを引かされたぞこれ! いじめだろ! いじめなんだよな古館先生!

 話を聞いた瞬間、オレは机に額がめり込むレベルで突っ伏して自分の不幸を心の中で叫んでいた。

 そんなオレを見た幸姉や愛菜さん達は当然のように心配してきたが、それよりも今回の古館先生の遊びでオレが5の方に入ってることによって、この教室の空気が一変したのがわかった。主に男子がオレに明確な殺気を放っている。

 今日、オレは死ぬかもしれない。

 『だるころ』とは『だるまさんが転んだ』を略した言い方なのだが、このルールは鬼ごっこシリーズの中でも逃走側の生存率が極めて低いことで知られている。

 大雑把なルールとしては、制限時間内に逃走者の半数以上を捕縛するというもの。今回は5人いる内の3人を捕縛すればいいわけだ。

 このだるころは限られた時間を有効に使うための技術や作戦立案が重要で、そのリミットまでの時間を『だるまさんが転んだ』の遊びにかけているのが名前の由来だが、実際のところだるまさんが転んだの要素などほとんどない。

 

「古館先生、だるころやるのはかまいまへんが、制限時間とセット数を教えてもらえまへんか?」

 

 オレが絶望に浸っていると、早くも順応した眞弓さんが扇子を扇ぎながらに古館先生へとそんな質問をする。

 そういえばまだそれを聞いてなかった。

 

「まぁ、今回は大規模で数の差もあるからな。その辺を考慮して15分を5セット。インターバルは10分ってところだな。うち逃走側は1セットでも取りゃ勝ちってことでよろしく!」

 

 だるころでは制限時間があることから何セットかに分けて行うのだが、15分は長い。

 京都武偵高の敷地内で100人の追跡から15分も逃げろとはなんの拷問だろうか。

 なんの考慮もされてないに等しい。5分逃げられれば勲章ものだ。

 

「それから逃走側。無条件降伏とかしたら、今後どうなるかわかんないから、つまらんことはするなよー。5セットを『無事に生き残ったら』金一封くらいの報酬は出してやるからさ。ひっひっひっ!」

 

 あの笑い方、そんなやつ絶対いやしないってわかりきってる笑い方だ。

 マジでこの学校の教師は性格が悪い。

 

「んじゃ1セット目の開始は20分後の9時ジャストからな。逃走側は今から移動オッケー。捕獲側は2年の教室間だけ移動可にするから、チーム編成とか好きにやれ。発砲も抜刀も許すが、くれぐれも『ミスって殺しちゃった』とかはやめてくれよぉ。以上!」

 

 最後のは言う意味ないだろとツッコむことさえできずににかにかと笑いながら退室した古館先生を見送ったオレは、本当に始まってしまうのかと思いつつ顔を上げれば、オレの左隣の席を陣取っていた眞弓さんがすでに雅さんと早紀さんを召集して何やら作戦会議を始めていて、他の生徒も次々と席を立って他のクラスの生徒との合流などに動いていた。

 ヤバイ……みんな本気だ……

 これはもう本気でやらないと怪我では済まないのは確定。最悪新学期早々で入院生活なんてことも……

 それだけは絶対に避けたかったオレは、怪しい笑いを浮かべた眞弓さんに恐怖しつつも、笑顔で見送ってきた幸姉(フレンドリー)と愛菜さん、千雨さんに軽く会釈してから教室を出て、他の逃走者と合流して移動しながら生き残るための作戦会議をしていった。

 これでも『生き残るための力』はそれなりに高いと自負してる。

 あ、でもサバイバル能力に関してだから、今回は微妙かもしれない。

 とにかく、逃走者は一緒に行動しないことを鉄則として、各々が生き残るための最善を尽くす流れ――よくよく考えたらそのくらいしか話すことがなかった――でまとまり、大雑把な行動範囲の確認だけして散り散りに。

 このあと、オレは地獄を見ることになる。

 

『野郎共ぉおお! 開戦だぁああ!』

 

 ……うるさい。

 今ならちょうど入学式が行なわれてるであろうことなどお構いなしで校内放送を使って声高にだるころ開始の宣言をした古館先生。

 声量を間違えてるため、若干音割れしていたが、そんなことも大して気にならないほどに今のオレは神経を研ぎ澄ませていた。

 今オレがいるのは、装備科・車輌科の専門棟の屋上。

 東西300メートル。南北400メートルの敷地内で北側端っこに位置しながら、本校舎に次ぐ高さを誇る建物なので、観測場所としては悪くなく、ワイヤーなどを用いれば屋上から飛び降りることもできる。

 しかしながら潜伏場所のリストとしてピックアップされやすいこともあって、オレとしてもこの第1セットでのみの使用でやめるつもりだ。

 校内放送のあと、ここに来るまでに調達した双眼鏡で校舎を観察すれば、まぁわらわらと生徒が出てくる。

 見れば3人1組編成が多く、捜索範囲も割と分散しているようだったが、わずか20分であの武偵高生の統率を取れるリーダーシップを持ち得る人物など限られる。

 おそらくは眞弓さん辺りが半分ほどの人員を指揮してるはず。

 そんな予測をしつつ観察を続ければ、3グループほどがまっすぐにオレのいる建物へと向かってくるので、そのグループの動きを中心に観察を始めようとしたが、本校舎の屋上に最も来てほしくない人達が姿を現して思わず舌打ちしてしまった。早紀さんと雅さんである。

 早紀さんは中等部時代は狙撃科の現車輌科所属。

 本人談ではあの本校舎屋上からなら、京都武偵高の見渡せる範囲全てが射程距離に入ってしまうらしい。

 狙撃手は各々、実力に見合った絶対半径と呼ばれる、確実に目標を仕留められる距離を持つのだが、早紀さんは658メートルの絶対半径を持っているため、単純計算で京都武偵高の敷地の対角線上でも端から端まで範囲内に収まるわけだ。

 そんな人に屋上を陣取っていられたら、逃走が相当困難になる。

 眞弓さんのことだから、発見したら開けた場所へと誘導するような事前の指示も出しているはず。

 つまり逃走側がどう潜伏してるかわからず、体力的にも精神的にも余裕があるこの第1セット目でオレ達逃走側が勝利しなければ、後の4セットで勝利することなど不可能に近い。

 とりあえず生存率を上げるために早紀さんの情報を他の逃走者にも伝えようと思ってみたのだが、生憎と携帯は教室。

 携帯にはGPSが搭載されてると幸姉が言っていたので、そこから辿られるのを避けるためだが、これはもう自力で気付いてもらうしかない。

 仮にも武偵。簡単にやられはしないだろう。

 というオレの考えもずいぶん甘かったようで、開始から5分ほど経過してオレのいる建物にもそろそろ屋上へとやって来る生徒がいるだろうことを予測しつつ、早紀さんの狙撃の死角へと逃走する準備を整えたところで、車輌科の開けたサーキットに逃走者の1人が捕獲側に追われながら姿を現して、必死な形相でサーキット上を疾走。

 その様子はオレにも丸見えなのだから、当然早紀さんにも丸見えで、屋上にうつ伏せで寝て狙撃銃を構えていた早紀さんは、下からは見えにくい姿勢から、サーキットにいる逃走者に1発の銃弾を放ち、その横っ腹に強烈な一撃を命中させた。

 撃たれた逃走者は防弾制服の上からとはいえ、備えなしの状態から受けたために威力に押されて吹き飛ぶように転倒。痛みで立てなくなってしまっていた。

 そこを捕獲側が追いついて、あまり誉められることではないが、防弾制服の上から両手足に銃弾を撃ち込んでダメージを加えてから捕獲。

 1人が連行していき、残りはまた捜索へと戻っていった。

 ――ィィィィィ。

 その様子を観察していると、屋上の扉が音を殺すようにして開くのを察知。

 確実に誰かが来たのを確信しつつ、オレも気配を殺して移動を開始。

 屋上から素早く降下して、1階下の事前に鍵だけ開けていた窓から装備科の資材置き場へと侵入。

 窓を閉めて通常の出入り口から誰か来ないかを確認しつつ、2分ほど潜伏。

 制限時間の関係から、捜索もじっくりとやることはないと予測していたので、また窓を開けて外に誰もいないかを確認してから外枠に乗り出して屋上を覗き込んで誰もいないことを確認してから元の場所へと戻ってまた周囲の観察を始めた。

 のだが、オレが双眼鏡を覗いて早紀さんの様子をうかがった時、スコープを覗く早紀さんと明らかに視線が合った。合ってしまった。

 早紀さんはその顔に笑みを浮かべながら、口を動かして隣でノートパソコンをいじる雅さんに何かを伝えていて、それが確実にオレの居場所に関してだと確信。

 あそこからではオレにダメージだけを与える狙撃は不可能――位置関係から顔しか狙えない――だから、こちらに向かわせたのだろうが、非常にヤバイ。

 今ここから動こうとすれば、撃てない状況から一変。確実に早紀さんから1発もらう。

 狙撃手に狙いをつけられた状態から放たれる銃弾を避けるなんて芸当は容易くない。というより不可能に近い。

 ――バァン!!

 早紀さんのせいで1分ほど動けずにいたら、やはり屋上に生徒がやって来て、扉を盛大に蹴り開けたのか、見ずともわかってしまう。

 しかし早紀さんがこちらを狙う限りオレは動けない。

 屋上に来た生徒の気配を感じながらも、オレは双眼鏡で早紀さんを見続けて隙をうかがうが、やはりオレから狙いを外してはくれない。

 ダメか……そう思いかけた瞬間、早紀さんの体がピクッと何かに反応したのを察知。

 どうやら他の逃走者の発見情報でも入ったらしく、狙撃範囲に誘導中なのだろう。

 そしてわずか数秒のうちに早紀さんの視線が一瞬、スコープから外れてどこか別の場所を肉眼で見る挙動を見逃さなかったオレは、もうすぐ後ろに迫っていた生徒達など構うことなく屋上から飛び降りてワイヤーを取り出す。

 その際に頭の少し上の壁に早紀さんの放った銃弾が突き刺さって小さな穴を穿つ。あ、あぶねぇ……

 落下中に備え付けの外灯――上の方が道側に曲がったタイプ――にワイヤーをくくりつけてターザンのように落下を阻止して着地したオレは、すぐさま遮蔽物に隠れてオレのいた屋上からの威嚇射撃と早紀さんの狙撃に備えた。

 さて、ここからどうしたものか。

 目の前に迫ったピンチこそしのいだものの、依然としてピンチなのは変わらないため、頭をフル回転させるが、その時タイミング良く古館先生の校内放送が流れてきた。

 

『おーし! 第1セットは3人捕獲で終了! 次のセットに移るから、バラけてた捕獲側は中庭集合! 逃走側はへばんなよ! ひっひっひっ!』

 

 どうやらオレ以外の逃走者が3人捕まってしまったようで、第1セットは敗北したらしい。

 時間を確認すれば、約10分。やっぱり15分は長い。古館先生も意地悪すぎる。

 とにかくこのセットでは生き残ったオレだったが、インターバル中に装備科・車輌科の専門棟から出てきた捕獲側の生徒の1人から無線を手渡されてそれに応じてみれば、相手は早紀さん。

 

『次は仕留めんで、京』

 

「勘弁してくださいよ。あと1分くらいあったら捕まってましたし」

 

『これこれ京くんや。そんな弱気でどないすんねん! 熱くならんと!』

 

 とは雅さん談だが、この状況で熱くなれるほどオレも開き直れないですって。

 

「じゃあ雅さんが代打でやってください」

 

『それは断固拒否すんで』

 

『なんや、京夜はん死んでへんのかいな。早紀はん減点どす』

 

 そうやって無線に割り込んできたのは眞弓さん。

 この人、この第1セットでオレに致命傷でも負わせる気だったな。絶対そうだ。

 

『スマンてマユ。次は仕留めるさかい、堪忍な』

 

『まぁええどすえ。皆はんも聞きましたやろ。京夜はんまだピンピンしとりますから、次は確実に殺りましょか』

 

 おおー!!

 そんな声が聞こえたのは、校舎の方から。皆さんどんだけ殺る気なんですか……

 そのあと愛菜さんが無線で眞弓さんに対して「京ちゃんはやらせへん!」とかなんとか言っていたが、たぶん眞弓さんは右から左に聞き流しているだろうことを予測しつつ無線を返してから第2セットのための移動を行っていった。

 さて、この第2セットからは地獄だな。

 

『おらぉ! 第2セットいくぞー!』

 

 第2セットの開始を告げる古館先生の放送が盛大に響き渡るのを耳を塞ぎながらに聞き、また集中を高めて生き残るための行動を始めた。

 オレが今回まず行なうのは、狙撃手の無力化。

 つまりは早紀さんを倒すこと。これが出来るのと出来ないのでは、生存率が倍以上変わってくる。

 だからオレはインターバル中に本校舎の屋上へと潜伏。

 狙撃の配置につく早紀さんを確実に仕留める。

 そう意気込んで待ち構えていたのだが、開始から2分が経過しても来る気配がなく、そこでようやく『嵌められた』ことに気付いたオレは、急いでこの屋上から撤退しようとした。

 しかし時すでに遅し。

 まるでオレの心でも読んでいるかのように、屋上の扉が勢い良く開け放たれて、そこから強襲科と探偵科の混成チームが姿を現し、屋上の縁からは強襲科と諜報科の生徒が屋上を取り囲むように乗り上げてきて、扉の後ろから優雅に扇子を扇ぐ眞弓さんも姿を現した。

 

「策を巡らせるんは京夜はんだけやありまへんえ? 裏の裏を読めな、気付いた時にはこの通りどす」

 

 ……つまりオレは眞弓さんにここへ誘導されたのだ。

 第1セットで早紀さんがここに陣取ってくれば、当然次はそれをどうにかしようとする。

 おそらくは先ほどの無線でのやり取りも、第1セットでオレを倒す手はずだったと思い込ませるための布石。

 思えば眞弓さんは減点と言いながら、早紀さんをしっかり名前で呼んでいた。

 これも進級間近での変化だが、眞弓さんが名前で呼ぶ相手は、その実力を認められたということになる。してやられたな。

 

「いくら京夜はんでも、この数相手に無事とはいきまへんやろ。それにここにおるエトセトラは大小あれど、京夜はんに恨み妬みを抱えとる人ばっかりやから、負傷で済めば御の字どすなぁ。ふふっ」

 

 この状況をどうしたものかと考えていれば、眞弓さんがなんとも恐ろしいことを言うので、周りの生徒の顔を見れば、確かに殺気が物凄い。

 というか男子しかいないぞ。ここから察すると、恨み妬みって、やっぱり……

 

「いつもいつも愛菜達とイチャイチャしおって」

 

「それを見せつけられる俺達の気持ちとか考えたこともないやろ」

 

「今日は俺達がお前に天罰を下す。やから……」

 

『死にさらせぇええ!!』

 

 予測通り、愛菜さん達関係のものだったが、オレも別に望んで受け入れてるわけではないんだよ。

 と言ったところで聞く耳など絶対に持たないことはわかりきっていたので、一斉に襲いかかってきたところでなけなしの閃光弾を懐から取り出して炸裂させると、一直線に屋上の縁から飛び降りて包囲を突破する。

 が、それすら折り込み済みとばかりに、飛び降りた下にはまばらながらに6人ほどが配置されていて、オレの存在に気付いた様子も見てとれた。

 とはいえ、軌道修正などできようはずもないので、先ほどと同じようにワイヤーを用いて落下を阻止して着地し、落下中に見えた逃走ルートへと走り出そうとした。

 ――バヂィイイイン!!

 前へ出たはずの体が、仰向けに倒れたと認識したのは、右肩を襲った衝撃と痛みを感じて、遅れて聞こえた銃声を知覚してからだった。

 撃たれたのだ。

 防弾制服の上からだったので貫通してはいないが、威力からして小口径の銃ではない。

 そう思いながら銃弾が飛んできたであろう方角へと視線を向けてみれば、車輌科のサーキットの奥の方に1台の黒いワゴン車が停まっていて、凝視すると助手席の窓が開いている向こうに、狙撃銃を構える早紀さんの姿が見えた。

 くそ……完全に嵌められた……

 第1セットでの早紀さんの狙撃。第2セットでの屋上での包囲。そこを突破したあとに下に待機させていた生徒。

 ここまでで完全に『目の前の危機の処理』に頭がいっていたオレに、その目の前の危機の外から攻撃する。完敗と言わざるを得ない。

 早紀さんの通り名の1つとして『動ける狙撃手(ムービング・スナイパー)』というものがある。

 これは早紀さん自身が運転手兼狙撃手であることで、その助手席に狙撃銃を固定して狙撃を行なうところから来ている。

 オレも一緒に依頼をこなす中で何度も見てきたが、ただの車輌科では出来ない芸当である。

 それが眞弓さんが早紀さんを認める決め手になったのは記憶に新しい。

 とにかく、肩を撃たれたことで脱臼しかねないダメージを受けたオレは、明らかに動きの鈍った体で立ち上がるも、依然として早紀さんの絶対半径にいることもあり、抵抗虚しくすぐに駆けつけた捕獲側に再度包囲されてしまい、その手足に銃弾を1発ずつ撃ち込まれて拘束され、第2セットでの最初の脱落者となってしまった。

 あぁ……もうどう足掻いても後のセットは勝てないな……

 

『おいおい! もう第2セット終了か!? お前らもっと足掻け!』

 

 拘束されてわずか5分。

 合計で8分程度で終了した第2セットに不満があるのか、放送での古館先生が文句を言ってくるが、あなたが逃走者になってやってみろと本気で思ってしまう。

 しかし何を言ったところで聞き流されてしまうだけなので、拘束を解かれたオレは、仕方なくまた逃走に身を投じるが、もうやれることは限られてしまっている。

 だるころにおいて、逃走側の勝率が圧倒的に低いのには、大きな大きな理由がある。

 それが『ダメージの蓄積』。

 捕獲側は捕獲する際に逃走側を無力化する過程で『良識ある程度のダメージを与えてもいい』ことになっている。

 なので、第1セットでサーキットに追い詰めて必要以上のダメージを与えていたのも、戦略。

 第2セットでオレが拘束される前に手足を撃たれたのも、1つの戦略なのだ。

 そうして短時間では抜け切らないダメージを与えられてしまえば、当然次のセットでは機動力を削がれることになり、結果、身を潜めてやり過ごすことしかできなくなってしまうのだ。

 だから第1セットこそ逃走側が最も勝率が高く、それ以降は勝率が右肩下がりで悪くなる。

 故に未だかつてこのだるころで逃走側に回って無傷で生還した生徒は1人もいない。

 古館先生もそれがわかってるから嫌味っぽく笑いながらに金一封などと軽く口にしたわけだ。

 そんなわけでダメージが残る状態で逃走などしたところで簡単に捕まってしまうために、定石通り隠れてやり過ごすことにしてみたわけだが、この第1、2セットで『見つけにくそうな場所』に目星をつけられてしまったのはわかりきっていた。

 かといって裏をかいて隠れるにしても都合良く隠れきれるわけもなく、第3セット開始からわずか3分ほどで見つかってしまったオレは、よくわからないがたくさんの男子生徒に囲まれてしまい、過剰なほどの殺気をぶつけられていた。

 これは……病院送り確定だな。

 何故かもう全員が「停学処分を受けてでもこいつを病院送りにする」みたいな表情をしていたので、ここで1年ほど溜まった男子の恨み妬みを発散させられるならと諦めて目を閉じる。

 が、その男子達がオレに何かする前に3人の女子生徒が乗り込んできて阻止してくれた。

 

「おどれらぁ! 京ちゃんに何しようとしとんねん!!」

 

「ふへへへ……全員血祭りやで……」

 

「ちょっとおいたが過ぎるわね。ご主人様としては見過ごせないかな」

 

 駆けつけた千雨さん、愛菜さん、幸姉は、台風でもやってきたかのように、群がっていた男子達を蹴散らしていき、千雨さんはもう言葉遣いが乱暴を通り越していて、愛菜さんに至っては目が完全に据わっていたし、幸姉も珍しくマジな目で2人を援護していた。

 そのあとオレを病院送りにしようとして、逆に病院送りにされた男子全員と、惨劇を生み出した原因であるオレや幸姉、愛菜さん千雨さんがまとめて停学処分となり、これが後に京都武偵高で密かに語り継がれる黒歴史『血風乱武(けっぷうらんぶ)事件』となったのだった。



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Reload10

 

「これは予想以上に深刻どすなぁ」

 

「日本3景に悪影響を及ぼすとか、日本人としてやめてほしいわ……」

 

 ゴールデンウィーク最終日。

 本来なら愛菜さんと千雨さんと一緒に新作映画を観に行っていたはずだったオレと幸姉は、現在京都府の北部。丹後半島を望め、日本3景に数えられる『天橋立』があり、夏には海水浴場の開放と相まって人と観光客で賑わう宮津市に来ていた。

 しかしこの場に愛菜さんと千雨さんの姿はなく、一緒に同行していた――オレと幸姉が同行しているが正しい――のは、今や京都武偵高の2年主席と呼び声高い眞弓さんと、ここまで来るために車の運転を務めてくれた早紀さんに、情報担当の雅さん。

 今はその日本3景、天橋立を東洋龍――蛇のような龍――と見立てた『飛龍観』として呼ばれ望める文珠山のふもとの天橋立ビューランドへとモノレールに乗ってやってきたところ。

 それでゴールデンウィークということもあって、天橋立を見る観光客で賑わいを見せているはずだったここへ来てみての言葉が、先ほどの眞弓さんと幸姉のもの。

 2人がそんな感想を漏らすように、現在この場にいるのはオレ達のみ。観光客どころか、地元民っぽい人すらいない。

 別に臨時休業がされているわけでも、天橋立の人気が急降下したわけでもない。

 この現象の原因の排除が、今回オレ達が宮津市を訪れた理由ということだ。

 

「ほなら、京都の未来と平和のために働きましょか。雅、下調べは終わってますやろね?」

 

「問題あらへんで。あとはさっちんと京くんと下見して調整やね」

 

「それじゃあ私と眞弓はその間に着替えておきましょ」

 

 天橋立ビューランドの現状を確認したオレ達は、それで事前に打ち合わせていた通りに行動するため、またモノレールに乗って降りると、一旦眞弓さんと幸姉とは別行動で2手に分かれてそれぞれで準備をしに移動開始。

 オレは本来なら幸姉についていなきゃいけないのだが、眞弓さんに「小1時間程度なら、ウチでもボディーガードはできますえ?」などと言われてしまって、幸姉にも「大丈夫よ」と言われてしまえば渋々である。

 今回オレ達が宮津市でやる依頼は『強盗犯の逮捕』である。

 ゴールデンウィークに突入して、観光客を狙った強盗犯が出没。

 しかし被害者の誰1人としてその姿を見ていないという不可思議な事件にして、声も変声器か何かで変えていることから、捜査が難航。

 さらに警察が動いているにも関わらず、被害者は増えていくという事態で、観光客も強盗犯を恐れていなくなり、地元民すら外出を控えるという最悪な事態へと発展。

 このまま犯人逮捕に至らなければ、夏の海開きなどにも影響を及ぼすとして、なりふり構わずに京都武偵高に依頼が舞い込んできたということわけだ。

 当初はもっと大人数での捜査を想定していた教師陣だったが、眞弓さんが「ウチに任せてください」と進言したことで今に至っている。

 実際、いま宮津市に来ているのは、オレ達だけ。愛菜さんと千雨さんも来ると言い張ったのだが、とある理由によって眞弓さんが一蹴している。

 今頃は2人で自棄ポップコーンを食べながら映画でも観ていることだろう。

 そんなわけで事件解決のために早紀さんと雅さんと行動していったオレは、今回の事件をまとめた資料で、そこから雅さんが物凄く要点を絞った部分を思い出しながら車で移動しながら現地の下見を完了させていく。

 ここら辺の土地勘はないからな。いざという時に迷ったりは絶対に避けたい。

 

「そんで、今回の犯人はどないなトリックを使うてるんや? ミヤもマユもなんや見当ついとるように思うんやけど」

 

 移動中、運転をしていた早紀さんは、オレの隣でノートパソコンを操作する雅さんに視線を向けずに質問。

 オレも気になったので、耳だけそちらに集中していく。

 

「んー、どないなトリックかはわからへんけど、3ヶ月前に福岡で似たような事件が数件、3日くらい続いたことがあってん。そこんとこの資料も引っ張ってきて分析してみたんが、ここに来るまでに見てもらった資料なんやけど、完全に一致しとる項目があるやろ?」

 

「要点を絞ったこれですよね。『観光客のみを狙う』『犯行は晴れの日の日中に限られる』『誰も犯人の姿を見ていない』」

 

「夜の方が人目も避けやすいのに、何でわざわざ晴れとる日の真っ昼間に犯行に及ぶんやろな。姿を隠すトリックがそこにあるっちゅうことなんかな?」

 

「さっちんわかっとるやんか。眞弓も私も同じ見解や。ひょっとしたら『ねっちんと同類』の犯行やないかっちゅうのが、大方の予想やね」

 

 幸姉と同類。つまりは犯人が『超能力』を持っている可能性があるということ。

 確かにそう考えれば、目撃者がいないことへの説明も納得がいく。

 しかしあくまで予測。そういった可能性を考慮した上で動くというのが、眞弓さんと雅さんの考えなのだろう。

 

「それよりも、今回の作戦で犯人が現れる可能性の方が重要じゃないですか?」

 

「京くんもまだまだ甘いで。資料から読み取れる情報だけでも、犯人の性格を分析できんねんで。それを考慮した上で可能性の高い作戦を実行する。眞弓も私も勝算なしで動いたりせぇへんっちゅうこっちゃ」

 

 続けて今回立案された作戦で犯人が姿を現す可能性についてを問えば、これも全く問題ないと豪語する雅さん。

 

「プロファイリングってやつですか。雅さんがそう言うなら信頼はしますけど、犯人の性格っていうのは、どんな感じですか?」

 

「まぁ、簡単に言えば相当な自信家。警察の目もお構いなしに犯行を継続しとるし、犯行当時は別に人目のない場所に誘導してといったこともせんで、白昼堂々背後から拳銃らしきものを突きつけて財布を出すよう恐喝して奪っとる。ただ、知能犯である反面、犯人は非力である可能性が高いねんな。やから、思わぬ反撃を恐れてかは知らんけど、被害者はみんな女性。観光客を狙うんは、資金面で余裕のある人が多いからやろう。狙う相手が明確なだけに、今回の作戦は勝算あんねんな。警察にも捜査体制は変えんよう言うてあるし、怪しまれん1回目だけがチャンスや。京くんもさっちんも頼りにしてんで」

 

 そうやって話したあと、雅さんはまたノートパソコンと向き合って何かの作業を再開していき、早紀さんも「任せとき」と一言返してから運転に集中。

 オレも一言「はい」と返してから、自分がやるべきことへと集中していった。

 幸姉達と別行動を始めて約1時間。

 作戦のための下準備を完了させて集合場所となる天橋立駅へと到着したオレ達は、先に待っていた幸姉達と無事に合流を果たして、各々のやるべきことの最終確認を始める。

 眞弓さんと幸姉は、この1時間で武偵高のセーラー服から、華やかな明るい色を基調にした服装へと着替えていて、眞弓さんはボーイッシュなパンツと上着でまとめた感じで、その手にいつもある鋼鉄製の扇子はなく、左肩から小さめなバッグを提げていた。

 幸姉はその長い髪を後ろで2つに分けてまとめて下ろし、普段はほとんど着ることのないワンピースにシャツを羽織る清楚系な服装で、眞弓さんとは違って女性らしさを前面に出した感じだった。

 

「雅、どこで仕掛けられても対応できますやろね?」

 

「問題あらへんで」

 

「京夜はんも、すぐにヘルプに来れますか?」

 

「大丈夫です」

 

「早紀はんも、場合によっては援護頼んますえ?」

 

「任せとき」

 

「眞弓も、京都弁」

 

「あら、これはうっかりしとりましたわ。では……これで良いかな、幸音?」

 

「……なんか凄い違和感」

 

 べちんッ!

 1人ずつ確認を取っていた眞弓さんは、最後に幸姉に言葉遣いを注意されて直してみれば、失礼極まりない返事を聞いて幸姉の両頬を挟み込むように平手打ち。

 今回オレ達が行う作戦は、『誘い込み』。

 要するにおとり捜査だが、犯人は女性の観光客を狙うということもあり、眞弓さんと幸姉がおとりとして動くことが決定。

 しかし、元々標準語の幸姉はともかく、普段はバリバリコッテコテの京都弁である眞弓さんでは、観光客として見られない可能性があるので、こうして標準語に直していたのだが、幸姉が言うように普段が普段なので、標準語の眞弓さんというのは物凄く違和感を感じてしまう。

 それでこのおとり捜査で、なぜ愛菜さんと千雨さんが弾き出されたかと言うと、愛菜さんは見た目だけであれば、まんま外国人であるために、言葉が通じないと思われるかもしれないからで、千雨さんは眞弓さんの見立てで『10代後半以上の年齢に見えないから』という理由。

 それ以外の役回りでもオレと雅さんと早紀さんで事足りてしまうからもあるが、何より2人とも、あまりにも『標準語を使えない』せいが最も大きな理由だった。あれは酷かった。

 そんな出来事を思い出しつつ、各々で配置につく最後の準備としてイヤホンとマイクを配り装着――幸姉と眞弓さんは不自然な会話を避けるためにイヤホンはなし――し、朝の10時25分から作戦が開始された。

 まずは被害者が全員、飛龍観で天橋立を望める天橋立ビューランドに足を運んでいることから、犯人が天橋立ビューランドの周辺でターゲットを決めていると予測して、幸姉と眞弓さんは再びロープウェイで天橋立ビューランドへと行き、1時間程度で戻ってくると、とても仲良さげに観光客らしい話をしながら徒歩での移動を始める。

 その周辺を、オレが常に一定距離で監視。早紀さんと雅さんは車を使って別ルートで2人の動きを見てくれていた。

 犯人をこの段階で誘い出せているかどうかはわからないが、そうなってると信じて行動していたオレ達は、ちょうど昼時となったところでオープンテラスのあるカフェで休憩を始めた幸姉と眞弓さんの周辺警戒をしつつ、持っていた軽食を口につけ始めた。

 その間、雅さんも早紀さんも何も喋らないため、イヤホンからは幸姉と眞弓さんの上っ面だけの観光話だけが聞こえ、それに飽き飽きしてきたのか、幸姉と眞弓さんも食事をとって会話が少なくなったところで雅さんが「京くん、なんか話してや」と無茶振りをしてくる。

 そういうの苦手なんですよオレ……

 

「じゃあ、雅さんが受けて難しかった依頼ベスト3を教えてください」

 

『そんなん話しても盛り上がらんて』

 

「そんなこと言われてもですね……あ、早紀さんって、髪を染めてますよね? 今は車輌科なのに、染め続ける理由ってなんなんですか?」

 

『そんな大層な理由はあらへんで?』

 

 雅さんは暇を嫌う傾向にあるため、どうしても会話は必要と思って、ふと早紀さんに対して疑問が沸いて質問をしてみれば、その早紀さんはそんな前置きをして話をしてくれた。

 

『京はこの髪を「狙撃手とひと目でわかるように染めてる」ことをわかっとって言うてんのやろ? なら答えは簡単や。私が今も狙撃手として扱ってもらいたいからやねん』

 

 武偵は、その専門がひと目で識別できるように髪を染めることがよくある。

 狙撃手の場合は青みがかった色に染めるのだが、今の早紀さんは車輌科。

 その点だけ見れば、今も髪を水色に染める必要はない。

 それでも早紀さんが今も髪を染める理由はシンプルではあったが、少し疑問もあった。

 

「だったらわざわざ狙撃科のない京都武偵高に来なくても、中等部からそのまま大阪武偵高に行けば良かったんじゃ……」

 

『それも考えたんやけどな。実家は京都やし、仲の良いアイやチィ、ミヤが揃ってこっちに行くゆうから、私もって……他にも大阪のやつらと馬が合わんっちゅうこともあったけど、それはアイとチィが一番に挙げる理由かもしれんな』

 

 イヤホン越しに聞こえる早紀さんの声は、若干笑っている感じだったが、どうにも今の理由は早紀さんがこっちへ来た一番の理由ではないようだった。

 確かに仲の良い人と一緒の学校に通い、仲の悪い人と離れたいと思うのはよくあることだろうが、武偵である以上、そんな理由で進む道を決めてはならない。他人のことは言えないが。

 

『京くん、さっちんの狙撃は凄いやろ?』

 

 早紀さんの話の後、少し沈黙すると突然雅さんがそんな当たり前のようなことを言うので、当然と返せる。即答に近かっただろう。

 

『さっちんの狙撃はな、1人では絶対に出来へんのや』

 

「えっ? でも今までずっと1人で……」

 

 と、雅さんの言葉に返そうとしたところで、あることに気付いた。

 早紀さんが狙撃をする時。少なくともオレが早紀さんの狙撃を見る時は、必ず雅さんがそばにいたのだ。

 

『狙撃手にはな、観測手っちゅう風向きや風速、距離なんかを計るサポート役がおんねん。さっちんには中等部の2年までちゃんと相棒がおったんやけどな。3年に上がる少し前に持病で先に逝ってもうてん。それからは私がサポートプログラム立ち上げてさっちんの観測手やっとるっちゅうわけ』

 

『……気にせんでエエよ、京。あの子の最期はちゃんと看取ったし、後悔もあらへん。ただ、あの子以上の相棒が見つからんくて、まともに狙撃ができなってたところで、ミヤが助けてくれてん。やから今の私はミヤがおらんかったら、ただの車輌科の進藤早紀。私は……1人やと何もできんねん……』

 

 いつもは凛々しいと感じる早紀さんの声は、その時だけはとても弱々しくて、らしくなくて、そんな早紀さんに対して、どんな言葉をかけていいのかわからなくなってしまう。

 そんなタイミングで良くも悪くも幸姉と眞弓さんが食事を終えて再び移動を再開。

 こちらの声はあちらに聞こえていないため、意図としたものではないながら、それによって話もなんとなく流れてしまい、何かモヤモヤとしたものが残しながらも、少し逸れていた集中を作戦へと向けていった。

 

『止まれ。変なことをしたら撃つ』

 

 ヘリウムガスでも吸ったような、そんな妙な声が聞こえてきたのは、幸姉と眞弓さんが移動を再開して30分ほど経った時だった。

 不意に、唐突に、幸姉と眞弓さんのそばに『誰もいない』状態でありながら、2人が持つマイクから、確かにその声は聞こえたのだ。

 

『んー、確認しづらいんやけど、ネィの背中に見えん何かが押し付けられとる感じの不自然なへこみがあんな』

 

 おそらくは狙撃銃のスコープの倍率を上げて現場の様子をうかがった早紀さんがそんな報告をオレにして来たので、オレも悟られないであろう限界の距離まで接近してから、幸姉と眞弓さんの様子を確認する。

 が、やはり幸姉達の周りには誰もいなく、ギラギラと照りつける日射しによってできる影も、幸姉と眞弓さんのだけ。

 

『2人とも財布を出して振り向かず背中に回せ。そうすれば何もしない』

 

 しかし、やはり声だけはしっかりと聞こえてきて、その光景にオレはどうすればいいのかすぐに思い付かない。

 その間に、怪しまれたらダメだと判断する幸姉と眞弓さんが指示通りにバッグからゆっくり財布を取り出していく。

 

『京、なんか見えんか? 犯人が見えん以上、私が下手に撃って死なせるわけにもいかんで』

 

「そう言われても……オレの目からも犯人の姿は影も形も……」

 

 と、早紀さんからの言葉に返そうとしたところで、思い付く。

 

「……早紀さん、財布を撃ってください。幸姉と眞弓さんが指示通りに背中に回して、犯人の手に渡った瞬間。今の早紀さんの位置なら、幸姉と眞弓さんに被弾させずに出来るはず」

 

 ちょうど今の位置関係は、早紀さんから見れば、右半身を向けた幸姉が手前に来た状態で眞弓さんがその奥で若干見えない感じ。

 そして犯人がいると思われるのは幸姉と眞弓さんの背後。

 つまり撃とうと思えば犯人だけを撃つことはそれほど難しくない。

 しかし犯人の姿が見えないのでは、撃ち損じれば大変なことになる。

 だが、犯人が幸姉達から財布を奪う瞬間、そこには必ず犯人の手がある。

 たとえ見えなくても、財布を狙って撃てば、犯人の手に当たる可能性は高い。それで指の1、2本が吹き飛んでも、死にはしないはず。

 武偵には武偵法というものがあり、国によって内容に違いはあるが、日本は9条において『武偵はその依頼・任務で人を殺めてはならない』という事項がある。

 これを破ってしまえば、おそらく一生を高い塀の中で過ごすことになるだろう。

 オレの言葉を聞いた早紀さんは、それで大きく息を飲んだような音を出したが、腹を括ったのか、雅さんにサポートを指示。

 そして幸姉と眞弓さんが財布を背後へと回したところで、予想していなかった事態が発生。

 背中に回された財布が、いきなりその姿を消したのだ。前触れもなく、そこから消えてしまった。

 それには目の前で見ていたオレも、スコープから覗いていた早紀さんも驚き行動がキャンセルされてしまい、その結果チャンスを逃してしまった。

 しかし、そこで何かをしてくれるのが、幸姉と眞弓さん。

 眞弓さんは財布が自分の手から離れたのを確認したからなのか、財布の受け渡しの隙を突いて、バッグに忍ばせていた扇子を素早く取り出して、幸姉に押し付けられていたらしい拳銃を下から弾き飛ばす。

 すると財布と同じようにいきなり空中を舞う黒光りする拳銃が姿を現し、それを幸姉がキャッチし後ろを向いて構える。さすがだ。

 だがやはり犯人の姿は見えないため、幸姉も下手に撃てないので、打てる手としてはそこまで。どうする。

 

『早紀はん、一瞬やけど頼んますえ』

 

 そこでまた行動を見せたのは眞弓さん。

 眞弓さんは何を思ったのか、扇子を広げてそのまま上へと放り投げる。

 扇子はふわりと宙を舞い、それに何の意味があるのかと思っていると、扇子が作った影。

 そこに誰かの左腕と足がそこだけ切り取られたかのように姿を現したのだ。

 ――カァン!!

 その瞬間、その近くのコンクリートに早紀さんの撃った銃弾が当たり跡を残すも、犯人の姿はまた見えなくなってしまう。

 だが、見えた。消える前に、犯人の足のズボンに、早紀さんの弾がカスって穴を開けたのを。

 そしてわかった。犯人のトリックも。

 

『京夜はん、頼りにしてますえ』

 

 そうしてオレの考えなどお見通しというように言ってきた眞弓さんに苦笑しつつ、全神経を研ぎ澄ませて周辺をくまなく観察する。

 犯人はやはり、超能力者で間違いないだろう。

 その能力はおそらく『日光のある場所では姿を見えなく出来る』というもの。

 それも自分とそれに直接触れる物が対象。だから盗られた財布も持っていた拳銃も、着ている衣服も見えなかったのだ。

 そして今、幸姉達がいる場所から離れようとするなら、どうやっても日陰を通らなければならない。

 そこと早紀さんが付けてくれた跡を見逃さなければ、絶対に発見できる!

 ………………十数秒。景色に変化はなく、まさか死角でもあってそこから逃げられてしまったかと思った時、不意に、景色の中に1人の男の後ろ姿が入り込んできた。

 そいつにある程度近付き凝視すれば、その足には早紀さんが付けた跡がくっきり残っていて、位置関係ではまだ早紀さんの射程内。

 

「早紀さん、幸姉達から80メートルほど奥を離れるように歩く帽子を被った男です」

 

 ――ドサッ。

 そう、早紀さんに情報を伝えて2秒ほど。

 いきなり犯人の右腿に銃弾が撃ち込まれて、それを受けた犯人は力なく地面へと倒れ込んでしまった。

 やったのは当然早紀さん。は、速い……

 そうなってしまえば、あとは簡単。

 まともに動けなくなった犯人をオレ達で逮捕し、眞弓さんが撃たれた箇所の止血をして、連絡を受けた警察に身柄を引き渡して無事に依頼完了。

 終わってみれば、本当に警察が手を焼いた犯人だったのかを疑うほどにアッサリと解決したように思えるが、そう思わせるだけの実力を眞弓さん達が見せたということ。

 事後処理や何やらを済ませて宮津市を出る頃には、時間も陽が沈みかける夕方となっていて、その帰りの車では、すっかり気を抜いた眞弓さん達――眞弓さんは助手席で幸姉と雅さんがオレの両サイドに座ってる――が熟睡。

 起きているのはオレと早紀さんだけになっていた。

 

「…………京も寝てエエんやで?」

 

「いえ、今回は疲れるようなこともしてなかったので大丈夫です」

 

 幸姉と雅さんが体重を預けてきて身動きが取れなかったオレに、早紀さんはバックミラーでチラリとこちらを見てそう言ってくれたが、実際オレは今回は何もしてなかったので、そう返すと、また車内は沈黙してなんとも言えない空気が流れる。

 

「……あの、早紀さん。依頼の時に話してくれたことなんですけど、早紀さんは十分に凄い人だって思います。今日の活躍だって早紀さんの実力ですし、早紀さんがいなかったら取り逃がしていました。だから1人で何も出来ないなんて、そんなことは決してないです」

 

 そんな空気で何も話さない方が苦しかったため、昼の話で返せなかった言葉をいま直接言ってみると、バックミラー越しに早紀さんの少し驚いたような顔が見えた。

 

「……おおきに。でも、1人で狙撃できんっちゅうのは変えられん事実や。そこは認めなあかんと思うねん」

 

「たとえそうだとしても、早紀さんに出来ないことは、誰か他に出来る人がやる。それで他の人が出来ないことを早紀さんがやる。そういうのが『チーム』ってものなんじゃないかって、思いますよ」

 

「……京はたまに大人っぽいこと言うからズルいねんな」

 

 何がズルいんですか。

 バックミラーを見なくても早紀さんが笑っているのがわかったオレは、何が面白いのかわからないまま微妙な表情をする。

 

「……あの子と見とった武偵チームの理想があんねん。どないな理想やと思う?」

 

「…………世界一の狙撃チーム、とかですか?」

 

「これ教えんの京だけやで? あの子との理想はな、『どこでも駆けつけて、どんな場所からでも狙撃できる』チームやねん。そのためにあの子も私も車以外の免許たくさん取ってたんや。やからその理想を1人でも形にするんが、今までの私の夢やった」

 

 ちょっと無理あったんやけどな。

 と、最後に笑って付け足した早紀さんだったが、それはきっと『新しいチームを作る』ことを望み始めた照れ隠し。

 きっと早紀さんはこうも続けたかったのだろう。

 ――でも、こいつらと一緒なら叶えられるかもしれない――

 本当にそうかはわからないが、何か少し雰囲気の変わった早紀さんを見てると、きっとそうだろうと思えるようになり、残りの時間は他愛ない会話をしていったのだった。



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Reload11

 

「海だー!」

 

 来たる季節は夏。

 今年もあの祇園祭の警備依頼を無事にやり遂げて迎えた夏本番の8月。

 その頭にオレ達はゴールデンウィークにも訪れた京都府宮津市へと足を運んで、日中の時間で天橋立海水浴場に海水浴をしに来ていた。

 例の強盗犯が逮捕されたことで、例年通りの賑わいを見せる海水浴場を見てると、なんだか少しホッとするが、今のオレの状況はホッとしてる場合でもない。

 

「京ちゃん京ちゃん! 一緒に泳ごうや!」

 

「ちょっと待ってください愛菜さん。今パラソルとか取り付けてるんですから」

 

「やかましどすなぁ。やから連れてくるんは反対やったのに……」

 

「まぁまぁ眞弓。みんなで来た方が楽しいやろで納得したんやから、ここに来てグチグチ言わんといてや」

 

 ビーチへと来てから開口一番に海だー! と叫んでいた愛菜さんは、その抜群のスタイルを見せつけるかのような青色のビキニを身に付けていて、ハイテンションで早速オレと一緒に海へと乗り出そうとするが、場所の確保を優先しなければならないためにやんわり断ってみれば、白のレースタイプの水着に上着を着た眞弓さんが、早速持ってきたベンチを置きつつ座ると、うるさい愛菜さんに文句たらたら。

 それを狙ってるのかわからないが、紺色のスクール水着を着た雅さんがなだめていた。

 

「はいはい、アイは私らと一緒に先に遊んでような。京は設置し終わったら合流しいや」

 

 眞弓さんをなだめる雅さんの横で、その眞弓さんに噛みつきそうになっていた愛菜さんの背中を押してオレにそう言ってきたのは、赤と白のボーダーのビキニを着た早紀さん。

 そんな早紀さんにわかりましたと返して、その2人のあとで、水色のビキニを着た幸姉と上下で分かれるフィットネスタイプのグレーの水着を着た千雨さんが一言オレに言ったあと、愛菜さん達を追っていった。

 どうしてオレ達が海に遊びに来ているのか。

 それは前回のゴールデンウィークでの一件を解決して、今年の来客減少の危機を救った追加報酬ということで、宮津市から1泊2日で各施設利用を完全無料にしてもらったことによる。

 もちろん買い物などは別だが、宿泊するホテルの宿泊費、食費に、ここまで来るのにかかる往復費などは宮津市が全て負担してくれるとあっては、行かないわけにはいかないとなり、依頼に関わっていない愛菜さんと千雨さんは自己負担ではあるが、少し強引に同行してきたといういきさつであった。

 そんなわけで日中は海水浴へと乗り出して、荷物などを置く場所にシートにパラソル、簡易テーブルを設置し終えると、眞弓さんはパラソルの下で読書を始め、雅さんは何やらノートパソコンを起動してシートへと座ると、怪しい笑い方で何かの作業を始めてしまう。

 その2人がとりあえず荷物番をしてくれるということで、オレは約束通り幸姉達と合流を図るために移動を開始したのだが、その幸姉達は何がどうしてそうなったのか、数人の大学生くらいの男を組み伏せて周囲の人達から注目を集めていた。セクハラでもされたのか?

 状況はわからないながらに近付いてみれば、オレに気付いた愛菜さんが組み伏していた男から離れてスキップしながら近付いてきた。

 

「何やってるんですか?」

 

「一緒に遊ぼうって誘ってきたんやけど、こっちが断ってもしつこくてな。それでキレて乱闘になる前に制圧したわけや」

 

「これで穏便に済ませたと? 」

 

「千雨なんてグーで行く手前やったからな」

 

 などと笑って言う愛菜さんだが、完全にオレの方に向いていたために、拘束を解いた男が立ち上がって殴りかかろうとしていたのに気付いていなかった。

 なので瞬時に愛菜さんの手を引いて位置を入れ替わると、男の拳を片手で受け止めて踏み込んでいた足を内側へと払って転倒させる。

 この人喧嘩したことないタイプだな。

 

「いくら辱しめを受けたからって、女の人に殴りかかるのはカッコ悪いですよ。たとえこっちが武偵だったとしても、ね」

 

 そこで倒れた男性に対して自分達が武偵だということを教えてあげると、倒れていた男性は途端に血相を変えて拘束されていた他の男性達を連れて逃げるように走り去ってしまった。

 

「キャー! 京ちゃんおおきにー!」

 

 それを見送っていると、後ろから愛菜さんがのしかかるように抱きついてきてバランスを崩しかけるが、なんとか踏みとどまって支える。

 しかし、普段とは違って露出の多い水着のせいで生々しい体温が直接伝わってきて、胸の感触も鮮明に……

 と、意識がそちらに向きかけたところで幸姉がジト目でオレを見ていたことに気付き、ちょっと慌てて愛菜さんを引き剥がした。なんか怖いって幸姉……

 それで騒ぎの中心だったこともあるのだろうが、海水浴の客から注目を集めていたオレ達……というより愛菜さん達が男性の視線を独占している感じがして、一部の女性からも羨望のような眼差しを向けられていた。

 いつも一緒にいるから感覚が麻痺気味になっていたが、愛菜さん達はよく考えなくても美人の部類に入る。

 それで強くてカッコ良いが加われば、周りの反応は至極当然と言える。

 そんな美人の4人と仲良さげなオレはといえば、お前は何者だ的な視線を一身に浴びつつ、周りの視線などお構いなしの愛菜さん千雨さんと、愛想を振り撒く幸姉と早紀さんに引っ張られる形で海へと突撃していった。

 涼むのと適度にはしゃぐのが目的の幸姉と愛菜さんは、始めこそ仲良く水の掛け合いをしていたのだが、なんか知らないうちにエスカレートして2つの巨大な水しぶきを上げるバトルへと発展し、小さな子供も巻き込んでのプチ戦争をしていて、そうなるまでは千雨さんと早紀さんのガチの遠泳勝負を観戦していたオレは、半ば強制的に第3勢力としてプチ戦争に参戦することとなり、どうやって勝敗をつけるのかも不明のままに子供達と一緒にその身を投じていた。

 それからしばらくして今度は遠泳勝負から戻ってきた千雨さんと早紀さんに両腕を絡め取られてプチ戦争から脱出すると、勝負に負けたらしい早紀さんを砂埋めにするのを手伝わされ、早紀さんが完全に顔だけを残して砂に埋まったタイミングでツバ広な白い帽子を被った雅さんがノートパソコンを首から提げて近寄ってきて、その画面に表示される画像をオレと千雨さんに見せてきた。

 画面の画像にはそれはそれは有名な京都市内にある金閣寺が写っていて、何の意図かをすぐに理解したオレはげんなり。

 千雨さんはノリノリでプチ戦争中だった幸姉と愛菜さんを呼び戻して早速4人で作業開始。

 要は早紀さんの上に金閣寺を建てようという雅さんの提案である。

 監督雅さんの下でああだこうだと作業すること1時間。

 あまりにやることがなくて――文字通り手も足も出ないから――途中から寝てしまった早紀さんを他所に完成した砂製の金閣寺は、なんか余計な手を加えようとする幸姉達によって似ても似つかないが、とりあえず形だけは金閣寺な建造物が完成。

 その出来映えで幸姉達は年甲斐もなく文句の言い合いを始めて、ここまでの作業行程を見ていた他の海水浴客からは苦笑が上がり、子供達には「なにこれ」と言われる始末となった。

 ホントになにこれだよな……作った当人達が本気でそう思うんだから。

 

「ちょう待てや! 牛はあたしにくれる約束やったやろ早紀!」

 

「堪忍やチィ。マユが甘やかしたらあかん言うから、あげられへんねん」

 

「京ちゃーん。優しい京ちゃんやったら、私に1枚恵んでくれるやろ?」

 

「あきまへんえ京夜はん。自腹で勝手に来てはるくせにお情け貰おうやなんて虫が良すぎます。そないに食べたいなら旅費を上乗せせえ言う話どす」

 

「「なんやこら線目!!」」

 

 呆れるほどに遊んだ海水浴を終えて、用意してもらっていた旅館へと移動し通された広めの部屋で浴衣へと着替えて夕飯までの時間を潰していると、同じ旅館に宿泊した愛菜さんと千雨さんがお邪魔してきて、そのまま一緒に夕飯を食べることとなり今に至る。

 オレ達は市の計らいで夕飯と明日の朝食で最高級メニューを出されるのに対して、普通に泊まった愛菜さんと千雨さんは宿泊費に見合ったメニューとなっていたために、近くで並べられる上等な牛の肉や刺身の盛り合わせなどに目が眩んでオレ達から失敬しようとする2人だったのだが、眞弓さんの手厳しい言葉で喧嘩1歩手前。

 

「あの、オレ1人じゃ食べきれないですし、せっかくのごちそうを残して下げるのも申し訳ないので、愛菜さんと千雨さんで分けて食べてください」

 

 そんなことで乱闘にでもなられたら堪ったものではないので、先にオレが折れて話を切り出してみると、聞いた愛菜さんと千雨さんはパァッと明るい表情を浮かべて、眞弓さんが呆れ顔を向けてきたが、この場が落ち着けばそれでいい。

 そう思って2人に料理を分けようとしたところで、その料理を横から掠め取っていった人物がいて、取られたオレも愛菜さんと千雨さんも同時に横を向けば、そこにはすでに自分の分の料理を8割ほど食べ終えている雅さんが、リスのように頬を膨らませてこちらに笑顔を向けていた。

 

「ダメやで京くん。男の子ならこんくらい全部食べなあかんて。やないとさっちんみたいにおっきくなれへんで?」

 

「指標に私を出すなや!」

 

 横取りした料理を飲み込んだ雅さんは、オレにそうやって指摘すると、手本にされた早紀さんがすかさずツッコミ。

 前にエネルギーの吸収効率が悪いと聞いていた雅さんだが、それを補うかのような食いっぷりの方がよっぽど手本になる気がする。

 

「なぁ雅ぃ……食いもんの恨みは恐ろしいって言葉、知らんわけやないやろ?」

 

「おーおー、まっちゃん顔が怖いで? 眉間にしわ寄せると老けるんやで」

 

「「じゃかーしぃわコラァ!!」」

 

 そんな能天気な雅さんに対して、あげるはずだった料理を食べられた愛菜さんと千雨さんは激怒。

 怒り狂ったように雅さんに飛びかかると、四肢を拘束してからのくすぐり攻撃で拷問を始めてしまい、それを受ける雅さんは色んな意味で死にそうになっていた。

 しかし愛菜さんと千雨さんも雅さんの体が弱いことを知っているのか、それ以上のことをしようとしない辺り、十分手加減はしているみたいで、それを我関せずで黙々と食べていたのは眞弓さんと幸姉。

 真横で騒がれてる中で無視する神経もなかなか凄い。

 そのあともギャアギャアと騒ぎながらも出された料理を完食したオレ達――量的に完食は無理だと思っていた――は、どうやら7時から8時までの1時間だけ大浴場を貸し切りにしてくれたらしい旅館の計らいによって、腹が膨れてすぐにも関わらずみんなで行く話となった。のだが……

 

「あれやな。貸し切りやったら京ちゃんも一緒でエエんちゃう?」

 

「そういえば最後に京夜と一緒のお風呂に入ったのは5年くらい前になるわね」

 

「全員の背中流すくらいすれば、まぁエエんとちゃう」

 

「私らの貸し切りやのに、アイとチィも一緒の流れかいな」

 

「みんなで入る方が楽しいやろ。細かいことは気にせんでエエって」

 

「お風呂くらい静かに入りたいのどすが……露天風呂にはウチ1人で入らせてください」

 

 という訳もわからない全員一致の話がポンポンと勝手に進行し、その流れにこの上ない危機を感じたオレが脱兎のごとく逃げようとしたら、満面の笑みで右腕を幸姉が、左腕を愛菜さんがガッチリホールド。

 最後のおまけに両足を千雨さんと早紀さんが持ち上げてしまい、完全に地に足がつかない状態となったオレはそのまま4人に連行され、雅さんには「わっしょい」などと言われながら眞弓さんも止めもせずにいつもの笑顔でついてきたのだった。

 大浴場を目前に控えていよいよ本気でヤバイと感じてから全力で4人の拘束を振りほどいて逃走に成功したオレは「もう、恥ずかしがり屋なんやから」という愛菜さん達の嘘のような本当の台詞を聞きつつもその場を離脱し、意外にも追っては来なかったことに警戒をしつつも戻って、ちゃんと女湯にみんなが入っていることを確かめて――衣類の有無を確かめただけ――から男湯へとサッと入り、独占状態など味わうこともなくパッパと体を洗って露天風呂へと足を運んだ。

 

「なんやかんやちゃんと湯に浸かりに来るのはエエことどすえ」

 

 それでいざ露天風呂へと入ってみれば、オレの気配でも察したのか、隔たれた壁の向こうから眞弓さんの声が聞こえてきた。

 

「あの……眞弓さん1人、ですよね?」

 

「そうどすけど、雅達も呼んでほしいんどすか?」

 

「それはちょっと……」

 

 と、壁越しに言ってみれば、眞弓さんのクスクスと笑う声が聞こえてきて、自分がからかわれたことを理解する。

 やっぱり苦手だなぁ、眞弓さん。

 

「そや。せっかくの2人きりどす。ゆっくり話でもしましょか」

 

 からかう笑いをやめた眞弓さんは、それで何を思ったのか唐突にそんな提案をしてきて、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまったが、続けて「なんも企んでまへんえ」と読心術を発動されてしまえば何も言えない。

 

「京夜はんは幸音はんと一緒で、武偵高を卒業してからは武偵を続けへんのどすやろ?」

 

「そうですね。幸姉が何事もなく家の跡取りとなれば、オレもお付きとしてSPのような立場になりますから」

 

「残念どすなぁ。幸音はんも伸び代ありそうやと思っとったのどすが……」

 

 それで眞弓さんはうんうん唸るような微妙な声を出しつつ、また言葉を紡ぐ。

 

「せやけど、そないな決定事項がある中で何で幸音はんはあないに……」

 

「幸姉がどうかしたんですか?」

 

「うーん……憶測の域を出ぇへん事は口にしまへん。ただ、京夜はんは幸音はんに信頼を置いとるようどすが、他人の心の内なんて本人以外にはわかりまへん。まだ京夜はんは『子供』やからそれでエエかもしれまへんが、誰かに依存した生き方は、その人に裏切られた時が一番堪えます。頭の片隅にでも留めておくとエエどすえ」

 

 いつも人とは違うものの見え方がしているような眞弓さんは、そうやって助言をしてくれたのだが、今のオレには一体なにが見えてしてくれた助言なのかがわからず返事に困ってしまったのだが、

 

「そうそう。なんや5人の気配が浴場から消えとるのどすが、そっちに行ってたりしまへんか?」

 

 次にはそんな不吉な言葉を含み笑いで紡いだので、オレは慌てて露天風呂の出入り口付近に身を隠して、そこから勢いよく出てきた愛菜さん達をやり過ごして入れ替わるように浴場へと入り脱出したのだった。あ、危なかった……

 

「京ちゃんの隣は私ー!」

 

「反対側は当然私ね」

 

「いや、最初から争う気ないっちゅう話やから」

 

 風呂から上がってから、備え付けのゲームコーナーやおみやげコーナーで時間を使って、9時を少し回った辺りで部屋へと戻れば、部屋には1列に5人分の布団が敷かれていて、何故かわからないが愛菜さんと千雨さんがここで寝る流れとなって、眞弓さんは寝る布団を決める段階で愛菜さん達の部屋で寝るとさっさと消え、雅さんは小柄な体格を生かして早紀さんの布団に潜り込むという芸当を披露。

 その横では愛菜さんと幸姉がオレの両隣を占拠――オレの布団は勝手に決まった――し、2人の言葉を聞いた千雨さんは、どうでもいいとばかりに一番端の布団にさっさと潜ってしまい、競う相手がいなくなった2人はまず枕をオレの枕へと近付けて、ほとんどオレの布団に侵食した状態で寝転び人1人入る程度の隙間を作ってオレにそこへ寝るように言ってきた。

 いや、そんな状態で寝ようと思えないんですけど。というか寝れるわけがない。

 そのあと明らかにオレが困り果ててるのを見かねて、千雨さんと早紀さんがオレの両隣を無理矢理占拠することで場を収めてくれたのだが、このまま黙ってる2人ではないことをオレは知っていたので、とりあえず消灯してから様子見を始める。

 消灯とほぼ同時に寝た千雨さんの奥で、まずは愛菜さんが行動開始。

 モソモソと布団の中を移動して後ろへと下がり、そこから千雨さんを回って来ようという魂胆なのだろうが、

 

「愛菜さん、何してるんですか」

 

「私、寝相悪いねんなぁ。自分でも気付かんうちに隣の隣の布団に潜り込んでまうことがあんねん」

 

「起きてる時に動くのは寝相じゃないですからね」

 

 と、愛菜さんに牽制を入れていると、今度は反対側からシュバッ! と俊敏な動きで早紀さんと雅さんを飛び越えようとしていた幸姉に視線を送ると、幸姉はそのまま自分の布団へと戻っていった。黙って寝てくれないものか……

 そんなやり取りを数回やっていたら、愛菜さんは本当に寝てしまった――寝る前にグチグチ何か言っていた――らしく、静かな寝息も聞こえてきてようやく1人落ち着いたと思えば、もう1人も最初からノリで付き合っていた節があって、愛菜さんが寝ると幸姉もピタリと行動を停止。

 オレと目が合うとペロッと舌を出して布団に顔を隠してしまい、オレも苦笑しつつも少しずつ警戒を解きながら眠りに就いていった。

 ザワッと、何かを感じ取って閉じかけていた意識を覚醒させて起きたオレは、すぐに時間を確認すると、まだ消灯から2時間と少しほどしか経っていないことを知る。

 いつの間にか足元付近にまで接近していた愛菜さんにギョッとするが、意識は完全に無いようだったのでその執念に呆れつつ体を起こして周りを見てみると、幸姉の姿が見当たらなかった。

 トイレかなと思ってみるが、明かりも点いていないため違うことがわかり、心配しすぎと思いつつも幸姉を探しに部屋を出た。

 闇雲に動くのも行き違いを起こす可能性があるため、廊下を歩いていた仲居さんに聞いたところによると、どうやら幸姉らしき人物が旅館を出るところを見たと言うので、その通りに旅館を出てみれば、幸姉は旅館の近くに備えられたベンチに座って夜風に当たりながら星を眺めていた。

 その姿にほっとしたオレは、静かに幸姉へと近付いてその隣に腰を下ろすと、オレに気付いていた幸姉は、こちらを見ずに口を開いた。

 

「心配させちゃった?」

 

「少しだけ」

 

「すぐ戻るつもりだったんだけど、それより早く気付かれちゃった。さすが京夜だね」

 

「たまたま目が冴えただけだよ。オレも気を抜きすぎてたかな」

 

「息抜きで来てるんだし、休める時に休むのも大事よ」

 

 そう言った幸姉はオレに向けて優しい笑顔を見せてから、その顔を夜空の星へと向き直って、そのまままた話をしてきた。

 

「京夜はさ、自分の限界って見えたことがある? 能力的なのとか、才能とかそんな感じの」

 

「んー、どうだろ。オレ自身がその段階に至るまで踏み込んでないってだけかもしれないけど、壁っていうのにはぶち当たった感覚はない、かな」

 

「……やっぱり京夜は優秀だね。まぁ、そうじゃなきゃ私のお付きなんて任されないか」

 

「幸姉だってよくやってるよ。去年は強襲科と探偵科も同時履修してAランク評価貰ってたし、今年の春からも情報科を履修してA評価貰えそうなんだろ? オレはそっちの方が凄いと思う」

 

「……そんなの見た目だけよ……」

 

 珍しい話題を振ってきたかと思えば、短いやり取りのあとに聞き取れない声でボソッと呟いた幸姉は、それでトンっ、とオレの肩に自分の頭を乗せてきてしまう。

 その行為に一瞬ドキッとしてしまい反射的にやめるように言おうとしたオレだったが、何故か嬉しそうにする幸姉を見たら言うに言えず、しばらくそのままでいるしかなかった。

 

「……肩の位置、高くなったかな。背が伸びた証拠だね」

 

「武偵高に通い始めてから10センチくらい伸びたからな。今は幸姉より少し大きくなってるし」

 

「男の子だね。来年の今頃には早紀より大きくなってたりして」

 

「どうだろうな」

 

 考えてみれば2人だけでこんなゆったりとした時間を使うのは久しぶりだったので、なんだか不思議な気分になっていたオレなのだが、昔と変わらない幸姉の暖かさが凄く心地よかった。

 

「…………私、頑張るから」

 

「……何を?」

 

「今までも、これから先も、色々。だから京夜も頑張ってね。俯いてる暇なんてないんだから」

 

「そりゃ俯いてたら幸姉をすぐ見失うからな」

 

「私そこまで自己中じゃないわよ。可愛くない京夜にはお仕置きが必要みたいね」

 

 と、その言動のあと有無を言わさずにオレを押し倒してきた幸姉は、その顔をオレの顔へと近付けてきて、そのままキスでもしてきそうな勢いで迫ってきた。

 よくよく見たらさっきまでの幸姉とは雰囲気が明らかに違っていて、目が獲物を狙うそれになっていることからエロい幸姉。『妖艶』であることがわかった。

 そういえば日付が変わる頃だったか……

 

「幸音ぇ……京ちゃんに何しとんのや?」

 

 幸姉の変化に気付き、今まさにキスされそうになっていたところで、旅館の方からそんな愛菜さんの恨めしい声が聞こえてきて同時にそちらを向いたオレと幸姉は、そのあまりの形相に戦慄。冷や汗まで出てしまった。

 

「何って、京夜が急にキスしたいって言うから、つい。テヘッ」

 

「何がテヘッ、や! 死にさらせコラァ!!」

 

 その後、ふざける幸姉とマジ怒りの愛菜さんによる不毛なやり取りが続いたのは言うまでもない。



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Reload12

 9月12日。

 夏休みも終わって、少しずつ夏の暑さも抜けてきた今日この頃。

 オレは現在、新幹線に揺られて昼を回った時間に品川駅へと降り立っていた。

 その理由は年に2度ある修学旅行。その1回目の修学旅行Ⅰの目的地であったから。

 

「人多ッ! 大阪とタイマン張れんで!」

 

「なんのタイマンやねん」

 

 新幹線を降りてすぐ、千雨さんと愛菜さんの息の合ったやり取りを聞きつつ、早速行動を開始する。

 

「それじゃあ2時間後に新宿駅に集合ってことで」

 

「京ちゃーん。幸音の用事がつまらんかったら、すぐ合流しに来てエエからね」

 

「ほれ、行くで愛菜」

 

 とりあえず最初は愛菜さん達とは別行動となっていたため、そんなやり取りをしたあとに千雨さんにずるずると引きずられながら手を振る愛菜さんを見送ってから、幸姉と一緒に移動を始めた。

 修学旅行Ⅰは2年時に作る武偵チームをよく考えて編成するための調整期間として執り行われる行事で、京都武偵高は大阪武偵高と一緒の時期にここ東京の近辺へと足を運ぶことになっているが、現地での集団行動などは全くないため、基本的に各々が自由に時間を使って数日を過ごしまた京都へと帰る。

 しかもオレと幸姉は武偵高を卒業してからは武偵として活動しないことが決まっているので、チーム作成には参加しないため、愛菜さん達とは違って完全に旅行に来ている感覚。

 本当なら来なくてもいいものなのだが、今回は幸姉が東京に用事があったこともあり、1泊2日の予定で東京に出向いていた。

 それでその幸姉の用事というのが、どうやら知人に会う約束をしていると言うことなので、移動していった先は日本最大の武偵高。

 レインボーブリッジの南に浮かぶ南北2キロ。東西500メートルの人工浮き島の上に建設された東京武偵高。

 通称を学園島というらしい。

 台場からのモノレールに乗って降り立ったそこは、さながら小さな街という雰囲気で、京都武偵高のこじんまりとした敷地が悲しくなってしまうほどだった。

 その広い敷地に降り立ってから、学園島のマップを確認したオレと幸姉が向かったのは、強襲科の専門棟。

 ここでは各学科で専門棟が建つほどの敷地があるため、贅沢な場所だと思いつつ辿り着いてみると、幸姉はそこから先にオレが付いてくることを拒んだので、仕方なく外で待つこととなる。

 時間としては午後の専門学科に当たり、時期も普通の平日のため生徒の行き交いがちらほらとある――とはいえ修学旅行Ⅰの時期はほぼ同じ――のだが、若干制服のデザインが違うオレは少しだけ注目されることとなってしまい、居心地の悪い状態となっていた。

 そんな時にふと、オレと幸姉が辿ってきた道から、武偵高の制服など着ていない、私服姿の女性が周りをキョロキョロしながら歩いてくるのが見えた。

 近付いてくるにつれ、その顔が鮮明に見えてくると、その女性の容姿と薄青色の瞳から純粋な日本人ではないと判断でき、歳もわずかだがオレより上のように思える。

 それでついまじまじと女性を見てしまっていたオレは、キョロキョロとしていた女性とピタッと視線が合い思わず視線を逸らしてしまったが、その女性はまっすぐにオレへと近付いてきて目の前まで来る。

 

「道を尋ねたいのだが」

 

 女性にしては少し低い声のその女性は、鋭い視線でオレを見ながらに口を開く。

 第一印象としては男勝りか真面目な幸姉に近いか。

 

「教務科というところはどこにある? 入学の誘いがあったので来てみれば、迎えも何もないのでな。文句を言ってもいいか?」

 

「いや、オレはここの生徒じゃないから、文句を言われても困ります」

 

「ん? しかしその制服はここの物だろう」

 

 と言ったあと、すぐに話が逸れたことに気付き「それはいい」と正すと、改めて道を知らないか尋ねてきたので、オレはここに来る前に見た学園島のマップを頭から掘り起こして、現在位置から教務科への道筋を引き出し女性に教えた。

 地図とかはすぐに頭に入れるように教わったのが活きたか。

 

「ここの生徒じゃないのによくわかる。だが助かった。感謝する」

 

「あの、ここに入学の誘いがあったってことは、来年辺りに入学予定なんですか?」

 

「一応はな。まぁしかし、わざわざロシアから呼ばれて来て、拍子抜けするような場所ならその限りではない」

 

 そう話した女性は、それを最後に立ち去ろうとしたのだが、その拍子に懐から何かを落としたため、反射的に拾い上げようとして手を伸ばすと、向こうも同じように手を伸ばしたため、手と手が触れそうになる。

 が、女性は途端にその手を引っ込めて逃げるようにオレから距離を取ったので、それを不審に思いつつも落とし物を拾い上げて女性へと差し出すと、女性は落とし物をつまむようにして受け取って懐へと収めてしまう。

 

「……悪いな。私は『ある事情』で人との接触を避けている。男は特に。決して君を嫌ってのことではないことをわかってほしい」

 

 女性はそうやって今の行動の理由を話すと、返事を聞くわけでもなくさっさと道を行ってしまい、何も言えなかったオレは調子が出ない感じで首を傾げてそれを見送ると、不意に女性に見覚えがあったことを思い出した。

 時任(ときとう)ジュリア。

 他人の思考を触れただけで読み取ってしまう能力を持つ、オレより1つ歳上のロシア人と日本人のハーフ。

 だと、幸姉が同じ超能力者だからと読み漁っていた中のロシアの取材記事に書かれていたか。

 記事の中には確か自由の利く能力ではないとかなんとか書かれていた気がするが、それの影響なのか。

 そんなことを思い出してみると、改めて生まれ持って超能力を身に宿す者の優秀さと不自由さの両面性を同時に感じてしまう。

 幸姉も今でこそ面に出さないが、きっと今もその能力に不自由さを感じているのだろうから。

 

「珍しいわね。京夜がボーッと突っ立ってるなんて」

 

 時任ジュリアの歩いていった方角を見ながら思考していると、用事を終えたらしい幸姉が突然顔を覗き込むように視界へ入ってきたので、少し驚きつつも「どうしたの?」という顔をする幸姉に「なんでもない」と返しつつ、用事を終えた学園島を出るために並んで歩き始めた。

 

「幸姉はさ、自分に超能力があって良かったって思ったことはある?」

 

「突然なに?」

 

「いや、さっき時任ジュリアと会って、見てたらなんか不自由そうだなって少し思っちゃったから……」

 

 グニッ。

 歩きながらにそんな話をしてみたら、いきなり手をつねられてしまい、思わず跳ねてしまう。何でつねった?

 

「時任ジュリアって、ロシアの脳波計(スキャンメトリー)? そんなのが武偵高にねぇ」

 

 オレの何でという表情を完全に無視して涼しい顔で話に乗ってきた幸姉。

 なにこの反応。戸惑いしかないんだけど。

 

「それで質問には肯定で答えれば安心するのかな?」

 

「安心とかそんなんじゃ……ただ幸姉も同じように超能力者だから、どうなんだろって」

 

「……先天性の超能力って、望んだものではないから、人によってはいらないとか思ったりするのかもしれないけど、私はあって良かったっていつも思ってるよ。まぁ、超能力が強すぎてこんな体質にされちゃったけど、それでもなきゃいいのにって思ったことはないかな。だって……」

 

 と、そこまで言って急に口を閉ざした幸姉。

 しかしそこは結構重要な部分なだけに、オレも気になって聞き出そうとしたが、笑って誤魔化されてしまう。

 

「とにかく! 私はそういうネガティブな感情で自分の超能力と向き合ったことはないの! それでいいじゃない。はい、この話は終了ー! 早くしないと愛菜達との合流時間に間に合わないから、ほら走る!」

 

 結局そこから強引に話を終わらされてしまい、こちらの言葉などお構いなしに走り出してしまった幸姉を追うようにして、オレも仕方なく走り出すのだった。

 学園島を出てすぐに山手線を使って新宿駅へと辿り着いたオレと幸姉は、一足先に来ていた愛菜さんと千雨さんと無事に合流。

 話によれば、2人は秋葉原に乗り出していたみたいだが、どうにも武偵は目立ったらしく、常に視線がまとわりついて観光どころではなかったのだとか。

 まぁ、武偵が行くような場所でないのは確かだ。

 

「大阪もどっこいやけど、東京はなんや……移動だけで疲れんねんな……」

 

「人のいない土地に行きたいわ……」

 

 秋葉原を経験した愛菜さんと千雨さんは、そんな感想をオレ達に述べつつ、備え付けのベンチでぐったり。

 来てから半日も経ってないが、この2人に東京が合わないのは明らかだった。

 というか、今日は平日だからまだマシなんじゃなかろうか。休日になったら死ぬかもしれないな。

 

「それじゃああれね。のんびりするために浅草にでも行きましょうか。都心よりはずいぶん穏やかな場所だし」

 

 ぐったりする2人を見ながら、幸姉は気を利かせてそんな提案をするが、2人は動くのもダルそうにしながら顔を見合わせて、それからオレと幸姉の顔を見て「ここで死んでてもしゃーないしな」と了承。

 ベンチから立ち上がると、いつものテンションで動き始めて、それに釣られるようにオレと幸姉も移動を開始した。

 

「「「「あ……」」」」

 

「なんどすか?」

 

 そうして訪れた浅草。

 その雷門の下にて、同じくして東京へとやって来ていた眞弓さんご一行――眞弓さんと雅さんと早紀さんの3人――とばったり鉢合わせ。

 実は東京に来る前にオレと幸姉がどちらと行動を共にするかで揉め、結局ジャンケンで愛菜さん達と行くことになった経緯があり、こうして打ち合わせてもいないのに遭遇してしまうと正直言葉が詰まるというわけなのだが、オレ達のそんな反応に眞弓さんは少しイラッとした感じで返してきたので、慌てて何でもないと誤魔化す。

 

「だから言うたやんか。ジャンケンで取り合いなんかせんで7人で仲良う東京見物しよて。眞弓もまっちゃん達もピリピリしすぎや」

 

 微妙な空気が漂う中でどうしようか考えていると、雅さんが間に入ってきてそんなことを言うが、眞弓さんと愛菜さん千雨さんは視線をぶつけ合うのをやめない。

 どうしてそんなに仲良くしようとしないのか。

 

「おや? おやおやぁ?」

 

 そんな時だった。

 オレ達とは違う第三者の声が聞こえてきて、みんなして声がした方向へと顔を向けてみれば、そこには武偵高の制服を着た5人組の男子がいて、制服のデザインから5人が大阪武偵高の生徒だとわかった。

 

「誰かと思えば、京都武偵高の『欠陥品』やないかい」

 

 その中で先頭に立つ黒髪のツンツン頭の男子が、見下すような態度で愛菜さん達に声をかけ、今さっきの声の主が彼だとわかる。

 身長は180前後。腰にはひと振りの日本刀が携えられていた。

 そしてその男子生徒が耳を疑うような言葉を発した瞬間、愛菜さん達は何も言わなくなり、千雨さんに至っては完全に顔を俯かせていた。

 

「京都ではご活躍されとるようで。わざわざ大阪から『逃げた』甲斐あったっちゅうわけや。のう……千雨ぇ」

 

「…………」

 

「なんや? 親戚と言葉のキャッチボールもできんコミュ障になってもうたんか?」

 

 ガッ!

 と、その瞬間に愛菜さんが男子生徒に飛び付こうとした時、その腕を千雨さんが引いて止めるが、その手は小さく震えていた。

 従兄弟か何かだろうか。何かあるな。

 

「『流派』も我流の暴力不良女。力でしか物事を解決できん金髪。1人でなんもできん狙撃手に、機械いじりしか能のないチビ。ここまで欠陥品ばかり集まると笑うしかあらへんわ」

 

 はははっ!

 そうやって愛菜さん達を馬鹿にする男子達は、みな揃って笑い始めて、それにはまた愛菜さんが飛び付こうとしたが、それでも千雨さんはやらせようとしない。

 その千雨さんの影響なのか、早紀さんも拳を固く握って堪えていた。

 

「見たことないやつもおるけど、類は友を呼ぶ言うしな。欠陥品同士仲良うやりや」

 

 この男の発言に段々イラついてきたオレだったが、愛菜さん達が手出ししないところを見るに何かあると判断し沈黙したのだが、やはり気になるため、すすっと後ろへ下がって雅さんにひっそりと話を聞く。

 

沖田秀二(おきたしゅうじ)。大阪武偵高の強襲科2年。ちっちの親戚なんやけど、あっちは新撰組1番隊隊長、沖田総司の血縁。ちっちは沖田総司の姉の血縁やねん。詳しくは聞いとらんけど、身内で色々と揉めたらしくてな、ちっちは立場悪いんやて。そんで私らまで何かしようもんなら、これ以上の事態に発展するかもしれんからって、中等部時代は派手な活躍の裏で窮屈な思いしとったんや」

 

「ああ、前に早紀さんが言ってた向こうの人と仲が悪かったっていうあれですか」

 

「あれはその主たるもんやけど、まっちゃんもちっちも入ってきた当初は抜き身の刀みたいなもんやったから、それでよくいざこざがなぁ……」

 

 と、雅さんが話す内容は、今の2人の姿からはなかなかに想像し難いのだが、本人達も昔『やんちゃしていた』と言っていた辺りからそうなのかと少し強引に納得。

 

「しっかし千雨。お前もよく武偵を続けれたもんやな。道場の看板汚したくせに、今はダブラ・デュオ呼ばれてちやほやされて。どの顔して面に出てきたねん。なにがダブラ・デュオや」

 

「…………あらへん……」

 

 話を聞いてからも秀二の言葉は止まることはなく、いよいよオレですら怒りが込み上げてきたタイミングで、初めて千雨さんが口を開いた。

 しかしその声は完全に聞き取れないほどに小さく、それにまた秀二が「なんやて?」と煽ってくる。

 

「……あたしが武偵をやるのと、昔のことは関係あらへんやろ……」

 

「は? なに言うてんのや。面汚しが表舞台に上がること自体が許されることやないっちゅうねん。日陰者は黙って不良どもの親玉やっとれば良かったんや。お前さえいーひんかったら『兄貴』も……」

 

「兄さんの話はせんで!!」

 

 そうやって秀二の言葉を切るようにして叫んだ千雨さんは、そこでハッと我に返ってみれば、次にはその目に涙を浮かべて逃げるように走り出してしまった。

 当然、今の状態の千雨さんを1人にするなどできるはずもないので、慌てて跡を追い始めた愛菜さんと幸姉。

 オレもその様子を見て笑う秀二に心底イラつきながらもすぐに追いかけるため、歯を食いしばりながら背を向ける。

 そしてその後、微かにではあるが、よく聴いている鋼鉄製の扇子が開く音を耳が捉えたが、今はそれを気にしてる場合でもないので、振り向かずに千雨さんの跡を追っていった。

 雷門を潜って200メートルほど直進した先まで来たオレは、そこで立ち止まって待っていた幸姉を見つけて近寄ると、幸姉はその道の脇へと指を差して千雨さんの居場所を教えてくれた。

 道の脇、ひとけの少ない日陰で体育座りをして顔を俯かせる千雨さんと、その隣に寄り添う愛菜さんの姿を見たオレは、どうしていいのか困ってしまう。

 本当に、こういう時に言葉を見つけられない自分が情けない。

 

「千雨、過去は過去として受け止めて、今を精一杯に頑張るっていうのは簡単じゃないけど、私は今の千雨が何かしちゃいけないなんて言われるような人間だなんて絶対に思わない。だからもっと自分を誇って良いと思う。まだ何かを背負っているなら、私達に話してみなさい。それで何か変わるかもしれないし、少なくとも千雨のことをもっと知ることができるわ」

 

 オレが言葉に困っていると、幸姉が言いながら千雨さんの隣に腰を下ろして座り、千雨さんの反応をうかがい始めた。

 今日の幸姉は他人の世話焼きが大好きで怖いぐらいに気の利く『世話好き』。

 だからというわけではないが、今の幸姉にはどことなく安心できる雰囲気があって、千雨さんもぐずっていた息使いが段々と落ち着いてきて、数分後には嗚咽のような声も聞こえなくなった。

 

「…………秀二には、10も歳の離れたお兄さんがおんねん」

 

 それからすぐ、少しだけ隠していた顔を覗かせた千雨さんが話を始めて、オレ達はその話に耳を傾ける。

 

「沖田秀一(しゅういち)言うて、遠縁やったけど『兄さん』って呼んでて、メッチャかっこエエ人でな。17歳で家の剣術の免許皆伝もろて師範代もやっとって、当時まだ小学校に上がったばっかのあたしから見たら、憧れそのもんやった。兄さんに憧れて剣術道場にも通うようになって、毎日兄さんにベッタリで教えてもろてた。秀二はあたしより前から道場に通っててん」

 

 始まったのは秀二の兄、秀一さんの話で、この時の話をする千雨さんはどことなく楽しそうで、聞いていて全然嫌な気はしなかった。

 

「兄さんに筋がエエって褒められるたんびに、それが嬉しくて夢中になって練習して、小3になる頃に秀二を実力で抜いてもうて、それから秀二がひた向きさをなくしたんは残念やったけど、それでもやめへんかったからそん時は気にもせんかった。そんで小5になった頃に、兄さんが道場に顔出さんようになって、武偵の道を歩み始めたんよ。もう20歳過ぎてたから、武偵高を出た人達とじゃ勝負にならんとか役にも立たんって道場で毎日陰口叩かれて、それ聞いたらなんや無性に腹が立って、怒りが爆発したある日、気付いた時にはその人達を剣術でボコボコにしとった。兄さんから習った剣術でや。最低やろ……」

 

 そこでまた俯いて顔を隠してしまった千雨さん。

 しかしすぐに話を続けようとして、流れた涙を拭って顔を上げた。

 

「でも、あたしは兄さんがどないな想いで武偵になるって言うたか聞いとってん。兄さんは『人を守れる剣術で、たくさんの人を危険から守ってあげたい』って、そんな立派な想いで武偵になるって言うてたんや。それで自分の剣術の凄さが世に広まればなお良しって。それやのにそんな想いも知らんで役立たずとか言うてるの見たら、我慢なんてできへんかった。幸い怪我した人も大事には至ってへんかったけど、それが原因であたしは道場を破門にされて、あたしを親身になって指導した兄さんは『指導者失格』のレッテル貼られてしもて……合わす顔もあらへんかったあたしは、それきり兄さんとも会わへんでそこらのチンピラ束ねて不良のリーダーになってしもたわけや……今の2刀流も、体に染み付いてもうた剣術を捨てるために強引に身に付けたもんやし……」

 

「そんで、そん時の千雨は不良娘やったけど、その実は人様に迷惑かけとる他の不良共を懲らしめるためだけに動く世直しまがいのことしとって、端から見ればそら喧嘩っ早いガキ思われてもしゃーないくらい不器用な正義を振りかざしてたっちゅうのが『やんちゃ』しとった頃の千雨や」

 

 独白した千雨さんがどんどん暗くなるのが嫌だったのか、愛菜さんなりに気を利かせてその後の千雨さんについて補足してくれたが、それを聞いた千雨さんは恥ずかしそうに「その話はやめや!」と愛菜さんにツッコミ、オレも幸姉も少しだけ笑ってしまった。

 

「愛菜かて、あたしらの鎮圧依頼で会った時はごっつい強面で、したっぱくらいなら視線だけで制圧しとったし、今とえらい違いやったやろ」

 

「あーあー聞こえへんなー。私は今も昔もキュートな女の子やったしぃ」

 

「嘘つけ。無駄な被害出さんようにリーダーだったあたしと一騎打ちやった時なんか『暴れるだけしかできんガキが粋がんなやボケェ!!』とか『得物がないと喧嘩もできんのかコラァ!!』とか……」

 

「きーこーえーへーんー!」

 

 そして始まってしまう2人の思い出話で完全に和やかなムードになるが、耳を塞ぐ愛菜さんの頭を軽く小突いた千雨さんは、それから話を切り替えると同時にテンションを少し下げた。

 

「そんなこんなで愛菜と色々あって、『嫌われもんの不良で世直しやっとるくらいなら、武偵としてみんなに認められるようにやればエエやん』なんて言われてな、それで中1の秋頃やったけな? そんくらいで大阪武偵高の中等部に編入して、そっからは愛菜と一緒に行動するようになって、ダブラ・デュオ呼ばれるようになったり、雅や早紀とも仲良うなって、道場に通ってた時と同じくらい楽しい日々やった。ただ、中等部には秀二もおったから、あたしの事情を知って嫌う人も多くてな。兄さんが家の嫌われもんになったのはあたしのせいやってずっと恨まれてんねん。それは事実やし、あたしも謝って済む問題やないことくらいわかるから、秀二にはなんも言えん。そのせいであたしと仲良くする愛菜達にも辛い思いさせてもうて、そんで京都武偵高への編入を決めて、巻き込む形で愛菜達もついてきてくれたっちゅう経緯があんねん」

 

 以前、早紀さんもそれとなく言っていたが、確かにそんなことがあれば大阪武偵高に通うことは辛いものとなっていたはず。

 今でこそ毎日元気に笑ってる千雨さん達だが、皆一様に辛い経験をして京都武偵高に来たのだとわかると、その笑顔がどれだけの価値を持つか実感する。

 この人達は、必死に頑張ってきたんだ。それなのにあの男は……

 

「……千雨さんの話が事実だとしても、やっぱり秀二は言い過ぎだ。しかも千雨さんだけじゃなくて、愛菜さんや雅さん達まで見下すような物言いで……」

 

「おおきに、京ちゃん。秀二はあたしと一緒で兄さんにベッタリやったから、尚更許せんのや。兄さんから習った剣術を貶めたあたしが、な」

 

「……本当にそうかしらね。私には少し違う見え方ができちゃったけどなぁ」

 

 話が終わって、ようやく言葉を見つけられて口に出してみれば、千雨さんはすぐそう返して暗い顔をしてしまうが、世話好きな幸姉がここにいる誰もが予想しなかったことを言うので、3人で同時に幸姉を見てしまった。

 

「そんな『どんな見え方が?』みたいな顔されると、困るんだけどな……」

 

「エエから話してみぃや。こっちは当事者なんやで」

 

「んー、まぁ、これも私の仮説でしかないし、鵜呑みにされても困るからね。秀二君って、千雨と同じで秀一さんが大好きだったわけでしょ? それで千雨の方が成長の伸びが良くて、先に習い始めたはずの秀二君が千雨に追い抜かれてしまった。秀二君が妙にやる気をなくしたのがその時期なら、それはたぶん彼にとっての『壁』ができたのよ。でもその立ち向かうべき『壁』をどうするべきか悩んでるうちに、その『壁』が突然なくなってしまった秀二君は、その気持ちを……」

 

 ――ピピピピピッ!

 そんなタイミングで鳴ったのは、幸姉とオレの携帯。

 こんなタイミングで誰かと確認してみると、相手は眞弓さん。

 幸姉の方は雅さんだったらしく、ほぼ同時にかかってきたことから偶然ではないとわかり、すぐに通話に応じた。

 

『ああ京夜はん? そこにみんなおりますか?』

 

「はい。幸姉も愛菜さんと千雨さんも」

 

『まぁ気乗りもせんどしたが、ちょっとした事件が発生しましたさかい、雷門まで来てもらえまへんか』



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Reload13

 

 一難去ってまた一難。

 大阪武偵高の沖田秀二と千雨さんの関係について色々とわかって、ようやく一段落といきそうだった時にオレと幸姉へ眞弓さんと雅さんから電話があり、それに応じてみれば何やら事件が発生したらしいとのことで、それを聞いてから空気が一変。ピリッとした緊張が体を走った。

 

『要人の誘拐事件みたいなんどすが、どうにも良くない展開が見えとりましてな。早急に手を打たな手遅れになりそうなんどす』

 

「とにかく雷門前に行けばいいんですね?」

 

『今、早紀はんが足を取りに行っとりますさかい、それに間に合わへんようなら置いてきます』

 

 事件の詳細の方はいま雅さんが幸姉にしているようなので、それ以上の話も必要ないと判断し通話を切ろうとしたところで、ふと千雨さんの方を見てみると、事件と聞いても立ち上がる素振りを見せずに未だに体育座りをしていたため、それにらしさがないと感じてしまう。

 千雨さんの性格なら、事件と聞けば気合い十分で立ち上がって話に突っ込んできそうなものなのだが……

 

『ああ京夜はん。そこにぐずぐずしてはる泣き虫おりますやろ? ちょっと替わってもらえまへんか?』

 

 と、オレが考えてることを見透かすように眞弓さんがそう言う――今の言葉で千雨さんと確信したのは言わないでおく――ので、言われた通り千雨さんに携帯を渡して、それを受け取った千雨さんは「なんやねん」と不機嫌そうに応じたあと、一言も発することなく眞弓さんの話を聞き続け、その間に何故かわなわなし始めたかと思えば、突然通話を切って立ち上がりオレへと携帯を返してきたが、その顔には大量の怒りマークが浮かんでいて、思わず後退りしてしまった。

 

「ぐずぐずしとらんと早よ行くで!」

 

 そんな千雨さんに押されるように移動を開始したオレ達。

 その途中で何を言われたのか気になったので、恐る恐る千雨さんの隣を並走して尋ねてみた。

 

「あの……眞弓さんになんて言われたんですか?」

 

「『あんさん向きの制圧戦なんどすが、小者臭プンプンの男から逃げて隅っこでメソメソしてまうような人は必要ありまへんから、ずっとメソメソしてなはれ。ああ、そっちがホンマのあんさんなら、ついにボロが出た言うことどすか。愛想振り撒くんも大変どすなぁ。それやったら悲劇のヒロインでもやってなはれ』やて! あの線目、この事件が終わったらシメる!」

 

「あ……さいですか……」

 

 眞弓さんの真似をしながら一言一句間違いないであろう言葉でそう言った千雨さんは、その拳を強く握って何もない目の前を殴り、そのあと走りつつ懐から髪留め用のゴムを取り出して前髪をひとまとめにして縛り、視界を良好にした。

 これは千雨さんが戦闘などに臨む時にする自称『気合い結び』で、これをしてる時に依頼でミスしたところは見たことがない。

 それを見た幸姉と愛菜さんも安心したように笑顔を見せて、オレもいつもの……いや、いつも以上に気合いの入った千雨さんにホッとしたのだった。

 やり方は強引だが、これも眞弓さんのおかげだろう。

 ともあれ、大して離れた距離にいたわけでもなかったので、連絡を受けてから1、2分で雷門を抜けたオレ達は、そこにいた眞弓さんと雅さんと合流。

 すぐに眞弓さんに飛び付くかと思われた千雨さんも、今は非常時だからと自らを制して作戦に参加。

 しかし先ほどいたはずの秀二達大阪武偵高の生徒の姿が見えなくなっていた。どこに行った?

 そう思ったのも一瞬。

 次には赤いオープンカーを運転する早紀さんと、それと並走してきた1台のバイクがオレ達の前に停まり、バイクに乗っていた人が被っていたフルフェイスのヘルメットを外すと、意外なことに装備科の空斗さんで、バイクから降りた空斗さんはすぐに眞弓さんのそばへと寄ると、

 

「報酬は特別料金でいいのかい?」

 

「そんなわけありまへんやろ。あんなん急がせるための口実に過ぎまへん」

 

「ええー! そんな殺生な!」

 

 などと実にらしいやり取りをしていた。

 どうやら車とバイクを手配してくれたのは空斗さんらしいが、あの人の『特別料金』で報酬を払った人って、今までに1人でもいるのだろうか。

 

「ほれマユ、急がんと!」

 

 そこに運転席から降りずに早紀さんが急かすように叫びクラクションを鳴らすと、眞弓さんもパチンと扇子を鳴らしてからオープンカーの後部座席に座り、雅さんは助手席へ。

 

「京夜はんと幸音はんも早よしなはれ。そこの2人はそっちの変態が乗ってきたバイクを使いなはれや」

 

 そうやって眞弓さんに指示されて少しムッとしていた愛菜さんと千雨さんだったが、早紀さんが言ったように時間に猶予がないので、文句も言わずにバイクに乗り千雨さんが運転。

 愛菜さんが後ろに乗り、オレと幸姉もオープンカーへと乗り込みそれを確認するかしないかで早紀さんが急発進。

 いつもより少々粗っぽい運転とオープンカーだからか肝を冷やす。

 その早紀さんに並走して千雨さん達もついてきて、話によれば向かう先は神奈川県と千葉県を結ぶ東京湾アクアライン。

 今回の事件は何かの目的で在日していた外国の国防長官が、その移動中に襲撃されて誘拐されたというもの。

 情報によれば犯人グループは日本人ではないらしく、どこかから情報を掴んだ計画的犯行の可能性があるとのことで、現在は東京湾アクアラインへ向けて車で暴走しているらしい。

 眞弓さんの鋭い読みでは、遅かれ早かれ日本国内で逃げ続けるのに限界が来るため、どこかで国外逃亡を図るか隠れ家のような場所に行くかのほぼ2択で、後者は可能性として低く、前者ならば東京湾アクアラインで何かしらのアクションがあるかもとのこと。

 相変わらず眞弓さんの読みはオレの遥か上をいくので、その根拠が全くわからないが、これまでの依頼で多少の誤差はあるものの、失敗がないというのが眞弓さんの読みの良さを証明している。

 だからこそ雅さん達も眞弓さんの言うことにほとんど文句を言わない。

 これを信頼と呼ぶかは個人によるところだが、少なくともオレは妙な安心感を持つようになってきた。

 雷門前を出発してすぐに覆面パトカーなどに備えてあるサイレンを取り付けて盛大に鳴らしながら一般道路を爆進していったオレ達は、十数分かけて羽田空港付近までノンストップでやって来て、雅さんがノートパソコンで追跡してくれていた逃走車をようやく発見。

 あちらは逃走車ゆえに進行が若干遅く、そのおかげで追い付いたようだが、逃走車はちょうど東京湾アクアラインへと侵入する道路へと突入。

 オレ達も跡を追うようにして侵入し、ほどなくして東京湾アクアラインの長い長い直線トンネルへと差し掛かった。

 そこからの加速は逃走車も早紀さんも千雨さんも凄かった。

 時速は余裕で120キロオーバー。ハンドル操作を誤ったり、振り落とされれば確実に死ぬだろう。

 

「車には要救助者がおります! 下手に攻撃して横転なんかさせましたら、どうなるかわかりますやろね?」

 

「そんなん中に人いる時点で注意せなあかんことやろ!」

 

 加速による風の音に負けない声でそう言った眞弓さんに対して、並走していたバイクに乗る愛菜さんが当たり前だろと言わんばかりに怒鳴り返してくる。

 だが追跡したところで車を止める術が現状ではないに等しい。さて、どうするか。

 オレが少し先を走る逃走車をどうやって止めるかを考えていると、何か考えでもあるのか、千雨さんがオレ達から離れて少し前に出る。

 しかしそのタイミングでオレ達が追走してきていることを嫌った向こう側が、横の窓を開けて3人ほどが体を乗り出してきて、その手にはサブマシンガン。

 

「あかん! どっか掴まっとき!」

 

 そんな早紀さんの叫びを聞く前に危険を感じたオレは、すぐあとに襲ってきた一斉掃射を回避するために左右にハンドルを切る早紀さんの運転に揺られるが、なんとか振り落とされずに済む。

 とはいえ、あちらに牽制手段があっては近付くことすら難しい。いよいよもって策が無くなってきた。

 そう思って軽く舌打ちした時、オレは信じられないものを目の当たりにする。

 オレ達の少し前を走る千雨さんのバイク。

 その後ろに乗っていた愛菜さんが、何の支えもない状態で立ち上がり両手に銃を抜いたのだ。

 それを見た向こう側も一瞬ギョッとするのがわかったが、すぐに切り替えて掃射を開始。

 千雨さんも左右にハンドルを切って上手く避けるが、それよりも120キロオーバーで左右に揺れ動くバイクの上で『一切のブレなく立ち続ける』愛菜さんが、今この場で最も異彩を放っていた。

 掃射を受けながら、愛菜さんは反撃とばかりに銃撃して、サブマシンガンを持つ相手の手を正確に狙って、掃射をしていたやつら全員のサブマシンガンを無力化。

 ついでとばかりに逃走車のサイドミラーを両方撃ち落としていた。

 愛菜さんの代名詞は、その手に持つ2丁拳銃。と、見る者の大半がそれが最も優れたもののように思うだろう。

 しかし、愛菜さんが2丁拳銃だけで今の実力を支えているかと言えば、そうではないのだ。

 愛菜さんに備わる最も優れた能力は『超人的なボディバランス』である。

 荒波の中の船の上だろうと、激しく揺れる車の上だろうと、決して重心を崩さずに踏み留まれるボディバランス。

 たとえ体勢を崩したのだとしても、自分の中の軸だけは崩さない。

 そしてそのボディバランスを生かした愛菜さんは『どんな姿勢・状態にあっても正確な銃撃が出来る』。これこそが愛菜さんの一番の長所。

 愛菜さんの活躍で向こう側に武器がなくなったかに思えたが、中に引っ込んだ相手が次に持ち出してきたのは、筒状の担ぐタイプの砲台と、それにはみ出すように収まった弾頭……つまりは……

 

「「「「「「ロケラン!?」」」」」」

 

 まさかそんなものまで持ち出すとは思ってなかった眞弓さん以外の全員が同時にそんな声を上げて、早紀さんと千雨さんは急いで回避行動を開始。

 愛菜さんもさすがに座り直して千雨さんにしっかりと掴まると、そのあとすぐに逃走車から弾頭が発射され、左右に分かれたオープンカーとバイクの中間の道路へと突き刺さり、後ろの方で恐ろしい爆発音が響く。

 映画などでしか見たことがなかったロケットランチャーだが、まさか人生の中で自分に向けて撃たれる経験をするとは思わなかった。

 

「あー……これはあきまへんな……」

 

 みんながロケランの回避に安堵している中で、突然眞弓さんがそんなことを言いつつ、その視線の先に何があるかと見れば、雅さんがパソコンに映していたこの東京湾アクアラインの航空映像。

 それがこの先にあるパーキングエリア。その先の橋造りになって外に出ている付近にズームされていたのだが、その辺りに1機のヘリが不自然に滞空しているのがうっすら見える。

 おそらくは逃走側の用意した国外逃亡用のヘリ。

 そうでなければこの先アクアラインを普通に抜けても警察の方で封鎖くらいは完了してしまっているからな。

 このままでは国外逃亡を許してしまう。

 それを察したのかそうでないのかは定かではないが、目の前で前傾姿勢になり、そこを埋めるように運転席にスライドした愛菜さんがハンドルとアクセルに手と足をかけ、その上を愛菜さんの肩を支点にバック転して後部座席に着きバイクの運転を交代した千雨さんと愛菜さん。

 よくまぁ、あんなことが出来るな。

 そこから千雨さんはオープンカーの前部に備えてあるワイヤーを引っ張り出して、それからワイヤーを持って逃走車へと近付き、腰の刀を1本抜き跳躍と同時に逃走車の後ろのトランクへと刀を突き刺して乗り移ると、2本目の刀も深々と突き刺して、その2本の刀に持ってきたワイヤーをガッチリと巻き付けて縛ると、それを確認した早紀さんは、全力でブレーキを踏む。

 途端、オープンカーのタイヤは道路との摩擦によって焼け始め、ゴムの焼ける嫌な臭いが発生する。

 しかしそのおかげで逃走車の速度も一気に減退。

 それでもオープンカーを引き摺るようにして進もうとする逃走車は、まだ備えてあった拳銃を持ち出して後ろの千雨さんと車同士を繋ぐ刀を処理しようとする。

 だがそれを眞弓さんと幸姉、愛菜さんが銃を抜いて応戦し防ぐと、十分に減速した逃走車のタイヤを撃ってパンクさせ横転させることなく丁度トンネルを抜けて少ししたところで停止させることに成功。

 止まってみればオープンカーのタイヤもモウモウと煙を上げて、走行不能なほどにすり減ってしまっていた。

 停止した逃走車の少し前にバイクを停めた愛菜さんは、運転席へその銃口を向け、千雨さんも停止の際の反動で愛菜さんと逃走車の間に着地していて、オレ達も逃走車を囲むように四方を押さえて車から出るように促すと、犯人達は車から出てくるも、国防長官を人質にするようにナイフを首に突きつけて、どこかの国の言葉で何か叫んできた。

 メジャーな国の言語ではないため、何を言ってるかわからなかったが、

 

「武器を手放せ。そうしなければこいつを殺す、言うてます」

 

 眞弓さんだけがその言語がわかったらしく、みんなに聞こえるように通訳した内容を話す。

 そのあと上空にいたヘリが彼らの頭上で滞空し、ヘリのハッチが開くとそこから縄のはしごが投げ下ろされて、犯人達が1人ずつそれを登っていく。

 その間も国防長官にナイフを突きつける男が叫び続けていて、ヘリのプロペラのせいで眞弓さんも聞き取れていなさそうだったが、おそらくは「早く武器を捨てろ」と言っていることは理解できたため、眞弓さん達とアイコンタクトして仕方なく武器を手放すことにし、1人1人武器を足元へと放り捨てる。

 その中でオレは愛菜さんと千雨さんの方をチラッと見れば、ちょうど愛菜さんが2丁の銃を捨て地面へと落ちる直前、愛菜さんはグリップの底をすくい上げるように蹴って銃を前へと飛ばし、それをなんと千雨さんはほとんど見ずに見事にキャッチ。

 流れるようにハンマーを起こしてそのまま発砲。

 弾はナイフを持っていた犯人の腕に命中し、痛みで悶絶した隙を突いて鼻っ面に頭突きをして拘束を抜けた国防長官は転がりながら眞弓さんの前へと辿り着き、人質のいなくなった犯人グループはもう逃げるしかないと悟り、ヘリへと乗り込んで逃亡を開始。

 その際に眞弓さんがヘリに発信器を投げて取り付けていたので、あとは警察や防衛省に任せても大丈夫だろう。

 しかしこの場面で千雨さんの『空間認識能力』と『動体視力』が活きるとは思わなかった。

 千雨さんは少し見回しただけで見える範囲内の空間をおおよそ把握できる空間認識能力がズバ抜けていて、地形を利用した戦術を得意としている。

 さらに動体視力もオレよりも優れていて、先ほどの銃のピンポイントキャッチも造作もない。

 調子の良い時は発射された銃弾もチラッと見えるとのことだが、それはさすがに嘘だろうと思ってる。

 そして愛菜さんと千雨さんがそれぞれ2丁拳銃と2刀流だから『ダブラ・デュオ』と呼ばれているわけではない。

 2人ともに『2丁拳銃・2刀流を扱える』からこそ真の意味で『ダブラ・デュオ』と呼ばれているのだ。

 だから認めろよ秀二。これが凄くないわけがないだろ。

 犯人グループの哀れな逃亡を見届けてから警察の到着を待つ間に、眞弓さんは捕まっていた国防長官の手当ての方をして、オレ達は逃走車の簡単な検分と雑談で時間を潰す。

 その時間でオープンカーの助手席に乗ったまま、眞弓さんの付けた発信器の反応をノートパソコンで見ていた雅さんがなんだか楽しそうにオレを呼び寄せるので、何かと思いながらドアに腰掛ける。

 

「京くん、これからおもろいもん見れんで」

 

「なんですそれ?」

 

 なんの前置きもなくいきなりそんなことを言った雅さんは、促すように逃走車に刺さっていた刀を抜く千雨さんを指差してニヤニヤし始める。

 その千雨さんは負荷によって見事にひびの入った2本の刀を見ながら「新調せなあかんなぁ……」と残念そうに独り言していた。

 そこへ国防長官の手当てを終えた眞弓さんが扇子を扇ぎながらに近付いていき、それに気付いた千雨さんがギロッと鋭い視線で睨んで相対した。

 いや、これは面白くないんですけど……

 

「なんや出発前にいなくても問題ないみたいなこと言うてたけど、結局あたしらがおらんかったら解決できんかったんちゃうん?」

 

「勘違いせんといてください。別にあんさんらがおらへんでもどうにでもできましたけど、『余計なちょっかい』出されて作戦をダメにされましたら大変やさかい、『譲ってあげた』んどす。やから感謝してほしいくらいどすなぁ」

 

「「なんやとこらぁ!!」」

 

 自慢気に上から物を言ったはずの千雨さんだったが、相変わらずな眞弓さんのさらに上からの物言いに、別のところにいた愛菜さんすら反応してツッコミを入れていた。

 

「な? おもろいやろ?」

 

「何も面白くないですよ。それよりいつでも止めに入れるようにしないと」

 

「まぁまぁ落ち着きや京くん。眞弓があない楽しそうに口喧嘩するんは、ちっちとまっちゃんだけやねんで」

 

「それとこれとは話は別ですよ」

 

「わかっとらんなぁ。眞弓が何の理由もなく喧嘩するわけないやろ。あれは言うてみれば『照れ隠し』やねん。素直に『ありがとう』も言えんなんてかわエエやろ?」

 

 雅さんの物言いに首を傾げるしかないオレ。この人は何を言っているのだろうか。

 

「いや、だって眞弓さん、千雨さんと愛菜さんがいなくても解決できたって言ってるじゃないですか。それで何でありがとうになるんですか」

 

「ププッ。京くん眞弓のことなんもわかっとらん。眞弓は必要もないのに『挑発して作戦に参加させた』り、絶対にせぇへんて。つまり今言うてることは嘘。ちっちとまっちゃん抜きで解決なんてできへんかったんや」

 

 ……へっ?

 オレがそんな顔をしたまま、依然千雨さんと愛菜さんと言い争いをしている眞弓さんに視線を向けてみれば……やっぱりいつものニコニコ笑顔の線目で感情など読めない。雅さんはどうやって判断してるんだ?

 

「どうやって眞弓の変化を判断しとるかって顔しとるな。簡単やて。『普段の眞弓がやらんこと』しとったら、それが確実な変化やから、必ず何か意味があんねん。あとは長年の付き合いでの勘やけどな。にゃはは」

 

 確かに眞弓さんはその言動・行動に何かしらの意味があることは、これまでの付き合いでなんとなくわかる気がする。

 しかし、オレはまだ眞弓さんの性格というか、そういった内面的なものを理解できていないところが多いため、雅さんのように過去の情報との違いを参照することが難しい。

 そうなると雅さんの言う言動・行動の変化に気付きにくい。

 

「それにな、京くん達がちっちを追って行ってしもたあと、眞弓は秀二に突っかかってたんよ。そん時に眞弓がなんて言ったか聞きたいやろ?」

 

「眞弓さんが、秀二に?」

 

「そうや。おもろいから音声録音しとったんやけど、京くん達と合流する前に気付かれて消されてもうて。やけど無駄に記憶力はエエからな。京くんにだけ聞かせたる」

 

「あら、面白そうな話ね。私も混ぜて」

 

 そうこう話していたら、面白そうな話を匂いで嗅ぎ付けた幸姉が、運転席に座り込んで話に参加。

 雅さんも「まぁエエか」と軽い感じで了承。何故か眞弓さんみたいに目を細めて声真似までしてその時の話を始めた。

 

「『なんやえらく饒舌に語って悦に浸っとるようどすが、あんさんの話にはなんも賛同するもんがありまへんわ。あの貧乳娘と何があったかは知りまへんし、知りたくもありまへんが、あの娘が武偵であることにいちゃもんつけるっちゅうことは、あんさんはあの娘以上の大層な活躍をしとるんどすやろ? のぅ雅……へっ? そないな実績は過去になんもありまへんの? そらおかしいどすって。こないに欠陥品欠陥品言うて、その欠陥品より優れた数値を出せんなんて可哀想な道化が現実におるわけありまへんやろ』」

 

「ぷふっ!!」

 

 話の途中だったのだが、眞弓さんの真似が面白かったのか、話の内容が面白かったのか、幸姉が思わず吹き出してしまい、オレはそんな容赦ない眞弓さんの話にちょっと怖くなったと同時に、あの人と口喧嘩しても一生勝てない気がした。

 

「『とまぁ、こないな口喧嘩やったら雅にでもできますからこのくらいにしときましょ。ウチが言いたいのは、あんさんの言う欠陥品どす。この世の中に欠陥品やない人間がおるんやったら、その人間を見せてください。人間っちゅう生きもんは存在そのものが欠陥品どす。酸素濃度が薄くなっても濃くなっても身体に異常が出ますし、水の中では呼吸もできまへん。それと同じように、いくら同じだけの努力をしても個々人で大小の差が出ますし、生まれ持っての才能の差もありますが、どないな人間も結局は等しく欠陥品どす。せやけど、そないな欠陥品でも足りんもんを補い合うことはできます。ウチも貧乳娘やハーフかぶれが欠陥品や思とりますが、ウチにはないもんを持っとる立派な欠陥品どす。これから先もウチが立派や思とる欠陥品をバカにするようやったら、あんさんの無能さを世に送り出される覚悟を持ってもらいますえ』」

 

 立派な欠陥品か。

 言葉としては少し意味がおかしいが、誰にでも誇るべき長所が必ずあると言いたいわけだ。

 しかし、今の話が事実なら、眞弓さんはおそらく愛菜さんと千雨さんのことを認めているってことにはならないだろうか。

 

「今の話を聞いたあとにあれ見ると、なんや印象変わるやろ?」

 

「確かに……」

 

「それに眞弓があない頑固に名前呼ばんで、それでもちっちとまっちゃんを使おうとするんやから、きっとずっと前から2人のことを認めてたんとちゃうかなって思うねん。京くんとねっちんはどう思う?」

 

「「同意(です)」」

 

 いつも貧乳娘やらエセハーフなどと呼んでいた眞弓さんだが、あの人はしっかりと見るべきところは見ている。

 そう確信した瞬間、オレ達は自然と笑みがこぼれたのだった。

 それから修学旅行Ⅰも終わり、いよいよ武偵のチーム登録が行われる時期に、ダブラ・デュオとして登録しようとしていた愛菜さんと千雨さんを止めて眞弓さんが新たなチーム登録の申請書をオレ達に見せて、

 

『チーム《月華美迅》

◎薬師寺眞弓

○宮下雅

 進藤早紀

 沖田千雨

 愛菜・マッケンジー』

 

 これで決定だと言い出した。

 

「なんやの、月華美迅って」

 

 当然のように反対しようとした2人だったが、それよりもチームの名前が気になったのか、愛菜さんがそんなことを聞くと、眞弓さんはいつもの調子で扇子を扇ぎながらに答える。

 

「『月の満ち欠けのような華やかさと美しさを以て、迅速に依頼を完遂する』。この5人でなら名前に負けへん活躍ができる思います。そうやろ? 『愛菜はん』、『千雨はん』」

 

 そう言われてしまえば、2人も意地と対抗意識だけで2人チームを組むわけにもいかず、初めて呼ばれた名前に少しだけ笑顔を見せてから、すぐに仏頂面に戻って渋々チームに了承をしたのだった。

 これが後に関西で呼び声高くなる『月華美迅』誕生の瞬間だった。



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Reload14

 

 真田幸音という人物にオレは、誰よりも理解があると思っている。

 幼い頃から姉弟のように育ち、実際に実の姉のように慕って毎日あの人の後ろをついて回って――ついてこないと駄々をこね始めるのもあったが――は、日が暮れるまで遊んでいた。

 実の妹である幸帆とオレの弟である誠夜も、その頃は家のしがらみや決まり事などとは関係なく一緒に仲良く遊んでいたものだ。

 事が起こったのは、幸姉が小学3年になった夏。

 オレ達の中で唯一小学校へと上がっていた幸姉は、そこで生まれ持っての正義感を発揮して学校でのヒーローのような存在となっていて、友達からの信頼や人望もあったのだ。

 しかし、その強すぎる正義感が幸姉の中の『化け物』を呼び覚ましてしまう。

 当時の話によると、いじめにあっていたクラスの子を助けて、そのいじめていた子をこらしめたまでは良かったのだとか。

 そのあといじめをしていた子が逆上して暴れ出し、周りにいた子の何人かを傷つけてしまい、それに激怒した幸姉がその子を射殺すような視線で見つめた瞬間、その子は呼吸困難に陥りそのまま失神。

 幸いにも大事には至らずに済んだが、その呼吸困難の原因が幸姉にあることが瞬く間に学校中に広まると、幸姉はそこで学校のヒーローから一変。

 学校の恐怖の象徴として見られ始め、自分の『居場所』を失った。

 それだけならばまだ救いはあった。

 翌年からはオレも同じ学校へ入学して、ほとんど一緒にいることで孤独にさせることは少なくできたし、幸帆と誠夜も協力的でいてくれた。

 しかし現実はさらに幸姉を苦しめる。

 初めてその身に宿る『化け物』を面に出した幸姉は、それ以降その力を振るうことがなかったのだが、小学6年の終わりにずっと抑えてきた『化け物』が暴走。

 再びその猛威を周りへと撒き散らしてしまい、今度は幸姉自身にもどうすることもできなくなってしまっていた。

 当時、超能力というものに対しての知識が不足していた幸姉は、その身に宿る強すぎる力を制御する術を知らず、結果、自滅もあり得るほどの暴走をしたのだが、それを救ってくれたのが天狐の化生である『玉藻』様と『伏見』様。

 2人? 2匹? は、暴走する幸姉を不思議な力――あとから聞いたが超能力の類いらしい――で抑え込み、今の幸姉では中の『化け物』を制御しきれず、いずれまた暴走すると判断して、その『化け物』が面へ出てこれる『深度』を定めてその深度毎に幸姉の性格を7つに分けた。

 これが後の『七変化』になるが、その七変化がまた幸姉の周りの環境を悪くしてしまい、中学時代は学校生活でオレといる時以外は楽しかった思い出がないとまで言っていた。

 七変化による深度は最も強い力を扱える順から『守人』『男勝り』『真面目』『妖艶』『フレンドリー』『世話好き』『乙女』となり、フレンドリーの辺りからは本来の3分の1も力を引き出せないほどに押さえ込めている――乙女に至っては使えないとまで言っている――のだとか。

 こうすることで暴走を防ぐことに成功はしたのだが、そのせいで幸姉本来の性格である『守人』の出現頻度は最も低く設定されてしまったようで、月に2度出てくれば良い方。

 一番バランスが良いのか『フレンドリー』はその出現頻度が圧倒的に多いが、当初はあまりの変化に困惑したし、幸姉を助けてくれたはずの玉藻様や伏見様を恨みもしたが、今は命を救ってくれたことへの純粋な感謝しかない。

 とにかく、真田幸音という人物は、まだ短い人生の中で想像を絶する苦悩と運命を背負ってきた。

 そんな幸姉がただ1つ変わらずにいてくれたのは、オレへの純粋な信頼。

 どんなに孤独になろうと、疑心暗鬼になろうと、オレだけは必ずそばに置いてくれた。

 オレもそれが何よりも誇らしかったし、『人に頼られる』ことの嬉しさを感じさせてくれた。

 だからこの人のためにオレは強くならなければならないと、本気で思った。

 それがなければ、あんな死ぬ思いをした1ヶ月にも渡る猿飛の修行――むしろ苦行だが――を修了させることができなかったのは確かだろう。

 これまでも、そしてこれから先も、オレは幸姉の一番の理解者であり続けたい。

 たとえ幸姉が世界から拒絶されても、オレは幸姉が正しいと思えば、必ずそばにいる。絶対にだ。

 だからこそ幸姉とは余計な言葉を必要としないまでの理解と信頼関係を築けている。

 そう、思っていたのだが……

 

「あぅー、動きたくないー」

 

 12月31日。

 世間でいう大晦日のこの日。

 つい先日、修学旅行Ⅰとは違い純粋な旅行である修学旅行Ⅱで行っていた香港から帰ってきたばかりでようやく落ち着いた休日を過ごしていた真田家の居間で、現在その幸姉は日本が誇る最強の暖房器具、こたつの魔力で骨抜きにされていた。

 そんなのを見てると、最近の幸姉の考えがいまいち理解しきれないことがある。

 いや、考えが『浅すぎて』困惑しているのかもしれないが……

 同じように対面の位置にオレ、左に幸帆。右に誠夜と四方を占拠してこたつに入っているわけだが、幸帆は生真面目な性格から冬休みの宿題を広げて勉強中。誠夜はどこから取り出してきたのか、古びた巻物を広げて草書体――なんかうねうねして繋がってる文字のあれ――で書かれた煙玉の製造方法なんかを真剣な顔で読み漁っていた。

 今年最後の日となるこの日だが、オレと幸姉の両親は仕事の関係でここ何日か家を空けていて、帰ってくるのは年が明けてからになるというので、年越しはオレ達子供勢と使用人さん達で過ごす、はずだった。

 

「おほほぉ! 幸音ん家おっきいなー!」

 

「見てみぃや愛菜!家の真ん中に庭ある家なんて初めてやわ!」

 

「眞弓ん家と似たとこあるんとちゃう?」

 

「古い家ならどこも似たような造りになるもんどす」

 

「一応、夜通し暇潰せるように色々持ってきたさかい、あとでなんかやろうや」

 

 そうやって使用人さんに通されて、夜の8時頃に我が家――幸姉の家だけど――にやって来たのは、今や京都武偵高の期待の星となった『月華美迅』の5人。

 5人は居間へと入ってくると、冬らしくマフラーなどの防寒具と上着を脱ぎながら早速ワイワイといつもの調子で話し出し、来客のことは事前に聞いていた幸帆と誠夜もさすがに驚いて固まってしまい、半分以上魔力によって溶かされていた幸姉は、みんなが来た途端に蘇ってはしゃぎ始めた。

 

「ふぉー! ちっさい幸音と京ちゃんや! 2人とも兄弟おったんやね! かわエエー!」

 

「こら愛菜! 名前も聞かんと抱きつくなや! キモいわ!」

 

「兄弟でもこない似るもんなんやなぁ。あ、せやけどパーツパーツで若干違いがあんな。胸とか肉付きとか」

 

「さっちん、そら歳の差あるんやから当然やろ……」

 

「それより紅白どす。ウチは毎年これ観な年越せませんのや」

 

「私も紅白は欠かせないのよねぇ。眞弓の好きな歌手って誰?」

 

 まさに自由奔放。

 ここがさっきまで自分達の家だったかを疑うほどに空気が一変した室内では、あっちこっちで会話が始まり、いきなりフレンドリーに接してきた愛菜さん達に物凄く困惑する幸帆と誠夜の様は見てると昔の自分を思い出す。

 入学当初はあんな感じだったなぁ、オレ。

 今の有り様が語るように、今年の年越しはみんなで迎えようという幸姉発案の下で集まった面々は、どうせならと毎年オレと幸姉が行く伏見稲荷大社への初詣に合わせて今夜は泊まって朝イチで向かう予定となっていた。

 しかしまぁ、泊まるのはいいが寝る気は毛頭ないらしいのは今のテンションでわかってしまう。

 せめて幸帆と誠夜は寝かせてやってほしいな。頼みます。

 

「幸帆ちゃんかわエエわー! 幸音とは大違いや」

 

「あう……あう……」

 

「ちょっと愛菜? それは本人を目の前にして失礼極まりないんじゃない?」

 

「誠ちゃんは京ちゃんと一緒で大人しいなぁ。もしかして女ばっかで緊張しとんの?」

 

「千雨さん、そいつは元からあんまり喋んないです」

 

「従者たる者寡黙であれとの教えに従ってるだけであって、決して話をするのが苦手なわけでは……」

 

「さっちんさっちん、今年は宝くじにいくら貢いだん?」

 

「宝くじはロマンやし、これでも当たったことあんねんから貢ぐ言うのやめや。収支はマイナスやけど……」

 

「あんさんら、やかましくするんやったら別の部屋行きなはれ。紅白の歌が聴こえまへん」

 

 居間にて、すでに我が家のようにくつろぎ始めた眞弓さん達に、オレや幸帆は振り回されてしまうが、こういった騒がしいことが家ではほとんどない――記憶では数えるほどしかない――ため、幸帆も誠夜も困惑しながらも迷惑そうにはしていなく、愛菜さん達に影響されたのか、年末年始なのにここに残ってくれていた3人の使用人さんもまかないをちょいちょい出してはオレや幸姉の昔の恥ずかしい話などを愛菜さん達に聞かせたりしていたので、それを幸姉と一緒に土下座で止めつつなんだかんだで騒いでいると、眞弓さんが観ていた紅白も終わり、年越しまであと少しとなった。

 台所では使用人さん達がすでに年越しそばをこしらえていて、さんざんつまみやらなにやらを食べ続けていた愛菜さん達だが、年越しそばはしっかり食べるらしく、その異次元の胃袋に苦笑。

 そして使用人さん含めてみんなでテーブルに着いて新年へのカウントダウンのあと、和気あいあいと年越しそばを食べたオレ達はそのまま就寝……

 とはいかず、全く衰えることのない愛菜さん達のテンションに付き合わされて一睡もできなかった。

 せめて幸帆と誠夜は助けるべく、夜中の3時を回った辺りで質問攻めでヘトヘトになっていた2人を居間から脱出させて部屋に戻らせたが、代償としてオレが愛菜さん達のおもちゃにされたのは言うまでもない。

 ともあれ、その地獄のナイトフィーバーを乗り切ったあとは、みんなで伏見稲荷大社へと初詣。

 朝の6時前に早紀さんの車で移動。幸帆と誠夜も起きてきたので一緒に連れていくことになると、結構な大所帯に。

 仕方なく使用人さんに車を追加で運転してもらって向かった伏見稲荷大社。

 伏見稲荷大社は毎年初詣で人がごった返す。それはもう死にたいと思うほどの人達が押し寄せる年越し前後やさんが日の昼頃は行きたいと思えないくらいのもの。

 だからオレ達はわざわざ朝方の時間帯に足を運んできたわけなのだが、それでもやはりそれなりの人達が初詣に足を運んでいた。

 オレ達も人の流れに沿って正面の桜門を潜って境内へと侵入し、割とスムーズに本殿へと辿り着くと、みんなして『ご縁』にかけた『5円玉』を賽銭箱に投げ入れて今年の祈願のために鈴と手を鳴らして合掌。

 みんなが何を願ったかは気になるところではあるが、祈願が終わってからの愛菜さんの「聞いてほしい」という顔を見るだけでなんだか恐ろしくなって結局聞けなかった。

 そのあと幸姉は毎年の恒例となっている伏見稲荷大社の有名どころ『千本鳥居』を抜けて、稲荷山の山頂に位置する『一ノ峰』……『上之社神蹟』を目指して1人で登っていった。

 これに関しては絶対に1人で行くと利かないため、オレも渋々千本鳥居の近くで待ちぼうけを食らうことになるのだが、どうやら幸姉は伏見様に直接会いに行っているらしく、普段人前に出てこない天狐の化生だか知らないが、片道40分くらいの道のりの先で待つとか性格を疑う。もう少し気を遣ってほしい。

 補足ではあるが、元旦だけは幸姉は必ず『守人』の性格になる。

 どういう理由でそうなるのかはわからないが、それもこの稲荷山を1人で登って伏見様に会いに行くことと関係がありそうだ。

 それで1時間以上の待ちぼうけを食らっている間、眞弓さん達月華美迅と幸帆は待ち時間中に朝食を摂りに定食屋に行って、オレと誠夜も誘われたがこの場を離れたくないと言えば仕方なくと別行動になったのだが、やはり毎年この時間が暇すぎる。

 だから途中から誠夜とキャッチボールもとい『キャッチクナイ』という少々危険なクナイの投げ合いをしていたのだが、家ではたまに会話混じりでやっているので慣れたもの。

 こうやって投擲技術を高めるのも後々で役に立つものだ。日常では全く必要ないんだけど……

 時間にして朝の8時を少し回った頃に、ようやく稲荷山を下りてきた幸姉が千本鳥居から姿を現してこちらへ手を振って何事もなかったと暗に伝えてきて、一足先に戻ってきた眞弓さん達もようやくかと重い腰を上げて撤収の雰囲気を漂わせ始めた。

 というかどうやらまた家で元日を過ごす気らしい。

 このままみんな家に帰って寝たらどうだろうか。オレは眠いんだが……

 それで本殿の方へと足を運んでいた時、何やら人の慌てふためく声と乱雑で統率のない足音が耳に届き、すぐに異変だとわかって本殿へと出てみれば、何を思ったのか拳銃を持った1人の男が大声を上げて辺りにその銃口を向けていたのだ。

 当然そんなやつがいれば混乱が起きる。見れば皆が皆我先にと逃げようとして大変なことに。

 すでに怪我人も出ていそうなその事態に素早い判断をしたのが眞弓さん。

 客の中には武偵が何人かいたようで、逃げる一般人の波に飲まれて対応できていないのが見て取れたので、眞弓さんは幸姉と何か一言二言交わした後、早紀さんと愛菜さん、千雨さんを連れて避難誘導へと向かい、雅さんと幸帆はこの場で待機。

 誠夜には雅さんと幸帆についてもらい、オレと幸姉は暴動の原因を鎮圧することに。

 

「京夜、あなたは物陰から援護。幸い今日は調子が良いから『使う』わ。だから頼むわね」

 

「幸姉、武器は?」

 

「気を抜いてたかな。眞弓達も車に置いてきてたみたい。私も元旦にこんなことする人がいるなんて思わなかったし。だからお願い」

 

 本殿へ出ていく前に打ち合わせをしてみれば、幸姉は武器を持っていないとわかって止めようかと思ったが、守人の幸姉は守ろうとする行動に迷いがない。

 それでいてやると決めたら頑固。オレが言っても仕方ないのはわかってたし、そんな幸姉を守るのがオレの役目だ。

 それでオレが物陰へと潜んだのを確認した幸姉は、何の構えも警戒もなく銃を持った男の前に姿を現して、男の意識を『自分だけへ』と向けさせる。

 守人の時の本領発揮した幸姉は、ヒーローだ。ヒーローというのはそこにいるだけで圧倒的な『存在感』を持つ。

 男もそれを肌で感じたのか、最初全くの背後から現れた幸姉に視線を向ける動作などなく、迷いなく振り向いてその銃口を向けた。

 男自身、銃口を向けた後に幸姉に気付いたような不思議な挙動が見られ、それが幸姉の圧倒的な存在感を証明していた。

 さぁ、ここからの幸姉は常軌を逸するぞ。

 

「あなたが何を思ってそんな物を振り回してるのかは知らないけど、やめておきなさい。それはあまりにも簡単に人の命を奪ってしまう」

 

「うるさい! 俺はもうこの世界に絶望したんだ! 生きていても何の希望もない! だから何のために生きてるのかもわかんねーんだよ!」

 

「世界なんてそんなものよ。絶望なんていくらでも転がってる。でも、希望がない世界では決してない。何のために生きるかじゃない。生きるために希望を探し続けるのよ。それが人間」

 

「綺麗事を! ガキがわかったような口利くな!」

 

 銃口を向けられたまま何の怖れも見せずに真正面から男と言葉を交わす幸姉は、まず説得に乗り出していく。

 しかし相手はどうやら自暴自棄になった自殺志願者? のようで、わざわざ人の賑わうこの伏見稲荷大社の本殿まで来て騒ぎを起こしたのは、死ぬ前に誰でもいいから殺してみたかったということらしい。

 今のところ1発も撃ってないところから、そんな度胸があったかは定かではないが、現状で男の手に拳銃が握られているのはいただけない。

 

「確かに私はあなたから見れば社会のシャの字も知らないガキでしょうね。でも、生きることを放棄してこんなことをするような人間に説教できるくらいには、世の中の絶望を見てきたわ。この身で味わった絶望はあなたにはわからないでしょうけど、それでも私は生きることを放棄なんてしなかった。そしてこれから先も、絶対に」

 

「うるさいんだよ!」

 

「あなたはまだ止まれる! その銃が誰かを殺めてしまえば、あなたはもう止まれない。でもまだ踏みとどまれる。踏みとどまれたらまた、頑張って生きてください。生きる希望を探してください」

 

 幸姉は、守人だ。

 その守る対象はなにも自分や周りだけではない。

 時に対峙する相手さえも、その優しさで守る。それが出来るから、オレはあの人を誇りに思う。

 あの人だからオレは、一生を捧げて守りたいのだ。

 しかし無情にも幸姉の言葉は相手の感情を刺激し揺さぶり過ぎてしまい、感極まってしまった男は勢いで発砲。

 幸姉に向けられたままだった銃口からは、まっすぐ幸姉めがけて銃弾が発射されてしまった。

 だが、そこで起こったのは悲劇ではなかった。

 男が放った銃弾は、銃口から飛び出した瞬間からその速度を音速などとは到底呼べない速度で飛び出す。

 それこそ遠目に見ていたオレでも銃弾が視認できてしまうほどの速度――だいたい時速50キロほど――で、最初から撃たれることを想定して『こうなることを知っていた』オレは、近くにあった小石を飛来していた銃弾へと正確に投げ当てて撃ち落としてみせる。

 銃弾の威力は速度に比例する。音速を越える速度なら十分な威力となるが、小学生の投げる野球ボール程度の速度では投げた小石で相殺すらできてしまうのだ。

 男は勢いで撃ったとはいえ、いま起きた現象に一層の混乱を見せて、また発砲。

 今度は3発放たれた銃弾だったが、またも銃口から飛び出した瞬間からその速度を減退させて、それをオレが全て小石で撃ち落とした。

 何度やっても無駄だ。お前がいま対峙してるのは『真田幸音』だぞ。

 ――魔眼――

 超能力の広義ではそうやって分類される、幸姉の持つ最強の武器であり、幸姉を何度も絶望へと追いやった『化け物』そのもの。

 その眼に秘められた能力は『あらゆるものの動きを止める』という絶大な力、らしい。

 らしいとは玉藻様と伏見様がそう言っていたことから来るのだが、幸姉の魔眼は潜在的にはそれが最大の効果を持つが、今の幸姉ではその能力の半分ほどの効力でしかコントロールが不可能。

 それでも音速を越える銃弾を視認できてしまうほどの速度まで減速させることができるのは驚異である。

 信じがたい現象に男はもう自棄と連射。その全てをことごとく減速させた幸姉に応えるようにオレも放たれた銃弾を小石を使って撃ち落とす。

 おそらく男からはどうやって銃弾が撃ち落とされているのかも理解できていないだろう。

 そのために物的証拠として目立つクナイや手裏剣ではなくそこら辺の小石を使っている。

 それに加えて男は今、幸姉の放つ圧倒的な存在感のせいで周りに意識が向けられない。

 故に『見えざる手』をオレは打てる。この見えざる手を以てオレは幸姉を守る。幸姉の『影』として。

 オレ達の起こす現象によって錯乱気味になった男は、それで銃弾を全て撃ち切ってしまい、拳銃のスライドが開いたのを確認したオレは、すかさず飛び出して男の身柄を拘束。

 そのあとに懐を物色してみれば、果物ナイフもあったので取り上げておいた。

 それからすぐに避難誘導を終えた愛菜さん達が置いてきた武器類を持ってやって来たが、すでに事態が収束していたのを見て肩の力を抜いて、事態を見守っていた雅さんや幸帆も近寄ってきたので、あとを愛菜さん達に任せて男と対峙していた場所で完全に体から力が抜けて膝を折っていた幸姉に走り寄り安否の確認をする。

 

「ああ……大丈夫大丈夫。ちょっと使用回数が多かったから消耗しただけ。京夜のおかげで怪我とかはないから。ありがとう京夜」

 

「……万能な力でもないんだから、過信だけはしないでくれよ。それにいつだってオレは幸姉の心配してるんだから」

 

 超能力というのは、その分類や力の大小によって精神力の消耗が大きく違うらしく、幸姉の魔眼はたった1度の使用でも相当な消耗になるとか。

 それを今回は8回。過去には守人の状態で12回使用してぶっ倒れたこともあるため、心配するのは当然なのだが、オレの言葉を聞いた幸姉は、少しだけ恥ずかしそうに俯いた後、1人で立てないからおんぶしてとお願いしてきたので、言う通りにおんぶしてあげるとこれでもかと言うほどガッチリ抱きついてきた。

 

「……京夜がいるから私は頑張れるんだよ。だからありがとう」

 

「……オレだってそうだよ。幸姉がいるから頑張れる」

 

 抱きつきながら耳元でそんなことをささやいてきた幸姉は、オレの言葉を聞いた後に鼻唄混じりにくつろぎだしたので、ひょっとして1人で歩けるんじゃないかと思いながらも、しかし幸姉をおぶっていて悪い気はしなかったので、そのまましばらく何も言わないことにした。

 回復した後の幸姉は、避難の際に怪我をした人達の手当てをしていた眞弓さんと一緒に、修学旅行Ⅰのあとに同時履修を始めた衛生科の知識と技術で手伝いに加わり、警察と救急車の到着までオレ達もその手伝いに加わって、そうしてオレ達の今年最初の事件は解決したのだった。

 真田幸音という人物は、何をさせても大抵のことは過程に差はあれどほとんどできるようになる。

 強襲科、探偵科、情報科、衛生科。どの学科でもその才覚は人を驚かせ脚光も浴びた。

 最近では本来の専門学科であるSSRでもようやくA評価をもらって、京都武偵高でも『月華美迅と同格レベル』とまで称されるほどにその格を上げた。

 弱点など到底見つからない。万能と言っても差し支えないほどの才能と知性を持つオレのご主人様は、しかし将来を武偵として歩みはしない。

 眞弓さんはそれを惜しんでいたが、幸姉のそれだけの才能を見せられるオレはとても誇らしかった。

 オレはこんな人のそばにいられる。それが何よりの自慢になっていた。

 そんなオレ達の武偵としての活動も、新学期で3年となった4月から、あと1年となっていたのだった。



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Reload15

 

「うあー、暇ぁー」

 

 オレ達が3年になってから早2ヶ月。

 武偵高の最上級生、3年にもなると、その扱いが単なる生徒としてではなくなってくる。

 来年の今頃にはオレや幸姉のような例外を除き、ほとんどの生徒がプロの武偵として活動を始めることになるため、受ける依頼もそれに応じて2年生までとは質が違ってくるのだ。

 中には教務科から直々に依頼が下りてきて、その解決に動くこともある。

 特に2年時からその高い実力を見せつけてきた眞弓さん達のチーム『月華美迅』は、当然のごとく教務科からの評価も高く、3年になってから誰よりも早く教務科からの依頼を引き受けて、もう何度か活動している。

 そのため、オレや幸姉とは日々の活動で徐々に食い違いが出てくるようになってきて、今日も今日で数日前から依頼で外へと出張ってしまって登校していなかった眞弓さん達。

 そのせいと言うと聞こえが悪いし押し付けになるが、少なくともここ最近は眞弓さん達と一緒にいる時間が2年時までより明らかに減ってしまった影響でダレにダレてしまってる幸姉。

 今日も1時間目の国語の授業を終えてから、ポツポツとある空席――眞弓さん達もだが、他にも依頼で欠席者がいる――を見てから自らの机に突っ伏して、もう数えるのも億劫なほどの呟きを漏らしていた。

 

「だから依頼でも受けようって言ってるだろ」

 

「依頼は一昨日に受けたばっかりで充電タイム入ってるの。超能力者は愛菜達みたいにいつでもどこでも動けるわけじゃないって京夜もわかってるでしょ」

 

「じゃあ早退でもして街に出てみるか?」

 

「あー、それ良いかもねー。京夜とデートだー」

 

 依然としてダレたままの幸姉は、顔だけオレに向けて応対してきたが、頭が回ってないのか早退の件が冗談だと気付かない様子で、言葉では楽しそうに言うものの、動こうとはしていなかった。

 これはあと1ヶ月もすれば干からびてそうだ。

 そうやって何の実りもない会話をしていたら、まだ教室を出ていってなかった担任の古館先生が、いつもの赤ジャージと、色気の欠片もない服装で後ろ手に両手を組みスキップしながらオレと幸姉の間に入ってきて、ヒョイッとダレた幸姉の顔を覗き込み話をする。

 何が楽しいんだこの人。この人が楽しんでると、大抵は生徒にとって楽しくないことが待ってるが……

 

「早退して街に出たいほど暇ならぁー、先生から特別依頼でも出しちゃっても良いんだけどなぁ。ニヒッ」

 

「……どうせ教務科の掃除とか言うんですよね……」

 

「おっ! いい線いってるねぇ。毎年、やる気のなさそうなやつと面倒臭がりそうなやつを集めてやらせてるんだが、今年はどうも捕まりが悪くてな」

 

「トイレ掃除」

 

「もっとソフトだな」

 

「車輌科の車洗い」

 

「それいいな。次に採用するかね」

 

「先生の掃除」

 

「どういう意味だこら」

 

 ダレていながらもしっかりボケる幸姉に、貼り付けた笑顔でほっぺをグリグリしてツッコんだ古館先生は、それが思いの外癇に障ったのか、オレと幸姉に強制参加を命じて教室を出ていってしまい、余計なことをしてくれた幸姉をキロッと少し睨んでみると、悪びれもなく舌を出して誤魔化してきた。最悪だ……

 参加しなきゃしないでもっと最悪な未来が待ってるので、仕方なく古館先生から届いた依頼のメールの内容通り、翌日の土曜休日の暑くなってきた昼時にわざわざ登校してきたオレと幸姉は、指示された濡れてもいいジャージ姿で学校のプールへと足を運んで、そこにいた同じように召集された他の生徒数人と合流。

 あっ、空斗さんもいるのか。面倒臭い。

 

「よしよし、全員揃ったな。んじゃパパっと終わらせて私を遊ばせろ。終わったら教務科に報告よろー」

 

 オレ達が来たことで全員揃ったらしく、呑気に椅子に座ってファッション雑誌を読んでいた古館先生は、それだけ言ってさっさと教務科に戻っていってしまい、残されたオレ達は文句を言えないまま今回の依頼を完遂するために渋々動き始めたのだった。

 今回の依頼は場所が示すように学校のプールの掃除。

 もうすぐプール開きということで、授業でやればいいことをわざわざ休日出勤でオレ達暇人にやらせる辺りは悪意しか感じないし、終わったら終わったで報酬が水を張ったプールで1時間だけ自由に遊べるだけ。

 それでいて古館先生は労せず遊べるのだから役得だろう。掃除の間もクーラーの効いた教務科で待機できるし。

 武偵高のプールは毎年その扱いが酷いため、放置期間で汚れた浴槽はまだマシ。

 酷いのは発砲によってプールサイドが破壊されたり、水上戦によって放たれたとりもち弾の取り残しなど。

 その他全ての不具合をオレ達で掃除・修復しなければならないのだ。

 とりあえず今回は最上級生である幸姉と空斗さんがみんなをまとめて作業を開始。

 春からは装備科を履修している幸姉は、空斗さんの扱いもお手の物で付きまとってくるのを軽くいなして作業を分担。

 浴槽の掃除は空斗さんチーム。破損箇所の修復をオレ含む幸姉チームが担当して作業に取りかかった。

 ただの掃除ではないため、デッキブラシなどの一般器具はあんまり役に立たないので、早々みんなで装備科から良さげな道具類を持ち込んで改めて作業を開始すると、ペタペタ地道にコンクリを塗って外側から破損箇所を修復していると、浴槽では何やら早速空斗さんがおっ始めていた。

 

「出撃ぃ!」

 

 空斗さんのそんな掛け声で、水の抜かれた浴槽に置かれていた6台の扇形の平ったい機械――部屋を自動で掃除するアレに非常に似てる――が一斉に動き出した。

 

「あんた……それって吸引掃除専門の機械じゃなかったっけ?」

 

「ちっちっちっ、甘いね幸音ちゃん。これは雑巾がけの機能も搭載した改良型! こいつにかかればどんなに汚れた浴槽もあっという間にぴっかぴかに……」

 

「なってないですけどね」

 

 と、豪語していた空斗さんの言葉を否定するように、オレは機械が行った掃除作業のあとを見てそう言うと、まさかといった顔で浴槽を見た空斗さんは、ほとんど綺麗になってない浴槽を見てガックリと肩を落としていた。なんか色々と残念な人だな。

 空斗さんが自信満々で起動した掃除マシンが盛大にコケたのをゲラゲラと腹を抱えて笑っていた今日フレンドリーの幸姉。

 空斗さんが不憫に思えてきた時にようやく笑うのをやめた幸姉は、何か勿体つけるような挙動で自分の作業を中断して持ってきていた道具の中から、ゴソゴソと何かを取り出してバーン! とみんなに見えるように前に掲げた。

 幸姉が見せてきたのは、もうひと目でわかるくらい極々平凡な固形石鹸。

 角の取れた丸みを帯びた形のその石鹸を、幸姉は他にもいくつか取り出してそのまま浴槽へと落としてしまう。

 自信満々でまさかそんな誰もが予想しそうな展開になるとはとりあえず思わないことにしたオレは、石鹸を落とした後に嬉々として浴槽へと入ってヌメリで滑ってコケた幸姉を影で笑いながらその成り行きを見守る。

 

「これはただの石鹸じゃないわ! この前『油汚れとか鬱陶しいのよね臭いも嫌だし』って思って強力な界面活性剤等々を投入した結果できた、汚れはむちゃくちゃ落ちるけど非常に体に悪い石鹸なのよ!」

 

「じゃあ皮膚で直接そんなのの泡に触れたら大変だなぁ」

 

「そりゃ痛いなんてもんじゃないわね。というわけでゴム手袋と長靴を装備して浴槽で転がす!」

 

「じゃあいま装備なしで浴槽に飛び込んだ幸姉は何なんだろうな」

 

「勢いって大事よね」

 

 アホだ。

 そう思うしかなかったが、どうにも装備科で開発した失敗作をここで投入したかっただけらしい幸姉は、そのあとヨイショとプールサイドに上がってから、自分の作業など完全に頭から抜けてしまったようで、他の後輩達と長靴とゴム手袋を装備して浴槽に再び飛び込んでいた。

 

「きょーうーちゃーんー!」

 

 その様子を呆れながらに見ていたら、日向にいたはずのオレに急に影が射したのと同時に、聞き覚えのある女性の声が上から降ってきて、咄嗟にゴロッと後転してその場を離れると、オレのいた場所に外周の柵を強引に登ってきたらしい愛菜さんが、ギャグ漫画のように顔面から落ちていた。あ、ヤベ……

 

「なんやなんや? 京ちゃんがおると思たら、案の定幸音もおるやん。ついでに変態も」

 

「プール掃除かいな。3年がやらされとるのは初めて見んで」

 

「どうせユウたんの気に障ることでもしたんやろ。ねっちんも変態もアホやし」

 

 愛菜さんを回避してから、柵越しに千雨さん、早紀さん、雅さんも姿を現してこちらの様子を覗いてきてそんな感想を漏らすと、3人から少し離れた位置には眞弓さんの姿もあり、数日ぶりに会った5人の元気そうな姿にちょっとだけホッとしたオレは、そのあと何事もなかったように復活した愛菜さんに抱き締められてしまった。

 

「皆さん、依頼はもう?」

 

「昨日の夜の段階で片付いとったんやけど、帰ってくるのに時間かかってもうて、さっき報告が終わったところやねん。んー、久しぶりの京ちゃん成分補充やー」

 

「そんで帰って寝ようとしたら、愛菜が京ちゃんの匂いがする言うていきなり走り出してな。今に至るってわけや」

 

 と、尋ねたことへの回答を愛菜さんと千雨さんからもらってから、幸姉も愛菜さん達に気付いて大きく手を振ってはしゃぎ出し、どうせ帰っても暇だしと千雨さん達もプールサイドへと入ってきてオレ達の作業の見学に入ったわけなのだが、何やら浴槽にあった幸姉作の石鹸を見た愛菜さん達は、それがどういうものなのかを聞いたあと、速効でジャージに着替えて長靴とゴム手袋を装備すると、激しい運動ができない雅さん以外が浴槽へと突入。

 その手にはデッキブラシがそれぞれ持たれていた。あー、なんかおっ始めるなこれ。

 そう思ったのとほぼ同時に、適度に泡立てた石鹸の1つを千雨さんが落として、それをデッキブラシでホッケーのように弾いて滑らせると、石鹸は浴槽を勢いよく滑って、そのついでに強力な洗浄力で綺麗にしていった。

 

「おー! 1回滑らすだけで結構効果あるな。幸音にしてはエエもん作るやん」

 

「ちょっと千雨、それは私に対して失礼じゃないかな? この!」

 

 石鹸の驚くべき効果に感心していた千雨さんに対して、若干失礼なことを言われた幸姉は、壁をバウンドして近くに来た石鹸を千雨さんめがけて同じようにデッキブラシで打ち込む。

 しかし千雨さんはそれをほとんど見ないでヒラリと躱してみせると、その後ろにいた眞弓さんに石鹸が強襲。

 なかなかのスピードがあったのだが、眞弓さんはそれをデッキブラシで押し潰すようにして止めて、いつもの笑顔で幸姉を見る。

 

「ウチを狙うやなんてエエ度胸どすな。こら幸音はんは早死にするかもしれまへんな」

 

「あ、あはは……平にご容赦を……」

 

「はてはて、聞こえまへんなぁ」

 

 そこからたじろぐ幸姉に眞弓さんは1度に3つの石鹸を同時に発射。

 それを跳んで躱した幸姉だったが、後ろでバウンドして戻ってきた石鹸の1つの上に着地して尻餅をつくと、そこを戻ってきた2つを再度発射した眞弓さんによって追撃されていた。

 そのあとはルールなど特にない後輩達も交えてのホッケー合戦になって、浴槽は泡だらけの状態になってしまうが、それでも汚れはしっかり落ちるので、オレは騒ぐ幸姉達を他所に爪弾きにされた空斗さんと雅さんと協力して破損した箇所の修復をしていったのだった。

 数時間後、ようやく全ての修復を終えてみれば、幸姉達も飽きたらしいホッケーをやめて落とした汚れを水で流しているところだったので、遊んでいたとはいえ泡を取り除いてみれば何だかんだでピカピカになった浴槽が見えてひと安心。

 これでまだ汚れてたらさすがのオレも怒りを覚えていただろう。

 最後に綺麗な水を浴槽に張って、その間に古館先生への報告を済ませたオレ達は、報酬である1時間の自由利用を無駄にしないために水着に着替えて水が張り終わるのを待つことにした。

 ちなみにオレは着替えるのが面倒なので水の管理をしていたが、何故か眞弓さん達もプールを利用するとか言っていなくなっていた。

 まぁ、半分以上遊んでたとはいえ手伝ってくれたことには変わりないし、そのくらいはいいのかな。

 

「おおっ! 今年は修復の方が段違いで出来映えがいいな」

 

 無事に水を張り終わったタイミングで、赤ビキニを着用し大きめの浮き輪を持って登場した古館先生は、ザッと全体を見回して感想を述べつつオッケーサインを出すと、誰よりも早くプールに浮き輪を浮かべてその上に座るようにして乗り遊泳を開始。

 普段はジャージ常備でさっぱり色気を出さない古館先生だが、こうして肌を晒す格好をすると結構スタイルが良いのがわかる。

 全体的に大人しめなのだが、女性的でないわけでもなく、全女性を平均するとこんなスタイルなのかといったちょうど良い感じのものだった。

 どげしっ!

 そうして相手の体の特徴を観察してしまう癖で古館先生を注意して見ていたら、隣にいた学校水着――無地紺色のフィットネス水着――を着た幸姉が何故かオレを蹴ってきてジト目で見られてしまう。

 

「そうだよねぇ。京夜は歳上が好みなんだもんねぇ」

 

「別に先生をそんな目で見てないんだけど……」

 

「エロい目で見てましたよー」

 

 よくわからないが、オレが古館先生を見ていたのが気に入らなかったらしいので、本格的にご機嫌斜めになる前に謝ってみれば土下座を要求され、それで気が済むならとプールサイドで土下座するというわけのわからない光景を作り出して、それでお許しをいただいたら、幸姉は同じように学校水着を着た千雨さんや早紀さん達とさっさとプールに飛び込んで泳ぎに行ってしまい、そんな幸姉に何があってもすぐ動けるようにしつつプールサイドに座り込んだオレは、 何気なく空を仰ぎ眺めていた。

 

「京ちゃんは大変やなぁ。あない『幼稚』なご主人様の言うことを素直に聞いて」

 

 そこに隣へ腰を下ろして話しかけてきたのは愛菜さん。

 愛菜さんはプールではしゃぐ幸姉を見ながらそんなことを言うので、どういう意味かと尋ねてみる。

 

「んー、京ちゃんって案外ニブちんさんなんやな。外から見たら微笑ましいくらいにわかりやすいんやけどなぁ」

 

「愛菜さんもちょっと意地悪ですね。その感じだと教えてくれないっぽいです」

 

「教えへんよ。教えてもうたらオモロナイし、京ちゃんと幸音は『今のまま』が一番やと思うからなぁ」

 

 ますます意味のわからないことを言った愛菜さんは、結局謎を残したまま幸姉達の誘いに乗ってプールへと飛び込んでしまい、何かモヤモヤとしたものを内に残したオレは、入れ替わるように隣に座った雅さんと続けて話をした。

 

「雅さんって泳げないんでしたっけ」

 

「泳がせてもらえへんかったが正解やで。泳げへんわけやない」

 

「でも泳げないんですよね?」

 

「……そうやって歳上のお姉さんいじめて楽しいんか? 京くんはSやったんやね。アカン子やわ」

 

 オレがちょっとしつこくやったら、プクーッと頬を膨らませてそんなことを言ってポカポカと叩いてきた雅さん。

 年不相応に未発達な雅さんだからだが、全然怖くないし痛くないしなんとなく可愛い。

 ドシュッ!

 雅さんとそうやってちょっとじゃれていたら、いきなりオレの顔面めがけてビーチボールが飛んできて、驚きつつも片手で受け止めて飛んできたプールの方を見るが、誰が投げたかわからないほど、みんな何食わぬ顔で遊び続けていた。

 おそらくは幸姉だろうが、イタズラでもしたかったんだなきっと。

 

「なんどすか? 京夜はんは歳上をいじめる趣味がありましたのえ?」

 

 飛んできたビーチボールをプールに投げ返してひと呼吸したら、今度は眞弓さんが後ろからヌルッと抱きついて密着し耳元でささやいてくる。

 普段はこういうことをしない眞弓さんだからか、少しドキリとしてしまったが、今の質問に対しては誤解がないようにしっかりと否定すると、何故か残念そうな声を出した眞弓さん。何で残念がるのか。

 

「ウチはどっちかというといじめる側どすから、歳下にいじめられる経験でもしてみよう思たんどすが、あきまへんわ。今、京夜はんの心臓が大きく跳ねたのわかって、もっといじめたなってしまいました」

 

 ふー。

 言い終わってからオレの耳に息を吹き込んできた眞弓さんは、それで一瞬怯んだ隙に今度は前に回していた右手でジャージのチャックを下ろして左手で胸の辺りを撫でるように触ってきた。

 や、やばい。なんか眞弓さんのスイッチが入ってしまった。

 と思って眞弓さんを引き剥がそうとしたのだが、それよりも先に薄く笑ってから眞弓さん自ら離れてくれて、こっちとしては助かったのだが、何でと思ったのと同時に逆のプールサイドからこちらに銃を向ける幸姉と愛菜さんが鬼のような物凄い形相で今にも引き金を引きそうになっているのを見つけてギョッとする。

 当然狙いは眞弓さんなのだが、その眞弓さんはオレの後ろで「般若がおりますわ」とか言いながらオレを盾に完全に隠れてしまっていて、隣にいたはずの雅さんなんかいち早く危険察知したのかすでに離脱していた。

 これはどっちについても敵を作るので、どうするべきかを迷っていると、後ろに隠れていた眞弓さんがまたオレにささやいてきたので、つい耳を傾けてしまう。

 

「これから先、ウチらは京夜はんと幸音はんとは仲良しこよしだけで付き合ってはいけまへん。やからまだ『学生気分』の幸音はんにも、よう言うといてください。ウチらは大人になるために武偵になるんやありまへん。武偵として大人になりますのや」

 

 それを聞いた瞬間、たぶんだがこれを言うためにわざわざおふざけを交えて接触してきたのだと感じたオレは、相変わらずの鋭い指摘に脱帽。

 ここ最近のオレや幸姉の心の動きを察して忠告してくれたのだ。

 眞弓さん達は今……いや、これまでずっと一人前の武偵になるために頑張っていたのだ。

 それなのにオレと幸姉はたかだか数日会わないだけで「寂しい」だの「暇」だのと、子供みたいなことを感じてしまっていた。

 指摘されて初めて気付かされた自分の心の幼さを、どうしようもなく情けなく思ってしまったオレだったが、それすら察した眞弓さんは、また口を開いてくれた。

 

「それでも、ウチらも『仲間』としていられる残りの時間を大切にしたい気持ちは一緒どすが、このさき永遠の別れが待っとるわけでもなし、別に寂しく思うこともありまへんっちゅうことどす」

 

「……大人になるって、難しいですね」

 

「京夜はんはまだまだ子供どすえ。お姉さん達の背中を見習って、これから頼もしい背中にしていきなはれ」

 

 本当に、オレなんて背中を追うのがやっとのほど先を行く眞弓さんからの言葉には、なんとも言えない力があり、俯きそうになる顔を優しく上げて前を向かせてくれるのだ。

 でも、それと同時にとある不安も覚えてしまう。

 こんな眞弓さんを、本当の意味で『支えられる存在』がいるのかどうか。

 そんなことを考えてしまうほどに頼りになる眞弓さんだからこそ、心配になってくるのだ。

 そういった自身の心の内をこれまで全く見せてこなかった眞弓さんが、ほんの少しだけ頼りなく見えてしまう出来事が近い未来に待っていようとは、この時のオレは知る由もなかった。



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Reload16

 世界に雄飛せよ。人種、国籍の別なく共闘すべし。

 武偵憲章の9条にはこういったことが書かれているように、武偵高でもそれを意識する修学旅行を冠した海外進出の機会が与えられている。

 2年時に1度。3年時には3度。チームでの団体行動で海外へと足を運んで、その見識を広げることになる。

 3年最初の海外進出、修学旅行Ⅲは夏休み中の8月中旬頃。

 進出先はアフリカ方面と決められているこの修学旅行で、3年筆頭のチーム『月華美迅』が出張っていったのはナイジェリアで、ちょうど今日の昼の便で日本を発つと言っていたか。

 この日は生憎と幸姉がヘマして装備科の1室を爆破した後始末と修繕をやらされて朝から学校に来る羽目となって見送りに行けなかったので、おそらく便は違うだろうが、その頃に空に見えた飛行機を見ながらとりあえず行ってらっしゃいを言っておく。

 

「今日も暑いどすなぁ」

 

 小さくなっていく飛行機と太陽が重なって目を細めたタイミングで、部屋の外壁の修繕をしていたオレの耳にそんな声が聞こえてくる。

 見れば近くのベンチに座りながら日傘をさして扇子を扇ぐ眞弓さんが、いつもの笑顔で日射しをガッツリ浴びるオレを見ていた。

 

「……眞弓さんは『今回も』行かないんですね」

 

「ウチは飛行機が嫌いなんどす。墜落した時の生存率がどないなもんか知っとりますか?」

 

「そりゃ逃げ場がないんですからゼロに近いでしょうね」

 

「なになに? ついに眞弓の弱点発見? 今どき飛行機が怖いとか眞弓も可愛いところあるのねぇ」

 

 つい十数分前からフラフラとやって来た眞弓さんが珍しく苦手なものを口にしたので、穴の空いた室内から顔を出してきた男勝りの幸姉はニヤニヤしながら良いことを聞いたと言うように眞弓さんを見るが、その眞弓さんは大きな大きな溜め息を1つ吐くと、面白そうにする幸姉に衝撃的な事を伝える。

 

「そないな事実は全くないわけやけど、なんや幸音はん、ウチの弱点なんか見つけてどないするつもりやったん?」

 

「と言うのがブラフで本当に飛行機が怖いっていう可能性もまだ無きにしもあらず!」

 

「……言うときますけど、ウチは中学時代まで飛行機で世界中飛び回っとりましたから、ホンマに飛行機は問題ありまへんえ」

 

「なん……だと!? 謀ったな眞弓!」

 

「勝手に会話に飛び込んできといて、よう言いますな。京夜はん、はよその穴埋めて2人きりでゆっくりお話ししましょ」

 

 どうやら本当に飛行機は問題ないらしい眞弓さんは、勝手に騒ぐ幸姉をスルーし楽しそうに鼻唄を始めてしまう。あ、天城越えだなこれ。

 そのあと壁の修繕を滞りなく終わらせたオレは、手伝えることがそれだけだったこともあり、汗だくになりながらまだ室内の修復をする幸姉の作業に危険がないことを聞いてから、昼の3時頃に眞弓さんと2人で食堂へと移動してまったりと休憩を始める。

 とはいえ夏休み中なのでスペースとして開放されてるだけになってて少し寂しいものがあるが、それはそれで静かな空間が好きな眞弓さんにとっては快適らしい。

 

「はぁ、なんやうるさいのがおらんならおらんでからかう相手が欲しなるこの矛盾。どない思います?」

 

「いや、オレからはなんとも……」

 

「家におっても基本的に誰もおりまへんから、学校に来てる言う京夜はんらに絡みに来たはエエどすが、幸音はんはからかいすぎると作業進まへんようやし、京夜はんも聞き上手はエエどすが、長持ちしまへんからなぁ」

 

 頬杖を突きながら対面にいるオレにそんな話をしてきた眞弓さんは、どこかつまらなそうな表情で右手に持っていた扇子を弄ぶ。

 

「家に誰もいないんですか?」

 

「おりまへんよ。前に言いましたやろ? ウチの家は代々医療に携わる家系やて。お父様は外科医師でお母様は医療カウンセラーどすし、お祖父様とお祖母様はまだまだ現役の医師で今も中東で活動中どす。家族がみんな揃うことが珍しいくらいの家どすからなぁ」

 

 長持ちしないとは言われつつも、事実なので特に何も思うことなく、眞弓さんの話にちょっと気になるところがあって問いかけてみると、意外にも眞弓さんはためらうこともなく答えてくれた。

 確かに以前、とはいえ2年以上前の話――4対4の時だ――になるが、医療関係の道を選んだ理由を少し話してくれた。

 しかしそれもわずかに眞弓さんの周りの環境を知れた程度で、こうして特に聞いてもいないことにも口を開いたことは1度もなかった。

 今日は機嫌が良い、というわけでもなさそうなんだが……

 

「夜とか家にいて寂しくないんですか?」

 

「そら小さい頃は寂しい思うこともありましたけど、慣れ言うんは怖いどすな。今は逆に夜だけは1人でおる方が落ち着きます。でもあー、いま思えばそのせいどすか。小学生の頃に雅も交えて見えんところで色々と悪ふざけしまくっとったの。きっと子供心に寂しさをまぎらわせとったんどすな……」

 

「それで学校のサーバーに不正アクセスさせたりとか困るレベルじゃない気もするけど……」

 

「なんや、雅から昔話でも聞かされたんどすか?」

 

 そうやって少し昔話をする眞弓さんがサラッと言った悪ふざけ。

 その1つである雅さんによるハッキングを呟いたら呟きが聞こえてしまったらしく、それに肝を冷やしたが、怒ってる様子もなかったのでひと安心。

 オレではなく、雅さんに矛先が向いたら恨まれてしまうからな。

 

「そういえば眞弓さんって雅さんだけ呼び捨てにしてますけど、何か理由があるんですか?」

 

「雅はまぁ、初めてウチが『認めた』特別な存在どすから、その名残みたいなもんどす。それ以外に理由なんてありまへんな」

 

 話を逸らすように続けて質問をしたオレに対して、これもすんなりと返してくれた眞弓さんは、そこまで話して弄んでいた扇子を止め「なんや話しすぎましたわ」と自分でも口が軽かったのを感じてからパタリと話すのをやめてしまった。

 そこからはお返しとばかりにオレの昔話を引き出そうとあれこれ聞いてきた眞弓さん。

 話さないと後が怖いので、ほどほどに恥ずかしくない話をしてなんとか質問攻めからは乗りきった。

 十数分後。

 オレの話でとりあえず満足したらしい眞弓さんは、小休憩のつもりか持っていた扇子を開いて扇ぎ始め、オレも普段はたくさん喋ることがないので、何をするでもなく思考を停止させてまったりしていたのだが、不意にとある疑問が頭に浮かんで眞弓さんに特に考えなしにそのまま質問をしてしまった。

 

「眞弓さん、さっき幸姉がいるところでは誤魔化してましたけど、よく考えたらこうしてオレ達に会いに来るくらいに手を余してるなら、何で愛菜さん達と一緒に行かなかったんですか?」

 

 ピシッ。

 そんな音が聞こえると錯覚するほどの空気の凍りつきを言った後に感じたオレは、ここまで珍しく口が軽かった眞弓さんに油断していた自分を本気で怒りたくなった。

 質問された眞弓さんは、扇いでいた扇子すらピタリと止めて、いつもの笑顔も消し、もうヤバイくらいの視線でオレを睨んでいた。し、死ぬのかオレ……

 

「……それを聞いて京夜はんはどないしますのえ?」

 

「い、いえ……ただ単に気になっただけなので、話したくないならそれでいいです……すみません」

 

 生半可な気持ちでは眞弓さんを見ることさえ恐ろしい鋭い視線に、これ以上踏み込めなかったオレがそう返事を返すと、眞弓さんは少しだけ威圧するような視線を和らげてから、開いていた扇子を閉じてペシリ。右の手の平に軽くぶつけて口を開いた。

 

「好奇心旺盛なんはよろしおすが、半端な気持ちで聞いてエエ話やないもんもありますさかい、よう考えてから口にしてください」

 

「……すみません、でした」

 

 そうやってオレに釘を刺してから、いつもの笑顔に戻った眞弓さんは、また扇子を開いて扇ぎ始め、それに心底安堵したオレは、固まっていた体を脱力させて元に戻った空気を肺に入れ直した。

 迂闊だった。

 眞弓さんは基本的に『無駄』なことはしない。

 わざわざ単位のもらえる修学旅行を欠席してまで日本に残るその行動に、眞弓さん本人の事情が絡まないわけがないのだ。

 そこには明確で他人に話すべきではない理由があり、オレはそれを察して口を閉じるのが本来すべき行動だった。

 

「まぁ、これだけやとウチが質問をねじ伏せたみたいどすから、ちょっとだけ本当の理由を話しましょ」

 

 自分の行動を反省していたオレに対して、眞弓さんは視線を合わせないながらも口を開いてそんなことを言ってくるので、申し訳なく思いながらもそれに耳を傾けた。

 

「出禁なんどす。日本国内より外へ、ウチは家から一切出ることを許されとりませんのどす」

 

「日本から……出られない?」

 

「これ以上は言えまへん。もしも聞きたいなら、ウチの旦那になるくらいの覚悟はしてもらわなあきまへんけど、それくらいには深い事情がありますさかい、理解してください。ウチの口から聞きたいなら、どすが」

 

 家から国外へ出るのを止められるというのは、一体どれほど深い事情なのか気にならないわけがない。

 しかしそれを今ここで聞こうものなら、オレは眞弓さんと婚約する覚悟を決めないとならないため、釘を刺された通りこの話にはこれ以上の追求はしないとしっかり意思表示をした。

 

「ウチも歳下の京夜はんと添い遂げる気はありまへんから、そうしてくれると助かります。さて、ゆっくりしましたし、1人で寂しく作業しとる幸音はんのところへ戻りましょか」

 

 それで話を終わらせて席を立った眞弓さんは、いつもと変わらない感じで歩き始めてしまい、遅れて跡を追ったオレもそこからはなるべくいつも通りに眞弓さんと接していった。

 無事に部屋の修繕も終えて夕方頃に帰宅したオレと幸姉は、そこから特に何かするわけでもなくそれぞれの家へと入って時間を使っていくと、自室へと戻ったオレがまず始めたのは携帯を取ってある人にメールを送ること。

 おそらくはまだ相手が飛行機の中にいるので、電話をしたところで繋がらないのはわかりきっていた。

 だからメールで用件だけを送って返信を待つ算段である。

 とりあえずこの日は一応深夜の0時頃まで返信を待ってはみたが、案の定携帯が着信を知らせることはなかったため、気を張っていたところで仕方ないので就寝。

 翌日は1日中ゴロゴロしてるという幸姉に合わせて暇なため、時間はある。

 そうしていつものように朝早くに目覚めたオレが携帯を見てみると、誰かからの着信があり、寝ぼけ気味に携帯を開いてメールの着信だとわかると、その相手の名前を見て頭が覚醒。

 すぐにメールを見ると、そこには求めていたもののヒントが書かれていた。

 

『件名:宮下雅

題名:ヒントだけ

本文:「2003年8月16日」「中東」

 

この2つから自分で調べて。私の口からは眞弓の過去については話せないから、自力で辿り着くしかない。たとえ調べられても、それはそっと胸にしまっておいて。これは眞弓の親友としてのお願い』

 

 メールの相手は現在ナイジェリアにいるだろう雅さん。

 昨日オレがメールを送った相手はまさにこの人だが、メールは標準語なんだな……

 じゃなくて、オレの送ったメール『眞弓さんが日本から出られない理由について教え欲しい』という内容に対して、直接ではないながら道は示してくれた雅さん。

 念の押し方が眞弓さんと似ていたが、元より誰かに話したりするつもりもない。

 昨日眞弓さんは『自分から聞く覚悟があるなら話す』と言ったが、それは本人から聞く場合に限る。

 それならオレが自分で調べることには何の問題もない。

 というのにも眞弓さん自身に言われて気付いたのだが、やはり気になるのだ。

 あの完全無欠の眞弓さんが家からそんな制限をつけられているという現実とその理由が。

 2003年といえば、今から4年前に当たる。

 日付に関しても何の偶然か、昨日がその8月16日であったことも、眞弓さんが少し違った様子だったことも偶然ではないような気がしてならなかった。

 とにかく、与えられたヒントを頼りに調べるしかない。ここは武偵らしくやってみようじゃないか。

 それからオレはいつも通りに朝食などのひと通りのことを済ませてから、調査を開始するため真田の家へと足を運んで行った。

 真田の家を訪れてまずは幸姉がどこにいるかと探りを入れて、居間で3つの本の山を築いて少女漫画を読んでいるのを確認。

 あれなら空腹以外では動くこともないだろうと判断して、今回の目的地へと改めて移動する。

 目的の部屋に着いてまずは扉をノックして入っていいかと声をかけてみると、途端に中でドタバタと慌てふためきながら動くのがわかり苦笑。

 何をそんなに慌ててるのか知らないが、らしいと言えばらしい。

 声をかけてから約1分ほどしてようやく中へと通されたオレは、何の非の打ち所もなく綺麗に片付けられた室内を見て、ここまでしなくてもと思いつつ適当に腰を下ろしつつ目の前に正座する部屋の主を見る。

 

「ほ、本日はお日柄も良く」

 

「ん? まぁ暑いくらいには晴れてるな」

 

「あの、その、来てくださるなら前日くらいにでも言ってくださらないと色々と準備とかがありましてですね……ああもちろん来てくださるのは嬉しいので構わないのですが、本来なら京様を招き入れられるほど片付けられなくてその恥ずかしいと言いますか……」

 

「これで片付いてないとか言うなら、世の中の部屋は全部片付いてないって。相変わらず几帳面というか真面目というか……幸帆はもう少し肩の力を抜いていいと思うよ」

 

 目の前で何故か頭を下げながらにそんなことを言う真田幸帆に、とりあえず頭を上げさせつついきなり訪ねたことへの謝罪をしつつ話を終わらせて、幸帆の部屋を訪れた本題へと入る。

 

「幸帆はパソコン使えたよな? 悪いんだが少し調べてもらいたいことがある。協力してくれないか?」

 

「協力は惜しみませんが、京様はまだ電子機器の扱いが苦手なんですね……」

 

「アナログな人間だって自覚はある……」

 

 特に具体的なことは言ってないが、即答に近い形で協力を了承してくれた幸帆は、早速机にあったノートパソコンへと向かって椅子へと座り、起動の最中に未だまともに電子機器の扱いができないオレを笑う。

 本来ならばこんなこと1人でできておかしくはないのだが、どうにも昔から機械の類いだけは苦手分野で上達の兆しを見せない。

 そんなオレがどうして幸姉ではなく幸帆に頼ったのかは、特に説明の必要はないか。情報の漏洩は可能な限り避けるべきだからな。

 そうしてパソコンの前に座る幸帆の隣に移動して画面を覗ける位置を陣取ると、気を利かせた幸帆が足の短いテーブルを出して床に座る形のスタイルに変えてくれたので、ご厚意に甘えて幸帆の隣に座って改めて画面を見れるくらいに幸帆に顔を近付ける。

 その際に「うひゃあ」というよくわからない声を幸帆が出したが、まぁ気にしないでおく。

 

「そ、それでどういったことを調べればいいのでしょうか」

 

「とりあえず2003年の8月16日。中東の国で日本人が関わった記事や出来事がないかを調べてくれ」

 

「ネットでの検索は素人ですけど、できる限りでやらせていただきます」

 

 そうしてキーボードとマウスを操作し始めた幸帆は、オレが言ったワードを呟きながら画面に表示される文字列を目で追いかけていき、オレも見てるだけもあれだから同じように拾える情報を拾っていく。

 数分ほど互いに会話もなしにパソコンとにらめっこをしていたオレ達。

 チカチカするパソコンの画面に慣れてないオレが少し目を離して休もうとした瞬間。

 オレの目が文字列の中からよく知るワードを捉えて幸帆にそれを表示するように指示を出して、そこに載っていた記事を幸帆が朗読し始めた。

 

「えーと、『8月14日より某国内の紛争地域に訪れていた薬師寺富男(62)が率いる特別医療兵団《差別なき病院》は、人種・国境・貧富の差別なく医療を行なうその活動方針の下、1週間の滞在期間の間で実に500人を越える命を助けた。今回の活動においての注目は、世界でも例を見ないわずか13歳という史上最年少で医師免許を取得した薬師寺眞弓(14)が兵団に加わり現地にて活動したことである――』って、眞弓さん?」

 

 記事の途中まで読んだ幸帆は、今年の始め頃に初めて顔を合わせた眞弓さんの名前が出てきて、思わずオレの顔を見てきたが、オレも正直驚いている。

 まさか眞弓さんがそんな偉大な記録を持っていようとは思わなかった。

 通常、医師免許というのは医学部のような学校をちゃんと卒業して初めて取得できるものだ。

 その過程をぶっ飛ばしての医師免許取得など予想もできなくて当然なのだが、なんとなく今までの眞弓さんを見てきた後だと、そのくらいはあって当然なのかと思えてくるから怖い。

 驚く幸帆に対して、苦笑で返しつつまだ先のある記事を読んでくれと言うと、色々と聞きたそうな気持ちを押さえてまた画面に視線を戻した幸帆は、記事の続きを読み始めた。

 

「『――他のメンバーと遜色ない活動を見せていた薬師寺眞弓ではあったが、8月16日。治療を施していた現地の兵士の1人を射殺。両者の間で何らかのトラブルが発生したようではあるが、現場を目撃した人間が誰もいなく、薬師寺眞弓本人も精神状態が非常に不安定になってしまったことから、その詳細についてははっきりしておらず、事件か事故かの断定もされていない。この件で薬師寺眞弓は現地での活動は不可能と判断され、その活動中に強制帰国。兵団はこの件に関して薬師寺眞弓だけに問題があったわけではないと擁護し、現在も裁決にて争っていて、罪状については決定されていない。2003年9月10日記載』」

 

 …………こういうことか……

 これなら眞弓さん本人も雅さんも揃って口を閉ざす理由も理解できる。

 記事だけでは事実やら何やらは全く見えてこない。

 しかし信じたくないが、はっきりしていることは眞弓さんが『人を殺めた』という偽りのない事実。

 そして雅さんがヒントを与えてくれたことから、この件が尾を引いて眞弓さんは今も国外へと足を運べないということ。

 

「あの……京様?」

 

 そうして驚愕の事実に絶句していると、幸帆が心配そうにオレを見てきたので、なんとか気持ちを整理しつつ口を開いた。

 

「ここで知ったことは他言無用だ。幸姉にも誰にも話すな。約束できるな?」

 

「はい。約束します」

 

 必要ないとは思いつつも幸帆に釘を刺して、それに良い返事を返してくれたので頭を軽く撫でてあげると、恥ずかしそうに俯いてしまい、それに少し笑みがこぼれつつ話を終わらせると、オレは幸帆の部屋を出てまっすぐ自分の部屋へと戻ったのだった。



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Reload17

 

 幸帆の部屋を出て部屋へと戻ってきたオレは、何をするわけでもなくベッドに仰向けで寝て天井をただ見つめる。

 そうしていると、頭に浮かぶのはやはり眞弓さんのこと。

 4年前、どんな理由があるにしろ、眞弓さんが人を殺めたという事実が受け入れられない。

 衛生科の首席で誰よりも人の命を助けてきたあの眞弓さんが。

 現代のナイチンゲールとでも呼べるだろうあの眞弓さんが、助けるべき命を自ら絶つなど、信じたくない。

 ――ピロリロリンッ!

 どうしようもない気持ちをどう吐き出せばいいのかわからなくなっていたタイミングで、携帯にメールの着信があり、誰かと思いつつ携帯を開くと、相手は今のオレの頭の中で大半を占めていた眞弓さんだった。

 メールの内容は『デートでもしませんか?』というお誘いのもので、次には待ち合わせの時間と場所の指定がされていたが、場所的に今から家を出て自転車を使って行っても待ち合わせ時間ギリギリ。

 選択肢、ないのではないだろうか。

 別に断っても眞弓さんは怒らないだろうし、プライベートでまで眞弓さんにビクビクすることもないのだが、やはり昨日の件と今日このタイミングでのデートの誘い。

 ただの暇潰しというわけではない気がしたオレは、一言「少し待たせてしまうかもしれません」とだけメールを返してから家を出て、まずは真田家の居間で読書中の幸姉から外出の許可を取りに行く。

 これで幸姉が外出の予定があったりしたら行けないかもしれないが、まぁ今日は大丈夫だろう。

 

「どこに行くの?」

 

 と思ったが、外出の理由が眞弓さんに会いに行くなんてどストレートに言ったら、ついてくるなんて言うかもしれないため、外出すると言ってから返された質問にどう答えるか迷う。

 下手に外食なんて言ってもついてくる可能性大だから、余計に困るなこれ。

 

「それはできれば内緒にしたいかな。幸姉へのちょっとしたあれも含まれてるし」

 

「んー? 誕生日はまだ先だし、幸帆ももう過ぎてるし、何か特別なことってあったかな?」

 

「それもサプライズってことでいいんじゃないか?」

 

「……まぁサプライズしてくれるならいっか。いってらっしゃーい」

 

 と、なんとか上手い具合に誤魔化して外出の許可を取ったオレは、割とロスした時間を取り戻すように結構なスピードで自転車を漕いで待ち合わせの場所へと急いでいった。

 サプライズ、どうするかな……

 時間にして昼の12時になるところ。

 夏休みということで家族連れの客も多いファミレスへとやって来たオレは、その店内に入って2人用のテーブル席に座る眞弓さんを発見。

 いつもの笑顔でオレを見て招いてくるので、促されるまま対面の席へと座って注文をしてから、優雅にコーヒーをすする眞弓さんと向き合った。

 

「もう、調べましたやろ?」

 

 コーヒーカップを置いてから口を開いた眞弓さんの第一声はそれだった。

 まるでオレの心理と行動を読んでいたかのような言動に、オレは小さく頷きそれを肯定。

 

「まぁ自分のことどすから、どないすれば調べられるかは把握しとりました。雅からヒントをもろたなら、小1時間もあれば辿り着けます。そうなるように導いたのはさすがに気まぐれどすが、もう少し思惑通りに動かんよう注意するんも、大事なことどすえ」

 

 言いながら眞弓さんは自分の携帯の画面をオレに見えるように差し出してきたので、促されるまま画面を見れば、そこには雅さんから送られたメールの内容があり、文章には「京くんが辿り着くかもしれない。ごめん」とだけあった。

 今の発言から察するに、オレが雅さんを頼って調べることがわかってたってことか。

 ということは雅さんも動かされたってこと、だよな。

 

「すみませんでした。どうしても気になってしまって」

 

「言いましたやろ? そうなるよう誘導したって。別に謝ることやありまへんえ」

 

「でも、そうだとして、どうしてそんなことを? 気まぐれと言うにはその……あまりに……」

 

「重い話やと?」

 

 こくり。

 オレの言わんとしたことを先に言った眞弓さんにまた小さく頷いて返した。

 それに対して表情を変えずに椅子の背もたれへと体重を預けた眞弓さんは、何か少し考える素振りを見せてから口を開いた。

 

「確かにベラベラと人に話すようなことやありまへんし、今こうしてのうのうと生活し続けてる自分が嫌になる日もあります。特に8月16日は無意識に、本能的に『誰かと一緒やないと耐えられん』ようになってしまっとるようでして、ダメなんどす。その日は毎年1人でいる時間を限りなく減らさな、自分を上手く保てまへん……やから昨日のウチは少し調子が悪かったんどす。いつもなら雅にしか会わん日なんどすが、昨日はそうもいきまへんでしたから……」

 

 ああ、そうか。

 今までは雅さんが一緒にいてくれていたから何の問題もなかったんだろうけど、昨日は修学旅行Ⅲが被って雅さんと一緒にいられなかった。

 それで家に誰もいなくて危ないと感じたから、オレと幸姉のところへと来て気をまぎらわせていた。そういうことなのだろう。

 しかし、そうしてでも1人でいることを嫌がるほど、眞弓さんにとってあの記事にあった出来事が深刻な問題になったということ。

 その出来事の全てを知らないオレでは、何をどう口にしていいのかわからず沈黙していたのだが、自分を落ち着けるようにまたコーヒーを口に含んだ眞弓さんは、さて、と切り替えるように言ってから再び口を開く。

 

「まぁあれです。大まかな事情にしろ知ってしもた以上、気にならんわけはないどすやろ。事情を知らん人に話すんはこの上なく不快どすが、ある程度知る人なら質問に答えるくらいはやぶさかやありまへん。ウチも中途半端な記事や何かで変な誤解や印象を与えたままは嫌どすし」

 

 つまりオレをここに呼び出した理由は、眞弓さんの過去を調べて絶対にモヤモヤしているであろうオレの心境を察して話をしてくれるということだ。

 もちろん、言うように変な誤解などを取り除くのもあるだろうが、やはりオレへの配慮がその割合を占めていそうだ。

 自分の事情でオレにそうさせたことへの。

 とにかく、話をしてくれるということなら、そのご厚意に甘えることにしよう。

 そう思って早速質問をしようとしたら、ちょうど注文した料理が運ばれてきたので、話の腰を折られてしまう。

 それにオレがドギマギしていたら、眞弓さんはそんなオレが面白かったのか、含むような笑い声を出して口元を扇子で隠してしまう。

 は、恥ずかしいんですけど。店員さんもあらあらみたいな顔で見ないでくださいよ……

 それでテーブルに料理が並んでから、少しだけ口に含んで改めて話をと思ったのだが、食事中は静かに食べる主義の眞弓さんなのを思い出して、ここで機嫌を損ねられても困ると判断し、とりあえず目の前のミートスパゲティを食べてしまおうと手と口を動かし始めた。

 

「顔色うかがう姿勢は評価しますが、客足も多いこの時間に食べ終わって長居するほど偉い客にはなりたくないどすな。それに騒がしい中でこそ内緒話ゆうんは堂々話しやすいもんどす」

 

 しかし、そんなオレに対して、眞弓さんはそんなことを言ってその手を止めさせると、オレは1度目の前のミートスパゲティに視線を落としてから、次にまだ3分の1も食べていない眞弓さんの生姜焼き定食に視線を向けて、そのペースを落として食べるのを再開。

 確かにファミレスのような様々な客でごった返すオープンスペースの店なら、注目されるような騒ぎ方や重苦しい空気でも出さない限りは、他のところの会話などまともに耳に入ってこない。

 それを念頭に置いて眞弓さんのようにいたって普通に食事を再開したオレは、とにかく限られた時間を無駄にしないように口を開いた。

 

「オレが調べた記事にはその、眞弓さんが現地で問題を起こして日本に帰されたとありました。その問題自体は詳しくわかりませんでしたが、その、本当のこと、なんですか?」

 

「ホンマです。もっとも、この問題自体はもう、解決の方向に向かいました。お祖父様もお祖母様もウチの証言を信じて長い裁判の末、通してくれました。つい半年前のことどすえ」

 

 ……良かった、のだろうか。

 いや、少なくとも、眞弓さんが望んで行ったことではないことは、今の言葉ではっきりとわかった。それだけは安堵してもいいだろう。

 そりゃそうだ。人の命を救う立場にある眞弓さんが、それに反するようなことを進んでするはずがない。

 

「やけど、ウチが行なったことは人として最悪の行動どす。たとえどないな事情があったにしろ、踏み越えてはいかん線を飛び越えてしまいました。法的な立場ではウチの罪はなくなりましたが、やからはいおしまい、忘れましょ。とはいきまへん。これはウチが一生背負っていかなあかんこと。ウチ。薬師寺眞弓が自分を許すことを許されん、最大の罪どす」

 

 それは、そうなのだろう。

 いくら法が、周りが眞弓さんに罪はないと認めたところで、眞弓さんが1つの尊い命を失わせた事実は消えない。

 これを悔いないような人間なら、オレは眞弓さんを軽蔑していた。

 平成のナイチンゲールとでも呼べる眞弓さんは、誰よりも命の重さと尊さを知っている。

 現場にいてそれがよくわかっていたオレは、その根底にあるのがこの問題なのだろうと、この時なんとなくわかった。

 

「京夜はんは、突然、幸音はんがどこぞの誰かに殺されたら、どないしますか?」

 

「……そいつを許しません。一生。どんな理由があろうと、絶対に。それこそ殺してやろうとも思うかも、しれません」

 

「……そうやって憎しみをぶつけてくれる人がおれば、ウチも裁判やなんやと騒がすつもりも、何かを語るつもりもありまへんでしたが……」

 

 唐突に真意を理解しかねる質問をしてきた眞弓さんに、少しだけ考えてそう返してみれば、どうにもわからないことを言うので首を傾げてしまうが、言葉の最後辺りで不意に眞弓さんの視線がオレの後ろ。

 店のレジの方へと向けられたことがわかり、オレも振り向いてレジの方を見るが、特に何かあるわけでもなく再び視線を眞弓さんに戻すと、今さっきまであと3分の1はあった定食を完食し両手を合わせてごちそうさま。

 あ、終わってしまった……おかしい……一体どんなマジックを……

 

「まだ話がしたい言うなら、ここは紳士らしくエスコートしてもらえますか?」

 

 まさかの質問タイム終了に愕然としていたら、眞弓さんはそれを察して笑顔を見せながらそう言い伝票をオレへと差し出してくる。

 その意図をすぐに理解したオレは、残りの料理を一気に胃袋へと流し込んでから、差し出された伝票を受け取り先に席を立った眞弓さんに続いて席を立った。

 まぁ、ここで奢って話が続けられるなら安いものだろう。

 そう思いながらにレジで会計を済ませて店を出ようとしたオレと眞弓さんだったが、その直前で店の奥から男の騒ぐ声が聞こえてきて、反射的に出入口付近で止まってそちらを見る。

 迷惑な客ってのは少なからずいるもんなんだよな。

 思いつつ呆れているであろう眞弓さんを見てみると、その眞弓さんはオレの予想を裏切って、今しがた通ってきたレジの方へと明確にその視線を向けていたので、オレも釣られてそちらをみれば、レジの前には夏場なのに黒の長袖シャツとニット帽を被った客が会計を済ませているだろうところだったが、どうにも様子がおかしい。

 客もそうだが、レジ担当の女性店員の表情が明らかに恐怖で塗り固められているのだ。

 

「やっぱりどすか……」

 

 ポツリと、それを見た眞弓さんがそう呟いたあと、出入口でUターンして店内のレジへと戻っていく眞弓さん。

 そしてレジの前にいる男の隣まで行くと、

 

「ちょっと忘れもんどす。扇子を置いたままどしたわ。いやぁ、うっかりしとりました」

 

 いつの間にか手に持っていなかった扇子をレジから回収した眞弓さん。

 隣の男はそんな眞弓さんを警戒するような視線で見るが、そんなのお構いなしで回収した扇子で即座に男の右手を下からバチンッ!

 叩き上げると、その男の手には黒く光る拳銃が握られていて、引き金に指が掛かっていたためにその拍子で発砲。

 軌道こそほぼ真上に行っていたため、銃弾は天井に当たって眞弓さんへの被弾はなかったが、その発砲音で店内は騒ぐ客から一斉にレジ付近へと向けられ、遅れて悲鳴やら何やらが店内に木霊した。

 しかし、そんな悲鳴などを無視して男の確保のために瞬時に組み伏した眞弓さんは、次に目でオレに訴えてきた。

 その視線の先には、先ほどタイミングを計るように騒ぎ始めた男性客。

 それでなんとなく理解が追いついたオレは、状況が劣勢になったと判断して隠し持っていた拳銃に手を伸ばした男めがけてクナイを1つ投げ放ちながら店の奥へとダッシュ。

 クナイは騒ぎ始めた一般客の間を綺麗に抜けて男の拳銃を掴む右手の甲へと突き刺さり、男は拳銃を床へと落とし、その隙に接近して無力化させた。

 もう、仲間はいないだろうな?

 ファミレスを襲った強盗は2人だった。

 1人がレジから一番遠い場所で騒いで注意をひきつけ、もう1人がその隙に目立たないようにレジを襲い金を奪う。というのが本来の筋書きだったみたいだ。

 取り押さえた強盗をワイヤーでまとめて拘束したオレは、警察が到着するまでの間の見張りとして2人の強盗のそばで監視していた。

 

「い、痛い痛い痛い!」

 

 その近く。

 不運としか言いようがないが、先ほど不意に発射された銃弾が天井から跳ね返りレジにいた女性店員の左足太股に命中してしまい、場が収まってからそれに気付いた眞弓さんが現在治療に乗り出していた。

 しかし女性店員は撃たれたという事実と襲い来る痛みで錯乱に近い状態になってしまい、眞弓さんの声も届いていなさそうで、そのせいでスムーズな治療ができない。

 こういった負傷者はまず落ち着かせることが最優先。

 興奮すると脈拍が上がり出血も多くなる。良いことなど1つもない。

 それをオレよりもよくわかってる眞弓さんは、負傷している太股の止血をしながら、女性店員の額に扇子を軽くベシンッ! と当てる。

 軽くと言っても扇子は鋼鉄製。痛いだろうな。

 

「痛ぁい!」

 

 案の定、女性店員は叩かれた額を両手で押さえて眞弓さんを何するんだと言わん感じで見る。

 

「ほれ、額を小突いた程度で忘れられる痛みですよって。あんさんが騒いでも状況は良くなりまへん。まずは深呼吸でもして落ち着きなはれや。ウチはこの程度の怪我で人を死なせたことは1度もありまへんさかい、安心しなはれ」

 

 そうやって物凄く安心感のある口調と独特のやり方で女性店員の興奮を治めた眞弓さんは、その間にパパっと止血も済ませて何やら世間話を始めてしまった。

 あれも女性店員を落ち着かせる作用があるし、話をしているだけで割と気が紛れるのだ。

 それからほどなくして警察と救急車も到着し、女性店員を乗せた救急車は病院へと移動し、強盗も身柄を警察に引き渡して軽く聴取を取られてからオレと眞弓さんは釈放され、今は後ろに眞弓さんを乗せて自転車で移動中。

 目的地は近くの公園だ。

 

「それで、眞弓さんはどうして強盗に気付いたんですか?」

 

「なんやレジ近くの席にやたらと店内を見回す男がおりましてな。店内やのに帽子は取らんし、通気性悪そうな格好やからなんや隠したい何かがあるんやと思って、待ちの客がおらんタイミングで自然と会計済ませて店の出入口で待機して、いの一番に犯行現場を取り押さえようとしとったんどす。何も起きんようやったらそのまま扇子を回収して終い。やけどウチの悪い予感は大抵当たってまうさかい、困りもんどすなぁ」

 

 本当にこの人は……凄いというか、色々と超越してる。

 もう推理とかそういうものではないだろう。

 目に映る不自然なものを常に捉えて、その最悪のケースを想定した対応策を考えて実行する。

 本来なら妄想とかそんなもので済まされてしまうようなことだが、この人がやるとそうならないから怖い。

 

「京夜はんもエエ動きでした。ウチは1人で静かにやるもんやと思とりましたさかい、もう1人の方は京夜はんがおらへんかったら被害が大きなってたかもわかりまへん」

 

「眞弓さんなら、オレがいなかったらいなかったでやり方を変えていたでしょうから、社交辞令ってことで受け取っておきます」

 

 そんな返しに対して、眞弓さんはただクスリと笑い声を返すだけだった。

 実際、オレがあの場にいたから眞弓さんはレジの男を取り押さえに行き、店奥の男をオレに任せた。

 現状の戦力を把握した上での最良を実行したに過ぎないんだ。

 それから数分で一番近い公園に辿り着き、手頃なベンチに隣り合って座ったオレと眞弓さんは、周りに誰もいないのを確認してから、ファミレスで中断された話の続きを始めた。

 

「それで、法的には眞弓さんの罪はなくなったはずなのに、どうして今も日本国内から出ることを禁止されてるんですか?」

 

「怖いんどすやろ。ウチがやのうて、お父様もお母様も、お祖父様もお祖母様も。あないな思いをさせるくらいなら、もう2度と行かせん方がエエって、そう考えてはるんや」

 

「踏み込むようでなんですが、4年前に何があったんですか? 眞弓さんがそうしなきゃいけなくなるようなことが、起きたんですよね?」

 

「…………それまでにお祖父様達に付いて現地に行くこと自体はままあったんどす。現地の空気を肌で感じて、その命の尊さを学ぶために嫌がることもしまへんでした。それで初めてお祖父様とお祖母様のお手伝いをさせてもろたのが、あの時どす。ウチも力になれる自信がありました。実際、何十人もの患者を診て治療も的確にできてましたし、お祖父様にもお祖母様にも褒められたくらいどす。やけどその頃のウチは、未熟でした。腕がやありまへん。人として未熟……」

 

 そこで一旦自分を落ち着けるようにして深呼吸をした眞弓さん。

 話すだけでもそうしないといけないくらい覚悟が必要なことなのだと、伝わってくる空気でわかり、オレも思わず緊張してしまう。

 

「……レイプ、されそうになりました。治療した兵士に。もう助からん、ここで死ぬくらいなら、って感じどした。ウチは当然抵抗しました。やけど、その時のウチはまだ銃の扱いもろくに知りまへん、ただ医療技術のある14歳の子供どす。力の強い男の兵士に抗えるはずもなく、挿入れられる1歩手前までいくのにそう時間はかかりまへんでした」

 

 そうして辛い過去の体験を話しながら眞弓さんは、懐から自分の愛銃――マカロフ PM――を取り出した。

 

「……そん時になって、無我夢中でその兵士の腰から抜いたんが、この銃どす。手に取って引き金を引いてから、発砲音がしたと気付いた時には、もうウチの手は血で真っ赤に染まっとりました。そこからはよう覚えとりまへん。はっきりと自分を認識した時にはもう、日本におりました」

 

 そんな話にオレは、返す言葉が見つからない。

 しかし眞弓さんはこちらを見ずにまっすぐに自分の銃を見下ろして話を続けた。

 

「ウチは弱かったんどす。力とかやありまへん。心がどす。あの時ウチがすべきだったことは、兵士の心を癒すこと。それさえできれば、あないな結果には絶対になりまへんでした。裁判沙汰になったのも、その兵士が戦災孤児で身内が一切おらんかったからどす。もしもあの人に親族がおったら、ウチは素直に裁かれる覚悟もありました。恨まれる覚悟もありました。現実はそうさせてもらえまへんでしたが……やからウチは強なりました。2度とあないな結果を生み出さんために、心も体も、誰よりも強く……」

 

「……立派ですよ、眞弓さんは」

 

「……おおきに」

 

 一言。オレがそうやって返せば、眞弓さんはそれ以上何も言わずに静かに取り出した銃をしまってベンチから立ち上がると、大きく上へと伸びて張り詰めていた空気を払拭した。

 

「いつかはお祖父様達の制止を押し切って外へ出るつもりどす。ウチは武偵。もうただ治療のできる小娘とちゃいますからな」

 

 大きな伸びの後、オレの正面へと移動した眞弓さんは、今まで1度も見たことがないだろう一点の曇りもない笑顔でオレに、そう言ったのだった。

 ――本当に、この人は誰よりも気高く、美しく、そして、強いんだ。だがそれよりも誰よりも、何よりも人としてのらしい感情を持っている。だからこそこの人は誰よりも輝いて見える――

 自分にとって何よりも辛かったであろう過去を受け止め、懸命に自分の足で今を歩く眞弓さんを見て、まだ15歳になって久しいオレは、素直にそう思った。



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Reload18

 

 季節が秋へと変わり始めた10月の初めの頃。

 オレと幸姉はチーム『月華美迅』と一緒に早紀さんが運転する車に揺られて、夕方に差し掛かるであろう時間に兵庫県が神戸市。

 日本の5大貿易港に数えられる神戸港へとやって来ていた。

 

「神戸ぇ神戸ぇ。神戸に来たら肉ぅ」

 

「肉もエエですけど、まずはやることやってからどす」

 

 停車した車から降りて、全員が伸びなどをしつつ、代表するように歌っぽくそう言ったのは雅さん。

 その雅さんに眞弓さんが冷静にツッコみつつ、全員に言葉をかける。

 今回オレ達がここへ来た理由。

 それは幸姉の父親である現真田家当主からの直々の依頼によるところ。

 真田は現在、海外貿易を取り仕切る役割を担っていて、主にアジア諸国との貿易を担当としている。

 真田家は元々武家の家だが、戦国の時代を終えてからは、その代々の生業を敷居の高い料亭にし、それなりに有名だったと聞く。

 しかし明治を境にそれも栄華となり、その生業が今の対外交渉のものへと変わった。

 変わらざるを得なかった理由は、時代の影響を受けたというのが大雑把なところだろう。

 ガラリと変わった生業でありながら、しかし今日まで真田が衰退していないのは、それだけ真田が優秀だという証明。

 だからこそ、猿飛もこれまでずっと支え守ってきた。

 戦国の時代が終わり、1度は自由に生きる道を示され散り散りとなった十勇士の中で、それに抗ってみせた唯一の一族。その一族をオレは誇りに思う。

 そんな真田からの依頼の内容は『密輸取り引きの阻止』。

 先日、中国からの輸入ルートから銃器類の密輸があったらしく、調査を進めたところでもっと多くの密輸物がある可能性と、それの取り引きが近日中に行われる事がわかり、密輸物が持ち運ばれる可能性のある日本の5大貿易港――千葉港、横浜港、名古屋港、神戸港、北九州港の5つ――に武偵チームを送り込んだというわけだ。

 この件で警察を使わないのは、単にコストダウンとかなんとか。

 それが大きいだろうが、こういった密輸現場の取り押さえには迅速な対応力と連携が重要になるため、大勢で動けばいいというものでもないこともある。

 それで声がかかった月華美迅が担当することになったのが、ここ神戸港というわけで、オレと幸姉は将来の仕事の『勉強』として同伴を命じられた形である。

 しかし、リーダーである眞弓さんは割と効率主義なため、骨折り損になるかもしれない今回の依頼は他の武偵チームに回すと思っていたのだが、依頼交渉の場において雅さんと少し相談した後に引き受けると言い出したことには驚いた。

 しかし眞弓さんが引き受けたからには、そこには必ず意味がある。

 それがわかってるオレ達も、行く先で何か起きることを予想しつつ現地へと赴いていた。

 

「中国からの輸入船受け入れは明日の明け方。まずは各々割り当てられた役割と持ち場の確認。輸入品のリストは移動中に頭に入れましたやろし、しっかりと万全に準備しますえ」

 

 その眞弓さんからの指示で車から降りたオレ達は短い返事を返しつつ方々へと散っていった。

 オレと幸姉は今回、余剰戦力として不測の事態への対応を任されていたので、港を一望できる位置の確認と逃走に使いそうなルートの下調べをして終了。

 眞弓さん達は港の作業員に紛れるために、服装の準備や担当の確認に時間をとられてるようだった。

 確認作業を終えて全員が早紀さんの車へ戻ってきた頃には、陽もほぼ沈みきって辺りが暗くなっていて、待ちわびていた雅さんが「肉ー!」と叫ぶのを合図に車は発進。

 目的地は雅さんの要望通りの肉がメインのレストラン。

 

「肉厚ぅ、濃厚ぅ、ついでにジューシー!」

 

「雅さん……何ですその歌?」

 

「肉を美味しく食べられる魔法の呪文やねんで。心理的にも聞いて空腹を感じやすい単語を織り交ぜることで食の促進を促すんや。現に京くんも食べたなったやろ?」

 

「まぁ否定はしませんけどね」

 

 レストランに着いて注文を取ってから、それを待つ間に雅さんがハミングを交えながら不思議な肉の歌を歌っていたので、何気なくその歌の意味を聞けば、なんかちゃんとした心理的働きがあったらしい。

 

「てゆーか、こないな時間に店に駆け込んで迷惑に思われとるんとちゃうの?」

 

「せやな。ぶっちゃけあと15分で店閉まる時間やし、のんびり食べとる場合やないわ」

 

「やから全員同じ料理注文したんやないの。あーあ、違う料理頼んで京ちゃんと食べさせ合いっこしたかったのにー!」

 

 そんな楽しそうな雅さんとは裏腹に、ガランとした店内の様子を見ながらに早紀さん、千雨さん、愛菜さんと順に口を開いて余裕が欲しかったと嘆く。

 現に今の時刻は午後8時45分。この店の閉店時間が9時ジャストとあって、お店の方々へ最小限の迷惑で済ますためには、あと5分以内に料理が来ても10分で胃に流し込まなければならない。

 それなのに雅さんが肉を食べたいとねだるので、頼んだのが一人前500グラムもあるステーキセット。拷問に近い。

 なのでオレと幸姉は2人で一人前。眞弓さんと早紀さんで一人前を食べることにしていたが、残りの3人は1人で完食するらしい。

 そして届いたブロック肉のステーキに軽く戦慄を覚えつつ、着くや否やナイフを動かし始めた一人前1人で完食組に続いてオレ達も化け物のようなステーキと戦い始めた。

 

「いやぁ、満腹満腹!」

 

「あぁ、やってもうたぁ……絶対太ってるわぁ……千雨みたいに無い乳なら脂肪ウェルカムなんやけど……」

 

「おうこらデカ乳。喧嘩売っとんのやったら京都帰ってから買ったるでああん!」

 

「やかましおす。無い乳もデカ乳も喧嘩するなら車降りてください」

 

 強敵、極大ステーキを本当に10分ほどで倒したオレ達は、満腹感を残したまま早紀さんの車へと戻って、現在は港付近に車を停めて仮眠の準備に入っていた。

 実際に動くのが明け方となるので、休める時に休むという眞弓さんの決定で毛布を引っ張り出して寝る体勢を整えていたのだが、この人達はこれから寝るテンションではない。

 しかしいざ寝始めると驚くほどすぐに全員が寝静まったので、ここら辺でも有能さというのが出るのかもしれないと思いつつ、オレも意識を沈めていった。

 全員が十分な仮眠を取って目覚めた時間は、朝の3時30分。

 およそ3、40分後には中国からの輸入船が港へと到着するだろうその時間に眞弓さんの指示を受けて動き出したオレ達は、それぞれの持ち場へと移動を完了させてから、事前に渡された無線の調子などを確かめながら今回の作戦の段取りを確認する。

 今回の作戦は電撃戦。

 まずは積み込まれた輸入品の入ったコンテナをクレーン操作担当の早紀さんが運び、特殊なスキャナーのような物で雅さんが運ばれたコンテナの中身を影から調べる。

 それで密輸物である銃器類が発見できたら、そのコンテナの中身の行き先と取き引き先をマーク。

 中身と密輸物が無関係なことも考えられるため、現場での取り引きを注意しながら運び出す業者もマーク。実際に取り引きが行われたところを押さえる。

 眞弓さん、愛菜さん、千雨さんは港の作業員の格好で周囲を警戒しながらの連携。

 オレと幸姉はもしも逃走された時の対処のため、迅速に動けるようにオレが現場付近で待機。

 先月から車輌科を履修し運転免許を持った幸姉は乗ってきた車にて待機となってた。

 実際のところは密輸取り引きが行われるのはここじゃないかもしれないのだが、眞弓さんと雅さんの話では2日後に兵庫県で実銃を用いた展覧会があるらしく、その物品を中国から持ち運ぶのだとか。

 その物品に紛れ込ませて密輸が行われる可能性があるというのが眞弓さんと雅さんの読み。

 確かに物品に紛れさせて密輸用のコンテナを1つくらい不自然を感じさせずに混入させることはできるかもしれないのだ。

 そんな予測もありつつ、予めのチェックを入れて待ち構えていたオレ達は、まだ辺りが暗いままの時間に港へと入ってきた1隻の大型船を見ながら、無線で逐一確認を取り始めた。

 港へと到着した輸入船に合わせて、作業員が慌ただしく動き始めて、リアカーやクレーンも動き出し早紀さんも熟練者のごとくクレーンを操作して作戦通りコンテナを港へと降ろしていき、雅さんがコソコソとその中身を調べていく。

 

『おーい眞弓ぃ。なんや輸入物リストと数の合わん銃器の入ったコンテナがあったで』

 

 そうして積み荷の8割ほどを降ろし終えた頃に、無線から雅さんのそんな声が聞こえてくる。

 どうやら展覧会の輸入品以上の銃器が持ち込まれていたらしく、眞弓さん達の予想は見事に当たったことになるわけだ。流石すぎる。

 

『ほなら予定通りそこをマークしましょか。雅は車に戻って待機。愛菜はん、千雨はんはウチと一緒に包囲を。早紀はんは作業終わらせて撤収。幸音はんと役割交代してください。幸音はんは「あっち」どす。京夜はんも目を離さんでください』

 

 雅さんの報告を聞いてそれぞれに指示をした眞弓さん。

 それにみんなが応対した後、オレも指示通り遠くから港全体を満遍なく見ていた。

 

『んー……京夜はん。ちょっと1人マークして欲しい人間がおります』

 

 それからわずか数分後に、急に眞弓さんがオレにそんな指示の変更をしてきて、リーダーの指示とあってすぐにそれに了解と返す。

 

『暗がりで見えにくいかもしれまへんが、エライ背ぇの低いツインテールのガキどす。今は輸入船のすぐ近くで船頭と話をしとりますが、確認できますか?』

 

 言われて輸入船の近くに目を凝らしてみると、確かにこの場にはいるのが不自然な黒髪のツインテールをした小柄な少女が、1人の男と何やら話をしているようで、服装を見れば中国の民族衣装のようなものを着ていた。

 140センチあるかどうかといったその身長から、小学校中、高学年の辺りと予測がつく。

 

「船頭の娘さん、とかではないでしょうかね」

 

『それならそれでエエんどす。とにかく事が済むまでは見といてください』

 

 とりあえず可能性の1つを述べてみると、眞弓さんはそれでも気になることは見逃さないといった感じでオレにそう言ってまた沈黙。

 流石に気にしすぎじゃないかと思いつつも、男との話を終えて移動を始めた少女を見失わないように、その姿を常に捉えて監視をしていった。

 そこからさらに数十分後。

 予想通り展覧会の輸入品が入ったコンテナと、密輸品とおぼしきコンテナとが運搬業者によって分けられたため、そちらの方を眞弓さん達が追跡し大型トラックに積まれるところでストップをかけて移動を阻止。

 そのまま取り調べへと移っていったのだが、案の定密輸がバレたとあって即座に逃走に切り替えていたが、まぁ眞弓さん達からは逃げられないだろうな。

 そう思いつつも、オレはその様子を横目に眞弓さんの気にしていた少女を見ていたのだが、その少女。

 偶然かなんなのか、取り押さえられた密輸業者達の様子を遠目に見ていて、眞弓さん達が登場したところでその身を翻して輸入船へと戻るのを確認。

 その一瞬で表情をわずかに見たら、何やら苦虫を噛み潰したような悔しい顔をしたのだ。なんだ?

 

『京夜はん。輸入船の乗組員全員グルどした。こっちはウチと雅達でやりますさかい、愛菜はん達と一緒にそっちの対処に当たってください』

 

 それとほぼ同時。

 眞弓さんからの急いだ感じでそんな報告と指示が飛んできて、マジかと思いつつ輸入船に目を向けると、その輸入船がそれを察したように動き出す準備を始めていて、マークしていた少女もその輸入船へと走り始めていた。

 つまりあの少女も関係者。そういうことかよ。

 眞弓さんからの指示を受けて隠れていた場所から飛び出したオレは、今まさに輸入船へと乗り込もうとする少女を追うように輸入船へと乗り込んだが、それを最後に船は港から離れ始めて、こちらへ来るはずの愛菜さん達が乗り込めずに置いてきぼりを……

 そう思って港を見れば、信じられない光景がオレの視界に飛び込んできた。

 港から離れるこの船めがけて、まっすぐに突っ込んでくるサイドカー付きのバイクが。

 見れば運転席には幸姉。後ろに愛菜さんが乗り、サイドカーには千雨さんが。

 そしてバイクはお膳立てされたようにそびえた鉄製の坂――船と港の高さを合わせて段差を無くすためのバリアフリーみたいなもの――を一気に登ってそのまま海へと飛び出して、離れていたこの船の甲板へと着地。ブレーキを掛けてオレの目の前へと到達した。

 

「へいおまち!」

 

「出前じゃないだろ幸姉……」

 

 そんな幸姉の第一声にテンション低めでツッコミつつ、バイクから降りた幸姉達と一緒にすぐに行動開始。

 幸姉は操舵室へ。愛菜さんと千雨さんは乗組員の身柄確保へ。オレはこの船に乗り込んだ少女を捕まえるために動き出した。

 船に乗り込む直前。

 少女がオレの存在に気付いていた節があったため、この船が停止させられる可能性があると気付いているだろうと予想し、船内は探すことをしなかったオレは、まずは外周に備えてある緊急用のボートが降ろされていないかを見ながら外周を回る。

 しかし降ろされているボートはなく、その間誰かが脱出した様子もないため、甲板へと戻ってきてから改めて他の脱出法を考える。

 ――ざわ……

 と、思考を巡らせる直前で、急に体が何か良からぬ気配を感じ取り全身に鳥肌が立つと、甲板より上の場所からガシャンという銃器音がして、オレはその音に振り向くより先に回避へと移っていた。

 ――ダダダダダダダダダッ!!

 オレが移動したのとほぼ同時に、オレの足跡を追うようにして放たれたのは、圧倒的な連射音を撒き散らすガトリングガンの弾。

 それをどうにかこうにか物陰まで移動してやり過ごしたオレは、放たれたであろう場所を顔を覗かせて様子をうかがうと、そこにはオレが追っていた少女が、嬉々とした表情でこちらに腰だめに構えたガトリングガンの銃口を向けていた。

 

「日本の武偵、少しナメてたヨ。今回の『ビジネス』、それなりに大きかたネ。おかげでココ達大損」

 

 銃口を向けたままに、少女はそうやってオレへと愚痴を漏らしてきたが、どうにも訛りのある日本語と口振りを聞くに、中国人みたいだな。

 

「ココってのは、お前の名前か?」

 

「キヒッ! それ答える義理ないネ」

 

 情報を引き出すためにとりあえず口を開いてはみたが、やはり向こうも簡単には口を割らない。

 笑い方も少し独特でくせ者な感じがする。

 会話による情報の引き出しができないと判断したオレは、それなら捕まえればいいとすぐに切り替えて、右手のクナイを取り出して、それを上へと投げ放つ。

 あちらの様子をうかがった時に、向こうとの大体の距離を掴んでいたので、投げたクナイはおそらく相手の頭上に落下するはず。

 それを見越して投げたクナイが落下点に到達する前に一気に物陰から飛び出したオレは、再び始まったガトリングガンによる連射を全力で避けながらクナイを相手めがけてまっすぐに投げる。

 だが、そのクナイは首を傾けるだけで簡単に躱されてしまう。

 しかし、その時にちょうど上へと放っていたクナイが少女のところへと落下して、偶然にも民族衣装の帯を綺麗に切り裂き、正面から少女の可愛らしいブラもしていない小さな小さな胸がハラリと顔を覗かせた。決してこれは狙っていない。

 それには反射的に女の子らしく「アイヤッ!」などと叫んでガトリングを手放して前を隠した少女。

 これを好機と一気に接近を試みるが、すぐに恥を忍んで再起した少女があられもない姿で再びガトリングガンを手に取ってしまうが、

 ――ガウンッ!

 それを阻止するように1発の銃弾が少女の手元へと放たれ、反射的に手を離した。

 そのあと間髪入れずに少女の頭上から千雨さんが強襲したが、横っ飛びでそれを躱した少女は、そのままその場から飛び降りて甲板へと着地すると、足元から煙幕を取り出して煙に紛れてしまうが、オレはそれに惑わされずに逃げる少女の足元へとクナイを投げ放ち、踏み出した足の下に滑り込ませて転倒させる。

 見事に煙の中ですっ転んだのを確認するより早く距離を詰めに行ったオレだったが、それを阻むように突如として小型のミサイルが少女とオレの間の甲板に突き刺さって爆発する。

 それに怯んだ隙に立ち上がった少女が再び逃走を図るので、千雨さんも、オレのピンチを救ってくれた愛菜さんも追走しようとしていたが、こちらもどこからか放たれ始めたガトリングガンの弾幕によって足止めを食らっていた。

 そして甲板の端まで移動した少女は、はだけた服を右手で押さえながらオレ達――オレだけかもしれないが――に向けて左手の人差し指をビシッと指して声をあげた。

 

「名前名乗るネ! 覚えておくヨ!」

 

「なんやこら! 生意気なガキが!」

 

「月華美迅ナメんなや!」

 

「お前達違うネ!」

 

「……京夜だ」

 

「キョーヤ……覚えたネ! 一生忘れないヨ! 再見!」

 

 そうしてオレの名前を覚えたらしい少女は、甲板から飛び降りてしまうが、いつの間にか接近していたヘリからぶら下がる縄の梯子にしがみついて逃走していった。

 どうやらあのヘリから援護があったらしいな。してやられた。

 どんどん遠ざかっていくヘリを見ながら、とりあえず眞弓さんに報告をしてみたが、おそらく跡は追えないだろうな。

 ここまで見越して逃走の手口を整えていたのだから、尻尾は掴ませない気がする。

 

「アカン……これは戻ったら眞弓にグチグチ言われんで……鬱やわ……」

 

「愛菜、そない落ち込まんでも、とりあえず依頼自体は密輸取り引きの阻止やったからええんとちゃう?」

 

『全部聞こえとりますえ?』

 

 ギャー!

 完全にヘリが見えなくなってから、明らかに鬱に入った愛菜さんも、ポジティブに考えていた千雨さんも無線の眞弓さんの声に揃って悲鳴をあげる。

 

『まぁ、ウチもそこまで用意周到やったとは予測できまへんでしたし、今回はお咎めなしとしましょ。船をこっちに戻して警察に任せたら帰りましょか』

 

 しかし意外にも眞弓さんは取り逃がしたオレ達へのお咎めをなしとして撤収の指示を出すので、それにホッとしつつ操舵室を制圧していた幸姉が、船を港へと戻していった。

 それから案の定足跡を全く掴ませずに姿を眩ませたあの少女。

 とりあえずはココという呼称にしてはいるが、今まで1人として犯人の逃走を許したことのない月華美迅とオレ達が、初めて逃走を許してしまった人物として今後忘れはしないだろう。

 それに、再見とは『また会おう』という意味もある「さようなら」の中国語だ。

 そこに意味があるなら、また会うことが、あるのかもしれない。少なくとも、オレの敵としてなのは間違いない。

 次に会った時には逃がさないぞ、ココ。



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Reload19

 

 2008年1月10日。

 オレ達武偵高3年生の学生生活も残りわずかとなった今日この日。

 実に5度目となる修学旅行が現在進行形で行われていた。

 5度目となる修学旅行Ⅴの行き先は、欧州ヨーロッパ。

 世界初の武偵高、ローマ武偵高のあるイタリア。

 武偵の原点となった名探偵シャーロック・ホームズがいたイギリスなど、武偵としては一見の価値のある国々が連なる今回の修学旅行は、行く前から愛菜さん達もテンションが高かったのが印象に残っている。

 そんな是が非でも行きたいと思える修学旅行Ⅴに、オレは行けていなかった。

 理由は単純明快。幸姉が欠席したためである。

 こういった行事でオレに決定権がないのは、もう周知の事実なので、日本を発つ前に愛菜さんに泣かれてしまったが、こればっかりは仕方ない。

 例によってまだ日本から出られない眞弓さんも欠席していたが、これから数日は家の仕事を手伝うようなことを言っていたため、オレ達に構ってる余裕はないみたいだった。

 年末や元日は愛菜さん達と一緒にいたおかげで非常に賑やかな日々を過ごしていただけに、幸姉と2人になるとその落差は凄まじい。

 あの騒がしさに慣れると、静かなのが落ち着かないというのも不思議な話だが、元々オレはマイペースな方なので、これが普通なんだよなと言い聞かせながらにまったりと時間を使っていた。

 

「ふんふんふーんっ」

 

 使っていたのだが、今日は幸姉の両親も使用人さんも、挙げ句は幸帆と誠夜も家にいなくて朝から幸姉と2人きりとなっていた。

 本当に珍しい出来事が起きたため、幸姉を1人にしないために朝から幸姉の家の居間に2人で入り浸っていたら、そこからずっと幸姉が異常なほど上機嫌でオレを膝枕するのだ。

 普段は幸帆や使用人さんの目があるので、こういったことは絶対にやらないのだが、何故か今日に限っては有無を言わせない強行でオレを甘えさせている。

 別にオレが望んで膝枕をさせてもらってるわけではないのだが、どうにも愛菜さんのオレへの接し方を見て、以前からやりたかった願望らしいので、泣いて頼まれる前に渋々折れたわけだ。

 まぁ、正直なところ嬉しくないわけではないので、この状況に甘んじてるのはあるかもしれない。

 

「小さい頃はよくこうやってしてあげたんだけど、この歳になると気恥ずかしいからねぇ。誰かに見られたら恥ずかしさで死んじゃうかも」

 

「小さい頃って、小学校に上がる前とかだろ? 見られたらってのには同感だけど」

 

 オレの頭を優しく撫でながらにそんな話をする幸姉に合わせて会話に応じてみれば、幸姉は何か昔を思い出すように少し沈黙すると、依然としてオレの頭を撫でながらに口を開く。

 

「じゃあその頃に『大きくなったら私のお婿さんになる』って言ってたのは覚えてる?」

 

「いや、覚えてない」

 

「…………酷い! その頃に京夜が描いた私とのツーショットの絵、まだ部屋に飾ってるのに!」

 

「そうやって堂々と偽りの過去を語るのはどうかと思うよ」

 

 何故か嬉しそうに話してきた幸姉だが、実際、今の話で合ってるところはほとんどない。

 かろうじて絵を描いたのは合ってるだろうが、ツーショットの絵はおそらく描いてないだろう。

 オレのそんな指摘に「バレたか」などと言って反省する様子も見せない幸姉だったが、こんな何気ない会話を2人きりでするというのもここ最近はなかった気がする。

 もちろん登下校中に会話したりはするが、それとはまた違う。

 

「でも、その頃に言ってくれた『どんなことがあってもずっとそばにいる』って言葉。すっごく嬉しかったんだよ」

 

 これは……嘘ではない。

 まだ幼いながらに猿飛のお役目を聞かされていたオレが、初めて幸姉に対して言った『誓いの言葉』だ。

 そんな言葉をオレが忘れるわけがない。

 

「京夜は昔から私に優しくて頼りになって支えてくれて、私がおんぶにだっこだったよねぇ。あ、今もかな。ダメだね私。これじゃ胸を張ってお父様の仕事できないかもね」

 

「そんなことないよ。幸姉は頑張ってる。誰が何を言おうと、ずっとそばで見てきたオレが幸姉の頑張りを認めてる。それじゃ自信にならないかもだけど」

 

「ううん、そんなことないよ。ありがとう京夜。あー! もうすぐ私も真田を継ぐんだなって考えたら、ナイーブになっちゃって嫌だねぇ。きっと誰かにそう言ってもらいたかったんだろうなぁ。柄じゃないよねぇ、昔話なんて」

 

 ちょうど珍しい話するなぁと思い始めた辺りで、オレの頭を撫でるのをやめた幸姉は、膝枕したまま体を後ろに反らして天井へとその視線を向ける。

 あと3ヶ月。

 それが過ぎれば幸姉も真田の家の仕事を本格的に手伝っていくことになる。

 それを思えばナイーブになっても仕方のないことなのかもな。

 オレは何かが変わるわけではないから、その気持ちに共感はしづらいんだが。

 

「んー! ずっと膝枕してたから足が痺れちゃったな。丁度お昼だし、何か作ろっか」

 

 それからポンポンとオレの頭を軽く叩いて起きる許可を出した幸姉は、オレが起き上がったのを追うように、本当に痺れていたらしい足で「ぬおー!」とか「ひやー!」とか言いながら、生まれたての小鹿のようなガクガクな足取りで立ち上がると、オレの介助を受けて台所へと移動。

 完全に持ち直してから、一緒に簡単な料理を作って昼食にしていったのだった。

 よくよく考えてみると、こんなことを家でするのも初めてな気がするな。

 幸姉と一緒に料理というのも不思議な感覚だった。

 昼食を食べ終えてからは、何故か今度はオレが幸姉を膝枕するということになって、強制命令を行使されたオレは無理矢理膝の上に寝てきた幸姉を流れで受け入れてしまい、異常なほどズルくて可愛い上目遣いで「なでなでして」と頼まれればもう断れない。

 そうして甘え上手な幸姉の頭を優しく撫でれば、何故か艶のある声で気持ち良さそうにするので、それにドキリとしながらも、喜んでくれてるならいいかと開き直って続けていたら、唐突に家の玄関の扉が開く音が聞こえてきたため、どうやったのかわからない無動作でシュバッ! と姿勢を崩さずに起き上がった幸姉は、何事もなかったようにオレの隣で涼しい顔をしていた。

 さ、さすがだ……いや、感心するところじゃないか。

 

「「ただいま戻りました」」

 

 帰ってきたのは、生徒会役員の仕事で通っている中学校へと行っていた幸帆と誠夜。

 2人はオレと幸姉に一言それだけを述べて一礼してから、1度自分達の部屋へと戻るために居間をあとにしていき、それを笑顔で見送ったオレと幸姉は、2人の姿が完全に見えなくなってから互いに顔を見合ってついつい笑ってしまった。

 

「幸姉慌てすぎ」

 

「京夜だってビクッてしたよね」

 

 プッ。クックックッ。

 お互い様な反応をしたことでお互いを笑う形になっていたが、ずいぶん久しくこんな風に自然と笑ったことがなかった気がするオレは、目の前で無邪気に笑い続ける幸姉にさらに笑みがこぼれた。

 そうだ。この人の隣はいつも暖かい。

 だからこそオレは、この人を一生守っていくと決めたんだ。

 この笑顔を絶やさないために、これからもずっと……

 それから着替えてきた幸帆と誠夜も交えて、珍しくみんなで何かしようと言い出した幸姉の勢いに押されて、プチカラオケ大会が開催。

 後から所用で出ていた使用人さん達も帰ってきたので、使用人さん達まで引き入れたカラオケ大会になり、幸姉達とデュエットなどしてそれなりに盛り上がっていったが、幸姉の父親、当主様が帰ってきたのを察すると、みんな血相変えて言葉なき華麗な連携で居間を片付けて撤収。

 何事もなかったようにいつもの静かな真田家の光景へと戻っていったのだった。

 厳格な現当主様のおかげと言うべきかなんというか、とにかくこういった盛り上がりからの急激な落差は見てて面白い。

 その夜。

 改めてオレの中での幸姉の存在の大きさを理解したら、なんだか色々と思うところが出てきて、そのせいで上手く寝付けず、夜の10時を過ぎていたが、おもむろに毛布を1枚持って家の屋根に登って、毛布を被って1人座り冬の夜空を眺めていた。

 ――カタンッ。

 そこへ、近くから何かを立て掛けてきたような音がして、そちらを向いてみれば長く伸ばした脚立の端がちょろっと顔を覗かせていて、それを登ってきたらしい幸姉が、ひょっこりと顔を出してから屋根へと乗り上げてきた。

 その格好はパジャマに上着を1枚着ただけの軽装。絶対に寒いだろ。

 

「外見たら京夜が見えたから、来ちゃった」

 

 白い息を吐きながらに「テヘッ」なんて言ってきた幸姉に対して、オレはどうして来たんだと言うよりも早く、その寒そうな状態を何とかするために幸姉を招き寄せて、体に巻いていた毛布にスペースを作って隣を空け、そこに幸姉を入れてあげた。

 

「エヘヘ。京夜あったかーい」

 

 毛布に入ってすぐ。

 当然のように中で腕に抱きついて体を密着させてきた幸姉は、そんなことを幸せなことのように言うので、オレもなんだか照れてしまう。

 

「今日、久しぶりに京夜の笑った顔見たからかな。なんだかそれがとっても幸せで、お姉さんちょっと興奮気味で眠れないです」

 

「なんだそりゃ。ついに幸姉も愛菜さんみたいなことを言うようになったか」

 

「失礼ね。私は愛菜より前からこんな感じでした。愛菜のキャラが濃すぎるのよ。学校ではいつも食われてるの」

 

「そこは威張ったりするところじゃないって……」

 

 どうやら幸姉も寝付けなかったらしいのだが、その理由については理解に苦しむところで困る。

 オレの笑った顔がレアなのは認めるが、それで寝られなくなるってなんだ……

 

「…………ねぇ京夜。もしもの話してもいい?」

 

「するだけならどうぞ」

 

「もしも京夜が私のお付きとしての役目をやらなくていいってなったら、どんなことがしたい?」

 

「……そんなこと考えたこともないな。というか、正直あんまり選択肢はないと思うよ。身に付けた技術も普通の世の中には必要とはされないものばっかだし、たぶん、そうなっても今みたいに武偵を続けるしかないんじゃないか?」

 

「じゃあ、そうなっても武偵として生きる道を後悔したりとかはしないかな?」

 

 ……なんなんだよこの質問。本当に意味がないな。

 真田と猿飛は運命共同体も同然。

 そんなことは天変地異でも起きない限りはあり得ないのに。

 そう思いつつも「たぶん」と答えたオレに対して、幸姉はオレではなく冬の星が輝く夜空を見ながら「そっか」とポツリ呟いてから、トン。オレの肩に頭を乗せてくる。

 

「…………もう京夜も15歳なんだね。時が経つのは早いねぇ」

 

「幸姉だってもう18だ。武偵高に入学した頃と比べたら見違えたよ」

 

「それはこっちの台詞。京夜ったらどんどん大きくなるから、お姉さんちょっと嫉妬してるんだぞ。愛菜みたいにおっぱいがもう少し大きくなれば、京夜を悩殺できたのに……」

 

 胸の大きさなんて関係なく、幸姉のことは好きだよ。

 とは本人を目の前にして死んでも言えなかったので、「幸姉には幸姉の良いところがある」と言ってそれとなくフォローしておく。

 

「うん、ありがと京夜。よし! 良い感じでクールダウンしたかも。これなら眠れそうかな」

 

 そこまで話してから幸姉は、突然毛布を脱ぎ捨てて勢い良く立ち上がると、クルッと軽いステップを踏んでオレの正面に回ると、その身を屈めて何の溜めもなしにいきなりキスをしてきた。

 あまりに予想外な行動だったため、キスされたことを自覚した頃には、もう幸姉は登ってきた脚立のそばまで移動していて、そこでもう1度オレに向き直って、輝く満月をバックに衝撃的な言葉を放った。

 

「好きよ……世界で一番……」

 

 あまりに衝撃的。

 夢のようなその言葉に、オレの思考は完全に停止する。

 告白? いや、主として従者へと向ける愛情を言葉にしただけだろう。

 きっとそうだ。そうに違いない。

 じゃなければあの高嶺の花とも呼べる幸姉が、オレに対してそんなことを言うはずがない。

 そんなオレの状態を知ってか知らずか、幸姉はそのあと恥ずかしそうに「おやすみなさい」とだけ言って脚立を降りていき、家の屋根に1人残されたオレは、しばらく呆然と座っていることしかできなかった。

 当然その夜はそれ以降、部屋のベッドに戻っても寝付けるはずもなく、去り際に幸姉に言われた言葉を頭の中で延々とリピートしていたのだった。

 翌朝。

 完全に無心になってようやく眠ることができたオレが、いつも体が起きる時間に目を覚まし、いつも通りに朝練をしているであろう幸帆のいる道場へと向かおうと家を出たところで、バッタリとその幸帆と出くわすが、その幸帆の表情が何やら酷く焦っている色をしていて、目には涙が溜まり今にも溢れ出しそうになっていた。

 

「京様! 姉上が……姉上が……」

 

「……幸姉がどうした!」

 

「姉上が……いないんです……家のどこにも……どこを探しても……」

 

 この日。2008年1月11日に、オレがずっと付き従ってきた主、真田幸音は、誰にも何も告げることなく忽然とその姿を眩ませた。

 そこから丸々2日ほど、寝るのも休むのも惜しんで京都中を駆け回っていたらしいオレは、幸姉の失踪を知らされた月華美迅のみんなによって、半ば強制的にその行動を止められて身柄を拘束された。

 その間の記憶は酷く曖昧となっていて、聞いた話では涙を流しながらボロボロになって街を走り回っていたらしい。

 幸姉の部屋は、そのままにされた状態でそのほとんどが残っていて、机には長年使っていた携帯と、武偵高の退学届けがポツリと置かれていたが、そこから得られる情報だけではあの雅さんでも何かを特定できるようなものは出てこなかった。

 身柄を拘束されたあと、精神状態が非常に不安定になっていたオレを献身的に介護してくれたのは月華美迅の皆さん。

 逆にそんなオレを追い詰めてきたのは、幸姉という重大な存在を失った真田だった。

 真田は幸姉失踪からわずか3日で捜索を打ち切り、一同を介した話し合いの結果『幸姉が当主となることを放棄した』との判断を下して、ほとんど勘当に近い形で幸姉を真田から切り離した。

 さらにその従者であったオレも『主の愚行を止められなかった落ちこぼれ』として猿飛の家から勘当されてしまい、オレは精神状態が不安定な状態に加えて、帰るべき家まで失っていた。

 真田の決定は絶対。立場の弱い幸帆はもちろん、その真田に従ずる猿飛にもそれを覆すだけの力は与えられていないため、オレと幸姉の勘当はもう揺るがない。

 名家故の汚名の排除が出た結果だろう。

 

「エエ機会どす」

 

 それら全ての出来事をざっと整理して、とりあえず愛菜さんの家に厄介になっていたオレが、ようやく頭を働かせることができるようになったタイミングで月華美迅全員が集まった中、眞弓さんはいつもの調子で話を切り出してきた。

 

「京夜はんは家から勘当受けて京都におるのも息苦しい立場になりました。おまけに幸音はんの失踪で今までやってきた役割も破棄され、帰る家もない。そうなると新しい居場所を見つけなあきまへん。雅」

 

「ミッちゃんとユウたんに話は通したで。一応京都武偵高からの推薦で通せそうやて」

 

「そういうわけで京夜はんには春から東京武偵高の方に移動してもらいます。あそこなら学生寮もありますし、京都からも離れられます。おまけに稼いで食っていけるだけの実力もありますから、どうにかなりますやろ」

 

「あかんよ眞弓! それやと簡単に京ちゃんに会えなくなってまうやんか!」

 

 淡々と進む話の中で、オレの上京に異を唱えたのは愛菜さん。

 しかしその愛菜さんに鋭い視線をぶつけた眞弓さんは、怯んだ愛菜さんに扇子を向けて話を続けた。

 

「エエ機会言うたのはそれどす。ウチらはこれまで、少なからず幸音はんと京夜はんの力を借りて依頼を解決しとります。やけどこれから先、そないな甘いこともしとれまへん。依存言うたらわかりやすいどすな。特に愛菜はんは京夜はんに対する依存が酷い。病気言うてもエエどす」

 

 そんな指摘に愛菜さんは沈黙。

 千雨さんや早紀さんも何も言わずに眞弓さんの話を受け止めているようだった。

 

「遅かれ早かれどうにかしよ思てた案件でしたさかい、ここはみんなで京夜はんを送り出してあげましょ。エエどすな、愛菜はん」

 

「…………京ちゃんが東京行く直前までは、家で預かるで。それで手打ちや」

 

「エエ返事どす。京夜はんはこれからが大変どすが、まずは1人で立てるように専念してください。それができたら次は歩いてみましょ」

 

「…………はい……」

 

 それから約1ヶ月間、愛菜さんの家でお世話になったオレは、なんとか精神的に安定した状態にまで回復してから、3月の半ばに愛菜さんの家を出発して、新たな地、東京へと向かうために新幹線へと乗り込んでいった。

 出発の際、泣きながらに見送ってくれた愛菜さんや眞弓さん達には感謝してもしきれない恩を感じつつも、愛菜さんの家に自分の携帯を置いていっていた。

 それはオレなりの再起する決意の表れ。眞弓さんの言うように、オレも愛菜さん達に依存してはいけない。簡単に頼ってはいけない。

 もうオレは『真田幸音』という支えなしに立って歩かなければならないのだから。

 ――そんな決意と共にやって来た東京武偵高で、オレは新たな出逢いを果たすことになる――

 

 

 

 

「お前、本気を出したら強いんじゃないか? この試験会場にいた中で一番厄介な感じがしたよ」

 

 

 

 

「おーおー暗いぞキョーやん! さぁ! まずは理子りんを見習って笑ってみようや!」

 

 

 

 

「ランクなんて気にすんなよ。あんなの飾りだ飾り。俺なんて気が付いたら免停食らってるんだぜ?」

 

 

 

 

「猿飛君って、普通の高校とかだったら絶対にモテるよね。武偵高は実力主義なところがあるから難儀だけど」

 

 

 

 

「レキです。では私は京夜さんとお呼びします」

 

 

 

 

「や、やったよ猿飛くん! キンちゃん様が私の料理を美味しいって言ってくれたよぉ!」

 

 

 

 

「おおー! 珍しい人からの発注なのだ! 報酬を弾んでくれるなら、良い仕事するのだ!」

 

 

 

 

「猿飛殿、その身のこなし、見事にござる!」

 

 

 

 

「猿飛京夜……先輩ですか。私、武藤貴希っていいます!」

 

 

 

 

「理子お姉様から離れなさいですの! この腐れ外道が!」

 

 

 

 

「ん? 君はどこかで1度あったことがある気が……いや、気にしないでくれ。きっと私の記憶違いだろう。男など見た覚えがあるはずないのだから」

 

 

 

 

「お前さぁ、魔剣っていう超偵を誘拐する犯罪者を知ってるか? こいつを追えば、お前の探してるやつも探せるかもなぁ。なぁに、断ればお前は晴れてSランク武偵の仲間入りするだけだ」

 

 

 

 

 ――そして物語は、高校2年の始業式の日に、大きく動き始めた――



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極東戦役編
Bullet44


 修学旅行Ⅰも終わり、無事にチームの登録を完了させたオレは、修学旅行Ⅰの後に来た連休を比較的のんびりと過ごしていた。

 オレが修学旅行Ⅰから帰ってきてから、今までより妙に頑張るようになった戦妹の小鳥が武偵として少し良い顔になったことが気になったが、何かあったのかと聞いても「秘密です」の一点張りなので、もう諦めた。

 調べようにも『民間の依頼』をこなしたことくらいしか出てこなかったしな。

 それしか出てこない辺りがまた怪しいが、きっと小鳥にとって価値ある依頼であったことは表情からもうかがえたから、オレも戦妹の成長を素直に嬉しく思った。

 そうしてゆっくり過ごした連休の最終日。9月19日の夕飯時に、事は起こった。

 いつものように小鳥が夕飯を作っていた時に、誰とも見当のつかないチャイムが鳴り、それにオレが対応して玄関のドアを開けると、そこには……

 

「お、お久しぶりですね、京様」

 

 若干青みがかった長い黒髪がひと際目を引くオレの元ご主人の妹、真田幸帆が『防弾制服』を着て丁寧なお辞儀をしてきた。

 な、なんで幸帆が……

 

「あ、明日から私もこちらの学校に編入が決まりましたので、教務科より京様の住居をお聞きして訪ねさせていただきました」

 

「…………いや、それはいいんだが……いや、良くないんだけど……あー! 何から聞けばいいんだよ! 突然すぎるわ!」

 

 そんなオレの混乱を表す叫びに、ビクッと肩を跳ね上げた幸帆と、キッチンからの「きゃっ!」という小鳥の声を聞き、我に返ったオレは、とりあえず幸帆を中へと通して状況を整理しに入……ろうとしたのだが、リビングに入った幸帆は、キッチンから出てきた小鳥を視界に捉えると、ピシリ、と音がしたような錯覚がするほどの挙動で立ち止まり表情も固まる。

 

「……あれ? 幸音さん? じゃ、ないですよね……」

 

 幸帆を初めて見た小鳥は、そこで一瞬幸姉かと思ったようだが、すぐに違うことがわかりオレに視線を向けてきて、固まっていた幸帆もギチギチと首を回して顔をこっちに向けてきた。

 幸帆、お前は幸姉から聞いたりしてないのかよ……

 

「あー、幸帆。こっちはオレの戦妹の橘小鳥。簡単に言うなら師弟関係の先輩後輩。んで、こっちが幸姉の妹の真田幸帆。歳は小鳥と同じだ」

 

 そうやって互いの簡潔な自己紹介をオレがしてやると、2人は互いの顔を見合ってから、流れとしてとりあえずの握手を交わす。

 

「あの、京様。橘さんの立場はわかりましたが、こちらは男子寮ですよね? それなのにどうして橘さんは普通にお邪魔しているのでしょうか」

 

「わ、私は京夜先輩の戦妹としてせめてもとここで身の回りのお世話をさせていただいていて……」

 

「身の回りのお世話を……そ、それってつまりど、同棲!? 京様! こんなことを認めている理由はなんですか!」

 

「いや、理由も何も別に含むところとかは一切ないし……ああ! ちょっと2人で話してろ! 幸姉と話してくる!」

 

 次々と質問が飛んでくるので、幸帆を落ち着かせる意味でも1度小鳥と2人きりにして、ベランダへと出たオレはすぐに幸姉に電話をした。

 

『どうしたの京夜。も、もしかしてこ、声が聞きたかった、とか?』

 

 開口一番にそんなことをもごもご言う幸姉は、確実に『乙女』だとわかったが、今はどの幸姉でもいい。

 

「どうもこうもない。幸帆だよ幸帆。今オレの部屋に来てるんだけど、何でこっちに来てるんだよ。しかも明日から東京武偵高に通うって……」

 

『それは幸帆が自分で決めたことよ。武偵になることも、そっちの武偵高に通うこともね』

 

「それならそれで身の回りの情報くらい教えてやってほしかったよ。いま質問攻めで大変な目に遭ったんだからな。いや、現在進行形だけど……」

 

 言いながらリビングで小鳥と言い合っている幸帆を見るが、まだ軽い興奮状態っぽくて小鳥に迫っていた。

 

『幸帆から聞いたのよね? 私と幸帆がそんなに良好な関係じゃなかったって。私は選択肢を与えてはあげたけど、まだそれで仲良し姉妹とはいかないの。あの子との関係も、これからなのよ』

 

「だから2人でゆっくり話ができなかったって? はぁ……わかった。幸帆の件はもういいよ。それで一応確認しとくけど、誠夜は来てないよな?」

 

『誠夜にも選択肢を与えたんだけどね。あの子は猿飛のお役目に誇りを持ってるみたいで、結局私の従者になっちゃった』

 

 よ、良かったぁ。

 これで誠夜までこっちに来てたら、面倒臭いことになってたからな。

 学校で「京様」に加えて「兄者」なんて呼ばれたらオレが死ぬ。

 

「誠夜に言っておいてくれ。『猿飛は任せた』って」

 

『じゃあ私からもお願いね。妹を頼みます』

 

「頼まれた。それじゃ」

 

『いつでも帰ってきてね。あなたの帰る場所は、東京武偵高だけじゃないから』

 

 最後に優しい声でそう言った幸姉に、短く一言で返したオレは、それから通話を切って携帯を閉じて、ベランダからリビングへと戻る。

 そこではようやく状況の整理が終わったらしい幸帆と、質問攻めでくたっとした小鳥が同時にこちらを向いてきた。

 ――ピンポーン。

 そんなタイミングで、またしても部屋のチャイムが鳴り響き、一応の正規住人であるオレがそれに応じて玄関の扉を開けると、そこには……

 

「君が猿飛京夜で間違いないな?」

 

 肩甲骨辺りまで伸ばした黒髪をひとまとめにした髪型に、蒼色の瞳をしたロングコートの中性的な容姿と声の男がそこに立っていて、いきなりそんな確認をしてきた。

 その男の近くには、何やら多めの荷物まである。

 

「そうだが、お前は誰だ?」

 

「ロンドン武偵局から東京武偵高に留学に来た、羽鳥・フローレンスだ。今日からこちらの部屋で同居することになった。専門は尋問科だが、担任の綴先生がこの部屋は学科は関係ないと言って案内された次第だ」

 

 確かにこの寮は本来は階ごとに学科が分けられる学生寮で、この階は強襲科の生徒達がいるため、諜報科のオレがいるのも変な話だったが、この部屋だけはその例外らしいことは入寮前に聞いていた。

 おそらくこういった転入受け入れ時にすぐに提供できるようにしているのだろう。

 オレもこっちへの編入はかなりギリギリだったからここに入れられたし。

 

「ロンドン武偵局。アリアと顔見知りだったりするのかね」

 

「アリアとは共に欧州の治安を守った仲間だ。聞けばこの下の部屋がアリアの拠点の1つらしいね。それはそうと、まずは部屋に通してはくれないか? 日本人は玄関で立ち話をするのが普通なのかい?」

 

 言われて確かにと思ったオレは、羽鳥を部屋に通して、置かれていた荷物も少し気を遣って中に入れてやった。

 よく考えたら羽鳥の言葉に少しトゲがあったが、イギリス人ならと特に気にしなかった。

 

「あれ!? フローレンスさん!?」

 

「やぁ小鳥ちゃん、ちょっとぶりだねぇ。いつ見ても可愛らしい」

 

 荷物をオレに任せてスタスタとリビングへと入っていった羽鳥は、そこにいた小鳥と何やら親しげな会話をする。

 なんの繋がりだ?

 

「おや、こちらのお嬢さんは大和撫子を思わせる美人だね。お名前は?」

 

「さ、真田幸帆、です」

 

「ご丁寧にどうも。私は羽鳥・フローレンスという者です。何か困ったことや悩みごとがあれば、いつでも私を頼ってくれて構わないよ」

 

 そう言い切った羽鳥は、キザっぽくウィンクなんてしてみせたが、なんか不知火をキザにした感じだな。HSSのキンジにも似てるか。

 幸帆も「は、はぁ……」などと言って微妙な反応。

 

「ど、どうしてフローレンスさんがこちらに? 確かロンドン武偵局に帰られましたよね」

 

「なんか留学してきたんだと。んで、今日からここに住むらしい」

 

「小鳥ちゃんはここでこの戦兄と一緒に住んでるんだよね。それはラッキーだ。私としては男と2人きりなんて耐えられたものじゃなかったからね。何かの拍子でショック死も有り得たよ」

 

「だったら男子寮なんか入るなよ……」

 

「あまり贅沢できる身分じゃないんだよ。元々裕福な方でもない。それより手続きやら何やらに追われてまだ食事を終えていないんだ。先ほどからキッチンから良い匂いがして胃を刺激してくる」

 

 結構身勝手なことを言いながら着ていたロングコートを脱いでソファーにかけて黒スーツになった羽鳥は、それでキッチンの方へとフラフラと歩いていき、そういえば食事がまだだったことを思い出した小鳥があわただしく盛り付けを始めたが、やはり2人前しか作っていなかったせいで、幸帆と羽鳥の分がなかった。

 仕方ないから幸帆の分はオレのをあげて、オレと羽鳥でコンビニでも行って弁当を買ってこようとしたら、その羽鳥は小鳥の料理が食べたいと駄々をこねたので、結局2人分を4人分に分けて少し物足りない夕食を食べたのだった。

 その夕食時、4人がけのダイニングテーブルで小鳥の隣に座った羽鳥が料理に舌鼓を打ったり、小鳥が作ったと聞いてその味にむむむ、とか難しい顔をするオレの隣の幸帆。

 羽鳥は羽鳥でハーフか何か知らないが、その日本人の血のおかげか普通に箸を使うの上手いし、幸帆は綺麗な姿勢で上品な食べ方。

 なんかこっちまで姿勢良くしないといけない錯覚を覚えてしまう。

 

「それで、幸帆はどの学科を専攻するんだ? 強襲科とか言ったらひっくり返るぞ」

 

「はい。以前京様があまり武器を持ってほしくないと言ってくださったので、後方支援(バックアップ)系の学科を考えています。候補としては情報科と通信科と救護科でしょうか」

 

「情報科ならジャンヌが先輩にいるな。通信科は中空知。救護科は、これって人とは仲良くないな」

 

「救護科なら私がイギリスで履修していたよ。必要なら手取り足取り教えることも可能かな」

 

「尋問科が専門で救護科の経験って、なんか危険な匂いがするな」

 

「ふふっ、どうかな」

 

 オレと幸帆の会話に割り込んできた羽鳥は、そう言って幸帆にちゃっかり自己アピールをしてみせ、オレの返しに対しても平静にではあるが、しかし何かを匂わせるように答えた。

 さすが尋問科。感情のコントロールは心得てる。

 尋問科と救護科。考えすぎでなければ、人間の『心と体』を学んだということ。

 そこに尋問科の履修項目の中にあるかもと密かな噂である『拷問』なんてものが加われば……

 そんなオレの考えを見越した上で肯定とも否定とも取れない反応で平然と返してきたのなら、こいつは非常に面倒臭い。

 人間として綴に次いで面倒臭い。

 

「幸帆さんはどこのクラスに編入なんですか? あとフローレンスさんも」

 

「私は1年A組と言われました」

 

「私は2年B組とは言われたけど、一般教科でクラス分けをするなんて、日本は変わっているね」

 

「学科間でのコミュニティーを充実させるって意味合いもあるらしいからな。徹底した学科別授業だと、他の学科と壁ができたりとかもあるんじゃないか?」

 

 よく知らないけどな。

 そんな答えでも羽鳥はふむふむと独自の考察をしているようで、幸帆もなるほどと手を合わせた。

 しかし料理を半分にしたおかげですぐに食事も終了。

 挨拶だけに来ていた幸帆もそのあとすぐに女子寮へと帰っていき、羽鳥も自分の荷物の荷ほどきをするために、空き部屋の1室を使用。

 元々4人用の居住スペースだから、小鳥が勝手に使ってる部屋を除けばあと1つ空き部屋があるわけだが、そこはずいぶん前から理子のやつが私物を持ち込んでしまっている。

 いま現在羽鳥が使っているのは、以前まで幸姉が使っていた部屋だ。

 それで小鳥が夕飯の後始末をして、オレが美麗達とリビングのソファーでのんびりしていると、荷ほどきの途中なんだろうが、黒スーツを脱いで少し気崩したYシャツ姿となった羽鳥が、リビングへとやって来た。

 

「寝室はどこだい? あと浴室使用の順番とかあったりするか?」

 

「寝室はそこの扉の先。2段ベッドが2基あって、左下が小鳥。右下がオレ。上両方が空いてる。浴室の使用に順番とかないけど、トラブル防止用に浴室使用中は洗面室も入らないようにしてる」

 

 それを聞いた羽鳥は、まず寝室の扉を開けて中を確認してから、次に浴室と洗面室の造りを確認。またリビングに戻ってきた。

 

「寝室にある床扉はなんだい?」

 

「アリアのやつが勝手に開通させた非常用扉。下の寝室と繋がってる」

 

「君、まさか悪用なんてしてないよな?」

 

 ジト目で見てくる羽鳥だったが、別にいつも下の部屋でアリア達が寝泊まりしてるなんてことないし、あの双剣双銃様や武装巫女様や悪友に夜這いかけるほど命知らずではない。

 むしろ悪友なんて襲撃してくる。

 だからそんな羽鳥の視線を軽く無視して「するか」といった雰囲気で追い払った。

 それをしっかり読み取れる辺りはこちらも楽だが、気を許せる相手でもないから結果的にやはり面倒臭い。

 そのあとは羽鳥がことあるごとに小鳥に話しかけて色々とやっていたが、それ以外は何事もなく時間が過ぎて、小鳥の上のベッドを使用することにした羽鳥を加えた面子でその日は床に就いたのだった。

 翌日。

 起きてみれば、朝から羽鳥が朝食を作る小鳥にペラペラとどうでもいいことばかりを言って話しかけていたが、とりあえず無視して朝食をパパッと食べて登校の準備をしていった。

 もはや日常となっている小鳥が先に寮を出る習慣で、羽鳥まで一緒に出ようとしたのを止めて、ここが男子寮であることを改めて説明してから、少し遅れて羽鳥を寮から出す。

 一応小鳥がここで暮らしてるのは不正だ。

 綴にはバレて……というか最近はこの第3男子寮黙認の事実になってそうで怖いが、キンジのところも似たようなもんだし、文句を言われたこともないからいいか。戦妹だしな。

 そうして最後に寮を出たオレは、登校時間ギリギリで2年A組の教室に滑り込んだのだが、教室にはアリアがいなかった。

 キンジ談ではどうやら母親のかなえさんの裁判関連で駆け回っているらしい。

 チーム登録もまだらしいけど、大丈夫かアリア。レキも確かまだ見つかってないとかって話だろ。

 とまぁ、他人の心配などしてはみるが、別段なにができるということもないので至って普通に授業を受けた1時間目の終わりの休み時間。

 いきなり教室のドアを叩き開けて入ってきたのはB組のジャンヌ。

 何やら必死な形相でオレを見つけると、どすどすと近寄ってきて胸ぐらを掴んできた。な、なんでしょうか?

 

「何故『ダーク・レジデント』が東京武偵高にいる! しかも貴様と一緒の部屋だと?」

 

「なんだよ? 羽鳥のことか?」

 

「それ以外に誰がいる! 最悪だ……地獄と言っていい……」

 

 そう言ったジャンヌは胸ぐらから手を放してよろよろと床に座り込んでしまう。な、なんなんだよ……

 

「およ? 『闇の住人』がうちに来たの!? すげー! すげーよキョーやん!」

 

 その様子を見ていた理子がルンルンしながらジャンヌの肩をバシバシ叩いてそう言う。

 

「なんだよ? あいつそんなに有名なのか?」

 

「まぁねー。って言っても『理子達』が勝手に警戒してたってだけで、ジャンヌの言ってる地獄は別の意味だろうけどねぇ。くふっ」

 

 理子達、ね。イ・ウーメンバーが警戒するってよっぽどだろ。

 だがダーク・レジデント? 闇の住人? あいつの2つ名か?

 2つ名はアリアのように優秀な武偵に国際武偵連盟が公式に付ける世界的な通り名。

 アリアの双剣双銃もそれだ。非公式でも国によっては付けられてる武偵は少なくない。

 

「んで、何が地獄なんだよ。あいつがキザっぽいのは昨日ですでにわかってるが、それか?」

 

「そーだよキョーやん。あいつ欧州諸国じゃ筋金入りの『ナンパ野郎』なんだよ」

 

「しかもあれで女性には紳士的で容姿も整ってるとあって、意外にコロッと落ちる女性が多い。これは由々しき事態だ。私の部活の後輩が奴にたぶらかされないか今から心配なのだ……」

 

 そういうことね。アホらしい。そんなことでオレに噛みついてきたのか。というかオレに噛みついた意味がわからない。

 そして硬式テニス部はお前の所属してる部活であって、お前の部活ではないぞ。

 なんだか少し冷静さを欠いているジャンヌさんをこれ以上追い詰めるのもあれだったから口には出さなかったが、部活の先輩って立場も大変だな。

 そんなジャンヌと無駄にテンション高めの理子と少し話していると、またも教室に来訪者が。

 今度はオレが反応する前にボケーっとしていた武藤のやつが席から立ち上がり叫んだ。

 

「ゆ、幸音さん!? じゃ、ない?」

 

「ひゃあ! ゆ、幸音は私の姉、ですが……」

 

 武藤のその声に来訪者であった幸帆はビクッと身を縮めてから武藤にそう返して、それからキョロキョロと教室内を見回してオレを発見すると、静かに近寄ってきた。

 

「あの、京様。CVRという学科からお誘いがあったのですが、候補として加えてもよろしいですか?」

 

「いやいや、オレの許可とか必要ないだろ。だけどCVRはある意味強襲科より危険だからな。個人的には却下したいところ……」

 

 そこまで言って教室内が静まり返っていることに気付き周りを見ると、ジャンヌ以外のやつらが全員オレを見て固まっていた。

 キンジまで目を見開いてオレを見る。

 

「……なんだ?」

 

「キョーやん……今、京様って……」

 

 …………あ。

 というオレの声も、次に沸いたクラスメートからの声にかき消された。

 「京様ってなに!?」「女の子に様付けで呼ばれた!」「もしかして彼女!?」などなど、一瞬にして収拾がつかなくなった教室内。

 その光景に怖くなったのか、幸帆がオレの制服の袖を掴んできて、それによりまた教室内がざわつく。

 

「あ、あの! 京様は私の兄、のような人でその、個人的にお慕いしてると言いますかなんと言いますか……そ、そんな感じです!」

 

 クラスメートの視線にさらされて恥ずかしそうにしながらも、意を決したように叫んだ幸帆の言葉に、クラスメートも沈黙。

 

「おや? ここにいたのかいジャンヌ。授業終わりにすぐに出ていくから探したじゃないか」

 

 そこでまた面倒なやつ、羽鳥・フローレンスが空気を読まずに教室にやって来て、心底嫌そうな顔をするジャンヌを見て、近くの理子と幸帆を見て、最後にオレをひと睨みしてから近付いてきた。

 

「寄るな! 私は貴様が嫌いだ!」

 

「私はハッキリ嫌いだと言われると逆に好かれるために頑張る性格でね。幸帆ちゃん、おはよう。こちらのお嬢さんもキュートで可愛らしい」

 

 うぜぇ。あの理子ですらさっきまでのハイテンションがどこかへ行ったようだ。

 しかしそれでもウケる女子にはウケるようで、またも教室内は軽いパニック状態に。

 見知らぬ顔が2つも揃ったことで、その2人に殺到する形となり、壮絶な質問地獄が始まり、オレと理子、ジャンヌはその荒波に弾き出されてしまった。

 その荒波の中で幸帆が必死にヘルプしていたが、まぁ、頑張れ。これより大変なことが起こる道をお前は選んだんだからな。

 そのあと授業開始のチャイムが鳴っても事態が収拾されず、騒ぎを聞きつけた蘭豹がやれややれやとさらに煽ったり、オレにまで質問地獄が押し寄せたりと騒がしいを通り越したちょっとした騒動となり、そのまま2時間目の授業終了まで、2年の教室は騒がしいままだった。

 こんなことが許されるなんて武偵高以外有り得ない。というか蘭豹、止めろ。

 その後の学校では幸帆を『妹属性の転入生』とか『大和撫子の美少女』。羽鳥を『微笑みの貴公子(プリンス)』とか『王子2号』とか変な呼び名がたちまち広まって、幸帆と羽鳥は1人になる時間がなかったらしい。

 なぜ羽鳥が王子2号なのかは、ブラドである小夜鳴が講師の時に女子からそう呼ばれていたからだが、どうでもいいな。



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Bullet45

 

 幸帆と羽鳥の武偵高への転入から一段落した9月30日。

 キンジ達もチーム登録最終日、23日の直前申請(ジャスト)で、キンジをリーダーに、アリアをサブリーダーとして、そこに白雪、理子、レキを加えたチーム『バスカービル(Baskerville)』を滑り込みで登録完了させたことを聞き、かなえさんの裁判の準備が整ったことも聞いた。

 レキはあのエクスプレスジャックの後から直前申請までの間、ずっと京都にいたらしく、その時間を療養に当てていたとか。

 そんなレキと直前申請後に1度顔を合わせたが、以前と変わったような、そうでないような、つまりよくわからないレキだったが、ただオレに一言「ありがとうございました」と言ってきた時の表情は、少しだけ感情がこもっていた気がした。

 しかし良いことばかり起きるはずもなく、新しく同居人となった羽鳥は、転入してから毎日のように小鳥を口説くし、夕飯までの時間に女子生徒を部屋に連れて来ることもあって、オレが部屋で落ち着かないことが増えた。

 そんな日は夕飯までの時間を外で過ごすようにし始めたオレは、今まで以上に煌牙に小鳥のガードを強化するよう指示しておき、つい先日に情報科を履修することを決めた幸帆の住む第3女子寮を第2の拠点として入り浸り始めていた。

 ここにはジャンヌと中空知が一緒の部屋で住んでいるから、チーム間での連携もそれなりに取れるため、結果的にプラスになってるのは喜ばしいことだが、オレの部屋と逆で男子が敬遠される場所。あまり長く入り浸るわけにもいかない。

 そんなわけで今日も羽鳥のやつが部屋に救護科の女子を2人連れ込むということをジャンヌから聞いていたオレは、放課後まっすぐに幸帆の部屋へと向かって現在くつろぎ中。

 女子寮は個室率が高いので、幸帆の部屋には同居人がいない。

 それが少し寂しいらしいが、そこは週に2回ほどオレの部屋に泊まりに来ることでまぎらわせるらしい。

 そうでなくてもクラスメートから人気もあるらしく、寮生同士でお泊まり会なども予定してるとか。まぁ仲良くやれているなら何よりだ。

 

「失礼する、幸帆」

 

 それでリビングのソファーで幸帆とまったりくつろいでいると、突然チャイムもなしでジャンヌが来訪してきて、隣にいた幸帆が有り得ない挙動でソファーから飛び上がって対応。

 

「ジャ、ジャンヌ先輩! 入るならチャイムくらいは……」

 

「む、猿飛もいるからくつろいでいると読んでいたが、何か問題があったか? だとしたらすまない。次からは配慮しよう」

 

「べ、別に問題はないですけど……もう! お茶淹れてきます!」

 

 何故か言葉を濁した幸帆は、少し怒りながらキッチンの方に引っ込んでしまい、その様子をはて? と思いつつもジャンヌがオレの近くのソファーに座って用件を述べる。って、オレに用かよ。

 

「猿飛、今夜0時に『宣戦会議(バンディーレ)』が行われる。その場にお前を連れていくことを真田幸音と取り決めていたことを羽鳥のおかげですっかり忘れていた。だから今夜は空けておけ」

 

「……いや、今夜は別に問題ないからいいけどさ、宣戦会議ってなに?」

 

「ふむ、何と聞かれると、ここには幸帆もいるからな、滅多な言葉では言えないが、要は『開会式』だ」

 

 開会式って……運動会でも始まるのか?

 とは思ったが、ジャンヌが言葉を選ぶということは、おそらくイ・ウーやそれ関連の物騒な話なのだろう。

 

「あ! 忘れてました!」

 

 ジャンヌの説明に難しい顔をしていたオレは、お茶を淹れてきた幸帆のそんな声に振り向くと、幸帆はジャンヌにお茶を渡してから、パタパタと自室へと入っていき、すぐに戻ってくると、オレに2つ折りされたメモと封のしてある白封筒を渡してきた。

 

「あの、姉上から京様に渡すように言われていたものです。なにぶん慌てて出てきたもので、今日まで忘れてましたけど、宣戦会議と聞いて9月中に渡すように言われたことを思い出して……すみません!」

 

 そうやってペコペコ頭を下げてくる幸帆をとりあえず落ち着かせて、渡されたメモを開くとそこには「この手紙を宣戦会議で藍幇の大使に渡しておいて。わからなかったらジャンヌに聞くべし! よろしく!」と可愛らしいフォントで書かれていたが、内容が危険臭漂いまくっている。

 そのメモをジャンヌに渡すと、ジャンヌはふむと1拍考えてから話をした。

 

「これで行かない理由もなくなったわけだ。しっかり任された仕事をこなせ。移動手段は私が準備する。待ち合わせ時間はあとでメールしておくから必ず来い。それから武装を忘れるなよ」

 

 そうしてスラスラと事務的に述べたジャンヌは、それで幸帆が淹れたお茶をグビッと飲み干して部屋から出ていき、それだけのためにここに来たのかとオレも幸帆も顔を見合って目をパチクリさせたのだった。

 幸姉に頼まれては仕方ない。

 そう思い込むことでジャンヌとの約束通りの時間。

 夜11時30分にレインボーブリッジ寄りの学園島の端。そこに行ってみると、そこにはいつかの地下倉庫での戦いで着ていたものより重装の西洋甲冑と聖剣デュランダルを装備したジャンヌが、海に小型のモーターボートを浮かべて待っていた。

 

「時間もない。早く乗れ。操縦もしてもらうぞ。行き先は空き地島の南端、曲がった風車の下だ」

 

「了解。それよりジャンヌ。そんな重装備だけど、まさか派手なドンパチが起こったりしないよな?」

 

「保証はない。もしそうなった場合は、迷わず逃げろ」

 

 じゃあ今逃げます。とは言えないか。

 オレの内心を知らないジャンヌは、言ったあとモーターボートの上に乗って早くしろと促してきたので、この場での逃走を諦めてボートに乗り込み、ジャンヌの指示通りにボートを動かしていった。

 レインボーブリッジを潜って辿り着いた空き地島の4月のハイジャックでキンジが飛行機をぶつけて曲がった風車の下には、さっきまでなかった濃霧が立ち込めており、まるでこの辺一帯を覆い隠すように発生していることから、何か人工的なものを感じていた。

 そしてジャンヌは辿り着いたその場でデュランダルをザンッ!

 地面に突き刺して、その柄頭に両手を添えて立って見せた。

 

「京夜さん。あなたも来たのですか」

 

 ジャンヌの様子に気を取られていると、不意に風車のプロペラの上から声がして、そこを向くとプロペラに腰掛けたレキの姿があった。

 いや、レキだけじゃない。

 今まで警戒レベルをだいぶ落としていたから気付かなかったが、気配を探ればこの場にいくつかの気配があった。

 中には殺気のようなものを放つ気配もある。

 

「ふんふん。おお! 誰かと思えば真田の娘についとったガキか」

 

 そうして警戒レベルを上げた矢先、足下からそんな声がしてそちらを見ると、そこには藍色の和服を着たアリアより小柄な女の子がいて、その切れ長の目と長いキツネ色の髪。そして頭には2本のキツネ耳が。

 

「玉藻……様?」

 

「如何にも。しかし猿飛の。お主はいい匂いがするのぅ。以前はそんなこともなかった気がするがの」

 

 子供のような見た目のこの玉藻という子は、オレが9歳の時。幸姉が12歳の時に1度だけ会ったことがある、正真正銘の『化生』、天狐の妖怪である。

 他に『伏見』という同類にも京都で会っているが、あの頃はオレもガキだったからな。話半分で『変な人』という括りで納得していた。

 

「いい匂いって、動物に好かれるような匂いですかね?」

 

「これ! 儂を動物と同類にするでない! しかしまぁ、動物に好かれるような匂いというのは的を射てるの」

 

 2度目の顔合わせということもあり、どう接したものかと考えながら、とりあえず丁寧語にはしてみたが、端から見たら子供に対して頭が低い高校生の図だ。嫌だなぁ。

 しかしそれで気を緩めるわけにもいかない。

 周りにはひと癖もふた癖もありそうなやつらがいる。こうしてオレと普通に話す玉藻様の強心臓が羨ましい。

 現に姿の見えるジャンヌもレキも一切の気の緩みを感じない。

 

「む、来たようじゃな」

 

 そこで話をしていた玉藻様が何かを察して後ろを向くので、オレもそちらに目を向けると、そこから霧を抜けてキンジが姿を現した。

 

「なんだ、猿飛もジャンヌに呼び出されたのか?」

 

「個人的な用件もあるんだよ。半ば強制だったけど」

 

 猿飛もときたか。

 どうやらキンジもこの場に来ることを決められていた感がある。

 オレと同じでこれから何が起こるのか知らない雰囲気も醸し出している。

 

「――まもなく0時です」

 

 そんなキンジの様子を確認し終えた頃に、不意にレキが時報のように声を発した。

 ――パッ――

 そしてその時刻が0時を告げた瞬間。

 曲がり風車を大きく円形に囲むように、複数のライトが灯り、その光の中にいくつかの人影が霧の中に浮かんだ。

 その影の姿形は、人影ばかりではない。明らかに巨大メカと思われる影や、魔女っぽいシルエット、何やらクネクネと体を動かすピエロのようなやつ。

 様々な影があるが、そのどれもが危険だと本能が警鐘を鳴らす。

 しかし臆せばこの場ではたちまち潰されてしまう。腹、括るしかないか。

 

「――先日は藍幇(うち)曹操(ココ)姉妹が、とんだご迷惑をおかけしたようで。陳謝致します」

 

 オレが大きな息を飲んだあと、その影の1つが1歩前へ出てオレ達にお辞儀をしてきた。

 そいつは眞弓さんみたいな細い目に張り付いたような笑顔と丸メガネをかけて、中国の民族衣装を着た男だった。

 なるほど。あれが藍幇の大使か。

 続いてそいつの近くの地面で、ゾゾゾ、と黒い影がうごめいているのが見え、その影はズズズ、と人の形を成して地面から起き上がった。

 

「お前達がリュパン4世と共に、お父様を斃した男か。信じがたいわね」

 

 這い上がってきた影は、白と黒を基調としたゴシック&ロリータ衣装に身を包んだ金髪ツインテールの少女で、手には夜なのにフリル付きの日傘が持たれていて、その背にはコウモリのような形の大きな翼が生えていた。

 他にもデカイ十字架のような大剣を背負った白い法衣を着たシスターもいて、1人1人がリアクションに困らない存在感を放っていた。

 その傍らで、玉藻様が動揺するキンジに近寄ってなだめるが、次に現れたのは、きら、きら、と砂金を舞い上がらせて登場を演出してきた、砂礫(されき)の魔女パトラと、大鎌を担いだキンジのお兄さんのカナ。

 それで今まで黙っていたジャンヌが、役者は揃ったとでも言わんばかりに一同を見回して語り出した。

 

「では始めようか。各地の機関・結社・組織の大使達よ。宣戦会議――イ・ウー崩壊後、求めるものを巡り、戦い、奪い合う我々の世が――次へ進むために(Go For The Next)

 

 そんなジャンヌの声にこの場にいる全員がピリッとした気配を発したので、先程よりも警戒を強める。

 

「まずはイ・ウー研鑽派残党(ダイオ・ノマド)のジャンヌ・ダルクが、敬意を持って奉迎(ほうげい)する。初顔の者もいるので、序言しておこう。かつて我々は諸国の闇に自分達を秘しつつ、各々の武術・知略を伝承し――求める物を巡り、奪い合ってきた。イ・ウーの隆盛と共にその争いは休止されていたが……イ・ウーの崩壊と共に、今また、砲火を開こうとしている」

 

 …………ああ。これがシャーロックと幸姉の言っていた『これから』か。

 おそらくここにいるやつらは、闇の組織や表舞台に立たない集まりの代表。

 そしてこれから宣誓みたいなことをやるわけだ。案外律儀なんだな。

 

「――皆さん。あの戦乱の時代に戻らない道はないのですか」

 

 オレがこの集まりの目的について気付き始めた時、先ほど確認できたシスターが1歩前へ出てオレ達に語りかけてきた。

 霧から現れたシスターは、ふんわりした長いブロンドの髪と青い瞳に長いまつ毛、泣きボクロが印象的だった。

 顔以外はほとんど金糸の刺繍を施した純白のローブに包まれているが、その体は結構グラマーだ。

 

「バチカンはイ・ウーを必要悪として許容しておりました。高い戦力を有するイ・ウーがどの組織と同盟するか最後まで沈黙を守り続けた事で、誰もが『イ・ウーの加勢を得た敵』を恐れてお互い手出しができず……結果として、長きに渡る休戦を実現できたのです。その尊い平和を、保ちたいとは思いませんか。私はバチカンが戦乱を望まぬことを伝えに、今夜、ここへ参ったのです。平和の体験に学び、皆さんの英知を以て和平を成し、無益な争いを避ける事は――」

 

「――できるワケねェだろ、メーヤ。この偽善者が」

 

 メーヤと呼ばれたシスターのそんな言葉に割り込みをかけたのは、黒のローブにトンガリ帽子の右目に眼帯をしたおかっぱ頭の見るからに魔女な少女だった。

 

「おめェら、ちっとも休戦してなかったろーが。デュッセルドルフじゃアタシの使い魔を襲いやがったくせに。平和だァ? どの口がほざきやがる」

 

「黙りなさいカツェ=グラッセ。汚らわしい不快害虫。お前たち魔性の者共は別です。存在そのものが地上の害悪。殲滅し、絶滅させることに何の躊躇いもありません。生存させておく理由が旧約(アンティコ)新約(ヌオヴオ)外典(アポクリファ)含めて聖書(ビビア)のどこにも見あたりません。しかるべき祭日に聖火で黒焼きにし、屍を8つに折り、それを別々の川に流す予定を立ててやってるのですから――ありがとうと言いなさい、ありがとうと。ほら、言いなさい! ありがとうと! ありがとうと!」

 

 カツェ=グラッセと呼んだ魔女の反論に、急に人が変わったようになったメーヤは、物凄い剣幕で言い寄って、カツェのその首を絞めた。

 シスター……なんだよな……

 

「ぎゃははは! おゥよ戦争だ! 待ちに待ったお前ら(バチカン)との戦争だぜー! こんな絶好のチャンス、逃せるかってんだ! なぁヒルダ!」

 

 しかし首を絞められ吊り上げられてるカツェは、それをものともしない笑いで揚々と語り、今度は先程オレ達に話しかけてきたコウモリ女に話しかけた。

 

「そうねぇ。私も戦争、大好きよ。いい血が飲み放題になるし」

 

「ヒルダ……1度首を落としてやったのに、あなたもしぶとい女ですね」

 

 ヒルダと呼ばれた女がカツェに対してそう返すと、またもメーヤがそんな物騒なことを言い出すので、オレもキンジも呆れてしまう。

 

「――首を落としたぐらいで竜悴公姫(ドラキュリア)が死ぬとでも? 相変わらずバチカンはおめでたいわね。お父様が話して下さった何百年も昔の様子と、何も変わらない」

 

 敵意むき出しのメーヤに対して、ほほほっ、と指を口にあてがい笑いながらに語るヒルダ。

 そのヒルダを改めてよく見たオレは、腿までの丈のドレスと、その下に履くニーソックスの間の絶対領域から見える素肌に、白いイレズミのような模様を発見。それに見覚えがある。

 あれはブラドの弱点に刻まれていた模様と同じものだ。

 ということは、あの女も吸血鬼か。

 しかもさっきの発言からして、ブラドの娘の可能性がある。吸血鬼って子孫を作れるんだな。

 

「和平、と仰いましたが――メーヤさん?」

 

 ヒルダに続いて声を発したのは、藍幇の大使のメガネ男。

 男はこの場の空気などものともしない笑顔で淡々と語り出す。

 

「それは、非現実的というものでしょう。元々我々には長江(チャンジャン)のように永きに(わた)り、黄河(ホァンホー)のように入り組んだ因縁や同盟の(よし)みがあったのですから。ねぇ」

 

 そう話す藍幇の大使は、プロペラに腰掛けていたレキを見るが、レキは動かない。

 

「――私も、できれば戦いたくはない」

 

 そんな思い思いの言葉を聞いたジャンヌが、また一同を見回しつつ話を進める。

 

「しかし、いつかこの時が来る事は前から分かっていた事だ。シャーロックの薨去(こうきょ)と共にイ・ウーが崩壊し、我々が再び乱戦に陥ることはな。だからこの宣戦会議の開催も、彼の存命中から取り決めされていた。大使達よ。我々は戦いを避けられない。我々は、そういう風にできているのだ」

 

 ジャンヌの言葉により、皆がその運命を受け入れたような表情を浮かべると、話はいよいよ本題へ。

 今までのは前戯。大使同士がじゃれ合ったに過ぎない。そういうことらしい。

 

「では、古の作法に則り、まずは3つの協定を復唱する。86年前の宣戦会議ではフランス語だったそうだが、今回は私が日本語に翻訳した事を容赦頂きたい。

第1項。いつ何時、誰が誰に挑戦することも許される。戦いは決闘に準ずるものとするが、不意打ち、闇討ち、密偵、奇術の使用、侮辱は許される。

第2項。際限無き殺戮を避けるため、決闘に値せぬ雑兵の戦用を禁ずる。これは第1項より優先される。

第3項。戦いは主に『師団(ディーン)』と『眷属(グレナダ)』の双方の連盟に分かれて行う。この往古の盟名は、歴代の烈士達を敬う故、永代、改めぬものとする。

それぞれの組織がどちらの連盟に属するかはこの場での宣言によって定めるが、黙秘・無所属も許される。宣言後の鞍替えは禁じないが、誇り高き各位によりそれに応じた扱いをされる事を心得よ」

 

 今のジャンヌの言葉を要約すればこうだ。

 各組織が師団・眷属・無所属を宣言し、その組織の中心戦力をぶつけて戦う。

 その際に数でものを言わせるような戦いは認めない。

 師団から眷属へ。また眷属から師団への組織の移動も有り。

 しかしそれ相応の対応はされる。無所属もまた然り。といった感じか。

 

「続けて連盟の宣言を募るが……まず、私達イ・ウー研鑽派残党は師団となる事を宣言させてもらう。バチカンの聖女・メーヤは師団。魔女連隊のカツェ・グラッセ、それと竜悴公姫・ヒルダは眷属。よもや鞍替えは無いな?」

 

 ルール説明を終えたジャンヌは、続けて連盟の宣言に移り、先程のやり取りからメーヤやカツェ、ヒルダを勝手に分けて各々の表情を確認。

 

「ああ……神様。再び剣を取る私を、お赦し下さい――はい。バチカンは元よりこの汚らわしい眷属共を伐つ師団。殲滅師団(レギオ・ディーン)の始祖です」

 

「ああ。アタシも当然眷属だ。メーヤと仲間になんてなれるもんかよ」

 

「聞くまでもないでしょうジャンヌ。私は生まれながらにして闇の眷属――眷属よ。玉藻、あなたもそうでしょう?」

 

 メーヤ、カツェ、ヒルダと宣言に相違ないことを述べると、ヒルダは次にキンジの隣にいた玉藻様を名指しして尋ねる。

 その玉藻様は1歩前へ出てヒルダへと向き答えた。

 

「すまんのぅヒルダ。儂は今回、師団じゃ。未だ仄聞(そくぶん)のみじゃが、今日の星伽は基督(きりすと)教会と盟約があるそうじゃからの。パトラ、お主もこっちゃ来い」

 

 師団に属すると答えた玉藻様は、今度は近所のガキを呼ぶような気軽さでパトラに話しかけて師団に属するように言う。

 

「タマモ。かつて先祖が教わった諸々の事、妾は感謝しておるがのぅ。イ・ウー研鑽派の優等生どもには私怨もある。今回、イ・ウー主戦派は眷属ぢゃ。あー……お前はどうするのぢゃ。カナ」

 

「創世記41章11――『同じ夜に私達はそれぞれ夢を見たが、そのどちらにも意味が隠されていた』――私は個人でここに来たけれど、そうね。無所属とさせてもらうわ」

 

 次々と連盟宣言が成されていく中、カナ。金一さんだけが初めて無所属を宣言。

 それにはパトラが残念そうにしていた。

 しかし金一さんは何でこの戦いに参加する意志を見せた?

 まさかまた幸姉が絡んでやこないだろうな。勘弁してくれよ。

 

「ジャンヌ。リバティー・メイソンも無所属だ。しばらく様子を見させてもらう」

 

 金一さんに便乗する形で口を開いたのは、リバティー・メイソンの大使であるトレンチコートを着た男。

 霧が濃くて姿ははっきりしないが、あれも難敵であることに変わりはない。

 

「――LOO――」

 

 次にそんなルウーという発声? をしたのは、3メートルはある巨大メカ。

 その体には様々な重武装が施されていて、オレの知識では全てを把握はできないが、人間が生身で勝てるような兵器ではない。

 そいつはそのあともルウー、ルウーと何かを喋っているようだったが、誰も理解できないので、ジャンヌが『黙秘』と判断し、それでルウーとひと声出したそいつはそれ以降黙った。

 

「――ハビ――眷属!」

 

 そうして唐突に宣言したのは、10歳ぐらいに見えるトラジマ模様の毛皮を着た少女だったが、その少女は自分より大きな斧を軽々と片手で持ち上げてみせてから、それを地面に降ろすと、ずしんっ! と圧倒的な重量感を足に伝えてきた。

 よく見ればバサバサの髪、跳ね上がった前髪の下に2本のツノが見えていた。これも人間じゃないのね。

 

「遠山。バスカービルはどっちに付くのだ」

 

「な、何だ。何で俺に振るんだよ、ジャンヌ」

 

 この場にいる約半数が宣言を終えた辺りに、ジャンヌがここにいる理由が見えなかったキンジに宣言を促す。

 バスカービルは組織ではないが。

 

「お前は、シャーロックを倒した張本人だろう」

 

「い、いや。あれはどっちかっつーと流れで……アリアを助けに行ったら、たまたまシャーロックがいたっていうか……」

 

「まだ分からないのか? この宣戦会議にはお前の一味、そのリーダーの連盟宣言が不可欠だ。お前はイ・ウーを壊滅させ、私達を再び戦わせる口火を切ったのだからな」

 

 そこでキンジもあれやこれやとジャンヌに抗議をするが、ジャンヌは全く取り合わずにどちらにつくかを問う。

 その様子に見かねたヒルダが割って入った。

 

新人(ルーキー)は皆、そう無様に慌てるのよねぇ。そこのジャンヌのお付きはなかなかに立派よ?」

 

 そりゃどうも。

 そんな意味も込めてオレがヒルダを睨むと、その視線をものともせずに話を続ける。

 

「聞くまでもないでしょう? 遠山キンジ。お前たちは師団。それしかありえないわ。お前は眷属の偉大なる古豪、竜悴公(ドラキュラ)・ブラド――お父様のカタキなのだから」

 

「――それでは、ウルスが師団に付く事を代理宣言させてもらいます」

 

 ヒルダの言葉でキンジが師団に付いたとみなされた瞬間、レキが間髪入れずに師団に付く事を宣言。

 レキ自身もバスカービルの一員だから当然の流れか。

 

「藍幇の大使、諸葛静幻(しょかつせいげん)が宣言しましょう。私達は眷属。ウルスの蕾姫と真田の従者には、先日ビジネスを阻害された借りがありますからね」

 

 レキの宣言を聞いて眷属入りを宣言したのは、諸葛静幻と名乗った藍幇の大使。

 レキのみならず何故かオレも敵対されたし。

 こっちは何もしてこなきゃ何もしないっつの。身勝手だな。

 だがこれで宣言を終えていないのは、終始音楽プレーヤーで音楽を聴いていたピエロのような男。

 そいつは今までつけていたイヤホンと音楽プレーヤーを足元に捨てて初めて口を開いた。

 

「チッ。美しくねェ。ケッ――バカバカしいぜ。強ぇヤツが集まるかと思って来てみりゃ、何だこりゃ。要は使いっ走りの集いってワケかよ。どいつもこいつも取るに足らねェ。ムダ足だったぜ」

 

GⅢ(ジーサード)――ここに集うのは確かに『大使』。戦闘力ではなく、本人の希望・組織の推薦に加え、使者としての適性、一定程度の日本語が理解できる事などを基準に選出されている。また、義務ではないが――お前のような個人でない限り、大使には宦官(かんがん)ないし好戦的ではない男か、若い乙女を選ぶのが古くからの仕来りだ。お前の求める様な面々ではない事は認めよう。だが、いいのかGⅢ。このまま帰れば、お前は無所属になるぞ」

 

「――関係ねぇなッ」

 

「……私達と同じ物を求め、奪い合う限り、いずれは戦う事になる。その際に師団か眷属に付いておけば、敵の数が減るのだ。私達は各々の組織の人数を明かしてはいないが、少なくともここの十余名のうち半数は敵に回さずに済む」

 

 ジャンヌの丁寧な言葉も吐いて捨てたGⅢは、次は一番強いヤツを連れてきて、そいつを全殺しすると言ってから、文字通り、この場から消えた。

 オレにもその原理はよくわからなかった。

 しかしそれで全ての宣言が済んだことで、進行役のジャンヌが締めの言葉を紡いだ。

 

「最後に、この闘争は……宣戦会議の地域名を元に名付ける慣習に従い、『極東戦役(Far East Warfare)』――FEWと呼ぶ事と定める。各位の参加に感謝と、武運の祈りを……」

 

 と、解散ムードに変わると思って一瞬気を緩めた瞬間、怪しい笑みを浮かべたヒルダが最後まで聞かずに口を開いた。

 

「じゃあ、いいのね?」



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Bullet46

 宣戦会議の締めを語っていたジャンヌに割り込むように不穏な言葉と怪しい笑みを浮かべたヒルダ。

 どう考えても良いことは起きないだろう。

 

「……? ――もう、か?」

 

「いいでしょ別に。もう始まったんだもの」

 

「待て。今夜は……ここでは、お前は戦わないと言っていなかったか」

 

「そうねぇ。ここはあまりいい舞台ではないわ。高度も低いし、天気もイマイチよ。でも、気が変わったの。折角だし、ちょっと遊んでいきましょうよ」

 

 そう話しながらにオレとキンジを見るヒルダとジャンヌ。

 よく見ればジャンヌはマバタキ信号で「逃げろ」と送ってきている。

 その間、同時にデュランダルを持ち上げたジャンヌは、その刃に氷を纏わせ、ヒルダは足元の自分の影に溶け込んで姿を消した。

 その光景に驚愕するキンジは棒立ち。手に持つベレッタも対象が定まってない。

 

「遠山、逃げろッ! 30秒は縛る!」

 

 影に潜んだヒルダがキンジへと近寄ってくる中、ジャンヌは叫んでデュランダルをうごめく影に投げつけてザクッ!

 と影と地面とを縫い付けた。

 

「臆すな! バカキンジ!」

 

 それでもまだうごめく影に危機感を持ったオレは、棒立ちのキンジの尻に割と加減なしのキックをお見舞いして無理矢理に動かす。

 こっちだって逃げたいんだ。だがお前を置いてくと怖い巫女さんやら何やらがいるんだよ。

 そうしてキンジに活を入れた矢先。

 不意に視界に入った玉藻様が、学園島の方を向いていることに気付き、オレもそちらを見ると、ゾロゾロと他のやつらもそちらを向いた。

 その数秒後、その方向から小型のモーターボートの走る音が聞こえてきて、この空き地島に接舷する音がしてから、その辺りから見覚えのある姿が現れた。

 

「SSRに網を張らせといて正解だったわ! アタシの目の届くところに出てくるとはね。その勇気だけは認めてあげるッ! そこにいるんでしょ!? パトラ! ヒルダ! イ・ウーの残党! セットで逮捕よ! 今月のママの高裁に、手土産(ギフト)ができたわね!」

 

 神崎・H・アリア。

 そのカンの良さは認めるが、状況把握が全くできてないぞ。

 今お前が暴れたところで、命を無駄に散らせるだけだ。

 

「ア、アリア! 今はマズい! ここには……」

 

 キンジも叫ぶが、アリアはその手にガバを抜いて尚も接近してくる。

 そのアリアに振り向くLOOと音を上げる巨大メカ。

 その動作で警戒レベルを上げたアリアが、いきなり発砲。

 巨大メカの頭上に位置していた風車のプロペラを折ってその重量で巨大メカを潰した。

 あれ、まだ敵かどうかも微妙だったよな。

 その様子に心底楽しそうに踊り始めたのは、身の丈以上の斧を軽々と持つツノ少女ハビ。こいつは無視していいのか?

 それと同じように潰れた巨大メカに爆笑していた魔女カツェ。

 その背後にはそろりそろりと大剣を振りかぶるシスターメーヤが。

 

「厄水の魔女……討ち取ったりィーーーーッ!」

 

 ……取る気あるのか?

 折角の背面攻撃を台無しにしてる。

 しかしそのメーヤに最初から気付いていたらしいカツェは、その手に西洋短剣を持ち出して切り結んだ。

 

「あー、メーヤ……お前ホント、いっぺん死なないと治らねェなァ。そのアホさ」

 

 オレと同じようなことを言葉にしたカツェは、短剣で大剣をいなすと、大剣は足元のコンクリートに落ちて突き刺さった。

 

「お、大人しく斬られないとは……ああ神よ、この者の罪をお許し……いえ、許さなくて結構です! 神罰代行ッ! 謹んで務めさせていただきます!」

 

 そう言うメーヤは、すでに肩で息をしながら大剣を下段に構える。スタミナないなぁ。

 そんなメーヤに対して、カツェはその懐から骨董品のような形状の銃を取り出しメーヤに数発ほど発砲するが、明らかに有効距離内にも関わらず、その弾は1発としてメーヤには当たらなかった。

 そのメーヤも当たらないのがわかっていたような顔である。

 

「チッ。やっぱダメかよ。とことん運のいいヤツだな」

 

 やっぱ、と言った辺り、あらかじめ予測していた節のあるカツェは、その銃をすぐにレッグホルスターに収めて短剣を構え直しメーヤめがけて駆ける。

 2人が切り結ぶ直前。

 その間に素早く割って入った人物がいて、その人物、カナさんは、持っていたサソリの尾の背で大剣を、柄で短剣を器用に静止させていた。ホントズルいよな、HSSって。

 そうして動きを止めてすぐに腕の方向を変えてメーヤとカツェのバランスを崩して転ばせた。

 

「お2人さん。今はまだ――ちょっと早いわ。もう帰りましょう? ね?」

 

 転んだ2人に笑顔で語ったカナさんは、それでまた霧の中へ後退。

 そのタイミングでアリアがオレとキンジの元まで辿り着いた。

 

「アリア、今はギャアギャア暴れてる場合じゃないぞ。そのくらいわかるな」

 

「ギャアギャアなんてしてない! でもそうらしいわね。最初は霧でよく分かんなかったけど……」

 

 オレの言葉に1度噛みついたアリアだったが、そんなこともどうでもよくなる状況だと理解はしたようで、その手のガバを威嚇するように周囲に向けた。

 

「パトラはキンジのお兄ちゃんと一緒みたいだし――ヒルダは、逃げたみたいだし」

 

 アリアに言われてさっきデュランダルに縫い付けられていたヒルダを見てみると、確かに影はなかった。

 でもなぁ、オレのカンはアリアより冴えてる時がある。

 こと危険予知に関しては、だが。それによると、非常に良くない空気だ。

 それで改めて周りを見回してみると、リバティー・メイソンを名乗ったトレンチコートを着た男はいなく、キンジの足元には手毬に化けた玉藻様。

 さらにさっきの巨大メカの中から出てきたスクール水着みたいな紺色のコスチュームを着た女の子が、アリアを指してルールー! と喚いてどこかへと逃げてしまった。

 

「なぜ来た、アリア……! 気をつけろ、ヒルダはまだいるッ。それも、近くに……! 逃げるぞ! ヤツはイ・ウーから――『緋色の研究』を盗んでいる! 危険だ!」

 

 そこへ地面からデュランダルを抜いてジャンヌが近寄ってきて、この周囲にダイヤモンドダストの霞を作り出しオレ達の姿を隠していく。

 このダイヤモンドダストに紛れて逃げる算段だな。

 ジャンヌの意図を瞬時に理解したオレは、そのダイヤモンドダストが濃くなるのを待ち、タイミングを図っていたのだが、不意にアリアの影の中からヒルダが現れて、その背後を取った。

 

「――Intâi gândeste, apoi porneste.(よく確かめてから来れば良かったのにねぇ。)Prilejul te face hot...(まるで飛んで火に入る夏の虫……)

 

 おそらくルーマニア語で何か言ったらしいヒルダは、その左手でアリアの後ろ首を掴んで捕らえる。

 ――パァン!

 そのヒルダに対して先手を打ったのは、プロペラの上にいたレキ。

 レキの撃った弾はヒルダの頭部を左上から右下へ貫通。したのだが、そのヒルダはアリアから手も放さずに頭をグラリとさせただけ。やっぱりブラドと同じ、か。

 

「愚かな武偵娘に、おしおきよ」

 

 撃たれても平然としていたヒルダは、笑いながらその口を開いて、鋭く伸びる2本のキバを見せてアリアの首に突き立てた。

 悲痛で声にならない声を上げるアリアの顔のすぐ脇を、ヒルダめがけてジャンヌがデュランダルを突くが、ヒルダはアリアから離したキバでデュランダルを受け流して距離を取った。

 

「嬉しい誤算だわ。私は第1態(プリモ)のまま、もう『殻を外せる』なんて。おほほっ……おーっほっほほほほほっ! Fii Bucuros! Fii Fericit!(素晴らしいわ! 素敵だわ!) ほほほほほ!」

 

 そんなヒルダの高笑いに苛立ちを覚えつつ、アリアの様子をうかがうと、死ぬようなダメージではなかったようだが、がくっと片膝をついてしまっていた。

 

「毒――か!?」

 

「……マズいぞ、遠山の。毒よりマズい事になりそうじゃ」

 

 そんなアリアの様子にキンジが毒かと予測するが、その足元に転がっていた手毬状態の玉藻様がそれを否定。

 毒よりマズいって、どういうことだ?

 その疑問は、次に起こったアリアの変化で解けることとなった。

 何やら苦しそうにし出したアリアの体から、緋色の光が漏れ始めたのだ。

 これはパトラと戦った時に、ピラミッドの上部を根こそぎ消滅させたあの光と同じものだ。

 おそらくはアリアの体に継承されたという緋緋色金が発光しているのだろう。

 しかし何故? ヒルダのヤツは何をした?

 

「ヒルダめ。お主、『殻金七星(カラガネシチセイ)』破りまで識っておったか」

 

「光栄に思いなさい。史上初よ。殻分裂(かくぶんれつ)を人類が目にするのは――」

 

 そうやって玉藻様はヒルダと話をしてから、手毬の状態からさっきの子供の姿へと戻り巫女や神主が持つ御幣を持って構え、シスターメーヤにも何やら『戻せ』と指示をした。

 そのすぐあと、アリアの体から緋色の光がいくつか散り散りに飛び、そのうちの2つほどを出た先から玉藻様とシスターメーヤ、ジャンヌが打ち合わせたように御幣や剣で受け止めて押し戻しアリアの体に戻した。

 しかし飛び散った残り5つの光は、ヒルダ、カツェ、ハビ、諸葛、パトラ。眷属に属した面々の手に渡ってしまった。

 光は収まるとどうやら小さな宝石のような固体になったようで、それが何なのかはわからないが、玉藻様の慌てようから良い予感はしない。

 その宝石のような固体を手に入れた眷属のメンバーは、みな歓喜してから霧に紛れて一斉にこの場を離れていく。

 この状況を作り出したヒルダも、高笑いしながら自らの影に沈んで消えていく。

 

「猿飛の! 誰でもいい! 追ってあやつらから『殻金』を奪い返してこい!」

 

 その光景に唖然としていると、玉藻様がオレにそんな指示をしてきたので、何がなにやらといった感じではあったが、幸姉の件もあったので藍幇の諸葛をすぐに追った。

 立ち込める濃霧を突き進んで空き地島の北端まで辿り着くと、そこでは小型のクルーザーに今まさに乗り込もうとしてる諸葛の姿があった。

 諸葛はいち早くオレの気配に気付いてクルーザーに乗り込んでからその動きを止め、オレと相対した。

 

「これはこれは、猿飛京夜さんではありませんか。あの中で最も戦闘力の低い私を追うとは、中々に冷静な判断です。さすがは狙姐が認めた男、といったところでしょうか」

 

「別に勝算とかは度外視してたんだが、確かにあの中で一番なんとかできそうなやつとは思った。だから強行策に出る前に、ヒルダから受け取った殻金、だったか。そいつを渡してくれ」

 

「残念ながらそれは叶いませんね」

 

 諸葛は戦闘能力ではオレに劣ることは理解しているようだが、それでもオレから殻金を奪われない自信があるのか、笑顔を崩さずに返答してきた。

 その自信が何なのかよくわからなかったが、言葉でダメなら強引にやるしかない。

 そう思い臨戦態勢に入ろうとした瞬間、諸葛の後ろ、クルーザーの中から1人の少女が姿を現した。

 その少女は、長い黒髪の小学校高学年くらいの背丈で、名古屋武偵女子高のカットオフ・セーラーを身に纏っていた。

 ナゴジョには、防弾制服の布面積を可能な限り減らすことで『自分は絶対に撃たれない』とアピールする風習があり、この少女も腹が丸見えの上着と限界まで短くしたスカートを履いている。

 その少女と目が合った瞬間、オレは直感で悟ってしまった。

 ――勝てない。

 と。それで諸葛の自信の根拠が判明し、距離を詰めることすら叶わなくなったオレは、その少女への警戒レベルを最大まで引き上げて、懐から幸姉の手紙を取り出そうとした。

 その瞬間、少女の頭上に光の粒子が天使の輪のように形を成して出現し、その右目が赤く光った。

 ――パッ!

 そしてその光は一瞬前までオレの眉間があった場所を通り過ぎていった。

 あまりにも突然に『死の回避』が発動し、首が左へ勢いよく曲がったオレは、そうなってから初めて攻撃されたことを自覚。

 正直なにをされたのかすらわからなかったが、あの光が即死レベルのものであったのは間違いない。

 意図としない首の曲がり方で多少痛めたが、それを気にしてる余裕もなかったオレが、光を放った少女を見ると、意外にもその少女の方が驚いた顔をしていた。

 しかし次には愉快そうな笑みを浮かべてオレをまっすぐに見据えた。

 

「……この辺でやめておきましょう。私もここであなたと戦うメリットがありません。もっとも、あなたが藍幇に来ていただけるなら歓迎しますが」

 

「やめとけ。諜報科は手駒にするのが難しい部類だからな。みすみすアジトに連れていく愚行は避けたいだろ?」

 

 そんな今にも襲いかかってきそうな少女を制するように諸葛が割って入るが、その表情は今までより余裕がない。

 おそらくこれ以上やれば少女を御しきれない可能性があるのだろう。オレもここで死にたくはない。

 そう思って警戒レベルを下げると、少女の方もシラけたかのように闘志を消したのがわかった。

 それから懐にあった幸姉の手紙を諸葛に投げ渡すと、諸葛はそれを受け取ってオレを見る。

 

「うちの姫様からのプレゼントだ。中身は知らないから帰ってからでも読め」

 

 その言葉で、手紙の差出人が真田幸音だとわかった諸葛は、そこで堂々と封筒を開けて手紙を読み始めて、その内容に笑いを漏らした。

 

「あなたの姫は怖いですね。これから気を付けるとしましょうか」

 

「なんて書いてあったんだ?」

 

「いえね、これから日本で合法じゃないビジネスをすれば、容赦なく『潰す』そうですよ。あの方にはココ姉妹が苦汁を飲まされた月華美迅やあなたのサポートもありますし、非常に厄介な相手です。敵に回さないようにしなくてはなりませんね」

 

 そうは言ってみせる諸葛だが、あの言葉の裏には『目の届かないところでなんとか』という意味が含まれていることを理解する。

 つまりビジネスをやめるつもりはない。幸姉も言ってやめるなんて思っていないはずだから、牽制の意味で渡したのだろう。

 

「藍幇が手に入れた殻金はオレが取り戻す。次会った時は覚悟しておけよ」

 

「藍幇も簡単にやられるような組織ではありません。あなたもそれを覚悟した上でまたお会いしましょう」

 

 その会話を最後に、諸葛と少女はクルーザーで空き地島をあとにしていき、オレは濃霧とあの少女の危険が去るまでその場を動くことができなかった。

 これから、あんな化け物と戦う事になるのか。

 幸姉……オレ、あの時の選択、間違ったかもしれん……

 結果的に何もできなかったオレが、すっかり霧の晴れた空き地島を歩いて曲がり風車の近くまで戻ってみると、そこにはすでにキンジと玉藻様。それからシスターメーヤと気絶したアリアしかおらず、ジャンヌとレキの姿もなかった。

 おそらく2人も逃げた眷属の誰かを追ったのだろう。

 

「殻金は取り戻せたかの?」

 

「いえ、未知数の強敵に阻まれまして……すみません」

 

「気にするでない。儂もあわよくば、くらいにしか期待しておらんかったからの」

 

 収穫なしのオレに対して玉藻様は励ましのつもりなのか、そう言ってきたが、期待されてないと言われたようなものだったのでちょっと悔しかった。

 しかし自分の力不足を嘆いていても仕方ないので、いつまでもここにいても意味がないと判断した玉藻様が場所を移すと言ったことで、キンジの部屋へと移動を開始した。

 その帰り道の途中で、シスターメーヤがコンビニに寄ると言い出し、キンジと玉藻様が先に行き、オレが同行して案内をすることとなって、シスターメーヤと一緒にコンビニに入ったのだが、この人、コンビニの洋酒の酒ビンをほぼ全て買い占めて、菓子パンもいくつか購入。

 顔をひきつらせる店員から酒ビンの入ったビニール袋を貰って外へと出て、この買い物がなんなのかを歩きながらに尋ねると、シスターメーヤは優しい笑顔で隣を歩きながら答えた。

 

「私はⅠ種超能力者でして、自分の体を削って能力(ちから)を消費します。ですから能力使用後は何かを経口摂取しないと死んでしまうのです。私の場合はアルコールでして。あ、いくら飲んでも酔わない体質なのですが、これから暴飲することをお赦しください」

 

 へぇ、超能力者ってのも大変なんだなぁ。

 そういえば幸姉はⅠ種とⅡ種の混成型Ⅳ種超能力者だって言ってたっけ。

 魔眼がⅠ種で、言霊符がⅡ種。

 なら幸姉も何かを経口摂取してたってことか。そんなに食の偏りはなかった気がするけどなぁ。

 

「それって、必ず経口摂取での回復方法が当てはまるんですか?」

 

「そうですねぇ。極々限られたⅠ種超能力者はそれではダメという方もいる、とは聞いたことはありますけど、噂程度ですので私には断言はできません。ですがどうしてそのようなことを?」

 

「ああ、ちょっと知り合いに超能力者がいて、その人が特別なにかを飲み食べしようとしなかったので、例外とかあるのかなと」

 

 超能力者でもないオレがいきなり突っ込んだ質問をしてきたため、シスターメーヤも疑問を持って返してきたので、特に隠さずそう回答すると、何やら少し考える素振りを見せたが、すぐにやめて自己完結したようだった。

 まっ、幸姉に関しては本人に聞いてみればわかることだし、今ウンウン唸るものでもない。問題は……

 

「それで、アリアの容態についてはどうなんですか?」

 

「『緋弾のアリア』ですね。詳しい話はタマモさんがしてくれますでしょうが、今のところは問題ないはずです」

 

「今のところは?」

 

「はい。緋弾は7枚の殻金で覆い包むことによってその力を人の操れるものとしていました。その殻金をあのヒルダが外したのです。内2枚は私達で戻しましたが、2枚では力は不安定。このままの状態が続けば、アリアさんはいずれ、『世界を壊します』」

 

 ……話のスケールが大きすぎてピンと来ないが、要はあの殻金とかいうやつを7枚すべてアリアに戻さないと、大変なことになるってことは伝わってきた。

 

「となると、眷属に取られた5つの殻金を取り戻すことが、アリアを救う唯一の方法、ということですね」

 

「はい。制限時間(タイムリミット)の方は私にはわかりませんが、今日明日でどうこうなるような事態ではないかと思われます」

 

「どのみち一筋縄ではいかないような連中ばかりとなると、奪還も容易じゃないですしね。1枚ずつでも確実に取り戻すのが最良ですかね」

 

「サルトビさんは冷静なご判断が出来る方なのですね。大丈夫です。私も必ずや魔女狩りを完遂して、カツェ=グラッセから殻金を奪い返しますので」

 

 そうやって両手をヨイショと胸元まで上げて頑張るぞと見せたシスターメーヤだったが、持っていた酒ビンの重みのせいですぐにふらつき腕を下ろした。

 なんか普段のシスターメーヤはほんわかしてて頼りになるのかどうか心配になる。戦闘の時も不意打ちで声出してたし。

 そんな少しフラフラ――超能力を使用した影響か知らないが――なシスターメーヤと一緒に第3男子寮までやって来て、キンジの部屋まで案内してあげると、部屋のリビングでは「ももまん……天国……」と寝言を言いながらソファーに寝かされているアリアがいて、それにとりあえず安心しつつ、シスターメーヤの買った酒ビンをリビングのテーブルに置く。

 

「玉藻様。今後オレはジャンヌの下で動きますけど、しばらくは守りに徹するべきですかね」

 

「うむ。既にこの浮島に『鬼払結界(きばらいけっかい)』を張っておる。これから周辺にも広げてゆくでの、数日は守りに徹せよ。猿飛のはいつの時代も落ち着いておって扱いやすい」

 

 誰と比べられてるんだオレ……

 鬼払結界というのは、玉藻様の警戒網みたいなものだと昔に聞いていたから、オレもその言葉に頷きを見せて、それから自分の部屋へと戻ったのだった。

 部屋へと戻ると当然暗いと思っていたのだが、意外にもキッチンの方に明かりがあり、そちらを覗いてみると、羽鳥のやつがダイニングテーブルに試験管や怪しい液体の入ったビーカーなどを広げて何かをしていた。

 その羽鳥はキッチンに入ったところでオレの存在に気付き何故かムッとしてから作業をやめてオレを見る。

 

「君は気配が希薄すぎる。近付くならひと声かけたまえ」

 

「こんな夜中に怪しい実験してるやつに気を遣う義理はない」

 

「怪しいとは失礼だな。これはれっきとした実験だよ」

 

 そうは言うが、何をしてるかわからない時点でオレにとっては充分に怪しい実験なんだよ。

 

「んで、何の実験だよ」

 

「君に教える義理はない。が、ちょうど試作品ができたところだ。被験者として飲むなら教えないでもない」

 

 先程のオレの言葉を似せて返してきた羽鳥だったが、次にはつつい、とテーブルに置いてある白濁した液体の入ったビーカーをオレに近付けた。

 

「誰が飲むか。まず飲めるものなのかも怪しいし、被験者としての時点で何らかの作用があるだろ」

 

「心配するな。中身はアルコールとその他色々を混ぜたものだ。味もお酒と変わらない。おそらく」

 

 だからそれが何なのかを教えろっての! イラッとするなこいつ。

 オレの心情を読んでるか知らないが、何とも取れない笑顔で仕方ないといった態度を示すと、素直にビーカーの中身を吐露した。

 

「自白剤だよ」

 

「死ね」

 

 そんなものを勧めるこいつの神経はおかしい。

 

「だいたい、それをオレに飲ませて何を自白させる気だったんだよ」

 

「そうだね……例えば君の想い人とかその辺を自白させると、面白いかもね」

 

 今はそんな人いないがな。

 そう思ってはみるが、表情には出さずに羽鳥のやつを見る。

 

「それか……『猿飛の秘伝』、とかね」

 

「んなもんあったら武偵として苦労してない」

 

 ダメだこいつ。やっぱり気を許せない。

 即答に近い形で自虐気味に返したオレだが、猿飛の秘伝と聞いた時は表情に出そうになった。

 何でこいつが猿飛の秘伝のことを知ってる?

 読んで字のごとく『秘伝』だぞ。

 

「だろうね。ところで君は、『究極の自白剤』というのがどんなものか考えたことがあるかい?」

 

「知るか。それに自白剤は非人道的だから使用すら禁止されてる部類だろ」

 

 これ以上こいつと話していると危ないと感じたオレは、寝室へと歩きながら会話を終わらせにかかった。

 

「自白剤には色々あるんだよ。心理的自白剤とか人道的なものもね。その中で私が究極と謳うのは……『生きている価値を喪失させる』自白剤。対象の存在理由を無くしてしまう、ね」

 

 それを言い放った瞬間の羽鳥の表情は、これ以上ないくらいに含みのある笑顔で、不覚にもその笑顔に背筋を凍らせてしまった。

 こいつも、どうにかしないとな。

 明らかに何か目的のある羽鳥の言動、行動に最大級の警戒心を持ったオレは、そう思いながら寝室へと入って、その夜は床に就いたのだった。



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Bullet47

 

 ――ぎゃー!

 宣戦会議のあった翌朝。

 いつものように小鳥の朝食を食べていると、下の部屋からアリアのそんな甲高い悲鳴が聞こえてきて、聴覚の優れる美麗と煌牙がビクンッ! と顔を上げるが、オレや小鳥は至って普通にそれを聞き流す。

 どうやら玉藻様やシスターメーヤの言った通り、すぐにどうこうなることはないらしい。

 しかし、いつ寝てるのかさっぱりわからない新しい住居人、羽鳥・フローレンスは、その声に聞き覚えがあるような表情で当たり前のように食べていた朝食を中断。こいつからも食費は徴収しなくちゃな。

 

「小鳥ちゃん、今のはアリアかな?」

 

「あ、はい。たぶんそうだと思います。もしかしてこちらに来てからまだ会われてないんですか?」

 

「残念ながらね。彼女とは不思議とすれ違いが多くてね。会おうとすると会えないんだよ。だから私も時の運に身を委ねているのさ」

 

 うざっ……

 きっとアリアのやつもこいつのウザさが嫌で避けてるんだな。こいつが転入したことくらいはもう耳に入ってるだろうし。

 そんな予想をしながら、朝食を終えて各々が準備をして登校していって、最後にオレが部屋を出る直前になって、そこで携帯に着信があった。

 着信はメールのようで、送信者は昨夜から眷属の誰かを追っていって姿を眩ませていたジャンヌ。

 何か知らせるためにメールしたのかとすぐに内容を読むが、別にそうではなかった。

 メールには短い文で「クジ引きは頼んだ」と。

 はて? と一瞬考えてしまったが、これは今日の4時間目の3クラス合同のLHRで決める『アレ』だとすぐに思い当たる。

 ああ……そんなのあったなぁ。

 そうしてジャンヌからの頼まれ事を頭に入れて登校していったオレは、教室に入ってから微妙な顔をするキンジを発見。

 その原因がアリアにあるとすぐに見抜いたオレは、ざっと教室を見回してみたが、アリアがいない。

 

「またアリアと喧嘩でもしたのか?」

 

「してない。よくわからんがあいつが勝手に騒いで突っぱねられたんだ。というかなんで俺の顔を見て最初の質問がそれなんだ?」

 

「お前がそんな顔するのはアリア関連くらいだろ。不知火とかも言うと思うし。んでアリアは?」

 

「知らん。学校に行けないじゃないって騒いでたし、今日は来ないかもな」

 

 それでキンジは自分の席にとっ伏してしまい、もういいだろ的な雰囲気を醸し出したので、毎度ご苦労なキンジに両手を合わせてから自分の席に着いて一般授業を受けていったのだった。

 英語、化学、漢文といたって普通に授業をこなして、3クラス合同のLHRが行われる体育館に移動する直前。

 来ないかもと言っていたアリアが、昨夜ヒルダに噛まれた首筋に絆創膏を貼って姿を現した。

 何やらキンジを警戒してる素振りを見て取れたが、2人の関係に割って入るのもそれなりの勇気が必要なためスルー。

 厄介そうなことには首を突っ込まない。賢明だ。

 そんなわけで体育館に移動を終えると、騒がしく自由な2年の生徒が思い思いに誰かと会話をしていて、うるさい。

 しかもその内容がほとんどこれから行われる『アレ』なのが鬱になる。

 

「ガキども! それじゃ文化祭でやる『変装食堂(リストランテ・マスケ)』の衣装決めをするぞッ!」

 

 ――ドンッ!

 騒がしい生徒を天井への威嚇射撃で黙らせて、蘭豹がそう叫ぶ。

 静まったタイミングで今度はタバコを吸いながらの綴がむせながらチームごとに分かれるように指示を飛ばし、オレはジャンヌがリーダーのチーム『コンステラシオン』のメンバーと合流したが、京極は例により欠席で、残りの2人のうち何故か中空知が自分より小さい島の後ろに隠れてオレを避ける。

 あー、前にもジャンヌに「視界に入るな」って注意されたっけ。

 嫌われてんのかねぇ、オレ。夏休みのあの事件でふざけたからかなぁ。

 などと中空知に嫌われる原因について考えていると、手伝いの1年生、幸帆が上に丸い穴の空いた箱を持ってこちらに近寄ってきた。

 箱の中には、オレ達2年の一部が担当する『変装食堂』。

 そこで着る衣装を決めるためのクジが入っていて、ジャンヌがメールで言ったクジ引きはまさにこれ。

 変装食堂は普通の高校で言うところのコスプレ喫茶のような出し物だが、ここは武偵高。

 着た衣装の職業をきちんと演じ、それらしく振る舞う事が求められるのだ。

 つまり『なんちゃって』は許されない。真面目にやらないと教務科による体罰フルコースもあるとあって、みんな命がけである。

 変装自体は諜報科のオレにはあまり抵抗はなく、大抵の職業なら即決する覚悟はある。

 しかし引き直しは1度のみ。2度目に引いた衣装は確定となるため、連続して苦手な職業などを引けば、地獄を見ることになる。だから気楽には引けない。

 

「どうぞ京様。京様ならどんな衣装も絶対に着こなせますよッ!」

 

「その根拠はどこから来るんだ……」

 

 そうやって目をキラキラさせながらに箱をオレの前に差し出した幸帆は、幸帆なりにクジを引くのをためらうオレを励ましたのだろうが、どんな衣装もというのは無理がある。

 何故ならこのパンドラの箱には、オレが最も嫌う『ハズレ』まで、容赦なくぶちこまれている。

 それを引いた日には……自殺も考えよう。

 

「あ、待った幸帆。先にジャンヌの分のクジを引きたいんだが」

 

 直前になって1度インターバルを置きたくなったオレは、そこでジャンヌの分のクジを先に片付けることを思い付き幸帆に進言すると、幸帆は快く承諾し、持っていた男子用の箱から女子用の箱に持ち替えた。

 オレはその中から適当に手に取った4つ折りの紙を引き抜きその紙を開いた。

 『ウェイトレス(アットホーム・カフェテリア)』

 うん。確かジャンヌは可愛い衣装は好きだったはずだし、以前読んでいたファッション雑誌にもそれらしいものに丸印が点いてたから問題ないな。

 そうして引き直しをせずにジャンヌの衣装を決定させたオレは、それで軽く息を吐いて落ち着くと、今度は自分の分のクジに手を伸ばそうとした。

 

「ぎゃー! 寄ってくるなー!」

 

 そんな時にアリアの甲高い声が体育館に響き、思わずそちらに目を向けると、そこではホルスターからガバを抜き臨戦態勢のアリアが、ニコニコ笑顔で近寄ろうとする羽鳥のやつを牽制していた。ああ、ついに遭遇したか。

 

「酷いなぁアリア。私はこんなにも再会を待ちわびていたというのに」

 

「こっちは待ってなかったわよ! とにかくあたしの半径10メートル以内に近寄らないで! この、お、女たらし!」

 

「女性を大事にするのは私のポリシーさ。それを女たらしなんかと一緒にされるのは心外だよ。みんなもそう思うよね?」

 

 どうやら予想通り良好な関係ではないらしいアリアは、羽鳥を相当毛嫌いしていて、そんなアリアにも終始笑顔を崩さない羽鳥は、言って周りの女子達に賛同を求めると、女子の半分以上が賛同。

 他は判断が難しいといった感じで、男子に至っては心底呆れた顔を浮かべていた。

 オレも今そんな顔をしているだろう。間違いない。

 行動や言動のイチイチが鬱陶しい羽鳥を退けたアリアは、どすどすとオレへと近寄ってきて話をする。何用でしょうか?

 

「フローレンスがあんたの部屋で暮らしてるって話、本当なのね?」

 

「おかげで居心地が若干悪くなった」

 

「でしょうね。あいつは周りを自分好みの環境に作り替える無駄な才能があるわ。これから取り込まれないように注意しなさい。あと、寝室の上下扉は絶対に使わせないで」

 

「使わせたらどうなる?」

 

「風穴ドリルよ」

 

 おお。風穴言われたの夏休みのサッカーの時以来だな。しかもドリルとか、抉られるのか……

 しかしキンジのようにガバで撃たれるのは避けたいので、あの上下扉は羽鳥のやつには絶対に使わせないことを心に誓ったところで、オレとアリアは近くにいた幸帆と風魔にクジ引きを催促されてしまい、そういえばと思い出したところで改めてクジを引こうとすると、途端に近くの女子数人と男子数十人がオレとアリアを見て、コンステラシオンのメンバーとバスカービルのメンバーも近くに寄ってきた。

 何でこんなに注目されるんだ?

 と思いながらも、オレとアリアがそれぞれ箱に手を突っ込んで、適当に紙を選んで引き抜きその紙を開くと、そこには……

 『看護師(ナース服)』

 そう書かれていた。

 それを見た瞬間、オレが最も恐れていた『ハズレ』を引き当てたことに絶望を感じながら、隣のアリアを見てみると、アリアの紙には『アイドル』の文字が書かれていて、それを見るアリアは赤面しながらも涙目で、これは絶対に引き直しだなと予想しつつ、次にオレ達のクジを後ろから覗いていたキンジ達を見ると、みんな今にも吹き出しそうな顔で必死に笑いを堪えているのがひと目でわかった。

 その中でも理子のぷしゅ、ぷふっと笑いを漏らす堪え方が心底イラッとしたので、オレは引いたクジを丸めて全力投球で理子の額にぶつけてやる。

 それを受けた理子は、ムギャッ! と奇声をあげて額を両手で押さえた。

 額に当たったのに「目が! 目がぁ!」と言う辺りはバカとしか言いようがない。

 

「「チェンジ(よ)だッ!」」

 

 クソみたいな1枚目のクジを破き捨てたアリアと一緒に幸帆と風魔に物凄い剣幕で引き直しを要求すると、2人はその勢いにたじろぎつつも、持っていた箱をオレ達に差し出してきて、オレとアリアは同時にガバッ! と穴に手を突っ込んで、1枚の紙を取り出し、確定となる衣装の中身を恐る恐る確認した。

 『給仕(女物の着物・老舗風)』

 この時オレは思った。

 この箱には『女装用の衣装』が書かれた紙しか入っていなくて、オレは誰かの陰謀によってそれをまんまと引かされたのではないか、と。

 しかしそんなわけもなく、もはや死んだ魚の目で隣で同じように灰になりそうな表情のアリアの紙を確認すると、そこには『小学生』と書かれてあった。

 普段のオレならここでひと笑いどころか、バカ笑いを惜しみなく披露するところなのだが、生憎と今はそれどころの心理状態ではない。

 

「やったーー! やったよアリア! ある意味ハマり役だよ! きゃはははは! キョーやんもスゴすぎるよ! じょ、女装のダブル役満で、り、理子の点棒は吹っ飛びました! ふ、腹筋がねじれるーー!」

 

 そんなオレ達に我慢の限界が来た理子が、腹を抱えて床をゴロンゴロン転がって笑い出す。

 それに釣られて我慢していた白雪やキンジも一斉に吹き出してきた。

 そのキンジ達の反応で現実に戻ってきて壊れたアリアが怒り爆発でガバを抜き放つ。

 

「今のは無し! 無し無し無し無ぁーーーーーーしッ! まずアンタは死刑!」

 

 自制心を失ったアリアは、箱を持つ風魔にガバを向けて本気で撃とうとするが、いち早く察したキンジと理子に飛びかかられて動きが鈍る。

 

「やめろアリア、撃つな! 蘭豹もいるんだぞ! 俺らまとめて処分されるだろうが!」

 

「あきらめようよ『アリアちゃん』! 理子が衣装作り手伝ってあげる! きゃはははっ!」

 

「誰がアリアちゃんよ! 風穴! 風穴流星群! 風穴ビッグ・バーンッッッ!」

 

 歴代で最強クラスの風穴を宣言したアリアは、2人に拘束されてもまだ荒ぶる。

 そんな感じのアリアに対して、オレはというと、アリアを拘束するキンジと理子の頭を掴んで万力のようにアイアンクローをお見舞いしてアリアから引き剥がしてから、両手に防刃グローブをはめてアリアの肩に手を置いた。

 

「アリア、知ってるか? 人間って、簡単に壊れるんだぜ? 例えばこのクナイを額に勢い良く突き刺せば、あっという間に動かない人形の出来上がりだ」

 

「あら京夜、それ素敵ね。あたしも脳天に弾を撃ち込んで量産してあげるわ」

 

 フフフ……フフフフフ……

 もう自分が何を言ってるかもよくわからないが、とりあえずこの場にいる全員を血祭りにあげる覚悟は決まった。

 

「ま、待てアリア! 猿飛! というか猿飛! お前まで壊れるな!」

 

「荒ぶるキョーやん降臨! そんなに女装が嫌なのかな? 大丈夫だよキョーやん。理子が全面協力してゆきゆきみたいな美人さんに変えてあげるから。名前は『京子ちゃん』かな? くふっ!」

 

 ――ブチン!

 理子のその言葉で完全に怒り状態になったオレは、その瞬間から綴に負けないレベルの据わった目で理子やキンジ達を見てその手に持てるだけのクナイを持った。

 

「今日が貴様らの命日となることをここに宣言する。ここにいるやつら全員を消せば、オレとアリアが『クジを引いた』という事実が無くなるわけだからな」

 

「風穴祭りィー!!」

 

「ふざけんな!」

 

「「問答無用ッ!!」」

 

 そんなキンジの叫びなど一切無視して暴れ始めたオレとアリアは、まず最初に一番近くにいたキンジと理子をそれぞれ狙うが、直前でオレを幸帆が、アリアを風魔が取り押さえにかかってきて、その腰に抱きついてきた。

 

「京様! 落ち着いてください! らしくないですよ!」

 

「神崎殿も落ち着かれよ! そのようなことをされても捕まるだけにござる!」

 

 抱き付きつつなだめにかかってきた幸帆と風魔だったが、今のオレ達がそんな言葉で止まるわけもなく、抱き付かれたままの状態でズルズル引きずりながらキンジ達に攻撃を仕掛けるオレとアリア。

 アリアはガバで頭のみを狙い、オレもクナイで額だけを狙うが、確実に殺しにいってるために逆に回避が容易らしく、キンジも理子も的確に避けてしまう。クソが!

 

「なに騒いどんねん!」

 

 そんな感じでギャアギャア騒いでいたら、当然教師である蘭豹が介入してきて騒ぐオレとアリアにいきなりM500をぶっ放してきた。

 

「衣装が気に食わんくらいで暴れんなや! 武偵なら腹括れ!」

 

「ほほう、じゃあ蘭豹。アンタは『変なおじさん』とか書かれた紙を引いても腹を括れるのか? 無理だろ? 無理だよなぁ。この前も合コンで1人あぶれたアンタがそんな恥ずかしいことできるわけが……」

 

 ――ドンッ!

 普段は教師に反抗しないオレなのだが、今はネジがいくつか吹っ飛んでいるため、生徒間で噂となっていながら口には出さない蘭豹の秘密を暴露した瞬間、その蘭豹から腹に1発銃弾を浴びせられ、腰に抱き付いていた幸帆はそれに驚いて離れて、オレは体をくの字に曲げてうずくまり膝をついた。おのれ蘭豹!

 

「図星突かれて銃で黙らせる、か? それで武偵ならとかほざくなよ蘭豹」

 

 腹を押さえてうずくまりつつも、オレは顔を上げてなおも蘭豹に噛みつく。

 そんなオレの言葉にアリアも「そうよそうよ!」と賛同するが、当の蘭豹はこめかみに血管を浮き上がらせてM500をオレに向けたままで、銃で黙らせる気満々。

 

「アリア、2人でやれば蘭豹くらい倒せる。キンジ達はその次だ」

 

「面倒な方から片付けるわけね。上等よ!」

 

「ほざけガキども! ヒヨッコが束になったところで相手になるわけないやろ!」

 

「「今からそのヒヨッコに負ける(のよ)んだよ!!」」

 

 銃弾のダメージから回復したオレが、立ち上がりつつアリアと共同戦線を張ると、それをあざ笑うかのように怒鳴る蘭豹。

 そしてオレ達の叫びを皮切りに、蘭豹との壮絶な戦闘が始まり、体育館はたちまち銃声や金属同士がぶつかり合う音で満たされていった。

 そのあと1時間にも及ぶ蘭豹との激闘を繰り広げて、それでも決着が着かずに後先考えずに暴れてヘトヘトになったところを高天原や綴に取り押さえられ、アリアは「小学生やります」と言うまで蘭豹から30回以上にも及ぶジャーマン・スープレックスを食らわせられ、オレは綴とマンツーマンで2時間以上にも及ぶ精神攻撃を受け続けて「女装します」とズタボロの精神状態で言わされたのだった。

 そんなオレの人生でも間違いなくトップに入るであろう暴動を繰り広げて、身も心もズタボロになって家へと帰ってくると、リビングには小鳥と羽鳥、それから事前に泊まりに来ることを伝えていた幸帆の姿があり、オレが帰ってくるまで夕飯を食べないでいたらしく、リビングに入ってきたオレを見て小鳥と幸帆がすぐにキッチンの方へと移動していった。

 

「京夜先輩、変装食堂で女装することになって、それが嫌でアリア先輩と一緒に蘭豹先生と乱闘したって聞きましたよ」

 

 夕飯を食べ始めて十数秒。

 向かいの席に座る小鳥がさっそく疲労の原因を抉ってきたが、すでに落ちるところまで落ちたオレはそれにすらほとんど反応せず「ああ」と肯定して黙々と夕飯を食べる。

 

「それでですね。京夜先輩の女装、私のクラスでももう話題になってて、CVRの子なんて衣装の用意とかメイクも全部やりたいってはしゃいでましたよ」

 

「幸帆、着物って幸姉に頼めばなんとかなるよな? あとメイクとか着付けは幸帆に頼む……」

 

「え? あ、はい。京様のご期待に添えるように頑張ります」

 

「あ、あれ? 私は頼ってくれないんですか?」

 

「お前着付け出来るのか? あと化粧。幸帆はその辺は完璧レベルだぞ」

 

「い、今から勉強します!」

 

「却下だ」

 

 何故かテンション高めな小鳥を幸帆の優秀さで追い払い、夕飯を食べたら幸姉に連絡することを決めたオレは、今の話に割り込むことなく黙って聞いていた羽鳥に視線を向けると、やっと私に触れるのかい? と言った顔をしてきた。うざっ……

 変装食堂の衣装は全て自前で用意する決まりがあり、しかもなんちゃってを許さないため、ある程度の使用感……リアリティーも持たせなければならない。

 そういった衣装をこの時期になると潜入捜査で作ることの多いCVRの生徒が商売繁盛とばかりに調達を引き受けたりする。

 そんな中で着物なんて出費の高そうな衣装を依頼したら、どれだけ搾り取られるかわからなかったオレは、綴に降伏したあとの帰り道で調達と手伝いにアテをつけていたのだ。

 

「んで、お前は何の衣装を着るんだよ、羽鳥」

 

「一応君とアリアが騒ぐまでは話題になってたんだけどね。さすがに暴動の騒ぎには勝てないさ」

 

「……だから何の衣装だっての」

 

「ホスト、だそうですよ」

 

 どうせ聞かなきゃずっとあの顔したままだろうと感じて質問してみれば、答えが返ってこなく、イラッとして聞き返すとオレの心情を察した小鳥が代わりに答えてくれた。

 羽鳥、お前は通訳が必要なのか?

 

「おーおーお似合いですこと。お得意の口説き文句を使いたい放題なわけだ」

 

「何か私に怒りをぶつけている風に捉えてしまう言動だね。腹を括ったのなら他人に当たるのはやめてくれないかな? 京子ちゃん」

 

 こいつ、理子が言ったの聞いてやがったな。

 だがこいつと言い争っても水の掛け合いにしかならない。

 つまりどちらかが大人にならなければ終わりが来ない。

 だから今回はオレが退いてやる。決して言葉が武器の尋問科に勝ち目がないと思ったわけではない。絶対に。

 そうやってオレが先に退いてみれば、それがつまらないような表情を浮かべた羽鳥は、それからいつものように小鳥と幸帆と話しながらの食事に戻っていった。

 

『アハハハハ! 京夜がじょそ、女装とか、アハハハハ……ゲホッ! ゲホッ!』

 

 夕飯を終えて自室へと入り、変装食堂用の着物を調達するために幸姉に連絡を取って、事情を説明すると、こんな時に限って『男勝り』な幸姉で、話を聞いて咳込むほどの大笑い。

 携帯越しですら腹を抱えて笑ってそうなのが容易に想像できた。

 

『き、着物ね。オッケオッケ。プッ、数日中にそっちに送るから……プフッ!』

 

「しゃべるか笑うかどっちかにしてくれ。もう散々笑われて怒りすら沸いてこないから……」

 

『ごめんごめん。でも京夜が女装なんて生まれて初めてでしょ? せっかくの機会なんだし、とことんやって周りをビックリさせなさい。幸帆もやるからには満足いく出来に仕上げると思うしね』

 

「そのつもりで腹は括ったよ。それに昔から色んな女の人を見てきたから、仕草とかその辺もたぶん問題ないし」

 

『その発言、京夜が遊んでるみたいで面白いわね。でもそうね。愛菜は古き良き日本の伝統を次ぐ血筋だし、眞弓や早紀も京美人って言えるもの』

 

「あ、女装の件は愛菜さん達には言わないでくれよ? 知ったら絶対写真送れとか言ってくるから」

 

『じゃあ私には送ってきなさい。それが条件』

 

 まぁ、愛菜さん達に知られるよりマシか、と思いつつ、携帯越しに期待を込めて笑ってそうな幸姉に「了解」と返事をしてから通話を切ったオレは、それで改めて女装するんだなと実感して大きなため息を1つ吐いたのだった。

 それから武偵高はしばらく文化祭準備のために短縮授業となり、幸姉から送られてきた着物を最初に着る運命の日が間近に迫っていた。

 …………死にたい……



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Bullet48

 

 あの夢であってほしい変装食堂の衣装決めから数日。

 その衣装の準備の締め切りが明日と迫った今日は、その仕上げを行うためにみんなで教室に集まって徹夜で作業する伝統行事となっている。

 衣装の締め切りは文化祭よりだいぶ前に設定されているのだが、その締め切りに間に合わなければ命がないので、みんな死に物狂いで教室に集まっていた。

 そんなやつらで賑わう夜9時過ぎの教室には、すでに衣装を着て歩き回るやつらもいて、パッと見でどこかのコスプレパーティーである。

 それらを他所にオレも先日幸姉から取り寄せた着物を持って、お手伝いの幸帆と一緒に適当な場所を陣取って着替えを開始。

 これが人生初の女装になる。

 制服を脱ぎ、取り出した着物を羽織って身を包むと、手際のいい幸帆がササッと結んで帯を締めてくれる。

 うぐっ、ちょっと苦しい。こんなのを女性は着てんのか。

 一応女装の指定なので、胸の辺りにパットを仕込んで立体感を出してみたが、嫌だなぁ。

 着付けが終わって、足袋を履いて下駄を履くと、それだけでそれなりになってしまった自分に鬱になりそう。

 

「京様、これだけでもなんとかなりそうな気がしてきます」

 

「なってたまるか。ただ着物着ただけだ。髪も顔も男そのものだろ。それに褒め言葉になってない」

 

 そんな幸帆の戯言を流しつつ、再び椅子に座って今度は化粧。

 ここから本格的に女装が始まるわけだな。

 物凄くテンションの落ち始めたオレに対して、俄然やる気を出し始めた幸帆は、よくわからない化粧道具をシャキーン!

 効果音の鳴りそうな手付きで持つと「動かないでください」の言葉を最後に真剣な顔付きで作業を開始した。

 その間なにもできないオレは、目だけ動かして周りの様子をうかがってみる。

 視界にまず入ってきたのは、白いブラウスに濃紺のタイトスカートを着た白雪。

 聞いた話では『教師』らしく、黒縁メガネもかけてなかなか様になってる。雰囲気も『優しい先生』って感じか。

 その白雪の近くに丁度キンジのやつがやって来て、何やら話をし始めた。

 その時の白雪がとにかく幸せそうにしてるので、アリア関連の話題ではなさそうだ。

 そういやアリアさんの姿がないな。あと理子も。

 まぁ、アリアはオレと同じハズレを引いてるからな。準備するのも身を裂く思いなんだろう。

 アリアのことはさておいて、次に目に入ったのは、その近くで座っていたレキ。

 レキは確か『研究所職員』だったかで、今も制服の上に白衣を羽織ってブラウスをチクチク縫っていた。

 それにしても気配が希薄だ。このオレが視認しないとハッキリ存在を確認できない。

 あれは諜報科でも十分通用する。気配のコントロールに関してはだが。

 そのレキに対して、白雪との会話をやめた――白雪が何やら独り言を言い始めてるので推測――らしいキンジが、近くに置いてあったメガネを作業中にも関わらずレキにかける。

 邪魔してやるなよ。微動だにしてないけど。

 それから女子の着替えを何とかして覗こうとする消防士姿の武藤や黙々と衣装を縫っているあややを見ていたら、「みんな、おっはよー!」とガンマン姿の理子が現れた。

 どうしたらあんなテンションを維持できるのか不思議でならない。もう夜の10時だぞ。

 テンガロンハットを被ってへそ丸出しのブラウスを着て、革のチョッキとブーツ。デニムのミニスカートと実に理子らしいガンマン姿でまた似合っているのがちょっとムカつく。

 いいよな。ノリノリで着れる衣装が当たって。

 

「ほら早く! 絶対ウケるって! 可愛いは正義だよ!」

 

 ドア前で誰かの腕を引っ張る理子は、言いながら超笑顔で教室へその人物を引き入れていく。

 それに抵抗をするように、廊下からは恐ろしく高い声で聞こえてくる。

 この超音波みたいな声、双剣双銃様か。

 ズルズルと引きずられてきた人物、アリアは、ようやく見えてきた足に真っ赤なストラップシューズとピンクと白のしましまソックスを履いていて、それだけでもう色々と同情する。

 

「や、や、やっぱり! いーーやーーよーーッ!」

 

 そしてアリアの全身が見えてしまい、その姿が明らかになる。

 キッズサイズのフリル付きブラウス。ピンクのミニスカート。赤ランドセル。その側面にはリコーダーのホルダーが。

 しかもここまで着て違和感がほとんどないというのはもう、悲しすぎる。涙が出そうだ。涙が……

 

「……ぶふっ!」

 

 いかん、口から空気が漏れた。アリアに聞かれて……なさそうだ。

 危ない。聞かれたら死んでいた。

 

「京様、動かないでください。もう終わりますから」

 

 アリアの登場で思わず顔が動いてしまい、幸帆に注意されてしまったが、そういえば今のオレはどんな顔にされているのだろうか。

 舞妓さんみたいに真っ白にされていたら……って、それはないか。

 思いつつ、爆発寸前になりながらも大人しくキンジ達の近くに腰を下ろして仕上げに取りかかったアリアを見て、そのアリアを小学生としてからかう理子に呆れつつ見ていると、その視線に気付いたのか、ぐりん!

 とオレに顔を向けてきて、何か面白いものでも見つけたような満面の笑顔になって愉快にスキップしながら近寄ってきた。来んなよ!

 

「おや? おやおや? ここにおられるのはかの有名な猿飛キョーやん様ではありませぬか?」

 

「人違いでは? 私はキョーやんなどではありませんので」

 

「おっ? おお! なるほどなるほど。すでに役に入ってるわけですな。となるとやっぱり京子ちゃんですか」

 

「そんなありきたりな名前ではないですよ。と言っても私がつけたわけではないですけど」

 

「一応、私が『京奈(けいな)』と名付けさせてもらいまし……た……はい、完成です!」

 

 ニヤニヤしながらオレと話す理子が心底ムカつくが、また暴れると綴先生から説教を食らうので、衣装を着たら1時間は役になりきるというあまり強制力もない決まりで開き直って話していたら、ちょうど幸帆の化粧が終了。

 その出来映えを確認するためか、理子が真正面に移動して幸帆と一緒にまじまじと見てくる。どうよ?

 

「京奈ちゃん……いや、京奈さん……これは今の理子では到達できない領域……完敗です……グバッ!!」

 

「京様……ズルいです……こんなになってしまうなんて……うぅ……」

 

 よくわからないが、オレを見た理子はその場で崩れ落ちて吐血――実際は吐いてないが――し、バシバシ床を叩いていた。割とマジで。

 幸帆は口を両手で押さえて何故か泣き始め、次には顔を覆ってしまう。やめろお前ら!

 

「くすんっ……あ、理子先輩。最後にエクステ付けるんですけど、一緒にやりますか?」

 

「やるやるー! ぐへへ、こうなったら京奈様をとことん美人さんにしてやるとしますか」

 

「なんで様付け……そして笑い方が危険だ……危険ですよ、理子」

 

「ぐへへ、そんなことないよ京奈様ぁ。理子に任せておけば大丈夫。痛くしないからねぇ」

 

 なにコイツ……超怖いんだけど!

 そうして目が完全におかしい理子は、幸帆に渡されたエクステを手にオレの後ろへと回り、恐ろしい息づかいでオレの髪をいじり始めた。

 怖すぎるんですけど!

 エクステの装着はそれなりに技術を要するはずなのだが、何故か理子のやつは何の苦もなさそうにノリノリで作業を進めていき、鼻歌まで混ぜ始める。

 幸帆もそれを補助するように言葉を交わしながら作業に加わる。何が楽しいんだこの2人。

 とにかくオレはまた動けなくなってしまったので、仕方なく作業が終わるまでまた教室内の観察を始めると、廊下の方で女子の歓声が上がったのを聞き取り、そちらに目を向ける。

 すると教室のドアから高級感漂う白いスーツを着た羽鳥のやつが姿を現して中へと入ってくる。

 その近くには数人の女子がキャーキャー言いながらまとわりついていて、羽鳥が入ってきたことで教室内の女子も何人か歩み寄っていく始末。

 早くも『ホスト』に魅了されたか。キモいだけだと思うんだが。

 

「ありがとうレディー達。私も君達が喜んでくれているようでホッとしたよ。私には少々派手すぎたと思っていたからね」

 

 じゃあ着るなよ。そして帰れ。

 周りを囲う女子達にホストらしく接待を始めた羽鳥の言動と動きは、普段と変わらん。

 あいつは根っからのキザなんだな。まさにハマり役。

 それでオレが早く帰れオーラを出しつつ見ていると、視線に気付いた羽鳥がオレと目を合わせてきたので、1秒とかけずに視線を外す。

 うわぁ、一瞬目が合っちまった。

 

「おや? これはこれは非常に残念な人がいるじゃないか。いやぁ、実に残念だよ」

 

 残念残念言いながら近寄ってきた羽鳥は、オレの目の前まで来るとまじまじ顔を見てくるので、全力で拒否。

 両手にクナイを持って牽制する。

 

「ダメだよ京奈。私達は見せるためにこんな格好をしているんだから、ちゃんと相手を見ないと」

 

「でしたら私から100メートルは離れて見てください。それなら私もあなたを見てあげますから」

 

「はははっ、そんなに離れたら君の『一刻も早く殺してやりたい』っていう顔が見えなくなるじゃないか。それにしても男にしておくのは勿体ないね。君が女性なら愛でようもあっただろうに。いっそこれを機会に性転換でも……」

 

 ジャキン!

 羽鳥の戯れ言を最後まで聞く前に手に持つクナイの数を増やして構えると、さすがの羽鳥も両手でどうどうと治めながら後退。

 

「どうか消えてくださいませ羽鳥さん。これ以上あなたの顔を見ていたら、うっかり手を滑らせるかもしれません」

 

 コイツとはとことんまでに相性が悪いことはこれまででわかりきっていただけに、オレの怒りのボルテージが上がるのも早い。

 お願いだから寮の部屋にいる時以外はオレと関わらないでくれ。

 射殺すようなオレの視線をずっと浴び続けてまでオレをからかうのは得しないと思ったのか、それで羽鳥はオレから離れて、超臨戦態勢に入っていたアリアの元へと笑顔で近寄っていったが、考えるまでもなく門前払いを食らって教室を追い出されていた。アホだ。

 

「よっしゃー! かんせーい!」

 

 それから少しして、いつの間にか怪しい息づかいもしなくなっていた理子のそんな声が後ろから聞こえて、オレもようやく長い拘束から解放された。

 座りっぱなしはしんどかった。

 

「へいへいアリアちゃん、ゆきちゃん、レキュ、キーくん! 見て見て! 理子&ほっちゃん合作! 京奈様ぁ!」

 

 ほっちゃん? 幸帆のあだ名か?  無理矢理だな。

 まぁ、ゆきって付くやつ多いし仕方ないのか。白雪の妹も会った子だけで全員ゆきって付くけど、どうすんのかね?

 などとどうでもいいことを考えていたら、理子に呼ばれたバスカービルの面々がゾロゾロとオレの前にやって来て、それをさらになんだなんだと作業を中断して他のやつらまで集まり出した。

 

「猿飛……まぁ、なんだ。よく似合ってるぞ」

 

「京夜……あんた化けるのね……」

 

「うわぁ! これなら星伽にいても問題ないかも」

 

「……お似合いですよ、京夜さん」

 

 それぞれがそれぞれで感想を述べたところで、今度は携帯を取り出して撮影を始める。あのレキさんまで。

 

「幸帆、鏡」

 

 何故かそこからオレの撮影会が始まってしまい、パシャパシャとシャッター音がうるさい中で幸帆が姿鏡を近くへ持ってきてくれて、そこで初めてオレは自分の出来映えを確認。

 着物は紺色を基調に花の模様が描かれた大人しいデザインで、これには幸姉グッジョブと言うしかない。

 派手派手な色だったらこの場で死んでいた。

 次はオレの普段の雰囲気をガラリと変えてしまっているエクステ。

 エクステにより両サイドが伸長されて、後ろ髪も肩甲骨辺りまで伸長されている。

 下手に結んだりしていないのでストレートヘアで白雪にどことなく似た髪型か。

 何故か前髪が朱色のピンで左半分を外へ流してデコを出されている。

 最後に顔だが、ここは幸帆の気合いの入りようが伺える。

 全体的に少し白く塗られたファンデーションか何かで普段より肌の色を薄くし、その上からまた色々と色を重ねてあり、薄化粧とはいかないレベルの出来だ。眉毛も書き足されてるし、口紅も薄い色のを塗られている。

 それでいて厚化粧とは思わない出来にしてるのは神の成せる技か。

 まぁはっきり言えば、初めて見るやつは女装だとは気付かないクオリティーだ。悲しいことだが。

 

「ねぇねぇ京奈様ぁ! 理子と一緒に記念撮影してぇ!」

 

 オレが自分の姿に少しガックリしていると、我慢の限界とばかりに理子が腕に抱き付いてそんなことを言う。

 嫌だと言いたいところだが、何故か他の女子連中も私も私もと列を作り始めたので、もう自棄と記念撮影に惜しみ無い協力をしたのだが、

 

「ねぇねぇ京奈様! 今度理子が用意したとっておきのコスプレ衣装着て、もいっかい撮影会しよーよ! くふっ!」

 

「京奈! しゃがみなさいよ! あんたが立ってたら親子写真みたいじゃないの!」

 

「京奈さん、ホントに綺麗だね。私もこのくらい本気出したらキンちゃん様が褒めてくれるかな……」

 

「…………」

 

「あの、京奈様。これは当日のための完成像を残すためであって、決して私が一緒に写りたいとかではないですよ?」

 

 自由すぎるわ!

 幸帆以外衣装を着ての撮影だったので、よくわからんツーショットになったりするし、アリアとオレだとどうやっても親子写真だし、何より京奈が定着しすぎじゃい!

 

「……あなた方に1つだけ忠告しておきますね……」

 

 ようやく撮影会が終了し、皆が満足そうにする中でオレはニッコリ笑顔でクナイを手に持ち全員に聞こえるように言葉を発する。

 

「もしもそれをみだりに流したりして、女装趣味の猿飛京夜なんて噂が流れたら、いつか東京湾の海底に沈めて差し上げますからね」

 

 ――ガタッ。

 それを聞いたやつの1人が、臆するように椅子につまずき倒すと、教室内は静まり返り、そのあと全員が「はい」と素直に返事を返したのだった。

 わかればいいんだよ、わかれば、な。

 オレの女装がことのほか盛り上がりを見せたあと、これ以上オレを刺激すると危険だと判断した連中は、再び自分の作業に戻っていき、オレもしばらくはこの格好に慣れておく必要があるので、仕草などの確認がてら教室内を歩いて回っていた。

 夜も11時に近付くと、仕上げも終わるやつらがポツポツ現れ、1人、また1人と帰宅する中、バスカービルの連中もレキが「就寝時刻です」を最後に姿を消し、白雪も生徒会の仕事で消え、アリアも悲しい背中を見せて消えていった。

 そんな中でまだ作業をしてるのは、まずキンジ。

 警官らしいが、何をそんなに手間取っているのか不思議で仕方ない。衣装だってどうせCVRに作らせたんだろうし。

 バカキンジは放っておいて、次に目に入ったのは、化粧をしてるらしいあやや。

 物凄くノリノリでやってるみたいだが、化粧とかに縁のなさそうなあややのことだ。少し不安になる。

 そう思ってあややに近寄ってその顔を覗き込んだら、化け物がそこにいた。

 ケバケバの厚化粧にパンダみたいなアイシャドウ。盛りに盛ったつけまつげ。これは酷い。

 

「あやや、衣装は何なんだ?」

 

「おお! 京奈さんではないですか! 決まってるのだ! キャバ嬢なのだ!」

 

 何が決まってるのか知らんが、見てわからなかったから大問題だぞ。

 

「……幸帆、あややに化粧を教えてやれ。これじゃ体罰確定だ」

 

「は、はい……。平賀先輩、まずは1度スッピンになりましょうか」

 

 ふう。これでとりあえずはなんとかなるか。

 しかし、幸帆が手が離せないとなると、オレもやれることがない。

 化粧も落とし方を教わらないとだし、エクステもどう取るのかわからん。

 教室にはもう数えるほどしか人もいないため、もう少しかかりそうなあややの化粧講座を待つ意味でも、夜風に当たるために校舎の外へと出ることにした。

 なんかこの数時間でどっと疲れたしな。

 そうして校舎の出入り口付近で腰を下ろして夜空を眺めていると、1人の女子生徒が校舎へと入っていくのを何気なく見送る。

 その数分後に、何故か居残ってた理子が校舎から出てきてオレを見つけると1度立ち止まる。帰るのか?

 

「あれ? キョーやんは休憩中?」

 

「そんなとこ。お前は帰りか?」

 

「ううん、呼び出しみたい。いま会いに行くの」

 

 呼び出しみたい? ずいぶん曖昧な感じだな。

 とはいえ引き留めるのも悪いのでフリフリと手で行けと示すと、理子もそれで投げキッスなんてして行ってしまった。

 しかし、呼び出しみたいとなると、伝言か何かで聞いたことになる。

 それも武偵高の人間ではない。それならみたいなどと曖昧にならない。

 途端、妙な胸騒ぎがしたオレは、理子の向かった方角へと行き、理子のあとを追っていった。

 するとどうだ。どうにもあれな人物が理子と話をしていた。

 それは先日の宣戦会議でアリアから殻金七星を剥がし取った吸血鬼ヒルダであった。

 ヒルダは夜にも関わらずあの日と同じように日傘をさして理子と対面しており、その表情には余裕と友好的な色がうかがえたが、その相手である理子は、プルプルと怯えるようにその手を震わせて、ただ黙ってヒルダの話を聞いていた。

 

「…………よく考えておいて、理子。良い返事を期待しているわ」

 

 どうやら話はもう済んでしまったらしいが、あんな理子は見てられない。あんな、怯えきった姿。

 

「あら、理子さん? こんなところで何をしていますの?」

 

 幸い今のオレは完成された女装をしている。

 声の調子を変えてやって、それらしくしてやれば猿飛京夜だとは気付かれないだろう。

 

「キョ……京奈さん……」

 

「あら、理子のお知り合い? お綺麗な方。とても『美味しそう』だわ」

 

「ご冗談を。私を食べても美味しくありませんよ」

 

「ふふっ、そうね、冗談よ。それじゃあ理子。ごきげんよう」

 

 オレの登場で話を続けるわけにもいかなくなったのか、ヒルダはそう言って丁寧なお辞儀をしてからどこかへと行ってしまい、それを完全に見届けてから、改めて理子を見る。

 

「あのブラドの娘だ。もしかしてお前、昔なんかあったんじゃ……」

 

「言うな!」

 

 未だ震えていた理子は、オレの言葉を切るように、恐怖を払うように叫ぶ。

 何か、あったんだな。

 

「……ごめん。京夜は宣戦会議の場にいたんだったな。ならヒルダを知ってても不思議はないか」

 

「何を言われたかは聞かないし、誰かに言うつもりもないが、1人で背負い込むなよ。お前には仲間がいる」

 

「……」

 

 沈黙。

 元より話してくれるとも思ってなかったので、それ以上の詮索はやめて校舎の方へ戻ろうと理子に背を向ける。

 ――クンッ。

 しかしその歩みを止めるように、着物の袖を掴まれてしまう。

 当然それをしたのは理子なのだが、オレが振り返るとえっ? と一言漏らしてから袖から手を放した。なんだ?

 

「あ、あれ? なんであたし、京夜を止めて……」

 

 いや、それはオレが知りたい。

 そうやって独り言のように呟いた理子を見て、どうやら今の行動が無意識であったことがわかる。

 

「ごめん京夜。今のは何でもない。気にしないで」

 

「……武偵憲章1条。仲間を信じ、仲間を助けよ。どうしてもの時は頼れよ。オレもお前の仲間だ。助けてと言われれば助けてやる。絶対にな」

 

 よくはわからないが、理子は何かを抱えている。

 だが、オレに言わないなら、きっと自分でなんとかできるからだ。

 だったらオレは、理子に頼られた時に力になればいい。

 

「…………ありがと、京夜」

 

 俯きながら小さな声でそう返してきた理子は、次に顔を上げた時にはいつもの理子になっていて、オレに一言そう告げるとそのまま帰宅していってしまった。

 さて、これでヒルダが理子に何かしたら、オレも黙ってないぞ。

 吸血鬼? 知るかそんなの。

 相手が誰でも、理子から笑顔を奪うようなやつを許してやるかよ。

 理子を見送ってから、密かにそう決意したオレは、それから改めて校舎へと戻り幸帆と合流しようとしたのだが、校舎の出入り口に差し掛かったところで事件は起きた。

 

「この人がいい! この人に決めたわ!」

 

 校舎へと入ろうとしたオレを指差してそんなことを口走ったのは、両サイドに縦ロールを携えた金髪の少女だった。



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護衛依頼編
Bullet49


 

 変装食堂の衣装作りの仕上げから一夜明け、朝早くからオレは教務科の個室へと招かれて、そこにいた綴先生と対面して座っていた。

 朝からなんなんだこの拷問は、と思わざるを得ないこの状況で、見るからに眠そうな綴先生は、心底面倒臭そうにオレへ1枚の書類を渡してきた。

 

「ほら、今回の依頼の内容だ。依頼主から直々のご指名だからなぁ、ちゃんとやれよぉ」

 

 渡された書類を読みながら、綴先生の言葉に耳を傾けていたオレだったが、次に来た綴先生の含みのある笑い声に少しイラッとした。

 

「しっかしお前、よく似合ってるじゃないか。それなら依頼主が勘違いするのも頷ける」

 

「……全然嬉しくないですけど……」

 

 と、綴先生が何を見て似合ってると言ったのかと言うと、現在のオレはいつもの武偵高制服を着てはいたのだが、髪は昨夜取り付けたままにしていたエクステがあり、化粧は落としていながらも、まだ女性っぽさを残す感じになっていたのだ。

 それを綴先生は似合ってるなどと全然嬉しくない感想を述べて、クスクスと笑っているというわけだ。

 

「まぁ良い機会だろ。この依頼をお前が完遂できたなら、変装食堂も安泰だわな」

 

 依然笑みを崩さないままにそう言った綴先生に、オレは笑うことすらできなかった。

 今回オレが受ける依頼。それは簡潔に言えば『要人警護』。

 依頼主は昨夜女装をしたオレを指差して「この人がいい!」などと言ってきた金髪の両サイドに縦ロールを携えた少女、有澤燐歌(ありさわりんか)

 警護の対象は有澤燐歌本人となるわけで警護依頼自体は特に問題はなかったのだが、いま渡された書類にも書いてあって『女性限定』に絞られていたのだ。

 つまり、依頼主である有澤燐歌は、オレが女性だと思って依頼を任せてきたということ。

 悲しいことだが、オレの女装は一般人を騙せるほどに完成度が高かった。そういうことなのだった。

 もちろん依頼を断ることもできたのだが、 どうにも依頼主は相当なわがまま娘のようで、オレじゃなきゃダメだとゴネたらしく、その立場的地位の高さからか、武偵高としても印象を悪くするのはよろしくないというわけで、半ば教務科に脅される形で依頼を引き受けていた。

 そうなれば必然、オレはこの依頼を女装して挑まねばならなくなるわけだ。

 

「お前が気を付けるのは2つ。女装はバレるな。失敗するな。これだけだ。簡単だろ?」

 

「全然簡単じゃないですって……」

 

「幸いお前以外のメンバーに制約はないし、役に立ちそうな奴を集めてフォローさせろ。私からは以上だ。依頼は今日の夕方から1週間。ほい行けぇ」

 

 それで話は終わりと綴先生はシッシッ、と手で追い出す素振りを見せたので、機嫌を損ねる前に渋々個室を出たオレは、手元の書類に1度目を向けてから大きなため息を1つ吐いてしまった。

 しかし、決まってしまったことをいつまでも落ち込んでいるわけにもいかないので、この依頼を無事に終わらせることに頭を切り替えて行動を開始。

 まずはこの依頼に向いている協力者を募る。

 今回の依頼主である有澤燐歌は、大手の化粧品会社『有澤グループ』の社長令嬢。

 年齢はまだ14歳の中学2年生で、3姉妹の末っ子に当たるらしい。

 しかし最近、現在の会社の社長である母親からかなり進行した癌が見つかり、そう永くないかもとわかったため、次期社長を娘に立てようとしていたのだが、長女と次女が立て続けに殺害されてしまったとのこと。

 この事は大々的にニュースでも取り上げられていたのでオレも知ってはいたが、今どき珍しいと思えるほどの後継者問題だな程度の認識でニュースで見ていたものが、まさか自分の元へも舞い込んでこようとは予想もできなかった。

 それで残された直系家族、三女である燐歌にまで危険が及ぶことが見込まれるので、武偵高に警護の依頼を持ち込んできた。

 最初は武偵庁に持ち込んだらしいのだが、身の回りを固めるのは全員女性でなければダメという要求によってお払い箱にされたらしい。

 自分の命が危ないかもしれないというのに、わがままにもほどがある。

 と、そんな依頼主のため、選ぶ協力者も女性に限られてくるわけで、最初に声をかけたのは移動の際に車を運転する運転手。

 これは同じ武偵チームで武藤と並ぶ車輌科の優等生である島苺に頼んでみたが、ちょうど出払うとの事で断られてしまうが、武藤の妹の貴希にお願いしたら2つ返事でオッケー。まずは1人確保。

 続いて彼女の料理を作る料理人。

 その中の1人に入れられる人物は1人しか思い当たらなかったので、オレの戦妹、小鳥に真っ先に頼めばこれも悩む余地もなく了承。

 何故か嬉しそうにしていたが、そういえば小鳥と一緒に依頼をこなすのは初めてだったか。張り切りすぎなければいいんだが……

 3人目は監視カメラのモニタリングなどの裏方サポート。

 最初に無駄とわかりつつ中空知に声をかけるが、話をする前に逃げられてしまったので、幸帆に頼めば大丈夫だとの事なので任せてみる。

 幸帆はやればできる子なのは知ってるので、あまり心配はない。情報科に入ってからの成長は期待していいはず。

 それで保険としてあと1人、オレと一緒の彼女の護衛役を付けようかと思い、目ぼしい人材を当たってみたが、アリアは母親の裁判があるから却下。

 ジャンヌも未だ音信不通。

 理子は昨夜の調子から色々と抱えているっぽいので頼るのもはばかられ、小鳥経由で高千穂や風魔、火野などにも声をかけたがダメ。

 元よりオレが男だとバレるのを防ぐ意味合いが大きいフォロー役のつもりだったので、なしでもいいかと考えたところに、声をかけた火野から1人、頼めそうな人材を紹介されたため、連絡を取ってみれば快く引き受けてもらえたのだった。

 これでメンバーは揃えられたかと思い、依頼のために準備をしていたら、余計なやつまで同行すると言ってきたので、この上なく嫌な顔でお断りしたのだが、なんか「連れてきたことを絶対に後悔はさせない」などと自信満々に言って強引についてきたので、もう仕方ないからサポート役として嫌々ながら同行を許可した。

 マジで嫌なんだがなぁ……後悔だってしない自信の方があるし。

 そんなこんなありつつも、全ての準備を整えて集合場所となる車輌科のガレージ前へと向かったオレと小鳥ともう1人。

 そこで先に来ていた貴希、幸帆の2人の姿を確認し、次いで初めて顔合わせをする人物へと視線を向けると、その子は婦警の制服を身に纏い、少し紫混じりの長い黒髪を後ろで2つにまとめて下げた姿でこちらに向けてビシッと見事な敬礼をしてオレに挨拶してきた。

 

「この度、ライカ先輩の推薦により参上しました、架橋生(アクロス)、中等部3年、乾桜(いぬいさくら)です。未熟者ではありますが、よろしくお願いします!」

 

 そんなお手本のような自己紹介――架橋生とは日常的に他組織での研修を受ける生徒を指す――に、小鳥などは小さな拍手を贈るが、オレは一言で軽く会釈してから、今回集めたメンバーがこの場に全員いることを確認したので、早速貴希の用意した車で移動を開始しようとしたのだが……

 

「やあやあ、君が志乃ちゃんの言っていた後輩だね。私は今回の依頼に同伴する羽鳥・フローレンスだ。何か困ったことがあったらいつでも頼ってくれて構わないからね」

 

「は、はぁ……ありがとう……ございます……」

 

 それを妨げるようにして桜ちゃんに近寄って無駄に手を取って自己紹介を始めた羽鳥。

 何を隠そう、こいつこそがオレと小鳥の準備を見て同行するなんて言い出した野郎なわけだが、こいつがいなくても何の問題もない気がしてならない。

 余剰戦力というのだろうか、そんな感じなのだが、自分がいないと困るはずと断言するので、とりあえず邪魔しないように言ってはいる。

 そうこう考えていたら、今度は貴希に近寄っていた羽鳥に少しイラッとしつつも、ここで何か文句を言って全体の空気を悪くするのは幸先も悪くなると思いなんとか堪えると、羽鳥から解放された桜ちゃんがオレへと近寄ってきて話しかけてきた。

 

「あの、猿飛先輩。私も今のうちに着替えておいた方がよろしいでしょうか?」

 

 桜ちゃんはそうやってオレの姿を見ながらに質問してきたので、オレも「そうだな」と答える。

 桜ちゃんがそうしたように、今のオレは武偵高の制服ではなく、黒のスーツを身に纏い、さながらガードマンといった格好をしていて、エクステが付いたままの髪も動きやすいように後ろで3つ編みにしてまとめていた。

 3つ編みにしているのは、ただ後ろでまとめるだけだと、いま現在、貴希に悠長に話しかけている羽鳥のやつと丸被りするから。

 

「ああそうだ。依頼の内容を見てわかると思うが、今回の依頼ではオレは女として振る舞うことになる。名前は『京奈』で統一するから、間違っても京夜なんて呼ぶなよ」

 

 桜ちゃんに着替える指示を出したあと、オレ自身の呼び方を統一するために全員にそう言っておき、それに対してしっかりと応えたのを聞いて、桜ちゃんが黒のスーツに着替えるのを完了してから、時間にも余裕がないため移動を開始した。

 ちなみに羽鳥のやつは自前の車があり、オレ達とは別行動のような立ち位置で参加する。

 そうして辿り着いた目的地は、世田谷区の成城学園を側に置く、いわゆる高級住宅街。

 そこの一角にあった結構な大きさの庭付き近代建築の洋式の屋敷。

 ここが依頼主の自宅で、まずは玄関で挨拶をして貴希の車をガレージへと入れてもらい、荷物類を持って改めて全員で玄関へとやって来てから、この屋敷の主に家の中へと通されていった。

 そして、この時点ですでに別行動となった羽鳥は、家の所在を確認してから車を走らせてどこかへと行ってしまったが、本人が言うに「私が動いていることは依頼主側に伝えなくていい」とのことなので、男が動いているなどという報告も確かに憤慨されかねないため黙っておくことに。

 何をするつもりかは知らないが、報告だけはするようにと指示は出しておいた。

 そうしてオレ含む4人が通された屋敷の中の廊下を進み、ある部屋。

 おそらくはリビングであろう部屋の前に立つ30代半ばほどの赤縁の眼鏡をかけた茶色の髪を後ろでひとまとめにして下げている女性が、オレ達を見て一礼してから扉を開けて中へ入るように促してきたので、オレ達も一礼しつつ中へと入ると、無駄に広いリビングの中央に置かれた長方形のテーブルの全面を囲むように備えられたソファー――テーブルの辺の長さに合わせて置かれている――の奥に、歳に似合わない紺色のスーツを着た少女、有澤燐歌がコーヒー片手に待っていた。

 

「着たわね。座りなさい。ただし、座るのはあなただけ」

 

 全員がリビングへと入り、最後に廊下にいた女性が扉を閉めて入ってから、燐歌はオレを手で示して対面のソファーへと座るように促してきたが、小鳥達はそこに立っていろとでも言うように無視に近い形で放置。

 それには4人もムッとしたが、これも依頼だと自分に言い聞かせるように堪えてくれて、それに感謝しつつ促されたソファーへと座り、小鳥達が後ろに控えると、隣に女性が移動したところで燐歌が改めて口を開いた。

 

「今この家には私以外の人間はいないわ。私のビジネスパートナーであるこの紗月(さつき)の案で、使用人も完全には信用できないからね。だから私が正式に社長となる着任式までの1週間、家にいる間そばに置くのはあなただけ。聞けば運転手や料理人なんかもそっちでこしらえてくれたみたいだし、身の回りはそちらに任せるわ。ただし、私の私室に監視カメラなんかの類いは許さない。部屋に入れるのもあなただけ。何か質問は?」

 

 偉そうに足を組み、膝の上に両手を組んで置いて話をした燐歌に、苦笑いが出そうになったオレだったが、表情には出さずにリーダーとしてその問いかけに応じる。

 

「燐歌様の私室に干渉できるのは私だけ。それ以外に何か制限はありますか?」

 

「そうね……しいて言うなら、家で私の言うことやることに文句を言わないでちょうだい。余計なことにストレスを感じたくないから」

 

「了解。ではこのたび燐歌様の護衛に付きます京奈です。後ろの人達は右から……」

 

「京奈ね。よろしく。後はいいわ。覚えても仕方なさそうだし。それじゃあ紗月、御苦労様。また明日会社でね」

 

 そうして小鳥達の紹介も聞かずに、隣にいた紗月と呼んだ女性を労った燐歌に、紗月さんは一礼してからリビングをあとにして家から出ていったようだった。

 その後、早速私室へと向かった燐歌にオレもついていくことになり、これからやるはずだった家の警備網の設置をすでにイライラしている4人に申し訳なく思いつつも頼んで、オレは燐歌のあとをついていくのだった。

 幸先、悪いなぁ……

 

「今日はもう外へは出ないわ。今後あなたは家の中では私のサポートに徹しなさい。家の中ならあなた達の力を信頼してもいいはずだし、サポートに回ってもあなたがそばにいることに変わりはないでしょ」

 

 屋敷の2階へと上がり、6つはあった部屋の内の一番大きな部屋の両開きの扉を開けて入った燐歌は、中へと入るなりスーツの上着を脱ぎながらオレにそんな指示を出して、2度見してしまうほど大きな化粧台の前の椅子に座って、鏡の前に置かれたおぞましいと思えるほどの化粧品類から、化粧落としか何かを取り出してさっさと化粧を落とし始め、その間にシャツのボタンやらタイトスカートのチャックなどを外していく。

 

「サポートとは言いますけど、お仕事に関してなどはお役に立てませんが……」

 

「仕事は紗月が全面サポートしてくれる。あなたは私の生活面でのサポートをお願いしてるのよ」

 

 ガバッ!

 そうしてオレが部屋の扉の前で室内を見渡していると、化粧を落とし終えた燐歌は何のためらいもなしで着ていた残りの服を脱ぎ去って下着姿になると、スタスタ歩きながらその下着まで脱ぎ捨てて室内に備えてあるシャワールームへと入っていってしまった。

 うむ、まだ14歳とはいえ、女の子の裸を直視するわけにはいかない。

 しかし、向こうは完全にオレを女だと思って行動しているので、変に目を逸らしたりして不信感を抱かせるわけにもいかない。これから大変だな……

 そんなことを思いつつ、シャワーを浴び始めた燐歌が何の着替えもバスタオルさえ持っていっていなかったことを察して、とりあえずは無駄に大きいベッドに脱ぎ捨ててあったガウンと、適当にクローゼットなどを漁って出てきた下着とバスタオルを用意してシャワールームの前にちゃんとあった脱衣所に置いておき、無視することのできなかったことを片付けにかかる。

 汚い。

 いや、部屋自体が何かじめじめとしていたり、不潔な感じなわけではなくて、単純に出した物は出したまま。脱いだ物は脱いだままといった感じで整理などが行き届いていないのだ。

 それでも化粧台の周辺だけはきっちり整理されてるところだけは、化粧品会社の令嬢らしさが見えていた。

 パッと見た感じでは、おそらく3日から4日ほど片付けがされていないところを察するに、燐歌が家の使用人を解雇したのはその辺りからなのだろう。

 オレ達が来るまでの今日まではホテルで外泊して安全を確保していたらしいが、ここには戻ってきていたのだろう。

 家じゃないとシャワーなんかが使えないなんて人間も少なからず存在するしな。

 とにかく、この部屋に洗濯機の類いはないため、脱ぎ散らかされた衣類はパパッと集めて扉の近くに置いておき、乱雑にベッドの下へと落とされていた本やファイルは、備えられた本棚に法則性を見つけながら戻しておく。

 よくわからないホチキスで留められた書類などは、ざっと表紙が見えるように机に並べておいた。

 これで見えるところの汚さは排除できた。

 あとは衣類の処理だけと思って誰か呼ぼうとしたところで、ちょうど部屋の扉をノックする音が聞こえてきたので、燐歌との約束通り、シャワールームが見える位置取りでオレが扉から少しだけ外に出る形で応じると、廊下にいたのは同じく燐歌のそばにつくはずだった桜ちゃん。

 

「一応この屋敷に始めからあった監視網は幸帆さんがチェックを終えて起動させて、こちらで用意した機材も今から取り付けるので、夜までには全て完了しそうです。夕食の準備はもう小鳥さんが始めてくれて、貴希さんは明日から運転する車のチェックをしています」

 

「了解。桜ちゃんも自分の仕事に徹したいだろうけど、家の中だと不自由になっちゃったからな。この部屋がわかったってことは、屋敷の見取り図はもう頭に?」

 

「あ、いえ。2人がこの部屋に入るのを確認してから行動を開始したので。見取り図の方は警備網の設置も兼ねて幸帆さん達と一緒にこれから把握しておきます」

 

 抜かりないな。うちの戦妹は家事に関しては抜かりないが、他は抜けてるところがあるからな。

 そうして桜ちゃんからの報告を聞いて今後の方針を練っておくとして、とりあえずはちょうど良いので桜ちゃんに集めていた衣類をまとめて洗濯に出しておくように言って渡して扉を閉めようとすると、桜ちゃんはオレに1枚の資料を手渡してから、一言。

 

「今回の依頼、護衛対象があの有澤燐歌と聞いて安心してたのですが、記事なんかがアテにならない良い例を見ました。猫かぶりも良いところです」

 

「そういうストレスは適度に吐き出しておきなよ。文句を言ったところで、いざとなったら守らないといけないんだから」

 

「わかっています。では失礼します」

 

 それで桜ちゃんは胸に衣類を抱えて下の階へと降りていき、それを苦笑しつつ見送って再び中へと戻って、今度は部屋のどこに何があるかを確認がてら、桜ちゃんに渡された資料に目を通しておく。

 

「あなたって、言わなくても色々やってくれるのね。武偵にしておくのは勿体ないわ」

 

「余計なお世話かと心配していましたけどね」

 

 部屋をチェックしてしばらく。

 資料の内容も全て読み終わった辺りでシャワーを浴び終えてガウンを着た燐歌がバスタオルで髪の水分を拭き取りながら歩いてきて、オレに用意したはずの下着を投げ渡してから化粧台へと着くと、ドライヤーの準備をしつつ話を続ける。

 

「今後も気を利かせてくれるなら、私は家で下着は身に付けないから、外出の時だけ用意してちょうだい。寝る時はガウンとかも脱ぐから、部屋の温度と湿度管理もお願い。温度は20度前後。湿度は50%前後を維持させて」

 

 言いながらドライヤーの準備ができたようだが、しかしそれですぐに髪を乾かすわけではなく、化粧台の化粧品のいくつかを取り出していたので、ここまでの性格を考慮して燐歌の後ろへとついてドライヤーをかけ始めた。

 

「ドライヤーは低温で髪から離して時間をかけて乾かして。キューティクルが傷んじゃうから」

 

 という指示に従いつつ、改めて髪を乾かし始めたオレは、さっきまで読んでいた資料を思い出しながら、内心でこれからの1週間にため息を漏らした。

 資料には有澤燐歌のプロフィールが書かれていたのだが、そこには『社会性に優れ、誰にでも笑顔を絶やさない年相応の顔も見せる将来が期待される若き天才少女』とあったが、桜ちゃんの言うように現実とはあまりに評価が違うことに苦笑。

 昔の偉い人はよく言ったもんだよ。百聞は一見にしかず、ってな。



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Bullet50

 

 有澤燐歌。

 わずか13歳にして母親が社長を務める化粧品会社において商品開発に携わり、彼女が携わった商品はそのことごとくが大ヒット。

 主に10代、20代からの支持は驚異的なもので、すでにいくつかのインタビュー記事などで『天才少女』『カリスマ少女』という大文字表記と写真付きで掲載されている。

 その記事によって世間からその容姿が優れていることを知られ、今年の春からは雑誌モデルもやっているらしい。

 歳の離れた2人の姉――長女が25歳。次女が23歳――も同じように会社で実績を残す実力者であったようだが、燐歌には及ばないもので、単純な能力では燐歌が一番。

 しかし燐歌はまだ14歳の子供で、後継者となる権利があったとしても会社全体を動かすほどの経験も器量も持ち合わせていない――そもそも会社を動かす能力と会社の仕事をこなす能力はイコールではない――というのが現社長の判断であったのだが、上の姉2人が狙い澄ましたように殺害されてしまってはそうも言ってられなくなり、今は会社を挙げて燐歌を社長にするべく動いているらしい。

 しかしその実態はどうにも胡散臭いもので、早速翌日の朝から貴希の運転するベンツ――燐歌の専用車――で出社してきた新宿区にある本社ビルに入ったオレと桜ちゃん。

 貴希は送り迎えだけでさっさと家に帰らされてしまって、居残り組――小鳥と幸帆――と自宅警備に当たってもらっている。

 中では入り口で昨日会ったビジネスパートナーだという沙月さんが待ち構えていて、燐歌と2、3言葉を交わしてから早速移動を開始。

 すれ違う社員は全員が燐歌に対して頭を下げて挨拶をしてくるが、それがオレには『体を装ってる』だけのように見えて気持ち悪かった。

 結局、会社を挙げて社長にするなんてのは『表の方針』なんだろう。そう思わざるを得なかった。

 燐歌は今、試されているのだ。

 彼女が社長としてその能力がある、或いは持ち得る可能性があるかを見定める期間。それが着任式までのこの1週間というわけ。

 それが叶わなければ、社内の有能者が抜擢されるというのも、もう全員が周知のことらしい。

 そうなればまだ幼い子供である燐歌の下で働くことを快く思わない、または不安に思う社員が出てくるのは必然で、表の方針に反発することも目に見えている。

 会社の空気としては、今が一番ギスギスしているのは間違いない。

 全く関係ないオレですら感じるのだから、直接的に関係のある燐歌本人はそれを間違いなく感じた上で会社に来ているのだから、相当の度胸を持っている。

 それほどにこの会社に思い入れがあるのか、それとも意地なのか。オレには計り知れないな。

 そうして会社のピリピリとした空気を感じながらに上層階の社長室へとやって来たオレ達は、窓のない室内を見回して外部からの攻撃手段がないかを確認し、監視するような機材がないかも調べておいた。

 それら全てを終わらせてから、デスクに着いて書類と戦闘を開始していた燐歌を見れば、上っ面だけならそれなりに仕事をこなしてるように見えた。が、

 

「は? これまだ試験に行ってないの? サンプルくらいまとめて10個くらいやりなさいよ。発売予定日まであと2ヶ月切ってるし、何人で動いてると思ってるのよ。ああ? これ単品じゃインパクトないんだから付属品で客の購買意欲を駆り立てなきゃノルマ越えないっての。香水? 男は大抵キツい香水は嫌いなんだから、そういう『うわ、香水だ』って前面に来るタイプじゃなくて、少し嗅いだら『あ、良い匂い』ってなるさりげない効果でいいの。おしゃれしたい若年層ほどそういうさりげなさを意識しないと売れないっての。開発チームはいつの時代を生きてんのよ」

 

 なんか聞いてると愚痴ばっかりが漏れ聞こえてきて、同じ女性である桜ちゃんでさえそんな愚痴には苦笑していた。

 

「沙月、これとこの開発はあと3日でサンプル出さなかったら打ち切った方がいいと思うんだけどどう?」

 

「開発費なども考慮すると打ち切っても赤字は免れません。損失を最小に抑える意味では選択肢としては有りですが、どちらもまだ芽が出る前ですし、燐歌様のお姉様が開発リーダーだったものです。リーダーが替わって落ち着かない中での追い込みは社員のモチベーションにも影響します」

 

「私ならそんな追い込まれる前にどうにでもできるけど、まぁ沙月の言うモチベーションも大切か。それじゃあこっちの商品は取扱店をもう少し多くして在庫を増しても大丈夫じゃない? 発想と出来は私もそれなりだと思うし」

 

「どうでしょうか。燐歌様の嗜好は若年層に寄っているので、主観でものを見すぎな気もしますね。スキンケアも年齢によって変わってきますし、年代別に社内で使用感をアンケートしてからでもとは」

 

 それでもちらりと見えてくる能力は年相応と呼べるものでは決してなく、ちゃんとした個の意思を感じる。

 それでも至らない部分。それを全面的に支えるのが沙月さんといったところか。

 話を聞いているだけでも沙月さんが有能なのはわかるしな。

 

「んー、あとは昼の会議で進展とか報告聞いて詰める感じかしらね。全部把握するのはしんどいわ……沙月、昼までに要点まとめておいてちょうだい」

 

 そうしてしばらく2人で話し合いをしていたが、1時間くらいしてようやくあらかたの要件に目を通し終わったみたいで、資料を手にした沙月さんはそそくさと社長室を出てどこかへと行ってしまい、1人になった燐歌は大きな伸びをした後に席を立って1つの棚からファイルのようなものを取り出して席へと戻ると、それを広げて何やら始めてしまった。

 

「京奈、なに突っ立ってるの? こっちに来なさい」

 

 と思ったらいきなりお声がかかったので、何かと思いながら燐歌のそばに寄れば、ファイルのようなものの中身は、一般教養の教材。通信教育ってやつか?

 まぁ燐歌も社長候補と言っても、まだ義務教育期間の年齢だしな。

 仕方ないといった感じだな。会社で勉強ってのも不思議だが。

 

「あなた一応高校生でしょ? ちゃんと理解できるように教えなさい」

 

 オレは家庭教師じゃないんだが……

 とは思っても誰の目が光ってるわけでもないのに進んで勉強しようとする燐歌になんとなく好感を持てたオレは、少し面倒ながらも無駄に成績の良い一般教科を活かして丁寧に教えていくのだった。

 意外にも真面目に勉強に取り組んだ燐歌。

 その勉強も今日の分と思われるところまで終えて片付けた頃には、時間もちょうど昼食時となり、ずいぶん前にどこかへと行っていた沙月さんも戻ってきて邪魔をしないように別作業をしていたのだが、燐歌がまた仕事を再開するために声をかけると、素直に従ってそばに寄るが、やはり人間。

 空腹は耐えられないらしく作業再開から数分で燐歌のお腹が気の抜ける音を鳴らしたため、恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをしてから席を立って昼食を取ろうとしたので、オレはそれを止めつつ桜ちゃんにサインを出すと、桜ちゃんは事前に持ってきていた小鳥特製のランチセットが入ったバスケットを取り出して燐歌へと差し出した。

 食に関しては警戒する要素の1つ。現に燐歌の一番上の姉がこの食によって毒殺されているのだ。

 オレ達の目の届いていない料理を口にさせるわけにはいかないだろう。

 桜ちゃんが差し出したバスケットからサンドイッチや紅茶の入った水筒を取り出して机に広げ、食べながらでも作業ができるとなってサンドイッチ片手に沙月さんとの話し合いを再開した燐歌は、オレ達にも少しだけ食べるようにおすそわけ――元々オレ達の分も考えて小鳥が多めに作ってはいた――つつ、淡々と話し合いをしていった。

 それが終わってからは、今度は会社の上役を集めた定例会議に臨むべく場所を大会議室へと移して社長見習いとして立派に会議を進めていた。

 しかし職業柄、人の表情や仕草で感情や違和感を見つけるのに長けているオレから見たその定例会議は、とてもじゃないが雰囲気が良いとは言えなかった。

 少なくとも現状で燐歌の支持は約半分程度。

 燐歌の話に真剣に向き合っていただろう人間がそのくらいで、あとの約半数は『子供の言ってることだし』といった感じで真剣には捉えていなかった気がしていた。

 それでも示さなければならないのだ。燐歌が社長としての技量があると、自分を支えてくれる人達に。

 腐ることなく、弱いところも見せずに、ただその勇姿を見せ続けなければならない。

 それはきっと、まだ14歳の燐歌には厳しいものがあるはず。

 そうしたことを終えて陽の暮れ始めた頃に今日の仕事を終えた燐歌は帰宅。

 車の中ではやはり気を張っていた疲れからか、隣に座っていたオレの肩に頭を預けてすやすやと寝ていた。

 そんな姿を見ると、つい燐歌に感情移入しそうになってしまうが、それはダメだ。

 依頼主との信頼関係は大事だが、入れ込んだりするのは依頼自体に支障が出る場合がある。

 だから本来なら、オレが燐歌の、会社の今後を考えること自体が踏み込みすぎ。依頼に集中していない証拠になってしまう。

 だからオレは今回のリーダーとして、余計なことを考えないように頭を切り替えて気を引き締め直すと、家に到着したところで燐歌を起こして家の中へと入っていった。

 日中が忙しいおかげで、燐歌はその疲れを取ろうとするように9時には就寝してしまい、今日のうちに燐歌の部屋の窓ガラスを防弾仕様に変えてもらっていたということで、家の中にいる間はまず安全が確保され断然守りやすくなった。

 それでも一応カーテンで閉めた窓と燐歌を結ぶラインで陣取って椅子に座ったオレは、この時間でしかできない報告会をするためにインカムを通して燐歌が寝たことを知らせて、全員から反応があった後にそれぞれに声をかけていった。

 

「幸帆、帰ってきた時も確認したが、外出中の不審者はいなかったで間違いないな?」

 

『はい、一応家周辺の監視カメラにはそれらしい人物は映りませんでしたし、小鳥さんと貴希さんにも時々周辺を見回ってもらったので間違いないです』

 

「小鳥、羽鳥のやつ……というか昴達とは上手く意思疏通できてるか?」

 

『今のところは大丈夫です。昴にはここ周辺の空を飛んでもらったりしてますし、美麗と煌牙はフローレンスさんと一緒に大人しくしてくれてます。命令があればいつでも指示は出せます。本当ならもっと表立って動かせればいいんですけど、燐歌さんが動物アレルギーなんて……』

 

「それは言っても仕方ない。症状も割と重いっぽいから近くに配置するわけにもいかないしな。いざって時にだけ動かすしかない。貴希は……空いた時間を有効に活用してくれ。自由度でいくと貴希が一番だと思うから期待してる」

 

『でも無理はするな、ですよね。大丈夫です、できる範囲で頑張ります』

 

「桜は今日1日張り付いてみて何か気付いたことはあった?」

 

『誰かが燐歌さんを明確に狙ってるという気配などは特に。ただ、社内のあの感じは部外者ながら居心地良いとは思えませんでした。あれでは誰が狙っててもおかしくないと思えてしまいます』

 

「護衛する以上、周りはみんな疑って見ないとダメだから神経磨り減らすと思うけど、頑張って。全員、何か小さなことでも気付いたことがあったら報告すること。間違っても1人で何とかしようと思わないように」

 

 それぞれと報告を終えて最後に無理はしないように全員に言ってから報告会を終了させると、何かあった時以外で連絡しない取り決めの通りに沈黙した一同に満足しつつオレも1人、気を張りすぎない程度で護衛に意識を集中。

 桜ちゃんには部屋の出入り口に陣取って待機してもらっているが、あまり必要ないかもしれないな。

 みんなで2時間くらいのローテーションで休憩入れておくか。寝ずの護衛なんて無理だし。

 考えつつチラリとベッドですやすやと眠る燐歌を見やると、なんとも気持ち良さそうに寝ているので、ストレスなどは感じてなさそうなその寝顔に安堵しつつ、ふと今日、あれがあったことを思い出す。

 アリアの母親、かなえさんの高等裁。おそらくは敗訴となるであろう日だということを。

 今は依頼の最中とあって自分の携帯は電源を切って余計な情報が入ってこないようにしているが、わかってる事実なだけにアリアの泣き顔が浮かんできて少し気持ちが沈む。

 裁判の制度は詳しくは理解してないが、高等裁後は最高裁しかチャンスが残されていないことはわかってる。

 冤罪を証明する時間もあとどのくらいあるか、オレには予測すらできない。

 辛いだろうな、アリアも。キンジが支えてやってればいいが……

 そうしてアリア達のことを考えた矢先、オレの懐にあった『もう1つの携帯』がブルブルと震えて着信を知らせてきたので、嫌に思いながら携帯を取り出して通話に応じる。

 

『有澤燐歌はもう就寝しているはずだよね? 頑張らなきゃいけない時期としても、彼女の今の生活は明らかにオーバーワークだしね』

 

「……オレが通話に応じた時点で察しろ」

 

 通話の相手、羽鳥は開口一番に燐歌の心配をするようなことを言ってみせるが、そんないつもの羽鳥の態度はどうでもいいとして連絡してきた理由について切り出す。

 ちなみにこの携帯は依頼の際に支給した専用の連絡手段なため、今は無線を使える小鳥達以外で使うとしたら羽鳥だけになる。

 だからこそ嫌な気分になったんだけど。

 

『そう邪険にするな。私だって好き好んで君に連絡などしない。それに定期連絡はするように言ったのは君だと思うがね』

 

「わかったよ。わかったから話すことを話せ」

 

『話すのはいいが、君はもう少し私に感謝をすべきだと思うよ。君は優秀な兵隊ではあるが、兵長にはあまり向いていないかもしれないね。あまりにも視野が狭い』

 

「だったら話すこと話してから言え。聞いて有益な話だったなら素直に謝る」

 

 いちいちトゲのある羽鳥にオレはついイライラしてしまうが、これは依頼に関することだ。私情は挟むべきではないこともわかってる。

 だがこいつには何故かつい距離を取る言動や行動が多くなる。

 かつてこれほどまでに拒絶に近い反応をした人間などいなかったが、その理由についてはオレ自身にも明らかではない。

 こいつは謎が多すぎるんだ。

 

『長々と語るつもりもないしね。では話をしよう。私は昨日から有澤燐歌の勤める会社についてを調べていた』

 

「それは……」

 

『何故かって? 君はもう少し頭の回る人間だと思っていたがね。まぁいいさ。だからこそ私は同行を懇願したのだし。では頭の回らない君にわかりやすく話そう。今回の依頼は要人警護ではあるが、なにもこちらが受け身でいることもない。むしろ攻めに転じて事を早く解決する方が手っ取り早いのさ』

 

「……犯人のあぶり出しか」

 

『ご明察。しかしそれは難しい。現にそれが難しいからこそ受け身に回った背景があるのだからね。殺人が起きた今回の件で警察が動いていながら、それでも受け身に回ってる現状がそれを示してる』

 

 それはそうだろう。

 燐歌の姉2人の殺害に関しては今も警察が動いていることは知ってるし、今日だって会社に刑事らしき人間が出入りしてるのを見ている。

 そちらが解決してくれればオレ達も必要なくなる。

 しかしイラッとくる言い回しだな。

 

『警察は会社内部での犯行と見ている。私もそれには全面的に同意だ。別のライバル会社が犯行に及んでる可能性も捨てきれないが、殺害方法が被害者の生活圏に入りすぎている点から低いだろう』

 

 長女は食事の際の毒殺。次女は会社内で扱う危険な薬品で毒殺されてトイレにて遺体が確認されている。

 報告書でのみの情報だが、オレもそれには同意だ。

 警察も無能ではないし、むしろ武偵に触発されて近年は優秀な人材が多数排出されている。

 桜ちゃんも架橋生として警察で活動している将来の警察筆頭候補と言ってもいい。

 

『ではどうやって犯人を特定していくかになるけど、まずは彼女ら有澤姉妹がいなくなることで得をする人物が誰かってことだ。言わずもがな、そんな人物は彼女らに代わって社長に立てられる会社内の実力者。警察もそちらは押さえているし、私も調査に見逃しはない』

 

「……だが、押さえていながら事件解決に結び付いてないってことは、証拠やら何やらが出てきてないからだろ?」

 

『まぁね。実際のところ、私が調べた限りでも彼ら全員、人を殺してまで上に立とうなどと考える野心は持っていなかった。ああ、尋問はしてないよ。質問に対する応答による心理分析でそう判断したまでだ。私はこれでも……』

 

「お前に気を許さないからこそわかってるよ。『闇の住人』の2つ名は伊達じゃないって自慢したいんだろ」

 

 それに対して羽鳥は否定することもなく「ふふっ」などと笑っていたが、それも鼻につく笑いでイラつく。

 本当にイラついてばかりだなオレ。煮干し食いたい。

 

『しかしそうなると犯人がわからなくなってしまうわけだ。じゃあ今度は私がどこを向いて動いているかわかるかい? わからないだろうね。答えはある推測からしか出てこないからね』

 

「本題はここからか。長い前置きだったな」

 

『頭の悪い君に丁寧に話してあげたんだろ? では本題だ。私はこう考えたんだよ。君達は今、「有澤燐歌が狙われる可能性」に考慮して護衛についているけど、これが「狙われず無事に社長に就いた」ら、どうなるのかをね』

 

 それだとどうなるかだと?

 それだと燐歌が怪しいなんてことになるじゃないか。

 こいつは、燐歌を疑ってるとでも言うのか。まだ幼いこの有澤燐歌を。

 

「あり得ない。オレも人を見る目はある方だ」

 

『昨日の今日でもう有澤燐歌に肩入れかい? ずいぶんと感情移入してるようだね。まだ幼いからとか、仕事に一生懸命だとか、そんなことは平和な日本でしか通じない理屈だ』

 

 そうではない。

 こいつは間近で有澤燐歌という少女を見ていないからそんなことが言えるんだ。

 燐歌は今、人生で一番辛い経験をしている。そんな状況に自ら飛び込んで、こんな苦労をして社長になろうとするのは変なのだ。

 自ら茨の道を進んでいる燐歌は、状況に適応しようともがいているようにしか見えなかった。

 少なくとも、その必死さは人を殺めて上に立とうとする人間の姿勢では決してなかった。

 あんなに頑張れる人間はそういないと言っても過言ではない。

 

『……ふふっ。とはいえ私も有澤燐歌を疑ってるわけではないんだがね』

 

 …………こいつ殺す。ただ単に話に乗ってきただけじゃねーか!

 マジで尋問科に所属する人間って嫌いだ。人をからかうことに悦を覚える性格のひん曲がったやつが多い。

 綴もその例に漏れない。

 しかし、そうだとしたら……

 

『犯人は有澤燐歌ではないが、彼女が社長になることで間違いなく得をする人間ってことさ』

 

 そういうことに、なるのか。



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Bullet51

 

 警護任務の2日目。

 昨夜の羽鳥との話し合いが心底イラつく結果になったが、それももう過去のこと。

 しかし話し合い自体は有意義であったのは確かなので、今日からはそれも踏まえた上で動く。

 昨夜の話し合いで羽鳥が立てた仮説。それは『有澤燐歌が無事に社長になった場合に得をしようとする人物がいるかもしれない』というもの。

 その場合、本来なら容疑者は膨れ上がるため、犯人の特定は難しくなるが、今回の後継者問題においてはその限りではない。

 何故ならわざわざ社長として立ってもおかしくない年齢に達していた燐歌の2人の姉を殺害してまで幼い燐歌を社長にしようというのだ。

 それは常識的に考えてかなりのリスクを負うことになる。

 頑張ってる燐歌には悪いが、下手をすれば会社が一気に傾く危険性もあるのにそれを実行しているのだ。

 考えとしてはその危険性が犯人にとってのマイナスにはなり得ないか、或いはその危険性を考慮しても得られる利益の方が魅力的なのか。この辺だろう。

 まぁ考え出したらキリがないし、あくまで仮説。考えすぎも良くない。

 ということで目下、オレも羽鳥もこの仮説において怪しい人物を挙げれば、意見は一致。

 この件において燐歌が信頼を置く人物というのは、それだけで『疑われなくなる』恩恵を受ける。

 その恩恵を受けているのは現状でビジネスパートナーである沙月さんだ。

 なので今日からは燐歌の護衛に加えて、桜ちゃんに会社内での沙月さんの動向を監視してもらうことにしていた。

 オレは役割上、燐歌から離れられないからな。桜ちゃんにしか頼めないことだった。

 2度目だが、あくまで仮説。

 沙月さんの潔白が証明されればこの行動も徒労にしかならないし、襲撃自体あったら仮説が崩れ落ちるわけで、その時は羽鳥のやつを鼻で笑ってやるつもりだ。

 そんなわけで昨日と同じように会社へと出社したオレ達は、昨日と同じように燐歌のそばで警護をしながら、沙月さんにも気を配っていく。

 一応、羽鳥との話し合いの後に幸帆に沙月さんの経歴を調べてもらったのだが、どうやらこの人。

 燐歌のビジネスパートナーになる前。つまりは昨年の春までは燐歌の母親である社長が会社発足の際からそばに置いていた部下の1人で、大学時代の2年後輩に当たるみたいだった。

 燐歌の2人の姉にもそれぞれビジネスパートナーがいて、そのどちらも沙月さん同様に発足時からの部下で後輩。

 これは燐歌の母親が意図としてそうしたのは明白だが、社長の娘のお守りのような役回りにされて、果たして納得しているのか疑問はある。

 しかし現状、燐歌と仕事の話をする沙月さんからは、その表情、声からもそういった不平不満などの負の感情は汲み取れず、むしろ我が子を思う母親のような優しさを感じる。

 こういったことでオレを騙せる一般人はそういないとは思うが、一応まだ要警戒。

 世の中には自分の中でのスイッチみたいなものがあって、それのオンオフで切り替われる人間も少なからずいる。

 沙月さんがもしそのタイプだとしたら、やはり燐歌から離れた時が狙い目か。社外での沙月さんの監視は羽鳥がやる手はずだが、今頃どこで何をやっているのやら。

 そうこうしているうちに時間も昼を過ぎ、昨日の今日でまた上役を集めた会議を開いた燐歌は、なんだなんだと困惑気味の一同を前に堂々と立ち、この会議の前に沙月さんに作らせていた資料を配り終えてから臆することなく話を始めた。

 

「唐突だけど、この会社の1階フロア全体を自社の製品販売及び試供品のアンケートを行うフロアとするつもり。これによるメリットは沙月、お願い」

 

 ズバン!

 と言い放ったはいいが、肝心なところは沙月さん任せな燐歌に少しだけ笑いそうになるが、言い終えて満足そうに椅子に座った燐歌は、文句も言わずに話の内容をあらかじめ用意していたホワイトボード――プロジェクターなどは時間的に無理だったため――を燐歌の横まで運んで、そこでクルッと表裏を入れ換えて、裏に簡潔に書いていたことを丁寧に説明し始めた。

 この大胆な計画は、現在で信頼が二分してしまっている燐歌の社長としての才覚を形として示すための起爆剤のようなもの。

 時間的にも悠長に仕事をこなしていては、この現状は変わりはしないだろうと、燐歌と沙月さんが頭を抱えて出した1つの決断だった。

 ここでこの企画が好印象を持つことができれば、燐歌が会社のことをちゃんと考えて動いていることをわかってもらえる。

 そんな燐歌にとって大事な会議で、沙月さんの説明が終わってから端々で近くの人間と小声で話し合う一同を見ながら、燐歌がデメリットがないかという質問をしたところ、やはり突然の企画だったためか意見が飛び交うような展開にはならなく、長々と会議を続けて他に支障が出るのも悪循環。

 そう判断した燐歌はこの件を1度持ち帰ってもらって、明日にもう1度意見を聞くこととして、あとは小さな報告会のようなことをしてから解散し、今日はそのまま終業。

 しかし大一番となるこの件に不備がないようにと車の中でも沙月さんとの連絡は怠ることはなかった。

 会社を出てからは沙月さんの監視の役目は羽鳥へと移ったが、今日の沙月さんを見た限りではこれといって怪しい様子は見えなかったし、燐歌から離れた時間にマークしてくれていた桜ちゃんからも何事もなかったと報告を受けていた。

 判断するにはまだ早いが、羽鳥の仮説はなんとなく外れてるような気がしてならいな。

 今夜の連絡で羽鳥がどんなことを言ってくるのか少し楽しみかもしれない。

 この日もずいぶん頭を使ったからなのか、燐歌は食事中に何度か目を擦る仕草を見せたり、食べ終えてから部屋のバスルームに入ってなかなか出てこないと思えば、浴槽で寝ていたりとずいぶんなあれだったが、ちゃんとやることをやった後にそうなっているのは素直に褒めてやりたいところだ。

 会社ではたとえ社長室で沙月さんがいなくても欠伸1つしない真面目さを見せているしな。

 こんな燐歌を見れば、会社の人間もいくらか心変わりしそうなものだが、燐歌はこの弱さを決して見せないように頑張っている。

 オレはそれを影ながら応援することしかできないが、頑張れ燐歌。

 髪を乾かしている間に椅子に座ったまま寝るという器用なことをした燐歌をベッドに寝かせてから少しして、小鳥達との報告会を開始したが、今日もこれといって何事もなかったようで、報告会自体はものの数分で終了。

 今夜の警護シフトを確認して無線が沈黙してから、タイミングを見計らったように懐の携帯が着信を知らせて来た。

 こいつ、超能力者じゃないだろうな?

 

『小鳥ちゃんと通話しながら報告会を聞いていただけさ』

 

「読心術者かお前は」

 

 そう思いながら通話に応じての羽鳥の第一声がそれだったので、もう深く考えないようにする。

 

『思考の誘導、というのも技術の1つということさ。君は昨夜の私も踏まえてこう思っただろ? 「タイミングが良いな」って。君はそう思うように誘導させられたと考えてくれていいよ。そこから発する私の今の言葉は実に的を射ていただろ?』

 

 別に聞いてもいないのによく喋る。

 しかしこいつの思惑通りに動かされていたとわかると腹が立つ。

 どうでもいいところでオレにちょっかいを出す。だからこいつは好かないんだな。

 

『この沈黙は腹が立ったようだね。まぁ私のお茶目ということで流して話をしようじゃないか』

 

「……んで、いま何してんだよ」

 

本庄(ほんしょう)沙月の自宅前で張り込みだね。一軒家の実家暮らしで独身なのは、独り暮らしでセキュリティーの高いマンション宅などより監視が楽で良いね』

 

「監視っていったって限界があるだろ。中の様子はどう探ってるんだよ」

 

『帰宅前に沙月さんと接触して荷物に小型の盗聴器を潜り込ませておいた。君が私の存在を依頼主に報告していなかったからできた方法だね。上手いものだろ?』

 

 何だ、褒めてほしいのかこいつ。

 絶対にそんなことしないが、とりあえず沙月さんの監視に問題はないらしいことはわかったので話を進める。

 

「それで日中は何してたんだよ」

 

『彼女の経歴を見て、彼女のことをよく知るだろう人物に話を聞いてきた。時間的にも余裕はなかったが、2人、コンタクトに成功したよ。有澤燐歌の2人の姉についていたビジネスパートナー。どちらも会社創設時からのメンバーで、歳は違うが沙月さんとは大学で同期生だったみたいだしね。2人とも先輩であり社長の娘さんを殺されて相当参っていたけど、なんとか情報は引き出せた』

 

「んで、何かわかったのか?」

 

『んー、なんとも、といった感じだ。ただ、彼女達はプライベートでもよく飲みに行ったりするほど交流があったらしくて、時には社長も交えて会社の今後を話したりと腹を割った付き合い方をしていたようだし、有澤燐歌ら3人の娘の成長もずっと見てきたみたいだね。有澤姉妹のビジネスパートナーに任命された時も、社長からの信頼という形で3人とも不満はなく、むしろ光栄だとも言ったそうだよ。特に有澤燐歌を任された沙月さんはこの上ない喜びを表したとまで言っていた。1人ならともかく、2人ともがそう言ったのだから嘘偽りはないだろう』

 

「つまり、燐歌に対する沙月さんの想いに負の感情はない、と。それに燐歌の2人の姉に対しても同じような感情があったなら、その手にかけるなんて真似はできないはずだよな」

 

『まぁ普通ならね。しかしだ、今から2ヶ月ほど前。まだ社長の癌が発見される以前に、彼女ら3人で次の社長が有澤姉妹の中で誰になるべきかを酒を交えて夜通しで討論したらしい。その時は十数年後の話だから当然、有澤燐歌も十分な候補である前提があったし、3人とも自分のパートナー推しで割と真剣に話したみたいだよ。その中でも沙月さんの有澤燐歌推しは熱の入ったものだったと語っていた。これはまた私の仮説にはなるけど、その熱意、愛情とも言うのかな。それが高まりすぎて「有澤燐歌は社長になるべきだ。その障害となるものがあるなら……」というパターンもなきにしもあらずさ。社長の癌発覚もそれに拍車をかけたと考えれば、全否定もできないだろ?』

 

 想うが故ってやつか?

 だとしてもこいつの沙月さんへの疑いの目は執拗にも感じる。

 アリアやレキ。月華美迅の眞弓さんもそうだが、Sランクを与えられる人間は何かオレなんかとは違うものが見えていたりするのかもしれない。

 妙に論理的で心理的な羽鳥の推理に説得力が生まれるが、確信できる材料が出ていないのも確か。

 

「オレは仮説であってほしいと、そう思うよ」

 

『私もだ。どんな理由があれ、女性を疑うというのは心が痛む。だからこそ完全なる潔白を証明する。それが私なりの優しさだ』

 

 いかにも武偵らしいやり方だ。その辺は好感が持てる。唯一その辺だけだがな。

 その後は監視に集中したかったのか、あっちから一方的に通話を切ってしまい、切る寸前に美麗と煌牙の唸る声が聞こえたが、小鳥の報告では元気にしてるらしい。

 車の中での生活でストレスが溜まってなきゃいいが。

 それから数時間。

 時刻が深夜の1時を回ったところで、オレの2時間の休憩時間となる。

 オレの休憩中は小鳥達全員が稼働してくれてるが、全部を任せっきりにするのは申し訳ないのでいつでも起きられる程度の仮眠で最大限の休息を取る。

 そういう訓練もしているから今回の短期的な活動に支障は出ないが、長期的な活動には向かないのは確か。あと5日程度ならなんとでもなる。

 そうした休憩時間を有意義に使うという意味では睡眠は大事なのだが、今回に限ってはちょっと異例。

 現状でオレを困らせているのは睡眠ではなくむしろ『清潔面』。

 この部屋に入れるのが命令でオレと燐歌だけの都合上、いくら休憩時間といえど部屋を出てシャワーを浴びたりするわけにもいかないし、この部屋のバスルームを使用するにしても燐歌を視界から外すことになる。

 だから最低限、濡れタオルで頭や体を拭くと同時に着替えも済ませるようにしていた。

 燐歌に女だと思われてるのもあって、着替えにも注意を払わないといけないは無駄に神経を使うが、寝てる間に済ませられるだけマシだ。

 ちなみに着替えは部屋のすぐ外にいる桜ちゃんが控えてくれているから安心。

 それで仮眠の前に着替えなどを済ませてしまおうと桜ちゃんからも着替えをもらい、水を入れた洗面器とタオルを用意して定位置へと戻り、頭から濡れタオルで拭いていき、それを終えて上半身へと移って着ていた服を脱いだところ……

 

「あれ……私いつの間に寝て……」

 

 なんともタイミング悪く燐歌が寝ぼけながらも起きてしまい、オレは慌てて服を着直そうとしたが、それも間に合いそうになかったので背中を向ける形で正面を隠す。

 胸には一応パットを仕込んでいたし、平ったい胸板など見られたら男だと1発でバレてしまうからな。

 

「んー? 京奈、着替えてたの?」

 

「起こしてしまいましたか。申し訳ありませんでした」

 

「別に京奈のせいじゃないわ。それよりそのタオル。体を拭いてたの? シャワーでも浴びればいいのに……って、そうよね。あなた私の警護についてないといけないのよね」

 

 そうやって言いながらベッドから出てガウンを着た燐歌は、何を思ったのかオレへと近付いて横にあった濡れタオルを持って背後に立つ。

 

「あの、燐歌様?」

 

「黙ってなさい。背中は1人じゃやりづらいでしょ。拭いてあげる」

 

 それで有無を言わさずにオレの背中を拭き始めた燐歌に内心ハラハラしながらも、拒絶でもして怒らせて眠気まで飛ばしてしまうことを恐れてされるがままに。

 

「あら? 京奈、あなたって……」

 

 背中を拭き始めてすぐ、いきなり手を止めた燐歌がおもむろにオレの背中の中心辺りに直接触れてきて、何かを確かめるようにその手を動かすので、バレたかと思って心臓が飛び出そうになった。

 

「結構筋肉質なのね。服の上からだとそうは見えなかったんだけど」

 

「一応、武偵なんていう物騒な仕事をしてますから……」

 

「そう、武偵も大変なのね。同じ女なのに私とは全然違うんだもの。ちょっとビックリしたわ」

 

 心底ビビったが、どうやら思いの外筋肉質なオレの体に驚いただけのようでひと安心。

 またタオルを動かし始めた燐歌は丁寧に背中を拭いてくれる。

 しかし沈黙ってのは変に神経を研ぎ澄ますから、また何かに気付かれても困る。会話でもしておくか。

 

「燐歌様、少しだけ質問してもいいでしょうか?」

 

「ええ、いいわよ。でもその耳の無線は切りなさい。無粋よ」

 

 意外と目ざとくてらっしゃる。

 ここで機嫌を損ねられても仕方ないので、後で話の内容は報告するとして言われるがまま無線をオフにして改めて話をする。

 

「燐歌様にとって、沙月さんはどんな存在なのでしょうか?」

 

「……沙月さん?」

 

 これも意外だが、プライベートでは燐歌は沙月さんを呼び捨てにはしないようだった。

 

「……沙月さんは私にとってもう1人のお母様、みたいな存在。物心つく前から当たり前のようにそばにいた人だし、仕事で忙しいお母様の代わりに私やお姉様達の面倒を見てくれた大切な人。他に2人、同じような人がいるのだけど、沙月さんは特別」

 

 背中越しでさえ伝わってくる燐歌のそんな嬉しそうな気持ちでする話に、オレもなんだか笑みがこぼれる。

 本当に、沙月さんを信頼してるんだな。

 

「……私のお父様は私が生まれる前に事故で亡くなっちゃって、その時も沙月さんはお母様を支えてくれたらしくてね。お母様からの信頼も高くて、そんな沙月さんが私の誇りで。でも今は……その沙月さんしか、私のそばにいない。お姉様達もいなくなって……お母様も、もうすぐ……いなくなっちゃう……」

 

 嬉々として語っていた燐歌だったが、話が進むにつれ内に貯め込んでいたものが出てきてしまったのか、その手も止まってオレの背中に額を触れさせてすすり泣き始めてしまった。

 失念してわけではない。わけではないが、ここまで強くあろうとしていた燐歌に、オレはどこかで安心してしまっていたのだろう。

 しかしまだ幼い燐歌がここ最近までで体験した出来事は、母親の余命宣告に、2人の姉の死。そして自分に押し寄せてきた後継者問題。

 どれも燐歌には刺激が強すぎるものだ。

 本当なら心が壊れてもおかしくないとさえ思う出来事の連続に、今まで耐えて気丈な態度を振る舞い続けてきた燐歌が、大丈夫なわけがなかったのだ。

 それでも燐歌は、母親が築き上げた会社を守るため、必死にその心の内を隠して頑張っていた。本当に強い子だ。

 

「……ねぇ京奈。あなたが良ければ、この依頼が終わって私が社長になったら、私専属の武偵ってことでついてくれない? 京奈って、そばにいるだけでなんだか不思議と安心できるから、これから先もそばにいてほしい」

 

「……私は、つい最近とある方に仕える従者として歩む道を蹴って、武偵の道を選びました。その方は私にこう言って笑顔で送り出してくださいました。『あなたは私1人だけを守る小さな器じゃない』と。そう言ってくださったあの方の言葉を信じるなら、私は今のお話に首を縦には振れません。たとえ命令されたとしても、お断りさせていただきます」

 

 すすり泣きが聞こえなくなってから、寂しさが感極まったからか、唐突にそんな話をしてきた燐歌だったが、オレはその話に納得してくれるような理由を述べて断りを入れた。

 燐歌の心境はわかってるつもりだ。だがここだけはオレも譲れない。

 そんな気持ちが伝わったのか、燐歌は一言「そう……」とだけ言って退いてくれて、その額を背中から離して濡れタオルを洗面器へと戻した。

 

「ごめんなさい。京奈にするような話じゃなかったわ。今の話は聞かなかったことにしてちょうだい」

 

「……はい」

 

「ありがと。それよりこんな体の洗い方するくらいなら、明日からは一緒にお風呂でも入りましょうか」

 

「やっ!? それはちょっと……」

 

「ふふっ。あなたの慌てた声、初めて聞いたわ。おやすみなさい」

 

 背中を拭き終えてベッドへと戻った燐歌は、その頃にはもういつもの調子に戻っていて、そんな冗談なのかどうかわからないことを言ってからまた寝てしまって、完全に寝たことを確認してから着替えを済ませたオレは、明日の心配をしつつも、今ここにいる少女を最後まで守り抜くことを密かに誓ったのだった。



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Bullet52

 

 警護任務の3日目。

 ここまでは何事もなく襲撃などないのではないかと思い始めるところではあるが、そういった油断が生まれるタイミングを知るような奴が犯人だとすれば、むしろここから気を引き締めなければならない。

 

「それじゃあ1日で考えてきたと思うから、早速会議を始めましょうか」

 

 そんなオレ達の胸中を他所に、昨夜の年相応で本来なら面に出しても不思議はない悲しみと寂しさを吐露した燐歌は、朝に目覚めてからはあれが嘘か別人であったかのように堂々とした態度で振る舞い、昨日保留となっていた会議を始める宣言をして、それに合わせるように横に控えていた沙月さんがホワイトボードを用意して会議の進行を始めた。

 一応、ここに来るまでで沙月さんを監視していた羽鳥からは「異常なし」の報告はもらっていたが、桜ちゃんには今日も沙月さんの監視をしてもらっている。

 そうして気丈に振る舞っている燐歌を少し心配しつつも、1日寝かせてきた会議だけあって、意見は止まることなく飛び交い、沙月さんによってホワイトボードには次々と分かりやすく要点がまとまったことが書き込まれていく。

 オレが理解する必要は特にないのだが、この会議において重要なのは『会議の内容を決定に持ち込むこと』ではなく、別にこの案件が否決に終わっても構わないのだ。

 重要なのは『会社のために燐歌が持ち込んだ案件を真剣に話し合うこと』だろう。

 ここで燐歌が「こういうことを考えたから、どうするかを話し合ってくれ」と会議自体を丸投げにするようであれば、途端にこの会議は意味をなさないものへと変わるが、燐歌もこの会議の重要性についてはよく理解できているようで、自分が納得できない意見には積極的に割り込んだりして自分の意見を臆することなく述べている。

 そうした燐歌の真剣でひた向きな姿勢に、会議室の空気は変わりつつあった。

 元々燐歌を支持していたであろう人達は、より一層好感を高めたようだし、燐歌の社長としての能力に半信半疑だったろう人達も、まだ足りないながらもその顔に少しだけ安心感のようなものが見えた。

 あと数人、頑なに表情を変えない人はいたが、燐歌がこのまま頑張る姿を見せ続ければ嫌でも認めざるを得なくなる。

 いや、そうなってほしいというのがオレの個人的な願望だな。

 そんな会議がおよそ1時間ほど続いて、ホワイトボードにびっしりと書かれた内容がずいぶんとスッキリとして、この案が決定の方向で進んだところで、不意にオレの聴覚があり得ない音を捉えた。

 ――ドォォン。

 という何かが爆発したような音。

 発生源はこの会議室からでは当然ないし、会社内からでもないだろう。

 おそらくは外。高層階に位置するこの会議室内で気付いたのはオレ1人か。

 それでオレは会議の邪魔をしないように桜ちゃんを招き寄せて会議室の窓から外の様子を見てもらう。

 オレの指示を受けて窓から階下の方を覗き見た桜ちゃんは、何かを捉えたようで視線を固定すると、その映像を分析したのか、数秒でオレの元へと戻ってきて小声で伝えてきた。

 

「何かが爆発して炎上しているようでした。おそらくは車でしょう。この会社正面玄関のすぐ近くで黒煙が上がってますから、もうすぐ避難警報が出るかもしれませんね」

 

 車が爆発? ガソリン漏れか何かか?

 と、桜ちゃんの報告を受けて考えようとしたところで、予想通り会議室に非常ベルが鳴り響き、会社の裏玄関に避難誘導をするアナウンスが流れ始めて、会議も中断せざるを得なくなり避難が始まる。

 この場合、社長である燐歌をまず逃がすのが当たり前だが、この混乱に乗じて人混みから狙われては守りにくいため、燐歌には最後に避難をしてもらう。

 一応、沙月さんからも目を離せないので同行を指示しておいた。

 それで会議室にオレ達しかいなくなったところで、オレの懐の携帯が着信を知らせてきたので、燐歌達に少し待つように言ってから、通話の相手を確認。

 羽鳥からだが、何だ?

 

『会社内では避難誘導が始まってるかい?』

 

「ああ、外で車が爆発したんだろ?」

 

『その通り。狙い済ましたようなピンポイントで私の車だ。あとほんの少し脱出が遅れていたら確実に死んでいたね。直前に察知した君の忠犬達に感謝するしかない』

 

 おいおい、それはどういうことだ? 羽鳥が狙われた? 何故?

 いや、どうやってが最初の疑問か。こいつは依頼主側に知らせずにオレ達とは別行動していたんだぞ。

 

『すまない。君の忠犬2匹とは脱出の際にはぐれてしまった。それから今も私は狙われてるようでね、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。だからそちらとの合流を図る余裕もなさそうだ。しばらく姿を眩ますから、有澤燐歌から絶対に離れるな。どうにも私達の想像よりヤバイのが裏にいる』

 

 それで通話を一方的に切ってしまった羽鳥だが、切ったと言うより切れた感じがした。雑音がしたし。携帯を壊されたか。

 しかし、この騒動の原因が羽鳥を引き金に引き起こされたなら、何かこちらで起こっても不思議はない。

 そう思いつつ警戒を強くして避難を開始しようとしたところで、会議室の窓の外から妙なプレッシャーを感じてそちらを向く。

 そうすると丁度、窓と桜ちゃんが一直線に並んで自分を見たと勘違いした桜ちゃんが首を傾げたが、オレの視線は窓の外からこちらに一直線で飛来する何かに固定され、このまま突っ込んでくれば桜ちゃんが危ないと判断し考えるより早く桜ちゃんの腕を引き横に投げ飛ばすと、それと同時に窓ガラスをぶち破ってオレへと弾丸のように突撃してきた何かをミズチの昇降装置で天井に張り付くようにして使って避ける。

 その何かはオレのほぼ真下で床に食い込む形で止まったが、かなりの速度だったにも関わらず床を突き抜けたりはしていなかった。そこまで重量はないっぽいな。

 その何かを観察するのも一瞬で、すぐに天井から離れて驚きで固まる燐歌の前に阻むように着地したオレは、思考停止していた桜ちゃんに声をかけて覚醒させて手にクナイを持って飛来した何かに身構える。

 だが、羽鳥への襲撃にこちらへの奇襲。やはり何かタイミングを計っていたか。

 会議室のほぼ中央に位置取った飛来物はどうやら自分で動けるらしく、人間のようにむくりとその体を起こすが、その体を黒いマントのような布で覆っていて全容が見えなかった。

 しかしそのマント、オレには見覚えがあった。いや、マント自体にではない。

 そのマントの裏側に『幸姉が扱う言霊符と同じ文様』が描かれていたのだ。

 そしてオレがそれを確認したのと同時にマントを広げた奴は、しかし人ではなかった。

 全身を黒タイツで覆ってしまったかのような黒い人型をした何か。そう例えるしかないが、そいつ――影とでも呼ぶことにしよう――は広げたマントを右手に持ち替えると、マントは途端に裏側、文様を表にした1本の槍を形作りその手に収まると、顔なき顔でオレの後ろの燐歌へとその視線を向けたのがわかり、それを遮るように立ちはだかると、影は何の躊躇もなくその手の槍でオレめがけて突きを放ってきた。

 避けるわけにはいかないオレは、その槍の先端をクナイで弾き軌道を自分の左へと変え、開いた懐へ侵入。

 腹へと肘を叩き込むが、骨の感触も内臓を刺激した感触も一切無くて、すかさず1歩引き右足の回し蹴りで蹴り飛ばして距離を開く。

 今の攻防ではっきりしたが、あれは人間でも機械的な何かでもない。

 おそらくは超能力。遠隔操作か自動操作なのだろうが、どちらにしろ操っているであろう本人は幸姉と同等レベルと見ていい。

 オレに蹴り飛ばされて壊された窓際まで後退させられた影は、1度オレを見たような気がしたが、次には持っていた槍をあり得ない速度で投げ放ってきて、避ければ動けずにいる燐歌に当たってしまうことがわかってるオレはその槍を自分の左肩で受けて止める。

 防弾・防刃仕様のスーツじゃなきゃ穴が開いてたな。

 まぁ、脱臼するほど痛かったわけだが……

 それでオレの左腕が動かなくなって痛みで怯んだのを確認するより早く。

 到達速度からして槍を投げた瞬間から前に出ていた影は、オレの左側を抜けていこうとしたが、右手のミズチからアンカーボールを引き出して影の背中にくっつけてワイヤーを巻き取る力も利用して後ろへと引き戻してやり、ついでに足元に落ちていた槍を足で掬い上げて槍の先を影へと向いたタイミングで石突きを蹴ってお返しするが、影はいとも簡単にそれを半身で避けて片手でキャッチ。遠隔操作にしては良い反応だ。

 それでオレを抜けないと見たのか、今度は槍を高速で回して攻防一体の突撃をしてきたわけだが、完全にオレの排除へ意識が向いていた影は、真横から放たれた1発の銃弾をその側頭部に命中させられてその動きが鈍る。

 その隙に槍を右手で掴んで影から奪い取り、再び回し蹴りで距離を開いて、オレから離れたところを今フォローしてくれた桜ちゃんが追撃して3発。眉間、右肩、腹へと銃弾を撃ち込んだ。

 

「桜、近付く……ないでね」

 

「自分の力量はわかってますのでご心配なく」

 

 ギリギリのところでオレは女装してることを思い出して、言葉遣いを改めて桜に警告すると、桜も影が危険なものだとわかっていてひと安心。

 わかってなきゃ迷いなく即死する場所を撃ったりはしないだろうがな。

 しかし、銃弾を受けた影は倒れることなく立ち続けて、オレを見て、桜ちゃんを見て、もう1度オレを見ると、オレの手にあった槍を凝視した、ような素振りをすると、槍は途端に発火して一瞬で燃え去ってしまい、不覚にもそれに驚いてしまった隙を突いて再び影が接近。

 だが今度はオレに抱きつこうとする挙動で両手を広げてきた。

 だが、ビックリすることにたったそれだけの挙動に対して、オレの体は危険信号を発して『死の回避』が発動。

 後ろの燐歌を無視した回避行動をしようとしたが、それを抑え込んで踏みとどまる。

 何が起きるのかは知らないが、ここで避けるわけにはいかない!

 死ぬかもしれない影の行動に反射で動こうとする体を押さえつけるという命令で動きが止まってしまったオレが、影に抱きつかれる直前。

 オレの後ろから白い影が迫る影へと突進してそれを阻んだかと思うと、勢いそのままに影を倒して床に伏せる。

 

「美麗!」

 

 それを行なったオレの仲間、美麗は、影を押さえつけながらオレを見てウォン! と1度吠えて何かを訴えてくるので、何かと思えば、押さえつけられている影が内部から膨張していて、赤々となりながら熱を生み出しているのだ。

 それを確認して慌てて近くのテーブルを立ててバリケードを作り燐歌を守ったオレは、すぐに襲ってきた猛烈な爆発から必死に燐歌を守って、爆発が収まってから燐歌の無事を確認し会議室へと目を向ければ、爆心地である影がいた場所は階下へと大穴を開けて焼け焦げていて、それを直前まで押さえつけていた美麗は部屋の端まで吹き飛んで、綺麗だった白い毛色が赤黒い血の色に染まっていた。

 桜ちゃんは美麗と一緒に部屋に侵入してきた煌牙に覆い被さられる形で爆発から守られたようだったが、盾となった煌牙は力なく倒れてしまっていた。嘘、だろ……

 

「美麗……煌牙……」

 

「沙月!!」

 

 オレがその光景に思考が回らなくなりそうになったところで、ほぼ同時に燐歌も大声をあげたため、それで思考を呼び戻したオレは燐歌を見ると、そこには爆発の余波でできた瓦礫で頭を強打し意識をなくして倒れている沙月さんの姿があった。

 その沙月さんに泣きながら必死で声をかける燐歌を見て放心してる場合じゃないと完全に覚醒したオレは、桜ちゃんに救急の連絡をするよう指示して外れた肩を力ずくで入れ直してから沙月さんの頭の止血と容態を確認し、下手に動かさないよう言ってから、血まみれの美麗と煌牙を診る。

 が、ヤバイ。出血もそうだが、なにより傷が深い。意識もないようだし、止血だけではどうにもならないかもしれない。

 とにかくここも安全とは言えないため、美麗と煌牙をカートに乗せ、沙月さんをオレが背負って桜ちゃんと協力して慎重に下の階へと運んで駆けつけた救急へと引き渡してそのまま病院へ。

 美麗と煌牙は動物病院へと運ばれたので、そちらには貴希と小鳥を向かわせた。

 ――オレは……何をやってるんだ……リーダー、失格だ……

 沙月さんを乗せた救急車の中でオレは、そうやって自分の力のなさがどうしようもなく情けなく思っていた。

 病院に着いてすぐ、沙月さんは治療室へと運ばれていったが、そこまでに命の危険はないということは言われていたのでひとまずは安心だったのだが、今は沙月さんよりも燐歌の方が問題だろう。

 昨夜、オレに秘めていた気持ちを吐露した際に自分のそばにはもう沙月さんしかいなくなると言っていた燐歌が、心穏やかでいられるはずがない。

 現に今も治療室の前のベンチで俯いていた。

 オレもオレで美麗と煌牙のことが気がかりで燐歌に気の利いたことを言えなくて、代わりに桜ちゃんが燐歌の隣に座ってくれている。

 ダメだ。オレがこんなんじゃこの先また何かあったら確実に崩れる。

 集中しろ。冷静になれ。今するべきことはなんだ。

 落ち込む燐歌の姿を見ながらにこれからどうするべきかを考えようとしたところで、不意にベンチから立ち上がった燐歌はフラフラと移動を始めて、桜ちゃんが慌てて止めるが……

 

「お母様のところに行くの……止めないで……」

 

 そう言った燐歌は桜ちゃんを振り払って歩くのを再開してしまい、仕方なく沙月さんの方を桜ちゃんに任せてオレがそれに同行。

 そういえば燐歌の母親が入院してるのもこの病院なのか。

 それで移動した病棟の個室へとやって来た燐歌は、ノックもせずに扉を開けて中へと入ると、そこに備えられた1基のベッドにいた母親へと何も言わずに泣きついてしまう。

 母親は突然の訪問に何が何やらといった雰囲気を出すが、すぐにすすり泣く燐歌をなだめて優しく頭を撫で始めた。

 その様子をなんとなく見ていたオレだったが、このタイミングで携帯が着信を知らせてきたので、ここが携帯の使用が大丈夫なのかを燐歌の母親に確認して、通話に応じる断りを入れてから小声で応対する。

 

『京夜先輩、いま美麗と煌牙が運ばれた動物病院に着いたんですけど、その、獣医さんのお話だと非常に危険な状態で、いま息があるのが奇跡に近いということで……その……必死に治療してくれてますが、いつ息を引き取ってもおかしくないと……』

 

「…………わかった。小鳥はそのまま美麗と煌牙についててやれ。必要なら美麗達の声を聞いて獣医に協力。それで何か変化があったら連絡。貴希はこっちに向かわせてくれ」

 

 気持ちとしては今すぐにでも美麗と煌牙の元に行きたいのだが、それをグッと堪えてリーダーとしての指示を出し、それにはオレの心境を察して、小鳥も特に何も言うことなく返事を返して通話を切る。

 今、小鳥に何か心配するようなことを言われたら危なかったかもしれない。

 美麗と煌牙については祈るしかないだろう。生き繋いでくれさえすれば、オレはそれ以上を望まない。死ぬなよ……

 オレが祈るような思いで携帯を懐にしまった後、泣き止んだ燐歌が涙を拭いて顔を上げ、オレを近くへ来るよう言うので燐歌の隣まで移動すると、いきなり燐歌の母親にお礼を言われてしまって言葉に詰まる。

 確かに燐歌を守ることはできたが、結果は散々だ。お礼を言われても謙遜することすらおこがましい。

 とりあえずその場は短く一言二言で返事して病室をあとにし、再び沙月さんのいる治療室前まで戻ると、ちょうど処置を終えた沙月さんが病室へと運ばれるところで、それを見た燐歌が慌てて駆け寄るが沙月さんは意識のないまま。

 医者の話では脳に異常はなく、奇跡的に裂傷と打撲だけで済んだので、今日か明日にでも目を覚ますだろうということだった。

 それから病室へと運ばれた沙月さんに寄り添い沈黙した燐歌。

 それをオレと桜ちゃんはただ見てることしかできなかったが、少しして貴希が到着し燐歌に今日はどうするかを問うと、家には帰らないと言うので、オレ達もそれに合わせて行動を決定する。

 貴希と桜ちゃんには今ごろ警察が来ているであろう騒動が起きた現場へ行って検証と情報収集をしてもらい、幸帆には1人で心許ないだろうが自宅での待機と仕入れた情報の分析と整理を指示。

 羽鳥の方は音信不通になったが、誰か連絡を受けた場合に知らせるように言っておいた。

 桜ちゃんと貴希が行った後は、病室にはオレと燐歌と穏やかな呼吸で眠る沙月さんだけとなり、いつの間にか陽が沈みかけていた外の景色に1度視線を向けてから、少しだけ話をしようと燐歌に話しかける。

 

「……私を責めないのですか?」

 

「…………何であなたを責めるのよ。あなたはあなたの役目を果たした。そこに至らなかったところは一切なかったわ。私は感謝してるし、お母様もお礼を言っていたでしょう」

 

「……今日はもういいですが、明日から会社の方は……」

 

「…………沙月さんが目覚めるまで行かない……行けないよ……」

 

 オレの問いに対して沙月さんから目を離すことなく答えた燐歌だったが、帰ってきた言葉にはいつもの力強さがなく、聞いただけで心が折れかけているのがわかってしまう。マズイな……

 

「口を挟むことではないですが、いま燐歌様が折れたら、会社は……」

 

「わかってる……わかってるわよ……」

 

 燐歌も頭ではわかってるのだろう。

 しかし心が疲弊してしまっていて前に歩き出せなくなっている。

 正直、まだ完全に心が折れていないのが不思議なほどだが、ここで足踏みをしたら今までの苦労が水の泡となってしまうかもしれない。

 それだけはなんとかしてあげたいが、ここで燐歌に鞭を打っても逆効果になりかねない。

 なのでオレは燐歌の自力での再起を願いつつ、それ以上は何も言わずそれ以降は沈黙。

 その間にようやく余裕が出てきた頭で情報の整理をする。

 はっきりしたことは、今回の襲撃で沙月さんの疑いは晴れたこと。

 影の襲撃の直前と直後に沙月さんの表情もチラッと見たが、その顔には嘘のつきようがない驚きの色が浮かんでいた。

 あれは演技では出せない自然な表情だった。

 そしてその襲撃してきた影を操る人物。そいつが幸姉と同じかそれに近い超能力を使っていたこと。

 それなりに幸姉の超能力を見てきたからわかるが、あの槍は少なくとも幸姉と同じ言霊符。使い捨ての能力なので燃やして処分する手段も同じだった。

 あの影自体はまた別の何かだが、羽鳥もあの影の爆発能力でやられそうになったと考えていい。

 その後の羽鳥の安否も気になるところだが、あいつも伊達でSランク評価をもらっていない。無事だと信じて連絡を待つ。

 何にしてもまずは足りない情報を集めて策を練るしかない。

 それで桜ちゃんと貴希の帰りを待つことにしたオレは、依然として眠る沙月さんから目を離さずにいる燐歌を見ながら、乱れていた集中を高めて警護に専念するのだった。



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Bullet53

 

 燐歌への襲撃から8時間。

 外は完全に夜の闇に覆われて、その間にずっと意識のない沙月さんに寄り添っていた燐歌が、穏やかな寝息を立てながら椅子に座ったままベッドに体を預ける形で寝てしまう。

 時間も夜の10時を少し回った辺りで、当然と言えば当然の休息。

 そんな燐歌に毛布をかけてあげて、オレもそろそろ戻ってくるであろう桜ちゃんと貴希を待ちながら体を休めていた。

 それで桜ちゃんと貴希が来るより早く携帯に着信があり、誰かと確認すれば相手は幸帆。

 一瞬、小鳥からの電話かと思ってしまったオレだったが、すぐに切り替えて通話に応じる。

 

『姉上と連絡が取れました』

 

「で、何かわかったか?」

 

『それが……よくわからないんです』

 

 オレは病院に来て落ち着いてから1度、幸帆へと指示を出すために連絡を取っていたが、その際に幸姉から話を聞くように指示していた。

 理由は単純。

 見えざる敵が幸姉と同じ言霊符を使ってきたので、もしかしたら『あの組織』と関係があるかもしれないと予測したから。

 あそこの理念を考慮するなら、幸姉の言霊符が扱えるやつがいてもおかしくない。

 そう思っての指示だったが、何やら幸帆から芳しい返事が返ってこなくて説明を要求。

 

『姉上の超能力は魔眼以外……つまりは言霊符ですね。それは日本では割とオーソドックスな5大元素を自然の循環の中で操るタイプの超能力で、日本だけでも力の大小を考慮しなければ扱える人はそれなりに多いそうです。ですから特定の人物をしぼり込むといったことは難しいと』

 

「だが、報告した影の方なら何か特定できる要素があったんじゃないか?」

 

『そちらもこれといって心当たりはないということでして……でも、何か言葉に詰まった感じを携帯越しに一瞬。もしかしたら何か知っていて「教えられないことがあった」のかと勘ぐったりしたのですが……京様の名前を出した上でのお話だったので、思い過ごしでしょうか』

 

 幸姉でも知らない、のか?

 うーん、てっきり『イ・ウーの残党』の誰かかとも思ったが……

 一応もう1人、2人聞いてみるか。

 

「幸帆、繋がったらでいいが、ジャンヌと理子と……夾竹桃……は無理かな。とりあえず追加で3人にも当たってみてくれ。ひょっとしたら何か掴めるかもしれない」

 

『わかりました。お三方の共通点がよくわかりませんが、できるだけ当たってみます。桜ちゃんからの追加情報も整理して、気付いたことがあれば改めて報告しますので』

 

 まだ武偵としては駆け出しのはずの幸帆だが、なかなかに落ち着いた様子でオレの指示なしでも動くところは動いてくれて助かる。

 実際のところ理子やジャンヌはオレから聞いた方が余計な手間が省けるだろうが、今は警護任務中。

 あれもこれもとやって本業が疎かになれば本末転倒。分担できる役割はそうするべきなのだ。

 幸帆との通話が切れた後、30分ほどして現場検証へ行っていた桜ちゃんと貴希が帰ってきて、その際に食料の買い出しもしてきてくれたようで、その中からおにぎりとお茶をもらって、燐歌を起こさないよう注意しながら報告会。

 ここまで自前の車で走り回ってた貴希は、明日に備えて燐歌の送り迎え用の車に乗り換えに1度帰宅。

 

「現場を拝見させてもらって、警察の鑑識からもお話を聞いてきたのですが、襲撃された羽鳥さんの車とその周辺にも、会議室の方にも犯人に繋がるような証拠物は一切見つかりませんでした。鑑識がただの現場事故なんじゃないかと疑うほどに、何も」

 

「あの影の破片か何かでも出てくればと思ったが、それすら出てこないか……」

 

「羽鳥さんの車の爆発の際、それを近くで目撃した人物の証言では、羽鳥さんと美麗と煌牙が車から転げ出るようにして飛び出した直後に、空から黒い物体が車に物凄いスピードでぶつかってきて爆発したとか。その黒い物体が私達を襲った影と同じものだと見て間違いなさそうなんですが、何か1つでも手掛かりをと思い粘ってみたのですが、何の収穫もなく帰ってきてしまって申し訳ないです……」

 

「……桜は超能力者との戦闘経験はあるかな?」

 

「いえ。正直どう対処していいのかわからないほど思考が追い付きませんでした」

 

「『何でも持ってる桜さん』も、超能力者との戦闘経験は持ってなかったってな」

 

「そういう意地悪な言い方は嫌いです」

 

 報告するに当たって収穫を得られなかったと落ち込み気味だった桜ちゃん。

 しかしオレは別にその報告に不満もなかったし、そう落ち込まれても困ってしまうので、この依頼に当たる前に下調べしてわかっていた桜ちゃんの通称を出しつつ気持ちの入れ換えをさせようとしたら、逆効果。難しいな。

 

「経験にないことをした人に最高の結果なんて求めてないよ。それに何の手掛かりも掴めなかったっていうのは、一般の常識から見た見識。超能力ってのはその常識を越えてるんだから、別の方向から見れば、桜が持ち帰ってきた情報にも新しい手掛かりは見つかるかもしれない。こう言った方がわかりやすかったか。悪いな、人を励ますのは慣れてないんだ」

 

「励ますつもりだったなら紛らわしく意地悪みたいに言わないでください……お礼が言いづらいです……」

 

「悪かったよ」

 

 それで少し顔を赤くしてしまった桜ちゃんは、誤解したのを誤魔化すようにしてお茶を口に含んで1拍置く。

 

「…………ありがとう、ございました」

 

「ん? 何が?」

 

「その……今の私への気遣いと……会議室でのことです。猿飛先輩が手を引っ張ってくれなければ、私はどうなっていたかわかりませんでした。その、言いそびれてずっとモヤモヤしてたので、今のと一緒に……」

 

「依頼主を守るのがオレの役目だけど、仲間を守るのもオレの役目だ。武偵憲章にも1条でそう書かれてるだろ。オレはそれに従っただけ。桜が無事で良かったよ。援護にも助けられたし」

 

 1拍の後に急にお礼を言われてビックリしたが、オレはオレにできることをしたに過ぎないし、桜ちゃんだってオレのピンチにちゃんと援護してくれた。

 お互い様だと思うし、目の前の危機をどうにかしようとするのは当然の行動。お礼を言われるのはなんだか痒くなる。

 そんなオレの言葉に桜ちゃんはまた黙ってしまって、すぐに病室の前の廊下を見張ると言って出ていってしまった。

 結局、その日はそのまま適度に休憩を挟みながら病院で一夜を過ごしたオレ達。

 その間に小鳥、幸帆、羽鳥からの連絡はなかったが、早朝の6時を回った頃に小鳥から連絡が入ったので、煌牙に守ってもらったこともあったからか、桜ちゃんが聞き耳を立ててくる中で通話に応じた。

 

『任務中ですので簡潔に報告します。美麗も煌牙も峠は越えました。今は麻酔も効いてぐっすり眠っていますが、怪我は相当深くて最悪の場合は以前のようなスペックで動くことはできないかもとのことです』

 

「そう……か。いや、命を繋いでくれただけで御の字だ。小鳥はそのまま美麗と煌牙について……」

 

『いえ。私もこれから任務に戻ります。美麗も煌牙もちょっとだけ意識が戻った時に揃って「自分達のことはいいからご主人を助けてやって」って。昴はフローレンスさんと一緒にいるみたいですし、昴だけでも合流を図っていて私が定位置の有澤邸にいないと対応できませんから』

 

 まず美麗と煌牙が死なずに済んだことは喜ばしいことだ。桜ちゃんもホッと安堵の息を吐いて、オレも少し笑顔がこぼれる。

 次に聞いた事実では、2匹の今後のことは考えなきゃならないが、今は任務に集中しなきゃいけないので、小鳥には引き続き2匹についてもらおうと思ったら、意外にも小鳥は強い意思を持ってその指示を拒否。

 携帯の音をよく聞けば、どうやら歩きながらで車の走る音もするので、もう移動を始めているようだった。

 それに行動理由もしっかりしてる。こんなところで戦妹の成長を実感することになるとはな。

 

「……わかった。戻ったらまず徹夜してるはずの幸帆に美味しいご飯を作ってやってくれ。それからオレ達も燐歌を連れて戻って会社に行くから、そっちの準備も頼む」

 

『わかりました。着替えと朝食、昼食を用意しておきます。あと昴と会えたら話を聞いて報告しますので。それでは』

 

 長話をするのは申し訳ないと思っていたのか、小鳥は早回しな口調でそう述べてから通話を切っていき、オレ達も燐歌が目覚めてからすぐに動けるように準備を整えておいた。

 問題なのは、起きた燐歌がここから動こうとするかだが……

 小鳥からの報告から1時間弱して、沙月さんに寄り添っていた燐歌が目を覚ます。

 最初は自分がいつ寝たのか把握していなかったようだったが、1度眠る沙月さんの安らかな寝顔を見て笑顔を見せてから、オレに時間を聞いて移動を開始。どうやら会社に行ってくれるようでひと安心。

 それを信じて準備していたオレ達はすぐに動き出してまずは1度帰宅。

 各々着替えや朝食を最短で済ませて30分とかけずに出社。

 燐歌を安心させるために、貴希には病院へ行ってもらい沙月さんが目覚めたら連絡するように言っておいた。

 出社後、燐歌はまず昨日の襲撃の際に半壊させられた会議室の修繕を速攻で片付けて、決まりかけていた企画をまとめて不備がないかの最終確認のために上役を集めての集会後、企画を担当するチームを結成して着手させると、社長室に籠って書類作業に追われていった。

 沙月さんがいないことで作業効率は段違いで落ちてはいたが、昨日の今日で仕事ができているだけでも凄いことだ。

 それにいつもより時間は押しているが、全部終わらせるまで帰るとは絶対に言わないだろう。そういう子だ。

 そうして燐歌の奮闘を見守りながら、昼前から降り始めていた雨が段々と強くなってきたのを確認しつつ、貴希から沙月さんが目を覚ましたと連絡があったのは、「もう少し……もう少し……」と呟きながら作業をしていた燐歌がダウン寸前になる夕方の5時を回る頃。

 それで沙月さんが目覚めたことを燐歌へすぐに伝えれば、それで目に見えて作業効率が上がったが、もう本当にあと少しだったのか、数分で作業終了。速攻で病院へ向かうと言って移動を開始した。

 が、肝心の貴希が今まで病院にいたこともあり、結果として会社のロビーで貴希を待つ羽目となり、物凄く落ち着かない様子で同じところを行ったり来たりする燐歌に苦笑。

 そんなタイミングでまたもオレの懐の携帯が振動し、相手を見ると小鳥だったため、燐歌に通話に出る断りを入れてからそれに応じると、小鳥は酷く焦ったような口調でオレに情報を伝えてきた。

 

『今さっき昴がずぶ濡れで戻ってきたんですけど、昴が言うにはフローレンスさんが酷い怪我をしたみたいで、今も雨の降る場所で身動きがとれないみたいなんです。この雨で追っ手は撒けたみたいで、それで昴もようやく単独で動けたと』

 

「それで、羽鳥の居場所は?」

 

 どうやら昴が戻ってきたらしく、その昴が言うには羽鳥のやつが負傷して動けずにいるというので、どこにいるのかを問いかけると、丁度そこで貴希が会社の前に到着。

 しかしオレは小鳥から伝えられた場所を聞いて、急いで貴希を移動させ、悪いと思いつつも燐歌にはオレと桜ちゃんと一緒に移動してもらって、会社の裏口へと向かう。

 裏口から外へと出て、近くにあったゴミ集積場に近寄ったオレは、そこに積まれたゴミ袋のいくつかをどけて、その中にいた雨に濡れて全身ボロボロで意識のない羽鳥を引っ張り出して背負うと、裏口に回ってきた貴希の車に押し込んで座席に寝せ、燐歌と桜ちゃんも乗り込んでから病院へと直行。

 

「すみません燐歌様。お車を汚してしまって」

 

「い、いいわよそんなこと。それよりその男の人、大丈夫なの?」

 

「わかりません。とにかくこんなに衰弱してる中で、濡れた服を着てたら体温が下がって危ないです。脱がせますので、抵抗があれば見ないようにしてください」

 

 車が出発して早々に、燐歌の許可を得てから羽鳥の衣服を脱がせるが、燐歌は男への免疫が低いのか、顔を背けた上に目までつむっていた。

 しかしそんなことは今はどうでもよく、何の躊躇もなく上半身を丸々晒した羽鳥の体には、すでに完璧な包帯巻きで右脇腹の止血も完了させてあったが、この雨のせいであまり意味のないものとなってしまってる。

 続けて下のズボンを脱がせてみれば、こちらには右足に火傷があり、処置はされていたが最低限のもので、ちゃんと治療しないとダメだな。

 と、そこまで容態を見たところでオレはあることに気付く。いや、気付いてしまったというのが正しいか。

 今や黒のボクサーパンツ1丁になってる羽鳥。

 こうして全身をまじまじ見るのは初めてだったが、直接見た羽鳥の体は、明らかに男の体格をしていなかった。骨格など、腰の辺りはまさにそれそのものだった。

 こいつ……『女』だったのか……

 羽鳥が女だったという衝撃の事実――桜ちゃんも貴希も燐歌も男の半裸とあってまじまじと見てないからか気付いてないが――はあったが、グダグダとやってる場合でもなかったので、その後すぐにタオルで体を拭いてからオレと桜ちゃんのスーツの上着を被せた羽鳥を、辿り着いた病院に担ぎ込んで病室に。

 幸いなのか衰弱と軽度の体温低下だけで傷の処置はもうやる必要がないほど完璧だったらしく、包帯を巻き直すだけで終わり、足の火傷も見た目ほど大したことはないそうで、羽鳥もそれがわかってて冷やす程度に終わらせていたようだった。

 一応点滴をして体を休める形で落ち着き、今は貴希についてもらって自然に目覚めるのを待つこととして、オレと桜ちゃんは燐歌について目覚めた沙月さんのいる病室に来て、2人の微笑ましいやり取りを部屋の隅で静かに見ていた。

 それから元気な沙月さんに会って安心したのか、燐歌は割とすぐに帰ると言い出し、てっきり今日も病院で一夜を過ごすと思っていたオレ達は、それに合わせて貴希も羽鳥から離さないといけなくなったため、貴希の支給用携帯と起きたら連絡するようにとの置き手紙を残して帰宅。

 帰宅後は今日の多忙で燐歌もすぐにダウン。夜の8時にはベッドで寝息を立て始めた。

 羽鳥からの連絡があったのはそれからわずか1時間後。

 予想よりも早い目覚めに多少驚きつつも通話に応じると、やはりまだ本調子ではないのか声からも気怠そうな感じが伝わってきた。

 

『取り急いでここ最近の状況を報告してくれ。最優先は君達もあの日、襲撃を受けたかどうかだ』

 

「それは構わないが……」

 

『ん? なぜ君は私に対する警戒心を解きかけているんだ? 気持ち悪いからいつもの調子で頼む』

 

 挨拶も一言で済ませて早速本題に移ってきた羽鳥に対し、オレが歯切れの悪い返しをすれば、それだけで羽鳥はオレの変化に気付いていつもの調子で言葉をストレートにぶち込んでくる。

 

「いや……お前、女だったんだなって」

 

『……は? 何を今さら。君ならとっくの昔に気付いていると思っていたがね。しかしそれなら君はおそらく私の体……下半身かな? でも直に見て確信したのだろう? そこから来る罪悪感がそうさせてるなら、やめろ。私は私を女だと思っていないから、男に裸体を見られたところで何とも思わない』

 

「いや、骨格とかその辺で気付いたんだが、第一、そんなこと普通は疑わないんだよ。お前、男子寮に正式に入寮してきたし、制服だって男子用の着てんだろ」

 

『一応言っておくが、私は性別に関して一言も自分が男だとは言ったことはない。武偵手帳にもちゃんと性別は女で登録されている。しかし私は女の格好を……ひいては女として振る舞うことを拒絶している。それを転入時に話せば、綴先生がそう計らってくれたに過ぎない。制服も許可を得て着ている』

 

 要するにこいつは武偵で言うところの『転装生(チェンジ)』。

 男子が女子の姿で、また女子が男子の姿で性別もそれとして武偵高に通うことを認められた生徒のことだが、その数は1学年に1人か2人程度。

 しかしそれはあくまでそういう格好をしているだけであったり、特殊な状況下を想定したケースがほとんどで、羽鳥の場合はそれとはまた違うちょっとした事情があるのかもしれないことが話から何となくわかる。

 羽鳥が言うように、以前から女らしい仕草など一切したことがなかったし、風呂上がりに上半身裸でバスタオルを肩からかけたスタイルで歩いたりしていたため、そんなやつをまじまじ見ることもなかったし、失礼だが胸も男と変わらないほど発育していない。

 だから性別を疑わなければ気付けなかった。こいつへの警戒心も、結果として距離を取ることとなり、気付けなかった原因の1つだろう。

 それに羽鳥が自分のことを話さなかったのは、武偵が自分の情報をホイホイ話したりしない秘匿性を重視するから。

 だから話さなかったことを責めるのは筋違い。

 

「……わかった。お前の性別についてはもう何も言わない。これまで通りお前を男だと思って接する。それでいいんだな?」

 

『…………ふふっ。私が女だとわかって強く嫌悪感を抱けなくなったのか? 甘い男だ。それは差別と何ら変わらない扱いだと自覚しろよ』

 

 それはわかってるつもりだ。

 こいつが男であろうと女であろうと羽鳥であることに変わりはない。

 こいつはムカつくしイライラさせられるが、だが女だとわかるとどうしても男以上に強く言えなくなる。悪い癖だ。

 

『しかし、私もその差別をしている人間の1人だ。だから君を否定もしないさ。女尊男卑。私は男に対して遠慮はしない。男なんて……大嫌いなんだよ……』

 

「じゃあ、何でその大嫌いな男の振る舞いをするんだよ」

 

『……君は私に好意でもあるのか? 告白はやめてくれよ。気持ち悪くて吐き気がする。それにヴァージンも6年前に喪失しているから、君が初めてになるわけでもない』

 

 やっぱりこいつが女でもイラつくのに変わりないな。男だ女だ気にしてるオレがバカみたいに思えてきた。

 あっちはいつもと変わらないのに、オレだけ調子が狂ってる状況も気に入らない……

ん? サラッと言ったが6年前ならこいつ、11歳で経験したのかよ……犯罪臭がするぞおい……

 

『まぁこれを最後の質問として本題に入ろう。私がそうする理由はただ1つ。私の大嫌いな男から最も遠い……つまりは女性から嫌われない男性を自ら体現するためさ。もちろん万人とはいかないまでも、私は女性が嫌だと言うことは絶対にしないし、押し引きは見極めている』

 

 そんな衝撃の事実も軽く流して質問の答えを返した羽鳥。こいつにとって初体験ってそんなもんなのか……

 というのは置いておいて、どうやらこいつの男嫌いが男装化の根底にあるようだが、それを掘り下げると言うことはこいつの影の部分を知ることになりそうなのでやめておく。質問も終わりのようだしな。

 それから話を本題へと戻して、昨日の羽鳥との通話の後に起きた出来事をなるべく丁寧に話し、質問にも1つ1つ答えて、それら全てを終えてから少しの間沈黙した羽鳥は、全ての情報を吟味するようにこちらからはハッキリ聞き取れない小声でブツブツと内容を整理してから再び口を開いた。

 

『……よし。君の情報が正確なものであると信頼した上で、私の推測が正しければ、今回の事件の犯人は……』

 

 そうして告げられた犯人の名前に、オレは信じられないほどの衝撃を受けたのだった。



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Bullet54

 羽鳥が目を覚ました夜から一夜明け、今回の後継者問題で生じた事件の真相がわかったと豪語した羽鳥に促されるまま、朝の早い時間に燐歌を起こして会社へと向かう前に事件解決のため羽鳥と合流を図る。

 そしてその場所は、昨日行ったばかりで羽鳥が入院している病院。

 昨夜に事件の犯人だけ聞かされたオレは、未だ半信半疑のまま燐歌、桜ちゃん、貴希と一緒に病院へと辿り着き、とある病室の前の廊下で壁に背を預けて、いつもの武偵高制服に身を包んだ羽鳥と合流。

 今は必要がないと判断したので、羽鳥が女であることは桜ちゃん達には黙っているが、こうして改めて女だとわかって見ても、羽鳥のその動作や仕草に女らしさを感じないのは凄いことだ。

 

「……来たね。さぁ、解決編といこうか。そしてお初にお目にかかりますね、燐歌嬢。私は羽鳥・フローレンスと申します。これからこのたび起きた事件の真相を暴きますが、どんな真実であっても気持ちを強くお持ちください」

 

「えっ? それってどういう……」

 

 合流して早々、羽鳥は英国紳士らしく燐歌に丁寧なお辞儀で挨拶をしつつ、意味深なことを述べてからオレ達にアイコンタクト。

 言われた燐歌はこれから起こることに動揺が生じていたが、羽鳥はそれを一旦無視してオレ達へ背を向けると、そのタイミングで近くの病室の扉が静かに開き、そこから仕事に向かうためのスーツに身を包んだ沙月さんが出てくるが、すぐにオレ達の存在に気付いて動きを止める。

 

「本庄沙月さん。仕事熱心な姿勢は好感を持てますが、1度病室へお戻りください。お話ししたいことがありますので」

 

「なんですか突然……燐歌様までいらっしゃって……」

 

 出会って早々、羽鳥は言いながらこの事態に思考が追い付いていない沙月さんを出てきた病室へと押し戻して、オレ達もそのあとに続いて中へと入り病室のベッドに座らされた沙月さんに対面する形で立つと、羽鳥が事前に用意して欲しいと言って持ってきていた幸帆が事件の詳細をまとめた資料を手に取って話を始めた。

 

「まず始めに私は今回、彼女らが燐歌嬢の護衛についた日から別行動を取り、影ながらに動いていた者です。その最もな目的は燐歌嬢の2人の姉を殺害した犯人を特定し捕まえること。そうすることで燐歌嬢に迫るであろう脅威を取り除け、我々もその時点で撤収できます。武偵憲章8条にも『任務は、その裏の裏まで完遂すべし』とありますから、行きすぎた行動でもありません。事実、燐歌嬢と沙月さん両名とも、このタイミングまで私が彼女らの協力者であることがわからなかったはずです」

 

 彼女らの括りに入れられるのはこの上なく違和感があったが、ちゃんとオレを女性として扱ってる辺りは配慮がされている。

 こいつが男であるという認識はどうなのかというと、燐歌も今はそこまで意識が向いていないらしい。女性限定とはなんだったのか。

 そんなことはさておき、そこまでの話に首を縦に振ったりして、2人ともが肯定を示す仕草をし、それを確認した羽鳥も「そうでしょうね」と漏らす。

 

「しかし先日。燐歌嬢が襲撃を受けた日に、ほぼ同じ時間に私も襲撃を受けて、執拗な追撃によってあと少しで命を落とすところまで追い詰められました。襲撃の際の詳細を京奈から確認したところ、私を襲った犯人と燐歌嬢を襲った犯人は、その手口からして同一犯であることは間違いないことがわかりました」

 

 それもオレ達は情報を集めてわかっていたし、別段驚くところではないが、だからこそこいつの推理は納得がいかない。

 そこを今から説明してくれるのだろうが。

 

「それを踏まえた上でお話ししますと、私は襲撃されるそれより前に京奈達ととある可能性を考慮して沙月さん、あなたをマークしていました。今回の事件の容疑者として、ね」

 

「じゃあ、沙月はもう犯人じゃないわよね。だってあの襲われた日に私達と一緒にいて、怪我までしたんだから」

 

 羽鳥の説明に割り込む形で燐歌はすかさずそう言ってその可能性を否定し沙月さんを庇う。

 そう。あの時点で沙月さんが容疑者である可能性は無くなった。それがオレ達の判断。

 

「ええ。沙月さんが犯人であるならば、あの襲撃は予測して対処できて当然。タイミングだって選べたでしょう。しかし実際は襲撃の際に京奈が見た沙月さんは本当に襲撃など予測してなかった表情をし、どう対応していいのかわかっていなかったと聞いています。京奈が見間違える可能性が低いと判断するならば、これが演技でないことは十中八九間違いなく、この時点で沙月さんは犯人ではない。誰もがそう思うでしょう。しかし、私はこの事件の容疑者からまだあなたを外せずにいる。むしろ容疑者としてますます怪しくなった」

 

 これだ。こいつは何を疑ってそんなことを考えているのか。

 オレ含めて全員が未だ疑問に思い、聞いていない推理。

 どんな推理を披露してくれる。羽鳥・フローレンス。

 

「まず今回の事件における犠牲者。燐歌嬢の2人の姉の死因について考えましょうか。2人はいずれも薬物による毒殺。方法こそ違いはありますが、特定の人物を狙った『ピンポイントの殺害』です。これができるのは間違いなく会社内部の人間。それも彼女達が『近付かれても警戒しない人物』が最も犯行に及びやすい。それに当てはまる人物は会社内では家族と、幼い頃からの世話役としても面倒を見ていた沙月さん含む創設メンバー3人くらいです。沙月さん以外の2人にはすでに面識がありますが、心理学もかじっている私から見た両名とも、2人がお亡くなりになって本当に悲しまれていました。あの精神状態になる人間は犯人にはなり得ない。野心があれば尚のことです。そして此度の襲撃。沙月さんが犯人であるならば、どうしても不可能なことが1つ。私の存在を知らないはずのあなたが、私を見つけて襲撃することなど出来るわけがない。さらに燐歌嬢を襲った犯人は、これまでのピンポイントな殺害とは違い、『周囲を巻き込む殺害方法』に及んでいる。つまりは強引な強襲。余計な被害を出さないようにしていた2つの犯行とは明らかに手口が違う。この2つを無理に結びつけようとすれば、沙月さんの容疑は晴れますが、だからこそ考えたのです。2つの犯行と襲撃は『別の実行犯である』と」

 

 羽鳥の推理に我ながら少し納得してしまった。

 確かに先の2人の殺害と、今回の襲撃ではその手口に明らかな違いがある。しかも襲撃の際の超能力は現場に証拠となる物を残さないほど高性能。

 これなら始めから使っても何ら問題はないはずなのに、証拠が残るかもしれないリスクを背負う毒殺を選んでいるところを考えれば、実行犯が違うこともあり得る。いや、そうとしか考えられなくなる。

 だが、それでもまだ沙月さんが容疑者として疑われ続ける大きな理由には至っていない。

 そこまでの話に表情1つ変えない沙月さんだが、オレと同じような疑問があるのか、話の続きを促すようにただ黙って羽鳥の話に耳を傾ける。

 

「ではこの実行犯が違うケースに当てはめて推理してみましょう。先日の襲撃犯と沙月さん、あなたが協力関係にあるならば、やはり襲撃はあらかじめ知っていて然るべきだ。何故なら協力関係にあるのだから。しかし実際あなたは襲撃を予測することもできずに挙げ句、怪我をし入院する羽目にまでなっている」

 

「ですからそれが真実なのではないですか。私が燐歌様の2人の姉を殺していなく、犯人は別の誰かであると。これで何をまだ疑って……」

 

「ごく稀に、ですがね。自分を容疑者から外すために『犯行現場に居合わせて潔白を晴らす手段』が用いられることがあります。自分は犯行現場にいたから、この事件とは関係ないと証明して見せることで、アリバイを立証する方法ですね。今回はそれが『あなた』の狙いになった。過去形なのは結果としてそうなったからで、あなたがそうしようとしてできた結果ではないから。本来、あなたは警察にもほとんど疑われていなかった立場。疑いを持って動いていたのは、あなたと燐歌嬢にそれを伝えていなかった私達だけ。こんな小さな武偵の集まりが動いていただけにも関わらず、あなたが感知できてもいなかった動きに対して、しかし襲撃は行われた。つまりこれはあなたが企てた計画ではなく、『協力者』の都合で勝手に行なわれたことなのでしょうね。おそらくこのまま私達が動くことで、元々安全圏にいた協力者の存在が見えてしまう可能性があった。それを防ぐ意味と、あなたを容疑者から外すための手段として私と燐歌嬢を襲撃した。向こうは私達を殺すつもりだったのでしょうが、それが叶わなかったことで私達は協力者の存在を確信し、こうして今この場にあなたはいる。協力者はどうやら相当の人物のようですね。自分に容疑がかけられる行為であるにも関わらず、捕まらないと言ってるようなものなのですから。事実、その存在は確信していながら、あなた以外に手がかり1つないわけですが」

 

「あの、羽鳥さん。協力者の存在と行動についての推理には納得できますが、沙月さんが犯人であるという確信を私はまだ得られないのですが……毒殺に関しても親しい仲でなければできないということもありませんし……」

 

 そこまでの話を黙って聞いていたオレ達の中で、遠慮しつつも的確なことを尋ねた桜ちゃん。

 決め手に欠ける。それはオレも思っていたし、それもなしに沙月さんを犯人だと断定もしないだろう羽鳥の性格もわかってる。

 まだ何かあるのだろう。これ以上何が出るのか。

 

「タイミング。これが重要なのさ。私達……いや、具体的には私がだが、沙月さんを疑い始めたのが襲撃の日の2日前。それも夜のことで、実際に行動に移したのが翌日からだから、実質前日のみだ。そうして私達が動き出したのを協力者は敏感に察知し、私の存在まで見つけ出し対策を打ってきた。物理的排除という形でね。この際手段はどうでもいいんだけど、要は……」

 

「『私達が沙月さんのことを疑ったことで、アリバイ工作とミスリードを狙いつつ障害の排除をしようとした』。この行動が沙月さんを犯人だと示してしまった」

 

「その通り。さすがは京奈。なんにしてもタイミング。この対応の早さが仇になり裏付けになったというわけさ」

 

 恐れ入った。

 オレ達は完全に襲撃の後は犯人は外部の人間だとミスリードされ、襲撃の目的さえも燐歌の殺害だと思い深く考えなかった。

 

「……では私がこの度の事件の犯人だとして、その目的は? 私がそんなことをするメリットがあるとは思えないのですが」

 

「メリット? そんなもの最初からあなたは考えていないでしょう。目的はただ1つだ。ここにいる燐歌嬢が『社長になるに相応しい人物であることを証明するため』」

 

 羽鳥の推理に対して、未だに表情を変えなかった沙月さんだったが、そんな質問をして返ってきた言葉に対して、初めてその表情を変えた。無表情から、驚きの表情へと。

 羽鳥の報告にあったが、沙月さんと燐歌の姉についていた2人のビジネスパートナーは、社長の癌が発覚する前に次期社長は誰が相応しいかを議論していた。

 その時の沙月さんの熱の入り様は凄かったと他の2人に言わせるほどに熱く。

 

「…………その口ぶりから察するに、あの2人から聞いたのでしょうね。燐歌様が社長になって、お1人でも立って歩けるまでになった時に、警察に自首して全てを明かすつもりでした……」

 

 その言葉が決め手になったのか、沙月さんは観念したように独白をして、オレの隣に立っていた燐歌へとその視線を向ける。

 

「燐歌様、申し訳ありませんでした。私は燐歌様こそが社長になるに相応しいと思っていましたが、それを決める時期がこんなにも早く訪れてしまい、年齢的にもまだ幼い燐歌様では必然として後継者から外されてしまう。それが私は納得がいかなかった」

 

「だから姉様達を? そんなことのために沙月さんは……」

 

「燐歌様が社長になることは、私の夢であり、一番の喜びだったんです。それさえ叶うならば、私はどんな罪も背負い、罰を受ける覚悟はありました。だって燐歌様は……燐歌は私にとって、娘に等しい存在だから……」

 

 そうして語った沙月さんの目からは、次第に大粒の涙がこぼれ始め、沙月さんの言葉に燐歌も涙を流す。

 が、2人が流す涙の理由はきっと、違うものだろう。

 燐歌はそうまでして自分を想ってくれていた沙月さんへの喜びと犯してしまった罪に対する深い悲しみ。

 沙月さんは、燐歌に真実を知られてしまったことへの謝罪と、犯した罪を悔いる後悔。

 深すぎる愛ゆえに起こった今回の事件は、いくつかの偶然が重なってしまったことで起きたもの。

 もしも沙月さんが次期社長の議論をしていなければ。

 社長が癌による余命宣告を受けていなければ。

 あるいは起こらなかったかもしれない。

 そんな悲しい事件だった。

 

「……まだ終わりじゃない」

 

 しかしこの事件はまだ終わっていない。

 そう思ってオレが口を開けば、羽鳥もそうだと言わんばかりに涙を拭った沙月さんに視線を向けて口を開く。

 

「あなたの犯行に荷担・協力した者の名前を教えてもらえますか?」

 

「それは……つちみ……んぐっ!?」

 

 この事件にはまだ、姿なき協力者がいる。

 そいつを暴こうと羽鳥が沙月さんに問いかけ、沙月さんがその名前を口にしようとした瞬間、いきなり沙月さんの口元に何かの文字が書かれた包帯のような紙が巻き付いて沙月さんの口と鼻を覆ってしまい、それで呼吸ができなくなった沙月さんはそれを剥ぎ取ろうともがくが、紙のはずのそれはガッチリと沙月さんに巻き付いて取れる気配がなかった。

 このままじゃ沙月さんは窒息死してしまう!

 

「口封じか!」

 

 それを見て羽鳥はすかさず毒づきながら沙月さんから紙を剥ぎ取ろうとしていたが、力ではどうにもならないようで、あの羽鳥が初めて本気で焦ってる表情を浮かべた。

 この状況に燐歌は沙月さんの名前を叫ぶだけで、桜ちゃんも貴希も完全に対応策を練れずに立ち往生。

 オレもこれが超能力によるものなのは理解してるが、どうすればいいのか判断がつかない。

 あれは何だ? 口封じ……殺すための超能力……遠隔……呪い?

 

『その宝玉に退魔の紋様が刻まれてるの。効力は強くないけど、呪いなんかの類は寄せ付けないよ』

 

 あれはいつだったか。

 確か幸姉が武偵高に姿を現して、七夕祭りの後。久しぶりに会った白雪がそんなことを言っていたんだ。

 何を見て? そんなの決まってる。これだっての!

 あの夏以降、もはやただのお守りと化していた幸姉から貰ったペンダント。

 首から提げることはなかったが、お守りと言われてずっと持ち歩いていたそれを懐から取り出したオレは、それをぶつけるようにして沙月さんに巻き付く紙へと触れさせると、バヂンッ!!

 凄まじい火花のようなものが発生したと思えば、ペンダントは木っ端微塵に弾け飛び、同時に沙月さんに巻き付いていた紙の文字も消え失せたかと思うと、絞めつける力を無くした紙は口許から離れて塵も残さずに一瞬で燃え尽きてしまった。

 

呪詛返し(バウンス)か。どうやったかは知らないが、助かったよ」

 

 それを見た羽鳥が落ち着きを取り戻しながら、言って床に崩れて咳込んでいた沙月さんを診て、燐歌も慌てて沙月さんのそばに寄って心配していた。

 何がどうなったかはわからないが、幸姉のおかげで事なきを得たようだ。

 お守り壊しちゃったのは、後で怒られるか泣かれるのは覚悟して報告しよう……

 その後、それほど間もなく到着した警察に沙月さんの身柄は引き渡され、今回の後継者問題において発生した事件は一応は解決。

 協力者の存在は発覚しつつも、唯一繋がりのある沙月さんでさえ何も手がかりを持っていなかった。

 と言うのも、沙月さんに接触してきた協力者は、その姿も見せることなく、声も明らかに変えた人物で、男か女かも、どんな人物かも一切わからなかったのだ。

 おまけに名前を喋ろうとしたところで口封じをしてきたことから、その名前を知ることを危険視した羽鳥は、警察にもそのことを自白させないように念を押して、自分1人がその名前を聞き出したようだった。

 それから桜ちゃんと貴希には撤収の手伝いをさせるために1度帰宅させて、オレと羽鳥は病院に残っていたのだが、燐歌は沙月さんが犯人だったことに相当なショックを受けて、病院のロビーで静かに泣き続けていた。

 何よりも、これで燐歌は1人になってしまったのだ。

 その辛さは想像するに容易い。再び立ち上がれるかも怪しいところだった。

 そんな燐歌のそばにいることしかできなかったオレだったが、沙月さんが連れていかれた後にフラフラとどこかへ行っていた羽鳥が、俯く燐歌の前で膝をついてその顔を上げさせると、小声で何かをささやいたかと思えば、それを聞いた燐歌は途端、泣くのをやめて立ち上がり一直線に走り出して病院内を行ってしまった。

 

「何を言ったんだ?」

 

「世の中不運ばかりが続くわけではないさ。彼女のような素敵な女性にはそれに相応しい幸運が訪れるものと、昔から決まっている」

 

「幸運?」

 

「実はね。この件を片付ける『もう1つの方法』を解決したんだよ。こちらは望み薄だったが、お声をかけた医者が素晴らしかったようだ。これは私以上の『外科医』だと認めざるを得ないね」

 

 相変わらず回りくどい言い方でイラッとしたが、そこまで言われればオレでもなんとなくわかってしまう。

 燐歌があんなにも急いで会おうとする、この病院内にいる人物など、1人しかいない。

 

「余命宣告を受けていたはずだがな」

 

「だから望み薄だと言った。少なくとも、カルテを見た私は匙を投げる進行具合だったし、依頼した即日でこっちに来て執刀するなど私も予想外だったよ」

 

 そう話しながらわおっ!

 と大袈裟なリアクションをしてみせた羽鳥は本当に驚いているようで、オレもそれほどのことをしてのけた外科医というのが気になりつつも、燐歌のあとを追って母親がいる病室へと向かう。

 そこには手術後でまだ寝たままの母親に泣きつく燐歌の姿があり、その横には執刀したのであろう白衣を着た医者が病室を出ようとしたところだった。

 その医者と相対する形になってふとそのネームプレートを視界に入れたので見れば、そこには『薬師寺』の苗字。

 ……ん? 薬師寺?

 

「あの……いきなりで失礼ですが、京都の出身で、今年で20歳になる眞弓という娘さんがいらっしゃいませんか?」

 

「ん? なんやよう知っとりますな。確かにそうですよ。あんた、眞弓の知り合いですか?」

 

「マジかよ……あの、私は京都武偵高にいた頃に眞弓さんとは同級生でした猿飛きょ……」

 

 そこまで言ってこの場に燐歌がいたことを思い出し本名を名乗るのをためらったオレだったが、猿飛と言ってはもう手遅れ。

 それで向こうもオレが誰かに気付いたようで、眞弓さんと同じ細い目をさらに細めて口を開いた。

 

「猿飛……ああ! 眞弓の言うとった年下の凄い子やの。やけど、眞弓の話では猿飛『京夜』君は『男』や言う話でしたが、聞き間違いですかね?」

 

 がっくし。

 ものの見事に本名と性別を言われたオレは、恐る恐る視線だけ眞弓さんのお父さんから後ろの燐歌に向けると、その燐歌は聞いてはいけなかったことを聞いたように泣くのもやめてオレを凝視。

 あー……もうダメだこれ……

 

「へ……へ……へんたぁぁああああい!!」



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Bullet55

 

「どうしたんです? その頬」

 

「いや、当然の罰を受けただけ……」

 

 事件解決からそれほど時間も経っていなかった頃。

 燐歌の母親が癌細胞の切除に成功したことにより余命宣告が取り消され、それに伴って後継者問題も解決したことで本格的に撤収をすることにしたオレは、迎えに来た貴希に開口一番でそんなことを聞かれてしまい、ついさっき燐歌に手加減なしの超絶ビンタを貰ってまだ赤い手形の出来た頬を擦ってそう返す。

 幸か不幸か、燐歌の母親の癌摘出をした外科医が眞弓さんの父親だったことで、オレが男だとバレる会話を聞かれてしまったことが原因のビンタだが、そんなことも知らない貴希はただ首を傾げてくるのだった。

 燐歌はオレにビンタを浴びせた後から、明らかにオレから距離を取るようになり、オレと目が合う度に顔を真っ赤にして「変態……変態……」連呼するので、もうこちらからも距離を取って視界に入らないようにしていた。

 燐歌の母親の話では男性との接触が極端に少なかった環境で育ったせいで、どう接していいのかわからなくなってるだけということだが、あれはそれだけじゃない。

 まだ母親には言ってないが、オレは家での燐歌のあれやこれな姿をガッツリ見てしまっているので、オレが男だとわかった今、それを死ぬほど恥ずかしく思っているのだろう。

 そんな燐歌の護衛ももう必要がなくなったので、今日は病院から出ないと言う燐歌はまた後で迎えに来るとして、撤収作業を手伝うために有澤邸へと戻ったオレと羽鳥と貴希。

 その道中で、珍しくトゲもなく貴希に聞こえない声でオレに話しかけてきた羽鳥。

 

「事件の協力者についての情報だが、君は知る覚悟はあるかい?」

 

「沙月さんから名前だけ聞いてたんだっけ? それだけで何かわかったのかよ。どうにも危ない奴ってのはヒシヒシと伝わってるが」

 

「危ない? そんなレベルじゃないよ。下手をすれば国1つの命運が左右されるほどの危険人物だ。最近まで『とある組織』に所属していたという噂はあったが、私も正直詳しくは知らない」

 

「……お前はもしかして、アリアが追ってた組織の名前を知ってるのか?」

 

「イエス。 伊達に『闇の住人』などと呼ばれてはいないよ」

 

 やはり協力者はイ・ウーの元メンバーだったか。

 しかも話を聞く限りではパトラやヒルダと同じ主戦派の残党。

 幸姉も名前すら教えるのは危ないと判断したのか。幸帆の感じた違和感は正解だったな。

 

「で、そいつの名前は?」

 

「先に問うたはずだ。君はそれを知って死ぬ覚悟はあるかと」

 

「死ぬ気はないが、それを聞いて殺されるまでには至らないとも思ってるが?」

 

「私がその存在を曖昧にしか認識できていないなら、名前を知った程度では追えるわけもない。向こうがそう思っていると? 参ったね。その通りだ。君も私の思考が読めるようになってきたじゃないか。立派な成長だ」

 

 こいつに褒められても全然嬉しくない。上からの物言いだしな。

 

「では教えるが、あまり口外してくれるなよ。本来は知るだけでも国家機密レベルなんだからね。協力者の名は『土御門陽陰(つちみかどよういん)』。その存在はかの超偵誘拐犯『魔剣』など霞むほどの伝説級の人物だ。性別、年齢、容姿はさることながら、空想上の人物とまで言われているほど正体が謎で、奴が関わった事件は小さなものでは今回のような事件。大きなものでは国1つを滅ぼしたとまで言われている。特筆すべきはその手口だが、奴は犯行を行う人物を自分の望むように動かしてみせて『絶対に主犯にならない』ことが大きい。これが魔剣とは決定的に違う点とも言えるが、その狡猾で悪魔のような手口の恐ろしさから、ある国では大きな事件には全て『裏に土御門陽陰がいる』と言わせしめている。だが、その存在を証明できる者は誰1人としていない」

 

 また化け物かよ……

 しかも聞いてるとあのパトラやブラドと同等かそれ以上の奴だぞこれ。

 超能力者であることは明白だし、こちらからは攻撃すらできないとあっては、敵としては最低最悪だ。

 こちらが一方的に銃口を向けられてるに等しい。追うリスクは高すぎて話にならないな。

 

「先月、私がこの国で逮捕したとある事件の犯人がいたのだが、そいつも裏で土御門陽陰と接触していたようでね。先ほどの沙月さん同様、尋問中に口を割ろうとしたところで窒息死させられた。これは警告だが、決して奴を追おうとするな。追えば死ぬ。たとえ見つけて捕まえられたとしても、奴が関わった事件など証拠の1つも残っていないし、罪にすら問えない。奴は究極的に『完璧な犯罪者』なんだよ」

 

 ――完璧な犯罪者。

 言い得て妙とはこの事か。

 誰が見ても犯罪者であるのではなく、誰が見ても犯罪者になり得ないということ。そんな奴をどうやって捕まえる?

 

「国の機関が追えないような奴をどうやっていち武偵が追えるってんだよ。美麗と煌牙の敵討ちはしてやりたいが、それはオレが未熟だったから起きたことだ。それで躍起になるほどオレもバカじゃない」

「賢明な判断だ。巨悪を討つにはそれだけの覚悟と力が必要ということさ。今の私達では、奴の気分1つで消し飛ぶ小さな存在。こうして息をしていられるのも、奴に余裕があるからこそ。『生かされている』ということ、肝に命じておきたまえ」

 

「…………悔しいな、そういうの」

 

 羽鳥の話を聞いて、素直な気持ちを吐露してみると、羽鳥も同じなのだろう。

 1度座り直して背もたれに寄り掛かると、長い息を吐いて体の力を抜いていた。

 

「まぁ何はともあれ、依頼自体は無事完遂した。たとえ君と私だけが報酬をもらえなくても、君が教務科からお叱りを受けようと、ね」

 

 あ、やべぇ。

 燐歌に男だってバレちまったってことは、依頼の契約違反と教務科からの命令を守れなかったってことだよな……帰りたくねぇ……

 嫌な笑顔で言われた現実にガックリと肩を落としたオレを見て、羽鳥の奴はまたクスクスと笑ってくるが、そんなことにイラつくこともバカらしくなったオレは、到着した有澤邸で撤収作業をしていた小鳥、幸帆、桜ちゃんと合流してさっさと終わらせていったのだった。

 持ち込んだ機材の回収は割とすぐに終わらせたオレ達は、本来の任務日程の上では余裕が出来たこともあり、折角だから数日とはいえ住居として住まわせてもらった有澤邸の大掃除を開始。

 半日ほどかけて全員でくまなく掃除をしていったのだが、夕方頃に帰ってきた燐歌に完全に距離を置かれたオレは、燐歌の部屋へ入ることを許されなくて、桜ちゃん達が頼られていたのはもう何も言うまい。

 小鳥だけは夜になってから美麗と煌牙のいる動物病院に向かわせていたが、その夜は燐歌の許可も出たので有澤邸で一夜を過ごしたオレ達は、翌朝に有澤邸を出る。

 一応、新しい家の使用人を雇って、今日の昼前には来てくれるようなことは聞いていたが、それまでの少しの時間で1人になるから寂しいのか、オレ達の見送りに出てきた燐歌。

 あとは車に乗り込むだけとなったオレ達を引き留めた燐歌は、物凄いモジモジとした態度で何か言いたそうにしていたが、それもすぐにやめていつもの気丈な態度で偉そうに口を開いた。

 

「……ありがとう。あなた達のおかげで色々と助かったわ。そのお礼ってわけじゃないけど、依頼条件を破った件は多目に見てあげるけど、あんたとあんたには報酬なしよ。文句は言わせないわ」

 

 それは助かる。正直死ぬ思いをして報酬なしは辛いが、悪いのはこっちだから文句は言わない。

 そうやって最後まで燐歌らしい態度にみんなで笑顔を作りつつ、それぞれ一言二言燐歌と話してから車へと乗り込み、最後にオレもそっぽを向かれて挨拶もまともにさせてくれなかった燐歌に苦笑いしつつ車に乗り込もうとしたところで、まさかの制止を呼び掛けられ、燐歌に向き直る。

 

「……名前、教えなさい。私を辱しめた男の名前を知らないなんて、それこそ一生後悔するから、忘れないでいてあげるわ」

 

 恨まれてる……思春期女子怖い……

 しかしこれで教えないと訴えられるかもしれない。

 そうなるとオレは勝てん。ここは素直に名乗っておくか。

 

「猿飛京夜だ。できればお互いに家でのことは忘れよう」

 

「京夜……京夜。覚えたわ。家でのことは守ってくれたのとでチャラにする。それで……その……また機会があったら、あなたの力を見込んで雇ってあげてもいいわよ」

 

「……そういう機会がないのが一番なんだけど、そうだな。頼ってくださるなら、またいつでも力になりますよ、燐歌様」

 

 恨まれてるかと思えば、そっぽを向きながらにそんなことを言う燐歌に、思わず笑いが込み上げてきたオレは、それを堪えて丁寧に言葉を返すと、強引にその背を押されて車へと押し込まれドアを閉められてしまった。

 男に頼るのが恥ずかしかったんだよな、燐歌。

 もしも次会う時には、もう少し男に耐性をつけていてくれよな。

 それからまっすぐに学園島ではなく、小鳥達のいる動物病院に向かったオレ達は、そこで無事に意識を取り戻して安静にしていた美麗と煌牙と対面。

 しかし、昨夜からそばにいた小鳥の表情は浮かない。その理由はもう、知っている。

 美麗はあの爆発を直前で離れたとはいえほぼ至近距離で受けたため、視力を失い、煌牙は聴力を失っていた。

 これはもう、武偵犬としては致命的な負傷で、学園島に戻ったら2匹の武偵犬登録を抹消しなきゃならない。辛いな。

 そんな2匹に感謝を込めるように桜ちゃんや小鳥が撫でたり抱き締めたりとして、オレも言葉をかけながらに同じようにしてやると、2匹は自分からオレに顔を擦り寄せてくれた。

 それで2匹の今後をどうするか小鳥と話したのだが、目と耳が不自由とあってはうちの実家に、幸姉に任せるという選択肢も難しいと思っていた。

 それで出た結論は……小鳥の実家で世話をしてもらうというもの。

 すでに実家には連絡をしてくれていて、もうすぐ小鳥の祖父――吉鷹さんの方だ――が来てくれるらしい。

 それを待つことしばらく。

 学園島に帰って色々とやることをやって戻ってくるには中途半端な時間だったため、昼食などを近くの定食屋で済ませつつ、午後の3時を回ろうとする頃に到着した小鳥の祖父――泉鷲(せんじゅ)というらしい――は、小鳥の姿を見るなり抱き寄せて溺愛ぶりを披露。

 さすが吉鷹さんのお父さん。

 

「して、引き取ってほしいというのはこの2匹か?」

 

 小鳥とのやり取りも割とすぐに切り上げた泉鷲さんは、早速美麗と煌牙を見ると、言葉を交わすこともなく、軽く触れただけで何かを終えたようで、次にオレへと視線を移してきた。

 

「お前さんが小鳥の婿か。どうやらこの2匹から相当の信頼を得ているようだし、孫娘の頼みだからな、責任を持ってうちで世話をしよう」

 

 今ので美麗と煌牙と意思疏通をしたのか?

 だとしたらこの人、小鳥より全然凄いよな……だが2匹を引き取ってくれるようなのでひと安心……じゃないわ! 婿ってなんだ!?

 そう思ったのはオレだけではないようで、聞いていた桜ちゃんや貴希も驚きを隠せない表情を浮かべ、小鳥に至っては顔を真っ赤にして泉鷲さんに噛みついていた。

 

「お、おじいちゃん! 京夜先輩はそういうのじゃないってちゃんと説明したでしょ!」

 

「はっはっはっ、そうだったか。まだそういう関係ではなかったか」

 

「まだとかでもないってばぁ! おじいちゃんのバカ!!」

 

 その言葉にガチで落ち込んだりと賑やかな泉鷲さんだったが、すぐに立ち直ってから改めてオレを見て何か気になったのかまじまじ見られる。

 な、なんでしょうか……

 

「……ふむ。あれか。お前さん、山とか森とかその辺で1度死にかけて……いや、死んでおるな。そうじゃなければこうはならん」

 

 そうやっていきなり言われた言葉にオレは心底驚く。

 確かにオレは11歳になる年の春に比叡山に山籠りのトラウマ修行で死にかけている。いや、実際に少しの間死んでいたのかもしれない。

 その辺の記憶は曖昧なのだが、記憶の途切れた時間があって、意識を取り戻した時に森の動物が寄り添っていたのは鮮明に記憶している。

 

「自然と半分くらいかの、同化しておる。人間としての変化は全くないが、動物には匂いのレベルで本能的に好かれるようになっておる。匂いに敏感な動物にはマタタビのような作用も出るかもしれん。実に面白いな、お前さん」

 

 はっはっはっ。

 それでまた笑う泉鷲さんだったが、どうやらオレは自分の知らないうちにその体質を変化させていたらしい。

 それを見ただけで理解した泉鷲さんには驚かされるが、ちょっとしたオレ自身の謎も解けてスッキリ。

 思えば玉藻様も「良い匂いがするの」とか言っていたので納得だ。

 泉鷲さんには驚かされたが、これも小鳥の家系の能力に関係しているのだろうと勝手に解釈して、美麗と煌牙を運ぶ話へと移ったのだが、なんでも小鳥が説明不足で『目と耳が不自由な子を引き取りたい』とだけ泉鷲さんに言って来てもらっていたため、こんな大型の狼だとは夢にまで見てなかった泉鷲さんは、JRでここまで来たらしい。

 武偵犬登録を抹消する都合、公共の乗り物に堂々乗せられるわけもなかったので、この場で頼める人材、貴希に2匹の運搬を依頼。

 昨日の今日でまた依頼というのも気が引けたが、

 

「じゃあ報酬は道中でかかった交通費込みで、1つお願いを聞いてください」

 

 きっちり貰えるものは貰い、申し訳ないと思うオレの心に入り込んできた。さすが武偵高生徒。

 しかしまぁ、そのお願いというのも『買い物に付き合ってほしい』となんとも楽なものだったので快く契約を成立させると、折角の実家とあって小鳥も同行を志願。

 なんか2人で勝手に盛り上がって1泊してのんびりしてくるみたいだ。

 場所は長野県諏訪市の端っこという話だし、道中ものんびり行けるだろうな。

 それらが決まってから、泉鷲さんにはとりあえず動物病院で待ってもらって、1度学園島へと戻ったオレ達は、借り出していた機材をそれぞれの学科に返却したり依頼の報告書を教務科に提出したり、美麗と煌牙の武偵犬登録を消したりとあちこち動き回って、貴希と小鳥は手空きになった頃にさっさと次の依頼へと送り出しておいた。

 送り出す際に貴希に「約束守らなかったら轢いちゃうぞ」などと言われたが、ちゃんと守るって。

 羽鳥は爆破された車の保険やら何やらの処理があるとかで学園島に着いて早々に姿を眩ませて、幸帆と桜ちゃんはその生真面目な性格からか、最後に回した依頼完了の処理のため教務科へ行くところまで同行してくれた。

 

「うーい、ご苦労さん。おーおー、報告書に正直に女装がバレたことを書くのはいいが、罰を受けたいマゾだったのか、猿飛ぃ」

 

 んで、その報告書を提出した相手の綴は、報告書を流し読んでからそんな冗談を言ってくるので疲れる。

 罰を受ける必要ないことは書いてんだろクソが。

 

「顔に出てるぞぉ。しかしまぁ、依頼主が不問ってんなら私らがどうこうすることもないわな。その依頼主から直接連絡もあったし、ずいぶん気に入られたみたいな。『怪我をした武偵と動物にかかった治療費をこちらで負担した上で、報酬も契約通りに払う』ってさ。猿飛と羽鳥には報酬を与えるなってすっごい念を押されたけどさぁ。別に『貰った報酬をお前らがどう扱おうと勝手』なわけだよなぁ。ツンデレお嬢様もキャラを守るのが大変だねぇ」

 

 オレの表情を読まれて嫌な汗が出たが、次に言った綴の言葉に、オレ達は揃って顔を合わせて笑みがこぼれてしまう。

 ありがとな、燐歌。お前は最高に優しくて良い子だ。

 そうして報告も済ませて無事に依頼完遂となってみれば、時間もすっかり更けて夜の8時を過ぎていた。

 武偵高の巡行バスで帰れるという桜ちゃんを見送るため、バス停に3人で立っていると、丁度バスが来たのが見えたところで桜ちゃんは急にオレの正面に回って深々とお辞儀をしてお礼を言ってきたので、ちょっとビックリ。

 

「この度の依頼。先輩のおそばで色々と学ばせていただきました。自分の未熟な部分もわかりましたし、先輩方の優秀なところは良い刺激となりました。今よりも精進して頑張りますので、またお声をかけていただく機会があれば、今回以上の活躍を約束したいと思います」

 

「ああ、期待してるよ」

 

 最後まで真面目だった桜ちゃんは、それでもう1度オレに深いお辞儀をしてから、到着したバスに乗り込んで手を振りながら帰って行った。

 そういえば桜ちゃんって、間宮の戦妹なんだよな。色々と話題性がある間宮――良い意味でも悪い意味でも――があの子を悪い方に導かなければいいな。

 そんな心配をしつつも、幸帆と2人だけになったら急に腹の虫が鳴ったので、幸帆を寮に送る前にファミレスで遅い夕食を食べることにして、そこで幸帆とゆっくり話をする。

 

「どうだった? 武偵の仕事は」

 

「本格的に依頼に参加させてもらうのは初めてでしたが、至らないところが多くて全然ダメでした。羽鳥先輩の推理は聞けばそういえばと思うところが多かったのですが、それらを情報科である私が本来なら気付くべきことでしたし、自分の分析能力の低さを痛感しました」

 

「そう悲観することもないさ。できないことがあったのはオレも同じだし、できたこともちゃんとあったろ? そうやってちゃんと反省できるのは伸び代ありだ。また明日から頑張れ」

 

「はい。1日でも早く京様に認めて貰えるような武偵を目指して頑張ります。戦姉のジャンヌ先輩にも申し訳ないですし」

 

 実に幸帆らしい言葉にオレも安心して笑顔を見せると、幸帆も照れたような笑顔でそう言って料理に手をつけていく。

 が、待て。戦姉だと? 聞いてないんだが……

 

「お前、いつからジャンヌの戦妹になったんだ?」

 

「あれ? 言ってませんでしたか? こちらに転校して、情報科に所属してから割とすぐですけど。ジャンヌ先輩凄い人気だったので、私でいいのかと確認しちゃったくらいです」

 

「……まぁジャンヌは綺麗で格好いいからな。実力も折り紙付きだし、吸収できるものは吸収しろ。天然なところがあるからそこは吸収しないように」

 

 ぷっ。と、オレの注意に対して笑いを漏らす幸帆だったが、すぐに「わかりました」と返してきて、それから下らない話をしながら夕食を終えて女子寮まで送った。

 その別れ際に幸帆は急に何かを思い出したようにオレを引き留めて、預かっていたらしい伝言をオレへと伝えてきた。

 

「依頼の時に京様の指示で理子先輩と連絡を取ったのですが、その時に伝えてほしいと言われていたことを。『時間ができたら連絡してほしい』だそうです。ちょっと伝えるのが遅れたので、緊急のことでないといいのですが……」

 

 それを聞いた瞬間、オレはどんな顔をしただろうか。

 おそらくは顔から血の気が引いて、自分の愚かさを悔いた表情を浮かべたはず。

 オレはそれで幸帆と別れてから、電源が落ちっぱなしだった携帯を取り出して電源を入れて、依頼の間に溜まっていたメールや着信履歴を見る。

 そこには理子だけで1日3件ほどのメールに、1件の着信。

 それらを順を追って確認すると、始めは「暇な時にでも返事をちょうだいね」などと顔文字なども加えて理子らしいメールだったが、日付が今日に近付くにつれそれも単調になり、一番新しいメールには一言「会いたいよ……」とだけあった。

 ――バカかオレは! あいつがどういう状況にあったのか、わかってたはずだろうが!――

 そんな怒りを表現するように、オレは22時を回った時間を確認してから、とにかく走り出したのだった。



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Bullet55.5

 10月の半ば。

 京夜先輩の戦妹になってから、初めて臨んだ協同の依頼も完遂してすぐ。

 私はその依頼中に怪我をしてしまい戦線復帰ができなくなった美麗と煌牙を引き取ってくれたおじいちゃんの家。

 つまりは私の実家がある長野県諏訪市を目指して、美麗と煌牙を運ぶ依頼を受けてくれた貴希さんが運転する車で中央自動車道を走っていた。

 

「いきなりだけどさ、小鳥の家の人ってみんな同じようなことできるの?」

 

 その道中、助手席に座っていた私に、貴希さんがバックミラーで後ろのおじいちゃんをチラッと見ながらにそう尋ねてくる。

 前の依頼で数日間一緒に生活したおかげで名前で呼び合うくらいには仲が良くなった貴希さんは、数時間前に見たおじいちゃんの力が気になったみたいですね。

 

「これは遺伝らしいです。力の大小は代々出るみたいなんですけど、必ず何かしらの力を持って生まれてくるって。私は歴代でもかなり弱い力みたいであれなんですけど、おじいちゃんは凄いですよ」

 

「凄いって、どう凄いの? 確かになんか話してる様子もなかったのに会話が成立してたみたいだけど……」

 

「おじいちゃんは私と同じ意思疏通できる力に加えて『直接触れた動物と思考会話できる』んです。えっと、簡単に言えばテレパシーですかね。だから耳が聞こえない煌牙とも言葉を使わなくても会話が成立しますし、私が美麗と煌牙を実家で引き取るって言えたのも、おじいちゃんの力があってこそです」

 

 貴希さんの質問に対して丁寧に言葉を返してみると、貴希さんはそれでなんとなく理解をしてくれたようで、視線を前に固定しつつ「へぇ」と一言。

 それで私も後ろのおじいちゃんを見てみると、どうやら今は美麗と煌牙とお話し中みたいで、私達の会話には意識が向いていないみたい。

 

「……美麗も煌牙も、早く家に馴染んでくれると良いけど……」

 

「それは今までの生活……武偵犬としてじゃなくて、普通に暮らすって意味で?」

 

「えっと、それもありますけど、なんと言いますか、私の実家は色々とあれなもので……」

 

 半ば戦力外通告でリタイアとなった2匹だけに、のんびり生活することに違和感が出るだろうことももちろんあるけど、それ以上に実家が『馴染みにくい環境』だろうことを心配しましたが、貴希さんはそれに疑問を浮かべていました。

 まぁ、行けばわかりますよ。行けば……

 それで私が苦笑いを浮かべていたら、後ろのおじいちゃんがどうやら会話を一旦終わらせたみたいで、今度は私の頭の上にいた昴を呼び寄せてその肩に乗せてしまう。

 何を聞いてるのかな……

 

「小鳥や。お前さん、今あの男と一緒に暮らしとるのか。1つ屋根の下で暮らして、寝室も共にしとるのに、寝取り寝取られも起きんのか」

 

 そう思ったのも束の間。

 おじいちゃんはいきなりどストレートに男女の話を持ってきて、動揺した私は顔が真っ赤になって、貴希さんもちょっと車を左右に揺らせてしまう。

 

「おじいちゃん! だから京夜先輩とはそういう関係じゃないんだってば! 一緒に暮らしてるのは戦妹として戦兄から少しでも吸収できるものを吸収するためで、下心はないの!」

 

「しかしなぁ、若い男女が同じ空間に長くいれば、間違いの1つも起きて必然。むしろ不健全と言ってもいいぞ? あっちはあれか? 年下に興味がないのか?」

 

「それはわかんないけど、京夜先輩はそんな欲望に身を任せるような人じゃないもん!」

 

「うーむ……するとあの男、女に対して強い耐性でもあるのやもしれんな。さすがに初夏の辺りからの付き合いのこやつらでは、それ以前のことは知り得んしの。小鳥よ、そういう男は女の武器は効果が薄い。大事なのは押し引きだ。しつこくしても煙たがるし、引きすぎると興味も持たん。一緒に暮らしてるメリットを生かせよ!」

 

 本当にこのおじいちゃんは人の話を聞かないんだから……

 それにしてもおじいちゃんがこんなに京夜先輩を気にかけるなんて、ちょっと意外だな。

 おじいちゃん、基本的に人に関心を持たないし、実家だって近所付き合いが面倒だからって理由で街の端っこに建ってるもんなぁ。

 まぁ、実家がそんなところに建ってる大きな理由はもっと別にあるけど……

 女性に耐性があるっていうのは、理子先輩や幸音さんなんかの扱い方を見てるとなんとなく納得しちゃうところあるかもなぁ。

 でもでも、恋愛感情は私にはないし、京夜先輩も絶対にそんな風に私を見てないんだよね。

 最近仲良くなった幸帆ちゃんを見ててわかったけど、幸帆ちゃんとの距離感が私と同じだったから、きっと妹みたいに思ってくれてるんだと思う。

 それはちょっとだけ、女として悔しいけど……

 そう思いつつもちゃんとおじいちゃんには念を押してその気はないことを言ってから、横の貴希さんを見ると、何やらブツブツと「押し引き……出過ぎず引き過ぎずか……」などとおじいちゃんの言ったことを真に受けてました。

 そうやって真剣に悩んでる貴希さんを見てたら、ほんのちょっとだけ羨ましく思ってしまったのは、きっと私が恋をしていないから……恋愛、かぁ……

 それからもおじいちゃんが美麗達から引き出してくる京夜先輩との同居生活のあれやこれやに振り回されツッコんでいたら、いつの間にか長野県諏訪市に到着。

 出発した時間も時間だっただけに、外はもう完全に暗くなっていて、中央自動車道から国道へ入って上諏訪の北部を目指し、その途中、諏訪市のシンボルとも言える諏訪湖は見えませんでしたが、そんな諏訪湖をスルーして街の中心からどんどん離れていき、おじいちゃんと私の指示で車は近くを流れる川を沿って登り、田畑が多くなって住宅が少なくなってきたところでようやく実家の近くへと到着。

 舗装されてない土の道へと入って進んで辿り着いた古き良き木造建築の大きな庭付きの家。久しぶりの我が家ですね。

 車は家の近くに適当に停めて、目の見えない美麗を補助して家の敷地に入ると、スライド式の玄関の前で待っていたおばあちゃん――芳乃(よしの)と言います――が美麗と煌牙を見てちょっと驚いた顔をしたけど、次には私達を温かく迎え入れてくれた。

 おばあちゃんに迎えられて早速家の中へと入ろうと玄関を潜ったところで、待っていたのは大きさは違うけど綺麗に横並びしてお座りをする5匹の犬。

 5匹はうるさく吠えることもなく、私達の姿を確認してから「ワンッ!」と揃ってひと吠え。

 言葉にすれば「いらっしゃい」と「おかえりなさい」をバラバラに言ってたけど、そんなお出迎えに初めて来た貴希さんは面食らう。

 そりゃ訓練された犬でも難しいことしましたしね。

 

「みんな久しぶりー」

 

 その5匹に一言、私が挨拶すると、5匹も「小鳥だ小鳥だ!」と喜んでくれるけど、まずいなぁ……そんな騒ぎ方すると……

 そう思ったのも一瞬で、次には家の奥から地鳴りのような振動が私達を襲い、数秒後には玄関を埋め尽くすほどの犬と猫が姿を現して私達を取り囲んで身動きが取れなくなってしまった。その数20を越えています。

 

「な、なになになに!?」

 

「す、すみません貴希さん。家はこの通り大所帯で、街の中心に住めないんですよ……」

 

「これはいくらなんでも多すぎ……」

 

 取り囲んだ犬と猫に戸惑いまくりの貴希さんはさすがに多いと苦笑を漏らし、美麗と煌牙もこの事態に硬直。

 周りから「小鳥お帰りー」とか「こっちは綺麗な人だー」とか「でっけぇなお前ら」とか「新入りか?」とか「まぁくつろいでいけ」とか聞こえてきますけど、とりあえず中に入らせて……

 

「お前ら、迎えは日替わりで5匹と決めただろ。決まりを守れんやつは朝飯抜きだな」

 

 周りの声に頭がぐわんぐわんし出したタイミングでようやくおじいちゃんが玄関に入ってきてそう言うと、今まで騒いでいた子達は一斉に家の奥へと走り去ってしまい、残ったのは最初に玄関にいた5匹だけ。助かったぁ。

 

「ったく、ちょっと油断するとあれだ。さて、まずは晩飯からだな。ばあさん、飯を頼む」

 

「小鳥が帰ってくるのを黙ってたのが裏目に出ましたね。いま準備してきますから、居間で待っててください」

 

 さすがのおじいちゃんのひと声で場が収まると、あの事態でも動じなかったおばあちゃんが改めてそう言って先に奥へと引っ込むのを見てから、おじいちゃん先導で居間へと移動した私達。

 居間には先ほど押し寄せてきた犬と猫の何匹かがさっきのがなかったようにくつろいでいて、動物番組の入ってるテレビの前に並んで座り尻尾を振りながら鑑賞している子達がまた可愛いのですが、それらを見つつ真ん中に置かれた炬燵へと入った私達。

 家はこの時期ならまだ都合上寝る前まで庭窓全開なので、毎年早めに炬燵が登場するのですが、居間から見えるだけでも庭でじゃれつく犬や猫がちらほら。

 毎日元気な子達なので、開放的な空間を意識してるのです。

 現在で家には犬が18匹に猫が38匹。鳩が12羽に鷹と鷲がつがいで1組ずつ暮らしていて、近隣からは『橘動物園』などと呼ばれる始末ですが、近くの幼稚園などには人気を博していたりします。

 それで炬燵へと入れば、おばあちゃんの料理が出てくるより早く貴希さんの懐に潜り込む猫が1匹。

 それにはちょっと驚く貴希さんでしたが、これは家の歓迎の印なのです。

 

「そいつは好きにしてくれて構わんよ。邪魔ならどかせば離れるし、いたずらもせんから」

 

「あ、大丈夫です。可愛いです」

 

 そんなおじいちゃんの言葉に猫を撫でながら答えた貴希さんは、もうちょっとメロメロ。

 周りがワンニャアちょっとうるさいけど、まぁ慣れればどうということもないでしょう。

 そして少し待ってから出てきたおばあちゃんの料理を食べた私達は、もうずっとたくさんの家の子達に囲まれながらも、どうにか仲良くしている美麗と煌牙を見て安心しつつ、入るように言われたお風呂に貴希さんと一緒に入って、上がった頃には時間も10時を回ろうとしていて、実家にいた頃に私が使ってた部屋に並んで敷かれた布団に入ると、久しぶりなのと新鮮だからか私と貴希さんの布団に侵入してくる子達がわらわら。

 それに対して思わず笑みがこぼれてしまった私と貴希さんは、ちょっと寝苦しく思いながらもそのまま就寝。

 明日の昼過ぎには東京に帰るから、昼前にでも貴希さんに色々見せたいな。

 そんな明日のことを考えながら、横の貴希さんに顔だけ向けてみると、貴希さんも丁度こちらを向いて目が合ったので、何か話さないとと勝手に思って話題を振ってしまう。

 こういうところが落ち着きないとか言われるんだよな……

 

「あの、貴希さんって、いつから京夜先輩とお知り合いになったんですか?」

 

「んー、知り合ったのはお兄ちゃん経由でってのが最初。依頼で足が必要だからって駆り出されて会ったのが武偵高では初めてだったんだ」

 

「へー。ということは、その依頼で京夜先輩がただ者ではないとわかったわけですね」

 

「……ちょっと違うかな。それよりもっと前から、私は京夜先輩のこと知ってたから」

 

 意外なことに貴希さんは、京夜先輩と知り合うより前に京夜先輩のことを知っていたと言うので、どういうことなのかと尋ねようとしたら、それを察した貴希さんは割り込む隙もなく話を続ける。

 

「小鳥は、関西の『月華美迅』って武偵チーム知ってる?」

 

「それはもちろん。一昨年辺りから知名度が上がってきた女武偵5人の凄腕チームですよね。あの人達に憧れてる武偵はかなりいますし」

 

「私、お兄ちゃんと上京するより前は関西の方で暮らしてたから、月華美迅がまだ京都武偵高に通ってる頃に、その活躍を間近で見るチャンスが1度だけあったんだ。その時だよ、京夜先輩を見たの。月華美迅の華やかな活躍の裏で、トラブルとか色んなものを未然に防いだり、民間人の安全を確保したりしてね。みんなそんなところ見てなかっただろうけど、私は月華美迅の5人よりも、京夜先輩を目で追ってた。そうして見たらわかったんだ。無駄がない動きに状況への即応力。その姿がすっごく綺麗でカッコ良くて、初めて武偵に憧れを持った。武偵としての目標とは違うけど、今も私にとって京夜先輩は憧れで、だから東京武偵高に来て京夜先輩と会った時は、心臓が止まりそうになった。まさかこんなところで憧れの武偵と会えるなんてって。当時は何故か武偵ランクがE評価で絶対おかしいって思ったけど、そんなことを気にするような人じゃないって知り合ってからわかったし、今は正当な評価が点けられて鼻高々だったり。これが私の憧れた京夜先輩なんだぞ。ってね」

 

 とても嬉しそうに京夜先輩のことを話してくれた貴希さんを見て、私はまたあの感情が芽生えてくる。

 ――なんだか、羨ましいな……

 今度のは恋愛とかではなく、私の知らない昔の京夜先輩を知ってる貴希さんが、純粋に羨ましかったんです。

 半年近く、京夜先輩とは共同生活をしていますが、私はそれ以前の京夜先輩というのを情報でしか知らないわけで、幸音さんや幸帆さんのように昔はああだったこうだったと語れるものが何1つないのが、少しだけ寂しかった。

 それをまた感じてしまって、表情もちょっとだけ寂しさを現してしまった。

 

「だからね、小鳥が京夜先輩の戦妹になったって聞いて、最初はちょっと羨ましいって思った。私は車輌科で走ることしか能のない武偵だから、諜報科の京夜先輩から学べることを上手く生かせないって。徒友制度をダシに近付くのも卑怯でズルいって思ってたしね。でもそんなことよりも、武偵ランクに関係なく京夜先輩のことをちゃんと見て戦妹になる人がいて、嬉しかった。当時の同期はみんな京夜先輩を反面教師だ落ちこぼれだって上っ面だけ見てて腹が立ってたから、余計に嬉しくって。だからありがと」

 

「そんな! 私は貴希さんにお礼を言われるようなことは何も。お礼を言うのはむしろ私の方です。京夜先輩のこと、ちゃんと理解してくれてて、ありがとうございます。それに今のお話から、貴希さんが京夜先輩のことを大好きなこと、いっぱい伝わってきましたよ」

 

「……それもね、一方的なものだし、結構頑張ってアプローチしてきたつもりなんだけど、当の京夜先輩は気付いてくれない。たぶん私を恋愛対象として見てくれてないんだと思うんだ。精々『可愛い後輩』が関の山かな。難攻不落すぎて最近はどうアプローチすればいいのかわかんなくなってるんだよね……」

 

 てっきり私の言葉で恥ずかしがったりするのかと思ったのですが、貴希さんはそんな様子も見せずにホトホト困ったという表情でため息をつく。

 確かに京夜先輩は鉄壁要塞ですよね。この半年で理子先輩なんかの積極的なアプローチに対しても動じたところを見たことないですし、最近でもCVRの方に女装のお手伝いと称して近付かれた時も平然と話してお断りしてましたし、どうなってるんでしょうかあの人は……

 唯一、グラついてた人が幸音さんだけだと思いますね。やっぱり年上が好みなのでしょうか。

 

「……年上好きなのかも……」

 

「……やっぱり? そうじゃないと納得したくないんだよねぇ……私これでも鈴鹿サーキットとかでちやほやされてるのに、少しもドギマギしてくれないから自信無くしそうで……」

 

「そういえば京都武偵高ではインターンで3年間幸音さんと一緒の学年だったって。そういう環境だったから同世代以下は子供に見えてるのかもですね……」

 

「……でも、諦めたくない……」

 

 貴希さんも薄々勘づいていたのか、年上好きを否定することもなく意見が合ったけど、何やら小声で呟いたと思うと、顔を私から背けて一言「おやすみ」と言ってから沈黙してしまったので、私も話し相手がいないとあって、それからすぐに夢の中へと落ちていった。

 翌日。

 いつも通りの貴希さんに安堵しつつ、みんなで朝食を食べて――私達の朝食の前に動物達の朝食を食べさせた――から、東京に帰る昼過ぎまでの暇な時間。

 基本的に周りには何もないとあって貴希さんも犬と猫と遊んで過ごしていましたが、ここは『橘サーカス』の凄さを見せてあげましょう!

 そう思って縁側で座っていた貴希さんを観客にして、庭に私の呼びかけに応えた子達が集結。

 犬猫合わせて12匹。何か始めるとあって居間からおじいちゃんとおばあちゃんも見学に出てきて縁側に腰かけてきたので、ちょっと緊張しつつも開演です。

 

「それではまずは縄跳びを」

 

 そして始めたのは縄跳び。

 今回の中で一番大きい子に縄の端をくわえてもらって、私が縄を回すと、2、3匹のグループが入れ替わりで入って跳んで出てを繰り返していく。

 それに貴希さんは口を開けたまま呆然としていて、その反応が面白かった私は次に大きい子を下から順に背中に乗せて『犬猫だけのブレーメンの音楽隊』を披露。

 私が指揮者のように手を振ると、みんなもそれに合わせて鳴き声で応えてくれる。

 高いところには当然猫を乗せてますが、土台の子が「小鳥……ヤバイ……」と漏らしたところで音楽隊を解散。よく頑張ってくれたね。

 そのあとは適当に玉乗りとかを好きなようにやらせてみたら、前よりみんな上手くなってて私も驚いたけど、それよりもずっと見ていた貴希さんがようやく言葉を発してくれる。

 

「きょ、曲芸……」

 

「貴希さんも指示すればみんなやってくれますよ。やってみます?」

 

「や、やる!」

 

 と、橘サーカスが気に入ってくれた貴希さんは、私がそう言った後に縁側から立ち上がって私と入れ替わりで庭の子達に色々とやらせ始めて、楽しそうに遊んでくれてるのを見て私も満足。

 

「小鳥よ」

 

 その様子を見ていたら、横に移動してきたおじいちゃんが唐突に話をしてきたので、私もその話に耳を傾ける。なんだろう。

 

「お前には昔、橘の家の力は『動物と話ができる力』だと話したが、あれは幼いお前にもわかるように教えたに過ぎん。橘の力の本質は『自然と対話する力』だ。その対話が最もしやすいのが動物だというだけの話でな。おじいちゃんはずいぶん劣化しているが、それでも『万物を色で大別し色の大小で調子の良し悪しを視る』ことができる。人なら赤。自然物は緑。物は青といった具合にな。それで昨日会ったあの男が放つ色は『黄色かった』のだ。これは野生動物の色と同じ。今まで生きてきた中であんな人間はほとんど見たことがない。だが、あの色を放つ人間に悪い人間はおらんかった。英理さんが『イイ男』だと言っていたのも頷ける。吉鷹のやつは見込みがなかったがの、小鳥にはおじいちゃん以上の力が眠っておる気がするから、今は理解できずとも、自分の力の本質くらいはわかっておけ。戻る前にそれだけ言っておきたかった」

 

 そうやって言うだけ言ってからおじいちゃんは私の言葉も聞かずに縁側から立ち去ってしまう。

 自然と対話する力、か。

 なんだか漠然としててよくわからないけど、それが理解できたら、きっと今よりももっとこの力を好きになれる。

 そんな根拠のない自信が、その時の私にはあった。

 それから十分に遊んだ私達は、昼食を食べてからおじいちゃんとおばあちゃん、美麗と煌牙に見送られて橘の実家を後にして東京へと戻ったのだった。



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VSヒルダと文化祭編
Bullet56


 

 依頼から帰ってきて早々、電源を入れた携帯にあった理子のメールや着信でこの上なく嫌な予感がしたオレは、通話にもメールにも返事がないことでさらに不安を増大させながら、確信はないがまずは全力で家へと戻ってみる。

 戻った男子寮の部屋は当然ながら暗く誰もいない。

 しかし1度小鳥が出入りした痕跡があり、フローリングやテーブルなどは簡単に掃除していったようで埃がない。

 それはいいとして、次は普段は全くやることはないが部屋の匂いを意識して嗅ぐ。

 するとわずかだが、理子が使ってる香水の匂いが漂っていて、少なくとも1日以内にはこの部屋に来ている。

 ならばと思い寝室に入ってみれば、こちらでも理子の匂いがする。

 この部屋に入るとすればここのキンジの部屋とを繋ぐ上下扉くらいだしな。

 だが何故かオレの普段寝てるベッドの布団から理子の匂いが一番するのには疑問しかないが、オレのベッドで寝たのかあいつ。

 何はともあれ理子がいたことは確かなので、申し訳なさはあるがここに来るまでに明かりで確認もしている無人のキンジの部屋の寝室へと侵入。こちらではアリアの香水やら色々な匂いがするが、理子がいたことはわかる。

 匂いが希薄なのは人の出入りがあったからか。

 一応部屋の中は全部調べてみたが収穫はなし。

 手がかりになりそうなものも出てこなかったので1度上に戻ってからソファーに腰を下ろす。

 焦ったところで頭は回らない。次は理子と接触しただろう人物を当たる。

 それで携帯を取り出してキンジに電話を掛けるが、出ない。

 次にアリア。出ない。キンジの部屋にあった匂いはその2人くらいだったが、どっちも出ないとか結構な確率だよな。

 どうしたものか。そう考えながら携帯をいじっていたら、理子の他にもメールを送っている人物がいることに気付きそれを見れば、ジャンヌだ。

 内容は帰ってきたことを知らせるのと、変装食堂の衣装云々という簡潔なものだったが、頼れる、か?

 半信半疑だがとりあえず部屋を出て電話を掛けてみる。数秒の呼び出し音から通話に応じる声が聞こえてきたが、それはジャンヌではなかった。

 

『猿飛か?』

 

「……何でお前が出るんだ、キンジ」

 

『少し携帯を借りててな。今は一緒にいないし、別にデートしてたとかじゃないぜ』

 

 この感じ。HSSでも発動してるのか。

 しかもなんか知らんが向こうの音が騒がしい。外。しかもキンジ自身も外気に晒された状態で移動中。

 息もちょっと荒いな。エンジン音はしないし、自転車か?

 

「まぁデートでも何でもいいんだが、丁度いい。お前、理子が今どこにいるかわかるか?」

 

『理子? 今朝までは俺のベッド……寝室にいたとは思うが、そこからはわからん。それよりこっちもいま立て込んでる。ジャンヌに用なら直接会うか改めて連絡しろ』

 

 それで一方的に通話を切ってしまったキンジ。それだけ向こうの状況も切羽詰まってるってことなのか。

 キンジの状況というのも気にはなるが、まずは理子の安否の確認が最優先。

 ジャンヌが帰ってきてるなら、相部屋の中空知にでも繋がれば連絡は取れるか。

 そう思って早速1度も掛けたことのない中空知へ電話を掛けてみると、

 

『猿飛さん、どうなさいましたか?』

 

 非常に聞き取りやすいアナウンサーのような落ち着いた声が返ってくるので、ジャンヌがいたら替わってほしいと言うと、ものの数秒で久しぶりのジャンヌさんの声が聞こえてくる。

 

『何か用なのか? いや、何故お前が中空知経由で私に連絡してくるのかという疑問から解決するべきか』

 

「そんなことはどうでもいいんだ。悪いんだが理子が今どこで何してるかわからないか? あいつと連絡がつかない」

 

『理子? ノン。私も帰ってきたのは今朝方だからな。今日は顔も見ていない。だが、理子に何かあったとすれば、それは十中八九ヒルダが関わっているはず』

 

「それはわかってる。だから……」

 

 と、ジャンヌの言葉に返そうとした時に寮の外へ出たら、出入り口に1台のオープンカーが停まっていて、その車体に腰かける日本人形のような黒髪の女がキセルをくわえながらオレを見ていたので、言葉を区切る。夾竹桃だ。

 

「悪いなジャンヌ。新しい情報源ができた。そっちでも探してくれるとありがたい」

 

 このタイミングで普段全く接点のない夾竹桃が明確にオレに用がありそうな雰囲気。

 理子と関係があるかは確信がないが、重要な案件なのはわかる。

 ジャンヌの返事も聞かないで通話を切ったが、オレが何か言わなくても勝手に動いてくれるはず。

 それで呑気にキセルを吹かす夾竹桃に近付く。

 

「どんなご用件で?」

 

「ずいぶんと落ち着いてるのね。理子が見つからなくて内心穏やかじゃないでしょうに」

 

「察してくれてるなら情報をくれ。見合うだけの報酬は払う」

 

「そうね。私としてもこのままアシが減るのをただ指をくわえてるっていうのは嫌。とりあえず乗りなさい」

 

 そう言って夾竹桃は腰かけていたドアの内側へ足を入れて運転席に収まると、キセルを置いてハンドルを握るので、時間が惜しいのだと判断したオレは何も言わずに隣の助手席に飛び乗ると、シートベルトをするのも待たずに車は発進。

 目的地は不明だが、学園島からは出るようだ。

 

「昨日の朝だったわ。理子が私のところに来て何かを言おうとして、結局なにも言わないで漫画のアシをやって帰ったの。それで気になって動いてみたら、ヒルダがこっちに来てるのよね。あれが理子にとってブラドと同じくらいトラウマなのは話で聞いてる」

 

「それで何で夾竹桃を頼ろうとしたんだ?」

 

「私が『何の専門か』を考えればわかって当然でしょ。それよりもあなたよ。あなたがいればこうなる前にどうにでもなったかもしれないのに、使えない男。理子の男ならちゃんと見てやりなさい」

 

「別に彼女じゃないが、迂闊だったことは認める。それでどこに向かってる?」

 

「気付かれてないのか、気付いてて放置してるのかは知らないけど、私のところに来た時に発信器を忍ばせておいたのよ。そういうのに抜かりがないあの子だから、きっと気付いてて放置かしら。つまり誰かに気付いてほしいのね。今の自分の状況に。でも面立って助けを求められない。大方トラウマのせいでヒルダに抗う意志が持てないのでしょう。『囚われのお姫様』とでも言えば、あなたは燃える質?」

 

 この状況で淡々と話しながら運転する夾竹桃にもうちょっと急げと言いたかったが、気持ちが前に出ると判断力が落ちるため、それを腹に落として今の理子の状況を理解。

 そんな時にオレは何もしてやれなかったとわかると、自分自身に腹が立つ。

 夾竹桃の運転する車は台場を出て墨田区へと突入。

 途中からオレが発信器の示す場所を見ていたのだが、それが示す場所は一向に動こうとしていないところを見るに、理子はそこから移動していない。

 しかも示す場所はこの墨田区で、いや、いずれは世界で一番高くなる電波塔を指している。

 そうして辿り着いた東京スカイツリーの真下で車を降りたオレは、首が痛くなるくらいに高くそびえるスカイツリーの天辺を見ながら、これでまだ7割の完成度とは思えなかった。

 

「待ちなさい」

 

 それでここに理子と、おそらくはヒルダもいるとわかっているため、いつかのブラドと対峙した時を思い出して覚悟を決めて歩き出そうとしたところで、夾竹桃がオレを呼び止めて急に何かを投げ渡してくるのでそれを受け取るが、プラスチック性の小型の試験管みたいなケースで、中には粉末状の何か。

 

「これは?」

 

「野暮なものよ。必要かどうかはあなたの出来次第だけど、使うタイミングと方法くらいは教えましょう。ただしそれを使ったら、あなたのこれからの日々は私のアシで埋まることになるわ」

 

 アシって漫画のアシスタントだよな……

 お金とかを要求されるよりはマシと考えていいのかはわからないが、それに了承してから話を聞いて改めて東京スカイツリー。その建設現場へと足を踏み入れる。

 一応は不法侵入なので、監視網には引っ掛からないように進むが、500メートル近い建物を足で登るのはしんどすぎるので、先にあった作業用エレベーターを使って上を目指す。

 辿り着いたエレベーターは、夜は作業などしていないはずなのに動力が入って動いていて、しかも上から降りてきたので、確実に誰かが使っている。

 それが確認できたオレは、エレベーターに乗り込んで上へと登り、1度では登りきれないエレベーターをいくつか乗り継いでいくが、その途中でいきなりエレベーターが停止。

 何事かと下を見れば、周囲の街の明かりが消えていて、携帯を取り出すと電波障害のなんたらと出て、停電したことを理解する。

 何もこんな時に停電しなくてもいいだろとは思うが、この周辺の街だけが停電してるのには少し疑問がある。断線というには1ヶ所では収まらない規模だし。

 しかしどうすることも出来ないので待つこと数分。無事に復活したエレベーターは再び上昇を始めて、地上350メートルの高さに位置する第1展望台へと到達。

 工事中のためまだ床をコンクリートで固めた程度で吹き抜け状態。間違って落ちでもしたら確実に死ぬだろうな。

 ここからオレも警戒して周囲をうかがうが、人の気配はない。

 それならばさらに上の第2展望台に確実に誰かいる。少なくとも理子はほぼいるだろう。

 それで上への道を探して、エレベーターと階段を使って気配を殺しながら地上450メートルに位置する第2展望台の目前まで到達。

 しかしそこでオレは1度立ち止まり姿を隠す。人の気配がするのだ。しかも複数。

 音を聞けばチェーンソーの駆動音がするのは嫌な感じだが、耳を澄ませば話し声も聞こえてくる。

 女、おそらくはヒルダの声と、聞き間違えるはずがない、理子の声。

 

「――アリアは緋弾の希少な適応者だ。殺したら『緋色の研究』が上位に進めなくなるぞ」

 

 その声に状況は理解すべきと考えて第2展望台を覗き込めば、北側の方に固まって4人いるのが確認できた。

 駆動するチェーンソーを持つヒルダ。そのヒルダを止めるような形でチェーンソーに手を持っていっている理子。その足下に上着をめくり上げられて下着姿を披露する動けないアリアに、同じく動けずにうつ伏せで倒れるキンジ。

 ようキンジ。どうやら行く先は同じだったみたいだな。

 見ただけだと状況こそさっぱりだが、理子の言葉からなんとなくあのチェーンソーでアリアが何をされそうだったかは理解できる。理子が自由に動けてるところを見ると、ヒルダとは協力関係にでもなっているのか。

 

「この――無礼者ッ!」

 

 バチンッ!

 しかしその理子はヒルダが放ったのだろう金色の電光によって倒れてしまい、その背をピンヒールで刺すように踏みつけられる。

 そして持っていたチェーンソーを投げ捨ててしまったヒルダは、ヒステリーでも起こしたのか、理子に対して激昂。

 

「理子! お前……見ていて分からなかったの? 私は今、一番いいところだったのよ! せっかく……せっかく、もう少しで上り詰めようとしていた所なのに――お前のせいで、台無しだわ!」

 

「ア……アリアには、まだ利用価値がある! 殺すな……!」

 

「『アリアを殺すな』……ですって……? お前、私に忠誠を誓ったのではなかったの? そう。そうなの。また裏切るつもりなのね?」

 

 抵抗を見せない理子を踏みつける力を強くして言い放つヒルダは、忠誠などという言葉を使っていたが、オレから見ればあんなの言葉だけ繕っている支配だ。

 ブラドと同じで理子を下等生物として見て従わせてるだけに過ぎない。

 

「理子。私は今夜、お前を試すつもりでいたのよ。アリアとトオヤマを見殺しにできるかどうか……でも、お前はそれに失敗した。ということは、またバスカービルに戻るつもりなのかしら? んん? ええッ?」

 

 ぐりッぐりッ。

 何度もピンヒールを抉るように動かして話すヒルダに沸々と怒りが込み上げてくるが、ここまでされて何もしない理子が痛々しい。

 それほどまでにヒルダは理子にとって抗えない存在なのだろう。

 

「理子。やはりお前は私の下僕に相応しくないわ。ペットに格下げよ。一生、私の部屋で玩具(おもちゃ)にしてあげるわ。首輪をつけて愛玩してあげる。こうやって……こうやって、ねッ! もし次、私に逆らったら――そのイヤリングを弾いて、殺してやるからッ!」

 

 そんな無抵抗の理子を何度も踏みつけながら、ようやく足をどけたヒルダだが、話に出たイヤリングが先ほど夾竹桃が言っていたことと繋がるものだと確信。

 遠くて現物を確認できないが、それがさらに理子を抵抗できなくしている原因なのは間違いない。

 

「――理子。私に謝罪なさい。ううん、今のは謝るだけではダメ。この靴に口づけして、永遠の忠誠を誓うのよ。お前はもう、私のものとして生きる道しかないのだからね」

 

 言いながら理子の顔に自らのピンヒールを近付けるヒルダに、理子はほぼ無抵抗でゆっくりとその靴に触れると、言われた通りに口づけするために唇を近付けるが、その目にはいつかのブラドに捕まった時と同じ涙がこぼれ落ちていた。

 ――助けて――

 そんな言葉が、実際に聞こえたわけではなかった。

 だがオレは、そんな理子を見た瞬間、状況とか何もかもを頭の外へと追いやってその場から駆け出していた。

 今、頭の中にあるのはただ1つ。

 ――理子を、助ける!――

 込み上げてきた怒りの感情とは裏腹に、音もなく第2展望台に突入したオレは、ヒルダ達の近くにあった柩のようなものにクナイを投げてぶつけて意識を一瞬そちらへ向け、全員がそちらを向いた時にはもう、ヒルダの真後ろにまで接近に成功。

 そこから気付かれるより早く人間に放ったこともないほどの威力の回し蹴りでヒルダを吹き飛ばし、その時に腕の骨が折れたような感触があったが、相手は吸血鬼だ。どうせすぐに再生する。

 そしてヒルダと入れ替わる形で理子の正面に立ったオレを理子が涙を溜めた顔で見上げてきたので、短い息を吐いてから口を開いた。

 

「会いたいって言うから会いに来たんだが、迷惑だったか?」

 

「…………ばか……」

 

 返ってきた言葉は意外だったが、その時に浮かべたわずかな安堵の顔はオレに来てよかったのだと教えてくれる。

 そんな理子の前で屈み、頭を優しく撫でながら目に溜まる涙を拭ってやり、その時に右耳につけられていた不気味なコウモリを模したイヤリングも確認。

 そこまでで吹き飛ばしたヒルダが動く気配を感じたのでそちらに意識を向ける。

 

「サルトビ……何故お前がここに来れる?」

 

 折れた腕を庇うような形で立つヒルダは、オレがこの場に来たことに相当な疑問があるようで、睨み付けるような目でオレを見るが、オレはそれに答えない。

 

「……お前は呑気に金稼ぎしていたと聞いていたけど……そう。あなたが呼んだのね理子。酷い女。目の前で最愛の男が殺されるのを見たいだなんて。サルトビもそんな女を助けるなんて愚かとしか言いようがないわ」

 

 オレのシカトにムッとしたヒルダだが、オレの事情は情報として持っていたようで、その情報を持ってきただろう理子をすぐに疑って汚い言葉をぶつけてくる。

 そして完全に治った腕を庇うのをやめてコウモリのような翼を広げて跳躍し、近くにあったキンジの名前が彫られた悪趣味な棺桶の上に降り立つ。

 

「理子はアリアの命乞いをして、私を裏切った。つい先日にはイヤリングを付けられて、私に忠誠を誓ったにも拘わらずにね。その前はバスカービルの一員、その前はイ・ウー、その前はお父様の飼い犬――そいつは昼と夜を行ったり来たり。本当に無様で、見苦しい女だわ」

 

「ああ……もう喋るな」

 

 どこか楽しそうにベラベラと口を開くヒルダに、オレはトーンを落とした声でそう言い放ちゆっくりと立ち上がる。

 今オレは、ヒルダの声が聞こえるだけでかなりヤバイ。

 理子から笑顔を奪ったこいつを、許せそうにない。

 込み上げてくるのは純粋な怒りだが、それが面へ出るような爆発はしない。

 幸姉には絶対にやるなと泣きながらに言われたが、その怒りを腹の下へと押し戻し、あれを生物として扱わないように感情を殺し、沈める……深く……

 その時、最後に見た理子の顔がどうしようもなく切ない表情を浮かべた気がしたが、それももう気にならない。

 

「下等生物の分際で私に指図するなんて、どうしようもなく無礼な男……いったいどうやってなぶり殺してや……」

 

 そこから先の言葉は、オレが投げたクナイが開けた口の喉奥を突き刺したことで途切れる。

 続けて眼球にもクナイを打ち込んで視界と思考を奪い悶絶させ、その間に距離を詰めて顎下へ掌底を打ち込みクナイを噛ませることで歯を砕き、後ろへ倒れる体に逆らわずに足を刈ってくるんッ!

 宙で反転して顔が床を向いたところで後頭部の髪を掴んでそのまま叩きつけ刺さったままのクナイをさらに打ち込む。

 声にならない声でヒルダが喘ぐが、そんなのはオレの心に何の変化ももたらさず、掴んでいた髪を引っ張って持ち上げると、グチャグチャの血まみれの顔が視界に入るが、そこから刺さっていた3本のクナイを片手で抜いて素早く髪から喉元へ持つ場所を変え、目一杯の握力で首を絞めながら床へと叩きつけて馬乗り。

 漆黒のゴスロリ服の下から見える両の太ももの魔臟の位置を示す印の中心に持っていた2本のクナイを刺して、残りの1本を喉元へと突きつける。

 

「理子のイヤリングを外せ。爆発させることなく、無傷でな」

 

「……サ……ル……ト……ビぃ……」

 

 抑揚のない声でオレがそう言えば、すでに顔の再生が始まったヒルダは憎々しげにオレの名前を呼びながらも、その口角を釣り上げたのでためらいなく突きつけていたクナイを一閃。喉を切り裂く。

 しかしそこでヒルダの雰囲気が変化したのを感じて、持っていたクナイを額に突き刺してから飛び上がるようなバック転で離れて、その際にちょっと細工を施しておくが、離れたのとほぼ同時に倒れるヒルダの周りにパチパチと断続的な目に見える電気が発生。

 

「サルトビ……お前はもう、五体を1つずつちぎり取って、塵も残さないで焼き尽くしてやる……地を這うことしか出来ない弱者が、圧倒的強者に牙を向いたこと、いたぶられて良い声で鳴きながら後悔なさい」

 

 その電気もヒルダが立ち上がった時には収まって、不気味な煙をあげながら再生した顔をオレに向けて額のクナイを抜き取り、両の太もものクナイも抜いて投げてしまう。

 続けて背中の翼を広げて大きく跳躍したのだが、その高さは3メートルを越える。

 しかし滞空することは出来ないのか、跳躍が最高点に至るとそこからは降下が始まるが、そんな着地を悠長に待ってやるほど優しくないんだよ。

 優雅な跳躍をしたヒルダだが、オレは離れる直前に足首に巻き付けておいた2本のワイヤーを手で思いっきり引っ張りヒルダの体勢を崩し、すかさずクナイを翼のなるべく根元へと投げてその機能を奪う。

 おそらくオレへの怒りと蜘蛛の巣状のタイツの上から巻き付けたことで気付かなかったヒルダは、突然自分を襲った力に思わず翼に意識を持っていき、その翼を傷つけられたことで一直線に床へと落下。

 その落下地点で右足の蹴りを腹へとお見舞いし、吹き飛ぶのをワイヤーで強引に止めて引き戻しその髪を掴んで顔を合わせる。

 

「もう1度言う。理子につけたイヤリングを外せ」

 

「ふふっ……ふふふっ……」

 

 そんなオレの命令に対して、何がおかしいのか突然笑い始めたヒルダは、その赤い瞳でオレをまっすぐに見て口を開いた。

 

「あなたは私と『同類』よ」



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Bullet57

 ――オレがこいつと同類?

 不敵な笑みで見るヒルダに突然言われた言葉で、つい思考が働いてしまったオレは、ヒルダに動く隙を与えてしまうが、すぐに思考を切って体に力を入れ直す。

 しかしその体は何故か金縛りにあったように動かなくなる。くそっ、何かされた……

 

素晴らしいわ(フィー・ブッコロス)。あなた、私を見てるようで全然見てなかったから、暗示術(メスメリズム)をかけられなかったのだけど、動揺してくれたおかげでほら、この通り」

 

 オレが動けなくなったことで、髪を掴む手を振り払ったヒルダは、オレの頬に手を添えてクスクスと笑って顔を覗き見てくる。

 メスメリズム……金縛りの類いだろうな。

 確か小さい頃に家にあった書物で流し読んだ中にそんなのあったな……どうやれば解除できるんだったか……

 

「体は動かせないでしょうけど、口は動くでしょう? さっきは激情に任せて殺してやるなんて言ったけど、これからのあなた次第ではそれを取り消してあげる」

 

「……同類ってのはどういう意味だ」

 

「言葉通りの意味よ。あなたの本質は私達と同じ。他の命を尊ぶことなく傷付け、蹂躙し、奪い、支配する。私を傷付けていた時のあなたの目、最高にイッていたわ。この私が人間にこれほどゾクゾクしたのは初めてかもね。ああ、恐怖したのではなくてよ。あなたが無性に『欲しくなった』の」

 

 オレの頬を擦りながらまっすぐな目で見つめてくるヒルダの表情は、とても嬉しそう。

 うっとりしていて頬もほんのり赤いが、別にオレに惚れたとかでは全くない。

 こいつにとって人間は下等生物。その数いる下等生物の中で『面白い玩具』でも見つけたような、そんな喜びを表情に出している。

 

「理子もあなたを気に入っているようだし、あなたが私に忠誠を誓うなら、理子ももう迷ったりしないでしょう? 今はジャンヌの騎士(ナイト)のようだけど、あんなのより私の方が仕えるに値するわ」

 

 さっきまでの殺意はどこへやら。

 一転してオレを下僕にしようと言葉を連ねるヒルダは、テンションが上がると口数が増えるのか、えらく饒舌。

 

「あなたは理子と違って恐怖で屈服するような人種ではないでしょうから、このイヤリングも無意味ね。つけた瞬間に自殺でもされては笑えないわ。でも、力には抗えない。私という絶対的強者に従うことは自然の摂理。家畜が人間に抗えないのと同じよ。だからあなたの命は私が上手に使ってあげる」

 

「……確かにお前にとってオレ達人間は弱いんだろう。けどな、そんな中でも強いやつってのは確かにいるんだよ。別に強いのは力だけじゃない。そこにいるキンジやアリアのように『戦う強さ』を持つやつもいれば、理子のように『心の強さ』を持つやつもいる。今までお前とブラドに縛られて生きてきた理子が、執拗ないじめにあって、きっと何度も死のうと思ったはずの理子が、今もこうして生きている。それが強さでなくてなんて言うんだ。お前らが死なないように加減してたんじゃない。理子が本当に強いから今日まで生きてきたし、その絶望を経てなお見せてくれるあいつの笑顔が、どれ程オレを勇気づけてくれてると思う! そんな理子の笑顔を、オレがどれだけ好きかお前にはわからないだろうけどな、その笑顔を奪うお前を、オレは絶対に許さない!」

 

 どんな言葉でオレを引き入れようとしても、それがオレの答えだ。

 たとえオレがヒルダと本質的に同じだとしても、それで仲間意識が芽生えるわけではないし、同類だからと同じ生き方をすることもない。

 なにより、理子を泣かせた罪は重い。

 

「あら……あなたはてっきり人間のくせに超常の魔眼を持ったあの女のことを好きなのだとばかり思っていたけど、違ったのかしら。まぁでも、私のものにならないなら、理子への見せしめとして前言通り塵も残さないで消してあげる」

 

 オレの答えを聞いたヒルダは、本当に残念そうな表情をしてオレから手を離すが、そこに悲しみはない。

 それは例えるなら商店街の福引きでポケットティッシュが当たったようなそんな程度のもの。

 そしてオレから離れたヒルダは、足に絡まるワイヤーを取ってから再生した翼を使っての跳躍で後退。

 草花で飾り付けられた大きな柩の上に着地をすると、バチ……バチ……と、その身に小さな雷を纏い始めた。

 

「『雷球(ディアラ)』――サルトビ、お前には見せたことはないけど、100%のこれを受けて生きられる人間はいないわ。それをお前には特別に120%でお見舞いしてあげる」

 

 言ったあと、ヒルダの体に纏っていた雷が一点に集まり出し、胸の前に小さな雷球が出現。

 見る見るうちに大きくなるそれは、肥大化する速度が落ちてヒルダの身長と同じくらいになったところで一旦停止。

 

「これで100%! さぁ、もっと行くわよ!」

 

 またテンションが上がってきたのか、雷球の奥に霞んで見えるヒルダの声は嬉々としていて、それに感応するように雷球もまた少しずつ大きくなる。

 さて、ヒルダは見せてないとか言ってたが、あれほどのではなかったものの、オレは確かにあの雷球を見たことがある。

 忘れもしないあの夏のこと。イ・ウーの原潜に乗り込んだ先にいた教授、シャーロックから、オレは『予習』と称してあれをこの身に受けている。

 この状況すら条理予知とやらで見えていたのだとしたら驚愕だが、理子と関わる先でヒルダと巡り会うことくらいは推理していたのだろう。

 そしてそこから得られる情報は、あれをまともに受けたら確実に死ぬってことだ。

 だが今、オレはやつの術で体が動かせない。

 だからといってこの状況を切り抜けられないわけではない。

 しかしそれを行うのは現実的に不可能。何しろやったことがない。

 メスメリズムは確か催眠術の分野だったはずだから、1度『意識を失えば』その効力も断ち切れるはず。

 だが自分から意識を失うなんてのはほぼ無理。それでもやるしかないと思って喋り終えてから呼吸を止めてみてるが、やはり意識を失うより早く本能が酸素を求めてしまう。

 たとえ意識を落とせたとしても、すぐに復活できるなんてこともまずないしな。

 残るは脳の命令を無視する『死の回避』を信じて体の力を抜いておくことくらいか。

 こっちの方がまだ可能性としては高い。過信はしたくないんだが、やるしかないよな。

 それでオレはもう直径2メートルに達している雷球を見ながらにその瞬間を黙って待つ。

 恐怖はヒルダの感情を昂らせる。だから表情は決して絶望に染めない。

 

「科学が発展するように、魔術(マッギ)も日々発展してきた。自分の身体から消費するだけでは、精神力(ATP)はすぐ底をついてしまうわ。だから、体外から力を得る方法が編み出されてきたの。砂礫の魔女(パトラ)が星から力を得るように、サナダが自然の循環を利用するように、私は――人間の使う電力をいただく。近年の分類で言えば、Ⅱ種超能力者の1人よ。ただし、人間には到達し得ない高レベルのね……さぁ、これで120%……あぁん、壊れちゃいそ。やっぱり少し、制御が難しいわね」

 

 そうやって自分の超能力のネタばらしをするヒルダはとても楽しそうだったが、オレがほとんど表情を変えないことに気付くと、途端シラけたような顔をする。

 

「この状況でその顔、気に入らないわ。これから死ぬのだから、もっと良い表情をしてもいいと思うのだけど、最後まで私に抗ってみせるのね。不愉快極まりなくってよ」

 

 やはりオレの表情が気に食わなかったヒルダの言葉にふんっ、と鼻で笑ってやると、それが引き金になったのか、ヒルダがキリッと目を鋭くしたので、オレはそれに目をつむって自分の死の回避を信じてその時を待った。

 ――ドウウウッッッッ!!

 だが、ヒルダの雷球が放たれるより先に、第2展望台を揺るがす爆発が起こり、それに目を開けたオレが見たのは、ヒルダが立っていた柩が何かによって爆発を受けて彩られた草花が舞っているところ。

 その草花に隠されていたらしい太い電線が断ち切られているのを発見すると、ヒルダが作り出した雷球が電源を抜かれたように消えてしまった。

 

「――4世……!」

 

 牙を剥いたヒルダがこちらを見ながらにそう言うので、オレは動かない顔で視線だけを横に向けると、そこには震える身体を必死に堪えて立つ理子の姿があった。

 

「京夜、ありがとう」

 

 オレの横で一言そう言った理子の身体は、次第に震えが収まっていき、その顔にも何か決意した色が見えた。

 

「あーっ、そうだそうだ! 理子忘れてた! 忘れちゃってたぁ! キーくんとアリアは元々、理子の獲物(ターゲット)でしたぁー! キョーやんも理子のコイビトなのに、どこの誰かなぁー? 勝手なNTRルート開拓しようとしてる空気読めない女はー!? くふっ、くふふふふっ!」

 

 次にはいつもの調子になってその場でクルクル回ってみせて、その動きをピタリと止めた後は素の理子が面へ出てくる。

 

「――変圧器(トランス)だったんだろ、その柩。お前は電気を使う。でも、その能力はジムナーカス・アロワナから遺伝子をコピーして身につけたものだ。あの魚はそんなに長く、大量の電力を放つことができない。せいぜい1度か2度――使ってしまえば、しばらく休息が必要になる」

 

「4世……どこでそれを……ッ」

 

「なぁーにビックリしてんのぉー? こんぐらいググれば1発で出てくるよぉー。だからお前は通常、自分の体から放電しないようにして……外から盗んだ電気を使う。でも、発生させられる電圧が低い割に、お前は超高電圧の電気しか体に取り入れられない。だから大型の変圧器が必要だったんだ」

 

 言いながらオレの視界の奥に移動してしまった理子を、ヒルダは悔しそうに黙って見てることしかできない。

 

「ヒルダ。お前はもう電気をどこからも取れない。肉体からも、もう放てない。アリアとあたしに、さっき自力で電流を放ったからな。素粒子を操るための大電力もない。だから、影になって動き回ることもできない」

 

 どうやら以前見せた影の中に潜む能力は、実際に影の中に潜んでいたわけではなかったらしいな。

 その仕組みについては今はどうでもいいが、ヒルダが超能力を使えなくなったっぽいのは状況として理解できた。

 それからオレの後ろの方でまたも爆発音がして理子が何かを壊したようだが、ヒルダの表情を見る限り、壊されては困るものだったのだろう。

 

「やーっぱり。そっちはバッテリーだったかぁ。ヒルダ。あたしにそう言われたからって『まだあるぞ』って目で棺桶見ちゃダメじゃーん。理子はドロボーなんだよー? 誰かが何かを隠してるのを見つけるの、大得意なんだからぁ。まぁ、理子でもまだ『見つけられないもの』はあるけど、それは今関係ないし」

 

「迂闊だったわ。お前が……そんな爆薬を隠し持ってたとはね……ッ!」

 

「ご存知の通り、『武偵殺し(ワタクシ)』は爆弾使いですから」

 

 ――バチッ!

 理子のその言葉の後、後ろでそんな小さな何かが弾けたような音がしたかと思っていると、再びオレの視界に入ってきた理子は、ロザリオの力で髪を操ってアリアの2本の小太刀を持ち、両手にはキンジのベレッタといつかシャーロックから猫ババしたスクラマ・サクスを持っていた。

 変則双剣双銃ってところか。

 だが、先ほどまでイヤリングがつけられていた右耳からは赤い血が流れ落ちていて、さっきの弾けた音がイヤリングの弾けた音だとわかり思わず歯ぎしりしてしまう。

 夾竹桃の話によると、ヒルダは毒蛇の腺液を使うらしく、それを何かに仕込んでいると聞いていたため、それが理子のつけていたイヤリングなのだとわかったのだ。

 おそらくはイヤリングは遠隔で破壊できたりするのだろうが、その際に傷口から毒が入るようになっていて、毒が体に回って死ぬまでは約10分ほどとか。

 つまり今、理子はその毒に侵されながらヒルダと敵対した。おそらく死ぬ覚悟で。

 

「理……子ぉぉおおおお!?」

 

 それを思って理子に言葉をかけようとしたら、いきなりその理子がオレの額にためらいなく小太刀を振るってきたので、いきなり死の回避が発動。

 尻餅をつく形で倒れることでそれを避けると、そこから体の自由が戻ったのですぐに立ち上がり理子の隣に移動。

 

「やり方が乱暴だアホ」

 

「こうでもしないと動けなかったろ。それにあたしは怒ってるんだ。あんなケバい女に骨抜きにされやがって」

 

「されてない。それを言うならお前も子犬みたいに震えてたろ」

 

「あたしはか弱い女の子だから仕方ないんだよ」

 

「あーそうかよ。か弱い女の子なら引っ込んでろ。あとはオレがやってやる」

 

「引っ込んでるのはお前だ京夜。中途半端ないたぶり方しかできないならやめとけ。それにこれは京夜の領分じゃない」

 

「お前の領分でもないだろ。お前にやらせるくらいならオレがやる」

 

「…………本当に、優しいんだから……」

 

 何故か怒り気味の理子についムキになったが、こうしてる間にも理子の体に毒が回っているし、ヒルダを無力化しないとどうにも進展しないので、口喧嘩もそのくらいで1度理子の頭をわしゃっと触ってから、いつの間にかその手に三叉槍(トライデント)を持ったヒルダと2人で対峙した。

 壊れた柩から下りて三叉槍を構えたヒルダと向き合ったタイミングで、雲行きの怪しかった空からポツポツと大粒の雨が降り出す。

 その雨を切り裂くようにして改めて身構えたオレと理子。

 

「ヒルダ。今、ずっとやりたかったことをやってやる……お前への恨みを、晴らすッ!」

 

「いいわ、戦ってあげる。お前達ごとき電気が無くても敵ではないわ。光栄に思いなさい。竜悴公の一族と2度も戦った人間は――歴史上、お前達が初めてよ。でも4世、サルトビ、忘れたのかしら? 吸血鬼には、いかなる傷をも瞬時に治す魔臓が4つある。その位置は個体によってバラバラで――私の魔臓の位置を、お前達は知らない。知っているのは、さっき刺してくれた両腿の2つだけでしょう?」

 

 オレと理子を前にして自信満々のヒルダだが、単に魔臓の位置がわからないというだけにしては自信に満ちすぎている気がして違和感を持つ。

 オレも甘かったが、猛攻を仕掛けた時にやつの服を破ってでも魔臓の位置を知ることはできた。

 理子もおそらくこれからやろうとするだろうが、それをさせないというだけの話なのか。

 オレがそんな思考をしている横で、キンジのベレッタを示すようにした理子が口を開く。

 

法化銀弾(ホーリー)――これの傷は治らないだろ? ヒルダ」

 

「……すぐには治らないというだけの事よ。当たらなければどうという事はないわ。さぁ、お父様のカタキ共――自分達のために祈りなさい。お前達4人は、今夜、死……」

 

 戦う前からベラベラ喋るのは面倒だし、相手の話を最後まで聞いてやる義理もないので、ほとんど無動作で先手必勝のクナイを額に突き刺して戦闘開始。あいつは本当に隙が多いな。

 クナイに怯んだ隙に一気に間合いを詰めた理子に続きオレも前へと出て、接近に対してクナイを引き抜いて突き出した槍を理子が髪で持つ2刀をクロスさせて受け止め、髪だからこそできる風車のような動きでヒルダの手から槍を奪おうとするが、ヒルダも背中の翼を使ってその場で螺旋に回り再び着地。

 

「ヒルダ! お前は――魔臓に頼って生きてきた!」

 

 そのタイミングでベレッタを発砲した理子は、ヒルダの右の翼の付け根に当て、それを受けた翼は酸でも受けたように銃創が広がり、すぐに回復する気配はなかった。

 法化銀弾を受けたヒルダは小さく呻くが、そこで手を緩めるわけもない。

 

「だから体の捌きが甘いんだ! ケガをしたって平気だと、高をくくってきたからな!」

 

 そんな理子の言葉が気に触れたのか、今度は槍を横凪ぎで振るって理子の首を狙うが、笑いながら足を前後に開いて体を沈め下へ躱した理子。

 その理子の上を槍が振り抜かれた後に跳躍してヒルダの頭上を取ったオレは、不用意に上を向いたヒルダの両目にクナイを打ち込んで後ろへと回り、そのヒルダの足を理子がすかさず払って転倒させると、体が倒れる方向からオレが蹴りをお見舞いし、また逆へと体を振り、そこにまた理子がベレッタで右の翼を撃ち抜いて、ボロボロになった翼をスクラマ・サクスで切断。

 

「――ヒルダ! お前はヘタなんだよ! 格闘戦がな! 京夜1人に圧倒されたのに、あたしまで加わったら手も足も出ないってのがわかんなかったのかよ!」

 

 その光景に楽しそうに笑いながら理子が口を開くと、悔しげにオレと理子から距離を取るように後退するが、そこを理子の銀弾が残った左の翼を連打し追撃。その翼膜をズタズタにする。

 

「あははっ! ヒルダ! ヒルダ! どーしたのぉー!?」

 

 そこからさらに変則双剣双銃でどんどんヒルダを押していき、壊された柩に背をつけるところまで追い詰めると、くるんっ、と前宙してスクラマ・サクスを振るい、弾痕を繋げるようにして左の翼も一閃。

 しかし翼を犠牲にしながらも理子からスクラマ・サクスをもぎ取ったヒルダは、それを第2展望台の端まで放る。

 

「……このッ……ネズミの分際で!」

 

「ネズミ? それは自分でしょー? 羽をもがれたコウモリさんは、あーらら、とっても不思議! ネズミにそっくりだ! あははッ!」

 

 だが、機動力を失ったヒルダは、容赦なく斬りかかってくる理子に槍も防御的に構えることしかできなくなっていき、ドレスもズタズタに引き裂かれていく。

 

「あははははっ! ほらヒルダ! あたしを踏んだり蹴ったりしてみろよ! 昔みたいにさァ! ほらほらァ!」

 

 ああしてドレスを体ごと裂くことで魔臓の位置を示す目玉模様を探している理子だが、改めて見る理子の本質にちょっと立ち尽くしてしまう。

 オレも大概だったと自覚があるが、笑いながらにそれを行う理子はどこか楽しんでる節があって、今まで見てきた理子が霞んでしまいそうだったが、あれも理子のプライドが高い故。

 自分を貶めてきたヒルダに対する怒りが爆発しているのだ。

 

「やッ……やめ……やめなさいッ……やめろっ……!」

 

「お前が! いっぺんでも! そう言ったあたしを! 蹴るのをやめた事があったか!?」

 

 いよいよヒルダから弱音が出始めるが、それを意に介さないで槍すら手放してしまったヒルダの庇うように動かす手もメッタ刺し。

 そこに一切のためらいもない。

 そうしてドレスなど完全に引き裂かれて下着姿にまでされたヒルダは、その体に電気を纏うように放電するので、それより早く理子の背中にミズチのアンカーボールをくっつけてオレの手元に理子を引っ張りヒルダから引き離すと、それとほぼ同時にヒルダが放電。

 引き寄せられた理子はオレに抱き止められると、足がふらつくのかそのまま寄りかかってきて、一旦倒れるキンジとアリアの元へと後退すると言うのでその通りにして体を支えて移動。

 

「……4世ィ……許さない、許さないわよ……」

 

 対してあられもない下着姿のヒルダは、放電したまま憎々しげにこちらを見ながら、槍を抱えて傷を再生させていくが、今はそれが精一杯なのかその場から動かない。

 さらにいつかの影に潜む能力を使おうとしたようだが、上手くできないようで、完全に弱っている。

 

「全部見つけたよ、目玉模様――白い肌だから、見つけ難かったけど」

 

 そうみんなに話す理子は、もうオレの支えなしでは立てないようで、思ったより毒の回りが早いようだ。

 そりゃあれだけ動けば毒が回るのも早くなるだろうが、これ以上は戦わせられない。

 そんな理子に負けまいとようやく立ち上がったキンジとアリアは、ここからどうすべきかを一緒に話し始めたのだった。



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Bullet58

 

 毒の回り始めた体に鞭を打って決死の覚悟でヒルダに挑み、その弱点である魔臓の位置を示す目玉模様を見つけてきた理子に、オレ達は集まって作戦会議を始めた。

 

「……両太もも、右胸の下、それとヘソの下だよ。目玉模様は腿と腹に集中してた」

 

「場所はわかった……だが、どうする。そのベレッタには、あと1発しか弾がないだろ」

 

「あと……2発なら、あるわ……!」

 

 しかし、現状でどうやらベレッタの銃弾はあと1発しかないようで、アリアもいつもつけてる角のような髪飾りを取って、その底を外し2発の銃弾を取り出しガバメントに装填するが、これでもあと1発足りない。

 

「――キーくん。アリア。ありがとう。でも大丈夫。理子も方法を考えてあるから」

 

 それであと1発をどうするかと思考しかけたところで、オレに支えられる理子がまだ策があると言うのでそれを聞けば、相討ち覚悟の最終手段のようで、それを確実なものとするために機動力となる翼を優先的に破壊したとのこと。

 

「でも……あんた1人で、どうやるのよ。ベレッタには1発しかないんでしょ?」

 

「ベレッタの弾を1発残したのは、魔臓を失ったヒルダを殺すためだよ」

 

 その言葉に眉を寄せてしまうが、ふと目が合った理子は声には出さなかったが「ごめんね」と言うような表情で笑ってくる。

 

「――待て、理子」

 

「武偵法を守れっていうんなら……ゴメン。キーくん」

 

「そうじゃない。ヒルダに……違和感を感じるんだ。お前に作戦があるなら、それは――今は、使うな。4点同時攻撃で仕留めるぞ」

 

 しかしHSSのキンジは、この状況で何かを感じ取ったらしく、いきなり4点同時攻撃を提案するので、当然オレ達も不可能だと思うが、雲行きがどんどん悪くなってきていて、遠くに聞こえていた雷ももうすぐ近くに落ちてきそうだったため、前回のブラド戦で落雷に驚いて狙いを外したアリアのことを考えると、これ以上話し合ってる時間もない。

 

「アリア。同時攻撃をやるにはアリアの力が必要だ。その2丁でヒルダの右胸と下腹部を撃ってくれ。強襲科では急所を撃たないよう訓練されてるが、撃てるな?」

 

「う、うん」

 

「理子。理子はヒルダの右腿を撃つんだ。4発目は――俺が何とかする。猿飛は……」

 

「狙いが外れないようにヒルダの足止めか? 感電しないようにってのは難しいんだが、やってやるよ」

 

「無理を言ってるが、頼む」

 

 具体的にどうするのかわからないままだが、全員がキンジの作戦に乗ってやることを決めると、翼以外の回復を完了させたヒルダが、ビリビリになったドレスを脱ぎ捨てて体に電気を纏ったまま立ち上がってこちらに歩み寄ってきていたので、理子をアリアに預けて支えてもらい、オレとキンジは前へと歩み出る。

 

「行くぞ……! 俺が合図したら――撃て!」

 

 叫んだキンジはそれと同時に駆け出して、ほぼ同時に前へ出たオレも並走してヒルダに接近。

 2人いることで狙いが定まらなかったヒルダは、横凪ぎでまとめて倒そうと槍を振るってくるが、直前で両手を組んで即席の足場を作ったオレを踏み台にキンジをヒルダの頭上へと投げ飛ばし、オレもすかさず身を屈めて槍を躱す。

 その際に分銅付きのワイヤーでヒルダが投げ捨てたドレスを回収し右手に巻き付け立ち上がり、振り切った槍の持ち手を持ってヒルダの動きを止める。

 ここまでの戦闘を見ててヒルダの服は耐電性があるのはわかっていたので、それを利用させてもらった。

 

「理子! アリア! ――撃て!」

 

 そのタイミングでヒルダの背後を取っていたキンジが叫び、ほとんどタイムラグなしで2人がヒルダへと発砲。

 ヒルダの体から3つの血しぶきが上がったのを認識するのと、キンジがその場でぐるん! と1回転したのが同時で、ほんの一瞬遅れてヒルダの背後から銃弾が撃ち込まれたのがわかった。何したんだあいつ……

 その攻撃でピタリとその動きを止めたヒルダから離れたオレは、信じられないといった顔でキンジを見たヒルダの体にある目玉模様4つが撃ち抜かれていることを確認。

 後で何したかキンジに聞いておくか。

 

「――――――――……」

 

 魔臓を撃ち抜かれたヒルダは、その場でルーマニア語の詩のようなものを呟きながら、その膝を折り、前のめりに倒れてうつ伏せになって沈黙。倒した、のか?

 

「……理子っ……!」

 

 それを確認するより先に、そんなアリアの声が耳に入ってそちらを見れば、アリアの肩を借りていた理子がぐったりと顔を伏せていたので、オレもキンジも慌てて駆け寄ると、理子はヒルダの柩のそばに寄るように指示するので、その通りに移動して柩を背もたれに座らせる。

 容態を心配するオレ達に理子は作り笑いをしてみせるが、毒が回り始めてもう7分ほど経過している。これ以上は理子が持たない。

 だからオレは息絶え絶えな口調で遺言みたいなことを言い出す理子を無視して、懐から『あれ』を取り出そうとしたが、その時にちょうど近くに落雷があり周囲に稲光が起こるが、理子がその表情を驚きへと変えたのを見て、異変に気付きキンジと一緒に背後へと振り返る。そこには……

 

「ほほほっ――ご気分はいかが? 4世さん」

 

 三叉槍を手に持って平然と立つヒルダの姿があり、撃ち抜いたはずの魔臓を示す目玉模様の傷も治っていた。

 

「あぁ、いいわ。4人とも、とってもいい表情。特に――理子。無念でしょうねぇ。命を投げ打ってまで戦ったのに……ほら。私はご覧の通り、平気よ。ねぇ、今、どんな気分? ほほほっ、もっと悔しがりなさい。それを串刺しにするから、面白いのよねぇ。私は生まれつき、見え難い場所に魔臓があるわけではなかった。その上、この忌々しい目玉模様を付けられてしまったの。だから――これはお父様にさえ秘密にしてたけど――外科手術で、変えちゃったのよ。魔臓の位置をね。ほほほっ、おーっほほほほほッ!」

 

 イラッとする笑いを聞きながら、オレはそれで合点がいった。

 理子との共闘前にあいつは妙な自信で自分を倒せるのかと言っていたが、あれは目玉模様の位置を知られて、そこを狙っても自分が倒せないことへの自信だったのだ。

 今さら気付いたところで遅いのだが、自分の魔臓がどこにあるかを笑いながらに問いかけてきたヒルダは、自分自身も知らないことを告げて、手術をした医者も亡き者にして口封じをしたことをベラベラと話し、絶望に染まるオレ達の表情を見て心底楽しそうにしていた。

 

「ああ、なんていい天気なのかしら」

 

 オレ達の表情とこの悪天候がヒルダにとっては最高にいいものらしく、落雷の音さえも心地よさそうにする。

 

「4世。121年前、建造中だったエッフェル塔で――お父様は、お前の曾祖父――アルセーヌ・リュパン1世と戦った。奇遇なものね。双方の子孫が戦ったこの塔もまた、造りかけ……でも、いい塔よ。とても高くて、気に入ったわ。まさか当世でもっとも高い塔を、東洋の猿が造るとは思わなかったけれど。私は、好天の日を待ってたの。だからワトソンも今夜呼んだわ。なぜ竜悴公一族が雷雨の夜、塔で戦うのか……教えてあげるッ……」

 

 ワトソン? 誰だそいつは。

 と思ったのも少しだけで、言い終わったヒルダはその手の三叉槍を頭上高く掲げて、それを誘雷針にしてガガァーーーーーーンッッ! その身に落雷を受けた。

 目の前の閃光に顔を腕で庇って光が収まったのを確認して見れば、第2展望台の雨粒が高熱によって蒸発し白い水蒸気となって吹き荒れていた。

 

「――生まれて3度目だわ。第3態(テルツァ)になるのは」

 

 その白煙の向こうから、ヒルダのそんな声がして目を凝らせば、さっきまで弱々しく纏っていた電光は、青白く、激しく変貌していて、近付いただけでもやばそうな雰囲気を出していて、耐電性の下着やタイツは残っていたが、髪をまとめていたリボンは燃えてなくなり、強風に煽られた長い金髪が暴れていた。

 その姿はまさに空想の生物――悪魔とでも呼べる出で立ちだった。

 

「お父様はパトラに呪われ――この第3態になる機会もない間に、第2態(セコンディ)でお前達に討たれた。私は体が醜く膨れる第2態はキライだから、それを飛ばして第3態にならせてもらったわ。さぁ、遊びましょ?」

 

 目の前の悪魔は高揚した気持ちを抑えられないのか、笑いながらオレ達を殺そうと口を開き、槍を足元へと突くと、それだけでコンクリートの床に稲妻が走り、蜘蛛の巣状に亀裂が入った。

 

第1態(プリモ)が人、第2態が鬼なら――この第3態は、神。耐電能力と無限回復力を以て為す、竜悴公一族の奇跡。そう、稲妻とは奇跡的にも、私が受電しやすい電圧の自然現象なのよ。それはこの現象を作った神が、私を神の近親として造った証拠……」

 

 要はヒルダが超高電圧の電気しか取り入れられないのは、雷を直接体に取り入れられるように神が与えた力だと言いたいわけだ。

 

「――だからもう、人間なんかいらないの! おーっほほほほほっ! ほら、ほら、ご覧なさい! 怖れなさい! 涙を! 流して! 命乞いするのよ!」

 

 その力を見せつけるように、第2展望台の縁にあった鋼鉄の柱を槍で殴り、ひん曲げていく。

 その隙にキンジがアリアの小太刀を投げてヒルダの足を斬るが、何事もなかったように瞬時に回復。よろめきすらしなかった。

 そして柱への攻撃をやめたヒルダは、にんまりと笑ってから壊れた柩に上がると、三叉槍を振り上げてその槍の先端に青白い稲妻を発生させ、その形を球体へと変化……雷球に。

 いや、あまりにエネルギーがありすぎるからか、雷球は不安定でその形が揺らめく。

 

「私と長時間戦ったご褒美に見せてあげる。竜悴公家の奥伝――『雷星(ステルラ)』。これでお前達を黒焼きにし、並べてこの串に刺し、お父様への贈り物にしてあげる。ああサルトビ、お前は塵も残さないで消すのだったわね」

 

 何でオレだけ消し炭コースなのか。

 しかしこうなってはもうヒルダのさじ加減でオレ達の今後が決まってしまう。

 だが今、この状況で全滅を逃れるには……

 そう考えて立ち上がったオレと同時に、キンジまでが立ち上がって残りの小太刀を持つので、どうやら考えたことは同じらしい。

 

「お前は残っとけ。強いやつが残る方が、後々のためだ」

 

「女を守るのは、昔から男の仕事だ。ここで退いたら男じゃない」

 

「物事は合理的に考えろよキンジ。後先をちゃんと考えて……」

 

 残る手段はあのヒルダを黒焼け覚悟で突撃してここから地上へ飛び降りること。それを2人でやるのはバカなことだ。

 だからキンジを不意打ちで倒してでもオレが前へ出ようとしたら、そのオレより早く鳩尾に一撃入れてきたキンジにしてやられ、その場で膝をついてしまった。

 くそったれ、加減なしかよ。立てねぇ……

 そんなオレに一撃入れたキンジは、オレ達を守るようにヒルダに立ち塞がって、柩に足をかけた。

 

「人生の角、角は、花で飾るのがいい……あたしのお母様の、言葉だ……」

 

 そこで不意に、後ろの理子がそんなことを言って近くの大きなヒマワリの花束を抱える。

 キンジも小太刀の刃から振り返らずにこちらを覗き見ている。

 

「だから……ヒルダ。お前にやるよ。お別れの、花……」

 

「ほほッ……4世にしては殊勝な心がけね。でも慎んでお断りするわ。私、ヒマワリってキライなの。太陽みたいで、憎たらしいんだもの。お前も知っているでしょう? 私は、暗い所が好きなのよ」

 

「くふっ……暗い所が好きなお前に、1つ、日本の諺を教えてやるよ。『灯台もと暗し』……自分のすぐ足元には、何があっても……大抵、気づかない」

 

 キンジとオレを挟んで会話する理子がヒルダ。

 互いに姿が見えない中で、理子はヒマワリの花束を不敵に笑いながら解いていく。

 

「これは近すぎても遠すぎてもダメだった。ベストな距離が必要だった……」

 

 その中から出てきたのは、銃身を短くされた散弾銃(ショットガン)。これが理子の言っていた作戦か。

 

「理子、お前は――天才だっ!」

 

 それを確認したキンジが横っ飛びし、柩からダイブするのと、オレが転がって理子の射線から出たのは同時。

 そこで理子の散弾銃に気付いたヒルダが、ハッとした瞬間。

 

「くふっ。今、サイコーのアングルだよ。ヒルダ。素晴らしいよ(フィー・ブッコロス)……!」

 

 ――ガゥンッ!!

 轟くような銃声が第2展望台に響き、放たれた銃弾は通常の銃弾とは異なって散弾。

 小さな弾子となって空中で散開し、ビシビシビシビシビシッ!! ヒルダの全身を余すところなく撃ち抜いた。

 これなら魔臓が体のどこにあろうと関係ない。その全てを撃ち抜ける。

 

「あ……ッう……ううッ……!」

 

 全身を撃ち抜かれたヒルダは、呻きながらその場に片膝をついたのと同時に、頭上で輝いていた雷星が槍へと戻りヒルダの体を通過して足元へと流れ、それに伴って無限回復力を持つはずのヒルダの体が高圧電流で燃え上がった。

 つまり、魔臓がその機能を失っているということ。

 

「あァう……! そんな……これは、これは悪夢……悪夢なんだわ……だって、おかしいもの……! 私が、この私が、こんなヤツらに……こんなに、ひどい……!」

 

 柩から転げ落ちたヒルダは、悲鳴を上げながらオレ達から逃げるように這って動くが、全身が燃えているために視界がないようで右往左往していたが、そんなヒルダに近付くことが出来ないオレ達はただ見ていることしか出来ない。

 そして第2展望台の縁にまで行ってしまったヒルダは、そこで手を滑らせて、第2展望台から落下。

 断末魔のような悲鳴は、徐々に遠ざかっていき、ついには聞こえなくなってしまう。これは、さすがに生きてないか。

 それを見てから、動けるようになった体で理子へと近寄ったオレとキンジ。

 

「さっき、ショットガンを使うなって言ってくれて、助かったよ……あのとき使ってたら、理子は……ヒルダの胴と脚だけ狙って――失敗してた。そしたら、銃を奪われて、おしまいだったよ。キョーやんも理子を庇おうとしてくれて、すごく……嬉しかった。これで、理子は……本当の理子に、なれたかな……ブラドとヒルダを倒して、自由には……なれた。でも、キーくんとアリアは結局、倒せなかった……くふっ……それどころか、また助け合っちゃったねぇ……キョーやんとは……1度でいいから、コイビトらしく……したかったなぁ……」

 

 ……長い。

 もう毒が回って10分になるので、諦めるのもわかる。

 キンジもアリアも理子をなんとかして助けると決意した顔をしてるからこっちはいい。

 だが理子よ。お前が生きようとしないでどうするんだよ!

 そう思っていると、理子のやつがゆっくりとその目を閉じ始めたので、キンジとアリアを退けて理子の真横に座ったオレは、そこからゴヂンッ! 理子の額めがけて頭突きをお見舞い。

 それを受けた理子は、ビックリして閉じかけていた目を見開いてオレを涙目で見て、キンジとアリアも口をあんぐり開いて固まる。

 

「おら、まだ寝るなバカ」

 

「……京夜?」

 

「キンジ、下に降りて電話でヘリでも呼んでこい。こいつはオレが何とかする。アリアは……目、つむってろ」

 

 訳がわからないといった感じの2人に大した説明もなしにそう指示を出すが、キンジはオレを信じて立ち上がり第2展望台を去っていき、アリアはどうするのか気になるのかオレをずっと見てくる。

 目を閉じてた方がいいぞ、たぶん。

 しかしアリアを気にしてる時間もないので早速懐からここに来る前に夾竹桃にもらった粉末の入った試験管を取り出して蓋を開けると、それを一気に自分の口に放り込む。

 途端、オレはその粉末のクソみたいに不味い味にリバースしかけるが、それを力技で押し戻して口の中で唾液と絡めていく。

 夾竹桃からもらったのは、理子の体を蝕む毒蛇の腺液の解毒薬。

 毒を専門に扱う夾竹桃が、必要になるかもと持たせた最後の手段だ。

 しかしそれは唾液――アミラーゼに十分溶かしてから流し込まなければ効果が全然なくなるらしく、しかも『良薬は苦し』の遥か上をいく不味さとあって、いきなりこれを咀嚼して飲み込める人間は絶対にいないと言われていた。

 しかも理子はいま意識も朦朧としていて、拒否反応に対して押さえ込むことも出来ないだろうから、だからその過程をオレが代わりにやる。

 予想の遥か上をいった解毒薬の不味さに何度も吐き出しそうになるが、いま目の前で死にかけている理子を絶対に助けるという意志だけでねじ伏せて、粉末の感触がなくなるくらいにまで唾液と絡めたオレは、また目を閉じかけている理子にジェスチャーでこれからすることを伝えると、反応を待つより先に理子の口へと『直接』それを流し込んだ。

 いきなり口の中に吐くほど不味い異物が侵入してきたことで、当然理子は拒絶を示すが、意地でも飲ませるために重なった唇をガッチリと固定し、たとえ吐いても何度でもそれを押し戻す。

 その光景にアリアがアワアワした態度をしていたが、今はそれどころじゃない。

 最初は手足をバタバタさせていた理子だったが、次第にそれも収まって口の中の物を1度で大きく飲み込むと、それ以降は落ち着いたのでオレも理子の唇から離れた。

 

「…………死んだ方が……マシだったかも……」

 

「そう言ってくれるな。こっちは必死だったんだから」

 

「うん……ありがと、京夜……」

 

「礼なら夾竹桃に言っとけ。もう寝ていいから、次に目が覚めた時はオレが好きな笑顔を見せてくれ」

 

 その言葉を最後まで聞いたかどうかといったところで目を閉じていた理子は、それ以降喋らなくなってしまうが、その顔には危なげな色はなく、呼吸も落ち着いていた。

 即効性とか言ってたから、まぁどうにかなるだろ。これで期限がわからない漫画のアシスタントは決定だな……

 それからキンジが呼びに行ったヘリの到着を待つ間に、雨で濡れないよう上着をかけてアリアについてもらって、オレはヒルダの落ちた第1展望台へと足を踏み入れて、そこで生死を確認しようとしたのだが、どこにいたのか、黒一色のベストとコートを着込んだ小柄の男が、焼け焦げて意識のないヒルダを診ていた。

 ああ、ヒルダが言ってたワトソンとかいうやつか。

 

「ヒルダは、生きてるのか?」

 

「うひゃっ!? だ、誰だい君は! 急に後ろから話しかけないでくれたまえ!」

 

 ずいぶんと中性的な声だったが、そんなことはいいとしてとりあえず気配を殺して近付いたことには謝罪して改めて問いかけると、どうやらまだ息があるらしい。

 それもここに放っておけば死んでしまうのだろうが、凄いというかなんというかだな。

 どうやら医者であるらしいワトソンは、ヒルダを助ける気満々だと言うので、オレも武偵法9条を理子に破らせるわけにもいかないためそれに賛成し、ヘリでの搬送をスムーズにするために理子とアリアのいる第2展望台へとヒルダを抱えて戻って、それから20分ほどして到着したヘリに理子とヒルダとワトソンが乗り込んで武偵病院に直行。

 オレとアリアとキンジは、ワトソンが乗ってきたというポルシェを借りて、アリアの運転で跡を追うように武偵病院へと向かっていった。



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Bullet59

 

 ヒルダとの戦闘から一夜明け、武偵病院に運ばれた理子は、運ばれた時にはもうすでに安全圏にまで回復していて、体の毒もほとんど解毒されていたらしく、耳の治療と自然回復だけで朝には目を覚ますだろうと言われてそのまま個室に寝かせられた。

 その横でオレは椅子に座りながら器用に寝ていたのだが、射し込んできた朝日で目が覚める。

 

「あ、起きちゃった」

 

 そんな残念そうに声を発したのは、目の前で寝ていた理子。

 理子は上体を起こした状態でいつからかはわからないがすでに起きていたようで、オレの顔を覗き見ていたのかちょっと顔が寄っていた。

 

「寝顔を見る趣味があったのか?」

 

「ちょっと違うかなぁ。キョーやん、理子の前で寝顔見せてくれたこと1度もなかったから、貴重な1枚を脳内に焼き付けてたの」

 

 そりゃお前に寝てるところを見せたら何されるかわからないから、こっちもずっと気を張ってたんだよ。

 だが、今回は油断した……何もされてない、よな?

 そんなオレの心中を察したのか、クスクスと笑いながら「なんにもしてないよ」と言う理子を一応信用する。

 

「アリアとキーくんは?」

 

「一緒に運んできたヒルダの方の診断待ち」

 

 会話ができるようになったことでアリアとキンジのことを聞いてきたのでそれに答えると、ピクッと、ヒルダの名前を聞いた瞬間に強く反応した理子。

 その顔にはどうして助けるんだといったところもあるか。

 

「助けるなってか? そりゃお前にとっては殺したいほど憎いやつだろうけどよ。オレはそれで理子に罪を被ってほしくないし、あいつには理子をいじめてきたことを生きて猛省させてやりたい。これから先、ずっとな。それで理子の気が晴れるかってのは知らないけど、殺す殺されるで終わる出来事は気分のいいものじゃない」

 

「……それでまた、理子をいじめようとしたら?」

 

「うーん……あいつはオレ達に負けたわけだから、極東戦役のルールに従えばあいつをどうするかは師団の判断で決定できるから、そんなことをさせないことは可能だけど、もしお前に何かしようとしたら、オレがまたメッタ刺しかもな。今の治療で魔臓の位置も判明するだろうし、次はもっと手早くできる」

 

「そういうのキョーやんらしくない。キョーやんはこれからも『綺麗な手』でいてよ。理子もその方が嬉しいし」

 

 綺麗な手、か。

 ヒルダ相手とはいえ、あんなことをしたオレの手が綺麗なんてことはないと思うが、理子にとってはそうなんだろう。

 言われて自分の手をグーパーして小さく笑うと、理子も恥ずかしそうな笑顔を浮かべていた。

 その笑顔をまた見れたことは良いことだ。

 

「…………悪かったな。大変な時に側にいられなくて」

 

「何でキョーやんが謝るのさ。これは理子が弱かったから起きたこと。そりゃ、こんな時にいなくならなくても、とか思ったことは認めるけど、それでキョーやんを責められるわけないよ。それに、スカイツリーまで助けに来てくれた時は、そのね……泣きたいくらい嬉しかったし……口移しのキスはキョーやんの『生きろ』って気持ちが直接入ってくるみたいだったよ。キョーやんとの初めてはもっとロマンチックでソフトなのが良かったけど、凄くディープなのになっちゃったね……」

 

 だが、その笑顔を曇らせる原因を作ったのがオレでもあるので、その事で謝ったらそんな返しをされて互いに恥ずかしくなり沈黙。

 理子の顔が見れない……というかあれをキスとしてカウントされるのはどうなのか……

 そんな指摘もできないで2人してどぎまぎしていたら、個室の扉をノックしてから入ってくる人物がいて、入ってくるなり理子に近寄ってきたのはアリアとキンジ。

 2人は各々話すことがあったようで、ちょっとしたやり取りが始まったため、恥ずかしい空気から脱するようにオレは2人に席を譲り後ろへと下がって、一緒に入ってきたワトソンと羽鳥に並ぶ。

 

「で、何でお前がいる」

 

「失礼だな。私はエルの要請に応えて深夜にも関わらずやって来て、瀕死のヒルダを診てやったというのに」

 

「フローレンスは嫌いだが、その腕は認めているからね。しかし気安く触るなと何度も言っているはずだが……」

 

「はははっ、それは距離感の違いだよエル」

 

 そんなことを言いながら笑顔でさりげなくワトソンの肩を寄せようとする羽鳥だが、当然のごとく手を払われて拒否されていた。

 しかし男嫌いのこいつがこの反応ってことは、昨夜は格好から判断したが、ワトソンは男じゃないな。

 それに気付きつつも、どうにも男の振る舞いをしてみせるワトソンは、羽鳥とは違って女であることを隠してるのかと思い黙っておく。

 だが、嫌いだと言う羽鳥を呼んでまで治療するということは、ヒルダも相当な綱渡りをしたのか。

 ここに来たのもヒルダの状態を説明するためだろうしな。

 アリア達の会話がひと区切りとなるまで待っていたワトソンだが、そこまで時間的余裕もなかったのか 、ちょっと強引に会話に割り込んで予想通りヒルダの話を切り出した。

 

「まず宣言しておくが、ボクは武偵であり医者だ。敵でも、戦いが終わればノーサイド。過剰攻撃(オーバーアタック)はしない。いかなる人格、国籍、人種であっても関係ない。治す。だからさっき、ヒルダの体から散弾銃の弾を――107発、全て摘出した。魔臓機能が不全なのにもかかわらず、彼女は驚異的な生命力で手術を乗り切ったよ。身動きも取れず、意識も無く、人工呼吸器を必要としながらも……彼女の命は、生きようと願っている。ちなみに魔臓なるものを縫合したのは初めてだったので、ボクもフローレンスも完璧には手技が出来ず……その組織を若干、切除せざるを得なかった。だがボクは、転んでもただでは起きない。それを材料に、魔臓の働きを止める薬品――バンパイア・ジャマーの開発を約束しよう」

 

 割り込んだ割には長々と話すワトソン。

 アリアとキンジもここで初めて聞かされたことなのか黙っているが、回りくどい話に誰かツッコめと目で牽制し合っていた。

 

「だが……日の出の頃から、彼女の容態は悪化している。主な原因は血液不足だ。ボクはここに着くと同時に、ヒルダの血液型を調べた。結果は、B型のクラシーズ・リバー型。人間では170万人に1人しかいない、珍しいものだったよ。その血を保存しているのは世界中でシンガポールの血液センターだけで、取り寄せるのに2日はかかる。そして……ヒルダは、この昼を越せないだろう」

 

 そうして話してからワトソンは、チラリと理子に視線を向けたので、わざわざこの場所に来て話をしに来たのか、その意図を理解する。

 つまりここに、ヒルダを助ける手段があるのだ。

 

「それ、理子の血液型と同じだよ。自分達と同じ血液型って事もあったから、ブラドは理子を手放したがらなかったんだ」

 

 ワトソンにチラ見されてしばらく黙っていた理子は、言うかどうか迷ったのだろうが、結局それを話してしまう。

 それで納得。ブラドはそれがあって優秀な遺伝子を持つ人間の中で、理子にこだわっていたのだ。

 自分達にもしもの事があった時のパーツ埋めとして利用するために。

 それを知っていたワトソンが、理子の意思を尊重したいがために自分から言うのを促したようだが、ヒルダを助けたいという言葉は嘘じゃない。

 

「理子、キミの献血を強制はしない。『戦役』に参加して敗北した者は、死ぬか……敵の配下になるのが暗黙のルールだが、ヒルダはそれに従わないかもしれないからね。ちなみにヒルダは一時期、イ・ウーに留学していた。交渉次第では、神崎かなえさんの裁判に出廷させる事もできるだろう」

 

 しかし、理子に強制しないと言いつつ、言葉の中に助けた恩は返せと主張する部分があってズルいと思う。

 それは思ったのだが、それよりもこの話に平然と混ざってる羽鳥は、いったいどこまで理解して聞いているのかが気になり小声で尋ねてみれば、

 

「私が知らないことは、彼女達のスリーサイズくらいさ」

 

 などと返してはぐらかされる。

 つまり今の話に一応の理解はあるんだな。どこまでってのを濁す辺りはこいつらしいが。

 

「――いいよ。採れば?」

 

 そんなことを話していたら、理子もツンツンしながら恩返しじゃないからなと念を押しながらに献血を受け入れる。

 素直な優しさを見せないのは実に理子らしい。

 理子の合意を得たことで、ワトソンと羽鳥は献血のための機器を運びに一旦退室し、アリアとキンジも心配事が消えたからと揃って帰宅していき、個室にはまたオレと理子だけとなると、さっきの恥ずかしい空気はなくなったので、普通に話をする。

 

「ワトソンの言い方もあれだったけどよ、やっぱ優しいよな、お前は」

 

「別に優しいとかじゃないよ。キョーやんが理子に罪を被るなって言ってくれたから、そうしたいと思っただけ。それからさ、助けてもらったお礼したいから、1回だけ何でも言うこと聞いてあげる」

 

「ほう。理子にしては太っ腹な報酬だな。今までオレもずいぶん振り回されたからな。ここらで発散しとくかね」

 

「あ! でもでも、おっぱい揉ませてとかそういうのはダメだ……みょっ!?」

 

 妙にしおらしいと思っていたら、やっぱりいつもの理子だったので言い切る前にチョップで止めておく。

 

「そうだな……じゃあ、今日1日はゆっくり休め。ここ数日くらいまともに寝られなかっただろうし、良い機会だろ」

 

「えー! つまんなーい! つまんないつまんないつまんなーい! だったらキョーやんも今日はこの部屋から出ちゃダメでーす」

 

 うるせー。オレがどんなこと言おうと従うんじゃねーのかよ。

 しかもちゃっかり監禁宣言してるし。バカなのか? バカなんだな?

 

「いいから寝てろバカ。明日から元通りの生活になって寝不足だなんだ言いやがったら殴り飛ばすからな」

 

「…………キョーやんって、生きてきた中で勿体ないこと絶対何回もしてるよね」

 

「そうかもな。でも後悔はしてないつもりだ。オレに後悔させたくないと思ってくれるなら、大人しくしてろ」

 

 これ以上なにか言われても、オレにとって理子が元気になることが今の一番の願いなので、これを押し通す。

 そんな気持ちが伝わったかはわからないが、理子は小さく頷いて小声で「ありがとう」と言ってきて、オレもそれで少し笑みがこぼれる。

 

「ああそうだ。これは聞いとこうと思ってたんだ。お前さ、ヒルダとの会話で『まだ見つけられないものがある』とか言ってたろ。あれって何だよ」

 

「………………教えない。キョーやんには絶対に教えないもん」

 

 それで帰るかと思って椅子から立ち上がったところで、昨夜の理子とヒルダの会話で気になったことを軽い気持ちで問いかけてみると、理子は何故か布団に顔を隠してそれを拒否。

 何だその反応は……

 

「知られると困ることか? まぁ教えたくないものを無理に聞きはしないけどな」

 

 あの理子が隠したがることなら気にならないわけではないが、是が非でも聞き出したいことでもないのであっさり退けば、布団から覗く理子が「あれ? 聞かないの?」みたいな目をするので、もうどっちなんだよお前……

 それがわかるように理子をジト目で見てやると、布団から顔を出した理子は、顔を真っ赤にしてひと息で言い切った。

 

「…………キョーやんの気持ちが今どこにあるのかいくら探しても見つからないの」

 

「……オレの、気持ち?」

 

「ゆきゆきのことはもう片がついたから、きっとキョーやんもどこか別のところに気持ちがいってるって思ったけど、キョーやん、前と変わんないんだもん。ゆきゆきって想い人がいなくなってから、それをまだ見つけられてないの」

 

 そんなもの、見つけられなくてもいいだろうに、と思ったのだが、理子にとっては重要なことらしく、顔を赤くしながらも表情は真剣だった。

 

「キョーやんはきっと、自分に自信がないんだと思う。だから自分に好意を持つ子がいても『自分を好きになるわけがない』って言い聞かせてる。自分に自信がないから『誰かを好きになっても仕方ない』って思ってる。でもね、キョーやんは自分が思ってるよりずっとずっと素敵な人だから、『気付かないフリ』はもうしちゃダメだよ。理子も普段は冗談みたいに言ってるけど、キョーやんのこと、本気で好きだから。だからキョーやんにも本気で向き合ってほしいの」

 

 図星を突かれた、ような気がした。

 オレ自身、幸姉との関係に整理がついて新たな1歩を踏み出したが、理子の言うようにそれより前から未熟な自分に自信がなくて、他人の好意に鈍感になろうとしていた気がする。

 だがそれは、真剣な気持ちを踏みにじるような行為。たとえ意識してやっていなかったにしても、オレはそれを反省すべき。

 

「……とりあえず、お前は今日1日休むこと。オレも明日には少し変わってると思うけど、笑うなよ」

 

「理子のこと好きになっても全然オッケーだよ?」

 

「それはわかんねーよバカ」

 

 とにかく、気持ちを整理するために一旦帰宅することを決めて、そんなやり取りを最後に個室を出たオレは、そのすぐ外の廊下で1度立ち止まり自分の愚かさを噛み締めていた。

 

「何をしているのだお前は」

 

 いきなり誰が話しかけてきたかと顔を上げれば、そこにはずいぶん久しぶりに顔を見たジャンヌがいて、廊下で立ち止まっているオレを不思議そうに見ていた。

 

「何って言われてもな……これから帰るところなんだが」

 

「そうか。理子が運ばれたと聞いて来てはみたが、大事には至っていないようだな」

 

「明日には退院して登校してくるだろうよ。今日1日はここで寝とけって命令しといたから、もう暇そうにしてるかもな」

 

「ふむ、すると理子は今日ここからは出てこないのだな。だとしたらこれは……」

 

 どうやら理子の見舞いに来たらしいジャンヌだが、オレの話を聞いて顎に手を当て何かを考え始めたかと思うと、すぐに顔を上げてオレを見る。何でしょうか。

 

「猿飛。お前が引いた変装食堂の私の衣装、覚えているか?」

 

「はっ? あー、何だったか……ウェイトレスとか書いてたような……」

 

「そうだ。お前に任せて引かせた以上、衣装に文句はない。むしろ着たい……ではなく、その衣装をよりパーフェクトにするために買い物に付き合え。行くところが地理のない秋葉原だから、コスプレ趣味の理子とよく出入りしているお前なら、その辺も詳しいだろ」

 

「……っていうのは口実で、本当はアキバに行ってみたいのが正解か? アキバで衣装を見て回るところを理子に見つかる可能性がない今日を逃したくないと?」

 

「ち、違う! 断じて違う! お前は変なところで頭を回すな! お前が決めた衣装なんだから、その責任は取れ」

 

 たまにだが、ジャンヌは凄く分かりやすいんだよな。

 女の子らしい趣味を隠してるジャンヌさんは、どうやら理子のホームグラウンドに足を踏み込めなかったのだろう。

 そのチャンスが巡ってきて喜びが顔に出てしまってる。オレがまだ返事してないのにな。

 しかしまぁ、断る理由もないからいいか。

 それでオレが了承すれば、ジャンヌは理子の見舞いはどこへやら。

 その身を翻して病院を出ていくようで、それを追う形でオレも病院を出て、とりあえず待ち合わせ時間を決めて現地集合にしてからジャンヌとは一旦別れて帰宅した。

 その別れ際のジャンヌが小さくスキップしてたのが妙に可愛かったが、なんか嫌な予感がする。

 そうして昼の10時少し前に秋葉原駅の電気街口まで来たオレは、ここを訪れる度に理子から「待ち合わせは男が先に来るものだ」と注意されていたので、それを踏まえて10分前行動でジャンヌを待っていると、駅からそのジャンヌさんが優雅に登場。

 以前、未婚の乙女は無闇に素足を、などと言っていたから、それを隠すように紺のデニムを履いていたが、くっきりとボディラインを出すタイプなのでそのラインの細さが妙に色っぽくて綺麗だ。

 上は白のシャツに薄茶色のセーターを着重ねて、全体的に女の子らしい可愛さはなかったが、それでも元が美人で長い銀髪とあって周囲からは浮いていた。

 

「待たせたか?」

 

 そんなジャンヌはオレを見つけて近寄ってから呑気に口を開いたので、そこでやっぱりなと悪い予感が当たったことに大きな溜め息を吐いた。

 

「何だその反応は。私が何かしたというのか?」

 

「……お前さ、お忍びで買い物するんだよな? だったら自分がここでどのくらい目立つかわからなかったのか?」

 

 と、オレが言ってみてもジャンヌははて? と首を傾げたので、引っ張るつもりもないオレは事前に用意してきた底の深い帽子をジャンヌの頭に被せてやる。

 

「お前の髪は目立ちすぎるんだよ。理子と会わないからって、他の武偵高生と会わないとも限らないし、理子の息がかかった店に入ったらそこから情報が漏れるだろ」

 

「……すまない、猿飛」

 

 そうやってオレが注意してやると、珍しく素直なジャンヌはオレに謝りつつ渡した帽子に垂れ下げた分の髪を入れて被り直し、パッと見で銀髪が見えないようになった。

 本当にそこまで考えが及んでなかったのか。浮かれるにもほどがあるだろうが、それもそれでジャンヌらしいとか言ったら怒られるな。

 

「それでお前はどうして制服を着ているのだ?」

 

「逆に私服を着る理由があるのか? オレは別に隠し事があるわけでもないし、こういう組み合わせの方が周りからは依頼か何かだと思わせられるだろ」

 

 準備も整ったところで、早速並んで歩き出して中央通りを北に進んでいると、唐突にジャンヌがそんなことを聞いてきたので即答してやる。

 

「そう、か。ん、いや、お前なりに色々と考えているのだな。少し見直したよ」

 

「そりゃどうも。それでまずは何を見るんだ? それによって行く店も変わってくるんだが」

 

「それなのだが、やはりこう、華やかなフリフリ衣装などを扱う店に行きたいんだ」

 

 こいつ、やっぱり変装食堂の衣装とか関係ないな。

 衣装をパーフェクトにするためにとか言っていたくせに、いきなりフリフリ衣装などを見たいと言うので、それに気付きつつも楽しそうに話すジャンヌを見ると指摘するのも野暮だと思い、要望通りにそれらしいのを扱う店に案内していく。

 とはいえ、理子と来る以外でアキバなど来ないため、知ってる店も全部理子の息がかかっていて、どこに行っても店員とマブみたいに話す理子のせいで、オレも店によっては顔を覚えられていたりする。

 そのオレが理子以外の女を連れてやって来たとあって、女性店員さんに妙にソワソワされてしまうが、そんなのお構いなしに店に入るなり展示される洋服などを目をキラキラさせて見始めたジャンヌ。

 それを我関せずで見ていたら、案の定理子とよく話している店員さんが代表として近寄ってきて「デートですか?」などと実に女子らしいことを尋ねてきた。あなた方も営業中でしょうに。

 

「仕事で同行してるだけですので。あんまり他人に話すことではないので、胸の内に秘めてくださると助かります。もちろん理子にも」

 

 理子とは違って冗談を言うタイプではないオレの言葉に、店員さんも聞いちゃいけなかったのかと謝罪してからいつも通り仕事に戻っていき、とりあえずこの店は乗り切ったオレも小さく息を吐く。

 そんなオレのちょっとした苦労も知らずに、あれもこれもと手に取って洋服を見るジャンヌ姫は、もう完全に自分の世界に入られてしまっていた。



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Bullet60

 

 ヒルダとの戦いから一夜明けて、その色々もとりあえずは解決したと思えば、久々に会ったジャンヌにまともに休む暇もなく引っ張り出されて秋葉原に来ていたオレ。

 いま現在、連れてきた洋服店で落ち着きなく動き回るジャンヌを見ながら、こちらを気にするような人達がいないかをそれとなく見ておく。

 一応、ジャンヌは自分が少女趣味を持つことは隠してるので、ここでジャンヌが買い物してるところなどを目撃されるとマズイ。

 いや、オレは別にバレようと構わないのだが、それで恨まれても嫌だしな。

 しかも2人でいたとなるとデートだなんだと騒がれる可能性もある。そっちはジャンヌに悪いから注意しなきゃならない。

 

「さ、猿飛、こっちに来い(フォロー・ミー)

 

 そんなオレのちょっとした警戒も露知らず、落ち着きのないジャンヌは気に入った服なのかそれを手に持ったままオレを呼び寄せるので近寄ってみるが、呼び寄せておいておどおどし始めるジャンヌにオレも困ってしまう。

 

「何がしたいんだ」

 

「あ、いや……こ、こういうのが私に似合わないのはわかっているのだが、客観的意見として一応聞いておこうと思う。これはどうだろうか?」

 

 そうやって保険をかけた上で持っていた白と黒のフリル付のメイド服のような服を体に当ててオレに感想を求めてくる。

 どうせなら試着してほしいものだが、それで店員さんに顔を覚えられたりしても面倒だし仕方ないか。

 考えながらとりあえずジャンヌがそれを着ているイメージを頭に浮かべてみる。

 髪は下ろした方が良い気がするな。だが何もないと質素だから髪飾りでもつけて、足は白のニーハイを履くと素肌を見せるより違和感がなくなる。

 あとは服に合うエプロンでもつければ、メイドの完成だ。いや、メイド作ってどうするんだ……

 

「おい、なんとか言え猿飛」

 

「ん、悪い。似合わないってことはないだろ。理子が着るのとは違う可愛さがあってオレ的にはアリだ」

 

 ジャンヌのメイド姿を想像していたら間が空いてしまって、もう1度問われてから感想を述べてみれば、何やらブツブツと呟き始めたかと思うとその手の服を元の場所に戻して、今度は別のフリフリの服を体に宛がって感想を求めてきた。

 

「買い物に付き合って真面目に感想を述べる身としては、実際に着た姿を見せてもらうくらいの報酬はほしいところ。当然1着くらい買うんだよな?」

 

「なっ!? 私はただ似合うかどうかを聞いただけだ! そ、それに今日は服が目的ではなく、変装食堂の衣装に合う装飾品だ。余計な射幸心を煽るのは止せ。いやダメだ。そんな期待の眼差しで私を見るな。どんな期待をしようと私の決心は揺るがない」

 

 …………ここまで要求ばかりのジャンヌに冗談でそんなことを言ってみたら、なんか1人で勝手に喋り出して止まらなくなってしまう。

 だけどこういう反応をするってことは、本当は買いたいんだろうな、服。

 そうなるとオレが背中を押してや……ろうか考えたが、なんか知らんうちに最初に手に取ってた服を持ってレジに向かってた。

 店員さんに「い、妹のような後輩へのプレゼントなので、包装! 包装を頼む!」という最後の牙城は崩さない言い訳が炸裂していたが、まぁそれが最良の選択だろうな。

 オレを頼らないで買いに行った辺りは褒めてやる。そこまで考えがつかないほど余裕がなかったなら別だけどよ。

 それから別の店で宣言通りアクセサリー系の小物も買ったジャンヌは、せっかく来たのだからとあろうことかメイド喫茶に行きたいと言い出したので、渋々でいつかの大泥棒大作戦をしたメイド喫茶に案内し、そこでついでに昼食を摂る。

 メイド喫茶は出費が霞むため正直嫌いなのだが、何かと通ってる理子から貰った使いもしない割引チケットだかを持ってたのが幸いして普通の飲食店レベルの出費で済んだのは助かった。

 

「ほう、ここの制服は理子がデザインしたのか。だから布面積が少し少ないのだな」

 

 そんなメイド喫茶で定番のオムライスを注文して待っている間、腕と足を組みながら店内を歩くメイドを観察するジャンヌは、オレが補足をしてやると勝手に納得して「これもアリか」みたいな呟きを漏らしていたが、聞かなかったことにしよう。

 一応、理子と仲の良い店員メイドには警護任務の最中だと話して口止めはしておいたが、もう言い訳も面倒になってきたので、これから何が起きてもフォローはやめよう。寄り道したのはジャンヌだし。

 

「そういえば猿飛。お前は変装食堂で女装するのだったな。シフトも遅番の私の入りまではいるはずだから、何か至らないことがあったらよろしく頼む」

 

「…………ああ、そんなことがこれからあるんだったな……ちなみに誰から聞いた?」

 

「1週間くらい前に理子から一緒に撮った写真が送られてきてな。私も言うのは悔しいのだが、なかなか様になっていたじゃないか」

 

 メイド観察を終わらせたジャンヌは、次の話題として変装食堂の話を振ってきて、いきなり現実に戻されたオレがうなだれながらに情報源を聞けば、携帯を取り出したジャンヌがその画像をオレへと見せてきて、そこには女装したてのオレと理子とのツーショット写真が写っていた。

 写真写りを見てもあんまり違和感がないから本当に悲しい。悲しすぎる。

 

「文化祭当日には私も撮りたいから、逃げるなよ」

 

「ジャンヌさんも恥ずかしいからって逃げないでくれよ。公の場で可愛い格好出来る機会なんてこの先あるかわかんないんだから、目一杯注目されて収益を上げてくれ」

 

「それはまぁ、約束できないが善処しよう。それで今日の報酬は何がいい?」

 

「はっ? 別に何もいらないけど……」

 

 ジャンヌ優勢の話に待ったをかけるべく、ちょっといたずらなことを言ってみるが、それを上手い具合にはぐらかしたジャンヌは、今回の買い物に付き合ったお礼は何がいいかと問いかけてきて、オレがそう言ってやると本当に意外だったのか何故という顔をする。

 

「ジャンヌがどう思うかは任せるけど、チームメイトと一緒にどっかに行くなんて交友関係のそれと同じだ。そこに報酬だ何だを持ち出すほどオレもお堅い人間じゃない」

 

「……ふっ。お前は変わってるな」

 

 表情を察して理由を言ってみると、これも何故か変わってると言われて笑われてしまうが、注文したオムライスの到着でその笑いを追求するタイミングを失ってしまったのだった。

 メイド喫茶を堪能したジャンヌと店を出てからは解散となり、買った服を早く着たいのか駅にまっすぐ早足で向かっていったジャンヌの後ろ姿を見送って、そういえば理子が欲しがってたゲームがあったなと思い寄り道してからオレも学園島へと戻る。

 理子には悪いと思うところもあったし、詫びも兼ねてってことでいいだろ。

 そうして男子寮の部屋に戻ってきた頃にちょうど携帯に連絡があり、小鳥から無事に美麗と煌牙を送り届けた旨と、夕方頃には帰ってくることを伝えてきた。

 となると夕飯は考えなくても大丈夫か。いや、たまにはオレが作ってやるのもいいかもな。

 そんなことを考えながらリビングのソファーでくつろいでいると、唐突に洗面所の扉が開いて、そこからズボンだけ履いてタオルを首から提げる羽鳥が出てきて、リビングに入ってオレと目が合うが、こいつが女だと知ってしまったためについ視線を羽鳥から外してしまう。

 

「その反応は気持ち悪いからやめてくれと言ったのだが?」

 

「…………ヒルダはどうなった?」

 

「誤魔化すな。私はそういう反応をする男に吐き気がする。君は少し違うと思ったが、所詮は有象無象の男の1人というわけか」

 

「……やっぱりお前、ムカつくわ」

 

「それでいい。私と君は仲良しこよしで接するような関係ではない。今も『昔も』な」

 

 ……昔も?

 どうあってもオレとの距離感と態度を変えない羽鳥にちょっと凄いと思う反面、やはりイラッとするが、それよりも今の言動に疑問が生じて問いかけようとしたら、携帯が電話の着信を知らせてきて、早く出たら? とジェスチャーで示した羽鳥はそのまま寝室へと引っ込んでいってしまい、タイミングを失ったオレは仕方なく通話に応じると、相手は現在こちらに戻ってきてる最中の貴希。

 今はパーキングで休憩中ということでかけてきたようだが、話の内容は今日戻ってからすぐに買い物に付き合ってほしいというもの。

 なんでも文化祭の前に済ませたい買い物で、今日を逃すと時間を取れなくなってしまうらしく、その買い物をオレに付き合ってほしいのだとか。

 まぁ、約束してたから断るわけにはいかない。

 それで快い返事をしてから待ち合わせの場所と時間を聞いて通話を切ると、そのタイミングで寝室から黒のアンダーウェアを着た羽鳥が、寝室の入り口前で腕組みして壁に肩を寄せオレを見ていた。

 

「デートかい?」

 

「そんなところだ。小鳥は夕方頃に帰ってくるから、気を利かせるなら冷蔵庫の中身を補充しとけ」

 

「君は夜通しでヒルダから107にも及ぶ軟鉄弾を摘出し魔臓の縫合までした私に買い出しに行けと言うのかい? 理解してほしいとも思わないが、手術というのは相当な集中と神経を使う。だから私はこれから寝るんだ。正直いま、君と話すことすら辛いほどに眠いんだ」

 

「あーあーそれは悪かったですよどうぞお眠りくださいこっちもこれ以上話すことなんてありませんのでというかだったら顔見せないで寝てろアホが」

 

 何を言わせてもオレを挑発するようなことを言う羽鳥にイライラしてきたので、同じ空間にいたくないと思って外で時間を潰すことにしてひと息でそう言ってから玄関へと向かう。

 

「羽鳥というのは、私の正式なファミリーネームではない」

 

 リビングを出る直前、後ろで呟くようにして羽鳥が唐突にそんなことを言ってくる。

 少し気にはなったが、ここでまた構えば面倒だし、だからなんだと思うことで振り向かずにそのまま玄関へと行き、貴希との約束まで外で時間を使っていった。

 しかし、あの呟きはたぶん、さっきの話と関係があるな。前にあいつと会ったことでもあったか?

 そんなことを最初は考えていたが、ずっと羽鳥のことを考えてるとまたイライラしてきたのでそれも頭の隅に追いやって、陽の暮れ始めた待ち合わせの時間に貴希の住む女子寮前に行くと、すでに準備万端の貴希が車を待機させてこちらに手を振っていた。

 こっちに戻ってきてそれほど経ってないからか制服を着ていたが、近くに寄るといつもよりちょっと化粧が丁寧な気がして普段はしない香水の香りも仄かにする。

 

「なんか気合い入ってるな」

 

「そんなことないですよ? いつも通りです。それより早く行きましょう。何ヵ所か回るので時間も余裕ないですし」

 

 どことなくいつもと違う気がするが、当の本人はそんなことはないと言うのでそういうことにして、早速貴希の車に乗り込んで学園島を出たオレ達が最初に向かったのは、魚屋。

 ほとんど閉店間際だったため車の運転があれだったが、閉まるシャッターに滑り込んで店主と話し出した貴希は、どうやらタコを仕入れる交渉に来たようだ。

 何故タコかと言えば、車輌科の出店の1つがタコ焼き屋をやるからで、貴希はそこの全体を取り締まる役割にあるらしい。

 そこで関西出身ということもあってやるからには本格的に且つ、低コストでという関西人らしいこだわりが出たようで、直接店に来たのは値切り交渉が目的。

 変装食堂にやる気のないオレとはえらい違いで自分がちょっと小さく思えた。

 オレがそうこう考えていたら、貴希が年不相応な色気と粘りと押しで店主に交渉を仕掛けて、無事に2割引きで仕入れに成功したようで、押し切られた店主は美人の貴希とあってまんざらでもなかったのか笑みがこぼれている。

 

「こんな美人の彼女を持つあんたも隅に置けないねぇ」

 

 それで仕入れの予約をしている時に店主が何を思ったかそんなことをオレに言ってくるので、貴希に申し訳ないと思い否定しようとしたら、貴希の方が「そんな関係じゃないですよぉ!」などと言いながら店主の背中をバシバシ叩いていた。

 その貴希の顔は恥ずかしそうにしていたが、店主の顔は苦痛に歪んでいて苦笑するしかなかった。

 とりあえずそれで第1の買い物を終えて車に戻ると、発進する前に唐突に貴希が口を開く。

 

「私達って、端から見たらその……恋人同士に見えたりするんですかね」

 

「見える人には見えるんだろうな。オレは畏れ多いんだが」

 

「何で京夜先輩が畏れ多いんですか。私は京夜先輩の彼女なんて光え……ああ! 次行きます!」

 

 口を開いたかと思えば、オレの返しに何か言いかけて急に慌てて発進したりとどこか読めない感じの貴希だが、ちょっと面白いので観察してたら運転に集中できないと怒られてしまった。

 次に向かったのは大型のデパート。そこに入っている100均に足を運んで迷うことなく買ったのは、大量のタコ焼きの入れ物――プラスチック製の量産品――と輪ゴムに食べるための串。

 ビックリするのはその量だったが、一人前8個入りと考えても1000セットは売れる量。

 それを2000円くらいに収めて買ってるから、材料費によっては完売でボロ儲けだろうな。

 それらがまとめて入った袋をオレが持って次に向かったのは同じ施設内の食料品売り場。

 目的はトッピング用の調味料のようだが、買い物カゴに入れたのはからしマヨネーズだけ。

 聞けば生地に味付けするからソースとかはいらなく、青海苔も鰹節も必要ないとのこと。

 しかし大量のからしマヨネーズで一杯になった買い物カゴを見たレジの人にギョッとされたのは当然と言えば当然。

 どんだけ好きなんだと思うだろうが、領収書を頼まれてちょっと納得したようだった。

 それら全てを1度車へと運んでデパートに戻り、荷物持ちのオレが次は何だと貴希を見ると、目が合って少し慌てる素振りを見せて腕の時計に視線を移し「お腹、空きませんか?」と言うので、貴希の時計を見ると時間も夜の7時に近かったため、それに「そうだな」と返すと施設内の飲食店で夕飯にしようと提案されて、小鳥に夕飯はいらない旨の連絡をしようとしたら、すでに小鳥には言ってあると言うので、どうやら予定に入っていたことらしい。

 それで入ったお好み焼き屋で夕飯にしたオレ達は、互いに注文したお好み焼きやもんじゃ焼きをシェアして食べるが、さすが本場仕込みの貴希の焼きは上手かったし旨かった。

 これが理子やジャンヌなら先鋭的なものへと変貌しているんだろう。

 実際この前に理子にやらせたら無駄に唐辛子を大量投入したりとやりたい放題だったわけだが……

 その話を貴希にしてやると、あり得ないという感想とともに味に興味があったのか問いかけてくるが、辛すぎると人間、味がわからなくなるんだ。

 

「でもいいですよね。そうやって京夜先輩と気軽に食事が出来たりって。私はこういう機会じゃないと全然」

 

「そんないいもんでもないぞ。オレからは話題振りなんてほとんどしないし、2人とかなら尚更。理子はその点で勝手にベラベラ話すからいいけど」

 

「それでもです。私は京夜先輩と一緒にいられるだけで嬉しいですから」

 

 言った後、貴希は手をうちわのようにして顔を扇いで鉄板の熱で暑いと誤魔化すが、言われたオレも恥ずかしい。

 そうやって一緒にいられて嬉しいと言われるのは、幸姉や愛菜さんで慣れていたつもりだが、貴希のような子に言われるのは何か違ってどうしたものかと考えてしまうが、言葉が出てこなくて2人して沈黙。

 そこからほとんど会話もなく夕飯を食べ終えて店を出たら、1度お手洗いに行ってしまった貴希を待つこと数分。

 その間に気持ちを入れ換えて貴希と接しようとしていたのと、貴希もそうだったのか揃って口を開いて明るくすると、互いに笑い合ってしまった。

 その後は腹ごなしにゲーセンで軽く遊んでから、以前から興味があったらしい有名店のプリンを買って、それを学園島が見える台場の夕陽の塔のそばで並んで座って食べる。

 2人してプリンの味に舌鼓を打って食べ終えその余韻に浸っていたら、やはり10月の夜ともなれば冷え込んでくるため、制服の貴希が小さく体を震わせたのでオレの上着を着せてやると申し訳ないと言われたが、有無を言わせないオレに負けて受け入れるが、その顔を俯けてしまう。

 どうしたのかと顔を覗こうとしたら、ぴょんっと突然立ち上がって軽いステップでオレの前に移動して向き合う形になる。

 

「今日はありがとうございました。とても助かりましたし、楽しかったです」

 

「荷物持ちくらいしかできなかったけど、役に立ったなら良かったよ。でもこんなのが追加報酬でいいのか?」

 

「いいんです。私にとっては贅沢すぎる報酬でしたから。だってこの時間まで、京夜先輩を独り占めしてたんですよ? こんなこと、普通はできません」

 

「そんな大層なことじゃないって。暇ならまた誘ってくれていいしな」

 

「…………それじゃあ、次は『私の彼氏』として京夜先輩を連れ回したいです」

 

 突然だった。

 目の前でそう言った貴希に一瞬、思考が停止したオレは、それがどういう意味かを理解するのに数秒かかってしまう。

 

「私は……京夜先輩が好きです。武偵として尊敬もしてますし、その気持ちと同じくらい、ずっとずっと京夜先輩のことが好きでした。だから……私と付き合ってください」

 

 両手を胸の前で合わせて祈るように告白した貴希は、ずっと秘めていた気持ちを吐き出して軽く呼吸が早くなっていたが、その顔は真剣そのもの。

 その告白を受けてオレは、今朝、理子に言われたことを思い出してしまう。

 気付かないフリ。

 決して意識的にやっていたわけじゃないが、貴希の態度に何か違うところがあることに気付いていて、それを放置していた。

 それをやってしまった自分を、殴りたくなる。

 

「…………ごめん、貴希。オレは卑怯な人間だ。貴希の様子が違うことには、気付いてた。ひょっとしたらオレのことを、って頭によぎってて考えることを放棄してた。貴希の気持ちは凄く嬉しい。でもオレは、そんな貴希の真剣な気持ちと正面から向き合わなかった。オレはそれが許せないし、そんなオレが貴希と付き合う資格なんてない」

 

「……資格って何ですか? そんなのは恋愛に必要ないです。確かに気付かれていたのに知らん顔されてたのはムッてなりますけど、そうやって正直に言ってくれた京夜先輩は今、私と真剣に向き合ってくれました。そんな京夜先輩が私は好きです! 私は、京夜先輩の一番になりたいです!」

 

 ここまで言われて嬉しくないわけがない。

 だがオレは、その嬉しさに反して、幸姉を想っていた時に感じていた気持ちが込み上げてこないことに気付く。

 それはつまり……

 

「ありがとう、貴希。オレも貴希のことは好きだよ。でもオレは、貴希のことを可愛い後輩以上には思えないみたいだ。それにオレはまだ、誰かと付き合ったりとかは考えられない。やっと自分の足で歩き始めて、今はそれで精一杯みたいなんだよ」

 

 それがオレの答えだった。

 それを聞いた貴希は、とても切ない表情を浮かべてから1度俯いてしまうが、次には顔を上げて笑顔を見せて口を開いた。

 

「……ああー! フラれたー! でも言いたかったことが言えてスッキリしました。勝手ですけど、これからも可愛い後輩として京夜先輩とは仲良くしたいので、お兄ちゃん共々よろしくお願いしますね。それから、私をフッたんですから、私以上の女と付き合わなかったら轢いちゃうぞ」

 

 それからオレに上着を返した貴希は「ここからなら1人で帰れますよね」と言って先に帰ってしまい、オレはその後ろ姿を見て、少しだけ胸が苦しくなったのだった。



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Bullet61

 あれから何日かが経過して、10月30日。

 とうとう2日間に渡って行われる文化祭が始まった。

 あのあと貴希と会うことがないまま今日を迎えてしまったが、避けられてるというよりは本当に予定が詰まっててずっと外に出払ってたようで、妙な間が空いてしまったせいでどんな顔をして会えばいいかわからなくなる。

 しかしそれはそれで午前中のうちにはどうにかしたい。

 なにせ午後からはオレが生涯忘れることができないだろう地獄のシフト。変装食堂での仕事が待っている。

 準備の手間を考えると昼前には始めないと間に合わないから、文化祭開始からの2時間程度が今日のオレの自由時間。

 その間にまずは貴希の件を片付けようと車輌科の出店へと向かってみると、その途中で運悪く理子と遭遇。

 早速両手にアメリカンドッグとホットドッグを持って食べ歩きをしていたようだが、すっかり元気になったその姿を見るとなんとなく安心する。

 だがどっちもウィンナーな時点で別個で食べる必要性を感じない。

 

「ラッキーラッキー! ここでキョーやんに会えたのって絶対に運命だよね」

 

「そう思いたいならそれでいいが、何故ついてくる」

 

「いいじゃんいいじゃん。どうせシフトまでブラブラするつもりだったんだし、1人より2人の方が楽しいよぉ。ブラブララブラブしようよぉ」

 

 それでも一応挨拶程度で別れようとしたのだが、ひょこひょこ隣を食べながらついてくる。

 予想はしていたからそれ以上は何も言わずにいると食べかけのホットドッグをプレゼントと称して押しつけてきたので仕方なく食べてやり、それに「間接キッスー!」とはしゃぐのをチョップで沈黙させたところで、車輌科の駐車場にあった『クィーンタコ焼き』なる店が見えて、バイクの車輪がタコ焼きになってるのれんを潜ると、そこには椅子に座って車のカタログを見ながら店番する貴希の姿があり、オレと理子が現れたことで椅子から転げ落ちて慌てて身なりを整えた。

 

「もー! 京夜先輩は普段から気配消しすぎですよ! ビックリするじゃないですか!」

 

「ん、そんなこともないんだが。こいつもいるしな」

 

 意外にも普通に接してきた貴希にオレも普通に返して理子の頭をベシベシと上から叩く。

 そんな返しに気を抜いていただけの貴希は何も言えなくなったようで「轢いちゃうぞ」と小さく呟き気を取り直した。

 

「お2人とも初日からデートですか? 女連れなら気前良く買ってくださいよ?」

 

「そうだぞキョーやん。さっき奢ってあげたんだから、ここで返すのがいいと思います!」

 

「食べかけのホットドッグ食べただけだろアホが……んじゃこいつが食いしん坊だから20個くらいで頼む」

 

「まいど! 京夜先輩にはサービスで焼きたてをあげますから、食べ歩いて宣伝してきてくださいね」

 

 抜かりないなこいつは。

 言いつつすでに出来上がっていた分を容器に詰めずにタコ焼き器で新しいのを焼き始めた貴希は、鼻歌混じりに上機嫌。オレが心配しすぎだったかな。

 タコ焼きができるまで少しかかるため、じっとしてるのが嫌いな理子は近くの出店にちょっかいを出しに行ってしまい、貴希と2人になるが、そうなると何を話せばいいかわからず沈黙してしまう。戻ってこい理子。

 

「……気にしなくていいですよ」

 

 と、オレがどうすべきか考えていたら、唐突に口を開いた貴希にちょっとビックリ。

 

「こんな早い時間に来てくれたのって、私を心配してくれたんですよね。京夜先輩優しいからすぐにわかりました。でも私ならもう大丈夫です。きっぱりと言われて私も吹っ切れました。だからこれからも後輩として普通に接してくれたら嬉しいです」

 

「……その言葉に嘘はなさそうだな。あー、どんな顔して会おうか悩んでた自分がアホらしい」

 

「真顔で来たら笑ってやりましたけどね」

 

 言いながら笑う貴希にオレも釣られて少し笑ってしまう。これなら今まで通りに貴希と話せそうだ。

 そんなオレ達の様子を見ていたのか、気になって戻ってきた理子が何かあったのかと割り込んでくるが、オレも貴希も何でもないと誤魔化してはぐらかし、焼き上がったタコ焼きをキリでパパッと容器に入れて手渡される。

 

「あ、変装食堂の方にはしっかり顔出しますから、優待お願いしまーす」

 

 最後にそんないらんことを言ってきた貴希に来るなと一応返してから立ち去ったオレと理子は、一般人への開放から賑わってきた周りにちょっと楽しくなりながら近くにあったベンチで熱々のタコ焼きにありつき始め、アホの子の理子は何も考えずに1つ口に放り込んで、はふはふ言いながら口の中でタコ焼きを転がして、そんな理子を見ながらオレも1つ手に取って理子のようにならないように食べる。

 

「味にはこだわってたから、美味いだろ?」

 

「ほーはへ……んく。理子的にはソースとマヨのタッグでも良かったけど、タコ焼き本来の味ってのもいいよね。キョーやんは本場関西出身として自分で焼いた方が美味しくできるとか思ってたり?」

 

「貴希も関西出身だ。それに焼き方ってのは地域で色々違うし、これはこれで十分に美味しい。ほら、ちょっと有名なのでは焼いた後に表面を揚げるようにして仕上げるのもあるだろ」

 

「あれは取る時崩れなくて食べるの楽だよねぇ」

 

 そこから何故かタコ焼き雑談が数分間続き、それが終わる頃には15個も食べやがった理子の申し訳程度に残した4個を食べてから、理子に半ば連れ回される形で新たな食べ物を求めて学園島を歩いていった。

 小鳥と風魔が仕切って売っていた焼きそばは当然のごとく美味く、インターンが肩身の狭い思いで懸命にやっていたクレープも好評のようで、桜ちゃんもテキパキ働いていた。

 ついでに麒麟も売り子として愛想を振り撒いていたが、元戦姉の理子には笑顔全開の優待だったのに、オレには唸り声混じりで接待された。もう接待とも言わないか。

 基本的にこき使われる1年以下が主導で切り盛りする店が多く、昼前にも関わらずだいぶ食べた理子もようやく胃を休める気になったのか、スルーしてきた食べ物以外の出し物を見て回って残りの時間を使っていった。

 そして悪夢の時間がやってくる。

 

「では京様、頑張ってきてください」

 

「……今からでも遅くない。誠夜を……影武者の誠夜を呼べ……」

 

「大丈夫ですよ。それらしくしていれば一般の方にはバレませんから!」

 

 シフトの時間が迫って、その準備のために学生食堂の方へと移動して、そこで待っていた幸帆に手伝ってもらって変装を終えたオレは、ここにきてもやはり現実逃避したくて弟の誠夜を呼ぼうと携帯を取り出すが、やはりズレたことを言う幸帆に肩の力を抜かれて逆に決心が着いてしまった。

 嫌々ではあるが、着込んだ着物の上からエプロンを着けて、西部劇のガンマンとなった理子と一緒に最後の蘭豹の変装チェックへと向かうと、大笑いされて「売上に貢献してこいや!」と太鼓判を押されてフロアへと送り出され、そこではすでにたくさんの客でごった返す戦場となっていた。

 

「皆の衆! 我らが切り札の登場だぞー!」

 

 その忙しそうな空気の中で、突然そんなことを言って注目を集めた理子は、次にオレを指してパタパタと手を振りやがって、食堂の視線がほとんどオレへと注がれてしまうが、オレの姿を見た2年連中はそこでワッ! と盛り上がって「京奈がきたぞー!」と何故か持ち上げられる。

 やめろお前ら。オレを目立たせるなよ……

 そうは思いつつも客のいる手前、あからさまな殺気はマズイので、武偵高生にしかわからない『怒気を込めた笑顔』で周囲へと威嚇して沈静化してから、理子の頬を両側から引っ張ってお仕置きしてから分かれて仕事へと取りかかった。

 いざ始めればオレもすんなりスイッチを切り替えられて、間近で接客してもオレが男であることはバレなく、男女問わずに綺麗だなんだと言われては謙遜で返して乗りきっていった。

 そんな中で注文の料理を待つ少しの間でおばちゃん達に大人気のパイロットの制服を着た不知火が同じように料理待ちのタイミングで話しかけてきて、不思議と周りから注目されてしまうが、それを気にすることなく顔を近づけて小声で話してくる不知火。

 

「猿飛君、大好評みたいだね。僕にも『あの子綺麗ですね』って言われてで凄いよ」

 

「別に嬉しくもなんともないわアホ。それよりあれを何とかした方がいい気がするんだが……」

 

 と、いらん報告をしてきた不知火を躱しつつ、躱しついでに現在フロアで見ていて非常に危なっかしい動きをするレースクィーン姿の中空知を指す。

 中空知はよく見るとかなりむっちりとした体型で胸も大きくなかなか格好も似合っているのだが、言ってるそばから机にぶつかってふらつき壁に当たりとこの仕事向いてない感がひしひしと伝わってくる。

 いつもは眼鏡をしているが、今日はコンタクトにしてて慣れないせいではないかと思う。

 

「んー、猿飛君チームメイトだしフォローしてあげなよ」

 

「オレは中空知に近付くなと釘を刺されてるから無理。ちなみに顔を合わせて話したことすらないぞ」

 

「じゃあ親睦を深めるチャンス……ってこともなかったかな」

 

 どうにも気を利かせてるのか知らないが、躱し方も上手い不知火はオレにフォローを勧めてきたが、オレもジャンヌに釘を刺されてる身として渋っていると、その間に厨房にいたはずの警官姿のキンジが中空知と一緒にフロアから出ていくのが見えてひと安心。

 変装食堂は連帯責任で内申に影響するから、そういうのを少しでも上げたいキンジならどうにかするだろ。

 それから互いに料理が出てきたのでそれを運ぶために会話もそれくらいで分かれてまた仕事へと戻っていく。

 働き始めてから2時間ほど。

 一般客からは単なるコスプレ喫茶のような変装食堂は、客が途切れることなく出入りし、オレ達も休む暇がないくらいに忙しい中、生徒会の仕事で遅れてきた教師姿の白雪の加入で幾分効率が良くなって、ようやく1人2人が休憩に回っても余裕が出てくるようになった頃。

 ちょうど家族連れの客を見送ってフロアの外に出ていたところで、不意に後ろからトントンと肩をつつかれたので振り向けば、そこにはオレが予想もしなかった人物達が立っていた。

 

「なかなか似合うとりますな。これは見に来た甲斐がありました」

 

「なんや眞弓ぃ。京の様子見に来る言うんはこういう意味かいな。珍しいこと言うもんやからなんやあるとは思っとったけど」

 

「こればっかりは私の情報網でも掴めんかったなぁ。ねっちんとほっちんにも網張っとけば良かったわぁ」

 

 ――もう……死にたい……

 振り向いたオレを見てのそれぞれの言葉を聞いてオレは、心からそう思ってうなだれる。

 おかしい……何がどうしてどうやって、あろうことか眞弓さん達がここにいるのか。

 うなだれるオレに対してワイワイと楽しそうな眞弓さん、雅さん、早紀さんの3人。

 3人がいるならまさか残りの2人も……とすぐに考えて眞弓さんを見るが、オレの内心を悟ったように「あの2人は来てまへんえ」と不幸中の幸いなことを言ってくる。

 しかし今の口ぶりから、眞弓さんはオレの女装を知ってて来ているのだが、どこから漏れたんだ?

 

「あの、眞弓さんはどこでオ……私のことを?」

 

「心当たりありまへんか? なんや珍しくお父様が『土産話』持って東京から帰ってきたさかいなぁ」

 

 …………抜かった。

 そういえばあの一件で燐歌にすぐ噛みつかれたから、眞弓さんのお父さんに口止めするのを忘れてた……

 どんな風に言ったかは定かじゃないが、もうやだ死のう……

 そう思ってうなだれてる状態から床に座り込む形に移行して失意のどん底へと落ち込むオレに、眞弓さん達は全く気にせずにニヤニヤしながら写メを撮りまくる。もう好きにしてくれ……

 そんな出入り口付近でワイワイやってれば当然人目に触れるので、とりあえず客の流れを悪くするわけにはいかないと持ち直して、立ち寄っていくらしい3人を中へと通す。

 すると気付く武偵はすぐに気付く。なにせ天下の月華美迅のうち、3人が来客したのだ。

 彼女達に憧れてる武偵は少なくないため、一般客の知らぬところでどよめきが起こり、ウェイトレスをしていたやつらも思わず手を止める。

 

「なんやえらい注目されとりますな」

 

「人目気にしてもしゃーないて。それよりはよ席に案内してや京」

 

「さっちん、今はその呼び方したらあかんて。ちゃんと京奈ちゃん言わな」

 

「お気遣い感謝します……それでは3名様テラス席にご案内します」

 

 テラス席に落ち着いて注文を取り、それで一旦3人から離れてバックヤードに戻ると、ソワソワする一同が握手してくるかとか話をしてくるかとか言っているのを耳にする。

 それでちょっとフロアに顔を出して眞弓さん達を見れば、仕事の合間にちょこちょこ話しかけるやつらまでいて、眞弓さん達の知名度を改めて確認。

 ここに愛菜さんと千雨さんもいたら軽い騒動に発展していたかもしれないな。

 それで注文の料理を運んでいき、その時に後を絶たない生徒の応対で若干落ち着かない感じでピリッとしていた眞弓さん達の空気を察して、ちょっとだけ会話をしておく。

 戻ったらあいつらにこれ以上構うなって言っておかないと。眞弓さん怒らせるのは怖すぎる。

 

「愛菜さんと千雨さんは居残り組ってところですか?」

 

「そやで。全員来てもうたらあれやったから、じゃんけんで3人決めてん」

 

「あん時のアイのマジオーラがドン引きレベルやったな……よっぽど京に会いたかったんやろね」

 

「そういうやる気出す人は大抵負けるんどす。2人はいま何してはるんやろか」

 

「京くん、眞弓はああ言っとるけど、しっかりまっちゃんとちっちが負けるよう仕込んどったんやで。ホンマにエエ性格しとる思うわ」

 

 オレの質問に対してそれぞれがそれぞれの言葉で返してくることでピリッとした空気は払拭できたが、どうやら愛菜さんと千雨さんは始めから居残り組が決定していたようで苦笑。

 それを仕組んだ眞弓さんは素知らぬ顔で注文したコーヒーを啜っていた。

 でも愛菜さんにこの姿を見られなくて良かった。

 見られたらたぶん、接客どころではなくなっていた。

 

「あの、これはお願いなんですけど、お2人にはこの件は黙っておいてくれませんか?」

 

「初めからそのつもりどす。2人には帰っても『楽しかった』しか言うつもりありまへんし、土産も一切買いまへん」

 

「それはそれで酷いですね……」

 

「あの2人の悔しそうな顔は、ウチにとって美味しい料理のそれと同じどすからなぁ」

 

 それで一応3人に釘を刺しておくと、あれな笑顔を見せた眞弓さんがそんなことを言うので、ちょっとだけ感謝しつつも愛菜さんと千雨さんに同情する。

 まぁ、昔は仲が悪い上で意地悪してたのに比べれば、可愛いものかもな。

 その後は一言二言で話を終わらせて全員に眞弓さん達をもてはやすなと釘を刺しておき、別の客のところへと接客に行くが、その忠告も聞かずに京都へ行った時に仲良くなった理子――眞弓さんとは初対面のはずだが――が何やら楽しそうに眞弓さん達と話してるのを見かけたが、本人達が険悪な雰囲気を出していなかったからセーフ。

 次には白衣姿の研究員レキさんが直接お呼ばれして会話していたが、あのレキさんと何の話をしたのか非常に気になった。

 それからも白雪やキンジ、まさかのランドセル背負った小学生アリアまでお呼ばれして話をしていたが、アリアは同じSランク武偵として眞弓さんが噂でも聞いていたのだろう。握手しているのも見えたし。

 だが羽鳥。お前はダメだ。

 アリアが離れたタイミングで入れ替わるように眞弓さん達に近付こうとしていた女子に大人気のホスト羽鳥を、後ろ襟を掴んで止めようとしたらヒラリと躱され接近を許してしまう。

 こいつ、いつもは接近に気付かないとか言ってるくせに、どうでもいいところで気配を察知しやがって。

 

「薬師寺眞弓さん、お初にお目にかかります。羽鳥・フローレンスと申します。あなたのお噂は常々聞き及んでおりました。先日はお父上にもご助力をいただきましたこと、感謝しております」

 

「あんたが『闇の住人』どすな? そっちの噂も遠く英国の地から聞こえてきてますよって。個人的には非常に興味深い人や思とりました。不躾どすが、何で『そないな星の下で生まれた』のに武偵であるのか、ウチは気になりますな」

 

「……ご挨拶ついでに人脈を広げるつもりでしたが、これはなかなかどうして踏み込めませんね。日本には『触らぬ神に祟りなし』という諺もありますし、挨拶だけとさせていただきます。お時間を取らせたこと、お許しください」

 

 最初こそいつも通りにキザっぽく振る舞って言葉を連ねた羽鳥だったが、いざ眞弓さんが口を開けば、どうやらたったそれだけの言葉で話の主導権は眞弓さんが握ったらしく、これ以上は自分が何かを引き出されると思ったのかあっさりと引き下がった羽鳥は、丁寧な一礼でその身を翻してオレと擦れ違うと、そこで一言「敵わないね」と漏らしてまた待っていた女性客の接客を始めてしまった。

 星の下ってことは、あいつの生まれに何かあるってこと、だよな。それが羽鳥を黙らせるほどの威力を秘めているのか。

 そんな考えを頭で巡らせていると、眞弓さん達が席を立って会計に行ったので、オレもそれについていき、フロアの外でまた少しだけ話をする。

 

「京夜はん、なんやウチらと一緒にいた頃より自分が出せてるみたいで楽しそうでした。やっぱり幸音はんが足枷やったんとちゃいます?」

 

「そんなことはないですよ。オレにとって幸姉は世界の中心にいる人だっただけで、足枷なんて思ったことありません。それに眞弓さん達と過ごした時間は、たくさんの経験と思い出ができた大切な時間でした」

 

「京くんや。年末年始くらいは帰ってきてもエエんやで? 私らとねっちんで歓迎したるさかいな」

 

「そん時はホォも一緒に連れて帰ってきや」

 

「前向きに考えておきます」

 

 オレの女装を見る目的だと開口一番に言っていた眞弓さん達だったが、こうして改めて話すとオレの様子を見に来てくれたことがなんとなくわかって恥ずかしくなる。

 オレはいつまでもこの人達にとっての弟分なんだな。

 そんな3人と京都に居残っている愛菜さんと千雨さんに感謝しつつ、次は幸帆のところへ顔を出してくるみたいなことを言いながら歩き始めた雅さんと早紀さんを見送りつつ、最後に何か言いたげだった眞弓さんが、オレの耳元へ顔を近付けてささやいてきた。

 

「フローレンス言う子、悪い子やないと思いますが、気をつけなはれ」

 

「ッ! それはどういう……」

 

 というオレの言及に眞弓さんは口元へ人差し指を持っていって止めると、いつもの表情の読めない笑顔だけ見せて、先に行ってしまった雅さんと早紀さんを追っていってしまった。

 あいつが何か抱えて隠しているのはなんとなくわかってるが、そこに踏み込むなって警告なのか。その時のオレには眞弓さんの言葉の意味の全てを理解することはできなかった。



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Bullet62

 

 まさかの眞弓さん達のサプライズ来訪を無事に乗り切ってから数時間。

 あと1時間でオレもシフトが終わるとあって、ようやくかと思いながら午後の5時を回って客足も落ち着いてきたのでバックヤードでやれることをやって控え室にちょっと物を取りに戻る。

 

「猿飛」

 

 そこで不意に、閉じられた扉の向こう。第4控え室からジャンヌさんのお声がして、そういえばそろそろシフトで入りなのかと思い出す。

 

「もう着替えは終わったのか?」

 

「終わっている。終わっているが……その……いざ人前に出ると思うと……」

 

 扉越しに声をかけてみれば、すでに準備は終えているようだったが、案の定人前に出ることをためらっていたので、心に一生ものの傷を残しかねないオレが女装したのに、好きな衣装を着て人前に出るのが恥ずかしいなどと言ってるこいつを許さん。

 なのでジャンヌの許可なしでいきなり第4控え室の扉を開けて中へと入ったオレは、そこでフリフリのヒラヒラなウェイトレスの服を着て髪を下ろしカチューシャをつけるジャンヌを見て不覚にも可愛いと思ってしまう。

 普段が普段なだけにこういう服を着られると凄い。理子風に言えばギャップ萌えってやつか。

 しかし見とれてる場合でもないので、椅子に座ってモジモジしていたジャンヌの腕を引いて強引に立たせて第4控え室から出ると、当然それに抗ってくるジャンヌ。

 

「いつだったか。当日はちゃんと人前に出るみたいな約束をしたチームリーダーは何処に?」

 

「待て! 待て猿飛! わかった! 行く! ちゃんと行くから私のタイミングで行かせてくれ!」

 

 すると観念したように第4控え室を出たところで行くと言うのでとりあえず解放するが、フリフリのスカートの丈を掴んでモジモジし出してまたイラッとする。可愛いがイラッとした。

 

「ど、どうやら言葉による後押しが必要なようだ。その、お前の口からこの格好に対しての感想をだな……」

 

「あーうん可愛い可愛い。これじゃオレの女装も霞んじゃうなぁさぁ行くぞ」

 

「待て! 今の言葉に全く感情がこもってなかったぞ! いい加減なことを……ッ!」

 

 後押しが必要などと言うので、正直な感想を矢継ぎ早に言ってさっさと行こうとするが、今のが不服らしくワンモアとうるさいので笑顔で黙らせる。

 

「オレはこういうことで嘘つかないって前に言ったよな? だったら腹括ってさっさと行ってくれませんかね?」

 

 ここまで言って嬉しそうな顔はすれど足は床に打ち付けてるんじゃないかと思うほど動かない。もうやだこの人……

 こうなったら担いででもフロアに出してやろうとしたところで、テニス部所属のジャンヌさんの後輩達が待ちきれなくて控え室までやって来て、オレとジャンヌを見るや「可愛いー!」「凄いカップリング!」「お似合いですー!」などなど言葉を連ねてくるが、オレも見て言うな。

 いきなりの後輩の登場と称賛の声。さらに出入り口を固められて気が動転したジャンヌは、控え室の窓を開けてそこから逃走しようとしたが、その肩をがっしり掴んで阻止。

 

「どこに行くんですかジャンヌさん? ふふっ、どうやらどこに行けばいいかわからないようですから、後輩の皆さんでお連れしてあげてくれる?」

 

 絶対に逃がすもんかと肩を掴んだまま、後輩の前とあって再び言葉遣いを改めたオレがそうやって言ってやると、後輩達はキャッキャウフフとその腕と背中を押さえて顔を真っ赤にしたジャンヌを連行。

 それを自分でもわかってしまうほど嫌な笑みで見送ってから、当初の目的の物を持ってバックヤードへと戻り、その際にフロアでぎこちないながらも観念したように後輩達の接客をするジャンヌを見て再び嫌な笑み。

 一応残りのメンバーにもジャンヌが逃走しないように監視してほしいと言って、午後の6時を回ったところでようやくオレのシフトが終了した。長い1日だった……

 事前に慣らしておいたとはいえ、長時間の女装はやはり相当な疲労を伴ったようで、化粧を落としてエクステも外し、男子制服へと着替えを終えてみればもうクタクタ。

 今日はもう何もする気になれないのでまっすぐに帰宅しようと建物を出て少し。

 オレよりも少し早くシフトを終えた巫女服姿の白雪と、武偵高のセーラー服を着た小さな少女が眼前に見えて、少女が誰かと目を凝らせば、その頭にフリルつきのベビーキャップのような帽子を被ってはいたが、狐の耳みたいな突起が見えて、腰の辺りには不自然な膨らみもあったので特定。玉藻様か。

 

「おお、おお、猿飛の。ヒルダを討ったこと、大義であったぞ」

 

「いえ、私……オレは何もしてませんよ」

 

 それでオレの存在に気付いた玉藻様は、白雪と一緒に近付いてきて第一声で誉めてきたのについ変装食堂の時の口調と丁寧語が混ざって出てしまい何事もなかったように言い直したが、白雪にはクスクスと笑われて玉藻様には首を傾げられる。恥ずかしい……

 

「謙遜せんでもよい。それからあとで白雪伝いでと思うておうたが手間が省けた。儂の鬼払結界を都の湾岸、ほぼ全域に張ったでの。守りは固めたぞ」

 

「それはご苦労様です。となると今後は攻勢に出ることも視野に入れてもいいと?」

 

「うむ。やはりいつの世も猿飛のは理解が早くて助かる。どうじゃ白雪。こやつの子供を産むのも良い選択じゃと思わんか」

 

「た、玉藻様!? 私にはキンちゃん様という心に決めた旦那様が……」

 

 それで真面目な話をしたかと思えば、急に子供の話が出てきて、話を振られた白雪は驚きつつも両頬に手を当て顔を赤くしながらそんなことを言う。

 しかし告白してないのにフラれた。その気はないのになんかちょっと悲しかったのは男としてなのかね。

 

「ふむ。今宵は白雪のところに厄介になろうと思うたが、猿飛の。お前さんのところで一晩過ごさせてもらうぞ。やはりお前さんからは心地よい香りがするでの。非常に落ち着く」

 

 体をクネクネし出した白雪をとりあえず放置した玉藻様は、次にこちらの意思など関係ないといった感じで今夜家に泊まる旨を伝えてきたが、マジっすか……

 それから文化祭の夜祭の雰囲気を堪能してから訪ねると言って白雪と一緒に体育館の方へと行ってしまい、それまで起きてなきゃいけないこと確定で大きな大きなため息が漏れてしまった。

 夜祭終わるの10時過ぎ、だよな……

 その後は何事もなく帰宅できたオレは、待ってましたといった感じの小鳥と羽鳥と一緒に夕食を食べてから、客人――人じゃないがな――が夜遅くに来ることを伝えておいてからサクッとシャワーを浴びて、横になると寝てしまいそうだから久しぶりに小鳥の徹底指導をして玉藻様が来るまでの時間を潰す。

 途中から羽鳥のやつまで加わって無音移動法やらミスディレクションやらをやるのだが、さすがSランク。

 現状の小鳥より段違いで上手いので当人が軽くヘコんでしまった。

 一応、前回のランク考査でCランクは取れた小鳥だが、元がどちらかというと探偵科向きなため、技術も徒友解消後に戻るであろう探偵科で活きるものを優先で指導してることもありランク的にはこれが限界だとは思う。

 探偵科に戻ったらBランクは頑張って取ってもらいたいところ。じゃないと戦兄として無能みたいになるし。

 そんな遠くない未来のことをちょっとだけ見据えつつ、日々成長する小鳥の姿を目に焼き付けていると、いつの間にか時間も夜の10時を回っていたのでお開きとすると、今日1日文化祭でも1年ゆえに色々動いていたらしい小鳥はヘトヘトになってシャワーを浴びてから寝室へと直行。

 羽鳥はいつもこの時間は自室で怪しい薬品実験をしてるのですでに姿は見えない。玉藻様が来られたらオレもすぐ寝よう。

 そう思っていたら大きなあくびがつい出てしまい、完全に眠気が飛んでしまわない程度に気を引き締めて待つこと20分ほど。

 ようやく到着した玉藻様はリビングに入ってくるなり着ていた武偵高のセーラー服と帽子を脱ぎ捨てて「寝間着じゃ猿飛の」とすっぽんぽんで言ってきて、見た目幼女の玉藻様に別段どうという感情もなかったが、すっぽんぽんでうろつかれても困るのでオレのTシャツを寝間着代わりに渡すと、ぶっかぶかのTシャツがほぼ全身を覆ってそれでなんか満足したらしい玉藻様はそのまま寝室へと侵入してまっすぐにオレのベッドへと入ると、オレが入れるスペースを作ってポンポンそこを叩く。マジですか……

 

「ほれ、何のためにお前さんのところで1泊すると思っとる」

 

 拒否権は、ないだろう。ここで機嫌を損ねられたら面倒だ。

 幸い玉藻様は見た目幼女。一緒に寝ていても端からはちょっと微笑ましい光景で済む。小鳥も変に言及はしてこないだろう。

 などなど色々と後のことを考えていたら、玉藻様のポンポン叩く手が速くなるので仕方なくベッドへと入り布団を被ると、すぐにオレの懐へ入りクンカクンカと匂いを嗅いだ玉藻様は、それ以降すっかりリラックスしたようで穏やかな寝息が聞こえ始めたので、オレももう本当に疲れていたので程なくして意識が遠退いていった。

 翌朝、寝相が悪いのか玉藻様に首に抱きつかれて軽く窒息しかけるところで起きれば、ちょうど小鳥も起きたタイミングで玉藻様を見られたので気まずい雰囲気になるが、幸姉の知り合いと説明したら何故かすんなり納得していつものように朝の準備を始めていき、オレも玉藻様を寝かせたままでたまには小鳥の手伝いをしようと一緒に朝食の支度をしたりし、自室でそのまま寝てたらしい羽鳥も朝食の匂いに釣られて起きてきて、玉藻様も子供のように寝ぼけながら起きてきて、4人で食卓を囲んでから各々支度を済ませていった。

 その後は今日もこき使われる小鳥がまず先に登校していき、クラスの女子と文化祭を回る予定だと言う羽鳥が出ていき、昼まで暇だと言う玉藻様が文化祭を見て回ると言い出したのでそれに同行することになったオレは、昨日と同じ格好の玉藻様を肩車しながら文化祭を回っていったが、その途中で何やらオレを探していたらしい風魔と遭遇し、有無を言わせぬままにどこかへ連行しようとするので逃げようとしたが、幸帆まで合流されてはよからぬことではないと思わされてしまい、仕方なく連行されてみれば『美男子コンテスト』なる会場の裏に通されて、そこには不知火や羽鳥までいて嫌な汗が吹き出る。

 玉藻様がどんな催しかを幸帆に聞いて「外の面で位を争うとは面妖な催しじゃの」と漏らしていたが、全く以てその通りだと思う。

 その通りだと思うので何故か勝手にエントリーしてくれやがった運営にはささやかな抵抗としてバックレさせてもらうことでチャラにしてやるが、加担した幸帆にはあとでお仕置きだ。

 それで玉藻様と一緒に会場をあとにしようとしたら、玉藻様はどうやら美男子コンテストに興味があるらしく残ると言い出したので、子供じゃない――確か800歳くらいだったはず――からいいかと玉藻様を1人残してオレ1人でその辺をブラブラして時間を潰すことになってしまった。いざ1人になると暇なんだよな……

 まぁ暇なら暇で適当な場所で寝るのもいいかと、不知火達男衆で回る昼過ぎまで一般教科の校舎の屋上へと赴いて近くで流される音楽をBGMに寝ようとするが、そこにはすでに先約がいて、誰かとよく見れば3年の時任ジュリア先輩。

 ロシア人とのハーフである彼女はSSRの首席候補で『脳波計』と呼ばれる超能力を持ち、大雑把に言って触れた相手の思考を読み取れるらしく、オレも過去に不用意に近づき触れることを拒否されたことがある。

 

「お1人ですか」

 

「……なんだ少年か。相変わらず悪趣味な接近だな」

 

 それでフェンス越しに文化祭の様子を見ていた時任先輩に声をかけてみると、それで気付いた時任先輩は薄く笑いつついつもの感じで返してきた。

 まだ名前で呼んでもらったことないんだよな。

 

「やっぱり人混みはダメなんですね」

 

「人で賑わう場所は私にとって苦痛でしかない。少年は何故ここに?」

 

「ちょっと昼まで寝ようかと思いまして」

 

「そうか。では私は退散するとしよう。少し気分を変えて来てはみたが、やはりSSRの自室の方が落ち着く」

 

 そんな会話の後に時任先輩はゆったりとした足取りでオレとすれ違い、オレが来た道を引き返すようにして屋上を去ろうとする。

 

「ああ少年。ついこの前なんだが、ようやく少年とどこで会ったか思い出した。あの時は訳も言わずに拒絶して済まなかったな」

 

 その去り際に急に思い出したのか階段の前で立ち止まって振り返りそう謝罪してきた時任先輩。

 正直初めて会ったのは今から3年も前なので、気にもしてなかったことを謝罪されてちょっと戸惑うが、気にしてないと答えるとまた薄く笑う。

 

「少年との距離感は不思議とストレスを感じないな。君は世渡りが上手いのかな」

 

 そして最後によくわからないことを言って去ってしまった時任先輩に、世渡りは決して上手くないと内心でツッコんでおいた。

 時任先輩との会話後、少しだけ寝るつもりが不知火からの電話で起きたオレは、予定通りキンジ、不知火、武藤と一緒に文化祭を回っていき、美男子コンテストの結果だけ聞くと羽鳥が優勝で不知火が準優勝。

 オレは不参加ってことで処理されたらしいので、ざまぁみろと思いつつ、CVRのダンスショーを見たり、各学科の出し物を見たりで久々に何の気兼ねもなくのんびりと時間を使うことができた。

 まぁそこまでは良かった。しかし文化祭の打ち上げはそうもいかない。

 午後の7時。体育館へと赴き、そこで行われる武偵高の悪習『武偵鍋』のためにチーム毎で1つの鍋を囲む。

 この武偵鍋はチームで食材を持ち寄るが、その食材に必ず『アタリ』と『ハズレ』を用意しないといけない。

 奇数人数のチームの場合は1人が『調味料』担当になるが、オレの所属するコンステラシオンは癖がありすぎるためにアタリをハズレにするようなやつが混ざってて、そんな悲劇を少しでも減らすためにオレと中空知がアタリ担当になり、普段から通信講座で授業を受けて今日も案の定登校してこない京極の代わりにオレ達の鍋に参加させられた羽鳥と鍋文化のないチームリーダーのジャンヌがハズレ担当となり、あと1人。島が調味料担当となっていた。

 武偵鍋用の鍋は普通の土鍋にシルクハット状の蓋を被せることで中を見えないようにでき、蓋の天井部が開閉されることで中を見ずに取り出せる闇鍋仕様。

 すでに持ち寄った食材は鍋に投入済みだが、幹事であるオレはその中身を知ってるだけに戦々恐々。

 必ずひとすくい分は食べなきゃいけないルールによってジャンヌや羽鳥も普段の余裕が若干ないようだ。だがお前らが持ってきた食材がハズレなんだからな。

 そして中の具を煮ている最中に、調味料担当の島が到着。

 どうやって車を運転してるのかわからないほどの体格――135センチ程度――にモカブラウンのふんわりした髪。理子以上のフリフリヒラヒラを盛りまくって原型すら留めていない魔改造セーラー服と頭に特大サイズのピンクのリボンを載せた見た目小学生にすら思える島は「お待たせしましたですの!」と一言オレ達に謝罪してから、何故かあぐらをかいたオレの足の上にちょこんと座ってきた。

 

「……島、ちゃんとゴザに座れ」

 

「苺の特等席ですの!」

 

「頼むから退いてくれ……お前の『妹』にも目をつけられてるし」

 

「猿飛さんは苺がお嫌いですの?」

 

 それで退いてもらおうと言葉を連ねれば、オレを見上げてうるうるその瞳を潤ませる島。

 本当にこういうタイプは苦手だ。だからといってこのままもダメだと思うので左隣に座っていたジャンヌにアイコンタクトで助けを求め、ため息を吐いてから島を抱え上げたジャンヌは、そのまま自分の左隣に着地させて「スキンシップは程度がある」とかなんとか諭して収めてくれた。

 そして島が来たことで調味料が追加されることになったが、嬉々として島が取り出し躊躇なく鍋へと投入した調味料は、恐ろしいことにパルスイート。

 その量たるや250グラムは入ったが、砂糖の約4倍の甘さを誇る人工甘味料だぞ……どうしてくれる……

 

「島……それはどこから仕入れてきたんだ?」

 

「理子さんからおすそわけしてもらいましたの!」

 

 ダッ! ドッ! ゴッ!

 何の悪気もなく満面の笑みでオレの質問に答えた島に責はない。

 ないわけじゃないが怒りの矛先は島には向かず、オレとジャンヌは聞いた瞬間にバスカービルの鍋に突撃して、そこで呑気に鍋を箸で叩いていた理子にゲンコツを1発ずつお見舞いして打ち倒し、キンジ以外揃っていたバスカービルメンバーにドン引きされるが、それを無視して自分達の鍋へと戻りもはや鍋の中が予測不能になった現状に打ちのめされる。

 それでもルールはルール。食べないわけにはいかないので、せめてもと思ってお玉ですくう時の感触で中身を選別しようと先手必勝で動こうとしたら、横から羽鳥にお玉をかっさらわれて「君の分は私がすくってあげよう」などと余計なことをしてくれやがる。

 そして羽鳥がすくい上げた物は、ジャンヌさんが持ってきた苺大福。

 さらに余計なチョコまで渡してくれやがったせいで食べなくてもその甘さに悶絶しそうになる。これを食べるというのか……

 ジャンヌ達が沈黙する中で覚悟を決めたオレがそれを口に含んで、丸飲みできない物なせいで口の中で何度か吟味する羽目になるが、死にそうだ。

 これ以降はおそらく甘い物を口にできないほどの地獄を見ながら飲み込んだオレに対して、ジャンヌ達は拍手。

 さぁ、次はお前らの番だこら……

 オレに続いてジャンヌががっつり甘い煮汁を吸い込んだ煮卵を食べてダウン。

 アタリがハズレになってたので、もう中身は全部ハズレだな。

 続けて仕返しにオレのすくい上げた魚のフライを羽鳥に渡して、自分が「フィッシュ&チップスは英国が誇る料理さ」などと豪語していた物を前にして珍しくためらったが、平静を装って食べ切ると速攻でどこかへ立ち去ってしまった。

 その後はチョコがほんのりコーティングされたポテトを中空知が食べて泡を吹き、ジャンヌと同じで煮汁をたっぷり吸い込んだ大根を食べた島は、天に召された。

 想像を絶する惨劇。オレ以外が息をしていないうちの鍋は周囲からもどよめきが起こり、そんな中でも無事? に全員ノルマは達成したため、捨てるように鍋の中を入れ換えたオレは、出汁からまた鍋を作り始めて、眞弓さん達が気を利かせて持ってきてくれた肉や野菜を入れて完全復活。

 ジャンヌ達も三途の川を渡る手前で戻ってきて、ようやく平和な鍋が開始された。

 ここで初めて中空知と対面で会話ができたが、ジャンヌの忠告通りまともな会話にならなかった――どうやら面と向かってだと緊張するらしく、男は特にダメらしい――のは少々驚いた。オペレートは完璧なんだけどな。

 そしてクドクドとジャンヌを口説き出した羽鳥に、それを振り払いながらも鍋をつつくジャンヌを横目に、子供のようにじゃれてくる島に戸惑っていたら、近くでバスカービルの鍋をつついていた理子が乱入してきてオレと島の間に割り込んで途端にうるさくなったりと平和な鍋が遠ざかってしまうが、それはそれで楽しいと思えてしまったのだから文句は言えないな。

 楽しい思い出半分。辛い思い出半分くらいになった文化祭が終わった翌日。

 後片付けは1年の仕事なので暇をもて余していたオレは運悪く綴に捕まって臨時のランク考査の手伝いをさせられる羽目となり、1日を無駄にしてしまった。

 すっかり暗くなった学園島を歩いて帰宅しながら、一応は貰った報酬に感謝しつつも綴への恨みはややプラスにしておく。

 ――ガウゥゥン!

 そんな銃声がオレの背後から聞こえるより早く、首が勢いよく左に傾いたためにかなり驚くが、そうなったということはオレはいま確実に殺されかけた。

 

「――ハッ! 本当に殺せねェじゃねェか」

 

 途端に警戒して振り向いてすぐにそんな声が聞こえてきたのだが、どこを見ても声の主の姿はなく戸惑うが、不気味な笑い声はいつか聞いたことがあることに気付く。

 

「……ジーサード、だったか」



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Bullet62.5

 

 11月1日。

 私達1年にとっては大忙しだった2日間に渡っての文化祭が終わって、今日はその後片付け。

 武偵高は封建主義の強い学校なので、基本的に行事で働くのは1年とインターン。

 そのせいで文化祭は雰囲気しか味わえなかったですが、来年は楽しみたいな。

 そんなわけで朝から出店の撤去やら飾りつけの取り外しに清掃とやること山の如し。

 明日までには元通りにしておかないと教務科からの折檻とあってみんなテキパキやってますが、そこは武偵高らしく色々と『雑』さがチラついていた。

 有効に使えば来年また使えそうな装飾品なども取り外したそばからゴミ行きとか、分別も結構テキトーで大きい段ボールなどを小さく切り分けたりもしないでボンと重ねて焼却炉行きさせたり。資源は大事にしないとなんですけどね……

 そうしてせめて私だけでもと思いながらみんなのペースに遅れを取らない程度で丁寧に片付けをしていたら、学園島の割と始めに通る道に植樹されていた直径50センチほどの大きな木まで辿り着いた。

 文化祭の間は目印や待ち合わせ場所として目立つとあってその枝に展示物の案内板などを色々とぶら下げられたりしてちょっとしたスポットと化していたこの木は、まだ誰も手をつけていなくてぶら下がりっぱなしの看板などでごちゃごちゃ。

 紅葉の時期も過ぎて青々しさどころか葉もほとんどなかったその木を見ながらに、私はふと先日、実家へと帰った際におじいちゃんに言われたことを思い出した。

 

「自然と対話する能力、か……」

 

 おじいちゃんが言うには、私の家系が脈々と受け継いできた能力は、根本として自然との対話を可能にするらしいけど、今までこういった植物から声を聞けたことはない。

 それどころか仲の良くない動物の声ですら聞こえない私がそんなことできるわけもないのですが、あれからちょっとだけ自分の能力を強く意識するようになって、おじいちゃんの真似をして目の前の木に直接手で触れて対話を試みる。

 

「文化祭、広告塔みたいなお仕事をしてくれてありがとう。今から綺麗にしてあげるから、待っててね」

 

 おじいちゃんのように言葉なしでは絶対に無理だと思って声に出してみたはいいけど、肩の上の昴が「何か聞こえた?」と頬をつつきながら問いかけてくるのに対して、私は首をゆっくりと横に振る。

 そうだよね。簡単じゃ、ないよね。

 

「やっぱり仲良くなるところから始めないとダメなのかな……植物と仲良くなる方法なんてよくわかんないけど……」

 

 そうしてどうしたらこの能力が植物に対して使えるかを昴と一緒に考えてみるけど、こういう時の昴は割と投げやりで今も「毎日話しかけてみたら?」とかあまり現実的ではないことを言ってくる。

 ここは通学路でもないから手間がちょっとなぁ。

 

「小鳥殿、何をしてござるか?」

 

 などと考えていたら、突然触れていた木の裏から陽菜ちゃんがひょこっと顔を出してきたので、完全に気を抜いていた私はビックリして後ずさり、地面に立て掛けられた案内用の看板につまずいて転びそうになるけど、直前で陽菜ちゃんが手を引いてくれて転ばずに済む。あ、危なかったぁ。

 

「ありがと、陽菜ちゃん」

 

「某にも非はあったようにござるから、感謝は無用。それよりこのようなことで慌てるとは何をしてござった?」

 

「ちょ、ちょっとこの子とお話できないかなぁって頑張ってみてたり? お恥ずかしい限りで……」

 

 落ち着いてから改めて陽菜ちゃんが問いかけてきたのに、私が素直にそう答えると、さすがの陽菜ちゃんも私が目の前の木を指したことで「えっ?」みたいな顔をして私を見る。は、恥ずかしい……

 

「小鳥殿はそのようなことまででき申すか。これは驚きにござる」

 

「あのね、まだできるわけでもないし、できるなんて確証もないんだけど、できるかもねっておじいちゃんに言われたから試してただけだから」

 

 できもしないことに驚かれて恥ずかしかった私がそう言えば、陽菜ちゃんもふむふむと理解を示してくれてとりあえず事なきを得る。

 

「しかし動物に限らず、植物とまで対話ができるかもと言うのはなかなかに納得し難し」

 

「そうだよねぇ。私も正直半信半疑でやってみてるから、本当にできるとは思ってなかったり」

 

「ふむ、しかし植物などと対話まではいかずとも、猿飛殿もそれに近しいことはできそうにござるが……某は雲の出来や風の吹き方、季候などで天候をある程度予測することができる故、猿飛殿も同じように感じてござる。その証拠に猿飛殿が雨に打たれる姿を1度も見たことがござらん」

 

 ああ、そういえばそんな気もする……というより、雨の日はほぼ京夜先輩に傘を持つように言われてたなぁ。

 あれって天気予報をちゃんと見てるんだなって勝手に思ってたけど、たまに降水確率20%くらいでも注意されてたこともあったっけ。

 結果として雨も降ってきたし。でもそれとこれとはちょっと違う、よね。

 

「確かに京夜先輩は天候がわかるっぽい感じはするけど、それはそれじゃないかな」

 

「同じにござる。植物も雲も風も、等しく自然にあるもの。それらと対話に近いことができる人間は古来より少なからず存在してござる。小鳥殿の家系はそれが色濃く出ている稀有な血族と言えるかと。たとえ原理が違えど、話だけでも聞く価値はあるかもしれぬ」

 

 うわ、珍しく陽菜ちゃんが押せ押せで来るなぁ。

 でも言ってることはなんとなく正論っぽいし、それで何らかのヒントが得られれば万々歳。収穫がなくても私が損をするわけじゃないもんね。

 

「そうだよね。聞くのはタダだもんね。さすがタダに弱い陽菜ちゃん!」

 

「そ、それは誉められてござるか?」

 

「ちょっとだけからかってたり」

 

「小鳥殿もお人が悪くなり申したな……」

 

 と、ちょっとした冗談混じりで返してみたら、思いの外陽菜ちゃんが落ち込んでしまって慌てて謝ると、陽菜ちゃんも落ち込んだフリだったみたいで騙されてしまったけど、その後は2人で笑い合って会話は終了。

 気付けばちょっとした長話になって作業が止まっていたことに気付き、遅れを取り戻すように後片付けを再開させていった。

 いざ再開と思って動こうとはしたけど、よくよく見ればこの木に高さも不揃いな看板が掛けられていて、中には普通に手の届かない高さにあるものもあって脚立が必要だとわかる。

 そこで陽菜ちゃんが自分で木に登って取り外しをすると言ってくれるけど、体重をかけたら折れそうな枝もあったので、それは避けたかった私は大人しく脚立を取ってくることにして、陽菜ちゃんと一緒に大きな脚立を借りに一旦その場を離れて装備科まで出向いていった。

 だって、頑張ってくれたあの木の枝を折っちゃったら可哀想だもんね。

 それで脚立を得た私達が小走りで戻ってみると、どうやらその間に別の男女2人のペアが片付けに来たようで、でもどうやらさっきの陽菜ちゃんみたいに木に登って看板を外そうとしていた。

 そこまでならまだ止められたけど、私達がそれを視界に捉えた時にはもう、木に登った1人が細い枝にあろうことかナイフを突き立てて枝ごと看板を撤去。

 

「や、やめてください!」

 

 それを見て思わず叫んでしまった私に、2人はキョトン。

 どうしてと言わんばかりの顔を向けてくる。

 

「そんなやり方はこの木が可哀想です」

 

「可哀想? 面白いこと言うな。よく見りゃお前、電波ちゃんの橘か。もしかしてこの木の言葉でも聞こえたのか? ははっ」

 

 私の言い分に対して、木に登っていた男子が馬鹿にするように笑って返してくるけど、そんな力がなくても今のが可哀想なことはわかる。

 それがわからないあなたの方がおかしいんです。

 

「ここは私達でやりますから、あなた達は他の場所をお願いします」

 

 電波と言われるのにはもう慣れっこなので、それをスルーして2人にそう告げると、その反応が面白くなかったのか舌打ちしながらも木を降りた男子は、下にいた女子と一緒にこの場から去っていった。

 

「小鳥殿が強く物申すとは珍しくござるな」

 

「だって、あの人が無神経すぎるから。それに私は間違ったことは言ってないつもりだよ」

 

「そうでござるな。人間はもっと自然を大切にせねばいかぬでござる。拙者達がいなくともこの世は正常に動くでござるが、自然がなくてはこの世は異常をきたすでござる」

 

「おじいちゃんも昔そんなこと言ってた。人は自然とは切っても切れない縁があるから、その縁を大事にしないとダメだって」

 

 そうなんだよね。

 地球上に人間っていう生物が生まれてから、この星を一番食い物にしてるのは歴史と現在の姿が証明してる。

 だからこそ人間が一番に自然を大切にすることを考えないといけないのに。

 そう思いつつ今しがた枝を折られてしまった木に触れてあの人達の代わりに謝罪を述べてから、持ってきた脚立を使ってなるべく丁寧に看板の撤去をしていった。

 

「そういえば小鳥殿。最近気になる噂を聞きつけたでござるよ」

 

 その作業中に、外した看板などを受け取ってくれていた陽菜ちゃんが唐突に話題を振ってきて、軽く返事して作業をしつつ何のことかと続きを聞く。

 

「実は拙者らの『同業』であった者が、いつぞやの時代より忽然とその姿を眩まし、それによりとうの昔にその血は途絶えたと考えられてござった」

 

 えーと、陽菜ちゃんの同業ってことは、たぶん忍者かな?

 というかそれしか考えられないか。京夜先輩も一応はその同業ってことになるのかな。

 

「……考えられていた?」

 

「左様。しかし最近、確たる証拠はなくも、その者に所縁(ゆかり)のありそうな人物が浮上してござる」

 

 へぇ、そんな人がねぇ。

 と、そこまでは他人事のように聞いていた私でしたが、私とはあまり関係なさそうな話題をわざわざ陽菜ちゃんがしてきたことに少しだけ疑問を感じた。

 つまりこれは私にもちょっとは関係があるってこと?

 

「その人って、もしかして私が知ってる人?」

 

「左様。それもかなり身近な人物にござる」

 

「……ちなみにその同業の人って、名前はなんて言うの?」

 

「あの者の一族は世襲制ゆえ、代々で名は変わらぬはずでござるが、近代では世襲もなくなったのか、今はその名ではござらん」

 

 という前置きではよくわからなかった私。

 でも堂々と名乗ってたら陽菜ちゃんだって確証がないなんて言わないし、だから直球でお願いしますと目で訴えると、陽菜ちゃんもそれを察してズバッとその名を口にする。

 

「全盛には、かの徳川の元にて影をしていた忍。『服部半蔵』と呼ばれていてござる」

 

 その有名な名前を聞いた私は、何故か不思議と身近で頭に浮かんだ人物がいた。

 何故かと言われれば、やっぱり名前の響きが似ているから、かもしれない。

 

「…………フローレンスさん?」

 

「これは憶測に過ぎぬでござるが、かの服部の子孫が『日の本より出ていた』ならば、その行方を掴めなかったのも道理。江戸の終わりから明治の始めに姿を眩ませた当時であれば、外国は我らの目が届かぬ地ゆえ」

 

 私の問いに対して肯定と取れる返事を返してきた陽菜ちゃんは、自分なりの予想を話す。

 確かにそういうことなら話の筋は通る。

 でも、フローレンスさんが服部半蔵の子孫だからといって、どうだというのか。そこの意図がまだわからないな。

 

「仮にフローレンスさんが服部半蔵の子孫だとして、それを私に話すことに何か意味があるの?」

 

「『直接的』には小鳥殿に話すことに意味はござらん。しかしもし羽鳥殿がそうであったならば、気を付けねばならぬのは猿飛殿にござる。昔より忍は『他の流派の術を盗む』ことでその力を増大させているでござる。某も無関係にはござらんから不用意な接近は避けている次第。聞けば猿飛殿の所へ転がり込んだのも『本人の意思』とのこと」

 

 えっ?

 でもフローレンスさんは綴先生に言われたから仕方なくって言ってた気が……

 じゃあそれが嘘だったってこと?

 その話を聞いてよくよく思い返してみれば、私がリビングで京夜先輩にご教授願ってる時はフローレンスさんがいつもこっちの様子をうかがっていた気がするし、つい先日も無音移動法とミスディレクションを一緒にやってた。

 最初から私より上手かったですけど、ひょっとしてそれも……

 考えると色々と思い当たる節があって冷や汗が出始めた私に、陽菜ちゃんが心配そうに声をかけてくれて1度落ち着いたけど、これを本人に直接聞いてもいいことなのかと怖くなる。

 でも確かめなければ最悪な事態として今後、私は京夜先輩から何も教えてもらうわけにはいかなくなる。

 フローレンスさんについては色々と確認しないといけないけど、今はそれは置いておいて疎かになりかけた作業を思い出し、そちらがメインだと陽菜ちゃんにも言ってから話を一旦終わらせて作業に集中。

 まだまだやることは一杯だし、ここで時間を食ってたら大変。

 それで15分ほどかけて撤去作業を終わらせた私と陽菜ちゃんは、看板などを段ボールにまとめて入れてカートに乗せ、脚立も持ってこの場から撤収しようと木に背を向けて歩こうとしたところで、今までほとんど無風だったのに、肌に感じるほどの心地良い風が私と陽菜ちゃんを通り過ぎた。

 ――ありがとう。

 その風が通り過ぎた瞬間、私の耳に……というよりも、心にそんな感謝の言葉が聞こえた気がして、何か確信があったわけではなかったけど、無意識に近いもので背を向けていた木へと私は振り返った。

 

「どうしたでござるか?」

 

 そんな変な挙動をした私に陽菜ちゃんが首を傾げながらに問いかけてくるけど、私もそれを上手く言葉にできない。

 

「……ううん、なんでもない。さぁ! まだまだやることは一杯あるんだから、さっさと終わらせて帰ろう!」

 

 だから陽菜ちゃんには何も話さずに、今のは私の胸の中に留めて仕切り直して歩き出すと、陽菜ちゃんも脚立を一緒に持つ関係で釣られて歩き出していった。

 その後の撤去作業が完全に終わったのは、日が沈みかけた夕方から夜の変わり時で、夕食の支度もあった私は急いで帰宅してバタバタと準備を始めると、自室にいたらしいフローレンスさんがひょっこりとキッチンに顔を出して手が空いたからと珍しく手伝いをしてくれる。

 意外な状況だったけど、京夜先輩がいなくて2人の今、陽菜ちゃんから聞いたことを確かめるチャンスかもしれない。

 

「あの、少し尋ねたいことがあるんですけど」

 

「ん? 私の好きな女性の仕草かい? それはね……」

 

 と、作業しながらに私が問いかけてみると、いつもの調子のフローレンスさんは聞いてもいないことを話し始めてしまい苦笑。

 冗談の応答を挟んで改めて質問を聞く姿勢になったフローレンスさんに感謝しつつ、私も改めて口を開いた。

 

「えっと、風の噂で聞いたんですけど、フローレンスさんって、江戸の終わりに姿を眩ませた服部半蔵の子孫、なんですか?」

 

 ピリッ、と、その質問をした瞬間にフローレンスさんが緊張感のある空気を出したのを肌で感じた。やっぱり、そうなのかな。

 

「……それはあの男から聞いたのかい?」

 

「あの男? 京夜先輩のことでしたら違いますけど……」

 

 緊張感を出したままで質問を返してきたフローレンスさんに脅迫じみたものを感じて思わず正直に話してしまうけど、陽菜ちゃんの名前は出さないように踏みとどまることにはギリギリで成功。

 だけどその答えで緊張感を出すのをやめてくれたフローレンスさん。

 どうやら京夜先輩からの情報じゃないことが重要だったみたい。

 

「まさかあの男より小鳥ちゃんが先に辿り着くとはね。呆れるほどにあの男は私に興味がないと見える。気にはしてるようだけど、そこから先へは踏み込んでこない」

 

「じゃあやっぱり……」

 

「そうだよ。私はかの服部半蔵の直系の子孫だ。今のファミリーネームは英国へ訪れた服部半蔵が言葉足らずで生活をしていた際に、周りから『ハトリ、ハトリ』と呼ばれてしまったことから、隠匿の意味も込めてそのまま字を当てて『羽鳥』にしてしまったという経緯があるようだけど、なぜ服部半蔵が国外へ渡ったのかは謎のままさ」

 

「その事を隠していたのはいいんですけど、それを前提に考えると、同じ忍の子孫として京夜先輩に意図的に近付いたんじゃないかって思うんですけど」

 

 意外にもすんなりと服部半蔵の子孫だと認めて話をしてくれたフローレンスさんですが、そうなると次は京夜先輩への意図的な接近を疑わなければならない。

 返答次第では私もこれからの動きを変えないといけない。

 

「それもイエスだね。猿飛の術は昔から秘匿性が高くて、同じ十勇士である霧隠才蔵ですら知り得なかったとさえ言われていて、単純に興味があったってこともあるけど、今の忍が私と『どう違うか』を見るというのが大きかったよ」

 

「どう違うか、ですか?」

 

「忍の術はそのほとんどが人を殺めるための術として開発されてきた。広くは毒が挙げられるけど、服部はその術を医療に役立てて時代を生きてきた。ならば猿飛は? 風魔は? 間宮までもこの学校に在学し、アリアの戦妹だと言う。彼、彼女らと私の術の扱い方が昔とどう違っているかを見るのに、これほどうってつけの環境はないと思った。だから一番接近が容易だった彼の近くに身を置き、可能ならばその術を自分のものにできないかと画策していたのも認めるよ」

 

 あかりさんの名前が何故か出てきたのには疑問が湧きましたが、どうやらフローレンスさんは悪い方向で京夜先輩に、というよりも東京武偵高に近付いたわけではないみたい。

 そこには一応安堵するけど、それで京夜先輩の術を盗むチャンスをフローレンスさんに与えるのもダメな気がして、それを話そうとするけど、フローレンスさんは私の内心を悟ったように口を再び開く。

 

「安心していいよ。小鳥ちゃんがあの男から教わってることは、私が獲得するに至らない極々基本的な技術。練度には差は出るけどね。あの男も私に手の内を見せないように注意しているし、小鳥ちゃんは今まで通りにしてくれて大丈夫さ。ちなみに私の正体に関する噂を警戒心を探るために流したのも私だが、そんな噂に耳を傾けないまま『会ったその日から変わらずに警戒し続けている』んだから、大したものだよ」

 

 そ、そうなんだ。

 確かにフローレンスさんのいるところでは口数も心なしか少なくなってた気もしなくもない。

 それならフローレンスさんを信じて今まで通りでも、いいのかな。

 そう考えていたら、唐突にフローレンスさんの携帯が鳴って、電話だったようでキッチンから移動してしまったフローレンスさんは、少しして通話を終えてからまた顔を出してきて私にこれから出かける旨を伝えてくる。

 夕食までには戻るとは言ってくれるけど、一応どこに行くのか聞いてみると、

 

「ちょっとした『デート』のお誘いさ」

 

 本当なのかどうかわからない返答の後に出かけていってしまい、とりあえずの疑問は解けた私は、お2人が帰ってきた時に備えて夕食の準備をしていくのでした。

 あれ? でもちょっと引っ掛かるところが出てきたかも。

 フローレンスさん、初めて会って一緒に行動してた時に『自分に流れる血を誰よりも呪う』とか言ってた、よね。

 服部半蔵の子孫であることに嫌悪感を抱いていたようにも思えなかったし、どうしてあんなことを言ったんだろ……



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ジーサード編
Bullet63


 

 文化祭が終わった翌日の夜。

 ようやく落ち着いたかと思った矢先に出くわしたのは、いつかの宣戦会議でその存在だけを認識して、無所属という括りに収められたジーサードと呼ばれた男。

 まるで挨拶でもするようにオレの後頭部を狙って放たれた銃弾を死の回避で躱して振り向いた先には誰もいなく、だがケラケラと笑うジーサードの声だけが鮮明に聞こえて不気味な光景を作り出していた。

 

「それよォ、どうやってるか教えろよ。実際に見ても不思議でならねェや」

 

 依然、視界にジーサードの姿がないまま、声のする方向だけを見るオレにジーサードは楽しそうにそんなことを言ってくるが、その後またもオレに向けて銃弾を発射。

 今度は額を狙って撃ったようで、オレの首が左へクンッ、と傾いてそれを避ける。

 だが今の発砲でマズルフラッシュと硝煙を視認し、ジーサードがいるであろう位置はほぼ掴んだ。

 

「正面でも反応速度に差はねェな。んじゃ次はやり方変えっか」

 

 オレを殺そうとすることにためらいのないジーサードは、撃った後にそんなことを言いながら持っていた拳銃を放り投げたようで、手放した先から拳銃だけがその姿を現して近くの茂みへと落ちる。

 そして次にはジジ、ジジジ、と奇怪な音を発しながら、ジーサードのいるだろう場所の景色が歪み、そこから唐突に胸部と関節部にプロテクターのような物を取り付けたジーサードが姿を現して、プラプラと何も持たない両手を振って動く準備をする。

 見たところ得物は持ってないみたいだが、油断は禁物。

 それで何か仕掛けてくることは明白なことに警戒し構えた途端、ジーサードは予備動作なしで弾丸のように急接近してきてオレの顔面に右拳を叩き込もうと振りかぶって、突進の勢いに合わせてバックステップと体を後ろへ反らすスウェーでジーサードの拳を躱すが、空振りした拳がブウンッ!

 とてもじゃないが人間の繰り出す拳の音をしていなくて寒気を覚える。

 ジーサードの拳に戦慄し本能的に距離を取ろうとしたオレに対して、ジーサードは笑いながら距離を詰めて追撃の拳の連打。

 溜めもほとんどないのに威力が落ちないのは怖いが、拳だけならなんとか……

 そうして冷静になれてきた瞬間、ジーサードに集中しすぎていたオレは背中に突然ぶつかった外灯の柱に完全な隙を作られてしまい、そこへジーサードが高速の左回し蹴りを放ってきたため、左腕をガードにして右手でふくらはぎの部分を捉えて威力を軽減させてみる。

 が、ジーサードの蹴りがオレに当たったところで、オレの視界は天地がひっくり返った。

 続けて両腕が折れたのではないかという痛みと共に体の『左側面』が地面へと叩きつけられる。

 

「ハッ! 軽いなァおい!」

 

 何が起きたか思考が追い付かないところに、頭上からジーサードの嘲笑うような声が聞こえて顔を向けるが、そのジーサードよりも先に目に入ったのは、オレの背後にあった外灯の柱がゆっくりと倒れていく様だった。

 その倒壊に巻き込まれないように痛む体を無理矢理に起こしてジーサードの脇を通り立ち上がると、ドガシャン!

 外灯が倒れてそれを背景にジーサードがこちらへと愉快そうにケラケラと笑いながら笑顔を見せる。

 どうやら今の蹴りでオレはガードの上から威力で押されて体を上下逆さまにされ、1回転するところで地面に叩きつけられたようだ。

 腕の骨が折れてないのも不幸中の幸い。おそらく背後にあった柱がジーサードの蹴りの振り抜きを妨げた故のラッキーだが、ただの蹴りで柱を折りやがったジーサードにはもはや恐怖しかない。

 

「今ので踏ん張ってくれりゃその腕ポッキリやれたんだがよォ。直感的にダメージを最小にしたってことか? それとも単に目測を誤ったか?」

 

「……お前の目的は、何だ」

 

 オレに攻撃を仕掛けてくるジーサードは、どうやら死の回避の性能を確かめているような節を見せつつも、可能ならば殺しても構わないくらいの気持ちのようでどこかそれを楽しんでいた。

 だがそれだけの目的でこいつが接近してきたような気がしないオレがそんな質問をぶつければ、鼻で笑ったジーサードはつまらないとでも言うように返答。

 

「お前はオマケだ。『フォース』にばかりやらせてたら俺が暇だったんでな。もののついでに『あいつ』が興味を持ったお前にちょっかい出しに来た。それだけだ」

 

 フォース? あいつ?

 いったい誰のことかさっぱりだが、そのフォースとか言うのがどうやら今、このジーサードと同じようなことをしていそうなのはわかる。

 

「オマケで殺されそうになるってのは笑えないな」

 

「死んでねェんだからグチグチ言うなよ小せェな。ただ殺す気でやってんのに死なねェってのは腹立つから、とりあえず次で倒れるくらいはしてくれや。そろそろフォースの方も終わるだろうしな」

 

 あっちの事情は知らんが、どうやら次で終わらせる雰囲気を出したジーサードに、オレはチャンスと見る。

 だがしかし、これは賭けだ。1歩間違えばオレは確実に死ぬ。

 綱渡りは嫌いだが、この状況で生き延びるにはやるしかない。

 言葉の後にゆったりと構えたジーサードの動きを極限の集中力で観察するオレは、その挙動の全てを余すところなく見極めようとする。

 そして負傷したオレの反応速度をわずかに上回る速さで接近され、髪を右手で掴まれてそれとほぼ同時に腹へと右膝蹴りをお見舞いされ、その威力で体がくの字に曲がってわずかに浮き、そこにとどめの左回し蹴りをもらって吹き飛び、近くのベンチへと叩きつけられて粉々にしそれで終わり。

 オレの意識は倒されてからすぐにプッツリと途切れてしまったが、その直前にどこか納得いかないような、満足していないようなジーサードの微妙な表情を見て、オレの賭けが失敗に終わってしまったことをなんとなく理解し、自分の死を本能的に悟ってしまった。

 人間の死ってのは、本当にあっけなく訪れるもんなんだな。

 ――ああ……幸帆は何してるかな。小鳥は……今頃夕食を作って待っててくれてる頃か……幸姉は……理子は……ジャンヌは……どうしてるんだろうな――

 深い深い闇の中を目指すべき場所もわからないままさまよい歩いているような不思議な感覚の中で、唐突に見えた小さな光の輪を目指して、その輪を潜ったところでオレの意識は覚醒した。

 目を覚ましてまず目に入ったのは、見事なまでに真っ白な天井。

 次いで臭覚を刺激する消毒液の臭い。それだけでオレが寝かされている場所が病院であることを理解し、同時にどうして生きているのかと疑問が生じた。

 オレは賭けに負けた。それは確実。ならどうして生きているのか。

 

「やっと起きたか」

 

 天井を見ながら意識が途切れる前までの記憶を掘り起こしていたら、おそらくずっと横にいたのであろう人物が口を開いて存在を知らせてきたので、その声に聞き覚えのあったオレはそこにも疑問が生じる。

 

「……何でお前がいるんだ、羽鳥」

 

「何でとはずいぶんな言い草だね。武偵病院(ここ)に君を運んだのはこの私だと言うのに」

 

 どうやらオレが意識を失ってから、羽鳥のやつがここまで運んでくれたようだが、それがそもそもおかしい。

 思いつつ顔を羽鳥へと向けてみると、何故かその羽鳥は黒のマントを羽織ってむき出しの鋭い犬歯をつけ足を組んで椅子に座っていて、ふざけてるのかと一瞬その頭を疑ったが、少し考えて翌日は文化祭でズレたハロウィンの催しでそれらしい仮装をしろと教務科の通達があったことを思い出す。

 ということは意識を失ってからまだ1日以上経ってないってことか。

 

「どうやってだ」

 

「それは車で運んだに決まってるじゃないか。まさかここまでおぶって来たとでも思うのかい?」

 

「そうじゃない」

 

 色々と情報を取り入れたところで改めて羽鳥へと質問したのに対して、そんな単純なことを聞いてないことはわかってるはずの羽鳥は、遮るようなオレの言葉で短い息を吐いて口を開いた。

 

「……サードには私から進言して『退いてもらった』」

 

「何でお前にそんなことができる」

 

「私を誰だと思っている。交渉で私がしくじるわけがないだろう。まぁ今回は交渉ではなく『1度きりの権利』を使ったに過ぎないわけだがね」

 

 どうにもわからないことが多いが、オレが生かされたのはやはり羽鳥の力あってのことらしく、しかしその1度きりの権利とやらを使ってまで何故オレを助けたのかという次の疑問が浮上。

 それを言葉にするより早く再び口を開いた羽鳥に半ば黙らせられる形にはなったが、オレの聞かんとすることはわかってるとばかりにピンポイントで話をする。

 

「君には1度、命を助けられた。正確には君1人にではないが、命の借りは命で返す。私はただそれを実行したに過ぎない。だがこれで私と君はまたイーブン。次にサードに殺されそうになろうと、もう私は君を助けない。そんなことしようものなら、今度は私がサードに殺されかねないしね」

 

 羽鳥の言う助けたと言うのは、先日の依頼の時のことであることは明白だが、その時の借りを昨夜返しただけだと話す羽鳥は、これ以上この話を続けるつもりはないらしく強引に次の話題へと移っていき、ジーサードとの関係について問うタイミングを逃してしまった。

 この辺はさすが尋問科。話の主導権はオレに渡すつもりがない。

 

「正確な情報としてまずは現在、君が意識を失ってから約21時間が経過した16時32分。体の方は腕と腹と背中を打撲。骨には異常はなかったが、あのサードの攻撃を受けて骨が砕けなかったのは正直に言って信じられないよ。君がどんなマジックを使ったかは知らないが、安静にしていれば1週間ほどで本来のスペックまで回復するだろう」

 

 淡々と告げられた羽鳥のその情報を聞いて、オレは寝たままの状態で腹を触って具合を確かめると、鈍い痛みが各部に残っていて今日はこのまま寝たきり状態が続きそうなのは直感的にわかる。

 そして羽鳥の言うようにあのジーサードの攻撃を受けてこの程度のダメージで済んだのにはちょっとした技術があった。

 技術と言ってもそれほど高度なことではないが、ジーサードの攻撃が当たる瞬間に自らの手を狙った箇所との間に挟んでクッションの代わりにし伝わる衝撃を腕へと分散させたのだ。

 それを膝蹴りと回し蹴りでやって片腕ずつ。結果として握力が著しく落ちるほどにダメージを負っていたが、それのおかげで骨折にまでは至っていなかった。

 しかしこれは賭けだったのだ。

 昨夜ジーサードはこれを実行する直前に「次で倒れるくらいはしてくれ」と言って攻撃を仕掛けてきた。

 そこには依然としてオレを殺そうとする意思があり、最悪それを『まともに受けて』倒れるくらいはしろと言ったようなもの。

 そこでオレがジーサードの攻撃を『まともに受けず』に生き残ってしまえば、前言を撤回してあれよりも強力な攻撃を仕掛けられていたかもしれない。

 そうなればもうオレは確実にあそこで死んでいた。だからこそオレはその防御を悟られることなく倒される必要があった。

 だが結果としてジーサードにはその防御は看破され、意識のないところでとどめを刺されそうになっていたはず。

 そこに羽鳥が割って入って現在に至るといったところか。助けられた手前、どうやって防御したかを教えるのもやぶさかではないが、こいつ自身がイーブンだと言うならみすみす手の内を明かす必要はないな。

 

「そしてここからが本題だ。実は君がサードに襲撃されたのと近い時間に、遠山キンジ以外のバスカービルメンバーがジーフォース――サードの部下に襲撃され撃破された。今は君同様にここで入院しているが、何故だろうね。もうみんなピンピンしているよ」

 

「昨日、ジーサードにも違う意味で聞いたが、目的は何だ」

 

「強さの誇示と、私達にはわからない目論見があるようだが、今はあちらも戦う意思を見せてはいない。と言うのもサードは昨夜、敵意を無くしたフォースを私達の目の届くところへと置いて消えた。そのフォースは現在、何事もなかったように学園島を出歩いている」

 

 強さの誇示、となるとこちらに戦う意味はないと知らせてきたことになるが、そのジーフォースとかいう人物を残していったのも気になる。

 だが問題なのはやつらが極東戦役において無所属であることだ。

 無所属は敵ではあるが、眷属のような明確な敵対勢力ではないこと。この辺の対処は慎重にやらないとダメだろうな。

 

「それでジーサード達の対応について師団で話し合いはしたのか? お前をそもそも師団に数えるかは知らんが、その辺も聞いてはいるんだろ?」

 

「戦役においての私は一応、エルと同じリバティー・メイソンの代表戦士(レフェレンテ)としての立場にある。だから君の知りたい答えも報告するよう指示を受けている。つい先ほどだが、師団はサードの組織を、手始めにフォースを遠山キンジがどうにかして師団に取り込む方針で決定した。どうやらフォースは遠山キンジに強く関心があるようで彼に引っ付いている。私達は邪魔になりかねないみたいだから、君も余計なことはしないように注意したまえ」

 

 無所属という立場上、やはり取り込む方針になったのは納得のいく流れだな。

 というかこいつ、リバティー・メイソンの一員だったのかよ。ワトソンもそうだが、リバティー・メイソンって変装が流行ってるのか? そんなわけないか。

 とにかく、今後は療養に努めつつそのフォースとかいうのの動向も探っていく感じで動けばいいのか?

 まずそのフォースがどんなやつかもオレは知らないわけだがな。

 

「差し当たっての話はこれくらいだね。今後どうすればいいか迷うようなら、君が信頼する人物に意見をもらえ。あと君が負傷して入院したことは小鳥ちゃんと幸帆ちゃんに今朝方伝えておいたよ。うっかり階段から滑り落ちたんだ、ってね」

 

 それで話すことを全部話した羽鳥は、これ以上オレと2人でいるのが嫌らしく、さっさと席を立ってサードの件をボカす理由を小鳥と幸帆に説明してくれたようだが、そんな間抜けな理由があるかクソが。

 と、オレが文句を言うより早く部屋を出ていった羽鳥にいつか仕返しは考えておくとして、まずは体を万全に戻すことが最優先。

 そう思った矢先、羽鳥と入れ替わるようにしてノックの後に部屋に入ってきたのは、見舞いの果物セットと花を持ってきた小鳥と幸帆。

 2人は部屋に入るなり心配そうにオレに近寄ってきたが、ことのほか元気そうなオレを見てホッとひと安心。

 早速小鳥が持ってきた花を花瓶に飾るために水を汲みに行き、幸帆が果物セットからリンゴを取り出して手際よく切り分けていく。

 

「京様が無事で本当に良かったです」

 

「たかだか階段から落ちた程度だ。そこまで心配することなかったろ」

 

「……小鳥さんはどうかわかりませんけど、姉上のこともありますし、私は今回のお怪我がそんな理由ではないことはわかってます。フローレンスさんに口裏を合わせたと言うことは、私や小鳥さんを関わらせたくないから」

 

 リンゴを切りながら、幸帆は今回の怪我の理由が嘘であることに気づいていることを正直に話してくる。

 それがわかった上で自分が関わってはいけないと悟り、それ以上は何も聞かないと雰囲気で知らせてきた。

 

「それに私の知ってるカッコ良い京様は、階段から滑り落ちて怪我なんてコメディーのようなこと、絶対にしませんしね」

 

 そして嘘だと気付いた最大の理由を顔を少し赤くしながらに話した幸帆は、オレに屈託のない笑顔を見せながら恥ずかしそうにする。

 そんな幸帆にもっと近くに寄るように言ってから、痛む腕を多少無理して動かして低くなった幸帆の頭を優しく撫でてやると、何で撫でられたのか不思議に思う表情を浮かべたが、すぐに気持ち良さそうにしながら照れていた。

 幸帆は昔から頭を撫でられるのが好きだからな。

 それから戻ってきた小鳥も交えて切り分けられたリンゴを食べながら今後の話を少しだけして2人を帰したオレは、どうにも動けないということが久しぶりのことで何をしようか真面目に考えてしまう。

 いや、動けないから何かを考えることしかできないんだけどな。

 なのでとりあえず天井のシミでも数えてみるかと目を凝らし始めたところでいきなり部屋の扉が開け放たれて、なんか知らんがたくさんのお菓子を両手で抱えた理子が来訪。

 昨夜ジーフォースとやらに襲撃されて負傷したとは思えないほどのテンションでおいっすー、みたいな挨拶と共にベッドにお菓子を下ろしつつ自らもオレの上に馬乗りしてくる。

 オレの怪我の具合を知ってるのか、腹は避けて太ももの辺りに座ってくるが、普通に椅子に座れバカが。

 

「キョーやん動けなくて大変だ。これは介護する人が必要だよね」

 

「ああそうだな。しかしここは病院。人手は足りてるから心配いらないぞ」

 

「大変だからチョー特別にコイビトである理子りんがこのお見舞いのお菓子を食べさせてあげる。もちろん、く、ち、う、つ、し、でね。この前の逆パターンだよ。くふっ」

 

 人の話を全く聞かない理子さんは、オレが動けないのをいいことに糞みたいに可愛くも怪しい笑顔でボール型のチョコを袋から取り出して口で軽くくわえると、ぐいぐいオレに顔を近付けてきた。

 が、その顔が、口がオレと重なるより早く、ぐわしっ! と理子の頭を両側から手で挟んで防ぎ、万力のように締め上げていく。

 

「お、おかしいなキョーやん……確か両腕は死亡してるはずなんだけ、どぉ!!」

 

「いま退院が延びる覚悟でお前を阻止してるから、な!」

 

 オレの決死の反撃によって理子はせめてもとオレの顔を両手でタップ&ビンタしてきて、これ以上は不毛な争いになりかねないので仕方なく後ろへ頭を投げるように解放してやると、万力をかけられた頭を擦りながら頬を膨らませてお決まりの「ぷんぷんがおー」をしてくるが、想像以上に元気そうだと改めて思ってちょっと安心してる自分がいて複雑である。

 

「お前は体を休めるってことを知らないのか?」

 

「んー、キョーやんほどボロクソにやられてないしダイジョブ……あ、でも今クラッてなっちゃった」

 

 少し呆れながらにしたオレの質問にグサリと来るものをぶっこんできた理子だったが、急にフラッと体を揺らせてわざとらしく倒れてきて、ぽすんっ。オレの隣に寝そべってくる。

 ご丁寧に今度はオレの腕に優しく抱きつく形で妨害まで阻止してきた。

 

「えへへっ。キョーやんと添い寝って初めてだね。こんな時じゃないとさせてくれないから、今のうちに堪能しちゃう」

 

「……在学中は絶対にさせないって心に誓ってたのに、あっさり破られちまった……それもこれもジーサードが全部悪いんだな」

 

「キョーやんがよわっちぃのが悪いとは思わない辺り、意外と負けず嫌いだよねぇ」

 

 抵抗が結構無理っぽかったオレはもう観念して責任の全てをジーサードに擦り付けてみれば、またもグサッと痛いところを突いてきた理子にゴチン。

 せめてものツッコミとして頭突きをしてやると、何故か可愛い笑顔とペロッと舌を出す仕草で返されて困る。何だその反応は……

 そんな時だった。

 不意に部屋の扉が開かれて、その音でそちらを向けば、そこには見舞い用の花を持ったジャンヌが。

 

「…………またか。またなのかお前達は。いや、今回も私が悪いのだな。失礼した」

 

 その言葉を最後に足下に花を置いたジャンヌは扉を閉めて退室。

 こんなこと夏休みにもあったなぁ、などと思い出すよりも早く、オレは体の痛みとか超越して理子を振りほどいてベッドを出て部屋を飛び出し、

 

「ちょおぉぉおおおっとまてぇぇええええい!! 」

 

 あの夏休みの日と同じように廊下を全力疾走する羽目になってしまった。

 これなんてデジャヴ……



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Bullet64

 

 ジーサードに病院送りにされて、色々と状況が整理できてきたところで理子がここぞとばかりに迫ってきて、そこを見舞いに来たジャンヌに見られて誤解を解くために怪我を無視して走った結果。

 それ以降はもう指の1本も動かせなくなったオレがベッドで死んでいたら、ジャンヌを追って戻ってきた時にお菓子だけ残して消えていた理子が、ゾロゾロと入院していたバスカービルメンバーを引き連れて戻ってきて、何やら『物騒な物』まで持ち運んで作戦会議を始めてしまう。

 

「むぎぃい!! あの女、絶対! ぜぇえったい許さないんだから!」

 

 ダンッダンッダンッ!

 そんな地団駄を踏みながらに怒りを露にするのは、ピンクのワンピース衣装にシースルーの蝶の羽を増築した妖精のような格好のアリア。

 その怒り様はちょっと怖いくらいで、別の場所でやってくれというオレの発言を押し止めるほどだった。

 

「今回ばかりはアリアに賛同です! あンの小娘ェ……キンちゃんにあんなことしてェ……」

 

 ギリギリギリィ!

 アリアに続けて鬼の形相で歯ぎしりをしながら、暴走時にぶっ放すことで有名なM60マシンガンの調子を確かめながらに語るのは、患者用の服を着た白雪。

 こちらもアリアに負けず劣らずで内面から噴き出る負のオーラが部屋に満ちていくようで空気がどんどん重くなる。

 

「…………」

 

 そんな2人を呆然と見てる、パッと見て無害そうな頭とおしりにモフモフの獣の耳と尻尾を増設したレキも、椅子に座りつつその傍らにいつものドラグノフではなくもっとゴツい狙撃銃を置いていて困る。

 聞けばバレットM82とかいう『対物』用の長距離狙撃銃らしいが、オレの横に鎮座されると威圧感がハンパない。

 

「キーくんもキーくんだよねぇ。敵と仲良くしちゃう上にチューまでするとかさー」

 

 ポフポフポフポフ。

 その3人と打って変わって余裕ありまくりの理子は、オレの足の上に腹を乗せてうつ伏せで寝そべりながら両足を交互に上下させて弄ばせていたが、その奥、オレの足下にドスンと置かれたヒルダ戦の時に使用した散弾銃がかなり怖い。

 

「あのさ、確か師団ではやつらとは敵対しないとかなんとか決まったんじゃなかったっけ?」

 

 どいつもこいつも装備がおかしくなってるのにやんわりと触れるように寝ながらのオレが問いかけてみれば、各々が一旦その動きを止めて一斉にオレを見てくるが、なんとも言えないプレッシャーを浴びる。

 

「あたし達は襲撃されたの! これは明確な敵対行為よ!」

 

「そうです! これは報復! そしてキンちゃんを取り戻す聖戦なの!」

 

「やられたらやり返すのが武偵です」

 

「それにさぁ、キョーやんだってやられたまんまで悔しくないのぉ?」

 

 と、四者四様の返事がきても、言ってることは一緒。

 もう完全に仕返しモードで、ジーサードにやられたオレも作戦に加われとでも言いたげな理子達に言葉を返しておく。

 

「悔しくないって言えば嘘になるがな……全体の決定で行動するのが普通なんだから、個々の私怨やらを持ち込んで話をこじらせたくないってのはある」

 

「なに小さくなってんのよ! 京夜はもっと影でコソコソ暗躍する意気込みでいなさいよ! だいたいやられたからってその様は情けないわ」

 

 これで最小ダメージなんですけどね……

 そんな意味の表情をしてはみるが、アリアはもうオレを見ていなくて、持ってきていたクレヨンケースみたいな箱から銃弾を丁寧に取り出して1つ1つ確認するようにじっくり見始めていた。

 あれは……武偵弾だな。チラッと見えた銃弾に刻まれた刻印がその証拠だが、どうやらあの箱の中身全部が武偵弾らしい。

 1発でも法外な価値のはずだが、貴族は金持ちってことか。よっぽどジーフォースに負けたのが悔しいらしいな。

 

「オレの怪我は情けないでいいけどよ、お前ら装備がほぼ武偵のものじゃなくなってないか? どれもこれも人に使ったら即死レベルだぞ。銃検だって……」

 

 オレの意見などほとんど却下な一同に諦めつつも、これだけは言っておこうとこいつらの装備についてツッコんでみれば、バババッ!

 聞くや否や理子、レキ、白雪がA4の紙をオレに見せてきてそこに書かれた内容を読めば、銃器検査登録制度。通称『銃検』の登録証で、いま指摘した武器類が何故か登録許可されていた。ダメだろこれ……

 

「あややが登録代理申請サービス始めたから、早速頼んだらこのとーりですよ! くふっ」

 

 なにしてくれちゃってんのあの方は!

 きっとこの方々にこれらを持たせる危険性よりも儲けが上回ったんだろうなぁ。あの子意外と金の亡者だし。

 余計なことをしてくれたあややには後日、物事はよく考えるように説教をしておくとして、今はこっちを片付けなくてはならない。

 

「……装備の件はちゃんと危険性がわかってるならこれ以上何も言わないでやる。だがオレはお前らの報復には協力しないぞ。もう止めはしないが、オレ個人はジーフォースとやらに恨みはないわけだし」

 

「京夜ならそう言うだろうってわかってたわよ。あたし達を止めもしないことも予想済み。その上で京夜を使うのよ。れっきとした『依頼』って形でね」

 

「その依頼を断ることくらいできる」

 

「あら、そんなことしたら……理子」

 

「うー、ラジャー!」

 

 とにかくアリア達とは関わりたくないので、はっきりと今のうちに報復への不参加宣言をしたのだが、なんとも武偵らしくオレを使おうとしてきたのを断ろうとすれば、今まで足に乗っかっていた理子が見たくもない化粧品類を取り出して馬乗りに変更してグヘヘ、なんてクソ可愛くもない笑いでオレを見てくる。

 

「キョーやんさぁ、今の自分の状況ちゃんと理解しないと。じゃないとまた『京奈ちゃん』に逆戻りだよぉ? くふっ、くふふっ」

 

「…………お前ら全員嫌いになりそうだ……」

 

「なりそうで済む辺りはやっぱりキョーやん優しいよねぇ。さすが理子りんのコイビトだよ」

 

 半ば脅迫に近い形で女装と依頼を天秤にかけられたオレは、もう2度と女装だけはしないと誓っていたこともあって、泣く泣く折れるようにアリア達からの依頼を受けることになってしまった。

 これもそれもどれもこれも暇潰しでボコってきたジーサードが全部悪い。次会ったら1発殴るだけじゃ済まないと思えよ。

 

「それで、オレは何をすればいいんだよ」

 

 無事に理子と化粧品類を退けたオレは、依頼が諜報科らしいものであることを願いつつアリアに尋ねる。

 

「京夜にはあのジーフォースとかいう女を監視・調査してほしいのよ。とりあえずまずは3日くらいで退院して動いて。あたし達は京夜が集めた情報を元にここで強化合宿するから」

 

「あの、今ピクリとも動けないわたくしめに3日後には動けと? まぁ無茶苦茶言うのは今に始まったことじゃないし、これからお前ら。特に理子がオレに何もしてこないなら日常生活に問題ないくらいには回復できるだろうよ。しかしそのジーフォースってのにオレは会ったこともないんだが、聞く限りだと女で強いってことだけ。もう少し前情報はないか?」

 

「なんかー、キーくんの妹って言ってたけど、キーくんはそれ否定してるっぽいしよくわかんないかなぁ。得物はちょっと特殊な剣をいくつか。今は武装してなかったけど、こっちがあからさまに敵意を見せたらまた襲われかねないねぇ。さっきもすんごい剣幕で『家族以外が家にいていいわけない』ってキーくんの部屋は出禁みたいなこと言われたもん」

 

 だからアリア達も報復の機会をうかがいたいわけか。

 それにしてもキンジの妹ねぇ……そんなこと話したことなかったよなあいつ。

 本人が否定してるってことは、隠し子的なやつなのか、それともそのジーフォースが自称してるだけなのか。

 どのみちそれもオレが調べなきゃいけないわけね。

 その後オレの何もするなという注意に理子がブーブー文句を垂れてまた添い寝などをしようとするが、オレを有効に使いたいアリア達が抑止力となって引きずるようにして部屋を出ていってくれた。

 しかしその直前に報復の方法で『ラ』から始まるあれな決闘方法が出てきてて冷や汗が流れる。

 ジーフォースもヤバイ方々を怒らせたもんだ。オレは怖くてできないよ。

 それから翌日までオレのところへ来訪はなく、理子の夜這い的なものも防止できてようやく静かな時間を過ごしたわけだが、翌日の昼。

 体をゆっくりなら動かせる程度にまでなって、筋肉が固くならないようにストレッチをしていたら、またもゾロゾロと来客が押し寄せてきて苦笑。

 

「お前ら、学校はどうした」

 

「それより優先されることがあるのだ」

 

「これは師団として判断を誤るわけにはいかないからね」

 

 ストレッチしながらに入ってきたうちの2人、ジャンヌとワトソンに対して放った質問に、2人して椅子を横に並べ座りながら答えてくるが、なんのことやらなオレは首を傾げる。

 

「ジーフォースがこの学舎に入ってきおったのじゃ」

 

 その疑問に答えたのは、もう1人の来訪者である玉藻様。

 玉藻様は言いながらストレッチをするオレのベッドに乗っかり、あぐらをかいてオレと対面の位置に座る。

 

「そいつはまた。どこにどうやってだ?」

 

「年齢は14歳で、体裁としてはアメリカの武偵庁からの留学依頼だそうで、インターンとして1年C組に編入している。名前は遠山かなめで通っているらしい」

 

 この事態に対して、オレのちょっと簡潔な質問にも聞きたいことはわかってると言いたげなジャンヌがわかりやすい説明をしてくれて、さすがリーダーとか感心したのも一瞬。

 おそらくはまだそのかなめが学校で授業を受けているであろう時間に来てここに密談をしに来たのだから、時間は有効に使わないといけないと思い話を切り出していく。

 

「転校してきたのはわかったが、それはキンジに一任したんじゃなかったか? オレ達が変に警戒しても仕方ないだろ」

 

「確かにそうだが、サルトビ、だからといってボク達が全てトオヤマに任せて安心できるかと言えば、そんなこともないだろ? 表向きではトオヤマに任せてはいるが、ボク達もボク達でやつらについて探りを入れるべきだとは思わないか?」

 

「幸い、ワトソンはデータによる諜報。猿飛は足での諜報に長けている。やつらが何かしらのアクションを起こす前にできる限り情報は集めるべきだ。現状で私達はやつらの素性すら掴んでいないのだからな」

 

 うわぁ……これはあれだ。最初から決まってたことを報告してるだけだこいつら。

 しかもオレが拒否しないように賛同者の玉藻様を連れてきやがったな。

 やり方こそ違うがこいつらもアリア達と大差ない。きっとキンジもこんな感じでジーフォースの件を押し付けられたに違いない。

 

「オレはその遠山かなめちゃんから何を引き出せばいいんだ? 好きな食べ物か? 嫌いなものか?」

 

「できれば好みのものを優先してくれ。そこからジーフォース攻略の糸口が掴めるかもしれないからね。あとは定石だが彼女の弱み。これが一番厄介だが、君は優秀だという話はちらほら耳にしている。ボクの方はジーサードに少しばかり心当たりがあるから、そちらから調べてみる。確認は取れていないが、ジーフォースの近くには何人か仲間もいるようだから、くれぐれも動くのは慎重に頼むよ」

 

「必要とあらば私も手を貸す。だが事を荒立てるような素振りは決して見せるな。対立すればこちらは俄然不利。今は璃璃粒子も濃くて私や玉藻、星伽は超能力を使えんからな」

 

 アリア達とは違って注意事項の多いジャンヌ達だが、そもそも調査の目的が違うわけだから仕方のないことか。

 アリア達はかなめを倒すための調査で、ジャンヌ達はかなめを引き入れるための調査。

 目的は違うのに結局やることは変わらないということに不思議な感覚はあるものの、拒否権はないと来ては同時にやってやるしかない。

 問題としてはアリア達からも調査依頼を受けていることを話すかだが……

 

「一応聞いとくが、アリア達はかなめに報復するようなことを話してたんだが、そっちは放置か?」

 

「そっちはこれからボクとジャンヌで話をしてみるつもりだが、4人ともプライドが高いのが困りものだ。そう簡単に動きはしないだろうけど、一応トオヤマが何か成果を上げるまでは押し止めておくよ」

 

「まず猿飛のはしっかり養生せい。体は資本じゃからの。じゃが明後日(みょうごにち)には動いてもらわねば初動として遅いでの。期待しておるぞ」

 

 これはよくわからん。とりあえず話がこじれそうだから黙っておくか。

 それにオレの情報があろうがなかろうがアリア達は止まる気がしないし、話して依頼を破棄するよう言われたらオレが報復でやつらに女装させられる。それだけは嫌だ。

 なのでアリア達の依頼とジャンヌ達師団からの依頼を同時にこなすことになったオレは、そのあと揃って部屋を出ていったジャンヌ達を見送ってから、明後日からの動き方について頭を捻り始めたのだった。

 さらに翌日。

 体の調子は普通に歩けるまでに良くなったので、明日からの生活には問題ないくらいに回復しそうだ。

 武偵活動をするにしては全然だが、諜報活動にもやり方は色々あるしな。まぁ大丈夫だろ。

 それで昨日までにもらったジーフォース。遠山かなめの情報から、少し情報源を増やそうと根回しを始めた放課後にあたる時間。

 呼び出した人物の到着まで装備の整備をしていたら、ノックもなしにいきなり部屋へと入ってきた人物が。

 当然呼んだ人物はそんな不躾なことをする子じゃないので誰かと思えば、オレの元へは見舞いになんて絶対来ないだろう夾竹桃の姿があってちょっとビックリ。

 しかもいつも着ている黒のロングスカートのセーラー服ではなく、黒のカーディガンを羽織った武偵高のセーラー服姿で状況がよくわからなかったが、その日本人形のような容姿の表情はあからさまに怒っている。

 それはもう誰が見ても黒いオーラさえ見えるほどに。

 

「あなた、いつまで私のところに顔を出さないつもりなの? 死にたいの?」

 

「……あー……何で?」

 

 ぶちんっ!

 そんな音が夾竹桃から聞こえた気がしたが、何故そんなに怒っているのかまだわからないオレはもう少し思考を巡らせてみる。

 すると夾竹桃が左手の手袋に手をかけたところで唐突に思い出す。恐怖は人に閃きを与えるのか。

 

「待って! 思い出した! 思い出しました! 解毒薬の件ね! だからとりあえず話をしよう! 暴力反対!」

 

 とにかく今は戦闘力皆無のオレでは夾竹桃に勝てないので、謝りつつ話し合いに持ち込もうと口を開けば、手袋を元に戻した夾竹桃は小さな威圧感を放ちながらベッドに備えられた椅子に座って足と腕を組む。凄い偉そうだ。

 

「こっちは文化祭だなんだと言い訳するあなたに仕方なく折れて放置してあげたのに、なに? その文化祭が終わっても私に顔すら見せずにこんなところで油を売って。本来なら即殺ってるところだけど、あなたを殺ると色々面倒なのよ。理子とジャンヌを敵に回したくはないしね」

 

 間近に来てからは余計に感じるイライラな夾竹桃にもう下手に発言するのもためらわれたが、全面的にオレが悪いのは明らかなので謝罪の言葉から会話へと応じる。

 

「それなんだけどさ。一応聞いておくけど、あの解毒薬をお金で解決するとどのくらい?」

 

「それを聞いてもあなたの支払いが変わらないくらいのものよ。そうね、あれに使った物の中で一番高価だったのは仕入れでさんじゅ……」

 

「うん、いつからアシスタントをやらせていただけますか?」

 

 以前、報酬の支払い延期を直訴した時に聞き忘れていたので、とりあえずお金での支払い額を聞いてみるが、最低でもあれな感じだったので速攻でアシスタントを決定。

 ものわかりの良いオレを見た夾竹桃は、オレを顎で使えるとあってイライラの表情から魔女のような薄い笑いに変化。

 

「差し当たっては漫画のネタを仕入れて、そのネタを元に漫画にしていくのだけれど、あなたに私の感性が理解できるわけもないでしょうし、ネタ探しは私の方でやるわ。幸いここはネタの宝庫で楽しめているしね。だからあなたは私の呼び出しに迅速に応答して命令通りに働きなさい。それが出来なかった時は解放時期がどんどん延びていくから覚悟なさい」

 

「それでここの制服にチェンジか? 動くなら確かにそっちの方が自然ではあるな」

 

「ああこれ? これは明日から正式に通うことになったから、サイズ合わせも兼ねた試着よ。理由についてはジャンヌとそう変わらないわね。ネタ探しのための用意ではないわ」

 

 完全にイライラは治めてくれた夾竹桃。

 しかしどうやらオレはこれから自由がそんなにないらしく、何か他に優先しようものならアシスタントの解放が延びるみたいで絶望しかない。

 それから今さらながらに制服について尋ねれば、ジャンヌと同じく司法取引で武偵高に通わされることになったとか。

 これも今さらな気がしないでもないが、本人がなんとも思ってないならいいのだろう。

 

「まぁオレがすることはわかった。だがあくまで本分は漫画のアシスタントだろ。オレは明日の朝には退院して日常に戻る。一応今夜は暇ってことになるんだが、その時間はお前の描いた漫画を見てどんな感じかを知っておきたいところ」

 

「そのくらい最低ラインでやってもらわないとね。それに知るだけでは使い物にならなくてよ。光栄に思いなさい。未熟なあなたのために色々用意したのだから」

 

 そうやって明日から余裕が果てしなく無くなりそうなことを予想して、オレが無駄な時間を少しでも減らそうと要求をしたところ、嬉々として持ってきていた鞄を膝に置き、中から自分が描いたのであろう漫画数冊に『猿でもわかる漫画の描き方』『漫画に息を吹き込もう』『効果的なコマ取りとアイテムの使い方』などなど、漫画に関する本が合計6冊出てきてオレの膝の上に積まれる。

 

「それ、今日中に読んで理解しておきなさい。実際に働く時にいちいち確認されるのも鬱陶しいし、私も丁寧に指導してあげるつもりはないわ」

 

「あ、ありがとう……こんな未熟者に勉学の機会を与えてくれて……」

 

 そうして出された資料に文句でも言おうものなら、また左手の封印が解かれるかもしれないので表面上は感謝しつつ、予想外の資料の多さに今夜は睡眠時間を削ることになりそうで心で泣くのだった。

 その後アドレス交換をして特に指示がない場合の合流場所だけ言い残した夾竹桃は静かに部屋を出ていき、嵐が去った後のように安堵の息を吐いたオレは、置いていった資料をパラパラと流し読んで苦笑。これをひと晩でってのは厳しいな……

 ガックリと肩を落としたところで、申し訳なさそうなノックと共に呼び出していた子が部屋を訪れて、きま聞けるだけのことを聞き、それを踏まえて言うべきこととこれから注意すべきことを言ってからすぐに帰宅してもらった。

 そしてこの日の夜は夾竹桃の置いていった資料を全部読むことだけに時間を費やされて、全部を読み終わった頃には窓からうっすらと朝日が射し込んでいたのだった。

 あー、まだ読み終わっただけなんだが……ロスタイムください……

 こうしてオレは図らずに3つもの仕事を同時にこなすという波乱の日々を開始するのだった。



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Bullet65

 

 朝方。

 世話になった病院を出たオレは、いつもの日常に戻るようにその足を一般教科の校舎へと向けて歩き出していたが、その足取りは若干重い。

 昨夜から適度な休息を挟みながらもほぼ徹夜に近い状態で夾竹桃から渡された漫画に関する資料を読み続け、それでもまだ頭に入り切らなくて精神的な疲労が蓄積しているのだ。

 それでも文句を言える立場にもなかったので、教室へと辿り着いてからまた漫画の資料を取り出して机で寝ながらスクリーントーンのあれこれやらを頭に入れていく。種類が多い……

 

「おっす猿飛ぃ! って、なに読んでんだよ」

 

「おはよう猿飛君。復学早々で珍しい組み合わせだね」

 

 そんなオレに気軽に声をかけてきた武藤と不知火が、挨拶と共に早速持っていた資料に興味を示して近くの席に座ってくる。

 

「必要あってのことだ。詮索されるのは御免だ」

 

 しかし、詳しく聞こうとしていた2人に対して先読みした返答で話を強制的に終わらせたことで沈黙が流れる。

 それに対して2人も仕方ないといった雰囲気半分。つまらないといった雰囲気半分の微妙な表情で笑ってから、折角話をする体勢になったからと別の話題を掘り下げてきた。

 

「そういやあのキンジに妹がいたんだとよ。一昨日にインターンの1年で入ってきて、1回この教室にも来たんだが、あのキンジの妹とは思えん美少女でビックリしたぜ」

 

「噂だともう彼女のファンクラブが結成されてるとかいないとか。その辺の人を惹き付ける魅力は、遠山君のある種のカリスマ性を思わせるかもね」

 

 それで出てきたのは噂のジーフォース。遠山かなめのこと。

 転入からわずか3日ですでに『遠山キンジの妹』と強く印象づけてるところを見るに、なかなかのやり手だ。

 真偽のほどは未だ掴めないが、周りがそう思えばキンジも公で妹否定をしにくくなる。

 評価に関してもだ。どうやら話で聞く限りだと相当な美少女らしく、今も教室内での他の会話からかなめの名前が聞こえていたが、悪い話は聞こえない。

 アリア達を襲撃した手前、猫被りな可能性が大だが、そういった周りから囲んでいくタイプは相手としては相当に厄介だ。

 下手に手を出せばこちらが悪者にされかねないからな。どうやらその辺はもう手遅れみたいで、玉藻様の初動云々の助言は無駄になった。

 まぁ後手は慣れてるよ。悲しいがな……

 

「んで、その可愛い妹さんが出てきて、兄貴の方は変化あったか?」

 

「確実にリア充やってるなあれは」

 

「はは……リア充かはわからないけど、僕の見立てでは妹さんに振り回されてるところはありそうだね。なんだかんだで遠山君って優しいから、妹のお願いは聞いちゃうって感じで。昨日も放課後に腕を引っ張られてお出かけしてたみたいだし」

 

「じゃあリア充でいいんじゃね? アリアにバカスカ撃たれてる日々よりよっぽど健全だろ」

 

 そうしてあんまり興味もなさげに会話へと混ざって、しっかりと引き出せる情報は聞き出しつつバカな返しをし、それに2人が軽く笑っていつもの日常の風景とする。

 露骨にやると鋭いやつらは気付いて余計な探りを入れてくるかもしれないから、そういった意味で武偵高ってのは面倒だ。

 その後は武藤の妹持論を持ち出してのああだこうだが始まるが、それを右から左へと流しつつ資料を読んでいたら、噂のリア充キンジが教室へとやって来てオレ達に軽く挨拶し席に座るが、どうもその表情にはいつもの根暗さとは別に疲労がうかがえた。

 

「妹とは仲良くやってるのか?」

 

「あんなの妹じゃ……いや、ご機嫌をうかがうので精一杯だ」

 

 武藤の止まらないトークなど不知火に押し付けてキンジへと話しかけてみれば、やはり公では妹を強く否定することはできなくなってるのか言葉を濁して近況を伝えてきた。

 ということでオレも真意を隠しつつの言葉で情報交換といこう。

 

「オレが入院してる間に聞いたこともない妹にずいぶん手を焼いてるみたいだな。可愛いって噂だし、オレにもちゃんと『紹介』しろ。キンジの友人として『挨拶』くらいちゃんとやりたいし」

 

「……あいつ、男は苦手みたいだから仲良くとはいかないかもしれない。それでもまぁ、挨拶くらいなら放課後にでもできるだろうよ」

 

 普通に聞けばまぁ普通の会話。

 キンジもちょっとだけ考える間を置いてからの返答だったが、要するに今のは遠山かなめとのコンタクトをキンジ仲介で行ないたいということ。

 別に直接接触する危険を冒すこともないが、あっちはオレのことも結構リサーチしているみたいだから、相手と直接対峙し会話することには大きな意味がある。

 人から聞く話と自分が見たものには絶対に相違が生じるものだからな。それに自分で見たものは他の何よりも信用がある。

 しかし不用意に接触するのは思わぬ事態にも発展しかねないため、ここでキンジを緩衝材にして不測の事態を回避する算段。

 あとは一応、敵意はないことも明確に伝えておきたい。具体的なアクションを考えるのはその後になるか。

 ということで今日はもっぱら情報収集に徹して大人しく生活をしていったオレは、授業中に漫画の資料を読みながら、アリアと理子のいない比較的静かな教室に少しだけ物足りなさを感じつつ、しかしいつも後ろの理子からシャーペンでツンツン背中をつつかれて絵しりとりなどをさせられたりの邪魔がないのはやっぱりありがたい。

 そんな感じでよくわからない気持ちがありつつも、夾竹桃のノルマは無事に達成し特に何事のなく4時間目までの授業を終えてから武藤達の昼食の誘いを断って、教室を出てまっすぐ屋上へと足を運んだオレは、そこで事前に待ち合わせていた人物と合流。

 実は病院を出るよりも前に連絡を入れて約束のようなものをしていたのだが、張り切ってしまったらしい2人はオレより早く屋上にいてちょっとビックリ。授業終わって3分くらいで来たんだけどな。

 

「早いなお前ら」

 

「京夜先輩より遅く来たら厳罰ものですからね」

 

「京様をお待たせするわけにはいきませんから」

 

 と、オレの近づきつつの問いかけに対して、小鳥も幸帆も同じような返答をして意図的に開けていた輪のスペースにオレを迎え入れてくるので、オレも促されるままにそこに座る。

 

「京様、退院おめでとうございます。ささやかな退院祝いとしてお昼ご飯を作ってきたので、食べてくださると嬉しいです」

 

 3人で三角形の輪を作って全員が座ったタイミングで自分の横に置いていたバスケットを真ん中に置き直した幸帆は、オレにそんなことを言いながらバスケットを開いてそこからサンドイッチや紅茶を取り出すと、そそっと遠慮気味にオレへと差し出してくる。

 

「そんな気を遣わなくていいのに、相変わらず幸帆は世話焼きっていうかだな」

 

 差し出されたサンドイッチと紅茶に感謝しつつ、昔から何かと気を回して色々としてくれる幸帆の頭を軽く撫でてやる。

 撫でられることで照れる幸帆だが、その隣では気を遣えなかったと思ったらしい小鳥が謝罪と共に自分の弁当からだし巻き玉子を献上してくるので、幸帆のを貰った手前で拒否もできずにだし巻き玉子を貰ってから、ようやく昼食タイムになった。

 

「それで、どんな感じだ?」

 

 早速貰ったサンドイッチに口をつけながら、具体的な言葉はなしでいきなり小鳥へと尋ねる。

 内容は遠山かなめについて。

 一応、わざわざ昨日呼び出してまでそれとなく様子をうかがうように言っていたので、小鳥もそれを悟って口を開いた。

 

「とても明るくて可愛くて頭の良い子で、もううちのクラスの女子は仲良しさんばっかりのように見えますね。電波ちゃんの私とは天と地ほどの差があります……」

 

 ズーン。

 そんな効果音でも聞こえそうな感じで話の最後で箸を止めて黄昏た小鳥だったが、そんなことはどうでもいいとバッサリ切り捨てて話を再開。

 

「ああ、でも男子とは話してるところを全然見ないですね。話を聞き耳したところでは男子は苦手なんだそうで。あとはお兄さん大好き話が漏れてくるのが微笑ましいくらいで、特にこれといって何かしているようには見えません」

 

「…………気持ち悪いな……」

 

 再開された話を最後まで聞いてオレが思ったのはそれだった。

 ボソリと呟いたので2人には聞こえていなかったが、一般の学校で転校生がチヤホヤされるのは普通だろうが、武偵高はそんな簡単に生徒に馴染んでいけるのは逆におかしい。

 今でこそ同じ学舎の生徒同士ではあるが、将来的に仕事で敵同士にもなり得る武偵が最初から求心力を遺憾なく発揮してるということ。

 在校時のコミュニティーや信頼関係は大事だが、必要以上に広げれば後々やりにくくなるのもある。

 ましてや相手は武偵かどうかも不確定。ワトソン情報ではアメリカの武偵かもしれないと話であったが、わざわざ行動力が制限――授業などで――されるようなことをしている現状は裏がありそうな感じがする。

 まぁ、目的なしに学園島に留まるわけもないし、それを調べるのもオレの任務なわけで。

 

「とりあえず2人とも遠山かなめとは表面上は仲良くしておけ。キンジに妹なんて聞いたこともないから、その辺はっきりするまでは付かず離れずってところで」

 

「確かにあんなにお兄さん想いの妹さんがいたら、噂も聞かずに離れて暮らしてたっていうのは不思議って気もしますが……」

 

「京様の友人の妹を妹かどうか疑っている京様が私はちょっと不思議です」

 

「んん……それは一理あるが、オレ達は武偵だ。武偵ってのはまずそれを『疑うこと』から入らないと痛い目を見ることがある。信頼だけで進んでいけるほど甘くない世界だってこと、覚えておけ」

 

 小鳥と幸帆には遠山かなめについて具体的なことを話して巻き込むわけにはいかないので、2人からの協力はこの辺でやめておくことにし、面倒事に巻き込まれるリスクも考慮して先輩らしくそんな忠告をしてやると、2人は良い返事で素直に聞き入れてくれた。

 その素直さが危ういんだが、今は正直ありがたいな。

 

「そういえば京様。今日私のクラスに鈴木桃子(すずきももこ)という名前で夾竹桃さんが転入してきたのですが」

 

 遠山かなめについての話はそれで終わりの流れとなってから、少しの沈黙が続いて食が進んだところで、話題はないかと思っていたのか幸帆が唐突にそんなことを話した。

 そういえば今日転入するとかなんとか言ってたか。というか鈴木桃子って本名か?

 いや、本名かどうかより何故学生をやる。前に幸姉とかが言ってたけど、夾竹桃って『成人』過ぎてるんだよな。

 

「…………まぁ『見た目』は普通に学生やってても不思議はないしな。しかし鈴木桃子って……」

 

と、幸帆の話にちょっと言葉を濁しながら返したら、急にゾワッと寒気が襲ってきたので言葉を区切って屋上の出入り口へと顔を向けてみると、開け放たれた扉の影から、奴のキセルと手袋をはめた左手だけが見える。

 バ、バカな……ここまで接近に気付かなかっただと!?

 

「……凄く日本人らしくて、これぞザ・日本人! って気がするよなぁ……」

 

 不幸中の幸い。

 区切ったところからのリカバリーが間に合ったオレの言葉に、若干の不自然さで首を傾げながらも2人がそうですねと返してきたところでもう1度出入り口へと顔を向けると、見えていた左手が器用にキセルを動かして「こっちに来い」と示してきたような気がして、貰った分の食べ物を食べ切ってから2人に用事ができたと言って別れ、すでに移動をしていったらしい夾竹桃を追って屋上をあとにした。

 すぐ下の階に降り切るタイミングであっさりと夾竹桃に追い付いたオレは、そのままその横について階段を降りながら会話に応じる。

 

「呑気にお食事中だったようだけど、ちゃんと覚えることは覚えたのよね?」

 

「余裕がなきゃ今ごろ教室で死んでたろうな」

 

「あなたもあれを警戒してるようだけど、気をつけなさい。思っている以上に厄介よ」

 

 あなたも、か。

 どこから聞いてたかわからないが、どうやらこいつも遠山かなめを警戒しているらしい。

 接点はわからないが、そっち関連にオレを使うのは勘弁願いたいところ。揉め事はこちらの望むところではないからな。

 

「あと、あなたのところに闇の住人がいるでしょ? あれも『きな臭い』わ。少なくとも私に近付けないでちょうだい」

 

 そう思いつつ1年生の教室がある階で足を止めた夾竹桃がついでとばかりに羽鳥を近付けるなと言ってきて、命令口調だったこともありそれに対して二つ返事でわかったと答えるとそのまま別れて行ってしまった。

 そういえばあいつも何か隠してる節があったな。オレも気を付けないと……って、いつも気を付けてるからそんなに変わらないな。

 放課後。

 夾竹桃からの急な呼び出しに少し警戒しつつ何事もないまま帰宅に成功。

 まずは迅速に寝室へと入ってそこにあるキンジの部屋の寝室とを繋ぐ上下扉から下へと降りてキンジを待とうとする。

 しかし寝室の上下扉は施錠設備などないのに全く開く気配がなく、よく見てみると扉はしっかりと溶接され使えなくされていた。これはどういうことだ?

 キンジがここを使用不可にするとは思えない――緊急用の脱出経路の1つだからな――ので、この事態の推測をしてみるに、おそらくやったのは遠山かなめだろう。

 何故こうしたかまではわからないが、これも何か意図があるはずだ。

 そんな予想外の妨害にあって仕方なしに最短ルートは断念し素直に玄関から訪問したオレは、なんか久しぶりに押すキンジの部屋のチャイムに少し緊張。夏休みのサッカーの件以来な気がしないでもない。

 それで1度だけ押したチャイムの後、扉の向こうから足音が近付いてくるのがわかり、玄関が開けられてそこから朝と同じような疲れ気味の表情のキンジが姿を現す。

 

「こっちから来るのは珍しいな」

 

「こっちからしか来れなくなってたんだが?」

 

 なんとも頭が働いていないようなキンジに対してオレが呆れ気味にそう返してやれば、思い出したように「ああ、そういやそうだった」と元気のない言葉。

 

「朝の件を片付けに来たんだが、大丈夫か?」

 

「ああ……ちょうど今いるしな。とりあえず上がって……」

 

 そんな調子のキンジはちょっと面倒臭く思うが、こっちも割と余裕がない中で動いているので手早く用件を片付けようとすると、中へと招いてくれたタイミングで奥の方から「お兄ちゃーん」と聞き慣れない可愛らしい女の子の声と共にキッチンの方からその人物がひょっこり上半分だけ姿を見せてきた。

 

「一緒に夕飯作ろうよ……」

 

 ちょっとビックリするくらいの美少女。栗色のショートボブカットで武偵高のセーラー服の上にエプロンを着けたその少女は、キンジに話しかけるまでは超絶ニコニコの笑顔だったが、オレの姿を捉えるや言葉も切って不機嫌なオーラを放ち始める。

 うわ、なんか白雪と同じ匂いがするぞこいつ……

 

「お前、サードが『オモチャ』にしようとしてた……何だったっけ? ザコの名前はいちいち覚えてられないからな」

 

 一変して不機嫌になった少女は、半分だけから完全に全身を晒して上から目線に挑発するような言葉と共に嘲笑。

 その言葉に怒りを覚えるよりも、あれが噂の遠山かなめであると理解する。

 

「そのザコが、私とお兄ちゃんだけの空間に侵食してくるとか何様? 兄妹水入らずの幸せなひと時に割って入って面白がってるのか? 目障りなんだよ、邪魔すんな」

 

 オレがこの場にいることにとことん腹が立つらしいかなめは、徹底した拒絶の言葉の連打でさっさと帰れと言ってくるが、アイコンタクトでキンジにどうにかしろと合図し、それに溜め息なんて吐きやがったキンジだが、約束だった手前仕方なくといった感じで仲裁に入ってくれた。

 

「かなめ、こいつは俺の友人の猿飛京夜だ。仮にも俺の妹だって言うなら、そういう態度をされるのは不快だ」

 

 少しだけ怒るような、しかし注意するような口調でキンジがそう言ったのに対して、これまたビックリするほど一瞬で反省するように怒りを収めてシュンとしたかなめ。

 どうやら自称兄であるキンジには従順みたいだ。

 

「仲良くしろとは言わん。だが頭ごなしにつっぱねたりするな。わかったか?」

 

「お兄ちゃんがそう言うなら……でもあんまりここには来ないでください。ここは『家族だけ』が居ていい場所だから」

 

 キンジの言うことに素直に頷いてみせたかなめは、最後にお願いでもするようにオレにそう話してからキッチンの方に引っ込んでいってしまい、そこで安堵の息を吐いたキンジが上がっていくかを改めて問いかけてきたが、どうやらここにいるだけでかなめのご機嫌を損ねるみたいなので、今日のところはこれで退散することにした。

 しかし話に聞いていたのとは全く違う印象だったが、やはり学校では猫を被ってるので間違いないな。

 オレに見せた顔が素で、実際に見てわかったことは夾竹桃の言う通りに厄介。

 まずは怒らせないことが大事だ。あの手のやつはどこに怒りのスイッチがあるかわからないが、キンジに関しての悪評やら何やらは全てNGと判断していい。

 オレの予想より相当なレベルでキンジにご執心のようだし、今後はキンジとの接触もなるべく避けるべきだろうな。あれは見るからに独占欲が高そうだ。

 あの様子からしてキンジの部屋で暮らしてるのは間違いない。

 それに妙に家族を強調していたところから、あの上下扉を封鎖したのもその辺が理由か。

 まだ本当の兄妹かはわからないが、ジーサード達がどんなやつらかがわかれば繋がってきそうな予感はする。

 なんにしてもまだ未知数の相手で慎重にならざるを得ないのは仕方ないにしても、どこかで踏み込まないと後手後手になるのは目に見えてる。

 起きた事態に対応させられていては良いように相手のペースで引っ掻き回される。これは面倒な情報戦になるな。いや、もう始まってるのか。

 どうあれ今回の相手はなまじ戦闘方面で仕掛けてきたやつらよりも手強い。

 今日1日でだいたいの確認ができたオレがそうやって今後についての考えをまとめながら部屋へと戻ると、玄関に入ったタイミングで自室に入ろうとする羽鳥と遭遇。

 小鳥が夕食の準備をしているのを気配と匂いで理解しつつ、オレを見て立ち止まった羽鳥にちょうど聞きたいことがあったためジェスチャーで一緒に部屋に入ることを伝えると、あからさまに嫌な顔をしながら先に部屋に入っていくが、その扉は閉めようとしなかったので続く形で入り扉を閉めると、椅子に座った羽鳥と対面してウザい話をされるよりも早くこちらから口を開いた。

 

「お前、ジーサード達について何か知ってて隠してるよな。仮にも師団の一員なら情報の提供は義務とは思わないか?」

 

 前に聞きそびれたことだったので、羽鳥もやはりそれかといった表情を浮かべて足を組み、肘掛けに左手で頬杖を突くなんか偉そうな態度になる。いちいちイラつく。

 

「私が本当に『師団の一員』なら、君の言うことは正しいだろうね」



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Bullet66

 羽鳥の自室で2人きりになって話を始めたオレだったが、ジーサード達について知ってることを聞き出そうとしての質問に対して羽鳥が予想外の返答をしてきて困惑。

 切り返しを上手くできなくされてしまった。

 

「お前が師団の一員じゃない、だと?」

 

「そうさ。私は君に、というよりエル達ほかの師団主要メンバーにもそう明言はしているが、それが真実だという保証はどこにもないのではないかな?」

 

 余裕綽々。

 開口一番でこそオレが話の主導権を握っていたが、それもたった1度の切り返しだけで逆転。

 この辺は本当に人心掌握が得意な尋問科が1枚上手で厄介だ。

 しかも言っていることがまた妙にリアルで、昼にオレが小鳥と幸帆に忠告したことをそのまま返された気がして面食らう。

 

「例えばだ。私が師団であるのが真実であるとしよう。だが同時に、それ以前から『ジーサード達の仲間』であった場合、君には私がどちらの側にいるように見える?」

 

「……スパイの可能性があるってことか」

 

その通り(That's right.)。そしてそれが真実だった場合、君は今あまりに不用意に私に接近した。わずかながら警戒心を持って距離を置き入り口で立ち止まってはいるが、まだ本調子じゃない君程度なら割と簡単に口封じが可能だよ」

 

 羽鳥が言葉を連ねていく毎に、部屋の空気がどんどん重く張り詰めたものへと変貌。

 挙げ句、今になって気付いたが微かに芳香剤とは明らかに違う独特な甘い匂いが部屋に漂っていた。

 これが何か身体に良からぬ効果でもあればもう手遅れかもしれない。

 

「……と、君に良い刺激を与えたところで話を戻そうか。ちなみに正真正銘、私は師団だしジーサード達の仲間でもない。信じるかどうかは別としても、その上でここから話をしたい。それと部屋に満ちてる匂いはただの自作調合のアロマキャンドルさ。毒性は全くないから安心したまえ」

 

「…………もう何が嘘かもよくわからん……」

 

 手遅れかもしれないとわかりつつ部屋のドアノブに手をかけて撤退しようとしたところで、今まで放っていた緊張感を一切無くして飄々とそんなことを言ってのけた羽鳥。本気でやめてほしい。

 こいつが苦手どころの騒ぎじゃなくなりそうだが、そんな顔をしてやれば何が嬉しいのか声に出して笑ってくる。してやったりとでも思ってるんだろどうせ。

 

「これは近いうちにエル辺りが調べ上げるだろうけど、ジーサードに関してはそれほど調べるのは難しくないよ。なにせ彼は世界指折りの武偵だったからね」

 

「やっぱり武偵だったのか、あいつ。しかも世界指折りの、だと?」

 

「そうさ。世界にわずか7人しかいないSの上のランク……Rランク武偵の1人があのジーサードだ」

 

 なんだかずいぶん軽い感じになって淡々と話をする羽鳥だが、至って真面目な雰囲気だけは伝わってきて不思議な感覚を覚えるが、Rランクなんてものを知らないオレはSより上と聞いても漠然としてピンと来ない。

 

「Rというのは、その人物達をたいてい各国の首脳や王族が専属武偵にしてしまうために『Royal』の頭文字を取ってそう呼ばれている。評価としてはSランクが特殊部隊1個中隊を相手にできるというのに対して、Rランクは1個大隊と戦えるということになってる。簡単に言えばまぁ『人間兵器』ってところかな」

 

「……そんなやつにこの程度で済んだのが改めて凄いことなんだなってのはわかった」

 

 イメージがつかないオレに極端に人間やめましたみたいな例えで説明した羽鳥だが、それでなんとなくわかってしまうのだから説明上手かもしれない。

 しかしそれを黙っていたことには疑問がある。それならワトソンが調べに行くこともなかったはずだしな。

 

「だがその情報を出し渋った理由は何だ? ワトソンが調べられることなら、なおさら隠しておく必要はないだろ」

 

「聞かれなかったから。なんて言ったら私がひねくれ者みたいで良い気分ではないが、実際のところ私はそれ以上にサードのことを話せない。リバティー・メイソンでは私は新人も新人だから、引き出せる資料も限られているしね。中途半端な情報を出すくらいなら、エルがよりまとまった情報を引き出してきた方が効果的だと思ったんだよ。だからフォース……今はかなめだったか。彼女が転校してきたタイミングでエルにはヒントを与えておいた。資料を取り寄せる関係で時間はかかるかもしれないが、近日中にそちらはどうにかなるはずだよ」

 

 どこか納得しがたい部分はあるものの、羽鳥なりに考えがあってそうしていたのは今の話で理解できる。

 確かにジーサードがRランク武偵だったことだけわかっても、元から危険な人物だとわかってる上に対応もそう変わらない。

 リバティー・メイソンで権限が上のワトソンがそれ以上の情報を引き出せて、そのヒントも与えたというなら、オレがとやかく言う必要もないか。

 

「じゃあ、かなめや他の仲間についてもワトソンの方で調べられるわけだな?」

 

「そこはどうだろうね。サードに関しては過去に調べたが、言ったようにその程度しかわからなかったし、仲間なんて先日会うまで見たことがなかったから、サードのことがわかっても仲間まで調べられるかは私も自信はない。だがその辺は君の仕事ではないかな? 期待には応えるべきだと思うよ」

 

 結局大した情報は得られずってところか。

 正直、こいつがまだ何かを隠していそうなことは勘づいているが、嘘も言っていないことはわかってちょっと踏み込み過ぎるのをためらう。

 嘘を言わないのと、本当のことを言わないのはイコールではないから、これ以上の疑惑はかえって混乱を招くかもしれないからだ。

 だからこいつからは自分なりにもう1度調べて改めて情報を引き出す。それが前進するための今の最良。

 

「とりあえずはかなめの目的についてをはっきりさせることが先決か。仲間ともそのうち接触するかもしれないし、それまで目立たずにいければいいが……」

 

「それは大丈夫じゃないか。君はかなめの眼中にないし」

 

「何で知ってんだよ」

 

「サードがそんなことを言っていたからね。『フォースはやつ以外の男に興味がねェ』って。事実そうみたいだし、君に限らずではあるけど。あと、君が気絶してる時にサードが銃で2回ほど頭を撃ち抜こうとしたんだけど、君の体はおかしいね。クイックイッ避けてサードが面白がってたよ」

 

 はははっ。

 会話もお開きといった雰囲気で今後のことを話してみれば、楽観論からのこいつなりの声援が贈られるが、最後の最後でいらんことを言って椅子から立ち上がりオレの肩をポンポン叩いてから部屋を出て、ちょうど夕食の支度ができたと知らせに来た小鳥と鉢合わせてそのまま夕食に。

 ジーサードのやつ、オレが寝てる時になんてことしてくれてんだ。というか見てたなら止めろよあいつも!

 翌日。

 金曜日となる今日は自分の目でかなめの学校生活を見てみようと、朝の登校時からそれとなく観察を開始。

 甘えるようにキンジの腕に抱きついて楽しそうに話をしながら登校する姿は、本当に無邪気な普通の子に見えなくもない。

 事前に危険人物だということを知らなければ、いま疑いなく仲良くしている生徒等を不思議に思いもしなかったかもしれない。小鳥と幸帆に忠告しておいてなんだが、実に上手い猫被りだ。

 そんな見た目仲良し兄妹は2人の時間を長くしたいのか男子寮を出てから徒歩で最後まで登校し、ギリギリ視界に入る際どい距離での尾行をそれとなくやっていたオレだが、その間にもかなめに気付いた女子が一目散に近付いて挨拶していたりを目撃してその人気を確認。

 女子ばかりなのがずいぶんな偏りだったが、男嫌いも本当らしい。

 そうして特に何か起きることもなく一般教科の校舎へと辿り着き、階段の分かれ道で名残惜しそうに自分の教室へと行ってしまったかなめをとりあえずは放置して教室に向かい、いつものように授業を受けていったが、1時間目の授業が終わった頃に小鳥からメールで追加情報が届きそれを見れば、どうやら昨日報告しなかった――それほど重要じゃないと思っていたのだとか――かなめが自分に課しているルールがあるらしい。

 1つ目が『他人への暴力を禁止』していること。

 2つ目が『自分より強い者には絶対に逆らわない』こと。

 2つ目に関しては境遇などが関係していそうだが、生き残る上では非常に合理的なものだ。

 長いものに巻かれろなやり方は見た目はどうあれ悪い方向へは進みにくい。

 そういった意味では実力さえあれば組み伏せることが可能だが、あのアリア達をまとめて倒せてしまうような相手にそれも現実的ではない。

 そして1つ目のルールはその高い戦闘力を振るわないでくれると言っている。

 何故かはわからないが、これはこちらとしてはありがたいの一言。何か面倒事が起きても強行策には出てこないということだ。

 まぁ、2つ目のルールが適用されるなら、ジーサード辺りに命令されたら覆りそうではあるが、この相反するルールは少なからずかなめの力を削いでくれてるはず。

 小鳥からのメールはとりあえず感謝とメールを削除する旨を一緒に返信してから、オレもメールを削除。

 そこから椅子の背もたれに体重を預けて脱力した座り方をしながら、今の情報を考えた上での今のかなめの行動を分析する。

 何かを企んでいることは大前提として、自分に課したルールを守る中で自分の存在を強く周りに印象付けている。

 味方も着々と増えてるようだし、頭の悪い考え方をすれば武偵高の女子生徒を抱き込んで絶対的な地位を確立できたりができるかもしれないが、そんなことをしてどうするのか見当がつかない。

 最も有力そうなのはこちらへの牽制。自分に何かしようものなら周りがそれを許さないという状況を完成させること。

 すでに完成されつつある気がするが、ここはアリア達の報復を抑止するには結構な威力になるかもしれない。

 オレとしてはアリア達の動くタイミングを遅延できるならその状況も悪くないとは思う。

 度が過ぎる抑止が働くとオレにも悪影響が出かねない危険はあるが、そこら辺の対策は情報を集めた上で参謀達――ジャンヌや玉藻様――が上手くやってくれるだろう。

 なんにしてもオレが正確な情報を集めなければ進展すらしない。

 病み上がりでこんなに面倒なことを何でオレがやってるのかと現実逃避しそうになるが、逃げたところで後が怖すぎて退路もないのだ。やるしかない。

 昼休み。

 かなめのいる教室を外から覗ける場所にわざわざ移動して観察してみるが、教室で数人の女子と仲良さそうに話をしながら昼食を食べているだけで、これといった行動はしていなかった。

 というか見れば見るほど呆れるくらいに普通の子を演じているので、オレですらひょっとしたらあっちが素なのではとわずかな疑問が頭をよぎりそうになる。

 そんなことアリアにでも言えば「そんなわけないでしょ! バカなの!?」とか言われそうだ。

 放課後。

 キンジと一緒に帰るのがデフォだと思ったがそういうわけでもないようで、キンジはさっさと帰宅していき、かなめは昼休みに話していたクラスメートに加えて、別のクラスの女子と一緒にファミレスにでも行くのかゾロゾロと校舎を出てバスへと乗り込んでいき、尾行だとバレないように先にバスの最前列の席に座って、最後列でキャッキャとやってるかなめ達を窓ガラスの反射を利用してそれとなく見ておく。

 昨日の様子だとキンジの食事をかなめが作ってそうだから長々と寄り道はしないはずなので、かなめ達がバスを降りてもオレはそのまま乗り続けて察知される前に離脱。

 感覚的には気付かれていないが、距離感は徐々に掴んでいかないとな。今日はこんなもんだ。

 そうして出発したバスの外にかなめ達が見えなくなってちょっと。

 少しずつかなめの取り巻きが増えてきていることに危険な匂いを感じつつ流れていく景色に目を向けていると、歩道をトボトボと歩く桜ちゃんの姿を発見。

 その姿がなんとなく気になったオレは次のバス停で降りて、桜ちゃんがこちらへとやって来るのを待ってみると、どうにも考え事をしている様子の桜ちゃんは周りをよく見ていないようで、オレが近くまで来てから声をかけるまで全く気付かず、こっちがビックリするほどビックリした顔でオレを見た。

 

「さ、猿飛先輩!? どうしたんですか?」

 

「武偵は常在戦場だぞ。こんなに接近されてたら簡単にやられる」

 

「す、すみませんでした……」

 

 一応、先輩としての忠告だけはして挨拶は終わらせ、とりあえず歩きながら話をと思って桜ちゃんに歩幅を合わせておく。

 

「何か悩み事? 桜が気を張ってないなんて珍しいことだろうし」

 

「…………実は……」

 

 と、話しやすいようにオレから話題振りをしてあげると、少しの沈黙のあとに口を開きかけた桜ちゃんだったが、何か葛藤があったのかその口を止めてその顔を俯けてしまう。

 

「…………人に話してどうこうなる悩みじゃないなら話すことないよ。オレも面倒なことは御免だし、聞いたからって解決策を出してあげられるとも限らない。ただ、武偵なら悩むよりまず考えて行動しなきゃダメだろ。時間が解決してくれるなんて甘いこと、そうないんだからな」

 

 きっと桜ちゃんなりに先輩に迷惑じゃないかとか考えちゃってるのかと思って、もう話を聞くことはやめてこんなところでウダウダやってるなとちょっとした渇を入れてあげる。

 どうしても女の子に甘くなってしまうから言葉がやんわりしてるのは仕方ないが、言われた桜ちゃんはハッとしたように顔を上げてオレを見ると、何か吹っ切れたのか「ありがとうございました!」と綺麗なお辞儀をしてから走って帰っていってしまった。

 あんな言葉でも桜ちゃんの役に立てたなら、良かったかな。

 どこからしくなかった桜ちゃんの少し元気になった後ろ姿を見送ってからまっすぐに帰宅したオレは、明日が土曜日ということでかなめを1日泳がせてみることにしてその日は終了。

 体を休めるのも今は必要不可欠なので、可能な限りは休息に当てておきたいのだ。

 そして翌日。

 朝から寮の屋上に登って日光浴しながらかなめの外出を見張っていると、陽も良い感じに登りきりそうな頃にかなめが1人で寮から出てきてどこかへと移動を開始。

 徒歩のようなのでかなめの姿がギリギリ見えなくなったタイミングで屋上からミズチを使って直接下まで降り尾行を始める。

 道中、チラッと見えるかなめの顔にはゴツいサングラスのようなヴァイザーがつけられていて、耳の両側からはピョコンと猫耳のようなアンテナが伸び、時々ピコンピコン動くのが見えたが、情報では科学兵器を扱うとかあったのでその類いの物だと判断。

 さらに好物なのかミルクキャラメルらしき物をすでに2つほど口に放り込んでその都度、美味しそうに食べていた。

 誰も見ていないにも関わらずどこか子供のような雰囲気を持つのと、アリア達を倒したという凶暴性がイメージとしていまいち一致しないかなめに分析もちょっと捗らないが、一昨日オレに見せた顔が本性だと自分に言い聞かせて尾行を続けていくと、かなめはとある建物の近くで立ち止まり物陰へと移動。その場所は第3女子寮。

 こんなところで何をする気かと用心して離れた位置からクナイの光の反射を利用しそこに映るかなめを観察。

 するとかなめの制服の中からスルリとリボンのような白い布が意思を持ったように出てきて空中へと浮く。

 あれも科学兵器の一種なのだろうが、どんな原理で動いているのかさっぱりわからん。

 その白い布はヒラヒラと舞うようにかなめの元から離れると、女子寮の壁を登っていきどこかの部屋の窓を覗くようにしてその先端だけをちょこっとだけ出して止まった。

 あれに意味があるのなら、あの白い布にはカメラか何かの映像機能がある可能性がある。じゃなきゃあの行動の意味がわからん。

 そんなかなめの謎行動をうかがうこと十数分。

 時刻にして正午になろうかという頃に、唐突に浮かせていた白い布がフワリと移動を開始し、すぐに女子寮の角へと到達。

 壁の向こう、出入り口方面へとその先端だけ少し出して向けるので、オレも目視で女子寮の出入り口へと目を向ける。

 するとその出入り口から見たことのある人物が走って出てきて、そのままオレとかなめのいる逆方向へと行ってしまうと、その姿を確認した白い布はスルスルとかなめの元へと戻って制服の中へと隠れ、ヴァイザーも外したかなめはまた1つキャラメルを口に放り込んでどこかへと歩き出していった。

 いま女子寮から出てきたのは理子の元戦妹の麒麟。今は1年の火野の戦妹だったか。

 その麒麟が女子寮から出てきた時に遠目ではあったが『泣いていた』のを確認したが、麒麟を確認して去ったところを見るにかなめの目的が麒麟だったことは明らか。

 泣いていたことへのリアクションもなかったことから、それもある程度予測済みの可能性があるな。

 麒麟との接点など皆目見当もつかないわけだが、麒麟をピンポイントで監視していたのには何かありそうなので、そちらの方に探りを入れることにして一旦かなめは放置。

 というか考えてるうちに撒かれたのは内緒だ。走るのも体に悪いし。

 そんな言い訳を自分にしつつ、走っていった麒麟の方を捜索し始めるが、こっちも走っていったのでどのみち同じじゃなかろうか。

 そんなことを思いつつも接点のある理子経由でコンタクトを取ろうと携帯を取り出したところでいきなりその携帯に着信が入り、誰だよバカ野郎と思いながら相手を見て速攻で通話に応じる。

 

『今どこ?』

 

「第3女子寮の近く」

 

『……何? あなた覗き趣味でもあったの? 理子で満足できないなんて贅沢なご身分ね』

 

「いた場所が女子寮の近くだったくらいでオレを変態みたいに言うな。んで、ご用件は?」

 

『5分。第2女子寮まで来なさい』

 

 挨拶もなし。用件すら言わずに下らないことを挟んでそんな指示をして通話を切っていった夾竹桃に、文句を言えない自分の立場を呪いながら、一見数字が並んでるから近いように感じるが実際はちょっと距離のある第2女子寮へと走らされるのだった。

 結局走る羽目になる辺り、キンジの不幸スキルを彷彿とさせて嫌になるな。

 それでおそらく5分以内に辿り着いた第2女子寮の前には、それを指示した夾竹桃がキセル片手に待ちわびていて、そこからさらに理子が普段使っている1011号室へと移動しそこにリビングのソファーに座ってようやく話が始まった。

 

「少々面倒なことになったわ」

 

「オレもちょっと面倒なことしてるんだが……」

 

「あなたの都合なんてどうでも良いのよ。要約するけど、さっきある子からメールで『嵌められた』って来てね。その原因が私にも少しだけありそうで後味悪いし、解決に協力しなさい」

 

「拒否権ないんだろオレには。具体的には何をすればいい?」

 

「聞き分けが良すぎて気持ち悪いわね。でもまぁ、従順なのは気分的に上々。メールをしてきたのは島麒麟。一昨日の夜に少し会ってあることを忠告したのだけど、その時に事故があってあの子と危ないツーショットになったのよ。その瞬間をあの女に撮られてたみたいで、それをさっきあの子の戦姉に送信されて仲違いさせられたみたい」

 

 おっと。関係ないと思ったら意外にも繋がったな。

 呼び出された時はふざけんなと思ったが、これも普段のオレの行いの良さが……言ってて虚しいからやめとくか。

 しかしこれで先ほどの流れを理解できた。かなめが最初に覗いていた窓はおそらく火野の部屋で、様子をうかがい麒麟がやって来るタイミングでその危ないツーショットを送り喧嘩させた。

 

「どんな危ないツーショットかは聞かないでおくが、火野が麒麟を突き放すくらいに衝撃映像だったとして、問題なのはあの2人を狙ったのがかなめだってことだろ? オレには目的が見えない」

 

「『本丸』が違うのよ。そこを落とすにはまず周りから。あれのやることは狡猾で残酷なものよ。気付いた時には孤立しているでしょうね」

 

 周り?

 そう言われて夾竹桃の言う本丸とやらを考えてみると、ふと昨日、放課後に会った元気のない桜ちゃんの姿が浮かび、そことも不思議と結びつき本丸に辿り着いた。

 

「…………間宮あかり、か」



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Bullet67

 

 あっちでもこっちでも働かされていたオレが、その共通の目的である遠山かなめをマークしていたら、怪しげな行動を見た後に夾竹桃にお呼ばれされて第2女子寮の一室で話をしてみれば、何やら遠山かなめの目的がうっすらと見えてきた。

 

「間宮あかり……か。アリアの戦妹だからってわけでもなさそうだが、その辺にも見当がついてるのか?」

 

 話の中で間宮あかりに辿り着いたオレが、何の気もなく普通に質問を返してみると、あからさまに『生意気な口効いてんじゃねーぞコラ』みたいな顔を返されてしまう。

 そういえば今はオレの方が立場弱かった……面倒臭い。

 

「……何か見当はついてらっしゃるのでしょうか」

 

「……邪魔なんでしょう、あの女にとって間宮あかりが。『競合するカリスマ同士』の衝突は仕方のないことだけど、あの女のワンサイドゲームになりつつあるのは見過ごせないわ」

 

「カリスマ……あのやたらと周りにいた取り巻きみたいな女子を惹き付けてる力か。間宮にも確かに人を惹き付ける人望みたいのはあるように見えるが……」

 

 とりあえず怒りを収めて本題へと戻った夾竹桃によると、つまり普通の学校における女子グループ同士の衝突のようなものだろう。

 なんともアホらしいと一瞬思えたオレだったが、かなめのやり方を思い出してその危険性に辿り着く。

 かなめは今、どういうわけか自分に制約をかけて行動している。

 それは『暴力を振るわない』こと。これがあるから間宮達はまだ『この程度』で済んでいるとわかってしまう。

 かなめが本当に間宮達を邪魔に思ってるならば、力技で簡単に排除して当然。それだけ実力においては差がある。

 しかし制約によって直接手が出せないかなめは、あの手この手で工夫して暴力抜きで間宮達を仲違いさせ、毒のようにじわじわと弱らせている。そしてその先にあるのは……破滅。

 では間宮達のグループを邪魔に思ってる理由は?

 それは当然、夾竹桃の言うように同じカリスマが邪魔だからなのだろうが、暴力を封じて色々と面倒な状態でもやらなきゃいけない理由が見えてこない。

 

「その先。仮に間宮達を排除できたとして、その後かなめは何をするつもりなん……でしょうか」

 

 それを踏まえた上で改めて質問をしてみるが、また直前で言葉遣いが普通になってたのをギリギリで直す。もう面倒臭いんだよこれ……

 

「さぁ? そこまでは私にもわからないわ。動物的な観点からするなら、ハーレムに雄は1人いればいいわけだし、存外、武偵高を乗っ取るつもりだったりとかそんなものかもね」

 

 と、キセルを吹かしながらの夾竹桃はあんまり思考したようには思えない回答をしてくるが、夾竹桃にとってはかなめの目的自体はどうでもいいのだろう。

 こちらにとってはどうでもよくないのだが、かなめの今の標的がわかったのは大きな収穫。

 この後は間宮達の状況を確認しておく必要がありそうだな。

 

「了解。何かわかったらまた連絡くれるとありがたい。それじゃ……」

 

 やることもできたしさっさと帰ろう。

 そう思って明らかに『これから何か始めようとする』夾竹桃に気付きつつも逃げようと言葉を連ねて足早に部屋を出ようとしたが、無言の圧力に負けて素直に座り直して沈黙。

 自由が欲しい。いま切実にそう思う。

 

「あの女が何を企もうと私には興味はないし関わろうとも思わない。でも、その企みによって間宮あかりとその周囲が狙われるのは見過ごせないのよ。あの子の周りにはネタが散りばめられているから。とにかく、あの女によって完全に仲違いをさせられる前に、起きた事態を解消する。そのために……」

 

 オレの素直な態度に機嫌は損ねなかった夾竹桃は、言いながら近くの机にあった何十枚とある紙を目の前のテーブルの中央に置いて見るように促してきたので、それに目を通すと、漫画の原稿用紙だな。白紙だけど。

 

「冬も近いし、そちらに注力するためにもあなたが使われるのに慣れないとダメでしょ。だから火野ライカと島麒麟の仲を戻すために、2人の間にある誤解を解く漫画を描くわ。時間をかけるつもりもないから、1週間以内に形にするわよ」

 

 そう言い切った夾竹桃は、そこからスイッチが切り替わったのか、早速テーブルに着いて漫画を描き始め、まさかここで漫画のアシスタントの仕事が入ろうとは思ってなかったオレは、今すぐにでも部屋を出てかなめの件に取りかかりたい衝動に駆られながらも、描きながら背景の参考資料を渡してきたり執筆道具の用意を指示されたりともう完全に抜け出せない空気を完成させられてしまう。

 まさか今日1日ここに拘束されはしないだろうな……

 

「とりあえず1枚描くから、その間に買い出しお願い。コーヒーは忘れずに買ってきなさいよ。15分以内」

 

 有無を言わさぬ指示に一瞬外に出るチャンスとも思うが、ここで反抗すれば刑期が延びる――別に罪人ではないけど――ので、素直に買い出しに出つつ間宮が火野と同じ程度に親しくしていたはずの佐々木志乃とかいう子だけでも調べておこうと同級生の幸帆に連絡。

 たっぷり10秒ほどかけて通話に応じた幸帆は相変わらずの丁寧な言葉を連ね連ねて最後に用件を聞いてくる。この辺はいつものことだから気にしない。

 

「幸帆、ごくごく最近でいいんだが、クラスの間宮の友人関係で何か違和感みたいのはなかったか?」

 

『違和感、ですか……皆さんいつも通りに仲良くされていたかと思います……』

 

 それで早速用件を尋ねてみると、思い出しながらゆっくりと語った幸帆はそれで言い切るかと言うところで突如「あっ」と短い声を割り込ませて引っ掛かったことをすぐに話す。

 

『大した違いではないですが、昨日、志乃さんと桜ちゃんが顔を合わせた時に、志乃さんの方が桜ちゃんを避けていた……ような気がしなくもなかったかな、と。あのお2人は元々「あからさまに仲良し」と言うわけではなかったので、特に気にするようなことではないかと思いますが、京様に尋ねられて唐突に気になったといいますか、そんな感じです』

 

 ……ここであの桜ちゃんと繋がるのか。

 もちろん幸帆の言うように杞憂にすぎないことかもしれないが、今の状況から考えるに無視できる違和感ではない。

 つまり間宮の周りはもうすでに友人関係に亀裂が入ってる。間宮自身がそれに気付くのは早くて来週の登校以降。

 間宮が女子寮通いならもっと早いかもしれないが、確かアリアの話では学園島の外からの登校だからな。

 しかし、かなめの目論みがわかったからといってオレがこの問題に深く関わっていくのは状況を悪化させかねないし、仮に状況を覆せたとしても下手な逆転はかえってかなめの制限を外すきっかけになりかねず、戦闘面ならアリア達を完封した事実からほぼ間宮達に勝ち目はない。

 狙い撃ちされたことから間宮達がかなめにずっとマークされてるのもほぼ確実だから、直接接触するのも危険すぎる。

 それならオレはオレの役割に徹するのが最良か。

 非情だなんだとどこかから言われそうだが、オレもお人好しなわけではないし、正直後輩の問題に関わってる余裕もない。

 せいぜい今やってる漫画のアシスタントで仲違いを解消してやるくらいが関の山か。

 それらのことをわずかな沈黙の中で思考したオレは、ずっと通話中だった幸帆の返事を確認する声で現実に戻ってきて、情報提供に礼を言ってから通話を切り、いつの間にか止まっていた足と時間を確認して夾竹桃のパシリがギリギリになりそうなのを逆算し急いで買う物を買って女子寮へと戻っていったのだった。

 それからの数時間。

 陽が沈むまで部屋に監禁を食らってひたすらに背景やらベタやらトーンやらとやらされまくって、無駄に背景のクオリティを高くしてしまって絵との調和をどうたらと注意されたり、書き直しを要求されたりで夾竹桃の漫画との質の調整に四苦八苦させられて、その調整が一段落したところでようやく解放。

 明日も日中の午後に来るよう言われて帰宅したオレは、慣れないことをしたせいでそれ以降の行動力と思考力を奪われてしまい、下の階にかなめがいることをそれとなく確認してからその日は就寝。

 翌日の日曜日も約束通り夾竹桃にこき使われて貴重な調査時間を削られてしまい、ほとんどかなめについての進展はないまま週明けを迎えたが、漫画の方はちょっと頑張ったのでいま描いた分の仕上げは終わらせて、夾竹桃の原稿待ちにまでしてやったのと、残りも半分を切ったこともあり拘束時間もだいぶ少なくなりそうでひと安心。

 あと1日2時間程度頑張れば4日ほどで完成が見えてくると思われる。

 そんな散々と言っていい休日明けの月曜日。

 今日は武偵病院で強化合宿中のアリア達のところへそろそろ顔を出しに行かないと怒られそうなので、放課後に夾竹桃のところへ行く前に報告しに行くことにしていた。

 その報告を少しでも有益なものにするために朝から付かず離れずの距離でかなめをマークしていたが、これといった変化もなくいつもの取り巻き女子と表面上楽しそうにしているだけ。

 孤立した間宮に対して何らかのアクションがあるかと思ったが、事を急ぐつもりもないのか。

 そう思っていた中で訪れた昼休み。

 いつも通り取り巻きと昼食でも食べるのかと予想していたら、その取り巻きに何か謝るような素振りをしつつそそくさと移動を始めてしまい、ちょっと離れた位置にいてどうしても目を離すタイミングができてしまうオレは、その移動先をギリギリまで見てからある程度予測して移動を開始。

 幸いにも階段を登っていったので一般教科の校舎からは出ないはずで、ちょっと面白いことに校舎外の壁にあの布状兵器が張り付いていて、かなめの移動に合わせて屋上の方へとスルスルと移動していたのだ。

 なのでとりあえず屋上目指して移動して、その扉の前で止まってわずかに開けて外の様子をうかがう。

 するとそこにはかなめの他にあの間宮の姿が。

 

「友達になろうって、どういうこと……?」

 

 視線などに鋭敏そうなかなめを警戒してすぐに視線を外して壁を背に聞き耳だけ立てていると、何やらオレが来るより前にかなめが間宮に友達になろうみたいな発言をしたみたいだな。

 しかし友達ねぇ……かなめの言う友達は現状であの有り様だからな。オレや間宮の思うそれとは全く違いそうだ。

 

「弱い友達は強い友達に従うべき。つまり一番強いあたしを頂点に、この学校には新たな統制が敷かれるんです」

 

 ……うわ……これは馬鹿げた話だと思ってたことを現実にやろうとしてるのか。

 間宮の問いに対して何気ない口調でそう話したかなめ。

 つまり「あなたは弱いから自分に従え」と命令してるに等しい。

 それには当然、間宮もそんなの友達じゃないと反論してはみせたが、

 

「自分より強い相手に逆らうなんて非合理的ィ。じゃあぼっちの子は学校が嫌で、そこから飛び降り自殺でもしちゃおうか」

 

 ゾワッ、と壁越しにもわかる殺気を放ちながら恐ろしいことを言ったかなめ。

 思わず反射的に身構えてしまいそうになるが、なんとか抑えて気配が漏れるのもギリギリで堪える。

 しかしあれだな。

 わざわざ従順じゃないグループの中心である間宮を孤立させ配下に置こうとして、従わなければ邪魔だから自殺しろと。

 おそらく桜ちゃん達も後に同じようなやり方で直接的ではないにしろ殺す段取りは立ってるはず。

 そう考えていたらどうやらその間に間宮が武器を盗られたようで、ナイフだけ残されて手首を切って自殺するように命令されていた。

 その場から逃げることもできなくはないだろうが、たぶん間宮はかなめが暴力を振るわないことを知らないから、プレッシャーで追い詰められてるはず。最悪本当に自殺なんてこともあり得る、か。

 さすがにそれは見過ごせないので、間宮が自殺したら桜ちゃんと佐々木を殺し合わせて、火野と麒麟を心中させるとかいう恐ろしい発言の後に割とリアルな沈黙が続いたため仕方なく出ていこうしたが、それよりちょっと早く屋上から第三者の声が聞こえてきて動きを止める。

 えーと、何でお前がいる、夾竹桃。いたならもうちょっと早く介入してくれ。

 そう思ってまた腰を下ろそうとしたのだが、何やら階段から複数の足音が登ってくるのを察知。

 ここで誰かに目撃されると、どこかしらでかなめの耳に触れるかもしれないので、そっと階下を覗き見て、数人の女子生徒。それがかなめの取り巻きであることを確認して、屋上への階段。

 その踊り場まで到達して折り返してくる視覚的な死角を利用して階段を使わずスルリと飛び降りて音もなく着地。

 すぐに横へ転がって踊り場で折り返した女子生徒の視界から逃れたオレは、彼女らが屋上へと出ていったのを確認して再び扉越しに聞き耳を立てる。

 

「またかよ! あたし達はかなめちゃんが大好きなんだ……消えろ」

 

 しかし今の十数秒で何がどうしてそうなったのかさっぱりわからないが、取り巻きが間宮に対してそんなことを言って屋上から追い払ったので、見つからないようにまた先に下の階へと降りてトボトボ降りてきた間宮と気に食わないみたいな表情の夾竹桃を影から見送った。

 何があったかは放課後に本人にでも聞くとしても、本当に暴力抜きでも厄介な相手だな……

 放課後。

 予定通り夾竹桃のところへ行く前に武偵病院に寄って、目的の4人がまとめて入れられた病室へと足を運んだオレは、入って早々飛び付いてきたバカ理子を軽やかに避け――体調が万全に近ければ余裕だ――つつ、もう完全に制服を着てここにいること自体がおかしな3人に目を向けると、リーダーであるアリアはようやく来たかみたいな感じで腰に手を当てオレを見てきて、白雪はササッとオレ用にお茶を準備し始め、レキはいつも通りジッとオレを見ながら足元のハイマキの頭を撫でていた。

 

「もう退院しろよお前ら……入院もタダじゃないんだぞ」

 

「何で入院費なんて気にするのよ。京夜はちょっとズレてるわ」

 

 ああ……そういやリアル貴族だったな、このピンクツインテールは……

 オレのズレた発言は挨拶代わりの冗談ということで流しつつ、勧められた椅子に座り白雪からお茶をもらって、その隣にわざわざ移動して座ってきた理子はとりあえず無視して、時間に余裕もないので早速用件だけ伝え始める。

 

「ジーフォースは想像以上に手強いな。弱点という弱点が現状さっぱりだ」

 

「それはある程度予想済みよ。まさかそんなことだけ報告しに来たわけじゃないでしょ。要点はまとめて簡潔に」

 

「そのつもりだ。学校に通ってるジーフォースは今、戦闘力を面に出さないで『可愛い後輩』って感じで周りの女子生徒を味方につけていってる。今は1年連中に拡大してるが、その影響力は侮れないな。個人的には催眠術の類いに近いものを感じてる。だから今ジーフォースに何か仕掛けるといらんやつらを敵に回しかねないな。親衛隊みたいな守り方されてるし」

 

 一応、穏健派としてアリア達が慎重になるような情報を前に出して報告してはみるが、それを聞いても簡単に引き下がらないのが困りもの。

 それならそれでどうやって1人にするかとか、本性を暴き出してやろうかとか会議を始める始末。

 

「んで、行く末は自分を頂点にした新体制を武偵高に敷く予定らしい。弱いやつが強いやつに従うっていう合理的な、な」

 

 どうせ言ったところで意味もないので止めもせずに報告を続けると、それがとどめになったのか怪しい笑みを浮かべたアリア達――レキは無表情だが雰囲気がちょっと変わった――は、揃って同じようなことを口にした。

 

「そういう分かりやすいのいいわね。やれるもんならやってみなさいって感じ?」

 

「キンちゃんとの平穏な日々を取り戻すためなら、星伽の禁忌を破ってでも下らない野望を阻止して、あの女を討ち取ります!」

 

「調子に乗ってるやつを地獄に叩き落とすとか胸熱ぅ! 理子ワクワクしちゃう! くふっ、くふくふっ!」

 

「…………以下同文」

 

 結局のところ今のアリア達に何を言ってもポジティブに考えるくらいにはやる気に満ち溢れてるので、これ以上アドレナリン的なものが出ないようにこの辺で報告はやめておく。というかこれ以上は出しようもない。

 ので、やる気満々な4人に対してやれやれといったため息を吐いてから、最後にアリアだけを病室の外へと連れていって、出てすぐの廊下で立ち話。内容は当然間宮のことだ。

 

「お前は間宮の戦姉だから一応伝えておくが、ジーフォースの形成するグループに反抗的な間宮とその仲間がピンポイントで狙われて追い詰められてる。訳あってジーフォースが直接手を加えてこない状態ではあるんだが、それでも危ないところまで追い込まれてる」

 

「あかりが? そう…………あの子には手に負えないと思って遠ざけたつもりだったけど……あかり達が本当に危なくなったら教えてちょうだい。最悪こっちが強行することであかり達を助けられるかもしれないし」

 

「了解。オレの役割的に真っ先に加勢はしにくかったから、最悪の場合はそうさせてもらうよ。そうならないことを祈ってはいるがな」

 

 間宮のことを話してもすぐには動かない辺り、感情的になっていても思考は冷静なようだな。

 それが確認できて安心したオレは、そろそろ顔を出さないと夾竹桃からどんな文句を言われるかわからないのでアリアに一言告げてから足早に病院を出て夾竹桃のいる女子寮へ直行。

 幸い次のページの執筆に集中していたので、グチグチ言われることもなく仕上げろとばかりにテーブルに置かれたページを指示通りに仕上げにかかる。

 

「そういえば今日の昼休み。自殺させられそうになってた間宮に加勢してたが、その後何がどうなって屋上から追い出されたんだよ」

 

 その作業中に、少し余裕があったので何気なく昼休みの件について問いかけてみると、急に手が止まった夾竹桃は途端に禍々しいオーラみたいなものを放出してまた手を動かし始めた。こ、怖い……

 

「ああ……あなたあの場を覗き見てたのね。さすが覗き趣味の変態。才能の無駄遣いとはこの事ね」

 

「…………かなめをマークしてただけだ。オレへの悪口はいいから、差し支えなければ教えてくれ」

 

「下らないことよ。あの女、どういうわけか急に自分の顔を殴って倒れて、あたかも『私達に暴力を振るわれた』かのように場を仕立て上げて、そこにあの取り巻き達がやって来て弁明の余地もなく追い出されたってわけ。おそらくは自殺した間宮あかりを発見する人間をあらかじめ仕込んでおいたのでしょうけど、それが叶わないと見て心象を悪くする方向にシフトしたんでしょ。悪女っていうのはああいう女を言うんでしょうね」

 

 と、予測も兼ねた夾竹桃の話にオレ も大かた納得。

 確かに暴力を封じられた状況で夾竹桃と、未熟なりにも間宮の2人を相手にするのは骨が折れそうだし、時間をかければ呼び出していたのであろう取り巻きに自分にとって不利な場面を見られかねないとあってはそうせざるを得なかったのだろう。

 

「あれに関わるのはあまり乗り気ではなかったのだけど、女の友情を弄んだ罪が重いことを思い知らせてあげることにしたわ。あの女にはいずれどこかで痛い目を見てもらうとして、今は口を動かすより手を動かしなさい。こちらもこちらで重要案件よ」

 

 そんな話を聞いていたら、こいつまでアリア達みたいなことを言い出して頭を悩ませるが、いつの間にか手が止まっていたのを指摘されて、色々思うところがありながらもすぐに作業を再開させた。

 なんか……問題がどんどん面倒臭い方向に進んでいってないか、これ……



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Bullet68

 

「…………さすが幸音が使えると言っただけはあったわね。理子やジャンヌよりも良い仕事をしてくれたわ」

 

 アリア達への報告から3日。

 あれから特に目立った動きを見せなかったかなめは、今日も表面上で呑気に学園生活を満喫していたが、オレはと言えば学校にいる間はかなめの監視をし続け、放課後になれば夾竹桃の描く漫画のアシスタントと割と余裕のない日々。

 しかしそれも今日で終わった。

 現在時刻、午後6時24分。ようやく描いていた漫画の全工程を終えて夾竹桃からのチェックと評価を貰った。

 言葉通りの意味ならば合格ということでいいはずだ。

 

「さてと、これであの女の策略の1つを崩せるとしても、油断もしてられないし今後あなたへの拘束は緩めておくわ。でも私からの連絡はいつでも受けられるようにしておきなさい。応答がなかった時には……」

 

「ああはいはい。十分わかってますから確認せずともだいじょう……」

 

 出来上がった漫画の原稿を整理しながら、今後のオレの扱いを話した夾竹桃に十分な理解がある返答でご機嫌を損ねないようにしてそのまま帰ろうとしたら、突然懐の携帯が着信を知らせてきたため、確認してみると相手はジャンヌ。

 オレへの興味は完全になくなっていた夾竹桃は電話の相手が誰かもどうでもよかったようで、そのまま何も告げずに部屋を出てすぐに通話に応じた。

 

『サード達について新情報が入った。報告会も兼ねて20分後にファミレスに集まる』

 

「了解。ちょうど暇になったタイミングで助かった」

 

『ん? 今まで何かしていたのか? かなめの監視はずいぶん甘いように見えていたが』

 

「お前はオレの監視でもしてんのかよ。とにかく、時間はあるから行くよ。そっちの情報とでまた何かわかるかもしれないしな」

 

 何やらオレを観察でもしていたようなジャンヌの発言にちょっと嫌な汗が出つつも、軽くツッコんで躱して女子寮を出たところで通話を切ったオレは、ジャンヌ達から指示を受けて初めての報告会に参加すべく、この学園島に1つしかないファミレスに向けてその足を進めていった。

 

「この席には大いに不満がある」

 

「同感だ。なぜ私がこの男と隣り合わねばならない」

 

 小鳥に夕食はいらない旨のメールを送ってから約束の5分前くらいにファミレスへと到着したのだが、店内を見回せばすでにボックス席を確保して呑気にドリンクまで啜ってるジャンヌ達の姿があり、結局最後の到着になってそうなことにちょっと落胆しつつ近寄ってみると、オレにと空けられた席の隣には見るからに不機嫌そうな羽鳥がいて、向かい側に座るジャンヌとワトソンはその羽鳥とは絶対に目を合わせようとしてなかった。

 そこで一応自分の主張をしてはみて、羽鳥も乗ってきたが、向かいの2人は全く取り合う気配すら見せずに「早く座ってくれ」と微妙に泣きそうな目で訴えてくるため、結局羽鳥を抑制する意味でもこの配置が一番平和なのは理解してるので渋々座るが、あからさまな空白地帯を作って互いに不可侵領域を瞬時に定めた。

 

「玉藻様は?」

 

「所用で出ている。今回はこのメンバーで全員だ」

 

 それから見た目ジャンヌの逆ハーレム状態のこの席――実際に男はオレ1人――で話を切り出すと、ジャンヌの返答によればどうやら今回は玉藻様は不在らしく、進行役は何やら鞄から資料を出してきたワトソンが務めてくれるようだった。

 

「ジーサードについてリバティー・メイソンから情報が出てきた。事前にそこのフローレンスから彼がRランク武偵であったことは聞いて知っていると思うが、出てきた情報はもう少し突っ込んだものだよ。まだ詳細については調査中だが、ジーサードは人工天才(ジニオン)――人工的に作り出された天才なんだそうだ」

 

 人工的な天才か……なんかそんなことを実際にやってた組織があったような……

 そっちは超人だったが、いま目の前に1人その思想に基づいて力を付けたお方がいらっしゃるな。

 そんな風に思いながら無駄に優雅にアイスティーを飲むジャンヌを見ていたら、ワトソンもその視線の意味をわかった上で話を続ける。

 

「二次大戦後、潜水艦としての『アレ』は逃亡したが、その思想は計画書と共にドイツから連合国に渡ったんだよ。それが今なお、アメリカで研究されているんだ。彼らは『ロスアラモス・エリート』と銘打って、科学的な手法で天才を作ろうとしてる」

 

 要はちょっとオカルトめいてたイ・ウーより現実的な方法で研究して作られたのがジーサード。と、かなめもってことになるのか。

 あんだけ強ければ研究も上手くいってたんだろうな。

 

「だけど、ロスアラモス・エリートの成功例は少ない。というか、ゼロらしい」

 

 そう考えてはみたのだが、その実、研究成果は芳しくないと続けたワトソンの話にちょっと驚く。

 しかしよくよく考えたら何も戦闘面のみで天才を作っているわけではないことに気付き、どの辺が失敗なのかに頭がいった。

 おそらくは人格面とかその辺。あれが誰かの命令下で素直に従って動いてるようにはお世辞にも思えない。

 

「初めはジーサードも成功例とされていたようだよ。IQは290。ロスアラモスの研究機関では、教員を生徒にしてしまうほどの学習能力を見せたそうだ。運動神経も超人的で、非公式記録とはいえオリンピック記録を幾つも塗り替えたらしい。それも10代前半でね」

 

 その後しばらくアメリカの大統領警護官まで務めていたことまで話したワトソンだったが、ジーサードが『正気』とされていたのはその辺までだったらしい。

 それ以降は研究者側からは『おかしくなった』と評されたのだと言う。

 

「資料では『発狂した(Went mad)』って書いてあったけどね。生まれ育った研究所から脱走したんだ。厳重に警戒していた完全武装の軍人達を、素手で全員戦闘不能にさせてね。その後、サードにはアメリカ政府から一流の暗殺者(プロ)達が向けられた。何人もね。だが彼らでさえ、ほとんど全員、サードの居場所すら掴めなかった。何人かはサードまで辿り着いたんだが、そっちは1人も帰ってこなかったらしい」

 

 聞けば聞くほど化け物じみてて嫌になってくるが、そんな化け物に向けられた暗殺者達が揃いも揃って帰ってこなかったというのは、どうにも引っ掛かった。

 何故ならワトソンは彼らが『殺された』とは言っていないからな。その辺に不思議と人間味みたいなものがうかがえてしまう。

 では帰らなかった彼らは今どうしてるのか。

 

「その帰らなかったやつらってのが、今のサードの仲間、ってことか?」

 

 それらを踏まえて可能性の1つをワトソンに対して述べてみると、それが当たったらしくその通りといった顔が返ってくる。

 

「仲間の全員がそうというわけではないだろうけど、彼にはある種のカリスマ性というか、人を惹き付ける不思議な魅力があるんだ。だから暗殺者を送り続けてたらサードに仲間が増えるだけ……と気付いたアメリカは、暗殺計画を中断して、交渉・説得しようとしているそうだよ。今も、なお。ジーフォース――かなめは、サードが研究所から脱走した時、一緒に逃げた人工天才の1人らしい。ただ……まだ育成中だったらしくて、社会的な記録は無かった」

 

 そこで資料から目を離したワトソン。どうやらこれで現状の情報は全てみたいだな。

 つまりジーサードが使っていたあの姿を消す兵器も、かなめが使っていた科学剣の類いも、その交渉によるアメリカからの技術の提供と見て良さそうだ。

 よくは知らないが、最先端技術というのはそれを維持向上するだけでも大変だと聞いたことがあるし、無法者っぽいジーサードの一味がそれらを開発維持できる力を持てるとは思えない。

 

「さぁ、次は君の番だサルトビ。この1週間、寝ていたわけではないだろう?」

 

 そうこう思考していたら、資料を直接読みたいと言うジャンヌに資料を渡しつつワトソンがオレにターンを与えてきたので、今の情報も踏まえた上での話を始める。

 確かこっちはかなめをこちら側に引き込むための情報、だったな。

 

「かなめの目的は未だにはっきりとしないが、今は女子生徒を洗脳じみた力で傘下に入れつつピラミッドの頂点にいようとしてるな。それにどういう意味があるのかは目下調査中だ」

 

「何? 道理で最近、後輩達からかなめの話をよく聞くと思っていた。これは私の領域をまた侵食されかねんな……」

 

「……ジャンヌの人気の話はどうでもいいとして……」

 

「猿飛、どうでもいいとは聞き捨てならないな。よもや私の後輩がどうなってもいいと言うつもりか?」

 

 そうして真面目な話をしていたのに、資料からハッとしたように顔を上げたジャンヌが至って真顔でオレ達にとって大したことでもないことを述べるので軽く流そうとしたが、余計突っかかってきて困る。

 

「……今ここで対策することじゃないって意味だ。突っかかってくるなよ。というかそれは個人で解決してくれ。ったく……本筋に戻すが、かなめはどうやら誰かの命令で今、戦闘能力を発揮しないでいる。それもあって周囲を抱き込むやり方になってそうだが、これはおそらくジーサードの命令じゃなくて、キンジが何かしら言った結果だと考えてる。まぁそれもジーサードの命令が上に来るだろうから、いつどうなるかわからない。正直に言えば、かなめにとってキンジが『ジーサード以上の存在』にならないと、こちら側に引き込むのは難しいと思う。というより、たとえかなめを引き込めても、それでジーサードまで引き込めるかってところがそもそも怪しいしな」

 

「つまりかなめはトカゲの尻尾切りにされかねない、と君は思うわけだ。事の終息にはジーサード自体をどうにかしなければならない、と」

 

 とにかく話を元に戻しつつ、推測も含めた情報と意見を述べたオレに、要約した羽鳥が質問で返したきたので静かに頷き肯定する。

 

「そうだとしても、現状でサードへと繋がる糸口はかなめだけだ。こちらにかなめを引き込むことに意味がないとする意見には異論があるよ。交渉にかなめが使えないと決まったわけでもないんだからね」

 

「ん、別にかなめを引き込むのを諦めろとは言ってないさ。かなめを引き込めれば一時的にでも場は落ち着くし、かなめからジーサードについて色々聞けるかもしれないからな。ただジーサードの手振り次第で引き入れた故に簡単に崩壊させられるリスクも背負うってこと」

 

「その上でかなめを引き込むかどうかか。問われるまでもないな。必ず引き込む。異論の余地はない」

 

 ……すんごい真面目な話をしているのに、1人だけなんか温度が違うことに気付きつつも、強く言ったジャンヌに皆が賛同。

 作戦変更はなしか。だがそうなると……

 

「そうなると、結果として一時的な終息をもたらす方法は何も、遠山キンジを利用する必要はないと思うね」

 

 それで少しだけあることを考えていたオレよりも早く、隣の羽鳥が口を開いてそんなことを言うので、向かいの2人は揃って羽鳥へと視線を向けたが、なんか嬉しそうにする羽鳥を見てすぐに視線を別のところに向けながら話を続けさせる。

 

「遠山かなめは『自分より強い者には逆らわない』。何故ならそれが非合理的であるからだ。それならばその合理的な思考を利用して『遠山かなめを屈服』させれば、サードの介入までの平穏は約束されるわけだ」

 

「……それが難しいからトオヤマに『ロメオ』をやらせているんじゃないか。君は裏方に徹し始めて机上の空論を述べるほど前線での思考力が落ちたのかい?」

 

 そうやってドヤ顔でキザな笑みを含めた言葉を述べた羽鳥だったが、ものの数秒でワトソンに却下気味に返答され、素直に引き下がってくれたらオレが繋げてやろうと思ったが、笑みを崩さなかった羽鳥は「普通ならそう思うだろうね」と返して続きを話す。ウザっ……

 ちなみにロメオは武偵用語で男版のハニートラップを意味している。

 

「まだ遠山かなめの全力が未知数ではあるけど、アリア達がやられたのは備えのなかった奇襲。実際のところ、互いに万全の状態でぶつかった時はそこまでの戦力差はないと踏んでるよ。しかしそれだけの理屈なら遠山かなめの屈服を持ち出すほど私もギャンブラーじゃない。だがいま現在、遠山かなめには2つの制約がある。1つは『他者への暴力行為の禁止』。これは彼も言っていたことだから周知だろう。そして2つ目は『卑怯な真似をしない』こと。この2つがあれば、今リベンジに燃えているアリア達でも勝てる可能性をかなり高められる。少なくとも、この1週間近くでほとんど何もできていない遠山キンジよりは、頼りになると思うよ」

 

 その後の会議であと数日はキンジの様子を見て、かなめの引き込みが叶わないようなら羽鳥の提案をまた一考することにして解散となった。

 その帰り道。

 同室ゆえに同じ道を歩いていたオレと羽鳥だったが、並んで歩くほど仲も良くないので羽鳥のやや後ろを歩いていた。

 

「…………羽鳥、さっきの話で引っ掛かることがある」

 

 その道中で、オレは先ほどの会議において羽鳥が言っていたことにある引っ掛かりを感じて歩きながらに質問をする前置きをすると、振り向かずに羽鳥は「言ってごらん」と返してくるので、遠慮なく質問をぶつけた。

 

「お前、どうしてかなめが『卑怯な真似はしない』ことを知ってた? あの時は話の進行上スルーしたが、オレはそんな情報を持ってなかった。この1週間マークしてたオレがだ」

 

「それは君が自分を買い被ってるだけじゃないかな? 君は狙ったらどんな情報も手に入れられるほど優秀な人材なのかい?」

 

 うぐっ、とぶつけた質問に対しての正論に一瞬怯んでしまったオレだが、ここで引き下がるのはダメな気がするので「誤魔化すな」と強引に質問の答えを聞き出す。

 

「……仕方がないことだと思うよ。これは君がマークし始めるより前に遠山キンジの部屋で交わされた2人だけの約束事だからね。公にも述べてないから、知っている人物もそれを約束させた遠山キンジのみだろうし」

 

「……まさかお前……キンジの部屋に……」

 

「約1週間前。君が目を覚ましたすぐ後に、遠山かなめがフラフラ外出している間に取り急いで痕跡を残さずコソッとね。その時にそんなことを話していたんだよ。まぁ、鋭すぎる彼女に1時間と経たず撤去されてしまったがね。それに卑怯な真似の線引きが彼女の中で非常に曖昧な感じだったからしばらく様子をうかがってたんだけど、どうやら『裏で画策する』のは卑怯ではないようだね」

 

 色んな意味で手が早い羽鳥らしい行動。諜報能力もさすがのようだな。

 ちゃんとした情報として開示できる段階まで様子を見たのも変なところではない、か。

 オレが変に警戒しているだけなのだが、コイツの言動1つ1つに注意してる自分がちょっとバカらしくもなってきた。

 いいかげん仲間だという意識を強めてもいいはずなんだが、どうしてもコイツとはこれ以上の距離を縮めるのがためらわれる。本能的に、それをしたくないのだ。

 その羽鳥とはそれ以降に会話もなくまっすぐ帰宅したオレは、ジーサードについての情報をキンジに話すのは自分がやると言ったワトソンにそちらは任せつつ、まだはっきりとしないかなめの目的についてどう調べるかを考えながらその日を終えるのだった。

 翌日の金曜日。

 この日は放課後に何やら校舎でキンジを監視するような素振りを見せてからそのまま1人で帰宅。

 一応外出を警戒してはみたが、今日も動きはなかったかと監視体制を解こうとした夜も9時になろうかというタイミングで、男子寮から出ていったかなめ。

 それを寒空の下の屋上から見ていたオレは、その動きに合わせて移動を開始。

 足取りがどうにも学園島の外へと向かいそうなのを見越して、アリア達と一緒に退院していたレキに声をかけてから学園島を出る。

 レキとメールでの連絡を行いながらかなめを追跡すること数十分。

 辿り着いたのは六本木。そこの高級住宅マンション――何やら屋内共有の施設でもありそうな構造――の1つに入っていったかなめを確認して、そこでいると噂されている仲間と会っているであろうことを予測したオレは、ただ出てくるのを待っても成果などないので共有スペースがありそうな上階にあるガラス張りの灯りが点いている階までとりあえずミズチを使って蜘蛛のように登った。

 そこから角付近に陣取って横から中を覗いてみると、どうやら屋内プールがあるようで、そこにはいかにもな雰囲気を纏った3人の女が水着姿で集まっていた。

 位置的に覗く顔が中の灯りに照らされて異様に目立つため、覗き続けるのは得策ではないと判断。

 すぐに顔を引っ込めてレキに指示を出し、オレのだいたいの現在地とちゃんと視認できるように携帯の画面を開閉して点滅させ、この階をドラグノフのスコープで覗けるギリギリの位置まで移動してもらう。

 このために合流しなかったは結果論だが、元々『鷹の目』としての役割で連れ出したので読みが当たって良かった。

 それからわずか10分足らずで配置に付いて照準を合わせてくれたレキから、中の様子を実況してもらう。

 正直じっくり見られなかったので3人の特徴すら確認できなかったしな。

 

『1人は大柄な金髪女性。目にサングラス、手には大型の兵器を持っています。おそらくはロケットランチャーの類いでしょう。あとの2人はどちらも小柄で細身。片方が褌のような水着に、頭に大きな獣の耳のアクセサリーを付けていて、もう片方は色の違う両目で銀色の長髪。アメリカの国旗柄のビキニに腰から拳銃を提げています』

 

 レキから珍しく長い言葉を聞いたなとかズレたことを思いながらも、3人の特徴を聞いてなんとなくでイメージを固め、後で絵の上手いレキに似顔絵でも描いてもらうことにし、顔も出せずにいるこの場に長居するのも無駄なので退散。

 マンション近くで隠れるように待機していると、レキからプールにかなめが現れたと報告があり、そこから察してやはり彼女らがジーサードの仲間であることを確信。

 おそらくはアメリカが送って仲間にされたという暗殺者も含まれているだろう。

 獣の耳のアクセサリーを付けた女ってのは、もしかすると玉藻様とかと同じかもな。

 

「レキ、唇の動きで言葉は読み取れるか? 一番見えやすいやつ1人でもいいんだが……」

 

『読唇術はあまり得意ではありませんが、ここからなら……長髪で小柄な女の口許がよく見えますので、できる限り読み取ってみます』

 

 それで以降、片言のように唇の動きを読んで途切れ途切れで単語を拾ってくれたレキ。

 その拾ってくれた単語は『ミッション』『キンジ』『連れて』『合流』『日本』『拠点』『作る』の7つ。

 単語の順番からそれぞれを予測しながら繋ぎ合わせていくと、かなめの目的がキンジを連れてジーサード達と合流することで、もう1つ、今のかなめの行動から考えて、武偵高に拠点を作ろうとしていることがわかった。なるほどねぇ。

 

「レキ、撤収だ。勘づかれる前に退散しろ」

 

『この事をアリアさん達には?』

 

「任せる。報酬もなしに駆り出したんだから、そのくらい選択していいよ」

 

『利害の一致は助力に十分な理由です。働かされたという認識は私にはありません』

 

「それでもレキが考えてどうするか決めていいよ。もうそれができるレキになったんだろ? あ、似顔絵の件はよろしくな」

 

 それで何かの偶然や超常的な感知――玉藻様の同類かもしれないやつもいるしな――とかで存在が気付かれる前にレキを撤収させ、いま得た情報をメールでジャンヌに送ってから、かなめがマンションから出てくるのを待って、その後はまっすぐ学園島へと戻ったかなめは、マンションで仲間から受け取ったであろう謎の荷物を持って何事もなかったように帰宅。

 その荷物の中身が少し気になりつつも、それ以降は何か得られるものもなさそうだったのでこの日はこれで終了。

 あとはジャンヌ達の反応とレキの似顔絵を待つことにしてオレも休息へと入ったのだった。



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Bullet68.5

 

 …………変です。

 遠山かなめさんが転校してきて早1週間とちょっとが経過。

 京夜先輩にあまり気を許しすぎるなと注意されて以降、他の女子達に比べて1歩も2歩も下がった距離感で接してきていた私ですが、そうしていた中で見えたかなめさんの周りが少々異常なのではないかと疑問を持ちました。

 なんというか、みんながかなめさんを心酔しているというか、妙に一緒にいたがってるように見えていた。

 もちろんそれだけなら私のただの所感で自己完結できますが、かなめさんの転校から私のクラスの良い意味でも悪い意味でも目立っていた高千穂さんが、自分よりも注目されているかなめさんに立場的なのを奪われたにも関わらず、比較的突っかかっていくタイプなはずなのに何もアクションもなく、むしろあえて目に止まらないように存在を希薄にしている節が見られて、それがどうしてかと考えた時に京夜先輩の注意とが合わさって納得。

 あの高千穂さんがかなめさんを警戒しているということに気付きました。

 さらに私の親友である陽菜ちゃんも、かなめさんが転校してきた日から戦兄である遠山キンジ先輩にかなめさんの様子をうかがうように言われていて、今も継続中らしく、それだけなら心配性なお兄さんみたいに思えるけど、きっとそうではないだろうことは察してしまう。

 そしてその週の土曜日の昼頃から、たまたま幸帆さんのお部屋に遊びに行っていたところ、異様なほどあたふたした後に必死に自分を落ち着けて通話に応じた幸帆さんがその相手である京夜先輩から妙な質問をされていて、通話を終えてからそのことについて一緒に考えてみました。

 京夜先輩からの質問は『あかりちゃんとその周りの人間に何か変化はなかったか』という不思議なもので、同じクラスの幸帆さんも別段気になるようなことはなかったと話してましたが、あの京夜先輩が何の意味もなくそんなことを尋ねるわけもないので、やはり武偵らしく調べてみることにして幸帆さんと共同捜査を開始。

 ここ最近、京夜先輩がやたらと警戒しているかなめさんが1枚噛んでそうなのはある程度予測できたので、週明けの月曜日から登校中に必ず私か幸帆さんがかなめさんのそばにいることで監視をしつつ、もう片方が動くことを徹底。

 メールや電話でのやり取りはできる限り控える形で放課後に口頭で情報を共有。

 調査初日の月曜日では、私が気になっていた高千穂さんと接触。

 始めは煙たがれて警戒する素振りで追い払われましたが、あかりちゃんの周りを調べていると話すと何故かちょっと慌ててから会話に応じてくれて、これまた何故か話をするのもトイレの個室で2人して入って。

 高千穂さんが何をそんなに警戒しているのかいまいちわからずその温度差を感じながらも話を聞くと、どうやらいま現在、志乃さんと桜ちゃんが不仲になってるらしく、幸帆さんも電話の時に京夜先輩に仲が悪くなってるのかもと話していたこともあって確定情報に。

 なのでその辺の経緯を詳しく聞いてみると、先日に帰宅途中の志乃さんの乗る車のタイヤが銃撃され、高千穂さんと正式な勝負で勝ち取った品も盗まれて、それをやったのが桜ちゃんだということで喧嘩になってるようで、盗んだ品も高千穂さんへ送るようなメッセージ付きで桜ちゃんの鞄に入っていたとか。

 しかし高千穂さんは桜ちゃんがそんなことをする人間ではないと断言して、武装弁護士の娘らしく桜ちゃんの無罪を証明すべく動いていたみたいで、その日は志乃さんの車に撃ち込まれた銃弾の鑑定結果を頼んでいた鑑識科の信用できる人に聞きに行く予定だったとか。

 私もあの真面目で勤勉な桜ちゃんがそんなことをするとは思えなかったので、その件については高千穂さんに任せて引き続き調査を進めた。

 幸帆さんもその日はあかりちゃん達の様子を注意して見ていてくれて、志乃さんと桜ちゃんは言わずもがな、先週まで仲の良かったライカさんと麒麟ちゃんまでが口も聞かない感じになっていたらしく、互いに避け合うことが重なってあかりちゃんが孤立。

 あんなに仲の良さそうだったグループがバラバラにされていることが判明。

 それをやったのはおそらく……いえ、ほぼ確実にかなめさん。

 でもかなめさんがそんなことをする目的が全くわからなかった私と幸帆さんは、この事態に対してどうすればいいのか迷う。

 あの京夜先輩や高千穂さんが警戒していることから、下手なことをしてかなめさんの目に止まれば、あかりちゃん達のように何かしらの標的にされかねないため、いま標的になっているあかりちゃん達とも接触は避けるべきで、でも友達としてこの状況はどうにかしてあげたいという思いもある。

 京夜先輩に協力を求めることも考えた……というより真っ先に考えてしまった私と幸帆さんでしたが、京夜先輩は京夜先輩でかなめさんのことを探っているみたいだし、ここ数日はそれ以外でも物凄く忙しそうにしていて、先週に入院していたとは思えないくらいの活動をしていたので迷惑はかけられないと2人で決意しなんとかすることに。

 そうなると幸帆さんが授業中にでもあかりちゃん達に接触してみるべきだと思ったけど、もうかなめさんの傘下にある女子がA組にもいる可能性を考慮すると得策ではない。

 どこからかなめさんの耳に情報が入るか不明なため、他の人に頼るのも危険で実際問題できることがないと理解できてしまう現状。

 それでもせめてあかりちゃん達の仲違いがかなめさんの手によるものであることを伝えるために私が考えた最後の手段は、親友である昴を伝書鳩の役目で飛ばして知らせること。

 さすがに私が電波ちゃんなことはクラスの子達によってかなめさんに伝わってしまってるとしても、動物と会話する能力までは見抜かれていないと思うし、昴は小さいから凝視しないと端からはスズメと大差ないのも利点。

 あかりちゃん達には私の能力と昴は紹介済みだから、手紙に名無しでも私からだとわかってもらえる。

 幸帆さんもそれ以上の策は見つからないということで、それを実行するに当たって仲違いの原因がかなめさんである証拠を揃えるためにそこからまた行動を再開。

 問題解決は善は急げなため、かなめさんの監視をしつつのフル稼働で事に当たっていった。

 そして今日、金曜日になっての放課後。

 幸帆さんの部屋にて会議をしていた私達は、この数日で集められただけの情報で動くためにどうするかを話し合っていた。

 まず件の桜ちゃんへの志乃さんの嫌疑は、高千穂さんが信頼する人に鑑識してもらった結果。

 志乃さんの乗った車のタイヤを撃った銃弾は確かに桜ちゃんが使う拳銃から発射された銃弾ではあったけど、タイヤに当たったのは銃弾の先端ではなく、タイヤに当たってする変形具合でもなかったことから、1度使用済みの銃弾を拾ってそれを別の物で再発射して使われたものと判断され、それに使ったのが威力の高い、アメリカでの使用許可が下りるクロスボウであることも判明。

 かなめさんはアメリカからの留学生ということで、そこでなんとかかなめさんには繋がるはずと高千穂さんも言っていたので、あとはそれを志乃さんに伝えられるかどうか。

 高千穂さんはかなり警戒して動いていたので、幸帆さんにも高千穂さんのことは伏せているけど、幸帆さんは情報源が気になってはいてもそれを察して尋ねてはきません。

 本当に最近武偵になったとは思えないくらいに順応性が高いので、さすがあの幸音さんの妹で京夜先輩の背中を見てきただけはあると感心してしまう。

 

「では志乃さんの方は証拠は揃えられたということで良さそうですね。それらの証拠を隠して、その場所を記した手紙を昴さんに届けてもらって完了、と」

 

「はい。志乃さんの方はそれでいいかと思いますけど、問題はライカさんと麒麟ちゃんの方ですが……こちらは調べようにも当人達の問題みたいで原因がさっぱりわかりませんでしたね……」

 

「下手に聞き込み調査というわけにもいきませんでしたし、昴さんに何度か飛んでもらってライカさんと麒麟ちゃんの身辺を探ってもらっても結局手がかりを掴めなかったとあってはどうしようもないかと」

 

 しかし進展があったのは高千穂さんが動いて得られた情報だけに等しく、私と幸帆さんはここ数日を右往左往しただけと言っても大差ないほど役に立てなくて2人して小さくため息をついてしまう。

 

「こうなってしまったらもう、志乃さんに上手く伝えたのちにライカさんと麒麟ちゃんの仲違いもかなめさんの仕業だと気付いてもらって伝えてもらうしかないでしょうか」

 

「それが最良ですかね……何か少しでも目立つ行動をすれば、私達程度の実力では隠蔽もままならないうちにかなめさんの標的にされかねませんし、それでは被害が拡大するだけ。その結果京様にもご迷惑をかけてしまう可能性があります。京様はお優しい方なので、私達が危機とあっては今のままというわけにいかなくなるでしょうし」

 

 それでこれ以上の調査も収穫が出そうにないと判断して、志乃さんに伝えることで連鎖的にかなめさんの策略がライカさん達にも伝わることを祈りつつ、明日にでもそれを実行することを決めてしまう。

 その話し合いをしていたら、急に幸帆さんの戦姉であるジャンヌ先輩が、夾竹桃さんを引き連れて部屋に押し入ってきて、調査資料などをバッと鞄に隠して今まで談笑していたように装いそれに応対。

 ジャンヌ先輩は時々これをやってくるからちょっとビックリしちゃうんだよね……

 

「幸帆、少しばかり調べてもらいたいことが……ん、橘もいたのか」

 

「お邪魔してます……って、変な言い回しな気が……」

 

「ここは私の部屋ですからね。それでジャンヌ先輩、私に調べてほしいこととはどのような?」

 

 チャイムも鳴らさずにリビングまで入ってきたジャンヌ先輩は、ソファーに座りつつ挨拶もほどほどですぐに幸帆さんの問いに答える形で隣に座ってキセルを吹かし始めた夾竹桃さんを指しつつ話をする。

 

「実は桃子が今、火野ライカの放課後の動向について探っていてな、どこに行くことが多いかなどを調べてほしいらしい。桃子は訳あって火野ライカや間宮あかり達とは仲が芳しくないから、その辺で不自由していたところへ私を頼ってきたのだが、私もこれで忙しい」

 

「別に頼ってはいないでしょジャンヌ。私は知っていたら教えてと質問しただけ。戦妹なら調べてくれるだろうと言い出したのはあなた」

 

「気を利かせてやったのだ。そこは訂正するようなことでもないだろ」

 

「あら、それだと私があなたにお願いして幸音の妹に頼ったみたいで気分が良くないわ」

 

 ……えっと、来て早々で何やらお2人の間で口喧嘩みたいなのが勃発してしまいましたが、今の話で調べてほしいことはわかった私と幸帆さん。

 しかし何の偶然か、それは調べるまでもなくこの数日で私と幸帆さんと昴が非接触で調査し判明している。主に昴の功績ですが。

 

「で、では私が頼まれてもいないのに調べてしまった。そういう体でお話を進めましょう。ですから言い争いはお止めください」

 

「…………桃子」

 

「言わないで。それを言ったら私達の完敗よ」

 

 お2人の喧嘩を見かねた幸帆さんは、この場を丸く収めるために自分が勝手にやったこととして話を進めようとする。

 その言葉でピタリと喧嘩はやめたお2人でしたが、私から見てもお2人が少々幼稚な争いをしていて、それを幸帆さんに仲裁された形だったので、言葉を飲み込んだ気持ちはなんとなくわかった。

 

「それでライカさんの行動範囲を予測する情報ですよね。聞いた話ではライカさんはご傷心の時やストレスのある時にはよく秋葉原をフラフラと出歩くようですね。ゲームセンターに行くことが比較的多いという話もあります」

 

 場も落ち着いたことでホッと息を吐いた幸帆さんは、これからまだ話し合いもしないといけないので、早急に帰ってもらえるようにライカさんの情報をこちらで動いて調べたことを上手く隠しつつ夾竹桃さんへ教えた。

 私達が独自で動いていることはたとえ先輩といえど悟られるわけにはいかない。幸帆さん、ナイスです。

 そんな意味を込めたわずかなアイコンタクトに幸帆さんもチラッと横目で応えてくれたけど、それと同時にゾワッと寒気がする視線が私に注がれたのに気付いてそちらを向くと、キセルを吹かす夾竹桃さんが据わった目で私を見ていて驚く。

 ま、まさか今のアイコンタクトに気付いた……?

 

「…………そう。無駄な時間が省けて助かったわ。どうやら2人で仲良く談笑でもしていたみたいだから、邪魔と思われないうちに退散しましょう」

 

 夾竹桃さんの観察するような視線になんとか平静は装えたと思う。

 そのおかげかどうかはわからないけど、ソファーから立ち上がった夾竹桃さんはそのままジャンヌさんを先導させて部屋を出ていってくれるようで、一言挨拶してその場でお2人を見送る。

 でもジャンヌさんがリビングから出ていったところで夾竹桃さんは1度立ち止まって私と幸帆さんに振り返ってその口を開く。

 

「後学のために教えてあげるわ。まず橘小鳥。『嫌でも気になる視線に無反応』は自然な反応ではないから『隠し事を通す』なら意識的な反応と無意識的な反応を上手く使い分けなさい。幸音の妹は『言葉の取捨選択』がまだまだ甘いわね。ここ最近、ライカが『精神的ストレスに晒されている』なんて、意識しないと端からはなかなかわからないものよ」

 

 そうやってズバッと、淡々とした口調で私と幸帆さんの不審だった行動や言動を指摘してきた夾竹桃さん。

 幸帆さんも面食らってますが、やっぱり見抜かれてたよぉ……

 しかも言ってることが物凄くタメになるし自分の未熟さを露呈しちゃってる……

 

「あなた達が何を調べているかは問わないであげるけど、遠山かなめに関わることなら悪いことは言わないわ。踏み込まない方が身のためよ。この程度で怪しまれてしまうあなた達なら、なおさらね」

 

 痛いところを突かれて言葉を失ってしまった私と幸帆さんに、最後にそう言い残して部屋を出ていってしまった夾竹桃さん。

 静かになったリビングで顔を見合った私と幸帆さんは、夾竹桃さんの鋭い指摘と警告にどうしたものかと思考。

 

「……あ、あとは昴を飛ばして志乃さんに手紙さえ届けられれば、私達のおせっかいも終わりですし……」

 

「そう、ですよね。最後まで注意を怠らなければ、きっと大丈夫ですよね」

 

 夾竹桃さんの警告を踏まえた上で、私と幸帆さんのやれることはもう昴に手紙を届けてもらって、資料をちゃんと隠すだけ。

 それならば大丈夫だと幸帆さんも賛同してくれて、最後までかなめさんへの警戒は怠らずに明日の作戦決行のために話し合いを再開したのでした。

 そして作戦決行の土曜日。

 朝早くから私がかなめさんの監視――キンジ先輩の部屋にかなめさんがいるため――をして、幸帆さんが志乃さんに渡す資料を隠して何事もなく登校。

 動くチャンスは生徒がバラける放課後。その時までいつも通りに過ごして、いよいよ作戦決行の放課後。

 夾竹桃さんに指摘されたこともあって、かなめさんのいる教室からは隠れるようにではなく、自然に近くの人達と一言二言交わしてから出て、入れ替わるようにして幸帆さんがかなめさんを見える位置で監視を開始。

 すぐに私も志乃さんが車に乗り込んで帰ってしまう前に人目を避けて校舎裏へと移動。

 直前に幸帆さんに渡された隠し場所を示すメモを昴の足に結びつけて準備完了。

 

「よろしく頼むね、昴」

 

 メモを託された昴は、自信満々に「任せとけ!」と翼を広げながら返してくれて、これで無事に帰ってきてくれれば作戦終了だと思いながら昴を行かせようとした時、突然私の携帯が1回の振動を知らせてから止まり、それは幸帆さんと事前に決めていた『かなめさんが移動した』ことを知らせる合図。

 3回なら『移動注意』。

 2回なら『周辺警戒』。

 そして1度なら『逃げろ』。

 これまで1度も使わなかった緊急信号に少し焦ってしまった私は、昴だけでも飛ばしてからこの場を離れようとしてすぐに昴を空へと放って退散しようとした。

 でも空へと飛び立った昴が突然現れた白い布のような飛行物体に絡め取られて拘束されてしまい私の足も止まる。な、何あれ……

 

「コソコソと周りをうろつくネズミは、結構目障りだったりするんだよねぇ」

 

 謎の白い布に驚く私に対して、明確に言葉を放たれたため、反射的に声のした校舎3階の廊下を見上げると、開けられた窓から頬杖を突きながら私を見下ろしてくるかなめさんの姿がそこにはあって、白い布は昴を絡め取ったままかなめさんの近くまで寄っていき、昴の足に結びつけていたメモに気付いたかなめさんはそれを外して内容を確認。

 幸い、隠し場所だけしか書かれていないから、どんな意味のメモかまではわからないはず。

 

「お前が何を企んでこんなことしたかは知らないけどさ、あたしにもあたしの目的があるから、その邪魔をしようってことならぁ……」

 

 メモの内容を覚えたのか、それをビリビリと破ってそのまま捨てたかなめさんは、今まで見たこともなかった冷徹な表情で私を睨んできて、

 

「ここで死んどけ」

 

 何の躊躇もなくそんな宣告をしてきた。

 当然そんな言葉に素直に従うわけにはいかないので、そんな意味の表情をしてはみたけど、怪しく笑ったかなめさんは次に白い布に絡め取られた昴を締め上げ始めて、昴の苦しむ声が私の耳にまで届いてくる。

 

「や、やめて!!」

 

「これって結構グレーな感じだからやりたくないんだけど、素直に従わない弱者にはこういう弱みで従わせるのが合理的だから。あ、協力者がいたら、まずはそいつを殺ってきてよ。そのあとお前が自殺したらこいつを解放してやる。わかってると思うけど、いま嘘を言うのは非合理的だよ?」

 

 あまりに非情な命令。大切な友達の命を天秤にかけられてしまった。

 この状況で私が取れる選択に、昴を無事に救出して、幸帆さんを殺さないということができる選択は、確実にはない。

 最も被害が出ない方法は……たぶん、1つしかない……

 ――私が今ここで自殺すること。

 そうすれば幸帆さんは助かるし、協力者がいなかったと判断したかなめさんが昴を解放してくれるかもしれない。

 だから私は覚悟を決めて自らの銃を抜いて、その銃口をこめかみへと当てて目に涙を溜めながらかなめさんを見上げる。

 

「ちゃんと……昴は解放してあげて……ください……」

 

「案外潔いな。約束してやるから、さっさと逝け」

 

 ああ……私はどうしてこんなにも上手くできないんだろう。

 京夜先輩みたいに上手に動けたら、きっとこんなことにはならなかったはずだし、夾竹桃さんにも昨日、未熟だと指摘されたばかりだったのに……

 そんな自分の未熟さが招いた結末に、ただただ悔し涙を流した私は、早くしろと目で訴えてくるかなめさんを怒らせないために、指をかけた引き金に力を加えたのだった。

 ――ごめんなさい。

 そんな誰に対して向けたのかわからない言葉を心に浮かべながら……



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Bullet69

 かなめが仲間と合流した翌日の土曜日。

 登校して早々にジャンヌに捕まったオレは、昨夜送ったメールの内容について決定事項だけを伝えられる。

 そういうのはオレも交えて決めてほしいんだが。

 

「かなめの目的が拠点設営と遠山を連れていくことなら、まずはそれを阻止する。作戦が失敗すれば上……つまりはジーサードが自ら動いてくる可能性があるからな。その間はかなめをどうにか大人しくさせ、ジーサードの介入に備える。仲間の情報についても調査を進める」

 

「……具体的にどうやって作戦を阻止するとかは?」

 

「お前がレキに頼んだというかなめの仲間の似顔絵は貰い次第ワトソンへ渡せ。リバティー・メイソンの情報力なら、軍人関係であれば調べられるかもしれん。話は以上……にゃ!?」

 

 ホームルームも近いからか、質問にも答えないような事務的な一方通行の用件に、人任せな部分がこの上なく気に食わなかったオレは話の最後にジャンヌの両頬を引っ張ってやると、何をするんだという顔をしたかと思えば、次にはオレの手を凍らせようとしたのですぐに手を放してやる。危ないなこいつ……

 

「……とにかく、かなめの目的は阻止だ。その過程にあるであろう女子達の洗脳も早急に何とかしてくれ。最悪の場合は先日のフローレンスの作戦を実行に移す」

 

「自分で無茶言ってるのがわかっててか。それこそキンジがどうにかしてくれるのを待つ方がまだ可能性あると思うぞ。阻止しろって言われてもオレには……」

 

 たぶん無理だ。

 そう言おうとしたらチャイムが鳴ってしまい、それによって好機と見たのかそそくさと教室へと逃げたジャンヌに頭を掻くしかなかった。

 仕方ないのでとりあえずは昨夜レキに頼んでいたかなめの仲間の似顔絵を貰いに行き、超上手いそれと交換で好んで食べてる携帯食とハイマキ用の魚肉ソーセージを大量に渡してからそのままワトソンにパスし、かなめの洗脳の件で何か参考になりそうなことを知ってるかもしれない先輩とコンタクトを取ることにして、最近なにかのご教授を受けたというアリア経由でその人と会えることに。

 人嫌いなその人と会うため指定された時間にSSR校舎の屋上へと赴くと、先に来ていたその人、時任ジュリア先輩は屋上の柵に手を添えたままオレのいる後ろを向いてまっすぐにオレを見てきた。

 

「少年、普段の私ならこんな面倒なことで人に会おうとしないのはわかるな? 少年には厚意を無下にした過去があるから、それを取り払う意味で今回に限って用件に応じる。以後は頼ろうとはしないでちょうだい」

 

「はい。ですので取り急いで用件だけ済ませる次第です。わがままなお願いを聞いてくださりありがとうございます」

 

 そういった前置きをした上で近くに招いた時任先輩に従ってそばまで寄り、しかし決して触れられない距離を保ったまま早速用件を伝え始める。

 

「答えらしい答えが出てこないならそれでも良いのですが、俗に言う催眠術や洗脳といったものを受けた人間を正常な状態に戻す場合、術者本人以外が干渉して戻すことは可能なんでしょうか」

 

「……なるほど。私の能力に通ずる部分があると踏んで訪ねてきたわけか。まず理解してもらいたいのは、催眠や洗脳といったものは相手の脳に干渉し情報を騙したり上書きしたりしている状態だということ。その深度と種類によるが、基本的にかかっている本人は自分が正常な状態だと信じて疑わない。たとえ疑惑が生じても、先に上書きされた情報がそれを払拭してしまうことがほとんどで、外部からの干渉はあまり効果的ではないわ」

 

 不躾な質問をしたにも関わらず丁寧に、おそらくそれ系に知識があまりないオレでもわかる言葉を用いて説明してくれた時任先輩。

 そこから察するとやはりオレがかなめの洗脳下にある女子をどうにかすることは無理っぽい。難儀だ……

 

「でも、そんな質問をするということは、現在進行形でそういった問題が起きていると察してよさそうね。それなら具体的にどういった感じかを述べなさい。その状態によってはもう少し踏み込んだ話が可能かもしれないから」

 

「そうですね……見ていた感じでは、術者を大事に思って守ろうとする傾向が強かったかと。過保護というのが近いかもしれませんね」

 

「術者本人の状態は? 過保護ならおそらく術者は女で、か弱いと思われてる前提かしらね。そこにプラスで可愛いとかのオプション付きがあるとかかる人も多そう」

 

 面倒臭いなと考えようとしたところで、現状を見透かしたような時任先輩の言葉に素直に従って答え、そこからかなめの状態までを予測。

 見てもいないのにほとんど合ってるので、正直に頷いて肯定を示すと、少しだけ沈黙した時任先輩は考えをまとめてから話を続ける。

 

「それなら外部からの干渉でもどうにかなるかもしれないけど、期待はしない方がいいわ。アクションとしては徹底した疑問の投げかけ。例えば『どうしてその人を守りたいのか』で始めたら、おそらくはか弱いからとかそんな感じの返しが来るのは予測して然り。そこからさらに『どうして自分が守ろうと思ったのか』を問うと、ちょっとしたループに入ると思うの。だいたいにして洗脳の類いは理屈を抜いて上書きするから、どこかに同じ答えへと導かれる現象が起こるのだけど、そういった同じ答えになる疑問を畳み掛けることで本人の中でループした答えに疑問を抱くようになって、一旦思考が停止する。ここで解けるか質問者を突き放すかで深度は判断できると思うけど、解けないなら諦めなさい。諦めて術者本人がそれを解くか解かせるかが最善。強引に干渉しすぎると脳へのダメージとなってしまうわ」

 

 割と一気に言われてやや戸惑うかと思ったが、時任先輩の言葉は不思議とすんなり頭に入っていき理解ができた。

 が、かなめの洗脳を受けた女子の数から考えても、そんなことを1人1人にやるのは効率が悪いし、たとえ解けたとしてもまたかからないという保証もないから、結局はかなめの意志で解かせるのが最善。

 それが確認できただけでも収穫と思おう。

 

「詳しく教えていただきありがとうございました。用件はこれで終わりですので、これで失礼させてもらいます」

 

「この程度で少年への無礼を詫びれたなら、安いものよ。どんな問題に首を突っ込んでいるかは詮索しないけど、少年なら……いえ、確証もないことを言うほど私も直感思考ではないからやめておきましょう。頑張りなさい」

 

 これ以上は何を聞けばいいかわからなかったのと、時任先輩に時間を取らせるのも悪いとあって、それで感謝を述べて頭を下げてから屋上をあとにしようとすると、頑張れという意外な言葉にちょっと戸惑ってしまったが、そう言ってくれた時任先輩がほんの少しだけ笑みを浮かべてくれたような気がして、その言葉と笑顔に背中を押されたオレは、この件を前向きに取り組んでいく気になれた。

 ――やっぱりオレって年上に弱いな……

 自らの昔から変わらない弱点を再確認してからの放課後。

 昨夜の件もあったので、近日中にでもかなめに動きがあることを予測していつもよりも少し警戒して監視をしていたオレは、しかしいつもと変わりないかなめに集中を若干削がれる。

 キンジも何故か今日は授業に出てこずに姿を見せなかったので、一緒に帰るという線も薄いな。

 それでも仲良さそうに教室で取り巻きと話をするかなめが動くのをじっと待っていたら、読唇術からだが「お手洗いに行く」と言って教室から出ていくのを確認。

 ついていくと言う取り巻きを押さえてそそくさと教室を出ていったかなめだったが、その足取りは教室から出た時点で一番近いトイレへは向かっていなくて――教室後ろの扉の方からが近いのに、前から出ていった――若干の不自然さを持っていた。

 それを見逃さなかったオレはすぐにかなめの足跡を追って、校舎の裏へと回り込む。

 すると3階廊下の窓を開けて下を見下ろしているかなめを廊下の角から発見しその様子を少し見ていると、どうやら誰かと話をしているようだったが、それが誰かはかなめの操る白い布の兵器に絡め取られて運ばれてきた昴で判明。小鳥が何で……

 話し声はちょっと聞き取れなかったが、昴が捕縛されていることと、かなめの素が出ていることから良くない状況なのはすぐにわかり、どうにかあれを止めないとと判断したオレはその場を離れて1年の教室がある廊下近くまで移動してちょっとわざとらしく「遠山かなめが3階廊下で口喧嘩してるって!?」と誰かしらの耳に入るように姿を見せないで言って、教室にいるであろうかなめの取り巻き達の耳に情報が行くようにしてから、今度は外から校舎裏へと回っていく。

 この間約2分程度だが、辿り着いた校舎の角には先客がいて、小鳥がいるはずの通りをなんとも危なっかしい覗き方をしていたので後ろから口を押さえて引っ込めさせる。

 急にそんなことをされてちょっと抵抗されはしたが、オレだとわかるとすぐに落ち着いてくれた先客、幸帆が何故ここにいるかはだいたい察しがついた。

 このタイミングでここにいるなら、小鳥と一緒に何かかなめに絡むことをしていたのだろう。

 言い訳くさいがここ最近は割と余裕もなかったからこいつらの動きに気を配れなかったのが災いした。

 間宮達の様子を聞いたのが原因かもしれないし、オレに責任の一端はありそうだ。

 それはそれとして今は小鳥だ。

 そう切り替えて幸帆に代わって通りの向こうを覗き見てみると、今まさに小鳥が自分の銃をこめかみに当てて自殺でもしようかというバッドタイミング。

 マズイな……早く来い……来てくれ……

 そんなオレの祈りが通じたのか、ついさっき動かそうとしたかなめの取り巻き達がどうやらかなめを発見したようで、窓から顔を出していたかなめがちょっと慌てた様子で一旦引っ込み、その時に白い布の兵器のコントロールを緩めたのか、昴が脱出。

 それと同時に下でも動きがあり、手に持つ拳銃をわずかに下げたところで1階廊下の窓から羽鳥がバッと外へと出てきて小鳥を引っ張り投げ入れるようにして1階廊下へと放り場所を瞬時に入れ替わる。

 それが完了したのと同時に3階窓からかなめの取り巻き達が顔を出して下を覗き見てきたところで、あたかもそこにずっといたような振る舞いをした羽鳥。

 

「ふふっ、どうやら耳の早いお友達が到着してしまったようだね。だが安心してくれ。別にかなめちゃんと喧嘩していたわけではないよ。ただ米国の英語は我が祖国の母国語であるから、そちらがいま世界一の国であろうとそれは揺るがないということを話していただけさ。漢字にしても分かりやすく『英国』と書くのだからね」

 

 そこから突然してもいない喧嘩の話を取り巻き達に説明した羽鳥に、かなめもその場は口裏を合わせることしかできずそのまま退散。

 白い布もどこかへと行ってしまって、完全に安全だと判断したらしい羽鳥が小鳥を校舎から引っ張り出したところで、オレと幸帆もそこに合流。

 

「かなめのお友達を呼んだのは君か。ずいぶん早い対応だったようだが?」

 

「一刻を争うと思ったからな。オレが出ていくよりも、お友達の前では良い顔をしなきゃいけないかなめなら止まるだろうと踏んでやったんだ。お前はいつからあそこにいた?」

 

「君とあまり変わらないタイミングだと思うよ。かなめが誰かと話す姿を確認してからまっすぐ向かったから、隠れ潜んでからどうするかちょっと考えていたんだけど、珍しくファインプレーをしてくれた」

 

 合流して早々、そんな会話を最初にして、別に示し合わせたわけじゃないにしても結果として小鳥救出に成功したことをとりあえずは良しとし、次に小鳥と幸帆を並んで正座させて腰に手を当て正面に立ったオレは、しゅんとした2人に対して言葉をかける。

 

「……何をしていたかは聞かない。お前らもお前らで考えて動いていたんだろうし、戦妹と妹みたいな子の動きに気付けなかったオレにも責任はある。だが、相手との力量も計れないお前らが取った行動は少々どころじゃないくらい軽率だった。実際にいま死にかけてたんだからな。今回はオレと羽鳥がたまたまいたから難を逃れたが、次にまたこんなことがあっても助けてやれないかもしれない」

 

「…………すみません、でした……」

 

「申し訳ありませんでした、京様……」

 

 小鳥と幸帆が自分で考えて動いたことに対して、オレは怒りはしなかった。

 何故なら後輩とはいえこの2人も立派な武偵の卵なのだから、それができなきゃ武偵としてはポンコツになりかねない。

 だが、自分の実力でどうこうできるかを判断できなかったことにはちゃんと怒っておくと、実際に死んでいたかもしれない現実を突きつけられた2人は素直にオレに謝罪。

 今にも泣きそうな2人にこれ以上の言葉は必要ないと判断したオレは、そこで1つ息を吐いてからしゃがんで2人と視線を合わせると、そっと頭を抱き寄せて口を開く。

 

「2人が無事で良かった。助けられて本当に良かった」

 

「京夜、先輩……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

「京様……うっ……うぇっ……」

 

 それからしばらく泣き続けた2人を、なだめるようにして頭を優しく撫で続けたオレは、かなめの追撃を警戒して今夜は幸帆を部屋に泊めて監視を続けた。

 小鳥と幸帆が眠ったと羽鳥からの報告を受けた夜の10時頃。

 寮の屋上でいつもよりも少しだけ長くかなめの動向を監視していたオレは、今夜は何もなさそうだと思って撤収しようとしたのだが、そこにタイミングでも合わせたように夾竹桃から電話が来て、まだ契約期間が切れてないこともありすぐにそれに応じる。

 

「火野と麒麟の件は解決したか?」

 

『そっちはもう大丈夫よ。たぶんだけど、佐々木志乃と乾桜の方もね』

 

 開口一番でオレが気になっていたことを尋ねると、抑揚のない声で報告するように返答した夾竹桃。

 オレも協力した身としては解決したなら良かったし、桜ちゃんの方も解決したというのはさらに良い報告だ。

 

「んで、用件は?」

 

『遠山かなめが動いたわ。間宮あかり宛てに果たし状が届いたみたいね。直接手を下すことをしてこなかったのに、急に実力行使になったのが気になるけど、あの子達では遠山かなめには敵わないわ。だから私が先行して遠山かなめにぶつかってみるけど、敗北した時はあなたがなんとかして』

 

 それでこんな夜中に来た用件を尋ねてみれば、どうやらかなめがキンジとの約束を破って間宮達に実力行使をしてきたらしく、実力では敵わない間宮達より先にぶつかるから、どうにかできなかったら後はよろしくってことで連絡してきたようだ。

 情報には感謝するが、オレ1人にどうこうできるならこんなコソコソやってないわけで……

 と無茶振りに対して抗議しようとしたら、時間と場所だけ告げた夾竹桃はそのまま通話を切ってしまい、再度繋ごうとしてももう電源を落としたのか繋がらなかった。

 ったく、これなら漫画のアシスタントをやらされる方が万倍は楽だぞ……

 夾竹桃の無茶振りはともかくとしても、かなめの行動に変化があったということは、放課後の小鳥に仕掛けてきた後から先ほどまでに何かが起きた可能性は高い。

 その間に寮から出てはいないから、キンジとの間で何かあったと考えるべきか。

 得られた情報から予測するなら、キンジを連れていくことに失敗したとかその辺が濃いな。

 そんな予測をしつつ1度部屋へと戻ったオレは、告げられた決闘の場所が羽田空港の滑走路ということもあって、移動する足が欲しかったので仕方なく羽鳥に車を出してもらおうとすると、意外にもグダクダと文句も言わずに了承した羽鳥はさっさと仕度を整えて出発。

 

「…………何か企んでるのか?」

 

 妙に大人しい羽鳥が気持ち悪かったので、羽田へ向かう途中でそんな質問をぶつけてみる。

 それに対して特にリアクションを示すこともなく運転し続けた羽鳥は、赤信号で止まってからそれに答える。

 

「別に、何も企んではいないさ。かなめの問題は私達師団が優先すべき案件。それに協力しない理由を考える方が面倒だと思うけど」

 

「違う。今回はかなめをどうこうできる状況じゃないのはわかってるだろ。問題解決という点ではオレ達が行ったところで何も進展しない可能性の方が高い。それなのに同行してきた理由は何だって聞いてる」

 

「ふーん。君もなかなかに注意深くなってきたのかな。私に対する疑念がヒシヒシと伝わってきて非常に不快だよ。だが考え方を変えると、私のことを理解してきているということにもなる。その点では少し……いや、やっぱり不快だ」

 

 ははっ、と真剣なオレに対して状況を楽しんでる風な羽鳥にムカッとくるが、青信号で車を発進させてからは見せた笑顔を消して真面目な顔をして口を開く。

 

「HSS。遠山の血にはそんな特異体質が備わってるというのは知ってるかな。その遠山の妹と名乗ったかなめが、もしも『本当に遠山キンジの妹』だったとしたら、そのHSSを持っていても不思議ではない、とは考えられないかい?」

 

 そこから急にキンジの特異体質について話したかと思えば、次にそれならかなめもそうなのではという可能性の話をしてきた羽鳥の話にちょっと驚く。

 

「『双極兄妹(アルカナム・デュオ)』。サードが口にしていたんだが、それが可能なら、かなめと遠山キンジは最強の兄妹になり得るらしいが、私はその肝心のHSSがどんな体質なのかを知らない。知っているのは発現すれば超人的な能力にまであらゆる面で向上することだけ」

 

 アルカナム・デュオ。

 HSSは性的な興奮をトリガーにして発現することは幸姉からも聞いたし何度も見てわかっている。

 だがそこにこそ目的があったことにいま気付いた。

 つまりジーサードのキンジを連れていくというミッションは、『キンジとかなめで互いにHSSになって強くなる』ことがその最大の目的だったわけだ。

 仮に本当にかなめがキンジの妹なら、性的興奮がトリガーな時点で倫理的な問題があるが、アメリカは目的優先思考の一面もあるからあちらにとっては大したことではないのだろう。

 それならかなめがあんなにもキンジに好意的なのも納得がいくし、他の女。アリア達を必要以上に遠ざけたのも自分だけを見ろという意思表示だったと思えてくる。

 

「しかしだ。放課後の時点で変わりなかったかなめが、ここにきて自棄になったような行動を取ったことで、私の中である結論に至ったわけだ。前提はあるものの、遠山かなめは遠山キンジと『双極兄妹にはなれなかった』。つまりはミッション失敗。アメリカはその辺で厳しいから、強くなれなかった役立たずと判断されて必要とされなくなる。だから遠山キンジとの約束もどうでも良くなったんじゃないかってね」

 

 その上で今回のかなめの行動に予測をつけた羽鳥は、そこまでに何かあるかいと続けたが、気持ち悪いくらい筋の通った話にちょっと引いてやると、珍しく眉をヒクつかせてイラッとした雰囲気を出してきた。

 

「だからこそ、今なら遠山かなめをこちらに引き込めるかもしれないと思ったんだよ。闘争による解決ではなく、話し合いによる解決でね。君には無理だろうけど、私にはそれができると確信がある」

 

「ほう。つまりオレは部屋で情報をやった瞬間にもうお役御免だったって言いたいわけだな。大かた羽田に着いたら睡眠薬か何かで眠らせてるうちに終わらせる算段だったんだろ。沈黙してたのは余計な探りを入れられる可能性を下げてだな?」

 

「はっはっはっ。推測通り、君にはこの車でバカみたいに寝息を立ててもらうはずだったのに、気付くのが早かったよ。というわけで無能な君は出張る必要がないから大人しくしててくれ」

 

「世の中お前の思い通りにばかり事が進むと思うなよ。気付いた以上は死んでも黙ってやるかボケ」

 

 こいつの推測には少々驚かされたが、結局いつもの調子のこいつが心底気に食わなかったので、絶対寝てやるもんかと心に誓って、緊張感のなくなった車内で算段のない自分がどうするかを考え始めたのだった。

 どうすっかな……



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Bullet70

 夾竹桃からの情報を得てかなめが間宮達と決闘をするという羽田空港まで羽鳥と一緒にやって来たわけだが、決闘の時刻は深夜0時。

 到着したのが11時とあってまだ余裕があったので、先に来ているだろう夾竹桃と会っておくかと車を出ようとしたが、羽鳥にガシッと肩を掴まれて止められる。

 

「待ちたまえ。今のうちにやっておくことがあるんだよ。どこかへ行くならそれを手伝ってから行きたまえ」

 

「オレは必要なかったんだろ? だったらお前1人でやれ……って言いたいが、ここまで連れてきてもらってるしな……無茶なことじゃないならやってやるよ」

 

 かなめの説得が目的だから、てっきり時間になったら勝手に出ていくものだとばかり思ってたが、その前に何か仕込むらしく、連れてきてもらった手前で拒否もできなかったからまた助手席に座り直すと、羽鳥は車をゆっくりと発進させて滑走路の見える位置にまで移動。

 そこで車を停めてエンジンを切った羽鳥は、続けて後ろのトランクを開けてオレに中の物をひと通り出せと指示し、本人は後部座席にあった物をせっせと車内でカチャカチャやり始める。

 出したのはパソコンと発電バッテリーと何かとを繋ぐ配線類。トランクから出てきたのは組立式のちょっと大きめのアンテナ。

 それを説明書もなしに1分とかけずに組み上げて車の上にセッティングした羽鳥は、そのアンテナと配線でパソコンとバッテリーとを繋ぎ、ヘッドホンを用意してから骨伝導タイプの小型インカムをオレへと放り、付けるように指示。

 

「取り急いで決闘場所であるF滑走路まで、なるべく隠密でここから近づけるルートを探してきてくれ。着いたらインカムを通してそれを伝えて、ついでに集音機の調整をするから、それが終わったら好きにしたまえ。インカムは一応パソコンの音声解析で拾った音も流すから、使用するかは自由だけど、ちゃんと返してくれよ。インカムもタダじゃないんだからね」

 

 それで言うだけ言って手でオレを追い払った羽鳥は、バッテリーを動かしてアンテナの調子を確かめ始めてしまい、人を顎で使うこいつに腹は立ったが事が終わるまでここに戻ってこなくていいならと自分に言い聞かせて指示通りにF滑走路までの道を探りながらその役目を完了。

 終わったら終わったでオレがインカムを使ってない体なのかぱったりと声が途絶えたインカムだったが、折角使えるなら使わせてもらうとして夾竹桃の捜索を始める。

 時間は到着からすでに30分経ったか。

 かなめが時間ギリギリに来る可能性もあるが、自分から呼んでおいて後から来るようなことはしなさそうなかなめなら、もう夾竹桃とぶつかっていてもおかしくはない。

 そう考えてとりあえず空港内へと足を踏み入れたオレだったが、入って早々に警戒していたら眠らされている警備員1人を発見。

 慎重に近寄って具合を診たが、呼吸も穏やかで外傷もないことから薬品で眠らされていると判断。

 他にも探せば何人も同じように眠っているので、こういった手間な考慮をかなめがするとは思えないし、決闘の場所は滑走路。

 空港内はあまり関係ないから、やったのは十中八九で夾竹桃だ。

 騒ぎを大きくしないためだろうから、マジで暴れるつもりらし……

 ――バババババババババババッ!!

 ……いな。

 と、次に毒手使いの夾竹桃がどんな派手なことをするのかと考えようとしたところで、その答えが音となって返ってきて苦笑。

 白雪も似たような物を使ってるせいであまり聞きたくないその連射音はおそらく機関銃の類いだが、かなめは先端科学の剣しか扱わないことからその音を発生させたのは夾竹桃だと判断。

 すぐに空港内に反響する連射音から場所を特定し隠れて移動する。

 機関銃の連射音が収まった頃にその発信源であるバゲージクレームまで辿り着けたはいいが、そこで見えたのは多銃身型の機関銃を銃身から切断され、無惨に床に転がされているのと、その横で力なく倒れる夾竹桃の姿。

 それを見下ろすようにして科学剣を持つかなめが白い布の兵器を2つ、自分の周りに漂わせていた。

 

「…………だから非合理的だって言ったんだよ。こうなるのは予測できただろうが」

 

 そうして物言わぬ夾竹桃に吐き捨てるように言ったかなめは、倒れる夾竹桃の襟首を掴んで持ち上げるとそのまま肩に担いで滑走路の方へと足を進めていった。

 夾竹桃のあの様子から生死の方は判別がつかなかったが、オレもこれで忍の末裔だ。

 毒にも色んな種類があるのは知ってるし、毒使いの夾竹桃なら、その中に自分を仮死状態にする毒も調合して扱ってるはず。

 殺される前に死んでしまえば殺されずに済む。

 夾竹桃の生死については生きていることを信じるしかないとして、かなめが戦闘力を発揮したことは事実で、本格的に間宮達が危ないと判断したため介入もやむなしと決断。

 かといって始めからでしゃばって場をかき乱すのもリスキーなので、勝算が低いのもわかってるのに決闘に応じた間宮達がどう対抗するかを見てから状況に応じて援護する感じでいく。

 どうしてもの時は出ていくしかないが、なんか知らんが自信ありげな羽鳥もいるしそっちもまぁ、信用してやらんでもない。

 そんな行動を決定してから空港の屋上へと足を運んで、かなめの移動した滑走路を見える最前席――すぐに現場に行けるように柵を越えて縁に座る――を確保。

 深夜なので明かりは地面から出ている誘導灯だけが頼りだが、ないならないで暗所でも目が利くように鍛えてあるから急に明かりが消えない限りはすぐに順応できる。

 それで準備万端にしてから時間を確認すると、もう0時まであと5分ほど。

 来るならそろそろだなと建物の下の方を覗いていると、すぐに1つの影が建物から出てきてまっすぐにF滑走路まで歩いていく。

 が、間宮1人か。他の仲間は……と周囲をゆっくりと見回してみたが、さすがに暗いため遠くまで目は利かず断念。

 しかしF滑走路に近付く存在が間宮だけなのは確かだ。

 でもまぁ、話で聞いただけだから未だに半信半疑だが、非公式でもあの元イ・ウーの夾竹桃を逮捕した実力、ちょっとだけ期待してるぞ。

 じゃなきゃ今こうして静観という選択肢は始めからなかったんだからな。

 時刻は深夜0時。

 結局F滑走路には間宮だけが姿を現した。

 先に待っていたかなめはそこに停めてあったトラックの上から間宮に声をかけたようで、羽鳥が用意した集音機と音声解析がしっかりとその声を捉えてインカムから鮮明に流してくる。

 遠くて状況をはっきりと認識できないから会話を拾えるのは助かる。礼は言わんが。

 

『何人連れてきてもいいって書いたけど?』

 

『そっちこそ……大好きなお兄ちゃんと一緒じゃなくていいの?』

 

 意外と強心臓なのか、間宮はかなめに対して言葉を返すようなことを言ってみせるが、それにかなめは答えない。

 ただ、集音機でも捉えられない声が雑音として入ってきたっぽいのはあって、何か言ったらしいことは察しがついた。

 

『あたしは米軍(アーミー)の施設で育った。お兄ちゃんと組んで最強の兄妹になる計画だった』

 

 その雑音の後にすくっとトラックの背に腰を下ろしていたかなめが立ち上がり科学剣も持ちさらに間宮を見下ろす。

 

『でも……それが……うまくいかなかった。だからもうヤケ。暴力も解禁。誰でもいいから八つ当たりさせてよ。こういうザコでもいいよ』

 

 言いながら足で横に寝かせていた夾竹桃をトラックから蹴り落としたかなめ。

 慌てて全身で受け止めた間宮に言い聞かせるように剣を避けて遠距離で戦った夾竹桃が愚かだったと理解させる。

 が、そこは周知だからいいとして、直前のかなめの言葉で羽鳥の推測が正しかったことが判明したのは大きい。

 アルカナム・デュオ。

 それが意味するところのキンジとかなめ双方のHSSによる強化計画。

 それが失敗したことは明らかで、何がどう失敗だったかはいくつかの推測でしかわからないが、かなめにとって計画の失敗は他がどうでもよくなるくらいに重要なものだったということだ。

 そんな状態のかなめと羽鳥がどう話し合うつもりなのかは見当もつかないが、未だ姿を見せないということはタイミングを図っているのか、はたまたかなめの状態を分析しているのか。

 などなど考えていたら、インカムからF滑走路付近を飛び立つ飛行機のうるさい音が流れてきてインカムを取りそうになるが、向こうで瞬時にボリューム調整したのか一瞬で済んだのでそのままにしていたら、その飛び立つ飛行機の翼から流星のごとく落下してトラックに立つかなめへと突っ込む1つの影があり、直前で跳躍し躱したかなめのいたトラックの背に激突。

 小規模の爆発を生んで荷台に穴を穿つ。

 それをやった人物は遠目からでは分かりにくいが、女子生徒。

 武器らしきものを持っていないので素手であれをやったことになるが、そんなことが出来る間宮の仲間はいなかったはずなので、外部協力者の類いか。

 その人物は華麗に間宮を跳び越えて着地したかなめをすぐに追撃し、それを迎撃するのに持っていた科学剣を水平に振ったかなめだったが、

 

『科学剣破れたりッ!』

 

 なんと右の肘と膝で上下を挟んで水平斬りを白羽取りして止めた女子生徒。

 あれは凄いな。オレにはできん。

 そこから不意を突くようにして小ジャンプからギュンッ、と軸回転した女子生徒だが、それがどんな意味があるかわからなかったが、かなめが怯んだところを見るに仕込み武器でもあってそれで攻撃したのだろう。

 その怯んだ隙を狙って間宮が銃を抜いてかなめを撃つが、さすがにその程度は隙という隙にはならず白い布が射撃線に立ちはだかって全弾弾いてみせた。

 

磁気推進繊盾(P・ファイバー)はあまりの扱いの難しさに不良品とされた次世代UAV。使いこなせるのは米軍でもあたしだけ』

 

 結果として大したダメージもなく2人の攻撃をしのいだかなめは、あの白い布の正式名らしき名前を言って説明しながら、これも高性能であろういつかのヴァイザーをつけていよいよやる気を見せ始める。

 

『計画通り運用できなかったあたしも……不良品。グレてやる。お前、あかりの親戚辺りか? なんとなく似てるよ、頭の悪そうなとことかさ』

 

 インカム越しからでも伝わってくるかなめのプレッシャーを感じつつ、スカートの中から新たに5つも磁気推進繊盾を出してきた様に戦慄。

 合計7つとなった磁気推進繊盾が、かなめの背中の一点から伸びるように扇状に広がって、鋭利な先端を全て間宮達に向けた。

 それを見てもまだ何か策があるのか、銃を収めた間宮が素手でかなめへと突っ込み、それに遅れて間宮の親戚らしい女子生徒が突撃。

 間宮は独特な突進から右手を目一杯突き出した攻撃で磁気推進繊盾の先端とぶつかるが、これといった変化は起こらなくすぐにその右手を磁気推進繊盾に絡め取られて後ろへと投げ飛ばされてしまい、その間宮を受け止めて飛行機に乗り込む際に使うタラップに激突してしまった女子生徒。

 間宮は無事のようだが、女子生徒の方は遠目には動きがないので気を失った可能性がある。

 そんな2人に対して磁気推進繊盾を独立させて先端を間宮達へ向け、自らも科学剣を両手持ちで右腕を引き絞り切っ先を間宮達に向ける構えを取るかなめ。

 見ただけでそれが攻撃特化の構えなのはわかるが、これはマズそうだな……

 

『謎の転校生は、学校中に友達を作り強固な軍事基盤を築きました。友達になれなかった主人公ちゃんは、ケンカの末に命を落としました――』

 

 かなめもこれで終わると判断したのか、そういう筋書きで間宮が死ぬんだと言い放つが、このままだと本当にその通りになりそうだ。

 そう思って屋上の縁から立ち上がってミズチを用意したのだが、その間に立ち上がった間宮が周囲の誘導灯を撃って明かりを消してしまい、直前で気付いて目を閉じて暗所用に視界を切り替えられたが、やはりちょっと見えにくくなってしまう。

 なので先程よりも集中して動きを観察していると、銃を収めた間宮がどこにも繋がってないタラップを最上段付近まで登って着けていた頭のリボンを外してしまう。この状況でまだ何かあるのか?

 

『かなめちゃん。かなめちゃんは友達の意味を間違えて覚えてる。どこかで悪い大人が嘘を教えたんだと思う。1つ約束して。この戦い、もしあたしが勝ったら……やりなおそう。転入してきたかなめちゃんは、みんなと本当の友達になるの。友達ってどういうものか分からなければ、まずはあたしとなろう』

 

『友達? 今こうして戦ってるのに?』

 

『うん。友達って、ぶつかり合う事もあるものだから』

 

 あまり信じられないが、話を聞く限りでは間宮はまだ勝つ気でいる。

 そして勝ったら本当の友達になろうと。

 そんな間宮の馬鹿みたいな言葉にどうせ勝てないからと承諾したかなめ。

 それを聞いてから間宮は『イ』の字になるように腕を緩く広げてみせてから、目を疑う現象を起こし始めた。

 光ってるのだ。

 比喩とかそういうのではなく、明らかに間宮の体から発光現象が起きている。

 どんな原理かはわからないが、超能力者ではなかったはずの間宮がそんなことをしたのでかなめも仕掛けるタイミングを逃してその動向を警戒するようになると、発光する間宮に向けてバッ、バッ、バッ、バッ。範囲を絞った巨大照明が空港の屋上などから4つ伸びて間宮を照らすと、照明を受けた間宮は淡い発光から強い発光へと変化し近くをまるごと照らすほどに。

 その光で暗視機能でもついていたヴァイザーが仇になったのか乱暴に外したかなめは、磁気推進繊盾を前で重ねて光を遮って再び科学剣を構えて今度は何かされる前に仕留めるように前傾姿勢へと変化。

 間宮が何をする気かは未だわからないが、かなめの注意くらいは一瞬でも散漫にするべきと判断してクナイを3本取り出して、光源でハッキリと距離も割り出せたので風向きも計算に入れてクナイを投擲。

 どこから投げたかわからせないためにほぼ真上から落下するような軌道でかなめの近くに落ちるクナイは、ザッ、と踏み込もうとしたかなめの手前に1つ。磁気推進繊盾に2つが命中。

 もちろんダメージなど皆無だが、突然の攻撃に踏み込んでいた足を元に戻してキョロキョロと周囲に目を向けたかなめ。

 その間に気絶していたと思っていた女子生徒がタラップの最上段で間宮の後ろに立って「これだけで終わるワケないだろっ」とかなめに言い放つと、引き絞った左手を間宮の背中へと撃ち込む。

 

(おおとり)は大将首を取るために編み出された――友情のツープラトン技だッ!』

 

 掌打を撃ち込まれた間宮は、纏っていた光を胸元へと収束させたのと同時に、着ていた制服が何かの力でバラバラに引き裂かれて下着姿になるが、収束した光は弾丸のようにかなめ発射されて直進。

 それを磁気推進繊盾を3重にしてガード。さらに科学剣も前に突き出したかなめだったが、それを嘲笑うようにすり抜けた光の攻撃はかなめの周りでバチンッ! と弾けて炸裂し制服を破壊。

 どれほどのダメージだったかは全くわからないが、間宮と同様に下着姿になったかなめはその場で倒れてしまい、光を放った間宮も気を失って女子生徒が抱き止めてお姫様だっこで運び、気を失ったかなめを倒したと判断してそれ以上なにもせずにその場を離れていった。

 

「…………終わったみたいだぞ」

 

 正直よくわからないことの連続で理解が追い付いていないが、結果としてかなめが倒されたことは確かなので、インカムを通して羽鳥にそう報告してやる。

 すると少しの沈黙の後にインカムから反応が。

 

『そのようだね。さすがアリアの戦妹といったところかな』

 

「一応、放置はできないから寄ってみるが、お前はどうする?」

 

『君があられもない姿のかなめに何かしないか心配だから私も行くよ』

 

 ……こいつ、ちゃんと見てんじゃねーかよ。

 てっきり音声のみで状況を探ってると思ってたが、無駄な報告したな。

 そう思いつつミズチを使って屋上から一気に降りてかなめが倒れるF滑走路まで歩いて近付いたオレは、磁気推進繊盾が自動かはわからないがかなめを守り続けるのを横目においてけぼりを食らった夾竹桃の具合をまずは確認しようとする。

 仮に仮死状態だったとしても、そのままでいられる時間には限りがあるし、それを過ぎれば本当に死ぬ。

 だから刺激が必要ならと思ったのだが、オレが触れる前に急にパチリと目を開けてすくっと上体を起こした夾竹桃は、まだ働ききってない頭で状況を整理し、

 

「あら、寝ていた私に何ヤラしいことをしようとしていたの? 本当に変態だったのね。それとも下衆とでも言うのかしら」

 

 第一声がこれである。無事ならいいんだよクソが。

 この言葉に何を返しても流されるかさらに弄られるかしかないのでスルーしておき、次に気絶するかなめの方を見るが、依然として磁気推進繊盾が展開され続けるのにちょっと違和感を覚える。

 これってかなめが操ってたから『自動では動かない』よな。

 

「どこから横槍が入ったかと思えば、お前かよ」

 

 その疑問に答えるようにいきなりオレに対して言葉を発したかなめは、磁気推進繊盾を下ろしてなんて事もないというように起き上がると、偉そうに腕を組んでオレを睨んでくる。

 

「仲間は何人連れてきてもいいんだろ? だったらセーフだろ」

 

 そんな高圧的な態度のかなめに戦う意思はないと見せつつ、下着姿で対峙されても困るので上着を投げて貸してやると、めちゃくちゃ不満そうな顔をしながら汚いものでも触るような手付きで仕方ないといった感じで上着を着たかなめは、

 

「お兄ちゃん以外の男の匂いとか不潔ぅ」

 

 そんな文句を垂れるが、下着姿のままは少し嫌だったのか、ちょっとだけ感謝する表情をオレに見せて、またすぐに仏頂面に戻る。

 

「その様子だとダメージはないみたいだが、『勝たなかった』理由は?」

 

「……お前には関係ないだろ。おせっかいとかうざいんだよ」

 

 それで気絶したフリをしていたかなめに、どうしてそんなことをして勝ちを譲ったのかと問えば、これは返答なし。

 言われて気付いたが、なんだかオレがおせっかいなおじさんキャラっぽくて嫌だな……

 

「勝ちを譲ったということは、かなめがあかりちゃんと友達になってみたい。そう思ったからに決まってるだろ。そこのおじさんは頭が悪くて仕方ないね」

 

 そう思った途端に、心底イラつく笑いと一緒に姿を現した羽鳥におじさん呼ばわりされて思わず先ほど投げて落ちていたクナイを拾って投げたら、いとも簡単に持ち手の部分でキャッチして投げ返してきやがったので、舌打ちして同様にキャッチし懐に戻す。

 さりげなくこういうこともできるのがさらにムカつくな。

 そのムカつく羽鳥は、図星を突かれて微妙な表情をしたかなめに1ダース箱入りのミルクキャラメルを放って渡すと、それをキャッチしたかなめはムスッとしながらそこから1つ取り出して口に放り込み口を閉ざしてしまった。

 

「ともかく、この件はかなめがあかりちゃんに敗北して一応の解決だ。負けた以上、かなめはあかりちゃんと友達にならないといけないし、女子生徒にかけた洗脳も本当の友達になる上では必要ないから解く。夾竹桃、君は君で目的があったようだが、それで納得してくれるかな?」

 

「ええ。かなめが金輪際あかり達に何もしないならね。ただ、あなたに場を仕切られてしまったことは不満。これ以上話すこともないし、先に帰らせてもらうわ」

 

 誰も口を開かないのを良いことに場を仕切って収拾し始めた羽鳥は、簡潔にまとめてこれにてお開きみたいな流れにし、夾竹桃も羽鳥が嫌いなのかさっさと退散。

 残ったオレとかなめももう面倒臭いみたいな顔をしてから撤収の流れに乗って、そのまま羽鳥の車で学園島の男子寮へと戻ったのだった。

 まぁ、何はともあれ事が大きくならなくて良かった、のか?



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Bullet71

 

 かなめと間宮達の決闘が終わってからまっすぐに男子寮へと帰ってきたオレは、ちゃんとキンジの部屋に戻ったかなめを見届けてから部屋に戻ってそのまま就寝。

 なんだかんだで気を張りっぱなしの1日だったこともあってすぐに寝つけたが、やはり染み付いた習慣には逆らえずいつも通りの時間に目が覚めて、ここ最近何かと奮闘していたらしく疲れていたのか小鳥も幸帆もまだ寝ていたので、たまには朝食くらい作ってやるかと静かに寝室を出てからズボンとYシャツだけ着てキッチンに向かおうとしたが、昇りきってない朝日の照らすベランダの景色に妙にカモメが飛んでいたので、ベランダに出て周りを見てみるが、何もない、よな。

 

「昨日の今日で早起きって、ジジ臭いね」

 

 そう思って引っ込もうとしたら、いきなり下の階のベランダから声がしてビクッとしてしまうが、失礼な言葉と声からしてかなめだ。

 気を抜いてたのもあるが、覇気みたいなものを出さないかなめは初めてだったから気付けなかったな。

 

「ジジ臭いはやめろ。日本には『早起きは三文の得』って諺があるくらい良いもんなんだからな」

 

 驚きはしたが、かなめから声をかけてきたことにもの珍しさがあったのでベランダに腰かけて少しだけ会話を試みてみることにしてその返事を待ってみる。

 

「それは知ってる。アメリカにも同じような諺があるしね」

 

「そうなのか。で、ひと晩置いて気持ちの整理はついたのか?」

 

「…………落ち着きはしたよ。でも、それでもあたしの運命は変わらない。兵器としての価値を見出だせなかったあたしは、サードにとってもアメリカにとっても『不良品』だから、きっと近くに破棄される」

 

 昨夜はもうどうでもいいと自棄になってたかなめからすれば、今はずいぶん良い状態にあるが、それでも自分が抱える問題が解決したわけではないことを再確認したようで気持ち的には落ち込んでいるみたいだな。

 

「誰にも必要とされない。役立たずは居場所がないってか。じゃあ今、かなめは迷子の迷子の子猫ちゃん状態なわけだ」

 

「笑いたいなら笑えばいいだろ。自分の居場所があるやつにあたしの気持ちなんてわかるわけないんだから」

 

「……わかるよ。必要とされないことの辛さや痛みも、居場所を失う悲しみも。オレも昔、同じように自分を否定されたことがあるからな」

 

 そんなかなめの今が、東京に来る前のオレとどこか被って、思わず共感するようなことを言ってしまったが、その反応が意外だったのか、かなめは「なんだよそれ」と言ったきり黙ってしまうので、続けろということなのか?

 

「ん、あんまり偉そうに言うのも変だけど、そういうことを体験した人生の先輩からの言葉だ。自分の居場所なんてのはさ、いくらでもあると思うんだよ。大切なのは自分がそこにいるために、その居場所を守るために、精一杯のことをやれるかどうか。それができないなら、そこは自分にとってその程度だったってだけ。そこにいなきゃとか使命感に駆られるのは、そこしか居場所がないと狭い視野で見て思うから。だからもっと視野を広くしてみろよ。お前は誰かに言われないとその目をどこかに向けることもできないわけじゃないだろ」

 

 かなめの心に響くとかはどうでもいい。

 だが今のかなめを見て、幸姉がいなくなった当時、オレを心配し励ましてくれた月華美迅の皆さんがどんな気持ちでオレに前を向かせようとしてくれたのか、なんとなくわかった気がした。

 きっとこんな風に、何かに気付いてくれと願いを込めて、たくさんの言葉をかけてくれたのだろう。

 

「あとこれはオレのさらに人生の先輩のありがたい言葉な。かなめは自分を不良品って言ったけど……まぁ、かなめにとっての意味は兵器としての不良品ってことだろうけど、人間ってのはみんな等しく『欠陥品』なんだと。その欠陥品が互いの欠陥を埋め合ってようやく機能するのが人間なんだってさ。つまりかなめは誰かいないとちゃんと機能できなくて、逆にかなめがいないと機能しないやつもこの世の中にはいるってことだ」

 

「…………そんなやつ、いるわけないじゃん……」

 

「そうか? オレはいると思うぞ。お前がお兄ちゃんと慕うやつは、これで実は面倒見が良くて優しいやつでな。可愛い妹のお前がいなくなると意外と機能不全を起こす。これは確実だ」

 

 それでこれ以上は本当にジジ臭いお説教みたいになりそうなので、昔に眞弓さんが言っていたありがたい言葉を聞かせてやって、返ってきた言葉にさらに返してやってから立ち上がってちょっとだけ下のベランダを覗くと、ベランダに止まったカモメと「お兄ちゃんが……」とか呟いてるかなめの姿を確認。

 

「だからかなめがキンジのそばにこれからもいたいって本気で思うなら、自分じゃどうにもできないって思うなら、もっとキンジを信じて頼れ。お前のお兄ちゃんはきっとお前を守ってくれる」

 

 で、結局最後はキンジに丸投げしてる辺り他人任せだが、オレも丸投げした手前、頼られたら何かしてやらんでもない。死なない程度ならな。

 それで話を終えて朝食の準備にとりかかろうとリビングに引っ込むタイミングで、急にかなめからストップがかけられて何かと思えば、下からニュッと現れた磁気推進繊盾が昨夜貸していたオレの制服の上着を引っ掛けて運んできたので受け取ると、スルスルとまた下へと戻っていった。

 

「ちゃんと洗うか消臭しろよ。あとであたしの匂いで興奮したりとかされてもキモいから」

 

「何でここ最近オレは変態みたいな扱いが多いのか……ちゃんと消臭するから安心しろ」

 

 そうしてわずかにだが明るい感じになったかなめの言葉に落ち込みつつリビングに引っ込むと、上着の胸ポケットに紙切れが入っていたのでそれを取ってみると、殴り書きの「ありがとう」が書かれていて、ついつい笑ってしまうのだった。

 その後しばらくして朝食もだいたい出来上がってきた頃に、いつも日曜は昼頃まで寝ているのに、珍しく早起きしてきた羽鳥が姿を現してダイニングテーブルに着くので、朝からつまらなそうな顔をする羽鳥に仕方なくご飯を出しつつ話しかける。

 

「なんだよ。昨夜は自分が説得したかったみたいな顔しやがって」

 

「そんな顔はしていない。ただ、あかりちゃん達に私のカッコ良い登場シーンを見せるチャンスがなかったのが残念なんだよ」

 

「そりゃ良かった。お前のキザな登場シーンを見なくて済んでな。それに今のかなめの説得もキンジがなんとかしてくれそうな感じがするし、お前の最終手段も……」

 

 使わずに済みそうだ。

 と続けようとしたオレだったが、それより前にオレの耳が昨夜も聞いたあの無視できない連射音を捉えて言葉を途切れさせる。

 音の発信源は下の階。誰がやったかはもう特定。

 

「私の最終手段も、何だい?」

 

「…………使うことになるのか……」

 

 その音のせいで平和的に終わりそうだった件が、また面倒臭いことになることを理解させられてうなだれるのだった。

 かなめの問題が一段落したと思った日曜日の朝からもう2日。

 火曜日となった今日は気持ちの整理がついたかなめが登校し、まずは女子生徒にかけた洗脳を解き、昼休みには屋上で間宮と友達になって握手したのを影から見届けて本当に間宮の件が解決したのを確認。

 それでかなめの徹底監視は必要なさそうと判断してオレも久々に自由な時間を作れたのだが、それをことごとく奪ってくるのがここ最近のオレの不運。

 その不運で呼び出されたSSRの白雪の自室には、すでにアリア、白雪、理子、レキ、ジャンヌ、羽鳥と揃い踏み。集まってるメンバーがもう嫌だ。

 

「もうオレの仕事は終わったろ。それにオレは穏健派だっての。これ以上巻き込むな」

 

「これで終わらせるつもりなんだから最後まで付き合いなさい。それともあんたもかなめに情でも沸いたのかしら?」

 

 呼び出された時は一方的に言われて通話を切られ文句も言えなかったので、とりあえずこの囲いに入る前に自分の意思を主張しておくが、なんともな感じでアリアが返してくる。

 正直もうかなめに何か仕掛けるのは無意味に感じてるだけなのだが、後々のことを考えてここでそれを言うと面倒なだけと思って、渋々その囲いに入って隣を空けてきた理子を無視してレキと白雪の間に腰を下ろす。

 

「……んで、白雪の宣戦布告は一昨日の朝に嫌な音で理解したが、まさか全員で囲んでかなめをボコるとかはないよな」

 

 仕方ないのでここに呼ばれた本題に入り、日曜日の朝に白雪が機銃掃射をしてかなめに宣戦布告したことを察して、その具体的な仕返し方法について問う。

 

「放課後にキンちゃんが話し合いの場を設けてくれたから、そこでかなめにも伝えるけど、決闘の方法は『ランバージャック』です」

 

「……羽鳥、お前が後押ししたな?」

 

「さて、なんのことかな?」

 

 その答えとして返ってきたのがランバージャックとあって、この決闘方法に納得がいくように仕向けていそうな羽鳥に顔を向けるもはぐらかされる。

 これはしっかり提案してるな。間違いない。

 

「…………代表と幇助者(カメラート)は?」

 

「代表は白雪。幇助者は私だ」

 

「勝算あっての采配ならオレは何も言わん。ランバージャックにも参加する。それでお前らが納得するならもう行くぞ。というか決定事項述べるだけの集会にオレを呼ぶな」

 

「キョーやんが来るのが遅いからだよぉ。決まったのだって10分前くらいだし」

 

 その時間がオレを呼び出したくらいの時間なんだが、遅いも糞もあるのかコラ。

 そんな風に理子を睨んでやると、わざとらしくえんえん泣くので軽くスルーして「確かにそうね」とかなんとか言い出しやがったアリアにも同様の視線を送ってやってから、決闘に出る白雪・ジャンヌの超能力者ペアが何やら打ち合わせをしてるのを見つつ決闘の時間と場所だけ聞いて物騒な集会から抜けたのだった。

 ランバージャック。

 ルールとしてはいたってシンプルであるが、袋叩きも辞さないみたいな雰囲気だったアリア達がこれに納得して採用した理由がオレにも理解はできてしまう。

 まず決闘者を囲むリングを他の武偵が点々と円を描くように作って、その逃げ場のないリングで戦い片方が敗北を認めるか動けなくなったら終了。

 これだけなのだが、問題はリングの方。リング役は基本、リングから出ようとする決闘者を中に押し戻す役目があるが、その際は決闘者への攻撃あり。

 しかも決闘者に対して中立でなくてもいいというバカみたいなルールがある。

 だからかなめがリング外に出ようとすれば、リングになるだろうアリア達でも容赦なくかなめを攻撃できて、逆に白雪が出ようとしたら軽く押し返すだけでもオッケー。人望がものを言う決闘方法だということだ。

 そういう乱暴な部分があるランバージャックだから、ちょっとした救済措置としてあるのが、ジャンヌの務める幇助者。

 幇助者は『1手だけ手助けできる助太刀』で、決闘の膠着状態に介入したり、勝敗が明らかになって過剰攻撃するのを止めて降参したりするための役目を持つが、始まってみるといてもいなくてもいい感じになることが大抵。

 今回に限ってはアリア達が何か企んでるのでジャンヌの出てくるタイミングが肝かもしれない。

 そしてこのランバージャックへと導いたのはおそらく羽鳥。

 当初の予定としてかなめ屈服のための手段としてアリア達を使おうと言っていた羽鳥は、あの会議の時からこうなることを予測してた節がある。

 よくよく考えればアリア達が止まるわけもないから、オレがかなめの洗脳とかその辺が終わったと報告したら仕掛けていた可能性もあるし、時間の問題だったのだが、それはまぁ気付いてないことにしよう。

 そうして迎えた翌日の夜。

 元から依頼の予定があるからランバージャックは不参加とか言い出した羽鳥に出かける直前に「くそったれ」の一言を残してから決闘場所の第2グラウンドに行ってみると、そこではもうアリア達とかなめが顔をつき合わせて今にもドンパチやりそうな雰囲気を醸し出していた。

 レキの姿は見えないが、どこかでもうリング役としてスタンバイしてるはず。

 

「猿飛……お前も参加するのかよ……」

 

 バチバチやってるアリア達に近付きつつ、そっといびつに形成されてるリングの円――円というか人数が少ないから三角形でよく見たら近くにハイマキも隠れてた――に加わったオレに、かなめのそばにいたキンジが勘弁してくれというような顔で声をかけてきたが、オレもこんなこと早く終わってほしいんだよ。

 

「安心しろ。オレは参加を強制されただけだ。立場としては中立でいてやる」

 

「あー! やっぱりキョーやんもかなめぇに肩入れするんだー。こうなったら理子りんもヤンデレ化しちゃうもんねー! ぷんぷんがおー!」

 

 気苦労多そうなキンジに参加してるだけだと告げてやって、味方でも敵でもないと示してみたら、ヒルダ戦の時の散弾銃を持った理子がウザい絡み方をしてきて何故か不機嫌モードに突入。

 中立だって言ってんだろバカなのかあいつは。しかもかなめぇとかまた微妙なあだ名付けおって。

 そんな理子にため息を吐いていたら、かなめが足で直径10メートルくらいの円を描いてここから出たら負けでいいと自ら宣言したりしたので、それならリング関係ないし帰ろうと思ったが、こんな場所に1人にするなとキンジに目で訴えられたので仕方なく結末くらいは見届けてやることにする。早く始めて終わってくれ。

 とにかくこの場に来るべき人間が全員来て、話し合いでどうこうできないとキンジも腹を括ったのか、イジメは嫌いだみたいな感じでかなめの幇助者になると宣言してから強引にルールの確認をして、両サイドの間に相違がないことを確かめてすぐにランバージャックは開始された。

 ランバージャックは決闘者である両者が開始を決めるため、侍の立ち合いのような静けさが場を支配する。

 その中で白雪が持っていたイロカネアヤメをゆっくりと持ち上げて八相の構えを取ると、かなめもそれに合わせて先日の間宮達との決闘で見せた超攻撃姿勢で科学剣を構える。

 両者が今にも仕掛けそうな空気を醸し出し、2人の闘気のようなものが間で揺らぐ錯覚を覚えるが、そこに落ち葉が1枚ヒラリと舞った瞬間、かなめが一気に飛び出す。

 おそらく落ち葉をブラインドに接近したのだろうが、その一瞬で仕掛ける技術は流石だ。

 そんなかなめに対して守勢に回らざるを得なかった白雪は、右手をイロカネアヤメから離して横へ振るう動作をすると、目の前に両者を隔てる炎の壁が出現。

 伝わる熱気は離れていたオレでさえ熱いと感じるほどなので、接近していたかなめが体感している温度は相当なものだろう。

 その炎の壁を科学剣で貫いたかなめだが、体ごと突っ込むことはせずに左へスライド移動。

 炎の壁を薙いだ先からは同じように移動した白雪がいつかのジャンヌ戦で見せた右片手持ちの上段から、すでに業火の炎を纏ったイロカネアヤメを振るう。

 

「星伽候天流――ヒノカガビ・胡蝶!」

 

 振るわれたイロカネアヤメは、打ち下ろしと切り上げのV字ラインを描いてかなめの科学剣を炙る軌道を辿る。

 これはかなめの科学剣に触れるのは危険だと判断してのことだろうが、この時点で繰り出した技としてはちょっと違和感が。

 傍目には効果的には見えなかっ……いや、直接の攻撃ではないのか。

 などと白雪の攻撃に1人考察していたら、かなめが笑いながら白雪の胴と胸を狙った2連突きを放つとほぼ同時にバック宙で一旦距離を開くが、その動作の全てを肉眼では追えなかった――断片的な映像として捉えた――ほどの高速ながら、白雪はしっかり致命傷を避けて胴は帯の一部を、胸は左腋の衣を切られたのみに留めた。

 素直に凄いと思うが、これが決闘に賭ける白雪の本気ということか……

 とかなんとか思いつつ白雪の回避に感心するかなめが『赤熱した科学剣』を平然と持ち再び独特な構えになったことに衝撃を受ける。

 白雪の攻撃はおそらく、かなめの科学剣を高温にして持てなくしてしまうことにあったのだろうが、見るからに持ってるのも無理そうなその科学剣を持ち続けるかなめは自ら耐熱訓練も受けていたと豪語し平気だと述べる。

 しかしそれを聞いても白雪は動揺を見せることもなく、静かにイロカネアヤメを鞘に収めて姿勢を低くし居合いの構えへと移行。

 

「火焔の魔女――自分の火で、火傷しなッ!」

 

 それを見て、たとえ抜刀からの一撃が来ても科学剣で丸ごと斬り裂けると確信しているかなめは、言った後に砲弾のように飛び出して白雪へと接近するが、

 

「――かなめ、終わったね」

 

 それが失策だったとでも言うような白雪の一言が出てきて、それとほぼ同時に白雪の背後からデュランダルを構えたジャンヌが華麗に現れて白雪を飛び越え前へ。

 構えたデュランダルは刀身を青白く光らせてすぐにかなめへと振るわれる。

 

「――オルレアンの氷花――」

 

 その威力はすでに知っているが、初見のかなめも危険だと悟ったのか、突進を科学剣を地面に突き立てて強引に止めて直撃を避けると、放たれた極低温の冷気は一瞬にして周囲を凍てつかせ、地面に刺さった科学剣もパキパキとその刀身を凍らされていき、地面と縫い付けられるのを嫌ったかなめは突き立てた科学剣を握ったままその上で逆立ちするという曲芸のような避け方でオルレアンの氷花を回避。

 元々白雪によって赤熱化していたこともあって、科学剣も鍔の辺りでその凍結を終わらせていた。

 

「ひゅう――幇助者を使ってきたかぁ。ごめんごめん、ザコすぎるんで忘れてたよ。でも残念でした! ムダだったね!」

 

 ここにきてもまだ余裕を見せるかなめは、逆立ちの状態から体をバネのように跳ね上げて地面から科学剣を抜きつつ目の前のジャンヌを飛び越えると、そのままの勢いで白雪へと迫り科学剣を打ち下ろす。

 

「星伽候天流……奥義――緋緋星伽神ッ!」

 

 その一撃に溜めに溜めた力を込めた一撃でぶつかった白雪。

 正面衝突は避けてきたのにここで打ち合うのかと思ったのも一瞬。

 次に訪れたのはキキンッ! と音を立ててその刀身にひびを入れて粉々に砕けたかなめの科学剣の敗北だった。

 科学剣の破壊に驚くかなめに交錯の瞬間、峰打ちを腹へと見舞った白雪に、それを受けて地面に転がったかなめ。

 すぐに体を起こしたかなめだったが、その目は白雪ではなく破壊された科学剣の残骸を向いていて、完全にショックを受けている。

 そして今のかなめを見て自らが引いた円の外に足が出ているのが見え、それで決着したのを確認したオレは、思いの外あっさりと終わったことに少し安堵の息を吐いて制服の上着を脱ぎながら幇助者として間に入ったキンジに続いてかなめ達に近寄った。

 

「う……うぇ……うぇえええええええん……!」

 

 そうしたらまだ続けようとしたかなめをキンジが負けを認めろとキツめに言ったのを最後に、かなめがえんえん泣き出してしまい、すっかりいつもの調子に戻った理子が空気を読んでふざけて微妙な雰囲気を払拭。

 こういうところは本当に気が利くから扱いに困る。終わったら怒らせてもらうつもりだったんだが。

 

「これでもう終わりだよな。まさかまだ足りないとか言うなら、お前らを軽蔑するんだが」

 

 泣き止まないかなめに隠れていたハイマキがなだめるような擦り寄り方をするのと、近くの桜の木からレキが下りてきたのを確認しつつ、脱いだ上着を先ほどのかなめとの交錯の時に制服の背をばっさり斬られてあれな感じになってたジャンヌに投げて渡しながらそんな投げかけをすると、聞いたアリア達は満足気に笑って自らの武器を各々収めたのだった。

 これで本当にやっと一段落ってところか。



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Bullet72

 

 かなめとアリア達とのいざこざも無事に解決し、今や友達のように接し始めてるのを見ると女ってのはよくわからない……

 というか武偵の性分なのかもしれんが、切り替えが早くて恐れ入る。

 その問題だったかなめも立て続けの挫折ですっかり大人しくなって、クラスでも普通に馴染み始めてることを小鳥から聞いたりしていたが、この束の間の平穏がいつまで続くか。

 そんな不安もありつつ、ジーサードについては引き続きワトソンが調査をしてくれてるようなことを羽鳥経由で聞いていたオレは、その情報を待ちながら本日、日曜日の朝。

 よく晴れたこの日に第1グラウンドで武偵高の全生徒と一緒に方陣状に並ばされていた。

 『体育祭(ラ・リッサ)』と呼ばれる今日のイベントのために、普段は依頼などで出払うことが常なオレ達は、早朝5時からリハーサルをやらされた上で現在、東京都教育委員会のお偉いさんのいる前で開会式を行っている。

 武偵高の体育祭は元々、怪我人続出の危険競技でいっぱいの真・ケンカ祭りで有名だったのだが、噂を聞いた都知事がブチギレしたらしく、以降は教育委員会の監視がつくようになり、何かヘマをすれば廃校の危機とあって『表向きは健全な体育祭』をやるようになったという経緯がある。

 故に今日はおそらく年に1度だけ、奇跡のように『全校生徒が武装解除している』のだが、それも教育委員会の目が光ってる『第1部』の間だけだ。

 開会式を終えたら、武偵高に超絶似合わない『玉入れ』などというどこの高校でも珍しくはなかろうかと思う競技が始まって、教務科から釘を刺されてる生徒達は、これを至極まっとうに参加してせっせと高く上げられた籠の中に玉を投げ入れていた。決して拳銃の弾ではない。

 ジャンヌなどは前時代の兵器、ブルマーを華麗に着こなして無駄に優雅に動いてたり、小学生のようなあややは籠が高すぎて投げた玉が届いていなかったり、中空知なんて玉を拾おうとしてるところを押されて尻餅ついたりとどんくささ全開。

 レキは精密機械のように拾う、投げるを繰り返して寸分の狂いもなく籠へと玉を入れてるが、楽しんでるようには全く見えん。

 一応、演技でそれらしくするようには言われてるんだが、こんな時でもレキらしさは消えないな。

 そんな知り合い達の様子を見ながら本部の方を見てみれば、いつもはやれややれやと教師らしさなど皆無の言動、行動をする蘭豹や綴が気持ち悪い笑顔で教育委員会のおじさん達にお茶菓子やらまで出して接待していて引く。マジで引く。

 そこに加わってるCVRの結城ルリ先生はさすが専門とあって違和感ないが、ああやって教育委員会のご機嫌取りをしているのを見ると教務科の本気度がうかがえて、こっちまで無駄に緊張するよ。

 とは思うものの、目立たないのはオレの得意分野なので適当に参加してやり過ごして、教務科が接待に集中するためとかでプログラムは速攻で各種個人競技へと移っていき、校内各所へと生徒がバラける。

 この個人競技は各人の得意不得意に関係なく教務科の指定した種目をやらされるので、その指定に従ってエクストリーム・スポーツの会場へと辿り着くと、そこでは肘や膝にプロテクターを着けているアリアがいて、オレに気付くといつもの偉そうな調子で近付いてきて言葉をかけてきた。

 

「京夜もここなの?」

 

「BMXのフリースタイルだと。競技用自転車なんて乗ったこともないんだけどな」

 

「さっき興味本意で乗ってみたけど、大して難しくなかったかもね。ちなみにあたしはインライン・スケートよ」

 

 それはお前がハイスペックなだけだ。

 とはツッコめなかったが、変に競技用と考えないで乗るかとちょっと開き直りつつ、ポツポツと始まった競技を横目にアリアと一緒に準備を進める。

 一応は体育祭ということで紅組と白組で得点を競っていて、オレもアリアも白組だから呑気に会話していたが、何やら周りから変に注目されてるのが気になる。

 視線の7割はアリアなのだが、残り3割ほどがオレに向いていて不思議だ。

 

「なーんか目立ってる。これはあれだな。アリアのせいだ」

 

「そうやって他人のせいにするのは良くないわ。まぁ視線の一部はあたしの後輩だけど、京夜だってそれなりに人気あるって聞いてるわよ。せっかく魅せる競技なんだし、ファンサービスくらいやってみたら?」

 

「そんな余裕はないしやる気もない。むしろ楽しんでるアリアがちょっと意外だ。てっきり第1部は流すのかと思ってたが」

 

「ウォームアップも兼ねてやっておくのよ。何事も楽しむのは大事だし、やるからには勝つのは当然でしょ?」

 

「ごもっともで」

 

 そこまで話してからプロテクター類を着け終わって、競技前にBMXを試運転すると、アリアもインライン・スケートを履いて小さな円を描いて動いてみせてから、キュッと止まって調子良さそうにうんうん頷いていた。

 そしてオレはほとんど漕がずに前輪と後輪を交互に持ち上げたり、ジャンプして反転してみたりとしてから準備運動を終える。

 同じ白組のアリアがいる手前、あからさまにやる気ないと噛みつかれそうで真面目になってるなオレ。

 

「前から思ってたけど、京夜ってあたし並みに運動能力高いわよね。自分の体の扱い方がよくわかってるって感じ」

 

「アリアと並んだらSランク並みってことだろ。そこまでじゃないにしても不知火とかその辺より少しだけ上だとは思ってるけど」

 

「なら第2部はそれを証明してきてよね。期待してるわ」

 

 妙に楽しそうなアリアは何故かオレに色々と言ってきて、正直これはこれで偉そうにしてるだけの方が気楽だなとか思ってしまうが口には出さずに、自分の競技順番が回ってきたのでフリフリ手を振るアリアに見送られて競技を開始するのだった。

 BMXのフリースタイルなどテレビでも観たことがなかったので、横に倒した円柱の上半分を切り取ってできたハーフパイプの競技場で、オリンピックなどで観たスノーボードやスキーの真似事をぶっつけ本番でやってはみたが、演技らしい演技はやる余裕もなくて高く跳んで空中でなんかワチャワチャやってたらあっという間に終わったので、これでいいのかとか思いながら順番待ちのアリアの元へと戻ると、しっかりダメ出しされてよくわからない技の名前をああだこうだと言われてしまうが、他の生徒もどっこいどっこいなところを見るとミスらしいミスをしなかっただけで上位にいけそうな気はする。

 そもそも第1部の得点なんてクイズ番組の終盤までのお遊びみたいなものだから、コツコツ稼ぐ意味は皆無なわけだが。

 割と早く自分の競技が終わったので、最後の各組50人ずつで行う100人リレーまでの時間で知り合い関係の競技を観戦しに行ってみる。

 一番近くでやっていた女子を手押し車で運ぶとかいうわけわからん競技をチラ見したら、乗り物と聞いたら目の色が変わる武藤兄妹がただの手押し車なのに入念なマシン調整をしながらマジ顔で作戦会議してるのを確認するが、あの兄妹は相変わらず仲が良いな。顔は全然似てないのに。

 まぁ顔は関係ないか、などと1人ノリツッコミを内心でしつつ、あの2人なら1位は間違いないだろうと踏んで挨拶だけして他の競技場へと移動。

 誰がどの競技に出てるかは何人かから聞いてるが、そんなの数えるほどだから必然、行く場所も限られてくる。

 とりあえずチームのよしみでリーダーたるジャンヌのいるラケットスポーツのコートへ辿り着いてみると、本職のテニスとあって見事1位になっている――スコアに書いてあった――のだが、肝心のジャンヌはキャッキャと騒ぐ後輩女子の異常なまでの集まりによってもみくちゃにされていた。人気があるのも大変だよなぁ。

 そんな遠い目でジャンヌの方を向いていたら、ご本人に気付かれてしまって助けを求められるが、自分で集めた人気なのだから甘んじて受け入れるのが道理というもの。だから助けん。

 観戦のつもりが終わってたので次なる競技場へと向かって、バスケの3on3の試合を観戦。

 ちょうど試合が行われているようで、ゴール裏から覗いてみれば華麗なフェイントで男子生徒を抜き去ってレイアップシュートを決める幸帆が目に飛び込んできて、周りの生徒がちょっとした驚きの声と歓声を上げる。

 武偵としては支援系の情報科を履修している幸帆だが、元々努力家で幸姉に負けず劣らずの運動能力を持っているので、周りの驚きに反してオレは当たり前かと思うが、男子生徒にも引けを取らないか。

 それで一生懸命な幸帆を内心で応援しつつ見ていたら、オフェンスの番になってフェイントからシュートを打とうとした幸帆とガッツリ目が合う。

 すると幸帆はバランスでも崩したのかあらぬ方向にシュートして、ボールはボードの上を通り越しオレの手元に見事収まる。ある意味ナイスパス。

 その後からはさっきまでの華麗なプレーは見る影もなくミス連発で集中力の欠けた幸帆のチームはあれよあれよと崩れて敗北。

 チームメイトにペコペコ頭を下げる姿は見ててちょっと悲しくなってしまうが、そんな日もあるって。

 だからせめてそんなことでも言ってやろうとコートから出てきた幸帆に近寄ると、動きやすくするためにポニーテールにしていた髪を手でサワサワしながらオレに向き直った幸帆。

 

「あの、京様の前で無様な姿をお見せしてすみませんでした」

 

「幸帆が一生懸命やったんならオレは別に気にしないんだが」

 

「いえ……その……一生懸命にはやっていたのですが、ちょっと張り切りすぎたと言いますかなんと言いますか……」

 

「気持ちが空回りしたのか。そういう感情のコントロールもちゃんとできるようにしないとな」

 

「はい、精進します。わざわざ見に来ていただきありがとうございました」

 

 なんとも幸帆らしい言葉に自然と笑みがこぼれてしまうが、ペコリと頭を下げてから友達の元へと駆けていった後、何やら楽しそうに会話したかと思えば顔を真っ赤にして友達を追っかけ回し始めたので、からかわれたのかね。

 何はともあれ元気そうな幸帆を見て安心して次なる競技場へと足を伸ばしてみると、二人三脚などと打って変わって体育祭らしい競技に参加していた小鳥と風魔のペアは、スペックの差なのか歩調が微妙に合わずに最後の最後で大コケしてビリ。

 我が後輩ながら恥ずかしい。武偵なら他人に合わせるスキルも磨け。他人のことは言えんがな。

 自分のことは棚に上げつつ、言葉のかけようもない2人に合わせる顔もないので見なかったこととして競技場をあとにし、最後に生徒が分散してるのに借り物競争とか難易度高そうな競技に参加してる理子の困ってる様子でも見るかと様子をうかがってみると、着いた途端に何かのセンサーでも付いてるのかピコンッとツーサイドアップのテールをオレへと向けた――たぶんあのロザリオの力だろうが――今まさに競技中の理子が猛然と走り寄ってきて有無も言わさずに腕を引っ張ってわけもわからないまま1位でゴール。

 係員が借り物の確認をして認定されたところを見ると、オレが条件を満たしていたようだが、何が書かれてたんだ?

 

「さすがキョーやんだよねぇ。理子が困ってる時にちゃんと来てくれる。そこに痺れる憧れるぅ!」

 

「憧れる意味がわからん。それでオレは何の条件を満たしたと見なされたんだよ」

 

「えー、それはちょおっと内緒にしたいかなー。わかっちゃうと面白くないしー、キョーやんに気にしてもらえるなら理子も悪い気分じゃないしー」

 

 イラッ。

 このノリの時の理子はイラつく時とどうでもいい時の2パターンがあるが、今回はイラッときた。

 その理由はオレに所謂『ツッコミ待ち』をしている時の顔をしているからだが、いくらオレが関西出身でも思惑通りにツッコんではやらん。

 構うと喜ぶパターンは絡み方が面倒臭いんだよこいつ。

 なので一言も返さずに立ち去ろうとしたら腰にしがみついて構ってちゃんモードに突入したので、教務科と教育委員会の目がないことを確認してから両腕を引き剥がして変則ジャイアントスイングで適当なところに放って、怯んでる間に理子の借り物が書いてる紙を確認していた係員から紙を拝借。

 するとそこには『最も親しい異性』とあって、判断する側は何を見てそれが合ってるかを判断するのか不思議に思えて仕方なかった。

 というか係員の様子からして異性なら誰でもオッケーみたいな空気が滲み出てる。

 実際そんな感じのノリで混ぜられた紙なんだろうな。不透明なところだからって適当な仕事するなよ。

 とかなんとか運営側への文句を考えつつ、この後すぐに100人リレーが始まるということで理子と一緒に第2グラウンドへと戻ってその結末を見届ける――オレも理子も選手には選ばれなかったので観戦――が、結果は今まで見てきた中でダントツの運動音痴を見せた中空知のズッコケと超X脚による走りで紅組が敗北。

 オレ達白組がそれによって総得点で逆転して勝利を勝ち取った。

 が、まぁそれは教育委員会の目があるうちに行われた第1部の結果。誰もそれで本心では喜んじゃいない。

 本番はむしろこれからなのだから。

 とりあえず表面上は教育委員会の目に良い体育祭だと見えるものを行えた第1部は終了。

 なんか酒まで飲まされて土産を貰い上機嫌で帰っていった教育委員会のチョロさには日本の教育の場が心配になるが、そのおかげでオレ達が何事もなく第1部を終えて教務科から何かされることがないのだからありがたいことでもあるというのは複雑なものだ。

 何はともあれ第1部終了に伴って撤去作業をやらされながら、次の第2部のための準備も並行して行われる時間。

 やたらと「隙を見て覗きに来て」とか言いまくって別れた理子に無茶なとか思いながら着替えのために移動していたら、周囲を若干警戒する素振りをしながら体育倉庫に入っていくキンジとワトソンの姿を発見。

 あのツーショットは基本、自然にはならないので何かあるなとすぐに勘ぐったオレは、最初だけバレないように体育倉庫へ近付いて中の声に聞き耳を立ててみるが、全然聞こえないので仕方なく入り口のところから壁をノックして存在を示して2人に気付いてもらうと、最初こそ警戒されたがどうやらオレが聞いても問題ない話だったのかすぐに招き入れられたから、近くの跳び箱の上に座り乗って話に加わろ……うとしたが、その跳び箱の中に何故かかなめが息を潜めていたのでとりあえず話が面倒臭い方向にいきそうになるまでは黙っておき、跳び箱に寄りかかるように腰を下ろす。

 

「んで、何の話してたんだよ」

 

「ジーサードについてだと。これに書いてるらしいが、英文で読めん」

 

 そう言ってオレにワトソンから渡されたらしい何枚かのA4の紙を見せてきたので、それを受け取って自分の知識だけで和訳してみる。

 幸姉が外国語の勉強に熱心だったのが地味に役に立った。英語なら知ってる言語では一番簡単だ。

 そうしてオレが英語を割と読めることにちょっとショックを受けたらしいキンジには、ワトソンから直接書いてあることを説明され始めて、オレもそれに耳を傾けながら資料の方も読み続ける。

 資料によると、イギリス政府から見たジーサードは悪人ではない、とかそんなことが書かれているが、その理由としてロスアラモス・エリート脱走後は世界各地のテロリスト集団や海賊、人身売買組織などの勢力を潰して回り、罪なき人達を救っているとある。

 しかも誰に依頼されたわけでもなく、無償でそんなことをやっているとか。

 確かにそれだとオレ達から見たジーサードとはずいぶん印象が違ってくるが、実際問題でオレはただの暇潰しで殺されかけてるんだから、善人だろうと正義の味方だろうと『おかしなやつ』に変わりはない。頭の方がな。

 

「アメリカやイギリスは、ジーサードのターゲットが国益に合致する場合――仕事を依頼する形を取り、報酬として兵器やそのメンテナンスを提供しているらしい。『首に鎖を付けられない猛獣だが、益獣として餌を与えている』ってとこだね。だから今では、彼の活動の純粋性は大国の思惑により失われているとも言えるよ」

 

 それであの兵器類と繋がるわけか。なかなかに切り難い繋がりで不自由もありそうな話だが、そのおかげでお尋ね者も活動できるって仕組み。

 旨い餌を与えたもんだ。こっちはそのせいで大変だってのに。

 それで間接的にでも今のこちらの状況に関与してるアメリカとイギリスにちょっとした八つ当たりを内心しながら次のページを見ると、オレがこの前調べたかなめと会っていた女3人のうちの2人の情報が載っていたので、一応目は通しておく。

 1人はあの長身金髪サングラスと威圧的な風貌だった女だが、どうやら所属は在日アメリカ軍の支援部隊で、名前はキャサリン。

 中尉とあるのでそれなりに偉い階級にあるぞ。そんなやつまでジーサードの支援活動に使わされてるのかよ。

 しかし在日アメリカ軍所属ということはジーサードの仲間というよりは協力者ってところか。

 こちらが直接出張ってくることはおそらくない、と信じたい。アメリカと喧嘩とか恐ろしいわ。

 そんなキャサリン中尉にはお引き取り願いたい思いで次の女の情報に目を向けてみると、あのオッドアイの銀髪少女のことが書かれていて、こちらは経歴についてだけ。

 名前はロカ。モスクワ総合大学の超心理学科に12歳で飛び級の入学。

 モスクワっていうと、確か時任先輩が来年から行くところか。つまり時任先輩の先輩に当たる人物で、やはり超能力者なのか。

 それがどうして今やジーサードの側にいるかはわからないが、以前聞いたジーサードを暗殺しようとして帰ってこなかったやつらの1人と見るのが妥当。

 そうなるとこちらはキャサリン中尉とは違ってジーサードの方針次第で仕掛けてきてもおかしくないかもしれない。

 あと1人、獣の耳を生やしていた少女もいたが、そちらはリバティー・メイソンでも調べられなかったと見て良さそうだな。

 玉藻様の方が心当たりありそうだし、会った時にでもレキの似顔絵を見せてみよう。

 そこで資料もだいたい読んだので、キンジとワトソンの話に意識を向けてみると、どうやらこれらを踏まえてジーサードをどう対処するか判断していたようで、さすがにこれ以上の話はかなめに聞かせていいものかと思い、立ち上がって2人の視線を若干引きつつ、後ろの跳び箱の上段を取り除き、そこからかなめを引っ張り出そうとして触るなと手を払われ、自ら出てきたところで驚く2人を無視して至って普通に会話に混ざってきた。

 

「間違ってもサードを倒そうなんて考えちゃダメだよ、お兄ちゃん。そんな非合理的なこと、できやしない。サードは強いの。彼は人工天才の完成形。もう、人間の領域にはいない」

 

 今まで話していたことはジーサードに報告するまでもない。

 そう言うようにキンジとジーサードの激突を事前に防ごうとするかなめの言葉に、一切の冗談がないことを理解できたオレ達だが、少し前までのかなめならこんな警告はしなかったはず。

 これはかなめがこちら側に寄ってきてることを意味するが、実際に戦いになった場合にはその強いというジーサードの側に簡単につくだろう。それが合理的だから。

 でもキンジを裏切りたくない気持ちが、今の言葉に含まれていることも理解できる。

 

「ジーサードは――頭が失敗作(ポンコツ)なんだろ。そのぐらいは俺らだって調べてる。ていうか、人間じゃなきゃ何なんだよ」

 

 そのかなめの気持ちを理解してか知らずか、キンジは交戦もやむ無しの姿勢のままでかなめへとそんな切り返しをすると、かなめは真剣な表情のままその問いに対して口を開いた。

 

「超人だよ」



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Bullet73

「戦って勝てる相手じゃないの。HSSを以てしても、超能力を以てしても。そして――自分より強い者に逆らうのは、最も非合理的なことだよ。お兄ちゃん」

 

 体育祭の第1部が終了し、第2部へのインターバルで、ジーサードの情報とその対応を話していたオレ達は、こっそり隠れて混ざっていたかなめを引っ張り出してついでに話を聞けば、至って真面目に超人であると言うジーサードと戦うなと警告してきた。

 実際のところ、オレではジーサードには勝てないことは確定的に明らかだが、だからといって攻めてこられて何もしませんでしたでは済まない問題なのも事実。

 

「お兄ちゃん、サードと戦わないで。彼は強い。そして、正しいの。彼には2つの願いがあって……あたしは、その両方を支えたい。1つは――彼は、教育係だったサラ博士の教えを守って――悪に虐げられている弱者を救おうと戦ってるの。強大な力を見せつけて、紛争の抑止力にもなろうとしてる。それが人間兵器(ヒューモ・アモ)の存在理由だと信じてるの」

 

「だが……ヤツはお前のことだって殺しかねないヤツなんだろ?」

 

「彼のそばにいるって事は、彼を知るって事。それは時に、彼の足を引っ張りかねない。そうなればあたしは犠牲になってもいい。サードとサラ博士の理念のために。そう誓って、彼についていったからね」

 

 本当に、話だけでならジーサードが悪人ではないことが伝わってきて、かなめの忠誠心にも感服するが、かなめのみならず他の仲間もジーサードのためなら死んでもいい覚悟を持つと付け足す。

 それほどまでに人としての重要性が高いジーサードは、きっとオレにとっての幸姉みたいな存在なんだろうな。

 そう考えると本当に、かなめをジーサードから引き剥がすのは難しい。

 オレでさえ幸姉から選択の道を示されなければ、その呪縛とでも言うべき忠誠心からは解放されなかったわけだから。

 

「キミは――彼を愛しているのか」

 

 そんなかなめをどうすれば真の意味でこちら側に引き込めるかを思考しかけて、不意にかなめを警戒していたワトソンが女子らしい質問をかなめにぶつけたが、素直に首を横に振ったかなめはそれを否定しつつ再び口を開く。

 

「そんな関係じゃないよ。それに……彼が愛する女性は1人しかいない。さっき言った、教育係のサラ博士だよ。サードが14歳の時、ハーバード大学医学部からロスアラモスに来た人で……研究所でたった1人、サードに優しく接してくれた人。彼女は人工天才による紛争抑止力を、純粋に信じてた」

 

 もしやとは思ったが、その愛しているサラ博士がジーサードの今の行動理念と直結してるのは間違いない。

 さらにかなめは懐からサラ博士の写真を取り出して見せてきて、そこには誰が見ても美人だと答える白衣姿の白人女性が写っていた。

 が、そのサラ博士のいるロスアラモス・エリートからジーサードが脱走したというなら、それはきっとサラ博士がもう……

 と、そこで無駄に察せてしまうオレの予想に追い付くように、あくまで情報として欲したワトソンが現在のサラ博士の居場所を尋ねる。

 

「――もう、この世にはいないよ。サードの訓練中に事故が起きて、研究所で亡くなったの。サードはそれを自分のせいだって思いこんで……その時から、人が変わったようになった。ロスアラモスから脱走したのも、その翌月だよ」

 

 自分もサラ博士にお世話になったのか、その死を悲しむようにして語った言葉に、尋ねたワトソンは素直に謝罪。

 聞きたがりすぎたと頭を下げたが、ジーサードとの衝突を避けられないかと考えた結果で素直に話したところをうかがえたから、どのみち話していた気がするな。

 そんな空気を察してか、切り替えるようにかなめが言っていたジーサードの願い。そのもう1つを聞き出そうと口を開いたキンジ。

 兄からの質問だからなのか、まだ話すべきと判断したのかはわからないが、即答に近い回答を述べたかなめの言葉に、オレ達は驚く。

 

「――イロカネの力を手に入れる事。サードはイロカネ関係の事を聞きつけると……調べたなら知ってるよね。心が、普通の状態じゃなくなるの。それが昔は怖かったけど……お兄ちゃんに会ってから、理解できるようになったよ」

 

「俺に……会ってから?」

 

「人を愛する気持ち……それは絶対、正しいものだから……あたしはサードを支えたい。彼に、イロカネを与えてあげたい。彼の、愛のために。だからお兄ちゃん、サードと戦わないで。サードは強い。そして――正しい。戦うのは非合理的なんだよ。分かってくれる、よね……?」

 

 うーん、イロカネの力か……

 そうなると先日の襲撃は緋緋色金を体に埋め込まれたアリアが目的だった可能性が高いな。

 それが今どんな状態かを確認して、ついでにかなめの双極兄妹が実現できるかを実験させたってところが納得のいく予測。

 だが、ジーサードが次にどんな方法で緋緋色金を手に入れようとするかはわからない。

 アリアごと奪うつもりなのか、それとも『緋緋色金のみ』を奪うつもりなのか。

 どのみち現状でアリアから緋緋色金を生きたまま引き剥がすことは不可能だって話だし、かなめがいくら言っても、アリアの危機とあればパートナーであるキンジの答えは決まってる。

 

「人間ってのは非合理的なんだ、かなめ。俺も超人なんかと戦りたくはないが、ヤツの出方次第じゃ勝敗度外視にならざるを得ない」

 

 オレには最初に予測できた答えだったが、かなめにとっては最悪の答えだったのか、それを聞いた瞬間にプレッシャーを放ち始めたため、反射的にかなめの有効射程から飛び退き、脇腹を狙って繰り出された抜き手のような右手を躱す。

 今のは容赦なかったが、躱されたことにはノーリアクションのまま、かなめはゆっくりと口を開く。

 

「それなら――ここでちょっと不慮の事故が起きるんだよ、お兄ちゃん。まずワトソンが負傷して、お兄ちゃんがHSS化できなくなる。次に一番ザコいあれが足をバッキバキに折られて再起不能になって、お兄ちゃんも手足が折られて、戦えなくなる。でも安心して。お兄ちゃんの看護は、あたしが付きっきりでしてあげるから」

 

 そんな予告をして最初の標的であるワトソンを睨んだかなめに、ワトソンも口内に仕込んでいたらしい折りたたみナイフを取り出して臨戦態勢。

 一転して一触即発の状況になって交戦やむなしな空気が流れるが、ここはかなめを止めるのが最良か。

 

「やめとけかなめ。いくらお前でもワトソンとやる間にオレをこの場に留めておく余裕はないはずだし、その間にキンジを逃がすくらいの事はオレでもできる。そのもたつきはオレ達のシマでは結構キツイぜ」

 

 こう言うとワトソンを犠牲にしてはいるが、重要なのはここでキンジが逃げ切ることで、ジーサードとの戦闘の可能性を残すこと。

 それを示すことで衝突の前に止めてしまうのが目的だから、結果的にはワトソンも助けることに繋がる。

 まぁ、それでも止まらないなら、オレとワトソンは動けないところまでいくのは確実。

 

『全生徒に連絡します。ただ今より、第2部(マルニ)の準備に移ってください』

 

 オレの言葉でどこまで考慮したのかは不明だが、その思考の間に中空知の綺麗な声が校内放送で流れてきて、場の空気が若干重苦しさから解放されたタイミングでキンジがかなめとワトソンの間に割って入って仲裁。

 

「そこまでにしとけ。今の話は、この場ですぐ結論を出せる問題じゃない。ほら。体育祭に戻るぞ。そっちの方が優先事項だ。遅刻したら蘭豹にボコられてケンカもできない体にされちまうんだからな」

 

 言いながらワトソンからナイフを取り上げて、かなめには口にキャラメルを放り込んで物理的に黙らせたキンジ。

 かなめもそれで緩んだ顔になってしまうのだから変なものだが、そのかなめの背中を押しながら体育倉庫から出ていく時に、小声でオレに感謝してきたキンジだが、あの場面で交戦やむなしにするほどオレは好戦的じゃないっての。

 とりあえず穏便に済んだことでホッとするが、ワトソンもどこかへ行ってしまってから最後に体育倉庫を出たオレは、あの状況になってから明確に気配を放って存在を知らせてきた羽鳥と顔を合わせるために倉庫の脇を覗くと、澄ました顔で壁に背を預けてこちらを見てきた。

 相変わらずいちいちがイラつくヤツ。

 

「いつからいた?」

 

「んー、中の話はよく聞こえなくて気配だけで探ってたけど、3分くらい前だと思うよ。もちろん戦闘になったら真っ先にアリアに連絡できる準備はしていた」

 

 そう説明した羽鳥は、すでに制服に着替え終えていて、確かにその手には携帯が持たれてアリアの番号でワンプッシュで電話できるように表示されていた。

 

「そんなの後付けは簡単だが、まぁそれで納得してやる。それで話はどの程度把握した?」

 

「サードが悪人じゃないって部分だけ。あとはアリアが……アリアの中のイロカネが狙われているってことくらいだね」

 

 そこまで聞けていたなら説明は不要だな。それならそれで直球で聞いてみるか。

 

「で、お前はジーサードと戦わずに事を解決する方法はあるか?」

 

「結果を問わないならばあるよ。聞くかい?」

 

「それならいい。というかそんなのお前もやりたくないだろ」

 

 ……オレの質問も悪かったが、それをわかっててそう答えた羽鳥も羽鳥だ。

 真面目な話でこういう対応されると本当に嫌だが、もう慣れかけてる自分がもっと嫌になる。

 その慣れかけた応対に「当然だよ」と返した羽鳥とこれ以上話すこともないかと移動しようとするが、不意に羽鳥から口を開いてくる。

 

「しかし、サードは何故イロカネの力を欲しているのだろうね。すでに超人の域にまで至る彼が、超常の力を秘めるイロカネを使ってでも叶えたいこと……いや、使わなければ叶えられないことがある、ということなのだろうか」

 

「…………そんなの、人工天才の紛争抑止力としての力をより強くするためとかじゃないのかよ。まぁ、いつの世も天才の考えることは常人には理解できないもんさ」

 

「それは彼を理解しようとしていないことにはならないかな。案外、そこが根本的な解決の糸口になると、私は思うけどね」

 

 それだけ言って結局自分の意見は述べなかった羽鳥は、そのままオレとは違う方向へと歩いていってしまい、気に食わないが羽鳥の言うことに一理あることを認めつつも、そこではこれ以上思考せずにこれから始まる体育祭の第2部に頭を切り替えていった。

 体育祭の第2部は教育委員会の目がない午後5時からのスタートで、第1部などでは物足りない輩が出るために用意された武偵高らしい競技が開催される。

 男子は『実弾サバゲー』。女子は『水中騎馬戦』と競技名だけで嫌になるそれは第1部と同じ紅組と白組で行われ、勝つと1万点が加算される。

 ちなみに第1部の合計点数はどちらも千点に満たないのでどれだけ第1部が遊びだったかを物語っている。

 それでオレも参加する実弾サバゲーは、失格になるのが背中が地面についた時だけで、あとは防弾制服に弾が当たろうがなんだろうが継続。

 要は接近戦のお祭り状態になるのだが、去年は不知火に開始速攻で倒してもらって抜けた記憶があるなぁ。

 しかしながら今年は我がチームリーダーと、同組になるアリア様の「自分がいるチームが負けるなんてあり得ない」とかいう迷惑な理屈を押し付けられたために、開始即離脱の戦法が取れなくなってしまった。実に面倒臭い。

 女子は女子で殴る、蹴る、銃有り――弾はさすがに非殺傷弾や粘着弾など――の野蛮極まりない、観客がいようものなら水着だワーイ! なども言ってられない激闘を繰り広げる、らしい。

 実際同時進行で見たことないから感想でしか聞かなかったし。

 その辺は後日、バスカービルのセコンドとして実弾サバゲーを避けて観戦するキンジにでも聞こうかと思うが、あれはあれでちゃんと見てこない気がするな。HSSって体質も難儀なもんだ。

 そんなこんなで現在、防弾制服に着替え終えてスタート地点でやる気のない顔で隣の武藤と中身のない話をしていたら、この競技が終わるまでどこかで隠れて過ごせばいいのかと考えついてしまい、どうせならわずかながらに女子の水中騎馬戦が行われる屋内プールを窓から覗ける位置にでも行くかと思って、こういうのに食いついてきそうな武藤には「最後まで生き残って英雄にでもなっとけ」とエールを贈ってから開始と同時に散開。

 いきなり混戦しそうな中央めがけて走っていった武藤の謎のやる気に苦笑しつつ、ポイントとなる校舎4階の東側へと歩を進めていった。

 もちろん道中で遭遇戦はあったが、常に味方の1歩後ろを進むオレに死角はない。

 相手を前の味方に上手く押しつけて最短距離で目的地へと迫り、一番見えやすそうな教室へと侵入。

 予想通り屋内プールの建物と中から漏れる明かりが遠目に見えるが、目を凝らしたところで中の様子など見えそうにない。

 双眼鏡でもあればまた違うが、そう都合良く所持してるものでもないし、そこまで用意して見たいものでもない。

 理子にも覗きに来てとか言われたから逆に覗きたくない心理も働く。

 しかしあれに参加してる幸帆が心配で覗いておきたいのもあるし……うーん……

 結局、野蛮な争いに参加する幸帆が心配という大義名分の下で水中騎馬戦を覗くことを決心。

 面倒ではあるがオレのクラスに備品であったはずの双眼鏡を取りに行こうとしたところ、何の恨みか明らかにオレを狙った挟撃に遭って、ここで失格になると目的が達せないために結構本気でねじ伏せて先を進み、無事に双眼鏡を入手。

 来た道を戻って教室へ入ると、角度的にもう少し高さが必要だったので窓から外へ出てクナイを2本壁に突き刺して臨時の足場を作ってその上に足を乗せ、保険でミズチのアンカーボールを手に持っておく。

 さてと、それじゃあ中の様子を見てみますか。

 と、オレが双眼鏡を装備したところでふと、屋上に人の気配を感じて真上を見上げれば、いやがった。オレと同じことをしてるやつが。

 

「……そこから見えるのかよ」

 

「うーん、生憎と植生する木が上手い具合に視界を塞いでいてね。私もその辺がベストスポットとは思ったんだが、場所を替わってはくれないかな」

 

「同じ女とはいえ、そうやって観察するのはどうかと思うぞ。あと替わらん」

 

「それを君が言うのかい。自分の事は棚に上げるとはまさにこの事だね」

 

 目的がオレと同じとは思わないが、屋上の縁に足を組んで座って双眼鏡を覗く羽鳥は、視線を外すことなくいつもの調子で絡んでくる。

 こんなことしなくてもあいつならいつでも水着くらい見せてもらえるだろうに。

 

「かなめの監視なら必要ないと思うが?」

 

「まぁ、あの直後だからっていうのはあるけど、アリア達がそばにいるし心配はしていないよ。そういうのは関係なく、絶対に水着姿を見せてくれない子達を見たいだけなんだが、君はどうなんだい?」

 

「オレは幸帆の心配をしてるだけだ。競技が競技なだけに怪我でもしたら大変だろ」

 

「武偵を志した以上、そのくらいの覚悟はあるとは思うがね。君も大概、過保護な性格のようだ。それにかこつけて他の子達を観察するのも計算の内というわけか」

 

 否定はしないが、目的を達成できたら撤収で構わないくらいには見る気はない。もののついでで見えたらラッキー程度。

 いちいち羽鳥の言葉に反応していたらペースに飲まれるので多少無視しつつ双眼鏡から見える光景に集中。

 上手い具合に植生する木を潜り抜けた先に見えたのは、アリアとかなめが協力して敵騎を撃破している爽快な場面で、そこに数騎を率いたジャンヌが突撃陣形で畳み掛けていく様は見事。

 オレに勝つのが義務と言っていただけの活躍はしているようだ。

 しかしながら目的はそこじゃないので、盛り上がるプールの中央からプールサイドへと目を向けると、すでに撃沈させられたのか小鳥や風魔と一緒に応援している幸帆の姿を発見。

 パッと見では怪我らしい怪我は見当たらないが、フリルをあしらった花柄ビキニを着ているのにはちょっとビックリ。

 昔はワンピースタイプしか着なかったのに、幸帆もオシャレになったものだ。

 似合ってるからいいけど、男のいるところでは控えてほしい。幸姉に似て美人だから余計にそう思う。

 

「ところで、私と君は別の組なのだけど、ここで君を攻撃しても文句はないよね?」

 

 ともかく、幸帆の安否は確認できてホッとしていたら、急に羽鳥がそんなことを言うので上を見れば、怪しい笑みでこちらに銃を向ける姿が飛び込んでくるが、あの位置からでは頭を撃ちかねないからまず撃ってはこないはず。

 

「その位置からは撃ちにくいだろ」

 

「牽制が下手だね。たとえ私が君の頭に弾丸を撃ち込もうと、君は確実に避けてくれるじゃないか。自らの優秀な能力を誇りたまえ」

 

 ガゥンッ!

 オレ自身が普段全く使わないために忘れがちな『死の回避』の存在を示しながら、この状況でそれが仇になることを理解した瞬間に発砲してきた羽鳥。

 弾丸は寸分の狂いもなくオレの正中線を撃ち抜く軌道で迫ったようだが、オレの体は弾丸が放たれる直前からすでに回避に動いて重心を右へと傾け急所を軌道からズラして左肩に命中する。

 当然、防弾制服の上からなので貫通しないが、鈍痛が体を襲うのと同時に即席のクナイの足場が絶妙なバランスを崩して壊れてしまい、地面へ真っ逆さま。

 すぐにミズチを使って落下は防いで着地するが、ワイヤーと壁の凹凸を上手く使って落下速度を緩めながら屋上から降りてきた羽鳥は、2階の高さまで来てワイヤーを切り着地。

 左肩を庇いながらバックステップで距離を取ったオレに対して銃を向けたままゆっくり近付いてくる。

 そんな羽鳥に警戒していたら、後ろの茂みから不知火のやつが華麗な急襲をしてきて焦るが、体がこういった奇襲に慣れて――主に京都武偵高で愛菜さん達によって――いたため、逆に最適なカウンターを発動し倒そうとしてきた腕を絡め取って足を払い変則的な背負い投げで地面に倒し、そのまま不知火をブラインドに羽鳥の銃を一瞬封じてクナイで弾くと、倒れ込むようなタックルで羽鳥を押し倒してしまう。あ、危なかった……

 

「これは僕が戦犯かな」

 

「いやいや、君の奇襲は見事だったよ。私もこの距離まで来て気付いたほど完璧な伏兵(アンブッシュ)だったが、彼が変人レベルの反応をした。それが敗因といったところかな」

 

 なんとかこの場を切り抜けて、倒れた羽鳥から離れて左肩の調子を戻していると、上体だけ起こした不知火と羽鳥がオレを見ながらに反省会を開いていたが、人を変人呼ばわりするな。

 自分でもあれに反応できたのはたまたまだと思ってるんだから。

 

「というより不知火。お前いつからそこにいたんだよ」

 

「そんなに長くはいなかったよ。ここに隠れた時にはもう羽鳥君が屋上から猿飛君に銃を向けていたからね」

 

 反省会と呼ぶには適当すぎる内容で終わったのにはどうかと思うが、一応気付けなかったこともあって不知火にそれだけ尋ねておくと、色々と謎の多い男はそれだけ言って立ち上がり「頑張ってね、猿飛君」などと爽やかな笑顔で言い残して去ってしまい、羽鳥は羽鳥で落ちていた銃を拾ってから明らかに聞こえる舌打ちをしてからどこかへと行ってしまった。

 その後10分ほどしてから白組が勝利した旨のアナウンスが流れて、実弾サバゲーは無事に終了。

 公約通りに勝ったのでアリアとジャンヌからの折檻を免れたオレは、蘭豹の謎理論によって体育祭の合間に取るはずの食事を今から食べるために小鳥達の待つ場所へと向かうのだった。

 まっ、なんだかんだでいつもよりは楽できた1日だったから、それはそれで良かったのかもしれん。



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Bullet74

 

 体育祭の翌日は振り替え休日だったため、遠からず来るであろうジーサードの出現に備えて英気を養うかと朝から部屋でまったりとしていたら、糞テンションの高い理子が「図書館でエロ本探ししよーよ!」とかアホらしい提案を持ってきて速攻で却下すると、意外にもあっさり退いた理子は「じゃあキーくん弄りは理子だけでやってくるか」とかなんとか言いながら玄関を出ていってしまうが、その時に妙に理子の影が濃いのに気付いたオレは階段へと向かい背中を見せていた理子の影をじっと睨んでやると、理子が階段を降りていった後に角から何故か偉そうなヒルダが姿を見せて扇子で口元を隠しながら話しかけてきた。

 

「理子にではなく私に熱い視線を向けるなんて、お前は女の好みが変わったのかしらね、サルトビ」

 

「…………お前が理子に影としてくっついてるのは何度か見てるが、堂々と隣にいないのは、自分が理子にしてきたことへの罪の意識があるからか?」

 

 オレの視線だけで用があることを悟って出てきたヒルダの挨拶代わりの言葉を無視して、ここ最近のヒルダの行動の真意を問う。

 ヒルダは理子の血の提供のおかげで一命を取り留め、ジーサード襲撃の辺りから理子の周りをウロチョロしてるのを見かけていて、先日のランバージャックの時も理子の影として足元に潜んでいた。

 そんな問いかけに対してヒルダは感情のコントロールが下手なのか、物凄く分かりやすい顔をしたので思わずクスリとすると、それが気に食わなかったのか「ぶ、無礼者っ!」と噛みつかれてしまう。

 

「私の行動をお前にとやかく言われる筋合いはないでしょう。それとも私が理子のそばにいて、お前に不都合でもあるのかしら?」

 

「不都合はないが、理子に危害を加えるつもりでいるなら無視できないだろ。まぁ、今の反応でその可能性もないとわかったけどな」

 

 なんとか平静を装おうとするヒルダの返しに、オレがちょっと意地悪な返しをしてやれば、図星を突かれたヒルダは顔を真っ赤にして「お黙りなさい!」と怒ってくるが、防音・防弾性の壁とはいえ他の部屋の住人に迷惑になってるかもしれんな。

 これ以上いじめるのはやめとくか。というか普通に話せば吸血鬼なんて関係なく女の子なんだな、こいつ。

 

「なんにせよ、理子に対して友好的な関係を築きたいってことなら、今後は協力してやってもいいとは思ってる。ただその代わり、1つお願いを聞いてくれないか?」

 

 それでオレが理子との仲を取り持ってもいいと言えば、一瞬パアッと明るい顔をして、すぐに仏頂面に戻るも悪い話ではないと思ってはくれたようなので1つのお願いを持ちかけると、上から目線で「言ってみなさい」と返されたので話だけでもと口を開く。

 

「あいつは……理子は別に1人にしてても大丈夫なくらい強い。でも、それでも弱い部分はある。だからオレや他の誰かがあいつのそばにいてやれない時は、お前があいつのそばにいてやってくれ。それであいつの助けになってくれるとありがたい」

 

 我ながら理子に対しておせっかいなお願いだと思うが、1度は助けた命を簡単に捨てられてもオレが嫌なのだ。

 だからこそ1人寂しく死んでいくような、そんな末路を辿らせないためにオレはヒルダにこんなお願いをしている。

 そのお願いがヒルダにとっては予想外だったのか、驚いたように目を見開いている表情で固まっていたのだが、真剣な内容と理解したのか向こうもキリッとした表情へと変わって扇子をパチンと閉じる。

 

「ついこの間まで敵だった、お前達を殺そうとまでした私に、お前がそんなお願いをするなんてね」

 

「昨日の敵はなんとやら。お前の実力は理解してるつもりだし、完全に信用してるわけでもない。だが、こう言っておけばお前もいざって時にウダウダせず理子を助けられるだろ。まぁ、オレからお願いされたとは言わずに『理子のことが放っておけなかったから』とでも言えればお前自身の好感度が上がるかもしれないがな」

 

 真剣なお願いではあったが、別にヒルダに強制力や義務感を持たせたかったわけではなく、あくまで理子の助けに遠慮はいらないと背中を押してやったに過ぎない。

 だから理子に真意を問われた際の逃げ道としてオレのお願いを入れてやったが、自らが理子に好かれることを想像したのか照れまくってるヒルダは、おそらく本当にそんな場面になった時にテンパって自分の意思じゃないことを言ってしまうだろうことが容易に予想できてしまう。

 ツンデレってのも難儀な生き物だな。

 

「話はそれだけだ。理子のこと、これからもちゃんと見てやってくれ」

 

「ふ、ふんっ。お前に言われずとも、理子に危害を加える輩には私がその行いを後悔するほどの罰を与えてやるわ。あーあ、サルトビとこんな長話をしたなんて理子に知られたら嫌われてしまうかもしれないわね。それだけは避けたいから、このことは他言無用よ、サルトビ。ではごきげんよう」

 

 そうしてツンデレなヒルダは最後にガッツリ理子が好きだみたいな言葉を連ねてデレデレなまま去っていき、武偵としては圧倒的に向いてない性格のヒルダにちょっとした不安を抱えつつも、実力は確かだからとプラマイゼロ、よりは少しだけプラスで自分を安心させるのだった。

 朝から厄介なやつを追っ払うのとヒルダとの対話を終えてから、リビングでニュース番組を見ながらミズチの整備やらを始めたオレは、幸帆のところでお菓子作りに行って小鳥がいないことを思い出して、ぼんやりと昼食をどうするか考えていた。

 羽鳥のやつは昼過ぎまで寝てるだろうし、外食でもいいかもなぁ。

 そんなことを思っていたら、その羽鳥が何故か寝ていたはずの自室から出てきて、何やら誰かと通話中。

 まだ11時くらいだが、あいつの睡眠より優先される重要な案件なのか。

 

「うんうん。それはこっちで何とかしてみるよ。……ん? 彼を? んー、どうだろうねぇ……」

 

 そう思ってチラッと羽鳥のやつを見てみたら、女に対して使う言葉と表情で、あからさまにオレを見ながら歯切れの悪い会話をするので、さして重要な案件でもなさそうだなと勝手に予想。

 これはあれだな、無視が最良の選択だ。

 実に嫌な視線を羽鳥から浴びせられながら黙々と作業をしていたのだが、ウンウン唸りながら何か決心したのか、1度通話を保留にした羽鳥は近くのソファーに座って嫌々話しかけてくる。嫌なら話しかけるな。

 

「これからCVRのⅠ種の子達と親睦を深める会を行うんだけど、男の方は私が声かけしないといけなくてね。しかし向こうから君を推薦する声があったから、一応尋ねるけど、行く気はあるかい?」

 

「誰が行くかアホ」

 

 やっぱり大した案件ではなかった羽鳥の話に、視線すら向けずに即答してやる。

 というかCVRのⅠ種って言えば、どノーマルな男を相手にする美人の中の美人な子達だろ。そんなのと親睦を深めるとか色々怖いっての。

 

「そうだよねぇ。君ならそう言うだろうとは思ったけど、向こうがどうしてもって言うから今回は粘らせてもらうよ。というわけで第1の手。これから幸帆ちゃんに『猿飛京夜が女を泣かせようとしているんだけど、君からそれを止めてくれないか』とメールを送る」

 

「オレに確認のメールか電話が来るから、そこで合コンに誘われただけだと説明する。お前よりオレの方が信用度は高いからそれだけで問題ない」

 

「ふむ、幸帆ちゃんでは無理か。それなら第2の手」

 

 しかし今日はなかなか食い下がってくるので、こちらの弱味をつついてくるやり方に若干イラつきながらも動じずに迎撃するが、まだ手があるのか。

 

「この前見つけた月華美迅のPRサイトに京奈の綺麗に撮れた画像を投稿してみるか」

 

「画像の流出は東京湾に沈む覚悟をしろって言ったよな?」

 

「私はそんな話は聞いていないね。それにたとえ聞いていてもこの状況を作っただろうし、意味のない抑止力だよ。しかしまぁ、これは脅しになってしまうしね、参加してくれさえすれば、今回君にかかる経費は私の負担で構わないよ。タダでご飯にありつけると考えれば安いものだろ?」

 

「……世の中にはタダより高いものはないって言葉があるんだよバカが」

 

 その第2の手とやらが物凄く嫌なところを抉ってきたため、こちらから先手で脅しをかけるも、そんなのなんのその。

 そんなことしてもされる前に事を終えてしまうと暗に示した上で逆に脅しをかけられてしまう。

 実際、羽鳥をここで一時的に行動不能にできても、腹いせにオレの目の届かないところで京奈の画像を流出させることもできるため、無意味な脅し合いはやめて譲歩し妥協点を作った羽鳥はやはり頭が回る。

 最初からここに落ち着けるのが目的だったなら上手く乗せられたなこれ。

 そして望まぬ合コン紛いの集いに参加することになったオレは、女が3人で男をあと1人誘わないとと言う羽鳥に不知火を推薦してやり、オレから誘ってみると「猿飛君と羽鳥君の引き立て役にしかならないけど」などと先日の美男子コンテストで準優勝したやつが言うので、どの顔で言うかと思いつつも参加してくれるのでツッコまず、現地合流として時間と場所を伝えた。

 そこからは羽鳥の迅速な行動により、あっという間に新宿まで車で出向いて合コン向きな食べ放題付きのちょっとリッチなカラオケ店を押さえ、さすがの行動力を見せる不知火と女子が来る前に合流。

 平日とあってまだ学生などの姿が見えずにほとんど貸し切りのカラオケ店にCVRの女子達が来てから全員で個室に入ると、自己紹介も特になし――というか顔と名前くらいは全員知ってる――で各々自由に席に着いたのだが、オレにはその自由はなく、あれよあれよと一番奥に詰められて両隣を女子に座られ、もう1人の女子も男女で交互になるような座り方をせずに、端に羽鳥と不知火が座る特殊な感じになってしまう。

 今回来たCVRの女子3人は、3人ともがもれなく美人なのだが、そのタイプはハッキリと違って、右隣を占拠する子は典型的なモデルスタイルの大人の魅力を前面に出すタイプで、確か読者モデルの仕事もやってるとか聞いたことがあり、左隣の子は白雪も顔負けのメリハリのある抜群のプロポーションを誇りながら、理子のような可愛さを前面に出している、アイドルとでもいう感じ。

 残りの1人はその2人の良いところを上手く組み合わせたような、日本男子が理想とするスタイルを地で行くおしとやかな子。

 注文した料理を取り分けたり、周囲への気配りなどが完璧なので、母性を前面に出しているタイプといったところか。

 そんな三者三様な魅力溢れる女子3人に囲まれる形になってると当然、悪い気はしないのが男という生き物だが、全員がCVRという現実がオレを完全には良い気分にはしない。

 さすが色仕掛けの専門とあって、3人ともが自分の長所をよく理解してる上で自分の魅せ方を知っている。

 オレからは見えるように胸の谷間を強調したり、くっつくように腕に絡んできたり、足の組み方1つ取ってもそこを注視してしまうくらい動きが計算されていて、CVRの怖さを思い知らされる。

 こうやってオレとの距離感を確かめながら、効果的な色仕掛けは何かを探って色々と仕掛けてきてるのだ。

 そんなあれやこれやな女の武器が際限なくオレを攻撃してきて、羽鳥と不知火はほとんど盛り上げ役に徹してる状況が不思議でならない。

 不知火はともかく、あの羽鳥が自分より人気のオレを放っておくわけがないのだから。

 しかもただ親睦を深めるって目的なら、オレだけが攻撃されるのは納得がいかない。

 そう思って不知火と羽鳥にも話題振りをしてみたりと慣れないことをするのだが、2、3言葉を交わしたかと思えばすぐにオレへと話が戻ってきてしまって、それを3度繰り返してからようやくこの親睦会の女子3人の目的がわかった。

 繰り返される色仕掛けの連続で精神的にだいぶ弱っていたオレだったが、1度トイレに立って個室を出る際に羽鳥も一緒に道連れで外へと出ると、何食わぬ顔で何か用かみたいに首を傾げるので大きなため息を吐いて言いたいことを言っておく。

 

「発端はどっちからだ? お前か? あの子達か?」

 

「ふむ、やはり気付くか。これはCVRって正直に言ったのが仇になったかな。君も疑り深いねぇ」

 

「顔見りゃ誰かくらいわかるからどのみちCVRなのはバレるだろ。で、オレをオトしたら何か報酬でもあるのか?」

 

「まさか。報酬なんてありはしないよ。これは彼女達が己の技術とプライドを賭けて望んでやっていること。強いて挙げるなら、君と過ごす時間が彼女達にとってのかけがえのない報酬なんじゃないかな」

 

 と、オレの問いに対して正直に話しつつも、キザな台詞で返してきた羽鳥だったが、また面倒なことに巻き込んでくれたものだ。

 要するにどういう選定基準かはわからないが、選ばれたオレから好印象を貰えるようにあれこれして、自分達がCVRとしてどれほど優秀かを競っていると、そんな感じなんだと思われる。

 おそらくはオレのデータを元に今回、好まれるであろう自分の『顔』を設定したはずの彼女達だが、やはり今までランク的にもパッとしなかったオレだけにデータも不十分だったのかここに来てからの探り方が半端なかったな。

 今頃は1人残った不知火を相手にしながらまた思考していると思うと戻るのがちょっと怖いが、タダ飯にありついてしまった手前で途中退場は気が引けてしまうのも事実。

 

「そんなあからさまに嫌な顔をすると、全力でやっている彼女達に失礼だと思うがね。それに君は少し、CVRという学科に偏見や距離を置いているところはないか? 色仕掛けなんて、とかそんな認識で彼女達を見てるなら、君は自らを恥ずべきだ」

 

「オレの心を読むなよ。それとCVRをバカにするようなことは1度も思ったことはない。自分から仲良くなろうと思ってないのは合ってるが……」

 

「だとしたら今回は君にとって貴重な経験になるはずだ。それを無下にするかどうかは、彼女達と真剣に向き合うかどうかにかかっていることを理解した上で戻りたまえ」

 

 そんな思惑を理解したところで個室に戻るのをためらっていると、珍しく真剣な顔になった羽鳥は、オレに何かに気付かせるような意味のある言葉を残して先に個室へと戻っていき、どのみちここで退場しても京奈の画像が愛菜さんと千雨さんの目に触れてしまうだけなので、トイレで1度落ち着いてから個室へと戻り、また彼女達の囲いの中心へと誘われていった。

 羽鳥の言うようにオレはその性質上、CVRに若干の苦手意識を持っていたため、学科間でのコミュニケーションでもCVRだけは極端に交流がなかった。

 理子の元戦妹の麒麟もCVRだから嫌われてる認識が強かったのもあるが、やはり心のどこかで『CVRなんて』と思うところがあったのかもしれない。

 しかしCVRはどこで依頼をこなすにしても、大抵は敵地のど真ん中に放り込まれて情報収集することが多いため、ある意味で強襲科や諜報科よりもその危険度は高いのだ。

 だからこそ彼女達は生死に関わる自らを常に磨き、誇りとしている。

 そんな彼女達と正面から真剣に向き合って改めて彼女達の色仕掛けに応じてみると、やはりその凄さを思い知らされる。

 こちらの意識的にやった行動――視線を太ももに向けたり、腕に絡んでくるのも軽く振り払ってみたり――に対してはあまり修正をしてこなく、オレが不意にやってしまった行動――顔を近付けられて少し離れたり――に対してはすぐさま微修正をしてくるのだ。

 つまり彼女達はオレの本心を正確に見抜いて、的確な判断と距離感を保ちながら徐々に詰めてきていることを示している。

 おそらくその手の観察眼ではオレは彼女達に全く歯が立たないことを理解させられてしまった。

 カラオケ店ではおよそ2時間ほど満喫したオレ達は、続けて近くのゲーセンも併設するボウリング場でボウリングを楽しんだ後、ゲーセンでエアホッケーをしたりプリクラを撮ったりと普通の学生みたいなことをして遊び、施設を出た頃にはもう空がうっすらと赤く染まり始めていた。

 そこからさらにどこかへ行くのかと思ったのだが、どうやら今日はこれでお開きとなって羽鳥が車を取りに行き、不知火もこれから用事があるとかで行ってしまって彼女達と1人で待ちぼうけを食らっていたら、その彼女達が今日の自分達がどうだったかを具体的に評価してと言ってきてマジかと思うが、それが本来の目的だったのだからここであやふやな評価をするのは彼女達に失礼。

 だからまずは総評として『CVRの凄さを再認識できた』と言えば、意外な言葉だったのか3人ともが少し驚くような表情をして、次には素直に嬉しかったのか感謝の言葉を返されてしまい、その時の笑顔が自然でちょっとドキッとしてしまう。

 なんかCVRが見せる正直な顔は見せられると照れくさい。

 そんな彼女達の反応に困りつつも、気を取り直して3人の今日の序列と個別の評価へと移り、自分なりの良し悪しを述べてみると、てっきりそれで3人が言い合いでも始めてしまうかと思ったが、その予想に反して「やっぱりね」とか「あれがダメだったか」とか3人が真面目に反省会みたいなことをしていたので、ここでもまたオレは彼女達を見誤っていたことを反省。

 この子達はオレなんかよりもずっと武偵として立派なプライドを持ってる。見習うべきはオレの方、か。

 それから最後にどうして今日オレを選んだのかと尋ねてみると、答えは単純なもので『依頼では何かと不透明な男性をオトさないといけない場合もあるから、そのための練習』と説明されて納得してしまう。

 他にも適任者はいそうなものだが、まぁ羽鳥経由でセッティングしやすかったってところか。

 そう予想しつつ、呼んでいたタクシーが来たっぽいことを確認し、ようやく終わりかと肩の力をちょっとだけ抜いたら、不意に彼女達から今日のオレの分析結果を練習台に使った謝礼にと述べられる。

 それによるとオレは生足。特に太ももに弱いらしく、グイグイ来られるのには強いが、距離感を保ったところからの気配りに困ってたとか。

 こういうのは周りの環境に影響されるのかもしれないが、彼女達がそう分析したからには今後は気を付けておいて損はないな。

 そんな分析に一応の礼は言っておくと、横につけてきたタクシーに乗り込む際に言い忘れていたかのように口を揃えて「それから猿飛君には意中の女の子がいるっぽい」と笑いながら言われてしまい、はて、誰だろうな? と真剣に考えてそれをまた笑われたところで3人ともがタクシーに乗ってしまい、そのまま学園島へと帰っていってしまった。

 確かに気にかけてるやつはいるが、あれはちょっと違う気がする……んだがなぁ……

 最後の最後でモヤッとするものを投下されて唸ってしまったが、その思考を止めるようにオレの携帯が着信を知らせてきて、見れば知らない番号からだが、何か不吉なものを感じてそれに応じてみると、電話の相手は玉藻様だった。

 

『猿飛のか? 至急具足を付けて出よ。ジーサードが東京に戻ってきよった』

 

 この危険予知的な勘が当たるのはいい加減うんざりだが、玉藻様の言葉で完全に切り替わったオレは、タイミング良く来た羽鳥の車に急いで乗り込んで、玉藻様が知らせた場所へと向かい始めた。

 そういやあいつには1発仕返しするって決めてたっけな。かなめの時は穏便にやったが、今回はそうはいかないかもしれん。私怨って怖いよな。



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Bullet75

 

「場所は品川火力発電所。ここからだとスムーズに行って最短20分ってところか」

 

「最短はどうかな。今は夕方、帰宅ラッシュの始まる時間だから、交通量は酷くなってると思うけど」

 

 玉藻様からジーサード襲撃の報せを聞いて新宿から羽鳥の車で急いで出発したのだが、ジーサードがいるらしい品川火力発電所まで急行するのには少し時間がかかりそうで、その間に連絡をするべき人物達に携帯で報せておくことにする。

 玉藻様がすでに一番近いところにいたらしい白雪とジャンヌに連絡し向かわせたとのことで、オレとの通話を切る際にキンジにかけるようなことを言っていたので、とりあえずすぐ出そうな理子に繋ぐと、こちらの雰囲気を敏感に察知しおふざけ抜きで応答。

 自分で現場には急行すると言ってからレキに連絡すると報告があり、次はアリアに繋げば、こちらはもう玉藻様から報せを受けてすでに出撃準備に入っているようだった。

 ならばとワトソンに最後に繋ぐと、こちらはまだ報せを受けていなかったらしく、移動手段は車があるようなのでこれでこちらの陣営は全員が動いたはず。

 それらの連絡を終えてみると、車は交通量によって案の定ペースダウンしていて、ハンドルを握る羽鳥もどこかイラつく素振りをしていたかと思えば、急にその進路を変えて一車線の通路や人通りの少ない通路を進み始めて時間短縮を狙ったようだが、はたして上手くいくか。

 一応カーナビによって道路情報は逐一確認できるが、どのみち大通りを通過しなければならないので結果として遅くなることも十分ありえ……

 そこまで考えてオレはふと、こいつの行動に疑問を抱いてしまう。

 武偵の乗る車なら、おそらくは高い確率で赤い回転灯を搭載しているはずで、それを使えばたとえ大通りでも信号と交通量を無視できたのではないか。

 そう思って後部座席の方に目を向けて、そこに何もないことを確認し、助手席の前のグローブボックスを開けると、あった。赤色回転灯が。

 すぐにそれを取り出して羽鳥に付けることを言おうとしたが、よく考えてみたらこいつはこんな凡ミスをするようなやつではない。

 むしろ車を所持してるならこういう緊急時の行動として刷り込まれてる自然動作の1つ。

 そこまで考え至ってから現実に戻ると、車はいつの間にかどこかの建設中の施設の敷地内に入るところで、それにはもう疑問しかなかったオレが羽鳥を見た瞬間、香水ケースのようなものから何かの気体を顔に噴きかけられて、反射的に目を閉じてシートベルトを外しドアノブを開けて転がるようにして車から出たオレは、口内に噴きかけられたものを吸い込まないように呼吸を止めた状態で顔を拭い、皮膚に異常がないことを確認してから目を開けてすぐさま羽鳥の車から離れ敷地の奥へと下がった。

 

「相変わらず驚くべき即応力だね。いつもデータより良い動きをするから少し面白いが、今回に限っては厄介でしかないかな」

 

 一体どういうつもりなのか、全く悪びれる様子のない羽鳥は、敷地の出入り口で停めた車から降りてから、よくわからないことを言いながら両手に黒い革製グローブを付けて車に背を預けオレと正面から向かい合う。

 

「ああ、心配しなくても君に浴びせたのは即効性の催眠ガスだから、ほとんど吸ってないなら効果はないかな」

 

「なんのつもりだ」

 

「君をあの場所へ行かせるわけにはいかない。それだけだよ」

 

「だからそれがなんのつもりだって言ってんだろ。その行動に何の目的があるんだよ」

 

「ふむ、それに答えるとなると私も突っ込んだことを話さないといけないんだけど、話したらここに留まってくれると約束するなら……」

 

「ならいい。ぶっ叩いて聞き出してから行く」

 

「……野蛮なのは嫌いなんだがね」

 

 どうやらオレがジーサードの元へ行くことを阻止したいらしい羽鳥。

 その理由は全くわからないが、退く気がないやつと議論する時間はない。

 このまま羽鳥をやり過ごして向かう選択肢もあるにはあるが、今こいつを自由に動ける状態にしておくのもまた事態を悪化させる可能性が。

 それを避けるにはやはり羽鳥を無力化しておく必要はあるか。

 それを示すように防刃グローブを装備してゆっくりと身構えたオレに対して、実は戦闘能力に関してはほとんど知らない羽鳥は、その手にサプレッサー付きの拳銃を抜き、オレに向けて牽制。

 人の目も全然ないし住居もないこの周りでは、おそらくちょっとくらい派手に戦り合っても騒動にはならないっぽい。

 銃声もサプレッサーで減音されるし、事前に場所を選んだわけだ。やってくれる。

 

「時に君は、かのシャーロック・ホームズがその生涯で唯一『捕まえそびれた犯罪者』を知っているかい?」

 

 面倒な状況になりつつも、その状況を冷静に確認していたら、銃を向けながら羽鳥はいきなりそんなことを尋ねてきて、突然の質問についつい思考してしまったオレは、その一瞬の隙を正確に突いて放たれた銃弾に対して反応が遅れ、胸めがけて放たれていた銃弾を右肩に受けてしまい痛みで動きが鈍る。

 そこを容赦なく羽鳥が間合いを詰めながらさらに2発。

 今度は両の太ももを狙って機動力を完全に削ぐ気で迫ってきて、銃口の向きで狙いをおおよそ予想できたオレは撃たれる直前に横っ飛びでそれを回避。

 しかし体勢までは整えられなく、片膝の状態で接近してきた羽鳥の右足の蹴りを両腕で防ぎ体が後ろへ流れるが、それに抗わずに後転し蹴り上げていた羽鳥の右足を自分の足で払い上げてバランスを崩してやりつつ、後ろで両手を突いて倒立から跳ぶように立ち上がる。

 この時点で不意打ちへのリカバリーは完了したが、右足を持ち上げられた羽鳥はしなやかな身のこなしで手を使わない華麗な開脚バック転でバランスを崩すこともなくその場に留まってみせて、こちらが構えるより早く接近戦へと持ち込んできてアル=カタで押してくる。

 アル=カタでの拳銃を打撃武器に使う戦闘法は悶絶級に痛いので、羽鳥の右手を一番に警戒しつつ銃口がオレに向かないように捌き、隙あらば銃を叩き落としてしまうつもりだったが、異常に躱すのが上手い羽鳥はこちらのそんな動きに合わせてワンステップ後退してすぐさま元の位置に戻る芸当を見せてこちらに銃弾を撃ち込もうと捌く手をさらに捌いてくる。

 体術も独特ではあるがしなやかさを生かした受け流す柔術に近いタイプで、大振りがないため攻めに転じる隙も少ない。やりにくいな……

 羽鳥のペースで戦況をコントロールされつつある中、とにかく拳銃だけは優先的に処理しておくべきと判断して、羽鳥のワンステップ後退の1拍を逆に利用してミズチから分銅付きのワイヤーを1本取り出して突き出してきた羽鳥の右腕に巻きつけて離れられなくし、すかさず空いてる右手でグリップを握る指を殴り銃を手放させ、落ちた拳銃を蹴って敷地の端まで飛ばしてしまう。

 そしてもうこの際だからと互いに片腕を封じた状態でのガチンコでもして倒すかと決意しかけたが、それより早く左腕の袖からシュッ、と手術用のメスを取り出した羽鳥はそれでワイヤーを断ち切って離れてしまい、残念ながら実行の前に阻止されてしまう。

 あのメスは手首の特別な動作で取り出せる装備を腕に仕込んでるようだな。

 片腕だけとは限らないし、あと何本仕込んでるかもわからないから注意しておくか。

 ここでようやく羽鳥優位の立場がイーブンにまでできて、初撃で受けた銃弾のダメージは鈍く残りつつも問題ない程度に回復。

 ここから一気に倒しに行きたいところだが、今の攻防で羽鳥の戦闘能力がオレと同等か少し上くらいに感じたので下手に攻め込むと手痛いカウンターを受ける可能性も低くない。

 だからといってまた羽鳥から仕掛けられてペースを作られるのも避けなきゃならない。

 そうこう考えながら羽鳥をよく見れば、左手のメスを遊ばせつつ刃こぼれがないかを確認していたが、その顔は何故か楽しそうに笑顔を作っていた。

 

「さっきの質問、何か心当たりはあったかい?」

 

「……あっ? シャーロックが逃した犯罪者ってやつか。そんなの考えるより先に仕掛けてきたのはどっちだよ」

 

「ハハッ、それはそうか。ではヒントをあげよう。彼が活躍したのは19世紀末のイギリス、ロンドンを中心とした近隣諸国だ。最も有名なかの教授……ジェームズ・モリアーティは公式ではスイスのライヘンバッハの滝で転落死の扱いだから答えではないよ」

 

 また唐突に話しかけてきた羽鳥に、今度は十分な警戒をしながら応じてやると、どうやら本当に答えがあるらしく――てっきりただの隙作りの話題だと思っていた――わざわざヒントまでくれる親切心を見せるが、条理予知を持つあの完璧超人が逃がした犯罪者なんて本当にいるのか?

 当時はまだそれほど超人めいてなかったのかもしれないが、そんな記録は教科書にも……

 と、そこまで考えてまた意識が羽鳥から離れかけてしまったので、2度も術中に嵌まるのはバカもいいところだから今度はこちらから仕掛けていく。

 まずはクナイを2本取り出して、そのうち1本をすぐ足元に刃の部分を丸々地面へと突き刺して埋めて羽鳥へと接近。

 とりあえず防弾制服があるからメスは有効な武器ではない――頭部くらいしか狙えないし――と判断して処理は後回しにし、接触の直前にもう1本のクナイを羽鳥の左の足首めがけて投擲。

 しかしさすがの反応を見せた羽鳥はひょいっと足を上げただけでそれを躱し、その足で回し蹴りを放ってくるが、身を屈めて羽鳥の外側へと抜けて左足を腕に見立てた背負い投げで羽鳥を力技で放りほぼ同時に足元の地面に浅く刺さったクナイを踏んで深く埋め込む。

 投げられた羽鳥は頭から落ちるところを両手でしっかり勢いを殺して回転受け身からすかさず反転で立ち上がって即リカバリー。だがそのくらいは想定内。

 次には分銅付きのワイヤーを右手から遠心力を利用して羽鳥の胴に巻き付くように放り、同時に左手からも再び足首を狙う軌道と羽鳥の両側を狙う軌道でクナイを3本投げる。

 これでワイヤーを屈んで躱すことも横っ飛びで躱すことも封じた。が、これでもまだ布石。ちゃんと動けよ、羽鳥。

 そんな願いを込めながら羽鳥の対応を観察すると、迫るワイヤーに対して左手のメスを使って直前に迫ったところで断ち切った羽鳥は、同時に迫るクナイも半身で躱して対処。さすがだが、よく動いてくれた。

 それを確認するより少し早く接近をしていたオレが羽鳥の全ての動作が完了したところに右足で突くような蹴りをお見舞い。

 攻撃自体は単調だったので右足に正面を向ける形で左側へバックステップし難なく躱されたのだが、そこで羽鳥は何かに足を取られたようにバランスを崩して背中から倒れそうになる。

 そこに待ってましたとばかりに右拳を握って羽鳥の顔面へ叩き込もうとしたオレだったが、直前でその軌道をやや変えて胸の中心へと叩き込み地面へと倒した。

 地面に強く叩きつけられた羽鳥は一瞬苦痛に顔を歪めるが、次には人が変わったような鋭い目と恐怖すら覚える笑顔を見せて左手のメスを顔めがけて突き出してきて、それを体を傾けることで躱したのだが、首のすぐ横で止まった羽鳥の左手首が鋭いスナップを効かせて持っていたメスを投擲。

 完全に不意を突かれたオレは『死の回避』によって上体がわずかに反り返り首の皮一枚でメスを躱すことに成功。

 しかし次にはもう羽鳥が右手からメスを取り出してオレの首を狙っていたため、慌てて後退し十分な距離を開いた。

 そしてオレの首にはメスによって横一文字の切り傷が刻まれ、そこからわずかながらも出血。

 今のは完全にオレを殺しにきていた。でなければ死の回避が発動するわけがないのだから。

 武偵だから殺しはご法度、というのは常識レベルであったため、オレは羽鳥とやる前からそれ前提で戦っていたが……どうやら認識違いだったらしいな。

 ここにきていきなりの羽鳥の変貌とその危険性に戦慄しながら、ゆっくりと立ち上がった羽鳥を見るが、その目は依然としてギロリと睨むようなものでありながら、表情は不気味なほどに笑顔を作っている。

 まるでオレを絶好の標的か何かとでも見るような『狩人』の顔に、今までの羽鳥が虚像であったようにさえ感じてしまう。

 

「……不思議なことをするとは思っていたが、まさかここまで策を練っていたとは感服したよ」

 

 と、戦慄するような笑顔のままで右手のメスを足元へと投げ捨てて地面に突き刺した羽鳥。

 それによってオレが地面に突き刺した2本のクナイで張ったワイヤーが断ち切られてその効力を失う。

 先ほど羽鳥が回避行動の際に転倒しかけたのは、そのワイヤーがかかとに引っ掛かったから。

 すでに陽も沈んで明かりも少ないこの場で、このワイヤーに気付くのは至難の技だが、奇妙な行動を挟むから途中で気付かれないか本当に心配だった。

 そちらに意識がいかないくらいに攻撃を畳み掛けたのは結果として良かったかもしれん。

 

「だが君は、1つ大きなミスを犯した。あそこで私の顔面に拳を叩き込んでいれば、一撃で戦闘不能にできたかもしれなかった。しかし君は直前でそれを止めて、結果として私を『覚醒(めざ)めさせてしまった』……」

 

 オレのワイヤートラップを断ち切った羽鳥は、やはり気付いていたのか、オレの失策を的確に指摘しつつよくわからないことまで言い始める。

 覚醒めさせた? 何を言ってる?

 

「以前私は『自分を女だと思っていない』と話したことがあったね。あれは真実だが、それにはちゃんとした理由があるんだよ。私はね、『自らが女であることを自覚してしまうと、異性である男を無性に壊したくなってしまう』んだ。その顔を苦痛と絶望で染め上げて、腹を裂き内臓の1つ1つを丁寧に取り出し、溢れ出る血を周囲へと撒き散らしてやりたいと思うほどに、狂気的な衝動。だから私は普段男の格好をし、女としての恥を感じないほどに心を男にしていた。なのに君は今、私が女であることを意識して、この顔に拳を叩き込めなかった。それは私にとって自分が女であることを自覚するのに十分すぎる理由だったんだよ」

 

 不気味な笑顔のままでそうやって自分の秘密についてを暴露した羽鳥に、オレは言葉を失う。

 病気? いや、そんなレベルの症状ではない。殺人……いや、破壊衝動など、多くは願望の段階で理性が止めて体が拒否反応で力を大きくセーブしてしまう。

 だが今の羽鳥はどう考えても『それを犯した上で味を覚えた』レベル。快楽殺人などの犯罪者と同じでそれ自体を楽しんでしまっている。

 これは掛け値なしでヤバイ。

 

「…………どうしてお前は、そんなことに……」

 

「どうして? フフッ、それが知りたいならさっきの問題の答えを導き出すのがいいだろうね。何か心当たりはあったかい?」

 

 そんな破壊衝動をその身に秘める重症の羽鳥に対して自然と出てしまった問いに、羽鳥は笑いながらまたあの話を持ち出してきて、今度は真剣に思考し始める。

 が、よく見ると羽鳥がその間合いを牛歩ではあるが詰めてきているのがわかって、それに反応して下がると一気に詰めてきそうな危険があったので、気付いていないようにその場に留まりつつ頭をフル回転させる。

 しかし教科書にも載るほどの超有名人が取り逃がした犯罪者なら、当然それは歴史が残しているはずで、そんな史実は教科書にない。

 

「……少し、昔話をしようか。今から120年前。ロンドンを恐怖のどん底へと叩き落とした猟奇殺人事件が起こった。それを起こした犯人は、天敵となる名探偵が国を留守にしている間に、5人もの売春婦を殺害。その殺し方は残忍でありながら、一部では高度に外科的な殺し方だったと言われたそうだよ。そして検分の通り医師であった『彼』は、それだけのことをしながらその後もノウノウとロンドンに住み続け、遠方の地より国を追われて逃げて来た1人の東洋人女性と結ばれて子を成した。妻は元々、高名な忍の末裔であり、秘匿されたその姓は次の代から『羽鳥』へと変わり、残忍な殺人鬼とかつての忍の一族は歴史の闇に葬られた……」

 

 オレがまだわかってないことを表情で察した羽鳥は、最後のヒントとでも言うように長々とそう話すと、さすがのオレでも羽鳥の問題の答えに辿り着く。

 これはわからなくて当然で、意地悪な問題であったとも言える。

 何故ならその犯罪者には『シャーロックが関わっていない』のだから、史実に載っていなくても仕方がない。

 仮に『19世紀末のロンドンで最悪の犯罪者は誰か?』とでも問われれば、オレはすぐに答えに辿り着いた。

 それほどにその犯罪者は有名。名前さえわからないその犯罪者の通り名は……

 

「…………ジャック・ザ・リッパー……」

 

「日本では切り裂きジャックの方が通りは良いかもね」

 

 辿り着いたオレの答えにようやくかといった声色でそう付け足した羽鳥だが、やつの話はそれだけに終わってなかった。

 そのジャック・ザ・リッパーの妻になった女性にもオレは心当たりがあり、忍の歴史において江戸幕府の終わりと共に霧のように消えてしまった一族の直系がいたのだ。

 同族による暗殺によって血が絶えたのではないかとささやかれていたその直系は、どうやら海を渡って遠くイギリスの地へと逃げ延びていたらしいな。

 そしてそんな史実には絶対ないだろう昔話を語った羽鳥は、間違いなくその血族。

 

「さすがにもう理解したかな。そうだよ。私の本来の名は『服部・(ジュリウス)・フローレンス5世』。または『17代目服部半蔵』。現代において知られれば確実に日陰者となる、忌まわしき血筋さ」

 

 自虐を含んだ独白で自分の本名を晒した羽鳥は、付け足すようにして「だからこの名を名乗ることは禁じられていたんだよ」と話したが、それと破壊衝動が結びつかないことは明らか。

 そんなものは遺伝でどうこうの話では決してないからな。

 

「まさかお前がジャック・ザ・リッパーの血筋だから、破壊衝動を持って生まれた。なんて言うつもりはないよな」

 

「…………君にはわからないだろうね。影でありながら光の道を歩み続けた血筋の君には、一族の罪をひた隠して生きてきた者の血の呪いは……」

 

 オレの正論な問いに対して、いつもならバカにしながら肯定でもしそうな羽鳥が、少しの沈黙から作っていた笑顔をわずかに曇らせて、まさかの否定と取れる答えを述べたことに驚く。血の呪い、か……

 衝撃の連続で完全に戦闘中なのを忘れていたオレは、再び狂気の笑顔を浮かべた羽鳥に反応が遅れてしまい、目を疑うようなメスのクイックスローによって自分が散々狙っていた右足首を刺されてしまい膝を突く。

 思考を止めるほどの不意打ちだったが、すぐに刺さったメスを抜いて立ち上がろうとするも、その時にはもう羽鳥が有効射程まで距離を詰め終えて顎を蹴り上げるような右足の蹴りを放とうとしていて、直前で右手を挟んでダメージを軽減するが、勢いで体は後ろへと流れて左手のメスを手放してしまうと、そのメスを空中でキャッチした羽鳥は戦慄する笑みでオレの喉元へとメスを投げ下ろしてきた。

 当然当たれば致命傷となるそれを死の回避が察して今しがた防御に回した右手がそのメスを横から握って受け止めて刃の部分が喉元ギリギリで止まって難を逃れ……たと思えば、ほとんど倒れていたオレのその右手を押し込むように左足を振り下ろしていた羽鳥の攻撃にさらに死の回避が発動。

 喉元とメスの刃の間に今度は左手が割って入って、その上から羽鳥の左足が襲来。

 メスは刺さらなかったが、喉を強く踏まれたに等しい攻撃で呼吸ができなくなり、同時に地面に背中と頭を強打。

 思考まで奪われたオレは次の行動を行うことができず、成す術なくその首を左手で掴まれて右手にメスを持った羽鳥がオレを見下ろしながら、冷たい笑顔でボソリと呟いた。

 

「グッバイ、猿飛京夜」



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Bullet76

 

 ジーサード襲来で慌ただしく動き出した矢先、それを阻むようにして立ちはだかった羽鳥の謎の行動によって戦闘となってしまったが、その最中で覚醒めた破壊衝動と衝撃の事実を語った羽鳥に完全に押されて死の間際にまで立たされていた。

 地面に仰向けに倒されて左手で首を掴まれ、振り上げた右手のメスが躊躇なくオレの額へと振り下ろされた瞬間。

 オレの生存本能が極限レベルで高まって、停止していた思考を無視して体が動き出す。

 直前に投げられて右手で受け止めていたメスを羽鳥の左のこめかみを狙って振り、それに反応して動きが鈍ったところですかさず左手で振り下ろされていた羽鳥の右手首を掴んで止める。

 ここで首から手を放して体を反らしてメスを避けた羽鳥は、振り抜かれたオレの右手を掴んで止めて互いに両腕を封じた状態になるも、倒れたままのオレの方が分が悪いため空いてる足で顎めがけて膝蹴りを放ってきた羽鳥にこちらも左足を振り上げて後頭部を蹴りほぼ相討ち。

 ダメージはこちらが大きいが、この時のオレは考えて動いていなかったから、次の動作は怯んだ羽鳥よりも早く、掴まれていた右手を振りほどいてメスを投げ捨て、羽鳥の右手からもメスを剥ぎ取ってから鳩尾に左拳を撃ち込んで強引に羽鳥とオレの体の間に足を挟み込んで巴投げ。

 そこから羽鳥を見ることなくグラつく体を無理矢理起こして右足を庇いながら距離を開いて反転。

 ここでようやく思考が回復してきたが、顎への一撃が効いてて頭がぐわんぐわんして意識が混濁気味。

 視界も若干ブレていて、喉もちょっとヤバイ感じでまともに声が出そうにない。

 しかしあそこから生還したのは大きい。

 正直自分でも信じられないが、勝手に動いていた間にちょっとマズイことをしたのを思い出し怖くなる。

 ――引っ張られた。

 自分を本気で殺そうとする羽鳥に、オレの生存本能が理性を飛ばして最適な処理として羽鳥を『殺そうとした』。

 今回はたまたま羽鳥の反応が良かったから大事には至らなかったが、もしあそこでこめかみにメスが刺されば……

 そんな最悪のイメージが頭をよぎったのを振り払って、回復した視界で改めて羽鳥を見ると、向こうも頭へのダメージが効いたのか片膝を突いて頭を押さえ回復を待っているようだったが、その顔にはまだ貼り付けたような笑顔があって、それがまたオレの恐怖心を増大させる。

 あいつが今、何を考えているのかオレには全くわからない。

 

「…………私が11歳になったばかりの頃、両親がミスをしてジャック・ザ・リッパーの子孫であることを知られてしまったことがある。それも家庭が崩壊するほどのゆすりをかけてくる悪党にね。両親はそれによって負債を抱え、脅された私は顔も名前も知らない男に買い取られ、3ヶ月ほどの間、男の性欲処理の道具として扱われたよ。そんな日々に心身共に疲れて生きることに苦痛すら覚えていた私は、毎日乱暴に扱ってくる男を同じ人間として見れなくなった。悪魔などの恐怖の対象としてじゃなく『ただの動く肉塊』としてだよ。その時さ、私がやっぱりジャック・ザ・リッパーの子孫なんだと思ったのは。それを自覚した後に人身売買の判明によって男の家に警察が来て私は保護されたけど、その時にはもう男は死んでいた。喉を掻き切られ、目をくり抜かれ、耳と鼻を削ぎ落とし、五体をバラバラにされ、内臓という内臓が腹から取り出されて1つ1つ外に並べられてね。後から聞いた話だけど、私を保護した警官がね、その男のそばで見下ろしながら笑っていたって。まるで与えられたおもちゃで遊んでいたように、この私が」

 

 互いに動けないと冷静に判断したのか、回復までの間に自分の昔話を始めた羽鳥。

 こいつはずいぶん前に11歳程度で処女を喪失したようなことを言っていたが、その時は冗談みたいに犯罪臭がするみたいに思ったのに、本当に犯罪行為でとはな。

 そしてそれがきっかけであいつの中のジャック・ザ・リッパーの血が覚醒した、とでも言いたいわけか。

 喉を攻撃されたせいでまだ声が出ないオレは、その話に対して文字通り言葉が出ないが、羽鳥の過去は確かに耳を塞ぎたくなるような内容が含まれていた。

 しかし、だからといってそれで同情してほしいなどとあいつが思っていないことは明白。

 ではどうしてそんなことを話したかと言えば、おそらくは言葉にして『仕方がないんだ』と自分に言い聞かせているんだろう。

 オレを壊すことに対する諦め、と言い換えればわかりやすいか。

 

「当時のことはあまり記憶にないんだけどね。ただ1つ覚えているのは、男を壊している時にただただ楽しんでいたこと。我ながら壊れていると思うよ。その後私は精神科でカウンセリングを受けたり、社会復帰のためのリハビリをしてみたけど、芳しい結果は出なくてね。そんな時に薦められたのさ。普通に生きられないなら、普通から遠いところで生きればいいってね。それが武偵、羽鳥フローレンスの第1歩だった。そして私は壊れたままで尋問科で破壊衝動を抑えるように死なないギリギリの拷問に手を出し、救護科では鑑識科との連携でよく検死を担当して遺体にたくさんのメスを入れたよ。そうやって試行錯誤しても衝動を抑えられなかった私は、自らを男と思い込み、女性に愛情を抱くことでようやく抑え込むことができた。その時点で初めて私の衝動の根源が判明したが、当時のジャック・ザ・リッパーでもその殺人衝動にはある嗜好性があって、誰彼構わずのようなものではなかったのに対して、私は男という男が全て対象とあって重症だよ。つまり私はジャック・ザ・リッパーよりも狂暴な殺人鬼と言っても過言ではないのさ」

 

 ……だからこいつの2つ名は『闇の住人』なのかもな。

 きっとこいつが拷問と検死をしている時も、今のように笑っていたに違いない。

 Sランクを取得した時期はわからないが、そういう畏怖の念によって生まれた2つ名が、羽鳥を諦めさせる原因の1つにもなったのではないかと思うと、国際武偵連盟にも少しだけ怒りが込み上げてしまう。

 そしてそれ以上に羽鳥にもな。

 沸々と込み上げてくるものがありながらも、未だ発声するまでに回復しない喉を気にしていたら、先に回復したらしい羽鳥がすくっと立ち上がってその目にさらなる狂気の色を宿してまだ動けないオレに接近。

 今度こそ仕留めにくるんだろうな。話にあった血の呪いに従って。

 だが、そんなものでオレが死んだら、あいつはこれからも諦め続けてしまう。仕方がないんだと、その手を血に染め上げてしまう。

 そんな悲劇……オレで止めてやるよ……羽鳥。

 回復したばかりとは思えない俊敏な動きでオレに迫った羽鳥は、今までほとんど出さなかった笑い声を上げながらCQCで攻めてくる。

 

「ハハッ! 頑張らないとあっという間に壊れちゃうよ! ほらっ、ほらっ、ほらっ!」

 

 笑いながら足首をやられた右足にローキック。

 それでガクリと膝が折れたところに右手の手刀がオレの左側頭部に命中。

 倒れかけたところに胸への蹴りで後ろへと吹き飛び仰向けで倒れる。

 蓄積したダメージは思ってるよりも深刻で、正直もう立ち上がりたくない。

 そんなオレに馬乗りしてきた羽鳥は、そこから拳で顔を連打。

 両腕でガードはしたが、その上からガスガス殴られるだけでも相当痛いし、殺すために振るう拳の狂暴さは喧嘩などの比ではない。

 なにせ打ち所など考えないで躊躇なく撃ってくるのだから。

 

「君は! 今までで! 一番頑丈な! おもちゃだったよ! 死んだら! 使える部分を! 丁寧に取り出して! 保存するから! 安心したまえ!」

 

 オレを殴る度に口を開く羽鳥。

 腕の骨が折れそうな拳の連打だがそれは向こうも同じで、アドレナリンでも出まくって痛みがないのか笑顔は全く崩れない。

 そんな拳の連打によってついにガードが緩んで開かれてしまったところで、待ってましたとばかりにその袖からメスを取り出して右手に持った羽鳥は、空いたガードの隙間からオレの喉に一直線でメスを突き出してくる。

 だがその手首を両腕で左右から挟んで止めたオレは、ぐりんっ、と手首を外側へ捻って、それによってわずかに体の重心がオレの上からズレたタイミングを逃さずに羽鳥を押し退けて馬乗りから脱出。

 転がりながら片膝立ちまで体勢を立て直したところで羽鳥から寸分の狂いもなく眼球狙いでメスが投げられていたが、顔を右に傾けてこめかみをわずかに切る程度で躱すと、どうやらアドレナリンが切れたのか羽鳥も肩で息をし始めて両腕がぶらりと下がっていた。

 

「まったく……しぶとすぎるよ君は……」

 

 憎々しげにそう口を開いた羽鳥だが、まだ笑顔を崩さない辺り衝動は収まっていないらしい。

 これはもう、動けなくなるまでやるしかなさそうだ。

 とはいえ状態としては羽鳥より深刻なオレは、両腕がまともに上がらないし、右足も引き摺ってでしか歩けない。

 だがそれがなんだ。いま一番苦しんでいるのは、目の前のあいつなんだよ。

 そうやって自分に言い聞かせて意地で立ち上がったオレだったが、羽鳥に近付こうとしたところで戦慄が走る。

 戦闘の始めの方で処理して蹴り飛ばしていた拳銃が、羽鳥の手に握られていたのだ。

 当然それを狙っていただろう羽鳥は、乱れた息を整えながらその銃口をオレへと向けてすかさず発砲。

 しかし発砲の反動によってブレた羽鳥の銃弾は死の回避すら発動しないオレの頭の横を抜けていき、正直まともに動かない体で死の回避が発動するかもわからない状態だったから助けられたが、その結果が信じられないのか、撃った羽鳥の笑顔が固まって、そこからさらに2発、3発と撃つもオレには当たらない。

 つまり、もう羽鳥は拳銃の反動にさえ耐えられないほど腕力と握力が落ちてしまっているのだ。

 その事実に少なからず動揺している隙に接近していくオレに、あちらも意地で片膝立ちから立ち上がって扱えない拳銃を投棄。

 先手を打とうと自ら近付いてその拳を顔面に叩き込んできたが、やはりもう力はない。

 一応、左頬にまともに入ったので口の中を切ったが、その血を吐き出して顔を振り拳を押し戻したオレは、最後の力を振り絞って右拳を握って、それを全力で羽鳥の顔面に叩き込んでやった。

 もはやそれを受けて踏み留まる力もなかったらしい羽鳥は、ここで初めて背中から地面に倒れ、再び立ち上がられても困るので今度はオレがそこに馬乗りして身動きを封じ、ようやく回復した喉でガラガラになりながらも口を開いた。

 

「……に……るなよ……」

 

「…………何?」

 

「……逃げるなって言ったんだ……」

 

「君は……何を言ってる?」

 

「……血の呪いとか……男を演じて自分を騙したりとか……逃げてんじゃねーよって言ってんだ……こんなんじゃお前の問題は……解決……しないだろうが……」

 

「逃げるなだと? 無責任なことを言うな! 君に私の何がわかる! こうやって生きるしか私には道はないんだよ! それが血の呪いなんだよ!!」

 

「ごちゃごちゃ言ってんなよ」

 

 まだ叫ぶだけの元気がある羽鳥に対して、叫べないオレは、それでもずっと言いたかったことを言うために羽鳥の胸ぐらを掴んでわずかに起こしてやり、至近距離で聞き逃さないように言ってやる。

 

「お前がそうやって諦めてるのを見ると、腹が立つんだよ。お前はいつもキザで冷静で何をやっても大抵は上手くやる。そんなやつが自分を簡単に諦めてんじゃねーよ。ジャック・ザ・リッパーの子孫だからなんだ。それだけがお前を構成する全てじゃあるまいし、そんな『ちっぽけなもの』に支配されてざまぁねぇよな。カッコ悪いって思わないのかよ」

 

「…………カッコ悪いさ。この血に抗えない私は、最高にカッコ悪いと思ってるさ。だが…………でも……抑えられないのよ……どんなに心の奥に押し込んでも……全く色褪せない不気味な笑顔が私をどんどん押し潰していくの……」

 

 ずっと貼り付けたような笑顔を見せていた羽鳥だったが、オレの言葉に感応したのか、ずっと秘めていただろう本音と一緒に、本来の羽鳥の人格とでもいうものが出てきて、今までしなかった女の子の話し方でその笑顔から涙を流す。

 ようやく会えたな、羽鳥。

 

「抗えよ、羽鳥。血の呪いがなんだ。過去がなんだ。お前は今、オレに全てを打ち明けて、全力で殺しに来てオレを殺せなかった。今後お前が血の呪いに負けそうになっても、オレが必ず止めてやる。こうして殴ってでもお前を止める。お前はもう1人じゃない。だから逃げるな、羽鳥フローレンス」

 

 逃げるな。

 そんな言葉が無責任なのは百も承知だったが、それを言わなきゃこいつは自分の血と正面から戦えない。

 だから無責任なりにこいつを止めてやるのだ。今回のように、動けなくなるまで戦ってでも。

 自分の暴走を止めてくれる人がいるというのが、少なからずこいつを安心させることにも繋がると信じて。

 そんなオレの言葉を受けた羽鳥は、左腕で顔を隠してしまって、そこから小さな声で一言「ありがとう」とだけ述べて、オレが馬乗りした瞬間から取り出していた右手のメスから手を放したのだった。

 それから緊張の糸が切れたように気を失ってしまった羽鳥から退き、オレも両手足を投げ出すようにして地面に仰向けで倒れる。ちょっとマジで動けんなこれ。

 それで場が落ち着いてから改めて何で羽鳥と戦ってたのかを思い出すと、ジーサードが来てるんだったなと思うも、今から駆けつけても足手まといも良いところなので、キンジ達のことを信じてとりあえず回復に努め始めたが、さっきの戦闘の中で異常に感覚が鋭くなった時に戦いを監視してるらしき気配に気付いていたので、終わったなら出てくるかなと待っていたら、案の定オレの察知できる範囲にまで近付いてきた監視者は、ジジ、ジジジというどこかで聞いたような音を立てて何もなかった空間に突然姿を現した。

 

「気付いていたようね」

 

「…………際どいな」

 

 そうして現れた監視者、ジーサードの仲間である銀髪オッドアイの少女、ロカは、オレの頭のすぐ上から覗き込むような上下逆さまの状態で話しかけてくるが、この状態だとロカの短いスカートの中が見えてしまって、確かオレより年下なのにずいぶんと大胆な下着を穿いていたので口に出すと、すぐに顔を真っ赤にしてスカートを押さえ1歩下がってから頭に蹴りをお見舞いしてきたので、本気で死にそうになる。マジやめろ……血もちょっと出てきたし。

 

「女のスカートを覗いてそれだけで済んだんだから感謝すべきよ、猿飛京夜」

 

 そんなことを思いながら顔を上に向けたら、オレの心を読んだような言葉を発したロカに疑問が。

 それにしても可愛いなぁ。

 

「そういう確認の仕方はバカにされてるみたいで不快なんだけど。言っておくけど、上辺だけの言葉もちゃんとわかるんだからね」

 

 と、オレが棒読み気味に思ったら、案の定心が読めるらしいロカはプンプン。ご機嫌ななめになってしまう。

 これ便利だな。このまま話していい?

 

「開く口があるなら開きなさい。これは隠しても無駄だって示したに過ぎないわ」

 

 それで楽しようとしたら、何か聞きたいらしいことを告げたロカは、こちらの意思は関係なく話を始めてしまう。

 まぁ、下手に逆らって殺されるかもしれないなら従うしかないか。

 

「最初に私とあなたは初対面なのだけど、どうして私を知っているのかしら?」

 

「調べたからってのはあるが、顔の方は実際に見たからな。ずいぶんリッチなマンションにご在住でしたね。水着もちょっと頑張ったビキニだったし」

 

 いきなり何か重要な質問でもされるのかと思ったら、案外気になっていたらしく自分のことを知られていた理由について尋ねてきたので素直にそう答えると、また顔を赤くしたロカは頭を蹴りそうになるが、さすがにもうオレも限界なので嫌そうな顔をすると、ギリギリで足を引っ込めて小言で「かなめったら、あれだけ尾行は気を付けろって」とかボヤく。

 いや、気付かなかった君にも落ち度はあるよ? 言わないけど。

 

「今、私も悪いみたいな顔したわよね」

 

「どんな顔だよそれ。それより続きをどうぞ。オレも聞きたいことあるし」

 

「……はぁ、まぁいいわ。尋ねる案件は元々1つだけだし。私はまだ納得しかねてるのだけど、サードの命令だから仕方なく聞くわ。あなた、サードの元に来る気はない? サードの部下に、私達とは仲間にならないかって意味だけど、伝わった?」

 

「オレはチンパンジーか何かか。言葉の意味くらい伝わってる。だが何でこのタイミングで?」

 

「別に急にってわけではないわ。サードが直接あなたに会って決めたことよ。『こいつは上手く使えばバカみたいに有能だぜ』って珍しく上機嫌に言ってたから、私は面白くないんだけど」

 

 それで改めて話をしたロカから出た言葉は、まさかの勧誘。

 1度ボコボコにしといて、そんなので気に入ったとか言ってんのかあいつ。意味わからん。

 

「断るとどうなるんだ?」

 

「何も。サードがちょっといじけて、私達は一喜一憂するだけ。あなた1人で私達をどうこうするほどの脅威にはなり得ないことはわかりきってるし、第一、サードがヘッドハンティングなんて異例すぎてこっちも意見が真っ二つだったのよ。だから今日、それを使ってあなたを試したの。ついでにこれにあなたの戦闘を記録してね。私はその見届け人兼勧誘の話をしに来たわけ」

 

 話しながら懐からかなめやジーサードが付けていたのと同じヴァイザーを取り出して、この場にいた理由を明かしたロカは、しかしオレの返答がわかっていたのかすぐにそれをしまって話を畳んでしまう。

 

「お前達と羽鳥はどういう関係なんだ?」

 

「言っておくけど、それと私達は仲間じゃないわ。ただ、今のサードには必要な人だから、私達もそれなりの優遇をしてるだけ。それは『サードとかなめの担当医』。怪我とかの外傷じゃなくて、もっと根本の『命の担当医』。戦闘力も今日はフルで発揮してたから、私達ともそう引けを取らなかったけど、戦意喪失させて決着なんて拍子抜けよ。だからサードのあなたへの評価は納得がいってない」

 

「オレのことはもういい。で、羽鳥は今日どうしてお前達の命令に従ったんだよ。立場としてはイーブンってところだろ」

 

「それはそいつから提案してきたのよ。『君のところでも意見が分かれてるなら、私が彼の実力を引き出してあげよう。だから彼を連れ出す場所を指定しろ』ってね。こっちとしても不利益があるわけでもなかったから、サードが快く了承して……」

 

 と、そこまで素直に話してからしまったヴァイザーに通信でも入ったのか、そちらに意識を持っていったロカは、2、3応答してから通信を終えてまたオレに向き直ってくる。

 しかし羽鳥からの提案なのか。これは後日ちゃんと聞く必要がありそうだ。

 

「向こうも決着しそうだって。今サードが空で遠山キンジと一騎討ち中。勝つのはサードだろうけど、ベースでの待機命令が出たから私はもう行くわ。一応、そいつを死なせたりしないでね。私はそいつのこと嫌いだけど、サードにはまだもう少し必要な人間だから」

 

「じゃあせめて応急手当くらいしてくれないか、ロカちゃん。こちとらしばらく動けない身なんだから」

 

「ちゃん付けとか鳥肌立つんだけど。凍え死ぬわけでもないんだから、自力で帰りなさい。私がそこまでする義理はないし、ここで殺されなかっただけマシだと思えば、今の状況も悪くないでしょ?」

 

 完全に帰る感じになったロカに、せめて治療をと懇願したが、願い叶わず放置された。

 最後に無駄に可愛い笑顔と一緒に姿を消したロカに勝手ながら恨みの念を込めたら、どこかで盛大にコケたらしい姿なきロカの短い悲鳴が木霊す。

 それを笑ったらどこからともなく見えない何かが顔面を連打してきてボッコボコにされて気を失ったのだった。

 ああ……最後に余計なことした……



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Bullet76.5

 

「これでとりあえずは大丈夫かと」

 

 体育祭翌日の振り替え休日の夜。

 帰りが遅かった京夜先輩とフローレンスさんは、互いにボロボロの状態で部屋に帰ってきて、玄関に入るなり元から意識のなかった京夜先輩を運んだフローレンスさんもそこで力尽きて歩けなくなって倒れてしまい、何事かと思いながらもとりあえず意識のあるフローレンスさんに肩を貸してリビングのソファーまで運んで、意識のない京夜先輩はなんとかリビングまで運んで見える範囲の傷の治療をしつつ、援軍として幸帆さんを招集。

 まさかの超特急で駆けつけた幸帆さんは、テンパり気味の私とは違ってテキパキと行動し始めて、2人で京夜先輩を寝室へと運び、若干ドギマギしつつも京夜先輩からボロボロな制服を脱がせて怪我の具合を診て治療をし着替えさせた幸帆さん。

 そこからさらにベッドに運んで寝かせてようやく一段落したところで次はフローレンスさんと思ったら、その時にはもうソファーで静かに寝息を立てていたので、下手に動かして起こしてしまうと悪いと思って、そっと毛布をかけてあげました。

 正直あの2人があそこまでボロボロになって帰ってきたことに疑問しかなかったのですが、そちらの方は目を覚ました時にでも聞けばいいかと思って、その日は幸帆さんも泊まってくれて一夜を過ごしたのでした。

 翌朝、いつも通りに起床して幸帆さんと一緒に朝食の準備に取りかかろうとしたら、ソファーで寝ていたはずのフローレンスさんがいなくて、洗面室の方から気配がしたのでそちらにいると推測。京夜先輩はまだ寝てますしね。

 一応は今日は登校日なので登校時間ギリギリに京夜先輩を起こしてみるけど、起きなかったら仕方ないかな。結構な怪我してたし、休息は必要だと思う。

 そうやって京夜先輩の心配をしていたら、洗面室からシャワーを浴びて出てきたフローレンスさんが、私達への挨拶も一言に一直線で寝室へと向かって、ベッドで眠る京夜先輩の表情を見て少しだけ触診をすると、今まで見せたことのない穏やかな笑顔をしてから離れて、出入り口にいた私と幸帆さんに顔を向けてくる。

 

「まったく……あれだけやられて骨にも内臓にも異常なし。今日1日安静にしていれば問題ないだろうね。全快となるとまた別の話だけど」

 

 医療の知識があるフローレンスさんがそう言うのだから確かなんだと思うけど、それだけ言って朝食にしようかと私達を強引に寝室から追い出してダイニングテーブルに座らせてそのまま朝食タイムに。

 ど、どうしよう。やっぱり聞くべき、だよね?

 そんな視線を幸帆さんに向けたら、幸帆さんに意思は伝わったのか1度頷いたので私から口を開いてみた。

 

「あの、昨日はどうしてあんなにボロボロで帰ってきたんですか?」

 

「私と彼は仲が悪いからね。日頃の不平不満が爆発してついに喧嘩したのさ」

 

「で、では京様の怪我はフローレンスさんが?」

 

「……フフッ、そんな真に受けないでくれたまえ。いくら私と彼の仲が悪いと言っても、互いに限界を越えてやり合ったりはしないよ。昨日は緊急の依頼があって結構ハードな内容だった。それだけさ。彼は心配させないように内容を伏せるだろうから、私も詳しくは話さないけど、武偵ならあの程度の負傷は覚悟している。だから君達も過度な心配は無用。詮索もしないのが好ましい」

 

 私達がちょっと深刻な顔をしていたからなのか、そんな風に冗談を交えつつ真面目な話をしてくれたフローレンスさん。

 確かに京夜先輩があれほどの怪我をするのはちょっと珍しいから、私と幸帆さんも心配しすぎてたところはあったかもしれない。

 月の始めに入院したこともあったし、この頃は物騒なことに首を突っ込んでいそうなことも察しているけど、本来武偵は危険と隣り合わせの仕事。

 フローレンスさんの言うようにどうしたとか、何があったかとか、聞くべきことではないんだ。

 私達がかけるべき言葉は、無事で良かった。きっとそれだけで十分なんだよね。

 そんなフローレンスさんの言葉に頷いた私と幸帆さんは、今日は療養に努めると言うフローレンスさんと未だ眠ったままの京夜先輩を残して登校。

 お2人の昼食も作り置きしておいたし、帰る頃には目を覚ましているだろう京夜先輩とフローレンスさんのために夜は栄養のある物を作ろうかな。

 それで夕食の献立を考えながら授業に参加していたら、今日はかなめさんが欠席していることに気付いて、小言で陽菜ちゃんに聞いてみると、やんごとなき事情とかなんとかで休んでいることを知る。

 えっと……昨日は京夜先輩もフローレンスさんもボロボロになって帰ってきて、先日までかなめさんとはぶつかってたから……無関係じゃない、かな。

 ま、まぁ、私は前回のことで反省したのでこれ以上の詮索はやめておこうっと。

 休んでるってことはいずれ登校してくるだろうし、その時にやんわりと聞いてみればいいや。

 結局のところ臆病風に吹かれた私は、自分の実力のなさにちょっと落ち込みつつも日々精進をモットーに午後の授業を真剣に受けて、今日も修行に行ってしまった陽菜ちゃんを見送ってから帰宅。

 幸帆さんが今日も来るついでに食材の方を調達してくれると言っていたので、今夜は合作料理でいこうと男子寮の門を潜ると、ちょうど車を出す準備をしていたフローレンスさんと遭遇。

 もう出歩けるほどに回復したらしいフローレンスさんは、私を見つけるや否や爽やかな笑顔で手招きしてきて、それに応じて近寄ってみる。

 

「これから出かけるんだけど、良かったら小鳥ちゃんも行かないかい? きっと小鳥ちゃんの今後のためにもなると思うんだけど」

 

「私のため、ですか? でも京夜先輩は……」

 

「彼なら1時間ほど前に目を覚ましたよ。今は作り置きの昼食を食べて暇してるんじゃないかな。まぁ彼とは間が持たないから私が逃げてきたんだけどね」

 

 と、外出の誘いをしてきたフローレンスさんは、私のちょっとした心配事にウィンクしながら答えて、どうする? みたいな顔を向けてきて、フローレンスさんなりに私のためになると言ってくれた厚意を無下にはできなかった私はそれに了承。

 善は急げと車に乗って出発した私達は、あっという間に学園島を出て品川方面に向かい始める。

 その間に幸帆さんに今日の夕食は1人で作ってくれるように謝罪と共にお願いしておき、了解のメールをいただいてからようやくフローレンスさんとまともなお話に移っていった。

 

「それで、私達はどこへ向かってるのでしょうか」

 

「んー、小鳥ちゃんと行ったことがあるところ」

 

 それでまずは行き先でもと尋ねてみると、なんか凄くボヤッとした答えが返ってきて苦笑。

 頭に乗ってる昴さえ「こいつに聞いても無駄だと思う」なんて失礼なことを言うので、昴の言葉がフローレンスさんにわからなくて良かったと思いつつ、私がフローレンスさんと一緒に行ったところを思い出してみる。

 フローレンスさんとは意外に外出の回数は多かったりする。

 たまに学園島の外にお買い物へ行く際に車を出してもらったり、幸帆さんの東京案内の時にも一緒についてきてもらったり。

 でも今の進路は品川をさらに南下して東京を離れてる感じ。プライベート以外だと燐歌さんの護衛依頼の時と……あっ。

 と、そこまで考え至って思わず間抜けな声を口からも出してしまった私に、運転中のフローレンスさんがクスリと笑ってきて非常に恥ずかしい。

 

「横浜……ですか?」

 

「……小鳥ちゃんは、過去に解決した依頼の当事者と会ったことってある?」

 

「えっと、一般の方となるとたぶんないと思います。燐歌さんみたいな方は情報誌なんかで見かけたりはありますけど、そうではなくてですよね」

 

「うん、それはちょっと違うね。でも経験なしか。じゃあ着いたら小鳥ちゃんは何も喋らなくていいから。ただ私の少し後ろで事の成り行きを見届けていてほしい」

 

「はい……わかり……ました」

 

 どうやら横浜に行くのは合っていたようだけど、注意するようなフローレンスさんの指示にはちょっと意図が見えなくて微妙な返事をしてしまう。

 黙って見届けるだけで、それが私の今後のためになるのかな……

 その後はフローレンスさんが沈黙を嫌ってかずっとトークを続けてくれて、それに応対していたらいつの間にか横浜市内に突入。

 空は暗くなって夕食時かなと思われる頃に、私にとっては決して忘れてはいけないことがあった場所に到着。

 9月の半ばにフローレンスさんがリーダーの下で解決した事件。

 その犯人を逮捕した高級マンションの前に来て、私は当時の出来事を思い出すように、敷地内の外付け倉庫へと目を向けて、そこに供えられている献花に心が痛む。

 そんな私を見てそっと肩に触れたフローレンスさんは、少しだけ笑って私の足を前に進めてくれて、マンションのオートロック玄関の前まで来てから、呼び出し口で応対して玄関を開けてもらって、今回用がある人の部屋へと向かった。

 ここまで来ると私でももう誰に会うのかはわかる。

 正直なところ、今ここまで来たことをちょっと後悔もしてる。だって、あの人にはどんな顔をして会えばいいかわからないよ……

 しかし私の心の準備が整うよりも早く、その人がいる部屋の前までやって来た私達は、フローレンスさんが押したチャイムによって出てきたその人とすぐに対面を果たしてしまう。

 先の事件で犯人の手にかかってしまった旦那さんの奥さん。

 事件当時はとても綺麗で笑顔がとっても似合う美人な方だったのに、玄関の扉を開けて見せた今の顔は、ちゃんと食べていないのか痩せ細ってしまい、満足に寝られていないのか目にもうっすらと隈ができていた。

 まるで別人。生気もだいぶ抜け落ちたようなその奥さんに動揺してしまった私だったけど、フローレンスさんはそんな奥さんに一礼してからお話を始める。

 

「会ってくれないことも覚悟していたのですが、通してもらえて感謝します」

 

「……ご用件はなんです?」

 

「その後の奥様の経過がよろしくないとうかがったもので、心配になり様子を見に来てしまいました。ですが予想以上に気を病んでらっしゃるようで。私が言えたことではありませんが、あなたがちゃんと立って前を向かないと、旦那さんもきっと悲しみま……」

 

 私では言葉さえ見つからない中で、奥さんと正面から向き合って話すフローレンスさんに、急に眼光鋭くした奥さんはフローレンスさんの言葉を切って「あなたに何がわかるの!」と怒鳴り、扉を全開させてフローレンスさんを睨み付け、私はそのフローレンスさんの背中に隠れることしかできない。

 

「わかりません。あなたの悲しみの深さも、旦那さんがどう思っているかも、私にはわかりません。ですがあなたは私達が必死に助けた尊い命です。それをないがしろにされるのはとても悲しい……」

 

「だったら……どうしてあの人を助けてくれなかったのよ! どうして私だけ助けたのよ!」

 

 ――ズキンッ。

 とてもよくわかるフローレンスさんの気持ちに対して、奥さんがぶつけた言葉は、私の胸の中心で大きな痛みを伴う。

 結果だけ見れば、あの事件は犯人逮捕で解決できた。だけどその過程で私達はこの人の旦那さんを守れなかった。

 もっと上手くできていれば、助けられたかもしれない命。被害こそ拡大は阻止できたけど、その助けられた人からぶつけられた今の言葉は、私の心を迷わせる。

 この人を助けられたのがせめてもの救いだった私にとって、死にたいとでも言うような叫びが、助けてはいけなかったのかと心に影を落とす。

 

「…………引っ越しされると聞きました。それであなたの気持ちが少しでも安らぎを持てるなら、とても良い選択……」

 

「どこに行ったって私が心安らかに眠れる場所なんてないわ。一緒にいるのが当たり前だったあの人がいなくなったあの日から、私にはもう……世界が色褪せて見えてるのよ……」

 

「人には生きる義務があります。その命を精一杯生きる義務が。それを放棄することを、旦那さんが喜ぶとでも……」

 

「……帰って……お願い……帰ってください……」

 

 それでも優しい言葉をかけるフローレンスさんに、最後は拒絶を示した奥さんは泣きながら扉を閉めてしまい、廊下に残された私とフローレンスさんは少しの沈黙の後に一切の会話もなしにマンションから出て車へと戻っていった。

 

「……良かったよ。あの人がまだ、私に怒鳴るだけの感情を持っていたことが」

 

 車に戻ってからエンジンをかける前に、少しだけ笑いながらそう言ったフローレンスさん。

 良かった? 何が良かったんですか……

 

「しかしカウンセリングはやってもらえてるはずなんだが、成果が芳しくなかったな。武偵庁には後日もう少し良質なカウンセリングを打診して……」

 

「…………冷静なんですね、フローレンスさんは……」

 

 あんなに心ないことを言われたのに、気にもしてないような感じで奥さんのことを尚も心配するフローレンスさんに、突っかかるような言葉を言ってしまった私は、その顔をフローレンスさんに向けられない。

 こんなこと言うつもりじゃなかったのに……

 

「私は慣れてるからね。今回だけじゃないのさ、こんなことは」

 

 そんな少し冷たい私の言葉に声色を変えることなく答えたフローレンスさんに、私もゆっくりと顔を向けたら、ニコッと優しい笑顔を返されてちょっとドキッとしてしまう。

 うぅ……そんな顔されたら謝るのが難しくなるよぉ……

 

「国によって依頼の危険度はまちまちだけど、日本はまだ安全な部類に入る国だからね。連続殺人とかそういうのはまだまだ現実味を帯びていない人達が多い。私はそんな犯罪者と関わることが多いから、被害者遺族とも顔を合わせることがある。中には今回のあの人のように精神的に参ってしまったり、最悪自殺する人もいて、こっちも気が滅入ることがある。だけど私達が至らなかったせいで起きた悲劇を、私達まで悲観して俯いたら負の連鎖さ。だから私は被害者遺族へのアフターケアの重要性を問う論文と共に、カウンセラーの育成とセラピー関係のイベントに尽力している。それに加えて『加害者側のアフターケア』も、時と場合によっては必要だと、最近気付かされてね。そちらも同時進行させていくつもりだ。そのためには何にしても資金は必要だから、万年金欠ではあるんだけど」

 

 それから今日のようなことがこれまで何度もあったことを話したフローレンスさん。

 それはきっと慣れてるなんてことはないはずで、私に気を遣ってくれたのだとわかって、凄く自分が小さく感じてしまう。

 

「それにあの人は、私の言葉をただ拒絶していたわけじゃないよ。ぶつけようのない言葉を私にぶつけて、きっと彼女も心が痛んでいたはずで、だからあれ以上私を傷つけないように帰らせた。お願いと、謝罪の意味を込めてね」

 

 そして極めつけにそう語られた時、私はあの奥さんの本当の声を聞くことをせずに耳を塞いでしまった自分がさらに小さいと感じて、もうここから消え去りたいくらいの気持ちになる。

 私は何でこんなにも子供なんだろう……自分のことばかりで周りを全く見ていない……

 そんな風な考えが浮かぶ中で、膝を抱えてしまった私を見かねたフローレンスさんは、そっと私の頭に触れて軽く撫でると、優しい笑顔のまま語りかけてくる。

 

「これから先、武偵である以上、こういう経験はまたするかもしれない。だから忘れないでほしいんだ。負の連鎖を止めるのが私達の仕事で、そのために自分に何ができるのかを常に考える。それができれば、きっと小鳥ちゃんは今よりずっと素敵な武偵になれるって信じてる。彼ではこんなことを戦妹に教えはしないだろうからね、私がそれを補ってあげたが、余計なお世話だったかな?」

 

「……いえ、とても貴重な経験をさせてもらいました。フローレンスさんはやっぱり立派な人です。以前はよくわからないことを言って否定してましたけど、私はフローレンスさんのことを尊敬しています」

 

 今日、どうして私なんかにこんなことをしてくれたのかわからないけど、そんな正直な気持ちを言ったら珍しく驚くような表情をしたフローレンスさんは、少しだけ照れ臭そうに「参ったな……」なんて言ってからエンジンをかけて車を走らせ始めて、京夜先輩と幸帆さんの待つ男子寮へと帰るための帰路についた。

 

「でもどうして私を連れて行こうなんて思ったんです? 私はフローレンスさんにそこまで良くしてもらうことなんてしてませんし」

 

 それでも気になってしまったので、道中で今回の行動の理由について尋ねてみたら、ちょっとだけ言葉を選ぶような沈黙から運転しながら口を開いてくれた。

 

「小鳥ちゃんが彼の戦妹だから、かな。彼には昨日、ちょっとした借りができてしまってね。彼は気にもしないようなことだが、私が気にしてしまったから、彼の知らぬところで勝手に返そうと思ってね。それに小鳥ちゃんには『何かを残したかった』のかもしれないな」

 

 どうやら私の何かに対する何かをしてくれたというわけではなく、京夜先輩が原因らしいことはわかったけど、最後に言った言葉は理解しづらいな。

 何かを残したかったなんて、まるで私の前からいなくなるみたいで嫌な感じ。

 

「それよりも時間も時間だし、どこかの店に寄ってディナーの後に帰るというのはどうかな? 小鳥ちゃんとのデートなんて久しぶりだし」

 

「幸帆さんがもう作って待っててくれてるでしょうし、デートもしたことはない気がするんですけど……」

 

「えっ……ちょっとショックだよ。私は今までの小鳥ちゃんとのショッピングなんかは全部デートにカウントしていたのに……」

 

 そんな思考が頭をよぎったところで、唐突に上機嫌になったフローレンスさんに釣られて私もちょっと乗せられてしまうけど、あからさまな嘘泣きをしながら運転するフローレンスさんに苦笑。

 この人は本当に時々反応に困るんだよね。

 

「というより、カッコ良いフローレンスさんなら、もっと可愛い女の子とデートしているんじゃないですか。私なんて男の人に免疫がなくて一緒にいてもつまらないでしょうし」

 

 あちらが泣き落としできたので、こちらもふて腐れ気味で応戦してみることにしたら、赤信号で止まったフローレンスさんは不思議そうに私を見てきて、どうしたのかと思えば、急にその腕を私の後ろに回して肩を寄せてきてドキリ。

 えっ、まさか何かのスイッチが入っちゃったの!?

 と思って耳元に顔を近付けたフローレンスさんは、右手で武偵手帳を取り出してあるページを開いてから、耳元でそっと衝撃の事実をささやいた。

 

「私は小鳥ちゃんと同じ女の子だよ」

 

「…………へっ?」

 

 そんなフローレンスさんのささやきに、今日一番の間抜けな声を出した私は、開かれた武偵手帳の身分証明のページをよく見て、そこにしっかり性別が女であることを確認。

 ちょっと信じられなかったので2度見したけど、やっぱりそこには女という証明があって……

 

「えええええぇぇぇぇええええええええっ!!」

 

 おそらく私の人生の中で1、2を争うほどの驚きの声を張り上げてしまったのだった。



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Bullet77

 

 どのくらい寝ていただろうか。

 そんなことを冷静に考えられるほどに静かに覚醒したオレは、自分が今、部屋の寝室のベッドに寝かされていることを確認しつつ目を開ける。

 明かりの点いていない寝室にわずかに射し込む陽の光から夜ではないことはわかるが、それ以外はよくわからないな。

 

「起きたかい」

 

 するとベッドのすぐ横から聞き慣れた声がして顔を向ければ、椅子に座って膝にノートパソコンを乗せ何かしていた羽鳥がいつもと変わらない顔でオレを見ていた。

 どうやら、破壊衝動とやらは収まってるらしいな。

 

「状況説明よろしく」

 

「現在時刻は私と戦った翌日の15時34分。半日以上は寝ていたが、体の方はこれといった異常はなく、もう回復に向かっているよ」

 

「ここにはお前が?」

 

「玄関で力尽きたけどね。後のことは小鳥ちゃんと幸帆ちゃんがやってくれた。しかし現場で目覚めた時に私とやり合った君の顔に傷が増えていたんだけど、何かあったのかい?」

 

「ん……ちょっと想定外のアクシデントに遭った、かもな……」

 

 どうやらまだ1日経ってはいないみたいだが、傷の方は大事には至っていないようだ。

 そんなの自分の体だからなんとなくわかるんだが、羽鳥が言うなら間違いはないだろう。

 だが、ロカに会って無抵抗に殴られたことは伏せておく。なんか殴られた理由が恥ずかしい。

 

「お前はどうなんだ?」

 

「今は非常に安定している。ただ単に暴れ疲れてナリを潜めているだけかもしれないがね」

 

「今のお前は素なのか? それはお前が後から付け加えたものだろう」

 

「確かにこの私は付け加えられたオプションと言えるが、これもまた私を構成する1つの要素なんだよ。それとも……あなたはこっちの私の方が良いのかな?」

 

「そうやって使い分けるだけの心の余裕があるならいいが、意図して使うと胡散臭さも増すからな」

 

「それは人格否定だよ。どちらも等しく私なのに……そんなこと言われたら傷ついちゃうよぉ……」

 

 なんか……前より面倒臭いやつになったなこれ……イライラは微減したが、自分から絡みたくない。絡まれたくもないか。

 そんなオレの表情を察したのかクスクス笑う羽鳥だが、その笑顔はどこか自然でオレも悪い気はしなかった。

 そういう笑顔なら歓迎してやるよ。

 

「まぁ、こんな絡み方は今のところ君以外にはできないだろうけどね。君だけは今の私に『動く肉塊』ではなく、ちゃんとした男性として見えているから」

 

「……戦えるのか、これから」

 

「それはわからないよ。君が思うより私はこの血に縛られている。1度受け入れてしまった血の呪いは、ドラッグと同じように簡単には引き離せない。だが、逃げても仕方がないことはちゃんと理解した。それは私にとって大きな前進さ」

 

 次に今の自分のことを話した羽鳥は、これから自分の血の呪いと戦うと宣言し、その顔はどこか吹っ切れたような清々しさを表していて、また無責任に頑張れなどと言いそうになるが、そんな言葉ではなく小さく笑って返すと、意思を汲み取ったのか笑い返してきた。

 

「さて、私達の話はこれくらいにして、サード達のことについて話そうか。君も聞きたいことはあるだろう?」

 

「それについてだが、お前が気を失ってる間にジーサードの仲間と会って話をした。お前、ジーサードとかなめの担当医なんだってな」

 

「ああ、聞いていたのか。担当医と言ってもかかりつけの医者とかそんなのではないけどね。君も知っているだろ、サードとかなめが人工的に作られた天才、人工天才であることは。彼らにはロスアラモスによって『活命制限(ライフ・リミット)』というものがDNAに仕込まれていてね、何らかの化合物を定期的に摂取しないと長期の生命維持ができない仕組みがある。まぁ反逆防止システムの一環だね。私はその化合物を調べて、ロスアラモスを必要とせずにそれを摂取する方法を模索する仕事を請け負っている。先日君をサードから見逃させることができたのは、私が少し前にかなめの活命制限の化合物を判明させ、フラン・ポリマー――キャラメルなどに含まれる重合化合物で代用できることを教えたからさ」

 

 なるほど。だからかなめはよくキャラメルを食べていたのか。

 ロカが言っていた『命の担当医』って表現も、実に的確だったな。

 

「だがお前はかなめとは会ったことがないって言ってなかったか?」

 

「それは本当だよ。私はサードから彼とかなめのDNAデータを貰って、それを元に調査を進めていたからね。だから彼以外とのコンタクトは一切ない。それとその資料として貰ったデータによれば、サードとかなめは父親のDNAが同じで母親が違うことになるんだけど、父親が遠山金叉(とおやまこんざ)のDNAデータと一致したから、まぁ遠山キンジとは腹違いの兄弟であることは間違いないと思うけど。ジーサードのGは『黄金交叉(ゴールデン・クロス)』から取った暗号名だと言うし、遠山キンジは次男(セカンド)。そこからカウントするとサードとフォースは順当な数字だ」

 

 つまりジーサードとは面識はあったが、その仲間にまで通じていないというこいつの言葉は真実だったわけか。

 ジーサードの事情を黙っていたのは、依頼上での守秘義務があるからだろうが、プロ意識が高すぎるだろ。

 そうでもないとSランクにはなれないってことなのかもしれないが。

 それからジーサードとかなめがキンジと繋がりがあるってのは、もうなんとなくわかってた。

 ロスアラモスが非情な組織であることを考えれば、誕生の段階で手を加えられてる可能性も予想していたし、かなめがHSSを持っていることも気にかかっていた。

 その辺はオレが気にしても仕方ないことかもしれないな。

 

「で、そのジーサードはどうなった?」

 

「遠山キンジが倒したようだよ。まぁ彼は『引き分け(ドロー)だ』と言い張っていたけど、撤退したことに変わりはない。今は横須賀の拠点からキューバに飛んで休息に努めるとか言ってたかな。あ、彼の話は昨夜にもう遠山キンジに話してしまったから、師団に言及されても適当に話していいと言われている。そういう了承のもとで君に話しているから安心したまえ」

 

「そうかよ。つまりジーサードの件は解決したってことでいいんだな」

 

「おそらくは、ね」

 

 はぁ……

 要するに遠山家の壮大な兄弟喧嘩に少しスパイスを加えたものに巻き込まれたというのが今回のまとめだ。

 元々師団と無所属だったから、そう思うと余計にアホらしいことしてたと感じて、そんな意味の大きなため息が出てしまうが、あと1つ、羽鳥から聞かなきゃならないことがあったのを思い出して口を開いた。

 

「そういやお前、自分からオレの足止めを買って出たって聞いたが、何でそんなことしたんだよ」

 

「……ああそれか。別に深い意味はないよ。襲撃の朝に定期報告をしていてね。その時に遊びに行くみたいなノリでこっちに来るとか言ってて、サードの元まで君が来たら仲間が拉致して採用試験を始めるって楽しそうに話してたから、アリア達が横槍を入れる可能性もあるんじゃないかって指摘しただけ。だからあの場に監視があったのは承知の上だよ」

 

「ふーん、なら昼の合コンみたいな集まりもオレをあの近くに運んであそこに誘導しやすくするためか」

 

「君も頭の回転が良くなったね。まぁそんな事情があっただけさ。君だって拉致は御免被りたかっただろう?」

 

 ロカもロカで隠してたことがあったってことか。

 確かに拉致は嫌だが、それにしたってもっとやり方が……

 と、そこまで考えてこいつが最初に催眠ガスを使ってきたことを今更ながら思い出して、あそこで寝てればこんな怪我しなかったのかとまたも大きなため息が出てしまい、そんな心情を察したのかクスッと1度笑った羽鳥は、ノートパソコンを閉じて立ち上がり「何か食べるだろ? 小鳥ちゃんが作り置きしてくれてるよ」とここに持ってくるようなことを言うが、すでに歩くくらいは問題ないと判断したオレは体を起こしてベッドから出て、羽鳥と一緒に遅めの昼食を食べ始めた。

 というかお前も食べてなかったのかよ。

 とは思うがツッコむようなことはせずに静かな昼食タイムにしていると、再びノートパソコンでながら作業を始めた羽鳥に何をしているのか尋ねてしまう。

 絶対ツッコミ待ちでちょっと嫌だったけど。

 

「イギリスに戻ろうと思ってね。その手続きとかロンドン武偵局のご機嫌取り、かな」

 

「ずいぶん急だな。というか昨日の今日でオレから離れて大丈夫なのかよ」

 

「別に急じゃないさ。最近だとエルが来た時かな。あまりに日本に戦力を奪われるって。さすがに爆発寸前なのさ。まぁ帰国を決めたのは君が原因だけど。まるで君がいないと私がダメになるみたいな今の発言もそうだけど、昨日の発言も気に食わなかったよ。そうやって君は女を自分に依存させるやり方で生きてきたんだろうけど、私はそこまで君を頼りにしてはいない」

 

「そんなつもりはなかったが、そう言われると腹が立つ。お前に協力してやるって言っただけだろ」

 

「言葉には色々な意味が込められるんだよ。私は君がそばにいろと命令したようにも捉えられた。協力してやる? 無責任な自分にせめてって出た上からの物言いに喜びも感動もないね」

 

 こいつ……やっぱり腹が立つ。人の厚意をなんだと思ってるんだこら……もう祖国にでもどこでも行きやがれバカが。

 そう口に出してやろうと箸を置いて立ち上がろうとしたところで、さっきまでの勢いを急に収めた羽鳥にちょっと驚き黙ってしまう。な、なんだよ。

 

「でもね、君の言った『1人じゃない』って言葉は……本当に嬉しかったんだ。この重荷を一緒に背負ってくれると言った嘘偽りのない君の言葉は、本当に、嬉しかったんだよ」

 

 ……散々オレを貶した後に、こうやって素直になられると本当に調子が狂う。

 あー、出るはずだった言葉が引っ込んじまったよ……

 

「今の私にはそれだけで十分。すぐにってわけにはいかないと思うけど、まずは1人で頑張ってみようと思ったんだ。最初から君に頼ったら、それこそ君の思う壺だしね」

 

「…………お前なりに考えて出した結論に、オレがとやかく言う資格はない。お前の人生だ。お前が歩きたいように歩け」

 

「お前お前って、私には羽鳥フローレンスという名前があるんだけど、いい加減ちゃんと呼んでくれないかな、君」

 

「お前がそれを言うな」

 

 確かにオレのせいだなこれ。

 こいつはこいつなりに自分と向き合うために歩き出したんだ。オレはその背中をそっと押してやれただけで十分。

 こいつは隣を歩いてあげなきゃいけないほど弱くないんだから。

 それで最後に互いにまともに名前を呼んでないことを笑い合って食事を再開。

 その後すぐに部屋を出ていった羽鳥は、夜まで帰ってこないみたいなことを言い残していき、1人になったオレは放置していた携帯の履歴が凄いことになっているのを確認して、そちらの処理を始めたのだった。

 処理はすぐに終わりそうなやつら――アリアや玉藻様やワトソンなど――を先に片付けて、一番面倒臭そうな理子を最後に回したら、案の定うるさいわテンション高いわで疲れるが、見舞いがてらこれから来るとか言うので、それなら何か買ってこいとだけ言って了承――どうせ断っても来る――して、それを待つこと30分ほど。

 午後4時半くらいに理子と一緒に何故かジャンヌやアリア達まで来て一気にうるさくなり、軽い宴会モードへと移行。

 昨日は本当にジーサードと戦ったのかこいつら……

 そんな騒がしい中でも情報はしっかり拾ってみると、キンジは東京の上空にジーサードと一緒に行ってしまい、未だ帰ってないらしいが、アリアが絶対帰ってくると言うのでそうと信じてオレも待つことにして、次にかなめがジーサードに体に穴が開くほどの重症を負わされたことを聞くが、こちらも迅速な処置と治療によって一命を取り留め、今は武偵病院で静かに寝ているとのこと。

 だがそれは散々言っていた非合理的にジーサードへ歯向かったことを指していて、どうやらかなめも呪縛から解けたようだ。

 それが良かったのかそうでないのかはオレには判断できないが、後悔しない選択をしたならそれでいいと思う。

 それらを聞いてからさすがにうるさすぎて――もう理子の1人騒ぎに近いが――首謀者の1人を沈黙させたところで、色んな食材の入った買い物袋を両手に持った幸帆が来て、それら食材を使って勢いで鍋がスタート。

 白雪と幸帆のダブル鍋奉行が指揮を取って始まった鍋パーティーは、1時間後に帰ってきた羽鳥と、何故か放心気味の小鳥も加わってさらにうるさくなって、夜遅くまで続いたのだった。

 翌日からは調子も良かったので普通に登校したのだが、そんな日に限って中間学力テストとかいう面倒なものが入っていて、京都武偵高で同じような授業を受けていたオレは2度目となるそのテストを適当にこなし――というかテスト自体が微妙に流用してるんじゃないかと思うほど問題が被ってる――無事に乗り切るが、オレ達が鍋パーティーをやっていた夜遅くに帰ってきたらしいキンジがとても辛そうに鉛筆を転がしてテストを受けてるのを目にして、兄貴も大変だよなと他人事のように思うのだった。

 テストが全て終わってからようやくキンジと少し話をしたが、まずはジーサードとかなめが本当に兄弟であることは間違いないとかで、アリアの中のイロカネを狙っていた理由は『時間移動を可能にする力で亡きサラ博士を生き返らせる』ことだと聞いた時はさすがに耳を疑った。イロカネってそんなこともできるのか。

 その後キンジはジーサードがかなりの高空から海に落ちて死んだと落ち込み気味に話したのだが、昨日羽鳥が本人から連絡受けてるから生きてることは確実。

 それを教えてやろうかとも思ったが、遠からずわかることかと黙っておくことに。決して意地悪ではない。

 そしてテストが終わってからすぐにイギリスへ発つことになっていた羽鳥は、部屋から自分の荷物を車へと運んで、初めて会った時の黒のスーツとロングコートを着込んですっかりロンドン武偵局の羽鳥フローレンスになっていた。

 寮の前には見送りとしてバスカービルの面々とワトソン、ジャンヌ、小鳥に幸帆といたが、他はもう連日盛大に送別会を開いて別れの挨拶は済ませたとか。

 テスト期間によくやるとは思うが、武偵高だから仕方ない。

 

「アリア、エル。あっちは私が黙らせておくから、君達は君達のやるべきことに専念してくれ」

 

「あんたのことは好きじゃないけど、感謝はしてるわ。でも恩に着せるようなのはやめてちょうだいね。これはあんたが勝手にやったことなんだし」

 

「そこまで私は欲しがりじゃないさ。貰えるものは貰うけどね」

 

「戻ったら『向こうの戦局』もうかがってみてくれ。こちらより旗色は悪そうだし、必要なら力になるように」

 

「私1人でどうこうできたら苦労はないよ。だがまぁ、エルのお願いとあらば努力はしよう」

 

 それで車に荷物を積み終えてから、まずはアリアとワトソンに近付いて話をした羽鳥は、いつもの調子で笑ってそんなやり取りをして話を締めると、次にここ数日で何故か急に距離が縮んだ小鳥と何やらヒソヒソ話。

 最後の最後まで悪巧みでもしてるのかあいつは。

 そんな怪しげな2人の会話は小鳥が顔を赤らめて羽鳥の胸をポコポコ叩いて終了し、幸帆とは2、3言葉を交わして握手だけであっさり終了。

 ジャンヌと理子は寄るなと手で追い払って挨拶もなかったが、キンジとレキと白雪は関わりが薄かったのか一言だけ言葉をかけて握手で終わらせる。

 そして最後にあからさまに嫌そうな顔をしながらオレの前に来た羽鳥は、握手する手も出さずに腕を組んだまま話をしてくる。

 オレだけ態度がおかしいぞオイ。

 

「これで君もようやく部屋で落ち着けるだろうし、清々しただろ?」

 

「そうかもしれないな。お前にはずいぶん引っ掻き回された気がするよ」

 

「ハハッ、それは良かった。私は君への嫌がらせが何より楽しかったからね。その感想は実に愉快だよ」

 

「……お前はあっちをどうにかする前にその性格をどうにかした方がいいんじゃないか」

 

「それも人格否定に分類できるんだけど、まぁ君以外の男にすることもないし、犯罪者の尋問に使うくらいだから安心してくれたまえ。それから私の秘密についてはトップシークレットだ。アリアもエルも、ロンドン武偵局さえ知らないことなんだからね」

 

 別れの挨拶だと言うのに相変わらず人をからかうような言動の羽鳥に、心穏やかに見送ろうと思っていたオレもついつい反発してしまうが、自らの秘密についてはちゃんと口止めしてくるので、そんなの言いふらすつもりもなかったから口止めするまでもないだろと顔に出すと、羽鳥は安心したのか少しだけ笑ってからまた不機嫌そうな顔をする。

 

「それから最後に、ずっと君に言おうとしていたことがあったんだが、いま言ってもいいかい?」

 

「なんだよ改まって。言いたいことをズバズバ言うのはお前の専売特許だろうが。今さらオレの許可がいるほど酷いことなのかよ」

 

「……それもそうか。では遠慮なく。初めて会った時からだけど、私は君のことが大嫌いだ」

 

 …………これは引いた。

 さすがのオレでも引いた。そんなこと分かりきってるのに、改めてハッキリと言ってきたこいつは、本当の本当に性格が悪い。

 だがこうまではっきり言われたのは実は初めてじゃないかと思いつつ、言わせたままは癪だったのでオレも嫌いだと言ってやろうとしたら、急に顔を近付けてきた羽鳥はオレの耳元に口を寄せてみんなに聞こえないようにささやいてくる。

 

「だけど、あなたのことは素敵な人だって思ってる。これは本当だよ」

 

 意外すぎるその言葉に完全に意表を突かれたオレは、離れる際に簡単に頬へのキスを許してしまい、それには周りがざわつくが、それを無視して車へと身を翻した羽鳥は、女の子の顔で振り返り、最後に一言。

 

「じゃあね、『京夜』」

 

 オレを名前で、はっきりと呼んだのだった。

 

「…………ああ。じゃあな、『フローレンス』」

 

 だからオレも、なんだかんだで憎みきれなかった元ルームメイトを名前で呼んでやり、それに満足したのか柔らかい笑顔を浮かべて車へと乗り込み、あっさりと出発していってしまった。

 最後まで人を引っ掻き回すんだな、あいつは。

 

「ちょっとキョーやん……まさかとは思うけど、キョーやんって『これ』だったの?」

 

 そんな羽鳥がいなくなってから、我先にと近寄ってきた理子が、いきなり左手の甲を右頬に当てて『オネエ』のポーズをしてきたので、その頭をアイアンクローしながら他に近寄ってきたジャンヌや白雪も一緒に連れて引っ張っていき、アリアとワトソンの前まで移動。

 こいつらマジでか……

 

「お前らは当然知ってるよな?」

 

「あたしはなんとなくよ。あいつとロンドン武偵局で初めて会った時から違和感は感じてたしね」

 

「ボクは当然。言いふらすことでもないし、デリケートな問題だから見て見ぬふりをしていた」

 

「ってわけだ。オレはこれじゃないし、あいつも違う。あいつはれっきとした女だバカども」

 

 そうやって同僚みたいな2人に確認を取ってから、改めて羽鳥が女であることを明かしてやると、どうやらこの場では小鳥以外のやつらが全員知らなかったらしく、口を揃えて驚きの声を上げ、男子寮の周辺に響き渡ったのだった。



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東京奔走編
Bullet78


 

 ジーサード襲来。羽鳥の問題。中間学力テストと立て続けの出来事にようやくひと息つけたと思った11月28日の土曜日。

 オレは現在、第2女子寮の1011号室に『缶詰』を食らっていた。

 

「うっほぉぉぉい! キョーやんうめぇーっす! マジリスペクトっす!」

 

「な……バカな……まさかお前がここまでとは……」

 

「そこの3人、口じゃなくて手を動かしてちょうだい」

 

 リビングに4つドカンと並べられた机に座って作業をしていたら、隣で別作業中だった理子とジャンヌが横から覗いてきてそれぞれ感想を述べてくるが、すぐに現場監督からお叱りを受けてしまう。

 オレは口を動かしてないんだが、怒られたのに不満がある。

 しかし立場が低い今はそんな文句も口から出てはこない。

 以前、ヒルダと理子の件で図らずも世話になってしまった夾竹桃に、解毒剤の使用返済が完了してなかったため、漫画の原稿を仕上げる作業を昨日から寝ずにやらされていたわけだが、手は多い方がいいだろと提案したら夾竹桃が召集をかけて今日の昼時に理子とジャンヌがやって来て巻き込まれて現在に至る。

 リビングには他に理子についてきたヒルダが影の状態で何かできないかと右往左往してるのだが、そんなことしてるなら黙っててほしいと思いつつお茶汲みでもしたらと小言して、そわそわは解消しておいた。

 作業中にうろつかれると異常に目に入るんで気が散るからな。

 何でも年末に冬コミという夾竹桃には最重要なイベントがあるらしく、そこに持ち込む漫画をいま描いてるらしいのだが、今年もあと1ヶ月か。

 修学旅行Ⅱはどこに行くのかねぇ。ここにいるリーダーに聞いてみてもいいが、雑談すると夾竹桃に怒られそうだしやめておくか。

 などと今年残ったイベントのことを考えながら作業していたら、オレの携帯に着信があり、電話の相手が相手なだけに夾竹桃に許可をもらってから席を外して通話に応じると、なんだか久しぶりのその声に脱力してしまう。

 

『やっほー京夜。元気にしてた?』

 

「ああ、傷は絶えないけどなんとか元気にやってる。幸姉も元気そう……でもないかな。ちょっと声に疲れが混じってる」

 

『あはは……やっぱり京夜は誤魔化せないか。最近はお父様に色々こき使われて正直しんどいのよね』

 

 メールこそ頻繁に送ってくるが、こうして話をするのは久しぶりな幸姉は、家の仕事を任されるようになってずいぶん忙しくなったようで、それを見せまいと明るく振る舞っていたが、長い付き合いだからこそわかる若干の空元気を見抜くと苦笑しながら愚痴を漏らしたので、それにはオレも苦笑。

 

『幸帆も元気? あの子メールしてもたまーにしか返信ないからちょっと心配してるんだけど、無沙汰は無事な便りってことでいいのかな』

 

「それでいいと思うよ。オレのところにもよく泊まりに来るし、元気にしてる。それで、近況報告聞きたいために連絡してきたわけじゃないだろ。オレもいま取り込み中だし、話があるなら手短に頼むよ」

 

『依頼か何か? まぁそういうのは聞かない方がいいか。今日はちょっと仕事関係の話だったんだけど、先約があるなら正規に申請するかな』

 

 そんな挨拶もほどほどに、用もなしにわざわざ電話なんてしてこないだろうことを予想して話を進めたら、どうやら依頼の話でも持ち込んできたようで、オレが忙しいならと話をする前に終わる流れになりかける。

 

「うーん、ちょっと待って幸姉。実は先約は夾竹桃なんだけど、交渉次第では手が空く可能性はある」

 

『夾竹桃? この時期は冬コミの準備期間に入るから基本外部とは関わりを断つはずだけど、漫画のアシでもやってるの?』

 

 うぇい、大当たりぃ。

 てかイ・ウー時代もそんなイベントに参加してたのかあいつ。どんだけ漫画好きなんだよ。

 

「ちょっと現金払いが難しいもの押し付けられて、挙げ句に使っちゃったから、その返済のためにな……いつ終わるかわからないけど、話せばわかってくれると……」

 

『ふむ、私的には東京武偵高(そっち)に依頼持ち込むよりは京夜にやってもらう方が都合がいいし、今いるならちょっと夾竹桃に替わってくれる? 私が交渉してみるから』

 

 それで正直に夾竹桃とのことを話してみたら、何か交渉のカードがあるのか夾竹桃に替わるように指示されたので、恐る恐る漫画に集中している夾竹桃に携帯を渡すと、不機嫌丸出しの顔で携帯を受け取った夾竹桃はそのまま幸姉に八つ当たり気味で話を始めたが、すぐに青ざめた表情へと変わって小さく「わかったわ」と呟いたのを最後にオレへと携帯を投げて返してくる。

 

「…………あなたは釈放よ。どこへなりとお行きなさい。まったく、あの女は余計なことをしてくれたわ……」

 

 そして何故かはわからないがオレが残していた返済分はもういいと言って帰宅の許可が下りたのだが、電話の向こうの幸姉に聞こえないようにグチグチ呟いた夾竹桃は貴重な戦力を失ったからかさらに不機嫌に。

 それには残される理子とジャンヌが顔を青ざめていたが、触らぬ神に祟りなし。

 見なかったことにして腰にしがみついてきた理子とジャンヌを払いのけて部屋を出たのだった。

 

「夾竹桃になに言ったんだよ。めっちゃ怖かったんだけど」

 

『ん? 別に大したことじゃないわよ。京夜が抱えた負債を私が肩代わりするから京夜を解放してって頼んだの。まぁ、頼む時にあの人のつつかれたくないことを持ち出しはしたけどね』

 

 女子寮を出てから改めて通話に応じたオレは、周りに人がいないことを確かめて植生する木に背を預けてどんな交渉をしたかを尋ねれば、ちょっと黒い幸姉が見えたのでこっちにも恐怖するが、これで話も進んだので持ち込んできた依頼について聞き出す。

 

『あー、ちなみに報酬の方は肩代わりした分をさっ引いて払うとほぼタダ働きになるけど、京夜なら許してくれるよね?』

 

「…………仕方ないか。元々はオレが招いた事態だし、いつ終わるかわからないアシよりは気が楽だよ」

 

『ありがと。それじゃあ依頼の方だけど、実はね……』

 

 その依頼の話の前にタダ働きさせられることを告げられて若干やる気は下がったが、負債の肩代わりをしてもらっておいて文句も言えなかったので、それで引き受けると、お仕事モードに入った幸姉の話を真剣に聞き始めた。

 

『…………ってことなんだけど、京夜ならやれるよね?』

 

「やれる……とは思う……けど……今のところ解決の見通しはつかない、かな」

 

 話を全て聞いた後、改めてやれるかどうかを尋ねてきた幸姉に、はっきりとは判断がつかなかったオレがそう答えたら、それでも幸姉は「やれない」と言わなかったのが満足だったのか、嬉しそうに「さすが私の京夜。愛してるっ」なんて軽い感じで言ってくる。

 携帯越しにウィンクでもしてそうなのが目に浮かぶな。

 

『それじゃあ進展があったら随時メールでお願い。電話は出れないことの方が多いからね。本当は眞弓達に出張ってもらおうと思ったんだけど「今は関西から出る余裕ありまへん」って断られちゃって。愛菜は自腹切ってでも行くって駄々こねてたんだけど』

 

「ははは……皆さん忙しい身だから」

 

 無事に依頼の受理がされたことで、連絡方法の指定をしてきた幸姉は、ついでに月華美迅にも話を持ち込んでいたことを小言してきたが、関西屈指の武偵チームはやはり忙しいらしい。

 それでも行くと駄々をこねたらしい愛菜さんには乾いた笑いが出てしまうが、幸姉と話をしていくうちにちょっと気になることが出てきて、もうすぐ通話をやめてしまう流れになったところで一応確認のために聞いておくことにした。

 

「なぁ幸姉。オレの勘違いならいいんだけどさ、今日の幸姉って、なんか『不安定』じゃないか?」

 

『やだ! 疲れで情緒不安定になってた!? でもそんなことまで見抜かれちゃうなんて、京夜に私の全部見られちゃってるみたいで恥ずかしいな』

 

「……そうじゃなくて、今日の幸姉が『どの幸姉なのかはっきりしない』って言ってるんだよ。まるで昔に戻ったみたいな、そんな感じが……」

 

『……さぁて、今日の私は一体どの私なのでしょうか。正解者には私から熱いキッスをプレゼントしちゃいまーす! 答えは直接聞きたいから、年末年始にでも幸帆と一緒に帰ってきなさい。これでも会えなくて寂しいと思ってるんだから』

 

 どうにも話をしていて『七変化』のどの幸姉にも見られる明確な特徴が見え隠れしてて、これだけ話してもまだどの幸姉なのかわからなかったのだが、オレの問いにはっきりとは答えなかった幸姉は、そこから帰省の話へと持ち込んで上手く畳んでしまって、結局答えはわからないまま「必ず帰るよ」と答えさせられて通話を切らされてしまったのだった。

 ここ最近相手のペースに嵌まることが多い気がしてきたな……注意しておかないと。

 とりあえず依頼に関しては今すぐにどうこうという緊急性はないため、なるべく慎重に、穏便に済むようにやり方を考えておくとして、動くのは明日からでいいか。

 あまり支障はないとはいえ、すでに夾竹桃に一徹させられてるし、羽鳥に負わされた傷も癒えきってない。

 体調くらいは良い方向に持っていきたい。

 そう思っていたら、女子寮から理子が買い出しにでも行くのか出てきて、オレを発見するや否やぷんぷんがおーなあれな感じで近付いてきて、不機嫌爆発の夾竹桃のその後を語ってきたが耳を塞ぐ。あー、聞こえん。

 

「もぉ! 理子りんの可愛い声に耳を塞ぐなんてぷんぷんがおーだぞ! はい、お耳は開けてご静聴。それでゆきゆきからは依頼か何かの話?」

 

 両手で耳を塞いだオレ――実はあんまり塞いでないが――にリスのように頬を膨らませて両手を退けた理子は、愚痴はほどほどに先程の電話の内容について尋ねてきた。

 

「守秘義務だ。今回は1人の方が動きやすいから協力も必要ない」

 

「えー……理子りん最近キョーやんに構ってもらえないからしょんぼり気味だよ? 八つ当たりでほっちゃんで着せ替え人形しちゃったり、ことりんに夜のお勉強をしたりしちゃうよ?」

 

「別にやってもいいが、泣かせるなよ。依頼が終わったらまぁ、ちょっとは構ってやるから、なるべく人に迷惑はかけるな」

 

「うー、ラジャー! 約束だからね? 破ったらキョーやんの色んな初めて貰っちゃうから。そんで理子の色んな初めても貰ってもらうの。きゃっはー!」

 

 依頼に関しては協力したいとでも言うような顔をしていたが、オレがそう言えば割とあっさりと引き下がった理子。

 しかしどうやら最近は一緒にいることが少なかったから不満が溜まってたらしく、それは依頼が終わったら解消すると約束してやれば、花が咲いたような笑顔で喜ぶので、その姿に不覚にも照れてしまうが、影に潜むヒルダもついてきていたためすぐに悟られないよう表情を戻して、ハートマークでも飛んでそうな投げキッスと一緒に買い出しに行く理子を見送ってから、オレも明日に備えて準備の方を進めていくのだった。

 まずは最近なんだかんだで羽鳥に世話になってたなと改めて思いながら、動くのに足は必要とあって武藤に連絡したところ、貴希の方ならなんとかできるかもと言われてそっちに連絡を取ると、明日の朝までに整備した上で用意してくれると言うので、お言葉に甘えておいて足は確保。

 次に依頼の間の仮拠点だが、今回の報酬はタダ働きに等しいので可能な限り出費を抑えないと赤字。足も当然タダではないし贅沢はできない。

 が、まぁそこはアテを頼ってからでも遅くはないかもしれないな。

 幸い今回の依頼でも訪ねておくべきアテだから、全くの無駄足にはならないはず。

 というかそれがなかったら依頼は結構渋っていたと思う。毎日寮の部屋に戻るなんてことになったらそれこそ大赤字だし。

 あとは隠密行動が主になるので、活動中は防弾制服だと目立つから、あややに防弾性の私服と防寒着を調達してもらって、足と一緒に受け取りに行くことになって本日やるべきことは終了。

 今日はもうゆっくり体を休めて明日からの活動に備えるだけだ。

 それで帰ってからは久々に小鳥と2人、リビングでまったりとした時間を過ごしていたのだが、夜の9時頃に急に寝室から全快したかなめが現れて、驚く小鳥に謝ってからオレに用があるらしくて寝室へと招き入れられた。

 かなめはジーサードに逆らって重症を負わされたが、その場にはカナさんとワトソン、白雪がいたことで大事には至らずにこうして元気になってキンジの元に残った。

 ジーサードとは縁が切れたような話を聞いたが、その辺はまだジーサードと直接話をしたキンジから詳しいことは聞いていない。

 そのかなめが小鳥のベッドに腰かけるので、オレも自分のベッドに腰かけて何の用なのかを問うと、かなめの腰付近から磁気推進繊盾がニョロッと出てきてオレの手前まで来ると、包んで持っていた物をオレへと落としそれをすかさずキャッチ。

 見れば刃渡り30センチほどのサバイバルナイフのような物で、何の素材なのか大きさに対して予想より軽いから少しビックリする。

 

「これは?」

 

「あたしの単分子振動刀(ソニック)は知ってるだろ。ランバージャックで使ってたあれ。先端科学剣(ノイエ・ブレイズ)の1本だけど、それはその単分子振動刀の小型化を狙って作られた物。試作段階で実用性が低いからってお蔵入りした粗悪品だけど、サードがフローレンスとの戦闘映像を見て『お前には一撃で戦況を覆す補助刀剣(サブエッジ)が必要だろう』って。どうせ使わないからくれてやった方が荷物が減るし、あげる」

 

 とは言われたものの、急にこんな物を押し付けられる理由がよくわからなかったオレだが、一応渡された単分子振動刀を抜いてどんなものかを確認するが、片刃直刀の刀身でサバイバルナイフとほとんど違いがなくて、どの辺が先端科学なのかわからない。

 

「普通に抜いたら刃がちょっとざらついてるナイフだよ。その刃には分子レベルの炭素原子が主素材のワイヤーが糸鋸状に張られてて、その鞘から高速で抜刀することでチェーンソーみたいに刃が回転して、一時的にあたしの単分子振動刀と同じ切れ味を生み出せる。持続時間があたしの抜刀でも5秒持たないから、たぶんお前じゃ3秒が良いとこだと思うよ」

 

「ふーん。それで、オレにこんなの渡す義理とかはないはずだけど?」

 

 さっきからの口ぶりにして、ジーサード襲撃以降に連絡を取ってるのは確実だが、確かワトソンがアメリカでかなめは死亡扱いになって、その辺が掘り返されないよう情報操作をしたと言っていたと思うので、予想ではあるがアメリカに消されるとかなんとか言ってたかなめをジーサードが助けたんだと思われる。

 じゃなきゃ重症を負わせたジーサードと事後に連絡を取ったりしないだろう。

 

「あたしもここまでしてやる意味ないって言ったんだけど、サードが『使わねェ武器だったら押しつけとけ』って言うからそうしたの。まっ、それ壊したら粗悪品でも結構なあれだから、サードになに言われても文句は言えないね」

 

「じゃあいらねーよ。首輪代わりに押しつけられて遠慮なく使えるわけないだろ」

 

「じゃあサードに直接返して。あたしはもうそれの所有権は放棄してるし、渡されても小鳥に保管してもらうから」

 

 ……面倒臭い。

 何であんなやつに目をつけられたんだよオレ。

 いつまた会うかもわからないやつに返せとか隣人感覚で言われても困るわ。下手すりゃずっと持つ羽目になるぞ。

 しかも本当にいつ会うかわからないから返しそびれるかもで、必然的に常備携帯が決定したじゃねーか。

 まったく以て嬉しくないプレゼントにため息も出たところで、用が終わったらしいかなめはベッドから立ち上がって「これからお兄ちゃんとダイ・ハード2観るんだー」とか嬉しそうに言いながら、いつの間にか復活した階下とを繋ぐ上下扉を開けて下へと降りていった。

 完全に押しつけられてこれどうしよう状態になったオレだが、ジーサードの分析はあながち間違ってないことも認めなきゃならないわけで、羽鳥との戦闘でこれがあればあそこまで撃ち込まれたりはしなかったかもしれない。

 装備の差は戦闘において優劣を決める大事な要素の1つだしな。

 ともあれどうせ持ち歩くなら使ってやるかと開き直って、どう携帯するかを考えてからこの日は就寝した。

 翌日。

 9時頃にまずはあややの元へと防弾着を取りに行き、インナーとVネックの長袖にパンツ。その上にダウンジャケットを着て、最後に各武装をかさばらない程度に忍ばせて準備完了。

 ジーサードに押しつけられた単分子振動刀はキンジのベレッタのようにショルダーホルスターみたいに左脇の下から取り出せるようにしておいた。

 防弾着はあり物を見繕ってくれたこともあって、あややにしては安上がりで助かり出費も許容範囲内に余裕で収まってくれて、報酬を払いつつその格好のまま次は貴希の待つ車輌科の倉庫へ。

 朝から最終調整をしてくれていたのか、顔に少し汚れがついた貴希が、到着したオレを見るや元気な挨拶とともに用意してくれた機体を披露。

 

「ホンダのVTR‐STYLEⅡです。京夜先輩っぽく色は控えめですが、今年の春先に出たばかりの私の秘蔵っこですよ」

 

 と説明してくれた通り、用意されたバイクは白と黒の基調で後方にかけてスリムになってるカッコ良いデザインで、正直乗るのを躊躇ってしまう感じがある。

 

「もっと地味なやつでも良かったんだが、まぁ任せるって言っちゃったしな」

 

「存分に乗ってあげてください。この子も京夜先輩に乗られるのを喜んでますから」

 

 しかし用意は貴希に完全に任せていた手前、ここで文句を言うのは失礼どころか人間としてどうかしてるので、早く乗ってみてと急かす貴希に応えてバイクに股がりハンドルを握ってみると、乗り心地は抜群に良いな。

 

「よく似合ってますよ。バイク雑誌の表紙飾ってほしいくらいです」

 

「そういうのはいいって。それよりレンタル料は後払いで良いんだよな?」

 

「はい。使用後に点検して割合で貰おうかと思ってます。あ、私を後ろに乗せてドライブしてくれたら割り引きしても良いですよ? 確か京夜先輩のバイクの後ろに乗ったことあるのってレキ先輩だけって話ですし」

 

「そりゃ運転自体滅多にしないしな。免許取って片手の指で数える程度だし、依頼の時以外は乗ったことすらない」

 

「じゃあ私がプライベートで初めてのタンデムですね」

 

「まだ乗せてやるとは言ってないんだが……まぁそれで安くなって美人を後ろに乗せられるならサービスとしては優良だな。だけど貴希、お前とは……」

 

「わかってますって。私は単に京夜先輩とのドライブデートをみんなに自慢したいだけです。それ以上は望んでませんのでご安心を」

 

 バイクに股がりながらそんな会話をして、依頼後に貴希とドライブデートが決まってしまうが、最近告白されてフッたこともあって一応忠告しようとしたら、もう吹っ切れたというのが本当らしい貴希は笑顔でそう答えつつ、持ってきたヘルメットをオレへと手渡してきて、それを受け取って装着すると一言「サンキュー」とだけ返して手を振られながらバイクを走らせて学園島を出発したのだった。

 まず最初に目指すのは、新宿区神楽坂。



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Bullet79

 

 幸姉の久々の連絡から直接の依頼を受けて、とりあえずの準備を整えて東京都内へと乗り込み最初のアテとして訪れたのは、新宿区の神楽坂にある雑居ビルの1つ。

 事務所の入るそのビルの3階にあったオフィスの扉の前まで来たオレは、立て看板の『松方相談事務所』というちょっと胡散臭い名前に苦笑しつつ扉を開けて中へと入ると、意外にも整理整頓の行き届いているまともで普通のオフィスに驚くが、そこにいた3人の男達にもちょっと驚く。

 見てわかる感じの高価なスーツを着込んだその3人は全員、パッと見で普通の社会人っぽいのだが、入ってきたオレを見るや否やその雰囲気に迫力みたいなものが追加されて威圧感を放ち始める。

 オレ的にはもっと『らしい』感じのがいるのかと思ったのだが、その辺にちょっとビックリだ。

 

「おいおいボウズ。入るとこ間違っとりゃせんか?」

 

「ここはガキが来るとこと違うぞ」

 

「早く出てきな」

 

 と思ったら見た目だけで中身はいかにも『らしかった』のでちょっと安心してしまう。

 これに安心とかおかしな話だけどな。

 

「入るとこは間違ってないと思うんだが、ここの組長に会いたいって言ったら、会わせてくれるのか?」

 

 ――ガタッ!

 3人の威圧に全く動じることもなくオレが普通にそんなことを尋ねたら、途端に3人は楽な姿勢からオレへの警戒を強めてくる。

 

「なんだボウズ。どこの回しもんだおい?」

 

「どこのでもないが、そう言ったって信じないでしょ。んじゃここの責任者でもいいんだけど……」

 

 オレが普通のボウズじゃないと悟った3人は、その言葉を皮切りにオレへと実力行使。

 排除に動いてくるが、どうにも無鉄砲な喧嘩スタイルとは相性が良いオレは、なまじ喧嘩に自信ありといった3人を30秒とかけずにノックアウトし、全員を備えてあったソファーへと寝かせてやる。

 こっちは殴り込みに来たわけじゃないからダメージは綺麗に決めて最小にしたが、起きそうにないなこれ……

 とりあえず目的を果たすために男達の懐を漁って携帯でもと探すと、そのタイミングで1人の男が事務所の扉を開けて入ってきたのでそちらを向いて止まると、やっぱりすぐに警戒どころの騒ぎじゃなく臨戦態勢に入られてしまうが、その男はオレが見たことがある人物で、向こうも始めこそ反射的に構えたものの、よくよくオレを見てからビシッと気をつけの姿勢に移って綺麗なお辞儀をしてくる。やめてくれそういうの……

 

「誰かと思ったら旦那じゃねーですか! そうとわからず構えちまってすんませんした!!」

 

「あー、いや、この状況で構えなかったらそれこそどうかと思いますし、別にいいですよ。あと旦那はやめてください」

 

「旦那は旦那ですんで、これ以外の呼び方はできません」

 

 明らかに年上であるにも関わらずオレに対して非常に頭の低くなったその男は、とりあえずこうなった事情を聞いてからオレを改めて来客用の席に座らせて、気絶していた3人を叩き起こして有無を言わさずにオレの前に正座させると、

 

「兄貴、何でこんなボウズに俺らが謝らにゃならんのですか」

 

 当然ブーブー言う3人にそれぞれ1発ずつゲンコツを入れてからその理由について語る。

 

「バカヤローが! このお方は去年の今頃に死にかけた頭を助けてくださった『伝説の旦那』なんだよ! それなのにテメーらときたらボウズだなんだと突っかかりやがってからに!」

 

 いつの間にか伝説の男にされていたらしいオレのことを語ると、途端にその伝聞は知っているとでも言うようにオレを見てから、深々と「すんませんっした!」と土下座してきた3人に、こっ恥ずかしくなったのでやめさせる。

 

「そんなことよりシゲさん、でしたっけ」

 

「はい! 覚えてくださってるなんて感激です!」

 

「その、以前は恩に着なくていいとかなんとか言いましたけど、今回はちょっとだけ頼らせてもらってもいいですか? もちろん無理ならいいんですけど」

 

「と、とんでもないですよ旦那! 旦那をこのまま帰したら俺が頭から首飛ばされちまう。あれ以降会う手段がなくてしばらく俺ら頭に怒られまくってたんですから。今から頭に話を通しますんで、ちょっと待っててください。おいオメーら、旦那の寛大さに感謝しながら茶菓子持ってもてなしとけ」

 

「「「うっす!」」」

 

 それで改めてこの場で一番偉いっぽい顔見知り程度のシゲさんに話を切り出してみれば、用件も聞かずにいきなりトップに話を通し始めてしまって、事務所の隅に移動して携帯を取り出したシゲさんに、言われた通りにお茶菓子を持ってヘコヘコ頭の低くなった3人がご機嫌とりに徹してきてマジで困る。全員年上だからこの状況は居心地が悪すぎる……

 彼らはここ東京に根を張っている指定暴力団、『松方組』の組員。

 東京都内では中小組織の1つではあるが、腕っぷしの強さと頭を立てる一枚岩な仁義に厚いところが他の組織よりも抜きん出ているらしい。

 腕っぷしの方はオレにやられてはいたが、組織の末弟であろう3人はまだ育成中みたいなところだが、あのシゲさんは組織でもトップクラスの武闘派で、過去に遭遇した時は拳銃持ちの他組織の組員5人を1人で倒していた。

 オレでもたぶん、本気で相手しないと勝てないと思う。

 そんな松方組にはちょうど去年の今頃に顔を合わせていて、その時は不知火やら武藤やらの適当なメンバーでこなしていた依頼の完了後で、覆面警察みたいなことをしていたから制服を着ていなかったのだが、運悪く組同士の抗争と遭遇し放たれた銃弾がオレの近くに着弾してヒヤッとしたのと、直前の依頼でちょっと嫌なこともあったため憂さ晴らしに反撃し膠着状態にあった戦況を傾けて松方組を勝たせてしまった。

 だがその時点ですでに拳銃の弾を腹に受けていたらしい松方組の頭が息絶え絶えだったので、その場で応急処置やら何やらして病院まで付き添って行って、一命を取り留めたことだけを聞いてから組員ともろくな会話をせず素性すら明かさずに帰ったのだが、まさかその松方組に頼る日が来るとは思わなかったし、オレのことをちゃんと覚えていたことにも少しビックリしてしまった。伝説にされてるしな。

 

「旦那、頭が直々に会いたいそうで、これから頭のとこに行きますが、よろしいですかい」

 

 昔の話を思い出しつつ、ヘコヘコする3人に愛想笑いで適当に応対していたら、連絡の最中のシゲさんが確認のためにオレにそう尋ねてきたので、向こうの建前もあるかと思い了承すると、シゲさんはそれを伝えてから通話を切って事務所を3人に任せオレと一緒に外へ。

 オフィスビルの前にはシゲさんの愛用車らしき黒塗りのレクサス――おそらくは最高級クラス――が停まっていて、オレを乗せようと助手席のドアを開けるが、足はあるため断りを入れると後ろをついてくるようにとだけ言ってその指示通りにシゲさんの車の後ろをピッタリとついてお頭さんのいる場所へと向かっていった。

 神楽坂を東に速攻で抜けてほとんどまっすぐ進み、やって来たのは近々東京スカイツリーで賑わうことになるかもしれない浅草。

 その蔵前の辺りで大通りを抜けて細い道に入って辿り着いたのは、高い塀で囲われた立派な日本家屋。

 これまた立派なガレージから入ってそこに車とバイクを停めて敷地内へと足を踏み入れ正面玄関へと向かうと、使用人さんらしき人が1人出迎えてシゲさんと挨拶を交わすと、すぐに中へと通されて、なんだかちょっと幸姉の家を思い出しつつ廊下を歩いて池のある中庭が見える部屋の前まで到着。

 障子の向こうからはいかにもな存在感が伝わってくるが、シゲさんが1つ断りを入れてからその障子を開けてオレだけを中へと通して、オレが入ってから静かにその障子を閉めてしまう。

 

「ほほぅ……本当にまだ若い青少年って感じだな」

 

 完全に中ではお頭さんと2人きりにされると、出入り口の前で突っ立っているオレにいきなりそう言って品定めするように話しかけてきたお頭さんは、挨拶もなしにまずは座るように言って正面の座布団に視線を向けるので、その通りに座布団に正座。

 お頭さんは部屋着なのか、紺色の着物を着てあぐらをかきながらオレをまっすぐに見ていて、角刈りな頭はもう白髪に染まっているが、その体にはまだ若々しさというか、覇気みたいなものが迸っているように見えるので、歳の割には生命力に溢れてる。

 

「わざわざ足を運んでもらってすまねーな。俺が松方組の組長やってる松方十蔵(まつかたじゅうぞう)ってもんだ。お前さんに助けられた時は意識がなかったから、名乗れもしねーですまんかったな」

 

「いえ、それはいいです。オレは……」

 

「突然だがお前さん、堅気の人間じゃねーな」

 

 相対して向こうが名乗ってきたので、オレも名前くらいはと思って口を開くと、十蔵さんはそれを手で制していきなりなことを言うので、オレもどう返すべきか迷う。

 

「お前さんを見てひと目でわかった。その歳でずいぶんやんちゃしてそうな迫力みてーなもんがある。こいつは堅気の不良学生程度じゃ出せねーな」

 

「…………あの」

 

「ああ、いいってことよ。別にお前さんの素性を探ろうってわけじゃねーさ。話したくねーことは話さなくていい。それが互いのためになるんだったら尚更だ」

 

「……まだ何も話してないのに、お気遣い感謝します。オレは……キョウ、とでも呼んでもらえれば」

 

 人を見る目は相当な十蔵さんによってオレの素性が明かされそうになるが、それ以上の詮索はしようとせずにその眼光に鋭さをなくしたので、オレはその気遣いに最大限の感謝をしつつ本名を明かさずにここでの呼び名を決めると、十蔵さんもそれでいいとにんまりと笑ってみせた。

 本来、武偵とヤクザはそのほとんどの場合で敵対関係にある。

 ヤクザの仕事は犯罪行為も多く、それに関わると武偵3倍刑もあるオレ達武偵は内通やら協力関係にあるだけでヤバイ。

 それをひと目見てオレが普通じゃないと見抜いていち早く察した十蔵さんは、オレが武偵であることはわかっていないとは思うが、詮索はしない方がいいと判断して語らせなかった。

 それならば最悪なにかしらの事情で問題が発生しても知らぬ存ぜぬで押し通すことが可能かもしれないからな。

 

「自己紹介も済んだところで、改めて言わせてもらうとするか。あの時は見ず知らずの俺を助けてくれてありがとよ。お前さんの手当てがなけりゃ病院に着く前に死んでたかもしれねーって医者が言うもんだからよ。そんな恩人を名前も聞かずに帰すなんてバカ野郎かお前ら! ってシゲ達を怒鳴り散らしちまったが、こうして直接会って礼を言えて良かった」

 

「……あの時はオレも溜め込んでたものがあって突っかかりましたし、十蔵さんを助けたのも人として当然のことをしただけです。だからお礼とかされても困るからさっさと退散したので、シゲさん達は許してあげてください」

 

「漢だねぇお前さん。シゲ達もこんくらい仁義の漢になってもらいてーもんだ」

 

 がっはっはっ。

 過去にできなかったお礼を述べた十蔵さんに正直な気持ちを返すと、そんなオレに漢を感じたらしい十蔵さんは不甲斐ないみたいにシゲさん達を笑うので、それに苦笑してしまうが、障子の向こうのシゲさんがちょっと泣いてるみたいで可哀想になる。

 本人に聞こえてますよ、十蔵さん。

 

「それでですね。今回わざわざ訪ねたのは……」

 

「おう。そっちが本題だったな。命の恩人の頼みだ。大抵の頼み事は聞いてやる気概だ。何でも言いな」

 

「そんな大層な頼み事でもないと言いますか、ちょっと知ってたらいいかな程度で尋ねたいことがあるだけなんです」

 

「勿体ぶんな。言ってみろ」

 

 これ以上この話を広げてもシゲさん達に悪そうなので、ちょっと無理矢理に話を本筋へと向けて話を切り出すと、太っ腹な台詞を言ってくれるものの、そこまで世話になることでもないので控えめに用件だけを述べておく。

 

「尋ねたいのは、ここ最近で大量に武器類の密輸をしたっぽい暴力団がないかどうか知らないか。ということなんですけど、噂でも何でも耳に入ってればと思って訪ねた次第です」

 

「武器っつーと、(ドス)とか拳銃(チャカ)か。俺んとこは昔っからそっちは威嚇用でしか持たねーから、密輸とは縁がねーな」

 

 質問に対しての答えとしてはちょっとおかしいが、これは暗に『その件に俺の組は関係ない』と言ってみせたということで、要するに前置き。

 事実、それを言ってから廊下に控えていたシゲさんを迎え入れて隣に座らせると聞いていただろう話について話すように言い、シゲさんも素直に従って片膝をついた姿勢でオレに話をする。

 

「そういった話は普通、どこの組でも外にはバレねーようにやるもんですから、噂なんてもんもなかなか耳には入ってきませんね。ただ、金回りの良し悪しとかその辺から探りを入れることは可能とは思います」

 

「それはやめてほしいです。そちらに迷惑をかけるつもりは全くないので、こんなつまらないことで探りを入れて組の抗争なんかにでも発展されたら堪ったもんじゃないですし」

 

「確かに余計な面倒は御免だわな。シゲ、なんとかそれとなく探る方法はねーもんか」

 

「……何かを限定した探りは明らかに怪しまれますが、大雑把に変化のあった組を探る程度なら、情報交換の一環で他の組から得られるものもあるかもしれねーですね」

 

 最初こそ手がかりなしといった感じで空振りかと思ったのだが、わざわざ探りを入れてくれると話すもそれは断固拒否の構えを貫いておき、ではと代案を出してきたシゲさんに十蔵さんはそれでいいかと目で訴えてきて、何か特別なことをしてくれるわけではないのならとグレーゾーンではあるがその厚意に甘える。

 

「だがどうだシゲ。この程度で俺の命と釣り合いは取れるか?」

 

「いつもやってることを旦那に密告するだけですから、釣り合いどころか何もしてないに等しいですね」

 

「だよなぁ。つーわけだからよ、悪いんだが俺が納得できる恩返しは他にないか」

 

 しかしそれだけでは十蔵さんは恩返しにならないと言って、追加の要望をオレに求めてくるのだが、これ以上のことを要求しても仕方ない……

 と思ったのだが、間の悪いことに思い当たる件が脳内検索で引っ掛かって、そんな表情が顔に出てしまったのか何だ何だと十蔵さんもシゲさんまで期待の表情をするので、もうせっかくだからと言うだけ言うことにする。というか言わないと怒りそうで怖い。

 

「じゃあ、できればでいいですけど、こちらの案件が済むまでの間の雨風をしのげる拠点を貸してはくれませんか? 実は資金的に余裕がなくて……」

 

 これは案外死活問題だったのだが、元より情報だけを頼りに訪ねた手前で図々しいにもほどがある。

 そう思ったのだが、向こうはそうは思ってないようで、こんな要求でもまだそんなことでいいのかみたいな顔をするので本当に困る。

 これ以上のお世話になることはないでしょうよ……

 

「そんなことならここに寝泊まりするのが一番楽だが……」

 

「生意気な意見ですが、お互いにこれ以上の接触は可能な限りない方がいいと思います。知らないガキがここを出入りしてるのを見られていさかいのきっかけを作りかねないですし、組員の方のところに厄介になるのも同様だと思います」

 

「そりゃー……まぁ……そうだわな。そうなると賃貸で済ますか」

 

「それもこっちで動くとどこでどう耳に入れられるか」

 

「難儀だな……」

 

 簡単に厄介になるとは言ったものの、松方組と親密になるわけにもいかない関係上、可能な限りの危険を排除しないといけないため、寝泊まりする場所も注意しないといけない。

 案の定といえばそうだが、十蔵さんもシゲさんも頭を悩ませてしまって、さすがにこれはダメだなと思って却下の方向に話を進めようとしたら、突然閃いたように目を開いた十蔵さんは、ポンとわかりやすい手のつき方をすると明るい声で話をしてきた。

 

「それならうちの娘のところに厄介になってくれ。今年から日本女子大学に通ってる華の女子大生だが、一人暮らしで俺のとことも今は関わりが薄い。というかあんまり関わるなと言われて……身の回りの世話も献身的にやってくれるはずだ」

 

「しかし頭。お嬢も急な話で困るのでは?」

 

「問題ねーよ。あれもキョウには関心があってな。会えたら恩返しがしたいと言ってたから、快く引き受けてくれるだろうよ。娘も良い歳になったが、キョウなら間違いもないだろうし。いや、むしろ間違いがあってもそれはそれで美味しいか……キョウなら娘を任せられるしな」

 

「頭ぁ、本人を目の前に不謹慎な……」

 

「バカ野郎! 娘の男を見定めるのは父親としての役目だろうが!」

 

 ……なんだかトントンと話が進んでしまってるが、これは良くない流れじゃないか?

 このままだとオレは十蔵さんの娘さんのところに居座ることになるわけで、つまり一時的とはいえ同居。

 色々マズイのに十蔵さん的には美味しいとか何これ……

 さすがにその案はどうかと断りを入れようとしたのだが、十蔵さんはもう決定事項のように歳に似合わず見事に携帯を扱ってその娘さんに電話。

 今日が日曜日なのが円滑さに拍車をかける。

 それで滞りも全然なしで娘さんは通話に応じてしまい愕然としつつその会話の様子をうかがっていると、突然シゲさんが十蔵さんの指示を受けてオレを携帯のカメラでパシャリ。

 反射的に顔をぼかす癖で斜に構えたが、その微妙に写りが悪そうな撮った画像をメールで誰かに送る。流れ的に娘さんにか。

 そうしてオレの顔写真でも見てキッパリ断られるかと期待してみたら、通話を切った十蔵さんはにこやかな笑顔でオレに絶望を与えてきた。

 

「娘もお前さんなら泊めていいと言ってくれた。時間と場所はこれからメモを渡すから失礼だがそれで1人で行ってくれや。連絡は何かあったらシゲの方から寄越す。接触は避けてこいつを1つ持ってけ。もし何かあったら迷わず壊してくれて結構。俺らの事など考えずに自分の身の安全を最優先にしなさい」

 

 もう拒否権とかないなこれ。というかここで断れるほどオレは強心臓を持ち合わせてないわ。

 たぶん大事な娘さんのところに泊めるっていう案も最大限の厚意の表れだろうし、もうなるようになれだ。

 

「…………ご厚意、ありがたく頂戴します。それとシゲさん、その写メは消しておいてくださいね。顔写真とか一番あったらダメなやつですし」

 

 そんなわけで決まってしまったことを受け入れつつ、十蔵さんからメモと携帯をもらいつつ、シゲさんにも一応そんなことを注意して消したのを確認してから席を立って、十蔵さんに一礼し退室。

 シゲさんと一緒に最大限の注意を払って家を出てから別れて、オレはもらったメモが示した場所を目指してバイクを走らせていった。

 ――今回も状況に流されてるなぁ……オレ……



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Bullet80

 

 幸姉からの依頼をこなすために最初に訪れたアテでトントン拍子で話が進み、松方組の組長である松方十蔵さんの娘さんのところに厄介になることになったオレは、渡されたメモに従って再び都内を西に進み、神楽坂をさらに越えてその先にある日本女子大学のキャンパスが見えるところまで目白通り沿いに辿り着く。

 日本女子大学を横目に右折して不忍通りに入り、すぐに通りを左折して細い道へと入ると、ちょうど不忍通りと都電、鬼子母神前の中間辺りの位置まで来て、ここがメモにある娘さんのアパートの住所辺りなのを確認。

 立地としては大学も地下鉄も程近いから生活する分には全然良さそうだ。学生視点では。

 それでメモにあるアパートの名前を徐行しながら探してみると、割とすぐにそれは見つかって『佐原荘』の文字に間違いがないことを確認してから渡されたメモを燃やして破棄。

 2階建ての6部屋あるっぽい――上階、下階で3部屋ずつ――そのアパートの敷地にバイクを停めて、下の階の1ー2と表札のある部屋のチャイムを鳴らして、いよいよ十蔵さんの娘さんと対面。

 顔は十蔵さんの部屋に飾ってあった親子3人の家族写真をチラッと見て想像はしたが、何せ写真が10年くらい前の物だったからどう成長してるかはさすがに予想できない。

 極道の娘というと強気で男勝りなイメージが先行しがちだが、それはドラマやらの見すぎ。

 実際はどんな風に育つかなんてその家次第である。

 そうしてついに部屋のドアが開けられて、そこから十蔵さんの娘さんが姿を見せて、小柄――160センチあるかないか程度――なその人は少しオレを見上げる形で顔が見えるが、これは、マズイな。

 腰の上辺りまで伸ばした綺麗な黒髪はどことなく幸姉を思わせるところがあり、その容姿も可愛いから綺麗へと変わりつつある少し大人になりかけてる端整なもので、若干目が垂れ気味でどこかおっとりして優しい印象を受ける。

 体の方は幸姉より出るところは出て、引っ込んでるところは引っ込んでるように見えるが、季節も季節なだけにワンサイズほど大きい暖かそうな白のセーターと薄いピンクのロングスカートを着て完全にスリーサイズはわからな……くていいか。つい観察癖が出てしまった。

 

「キョウ、さんですね。拝見したお写真と違わない素敵な殿方で少し緊張します。父、十蔵の娘、菜々美(ななみ)と申します」

 

 それで少し視線を泳がせたオレに対して、ビックリするぐらい綺麗な言葉遣いとお辞儀で迎えた菜々美さん。

 これは幸姉に見習ってほしい。幸帆はできるのに……

 そんな菜々美さんにオレもペコリとお辞儀で返したら、寒いからまずは中へと迎え入れられてそれに従って中へと入って1DKの1人で暮らすには十分すぎるリビングの中央に置かれた足の低いテーブルのそばに適当に座って、ホットコーヒーを持ってきてくれた菜々美さんにお礼をしつつひと口含んでから、対面する位置にこれまた綺麗な正座で座った菜々美さんと話をする。

 

「すみません。いきなり押しかける形になって、しかも見ず知らずと言っていいオレなんかを招き入れてくれて……」

 

「構いませんよ。父もずっと宙ぶらりんになっていた恩を返せると喜んでいましたし、私もキョウさんには感謝していますから。あのような厳つい父ですが、迷うことなく助けていただき、ありがとうございます」

 

「それはもう十蔵さんに言われたので、改まれると恥ずかしいで……す……」

 

 始めにオレがそんな切り出し方をしてみると、人が良さそうな菜々美さんは言いながらわざわざ横に正座のままスライド移動して三つ指をつき頭を下げるので、やめてくれと返してしまったのだが、その時に頭を下げる菜々美さんがワンサイズ大きいセーター故にその胸元が危ない感じで開いて見えてしまっていて、男の本能でそれをつい見てしまうも、すぐに頭を上げて元の位置に戻ってくれたため気付かれてはいないかな。

 しかし、理子並みだったな。凶器だぞあれは……

 なんというか、今ので何となくわかったのだが、菜々美さんは『悪い方向で無防備』な感じがする。

 悪い方向というのは、男との距離感や男の性質を根本的に理解してないといった感じ。

 それ故に本来なら警戒すべきところで注意がいかない。これなら乙女の時の幸姉の方がよっぽど楽に接することができる。

 このタイプは油断すると危ないから苦手な部類だなぁ。

 そう思って色々あれな菜々美さんとどう接するべきかを思考していたら、なんだかオレを見る菜々美さんが何か言いたそうで言い出せないみたいな雰囲気を醸し出していたので、これから一時的とはいえ同居するわけだしと話し慣れておくために会話を再開する。

 

「あの、オレに敬語を使う必要はないですから、普段の菜々美さんで接してくれるとありがたいです。それで疲れて勉学に支障が出たら困りますし」

 

「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて普段通りにさせてもらいますね。フフッ。私も年下の子に敬語を使い続けるのはちょっとなぁって思ってて、そう言ってもらえて助かっちゃった。ここからはキョウ君って呼びたいんだけど、いいかな?」

 

「構いませんよ。ですがちょっとしたお願いを聞いてもらいたいんです」

 

「それはもちろん。あ、でもエ、エッチなこととかはよくわかんないから、そっち系のお願いは無理かも……」

 

「そういう話ではないです」

 

 それでまずは敬語をやめるようにお願いすると、これは向こうも若干のストレスになっていたようなのですぐに解消。

 普段の話し方の菜々美さんはおしとやかな感じは消えないが、どこか接しやすい雰囲気で割と好きだ。が、冗談でもそっち系の話を振ってほしくはなかった。

 確かに年上には若干弱いが、十蔵さんの娘さんでこれから図々しくお世話になる人にそんなお願いはしない。

 

「まず、オレのプライベートなことはあまり詮索しないでください。オレも菜々美さんのことは詮索しません。オレがここを出ていく時には、菜々美さんとはもう赤の他人同士。またどこかでばったり会っても知らない人。そうしてもらいたいんです」

 

「プライベートっていうと、出身とか歳とか個人情報の類いかな。そうしないといけない理由があるんだってことなんだろうし……わかった。本当はせっかく知り合えたからずっと仲良くしたかったんだけどね。私にとって初めての男友達になれると思ったんだけど、そこはちょっと残念かな」

 

 オレのお願いに了承してくれた菜々美さんではあったが、オレの依頼が終わってここを出ていく時には赤の他人ということに本当に残念そうにするので、少しだけ酷なお願いだったかなと思うがこれも菜々美さんのため。

 いつかどこかで迷惑をかける可能性は排除しないといけない。

 

「……私ね、家があんなだからせめてって、小学校からずっと女子校通いで普通の男の子と接する機会がなく育ったの。家ではシゲさんとか組員さんにお嬢、お嬢って宝物扱いで。だからキョウ君みたいな子と仲良くなれたらなぁって思ってたんだけど……」

 

「……オレの写メを要求したのは、それに繋がってますか?」

 

「う、うん。だ、だって強面の……それこそシゲさんとかお父さんみたいな子だったら普通じゃないっていうか、気まずいっていうか……だし、そんな子と一緒に暮らすのはせっかく実家を出たのにあんまり変わんなくなっちゃうかなって思って。だからキョウ君みたいな子ならいいかなって……」

 

 そんなお願いをした矢先でいきなり身の上話をしてきた菜々美さんには頭を抱えそうになるが、どうやら男への耐性がないのは推察通りみたいで、小学校からとなるとかなりの世間知らずになってるかもしれない。

 大学も女子大らしいが、ここまで変な男に引っ掛かってないのは奇跡じゃないか?

 そうして自分の情けない部分を両手の指先をつんつん合わせながらに語る菜々美さんは異常に可愛いのだが、それに何か情を持って接すると良くないことになる。

 菜々美さんとの距離感は終始縮めないでいないといけないが、放っておけないという苦手なタイプなだけに相当苦しい日々になりそうで今から不安が大きくなってしまった。

 なるべく早くこの依頼を終わらせないとダメだなこりゃ。

 

「……オレも普通とは言いがたい男ですけど、今後の菜々美さんも心配なのでその、男について学べるだけ学んでみてください。とりあえずそういう服で姿勢を前屈みにするのは良くないですから注意してください。男は見える物は見る生き物ですから」

 

 とかなんとか思いつつも、一緒に暮らす上で菜々美さんの無防備さは放置できない問題なので、せめてそこだけは警戒してもらおうと意見を述べると、割とピンポイントな指摘だったからすぐに先ほどのことだと思い当たったようで、自分の襟元をちょっと摘んで引っ張り余白部分を作り出すと、途端に顔を赤くして胸を押さえてオレを見るので、とりあえず笑って返しておく。

 

「……どのくらい見えちゃった?」

 

「……中に着けてる物くらいは普通に……」

 

「……今回は注意してくれたから許すけど、次は怒っちゃうかもだからね」

 

「その次はなくして欲しいんですが……」

 

 それで正直に見えた物を話して、今回は許してくれるらしい菜々美さんだったが、こりゃまたありそうな予感。

 それに反応のいちいちが普通の女の子なので、オレの周りにあんまりいなかったこともあってこれまでの対応ではダメな感じがしてもう疲れてきた。

 幸姉や理子みたいに見られることにあまり抵抗ないのもあれだが、これもこれであれだ。色々あれだ。表現が曖昧すぎるが、とにかくあれだ。

 

「……そっちの方はオレが気づいたらすぐ注意しますので、菜々美さんも男に見られてることを意識してもらえたらと思います。それで今後の基本行動ですけど、菜々美さんは日中は大学ですよね?」

 

「うん。その後にバイトもしてるから、平日は帰ってくるのが夜の8時から9時くらいになるかな。土曜日はバイトで昼の12時から夕方6時くらいまで。日曜日は完全に休みにしてるから、やりたいことをやってるの」

 

「それじゃあ菜々美さんが家にいない時間帯はオレも出ておきます。オレのせいで無駄な生活費は消費させたくはないですし、元々雨風をしのいで寝泊まりできる場所で良かったので、食べ物もオレの分は必要ありません」

 

「そんなぁ……そこまで気を遣ってくれなくていいのに。お料理も1人分も2人分も変わらないから作る気満々だったし……」

 

「それこそオレに気を遣わないでください。オレは寝床をくださるだけで感謝してもしきれないくらいなんですから」

 

「お父さんの恩人を外出中はずっと閉め出しなんてそれこそ失礼だよ。私のことは気にしないでくつろいでくれていいから」

 

 菜々美さんのあれはあれとして、とにかく決めておくべきことは話さないとと今後の行動方針を話し合うが、なんか互いに気を遣って譲らないから進展しない。

 こういう時こそ羽鳥がいたら楽なんだが……良いタイミングでいなくなるなあいつも。

 

「……オレもやることがあってここに厄介になるんですから、元から日中は動かないといけないですし、菜々美さんだってオレのいない時に済ませたいことだってあるでしょう。だから閉め出してると思わずに『たまたまタイムスケジュールが合ってる』と考えてください。それが呑めないのであれば、オレは別の寝床を探しに出ていきます」

 

 しかしここで譲ると本当に菜々美さんにお世話になりすぎなので、羽鳥の憎たらしい顔を思い浮かべながらあいつの言いそうなことを想像して結構無茶苦茶なことを言うが、父親の恩人をここで帰すのはマズイと思ったのか物凄く渋い顔をしながら唸りつつ苦渋の決断を下した。

 

「……わかったよ。キョウ君がそれでいいならいいけど、でも毎日ちゃんと帰ってくること。それが最低条件ね」

 

「わかりました。では帰宅しても大丈夫になったら、こっちの携帯に着信履歴だけ残してもらえますか。それが確認できたら帰りますので」

 

 どうにかこちらの条件を呑んでくれた菜々美さんにホッとしつつ、十蔵さんから渡された携帯を取り出して互いに電話番号を交換。

 オレの携帯ではないのだが、番号の交換をした菜々美さんはちょっと嬉しそうにその番号を眺めた後、何か思い出したようにハッとしてオレを再び見てくる。

 

「もう1つ最低条件を追加してもいいかな?」

 

「内容によりますとしか……」

 

「今夜の夕食は私の料理を一緒に食べてほしいの。それでこれからよろしくの晩餐会をしよう」

 

 決めるべきことはだいたい決まったかと携帯をしまいながら菜々美さんの追加条件を聞いてみると、本当に人の話を聞いていたのかと言うような晩餐会の要求に頭を抱えそうになるが、それを察した菜々美さんが「最初で最後の1度だけ」とお願いしてくるので、それで気が済むならもういいかとオレもちょっと自棄になって了承すると、今日一番可愛い笑顔で喜んだ菜々美さんは、これまた人の話を聞いていたのかという珍行動で「材料買ってくるからお留守番よろしくね」と言い残して買い物に出かけてしまい、人の話を聞かない菜々美さんにちょっと不満を残しつつも、今後できないであろうちょっとした贅沢である暖かい空間でふて寝を実行したのだった。

 相当なマイペースの菜々美さんに調子を狂わされつつも、これっきりと割り切って今日は納得しながら、夕方6時を少し過ぎた頃に買ってきた食材で料理を終えた菜々美さんは、ほぼ完璧な一汁三菜の料理――豆腐とワカメの味噌汁にしょうが焼きとキャベツの千切り+トマトにほうれん草のお浸し――をテーブルに二人前で並べて席に着くと、可愛いエプロンを着けたまま両手を合わせていただきますの合掌。

 それに従って箸を持つものの、菜々美さんはそんなオレをじっと見て自分は箸を持とうともしないので、これは感想を求められてると直感したオレは順番に少量ずつ口に運んでから、十分に咀嚼して全て飲み込んでから菜々美さんの求めるものに応える。

 

「どれも凄く美味しいです。お世辞抜きでいつでもお嫁に行けると思います」

 

「お嫁とか言いすぎだよキョウ君。でも良かったぁ。男の子に手料理を振る舞うのは初めてだったから、男の子の味覚に合うのか不安だったの」

 

「男女で味覚に差があるものなんですか? それは個人の好き嫌いなのかと……」

 

「えっ? 人間の五感は男女で発達してるものが違うから、違いはあると思ってたけど。男の子は視覚と触覚に優れてて、女の子は聴覚と臭覚と味覚に。進化の過程でそういう脳の発達の仕方を……って、これは脳科学の分野の話だった。ゴメンね難しい話して」

 

 ここで嘘をつく理由もなかったので正直に美味しいと感想を述べれば、ホッと安心した菜々美さんもようやく箸を持って改めて合掌してから料理に手をつけ始めるが、なんだかこんなところで大学生っぽいことを言うのでちょっと面食らう。

 何の勉強をしてるのかはわからないが、当然のように出てきた話が若干難しそうでアホみたいな顔をしたかもしれなく、それを察した菜々美さんが早々に切り上げてくれた。

 

「菜々美さんって、やっぱり大学生なんですね」

 

「むっ、その言い方はちょっと馬鹿にしてないかな。これでも小学校からずっと優等生クラスだったんですからね」

 

「いえ、馬鹿にはしてませんけど、ちょっとおっとりしてるというかマイペースな印象が強くて勉強してるイメージと結びつかなくて」

 

 そういった基礎能力の高さをうかがわせる菜々美さんについつい失礼な発言が出てしまったのだが、良い意味で乗ってくれた菜々美さんは半分くらいわざとらしく怒ってみせて、それにまた微妙なことを言えば、ちょっと膨れた顔をしたかと思うとすぐにクスクスと声に出して笑う。

 

「こうやって男の子と会話しながら食事も初めてだけど、なんだかちょっとだけ照れちゃうな。つ、付き合ってる人同士だと、こんな会話をして食事を楽しんだりするのかな」

 

「それはオレにもわかりません。でも、食事を楽しむ上で会話をするのが悪くないことは実感しています」

 

「となると、キョウ君は女の子との食事は割と頻繁にしてるってことなのかな……っと、こういうことは聞かない方がいいんだったね。ゴメンね」

 

 そうして普通に会話を楽しんでいたら、やはりというか少し突っ込んだ話にも発展してしまって、オレのお願いを思い出した菜々美さんはそれ以降テンションを下げて口数も少なくなってしまい、オレも線引きをした手前で話題作りもなかなか難しくて黙々と料理を食べることしかできなかった。悪いことしてるなぁ、オレ。

 食事を終えてからすぐにお風呂に入っていった菜々美さんに、直前で一応オレがいることも忘れないように言っておいたが、ちょっとだけ不安が残るも入浴中なのを意識しないように部屋の中を何気なく観察していた。

 家はあれで宝物扱いされていたという割りには特別に高そうな物は見当たらず、むしろ自給自足を地で行く等身大の大学生みたいなちょっとした貧しさというか、贅沢さが見当たらない。

 リビングともう1つ、ふすまを隔てた寝室と思われる小部屋もオレがいるのに全開で見えてしまっていて、中には干しっぱなしのあれな物もチラッと見えるが無視。生々しすぎて男には毒だ。

 しかしやはりそちらにも物という物は少なそうで最低限の物を揃えて生活している感じが伝わってくる。

 生活観で言えばオレの部屋と大差ない。むしろソファーとかあるだけまだ贅沢してる気がする。

 リビングで存在感を放つ勉強机は、色んな参考書やレポートの紙が自分なりの整理整頓で置かれているが、この辺でも几帳面そうな性格が出ているな。

 それらの様子を鑑みて、どうやら菜々美さんは家に頼らずに自分なりに一人暮らしをしてみているようだ。

 バイトも週6でやってるみたいだし、本当ならオレを居座らせる余裕なんてほとんどないだろうに、それでも父親の恩人だからと泊めてくれてる。

 その厚意の全てを受け取れないというのが菜々美さんを困らせてしまってることは明白だが、これを通すのがオレなりの優しさ。

 理解してくれなくてもいいし、最終的に嫌われたって構わない。この人の平穏な日常を壊すことだけは、絶対にしてはならない。

 それを誓いに心を鬼にしたオレは、特に何事もなくお風呂から上がった菜々美さんにお風呂を勧められるが、それもキッチリと断り微妙な空気になるも、オレの頑固さに理解が及んできた菜々美さんは自分が折れる形で切り替えて寝るまでの時間を勉強に当て始めて、邪魔になりそうだから外にでも出てようかとも考えたが、そっちの方がかえって心配させそうなので可能な限り静かに今後の行動についてを考えていた。

 しかしそれも30分と考えればだいたい終わってしまい、調査中の食事と衛生面のことも定食屋やコインランドリー、温泉施設を利用することで済ませられるかと考えたところで、やはり近くで勉強してる人というのは気になるところ。

 だから気付かれないように後ろからそっと机の上を覗くも、自分の頭の悪さが露呈してしまいそうな感じが伝わってきて速攻でやめる。

 これダメなやつだ。オレも武偵高の中で上位なだけで頭は良くない部類だからな……言ってて切ない……

 どうでもいいところでダメージを受けてしまったオレだが、割と集中力がある菜々美さんは大きなあくびが出て勉強を終えてから思い出したようにオレに寝る時の毛布を渡してきて、そのまま就寝。

 直前に自分の寝室で寝ていいみたいなことを言いかけたが、オレが断るのを見越して引っ込めたのは学習してくれたようだ。

 渡された毛布を被ってリビングのカーペットの上で横になって寝たオレだったが、暖房がリビングにしかない関係上、寝室のふすまが全開なのをちょっと心配しつつ翌朝を迎えると、案の定目覚めたばかりの菜々美さんは覚醒しきってない中で起きてそのまま着替え始めてしまい、やっぱりとか思いながら菜々美さんがパジャマのボタンに手をかけたところでそっとふすまを閉めてあげるのだった。



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Bullet81

 

「あー…………適度な寒さが心地良いとかなんだかなぁ……」

 

 十蔵さんの娘さんである菜々美さんのところに厄介になった翌日の朝。

 寝ぼけたままオレの見えるところで着替えるというお約束なことをした菜々美さんが完全覚醒して謝ってきてからすぐにアパートを出て、ジャンクフードを朝食に公園のベンチで空を見ながらにそんなことを思う。

 良い意味でも悪い意味でも菜々美さんのいる空間は暖かい。暖かすぎると言ってもいいかもしれない。

 それをわずか半日足らずで感じてしまったわけだが、あの空間に武偵が長くいると『腐ってしまう』。

 そう思って足早に出てきたのはいいが、また夜には戻るのだから、ちゃんと挨拶して出ていくべきだったかもしれん。今となっては後の祭りか。

 まぁ、その辺のことはまた戻ってからでもなんとでもできそうなので後回しにして、脳に栄養がいってるところで今回の依頼についてをもう1度確認しておく。

 幸姉からの依頼はこうだ。

 先月辺りから仕事の成果として密輸などの取り締まりを強化したらしく、実際イ・ウー時代にココなどのその手のやり口を学んでいた幸姉の政策は結構な結果を出していたのだが、今月の末にここ東京の輸入品の中に銃器類の密輸が発見されたらしい。

 出所不明のその密輸品はどうやら極一部のようで、幸姉の政策の目を盗むような狡猾な手段を用いていたことから、まだ発見されず密輸されてる物もある可能性があり、いま現在も取り締まり強化はしているものの、元を絶たねばトカゲの尻尾切りということでオレに話が来たわけだ。

 そしてオレがすることはその密輸品がどこに流れているかの調査と、どこから流れてきたのかを突き止めて報告すること。

 言うは易しだが、実際にやるとなると手がかりがなさすぎて笑えてくるのだが、幸いなことに幸姉の政策が実施されて以降、密輸関係の問題はピタリとまではいかないまでも、アジア圏での失敗のリスクが高いからと発生率が激減。その煽りを受けるのがオレが頼ったヤクザなどの闇組織。

 幸姉の圧力でナリを潜める組織ばかりの中で、活気づいているところがあればそこはちょっと怪しい。

 もちろん全うな仕事(シノギ)で儲けているところが多いだろうが、そういったところを当たっていけばいつかは当たりを引ける可能性がなくもないといった感じだ。

 唯一の手がかりとして幸姉からもらったのは、密輸が全て『中国経由』ということで、ある程度調査の簡略化は可能だが、それでも物的証拠の入手には組織の事務所などへの侵入が必要。

 会話の盗聴など期待はできないしな。

 そこまでを考えてジャンクフードを食べ終えた頃。

 時間にして朝の8時30分になろうという頃合いに十蔵さんから渡された携帯に着信があり、『B』と示された名前に誰かを一瞬考えて思い当たり通話に応じる。

 これは紛失時に誰の物かを特定できないようにした連絡用の携帯――もちろん向こうもそうだ――だから、シゲさんなどの名前もアルファベットで適当に割り振られている。

 

『旦那、朝早くにすみません』

 

「何か掴んだんですか?」

 

『はい。天狼会ってところが最近、景気が良いとかで近々銀座に開くバーへ資金援助を惜しんでねーみてーです。全うなシノギをしてるだけにも見えますが、そんな感じの噂でいいんですよね?』

 

「ええ。あとはその天狼会の事務所の所在なんかもわかればありがたいですけど」

 

『そっちもわかってますよ。大抵の組は名前さえ聞きゃシマくらいはわかりますからね。調べるまでもねーです』

 

 朝早くから連絡をくれたシゲさんは、早速拾ってきた情報をオレに報告してくれて、それに感謝しながら事務所の所在を聞いて、頭の低いシゲさんに確認のために尋ねておく。

 

「あの、シゲさん。一応の確認ですけど、この探りは組全体でやってないですよね?」

 

『はい。それは旦那も俺らも危険を伴うんで、俺と筆頭数人だけでそれとなくやってます。俺らも末端全員に常に目がいくわけじゃねーですからね』

 

 オレの質問の意図を皆まで言わずとも理解してくれていたシゲさんは、抜かりのない調査方法に少々自慢気だが、油断はしないでほしいと言ったら携帯越しでもビシッと姿勢を正したのがわかる返事をしてきてちょっと笑ってしまう。

 シゲさんならそんな心配なさそうだけどな。

 

『まぁ、旦那は大船に乗ったつもりでいてくださいや。旦那が何をしてるかは尋ねませんが、俺らも頭も旦那のやってることが無事に済むように願ってます』

 

「……どうもです」

 

『それでその……これはちょっとしたこっちの事情なんですがね、少々尋ねたいことがあるんですが、いいですかね?』

 

 そうしてオレの不安を取り除くようにして口を開いたシゲさんに感謝してから、急にモゴモゴとした雰囲気で尋ねることがあると話すので、聞くだけならと返してその話とやらを聞く。何だろう。

 

『そのぉ……お嬢は……ちゃんとやれてますかね? 俺らも頭も何か緊急のことでもねー限りは接触も連絡も控えてくれって言われてまして……お恥ずかしい話、お嬢がどんな生活してるか知らねーんです』

 

 これは真面目な話かなとちょっとベンチに座り直してしまってから聞いたシゲさんの話だったが、本当にあちらの事情だったのでちょっとベンチから滑り落ちるものの、シゲさんは菜々美さんのことが心配だからこそオレに……

 ん? 違うなこれ。たぶん十蔵さんはそういう事情があったからオレを菜々美さんのところに……

 そう思ってオレの返答待ちのシゲさんに確認するように質問で返してみる。

 

「あの、シゲさん。もしかして十蔵さんは菜々美さんの大学生活を探るためにオレを密偵として寄越したんじゃ……」

 

『か、勘違いしねーでくださいよ旦那。頭は本当に困ってる旦那を助けたい一心で大切なお嬢のところに身を置かせたんです。これは俺が勝手に尋ねたことで……すが、頭にも報告はするつもりでした。ですが!』

 

「あー、別に責めてるわけじゃないです。十蔵さんにも菜々美さんにも感謝してますから」

 

 どうやら昨日のあの場でそこまで考えてのことではなさそうだったが、そういう密偵みたいな使われ方をされてることには変わりない。

 だがそれは菜々美さんの大学生活。プライバシーを侵害することにもなるので、公開する情報は選択させてもらう。

 その上でシゲさんは納得したので、十分な情報を選別して、十蔵さん達が安心するようなものだけを厳選。

 

「菜々美さんにもプライバシーはありますから、オレからベラベラと喋るのは家庭の事とはいえ余計な火種は生みたくないです。なので当たり障りないことだけ述べさせてもらいますと、普通に良い大学生活を満喫しているかと。何か問題を抱えているとも別段思えませんし」

 

 そうして出した言葉に、携帯越しのシゲさんは沈黙。

 やっぱりこの程度じゃ安心してはくれないかなともう少しだけ話をしようとしたところで、ホッと息を吐いて安堵するシゲさんの声が聞こえてきてこちらもひと安心。

 

『旦那がそう言うなら安心です。ただ、これだけは聞いときたいんですが、お嬢にその……男の気配はありやしませんでしたか? お嬢は今まで男との付き合いが全く……』

 

「あー携帯の電波が遠いので切りますねー」

 

 はい終了。

 これ以上は菜々美さんに迷惑かけるからなし。

 そんな意味を込めて話の最中に強引に通話を切ったオレは、すぐにかけ直しが来ないことを確認してから向こうも突っ込みすぎたことを理解したかと思って携帯を懐へとしまって、教えられた天狼会とやらの事務所を目指してバイクを走らせていった。

 さて、久々に諜報科らしい技術を使うことになりそうだな。

 シゲさんの情報通りに渋谷区の原宿まで足を運んで、天狼会の事務所の入るオフィスビルの前まで移動しては来たが、2階にあるらしい事務所の窓からはすでに人影が確認できたので、人のいなくなるタイミングを狙うために道路を挟んだ向かいに丁度あった3階建てのオフィスビル。

 そこの屋上――侵入できなかったがミズチで強引に登った――を陣取って持ってきていた片手で持てる小型の望遠鏡を使って事務所を観察。

 人がいなくなるのを待つついでに事務所の押さえるべきところとドアの確認をするが、なんだか甲冑やら模造刀やらが飾られてるので武士マニアの感じがうかがえる。

 まぁそんなことはどうでもいいわけだが、ヤクザにも事務所の色があるよな。十蔵さんのところはあれ系の内装はない普通な感じだったし。

 そんなやたらと物の多い事務所内の観察をしながら、いざ人がいなくなった時に備えて迅速な行動のための手順を頭でシミュレートしておき、それに必要な道具も今のうちに準備。

 ピッキングとか密室作りとか本当に久々だから想定よりも手間取るかもしれないな。

 そうして不安を取り除くように授業で習ったピッキングやポピュラーな密室作りの方法をシミュレートしていたら、昼頃になって外食でもするのか、事務所内の人間が全員出ていったので、これを好機と見て速攻で屋上から降りて道路を渡りオフィスビルに侵入。

 監視カメラの類いが設置されてないことを確認してから堂々事務所の前に行って、ドアの施錠がピッキング可能なのを判断してから約5秒で解錠を完了させて中へと静かに侵入。

 内鍵がひと捻りで閉められることは確認済みなのでどの程度の力が必要かを調べてからすぐに事務所内のデスクを物色。

 元の配置を崩さないようにそれらしい確約の書類が出てこないかを探ること1分。

 割とまともそうなシノギの書類やシゲさんが言っていたオープンするバーへの援助に関する物は出てきたが、それ以外に怪しいと思う物は見当たらず、ここはハズレかなと判断して撤収。

 ワイヤーを取り出してドアの内鍵の捻る部分にワイヤーを括り、事務所を出てドアを閉めてから持ってきたワイヤーをドアノブ辺りから下へとススッと引っ張って内鍵を降ろして施錠。

 強く引っ張れば内鍵からワイヤーがすっぽ抜けるようにしていたので証拠も残さずに調査を終了。

 あとは何食わぬ顔でオフィスビルを出て立ち去るだけだ。久々でちょっと緊張した……

 これら全てを5分程度でやり遂げたわけだが、こんなことをこれからまだ何回……下手をすると何十回とやることになるかもしれないと思うと気が滅入ってしまうが、幸姉に頼まれてやると言ったからには弱音は吐いてられない。

 おそらくは今年最後の依頼だし、気合い入れてやりきるか。報酬は赤字だろうけど……

 その後も夕方頃にまたシゲさんから情報が入り、午後8時頃に誰もいなくなった事務所へと侵入し物色してみたが空振り。

 この調子だと1日で2、3件の調査が限界かもな。東京だけでどのくらいのヤクザがいるかは知らないが、長引かせてもよろしくない案件だから早く終わらせたい。菜々美さんのところに長居も危ないし。

 その菜々美さんのところには連絡の後に戻ることになってるので、その間に近くの温泉施設でくつろぎ、全く同じ防弾私服の2着目に着替えてそのままコインランドリーでさっきまで着ていた服を洗濯乾燥。

 午後9時30分頃に菜々美さんからの着信が履歴に残っていたので、コインランドリーから出てからすぐにアパートへと戻ってみると、勉強をしていた菜々美さんはまだ着替えてもいなくて何事かと思えば、お風呂がまだとかで心底呆れてしまう。

 全部済んだら連絡してくれって言ったはずだよな、オレ。この人もう天然すぎて怖い。

 

「……明日からはオレが戻ってきた段階ですぐ寝れる状態まで済ませてください。時間がかかっても構いませんからお願いします」

 

「でもそれだと夜の10時過ぎたりとかもあるかもだし、外は寒いしキョウ君が……」

 

「オレは別に……その気持ちはありがたいですけど、寒さをしのぐ術はありますし、菜々美さんの私生活に踏み込むことをしたくないんです」

 

「……キョウ君はお父さんとかとちょっと違うかなと思ったけど、頑固なところとか似てるかも。……わかりました。明日からは言われた通りにさせてもらいます。けど、今夜はこれからお風呂に入るの許してね」

 

 なんかもう何回も言ってる気がするけど、菜々美さんに浸透していないみたいなので強めに言っておくと、今度こそ納得してくれた菜々美さんは可愛らしく笑ってから話を終わらせて寝室から着替えを持って洗面室に行ってしまい、1日1天然みたいなのが炸裂しそうな菜々美さんに不安しかないな。

 その日はそれ以上のイレギュラーもなく昨夜と同じ感じで寝ることができたが、翌朝はどういうわけかベッドから落ちて寝ていた菜々美さんがパジャマのボタンがいくつか外れた状態でいたため、またもその魅惑の光景に戦慄しながら被っていた毛布を上から被せてあげるのだった。

 この人がいると目覚めには困らないな……

 それからの日々はこれといった変化はなく、日中はシゲさん達から寄越される情報を頼りに夜までできる限り調査。

 寝るのは菜々美さんのアパートのリビングとちょっとしたサイクルに突入。

 菜々美さんもさすがに2日くらいしたら天然も炸裂しなくなって割と安心してきたが、気を抜くとこっちが距離を詰めかねないので寝てる時以外に菜々美さんと顔を合わせているのが一番疲れる。

 親しみやすさを持つ人との生活は普通なら居心地良いのだが、状況にも寄るよな。

 そんな日々も1週間と続くと、さすがにたくさんあるとはいえ調査するヤクザもだいぶなくなってきて、シゲさん達からの情報も鈍化。

 日に1件程度で調べるのも早い段階で終わることがあって暇な時間というのも増えていた。

 幸姉には進展があったら連絡するように言われていたため、今のところそうする必要がないのだが、さすがに1週間音沙汰なしは不安にさせるか。

 などとも考えはしたが、オレを信頼してくれてるあの人なら待っててくれる。

 何の収穫もなしに連絡したら、それこそ怒られてしまうかもしれない。「真面目にやれ!」ってな。

 そんなわけで日曜日の夕方頃に本日の調査を終えてしまったオレは、西日暮里の辺りからちょっと通い慣れてきた温泉施設へと戻っていき、その途中で巣鴨のセルフスタンドでガソリンの補充をしていた。

 その最中に、何気なく街並みを見回していたら、あまりに見慣れすぎているものを発見し思わず2度見して凝視してしまう。

 武偵高のセーラー服だ。日曜日なのにそんなもの着てたら余計に目立つが、それを着ている女子も女子だ。

 散々監視してたからたとえ後ろ姿であっても見間違うことはなかっただろうその横顔は、遠山かなめ。

 その手には科学剣ではなくスーパーにでも行っていたのだろう買い物袋が持たれていて、驚くことにその隣を並んで歩くおばあさんと何やら仲良さげに笑顔で話をしながらオレの視界から遠退いていくが、あのかなめがあんなに仲良くするってことは、あの人もジーサードの仲間なのか?

 そんな疑問がふと沸いたオレは、かなめがこの辺りにいる理由も気になったので給油を終えてからかなめとおばあさんが進んでいった道を進んで追跡を試みたところ、ちょっと街の中心から離れた住宅街に入って、いかにもな日本家屋に2人して入っていってしまい、2人が完全に家の中に入っていったのを確認してからその家の正面玄関まで行き塀にあった表札を見れば『遠山』の名があったので、その場で少しだけ思考してから思い当たる。

 確かキンジの実家が巣鴨とかなんとか言ってた気が。ということはさっきのおばあさんはキンジの……

 そこまでに至って深読みしすぎたかと思い、何も見なかったことにして去ろうとしたら、なんかどっかのホームセンターでも行ってきたのか農園でも作れそうな材料を抱えたやたら派手な格好の男が進行方向から姿を現したので、フルフェイス型のヘルメットを被ったままそいつをよく見れば、ついこの前までキューバにいるとかなんとかだったジーサードだとわかって思わずハンドルから手が落ちる。

 何でお前が巣鴨なんて場所にいるんだよ。

 

「あ? んだてめェ。家に何か用なのかよ」

 

 そのジーサードはヘルメットのせいで顔がわからず、まだオレだとわかってない感じでガンを飛ばしてきたが、ここで会ったが百年目。あの時の恨みを晴らしておくか。

 そう思ってガンを飛ばすジーサードを見たまま1度バイクから降りたオレは、そのまま棒立ちのジーサードに対して先制のグーパンを顔に叩き込んでやる。

 

「……ああ? んだてめェ、死にてェのかおい」

 

「これはあの時の借りを返しただけだ。それで許してやるから感謝しとけ」

 

 オレに殴られても微動だにしなかったジーサードだが、明確に殺気を放ち始めたところでオレも声を出して誰かをわからせてやる。

 するとジーサードは放っていた殺気を少し緩めてオレのヘルメットの前面をガションと開けてオレを再確認すると、ニタァとよくわからない笑みを浮かべて殺気を完全に消す。

 

「おうおう、お前か。こんなとこで何してんだよ」

 

「黙秘する。それよりお前は何やってんだ」

 

「ああ? そりゃおめェ、帰省ってやつだ。兄貴もいるぜ。会ってくか?」

 

 最後に会った時は殺すだのなんだの言ってたのが嘘のようにフレンドリーなジーサードにちょっと調子が狂うが、オレの1発を気にも止めてないところを見るに悪いとは思ってたらしいな。

 そして指で家の方を指しながらにキンジもいることを知らせてきたわけだが、もう隠す気もないのかそれ。

 そしてそのキンジはまだ冬休みでもないのに帰省してるところを察するに依頼か何かをしてる最中とすぐに判断したオレは、こちらも依頼中とあってその誘いを断る。

 面倒なことになる可能性もあるし守秘義務もあるしな。

 

「オレがここにいたことは黙っとけ。それよりこれ、返すぞ」

 

 それはそれとして当分会えないと思ってたのに、こんな巣鴨の道端でばったり会ったことをチャンスと見て懐に忍ばせていた単分子振動刀を取り出してジーサードに返そうとしたが、それを全く受け取る素振りも見せずに訳わからないこと言ってるぞこいつみたいな目で見てくる。

 

「かなめに言ったはずだがよ、いらねェんだよそれ。返されたところで太平洋にでも捨てちまうし、使う必要があるやつが持ってりゃその方がいいだろ。それともかなめがなんか余計なこと言ったのか?」

 

「これ壊したらお前に従うしかないぞって言われたが」

 

「んなことして俺の下に付かれても困んだよ。俺は俺を信頼するやつしか下には置かねェ。要するにかなめのは独自解釈だ」

 

 ……かなめのやつ……人を惑わせるようなこと言いやがってからに。今から家に乗り込んで文句言ってやろうか。

 至って真面目にそう答えたジーサードが、100%真実を語ったとわかったので、余計なことをしてくれたかなめに突っかかろうと思うも今はやめておき、どうやらこのまま持っててもいいらしい単分子振動刀をまた懐にしまいつつ、これ以上ここにいるのもはばかられたので再びバイクに股がる。

 

「それで、お前は戦役ではどういう立場になった?」

 

「一応は兄貴に負けたからな、師団ってことにはなると思うぜ」

 

「それならいい。キンジとかなめと仲良くしろよ。もうお前らの喧嘩に巻き込まれるのは御免だからな」

 

「余計なお世話だ」

 

 それで最後に現在のジーサードの所属について尋ねたら、ちゃんと負けを認め師団になったらしく、それに安心したオレは恥ずかしそうに悪態をついたジーサードを横目に遠山家をあとにしたのだった。



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Bullet82

 

 ジーサードとかなめ。

 意外な場所で遭遇した2人は、キンジの実家に滞在していたわけだが、仕返しと用件を済ませたオレには2人が何をしてようとあまり関係ないので華麗にスルーして菜々美さんのアパートへ戻って1日を終えた。

 その翌日。

 月曜日となったその日の昼頃、いつものようにシゲさんから連絡があってそれに応じると、どうやら有力な情報を仕入れてきたようで詳しく話してくれる。

 

『今まで調べた中では俺も手応えみたいなものを感じたんで、これで終わりにしたいところですね。そろそろ俺らも動きすぎで怪しまれるかもしれませんし。今までこんな頻繁に情報収集はしてこなかったもんで、引き際も勘になるんですがね』

 

「そうですか。となるとこれ以上は頼りにできませんね。早く終わらせたいのはこちらも同じですし、その情報とやらに賭けましょう」

 

『旦那のために動けるのは光栄なんですが、組も大事ですから難しいもんです。それじゃあ話します。怪しいのは「鏡高組(かがたかぐみ)」ってところで、ここは他とちょっと違って先代の組長が(タマ)取られてからその娘。しかもまだ成人すらしてねーのが頭をやってます。この世界で女ってのは何かと不利なもんで、先代から比べるとずいぶんナリを潜めていたんですがね。最近だと「日本国外」と連携してシノギで稼いでるらしいってのは耳にしていたんですが、それでも身振りが良くなったみたいなことはなくて』

 

 外国と連携……か。

 シゲさんには儲けているヤクザについての情報を探ってもらってたから、その辺の詳しいところは意思疏通が不十分だったが、これは確かに今までで一番怪しいな。

 

「そのシノギがどんなのかまではわかりませんか?」

 

『聞いた話だとマカオのカジノへの出資とかって。他にもいくつかあるみたいですが、漏れ聞いたのはそれだけですね』

 

 マカオ……中国か。それも香港。いよいよもって怪しくなってきた。

 ここは結構踏み込んで調べた方が良さそうだ。

 

「その鏡高組の拠点はどこに」

 

 オレの依頼の前情報と色々と重なった有力そうな情報を得て、シゲさんから鏡高組の事務所の場所を聞き出したオレは、一応もう少しだけ他の情報を集めてもらってシゲさんとの通話を切り、教えられた事務所に向けてバイクを走らせていった。

 辿り着いた事務所にはいかにもな男達がたむろしていたのが外からも見えて、今時のヤクザが十蔵さんのところのようにそれらしい風貌をあまりしないのに対して、こっちは「ヤクザです」という主張があるな。

 そんな男達の中に妙に偉そうな金色に近い茶髪の女の後ろ姿が見えて、派手な着物を着たそれが鏡高組の組長であるとなんとなくわかる。

 顔は位置的に見えないが、まだ成人してないってことはオレとそう歳は変わらないはずだ。

 そんな歳でヤクザの組長とか強心臓の持ち主だな。オレは絶対にやりたくない。

 ここでも例に漏れずにまずは事務所への侵入がセオリーかと思ったが、ここは頭がわかりやすかったので最初はこっちをマークした方が情報が得られそうと考えて、その組長の移動に合わせてオレも尾行することに決めて、待つこと2時間ほど。

 陽も暮れ始めた頃に事務所を出た組長はそのまま下に停めてあった黒のスモークシールドを貼ってる真っ黒な高級車、センチュリーに乗り込んで移動を開始。

 オレもすぐにその車に付けて走り始めた。これで今回は最低でも組長の自宅に案内してもらおうかな。

 組長の乗った車は明治通りへと入って道に沿って池袋の辺りまで来ると、その速度を微妙に遅くして車道脇へと寄っていき、なんてことはないこれといったものもない場所で一時停車。

 それに合わせてオレも手前の角を曲がってその角から車を見張ってみる。

 車は停車したにも関わらず誰1人として出てくることはなく、助手席からはガタイの良さそうな男の腕が窓から外に見えているが、そいつも動く気配はない。

 陽も完全に落ちて尾行には最適な環境にはなったが、ここに停まってることに何の意味があるのか。誰かを待ってる?

 その可能性を考慮してちょっと周りに注意を向けてみると、歩道には塾帰りか何かの学生が結構な数いて、実際に塾も入る建物がある。

 そして停まってる車のさらにその奥に、いかにもチンピラの筆頭みたいな不良少年2人がバイクに2人乗りして停車していたが、あれはヤクザとは無縁な小者だろうな。あんなの抱えたら面倒臭いし。

 そんな小者のチンピラ2人を見ていたら、丁度バイクから降りてガードレールを乗り越え歩道の方に入ったので、車を視界に捉えつつその様子を何気なく見ていた。

 見ていたら、なんかいた。知らない学校のブレザーの制服を着た遠山キンジさんが。

 しかもそのキンジに用があったのか、チンピラ2人はキンジに何やら怒鳴ってるのが見えたが、声までは雑音に紛れて聞こえなかったし、オレ同様にチンピラに目がいって道を塞いでしまった学生達によって姿も見えなくなってしまった。これじゃ何が起きてるかさっぱりわからん。

 まぁそっちはそっちで関係ないしいいかと潜入捜査でもしてそうなキンジのことも詮索せずに車の方に意識を向け直すと、なんか知らんが車はゆっくりと前へと進んでいきあの騒ぎのど真ん中で停車。

 かろうじて車道の方は見えるので、車から助手席に乗っていた男が降りたのを確認。

 街灯でわずかに見えたが日本人とは違う感じの褐色肌に良い筋肉のつき方だ。

 どうでも良い騒動の真ん中に行かれてしまったが、これだけ騒いでいれば問題ないかと思って道の角から出て明治通りに戻り、鏡高組の車の少し後ろにあたかも野次馬のように自然とバイクを停車させて覗くようにして騒ぎの方に目を向ければ、やってるやってる。

 さっきのチンピラ2人を押し退けて車から出てきた丸刈り金髪の褐色肌の男が、やたら機嫌の良さそうなキンジとガチンコだ。

 男はガタイも良いしそこら辺のチンピラなんて相手にならないくらいの実力者なのはひと目でわかったものの、相手がキンジ。

 それもどこでなってきたのかHSSを発動してるっぽいのでは喧嘩にもならない感じだ。

 事実、勇ましく吹っ掛けたみたいではあるが、キンジの標識の柱を使ったドロップキックをお見舞いされて盛大に道端へひっくり返って頭を打っていた。

 なんか喧嘩慣れしてない感じだな。格闘スポーツでもやってたタイプか。喧嘩にルールはないから勝手は違うだろうよ。

 キンジと褐色男の戦力の差は歴然でこれ以上は無意味な争いだなぁと思って、懲りずに立ち上がった褐色男にまだやるのかと内心で感心したのも一瞬。

 オレの視界からはバッチリと見えたが、褐色男はその腰の後ろに手を回して何かを取り出そうとしていて、武器の類い。おそらくは拳銃に手をかけたのがわかり、それはさすがにマズイだろ。

 ここにどれだけの野次馬、しかも学生がいると思ってる。

 発砲したら予期しない事態になることだってあり得るのに、そんなことにも頭が回らないのかあの男は。

 どうやら鏡高組でも下っ端レベルのようだった褐色男は、組長の前で無様な姿を晒したくなかったみたいで、オレの危惧を他所に叫びながらついにその拳銃を取り出してキンジへとその銃口を向け、拳銃の登場で野次馬が一斉に逃げ惑う。

 しかしキンジはその拳銃を撃たせるよりも早く接近しあっという間に男から拳銃を奪ってマガジンと薬室の弾を取り出して発砲できなくして予期せぬトラブルは未然に回避した。

 さすが元強襲科。蘭豹の指導が活きたな。

 それでも周りはまだ騒がしくて混雑していたが、その中に警官の姿を発見。

 キンジ達もそれに気付いたようで逃げるような素振りを見せたが、それより前にマークしてた車から例の組長が降りてきてキンジの前に立ってきて、それを改めて見ると確かにオレと歳は変わらないくらいの目つきこそ悪いが美少女。

 その組長は何やらキンジと話をしていたが、なんかキンジが初めて会った人に対する表情をしていなくて気になる。

 と思ったらキンジはその組長と一緒に車へと乗り込んでしまい、褐色男を置いて発進していってしまった。何がどうなってる?

 会話が全く聞こえなかったのが痛いが、ボヤいても仕方ないことなので再び車を追い始めたのだが、完全に失敗した。

 何がと言えば、些細なことではあったがその辺に目ざとい面倒な相手だったということなのだろう。オレの油断が招いた結果だ。

 車を追い始めたのは良かったが、少し走ってから急に車を制限速度より遅く走らせてわざわざ後ろを追い抜かせる挙動を見せたため、オレも速度を落とそうとしたのだが、あれが『オレの尾行に勘づいての確認』であることがわかって、仕方なくその車を1度抜いてやり過ごしたが、こうなると尾行は難しい。

 おそらくはさっきの騒ぎの時、拳銃が出たのにオレが全く逃げる素振りをしなかったのがやつらの目に止まったのだ。

 あの状況で呑気に喧嘩を見続けたオレを怪しんだってことか。不用意に近付きすぎた。一般人になるってのも大変だ。

 なってしまったものは仕方ないので、車を追い越してから道を外れて1度停車。

 最後に見た進行方向から事務所に向かったわけではなさそうだったので、ここはキンジ大好きなあれに頼ってみることにしよう。

 それでオレの携帯を取り出して今は何故か実家に帰省中のかなめに電話すると、やっぱり不機嫌な感じで応じた。

 

『サードから聞いたけど、この辺でコソコソしてるらしいな。で、何の用?』

 

「お前の大好きなお兄ちゃんが夜のデートしてるのを見かけたから、どこに行くのか気になってな。お兄ちゃんの現在地とかわかったりしないか?」

 

 オレに対する対応が悪いのは承知の上だったので、まともに取り合わないことも考慮してちょっとした脚色を加えた情報を流してやると、携帯越しでもかなめの雰囲気が変わったのがわかる。主に悪い方向にな。

 

『ふーん。それでそのお兄ちゃんはどんな女と一緒だったの?』

 

「ちょっと危ない感じの女だったな。あれはひょっとすると強引に……」

 

 ――ばぎんっ!

 煽るようなオレの言葉は最後まで言うことなく、携帯越しから聞こえた何かプラスチック性の物を握り潰した音によって遮られる。こ、怖い……

 

『それで? お前はお兄ちゃんの危機に助け船でも出してくれるのか?』

 

「お前が出ると面倒なことになりかねないだろ。だからオレがちょっと探ってきてやる。必要だったら助け船も出す」

 

『……ちょっと待ってろ。いま確認してみる』

 

 怖かったが、なるべく穏便に済ませるためにオレが現地に向かうことに成功。

 一旦通話を切ったかなめは、1分ちょっとの時間を費やしてまた電話を繋いできて場所を特定したと話すが、どうやったんだ。

 

『お兄ちゃんの携帯に電話して逆探しただけだよ。それで場所は仙石の……』

 

 オレの思考を読んだように場所を特定した方法を述べてからキンジがいるらしい付近の住所を話したかなめは、まだ通話に応じるだけの余裕があったキンジにひとまず安堵したようだが、帰ってから問いただすつもりなのか、その時には何か特別に聞いたりしなかったっぽくて、一応オレが告げ口したことは伏せるように言ってから通話を切って、教えられた住所の周辺目指して走り出した。

 辿り着いたその仙石の一角にある場所には、先ほどの車が駐車場に停めてあって、その駐車場を持ってる店は『紅寶玉(ルビー)』という一見さんお断りのレストラン。

 こういうところはヤクザが所有してたりするが、鏡高組の建物なのかね。

 1度怪しまれている手前、バイクは少し離れたところに停めて、顔を見られる可能性は排除したかったが、あえてヘルメットも外してその店をザッと見て回ってみたが、入るのは無理だな。今は組長もいるしでガードが固い。

 仕方ないので裏口の方へと回って、別の隣接する建物の塀を隔てて様子をうかがってみると、姿こそ見えないが裏口のところから男達の話し声がわずかに漏れ聞こえてきていて、集中するもちょっと聞き取れそうになかったので、ここも適切な人材を使ってみる。

 その人物は、我がチームで完璧なオペレーションを誇り、聴音弁別において他の追随を許さないほど優秀な、しかし実際に会うとそうは絶対に見えない中空知。

 キッチリ1度のコール音で通話に応じた中空知は、非常に聞き取りやすい滑らかな声で丁寧な挨拶の後、早速用件を尋ねてきたので、やりやすい相手にちょっと感動しつつ手早く用件を伝える。

 

「ちょっとこの携帯から聞こえる話し声を拾って欲しいんだが、オレでも聞き取れない声を拾えるか?」

 

『可能です。今も猿飛さんの声以外にも様々な声を聞き取れていますので』

 

 やっぱりこれもう、超能力の類いだろ。

 自信満々とは違うが、そう即答した中空知に迷いはなかったので、今は時間も惜しいので中空知が少しでも聞き取りやすくなるように塀の上に携帯を置いて、裏口の方向に向けてやり、極力静かにして男達の会話が途切れたタイミングで携帯を回収。

 だいたい2分程度は話してたが、果たして内容全てを覚えてくれているのか。

 

『会話については途中からになりますが、それでもよろしいでしょうか?』

 

 杞憂だった。やはり彼女は超優秀だ。

 これは後日、真剣に報酬をどうするか考えないとダメだな。ただでさえ赤字の依頼でこれはキツい……帰ったら食費を切り詰めるか。

 金銭的にまだ蓄えはあるのだが、贅沢をできるほどのものではないので凄い現実的なことを考えつつも、会話を聞き取った中空知からその内容を一字一句逃さずに復唱してもらう。

 

『では復唱します。「あのボウズを手土産にするのも良さそうだな」「そのためにはもう1度姐さんに釣ってもらう必要がある」「それができたらもう、姐さんはお役御免。あのボウズのオプションとしてつければいいか」「コウ先生も強い人間を欲しがってたから、きっと喜ぶだろうな」「ついでに姐さんには今までのお返しをタップリと」「おいおい、姐さんが美人だからってガキ相手にかよ」「売られる前にキズモノにするわけね」「香港ではあのボウズと一緒にどう使われるか楽しみだ」「ちょうど向こうの幹部も来てることだし、タイミングはここだな。決行は明日。姐さんがボウズを誘い出して拘束したら、油断してる姐さんも縛ってそのままコウ先生に引き渡す」。会話は以上ですが、ご理解はできましたか?』

 

「ああ、たぶん大体はわかった。助かったよ中空知」

 

 さすがに朗読のような会話の復唱で抑揚や緊迫感はなかったが、内容はなんとなくわかったので礼を言ってから、落ち着いたら報酬の方は払うと言って通話を切りバイクへと戻る。

 どうやら鏡高組も一枚岩とはいかなかったようだな。

 当然と言えば当然だが、シゲさんも言っていた。この世界は女は何かと不利なのだ。

 その煽りを受けるのは部下。それも年端もいかないガキが組長だと馬鹿にもされていたはず。

 まぁ、オレには関係のないことだからいいのだが、どうやら中国、香港のマフィアと繋がりがあるのは間違いないらしい。

 コウ先生とやらも今は日本に来てるみたいだし、このままマークしてれば顔を合わせるかもしれない。

 そこで組織の名前でも出てくれればオレの仕事も終わる、かもしれない。

 かもしれないばかりだが、実際そうだから仕方ない。

 あとは店にいるキンジが出てくるのを待って、かなめに無事な報告をして、出来れば組長の自宅も特定できればいいが、無理は禁物かな。

 そう考えながらに待つこと少し。

 特に中で何かしてきた様子もないキンジが店から出てきて歩いて帰路についたのを確認したので、早速かなめに連絡し「ただお茶しただけだったようだ」と報告。

 ついでにオレの告げ口があったことは伏せるようにと再度言ってから通話を切って、今夜は警戒されてるだろうと結論して素直に戻ることにした。

 どのみち明日には動きがありそうな話をしていたしな。焦る必要はない。

 鏡高組の内部事情など知ったことではないが、何やらキンジが巻き込まれてる感じはあったのでちょっとだけ心配だが、何かピンチになるようなら助け船くらいは出すか。その場にはオレも居合わせると思うし。

 とりあえずそういったことはしてやることだけ決めてバイクに乗っていたら、さっきの仕返しだろうか、尾行られている。

 おそらくは鏡高組の組員だろうが、1度離れたオレを再度見つけてマークしてきた辺り、オレがどこの誰なのかを突き止めて釘でも刺すつもりか。

 一応本気で仕事してるのにマークされたのはビックリだが、そういったことに特に目ざとい奴が組にいるんだろう。おそらくは元武偵か警察の誰かが。

 そんな状態でノコノコと菜々美さんのところへは戻れないので、とりあえず気付いてないと思わせたまま1度菜々美さんのアパートのある近くを通り過ぎて南下。

 新宿区を抜けて世田谷区まで侵入したところで、よく知らない手頃なホテルの駐車場へと入って顔を見られないようにギリギリまでヘルメットを被ったまま手慣れた感じでそのままそのホテルへと入り、外が見えるロビーのソファーで新聞を読むフリをしながらまだマークされてることを確認。

 これはちょっと面倒臭いな。どうやらオレが尾行に気付いてる前提でマークしてる。だからオレがこうしてフェイクをしていても離れてはくれないだろう。

 こんなのが明日以降も続いたら依頼に影響するので、何とか今夜のうちに振り払っておきたいが、どうしたものか……

 菜々美さんからの帰宅してもいいという履歴もすでに来ていたが、今夜は戻らない方が良さそうだと判断するも、誰かと連絡を取るようなところを見られたくはないし、こっちが目を離した隙にバイクに何かされても困るので何とかして追跡を振り切り、何かするにしてもその後だと判断してホテルのロビーから出て再びヘルメットを装着。

 もうこっちも気付いてないフリはやめて再びバイクを走らせて交通量の多い新宿で撒こうと右往左往する。信号に引っ掛かればこっちの勝ちだ。

 だが向こうもこっちがその気になったのを察したのかピタリとオレの後ろについて走ってきて、都合良くオレと車とが分断される展開にはならず、たとえそのチャンスでも向こうが強引に突っ切ってくるのでちょっとイラつく。しつこいっての。

 そんな感じで1時間近くも新宿を走り回ったわけだが、状況が好転しないのでもう強行策。

 新宿を出て杉並の方へと向かって大きな道路から外れ、車の通れない細い道がないかと走ってから、逆に袋小路へと追い詰められた。

 ように見せかけて向こうから仕掛けてくるタイミングを作ってやると、ここぞとばかりに止まったオレに対して車を降りた2人組の男達。

 スキンヘッドと刺青入りの顔の2人は手強そうだが、蘭豹や綴の方がよっぽど怖い。

 その差がちょっと面白くて笑ってしまうが、バイクを降りたオレはヘルメットを被ったままその2人と対峙。

 やることは簡単だ。ちょっとだけ眠ってもらうだけ。

 油断こそしてなかった2人組だったが、普段から『普通ではないが手強そうにも見えない雰囲気』を放つオレに正確な戦力分析ができなかったのか、一瞬だけ本気になったところ慌てて対応したので、その隙を突いて瞬殺。

 気絶した2人を車に乗せてやってから道を塞いでいるのでニュートラルにギアを入れて退かすと、その場を何事もなかったように離脱して新宿まで戻ってから1度停車して時間を確認すると、もう夜も11時30分を回ってしまっていて、もう寝てるかもと思いつつ菜々美さんに連絡をしてみたら、1コールさえ鳴り切る前に通話に応じられてビックリする。

 

『必ず夜は戻るって言ったのに、キョウ君の嘘つき!』

 

 そしてそこからオレが何かを言うより先に初めて菜々美さんに怒られてしまうのだった。



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Bullet83

 

 幸姉からの依頼をこなし始めて約1週間。

 手詰まりになりかけたところに舞い込んだ有力情報で進展した状況になったのはいいが、注意不足が原因でマークするはずの鏡高組からマークされてしまい、なんとか難を逃れたものの、菜々美さんのところに戻るのがすっかり遅くなってしまったので1度連絡を入れてみたら、いきなり怒られてしまってたじたじ。

 よほど心配させてしまったのか、怒る中でもオレが連絡してきたことに安堵しているのもわかって悪いことをしたと思う。

 

『とにかく1度帰ってきなさい。話はまたそれからです』

 

 完全にお姉さんみたいな感じになっていた菜々美さんは、通話では長くなるからと一旦説教を終わらせて通話を切っていき、なんだか年上に怒られるってのが久しぶりだったオレは、悪いとは思いつつもちょっとした心地良さみたいなものを感じていた。

 オレを怒ってくれる人が、近くにいなくなっちゃったからな……

 そんな若干不謹慎な思いもある中で急いで菜々美さんのところに戻っていったオレは、もう日付が変わる頃だというのに玄関で仁王立ちして待っていてくれた菜々美さんにまずは全力で頭を下げる。

 夜は必ず帰るとは言ったが、さすがに菜々美さんが寝るまでには戻らないと遅い。

 よく見ればコーヒーで眠気を飛ばしていたようで、台所にインスタントコーヒーの袋が置かれていた。

 それからまずはリビングに入れられて対面で座らされると、どうして遅くなったかを問われるものの、それは答えられないので沈黙。

 それで菜々美さんの頬がちょっと膨らみ、さらに何をしているのかを問われるがそれも沈黙。

 またぷくぅと頬が1段階膨らみ、オレが誰なのかという問いにも沈黙を通すと、最高レベルに頬を膨らませたまま、べちんっ!

 両頬を手で挟み込まれてムニョムニョ引っ張られてしまう。可愛い攻撃だなぁ。

 

「キョウ君は秘密が多すぎるよ。なに聞いても教えられませんじゃこっちもどうしていいかわかんないし、理由がわかんないとちゃんと怒れないよぉ」

 

「すみません」

 

「そうやって謝られても困っちゃうんだよもう……」

 

 説教再開となったはずだったが、肝心なところが謎なので菜々美さんもどう怒ればいいか困っていて、そこへ謝るオレにさらに困り顔をしてしまう。

 

「…………やっぱり私にはお姉さんみたいなことはできないのかな……こういう時にどう怒っていいのかわかんなくなっちゃって、どうでもよくなってきちゃったよ」

 

 困り顔のままうんうん唸っていた菜々美さんは、それでもうお手上げみたいな感じで両手を前について俯いてしまって落ち込んでしまう。

 こういう時、幸姉や眞弓さんなら、オレをどう怒るかな。

 

「……言葉だけがお叱りになるわけではないと思います。オレの知ってる人なら『今後私の言うことを3つ聞くこと』とか勝手なこと言って怒りを楽しみに変えたりすることもありましたから」

 

 そうして幸姉ならどうするかを考えたら、ほぼ確実にそんなことをやってきそうだったからそのまま菜々美さんに言ってみたら、顔を上げてオレを見た菜々美さんは慣れないことをしたからかぐでっとそのまま横になってしまって「じゃあそうしようかな……」という言葉を最後に目を閉じてしまい、静かに寝息を立て始めてしまう。マジでか……

 このままここで寝かせてしまうとオレが寝る場所がないので、仕方なく菜々美さんを抱き上げて寝室のベッドまで運んで寝かせてあげたのだが、離れようとするとオレの肩の辺りの服を掴んだまま放してくれなくて、無理に放そうとして起こしてもあれだから仕方なくベッドのすぐ横で腰かけてそのまま就寝。

 毛布も何もないから若干寒いが、これも自分への罰と思って一夜を過ごすのだった。

 翌朝、起きてみれば菜々美さんからの拘束も解かれていたので、ちょっとめくられた布団をかけ直してから寝室を出て昨夜のお詫びに朝食とお弁当でも作ってあげることにする。

 ここを出る前に何度かどのくらいの材料を使うか見ていたので、食費を圧迫しない程度で調理を開始。

 誰かに料理を作るなんて久々な気がする。

 その調理の音と匂いでか、菜々美さんも少ししてから起床して寝ぼけながらリビングに出てきて台所に立つオレを不思議に思ったのか近寄ってきて調理の様子を観察。

 

「キョウ君ってお料理できるんだ」

 

「簡単なものだけですけどね。先に支度とか済ませてください。その頃には出来ますから」

 

 それで身支度に取りかかっていった菜々美さんを横目にパパッと朝食を作り終えて、お弁当の詰め込みも終わらせたら菜々美さんも準備をだいたい整えてテーブルに着きオレの料理を美味しそうに食べてくれた。機嫌は、良さそうだ。

 

「それでね、昨日の罰のことだけど、今夜は久々に実家に帰ってお夕食にしようと思うの。お父さんにはこれから話すけど、その席にキョウ君も一緒に来ること」

 

 そして朝食を食べ終えてから片付けの最中に、寝ながら考えたのかと疑うような罰をオレに話した菜々美さん。

 それが罰となるのか疑問だが……

 

「それって罰になるんですか?」

 

「えっ? でもキョウ君、一緒にご飯は食べてくれないみたいなこと言ってたから、罰になると思ったんだけど。今もキョウ君、自分の分は作らなかったし」

 

 ここにきて天然が炸裂。

 確かに一緒に食事はしないとは言ったが、それは菜々美さんの生活に負担をかけないように考慮したことであり、十蔵さんのところでは考慮しなくてもいい。

 いや、考慮すべきだがそんな小さなことを気にするなと言われてしまうのが目に見えている。

 

「まぁ、それで菜々美さんが許してくれるならいいですけど、やっぱり菜々美さんはお姉さんキャラじゃないですね」

 

「えー、何でそんなこと言うのー」

 

 本気でキョトンとしてる菜々美さんに対して了承しつつそう返したら、また昨夜のように頬を膨らませた菜々美さんにちょっとだけ笑ってしまい、それでまた頬が膨れてしまうものの、本人も釣られて笑ってしまっていた。

 その後、夜は十蔵さんのところに行くように言われてから初めて菜々美さんと一緒にアパートを出たオレは、夜が楽しみなのかバイクで走っていったオレを手を振って見送ってくれたが、オレもオレで今日が1つの山場だ。気を引き締めていくとするか。

 とりあえず朝から鏡高組の事務所をマークして、今日、内乱を起こすらしい部下を連れた可哀想な組長様がお出かけするまで待機。

 さすがに昨日の今日なので警戒は強まっていて監視の目が厳しい。

 オレでさえ肉眼で監視できる位置取りができないってレベルなので、距離感を間違えると昨日の二の舞だ。

 そんな感じで割と本気にさせられてる鏡高組にはちょっと恨みのゲージを溜めつつ、何事もなく昼を回ってしまい、その間は何かを待ってるような感じだった組長さんは、ようやく来た携帯の通話に応じたかと思うと、すぐに出かける支度をしてお出かけ開始。

 昨夜の部下達の会話を聞くに、キンジを誘い出す手でも打ってきそうなんだが、さてさてどんな手で来るのか。

 という余裕もすぐに打ち砕かれるわけになったのだが、どうも昨夜から悪い流れが続いてしまっていてため息が出てしまう。

 今、組長さんはなんてことはない喫茶店に入って、そこにいた部下が連れてきたのだろう見た目普通の女子高生と席を共にして話をし始める。

 どう考えてもヤクザとは無縁なその女子高生が誰なのかは知らないが、状況は刻一刻と悪い方向へと進んでいく。

 オレは問題ないところから観察していたが、何故か昨夜キンジと揉めていたチンピラ2人と褐色の男が店の前でオレ同様に組長とその女子高生を見張り始めていた。

 よくよく見るとキンジが着ていた知らない学校の制服を着ているので、あの女子高生も同じ学校の生徒なのかもしれない。

 しかしあの3人。下手くそすぎる。あれでバレてないとか思ってるならチンピラの中のチンピラだぞ。

 何の目的であそこにいるのかは知らないが、余計なことだけはしてくれるなよ。

 そう願いつつも組長と女子高生の対談を見ていたら、余裕な表情の組長に対して女子高生は恐れ知らずな様子で怒ってるような感じが見て取れるが、挑発でもしてるのか組長は笑って女子高生に何かを言い、ついに席を立った女子高生は組長に手を上げようとしたところで、横に控えていた部下が取り押さえた。

 それを皮切りに店の外にいた3人が勝ち目もないのに出ていって鏡高組に吹っ掛けていったわけだが案の定返り討ちに遭ってしまい、女子高生も騒ぐので一旦気絶させられて全員が移動を開始。

 やられて動けない3人も車に乗せられてどこかへと運ばれるので、やっぱり面倒事になってしまったことにため息が出てしまうのだった。

 これはもう静観できないだろうが。

 そうして移動していったのは、西池袋にあった大豪邸。

 おそらくは組長の家だろうが、そこの豪勢な門から入っていった車を見送りつつ、適当なところにバイクを停めてどこかから侵入できないかと探りを入れていたら、もう1台、後から門を潜って車が入っていったのでそれもちょっと気にしつつ面倒な監視カメラを潜り抜けて敷地内に侵入。

 門の前では先ほどの3人が数人の部下達にフルボッコされていたが、そちらを助けていたらどこにいるかもわからないあの女子高生の方をどうにもできない。

 彼らは殺されないことを祈りつつまずは邸内を散策。オレだって一辺に全てを助けることはできない。

 すでに陽も落ち始めていた時間帯なので、オレとしては行動しやすい時間に差し掛かっていたため、邸内には入らずに中の様子を窓などから観察していってみたら、目的の女子高生はいた。

 すでに意識は戻っているようだが、拘束されて口にも布を当てられて喋れなくされてしまっているし、監視の目もあって救出は容易じゃない。中への侵入も色々と用意してから、かな。

 それでいざって時のために準備をしようとしたところで、女子高生のいる部屋にもう1人の女性が縛られた状態で放り込まれてきて、冗談だと思いたいがそうもいかなかった……

 その女性はあろうことか菜々美さんだったから。

 昨夜は完全にマークしてきた2人を振り払って戻ったはずだ。

 それなのに鏡高組が菜々美さんにまで辿り着くということは、オレが戻るところを見られていたということ。

 どこにミスがあったのかと考えることも一瞬。菜々美さんに怪我がないかを見ていたら、そばにいた組員が菜々美さんの携帯を奪って操作して、どこかへと連絡をするが、おそらくは……オレだ。

 そうして組員から菜々美さんの番号でかかってきた電話に応じたオレは、知らない風で最初は普通に応答。すぐに知らない男なのを悟ったようにして口調を鋭くする。

 

『お前の女は預かった。無事に返してほしかったら、今から教える場所に1人で来い』

 

「……菜々美さんは無事なんだろうな。それを確認させろ」

 

 一応は無事なことは確認済みだが、切羽詰まってる感じは出しておく必要はあるのでそう言うと、男は持っていた携帯を菜々美さんの口元へと運んで何かを言わせる。

 

『キョウ君、私は大丈夫だからお父さんに……』

 

 と、そこまで言って携帯を離されたので最後まで聞こえなかったが、言いたいことはわかった。

 だがそれはできない。

 

「いいか。その人に何かしてみろ。何かしたらお前を只じゃおかないからな」

 

『おお怖い怖い。だが俺が今この女に何かしてもお前にはわからないわけで、脅しとしてはガキのレベルだわ』

 

 オレが見てるのも知らないで余裕の男は、それで1度菜々美さんの髪を手に取って味わうようにしてその匂いを嗅ぐ。

 これで奴はもう万死に値する。顔は覚えたぞバカが。

 

「……それとどうやってその人とオレが繋がってるのを知った? 昨夜はちゃんと撒いたはずだが」

 

『うちの姐さんは元諜報武偵だったからな。お前をプロと見抜いて早々に手を打ってたんだよ。倒した2人はかませ。お前が油断して帰るところを別の奴が張ってたってわけだ』

 

 二重尾行か。オレ程度にそれだけの手を打ってくるとは思わなかったな。

 しかもオレと同じ諜報系の武偵だったのか、あの組長さん。ならキンジとの繋がりも無きにしもあらずか。

 結果としてオレのミスで菜々美さんを巻き込んでしまった。

 あれだけ迷惑はかけないと言っておきながら、この様。オレは何をやってるんだ……

 

「わかった。すぐに行く。だからその人に乱暴な真似はするなよ」

 

 自分を責めるのは全てを終えてから。

 今はそう言い聞かせて冷静に事に当たることにして、この場所を示す住所を教えられて通話が切れると、本来、ここに来るまでにかけられるギリギリの時間――長くても40分くらいか――で策を練り仕掛けを作っていった。

 鏡高組、後悔しろ。お前達が怒らせた男は、素直に命令に従う優しい男じゃないぞ。

 出来る限りの全ての準備を整えてから、リミットである時間に大豪邸の正面入り口からバイクに改めて乗ってやって来た風のオレは、一応菜々美さんを逃がすための策としてタクシーを1台呼んでおき、門の前で待つように言ってから門を潜って堂々と中へと侵入。

 入ってすぐに先ほどボコボコにされていた3人が壁際に寝かされていたが、死んではいないようだしとりあえず無視。

 こいつらもあそこで出ていったのだから、こうなる覚悟はあったはずだ。

 ヘルメットを被ったままの状態で古風なのに自動のドアを潜って広い和風庭園を歩いて抜けて、その先にあった玄関を入り水槽の埋め込まれた壁の廊下を渡って、たくさんの美術品が飾られた広いリビングへと辿り着く。

 そこにはソファーに足を組んで腰かける組長と、ここに続く全てのドアの脇に立つ組員が5人。ご丁寧にアサルトライフルなんて持って立っていた。

 そしてその組長の座るそばには後ろ手に縛られている菜々美さんが膝をついて床に座らされていた。

 

「失礼な男。顔も見せずにアタシらと交渉しようってのかい?」

 

 なかなかにハスキーな声の組長は、ヘルメットを被ったままのオレが気に障ったのか外すように言ってくるので、ここで機嫌を損ねても仕方ないので言う通りヘルメットを取る。

 

「あら、結構なツラじゃないかい。アタシとそう歳も変わらない感じだ」

 

「その人を解放しろ。そうすればお前達の言う通りにしてやる」

 

「まだ上からものを言えると思ってるのかい。案外バカだった……」

 

 オレの顔を初めて見た組長さんはそんな感想を漏らすも、今はどうでもいいので早速交渉へと移るが、立場が全然対等ではないことはこちらも重々承知の上。

 だから何か言われる前にオレはその手にボタン付きの小さな装置を取り出して見せる。

 

「この豪邸に仕掛けさせてもらった。もしその人を解放しなければ、オレは躊躇なくこれを押してお前らを道連れにする。そうなりたくなければまずは菜々美さんを解放しろ」

 

 それだけで向こうには十分な理解があっただろうことは、一変した表情からもわかる。

 

「バカなことを言うんじゃないよ。そんな時間がアンタにあったとでも?」

 

「……フッ。別に今日こうなることを予期して仕掛けたとは限らないだろ。オレはどこの誰とも知れない男だぜ? アンタらが気付かないうちに色々と好き勝手にやってたってだけさ。まさかこんなことで使う羽目になるとは思わなかったがな」

 

 しかし組長もバカではない。

 今日菜々美さんが拐われてから仕掛けたなら、そんな時間はなかったと指摘してきて、至極全うな意見ではあったが、事前に予想される返しをシミュレーションしてきたオレに抜かりはない。

 不敵な笑いを浮かべるオレに対して、明らかな心の揺らぎを見せた組長さん。こういうのは度胸でやるもんだ。貫かせてもらう。

 

「…………それがブラフである可能性もあるけど、こういうギャンブルは嫌いだしね。放してやりな」

 

 まだオレを疑う様子だった組長さんではあったが、ここでオレを刺激してもメリットはないと判断してくれて、組員の1人に菜々美さんの拘束を解かせて解放すると、菜々美さんはオレの元へと歩いてきて割と強く抱きついてくる。

 

「ごめんねキョウ君。私が捕まったばっかりに……」

 

「……オレが巻き込みました。でも安心してください。菜々美さんはちゃんと十蔵さんの元に帰します。外にタクシーを停めてありますから、それに1人で乗ってご実家に。出発したら連絡してください」

 

「でもキョウ君が……」

 

「オレは大丈夫です。ですから十蔵さんにも何も言わず待っていてください。『夕飯までには戻ります』」

 

「…………約束、だからね。破ったら今度こそ怒るんだから」

 

 抱きつかれながら小声でそんな会話をしたオレと菜々美さんは、昨夜破ってしまった約束をもう1度結ぶようにして会話を終わらせて、菜々美さんはそのまま外へと走っていき、数分後にちゃんと1人でタクシーに乗ったと連絡をしてくれて通話を切る。これで第1関門突破だ。

 

「こういうのは信頼で通すもんだ。安全確認ができたならそれを渡しな」

 

 その様子を黙って見ていた組長さんは、オレの持つ装置を渡すように言ってきたので素直に投げ渡してやるが、あれはただのバイクのキーだ。爆弾すら仕掛けてはいない。

 

「それで、オレをどうするつもりなんだ?」

 

 ここでオレが逃げれば、再び菜々美さんに危害が及ぶため、それ以降はとりあえず無抵抗で通しておくと、2人の組員にいま使ってた携帯電話と隠し持っていたクナイ数本やワイヤーを剥ぎ取られて拘束されたオレは、組長の前で組み伏せられて完全に仰ぎ見る形で床に寝かされる。

 

「ふーん。見たとこただのバイクのキーだね。こんなのでもあれだけの胆力でアタシらと渡り合ったのは誉めてあげる。実力のほどはまだ未知数だけど、良い土産になりそうだ」

 

「…………ああ、そういうことか。オレはどうやら売られるらしいな。お前らと繋がる香港マフィアに」

 

「ずいぶん内部事情に食い込んだ確信だね。だいぶ調べられたみたいだけど」

 

 と、オレが自分のこれからを予期したことを言えば、警備が甘かったんじゃないかと周りにガンを飛ばした組長さんに、全員が申し訳なさそうにするが、その腹はもうタイミングを見計らっているだろうな。クーデターの。

 

「知られちまったもんは仕方ないか。アンタは油断しちゃダメだって本能が警告してるから、しっかりと見張ってな。これからアタシはもう1人の客人を迎えに行くから」

 

 そしてさすがは元諜報系。

 本能的にオレの危険性を察知したらしく、さらに警戒を強めて自分はオレが来た道を戻って、これから来るらしい客人、おそらくはキンジだろうが、それを迎えに出ていき、残った組員達は途端にオレへの警戒だけを残してヘラヘラとし出してこれからのことに愉快になってるようだった。

 さて、これからどうするかね。菜々美さんには必ず戻るって言ったけど、結構しんどい状況なんだよなこれ。

 でも、もう約束を破るわけにはいかないし、戻らないで松方組が乗り込んででもしてきたらそれこそ大惨事だ。どうにかしてここから逆転しないとな。

 オレは緊迫した状況の中で、呑気なのか開き直ってるのかよくわからない、不思議な冷静さの中でその機をうかがい始めるのだった。



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Bullet84

 

 ようやく幸姉の依頼が片付くかというところまでいっていたオレの仕事は、自らの注意力のなさが招いた事態で面倒なこととなり、お世話になっていた菜々美さんがマークしていた鏡高組に捕まってしまい、どうにか交渉によって菜々美さんは逃がせたものの、代わりにオレが捕まって現在、鏡高組の豪邸のリビングで拘束されて無様に床に転がされてしまっている。

 一応この状況は予想の1つとしてあったのでまだ想定内ではあるのだが、元武偵とかで意外と優秀な組長さんがオレへの警戒レベルを上げてしまったために動くタイミングが掴めない。

 今も変な挙動を見せようものなら、繋がってる香港のマフィアから仕入れただろうアサルトライフルが火を噴くこと間違いなし。

 仕方ないのでこれから来るというキンジ君が到着して、拉致されてる女子高生の扱いを見てから判断しよう。

 問題はキンジ君がオレを見て悪い方向のリアクションをしないかということだが、悪い流れなのでそこはもう諦めよう。

 そうして床に転がること数十分。

 さすがにあぐらくらいかかせてもらえるかと姿勢を変えたところ、その程度は問題ないと判断されたのでその動作で体に巻かれたケーブルから抜け出せる手順を整える。

 何事も備えあれば憂いなしだ。縛られる段階で仕掛けておいて良かった。

 それからまた数分ほどしてようやく外に出ていた組長さんが戻ってきてオレの近くまで来ると、遅れてこのリビングにいつもの武偵高の制服を着たキンジが姿を現す。

 やっぱりそっちの方がお似合いだぞ、人間やめちゃったキンジ君。

 そんな視線をキンジに向けていたら、オレに気付いたキンジは一瞬、何でお前がみたいな反応をしてくれやがったので、目ざとい組長さんはすぐに気付いてキンジに話しかけてしまう。

 

「遠山、もしかしてコイツと知り合い? じゃあコイツは武偵なんだ」

 

「…………そんな奴、俺は知らない」

 

 嘘下手すぎ。笑うことすらできねーよバカ野郎が。

 反応を見ていた組長さんに反射的に否定したキンジではあるが、この場合はオレを見た瞬間の反応を別の驚きに変えるべきところだ。

 例えば話に聞いてなかった見ず知らずの人質とか。

 

「ふーん、アンタ武偵だったんだ。てことはアタシらのこれが目当てってところかしら」

 

 そんなバカキンジの反応でオレの素性がバレて、ついでに目的まで部下の持つアサルトライフルを指しながらに問われてしまって、この場合は沈黙も肯定になるので舌打ちで返しておく。

 

「……裏銃(ウラチャカ)だな?」

 

 そのオレ達のやり取りを見たキンジも、改めて違法銃となるアサルトライフルについて問えば、組長はまだ登録してないだけと答えるが、別にそれで撃たないわけではない。誤魔化しなんていくらでも利くだろうしな。

 

「……遠山くんっ……!」

 

 そうこうしてたら別の部屋から人質にされている女子高生が拘束されたまま連れてこられてキンジのところへと駆け寄っていったが、こういう状況に慣れてないのか勢い余ってキンジにぶつかって尻餅をつく。

 その時キンジが「(もえ)」と呼んでいたので、その萌ちゃんの安否を確認したキンジは今度は組長さんの名前まで呼んでくれて助かる。

 

「――菊代(きくよ)。これは立派な未成年者略取・誘拐罪だぞ。ついでにそこの男も」

 

 オレはついでか。

 などとどうでもいい顔でキンジを見てやるが、何やら菊代と萌の間でやんややんやと女の口喧嘩を始めてしまったので、話を聞く限りキンジの取り合いでもしてたらしい。相変わらずモテる男は辛いねぇ。

 その喧嘩もすぐに終わって、今度はキンジと萌もオレ同様に縛り上げられて武器を奪われ背中合わせでまとめて拘束されてしまうが、3人一辺に拘束するのはあまりオススメしないな。少なくともオレは抜けられる。

 だがそれを悟られないように諦めたような表情を保ったまま背中越しにキンジに指信号(タッピング)で『逃げる』と伝えようとした。

 が、それより先にオレは視界にあるものを捉えて、次いで集中すると気配さえも捉え、1度だけその方向にジト目を向けてやりつつキンジへの指信号を中断。これは別のタイミングができるな。

 とかなんとか考えていたら、これからキンジと何かの交渉でもするつもりだった丸腰の菊代が部下の1人に髪を掴まれてそのまま何もできずに拘束されてオレ達の方に投げられてしまう。

 わかってはいたが展開が早いなまったく……

 

「あー、キンジ君。それから菊代元組長。こうなることは昨夜の段階でわかってたと言ったら信じるかい?」

 

「……言ったもん勝ちに聞こえるが……お前のことだ。信じるよ」

 

「なっ、どうして教えてくれなかったのよ!?」

 

「教えて信じたのか? それにオレの目的がお前らの身の上話なんて全く関係なかったからだボケ。なのにしつこくオレを追い回して人質取ったり、関係なさそうな一般人巻き込んだり面倒事にしやがって。泣きたいのはこっちの方だ」

 

「も、元はといえばアンタがアタシらの事を嗅ぎ回るから!」

 

 と、クーデターで盛り上がりかけた組員の皆さんを無視してこっちで盛り上がってたら、さすがに怒られて威嚇射撃される。

 もうやだ帰りたい。やることやってから帰らせてもらいます。

 

「そんなわけで君らは全員、これから香港のマフィアに売られちゃいまーす」

 

「……キンジ、1人くらいなら余裕だろ。オレは2人相手する」

 

「はっ? あと2人いるだろ。それは……」

 

 黙ったオレ達にこれからどうなるのかを告げてきた新しい組長さんはとりあえず無視して、勝手に打ち合わせを始めたオレにキンジの疑問が飛ぶが、それは「――おい兄貴」という姿なき声によって答えが返った。

 当然オレ達の会話よりも室内を反響した不気味な姿なき声に動揺した鏡高組の皆さんはキョロキョロと辺りを見回していたが、実はオレ達の目の前にいるので、意外とブラコンらしい弟君にタイミングを作ってもらう。

 

「き……気づかなかったぞ。ジーサード。また尾けてたのか」

 

「兄貴、かなめばっかり見てたろ。二重尾行くらい気付けよ。京夜はここに入ってちょっとしてから気づいたぜ」

 

 どうやらここまで本当に気づいてなかったらしいキンジは、ジーサードの救援に心の余裕ができたのか冷静さも取り戻していて、わざわざ名前を言ってくれやがったので後で殴っておこう。

 オレの名前を言ってくれやがったジーサードは、存在を知らせた段階でキンジと萌と菊代のケーブルを切っていたが、オレのは切らずにそのままで絢爛豪華な改造和服を着た菊代を例の姿の見えなくなる先端科学兵装を着けたままで持ち上げて窓際まで運んでいき、宙に浮く菊代という不思議な光景に皆が呆然とする中で「美しいからな。剥がして、いただくぜ」とかなんとか言いながら突然、和服の帯を解いてぶわっ!

 それを着ていた菊代を際どい下着姿にしてこっちに放り投げて、着ていた和服を奪ってしまう。そっちかよ、いただくのは……

 よくわからないジーサードの美的センスに苦笑しつつも、ようやく明滅する蛍光灯のような音と共に姿を現したジーサードは、かなめもしていた高性能ヴァイザーと各種プロテクターにこれまたセンスを疑う『天上天下唯牙独尊』とか誤字ってる刺繍の入った特攻服みたいなものを羽織っていた。

 そんなジーサードにもはやリアクションするのもバカらしいので、今の菊代のあられもない姿でHSSになっていたキンジと、こちらもいつの間にやら雰囲気的にHSSになってるジーサードに、思考が停止した鏡高組を好機と見たオレは、上着のジャケットを脱いでケーブルから両手を上から引き抜くと、そのまま飛び上がるようにしてケーブルから体を抜きジャケットも回収。

 襟に軽く巻いていた分銅付きのワイヤーを取り出してビュンっ。

 ジーサードがいる方向とは逆にある天井付近に設置された窓のやや下辺りに投げて、そこに垂らしていた分銅付きのワイヤーとを絡ませると、一気に引き戻してワイヤーをたぐり寄せると、窓がいきなり突き破られてそこからワイヤーと繋がった単分子振動刀が舞い降りてきてオレの手に収まる。

 

「なかなかかっけェな京夜ぁ。エンターテインメントとしちゃ上出来だ」

 

「黙っとけ。今はあっちが先だ」

 

 ジャケットを下着姿の菊代に渡しつつ、完全に切り替わったオレは余裕なジーサードと一緒に行動開始。キンジには2人を待避させる仕事を任せておく。

 

「このガキどもー!」

 

 そこでようやく我に返った鏡高組の方々は、一斉にその銃口をオレとジーサードに向けてきたが、その時にはもうオレはリビングの端に移動を開始してジーサードと完全に分かれて攻撃を分散。

 持っていた単分子振動刀で接近から撃たれる前に鋭い抜刀から振り上げる軌道でアサルトライフルの銃身を両断。

 半ばから先端にかけてをものの見事に切断したにも関わらず、ほとんど負荷がなかった単分子振動刀の切断力にちょっと感動しつつ、一瞬しか生み出せないその驚異の切断力を再び振るうためにそれを納刀。次なる標的のアサルトライフルを無力化しにかかった。

 ジーサードはジーサードで結構バシバシ撃たれていたが、高い防御力を誇るプロテクターが銃弾を弾いたり、その手で放たれた銃弾をUターンさせて銃口に返したりしてアサルトライフルを無力化していて、化け物兄弟が味方で良かったとか思いつつこっちも一応アサルトライフルの無力化は終わったので囲まれたりする前に一旦リビングを出て庭へと出ていたキンジ達と合流。

 

「こ、殺せ! たった3人だ!」

 

 そのまま門の方まで待避できれば良かったが、それをさせないようにまぁゾロゾロと火力の高いショットガンや短機関銃を持って50人は登場。

 オレは怖くて勝ち目がなさそうに見えるが、この2人のまだ余裕のある顔を見てるとなんとかなりそうとか思えちゃう辺り、オレも変な信頼をしてるのかね。

 

「おい京夜。とりあえず逃げ回っとけ。そうすりゃ俺が楽できるからよ」

 

「そんなことしなくてもお前なら問題ないだろうが。とはいえ黙ってたら蜂の巣だからやるけどな」

 

 まだキンジには戦力外の2人を逃がす役目があるので、隣り合っていたジーサードとそんな会話のあと左右に分かれて攻撃を分散。

 こんな庭で撃たれるなっていうのは無理な話なので速攻で塀の上に登ってそこを足場に機銃掃射から全力で逃げ、事前に見つけておいた塀から跳んで豪邸の外壁を登れる地点で一気に駆け上がり、そこにあらかじめ置いていた自分の携帯電話とミズチに残りのクナイを回収。

 捕まってから隙を見て逃げる前提だったからここには来る予定だったが、大混戦だなこりゃ。

 顔を下に出すと危ないので、騒がしい下は見ないでオレを追って瓦屋根の屋上へと来た数人を登ってきたそばから蹴り落としてやりつつ、反対側へと向かっている途中で、なんか知らないが腰周りに機械仕掛けの7枚の羽のような物が生えた飛行ユニットを装着したアリアが空からやって来て庭にいた物騒な武器類を片っ端から壊していきキンジのそばに着地。

 あー、なんかあややが誇らしげに言ってたな。人1人飛ばせる装着型の新兵器作ったって。あれがそうか。

 まさかのアリアの登場でさらにどうにかなりそうな気配を感じたオレは、屋上から降りて混戦模様の庭中央を避けて豪邸の正面入り口へと再度侵入。

 入ってすぐのところで菜々美さんに下品な真似をしていた男がおどおどしながらオレに拳銃を向けてきたが、気にせず歩いて接近し、額めがけて撃たれるも死の回避がそれを正確に躱して後ろへと流れる。

 

「ひぃ! ば、化け物!!」

 

「オレは世界中探せばゴロゴロいるくらい並みの武偵だ。化け物ってのは外で暴れてるあいつらみたいのを言うんだよ」

 

 完全に戦意を奪われつつある男だが、そんなことは関係ない。

 お前はやっちゃならないことをしたからな。

 そんな怒りを込めて壁にまで追い込んだ男に全力の拳を顔面に叩き込んだオレは、先ほど面白がってオレから奪った携帯電話とクナイ、ワイヤーを回収、したが、もう使うこともないかな。

 

「調子に乗って菜々美さんの髪の匂いとか嗅ぎやがって。言っただろ、只じゃおかないって」

 

「何故それを……それに俺だとわかって……」

 

「オレは『目が良い』からな。お前が何やってたかなんてお見通しだ」

 

 最後にそんなことを言ってはみたが、その時にはもう男の意識はなかったので無駄だった。

 外ではまだジーサードとアリアが暴れているようなので、オレはオレのやり残してる仕事を完遂してくるとするか。

 本来、オレの仕事は鏡高組と繋がってる中国、香港の組織がどこかを特定することであって、騒ぎ出したキンジ達に付き合ってやる事は全くない。

 やりたきゃ勝手にやれって感じなんだが、せっかくだし外で注意を引き付けてくれてる間に動かせてもらう。

 案の定、組の人間は全員出払ってくれてるようで中はスッカラカン。

 しかしオレはここに乗り込む直前に、裏門の方にポツンと停車する車を1台発見していて、中でも何やら客人をもてなすような動きをする組員の姿も見たので、おそらくいるのだ。この豪邸の中に、香港の組織の幹部が。

 それがわかっていたので豪邸の内部構造的に中の様子を見えなかった部屋のいくつかを調べていくと、中華風の部屋を見つけてそっと中を覗く。

 が、誰もいない。だが先ほどまで食事でもしていたのかテーブルの上には食べ散らかされた桃とバナナ、生レバーの刺身が残っている。食器の数的に3人はいそうだが。

 さらによく見ると、部屋には屋上へと上がれそうなハシゴがあって、天井も開けられている。

 さっきは屋上にいなかったから、入れ違いで上がられたか。

 居場所はわかったので部屋内に静かに侵入してハシゴを屋上に出る手前まで登ってから鏡を利用して屋上の様子を確認すると、いた。

 屋上からジーサード達のいる庭の方を見る3つの人影。しかし、そうですか。そういう感じですか。

 

「まさか鏡高組と繋がってるのがお前らだったとはな」

 

 屋上へと出ないまま、向こうに聞こえるように話しかけてやると、オレの存在は見てわかっていただろう向こうの1人も自然に返事をしてくる。

 

「私達もまさかこんなところであなたに会えるとは思いませんでしたよ、猿飛京夜さん」

 

 とても丁寧な上品さすら感じる男の余裕な言葉に、ちょっとイラッとくるものの、目的は達成できたので長居は無用。

 鏡高組と繋がっていたのは、藍幇。

 屋上にいるのは宣戦会議の時に姿を見せていた諸葛静幻と、どれかはわからないが、修学旅行Ⅰの時に遭遇したココ。眼鏡を掛けているがあのアリアの中国版を見間違いはしない。

 そしてあと1人は、同じく宣戦会議に来ていた未知の光る攻撃でオレの戦意と勝機を奪った武偵高のカットオフ・セーラーを着た少女。

 正直、アリアの殻金を持ってるかもしれない相手なので相対したいところだが、あのカットオフ・セーラーの少女には勝てる気がしない。

 ここで勝てない勝負はするべきじゃない。

 

「今回はどのような案件でこちらに?」

 

「……うちの姫様がスルッと監視網を抜けて武器の密輸なんてしやがったやつらが誰か調べろゴラァ! っておっしゃっていましてね。あちこち動いてましたとさ」

 

「真田の姫様がですか……それは怖いですね。帰ったら上海藍幇からうるさく言われてしまいそうです」

 

 オレが行こうとする気配を察してか、オレがここにいた理由について尋ねてきた静幻に、隠しても仕方ないので幸姉の怒りの声を代弁すると、本当に面倒臭いと思ってるのか落ち込み気味な雰囲気を出すが、いつの間にか庭の方から聞こえていた騒ぎの声が沈黙していたので、向こうも終わったっぽい。

 

「そっちも今回はオレ達とやり合うために来たわけじゃないだろ。だったら大人しく香港に帰っとけ。オレが言うのもなんだが、あれらを相手するのはオススメしない」

 

「ご心配には及びません。私達も簡単に倒されはしませんから」

 

 騒ぎが治まったなら堂々と正面から出られるなと思い、最後に静幻にそう言ってやってからハシゴを降りて最初のリビングに戻って、ソファーの近くに落ちていたバイクのキーとヘルメットを拾って庭へ。

 その時にいくつかの銃声が聞こえたが、それっきりで終わったので残党でもやっつけたかな。

 そうして玄関を出るところで丁度、中へと入ってきたキンジとジーサードと鉢合わせになると、どこ行ってたみたいな顔をされてしまうがそんなことはお前らに関係ないだろうに。

 

「ちょっと上にいたやつらと話をしてきただけだ。やり合うつもりなら逃げる算段も立てとけよ」

 

「ケッ、ハナから逃げ腰なんて俺も兄貴も性に合わねェんだよ。余計なお世話だ」

 

「一応、忠告として受け取っておくよ。猿飛は別件だろ。無事に解決することを祈ってるよ」

 

 もう解決はしたけどな。

 とか思うものの、口にするのも無駄なので会話もそれだけですれ違っていったキンジとジーサードを見送りつつ、オレも約束があるのでさっさと玄関を出て庭、正門へと足を運んで、門を潜ったところで携帯でどこかに連絡中のアリアとなんだかんだで元着ていた改造和服を着直した菊代と萌がいて、菊代からは渡していたジャケットを投げ返されたので受け取って、寒いのですぐに着ておく。

 

「チラッと見えてたけど、京夜もいたのね。丁度いいわ。こっちの菊代ってのはあたしで何とかするから、京夜はこっちの萌って子を家まで送ってあげて。そこのバイク、あんたのでしょ」

 

 それでスルーしてバイクに乗ろうとしたら、通話を中断してオレに絡んできたので仕方なく話を聞けば、萌を押し付けられてしまった。

 オレ、この子のこと全く知らないんですけどね。

 

「……ここで起きたことはアリアがなんとかしてくれるってことでいいのか?」

 

「ええ。今そう手配してるとこ。だからお願い」

 

「……了解しましたお姫様。では不肖の奴隷が言いつけ通りに仕事を全うしましょう」

 

 とはいえ、このままではこの騒動でオレの存在も明るみに出てしまう可能性はあったので、その辺を何とかしてくれるというアリアにはありがたいと思うのでちょっとふざけてそう言ってやると、知らない人間の前だからか顔を赤くして腹に蹴りを入れられてしまった。痛いっす……

 それから鏡高組のガレージからヘルメットを1つ拝借してきて萌に渡し、バイクに2人乗りして家の住所を聞いてからアリアに見送られて発車。

 何か言いたげだった萌だが、素性も何も聞く気もないので基本無視して意外と近かった自宅の付近まで送り、もう歩いて1分くらいで帰れるだろうところでバイクから降ろしてヘルメットは適当に捨てとけと言ってさっさと退散。

 お礼も何も言われないまま走り出したオレは、菜々美さんとした約束を守るためにその進路を十蔵さんの自宅のある蔵前に向けていったのだった。

 …………疲れた……本当に……



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Bullet85

 

 もう夕食といくには完全に遅くなってしまった夜中。

 どうにか鏡高組とのいざこざも乗り切って、後始末をアリア達に任せ、菜々美さんとの約束を果たすために蔵前にある松方組の組長、十蔵さんが住む家の近くまでようやくやって来れた。

 結果として十蔵さん達が乗り込んでくるような気配はなかったので、菜々美さんはちゃんとこの件を黙っていてくれてるようだが、このまま黙ってるってわけにはいかないだろうし、何か盛り上がる雰囲気になる前に謝罪はしておこう。

 そう思って角を曲がって、十蔵さんの家の正面入り口のある通りに入ったら、その家の門の前で落ち着かない様子で立つ菜々美さんの姿があってちょっと動揺する。そんな外で待つなんて寒いでしょうが……

 向こうもバイクの音とヘッドライトに気付いてすぐにオレの方を見てきて、菜々美さんの目の前で停車してヘルメットを取ると、心底ホッとした笑顔を向けられてしまったが、その頬がすっかり赤くなって手袋もせずに白い息を吐いて手を暖める菜々美さんが心配になる。

 

「どうして外で待ってたんですか。体も冷えてしまったでしょ」

 

「中にいたらお父さんやシゲさんに気付かれちゃうと思って。それなら外で待ってた方が気が楽っていうか……」

 

 言われてみればそういうのに目ざとい人達だから、一緒にいるのはあまり得策ではなかったのか。

 それでも1時間くらいは外にいたような感じだったので、さっさとバイクを敷地内に入れて家の中へと入ると、居間の方へ通されてそこにいた十蔵さんとシゲさんに、幹部らしき2人の男が鍋の置かれたテーブルを囲んでいて、オレと菜々美さんの到着に歓迎の雰囲気を作ってくれる。

 端から見てもヤクザには見えないところは松方組の顔って感じだ。

 防寒着を脱いでそのまま台所の方に行ってしまった菜々美さんを横目に、十蔵さんに座るように言われたオレだったが、ここで座ってしまうと完全にタイミングを逃すと思ったので、普通に座るようにしてから十蔵さんを向くように正座をしてまっすぐに十蔵さんを見ると、十蔵さんはどうしたみたいな顔をする。

 

「……すみませんでした」

 

「……何がだ?」

 

 とにかくまずは頭を下げたオレに対して、当然わけも知らない十蔵さんは疑問を投げてくるし、シゲさんと他の2人も意識をオレへと集中してきて、そこに鍋の食材を持ってきた菜々美さんも、空気を察して立ち止まる。

 

「今日、オレのミスで大事な娘さんである菜々美さんを危険な目に遭わせてしまいました。なんとか穏便に事は済ませて今に至りましたが、本当にすみませんでした」

 

 これが精一杯の謝罪。あとは殴るなりなんなりが来ても甘んじて受けよう。

 そんな覚悟で頭を下げていると、静かに頭を上げるように言った十蔵さんに従って頭を上げて十蔵さんを見ると、その顔は真剣そのものでオレをまっすぐに見ていた。

 

「……菜々美。お前はキョウを許してんだな?」

 

「……キョウ君は自分を犠牲にして私を助けてくれた。キョウ君の失敗が招いたことだったのかもしれないけど、それでも私は、危険も省みずに全力で助けてくれたキョウ君を責めたりしない」

 

「……そうか。キョウを信用して菜々美のところに行かせたのは俺だ。つーことは菜々美を危険な目に遭わせたのも俺ってことになるな。それでもちゃんと助けてここに2人揃ってるってことなら、それでいいだろ。お前らもそれでいいな?」

 

 真剣な顔のまま菜々美さんに問いかけた十蔵さんに、しっかりと答えた菜々美さん。

 その答えに意外なことを言った十蔵さんがシゲさん達にそう問えば、3人も一致で賛同。

 そうなるとオレはお咎めなしってことになるのだが、それでいいのか……

 

「実を言うとよ。菜々美が帰ってきた時に様子がおかしいことにはすぐ気付いたんだが、本人が言おうとしねーから言い出すのを待とうってことにしてたんだ。なんか良くねーことなのはわかってたから、お前さんがここに来てそれを隠すようだったら、締め出すくらいの事はするつもりだったが、お前さんは正直に話して頭を下げてくれた。それで俺らはもうとやかく言うつもりはなかった」

 

 と、場の空気が和らいだところでやはり菜々美さんの異変には気付いてたことを話した十蔵さんは、オレがどうするかで今後のことを決める考えだったことを教えてくれて、本当にオレに対して怒ってないと笑顔を向けてくる。

 しょ、正直に話してて良かった……

 

「よし、話も終わったんだ。菜々美も突っ立ってねーで隣に来い。それともキョウの隣の方がいいか?」

 

「確かに意地悪なお父さんよりキョウ君の隣の方がいいかな」

 

「お嬢、それは頭が可哀想で……」

 

 そうして話も終わって食事の雰囲気を作り始めた十蔵さん達に、オレもズルズル引きずるようなことはせずにその中に静かに加わって、開始から酒を入れてきた十蔵さん達の陽気な感じと賑やかな食事が久々っぽい菜々美さんの結構なノリの良さを見つつ、鍋をつつくのだった。本当に良い家だな、ここは。

 それから酔った勢いやらなにやらでオレに菜々美さんとの生活のあれやこれやを聞いたりし出したシゲさんや、菜々美さんの今後のことを泣きながらに語り始めた十蔵さんに適当に付き合いつつ、トイレに立ったついでに幸姉にメールで依頼の件を報告。

 これでオレの仕事は完全に終わったな。あとはここを何事もなく出て帰るだけ。

 そうしたら十蔵さん達とはもう、見ず知らずの赤の他人か。

 などと考えながら用を済ませて居間へと戻ろうとしたら、今しがたメールを送った幸姉から電話が来て、一旦庭に移動してからそれに応じると、何故か声を聞くだけで安心してしまうその人が労いの言葉をかけてくれた。

 

『京夜、お疲れ様。京夜にしては結構かかったんじゃないかしら?』

 

「これで全力だよ。それより藍幇が相手ってことだけど、大丈夫か?」

 

『私の警告を無視してくれた香港藍幇には雷落としとくから安心しなさい。金輪際、日本に密輸なんてさせないんだから』

 

「そりゃ怖いな」

 

『あー、それとは別件なんだけどさ、藍幇っていうと近々……』

 

 わざわざ電話してきたから直接話したいことでもあったのだろうとは思ったオレは話題がシフトしたそのタイミングでちょっと真剣さを増すが、ここでオレを発見した菜々美さんが庭に出てきてしまったので一旦通話を保留。

 携帯を背中に隠して菜々美さんと正面から向き合った。

 

「こんなところにいたら風邪引いちゃうよ?」

 

「ちょっとだけ頭を冷やしたかったので。すぐに戻りますから」

 

 わざわざオレを探しに来た、というわけではなく、居間を出たらオレを見つけて近寄ってきたってところだろうが、オレがそう言えば1度目の前まで来て両頬を手で挟み、まだ暖かいことを確認したら「お父さん達が待ってるから早くね」と言い残して家の中に戻っていった。

 

『……おいこら京夜。きょーうーやーさーん?』

 

 これは長話してたらまた呼びに来そうだなと予想しつつ放置していた携帯に意識を向けると、ちょっと不機嫌気味な幸姉の声が聞こえてきて最初に謝ってから応じたが、なんかまだ怒ってるから放置されたことにだけ怒ってるわけではなさそうだ。

 

『今さぁ、私の知らない女の声が聞こえたんだけどぉ、京夜君はどこから電話に応じていらっしゃるんですかねぇ』

 

「んー、依頼をこなすに当たってお世話になったところから、ってのが答え。具体的な回答はプライバシーもあるし控えたいかな」

 

『へぇー、ふーん、そうかそうか。京夜はいつでもどこでも女のところに厄介になるわけだ。さぞ良い思いをしながら依頼を完遂してくれたんでしょうし、報酬もいらないんじゃないかな?』

 

「…………何でそんなネチネチ攻撃してくるんだよ。オレは別に楽なんてしてないし、完全なる赤字覚悟で完遂したってのに、そう言われるとちょっとオレも怒りたくなるけど」

 

 そんな不機嫌な幸姉が珍しくネチネチとした言葉の攻撃を仕掛けてきたので、一生懸命に依頼をこなしたオレにとってはちょっと効いたためこっちも怒る手前の雰囲気を出すと、向こうは少しの沈黙のあとに落ち着いたのか一言「ごめん」と謝ってから話をする。

 

『京夜は優しいから、知らないうちに周りを惹き付けちゃってるかもしれないよ。何か起きる前に物事は解決することをオススメします』

 

「何も起きてない気もするけど、オレが自覚してないだけなんだろうし、注意するよ。それより話の続き。何かあったんだろ?」

 

 謝罪のあとにしてくれた話は唐突だったのでいまいち繋がりが見えなかったが、オレのためにしてくれた忠告なので一応はお礼を言ってから、さっき中断してしまった話を掘り返すと、幸姉も思い出したようにいつもの調子で口を開く。

 

『改めて話すとなるとまぁ言葉を選ぶんだけど、京夜は今回の修学旅行Ⅱでどこに行く予定?』

 

「あー、そういやそんなのあったなぁ。確かジャンヌがシンガポールってメールで送ってきてたような……」

 

『そっかぁ……それさぁ、まだチケットとか諸々は取らないでおいて欲しいのよ。こっちはこっちで頑張ってはみるけど、何事も上手くいかないし、いざって時にまごつくとダメだと思うから』

 

「………ごめん、言ってることのほとんどがわかんないんだけど。これから何かあるのはわかるけど、オレが必要になるかもってこと?」

 

『そういうこと。本当なら必要にならないようにしたいんだけど、どうなるかは私にもわかんないし、フットワークは良くしておいてってこと。もし必要になった時には経費は私が出すから』

 

 再開された話はどうにもよくわからない内容ながら、どうやら移動を伴うことのようで、近くに行われる修学旅行Ⅱと時期も被るっぽい。

 オレを使わずに済むように頑張ってくれるようではあるが、なんだかすでに雲行きが怪しいのは何故だろうか。

 オレは修学旅行Ⅱさえまともに参加させてもらえないのか。

 

「……わかった。ジャンヌにも一応報告しておくけど、本当にギリギリは勘弁してくれよ」

 

『了解。それじゃまた連絡はすると思うけど、今回はお疲れ様。帰ったら小鳥ちゃんと、ついでに幸帆にもよろしく言っておいてね』

 

「妹の方がついでっておかしくないかそれ」

 

『いいのよ。何だかんだでたまに近況メールくれるし、あの子も改めて言われても困ると思うから。それじゃあね』

 

 そんなわけで話も折り合いはついたので通話も終わりの方向になり、どうやら姉妹らしい関係を築き始めていたらしいことを最後に報告しつつ幸姉から通話を切っていき、体が冷え始めたために身震いしてから家の中へと戻って待ってましたとばかりに迎え入れてくれた十蔵さん達の話にまた付き合っていったのだった。

 軽い宴会みたいな感じになった食事は2時間ほど続き、帰ろうとした頃にはもう夜の10時を過ぎていて、久々に娘といられて気分を良くし酔い潰れた十蔵さんはすでに就寝。

 オレの仕事が終わったことは食事の間に知らせてあったので大丈夫だろうが、ちゃんと別れの挨拶をできなかったのが失礼にならないといいけど。

 シゲさんと幹部の2人はそのまま宿泊の流れでせっせと酔っぱらいながら布団を敷いていたが、シゲさんはオレの見送りにわざわざ門の前まで来てくれて、菜々美さんも隣で見送りに出てきていた。

 

「それでは、1週間とちょっとの間でしたが、お世話になりました」

 

「いえ、旦那のお役に立てたなら俺らも頭も本望です。また何か困った時には頼ってください」

 

「それはもう、ない方がお互いのためです。オレはシゲさん達とは住む世界が似てるようで違う。だからこれっきりで」

 

「そうですか……旦那はお優しい方です。ですから最後にその優しさに漬け込んで、お嬢を家まで送ってやってくださいませんか? 俺らはもう酒が入っちまって運転できませんから」

 

 別れの挨拶としたオレではあったが、完全に不意を突いてきたシゲさんの発言に、オレも菜々美さんさえ驚いてしまう。

 菜々美さんもタクシーで帰るつもりだったのだろうが、シゲさんがそう言えば迷惑じゃないかみたいな顔をしつつもちょっとズルい感じでオレを見るので、そういうのに弱いオレは特に断る理由も見出だせず小さなため息を吐いてからシゲさんのお願いを聞き入れて菜々美さんを後ろに乗せると、嬉しそうに強めに抱きついてきた菜々美さんの色々なあれな感触にちょっとドキドキしつつ、綺麗なお辞儀をしたシゲさんに見送られて菜々美さんのアパートへと向けて走り始めた。

 道中、菜々美さんとの会話はなかった。

 交通量も幾分少なくなった東京の道路を走り抜けて、ほとんど止まることもなく菜々美さんの住むアパートへと到着。

 バイクを降りた菜々美さんは、やはり色々あって疲れたのか若干表情にそれが出ていたが、それを隠すようにオレに笑顔を向けてくる。

 

「キョウ君との生活も、終わってみたらあっという間だったね」

 

「そうですね。菜々美さんの天然っぷりには何度も頭を抱えましたけど」

 

「それはごめんなさい。男の子との同居は本当に要領がわからなくって。でも、キョウ君のおかげで色々学んだから、もう大丈夫だよ。たぶん」

 

「たぶんじゃ困るんですけどね……」

 

 それから別れの挨拶といった感じで話を始めた菜々美さんに、オレも最後だからと少し親しげに付き合ってあげると、年下に心配されたからかムッとしたが、すぐに元に戻って何故かオレにヘルメットを取るように言うので、言われるままにヘルメットを取ると、

 

「この1週間とちょっとで、キョウ君の不器用な優しさにたくさん気付いたよ。普通には見えにくかったけど、いつも私のことを気にかけてくれたよね。その優しさはわかる人にはわかると思うから。私もその1人になれてちょっと嬉しかった。ありがとね、キョウ君」

 

 そういった感謝を述べながらゆっくりと菜々美さんがその顔をオレに近付けてきて、これから何をしようとしてるのかをすぐに察する。

 その時に先ほどの電話で幸姉が言っていた言葉が脳裏によぎり、それが成される前に菜々美さんの喉と胸の間にスッと指先で触れてそれ以上近付くのを阻止。

 そのまま拒否するように菜々美さんを押し返すと、とても切ない顔をされてしまい悪いことをしたと思う。

 たぶん、結構な覚悟でそうしようとしてくれたはずだから。

 

「オレは……お世話になりながら名前も、何をしてるかも明かさなかった最低の男です。そんなオレが菜々美さんから何かをもらう資格はありません。菜々美さんのそれは、いつか出会う大切な人のために取っておいてください。菜々美さんはとても素敵な女性です。それをちゃんと理解してくれる人が、支えてくれる人が必ず現れますから。だからこれで、さよならです」

 

 きっと、純粋な感謝の気持ちを形にしてくれようとしただけで、オレに特別な感情があったわけではない。

 そうは思ったが、オレの認識違いで別の問題が発生しては困るのでここではっきりと菜々美さんと距離を離す。

 それにもう、次に会う時にはお互いに赤の他人。好意的な感情は出来る限り処理したい。

 もちろん、菜々美さんの幸せを祈るくらいさせてもらうが。

 そうした意味で菜々美さんを見ると、その目に少しだけ涙を溜めてはいたが、最初からさせてもらえないとわかってたのか「やっぱりキョウ君は優しいね」と呟いてから、方法を変えてその手を差し出し握手を求めてきたので、オレもそれに応じて精一杯の感謝の気持ちをそこに込めて手を放し、再びヘルメットを被って菜々美さんに見送られながら学園島目指して出発した。

 ありがとうございました、菜々美さん。

 結局、松方組の皆さんと菜々美さんには名前すら名乗らずに学園島まで帰ってきたが、そうと最初から決めていたものでもやはり申し訳なさというのはあって、これで良かったのかと考えながら久々の男子寮の部屋に戻ると、誰もいない。

 人の気配がないので依頼にでも行ってるのかとリビングに入れば、テーブルに置き手紙があり、小鳥の筆跡で「金曜日には帰ります」と書かれていたが、火曜日に当たる今日いないということは先週の金曜日から今日までの間に書かれたものだろうな。

 小鳥も武偵だ。こういうことはむしろあった方が活動として見えて喜ばしい。基本的にオレと入れ違いになることがあるのは不思議ではあるがな。

 小鳥がどんな依頼をこなしているのかは少し気になるも、自分の実力をキチンと見極められるようになった小鳥なら大丈夫だろうと思い、松方組の皆さんと菜々美さんに対してのこともあれが最良であったと言い聞かせて、やはり連日の緊張感と適度な集中力の連続に、今日の騒動とで疲れがきて大きなあくびが出てしまい、教務科への報告やバイクの返却を明日優先してやることを決めて久々のベッドに沈んでいった。

 翌日。

 まずは教務科に寄って担任の高天原先生に報告書を提出。

 一見すると温厚そうなうちの担任だが、これであの蘭豹、綴とルームシェアしてるんだからただ者ではない。

 その高天原先生はいつものニコニコ笑顔で報告書を受け取って労いの言葉をかけてくれるものの、そういった計り知れない怖さを感じてるためにオレの表情はちょっと固い笑顔で返し教務科をあとにして登校していった。

 教室では待ちわびたかのように理子が飛びつきの挨拶をしてくるも適当に躱して一旦落ち着かせると、昨夜に色々と情報操作してくれたアリアがケロッとした感じでオレに挨拶してきたので軽く会釈しつつ、あれからのことをそれとなく聞いておくと、鏡高組の方は『内部抗争があったらしい』程度のニュースで留めてくれたらしく、オレ達のことについてはまるで情報が出ずに済んだようでひと安心。

 しかしオレが待避したあと、キンジとジーサードは藍幇のやつらと一戦交えたらしく、あのカットオフ・セーラーを着た少女にジーサードが一撃で倒されたところで敗走。

 藍幇も事情があったのか撤退をしたためアリアが途中まで追跡していたものの、平賀製ゆえの信用性のなさで飛行ユニットが壊れたらしく墜落して逃げられたとか。

 聞く話ではジーサードを倒した少女はレーザーを使うらしく、過去にオレが撃たれたのもそれなのかとその正体に驚愕。

 光速の攻撃なんて普通は避けられない、というか見えもしないが、オレの時は寝ぼけた雰囲気を持っていたからそのおかげだったのかもしれない。

 ジーサードもなんとか死ななかったようだが、これはマジでヤバイのが出てきた感じがするな。

 とまぁ、アリアからの情報はこのくらいで、あとは姿の見えないキンジがみんなを集めて話でもしてくれればいいかと思って1日を過ごして、放課後は貴希にバイクを返却。

 ドライブの件も今週中に済ませる約束をして帰路についたら、その途中でオレを探していたっぽい幸帆と遭遇。

 何か用事かと思って挨拶もそこそこで尋ねてみたら、ちょっとモジモジした雰囲気を出した幸帆はオレにだけ聞こえるだろう小声で用件を言ってきた。

 

「その……今夜は京様のところに泊まってもよろしいでしょうか?」



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Bullet85.5

 

 今年もあと1ヶ月を切った12月。

 先月の末から京夜先輩が依頼を受けて部屋を空けていて、1週間経った今日、7日の月曜日に事件は起こりました。

 いつものように登校を済ませて教室で陽菜ちゃんと他愛ない話をしていたら、朝のホームルームを前にいきなり教務科からの呼び出しを食らって、全速力で向かって辿り着いてみれば、そこには何故か呑気に手を振る私のお母さんと会えたことで感涙するお父さんが。

 いきなりの両親の登場にもう何がなんだかわからないまま、担任と挨拶を済ませたお母さんとお父さんは私の腕をそれぞれガッシリ組んで引きずるようにして乗ってきた車に連行。

 そこで話を聞けば「年末年始に帰れなくなったから今年最後の家族団らんをしに帰ってきた」と言われてしまい、その後1度京夜先輩の部屋に戻って置き手紙をしてから再出発。

 行き先はお父さんの実家。10月に帰ったばっかりなんだけど、美麗と煌牙は元気にしてるかな。

 いきなり過ぎる両親の帰国に戸惑いつつも、サプライズ好きなお母さんのやることにもだいぶ耐性が付いてきたので落ち着いていたら、1件のメールが届いてそれを読めば、相手は意外なことに有澤燐歌さん。

 あの依頼以降、個人的に連絡先は交換してはいたけど、実際にメールが来たのは初めてで、そのメールの内容は本社の方に顔出ししてくれみたいなもの。

ちょうど台場を出たところだったので、実家に帰るついでとお父さんに寄り道をお願いして新宿にある有澤グループの本社の方へと行ってみると、現在は復帰したお母さんの下で次期社長になるための勉強中だという燐歌さんが、1階のフロアを売り場にする作業の中心であれこれやっているのが見えて、私と興味本意でついてきたお母さんを見つけるや走り寄ってきて以前はあまり見せなかった笑顔で応対してきた。

 

「本当にすぐ来たわね。何か別件で動いてたみたいだけど……そちらの方は、小鳥のお姉さん?」

 

「まぁまぁ、お世辞の上手い子ね。私もまだまだ女として輝けるってことかしら」

 

「……私のお母さんです……」

 

「…………ええっ!? 嘘よ!? だってまだこんなにお若くて……ちなみにおいくつですか?」

 

「今年で35になっちゃった。でも女性に歳は聞いちゃダメよ?」

 

 連絡からすぐに駆けつけた私に対して嬉しそうに話す燐歌さんでしたが、やっぱりお母さんが気になったのかそんな質問をしてきたので、なんか若く見られてキャッキャとはしゃぐお母さんを恥ずかしく思いながらも紹介すれば、本当に信じられないといった感じで開いた口が塞がってません。

 まぁ、世の私の歳の子持ちではダントツで若いでしょうし、驚くのは無理ないかな。私を産んだのも19歳だし。

 そうして驚く燐歌さんには悪いけど、こっちも寄り道して来てるので早速用件の方を尋ねてみると、お母さんショックの現実から戻ってきた燐歌さんは、思い出したように社員の1人を呼び寄せると、持ってこさせたアタッシュケースを私へと渡してきてその中身と用件を伝えてくる。

 

「来週からここの売り場が一般開放されるんだけど、広告ってのも色々面倒でね。うちの商品を扱ってくれてる雑誌にも一応掲載はされるけど、そんな大っぴらにやりたいわけでもないから、経費削減とか諸々で武偵高の方に商品の売り込みしてほしいの。サンプルだけどひと通りその中に入ってるから好きにしてくれていいし、ここに来ればニーズに応えるブースもあるからってのを一緒に伝えてくれるとありがたいわ。ほら、武偵高の生徒って色仕掛けとかもお仕事であるでしょ? そういう人とか単純にオシャレな子とかにお得意様ができるとこっちも割と良いでしょ?」

 

 とかなんとか言いながら手でお金の形を作って儲けに繋げようとしてる魂胆が丸見えで苦笑いしてしまうけど、これが燐歌さんのお仕事。

 それにこっちにとっても悪い話じゃないのは確かだし、武偵はタダで貰えるものに弱い生き物。

 サンプルと言えど渡されてしまえば何故かお得に思えてしまって、もう断るに断れない。

 まぁ、お友達のお願いを聞く形でならいいかなとは思う。

 

「それから小鳥のお母様には、お近づきの印としてここの商品を1つプレゼントさせてください。うちの商品でお母様の美貌がより引き立てば幸いですわ」

 

 それで引き受けることにはしたけど、抜け目のない燐歌さんは私の返事も聞かずにルンルン気分でお母さんと一緒にプレゼントの香水選びに行ってしまい、蚊帳の外になった私はそれを呆然と見るしかなかったのでした。

 あんまり強い香水はハヤテもうちの子達も嫌がるから選ばないとは思うけど、お母さんの完全プライベートでのオシャレ度ハンパないからなぁ。

 普段は抑えてる分の反動なのかキラッキラ過ぎてお父さんもおじいちゃんも崇めたことあったし。

 

「じゃあ宣伝の方よろしくね。貴希と幸帆と桜にも元気だって伝えてくれると嬉しいわ。それからついででいいけどあの男にも。ついでのついででいいけど!」

 

「そんな強調しなくても……みんなには燐歌さんがいつも通りだったって伝えておくから。あんまり社員の皆さんを顎で使わないようにね」

 

「心配しなくても信頼関係はちゃんと作ってるわよ。最近は私に使われることを結構喜んでる人もいるし。私に認められた、ってね」

 

 香水選びも終えて帰省を前にテンションが上がったお母さんを先に車に戻してから、燐歌さんとそんな別れの挨拶をして笑い合うと、色々あったあの件から明るくなった燐歌さんを素直に凄いと思いながら車へと乗り込んで、見送られながら改めて諏訪市を目指して出発していき、何故か後部座席のハヤテと助手席とで入れ替わったお母さんと隣り合っての家族会話がスタート。

 ちなみにお父さんの相棒の小町は空から車を追ってきてくれてます。寒空の中を飛んで大変でしょうけど。

 

「小鳥の友達は良い子よねぇ。こんな香水、普段なら買おうとも思わないくらい高価なのに、プレゼントしてくれたりして」

 

「燐歌さん、あの会社の社長令嬢だから、調子に乗って変な要求しないか心配したんだよ?」

 

「あら、知ってるわよそのくらい。有澤グループの燐歌ちゃんって言ったらカリスマ中学生ってことで外国からも取材受けたりして、海外暮らしでも噂は耳にしてたもの。でも小鳥とお友達だったとは思わなかったけど。あれかしらね、少し前にご家族が亡くなった事件で知り合ったとかそんな感じ?」

 

 ふふふっ。

 そんな感じで私と話すお母さんは全部知った上で燐歌さんと接していたようで、私との関わりも鋭い推理で勘繰ってくるけど、なんか隠し事できない親ってやりにくいな……

 お母さんは何でこんなに推理力が高いんだろう……思えばその辺聞いたことなかったなぁ……

 

「それにしても残念ねぇ。京夜さんもいたらお誘いして、一緒に帰ろうかと思ってたのに」

 

 燐歌さんからプレゼントされた香水をしまいながらに話題をコロッと変えてきたお母さんは、本当に残念そうにため息なんかを吐いて落胆の色を浮かべるけど、

 

「京夜先輩ならきっといたとしても来なかった気がするけどね……」

 

「あら、京夜さん優しいから、きっとお母さんが泣いて頼めば来てくれたと思うわよ?」

 

 家族団らんと聞けば京夜先輩ならたぶんついては来ないと予想して口にするものの、そんな返しが来るとなんかそんな気がしないでもないので苦笑い。

 

「けっ。あんな野郎のどこがいいんだか。親父も気に入ったみたいだが、親父も人を見る目が曇ったな」

 

「あらあら吉鷹さんったら、まだ冤罪を着せられたことを根に持ってるのですね。それに本当はお気づきでしょうに。京夜さんが本気になったら戦うのが専門じゃない吉鷹さんなんて片手でぽーいだってこと。先週にはお会いした方に『私の半径5メートル以内に入らないでください』ってバッチリ空気銃を当てられて倒れられたばっかりで、しかもその相手がまだ小鳥よりも幼い少女なんですから、もう笑えませんよね?」

 

「え、英理……小鳥の前でそれを言うな……それにあれは部屋に入った時点で範囲内でどうしようもなかったわけで……」

 

「京夜さんなら絶対に避けられましたよ。それが吉鷹さんと京夜さんの実力の差ですね」

 

「…………」

 

 どうやら京夜先輩の話がお母さんからされるのが気に食わなかったお父さんが、やきもちを妬いて割り込んできましたが、京夜先輩のことを悪く言われたのが気に障ったのか言葉での攻撃を仕掛けたお母さんにより撃沈。

 ちょっと目に涙をにじませながら黙々と運転し始めてしまう。

 こういうお父さんも可愛いんだけど、お母さんもいじけるお父さんがちょっと好きみたいだから、やっぱり親子ですかね。

 それにしてもいきなり空気銃で撃たれるって、どんな仕事してたんだろう……

 何気に両親の仕事について詳しくは聞けてない私では想像もつかないな……

 そんないつまでも仲良しな両親を嬉しく思いながら、車は東京を離れてどんどん長野県諏訪市へと近付いていき、その間はお母さんが若さ溢れるトークで私と変わらない年代の話題を次々に放り込んでは少しだけ返しの時間をくれて、止まることなく話し続けてきて、この辺でもお母さんがまだ全然若いことを再確認させられていた。

 それでも若さだけではどうにもならない移動時間の長さ故に諏訪市に着く少し前に話し疲れて、以降は外の景色をぼんやりと見ながら昴を膝の上に置いて優しく撫でたりしていたけど、私は聞き疲れて座席にだらしなく座って休憩。

 そんな私達を乗せた車も昼頃にいよいよ諏訪市へと突入し、街の中心から離れたところにある実家に向けてまっすぐ移動をしていたわけですが、その途中の赤信号の時に外を見ていたお母さんが急に目の色を変えてお父さんに何やら耳打ち。

 それを聞いた後はお父さんが実家方向の進路から逸れて諏訪湖に沿うような移動を開始。

 何だろうと気になりつつ向かった先へと辿り着いてみて、どうしてここなんだと思わずにはいられなかった。

 警察署です。何事でしょうかお母さん……

 その疑問は当然ながらも直接口にすることはなく、そそくさと車を降りた両親について出入り口の前まで行くと、そこには刑事さんの他におじいちゃんの姿があって、何やら捜査の真っ最中といった感じが見てとれる。

 それで疑問も解けた私はこっちに気付いたおじいちゃんに近付くと、少し前に会ったばかりなのにやたら嬉しそうにするおじいちゃんに抱き付かれて頬擦りまでされる。

 その次には私から離れてお母さんに軽くハグして挨拶し、お父さんには素っ気なく一言だけ。この対応の差は酷い。

 

「お義父さん、何かの捜索のようですが、お手伝いしましょうか?」

 

「せっかく帰ってきて仕事などさせんよ。取るに足らん仕事だから、先に戻ってて構わん。帰ったら英理さんの手料理で酒でも飲みたいの」

 

「ふふっ。昼からお酒は早いですよ。飲むなら晩酌させてもらいますから、その時に」

 

 挨拶を済ませてから早速お母さんがここに寄った理由について触れる。

 実はおじいちゃんは時々、警察の方にその能力を買われて捜索系の捜査に協力を頼まれることがあって、おそらくお母さんは赤信号の時に遣わされたうちの子でも発見したんでしょうね。

 うちの子が散歩以外で外に、ましてや街の方に出ることは珍しいですし。

 おじいちゃんが駆り出される場合は、逃走犯の追跡とか犬や鷹、鷲を動員して解決できることに限りますが、諏訪市ではこれで犯人を逃がさないから『諏訪の鬼』とかで割と恐れられていたりするとかしないとか。

 そんなおじいちゃんの仕事は手助け不要とわかったので、お母さんも杞憂だったかとあっさり引き下がって、晩酌の確約をもらって見るからにデレッとしたおじいちゃんを置いてまた車へと乗り込んで出発。

 おじいちゃんもお母さんには弱いんだよね。うちの家族はお母さん中心なのかもしれない……

 私もなんだかんだで相談とかは自然とお母さんになっちゃうし、お母さんがいなくなった家がちょっと想像できないな。

 まぁ、お父さんとおじいちゃんは冗談抜きで脱け殻になりそうだけど……

 その一家の中心であるお母さんを乗せた車は滞りなく街外れの実家へと到着。

 拉致られた私とは違って事前に連絡はしてあった実家はおばあちゃんが出迎えてくれて、次いで鋭い子達が家の奥からワラワラと出てきて「エリだ!」「お帰りー!」「撫でて撫でてー!」「腹撫でてくれ腹!」「好き好き大好きー!」と言いたいこと言いながら一斉にお母さんに群がって我先にと頭や腹を差し出して、制止するお父さんの声には「あー、ヨシタカだ」「暑苦しいぞヨシタカ」「マッチョ」「うるさいぞヨシタカ」と待遇の差が恐ろしい。

 でもこれでいざって時は言うこと聞くんだから不思議な関係ですね。お父さん泣いてますけど。

 

「はいはい、みんなの言いたいことはわかったから、とりあえずお家に入れてね。言うこと聞いた良い子はたくさんなでなでしちゃうかも」

 

 それで玄関前がごちゃごちゃしてきたところでお母さんの必殺、ご褒美作戦が決行されて、とにかく撫でられたい子達はしゅばっと家の中へと戻っていき、スッキリした玄関前でおばあちゃんとちゃんと挨拶してからみんなで中へと入っていったけど、おじいちゃんとは違った影響力であの子達をコントロールするお母さんは普通に凄い。

 私はなんだかんだで遊ばれちゃうからなぁ……

 

「美麗、煌牙、元気だった?」

 

 家の中はこの前と代わり映えも特にない感じで、もうすっかり家に馴染んでめちゃくちゃくつろいで重なって寝ていた美麗と煌牙が私達の出現によって起きて元気に挨拶。

 目の見えない美麗も耳が聞こえない煌牙もそれぞれ挨拶は伝わったみたいで近寄った私に対して歓迎の頬擦りをしてくる。

 こう家に馴染んでるの見るともう普通のワンちゃんみたいだね。口にしたら怒られそうだけど。

 

「あらあら、本当に家に来たのね。ちょっとおデブちゃんになってる気もするけど、狼と一緒なんて素敵よねぇ」

 

 ちょっとぶりの2匹に挨拶していたら、お茶を淹れてきたお母さんがこたつに入りながらに2匹を見て和んでいたけど、庭ではすでにお利口にお母さんを待つ子達がズラッと並んで待ってて早くしろと目で訴えていて、それをわかっていながらのほほんと寄ってきた猫達を可愛がり始めたお母さんはマイペース。

 しかしここで無駄に吠えれば撫でてもらえないとわかってる子達は黙ってそれを見るしかなく、若干諦めた子達が私に甘えてきたりとあって、30分くらいゆったりしてからようやく縁側に移動したお母さんによって撫でられた子達は一瞬で骨抜きに。

 その光景には長時間飛んできた小町を労ったり在住の子達の様子を見てから来たお父さんも呆れてものも言えなくなっていた。

 それからさらに1時間くらいのんびりしていたら、仕事を終えたおじいちゃんが連れ出していた子達と一緒に帰ってきて、無事に終わったことを知らせてからは全員揃っての家族団らんが少しありつつも、すぐに夕食の支度やらが始まって、女衆は料理。男衆はみんなで大名行列みたいな散歩に出掛けていってしまい、橘家では料理は女がやる決まりみたいなものに従って、おばあちゃん先導で手際よく喧嘩しない立ち回りで適度な会話をしながらパパッと作っていく。

 食べるのは人だけじゃないから、途中からおばあちゃんは他の子達の食事の準備に移って、お父さん達が戻ってきた頃にちょうど完成。

 久々に賑やかな家族での食事にみんな嬉しそうで、自然と笑顔になっていた私はこんな日も今年はもうこの数日しかないんだなと同時に考えて、少しだけ寂しい気持ちも込み上げてしまったけど、悟られないように表情には出さないように努めたのだった。

 この辺でも京夜先輩の指導が活きてる、のかな。

 夕食後は大人達にお酒が入り始めたので、絡まれるとちょっと面倒なお父さんとおじいちゃんから避難するように美麗と煌牙を連れてお風呂やら何やらを済ませてしまって、盛り上がる居間の方はスルーしてこのまま寝ちゃおうかなと寝室に移動し美麗と煌牙も久々に私と一緒とあって嬉しそうに近くに寝てくれる。

 昴も以前の特等席である煌牙の頭の上でご就寝。煌牙も器用に頭を動かさないで寝てくれていて微笑ましいし、あの頃を思い出しちゃう光景についつい笑顔になってしまう。

 そんな昴達の姿を見てたら私もあくびが出てきて、これならすぐに寝られるかなと目を閉じて意識を手放そうとしたら、急に布団に侵入してくる誰かがいて、背中から抱きつくようにしてしてきた誰かは、感触とかもろもろでお母さんだと1発でわかってため息が漏れてしまう。

 これ、修学旅行的なノリだよお母さん……

 酔ってるのかと思えばそんなこともなく、おじいちゃんの晩酌を終えて一緒に寝たかったから侵入してきたと言うお母さんは、改めて隣で大人しく寝ると、まだ寝たくないのか私に話しかけてくる。のだけど、

 

「それで、京夜さんとは何か進展あったの? 吉鷹さんの前だと色々うるさいから聞かなかったけど、お母さん結構気になってたんだけどなぁ」

 

「べ、別に何もないよぉ。京夜先輩とは変わらず先輩後輩だし、そういうのじゃないっていつも言ってるでしょ」

 

 いきなりよくわからない色恋沙汰の話が飛び出してきてちょっと眠気が飛んでしまって、メールとかでもいつも言ってることを反射的に言ってしまう。

 そんな私にお母さん顔になったお母さん――よくわかんないけど、お母さんっぽい雰囲気を纏う――は可愛い笑顔で話を繋げてきた。

 

「それはそうだけどぉ、やっぱり可愛い娘の将来の旦那はお母さんも好きになれる人がいいから、その点で京夜さんは合格点っていうか、むしろ嫁いでほしいっていうか、お母さんが嫁ぎたいっていうか……」

 

「お父さんが聞いたら泣いちゃうよ?」

 

「だってぇ、吉鷹さんより先に出会ってたらお母さん、京夜さんと結婚してたかもしれないわよ? そのくらい素敵な人だから、小鳥はその事にいい加減気付くべきだと思うのよね。小鳥から恋の悩みを聞いたことがないから、その辺で正直かなり心配してるんだから」

 

 どうやらお母さんは京夜先輩との関係が気になってたのではなく、私がこれまで男性との恋愛関係で相談を受けなかったことが心配だったみたいで、そういった経験のなさを憂いているみたいだった。

 確かに初恋って呼べる経験すらまだない気もするけど、それは私が昔から電波扱いを受けたことも関係してて、そういうことに積極的になれなかったというのがある。

 

「……確かに橘の家の能力は世間から敬遠されがちなのは理解してるわ。でもね小鳥。それでも歩み寄ろうとしないとどうにもならないのが恋愛なのよ。吉鷹さんも慣れないことしてお母さんに物凄いアプローチしてくれてね。それがなきゃ吉鷹さんとは結婚してなかったはずだし、小鳥も自分の気持ちに素直になってほしいと思ってる」

 

「私は……本当にそういうのよくわからなくて……友達の恋話を聞いても共感できることもなくて……」

 

 そんな私の気持ちをちゃんと理解してるお母さんは、困ってしまった私をそっと抱き寄せて頭を撫でると、手間のかかる子だと小声で言ってから、ちょっとしたアドバイスを送ってくれる。

 

「自分の気持ちに素直になりなさい。小鳥がその人とずっと一緒にいたいって思える人。そんな人がいるなら、きっとその人が今、小鳥にとっての特別な人だと思うから」

 

「ずっと一緒にいたいと思える人……」

 

 恋愛の好きがわからないなら、そういう人がそうかもしれないと言ってくれたお母さんに、そうなのかなと思いつつも、そういう人がお母さんにとってのお父さんだったんだろうなと考えたら、なんだか嬉しい気持ちが込み上げてきた。

 そんな人が、いつか私にもできるのか。もしかしたらもういるのかもしれないけど、まだピンと来ないや。

 

「というか、お母さんの推理によると、小鳥にはもうそういう人がいるはずなんだよねぇ。すっごい近くに当たり前のようにいて、気付けてないのかもしれないけど。ふふっ」

 

 とかなんとか思ってたら、そんな意味深なことを言ってからお休みと言って背中を向けちゃったお母さんは、それ以降口を開くことなく寝てしまって、なんだかモヤモヤしたものを抱えたまま私はその夜を明かしたのだった。

 自分の気持ちに素直に、かぁ……



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香港編
Bullet86


 

 割と長引いた幸姉からの依頼を完遂させて、ようやくゆったりとした時間を使えるかと思ったところ、小鳥は依頼か何かで出払っていて、夕食を考えなきゃと思って借りてたものを返却し終えて帰路につけば、オレを探してたらしい幸帆が泊まりに来たいと言うので、夕食を作ってくれるならと言えば快く引き受けてくれて、買い物をしてから2人で帰宅。

 早速調理の方に取りかかっていく幸帆を横目にリビングに移動していけば、なんかいた。

 我が物顔でソファーに座って携帯ゲームをやってる理子が。

 そういや今日はテキトーにあしらったからご立腹なのかね……

 

「おいおいキョーやんや。その面倒臭そうな顔はやめんさい。理子は約束を果たしてもらうために参上したんだからね」

 

 その理子はようやく来たかと携帯ゲームをソファーに置いてズビシッ! とオレのあからさまな顔にツッコミつつここにいた理由について話す。

 あー、そういや依頼の前に構ってやるみたいなこと言った気がするな。

 そうやって思い出すような表情で理子を見れば、なんかムフムフ言いながら要求を述べたそうにしてたのでちょっとイラッ。

 

「あれ、理子先輩……」

 

 しかし約束したのは事実なので仕方なく要求に応じようとしたところでオレ以外の声が聞こえたからかキッチンから幸帆が顔を覗かせて、理子を見るなりなんとも言えない表情を浮かべる。

 その表情によくわからないと思いつつ2人に挟まれたオレが目を合わせる双方を交互に見れば、無言で真剣な顔に変わった両者の睨み合い? はすぐに終わりを迎える。

 

「んー、今日はタイミング悪かったかなぁ。てことでキョーやんにはまた後日、構ってもらうことにして退散させてもらいます!」

 

 ビシッ!

 そうして敬礼しながらに携帯ゲーム機を持って帰ると言った理子は、その急な予定変更に理解が追い付かないオレを無視して寝室の上下扉へと向かう。

 

「何だ急に。オレが何かしたのか?」

 

「キョーやんは関係ありませーん。理子はKYじゃないからこうするんだよーん。それに『チャンスは誰にでも平等にあるべき』だと思うし。たとえそれが敵でもね……バイバイキーン!」

 

 別に機嫌を悪くしたわけでもなさそうだったのだが、理子が引き下がるような行動は珍しいので何事かと呼び止めるものの、そうやって曖昧な答えで幸帆に対してウィンクしてから寝室のドアを閉めて消えた理子に、幸帆は深いお辞儀で返していた。

 な、なんか女子の間で不思議なやり取りがあった、らしい。

 しかしまぁ、今のタイミングで理子に引っ付かれるのは色々と疲れるから、結果として良かったわけだが、考えてみると幸帆と2人でのんびりする時間というのもずいぶん久しぶりな気がして、なるべく同じ時間を共有したいと思って料理の手伝いに乗り出してみると、凄く嬉しそうにするのでマジで照れる。

 それにしてもエプロン姿の幸帆はザ・主婦みたいな雰囲気があるな。

 この辺は白雪に似た大和撫子特有の存在感なのかもしれない。

 

「そういや小鳥はどこで何してるんだろうな。金曜日までには帰るみたいだが」

 

「小鳥さんはご両親と帰省のようですよ。なんでも今年はもうご両親が海外から帰ってこれないみたいなことをメールで言ってましたので、実家で家族団らんをするそうです」

 

「あー、あの人達は忙しそうだからな。日本に帰ってくるのも大変なんだろ」

 

「小鳥さんのご両親とお会いしたことがあるんですか?」

 

「吉鷹さんにはいきなり追っかけ回されたけどな……」

 

「ふふっ、なんですかそれ」

 

 作業をしながらそんな他愛ない会話をして沈黙を無くしていたが、昔から幸帆とは話題で困ったことはないんだよな。

 どっちかが必ず話を繋げるように自然と話題を振って気まずい雰囲気は出来たことがない。これは幸帆だけな気がする。

 そういった意味で幸帆は特別な存在かもな。オレが会話を続けようとする人はあんまりいないから。

 頼んでもいないのに勝手に話しまくるやつは別として。

 そんな中で今日は少しだけ違う感じがあって、オレが視線を逸らしてる間に幸帆が妙に見てくる。

 一緒に夕食を食べてても、何か考えてるような顔でオレを見ては視線を逸らすといった挙動があり、これは泊まりに来たことと関係あるのかもなと思いつつも、オレから聞いていいものでもなさそうだと判断して幸帆から切り出してくるのを待つと、なんか夕食を食べ終えてしまった。

 ん、判断を間違ったか。はたまたタイミング的なものがあったのか。

 とにかく幸帆なりの目的はあるとは思うので、いつでも話を聞けるようにリビングでくつろいでいたら、片付けを終えた幸帆もソファーに座ってテレビを一緒に観始めるが、やはり時々テレビではなくオレをボーッと見ることがあってもどかしい。

 何かあるならいい加減に話してはくれませんかね、幸帆さん……こちとらそれが気になって、世界の絶景を探そうとか言ってるテレビがどうでもよくなってるんですよ。

 だから綺麗ですねみたいな共感を求める会話はこっちを焦らしてるみたいで意地悪されてるんじゃないかと勘繰っちゃうんだって。

 だがそんな焦らしは番組が終わるまで続き、夜の9時になってからシャワーを浴びに行ってしまった幸帆に変に緊張してしまったオレは、ソファーに横になってこの後はもう自分から切り出すかと痺れを切らせるような思考に切り替わる。

 ここまで来るともしかしたらオレから聞いた方がいいことなのかもしれないしな。

 言いたいことを言わないことも少なくない幸帆ならあり得るが、遠慮なんてオレに対して必要ないのに。

 兄妹同然で育って、色んな恥ずかしい過去だって知ってるわけだしな。

 そんないつもと少しだけ違う感じの幸帆を待つ間に、単分子振動刀の手入れを割と丁寧にしていたが、刃こぼれ1つないなこれ。

 サブマシンガンをぶった切ったはずなんだが、洒落にならん性能だわ。さすが先端科学兵装ってところか。よく考えたら手入れの方法すらよくわからないな。

 まぁそれでも汚れを取ったりはできるからやっていたら、ここでの宿泊用に常備しているパジャマを着た幸帆がリビングへと戻ってきて、シャワーで温まったからかほんのりと顔を赤らめてオレの近くへと寄ってくる。

 

「京様……」

 

 ちょっとだけ艶やかさを帯びた声で隣に来た幸帆だったが、次にはオレが予想もしなかったことをしてきて正直ビックリする。

 なんと、幸帆がオレをソファーに押し倒して馬乗りしてきたのだ。これには驚かずにはいられない。

 こんなことされたことは今まで1度もないが、どうしたんだ……

 

「…………どうしたんだ、幸帆」

 

 オレの上に乗りまっすぐに視線を合わせ物言わぬ幸帆に、なんだかこちらから聞かずにはいられなかったため口を開いてみると、意を決したように目を閉じて開いた幸帆はようやくその口を開いて話し始める。

 

「……京様にとって私は、どんな存在でしょうか。今の素直な言葉を、お聞かせくださいませんか?」

 

「どんなって……兄妹同然に大切に思ってるし、オレのことを理解してくれてる人間の1人だと個人的には思ってる、けど」

 

 質問の意図はよくわからないまでも、ここで嘘を言っても仕方ないと素直に幸帆をどう思ってるのか話せば、その答えを聞いて顔を俯かせた幸帆は、表情が見えづらい状態でまた口を開く。

 

「私も……京様のことは実の兄のように思い慕っております。姉上に対して劣等感から敬遠してた私にとって、京様は気を許せる数少ない大切な存在で、これから先もそれは変わらないです」

 

「…………そうか。ありがとう」

 

「お礼を言うのは私の方です。こんな私にいつも優しくしてくださる京様が、どれだけ私の心の支えとなっていたか。今の私があるのも、ひとえに京様のおかげと言っても過言ではないほどです」

 

「……それは過言だな。幸帆の努力なしに今の幸帆はないんだから、オレはそれに少しだけ助力した程度だって」

 

 幸帆からオレがどう思われてるかなんて初めて聞いたオレにとって、その答えは素直に嬉しかった。

 オレが幸帆のことを大切に思ってるのと同じで、幸帆もまたオレのことを慕ってくれていたことは、相思相愛とは違うが家族として良いことだし、オレもこれからも幸帆のことを大切に思う気持ちが揺らぐことはないだろう。

 だが、少しだけ顔を上げてオレを見る幸帆の表情は、明るい話に反して笑ってはいなかった。

 

「しかし私は、そうして京様のことをお慕いする一方で、ずっと隠してきた感情があります。ですがそれを京様に見せたら、きっと今の関係が壊れてしまう。それが怖くて私はずっと、この気持ちを隠し続けました」

 

 その理由はオレに対して隠してきた感情だと話す幸帆。

 今それを話したということは、おそらくこれからそれをオレに見せる覚悟でもしてきた。

 だから今オレはあり得ない体勢で幸帆と話しているんだろう。こうして気持ちに勢いをつけるように、オレを押し倒して。

「京様は、私のことを大切に思っていると言ってくださいましたね。ですが……」

 

 と、オレの言葉を反復し確認した幸帆は、突然そのパジャマの上着のボタンに手をかけて全て外し、下着をつけていなかったその綺麗な柔肌を際どいところまで見せてくるので、思わず目を逸らしてしまう。

 えっ、何だこれ。これはさすがに予想外すぎる!

 

「京様は、1度でも私のことを『1人の女』として見てくださったことはありますか? 私を……『真田幸帆』をちゃんと見てくださったことは、ありますか?」

 

 予想外の幸帆の行動に思考が追いつかないオレに対して、上着を肩からスルリと落としてその体の前面を完全に見せてしまった幸帆。

 見えちゃいけないものまで見えてるだろう幸帆から視線を逸らしながらも、言ってることの意味についてグサリとくるものを感じる。

 

「私は……京様の妹のような存在であることに不満などありません。ですが私は……それでも京様の妹ではないんです。真田幸帆という、京様のことを大好きな、1人の女の子なんです……」

 

 今にも泣き出しそうな、必死に絞り出すような声でオレに告白した幸帆に、オレは心が痛んでしまう。

 そうなんだ。どんなに兄妹同然で育ったとしても、幸帆はオレの妹ではない。

 そうしてオレが幸帆をちゃんと見てやれなかったことで、幸帆に辛い思いをさせてしまっていた。

 それを今さらに理解できたオレは、自分をちゃんと見てほしいという意思表示として上着を脱いだのだろう幸帆をまっすぐに見ると、もうすでに目に涙を溜めていた、包み隠さないその綺麗な体をちょっとだけ見てから、力の抜けていた幸帆を逆に押し倒して上下を入れ替わると、何かされることを覚悟して目を閉じた幸帆のはだけた上着を着せ直して、見えちゃいけないところを隠してあげてから、予想に反して何もしてこないことに目を開けた幸帆のその目に溜まった涙を拭ってやる。

 

「ごめんな、幸帆。オレはずっと、幸帆のことを見てるようで見てなかった。それが幸帆を悩ませてることも知らずに、妹のようななんてずっと言ってて……」

 

「……京様は悪くありません。私がもっと早くに、この気持ちを伝えるべきでした。でも、私が欲張りだったんです。京様の近くにいるのは、妹のように思われてる方が気が楽でしたし、それを心地よく思う気持ちもありましたから。ただ、このままじゃ私の恋は一生実ることもなく、芽吹く前に終わってしまう。それでは私も前に進めないと思って。だから今日、このような強引なことをしてしまいました。お見苦しい姿を晒して申し訳ありませんでした」

 

「見苦しいなんてことはない。幸帆が全力でオレに伝えた気持ちなんだ。とても綺麗でカッコ良かったよ。ただ……」

 

「わかってます。京様が私にそのような感情を持って接していたなら、私は今、こうして優しくされていることもなかったはずです。京様も男性ですから、その気があればケダモノにもなりますよね? そうならなかったのは、京様が私にその気がない証明です」

 

 本当はそれを望んでたんですが。

 とかなんとか言いそうな幸帆ではあったが、可愛い笑顔で誤魔化すので、下手したら幸帆をどうにかしてたかもしれない色仕掛けは洒落にならんといった意味のデコピンを軽くしてやってから起き上がると、ちゃんと上着のボタンをかけ直して改めて隣に座った幸帆ともう少し話をする。

 

「これからはちゃんと、幸帆のことを見るよ。妹としてとかじゃなくて、ちゃんとな」

 

「そう言っていただけるということは、私にもまだチャンスはありますね。今日はこのような結果になりましたが、私の気持ちはちゃんと伝えられましたから満足です。京様は競争率が高いのですが、その土俵に上がれただけでも良しとします」

 

「諦めたわけじゃないのか」

 

「私は諦めが悪いんです。それにフラれたわけじゃなくて、妹から異性に昇格したんです。だからまだ始まったと言えるのですよ」

 

 た、確かにそうなるのか。

 オレの中で幸帆が今まで完全に恋愛対象外だったのが、対象内になったんだよな。

 それなら今のはフッたフラれたの話じゃないわな。

 

「その辺はまぁ、オレが鈍感だったのが悪かったから何も言わないけどな。今日みたいなアタックは今後はやめてくれ。マジで心臓に悪い」

 

「そ、それはもうはい! 金輪際やらないです! そ、そういうことは正式にお付き合いできたら、ってことですよね。わかってます。わかってますので忘れてください。見えた映像も出来ればよろしくお願いします……」

 

 もう本当に自分の鈍感さを呪いたくなるが、これから異姓として幸帆が接してくるならと注意だけはしておくと、その幸帆も今日のは恥ずかしいを通り越して記憶から抹消したいらしく、オレにもなかったことにしてと頼んでくるが、もう無理だって。

 あんな綺麗な体、脳裏に焼き付いてしばらく鮮明に残るわ。

 

「忘れるのは努力するが、まぁなんだ。幸姉より大きくなってるかもな」

 

「…………姉上のを見たことあるんですか。京様はエッチです」

 

「見せられたが正しいかもしれんが、エッチなのは否定しづらい……オレも男だし、見えるものは見る」

 

「……もう1回だけ見ますか?」

 

「幸帆」

 

「冗談ですよ。次見せる時は、京様の恋人になれた時ですからね。大事な体ですから大切にさせてもらいます」

 

 微妙な雰囲気になりかけていたので、ちょっとした冗談を交えてみたはいいが、告白したことで何か吹っ切れてしまった幸帆はオレを逆に振り回すような言動で動揺させると、困り顔を見てクスクス笑う。

 なんかこういうのは幸姉を彷彿とさせるから、やっぱり姉妹だよな。

 その後なんだかんだで普段絶対しないことをして相当疲れたのか、大きなあくびをした幸帆はそのままオレにお辞儀してから寝室へと先に入って就寝。

 オレも脳裏に残る幸帆のあられもない姿を少しでも消すために、ちょっとだけベランダに出て冷たい夜風に当たる。寒っ!

 

「……はぁ。鈍感とかそんなレベルじゃねーよな。気付こうともしてなかったとか最低だ……」

 

 結果として幸帆は良かったとは言ったが、オレが家族として強く接してきたことで少なからず幸帆を苦しめていた。

 それは揺るがない事実で、そういう気持ちには真剣に向き合うと決めていたのにこの有り様。本格的なバカなんだなオレは……

 

「ほっちゃんのラブラブ光線なんて周りからは丸分かりだったんだからね」

 

 夜の東京湾を眺めながら自分のバカさ加減にイラッとしてたら、すぐ下のベランダ。キンジの部屋だが、そこから理子の声がしてきて、オレのぼやきが聞こえたのか明らかにオレに対してそんなことを言ってくる。そんなに分かりやすかったのかよ……

 

「お前は今日、幸帆が何かすることを察して退散したのか」

 

「ほっちゃんの目がマジだったからねぇ。女はその辺鋭いもんなんだよ」

 

「妹キャラを脱却して、これから幸帆なりのアプローチをしてくるらしい。幸姉に似て美人だから困りものだよホント」

 

「へぇ、やっぱりほっちゃんは燃えてるかぁ。妹キャラもポジション的には美味しかったとは思うけどねぇ。かなめぇとかそんなの関係ねぇって感じのガンガンいこうぜ! だけど、好きな人のそばに自然といられるって特権はあるしさ」

 

「それでも、幸帆はオレに向き合ってもらうことを選んだんだ。だからオレも幸帆とは真剣に向き合うつもりだよ」

 

「…………だったらあたしともちゃんと向き合えバカ京夜」

 

 理子が何故このタイミングで寒いベランダにいたかは置いておいて、ようやく潔く撤退していった理子の意図を理解して、そこから会話へと繋ぐが、オレが幸帆とちゃんと向き合うことを話せば、素の理子が何か言ったのだが、どこかのバカがマフラーをどるんどるん鳴らして寮の近くを通ったらしくほとんどかき消されてしまう。

 

「悪い。雑音で聞こえなかったが、何か言ったか?」

 

「……何にも言ってませんー! あーあ、なんかシラケちゃった。もうキョーやんに構ってもらう約束、どうでもいいや。修学旅行Ⅱも近いしジャンヌとかと旅行プラン練ったりしたらいいんじゃないかな。理子もこれで忙しいし、キョーやんにばっかり構ってられないもんね」

 

「何だよ急に。そんな機嫌悪そうに話すならちゃんと話せよ。オレが悪いなら謝るから」

 

「そーゆーとこ! 鈍感ニブちんバカキョーやん! 学習能力なさすぎ!」

 

 バタンッ!

 何が気に障ったのか、いきなり不機嫌になった理子は捲し立てるようにオレを罵倒してから中に引っ込んでしまい、下を覗けば灯りも漏れてないので寝室にいるか自分の本来の部屋に帰ったかだろうが、ここで追いかけてもそもそも怒らせた原因がわからないから火に油になる可能性が高い。

 明日、学校に行ったらどうにか機嫌を直してもらうしかないか。

 後回しにするのも何だか嫌な予感はしつつも、さすがにオレも体が冷えてきたのでリビングに引っ込んでから、シャワーを浴びてその日は就寝。

 翌日はすっかりいつも通りの幸帆と一緒に登校していって、その途中にちゃっかり手を繋ごうとしてきたのに驚くが、それをスルッと躱しておいて校舎で別れ教室へと入れば、朝から女子を集めておしゃべりに没頭する理子の姿を発見し話しかけるか迷うが、いつもならオレが来れば我先に近寄って挨拶してくるはずなのに、今日はない。

 なんか意図的にオレを見ないようにもしてる感じだ。そんなに怒らせたのか。

 それからホームルームでも授業中でも後ろの理子はいつものちょっかいを出してこないわ、話しかけてもこないわで調子を狂わされていたオレは、努めて普段通りに話しかけてみるものの、無反応とは言わないまでも会話に応じる様子もなく素っ気なく一言二言で向こうから話を終わらせてしまう。

 無視されるよりは全然いいが、理子とはこんな感じになるのが初めてだからどうしていいのか正直全くわからん。

 これが幸姉ならまだ解決策も見出だせるのだが、喜怒哀楽をコロコロしながらも本心を上手く隠す理子だと下手につつくと悪化しかねない。

 そんな感じで急に素っ気なくなった理子との微妙な感じはそれ以降も続き、どうしていいかわからないオレは当たり障りない会話を試み続け解決策を探るしかほかなく、学校に居づらい日々を送ることとなっていた。



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Bullet87

 理子との微妙な距離感が出始めてもう4日ほどが経過。

 向こうからは話しかけてくることもなく、部屋に遊びに来ることもなくなって比較的静かな生活はできていたのだが、慣れというのは怖くて逆に構ってちゃんをしてこない理子というのは気持ちが悪く若干オレの調子が悪くなってきていた。

 それでもやることはあるので、土曜日にはかねてより約束していた貴希とのドライブでバイクのレンタル代の割引を成功させ、その夜にはどこからともなく現れた玉藻様が京都に行くことを告げてオレから玉串料と称したお駄賃を捻り出して意気揚々と去っていき、日曜日には中空知との報酬相談を電話でしてから、その後に直接会って超逃げ腰の中空知をなんとか落ち着かせて報酬を渡し事なきを得る。

 それで幸姉の依頼に関しては全ての案件を解決したことになって、結局赤字になったことに一喜一憂。

 実家から戻ってきた小鳥に生活費の切り詰めを申告せざるを得ないカッコ悪い事態を乗り越えての、週明け月曜日。

 この日は週末にひっそりと帰ってきたキンジが、2年合同の小スポーツテストのあった放課後に自分からバスカービル他、極東戦役参加者を部屋に集めるという珍事があり、その事にほぼ全員が頭でもおかしくなったのかと失礼なことを思いつつ、一応バスカービルリーダーの指示に従ってすぐに招集に応じた。

 のはいいのだが、更衣室が『物理的に破壊された』とかで小スポーツテストの後に着替えることもなく集まった女子の姿が緊張感を完全に失わせる。

 どいつもこいつもハーパンにTシャツとかの体操服姿で、特に意味わからんのが前時代の遺産とも呼べるブルマーを我が物顔で穿いてる白雪、ジャンヌ、理子だ。

 ジャンヌはおそらく間違った知識を植え付けた理子のせいだろうが、そんなもの穿く女子高生はお前らくらいだぞ。

 と、思わずツッコまずにはいられない3人の格好ではあったが、現在進行形で理子と微妙な状態のオレは理子が絡む話題には触れられなくて仕方なくスルーするしかなく、リビングでも理子とは一番離れた位置に腰を下ろしていた。

 くそっ、何でオレがどうでもいいところで神経使ってるのか。

 でだ。とりあえず全員集まったので、普通に着替えていたオレを除きキンジが代わりに女子にツッコミを入れていたが、キンジ君は威厳がないので文句を言うなと話すアリア達に何も言えなくなってそのまま話を始めてしまう。おい。

 

「――作戦会議ってのは、極東戦役の件だ。打って出るぞ。ターゲットは藍幇だ」

 

 そうしてビシッと話したはいいが、何故かいきなり鼻声になったのでアリアにツッコまれるものの、強引に話を進めたキンジは事前にジャンヌにココのことを調べさせていたようで話を振る。

 そういやいたな。眼鏡をかけたココが。3人ともまだ長野の拘置所にいるはずだし、誰だったのか。

 

「遠山が『気になるから調べろ』と言うので、情報科で確認したのだが……修学旅行Ⅰで逮捕したココ3姉妹が、間もなく仮釈放されるらしい。莫大な保釈金を積んでな」

 

 話を振られてブルマーによってむき出しの綺麗な太ももを見せつけるように足を組みソファーに座るジャンヌは、そうして調べたことを述べるものの、ココはやはりまだ3人ともが拘置所に勾留されているようで、オレやキンジ達が見たココはまた別人ということになるわけか。

 そんなオレの予測に追いつくようにジャンヌも4人目のココの存在を説明し、それにはココの手強さを知る一同もようやく緊張感らしきものを放ち始める。

 

「ココだけじゃなく、諸葛って男も得体が知れない。それにジーサードを一撃で倒した、(こう)っていう少女がいる。これも――強い。玉藻曰く、孫悟空なんだそうだ。如意棒というレーザービームを撃つ。あれは一言で言って必殺技だ。誰も勝てないだろう。俺以外は」

 

 空気が引き締まったことを察して、キンジが今度は難敵の存在を明確にして話すと、どうやらオレが2度遭遇したあの少女が鏡高組のやつらが話してたコウ先生だったみたいだ。

 というか孫悟空かよ。どこまでも伸びる如意棒もその実、レーザービームってか。ハンパないな。

 現状で勝ち目なさそうなその猴は、これまた珍しくキンジが相手するみたいなことを言うため、必要なら助けを頼むと付け足したキンジに全員が了承。

 オレもレーザービームなんてどうしようもないから、相手を買って出るなら任せたい。

 そしてここまでの話をして白雪が冒頭の打って出る発言に戻ってキンジに質問をすれば、すでに香港に戻っていったらしい藍幇の拠点にこちらから乗り込もうということで、来週に控えた修学旅行Ⅱを利用しようと言うのだ。

 修学旅行Ⅱは上海、香港、台北、ソウル、シンガポール、バンコク、シドニーのどこかにチーム単位で行くことになっている。

 なのでバスカービルはその行き先を香港にして藍幇を攻め落とすと、そんな感じだ。

 オレは少し前にシンガポールに行くことを決めたコンステラシオンで、そこでイ・ウー研鑽派の残党と会合し極東戦役の志願兵を募るとか話してたジャンヌのオプションに決定していたが、未だに本決定ではない。

 理由はまだ音沙汰がない幸姉の言いつけによってシンガポールに行けるかわからないからだが、今週中には決めてほしいところ。

 ジャンヌが端からはわからないが曖昧なオレへの態度がキツくなってきてる。週末にはガミガミと一気に来そうな予感はしている。

 バスカービルの香港行きについては一同異論なく即決し、その代わりにこっちの拠点が手薄になるのはワトソンが残ることで防ぐこととなり、基本方針が決定したところで会議はお開きに。

 早速バスカービルメンバーは今後の行動などの話し合いを始め、ワトソンも携帯片手に席を外していく。

 残されたオレも幸姉にメールでもしておくかと部屋に戻ろうとしたら、急に腕を絡めてきたジャンヌに引っ張られる形で寝室へと移動させられ2人きりになると、ドアを閉めてベッドの上に隣り合って座らされる。

 ぐっ、密閉空間で至近距離だとジャンヌの良い匂いが主張してくるな。リビングだとみんなの匂いである程度散漫になってたが、1人だと意識してしまう。

 

「どうにも気になるのだ」

 

 至近距離にまでその顔を近づけて話しかけてきたジャンヌにちょっと怯みつつも、脈絡もないその質問のような話題が気にならないわけもなく、予定調和のごとく何がと聞き返せば、少し顔を離して腕を組んだジャンヌはその口を再度開く。

 

「お前と理子のことだ。今日、同じ空間にいて物凄い違和感を覚えていた。普段ならもっとお前達の距離感というか、そういうものが近いはずなんだが、喧嘩でもしたのか?」

 

「……喧嘩、はしてないと思う。話す分には話してくれるし、同じ空間にいることをあからさまに嫌がってる様子もないしな」

 

「ふむ、その説明からすると理子がお前に対して距離を置いているわけだな。正直な話、お前と理子の関係がどう進展しようといいのだが、悪い方向にだけはいってほしくない」

 

「理子の友人としてか?」

 

「違う。確かに理子には幸せになってほしいと思うが、それはまた別の話だ。理子はあれで空気の読めるやつで、雰囲気を察してバカをやったり真面目にやったりして場を良い方向に持っていけるセンスがある。今日の会議ではそういった必要性はなかったが、それでも発言自体が少なかった。我の強いアリア達をコントロールする理子が機能しないのは、いざという時に困ることになる。あんな理子を見るのは初めてで私もどうすべきか考えていたが、原因が猿飛、お前ならばやりようはある」

 

 どうやらオレと理子のぎこちなさは周りからでも分かりやすいみたいで、それが原因でオレといる時に理子らしさが失われてしまうのはよろしくないと話すジャンヌに、オレも同意はするのだが、喧嘩をしたわけでもないしで下手に動けなかった。

 それで解決の糸口をオレに見出だしたらしいジャンヌは、次に理子がああなってしまった直前のことを話せと言うので、結構恥ずかしい話もしなきゃならないことにちょっとためらうが、理子との関係が元通りに近付くならと言い聞かせて話をしていった。

 

「…………で、幸帆と真剣に向き合うって話をしたんだが、その後雑音にかき消されて聞こえなかったが理子が何か言ってて、聞き返したらなんか機嫌悪くなって……オレが悪そうだったから謝るって言ったら……もういいって……」

 

「…………幸帆の件はまぁ、あまりツッコまないでおくとして、そうか。理子の怒りの原因は……やはり猿飛。お前だ」

 

 幸帆の告白からそこに至るまでのことを話してみると、全てを聞いたジャンヌは少しだけ考える素振りを見せてからズバリ、オレが悪いと言ってくる。それはもうわかってるけど。

 

「しかし、問題の解決より先に確証を得る必要がありそうだ。デリケートな問題とも言えるしな。対処を誤ると事態が悪化しかねん」

 

 というオレの微妙な表情を見ることもなく思考を走らせるジャンヌ。

 何かに気付いているようなのに具体的な話をしないジャンヌだが、策士の一族さんの考えには少し期待してみようと思い黙ること十数秒。

 考えがまとまったのか顔を上げオレを見たジャンヌは、説明もなしにいきなりオレの腕を引っ張り立ち上がると、話を合わせろとだけ言って寝室を出る。

 

「では明日の放課後に情報科の前に迎えに来てくれ。レディーを待たせるのは厳禁だぞ」

 

「はっ? あー、おう、了解。明日の放課後だな」

 

「ふふっ、少しだけ期待してやるから、私を楽しませてくれ」

 

 寝室を出てすぐに玄関へと向かったジャンヌは、オレの手を引きながら急にルンルン気分でそんなことを言うので、アドリブで合わせつつ一緒に玄関へと向かってそのままキンジの部屋を出て階段を降りすぐ立ち止まる。

 するとジャンヌは引いていたオレの手をパッと放して振り返ると、目論見が成功したような悪どくも綺麗な笑顔を向けて話をしてくる。

 

「とりあえず仕込みは成功したか。では明日は本当に出かけるぞ。私と猿飛の2人きりでな。いわゆるデートというやつだ」

 

「その意図については話してくれないのかよ」

 

「明日、私の計画通りに事が進んだならば話す。そうならなければまた別の計画を立てねばならないが、まぁその心配は無用だろう」

 

 なんだかジャンヌ1人で話を進めてるからキョトンとしてしまってるが、今の段階で失敗はないと踏んでるらしいジャンヌを信じるしかないオレは、明日のデート(目的不明)のプランは任せると最後にとんでもないものを投げて帰っていったジャンヌにふざけんなと心の中だけで愚痴っておいて、よくわからない計画に一抹の不安を残したまま部屋へと戻って言われた通り大雑把にデートコースを決めてその日を終えた。

 翌日。

 いつも通りに授業を受けていたのだが、なんかずっと後ろの席のお方から突き刺すような視線を浴びせられて、それに振り向いても目が合わず素知らぬ顔をされるという珍妙な現象が続き、そのまま放課後を迎える。

 なんか事態が悪化したんだが、これは大丈夫なんだろうな、策士様よ。

 不安が膨らみまくった状態で、とりあえずは約束通りにすぐ情報科の校舎前まで行って、5分くらい待つと幸帆と一緒に出てきたジャンヌは、先に来ていたオレを見つけるや上出来だみたいな笑顔を向けて近付いてきて、

 

「それでは幸帆、私はこれから猿飛と出かけてくる。鞄の方を持って帰ってくれるとありがたい」

 

「……本当に本当なんですよね?」

 

「そんな怖い顔をするな。取って食ったりはしない」

 

「……京様、鞄をお預けください。私がお部屋まで持っていきますので、ジャンヌ先輩と楽しんできてください」

 

「お、おう。ありがとう……」

 

 なんか事前に幸帆には話を通していたようなやり取りの後、ちょっとだけ不満気な幸帆はジャンヌから鞄を預かって、オレの鞄も渡すように言ってくるので、逆らえない何かを感じて大人しく鞄を渡すと、綺麗なお辞儀をしてからすたすたすたっ。

 小走りで帰っていってしまい、それを見送ってからジャンヌはスルッとオレの腕に自分の腕を絡めて密着。

 

「では行くとするか。私を楽しませられなかったら、人間樹氷ができると理解しろ」

 

「脅すなよ。オレが楽しめないんだが」

 

「ほう。私とのデートを楽しむ気があったのか。それは相手が私だからか?」

 

 腕を絡めてからはオレがリードしろと言わんばかりに先を歩かせるジャンヌに、素直に従って歩き出して話をするが、早速ご機嫌取りを迫られる質問が飛んできたので、一応はデートが始まってるため言葉は選ばせてもらう。というか正直に言っても問題ない。

 

「ジャンヌとデートなんて誘ってもできそうにないしな。こうしてそっちから近寄ってこられるのは悪い気分じゃないよ」

 

「こ、これは本当に好きでやっているわけではないのだが……喜んでいるのならそういう表情をしていろ。その方が都合が良い」

 

 オレの言葉にポロッと思惑をこぼしつつも、どうやら言われてまんざらでもなかったらしいジャンヌは離れることもなくオレにそう言ってから年頃の女の子の表情になって、スイッチでも入れるように切り替えてどこへ行くのかと可愛く顔を見上げながら尋ねてくる。

 ちょっとした何気ない仕草でも美人がやると恐ろしい威力なんだが、これがこの後ずっと続くのか……

 状況はあれだが、悪くないとか思ってるオレ。気を引き締めてろ。目的は理子との仲を修復することだ。

 当初の目的を忘れてしまいそうなほど自然に女の子女の子してくるジャンヌに気を取られつつ、とりあえずは学園島を出て台場へと入ると、アクアシティお台場。

 そこにある風魔が修行という名のバイトをしているラーメン・レストラン、新都城に侵入し少し早いがそこで夕食にしておく。

 ジャンヌにはいきなり飯か、みたいな微妙な表情をされてしまうが、台場はここにだけ寄る予定だし、ここにした理由ももちろんある。

 

「おお、猿飛殿。いらっしゃいませでござる」

 

 台場で一番美味いと評判の新都城は夕飯時の時間は混んでゆっくりできない。

 だから比較的空いてる時間に入ったはいいが、風魔のやつも今日はシフトに入っていたようで意気揚々とオレとジャンヌを空いてるボックス席に案内してメニューを出すと、事前に決めていたオレはすぐに注文したが、ジャンヌは何が良いのかわからないようだったので定番の醤油ラーメンでいいだろとオレが決めてやる。豚骨とかは匂いとか気にしそうだし避けてやった。

 

「ここの制服もなかなか……」

 

「可愛いってか? 相変わらずああいうのに興味津々なのな」

 

「い、いいだろう別に。人の趣味にとやかく言う権利はお前にはない」

 

「ダメとは言ってないだろ。ただもう少しオープンな趣味にしても誰も笑わないとは思うよ。むしろ今より人気出るかもしれん」

 

「それだけはやめてくれ……お前や遠山にバレただけでも顔から火が出そうだったのに、それをまた他の人に晒すなどとても……」

 

「ん、キンジも知ってるのか、ジャンヌの少女趣味。オレとジャンヌだけの秘密だと思ってたが、ちょっと残念」

 

「何だ。私と秘密を共有したいなどと、何かよからぬことを考えていたわけじゃないだろうな?」

 

 料理を待つ間、風魔の着ていた店の制服からそんな話に移っていって、何かを勘繰ってきたジャンヌは含みのある笑みでオレに尋ねてくるが、別に何か企んでるわけではなく、

 

「いや、オレしか知らないジャンヌの顔ってのがある優越感っていうか、そういうのがなくなったのが残念って意味だ」

 

「ふふっ。お前が私の弱味を使ってどうこうする人間じゃないことはわかっている。だからこそお前は今、私のチームにいられてるとも言えるしな」

 

 えっ……そうだったのかよ。初耳ですよそれ。

 まさかの事実をサラリと暴露してくれたジャンヌは、それが本当なのかどうなのかわからなくて動揺するオレを笑っていたが、そういう笑顔は好きじゃないからな。美人ならなんでも許されると思うな。

 とかなんとか思いながら落ち着くために水を口に含んだら、風魔が注文した料理を持ってきてまずはジャンヌの醤油ラーメンをテーブルに置くが、オレが注文した料理は1度戻って両手で抱えるように持ってきてドカン!

 オレの目の前に重量感満載のそれが置かれる。

 

「猿飛殿、それを完食した者は今までに1人しかござらんが、大丈夫でござるか?」

 

 目の前に置かれたのは、人の顔などスッポリ入ってしまうほどの大きさの壺。それにぎっしりと入ったラーメン。

 その名を『超壺麺』と言うが、これは通常価格5000円もしながら、30分以内に完食できればタダになると言う特別ルールがある。

 幸姉の赤字依頼の直後で贅沢できなかったオレは、今回のデートにすら贅沢はできず、どこかで経費削減はしないといけなかったので、死ぬつもりでこの店のこのルールにすがったわけだ。

 ちなみに風魔が言った完食者については情報が入っていて、修学旅行Ⅰの前にキンジと一緒に来たレキが10分ちょっとで食べたらしい。

 が、これを10分で、だと……化け物かあいつは……

 実物を見たら完食できるイメージが全く湧かなくて顔色がかつてないほど悪くなっていただろうが、ここを乗り切らねばこの後はデート終了である。冬の公園のベンチでおしゃべりくらいしかできなくなる。

 そうはさせないために昼から全く食べ物を入れずにいた胃袋が食いたいとその音を鳴らしたタイミングでストップウォッチを持つ風魔にオッケーサインを出して、超壺麺を見ただけで青ざめていたジャンヌを横目にフードファイトスタート。

 昔に幸帆のおかしい量の手料理を難なく食べ切った時を思い出せ。あの時は猿飛の修行で1ヶ月暮らした比叡山を降りた直後だったが、そんなの関係ねぇ!

 そんな内心の勢いとは裏腹に、一気に入れるとすぐに限界が来ることはわかってるので伸びてしまう前にまずは麺を片付けようと具などは後回しで黙々と麺をすする。

 ジャンヌはそんなオレを見ながら自分のラーメンが普通なことに安堵して美味しそうに食べていたが、オレは美味しさなど味わってる場合ではない。

 いや、美味しくなきゃ食べ進めることすら嫌になるから美味しいのだろう。このラーメンは。

 そうしたことも段々考えられなくなって一心不乱に目の前の超壺麺に集中すること15分。

 風魔のカウントでわかったが、その辺りで麺を完食出来たので、ペースとしては悪くないと思いつつ、残りの具とスープを見てちょっと目眩がする。

 それでも完食出来なきゃ5000円。理子のこともあるから負けられないと奮起して食べるのを再開したが、そこから先の記憶は少し曖昧になってしまった。それほどに限界の綱渡りをしたということだ。

 それで食べ終えたのは確かなのだが、その後すぐに横になって倒れたのは記憶していたため、意識が戻って起きようとしたら、なんか気持ち良い違和感が。

 後頭部に何か柔らかくて温かいものが当たってる。と、目を開けて確認しようとしてみれば、いきなりジャンヌの顔が目の前にあってビックリして飛び起き、ジャンヌの頭とゴッツン。

 それにより元の位置に戻ってしまうが、待て待て! 膝枕とは何事か!



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Bullet88

 唐突に決まったジャンヌとのデート。

 目的は理子との仲を修復することだったはずだが、そんなことを忘れるようなことをしてくるジャンヌに冷静な思考が働きづらくなっていた。

 そんなところに巨大ラーメンを完食し少しの間横になって意識を手放していたら、目覚めた時にはジャンヌの膝枕。

 あまりに予想外すぎて飛び起き、顔を覗いていたジャンヌのおでことゴッツンしてしまった。

 

「いった……何してんだよお前……」

 

「っ……まずは謝罪からではないのか」

 

「お前がビックリすることしてるからだろ」

 

「いや……実はその、こういうことに少しだけ憧れがだな。わ、私が女の子らしいことをしてはいけないか?」

 

 ジャンヌの膝の上に戻されてそんな言い合いをしてしまったものの、なんか顔を少し赤くしながらにそう言われてしまうと、夢を叶えた女の子そのものなので怒る気も萎えてしまい、全身の力が抜けてジャンヌに完全に体を預ける。膝枕とか幸姉以来だぞ……

 

「んで、これも計画の内なわけか」

 

「憧れてたのは本当だ。だがまぁ、意図があってあえてやってみたという部分はある。さて、動けるなら起きろ。支払いも済ませていないし客足も増え始めている」

 

 今日のジャンヌはちょっとオレの想定を越えた行動をしてくるのだが、ジャンヌ本人も本来の目的は忘れてない上でやりたいことをしているとわかり、この後まだ何か仕掛けてきそうなことにちょっとドキドキしつつも、こんな光景を武偵高の生徒にでも見られたら明日にでも掲示板にデカデカ写真付きで記事にされる。

 それは遠慮したいのでちょっとだけ惜しみながら膝枕から起きて、何も知らぬ存ぜぬを脅迫に近い感じで会計に出てきた風魔に釘を刺して店を出ると、そのままアクアシティお台場を出て電車に乗り浅草へ。

 外も完全に陽が沈んで夜となっていたが、今の有り金でやれることなどたかが知れてるのでもう移動は帰るだけに留める。

 それでやってきたのはバッティングセンター。おそらく食後は軽く死ぬだろうと予測して腹ごなしも兼ねてで来たが、初めて来た場所に興味津々らしいジャンヌはキョロキョロと周りを見ながらオレの袖を引っ張って説明を求めてくる。

 

「ヨーロッパには野球文化が根付いてないからな。やったことないかなと思ったが、当たりか」

 

「存在くらいは知っているぞ。ああやってボールを打って場外に飛ばせば勝ちなのだろう?」

 

 なんか間違ってるような間違ってないような知識を身に付けてるジャンヌは、現在進行形でバッティングをしている客を指差しながら自慢気にバカにするなと胸を張るが、そういえばこいつ、前にサッカーやった時も知らないから調べたって言ってたか。

 文化とか以前にスポーツというものに対して疎いのかもしれん。フランスはサッカー大国でもあるし。ジダンが泣くぞ。

 知識が若干おかしなジャンヌを少しだけ笑いつつも、それを悟られないようにして腕を引きボックスの前に移動。

 お手本としてまずオレが実際にやってみせると、ほうほう言いながら後ろで観察していたジャンヌは、一旦打ち終わってから交代。

 意気揚々とバットを持ってボックスに立ってそれらしい構えはするが、右打席に立ってるのに左手が上に来る持ち方してて思わず笑ってしまう。

 初めてだから違和感ってのもないんだな。

 とりあえずまずはお手並み拝見ということで口を挟まずにいると、なんか……上手い。

 当たりこそライナー性のものだが、空振りがないぞこいつ。やっぱり剣を振ってるやつは同じように振るものは得意ってことか。逆手なのにこれは凄い。

 とかなんとか感心してたら終わったようで、球が出てこなくなってからボックスから出ずにオレを招き寄せたジャンヌは、何やら納得のいってない険しい表情でバットを前で突く。

 

「飛ばないのだが」

 

「飛んでたろ。前に」

 

「ノン。前に飛ばすなど簡単だった。だが球が上に飛ばない。バッティングというのはあそこに飛ばさないとダメなのだろう?」

 

 どうやらジャンヌはまだ間違った知識でホームランゾーンに打球を飛ばさないと満足いかないらしく、すんごい真面目な表情でオレにアドバイスを貰おうとしていた。

 そりゃ逆手じゃスイングが上に向きにくいし、ミートポイントも結構前の方だし、力が球にうまく伝わってないからな。

 と、捲し立てるように言ってやると何を言ってるんだお前はみたいな顔をされてしまって、そうなるかと思いつつバットを借りて実際にやって教えると、やればできる子ジャンヌさんは今度は順手でバットを持って、誰に教わったわけでもないのに踏み込む左足を振り子のように使ってバットを振る振り子打法で球を捉える。

 やべぇ、全国の振り子打法を使う野球人よ。女子が物凄いスイングを習得なされました。

 しかし打球は思ったように飛ばずに弾丸ライナーで正面のネットにぶち当たるが、何か掴んだのか機嫌の良さそうなジャンヌはウキウキしながら次の球が来るのを待ち、今度は見事に上方向へと飛んでホームランゾーンの少し下まで飛距離を伸ばした。もう少し試行錯誤してほしかったんだがな……

 と思いながら打球からジャンヌに視線を戻せば、オレを見てビックリするくらい可愛い笑顔で喜ぶジャンヌにかなりドキッとしてしまう。

 卑怯だ。あの笑顔は卑怯すぎる。

 そのジャンヌは今ので完全にコツを掴んだようで、次から次にホームラン性の打球を飛ばしまくり、それには他の客が唖然としてしまう。

 だがまぁ、その代償としてスイングする毎にオレのところからだと良い具合にスカートが舞い上がってこんにちはしてくるものがあるが、退くと他の誰かに見えてしまうのでそのままでいた。

 こうやってジャンヌを守っているんだ。そう言い聞かせつつも見えるものはしっかり見てたら、最後の1球をホームランゾーンに叩き込んだジャンヌは、満足顔でボックスから出てきて意気揚々と話をしてくる。

 

「このボックスはクリアだ。次はあそこの豪速球とかいうところで打つぞ。この際だから全部のボックスを制覇する。ついて来い(フォロー・ミー)だ猿飛」

 

「それはいいが、ボックスの後ろはオレにガードさせとけよ」

 

「ん? どういう意味だそれは?」

 

「お前、その格好であんなスイングしてたらどうなるか考えてみたか?」

 

 テンションが高いジャンヌは、何か色々と忘れてそうな頭でオレの言葉を吟味し少し黙ると、気付いたのか顔を赤らめてオレを見て意味もなくスカートを押さえる。いま押さえても見えないっての。

 

「お、お前だけだな。見えていたのは」

 

「たぶんな」

 

「…………ならいい」

 

 いや、良くはないだろ。

 てっきり殴られるかと思ったが、自分の不注意で起こった事だからなのかあっさりその話を終えたジャンヌは、その後の打席は振り子打法を封印してスイングも豪快さをなくしていたが、しっかり飛ばしてる辺りはやっぱり凄いやつだった。

 バッティングセンターでとにかく打ちまくったジャンヌは、最後の砦の3種類の変化球が混ざったボックスでだけホームランが打てずに残念がっていたが、そこが打てたら恐ろしいですから。

 バッティングマシーンだけに30打席は使ってくれたジャンヌ。

 超壺麺を完食できてなきゃマジで無理な回数だったが、あれのおかげで今日のズルいくらい可愛いジャンヌを見れたと思えば儲け物だろう。頑張って良かった。

 その後はジャンヌも汗を少しかいたからか別のところに行きたいといった要求もなく、まっすぐに学園島へと戻ってきたが、新鮮なジャンヌのおかげでだいぶ調子が狂わされた。

 そんなことを今更ながらに思い返して本来の目的を冷静に考えられなかったのは、全てジャンヌの思惑だったのだろう。

 それを女子寮までの道のりを歩いてる最中に考え至って、周りに誰もいないことを確認してから1度立ち止まって、振り返ったジャンヌに話をする。

 

「今日のデートはお気に召しましたか?」

 

「60点だな。デートの最中に金銭面で余裕がないことを悟られては減点だろう。男はもっと余裕を持って女性をエスコートするようにな。ただまぁ、未体験のことを楽しませてくれたことは評価しよう。私が勝手にやったこと含めて、な」

 

 交際経験があるわけでもなさそうなジャンヌにデートの評価をされることに微妙な違和感はあるものの、楽しんでくれてはいたようなので指摘は真摯に受け止めておきつつ、表情に真剣さを含めて切り替えると、ジャンヌも察してオレに発言権を渡してくる。

 

「今日のデート。オレに冷静な思考を持たせないようにしていたみたいだが、オレが周りに気を張ったらいけない理由でもあったか?」

 

「ふむ、そこまで気がついたか。さすがと言うべきではあるが、事はもう済んでしまっているし、目的も果たした。結果は私の予想通りになったが、やはり解決すべきはお前自身の手でだ。私はそのためのアドバイスに留めよう」

 

「……理子が尾行してたのか」

 

「その通りだ。私は昨日、わざわざ理子のいる前でお前とのデートの約束を取り付けた。それは理子を誘き出す餌。まんまと誘い出された理子は、今日の私達のデートを終始監視していた。ちょっと途中から気配が漏れすぎていて焦ったが、私の機転でお前に最後まで気付かれることはなかった。この結果だけで勘が良ければわかるものだが、さて、お前はどうかな猿飛」

 

 終始オレがジャンヌを見ていた今日のデートは、冷静になって考えれば明らかにオレの周囲への警戒心を奪うための策略であると気付くが、それに気付かせなかった今日のジャンヌは破壊力がありすぎた。

 そこから何故そうする必要があったのかと、デートの必要性を考えた結果、誰かに見せるための行動であったことに気付けば、すぐに理子に辿り着く。

 たとえ尾行してこなくても、学園島から腕を組んでいた関係上、噂としてジャンヌとオレの関係が一時的にではあってもスクープされるのは武偵高ではあり得るし、それを理子が耳にすればそれはそれで良かったのだろう。

 ではどうしてそんなことをしたかだが、それは理子の反応を見るため。

 ジャンヌがどんな反応を見ていたかはわからないが、結果が語っていると話すジャンヌに従うならばオレにもわかるのだ。

 

「…………そもそも何で理子は尾行したんだ? オレなんてどうでもいいって言ってたんだぞ」

 

「なるほど。これは想像以上のバカだったか。1度女心というものを学ぶためにCVRにでも監禁してやろうか」

 

「やめろ。また京奈になるのはごめんだ」

 

「私はお人好しではないが、今日のデートの報酬として教えてやる。どうでもいいと思ってる人間が、尾行などするわけがないだろう。つまり理子は猿飛、お前のことを嫌ってるわけではない。むしろまだ全然好きなのだ。私がお前にあれこれしてた時に殺気すら感じてヒヤリとしたほどにな」

 

 と、察しが悪いオレに対して怒り半分、呆れ半分といった声色で事実を伝えたジャンヌの言葉にちょっとビックリするが、同時に納得もしてしまう。

 確かにどうでもいいなら尾行などという神経を使うことをわざわざしてまでオレとジャンヌのデートの様子を覗き見たりしない。

 つまりオレはまだ理子に好かれているという証明がされたことになる。

 

「だったら何でオレは理子に素っ気なくされてる?」

 

「では逆に聞くが、何故お前は『理子に好かれていることを普通みたいに思っている』?」

 

「それは理子が好きだっていつも大っぴらに言ってるからで……」

 

「その気持ちをお前は『当たり前だ』と言うつもりか?」

 

 だったらどうして、なんて根本的なところに戻ってしまったオレだが、ジャンヌがオレの考え方について問うようなことを言ってきて、ハッとする。

 いつもいつも隙あらば何かしてこようとする理子に、好きだと日常的に言ってくる理子に、オレは慣れてしまっていたのだ。

 あいつの好きはいつも本気の好きだったのに、オレはその気持ちをいつものらりくらりと無意識レベルで躱してしまっていた。

 だから幸帆の件で幸帆と真剣に向き合うと言ったオレに対して、自分に向けられない真剣な気持ちに怒ったのだ。

 それがわかった途端、オレはその場で膝を折ってしゃがみこみ唸りながら頭を抱えてしまうが、近くに寄って同じようにしゃがんできたジャンヌは、俯くオレに対して口を開く。

 

「どうやら気付けたようだな。私は理子との付き合いはお前よりも長いが、お前といる時の理子はとても幸せそうな顔をしていた。イ・ウーにいた頃にそんな顔など見たことなかった私にとって、自分のことのように嬉しかったよ。ブラドとヒルダに支配されていた時には、そんな顔は絶対にできないだろうと思っていたしな」

 

「……ちゃんと話さないとな。理子と真っ正面から、本気で」

 

「良い顔だ。私はそういう顔をする男の方が好みだぞ。仮にも私のチームの懐刀なのだから、しっかりしてもらわねば私も中空知も、島も京極も困ってしまうからな」

 

 自分の愚かさに頭を抱えていたオレに、ジャンヌは優しい口調でそんな理子の話をし、反省を終えたオレが顔を上げれば口調から予想した通り優しい笑顔をしていたジャンヌは恥ずかしいことも言いつつシャキッとしろと励ましてくれた。

 良いチームリーダーだよホント。天然なところもあるが、それも個性。愛嬌のうちってことで納得してやるよ。

 やるべきことはわかった。気持ちも前を向いた。

 そんな意味も込めて立ち上がったオレに合わせてジャンヌも立ち上がるが、話すこと自体はもう終わったはずなのに尚もオレと向き合う体勢で何か言いたげにするため、今日あんなに恥ずかしいことしておいて今さら何を言いあぐねてるんだこいつは。

 

「今、言うまいと迷ってることは今日のデート以上に恥ずかしいことなのか?」

 

「くっ……そうくるか。迷った時点で失敗だった。ここはサラッとさりげなく言って終わる場面なのに……」

 

「反省会はいいから話せよ。お願いなら今日の件もあるし出来る限りは聞いてやるから」

 

「いや、何かを要求したいわけではない。ただ、今日のデートは目的があったとはいえ、私とお前の間でその……信頼関係というか友好関係というか……チームワーク的なものを育んだことにはなるだろう?」

 

「まぁそれは一理あるが、それが何だ?」

 

「だから、これからはお前のことを名前で呼んでもいいか? 深い意味はないぞ? チームとして特別な男だからという意味で、理子のようなあれではない!」

 

 何を言うかと思えば、オレのことを名前で呼ぶ許可をもらいたかっただけみたいで、そこに大した意味はないとあれこれ言うジャンヌの必死さにちょっと笑いつつ、そういうことを言ってくれるまでに信頼されたんだなと感慨に浸る。

 始めは鼻で笑って利用してやるみたいなこと言われたしな。

 

「そんな色々言わなくてもわかったから。名前で呼ぶのは好きにしろ。オレは蔑称とかじゃなきゃ基本的に呼び方に拘りはない」

 

「ん、そうか。ならば名前で呼ばせてもらう。あと、今日のデートの件はお前から理子に話す時に説明してくれ。私からではおそらく信じてはもらえないし、話のきっかけにもなるはずだしな。拡散してしまってる情報に関しては私の方で処理しておく」

 

 若干テンパり気味だったジャンヌも、オレからの許可をもらってからは努めて冷静になり、どうやら見送りもここまででいいような流れから誤解を解くのをオレに一任してくる。

 確かにデートをしていた本人から説明されても信用はないだろうが、ヤバい案件を預けられた。

 下手するとジャンヌと理子の仲を引き裂きかねないから、ちゃんと説明しよう。

 

「それから最後に、今後またデートする機会があったなら、今度は100点を取ってくれ。少しくらいは期待している。それではまた明日な、京夜」

 

「お、おう……」

 

 重大案件を任されて微妙な表情になっていたオレに、その気があるのかないのかよくわからない言葉で締めたジャンヌは、今日一番の期待の笑みを浮かべて後ろに向き直って、女子寮の方向へと歩き始めるが、その足取りはちょっとだけ上機嫌の乗ったリズムを刻んでいた。

 こ、今度は資金面で余裕を持たないとな。

 それからジャンヌに名前で呼ばれるのはなんか、恥ずかしかった。何れは慣れるだろうが、しばらくは痒くなりそうだ。

 そんな最後まで調子を狂わせてきたジャンヌの背中を見送ってから、オレもそのあと身を翻して男子寮へと戻ってその日は床に就いたのだった。

 翌日。

 とにかく話をする。強引にでも直接面と向かって話すと、そう決めて登校していって教室に入るが、いつも誰かしらとバカみたいにベラベラ話してる理子の姿がなく、珍しいこともあるもんだと思って席に座って待っていたら、別に頼んでもいないのにニコニコ笑顔で近寄ってきた不知火と武藤に嫌な印象を受け帰りたくなる。

 こいつらが2人で近付いてくると大抵変な話題が来るからな。

 

「よう猿飛。昨日お前、ジャンヌとラブラブデートしてたって?」

 

「猿飛君もなんだかんだですることはしてるってことだよね。同じチームだし仲が良いのはいいけど、他の男子も女子も頭を悩ませるカップリングだから闇討ちには気を付けなよ」

 

 ……火消しできてねーじゃねーかジャンヌのバカ野郎が!

 オレの前と隣の席を陣取ってニコニコしてる2人が真偽のほどを尋ねる待ちの表情なのを察しつつも、下手に話すと面倒臭いことになると思ったので適当に合わせてあしらうことにした。

 

「オレが誰と何しようが文句言う権利は誰にもないだろ。それに闇討ちとかされるようならオレは今ここにいない」

 

「ちげーねー。でもよ、理子のやつはいいのか?」

 

「だね。僕から見てもだいぶ猿飛君に入れ込んでたみたいだし、先週末くらいからほとんど絡んでないよね。喧嘩でもしたのかなと思ったけど、ジャンヌさんとそういうことになってたなら納得かも」

 

「お前らは人の事情に首を突っ込みすぎだ。こっちもこっちで考えてんだから横から口を挟むな。はい、この話終わり。散れ」

 

 まぁ話に乗ればなんとなく理子のことに触れてくる気がしてたので、そう来たら終わりにすると決めて付き合ったら速攻で終わったな。

 オレが少し黒いものを出してることを敏感に察した2人もそれなりの付き合いから退散が早く、それぞれ違うやつと絡んでいってしまった。

 そうして耳が早い2人をあしらったのとほぼ入れ替わりで今度は教室に入ってきたアリアが挨拶も適当に絡んできて、こっちは不知火と武藤よりも興味なさげな感じで同じ話題を振ってくる。

 他人事だからアリアも平静だな。キンジが絡むと途端に慌てるけど。

 

「ジャンヌとどこに行こうとアリアには関係ないだろ」

 

「そうね。でも理子が面倒臭いのよね。先週からあんたの話をすると急にテンション下がったり怒り出したり。昨日だって夜中に急に『特秘任務(トクヒ)で消えるから』とか投げやり気味に電話してきたから、絶対あんた絡みだって思って調べたら案の定よ。理子のご機嫌取りはあんたの方が慣れてるんだから、あたしに何か飛んでくる前に何とかしなさい」

 

「あいつ、学校に来ないのかよ……」

 

「たぶん修学旅行Ⅱまでには戻ってくるだろうけど、メールでも電話でも手段はあるんだから頼むわよ」

 

 それだけ言って用事があったのか教室を出ていったアリア。

 だがその言葉によれば理子はいつ帰ってくるかわからない。

 特秘任務なんてのも本当かどうか怪しいが、ジャンヌさんや。これは話をするどころじゃなくなってませんかね。

 どうやらジャンヌとのデートは理子にとって破壊力がありすぎたようで、それから全く姿を見せなかった理子に一応メールで話がしたいと送り、電話もコールはしてみたが全然反応なしのままその週が終わってしまう。

 その間にジャンヌとの関係は情報操作によってなんとかなったが、いよいよ修学旅行Ⅱの期間が明日に迫って、理子のことは本当にどうしようかと頭を悩ませていたら、急に幸姉から連絡が入ってそれに応じると、開口一番にテヘペロッとか声に出してきた幸姉にアホ臭さと同時に嫌な予感がしてしまう。

 

『ごめーん。ダメだったから招集させてください』

 

「…………どこに行くことになるんだよ」

 

『そりゃもう、すぐにでも飛んで来れるところよ。そこは……』

 

 案の定、ちょっと忘れかけてたが事前に言われてた案件がうまくいかなかったらしく、オレが駆り出されることになったのだが、行き先を尋ねればこれがまた何の因果かオレがいま

一番行きたかったかもしれない場所だった。

 

『香港でーっす!』



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Bullet89

 

「マジですんません」

 

 12月22日。火曜日。

 成田空港に来ていたオレは、そこでもうすぐ修学旅行Ⅱの行き先としてシンガポールへと旅立つジャンヌに頭を下げていた。

 事前に話はしていたとはいえ、幸姉からのあのふざけてるのか真面目なのかテヘペロッ、な招集を受けたために急遽オレの行き先はシンガポールではなく現在進行形で幸姉がいるらしい香港となっていた。

 

「……正直に言ってやろうか。私は京夜、お前に対しては何も怒っていない。むしろこんなタイミングでお前を借り出してきた真田幸音に腹を立てている。せっかく向こうでお前をこき使……付き人にして優雅な旅行にしようと思っていたのに、あの変人め……」

 

 なんともお優しいジャンヌ様はオレに頭を上げさせてから、やっぱりそんなに優しくはなかった心中を吐露して拳を握るものの、怒りの矛先をどこへ向ければいいやらでわなわなしていたが、スッと切り替えるように冷静になるといつも通りの様子でオレに話をする。

 

「まぁ人生にトラブルは付き物だ。幸い行き先は香港。まだ理子と話せていないお前にとっては直接会えるチャンスかもしれないのだから、隙あらば真田幸音のところから抜け出してそちらを優先しろ。こちらはお前の分まで楽しんでくる」

 

 別にトラブルではないのだが、そこはまぁ放置でいいとしても確かにジャンヌの言うようにチャンスではあるんだ。

 広い香港で1人の人間を見つけるなんて芸当はほぼ不可能ではあるが、可能性があるだけマシだ。

 オレが香港に行くことはバスカービル連中にはまだ伝えてないし、朝早くに乗り込んでいったあいつらに知らせるかは幸姉のところに着いてから考える。

 もしかしたらすぐに終わってシンガポールへ飛ばされるかもしれないしな。

 などなど考えていたオレの肩をポンと叩いたジャンヌは最後にお土産は何がいいかとかこっちの事情を知ってるはずなのに呑気なことを抜かしたので『マーライオンでも持ってきてみろ』と暗に土産なんていらんと言ってやると、真面目な天然さんはゲートに向けて歩いていく時にどうやって持ってくるかとか本気で思考していたので冷や汗が出る。

 まさか本当に持ってこないよな……

 そんないつも通りのジャンヌを見送ってから、オレもフライトの時間が迫っていたので急ぎ足で飛行機へと乗り込むと、実は2度目となる香港へ向けて出発。

 最初の時は京都武偵高の修学旅行Ⅱで愛菜さんと千雨さんと雅さんがフードファイトして大食漢2人ほど食い倒してたっけな。

 腹パンパンになって動けなくなってホテルまで幸姉と早紀さんとでおぶる羽目になったのは懐かしいな。

 香港には片道4時間半ほどで到着し、道中は面倒なことが起きる前に寝ておこうと着陸の直前まで寝ていたから気がついたら着いてたという体感だが、香港国際空港に降り立ってから時間を見れば昼前に出発してもう15時を回っているのでそうなんだなくらいの実感を沸かせてから迎えに来るとか言っていた幸姉を探してみると、おい。

 なんか『向香港觀迎、猴子飛京夜晚(香港へようこそ、猿飛京夜)』といったプラカードを持つ誠夜と誰か知らんが民族衣装風の3つ編みの男が隣にいるんだが。

 日本人のオレに対して中国語のプラカードは意味わからん。嫌がらせか。幸姉に半ば強引に教わった知識だけで読めるが、試されてるのか? そうなのか?

 全く意図の読めないプラカードはとりあえず無視して誠夜に近付いて軽く挨拶したのだが、それが終わるなりいきなり跪いて頭を下げてきた誠夜は、こっちが何でここに呼ばれたのかもまだ知らないのに謝罪を始めてしまう。

 

「申し訳ない、兄者。自分の至らぬばかりに、お忙しい中お呼びすることになったこと、ここに謝罪します」

 

「……いいから行くぞ。お前のせいかどうかもオレは知らんし、そうさせたのは幸姉だろ。謝罪よりもこれからのことを考えろ。幸姉の従者が簡単に頭を下げるな。主の格も下がる」

 

「さ、さすがは兄者……やはり兄者は幸音様の一番の信頼を得られるだけのものを持っておられる」

 

 こいつは本当に絡みづらいな。

 古風なノリが苦手なオレはあまり会話にならないように誠夜を立たせてさっさと移動しようとしたが、何に感動したのか目を輝かせる誠夜はオレを尊敬するようなことを言いつつ言うことを聞いて移動を始めるが、我が弟ながら非常に面倒な育ち方をした。どこで接し方を間違えたのか。

 そうして誠夜と漫才みたいなことをしていたら、一緒についてきた3つ編みの男がズカズカと前を歩いて空港を出ると、停めてあった車の運転席へと乗り込み、誠夜が後部座席のドアを開けてオレに乗るように誘導。

 あー、運転手だったのね。それにしたって何か言ってほしかったが。日本語話せないのか? 外見年齢なら二十歳は越えてそうだが。

 そんな疑問がありつつも車へと乗ったオレと誠夜は、男の運転する車で出発してヴィクトリア湾を挟んで浮かぶ香港島を横目に半島状の九龍(ガウロン)へと入り、東京以上に密集したビル群を縫うように進んでとある中華料理店の前で停まると、誠夜が先に降りてドアを開けてオレを降ろし、車は駐車場にでも停めに行くのかゆっくりと角を曲がって消えていってしまう。

 着いた中華料理店は見た感じでもう本格中華を扱う高級店っぽい雰囲気を周囲に放っていて、歩を進めつつ誠夜に聞けば予約を取るだけでもだいぶあれな感じになるとか。

 幸姉はここにいるのかよ。別の意味で緊張してきたぞ。

 

「やっほー! 遠路はるばるご苦労っ」

 

 緊張してきたが、店の案内でこの店の一番高価な個室を貸し切ってる人物が待ってる部屋の前まで行ったら、オープンスペースに備えられたソファーでビシッとした黒スーツを着て髪もジャンヌのように後ろで結わえ優雅に足を組んでる幸姉が呑気に挨拶してきたから緊張がどっかに吹き飛んだ。

 これが修学旅行Ⅱを放棄して来たオレに対する態度なのだろうか。

 

「今からシンガポールに行きたいんだけど、チケットの手配はしてくれるんだよな」

 

「いま来たばっかりでなに言っちゃってるのよ。京夜は冗談も上手くなっちゃったのね」

 

「国際便を確認しておいて良かった。確か2時間後くらいにちょうど良いフライトがあったはず……」

 

「ちょ、ちょっと待って京夜さん! 余裕かましたけど冗談だからね! もう本当に余裕なくて泣く寸前だったんだから!」

 

 そのふてぶてしい態度には幸姉とはいえイラッとしたので本気でUターンしたら、慌ててソファーから立ち上がって本音をポロリ。

 頼むから最初からそういう態度でいてくれ。ここだけ見たら残念美人だぞホント……

 ただの見栄っ張りを披露していた幸姉が素直になったところで改めて今回オレが呼び出された経緯について説明を求めると、幸姉はなんとも微妙な表情をしながらにどう切り出したものかと迷っていたが、とりあえずの出だしとして質問から飛び出す。それはおかしい。

 

「あのさ、京夜。京夜は自分に許嫁がいるって言われたことある?」

 

「あるわけないだろ。そんなことあったら幸姉に告白とかしてないし、今だって悩んでない」

 

「ん? なんか女性関係で問題でも?」

 

「……それはいいから話を進めてくれ」

 

「んーと、だからその許嫁があの部屋の中にいます」

 

 ………………はぁ?

 いきなり意味わからない質問から思わずポロッと現状が漏れるも適当に流して話を進めれば、やっぱり意味わからないことを個室を指しながら言うのでもう本気の本気でそんな顔をしただろうオレに対して、やっぱりそんな反応になるよねとかなんとか言って笑う幸姉。

 何かのドッキリか。ドッキリ成功の看板は誰が持ってる?

 

「実はお父様達に確認したんだけどね。15年くらい前にあの部屋の子の親と仕事で意気投合して、それで同い年の息子と娘がいるって話題になって、その場の口約束で将来その子達を結婚させてみようかなんて話があったんだって。まぁ当時は酒も入っていたから話半分の冗談で後日、正式に何かあれば進めるみたいなことだったんだけど、結局それもなかったからお流れになったって言ってはいたんだけど。そりゃ京夜もまだ2歳だし、お父様だって本気とは思わないだろうけど、その辺はきっちりしてほしかったわ」

 

「……許嫁の件はつまり、向こうさんはずっとオレとその子の結婚は約束されたものとしていたけど、こっちはそうではなかった。だからオレも知らなかった。そういう話か」

 

「そういうこと。それで今回、仕事の話でこうして会う機会ができて、実際に話もしたんだけど、向こうが許嫁の話を引っ張り出してきてどうしたものかと悩んで、仕方ないから誠夜を影武者に会わせてみたら顔を合わせた瞬間に見破られて、私がバッシングを受けて仕事どころじゃなくなりましたとさ」

 

 ずいぶん軽い感じで今に至る経緯を話した幸姉は、どうやら自分の首を絞めることをしたようで、誠夜も改めてオレに頭を下げるがそういうことか。

 だがそれは単に仕事の会合が修学旅行Ⅱと被っていたから気を利かせてオレを使わずに事なきを得ようとした結果。

 おそらく修学旅行Ⅱさえなければ容赦なく呼び出されていただろうが、その辺で変な気遣いをする幸姉を素直に怒れないオレもオレだな。

 

「それでオレにその向こうさんのご機嫌取りをしてほしいわけだ。こっちに許嫁の話がされてないことは?」

 

「それは一応説明したんだけど、ほら、向こうの子はその約束を純粋に信じてきたわけだし、そこに『この話はなかったことに』とか可哀想とか以前に無責任でしょ」

 

 要するにオレはその子のご機嫌取りをする役目なのだと流れでわかるが、そこから先でオレはその子をどうすればいいのか悩む。

 突然聞かされたことだからと断るのでは幸姉の言うように無責任になるし、その気もないのにのらりくらりとやり過ごせる問題でもない。

 

「……とにかく会って話をする。解決の方法はそれから練ろう」

 

「オッケー。あとその前にこれから会う人は『そっちの案件』に関わってるけど、この席ではその話は基本なしね」

 

 とはいえここでああだこうだ話していても埒が明かないので、待ってるというその子に会おうと言うと、何やら不穏な前置きをしてから部屋の扉に手をかけた幸姉。

 こっちの案件……あれしかないんだが……

 直前になってそんなことを告げてきた幸姉に無理矢理心の準備を強いられたオレは、開けられた扉の先に円卓があるのを確認し、その奥に2人の人物が腰を下ろしているのが見え、その内の1人がもうあれだ。

 キンジ達より先に接触してしまったが、先日も会った諸葛静幻。香港藍幇のおそらくは上役だ。

 オレを見るなりニコニコ笑顔を向けてくるが、何がそんなに面白いんだか。

 しかしそんな諸葛は今回はおまけ。本命はその隣でオレをガッツリ見てくる煌びやかなチャイナ服を着たオレと同い年だというセミロングの茶髪の女。

 柔らかい物腰の諸葛とは違ってどこかビシッとした部分のありそうな美人の部類に入るその女は、見るからにデキる女のイメージがついてくる。

 が、オレに会えたからか感極まって立ち上がりパタパタという足音が似合いそうな女の子走りで近寄ってこようとしたその子は途中でコケッ。

 何もないところでつまずいて転び、受け身も取らずに顔から床に倒れてしまう。

 ど、どんくさいぞこの子……今のだけで中空知級の運動音痴なのがわかった。

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

 そういった見てて危なっかしい子は放っておけないのでオレから近寄って目の前でしゃがんで起こそうとすると、鼻を押さえながらに顔を上げたその子は、オレの顔が近かったからか一気にその顔を真っ赤に染め上げてボンッ!

 どこから出たのかそんな音を出して固まってしまい、それには幸姉も諸葛も結構マジな笑いをしていた。これどうすんだよ……

 

打算到什麼時候那樣在(いつまでそうしてるつもりだ)?」

 

 そこに、中国語でこの子に話しかけてきた男がいて、そいつは先ほどオレ達をここまで運んできた男で、オレ達が入ってきた扉とは別のところから現れてスタスタとこの子が座っていた位置の奥に移動して直立不動の構え。

 ボディーガードみたいなやつっぽいが、口ぶりからして敬意みたいなものはあんまり感じない。むしろ無用な気遣いをしていない友人関係に近いものを感じる。

 ともあれ、その男の掛け声で我に返ったこの子は1度目をつむって深呼吸をしてから落ち着いた表情になるが、まだ顔は赤い。

 それでも自分で立ち上がってから日本人っぽいお辞儀から自己紹介をしてくれる。

 

「はじめまして、猿飛京夜様。私は劉蘭(りゅうらん)。上海藍幇で中将の位をいただいております。つたない日本語ですが、ご容赦ください」

 

「上海? それに中将って……どのくらいの位置なんだ?」

 

「はい、私のホームでは幸音様にいらぬプレッシャーを与えるかと思いましたし、丁度あそこにいる静幻にも所用がありましたから、香港での会合とさせていただきました。上海藍幇の人間は私とあの付き人、趙煬(ちょうよう)のみになります。序列では一応、藍幇全体で10本の指に入るくらいでしょうか」

 

 意外なほどに流暢な日本語を話す劉蘭は、どうやら藍幇でも最上位に近い地位にいる人物のようで、この歳ではおそらく異例中の異例だろうことは直感的に悟りつつ、立ち話もなんだからと円卓に着かされるが、その位置関係は正面に劉蘭と趙煬。左に幸姉と後ろに誠夜が控え、右に諸葛と壮観。オレだけ場違いじゃなかろうか。

 

「先日はどうも失礼をしました、猿飛さん」

 

「今日は孫悟空はいないのか? あれだけの抑止力はないだろうに」

 

 席に着いて早々、ようやく話ができるといった感じで口を開いた諸葛に、他に姿の見えない香港藍幇のメンバーを探るものの、こいつの表情はなかなか読めないので薄い笑顔のまま会話に応じられる。

 

「いえいえ、孫を私などが自由に扱うなど。今はココ達に一任しています」

 

「達ってことは、もう釈放されてこっちに戻ってるのか」

 

「はい。狙姐もあなたに会いたがっていましたよ。『キョーヤ、今度こそ婿にするネ』とね」

 

 そんな会話でもわかることはあるが、あえて教えてくれてる感があって面白くない。

 それに狙姐も一途な方なのか、拘置所にぶち込んだオレをまだ狙ってるらしい。

 

閒聊即使到那裡(世間話はそこまでにしろ)

 

 諸葛の狙姐の声真似に苦笑していたら、劉蘭の後ろに控えていた趙煬が威圧するような口調でそう言うと、諸葛もおやおやみたいな感じで口を閉じてしまい、オレもとりあえずは口を閉じるが、お前が何を言ってるかは理解してるからな。

 そんな視線を向けてやってから正面の劉蘭が改めて口を開く。

 

「趙煬がすみません。何を言ったかはわからないでしょうが、悪気があったわけではないことをご理解ください」

 

「劉蘭、京夜なら私が中国語をある程度教えたから、今のも理解してるわよ」

 

「おや、猿飛さんは意外と勉学に勤しむタイプなのですね」

 

「まぁ! まぁまぁ! それは嬉しいです! 私も将来、京夜様がお困りにならないように日本語を覚えましたから、その京夜様が私の国の言葉を学んでいたことはとても感動です!」

 

 文脈の微妙な感じはあるがオレが中国語を理解していることが相当嬉しかったのか花が咲いたような笑顔で喜ぶ劉蘭はパチパチとオレに拍手を送ってから1度落ち着き、ちょうど入れる予定だったのか料理を招いて円卓にずらっと豪勢な料理が並び、中国特有の回転式のテーブルが一気に映える。映画にもよく見る光景になったな。

 

「ここは香港ですが、私の故郷である上海の味付けをメインにした料理を揃えましたので、お口に合えば良いのですが」

 

 こういう席では誰が先に口をつけるべきかはよくわからないが、そうして説明を加えた劉蘭も幸姉も諸葛すらオレを見るので、仕方なくオレが最初に料理に手をつけ口に運び吟味。感想までがセットっぽいので一応空気は読んでおく。

 

「美味しいよ。中華の良さがよくわかる」

 

 当たり障りない感想になったが、実際そんなもんしか出てこないから仕方ない。それでもオレが喜んだからか劉蘭も嬉しそうにしてから幸姉と諸葛にも食べるように勧めると、2人も少しだけ料理に口をつけて場も整ったところで、ようやく話が本題に入る。

 

「さてと、劉蘭。これであなたの願いは叶えたわ。誠夜の件はこれで無しにしてもらえる?」

 

「元々私は怒ってなどいなかったのですが、趙煬や物騒な人達がそれでは藍幇がナメられると。京夜様もすみませんでした。聞けば学業の方で修学旅行があったのに、わざわざこちらまで来てくださって」

 

「いや、それはいいんだが、オレと劉蘭が許嫁って話は……」

 

「そちらも申し訳ありませんでした。親が勝手に取り決めた約束とはいえ、双方に入れ違いがあったようで。ですが身勝手な話ではありますが、私はその約束をずっと信じて今日まで生きてきました故、ただの1度もお会いできぬままこの気持ちを終わらせることができませんでした。京夜様にとっては見ず知らずの女ではありますが、もしもお会いすることで京夜様のお気に召すようなことがあればと、そんな気持ちもありまして、その……」

 

「……そもそも幸姉とはどんな案件で会合を?」

 

「それはあれよ。先日の件も含めてのこれからの外交について。藍幇は中国でも最大規模の組織よ。そこと平和的に外交できれば日本にヤバイもの持ち込もうって組織の抑止にもなるし、全うに稼げればそれで本来は問題ないわけだし」

 

「先日の一件は上海藍幇の意向をココが独断で進めた結果でして、もう引っ込みがつかなくなったので仕方ないからそちらを利用して侵攻してみましたが、痛み分けのような結果になりましたね」

 

 もう色んな話が一気に情報として入ってくるが、順に片付けようか。

 まず諸葛達香港藍幇が鏡高組と繋がったのは第4のココの独断で引っ込みがつかなくなって、ついでに極東戦役で攻め込んですぐに戻ったと。

 それから幸姉と劉蘭の外交関係の会合が組まれてて、そこにオレが来ると期待してた劉蘭と修学旅行Ⅱのあるオレに気を遣った幸姉が余計なことして話がこじれた。

 それで劉蘭の意思は関係なくオレが来なきゃ会合の話し合いも進めないみたいな話になって今に至ると。

 …………面倒臭いなおい。

 しかしだ。上海藍幇の意向でココが動いたなら、先の件は劉蘭側が命じたことになるよな。

 なのに何で平和的な外交とかの話になってる? その辺がなんかしっくり来ない。

 

「とりあえず幸姉が悪いってことはわかった」

 

「うわっ、私が全部悪いみたいな言い方に納得いかないんだけど」

 

「ふふっ、真田の姫君は愛されてますね」

 

「愛されてるのは否定しないけど、こういう愛の形は素直に喜べないのよ」

 

「仲がよろしいのですね。羨ましいですわ」

 

「昔はもっと素直で良い子だったのに、私の元を離れたばっかりに生意気になっちゃって……」

 

「そのおかげで今のオレがあるわけだけどな」

 

 なんか全員ノリが良い。

 こういうノリが最近理子となかったせいか少なからず楽しいとか思ってしまったが、オレがこの場に来て劉蘭と話をした時点でお役御免っぽいのは察しない方がいいのか。

 そうして勢いに任せてオレの昔話でもしそうな幸姉に、興味津々の劉蘭と諸葛という図を見ながら、オレは早くもこの場から消えたい気分になりかけていた。

 もうシンガポール行くか……



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Bullet90

 辿り着いた香港の地で久しぶりに幸姉と再会したのはいいとして、藍幇の諸葛やらオレの知らぬところで約束されていた許嫁の劉蘭やらとてんこ盛りの出会いが待っていて、正直落ち着いてるのが不思議なくらいだが、世間話もほどほどに和やかな雰囲気から少し真剣さを増した感じを劉蘭が放つと、幸姉も諸葛もすぐに察して黙り、オレも会話に参加してなかったがとりあえず黙っておく。

 

「それでは京夜様が疑問に思ったでしょうことについてお話いたします」

 

 と、劉蘭がまだオレが口にもしていないはずの疑問について話すと言うので首を傾げそうになるが、何かを尋ねようとした雰囲気を感じ取ってそう言ったのか。

 

「京夜様はおそらく、この度の会合と先の銃器類の密輸の問題が矛盾していると、そうお思いになられたはずです」

 

「……まぁ否定はしない」

 

「素直じゃないんだから」

 

「良いのですよ幸音様。武偵というものは心の内を晒さないものなのでしょうから、素直なだけでは他につけ込まれる元です」

 

 まさにズバリな疑問だったが、感心したら諸葛もいるしと平静を装ったものの、幸姉が余計なことを言ってからかい、それすら寛容な劉蘭はいいと言って話を再開。

 この辺が藍幇で評価されてるってところか。御世辞でも戦闘能力が買われてるとは言えないし。

 

「藍幇という組織は巨大です。それだけに古くからの武闘派や近年の政財界に根を持つ社会派や頭脳派。様々な思想と個人の思惑が複雑に入り交じっています。とりわけ上海藍幇というのは攻撃一辺倒な思想が根強く、武闘派も多く集まっています。ここにいる趙煬もその1人です。自慢ではありませんが、この趙煬は武闘派の筆頭で京夜様が知るどのココよりも強いでしょう。申し上げにくいですが、京夜様よりもおそらく……」

 

 強いでしょう。

 そう最後までは言わなかった劉蘭だが、説明を受けながらずっとオレを見ていた趙煬と視線を合わせると、その趙煬はふんっ、と視線を逸らしてしまう。

 まぁだが、単純な強さならそうなんだろうよ。戦力分析ができないほどバカじゃない。

 あいつはまともに戦り合ったらダメな部類。日本で言うところの公安0課相当だ。

 

「そんな武闘派の上海藍幇はどこか時代に取り残されてる。と私は常々思っていました。ですから私は今、上海藍幇を変えようとしているのです。攻めるだけの組織から、他を受け入れて平和的に共存の道を目指す新たな組織へと。その思想をいずれは藍幇全体に。そのために、私は動いています」

 

 つまりは先の一件は劉蘭の思想とは違って上海藍幇の大きな流れの中での決定で、今回の会合はその流れに抗って取りつけたこと。そういうことか。

 

「香港藍幇は私の思想を現実にしている集団の1つ。昔は武闘派でしたが、静幻にここを統治させたのは私の意思です。逆に生温いと武闘派のココを差し向けたのが私をよく思わない派閥です」

 

「劉蘭お嬢様には大きな恩がありましてね。ご先祖様もそうですが、劉蘭お嬢様には人を惹き付ける魅力があります。私も趙煬も、それに惹かれた者だということです。まぁ、私や趙煬が劉蘭お嬢様に従うのは運命だったのでしょうがね」

 

「ここにいる3人とも、ご先祖様が蜀の名将なのよ。名前でなんとなく察せるでしょうから説明は省くけどね」

 

 なるほどな。劉蘭が立派にやってることはよくわかった。諸葛も趙煬もそんな劉蘭に賛同している人物なのも理解した。

 そして諸葛と幸姉の言ったことも納得だ。

 よくよく名前を確認すれば、劉蘭はおそらく蜀の大将。劉備玄徳が祖先で、諸葛は言わずもがな諸葛亮公明。趙煬は、槍の名手と謳われた趙雲子龍がそうだろうな。あとは関羽と張飛がいたら豪華なメンバーになってたな。

 

「話はわかった。だが、いっぱしの武偵であるオレにその話をしたからってどうこうなる話でもないだろ。邪魔ならここから追い出して本来の話をすれば良かっただけだ。それで機嫌を悪くするほどオレは人間できてないつもりはないが」

 

「京夜様が寛大でお優しいことは理解していますが、これだけは知ってもらいたかったのです。藍幇が決して悪事を働くだけの組織ではないことを。そして、私という人間を知ってもらいたかった。そのために京夜様にお話をいたしました」

 

 そうした話をわざわざした劉蘭が、オレの機嫌をどうこうという次元で説明していたわけではないことはわかっていたが、もしかしたら劉蘭が自分の懐にオレを入れようとしているのではないか。

 という可能性も捨てきれなかったので意地悪な言い方をしたが、全く迷うことなく言い切った劉蘭に嘘はない。

 断言できる。この子は本心でオレに理解してもらおうとしただけ。同時にその腹の内を幸姉にも見せたことになる。

 

「ですが、一緒の席に座られるのもここまでになります。ここからは本当にビジネスのお話をいたしますので、京夜様には席を外していただくことになりますが、静幻が取り計らってくれています。大丈夫ですね、静幻」

 

「はい。会合が終わるまでは退屈しないでしょう。ああ、先に言っておきますが、女性をはべらせてお楽しみ、みたいなことはありませんので。そのような歓迎をすれば劉蘭お嬢様が本気で怒ってしまいますからね」

 

 とはいえ、本来ならいるべきではないオレはここで退席のようで、申し訳なさそうにする劉蘭には気にするなと言っておいたが、一緒に席を立った諸葛の怪しさは拭えない。

 なんだかんだで今、藍幇は眷属。敵対勢力であることは変わらないからな。

 

「ああ、忘れないうちにこれをお返ししておきますね」

 

 と、警戒しながら部屋の外に出た矢先で懐から小さな小箱を取り出してオレに手渡してくるので、警戒しながらそれを受け取り中を確認すると、アリアの緋緋色金を封じる殻金だ。どういうつもりだこいつ。

 

「そちらの解析はもう終わりましたので、我々が持ち続けてあなた方からずっと狙われるのは本望ではありませんからね。ただ1つ、お頼みしたいことがありまして、それの返却に当たって、現在香港で確認されてる師団の皆様と話し合いの場を設けてはいただけませんか。私としては争いはなるべくならば避けて通りたいのです」

 

 柔らかい物腰でオレにそうした要求をしてきた諸葛。

 どうやらすでにキンジ達の存在は知られているようだが、目的は果たせてるか。

 キンジ達は藍幇に仕掛けさせるために香港をウロウロしてるはずだからな。

 殻金を受け取ってしまった以上、要求に応えないわけにはいかない。

 と思うかもしれないが、元々アリアの物を取り返したに過ぎないわけで、無条件の返却は当然とも取れる。

 それに何より諸葛が本心を語ってるのはわかるのだが、

 

「それは、香港藍幇の総意か? お前1人の判断でそういった席を設けようってことなら、応じてはやれない」

 

「うーん、ですよねぇ。ですが、その殻金は少しいじってしまったのでアリアさんの体に戻すだけでもそれなりの手順を踏まねばならないでしょうから、私達との問題は迅速に解決して帰るべきとは思いませんか。それがそちらに戻ったからといって、藍幇との敵対関係は変わらないわけですしね」

 

「……オレは今回、こっちのことには頭数で入ってない。伝えるだけならいいが、決定権は向こうにあるぞ」

 

「それで構いません。こちらにその意思があるということを理解してもらえるだけでも様相は変わってくるでしょうからね。さて、私はあの会合に戻らねばなりませんから、猿飛さんはご自由にどうぞ」

 

 話しながら要求の方は伝えるだけでも構わないという妥協にまで持っていけた。

 諸葛もあわよくば程度で考えていたのかあっさりと退いたし、やはり諸葛個人の意思であったわけだ。

 いくら香港藍幇のトップとはいえ、下の意見を押さえ込むような抑圧的な人間でもなさそうだし、そんな集団を劉蘭が支持しているわけもない。

 そんなわけで店内の別の個室へと案内されたオレは、その扉の前で入るように促して自分は戻ると言ってさっさと行ってしまった諸葛を見送りつつ、何が待ってるのかわからないその扉をゆっくりと開けて中へと入ると、室内は先ほどよりひと回りほど小さかったが、基本的には同じ造りで中央には果物が大量に置かれた円卓。

 その果物の奥に何やら食事中の人物がいて、ゆっくりと見える位置まで移動してみると、

 

「こ、猴!?」

 

「……あい?」

 

 低身長で地面に付くほどの長い黒髪に名古屋武偵女子高のカットオフ・セーラーを着た猴。孫悟空が、クリックリな丸い目をこちらに向けながら両手にバナナを持って、今まさにバナナを食べようとした形で硬直していた。

 なんか、過去の2回から受ける印象が全く違うのだが、諸葛のやつ、孫悟空はいないとか言っといてこれか!

 

「あ、あなたは孫の如意棒を『避けてくれた』!」

 

「あ? 撃ったのはお前だろ。避けてくれたってのはどういう……っていうか、なんか……」

 

「ひいいぃぃいい! あの時は猴も頑張って孫を抑えたです! それでも如意棒を止められなくて死んだと思ったです! ですがあなたは生きててそれで……」

 

 思いもしなかった人物? に少し動揺して身構えたオレだったが、何故か意味不明なことを言って椅子から飛び退いてビビりまくりの姿を見たら、なんか冷静になれた。

 それで改めて諸葛の意図を読めば、オレが死ぬかもしれない状況に放り込んだりはしないはずで、今の猴の発言を察するに、こいつは孫悟空ではない。

 こういった不思議な発言をする人を身近で見てきたからなんとなく察するが、猴と孫悟空は別人格的なものなのかもしれない。

 そういった考えに至ったオレに対して、最初こそ怯えていた猴だったが、腰に巻いていた尻尾をピンと立てて露骨に見せ何かに反応したような顔でオレをじっと見ると、ひょこひょこと近寄ってきて間近で顔を覗き込んでくるが、スンスン。

 視覚的な観察ではなく臭覚に切り替えた猴はオレの匂いを嗅いでから、だきっ! 突然その体に抱きついてきた。

 

「あ、あいぃい!! 違うです! これは体が勝手に動いてしまったですからして!」

 

 と思ったらすぐに飛び退いてシュパッ!

 バックステップ土下座という妙技を披露した猴は、それ以降頭を上げないのでオレも困ってしまうが、今の行動には心当たりがあるのでとりあえず話をしようか。

 

「別に怒ってないから座れ。あとオレはどうやら動物系統には好かれる匂いをしてるらしいから、今のも不思議に思ってない」

 

「あい……」

 

 なるべく怖がらせないように言ったつもりだが、まだどこか警戒というか顔色をうかがうような猴はゆっくりと元いた席に戻って座り、オレも話がしやすいように猴の隣に椅子を移動させて座ると、やはり匂いが気になるのか落ち着かない感じでそわそわするので、バナナを手渡しつつ匂いから注目を遠ざけておく。

 

「猴は……孫悟空とは別人ってことなのか?」

 

「あい。簡単に説明すると、昔々の皇帝が、自らが神になる実験として猴の中に孫を入れたです。ですが孫は本来、猴にだけ出し入れできるが良かったですが、外部からも出し入れできることがわかったです」

 

「つまり実験は失敗したわけか。そしてその外部からの切り替えを藍幇ができると」

 

 まずは確認として猴と孫の関係についてを尋ねれば、素直なのかペラペラと秘密を話した猴は、続けた質問にバナナを食べながら首を縦に振る。

 緊張感が一気になくなった。この方が気は楽だが。

 

「そういえばまだ名前、知らないです」

 

「おっと、悪い。オレは猿飛京夜っていうんだ。よろしくな」

 

「猿、ですか。猴と同じですね」

 

「だからってオレが猿なわけじゃないぞ」

 

 もきゅもきゅバナナを食べる猴がなんか愛らしいからボケッと見てたら、まだ名乗ってもいなかったことを指摘されて自己紹介。

 変な共通点を見つけた猴に思わずツッコんでしまい、それには猴も笑ってくれる。ちょっとは気を許してくれたか。

 

「それで、猴はどうしてここに?」

 

「諸葛に呼ばれてここにいるように言われました。そしたら京夜が来たです」

 

「だろうな。目的を知ってたらオレに驚くこともなかったし。一応説明しておくと、オレを暇潰しさせるために呼ばれたっぽいぞ」

 

「暇潰しですか……こ、猴はそこまで芸達者ではないですが! 精一杯楽しませてみるです!」

 

「ん、別にそういうのはいいよ」

 

 自己紹介してすぐに名前で呼ばれたことにはちょっと驚くが、ここに呼ばれた理由も聞かされてなかったと言う猴は慌てて大道芸でもやろうとバナナを持ったまま立ち上がるが、無理してそうなのでやめさせるとバナナをマラカス扱いにしてダンスでもしそうな珍妙なポーズで止まった猴は、恥ずかしそうに椅子に戻って今度は桃にかじりつく。

 

「では何をするですか? 猴はお話もそんなに上手ないです」

 

「オレも話は得意じゃない。とはいえ気まずい沈黙も嫌だ。となるとやれることは……」

 

 だがそうなると時間を潰すことが難しいので、猴も困り顔になってしまい、オレもどうしたものかと視線をさ迷わせていると、部屋の片隅に3人掛けくらいの大きさのソファーが配置されていたのを見つけて、

 

「……寝るか」

 

「あい?」

 

 何気なくそう言えば、リンゴに手を出した猴も何度目かのあいで応える。

 疑問系の応答のままだが、客人扱いであるオレがバナナとリンゴだけ持ってソファーに移動すると、同じように手に持てるだけの果物を持ってちょこちょこついてきた猴は、バナナとリンゴを端に置いて真ん中辺りでリラックスして座ったオレに合わせてすぐ隣で足を投げ出して座り、反対の端に果物を置く。

 正直飛行機で寝てたので全然眠くないが、猴が寝てくれれば気まずい沈黙もなくなって思考の方を別のことに向けられる。

 そんな考えでとりあえず眠そうに背もたれに腕を乗っけて頭を投げ出して天井を見ていたら、急に太ももに程よい重さが乗っかってきて下を見れば、猴がオレで膝枕をしてリラックスしていた。

 やっぱり匂い的なものが自然とそうするのか。猴はたぶん、玉藻様と同じ化生の類いだと思うんだが、元が動物だと化生でもそう変わらないっぽいな。

 それから速攻でぐっすり寝てしまった猴は、自然体ゆえかだいぶだらしない格好で開脚したり、よだれみたいなものも見えていたが、膝枕から落ちないようにだけ気をつけてそのままにしておき、これからのことについて思考を働かせていった。

 それから1時間程度だろうか。

 そのくらいが経った頃に会合を終えた幸姉達が部屋にやって来て、オレと寝ている猴を見るなり三者三様の反応をしてちょっと騒がしくなると、猴も起きて飛び退き、またもバックステップ土下座を披露するのだった。

 そしてその日は劉蘭が予約していた日系のホテルにオレ達も一緒に宿泊させてもらって、それぞれ個室でくつろいでいた。

 オレの部屋からは香港で一番高いというICCビルが見え、こっちもそれなりに高いのだが、向こうはそれでももう20階分ほどは高いな。

 とかなんとかぼんやり考えていたら、部屋に来客があってそれに応じると、ずいぶんと楽な格好になった幸姉だったので招き入れると、我が家同然にベッドにダイブした幸姉は、うつ伏せ状態のままベッドに腰を下ろしたオレと話をする。

 

「今回はごめんね京夜。本当なら今頃ジャンヌ達とキャッキャウフフなんてことやってたかもなのに」

 

「そんなことにはならなかっただろうけど、もう気にしてない」

 

「劉蘭のことも、事前に話しておけば良かったね」

 

「それは……そうだな。突然すぎてどうすればいいかわからなかったし」

 

「許嫁の話はお互いになかったことにはできそうよ。だから劉蘭には悪いけど京夜に対してのアドバンテージはなくなった形ね」

 

 改めて今回のことを謝る幸姉に、なってしまったものは仕方ないと話しすと、会合の後にでも話したのだろう許嫁の件の取り消しを伝えられて、オレもその辺は気になってたからその結果にはちょっとだけホッとしてしまう。

 もし劉蘭が押し通したりして話がこじれたら、オレも話し合いに応じなければならなかったはずだ。

 諸葛の言葉を借りるみたいだが、そんな許嫁の件がなくても、劉蘭とはこれからも良い関係でいたいと素直に思ったし、そう思わせるだけの何かを持ってるのは確かなのだ。

 

「アドバンテージはなくなったけど、それではいおしまいってのは正直どうなのよって話ではあるわよね」

 

「…………何か仕掛けたな……」

 

「イエス! 仮にも10年以上京夜を想ってきた女の子に私は味方する。てなわけで明日、劉蘭とデートしてきなさい。これは命令であり決定事項です。もう劉蘭もその気だから、行かなかったら大変なことになるわよ。下手したら上海から趙煬みたいなのがわらわらと……」

 

「勝手にオレの予定を決めるなよ……ったく、こっちもこっちで大変なのに……」

 

 とはいえ、と劉蘭に対して同性として思うところがあった幸姉はオレの了承なしにデートを決めたらしく、唐突に明日は劉蘭とデートが組まれてしまい、シンガポールに行くのもそれ以降にしなさいと付け足されてしまう。

 明日はこっそりアリアに連絡入れて理子を探そうと思ってたが、早くも断念せざるを得なくなったし、下手したらもっと面倒なことになるかもしれない。

 明日は一切気を抜けないぞ。死ぬ気でやるしかない。

 

「それからさ、この前の問題の答えはわかった?」

 

「あ? ああ…………ああ。そういやそんな問題出されてたっけ」

 

 従者をやめてもオレを振り回す幸姉にはホトホト困ってしまうものの、やってることは納得がいくので文句も言いにくい中で、さらに忘れかけていたことまで引っ張り出してきたから困る困る。

 それが表情に出たからか頬を引っ張られてしまうが、あの日の幸姉がどの幸姉かなんて結構どうでもよかったしな。今日もそんなの気にしてな……

 と、そこでようやくその問題を引っ張り出してきた理由がわかってハッとする。

 仕事だったしとか色々あるが、今日の幸姉もなんだか安定した性格の特徴が見られなかった気がする。

 

「……幸姉、まさか七変化を……」

 

「やっと気付いたか。先月末くらいに無事に解呪に成功いたしまして、元の幸音お姉さんに戻りましたぁ!」

 

 パンパカパーン!

 そんな効果音でも付きそうな万歳で問題の答えを教えた幸姉は、そこからオレに抱きついてきて少し沈黙。

 これにはオレも今日一番で驚くが、後から湧いてきたのは純粋な喜び。

 それを表すように抱きつく幸姉の背中にオレも手を回して抱き締める。

 

「確か解呪にはもう2、3年はかかるはずじゃなかったか?」

 

「そうなんだけど、やっぱりイ・ウーにいた期間は無駄じゃなかったみたいね。十数年単位で超能力を磨いたから、その分が解呪の短縮に繋がったみたいで、伏見様も、京都に来た玉藻様も驚かれてたわ」

 

「……そっか。おめでとう、幸姉。それから、『おかえり』かな」

 

「それはちょっと違うけど……うん。『ただいま』」

 

 色々と問題はあるが、そんなことをひと時だけでも忘れさせるような事実に、少しの間だけ思考を放棄し喜びを分かち合うのだった。



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Bullet91

 12月23日水曜日。

 香港は日本よりも赤道に近いので、この時期でも温かい。

 そのため街行く人々の格好も日本の季節感に合わず涼しそうなものが多く、とてもじゃないがクリスマスイヴが明日に控えてるとは思えない光景が広がる。

 そんな日にオレは、昨夜泊まったホテルの前で幸姉がコーディネートした防弾私服を着てデートの約束をしていた劉蘭を待っていた。

 幸姉が勝手に取りつけたデートではあるが、ずっとオレのことを許嫁だと思ってた劉蘭をないがしろにもできなかったため、一応は両者合意でのデートだが、元の関係が関係なだけに見合いデートみたいな様相が拭いきれなくて待つ間に珍しく緊張していた。劉蘭が美人なのも問題なんだよな。

 CVRみたいに露骨に美人で無意識レベルに警戒できる女なら緊張はしないが、そうした要素も皆無のビジネスウーマン的な普通の女だし。

 

「お、お待たせいたしましたっ!」

 

 せめて年下ならもう少し余裕も持てたのにな。

 とかなんとか現実逃避気味になっていたら、ホテルの方から出てきた劉蘭が隣まで来てガッチガチに緊張した声でガションガション頭を上げ下げするので思わず笑ってしまうが、目の前にいた劉蘭の姿をちゃんと見て途端に釘付けにされる。

 化粧っ気はほとんどないのに、ビックリするほど白く綺麗な肌。

 昨日のチャイナ服とは打って変わって今どき女子みたいな七分袖で襟、ボタン周りに装飾を施した白シャツに薄茶色の太もも丸出しのショートパンツ。白のニーハイソックスに茶色の可愛らしい靴、肩から提げる小さなポーチと、ガラリと変わった印象に言葉を失ってしまった。

 しかもなんか、オレの好みを的確に突くようなコーディネートに裏を感じなくもない。

 ショートパンツとニーハイの絶対領域とか、自然なままの下ろした髪とかな。

 

「ど、どうかなさいましたか? やっぱり私にはこのような格好は似合わないでしょうか? 生まれてこの方、この様なオシャレはしたことがありませんでしたので、変なら着替えてきます!」

 

「いや、似合わないってことはない。むしろ似合いすぎててどうしたものかと考えてた」

 

 オレの様子がおかしいことに気付いた劉蘭は、それが自分の格好が似合ってなかったと勘違いしてホテルに引っ込もうとしたが、それを止めつつ正直に言えば、立ち止まってオレを見た劉蘭は途端にボンッ!

 昨日も見せた小爆発を起こしてフリーズしてしまった。ちょ、趙煬ぉ!

 その後なんとか復活した劉蘭と一緒に移動を開始したオレは、昨日会って話したばかりの劉蘭をほとんど知らないので、歩きながらの会話をするが、まだぎこちなく隣を歩く劉蘭はその姿を見て緊張が取れたオレとは違って余裕がなさそうだったので、簡単な話からしていこうと話題を探す。

 

「その格好、劉蘭がコーディネートしたのか?」

 

「は、はい。実は私がどうしようかと悩んでいたら、幸音様が任せろと言ってくださりまして、お任せしたらこのように。ですから私自身のセンスとかではありません」

 

「あー、なるほど。なんか納得した。道理でオレの弱点を突く格好に仕上がってると思った」

 

「弱点? と申しますとつまり、京夜様のお好みの姿を私がしているということですか?」

 

「そういうことだな。正直ちょっと恥ずかしいが、嬉しくもあるんだ。少しだけ幸姉には感謝だな。あとそれを素直に着た劉蘭にも」

 

 それで今日の服装について尋ねれば、正直な劉蘭は幸姉コーディネートであることを明かすが、それで納得したオレが好みの格好をしていると話し、それがわかった劉蘭はめちゃくちゃ恥ずかしそうにするものの、同時に嬉しそうに笑ってもいた。少しだけ緊張は取れたかな。

 肩の力が抜けた劉蘭と一緒に地下鉄に乗り、九龍から香港島へと渡ったオレ達は、特に行く当てもなく上環(シェンワン)の駅から歩き始めて、一応は来たことのあるオレと土地勘のある劉蘭で観光気分はなかったが、双方がどういった場所に行けばいいかと牽制し合ってしまって、何十分も辺りをウロウロする羽目になって、劉蘭はオレと一緒だからか歩いてるだけでも嬉しそうにしてたが、これでは時間の無駄だと判断したオレは、やっぱり話をする必要はあると思って近くの飯店に入って適当に食べ物を注文して落ち着く。

 

「こういう庶民的な店には?」

 

「京夜様は私が箱入り娘のように見えますか? 今でこそ豪勢な振る舞いをできますが、贅沢をしてきたつもりはありません」

 

「ああ、そういう格好をしてこなかったってのも?」

 

「それもありますが、オシャレをしてまで会いたい人がいなかったという部分が大きいです。物心ついた頃から京夜様のことしか考えてこなかったバカな女でしたから。ああ、お気になさらずに。私が勝手にしていたことですので、同情などは不要です」

 

 話の掴みとしてまず、藍幇でも高い位にいる劉蘭が庶民的な思考を持つのかと質問すれば、少しムッとしてから当然と答えられて、申し訳なく思いながらそういった経緯でオシャレとも縁遠かったのかと思えば、これも半分正解程度でまたもオレのせいっぽかったので、本当に劉蘭にとってオレの存在が大きいことに理解がいく。一途すぎるって……

 

「……そういえば、誠夜がオレの代わりに会った時に速攻でバレたって幸姉が言ってたんだが、何でわかった? あまり嬉しくはないが誠夜はオレとほとんど容姿的に変わらないし、オレと会ったこともないだろ」

 

 一途すぎると言えばと、ふと昨日の幸姉がそんなことを言っていたのを思い出して切り替えるようにそんな質問をしてみる。

 会ったこともない人間にオレと誠夜をすぐに見抜けられるわけもないはずなのだが、質問された劉蘭はちょっとだけモジモジする素振りをしながら、

 

「えっと、笑わないでくださいね。あと、怒らないでくださいね」

 

 と、なんか前置きするのでそんなつもりは微塵もなかったオレがすぐに約束すると、ポーチから定期入れのような物を取り出した劉蘭は、それを開いてオレに見えるように両手で持って胸元で掲げるのでそれを見れば、オレの写真が入っていた。

 しかもおそらくは超最新。オレが先日、鏡高組に乗り込んだ際に単分子振動刀を振り回してた時の寄ったオレ。ちょっと私服なのが見えてるしな。

 

「これは……諸葛か?」

 

「はい。実は10月の始め頃でしょうか。静幻が京夜様にお会いしたと話してくれて、次にお会いする事があったらお写真をと頼んだら、先日いただきまして。これのおかげで誠夜様との微妙な違いがわかりました」

 

 顔を真っ赤にしながら悪いと思ってるのか謝る雰囲気で話した劉蘭だったが、別に怒る要素は全くないだろ。

 会ったこともない許嫁の顔を見たいと思うことの方が自然だ。

 むしろ今までそういったことをしなかったことの方が驚き。真田の家にでも要求すれば写真くらい見れたはずなのに。

 いや、それができてればこんなことにもなってないか。欲がないというか、奥手というかだな。人のこと言えないけど。

 

「写真はいいよ。気にしてない。これからも持ち続けるかはわからないけど、処理する時は燃やすか何かしてくれな。あんまり矢面に立つ人間じゃないからさ」

 

「そんな、京夜様のお写真を燃やすなんて。これは私の一生の宝物です。大事にします。たとえ許嫁の関係が解消されても、私の気持ちが本物だった証なのですから」

 

「……にしても、オレもダメだな。それ、諸葛の隠し撮りだから、そういうことさせないようにしてきたつもりだったのに、自信なくすわホント」

 

「そ、そうなのですか!? てっきり両者合意の上で撮影されたものだとばかり。京夜様の凛々しいお姿を綺麗に収められていましたし、これはそれを引き伸ばしてお顔をアップにしたものでして」

 

 写真についてはもういいかと諦めたのだが、その写真を大事に抱きながらにオレを好き好き大好きみたいなアピールをする劉蘭にどんどんこっちが恥ずかしくなってくる。

 やめてくれホント。オレはそんな好きになってもらえる人間じゃないんだよ。

 

「どうしてそんなにオレに好意を向ける? 今まで顔すら見たことなかった男だろ。許嫁ってだけでそこまで入れ込めた理由はなんなんだ?」

 

 だからオレはつい、劉蘭の気持ちを無視した心ない質問をぶつけてしまったが、写真をしまってから劉蘭はゆっくりとその胸の内を明かした。

 

「……結婚相手がいるというのは、私にとって唯一の自慢だったのです。然したる才のない私でも、将来を約束した方がいる。たとえ名前だけしか知らない方でも、その存在は私にとって大きな、とても大きな原動力となりました。日本には良妻賢母という言葉があると聞き、私もそれを目標に花嫁修行をしました。将来困らないように日本語も勉強し、京夜様に誇れるお仕事がしたくて、今の藍幇の改革を進めています。もちろんそれはきっかけにしか過ぎませんが、私の全ての始まりは京夜様にあったのです。京夜様がいたから、今の私があるのです。ですから私にとって京夜様は、許嫁であったのと同時に恩人でもあったのです」

 

 オレの知らないところで、オレをそんな風に想いながら生きてきた子がいる。

 それを実感する劉蘭の話にオレはどう返していいのかわからなくなる。

 ありがとうでも良さそうなわけだが、特別オレが何かしたわけではないので違う気がするし、相づちを打つだけでは変な感じになる。

 何か言葉を、と考えていたら、まだ何か言うつもりなのかその顔に笑みを浮かべてオレを恥ずかしそうに見てくる劉蘭。

 

「それに、昨日初めてお会いして、その人となりをなんとなくではありますが理解できて、お恥ずかしい話、この人となら本当に結婚しても良いと思ったのです。その、結婚とはフィーリングも大事だと言いますし、女の勘というものも信じてみてもいいかなと思いましてその……そんな感じで京夜様のことは会う前よりも好いております」

 

「ぐっ……」

 

 そこから飛び出したのは会う前より好きになったというまたもや告白じみたもので、昨日からそういう感情丸出しの劉蘭にさすがに圧される。

 理子とは違って物理的に感情をぶつけてこないから、いなし方もよくわからない。

 な、なんか劉蘭は苦手だ。いつの間にか劉蘭のペースに乗っけられる……

 

「その、劉蘭の気持ちは嬉しいよ。本心でそう思うけど、オレもオレで色々と整理できてない気持ちがあって、今はその気持ちに整理をつけないといけなくてだな……」

 

 そのペースでまとまらないものを言葉にしたので珍しく動揺が顔に出てしまうが、そんなオレに対して劉蘭は慌ててるのが面白かったのかクスクスと笑って、恥ずかしくなったオレは顔が熱くなるが、そこにダメ押しの小籠包が来て2人して同じ類いの笑みを浮かべるのだった。

 

「そういえば、2年ほど前に嫌味を言われたことがありました」

 

 注文した小籠包を食べながら、話し慣れてきたのか劉蘭から話題を振ってきて、食べつつその話に耳を傾ける。だいぶ打ち解けてきたと判断していいかな。

 

「誰に、どんな?」

 

「京夜様もご存知のココ。ああ、その中の狙姐にですね。あの子が日本でビジネスを失敗して戻ってきた後に、話をする機会がありまして。そこでポロっと許嫁の話をしてしまって、京夜様の名前を出したら狙姐が『キョーヤなら日本で会ったヨ。そうか、劉蘭の許嫁カ』って言った後にニヤァってしまして、なんて言ったと思いますか?」

 

「また懐かしい話を。んー、なんて言ったかか。そんな約束意味がない、とか?」

 

「その程度なら私はなんとも思いません。それがわかってる狙姐は『ならキョーヤは私がいただくネ。キョーヤには辱しめを受けたから責任取ってもらうヨ』ですよ。曹操の血統とは昔からことあるごとに因縁がついて回りましたが、あの時ほど狙姐に怒りを覚えたことはありませんでした」

 

「それで狙姐はオレに執着してるのか。半分くらいは劉蘭への嫌がらせだったわけね」

 

「ですから狙姐が日本でのビジネスに失敗して留置されたと聞いた時は、卑しいですがざまぁみろと思ってしまいました。それでも藍幇の貴重な人材ですから、釈放のために尽力はさせていただきましたがね」

 

 ウフフッ。

 普通の人なら抱いて当然な嫉妬のような感情でも自己嫌悪はしてる劉蘭は、そうした因縁の相手でも同じ組織の人間だから助けるのだと笑って言うので、やはりこの辺が人を惹き付けるのかもしれないと思う。

 まぁ、恩に着せるような行いを狙姐達が素直に感謝するかは別問題になるわけだが、ライバル視してるということは互いに能力は認めているということなのだろう。

 そうして自分の話をしてくれた劉蘭はとても楽しそうで、見てるこっちも笑顔になれる雰囲気を作ってくれた。

 しかしオレがここで自分の過去話をするかと言えばそういうわけにもいかない。

 オレは武偵。自らを語るということは業界では愚かな行為と罵られる。それがたとえ武偵とは違う劉蘭であってもだ。

 だから話題を振ってくれた劉蘭に対して自分の話題を振ることができなかったオレは、それを察してかどうかはわからないが小籠包が冷めてしまうからと食べるのを勧めてきた劉蘭に申し訳なくも感謝するのだった。

 なんとなく劉蘭という人間が見えてきて、小籠包を食べただけで飯店を出たオレ達は、次にちゃんとした昼食を摂ることにして、劉蘭がお気に入りだと言う大衆店――粥や麺を扱う店――に移動するため路面電車に乗り上環から東の銅鑼灣(コーズウェイベイ)へと向かい、路面電車を降りた大通り沿いにあったオープンテラス、というオシャレな感じではないが、外にもテーブル椅子を並べる大衆店へと入り、天気も良いからと外の席に座って本場のラーメンを注文。

 さて、先日食べた超壺麺のせいで食べる気が若干失せていたラーメンだが、食欲は復活するのか。

 とかなんとか思っていたが、実際に程よい空腹でラーメンを目の前にすれば体は自然と欲するもので、手の進むままに食べればこれが超美味い。

 オレの反応が気に入ったのか笑顔を向けてきた劉蘭もオレに続いてラーメンに手をつけ始めて、この後のことも話しながら完食。

 昼食の後はあの写真が一番の宝物というのがどうも恥ずかしかったので、それに代わって普段持ち歩く物でもプレゼントしてあげようと近くの店に色々と入ってみる。

 オレからのプレゼントとあって今日一番のテンションではしゃぐ劉蘭は、もう目移りが激しくてあっちに行ってはこれがいい。そっちに行ってはこれもいい。と悩みまくっていた。

 その原因の1つが安すぎても高すぎてもオレに申し訳ないと考えていることだったが、その辺を気にしてくれる劉蘭にはちょっと嬉しく思う。

 これが幸姉とかなら大変なことになる。そもそも幸姉にはプレゼントを選ばせるなんて愚行は犯さないがな。

 そうして2時間ほど悩みに悩んで選んだのが、金、銀、黒の3種類セットの髪留め。日本円で5000円とトンデモ価格だが、髪留めだからであって出費としてはそこまでの物ではなかった。

 その髪留めを大事そうにポーチに入れて店を出た劉蘭は、オレの顔を見ては逸らして、その度に嬉しそうに笑うが、その行為に何の意味があるんだ。可愛いから文句も言いにくい。

 とはいえ、夜は幸姉も交えてのディナーの予定が入っているので、そろそろ九龍に戻らないといけないが、その帰路につこうとしたところであることに気付く。

 見られてる。それもかなり近くで、誰かに。

 だいぶ警戒が緩んでいたが、それでも気付ける明らかな視線は、後ろからだな。

 そう思って悟られないように靴紐を結ぶ素振りをしてチラッと後ろを見てみれば、行き交う人の中によく知る人物が棒立ちしていた。

 

「……理子っ!」

 

 その人物が見えた瞬間に反射的に立ち上がったオレは、すぐに振り向いて走り寄ったが、その理子からはなんかドス黒いオーラみたいなものが見えなくもない。

 慌てて追ってきた劉蘭が誰だろうと首を傾げてる中で、理子のこうなってる原因はすぐにわかる。

 お、恐れていたことが現実になった……

 

「あのさ、京夜。今どうしてここにいるのかとかあるけど、一応、修学旅行Ⅱから戻ったら会って話をするくらいはって考えてたんだけど、あのメールとかはご機嫌取りのつもりだったわけ?」

 

「そんなつもりはない。本当にお前と話がしたかった。それだけだ」

 

「ああそう。つまりその話ってのは、そこの女とデキたからもう付き纏うなってことかよ。はいはい、わかりましたわかりました。もう京夜なんてなんとも思ってませんから、どうぞその女と末永くお幸せに」

 

「……っ! 勝手に解釈するなよ! オレはそんな話をしたかったわけじゃ……っ!?」

 

 この状況でまずは激しく誤解しただろう理子を刺激しないようにしたのだが、凄い誤解をした理子は素が出まくりのままどこかへと行こうと背中を向けたので、あまりに一方的な物言いについ感情的になって理子の左手を掴んで止めるが、その反動で振り向いた理子は本気のビンタを頬に打ち込んできて、驚いて思考が止まった瞬間にどうやったかわからないまま地面に仰向けに倒されてしまった。

 ぐっ、不意を突かれるとさすがに理子相手じゃ手も足も出ない。

 だが、倒されてから立ち去る理子が、その目に大粒の涙を浮かべていたのだけはしっかりと見えて、勝手に怒った理子への怒りもどこへやらで、慌てて起こしてくれた劉蘭に礼を言いつつ立ち上がると、今度は目の前に怖い怖い竜悴公姫様がお立ちになっていた。

 陽もまだ出ているので日傘をさしたヒルダは理子の影に潜んでいたのだろうが、その表情はスカイツリーで見た時よりも穏やかながら確かな怒りを現していた。

 

「サルトビ。愚かな男。理子がどんな思いでいたかわかっていながら、こんなところで女と逢い引きなんてね」

 

「わかってる。これはオレが悪い。たとえ嫌われようとあいつとはちゃんと話をする。だからそれまではお前が理子を見ていてくれ。もし殺したいならその話が終わった後にしてくれ」

 

「言われなくとも理子は私が守るわ。それと不用意にお前を殺すと色々と面倒臭いのよ。それでも殺るとなったら躊躇しないけど、そんな結果にならないように必死に足掻きなさい、サルトビ」

 

「ああ、足掻いてやるよ。それがオレにできる唯一のことだからな」

 

 怒りがある中でも、どうやらそれをぶつけてくることはなさそうなヒルダは、何かに気付いているような物言いでオレに足掻けと偉そうにするが、言う通りなので覚悟を決めた顔でそう返せば、それに満足したのか薄く笑ったヒルダはその身を翻して理子を追おうとする。

 その時に劉蘭の携帯が鳴ってその相手が緊急時以外は来ないと言っていた趙煬からの連絡にオレも緊張し、何か察したヒルダもその足を止めて劉蘭を見ると、通話を切った劉蘭はデート気分の表情からキリッとした表情へと変わってオレとヒルダに聞こえるように口を開いた。

 

「どうやらココと孫が動いたようです。狙いはこちらに来られてる遠山キンジ武偵。非公式(アンオフィシャル)で『不可能を可能にする男(エネイブル)』と呼ばれている方のようですが、孫が出ているとあってはかなり危険です」

 

「場所は?」

 

「上環の辺りと言っていました。趙煬には香港島に行くと言ってあったので、巻き込まれないよう避難を促す連絡でしたが、行かれるのですか。静幻もすでに動き始めていますから、もしかしたら騒動にならずに済む可能性もあります」

 

「状況ってのは実際に見ないとわからないからな。1人にするのは忍びないが、劉蘭は先に戻っててくれ。事が済んだらオレも戻る」

 

「では私もご一緒します。戦力にはなりませんが、孫は私の声に耳を傾ける可能性があります」

 

 押し寄せるような展開に嫌になってくるものの、なってしまったことに文句も言ってられないので切り替えて近くに起きているというキンジと香港藍幇との衝突に首を突っ込もうとすると、劉蘭もついてくると言うので少し困ったが、オレが守ればいいだけの話だしと了承。

 話を聞いていたヒルダとも一緒に上環に向けて移動を開始した。



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Bullet92

 劉蘭とのデートの最中に理子に見つかり、あらぬ誤解を招いて話がこじれたと思ったら、今度はそれをどうにかするよりも早く香港藍幇のココ姉妹と孫が動いたという情報が入ってきて、オレと劉蘭、ヒルダはその騒動が起きそうだという上環へと向かっていた。

 途中で見逃しなどがあったら困るので路面電車などの乗り物は使わずに走っていたのだが、ヒルダはオレの影に潜って追尾してきながら、器用に会話をしてくる。

 

「あの女、劉蘭っていうのね?」

 

「あっ? そうだが」

 

「そう。あれが『食えない女(フォクシー・ウーマン)』ね。ツァオツァオから聞いたことがあるわ。生涯で絶対に仲良くなれない女だって」

 

 何やら劉蘭のことを知ってる風なヒルダには多少驚くが、フォクシーってことは女狐みたいなって意味にもなるから、オレが持つイメージとはだいぶかけ離れてるな。

 まぁ、ココの付けたあだ名ならあり得るか。昔から犬猿の仲みたいだし。それこそ三国志の時代からな。

 

「能力的なことは何か聞いてるか?」

 

「さぁね。そんなの呑気にデートしていたお前の方が知っていることじゃなくて? ただ、さっき見ただけであの女を『自然と受け入れていた』のは、ちょっと悔しいわ」

 

「自然と受け入れていた……ね。そこが劉蘭の凄さなのかもな」

 

 思えばオレは基本、初めて会った人間は相当な警戒をする。

 許嫁だと先に聞かされたこともあるだろうが、劉蘭と会った時はほとんど警戒をせずにコケたところに近寄った気がする。

 なんというか、それを狙ってるのかどうか判断に困るが、劉蘭はとにかく人に警戒されにくい人間なのだろう。

 特に悪く思わない人間なら抵抗なく受け入れてしまうくらいにはな。

 

「それはそうとサルトビ」

 

 と、劉蘭についての考察を終えた頃に話を切り替えたヒルダに耳を傾ける。

 

「あの女、全くついてこれてないわよ」

 

「…………ああっ!!」

 

 呆れ声でそんな事実を伝えてきたヒルダに促されて立ち止まり振り返ってみると、み、見えない。劉蘭がゴマ粒レベルになってて大変なことに。

 そういや中空知レベルの運動音痴だったんだ。オレの速度についてこれるわけがない。

 完全に息切れを起こして女の子走りの劉蘭を待っていたら、ヒルダは面倒臭そうだからとオレの影から次々と人の影に移って器用に移動していってしまい、ようやく追いついた劉蘭は肩で息をしながらオレに謝ってくる。どうしようかなこれ。

 

「も、申し訳、ありません。はぁ、はぁ、何ぶん、対人交渉を中心としていたもので、体力の方が、並み以下でして……」

 

 ぜぇぜぇ言いながらの劉蘭は本当に辛そうなので、今からでも戻らせようかとも思ったが、その目にはまだ強い意思を感じて、もしかしたら何かしてくれるかもと期待してしまう。

 

「……仕方ない。乗れ」

 

 オレの勘にはなるが、このまま連れていくことを決めて、移動にかかるロスは疲労と引き換えにして劉蘭をおんぶすることで少なくしよう。

 そう思って劉蘭に背中を向けて腰を下ろせば、始めこそ遠慮した劉蘭だったが、自分が足を引っ張ってる自覚はあるのでもたつく時間が無駄と考えたのか素直に背中に体を預けてきて、よいしょと立ち上がってレキより少し重いくらいかと体感で思いつつ、あの新幹線ジャック以来となる人を背負っての全力疾走を開始。

 いやぁ、足場がしっかりしてると走るのも楽だよなぁ。

 そんな現実逃避をしながら灣仔(ワンチャイ)の辺りにまで辿り着くと、なんだか街の様子が様変わりしてるポイントがあり、路面電車の通る道沿いにあるデパートに騒がしく人が集まっていたため、1度劉蘭を下ろして情報収集に切り替えてみる。

 2人で集めた情報によれば、どうやらこの辺り一帯に映画の撮影が入るから騒がしくなる、みたいなアナウンスが流れてそれ見たさにヤジウマが集まってきたようで、その映画撮影というのを理由に街中でキンジが孫とココ姉妹と戦っていると踏んだオレ達は、いま現在で騒がしいそのデパートに歩を進めてみれば、店内からはなんか聞き覚えのある、とても連射できる機械的な銃の咆哮が木霊し始めて、荒事は苦手なのか身を縮めた劉蘭を他所にオレは中に誰がいるのかなんとなく悟る。

 ココも使ってたが、これは違うわ。射撃に緻密さがない。

 当たらないとわかれば無駄には撃たないものだし、これはそういうの無視してる射撃。とにかく弾ある限り撃つ意思だけが前面に出てる。つまり白雪だ。

 中に他に誰がいるかはわからないが、あそこに劉蘭と入るのは大変そうなので出てこないかなぁと思っていると、機銃掃射が途切れて少しのタイミングでデパートの裏の方から遊んでるような鳴らし方で車のクラクションが聞こえてきて、ただ聞いてれば騒音以外の何物でもないが、これはモールス信号。

 それに気付いて急ぎ解読したところ、『……コリンリン』という後半の部分のみで誰が鳴らしていたかわかった。

 オレと別れてから車を調達したのか。やっぱり凄いなあいつは。

 

「劉蘭、デパートの裏に行くぞ」

 

「えっ、はい。何かわかったのですね」

 

 察しの良い劉蘭は先に移動を始めたオレのあとを文句も言わずについてきて、回り込むようにデパートの裏に行ってみると、このデパート、裏側は改装工事中だったのか、竹製の足場を最上階まで組んでいて、日本じゃまず見られない低コストな工事に驚きつつ、そのすぐそばに車が1台停まっていて、そこからちょうど調達してきただろう理子が降りて竹製の足場を登り始め、その上からは慌てて出てきたキンジと白雪が合流するために足場を降りてくる。

 その時に目ざといキンジと目が合ったが、だいぶ余裕はなさそうな表情をしていた。

 

「遠山! はははっ! あたしをここまでたぎらせたんだ、決着まで遊んでけって!」

 

 その原因はあれか。

 キンジ達に続くようにデパートの窓枠から飛び出てきた猴。

 今は十中八九で孫である少女は、なんとも楽しそうに降りていくキンジと白雪を動物的な動きで追いかけていくので、とりあえず緊急だしとクナイを取り出したオレは、追いつかれてフライング・クロス・チョップを叩き込んで見事に躱され下に落ちていった白雪と、その下敷きにされた理子というコントを他所に孫めがけてクナイを3本投げつける。狙いは動きの阻害。

 反応の早かった孫はいち早く回避に動いて笑いながら余裕で全部避けるが、すぐさま次弾を投げていたオレに気を取られて、その隙にキンジは距離を離して地上へと到達。

 理子の調達した車に乗り込んで、不時着していた理子もヨロヨロとしながらも後部座席へと乗り、白雪も華麗に拾ってオレ達が向かってきた方向に車を走らせてオレとすれ違う。

 その時に理子にアッカンベーされたが、今はどうでもいい。

 キンジ達を逃がしたのはいいが、遅れて地上に降りてきた孫に、どうにもならなそうな気配を感じてちょっと焦る。

 タイマンになったらまず勝てないぞ。どうするか。

 

「ははっ! お前は見たことあるな! あの時は猴に邪魔されて狙いが固定されてたが、如意棒を避けたのはお前だけだぞ」

 

「自分じゃ避けた実感なんてないんだがな」

 

「名は何と言う?」

 

「お前にも自己紹介か。猿飛京夜だ」

 

「猿飛か。今は遠山を追いたいところだが、邪魔するならお前からでも構わんぞ……」

 

 テンションの高そうな孫は、どうやらオレのことを覚えていたようで、猴に続いて名乗れば覚えたみたいだが、次にはオレに仕掛けてくる雰囲気を出し始めて、それを刺激するように反射的に構えてしまったオレに突撃してこようとした。

 が、オレと孫の間に割って入った劉蘭が孫に無言の圧力を与えると、孫はピタリとその動きを止めて面白くなさそうな表情へと変わる。

 

「劉蘭か。また面倒な女がいたものだ」

 

「京夜様に手を出すことは私が許しません。もしもそれをしたなら、香港藍幇の今後は私の一任で動くこと、覚悟なさい」

 

 劉蘭の目の前で止まった孫は、臆することなく言い放った劉蘭に対して闘志を失うことなく拳を握って放つ。

 ブワッ! とその拳速による風がオレまで届くが、拳は劉蘭の顔の前で寸止めされていて、微動だにしなかった劉蘭に笑った孫は、

 

「猿飛、お前は武運にも恵まれてるようだな」

 

 オレにそれだけ言って、行き交う車の中から1台に狙いを定めて、人間離れした脚力で並走し運転手を強引に降ろしてその車でキンジ達を追い始めてしまった。

 キンジ達が逃げ切れればいいが、それよりもまずはへなへなと膝を折って地面に座り込んでしまった劉蘭へと近寄ってみると、ぐったりとした表情の劉蘭はその体を震わせていた。

 無理もない。あんな寸止め。並みの人間なら気絶する。

 

「大丈夫か?」

 

「はい……孫は戦う力のない人間にはあまり興味はありません。立場を利用しましたが、本気で手が出るとは思ってませんでしたから」

 

「ありがとな、劉蘭。いま戦ってたらオレは死んでたかもしれなかった」

 

 自分が孫に危害は加えられないとわかってたとは言うが、その胆力は敬意を評すよ。まさかこんなに早く劉蘭を連れてきて良かったと思うことになるとはな。

 震える劉蘭の手を優しく握ってあげて、ここからどうするかと考えていると、豪快なドリフトを決めてオレ達のいる道に出てきた黒のオープンカーが、猛スピードで突っ込んできてすぐ横でビタッ! と停まり、誰だと思えば劉蘭のお付きの趙煬。

 今日は水入らずということで九龍のホテルに待機してたはずだが、心配で迎えに来たようだ。場所は携帯のGPSで特定したというところか。

 

是還在這樣的地方的嗎? 快速返回(まだこんなところにいたのか? 早く戻るぞ)

 

 運転席から顔を覗かせて劉蘭にそう告げた趙煬は、この件には首を突っ込まないとオレにも暗に言ってくるが、オレの手を借りて立ち上がった劉蘭は震えていた手を黙らせてはっきりとその意思を趙煬に伝える。

 

這個不是香港蓼藍幫的全體的意見。(これは香港藍幇の総意ではありません。)假如止住也我們應該搞事(ならば止めるのも私達のやるべきこと)

 

 早口でさすがに翻訳は不十分だったが、戻らないと言ったことはなんとなくわかった。

 それに困った表情を少し浮かべた趙煬だったが、劉蘭の性格を理解しているからか諦めたような態度で乗れと手で示し、劉蘭が助手席。オレが後部座席に収まると、どっちに進めばいいかを聞いてからアクセル全開で発進。

 香港島を東へと向かう乱暴な運転だが、上手い。

 車の性能が高いのか速度も130キロほど出てる中で先を走るキンジ達と孫を探すこと数分。

 ハイウェーの遥か先でオープンカーに立ちながら器用に足で運転する孫の姿が見え、そのすぐ近くにはキンジ達も走行していた。車の性能と総重量の差で追いつかれたか。

 そのおかげで追いつけたとも言えるかもしれないので幸か不幸かは置いておくとして、グングン距離を詰めていく趙煬は車上で物凄い戦闘を繰り広げる2台を1度追い抜いて状況を確認すると、車を孫の乗る車の前方のラインに乗せてシートベルトを外すと、急にオレに運転しろとニュートラルに入れてその席を空け後部座席に下がったので、エンジンと切り離されたことでガクンと速度が落ちるものの、後ろにいた孫の車に追いつかれて追突され、その間に運転を替わって再びギアを入れてアクセルペダルに足を置き速度を持ち直す。自己中な奴だな。

 

這個以上的戰鬥不能看到放過(これ以上の戦いは見過ごせない)

 

 後部座席で後ろを向いて立ちながら、青龍偃月刀を手に嬉々としている孫へそう言い放った趙煬は、その民族衣装の袖の余白部分からカナさんのサソリの尾のような三節棍を取り出してガシャシャン。

 1本の長い棒とすると、腰の辺りにあったナイフのようなものを抜いてその棒の先端に取り付けて槍を作り出し構えた。頑丈さを多少犠牲にして携帯性を高めた武器って感じか。

 それをバックミラー越しに様子をうかがうと、参戦した趙煬にさらに笑顔を振り撒いた孫。まさに戦神。戦いを楽しんでいる。

 

「はははっ! 趙煬のガキか! どれ、趙雲とどちらが強いか試してやる!」

 

 過去に面識があったのか、趙煬をガキ扱いの孫は1度キンジ達の車から離れて、誘いに乗って乗り移った趙煬とタイマンを始める。

 その隙に開いた隙間に速度を緩めて収まり、キンジ達の車と並走をするオレに、運転しながらのキンジが話しかけてくる。

 

「シンガポールに行ってるんじゃなかったか?」

 

「訳ありで昨日からこっちにいた。別件だったから報告してなかった」

 

「そう言ってるけど、そちらのお嬢さんはどうやらこっちにも関係ありそうだね」

 

「あなたがエネイブルですね? 孫を相手によくご無事で」

 

「女性の相手はお手のものだよ。とはいえ、かなり危なかったけどね」

 

 HSSのキンジはやっぱりキザっぽいが、察しが良いのは確かで劉蘭がただの女じゃないことをすぐに見抜き核心に迫ることを言うが、それよりもまずは孫を止めなければならない。

 

「呑気に話してるな! あいつは使えるぞ。今のうちに追い詰めるんだよ!」

 

 と、そこに呑気に会話していたオレ達を叱咤しながらこっちに乗り移ってきた理子が、少し離れた孫の方を見ながらその両手のワルサーP99を向ける。

 確かに理子の言う通り呑気に話をしてる場合でもないので、すぐ横の孫と趙煬の戦いに目を向けると、理子が言うように凄まじい攻防が繰り広げられていた。

 狭い足場でそれに見合わない得物を持つ両者。

 互いにボンネットと後部座席の端っことリーチをギリギリ生かせる距離で、趙煬が鋭い突きを足、腹、胸、頭とその度に狙いを変え連続して放つが、紙一重でそれを避ける孫も躱すのと同時に青龍偃月刀を振るう。

 それを槍で軌道を逸らして体をわずかに傾けて躱してそのまま攻撃に繋げる趙煬の技術も見ててよくわからない高等技。

 そんな趙煬にたかぶった孫はさらにその細長い尻尾を使って足払いまで狙い始めるが、驚異的なボディバランスを見せる趙煬はボンネットの上で片足を上げて尻尾の足払いを避けながら尚も攻撃を続ける。

 

「白雪、残弾13だ。猿飛、少し前を走ってくれ」

 

 その攻防に理子がちょいちょいワルサーでセーラー服を狙うのだが、超反射神経で避けるか偃月刀に弾かれて行動のキャンセルすらままならないため、運転するキンジが白雪にベレッタを渡しつつオレに撃ちやすいように移動を指示。自らもデザート・イーグルを取り出して孫を狙う。

 4丁の拳銃に趙煬。これだけの攻撃でどうにもならなかったらまさに化け物。

 そう思わざるを得なかったところだが、こちらの動きを察した孫はさすがにそこまでは無理と判断したのか、猛攻を仕掛ける趙煬の槍を躱したのと同時に柄を掴んで一瞬止め、偃月刀を後部座席に突き立ててその上でコマのように回転して趙煬に蹴りを見舞い、咄嗟にしゃがんで躱したかと思ったが遅れて振るわれた尻尾が趙煬の体を横から叩き、その威力で吹き飛んだ趙煬はオレ達の方に飛んできて、加速しかけていた車を止めてギリギリ後部座席に受け止め、その時に理子がバックジャンプでキンジの車に戻り、オレ達が加速できなかったせいで射線が確保できなかった白雪とキンジも撃つのを中止。

 完全にこちらの手を潰してきた孫だったが、それでも誤算はあるもので、吹き飛ぶ時に持っていた槍をボンネットに突き刺していた趙煬によって、孫の乗る車はヤバい感じになっていて、それがわかってる孫は偃月刀を抜くのもやめてこちらへと大ジャンプ。

 それと同時に車も爆発するが、逃げ延びた孫はオレの運転する車に乗り移って趙煬に蹴りまで加えてきて、逃げるようにキンジの車に移った趙煬は蹴りを躱すが、すぐ後ろに孫だけいるのはヤバいだろ。

 

「邪魔するぞ、猿飛」

 

 その孫はこの車が操縦不能になったら困るからか、オレを狙うようなことをすぐにしてこなかったが、隣の車から4丁の銃が狙いを定めた瞬間に向こうの車に乗り込んでいって、向こうでごちゃごちゃする中で孫が趙煬を誘導してこっちに戻ってきて後部座席で超近接戦を始める。

 こうなると銃は封じられたも同然。戦い慣れしてる。

 素手の攻防も相当なレベルの趙煬だが、孫の攻撃は見ただけで殺人レベルの威力を秘めてるためまともには防御しない捌きでしのぐものの、徐々に攻撃に手が回らなくなってきて防戦一方の様相に。

 これはマズイと思いつつ、先に見えた高速道路の出口にハンドルを切ろうとしたオレとキンジだったが、その出口から機関銃を携えた装甲車が顔を覗かせたために突き進むしかなくなり、装甲車にはココが乗っていたので行動を読まれてたようだ。

 

「いけません! この先は……」

 

 と、高速を突っ切ったオレの耳に劉蘭の焦った声が聞こえてきて、何に慌ててるのかと思えば、すぐに「道がないんです!」と叫んだため、遥か先にうっすら見えるヴィクトリア湾を見てブレーキを踏みそうになるが、後ろからはココの乗る装甲車が追走してきて、止まれば孫が戦闘力全開で襲いかかってくる。詰みじゃねこれ……

 

「キンジ、加速だッ!」

 

 そんな中、隣では理子がキンジに加速を指示し何やら動き始めたが、こっちもこっちで後ろが動く。

 激しい攻防から上手く抜け出た趙煬は、助手席の劉蘭のシートベルトを外して片手でつまみ上げて肩に担ぐと、孫の蹴りを避けて助手席のドアを蹴り抜き外れたドアに飛び乗ると、道路の上でサーフィンしながら脱出。とんでもないやり方だなおい。

 上海藍幇だからココ達も手が出せないし、劉蘭の付き人としての仕事は完璧だ。

 

「ははっ! おい猿飛、一緒に地獄にダイブするか!」

 

「できれば遠慮したい……」

 

 まんまと趙煬に逃げられて高笑いする孫だが、もう時間もなかったのでオレも脱出のために動き出す。劉蘭が先に脱出してくれたのは幸いだった。

 そう考えながら隣を見れば、運転席と助手席の間に乗ってセーラー服をいじってる理子が見えて、それで何をするのかわかったオレはもう向こうのことは無視。こっちはこっちで際どいやり方で逃げる。

 そう思って運転席から出れる体勢に入ってから、不意に助手席に目がいくと、なんと劉蘭のポーチが置き去りにされていて、その中には劉蘭の大切なものが入っていると知っていたオレは咄嗟にそれを掴んで運転席から脱出。

 同時に車は道路の終わりを迎え空中へと投げ出されて、慣性を計算してミズチのアンカーボールを道の端にくっ付けて飛んできた孫を受け止めつつワイヤーの限界の長さまで飛んでから、ターザンのように途切れた道の下へと急降下から上昇。道の裏側に当たるところで孫と一緒に蹴って勢いをつけて戻り、その時にワイヤーを巻き取ってアンカーボールに近寄っていき、巻き取る力と振り子の原理でくるんっ。

 道の端で緩い回転を決めて着地。超ギリギリで難を逃れたが、右腕が嫌な感じで軋んでいる。負担が大きすぎたな……

 なんとか落下は免れたオレは、その場に座り込んで隣で車の前輪をはみ出して止まるキンジ達の車に目を向ければ、その後ろに理子の制服でできたパラグライダーが力なく萎れていた。

 確か戦闘機とかの制動制御にも使われる空力ブレーキだ。空気を孕んだパラグライダーで急激な減速を可能にしたわけだな。咄嗟のアイディアとしては上出来すぎる。

 そんな意味も込めて後部座席から顔を覗かせていた下着姿の理子に目を向ければ、オレを見て安堵したような表情をしていたかと思えば、すぐにプイッとそっぽを向かれてしまい苦笑。

 心配してくれてありがとよ。それだけでも嬉しいからさ。



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Bullet93

 

 壮絶なカーチェイスを終えてその場が一旦仕切り直しの形になっていたところ。

 孫もオレに助けられたからか一応は大人しくしているが、まだまだやれるという気概みたいなのは漏れ出ていてオレも困り顔になってしまう。

 それでも1度立ち上がって車から降りてきたキンジと白雪に軽く会釈してから、ハニーゴールドの下着を露にしている理子にはとりあえず着ていたジャケットを脱いで投げ渡してやるが、ベシッ。手で弾いて拒否。

 したのだが、やっぱりそのままの姿はよろしくないと思ったのか渋々拾い直して羽織るように着てアッカンベー。まだ怒ってますのアピール。

 それを横目に今度は先に趙煬によって脱出していた劉蘭が趙煬を引き連れて走ってきて、オレの目の前で転ぶというやらかしをするので地面に転ぶ前に受け止めてやると、すぐに首に腕を回してギュッ。抱きついて離さなかった。

 それによって後ろから相当な威圧感を放つ理子のご機嫌が良くない方向にいってそうなのを感じつつも、ちょっと泣いてる劉蘭は本気でオレのことを心配していたのだろうから、ソッと背中を叩いて大丈夫と示せばゆっくりと離れてくれた。

 

「ご無事で何よりです」

 

「これ、忘れ物だ」

 

 そしてあのドタバタの中でも放さなかった劉蘭のポーチを渡してやると、諦めていたのか目を真ん丸にしてから喜んで受け取ってくれるが、よく見ればポーチがちょっと開いていて、中を確認した劉蘭はその中に写真や小物がないことに気付くも、オレが買ってやった髪留めはあったからか心底安堵した表情へと変わる。衝撃でいくつかヴィクトリア湾に落ちちまったか。

 

「さて猿飛。ここからどうする?」

 

 と、オレ達のやり取りに一段落ついたと判断して、孫ともちょっと話をしてきたキンジは、進んできた道路の方を見ながらにそんな質問してくるのでそちらを見れば、ココ達の乗る装甲車がこちらの射程から離れてあちらが有効な距離で止まっていたので、逃げ道は封じられた形だ。

 

「劉蘭、頼めるか」

 

「お任せください」

 

 そこでこの突破口を開く切り札として劉蘭に頼れば、キリッとした表情に変わった劉蘭が立ち上がって装甲車から降りてきたココ4姉妹に向き直って、孫に対して見せたような威風堂々な態度で口を開いた。

 

「ココ、孫まで連れ出したあなた達の独断専行は目に余ります! よってこの件を上海藍幇に報告。藍幇中将の権限を以て然るべき処置の後、あなた達の位階を最低でも5つは落とし、しばらくは大人しくしていてもらいます」

 

「権力振りかざす暴君ネ! 劉蘭のアホー!」

 

「だから劉備の家系は嫌いネ!」

 

「食えない女ー!」

 

「キョーヤから離れるヨ、バカ劉蘭!!」

 

 実際にココ達よりも位階の高い劉蘭の言葉にはやはり力があるのか、ココ達から闘争の意思が霧散し、口々に劉蘭に悪口を吐き出す。

 最後だけ狙姐なのはわかったが、あとは眼鏡をかけたココくらいしか見分けがつかない。ホントよく似た姉妹だな。

 そうして劉蘭が名乗ったことでキンジ達も多少の驚きを見せていたが、なんとかなりそうな事態への安堵の色の方が濃く、警戒も解くように銃をしまい、孫もシラケたのかその場であぐらをかいて座り込んでしまった。

 

「なんか終わっちゃったみたいね」

 

 と、この場の雰囲気が変わったところで、平賀製の飛行ユニットを装備して空から降りてきたアリアが、両手で抱えていたレキを降ろしてオレ達の近くに着地。

 どうやら途中からいたようだが、慣れない車の運転――そもそも無免許だ――をしていたのと状況が状況だったこともあって今さら気付いた。

 おそらくこちらの様子次第で対応を変えていただろうが、その必要もなかったから素直に降りてきたっぽい。

 

「で、京夜は何でここにいるのよ」

 

「そこの女とデートするためだよ」

 

 ココ達が大人しくなってるからか、まずはキンジにひと睨みしてからオレに対して質問したアリアだが、何故かノータイムで理子がそれに答えてオレが睨めばプイッ。余計なことすんなアホ。

 

「あんた、流れからして藍幇の人間みたいだけど?」

 

「お初にお目にかかります。神崎・H・アリア様ですね。私は劉蘭と申します。京夜様はやんごとなき事情によって真田幸音様に招集され、その延長で私と行動を共にしておりました。ですので藍幇がどうこうというお話はあまり関係ありません」

 

「真田? ああ、あのカナと一緒にいた……ってことなら事情はわかったけど、ほ! う! こ! く! はするのが当然でしょ?」

 

「……悪かった」

 

 理子の答えには話半分くらいで納得したようなアリアは、ありがたいことに事情を説明してくれた劉蘭の言葉をとりあえず信じて怒るところは怒ってそれに素直に謝罪すればそれで終わってくれた。やっぱ昨日のうちに連絡してれば良かったか。

 そんなプチ反省会を内心でしていたら、遅れてやってきた諸葛が白馬に乗って優雅にオレ達とココ達の間で止まると、沈静化した状況にキョトン。

 劉蘭とアイコンタクトを取ってからホッと息を吐きつつその口を開いた。

 

「どうやら私の出番はなかったようですね。いやはや、劉蘭お嬢様にはご迷惑をお掛けしました。もちろん、猿飛さん達にも」

 

「諸葛! 何で劉蘭来てること話さなかったアルか!」

 

「おかげでココ達大目玉ネ!」

 

「私は上役と会合があると話しましたよ。それなのに酒を飲みながら釈放の記念だと騒いでいたのは誰ですか。それにあなた達の今の役目は闘うことではないでしょう」

 

 劉蘭が言っていた通り、騒動を止めに来た諸葛はブーブー言うココ達に呆れつつで少しだけ怒ると、ピタッと黙ったココ達から視線をオレ達に戻して白馬から降りると、キンジの前で中国的なお辞儀をすると、何やら猴と会って講和案を持っていかせてたらしいキンジに同意する旨を伝えていた。

 だが、それが上手くいかなった場合は決戦もやむなしとキンジが意思表示すれば、ともかく場所を変えて改めて話したいと進言した諸葛。

 

「なので、バスカービル諸氏を香港藍幇の本営――藍幇城へご招待します。皆さまが香港入りされたことは随分前から存じていたので、貴賓客としてお迎えする準備も整っておりますよ」

 

 その場所というのが自らの拠点となる藍幇城と聞けば当然警戒もするが、どこにあるかもわからなかった拠点にわざわざ案内してくれるのだから行くべき。

 みたいな喜び方で理子がはしゃいだので、全員揃って意見を合わせられたバスカービルは行くことを決定した。

 バスカービルメンバーの招待に成功した諸葛は、何やら喧嘩のようなどつき漫才を始めてしまったキンジ達を苦笑いで躱しながら、次にオレの方に近寄ってそのニコニコ笑顔を向けてくる。

 

「猿飛さんはどうなさいますか? 劉蘭お嬢様も真田の姫君とディナーのあとはこちらに来られるのですが」

 

「……オレが行く意味はあまりない気もするが」

 

「京夜様、出来るならば藍幇城に来てくださいませんか? 狙姐も交えてのお話もしたいですし、京夜様もどうやらあちらの方と確執がある様子でした。それでしたら話し合いは早くにするべきかと思います」

 

 バスカービルだけでなくオレも招こうとする諸葛に1度は断ろうとしたのだが、オレより色々と考えていた劉蘭がアリア達とじゃれてる理子を見ながらにそう意見してきて、それに納得してしまったオレは反論できる要素がなかったため、劉蘭の言うようにその招きに応じることにした。そこで解決できればいいんだがな……

 その後キンジ達は諸葛の用意した車に分乗して藍幇城へと先に向かい、オレと劉蘭、趙煬も別の車で1度香港島を出て九龍へと戻りそれぞれ制服とチャイナドレスに着替えると、ディナーの約束をしていた幸姉と誠夜と予約してあった店で合流。

 何も知らない幸姉は昼間はちゃんと仕事をしていたようで、夕食の満漢全席に手をつけながらやたらと喋り続けてストレスの発散をしていた。神経を使う対人交渉でもあったのだろう。

 劉蘭の方が万倍は楽に相手できるとか失礼なことまで言ってるしな。それを笑って流せる劉蘭の方が人間としてできてる気がする。

 そしてその夕食の時に香港島で聞かなかったことを、早速プレゼントした金の髪留めを付けた劉蘭に尋ねておく。

 

「なぁ劉蘭。香港島ではココ達に上海藍幇に報告して位階を下げるとか言ってたが、本当にそんなことできるのか?」

 

「可能ではありますが、私はそれを行使する気も、上海藍幇に報告する気もありません。それではココ達からますます嫌われてしまいますからね。あれはあの場を治めるために言った脅しです」

 

「だが実際に位階くらい下げた方が大人しくはならないか?」

 

「それは確かにそうですが、今日のことを報告すれば、事はココ達への罰だけで済まないかもしれませんから。ひいては上役である静幻にも火の粉は振りかかり、上海藍幇の新たな人員を招き入れる隙を与えてしまいかねません。香港藍幇はまだ、静幻に治めてもらわねば困りますから。幸い、香港島で臥龍鳳雛(がりょうほうすう)からそのような措置を取る承諾はいただきましたので、角は立たないでしょう」

 

 オレの質問に対して淡々と答えた劉蘭は、臥龍鳳雛。諸葛が言うにはキンジとアリアを指す通り名らしいが、あの場でちゃんと事後処理を済ませていた旨を教えてきて感心する。

 そこまで考えてその腹の内を見せずにここに戻ってきたのか。大したもんだ。

 人に信じられやすい人間性を上手く利用したそのポーカーフェイスは確かに食えない女、なのかもしれないな。

 そして幸姉とのディナーを終えたオレ達は、明日も中国のお偉いさんと調整会議があるとかですでに半分寝ていた幸姉と別れて趙煬の運転する車で藍幇城へと向かう。

 ちなみに劉蘭も明日は会議に参加するようだが、香港藍幇でもやることがあるからと明日早くに藍幇城を出る手はずのようで、その忙しさの中でオレとデートしてたと思うと相当スケジュールは詰めていたんだなと実感する。

 そんな素振りをまた見せないから、余計にもっと何かしてあげられたのではないかと考えてしまう。

 そうした思いもある中で再び香港島へと舞い戻ってくると、車は夜の香港島を迷うことなく進んで少し。

 いったん船着き場で停まって車を降りると、そこでオレ達を待っていたココ。

 ほぼ間違いなく狙姐が弾丸のようにオレの腹に突撃してきて、それをなんとか受け止めつつ抱きつきから胸に顔をスリスリしてくる狙姐はなんか小動物みたいで可愛いが、それもとりあえずやめさせて、洋上にあるという藍幇城に狙姐操縦のクルーザーで進む。

 あまり陸から離れてないのか、クルーザーで進むのも少しで到着した藍幇城は、横幅約200メートル。奥行き約50メートルほどの豪華絢爛な3階建ての水上建造物だった。その佇まいは学園島の縮小版といったところか。

 クルーザーを降りて藍幇城の正面玄関に足を踏み入れたところで、待っていた諸葛が出迎えてはくれたが、これはオレというよりは劉蘭に対しての配慮だろう事はすぐわかったので、挨拶もそこそこに諸葛と劉蘭、趙煬は話があるからと移動を始めてしまい、オレの接待は腕に抱きついてきた狙姐がしてくれるらしい。

 

「キョーヤはどうしたいアルか? 遊戯も食事も出来るヨ。それとももう寝るアルか? そ、それなら私が『相手』するネ」

 

「アリア達はどこにいる? まずはそっちと合流したい」

 

 2人になった途端に年齢不相応な大人なことを言ってきた狙姐はとりあえずスルーしてアリア達と会いたいと言えば、スルーされてムスッとはしたが、オレの要求とあって素直に聞き入れると2階へと上がり、そこにあった貴賓室の扉の前まで案内される。

 ここにいるのかと思うものの、アリア達にしては中がやたらと静かなので不思議に思いつつ扉を少し開けてみると、その広い室内ではなんか、すでに豪遊したような暴れたような荒れた感じが漂っていて、その床では泣きながらのアリアに毛布をかけられてる白雪。正座のままのレキが寝ていた。

 これは、あれだな。騒ぎ疲れて寝たというよりは、何か別の要素が加わってダウンした感じだ。

 よくよく見れば毛布の中で白雪がヒョウタンを抱えてるので、酒だな。

 中国は飲酒制限が緩いから違反にはならないが、こんなになったらダメダメだろ。

 そんなわけで狙姐にこれは見せられないのでソッと扉を閉めて見なかったことにして、中にいなかったキンジと理子がどこか別の場所にいるかと思って、狙姐のご機嫌取りをする意味でも藍幇城の案内を頼むと、嬉々として案内を始めた狙姐によって藍幇城の大まかな全体図を把握していく。

 いざという時に困るのは避けたいしな。

 藍幇城の内部構造をだいぶ把握したオレは、それらを整理しながらそろそろどこかで落ち着こうよという雰囲気の狙姐の表情を読み取って、何かゲームでもやるかと提案してみると脱衣ルールありか? みたいな質問が返ってきたのでデコピンで跳ね返しつつ頭数と準備をするように言えば、自分達が使ってる部屋に色々あるからと先ほどチラッと案内された場所に後で来るように言って先に行ってしまう。

 先に行ったのはやっぱり女の子。プライバシーのなんちゃらで片付けがあるのだろう。

 というわけでわずかながら1人の時間を作れたので、狙姐が案内しなかった場所を穴埋めするように藍幇城を再捜索してみたオレは、1階のあるところで常時、人が立ってる部屋。かどうかはわからないが扉があるのを発見。

 広い藍幇城でこういった警戒があったのは他に諸葛達が現在進行形で使ってる部屋くらいで、後は割とオープンな感じだった。

 なのであそこには何かあると勘繰りつつ、一応は客人の立場であるオレならと何気ない感じでその扉の前に立つメイド風の門番に近寄って、ちょっとぎこちないが中国語で「ここには何が?」みたいな質問をしてみる。

 それに対して発言権がないのか、教えられないと答えたメイドさんはとても申し訳なさそうに頭を下げたが、そういう制限があるならやはり重要なものが奥にあるっぽいな。とりあえずこの場所はチェックだ。

 ここは時間を開けてまた様子見することにして、探っていたのがバレないようにキョロキョロしながら中国語が変じゃないかとかどうでもいい会話をしてメイドさんと別れ、もと来た道を戻ると、ちょうど諸葛との話を終えた劉蘭が趙煬と一緒に階段近くに現れてこちらに気付くと笑顔を向けてくるのでオレから近付き話しかける。また走られて転ばれても困る。

 

「狙姐はどうなさいましたか?」

 

「ああ、今はゲームでもするかって言って準備してる。そろそろ頃合いだし行ってみるかな」

 

「まぁ。それではご一緒してもよろしいですか? 日中の中断されたデートの延長ということで」

 

 夜もだいぶ深くなりつつあるが、疲れた表情ひとつ見せない劉蘭はこれから狙姐とゲームをやるという話に乗っかって自分も参加を表明してきて、デートの話を持ち出されると今は弱いオレは、どうせ頭数は必要だったしと了承。

 先に休みを言い渡された趙煬は何も言わずに1人でどこかへと行ってしまい、劉蘭に手を引かれたオレは3階にあるココ達の部屋へと向かった。

 しかし向かったその部屋では何があったのか、ずいぶんと荒れたような痕跡があって、フーフー息を荒立ててるアリア様がヘトヘトになったココ3人を重ねて尻に敷いていて、それをパシャパシャ携帯で撮ってるお団子頭に藍色のチャイナドレスを着た、悔しいがくっそ可愛い理子がハイテンションで盛り上げて、その2人をなだめて追い出そうとしてる狙姐の図である。

 

「何やってんだお前ら……」

 

 と、意味不明な状況にツッコまざるを得なかったオレの声に気付いた全員がオレと劉蘭を見て、その瞬間からいつものニコニコ笑顔を消してブスッとした理子によって場は盛り下がる。

 それからストレス発散でもしていたアリアはドスドス足を鳴らして部屋を出ていき、ヘロヘロのココ達は互いに支え合いながら今日はもうお休みモードっぽく意識が散漫になっていた。

 そしてオレがいるからか理子もつまらなそうに無言で部屋から出ていこうとしたが、その手をまさかの劉蘭が引いて止めて、ちょっと素の理子が怖い顔を劉蘭に向けて振り返る。

 

「どうやら理子様はまだまだお元気な様子ですし、もう少しだけ私達にお付き合いいただけませんか? 丁度これから狙姐と京夜様とでゲームをするところでしたので、3人より4人。数は何事も偶数の方が都合が良いですから」

 

「劉蘭、お前お呼びじゃないネ!」

 

「では……こうしましょう。ゲームに勝った者は参加者を指名して2人っきりの時間を獲得できる。狙姐が勝てば京夜様を。理子様が勝ってどうなさるかはご自由に。私が勝てたならば、京夜様と素敵な夜景を見ながら杯でも交わしてきましょうか。酔った勢いで何か起こるやもしれませんが、それもやむなしの心持ちではあります」

 

 理子の手を掴みながら、まさかのゲームへの勧誘をした劉蘭は、横で喚く狙姐も納得するゲームのルールを提案し、目付きの変わった狙姐はやる気満々に。

 対して理子はルールを聞いた時は流して戻ろうとしたが、挑発するような劉蘭のやってもいないのに語った勝利後のプランに負けず嫌いが働いたのか狙姐同様に目付きが変わって手を振りほどくと、

 

「いいぞ。そのゲームに参加してやるよ。あたしが勝ったらお前を裸にひい剥いて京夜の前で辱しめてやる」

 

 なんか勝者特権が歪曲しておかしなことになってるが、それを取り消すつもりもない理子は明確に劉蘭を敵と認定したようで、めっちゃガン垂れてる。

 そして劉蘭もこういう時に無駄な胆力を持っているから涼しい顔で受けて立ってるし。

 そんな女子が悪い意味で盛り上がったゲームは、オレ、理子、劉蘭、狙姐の4人でやることになり、部屋の中にはPS3やPSPなどがあったが、お国柄ってこともあってか、理子がドカドカ歩いてその先にあった麻雀の卓に手をついて反対の手で劉蘭達を挑発。

 まさか自国のゲームで挑まれて逃げたりしないだろうな、と無言で語った理子に、劉蘭も狙姐も不敵な笑みを浮かべてそれぞれ麻雀卓に近寄っていき、何故か意見を述べる権利すらなくなっていたオレも早く来いと顎で示されてしまい、公正な席決めによってそれぞれが四角形の卓の一辺に腰を下ろした。

 席は東家に狙姐。南家に理子。西家にオレ。北家に劉蘭という並びになり、両隣が物凄い視線をバチバチさせてあの狙姐さえもちょっと臆していたが、負けじとその視線のぶつけ合いに参加。

 無言のやり取りが非常に心臓に悪いのでとりあえずオレから進行をしておく。

 

「ルールはどうする? 理子もオレも中国ルールで出来るが、2人は?」

 

「私も狙姐もどちらでも構いませんが、ここは日本のポピュラーなルールで行いましょう。中国ルールにはスピーディーさがあまりありませんし、立直(リーチ)もあった方が盛り上がるかと」

 

「負けた時の言い訳作りかよ。食えない女は保険がお好きなようで」

 

「劉蘭言うこと正論ネ。それに夜ふかし女の天敵。早く終わるに日本のルールがよろし」

 

「まぁ今から一荘はしんどいしな。半荘なら1時間かからんだろ」

 

 とりあえずまずはルールからと思ったが、ここからもう理子が喧嘩腰で困ってしまう。口が悪いにもほどがある。

 日本と中国では麻雀のルールが全然違う――そもそも中国では麻将と書く――ため、ここで揉めるのも仕方ないが、夜も更けてきたからと日本のルールで異論はなくなり、舌打ちしながら理子が全自動卓に日本の牌を入れて起家決めからスタート。

 自動卓だと積み込みとかのイカサマは使えないが、この場にいる全員がイカサマに対して黙認の形っぽいので、起家が狙姐に決まってから一応、イカサマがバレたらビリ確定の即終了でその時点での得点で順位を競うことを合意させて、いよいよ心臓に悪い夜の麻雀対決が幕を開けた。

 ん、何でこんなことになったんだっけ?



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Bullet94

 招かれた香港藍幇の拠点、洋上に浮かぶ藍幇城に夜遅く訪れたオレは、適度な緊張を保ったまま藍幇との交渉に備えて色々していたら、何故か今は理子、劉蘭、狙姐と一緒にご褒美有りルールの麻雀をやっていた。

 

(フー)。ツモ、4000オールネ」

 

 中国での和了(あが)りを意味する和を交えて東一局を制したのは親の狙姐。

 全員が相手の出方をうかがう中での綺麗な和了りに理子も思わず舌打ちしつつ点棒を渡し、表情ひとつ変えない劉蘭は静かに点棒を渡す。

 親の和了りなので連荘となり、1本場を示す100点棒を隅に置いた狙姐がまたサイコロを回し牌が配られる。

 麻雀というのはその人の性格が結構モロに出るゲームとして、日本の武偵は割と出来るやつが多い。

 特に諜報科ではポーカーフェイスや人間観察する目を養うために時々だが授業でやらされたりもする。

 なのでどんな相手でも最初は様子見をしてほとんど動かないのだが、狙姐はそういった武偵の警戒心を逆手に取った大胆な手で和了ってきたわけだ。

 劉蘭も見たところ相当な打ち手であるのがポーカーフェイスからわかる。理子もあの手この手で仕掛け方が毎局コロコロ変わるので打点に偏りが出にくくやりにくい相手だ。

 そんなわけで今回の面子が非常に面倒臭そうな相手なのを今ので把握したオレは、イカサマ有りのこの卓で誰もそれをしそうにないことをなんとなく察する。

 理子は言わずもがな、オレとやる時は100%バレるから即負けになる今回はやらない。笑い話やバックドロップで終わる麻雀なら別だがな。

 劉蘭は対局が始まった時点で左手を全く出さずに右手だけで処理するスタンス――基本的にみんなそうだが、最も分かりやすくしてくれてる――で暗に「不正などしません」と示しているし、服も袖のないチャイナドレス。

 狙姐は一番やりそうだが、この面子から本能的にイカサマはリスクが高いと理解してるのか、怪しい素振り1つしない。それがフェイクであることもあり得るが、オレはオレの目を信じて今はこのゲームを終わらせることだけ考える。

 

「はいローン! 直撃ブッ刺し3900ー!」

 

 とかなんとか人の表情をうかがってたら、理子が乱暴に手牌を見せて対面の劉蘭の捨て牌を拾いドヤ顔で和了る。

 その言動からどうやら劉蘭を狙い撃ちすることだけを考えていたのだろうが、この辺が性格が出るといったところか。直前のやり取りがモロに影響してる打ち方だ。

 

「この親番でお前を飛ばしてやるよ」

 

 理子にしては珍しく敵意丸出しで劉蘭にそう言いながらサイコロを振るが、この理子は麻雀では見たことないな。そんなに劉蘭を裸に剥きたいのか。

 だがそれはできれば阻止したいところ。理子と劉蘭の間でやる分にはオレも構わないが、何故かオレに公開が決定してるそれをさせては劉蘭が可哀想だ。見たい見たくないは別としてな。

 

「理子様はトラッシュトークもお上手ですね。場の盛り上げ方をわかってらっしゃいます」

 

 そんな理子の飛ばし宣言も涼しい顔を崩すことなく受けて返す劉蘭も劉蘭で全く表情が読めない。

いま気付いたが、劉蘭はどうやら人と状況によって与える印象を意図的に変えているっぽい。かなり役者向きの性格のようだ。

 現にオレに見せる笑顔と理子、狙姐に見せる笑顔では微妙に受ける印象が違う、気がする。

 それが2人にもわかるのか、さっきから劉蘭の笑顔に怒気みたいなものを感じてるような。気のせいであってほしい。

 とりあえず今回は理子に勝たせるわけにはいかない。それがオレに課せられた最低限の目標。

 あわよくばオレが勝って理子と話をする時間を作る道もあるが、この面子でトップは確実性がなさすぎるし、勝ちに急くと即座に食われる気がする。3人とも醸し出す雰囲気が戦う女なんだよ。

 なのでオレは目立たないように要所で理子の稼ぎを奪う方針で黙々と卓を進めておく。

 というか理子と劉蘭の会話がヒヤヒヤもので割り込む勇気がないだけなんだが。

 

「時に理子様は、京夜様のことをどう思われてるのですか?」

 

「あ? 今そんなこと関係ないだろ」

 

 そんなオレの内心を知る由もない劉蘭は、打ちながらの会話を始めて理子に唐突な質問をするも、ずっと素の状態の理子は応じる気配がない。

 戦闘以外でこんなに長く素でいる理子も初めて見るよな。

 

「関係なくはありません。少なくとも私には。理子様がもし、京夜様のことを好いておられるならば、私はこの場で宣言せねばならないからです」

 

「私は京夜様が大好きですー、ってか? 勝手にやればいいだろ。そんなのあたしに宣言する必要はねーよ」

 

「では、これから京夜様に告白のお返事をもらってもよろしいですね?」

 

「ちょっと待つアル! 劉蘭勝手すぎネ!」

 

「それこそ今やることじゃねーだろ」

 

 タンッ!

 と、オレ関係の話なのに会話に割り込む隙すらない応酬に呆然としていたら、喋りながら牌を切った理子に「和」と落ち着いた口調で宣言した劉蘭は、一転して沈黙した卓で理子の捨て牌を拾って手牌を開示。見事な清一色(チンイーソー)にドラも乗っての倍満。16000点の収支が2人の間で行われる。

 

「そうですね。ではこのゲームに勝って2人きりになってからお尋ねしようかと思います。次は京夜様の親ですね。サイコロをどうぞ」

 

 怖い……

 今の会話で劉蘭は理子の判断力を奪って単調な打ち方をさせて、そこから直撃で点数を奪った。しかもサラッと理子の飛ばし宣言まで流してしまった。

 これは理子の心情を正確に把握していないと出来ない揺さぶり方だが、まだ会って会話すらほとんどしてないはずなのにここまで理子をいいように扱うのは今のオレでも無理だ。

 何でそんなに理子のことを理解できてるのか謎すぎる……

 全員が劉蘭に恐怖すら感じてる中で、親番がオレに回ってきて配牌を終えて手牌を見やすいように並べ替えたタイミング。そこで信じられないものをオレは見てしまった。

 なんと、手牌がすでに和了っているのだ。これは手牌がどんな形でも揃っていれば役満となる『天和(テンホー)』。

 確率的に確かプロの麻雀打ちでも一生で1度あるかどうかという天文学的な和了りだ。

 これを和了ると3人から16000点ずつを一気に奪えるが、現在の得点状況では理子がマイナス収支になってゲームは終了。

 オレがトップで勝ちになるわけだが、ここでチャンスと見てそうするのは早計だと考えてしまったオレは、なかなか牌を捨てないオレを見る3人を多少無視して思考する。

 ここでオレが理子を飛ばして勝って、それで理子と2人になって話をしたとして、果たしてそれは今の問題が解決に向けて前進するのか。

 考えすぎかもしれないが、理子を飛ばして勝つことでオレが劉蘭を守ったなどと思われたらまた面倒極まりないことで、否定もしにくい。

 それに今の理子はやはりいつもの冷静さが欠けてるから、強引に2人きりにしてもオレの言うことを素直に聞き入れてくれる保証が全くない。

 むしろ耳を塞がれてしまう可能性だってある。

 

「…………はぁ」

 

 そんなことを考えてたら思わずため息が出てしまい、このゲームでもう理子の問題を解決することを放棄したオレは、波風立てずに終わることだけに終始することを決定して、和了ってる手を崩して手牌の1つを河に捨て順番を劉蘭に回した。

 まぁ天和は惜しいが、そんな一時の幸福感で理子との仲を引き裂かれては堪ったものではない。

 その後の展開は恐ろしいレベルで動かず、誰1人として和了ることなく流局が続き、8連続流局から劉蘭の満貫ツモでようやく南4局。

 オーラスを迎えて点数状況はトップが狙姐から劉蘭に変わり、尻に火が点いてるのが理子。

 オレと狙姐は和了る手によっては逆転も圏内だが、理子が勝つには最低でも3倍満は必要と厳しい感じ。

 役満なら文句なしで勝ちだが、高い手は作ろうとすればそれだけ読まれやすいし、和了る1歩手前の聴牌(テンパイ)までの手も遅くなるからな。まず理子の勝ちはないだろう。

 

「立直だ」

 

 と思ったのだが、その理子がまさかの立直。

 立直ということはその和了りで逆転が可能ということを示したことになるため、狙姐もオレもちょっと驚き、劉蘭もさすがにほんの少しだけ緊張した表情を見せたが、すぐに不敵な笑みに変わる。

 だが、その揺らぎを見逃さなかった理子はニヤリとちょっといつもの調子の笑みを浮かべた。

 

「食えない女もさすがにビビるよな。お前以外の誰かが振り込んでも負け。あたしがツモっても負けだ」

 

「ですが、理子様の手が役満でない限りはその条件も崩れますよ。3倍満止まりならば、京夜様と狙姐が振り込んでも私の勝ちです」

 

「あたしがそんな逃げ道を用意するとでも思ってるのかよ。世の中そんなに甘くねーんだよ、お嬢様」

 

 最初から劉蘭にやられ気味だった理子がここにきて息を吹き返したように劉蘭を攻める様子に、表情にこそ出さないがちょっとだけ笑ってしまった。やっぱりこういう理子の方がらしいな。

 だがここで理子に勝たせるわけにはいかないので、オレと狙姐は完全にこの局をオリて理子の当たり牌を捨てないように切り替えたが、劉蘭は時折、かなり危険な牌も切って自分の手を進めていた印象があり、流局でも勝ちのはずの劉蘭がそうする理由が全くわからなかった。

 結局この局はヒヤヒヤしたが流局になり、劉蘭と理子がテンパイで手牌を開示。

 すると理子の手牌は3倍満どころか、立直のみの1翻役。

 和了る気がなかったとしか思えない、というか当たり牌は何枚も捨てられてるのに完全に見逃してる辺り、和了る気はゼロだったみたいだが、さっぱり意味がわからん。この局に関してはオレの理解の範疇を越えた……

 意味不明すぎて思考停止状態のオレが呆然と両サイドの2人を見てみると、その2人はこれまで見せていたどれとも違う同種の笑みを互いに向けていたので、今の局には2人だけが理解できる何かがあったことはなんとなく察することはできた。

 ゲーム上の勝ち負けではない何かで競った印象だ。

 

「くふっ。いいんじゃないか、劉蘭」

 

「お誉めに預かり光栄ですわ」

 

「ほら、サイコロ回せよ。やるんだろ、連荘」

 

「はい。もちろんです」

 

「ん? 連荘するかは親が決められるのに、やるのか?」

 

「どうしてやめる必要があるのですか? このような終わり方は理子様も狙姐も納得いきませんでしょう。それに私も逃げたみたいな勝ち方は嫌ですしね」

 

 互いに認め合ったみたいな雰囲気の2人にちょっと信じられないものを感じつつも、今ので勝ちは決まったのに嬉々としてサイコロを回し始めた劉蘭に思わず質問してしまったが、なんかここにきて女子が一致団結した感じでオレの方がなに言ってんだこいつ状態に。

 オレがおかしいのかこれ……

 その後の局は結局誰も和了れずに流局で劉蘭もノーテンでゲーム終了。

 内容としてはモヤッとしたものになったが、唯一聴牌していた理子が今度は紛れもなく役満である国士無双を13面待ち――待ちで最高の状態――という超絶馬鹿げた状態だったため、明らかに捨て牌がおかしかった理子を全員が警戒した結果だ。

 どうやったら13面待ちなんて出来るんだよ。変な意味でアホなのか。

 それで最終結果は劉蘭のトップで、勝利者特権は劉蘭が行使できることになったのだが、もう内容は聞いてるオレが立ち上がって劉蘭をリードしようとすると、その劉蘭はフルフルその首を横に振ってオレに目配せする。

 

「では私は狙姐と2人きりになりますね。ですので恐縮ですが京夜様と理子様はこの部屋から退出願いますか?」

 

「ちょっと待つネ劉蘭! ココはお前と2人きりは嫌ヨ!」

 

「合意の上でのことですよ。よもや曹操の血筋が約束を違えるということは、ありませんよね?」

 

 そうしてまさかの狙姐を指名した劉蘭は、物凄く嫌な顔をしてオレに助けを求める狙姐に抱きついてオレと理子に手を振るので、勝者の言うことには従うのが決まりなので素直に部屋を出たオレと理子は、最後に見えた狙姐の絶望したような表情にちょっとだけ恐怖しつつ扉を閉めたのだった。

 劉蘭なりにココ達と仲良くしようとしてるってことかね。相手があんな感じだと先は長そうだけど。

 ともあれ事なきを得た麻雀対決を終えて安堵したオレに対して、いきなりローキックをお見舞いしてきた理子に飛び退いて何事かと理子を見れば、ムスッとした顔をした理子はまだ素のままで口を開く。

 

「何で和了らなかった」

 

「あ? そんなの和了れなかったからに決まってるだろ」

 

「嘘つくな。京夜が麻雀で手を止める瞬間なんてまずない。東3局で天和だったろ。劉蘭とツァオ・ツァオは気付かなくても、あたしまで気付かないと思ったか」

 

 指摘されたのは終始オレが和了れなかったことじゃなくて、天和を和了らなかったことについて。

 やはり理子だけは気付いていたようだが、自分を飛ばせてトップで終われる状況でそれをしなかったオレの行動が疑問だったのか、尋ねないわけにはいかなかった感じだ。そりゃそうだろうよ。

 

「……強引な形でお前と話がしたくなかった。お前がオレの言葉を受け入れてくれる状態で、ちゃんと話したいと思ったから」

 

 理子の真剣な問いに正直な言葉で返したオレは、そのあとの理子の反応を見ていたら、ちょっと驚いたような表情からムッとしたかと思えば、なんか恥ずかしそうにしたのを隠すように後ろを向くという珍妙な現象を見せた。

 何だそれは。オレのデータにない反応だ。

 

「お前が質問したからオレも1つ聞くけど、さっきのオーラスのブラフ。あれはなんだったんだよ。ゲームの展開上、全く無意味だったろ」

 

「あ、あれは試したんだよ。劉蘭が……隣に立つに相応しい女かどうか。あそこで退くような女だったら別の意味では勝てたんだが……」

 

「隣に? 誰の?」

 

「それくらい察しろバカ京夜。だから色んなところで女が寄ってくるんだよ」

 

 後ろを向いてしまって仕方ないので、向こうが質問したならと質問返しで先ほどの謎の解明に当たってみると、どうやら劉蘭の度胸試しをしていたみたいだな。

 その理由はまたオレか。オレの隣にいるのに相応しいだなんだってのがよくわからないが、理子にとってはゲームの勝ち負けよりも優先したかったことなんだな。

 

「ちっ、お前達のせいで動くチャンスをだいぶ潰された。今夜のうちにやっときたいこともあったのに」

 

「藍幇城の探索か? それならオレがある程度やっといた。あとは1階の見張りがいる扉の奥くらいだな、怪しいところは」

 

「…………そういうところがムカつくんだよバカ……」

 

 それで会話も終わらせにかかってきた理子はこれから藍幇城に探りを入れてくるようなことを言うので、その辺に関してはすでにやっていたオレが突破してない関門を述べてやると、ブツブツ何か言った理子はオレに振り向いてアッカンベー。

 まだ怒ってるのか、それで下への階段に向かっていく。

 

「そういえば……明日はイヴだな」

 

 かと思われたが、急にピタリとその足を止めて独り言のように口を開いた理子。何だ急に。

 とは一瞬考えたが、その意図にはオレへのメッセージが込められてることに気付く。イベントってのは何かとタイミングが良いものだしな。

 

「そうか……イヴか。じゃあ何事もなかったら夜にでも、せっかくの中国だし藍幇城の屋上で誰かと酒でも飲みながら2人っきりで話したいもんだな。できれば話上手で退屈しない、悪酔いしないでくれるイイ女と。まぁ、そんな女がいるとは思わないけど」

 

 だから向こうが独り言で通したいならばと、オレも独り言のように理子とは別の方向を向いてちょいちょい理子のことを示す言葉で誘ってみると、ちょっとの沈黙のあとにまさかの反応が返ってきた。

 

「でっかい独り言。そういう癖あるなら直した方がいいと思うよ、キョーやん」

 

「……大きなお世話だ」

 

 てっきりそのまま立ち去っていくのかと思っていたのに、急にいつもの理子になって久々の呼び方をしてきたので、不覚にもちょっと嬉しかったオレが振り返って口を開けば、そこにもう理子の姿はなかった。

 じっとしてられない性格なのはわかるが、話しかけたならこっちの反応くらい待て。

 それから理子の単独行動を邪魔するのは忍びなかったので、今夜はもう休むことにして最初の方に案内されたオレの部屋に戻って、明日にでもキンジに渡すための藍幇城の簡単な見取り図を書いてから寝たオレは、ようやく良い方向に向き始めた流れにちょっと安心しつつ、そのきっかけを作ってくれた劉蘭に感謝するのだった。

 翌朝。

 早くに劉蘭が九龍に戻ることを聞いていたので、藍幇城の正面玄関で待ちぼうけしていたら、なんか階段近くに置いてあった巨大な(かめ)からのそっとキンジが出てきてギョッとする。

 なんともアホ臭いトラブル臭のするキンジがそこで寝ていたことにはあえてツッコまず、こちらに気付いた時に軽く挨拶しつつ近付いて、昨夜に作っておいた藍幇城の見取り図と、先日返却されたアリアの殻金を渡しておく。一応はバスカービルのリーダーだしな。

 

「交渉は任せるが、問題が起きたら戦力になる。そうならないようにしてはほしいがな」

 

「俺も気持ちは同じだが、そうなった時は頼りにしてるよ。アリア達はすでにオトされてるしな……」

 

「ふーん、昨夜の感じだと確かにそう見えたが、全オチするほどバカな連中じゃないだろ。チームメイトならもう少し信じてやれ」

 

 渡された殻金に少し驚きつつも、諸葛から渡されたことを伝えて納得し、見取り図をひと通り見て礼を言った後、そうした先を見据えた会話をして階段を登っていったキンジ。

 荒事にならないのが最善だが、難しい問題だよな。戦わずに師団と眷属の旗色を変えるのは、無条件降伏くらいどちらかが折れないとダメな気がするし。

 見えなくなったキンジに委ねてるとはいえ、この交渉が今更ながらに難しいことに考え至ったオレは、武偵らしく最悪の事態を想定した動きをシミュレートしながら、元いた位置に戻ると、その後すぐに趙煬を隣に置いた劉蘭がやって来て、オレを見るなり走ろうとしたのを制して慌てず歩いて近寄ってきたところで話をする。

 趙煬はアイコンタクトで先に玄関に停まるクルーザーへと向かっていった。

 

「見送りなどよろしかったのに」

 

「いや、それくらいはさせてくれ。礼も言いたかったしな」

 

「理子様とは、無事にお話ができたようですね。私も狙姐とゆっくりお話できたので、互いに有意義な時間になって良かったです」

 

 やはり昨夜の劉蘭は理子とオレの仲をどうにか取り持とうと動いてくれていたようで、そのほとんどが演技だったっぽいことがわかる。

 狙姐と話があったのは本当のようだったが、その辺の人の動かし方に才能がある劉蘭にはちょっと恐ろしい部分があるものの、我欲に使わないその性格はマジで惚れそうだ。イイ女の証明だな。

 

「ありがとな、劉蘭」

 

「いえいえ。お礼を言われるようなことは何も。それに今日も夜にはこちらに戻りますので、お話はその時にまたゆっくりいたしましょう。ですが……」

 

 とはいえオレのためにしてくれたことには礼は言っておくと、謙遜する劉蘭は笑顔でそう返してまた夜に戻ってくることを告げると、スッとオレの制服のネクタイを直しつつ小声で続ける。

 

「今夜は気を抜かぬようご注意ください。備えあれば憂いなし、ですから」

 

「……劉蘭が言うと重みが違ってくるな」

 

「ふふっ、そうでしょうか。それでは京夜様。今夜はクリスマスイヴですから、よい1日になりますよう願っています」

 

 そうして意味深なことを言ってから離れた劉蘭は、一転して明るい台詞でお辞儀をしてから、趙煬の乗るクルーザーへと乗り込んで行ってしまった。

 さて、今日はどうなることやら。

 思い返して良い1日だったって言えるように頑張りますけどね。



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Bullet95

 

 クリスマスイヴの朝。

 劉蘭の見送りを済ませたオレは、頭を働かせるにもまずは飯。

 ということで食堂の方に歩を進めていたら、朝から仲良しなココ4姉妹――後から聞いたが4人目は機嬢(ジーニャン)というらしい――が揃ってあくびをしながら現れて、オレを見るや狙姐? を先頭に「キョーヤ!」「キョーヤ早起きヨ」「ジジ臭いアル」「きっと性格もジジ臭いネ」と好き勝手言って近寄ってくる。

 だったらこの時間に起きてきたお前らはババ臭いわ。口には出さんがな。

 だが狙姐以外がオレに対して興味なしがわかりやすくて、4人の見分けがつくな。

 嬉しそうに腕に抱きついてきたのが狙姐。それを見てニヤニヤしている髪を下ろした長髪のが炮娘。先の一件でレキに狙撃され髪を切られて短いのが猛妹。そして眼鏡をかけてるのが機嬢というわけだ。

 今後もこのまま見分けやすい状態でいてくれないかね。

 そのココ姉妹も朝食にしようとしていたようで、馴れ合うつもりもなかったが邪険にする理由もなかったので一緒に食堂へと移動し、和気あいあいと食事するココ達の横で肉まんとアンまんの食べ比べをしていたら、普通に隣に座っていた狙姐が何やらオレの顔を見てボーッとしていたので、何だと思いって一応話しかけておく。

 

「何か気になることでもあるのか?」

 

「……昨日、劉蘭に嫌なこと言われたヨ」

 

「ふーん。その劉蘭は有意義な時間だったって言ってたが、狙姐にとっては違ったのか」

 

「むっ……そう言われると否定しづらいアルが、やっぱり気分は良くないヨ」

 

 なんだかよくわからない話だが、昨夜の劉蘭との話で何かあったのだということは理解できたオレは、その内容について突っ込むべきか少し迷ったが、話しかけた時点でそれを待ってたっぽい狙姐を察して結局そこに触れる。

 

「劉蘭に言われたネ。私のキョーヤへの気持ち、本当に好きだけかって。キョーヤが劉蘭の許嫁聞いて、それで横取りする気持ちなかったかって」

 

「実際あったんじゃないのか? 確かに初めて会った時にちょっとハプニングはあったが、それだけが理由で惚れるとなると色々ぶっ飛んでるしな」

 

「キョーヤが言うこともっともアル。確かに私は劉蘭嫌いネ。あの頃は劉蘭嫌がることなら何でもやる気もあったヨ。その劉蘭の許嫁奪ったら、きっと泣いて悔しがる思った。それは本当ネ。だから今わからないヨ。こうしてキョーヤと一緒にいる嬉しい。けど、それ純粋に好きか聞かれたら私にはわからないヨ……」

 

 そういやそんなことをデートの時に言ってたなぁ。

 と、劉蘭の話を思い出しながら、本当に困ってしまった表情を浮かべる狙姐にオレも何を言うべきか考える。

 なんと言っても狙姐はまだ14歳。何をするにもこれから学んでいく時期。

 たった3つしか違わないオレから恋愛のなんたるかなんて語るのもアホみたいだし、現在進行形でそれに頭を悩ませてるのだから説得力すらない。

 

「なら、狙姐らしくしてみろよ。誰になに言われたって、結局自分の気持ちをわかってやれるのは自分だけなんだ。らしくしてればわかることもあるかもしれないしな」

 

「私らしく、ネ?」

 

 だから根拠も特にないことではあるが、ちょっとだけ精神論で助言してやると、キョトンとした狙姐は少しだけ考える素振りを見せて「やってみるヨ」と返したのだった。

 ワイワイと賑やかに朝食を食べていたココ姉妹も、それが終われば何かやることがあったのかそそくさと自分達の部屋に戻っていき、それになんか感じつつも、オレもやれることはやっておこうと食堂を出てから、ちょうど上の階から降りてきた諸葛に藍幇城の外に出れるかと問いかけてみるが、大事な交渉の前に目の届かないところにオレが行くのはいただけないとかではっきりと却下されてしまった。そりゃそうか。

 そうなると藍幇城で時間を使うしかなかったので、昨夜行けなかった扉の奥も今日は行けなさそうなことを確認して、そちらは別行動の理子がなんとかするだろうと信用して、いまいち士気というものを上げる才能がないキンジに代わってアリア達の寝ている貴賓室へと踏み込んで、寝ぼけ気味に起きてきたアリア、白雪、レキの身だしなみを整えてから、コイツらと正面に立って会話は色々と捗らないので朝食を取らせて3階にあるカフェテリアに備えてあったビリヤードをやりながら改めて会話をする。

 

「それで、相手に探りを入れたお方はいらっしゃいますか?」

 

 ブレイクショットを打ちながらにしたオレの質問に、球の行方を追いながらのアリア達は口々に「そんなの完璧よ完璧」「ご、ごめんなさい猿飛くん」「問題ありません」と問題ありありな返事をする。白雪は正直だからまぁいいが。

 

「……まぁ、お前らは別のところで働くべきなのもわかってる。だから責めはしないが、やるべき時にちゃんとできるように準備だけは怠るなよ」

 

 別に返事には期待してなかったので、自分の昨日の行動を思い返させた上で気を引き締めさせるようなことを言えば、どんどん球をポケットに入れていくアリアは「それくらい当たり前でしょ」と即答し、二日酔いか若干顔色が悪い白雪は「キンちゃん様は私がお守りします!」となんか個人名が飛び出し、いつもと変わらないレキは「はい」と抑揚のないながら安心する返事で答えた。

 まぁ、元々切り替えられる奴らの集まりだし、こういうのも必要なかったのかもな。

 その後、オレの順番が回ることなくレキの正確無比なショットの前にビリヤードは惨敗して、罰ゲームに同じ空間内にあった弾けもしないピアノを弾かされる始末となって、仕方なしに昔幸姉がやってみせた『猫踏んじゃった』を超高速で弾いて唖然とした3人の隙を突いて離脱。

 罰ゲームはともかくとして目的は果たしたので、それからは藍幇城をブラブラとしつつ何か変化がないかとか色々と見て回っていった。

 こういう仕事はオレや理子の領分だし、アリア達にああ言ったのだから、オレも何かしなきゃ示しがつかない。

 そうこうしながら時間を使っていったら、あっという間に昼、夕方と過ぎて、陽が沈んだ夜を迎えてしまっていた。

 大して藍幇側の動きは見られなかったが、何もなさすぎて不気味にさえ思えてきた。

 夜の食堂に集まっていたオレ達が夕食を待っている間、アリアはクリスマスツリーがなきゃクリスマスじゃないとかグチグチ。

 白雪はキンジがまだ見えないからソワソワ。

 レキはただ呆然と座って前方を見続けるボケー。

 理子はそんなオレ達の顔色をうかがいながらキョロキョロ。

 擬音が似合う方々の中で無心で座っていたオレは、唐突に震えた携帯にちょっとビックリしつつ相手を確認し、落ち着いて話すために1度食堂を出て、そこでキンジとすれ違いつつもスルーし、すぐのところで通話に応じる。

 

「なんかあったのか?」

 

『うむ、ちょっと困ったことになった』

 

 電話の相手、ジャンヌは開口一番のオレの質問に対して本当に困ったような声色で肯定するので、これはただ事ではなさそうだと心する。

 

『実はな、私は今は女子寮の自室にいるのだが……』

 

「おい、シンガポールはどうした。帰国にはまだ早いぞ」

 

『だ、だからそれが困ったことだと言うのだ。せっかちなやつめ。それで話を戻すと、当日にシンガポールに来れたのが私だけだったのだ。中空知も島も京極も、誰1人として空港に姿を見せなかった。なのでどうすることもできなく私も翌日に戻って今に至るわけだが……』

 

「だから現地集合は色々不安があるって言ったろ。どうせ中空知は荷物をなくしたとか、島は飛行機見てたら乗り遅れたとか、京極なんて自宅から出られなかったとかだろ」

 

『京夜、お前は超能力者だったのか。まるで見てきたような推理だな』

 

 心したのだが、なんだかアホ臭い話で緊張感もどっかにいってしまい、修学旅行Ⅱの直前に現地集合を通達したジャンヌは自立行動を促したようだったが、あのメンバーを1人にさせたらどうなるかくらい容易に想像がつく。

 

「……それはまぁ、戻ってから改めて話そう。今はこっちも状況が緊迫してる」

 

『ん? まさかお前、アリア達と合流したのか? 理子とは話はしたんだろうな?』

 

「それは今夜ゆっくりする。それよりさっきからそっちが騒がしい気がするんだが、誰かいるのか?」

 

『ああ、今日はクリスマスイヴだからな。集まれるメンバーでパーティーをするのだ。今は幸帆と小鳥とかなめが中空知と一緒に準備をしてくれている。あと玉藻もいる。本当ならお前と一緒にいたかもしれない日だったが、理子と思い出作りができて良かったな』

 

「思い出作りねぇ……そうなればいいが……」

 

 と、割と緊急でもなかった話を切り上げて別の話をしていたら、1人のメイドを引き摺りながら食堂に入っていく猛妹が見えたので言葉を切る。

 おっと、どうやらゆっくり話をするのが難しくなりそうだぞ。

 

「すまん。連絡は改めてこっちからする。緊急案件が入ったからな」

 

 なのでジャンヌとの話はここまでにして、返事も待たないまま通話を切ったオレは、猛妹に遅れて食堂に入ると、中では何やら巻物を広げてキンジ達に見せる猛妹が話をしていたので、とりあえず人質っぽいメイドを後ろからスルッと奪って肩に担ぎ、それに対してキーキー喚く猛妹を無視してキンジ達の方に行き、口に巻かれていた布を解いてキンジに渡す。

 

「んで、何の話?」

 

「上海藍幇からの辞令なんだって。これからあそこに書かれてる内容を説明してくれるみたいね」

 

 とりあえずまだ何かが始まった様子もなかったので猛妹に向き直ってアリアの示す猛妹が広げる巻物に目を向けると、無視されたからかちょっと不機嫌な猛妹はオレにムキーッという顔をしてからいつもの嫌な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「キョーヤ関係ないから無視ネ。『遠山金次には上海藍幇より武大校の位、終身契約前払いで3000万人民元の給金を与える。狙姐除く曹操姉妹は全てその正妻側室とする。遠山が中国語を覚えるまで女性教師を付ける』と、書いてあるネ。あと『神崎・H・アリアは武中校、星伽白雪・峰理子・レキは武小校とし、何れも遠山金次配下とする。以上の条件を以て、バスカービルは藍幇に降る事』ネ」

 

 ない胸を張りながらそこから破格の待遇だと補足説明を加える猛妹だが、要約すると藍幇で良い地位やるから投降しろってことだな。

 武大校だと10指に入るらしい劉蘭よりは低いが、それでも藍幇側も最大限の待遇を用意したと判断していいな。

 

「その決定に劉蘭は関わってないな?」

 

「その通りヨ。劉蘭関わると相手の気持ちが大事とかなんとか言って交渉長引くネ。諸葛もノロノロしてて劉蘭の息かかってる。それに峰理子、猴に会ったわかってるアル。お前のひん曲がった性格知ってるココ達、お前いるわかった時点で上海にこの辞令出させるよう動いたアル。それからこの条件で断ったら極東戦役のルールで決闘してしまえ、そのお許しももらたヨ」

 

 そんな話に劉蘭と姿が見えない諸葛含めて関与してなさそうな予感がしたので問いかけてみれば、案の定でさらに断れば決闘が始まるとか付け足してもきた。

 それを聞いた上で諸葛はどこにいるかとキンジが聞けば、面倒だから先に捕らえてあるとかなんとかで、もうココ達は諸葛の上に立ってる気分らしい。

 それらを踏まえて猛妹は改めてキンジの答えを聞くために交渉を飲むかどうか尋ねる。

 しかし政略結婚だなんだと不穏な言葉によって鬼のような顔になってるアリアや白雪に見つめられながら、キンジはハッキリとその条件を……

 

「これは上海のミスだな。人選をしくじった。――諸葛なら良かったんだけどな。ココ、お前じゃダメだ」

 

 蹴った、のか?

 直前の政略結婚うんぬんのせいでどういう意味なのか解釈が分かれるぞこれ。

 もうそういう意味で全員が捉えてそうな顔をしてるし、終わったなキンジ。

 とか思いながらキンジから若干距離を置いたアリア達に合わせてオレもキンジから離れてみると、同性愛のうんたらかんたらを語り出す一同に言葉の意味をちゃんと叫んだキンジは、襟を正すようにその手にベレッタを抜いてその明確な意味表示をして、金や地位だけで人が動かないぞと猛妹に言い放つ。

 それを聞いた猛妹は始め、その考えが理解できないようなキョトンとした表情を浮かべたが、交渉決裂となった事実は理解して闘争を受け入れた目の色に変わる。

 

没法子(しょうがない)。没法子。あい分かったネ。要するにキンチはココを、藍幇をフッたってことネ。フラれた腹いせ、してやるヨ」

 

 怪しく笑いながら、半分くらいはこうなることを予測していたとかなんとか付け足して持っていた巻物をビリッと破いた猛妹は、食堂の壁に飾られていた様々な武器類を眺めながらどれにしようかと選別を始め、それに珍しく自分から喧嘩を売ったキンジも負けじと『この決闘の中で負けたやつは藍幇に降る』的ないらん条件で発破をかけたのだが、それを聞いた猛妹はこれまでにない怪しい笑みを浮かべてオレ達を見た。

 

「ああ、言い忘れてたヨ。まずキョーヤ、狙姐から伝言ネ。『もし戦うことなって、ココ達藍幇が勝ったら、キョーヤを藍幇に招いて狙姐を妻とする。これ、狙姐なりの答え』だそうアル」

 

「…………余計なアドバイスしたか……」

 

 どうやら本当に交渉が決裂することは読んでいた猛妹は、そうしてすでにどこかに配置されているのだろう狙姐からの伝言をオレに伝えてきたが、その瞬間に近くの理子からグサッとくる視線を受けてそっちを向けなかったが、朝にしたアドバイスがこんなところでらしく返ってくるとは思わなかったな。因果応報だわ。

 

「それでキンチ、今の言葉に嘘ないアルか?」

 

「ああ。俺達が負けなきゃそれでいいわけだしな」

 

 伝言は伝えるだけで終わった猛妹が次にキンジの言葉に二言はないかとあえて確認をしてきて、それになんか嫌な予感を感じてキンジに言葉の取り消しを要求しようとしたが、なんか即答しちゃったよ。

 と思ったら、その直後に食堂の扉が開けられて、そこから外に出ていた劉蘭が血相変えて現れてちょっと乱れた呼吸のままにオレ達に話しかけてきた。

 

「ああ……すでに交渉は済んでしまいましたか……」

 

「劉蘭、少し遅かったヨ。もう決闘は決まったネ。つまり……」

 

「バスカービルの皆様! 京夜様! 急ぎ決着を着けてください! 今は要人のお迎えに向かわせて時間を稼ぎましたが、この決闘に趙煬が駆り出されました! 趙煬が来る前に事を済ませてください!」

 

 どうやら劉蘭にも話は行っていたようで、その慌てた様子からただ事ではないことは察していたオレ達だったが、予想外の藍幇の援軍にオレは血の気が引く。キンジ達も全員、さっきまでのやる気がちょっと萎えてしまった様子。

 無理もない。あの孫とほぼ互角の近接戦闘をやってのけた趙煬だ。

 それを実際に見たからこそ、おそらくは誰が戦っても勝負にならないとわかる。HSSのキンジでも怪しいな。

 

「おい、言葉を訂正するのが賢明じゃないか?」

 

「い、いや、だがな……」

 

「つべこべ言ってる場合じゃないわ。劉蘭が言う通りさっさと終わらせればいいだけでしょ。ココ、どうしたらこの決闘は終わりなわけ?」

 

 嫌な空気を察してオレが言葉の訂正を進言すると、白雪や理子もうんうん頷くが、渋るキンジを押し退けてアリアが勇ましい言葉で強引に話を進め、猛妹に決闘の方法を尋ねる。

 それはそうなんだが、もう少し後先をだな……

 

「藍幇城、3階層ネ。各階にココ達1人ずつと、数は伏せるアルが、藍幇城守るための女傭隊(メイズ)配置してるヨ。そして屋上に孫悟空と最後のココいる。そこに辿り着いて孫を倒せたらキンチ達勝ちヨ。『死亡遊戯』聞いたことアルか? それやるネ」

 

 アリアの問いにそうしてこちらの勝利条件を述べた猛妹は、バツ字に掛けてあった曲刀を手に取って武器を決定。

 白雪も孫が屋上にいることを感じたらしく裏も取れたが、死亡遊戯って確かブルース・リーの遺作になった映画タイトルだったか。その中の戦闘シーンにそういうのがあったからってことか。

 ともかくこちらの勝利条件もわかったので早速動こうとすると、猛妹もやる気になって近くにあった酒棚からボトルの酒を一気飲みしてフラフラしながらの臨戦態勢に入る。

 酔拳ってやつだろうが、実際に使うやつもいるんだな。蘭豹も酔ったら強くなるとかならないとか聞いたことがあるけど。

 そして猛妹は修学旅行Ⅰの時に新幹線をぶった切って人質を逃がされた恨みとかで白雪を指名してオレ達は先に行ってもいいと示して、白雪もそれに応じる形を取ると、「開戰(開戦)!」の叫びを上げてみせる。

 すると外の方。玄関の辺りから大きな銅鑼の音が響いてきて、次いでいつの間にか藍幇城の周囲を取り囲んでいたたくさんの船舶から人の声が木霊す。

 完全なるアウェーの空気に白雪がちょっとすくんでしまうものの、始まった以上は腹を括るしかない。

 とにかく劉蘭が稼いでくれたとはいえ、時間に余裕はないので早速アリアがあやや特製の飛行ユニットであるホバースカートをまさかのリモコン操作で分裂させて食堂に隠していたパーツ類を呼び込み合体という男心をくすぐる事をしたのだが、やはりそこはあやや印。

 不具合に定評があったので完全に合体することなく、あろうことか不完全な状態で飛んでコントロールができないままキンジに突っ込んでいき、そのままもみくちゃになって倒れれば、なんとも恥ずかしいアリアが股間を仰向けのキンジの顔に押し付けるような崩れた正座の体勢になっていた。

 それには全員ちょっとなんか言葉を失い、猛妹すら呆れて飲み直していたものの、アリアを退かしたキンジはやはりというかHSSになっていたので結果としては良かったかと思いつつ、ご指名を受けた白雪以外は猛妹の横を抜けて食堂を出て階段を目指し、その時にオレは一応、劉蘭と話をしておいた。

 

「危ないから、劉蘭は安全なところにいろよ」

 

「はい。京夜様もお気をつけて。私は『皆様を信じています』から」

 

「それは……なんか……」

 

「おい京夜、時間がないって!」

 

 上海藍幇のお偉いさんだから身の安全は保証されてるに等しいが、一応それだけは言ったら、これまでの劉蘭を見てきたオレは返ってきた言葉に何か深い意味があるような気がして聞き返そうとしたら、先に行っていた理子が怒り気味で来るように促してきたので、それを聞かないまま劉蘭と別れてしまった。なんだろうな、この引っ掛かりは……

 何はともあれ始まってしまった藍幇との決闘を終わらせるために、趙煬という時限爆弾を抱えながらのオレ達は屋上目指して走り出したのだった。

 本当なら今頃シンガポールにいるはずだったのに、とはもう思わないようにしよう。

 人生山あり谷ありだからな。谷が続いてる気がするけど……



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Bullet96

 極東戦役における藍幇との平和的交渉のために藍幇城に滞在していたオレ達だったが、痺れを切らせたココ達によって強引に交渉が進み破談。

 結局は正面衝突の事態となって用意された戦場を駆けていたオレ達は、上の階目指して階段を上っていた。

 しかし藍幇城の構造を調べた限りでは、2階までは割とオープンな造りなのに3階へと上がる階段は1つしかないことがわかっていて、理子は籠城戦時の備えだと説明してくれた。

 その2階へと到達して、警戒しながらホール奥にある3階への階段近くまで行くと、勘の良いアリアがその手前の角で立ち止まって制服のタイをヒラッと角から向こうに出すと、待ってましたと言わんばかりの銃弾が飛んできてその様に全員で苦笑。

 続けてキンジがミラーを使って階段の方を覗くと、そこには五角形や六角形の防弾盾を隙間なく亀のように展開するメイドさん達とココ1人がいるのが見え、そのミラーも柄の部分を撃ち抜かれて壊される。

 守りも固いし、出ていった途端に蜂の巣だなこれ。頭数も相当みたいだ。

 

「銃撃ってことは炮娘か。火力じゃこっちが不利だが、弾切れ覚悟で応戦するのか?」

 

「それはナンセンスだな。まだ上がある以上、消耗戦は避けたいが……」

 

 到着を遅らせてくれた趙煬のこともあって状況的に悠長なこともしてられないオレ達だからこそ、こうして足止めされてるのはいただけないので判断を急かすようにオレがキンジに尋ねるが、キンジもこの場での最善が見つからないようで言葉に詰まってしまう。

 そんな中で唐突に角の向こうから大人の女性の喚く声が聞こえてきて、中国語だったそれを和訳すると『3分後に前進。理子を狙え。殺してよし』とか言ってて、名指しされて中国語を理解してる理子もあちゃーみたいなリアクションをして今の言葉をキンジ達に伝える。

 なんか昼頃に今の声の主であるメイド長に変装してやんちゃしたみたいだが、理子を殺していいとか聞いたら黙ってられないだろ。

 オレがじゃなくて、その影に潜んでる竜悴公姫がな。

 

「ヒルダ。ここは君にお願いするよ」

 

 それを影絵のジェスチャーで示していたヒルダにキンジも気づいていたようで、ゴーサインを出した途端に理子の影から離れてホールの方へと影のまま飛び込んでいって、オレのミラーでそれを確認してみると、影だけが進んでくる摩訶不思議な光景にどうすればいいかわからないメイド達は黄金でできた階段で立ち尽くして、そこにヒルダは眩いばかりの閃光の放電で一斉に感電させ階段から転がり落とす。

 それを見下ろすように階段の上部に姿を現したヒルダは、やはりサディスティックな性格なのか這うしかないメイド達を笑いながら、くるくると日傘を回していた。

 突然の出来事に痺れる体を引きずりながら貴賓室へと退避したメイド達に、放電の直前にジャンプして避けた炮娘もそのメイドの波に呑まれて一緒に消えていったのを確認したオレ達は、そちらを牽制しながら階段へと到達。

 立派な活躍をしたヒルダをキンジが褒めると、おだてられるのが好きなのか上機嫌なヒルダはかつて切られて小さくなった羽をパタパタさせて喜ぶ。

 

「今は私も師団の俘虜(ふりょ)。この階段ひとつぐらいなら、守ってあげてもよくてよ」

 

 それに気を良くしたヒルダは自ら足止めまで買って出てくれ、追撃の心配を排除できそうなことに願ったり叶ったり。

 ――ビリッ。

 ここはノッてるヒルダに任せて上へと向かおうとしたところで、誰も何も感じてはいないだろうが、オレだけがとてつもない嫌な感じを肌で感じて大理石の踊り場でその足を止める。

 これは初めてシャーロックと会った時の……いや、現れた時の悪寒に近い。

 

「……キンジ、孫はお前が何とかするって前に言ったな」

 

「……突然なんだ?」

 

「ん、ならそのための道を作るのが今回のオレの役割かなって思っただけだ。先行け。殿(しんがり)はヒルダだけじゃちょっと不安だしな」

 

 その異変にキンジ達も立ち止まったが、そんな確認をしてからここに残ることを告げたオレに、察したキンジ、アリア、レキは何も言わずに上へと行ってしまうが、理子はこうなったオレが何か重要な意味を持つことをわかった上で舌打ちして踊り場まで戻ってきて、

 

「あたしも残る。ツァオは銃を持ってるし、京夜は女に甘いからな」

 

 そんなことを言ってその手にワルサーを持ちオレに軽めの蹴りを入れて暗に『1人で背負うな』と言われてしまう。

 そうしてオレ、理子、ヒルダの3人で3階への階段を守る役目を担って、感電で銃も持てないだろうメイド達は戦力外と判断し、ヒルダを階段に配置したまま残る炮娘を警戒しながら階段の前まで移動したオレと理子は、大きな壺を持ってこちらに走り出そうとしていた炮娘を見て無表情になる。

 たぶんヒルダの電撃対策に持ってきたのだろうが、オレ達が出てきたことでその足がピタリと止まって一瞬だけ時すら止まるが、すぐに走り出してオレ達へと突っ込んでくるので、中に何か入っている可能性も考慮して理子は撃たず、オレが抱える壺に触れて合気道の要領で突進の力を利用しポイッと投げると、壺ごと宙を舞った炮娘はその壺を蹴ってオレに飛ばして、背中にモロに受けたオレは重さと衝撃で床に倒れてしまい、着地と同時にサブマシンガンを取り出したのに理子が応戦。ヒルダも階段上から戦況をうかがう。

 結構なダメージだったが、割れずに乗っかった壺を退けて戦線に加わろうとしたオレがその手にクナイを持ったところで、オレ達が上がってきた階段。

 正面玄関の方から藍幇構成員の沸くような歓声が聞こえてきて、激しいアル=カタ戦を始めた理子と炮娘を他所にそちらへと明確に意識を向けていると、階段の角から悠然と姿を現した民族衣装に身を包む男がオレへと正面から闘志をぶつけてきた。

 

「早かったじゃないか、趙煬」

 

最初的獵物是你嗎(最初の獲物はお前だったか)

 

 思わず日本語でそう言ったら、案の定噛み合わない形でそう返した趙煬は、オレを完全に敵としてではなく狩る立場から物を言っていて正直カチンときたが、そう思わねばならないほどに趙煬との実力差はあるのだ。

 こいつがここに来た時点でオレ達の負けは決まったのと同じと言ってもいい。

 だが今回はオレはこいつに『勝たなくてもいい』。負けさえしなければそれで、な。

 

是誰不是去接的嗎(誰かのお迎えに行ってたんじゃなかったか)?」

 

 趙煬の登場で理子と炮娘も1度その動きを止めてそれぞれがオレと趙煬の元まで下がって分かれて、その実力差からか構えようとしない趙煬を少しでも止めようとつたない中国語でそんな質問をしてやると、オレが意外と話せることにちょっとだけ驚く表情をしてから余裕綽々でその会話に応じてきた。

 

自己因為去因為說告訴只地方、(自分で行くから場所だけ教えろと言うから、)只是返回了(引き返してきただけだ)

 

 余計な手間がかかったみたいな感じでそう話した趙煬は、続けて独り言のように「劉蘭も気配りが過ぎる」とか愚痴ったが、その先方のせいでオレ達はピンチになってるから、ちょっとだけこっちの状況を知る由もない先方さんに恨みの念を送っておいて理子と小声で会議。

 

「あれはマジでヤバイぞ京夜。それに加えてツァオがいるとなると厄介以外の何者でもない」

 

「あれを通したら上に行ったキンジ達が挟撃で倒される可能性が高いからな。どうにかしてここで足止めするしかない。勝とうとするな。負けなきゃキンジ達が勝ってそれで終わりだ」

 

「ちょ、ちょっとサルトビ、理子。私もそちらに手を貸さなくもなくてよ?」

 

「いや、ヒルダはそこを守っててくれ。これでも感謝してるんだ。お前のおかげで目の前の相手にだけ集中できるからな」

 

 戦力としてこちらが不利なことは分かりきってるので、相手を倒すことを考えるなと理子に言っておきつつ、階段の下まで下りてきていたヒルダの加勢もありがたいかと思ったが、残るメイド達が動かないと決まったわけでもないのでそちらに意識を持っていく余裕はなくなるだろうことを考慮して待機を指示。

 理子もその方が良いと付け足したら、ヒルダも大人しく持ち場でオレ達の様子を見始めた。

 

「峰理子、キョーヤ。降参するなら今ネ。趙煬、藍幇全体でも十指に入る豪傑ヨ。勝てる思うはバカの考えアル」

 

 どう動くかの相談をしていたオレ達に対して、ニヤニヤしながらそんなことを言ってきた炮娘に、確かにバカなことをしようとしてるとは思いつつも、理子と一緒にアッカンベーで返してやると、予想してなかったのかギョッとした炮娘は驚きを表現するが、すぐにいつもの嫌な笑みになって手に持つサブマシンガンを腰に据える。

 

「お前達もう少し利口思ったがそうでもなかったヨ。頭悪い人間、藍幇に必要ないネ!」

 

「武偵なんて大抵バカなんだよ」

 

「あたしは京夜の100倍はキレるけどな」

 

「ほほぅ。その話、この件が終わったらゆっくりしようじゃないか」

 

「くふっ。そんなこと議論する余地もない事実なのに、変な京夜」

 

「オレはたまにキレッキレの冴えまくりの時があるんだよ」

 

「たまにとか笑えるー。あたしはいっつもキレッキレだしー」

 

 その動作を見て示し合わせてもいなかったが、理子とそんな言い争いを突発的に始めて炮娘を若干呆れさせてやり、ほんの少しだけサブマシンガンの構えが緩んだところを見逃さずに瞬時に左右で分かれて狙いを分散させると、ワルサーを持つ理子に狙いを定めた炮娘をオレがクナイで狙って投げ入れる。

 しかしオレのクナイはオレ達の言い争いにも微動だにしなかった趙煬が片手で横から掴んで止めてしまい、寸分の狂いもなくオレの胸めがけて投げ返してきたので、それを体を捻りながらキャッチしてみせる。

 誠夜とよくクナイの投げ合いしてて良かった。反射的にキャッチできたよ。

 それにほんの少しだけ安堵したのも一瞬。再び前を向いたオレはほとんど直立の体勢だった趙煬が独特の歩法でこちらに近寄ってきたのを感覚的に察知。

 視覚的にそれを認識するよりも早くクナイを足元へと投げ込んで接近を遅らせるも、わずかなステップで難なく避けた趙煬は全く落ちないスピードでオレの懐まで一気に侵入。

 中国拳法にある体当たり。背中を使った鉄山靠(てつざんこう)という八極拳の代表格的技をモロに食らって後方へと吹き飛び、その衝撃たるや肋骨が折れるのではないかというほど。

 危うく意識まで持っていかれそうになったが、床にぶつかった衝撃でギリギリ意識を保ちバウンドの際にバック転で持ち直して立ち上がるものの、口からは珍しく血が出てきたので今のダメージが大きかった証拠だ。

 それを拭いつつ体が動くことも確認しつつで趙煬を警戒していると、今の鉄山靠で終わらせるつもりだったのか、オレが立ってることに少々驚いてるような挙動が見られた。

 確かに八極拳はかつて李書文(りしょぶん)が『一撃必殺』を体現していたほど有名な拳法だが、お前は李書文じゃないし、オレはそういう正面からの攻撃は反射的に回避に動くからモロに受けたがモロではなかったんだよ。自分でなに言ってんのかわからんが。

 

好像好歹稍微輕視你(どうやらお前を少し侮っていたようだな)

 

 そんなオレに評価を変えた趙煬は、その身に纏う雰囲気を少しだけ危ないものへと変貌させて八極拳の構えらしき左手足を前にする半身になると、

 

炮娘、再1人託付(炮娘、もう1人の方は任せた)

 

 近くで再びアル=カタ戦を始めた炮娘にそう言い、理子を狙いつつ炮娘も「知道了(わかった)」と返し、それを聞くか聞かないかのタイミングで趙煬がバンッ!

 床が抜けるのではないかという強烈な音を伴う踏み込みでオレへと迫ってきて溜めていた右拳を勢いに乗せて突き出してくる。

 本格的な中国拳法と相対した経験がほぼないに等しいオレは、視覚的に点で迫ってくる趙煬との間合いが取りづらく、微妙な距離感のせいで最小の動作での対応ができず回避が大きくなってしまう。

 そうなれば必然、趙煬の追撃の手が半歩ほど早くなり、あっという間に防戦一方の展開となって反撃のタイミングすらなくなる。

 想像以上にやりにくいぞ。しかも相手が自分よりも格上となれば絶望すら感じてしまう。

 だが防戦一方だからといって形勢圧倒的に不利とはしてやらない。何度も撃ち込まれればオレだってタイミングくらい掴めてくる。

 それにここでの目的は趙煬を倒すことではない。

 もちろん倒せるならそれが理想だが、できないことを無理にチャレンジする状況では全くない。

 今はキンジ達を信じて耐えきることだけを考える。

 趙煬はその攻撃を見る限り、まずはオレ。次に理子、ヒルダを排除して上に行こうとしているようだったので、とりあえず横を抜かれてヒルダを優先されるようなことはないと判断して後ろへの配慮は無くす。というかそんな余裕はほとんどない。

 次に炮娘との共闘の有無だが、これも各個の実力差が邪魔をして合わせる趙煬がレベルを下げないといけないと感じ、戦力低下はさせないつもりならばそれもないだろう。

 最後にこれも大事で、趙煬から放たれるプレッシャーの中に殺気がわずかながらにだが感じられて、倒せればそれでよしというわけではなく、最悪死んでも仕方ないくらいには思ってる。

 だがその小さな加減がオレに活路を見出だしてくれている。つまり趙煬は極力、オレを殺さないように全力では撃ち込んでこない。

 それでも一撃必殺クラスの威力を誇る八極拳に、まだ出していない先日の槍まで控えているのだ。

 オレが手強いと思わせればそれだけその手が出てくる可能性が高くなるわけで、武器戦闘になった場合はリーチ的に立ち回りが難しくなる。

 のらりくらりとやり過ごせる相手でないのは百も承知だが、それでもキンジ達を信じてこの趙煬をしのぎきるしかない。出来ないなどと言ってられるか。

 とにかく最大威力を発揮できる射程から外れるようにようやく慣れてきた動きに合わせて常にリーチギリギリの間合いで攻撃を避けるオレに対して、呼吸ひとつ乱さない趙煬は「別急急忙忙動(ちょこまかと動くな)」と呟くとその動きに変化を加えて、両手の指を立ててすぼませ、アヒルの口みたいな形にすると指先からして鎌を思わせる鋭さを増した動きをしてオレの回避を鈍らせる。

 その様は獲物を捕らえようとするカマキリ。見るに蟷螂拳(とうろうけん)であろうことは明白だが、八極拳だけじゃないのかよ……

 回避主体のオレに合わせてそれを捕らえるための拳法に切り替えられる柔軟性まで持ってる趙煬のバリエーションはまだ未知数。

 こちらが手を見せれば見せるほど、相手はそれに順応する新たな手を出してくる可能性を考慮すると、これ以上余計な手を見せるのは得策ではないが、出し惜しみする選択肢すらないこの状況には参ってしまう。

 どんどんオレという人間を引き出されてる感覚がある中で、それでも劣勢を覆す策を巡らせながら回避の際にチラチラ見える理子と炮娘のアル=カタ戦にふと目がいき、状況五分五分っぽい雰囲気を瞬時に悟る。

 

「理子っ! 3秒!」

 

 それならばと趙煬の蹴りを屈んで躱した瞬間に理子へと叫ぶと、炮娘から少し距離を開いた理子はこのホールで一番明るい光源をワルサーで撃ち抜いて破壊。

 それでも全員の姿とホール全体を見渡せるだけの光源は残るものの、細かい部分が見えにくくなるくらいには暗くなって、それと同時に懐からなけなしの閃光弾を取り出して投下。さらに保険で煙玉も足下へと投げて、二重で視覚を遮断。

 理子とはそれなりに長い付き合い故に秒数とかで何をするかを打ち合わせた時があったので、それを覚えてる前提で目潰しを合図したが、覚えててくれて合わせてもくれた。仲は微妙になってるが、連携に支障はない。

 それが嬉しいとか思ってる場合じゃないが、自然と笑みが出てきたオレは煙の中で趙煬の横を静かに抜けて目が眩んでいた炮娘を襲撃。

 単分子振動刀で装備されてたサブマシンガンをバッサリ斬り捨て、納刀するのと同時にワイヤーを取り出しながら同じく接近していた理子が炮娘を床に倒して超能力で髪も操りその両手足を後ろでまとめて、それをワイヤーで素早く縛り上げて捕獲完了。その間、約5秒の早業だ。

 声を上げる暇もなかった炮娘を2人で持ってせーのでヒルダのいる階段へと放り投げ、悲鳴を上げながら宙を舞った炮娘は心配で階段の下まで降りてきていたヒルダを下敷きに着地。

 位置的に煙のせいでシルエットしか見えなかったが、そのシルエットがそんなコメディーな感じだったからどちらも大丈夫だろう。

 これであとは趙煬だけ。

 そんなちょっとした気の緩みを見せた瞬間、漂う煙を切り裂いて真後ろから趙煬の槍が迫ってきて、突き出された槍はオレの背中の中心を捉えるが、それが制服を貫いてくることはなく、前にいた理子に覆い被さる形で押し倒れてしまう。

 ……普通ならそうなるわけだが、用心深い理子は正面から趙煬を見たのもあるだろう。

 オレが倒れかかってきたところでその体と体の間に右足を挟んで腹に当てて倒れ、完全に覆い被さる前にオレを巴投げで後ろにポイッ。

 後ろから前から不意打ちを受けたオレは仰向けで床に倒れるものの、理子の判断が正しいことにすぐに理解がいき痛みも堪えて片膝立ちまで持っていき、その時に理子も仰向けの状態のままワルサーで接近していた趙煬に反撃をしたが、3メートルとない至近距離にも関わらず2丁のワルサーの銃弾を巧みな身のこなしで躱してみせた趙煬に「チートかよっ!」と愚痴りながら弾切れを起こしたワルサーから髪に仕込んだナイフに切り替えようとするが、それより早く槍を理子の体の中心めがけて振り下ろした趙煬。

 それを見るよりも早く、弾切れしたタイミングで膝立ちのまま理子に近付いてその襟の後ろを掴んで力の限り引っ張り移動させると、趙煬の槍は理子の股の間をザシュッ!

 超スレスレで抜けて床に突き刺さり、思いの外強く刺したのか抜くのにわずかに時間をかけたのでその隙に2人揃って立ち上がって距離を取る。

 

「ちょっとキョーやん! お股ヒュンッてなったんだけど! 女の子だけどヒュンッて!」

 

「その感覚がお前にわかってもらえたなら、男の急所攻撃がどれだけ脅威かわかっただろ」

 

 危機を脱したところでワルサーのマガジンを交換しながら理子がいつもの調子で絡んでくるので、体に入った余計な力を抜きつつ煙の晴れた前方で携帯していたのだろう簡易式の槍を構えた趙煬が風を切るような槍捌きを見せてからカンッ、と石突きを床に打ち鳴らして止める。

 

太還是由於這個輕嗎(やはりこれでは軽すぎるか)

 

 閃光弾も煙玉も割と意に介していないようだった趙煬は、オレがまだ立ってることに納得がいかないのか、簡易式の槍の軽さを嘆いていたが、それを聞いてか聞かずか、貴賓室の方でこちらの様子をうかがっていたメイドさん達が、趙煬に対して黄色い声援を送りながらがっしりとした槍を放り込んできて、床を転がって近くまできたその槍を足で器用に掬い上げて左手に持つと、右手の槍と重さなどを比べてから簡易式の方を予備動作もほとんどなしでこちらに投げ込んできて、死の回避でなんとか躱した槍はその後ろの壁に鋭く突き刺さって止まる。

 

稍微抽出過多手。(少し手を抜きすぎた。)請在變得麻煩前讓我推倒(面倒になる前に倒させてもらう)

 

 明らかにさっきよりもキレの増した趙煬の攻撃に戦慄していたら、交換した槍を構えてみせて口を開いた趙煬に、オレも理子もその顔に適度に抜けていたはずの力が入ってしまったことを自覚しながら、目の前の敵に身構えさせられた。



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Bullet97

 藍幇との決戦に挑んだオレ達は、そこで待ち受けていたココ姉妹、孫を倒すために動いていたが、上海藍幇の補強戦力にして孫に次ぐ戦闘力を持つ趙煬の到着で一気に劣勢に。

 先に行かせたキンジ達を守るために足止めを買って出たオレと理子、ヒルダではあったが、炮娘を上手く無力化できたものの、趙煬には主武器である頑丈な槍を装備されて緊張感が一気に増す。

 人間、得物を得るとここまで変わるのかと感じるほどのプレッシャーに、オレも理子も交戦距離を無視して体が強張る。

 

「さて、どうあれを攻略するよ」

 

「無理ゲー感が凄いんだけど、まずはセオリー通りに……」

 

 隙のない趙煬を見ながら理子と小声で話してみるが、やはり理子も勝てそうにない弱気発言をして、それでも黙っていられる状況ではないのでワルサーを股のホルスターにしまいつつ髪で持っていた2本のナイフを手持ちに変更。

 銃が通用しないからではない。

 2対1でかつ、オレが近接戦闘を主にするから、誤ってオレを撃たないために自分も近接戦闘に切り替えたのだ。

 それを見るや否やオレ達の行動に見切りをつけた趙煬は槍先をオレ達に向けて突貫。

 そのリーチを生かした射程による突きは、先ほどの簡易式の槍とは違って唸りを上げてオレに迫り、その動きを見るのと同時に横に逃げた理子は後ろへと回り込む動きをスムーズに行い、槍を半身で外側へと躱したオレはそこから異常なほど戻りの早かった槍に驚愕。

 リアクションなどする暇もなく若干接近し両手持ちでの多連突きを放ってきた趙煬に回避が追い付かず、4連撃のところで腹に重い一撃をもらってしまう。

 これも制服を貫いてくることはなかったが、衝撃まで無くす性能は持ち合わせていないので後ろへと流れかけるが、それを食い止めるために咄嗟に槍先を手で握って槍の戻りも封じてみせた。

 これは狙ってやったわけではないが、良い動きはした気がす……

 そう思って後ろへと回り込んでいた理子が好機と見てナイフで斬りかかるのを確認したのも一瞬。

 趙煬は槍を持つオレを何とも思ってないかのように1度右へ軽く振り、勢いよく左へと振り回してオレを投げ飛ばすと、石突きで迫る理子の鳩尾を鋭く突いて昏倒させ、決死のガードの上からではあるが壮絶な回し蹴りで理子をオレと反対方向へと吹き飛ばしてしまった。

 圧倒的。

 わずかな攻撃でオレも理子もすぐに持ち直せないダメージを負わされてしまって、床に倒れる理子はナイフも手離して腹を庇うように丸くなって立てずにいるところを見ると回復も遅いだろう。

 オレもオレで累積ダメージが効いてきて足腰にキテる。

 それで立たないオレと理子を一瞥した趙煬は、次に階段下にいたヒルダへと視線を向けてその足を進め出した。

 いくらヒルダでも得意の電撃を自前ではほとんど使えないし、オレ達よりも劣る接近戦を強いられては勝てない。行か、せるかよ……

 意地でも立ち上がろうと手をつき膝をつきと重い体を起こしにかかったオレだが、なかなか思うようにいかず手間取っていたら、藍幇城の外から唐突に銅鑼の音がゆっくり3度打ち鳴らされ、そこに意味は当然あるため趙煬も1度その足を止めていたが、銅鑼がそれで止むと短いため息を吐いて再び前進しようとした。

 こっちに都合の良いことは起きてなさそうだなこれ。

 しかしそのわずかな時間がオレを立ち上がらせるための時間を稼いでくれて、踏み出そうとした趙煬もオレに気づいて振り返ると、まだやるかといった雰囲気の中で再び槍を構えてオレを狙う。

 そうだ。お前の相手はオレだろ。

 未だ何ひとつ有効打を与えられずにボロボロにされていたオレだが、焦ったところで仕方ないと諦め半分の落ち着きを取り戻していた。

 そこに趙煬は猛烈な突貫でその槍を突き出してくる。

 だからオレはその槍に対して自ら顔を軌道上に持っていって無理矢理に死の回避を発動。

 もう自力での反応ではギリギリの回避はできないと踏んでの行動だったが、死の回避はそれをわかってるようにオレの体を強引に右に傾けて頭のすぐ横を槍が通り抜ける。

 そしてこの好機に左手で槍の柄を掴んで止めて、右肘を趙煬の胸の中心めがけて突き出すカウンターをお見舞い。

 完璧なカウンターだったが、趙煬は瞬時に固定された槍の石突きを回り込むように体をクルリと軸回転させて槍の左側から右側へ移動。持ち手を逆にして回避をしやがる。ジャッキー・チェンかお前は。

 完璧だと思ったカウンターを回避されて虚を突かれる形で流れるような左足の蹴りが正面から放たれて、どうしようもないそれをあえて右足を上げて膝で防御。

 普通なら相手にダメージを与える攻勢防御という人体の固い部位による防御方法なのだが、すねで捉えた趙煬は全く痛がる素振りも見せずにオレの膝を力押しで弾いてきて、後退せざるを得ない体勢にさせられるも、離れ際に懐から単分子振動刀を抜いて趙煬の槍を中心辺りでバッサリと斬り裂いて真っ二つにして使い物にならなくする。追撃防止にはなっただろうか。

 

拿著好的武器(良い武器を持っている)

 

 そう思っていたら、ある程度の安全な距離を取ったところで棒立ちで真っ二つにされた槍を見ながらそう呟いた趙煬は、その石突きがある方の片方を横に投げて、先ほど投棄して壁に刺さっていた簡易式の槍に当てて壁から外すと、もう片方も投擲して落ちていく槍の中心に当てて壁にバウンドさせて自分の近くまで滑らせてから、オレから目を離すことなくそれを拾い上げて構えた。

 もう何でもありだなお前……流石に呆れるレベルで、アクション映画観てる感じ。

 そんな曲芸を見ながら両手にクナイを装備したオレは、今ので単分子振動刀をお披露目してしまったことで警戒されてるだろうことを予想して慎重になってくれるかと思ったが、全くそんなことはなく、むしろ抜く暇も与えないような猛攻の気配を察する。

 だから趙煬が仕掛けてくるタイミング。その足を踏み出してきた1歩目を狙って右手のクナイを投げ込んでみる。

 だがたとえそのタイミングで回避不能にしたところで、その手にある槍がひと振りされれば対処されてしまうわけで、事実、難なくクナイを槍で弾いた趙煬の歩みは止まらない。

 が、その槍で弾いたタイミングまで読んでオレが投げた2投目は、正確に趙煬の左手首に迫った。

 これは、当たる。それで握力が落ちればさらに良し!

 如何に超人でも不可避の一撃。

 そんな確信があったクナイは、わずかに速く接地した踏み出しの足を軸に半時計回りで回転。

 飛来するクナイと速度を合わせる形で趙煬の手はなぞるように躱し、クナイは後ろへと流れて階段すぐの床に突き刺さり、近くにいたヒルダがガミガミ言ってきたが、いやいや、避けられるなんて考えてなかったし……

 もはやオレの超人設定の上をいく趙煬にどうすればいいのかわからなかったオレは、回転からほとんど速度を落とさずに迫った趙煬に反応が遅れて思わず下がってしまったが、悪手。

 速度の関係で下がりながら趙煬を捌かなければならなくなって、脳裏に一瞬で倒されるイメージが浮かぶ。

 

「無視すんなクソが!」

 

 ガゥウウウン!!

 その最悪なイメージを払拭するように横から叫びを上げた理子が、オレと趙煬の間にワルサーで割り込んで趙煬の進撃を止める。

 それによりオレもすぐに立ち止まって改めて構えられたが、撃った理子はまだ腹を押さえながら立ち上がれもしない状態で右手に持ったワルサーを趙煬に向けていた。

 

「あたしは……お前に無視されるほど……弱くねぇんだよ……」

 

 趙煬が日本語を理解してないことはわかってるのだろうが、言わずにはいられなかった怒りをぶつけた理子は、自分が倒れた程度で無視されたのが気に食わなかったらしく、それはおそらく、やるなら半端なことはしない理子の考え故。

 現に今、理子はワルサーを撃つ余力を残していた。趙煬はその芽を摘む行動をしなかったのは事実。

 そんな理子に対して、お前がそれを望むなら。

 そうした雰囲気を出した趙煬が理子へと意識を向けていくので、完全なる虚勢の理子が倒されるのを見たくなかったオレは、理子のプライドを無視して趙煬へと接近。

 当然、迫る脅威の方が優先順位は高いので趙煬も槍をこちらに向けて迎撃に来る。

 とにかく槍が厄介なので分銅付きのワイヤーを取り出して突き出された槍を先ほど同様に死の回避を意図的に使って躱し、その際に槍にワイヤーを巻きつけてその自由を多少奪うと、槍を持ちながらの近接戦へと移行し、壮絶な蹴りと拳打を加速がつく前に自ら当たりに行ってダメージを抑えるが、少しでも槍の拘束が緩もうものなら振り払ってきそうな趙煬に圧されながら必死に攻撃に耐えていき、反撃のタイミングを探る。頼む、勝機をオレに……

 

「…………来た」

 

 そうして耐える中で、視界の先である動きを捉えたオレは、それを見た途端に槍の拘束を緩めてワイヤーを手放し大きく逃げるようにバックステップ。

 如何にも堪らずに下がったように見せ、片膝までついて肩で息をする。

 そんなオレにやっと力尽きたかと構えを緩めて槍のワイヤーを取ろうとした趙煬。

 しかし、その違和感に流石にすぐに気付いた様子の趙煬は、ハッとしてそのワイヤーの端が『自分の後方へと伸びている』のを視線を追いかけることで理解し、その先にいたヒルダを視界に捉えた瞬間、先ほど投げたクナイを拾い上げていたヒルダはバヂンッ!! と電光を煌めかせてクナイに取り付けられていたワイヤーに電流を流し、その先に繋がる趙煬の槍へと到達。

 趙煬の手元でもバヂンッ!! と音が鳴り、少しでも感電を阻止するように槍を投げるように手放した趙煬だが、幾分かは電撃の影響を受けたようで腕の筋肉が強張ってしまっているのが見て取れた。あれなら握力もなくなってるはず。

 別にこうなることを予期していたわけでは決してない。

 だがこの世に絶対がないことを散々思い知らされてきたオレが、確信を持ってもその先を見据えないということをしなかっただけ。

 クナイがヒルダの近くに行ったのも避けられることを万に一つでも考えていたから。

 そのクナイにワイヤーを付けて、若干暗くなった中でオレの意図に気づいてもらえたのも偶然に近い。

 あの趙煬ですら直前までワイヤーの存在に気づかなかったくらいだしな。

 そんな奇跡とも呼べる好機を逃すほどバカではないオレは、趙煬が槍を手放した瞬間に片膝立ちからクラウチングスタートのように走り出して趙煬へと迫ると、理子も同時にワルサーで趙煬の足を狙って発砲。

 ここで初めて体勢を崩すように焦った感じで回避に動いた趙煬は、次に繋がる動きを全くせずに理子の銃弾をしかし驚異的な反応で躱すが、そこに間髪入れずに踏み込んできたオレに対して、痺れた腕も防御に動くことはなくほとんど加減せずに全力の右拳をノーガードの顔面へと叩き込んで床に倒してやった。

 窮鼠猫を噛む。追い詰められた鼠も、瀬戸際になれば天敵である猫にも牙を立てるってことだ。

 

「…………還我也甜(まだまだオレも甘い)

 

 床に倒れて少し呆然としていた趙煬は、オレにしか聞こえないくらいの声量でそんな呟きをしたかと思えば、マウントポジションを取ろうとしていたオレも思わず飛び退くほどのコマ回転による起き上がりにカポエイラからの立ち上がりで繋げると、もう復活した腕……

 いや、微妙に痙攣してるからそれを強引に動かして下がったオレを追撃するように距離を詰めての肩から入る体当たりと、顎を撃ち抜く掌底を同時に放って吹き飛ばしてきて、ほとんど防御のできなかったオレは脳震盪まで起こされて一瞬で意識が飛ぶ。

 今までと威力が全然違うじゃねーかよ……

 そうしたことすらまともに考える暇もなく床に倒れたオレは、あまりに強い衝撃を受けたせいで痛みによってすぐに意識が戻り、背中から落ちたはずがうつ伏せで倒れている自分を認識するよりも、グラつく意識の視界の先で趙煬がオレから理子へと狙いを変えたのを捉えて、背筋に最悪の悪寒が訪れる。

 やめろ。理子に手を、出すな……

 そんな思いとは裏腹に動いてくれない体にイラつく中で、趙煬が理子へと踏み出したのを見ていることしかできない自分にさらにイラつく。

 あんな攻撃を今の理子が受けたら最悪ショック死する可能性だってある。

 死……理子が……死ぬ……?

 

『京夜は私1人だけを守るなんて『小さな器』に収まる存在じゃないのよ。あなたはもっと大きなもの、たくさんの人達を守れるわ』

 

 理子の死がよぎる中でふと頭に浮かんだのは、オレが武偵として歩むことを決めた時に幸姉が言ってくれた言葉。

 たくさんの人達? おい猿飛京夜。お前は今、1人の女も守れていないぞ。

 一刻の猶予もない状況でオレは幸姉からもらった言葉を嘘にしないために動かぬ体をその意志だけで動かす。

 全ては守るために。この力は、大切なものを守るために身につけたんだ。それができなくてどうするんだよ!

 無理矢理の挙動に体から警告するような軋みがあらゆるところから発生するが、これがオレの死に繋がるなんてことはない。

 たとえこのあと動けなくなっても、オレは今、理子を守るんだ。

 その意志は確実に力となって、趙煬が理子の近くへと到達するより速くその間に割って入ったオレは、理子が向けていたワルサーを右手で下げつつ、左手で趙煬の右足の蹴りを殴って押し返す。

 さらに左足からの蹴りを頭突きで止めて、軸足となってた右足を払う蹴りをお見舞いしたが、これを跳んで躱した趙煬は流れるように左足を振り上げて下ろすかかと落とし。

 これを腕のクロスガードで受けて止めれば、着地と同時に1歩下がって本気の左足の蹴りが再度横から迫ってきて、ここまでの防御がすでに捨て身だったため、もう踏ん張れないことは確実だったので後ろの理子を庇うようにその体を抱き寄せて蹴りに対して背中を向けた。

 ――グァーーーーーーンーーーー!

 その時、また藍幇城の外から大きな銅鑼が打ち鳴らされ、それを聞いた趙煬はオレの背中に蹴りが当たる直前でピタッ! と寸止めしてみせると、そのまま足を戻してスゥっとその闘志を消し、痺れた腕の調子を確かめながらオレが殴って流れていた口の血を拭う。

 

對吃驚的那樣執拗(呆れるほどにしつこい)

 

 突然の終結に理解が追い付かないオレと理子は、皮肉のように言った趙煬の言葉に反応することもなく互いに目をパチクリさせて顔を見合ってしまう。

 

現在的銅鑼是什麼(今の銅鑼は何だ)?」

 

 極限で限界の戦闘後で全く頭が働かないので、バカっぽいが趙煬にそうして尋ねる形で今の銅鑼が何なのが聞けば、バカを見る目で見てきた趙煬は、イラッとするため息を吐いてからそれに答えた。

 

終結了。結果是你們的勝利。(決着したんだ。結果はお前達の勝利。)假如已經我戰鬥的意義沒有(ならばもうオレが戦う意味はない)

 

 これも嫌味なのかめっちゃ早口でペラペラ話すので翻訳に支障が出るが、どうやら『オレ達が勝ったからもう戦う必要はない』といった感じの意味はわかり、それはつまり上に行ったキンジ達が勝利したということ。

 それを遅れて理解したオレと理子は、ようやくそこで体の力が抜けてホッとするが、次には目の前の理子がキリッとその目を鋭くしてパーン! オレの頬をひっぱたいてくる。な、何だ!?

 

「ふざけんなよ京夜。あたしはそんな風に守ってもらっても嬉しくもなんともないんだよ。何だ最後のは。あたしを庇って相手に背中を向けて。バカじゃないのか」

 

「………背中は防御力が高いんだぞ。あれはあれで合理的な防御であって……」

 

「うっさい! 口答えすんなバカ京夜!」

 

 どうやらオレが自己犠牲の姿勢だったのが気に食わなかったようで、そんなことを言うつもりではなかったが、つい反論してしまったオレをまたビンタ。

 あの、意識は混濁してて、頭も頭突きで揺れて血も流れてて、そこにビンタは結構ヤバイんですが……

 そう思っていたら、急に顔を下げてオレに寄りかかってきた理子は、胸に顔を埋めるような形で小さく口を開く。

 

「……ありがと、京夜」

 

 それでも守れた。

 それを実感する言葉につい気が緩んだオレは、ついに力尽きて理子の寄りかかりにも耐えられずに後ろに倒れてしまい、仰向けで大の字になる。もうなーんにも考えられん。

 

「あらあら、ずいぶんこっぴどくやられたみたいね」

 

 さすがにオレの状態がヤバイと思ったのか優しく起こそうとしてくれていた理子だったが、呑気な調子で聞こえてきた声に噛みつくような表情に変わって声のした方を向くので、オレもそちらを向けば、なんとも他人事みたいな調子で近付いてくる幸姉が笑いながらに目の前まで来て、倒れるオレの前で屈むと、

 

「まっ、ボロボロになっても仲間を守った功績は称えましょう」

 

 そんなこの戦闘を見ていたような称賛を贈ってからオレを抱き寄せて超能力での治療を開始。

 幸姉の治療は自己治癒力を高める補助的な超能力のため、即回復といった感じにはならないのだが、表面上の傷は塞がって止血作用やらは高く、中の方が時間がかかるため安静にはしてなきゃならない。

 しかし段階的に痛みが引いていくのがよくわかって、何よりも治療中は温かいのだ。

 まるで幸姉に包み込まれてるかのようで……って、抱き寄せられてはいるんだけど。

 そうして少しの間、幸姉の治療を受けて応急措置くらいまでが終わったところで幸姉はオレを離して今度はムスッとしてた理子をふざけ気味に抱き寄せてオレ同様に治療を開始。

 幸姉のおかげで体を動かせるくらいには回復したオレは、体を起こしながらここでまた階段の方からやって来た白雪と劉蘭と猛妹を視界に捉え、見た目ボロボロのオレを見た劉蘭が駆け寄ってきてコケるというお決まりを披露して和むが、オレを見て顔にちょっとした殴られた痕のある趙煬を見ての劉蘭は、あらまぁみたいなリアクションをしてみせて笑みがこぼれる。

 

「まさかとは思いますが、趙煬が攻撃を受けたのですか?」

 

「3人がかりでやっとってレベルだがな」

 

 何故か嬉しそうな劉蘭に対して、幸姉に抱かれながら悶える理子と、それを咎めながら役目を終えて近寄ってきていたヒルダを見つつ返せば、それでも趙煬は圧倒的だと思ってたらしく、素直に驚いているようだった。

 

「ここ1年ほど、趙煬は強すぎる故に少々自信過剰になっていましたから、良い薬となったでしょう」

 

「自信過剰でもいいよあいつは……それより幸姉が来てるのは、やっぱりこっちに来るとか言ってた先方ってのが……」

 

「はい。幸音様です。この戦いが終わるまでは藍幇城の近くで待機してもらっていましたが、式? というのですか? そちらの方でご様子はうかがっていたようでして」

 

 式……式神だな。

 確か幸姉のは言霊符の応用で直接の戦闘力は皆無だけど、カメラみたいな役割をこなせたはず。それでオレ達の様子がわかってる感じだったのか。

 というか幸姉が趙煬の迎えを拒否しなきゃ、もう少し軽傷で済んだかもしれないんだが、その怒りをぶつけるのももしもの話でしかないしやめとこう。治療もしてもらったしな。

 そんな風に幸姉を見ていたら、理子の治療もとりあえず終わったようで呑気にヒルダと漫才をやり始めて、劉蘭も趙煬の殴られた頬をツンツンしてからかったかと思えば、ここで足踏みもしてられないとその手を1度叩いて皆の注目を集める。

 

「では皆様、臥龍鳳雛がいらっしゃる屋上まで参りましょう。そこで改めて我々の今後を決定いたします」



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Bullet97.5

 

 12月24日。今日はクリスマスイヴ。

 2年生が修学旅行Ⅱで大半が出払い、こういうイベントが嫌いな蘭豹先生や引率でバカンスを楽しむ綴先生らもいないちょっとだけ平和な東京武偵高は、普段カップルが賑わうイベントは抑圧され気味ですが、今日はそれらの事情からそんなこともなく、クラスでも今夜は寮でパーティーをやる人達がワイワイと計画を立てたりしていた。

 元々はイエス・キリストの聖誕祭としての意味があるクリスマスですが、日本はそういうことはあまり気にせずにイベントにしたがるところはちょっと謎ですね。日本関係ないのに。

 そんな日本のイベントとして定着しているクリスマス。京夜先輩がいない今夜は当然私はフリー。

 だから登校してすぐに親友である陽菜ちゃんを誘って、普段は贅沢できない陽菜ちゃんを喜ばせてあげようとしましたが、さすがは陽菜ちゃんで、陽菜ちゃんにとってのクリスマスは絶好の稼ぎ時らしく、修行――という名のバイトですが――であっちこっち駆け回るとかで夜も空きがないみたい。

 鍋にしようと思ってたと言ったら物凄く揺らいでましたが、目の前の御馳走よりも先の稼ぎ。

 何とか踏み留まってましたが、ちょっと泣いてたような気もして苦笑するしかなかったな。

 そうなると1人寂しく――昴はまぁ、数に含みません――クリスマスを過ごすことになりそうな私は、昼休みに教室で陽菜ちゃんと昼食を摂っていたら、幸帆さんとかなめちゃんが私達のところにやって来て輪に加わると、こちらもやっぱりタイムリーな話題を振ってきた。

 

「あの、小鳥さん、陽菜さん。不躾ですが、今夜は空いていますか?」

 

「えっ? うん。陽菜ちゃんはバイトで忙しいみたいだけど、私は……寂しいです……」

 

 上品にサンドイッチを口に運んでから、そんな質問をしてきた幸帆さんに私が陽菜ちゃんの分まで本音と一緒に返すと、明らかな落ち込みを見せた私と申し訳なさそうな陽菜ちゃんに苦笑した幸帆さんは、お気になさらずと会釈して質問の意図を話してくれる。

 

「実はジャンヌ先輩が今朝方にシンガポールから戻ってきまして、何やら傷心気味でしたのでささやかながらクリスマスパーティーでもと思いまして。なのでお暇なら小鳥さんにもご参加願えたらなーなんて」

 

「ちなみにあたしも参加するからねー」

 

 へぇ、ジャンヌ先輩もう帰ってきたんだ。自由な修学旅行Ⅱとはいえ早いなぁ。

 やっぱり京夜先輩がいないとつまらなかったりしたのでしょうかね。今頃は香港でしょうし。

 とかなんとか勝手に考察しつつも、その傷心気味のジャンヌ先輩を元気付けるためにクリスマスパーティーを利用しようというのは良い考えなので、

 

「お邪魔でなければ喜んで。陽菜ちゃんもバイトが早く終わったらおいでよ」

 

「むっ、しかし拙者、今宵は修行をスシ詰めにした故、なかなかどうして首が回らぬでござるよ……」

 

 快い返事をしつつ、やっぱり陽菜ちゃんにも来てほしいから改めて振ってみたけど、なんか目に涙がにじんで……も、もう振らないであげよう。

 ちょっとここにも傷心気味になってしまった友人ができちゃったけど、私のお弁当をちょっと分けたら喜んでくれたので、それを横目に幸帆さんとかなめちゃんとパーティーの話を詰める。

 まずはパアッと鍋でもつついて、その後はケーキを食べようみたいなアバウトな内容から、折角だからとかなめちゃんの推しもありでケーキは自作――なんでもお兄さんに作ってあげたいとか――しようと決まり、鍋の材料も合わせて放課後に台場まで買い物に行くことに。

 時間的に余裕がないのでケーキは夜遅くの完成になりそうですが、どうせ夜更かし前提なので問題ないかな。

 そういった内容をジャンヌ先輩にメールで送ってみると返事はすぐに返ってきて、場所は提供してくれるということと、同室の中空知先輩といつか京夜先輩が知り合いだと言って一緒に寝ていた玉藻ちゃんも参加させたいとあって、人数は多い方が楽しいと了承。

 メンバーも決定したところで、若干慌ただしくなりそうなパーティー準備のために、残り少ない昼休みで放課後の調達材料を急いでまとめていった。

 放課後。

 私と幸帆さんとかなめちゃんでお決まりのアクアシティ台場まで買い物に行って、鍋とケーキの材料をどっさりと買い揃えて3人ともが両手に買い物袋を持った状態で学園島に戻ろうと施設の出口に向かってお喋りしながら歩いていたら、後ろの方からちょっと騒がしい雰囲気がしたのでみんなで振り返ってみる。

 するとそれと同時に勢いよく走ってきた男の人と幸帆さんがぶつかって買い物袋を落としてしまい、その拍子に中の卵がぐちゃっ。生クリームも容器から漏れ出てしまう。

 ぶつかった男の人はこっちに謝ることもなく出口に向けて走り去っていってしまい、幸帆さんを心配しつつそれを見て落ちた買い物袋を見たままのかなめちゃんは棒立ち。

 でもなんか……雰囲気が……変わった?

 

「……非合理的ぃ」

 

 そう感じた瞬間、かなめちゃんはボソッと呟いてから持っていた買い物袋を置いて弾丸のごとく飛び出して先を行く男の人を追っていって、男の人が接近に気付くよりも早く追い付いて追い越し、その右手で胸ぐらを掴んで片手で持ち上げてしまう。

 

「あたし達にぶつかっといて謝罪もできないクズは、生きててもしょうがないよね?」

 

 とかなんとか言いながら全然心が笑ってない笑顔で男の人を見たかなめちゃんは、恐怖のあまり失神した男の人をフッと放して床に落とすと、遅れてやって来た警備員さんにその身柄を渡しながら話をしてこちらへと戻ってくる。

 

「なんかー、万引きして見つかったから逃げてたんだってさ。いるよねー、小物のやり口すらできない不器用なクズって」

 

「そ、そうだね……」

 

 みんなが仰天する確保を見せたかなめちゃんが、ケロッとそんなことを言いながら報告をしてきたので、苦笑しつつ幸帆さんと一緒に立ち上がって散々な状態の買い物袋を見て買い直しだなとため息。

 結局、卵と生クリームは改めて買ってからアクアシティ台場を出て学園島に戻った私達は、そのまま第2女子寮へと向かってジャンヌ先輩達のお部屋にお邪魔すると、早速鍋の準備とケーキの製作を同時進行。

 鍋の方は幸帆さんと中空知先輩がやってくれて、私とかなめちゃんがケーキ作りに集中。

 なんかネットとも繋がるらしいヴァイザーを装着しながら私の説明とヴァイザーの中の情報にふむふむ言ってテキパキ作業するかなめちゃんがなんとも異様でしたが、やれば出来る子かなめちゃんは磁気推進繊盾とかいう布まで操って片付けまで同時にやる。器用すぎる……

 

「おい京夜……まったく、忙しないやつだ」

 

 思いの外かなめちゃんが私を必要としなかったので、スポンジの焼き行程まで行ってからお役御免な雰囲気を察して鍋の方に移りコンロをリビングの方に準備しに行ったら、どうやら京夜先輩と電話してたらしいジャンヌ先輩が通話が切れた後に呆れながらにそんなことを呟いていた。

 

「京夜先輩、元気でしたか?」

 

「ん、元気かと言えばまぁそうなのだろうが、あいつはいつも何かしらのトラブルを抱えているな。理子のこともまだのようだし……」

 

「でも、京夜先輩はなんだかんだでちゃんと解決して帰ってきますから、今回も大丈夫ですよ」

 

「そうでなくては困る。こちらも問題を抱えてしまっているのだから、解決してもらわねばな」

 

「それは他力本願というのではないかと……」

 

 なんだか信頼なのかどうかわからないけど、真顔でそんなことを言うジャンヌ先輩に苦笑しつつ、テーブルにコンロをセットした私は、よいしょよいしょと箸を持って音頭を取る玉藻ちゃんが鍋を呼び寄せるのを横目に飾り用の苺をつまみ食いどころではない量を口に運びながら作業するかなめちゃんを発見して鍋を運ぶ幸帆さんと入れ替わりでキッチンに突入してかなめちゃんの手を止める。

 やっぱり目を離しちゃダメだこの子……

 それからちゃんとケーキに使うための苺は保管して、一旦スポンジの焼き上がりを待つ間にみんなで鍋をつつき始めると、落ち込み気味だったというジャンヌ先輩も中空知先輩も純粋に楽しんでいるようだったので良かった。

 それよりもかなめちゃんと玉藻ちゃんが食いっ気ありすぎてどうしようもない感じになってますが、元気なのは良いことですし咎めたりはしません。パーティーですしね。

 そんな風に様子を見ていたら、スポンジも焼き上がったのでオーブンから出して粗熱を取る作業をし、かなめちゃんを呼ぼうと思ったけど、鍋に夢中だったので結局私が仕上げの方をやることになる。

 まぁ、ここまで来たら簡単だけどね。

 とかなんとか思いつつリビングの様子を見ながらスポンジを上下で半分に切り、下のスポンジにホイップクリームを塗ってスライスした苺を乗せてスポンジを被せ、そこにスポンジが見えなくなるようにホイップクリームを満遍なく塗ってその上にトッピングしたら、出来上がりです。

 シンプルすぎる気もしますが、急ごしらえにしてはまぁまぁかな。

 そうした感想を抱きながら、まだ鍋をつついているリビングに持っていくのは早いかなと思ってとりあえず冷蔵庫の方にしまって再びリビングに戻ると、何やら京夜先輩の話で盛り上がってて、幸帆さんからは昔の京夜先輩の話が。

 ジャンヌ先輩からは愚痴のようなものを交えての誉め言葉。

 玉藻ちゃんはよくわからないけど京夜先輩のご先祖様? との違いについてを話していて……何でそんなこと知ってるんだろう。

 中空知先輩からはおどおどして何も話されてなかった。

 かなめちゃんにいたっては必死にお兄ちゃんの話に切り替えようとお兄ちゃんとのラブラブ話を繰り広げてましたが、なかなか流れは掴めない様子で、結局私にも何かないかと話を振られて1時間くらい京夜先輩の話をしてしまいました。

 人1人をネタによく話せました……

 鍋も食べ終えてお腹を休めていたら、時間も夜の11時になるくらいになって、どうやら日付変更まで起きてるみたいな雰囲気の中で満を持して登場させたケーキに、夜中なのにみんな大興奮。

 これがなくちゃクリスマスじゃないみたいなことを各々が言う中で幸帆さんが見事な6当分でケーキを切り分けて改めて盛り上がりながら自作ケーキに口をつけていく。

 かなめちゃんのおかげでちょっとだけ苺の量が少ないけど、満足そうに食べてるから問題ない、かな。

 そんなケーキを食べ終えたら、とうとう騒ぐ力も失ってきた面々。

 騒ぎ続けてタイミングを逃しまくっていたというジャンヌ先輩は中空知先輩と玉藻ちゃんを連れてお風呂へ行ってしまい、私と幸帆さんは色々とお片付け。

 かなめちゃんは時計を見ながら何やらせっせとパーティー帽子とクラッカーを用意してヴァイザーと磁気推進繊盾をセッティングしてます。

 聞けば香港にいる遠山キンジ先輩にメリークリスマスの時報をお送りするみたいで、この辺でもお兄ちゃん好きがうかがえます。京夜先輩も香港でのクリスマスを満喫できてるのでしょうか。

 そうして片付けを終えてみたら時刻は深夜0時まであと5分というくらいになって、ソワソワしてるかなめちゃんがクラッカーを思わず鳴らしそうになってるのにちょっと笑ってしまって、それにムッとされちゃったけど、怒られることもなくまたソワソワし出して、私はそろそろ帰ろうかなと考えたところでチョンチョン。

 幸帆さんに肩を指で叩かれて振り向くと、ベランダを指して行こうと示されたので、ちょっと寒いけど2人で夜のベランダに並んで東京湾とお台場の景色と夜空を眺める。

 

「やっぱり東京だと星は見えないなぁ」

 

「小鳥さんのご実家では見えるんですか?」

 

「うん。うちは田舎だから街明かりが少なくて、夏には綺麗な天の川が見えたりするんだ」

 

「いいですね。私の実家は街外れとはいえ京都市内ですから、東京で見える夜空とあまり変わりません。満天の星空というのは1度も見たことがないので、いつか小鳥さんのご実家に招待されたいです」

 

「そんなの大歓迎ですよ。なんなら明日にでも行きましょうか?」

 

 景色を見てたら思わずそんな会話になっちゃいましたけど、誘ってきたのは幸帆さんで、きっと話があるのでしょうが、私の冗談混じりの了承にクスクス笑ってから視線を前に向けた幸帆さん。

 後ろではパパーン! とかなめちゃんが盛大にクラッカーを鳴らして私達に25日になったことを知らせてくれてますが、大した反応もなく口を開いた幸帆さん。

 

「小鳥さんは、将来どんな武偵になりたいんですか?」

 

「……えっ?」

 

 唐突すぎる直球な質問に対して、何の準備もしてなかった私は聞き返すように反射的にそうした反応をしてしまい、戸惑う私に対してちょっとだけ笑ってからその質問の意図を話してくれる。

 まさか幸帆さんからそんな質問が来るなんて想像すら出来なかった。

 

「今日、アクアシティ台場で私、万引き犯とぶつかってしまったじゃないですか。後ろからとはいえ、仮にも武偵である私がその程度の危険も察知できなかったのはダメだなぁと思いまして。こういうところを京様は見抜いて前線の学科はやめろと言ってくださったのかもしれないと思うと、余計に情けないなぁって」

 

 ちょっとだけ落ち込んでるような口調でそう話した幸帆さんは、武偵になってまだ日が浅いのに真剣に悩んでいる様子で、後方支援が基本の情報科だからという言い訳をせずにそれが情けないことだと思っているみたい。

 

「……私、物心ついた頃からお母さんもお父さんも私立探偵で、小学校に上がるまでは日本でお仕事してて、家を空けることが割と多かったけど、2人のお仕事に強い憧れがあったんです。武偵みたいに物騒なお仕事はしないですけど、完遂できずに帰ってくることがなかった両親が凄く誇らしくって、私も将来こんな風になれたらなぁって子供心にそう思って」

 

「それでどうして武偵だったんですか?」

 

 幸帆さんが目指す武偵というものがどんなものかはわかりません。

 でもそういった理由で問われたさっきの質問はきっと、幸帆さんにとっては大事なことなのだとわかるので、唐突ではあったけどそう話したら、やっぱりそこを突かれてしまう。

 

「私は……お父さんみたいに無尽蔵の体力とか、行く先で話が出来る動物達がいるわけでもないし、お母さんみたいにマルチリンガルで推理力があるわけでもなかったから、昴達と話が出来るだけのただの小娘同然で。だからせめて自分の身くらいはちゃんと守れなきゃって思って。護身術、というわけではないんですが……その……」

 

「ご両親のように、純粋な探偵業だけは難しいと、そう思ったからですね」

 

「そういうことに、なりますね」

 

 我ながら少し情けない事情ではあるけど、それが私なりに考えて決めた武偵の道。

 両親への憧れはあるけど、だからといって私が探偵としてやっていけるかわからない以上、それに類する武偵になることは悪い選択ではない。

 別に武偵免許は持ってて損はないし、そこから探偵になることだって出来なくもないしね。

 それに今は武偵になって良かったと思ってる。

 探偵を育てる学校というのは存在しないから、それだけなら私は普通の中学や高校に通うことになってた。

 そうなっていたら、この学校で出来たたくさんの大事な繋がりはできなかったから。

 

「幸帆さんは、どうして武偵になったんですか?」

 

「私は小鳥さんのように誇らしい理由があるわけではありません。姉上が戻ってきて、そのまま家の仕事を継いでしまい、私はやるべきことを奪われてしまって、そうなった時に私はどうしたいのかわからなくなりました。認めたくはありませんが、私はずっと、姉上のようになりたかったのです。姉上のように何でもできる人に。でもどんなに頑張ったところで私は姉上にはなれませんし、姉上と同じ景色を見ることはできない。そんな当たり前のことにそうなってようやく気付いたんです」

 

 話の流れ的に当然そうなっちゃって、幸帆さんがどうして武偵になったのかを問いかけてみたら、ちょっとした昔話をして武偵になる直前までをしてくれる。

 確かに幸音さんは何でもできちゃう人ですから、そんな人が姉だと色々とあったのでしょうね。

 兄弟のいない私にはピンとは来ませんけど。

 

「だから私は、家を出たんです。狭い見聞でしか……姉上の背中しか見てこなかった私が、これからどうしたいのかを見つめ直すために。でも、やっぱり初めから1人は不安で仕方なくて、だから私は京様を頼って東京に来てしまいました。京様のそばにいたくて、京様に頼ってもらえるようになりたくて武偵になりました。いま考えても浅はかな理由です」

 

 幸帆さんは自分が武偵になった理由をあまり良く思っていないようですが、私はそうは思いません。

 何故なら私も誰かのためにと思って今ここにいるのは確かで、幸帆さんの理由だって京夜先輩に頼られるほどになれたらそれはきっと、その時は誰もが認める武偵になってるはず。

 きっかけは所詮、きっかけでしかない。それを誇るとかはどうでもいいんだと思う。

 

「理由なんて……きっかけなんて気にしなくてもいいと思うよ。だって今、幸帆さんは自分で選択して武偵であり続けてるもん。武偵は中途半端な気持ちでやれるお仕事じゃないって思うから」

 

 そうした本心を口が動くままに伝えたら、キョトンとしてしまった幸帆さんは私を見続けて、急にクスリと笑った。

 そんなおかしなこと言ったかな。

 

「そうですね。きっかけなんて些細なことなのかもしれません。これからどんな武偵になるか。どんな武偵になりたいかは明確じゃないですが、京様が将来、真っ先に頼ってくれるような武偵になれたら、それはきっと素晴らしい武偵になれたと思えると信じて、今はがむしゃらに頑張るだけですね。向いてるとか向いてないとか悩む時期にはまだ早かったかもです。ありがとうございます、小鳥さん」

 

「いえいえ、私はそんな大層なこと言ってませんから」

 

 どうやら何か吹っ切れた幸帆さんは、とてもスッキリした顔で笑っていて、私もなんだかポカポカして……寒い! か、体が冷えてきたみたい……

 それを察して幸帆さんが中に入ろうと言ってくれてリビングに戻ろうとしたら、急に「あっ」と何かを思い出したように私を引き止める。

 

「そういえば、小鳥さんはどうして京様の戦妹になられたのですか?」

 

「へっ? 何でって……それは京夜先輩がただ者ではない感じをビビッとといいますか……」

 

「この学校に来て日は浅いですが、そのような方は上級生には割といらっしゃる印象です。さすがに眞弓さんクラスの方は神崎先輩やレキ先輩くらいしかお見受けできませんが、その中で京様を選んだ明確な理由などがあるのかなぁと……」

 

 きっと幸帆さんにとっては素朴な疑問だったのでしょう。

 でもそんな質問をされて改めて私が京夜先輩を戦兄に選んだ理由についてを考えるとちょっと不思議だった。

 ビビッときたのは本当。だけどそんな風に感じた先輩は他にもいた。

 でも私はほとんど迷いなく京夜先輩を戦兄にしたいと思った。

 それは何でか。その答えに辿り着いた瞬間、私は冷えていたはずの体に熱が入っていくのを感じて、次いで顔が真っ赤になってしまい、幸帆さんはそんな私を心配して近寄ってきてくれた。

 気付いてしまった。

 昴を猫に狙われて困ってたところに、何でもないみたいにやって来て猫を追い払い、初対面で昴と仲良くなってしまった京夜先輩に、惹かれていたんだ。

 私の能力にも変な目を向けずに普通に受け入れて接してくれた京夜先輩を、好きになってしまっていたんだ。

 一目惚れ。

 自分はしないと思っていたそれをしていたことに、今更ながら気付いて恥ずかしさで死にそうです……

 

「…………うぅ、幸帆さんのバカぁ」

 

「えっ? えっ!? わ、私が何かしましたか!?」

 

 別に幸帆さんが悪いわけではないけど、今この時に混乱気味になっていた私は顔を手で隠しながらそんなことを口走ってしまい、困った幸帆さんはおどおど。どうしたものかと悩み始めてしまいました。

 でも困ってるのは私もだよー!

 まさかここにきて実家でのお母さんの言葉が的を射ていたことを理解してしまうけど、今はまだ京夜先輩とは戦兄妹。

 この気持ちは契約が切れるその時までは胸の内に秘めなくちゃ。

 それに、この気持ちが本当にそうかは京夜先輩と面と向かって会ってみないとハッキリしない。

 でもこのフワフワした感じは初めてでなんだか落ち着かない。

 あーもう! 早く帰ってきてください京夜先輩! 私のこれは恋なんでしょうか!

 そんな私の心の叫びは、東京湾の向こうに響くこともなく私の中で延々と反復するのでした。



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Bullet98

 藍幇との戦いを終えてオレ達の勝利となり、幸姉や劉蘭、白雪、猛妹も加えてゾロゾロと藍幇城の屋上目指して移動を開始。そこにいるキンジ達との合流を図る。

 その移動中。ふざけあって前を進む元イ・ウー組の後ろを歩いていたオレは、その隣を歩く劉蘭に小声で話しかけておく。内容は、オレの苦手な分野だ。

 

「劉蘭、このタイミングでってのもあれだが、今のうちに言っておく」

 

「……告白のお返事でしょうか。構いませんよ」

 

「ん、やっぱり察しがいいな。そのだな……返事としては、劉蘭とは付き合えない」

 

 周りに変に思われないように視線も前に向けながら話していたが、オレの言葉で少し雰囲気が変わった劉蘭に、思わず視線を向けると、劉蘭もオレを見てその口を開く。

 

「理由を、お聞かせ願えますか?」

 

 当然と言えば当然の疑問に、オレも正直に答えようとしたところで3階にいたレキと狙姐が互いに狙撃銃を担いだ状態で合流して、オレを発見した狙姐が近寄ってきたので一旦話を中断せざるを得なくなる。

 

「ココ達、負けてしまたネ。した約束は守るヨ。私はもう、京夜のこと諦めるネ」

 

「狙姐はそれでいいのか?」

 

「自分で決めたこと守らない、カッコ悪いヨ。それにらしくやった結果ネ。こうなったのは縁がなかた。それだけの話アル」

 

 中国人は潔いことでも知られてるが、そういう日本人が納得しがたい思考があるのもお国柄ってやつなのかね。

 それにそうやって話す狙姐はどこかスッキリした笑顔をしていたので、本人も本当にこれでいいと思っているのだろう。

 ならオレがこれ以上とやかく言うのは余計なお世話というもの。これからの狙姐の幸せを願うくらいが精々か。

 そんな狙姐に劉蘭も柔らかい笑顔を向けて「大人になりましたね」なんて言ってるけど、火に油な気がしなくもない。案の定子供扱いするなって怒ってるし。

 すっかり緊張感のなくなった集まりに気を緩めていたら、屋上へと続く階段をいち早く見つけていたレキがするりと上がっていき、白雪がキンジに会いたい一心でそれ続いて行ってしまったので、劉蘭と話をする間もなくオレ達もそれに続いて屋上へと上がる。

 やっぱり大事な話はこういうタイミングでするべきじゃなかったな。

 と、少しだけ自分の軽率な行動に後悔しつつも、全員が屋上へと上がって無事そうなキンジとアリアに、おそらくはもう孫ではないだろう猴、機嬢と諸葛の姿を確認してから、賑やかになりかけた場でパンパン。

 手を叩いた劉蘭は、趙煬の手を借りて瓦屋根の天辺で全員に聞こえる声で話を始めた。

 

「まずは師団の皆様、此度の戦いでの勝利はお見事でした。ここにある辞令の通り藍幇は今後、師団への移動をいたしまして、その一員として尽力いたします」

 

 話しながらに懐から取り出したのは、この戦いの前に猛妹が破り捨てていた巻物。

 それをわざわざ拾ってきたことに意味はあるようで、キョトンとしてるココ達にあの何かある笑顔を向けて話を続けた。

 

「つきましては香港藍幇を主戦力としてお力添えする形になりますが、今回の強引なやり方はココ達も敗北という結果で立場を危うくしました。が、この辞令にはココ達が敗北した場合による処置も書かれています」

 

 と、本当に知らなかったのかそれをついさっきまで持っていたはずのココ達が口を揃えて「えっ?」と疑問を投げかけて、それに答える形で劉蘭も巻物の物凄い端の方を指差してそれが書かれてる部分を示し、ココ達4人が近寄ってそれに目を凝らす中、劉蘭がそこに書かれてる内容をオレ達に説明してくれる。

 

「この戦いでココ達が負けた場合、今後藍幇での働きは全て私、劉蘭の指揮下で尽力すべし。つまりは私の完全なる部下として働きなさいということですが……私もいちいちココ達を動かす暇はありません。よってこの権利を諸葛静幻に委託する形で香港藍幇の安寧とします。この決定について、アリア様、キンジ様はご納得いただけますでしょうか?」

 

 そんな確認を取られたキンジとアリアは、なんとかついてきた思考で互いに顔を見合って頷きで返すと、劉蘭は丁寧なお辞儀をして話はこれで終わりですと示して、巻物を灰となったココ達に渡して天辺から降りてくる。

 諸葛を部下にするとか言ってたココ達が、逆に前より従順になれと言われたに等しいからな。

 その事実を突きつけた劉蘭は平然とオレの近くまでやって来てオレにも屈託のない笑顔を見せるが、ようやくわかったよ。この戦いが始まる前に言っていた劉蘭の言葉の意味が、な。

 

「いつからだ。こうなることを知っててココ達を泳がせてたのは」

 

「静幻からキンジ様達が香港にいらしていると聞いた頃ですから、京夜様が香港に来られた時にはもう、とだけ。さすがに昨日の独断専行は予知できませんでしたが、上海藍幇に辞令を出させるところまでは読めていましたから、そこであらかじめ口を挟ませていただいてました。静幻には事の成り行きを見守る役目を命じましたが、丸く収められたのは京夜様達のおかげです。ありがとうございました」

 

「だから『今夜はお気をつけください』『皆様を信じていますから』か……まったく恐れ入るよ……」

 

「京夜様にもココ達の動向を知らせるべきだったかも知れませんが、ココ達には動いてもらわねばならなかった手前、黙っていたことは謝ります。趙煬も動かずに終わるのが一番だったのですが、幸音様は私でもその思考が読みにくいお方で焦りました」

 

「あの人を理解するにはもう少し時間をかけなきゃ無理だろうよ。オレも今でも考えがわからないことの方が多いくらいだ」

 

 どうやらオレが思ってたより前から劉蘭の思惑は動いていたようで、割と好き勝手やってたココ達をまとめる策略があったみたいだな。

 そういった凄さを見せた劉蘭さえも焦らせた幸姉を2人で見て笑ってやると、灰になっていたココ達にイタズラしていた本人が視線に気付いて呑気に首を傾げてくるので、2人してさらに笑ってやる。

 キンジ達もいつもの調子になって、どうやら今は可愛い妹とテレビ電話の最中らしい。

 まぁ、これで一件落着ってことでいいよな。

 ばっ! ばばっ!

 このあとは劉蘭にさっきの話の続きと、酒を飲みながら理子と話をしなきゃなとかなんとか考えた矢先に、和やかな雰囲気だった中でまず猴と趙煬が。

 続けて幸姉とココ達とバスカービル連中が同じ方向を向いて顔から笑顔を消すので、オレもすっかり抜いていた気を張り直してみんなが向く方角。

 ヴィクトリア湾の西の方を見れば、その方角から部分的に発生したとしか思えない霧が、ゆっくりと東へと、香港の方へ流れてきていた。

 あれには、見覚えがあるな。

 確かイ・ウーでシャーロックが予習とか言って使ってた超能力に似ている。確信的な感じではないが、感覚的にそう思うのだ。

 その霧も1度洋上で止まる様子を見せたのだが、その霧を掻き分けて中から出てきたのは、超巨大な船舶。

 積載量のほどはその船体の沈み具合でわかるが、目測で全長250メートル、全幅50メートルはある石油タンカーはおそらく満タン。

 こんなものがこんなところに入ってくることなんてない。

 それを証明するように藍幇城を囲む小さな船舶に乗る構成員や城内の人達もざわつき始めていた。

 

「あらあら、呼んでもいない客が来たわね」

 

 そのタンカーを見ながら、近くまで寄ってきた幸姉が口を開いたので、そういった口回しをするということは、この来客に心当たりがあるはず。

 それを示すように幸姉がタンカーの船尾楼の上、通常なら国旗を掲げるその場所を指し示したので、オレ達もそこを見れば、そこには第二次世界大戦当時のドイツ国旗。逆卍形を傾けたナチス党の党章旗が掲げられていた。

 よく見ればその旗の下に控えめに掲げられた赤地に白い盾、その中に獅子のような黒い獣の姿が描かれた旗もあり、それを見た理子が遅れて来客に気付いたようでオレ達に知らせるように口を開いた。

 

「カツェ……! あれは魔女連隊(レギメント・ヘクセ)の旗だッ」

 

 その名を聞いた時、オレは覚えのあるその名を掘り返すように宣戦会議の時のことを思い出す。

 確か我先に眷属入りを宣言したいかにも魔女って感じの、片目に鉤十字(ハーケンクロイツ)の眼帯をした少女だったはず。

 メーヤさんと正面からやり合ってて、戦闘狂の気があったな。本名かわからんがカツェ=グラッセと名乗ってたか。

 それを確認するようにアリアが険しい表情でカツェの名を口にして、理子が自分と同じイ・ウー中退者(ドロップアウト)で、退学になったのではなく魔女連隊に帰隊するために自主退学したことや、魔女連隊が元々、大戦後すぐにイ・ウーに逃亡してきたナチスの残党。アーネンエルベの超能力部隊で、カツェがその9代目隊長で『厄水の魔女』の2つ名を持つことを話す。

 

「飛んで火に入る夏の虫だわ。風穴開けて、捕まえてやる! ママの冤罪96年分は、イ・ウー時代のアイツの罪なのよ!」

 

 だがそんなことはお構いなしのアリアは、いつもの調子で両手にガバメントを抜いて息巻くが、それより一瞬早く研ぎ澄ませ始めたオレの感覚が、日本の城の屋根にあるシャチホコの代わりに飾られた黄金の龍の彫像を捉えると、アリアとキンジもほぼ同時にそちらに銃口を向ける。

 するとその彫像の上に、ブヨブヨしたゼリーのような物体が乗っていた。大きさは150センチほど。

 抱き枕を立てたような形状のほぼ透明な物体は、周りから水蒸気を取り込んでいるようで、素体もどうやら水みたいだな。

 

厄水形(やくすいぎょう)よ。大雑把に言えば魔術のプロジェクター。別のところの映像をこっちに見せるだけ。あれ自体に攻撃は無駄だから、あっちからコンタクトしてくれるってことで話させましょう」

 

 皆がそれに警戒する中であまり緊張感のない幸姉が落ち着いた感じでそう説明するので、それを確認するようにアリアと理子が1発ずつ厄水形を撃つが、説明通り銃弾は当たった瞬間に減速して突き抜けていくだけに留まり、大人しく向こうの動きを待つと、厄水形は色の淡い3D映像みたいな女の姿、カツェへと変わった。

 幸姉が言うには別のところにいるカツェを映した厄水形は、嫌な笑みを浮かべて着ていたローブを跳ね上げ、右前腕をビシッと胸の前で横向きに構えてから、

 

「――勝利万歳(ジーク・ハイル)!」

 

 ピンと指先まで伸ばした手をナナメ上に突き上げる、ナチス式の敬礼をしてくれる。

 ヨーロッパ圏のアリアや理子には目に見えてダメージがあるが、大戦中は仲間だったオレ達日本人にも何かクルものがあるな。

 先人がしたこととはいえ、そういった過去は今もオレ達に何かを残すってことか。

 

「――やあやあ諸君……って、クソ幸音までいやがるじゃねーか!」

 

「あらカツェ。私あなたに何かした覚えはないのだけど、クソ呼ばわりされるのはクソ気に食わないわね」

 

「ケッ。なに考えてんのかわかんねーとことか、毎日コロッコロ性格変わるとこが気持ち悪くてクソだってんだよ」

 

「個性を否定されるのは悲しいわね。タバコはもうやめたの? お姉さんカツェちゃんの体が心配で心配で夜も眠れなくて……」

 

「だぁーもう! 調子狂うんだよお前は!」

 

 カッコ良く挨拶するはずだっただろうカツェは、オレ達を見回してその中に幸姉を発見するや否やそうした会話を始めてしまい、緊張感が一気になくなる。

 どうやら幸姉はイ・ウー主戦派とは本当に仲が良くなかったみたいだな。ヒルダにも嫌な顔されてたし。

 カツェにとって予想外だった幸姉との会話はそこから漫才のように少し続いたが、話の脱線具合とみんなの冷たい視線を受けて冷静になったのか顔を少し赤くして拳銃を抜き現れたタンカーを指し示した。

 

「もう喋んなよクソ幸音。あー、出鼻挫かれたけどよ、鬼払結界の中で震えてた臆病者共――バスカービル! あれは、お前らへの宣戦布告(ごあいさつ)さ。ついでに裏切り者のヒルダもぶっ殺す。香港は対魔性が強くて魔術のノリが悪いからよォ、あのタンカーでこけら落としといこうや!」

 

 冷たい空気を無視して多少無理矢理に話を本筋に戻したカツェの心の強さにちょっと感心しつつ、やはりというか何らかの攻撃に使うつもりらしいタンカーを指すカツェは楽しそうだ。

 

「規模の大小に拘わらず、戦争は多様な力のバランスの取り合いだ。極東戦役でいえば、西に師団のリバティー・メイソン、東に眷属の藍幇。組織力のあるこの2つのバランスは崩したくないところだぜ。というわけで、敗北した藍幇ッ! 裏切り者には制裁を――だ。殲滅してやる! ただまぁ、人数も多いんで町ごと殲滅する事にした」

 

 なんだか完全にはわからないが、あのタンカーで香港ごとオレ達を始末するらしいカツェの物言いにちょっと無理があるような気がするが、それが可能でありそうなことを理子の険しい表情がわからせる。できる、っぽいなこれ……

 

「あたしは爆泡入りのツェッペリン号を造りたかったんだぜ? でも上に怒られてよォ。『優秀なテロリストは、手間も金もかけず敵に一大打撃を与えるものですわ!』とかって。まぁつまり工期も予算もなかったんで、ジャックしたタンカーで安上がりにお前ら皆殺し、ってこった。あーあ(ブウー)

 

 過去に爆泡は理子が使ったのを見たことがあるから、それの船舶規模という方が威力の想像がつくが、安上がりにしてそれに匹敵する威力を出せるとなるとやはり恐ろしいものだとわかる。

 皆がカツェの言葉に険しい表情を見せる中、話は終わりとばかりに厄水形がその形を崩し始めたところで、急にその手に言霊符で作った弓矢を持った幸姉は、自分で無駄と言ってたのにカツェを狙ってその弓を引く。

 

「嫌よね……高みの見物ってされる側は気分が良くないもの」

 

「はっ! クソ幸音、そんなことしても無駄だってーの」

 

「ふふっ、なに言ってるのカツェちゃん?」

 

 弓を引ききったところでそんなことを言った幸姉に対して、カツェも笑いながらに返したのだが、それを笑い返した幸姉は笑顔を消して「なに言ってんだ」みたいな顔をしたカツェに向けて矢を放つ。

 が、その矢は屋上のやや下方向から放たれて厄水形のカツェの横スレスレを素通りしてそのままやや上方向へと抜けると、少し進んだ先で『何か』に当たり発火。

 それは燃えながら落下していき、自分が狙われたと思っていたカツェも後ろを向いてその光景に目を奪われていた。

 

「私はあなたに言ったのよ、土御門陽陰。そうやって世界中で覗き見する趣味、今でも理解できないわ」

 

 燃え落ちる何かを見ながらに口を開いた幸姉に、この場にいるほぼ全員が唖然とする。

 中にはその名に覚えがあるのかアリアや理子辺りが一層の驚きを見せるが、その驚きを上書きするように次の変化が起こり、崩れ始めていた厄水形が突然その形をカツェから超大型――体長で150センチはある――の真っ黒な烏へと変わる。

 よく見ればその足は3本あり、神の使いとか言われてる八咫烏の特徴に類似している。

 

乗っ取り(ジャッカー)戦術は厄水の十八番だが、超能力ジャックは受けたことがなかったようだな。対策がまるでなってない」

 

 その烏はさっきまでのカツェとは違って明らかに声帯を弄った人工音声のような低い男の声で話し始める。

 あれが土御門陽陰、の分身みたいなものか。

 

「他人の操作系超能力に干渉してジャックするなんて普通できないわよ」

 

「俺が普通という枠に収まると思ってるわけではないだろ、魔眼の魔女。だが、今ここで俺に干渉した意味がわからんな。俺は貴様らの下らん争いを傍観しているに過ぎなかったのに」

 

「あ、あんたが土御門陽陰なのね! あんたの実質的な罪状はないけど、存在するってわかったなら逮捕よ!」

 

「緋弾の娘か。まだ緋緋の色が薄いようだが、お前の行き着く先には興味がある。そこの斉天大聖と同じ末路となるか。はたまた……」

 

 どうやら非常に高度な超能力を使ってるらしい陽陰は今まで単なる傍観者を決め込んでいたようだが、幸姉に邪魔されて仕方なく干渉してきたっぽいことがうかがえた。

 そこに割って入ったアリアに対して何やら意味深なことを言う陽陰にキンジ達も顔をしかめるが、その言葉を遮るように厄水形からこぼれ落ちた水が集まって、そこからカツェの怒鳴り声だけが聞こえてきて遮られる。

 

「テメェ、土御門ォ! イ・ウーでお前のことも探ってたが影も形もねーから存在自体デマだと思ってたが、まさかこんなところで見つかるとはな!」

 

「見つかる? 貴様は俺の超能力の一端に触れているに過ぎん。見つけたと言うならば俺をここに引っ張り出してみろ。男も知らん青臭いガキが鼻を高くするな」

 

「んだとォ! テメェその面見せて殴らせ……」

 

 どうやら陽陰の存在はイ・ウー内でも幻であったのか、カツェすら面識がなかったことがわかるが、カツェの声を発していた厄水形は謎の攻撃を受けて四散し言葉も途切れてしまう。

 あのジャックされた厄水形にはそういった攻撃性はなかったので、別のところからの攻撃か。

 

「話を戻すけど陽陰、あなた本当にそのまま傍観する気だったかしら? 私、ちょっとあなたに『イタズラした』んだけど、まさか気付いてないわけじゃないでしょ?」

 

「……貴様に俺の魔力の一端を触れさせたのは早計だったようだな。イイ女だ魔眼の魔女。男の味さえ知っていれば抱いてやったものを。生憎と俺に処女をあやす趣味はないのでな」

 

「優しく抱くこともできない男なんてこっちから願い下げよ。第一、あなた別に女に困ってないでしょ?」

 

「イイ男に女は寄ってくるものだからな。そこの遠山侍のように、女を侍らせるなど日常だ。その中で女を褒めるのは珍しいことなのだが、イタズラしてくれた生意気な女に礼はしてやる」

 

「私も可愛い可愛い京夜が狙われた腹いせしたかったし、返り討ちにしてあげるわ」

 

 カツェの退場で話が本題へと戻ると、そうした不穏な会話をした幸姉と陽陰に誰も割り込めず2人の声だけが屋上に響くが、幸姉が返り討ち宣言したところで小さく嘲笑した陽陰は何も言わずに厄水形を崩して消えてしまった。

 だが、口ぶりからしてこれから戦闘だよなこれ。

 

「さて、金一の弟君。藍幇と協力してあのタンカーとカツェ、とパトラもかな。そっちをお願いね。元々そっちの案件だし。あ、京夜は借りちゃうけど許してね」

 

 そう確信を持ってからどの程度動けるかを調べていたら、幸姉はキンジにそんな指示と了承を取ってからオレの手を握ってどこかへと移動しようとしたが、逆の手を理子と劉蘭に取られて1度立ち止まる。

 2人はオレと幸姉とは対処に当たる案件を分けられたからか、割と明るい顔つきでそれぞれに口を開く。

 

「日付は変わっちゃうけど、お酒の準備はしといてね?」

 

「まだお話が途中ですから、ちゃんと戻ってきてお聞かせください」

 

「……了解。2人も頑張れよ」

 

 交わした言葉はそれだけだったが、不思議とこの先への不安はなくなったオレ達は揃って同じ笑顔で分かれて、時間が惜しいのか、はたまた周りへの配慮があるのか屋上から階段も使わずに器用に降りていき、そのフォローをオレがしつつ藍幇城の正面玄関まで到達すると、そこに停めてあったクルーザーに乗り込んで藍幇城から離れていく。

 その間に「モテる男はツラいねぇ」とかなんとか茶化してきた幸姉にデコピンのツッコミを入れつつ、これから接敵する相手についてを話し始めた。

 やれやれ、もう散々なクリスマスだよホント……



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Bullet99

 

 香港藍幇との戦いを終えたのも束の間。

 休む暇もなく襲撃してきた魔女連隊のカツェと、傍観者を決め込んでいた『完璧な犯罪者』の異名を取る土御門陽陰の登場で場は騒然となり、その対処に追われる形で行動を開始。

 オレと幸姉は陽陰を迎撃するためにクルーザーを使い藍幇城から少し離れた位置まで移動して洋上で孤立状態になるが、完全復活を果たした幸姉との初めてのコンビとあって不安よりも期待感を抱いて、エンジンを切って迎撃準備を整え始めた幸姉の話を聞く。

 

「陽陰は世界最強の式神使いなの。私の言霊符もあいつにとってはお遊びレベルで、イ・ウーにいた頃に教授に頼み込んで式神を通してだけどあいつから超能力のいろはを教わったわ。その代償に魔眼を奪われそうになったけど、教授が仲裁して対価を払ってくれて事なきを得たの。対価についてはもう教授に返してチャラになってるからいいんだけど、そういう経緯があって私はあいつの魔力に触れる機会があった」

 

 話を聞く限り、幸姉の言霊符のレベルが上がったのは実質的に陽陰のおかげということになりそうだが、話の本題はそこではなく、それによって陽陰の魔力に触れたということらしいな。

 

「陽陰は世界中のどこにでも式神を飛ばすことができるシステムを作り上げていて、その根幹に利用されているのが、地球の地脈の噴出点。簡単に言うと自然エネルギーが噴き出るポイントなんだけど、陽陰はその上に自分の術式を置くことで自然エネルギーを魔力に変換して式神を作り操る術を開発したわけ。その式神を通じてあいつは世界中に目を持ち、時には気まぐれで干渉をしていたの」

 

「それって、パトラの無限魔力みたいな感じだったり?」

 

「んー、術式の発動には自分の魔力を使うっぽいから無限魔力とはいかないと思うけど、推定でG30のチート陰陽師だから計り知れないところね」

 

 ……予想してたとはいえ、やっぱりパトラよりもGが高いのか……

 しかも推定って曖昧なところが怖すぎるが、喧嘩を売って襲ってくる以上は戦うしかない。

 幸姉も勝ち目がなくて喧嘩なんてしないだろうし、何かがあるんだろう。

 

「それでそのチート陰陽師に仕掛けたイタズラってのは?」

 

「さすが京夜。そこに辿り着いたってことは、そこに勝ち筋があることに気付いたわね? いま話した通り、陽陰の魔術システムを支えてる地脈の噴出点。そこにあったあいつの術式を壊してやったのよ」

 

「壊したって簡単に言うけど、今まで影も形も見せてなかった奴の術式なんて見つかるもんなのかよ」

 

「簡単じゃないわよバカたれ。京夜が香港に来る前から時間のある限り探し回ったんだからね。地脈の噴出点って言ったって、その大きさは半径数キロ単位の泣きそうな範囲で、そこの範囲内にある小さな術式を見つけなきゃならないんだから。それに用心深いことに数ヵ月くらいの単位で術式も式神を使って移動させてるみたいで大変。特に香港は対魔性が強いから探知も難しくて血の涙が出そうだったわ……」

 

 その何かが陽陰との会話で出たイタズラなのだろうと勘繰れば当たりだったが、そのための作業は血の滲むようなことだったようでうっすらと目に涙を浮かべていた。

 だがそうまでして陽陰に喧嘩を売る必要があったのか?

 

「それで、陽陰に喧嘩を売った理由は?」

 

「あいつを捕まえるため、かな。ここまで条件を整えるのに時間はかかったけど、第1段階はクリアしたってところね。あいつがいつどこで何を見てるかは私でも予測できないから、いま派手に動いてるあなた達の戦いなら見てそうって思ってそこに狙いを定めたのよ。カツェとパトラまで来たのは予想外だったけど、その動きも陽陰を引っ張り出す要因になったかもね。あ、ダジャレじゃないからね」

 

「いや、説明しなくていいから……」

 

 と、そこまで余裕のあるような態度で話していた幸姉だったが、懐の携帯に連絡があって、それが姿の見えなかった誠夜からとわかると途端に真剣さを増した表情で通話に応じて一言二言で終わると、いよいよな顔でオレを見る。来るのか。

 

「術式の破壊は私の遠隔で、誠夜にはちゃんと破壊されたかをその場で隠れて確認させていたのだけど、やっぱり用意周到。万が一術式が破壊された場合に一番手強い式神が作られるように保険がかけられてたわ。しかも距離に関係なく陽陰と直接繋がる別系統の術式。本来なら術式を破壊した奴を排除して別のところに新たな術式を組み立てる役目なのでしょうけど、さっき礼をするって言った手前、まず私を確実に排除しに来る」

 

 そうやって自分の作戦を説明しながら今度は別の誰かに事前に作成済みのメールを送った幸姉は、何やら意味ありげに手で印を結ぶと、十数秒で返ってきたメールを確認して携帯を懐へとしまい、小さなガッツポーズをして説明の続きをする。

 

「でも、さすがの陽陰でも世界中の式神を、しかも特別製の強力なやつを同時に手動操作はできない。あいつの目は1つしかないわけだし当然だけど。だから香港の式神を手動操作している間に、日本にある術式を破壊してしまえばどうなると思う?」

 

「そりゃ、保険の式神は出るだろうけど、手動じゃない分で強弱は出るんじゃないか? 超能力に関してはよくわかんないけどさ」

 

「そう。いくら優れた式神でも、自動ではあらかじめ組まれたプログラムの中でしか動けない。たぶんだけど、式神は消滅の可能性が出てきたら逃げ隠れて手動に切り替わるまで待機するように組まれてるはず。でも、逃げる前に式神を倒してしまえばこっちの勝ちよ。それがいま完了したってさ。秒殺したって言うから怖いわよねホント……」

 

「日本にある術式……それってどこに?」

 

「島根県の出雲市。出雲大社がある土地の人目がない場所よ。あそこら辺ならギリッギリで眞弓達が動いてくれたからホント助かったわ。昔馴染みで連携も取りやすかったしね」

 

 話を聞いてても終わりがいまいち見えないのだが、ここまでは概ね幸姉の作戦が成功していることはわかるのでポジティブに捉えておく。

 とりあえずこの作戦において今から始まる戦闘は切り抜けなきゃならないことは理解できたので、ついに臨戦態勢に入った幸姉に合わせてオレも援護できる体制を整えると、九龍の方の夜空からオレ達の乗るクルーザーの目の前に黒い物体が降ってきて海上に音もなく着地。

 よく見ればそれは羽鳥達と請け負った依頼で相対した黒い影のような人形で、海面が影響を受けてないのでスレスレに浮いているようだ。

 

「何やら別のところで同じような事態が起きたのだが、これもお前の仕業か、魔眼の魔女」

 

 幸姉の読み通り手動らしい式神は、先ほどの人工的な低い男の声で身に起きたことの確認を幸姉に取る。

 

「世界中に目と干渉力を持つって便利だけど、複数の出来事に同時に同じレベルで対処できないって致命的よね。もうちょっと複雑なシステムを開発した方がいいんじゃない?」

 

「これですでに人智を越えた所業なのだが、俺の『天地式神』の存在を看破したのはシャーロックと貴様だけだ。お世辞にも貴様にこれの存在を知る術があったと思えんが、誰の助言を受けた? あのシャーロックが貴様ごときに教えるとも思えんが……」

 

「さぁ? どうあれあなたは今、私によってここに引っ張り出された。ならやることは1つしかないでしょ?」

 

「そうだな。貴様を倒し、俺の天地式神を看破した奴の名を吐かせて、そこの仕留め損ねた男共々このヴィクトリア湾に沈めてやる」

 

 高圧的な陽陰の物言いに臆することもなく言霊符を取り出した幸姉に、同じくマントのように羽織っていた言霊符を手に持った式神は、ほぼ同時にそれを大鎌の形へと変化させて構える。

 

「過去に見た分には確かこう……だったか」

 

 この場で鎌を選択した幸姉はクルーザーを沈められる可能性も考慮してリーチと攻撃力を優先したのだろうが、陽陰は鎌を持った途端にバトンのようにそれを操ってヒュン、ヒュン、刃をあっという間に視認できない速度で振り回してカナ。金一さんがやっていた技を披露する。マ、マジかよ……

 

「陽陰の式神の最大の長所は、自分でできないことも明確なイメージとそれを実際の動きにシンクロさせる連動性。つまり陽陰本人に戦闘能力がなくても、式神が鬼みたいに強いってこと。強固なイメージがあいつの力の根源。だから世界中に目を持って興味のあるものを観察して自分のものにする。悪趣味の裏に隠されたイメージコレクターってところかしらね」

 

「それは俺の趣味の1つでしかない。第一、俺がこうして趣味を披露すること自体が稀なのだ。俺の本質はそこにない」

 

 依然、大鎌を振り回しながら幸姉の説明に少し否定を示した陽陰。

 確かにイメージを式神に連動させられるのは動き。それによって直接得られるのは戦闘力に留まる気がするし、こいつがそんなに頻繁にオレの時のように式神をぶつけてくることもないからこそ、存在自体がずっと曖昧だったはずだ。

 たとえ式神が見られてもあの自爆特攻で証拠も証人も隠滅出来ていたのも現実なのだろう。

 

「俺は生来から人を動かすことにこの上ない支配感を得て快感を覚えるクチでな。俺の思うまま動き破滅する姿は愉快で仕方ない。その結果が人が死んだり国が滅んだりと規模はまばらだが、そんなのは俺には関係ないからな」

 

「戦国時代にでも生まれてたら歴史に名を残すバカになれたかもね」

 

「俺も生まれる時代に恵まれなかったと思うぞ。三国の時代にでも生まれれば、孔明や司馬懿とも面白いことができたかもしれんからな。だが、この時代だからこそ俺は世界中に目を持つことができたのも事実。科学の発展というのもまた俺には必要だったということだな」

 

 思考と会話をしながらに式神の動きに乱れさえ生じさせない陽陰の頭の構造がどうなってるのかわからないが、ここまでの観察で陽陰の思考を途切れさせて式神の動きを阻害するということが相当難しいことを理解し、さらに音速で振り回されるあの鎌の壁とでも言うべき攻防一体の技も攻略の糸口が見つからない。

 話の内容はもう、陽陰がぶっ飛んだ暴君思考なのだということで納得して考えるのをやめた。

 世界規模の犯罪者はオレの考えなど及ばない次元で動いているんだから。

 

「さて、無駄話で時間を使ったな。貴様ら2人を殺すのは容易いだろうが、新たな天地式神を敷く必要もあるしな、万が一に最終手段を使わされる前に終わらせるぞ」

 

「その万が一を起こしちゃうのが私と京夜の最強コンビなのよ」

 

 それで自分でも喋りすぎたのを自覚していたのか、向こうから話を終わらせた陽陰は、式神をフワリと浮き上がらせて鎌を振り回したままオレ達に上空から突撃を開始。

 直前にそう言ってオレにウィンクなんてしてきた幸姉にちょっとその余裕がどこから来るのかわからなかったオレは、今ので初撃は自分がなんとかするとアイコンタクトで伝えてきた幸姉にそれを任せて別の行動を取る。

 やっぱり言葉もいらずに連携が取れるのは、幸姉とだけの特別な繋がりを感じるな。

 式神の音速の鎌はためらいなく迎撃に構えた幸姉へと迫ったが、衝突の直前に幸姉の魔眼が発動。

 鎌の運動エネルギーを根こそぎ奪い取って加速を1度止めると、結果的に普通に振り下ろされた鎌と激突。

 しかし常人の筋力値を大きく上回る設定なのか、式神の力に押されて片膝をついてしまった幸姉は、足場も不安定なクルーザーのせいで踏ん張りが効かないようだ。

 それを見て即座にオレは式神の後ろ、クルーザーの最先端に移動してその足首にワイヤーを巻きつけて先端の手すりとで結び一時的に前へ行けなくすると、幸姉も即座に後退してクルーザーの後ろに移動し体勢を整える。

 当然そうなればワイヤーを切ってオレが狙われるが、予測できれば対処もできる。

 過去の相対で式神には物理的なダメージが通らないことはわかってる。

 そして陽陰が使いたくないと言っていた最終手段は十中八九、美麗と煌牙の前線離脱を余儀なくさせたあの自爆だ。

 あれを使えば陽陰はここ香港に新たな術式を組み立てるのに不都合が起きるのは確実。

 しかしその自爆をここで使われたらほぼ確実にオレと幸姉は死ぬ。つまりオレ達の勝利条件はこの式神を自爆させずに倒すこと。

 それができなくて幸姉が喧嘩を売るわけがないので、この戦いの中で幸姉のやることを全力で援護するのがオレの役目だ。

 なんてことはない。今までやって来たことをやるだけ。ただ幸姉の前に立ちはだかるものを排除する。

 だけど戦いが始まる前にどうするのか聞いておくべきだったなぁ……こういう説明不足なところが幸姉の欠点かもしれない……

 邪魔とばかりに足に巻かれたワイヤーを切断しにかかった式神に対して、別のワイヤーを取り出したオレは、ワイヤーを切断するために振るった鎌の柄に引っ掛かるようにワイヤー投げ入れて新たな拘束をする。

 またあの音速の攻撃を出されては魔眼を使わされてしまうので、式神をクルーザーから降ろさずに距離を開かないよう立ち回らなきゃならない。

 しかし力の強さがハンパじゃない式神は拘束したワイヤーを持つオレを振り回す勢いで鎌を動かして拘束を解こうとするので、オレも振り払われないように手すりに肘を絡めてその場を動かないように固定する。

 が、やはり趙煬との戦闘でのダメージが回復していなくてすぐに身体中から嫌な軋みが聞こえてきて踏ん張りが効かなくなってくる。連戦はやっぱりキツい……

 だがそれはオレを連れてきた幸姉も知る現実。

 オレがどの程度なにが出来るのかはちゃんとわかってくれてるので、持っていたワイヤーをいきなり放したオレに、式神は振り解く力が後ろへと勢いよく流れて一気に振りかぶる体勢までいくが、その初動を止めるように後ろから迫った幸姉が鎌に鎌を絡めて妨害。

 それも力技ですぐ振り払われることは直感的にわかったので、式神を挟んでのアイコンタクトでどうすべきを聞くと、なんともシンプルな策が託されたので即実行。

 幸姉が鎌を止めてる隙に制服の上着を脱いで前進しダンッ。

 式神と幸姉を飛び越える月面宙返りを決めて、足りない跳躍を式神の頭に手をつくことで補い、交錯と同時に脱いでいた上着で式神の顔に当たる部分をすっぽりと覆い被せて視界を奪う。

 どうやら式神にも視覚を司る機能が頭部にあるようで、そこから視覚情報を得ている陽陰の視界を奪えたみたいだ。

 月面宙返りで幸姉の後ろまで下がって着地したオレを確認するよりも早く、絡めていた鎌を解いた幸姉は即座に鎌のリーチを最大生かせる距離を取って、視界を奪っていたオレの上着を式神が取った瞬間。

 幸姉の鎌は逆V字を描く軌道で鋭く振るわれて式神の両腕を上腕の半ば辺りから切断。

 それによって風に流されたオレの上着を鎌の柄で引っ掛けて後ろのオレに投げ返した幸姉は、流れるようにぼとりと落ちた式神の両腕と鎌を弾いて海へと放り出すと、正面の式神にも回し蹴りをお見舞いして海へと放り出してしまった。

 ――ドドォォォオオン!!

 それらの動作が全て完了し、式神の各パーツが海へと沈んだ瞬間、切り離された両腕がクルーザーを転覆させかねない規模の爆発を起こして、その揺れでクルーザーから落ちそうになった幸姉を慌てて抱き止めて支える。

 本体から切り離されたパーツは時限式で爆発する仕組みになってたのか。しかも両腕だけであの時の爆発より威力が高かった。

 それだけあの式神が特別製なのだろうが、本体が爆発したらどうなるのか想像するだけで恐ろしい。

 体積に威力が比例するなら、今の約5、6倍ってところか。

 だがこれで両腕を失った式神。戦闘力は大幅に削れた。

 そう思って正面の海上に浮く式神に目を向けると、式神は喪失した腕の根元から新たな腕を生やして復活。

 しかしその分の密度みたいなものが低くなったのを感覚的に察する。それもごくわずかな感じだがな。

 

「貴様らの連携、声もなしにやられると厳しいな。武器もなくしてしまったし、これは貴様らを相手するのを諦めるしかなさそうだ」

 

 戦闘中は一切口を開くことのなかった陽陰は、自分の予想よりもオレと幸姉の連携が面倒臭いと正直に言うと、一見しただけでは撤退するような口ぶりをするが、それがそんな意味を持たないことはわかりきっていた。ならばこいつがやることは……

 上着を着直したオレは陽陰が何をするかをある程度予測した上で先手を取られないようにミズチのアンカーボールを投げて式神に取り付けようとしたが、式神は元が紙だから避けてるのかと思っていた海中にその身を沈めて潜行。アンカーボールも空を切って回収せざるを得なくなる。

 

「幸姉!」

 

「わかってるって!」

 

 オレの叫びに対してすでに動き出していた幸姉は、その手の鎌を燃やして次の言霊符を手に持ち高速で文字を記して4つの円形の皿を作り出し、そのうちの2つをオレへと渡してきて、それを受け取るや否やクルーザーの底から衝撃が来て、それが深刻なダメージになったのがすぐにわかる。

 陽陰はオレと幸姉を相手にするよりもクルーザーを沈めて海中に投げ出されたオレ達を仕留める方が確実だと考えて、唯一の足場を破壊した。

 それをさせまいと動いたが、どうやら船底に大穴を開けられたようで1分とかからずにクルーザーは沈んでしまうだろう。

 そうなると幸姉が渡した謎の皿が頼みだが、足がすっぽり収まる程度の大きさのそれをどうしろと言うのかと幸姉を見れば、それを足に装着した幸姉は沈み始めたクルーザーから飛び出て海面にピタッ。

 謎の力が働いているのか地面にいるかのように普通に走ってみせて、ほら早くとオレに目で訴えるので、それにならって足に装着すると磁石でも付いてるのかピタリとくっついた皿は意外なほど安心感満載。

 そして意を決して海面へと飛び出してみれば、やはり地面を捉えたようなしっかりとした感触と摩擦力で海面を歩けてしまった。超能力すげぇ……

 

「京夜!」

 

 と、説明不可能な現象に驚いていたら幸姉がオレに声をかけて向いた瞬間にその指を全て開いて『5』を示すので、どうやらこの超能力は5分がタイムリミットみたいだ。

 だからその間に地上まで走り抜けるか式神を倒すしかないが、何故幸姉が戦場を海上にしたかを考えれば地上まで行く選択肢は消える。

 もしもあの式神が自爆したら、その被害は甚大だ。

 そんなオレの考えを肯定するように、真っ暗なヴィクトリア湾を照らすかがり火を超能力で作り海上にいくつか投げ放ち、言霊符で新たに日本刀をひと振り作って構え海中に潜む式神の動きに集中する幸姉。

 相手が海中にいられるなら、ほぼ確実にオレと幸姉を海中に引きずり込んで窒息死を狙うだろう。だから狙いは足下。

 

「京夜、あの式神を倒すには本体を1度で4分の1以上に分断しないとダメなの。それで自爆機能が全てに働いて消滅させられるけど、自爆までのタイムラグは3秒。倒したからって悠長にはしてられないわよ」

 

「あの自爆はもうこりごりだ」

 

 ここでようやく幸姉から式神攻略の説明を受けて、幸姉が知る由もない過去の依頼の件を引っ張り出して1人呟いて懐の単分子振動刀へと手を伸ばす。

 しかし下手に切断してハンパな自爆を誘発すると危ないので、単分子振動刀を振るのは確実に式神を4分割以上に出来る時だけにする。

 そうして互いに式神の攻撃を待っていたのだが、かがり火に照らされる海面には一向に式神の影も形も照らされず時間だけが過ぎていき、進展のないままタイムリミットである5分も過ぎ去ろうとしていたその時、ふと幸姉を見ればその額からじんわりと汗を流し始めていて、その表情にもすっかり余裕がなくなっていたのを見て、ここで陽陰の狙いに今さら気付いた。

 陽陰の狙いは最初から、幸姉の燃料切れだったんだ。



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Bullet100

 世界最強の式神使い、土御門陽陰との海上での戦闘。

 唯一の足場であるクルーザーを沈められて、幸姉の超能力で一時的に海面に浮くことができていたオレ達だったが、その頼みの綱である幸姉が度重なる超能力の使用と維持で限界が見え始めて、構えていた刀も緩んで目に見える呼吸の乱れまで出始めてしまう。

 陽陰は幸姉の超能力が長続きしないことを見越してクルーザーを沈め、十分に弱ったところで確実に仕留めるつもりだった。

 幸姉が被害を出さないためにこの海上に留まることも折り込み済みで。

 そんなことに幸姉が苦しそうにしてから気付いたオレは、相手が超能力の専門であることを失念していた。

 

「さらばだ、魔眼の魔女」

 

 そのタイミングを見計らって、幸姉の足下の海中にぬぅっと式神の影が上がってきて、その足に式神の手がかかり海中へと一気に引きずり込もうとする。

 

「はいドーン!」

 

 それを見て走り出したオレの耳に、緊張感の欠片もない幸姉のそんな声が響きマジでビックリして幸姉を見ると、足首を掴まれた幸姉はその足を超能力を上乗せした力で振り上げて海中から式神を引っ張り出すと、持っていた刀で掴んでいた手首を切りすかさずあさっての方向に振り飛ばす。

 それと同時に引っ張り出した式神が海中に戻れないように残りの言霊符を総動員して海面に敷き詰め足場を作ってしまい、幸姉と式神はその上に着地。

 しかしそれを最後に幸姉は片膝をついて崩れ、周りに焚いていたかがり火も消えてしまう。

 ――ざわぁぁ。

 それを見た時、オレの中で嫌な胸騒ぎが押し寄せてきて、その感覚は理子が趙煬に狙われた時に感じたそれに似て……いや、同質のもので、その感覚に何かを掴みかけていたオレは、それに従うようにその足を前へと最速で進める。

 自分が思うより少しだけ速く幸姉の敷いた足場に到達し、式神が自らその右腕を切り離して幸姉の近くに放ったのを確認するよりも、それをどう処理するか判断するよりも速くアンカーボールを投げてその腕に取り付けて巻き取りながら手元へ来たところでミズチを後ろへと投棄。

 すぐに訪れた後ろからの爆発と爆風も無視して懐の単分子振動刀を抜いて一閃。

 式神の胸を両断して、振り向き様にまだ効力のある単分子振動刀で切り返して腰の辺りに一閃。

さらに下から上へと正中線をなぞる軌道で式神をさらに両断。これで、4分割以上にはなっただろ。

 

「幸姉ッ!!」

 

「よくやったわ京夜!」

 

そして最後に自爆を控えた式神の上半身だった4つのパーツをオレが連続回し蹴りで横へと蹴り飛ばし、片膝をついていた幸姉が足払いで下半身だった2つのパーツを反対の方向へと蹴り飛ばす。

 

「……今回は俺の負けだが、次は貴様らが死ぬことになるだろうな」

 

 蹴り飛ばしたパーツの1つから、爆発の瞬間にそんな言葉が飛んできたが、それに耳を傾ける前に幸姉に近寄って抱き締めて爆発から守ると、今回一番大きな爆発がオレと幸姉を襲い、その熱が体まで届くが余波で起きた高波を被ってすぐに冷やされてしまった。

 爆発のあと、一応周囲を確認して何の気配もないことを確かめてから、胸の中で小さくなっていた幸姉を少し離して顔を見合うと、何故か互いに笑ってしまう。

 

「イイ男になったね。あの場面できっちり決めてくれたのは100点満点っ」

 

「あのやり方はマジで勘弁してくれ。心臓に悪すぎる……」

 

「だって、京夜ならちゃんと守ってくれるって信じてたから」

 

「……ったく」

 

 そうした恥じらいもなく褒めてくれる幸姉に調子を狂わされてしまったオレだったが、今はこの人を守り切れたことの喜びが大きくて素直に嬉しかった。

 それに、今ので掴みかけていたものを掴めた気がする。

 

「それで悪いんだけど京夜。そろそろマジで限界だから、とりあえず岸までダッシュして」

 

 そんな喜びも束の間で、次にオレに無理矢理お姫様だっこをさせてきた幸姉は、その状態で本当に限界が近かったのか、足場にしていた言霊符を燃やしてしまい、自分の足に装着していた皿と刀まで燃やしてしまい、残ったのはオレの足に装着された2つの皿だけ。

 

「はーやーくー。あと2分持たないかもぉ」

 

「嘘だろオイ! 岸まで500メートルはありそうなんですけど!?」

 

 もう嘘かどうかわからない駄々っ子になってしまった幸姉に、本当ならマジでヤバイから半ば強制的にお姫様だっこのまま海上を走らされたオレは、約500メートルをほぼ全力疾走して汗だくになりながら香港島の岸まで走り切って、そこでついに力尽きて大の字になって倒れてしまった。

 それからめっちゃご機嫌の幸姉はさっきまでの満身創痍など嘘のようにケロッとした感じでオレから離れて劉蘭と連絡を取り始めて、わずか数分で趙煬の運転する車が迎えにやって来た。や、痩せ我慢だよなあれ……

 さすがにもう休憩なしに動けそうになかったオレを、面倒臭そうに趙煬が乱暴に担いで車へと放り込み、先に乗っていた劉蘭と幸姉に抱き止められてそのままなんかダブル膝枕みたいな状態で後部座席に収まって車は乱暴に発進。

 なんでもジャックされたタンカーの方はまだ九龍に向けて進行中らしく、今ようやくカツェとパトラの撃退に成功したとのことで、オレが方法もわからない香港殲滅作戦を止めるべく動いているらしい。

 この車も今は予想衝突地点の九龍の岸の方へと向かっているみたいだ。

 

「原油の流出を促す炸薬の撤去が済んでくれれば私がタンカーを強引に止められるけど、間に合うかしらね……」

 

「皆様を信じましょう。あちらにはエネイブルもいらっしゃいます」

 

「まっ、金一の弟君ならって思えるところはさすがよね。あ、その前にエネルギー補給しとかなきゃ。京夜ぁ」

 

 とりあえず話のわかる幸姉と劉蘭が会話していたのだが、オレ蚊帳の外かなと思っていたら、いきなり幸姉がオレに甘い声を出して見下ろしてきて、それに嫌な予感がしつつもまともに動けないことをいいことにその顔を近づけてキスしてきやがった。エ、エネルギー補給……?

 

「はい、エネルギー補給完了っ。1回くらいなら強いの使えるかな」

 

「……前から気になってたけど……具体的にはメーヤさんに超能力者の仕組みについて聞いた時からだけど、幸姉の『魔眼使用後の補給体内物質』って何? あと劉蘭、羨ましそうに見ないでくれ……」

 

「えー、そんなの恥ずかしくて言えないよぉ。でも今夜はクリスマスだし特別だぞ。魔眼使用に消費されるのはエストロゲン。いわゆる女性ホルモンよ。それを補給するにはまぁ、キュンッてなるのが一番だからキスした次第であります。でも似た成分のイソフラボンとかでも量のほどは変わるけど補給できるから、別にキュンキュンする必要性は薄いけど、今は緊急事態だし、大豆製品とかも用意できないしね」

 

 あー、なるほど。

 だから幸姉は恋愛系の少女漫画をやたらと読んでて、魔眼の使った後はちょっとベタベタしてきてたのか。

 イソフラボンなら食に片寄りも出ない――大豆に含まれる成分だから醤油とかでも最悪良さそうだ――し気付くわけないよな……

 そうしたやり取りがありつつで九龍へと突入した車は、海上に見えているタンカーを横目に予想衝突地点の岸へと到着。

 岸には警察やら色んな人達が殺到していてうるさかったが、車から降りた幸姉と劉蘭の言葉で騒ぎが一瞬で収まると、香港警察からタンカーに乗り込んだ人達と連絡が取れる無線を拝借した幸姉は向こうの状況を聞き出して、どうやらもうタンカーを止める段階にまで進んでいることを確認すると、

 

「はい了解。ブレーキを掛けても慣性で岸にちょっとぶつかる? そんなことにはならないわよ。私を誰だと思ってるの。魔眼の魔女舐めんなよ」

 

 無線の向こうのココらしき声に自信満々でそう返して、目前まで迫ってきたタンカーを正面で迎える。

 当然他の人達は甚大にはならなそうだが衝撃と破壊に備えて退避をしていたが、幸姉はその最後の力を振り絞って魔眼を発動。

 あの巨大なタンカーの運動エネルギーを根こそぎ奪って、岸にぶつかるほんの少し手前で停止させることに成功。

 急な停止だったのでタンカーの方はバランスを崩すほど前のめりになっただろうが、これにて本当に一件落着だな。

 その後、タンカーからゾロゾロとキンジ達バスカービルメンバーやココ姉妹、猴に何故か武藤やらが降りてきて香港警察や藍幇構成員達から英雄扱いで迎え入れられて、それを遠目から見ていたオレと幸姉と劉蘭は、こちらに気付いたキンジ達に軽く会釈して合流。

 ワイワイと賑わう中でキンジとアリアがこれからディナーだとか話して、それを聞いた香港のお偉いさんが気を利かせてレストランを貸切りで無料にするとか言えば、まぁみんな行く流れになってしまい、アリアが香港の拠点にしていたICCビルの最上階にあるバーレストラン『OZONE』にゾロゾロと大所帯で移動してそこでどんちゃん騒ぎが開始されてしまった。

 キンジとアリアは2人きりでディナーにしたかったみたいで悪いとは思いつつも、オレ1人ではあの流れは止められなかったので仕方ない。

 とはいえ立て続けにキツい戦闘をしたせいでオレも限界1歩手前だったので、海水を被った幸姉と1度シャワーを浴びてから参加したどんちゃん騒ぎに本格参戦は避けて、武藤がらっぱ飲みしてた紹興酒を一升瓶で貰ってコップを2つ取り、武藤と同じ武偵チームのよしみで来ていたあややにミズチが爆散した報告と、新しいミズチの製作予約を取り付けて、事が済んでから合流した誠夜が色んな奴に弄られてるのをちょっと笑いつつスルーし静かなバルコニーに移動。

 そこで体育座りして星を見ていたレキと何を喋るわけでもなくゆっくりしていたら、諸葛のピアノ伴奏でココ達とダンスパフォーマンスをしていた理子がヒョコッと姿を現して目で「そっちに行ってもいいですか?」と訴えてきたので、元々そのつもりだったオレは横で黙ってたレキに1度席を外してもらって、無言でバルコニーから中へと入っていったレキと入れ替わりで理子がオレの隣に来たので、用意していたコップを1つ渡して紹興酒を注いで1度乾杯。

 本当は藍幇城の屋上の予定だったが、場所なんてこだわる必要はないしな。

 互いに一口飲んでから沈黙が訪れ、理子から話す気配がないのでオレが話を切り出す。誘ったのはオレだしここは当然か。

 

「まずそうだな。ジャンヌとのデートは、お前の本心を探るためにジャンヌが仕組んだものだってのは……」

 

「……なんとなくわかってた。わかってて乗せられてたし、わかってない風で知らんぷりしてた」

 

「そっか……劉蘭についてはなんだ……その、オレも香港に来てから聞かされたんだが、小さい頃に親が結婚の約束をした許嫁ってやつで、劉蘭側が一方的に進めてたらしいんだが、今は合意の上で解消されてる。先日一緒に香港島にいたのは、オレを許嫁だと信じてきた劉蘭の気持ちを汲んでだな……」

 

「だからキョーやんは女に甘いってば。もう……そんなんだから嫌いになれないんだよ……」

 

 まずは順を追って話そうとジャンヌとのデートから説明をしたのだが、理子も理子でなんとなく真意についてはわかってたようで、劉蘭についても納得はしてくれたみたいだ。

 これで誤解してそうな案件は片付いたか。

 そんな面倒な案件を片付けて、理子もちょっとスッキリしたのかコップの紹興酒を飲み干しておかわりを要求し、それに応えて注いでやる。

 

「それで話は終わり? それだけだったら激おこプンプンがおーだけど?」

 

「ん、まぁここからが本題ってことになるが、最初に謝っておくよ。今までお前の真剣な気持ちに向き合わなくて悪かった。お前は真面目とおふざけがわかりにくいってのは言い訳でしかないが、お前のことを真剣に考えてこなかったのはオレの怠慢だ。それでお前を怒らせて今までギクシャクしちまったしな」

 

「……理子も悪かったんだよね。なんとなくノリで好き好き言ってた時もあったし、どうやって真剣な気持ちを伝えればいいかわかんなかったりで。でもほっちゃんの告白に真剣に答えたって聞いた時、どうして理子の気持ちは伝わんないんだろうってムキになっちゃってさ……それでツンツンしちゃって素直になれなくて……だから理子もゴメンだよね」

 

 この件についてはオレが全面的に悪いはずなんだが、なんか塩らしい理子は自分も悪かったと言ってオレを見るので、互いに少しだけ笑って紹興酒に口をつけ話を続ける。

 

「でだ。お前の気持ちに対して返事をしたいんだが、いいか?」

 

「うぇっ!? ちょ、ちょっと待って! さすがにそんなすぐに来るとは思ってなかったから……んくっ」

 

 そして本題も本題。

 今まで先伸ばしにしてきた理子の気持ちへの答えを言おうとしたら、急に顔を赤くして紹興酒を一気飲みし無理矢理気持ちを整理させた理子は、ちょっとやけくそ気味に「ばっちこい」みたいな顔でオレを見る。

 

「オレにとって理子は……何がなんでも守りたい、これからもそばにいてほしいって思える、幸姉とはまた違った特別な存在で、好きか嫌いかで言ったら絶対に好きで……」

 

「うん、うんっ」

 

「幸姉を好きだった時とは少し違う気持ちで戸惑ってるところはあるんだが、要するにオレは理子のことが……よくわからん」

 

 ――ドンガラガッシャーン。

 話すうちに理子の表情がみるみる期待に膨らんでるのがわかったのだが、そうして悩みに悩んで出てきたオレの答えを聞いた瞬間、バルコニーの柵に額をぶつけて崩れた理子に、中の方から聞き耳を立てていた幸姉と劉蘭も勢い余ってバルコニーに転げ出てきた。

 そんなギャグみたいにリアクションしなくてもいいだろ……

 

「おうふ……さすがキョーやん。理子の期待の斜め上を行くアンサーに芸人並みのリアクションをしてしまいましたよ……」

 

 バルコニーの柵を支えに顔を上げた理子は、額を真っ赤にしながら予想外とか言いつつ呆れたような、やっぱりなみたいな顔を向けてくるのでちょっと納得がいかない。

 

「……とにかく、それが今の理子に対するオレの気持ちだ。んで、ここからは劉蘭にも聞いてもらいたいから、そんなところにいなくてもいいし、幸姉も退散しなくていい」

 

 幸姉と劉蘭の存在に気付いてはいたので、理子もどういった話かをなんとなく察してそれに文句を言うこともなく、申し訳なさそうに近寄ってきた劉蘭と面白半分で来た幸姉も交えて改めてオレから口を開く。内容は……

 

「劉蘭にはちょっとだけ話したが、現段階でオレは劉蘭とは付き合わない。理子とも、付き合わない。もっと言うなら、誰とも付き合わないつもりだ」

 

「納得する理由は当然あるわけだよね?」

 

「お聞かせください」

 

「……率直に言って、オレはまだ武偵として半人前だ。そんな状態で誰かと付き合っても、特別なにかをしてやれる自信はないし、まずは自分の道をしっかりと定めたいと思ってる。少なくとも武偵高を卒業するまでは、その考えは変わらない」

 

 オレがまだ武偵として未熟なことは分かりきっている。それなのに恋愛などしている余裕はない。

 たとえいま誰かと付き合ったとしても、恋人らしいことなどしてやれる自信は全くないし、悲しませたり寂しがらせたりすることの方が多くなるのは目に見えている。

 そんな思いをさせるくらいなら、オレが少しでも納得のいく武偵になってから。どういった武偵になるかをちゃんと決めて進み始めてからでも遅くはない。そう思ったのだ。

 

「にゃるほど……じゃあ理子達はここで1回フラれたわけだよね?」

 

「……そうなるな」

 

「ですが、1年半後に同じように告白した時には、わからないわけですね?」

 

「オレがちゃんと武偵高を卒業できたら、まぁそうなるな……」

 

「ううむ……理子的にはちょおっと自信ないなぁ。自慢じゃないけどそんなに気が長い方じゃないし、目移りもするからねぇ」

 

「ふふっ、私もその間は他の男性との交友を深めてみようと思います。見聞を広げることでより魅力に気付けることもありますから。理子様はご容姿が愛くるしいですから、引く手数多で男性にお困りにならなそうで羨ましいです」

 

「あれれぇ? なーに勝手に離脱コースに追いやってくれてるのかなぁ。あそっかぁ。蘭ちんは遠恋だから焦ってるんだぁ。理子はぁ、このあと日本に帰ったらぁ、一緒に年越ししてぇ、初詣行ってぇ……」

 

 だからオレへの気持ちを1度切るために2人をフッた形を取ったのだが、なんか勝手に盛り上がり始めて口喧嘩みたいなことを始めてしまい、幸姉もそれを見てクスクス笑っていた。な、何がどうなってる……

 

「あのさ、オレは2人をフッたんだぞ。なのに何で盛り上がってるんだよ」

 

「えっ? だって別にフラれたって言ってもキョーやんが誰かと付き合うわけでも、好きな人がいるわけでもないんでしょ?」

 

「でしたら京夜様が恋愛に真剣になってくださる時までアプローチは続行させていただきます。その時になって選んでもらえるように、後悔はしたくありませんから」

 

 ちょっと動揺しつつ2人の口喧嘩に割り込んでそう言えば、揃ってそんなことを言うので完全に思考停止。

 こっちは見限られるの覚悟でフッたのに、何でそうなるんだ……

 そうして女心がさっぱりわからないオレに近寄って肩を叩いた幸姉は、年長として笑いながらに言葉をかけてくれる。

 

「甲斐性を大事にする京夜の考えも大事だけどさ。女って理屈じゃないのよね」

 

「……結局答えを出しても何も変わらないんだなこれ……」

 

「あははっ、頑張れ京夜。こんな贅沢な悩みはモテ男の特権だぞ」

 

 その後、オレは色々悩みまくったここ数週間が何だったのかとやけくそになって持っていた紹興酒をらっぱ飲み。

 完全なるやけ酒でそれ以上の思考を放棄して理子と劉蘭と幸姉を交えて夜の雑談を開始したのだった。

 真剣な答えにあの軽い感じの返しは正直クルものがあったな……

 翌日。

 バスカービルメンバー共々同じ便で帰国することになったオレは、まだ別件が片付いてないとかでもう1日滞在予定の幸姉と誠夜、劉蘭と別れて飛行機に搭乗。

 その直前に劉蘭と連絡先を交換したが、人脈は大事だよな、うん。

 色々ありすぎて濃厚だった香港滞在。たった3日程度でも得られたものは大きかったな。

 まずミズチはまた木っ端微塵にされてしまったが、あの時に掴んだ感覚は今もオレに確かな手応えを残している。

 きっかけは理子が趙煬に狙われた時。オレはそれを見て直感的に『理子が死ぬ』ことを予感した。

 それを受けてオレの体は死の回避とは少し違う感覚で動き、理子を守ろうとした。

 そして次の幸姉の時にもそれは起こり、結果的に2人を無事に守ることができた。

 つまりオレの死の回避はもう1つの段階に至ったことになる。言うなれば『死の予感(デス・フィーリング)』。

 自分以外の死に敏感に反応しそれを防ごうとする条件反射だ。

 おそらくはこれの発動には対象と状況を視認する必要はありそうだが、これこそが猿飛の秘伝の本質。やっとオレはそこに足を踏み入れた。

 これで今までよりもっと、たくさんの人を守れる。そう、信じたい。

 そして幸姉が喧嘩を売った土御門陽陰。

 撃退後に聞いた話によると、陽陰の『天地式神』には操作限界距離というものがあるそうで、1つの術式から操作が届く範囲は日本をすっぽり覆えるほどはあるが、それ以上は陽陰でも無理らしい。

 それを補うために世界各地にある地脈の噴出点に術式を置き、その円心状のどこかを別の円心状のどこかにくっつけることでカバーしていたとか。

 今回はその1つを破壊し、カバーしきれない範囲を作り出すこと――今回で言えば香港と日本――で、新たに術式を敷くために陽陰自らを日本へ誘き出すことが真の狙いだったと言う。

 香港は新たに術式を敷かれてしまうことにはなるだろうが、地脈の噴出点が固定されてる以上、日本で待ち構えることができるとあって、幸姉は本気で陽陰を逮捕する意思を見せていた。

 曰く『これが武偵、真田幸音の最後の大仕事』らしい。

 必要とあれば協力も辞さないと一応言ってはおいたが、こればっかりは超能力者の領分で、幸姉も日本の武偵庁全体と協力してスペシャリストの厳選と万全の体制で迎え撃つと意気込んでいた。

 今の幸姉なら何でもできそうな気がするし、心配はしていない。

 

「どうしたのキョーやん?」

 

 そうしたことを考えながらファーストクラスの席で外の景色をぼんやり見ていたら、アリアに月餅を食わせてた理子がぬぬっと膝に滑り込んで膝枕の状態で顔を見上げてくるので、その額にチョップを叩き込んで引き起こす。

 

「別に。まだまだやることいっぱいだなって考えてただけだ」

 

「ふーん。そんなの考えてもキリがない気もするけどねぇ。あっ、そうだキョーやん」

 

 それで隣に何故か正座した理子と短い会話をすると、なんか突然思い出したように理子が名前を呼ぶので反射的に振り向けば、その振り向きに合わせて理子がオレの頬にチュッ。

 キスをしてきて、キョトンとしたところにうっすら頬を赤くした理子は、

 

「もっかい言っとくね。大好きだよ、京夜」

 

 1度フッたオレに対して、超がつくほど可愛い笑顔でまた告白してからアリア達と絡みに行ってしまった。

 

「……ったく、油断も隙もないなあいつは……」

 

 とは言いつつも、まんざらでもないと思ってる自分を自覚しつつ、騒ぐ理子達を無視してまた外の景色を見始めた。

 アリアの残りの殻金に緋緋神化の可能性。

 極東戦役のカツェやパトラに、宣戦会議以来姿さえ見えないハビやLOOの撃破。

 ジャンヌが報告してきた修学旅行Ⅱの結果に伴う事態。

 問題は山積みだが、これからもきっと、こいつらとなら解決していけるはずだ。

 それにこれらを解決した時に、オレも少しは自分自身のことを認められるようになってる。

 そんな気が、しないでもない。



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欧州編
Bullet101


 

 12月26日。

 香港から帰ってきたオレはまず、自分の部屋に戻って荷解きをしつつ何故かボーッとオレを見る小鳥の年末年始の予定を聞いておくと、何やらテンパり気味の小鳥は実家に戻るようなことを慌てて話す。

 

「……それならいいんだが、何かあるならはっきり言えよ。後ろめたいことなら尚更な」

 

「いえいえ! 決してそういうわけではなくてですね! ただその……自分でもよくわからないんですよね……」

 

「何の話かわからないが、自己解決できることなら年越し前に終わらせとけ。やり残したことがあると正月に悶々することになるぞ」

 

「は、はい! 了解です! 京夜先輩は年末年始はご実家ですよね?」

 

「ああ。幸帆と一緒に帰省する。あー、なんか飛行機で若干1名ストーキングしてくるようなことを言ってたアホがいたが……無視しよう」

 

「もうそれで誰かわかっちゃうのが悲しいです」

 

 いざ会話になってみると普通に戻っていった小鳥だが、何か悩みみたいなものがあるのは見てわかる。

 だが自分から話さないことなら無理に聞く必要もないし、深刻そうな気配も今のところないのでとりあえず放置しておく。

 それから幸姉に治癒はしてもらったものの、まだ全然中身があれな体に負担をかけないようにリビングでくつろいでいたら、コミケの参加準備とか言って台場に直行していた理子がやって来てオレに飛びついてきたので蹴り返してやる。

 

「酷いよキョーやん! こんな可愛い理子りんを足蹴にするなんて!」

 

「用件を言え。忙しいって飛行機で言ってたのは嘘か?」

 

「おおそうだった! あのさキョーやん。理子年末はコミケに全身全霊で臨むから、キョーやんとほっちゃんの帰省に合わせられないんだー。だから大晦日の夕方くらいに京都駅に着くようにするから迎えに来て?」

 

 わざわざ忙しい中でここに来て何を言うのかと思えば、自分が勝手にストーキングするとか言ってたくせに迎えに来いとか言う身勝手な要求。

 飛行機で明後日の28日には京都に戻ることを話してはいたが……そういやオレの家の所在を知らないのかこいつ。

 じゃなくてだな。勝手に来るのに迎えに行ってやる理由はない。

 

「面倒臭い」

 

「可愛い女の子を迎えに来るのを面倒臭いとか言っちゃぷんぷんがおーだぞ。んじゃそろそろ行かないと夾ちゃんが怒るからよろしくね!」

 

 結局、いつもの理子のごり押しで決まったような流れでそそくさと行ってしまい、そんなギチギチのスケジュールならアリア達と年越しでもすればいいのにと思うが、たぶんその時になったら迎えに行ってるんだろうなぁ……

 なんだかんだで自分の甘い性格を自覚しつつで今年最後の仕事と割り切って納得させておきつつ、すっかり寂しくなった右腕を見て早めにミズチの新調をしてもらわないとなぁと考えつつの夕方頃。

 またも部屋に来訪者があり、来るなりオレの隣にわざわざ座ったそいつはいつもの凛々しさをすっかり消沈させて狙ってるのか何なのかオレの膝の上に頭を乗せてその状態で話をしようとする。

 

「ジャンヌから甘えてくるなんて初めてじゃないか?」

 

「これは甘えているのではない。私はいま意気消沈している。チームメイトならば慰めろ」

 

「理由を知らんのに慰められるか」

 

 そうして全く退く気のないジャンヌさんは顔こそ上を向かないまでも明らかに甘えてくるので正直なところ内心はドキドキだ。

 だが当の本人は本当に意気消沈しているだけなのか脱力具合がこっち任せで気を抜くと膝から落ちそうだ。何この緊張状態の膝枕……

 とはいえジャンヌがこうなってる理由については少し考えたらわかったので、オレも無関係ではない都合、話を切り出さなきゃならないようだ。

 

「……だから現地集合は無謀だって言ったろ」

 

「それはもう聞いた。私は慰めろと言ったのだ。言われたことをやれ」

 

「わーいジャンヌさんを膝枕なんて一生語り継げるくらい幸せなことだなぁ」

 

「ふふん。そういうのは悪くない。だが棒読みはムッとするぞ」

 

 注文の多い聖女様だこと。

 慰めるも何も今回の修学旅行Ⅱで現地集合とかいう無理難題をチームに通達して見事に失敗したジャンヌには慰める余地がない。

 だから無理矢理にそんなことを言えばこれだ。

 

「慰めるなんて幸帆にでもしてもらえ。それより修学旅行Ⅱの件、どう処理されるんだよ」

 

「それよりまずお前は理子と上手くやれたのか? また私を頼ってデートなどしなきゃならないなら頭を抱えるぞ」

 

「そっちはもう大丈夫だ。いつも通りに戻った。もう本当に悲しいくらいにいつも通り……」

 

 慰めるのも柄ではないので早々に切り上げて膝から起こしはしたものの、まだやる気が入らないのか肩にしなだれかかって口を開くので、至近距離からジャンヌの息が届いて逆にこっちの方が色々と刺激してきてマズイ。

 だからちょっと顔を離しつつ元に戻っただけの理子との関係にちょっと遠い目をしたら不思議がられてしまう。

 こっちは何か変わると思ってただけにあれは堪えたよ。

 

「まぁ理子がいつも通りになったのならそれでいい。それで今後の私達の処置は追試だ。また改めて修学旅行に行ってこいと言うことだ」

 

「行くって、シンガポールか?」

 

「その辺はまだわからんが、行くとなると来年になるらしい。場所に関しては後日だな」

 

 とかなんとか言いながらまたズルズルと頭を落として結局は膝に戻っていったジャンヌ。

 ここまでやる気のないジャンヌは初めて見るが、なんというか可愛い。要はこいつは今、ふて寝をしてるわけだし。

 そんな気持ちをつい行動にしてジャンヌの頭を撫でてみたら、それは嫌なのか不意打ちの肘鉄を横っ腹に食らって、腹いせに落としてやろうとも思ったがやめておく。あとが怖い。

 

「修学旅行の件は了解。それはそうとしてお前は年末年始はどうするんだ?」

 

「どうするんだも何もない。今は祖国になど行って向こうを刺激しても仕方ないしな。中空知の実家にでも厄介になるつもりでいる」

 

「ならうちに来いよ。今年は幸姉も幸帆も月華美迅の皆さんもいるし、理子もなんか来る予定だし、今さら1人増えたところで問題ない」

 

「あの騒がしい中に私を入れるつもりか……だがまぁいつまでも消沈していても仕方ないしな。切り替えるつもりでお呼ばれしてやるか。喜べ京夜」

 

「おう、これは素直に嬉しいよ。幸姉も喜ぶだろうしな」

 

 これはこれで少し嬉しいからそのままの状態でジャンヌの年末年始の予定を聞けば、特に決まってなかったらしくノリで誘ってみたら乗ってきたので、半分くらいは冗談だったのだろうが喜べと言われたので喜べば、なんか耳が少し赤くなったので照れたらしい。照れるなら喜ばせるなよ。

 翌日はチームリーダーのジャンヌが教務科に呼び出されて追試の詳細を聞きに行き、オレは遅れて帰ってきたあややに新しいミズチの新調を早めにしてくれるように直談判。

 こんな時期に急かすようなことはあまりしたくなかったんだが、香港での一件が収まったあとにどうにも不穏な動きをアリア達と一緒に感じたのだ。

 藍幇との戦いは別に問題はなかったのだが、そのあと畳み掛けるように襲撃してきたカツェとパトラの動きがあまりに機敏だった。

 欧州の方で暴れていた2人がタンカージャックまでして移動してきたにしては早すぎるというのがアリア達との見解で、その動きはオレ達が香港に行くことがバレてでもない限り間に合いそうにないタイミング。

 つまりいるのだ。師団の中に、こちらの情報を眷属に流している裏切り者が。

 それが誰なのか今もまだわからない状態にあるため、いつどう状況が変化するか注意しながらも備えは万全にしておく必要があるというわけ。

 だからあまり依存するようなことはしたくないが、もはや自分の体の一部と化してるミズチのあるなしは戦闘に響く。

 そうした理由であややに頼んでみたら、どうにか来月の10日までにはどうにかすると言ってはくれたが、これが果たして事態に間に合うのかどうか不明なところだ。

 そうした事を終わらせてとりあえずやれることはやった感じになったので、さらに翌日に幸帆とジャンヌと一緒に京都へと帰省。

 幸姉も月華美迅の5人も大晦日まであちこち動き回ってるとかで実家の方には誠夜すらいなかったのだが、使用人さん達が明るく出迎えて、客人扱いのジャンヌは真田の家の方で寝泊まり。

 実家ということもあって非常にリラックスして過ごしていたのだが、何を思ったかジャンヌがいつかの弾丸ツアーが不満だったのか改めて京都観光をしたいとか言い出すので28、29日の日中はゆったりとした京都観光をしたのだが、それをデートとでも思ったのか幸帆が一緒についてきて必死にオレとジャンヌの間に入ってきたのは面白かった。

 30日には使用人さん達の年末最後の大仕事。家の大掃除が開始され、体を休めるのも大事だが鈍らせるのも問題なので途中から掃除の手伝いを始め、オレがやるならと幸帆も参加し、1人だけ蚊帳の外が嫌だったのかジャンヌもちょっとだけ手伝いをしてくれて和気あいあいと作業も進み予定よりも少し早く終了。

 大晦日と三が日は休みをもらってるはずの使用人さん達なのだが、今回は久しぶりに賑やかになるということで2人ほど残って世話をしてくれるとか。

 昔から幸姉と波長が合うというか使用人さん達一同は基本的にノリが良いので年越しそばの準備やらをしてくれて助かる反面、悪ノリまでしてくるから困ってもいる。

 ともあれ明日にはいよいよ全員が揃って大変なことになるとあって、ゆっくりとする時間も最後になるだろうとジャンヌもため息が出ていた。

 そんなジャンヌと真田の家の居間でちょっと2人きりになっていれば、気にならないわけもないので会話をしておく。

 

「ため息は幸せが逃げるらしいぞ」

 

「明日以降のことを考えればため息も出る。先に言っておくが、私が大変なことになっていたら迷わず助けろ」

 

「善処はするが、まず自力で脱出してくれ。オレもあの人達の前だと余裕がない。というかあんまり逆らえる立場にない」

 

「情けないことを言うな。それでも私の騎士か?」

 

「お前の騎士になった覚えはないが、そんなこと言うならジャンヌも情けないこと言うなよ」

 

「その切り返しは好きではない」

 

 これぞ自分を棚に上げるという典型。

 先に弱音を吐いたのは向こうのくせにオレには弱音を吐くなと言う。

 やはりまだ気持ちが落ち込んでるのかもしれないが、これに合わせてるとこっちも気持ちが沈む。

 

「年が明けたら、ジャンヌの故郷に行けるわけだよな?」

 

「その話は今はするな。死地に赴くに等しいのだぞ」

 

「別に死ぬ気はないさ。まぁ、今の弱虫ジャンヌとならそうなる可能性もあるかもしれないけど」

 

「私のせいにするつもりか」

 

「そうさせないでくれって意味だよ。オレは凛々しく立ってみせるジャンヌが気に入ってチームにいるんだ。だから頼もしい背中でいてくれよ、リーダー」

 

 で、このジャンヌを立ち直させるのもオレの仕事なのだと思って、年明けすぐに決まってしまった修学旅行の追試の行き先の話。

 そこがいま戦役の欧州戦線の中のジャンヌの祖国フランスで、最悪向こうの戦線の矢面に立たされる可能性も出てきたため、形勢不利らしい向こうでは死ぬ可能性もある。

 そうしたダブルパンチ的なことで気が弱くなってるジャンヌを勇気づけてやると、何やら少し顔を赤くしてムッとしながらコタツの中の足を伸ばしてガスガスオレの足を蹴ってきたので、コタツの中で蹴り合いを始めたらいつの間にかジャンヌの顔にも笑顔があった。

 

「なら将を守る騎士が真っ先に倒れてくれるなよ。私もそのために尽力する」

 

「死なないことに定評が出てきたからその辺は大丈夫だろ。だから大手を振って日本に戻ってこようぜ」

 

「楽観的だな。だがまぁ、私もまだ日本を満喫していないし、戻ってきたら今度は北海道にでも行ってみたいところだ」

 

「さすがにそっちには土地勘ないから、ガイドブック片手にだな……」

 

 確実なことなんて何もない。

 それでも気の持ちようというのはバカにできない。気持ちが前を向けば思考もポジティブになるし、結果として生存率も上がる。

 そうして未来の話を語るジャンヌが明るい雰囲気を出したところで、オレのもとに誰かから連絡があり、登録されていない謎の番号。それに応じるため席を外す。

 

「もしもし?」

 

 ちょっと警戒しながら応じたその相手は、オレも完全に予想外で最初は反応に困ってしまった。

 しかし向こうはそんなことを全く気にする素振りもなくいつも通りに口を開くので、こっちの動揺を悟らせないために普通を装うが、速攻でバレて主導権を握られる。

 これはもう仕方ないと割り切って本題の方に切り替えれば、本当に用件だけを告げた向こうはそれだけ言って返事も聞かずに通話を切ってしまった。

 

「…………ったく、相変わらず腹が立つ」

 

 そんな相手の態度に少し慣れてしまってる自分にため息が出るのだった。

 

「きょーうーちゃーんーやー!!」

 

 翌日の大晦日。

 この日にまず真田の家にやって来たのは月華美迅の5人。

 やって来るなり玄関前で愛菜さんが壮絶なタックル……抱きつきでオレを倒して頬擦り地獄を敢行するも、他の4人は一言オレと挨拶してスルー。さっさと家に入ってしまう。

 この辺はもう見慣れた光景ということで特別なリアクションもないのはわかるが、せめて引き剥がすのを手伝ってはいただけないものか。

 まぁそんな文句を言えるわけもないのでなんとか1度離れてもらって家へと入り、さっそく我が物顔で居間に居座って各々が寛ぎ出してる眞弓さん達はさすがだが、それを気にも留めない幸帆と使用人さんの慣れの方が恐ろしい。

 眞弓さん達の来た居間は一気に賑やかになったため、それまでゆったりしていたジャンヌも幸帆も巻き込まれる形でその中に入れられて、オレも例に漏れずなわけだが、幸いなことにこのあとは冬コミから駆けつけるらしい理子の迎えに行かねばならないので、眞弓さん達の相手はジャンヌと幸帆に任せて逃走。

 したはいいが、やっぱりというか愛菜さんだけはしっかりビッタリとついてきて一緒に行くと言い張る。

 それはもう予想の範疇なので腕に抱きついてくるのも込みで受け入れて2人でのんびり京都駅にまで行って東京からの新幹線のダイヤルを見て待つこと数十分。

 改札を潜ってすぐにオレと愛菜さんを見つけるや何が入ってるのかスーツケースを転がして満面の笑みで近寄って来た理子は、やっぱり来てくれたみたいなことを言ってくる。

 来ないつもりではあったが、今からあのテンションの眞弓さん達と絡んで疲れる方がキツいと思っただけのこと。

 決して理子を放置できなかったからではない。絶対に。

 それからクソみたいにテンションの高い理子は今年の冬コミの収穫やらを興奮気味に話し家までずっと話しっぱなし。

 これにはさすがの愛菜さんも口をポカーンと開けて終始割り込めないでいた。

 それもそうだろう。オレもなに言ってるのか半分程度やっと理解できるレベルだ。

 去年もこんな話をされた気がするが、ひと晩中ずっと買ってきた同人誌を手にあれこれ言われ続けたせいで右から左に抜けていた。

 理子も話したいことを話して理解されてない自覚はあるのだろうが、話すことが生き甲斐みたいなところがあるから結局はずっと理子のターンが続いて家に到着。

 居間に戻ってみるといつの間にか幸姉と誠夜も帰ってきていて、さっそく賑やかな中に混ざっていたが、幸帆と眞弓さん、使用人さんは夕食の準備で台所の方に移動していた。

 全員が一応は顔見知りということもあって――理子についていたヒルダが出てきにくそうだったからフォローはしてやった――ぎこちなさみたいのは全くなく賑やかな雰囲気は続き、紅白を観るのが楽しみという眞弓さんを怒らせないギリギリの騒ぎ方でみんなで出来るゲームなどをやりつつで年越しを待つ。

 それでいざ年越しのタイミングになると食い気が勝ったのかみんなして年越しそばにがっつき海老天の取り合いをしたりと酷い有り様。

 オレはいち早くその争いから逃げるように眞弓さんへ海老天を献上し代わりにかき揚げを賜わって事なきを得てゆっくりとそばにありつき、本当に久々に賑やかで心暖まる年越しをするのだった。

 

「これは何ですの?」

 

「いやぁ、これは寅年なんでタイガーな感じに……」

 

「これは何ですの?」

 

「これはいま流行りの改造振り袖ってやつで……」

 

「幸音はん、この子は何を言うてますのや?」

 

「戯れ言よ」

 

「酷いよゆきゆき! 裏切り者ー!」

 

 翌朝。

 さすがに適度な睡眠は取った一同は起きるなり初詣の準備に取りかかったのだが、別に服装とかどうでもいい組のオレ達を他所に振り袖を着ていくと張り切った理子と着てみたいというジャンヌに、家柄とかで義務らしい眞弓さんや幸姉、幸帆が着替えていたのだが、ふすまを隔てた向こう側で何やら眞弓さんがご立腹。

 どうやら理子がスーツケースに詰めてきたのは自前の振り袖だったようだが、眞弓さんの逆鱗に触れるデザインだったようで、ギャーギャー騒ぐ理子を無視してふすまを開けてこっちにその改造振り袖とやらを投げてふすまを閉じてしまう。

 見れば改造制服のようにフリフリのフリルをあしらったミニスカ振り袖になんかアニメみたいな虎のイラストのついたあれな帯と、出来るなら隣を歩いてほしくないデザイン。

 これは眞弓さんは受け入れられないだろうな。オレは着てこられたら仕方ないと諦めるが、着る前なら全力で止めてる。

 そうして自前の振り袖を却下された理子は眞弓さんの手によって大人しい色合いの綺麗な振り袖を着させられてお披露目となったが、同じく眞弓さんの手によって変身したジャンヌと並ばれると大和撫子とは違った金髪銀髪コンビが異彩を放つ。

 正直に言ってこの格好の時だけは可愛いよりも綺麗が勝って見惚れる。

 対して大和撫子一直線の真田姉妹は色合いを暗色にしてるせいかずいぶんと大人びて見え、眞弓さんなんて着なれてるからなのかもう二十歳には絶対に見えな……

 

「あきまへんえ京夜はん。思っとることが顔に出てます」

 

 ――ベシッ!

 とかなんとか思ったら速攻で眞弓さんからお叱りの一撃を額に受けて沈む。扇子は痛い……

 そのあと理子やジャンヌに感想を求められたりとありながらもすっかり行くことが定番になってしまっていた伏見稲荷大社へと初詣に出かけたオレ達は、もうなんか色んな意味でオーラがある集団で注目を集めつつ人でごった返す中で参拝を済ませて、一応は前例があるからとしばらく端っこで参拝客を監視。

 その間におみくじを引いて見事、幸先悪い凶を引き当てたオレを見るジャンヌの目が痛かったが、ジャンヌもジャンヌで末吉と反応しづらい結果で、これでもかと大吉を見せつけてきた理子を2人してグーパンで撃退してやった。

 ここで凶を引いたのは確かに不吉だが、そのおみくじはちゃんと結んで稲荷大社に置いてきたのでチャラってことにして、今年の悪運の1つを処理できたとポジティブに考えつつ残りの三が日をのんびりと過ごして4人揃ってまた東京へと戻っていった。

 さて、気持ちのリフレッシュも済ませたし、新年最初の関門もサクッと突破してくるとしますか。



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Bullet102

 1月4日。

 京都から戻って慌ただしく修学旅行の追試のための旅支度に追われていたオレは、明日に迫った出発に備えて早めに寝ようかと考えていた頃。

 本当に珍しく寝室の上下扉を通ってキンジが来訪。

 その理由についてはすぐにわかったが、なんでも色々とやんちゃしてきたキンジは各国から苦情をもらって危険人物リスト入りしてしまったらしく、特にアリア、ジーサード、猴と国にとって大事な人物と繋がり危険にも晒したなどのあれこれでその処罰としてバスカービルから脱退させられたとのこと。

 それで学校としてぼっちにするのはまた色々と心配ということでオレ達のチーム、コンステラシオンの監査役として加入し、今回の追試にも参加させられたわけだ。

 こんなことを聞くとオレのおみくじの凶など可愛いもんだ。

 意図せずに向こうの戦役のど真ん中に放り込まれるキンジはそうした事情でチームでもある程度連携が取れるオレにちょっと期待しているのだろう。

 

「正直、土地勘があるとはいえジャンヌに任せきりも不安はあるし、お前には結構頼ることになると思う」

 

「お前と一緒にいるとオレまで注目されるから嫌だ。頼りにされるのはリーダーからだけで十分」

 

「そのリーダーより立場的に俺は上だぞ」

 

「だったらビシッと先頭に立っててくれよ、監査役殿」

 

 わざわざ出発の前日にそんなことを言うキンジに割と冷たい感じで突き放したオレだが、実はこれには理由がある。

 別に頼りにするのは構わないのだ。だがそれも最初からそうだと困ると言う話。

 

「とりあえずまずは現地に着いて自分の目で色々見てから頼る頼らないは判断しろよ。オレだってお前のフォローしてられる状況じゃなくなるかもしれないんだからな」

 

「…………わかったよ。じゃあ明日、遅れるなよ」

 

 だからそれらしいことを言って不満気なキンジを納得させつつ退散させると、オレも明日に備えて寝ておくのだった。

 翌日。

 午前にはフランス行きの便に乗り込むオレ達は、前回の反省を生かして羽田に1度集合してから同じ便で出発することにしていた。

 だがオレはその搭乗予定の便には乗らずに次の便に乗ってフランスへと旅立った。

 理由は2つ。

 1つ目はあややに頼んでいたミズチがまだ新調できていなかったので、ギリギリまで待ってみたということ。

 結果的にそれは間に合わずにミズチなしでの欧州乗り込みになってしまったが、それはもう仕方ないと割り切る。

 2つ目。実はこっちが本来の目的というかなんというかだ。

 年越し前に突然の連絡をしてきた相手が、オレに1人でフランスに来るようにと一方的に指示してきたから、仕方なくそれに従ってる。

 その時に誰にも何も言わずに現地に来るようにも言われていたので、集合して行ったキンジ達にも何も言ってないので今頃は飛行機の中でグチグチと文句を言われているだろうな。

 そうしてコンステラシオン内でのオレの評価を犠牲にして乗り込むので、これでただの嫌がらせだったらマジで殴るだけじゃ済まさないと思いつつ、長いフライトの間に時差ボケの出ないように調整して睡眠を取って、午後5時頃にフランスのパリにあるシャルル・ド・ゴール空港に到着。

 数時間前に到着しただろうキンジ達はもう行動を開始しているだろうから合流も図りたいが、指示してきた相手の意図を確認するのが先決。

 なのでまずは携帯にあったキンジやジャンヌの着信を無視してその相手にコンタクトしようと空港を出て連絡しようとした。

 だがそれよりも早く空港を出てすぐに何やら無駄に綺麗な金髪ロングのフランス人女性? と目が合って近寄られる。

 

Est-il par hasard un Japonais?(もしかして日本人ですか?) Puisque je m'intéresse au Japon, (日本に興味があるから)je veux entendre une histoire!(話を聞きたいです!)

 

 おそらくはフランス語で日本人ですか的なことを言われたのだろうが、全然わからないので身振り手振りととりあえずの万国共通の英語でフランス語がわからない旨を伝えつつ離れようとしたが、向こうが腕に引っ付いてどこかへと行こうとするので、物盗りの線も考えつつめちゃくちゃ警戒しながら一緒に移動するが、その警戒もすぐに別のものに変わる。

 腕に引っ付いて周りからは見えないところで女性が突然、指信号で何かを伝えてきたのだ。

 さっきのフランス語は何だったんだと言いたくなる和文の信号は『自然を装え。合わせろ』と知らせてきて、誰かわからないが危害を加えるつもりではなく、オレのことを知る人物であることは可能性として高い。

 なので警戒は継続しつつ指示された通りにして近くの喫茶店へと一緒に入りテーブル席に着くと、今度は英語でペラペラと日本のことについてを聞き始めた女性だが、それが上辺だけの中身のない会話であることはわかったのでオレもそれらしいことを英語で言って合わせておく。

 そしてわざわざオレの持ってきたスーツケースをテーブル席の足元が隠れるように配置していた女性は、その足の爪先でオレのすねをとんとんとーん。

 和文モールスで何かを伝えてくる。

 これによって女性が警戒しているのは周りにあると確信し、しばらくは会話に付き合ってお茶を楽しんだフリのあとに女性からまた話したいという言葉と共に取り出したメモ帳を破いて強引にアドレスを書いたメモを渡されてしまい、そのまま別れてしまう。

 が、もうこの次にやることは決定した。

 女性と別れてからオレが向かったのは、近くに建った手頃なホテル。

 少し歩いた先にあったそのホテルに少し戸惑いながらも入ったオレは、女性が指示してきた通りにロビーにあった花瓶の下敷きにされていたメモをさりげなく取り、そこに書かれていた通りの名前でフロントに予約の確認をしてもらうと、少し怪しまれはしたがすんなりと鍵を渡されて部屋へと向かった。

 怪しまれたのはまぁ仕方ない。何故なら予約者の名前がおそらくは女性の名前で、フロントに来たのがオレだからだ。

 これはちょっと悪意あるんじゃないかと思いつつ予約されていた部屋へと入ると、どうやらオレが先約というわけではなく、先に誰かがチェックインしフロントに鍵を預けて出ていったあとのようで、怪しまれたのもその辺が原因な気がしないでもなかった。

 とにかく、怪しい人物のコンタクトではあったが、このタイミングでこの準備の良さはオレが来ることを前提にされている。

 つまりこれはあいつの仕組んだことで間違いない。

 それを証明するように部屋にあったメモにはクローゼットの服に着替えて外出するようにと、外で待ってる車に乗り込むようにとの指示が書かれていたので、指示通りにクローゼットを開けてみたら、まぁ予約者の名前でなんとなくわかってたがまた『あれ』をしなきゃならないことにため息が漏れる。

 とはいえそうまでして警戒している相手の意図がわからない以上、それに合わせて合流してから話を聞かなきゃならないので、意を決してそれに着替えて違和感がないことを悲しみの中で確認してから部屋を出てフロントに戻り、鍵を預けてそのままホテルの外へと出て指示にあった番号を付けた車を探して少し歩き、目的の車を見つけてその助手席の扉を開けて乗り込むと、運転席に乗っていた茶髪の眼鏡にひげをたくわえた男が何も言わずに車を発進させる。

 

「で、こんなことをさせた理由は何だ?」

 

 一見すると見覚えのないその男にパリ市内を走ってる最中に問いかけるが、別に隣の男を知らないわけではない。

 

「ははっ、よく似合ってるじゃないか。私はそちらの方が隣にいてくれると嬉しいね」

 

「うるせぇよ。それに何だ『ケーナ・ステイシー』って。どこの国の女設定だ」

 

「変装するのに日本人とわかったらそれこそバカだろ。それに気を利かせてこれからまた着替えるんだから文句を言うな」

 

 開口一番に相変わらずのイラつくことを言ってきた羽鳥・フローレンスは、心の底から嫌がってるオレの女装を見て笑う。

 今のオレは結構マジの金髪ロングのカツラ――素材からして本物の髪――にファーの帽子。青のカラコンに膝近くまである白のロングコートを着て、中には女性もののスーツでクソ歩きづらいヒールを履いていた。

 

「…………こうまでして何を警戒してる。わざわざ搭乗便まで遅らせてオレを孤立させたちゃんとした理由がなきゃ殴るだけじゃ済まないぞ」

 

「簡単に殴られてやるつもりはないが、こうした理由はちゃんとあるさ。私だって君への嫌がらせというだけでここまで手の込んだことはしない。嫌がらせなんてものはそもそも如何に労力を割かずに実行するかが肝だしね」

 

「……とにかく、女装はこれきりにしろ」

 

「足さえつかなきゃ次で変装も終わりさ。私もこんなおじさんの格好は早く切り上げたい」

 

「似合ってるぜ?」

 

「君なんて様になってて思わず嫉妬しちゃうね」

 

 そうしてオレの入国を遅らせた張本人と合流して以前と変わらない口喧嘩の挨拶を済ませ、車は別のこじんまりとしたホテルに入って予約済みの部屋にチェックイン。

 一見すると変なカップルのまま部屋に入ってそこに置いてあった防弾仕様の服をちゃんと性別を同じにして着込むが、本当に相変わらずオレを気にせずに目の前で着替える羽鳥に呆れる。

 しかしがっつり肌着まで着替える羽鳥は意外にも女物の下着をつけてその上にもちゃんと女物の服を着るので少々驚く。

 あれだけ呪いだなんだと騒いでた割に、もうそういう格好が出来るのか。

 

「君は女の着替えをまじまじ見る趣味でもあるのか。やはり変態だね」

 

 そうしてオレが見ていたら、別に恥ずかしがってるわけでも全くないがジト目でそんなことを言われてしまい、客観的に見たらそうなるかと反省しつつ先ほどとは見た目上の性別が変わったオレ達は、互いにフランスではちょっと目立つ黒髪だけは隠して本物の毛のカツラを被って部屋を出るが、フロントを通らずに非常口からコッソリと出て駐車場まで戻り、乗ってきたのとは別の車に乗ってまたパリ市内へと乗り出した。

 

「考えてみれば、空港から話しかけてきたあれもお前だったな」

 

「今頃それを言うのかい? 君は割と変装を見破るスキルは低いようだね」

 

 どこに向かってるのかはわからないが、エッフェル塔を正面に見える方向へと進む車の中で思い出すようにオレが口を開くと、ちゃんと薄化粧までしてる羽鳥はやればできる美人顔を呆れ顔にして返してくる。

 とはいえ、そうして自らの不得意分野である女装――元が女だから正装な気もするが――をしてまで誰かを撒いて合流してきた羽鳥の真意をようやく聞けるとあってオレも姿勢を正したが、時間も時間ということで食事してからにしようと手頃なレストランへと入って適当な料理を注文。

 見た目では欧州圏内の外国人観光客みたいなオレ達は日本語を使わずに英語で会話をしながら食事を済ませる。

 警戒する誰かを撒いてはいるだろうが、この辺でもまだ気を抜かないのはやはりSランク。これがキンジならもうどこかでヘマをしている。

 そして今夜はホテルを取ると怪しまれるからと車内で一夜を過ごすことになり、適当なところで停まってエンジンを切って積んであった毛布を後ろから出しつつようやく羽鳥が今回の行動の話をしてくれる。

 

「ここまでで何も推測できてないわけじゃないだろ?」

 

「一応の推測はあるが、お前が話せばそれでいいだろ」

 

「私はバカと組む気はないんだよ。足を引っ張られてこっちが危険に晒されたら笑い話にもならない」

 

「ちっ…………警戒してるのは師団の目、か?」

 

「正確には私の所属するリバティー・メイソンと、バチカンだね。もう少し警戒してアジア圏の君達もだ」

 

 だがオレもただ答えを待つバカではないから色々と推測はしていたため、それを見越して話をする羽鳥に仕方なく合わせてやると、肯定と取れる返事で話を続ける。

 やはり羽鳥は師団内にいるスパイを警戒しているようだ。

 

「私は今回、リバティー・メイソンから眷属の魔女連隊。彼女達の戦力の要である『武器庫』の捜索を言い渡されている。君にはその手伝いをしてもらう」

 

「その前にお前がこうして師団の……リバティー・メイソンやバチカンの目を盗んで行動してるってことは、時期的にかなりマズイんじゃないのか?」

 

「おや、察しがいいね。実は今、私の立場は非常に悪い。こんなスパイだ何だ騒がれてる時にこうして師団の目を盗んだ行動をしていれば、当然だが私は『スパイの疑いあり』で要注意人物の筆頭になっている。いやぁ、周りはもう敵だらけだよ」

 

 はははっ。

 そうして軽く笑いながらに笑えない話をする羽鳥にガックリする。

 つまりオレはもうこいつの行動に巻き込まれて『スパイの疑いあり』で今頃は師団内での立場が最悪になってる。

 もうジャンヌ達との合流も出来ないだろうな……

 

「………………武器庫だったか。それを探るだけならこんなリスクの高いことはしないよな」

 

 もうなってしまったものは仕方ない。

 割り切りたいところではあるが気持ち的に滅入ってしまったので、怒りを通り越して脱力したオレはぶっ飛んだ行動に巻き込んでくれた羽鳥に洗いざらい吐いてもらうため口を開かせる。

 話の中心にあるのは羽鳥の行動の逸脱具合。

 武器庫の捜索だけならば別にリバティー・メイソンやバチカンを敵に回してまでやる理由などオレには思い付かないし、報告をする以上スパイにも情報は漏れる可能性が高い。

 つまりリスクに全く見合わないただの無謀となる。

 だがこいつは、オレの知る羽鳥フローレンスはそんな無駄なことは絶対にしないやつだし、勝算なしで人を巻き込む悪いやつでもない。ムカつきはするがそれは別の話。

 

「もちろん武器庫は探すさ。そこを叩ければこちらに形勢が傾くのは間違いないんだしね。だがそれだけでは形勢有利にはできない。ならどうする?」

 

「師団にいるスパイが誰かを暴いて情報の漏洩を防ぎ、攻めに転じるタイミングを作り出す、か」

 

「おや、私と離れてる間にずいぶん頭の回転が早くなったじゃないか。これは少しくらい期待してあげてもいいかな」

 

「期待してないなら最初から巻き込むなバカが」

 

 そして意地の悪いこいつが全部を丁寧に話してくれないこともわかってるので、これもリスクに見合うだけの成果を考えた上で推測。というよりそれしかない。

 具体的にどうやってスパイをあぶり出すかまでは見当がつかないが、できると思ったから行動に移してる羽鳥にはそれがあるのだ。

 だったらもう運命共同体にさせられた上に土地勘もないオレはこいつを頼るしかない。

 

「とはいえ、私なりにすでに大方の特定はできているんだが」

 

「だったら……」

 

「さっさと報告しろかい? 君はやはりバカだね。悲しくなるくらいに。報告というのは『確定した情報』でなければ意味を為さない。ここでいま師団の中心でそれを言って、確たる証拠を示せなければ、立場を悪くするのは私達だ。いいかい、私達がやろうとしてることはいわゆる汚れ仕事。君がどう思うかは知らないが『仲間を疑う』という非情な行為を積極的にやる。味方などいないと思わなきゃならない。もちろんこうして話をする私すらも、君は疑っていてもらわなきゃならない」

 

 本当に人をバカにするというか神経を逆撫でするような話し方はイラつくが、言ってることがまた正論過ぎてぐうの音も出ない悲しさ。

 まくし立てるように話した羽鳥の言うように、オレ達はこれからかなり慎重に、そして疑いの目を持って行動しなきゃならない。

 そうしたやりたくないことを自分からやろうとする羽鳥はアホの部類なのだが、誰かがやらねばもっと深刻な事態になる可能性だってあるわけで、そうした判断が異常に早い羽鳥だからこその今なのだ。

 その羽鳥の共犯者として白羽の矢がオレに立ったのには、ちゃんと理由はある。

 オレはこいつが嫌いだ。それは向こうも同じだし、おそらく一生その関係は変わらないだろう。

 だが、だからこそオレなのだ。

 自分以外は全員敵。そんな状況でオレと羽鳥は互いにスパイであることを疑いながら協力することになる。

 信用はする。信頼もある程度する。だが前提として相手を疑う。

 これが終始出来るのはオレだけだと判断して羽鳥はオレを選んだ。

 

「……はぁ。お前と四六時中ずっと一緒とか気が滅入る……」

 

「私だって反吐が出るが、そうして互いに監視し合うことで私達は疑いを晴らさなきゃならない」

 

「問題は睡眠だな。寝てる時はやりたい放題だ」

 

「そこはこうしよう。私と君の携帯を電池と本体で切り離し、互いにそれぞれ電池か本体を持ち合う。そうすれば相手から盗み取らなきゃ連絡はできない」

 

「お前が電池な。替えの電池なんて持たれてたら意味ないし」

 

「そう言うと思ったよ。君にそのまま言葉を返すこともできるが、巻き込んだ以上ここは私が信用するしかないね。睡眠は必要なら交代制も視野にだ」

 

 一緒に行動はするがスパイである可能性も考慮する。

 これが精神的に疲弊させられるわけだが、そんなのこいつと初めて会った時からずっとしてきてたことの延長だ。慣れはある。

 そこまで話して互いに携帯を取り出して電池を抜き、本体をオレが、電池を羽鳥が持つと懐へとしまう。

 これでまた携帯が1つになる時はスパイが特定できて互いに合意が取れた時になる。

 これでとりあえずの協力体制は整ったので、これからの行動と羽鳥の推測を聞く姿勢になったオレだったが、ここまでの行動で疲れていたのか羽鳥が大きなあくびをして眠そうにする。

 おそらくはオレがフランス入りするかなり前からリバティー・メイソンとバチカンの目を掻い潜って策を巡らせ準備していたに違いないから、ろくに寝てないんだろう。

 

「……焦っても仕方ないし、今夜はもう寝るか」

 

「おや、私を気遣ってくれるのかい? 気持ち悪くて鳥肌が立ったよ」

 

「頭が十分に働いてないお前の言葉じゃ信用が落ちるって話だ。話半分に聞くにしても参考にはするんだからな」

 

「君は君の目で見たものだけを信じた方がいいとは思うがね。だがまぁ私の意見をどうしても聞きたいと言うなら今日はもう寝るとしようか」

 

 オレへの嫌がらせが生き甲斐らしいこいつの言葉はもう右から左に流しつつ、寝てくれるようなのでオレもシートを倒して寝る体勢にしたのだが、同じようにシートを倒した羽鳥は毛布を退けてオレの上に乗ってきてその状態で毛布を羽織る。

 

「…………何のつもりだ」

 

「ん、これからしばらくは誰ともコンタクトは取れないだろ? そうなると君も色々と『溜まる』はずだし、爆発しないうちに私が『処理』してあげようというだけの話だよ」

 

 いきなりのことに戸惑いつつも平静で質問したオレに対して、言いながらベルトを外しにかかった羽鳥に睨みを効かせる。

 

「別に気にすることはないよ。最初からこうすることは決めていたし、雰囲気も大事と思ってこんな格好にしたんだからね」

 

「お前はオレと生活してた中でオレが日常的に『そういうことをしてた』ように見えたのか?」

 

「人間いつ何が起きるかわからないさ。こと今回に至っては生きて帰れない可能性もある。それならばやり残したことはしたくなる心理は働くよ?」

 

「バカにするなよ羽鳥、いやフローレンス。オレは自分がしたいからといって誰とでもそういうことをするほど見境ない男じゃない」

 

「つまり……京夜は私とはしたくないってことなのね……」

 

 面倒臭いなこいつ! 黙って寝れないのか!

 どこからが冗談でどこが本気なのかはわからないが、オレが困る顔が見たいのだろう羽鳥に怒れば、女の子の話し方をした羽鳥はニコッと笑ってから運転席に座り直した。

 

「良かったよ。君がまだヘタレ童貞で」

 

「お前が嬉しそうで何よりだよ」

 

「ははっ、君の童貞を誰が奪うのか私も気になるところだが、好きな女でいきなり本番にしたくないならいつでも相手をしてあげるよ。この協力体制の間ならね」

 

「そりゃ光栄だね。ちゃんとしてれば美人なフローレンスにそんなこと言わせるオレは罪な男だわ」

 

「君も言うようになったね。ふふっ、美人なんて言われたのは初めてだよ。ありがとう京夜。おやすみ」

 

 やっぱりからかってただけの羽鳥はオレの反応がそんなに面白くなかったからか、本当に眠かったからか会話もそれくらいで背中を向けて寝てしまい、ベルトを直してからオレも先行き不安な初日の夜を寝て過ごしたのだった。



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Bullet103

 フランス入国から散々だった日の翌朝。

 起きてすぐに車内に積んでいたらしい男物の服に着替えた羽鳥は「やっぱりこっちがしっくりくる」とかなんとか言いつつまた性別を見た目上の男にして朝食を調達してきて車内で食べながら脳を起こしにかかる。

 

「まずは現状をちゃんと把握した方がいいだろうね。君はまだ欧州戦線がどんな状況か具体的には何も知らないだろう?」

 

「それはそうだが、ここで嘘を言われる可能性もあるだろ」

 

「ここで何をミスリードさせる必要があるんだ。欧州戦線が師団の形勢不利だという事実があり、私と行動を共にする以上、君の目が最初から曇っていたらスパイ暴きも何もないだろ。やはり君はバカだな」

 

「なら事実だけ述べろよ。推測やら何やらが混ざったら信じない」

 

 朝から羽鳥の呆れるような言葉を聞きながら、現状の確認をさせてくれることにはとりあえず感謝しておく。

 それを言葉にはしないが、言葉少なにターンを譲ったオレにクスリと笑った羽鳥は察したように表情に真剣さを増して口を開く。

 

「まず私達リバティー・メイソンは基本的に影の組織。それ故に白兵戦はあまり得意ではないし、そうした前線向きの代表戦士がほとんどいない」

 

「正面切って戦える戦力は向こうが上ってことか」

 

「バチカンも魔術に重きを置いた古めかしい組織でね。欧州では瑠瑠粒子の濃度によってステータスが安定しない。もちろん同じ魔術を使う魔女連隊や砂礫の魔女も同様だが、向こうはバチカンのように魔術一辺倒の組織ではなく、近代兵器も柔軟に取り入れて戦術に組み込んでくる」

 

「要は前線で踏ん張る力が欧州戦線の師団にはないんだな。そこにスパイの情報漏洩もあったとなったらそりゃ圧される」

 

「だからこそ向こうの武器庫を押さえられれば、形勢も傾くということだよ」

 

 簡潔さはあったものの、欧州戦線が圧される理屈は通ってるのでそうなのかと納得しておく。

 それで隠密行動として羽鳥に武器庫捜索の任務が来て、それだけじゃ生温いとスパイ捜索まで乗り出して今に至ると。

 

「んで、お前が推理したスパイってのはどういう論理から導いたんだよ」

 

「まだ確信も何もないと言っただろ。それでも聞きたいなら話してあげるが、全ては言わない」

 

「話すことは事実のみだろ」

 

「では情報を与えるよ。先の君達の香港乗り込み。これもスパイによって眷属にリークされていて、パトラとカツェが攻め込むタイムラグをなくされたのは記憶に新しいだろう。そしてこの件がスパイの存在を浮き彫りにしたと言って過言ではない」

 

 朝食を食べ終えた羽鳥は脳に栄養が行き始めたのか、いつもの調子で話し出してオレも聞きに徹する。

 

「だがよく考えてくれたまえ。君の記憶力が良いならば、アジア圏での眷属の襲撃はそれだけではなかったかな? 日本の君達の拠点に玉藻御前の鬼払結界があるとはいえ、それを恐れてあの血の気が多い眷属の連中が揃いも揃って尻込みするとは私は思えない。現にその外に出た瞬間に眷属は君達にピンポイントで仕掛けてきた」

 

「それだけ玉藻様の鬼払結界が強力な証明じゃないか?」

 

「そうかもしれないね。でも向こうは今、ここ欧州戦線でも用いている近代兵器という武器がある。それは玉藻御前の鬼払結界で防げるものではない」

 

「鬼払結界とは別の仕掛けられない理由がある?」

 

「いや、私は仕掛けるタイミングが掴めていないと推測している。それはつまり君達の周囲の状況がスパイには不透明な部分があって、リークできる情報が得られていないからという可能性」

 

 あくまで推測。推測ではあるがこいつが話すと不思議と確信に近い何かを感じるから困る。

 いつの間にか事実のみならず推測も語ってるが、もうそこを気にする段階ではないし指摘するタイミングを逃したからこのまま行こう。

 そしてここまでの話で羽鳥が何を言おうとしてるのかをおおむね把握したオレはその可能性とやらの1つの答えを導く。

 

「つまりオレ達の近くにスパイはいない。アリアはもちろんだが、基本的に東京武偵高にいる戦力にスパイはいないってことか」

 

「あくまで私の推測ではね。君達との情報共有は大雑把な行動決定の際のみで、細かいことは現地で判断している。現に今、君はこちらの状況を初めて把握しただろ。そしてスパイの働きはここ欧州戦線で思い返せば心当たりがいくつかあった」

 

 だからスパイはここ欧州の方にいる。

 羽鳥の推測は筋の通ったものでオレも納得するところが多いが、全てを鵜呑みにしてもこれから見るだろう景色が曇る。

 オレはいま知った事実から羽鳥のようにいくつかの推測をしながらスパイを暴き出さなきゃならない。

 そのためにもこれからの行動は大事だ。

 

「私はそういった視点でこれから動くが、君は私とは違った見方ができるのが好ましいね。だから私もこれ以上の推測は語らない」

 

「方針はそれでいい。で、これからどう動くんだ。当然アテはあるんだろ?」

 

「何もなしにパリをうろついたって無駄だしね。その辺はもう手を打ってあるよ。これから指定した時間に合流する手筈になってるから、何をするにもそこからだね」

 

「合流? リバティー・メイソンやバチカンの手も借りれないのにか?」

 

「そちらの手は借りられないが、戦役と関係ない『外部の手』を借りる分には問題ないし、してもらっていることも戦役には直接的に関係ない。それに君も知っている人達だよ」

 

 話はわかったのでいよいよ行動の開始に当たってどうするかと問えば、何やら外部の人間。それも複数人に何かをさせていたようで、その辺でも抜かりはないだろう羽鳥ならリバティー・メイソンとバチカンにも悟られてはいないはず。

 その合流する時間が迫っていたのか、ゆっくりと車を発進させていった羽鳥は、このパリでエッフェル塔と並ぶであろう有名どころ、凱旋門を目指していった。

 しかしオレも知る人物……それも外部の人間って誰だ?

 月華美迅……は海外になんて出張ってこない。あの人達が関西から消えたら軽い騒動になるし。

 考えてもよくわからないから羽鳥に無駄とわかりつつ聞いても案の定「会ってからのお楽しみさ」で終わるし、もうそれでいいや。誰でももう驚かん。

 

「あらあら、まぁまぁまぁ!」

 

 もう驚かな……

 

「こんな海外の、1つの国の1つの街で京夜さんと会えるなんて、やっぱり運命の赤い糸ってあるのかしらね。ふふっ」

 

 ……驚くわアホが!

 凱旋門まで来て羽鳥先導で合流した人物は、変装してるにも関わらずにいきなりオレとわかったようで何が嬉しいのか顔を赤らめてそんなことを言う。

 あなた子持ちの母親でしょ……

 

「……お久しぶりです、英理さん。相変わらずビックリするくらいお綺麗でいらっしゃって驚きです」

 

「いやですわ京夜さんったらそんな美人だなんて。子持ちの母親を褒めても結婚なんてできませんからね」

 

 とにかくまずは挨拶をと思って目の前で嬉しそうにする小鳥の母親、英理さんに社交辞令を言ったのだが、悪ノリしてきて照れながらオレの胸をツンツンしてそんな返しをされ、普通に挨拶すれば良かったと反省。

 その様子を呆れながらに見ていた羽鳥は目で「君は人妻にまで手を出しているのか」と訴えられたが、絶対にわかっててそんな視線をぶつけてるなあいつ。死ね。

 

「あの、吉鷹さんは?」

 

「まぁ、京夜さんの前で別の男性の話なんてできませんわ。今は京夜さんだけの英理ですから」

 

「…………羽鳥」

 

「君がちゃんと言えばやめてくれるだろうに……マダム、お戯れもそれくらいでお願いします」

 

「ふふっ。京夜さんは反応が可愛いから一緒にいて楽しいです。これは小鳥に本気で頑張ってもらわないとかしら。私、京夜さんみたいな息子がいたら毎日イタズラしちゃいそうです」

 

「勘弁してください……」

 

 英理さんの独特なペースがなんとなく苦手なオレは羽鳥に間に入ってもらって難を逃れたが、かなえさんといい英理さんといい、どうして知り合いの母親はこう、母親らしくないのか……年齢詐欺だろ。

 そういうことを口にするとまたからかわれるので黙っておきつつ、公共の場だからか必要ないだろうにリードを付けたハヤテにも挨拶しつつ話を本題に移す。

 ここには英理さんとハヤテしかいないが、おそらくは吉鷹さんもどこかにいるはず。

 

「マダム、捕捉はしてくださってますよね」

 

「今は吉鷹さんと小町が問題なく。これが人探しでしたらもう少し手間取ったかもしれませんが、ほとんど監視に近かったのであくびが出ちゃいますよ」

 

「退屈な依頼で申し訳ありませんでした。こちらの方の引き継ぎを終えたら少しは骨のある仕事ができると思うので」

 

 まだ橘夫妻への依頼内容を知らないオレを無視して話を進める羽鳥と英理さんだが、どうやら誰かの監視をしているっぽいな。

 そして英理さん達にはまだやらせることがあるのもわかる。

 それがなんなのか知るために今度は英理さんとハヤテを車に乗せて、吉鷹さんと連絡を取る英理さんの誘導で移動し吉鷹さんとも合流を図る。

 

「おいガキ。それは俺への挑発か?」

 

「そう見えるなら目が曇ってますよ」

 

 図ったのはいいが、合流して早々に英理さんが意味不明な行動としてオレの腕に抱きついてニコニコ笑顔でいるので、それを見た吉鷹さんが額に血管を浮き上がらせて拳を握る。

 当たり前だが自分の妻が他の男に寄り付いていたらそりゃ怒る。オレもたぶん怒るだろう。

 それがわかってて英理さんがそういうことをするので、単に吉鷹さんとオレが遊ばれてるだけなのだが、このノリはやられる方は嫌だな……

 

「吉鷹さんったら、京夜さんにまでヤキモチ妬くのですか? それとも鞍替えされたと思うほど自分に自信がなくなっちゃったのかしら?」

 

「なっ!? え、英理……その言い方はズルい……」

 

 吉鷹さんがマジになる前にふざけるのをやめてくれた英理さんだったが、オレを見る吉鷹さんの目は厳しいまま。

 娘をたぶらかしただの妻をたぶらかしただの思われるのは非常に誤解であるが、この人との心の距離はこれ以上縮まらないだろうことを本能的に悟ったオレは、吉鷹さんを刺激しないように英理さんとは少し距離を離して、我関せずでいた羽鳥が依頼主として話を進める。

 

「吉鷹氏。目標は今どこに?」

 

「ん? ああ、あの建物の3階……日本文化だと4階のあそこの部屋だ。今は小町があそこで中の変化を見てるが、正直なところやってることの意味がわからん」

 

「言ってることは正論ですが、こちらにも事情があります。ではこちらはもう私とこの人妻好きが引き継ぎますので、毒牙にかからぬうちにお二方は本領を遺憾なく発揮してきてください」

 

「おい。誰が人妻好きだ」

 

「えっ……京夜さんは私のことが嫌いなんですか……」

 

「…………いえ」

 

 ここに来てもまだ何をしてるのかわからないオレを他所に話が進む中、どうやら監視していた人物のいる場所まで判明済みでこれからオレ達がその監視を引き継いで、英理さんと吉鷹さんは探偵としての能力をこれ以上に発揮できる仕事に移るようなのだが、名残惜しそうにイタズラな絡み方をしてきた英理さんを吉鷹さんがちょっと強引に引っ張って行ってしまった。助かった……

 

「んで、あそこに誰がいるんだ?」

 

「ん? 君のチームメイトだよ。あそこはおそらくジャンヌの住居の1つだろうね」

 

 それでまた2人きりになったので吉鷹さんに示された部屋を覗ける場所に移動しながら聞けば、お2人に探させていたのはまさかのジャンヌ。

 確かに連絡を絶ったせいでどこにいるのかわからなかったが、何故このタイミングでジャンヌを見つける必要がある?

 その疑問を持ちながらも車から持ち出した指向性の集音器と双眼鏡でジャンヌがいるという部屋に照準を合わせる。

 双眼鏡はオレ。集音器は羽鳥だ。

 

「ん、キンジも一緒か」

 

 そのジャンヌの部屋から監査役のキンジの姿が見えたので報告として羽鳥に言っておくが、あんまり興味はないようだ。野郎だからか。

 

「君達は味方からも敵からも注目されている」

 

「だからスパイにも情報は流されている。それによる襲撃の可能性か?」

 

「半々だね。フランスは師団の勢力圏内だし、中途半端な襲撃では成果は得られないのは香港で学習しているだろう」

 

 あれが中途半端とか言うこいつは現場にいなかったからなのかなんなのか。

 しかしあの規模の攻撃で倒せなかったオレ達を警戒するのはまぁわからんでもないな。常識の範疇では。

 じゃあ羽鳥は何のためにジャンヌを監視するんだ。

 

「ジャンヌは頭が切れる。彼女ならば十中八九、救援者としてバチカンからあの人を引っ張り出す」

 

「バチカン? あの人?」

 

「『祝光の聖女』。メーヤ・ロマーノさ。君も宣戦会議の場で会っているだろ」

 

 集音器と繋がるヘッドホンをしたままの羽鳥が口にした名前は、知り合い程度ではあるがオレも知る人物。

 宣戦会議の場でバチカンの使者として師団入りを宣言し、カツェやヒルダを害虫扱いして大きな剣をブンブン振り回していた物騒な人だ。

 

「祝光の聖女? 確かに聖女みたいな信心深い感じはあったが」

 

「別に性格面の評価で呼ばれてる名ではない。それならローマ正教の女性信者はみんな聖女と呼べるだろ。彼女は超能力者としての能力に武運を特化させた部分があり、別の運を犠牲に戦役などの争い事を良い方向に持っていける力がある」

 

「その人がいればこっちの戦局もこうまで傾かなかったんじゃないか?」

 

「武運だけで戦いが決まるなら眷属の側にもそういう人物がいて当たり前だろ。彼女1人で全ての物事が良い方向に流れるわけがないということ。だが大局の小さな部分で有利に働くくらいの効果はある。つまり手詰まりの状況でも物事が進展する可能性が出てくるわけだ」

 

「なるほど。つまりジャンヌがメーヤさんと行動を共にすれば、何かしらの状況の進展はする確率が高いってことか」

 

「もちろんそれ頼りにだけするつもりはない。武運とは読んで字のごとく運。日本で言う神頼みと大差ないからね」

 

「英理さんと吉鷹さんをまだ動かしてるのがそうか」

 

「君は知らないだろうがね。橘夫妻はおそらく、我々リバティー・メイソンよりも捜索能力という部分においては圧倒的に高い能力を持つ。欧州では『真実を暴く眼(トゥルー・アイズ)』と密かに恐れられてる探偵さ。その功績を認められて最近、現代最高の安楽椅子探偵とも面会したとか噂されてる」

 

 聞かなきゃ答えないこいつの面倒臭がりにも困るが、ジャンヌを監視する理由についてと英理さんと吉鷹さんをまだ動かす理由にもなんとなく納得。

 英理さんと吉鷹さんが欧州では有名なのは聞いていたが、たぶん吉鷹さんの能力をフル活用してるんだろう。

 小鳥が以前、吉鷹さんは現地の動物達の力も借りて依頼をこなしてると話していたから、小鳥よりも高度なレベルで能力を扱ってる可能性が高い。

 言ってしまえばその辺を飛んでる鳥とか地を這うネズミさえ吉鷹さんの情報源になり得るんだから、そりゃリバティー・メイソンだって敵わないさ。

 そんな吉鷹さんの独自すぎる情報網を知らないだろう羽鳥に話す必要はないな。

 

「で、英理さんと吉鷹さんに探させる奴ってのは?」

 

「リバティー・メイソンを出る前に事前の情報としてカツェがここパリにいるらしいと聞いていた。だから橘夫妻にはカツェの捜索を依頼している。そちらが見つかればジャンヌを監視してるよりも進展するから、そちらの監視に移る予定だよ」

 

「そのカツェが武器庫に行ってくれれば万々歳ってわけか。スパイの方は?」

 

「そちらは武器庫の所在が判明したらわかるかもしれないね。何においても慎重さは常に持ってくれ。私達は影だ。影は日のあるところに出てはいけない」

 

「影、ね。そんなのいつも通りってことだ。オレも、お前もな」

 

「私の影を濃くするのだけは避けてくれよ。でなきゃまた君を壊そうとするかもしれないからね」

 

「またボロボロのヘロヘロにされるのは勘弁願いたい」

 

 そして英理さんと吉鷹さんに探させる人物が何故かパリにいるらしいカツェだと聞くと、抜け目がない羽鳥には参る。

 それからまだ克服していないのだろう血の呪いとやらをチラつかされて嫌な汗が出るが、冗談半分に言えるようになったのは進歩だろうな。

 

「どうやら移動するようだ」

 

 英理さんと吉鷹さんとの再合流は翌日の時間指定ということもあって、ジャンヌとキンジの監視に集中していたオレと羽鳥だったが、日中は笑えるくらい動きがなくてあくびが出そうになってた。

 寒空の下で監視を続けていたその夜に、ようやく中で動きがあり、羽鳥は言いながら集音器を片付け始めて、何やらドレスやらの正装を取り出したジャンヌを見つつのオレを引っ張り車へと戻る。

 

「どこに行くんだ?」

 

「ガルニエ宮だよ。どうやら仮面舞踏会が開催されてるらしい。そこでメーヤと合流する手筈のようだ」

 

「仮面舞踏会? そんなところに入られたら監視なんて難しいぞ」

 

「それはそうだが、何のための盗聴だ。ちゃんと『目印』は聞いている。行く場所はわかってるから遅れる前にこちらも準備するんだよ」

 

 説明しながら車を走らせた羽鳥は、どうやらその仮面舞踏会に紛れ込む算段のようで、一体いくつ取ってあるんだと思う3つ目のチェックイン済みのホテルに入りその部屋にあったタキシードをパパッと着てオレの分も何故かあるそれを着つつホテルに来る前に買ってきた鼻から上を隠す仮面も着けてみる。だせぇ。

 そうして2人揃ってタキシードに身を包んでまた移動。想像よりもずいぶん大きなガルニエ宮は白亜の宮殿。

 その近くに車を停めて仮面を着けガルニエ宮の敷地に入り、何食わぬ顔で秘密の出入り口的な鉄扉から地下1階の内部へと侵入。

 中にはお忍びの芸能人らしき女性やら硝煙の臭いのするあれな男やらが顔を隠して談笑していて、如何にも密会してますな感じ。

 ほとんどフランス語だからわからないが、聞き耳など立てようものなら血が飛び散ること間違いなしだ。

 

「ジャンヌは猫に馬。メーヤは犬に牛だ」

 

「簡潔すぎる」

 

「まったく、察しろ。猫のような姿をして馬のヌイグルミを持ってる女性と犬のような姿をして牛のヌイグルミを持ってる女性を探せということだ」

 

「ヌイグルミくらい言えバカが」

 

 先回りしたかもわからない中で適当にグラスを取りつつ小言してきた羽鳥だが、自分さえわかってればいい的な説明でジャンヌとメーヤさんを探させるのでイラッとする。

 だからといってここで喧嘩などして目立っても仕方ないし、2人で視野をカバーしながら周囲をそれとなく探って移動をしていく。

 密会に使われてるにしても人が割と多く仮面までしてやがるので人探しもひと苦労だな。

 こういう時に手分けするのが上策だが、今はオレも羽鳥も互いを監視する身。面倒臭いが常に視界に入れておかなきゃならないため、せいぜい背中合わせが限界。

 まったく、何でオレはこう面倒な方にばかり転がっていくんだろうか……



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Bullet104

「……いたよ。ジャンヌだ」

 

 魔女連隊の武器庫と師団内部のスパイ探しのためにジャンヌとキンジの監視をしていたオレと羽鳥はガルニエ宮にて行われていた仮面舞踏会に参加してメーヤさんとの合流を図るジャンヌ達を探していて、周囲を見ていた羽鳥がジャンヌを発見。

 示された女性を見れば、何の冗談か藍色のタイトなドレスにハイヒールを履いたジャンヌは、猫のような目の回りを隠す仮面にカチューシャか何かの猫耳をつけて馬のヌイグルミを両手で抱えて周囲を見て回っていた。あれで違和感ない仮面舞踏会が凄いよな。

 

「羽鳥、ジャンヌとコンタクトを取っていいか?」

 

「会話はなしだよ。何か伝えたいなら紙か何かに……」

 

「もう用意してあるし会話もしないが、自然を装いたいからフランス語を教えろ」

 

 とにかくジャンヌが1人でいるこのタイミングならと思い、羽鳥にそんな申し出をしつつ一言だけフランス語を習って行動を開始。

 もちろんジャンヌに伝えられる情報は限られてしまうし、事前に用意したメッセージも羽鳥のチェックを受けてからになったが、元々大したことを伝えるつもりではなかった。

 ただオレが何をしてるのかを知らせるだけ。協力者である羽鳥の名前も何も書いてないそのメッセージを渡してうちのリーダーを安心させたいのだ。オレはちゃんとお前のそばにいると。

 そんな思いの中でジャンヌへと近づいたオレは、少し注意が散漫になっていたジャンヌの進路上にスルリと割り込んで向こうからぶつかるようにすると、胸に軽くぶつかったジャンヌは申し訳なさそうに1歩下がってオレの顔を見てきた。

 

Je suis désolé(すみません)

 

 そんなジャンヌに即興で習ったフランス語で謝ったオレは、さりげなくジャンヌの手に触れてその甲に唇を近づけるが、確かこれがフランスではちょっとキザな挨拶になったはず。

 その証拠にジャンヌも特に動揺してる様子もなく落ち着いていて、その手を放す時にジャンヌの手へと持っていた紙を渡してすぐに離れていった。

 ジャンヌも最初はメアドか何かと思ったのか迷惑そうに紙を見たのだが、そこには日本語でメッセージを書いたのですぐにオレだとわかったのかオレを探し始めたが、もうオレはジャンヌに正面を向けずに羽鳥に間に入ってもらって隠れ通したのだった。

 

「では今度はメーヤだ。この階にはいないようだから、1階の方に移動しよう」

 

「ジャンヌを張ってりゃ合流するだろ」

 

「君がそうしたように、私もメーヤにだけ知らせることがあるんだよ。そのためには合流する前に済ませる必要がある」

 

 ジャンヌの目を逃れつつ再び移動を始めた羽鳥は、自分もメーヤさんに何かメッセージがあると言って階段を上がっていくので、一応事前に用意していたと言うメモも見てみるが、イタリア語なんだよな……

 内容がわからないからダメ元で聞いてはみるが「デートの誘いさ」と意味不明の供述をするのでもうどうでもいいや。これで師団の形勢に影響を及ぼしたらスパイ認定してやる。

 それはまぁさすがに私情が入ってあれな判断だが、確か修道女みたいな人は嘘をついたり人を騙したりといった行為が敬遠される。

 その辺から考えてメーヤさんより立場が上の人に知られてもいいメッセージになってるはず。その上で何を伝えたいかなど見当もつかないが。

 そんな基本的に何を考えてるかわからない羽鳥と上がった1階でも、同様に様々な仮面を付けた男女が密談やらなにやらをしていて、こっちも談笑してる体で歩きつつメーヤさんを探していたら、バーカウンターの方がちょっと賑やかだったので近くまで寄ってみると、乳牛みたいな巨乳の女性が出されるカクテルを次々と飲み干して楽しんでいた。

 

「なんか見たことあるなあれ……」

 

「勘が良いね。メーヤは酒を水のように飲める女性だ。あの飲みっぷりはまず間違いないだろう」

 

 姿こそほとんど後ろ姿でわからないながら、宣戦会議の後にあれ以上のレベルの酒飲みを見てるオレも情報として知ってた羽鳥もほぼ間違いなくそれがメーヤさんだと確信する。あの大きな胸も決め手か。

 相手がバーカウンターにいるなら近づくのは容易だと意気揚々と踏み出した羽鳥だったのだが、それより早くそのメーヤさんの隣に来て顔でも覗き込もうとしていた男が、後ろの人達に振り向いたメーヤさんの巨乳に当てられて尻餅をつくという珍事件が発生。

 どうやったら胸で人を倒せるのかと思わせる現象だったが、そんなことがあれば羽鳥もさりげなく近寄ることも出来ず足踏みし、事の成り行きを遠目に見ていたら、なんか尻餅をついた男がキンジだったみたいで合流されてしまった。

 やいややいやと話す中でえいえいおー、と拳を振り上げた拍子にどうやってしまっていたのか背中から例の大剣をゴトリと床に落としたメーヤさん。異次元の背中……ギャグかよ。

 やたら目立つメーヤさんとキンジだったが、場が場なので大剣が出ようとコスプレ程度にしか思われてない中、キンジが落ちた大剣を拾おうとするも相当に重たいのか、持ち上げるところでバランスを崩してメーヤさんに倒れかかってその大きな胸の谷間に顔を埋めるというラッキースケベ。それには周りもはやし立てる。

 そこでまぁタイミング悪くジャンヌも合流してきて、なんか痴話喧嘩が始まってしまったが、ジャンヌの反応がどうにも今までのキンジへの態度と違う。

 なんというか、メーヤさんに対してヤキモチを妬いている、みたいな、そんな感じに見えなくもない。疎いから確信はないが。

 それから明らかに不機嫌になったジャンヌがどこからともなく鞭なんてものを取り出して、それを見たキンジが逃走。それを追ってジャンヌもその場からいなくなり、2人を笑って送り出したメーヤさんが再び1人に。

 これはチャンスと思って隣の羽鳥を見たら、もういない。早ぇよ。

 そういった判断力と行動力がずば抜けてる羽鳥は大剣を異次元の背中へとしまったメーヤさんがまた合流しやすいようにバーカウンターに居座って酒を飲み直そうとしたところにスッと隣に立ってカクテルを1つ頼むと、出てきたグラスの下にメモを挟んでそのままメーヤさんにスライドさせて席を離れて戻ってくる。

 

「撤収だ。私達はもうジャンヌとメーヤに姿格好をおぼろ気に記憶された。バレて包囲される前に出るよ」

 

「了解。にしても昨日今日でキンジとジャンヌの仲がずいぶんと親密になったもんだ」

 

「案外、昨夜に進展する何かがあったのかもね。私達のように」

 

「まるでオレがお前に手を出したような言い回しはやめろ」

 

「ははっ、こちらも反吐が出るからそういう反応は嬉しい限りだ」

 

 ガルニエ宮から出たオレと羽鳥は、今夜も2人がジャンヌの住居で過ごすことを事前に判明させていたので、監視も一時的に放棄してタキシードに着替えたホテルに戻ってチェックアウトし、ジャンヌ宅の近くでまたも車内で一夜を過ごす。

 さすがに連日で変なことはしてこなかった羽鳥だが、オレの警戒をあざ笑うように眠りに就かれたのでそれはそれで悔しかった。

 翌朝。

 この日にまずしたのは、昨日からカツェ捜索の依頼に駆り出していた橘夫妻の成果を聞くための合流。

 とは言ってもオレ達は連絡手段を断っているので、向こうがオレ達を発見し近づいてくれるのを待つだけ。

 その目印となるバツ印の白テープを車の屋根に貼った羽鳥は、おそらく空を飛ぶ小町への目印であろうことを確信しつつ一応は周囲を警戒。

 オレ達の気づかないところで師団に居場所を特定されていたら面倒だしな。

 それをまぁ杞憂で終わってくれて、数十分後に無事に合流してきた英理さんは、それぞれオレ達にらしい挨拶をしてから捜査報告をしてくれた。

 

「羽鳥さんに渡された写真とはずいぶんと印象が違いましたが、この子で間違いないか確認お願いできますか?」

 

 そう言いながらデジカメを取り出して撮ってきた画像をオレと羽鳥に見せた英理さんに、2人してその画像を凝視するが、顔が近づいたので羽鳥に押し返されてしまう。別に確認は同時じゃなくていいしな。だがまず口頭で済ませろ。

 不満はあるもののとりあえず羽鳥の判断を待つと、画像を見た羽鳥は「間違いない、カツェだよ」と報告しながらオレにデジカメを渡すのでオレも自分の目で確認。

 その画像にはどこかの学校の可愛らしい制服を着て、右目にしていた眼帯もハーケンクロイツではなく花柄に変えている、なんか等身大の中学生みたいなカツェが市内を1人で歩いているところだった。

 羽鳥が渡したというカツェの写真とどのくらい違うか比べるために英理さんからそちらも拝借して見れば、そっちはそっちで香港で見た時の魔女スタイルで魔女連隊を率いてドヤッてる偉そうなやつ。

 

「昼が普通の中学生。夜は危ないコスプレパーティー、くらい違うが、まぁカツェだな」

 

 一応は英理さんはカツェが誰かを知らないのでそれなりに言葉を選んでつまらない表現をしてみると、羽鳥は「はぁ?」とマジでムカつく顔をして、英理さんは「可愛い例えですね」と悪ノリしてきて恥ずかしくなる。

 

「今は吉鷹氏が追跡を?」

 

「『目』は吉鷹さんの方が良いですからね。役割分担はきっちりするのが私達のやり方です」

 

「では案内をお願いします。君は後ろに乗りたまえ」

 

「言われなくてもわかってるよ」

 

 とにかく、橘夫妻のおかげでカツェの捕捉に成功したオレ達は、ここでジャンヌ達の監視からカツェの尾行へと切り替えて車へと乗り込むと、携帯で連絡を取りながらの英理さんの指示でパリ市内を走っていく。

 

「あの制服はどこの学校のものなんだ?」

 

「さてね。私はそこまで博識ではない」

 

「ふふっ。あの制服は確かストラスブールの有名女子校のものだったと思いますよ。この子はおそらく社会科見学か何かでパリに滞在しているのでしょうね。昨日も他の生徒の方々とノートルダム大聖堂に出入りしていましたから」

 

 その車内でカツェが年相応にちゃんと通っているのだろう学校がどこか特定しようとすると、珍しく羽鳥はちゃんとした答えを持たずにイラッとしたのだが、それをフォローするように助手席に座る英理さんが欧州諸国を渡り歩いてるだけに口を開いて情報を提供してくれる。

 ついでに何故カツェがパリにいるのかの謎まで解けたが、しれっとオレ達以上の活躍をする橘夫妻に羽鳥と一緒にこれも珍しく空笑いをするのだった。

 それで無事に吉鷹さんと合流した先で辿り着いたのは、高そうなホテルの向かい側。

 英理さんの情報では相当なお嬢様学校ということなので、安全面を考慮した宿泊先を確保しているのだろうが、贅沢な。こっちは2日連続で寒い車内で寝て過ごしたんだぞ。

 と、中で不自由なく過ごしていたのだろうカツェに勝手に恨みの念を送りつつ、ここでお役御免なのだろう橘夫妻に向き合って羽鳥とお礼を言っておく。

 

「お噂通りの実力、しかと見させていただきました。報酬の方は言い値で後日請求下さい」

 

「あら、じゃあ京夜さんを小鳥のお婿さんにお願いします」

 

「冗談でもそういうのやめてください」

 

「そうだぞ英理。こんなへなちょこに小鳥をやれるか」

 

 羽鳥はそうやって連絡先のメモを英理さんに渡しつつキザな笑みを浮かべて太っ腹なことを言っていたが、英理さんがまたあれな発言をしたせいで吉鷹さんがマジ睨みしてきて困る。

 その吉鷹さんをなだめつつ英理さんは吉鷹さんを先に車に乗るように言ってから改めてオレ達と向き合って口を開く。

 

「お2人は今、きっと大変で面倒なことを解決に導いているのでしょう。その手助けができたのならば私達も自分の仕事に誇りを持てます。ですからあなた達も自分のすることに自信と誇りを持ってくださいね。でなければあなた達のために動いた色々な人達の努力も一緒に捨てることになりますから」

 

「ご助言、大変痛み入ります」

 

「ありがとうございました、英理さん」

 

 その言葉からは察するに、きっと英理さんはオレ達の置かれている状況をなんとなく推理できているのだろう。

 でもオレ達が巻き込んでしまったという罪悪感や後ろめたさを感じないようにこれ以上踏み込んでこなかった。

 そうした意味も込めての感謝にいつもの笑顔で返した英理さんは、忙しい身なのだろうから次の仕事をしに吉鷹さんの運転する車に乗り込んで、最後は窓から手を振って行ってしまった。

 

「自信と誇りか。こりゃもう弱音は吐けないな」

 

「はっ? 君は弱音を吐く気でいたのか? これだから日本人は」

 

「日本人の括り方は国に悪いからやめろ」

 

 その橘夫妻を見送ってからボソッと言ったことにまたも過剰反応してリアクションする羽鳥にはもううんざりだ。死んでも弱音は吐かない。

 そのあとはいつも通り、大した会話もなくカツェがホテルから出てくるのをのんびり待つついでにエネルギー補給。

 食べ物1つでもどちらか一方が買いに出るということさえできないので不便この上ないが、ホテルをギリギリ見えるテイクアウトもある店で適当に買って車内でありつくが、本場のパンうめぇ。世界三大料理を輩出する国の凄さがパンにも表れてる。羽鳥へのストレスも……さすがに吹っ飛びはしないが。

 そうしてフランスの食文化を少し楽しんで8時頃から開始した張り込みは実に2時間ほど音沙汰なく過ぎ去り、根気が必要とはいえジャンヌとキンジを監視していた方がハプニングが起きる確率が高いのでやり甲斐という意味ではまだあっちの方が良かった。

 あくびも出そうなほど待ちぼうけをしていたら、ようやくカツェの学校の制服を着た女子がホテルからポツポツとグループで出てきては目的地があるのかバスやら何やらで移動していく。

 オレと羽鳥は見逃しのないように注意してそれらを観察するが、一向にカツェは姿を見せず女子の集団も途切れてしまった。

 橘夫妻がここをマークしてくれていたのだからいないということはないと思うが、ちょっと心配になってきたその時。

 ようやくカツェが1人でホテルから出てきてまっすぐに駐車場へと足を運んだのでそれを追うと、なんか凄い派手な物に乗って出てきてあの羽鳥でさえ「わおっ」と少し感嘆する。

 前輪がバイク、後輪が2つのキャタピラというカッコ良いデザインのそれは確かケッテンクラートとかいうドイツの半装軌車だ。

 そんなものを堂々パリで走らせるカツェは異常に目立つが、これで今まで発見されなかったのはもはや奇跡だろ。

 案外リバティー・メイソンもバチカンも節穴だなとか思いつつ、律儀に学校の授業に参加するカツェを追って車を走らせ辿り着いたのは、パリではド定番の3本指に入るだろう世界最大級の美術館。ルーヴル美術館だった。

 そこの地下駐車場へと入ってケッテンクラートを停めると、学生カツェはあまり乗り気ではない表情でルーヴル美術館へと向かっていき、それを見送ったオレと羽鳥は行き先が確定し足がある以上はまたここに戻ってくることはほぼ間違いないので尾行は一旦やめてひと息。

 

「さて、カツェが学生をやってる間に仕掛けておくかな」

 

「何をだよ」

 

「こ・れ」

 

 神経を使う尾行から一時解放されてから、抜け目のない羽鳥は500円硬貨くらいの大きさの機械を取り出してオレに見せると、車から降りてカツェが乗ってきたケッテンクラートへと近付いて車体の見えない部分にそれを取り付けて満足気に戻ってくる。

 今の動きでわかったが、あれは発信器だろう。それがあればどこに行こうと目視で追えなくても最悪の事態は避けられる。

 

「凄く奮発した物だから発見されて取り外されると泣くけどね。でもこれであのケッテンクラートが地球の裏側にあろうと見つけられる」

 

「そんな高性能かよ。じゃあ尾行もこれで終わりでいいか」

 

「冗談だろうけど、手抜きは橘夫妻に失礼だよ」

 

「わかってる。だがこの時間はどうする?」

 

 思った以上に高性能な発信器に驚きつつ、少し緊張を和ませる会話をして空白になってしまった時間をどうするかと尋ねると、少し考えを巡らせた羽鳥は折角なんだしとルーヴル美術館を見て回るかと提案してきた。

 別に美術品にはこれといった興味もないのだが、ずっと羽鳥と2人で車内でいるよりはマシなので学生カツェちゃんのさりげない監視も込みでオレ達もルーヴル美術館へと足を運んでいった。

 

「うお……生のモナ・リザ……」

 

「美術品には興味ないって顔してたのに、いざ見たらその反応はギャグかい?」

 

「うるせぇよ」

 

 あまり乗り気ではなかったのは本音だが、いざ入って目の前でモナ・リザを見ると何かこう、迫力というものを感じて声を漏らしてしまうが、それがおかしかったのか羽鳥は笑いながらにからかってくる。

 やはり本物の芸術品というのは人の心に訴える何かがあるんだなぁとうんうん唸っていたら、羽鳥が突然オレの腕を引いて無理矢理の移動を促したので、あまり抵抗せずについていき別の作品の前に移動を完了してから、カメラを取り出した羽鳥が記念撮影するからとオレを作品と並ばせて、その時に羽鳥の後方に目を凝らせば、なんということでしょう。

 監視をやめてあげたジャンヌとキンジに、メーヤさんまでいらっしゃいました。

 それなりの変装というか服装は変えていたが、特徴のあるグループですぐにわかった。あんな巨乳と銀髪を腕に引っ付けてる男がいたらそりゃな。

 そのジャンヌ達ご一行の存在にいち早く気づいた羽鳥が本当にシャッターを押すのでとりあえずピースくらいはして観光客を装って隣に戻ると、作品を歩き見しながらその一行をやり過ごして距離を離し会議する。

 

「メーヤの幸運はこちらの努力を無に帰すレベルで嫌になるね」

 

「ってことは観光でたまたまやって来たとかではないってことか。確かに嫌になる」

 

「とりあえずジャンヌ達とのエンカウント率もバカにできない。メーヤがいる限り私達もいつ何の偶然で見つかるとも限らないからね。ここは素直に美術品の鑑賞はやめて戻ろうか」

 

 メーヤさんの幸運スキルがどの程度ヤバいか実感はあまりないが、それでカツェのいるここに来れているのだから羽鳥の言うようにオレ達を発見する何らかの力が働く可能性はある。

 その可能性を下げるための戦略的撤退を決めた羽鳥は、カツェの学校の先生の話でも聞いていたのだろうが、夕方頃までルーヴル美術館を見て回ることが確定しているみたいなので、その間に食料の調達をしてゆっくりと陽の傾き始めた頃に地下駐車場に戻ってきて、まだケッテンクラートがあることを確認してから車に戻り監視を再開。

 30分ほどしてカツェが戻ってきたので、ケッテンクラートに股がったカツェを、おそらく同じように尾行するだろうジャンヌ達のことも考慮して、カツェを尾行するジャンヌ達をいち早く発見しそのジャンヌ達を尾行するという尾行を開始した。

 さて、次はどこに行くんだ?



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Bullet105

 悲しいかな、こっちがあの手この手で捕捉したカツェをメーヤさんの幸運スキル1発で捕捉したジャンヌ達一行に理不尽さを感じながら、ケッテンクラートを駆るカツェを追跡するジャンヌ達をオレと羽鳥が追跡する。

 カツェの乗るケッテンクラートは時速50キロ程度しか出ないようで追跡もバレないように速度差を考慮して何度も道を外すジャンヌ達に合わせてこちらも別の道を逸れて目立つカツェを目印に捕捉し直す。

 そうしてパリ市内を南東方向へと進んでいったカツェは、市街地を郊外の住宅地も越えて田園地帯へと突入しまだ南東へと進んでいく。

 さすがにもう走る車やらもまばらというかあまりないところにまで来てしまったので、ジャンヌ達はともかくオレ達までそれを普通に追うとバレる可能性があったので、ジャンヌ達の遥か後方から双眼鏡を用いてギリギリの距離で跡を追っていくと、その先に飛行場のようなものが見えてきて、それを捉えたところで羽鳥は車を停めてオレから双眼鏡を取りそっちを見る。

 

「飛行場か。あそこから飛ばれるとなると追跡は難しいね」

 

「じゃあ仕掛けておいた発信器に頼るか?」

 

「それも仕方ないことだが、ジャンヌ達もメーヤの強化幸運によるこのチャンスを逃しはしないだろうから、ここからの追跡は彼女達に任せて、私達は『別件』を片付けに行くとしよう。そのために発信器を仕掛けたのもあるしね」

 

 言いながら双眼鏡をオレに投げて車をUターンさせた羽鳥は、そうしてカツェ追跡と武器庫の捜索もか? をジャンヌ達に任せて、別件と称した事を片付けるためにどこかへと向かい始めたのだが、まぁ十中八九でスパイの捜索のことだろう。

 オレが何を言おうとこいつは自分のやりたいことをやるとわかってるので、その決定自体にはもうツッコむこともなくパリへと戻ってるっぽい道中でこれから何をするのかは聞いておく。というか当たり前だ。

 

「昨夜にメーヤへ送ったメッセージは待ち合わせなんだよ。その場所へこれから向かって会う」

 

「メーヤさんとなら無理だろ。今はまだオレ達のずっと後ろにいるんだぞ」

 

「誰もメーヤとは言っていない。私はメーヤを中継にして会おうとしてるんだよ」

 

 話は昨夜のメッセージと繋がるらしく、メーヤさんを伝言板扱いしてこれから会うのはいったい誰なのか。

 それを少しだけ考えたが答えは割と簡単な方だったかもしれん。

 

「バチカン?」

 

「だけなら、事はスムーズに行くかもしれないね。それと先に言っておくけど、待ち合わせの場所には私1人で行く。君と行動を共にしてる事を知られたくはない……まぁ知られてはいるだろうけど、確信させるのはいただけないからね。だから君には私の近くで事のなり行きを観察していてほしい。そこに真実はあるかもしれない」

 

 断言しないところがまたあれだが、オレと合流するより前からスパイ捜索の方法を練っていた羽鳥が最悪、拘束される可能性がある事をするのだから、オレはその目でその全てを見届けなくてはなら……

 と、真剣さを増した表情で思考していたら、羽鳥は急にオレへと発信器の受信器らしき物を渡して簡単にレクチャー。携帯の地図と照合すれば地名などもわかりそうなのでギリギリなんとかなりそうな気はするが、さらに小型のインカムも渡して待ち合わせまでに付けるように言い口を開く。

 

「私はマイクだけを持ってその場に行く。君は私と相手との会話で君なりの推理をしてくれ。もしも危なくなったらマイクは木っ端微塵に破壊するから、その時はインカムは外した方がいい。雑音で耳があれだから」

 

「…………これで事態は進展すると見ていいわけだな」

 

「私はシャーロックのように条理予知を使えるわけではないし、特別な才能もあるわけじゃない。それでもやってみる価値はあると踏んで乗り出している。君は、そんな私を信じられるかい?」

 

 依然としてその待ち合わせで何をするのかを具体的に話さない羽鳥だが、師団のために尽力するこいつの気持ちはなんとなく伝わってくる。

 それがわかるからこそ、オレがここで言うべき事はこれしかないのだろう。

 

「信じねぇよ。これら全てがオレに間違った判断をさせるために仕組まれたことだったら大事だし、それでスパイに仕立て上げられたやつは不幸以外の何物でもないだろ」

 

「……よくわかってるじゃないか。そうだよ。君はここまで私がしてきたこと全てを疑っていなければならない。それを口に出せて言えたのは評価しようじゃないか」

 

「そりゃどうも」

 

 本当は、信じてもらいたいんだろう。

 自分のしてることが正しいことだとちゃんと言って、オレの協力を得たいのだろう。

 だがそれはおままごと。仲良しこよしで進むには辛い道をオレ達は歩いてしまっている。そこに一分の隙も見せないためには常に相手を疑わなければいけない。

 協力は策略。信頼は裏切り。そうしてひっくり返る可能性を考えた上で行動してこそ、今のオレ達の関係は成立する。

 

「いちおう聞いておくが、お前のピンチにはオレはどう動けばいい?」

 

「ははっ、どうもしなくていいよ。君は君の思うように行動しろ。私は君の上司でも保護者でもない。何を見てどう行動しようと、それが君の見た真実の結果ということだ。それで君が私を見放そうと裏切り者扱いなどしない」

 

「そりゃ助かる。オレもこれ以上の面倒事は避けたいしな」

 

 きっと羽鳥なら1人でどうにでもできることはわかってるのだが、なんとなくもう嫌な予感がしていたオレはついそんな聞かなくてもいいことを聞いてしまったが、珍しくイラッとした様子もなく言葉を返した羽鳥はそれ以降、口を閉ざして車の速度を上げパリへと戻っていった。

 パリ市内へと戻ってきた頃にはすでに日も暮れて街明かりが眩しいとさえ思ってしまうが、そんな景観を無視して目的地へと向かう羽鳥の表情にはもう真剣さしかない。

 もう完全にこれから先のことに集中してるように見えるが、こいつは大事において真剣さしかないなんてことはない。

 その羽鳥が運転する車が停まったのは、なんだか不吉な気もするがかのフランス革命の発端となった襲撃事件の起きた場所。バスティーユ広場だった。

 かつては牢獄があったここを待ち合わせ場所にした羽鳥のセンスを疑うが、スパイを捕らえてやるという意気込みと掛けたのか自分のこの先の未来を暗に指しているのか。

 どうあれ車を停めてオレに運転席へと移るように言ってきた羽鳥は車を降りようとしたのだが、先ほどから感じてる通りらしくないのでその羽鳥が車のドアに手をかけたところで口を開いた。

 

「心に余裕があるのとないのとじゃ、その時のコンディションに大きな差が出るとかなんとか、なんかの統計にあったな」

 

「…………スポーツ学や芸術など、様々な分野でそういった統計は取られている。それはスポーツにおいてプレッシャーや緊張による筋肉の硬直などがイップスに繋がったり……と、そんなことはどうでもいいか。いやぁ、君に心配されてしまって、私も落ちぶれたものだね」

 

「その悪態がつければ言うことはねぇよ」

 

 ストレートに言うのはオレもらしくないので、少し遠回しにそんなことを言ってみたら、キョトンとした表情を浮かべてから小さく笑った羽鳥はいつもの悪態をオレについて車を降りると、広場のど真ん中に向かって歩き出して被っていたカツラを取りその手にグローブをして戦闘にも備えてみせた。

 オレはその様子を運転席に移って双眼鏡も用いてインカムにも意識を集中。いざとなったらすぐに動けるように半ドアにし車のキーも挿したままにしておく。

 バスティーユ広場はバーやカフェ、歌劇場が周囲にあって夜でも割と賑やかな雰囲気を醸し出していたが、確かなんかの革命の記念に建てられたという少し高く大きなオブジェの前まで移動した羽鳥の周りは不思議と人の気配はなかった。

 やたらと監視はしやすい状況に気持ち悪さはありつつも、デートの待ち合わせでもしてるような羽鳥とその周囲を見ていると、羽鳥に近づく1台の車があって、羽鳥もそれに気づいて車を見る。

 その車は近くで停車すると後部座席のドアが開きそこから純白の法衣を着たバチカンのシスターが1人、全盲なのか白杖を携えて運転手の導きで羽鳥の前まで移動した。

 

『バチカンからわざわざお越しいただきありがとうございます』

 

『羽鳥・フローレンスさんですね?』

 

『如何にも』

 

『私はローレッタ。バチカンにて祓魔司教(エクソヴェス)をさせていただいております』

 

 まずはマイク越しに2人の挨拶代わりの会話を聞きインカムの調子を確かめると、問題ないな。あの距離なら相手の声もマイクが拾ってくれるようだ。

 ちょっと嫌なのは羽鳥に合わせているのだろうが会話が全て英語だということ。集中しないと翻訳出来そうにないぞ。

 

『ではシスターローレッタ。あなたがこちらに来られたということは、私がシスターメーヤに伝えたメッセージを知って、その代理……いえ、代表としてお話ししてもよろしいですか?』

 

『構いませんよ。それよりもメーヤさんにお知らせくださったことは本当なのですか?』

 

 そのバチカンの代表らしいローレッタさんはそれなりの立場にある人物なのだろうが、その辺はよくわからないのでスルーしつつ、話がいきなり本題へと突入しようとしたので目を凝らし耳を澄ませる。

 

『はい。まだ憶測が少し残ってはいますが、これからそれもわかるでしょう』

 

『はい?』

 

『事実だけをお伝えしてわざわざお越しくださったのですから、無駄足にはさせませんよ。では話します。我々師団の中に潜んで眷属へと内部の情報を漏らしているスパイの正体について』

 

 メーヤさんに伝えたメッセージが本当であるかの確認をしたローレッタさんにいつもの調子の羽鳥はハッキリとそう言ってスパイの存在を話し始めようとする。

 その瞬間、オレは周囲のわずかな異変に気付いた。

 いるな。バチカンかリバティー・メイソンか。はたまた別の何かか。

 とにかく複数の素人じゃない人の気配が警戒するような緊張感を持った。

 その変化にオレまで釣られて臨戦態勢になりかけたが、オレが気付くのだから向こうもその変化に気付く可能性がある。

 だからオレは自分の気配を殺して周囲への警戒もしつつ羽鳥とローレッタさんの方に意識を8割程度持っていく。

 

『最初に確認としてお尋ねしますが、そちらのシスターメーヤは大変な幸運を主より賜っていますが、その代償……誓約でしょうかね。それに味方を疑わないことが含まれていますよね?』

 

『あまり公言することではありませんが、確かにメーヤさんの強化幸運にはそのような信仰が必要となります』

 

『そのシスターメーヤを此度の戦役に前線へと送り出したバチカンの意向はどのような?』

 

『全ては戦役で勝利するため、我がバチカンが誇るメーヤさんを送り出した。それがおかしなことでしょうか』

 

『いえ、こちらとしてもシスターメーヤにはずいぶんと助けられていますから、そこに不満など一切ありませんよ』

 

 何やら初っ端からメーヤさんについてを掘り下げてる羽鳥だが、味方を疑えないなんて不自由があったのか。

 疑えない、か。それはつまり味方の誰か、何かに疑いがあっても『見て見ぬふりをする』ことになるのかもしれない。

 オレ達のような裏であれこれする人間にとって、メーヤさんのような人は言い方は悪いが非常に『扱いやすい』のは間違いない。

 

『ただし、彼女が師団の重要な会議に席を同じくするのは少々疑問のあるところ。彼女の意見はそういった一種の不自由さから参考にしにくい。あの人は前線に立たせてこそ力を発揮できるし、そういう方向で強化幸運を片寄らせている』

 

『つまり、私達の人選に問題があると仰りたいわけですね』

 

『どうかそのところの再考は検討してください』

 

『ご意見として1度持ち帰らせていただきます。ですがお話が逸れてはいませんか? フローレンスさん。あなたは師団にいるというスパイについてを話すと仰っていましたよね? そしてその疑いが向けられてしまっているのは現在、残念ながらあなただということもご自覚があるかと』

 

 なんとなく羽鳥がどういう話に持っていこうとしてるのかもわかってきたオレも、ここまでがただの確認作業であったことは理解。

 しかしローレッタさんの言うことも最もで、周囲を取り囲んでいるっぽいやつらも羽鳥をスパイと疑った上で配置されているのがわかる。

 さて、どう仕掛けるよ、羽鳥。

 

『そこは否定しませんよ。私を疑うのはむしろ当然。シスターには心苦しいでしょうが、どうかこのスパイ容疑者の言葉を聞いてはくれませんか』

 

『聞きましょう。野蛮な争いからは何も生まれません。対話は何事においてもまず率先して行うべきことですから』

 

『では最後までご静聴ください。とはいっても話すことなどほとんどないのです。まずはスパイの存在が露呈した先の香港での一件。聞き及んでいるでしょうが、あれはスパイの存在がなければあのスピードでの襲撃は不可能でした。日本で保守的だったバスカービルその他への奇襲の好機とはいえ、スパイは少々はしゃぎすぎました』

 

『それは同意します』

 

『ですが眷属による襲撃はアジア圏においてはそれだけとも言える。それはここ欧州戦線とは打って変わって大人しすぎる。それは何故か。答えは簡単。師団に潜むスパイの所在がここ、欧州にあるから。アジア圏での師団の動きはそちらの玉藻御前などから聞き及んだ程度でしか知り得なかった。だからアジア圏では大きな動きしか把握できず、その結果として大味な襲撃を眷属にさせてしまった』

 

 先日、オレにした話のおさらいをするようにローレッタさんに説明をし出した羽鳥に、ローレッタさんは無言で聞きに徹して続けるようにと訴えてるように見え、羽鳥も話し出したら止まらないところがあるのでローレッタさんの様子をうかがいつつ話を続けた。

 

『ではここで欧州戦線のスパイの存在を個として考えることをやめましょう。元々、我々「リバティー・メイソン」は無所属から始まり、1度は眷属への所属をしようとし、結果的に師団に落ち着いた。それは戦役において勝算がどちらにあるかを見定めるのが大きかったが、師団へと所属を決めた段階ではまだ眷属に分があった。それは勝算以外の利益が師団で発生すると踏んでの決定だ。対してあなた方「バチカン」はどうだろうか。あなた方は我先に師団への所属を決定したが、争いを好まないと謳うあなた方はしかし、敗者となることも避けたかったのではないだろうか。それは戦役ののちにバチカンの立場を悪くしたくないという全体の意思。それを可能とするには戦役でどう立ち回るかが重要になってくる』

 

 ……なるほど。オレとは見方が根本的に違ったのか。

 オレはてっきり眷属側の人間が師団へと成りすまして情報を引き出しているのかと思っていたが、羽鳥の推測は個人のスパイではなく『組織的なスパイ』である可能性。

 そしてそれを前提にするとおかしなことをしてるのは、今さっき羽鳥が指摘したメーヤさんの人選をしたバチカン。

 

『そこであなた方は今回の戦役においてシスターメーヤをバチカンの代表戦士として前線に立たせた。そのシスターメーヤの意志がバチカンの意向であると示し、味方を疑えないシスターメーヤは「戦役で眷属と戦う」という命に忠実にならざるを得ない。その裏でバチカンはシスターメーヤから報告される師団の情報を眷属へと流し、どちらの勢力にも良い顔をしてみせた。そして結果がどうあれバチカンは敗者とはならずに済み、戦役後も立場を落とすことはなくなる』

 

 バチカンはそうやって疑いがあっても疑えないメーヤさんを利用して表向きは師団に協力的にし――それで師団が勝てるならそれでもいい――裏では師団が負ける可能性も考慮して眷属にも明確な敵対はしなかった。

 それはメーヤさんのカツェ達への敵対心も相まって見えにくいバチカンの実態。

 前線に立つオレ達がメーヤさんくらいしかバチカンの人間を知らなかったことを利用されたことにもなる。

 

『その推測が事実だとして、それをどう証明しますか?』

 

『簡単なことです。それはあなたがここに来たことで証明になる』

 

『……はい?』

 

 しかしあくまで推測。それを証明するには確定させる何かが必要であるのはローレッタさんの言う通りで、オレもそこをどうするのかと耳を澄ませば、意外にも羽鳥はそう断言してその顔に笑みを浮かべる。

 

『正確にはこの場に「バチカンの人間だけが来た」ことで、ですがね。先のスパイの件でもあまり配慮が行き届いていない感じはしましたが、少々慎重さが足りませんでしたね。私はシスターメーヤにスパイの正体がわかったことと、この待ち合わせ場所をメッセージとして渡しました。それはシスターメーヤを通してあなた方バチカンを呼び寄せるのと同時に、そこからさらに私の所属先であるリバティー・メイソンにも話が通ると踏んでいた』

 

 マジかよあいつ……やることが大胆すぎるだろ。だからこうして今まで姿を眩ましていたってわけか。

 だがそうでもしないと証明はできなかったってことも聞いた今ならわかるし、それが最善であったことも理解できる。さすが尋問科のSランク。

 

『しかし実際はこの場にあなた方バチカンしか来なかった。それはつまりもしもリバティー・メイソンと一緒にここに来て、スパイの正体を知る私が捕まりでもすれば、自分達の企みがバレる可能性があると考えた。だからシスターメーヤからの情報を師団へと知らせることをせずに自分達だけで私を内々に処理しようと決めた。あのメッセージには念のために上の判断でどうするか決めろと指示もしておいたからね』

 

 これが羽鳥のやりたかったことの全て。

 この状況を作り出すためだけにオレを巻き込んであれこれと動き回った。

 だが冷静に考えてここまでのことでオレの必要性はほとんどないに等しい。あんな手間をかけてまで引き込んだ羽鳥の苦労に全然見合わない働きしかしていない。

 ならまだ何かある。

 羽鳥をなんとなく理解してきたオレはそう考えて痛いところを突かれたローレッタの反応を注視する。

 

『……なるほど。私達はあなたの策略に見事に嵌まってしまったと、そういうことですか』

 

 そして相手が羽鳥だけと言うこともあるのだろうが、肯定と取れる返事をしたローレッタさんは、観念したようにその堅そうだった口を開き始めた。

 

『推測の通り、私達は完全なる敗者となるわけにはいかなかった。だから保険をかける必要がありました』

 

『では、バチカンが眷属へ師団の情報を渡していたと認めるわけですね』

 

『頭のキレる方は時に大胆にして予測がつかないことをする。あなたはとても厄介な方でした』

 

 これはヤバいな……

 流れ的に肯定したところから嫌な感じはしていたが、ローレッタさんが羽鳥に過去形を使い出したのが非常にヤバい。

 これはもう、お決まりのあれだ。『バレる前に消す』ってやつ。幸い羽鳥は今行方不明。どこで死体となって出てこようと不思議はない。

 ――ピッ。

 そう思って車のエンジンをかけようかとした瞬間、インカムから何かのスイッチを押した電子音が聞こえてきて、遠くの羽鳥に目を凝らすと、その羽鳥はコートのポケットから何かを取り出して目は見えないのだろうがローレッタさんに存在をアピールする。

 

『その証言を待ってました。あなたとの会話の全てをボイスレコーダーで記録しました』



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Bullet106

 ついに師団に潜むスパイの正体を暴いた羽鳥は、証拠能力が不十分なのはわかっていたようでローレッタさんとの会話の一部始終をボイスレコーダーで記録していた。

 抜け目のない羽鳥のやり口に感心半分、呆れ半分で車内から様子をうかがっていたオレだが、堂々と手でボイスレコーダーを見せびらかせる羽鳥にちょっと注意力がないように思えた。

 証拠を掴んだのはいいが、あんまり調子に乗るなよ。

 

『これであとはあなた方バチカンの方針を師団全体に周知させて、スパイの正体を暴かれたとなれば眷属からも尻尾切りをされるでしょうね。そうなればもう、あなた方は勝者にも敗者にもなれない。残るのは孤立無援の後世を生きにくくなる処遇のみ』

 

『…………』

 

 自白に近いことをさせられたローレッタさんは、そうして優位に立たれた羽鳥に対して言葉が出ない。

 それでも羽鳥が圧倒的な優位に立っているかといえばそんなこともない。

 何故なら今、羽鳥は姿見えぬバチカンの使者によって周囲を固められてしまっている。

 その状態から羽鳥は脱出し他の師団のメンバーと合流しないとならないので、これからあるであろう追撃を振り切れるかが重要。

 ――バヂンッ!!

 そうしてぬか喜びもせず冷静に今の状況を把握していたオレの耳に、突然インカムからそんな音が鳴って何事かと羽鳥を見れば、今の今まで手に持っていたボイスレコーダーがバラバラと地面に壊れて落ちていて、手を撃たれたのか防弾性のグローブをしていたとはいえダメージで痛がる様子がリアルだ。

 

『これで証拠はなくなりましたか? 変なところに当たって死なれても困るのですが』

 

『これは手痛い。まさになりふり構わずといったところか』

 

 だから調子に乗るなって思ってたんだよ!

 羽鳥はおそらく周囲の敵にも気付いてはいたのだろうが、なんか自分に酔ってる感じが嫌だった。

 それで見事数十秒の天下から落っことされた明智光秀みたいな羽鳥は、撃たれた手を庇いつつ余裕のない表情をしてローレッタさんに話しかける。

 

『それで、ここからあなた方はどう動きますか?』

 

『致し方ありませんが、フローレンスさんには戦役が終わるまで我々の下で保護させていただきます』

 

『シスターらしく言葉を選ばれてますが、要するに拘束して監禁するということですね』

 

『必要とあればそうなってしまうかもしれませんが、フローレンスさんが抵抗をしなければ我々も事を荒立てることはしません』

 

 要約すると羽鳥を捕まえてスパイの罪を被ってもらい、自分達はスパイを見つけた師団の英雄になって、更なる信頼を得ると。そんなところだろ。

 それがわかってる羽鳥はローレッタさんの言葉に笑いながらまだ余裕を装って言葉を紡ぐ。

 

『ではささやかながら抵抗をしなければなりませんね。私もタダであなた方の罪を背負いたくはない』

 

『そうですか。残念です』

 

 もう逃げの1手しかない羽鳥はそこで懐に隠していたらしいスプレー缶を地面に落として、そのスプレーからは白い煙が勢い良く噴き出してあっという間に羽鳥とローレッタさんの姿が見えなくなってしまう。

 が、そこまで広い範囲が煙で隠せたわけではないので遠くからならまず煙から出てくる羽鳥を見逃すことはない。その目が複数あるなら尚更。

 さすがにこれで1人で逃走は無理だろうと判断し車のエンジンをかけて発進させようとしたところで、不意にインカムから羽鳥のボソリとした声がオレに届く。

 

『オブジェの下を探せ』

 

 それは明らかにオレに対して発した言葉だった。

 向こうはマイクしか持っていないためオレの声は届かないのでもうもうとする煙の方を凝視すると周りの騒ぎに紛れるように羽鳥が人の中に突っ込んであっという間に見えなくなってしまうが、オレは少しの思考と共に逃げる羽鳥を追うのを中断し車のエンジンも止めてしばらく現場を観察しておいた。

 羽鳥の言葉の意味がオレに何かを残すものであるなら、羽鳥に協力者がいることを知られるリスクは負うべきではない。

 もちろんオレと羽鳥の協力関係がバレてる可能性も考慮しなければならないが、今は楽観的であることの方が良い気がする。

 オレの判断がどうなのかわからないが、ここからは羽鳥には頼れないので自分なりに考えて行動しないとな。

 1人になってわかる羽鳥の存在の大きさにはちょっとイラッとするが、その羽鳥もチャンスがあればヘルプに行くことを決めつつ、煙の晴れたバスティーユ広場にはローレッタさんだけが残っていて、後から車が走り寄ってそのままローレッタさんを乗せるとどこかへと行ってしまうが、オレはもう少し周囲の危ない気配が遠ざかるのを待ってから、自然な感じで車を降りてさっきまで羽鳥とローレッタさんのいた広場のオブジェの近くまで歩いていく。

 この行動に何かの視線は、なし。

 どうやらみんな羽鳥の拘束に動いていったみたいだ。これはオレが協力者として警戒されてない可能性が高い。

 それも羽鳥が捕まればわからないが、その猶予くらいはあいつなら作り出してくれる。

 そんな信頼なのかよくわからないもので羽鳥に期待して、先ほど言われたオブジェの付近を見てみると、設けられた柵の影に隠すようにボイスレコーダーと羽鳥がつけていたマイクを発見。

 ボイスレコーダーは壊されたはずなのだが、これは傷ひとつないので一応の確認のために再生してみると、間違いなくさっきのローレッタさんとの会話が録音されていた。

 

「あいつ、凄すぎないか……」

 

 それでオレは羽鳥のちょっとした違和感の正体がわかってつい口に出してしまう。

 羽鳥が自信満々で偉そうなのはいつもの事だが、バカな真似はしないやつだった。

 だから最初に出したボイスレコーダーは証拠隠滅を狙ってる周囲にいる敵に『狙わせた』んだ。

 そうして元々2つのボイスレコーダーで録音していた羽鳥は証拠隠滅をされてからは1人で逃げることで協力者の存在を消した。

 そして消えたと思っていた証拠をオレに託して少しでも時間を稼ごうと今も逃げている。

 

「となるとやれることは少ししかないな」

 

 羽鳥のファインプレーを称賛してからすぐに車へと戻ったオレは、羽鳥の作り出すわずかな時間を使って動き出す。

 もう真実はわかったんだからいいだろ。

 とにかく時間の猶予がどのくらいかわからないので割と急いで事に当たろうと運転席に収まったのだが、その時に尻の辺りに違和感があって何かと探ると、シートの隙間に羽鳥が持っていたはずの携帯の電池が挟まっていて、それでまだ羽鳥の思惑通り動かされてるんだなと感じつつそれを取り自分の携帯にはめ込んで起動。

 すぐに生き返った携帯でまずは一緒に欧州に来ているワトソンに連絡する。

 ジャンヌは最後に見た限りでメーヤさんと一緒にいるから、バチカンに繋がる可能性は今は避けたい。

 それで数秒とかからずに通話に応じたワトソンは、酷く怒っているような雰囲気が言葉と声色でわかったが、謝罪なら後でいくらでもしてやる。

 

「悪いワトソン。お前いまどこにいて誰といる?」

 

『いきなり何だ君は……今はブリュッセルのホテルに停泊中だよ。パリでトオヤマ達と分かれてから、予定通り中空知と島とでブリュッセルの武偵高などを見学してきた。それより君だ。ボク達と一緒の搭乗便に乗らなかったり、来たと思ったらいきなり誘拐まがいの消え方をして』

 

「色々とごたついたんだ。察してくれ。それより今は中空知と島だけなんだな? 他にリバティー・メイソンのメンバーとかバチカンの使者とか」

 

『…………何を警戒してるんだい? もしかしてボクらの中にいるかもしれないスパイのことか?』

 

「ビンゴ」

 

 ワトソンの怒りようにはごもっともなのだが、今はこっちの用件を通すため無理矢理に話を進めるとオレの緊迫感が伝わったのかワトソンも向こうで声を潜めて聞く耳を持ってくれる。

 

「スパイの正体を掴んだ。だが今それを公にすると危険なやつがいる。だからワトソン。今はお前にだけ真実を話す」

 

『ずいぶん慎重だね。そうまでしないといけない事情があるのは察するけど、電話でする話ではないだろう。夜も遅いけど、こっちに来てくれないか?』

 

「…………一応だが、その間に誰か他のやつらにオレのことを話したりは……」

 

『そう疑うのも無理はないけど、ボクは君をスパイとは疑っていない。言葉でのみになるが信じてほしい。ボクは君とは1人で会って話を聞く』

 

 話をしたのはいいが、持ち出してすぐに合流を図ろうとしたワトソンに不信感を拭えないオレが歯切れの悪いことを言えば、ハッキリとそう言ってくれたワトソン。

 それでも完全に信じてはいけないんだ。まだワトソンは敵にも味方にもなり得るカード。リバティー・メイソンの仲間が近くにいる以上、懐にしまうには危険だ。

 

「……わかった。ブリュッセルってベルギーの首都だったか。パリからだとえっと……」

 

『パリからなら列車で約2時間。車なら4時間といったところだ。どのみち深夜を回るだろうし、さして問題はないよ』

 

 さすが欧州住まい。移動時間も割と頭に入ってるのな。

 一応は合流することに了承しておき、いざ会うとなる時にいくつかの警戒はすることにして通話を切り、すぐに携帯でブリュッセルまでの道のりを検索。理子に地図の開き方教えてもらってて良かった。じゃなきゃここで足止め食らってた。

 夜も更けてきたこともあり、ストレスもなくスイスイと進む車は速攻でパリを北に抜けてさらに北上しベルギーとの国境を越える。

 その間に昼間にカツェのケッテンクラートに仕掛けておいた発信器の位置を確認したら、進んでる方向のほぼ真横を示しているので、パリからはフランス国内からは出てしまったかもしれない。

 さすがに受信器の具体的な使い方はよくわからないのでながらではどうしようもないため一旦そちらは放置する。

 向こうは向こうでジャンヌ達がしっかりやってれば問題はないはずだし。

 そうして移動すること4時間とちょっと。

 見知らぬ土地の夜道をひた走り続けるという面白味も何もないドライブをしてきたオレは、完全に深夜を回った首都ブリュッセルの適当な場所で車を停めて1度ワトソンに到着した報告をする。

 報告を聞いたワトソンは自分が今いる場所はリバティー・メイソンの息がかかっているからと合流の場所を少し移動してくれるらしい。

 それに一応は従って近くまで車で行って、そこからは徒歩にしつつワトソンだけがそこにいることを黙視で確認。

 さらに周囲の気配をザッと探ってみるが、これも潜むやつはいない、かもしれない。

 本当に上手い場合もあるが、ここまで来てまた別のことをするには時間的な問題もあったので意を決してワトソンの前に姿を現してみるが、そのワトソンは近付いたオレを見ても首をかしげて誰だといった雰囲気。

 おっと、カツラやら何やらつけっぱなしだったな。

 そう思ってカツラを外して改めて声を発してオレであることを知らせると、ちょっとビックリした様子のワトソンは安堵の息を吐いてオレを笑顔で迎える。

 

「この数日、君への疑いは増すばかりで、リバティー・メイソンでは血眼になって君を探していた。あと絶対に余計なことをしているあのバカ。フローレンスもね」

 

「そりゃ怖い。だがその羽鳥もオレと無関係じゃない」

 

「君が来るまでに色々と推察したが、やはりあれが君を連れ回していたんだろうね。かつての彼女なら男性と一緒に行動しようなどと考えもしなかったから、ボクらも盲点だったよ」

 

「どんだけ男嫌いなんだよあいつ……だが察してくれたなら話は早い。まずはこれを聞いてくれ」

 

 本当に他の誰にも言ってくれてないのか、警戒心というものも全く感じないワトソンに、オレも下手に刺激するわけにもいかず疑いの目をしていない。

 だが不審な動きをしたらいつでも逃げられるようにはしておこう。

 そう決めて懐から羽鳥が録音したボイスレコーダーを取り出してワトソンに渡しつつイヤホンを繋いでそれを聞き始めたワトソンの感想を待つと、信じられないといった雰囲気でイヤホンを外してオレを見る。

 

「なるほど。ボクもスパイは個人で動いているものとばかり思っていたが、組織でグルとはね……フローレンスはこのあと?」

 

「ああ。たぶんだが、逃げ切れずに拘束されちまっただろうな。だから元からあいつはこれをオレに託すために一緒に行動させた」

 

「こちらでも手を焼く人員だが、もう少しボク達を頼って動いてもいいだろうに……」

 

 リバティー・メイソンでも厄介者扱いの羽鳥には同情の余地すらないが、ワトソンも優秀であることは認めてる節があって、言葉には寂しさと悔しさが混ざっているようだ。

 

「それよりもスパイがバチカンである事実をどのタイミングで暴くんだい?」

 

「おそらくバチカンはこの証拠があることを知らずに捕まえた羽鳥をスパイに仕立て上げてリバティー・メイソンに、師団に突き出すはずだ」

 

「なるほど。ならその時にフローレンスを師団に差し出すことになるだろうから、それまではフローレンスも生かされるはず」

 

「ああ。羽鳥の身柄をこっちで押さえたら、即座にこっちが攻撃に出る。仲間内で争ってる場合でもないが、バチカンはもう仲間と呼ぶことも難しい。師団にとっても、眷属にとっても、な」

 

 さすがの理解力で話についてくるワトソンもそれが最善であると悟ったのか、オレの意見に反論はしてこない。

 そして少しの沈黙のあとに考えがまとまったのかその顔を上げてオレをまっすぐに見て口を開く。

 

「実は今日の夜。君から連絡をもらう少し前にジャンヌの方からも連絡を受けてね。明日にでもこっちにジャンヌとメーヤが来る手筈になってる」

 

「あの2人はカツェの追跡をしてたはずだが、キンジの名前が出ないってことは別行動で空路を追わされたのか?」

 

「そういう話を聞いてるよ。カツェ達の魔女連隊は飛行船でどこかへと移動中らしい」

 

 何を考えてその話をしたのか少し逸れてしまう気がするが、そっちもそっちで進めないといけない案件なので話に乗りつつ羽鳥から渡された受信器を持ち出してワトソンに渡すと、オレ達が不自由な行動をしていた割にしっかり仕事をしてくることに空笑いしつつも受信器の示す発信器のある場所を特定。

 今はどうやら動いていないようで、そうなるとそこが魔女連隊の武器庫ということになるのかもしれない。

 

「ここはルクセンブルクのエコールの辺りかな。ここに停泊するとなると拠点みたいなものはあるんだろうね」

 

「そっちについていったはずのキンジから連絡がないなら、問題が起きた可能性が高いな。見つかって拘束されたか。或いはもう……」

 

「君はなかなかネガティブな思考を働かせるんだね。大丈夫さ、殺しても死なない男だよ、トオヤマは」

 

「そりゃ言えてる」

 

 ワトソンの物言いには呆れがちょっと含まれていたが、そう簡単に死なないやつなのは同意なのでとりあえず無事だけは信じてやる。

 しかしジャンヌとメーヤさんが来るのか。どうしたものか。

 

「キンジと武器庫の件は一旦置こう。問題はスパイの話をどこまで師団に周知させておくかだ」

 

「難しいところだね。いざその時になってこちら側にも動揺が生まれるのは避けたいし、かといって広げすぎればタイミングを待たずにどこかで漏れる危険性がある」

 

「とりあえずジャンヌには話しておいて良いとは思う。メーヤさんは望んではいないがスパイの片棒を担がされてるから当然なしで」

 

「ジャンヌにはボクの方から隙を見て話しておくよ。リバティー・メイソンにも信用に足る人物の数人に。あとは……」

 

 問題なのはバチカンがスパイだということをどこまで周知させておくかなのだが、ワトソンの言うように情報というのはその管理が非常に難しい。

 こちらが意図としない思わぬところから情報が漏れる可能性だってある。

 それを防ぐにはやはり信用に足る人物にまで留めておくこと。

 今回はスパイ容疑をかけられた羽鳥をこちらが押さえるまでのそこまで長くはない時間だが、羽鳥の命運は今、オレとワトソンが握ってるに等しいのだ。

 それを理解した上でワトソンも自分の目の届く人物までにしてくれたが、オレもオレで状況的にまだ表へは出られない。

 師団的にはオレはまだスパイ容疑のある行方不明者。そしてバチカンもその動向を探ってはいるだろう。

 そして先ほど同じ容疑で消えていた羽鳥が姿を現して、バチカンは残るオレの動きには注意してるはず。

 少なくとも羽鳥が動いたあとにオレがのこのこ表に出れば、羽鳥との協力関係を疑われるかもしれない。

 だからオレは最低でもバチカンが羽鳥をスパイとして師団に差し出すまでは表舞台から姿を消していなければならない。

 だが自慢じゃないが羽鳥のいない今、オレが海外でボロを出す可能性は割と高い。下手に動いて見つかるよりもワトソンを味方につけて匿ってもらっていた方が安全かもしれないのだ。

 

「君はどうする? ここにはあと半日以内にはメーヤが来てしまう。仮にボクが匿っても、彼女の強化幸運が良からぬ方向に君と彼女達を引き合わせる可能性は低くない」

 

「敵にすると厄介すぎるな、強化幸運ってのは……おそらくジャンヌ達はキンジとの合流を図るために動くだろうから、オレは常にメーヤさんをマークしておく。下手に姿が見えない状態よりも自分の目で見て判断した方が良い気がする」

 

「…………それでも近づかない方が安全かもしれないけど、このボイスレコーダーは来たるべき日まで君が持っておいた方が良い。ボクを完全には信じていないだろうし、大事な証拠品だ。紛失の可能性は前線に立つボクより君の方が低いだろ?」

 

 それでもメーヤさんの強化幸運はどうこちらに影響するかわからないので、ここはあえて自分の目を信じることに決めれば、ボイスレコーダーを返してきたワトソンはその判断に半分くらいは賛成しつつ紛失の可能性の低いオレへ希望を託す。

 

「君の居場所をボクに教えなくていいよ。それを知ってうっかり口を滑らせたりもボクはあるかもしれないしね。君とまた会う時は、フローレンスを助けてスパイを暴くその瞬間になることを願うよ」

 

「……ちょっと前まで眷属の側に傾いていたとは思えないな」

 

「それは昔の話さ。ヒルダだって今やボクと同じようなものだろ?」

 

 ふふっ、ふふふっ。

 なかなかに用心深いワトソンの気の利かせ方は正直オレが言うべきことだったが、先に言うことでオレへの信頼を少しでも得ようとしてくれたのだろう。

 本当は顔を合わせた瞬間からワトソンのことを疑ってはいなかったが、やはり人間、1人になると繋がりに飢えるんだよな。

 それでも羽鳥を助け出すまでは明確な協力を得るわけにはいかない。それはワトソンにも迷惑をかけることになるしな。

 そうした感謝を素直に言えなかったオレは冗談でひねくれたことを言うが、笑い話にしてくれたワトソンはこれ以上の外出は差し支えるかもと言って元いたホテルへと戻っていってしまい、それを見送ったオレは取っていたカツラを被り直して、大事なボイスレコーダーを懐へとしまってから再び1人で動き始めたのだった。

 しんどいな……これ。



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Bullet107

 ワトソンとの密談から一夜明け、ブリュッセルにとりあえず身を置いて食事をしつつここからの具体的なアクションについてを考える。

 まずバチカンに捕まってしまっただろう羽鳥がスパイとしてでっち上げられて師団に差し出されるのはほぼ間違いない。

 バチカンとしてはその証拠をどうするかで悩みそうなところだが、遠からずそれは実行に移され、それはおそらく欧州戦線のキンジやワトソン、メーヤさんなどの代表戦士が揃ってる場で行われる。

 ならオレはそのタイミングを逃さないためにワトソン達をマークしておくのがベスト。

 だがそこにメーヤさんという不安要素が加わると厳しいわけだ。

 強化幸運がどういった形で師団に進展をもたらすかは本人にもわからないそんな感じの能力だけに、オレの存在が表に出てしまう可能性も十分にあり得てしまう。

 比較的に自由な身のはずが案外やれることが少ない不自由さを感じつつ食事を終えて車へと戻るが、携帯はGPSが働くから電源は落としてしまっている。

 これ以上誰かと接触するのは危険だし、日本にいるアリア達に知らせたところで連携は取りにくいしフットワークが悪すぎる。

 とにかく明確なアクションが起こせないうちはワトソン達を監視する方向で決めてホテルを張り込んでいたわけだが、ジャンヌとメーヤさんがいつ来るかもわからないのでちょっと車内を物色してみる。

 羽鳥なら電池の他にも何かを残してるかもと思っての行動だったが、さすがにこれまでの行動だけでも結構な出費だったので監視用の機材程度しか積まれていなかった。

 

「バチカンが動くのをただ待つしかない、か……」

 

 羽鳥への期待のし過ぎを反省しながら運転席に収まり、何も出来ない自分のいたらなさにうちひしがれて天を仰ぐ。

 しかしそこでふと、何気ないが思い出したことがあったので懐から携帯を取り出してそれを見る。

 オレのじゃない。羽鳥の携帯だ。

 そして昨夜、羽鳥はこの車に携帯の電池を2つとも置いていった。そこに意味があるかもしれないなら、この携帯が何かを切り開く可能性が。

 そんな思いと共に携帯に電池をはめ込んで起動させてみると、履歴に唯一あった『橘夫妻』という分かりやすい残し方のそれを見て即座にリダイヤルする。

 

『京夜さんですね?』

 

 それでほとんどノータイムで繋がった向こうからは全てをわかってそうな英理さんが開口一番でそう確認してきた。相変わらずの推理力。

 

「オレから羽鳥の携帯で連絡があるとわかってたんですね」

 

『いえ、私は推理などしてませんよ。ただ数日中にもしかしたら自分の携帯から京夜さんが連絡してくるかもとフローレンスちゃんが言っていたので。あとはフローレンスちゃんとの契約はこちらから後日連絡することで完了になりますし、貰った連絡先の番号からでしたから、フローレンスちゃんからという可能性は省いた結果です』

 

「ここも折り込み済みなのか……ホントどこまでオレと見えてる世界が違うのか……」

 

『誘導の上手い方なんですね、フローレンスちゃんは。お嫁さんにしたら尻に敷かれちゃいますよ?』

 

「それは御免被りたいですが、何気に羽鳥が女なのをわかってる英理さんも凄いんですけどね」

 

『フフッ。言ったでしょ、目は良いって』

 

 携帯の履歴の残し方からそんな気はしていたが、こうして橘夫妻と再び繋げたのは確かな進展だ。

 

「動かされてるってのは癪だが、やるしかないならやってやる。英理さん、今からご依頼をしても大丈夫でしょうか」

 

『ちょうど今、吉鷹さんが依頼を片付けてきてくれましたから問題ありませんよ。直接会える距離にいれば合流しましょうか』

 

「今はブリュッセルです」

 

『私達はリヨンにいますので、またパリで合流しましょうか。時間は今夜の6時。場所はシャン・ド・マルス公園でどうでしょう』

 

「問題ありません。ではよろしくお願いします」

 

 どこまで羽鳥が予想して橘夫妻と繋げたかはわからないが、オレがしたくても出来なさそうだったことを可能にしてくれる存在と引き合わせてくれたことには感謝しないといけないな。

 そこからワトソン達の監視という進展するかもわからないことをやめて車を走らせたオレは、無理矢理にでも状況を進展させる強行策を実行するために橘夫妻との合流をしていった。

 ブリュッセルには半日といることもなく離れて、元来た道を走ってパリへと辿り着くものの、約束の6時までは3時間程度余裕があったので、一度合流場所のシャン・ド・マルス公園を下見しておく。

 シャン・ド・マルス公園は北西にエッフェル塔。南東に陸軍の士官学校を見ることの出来る緑地公園だ。

 割と大きな公園ではあるが、中心部に分かりやすいジャック・リュフ広場があるので、そこにいれば合流は容易いだろう。

 あとは昨夜のバスティーユ広場での騒ぎもあるので羽鳥のことでも載ってないかと新聞を読もうとするが、やっぱりフランス語だから読めん。この辺の言語統制はフランスでは色々とあるとかなんとか聞いたことはあるが、英語くらいはどうにかしてくれ。

 それでもないよりはあった方が良いかもと思って新聞は購入しつつでちょっとした確認のために最初にチェックインしていたホテルの部屋へと戻ってみる。

 男と女が行き交う不思議な部屋でもはやフロントでは疑惑しかなかったが、そこには一応オレの荷物があるので戻ってはみたが、誰かが来た形跡はない。

 リバティー・メイソンもバチカンもオレの動きを監視していたわけでもないのかもだが、いつまでも私物を置きっぱはあれなのでさっさと畳んでチェックアウトし、ちょうど良い頃合いになりそうなので橘夫妻との合流場所であるシャン・ド・マルス公園へと車を走らせていった。

 広いパリを行ったり来たりして微妙に疲れてしまったが、そんなのはこの2人を相手取るよりよっぽど楽なもの。

 何の障害もなく合流した橘夫妻は、予想通りジャック・リュフ広場で仲良さそうに会話をしていて、そこにオレが近づけば英理さんは年甲斐もなくはしゃいで歓迎し、吉鷹さんは明らかに不機嫌オーラを放出する。

 

「昨日の今日ですし、挨拶はほどほどで食事をしながらお仕事の話をしましょうか」

 

「こいつと同席とか胸糞悪いが、仕事と割り切ってやる」

 

「それはどうも……」

 

 合流して早々に面倒な絡みがあるかと思ったが、依頼人としての立場を尊重してか2人とも真面目な感じが少しあり、おふざけもなしで移動を促してくるが、雰囲気自体はいつも通りだ。

 その辺はやっぱり大人な橘夫妻の移動に合わせて入ったお店は個室もある日本食のお店で、有名な料理評価で2つ星をいただいてる本格店のようだった。

 そこで適当な注文をしつつ個室ということもあるので周りを気にせずに会話をするが、何故かいきなり英理さんは英語での会話を促してきたので一応それに合わせてオレもつたない英語で応じる。

 

「それで依頼というのは?」

 

「実は羽……」

 

 何故か英語の英理さんという疑問を解決しないままに話を切り出したオレが羽鳥の名前を言いかけたところで口元に人差し指を持っていった英理さんによってようやく英語の意味を理解する。

 個室だからと油断は禁物。

 オレが誰か。依頼がどんなものかをほんの少しでも情報漏洩させないために万国共通の英語にし、人物名や地名を伏せた話をしなければならなかったのだ。

 その意図に早々に気付いてすみませんとアイコンタクトすると、笑顔で続きを促されたので改めて言葉を選んで依頼内容を話す。

 

「あるものを探してほしいんです。突然私のところから消えてしまったため、探そうにも手詰まりになっていて、どうしようかと思っていたところであなた方を頼りました」

 

 話しながら個室にあった紙とペンで「羽鳥を探してほしい」とダイレクトに書いてそれを渡し、どういった依頼かはすぐに伝わってホッとするも、英語はいまいちわかってなさそうな吉鷹さんにメモを渡しつつ夫婦で無言の意思疏通をすると、返事を待つオレに言葉を返してきた。

 

「依頼についてはもう少し手がかりがなければ私達としても行動を起こせません。何か少しでもいいですから手がかりを」

 

 そうして話しながら同じ紙に書いて渡された内容には「承りました」とあり、言葉とは裏腹の即決なためそこに意味があるとすれば、この場でのオレの返答は……

 

「…………すみません。何ぶん、本当に急であったため何ひとつ手がかりは……」

 

「そうですか。それでは私達でもどうすることも出来ないと思いますので、このご依頼はお引き受けできません。ですがもし、何か1つでも手がかりがあれば、私達はそこから必ずや依頼人の探し物を見つけて差し上げますことを断言します」

 

 会話の中では交渉決裂の形にしつつ、筆談で内容の確認をするオレと英理さんは、1枚の紙にびっしりとメモを書き記す。

 あまり何枚も紙を取ると筆談してましたの証拠になるからだが、もう書くスペースがないってくらい書いたな。

 一応メモには『昨夜』『バスティーユ広場』『騒動』などの手がかりと事前に買っていた新聞を渡しておく。

 オレは読めないが英理さんは確かマルチリンガルでフランス語も嗜んでるから買っておいて良かった。

 

「依頼はお引き受けできませんが、せっかくの食事の場ですし、お食事だけでもご一緒しましょう」

 

「はい。喜んで」

 

 それらの事を終えてから最後に橘夫妻のやり方なのか、後日の合流場所と時間を指定したメモを渡されて会話も終了。

 そこからは普通に食事をして、店を出てからは早速の別行動を開始。とはならず、今日はもう英気を養う方針とかで別れてから別々のルートで同じホテルへと宿泊。

 事前に部屋も2つ取ってあったとかでオレもすんなりチェックインできたのは良いのだが、数日ぶりのベッドとあって疲れは取れる時に取ろうとシャワーを浴びてさっさと寝ようとしたところ、完全にオフの状態の英理さんが持参してたのだろう薄手の浴衣で来訪。

 アホかってほど色気ムンムンの英理さんの浴衣姿は目に毒で、本当に一児の母親なのかと疑うが、そんなオレの動揺が伝わったのかクスクスと嬉しそうに笑った英理さんはベッドに腰かけて隣に座るように示すので、なんか逆らうと嘘泣きとかされそうだから素直にそこへ座る。

 

「京夜さんがくださった新聞の方はあらかた読みましたが、バスティーユ広場での煙幕騒動は犯人が見つかってないとありました」

 

「……オフだったんじゃ?」

 

「はい、オフですよ。オフでしたから貰った新聞に目を通して気になったニュースで京夜さんとお話ししたかったんです」

 

 物は言いようだと思うが、隣で悪びれることもなく上目遣いでダメですか? みたいな視線を向けてくる英理さんはズルい。人妻がそんな女を武器にしちゃダメでしょ。しかも強力だし。

 

「吉鷹さんは怒らないんですか? こんなガキの部屋に遊びに来て」

 

「吉鷹さんは今日最後のお仕事中ですから内緒です。なので5分くらいしか一緒にいられないので、大切にしてください。キャッ」

 

「何がキャッ、ですか。期待しても何もしませんからね。ですが騒動の犯人はまだ捕まってないですか。なら……」

 

「予測は確信に、といったところですか。他にも未成年者の検挙の記事も目を通しましたが、それらしい人物はいませんでしたから、私達も明日からの動きが固まりそうです。京夜さんはどうですか?」

 

 羽鳥がバスティーユ広場で騒動を起こして逃げたことを具体的には伝えていなかったのだが、今の会話だけで引き出された。

 まぁこの辺でバレた引き出されたと言っても仕方ないので、どういう経緯でそうなったかが伏せられればいいと諦めて明日には本当に別行動を開始する英理さんからどうするのかを尋ねられる。

 そりゃあ、英理さんと吉鷹さんに頼りきりで羽鳥を見つけようなんて怠慢な事をするつもりはない。

 

「オレもやれることはやってみるつもりです。それでも英理さんと吉鷹さんには遠く及ばない成果しか得られないでしょうけど」

 

「成果とかそういうのは別の話ですよ。大事なのは自分に出来ることをちゃんと理解して、それを実行しようとする意思と行動力。あれがしたいこれがしたいと頭でだけ処理していても現実では何も起きませんからね。フフッ。でも今の京夜さんを見てると、小鳥があんな風になったのが京夜さんのおかげだってわかって面白いです」

 

「そこまで小鳥に影響を与えた自覚はないですけど……」

 

「親の背中を見て子は育つと言いますけど、兄の背中を見ても妹は育つということでしょうね」

 

 感謝するような笑顔でそんな恥ずかしいことを言った英理さんは、娘の成長を本当に喜んでるのが見て取れるのだが、オレとしては小鳥にそこまでの影響力を与えるつもりがなかっただけに複雑な思い。

 オレと小鳥では目指す武偵の道がちょっと違う気が徒友契約をした時からしていたので、技術的なものは役に立ってほしいものを厳選して教えていたが、英理さんが言ってるのはそういう技術面ではなく、武偵としての在り方というか、そんなものだろうな。

 オレが周りからどういう見え方をするのかはよくわからないが、小鳥にプラスの効果がある変化を与えたならいいか。

 

「そういや小鳥との徒友契約もあと3ヶ月もないのか」

 

「契約解消を寂しく思ってくださいますか?」

 

「そりゃ戦妹の卒業、とは違いますけど、最も近しい後輩が離れるのは少しくらい寂しいものですよ」

 

「あの子は代々の能力に動物と人との境界線を引かずに育ったせいで周りとは少し距離を置かれて寂しい思いをしてきました。その小鳥が武偵高に通ってからは楽しい日々のことをメールや電話で話すようになって、本当に嬉しかったんです。特に京夜さんが出てくるお話はもう凄い凄いと頭の悪そうな連呼をしたりで」

 

 いやぁぁああ! こういうオレの知らないところでのオレの話は恥ずかしすぎる!

 小鳥がどんな風に英理さん達に話していたか詳しく聞きたくもないが、オレのそんな表情を察して切り上げてくれた英理さんは、話を戻してオレを優しい表情で見る。

 

「京夜さんがどのような人物か私もまだ分析しているところですが、小鳥が心から尊敬する人を、私も尊敬と敬意を持って接しています。ですから京夜さんはそのままの京夜さんで立派になってください。難しいことを言ってはいますが、私は今の京夜さんが大好きなので」

 

 フフッ。

 英理さんから尊敬とかそんなものはあまり感じてはいなかったが、1人の大人としてくれた言葉はありがたいので、恥ずかしく思いつつお礼を言おうとしたら、急に隣から抱きつかれてドキッとする。な、なんなんだよ!?

 

「ああん、やっぱり私、娘は娘として息子も欲しかったんです。京夜さんみたいな可愛い反応をしてくれる息子なら毎日頬擦りしたいくらい」

 

「だからってオレにしないでくださいよ?」

 

「あら残念。それじゃあ今から息子を作っちゃいますか? 私と京夜さんで」

 

 抱きつきながらに人妻としてもう完全にアウトな発言でオレの胸の辺りをクリックリッ、と指でなぞってくるのだが、そうしたおふざけも次に来た「英理! ここにいるんだろ!」という吉鷹さんの声によって中断される。

 きっと吉鷹さんの気配を敏感に察しておふざけモードで話を終わらせたかったのだろうが、心臓に悪い。マジでドキッとした自分も恥ずかしいし。

 

「それじゃあ京夜さん、次に会う時には吉報を待っていてくださいね」

 

「……よろしく、お願いします……」

 

「あらあら、私の色仕掛けもまだまだ捨てたものじゃなかったかしら」

 

「…………」

 

 吉鷹さんの泣きそうな声でオレからやれやれといった感じで離れた英理さんは、それがまた可愛いとでも思ってるのか嬉しそうに扉の方に歩を進めて本日の最後の言葉で別れとしたが、最後までオレも吉鷹さんさえ手玉に取られてしまったな。

 その後、英理さんのおふざけのせいで思った以上に疲れていたオレは柔らかいベッドですぐに眠りに就いてしまい、翌朝の早くにホテルを出ていったらしい橘夫妻から遅れて朝食を食べてからチェックアウトし、とにかく手がかりからオレもオレで羽鳥の捜索に乗り出す。

 

「捜査の基本は現場から、とか刑事モノとか探偵モノでは鉄板だな」

 

 そう思いつつも車を走らせて羽鳥と別れたバスティーユ広場に戻ってきてはみたが、さすがに日が経ってしまって得られるものは何もなく、早速の手詰まり。

 どうしたものかと1度ジャンヌが拠点にしていた住居の方にも行ってはみるが、手がかりを残すことに熟練度のある羽鳥が残しそうな手がかりもなかったのでここも空振り。

 次はガルニエ宮かルーヴル美術館でも行くかと車を走らせて赤信号に捕まってる間に、何気なく外の様子を見ていたオレは、なんとなく人の流れに不自然なところを見つけて疑問を抱く。

 次いで遠くからパトカーのサイレンがいくつか聞こえてきたので、何か事件性のあることが起きていそうな空気を敏感に感じて方向転換。人の不自然な流れやら何やらを汲み取って現場へと向かってみた。

 別に確信とかそんなものはなく、何か起きてるならこの目で見ておこうという野次馬根性みたいなもので現場近くまで来てはみたが、早くも交通規制がかかって現場の中心には車では行けそうになかったので、適当なところに停めて徒歩で現場の近くまで行って見てみると、銃撃戦、ではなさそうだが火薬の炸裂でもあったのかある1区画が爆発によって黒焦げてしまっていて、テロの線もあったがどうにも騒動としては規模があれだ。

 昼間で人の気配もまちまちで、その中で被害は最小にして騒ぎは最悪起きても仕方ないといった首謀者の思惑がなんとなく見えて、騒ぎを起こすのが目的ではなかったのではという突拍子もない推測をしてしまった。

 我ながらバカらしいのだが、眞弓さんや羽鳥がこういう勘みたいなもので時々ではあるが動く気配があったので、人集りを抜けて現場をちょっと見渡せる建物の屋上にスルリと登って周囲をうかがってみる。

 するとざわつく人達の中で明らかにこの騒ぎに注目していない動きを見せるやつらが数人、ポツポツと統率力のある感じで動いているのがなんとなくわかる。

 見れば女だけで構成されるその団体は、おそらく魔女連隊。

 逃げてるというよりは探して追っているといった挙動の彼女達から察するに、ここパリにいた師団を奇襲し追撃の最中といったところか。

 これはまだスパイであるバチカンが機能してしまってるから、師団の位置情報が筒抜けだからこその動きだな。

 そうなるとパリにいた師団は撤退の流れにでもなったっぽいのを察して、建物を降りて追撃中の魔女連隊の子の1人を尾行してみると、1度合流を始めてゾロゾロと少女達が集まって集会を始めてしまうが、その中に妙に偉そうな見覚えのある女がいた。パトラだ。

 英理さん達との再合流は3日後。今からこいつらを尾行して戻ってこれるか。

 そんな思考を巡らせながら、手がかりのなかった状態から羽鳥に繋がりそうもない別の重要そうな線をたぐり寄せてしまったオレは、メーヤさんの武運がまた変な方向に働いてしまったのかもとうなだれてしまうのだった。



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Bullet108

 

 スパイ捜索から始まった欧州乗り込み。

 コロコロと状況が変わる中で羽鳥捜索に本腰を入れた矢先で、それとはあまり繋がりがなさそうな無視できない事態が発生。

 パリ市内で発見した眷属のパトラと魔女連隊の手下達が師団へと奇襲を仕掛けたのだろう騒ぎを余所に、どこかへと移動をするためにゾロゾロと1台の大型車へと乗り込んでしまう。

 それを影から見ていたオレは、橘夫妻とのこの後の合流時間を確認した上で時間的にどこまで行けるかはわからないが尾行することを決めて車体番号を記憶し車へと急いで戻ってちょっと早くに出発したパトラ達の車を追ってパリを走り始めた。

 

「英理さん達との合流は3日後。それだけあれば欧州諸国までなら追えるか……」

 

 いまいち欧州での移動時間やら何やらの計算ができないが、ブリュッセルまで4時間くらいなら最大8、9倍くらいの距離までなら往復でも3日でパリには戻って来れるだろう。

 車を走らせながらどこまで行くか不明なパトラ達を不安に思うが、追うと決めた以上、時間の許す限り追う。

 せめて行き着く先までは判明させたいところだが、この辺はメーヤさんの武運にちょっと願っておこう。

 その武運がさっそく仕事してくれたのか、1度は見失ったパトラ達の車をパリ市内を出る前に発見して無事に尾行を開始。

 車は迷うことなく師団勢力の北へと進路を取ってあっという間にパリを抜けると、オレが往復した道を進んでいく。

 おそらくは北へと逃げた師団を追撃するための進軍、のような感じだろうが、こうもズケズケと移動するか。

 これもパトラの性格が出てる気がして憎らしいほどにムカつくが、1人で立ち向かっても返り討ちは目に見えてるので腹に落としつつ尾行を続ける。

 

「というか、まだバチカンがスパイとして機能してるのは間違いないんだよな……ならこの先にいるジャンヌ達の所在もバレてると考えた方が良いだろうな」

 

 長い道中は割と余裕があったので、見失わない距離で追いつつそんな当たり前の前提に考えつき、もしもパトラ達がブリュッセルに停泊などしようものならワトソンにくらいは連絡しておくことを決定。

 途中で休憩の立ち寄りもありつつで割とのんびりと北上を続けたパトラ達の乗った車は、夕方頃に案の定ベルギーの首都ブリュッセルに入って警戒しながらも手頃なホテルに停泊。

 何かを狙っているのは目に見えてるので、一応は決めていた通りにワトソンに注意を促す連絡をしてみるが、繋がらないな。

 この場合の考えられることは、オレとの繋がりがバレるとマズイ人と一緒にいるか、単純に出られる状況じゃないかだが、なんとなく前者な気がする。

 そう思ったので一旦ワトソンとの連絡は保留にしてブリュッセルを散策してみることに。

 パトラ達がその間にブリュッセルを出る可能性もあるが、ホテルに入る直前にパトラ達は眠そうにあくびをしていたところを見ると、少なくとも1泊は確実にするつもりだ。

 それにパリが墜ちた以上、ここブリュッセルがおそらくは師団の勢力の最前線。次の戦地となる可能性は低くないはず。

 その前にパトラ達が他の眷属の連中と合流し準備を万端にするための仮拠点としてホテルに停泊している、とも考えられる。

 ならこれから戦地となるだろうこの街の地形を今のうちに把握して動きに支障が出ないようにしようという腹だ。

 思考がネガティブというか慎重というかだが、いざ何か起こった時にわずかな時間のロスが影響するかもしれない。

 そういったことを防ぐ意味でも割と真剣に散策をしてみたのだが、これも好転。

 いちおう車内生活が続いてるので食料などを買い込みつつでブラブラしていたのだが、夜を更けてきた頃に気になる人物が外を出歩いていたのを発見。

 まぁ気になるといってもおぼろ気な記憶でしかなかったのだが、宣戦会議の時にリバティー・メイソンの使者として空き地島に姿を現した男が神妙な面持ちでオレとすれ違ったのだ。

 オレはワトソンがどこにいるのかを聞かずに別れたので、ブリュッセルの師団の居場所について知らなかったが、あの男を尾行すればそれもわかる。

 それがわかればパトラ達が動いた際にも連絡がつかずとも知らせる手段はあるので、すぐにUターンして男の追跡に切り替えると、男は誰かと連絡を取りながら周囲を見回して移動し、当然だがパトラ達とは違うホテルへと入って早々と消えてしまった。

 しかしあの男が出入りする場所なら確実に師団の息がかかった場所なので、とりあえずそのホテルをマークしておき、パトラ達のいるホテルとの距離と最短ルートも見極めてさすがに今夜はもう就寝。

 1泊するとはいえパトラ達がいつ動くかなどわからないので日が出るよりも早く起きておかないとだからな。

 そんなこんなで翌日。

 日の出よりも早く起きてパトラ達の動向を見張っていたオレは、日も出てようやく早朝と呼べる時間帯になった頃にワトソンにもう1度連絡を試みてみる。

 こちらには基本、電源を落としてる関係で折り返せないのでワトソンも着信には気づいているだろうがどうしようもなかったはず。

 だから寝ているかもしれず、また1人になれる時間も作りやすそうな時間帯を選んだが、どうにもこういうところではメーヤさんの武運は働いてくれないようでまたも繋がらず断念。

 

「次はまた夜になるか……それまで大人しくしてるなんて良い子ちゃんなら欧州戦線も苦労はないよな……」

 

 携帯の電源を落としながら、どうにも上手くいったりいかなかったりの繰り返しの現状に振り回されている自分がしんどく思いつつ、悠長に朝食でも食べてそうなパトラ達のちょっとした不幸を願い、買っていた食料にありつくのだった。

 ここからの動きのなさは酷いものだったが、一応は師団の勢力下のブリュッセルでは慎重になってるとも思えるパトラ達の動向。不自然なところは何もない。むしろ堂々と出てきたりしようものからそれこそ襲撃に行きますと言うようなものだ。

 だからこの状況はまだ良い方だと考えながら、ホテルへの人の出入りも注意して見ておき、顔や特徴も適当に記憶しておく。

 なんかこれくらいしかできない自分が情けないな……

 オレにもまだ他にやれそうなことがあるかもしれないとかなんとか割と真剣に考え始めた夕方頃。

 動きを見せなかったパトラ達がようやくその腰を上げてホテルから出てきたのを確認。したのだが、魔女連隊の手下達は間違いないが、その中にパトラの姿がなく、その代わりになんとジャンヌの姿があってビックリ。

 正直まさかとは思ったが、オレはこのホテルの人の出入りをあらかた見ていたし、バチカンがスパイとわかってる現状でジャンヌまでが裏切るとは思えなかったので、とりあえずまずはその動向を監視しておく。

 ホテルを出てすぐに車に乗って出ていった彼女達は、日も沈みかけてきたブリュッセルを少し走って、昨夜にマークしておいた師団のいるだろうホテルの前で一時停止してそこでジャンヌだけが降りて車はどこかへと行ってしまい、そのジャンヌは少しだけ周囲を見回しながらも堂々とそのホテルへと入っていってしまう。

 

「分岐か……どっちを張るべきか……」

 

 そこでオレはどちらを追うかで迷うが、ジャンヌの不審な行動はやはり気にはなったので見えなくなってしまった魔女連隊の乗った車はスルーしてホテルの張り込みを開始。これが吉と出るか凶と出るか。

 そこから約2時間ほど経過して、完全に日も落ちてしまった頃に、何やらバッグを持ったジャンヌが1人でホテルから出てきて尾行を開始しようとする。

 が、なんか違和感がある。

 それが何かを考えながら歩いていくジャンヌを観察してすぐに気づく。

 服装が違うのだ。ホテルに入っていった時と今の服装が全然違う。

 もちろん着替えた可能性もあるだろうが、この短時間でそんなことをする理由がパッと思いつかなかったため、とりあえず保留にしつつ目的地があるっぽいジャンヌを追っていくと、辿り着いたのはコインランドリー。

 なんか生活感のある場所に来たなぁとかなんとか思いながら中に入っていくジャンヌを見てから周囲にも何気なく目を向けてからビックリする。

 なんとそのコインランドリーの近くに追うのをやめた魔女連隊が乗った車が停車していたのだ。

 ――バンッ! バンッ! バンッ!

 それが意味するところを推理するよりも早く、ジャンヌの入ったコインランドリーからそんな乱暴にランドリーを閉める音が連続して響き、その異変に気づいて中の様子を見れば、頭の上に持っていたバッグを乗せて両手両足でランドリーを押さえるジャンヌと、その中から出ようとする魔女連隊の手下達という光景が飛び込んできて呆気に取られる。

 ランドリーは全部で6つあるようで、その全てにどうやら魔女連隊の手下が入っていたのか、ジャンヌが押さえることのできなかった2つから抜け出た2人がジャンヌに飛びついて拘束。それによって押さえられていた残りの4人も出てきて押し潰すようにジャンヌを捕らえてしまう。

 

「何してんだあれは……」

 

 端から見てるとどこかのコントみたいな攻防で呆然としてしまったが、これでなんとなく謎が解けたオレは気を失ったジャンヌを運ぶ魔女連隊を見ながら車を降りて、せっせと乗ってきた車に乗り込もうとしていたところで不意討ちで顔も見られることなく6人を気絶させる。やっぱ相性って大事だよな。

 路上で寝させるのは忍びなかったので、いちおう全員を車に入れてやってから気絶したジャンヌを担いで車へと戻って少し移動。

 適当なところで一旦停まって、助手席で気持ち良さそうに寝るジャンヌにデコピンして無理矢理起こしにかかると、デコピンを受けたジャンヌは「みゃっ!?」と奇声を上げて起きて反射的にオレに手刀を浴びせに来たので防御しつつ覚醒したジャンヌに声をかける。

 

「ちょっとぶりだな、リーダーさん」

 

「ん……なっ!? 京夜!? お前が何で……いや、それより私は確かコインランドリーで魔女連隊のやつらに……」

 

「拉致されそうになってたから助けてあげたオレに感謝の言葉は?」

 

 頭の回転が早いジャンヌは繰り出した手を戻しつつすぐに記憶を巻き戻して状況を把握しにいくが、それに合わせてその後のことを話したオレにムッとしてから「メルシー」とフランス語で嫌々の感謝を述べて落ち着きを取り戻す。

 

「今までどこで何をやってたか色々と聞きたいところではあるが、まずはどうして私が狙われたかを考えるべきか」

 

「それについてはなんとなくわかってる。この少し前に実は……」

 

 その落ち着きの中で状況を整理に入ったジャンヌの最初の疑問には推測が立っていたので話そうとしたところ、突然近くで不吉な爆発音が響いて2人して驚きつつ、それが自分達に関係することであるのは直感的にわかる。

 

「近いな。行くぞ京夜。話は移動しながらだ」

 

「了解」

 

 話もロクにさせてもらえない展開の早さにもう愚痴すら出てこなかったので、偉そうに命令するリーダーに従って車を走らせたオレは、本当に近かった爆発の現場に着いて思考。

 爆発したのはついさっきまでジャンヌがいたホテル。どうやら外部から何か爆発性の物でもぶつけられたのか火災が発生し壁が一部崩壊していて、消火活動が現在進行形で行われている。

 

「これは……眷属による襲撃と見ていいのか」

 

「そうだろうよ。お前らの居場所はスパイに筒抜けだしな」

 

「お前はそれを知っていて何もしなかったのか」

 

「今は下手に動けないんだよ。下手に動くと羽鳥の命の保証がない」

 

「フローレンスの? いや、それ含めて1度話し合うべきだ。消火する者の中にメーヤとワトソンがいる。まずは私の無事を知らせて……」

 

 車内からその光景を見ながらに会話をしてみるが、いまいちまだ状況を把握できていないジャンヌはすぐに車を出てオレからも見えていたメーヤさんとワトソンと合流しようとしたが、その手を押さえて止める。

 

「今は出ていかない方がいい。状況がますます面倒臭くなるかもしれない」

 

「どういうことだ京夜」

 

「たぶんだが、お前は嵌められてる。眷属の手によってな」

 

 行動を妨害されて不審に思ったはずのジャンヌだが、説明を省いたオレの推測に先ほどの自分への襲撃を思い出したのか車を出るのをやめて話を聞く気になってくれる。

 

「まず確認なんだが、コインランドリーに行く前にホテルを出たのはいつだ?」

 

「ん? 今朝方ブリュッセルに来てからすぐに中空知と島を帰らせてからはホテルを出ていない。時間的に言えば早朝からさっきまでということになる」

 

 話をする前に意図のあるオレの質問に素直に答えてくれたジャンヌの証言に嘘はないだろう。

 ブリュッセルに来たのが早朝というのもおそらくはキンジの捜索に乗り出して移動していたからと予測できる。

 

「それを踏まえて話すと、オレはジャンヌがホテルを出る前に外で魔女連隊と一緒にいるジャンヌを尾行してこのホテルを張り込んでいた。そこにお前がコインランドリーへと足を運んで今に至ってるんだが」

 

「何故いましがた襲撃を受けた私が魔女連隊と一緒に行動しなければならない。見間違いだろう。と言いたいところではあるが、なるほどな。その京夜が尾行してきたという私は誰かの変装。しかもそいつは今もあの騒ぎの中にいるかもしれなく、そこに私が出ていけば事態はややこしくなるというわけか」

 

「そうならないように本物のお前を拘束して拉致しようとしたところでオレが阻止した。つまり眷属はジャンヌになりすますつもりか、スパイとして嫌疑を持たせるつもりでいるわけだ」

 

 天然ではあるがバカではないリーダーも冷静なら素晴らしく頭の回転が早いので皆まで言うことなく状況を理解してくれて助かる。

 その見極めが済むまではオレもジャンヌも出ていくのは得策ではないので、しばらく周囲を観察してみることにして、積んでいた適当なカツラをジャンヌに被せて簡易の変装をさせてうかがっていると、どこかへと行っていたのかキンジが負傷でもしてそうな感じで戻ってきてワトソンとメーヤさんと合流。

 そのまま少し会話をしてから逃げるように移動を開始したキンジ達に合わせてオレ達も移動していった先は高級住宅街の一角で、そこにあった何かの組合の建物の中へと入られてしまいまた待ちぼうけとなる。

 

「ここまで偽物ジャンヌの気配はなしか。ジャンヌはこの隠れ家に覚えは?」

 

「さぁな。おそらくはリバティー・メイソンの息がかかった場所だろうが、私には知らされていない」

 

「そうなると偽物はスパイの嫌疑をかけて消えたか」

 

「私を嵌めてどうしようというのか……」

 

「そうなるとまた困った事態になるんだよなぁ……」

 

 その隠れ家について知らなかったというジャンヌがここにいる可能性は限りなく低いので、偽物はスパイの嫌疑をジャンヌにかけたと断定したのだが、そうなると羽鳥の扱いがまたわからなくなってしまって頭を抱える。

 おそらくは羽鳥にスパイの嫌疑をかけるのが難しいと思ったバチカンがどうにかしようと眷属を動かした結果がこれなんだろうが、こうなるとオレの持つ証拠を出すタイミングがないかもしれない。

 

「おい京夜。話せる時に話すべきだと思うから回りくどいことはしないが、今まで何をしていた? ガルニエ宮でコンタクトしてきた時のメッセージから察するに目的を持って動いているのはわかっていたが」

 

「実は羽鳥と一緒に師団にいるスパイの正体を暴いていた。ついでに魔女連隊の武器庫の捜索もしていたが、そっちはお前らが何とかしただろ」

 

「それはまぁ確かになんとかしたが、そのフローレンスと今は一緒にいないということは、別行動か或いは……」

 

「残念ながら悪い方向だな。どこにいるかもわからん」

 

 どうしたものかと考えを巡らせていると、いきなりの合流でタイミングを逃していた話をするジャンヌに正直に話せば、ふむと少し思考してからまた口を開く。

 

「そうなったということは、お前達はスパイの正体に辿り着いたのだろう。そして口封じのためにフローレンスは拘束されたか殺されたと見ていいな」

 

「あんまり考えたくないが、ジャンヌをスパイの嫌疑にかけたなら、殺された可能性も考慮しないとダメっぽいな」

 

「実は私も師団にいるスパイについては色々と考えていたのだが、面倒だ。先に答えを言ってくれ」

 

「バチカン」

 

 オレと同じ見解に至ったジャンヌが答え合わせを求めてきたので、証拠となるボイスレコーダーを渡しつつスパイの正体を言えば、そのボイスレコーダーを再生して聞き終わってから納得したように背もたれに体重を預ける。

 

「なるほど。これでフローレンスが拘束されていた場合、スパイの冤罪を着せられて師団に差し出される可能性が高かったが、その標的になったのが私になってしまったから問題が深刻化したわけか」

 

「一応はワトソンにこの話はしてあるから、向こうではまだ知らない体でいてくれてるはず。ジャンヌにも話してないところをみるに、まだ情報を開示する人も選んでるところといった感じだろうが、リバティー・メイソンとしてジャンヌを疑ってることはないと楽観視していい。つまり欧州の師団でジャンヌのミスリードに本気で引っ掛かるやつはいない」

 

「だがそれをわかっていてノコノコと出ていけば、まだ生死のわからないフローレンスを助けられる可能性とタイミングを逃すというわけか」

 

「悪いがジャンヌもこれから先は日陰者になるな」

 

 ズバズバとストレートな会話ばかりだったが、全てを知って師団の戦線から外されながらもジャンヌはフフッ、と薄く笑うと、オレを見て不敵な笑みを作る。

 

「別に構わない。何故ならこれからはお前が私のそばにいてくれるのだろう。本音を言えば、お前がそばにいないこの数日は少々、不安と寂しさが拭い切れなかったが、それがなくなってすっかり安心してしまっている。だからこれからは私を守ってくれ、京夜。私もその働きに見合うだけの仕事はする」

 

 その笑顔の理由を恥じらいもなく言ってのけたジャンヌに、オレはちょっと返事に困ってしまった。

 恥ずかしいわ!

 そこまでの信頼をするジャンヌの視線から1度は外れて顔を掻くものの、何か言わないとダメな気がしたのですぐに視線を戻して口を開いた。

 

「わかった。これから何があろうとジャンヌを守……」

 

 と、言い切る直前で突然ジャンヌがその視線を前へと向けてしまったので、不自然な動作にオレも言葉を切って前を向くと、キンジ達が入っていった出入り口からキンジが1人で出てきて走り去っていく姿を確認。

 

「中で何があったと思う?」

 

「あまり良くないことだろうな。この状況で土地勘も何もないキンジが1人で行動するなんて不自然すぎる。オレならそんな状況になるならなりふり構わずに逃げる時の最終手段」

 

「同感だ。追うか?」

 

「それがいいのかもしれないが……ワトソンがいて収まりがつかなかった案件ってのが気になるな」

 

 そのキンジの姿がどうにも逃げるような行動に見えたので揃って同じ見解に辿り着くものの、追うべきと思ってるだろうジャンヌに反してオレはこの場に留まる選択も半々で存在したので、最悪ジャンケンでもして決めようかと提案しかけたが、その前に遅れて出入り口から出てきたワトソン達の中に探していた人がいたので、ジャンケンは中断だ。

 

「ジャンヌ。キンジはとりあえず放置だ」

 

「何? その理由は」

 

「羽鳥と最後にコンタクトした相手があそこにいる。バチカンの祓魔司教とか言ってた、ローレッタさんだ」

 

 思いもしなかったパトラとの遭遇から流されていった状況だったが、道を外れたと思っても意外なところで本来の道筋に戻れるものなのだと人生の深さみたいなものに触れて思わず笑みがこぼれてしまったが、オレの言葉を聞いたジャンヌもほほう、と怪しい笑みを浮かべて反論してこなかったので、納得してくれたようだ。

 

「では案内してもらうとしようか」

 

「ああ。羽鳥のいる場所に、な」



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Bullet108.5

 

 京夜先輩が修学旅行Ⅱの補習で欧州に旅立って数日。

 未だにうんとも寸とも連絡がなく、いつ帰ってくるかもわからない状況ですが、別に義務でもないので私の勝手なモヤモヤなわけで……

 先日。年越し前に幸帆さんのせいで京夜先輩への気持ちに気付いてしまってから、どことなく戦妹としてではなくて女として見てもらいたい私が見え隠れしててなんだかなぁと思う。

 このモヤモヤもなんというか、戦妹への報告としてではなくて究極的には京夜先輩があっちでどうしてるのか気になってるからでしょうし、残り3ヶ月を切った徒友契約から来る焦り、もあるのかもしれませんね。

 

「どおりゃー!」

 

「あっ! それはズルいです理子先輩!」

 

「ズルじゃないもーん! システムが認めたテクニックです!」

 

「世の中には暗黙の了解という言葉がありますから!」

 

「ルールに縛られていたら、可能性という未来を失うことになるんだよ、ほっちゃん……」

 

「カッコつけてもダメですよ」

 

 そうした私のモヤモヤを同じように感じていそうな理子先輩と幸帆さんは、放課後となった時間に一緒に部屋に戻ってくるなりテレビゲームを始めて、仲が良いのか悪いのか仲間同士でポイントを競うシューティングゲームで対戦中。

 何やら理子先輩が幸帆さんが弱らせた敵を横取りしてポイントを掠め取るズル賢い戦術をしていて、被弾も増える幸帆さんの影に隠れてやってるのがわかって苦笑。こういうゲームを理子先輩とやったら宿命だよね。

 

「はい理子りんの完全勝利っ! 負けたほっちゃんは1枚脱ぎ脱ぎねっ!」

 

「そんな約束した覚えがありませんが!?」

 

「まーまー、そんな堅いこと言わなさんな。よいではないかー、よいではないかー」

 

「ひっ! た、助けて小鳥さん!」

 

「ぎゃっ! 飛び火したよぉ!」

 

 その様子をリビングのソファーに座って見学していたら、決着してすぐに嫌な笑みを浮かべながら幸帆さんを追い詰めた理子先輩は、私の後ろに隠れた幸帆さんごと押し倒して胸やらお尻やらを揉んでくる。酷い……

 ――ピンポーン。

 その理子先輩の暴走を止めるように誰かによって部屋のチャイムが鳴らされると、見当もつかなかった私とは違ってピタリとその手を止めてくれた理子先輩がルンルンとスキップ混じりで応対していって、魔の手から解放された私と幸帆さんは着崩れた制服を戻しながらリビングに戻ってきた理子先輩と来訪者に目を向ける。

 

「お邪魔しまーす」

 

「存分にくつろぎたまえよ」

 

「それを理子先輩が言うんですか」

 

「家主不在でフリーダムな部屋に……」

 

 その来訪者、貴希さんは両手に袋一杯のお菓子を持ってリビングに腰を下ろすも、我が物顔な理子先輩が仕切ってる辺りに違和感があります。ここは京夜先輩のお部屋ですから。

 

「でもお菓子なんて持ってどうしたの?」

 

「ああ、理子先輩が今夜はオールでお菓子でパーティーだー! って誘ってきたからその買い出し頼まれてたんだぁ」

 

「あれ、聞いてない……」

 

「言ってないからねぇ」

 

「もしかして私達も参加するんですか?」

 

「もちのろん! あっ、夜にはもう1人参加予定なんで3人とも仲良くしてねぇ」

 

 ツッコミどころ満載の理子先輩はとりあえず無視して貴希さんの来訪について問うと、ちょっとテンション高めな貴希さんは理子先輩を見ながらに即答。

 私も幸帆さんもただ単に遊びに来ただけだと思ってただけに強制参加らしいそれには苦笑しかなかったけど、この部屋でやるっぽいので私はもう参加せざるを得ないし、のらりくらりと帰ろうとした幸帆さんの制服の袖をギュッと掴んで引き止める。逃がしはしない……

 私の道連れを受けた幸帆さんも諦めて参加を認めてから、まぁ流れで夕食となったので、逃げるようにゲームに走った理子先輩と貴希さんを余所にパパッと作って4人での賑やかな夕食を終えて、パーティーの前にやっちゃうことはやろうとお風呂にも入るのですが、4人で一緒に入るには無理がある浴室の関係上、1年生組に遠慮したのか理子先輩は寝室の上下扉で下の階へと降りると、どうやら下の階でも家主を無視して入り浸っていたらしいアリア先輩や白雪先輩がいたのか、悲鳴と共にお2人を連れて洗面所に突撃していったようだった。

 

「きょ……胸囲の格差社会が辛すぎる……」

 

「胸も個性だって小鳥」

 

「そうですよ。胸の大きさで女の価値は決まりませんから!」

 

 悪さすることに定評のある理子先輩がいない安全なお風呂に入れたのは良かったけど、今度は見せつけられるスタイルの格差に絶望を叩きつけられるというハードパンチが待っていて、2人とも隠すこともなく慰めにくるけど、それは持つ者の言える台詞……持たざる者には慰めにならないのだ。

 

「ふんだっ。来年くらいには2人の間くらいには成長するんだからねっ!」

 

「そ、その意気ですよ小鳥さん! ねっ、貴希さん」

 

「んー、私、スタイルには自信あったんだけど、幸帆の方がこっちは大きいね」

 

「ひゃうんっ!」

 

 とはいえ慰めようとしてくれた2人の良心は汲みつつそういった宣言をして自分にプレッシャーを与えていくスタンスに切り替えると、貴希さんがまじまじと幸帆さんの胸を見てワシャッと鷲掴みしてちょっと揉んだので、幸帆さんも艶やかな声を上げてしまう。

 

「これはバストアップの体操か何かやるべきかなぁ。あっ、ちょっと小鳥。こっち来て」

 

「はい? なんです、か!?」

 

 貴希さんの奇襲にへなへなと座り込んでしまった幸帆さんを余所に私へと声をかけてちょっと近寄った瞬間。

 瞬時に前から抱きつくクリンチに持ち込んだ貴希さんは後ろに回したその両手で私のお尻をグワシッ! と持ち上げるように掴んですぐに離れるけど、理子先輩と大差ないその横暴さに幸帆さんと一緒に戦慄する。

 

「そっちは私より大きいよ、小鳥は」

 

「む、むむぅ!! それはお尻がおっきいって言ってるだけじゃないですかぁ!! 全然嬉しくないですぅ!」

 

「まぁまぁ落ち着いて小鳥。お尻が大きいってことは小鳥は安産型ってことでしょ。将来安泰じゃんっ。元気な赤ちゃん産めるよっ」

 

「確かに子孫繁栄でこれほど安心できる要素はない気も……」

 

「ゆーきーほーちゃーんー」

 

「ご、ごめんなさい出来心で……」

 

「2人とも許さないんだからぁ!」

 

「「キャー!」」

 

 その横暴さから繰り出されたデカ尻発言にはさすがの私もプンプン。なのに幸帆さんまで悪ノリしてきたので怒りは頂点有頂天!

 もう本当に失礼な2人にはお仕置きとして胸のお裾分けをしてもらうのでした。本当におっきいなぁもう!!

 結局のところ理子先輩がいるのと大差ないだろうお風呂を上がった私達は、先にリビングに戻って髪を乾かしていた理子先輩に合わせて飲み物やらの準備を始めると、髪を乾かしながらにノートパソコンをいじるという器用なことをしていた理子先輩は、どこかへと繋いだらしいそのノートパソコンに確認のための声がけをすると、そのノートパソコンから『見えますし聞こえますよ』と返事が来て、それが気になった私達が一斉にそのノートパソコンの画面を見る。

 するとそこにはひと目見ただけで美人とわかる東洋人女性が笑顔を向けて手を振る画面があり、遠くにいる誰かと映像通信をしていることがわかった。誰だろう……

 

「ほい蘭ちん自己紹介っ」

 

『お初にお目にかかります。私は劉蘭といいます。中国人ですが日本語を嗜んでいますのでどうぞ皆様、お気兼ねなく接してくだされば嬉しいです』

 

「「「こ、こちらこそよろしくお願いします……」」」

 

 その女性が映るノートパソコンをテーブルの端っこに置いて、なるべく多くのものが見えるようにした理子先輩に促されて自己紹介をしてくれた劉蘭さんに、3人してぎこちない返事をしてしまい、それには劉蘭さんがクスクス笑い、理子先輩も「これだから日本人は」みたいなやれやれ顔を披露。

 そのあとにちゃんとこっちも自己紹介をしてとりあえず今回のオールナイトのお菓子パーティーとやらの参加者が揃ったようなので、みんな揃ってノートパソコンのカメラが捉えられる位置に陣取ってからパーティー開始。

 

「理子先輩、それで今回のこの人選はどういった意図があるんですか?」

 

「あ、それ私も気になってました」

 

「私もー」

 

 とはいえこの唐突なお菓子パーティーにお呼ばれした人の選別基準がいまいちわからなかったので、開口一番に幸帆さんが謎解きに動いてくれて、私も貴希さんも便乗すると、早速お菓子の袋を開けた理子先輩はえっ? とわかってなかったのみたいな顔をして私達を見る。えっ? わからないのが普通だと思うんですけど……

 

「いやいや、蘭ちんは除くとしても、この面子で共通の話題って1つしかないでしょ」

 

『まぁ、理子様はちゃんとお話になってないのですか? そういうことは事前に話すのがマナーですよ?』

 

「蘭ちんかたいー。こういうのはノリでいいんだよぉ」

 

『何事にも了承は必要という話をしているんですよ』

 

 そうした適当さの見える理子先輩とは裏腹にちゃんとしてそうな劉蘭さんが漫才みたいな言い合いをするので、仲の良さそうなお2人の様子をただ見るしかできない私達の雰囲気をいち早く察して言い合いをやめて咳払いをする劉蘭さん。

 

『理子様がいい加減なので私からお話しします。この度の夜会は皆様がその思いを寄せているお相手、猿飛京夜様についてを見つめ直す会、という主旨のもとで開催されております』

 

「へっ?」

 

「京様について?」

 

「見つめ直す? ってゆーかそれなら私はフラれた身なんですけど……っ!」

 

 それで改めてこのお菓子パーティーの主旨を話してくれたわけですが、予想もしてなかった京夜先輩のことを話す会とかで3人して呆気に取られるものの、貴希さんがそんな爆弾をポロッと投下するのでみんなして貴希さんを見てしまう。

 

「だいじょぶだいじょぶ! 理子も蘭ちんもフラれてるから問題ないって」

 

「えっ、貴希さんいつの間に京様に告白なんて……その辺を詳しく」

 

「あれ、それ私も聞いてないんじゃないかな」

 

「だってフラれた話なんて自分からしたくないし……って、私はもう京夜先輩とは普通の先輩後輩であって……」

 

「とかなんとか言ってさー、知ってんだからねぇ。最近バイクのレンタルの割引とか言ってタンデムデートしちゃってるんでしょ? 未練たらたらだろ? ええ?」

 

「違っ!? それは純粋に……」

 

『純粋に京夜様とデートがしたかったんですね』

 

 その貴希さんを畳み掛ける私達にたじたじな感じで後ずさりするも、崩れた正座からガックリと顔を伏せてしまう。

 

「ああもう! そうですよ! まだ京夜先輩のことが好きですよ! これで満足ですか!」

 

「うおっ、開き直ったよ」

 

『自分に正直になるのは素敵ですよ』

 

「もうやだこの会……」

 

 そこからいきなりガバッと顔を上げて独白した貴希さんは、もう目に涙を浮かべてこれから始まる夜会ですでに手負いの状態にさせられてしまった。

 

「あれ、サラッといきましたけど、理子先輩も劉蘭さんも京夜先輩に告白したんですね」

 

貴希さんが撃沈してひと笑いが起きてから、冷静にさっき流された言葉を拾った私が理子先輩と劉蘭さんを見れば、あはは、と笑いつつ2人して言葉を分けて口を開く。

 

「まぁフラれたって言ってもキョーやんに武偵高にいる間は誰とも付き合わないって宣言されただけだし」

 

『明確に誰かを選んだわけではないですから、まだまだ大丈夫ということです』

 

「なるほど。それならば今のうちにアタックして好感度を上げておくのが得策というわけですね」

 

「ああ、そのための京夜先輩を見直す会ですか」

 

「そゆこと! やっぱ好きな人はちゃんと評価したいもんね」

 

『私ももっと京夜様のことを知りたいので、皆様よろしくお願いしますね』

 

 実際のところお2人がどこでそんなことを言われたのかは……って、劉蘭さんが中国人ってことはこの間の修学旅行Ⅱの時か……

 とにかくそういう理由で京夜先輩が卒業までは誰ともお付き合いはしないと知って、幸帆さんはホッとしつつも気を引き締めて、貴希さんはふむ、と何やら思考を巡らせ、私はといえば何だからしいなと思いつつも安心してるんだよね……これもう絶対に恋しちゃってるなぁ……

 というよりもこの夜会に招かれてる時点で理子先輩にはお見通しってわけだよね。なんだろう、私ってわかりやすいのかな。

 とかなんとか考えていたらそれぞれが好きなお菓子を開けてスタンバイを終えていたので、私も遅れてお菓子を開けて準備を整えると、今回の主催、理子先輩が「さてっ!」と改まって口を開いて、京夜先輩との今後を占う怪しい夜会がスタートした。

 

「じゃあまずはい、ほっちゃんスタンダップ!」

 

「えっ? あ、はい」

 

 開始早々で理子先輩はいきなり幸帆さんを立たせて何やらちょっと手を加えると、その幸帆さんを見る形で私達も座り直す。

 

「あの、これは?」

 

「いやね、まずはキョーやんの初恋であるゆきゆきから好みのタイプの分析でもと思って」

 

『幸音様の妹君なだけあり、とても参考になりますね』

 

「あまり嬉しくないですが、これは分析ですから割り切りましょう。さぁどうぞ!」

 

 幸音さんにまだ劣等感みたいなものがある幸帆さんは似ていることに不満はあるようですが、言葉で割り切ると示して自分を見るように胸を張り、それを私達でじっと見る。

 

「まずロングヘアーは外せないよねぇ。理子クリアー」

 

『そ、それは関係ないのではないでしょうか。私とデ、デートしてくださった時は服装を褒めてくださいましたし、ス、スタイルなどが重要なのでは?』

 

「幸帆は少し胸が大きいけど、幸音さんってそこまでボンッキュッボンッではなかったですよ?」

 

「ここでまさかのロリコン疑惑か……そいえば昔にあややに告ってたのもあながち冗談じゃ……」

 

『確かに狙姐といる時にも嫌そうには……』

 

 そこから繰り出される京夜先輩の好みの女性議論は酷いもので、理子先輩からのロリコン疑惑なんて完全に妄想の域ですよ。いないのを良いことに言いたい放題。可哀想になってくる。

 

「というか今は別に京夜先輩の好みの女性像を考えることは重要ではない気がしますが……」

 

 なのでなんとなく流れで乗ってたけど、そもそも今回の夜会が京夜先輩について見つめ直す意味合いならとそもそも論を語ると、4人して「だよねぇ」と正論と思ったのか反論はなし。幸帆さんも座り直して会話は再開される。

 

「んじゃまずはキョーやんの1番好きなところを1人ずつ言ってみよっか。そっからあーだこーだ討論だ!」

 

『では僭越ながら私から。京夜様はとても聡いお方で周りへの気配りがよくなされています』

 

「その割には自分への好意には鈍感でイラッとするけどねぇ」

 

「えっ? でも京夜先輩がいるだけで喧嘩する気を削がれるっていうのはわかりますよ。私、京夜先輩の前で喧嘩とか出来ないですもん」

 

「それは京様にそういう姿を見られたくないからではないかと……」

 

「んー、そういうの抜きにしても喧嘩が本格化する前にどうにか仲裁したりとかはしてくれる印象ですね。どうにもならない時は我先に消えるのがあれですが……」

 

「あーそれわかるー! キョーやん面倒になると然り気なくフェードアウトしてくぅ! ことりんよく見てるぅ! さすがキョーやんの今戦妹(いまアミ)だよぉ!」

 

 改めて京夜先輩のどこ辺に惹かれるのかを劉蘭さん発信でようやくまともに議論がなされてあーだこーだ言う理子先輩達は楽しそう。それだけで皆さんが本当に京夜先輩のことを好きなんだなとわかってホッコリする反面、私の中での京夜先輩の1番って何なんだろうとちょっと頭を悩ませもする。

 きっとこういうことで真っ先に思い浮かぶ劉蘭さんみたいな人は純粋にその人のことを見てるんだろうなと思う。

 

「私はなんというか漠然としていますが、一緒にいて不思議と心が暖かくなる。それが京様の良いところだと思うんです」

 

『私は隣にいられるとまだ身体中が熱くなって頭が沸騰してしまうのでダメですね……』

 

「香港で会った時はそんな風には見えなかったけどねぇ。ってゆーかキョーやんは相づちが多いんですぅ。話し相手としては落第点っ」

 

「それは理子先輩がマシンガントークとかするからですよね……」

 

「違いますー。キョーやんいっつも話し半分で『へぇ』『ふーん』『ほぅ』の3パターンをループするし!」

 

「それは本当に話に興味がない時の反応ではないかと……」

 

 続けて幸帆さんが投下した話題にも食い付きの良い皆さんの意見が飛び交うも、なんか理子先輩はさっきから結構なディスりようであれ? とは思うけど、誰もそこにはツッコまないから私も流しておく。

 

「私はいざって時に頼りになるところがいいなって思います。普段がやる気ないからあれですけど、頼られたら頑張っちゃうタイプっていうか」

 

『メリハリがちゃんと出来るということですよね』

 

「やるからには手抜きをしないってこともプラスしていただければ幸いです」

 

「逆に言えば人に頼られないと何もしないってことだよね。人はそれをニート予備軍と呼ぶ」

 

「そうなる以前に生活力を落とすような人でもないと思いますけど……」

 

 もう吹っ切れてしまった貴希さんもあれ以上の羞恥はないとばかりに堂々と京夜先輩のことを語り、ほとんど賛同かと思ったらまたも理子先輩はマイナスなことを言う。なんか無理して粗探ししてるみたいに見えてきた。

 

「じゃあはい、ことりんの番っ」

 

 その理子先輩にやんわりとツッコみつつでそういう役目なのかなぁと悟り出した時に理子先輩が振ってきたのでちょっとテンパってしまう。

 えっと……えっと……みんな見てるよぉ……

 

「わ、私は……京夜先輩は、1人にしたらダメな人、だと思うんです」

 

「ほほぅ、その心は」

 

「なんといいますか、京夜先輩はその気になれば別に1人でも困るような状況というのがない人で、そういう人って放っておくといつかは人との関わりが薄くなるっていうか……って、何が言いたいのやらですみません……」

 

『つまり小鳥様は京夜様の放っておけないところに惹かれた、ということでしょうかね』

 

「なんとなくわかる気がします。京様はある種のカリスマ性で周りに自然と人が集まってしまいますが、京様自身から誰かと積極的に関わろうとすることはあまりない気がします」

 

「きっと皆さん、京夜先輩がそういう人だって本能的にわかってしまうんでしょうね。だからそこに母性ってゆーか、あれな感じが」

 

「繋がりを失いたくないから繋がろうとする……必死なのは理子達っていう事実を突きつけられた感じ」

 

「うぐっ、すみません……」

 

 それでなんとか言葉にして出たのが思いの外に皆さんの心に突き刺さったのか、ちょっとしんみりとした雰囲気になってしまって、私も困るけど、いち早く察した劉蘭さんが「それは1つの事実として受け止めて」と脇に置くジェスチャーで進めてくれる。圧倒的感謝。

 

『理子様のご意見を聞きたく思います。思い返せば理子様はことあるごとに京夜様をご非難されていましたし、ご自慢があるのでしょう?』

 

「そうですそうです! 理子先輩ずっとディスってましたもんっ」

 

「私も少々気になってました」

 

「あっ、やっぱり皆さん気にしてたんですね。てっきり私だけなのかと」

 

 と、皆さん切り替えるように今度は散々なことを言ってきた理子先輩を一斉に見て促すと、メチャクチャ照れながらの理子先輩は体をクネクネさせて口を開いた。なんだかイラッとしますね。先輩ですけど。

 

「理子は……そういう人としてダメなところとか直してほしいところとかいっぱい見て知って、そんなダメなところをひっくるめて好きになれるのが良いのかなぁって」

 

 ………………これはあれですね。

 

『その回答はアウトです』

 

「…………やっぱりダメかー! たっはー!」

 

 そうやって全員を出汁に使って最後に全部持っていこうとした理子先輩の思惑に全員が気づいて口を揃えてツッコむと、丸く収まるとは毛ほども思ってなかったのか大笑いする理子先輩を一斉にくすぐってやるのだった。

 そのあとはまぁ普通に女子会みたいなノリでお喋りして、本当にオールナイトになったのは見事に翌日へと響いてしまうのでした。



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Bullet109

 魔女連隊とコントのような攻防をして拉致されそうになっていたジャンヌを拾って、眷属の起こした騒ぎによって混沌としたブリュッセルに潜んで一時避難した師団のワトソン達を尾行して張り込みしていたところ、逃げるように隠れ家から出ていったキンジと、それを追うように出てきたワトソン達を見て方針を決定。

 ワトソン、メーヤさんと一緒に出てきた人の中に羽鳥とコンタクトしたバチカンの祓魔司教、ローレッタさんがいて、各々で携帯を取り出して逃げたっぽいキンジを捕捉するための包囲網を張ってるだろうワトソン達をただ見守るように十字を切って天に祈りを捧げている。

 

「京夜、運転を代わってくれ」

 

 このあとどう動くかを注視していたオレを余所に車を物色していたジャンヌは、何か見つけたのか被っていたカツラを別のものに被り直してそんなことを言うので首を傾げる。

 

「あまりツッコむことではないとは思ったが、お前は免許を持ってないだろ」

 

「今さらだなそれ……もう何十キロ走ったと思ってる」

 

「走行距離などさして問題ではない。だが代わった方が良いぞ。それともお前がこうなるか?」

 

 何を今さら無免許を指摘するのかと思ったのだが、言いながらにオレに免許証を見せてきたジャンヌが持つそれには、明らかに女性の顔写真で登録――おそらくは偽物だろう――がされていたので苦い顔をする。

 

「代わるのはいいが、何でこのタイミングなんだよ」

 

「見るに遠山が悪い方向で逃走してしまっている。さらに先刻の眷属による襲撃によって街の警戒は引き上げられてしまってるだろう。この2つが重なればまず間違いなく検問が敷かれる。その時になって身元不明のお前が検問に引っかかるのは目に見えている」

 

 ぐっ……こういう時にジャンヌに遅れを取ると悔しい。

 だが天然ジャンヌさんがリーダーに相応しい能力を持ってることを改めて確認できてちょっと安心。最近はポンコツ具合が目立ってたから仕方ないんだ。

 

「了解。緊急時だと頼りになる」

 

「それでは私が普段は頼りにならないように聞こえるのだが?」

 

「そう言ったつもりだが?」

 

 そんなジャンヌでも先を見越して動けているのに、オレがそれを出来ていなかったのは失敗だったので、妙に張り切りすぎていた緊張の糸を緩めて冗談っぽくジャンヌに余計なことを言ってシートを倒し後部座席にスライドすると、頬を膨らませて運転席から抜け切る前のオレの足を持ち上げてバランスを崩して後部座席に雪崩れ込む形にされ、空いた運転席にジャンヌはシートを戻しつつスライド移動を完了させる。

 こういう反応も、有りかもしれん。可愛い。

 

「……一応の確認なんだが、ジャンヌの荷物とかは回収しなくていいのか」

 

 からかったのはちょっと反省しつつ、ジャンヌの空けた助手席に座り直したオレは、可哀想だが洗濯物しかないジャンヌの貧相な装備を危惧してそんな質問をすると、うむと少し思考したジャンヌは判断に迷いを生じさせる。

 

「回収、とは言うが、あのホテルは今は騒ぎの中心。誰にも悟られずに中に入るのはまず無理だろう。せめてデュランダルは懐に収めておきたいところだが……」

 

「……ならオレが回収してくる。部屋の番号教えろ。あと羽鳥の携帯持っておけ」

 

「それはいいのだが……そばにいると言っていきなり離れようとするのは私に対する嫌がらせか?」

 

「さっきの仕返しみたいなことするなよ。すぐ戻ってくるから。約束する」

 

 その迷いは至極当然のものだったので、自分では出来ないと判断していたジャンヌに代わってオレがやると言えば、オレなら出来ると思ったのか反論もなく可愛い仕返しがきたので、ちょっと困った顔をしつつ指切りしてから車を降りて元来た道を戻ってさっきのホテルへと足を運ぶ。

 当たり前ながら時間が経過したとはいえ、まだ人や警察や消防で落ち着きのない現場は相当に賑やかで多少変な行動をしていても意識が散漫になってる今ならすり抜けられそうだ。

 その現場の雰囲気を感じてからジャンヌに教えられた部屋の位置を外から確認。今なら客も避難済みだろうし、壁もぶっ壊されてるから窓の1つや2つぶっ壊れてても誰も気にしないだろ。

 というわけで中からは100%無理なので、壁をよじ登ってジャンヌのいた部屋の窓までさっさと到達。

 ミズチがないのでちょっと面倒だったが、便利さに慣れると人間ダメになるって言うし、ありがたさを噛み締める良い機会と割り切ってそこから便利品その2の単分子振動刀で窓の枠を壊して枠ごと中へと侵入。

 下手に音を立てると目撃者が出る可能性が上がるしな。ガラスの割れる音ってのは想像するよりうるさい。

 

「さて、デュランダルと……適当に持っていけるもの……」

 

 とりあえず中には入れたのですぐに見つかったデュランダルをまず回収しつつ、置きっぱなしだったジャンヌの荷物らしきものを発見したので一応、中身を確認。

 よし、この下着のサイズはジャンヌだろう。相部屋はメーヤさんだって言ってたし間違いない!

 とかなんとか失礼なことを思いつつも確認のために、確認のために! やむなく取り出した下着を戻しつつ、パスポートやらもあったのでそれらをバッグに詰めて撤収。デュランダルが非常に邪魔だが、持って帰らないと人間樹氷にされるので外で持っても怪しまれないようにシーツでくるんで肩に担き、それにバッグを引っかけてホテルを脱出。

 十分な警戒はしつつで携帯を取り出して歩きながらジャンヌに連絡すると、向こうも移動をしそうな雰囲気らしいので通話を切って全力で車まで戻る。割と重労働だなこれ……

 そうして全力でジャンヌの乗る車に戻ったオレがちょっと乱れた呼吸を整えつつ、持ってきたデュランダルとバッグを後部座席に放ると、中を見たかと恥ずかしそうに問うジャンヌにグーサインをして頭を殴られるコントをやったら、丁度よく隠れ家の前に車が停まり、それを待っていたっぽいローレッタさんがメーヤさんやワトソンに見送られて発進。

 

「では行くとするか、京夜」

 

「怪しまれないようにな」

 

 どうにかローレッタさんの移動前にやれることはやって車を発進させたオレ達は、夜中ということもあってかなり警戒して遠巻きにローレッタさんの乗る車を追跡。

 ブリュッセルを北に抜けるような道のりを行く車は、やはりジャンヌが睨んだ通りにいくつも敷かれていた検問の1つで一時停止。

 向こうは別に引っかかるようなこともないだろうが、こっちはヒヤヒヤ。何か1つでも不審な物や行動があれば足止め。最悪検挙の流れもあり得る。

 

「そう緊張するな。ここを抜ければ楽なのだ」

 

「そりゃ理屈ではな」

 

 その検問を待つ間に表情が強張っていたのか、オレにリラックスした状態のジャンヌが話しかけてくれたので、ありがたく思いつつ深呼吸をして力を抜く。

 だがこれも言うは易しである。

 ここが日本ならオレもここまで緊張はしない。だが右も左もわからない海外でとなると不安は尽きない。

 一応は検問をスムーズに抜けるための打ち合わせはしておいたので、オレ達の番になる少し前に毛布を羽織ってオレは眠ってる体を装い、そのまま検問に突入。

 ベルギーの常用語はフランス語かオランダ語なのだが、地区などによってどちら一方とか、一部ではドイツ語が使われるが、首都ブリュッセルでは問題はないらしく、フランス語で流暢に話すジャンヌは打ち合わせ通りに寝ているオレの説明を「不眠症なので睡眠導入剤で寝ている」と話して深い言及を避ける形で切り抜けようとする。

 一応は武偵という旨もあえて伝えることで積んでいるデュランダルなどの武器も怪しまれないようにはできたが、偽造免許各種を積んでた羽鳥に感謝だぞこれ。

 それらの偽造された身分を見せながら余裕の表情をしてるだろうジャンヌは、少し先を行ってしまったローレッタさん達を見失う可能性がある中でよくやってくれてる。

 そのジャンヌの度胸が実を結び、検問もすんなりオレ達を通してくれて大助かり。拘束時間にして3分もかかってないから上出来すぎる。

 

「ロスした時間を取り戻す。少し荒くなるが許せ」

 

「飛ばしすぎると変なところで捕まるから、気を付けろよ」

 

 検問を抜けてブリュッセルを北に走って抜けるとすぐにジャンヌはギアを上げて了承もなしにスピードを上げて離された車に追い付こうとするのだが、夜にこのスピードはちょっと怖い。まぁ香港でしたあのカーチェイスよりは全然マシだがな。

 そんな荒さのあるジャンヌの運転でものの数分でローレッタさんの乗る車に追い付き、視界に捉えたところで尾行に切り替えたが、どうやらこのままベルギーを越えてその北にあるオランダに入るような気配がある。

 この進路から到達場所が本土に当たるイタリア国内のバチカンはないので、もしもバチカンに羽鳥がいた場合は大きなロスになるが、戦役においてバチカンから一任されてそうなローレッタさんの目の届く範囲に羽鳥がいる可能性は高い。

 まぁそう信じるしか今はないのだが、そこに辿り着くと楽観しつつも、橘夫妻との合流の時間も逆算してパリに戻れる算段もしておく。と言ってももうオランダくらいまでしか行けないな。頼むからオランダより北に行かないでくれ。

 そんな願いが通じたかはわからないが、ベルギーからオランダ国内に入ってからは東に進路を取ることもなく――そっち方面に行くとドイツとかに行く可能性があった――北上を続けて、3時間ほどノンストップで辿り着いたのはオランダで3本指くらいに入るらしい都市、デン・ハーグ。

 なんでも首都とされるアムステルダムよりも重要な機関があるとかで事実上はここがオランダの首都と言っても差し支えないとかなんとかのジャンヌのウンチクが入ったが、そのデン・ハーグの中にあった教会の1つに入っていったローレッタさんは、その夜はそのまま出てくることもなかったので、オレ達も交代で睡眠を取って夜通しで張り込みをするのだった。

 いやぁ、羽鳥といた時はこんな睡眠が出来なかったから非常に、非常に楽だね。

 

「…………人の寝顔をまじまじ見る趣味はないが、これはこれで独占欲みたいのが湧く気持ちもわからんでもない……」

 

 翌朝。

 前日にキンジの救出作戦とかで昼夜が逆転して深夜帯に起きていたジャンヌと交代して数時間。

 動きもこれといってないので何気なく静かな寝息をたてるジャンヌの顔を見ていたら、なんだか変なことを考えてしまって雑念を払うように頭を振る。これもそれもジャンヌが美人で可愛いのが悪いんだ。こういう時は羽鳥が隣の方が余計なことを考えなくて良い。

 などとジャンヌと羽鳥を比較して意識を別のところへ持っていきつつで買い込んでいた食料に手をつけようとしたところで、ふとバックミラーに目が行きそれが示す後方に直接で目を向けると、なんかいた。

 

「…………すっげぇ……」

 

 その人はパートナーであるドーベルマンを隣に座らせて、その首から繋がったリードを持ったままオレが気づいたのに気づいて笑顔で手を振っていたが、それよりも何よりもいくつかの幸運でここまで来たオレ達とは違い、完全なる自力でここまで来ただろう英理さん達の実力を肌で感じて鳥肌が立ってしまった。

 

「まぁまぁ、京夜さんったらまたこんな綺麗な女の子を連れて、悪い人ねぇ」

 

「またそうやってからかうんですか……」

 

「嘘だ……この人が橘の母親だと!? 若いにもほどがある……」

 

 とりあえず合流の時を待たずして会えた英理さんが、こっちよりも大きい自分達の車に来るように示したので、寝ぼけたジャンヌを連れてそちらに移動しての第一声からのやり取りがこれである。

 そういえばジャンヌが小鳥の両親に会うのは初めてだったな、と他人事のように思いつつ現実にうちひしがれるジャンヌを放っておき、ここに2人が来ているという事実からの本題へと切り出す。

 

「英理さんと吉鷹さんがこちらにいるということは、ここ、デン・ハーグに羽鳥はいるんですか?」

 

「それはどうでしょうか。私達もこれからそちらの方を確認するところでしたので」

 

「……ん? 京夜、お前もしかしてこの2人にフローレンスを探させていたのか」

 

「ああ、言ってなかったっけ」

 

「そうならそうとちゃんと報告をだな……と言っても今さらか……お前はそういうやつだしな……」

 

「そういう諦められ方は嫌なんだが」

 

 オレとジャンヌがそんなくだらない言い合いをしていたら、それが面白かったのか英理さんがクスクスと笑うので2人して子供みたいなことをしたことを恥ずかしく思ってやめ、話を羽鳥捜索の件に戻す。

 

「これからってことは、英理さんと吉鷹さんがこちらに来たのは……」

 

「ついさっきですよ。ですから手がかりを追った先に京夜さんがいたので私達が驚いたくらいです。これでは私達はお役御免でしょうか?」

 

「いえそんなことは。オレ達もまだあそこに羽鳥がいるかどうか確かめられていないですから」

 

 どうやら英理さん達もデン・ハーグに来たのはついさっきのようで、捜査状況はオレ達と大差ないことがわかるが、お役御免とか冗談ではない。

 オレ達では正直なところ、ここからどうやって内部を探るか綿密に計画を練る段階にあったが、橘の能力を鑑みればそうしたオレ達の段階を吹っ飛ばせるだけの成果が得られるのは確実だ。

 

「ではここからは私達が頑張っちゃいましょうか。吉鷹さん、出番ですよ」

 

「わかってる。お前らは車で待ってろ。余計なことされると気が散る」

 

「まぁ。じゃあ私もお留守番してますね。ジャンヌちゃんと京夜さんの取り合いをして遊びたいので」

 

「フッ、残念だな橘母。すでに京夜は私の所有物だ。なので取り合うも何も京夜に手を出すのは略奪以外の何物でもな……って話を聞いてくれ!」

 

 なのでさっそく吉鷹さんが始動したのだが、吉鷹さんの言葉がオレとジャンヌだけを指したのは明白なのに英理さんはふざけてオレの腕に抱きつき自分の方に寄せ、天然さんは真に受けで酷い有り様。

 

「はぁ……英理、頼むからそいつといる時に生き生きと悪ノリするのはやめてくれ……」

 

「あら、吉鷹さんも段々と反応が薄く。なんだか寂しいです」

 

 おふざけが過ぎる英理さんにいい加減リアクションが薄くなって冷静にツッコむ吉鷹さんにオレも賛同するようにやんわり腕から英理さんを離すと、英理さんも本当に寂しそうな表情をしてから切り替えるようにスケッチブックなんかを取り出してオレ達と一緒に車を降りると、吉鷹さんと一緒に例の教会へと入っていってしまい、取り残されたオレとジャンヌは自分達の車に戻って2人の成果を待つことになる。

 

「お前は人妻好みなのか」

 

「羽鳥にも言われたが、断固として否定させてもらう。英理さんは素敵だとは思うが」

 

 その待機中にちょっと機嫌が悪くなったジャンヌが爆弾を投下してきたので、冷静に否定しつつも人として嫌いではないと言ってはおくのだが、それが余計だったのか「京夜はやはり年上が好きか」とぶすぅ。頬を膨らませてそっぽを向いて呟かれてしまった。それは否定しないが色々と違う。

 それからオレがジャンヌのご機嫌取りに勤しみ、日本に帰ったらデート第2弾の決行を約束させられてようやく終息し、たっぷり1時間ほどかけて教会から出てきた英理さんと吉鷹さんは、オレ達の車の横に来て窓から持っていたスケッチブックに何かを描いた1枚を渡してくれる。

 

「これは……凄いな」

 

 その描かれたものを横から顔を寄せて覗いてきたジャンヌは感嘆し、オレも距離感を失ったジャンヌの密着に半分ほど意識がいったがその絵には驚く。

 そのスケッチブックには教会の間取りの詳細を記した図があって、羽鳥を示すのだろう星マークまでしっかりと記してあったのだ。

 

「怪しまれませんでしたか?」

 

「フフッ。これでも絵は得意なんですよ?」

 

 しかしこんな堂々と間取りを調べて怪しまれなかったのかと思うものの、英理さんはスケッチブックに残していた絵を開いて見せて、そこに描いた礼拝堂の見事な風景画に2人して目が飛び出す。う、上手ぇ……鉛筆のみだが、上手すぎて涙が出てくる……

 

「それでは京夜さん。予定とは違いましたが、これにて私達はお役御免ということでよろしいですか?」

 

「……はい。これ以上ないくらいに。報酬の方は羽鳥と一緒に後日必ず」

 

「で・す・か・ら。報酬は小鳥のお婿さ……」

 

「言い値で構いませんので! ありがとうございました!」

 

 特技のありすぎな英理さんにはもう何が出来ても驚かないことを心に誓いつつ、パリでの合流を省いて依頼完了でいいかの確認をしてきた英理さんに、これ以上の成果があるかといった言葉で返しつつ、まだ未支払いの羽鳥と一緒に報酬を払う約束をするも、またそんな冗談を言いかけるので顔を寄せてきた英理さんを押し返して窓を閉めるが、最後に投げキッスをして吉鷹さんの待つ車に戻っていった。

 

「婿? なんだ京夜。お前は橘と結婚するのか。理子が泣くぞ?」

 

「…………英理さんが勝手に言ってることだから……真に受けるなド天然……」

 

 その車が走り去るのをバックミラー越しに見送ってから、またも天然さんが言葉をそのまま受け取るので殴りたくなるが、なんとか毒を吐く程度に留めてやった。

 それでも天然さんは自分が天然さんなのを認めずにプンスカ怒るので必殺、話題逸らしで超強引に話を羽鳥奪還の方に切り替えてやる。

 

「とにかく、これで羽鳥があそこにいることは判明したんだ。あとはどうやって羽鳥を奪還するかだが」

 

「ん、天然かどうかはあとでたっぷり議論する必要はあるが、それは任せておけ。私の本領といったところだ。ここまで内部の詳細があり、ご丁寧に扉の施錠の有無まで調べてあるのだから、成功率はかなり上げられるだろう。少し集中するから、京夜は装備を整えておけ」

 

「ジャンヌはサポートだけか?」

 

「残念ながらな。私では超能力者に悟られる可能性が高い。超能力者同士はある程度で互いに存在を感知できるものだからな。瑠瑠粒子が濃いのもあるし、私が乗り込むリスクは負うべきではない」

 

 完全に話題逸らしが成功したとは言えなかったが、とにかく話を進めはしたのでやる気モードに入ったジャンヌの指示でオレも準備を開始。

 超能力に関しては確かにそういうものなんだろうと思うので、それを考慮して作戦を考え始めたジャンヌを邪魔しないように、一応は教会の張り込みも再開させておく。これで侵入して入れ違いになってたとかだと笑い話にもならないからな。

 

「…………以上だ。全部頭に入ったな?」

 

「不確定要素がいくつかあるが、それ以外は問題ない。期待には応えるよ」

 

「応えてもらわねば困る。これは京夜、お前の実力を過大評価して作成したのだからな。もしかしたら実力以上のものが必要かもしれん」

 

 それからたっぷり2時間もかけて練られた作戦を伝えられたオレは、インカムを装備しつつ決行前に会話をするが、過大評価前提ってどうなんだよ……

 とは考えたが、作戦を聞いてやれそうと思わされてる辺りでもうジャンヌにノセられてるなオレ。

 それに期待の眼差しを向けるジャンヌの笑顔にもう、オレはこう返すしかないのだ。

 

「やるさ。リーダーの期待に応えるのがオレの役目だろ」

 

 そうやってカッコつけて車を降りたオレは、自己暗示に近いそれを自身にかけてこの作戦の成功のイメージを固めて教会へと歩み出した。

 待ってろよ、羽鳥。いま助けてやるから。



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Bullet110

 

 橘夫妻の協力もあって、ようやくバチカンに捕らえられた羽鳥の居場所を突き止めたオレとジャンヌは、早急な作戦立案の後にその救出へと乗り出す。

 羽鳥の捕らえられている教会は英理さんのくれた間取り図によれば、1階の大聖堂とその裏のいくつかの小部屋があり、さらに地下にも空間があるようで羽鳥はその地下の部屋の1つに幽閉されている。

 まずはそれを念頭に割と堂々と正面入り口から入って礼拝堂に乗り込む。

 変装はしたままだし、羽鳥さえ救出できれば変装も必要なくなるわけで、失敗した時の保険など自己暗示をかけたオレには無用。

 礼拝堂は英理さんの絵を見てだいたい把握していたが、クオリティー高かったなあの絵。見たまんまだ。

 

「礼拝堂に入った。人はいないが……」

 

『当然だ。今日は日曜ではないから礼拝は行われないし、昼時となれば人の足は食事へと向く。それでも一般人が来る可能性は捨て切れないから急いで地下に移動しろ』

 

 英理さん達の調べでは間取りこそ判明してはいたが、やはり人の有無や配置までは常に同じであるわけもないので実際に侵入しないとわからない。

 だから逐一でジャンヌには報告は入れるのだが、割と他人事で物を言うジャンヌにため息が出る。やるのはオレなんですよ……

 とはいえジャンヌのこれは今に始まったことではないので切り替えて礼拝堂の横にあった2つの扉の1つに近付き、音もなく開けて礼拝堂の裏へと移動。

 最悪ここで見つかっても間違えて入ったとジェスチャーしながらに引き返せるわけだが、先の廊下には人の気配もなく問題ないようだった。

 しかしこの廊下も割とシンプルで隠れる場所がないので、ジャンヌの用意した物を設置しつつ急いで地下へと続く階段へと向かって、監視カメラとかないかも一応の警戒はしたが、金目の物もほとんどない教会に盗みに入る輩もそういない証拠だな。それらは設置されていなかった。

 地下へと続く階段は螺旋構造で石造りと古めかしさがあり、その地下も石畳に石積みの壁と古い造りになっていて、どうやら上の教会部分は改修でもされてこっちは昔そのままといった感じらしい。そんなに古い建物な印象はなかったし。

 まぁ、いつからある教会なのかは今はあまり関係ないので、こっちもこっちでシンプルな構造なのは間取りでわかってたが、四角く1周できる廊下にその内側を4つの部屋で分けた地下は厄介。逃げるにしても階段が1つしかないからここを押さえられたら詰み。

 

「襲撃の可能性は考慮されてないっぽいな。そりゃ羽鳥を奪還しようとする存在を考慮するほどの警戒心がありゃあんなボロは出さん」

 

 とかなんとか考えながら角の階段から二手に分かれた廊下の両端までを見て、その範囲に誰もいないためにちょっと気が抜けそうになる。

 そもそも仲間がいる可能性を極端に消して形勢不利な状態でわざわざ血相変えたフリまでして逃走した羽鳥のやり方が上手すぎたわけだが。

 

『あまり悠長にするなよ。フローレンスのいる部屋は階段から1番遠い反対側の部屋だ。つまり廊下を回り込めば必ず誰かと出くわす』

 

「…………実際問題、羽鳥がどの程度の拘束を受けてるかも作戦には折り込まれてるわけだろ。最悪の場合は本当にヘルプに来るんだろうな?」

 

『任せておけ。その時は私がRPGでも撃ち込んで教会を攻撃する』

 

「冗談でもやめてくれ。生き埋めは御免だ」

 

 バチカンに対する残念評価をわざわざ言葉にしたのは当然、ジャンヌへの報告も含まれるからだが、これから先の作戦は羽鳥がどのレベルで拘束されてるかで決まると言っていい。

 レベル1から3までを定めてはいるが、3の場合。要は羽鳥がここから連れ出すのが不可能なレベルの場合は、ジャンヌの強襲と合わせて敵戦力の無力化を行使せざるを得ない。

 まぁそれは最悪のケース。オレには単分子振動刀があるからよっぽどの拘束具でもないとそんな事態にはなり得ないと思ってはいる。鉄枷だろうと真っ二つにできるからな。

 それでもロケットランチャーなんてぶっ放される可能性は避けたいので静かに廊下を進んで、奥の部屋に入れる扉のある廊下を端から覗き見ると、いた。見張りのシスターが1人だ。

 パッと見たところ戦闘能力は計りきれないが、超能力は今、瑠瑠粒子の濃度が濃いから極力使いたくないとジャンヌは言っていたので、あれが超能力者でもそこまで脅威ではない。

 

「まぁ、念には念をってな……」

 

 それでも遭遇戦の可能性はなくしたいし下手に騒がれるのも嫌な展開だ。

 だからオレは一旦引っ込んで履いていた靴を脱ぎ、石壁の隙間にクナイを挟んで、そのクナイに靴を引っかける。

 簡易の時限式トラップ? というか自重でクナイが外れるようにしただけだが、それが外れる前に急いで反対側へと移動し廊下の様子をうかがう。

 そうして数十秒くらい経ってからクナイが外れて靴が石畳に落ちれば、当然だが無駄に音が鳴る。不審な音に気付いたシスターはまぁここも当然ながら音のした方向を向いて警戒する。

 そこに間髪入れずにオレが強襲。靴も脱いでるので音もなく接近したオレはシスターが気付くより早く背後を取ってその口を押さえた上でその意識を刈り取る。

 

「第2段階クリア……っと……」

 

 意識のないシスターを壁に寄りかからせて座らせてから、ひと息つこうと思ったら、何やら羽鳥のいるはずの部屋から話し声が聞こえてきて、羽鳥の他にも誰かいることがわかり気配を殺しまずは靴を回収。戻ってきて扉に耳を澄ませると、どうやら中にはローレッタさんがいるようだった。

 イタリア語なので何の話をしてるかはわからないが、扉の形状から鍵が必要なのはわかり寝ているシスターの懐を探るとビンゴしたので、その鍵を開けて割と堂々と中へと入る。ローレッタさんは目が見えないからな。コソコソしても無言を通せば誰か知られることもない。

 それで鍵を開けて入った部屋には、木製の椅子に座らされて両足に鉄枷。背もたれの後ろで親指を同時に繋いで拘束するクッソ面倒臭いものをつけられた羽鳥が何故かシスターの格好でいて、その手前に背中を向けるローレッタさんがいるが、オレをシスターだと思ったのかイタリア語で話しかけてくるが無視する。わからんし。

 そんなローレッタさんを見てから羽鳥と目が合うと、だいぶ余裕そうな羽鳥はクスッと小さく笑うと英語を使ってローレッタさんへと話しかける。

 

「残念ながらシスターローレッタ。あなたとのおしゃべりもここまでのようです。地獄からの使者が来たので、一足先に行かせてもらいますよ。あなた方もいずれ来ることになる、地獄にね」

 

 誰が地獄からの使者だボケ。ここで帰ってやろうかおおう?

 マジで置いていこうかと考えたが、それをすると師団の今後に関わるのでキャンセルするも、それがわかってるだろう羽鳥の早く助けろという生意気な表情に腹が立つ。

 腹を立たせながら「誰ですかあなたは!?」と羽鳥の変化で察して英語で話しかけてきたローレッタさんだが、それにも応えずに横を抜けて羽鳥の足の拘束を単分子振動刀で壊すが、指の拘束は小さくて単分子振動刀では怖いのでピッキングで開ける。小さいから複雑な構造は出来ないのが欠点だな。

 それらの行動を1分たらずでやって自由になった羽鳥は、どうすることも出来ないローレッタさんの頬に優しく触れて耳元で「Arrivederci(さようなら)」とささやき部屋を出るが、その間にローレッタさんがしていたことも見逃していない。

 

「ずいぶん早かったね。あと3日はかかると思っていたんだけど」

 

「そうかよ……って、何してんだ。時間ないぞ」

 

 部屋を出てすぐに階段を目指していたのだが、余計なことを言いつつ途中の別の部屋の前で立ち止まった羽鳥は、シスターの格好にあるまじき豪快な蹴りで扉を蹴破ると、物置っぽいその部屋に入っていってしまい、それを出入り口から見ていると、拘束された時に没収された武器類を回収したかったらしい。

 

「愛着でもあるのか?」

 

「銃や衣服には特に拘りはないよ。ただ君にも見せたあれ。メスを腕から取り出すあれはサードに特注で作ってもらった先端科学兵装の1つでね。替えが利かないんだ……っと、あったあった」

 

 言いながらオレの質問に珍しくまともに答えた羽鳥は、本当にそれだけを見つけると物色をやめて出てくるので、状況をわかってはいるっぽい羽鳥にそれ以上は何も言わずに再び階段へと向かったのだが、やはりというかなんというか、ローレッタさんも異変に気付いてから懐に隠してた通信機能のある何かで事態を知らせていたため、シスター達が階段から降りてきてオレ達を見つけるや戦闘体勢に。

 

「ここより出してはなりませんよ!」

 

 そのシスター達の登場で足を止めたオレ達の後方から、壁伝いにローレッタさんもやって来て前方のシスター達に激を飛ばすので、もうやるしかない雰囲気。

 

「ジャンヌ、教会前で待機しててくれ」

 

『見つかったな? 了解した。そちらの音で勝手に判断するが構わんな』

 

「任せる」

 

 なので小声でジャンヌに報告をしたところで羽鳥が横から武器を求めてきて、仕方なくクナイを1本貸してやって、オレは徒手空拳で構える。

 

「相変わらず甘い」

 

「……女は苦手だ」

 

「なに、まともに相手してやることもないさ。私達はあの楽園を突破して外に出ればいいだけだ」

 

 オレの徒手空拳の構えを見てやはりツッコんできた羽鳥だが、わかってたから流しつつスカートをクナイで破き動きやすくした羽鳥と一緒にシスター達に突撃。

 狭い廊下での戦闘となるとまず怖いのは弓だが、幸い距離もないしでその弓兵はいなくて、しかし盾と剣のみで階段への道を塞ぐ陣形を取られる。

 これは厄介と思うのも一瞬でやることが何故か以心伝心したっぽい羽鳥とそれぞれで違うが同じ意図の動きをする。

 華奢なシスター達ならば盾があろうとそこまで堅い防御ということもないので、男のゴリ押しを実行に移すオレと、やっぱりそこは女の子な羽鳥は力は技術でカバーと言わんばかりの超低空タックルで仕掛けていく。

 当然そこにはシスターの剣が襲い来るが、オレはそれをあえて当たりに行って死の回避を発動。

 羽鳥はクナイを投げて上手い具合に剣の突き出せない姿勢を誘発し繰り出される前に対処していた。

 そんなオレ達のタックルを踏ん張って受けてはいたシスターだったが、タックルと同時にシスターの足をすくい上げる裏技まで使えばもう踏ん張れない。

 ドミノ倒しのように倒れたシスター達を避けて、なんとか残った2人も巧みな体捌きで廊下の方へ放って階段を突破。

 

「まさか保険を使うことになるとはな」

 

 しかし階段を突破しても第1関門に過ぎないため、見つかった時に使う予定だったものを階段を上り切る前に起動してその上の廊下でひと騒動を起こす。

 地下に行く前に仕掛けたのは煙玉をちょっと改良して噴射型にした花火みたいなやつだが、それをブラインドに人の目をすり抜ける算段。

 その思惑は……成功した、のだが、ちょっと分量を間違えたかな。煙すぎて見えない……

 

「君はバカなのか。そういえばバカだったねありがとうバカでサンキューバカ」

 

「貶し方がバカ一直線だなバカは。頭にルートは入ってるから問題ない……ってお前は話をしたいのかしたくないのか……」

 

 階段を上がって煙に咳ごむシスター達の声を聞きながら、周囲が見えずとも礼拝堂へは戻れるためバカバカ言う羽鳥の手を取って抜けようとしたら、こいつもこいつで連れてこられた時に把握していたのか迷うことなく礼拝堂への扉へ進んでいくので、抜け目ないなと思いつつそのあとに続く。

 逃げるように扉を開けて煙と共に礼拝堂へと躍り出たオレと羽鳥は、一直線に教会を走り出て、すでにちょっとした騒ぎが外に漏れてたっぽい人だかりを無視してパッパー! 盛大にクラクションを鳴らすジャンヌの車へと乗り込み、続々と教会から出てきたシスター達の追撃を免れる。

 

「やぁジャンヌ。こうして顔を合わせて話すのは久しぶりだね」

 

「お前と話すことなどない。それより口を開いていると舌を噛むぞ!」

 

 オレ達が乗り込んでからすぐに車を発進させて急加速するジャンヌの荒い運転で挨拶もろくにできなかった羽鳥は後部座席に慣性で座らされ、前に集中するジャンヌの代わりにオレ達が後ろの視界をカバーする。

 だいぶ法規制とか無視な運転で街を疾走するジャンヌだが、バチカンもバチカンでオレ達がリバティー・メイソンとの合流をする前に捕まえられればなんとかなると思ってるらしく割とすぐに追いついてきて、いくら信号やらを無視しても他の車を無視してまっすぐ街を抜けることはできないため、ジグザグと曲がってるうちに数で上回るバチカンが肉薄。

 

「ところで君達、街を抜けられたとしてどうするつもりだい? 彼女らは街を抜けても追いかけてくるだろうけど」

 

 そんな切羽詰まった状況で結構な嫌々具合でオレの制服に着替えていた羽鳥が聞きたくない事実を突きつけてくるので、オレもジャンヌも羽鳥を見はしないが苦い顔をする。

 

「別に考えなしじゃない。ただちょっとタイミングがあれなだけだ」

 

「街にいる間ならばバチカンも下手に手は加えてこない。一般人に危害が及ぶのは善良な市民に対する悪行だからな」

 

「ふむ、何かあるのはわかるけどね。しかしそれも時間の問題だよ。バチカンの追跡が街中ならばそれほど脅威ではないのは同意だが、我々はいま堂々と道交法違反をしている。当然……」

 

 と、オレ達の考えをちょっと理解したっぽい羽鳥が着替え終わってサイズの大きさを折って調整しながらに言い切ろうとしたその時。街の至るところからパトカーのサイレンが聞こえてくる。

 まぁそうなんですけどね。そうなるのはわかってたんですけど。

 こうして警察にまで追われるとなるとしんどいわけだ。

 下手に止まって身柄を押さえられてもバチカンが色々と手を加えてくるのは目に見えてるしな。

 

「京夜、これを頼む。運転しながらは無理だ」

 

 ジャンヌもどうにか止まらざるを得ない状況にならないように道をランダムに走ってはくれているが、そのジャンヌがこっちを見ずに羽鳥の携帯を渡してくるので、その意図がわかってるオレも何も言わずに携帯を開き着信していたメールを見て判断。

 

「羽鳥、降りるぞ。ジャンヌ、20分後にフェルウェ広場の橋の上だ」

 

「了解した。その前に捕まるな」

 

「おや、ジャンヌが私の心配をしてくれるなんてね」

 

「お前の心配などしていない。京夜の心配をしている」

 

「信頼ないなオレ……」

 

 そのメールを鑑みるに、1つにまとまって動いて取り囲まれるより分散した方が良いと思っての言葉だったが、返しがキツい。

 だが有無を言わせずにジャンヌが豪快なドリフトターンをして速度を1度殺して、そのターンの途中でオレと羽鳥は車を降りて走り去ったジャンヌを見送ることもなく路地裏へと入り込み現在地から目的地であるフェルウェ広場とやらの場所を特定。

 

「捕まってる間、暇だったので君の救出方法について色々考えてみたんだが」

 

「あっ?」

 

 路地裏に入ってすぐにワイヤーを使って建物の上に乗り移ったオレと羽鳥は、その屋根伝いに割と目立つようにして走ってバチカンの目を引く。

 その間に不思議と楽しそうな羽鳥が口を開くので、周囲への警戒をオレ任せなそれにはイラッとしつつ反応してしまう。

 

「まず最初に君が私を見つけられない可能性が40%あったことは許せ。悪気はない」

 

「悪気がないなら笑顔で言うな」

 

「ハハッ。まぁその確率を抜けて助けに来ても、まず間違いなくこの街を出る前に捕まってたと思ってもいた」

 

「それは同意してやる。ジャンヌの頭がなきゃ微妙だった」

 

「だからあのまま裏切り者として師団に差し出される方が生存率は高かったわけなんだけど、今日になってシスターローレッタが私を戦役が終わるまで監禁すると言い出すから困った困った」

 

「ああ、その話をさっきしてたのか」

 

 この話に何か意味があるのかは不明だが、羽鳥なりにテンションの上がった自分をクールダウンしてる節があったので適当に付き合いつつ、行き止まりから下に降りて1度大通りに入って人に紛れて路地裏へ。

 

「そこにまぁタイミング良く君が来るものだから笑ってしまったよ。笑うしかないだろ。絶望を知らせに来たシスターローレッタの後ろから、わずかながらの希望を持ってきた君が来たらさ」

 

「そこは素直に喜べよ。ズレてるぞ」

 

「それはそうなんだろうけどね。私はなにぶん、そういうのは苦手なんだ」

 

 ああ、つまり理解しろバカってことか。こいつなりに感謝の言葉を言いたかったわけね。

 そういえば羽鳥が人に感謝したりするところはあんまり見なかったな。あの時を除いて。

 そんな羽鳥の一面にちょっと笑うと、あからさまな舌打ちをした羽鳥だがそれ以上は何も言わずに走り続ける。

 そうして路地裏から再び開けた通りに出る瞬間に羽鳥を見ていたオレは、ピリッ、と肌を打つ感覚を覚えて、考えるより先に羽鳥の腕を引いて路地裏に引っ込む。死の予感。ここで来るのかよ。

 するとその羽鳥の進む軌道を横から刺すような弾丸が地面に弾痕を残して着弾。狙撃だ。

 

「あっぶな……」

 

「君は本当に不思議な男だね……」

 

 その狙撃に2人して気付いていなかったために少し思考が停止してしまったが、危機的状況なほど冷静になるオレと羽鳥はすぐにそれを処理して弾道から狙撃手のいる場所をおおかた把握し、羽鳥の制服の上着を盾に並んで通りを一気に通過。

 そこからはノンストップで通りと路地裏を行ったり来たりして目的地であるフェルウェ広場のある橋の近くまでなんとか辿り着くと、別のルートからジャンヌがデュランダルを差して合流。

 途中で車は破棄せざるを得なかったとかで足を失ったが、約束の20分まであと3分。

 時間通りになるわけもないと悲観論で備えつつもフェルウェ広場の橋の上にまで来たオレ達は、その向こう側から来た警察に道を阻まれ、後ろからはバチカンのシスター達が退路を塞ぎ年貢の納め時といったところ。

 

「ここまでですね」

 

 逃走劇の終結と共にシスター達の中からローレッタさんが姿を現してそんなことを言ってくるが、誰もそれには応えない。

 何故なら、もう終わったのだ。この勝負、オレ達の勝ちだ。

 それを確信するように警察の側でガヤガヤとちょっとした混乱が見られて、続いてその奥から派手なポルシェが橋にまで侵入してきてオレ達の前でドリフトしながら止まって、そこから2人の人物が降りてバチカンの人達を正面に捉えて口を開いた。

 

「そこまでだ、バチカンよ」

 

「君達のやり方はお見通しだよ。そしてチェックメイトだ」

 

 その人物達は宣戦会議の時のリバティー・メイソンの使者とワトソン。

 つまりオレ達が呼んでいた最後の切り札。頼りになる味方だったわけだ。



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Bullet111

「うん、やはりサイズがしっくりすると気持ちも上向きになるね」

 

「そんなに嫌だったら修道服着たままで良かったろバカが」

 

 リバティー・メイソンから支給された防弾スーツを着込んでホテルの一室にやって来た羽鳥は、自分でオレの制服を拝借したくせにそんなことを言うので、わがままだなと思いつつもそれ以上はツッコまずに、すでに部屋に揃っていたジャンヌとワトソン、それからカイザーとかいうリバティー・メイソンの男とローレッタさんで作っていた輪に羽鳥を加える。

 

「さて、話を進めようか、バチカンよ」

 

 それらの人物が揃ったことでオレが持っていたボイスレコーダーを出して、カイザーがローレッタさんを見ながらに話を切り出す。

 フェルウェ広場でバチカンと警察に挟み撃ちされたオレ達だったが、羽鳥奪還作戦の決行より前にワトソンに一報入れて合流を図っていたため、ギリギリだったがワトソン達の到着が間に合い、警察の中にもリバティー・メイソンのメンバーもいたことから騒動は内々で処理。新聞にもニュースにも大して取り沙汰されずに済んでいた。

 今いるホテルもリバティー・メイソンの息のかかった場所で、ようやく落ち着ける場所に留まれたオレはあとのことを任せたいレベルでいたのだが、こうして今も話の中心に据えられている。

 

「私達が真に押さえるべき人物。それは猿飛京夜さん、あなただったようですね」

 

「それは違いますね。オレが自由に動けていたのは羽鳥とワトソンのおかげだ」

 

「おや、ずいぶん謙虚だね。その殊勝な態度は評価しようじゃないか」

 

「茶化すなフローレンス。謙虚ではあるが、この状況下でこれだけ動けたのはサルトビだからだよ。それは君もわかってるだろ」

 

 ワトソン達の到着で一旦は保留となっていた話が再開して早々、ローレッタさんがオレに向けて言葉を紡ぐので事実を返すが、羽鳥とワトソンの言葉が飛び交い、あまり掘っても仕方ないからか羽鳥もそれ黙って話を進める。

 

「何はともあれ、フローレンスと猿飛の働きでお前達の企みは暴かれた。これが意味するところはわかってるな?」

 

「はい。ですが今この状況で表面上は味方である我々を師団から排除するのは、かろうじて保たれたパワーバランスを一気に崩しかねませんね」

 

「追い込まれた立場でよく言う」

 

「カイザー。それでは話は進まないよ。そこでボク達からあなた達バチカンに『協力』を求める」

 

 どうにも自制心はあるのに喧嘩腰のカイザーの進行に難ありといち早く割り込んだワトソンの提案に、ローレッタさんも立場があれだからか聞く耳を持ち、その話を事前にジャンヌ達と打ち合わせていたオレは黙って聞いておく。

 

「バチカンが眷属のスパイであることはまだボク達しか共有していない極秘情報。当然、あなたがバチカンのもっと上の者に報告でもしていたらすでに手遅れだが、そうでないなら君達が今まで眷属にしてきたことにちょっとした誤情報を加えて報告してくれればそれでいい」

 

「…………つまり私達が眷属に通じていることは知らぬ存ぜぬを、然るべき時まで通すと。そういうことですね」

 

「その通り」

 

 その提案に理解が早いローレッタさんは言葉を返してから少し沈黙し、ここでの決定権がまだ自分にあることで吟味し始める。

 オレ達はいま話したように、ここでバチカンを師団から排除することで戦況が悪くなることを悟り、まだスパイの案件はこの場だけに留められている。

 しかしバチカンからの情報が途切れてしまえば、眷属にもスパイ発覚のことがバレて、バチカンは師団に全面協力せざるを得ないか排除の流れ。

 そこでバチカンのスパイ行為をこちらが利用してやろうという腹黒い戦術に至ったのだが、まぁこの流れはバチカンがスパイと判明する前から羽鳥が色々と考えていたようで、その話をし始めた途端にベラベラと喋っていた。

 

「…………その企みは戦況がどちらに転がろうと、我々に責が来ない前提ならば」

 

「よくもまぁこの状況でそのようなことを言える」

 

「カイザー。それで構わない。バチカンは究極的にどちらが勝ってもいいという考えで動いている。それを上手く利用しようというのがボク達の策だ。やってくれるというならこちらの妥協はある程度許容しなければならない」

 

「それにカイザー、君はバチカンのように後のことを色々と考えているようだが、別にそんなことを眉間にシワを寄せて考える必要はない。大事なのはこのチャンスで確実に欧州戦線を師団が勝利すること。それができればバチカンがどうのこうのなど些細なことだろ」

 

 長考の末に口を開いたローレッタさんの言葉は身勝手以外の何物でもなかったが、これも羽鳥が事前の回答として予測していただけに本音をすぐ口にするカイザー以外は冷静なもの。

 そしてこの作戦の首謀者たる羽鳥のこの自信は不敵以外の言葉が見つからない。それだけの爆弾を投下してるから納得でもあるんだが。

 そこから少し話を詰めて段取りなどを調整する段階に入り、そちらはすでに打ち合わせ済みのカイザーとワトソンが受け継いでオレとジャンヌと羽鳥は別件を片付けるために部屋をあとにする。

 

「猿飛京夜さん」

 

 その気配を察したのか、話の最中にローレッタさんが話しかけてきてそれに立ち止り、視線の合わないローレッタさんの顔を見る。

 

「これより我々バチカンは、あなたに対して最大限の敬意と脅威を表すため、勝手ながらに2つ名を差し上げようと思います」

 

「いりません」

 

「武偵のところの公式とは違いますから、そう堅いことを言わずにお受け取りください」

 

 何の用かと待ってみれば、どうにも嫌な流れだったので慎んでご遠慮したのだが無駄なようで、胸の前で手を組んだローレッタさんはその勝手に付けたという2つ名をオレに賜る。

 

「影の中に潜むさらなる影。深淵より伸びる見えざる手。気付いた時にはすでに手遅れ。ゆえに『影の陰(ファントム)』」

 

「…………理子が聞いたら絶対に興奮する2つ名をありがとうございます……」

 

 影の陰でファントムとか、理子的な中二病を患った感じがひしひしとしてるし、わざわざ紙に書いてくれてありがとうだよホント……

 そうした嫌そうな表情を声色でしか悟れないだろうローレッタさんの笑顔が見たくない類いのものだったので、さっさと部屋を出たのだが、ついてくるジャンヌも羽鳥も「なかなかにセンスがあるな」とか「私ももっとシンプルな2つ名が欲しかった」とかマジのコメントをするもんだから頭を抱える。これ、定着したら嫌だなぁ……

 

「さて、と。こっちもこっちで面倒そうな案件だね」

 

 ワトソン達と分かれて羽鳥の部屋に移ったオレ達は、バチカンのスパイ案件の熱も冷めやらぬままに次の面倒案件を片付ける作業に入る。

 取り出したのは地図、地図、地図。床に広げたベルギー、オランダ、フランス、ドイツといった欧州諸国の地図は見てるだけでワクワクする人種もいるだろうものだが、オレは萎える。その広さにただただ萎える。

 

「では状況を整理しプロファイリングから行動の予測をしていこうか」

 

 萎えてるオレとは違ってずっと拘束されてて暇だったからか、やる気もなかなかな羽鳥との温度差は酷いが、やると決まってしまったからにはやるしかない。

 オレ達がやること。

 それは一夜明けながらに未だ発見できていないキンジの捜索だ。

 

「エルの話では失踪直前にスパイの嫌疑をかけられたところで逃走。ブリュッセルでの検問にもリバティー・メイソンの網にも引っかからずに未だ発見には至っていない」

 

「位置的に最後に遠山を見たのが……ここだ。移動手段はいくつかあるだろうが、検問も敷かれていたし、車は除外していいかもしれんな」

 

「オレ達と同じで変装してる可能性もあるが、身分証明の部分で引っかかるからな。というか……」

 

「あの遠山キンジが1人で逃げ切れるわけがない、かい?」

 

 手がかりもほとんどないキンジ捜索だが、順を追って地図に直接書き込むジャンヌに推測も交えていく。

 だがあのキンジがリバティー・メイソンの網を掻い潜って今も逃げているという状況に違和感しかないオレに羽鳥がズバリなことを言う。

 自慢じゃないがオレが同じ状況ならばまず不可能に近いと思えるからの根拠だが、事実としてそれは起きている。

 

「前提を変えておく必要はあるだろうな」

 

「さすがジャンヌ。彼は普段は並程度の武偵だが、ある条件が揃えばHSSという特異体質が手伝うことになる」

 

「そういう前提なら今の状況も納得できる、か」

 

 だから普段のキンジではなく、HSSになったキンジを前提にここからの推測を立てることを満場一致で決め、その状態における最良の策をいくつか考える。

 

「まず遠山はまだ行方不明になった私がスパイである可能性と、自分が疑われている状況。そしてスパイが誰かを知らずに逃走している」

 

「ふむ……ではジャンヌ。君がこの状況ならば、どの方角に逃げる? 眷属が支配を広げた南か、師団勢力にある北か」

 

「私ならば……師団の目の届かない眷属勢力圏に入ると言いたいところだが、京夜はどうだ?」

 

「…………北じゃないか?」

 

「ちっ、意見が合ったか」

 

「そりゃ光栄だ」

 

 そういった前提を踏まえつつ、まずは逃走ルートを大雑把に取捨選択する羽鳥に意見を求められ、オレもジャンヌもそれぞれで意見を述べるが、羽鳥と合って舌打ちされる。やめろやそれ。

 

「どうして北なのだ?」

 

「キンジはまだスパイの嫌疑をかけられた状態。キンジがスパイじゃないことはこっちも本人もわかってる。つまりキンジと眷属の繋がりはない。そんな状態で眷属勢力圏に入って眷属に見つかって捕まりでもすれば目も当てられない」

 

「そうしたリスクを鑑みた時に、師団に見つかった場合と眷属に見つかった場合のリスクの差は歴然だよ。HSSでこの考えに至っていたとしたら、遠山はほぼ間違いなく北に逃げている。どうやってかはこの際に重要ではないが……」

 

 と、理屈についてを説明しつつ、キンジが徒歩で逃走していた場合の大雑把な移動距離を経過時間から逆算して扇状のラインを書き込む。

 次に何らかの移動手段を得ていた場合の移動距離を逆算して書き込むが、これはまた酷い。すでに逃走から20時間は経過してるので、イギリスやらドイツを越えてデンマーク辺りまでライン内に入ってしまった。

 

「今も移動しているとなるとまだ広がる可能性はあるけど、あまり最前線から離れすぎれば嫌疑をいざ晴らそうとした時にタイムロスが厳しいからね。デンマークまでは行ってないと願いたい」

 

「リバティー・メイソンってのはどの程度の規模でコミュニティーを持ってるんだ?」

 

「欧州諸国の都市部に最低限の人員は確保されているが、細部までとなると無理がある。田舎町なんかはほとんど情報は入ってこない」

 

「ではその都市部……オランダで言えばここ、デン・ハーグや首都のアムステルダム、ロッテルダムなどは潜伏するには適していないということだな」

 

 逃走をどこまでしているかはわからないが、根無し草では精神的疲労は半端ないだろうから、どこかで落ち着くことを予測し、その際にリバティー・メイソンの目が届く範囲からは逃れるとまず最初に都市部を排除する。

 隣のドイツからもドルトムントやらケルン、ボンといったところが塗り潰され、なんとなく希望が見える捜索範囲になって……るわけねぇ。まだ広すぎる……

 

「車での移動の可能性はないとしているから移動手段だが、彼はフランス語、或いはオランダ語は出来るのかい? 何にしてもそれらの言語、最低限の英語は出来なきゃ公共交通機関も不自由というか無理があるが」

 

「HSSならその辺なんとかなってそうって考えてた方がいいかもな」

 

「だろうな。ならば車、バスを除く交通機関は列車になり、その線路と各停車駅とリバティー・メイソンの目を掻い潜る町は……」

 

「ブリュッセルを抜けた後ならばいくらでも乗り換えは可能だろうね。こちらの時刻表は便りにならないが、大雑把な発着時間などを調べれば何十パターンかのルートは探れるかな」

 

「逃走の時間も時間だったし、そう頻繁に列車もバスも出てなかっただろうしな……とか思えればいいが、目眩しそう……」

 

 ある程度絞ってもまだまだ広大な捜索範囲から、さらに移動ルートを限定しいくつも書き記すジャンヌと携帯片手にジャンヌと話しながらルート潰しをする羽鳥の手際はヤバいの一言。

 1時間ほどの潰し作業を一旦落ち着かせて、それでもまだだいぶ広い捜索範囲ではあったが、最初のババン! 地図ですよのところから考えれば奇跡的な絞り込みと言えるだろう。

 

「あとは人海戦術といくしかないだろうけど、時間的猶予もそうない」

 

「バチカンと連携して動くタイミングはタイムラグが生じるが、遠山の力はその時までに出来る限り戻しておきたいところだ」

 

「キンジ捜索は1週間。それに間に合わないようなら仕方なしか」

 

 絞り込みをあらかた終えて、日も沈んでしまってほどよく空腹になったことで今日のところは終了。

 焦ったところで状況が好転しないのはわかってるのでジャンヌも羽鳥も落ち着いたものだが、明日以降はまた忙しい日々になりそうだ。

 ひょっこり帰ってこないかな……

 

「まぁ! まぁ皆さん! ご無事で何よりです!」

 

 翌日。

 アムステルダムに移っていったワトソン、カイザー、ローレッタさんを見送ってから、実は近くのロッテルダムにまでは来ていたメーヤさんがホテルまで合流してきて、今まで姿を眩ませていた顔が3つもあったことからメーヤさんは心底嬉しそうにジャンヌに抱きつき、羽鳥と握手し、オレにも両手を取って至近距離で笑顔を向けてきた。

 

「メーヤ、喜ぶのもいいのだが、私達はやらねばならないことがある。早速ではあるが話を進めるぞ」

 

「はい、遠山さんの所在についてですね。私もそちらに尽力するように仰せつかっておりますよ」

 

 再会の挨拶もほどほどでほんわかした雰囲気のメーヤさんにこっちが流される前に気を引き締めたジャンヌによって、事前に連携の話は聞いていたメーヤさんもやる気十分といった感じでエイエイオーをやるが、その拍子にまた大剣を背中から落としたので学習能力があまりない。そのドジなのか天然なのかな性格は改善の余地ありだと思う。

 

「まずは昨日、我々がいくらか絞った遠山キンジの潜伏先をバチカンとリバティー・メイソンで分担したい」

 

 時間的猶予ものんびりはしてられないくらいにはないので、取り急いで羽鳥が作成した地図を広げて大雑把に北と南で捜索範囲を区切ってみせ、どちらが都合が良いかをちょっと話し合うと、オレ達とリバティー・メイソンが南側――要はブリュッセル――から北上する形で、バチカンはデンマークくらいから南下する形で捜索をすることになる。

 

「こちらの地図は有効に活用させていただきます。こうして再会できましたのにまたお別れになるのは寂しいですが、一刻も早く遠山さんを見つけ出しましょう」

 

 そうした捜索方法に文句の1つもなく承諾したメーヤさんは、チャッチャッ、と胸の前で十字を切ってオレ達の武運を祈り、善は急げとばかりに他のシスター達を連れてホテルをあとにし、オレ達もブリュッセルに戻るために準備を開始する。

 

「なぁ、やっぱりメーヤさんには話さないのか」

 

「話してどうなる。彼女は信じることでしか生きられない。話さないことが優しさでもある」

 

 その最中に、やはり気になってスパイの件をメーヤさんに話していないことをどうかと思って羽鳥とジャンヌに問いかけるが、返ってくるのはそんな言葉だけ。

 

「メーヤは聡い。おそらくは自分がバチカンに利用されていることにも気付いている。それでも彼女は味方を疑えん。メーヤの強化幸運はすでに転じれば死を免れないほどの悪運を溜め込んでいる。それにバチカンのためにしていることがイコール、師団のためとなるとは限らない良い例だ」

 

「……そういうのを聞くと、信仰ってのも良いものばかりじゃないって思うよ」

 

「何事にも良し悪しはある。人はその悪いところをちゃんと見ようとしない生き物なのさ。最近の世論では欠点ばかりを見ると騒がれてもいるけど。主に日本はその傾向が強い」

 

「そういうのはちゃんとしたデータとして出してくれ。日本の括りは聞きたくない」

 

 結局は2人に丸め込まれてしまった形だが、心ではやはり秘密にしておくことを良しとはできない。

 だからといってこっそりメーヤさんに教える、なんてことをしたところでメーヤさんにとってはあまり意味がないということもわかるので言う通りにしておく。

 でも全てが終わった時に、そうしたことがあったと教えることくらいはしてもいいかな。思い出話として、な。

 そこからはまぁ早いもので、車を飛ばしてブリュッセルまで舞い戻ったオレ達は、そこからキンジの足取りを追うようにして街を歩き、おそらく高確率で使われたであろう列車の経路を辿るため、街の駅を南から北へ調べていく。

 どうやらここら辺の駅では切符の購入履歴も見られるようで、時間帯さえ限定すれば購入者の有無や行き先までわかるっぽい。

 それを踏まえてキンジが逃走した時間から30分程度あとのブリュッセルから抜ける列車の発着時間と購入者リストを作成。

 

「…………妙だね」

 

「妙だな」

 

「右に同じ」

 

 その購入者リストを見ながらにオレ達が出した疑問は完全に一致。

 キンジが列車を利用したのはほとんど確実で、ここである程度今後の捜索も進展すると思っていたが、そうもいかなかった。

 何故か購入者のリストの中に1人分の切符を購入した履歴がないのだ。

 元々時間が時間なだけに購入者自体が少なかったから見逃しという線もない。

 

「ここから察すると遠山キンジは列車に乗っていないという推測が立つんだけど」

 

「まさか徒歩でブリュッセルから抜けたって? それこそリバティー・メイソンが見つけられるだろ」

 

「だがそれしかなくなるのも事実だ」

 

 完全にここ頼りだっただけにオレ達の落胆も大きいが、そうした徒歩での逃走の場合は今度はブリュッセルから抜けた先での詳細なバスやらのダイヤルを調べなきゃならないため、アホみたいな作業が待ってる。

 

「不可能を可能にする男、エネイブルだったか。こんなところでその名に恥じない働きをしてくれなくても良いだろうに。君の友人は本当に厄介極まりない」

 

「敵っていうか、味方じゃなくなるとそれは実感できて心底嫌になる」

 

「これでこそ遠山とも言えるわけだが……」

 

『本当に厄介だ……』

 

 そんなこれから先の苦行を考えてか、思考がネガティブ一直線なオレ達は、きっと必死に逃げたのであろう姿なきキンジの本気に対し、全く同じことを口にしてうなだれる。

 しかしいつまでもそうしていたからといって状況は好転しないので、切り替えるように携帯を取り出してリバティー・メイソンのメンバーに指示を出す羽鳥はさすが。

 ジャンヌもやれることがまだあるからかやる気を入れ直して地図とにらめっこを始め、オレもそんな2人の前でうだうだと言いたくないので欧州のどこかにいるだろうキンジに恨みの念を飛ばしてからジャンヌのにらめっこに参加していった。

 こうしてオレ達のキンジ捜索の長き道のりは幕を開けた。



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Bullet112

「見つけたらとりあえず殴る。謝っても殴る」

 

「やめたまえみっともない。そんな宣誓をする暇があったら1ヶ所でも塗り潰せ」

 

「メーヤの方の進展をそろそろ聞いておくのも良いかもしれんな」

 

 逃走中のキンジの捜索を始めてはや5日。

 手がかりがほとんどない状態からどうにかこうにかベルギーの地図――ブリュッセルから北のみだが――を塗り潰すことには至っていたオレ達とリバティー・メイソンだったが、塗り潰せたということはそれはつまりキンジがいなかったということ。

 あらゆる手を使って全力投球してようやくベルギーにいないことがわかったのが5日経った今日というガックリ来る事態だ。

 眷属との小競合いはその間、ワトソンとカイザーがギリギリのところで対応している現状、危ういパワーバランスを助けるためにもそっちに合流したいが、戦力は多いに越したことはない。

 特にキンジの戦力は眷属としてもちょっとした脅威にはなってると聞く。どうにかして見つけないといけない。

 いけないのだが……毎日最低限の睡眠でフル稼働してるストレスでだいぶ心の余裕がなくなってきたオレは、心の平静を保つために全てのストレスをキンジへとぶつける宣言をして作業に戻る。

 そんなオレの気持ちもわからなくはない羽鳥とジャンヌもマジなツッコミを入れずに半分くらいはスルー。

 それだけ進展も鈍足なのでイラッと来る言動もほとんどなくなった羽鳥が大人しくて快適なのは唯一の救い。これでまだ元気ならオレがゲンナリだった。

 

「…………そうか、引き続きよろしく頼む」

 

「メーヤさんの方はどうだって?」

 

「使い魔も使ってかなり効率的に捜索はしてるようだが、まだ手がかりは掴めていないらしい。向こうもこれからオランダ国内に捜索を移すようだ」

 

「ということはすでにデンマークやドイツはあらかた調べ終えたということか。リバティー・メイソンがバチカンに遅れを取るとはね。秘密結社が泣きたくなる」

 

「そこは正確さとかで差が出るだろ。こっちはバスの路線から時刻表まで調べてやってるんだぞ。魔術方面とじゃアプローチからして違う」

 

 それからメーヤさんとの連絡を終えたジャンヌの話によると、バチカンもこれからオランダに捜索を移すとあり、一応はオランダ国内にまでは範囲を狭められたわけだが、残りの日数的に塗り潰し切る前に見つけないとキンジなしでワトソン達との作戦に合流しなきゃならないっぽい。

 そうした時間的な猶予もないからか羽鳥からも嘆きの声が上がったが、そのあとにふと目に止めたのだろう資料の1つを手に取って難しい顔をするので、オレもジャンヌも珍しいその反応に顔を向ける。

 

「何を見てる?」

 

「初日に作った列車の最寄り駅での乗車リスト。あまり突拍子もないことは言わない主義ではあるんだけど、遠山キンジという武偵がどういった人物なのかをもう1度だけ考えた時に引っ掛かったことがある」

 

「それは何だ?」

 

「天然の女たらし」

 

 割と真剣な顔つきになって口を開いたので釣られて真剣に聞きに徹したからか、その答えにはオレもジャンヌも例えようのない顔をして見合ってしまう。

 

「それが何だよ」

 

「いや、だから突拍子もないことは言いたくないんだよ。だがもしも、逃走した遠山キンジがその先で『女を引っかけて逃走の手助けをさせた』のなら、と思っただけさ」

 

 アホ臭さが滲み出ている羽鳥の推測ではあったのだが、それを聞いたジャンヌが真剣な表情で「なるほど」とか納得しちまうから頭を抱えそうになる。

 しかしいつでもどこでもそういった救いの手でピンチを乗り越えてるキンジを考えると、一蹴するには少しだけだが躊躇はする。

 

「6日は経過してしまったが、遠山が乗ったと思われる列車の車掌に話を聞くだけ聞いても良いかもしれんな。その日に問題なく検札が出来たかどうかくらいならわかるだろう」

 

 だからジャンヌも捨て置けない可能性として話を進めて動き、羽鳥も他の可能性についてを思考し始める。

 オレはそんな2人の動きを見ながら、小腹が空いたのでカップ麺でも食べようかとしたらさすがにツッコまれたのだった。

 それからいくつかの作業をして鉄道会社への連絡をつけて車掌さんから話を聞くと、始めこそ何もなかったという返事で落胆したが、羽鳥が「小さなことでもいいから何かなかったか」と問い直せば、渋々なのか振り絞って思い出したのか、唸るような声と共にそういえばと口を開いてくれた。

 その話によると、ブリュッセルで2等車に乗ってきた2人組のオランダ人女性の検札で、一応は国境越えなのでパスポートの提示を促したのだが、1人に上手く言いくるめられて切符を切るだけに終わったらしい。

 その話を聞いて2人組がアムステルダムまで行ったことが判明したので、オレ達もまずはアムステルダムまで移動。

 まだ可能性の1つ程度のものではあるが、リバティー・メイソンの他の人員には順を追って北上してもらっているしとオレ達はこの可能性を潰しておく。

 

「さて、ここまで来ちゃうとメーヤとも合流した方が良さそうだ。エル達もここにいるから、合流まではそちらに行っておこう」

 

「すぐ動かなくて良いのかよ」

 

「アムステルダムまでの進路を取ってくれたのは幸いだよ。ここまで来ておいてわざわざ南下するような進路は取らないだろうし、西は都市部。北はすでにバチカンが押さえてくれた。ならばあとは」

 

「東のごくわずかな地域にまで絞れたということか。だが」

 

「そのわざわざの部分をしてる可能性もあるし、そもそもこの線がキンジに繋がるとも断言できないだろ」

 

「まぁそうだろうけど、気持ちには余裕を持っていた方がいい。それは期待とは少し違うが、空振りした時のダメージはそこで決まる」

 

 結局は楽観視しなきゃしんどいって言ってんだよなコイツ……

 だがあと数日でオランダ中を捜索すると思うと確かに気が滅入るし、優先度の高い線を潰していると考えてないとその先の眷属との戦いまで持たない。

 キンジを探し出してそれで終わりならいいが、そうじゃないから羽鳥も気持ちの持ち様を引き出している。

 精神が及ぼす身体への影響をよく理解してるからこその医者目線の助言に、オレもジャンヌも言いたいことはあったがそれを口にすることもなく、飄々とする羽鳥のあとをついてワトソン達と一旦合流した。

 

「ちょうど良かったよ。今から君達に連絡を入れるところだったんだ」

 

 ワトソン達のいた拠点に到着して早々、何やら話をしていたワトソンとカイザーがそうした言葉と共に寄ってきて何事かとすぐに切り替えて用件を聞く。

 

「どうにも眷属側に怪しい動きとかがあるみたいでね。作戦決行の前に偵察をと思ってたところなんだ」

 

「偵察って、バチカンから教えられた『竜の港』だったか。そこは常にリバティー・メイソンが監視してるんじゃないのか?」

 

「うん、それはそうなんだけど、その竜の港に集まった面子がね……」

 

「パトラとカツェ、あとは魔女連隊の上役とかいうイヴィリタの他に誰かいるのかい?」

 

「こちらで確認した限りで2人。1人は『颱風(かぜ)のセーラ』。そしてもう1人はおそらく、傭兵として雇われた『魔剱(まけん)』」

 

 その話によると、いま眷属が拠点にしているオランダ西部の海沿いにある竜の港にヤバい連中が集まってきたようだ。

 その新たに聞く2人についてはよくわからないが、魔剱はこっちに来る前にキンジから『妖刕(ようとう)』と一緒に雇われた傭兵とは聞いている。

 

「セーラか。彼女はイ・ウーにいた頃に予報士として自然物の大局的な動向を予報していた。眷属についていたか」

 

「彼女もまた雇われの身だろうね。風の噂ではセーラは金で動くプロフェッショナルだと聞く」

 

「魔剱もその能力について未だ不明ながら、超能力に対して絶対的に優位な能力を持っているらしい」

 

「いずれにせよ、魔女が多数いる陣営なら、行くのは私かこれかだろう。エル、人選は君に任せるよ」

 

「これ言うな」

 

 そこで作戦決行でイレギュラーを避けるためにより詳しく内情を探るためにオレ達を借り出そうということで話もすんなり進むが、これ呼ばわりする羽鳥には一応ツッコむ。

 

「出来るなら君達2人に協力してやってもらいたいんだけど、ジャンヌ、そっちの進境にも寄るよね」

 

「そうだな。今はようやくオランダ国内にまで絞り込めたところだが……」

 

 羽鳥の問いかけに対して遠慮もあまりない回答をしたワトソンだが、やはりこっちもこっちで重要案件なので都合を合わせようとしてくれて、渋るような回答をしそうだったジャンヌだったが、タイミング良くメーヤさんから連絡があり、アムステルダムに着いたかなと待ってみると、話はさらに良い方向に行ってくれたようだ。

 

「メーヤが遠山の居場所をおおよそではあるが探知できたらしい。確定ではないが、信頼性は高い」

 

「ならば2人共こっちに移動だ。そちらが進展したならば、こちらも動く時だろう」

 

「カイザー、あまり私に指図するな。私は上からの物言いが好きではない」

 

「喧嘩はやめてくれ。君もカイザーも特定の人物以外に厳しいその性格は改善の余地ありだよ」

 

「「……善処はしよう」」

 

 ここでメーヤさんの強化幸運が働いたのか、師団に吉兆が見え始め、あまりとんとん拍子もあれだが好転しつつある現状を逃す手はない。

 そこからの動きは迅速で、メーヤさんとの合流に向かったジャンヌを見送ってから、オレと羽鳥は眷属の拠点である竜の港とやらに直行。

 現地で張り込みをしていたリバティー・メイソンのメンバーに案内されてその拠点とやらを見てみるが、高い岩場に囲まれた滝のあるプライベートビーチといった感じの場所。

 一見すると何もないのだが、今は幸いにも砂浜に魔女連隊の使っている飛行船が停泊していて、かろうじて拠点である証拠物がある感じ。

 

「竜の港はあの滝の裏に作られたものらしい。全容のほどはわからないが、割と堅牢な造りと前提した方がいい」

 

「中には入れない感じか」

 

「裏でコソコソやるリバティー・メイソンが手をこまねいているんだから察してくれ。下手に探ってバレれば作戦も何もない」

 

 その竜の港とやらを双眼鏡を借りて観察しながら羽鳥の説明を聞くが、これではいざ襲撃というタイミングで困りはしないものか。

 そう思っているのは当然オレだけではなく、羽鳥も何かやりたいとウズウズしてるのがわかり、まだ陽もあるうちは動くまいと無言でアイコンタクトしてから、それぞれ双眼鏡を使って明るいうちにどこをどう動くかを思考し始めた。

 

「さて行こうか」

 

「とりあえず上がってるテンション下げろ。気配が駄々漏れだ」

 

 その夜。

 陽が完全に沈んでから黒基調の格好になった羽鳥とオレは、それぞれで決めていた探索ルートを使う前にそうやって互いの気配を確認してから動き始める。

 ずっと地味な作業をし続けていたせいで、柄ではないのだがこの瞬間から張り切ってしまってる自覚を持ちつつも、それを面には出さず夜の砂浜へと降り立つ。

 羽鳥はどうやら滝の上から攻めるルートを取ったようだが、楽なのはどう考えてもそっち。

 オレの行くルートはちょっとあれなのだが、羽鳥と同じルートは嫌だったので長考の末に決断した次第だ。

 

「さって……と。死ぬ気で特攻しますか」

 

 その長考した理由は、竜の港が滝の中にあることに関係するが、あからさまな出入り口が見つからなかったので要は堂々と川伝いで潜入してやろうということ。

 この季節に川に入るとか死ぬ気がするが、耐寒トレーニングは一応しているし、なんとかなると思いたい。

 意外にも外の監視の目は手薄、というか皆無なのですんなりと滝と海を繋ぐ川のそばまでは近寄れたが、滝の勢いが嫌だなぁ。滝壺深いもん。流れに巻き込まれて死ぬかも。

 

「タイムリミットは10分ってとこか」

 

 それでもやらないといけない時はある。

 それが今かは正直怪しいが、やれると思ったから来たのだから引き返す道はない。

 決意して川へと静かに入ってみるが、やはり冷たいとかそんなレベルじゃない。訓練どうこうでもない。

 予想以上に冷たい水温に気持ちが折れかけるが、ここで引き返したら入り損と考えていざ出発。

 飛沫などが上がらないように平泳ぎで川を進んで滝壺のそばまでなんとかやって来たが、滝壺を避けるためには6メートルくらいは潜水しないとダメっぽいため、適当な石を重石にして一気に川底まで沈み、そこから滝壺を潜り抜けて滝の内側へと入る。ここからは深追い禁物だ。

 ……こりゃダメだろ……

 滝の内側へと入り込めはしたものの、水面に少しだけ顔を出して息継ぎしてから再度潜水し水中をよく見ると、なんかある。

 潜水艦だ。

 今は動力が切られているようだが、稼働されるとこっちが見つかる可能性がある。

 その潜水艦の存在感がある中でどうにか先には行けないものかと模索するも、どこに誰の目があるかわからない以上、深追いはできない。

 なので仕方なく滝の内側の構造を頭に叩き込もうと水面に上がってその全容をじっくり観察。

 中は洞窟を掘り広げた感じのある割と広い空間で、電気も通っているらしく明かりも結構ある。

 明かりがあるということは水面に出るオレも発見される可能性が高くなるので、やはり深追いはできないが、出来る限りの情報は持って帰ろうともう少し粘って見ていると、潜水艦のある奥に記念物みたいな大型帆船が視界に入る。

 ガレオン船とか言われた大航海時代の船だが、その帆には有名なドクロとクロスした剣が描かれている。海賊船の象徴みたいなあれだな。

 内部構造的にその帆船と潜水艦くらいしか人がいられそうな空間はないので、パトラ達もどちらかの中にいるだろうと予想しつつ、撤退の流れかと思っていると、帆船の甲板に人の影が見えて誰かと目を凝らそうとした。

 だがそうするより早く背筋に悪寒が走り、静かに水中へと身を潜めてしまうが、見えた範囲で人影はオレよりもずっと小さかった。

 さらに恐ろしいことだが、甲板から見えた時にはおおよそではあるがオレのいる場所を真っ先に見ていた気がするので、なんらかの能力でオレの存在に感付いたのかもしれない。

 そう考えたのと、そろそろ体温が危ない域になるのを感じたのはほぼ同時。限界になる前に退くのが吉だ。

 もう水面には顔を出せないので、そのまま滝へと戻って滝壺に突っ込むが、今度は外へ出るので流れに逆らわずに脱力して脱出。

 一応は海まで流れてから少し泳いで砂浜に上がるが、寒い! 死ぬ!

 その生命の危機から脱するようにダッシュで竜の港をあとにしてリバティー・メイソンの監視場所にまで戻り、速攻で着替えて毛布やら何やらを被り暖を取る。

 30分後くらいに羽鳥も戻ってきてコーヒーを貰いつつまだ震えてるオレを見てクスッと笑ってから自分の収穫を報告してくる。今はツッコんでやる元気がない……

 

「内部の構造は映像として残してみたけど、本当にぼんやりとした全容といった感じになったよ」

 

「オレも似たようなもんだ。向こうに気付かれそうになったから早めに戻ったが、お前はバレてないだろうな」

 

「たぶんね。私も甲板にセーラが出てくるまでは粘れると思ったのだけど、怖い怖い。彼女なら気付くかもと映像に映った瞬間に引っ込んだよ」

 

 言いながらにどうやったのか知らない記録映像をオレに見せながら説明をするので見てやるが、なんか見づらい。

 何でだと思えばどうやら滝の中から中を撮しているようで、釣竿か何かで吊るしていたんだな。

 その映像を見る限り、オレが見た人影は噂の颱風のセーラとかいう予報士で間違いない。

 

「構造的に滝からミサイルでも撃ち込んでやれば一網打尽に出来そうだが」

 

「崩落でもされたら生死の判別が難しくなるだろう。やるならば奇襲による電撃戦だ。魔女連隊は白兵戦には少し弱いし、狭い空間では派手な魔術は行使するのを躊躇う。向こうが近代兵器を持ち出す前に片をつける」

 

 持ち帰れた情報はどっこいどっこいといった感じだったので、この情報から改めてどう襲撃するかを意見するが、自分で言ってて怖い。なんだミサイルでも撃ち込めばって。

 それを言った後だと羽鳥の意見が実に人間味があって不思議な感覚になるが、これは寒くて思考がバカになってるだけだろう。明日にもなれば元通りだ。

 

「今夜はもう寝よう。君の思考がアホっぽいのは聞かなかったことにしてあげるから」

 

「そりゃありがたいね」

 

 オレの変な言動に気づいちゃった羽鳥はまたもクスクスと笑いつつで話を切り上げるが、本当にツッコむ余裕がないので今日のところは許してやる。そしてそのまま夜は毛布を三重くらい被って寝てしまうのだった。

 翌日。

 完全に回復したオレの体は調子が非常に良く、今なら羽鳥を一方的に殴れそう……じゃなくて、どんな反応にもツッコめそうだ。

 まぁそれは3割くらい冗談として、先に起きていた羽鳥が監視を始めていたので、食事をしながらそちらの様子をうかがっていると、急に監視をやめて戻ってきたので何事かと尋ねる。

 

「飛行船が動く。上からだとここは丸見えだ。急いで撤収する」

 

「そりゃまた大変なこった」

 

「他人事ではないんだが?」

 

「そりゃまた事実を言いなさって」

 

「調子が良いみたいだね良かったね私も嬉しいよ死んでくれ」

 

 それによると飛行船がもうすぐ動き出すようなので、上から監視する形になっていたこの場所がバレてしまうからと慌てて機材を車に詰め込んで撤収準備をするが、オレはおまけみたいな扱いなのでフォロー程度でやりつつ昨夜の仕返しをやったら怒る怒る。良いねその顔。してやったりだ。

 と思ったら撤収準備を完了させてから車に乗り込む隙も与えずにいきなり走り出すのでさすがに焦ったが、そういう仕返しの仕方はズルい。

 そして仕返しの仕返しは連鎖しかしないのでどちらかが大人になるしか止める手立てはないことも悟り、今回はオレが大人になっておく。

 

「飛行船に乗り込んだのは?」

 

「パトラ、カツェ、セーラに魔女連隊の部下が数人。あとは確定かはわからないが、おそらくは魔剱もいたと思う」

 

 とりあえずひとけのあるところを目指して走る車の中で、遠巻きで飛行船の飛び立つ姿を見ながらあれに乗り込む人物を見たであろう羽鳥に確認を取ると、結構な戦力が拠点から離れたことを知る。

 

「おい。なら……」

 

「そうだね。私もそう思っていた」

 

 その事実から考えるに、羽鳥も同じことを思ったようで携帯で誰かに繋ぐと、それをオレへと放り投げるので、その相手、ワトソンと話をする。

 

「今、竜の港からパトラ、カツェ、セーラ、魔剱が飛行船でどこかへ向かった」

 

『竜の港の内部は探れたかい?』

 

「作戦に使える程度にはな」

 

『なら実行に移すのが良さそうだね。出来るなら今日、明日中にでも』

 

 そうした報告をするとワトソンもオレ達と意見が完全に一致したので、これからの行動方針は満場で一致した。

 

「それじゃあ苦渋を飲んできた欧州師団の反撃と行こうか」



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Bullet113

「段取りは頭に入ったかい?」

 

「オレは作戦でイレギュラーを除いて予定外のことをしたことはない」

 

「頼もしい返事じゃないか。さすがジャンヌの懐刀だね」

 

「ワトソン君、作戦前に気を緩めすぎだ」

 

「貴様は強張りすぎだ。その厳つい顔をやめてくれ。こっちまで息が詰まる」

 

「お前にどうこう言われる謂れはない」

 

 まとまりないなぁこの集団。

 キンジ捜索も光明が見え、眷属の動きに隙が出来たのをしっかりと確認したオレ達は、キンジ達の合流を待たず――そもそも見つかった報告も来ていないが――に好機を逃さないため電撃作戦を決行に移していた。

 すでに手回しをしてもらっているバチカンが眷属に流した情報はオレ達。ここではワトソンとカイザーを指すが、この2人が現在進行形でアムステルダムにいるという誤情報。

 一応の証拠としてリバティー・メイソンのメンバーが変装した2人の姿を写した映像もローレッタさんに持たせたので、今までの功績から信頼度は高いそれを眷属は信じるだろう。

 そしてその誤情報の裏で今まさにオレ達は竜の港の近くにまで水面着陸のできる飛行挺で来ていた。

 

「とにかく行くよ。向こうに探知されて救援でも飛ばされたら厄介だから、読んで字のごとく『何もさせずに制圧する』」

 

『了解』

 

 それでオレ達がこれから行うのは、飛行船でどこへと行って主戦力が留守中の竜の港を電撃戦で制圧し、のこのこと戻ってきたパトラ達も奇襲によって制圧してしまう、ちょっと変則的なトロイの木馬みたいな作戦。

 ここで重要なのはワトソンが言うように速度。制圧の前に救援を出されたらその次の奇襲に続かない。

 そのための打ち合わせはすでに何回もしたし、不測の事態にも3パターンほどで対応は考えたから現場で混乱することは極力少なくはできてるはず。

 いまいちまとまりのない4人ではあるが、やる時はやるのはわかってるからワトソンの作戦開始の合図で完全に切り替わると、飛行挺は洋上から離陸して十分な加速を得てから竜の港の滝へと突撃。

 勢いよく突っ込むと手前の潜水艦に突っ込むので、滝を抜ける直前に着水して水面でブレーキをかけて港へと入り込むと、潜入した時と代わり映えしていない中を進み帆船まで横付けすると、タイムラグもなく運転していたカイザーを除き帆船へと乗り移り「敵襲ー! 敵襲ー!」とドイツ語か何かで叫ぶ魔女連隊がゾロゾロと甲板に姿を現すのを黙ってみることもなく、ワトソンがまとめて捕らえるネットランチャーを何発か撃って一網打尽にする。

 

「行け。ここはボクとカイザーが押さえる」

 

 それでも魔術という手段がある魔女連隊は厄介なので油断ならないが、ここで足止めを食うのもいただけないのでワトソンが遅れて乗り移ってきたカイザーと一緒に甲板を押さえると言ってくれ、オレと羽鳥は返事もせずに甲板から帆船の中へと侵入し、リーダー格のイヴィリタとかいう長官を探す。

 

「君はイヴィリタを。私は通信機器を押さえてくる」

 

「機械音痴にはありがたい」

 

 中は大して入り組んだ構造ではなさそうだったので、早々に羽鳥が通信機器を探すために分かれ、オレはおそらく船内で1番大きな部屋。食堂のような長テーブルのある部屋にいち早く到達し、そこにいた臨戦態勢の金髪ロング美人の女性を見る。

 襟にある徽章(きしょう)からしてかなり高い位の女性なのでイヴィリタと見て良さそうなのだが、その横にいる黒豹が今にも襲ってきそうで困る。

 

「動物は苦手だ……」

 

「ブロッケン、あなたをご指名のようだから、やってしまいなさい!」

 

 黒豹とか人間が普通に勝てる動物じゃないので、そういった意味で苦手と言ったのだが、オレが動物嫌いとでも取られたのかけしかけられてしまい、どのみちそうなっただろうことはこの際に気にしちゃ負けなので、テーブルに乗って襲い掛かってきた黒豹の迎撃を黙ってする。

 横にあった椅子を取って足を向けまずは牽制し正面からの強襲を防ぐのと同時に上着を脱いで前足で椅子を器用に叩いて退けてきた黒豹の顔に被せて視界を奪う。

 そして上着を取られないように袖を結んでやれば、しばらくは悪戦苦闘してくれるだろう。

 動物が苦手なのは殺すのが嫌なのもあるので、上着と格闘を始めた黒豹はこれで放置し、拳銃を構えたイヴィリタへとすぐに駆けると、あまり容赦なく撃たれてしまって狙いも正確らしく死の回避が発動。

 額へと迫ったっぽい銃弾を躱して間合いを一気に詰めて格闘戦に切り替えられる前に拳銃を手刀で落として背負い投げ。

 床に仰向けで沈んだイヴィリタをすぐに反転させて腰に乗り、後ろ手に拘束すれば終了だ。

 

「あなた……猿飛京夜ね。戦闘力の評価は低かったのだけど……」

 

「実際そうでもない。ただ相手の土俵でまわしを取らないってだけの話だよ」

 

 オレの下敷きにされて忌々しげなことを言うイヴィリタに、そうした返しをしつつワイヤーで両手を縛って、ついでに両足も縛ってしまうと、まともに動けなくなったイヴィリタを肩に担いで甲板へと移動。

 上着と格闘していた黒豹も抜け出してはきたが、ご主人様の有り様にどうしたものかといった雰囲気を出して襲い掛かってくることもなく、上着も回収しつつ怖いので黒豹を先頭に甲板へと移動してもらう。

 ――ズズンっ。

 順調に思えた作戦だが、甲板に上がる前にその甲板から来たであろう重い衝撃で帆船全体が沈んだように揺れ、なんだか嫌な予感がしたのと同時に担いでいたイヴィリタが背中から話をしてくる。

 

「この拠点の制圧は見事なものだったけど、あなた達は大きなミスをしているわ」

 

「イレギュラーは慣れっこだ」

 

「そんなものじゃないのだけど、こればかりは実際に見た方が絶望できるわね。甲板に上がってその顔が恐怖で凍りつくのを期待してるわ」

 

 謎の揺れに確信めいた心当たりがあるのか、イヴィリタは捕まってる身でありながら偉そうに言うので、1度だけその尻を叩いて黙らせる。セクハラではない。

 しかしそう言われると誰でも気にはなる心理は道理。甲板に近づくにつれてオレの緊張感も高まり、何を悟ったのか前を歩いていた黒豹が甲板に出る前に完全に腰の引けた伏せで止まってしまったため、それを抜いて甲板へと出ると、そこには衝撃があった。

 

「マジかよ……」

 

 甲板へと出て視界に飛び込んできたのは、巨大な金棒を手に持った筋骨隆々の巨漢の女。

 しかしその体躯もさることながら、原始人スタイルなかなり簡易の衣服に頭部から生える2本の角を見れば、それが人間という種族ではないと嫌でも理解させられる。

 

「鬼……ハビとか言ってたあれと同種だな」

 

「あら、察しが良いようね」

 

 そこから察して、宣戦会議に姿を見せていたハビとかいう少女を思い出し、あれも眷属入りを宣言していたことも鑑みての言葉を漏らすと、担がれたイヴィリタも正解と言うように答えてくれる。

 だがオレがハビの名前を口にしたからか、対峙していたワトソンとカイザーを無視してこっちを見た鬼は、金棒を肩に担いでハスキーな声で話しかけてきた。

 

「覇美様を呼び捨てにするとはおこがましい。謝すれば今なら許そうぞ」

 

 その言葉でハビがあれよりも上の存在である事実はわかったのだが、とんでもないな。強さが全く見えない。

 いや、強い弱いとかそういう強弱が見えないではなく、純粋に『強さの底が見えない』のだ。

 今、あれから放たれた気迫というかプレッシャーというかが、戦意を根こそぎ奪うレベルで腰が抜けそうになったぞ。

 

「すまないが、敵に敬意を払うのは戦闘中にはあまりしたくない」

 

「なれば我が天誅をかざそう。その安き意地を後悔せよ」

 

「イヴィリタ、巻き込まれたい?」

 

「じょ、冗談はよしなさい! 下ろして!」

 

 それでも今は戦闘中。ここでオレが退けば甲板での戦闘に嫌な流れが出来る。

 見ればまだ魔女連隊も完全に制圧できてるわけでもないので、士気が及ぼす影響はバカにならないと踏んだが、死ぬかもしれない。

 オレの安いプライドによって鬼の標的は明確にオレへと移り、圧倒的な存在感で歩いて迫るのにオレは動けない。

 イヴィリタも命の危機にじたばたするが、そんなことを気にしてる余裕すらない。怖ぇ……

 

「残す言葉はあるか?」

 

「んー、じゃあ1つだけ」

 

「申せ」

 

「弱者はただ蹂躙されるだけじゃない。弱いからこそ『知恵を持つ』」

 

 目の前にまで来た鬼は、その金棒を片手で振りかぶって最後の言葉を促してくれ、それに甘えてそんなことを言ってやると、首をかしげた鬼の一瞬の気の緩みを見逃さずにその場でサッとしゃがむ。

 

「良い胆力だった」

 

 しゃがんだのと同時にオレの後ろ、出てきた甲板の下の空間からそんな声がしたかと思うと、オレの頭の上を何かが飛び去り目の前の鬼の振りかぶっていた右腕に命中。

 

「ん? 小蝿(こばえ)がついた……か……」

 

 威力はなかったそれだが、命中した途端に鬼はよろよろと意識を手放して仰向けに倒れてしまい、そのまま寝息を立て始めてしまう。

 

「誘導ご苦労」

 

「殺気をぶつけて知らせるなアホ」

 

 鬼に命中したのは超強力な麻酔で、こういった不測の事態。この場合、未知の強敵の出現にはこれを迷わずに使うことが決まっていて、事を収めて呑気に甲板に出てきた羽鳥が責任を負っていた。

 だからオレは甲板に出てから割とすぐに背中に突き刺す殺気をぶつけてきた羽鳥の存在に気付き、鬼を近くに誘導。

 鬼の視界からは後ろにいた羽鳥が完全に見えない位置取りで狙わせてやったわけだが、ブラド以来の大迫力で寿命が縮みそうだった。

 

「象でも倒せる威力だから半日くらい起きないと信じたいが、オーガとなるとわからないね。効いてくれたのは幸いだが」

 

「効いてくれなきゃオレが死んでた。ついでにイヴィリタも」

 

「ついでとか言わないで!」

 

 鬼が本当に寝ているかを確認しつつの羽鳥とのそんなやり取りは緊張感がないが、鬼が一時的とはいえ倒され、オレが捕まえたイヴィリタを見せられた魔女連隊はほぼ戦意を消失していて、とどめにワトソンが「君達の上官がどうなってもいいなら反撃してきたまえ」と口を開けば、もう戦う者はいなかった。

 その後、(えん)と言うらしい鬼を気休め程度に拘束しておき、救援も飛ばされていないことを確認した上で色々と準備をし、これから戻ってくるだろうパトラ達の襲撃を待つ。

 その間、竜の港の異変を悟られてはいけないので、魔女連隊は拘束せずに動かしておき、オレはイヴィリタと閻の監視を任されて帆船の食堂に戻されていた。

 イヴィリタも潔さはなかなかのもので、黒豹もイヴィリタの拘束が自分でどうにかできそうにないことがわかるのか襲ってくることもなく、オレの例の体質によってなつかれてしまった。

 

「不思議な男。私が命令してないとはいえ、ブロッケンがこうも簡単になつくなんて」

 

「敵意のない動物には本能的に好かれるらしいんだ。体質と思ってくれていい」

 

「動物に好かれる人間に悪い人はいないと言うけれど、あなたはどうかしら」

 

「面倒なことは避けたいよ。何事も犠牲とかそういうのが出るのは敵だろうと味方だろうと思うところはあるし、これもお前達を余計に傷つけないためにやれる最善だと信じてる」

 

「その結果で私達の立場が悪くなることには心遣いがいってなくてよ」

 

「それはそれだろ。生き死にの話をしてるつもりだったが」

 

「ふふっ、わかってるわ」

 

 ……なんだろう。不思議なやり取りだった。

 暇なのもあったのだろうが、穏やかな口調で話すイヴィリタはなんか普通にイイ人で、仲間という括りならきっとこんな顔が常なのかなと思う。

 悪だ正義だという定義が昔から曖昧にされる理由は、こうした見る側の立場によって変わるからだというのを改めて確認できたような、そんな気がしないでもない。

 この戦役だって、よくよく考えれば正義も悪もないわけで、こっちとしての大義名分で挙げるのであれば、アリアの奪われた殻金を取り戻すことくらいなもんだ。

 

「…………何で戦ってるんだか……」

 

「戦争に理由を求めるのはやめなさい。争いには様々な思惑がうごめいているのだから、何でなんて疑問は考えたらキリがない。特に最前線で戦うあなたみたいな人はね。それを思えばそっちのメーヤなんて救われてるわ」

 

「あれが救いとは思いたくない」

 

 それを考えたら思わず口に出てしまったが、優しさなのかなんなのかツッコミを入れてくれたイヴィリタにはちょっと感謝だ。

 意見が参考になったとは思わないが、それでも自分なりに考えて行動することに意味がないとは思わない。

 それができなきゃ武偵としてやっていけないと、大切な人達に言われたのだから。

 作戦自体は日のあるうちに制圧まではいったものの、パトラ達がいつ帰ってくるかはわからなかったため、しばらくは待ちぼうけを食らっていたオレ達。

 陽も完全に沈んで、外で監視をしていたカイザーから「今夜は満月のようだ」とかいう地味な報告がある中、通信機器での魔女達の監視をしていたワトソンから吉報があり、あと1時間ほどで到着する連絡が入ったらしい。

 丁度イヴィリタと黒豹の食事タイムで食べさせてあげていたため、もうすぐパトラ達が来ることを知らせてやってから、監視の係りを戻ってきたカイザーと交代しオレは奇襲作戦の切り込み役として羽鳥と一緒に帆船から潜水艦に潜り込む。

 パトラ達が到着した際には、潜水艦に招いてから竜の港に入る手はずとかなので、それで移動が完了しパトラ達が甲板に移動したら御用。

 まぁそんな上手くはいかないだろうが、そういった段取りで決まった以上は成功させるつもりでやる。

 

「んで、吉報の裏では悪いのもあるわけで……」

 

「こればかりは不幸でしかなかったが、災い転じて福と成す。我々の目的も達成できて一石二鳥だろう?」

 

 そしてパトラ達を乗せた飛行船が砂浜に到着し、ゾロゾロと河口に移動してきたところに潜水艦が出迎えに発進。

 それを確認しつつ艦内で隠れていたオレと羽鳥は、その帰ってきたパトラ達がどこに行ってたのかと、どんな成果を持ってきたかを知ったのでそれについてをタイムリーで話すが、羽鳥はポジティブだ。

 それもわからなくはないが、どうにもパトラ達が出ていった理由は、行方不明になっていた仲間の居場所をおおよそ割り出したため、その迎えとして行っていたようなのだが、その行方不明者のところに何故かキンジもいて、さらに同時刻にキンジの居場所を割り出したジャンヌとメーヤさん達が鉢合わせ。

 戦闘の末に魔剱が猛威を振るってメーヤさん他の超能力者を無力化し捕まってしまったらしいのだ。

 だから今、迎えに出たこの潜水艦に意気揚々と乗り込んできたパトラ達の中に拘束されたキンジとジャンヌや、意識の無さそうなメーヤさんなどが連れ込まれてきて、それらを乗せた潜水艦は再び竜の港へと入港し帆船に横付けする。

 それなりに長旅だったのと、キンジ達を捕まえたことにすっかり気の抜けていた一同は帆船へと乗り移るために甲板へと上がってキンジ達も連れ出されていき、いよいよ襲撃かと動きハッチから一気に出ようとしたら、そのタイミングで帆船の方から騒ぎが起きて潜水艦の甲板でどよめきが起きてしまう。

 

「行きたまえ。そして死んでこい」

 

「てっめ! クソがっ!」

 

 それに1度引っ込もうとしたら、下の羽鳥が器用に反転して両足で尻を蹴り上げてくれやがったため、勢いで甲板に出たオレはまぁ目立つ目立つ。

 おお、キンジとジャンヌと目が合った。

 

「あー、まぁ、そんなわけで第2ラウンドスタートっ!」

 

 帆船では依然として騒ぎがあったが、それよりもハッチから出てきたオレの言葉が竜の港に響いたような気がしないでもないそれにより、作戦開始。

 瞬時に単分子振動刀を抜いてキンジとジャンヌの拘束を破壊し、ノーマル状態っぽいキンジをジャンヌの胸に飛び込むように押してやってから、奪われていた武器類を羽鳥の牽制射撃を借りて隙を作り奪い返し、ジャンヌの胸に顔を埋めて尻まで鷲掴みしてHSSになったっぽいキンジとそれを押し退けていたジャンヌにベレッタとDE、デュランダルを投げ渡してやる。

 

「猿飛、あとで文句は言わせてもらうぞ」

 

「メルシー、京夜。魔剱なき今、ブータンジェでの借りは返させてもらうぞ!」

 

 一気に騒がしくなった場でそうしたやり取りをしてから、人数的にはほぼ五分になったのでそれぞれが相手を見定めてタイマンに持ち込もうと動く。

 ジャンヌは相性が良いパトラ。

 羽鳥が1番近くにいたカツェを。

 キンジは見慣れない金髪の女の子を助けてから、帆船の方で目覚めちゃったらしい閻が甲板に出てきたのを見てそちらの相手を買って出てくれる。

 そうなるとオレは凄く嫌なんだが、何故かいないという魔剱ではなく、傭兵、颱風のセーラの相手をすることになるわけで、そのセーラちゃんはどこかの学校の制服でも通用しそうな服にチェックのミニスカート。羽根飾りのついたつばの広い帽子を被った銀髪ロングのジト目の少女。

 明らかにオレよりも年下なその子はその手に弓を持ち背には矢筒を背負ってどんな原理なのか空中で何度かジャンプして帆船のマストの上に着地。

 

「颱風のセーラだけに風を味方にしてるってか」

 

 そんなことを予測して、セーラに明確に意識を向けると、向こうもオレに視線を向けてきたので、迎撃しにくい同じマストを選んで真下からセーラへと迫るが、そのセーラはオレへの警戒をしつつも、何故か帆船を港に固定していた壁とで繋がれたロープをその矢で射抜いて切断。

 オレがマストの頂上に辿り着いた時には、船首側のマストにロングジャンプしてしまい、全てのロープを切断された帆船は、川の流れによってゆっくりと河口へと動き始めた。

 下ではジャンヌや羽鳥、キンジの戦闘が始まるが、オレの相手のセーラは警戒こそしては来るが、向こうから先制しようとする気配は微妙なところ。

 

「射たないのか?」

 

「あなたを射る命令を受けていない。命令されていないことはやらない」

 

 なので向こうが傭兵ということも考えて無駄な戦闘は避けたいと会話による足止めを試みると、セーラはプロ意識が高いらしくオレが何かしない限りは攻撃してこないっぽい。

 

「ならそこで黙っててくれないか。オレも君がどこかに茶々を入れないなら、何かするつもりはない」

 

「…………命令にないことはしない」

 

「セーラは良い子だな」

 

 ――ビュンっ!

 なので一応こちらの意思を向こうに伝えたら、くどいとばかりに同じことを言うので、そうした返事をしたらいきなり射たれた。

 しかも死の回避が発動して額めがけて不思議な軌道で飛んできた矢を手で掴んじゃったし。

 

「子供扱いが気に障ったか。謝るよ」

 

「…………私の矢、何で止められる?」

 

「ん? んー、その質問の重要性について理解が及んでないけど、死ぬような攻撃はオレにはあんまり有効じゃないとだけ」

 

「…………変な男。名前は?」

 

「猿飛京夜。オレにも自己紹介してくれない?」

 

「……セーラ・フッド」

 

「フッド? 弓……ロビン・フッドの子孫とかだったり?」

 

 オレの曲芸みたいな矢の掴み取りに少々驚いた雰囲気のセーラがオレに興味を持ったのか、会話になったのでそのまま互いに自己紹介をし、セーラの名前を聞いて思い当たる偉人の名前を挙げると、それに首を縦に振ったセーラは、なんか可愛かった。いや、ジト目があまり印象良くないか。

 そんなセーラとの奇妙な遭遇を果たして、ゆっくりと動く帆船での戦いはクライマックスへと近づいていた。



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Bullet114

 

 眷属の拠点となっていた竜の港をパトラ達の留守中に襲撃し押さえ、帰還したパトラ達を討つところまでは良かったが、想定外もいくつかあって現在、そのパトラ達と交戦する流れとなってしまった。

 全員がほぼタイマンでぶつかる中、洋上へとゆっくり動き始めた帆船のマストの上で、オレは傭兵として雇われたセーラ・フッドの足止めを続ける。

 

「ところでセーラ。セーラはいつもそういう格好で仕事をしてるのか?」

 

「そう。スコットランドのキルト。男装」

 

 ああ、そういや男があんな感じのもう少し長いスカートを穿いてる映像を歴史番組で見たことあるかもしれん。

 向こうに明らかな敵意がないことをいいことに会話による足止めのために話題を掘り起こしたが、民族衣装的な格好だったのか。

 

「それがなに?」

 

「これさ、怒るかもしれないけど、一応は異性としてと、お兄さん的アドバイスと取って欲しいんだけど……」

 

 その服装に関しての質問はちょっとした偶然だったら良いかなとも思ってのあれだったが、常日頃からということなので、年頃の女の子なことも考慮して言っておかなきゃならないだろう。

 

「そういう格好で風の超能力を使うなら、スカートの中にスパッツか何かを穿くことをオススメするよ。不可抗力だけど、割とマジで女の子として恥ずかしいと思……」

 

 ――ビュビュンッ!!

 こっちも怒られる覚悟を決めてこの状況に至るまでに見えてしまった色々をボカして話したら、言い切る前に顔を赤くしたセーラが2本の矢を放ってきて、どちらも即死レベルの狙いだったため死の回避で躱すが、今度は矢じりが頬を掠めてヒヤッとする。

 

「変態ッ!」

 

「変態でもいいけど、忠告はしたからな。次に会うことがあって同じことがあっても、変態って言う権利はセーラにはないから。あと頭、気をつけて」

 

 頬の血を拭いつつ、変態呼ばわりには反論したいところだったが、ここは年上として大人な対応をして忠告。

 それからセーラの後ろに滝が迫っていたので、自分はマストの下の帆に上手い具合に隠れるようにして滝に打たれないように備えたが、セーラはその手を上にかざして風の壁でも作ったのか、滝へと突入してもセーラには滝の水が当たることなく通過する。

 オレも多少は仕方ないがほとんど濡れずに滝を潜り抜けると、夜の闇に輝く満月が綺麗で、それをバックにマストに立つセーラが幻想的でちょっと魅入る。

 

「将来は期待できるな」

 

「なに?」

 

「羞恥心はあるんだなぁって……はいごめんなさい構えを解いて」

 

 なんか下では派手にやり合ってるのに、こっちがのほほんとしたコントやってていいのかなと思うが、セーラのツッコミが即死レベルなので笑い話にはできない。

 

「そういやセーラは眷属にどの程度の報酬で雇われてるんだ? 差し支えなきゃ教えてくれ」

 

「24金。60キロ」

 

「ろくじゅ!? 依頼の難易度とかそういうの度外視で?」

 

「二つ返事でなきゃ即破談。あと依頼主を裏切る二重契約はしない。信用は金より大事だから」

 

「おおぅ……まさにプロフェッショナル……」

 

 それでも戦わずしてセーラを足止めできるなら最良だと思いまだまだ会話を続け、傭兵ということを思い出して報酬とかを聞けば、純金で60キロとか現金換算が怖すぎる額を提示されて青ざめる。

 一応、現在の金の相場は1グラム3500円くらいだった気がするので……その6万倍で約2億……計算してゲンナリしたな……

 

「オレは払えないけど、傭兵ってことなら力を借りたいことがあるかもしれないわけだよな。だったらうちのリーダーが気前良さそうだし、連絡先だけでも交換しない?」

 

「…………ナンパ?」

 

「いや、ビジネスだから」

 

 それでも眷属が報酬を払ってまで雇ったなら実力は折り紙つきなので、繋がりそうな線を途切れさせるのはいただけない。

 だから将来のことも考えていざコンタクトする時に困らないようにとオレの携帯の番号を書くと、ジト目でナンパを疑いつつもその手の指をクイッ、と曲げて渡すように促すが、距離が……

 と思ったら不意に後ろから風が吹き持っていた紙はその風に乗ってセーラの手元へと収まり、確認してからその紙に自分の番号を書いて風に乗せ返してきた。

 

「覚えた。連絡するなら報酬を払える時だけ」

 

「了解。リーダー……セーラの元同門、ジャンヌと話し合うよ」

 

 とりあえず今後の繋がりは持てたところで海に近づく帆船では、すでに羽鳥がカツェを拘束して、ほぼ相討ち気味のジャンヌとパトラは息を切らせてつばぜり合い。

 そして閻と戦っていたキンジは……

 

「リサぁ!!」

 

 あの鬼とここまで奮闘してるだけでも人間離れしていたが、突然のキンジのその叫びで下を見る。

 すると金髪ロングの少女がキンジを庇って閻の振り回す金棒を受けてしまったらしく、見るからにヤバそうなダメージで倒れていた。

 ――ビリッ。

 これはどうするかと思考しかけた瞬間、オレの鋭敏な感覚が何かの危険を察知し警告するように全身の鳥肌が立つ。

 すると瀕死のダメージを受けていたその少女の体に変化が訪れ、みるみるうちに肥大化し服を破いて出てきた体は獣の金毛で覆われ、ブラドにも似た人狼といった生物へと変貌した。

 

「アォオオオオオオオンッ!」

 

 その人狼は瀕死だったのが嘘のように元気な遠吠えをすると、後ろから迫った閻を強力な蹴りで吹き飛ばし、目の前にいたキンジを睨んでその大きな手で掴んでしまう。

 

「ジェヴォーダンの獣……」

 

 その様を一緒に見ていたセーラは、あの人狼に理解があるのかそう呟いてその表情を驚愕へと変える。

 

「ジェヴォーダンの獣?」

 

「西ヨーロッパの伝説にある生き物。吸血鬼のライバルとか言われてる」

 

 セーラもその目で見るのは初めてらしいが、どうやらあの少女が普通の人間ではなかったと、そういうことだと思う。

 しかしそういった人外に驚く段階ではない自分にちょっと落ち込みつつも、もう海に出るというところでセーラが帽子を押さえて跳ぶ予備動作をしたので、援護でもするのかと思ったがそうではなく、眷属の戦況を見て撤退を判断したようだ。

 どうやらその撤退をスムーズにするためにこの帆船を動かした節のあるセーラは、グッと踏ん張って岸へと跳ぼうとする。

 

「あっ、スカートもちゃんと押さえるんだぞ」

 

「なっ!?」

 

 それを見てオレは帽子だけじゃなくヒラヒラしてるスカートも押さえるように注意すると、それで意識が散漫になったのか、マストから跳んだはいいがバランスを崩して落ちていったセーラは、帽子とスカートを押さえた上でオレにアッカンベーをして突風に乗りあっという間に見えなくなってしまった。

 敗色を察して逃げたセーラなら別に誰も追わなくても文句は言わないだろうと思い、今まさにリサと呼ばれていた現在、ジェヴォーダンの獣に噛みつかれそうになっていたキンジの救出のためにマストから一気に下に降りてどうにかしようとしたら、ガブリと肩を噛まれたキンジは、それでクナイを構えたオレを手で制して噛まれながら優しい顔でジェヴォーダンの獣の顔に触れる。

 

「リサ、ありがとう。俺のために戦ってくれて。でももういいんだ。約束しただろう。リサは俺が守るって」

 

 先ほどまでの美人だったリサからは似ても似つかない姿に変わったジェヴォーダンの獣に、全くの敵意を見せずにそう言ってみせたキンジには驚かされたが、その言葉に反応したのかジェヴォーダンの獣はその噛みつきを緩めて肩から離れ、むき出しだった闘争心もキンジに対してぶつけることをやめてしまった。

 そんなジェヴォーダンの獣、リサの暴走を治めたキンジは、吹き飛ばされて戻ってきた閻をまっすぐに捉えて、オレも後ろに迫っていた閻から離れてキンジの横まで移動。

 だがすでに現場はリサの出現で眷属側が戦意を失いつつあり、パトラもカツェもヘロヘロの状態。

 

「うむ。これ以上の戯れは止そう。我の務めはこの戦の行く末を見守ること。なればすでに結果は見えた」

 

「逃がすと思うかい?」

 

 それをざっと見て判断を下した閻は、これ以上の戦闘は無駄と金棒を下げて逃走のために海に飛び込もうとするが、それを羽鳥が銃を向けながら止める。

 

「勘違いされるな人間。見逃すのは我の方。この場は退いてやると言うのだ」

 

 完全に立場はこちらにあるというのが普通では成り立つ公式であろうが、この場にそれが当てはまらないのは羽鳥も含めて全員がなんとなくわかる。

 それだけ閻という鬼が桁外れに強い。

 わかるからこそ言ってから海に飛び込んだ閻を誰も追撃できなかった。その圧倒的なプレッシャーで、手痛い反撃が来るのがわかってしまうから。

 

「……仕方ないね」

 

 海を泳いで遠ざかっていく閻を見ながらに、もう射程外になって銃を下ろした羽鳥が悔しそうに呟けば、皆も臨戦態勢から1段下げて残ったパトラとカツェを縛り上げて終結。

 人質にしていたイヴィリタもカイザーが連れてきて帆船もいかりを下ろして海上に止めて一段落とすると、すっかり大人しくなったリサを見ながらにキンジに一応は尋ねておく。

 

「このリサ、だっけ? この子は元に……元がどっちなのかも知らないが、人型には戻るんだよな?」

 

「た、たぶんな。リサが言うには瀕死と満月が変身の条件みたいだから、朝になれば元通りにはなる、はず」

 

「元に戻った時にはあれな感じになりそうだから服は用意しとけよ。何はともあれ、色々と言ってやりたいこともあるが……」

 

「ひとまずはこれにて一件落着、ってところか」

 

 噛まれた肩の調子を確かめながらのキンジもリサの変身を見るのは初めてだったらしく、曖昧な返事ではあったものの、暴れる心配はなさそうなので安心しつつキンジと一緒に手に持っていたクナイとベレッタを懐にしまってお決まりになりつつある台詞で笑みをこぼすのだった。

 

「はじめまして猿飛様。リサ・アヴェ・デュ・アンクと申します」

 

 翌日。

 キンジの予想通り月が沈んで朝になったらリサは元通りの人間の姿に戻り、アムステルダムのリバティー・メイソンのロッジでの朝食時に武偵高のセーラー服をメイド風アレンジした服装にカチューシャまでつけて改めて対面すると、本職みたいなものがメイドらしいリサはそうした自己紹介と共にロングスカートを摘まんで上げてお辞儀をする。

 

「キンジの嫁って理解でオーケー?」

 

「おい」

 

 聞いた話ではこのリサは眷属の代表戦士で、パトラ達がゾロゾロと出かけて迎えに行った行方不明者でもあったらしい。

 そのリサはブリュッセルでのあのホテル襲撃をやらされた当人で、逃走したキンジと鉢合わせて眷属から師団に鞍替えしようと投降。

 しかし事情があれだったから協力してブリュッセルを抜けて今まで一緒に潜伏生活をしていたというのだ。

 これにはさすがのオレも苦笑い。まさか羽鳥の突拍子もない推測が当たってしまっていたのだから。

 それでリサもまた元イ・ウーのメンバーだったようで、ジャンヌやワトソンとも面識があり、物凄く温厚で戦闘力は皆無ということもわかった。ジェヴォーダンの獣の状態を除けばだが。

 

「ご主人様、猿飛様のご理解はあながち間違われていない気がするのですが……」

 

「いや間違ってるだろ。お前は嫁ではない。これは断言する」

 

 とまぁ、そんなリサもオレのなげやり気味の言葉に真面目に反応して、それにツッコむキンジの図が完成。

 さらに降伏して停戦交渉を持ち出してきたパトラ、カツェ、イヴィリタも同席していたのだが、そのカツェがそこに割って入り、ジャンヌやメーヤさんも混ざってで何やらキンジの取り合いみたいな事態が発生。

 モテる男は辛いねぇ。

 なんて思いながらすっかり平和になった食事の場で、別のテーブルに羽鳥とワトソン、カイザーと一緒に座ってのんびりと食事を再開する。

 

「猿飛氏」

 

 再開したのはいいのだが、すぐに別のテーブルで食事をしていたイヴィリタに声をかけられて手招きされてしまい、パトラ、ローレッタさんといるテーブルにカツェの席を拝借して座って何か用かと捕まった身で偉そうにするイヴィリタ達を見る。

 

「今回の戦い、遠山氏の働きが厄介ではあったけど、あなたも大概でした」

 

「喜べサルトビキョウヤ。お前はサナダユキネの懐刀から昇格ぢゃ」

 

「……ローレッタさん?」

 

「私は何も。ただ我々が猿飛さんにお付けした通り名でお呼びしただけですよ」

 

 とか切り出してきたイヴィリタとパトラの意味深な言葉で、なんとなくこれから言われることを察したオレがローレッタさんに疑問をぶつければ、ニコニコとしながら確定情報で返されてガックリ。

 

「バチカンに倣って、魔女連隊もまた猿飛氏に敬意と畏怖の念を込めて呼ばせてもらうわ」

 

「良かったのぅ、影の陰」

 

「…………日本に引きこもろうかな……」

 

「ほほっ。それならそれでサナダユキネにこき使われるぢゃろうな」

 

 これでまたオレの中二病を患った通り名が広まってしまったので、2度と欧州に来たくない気持ちが芽生え引きこもり宣言したら、それはそれで困ることをパトラにツッコまれてしまいさらにガックリとするのだった。

 

「んで、結局のところ何がどうなったんだよ」

 

 それから数日。

 眷属とは停戦協定が結ばれ、その具体的な交渉内容は羽鳥やジャンヌ、ワトソンがしてくれてるので、基本的に前線のオレやキンジは交渉について聞き及んでない。

 だから丁度よく連絡のついた橘夫妻への報酬を支払うために羽鳥と一緒にアムステルダムの空港へとやって来て、その待ち時間中にそちらの方を尋ねてみる。

 

「まだ色々と調整中といったところだ。何か聞きたいならピンポイントで聞きたまえよ低能」

 

「……各陣営のその後についてだ。師団と眷属のじゃない、もっと細かいやつ」

 

「またざっくりとした……まぁいい。我々リバティー・メイソンはひとまず優位に立ったと言っていい。それをどう利用するかは私の領分ではないしどうでもいいんだが。バチカンも面白いくらいに勝ち誇っている。なにせ表向きで師団で、裏では眷属に情報を売って1度は信用を買い、そこから嵌めて師団の勝利に貢献したんだからね」

 

「そんなもんは見様によって変わる。それでもお前はこうなることで収めたんだろ」

 

「君の言う『誰も傷つかない最善』の結果だよ。その過程では残念ながら傷つく人や物もあったが、争いにおいて無傷などあり得ないと割り切るしかない」

 

 本当はオレの聞きたいことなどわかってるだろうに、オレに悪口を言いたいだけの羽鳥にはいい加減に慣れたので流しつつで聞きたいことに触れると、やはりバチカンはスパイ行為についてはお咎めなしになっていた。

 もちろんリバティー・メイソンやオレ達がバチカンを糾弾すればそれなりの処罰はあるのだろうが、それを受けるのは尻尾切りのローレッタさんになるのはわかってたし、そんな処分をオレ達が望んでるわけではない。

 

「バチカンも悪い組織ではないんだろうが、根本的に改革しないとダメなところはあるのかもな」

 

「そこはほら、真実を知ったメーヤやシスター達が何を思うかで少なからず動きはあるさ。シスターローレッタにだってその件でも追加でお願いはしておいた。『バチカンが胸を張れる行いをする組織であるために尽力してくれ』ってね」

 

「なかなかの宿題を残したな」

 

「それがスパイ行為への贖罪になるならって快く引き受けてくれたよ」

 

 オレ達が望むのはバチカンが同じことを繰り返さないでくれること。それさえできればリバティー・メイソンや藍幇、その他の組織だってきっと誠実に繋がれるはずだから。

 

「魔女連隊はその陣地やら拠点やらをこちらにいくつか明け渡すことで縮小した形かな。アリアの殻金も返還される」

 

「妥当なところか」

 

「魔女連隊はもっと厳格だからカツェも死罪とかでも不思議はないんだが、君との何気ない会話が上官の情に訴えたとか聞いたよ。どんな会話をしたのやら」

 

「世間話だよ。ただのな」

 

 バチカンについてはこれ以上のことはないとばかりに次は眷属の方に話が移ると、なんかイヴィリタが温情でカツェ達を助けたみたいだが、それにオレが関わってるとか聞くと実質なにもしてないから実感はない。本当に会話しただけだし。

 

「パトラは……戦闘行為の大幅な制限と、アリアの母親の件での協力。殻金の返還といったところだ。とはいえ本人も今後は派手にドンパチやる気も暇もないとか言ってたし、小声で『婚約』とか口走ってて、近く日本に発つとか呟いてもいたよ」

 

「婚約? んー、なーんか心当たりあるようなないような……」

 

「まぁパトラが誰と結婚しようと構わない。それで厄介な魔女が隠居してくれるなら、こちらとしてはありがたい限りだしね」

 

「違いない」

 

 パトラもパトラで今後は自粛してくれるようなので、職業上で敵になりやすい相手がそうなってくれるのは非常にありがたいため、羽鳥と同じ笑みがこぼれる。

 

「あとは停戦に当たって玉藻御前が張っている鬼払結界の解除も要求されていたりとあるが、その辺は決定したらジャンヌやワトソンが改めて話してくれるだろう……っと、来たようだ」

 

 めぼしいことはそれで終わりとばかりにひと笑いのあとに話を締めにかかった羽鳥は、それとほぼ同時に空港へとやって来た橘夫妻の登場で最後まで言い切ることなく終了させ、オレ達を見つけた橘夫妻もこっちに近寄って来てくれる。

 

「どうやら京夜さん達の案件も無事に済んだようですね。2人とも良い顔をしてます」

 

「おかげさまで」

 

「マダム達の助けがなければこの結果は得られなかったでしょう。これは我々からの最大限の感謝の証です。少々下品な形ではありますが、お納めいただければ嬉しく思います」

 

 会って早々でオレ達の表情が明るいことに気付いた英理さんは、そう言って笑顔を向けてくれて、言葉少ななオレに代わって羽鳥があれこれ言ってから報酬である分厚い封筒を英理さんへと渡すと、それを受け取った英理さんは中の札束から10万円ほど抜き取って羽鳥へと返してしまう。

 

「チップは受け取らないと決めています。こちらが提示した報酬以上のこのお気持ちは、別の何か大事なことに使ってください」

 

 こういうのもセーラのようなプロ意識なのかなと思うが、オレは今回の橘夫妻の活躍は提示された報酬以上のものは確実にあったと確信してるし、羽鳥もそういった気持ちを最初から出しまくった上でオレとの合意の上、報酬を増していた。

 それでも受け取ろうとしない橘夫妻の意思を汲み取って、渋々ではあるが返された金を受け取った羽鳥は、オレの方を向いて「やっぱりこうなったか」とアイコンタクトしてから橘夫妻に向き直る。

 

「お時間もないでしょうから我々はこれで。これからもその手腕で、我々のような人の助けになってあげてください」

 

「お体には気を付けてください」

 

「お2人もお元気で。それから仲良く、ね?」

 

「「それは承服しかねます」」

 

「あらあら、余計なお世話だったみたいね」

 

「英理、あの件はいいのか?」

 

 それでわざわざ空港で待ち合わせたのが、これから橘夫妻が航空便でイタリアに飛ぶからだったので、その間の時間を割いてくれた2人を拘束するのはいただけないとオレも羽鳥も撤収の流れにしたら、英理さんの言葉に羽鳥とハモってしまった。

 そんなオレ達の反応にひと笑いした英理さんも見送る感じになったのだが、吉鷹さんの言葉で何か思い出したのか、背中を向けかけたオレを呼び止めてくる。

 

「そうそう。京夜さん、このあとはご予定などありますか?」

 

「…………いえ、予定としては2日後に日本に帰るくらいですけど……」

 

「その帰国は急ぎですか?」

 

「いえ」

 

「でしたら騙されたと思って行ってほしいところがあるんですけど」

 

 呼び止められて聞かれたのは今後のオレの予定で、帰国が急ぎでないと知った英理さんは不思議なことを言ってオレにどこかに行くようにと勧めてきて、当然どこかと気になるオレが尋ねれば、そこはオランダからは目と鼻の先の意外とオレとは無縁でもない場所。

 

「イギリスのロンドン。そこのある場所にあなたに会いたいと言っている人がいるんです」

 

 こうして欧州戦線、連鎖的に極東戦役は一旦幕を閉じ、オレはまた何かに導かれるように行く先を示唆されるのだった。



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Bullet114.5

 

 1月某日。

 前日に異常気象とかで本州のほぼ全土を猛吹雪が襲撃。

 あまりに突然の天候不良に交通機能がほぼ停止となる事態が起きて、東京でも雪に免疫がないため事故が多発。てんやわんやです。

 

「こっちもこっちで大変だ……」

 

 そんな自然の猛威にさらされた影響は私にもあって、現在、山梨県の富士山の麓。かの有名な青木ヶ原樹海の入り口に来ていた。

 青木ヶ原樹海と言えば色々と俗説などが飛び交ういわく付きのスポットではあるけど、実際にはそこまで危ない場所ではない。整備された施設とか道路とかもそれなりにあるしね。

 それでも森の深くに入れば同じ景色の連続で迷うことはあるし、今は季節的に厳しい冬。精神的にも肉体的にもかなり危ないレベル。

 そんな青木ヶ原樹海に来たのは、実はおじいちゃんのヘルプがあったから。

 前日の吹雪によって自衛隊の訓練機がこの森の上空で消息不明になり、未だに連絡がつかないとかで捜索願いがおじいちゃんのところに入って、かなり広範囲の捜索なので私も駆り出されたわけです。

 ですが、いざ現地に来てみると天候は前日のをちょっと引き継いだ粉雪が降っているし、風もほぼ無風。

 捜索のためにおじいちゃんが引っ張ってきた犬と鷹でしたが、視界も悪いため鷹の出動は見送り。

 風もないため犬を出しても成果が見込めないかもと足踏みすることに。

 

「とりあえずやるだけやってはみるか」

 

「森に入るのは厳しいよね」

 

 それでも1度はやってみようとおじいちゃんが犬を引っ張って私にも預けてくれる。

 こういった犬を使った遭難者の捜索では空気中に漂う臭いを頼りに行うので、私達も森の風下から風に乗ってくる臭いを拾わせるのですが、ほぼ無風の今はなかなか上手くいかないし、雪も割とバカにできない。

 まだまだ寒い季節だから今回、昴は幸帆さんのところでお留守番してもらってるけど、なんだか落ち着かない。一緒にいるのが当たり前すぎたのかな。

 

「んー、やっぱり拾えないっぽいよ、おじいちゃん」

 

「……そのようだの。天候が良くなることを祈って鷹を飛ばせれば或いはといったところか」

 

 そんな昴の不在でいまいちな私が影響してるかはわからないけど、臭いを拾おうとしてくれた子から「無理っぽい」と言われて、おじいちゃんの方もダメっぽい。

 でもこういった遭難者の捜索はあまり悠長にやっていられないのは言うまでもない。

 焦ってもダメだけど、スピードが求められる。理不尽なようだけど、人命救助はそういうものなんだっておじいちゃんおばあちゃんも、お父さんもお母さんも経験から教えてくれた。

 

「でも午後も天気は良くならないって。ほら」

 

 おじいちゃんは何度も遭難救助をしてきたから焦りは見せなかったけど、希望的観点のそれは今やニュースという情報社会で無慈悲に叩き潰される。

 それを私の携帯の画面から知ったおじいちゃんは、ふむと唸ってから救助隊の人達と話しに行ってしまって、私も何も出来ないのでそれについて話を聞く。

 

「とりあえず森に入ってみましょう。臭い以外でもこの子らはいくらか探すことは出来ますから、いくつかのチームに分かれて横並びで進んでみます。小鳥、お前はおじいちゃんと少し離れてこの子らの統率を手伝いなさい」

 

「うん。わかった」

 

 そうしたおじいちゃんの指示で救助隊が犬の数だけチーム―――今回は6匹連れてきたから6チーム―を作り、私とおじいちゃんは横並びの2、4列目に加わって3匹ずつの声を拾う。

 犬達の声が聞こえるギリギリの間隔で横並びした救助隊のチームと一緒に、装備を整えた私は生まれて初めての遭難救助にちょっと緊張していた。

 こういったことで救助犬とそのハンドラーが大きな責任を負うということもそれほどない――捜索の1つの手段ということから――けど、認知度も成果も高まってきた昨今では期待値もそれなり。

 だから高校生である私でも救助隊の皆さんの真剣な眼差しがビシビシと背中に突き刺さりますし、思いは1つ。

 

「助けるんだ。絶対に」

 

 そんな気持ちが言葉として出てしまって、割と大きめなその声は後ろを歩く救助隊の人達にも聞こえちゃったみたいで、ハッとして振り返った私に笑いながらグーサインを返してくれたけど、恥ずかしい……

 余計な臭いを拾わないように犬達を戦闘に風上に向けて進んでいた私達でしたが、さすがに昨日の吹雪で森の中は痕跡というものの1つも見つからず大変。

 そのためにかなりの牛歩で進むことになってしまって、20分で犬達の小休憩を兼ねて現在地の確認と各隊との報告を済ませてまだ400メートルくらいしか進んでない。分速20メートルはちょっと遅いかもしれない。

 

「おじいちゃん、ペースを上げない?」

 

『この環境でこのペースは妥当なところだろうな。こっちも遭難しないように逐一で位置は確認しておかねばならんし、焦りは犬達にも伝わる』

 

 だから素人ながらにおじいちゃんへ進言してはみたけど、やっぱり焦るなと言われて却下気味。

 おじいちゃんとしてもペースを上げたいのはわかるし、私の独断専行とかで何か起きたらそれこそ目も当てられない。何より今回はおじいちゃんのサポートが私の役目で、能力以上のものを求められてもいないんだ。

 

「皆さん、こういう気持ちでいつもお仕事されてるんですね……」

 

 おじいちゃんとの会話を終えてから、周辺を少し探っていた救助隊の皆さんについそう呟いた私に対し、優しく微笑んだ皆さんは「だからこそ焦りは禁物だ」と口を揃えて言って返す言葉が見つからない。

 そうして休憩を挟みながらに1時間の捜索を続けていった私達でしたが、自然の脅威を実感するような森の静寂さと変化のなさにジリジリと精神を蝕まれていき、それは体にも影響を与えていく。

 

「雪に隠れて足下が……悪いかも微妙にわからな……っとと」

 

 この辺は積雪量もそれほどじゃないから、昨日の吹雪だけではそこまで雪も積もってはいなかったけど、それが逆に地面付近の枝やら何やらを上手く隠して非常に歩きにくい。

 踏んだ先が中抜けしたりして嵌まるのもすでに数回あったけど、これが重なるとやっぱりストレスにはなってくる。

 うがー!

 

『何かあったようだの。少し見てくる』

 

 そんなストレス爆発寸前の時に不意に無線からおじいちゃんの声がして、どうやら1列目の子が何かを見つけたみたいで、私達は一旦その場に待機して合流に向かったおじいちゃんの報告を周辺探索をしながらに待つ。

 ――お願いだから進展して。

 捜索する側もされる側も精神的、肉体的な限界は訪れるし、それは捜索される側の方がキツいのは言うまでもない。

 ガッチガチのフル装備をしてる私ですらこうなのだがら、十分な装備もない遭難者はかなりマズイ状態と判断してもいい。

 そうした願いが届いたのか、おじいちゃんが発見したのは墜落した航空機の大破した本体。

 これで中から残念な姿が発見されたらいたたまれないけど、不幸中の幸いか大破した機体には誰の何もなかったと報告があり一同でひと安心。良かったぁ。

 だけどそうなると機体から脱出した人達はどうしたのかとその辺の報告を待つと、機体の周囲に移動した形跡やらが全くないときて、そこから察するに空中で緊急脱出してパラシュートで風に流されたのではないかと結論。

 あの吹雪の中でどの高度から脱出して流されたかにもよるけど、10キロ以上は流されないとは思う。

 そこで今度は昨日の風向きを調べてその方向に隊列を並べ直して再度アタック。進んでいた方向から約45度右を向いた形になって歩き始めた。

 

「マズイなぁ……マズイよねぇ……」

 

 そこからさらに1時間。

 すでに時間は昼下がりにまでなっていて、これ以上を進むとなると森を脱出する頃には日が沈んでしまうと概算で弾き出され、隊列も1度止まってしまう。

 ミイラ取りがミイラになっては元も子もないのはわかるけど、ここの判断は難しい。決定権は救助隊リーダーとおじいちゃんだけど……

 

『…………仕方ない。今日は撤退だな。夜の森は危険だ』

 

 やっぱり捜索は断念になってしまう。

 9割方そういう判断をするだろうとはわかっていたけど、ここまで来て引き返さないといけないことに悔しさが溢れてくる。

 

「…………諦めたくない」

 

 皆さんも同じように悔しさを押し殺した表情で来た道を戻り始める中、私はそこまで大人になりきれない子供同然の思いでその場に留まって何か出来ないかと考える。

 考えるけど、おじいちゃんの指示を理解してる子が私の袖をくわえて戻ろうと引っ張ってくる。それが辛くて辛くて涙が出てくる。

 

「何か……何かできないの……」

 

 ぐちゃぐちゃな思考のままに引っ張る力を強くした子にバランスを崩した私は、支えを求めて近くの木に抱きついてなんとか止まり、ごめんと謝る子に大丈夫と伝えてから木から離れようとして、気づいた。

 

「………………お願い」

 

 不確かで自信も欠片もない。

 でも過去にそれらしい前兆を掴みつつあった私は、祈るように目の前の木に手と額を当て話しかける。

 私の能力は動物とコミュニケーションを取るのが最適だからこそ普通にできる。

 でもそれが本来の能力である『自然との対話』の第1歩でしかないことを、私はもうおじいちゃんから聞いて知っている。知っているんだ。

 

「お願い。ほんの少しでいいから、私に力を貸して……」

 

 知っていれば、その『先』に踏み込める。

 京夜先輩も言っていた。自分を信じることで開ける道もあるんだって。いつ言われたかなんてそんな些細なことはどうでもいい。

 今は自分を信じて信じて信じて信じ抜く! それしか私にはできないんだから!

 ――ブワッ!

 私の必死な思いを目の前の木に伝えていたら、不意に今日初めてとなる突風がさっきまで進んでいた方向から一気に吹き抜けていって、その風と一緒に何かが聞こえた気がした。

 「こっち」と、片言のようなその言葉は、私の心に直接届いたような、そんな気がする。

 しかしその風がもたらした変化は私にだけではない。

 今まで私を引っ張っていた子が、突風が吹き抜けた瞬間にその顔を上げて鼻を高くし、次には「なんか臭う!」と強く私に訴えてから勢いよく走り出してしまう。

 

「お、おじいちゃん! 臭いを拾ったって! 先に進んでもいい!?」

 

『なに!? ちょっと待て! まずはそちらのチームのリーダーと……』

 

 その子の勢いに乗せられるように、無線に叫びながら走り出した私をおじいちゃんが落ち着かせにきて、引き返していたチームの皆さんが慌てて私のあとを追い始めるのがわかったから、私はもういま出せる全力で軽やかに走る子を追いかけた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……あっ!!」

 

 この時期に汗をかくのが凍傷に繋がるからダメなのは知ってたけど、氷点下とかじゃないし大丈夫――大丈夫じゃないけど――と走り続けて、少し先で走っていた子がピタリとその動きを止めてワンッ!

 吠えて私に「いたぞ!」と知らせてきて、私も近くまで行ってからパラシュートを潰れたテント代わりにした空間を覩見つけて、その中で皆さんにもしっかり聞こえるように吠えまくりの子を外で吠えるように言ってから、そこにいた要救助者が全員生存していたことを確認。

 見るからに衰弱している皆さんに急いで持っていたカイロやら飲み物をあげて、遅れて着いた救助隊の皆さんが息を吹き返したようにテキパキと行動して応急処置やら何やらを施してくれる。

 そこからはもう早いもので、別のチームも合流して出せる全力で森を抜けた頃には日が沈んでいて、かなりギリギリの救出だったことを理解し道に出てから怖くなって膝をついてしまう。こんな暗い中で助けをずっと待ってたんだ……

 

「これ、そんなところで座っとったらお尻が冷えるぞ」

 

「おじいちゃん……」

 

 そんな私に頑張った子達を引き連れたおじいちゃんが近寄ってきて立ち上がらせてくれるけど、その顔は暗がりでもわかるくらいには怒ってるっぽい。独断専行しちゃったしね……

 

「ほぼ同時だったがの、これらも臭いをキャッチしておったよ」

 

「えっ?」

 

「風がな、急に吹いての。それがまるで『こっち』だと言ってるように吹くものだから、年甲斐もなく戸惑ったわい」

 

 私の独断専行には怒ってるみたいだったけど、それ以上に私が感じたことをおじいちゃんもなんとなく感じたみたいで、おじいちゃんでさえ初めての経験だったのか戸惑いを隠せていない。

 

「おじいちゃんでも初めてのことなんてあるんだね……あっ。お礼を言わないと!」

 

 貴重な経験を喜んでもいるおじいちゃんの怒りがどこかへ行かないかなと企みつつ話を逸らすように口を開いてから、きっと私達を助けてくれたであろう森に感謝を伝えるために近くの木に触れる。この子に伝えて大丈夫かはわからないけど。

 

「ありがとう、森さん」

 

「ん? 小鳥、お前……」

 

 ただの偶然かもしれないけど、それでも何かを感じたのは確かだから、ちゃんと言葉にして感謝を述べたら、なんかおじいちゃんが急に声をかけてきたので木から手が離れてしまった。つ、伝わったかな。

 

「なに、おじいちゃん」

 

「ん、見間違いではなさそうだが……ふむ。小鳥、もう1度木に触れておれ」

 

「な、なんなの?」

 

 なんか中途半端な感じになったのを気にしてか、おじいちゃんがもう1度木に触れるように言うので、今度はツッコまれても無視するつもりで木に触れて改めて丁寧に感謝の言葉を伝える。

 すると森の方から穏やかな風が吹き抜けて、その時に「さよなら」と感覚的に言われた気がして、これから私達がここを離れるのをわかってるかのようなその言葉にはビックリするけど、ありがとう。

 

「こりゃ吉鷹のやつも儂も形無しか」

 

「えっ? おじいちゃんは何を言ってるの?」

 

「小鳥よ。お前はもう、おじいちゃんとお父さんを越えた。完全にとまではいかないまでも、橘の血筋でこれほど喜ばしいことはない」

 

 森からの別れの言葉を受け取ってから手を離した私は、ジッと見ていたおじいちゃんが意味不明なことを言うのでキョトンとしてしまう。

 私がおじいちゃんとお父さんを越えた? まっさかー。

 

「またまたー。孫を褒めても何もできないよぉ」

 

「マジマジ。おじいちゃん目ん玉が飛び出そうになったもん」

 

「またまたー。そんなこと言ってー」

 

「限りなく『緑』になりおったからな」

 

「ん?」

 

 冗談も大概にしてよぉ。といった感じで返したら、おじいちゃんも今時のノリで返してはきたけど、凄く唐突に真剣な顔で話を切り替えたので私も戸惑う。

 緑? 色。確かおじいちゃんは色んなものを色で大別して調子とか性質とかを視覚的に見れるって言ってたけど、あれだよね。

 で、緑って確か自然のものが持ってる色で、青が無機物とか人工物で、赤が人だったっけ。

 

「緑って、何が?」

 

「小鳥がだよ。自然物に触れてる間だけではあったが、確実に『黄色のライン』を越えて緑に寄っておった」

 

「そ、それは凄いことなの?」

 

「こう言っては孫に悪いが、人に非ずといったところか。橘の人間。吉鷹も儂も能力を使ってる間は野生動物などと同じ黄色のオーラを纏う。これは儂らが『動物達の側に寄ること』で意思疏通を可能にしていて、これを儂は黄色のラインと呼んでおる。これ以上の対話。自然物との対話を可能にするには、この黄色のラインを越えねば無理だと儂は考えている」

 

 えっと……何やら難しい話かなとは思うけど、おじいちゃんの話をまとめると、私の能力は動物達の対話以上のことを一時的に出来るようになったってこと、だよね。

 

「人に非ずって……あ、危なかったり?」

 

「それはわからんが、あまり長くその状態でいるのは危険かもしれん。今も自由が効くようには見えんし、力が安定してコントロールできるようになるまでは多用はせんように。そうせねば『自然に食われかねん』」

 

「食われ……そ、そこまで怖い感じはしなかったけど……」

 

「自然にも人のように個性がある。今回はたまたま良き自然と触れたからそう感じただけかもしれん。その力で天災にでも触れれば、怒りすら買いかねんぞ」

 

「り、了解です」

 

 おじいちゃんの言うことには物凄い説得力があるので、まだまだ謎の多い私自身の力に振り回されないようにと心に誓いつつ、1歩進んだこの力の扱い方も覚えていこうと思う。

 

「えっと、それじゃあこれで任務完了だよね! さーて武偵高に戻るぞー! 戻ったら京夜先輩も帰って来てるかもだし、幸帆さんにも昴を預かってもらったお礼しないとだし!」

 

 そうした感じで真面目な話が終わったので、一転して明るくしてルンルンと撤収のために移動を始めたら、その頭をぐわし、とおじいちゃんに掴まれてクルリと反転して正面を向かされる。

 

「それはそれとして、団体行動の基本を怠った孫にはちょいとお灸を据えてやらにゃいかんのぅ」

 

「うえーん。こうならないように逃げたのにー」

 

「ほほぅ。わかってて逃げたなら刑は重いのぅ。武偵には3倍刑という制度が適応されるようだし、ここはそれに則って」

 

「堪忍やー! 堪忍やでじっちゃーん!」

 

「何故そこで関西弁になる」

 

 やっぱり忘れてなかった私の行動のお仕置きに、心の底からの悲鳴を上げて逃走。体力は私の方がある!

 そうやっておじいちゃんとふざけて走ってたら、救急車の方からお呼ばれされて、おじいちゃんにタイムをかけて近寄ってみると、救助した自衛隊員さんの1人が私の手を取って一言「ありがとう」と代表して言ってくれて、なんだか照れ臭くなる。

 結局は独断専行しちゃってたし、私だけの手柄なわけではないけど、おじいちゃんも何も言わずにそれを見てくれた。

 それから救急車で運ばれていった自衛隊員さん達を見送って、おじいちゃんによる拷問――連れてきた子らによる地獄の舐め回し――は実行に移され、終わった頃には完全に死に体になっていた私は、最寄りの宿泊施設におじいちゃんと一緒に1泊してから武偵高へと戻った。

 

「自然と対話する力……か」

 

 武偵高へと戻ってきてから、下の階の遠山キンジ先輩が帰ってきてることは騒がしさから察せたのですが、一緒に修学旅行Ⅱの補習に行った京夜先輩が帰ってきてなくて少し寂しかったです。

 それでも私も今回、自分の力をこれまで以上に引き出せた時の感覚をぼんやりと思い出しながら昴と一緒に部屋のお掃除。

 

「黄色って、確か京夜先輩も同じ色をしてるっておじいちゃんが言ってたっけ。ってことは私と京夜先輩はお揃い? やっぱり運命の赤い糸ってあるのかな……って、昴。『なんでもかんでも運命にするな』って夢を壊さないで!」

 

 割と真剣な考えだったけど、なんか京夜先輩のことを思い出したら変な方向になって、呆れた昴にからかわれてしまいました。

 でもいつか、この力を自分の思うままに扱えるようになったら、いいな。



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色金編
Bullet115


「どうしてこうなった……」

 

「それは君が極端な運の持ち主だからだろうね」

 

 欧州戦線を終結させ、極東戦役もひとまずの停戦にまで持っていけてようやく日本に戻れるかと思っていたが、オレが今いる場所はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国。その首都だ。

 ……イギリスのロンドンだが、格安航空でオランダの空港から辿り着き、祖国ということで羽鳥がガイドとしてついてきた。

 

「その運は今回はどっちに転んでるんだよ」

 

「間違いなく幸運の類いだろう。欧州での反動だろうけど、フフッ。次の悪運で死なないか心配だよ」

 

「笑いながら言うことではない」

 

 そのガイドの羽鳥はロンドンに用があったからと、ガイドはほとんど後付けみたいな役割で、ここからはもう別行動となるからか心なし嬉しそうにしてるのがムカつく。

 そんなオレと羽鳥が空港を出て真っ先に来たのが、ここロンドンでもけっこう有名なベーカー街。

 あのシャーロック・ホームズが居を構えていたところであり、そこにいま住んでいる『アリアの妹』に、英理さんの勧めでオレは会いに来たわけだ。

 

「それでは私はこれで失礼するよ」

 

「へぇ。お前がアリアの妹の顔も見ないで行くなんて、珍しいこともあるもんだ」

 

「私に自殺願望はないからね。呼ばれてもいない身で会って彼女の機嫌を損ねでもしたら、そこで私の人生は終わりを迎える」

 

 そのアリアの妹であるメヌエット・ホームズに会わずに行こうとする羽鳥は、忠告するようにそんなことを言うのだが、英理さんがすでにアポイントメントを取ってくれてるとはいえ、お呼ばれしたのはオレだけ。

 だがこのメヌエットは大変に気難しい性格で、物理的に強いアリアとは真逆に遺伝した頭脳派らしく、羽鳥ですら機嫌を損ねることを怖れるレベル。

 

「会う前にそういうこと言うなよ」

 

「言わずに死ぬより優しいと思うがね。まぁ最後に言うなら、アリアの妹だから。アリアの友人だから。そんな気構えだと門前払いにされるだろうから、くれぐれも油断や隙を見せないことだ」

 

「嫌だなぁ……年下への気遣いとか……」

 

「年は関係ない。彼女はアリアと同じ貴族。貴族と平民の格差はバカじゃないなら理解はしてるだろ。自分の立場を忘れるな」

 

 ズビシッ!

 なんとなくでこれからメヌエットに会う心構えができてないオレに対して本当に厳しい羽鳥だが、最後と言っただけにそれで終わって手で銃の形を作りバンッ、と撃つ仕草をしてから歩いていってしまった。

 何の示唆かはあえて言わないが、先行き不安になるようなことをするなと。

 

「ここか」

 

 ガイドとは名ばかりな羽鳥と別れてベーカー街を少し歩き、そこだけが19世紀末にでもなったかのような趣あるアパートの前まで来て、その表札に英語でメヌエット・ホームズの名が刻まれているのを確認して、約束の時間にも間に合ってることを確かめて呼び鈴を鳴らす。

 鳴らしてすぐに扉を開けてくれたのは、ここで雇われているだろう双子っぽいメイドで、年の差はほとんどないだろうが少し無愛想な印象はある。他人のことは言えないけど。

 

「橘英理さんからご紹介いただいた猿飛京夜です」

 

「サシェです。ようこそ(ウェルカム)

 

「エンドラです。ようこそ」

 

 別に接待をしてくれるならメイドの性格とかいちいち気にしても仕方ないので、一応は名乗ってからサシェとエンドラに中へと入るように促され、なかなか落ち着いた感じの内装の廊下を歩いて奥の部屋へと通される。

 そしてその部屋には、いつかイ・ウーの艦内で見た博物館を小型化したような世界があって、この辺でもシャーロックの遺伝が関係してたりしてなかったりなんだろうとしみじみ思う。

 

「メヌエットお嬢様はこの先のお部屋にいらっしゃいます」

 

「失礼のないよう、よろしくお願いします」

 

 そんなプチ博物館を進んだ先にあった階段の両端に立ってどうぞと促したメイド2人は、これ以上は来るなと命じられてるらしく、何気なくエレベータもあったりバリアフリーになってたりな中の造りを気にしつつも階段を上がり、教えられた部屋まで一直線に歩いていこうとする。

 だがちょっと心構えがあれだったので歩く前に羽鳥の助言通り、アリアの妹とかそういうのを排除。

 その1歩目でギィッ、と木の板の廊下が軋む音がしてちょっと止まる。

 

「現代最高の探偵、か」

 

 そこで思い出したのはメヌエットが現代において最高峰の探偵と呼ばれていることと、その曾祖父があの教師面したシャーロックだという事実。

 あの性格を知ったからか、そういうところまで似てたら嫌だなぁとか思いつつ改めて廊下を歩き、目的の部屋の扉をノック。返事はない。留守のようだ。帰ろう。

 とまぁそんなわけはないので沈黙は了解とは言うので「失礼」と一言だけ述べてから扉を開けて中へと入る。

 生前のシャーロック――今も生きてそうではあるが――もそうだったらしいと書物にもあるが、中は割と汚い。

 出したら出したままの本やらが机に積まれてたりとする部屋の奥。そこにメヌエットはいた。

 

「不思議な匂い。香水や何かの外部的要因ではなく、本人から発する体臭、とでも言うのでしょうか。とても自然な匂いですね」

 

 そのメヌエットはデスクを挟んだ向こう側でまだこちらを見ずに腰かけてオレに背中を向けていたが、腰かけているのは車椅子で、挨拶もなしに急にそんなことを言う。

 

「身長は160センチ前後。体重は52キロといったところでしょうが、男性にしてはずいぶんと小柄です……」

 

 そして驚くことにまだ見てもいないオレの身体的ステータスを述べたメヌエット。

 オレの予想した通りにそれを導き出したなら、噂に違わない実力者と言いたいところだが……ざんね……

 

「が、これはフェイク。本当のあなたはもう10センチほどは身長があると思われます」

 

「…………その根拠をお聞かせ願いますか?」

 

「あら、最低限の礼儀もお持ちでしたか。素直な人には好感が持てますから、小舞曲(メヌエット)のステップの如く、順を追って説明いたしましょう」

 

 未だ振り向いてもくれないメヌエットではあったが、やはり侮れない。オレがした『意地悪』にも勘づいた感じで本当の身長を言い当てられた。

 

「まず足音。人体は常に、多様な情報を発信しながら動いている」

 

「去年の夏にも同じようなことを言われたので、身に染みています」

 

「そうですか。だからこのような意地悪をなさって私を試したのですね。非常に不快ですが、その比較対象となった方に免じて許しましょう」

 

 この話し方から察するに、オレがメヌエットと比較した人物も特定できていそうだが、あんまり口を挟むのもあれだから今は聞きに徹しよう。

 それにオレが口を開けばそれだけメヌエットに確定した情報を与えてしまう。

 

「話を戻しますが、そうした意地悪をするということは、私がこの部屋までの廊下であなたのプロフィールを言い当てられた推測はできているのでしょうね。ですからそこは省略し、あなたの意地悪を見破ったことについて説明します。あなたはどうやら見た目よりもずいぶんと身軽でいらっしゃる。足音の響き方で体重は誤魔化せませんから、その歩幅をあえて縮めて身長を体重相当ほどにまで設定し私のミスリードを狙った」

 

「ご推察の通りでございます」

 

「ですがそれを行うタイミングが悪かったですわ。肝心の『最初の1歩』から次までに不自然な間がありました。この部屋までに迷うことなどあり得ませんし、サシェとエンドラも命令以外の行動をしませんから、あなたがそこで思考したことを物語っているのです」

 

 さすが。

 まるでそこで見ていたかのような推理に意地悪を仕掛けたオレが面食らってしまう。

 なかなかに理路整然とした推理ではある。が、それでもまだ穴はある。

 

「では……」

 

「ではどうして本来の身長まで見破れたか説明いたしましょう。いくら歩幅を変えるといっても限界はありますし、体重から逸脱した身長では不自然な体格の男が出来上がってしまう。そこから推測し今度はあなたの歩幅に着目します。どのように偽っても本来の歩幅を変えるということは『歩幅に微妙なバラつき』が出る。そしてその時に『本来の歩幅』は出さないようにする。これは意図するからこその意識的な無意識の動作」

 

 穴はあったのだが、言う前に被せ気味で埋められたよ……

 しかもなんか難しいことまで言うから本当に年下かも怪しく思えてくるから怖い。

 

「それを踏まえて今度は歩数に着目しますと、階段からこの部屋までの廊下の長さは当然ながら把握していますので、実際に測った歩数から身長を割り出し、体重から逸脱しない限界値をおおよそ割り出すと、前後1、2歩で誤魔化すのがせいぜい。そして歩幅は最大値と最小値を上回るか下回るかの2択でほぼ確定しますが、歩幅の平均値が高めでしたので上回る方で確定いたしました。そして廊下の長さから2歩誤魔化したとする値は約15センチ。1歩でも約7.5センチにはなりますから、その平均値を述べたと言うわけです」

 

「……お見事。このようなご挨拶で申し訳ありませんでした」

 

「いえ、前戯としてはそこそこ面白かったですし、あなたの人となりもある程度ですが理解できましたので」

 

 見事な推理を披露しても、それは朝飯前と言うように返したメヌエットは、本物だな。

 そしてここでようやくメヌエットはその車椅子を反転させてオレと正面から相対してくれる。

 青い瞳のツリ目にツーサイドアップに結った綺麗な金髪ロング。外にあまり出ない人間特有の肌白さも合わさった色白は少しあれだが、やはりアリアの妹だけあって超がつく可愛さだ。

 服装は理子が喜びそうな暗色でまとめた人形に着せるようなゴシックロリータで、帽子のようなボンネットも被って生きた人形感が増している。

 

「はじめまして。ご招待いただき参上しました、猿飛京夜と申します」

 

「はじめまして。メヌエット・ホームズ。ホームズ4世ですわ」

 

 ここでレディーファーストの精神で名乗るのを待つか考えたが、この場面は名を尋ねるなら自分から名乗るのが礼儀かなと思い先に名乗ったら、特に問題なくメヌエットも名乗ってくれたので合ってたっぽい。この辺の礼儀作法はよくわからん。次はえっと……

 

「メヌエット。あなたの卓越した推理力はもちろんのこと、その若さで将来性を大いに感じさせる愛らしさと美しさは恐怖すら覚えます」

 

「平民にしてはよく褒めた方でしょうか。私と同じ貴族であれば50点といったところですが、平民ならば70点は差し上げてもいいかしらね。ありがとう、京夜」

 

 ぐっ……貴族とはいえ年下に呼び捨てにされるのはなかなか堪えるな。

 アリアなんて会ったその日に呼び捨てでいいって言ってたが、あれが特例であることを実感する。

 

「さて、挨拶も済んだことですし、私が京夜を招いた理由についてを話す順序ではあるでしょう。が、その必要もなさそうですね。もう帰ってください。お越しくださったことには感謝します。さようなら」

 

「…………はっ?」

 

 それでもこれが本来の立場による対応ならと表情にも出さずにいると、本題に入ってくれる素振りを見せた途端に帰れと言われ、思わずそんな声が出てしまう。

 

「よく感情をコントロールされていましたし、私が貴族だという前提を踏まえた礼儀作法にも不備は特にありませんでした。ですが人は不意に想定外のことを言われるとその本心を面に見せる。つまり今のリアクションが京夜の私に対する本来のリアクション。本心では私への敬意はあまりないということです」

 

 やられた……今のはオレの無意識での反応を引き出すためのアクション。あまりに突然の身勝手な発言だったこともあって素が出まくった。

 つまりメヌエットは最初からオレが自分を偽って接してることを勘繰って会話をしていた。

 探偵業で貴族だから、そういうことに敏感なのかもしれないが、だったらどうするのが正解なのかわからん。

 

「では私はどのようにメヌエットと接すればご満足でしょうか?」

 

「内心がバレて開き直りましたか。ですがこちらの意思を無視せずに仮面を被ったまま素直に尋ねられたのはとても好印象でしたわ。京夜は仮面を作るのがお上手なようでしたので、その仮面を剥いでさしあげたいと思い意地悪で返してみました。どうぞご自分の話したいように接してくださいな。私は気にしません」

 

 わからないことは聞く。万事において穏便に済ませる近道はこれに限る。

 今時のやつはみたいな風潮もあるから諸刃の剣だったが、メヌエットもその今時のやつの分類だから功を奏した、のか?

 とにかく素でいいと許可が下りたのは確かなので、スゥ、と浅い呼吸で切り替えて体に入っていた変な力も抜いて改めて目の前の少女、メヌエットと相対する。

 

「じゃあメヌエット。改めて聞くけど、オレを呼び出した理由は? 英理さんの推薦でアリアの妹だから来たが、正直なところ結構なホームシックで重要な案件じゃないなら今すぐにでも日本に帰りたい」

 

「あらあら、仮面が剥がれると割と素敵なご容姿に似合わずの毒舌なんですね。英理や幸音から聞いていたイメージはずいぶん美化されているようです」

 

「…………ん? 幸姉と、会ったのか?」

 

「ええ。昨年の12月15日に。英理とは1日にお話をさせてもらいました。両人ともに珍しく有意義と思える時間でしたので、相談以外のことも色々と。その時に京夜の名前が両人から出てきたので少々気になっていましたら、ちょうど英理から欧州に来ていると報が入ったので、日本へ飛ばれる前に寄っていただこうと思いまして」

 

「……顔が見たかっただけとか言ったら、さすがにそのほっぺをぐにっとやるくらいの権利は得られるよな?」

 

「レディーに対してその仕打ちはセクハラ同然ですわよ? 訴えたら確実に勝訴する自信はありますが、試してみますか?」

 

 それで素で会話をしてみれば、本当に貴族と平民とかは気にしてない感じで応対するメヌエットは、何やら去年に幸姉と会ってると言い出し、英理さんと同じくその時にオレの名前が出たから気になった。だから近くにいる時に呼び出したと言うのでため息が出る。

 しかも腹いせをしようものなら勝てない勝負をさせられると言われる始末だ。

 

「はぁ……もう来ちまったもんは仕方ないし、この際だから気の済むまで付き合ってやるよ。あとは何がお望みだ?」

 

「京夜は面白い人ですね。私を年下と見ているのに侮るわけでもなく、その人の性格や能力を分析し最も波風の立たない選択をしているように見えます。それは頭脳的なのか本能的なのか、とても興味深い」

 

「人生諦めも肝心。開き直ってるだけだ。それにアリアの妹なら1度くらい会ってみてもって気はあったし、全くの無駄足ではなかったよ。今後の付き合い方を考えさせられる性格ではあるがな」

 

 とはいえこうして来た以上はこっちもこっちで手ぶらでは帰りたくないので、まずはメヌエットの要求を引き出そうと口を開いたが、考えることを単にやめただけのオレの思考を深読みしたメヌエットが面白いので、そのまま深読みさせておく。

 

「英理と幸音がなぜ京夜に惹かれるのか、まだハッキリとしません。ですので今回は特別に私の半径5メートル以内に立ち入ることを許可します。普段は男を近寄らせることはないのですが、京夜は男特有の臭さはあまりしませんし、このような『年下』に変な気は起こさないのでしょうからね」

 

「いちおう言っとくが、年下とは思ってるけどそれがイコール恋愛対象外ってわけではないぞ。まぁ、会ったばかりの女を口説くほどの度胸がないのは認めるが」

 

「まぁ。ではこれから私を知っていけば、京夜も変な気を起こす可能性があるんですね。最低です」

 

「じゃあこの距離感を縮めるのを拒否して帰る」

 

 するとオレへの関心が高まったからなのか、そうした自分ルールを適応外にしてオレの接近を物理的に許可してくれたのだが、年下に見られてるのを皮肉ってきたからやんわり否定してみればこれだ。

 なので今まで1歩たりとも詰めなかったメヌエットとの距離を心の距離にも比喩し踵を返すと、意外にも「そうですか」と止める気なし。あれ?

 

「ああ、帰られる前に1つだけ確認を」

 

「何だ?」

 

「ここまでのやり取りで私は京夜の色々な観察をしましたが、京夜の見る目は最初から最後まで私を対等に見ていました。私のこの姿を見て何も思わなかったのですか? 心の中で見下してはいなかったのですか? それとも今も京夜は別の仮面を被っているのですか?」

 

「……人の幸、不幸は他人が決めることじゃないし、人間なんて欠陥だらけの生き物だろ。それがメヌエットは目に見えるってだけの話で、オレにだってメヌエットにとってのその足みたいな欠陥はある。生憎とオレはそういう欠陥を補って余りあるものを持った人達を何人も見てきたから、メヌエットにとってのそれがきっとその利口な頭なんだろ。オレはもうそういうトータルでの見方が基本になってるだけだ」

 

 帰ること自体を止めることはなかったメヌエットだったが、メヌエットなりの観察で見たオレはどうにも普通ではなかったらしく、事実としてオレはメヌエットを見た時に足が不自由なのはすぐにわかったが、それを自分と比較して見下したりはせずにスルーした。

 その理由については言った通りだが、極端な話で言えばオレがメヌエットに徒競走で勝てたとして、数学のテストでも勝てるのかと、そういうことだ。

 そんな些細なことで優劣を決めて見下したりとか不毛なのだ。

 だからオレのそういった一線を越えて達観した人の見方に少々驚いたような表情を初めて見せたメヌエットは、ここでまた初めて見せる『笑顔』でオレを見る。

 

「なるほど。英理と幸音の言っていたことが少しわかったような気がします。ではこうしましょう京夜。私はあなたに興味が湧きました。ですから明日、私とデートをしましょう。その結果次第で、私は京夜の望みを1つ聞きます。どうです? 悪いお話ではないでしょう?」

 

 その笑顔のあとに唐突なデートの約束を取り付けに来たメヌエットは「譲歩してやったのだから断れないでしょ」と目で訴えてきて、本来なら見返りなどなさそうなその条件の提示でオレもちょっと思考するが、この場ですぐに了承するのはなんか嫌だ。

 

「明日の13時にまた来てください。来なければこの話はなかったということで私も納得します。納得はしますが、私からのデートの誘いを断った男という不名誉を一生背負わせてさしあげますわ」

 

 その思考を読まれたのか、メヌエットの方から返答の時間をくれて無言で立ち去れるタイミングを作ってくれるが、ホームズ家の歴史に何やらオレの名が刻まれるようなことを言うので大変な迷惑。

 もはやオレに選択の余地がないのが気に食わないが、とりあえずこの場は無言で退室しその日は近くのホテルに宿泊。

 

「女に恥はかかせるなって、昔に幸姉も言ってたしな……」

 

 翌日の13時5分前。

 悩んだようで悩んでないという1日を過ごして、結局はメヌエットの家の前に来ている自分の保守的な結論にはガッカリだが、こちらにメリットがないわけでもないのだからいいのだ。

 だから無愛想なサシェとエンドラの応対にも何も言わないし、昨日の意地悪をした廊下も普通に歩いて、今回はノックのあとに返事のあったメヌエットの部屋に入り、嫌な笑みを浮かべたメヌエットに言ってやる。

 

「書を捨てよ、町へ出よう」

 

 見るからに出不精の箱入り娘――引きこもりとも言う――を外へと引っ張り出す魔法の言葉を。

 

「……デートなのですから、外出も視野に入ってますわよ」



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Bullet116

 

「そもそも京夜はあの言葉が誰によって叫ばれたのかをご存じの上で引用されたのですか?」

 

「日本人のあれなのは知ってるが、詳しくは知らん。いいんだよそういう細かいことは」

 

「正しい引用をするには正しい理解が為されねばならない。基本ですよ。昨今の日本では言葉の誤用が溢れていると聞きますが、京夜もその中の1人なのでしょうね」

 

「確かによく知りもせずに使っちゃう言葉はあるかもな。例えば『確信犯』とか」

 

「日本語にも精通していますから私は当然わかりますが、何をどうやったらそれが誤用されるのか不思議でなりません」

 

「ぐっ……英国人に日本語を指摘されることになるとは……」

 

 ロンドン滞在2日目。

 話通りに気難しいメヌエットとの対話を果たしたはいいが、色々あって今日はデートのために外出。

 家のエレベーターで降りて外出用に着込んだメヌエットの車椅子を押してそうした直前のことも交えての会話をしながらに出入り口まで歩いていると、サシェとエンドラが心配そうに玄関まで来ていたが、まさかついてこないよな。

 

「サシェ、エンドラ。留守は任せるわ」

 

「「はい。いってらっしゃいませ、お嬢様」」

 

「心配しなくても、京夜はおそらくアリアお姉様と同じ武装探偵。私の身に何かあった時には、その命を賭して守ってくれます。ですよね、京夜」

 

「そんな物騒なことには滅多にならないが、まぁその時にはな」

 

 言葉では見送ってくれる双子メイドだったが、そわそわした感じはメヌエットも感じてオレを武偵と見抜いた上で全責任を押しつけてくる。

 メヌエットの外出に危険が伴うこともないのだが、その時にはちゃんと守ると口約束はしておき、2人の見送りを受けてベーカー街を歩き始める。

 

「それで京夜はどこへ行こうと考えていますか?」

 

「昨日あれからちょっと街を歩いてみたんだが、どうにも行きたいってところは見当たらなくてな。動物園にでも行こうかと思ったんだが、人が多いところはメヌエットは嫌かなぁって」

 

「そうですね。あまり人のいるところは避けたいですから、その選択はなかなかのファインプレーですよ」

 

「やっぱりな。コミュ力がオレより低そうだったから……いった!」

 

「正直なのはいいですがファインプレーは取り消しですね」

 

 とりあえず歩き出したオレに車椅子を預けるメヌエットが行き先についてを尋ねてきて、下見くらいはしていたオレがメヌエットの性格も考慮してメジャーどころを避けたら、その理由で手の甲の皮をつねられて評価もプラマイゼロにされる。

 

「だから人のまばらなところに行ってみようと思う。んで、メヌエットにはそのオツムを披露してもらう」

 

「私を働かせますの?」

 

「嫌ならやらなくてもいいけど、たぶん無理だろうな。否が応でも披露したくなる」

 

「この進路からその発言が出てくる根拠がある場所……ああ、なるほど」

 

「頭が良いって考えものだな。サプライズ感が薄れる」

 

「京夜がわかりやすいんです」

 

 反射的に痛がってしまったが、別にそこまで痛くもなかったつねりはとりあえずスルーして話を戻し、これから行く場所のヒントを与えたら、進行方向と照らし合わせてもう答えに辿り着かれてしまう。地理があるとはいえ、早いんだよな。

 

「ところで京夜はアリアお姉様とはどういったご関係ですか」

 

「ん、んー……職業上の仲間、とか協力関係って感じか。それだけで付き合ってるってこともないが、関係を聞かれるとそんな感じになるな」

 

「あの独奏曲だったお姉様が京夜のような人を頼るようになったのですか。つまり京夜以上に信頼を置かれているパートナーは、さぞかし優遇されているのでしょうね」

 

「そりゃもう羨ましいほどに」

 

 毎日ガバで撃たれていますよ。

 なんて、言っても羨ましくもなんともない現実は言わないでおく。プライバシーに抵触するし。

 それにやはり姉妹。遠い日本に行ってしまった姉のことが気にはなっているようで、可愛気がある……

 

「それはそれは。そうなると遠くない時期にお姉様からその方を奪いたくなりますね。またお姉様から何かを奪う楽しみが増えました」

 

「…………」

 

 可愛気は……なかった。どこかのガキ大将気質だこれ。

 

「他人の愛情表現をとやかく言うのもあれだが、なかなか珍しい表現方法だな」

 

「お姉様が『外の世界で手に入れたもの』は等しく私のものなのです。さて、今度はどのような賭けで奪ってしまおうかしら」

 

「少しくらいアリアに分がある勝負はしてやれ。家にもいくつかアリアのものっぽいのはあったが、ほぼ勝ち越しだろ?」

 

「勝算なしに賭けに応じるのがお姉様ですから」

 

「何でもかんでもカンだけでどうにかなるとでも思ってるのかあれは……」

 

 これでも姉妹仲は良いというのだから不思議なものだが、兄弟の在り方なんて様々で正解なんてない。

 オレと誠夜の微妙な距離感の兄弟もいれば、幸姉と幸帆のぎこちない姉妹もいる。兄貴大好きのジーサードとかなめだってその愛情表現は普通ではない……

 というかオレの周りの兄弟姉妹はどいつもこいつもちょっとおかしかったわ。オレ含めて。

 なのでメヌエットの愛情表現を指摘したオレは無駄なことをしたことに気づいてこの話を「まぁいいや」と切り上げる。

 

「んじゃ今度はオレから質問」

 

「黙秘権はありますが許可しましょう」

 

「メヌエットはこうでもしないと外出しなさそうだけど、友達みたいな親しい仲の人はいるのか?」

 

「……その返答によってどのようなことを言われるかは予測できますが、います」

 

「そっか。ならいい」

 

「…………どうしてですか? その次に続く疑問はあるでしょう?」

 

「なんだ? メヌエットは友達を『数』で判断するのがお望みなのか?」

 

「決してそのようなことは望んでいませんし、論ずるまでもない愚問に答える気もありませんでした。ただ、それでよしとする京夜の考えを推理するには情報が足りません」

 

 そして先に質問に答えたから今度はオレが質問していいだろと言えば、黙秘権込みで了承されたから気になってたことを尋ねるが、少し不機嫌な雰囲気になってしまう。

 まぁ予測はしていたのだが、がっつり平日の今日もこうやってオレといるメヌエットはちょっと交遊関係とかに問題があるんだ。

 

「本当にいいんだ。メヌエットの口から『友人がいる』って聞けただけでな。たぶん周りから気難しいだの怖いだのと言われてりゃ、気の合う友人なんてほとんどいないんだろうし。それになんていうかな。昔の幸姉に似てるんだよな。だから確認だけしたかった」

 

 いつの間にかその歩みを止めて話していたオレは、当然ながら押す手も止まってるために車椅子に乗るメヌエットも止まって振り返ることなくオレの言葉を待つ。

 

「幸姉はさ。生まれ持った力のせいで周りから遠ざかられて、中学卒業まで凄く寂しい思いをしてた。その時の幸姉の目は、今のメヌエットとどことなく似てるんだ。でもさ、オレが近くにいる時はそういう目はしなくなって、凄く安心できた」

 

「つまり私は幸音と同じ人に忌み嫌われる存在だと、そう言いたいわけですね」

 

「もう言いたいことはわかっててそんなひねくれてんのか。都合の悪いオツムですこと」

 

「…………少し京夜が嫌いになりました。今からでも引き返して部屋にこもりたい気分です」

 

「いいよ。メヌエットがそうしたいならそれで。部屋でも出来ることはあるだろうしな」

 

「その切り返しは想定外でした。京夜は私の思考を若干ながらに乱す存在のようです。以後、私が話しかけるまで話すことを禁じます」

 

 ありゃありゃ。心を閉ざされてしまわれた。失敗したかね。

 そう思ったのだが、引き返そうと車椅子を反転させたら「どこへ行くのですか」とお叱りを受けてしまい、どっちなんだよと内心でツッコみつつも本来の進路を再び歩き始めたのだった。

 メヌエットの家を出てほぼまっすぐ東に進路を取って進むこと約2キロ。

 メヌエットには進路とわずかなヒントだけで見当をつけられて辿り着いたのは、ここロンドンでもおそらくは有名な大英博物館。

 地元民よりも観光客の方が年間で来館する割合が多いとかなんとかなそこはまさに歴史という名の知識の宝庫。

 フランスのルーヴル美術館ではモナ・リザくらいしか見れなかったが、今日は不都合もないしうってつけのガイドもいる。

 美術品にはそこまで興味はないが、生のモナ・リザの衝撃は少なからずオレの心にも響いたので、ここにもそんな展示品があるかもしれん。

 

「ここからは京夜から口を開くことを許しましょう。ただし展示品以外のことには答えませんので」

 

 そして一方通行の会話では館内は不都合と考えてメヌエット様も発言許可を下さったので、入館から観光客のスイッチに切り替えたオレは目の前の博士に頼り切って展示品を鑑賞し始めた。

 ルーヴル美術館と同じで1日あっても館内の展示品を全て見ることができないほどの貯蔵量は日本からすればスケールが違うが、今回は深追いせずにサラッと見て回る。

 その中でなかなかにタイムリーなエジプトの展示品があったので、その辺で歩調をゆっくりにして見てみる。

 で、なんかでっかい顔の像があったのでそこで止まる。

 

「ラムセス2世……紀元前1270年頃ねぇ……古代エジプトって漠然としか知らないんだよなぁ」

 

「興味や関心がなければ平民では調べることもしないでしょうからね。京夜も聞いたことのある王の名前を知る程度でしょうし」

 

「否定はしないよ。ツタンカーメンとかクフ王とかクレオパトラとか、名前は知ってても実際にどの年代の人物だったかもわからん」

 

「いいでしょう。いま挙げた人物達も交えて、このラムセス2世について小舞曲のステップの如く、順を追って話して差し上げます」

 

 ラムセス2世とか普通に生きてたら聞かないような名前だが、メヌエットは当然のごとく呆れ声でオレに知らないの? と煽ってくる。

 だがまぁ煽られようと知らないことを恥とも思わないくらいには開き直ってるので、これから始まるメヌエットのうんちくに耳を傾ける。

 

「まず王朝としての古代エジプトは紀元前3000年頃から340年頃までに31の王朝が続いたとされています。その後すぐに征服統治を始めたばかりのアルタクセルクセス3世の基盤の弱さを崩して時の大王、アレクサンドロス3世によって征服されます。これが後のプトレマイオス朝の始まりのきっかけになりますね」

 

「アレクサンドロス3世って……」

 

「様々な文献に名がありますが、有名なものではイスカンダルでしょうか。エジプトはその遠征の途中で征服されたわけです」

 

「通り道にエジプトがあったから征服しちゃったとか怖い話だ」

 

「当時は反ペルシアの声が大きく、アルタクセルクセス3世によるペルシアの再統治から解放したアレクサンドロス3世は王として迎えられ、相当の扱いを受けたようですから、征服=恐怖の公式は成り立たないかと」

 

 何がきっかけで古代エジプトの歴史なんて覚えるんだろうとか思いつつも、しっかりとうんちくを語るメヌエットはバカなオレにもわかりやすく説明をしてくれるが、まだ冒頭だろこれ。長くなりそう……

 

「話を戻しますが、そのエジプトの王朝の歴史はかつて上エジプトと下エジプトに分かれたエジプトを統治したナルメル王から始まったとされています。先ほど京夜が述べたクフ王。述べた中では最古の王となりますが、彼はエジプト古王国時代。紀元前2680年頃から約500年ほど続いた第3から6王朝の王の1人で、この時代に今に残るピラミッドが形成されました」

 

「ん、ピラミッドって王朝の始まりからあったんじゃないのか」

 

「最古のピラミッドはこの時代のジェセル王が造営した階段ピラミッドが祖とされています。クフ王が造営したのは側面が二等辺三角形の真正ピラミッド。現代で確認できる最大のピラミッドですが、ギザにあるこれはカフラー王とメンカウラー王のピラミッドと並んで造営されていて、ギザの3大ピラミッドと呼ばれています。観光地としても有名ですから、このくらいはご存じでしょう」

 

 長くなるのはメヌエットも承知の上でずいぶんと省略してくれてる感がわかり、要所を押さえた説明の仕方は先生っぽくてシャーロックに似ている。これは曾孫まで似るもんなのか。

 

「じゃあ、いつか実物の前でもっと詳しいうんちくを頼みたいね」

 

「嫌ですわ。砂地で車椅子など入りたくありませんし、暑いのは苦手です。家を出るのも億劫ですのにアフリカなんて……」

 

「出不精ここに極まれり。んじゃ今回はその家以外でデートできてる幸運を噛みしめて、お話の続きを聞きましょう」

 

 ここでうっかり禁止されていた展示品以外のことを話してしまったのだが、自分の言ったことを忘れているのか即答に近い返事で指摘もされなかったので、気づかれる前に終わろうと早々に切り上げて続きを促すと、謙虚なオレの態度に機嫌を損ねるまでにはならなかったメヌエットも渋々ではありそうだがその口からうんちくを再開する。

 

「ここでいくらか時代を飛ばしますが、実はこのラムセス2世とツタンカーメンは同じ新王国時代の人物で、紀元前1570年頃から約500年ほど続いた18から20王朝の時代です。ツタンカーメンの方がわずかに先人ということになります」

 

「へぇ。ってことはツタンカーメンとラムセス2世って血の繋がりがあったりもするのか?」

 

「…………あまり頭の悪い発言はしない方が賢明です。ツタンカーメンの代ですら次代の王を直接の血縁が務めてはいませんから、当然ながらラムセス2世との関係性も皆無です。さらに言うならばツタンカーメンは18王朝。ラムセス2世は19王朝の王ですので」

 

 ……ぐっはぁ! やべぇバカ発言したこれ……

 昔って側室やら色々で子供もたくさんいたし、前王の妃が現王と結婚とか、親子で結婚とかも間々あった時代なんだよな……現代の常識に囚われすぎていた。

 開き直ったゆえに浅慮による完全なる自爆で床に沈んだオレを哀れむようなメヌエットの見下ろす視線が痛い! やめて!

 

「…………続けてもいいかしら?」

 

「どうぞ……」

 

「ツタンカーメンは例の黄金のマスクで名前が知られていますが、実質的にはそこまでの功績はありません。即位したのもまだ年端もいかない青年で虚弱だったとされていますから、王であった時代もまた短いのです」

 

 周りからもちょっと何あれみたいな視線が飛んできたので、何事もなかったように元に戻って本題のラムセス2世の話へと移行し始めたメヌエットは、そうやってツタンカーメンの話をさっさと終わらせてラムセス2世の像を見て口を開く。

 

「むしろ知っておくべき人物はこのラムセス2世であると私は声を大にして言いたいのです。彼は長い古代エジプトの歴史で最大の王とも呼ばれ、60年ほどの治世は最も繁栄した時代だと言われています。次代の20王朝。新王国時代最後の王朝にもその統治は手本とされたほどです」

 

「古代エジプトの中で最大の王って、マジでか」

 

「京夜は彼を知らないことを恥ずべきだと理解しましたね。ならば彼に日本流の謝罪をなさい。『存じ上げなかったこの身の無礼をお許しください』と」

 

「おおぅ……これは『DOGEZA』の流れか……」

 

「変なイントネーションはいいので」

 

「ん、土下座をするのはやぶさかではないが、このラムセス2世様は具体的にどのようなことをされたのでしょうか」

 

「聞いたあとに敬意を込めて土下座をすると約束するなら説明いたしましょう」

 

「オレの恥ずかしい姿を見たいだけだな?」

 

「その通りですが何か?」

 

 さっき恥ずかしい姿は見せたでしょうよメヌエットさん。

 きっとさっきので味をしめたメヌエットは、嫌な笑みを見る限りオレがそういうことをするように仕向ける悪巧みを始めたのだろう。言葉巧みにな。

 だがオレも黙って従ったりはしない。せめてもの抵抗としてちゃんと納得のいく土下座を披露してやる。

 さぁラムセス2世よ。オレに土下座をさせてみろ!

 

「ラムセス2世の大きな成果として挙げられるのは、カデシュの戦いでの親征において、ムワタリ2世が率いるヒッタイト帝国と激突。数でも劣勢で、捕らえたヒッタイトのスパイや兵からもたらされた嘘の情報で奇襲を受け、壊滅寸前まで追い詰められたのです。それでも援軍や様々な要素で劣勢を乗り切ってヒッタイト軍を押し戻し戦いを膠着状態にまですると、ムワタリ2世から停戦交渉を引き出させた。ラムセス2世はこれを受諾し、現在で確認できる中で世界において初めて交わされた平和条約とされています」

 

「世界と来たか。それは凄いな。しかも紀元前の話だろ? 今からなら3000年以上前ってことになるな」

 

「それだけではありませんよ。ラムセス2世はヌビアへの遠征を果たし、数々の記念碑や建造物を建て、現在で最大の発見数を誇ります。それだけ多くの記念碑などを造らせたことを物語っていますが、他にも首都をテーベからベル・ラメセスへと遷都し、テーベ、ルクソール、カルナックの神殿の整備をさせ、ヌビアにはアブ・シンベル神殿を建造。これが1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムの建設に伴い水没の危機に瀕し、ユネスコによる大掛かりな移転がなされて、これをきっかけに遺跡や自然を保護する世界遺産が創設され、アブ・シンベル神殿も文化遺産に登録されています。つまりは本人の意図とせずに後世へと影響を与えたと言えます」

 

 世界遺産の始まりにまで繋がるのかこの人……やべぇ。本格的に知らなかったことを恥ずかしく思い始めた……

 最後のはラムセス2世本人が関わってないにせよ、そういうきっかけに偶然でも関わったのは偉業が成した幸運なんだろう。

 

「ぐっ……確かに土下座をするに値する人物のようだ……仕方ない」

 

「まぁ。潔いのですね。写真に収めてあげますから携帯をこちらに」

 

「徹底してんなオイ」

 

 ここで頭を下げない程度のものだとドヤッてれば良かったが、感心しちゃったので引き下がれずに土下座をしようとすると、してやったりなメヌエットはオレの携帯でその様を永遠に記録するという嫌がらせをするからツッコんでしまう。

 だが男が約束した以上はやらないとカッコ悪い――土下座がカッコ良いわけもないが――ので携帯のカメラを構えるメヌエットの横で像となったラムセス2世に土下座の体勢を作る。が!

 

「私の無知が招いたこととはいえ、数々の偉業の数々を存じず誠に申し訳ありませんでした! 今後はあなた様の名を胸に刻み、王のような偉大な人間になれるように尽力したいと思います!」

 

 ただではやってやらんぞ。

 それを示すように博物館で出すべきではない声量でラムセス2世へ謝罪をすれば、まぁ目立つ目立つ。

 その中心にいるオレは当然ながら、巻き込まれた形のメヌエットもわたわたとしてから恥ずかしそうにオレを立たせるが、声を聞きつけた警備員が来てしまい、貴族であられるメヌエット様は弁明をしようとする。

 しかしオレはこうなるのをわかった上だったので弁明をしようとしたメヌエットの口を塞ぐように車椅子の持ち手を持って警備員に謝って脱兎のごとく退館。

 

「なぜ私が追い出されねばならないのですか」

 

「そりゃあんだけ騒げばな」

 

「騒いだのは京夜だけです。推理した中で最も低い可能性を行動に移す京夜は恐ろしいほどのバカです。大バカです」

 

「人の恥ずかしいところを写真に収めるような子にバカ呼ばわりはされたくないね」

 

「仕返しのつもりですか。子供のような方法ですね」

 

「男は童心を忘れちゃダメな生き物らしいぞ」

 

「これだから男は嫌いなのです」

 

 退館後にそうした言い合いをしながら来た道を戻っていたのだが、オレの珍行動にはメヌエットもご立腹。

 しかしオレがこうした珍行動をした理由は単なる仕返しが目的ではない。

 

「ところでメヌエット。オレは『展示品以外の話はしちゃダメだ』って言われてたが、ここまでのやり取りは良いのかな?」

 

「…………そうきますか。いえ、人間の心というのが御しがたいことを改めて知る良い機会になったと開き直るべきでしょうか」

 

「ははっ。人間、喜怒哀楽は顔に出るくらいがちょうど良いって話だろ」

 

 オレが今回のデートでしたかったことは、メヌエットの色んな表情を見ること。

 そのためにはメヌエットの推理をなるべくさせずに突拍子もないことをするくらいでないと揺らぎもしなかったのは間違いない。

 それは喜怒哀楽のどれでも良かったのだが、やっぱりムスッとした澄まし顔よりも慌てたり恥ずかしがったり怒ったりな人間味のある表情の方が魅力的だった。

 

「バカな京夜の思惑に嵌まったのが気に食いません。今すぐに消えなさい」

 

「家まで送るのが紳士の務めですから」

 

「2度も同じことを言わせるのですか」

 

「はい耳栓耳栓っ」

 

「…………プッ。本当に変な人ですね、京夜は」

 

「はい、本日の初笑顔いただきました。後ろからだとちゃんと見えないんだけどなぁ」

 

「フフッ。なぜ京夜に見えるように笑わなきゃいけないのですか? そんな決まりはなかったと思いますが」

 

「いやぁ、女性の笑顔は人生の活力になるからな」

 

 アリアもそうだったが、変なところに笑いのツボがあるメヌエットもオレの予想してなかったところで笑って変な空気を払拭する。

 そうやって1度笑うと何か吹っ切れてしまったのか、それからのメヌエットは家に着くまでの道中でオレと他愛ない会話をしてくれて、明るい雰囲気を保ってくれていた。



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Bullet117

「あっ、そういえば」

 

 メヌエットとのデートで訪れた大英博物館を逃げるように出て家へと戻ってる最中。

 割と明るい雰囲気で会話をしてくれていたと他愛ないことで盛り上がっていたのだが、家に着く少し手前あたりで大英博物館でのうんちくを思い出し疑問が口から出る。

 

「ラムセス2世の話はわかったけど、オレが言ったクレオパトラの話をまだ聞いてなかったよな」

 

「時代を順に追いましたからね。それ以降の時代のクレオパトラは説明する前に京夜が騒ぐから悪いのですよ」

 

「もうすぐ家に着いちゃうし、ぱぱっと説明お願いします。実はこっちの方が身近っていうか、知ってるやつが子孫っていうかで気になる」

 

 大英博物館でそもそもエジプトの展示品に目を止めたのは先日に会ったばかりのパトラの顔がよぎったからに他ならなく、その肝心のパトラの祖先の話を聞けずじまいはなんだかモヤッとしたから聞くことにすると、お前が悪いのにといった雰囲気を出されるが、うんちく披露はやぶさかではないのか口を開いてくれた。

 

「京夜のイメージするクレオパトラは、現代で『絶世の美女』と呼ばれる人物で違いないですね?」

 

「まぁそうなるな」

 

「その人物は古代エジプトが終わりを迎えて、プトレマイオス朝が始まった後に現れたクレオパトラ7世のことでしょう。もっとも、彼女が本当は絶世の美女だったという確たる証拠はありませんし、容姿についてはそこまで優れていたわけでもないとされています」

 

「ふーん。パトラは美人の部類ではあったがな……」

 

「何か?」

 

「いや。どうぞ続けてくださいな」

 

「彼女が優れていたのはその語学力。当時で複数の言語を話せたとされることや、見惚れるほどの美声にあったとされ、容姿まで優れていた説を匂わせた要因はおそらく、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルの言葉『クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、歴史が変わっていた』なのでしょう」

 

「それは聞いたことあるな」

 

「あくまでも要因の1つとしての解釈ですが。そもそもパスカルはこの言葉を例え話として残したに過ぎません。ですが、クレオパトラ7世が実際にその魅力を以てガイウス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスを魅了し翻弄したことは事実です」

 

 と、クレオパトラについての説明を一段落したところでちょうど家に到着。

 デートとしては短いものだったが、短いなりにメヌエットの表情を色々と引き出せたのは収穫だった。

 

「今日のデートの点数は?」

 

「15点の落第点ですね。とてもじゃないですがデートと呼べる内容ではなかったかと。京夜も自覚があるのではないですか?」

 

「えー。オレは出不精のメヌエットを外に連れ出してお話しさせまくった時点で成功だと思ってるんだけど」

 

「どうやら京夜なりの目的意識があったようですが、私を満足させるのがそれイコールにはならなかったわけですから、京夜には補習が必要ですね」

 

「ほほぅ。つまりメヌエットは明日もオレを拘束したいと仰るわけですな」

 

 しかしオレが満足してもメヌエットがこれでは大成功とは言えないのは事実。

 だがこの遠回しにでも『オレと一緒にいても良い』と言ってくれてるメヌエットはなんだか無性に可愛く見えて、ズバリなことを言ったオレにちょっとだけ頬を染めたメヌエットは、それでもムスッとした顔をギリギリ崩していない。

 

「言っておきますが、明日は絶対に外には出ませんから、少しでも外へ出ようと考えたら自殺させますよ」

 

「ふむ、宿題が出されたか。了解。明日も同じ時間でいいのか?」

 

「明日は先約がありますから、15時にお越しを。今日は久々に外出して疲れました」

 

「実質的に歩いてたのはオレだけど、まぁ楽しかったよ。うんちくもタメになったし、ありがとな」

 

 そうして明日の約束を取り付けて家の呼び鈴を押して中のサシェとエンドラを呼んでオレは退散。

 取っつきにくいところはあるものの、ちゃんと接してあげれば応じてくれる子だとわかったので、ちょっとだけ明日が楽しみになりつつ、出された宿題――室内でできること――をどうするか考えながらホテルへと戻っていった。

 

「ようメヌエット。辛気くさい顔してるな」

 

 翌日。

 言われた通りの時間にメヌエットの家に訪れて応接室に押しかけたオレは、そこで甘い香りを漂わせるパイプを吹かす――タバコの類いではなくアロマテラピーの類いだ――メヌエットの不機嫌そうな顔を見ながら、街で買ってきたものが入った袋を掲げて見せる。

 

「ちょっと先約の方で失礼があったので。それよりそれは何ですか?」

 

「んー、メヌエットの宿題がことのほか難しくてな。ずっと雑談だけは無理だし、カードゲームとか勝てる気がしないし、かといってアクティブなことはできないしで、悩んだ末のこれだ」

 

 気分転換中のメヌエットはパイプを吹かしながらオレの持つ何かを気にかけたので、オレが出費を惜しまずに買ってきたものを取り出す。

 

「じゃーん! これでパーティーしようぜ」

 

 取り出したるは日本が発明したクレープ焼き器。

 誰でも簡単にクレープの皮を作れちゃう便利グッズだが、ロンドンで手に入った時はちょっと感動した。

 

「その製品の簡易説明を見るに、クレープメーカーのようですが、私は料理はしません」

 

「それならそれでいいって。オレが焼いてメヌエットが包んで食べる。材料はサシェとエンドラに預けてきたから、とりあえず下に行こう」

 

 オレの感動を知る由もないメヌエットは、予想通りだが下世話な料理という作業はしたことがないらしく、やる前からやらない宣言が飛び出すが、食べないとは言わなかったのでゴリ押し。

 それならといった表情を見せたメヌエットにクレープ焼き器を持ってもらい、車椅子を動かし下の階のキッチンの方に移動をすると、何故かびっくり顔のサシェとエンドラがオレ達を見てきて「お嬢様が」「本当にいらした」と言葉を分けて驚く。

 

「お前、キッチンにも入らないのな」

 

「下世話はメイドの仕事ですから」

 

 ちょっとオレの予想を越えるレベルの貴族様っぷりのメヌエットだったが、これからクレープが食べられるからか、オレの準備する様子をジッと見ながらクレープ焼き器を箱から出してどんなものかを確認していた。まだ生地が出来とらんぞ。

 

「日本には同じような生地で作る『たこ焼き』なるものがあると聞きましたが」

 

「おっ。オレの地元の方の鉄板だぞ。さすがにクレープと違って専用の焼き器がないと無理だから、食べたいなら日本に遊びに来い。歓迎してやる」

 

「……万が一に行くようなことがあったら、暑さと寒さに片寄らない季節が良いですね」

 

「となると春か秋か。春は桜も咲いて綺麗だが、秋も秋で紅葉が……」

 

「口を動かすのはいいですが、手も動かしなさい。目の前にはクレープを待つレディーがいますのよ」

 

 クレープ焼き器の観察を終えてから生地を作っていたオレを改めて見て、厳密には違うのだが見た目で同じような生地を使うたこ焼きを食べたいような発言が出てきて、それで手より口が動いたオレをすかさず注意してくる。

 その様子をキッチンから少し離れた場所から見ていたサシェとエンドラがまたも「あのお嬢様が」「楽しそうに会話を」とか失礼極まりないことを言ってるので、なんか落ち着かない。

 なのでそわそわしてる2人を呼んで生地に入れるフルーツを切ってもらったり、生クリームを仕上げてもらったりと手伝ってもらう。3人で3倍の速さだ。

 

「んじゃ焼くから、出来た生地で自分なりにアレンジして作ってみな」

 

「ま、待ちなさい! 私は食べるだけと……ど、どうやるの? 生クリームはどうやって出せば……」

 

 それでパパッと準備が整っていざやるとなってから有無も言わせずに生クリームを搾って出す道具を渡して焼くのを開始。

 なんか横でアワアワし出したメヌエットは撤退したメイド2人を呼び寄せようとしたが、それをオレが制して仕方ないので最初だけオレが全部やってみせる。

 

「そんな慌てなくてもクレープを不味く作れるやつはそういない。知り合いに約1名だが糞みたいなトッピングでドン引きさせそうなやつはいるが、メヌエットは材料から味はイメージできるだろ」

 

 言いながら生地を専用のローラーにつけてプレートの上で薄く伸ばし焼くと、頃合いを見計らい取っ手を持ってメヌエットの前に置いた皿にひっくり返して焼けた生地を乗せると、生クリームやらバナナやらチョコやらと適当に盛って包んで出来上がりだ。

 

「ほい。生クリームの絞り方はわかったな。あとはイチゴなりオレンジなりを好きにトッピングして食べな。置くポイントは中央に集めること」

 

「私が作る手間をかけるよりも、京夜がどんどん作る方が効率的ではありませんか?」

 

「焼くのとトッピングを同時にはできん。それに横からあれ入れてこれ入れないでとか指示を出す手間が省けるが?」

 

「……わかりました。幸い手順は見て覚えましたから、その提案を受け入れましょう。はむっ」

 

 出来上がったクレープを受け取りつつも、まだトッピングに抵抗があるメヌエットの言い分は自分勝手だが、毎度食べながらトッピングにあれこれ言う手間も考慮してチャレンジしてくれるらしく、受け取ったクレープを食べ始めたので、オレもメヌエットのペースに負けないようにそこからひたすらに生地を焼くマシーンと化す。

 店などで食べられるクレープよりもだいぶ小さいクレープなのだが、やはり女子。生地を焼いたそばから掠め取られてトッピングを施し食べる食べる。

 おかげで生地のストックが全然できなくて供給が需要に追いつかなくなりそうだが、まだなんとか大丈夫。

 

「へいメヌエット。労働に対する報酬をいただきたいんだがね」

 

「あら。食べたいなら自分で作ればよろしいのでは?」

 

「その生地を焼いたそばから掠め取る小娘はどこのどいつだ」

 

「クレープに拘らずにフルーツ単体を食べればいいのでは?」

 

「おう。だったらその生クリームを直飲みするが文句はないな?」

 

「フフッ。餓えた人間の醜い姿は想像するだけで愉快です」

 

 だがいずれは限界が来るので、せめてもの足掻きでクレープちょうだいと言ってみたら、何がおかしいのか意地悪なことをしてオレをあしらおうとする。

 その間にもクレープは消化されるのでもうこっちも意地悪して手の届かない別の皿に入れてやろうかと考えていたら、不意に横からメヌエットに呼ばれて振り向けば、いま作っていたクレープをオレに差し出してくれていた。

 

「仕方ないですね。1つだけですよ。もっと近寄りなさい」

 

「ん、あー……んん!?」

 

 まさかのメヌエットからの慈悲にちょっと驚くが、食べさせてくれると言うので素直に食べようとしたら、直前でひょいっと取り上げられて自分で食べ始めてしまう。

 

「…………焼くのやめようかな」

 

「冗談ですよ。次はちゃんと差し上げますから、子供のような不貞腐れ方をしないでください」

 

 このメヌエット様の意地悪が理子だったら、問答無用でバックドロップをかましてから一人占めするのだが、まさかそんなことをして殺されては自殺志願者なので踏みとどまる。

 そんなオレとメヌエットのやり取りはあと2回も繰り返されて、いよいよオレもストライキを起こそうとしたところでようやく施しを受けられたが、くそぅ……オレが本気になるタイミングを掴まれていた。

 だがここでもまたサシェとエンドラから驚きの声が上がり、シンクロして「お嬢様が男性に食べさせるなんて」と来るから苦笑いしつつメヌエットを見ると、自分がしたことを言われて気づいたのか、今さらになって頬をちょっと赤らめていたりするので面白い。

 

「トッピングはもういいです。次はそちらをやらせなさい。やり方は見て覚えましたから」

 

「火傷には気を付けろよ」

 

 その恥ずかしさを誤魔化すように今度は生地を焼く作業に興味を持ったのかやりたいと言い出したので、好奇心は大事なので立ち位置を入れ替わってやらせてあげると、本当にちゃんとできるもんだから感心。

 それを見たサシェとエンドラはついに卒倒して互いを支え合って床へとへたれ込んでしまう。

 リアクションは面白いが外野はもういいやと無視して、その作業をしてる時のメヌエットの表情を見ていたら、最後までそこに暗い色が落ちることはなかった。

 ちょっとは楽しんでくれたかな。

 食べるだけ食べて満足したらしいメヌエットは、涼しい顔で応接室に戻っていき、後片付けはサシェとエンドラに任せてしまったのでオレも申し訳なく思いつつ一緒に応接室へと入る。

 クレープのおかげですっかり機嫌も上々になったメヌエットはかなり満足気味だが、オレが笑みをこぼすと恥ずかしそうに仏頂面へと戻って平静でオレと対面。

 

「なかなかの催しでしたわ。昨日の落第点にプラスして75点は差し上げてもよろしいかと」

 

「ってことは今日のは60点か。逆に100点ってどんなことすればいいか気になるな」

 

「それは考えるだけ無駄ですよ。その時その時で私の評価は変わりますし、京夜だって日によって同じ行動でも良し悪しは上下するでしょう」

 

「そりゃそうだ。それでオレはメヌエットに望みを聞いてもらう権利は得られたのか?」

 

「そうですね。苦と思わない料理をさせた功績は認めねばなりませんから、今回はそれも加味して合格点としましょう」

 

 あれを料理と言うと多方面から色々と言われそうだが、まぁメヌエットにとっては大きな1歩だったんだろうな。

 ともあれ昨日と今日のトータルで合格点をもらったオレは約束通りにメヌエットに望みを聞いてもらえることになり、言ってみなさいと偉そうにするメヌエットに完全に切り替えた真剣な顔で望みを言ってみる。

 

「まず前提として聞きたいんだが、メヌエットは緋緋……いや、色金について理解があるか?」

 

「はい。存じ上げていますし、その存在についても少しではありますが推理できています」

 

「そうか。なら聞く。色金は全部でいくつある? オレが知る限りでは今、緋緋色金と璃璃色金。それから瑠瑠粒子とか仲間が言ってたことから、瑠瑠色金もあると仮定して3種類だが」

 

「私の推理でもおそらくはその3種類と判断できます。小舞曲のステップの如く順を追って説明しますと、超能力の分野において現在、超能力ジャマーとして機能しているのがユーラシア大陸東部に降る璃璃粒子と、北米、欧州に降る瑠瑠粒子の2種類です。そこから推測するに璃璃と瑠瑠。2種類の色金があることは明白。そして現在、アリアお姉様に埋め込まれてしまっている緋緋色金。これを合わせて3種類と言うことになります」

 

 やっぱりか。

 この質問をする前からある程度の推測は立てていたが、色金はこの世界に3種類あるようで、瑠瑠色金はおそらく理子の持つロザリオに含まれている。

 そして璃璃色金と関わりがあったレキ。色々とわかりかけてきた今になって考えれば、修学旅行Ⅰ以前のレキの言動やら行動にも少しだけ違和感を感じるんだ。

 

「オレはこれまでの出来事の中で引っ掛かったことがある。それはアリアが緋緋神になるかもしれないと言われたことに関係あるが、それは詰まるところ『アリアの意識が別の何かに変貌する』ことを指してるように思えるんだ。そしてそれらしいことになっていた子もオレは見たし、意味深なことを言ったやつもいた」

 

 その違和感は、ずっとレキが口にしていた『風』なる存在。

 アリアの緋緋神化の危機を知り、その時からなんとなく考えていたそんな推測をメヌエットに語りつつ、この前に遭遇した猴。今回の場合は孫の方を指すのだが、その孫を記憶から掘り起こして、そのあとに出てきた土御門陽陰の言葉を思い出す。

 陽陰はその場にいたアリアと猴を見てこう言ったのだ。

 

『緋弾の娘か。まだ緋緋の色が薄いようだが、お前の行き着く先には興味がある。そこの斉天大聖と同じ末路となるか。はたまた……』

 

 それが示すことは2つ。猴に施されたという術が緋緋色金を埋め込むものであったことと、それによって猴は孫に存在を乗っ取られることになった。

 つまり孫とは緋緋神。アリアを変えようとする存在に他ならないのだ。

 

「そこから察するとおそらく、色金には『意思がある』。自己というか、つまりは知能というかそんなものが。違うか?」

 

「望みは1つだけと言ったはずですよ。私は色金の種類について答えを述べました。それ以降の望みを聞く義務はありません」

 

 それを考えれば、緋緋色金に緋緋神という1つの意思があるのは明白で、緋緋色金に意思があるならば、他の2種類の色金にも同じように意思があっても不思議ではない。

 事実、レキは風に命令されて色々と行動していたと漏らしている。

 それは風が意思を持つ色金。璃璃色金の意思。璃璃神であることを証明している。

 だからオレがそうした確信に近い疑問をぶつけたのだが、素っ気ないメヌエットは先ほどの質問で望みは叶えたと口を閉ざしてしまい、話の腰を折られる。堅いなぁオイ。

 

「…………仕方ないか。1つって言われててこういう聞き方をしたオレにも落ち度はあるしな」

 

「聞き分けがいいのですね。自らの落ち度を認められる京夜は賢い部類でしょう。愚行は消えませんが」

 

「まぁこれは別の線があるから自分なりに確信に迫るよ。それはもういいんだが、あと1つ、聞いてほしいことがある」

 

「言うだけなら構いませんよ」

 

 だがオレの聞き方も悪かったので粘るとメヌエットが機嫌を損ねると感じて切り上げ、最後に別件を述べる権利を得てから真剣な雰囲気から和やかな雰囲気に変えて口を開く。

 

「オレさ、実はメヌエットに嫉妬してたんだよな。昨日、友達がいるかって聞いた時に、メヌエットはいるって答えたろ? あれ、安心したのと同時にグサッて来てた」

 

「何故です? 京夜くらいのコミュニケーション能力なら友人の1人や2人、すぐに出来るでしょう」

 

「うーん。友好関係って意味なら確かに顔はそれなりに広いんだが、やっぱりそれって同業での繋がりとか仲間意識ってやつで、友達って言われると実は断言できるやつがいなかった。悪友って呼べるやつはいるんだが、親友とか友人とかに昇格する要素はないし」

 

「意外ですね」

 

「それで一応、言わせてもらうとだな。メヌエットといた時間ってのが、オレにとっても貴重な時間だったんだよ。メヌエットといる時のオレは武偵、猿飛京夜であることをちょっと放棄してた。それはつまりメヌエットとは普通に利害とかそういうのを無視して接してたってことを指しててだな」

 

「ハッキリ言ってはどうですか?」

 

「オレと『友達』になってくれないか」

 

 そうして口から素直に出た言葉に、オレは今回の全ての行動の意味を込めたつもりだったが、聞いたメヌエットは表情1つ変えずにただオレを見つめてくるのだった。



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Bullet118

 

 メヌエットとの対面3日目。

 当初の目的にしていた色金関連のことを聞き出せて、メヌエットの方もオレへの興味を大体だが抑えて明日以降にでも帰ることになりそうだというところで、オレは唐突にメヌエットと友達になろうと思ってしまった。

 いや、正確にはメヌエットといるうちにそうしたいと思い始めていて、別れが近づいて口から出てしまった。

 

「冗談では、ないようですね」

 

「冗談でこんなことを言う男じゃないのはもうわかってるだろ」

 

「忘れてるようですから言って差し上げますが、私は貴族で、京夜は平民。その違いは埋めようがない現実です」

 

「そんな立場をオレは考えてない。オレはメヌエットの本心に聞いてるんだ。答えは2つに1つ。どっちでもオレは受け入れる覚悟はしてる」

 

 おそらくはメヌエットにとっても初めて言われたことなのだろうから、珍しく無表情の中に確かな揺らぎを見せ、立場なんて今は不要なものを持ち出してオレを反射的に突き放そうとした。

 それでもオレが踏み込んでくるから、メヌエットもグッ、と噛み締めてから観念したように緩んだ口で言葉を紡ぐ。

 

「私は……今はまだヘコませる程度の言葉で済んでいますが、その……友達、になってから傷つけることをたくさん言ってしまう可能性を否定できません。気に食わないことがあれば絶縁を言い渡すことだって十分にあり得ます。それでも私と友達、に、なりたいの、ですか?」

 

「んー、そう言われるとちょっと嫌だな」

 

 そうして紡いだ言葉にオレは割と軽い感じで即答して、本心を語ったメヌエットはうるっとその瞳を潤ませる。うおい、泣くなよ?

 

「でもさ、きっとそうはならないって確信に近いものをオレは感じてる」

 

「どうしてですか?」

 

「ん、その理由について小舞曲のステップの如く順を追って説明するなら、メヌエットがオレを『傷つけることを心配してくれた』んだろ? そんなの会った日には考えられなかったメヌエットの優しさだ。そんな優しさを持ってる子だから、オレは友達になりたいって言えたんだ」

 

 泣かせるつもりもなかったのですぐにフォローに入って、その理由についてを尋ねられたのでメヌエットの口上を借りて説明しながらそのすぐそばまで行くと、目の前で膝をついてその華奢な手を取って少し見上げる位置にあったメヌエットの顔を見る。

 

「それからオレは多少のことではヘコまないタフな男だ。メヌエットの吐く毒くらい平気で飲んでやる」

 

「…………生意気な京夜は嫌いです」

 

 ぐにっ。

 ちょっとキザだったかなと自覚しつつもまっすぐに見てくるオレに流れ落ちそうだった涙を拭っていつものムスッとした顔になると、ちょうど良い位置にあったオレの両頬を引っ張ってつねるというコンボ。痛いんですけどね……

 

「ですが京夜がどうしてもと懇願するなら、仕方なくではありますが、友達のいない寂しい京夜の初めての友達になって差し上げますが?」

 

「どうしてもだ。お願いだ、メヌエット」

 

「……この展開は完全に推理できませんでした。私の完敗ですわね。今後は私の推理の邪魔だけはしないでください」

 

「それは保証できないな。何故ならオレにも何がメヌエットの推理の邪魔をしてるのかわからん」

 

 それでも届く思いはあって、完全に上からの物言いだがそれがメヌエットなりの言葉なのはもうわかってるので甘んじて受け入れると、この友達になろうの流れを推理できずに悔しそうにしたメヌエットと一緒にそんなやり取りをして笑い合うのだった。

 

「さて、晴れて友達になれたところで、これからはメヌエットを愛称で呼ぶ。アリアにはなんて呼ばれてるんだ?」

 

「お姉様からは縮めてメヌ、と。ですが京夜にその呼び方を許すつもりはありません。これはお姉様にだけ許す愛称であって……」

 

「よし! 愛称も決まったし日本に帰る前に記念写真を撮ろうか。オレが写真に写るなんて超珍しいことをするんだから喜べよ、メ・ヌ」

 

「くっ。今からもう絶縁を申し入れます! 金輪際、私の家に足を踏み入れることも禁じます!」

 

「サシェ、エンドラ。カメラないか? これからメヌと写真を撮るから持ってきてくれ」

 

「こ、のぉ! 私の話を聞かないバカを殺します! 今すぐに!」

 

 そうと決まったらオレももうメヌエットには遠慮なしで、アリアにだけ許してると言う愛称も使って記念写真を撮ることも勝手に決め、ギャーギャー言うメヌエットをスルーしていたら、ずっと気にはなっていた壁に立て掛けてあった空気銃と思われるそれを持ってオレに発砲。

 1発目は近くの本棚に突き刺さって本が吹っ飛ぶが、どうやら気圧を変えて殺傷力を高めているっぽい――しかも改造で――ので、当たりどころによって死ぬかもしれん。

 パンッパンッパンッパンッ。

 そこからの連射はオレもさすがに避けるが、余裕のなさそうなメヌエットの必死な顔はやはり姉妹。その行動と相まってそっくりである。まるでアリアとキンジのようだ。

 装填していた圧縮空気をあらかた出して撃てなくなった頃にタイミングを見計らっていたのかサシェとエンドラがおずおずと応接室に入ってきて、イライラしてるメヌエットを見て顔が青ざめる。

 しかし全弾を避け切ってケロッとしてるオレがメヌエットに近寄って銃を取り上げてやり、三脚と照明器具まで持ってきた2人にさっそく撮ってくれるように指示。

 

「ほらメヌ。仏頂面のままだと変な写真が出来るぞ?」

 

「私は撮るなどと言った覚えはありません。サシェもエンドラもなぜ私ではなく京夜の言うことを聞くのですか」

 

「オレの言うことがメヌの言うことと食い違わないからだろ。はいもう撮ります。貴族様は当然ながら写真映りは気にするよな」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。まだカメラに収まる心構えが……」

 

「はーい、チーズっ」

 

 それでも撮らないとは言わなかったメヌエットのアワアワした雰囲気が面白かったので、そのままオレはメヌエットの後ろに立って有無を言わせる前にその両頬をムニッと押してアヒル口にしてやると、タイミング良く照明を当てたエンドラとカメラを持つサシェがシャッターを押してくれてバッチリな写真が出来上がる。

 が、当然ながら取り直しを要求したメヌエットがオレの手首を合気道で極めてくれやがったので、改めて今度はメヌエットのタイミングで写真を撮った。

 しかし勿体ないので撮り終わってからサシェには先に撮った方をオレにだけこっそり渡すように言っておいた。こっちの方が可愛いしな。

 

「なんだかんだで良いリフレッシュになったんだよな……」

 

 メヌエットと友達になってから2日後。

 日本に帰る飛行機の中で快適とも言い切れないエコノミーの席で窓からの景色を見ながら、オレはロンドンを起つ前にサシェからもらった写真を懐から取り出して笑顔と一緒につい言葉が漏れる。

 写真は不意打ちで撮った時のふざけたやつの方だが、こんなことをやっても殺されなかった事実はメヌエットとの関係が特別なものに変わった証拠。

 あのあとメヌエットのパソコンのアドレスを交換してメールならいつでも出来るようにしたが、メヌエットからメールしてくることがあるのか不明。オレからもすることがあるのだろうか。

 奇妙な友人関係には違いない。だがそれで良いのだ。

 オレもメヌエットも一般人から見れば普通じゃないし、普通じゃない同士なら普通じゃない方が意外と噛み合ったりもする。

 

「まぁ、普通ってのがそもそもの定義を持ってないんだがな……」

 

 とは思うものの、結局のところ普通というあやふやな定義は考えるだけ無駄なことに辿り着き苦笑。

 良いじゃないか。人が十人十色であるように、友人関係も十人十色だ。周りがどう思おうと、オレとメヌエットは互いに認め合った友達。その事実があれば十分だ。

 何はともあれ、オレの欧州遠征はこれにて終了。

 奇妙な出会いや再会など色々とあったが、五体満足で日本に帰れているのは総合的に運が良かったな。

 現地じゃ運が悪いだなんだと騒いだが、終わってみればそんな感想が出てくるのだから人生は不思議なものである。

 

「あとは色金の問題、か」

 

 終わったことが大きかった欧州遠征だが、気が抜けない問題が残ってることにも思考がいく。

 アリアの緋緋色金の殻金も鬼のハビが持つ1つだけとなったものの、ジャンヌから聞いた停戦交渉の中で鬼達だけが眷属と物別れになって行方がわからなくなったという話だ。

 それから色金のことについても確認したいことがあるし、日本に帰ってからもやることはそれなりにありそうだ。

 それらのことを考えればメヌエットに言ったホームシックも嘘になってしまうが、避けられないならやるしかない。

 そんな決意を密かにしつつ、12時間後に着く日本との時差ボケを出さないために、一旦すべての思考を切ってしばらくの眠りに就くのだった。

 

「うんどりゃああああっしゃああああ!!」

 

 帰国後。

 その日に登校できる早朝に学園島に戻ってきて、登校前に荷解きしてしまおうと寮に戻って扉を開けたら、そんな意味不明な雄叫びと一緒にバカが拳を突き出してタックルをお見舞いしてくるので、警戒心が皆無だったオレはそれを腹に受けて一緒に廊下に飛び出し倒れる。

 

「ごふっ……死ぬ……」

 

「おっそいんだよキョーやん! あまりに遅いから理子りんラブゲージが愛から憎に反転しちゃったんだぞ! ぷんぷんがおー!」

 

 完全に押し倒されて馬乗りまでされて戦意喪失なオレに、上に乗る理子は手で頭に角を作ってご立腹の感情を示してきた。

 その後ろでは玄関までやって来た小鳥が心配そうにこちらを見るが……お前がチクったのか。

 

「お前には帰ることを黙ってたはずだが」

 

「ふんだっ。キーくんが帰ってきてから毎日ここにいたんだもんねー。そんでことりんに帰国予定のメールが来たから待ってたんだもんっ」

 

「す、すみません京夜先輩。理子先輩の張り込みがハンパなくて……」

 

 帰国のことは小鳥にしか言ってないから、情報が漏れたなら小鳥しかないんだが、どうやらオレが小鳥にはそういうメールをするとわかってた理子にマークされてたみたいだな。

 

「ならオレが軽率だったか……今後は黙って移動しよう」

 

「バカちんがぁ! 理子にだけ教えてくれれば素敵なお迎えしちゃうんだぞ?」

 

「それがイコール、オレにとっての素敵になるかは別問題だろ。いいから退け」

 

 それが読まれてたならオレの責任なので、小鳥を責めるのも変な話と諦めてとりあえず理子を上から退かし、手を貸してくれたのを取って立ち上がる。

 

「まぁとりあえずは、ただいまか」

 

「おう。おかえりだ」

 

「おかえりなさい、京夜先輩」

 

 手荒い歓迎だったものの、オレの帰りを待ってたというのは少なからず嬉しいので、開幕グーパンは見逃すことにして部屋に改めて入り、小鳥の作った朝食を3人で食べながら近況報告。

 

「んで、オレのいない間に何かあったか?」

 

「そうだよキョーやん。帰りが遅いって言ったのは単に理子りんのラブゲージ問題だけじゃなくて、一昨日にアリアが入院しちゃったんだよぉ」

 

「……怪我か?」

 

「そういうんじゃないっぽいけど、面会謝絶でヤバ気な人達の監視も付いてでマジ囚われのお姫様って感じ。だから何で入院したかってのもよくわかんないけど、キーくん達の話じゃ突然倒れたってさ」

 

 武偵なので仕事やプライベート関連の報告は聞かないが、こういったことは情報として仕入れておくのが習慣。

 だがアリアが入院とはな。このタイミングでそんな厳重な守られ方は不自然さが目立つ。

 

「まぁそっちはキンジにでも詳しく聞く。それより白雪とレキはいま学園島にいるか?」

 

「あー、そうやって他の女の話するんだー。しかもキーくんラブの2人だし」

 

「別に狙ってるとかそんなんじゃねーし。いるのかいないのか」

 

「レキュはいるけど、ゆきちゃんは帰省中っぽいねぇ」

 

 アリアのことは気になるが、オレ以上に動くやつがすでに動いてそうなので、そっちはそっちで手伝えたら程度にしておき、オレもオレでフワフワしてる疑問を片付けたいので、その疑問の答えを持ってる可能性のある2人にコンタクトを取ることにする。

 が、白雪がいないのか。しかも星伽の実家って青森だっけ? 欧州のせいで距離感がおかしくなってるが、割と遠い。

 となるとレキからだな。

 

「まずはレキから……いや、違うな」

 

「どしたの?」

 

 1度はそう考えたのだが、凄く冷静になって考えたら、目の前にも無関係ではない人物がいたのでアホな面してモキュモキュとたくあんを食べる理子を見て、それに頬を赤らめるのでジト目でふざけるなと言いつつ口を開きかける。

 しかし今ここには小鳥がいるので、あまり突っ込んだことは聞けないと判断し、理子が喜ぶから嫌だが2人で登校しながら話すことにして小鳥に先に行くように言ったら、なんか不満そうに後片付けをして寮を出ていってしまった。

 なんだろう、この覚えのある怖い感じ。地雷踏んだかもしれない。

 

「おほぉ、ことりんも露骨になってきたねぇ」

 

「後輩の不機嫌を楽しそうに見るな」

 

「いいのいいの。あれは誰もが通過することだからねぇ。キョーやんの知らないところで戦いは常に起こっているのだよ」

 

 そんな小鳥を見送ってから理子が意味ありげなことを言いながら登校準備をするので、オレも準備をしながら会話するが、女子の察する能力高いなぁ。

 

「そんで、話ってなーに?」

 

 小鳥が登校して十分な時間を開けてから、一緒に徒歩での登校を開始して早々。

 オレが話すタイミングを計ったのを小鳥の前ではできないからと察した理子はルンルンなステップでオレを見上げてくるが、そんなルンルンでする話ではない。

 

「理子のそのロザリオ。確か緋緋色金とは違う色金金属が含有してるんだよな」

 

 そうやって歩きながら上から胸元に見える青いロザリオを見て確認をしたのだが、角度的にエロかったので理子が1度「もうエッチッ」とか言いながら胸元を隠してからロザリオを普通に見えるように取り出してくれる。

 

「そだよ。これって昔にお父さまとお母さまが、2人の仲間と盗みに入った時に手に入れた金属を加工したものなの」

 

「それって、どこに盗みに入ったんだよ」

 

「詳しいことはわかんないけど、めっちゃ警戒厳重でお母さま達が燃えたところなのは間違いないかなぁ」

 

 まぁわかってはいたが、やはり生まれる前の両親の盗みの入手経路については知らないか。

 理子も当時は怪盗とか漠然としたものに理解はなかっただろうし、難しいことを言っても理解できないから両親もその英雄譚を端折ったりしたはずだし。

 だがその話からでも、理子の持つ色金が人の管理の下にあることはほぼ間違いない。所有物としてか、保護対象としてか、或いは危険物としてか。

 

「でも何でそんなこと聞くの? ひょっとしてアリアの色金と関係あったり?」

 

「あるようなないような……今はオレもわからん。だから情報を集めてるとこ」

 

「そんで普段は接点がないレキュとゆきちゃんが絡んでくるわけか。理子さ、今は藍幇に目をつけられてて自粛中だから、あんま派手なことできないけど、最悪でも蘭ちんに頼めばなんとかなるだろうし、どうしてもの時は頼ってね?」

 

「藍幇に? 勧誘とかならしつこそうだしな、あそこ」

 

「ホントだよ。蘭ちんにはこの前ぷんぷんがおーしておいたけど、あれは反省してない顔だったね」

 

 ロザリオを胸元にしまいつつ、オレの真意についてを尋ねてくる理子の鋭さはさすがだが、どうにも藍幇から勧誘されてて動きに制限がかかってるらしく、あんまり大々的に使ってはやれないみたいだ。

 それでもどうしてもの時は頼ってと言ってくれるのはありがたい。

 

「んじゃ、どうしてもの時は頼らせてもらう。ありがとな、理子」

 

 だから普通にそんな感謝を述べたのだが、隣を歩いてた理子が何故かキョトンとした顔をしてからすぐに頬を赤く染めて俯いてしまう。

 

「あ、あれー? おかしいなぁ。こういう時のキョーやんは『そんなことにならないようにする』って言うところだったのに」

 

「……そうだな。そうだったかもな。オレもちょっとずつ変わってるってことか」

 

 言われて気づいたが、確かに前のオレならそんなことを言って理子を……人を頼ることを極力だが避けてきた気がする。

 だが欧州での出来事でオレは自分の出来ること、出来ないことをかなり明確にできた気がするし、だからこそ人に頼ることの大切さを知ることができた。

 それが今の言葉に反映されていたんだ。自分の自覚しないうちに。

 

「今のオレは日和ったと思うか?」

 

「うーん。微妙なとこだけど、キョーやんは人に頼ることも覚えてほしいなぁって思ってもいたし、理子としては素直に嬉しいかも」

 

「その代わり、お前が頼ってきたらちゃんと仕事しろって言いたいんだろ」

 

「おおっ? 理子の言いたいこともわかってきたねぇ。これは結婚も秒読みですなぁ。ぬっはっはっ」

 

「変な笑い方すんな」

 

 だけど簡単に人に頼ってはダメなこともわかってる。

 その辺のバランスは正直まだわからないが、今のオレが悪いかと理子に尋ねればそうでもないらしく、持ちつ持たれずな武偵業から理子の狙いを察するとズバリだったのか、変な笑いで変なことまで言う始末。ブレねぇな。

 

「うんうん。キョーやんのコマンドに『理子召喚』が常に加わったのは大きな前進だねぇ。この調子で『理子添い寝』とか『理子膝枕』とか加えていけば……グヘヘ」

 

「そんなバカみたいなコマンドを加える計画を練るくらいなら、1つでも人様の役に立つことをしろ。善行を重ねればお前も少しは物欲とか抑えられるだろうしな」

 

「物欲にまみれてるくらいが理子にはちょうど良いのですよ。仏みたいな悟り開いた理子とかキョーやんだって見たくないでしょ?」

 

「それはそれで怖いもの見たさはあるが……確かに気持ち悪いな」

 

 そこから理子のバカさ丸出しの計画が漏れ聞こえるが、発展した会話で互いに笑い合って終了。

 なんだかんだ言ってこうやってアホなことを言い合える理子は一緒にいて楽しい。

 途中から気づいてはいたが理子の影に潜んでたヒルダもセットで楽しそうにしてたので、周りから見てもオレ達は楽しそうに見えていたのかもしれない。

 

「……あっ。あややのところにも行かないとだった……」

 

「そいえばあややも交換留学で3年になったらいなくなっちゃうから、在庫処分セールやってたっけ。それ目的?」

 

「いや、新調したミズチをまだもらってないから、その受け取りに行かなきゃだ。そして留学の話も在庫処分セールの話も初耳。こりゃ次に壊したら発注が大変だな」

 

「そこは壊さないように頑張ろうよ」

 

「ちっ、正論で言い返せない……」

 

「舌打ちとかサイテー。これは理子りんほっぺにチューの罰ぅ」

 

「ご褒美の間違いじゃないか?」

 

「えっ……キョーやんにとって罰に、な、ならないの?」

 

「普通にならないと思うぞ」

 

「あわ……あぅ……」

 

 話も一段落して他愛ない会話でもと思ったら、すっかり忘れてたミズチのことを思い出して、あややの話から変な方向に発展。

 罰でほっぺにキスは罰にならないという普通の意見に、顔を真っ赤にした理子は「じゃ、じゃあ、はいっ」とか言って顔を近づけてきたものの、本当にやるとなると照れるのでダッシュ。逃走は慣れっこだ。

 そうして理子に追っかけられて一般教科の校舎に突入したのはいいが、結局クラスが同じなので意味がなかったことに気づいたのは、教室に入ってすぐのことだった。

 ……勘弁してくれ……



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Bullet119

 何気に3学期の初登校だったため、理子とのバカなやり取りをしてからは不知火とかその辺が一言二言の挨拶をしてきて、代わり映えしない面子に安堵していたら、武偵高では珍しいロングスカートをはいた女子が近寄ってきて挨拶するので誰かと思ったら、リサだったのでちょっとビックリする。

 

「メイド業だけじゃないのか」

 

「リサもまだ学生の年齢ですし、ご主人様と一緒にいるためにはここへの編入は必須でしたので。専門は救護科ですので、今後ともよろしくお願いいたします」

 

 極東戦役の停戦の際にキンジと一緒に日本に行ったことは聞いていたのだが、てっきり専属メイドとして居候すると思ってた。

 だが冷静に考えたら武偵高生でもないやつが寮にいたら問題があるよな。納得だ。

 

「ああ、よろしくな。それよりそのご主人様はどこにいるんだ?」

 

「ご主人様は今、お仕事で学園島の外におられます。お戻りになられる日は未定とのことです」

 

「仕事? アリアが入院してる時に別件……は考えにくいか」

 

 未だにリサのメイドとしての能力くらいしか知らないオレだが、救護科でやっていけるならそれなりのものは持ってるのだろうと判断し、特に何も言わずに挨拶を返してから、まだ姿の見えないキンジについて尋ねると、あんまり正直に答えられるのはどうかと思ったがどうやらアリア関連ですでに動いているらしいな。

 そう話してるとHRの時間になって、綺麗なお辞儀をしてから自分の席に戻ったリサを見送って、自分の席でこれからの予定を立て始める。

 アリアの入院してる病院は港区白金台の医科研病院だと理子が言ってたな。

 そっちは放課後にでも様子見に行くとして、まずは確実に消化できる案件を片付ける。

 昼休みにレキから璃璃色金についてを。それからジャンヌから停戦交渉の詳しい結果を聞いておく。

 放課後にはあややの工房におそらくは出来てるだろうミズチを受け取りに行ってから、アリアの病院にって感じだな。

 

「それから、猿飛君」

 

「ん、あ、はい」

 

 思考のためにあんまり重要なことは言ってないだろうHRは話半分で聞いていたのだが、何かのついでで高天原先生がオレを名指しで呼ぶので何事かと思いつつ即返事。やべぇ、ちゃんと聞いてない……

 

「ちょっと大事なお話があるので、お昼休みに教務科に来てください。都合が悪ければ放課後でもいいですが」

 

「あー、大丈夫、です。昼休みにお伺いします」

 

 聞いてなかったが、直前の話とは無縁だったっぽいので安堵するも、ここで放課後に回す勇気はなかったので、立てていた予定を速攻で崩して高天原先生に返事。

 それを聞いた高天原先生はいつものニコニコ笑顔でそのままHRを終えて教室を出ていってしまった。

 

「おいおいキョーやんや。今度は何をやらかしやがったんで?」

 

「知らん。というか常習犯みたいなこと言うな。キンジじゃあるまいし」

 

 それからすぐに後ろの席の理子が失礼な質問をしてくるが、オレにも呼び出しの理由はわからないのでそう答えるしかない。

 だがそうなると全てを放課後に持っていかないとダメだろうから、もう手は打たなきゃな。

 そう思ってウザい絡みになりかけた理子から逃げてレキのいるC組に顔を出して放課後に時間をもらう約束を取り付け、B組にも寄ってジャンヌに話を通すが、何故か帰ってきたことを知らせなかったことをプンスカ怒られてしまった。義務ではないはずなんだが。

 ついでのついでであややにもミズチを受け取りに行くことを伝えて教室へと戻ると、今度はワトソンが絡んできて何事かと。

 

「先に言っておくんだけど、これは強制ではないから気に入らないなら無視して構わないよ」

 

 そう言いながら折り畳まれたA4の紙を渡してきたワトソンは「人目に触れさせないように」と言ってすぐに離れてしまい、何だろうと思いながら次の授業の最中にコッソリと紙を開いてみる。

 

「…………無視決定」

 

 そこにはうんたらかんたら書いてあったが、要約すると『お前の能力は高く評価されたからリバティー・メイソンのメンバーになる権利をやる』ってことだ。

 おそらくは欧州戦線での活動をカイザーとか羽鳥経由で報告が上がって、どこかに取られる前に取ってしまおうってことなんだろうが、オレは羽鳥達のように二足のわらじを履けるほど器用ではないし、無視していいなら無視する。紙は後で焼いて処分だな。

 そして報告を上げたとおぼしきカイザー、ワトソン、羽鳥には恨みを1つ持っておこう。

 いつか文句と一緒に蹴りをお見舞いする。ワトソンにはすぐにでもくれてやる。

 そうした念を前の席のワトソンにぶつけて震えさせてからは、比較的まったりと時間が過ぎていき、あっという間に昼休み。

 教務科からの呼び出しなのでそれはもう脇目も振らずに直行して静かに入室すると、高天原先生が一般教科の授業からまだ帰ってきてないようでそれまで綴先生の愚痴に付き合わされる羽目になる。くっそ……

 

「あら、猿飛君。早いのね」

 

 その猛毒の愚痴を聞いてぐったりし始めた頃に天使のように舞い降りた高天原先生が到着。

 その高天原先生の手招きに応じて舌打ちしやがった綴先生とはおさらばし別室に2人で入り座らされると、何かの文書が入った茶封筒を2つ持ってきてテーブルに置かれる。

 1つはイギリスかな。英語だから確定ではないが多分そうだ。送り元にロンドンっぽい地名が見えるし。

 もう1つは読めないが文体がイタリア語っぽいからイタリアだな。

 

「はい、とても良いお話ですから、そんな不安そうにしなくても大丈夫ですよ」

 

「良い話、ですか?」

 

「どちらも猿飛君が修学旅行Ⅱの補習でいない間に送られてきたものですが、どうやら猿飛君はずいぶんと先方に好かれたようですよ。先生としても喜ばしいことです」

 

 海外からの文書のせいか、戦役のこともあったので変に身構えてしまっていたオレに対して、いつものニコニコ笑顔を崩さない高天原先生は説明しながら封筒を開けて中に入っていた用紙を取り出して見せてくれた。

 片方は英語でそれとなく読めるが、やはりイタリア語はわからん。

 

「猿飛君は英語の成績が良いからこっちは読めると思うけど、一応は書いてることを要約すると、両方とも交換留学をしないかって言うことなの」

 

「交換留学、ですか」

 

「声をあげてくれたのはロンドン武偵高とローマ武偵高の2校。期間は3年次進級から8ヶ月間。前者は公用語が英語ですから問題はないとは思いますが、後者はイタリア語を学ばないと授業にも支障が出るでしょう」

 

 という高天原先生の話を聞きながら、英語の方の紙を読んで詳しい内容を確認する。

 それによるとロンドン武偵高の方は住居の賃貸が確保されたり、授業料の一部が免除されたりと割と良いことが色々と書かれてはいるのだが、ロンドン武偵庁という不穏な単語が所々にあるな。

 つまり「そっちにアリアを取られてるんだから、こっちにもそっちの戦力を寄越せ」みたいなニュアンスだろう。

 おうおう。とんだとばっちりだぜ。

 

「それでは猿飛君が困るので、学校側としても予習としてイタリア語を学ぶ講習への参加を義務付けなければなりません」

 

「今のところは3択ということで良いでしょうか」

 

「そうね。このまま進級してここで残りの1年を過ごすか。どちらかの武偵高に留学に行くか。先生としては見聞を広げて若いうちから海外への耐性をつけておくのが後々に有利だとは思うけど、決めるのは猿飛君よ」

 

「正直な話は?」

 

「留学に行ってくれたら、先生もボーナスがもらえてハッピーかなぁ、なんて」

 

 留学に関しては強制ではないっぽいのでいいのだが、生徒の意思を尊重してるような口ぶりをする高天原先生の笑顔がちょっと悪い方に見えたので本音を聞き出すと、やっぱり裏があったな。

 まぁ、こういうタイプの笑顔は圧迫感とかがないからまだいいが、これが蘭豹先生や綴先生なら有無も言わせずに「ボーナスのために逝け」と命令するだろう。それを考えれば天国のような状況だ。

 

「一応、先方の方でも手続きとかあるから、お返事は今月までには絶対にしてください。両方の文書を日本語訳した文書も作成してありますから、ちゃんと読んで決めてください。お話は以上ですが、質問はありますか?」

 

「……いえ。何かあればその時に尋ねようと思います。ありがとうございました」

 

 最後に返事の期限を言って解放してくれた高天原先生は、書類をしまってオレに渡してきて、なんともし難いそれを受け取って教務科をあとにし教室に戻ると、興味津々な理子が待ってましたと言わんばかりに絡んできてうるさい。

 

「ねーねー! 何の呼び出しだった? ねーねー!」

 

「さぁな。この昼休みの記憶が曖昧で覚えてないわ」

 

「なんというバカな返し……それならその封筒に答えありだね。ちょっと見ーせてっ!」

 

「断固として拒否する。だーもう! うっぜぇ!」

 

 オレのことになると妙に知りたがりな理子は、はぐらかすオレを無視して封筒の強奪に走ってくるので密着度がハンパないが、リーチやら何やらの差は埋められないので取れずにブーブー文句を垂れるに終わる。

 別に誰かに見せたり教えても問題はないんだが、理子の場合はオレがどちらかに留学することを決めれば「理子も行くー」とか言いかねない。

 いや、完全なる自意識過剰なんだが、その可能性を捨てきれないのだから黙っておくのが良いだろう。

 よくカップルとか仲の良い人同士が一緒の大学を目指す、みたいな話は聞くが、オレはそれを必ずしも良いとは考えないわけだ。

 一緒、という条件を満たすためには、誰かの本当の意思が尊重されないことにもなり得るから。

 だからオレの決定で理子の今後を左右するような何かを起こすのは、可能性であってもなるべくなら避けたい。理子にも理子の人生があるんだから。

 そうした理由で誰にも留学の話は言わずに理子から逃げるように専門科の授業に逃げ込み難を逃れ、適当に過ごした放課後。

 ようやく自分がやりたいことに取りかかれるとあって足取りも軽く、まずはレキを迎えに狙撃科の専門棟に行ってみると、すでにオレを待ってたのか出入り口の前でハイマキと一緒に待っていてくれた。

 そのレキとハイマキと適当に落ち着ける場所に移動して飲み物を1つ奢ってやってから話をする。

 

「レキ。答えられないならそれでいいんだが、最近『風』は何かお前に言ってきたりしてないか?」

 

「いえ。修学旅行Ⅰの後からは特に」

 

「そうか。この際だから聞くけど、その風に対してレキから意思を伝えることはできないのか?」

 

「試したことがありません。する必要がなかったので。ですがおそらくは無理です。すみません」

 

「いや、謝られても困るが」

 

 なんかかなりナチュラルに風について話しているが、オレが風についてその存在を認知してることにはツッコまないのな。

 だがそうだからレキとは話しやすいのかもしれん。余計なことを言わないで聞いたことに答えてくれる。黙ってくれるからな。

 

「となると風と話をするって手も無理そうだな……」

 

「風は『人の感情』を嫌います。たとえ私にその意思があっても、風は拒むでしょう。ですから京夜さんでも風と話すことは叶わない」

 

「だから一方通行なわけか。了解。聞きたかったのはそれだけだから。時間を取らせて悪かったな」

 

「いえ」

 

 この話から察すると、風。璃璃色金にはやはり意思があり、修学旅行Ⅰまでにレキを通して何か動いていたと判断できる。

 だがオレは今、色金の意志の有無と一緒に対話が可能かどうかも調べている。

 それに関して璃璃色金は意思はあるが対話が不可っぽいので、これ以上レキから聞き出せることもない。せめてこっちの意思を伝えられれば進展しそうではあったがな。

 残るは世界のどこかにある瑠瑠色金。こちらに託すしかないみたいだ。

 少しずつ進展してはいる色金の問題についてを考えながら、レキと別れてからあややの工房に足を伸ばす。

 辿り着いたあややの工房は留学に備えてか、かつてないほどに物が少なくなっていて、触れたら崩れるようなタワーはなくなっていたからビックリだ。本当に留学するんだな。

 とかなんとか思いながらあややの留学を実感しつつ奥にいた作業中のあややに声をかける。

 

「あややー。来たぞー」

 

「ん? おおー! さるとびくん、いらっしゃいなのだー!」

 

 もうすぐ3年に進級するというのに、相変わらずの幼児体型のあややを見ると、その成長率に可能性を見出だせないが、本人が気にしてなさそうなのでスルーして、早速だが出来上がったミズチを受け取る。

 

「さるとびくんも聞いてると思うけど、あややは新学期から留学するから発注は受け付けるのですが、送付に時間もお金もかかりますのだ。だから今後は木っ端微塵にされたりするとお高くつくのだ」

 

「あややにとってはそっちの方が良いんだろうが、お財布事情だからオレもあややをウハウハさせたくはないな。ん? なんかちょっと変わったか?」

 

「おお! さすがさるとびくんなのだ! 実は前回のアンカーボール。特許を取れてウハウハだったけど、新調の時に材料が足りなかったから、新しい機構にしたのだ!」

 

 受け取ったミズチをさっそく装備して話を聞きながら具合を見ていたら、アンカーボールの収納がかなりコンパクトになっていたので疑問を口にするとズバリ。何かが変わったらしい。ってかアンカーボール、特許を取ったのかよ。

 

「アンカーボールを前の3分の1の大きさにしたから、効果が5秒に縮んだけど、アンカーを圧縮空気による射出式に変更したのだ。だからいちいち取り出して投げる必要はなくなって、すっぽ抜けない持ち手も折り畳み式から引き出し式に改良したから、袖をめくる必要をなくしたのだ」

 

 という説明を聞きながら新しいミズチの持ち手を手首の横から引っ張り出し、アンカーボールを射出してみると、結構な威力で射出されて工房の壁に引っ付いた。持ち手もかなり頑丈な素材でコンパクトになっても折れたりの心配はなさそう。

 

「圧縮空気は3発までストック可能で、空きが出来たら自動で装填されるようになってるけど、1発の充填には10分はかかるから、ご利用は計画的になのだ」

 

「自動って……お高い機構ですかね?」

 

「そこは特許狙いでちょっとお試しだから、今回はお高くしないのだ。さるとびくんは1号さんなのだ」

 

 ああ、つまり実験台かこれ。嫌だなぁ、あややの実験台。失敗とは言わないけど、本当の当たり引くことが稀だからな。キンジとかアリアを見る限り。

 

「了解。なら留学前にたくさん使って調整してもらうわ。そのくらいの融通は効かせてくれるよな、あやや?」

 

「むむむっ。そうやってあややをざいせいなんに陥れようとするのは嫌なのだ。やるなら留学してからが良いのだ」

 

「ほい、報酬。んじゃ今から酷使してくるから、割引きで調整頼むよ」

 

「さるとびくんが急に意地悪になったのだ! 酷いのだ!」

 

 それでも新調してくれたのには感謝しなきゃならないので文句は言わず、代わりに今後の不具合は割引きするように言って報酬を置いて工房をあとにする。あー聞こえないー。

 そうしてあややからの評価がちょっと落ちただろうことは気にせずに、話すべき相手のトリとなるジャンヌを迎えに行こうとしたら、なんか部屋に来いとのご指示なのでそのまま第3女子寮へと移動。

 まっすぐにジャンヌの部屋に行ってみると、なんかワトソンもいたのでとりあえず今朝のリバティー・メイソン勧誘の件で1発だけ蹴りをお見舞いして、突っかかってくるのを華麗にスルーし停戦協定の結果について尋ねる。

 

「途中まではフローレンスから聞いただろうから、あのあとに決定したことについてを話そう。とはいえ話すことと言えば、ここ学園島周辺に展開されていた玉藻の鬼払結界が解除されたことくらいのものだが」

 

「停戦って言ってんのに警戒してんじゃねーってか」

 

「まぁそんなところだ。だがこれによって少々の問題もすでに起きている」

 

「実は数日前に眷属から物別れになった鬼達が日本に上陸したのを確認した。場所は成田空港だけど、目的はおそらくここ、学園島にあると見ていいかもね」

 

「それからセーラも行方不明でな。腕が立つだけに気質と相まって動向が気になる」

 

 停戦協定の方は大方は聞いていたから真新しいこととしてその程度だと話すジャンヌだったが、ワトソンが写真を取り出して話した鬼達はどうやらすぐ近くまで来てしまってるらしい。

 鬼にとっても鬼払だけに玉藻様の結界は厄介だったようだが、あの化け物相手にどう立ち向かうかは考えものだろう。オレならまず逃げの選択だ。

 あとはセーラだが、そういや連絡先もらったのを黙ったままだった。ここで言うか迷うが、うーん。

 

「セーラなら連絡がつかないこともないと思うんだが……」

 

「なに? まさかお前、私達が必死に戦っている最中にナンパでもしていたのか。油断も隙もないな」

 

「完全なる誤解だ。純粋にビジネスとしての線を繋いだだけ。だからもし連絡するならちゃんとした仕事の話じゃないと門前払いを食らうはず」

 

 言わないと後が怖いから一応は言っておくが、なんかジャンヌからジト目で見られてしまい、弁明と注意はしながらセーラが教えた番号をジャンヌにも教える。

 

「ふむ、そうなると繋がるとはいえ簡単には使えんな。せめて何かセーラを雇うだけの依頼が出来ればいいのだが」

 

「24金、60キロに見合うだけの仕事とかそうないだろ」

 

「それはそうだが……この件はとりあえず保留として、今後は鬼達の動向に注意せねばならない」

 

「了解。んじゃオレはまだやることがあるからこれで失礼するよ」

 

 これ以上はあれこれ言っても仕方ないという判断でオレも状況は把握したから、今日のうちにやっておきたい最後の確認作業をするためにジャンヌの部屋をあとにすると、日も暮れてしまった学園島から出てアリアの入院する病院へと足を運ぶ。

 一応、正規ルートとして受付からアリアの面会を申し入れるが、やはり面会謝絶で門前払いを食らったので、病室を聞いてその近くまで接近を試みたが、理子が言っていたヤバめの気配が近づくにつれて強くなったので、病室に近づくのも断念。

 

「こりゃ難攻不落の要塞ってところか」

 

 まさに囚われのお姫様。ここまでやられるとアリアが緋緋神化しちゃったんじゃないかと勘繰りたくなるが、だったらこんなところで黙ってるわけもないので、とりあえずは楽観視しておき今日のところは退散。長居したところで状況は変わらん。

 なのでその帰り道で完全に後回しにしていた件をどうにかするため、ダメ元で連絡をしてみたら、意外なことに繋がったので話をしてみる。

 

「結構な突っ込んだ話だから、直接会って話がしたいんだが」

 

『えっと……うーん。どうかな。今は難しいかもしれないよ』

 

「お前がいま学園島にいないことは聞いてる。だからそっちに行くから頼む、白雪」

 

 その相手、星伽白雪は話がしたいと言うオレに歯切れの悪いことを言うが、こっちも余裕がなさそうだから譲ってはやらない。

 白雪が来れないなら行ってやるさ。そこがたとえ男子禁制の星伽神社の総本山だとしてもな。



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Bullet120

 3学期の初登校日から一夜明け、オレのいない間の情報の補完も完了したところで、急を要する案件もありそうでなかったため、1番の不安要素、アリアの案件はキンジ達に任せてオレは確認すべき案件を片付けに旅支度を整える。

 

「まっ、行っても2、3日が最長だろうし、変に身構えても仕方ないか」

 

 それでこれから行くところは、今まで名前は聞いたことがありながらも、特に気にしてもこなかった星伽神社。その総本山だ。

 以前にキンジから星伽神社の本社は青森にあるくらいにしか聞いてなかったから、行き先がかなり漠然としている。

 昨日の白雪との電話でも実はそっちに行くと言ってから「猿飛くんじゃ辿り着けないと思う」とサラリと言われて、正直なところ燃えている。

 その白雪の言葉を挑戦状と受け取ったオレは、意気揚々と男子寮を出発したのだが、昨日の朝に白雪のことを聞いたから勘繰られたのか、敷地を出たところで理子が待ち伏せしてやがったので嫌な顔をする。

 

「ゆきちゃんとこ行くんでしょ」

 

「ついてくんなよ。ただ白雪に会って話をしてくるだけだ」

 

「わかってるもん。理子だってキーくんから要請されてるから暇じゃないし」

 

「じゃあ何だよ」

 

「5日後までには帰ってきてほしいの」

 

 てっきり「理子も行くー」とか言うかと思ったが、先約があったからか駄々はこねなかった。

 しかし5日後までにってのは何だろうか。今日が2月9日だが……5日後は……

 

「14日までに……ああ。バレ……」

 

 と、なんとなく理子の言いたいことはわかって口から出かけるが、この手のいわゆる『恋愛イベント』は学園島では口にするのも危険。

 こういったイベントでことごとく辛い経験をしてる一部の教師――香港マフィアの娘とか――が浮わついた空気を嫌って目の敵にしてるからだが、何故か教師陣は結託してるのでチャン・ウー先生辺りに聞かれてたらゴリラウーマンが召喚される。

 

「学園島じゃマズイんじゃないか?」

 

「うん。だからアキバにご招待するね。約束っ」

 

「去年は義理だったか」

 

「今年は期待しててよね。あとヒルダからも何かあるってさ」

 

「……そっちは期待しないでおく」

 

 だからかなりイベントに触れない会話で繋ぐが、変に気合いが入ってそうで怖いところがあるな。しかもヒルダからも何かもらえるっぽいが、ますます怖い。

 でもそれをそのまま言ったら理子の影が斧の形になってブンッと振るう動きをしたので冷や汗をかきつつ訂正。いやぁ楽しみだなぁ。

 それで用は済んだのか、いつもの理子の調子でビシッと敬礼してからキーン、とか言いながら両腕を広げて走っていってしまった。どこの人型ロボットだ。

 とはいえ5日も青森にいるつもりは毛頭ないので、さっさと行ってさっさと帰ってくると決意しまずは青森駅を目指して学園島を再出発するのだった。

 

「やっぱり移動すると遠いもんだよな、青森。しかも寒いし」

 

 移動時間は約4時間。電車にゆらり揺られて到着した新青森駅周辺は、まだまだ冬を象徴する雪に覆われていて、東京との気温差は10度近いため持ってきていたコートを着込んで暖を取る。

 そしてここからは手がかりを見つけるために動く。

 まずは星伽神社がかなりオカルト寄りなことを鑑みて、知る人は知るだろうことは予測しつつ、青森にある武偵高にお邪魔し、そこのSSRに突撃。

 当然ながらSSRは秘匿で閉鎖的で情報の公開は基本的にないのだが、そこは羽鳥とかを見てきたせいかどう言えば情報を引き出せるかがなんとなくわかって、この辺の霊的スポット。恐山から合同合宿とかやるのだろうとか話して、白雪に関してピンポイントで引き出し「この辺では簡単には近づけないんだろ? 星伽神社には」とか適当に言えば、まぁねとくる。そこからは周辺の都市部の名前を言っていってわずかでも反応があった土地に目星をつける。

 それによるとどうやら弘前市周辺が怪しいので、青森武偵高をあとにしてから弘前市に移動。すでに昼下がりになってしまったが、ここで新たなアクション。ここ弘前市周辺の女子校に探りを入れる。

 星伽神社は男子禁制。おそらくは緋巫女である白雪以外の妹は教育のために学校に行っているのだ。

 事実、夏休みにこっちに来た粉雪ちゃんが、通っているだろう学校の制服で見学をしていたから間違いはないはず。

 加えてあの箱入り具合から見ても送り迎えは星伽がしていて、かつ遠くならない場所。そして女子校。これだけの条件に当てはまる学校なんてそうない。

 その予想通り、弘前市周辺には女子校は1つしかなく、中高一貫のお嬢様学校のようだ。

 とりあえず空振りでもいいのでここに狙いを定めて、放課後の下校時間を狙い打ち。

 見つけてからのタイムラグをなくすために可能な限り校門に近い位置取りにはしたが、間に合うかは微妙だ。最悪は全力疾走しなきゃダメだな。

 そうこう考えながら下校時間まで待っていたら、ポツポツと校舎から生徒が出てき始めたので特徴的なパッツン前髪の黒髪少女を狙い打ちで探していくと、探してる最中に校門近くで見覚えのある長いリムジンが停車し、運転席からこれまた見覚えのある女性が出てきた。

 あれは夏休みに粉雪ちゃんを迎えに来たリムジンと運転手だな。ってことはビンゴだ。

 まさかこんなところで欧州での地獄の人探しが役に立つとは思いもしなかったが、あれに比べたらイージーだったな。キンジ探しは本当に精神的に死ぬかと思ったレベルだし……

 と、思考があの頃のネガティブにいきそうになったので振り払うように切って、お行儀よく粉雪ちゃん達を待ってるだろう運転手に近づいてご挨拶。

 向こうもオレのことをわずかながらに覚えていてくれたようで、誰だお前みたいな空気は避けられたが、偶然とは思えない出会いに当然だが警戒はされる。そりゃそうだ。

 

「悪いんですが、話の方はこれから来る白雪の妹達にあるので、少しだけお時間をください。別に悪巧みとかは考えてませんからご安心を」

 

 なので一応は白雪の知り合いという立場から言葉を選んでおき、信用できなきゃここで騒いでくれていいとまで言って逆に騒ぎにくくしておく。

 こう言っておけばオレがそれをやられても痛手にならないとわずかでも思わせられるからだ。

 

「おっ、きたきた」

 

 そうして運転手さんからもとりあえずで容認されて待つこと数分。

 仲良さそうに校舎からやって来た似た者3姉妹が歩いてやって来て、いつものように運転手さんを見つけてお迎えご苦労みたいな雰囲気でいたが、その隣にオレがいたので驚きを含む表情をしたのが2人。風雪ちゃんと粉雪ちゃんだ。あとの1人とは面識がないからキョトン顔をされてしまう。

 

「猿飛様。どうしてこのようなところに?」

 

「ちょっと白雪に用事があってな。だが星伽神社がどこにあるのかわからないから案内役を探してたんだ」

 

「失礼ですが、白雪お姉様にどのようなご用事が?」

 

「確認したいことがあるだけ。心配なら白雪に了承を取ってくれていい。その判断にオレは従うよ」

 

 近寄ってきて口を開いた風雪ちゃんと粉雪ちゃんの口ぶりからして、どうやらオレが昨日、白雪に電話したことは知らされていないっぽく、本当に星伽神社に辿り着けないと思われていたようだ。

 だがこうして妹達経由で来られるとは思ってなかっただろうから、いま確認の電話をする風雪ちゃん越しからも白雪の動揺が見えていたりする。

 それに白雪は優しいから、オレが星伽神社に行けることが確定していれば、追い払うようなことはしない。

 

「……はい。ではそのように。猿飛様。白雪お姉様からの了承を得ましたので、星伽神社の近くにまでご案内いたします」

 

「近くまで、か」

 

「申し訳ありません。星伽神社はご存知の通り男子禁制。たとえ白雪お姉様でも猿飛様を敷地に入れることは叶わないのです。ですがお話だけであればなんとか」

 

「白雪が敷地の外に出ればってことだな。了解。それでいいよ」

 

 予想通り、白雪は辿り着いてしまったオレを追い払うことはなく、敷地には入れないながらも会って話はしてくれるということなので、それに了承してから風雪ちゃん達と一緒にリムジンに乗って星伽神社を目指していく。

 移動中のリムジンでは、今後もしも星伽神社に行くことがあっても困らないように地形を記憶する作業をしていたのだが、オレのせいでだんまりな空間が形成されるのは困るので深入りしない程度の会話もしておく。

 この中で初対面の華雪ちゃんはそばかすがチャームな3人の中では1番下の14歳らしく、粉雪ちゃんが15歳、風雪ちゃんが16歳と1つずつ違うみたいだ。

 

「ああそうだ。粉雪ちゃんの託、凄く助かったよ。ありがとな」

 

「い、いえ。私は降りた託をお教えしただけですので……助言になったのなら幸いです」

 

 そんな星伽姉妹の構成を聞いてから、夏休みに教えてもらった粉雪ちゃんの託のことを思い出して、ちょっとした心構えをできたことに感謝をすると、なんだか恥ずかしそうに謙遜して顔を伏せてしまい、風雪ちゃんはそれを見てちょっと笑い、華雪ちゃんは意外そうに目を丸くする。何その反応……

 

「風雪ちゃんも京都では世話になったし、機会があったらお返ししたいところだ」

 

「それでしたら白雪お姉様を助けていただいたことで満足ですから、お気になさらず」

 

「いや、だからあれはオレは助けてないって。白雪が新幹線をぶった切って……」

 

 たぶん粉雪ちゃんのは慣れない男と話すことと以前のが尾を引いているのだろうと自己完結して、風雪ちゃんにも同じようなことを言うが、こっちはしっかりしてる。1つしか違わないのにな。

 

「……まぁいいや。んじゃ何か要求があったら白雪経由で頼む。粉雪ちゃんもね」

 

「猿飛様は頑固でいらっしゃいますね。ではお言葉に甘えていずれはということで」

 

「わ、私も少々お待ちくださればありがたいです」

 

「んー、でも武偵高を卒業すると白雪経由も厳しいから、1年以内ってことで頼む。あと出来ればこっちは抑えてくれるとありがたい」

 

 それでも武偵の性分として借りっぱなしは嫌なので強引に話を進め、風雪ちゃんが大人な対応で折れてくれ、姉がいいならと粉雪ちゃんもオッケーしてくれて、その際に保険として手でお金を示して武偵の悪い性分を見せて笑われてしまった。

 リムジンは弘前市から南西に進む道路を進んで人里からどんどん離れて山の奥へと入っていき、車通りもほぼないに等しい道を1時間ほど走る。

 日も傾いて辺りが暗くなってきた頃にリムジンは舗装されていない砂利の道に入って徐行運転で森の中を進み、かろうじて道と判断できるレベルにまで下がった道をさらに進んでようやく停車。

 

「猿飛様はこちらでお降りください。これより先は星伽神社の敷地に入りますので、申し訳ありません」

 

 だがまだ星伽神社に着いたわけではなく、オレだけを降ろすために停まってくれたようで、風雪ちゃんの言う通りオレはここでリムジンを降り、教えてもらった方向へと歩き始める。

 道はリムジンが進んでいった方向からほぼ真横の獣道みたいな具合だが、雪のせいでまっすぐ進んでいるのか不安になる。リムジンを降りた道を背に進めとは言われたけどさ。

 とはいえ、これだけ外界との隔離がされる星伽神社の本社なら、白雪達の箱入り具合は超納得だ。粉雪ちゃんが東京の街に出たくなる気持ちもわからなくはない。こんな山奥の神社では娯楽が少ないんだ。姉妹や世話係の巫女達がいても限界はある。

 それで進むこと3分ほどして、ようやく開けた場所に出てホッとしながらすっかり暗くなった周囲を見ると、あるな。人工物。石段だ。

 ほぼ正面の位置にあったその石段は、かなり上段にあるっぽい鳥居まで続いていそうなので100段以上は確実にあるが、その石段を登ることを阻むようにして降りてきたのは、巫女装束に身を包んだ白雪。

 

「本当に来ちゃったんだね。ビックリしちゃった」

 

「……去年のオレなら辿り着けなかったかもな」

 

「そうなのかな。だとしたら猿飛くんが成長してるってことだね」

 

「そうだといいが」

 

 石段を降りきって対面した白雪との久々の生での会話はそんな挨拶くらいであっさりと終わる。

 なにも世間話をしにこんな山奥まで来たわけじゃないからな。白雪もそれはわかっているのは間違いない。

 そもそもとして、オレが会って話がしたいと言った段階で、白雪ならどうにか都合を合わせて足さえ運べば会ってくれる。そういう子なんだ。

 だが今回に限っては話がしたいと言ったところで無理と言われ、足を運ぶと言っても渋る始末。挙げ句が今の状況だ。

 これはオレが聞きたいことをお得意の占いか何かで察知していたんだろう。

 

「白雪。お前も立場とかそういうのがあるだろうから、答えたくないなら沈黙でもいい。話だけでも聞いてくれ」

 

「うん。ここまで来ちゃったし、答えられる範囲でなら話すよ」

 

「白雪。緋巫女のお前にだから聞く。緋緋色金ってのは、アリアの体に埋め込まれてる緋弾がその『全て』じゃないな? おそらくは藍幇にいた猴の中にも緋緋色金が埋め込まれてる。そして緋緋色金は自ら意思を持つ存在。緋緋神化ってのはその緋緋色金の意思に体を乗っ取られることを意味する」

 

「……色んなものを見てきたのかな。猿飛くんはその推測に確信に近いものを感じてる。そうだよね」

 

「そうじゃなかったらわざわざこんなところまで話に来ないぞ」

 

 だから前置きは軽くしておき、ズバッと聞きたいことを聞けば、ここまで来たオレへの敬意なのか割と話してくれそうな空気の白雪。

 

「その問いかけに対する答えは、そうですって言うしかないかな」

 

「そうか。なら緋緋色金が本来どの程度の質量で存在してるかも、その所在についても白雪は知ってるかもしれないが、それは聞くだけ無駄だしいい。緋巫女が知っててどうにもできないならオレが知っても意味はない。緋緋神化を止める手立ても殻金の存在と玉藻様の様子からしていくつも存在しないこともわかる」

 

「そう、だね」

 

「だから聞くのはまた別のことだ。おそらくはレキのいたウルス。そこに緋緋色金とは違う色金、璃璃色金の本体はあるが、どうやら璃璃色金は人とは話をしないらしくてアテにならない。だからもう1つの色金、瑠瑠色金を探してるんだが、その場所を知らないか? 情報から察すると人の管理の下にあるっぽいのはわかってるんだが……」

 

 問われたことに対してイエスかノーかでしか答えない白雪だったが、確認したことが確定情報になるのはこちらとしては収穫。

 それから緋緋色金について掘り下げてくるのかと思ってたのか、あっさりと切り上げて別の色金についてを尋ねると、少々驚くような表情をしてからここも正直に答えてくれた。

 

「ううん。璃璃色金についても京都で話した通り、レキさんが関わってることにも気づいてなかったから、瑠瑠色金についても私は詳しく知らないの」

 

「うーん。こりゃダメ元で璃璃色金に近づいてみるしかないか……」

 

「あの……猿飛くんは何をしようとしてるの?」

 

「ここまでで色金が意思を持つ金属であることが確定したからな。『対話』をしてアリアの緋緋神化問題の解決策を探ってみたい。同一異種の金属ってことなら、オレ達が知らないことも知ってる可能性があるからな」

 

 正直に答えてくれた白雪だから、緋巫女であり色金についてを知るからこそ、オレはここまで語ることのなかった計画についてを話す。

 アリアの緋緋神化はまだ可能性の話でしかないが、玉藻様が以前に話していた期限の3月いっぱいまでは確実に迫っている。

 加えて取り戻せていない殻金のあと1つが物理的に勝てる気がしない鬼達の懐にあっては期限までに取り戻せるかは定かじゃない。

 それに1度も外されたことのない殻金が元通りに機能するかも不明。つまり不確定要素が多いのだ。事実、アリアの身に何かが起き始めてる兆候がある。

 

「色金と、対話……猿飛くんは凄いことを考えるね。うん。その試みは私も価値はあると思う」

 

「何も得られない可能性も考慮して、試みが成功した場合にだけみんなには周知するつもりだ。それまでは白雪もオレのやることを黙っててほしい」

 

「それはもちろんいいけど……あっ。あまり絞り込める話じゃないけど、世界で観測されてる瑠瑠粒子。あれは欧州西部から北米が多いの。だからもしも瑠瑠色金があるとしたら」

 

「欧州西部か北米、か。また広大な捜索範囲だが、南半球と中東、アジアを取り除けたと思えば気は楽だよな」

 

「ごめんね。ここまで来たのにこのくらいしか教えられなくて」

 

「ん? 勝手に来たオレに会ってくれたのに謝られてもな。まっ、白雪の挑戦状にムキになったのはちょっとあるけど」

 

「そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 

 結果として確定した情報はいくつかあったが、進展という意味ではそこまでといった感じ。

 眉間にシワの寄る話だったから2人して難しい顔になっていたので、最後はちょっとふざけて笑いを誘ってから締め、用は済んだから帰るかと踵を返したところで気付く。

 

「……ここから歩いて弘前市まではどのくらい?」

 

「た、たぶん迷わずに行っても半日くらい、かな。その前に今の時期にそれは死んじゃうんじゃないかな……」

 

「じゃあ死んじゃうんじゃないかな、オレ」

 

「えっと……星伽から車を出すこともできるけど、猿飛くんがここまで来たことは黙ってて不自然な動きはマズくてで……」

 

「じゃあ死んじゃうんじゃないかな、オレ」

 

「だからその……朝なら妹達の登校に合わせて乗せてあげられるから……」

 

「じゃあ死んじゃうんじゃないかな、オレ」

 

「猿飛くん、大事なことだけど3回も言わなくてもわかってるよ。だから一晩、大人しくしててくれるなら私と妹達で匿ってあげる」

 

 完全に帰る時のことを考えてなかった失態で死ぬ覚悟をしたのだが、超特別な措置で星伽神社で一晩過ごして、翌朝に送ってもらえると言うのでマジ感謝。マジ白雪様。貸しがまた増えてしまった……

 

「大人しくというと、どの程度?」

 

「えっと、残念だけど部屋の移動もお手洗いも無理、かな……」

 

「ハードな夜になりそうだ……」

 

「ふ、不安ならいまこの近くで……」

 

「……そうさせてもらう」

 

 だが星伽で過ごす夜はかなり辛いことになりそうだったので、半分は冗談だったのだろうが本当に用を足しに森に入ったオレを、白雪は顔を隠して恥ずかしがって見送るのだった。

 その後、白雪達姉妹の協力で無事に星伽の敷地に入り一夜を過ごしたオレは、翌日の朝にリムジンを降りた場所から風雪ちゃん達の乗るリムジンに乗り合わせて山を降り、昼には東京に向けて進路を取って学園島へと戻っていた。

 そしてここから得られた情報で瑠瑠色金に辿り着かなきゃならない。

 行く道はまだ全く見えないが、抜けられない道ではないだろう。そう、思いたいね。



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Bullet120.5

 

 これはまた残念な具合になってますなぁ……

 2月に突入してもうすぐ中旬に差し掛かろうという頃。

 朝早くに京夜先輩は欧州から帰ってきたと思ったらまたお出掛け。青森に旅立ってしまって、もうすぐ徒友契約も満了なのに、なんか戦妹の扱いが酷いです。ないがしろです。

 でも構ってちゃんではないので文句は言いません。本人には。

 そうした不満は登校して早々に陽菜ちゃんに聞いてもらって発散し、今日も帰っては来ないだろう京夜先輩のいないうちにやっておかなきゃいけないことを放課後に敢行するのだ。

 あまりに自然と過ごしてきたから当たり前のレベルになっていたけど、私と京夜先輩の徒友契約は今年の3月の終わりと共に切れてしまう。

 そうなれば私が京夜先輩の部屋に住むこともできなくなって、元の女子寮に戻らなきゃならない。

 それで、はい帰れ。となってから女子寮に戻ってたら鈍くさい女でしかないので、今年に入ってから初めて私の本来の部屋に戻ってみたら、まぁ誰もいないので酷いもんだ。

 一応は私物の7割ほどがあるので去年はチマチマと出入りはしてたけど、その時にフローリングの廊下をモップ的なあれでススイとやる程度だったから、あちこちに動くと舞いそうなハウスでダストなやつらがいるいる。

 

「久しぶりに手強いやつらと戦うね」

 

 京夜先輩の部屋は暇な時にほぼ掃除してたから埃が溜まることも少なかったけど、こいつらは放っておけばおくほど強敵になる。

 この強敵を前に昴も「頑張ってー」と言ってくれ……手伝ってよ!

 と言っても昴に出来ることなんて埃が舞わないように飛ばないことだけ。役立たずですね。

 

「お待たせしました」

 

 そんな昴とは違って役に立ちまくりな幸帆さんは、すぐ上の階の自分の部屋から掃除用具を持って参上してくれて、珍しい時期に転入してきた超美人で有名なリサ先輩まで連れてきてくれた。けど、何で?

 

「本日はジャンヌ様のご要請に応じて馳せ参じました。アヴェ・デュ・アンクのメイドとして必ずやお役に立って見せましょう!」

 

 という私の疑問にロングスカートをちょんと摘まんで上品なお辞儀をしてから答えたリサ先輩は、セーラー服もメイド調にアレンジしてるだけあって家事スキルが高そう。

 そして何故かリサ先輩が来てから昴が「お、落ち着かねぇ」とリサ先輩に怯えてる? のか私の肩の上で縮こまってしまい、それに気づいたリサ先輩が「おいで」と言ったら、人見知りのくせにリサ先輩の肩に瞬時に移動して「はいぃ!」と媚を売ってる。何なの?

 

「……変な昴。それじゃあ幸帆さん、リサ先輩、お手伝いよろしくお願いします」

 

 今まで見たこともない昴の変貌ぶりに首をかしげつつも、さっさと掃除を終わらせて生活感を取り戻さないとなので、装備を整えて3人で作業開始。

 

「やはり幸帆様は幸音様のご親族でしたか。幸音様に似ながらもどこか大人びた印象がおありだったので確証はなかったのですが」

 

「私など姉上に比べればまだまだ。ですがここの成長だけは勝ってるようです」

 

 各自で上手く分担して掃き、拭き掃除を高いところからやっていく中で、今日がほとんどはじめましてなリサ先輩がテキパキとやりながら会話に興じてくれて、本当なら幸音さんと比べられることを嫌う幸帆さんを不機嫌にさせることなく姉妹であることに触れる話術はさすが。

 そのリサ先輩に対して幸帆さんも自分の胸をサイドから軽く寄せて誇らしげにしますが、うらやまけしからん!

 

「リサ先輩は幸音さんとお知り合いなんですね」

 

「はい。以前に身を置いておりましたところでとても良くしていただきました。ご勉学も熱心で、リサのメイドとしての手際もいくつか盗まれてしまいました」

 

「あー、世話好きな幸音さんのスーパーメイドっぷりはリサ先輩譲りだったわけですか……」

 

「幸音様は丁寧に教えて差し上げればどのようなことも出来てしまわれて、その才能にはメイドながら少し嫉妬を覚えてしまいました。まさに天に愛されたお方と言いましょうか」

 

「姉上のそういう人の努力を小バカにするような才能は身近で見ると理不尽ですがね……」

 

「それでも幸帆様は努力をやめなかったのでしょう。リサはそのひた向きさも立派な才能だと声を大にして申し上げますよ。普通の方であればあの才能を見て、腐って卑屈になってしまわれるかもしれません。ましてやご姉妹ともなればその差を周囲に比べられたりもしたことでしょう……」

 

 そうして幸音さんを知るらしいリサ先輩から出る天才的な才能を持つ幸音さんの話は納得なのですが、こういう話はやっぱり幸帆さんが嫌な顔をして実際にネガティブ発言も出るけど、それすら予想していたかのように幸帆さんの努力と苦労を理解するリサ先輩。

 そんな言葉に手が止まってしまった幸帆さんを見ると、その目からはポロポロと涙が流れて始めていて、決して悲しかったりして流したわけではないその涙をすかさず近寄ってハンカチで拭ってあげたリサ先輩はさすがすぎる。

 

「私は……頑張っても頑張っても、いつも父上も母上も姉上と比べて落胆されて……それが本当は凄く辛くて……」

 

「ご両親も悪気はなかったのでしょう。それがわかってらっしゃるから幸帆様は文句も言わずに努力を続けられた」

 

「認めてほしかった。褒めてほしかった。それだけで良かったんです。ただ一言『頑張ったね』って……」

 

 そして幸帆さんは出会ってから初めて私の前で秘めていた思いを語り、リサ先輩はその幸帆さんを抱き止めて頭を優しく撫でてあやす。

 それで落ち着いた幸帆さんは流れていた涙を止めてリサ先輩から離れると、溜め込んでいたものを吐き出したからか少しスッキリした表情で心配させたことを謝る。

 

「でもいいんです。そんな私をいつも褒めてくれた方もいましたから」

 

「それって、京夜先輩?」

 

「京様は誰かと比べて人を見たりしない方ですから」

 

「モーイ! やはり猿飛様は素敵なお方です。ご主人様より先にお会いしていたら、リサの運命も変わっていたかもしれませんね」

 

 モ、モーイ……オランダ語でしょうかね。

 嬉しそうに京夜先輩のことを話した幸帆さんにパァッと明るい笑顔で反応したリサ先輩はどうやら京夜先輩とはすでに親しい仲にあるっぽく、どこか好意を寄せているようにも見えなくもない。

 

「ダ、ダメですよ! リサ先輩みたいな女性に京様は弱いところがありますから、これ以上の強敵は断固拒否です!」

 

「ご安心ください。アヴェ・デュ・アンクの女は一生で二君に仕えません。今のリサにはお仕えすべきご主人様がおりますので」

 

「でも、京夜先輩は好きですよね?」

 

「好きと言われると確かにそうなのですが……何と言いましょうか。こう、そばにいても気を張らなくて良い不思議な感じと言いましょうか」

 

 京夜先輩に関しては必死な幸帆さんはその強敵に立ち向かうものの、私達とは好きのベクトルが違うみたいなリサ先輩は恋のライバルではないっぽい。

 けど言ってることは結婚したい人の条件みたいでおかしい。

 

「気を許せるってことですか?」

 

「気を許すと言うよりは、そばにいると全身から力が抜けていく感じ、ですね。極端な言葉で言うと何も考えずに『膝枕されたい』ような……」

 

「「それはどうなんでしょう……」」

 

「そのような目を向けられるとリサも申し訳なく思いますが、表現としてはこれに近いわけでして……」

 

 本当に京夜先輩への好意の種類が私達とは違うようなのですが、表現がやっぱりおかしくて判断に困るところ。

 

「で、ですが猿飛様がリサのご主人様ではなくて良かったとも思っております。もしも猿飛様がご主人様になっていたら、リサはメイドであることを放棄して甘えてばかりになりそうですから。そう考えるとリサにとって猿飛様はむしろ天敵なのではないでしょうか……」

 

「メイドを堕落させる男……」

 

「京様も罪な方です……そのおかげでリサ先輩を退けられたのは良かったですが……」

 

「はい。ですから猿飛様がどなたと結ばれてもリサは最大限の祝福を贈りたいと思います。もちろんお二方のことも応援させていただきますよ! えいえいおー! です!」

 

「「お、おー」」

 

 それでも否定をするリサ先輩が最後の手段として真顔で口から出した天敵という言葉に苦笑い。なるほど。メイドがメイドではなくなるというのは凄いことだ。私はメイドじゃないからそうならないのか……

 結局のところ京夜先輩の変なメイド堕落説で納得した私と幸帆さんは、張り切るリサ先輩がテキパキと作業を再開したのを見て我に返り、掃除を再開。デキる女3人が寄れば早い早い。

 以降は恋愛関連の話は避けて談笑しながら1時間ほどで掃除は終了。散らかってたわけでもないですから楽ではあったんですが、それでも助かったよ。

 

「さて、と。あとは新しく入れていくアレを徐々に……」

 

「アレ、ですか?」

 

「アレ、とは何でしょうか?」

 

「えっと、アレっていうのはつまり……あれですね」

 

 これからはほぼ毎日、放課後に寄っていくのはもう決めていたので、ただここに来るだけなのは勿体ないと思って、ついこの前にランクアップした私の自然と対話する能力を練習するために観葉植物でもいくつか置いていこうと考え、それをアレと表現したら幸帆さんもリサ先輩も気になって突っ込んできたので、リビングにあったドライフラワーを指し示す。

 もちろんドライフラワーはちょっと言い方が悪いけど植物としては死んでしまってるので対話という意味では無理っぽいので、とりあえずの種類としてですね。

 

「私、ちょっと植物ともお話というか意思と対話できるようにもなったので、その練習をここでしようかなって思ってて。あんまり多用するのはおじいちゃんに止められてるし、何かあっても誰にも迷惑かけないようにってことでね」

 

「小鳥さん……いつの間にそんなことを……」

 

「モーイ! 小鳥様は動物達だけでなく草花達ともお話を出来るなんて、まるでおとぎ話の主人公のような素敵なことですね! リサは羨ましい限りです!」

 

「そんな羨ましがられるものでもないですけど」

 

 どうでもいい昴の愚痴とかまで聞こえちゃったりするし……

 と、能力に対して絶賛のリサ先輩には口から出かかってなんとか留めるけど、持って生まれた側としては良い面だけを見れるその楽観論が眩しいのです。わ、悪い面も勿論あるんですよぉ!

 どこか純粋なリサ先輩に現実を突きつけられなかった私は、その場は苦笑いでしのいで掃除も終わったからと撤収の流れに乗って今日のところは作業終了。

 観葉植物といってもそんな大きいのとかはあれだし、小さな植木鉢でいくつか育てる感じを考えてるだけ。急いでも仕方ないし、今はまだ冬だしで暖房もつけない部屋に放置は可哀想。本格的にやるのは春先からかな。

 

「それでは幸帆さん、ありがとうございました」

 

「いえいえ。私、掃除って嫌いじゃないので、気分転換で手伝った感じです」

 

「気分転換?」

 

「あ、いえ……戻ってこられてから京様が会いに来てくれてないなぁとかそんな身勝手なものなので、気にしないでください」

 

「猿飛様はお忙しそうでしたからね。幸帆様から会いに行くのが最良かと思いますよ」

 

「その本人はまたいつ帰ってくるやらですがね……」

 

 外も暗くなってきたタイミングで幸帆さんとお別れの会話をしたら、どうやら京夜先輩は欧州から戻ってきてから幸帆さんと会ってなかったらしく、その辺は少し薄情だなと思いつつリサ先輩の意見に賛同はするけど、当の本人が現在も外出中というね。

 そんな薄情な京夜先輩には後日、3人で思いの丈を伝える約束をして幸帆さんと別れて男子寮の方に戻るけど、リサ先輩も今は遠山先輩の部屋で居候中ということで一緒に歩いていく。

 相変わらず昴はリサ先輩の肩で大人しくしてるけど、図々しいくらいの口が固く閉じられていて道中は本当に気持ち悪かった。

 リサ先輩は微妙な空気というのを嫌うのか、寮に着くまでの間はひたすら会話に努めて話題が途切れないようにしてくれたので、体感では割とすぐに寮に到着。階段でお別れしてようやく帰ってきましたが、これから晩御飯だよ……

 そうしたガックリくることを考えてため息を漏らせば、今まで沈黙を続けていた昴が「じゃあカップ麺でいいんじゃない?」とか堕落の一手を差し伸べてきたので、そんな昴にも適当に刻んだキャベツでも出して納得させてやろうと画策。

 フッフッフッ。私が堕落するということは昴のご飯もグレードダウンするのだよ。

 そんな手抜きを本当に敢行しようとしたら、部屋に明かりがあって誰かまた勝手に来たのかなとリビングを覗くけど、いない?

 この部屋のセキュリティーもだいぶ下がってるからどうにかしなきゃなぁ。とかなんとか思いつつ寝室も覗いて誰もいないことを確認して、不思議に思いながらもいざという時のための最終兵器、カップ麺を取り出す。本当に久しぶりだな、この堕落兵器は……

 

「んおー! ことりんが手抜き工事しようとしてるぅ!」

 

「ひゃああ!!」

 

 もはやその味すら曖昧だろうそれを食べるためにお湯を沸かすためにやかんに水を入れたところで、どこからともなくキッチンに顔を出した理子先輩がそんな声を上げたので、ほとんど背中を向けていた私は持っていたやかんを落としそうになる。あ、危ない……

 

「り、理子先輩……どこから湧いて出たんですか」

 

「ちょおっとキョーやんのお部屋にねぇ。それよりことりんがカップ麺とは何事ですかな?」

 

「これは……たまには日本の食品の優秀さを確認しようという向上心からの好奇心であって、決して手抜きをしようとしたわけでは……」

 

「いいっていいって。ことりんの料理は美味しいけど、週1くらいはこういうのがあっても怒んないから。ってことで理子も今夜はカップ麺! きゃっふぅ!」

 

 廊下の方からキッチンに入ってきたので、不思議ではあったけど、京夜先輩のお部屋に無断で入っていたらしい理子先輩は、私の言い訳も話し半分で流しつつ自分も食べると棚から別のカップ麺を取り出したので、やかんの水を足して沸かし始めた。

 

「それで京夜先輩のお部屋で何をしてたんですか?」

 

「ちょっと調べものー。こういうのは本人の留守中にちゃちゃっと済ませるに限るし」

 

「あんまりプライバシーを侵害するのは良くないかと」

 

「別にキョーやんの性癖を暴こうとか、エロ本を物色してたとかじゃないから大丈夫大丈夫。まぁ知っておくに越したことはないけどねぇ」

 

 お湯を沸かす間に昴にも手抜きのご飯を出してあげながら、ダイニングテーブルに腰を下ろした理子先輩とそういった会話で沈黙をなくすけど、自由すぎだよね、京夜先輩の周りの人って……

 そのあとすぐにお湯も沸いてあーだこーだと話していたら出来上がり。お湯を注ぐだけなんて本当にダメな食べ物だよね。うん。

 

「あ、そうだことりん。もうすぐあの日だけど、ことりんはどうするの?」

 

「あの日? えっと……ああ! すっかり忘れてました……今まで無縁なイベントだったので考えてなかったです」

 

 食事中に本腰の入った会話はあまり良くないけど、理子先輩に言ったところで意味がないのはわかってるのでそのまま会話を続けたら、何やらボカすように数日後を指すので、何かあったかなぁとカレンダーに目を通してすぐに気づく。バレンタインデーですね。

 でもこれは武偵高において死のイベント。冗談でも学園島でこのイベントを匂わせてはいけない。知られたが最後、良い思い出を持ってない教務科の一部による悪夢の拷問が……

 

「だったらさ、理子達も当日は別のとこで騒ぐ予定だから、ことりんもおいでよ。キョーやんも来る約束してるし」

 

「でも幸帆さんや貴希さんを差し置いてはなんだか……」

 

「じゃあ2人も呼んじゃうか。実は蘭ちんからも頼まれ事あるし、キョーやんラブのライバル認定はどんとこいや!」

 

「それならまぁいいですけど」

 

「だからことりん先生! 可愛いデコとかしたアレのご教授をお願いしまっす!」

 

「それが本当の目的ですか……了解です。みんなで作っちゃいましょう」

 

 それを避けるために理子先輩は当日を学園島の外で過ごす予定みたいで、色々と言ったけど結局は私からチョコ作りを教えてもらいたいだけだったっぽい。

 それでもまぁ、言われなきゃスルーしてたかもしれないイベントに参加させてもらえるなら嬉しい限り。

 

「でもあれだよ? ことりんは早くキョーやんに気持ちを伝えなきゃみんなと同じラインに立てないよ? キョーやんもキーくんに負けず劣らずの鈍感だし、言わなきゃ伝わらないのは周りから察せるでしょ」

 

「それはわかってますけど、私にもタイミングというものがありますし、今はまだ徒友契約も残ってるので、変に意識されて微妙になるのを避けたいのもあります……」

 

 話もまとまって理子先輩もズズズ、と麺をすすったところで、思い出したようにサラッと痛いところを突いてきてクリティカル。ごふっ、現実は厳しい。

 でもそれも仕方ないと思ってるところはあって、徒友契約中は純粋に先輩後輩の師弟関係を揺らがせたくない。

 元々、私は京夜先輩から今後に活きる技術などを学ぶために戦妹になったんだから、その姿勢は最後まで崩したくない。これは本心。

 本心ではあるけど、やっと芽生えた恋愛感情を押し殺したままにするのもまた辛い。

 

「…………あんまり悠長にしてると、その間にキョーやんもどっか遠くに行っちゃうかもよ」

 

 だから焦って今の関係がギクシャクするよりも、ちゃんと1つの関係を終わらせてから新しく踏み出そうと、後ろ向きではなく私なりの前向きな考えだったんだけど、それを聞いた理子先輩は何やら不思議なことを言うので首をかしげてしまう。

 

「遠くへ? でも京夜先輩は進級するだけで武偵高を卒業するわけじゃないし……」

 

「…………うん。そだね。ことりんにもことりんなりの考えがあるんだろうし、これは理子がちょっと踏み込み過ぎたね」

 

 そうして突いて出た疑問に答えるわけでもなかった理子先輩は、私の考えを肯定するようにあっさりと退いてカップ麺を食べ切ると、パパッと片付けていつもの調子で廊下の方に向かい、キッチンの前で振り返って敬礼。

 

「それでは理子はこれにてバイバイですっ!」

 

「あ、はい。さよならです」

 

「……後悔は先には立たないからね」

 

「ん? まぁ諺にもありますからね」

 

「……んじゃ、当日はしくよろっ!」

 

 今日はなんだかいつもよりも意味深なことを言う理子先輩でしたが、言ってることはわかるので肝には命じておきつつ、物音で理子先輩が出ていったのを判断してから食べかけのカップ麺に再び口をつけ始めた。

 後悔なんてしない。だってそれが残すものの後味の悪さを、この1年で嫌というほど味わってきたんだから。だから、絶対に後悔はしない。



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Bullet121

 思いの外すぐに白雪と会って話ができたため、昨日の今日で学園島に戻ってきたオレは、昼下がりでまだ授業中なのもあまり気にせずに男子寮に戻り荷解き。

 

「まずは瑠瑠色金と話してみるか。緋緋色金の仕組みから考えると、たぶん理子のロザリオの瑠瑠色金でも意思はあるだろうから……」

 

 自室で整理をしながら、このあとに理子のところへ行こうかと思考したのだが、諜報科のちょっとした特性である静止画を記憶するスキルが部屋の違和感に気づく。

 感覚的なものなのでピンポイントとなると時間はかかったが、どうやら机に置いていた鞄が最後に置いた位置から微妙にズレているっぽい。留め具も外してあるし間違いない。

 

「小鳥は違うな。となると……」

 

 しかしこの感じは『あえて気づかせた』といった具合なため、犯人は侵入したことをあまり隠す気がないらしい。

 そうなると勝手に入ってこない小鳥は除外され、この部屋で自由に振る舞うやつに目星をつけてため息が漏れる。

 

「…………まずはこっちを片付けるか」

 

 隠したせいで下手に好奇心を刺激してしまったのはオレの失敗だし、不用意に放置したのも失敗だったから、物取りをしに来たわけではない犯人を怒るのは筋違い。

 だから期限がまだあるとはいえ、ウダウダと先延ばしにすることをせずに今日のうちに決めてしまおうと決断。これもこれで重要な案件だしな。

 

「となるとまずは……3つ当たるか」

 

 そうと決めたら本腰を入れて椅子に座り、携帯を取り出して時差の計算。向こうは朝だが問題ないな。

 それで3つある選択肢からまずはメールしか手段のない子にメールを送り、残った方の面倒臭そうなやつから片付けにかかる。

 

『………………何かな。私が夜型なのを知っててかけてるなら殺すよ?』

 

「やっぱり寝てたか。悪いとは思うが……そういえば何でお前って夜型なんだ?」

 

 どうせいつかけても不機嫌なことには変わりないので、大して気にせずに通話に応じた寝起きの羽鳥と会話するが、そういえば羽鳥が夜型な理由については知らなかったので、本題からは逸れるが尋ねてみる。

 

『…………君は目的の前にプライバシーを抉る趣味でもあるのか。別に大した理由じゃない。健康的な眠りはそれだけ健全な成長を促す。私はこれ以上の成長を望んでいないだけだ』

 

「成長? ああそうか。だからお前って胸がないんだな。納得だ」

 

『本当に腹が立つな。仮にも女性にそういうことを言うのは男として最低だと助言しておくよ。糞が』

 

 大した理由じゃないとか言うが、要は意図的にホルモンバランスを崩して女性ホルモンの分泌を抑えてるってことだ。

 それは自分が男として振る舞う上で必要なことだったのだろうが、今となってはそこまで必要ではないことのはず……いや、まだ本人にとっては必要なことなんだな。

 

「お前が女として堂々と1人で表を歩ける日はいつになるのかね」

 

『君が想像するよりもずっと早いさ。何故なら……私って天才だからね』

 

「その余裕をオレ以外の男にも見せてもらいたいね」

 

『それで失敗して責任を取ってくれるなら、今すぐにでもカイザー辺りのはらわたをぶちまけに行くけど?』

 

「ちっ、やめろ。リバティー・メイソンとは因縁を持ちたくない」

 

 寝起きでいまいち頭の回転が悪かった羽鳥だが、口を回すうちに調子を上げてきて、結局は話の主導権が向こうに渡ってしまう。長話は厳禁だな。

 

『それで、そんな馬鹿なことを言うために連絡してきたんじゃないだろ。私はもうひと眠りしたいから手短に頼むよ』

 

「やけに素直だな」

 

『それだけ眠いんだ。察しろ。君のように毎日を女性と遊んで過ごせるほど暇じゃな……』

 

「ああはいはい。言いますよ」

 

 本当に眠いのか疑問になるくらい好調な毒を吐く羽鳥だが、これ以上の毒を食らうのは精神衛生上よろしくないと判断してさっさと用件を済ませにかかる。

 

「お前さ、オレについてなんか書いた報告書とかリバティー・メイソンに提出してないか?」

 

『私だってあの欧州での出費の全てを賄うとなったら酷いことになるんだから、組織に負担させてやるために詳細レポートは提出したよ。そこに書いた内容がどこにどう出回るかは私の知るところではないが、そんなことを聞くと言うことは何か持ち込まれたかな』

 

「リバティー・メイソンに入らないかってのはワトソン経由で来たが、そっちじゃない。その勧誘の一環っぽい話が上手い話として持ち込まれたってことだ」

 

『残念だけど私はそれに関与してないよ。報告書にも君については役に立った程度のことしか書いてないつもりだし、あの程度でヘッドハンティングするほど安い組織でもない。何より君が嫌がることは割とやるが、好き好んで同じ組織に入れたがると思うかい? この私が』

 

「……ないな。こりゃ深読みしたな……っと、ちょうど2つ目の可能性が繋がったから切るわ。悪いな、寝てるとこにかけてよ」

 

『何やら誤解があったようで胸糞悪いが、謝罪を述べた相手を責め立てる趣味はない。だが君と私はもう欧州での関係ではないんだから、真っ先に疑うのはやめてもらいたいね。信用されないのは職業柄、嬉しくはないし』

 

「悪かったって。んじゃな」

 

 いつ聞いても説得力のある羽鳥の話には感心させられるが、ところどころでイラッとする言葉が使われて煽られるのは慣れたくない。

 しかしどうやら留学の件は羽鳥が関与してることはなさそうで納得。これ以上の会話はオレが精神的ダメージを負いかねないので、ネチネチと攻撃してくる羽鳥を払うように一方的に通話を切り、通話中に返ってきたメールに目を通す。相手は同じ英国人であるメヌエット。

 

「…………こっちだったか……」

 

 そのメールには用件だけを送ったオレのメールに対する答えだけが書かれて……いや、書かれてない。なんか悪びれもなく平然と書いた印象だ。

 メールには『ロンドン武偵高に交換留学する話が来たんだが、何かそうなる理由を知ってないか?』と書いたわけだが、その返事が『場所が違うだけで同じ武偵高なのですから、何か不都合があるのですか?』と来たもんだ。

 

「時間的にオレがデートした日にはもう動いてたなこいつ……じゃなきゃオレの帰国より先に教務科に話が行くわけないし」

 

 本当はこの線も違うことを証明して、アリアのとばっちりとして納得したかったところがあったが、こうなるとどうしたものかと悩む。怒るのも違うんだよなぁ。

 だがまぁ、考え方によってはメヌエットのこの行動も可愛くは見える。

 つまりオレを自分の目の届くところに縛りつけて割と都合のつくようにしたかったとも取れるわけで、オレとしてもメヌエットが近くにいる環境は嬉しくないわけではない。

 ただ、その条件としてロンドン武偵局への協力を任意ではあるがすることになるのは嫌だ。任意なんて言葉だけなのは目に見えてるし、アリアの代用としてならその要求も割増かもしれない。

 

「うーん……それなら向こうの方も確認しておくか」

 

 メヌエットの進言で事が起こったっぽいロンドン交換留学の全容が見えかけたところで、一旦メヌエットには同じような話がイタリアからも来てることを教えておきつつ、今度は書類にあった『バチカン』とかいう単語からイタリア交換留学がどこから湧いて出たのかを確かめるために、ただ1人だけ繋がる線からたぐり寄せる。

 

『はい。どちら様でしょうか』

 

「さて、誰でしょうか」

 

『はい? えーっと……誰でしょう?』

 

「バチカンに恨みのある影の陰ですよ」

 

『影の陰……ああ、猿飛さんでしたか。ごきげんよう』

 

 一応は欧州戦線が終わってから連絡先だけを教えてもらったメーヤさんに初めてかけたので、向こうも誰かわからなかったらしく、向こうにつけられた中二病な2つ名を言ったら通るんだから、もう嫌になる。

 

「突然で悪いんですけど、シスターローレッタと話をすることはできますか?」

 

『残念ながらローレッタ様はご多忙なのでお取り次ぎをさせてもらえても数日は要するかと』

 

「じゃあメーヤさんでいいや。実は新学期からそっちの武偵高に交換留学しないかって話が来てて……」

 

『まぁ! ということは猿飛さんと同じ学舎で学べるということですか? それは嬉しい限りです!』

 

 まだ決めてないですけどね。

 何故か喜ぶメーヤさんにはやんわりとそのことは付け足し落ち着かせてから、取り次ぎさえ時間がかかりそうなローレッタさんからの確認はもういいや。

 というかメーヤさんが知らないなら、書類にある『バチカンからの推薦』というのはローレッタさんでほぼ間違いない。

 

「でも、もしもそっちでお世話になることに決めたら、先輩は頼りにさせてもらいますのでよろしくです」

 

『こちらこそよろしくお願いいたします。猿飛さんはしっかりしてらっしゃるので、私が頼りにしてしまうかもしれませんがね』

 

 フフフ。と、これ以上に話すこともなかったので締めに入って口を開けば、笑いながらにそんなことを言われて苦笑。

 ……あれ? でもメーヤさんって聞いた話じゃ今が最上級生だから、オレが新学期から留学しても卒業してるんじゃ……いや待て。確か向こうの新年度は4月からじゃないんだっけか。

 ……うん。考えるのはやめよう。社交辞令的なアレだきっと。

 

「それでは失礼します。メーヤさんも魔女討伐はいいですけど、ちゃんと単位も取ってくださいね」

 

『フフッ。ご忠告、痛み入ります』

 

 なのでそれとなく探りを入れるような言葉で通話を切ろうとするが、どっちかわからない返事でまた苦笑しつつ通話を切る。留年は、しないよなきっと。

 だがこれでどちらの留学の話もどこの発端かは判明した。

 それを鑑みて、面倒臭そうなのはロンドン武偵局。リバティー・メイソン。バチカンだな。

 ロンドン武偵局への協力は確かに気は向かないが、選り好みして仕事をできるほど将来的に自由がある職業でもないのが武偵。時には不本意でもやらなきゃならないことも出てくる。

 リバティー・メイソンは世界中のどこにでもメンバーがいるから、ワトソン経由でどっちに行こうとどうせ知られるし大差ないが、何かと取り入ろうとあの手この手を仕掛けられるのは嫌だ。

 バチカンはあの2つ名からも相当に警戒されてて、オレを敵に回さないよう留学中に仲良くしておこうって腹だろうし、イタリアコースは割とストレスっぽいぞ。

 だからといってロンドンコースもどっこいどっこい。平穏無事に学生をやるなら留学しないのが1番のストレスフリー……かどうかはわからないな正直。

 冷静に考えたらバスカービルを中心に平穏とは無縁のやつらの巣窟だろここ。もっと冷静になったら武偵やってて平穏とか考えてるオレが異端だよなそうだよね!

 

「…………アホくさ」

 

 もう何を真剣に悩んでいたのかさえよくわからなくなったので背もたれに体を預けて天井に顔を向け思考をシャットアウト。もう1度なにを悩むべきかを考える。

すると部屋に誰かが玄関から入ってくる気配がして、一応は出していた書類を鞄にしまって確認のため自室を出てリビングに行くと、すぐに帰宅してきた小鳥がコートを脱いでいるところだった。

 

「そういやもうすぐ小鳥との徒友契約が終わるんだな……」

 

「あ、おかえりなさい京夜先輩。ずいぶん早かったんですね」

 

 そのちょっとだけ成長したかもな小鳥の背中を見て、不思議ともうすぐ満了となる徒友契約についてを思い出し、今はもう当たり前になったこの光景ももうすぐ当たり前じゃなくなることを再認識させられる。

 そうした意味のオレの呟きは幸い小鳥には聞こえなかったようで、特に驚いた様子もなく振り返って挨拶してきたことにもちょっと驚かされるが、オレの靴があるのを見て居ることはわかってたんだろうな。これも成長、なのか?

 

「青森は寒かったからな」

 

「京都はそこまで寒くないんですか?」

 

「最低でもマイナスはそういかないって感じだな。長野は雪が積もるからマイナスなんて日常だよな」

 

「ですねぇ。東京とかの冬は私からすれば肌寒いくらいで、マフラーやら手袋やらと重装備するほどでもないです。寒いは寒いですけど」

 

 小鳥には何をしに青森に行ったかは教えてないので、割と冗談で普通の話に繋がって軽く笑い合う。

 が、会話が途切れて視線が合うと何故かモジモジしてから視線を泳がせて夕飯の支度に動いていったので、その反応にどこか覚えがあるようなないようなだったものの、オレもまだ留学の件を片付けなきゃならないので自室へと戻る。

 夕飯まではとりあえず頭を抱えるかと腰を下ろしたら、携帯になんかメヌエットからの返信があって、メールに自宅の電話番号が書いてあり、かけろという命令文も一緒だったのでメールではまどろっこしいとでも思ったんだろうな。

 怒らせるとメールでさえ殺されるかもしれないので、大人しく指示通りに電話をし、1コールで出たサシェからあっという間に待機してたっぽいメヌエットに替わる。

 

『イタリアのどこの武偵高ですか。そして京夜をたぶらかした張本人の名を言いなさい』

 

「寝起きだろうに元気だねぇ」

 

『質問したことに答えなさい』

 

「答える必要があるのか? そんなのメヌなら推理できるだろうに」

 

『推理するための情報が圧倒的に不足しています。ですから推理するよりも聞いた方が早いと言っているのです』

 

 向こうは朝だから頭が回ってないのかなとも思ったが、そういや戦役のことはメヌエットは知らなかったんだよな。だからバチカンに繋がる推理もできないってことか。

 それでも頭に血が回ってきてないのはあるだろうが、ここで素直に話して先方に迷惑がかかるのは避けたいところ。ローレッタさんが死んじゃう。

 

「嘘はバレるから言わないが、イタリアのどこかは教えないし、誰が持ち出した話かも教えない。そんなことしてメヌが引っ掻き回すのを助けてやるのは友達のすることじゃない」

 

『その友達を奪おうとする悪を討とうと言うのです。こちらに正義があるのは明白。議論の余地すらありません』

 

「悪って……自分で言ってることのおかしさは理解して堂々としてるんだよな」

 

『……嫌です。京夜は私の友達です。なのにどこぞの誰とも知らない輩の勧誘が優先されるのは耐えられません。何よりも優先されるべきは友達なのですから』

 

 わがままだな相変わらず……

 理屈はおかしいのだが、メヌエットはメヌエットで友達と過ごす日々の思い出が欲しいんだろう。それを少し早めにした結果が交換留学。

 別にメヌエットなら焦らずともオレが武偵高を卒業したあとにでも、あれこれ手を打って欧州辺りに縛り付けることくらいはできると思う。

 

「要するにメヌはオレと一緒にいたいから自分の持ちかけた話以外は受けるなってことを言いたいわけだろ」

 

『断じて違います。京夜をおもちゃにしていいのは私だけですから、誰かの良いように使われるのが耐えられないと言っているのです』

 

「こらツンデレ。さっき友達がどうとか言ったのは嘘か」

 

『友達をおもちゃにしてからかうのはよくあることでしょう。私にとって京夜はそばに置いておくと面白い、おもちゃに近い感覚なのです』

 

「じゃあメヌは今、おもちゃを取り上げられて拗ねてる子供だな。可愛いやつめ」

 

『なっ!? くっ……京夜のくせに生意気な……』

 

 メヌエットが言ってることはたぶんだが全部合ってるんだろうな。

 オレを友達と思ってたり、おもちゃにしたかったり、会いたいって思ったり。

 それを言葉にしちゃうとこんな感じになっちゃうが、メヌエットがオレといることを嫌と思ってないことは確かだし、それはオレも素直に嬉しい。

 

「メヌの言いたいことはまぁわかったよ。だがこれはオレが決めることだから、メヌはその決定にとやかく言うのをやめてほしい」

 

『……即決に至らなかったということは、悩むだけのものがあるのでしょう。そう言うならば、決断した際には私に納得のいく説明を求めます。それで私を納得させるだけのものがなければ、大人しく私が持ち込んだ話に乗りなさい』

 

「メヌを納得させるだけの理由か。大学の卒論より難しそうな課題だな」

 

『それがわかっているなら、今ここでロンドンに来ると言ってしまえばよろしいのですよ?』

 

「…………いや、そんなオレじゃメヌはつまらないって言うだろ。友達を失望させたくはないし、あと数日は考えさせてもらうよ」

 

 別にロンドンに行きたくないわけではないし、ローマにも絶対行きたくない理由があるわけでもない。日本に残る理由も特にない。

 だからこそ悩んでいるのだ。

 この先、オレが自分で決めて進む道がどんな結果を出すかわからない。これが分岐点かもわからない。

 だがそんなのはみんな同じ。結果のわかってる道を進める人間なんて、全体で見れば1%にも満たないのは確かだし、結果は掴み取るもの。訪れるものでは決してないのだから。

 

「あ、でもメヌが『一緒にいないと泣いちゃうよ』ってことなら即決してあげてもいいぞ」

 

『そんな泣き落としで来られても嬉しくもなんともありません。何より京夜のために流す涙なんて、ひと滴でも勿体なくて私にとって圧倒的な損失です』

 

「ひでぇ言い様で……」

 

 こんなことになるならメヌエットに話さなきゃ良かったなとか思いつつも、これも悪運が成す日頃のあれなので諦めて話を締めにいくが、最後まで毒を吐くメヌエットは絶好調。羽鳥とこの辺で似てるのが嫌なところ。

 そうして毒を吐いてオレの反応を見てクスクスと笑う携帯越しのメヌエットの声を聞いて通話を切ってから、数秒後に届いたメールで『京夜は難しいことを考えると泥沼にハマるから、物事をシンプルに考えなさい』とのありがたいお言葉をいただき、結局は口出しするなという自分の言葉を早々に取り下げてしまうのだった。

 ――物事をシンプルに。

 将来のためだとか、損得勘定だとか、どこかの誰かの思惑だとか。そういうことではなく、自分がどうしたいのかを。

 

「……………………腹減った」

 

 なんだか進展しない悩みに何はともあれとでも言うのか、オレの腹の虫が「とりあえず頭に栄養をくれ」と訴えてきたので、要求通りに頃合いを見計らって自室を出てそのまま夕食。

 

「なぁ小鳥。日本とイギリスとイタリアなら、どれを選ぶ?」

 

「唐突ですね……何を比較してですか?」

 

 その夕食中に、何気なく小鳥に漠然としたことを聞いてみると、当然の反応をされたので「国として」と意味不明の返答をして答えさせる。

 

「凄い質問……でもそうですねぇ。私はイタリアとか良いと思います」

 

「その心は」

 

「どちらも……じゃないですね。私、本場のピザとかパスタとかを作ってみたくて、3年の修学旅行でイタリアは最有力候補なんですよ」

 

「…………へぇ。じゃあいつか本場仕込みのピザとパスタを食べさせてくれよな」

 

「えっ? えっと……はい。その時に私と京夜先輩がどういった関係になってるかはわかりませんが、ご馳走できる機会があれば必ず」

 

 割と即答でイタリアを選んだ小鳥の理由は意外にもしっかりしていて、武偵は関係なかったが、この決断力は戦妹ながらあっぱれ。見習いたいね。

 そうした意味で将来のご馳走の約束を取り付けて夕食を再開させ、それから寝るまでの間、ずっと自室にこもってうんうんと悩んでいたのだが、気付いたら朝になっていたのは言うまでもない。

 ――だが、オレの心は決まった。



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Bullet122

「本当にこれでいいのね?」

 

 朝早くに教務科へとやって来て、担任の高天原先生と個室で話をしたオレは、渡されていた交換留学の書類を返しつつ自分なりに出した答えを述べると、書類を受け取って確認の質問をしてくる。

 

「どういう選択が正解とか、そういうのではないですよね。でしたら自分の生徒の選択を黙って受け入れてもらえませんか」

 

「……そうね。猿飛君も悩んで決めたことだろうし、黙ってっていうのは先生としては少しあれだけど、いいでしょう。ただ進路相談の方はちゃんとさせてもらいますから、その時は具体的なことにも答えてくださいね」

 

「3年の担任が高天原先生だったなら、喜んで」

 

 オレの決定に理由が聞きたいのは先生として当然ではあるのだが、この辺は武偵高。多くを語るのは非推奨だ。

 それを心得てる高天原先生もいつもの笑顔でそう言ってから「先方には私から連絡しておきます」とありがたいことを付け足してくれて、それに感謝を述べて教務科をあとにしいつもの日常に戻っていった。

 ……いったのだが、なんか教室に着くなり理子が何かを聞きたげにしながらも話しかけてこない不思議現象に見舞われ、それが気持ち悪くてこっちから話しかけたら「な、何でもないですしおすし」とか誤魔化して他の女子との会話に逃げられる。

 これはあれだ。オレが自分から話すのを待ってる感じのあれだ。そうに違いない。露骨すぎる。気持ち悪い。

 だが話していいものか。話してどうなるものでもないし、だからといってすでに知られてることではあるわけで……

 とかなんとか先日の自室への侵入者の対処をどうするか考えていたら、なんか隣のクラスからリーダーがやって来て、うんうん唸ってたオレの首根っこを掴んでズルズルと移動を開始してしまい、オレはそのまま廊下を引きずられながら何事かと尋ねる。

 

「依頼だ。今回はチームで依頼に当たるから召集したまでだ」

 

「目立つからとりあえず引きずるのやめて。言葉の通じない犬猫じゃないんだから」

 

「お前は色々とやる前に聞くから強制連行が先行したのだ。それに嫌なら力ずくで振り払えばいい。非力でか弱い私ならば簡単なことだろう」

 

「本当に非力でか弱い女なら、こんな風に男1人を引きずって平然と歩けませんがね……」

 

 何か良からぬことでもしでかしてしまったかと思ったがそうではなく、当たり前の事前相談なしで依頼を取ってきたから協力しろということで、詳しい話もしてくれる気配がない。

 だがいつまでも引きずられていると余計なことも言った手前、ジャンヌが顔を赤くして「早く自分で歩け」と目で止め時を訴えてきたので、このくらいの仕打ちはいいだろと知らんぷりしたら前方に滑るように投げられてしまった。ご、強引な終わらせ方……

 

「ひゃあっ!」

 

 その関係で階段近くに仰向けで頭からスライディングしたオレはその先から来た生徒の真下に滑り込んでしまい、運の悪いことに女子生徒だったためスカートの中が一瞬だけこんにちは。

 すぐに下がってスカートを押さえられたが、見えたものはすぐには消えん。というか声からして……

 

「な、何をやってるんですか、京様……」

 

「お前の戦姉に暴力を振るわれた。不可抗力ってことでよろしく」

 

「不可抗力……っ!? み、見たんですね!?」

 

「不可抗力ってことでよろしく」

 

 やはり幸帆だったので、上半身を起こして振り返りつつそんなやり取りをすれば、顔を真っ赤にした幸帆をフォローするように後ろからジャンヌがオレの頭を空手チョップし場を納めてくれる。

 

「すまないな幸帆。これにはあとで私から追加で制裁を加えておく」

 

「き、京様も悪気はなかったと思いますから、ほどほどで。それよりおかえりなさいですよ、京様」

 

「ん? ああそっか。欧州から帰ってから会ってもいなかったのか。悪い。色々ごたついてて暇がなかった。ただいま」

 

「いえ。それだけ聞ければ十分です。お急ぎの様子ですし、私に構わずどうぞ」

 

「ん、中空知と島を待たせてるのでな、失礼する。来い駄犬」

 

「前は騎士とか言ってたくせに……」

 

 スカートの中を見られたというのに制裁なしの幸帆の平和さは武偵高では貴重すぎて尊いが、悪いとは思うので後日に埋め合わせはしておくとして、促されるままにジャンヌの依頼をこなす流れになってしまったことはもう諦めよう。幸帆のあれの罰としてな。

 

「遅いですの!」

 

「すまない島。京夜が来る途中で女と戯れをな」

 

「誤解を招く説明はやめろ」

 

「それならいつものことですの!」

 

「どういう意味だそれは」

 

 校舎を出てすぐのところに停まっていた島のワゴン車に乗り込み、意味不明なコントをやってから車はすぐに発進。

 後部座席の前にオレは座ったのだが、その後ろの席から後ろはカーテンで仕切られて見えないようにされているが、たぶん中空知が独自の空間を作り出しているのだろう。なんとなく車の重心も後ろに傾いてるし。

 それで助手席に収まったジャンヌがようやく依頼の内容についてを説明するために用意した書類をオレに渡し、後ろの中空知にもカーテン越しにパスすると向こうに吸い込まれたので問題なさそうだ。

 

「どうやら学園島ではタブーに触れる内容だけに、教務科からもかなり内密に来たものだ。詳しくは島を出てから話すが、書類に目を通して質問を受け付ける形の方が私は楽だぞ」

 

「手抜きリーダー」

 

「ですのー! 苺ちゃんは運転中ですのよー」

 

「京夜が後ろからささやいて説明すればいいのではないか?」

 

「耳元で?」

 

「恥ずかしいですのー!」

 

 なんというか、スイッチのオンオフがハッキリしすぎてるせいでブリーフィングすら締まらないコントになってるが、こういう雰囲気の時は緊急性はそこまででもなく、危険度も割と低い。

 つまりオレが死ぬ思いをする可能性は低くなってくれてるので、オレもふざけられるというわけ。チームの雰囲気もだいぶ分かってきた気がする。

 そのジャンヌの言う通り、とりあえず学園島を出るまでは手元の書類を黙々と読んでみると、何故タブーとされてるかはすぐにわかる。

 主に出てくる『チョコレート』だの『14日』だの『バレンタイン』だのによってな。

 小学生並みの身長の島の運転は何故アクセルとブレーキに足がつくのか不明ながら、女の子の足下を覗くのは失礼なのでいつか助手席から観察することにして、その身の丈に似合わずタクシー並みに静かな運転は不快感なく学園島を抜けてそのままレインボーブリッジを渡り新宿の方に向かう。

 

「では島への説明を兼ねて簡潔に京夜から頼む」

 

「リーダーが責務放棄したー」

 

「ですのー」

 

「私は声をなるべく使いたくない。これから嫌というほど使うことにもなるしな」

 

「じゃあ中空知からどうぞ」

 

 学園島を抜けたので改めて今回の依頼内容を確認することになったはいいが、内容を知ったからオレもだいぶ適当な感じになり、後ろの中空知にパスしたらドタバタと怖い音が響いたので悪いことしたと思いつつ携帯で通話してスピーカーオンで話をしてもらう。後ろにいるのに。

 

『失礼しました。それでは今回の依頼内容について簡潔に説明させていただきます』

 

「始めからこうすりゃ良かったんだよ」

 

「黙ってろ。中空知が喋っているのだ」

 

『依頼主は新宿に店を構える洋菓子店。3日後に控えたバレンタインデーに備えてのバレンタイン商戦が本日より本格的に開始となるため、そのヘルプというのが仕事になります』

 

「チョコですのー!」

 

「言っとくが食べる専門はないからな」

 

「ですの?」

 

「ですの、だ」

 

 携帯越しの中空知のアナウンサー声でようやく話が進み、これから参加するバレンタイン商戦にウキウキの島だったが、このバレンタイン商戦は侮れない。

 危険度という意味では確かに皆無なのだが、日本というのはイベントは『とりあえず盛り上がる』悪しき風潮があるためにその市場では売上が爆上げとなる。

 特にバレンタインというのは日本のチョコレート消費量の約半分を占めるとまで言われているまさに戦争。

 店としてもここで頑張らなきゃ1年を乗り切るのが鬱になりかねない打撃を受けるわけだ。

 

『今年のバレンタインデーは日曜日となっていて、前日が土曜日となるため、手作りチョコも製作可能ということで完成品と共にチョコの材料と包装も販売。そこの売り子を担当するのと、出張で出店を展開し売り上げの拡大を図る。なお、出店のための車の運転手と助手の2名を確保とのことですので、こちらは島さんが1名確定です』

 

「私も売り子さんをやりたかったですの……」

 

「できるんじゃないか? 運転手って言っても目的地に着いたら用済みってわけにもいかないだろうし、人員が足りないから声がかかったわけで。島はマスコット向きだしな」

 

「そうだな。店頭販売と出店販売でのチーム分けは私と京夜。中空知と島でやるとしよう」

 

「いや、ダメだろそれ……」

 

 とりあえず今回の依頼の内容はおおかた把握したところで、売り子ができるとあってはしゃぐ島をちょっと無視してジャンヌがチーム分けをするが、一応のチームのまともなのが固まって、島と中空知を目の届かないところに行かせるのは不安しかない。

 最近で修学旅行の件が尾を引いてるのもあるが、中空知なんて接客と鈍臭さを変装食堂で披露済みだし。

 

「ジャンヌは中空知の面倒を見ろ。オレは島の保護者をやる」

 

「リーダーとサブリーダーで分けたのだが……仕方あるまい。ではそうしよう」

 

『お心遣い、感謝します』

 

「保護者ってなんですのー!」

 

 だから面倒の少なそうな島を引き取る形で中空知をジャンヌに押しつけることに成功したオレは、改めて書類に目を通して出店の方の内容を把握していった。

 しかしまぁ、何故こんな依頼が武偵高に来るのかと不思議なところはあるかと思うものの、これにもちゃんとした理由があり、依頼してきた洋菓子店に到着してみればなるほどとなる。

 少しだけ高級感のある外観とオシャレさを持つ洋菓子店は、それに見合ったケーキやらももちろんあるが、お手頃価格の物が多くを占めて敷居は低く設定されている。高校生でもプチ贅沢は十分できそうだ。

 

「これは書類の文章以上にバチバチやってんなぁ」

 

「万一の時には抜くことになりそうだ」

 

「そこは武偵手帳を見せるだけにしとけ。それだけで抑止力になる」

 

 店の感想はそのくらいにしておいて、現在進行形で開店準備中の店の前で棒立ちしていたオレ達は、道路を挟んだほぼ真正面の位置にあった『ショコラティエ』の店に振り返って小言する。

 そちらでもチョコを専門に扱ってるだけあって、開店準備からこっちを意識して装いやらを派手にしてる印象。

 明らかにこの界隈でのライバルが向こうであり、書類にも折り合いが悪くここまでにいざこざもちょっとあったと報告が上がっていたが、見えない火花が今も飛び交ってるのが傍目に見てもわかる。

 そうした喧嘩腰の両者がバレンタイン商戦の本番でどんな事態を引き起こすかわからない。という近隣による声もあって、何か起こる前に止まる抑止力としてオレ達が雇われた。

 

「とにかく開店時間も迫ってるし、段取りやらの確認だろ。店長に話を通せ」

 

「言われずともやる。少し待っていろ」

 

 だがいつまでも店の前で立っていても仕方ないので、ジャンヌが店へと入って店長とあれこれと話をしに行き、その間にキャッキャとはしゃぐ島とすでに役立たずな雰囲気を纏った中空知に目を向けて先行きが不安になる。

 その後すぐに威圧感のある武偵高の制服は客足に響くからと店が用意した制服に着替えてそのままブリーフィングしながら開店の準備を手伝う。

 それによると出店の方は学生のスケジュールに合わせて放課後を狙い打つとかでオレと島の出動は午後とわかり、それまではみんなで店頭販売に助力とのこと。もちろん、その間のお向かいさんへの警戒も怠らずにやる。

 しかしまぁ、変装食堂で免疫とか恥じらいとかが取れたとはいえ、この依頼を引き受けた理由の4割ほどがこれだろうなという自分の制服に目を落として、同じように着替えた三者三様の晴れ姿を見て苦笑する。書類にもキラキラした感じで書かれてたからなおさらだ。

 

「依頼だからって口実欲しさに引き受けるなよリーダー」

 

「私は教務科からの依頼に応じたに過ぎん。フフッ。しかしなかなかのデザインだ」

 

 面倒なのでもうズバッとツッコんでやるが、ヒラヒラのフリフリのメイド服みたいな制服を着たジャンヌは公的に言い訳できるからかテンションがやたら高い。

 似合ってるからまた文句も出ないが、中空知も島も同じ制服を着て恥ずかしそうにしたり楽しそうにしたりで、なんというかバーテンダーみたいな白黒の制服のオレはおまけ扱いに等しい。

 今は正直、こういったのほほんとした依頼はアリアとかの状態を見るにやってる時期でもないと思うのだが、気を張り続けても神経がすり減るだけなので気分転換と開き直ろう。

 それにバレンタイン商戦をナメてかかると食われる。店の人達のマジの目を見ればのほほんなんて言ってられないし。

 オレ達のヘルプは一応13日までの3日間となるため、店頭販売は全日。出店の方も同様だが、こっちは日で場所を変えて顧客の入れ換えを図るらしい。しっかりしてる。

 しかも場所も女子高とかの近くに配置されていて、下校途中に多くの生徒が通る絶妙な位置と見た。リサーチもしているんだろうな。

 バレンタインデーは女が男にチョコを渡す恋愛イベントという根幹はあまり変化はないが、昔からある義理チョコや、昨今では仲の良い友達にあげる友チョコとか、家族にあげるファミチョコとか、仕事の同僚とかにあげる義務チョコとか色々と幅が広いらしい。

 中には自分チョコとかいう御褒美的なものもあるため、その需要は年々増しているのが現実。

 

「いらっしゃいませぇ」

 

 だからどの層をターゲットにするかも重要な項目で、この店ではほぼ全部の層への需要を満たすような品揃えをしていて、開店から1時間程度が経過した段階で向かいのショコラティエの店はプライドがあるのかお悩みの値段設定をしているっぽく、バカ売れといった雰囲気はない。

 だからといってこっちもこっちで平日の午前とあって客足もまばら。本当の戦いは午後3時以降くらいになることが予想される。まぁその時にはオレと島は出店の方に回るんだが。

 ただ気になるのは、店が女性しかいないというのもあるのだろうが、オレという存在が割と異質で何かと頼られてしまうというか、やたら話しかけられるというかで、その度に適当に応対してやり過ごすのが繰り返されてちょっと精神的に疲れてしまう。

 悪気はないんだろうが、元来で会話を頻繁にするタイプじゃないから、男がオレだけのこの空間から少しでもマシな出店に早く回りたいと思ってしまっていた。

 

「では頼むぞ島、京夜」

 

「お任せですのー!」

 

「そっちも中空知の面倒を見ろよ」

 

 しかしそういう心持ちの時は時間を長く感じるもので、ようやく出店の方が出動となった時には島の半分以下の元気しか残っていなかった。

 ここまででなんとか中空知の鈍臭さはフォローできていたが、果たしてジャンヌだけでフォローできるのか。

 意外だったのは島が小さいながらに割とテキパキ動いてくれたことで、その様を見たおば様方が「可愛い」の連呼でやたら人気があった。

 島はその子供を見るような扱いに不満そうだったが、売り上げには貢献してた気がする。

 その人気はおば様方だけでなく、出店に回った先でもそうで、売り子をする島は同年代の女子高生なのに子供扱いで大人気。すぐに話題の中心になってくれて助かる。

 かく言うオレも店員さんに事前に習っていたラッピング実演を購入者にしてあげて不思議な歓声を浴びていたり。普通にやってるだけだが。

 

「猿飛さんお助けですのぉ……」

 

「じゃあラッピングの方やってくれ」

 

 ラッピング実演が予想よりも注目され、生徒が増えて丁寧に教えていたら、ヘロヘロにされた島が接客を放棄して逃げてきたので、仕方なく仕事を交代してオレが接客に行くと、完全なる営業スマイルにも関わらず女子がなんか照れる。こっちが恥ずかしいわ。

 出店の方は正規の店員さんが1人で仕切ってるので、始まったらパワフルな店員さんは少し離れた位置で必死の声出しをしてくれていて、そのおかげで女子高生の波はなかなか途切れない。

 これは素直に凄いのだが、役割としてはこう、なんか違う気がする。

 出店は照明などを積む余裕がなかったから日が落ちてくるとパフォーマンスも落ちてしまい、予定よりも早く切り上げになったものの、売り上げは上々。店員さんと島の宣伝効果が凄かった。

 

「おい、あれ何だ」

 

「見てわからないのか。私達の後輩だ」

 

 店の方もジャンヌの外人メイドパワーが炸裂して上々に終わった初日から一夜明けて、2日目も開店から手伝いをしていたら、こちらの客足と雇われの武偵であることがショコラティエの店の方にバレたらしく、早急に対応して派遣されてきた生徒が5人。

 間宮、佐々木、火野、麒麟、桜ちゃんの1年とインターンの仲良しグループのようだが、こうなると向こうは敵である。後輩に負けては2年の面子が潰れる。

 こっちは最早いることがレアな京極のいない穴はあるが。中空知という足手まといはいるが……3人でもまぁ、何とかするしかない。

 それからのバレンタイン商戦は苛烈を極め、なんか変に吹っ切れてしまった向こうが訳もわからないコスプレで宣伝したり、対抗してジャンヌが試食コーナーを設けて何故か食べさせてあげるという意味不明のサービスをし始める。

 それには客層を無視して男が食いつき謎の客層が形成されていたが、変化球も2日目だけで、出店の方も本店に注力しないと危ないと思ったのか、急遽チラシを作って店の宣伝をやらされた。

 3日目は土曜日プラス宣伝効果もあって客足は上々。数で勝負のこっちと質で勝負の向こうで最後までデッドヒートを繰り広げていたが、総売り上げの方は店のみぞ知るといった具合でオレ達には教えられなかったが、武偵が絡んだこともあっていざこざは起きずに純粋に商戦の枠に収まってくれた。

 依頼は完了となって店の方には感謝されたので結果としては良かったのだろうと思いつつ、やっぱり接客は別の意味で疲れると再確認して現地解散の達しを受け島の車で学園島に帰ろうとしたら、ジャンヌに止められてそのまま腕に引かれ移動を開始。

 

「どこ行くんだよ」

 

「秋葉原だ。黙ってついてこい(フォロー・ミー)

 

 日も完全に沈んで夜のデートかと思ってしまったオレだが、そういうことならちゃんと照れてくれるジャンヌがそうならないので別件かと納得しつつ、なんか最近にもアキバって単語を聞いた気がしてそっちに思考を巡らせてジャンヌのあとについて行くのだった。

 アキバのどこに行くのやら……



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Bullet123

 

 依頼ではあるがバレンタイン商戦を戦い抜いて、明日にはそのバレンタインデーという13日の今日この頃。

 依頼も終わったし、さっさと帰ろうと思っていたオレの腕を引いてジャンヌが連れてきたのは、秋葉原にある見るのも嫌な苦笑さえ出てくる思い出が詰め込まれたメイド喫茶。

 ここは何故か理子がオーナー並みの権力で牛耳る、萌え萌えキュンで仕事熱心なメイドさん達が働く魔境。かつては大泥棒大作戦とかやっちゃってるアキバの拠点の1つだ。

 

「…………あっ。そういや理子となんか約束してた気が……」

 

「なんだ。サプライズと聞いていたが、すでに話は聞いていたのか。それなら呆けていないで行くぞ。皆が待っている」

 

「みんな?」

 

 ここまで来ればオレも青森に出発する前に理子に言われたことを思い出し、まだ14日じゃないがあの性格からして日付け変更のタイミングで即、というのは容易に想像できるので今日お呼ばれすることにも納得だ。

 みんなというジャンヌの言い方が引っかかるが、あの例のメイドさん達かなとあんまり深く考えずに萎えておく。接待としては時々おかしなことするんだよな、あの子達……

 しかしその予想は見事に裏切られ、理子によって貸し切り状態にされていた店内ではパーティーでもおっ始めるつもりなのか割と豪勢な料理が並んでいて、その準備をしていたのが小鳥、幸帆、貴希の3人。しかも何故かこの店のメイド服を着てるし。

 

「おー! キョーやんのご到着ですな! 乙っ!」

 

「またずいぶんと豪快にやるな」

 

「イベントは楽しまなきゃねぇ。武偵高で抑圧されてるから尚更だよぉ」

 

 その光景に呆然としていたら、いち早く気づいた理子が同じようにメイド服を身に纏って近寄ってきたが、その口の回りにはつまみ食いした形跡があるので、準備を手伝ってすらいないだろうな。

 まぁ、場の提供ってことでVIP待遇とか強制してるんだろうが、できない訳じゃないくせに手を抜くその手腕は別のところに良く発揮してほしいものだ。

 そのあと小鳥達とも軽く挨拶をして、メイド服への感想を求められるままにしてから理子の仕切りでバレンタイン前夜のパーティーが開始され、来るなりどこかに消えていたジャンヌまでが本気で着込んだメイド服で現れてドヤ顔を披露。

 直前に似たような姿を見てたので改めて感想を求められることもなかったが、プライベートでも隠す気がなくなってきたのか。

 

「ヒルダは?」

 

「まだ寝てるみたい。もう少ししたら起きてくるっしょ」

 

「いきなり出てきたら小鳥達が驚くだろ」

 

「まぁその辺はなんとかなるって。チョコ作りの時に顔合わせもしたし、出てきて誰こいつってことにはならないから」

 

 なんかパーティーが始まってから『キョーやんシフト』なるローテーションがあるらしく、時間ごとに1人と話をするルールによって、まずは理子と適当な話をしたが、姿が見えないと思ってたヒルダはまだ理子の影で寝ているっぽい。

 ヒルダもいつものゴスロリじゃなくメイド服を着てそうなのをちょっと予想しつつ、依頼の前からのそわそわ感が理子から伝わっていたのでオレから話を切り出しておく。

 

「……お前さ、聞きたいのか。オレがどういう選択をしたか」

 

「何の話?」

 

「とぼけんな。入りましたよって部屋に証拠まで残しておいて」

 

「……やっぱバレてたかぁ。っていうかもう決めてたの?」

 

「まぁな」

 

 最初こそとぼけた理子だったが、オレが気づいてたことに安堵したのかなんなのか正直になると、ちょっと長めに唸り声を出してお悩み中になる。

 

「うーん…………キョーやんさ、理子が知ったら『理子も行くー!』的なこと言い出すと思ったでしょ」

 

「そりゃな。お前のことはそれなりにわかってきたつもりだし」

 

「あははっ。まぁ否定はしないし、そうやって理解しようとして気遣ってくれてるのもわかるんだけどね。本当にそうなってみたら、ちょっと違う感じになってきたの」

 

「違う感じ?」

 

「うん。そりゃキョーやんと一緒にいられるなら嬉しいし、その方が理子のラブラブ光線も出しやすいから不安とかも少なくて済むよ。でもさ、会えない時間があるからこそ、会えた時の喜びとかも増したりとかってあると思うし、キョーやんにも理子と会えない時間を寂しいって思ってもらえたらいいかなとかなんとか……」

 

 ちょっとモジモジしながらにそんなことを話した理子は、確かにオレの知る理子の思考とはちょっと変化があったようだ。

 理子は自分の欲求に素直に生きてるし、それは今もあまり変わらないと思うが……恥ずかしい話だが……オレに対する真剣な気持ちにだけは自分の欲求だけを通そうとしていない思いやりが見える。

 いや、そういう恋愛とか人間関係の微妙な距離感に敏感だった理子だからこそ、どうしたら自分を意識してもらえるか考えているんだろう。

 

「だから、いいよ。その時になってキョーやんがどこで何をしようと、理子はそれを受け入れる。これからのことはその時に考える」

 

「……気持ち悪い」

 

「もー! そういうとこがキョーやんの悪いとこだよねぇ。はい、理子の時間は終了でーす! 次はことりんだからちゃんと話してあげるんだよ」

 

 そんな理子の思考には正直、ホッとしてるのだが、それでもオレが理子に影響を与えてしまってる事実は変わらない気がする。

 だが理子が自分で考えてそうすると決めたのなら、オレが、というのはただの自意識過剰でしかないとも思う。

 何故なら理子はオレなんかよりもずっと前から『自由』ということの意味を知っていたし、その自由を掴み取った理子がまた誰かに縛られた生き方なんてしない。

 

「理子。子供が大人になる瞬間っていつだと思う?」

 

「そんなの個人個人で違うっしょ。まっ、理子から見たらキョーやんもまだまだお子ちゃまですなぁ。なっはっはっ」

 

「おう。オレから見た理子もまだまだ子供だから安心しろよ」

 

「じゃあ、子供のうちにできること、たくさんやっておかないとね。今日のこれもその1つだ!」

 

 だから理子の思考を少しだけ大人に感じたオレの突いて出た言葉に対して、当たり前な答えを即答してくれた理子は、そのままジャンヌに絡んでいってしまい、交代するようにやって来た小鳥といつもと変わらない雰囲気で話を始めていった。

 

「はい、ちゅーもーくっ!」

 

 謎のキョーやんシフトとやらをとりあえず一巡して、最後の相手のようやく起きてきたヒルダとの会話の最中に、気が散るレベルで後輩をいじり倒していた理子がそれをやめて声をあげたので、特に盛り上がる会話も……というかまともな会話すらしていなかったヒルダとはこれで強制終了となるが、ヒルダも不満はなさそう。あっ。ホッ、とか安堵しやがったぞ。

 

「現在時刻がもうすぐ0時となりますが、ここでキョーやんにはゲームに参加してもらいまーす」

 

「嫌だ」

 

「そんな嫌がんなくても罰ゲームとかないしぃ」

 

 かれこれ3時間近くはやってるパーティーなのだが、こういうことに疲れ知らずな理子が時計を指しながらにオレへのゲーム強制参加をするので拒否。

 しかし罰ゲームがないとか聞くとまぁ。とかなってしまうのは普段の理子のせいだな。決してオレが甘いわけではない。

 それでオレの了承を聞いた理子は奥に引っ込んでいたジャンヌを呼び込み、カートを押してやってきたジャンヌのその上には、綺麗に皿に盛られた様々なチョコが置かれていた。キワモノは外見からでは全くないが……

 

「……利きチョコか?」

 

「惜しいっ! ていうかそんな芸当がキョーやんごときにできるとでも?」

 

「いや、言って悪いができん。だとするとどんなゲームだよ」

 

 おそらくではあるのだが、ここに並べられたチョコは理子達が個別に作ったチョコ、ということになるはずなのだが、チョコの種類とここにいる人数が合わないのは何故なのか。1種類だけだが多い。

 

「簡単簡単っ。このチョコの中からキョーやんが最初に食べたチョコを作った人が『ベストキョーやん賞』を受賞できるシステムでーすっ!」

 

「ああ。だからどれが誰のチョコかわからなくなってるのか」

 

 そんなチョコを見て理子の言うゲームの主旨を理解したオレは、本当に罰ゲームとかなさそうなことに安堵しつつも、すぐに事の重大さに気づく。というか気づかされた。

 なんかオレを見る理子達の目が怖いくらいに真剣なのだ。それはもうゴウッ! と目に炎が燃え盛ってる錯覚さえ覚えるほどに。

 

「あっ。ちなみにこの中には蘭ちんから渡してほしいって言われたチョコも入ってるからよろしくっ! おっと、あと1分で日付け変わるから14日ジャストでパクッといってね」

 

「1分!? この野郎が!」

 

 気圧されるようなプレッシャーを浴びつつのオレに何故か重要なことを流すように言ってくれた理子にはゲンコツを1発お見舞いして撃沈させてから、どうやらこの場でそのルールを破ると色々と空気読めないやつに認定されそうなので、50秒は切っただろう制限時間でチョコの観察を開始した。くそっ、何でチョコを食うだけでこんな緊張するんだ……

 だが、ここでまさかの直前でのバレンタイン商戦が活きてきて、並べられたチョコの種類が全部わかるというミラクル。チョコなんてそんなに詳しくなかったんだがな。

 右から順に見ると、まずクオリティーの高いトリュフチョコ。パウダーも振ってあって熟練度が高い。店に置かれてても違和感ないかもしれん。

 次がボンボン。広義ではあるがトリュフチョコと大差ないものの、チョコの中身は食べてみるまでわからないサプライズ感がある。

 次はザッハトルテ。ざっくりでスポンジケーキをチョコでコーティングしたやつだが、ひと口サイズなのは好感が持てる。

 ちょうど真ん中に陣取るのはガトーショコラ。ビターな色合いで匂いを嗅がなくても甘さ控えめなのがわかる。

 その隣に鎮座するチョコレートタルトもなかなか存在感がある。小さめだからタルトレットとか言うんだったか。こちらは生地に流し込んだミルクチョコレートでガッツリといった感じ。

 最後から2番目のチョコは一見すると普通の板チョコだろうが、わかりやすく半分に切り分けられた断面に練った苺らしきものが挟まってるので、シェルチョコレートだ。

 そして最後はチョコレートクリームを使ったエクレア。コーティングのチョコが良い感じに固まってパリッ、フワッ、な食感が想像できる。

 

「残り20秒っ!」

 

 ふぎゃっ!

 どれも凝った作りで市販ではないのがわかったので最初の消去法――手作りじゃないやつを除外しようとした――が使えないまま、理子の焦らせる声が聞こえてジワリと汗が滲む。

 いい加減に選んで選定理由を問われた時にバッシングを受けるのは御免被りたいから真面目に選ぶのだが、だからこそ20秒とか酷い。帰ってゆっくり食べたいですホント!

 

「残り10秒っ!」

 

「こうなりゃ……腹に聞くか」

 

 残り10秒を切っても決断には至れなかったので、各チョコを見られる位置に後退して自分の欲求に素直になる最終手段を敢行。

 その手が伸びるままにチョコを手に取り、理子の「どうぞっ!」を聞いて口に運んだのは、ガトーショコラ。

 

「うん。美味い」

 

 普通に美味いガトーショコラはやはり甘さを抑えたビター味で、夜遅くということも加味して甘さを残さない後味は素晴らしい。

 そのオレの選択でガックリと崩れ落ちたのは5人。残ったのはやはりというかなんとなくわかってた小鳥。

 

「や、やりましたぁ!」

 

「……ふぅ」

 

 その結果に安堵したオレは、この場で最も荒れないだろう選択ができてソファーに座り込むが、実はどのチョコを誰が作ったかを2人までは特定できたのだ。

 単に付き合いの長さとかもあるのだが、その人の考えを読めるチョコが2個あって、それを性格と当てはめるとわかっちゃったわけだが、ガトーショコラは幸帆と小鳥の2択だったから本当に安心した。あと1個が幸帆寄りだったのが幸いだった。

 

「へいキョーやん! 次いってみよ! 順位は大事!」

 

「なん……だと……」

 

 それなのに精神的に疲れたオレに追い討ちをかけるように復活した理子が余計なことを言うので、便乗した幸帆達の勢いにも圧されて仕方なく残ったチョコを順番に選んで食べていった。

 その後、幸帆のトリュフを食べ、貴希のシェルチョコレートを食べ、劉蘭のザッハトルテを食べ、ジャンヌのボンボンを食べ、ヒルダのエクレア――よく考えたらエクレアは稲妻の意味だった――を食べると、最後になってしまった理子のタルトレットを食べてで終了。

 結果を気にしてるのは消化試合だったこともあって理子以外は割とケロッとしてたのだが、部屋の隅で体育座りしてしまった理子は手に負えない。

 本来なら優劣などつけたくないものを無理矢理に順位をつけたから、そう気にすることもないと思うのだが、理子にとってはショッキングな出来事だったんだろうなと思って慰めようかと近づいた瞬間、突然に頭を上げて「そうだっ!」と立ち上がったためにオレの下顎を直撃して2人して床に沈んでから、涙目で頭を擦りながら理子が口を開いた。

 

「めんごめんごっ! さっきお仕事の依頼が入ったから後輩組はこれでお開きね。タクシーは手配しておいたからそれで学園島に帰って。ジャンヌとキョーやんは居残りでよろしくっ」

 

 そうしてパンパンっと手を叩いて撤収の流れを作った理子に促されるまま、小鳥達は着替えて理子の呼んだタクシーに乗って学園島に戻っていってしまい、残されたオレとジャンヌとヒルダはその依頼とやらを聞く権利があるのだと悟り、落ち着いたメイド喫茶で理子の話に耳を傾けた。

 

「もうすぐ来ると思うけど、依頼はキーくんからで、なんかアリアが病院を抜け出したっぽい」

 

「捜索依頼か?」

 

「ううん。そうじゃなくて、キーくんとアリアはこのあと色々と動きたくて、でも捜索の目を掻い潜りながらは動きにくいから影武者を病院に置きたいって話。変装は理子の得意分野だしね」

 

 そうした話がいつ来たのかと問えば「1時間くらい前」とか言うのでついさっきの出来事なのは理解する。

 詳しく聞けば、オレ達が呑気にパーティーをやってる間にキンジとアリアが近くまで来ていた鬼と交戦したようで、なんとか撤退はさせたものの、残り1つの殻金を持つ鬼を追うために動くということだ。

 だがそれは物別れになったとはいえ眷属になる鬼との戦いを意味し、停戦協定を破る行為になるため、バレれば面倒臭いことになるかもしれない。

 

「んで、オレ達の役割は?」

 

「あれですよ。囚われた理子を助け出そうとする仲間役。理子が戻っただけじゃあれだし、ダメ押しで実力行使する人がいれば信憑性も増すってこと」

 

「情報操作の方はどうするのだ。理子が病院に入るのはいいが、それでも外でアリアが見つかれば面倒なことになるぞ」

 

「そこはあれですよ。アリアに変装した理子が外で撹乱してるってことで、そのわずかな混乱を利用してキョーやんが特攻して理子を助けてください」

 

「絶対に助けられないと確信してるんだが、失敗して捕まればいいんだな」

 

「えー、そこは助け出してよぉ」

 

 無茶なこと言うな。

 病院に行ったからわかるが、あの物々しい雰囲気はオレが小細工でどうこうできるレベルじゃない。突撃したって捕まるのは目に見えてる。

 まぁそれも計算ずくの動きにはなるだろうが、オレの生死が五分五分なのはどうだろう。最悪は理子と一緒に病院に行くだろうヒルダに助けてもらおう。

 とにかく話はわかったので、これからこっちに来ると言うキンジとアリアを待つ間に理子は剥がれないアリアの特殊メイクをしにヒルダと引っ込んでしまい、オレとジャンヌは実際に理子が病院に隔離されてからの動きを綿密に計画して時間を使う。

 

「おっ。来たな」

 

 それから約1時間後にやって来たキンジとアリアは、この店の雰囲気に慣れてないからか警戒した感じで入ってきたが、オレとジャンヌの姿を見て安心して近寄ってくる。

 

「京夜を見るの久しぶりな気がするわ」

 

「実際に1ヶ月近くは会ってないしな。そっちも倒れたって割には元気そうで何より」

 

「猿飛、理子はどうした? 連絡したのはあいつになんだが……」

 

 アリアに挨拶がてらに言われて気づいたが、こうして顔を合わせるのが久しぶりなアリアの元気そうな姿を見てちょっと安心。

 そうした会話が向こうにも聞こえたのか、奥に引っ込んでいた変装を完了させた理子がピューンと飛んできてオレの膝の上に飛び乗って抱きついてきて、見た目はオレにアリアが抱きついてるそれはアリア本人が恥ずかしいのか、壮絶なドロップキックをお見舞いして引き剥がしてくれる。

 

「ぐほぉ……酷いよアリア……」

 

「あんたが変なことするのが悪いの!」

 

「バカは放っておいてだ。キンジ、お前らが好きに動けるようにオレ達が動いてやる。だから鬼との決着はちゃんとつけてこい」

 

「だが情報操作に時間はかかる。その完了までは2人ともどこかで大人しくしていろ」

 

「猿飛、ジャンヌ。感謝するよ」

 

「話は全然聞いてないんだけど、流れ的に理解したわ。まっ、京夜が言うなら心配はいらないわよね。よろしく」

 

 理子がふざけ気味なので仕方なくオレが話を進めて依頼に関してはそういう方向で了解。

 流れるように報酬の話になったが、ここでプライドの高いアリアは言い値でいいと言うが、同じくプライドの高い理子がヒルダの一件での恩を返すとかで報酬はいらないと言い喧嘩腰に。

 仲裁が必要かなと思ったのだが、互いに性格はわかってるからか理子が今回のパーティーにかかった費用を全額アリアに払わせることで収める。それでチャラにしてやるといったところだろうが、こっちはそうはいかないぞ。

 

「それで京夜とジャンヌはどうするの?」

 

「割と死ぬかもしれないからこのくらいで」

 

「死なれては困るから策を練ってやったのに、これはぼったくりだろう」

 

「ジャンヌは黙ってて。うちの家計は火の車なのよ」

 

 そうした視線を向けていたら、支払いをブラックカードで済ませたアリアがついでとばかりに言い値を聞いてきたので、本当に遠慮なしに0を後ろに6つくらいつけたのだが、ジャンヌに言われてさすがにオレもあれだったかと思って半額にしておくと、クスリと笑ったアリアは「その額でも良かったのに」と言ってから報酬の交渉を終わらせてしまった。ほらぁ、リアル貴族様に優しくしたって仕方ないんだよ……

 そんな甘い自分を後悔しつつも、停戦協定破りの行動はバレンタインデーの今日から開始となった。



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Bullet124

 2月15日の夕方頃。

 バレンタインデーから一夜明け、キンジとアリアからの依頼を受けて情報操作をしたのち、アリアに変装した理子が本物のアリアが入院していた病院に改めて監禁されていって十数時間。

 相変わらずガッチガチのセキュリティーに加え、脱走を許したこともあって警戒レベルは軒並みアップしてる雰囲気。

 さらに情報操作によってアリアに変装した理子――という体の本物――が本物である可能性も捨てきれない向こうはそっちの捜索にもいくらか人員を割いたようで、朝からちょっともたついてたのも事実。

 

「頭を撃ち抜かれたらどうしよう……」

 

『京夜は殺そうとしても死なないだろ』

 

 その様子を直接見てきたオレは現在、見舞い者を装って装備を持ち込んで病院に進入して屋上に出て準備中。

 その準備中に繋げたインカム越しに防弾装備を着込みながらジャンヌと会話をするのだが、嫌な信頼のされ方で楽観視されてガックリくる。人間、死ぬ時は死ぬんだよ。

 

「オレの姿は見えてないか?」

 

『大丈夫だろうな。監視の目がどこにあるかも調べたが、院内での警戒が主だ。外へ向けた警戒はそこまでガッチリしていない。これはアリアの脱走の可能性を考慮した結果と言えそうだ』

 

 着込んだ装備の調子を確かめつつ、柔軟もしながら適当に動いて、別の場所に待機しているジャンヌからオレが見えないかを確認。

 大丈夫そうなのでそのままワイヤーを取り出してフックを屋上の縁に引っかけて長さを計算したワイヤーを腰に繋ぐ。

 今回、オレはこの病院にいるアリアに変装した理子を奪還する役目を担っているが、それは向こう。外務省に病院にいるアリアが本物であることを印象づけるための裏工作。そのダメ押しって位置付け。

 だからこの奪還作戦は最悪のところ失敗に終わってもいいのだが、警戒厳重なところに突っ込んでいくわけだから当然、その行動自体に危険が伴うわけで、捕まってはい終わり。は、確実に運の良い方。過程で射殺される可能性の方が遥かに高い。

 

「まぁ、拘束さえされなきゃ死なない自信はあるが……」

 

『言うようになったじゃないか。それでこそ私の騎士だ』

 

「調子の良いこと言いやがって」

 

 屋上の縁から下を見下ろして、理子のいる病室の窓枠をわずかに見て横のズレを修正。

 あとは右腕のミズチと腰に差した単分子振動刀、煙幕、閃光弾を無意識レベルで取り出せるようにして、逃走用のガバメント2丁――理子にも手伝ってもらうため――をショルダーホルスターに入れて準備万端。

 

「んじゃ行くから援護よろしく」

 

『任せておけ』

 

 だからといって怖じ気づいてやらないは報酬を前金でもらった手前で出来るわけもなく、腹を括って足がすくむ前にさっさと行ってしまう。

 ちょうど西日が理子のいる病室に差し込む頃合い。それを狙うために朝から周到にやってるんだから、生存率を上げるためにも躊躇はしてられない。

 

「……っし!」

 

 そしてオレは病院の屋上から勢いよく走って飛び出し地面へと真っ逆さまに落ちていったが、繋がっているワイヤーがオレを引っ張り振り子の原理で理子のいる病室に突っ込むと、西日を背に浴びながら単分子振動刀を抜き完全に慣性で病室に飛び込むタイミングでワイヤーを切断。

 それとほぼ同時に後ろから2発のバカ威力の弾丸が窓に撃ち込まれて、防弾性のガラスすら撃ち破る。これはレキの対物ライフルによる狙撃だ。

 それによってオレは防弾ガラスを蹴破るとかいう暴挙をすることなく病室に転がり込むことに成功し、入ったと同時に真正面にいたエージェントを蹴りで倒し拳銃を単分子振動刀で切り裂き閃光弾を放り着地。

 わずかな時間差でオレが撃たれるタイミングがあったが、そこは素早くドラグノフに持ち替えたレキが拳銃を弾き飛ばすことで回避。

 中には3人のエージェントがいたが、サブウェポンを取り出すところで閃光弾が炸裂。眩い光が病室を包み込んだところで今度は煙幕を使って視覚を執拗に奪う。

 その頃にはオレももう内部の情報を把握してたので、ソファーでつまらなそうに座っていたアリアに変装した理子にガバメントを2つ持たせて前からおんぶする形で足を絡めてもらう。いわゆる『だいしゅきホールド』ってやつだな。

 

「ちょっと京夜! あんた何でこんなバカなこと……」

 

「自分、バカなんで……」

 

 そこまでしてレキの射撃線から逃れるように窓からの死角にいたエージェントをスルーしつつ、アリア声で慌てたフリをする理子に合わせて窓枠に乗り上げると、なんだかんだで即応してガバメントで牽制してくれた理子の作った隙で壁にに対してなるべく平行に斜めに飛び降りる。

 そうしたら今度は右腕のミズチからアンカーをやや前方の壁にくっつくように射出してスウィングしながら地面に平行になったところで着地。

 その間にエージェントに狙われていたものの、理子がガバメントで牽制したままなのとレキの狙撃。それと高さ的にオレが不時着したらアリアまで危ないと思ったからか撃たれはしなかった。

 

「理子、ヒルダは出すなよ」

 

「わかってる。まったくアンタってホントにバカなんだから!」

 

 着地してすぐに理子を下ろして今も影に潜んでるだろうヒルダは偽者と疑われる元なので出さないように言っておくと、当たり前とばかりに返してからアリアっぽく頭をガバメントのグリップで殴って、なっちゃったものは仕方ない雰囲気で走り出す。

 

「ジャンヌ、パス!」

 

 何はともあれ病院を抜け出せちゃったので、ここであっさり捕まりにいくよりも本物のアリアの捜索にも行っちゃったっぽいエージェントを引き寄せるために逃げの一手と判断。

 走りながら近くのベンチで腰かけて携帯で電話していた変装したジャンヌから、すれ違い様にキーを投げ渡されてそのまま駐車場に入ると、そこにあらかじめ置いていた島コレクションの1つだというバイクに股がってタンデムし逃走開始。

 壊したりしたら島がマジで泣くとか直前に言われていたので正直、使う局面にならない方が精神的には良かったが、コレクションだけあって性能面ではさすがの一言。乗っただけでわかるってのは相当だろう。

 

「こっからどうすんの?」

 

「とりあえず隠れちゃ意味ないしな。適当に横浜とかまで逃げてみるか」

 

「おっほぉ! いいですなぁ。キョーやんと愛の逃避行とか胸熱ぅ!」

 

「あんま理子を面に出すなよ。どこで誰が見てるかわからん」

 

 走行中に耳元で話す理子が結構な呑気さを見せててイラッとくるが、手が放せないからどうにもできないし、オレがアリアに対して手をあげたことがないだけに、それも怪しい行動になるからどのみちできないんだよなぁ……

 アリアの皮を被った理子というオレにとっても扱いが面倒な現実にうちひしがれる余裕もなく、すぐに追いかけてきた外務省のエージェントの車は簡単には振り切れそうにないので、理子には無計画なことを言ったが逃走用の作戦を開始。

 

「中空知。ナビよろしくっ」

 

『承りました』

 

 そこで通信器越しなら頼れることこの上ない中空知との通信を開き、インカムを理子にパス。

 中空知には武蔵小山に陣取って、極指向性の集音マイクを使って半径3キロの範囲を音で『見て』もらっている。

 その音でオレ達が外務省の動きをある程度で先読みして、逃走経路を確保。

 ジャンヌにも中空知と合流してもらってGPSから中空知の情報を処理して指示をもらう形で、理子には現場の目として補完をやらせてオレは運転に集中できるというわけだ。

 そうして逃走するので小回りの利くバイクにしているが、それでも持って6時間程度だろうな。

 向こうが本気になったら人海戦術も辞さないはずだし、道路の封鎖だってやりかねない。

 

「あそこの小道に入って!」

 

 だからそうなるまでは本気で逃げる。

 中空知の『音の目』の範囲内という制限はあるが、そこでなら外務省とも良い勝負ができる可能性があるというのがそもそも凄い。

 実際に逃げの達人、理子と作戦立案のジャンヌまでいると少しだが慢心のあった外務省を翻弄することができ、あと1歩のところでスルリと脇に逸れて躱し、車が侵入できないルートも使って巧みに包囲網を掻い潜る。

 

「なっちーが車3台追加してきたって言ってる。理子的な見立てでは、あと2台くらい増えて10台を越えたらマズイかもねぇ……」

 

 事前に武蔵小山の周辺をリサーチしてたのも相まって、ことのほか逃げられるオレ達に業を煮やしたのか、おそらくは分散していた戦力を戻してきた外務省の変化に中空知がいち早く気づき、理子が報告してくれる。

 現在進行形で割と焦りは見せていない理子がそういう見立てをしたということは、まだ大丈夫だろうな。

 それでも位置情報は確認したいのか、1度バイクでしか入れない道に逸れて停止。その間に中空知の目からジャンヌがエージェントの車をポイントし逃走ルートの再検討をし、オレと理子もなんだかんだで1時間近くの逃走で疲れた体を休めてバイクから降り伸びなどをしておく。

 

「あーそうそう。実はキョーやんが病室に突撃してくる前に錢形乃莉(ぜにがたのり)ってアリア付きの合法ロリな事務官が来てさ、理子のおっぱいをぐわしっ! って掴んでいったんだよねぇ」

 

「女同士なら別に嫉妬とかしないが」

 

「男だったら嫉妬してくれるんだ。へぇ……じゃなくて! 今もサラシ巻いてぺったんこなアリアに寄せてはいるけど、あの事務官、かなり疑ってたって話」

 

 ずっと座ってたからお尻が痛かったのか、ポンポン叩きながら思い出したように胸を揉まれた話を理子がするから、なんのこっちゃと思ったものの、今も表面上ではアリアに見える理子の胸は確かにサラシを巻いて押さえつけたとしてもよく見れば大きいだろう。

 そんなオレの視線に頬を染めた理子がアリア顔で照れるのでなんだか調子が狂うが、インカムからそれを聞いていたジャンヌがここまでの逃走でその錢形とかいう事務官がいたかを理子に問いかけたようだ。

 

「それがいなかったんだよねぇ。あんな合法ロリを見逃すほど理子の目は節穴じゃないし、こりゃまだ向こうのアリアが完全に偽者だって思われてないね」

 

「それでもこっちを放置できないから追いかけてきてるのは事実だろ。ということはまだ逃げる価値はある」

 

「そりゃそうなんだけど……こうなると捕まったら理子の身ぐるみ剥がされる可能性が大なわけでして……」

 

 その錢形とやらがこちらの逃走劇に参加していないのがどうにも嫌な感じと理子が言い、疑われてる以上は捕まればその確認作業はされて当然だと付け足した話になるほどと思う。

 それにこうして1時間も都内に留まって、隠れもせずにわざわざ捕捉されるように逃げるオレ達に疑問を持たないほど外務省もバカではない。

 きっとすでに半信半疑くらいにはなっているだろうが、100%ではない限り放置もできないから捕まえに来ている。

 

「なら完全に封鎖される前に本当に東京を出とくか。これ以上離れるとジャンヌ達との通信が切れるんだが、1日持たずにバレるのはこっちとしても酷い結果だしな……」

 

「オッケー。そうなったら理子の隠れ家とかでやり過ごそっか。日本の隠れ家は片手の指で数えられちゃうけど、お気に入りで凝ってるから駆け落ちにはもってこいだしねぇ」

 

「ヒルダもいるから駆け落ちとはならないがな」

 

 それならもう振り切って潜伏する方が賢明かもと提案すれば、理子も賛成の方向でインカム越しのジャンヌも徐々に狭まりつつある包囲網から抜け出して横浜方面に逃げるルートを検討してくれる。

 それから駆け落ちとかいう言葉に反応して理子の影に潜んだヒルダが理子に見えない位置で怒りマークを器用に形作って「理子に何かしたら許さない」とオレにだけ伝わるようにやってきたので、その気のないことをちゃんと示してから、またバイクに股がってジャンヌの検討した逃走ルートについてを聞く。

 

「……おい、死ぬぞオレ」

 

「最悪クラッシュしてグチャッて轢き殺されるよね……」

 

 その逃走ルートを聞いたオレと理子は、どうしても完成しつつある包囲網を抜けるために無理が出てくると前置きしてきた通り、無理すぎる要求にゲンナリ。考えただけでどうしような要求で出来る出来ないの次元でもない気がする。

 

「…………やらなきゃ捕まるってことならやってみるか」

 

「おお。キョーやん頼もしい。期待していいの?」

 

「お前も手伝え。オレだけじゃ100%無理」

 

「おおぅ……そこは男を見せてよ……」

 

 男らしさも何も総力戦で臨まなきゃ拮抗すらしない相手に見栄を張ったところで「失敗しましたー」の方がよっぽどカッコ悪い。

 理子が言いたいのはそういう現実的なことではないのはもちろんわかってるが、そんなボケに近いことにいちいち反応もしてられないので、どうやってその無理を通すかをあらかじめ教えておき、渋い顔で了承したところでバイクを出発させ公道に合流。

 もちろん位置情報をおおかた把握していたジャンヌ達によって外務省とはすぐに鉢合って、予想通りジワジワと包囲網を形成されていった。

 

「キョーやん! 次の交差点、ポイント!」

 

「了解!」

 

 空も暗がりになってき始めてオレの目でも細かいところは見えにくくなった頃に、包囲網がほぼ完成してしまう時間を予測して、無理をする場所をあらかじめ決めてそこで詰みになるようにタイミングを見計らった。

 そのポイントを理子が教えてくれて、交差点も赤になって一瞬の空白を作ったところに外務省の車が5台も進入し封鎖をしてくる。後ろからも2台が確認でき切り返しを封じるように2車線を並走していて上手い。

 

「明日から右腕にはミズチじゃなくてギプスだな……」

 

 見事な連携に感嘆するところではあるが、オレはこれからやることに鬱気味になりながら右腕のミズチを準備。

 そして交差点へと進入し車から降りたエージェント達が拳銃を構えるタイミングで、その少し手前にあった歩道橋。その歩道橋の裏側にミズチのアンカーを射出してくっつけると、バイクを左から右に振ってさらに左に振り角度を直進から30度ほど傾けて歩道橋を通過。

 当然ミズチのアンカーが歩道橋の裏側に張り付いてるのでバイクは引っ張られて大変なことになるが、ワイヤーの長さを固定して振り子のようになったバイクはオレを起点に宙を浮く。

 

「ぐっ……おおお!!」

 

 だがそんなアホなことをすれば負担は全てオレの右腕に集中し、さらに左手と両足でバイクを離さないようにする必要もあって、後ろの理子もオレに抱きついてでもう腕が千切れてもおかしくない無理だ。

 ミズチの許容重量の150キロも無視してるのでアンカーの方が外れる危険もあってヒヤヒヤものだが、完全に振り切ったタイミングで理子が髪を操ってバイクを傍目にはわからないように支えて向きも180度転換してくれて、オレへの負担も軽減。

 そのまま反対方向にスウィングを始めて、角度をつけたことで反対車線への落下軌道を描き、アンカーの粘着力の限界である5秒でなんとか反対車線への変則Uターンを成功させて道路に着地。

 完全な意表を突いた珍行動で呆気に取られていた外務省は次の一手に出遅れて、その隙に包囲網から一気に離れていったオレと理子だったが、右腕が痛ぇ……

 

「キョーやん、大丈夫?」

 

「ちょっと無理……骨は折れてないだろうが……筋繊維がヤバい……」

 

 しかし包囲網から抜けた代償にオレの右腕は結構なダメージを負って、バイクのハンドルすら握れない具合で、理子が少し乗り出して右のハンドルを持ってくれるが、この状態で運転は危なすぎる。

 

「えっ? はっ!? なにそれ!?」

 

 その状態でとりあえず直進していたら、急にインカムからのジャンヌの声に反応した理子がアリアをやめて素でリアクションして、続けてイラッとした感じで脇に停めるように指示するので、路肩にバイクを停めると、バイクから降りた理子はツインテールを解いてガードレールに腰かける。

 

「なんか外務省がこっちを放置して撤収したってさ」

 

「はっ? なんだよそれ」

 

「今ジャンヌがそこを調べて……はぁ……そういうことね……」

 

 おそらくは染めてるのだろうピンク髪はそのままにジャンヌからの追加情報を聞いた理子は、ついに巻いていたサラシを取って顔の特殊メイクも雑に取りツーサイドアップに結い直すと、なんかアリアと理子を足して2で割ったような感じになった。アリア部分はもはやピンク髪しかないがな。

 

「今ね、本物のアリアが新宿で見つかったからそっちの捕縛に向かったっぽい。あの錢形とかいう合法ロリめ……見た目はガキのくせに……」

 

「なるほど。その錢形とかいうのはあっちのアリアを追ってていなかったのか」

 

 右腕の調子を確かめながら理子の話に耳を傾けて、だいぶ使い物にならない感じを確信するが、これ以上の逃走が必要なくなったこともわかってちょっと安心。

 だが同時にここまでのオレ達の行動が無意味に等しかったことを告げられてガックリもくる。そりゃないわ……

 そうなるともうオレ達のやれることもなくなってしまうのだが、理子はそれでは仕事として十分でないと思ったのか、オレの代わりにバイクの運転を買って出て後ろにオレを乗せるのだが、何をする?

 

「どうするんだ?」

 

「とりあえず行ってみよっか。んでピンチっぽいならやれそうなことしよっ」

 

「軽いなぁ……」

 

「身軽さは理子の長所ですよ」

 

 一応はバイクに股がりつつ素直に問いかければ、理子にもそう深い考えがないっぽくて苦笑するが、オレもこれでお役御免では少々悪いなとは思ってた。

 なので理子の行動に賛同し無事な左腕だけを理子の腰に回したが、身長差のせいでしっくりこなくて胸付近にまで寄せると「にゃんっ!」とか声を上げた理子にビックリする。な、なんだよ……

 

「理子のおっぱい、ちょっと持ち上げてるぅ。キョーやんのエッチぃ」

 

「ああ、この感触はお前の下乳か。これより下は持ちづらい。我慢しろ」

 

「ナチュラルにスケベェだね……まぁ理子も今ブラしてないからちょっと楽なんですけど……」

 

 何この会話……

 左腕に柔らかい感触が乗ってるのは気にしないことにしてたが、本人に言われたらスルーも出来ないのでとぼけておきつつ、サラシを巻いてたからだろうが現在ノーブラの理子だと思うと無駄に緊張する。言わなきゃいいことをサラッと言いおってからに……

 だからといって左腕を解くと手放しでバイクに乗ることになるので、理子が恥ずかしがろうが喜ぼうが気にせずにそのまま出発させ、見つかったからには逃げてるだろうアリアとキンジをフォローするために動き出す。

 役に立てるかは知らないけどな……



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Bullet125

 オレ達の奮闘も割と虚しく、本物のアリアを見破られてしまって現在進行形で外務省に追われているっぽい。

 依頼的にもこのまま終わっては申し訳ないので、8割ほど変装を解いた理子と何かできないかと思って現地へとバイクで向かっていたのだが、アリア達が新宿で捕捉されたと聞いてから、オレはそこにちょっと推測が立ち、そこへ向けて理子にバイクを走らせてもらう。

 

「理子もその推測はいい線いってると思うけど、今から向かっても移動してると思うのもあるしね」

 

 途中の赤信号で待つ間にオレの推測に賛同してるようなことを言う理子だったが、同時にド正論をぶつけられて、そうなんだよなぁと思ってしまった。

 

「それでも新宿ってだけで探すのは無理があるだろ」

 

「それもそうだね。ジャンヌ達との通信も切れちゃったし、本格的に暗くなってきたから直接で見た方が情報も入ってくるでしょ……ん?」

 

 すでに渋谷駅の近くにまで差し掛かっていたので、ジャンヌと中空知との通信可能な距離を離れていたこともあってオレ達の目が頼りになる。

 だからこの辺からオレも感覚機能を割とフル活用して、視覚、聴覚を鋭敏にしていたのだが、理子の話の途中にそれが反応すると、理子もそのオレの反応に気づく。

 

「……ヘリの音だ。それも複数。雑音が多くて方向しかわからないが」

 

「どっち?」

 

「向こうだ。あっちは表参道の方か?」

 

「オッケー。んじゃ行ってみよっか」

 

 ヘリなんてしょっちゅう飛んでるし、たとえそれが何か起きてることでもアリア達と関係がある可能性の方が低い。

 それでもスルーしていける違和感ではないと判断した理子は、オレを信じてその進路を表参道の方に変えてバイクを走らせ、理子の耳にも届くようになったヘリのプロペラ音を頼りに正確に近づく。

 目視でもヘリが確認でき、ガヤガヤと騒ぎになってる表参道の道路の中心。

 その手前の人の波で足止めを食らったオレと理子は、バイクを降りて少し高い場所に移動して表参道を覗くと、ドギャン! バウゥゥウン! と嫌な音が炸裂する。

 

「――アメリカである(I'm U.S.A.)

 

 その現場ではなんか3メートルに及びそうな人型ロボットが周囲を取り囲む外務省であろう車とエージェント達に威嚇。そんな言葉まで発して君臨する。

 そのロボットの近くには島が運転する車に乗るキンジとアリアの姿も発見。

 

「あっ! 錢形も発見!」

 

 オレが現場の状況を観察する中で、理子も同じように周りを見て、憎らしそうにその錢形とやらを指差すのでオレも見るが、身長140センチに満たない本当のちびっ子だった。あ、あれで事務官……オレより大人なのか……

 いや、前例がないわけでもないが、やはり健全そうな人間があのサイズで大人になるということが不思議でならない。雅さんは事情があるしな……

 と、今は錢形はあまり関係ないので、状況の整理に入ると、キンジとアリアの乗る車にかなめの姿まであって、人が乗って操縦してるのであろうロボットがアメリカと名乗ったからには、ジーサードの連中が割って入ってきたのかと予測。

 何故このタイミングで来れたかはわからないが、それでも外務省もまだ引き下がれないのか抵抗しようとしたところで、いきなり鉄串のようなものでエージェントが牽制で攻撃され、例の先端科学兵装である消えるあれを解いてエージェントの近くに現れた包帯まみれの天然パーマ黒人男性。あれもジーサードの仲間ってことか。

 それらジーサードの仲間達の登場で錢形が何やら慌てた様子で周囲に喚いて撤収を始めて、エージェント達も武器を収めて引き上げていってしまう。すげぇなアメリカ……

 

「おっと。こうしちゃいられないだろ」

 

 外務省が引き上げたことで場は落ち着きを取り戻し、残されたアリア達と合流するタイミングはここしかないので理子と一緒にバイクに戻って近づこうとしたが、それより早く上で停滞していたらしいジーサード側の見えなくされたヘリにロボットが回収され、アリア達まで梯子でそれに乗り込んでしまったため、合流のタイミングを逃す。

 

「素直に連絡とるか……」

 

「そだね……」

 

 その様子を見送りつつ、ヘリのプロペラ音が遠ざかるのを耳にしながら呆然としていたオレと理子は、どこかへと行ってしまったアリア達がどこか遠くへ行ってしまう前に合流するため、各々でアリアとキンジに連絡を取っていった。

 それで連絡のついたキンジの話によると、日本に来ているらしいジーサードが丁度キンジに用事があったから今に至るとかなんとかを聞いて、そっちの状況は把握してるからと合流したいことを告げ、どうやらキンジの実家に行くとかなので、以前にかなめを尾行した時に巣鴨で所在を覚えていたため、理子と一緒にそこを目指してバイクを走らせていった。

 

「うらぁあ!」

 

「ぶはぁ!!」

 

「ぐへぇえ!!」

 

 それでいざキンジの実家に辿り着いてみれば、玄関で待ち構えていたアリアがいきなりオレと理子にドロップキックをかましてくれやがって、2人して不意打ちで後ろにぶっ倒れる。何事か!

 

「あんた達! もう少し頑張んなさいよ! 何で依頼して1日ちょっとでバレてんのよ!」

 

「外務省もそうバカじゃなかったってことではないでしょうかね……」

 

「だいたいアリアがこのタイミングで外務省に動きがモロバレなお母さまに面会とかしなきゃ、もう少し踏ん張れたと思いますがね!」

 

「なんですってぇ! これだからリュパン家の人間はぁ!」

 

「家は関係ないでしょうがぁ!」

 

 グギギギギィ!

 会って早々で文句を言われたのは仕方ないと思ったが、新宿にいて居場所がバレるところと推理できるのが、かなえさんのいる新宿警察署だから理子もそれが迂闊だったと喧嘩腰に。

 そんないつもの調子のアリアと理子はとりあえず止めても意味がないから無視して、オープンな玄関から中にお邪魔しようとする。

 が、その前に「あらぁ!」とかいうオカマ口調の男の声が横から割り込んできて、庭方向からのその声に振り向くと、例の包帯男がオレを見て頬に手を当てていた。

 

「あなた、サードが面白いって勧誘した子よね。映像で見るよりイケメンかもぉ」

 

「そりゃどうも……」

 

 どうやら少し怖い印象の見た目とは裏腹にオネエな中身の包帯男は、羽鳥との戦闘映像でも見ていたジーサードの部下らしく、オレのことも知っているような素振り。

 その包帯男の声を聞きつけて庭からまた顔の濃い白人マッチョが爽やか笑顔で現れたが、こっちはたぶん、表参道で見たロボットに乗ってた奴だな。

 

「あら、あらあら。どうしたのその右腕。怪我しちゃったの?」

 

 そのマッチョが「アトラスだ。豪快によろしくっ!」とか言って握手を求めてきて、それに左手で応じたら、右手を差し出したところに左手を差し出したからか、包帯男が右腕の怪我に気づいて心配してくる。

 

「それは大変だ。コリンズくん、怪我を診てやってはどうかな」

 

「言われなくてもやるわよ。まずはお家に上がってじっくり診ましょうね」

 

 暑苦しい感じのアトラスがなんとなくオレと合わない気がする中で、背中を押して家に押し込むコリンズと呼ばれた包帯男は、そのまま居間までオレを運んでしまう。

 居間にはキンジの祖父母の姿があって、軽く挨拶だけするとかなりオープンに受け入れられてくつろがせてくれたので、医療品を持ち出したコリンズに合わせてミズチを外して右腕を診てもらう。

 

「おう。来たか、京夜」

 

「お前が目に見える怪我してくるなんて珍しいな」

 

「イギリスなんかに遅れを取るなんてダッサーい」

 

 その治療中に別の部屋にいた遠山兄弟がゾロゾロと居間にやって来てそれぞれ口を開いたが、お前ら超人兄弟と一緒にされても困る。怪我する時はするんだよ。

 

「はい終わりっ。4、5日は安静にしてないとダメよ」

 

「悪いな、コリンズ」

 

「いやんっ。お礼ならこ・こ・に」

 

 何やらオレよりも重症なジーサードは意外とケロッとしてるのでとりあえず無視しつつ、丁寧に三角巾での固定までしてくれたコリンズの見た目でそのくらいの安静は必要と言われて処置を終えるが、そのお礼をほっぺを差し出されて言われるとちょっと困る。感謝はしてるが……

 そうしてオレがためらっていると、アリアとの喧嘩を終えて居間にやって来た理子が割って入ってくれて、その理子にコリンズが「女持ちだったのね」とか誤解はしたものの、この程度の処置で報酬を求めるほど悪い性格はしてないとだけ言って居間から出ていってしまった。

 

「んで、何がどうしてこうなったんだっけ?」

 

 そうして話の中心にいる人物の顔が揃ったところでオレから切り出して説明を求めると、オレと理子がここに来るまでに事態を把握していたらしいキンジが代表して口を開く。

 

「えっとだな。まずはさっきまで対立してた外務省はアリアが話をつけてなんとかなりそうだ」

 

「その代わりにあたしは事実上の強制送還。ついでにあたし達より先に外務省と喧嘩してたあんた達もお咎めなしにしてあげたから感謝しなさい」

 

「そりゃ感謝はするが、いいのか? 自由に動きたいからオレ達まで使ってたわけだろ?」

 

「いいのよ。ママとの面会であたしはメヌと……妹と会わなきゃならなくなったし、キンジもジーサードの方について回ることになったしね」

 

 なんだか話が飛んでてよくわからないが、アリアはメヌエットに会いに行くから強制送還も構わないんで、外務省とのいざこざをそれで収めてオレ達を自由にしたってことか。

 んで、これから別行動になるらしいキンジは、何やら丁度よく問題を持って帰ってきたジーサードの方について行動すると。

 

「となるとオレ達はお役御免か。理子、どうする?」

 

「帰ろっか。疲れたし。それにいつまでもアリアと同じピンク髪も嫌だもんね」

 

「なんですってぇ!」

 

「なによぉ!」

 

「喧嘩なら表でやれ」

 

 それならもうオレ達はあれこれしなくてもよさそうで、2人もお疲れさま的な空気を出したのだが、そこに割り込んで「ちょっと待て」と声を出したのはジーサード。その目はオレをまっすぐに見てる。

 

「やることなくなったならスカウトだ。京夜、お前もこっちを手伝え」

 

「…………これ見てもか?」

 

 何をやらせるつもりなのかわからないが、今の見てくれからもこいつが手伝わせることに荒事が絡まないわけがないので、右腕を指してやんわり辞退する。

 しかしジーサードはオレよりも重症の体をドンと叩いて「そんなの怪我に入んねェよ」と説得力あるんだかわからない返しで構わないと言ってきた。だから超人と比べるな。

 

「キンジは納得した上でなんだな?」

 

「一応はな。弟をこんな風にしたやつをぶっ飛ばす約束もしちまったし、アリアの緋緋色金とも関係なくはない案件でもある」

 

「緋緋色金と? ジーサード、お前ここに来る前はどこにいたんだよ」

 

「ネバダのエリア51さ」

 

 エリア51って確か……宇宙人が運び込まれたとかそういうキナ臭いオカルトがある空軍の基地だったかな。

 色々と機密の多かったところだが、今は宇宙人とかは否定もされてたりでキナ臭さは薄れてる。

 しかしそこに行って迎撃されてって、やっぱり何かあるのか。いや、アメリカで緋緋色金と縁がある物って……

 

「……瑠瑠色金……」

 

「おっ、兄貴より察しが良いぞ。この推理力が普段の兄貴にも欲しいところだ」

 

「余計なお世話だ。だが何で瑠瑠色金だとわかった?」

 

「ん、瑠瑠色金が人の管理下にある可能性には辿り着いてて、欧州西部か北米にあるかもってところまでは特定してたからな。あとはジーサードの目的が色金関係にあるのも加味してか」

 

 加えてここにいる理子の両親が盗みに入った警戒厳重な場所ってのもあるが、オレの推理なんてどうでもいいのでそれらしいことを並べて話を進める。

 

「そういうことなら行くのもやぶさかじゃないが、結局は盗みに入るんだよな」

 

「そうなるな」

 

「なら理子、一緒に行くか?」

 

「んお? どして?」

 

「お前の両親が辿った道だ。聖地巡礼ってことで」

 

「聖地でもなんでもないだろそれ……って、猿飛お前、それって理子の親が……」

 

「ジーサード、軍の記録とかにないのか?」

 

「あるぜ。だがよく知ってんな。調べなきゃわかんねェぜ?」

 

「情報収集は物事の基本だろ」

 

 口で言うよりも多くの情報から推測してるが、多くを語るなは武偵の基本だし、これ以上は引っ張る意味もない。

 なのでオレに同行するかを問われた理子はアリアとの喧嘩を中断して悩むが、ジーサードが微妙な表情をするのでそちらにはオレが対応しておく。

 

「オレを連れていくなら理子もオプションでつけろ。観光目的じゃなく、リアルにオレよりも有能だからな。盗みに関してはってのがいただけないが」

 

「確かに理子は俺や猿飛よりも堅牢な守りをどうにかする手段は持ってるな」

 

「…………ちっ。あんまゾロゾロと連れんのは柄じゃねェんだが、兄貴もそっち寄りなら仕方ねェ。だが本人の意思は尊重してやれ」

 

「金三のツンデレぇ」

 

 渋い顔をするジーサードだったが、オレも考えなしで理子を連れていきたいわけではないことを言えば、キンジも賛同したことで了承してくれ、かなめが最後に余計なことを言って胸ぐらを掴まれていたが、金三って……ゴールデン・サードからか? 直球すぎる。

 それから話も大体ではあるがまとまったので、明日には帰国するアリアは1度学園島に戻って準備を進め、オレと理子も外務省との対立がなくなったことで安心して学園島に戻れた。

 しかし学園島まで戻って、島にコレクションのバイクを返却した帰路。まだ自分の意思を主張してなかった理子が何を悩んでいるのかわからなかったので、言い出しっぺとして勝手にやった手前、聞かなきゃと思う。

 

「行きたくないのか、アメリカ」

 

「うーん……そういうことじゃないんだけど……てゆーか、キョーやんに言われて気づいたよ。お母さま達がこれを盗りに入った場所がエリア51だったんだなって」

 

「それに関しては理子より情報を持ってたってだけだし、気にすることでもないだろ」

 

「うん。まぁそれは置いといて。理子がバカ正直にオッケーって言わないのは……なんていうのかな……こう……頼りにされることへのプレッシャーってやつ。そういうの今まで感じたことなかったんだけどねぇ……京夜に頼りにされると、胸を張って任せろって無責任に言えなくなっちゃった」

 

 それで話を聞くと別にアメリカに行くこと自体には抵抗はないようだったが、らしくなく頼りにされることのプレッシャーで結果を気にしてると話す理子はなんだか気弱だ。

 まぁ無責任に出来ないことを出来ると言って「失敗しちゃったテヘペロッ」は確かに困るが、オレは出来ないことをしてと頼ってるわけでは決してないし、理子もそれはわかってる。

 プレッシャーとしてるのはおそらく『役に立てないことへの不安』だろう。

 

「んなプレッシャー、犬にでも食わせてこい」

 

「無理を言うなバカ。だって京夜があたしを頼った段階で、京夜の中であたしへの期待値ってのが確実にあるわけでしょ。それを下回る可能性って考えたら不安しかないって」

 

「期待値ねぇ……確かにこのくらいはってのが存在するけど、下回ったからってオレはなんとも思わんぞ」

 

「嘘はいけませんー」

 

 ――ぐににぃ!

 そんなこと気にするなと言いたいオレの言葉に対して、ネガティブからくる不安でポジティブを打ち消して頬をつねられる。

 だが理子の言うように言葉ではなんとでも言えてしまうし、人間がそれだけで不安を解消できるほど単純な生き物でもないのは自分でも経験済み。

 

「責任を負うのは依頼した側だろ。それに理子が精一杯の行動をして出た結果なら本当にオレはそれを責めるつもりはない。むしろ依頼人がオレだからって変に身構えられても、いつもの理子を頼ってるオレとしては、いつもと違う方が困るんだよ」

 

「……それはわかるけど……」

 

「……この前の欧州でオレは、ほぼ何をすればいいかとか、何をして欲しいとか言われることなく羽鳥のやつに連れ回されたんだよな。だからそこで見聞きしたもので自分なりに考えて行動して、個人の力ってやつの小ささを思い知った。羽鳥がオレに何を求めていたかは今も推測だけでわからないんだが……そうやってオレを頼ってきたのはさ、自分1人ではどうしようもなかったり、自分にはできない何かを補うためだってのはわかったよ」

 

 それでも何かを伝えるためには言葉は必要と思って、なかなか気持ちが上に向かない理子にこの前の欧州での話をしてやる。

 そこでオレは自分の力のなさを痛いほどに感じて、絶望にも似たものを感じた、そんな中でも自分にできることを必死に模索して行動した。

 その時に感じた不安や脱力感を理子はいま感じたくないと踏み留まってるんだ。なし崩し的に渦中に放り込まれたオレとは違って、踏み留まれるだけに悩んでる。

 

「…………何が言いたいんだろうなオレは……つまりだ。オレにはお前が必要なんだ。だから一緒に来い。それでオレを助けろ」

 

 不安なんてみんながいつだって抱えてるんだ。だからその大小にいちいち感情を上下させていたら疲れてしまう。

 だから今、理子が求めてるのだろう言葉を考えて言ってはみたが、なんか告白みたいになってしまってあれだった。

 理子も理子で言われてから目をパチクリさせてちょっと頬を赤らめると、何が嬉しいのか口角を釣り上げた笑みでオレを見る。

 

「そっか……キョーやんがそこまで言うなら行ってやらんでもないぞ。そんでファインプレーしたらほっぺにチューの追加報酬はもらいましょうか」

 

「それは断固拒否する」

 

「じゃあ、おでこにチューでも可で!」

 

「なに? おでこにピン?」

 

「それはデコピンじゃい!」

 

 結局は自分が役に立つかなんて確証を持てる人間はほぼいない。

 だからこそ不安は消えないし、行動の選択の正解もわからない。未来は不確定なんだ。

 だがその未来を明るくするために努力はできる。そのスタートラインに今、理子は立ってくれた。

 そうしていつもの理子になってくれてコントのようなやり取りもしたところで、女子寮の近くまで来たので理子とは一旦お別れ。

 オレも理子が行くことを決めたことでジーサードに連絡を入れてから教務科に寄って『海外行きの依頼』を受けた報告をしておき、出欠の方でも問題ないようにしておく。

 こうしないと無断欠席で留年もあり得る……と思ったが、進級に必要な出席日数と単位は取れてるはず。危ないのはキンジの方かもな。

 

「アメリカか……未踏の地だな」

 

 アメリカ行きは割と性急な明日。アリアも同じ頃にイギリスに発つとかなので、のんびりもしてられないが、このわずかな平穏を噛み締めて、戻ってこれるようにと願い帰路について出発の準備をしていった。



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Bullet126

 翌朝。しっかりと準備をして成田空港まで足を運んだオレと、元の金髪に染め直した理子は、ほぼ同じ時間にフライトになるらしいアリアにまずは挨拶をと思い、国際線を横断してかなり目立つピンク髪ツインテールを発見。

 向こうも近づいてくるオレ達に気づいてくれたが、そのアリアの横には見覚えのある低身長の女子生徒もいてあれ? と思う。間宮だ。

 

「なんだ、間宮に見送りさせてるのか」

 

「違うわ。あかりも連れてくのよ。みんなして『そっち側』だから付き添いにね」

 

「ははぁん。つまりアリアは寂しいわけですな? くふふっ」

 

「ああん? あんた達が余計な心配しないようにボディーガード代わりにするってだけでしょ! 変な飛躍しないで!」

 

「ま、まぁまぁアリア先輩……」

 

 その間宮の前だと無駄に先輩ぶるアリアはいつ見ても違和感があるのだが、煽る理子には耐性が低いために間宮が間に入って仲裁する図を見ると安心する。

 しかし戦妹とはいえ、1年をボディーガードにってのは大手を振って見送るには頼りないように見える。

 

「なぁ間宮」

 

「えっ? はいっ」

 

 だから勝手だが抜き打ちでボディーガードとして最低限使えるかを試すため、2人を仲裁してホッとした間宮に声をかけてオレの方に向かせると、寸止めはするつもりで目潰しを仕掛ける。

 ほとんど成功していた不意打ちではあったが、間宮はそれに反応したのかなんなのか「ひゃあっ!」と短く叫びつつ身を屈めて目潰しを避けた。

 

「はい75てーんっ」

 

「ぎにゃっ!?」

 

 しかし避け方が悪かったので追い打ちに繰り出したオレの右足の軽い蹴りが間宮の側面に入ってバランスを崩し右手が床についてしまう。左腕はしっかりガードに回したが……

 それ込みで点数に変化はなかったが、ちょっと驚くことに右足に仕込んでいたクナイの1つが間宮の左手に収まってこっちに向けていたので、衝突の瞬間に盗られたっぽい。

 

「な、なんですかいきなり!」

 

「んー、そこはかとなく同類の匂いが……だがまぁ、油断はするなってことで先輩からの餞別だ。ありがたく受け取れ」

 

「何でそんな偉そうなんですか……」

 

 とりあえずオレからの敵意がないと判断してクナイは返してくれた間宮だったが、オレの不意打ちには不満気な表情でムスッとした感じがあからさまだ。

 その様子を見ていたアリアがすかさずフォローに入って間宮の頭を撫でれば、それでもう機嫌が直った間宮はちょろすぎる。

 

「京夜のお眼鏡には叶ったかしら?」

 

「感情の起伏がアリアと同じで上下しすぎるけどな」

 

「ついでにぺったんこなのもおんなじぃ」

 

「2人とも風穴っ!」

 

 そうしたアリアの問いかけに肯定と取れる返事をしてちょっとだけ笑みを見せつつ、横から理子が余計なことを言うのでまた沸点の低いアリアがガバメントに手をかけたところで理子はいち早くオレをブラインドにして逃げ去っていき、オレもなだめつつ退散の構えを取る。

 

「あっ。メヌに会ったらまず嫌味を言われるだろうけど、許してやってくれ。姉より先に手に入れて嬉しいだけだろうから」

 

「はっ? 京夜あんたまさか、メヌともう会って……」

 

「こっちはこっちで成果を上げてくる。だからお前も結果で示せ」

 

 退散ついでに言及を避けるようにメヌエットのことに触れて、友達云々でドヤ顔しそうなあの子への注意をしつつ真面目な話でボカす。

 タイミングを外されたアリアは何か聞きたげだったが、それより先に離れてしまい、交代するようにキンジとかなめが来ていたので好都合とばかりにキンジの肩に手で触れてすれ違い、今度はジーサード達と合流するためにロビーを移動。

 その途中で待っていた理子に追いついて並んで歩くが、さっきの間宮とのやり取りを見ていた理子に「隠し装備はチェックで引っ掛かるからやめておきなよ」とマジな指摘を受けてしまった。右腕がこれだからその辺を素で忘れてた……

 

「昨日はサンキューな、レキ」

 

「いえ。私は私の仕事をしただけですから」

 

 探せばすぐに見つけられるジーサード一味は本当にすぐ見つかったので、挨拶も交えて合流すると、何故か聞いてないレキの姿があったので昨日の作戦でフォローしてもらった礼から会話にするが、相変わらずなレキ。

 

「レキも行くのか」

 

「はい。風がそうしろと」

 

「風が? 瑠瑠色金と会いたがってるのか?」

 

「はい」

 

 自然な流れで同行するような感じのレキの理由を聞き出すと、先日は音沙汰なしだった風。璃璃色金が久しぶりに命令してきたようで、その変化は何かの予兆にも見える。

 

「風は他に何か言ってたか?」

 

「いえ。ただ風はこれから行く先にいる存在に会いたがっている」

 

「…………わかった。やっぱり一方的な通信は不便だな」

 

 その変化について言及したいところではあるが、レキと璃璃色金の相互間通信が一方通行なのは以前に聞いていたので期待はしてなかった。

 こればかりは仕方ないので諦めるしかないが、ここからの行動は確実に影響を及ぼすことはほぼ確定したことになる。

 つまりレキを瑠瑠色金のところに連れていくことが今回の作戦に追加されたということ。レキ自体が戦力として使えるからマイナスにもならん。

 

「んで、そっちは結局2人かよ?」

 

「多けりゃ良いってもんでもないだろ」

 

「つーかよォ。昨日には聞いたが、俺はお前を使うために誘ったんだぜ? それなのに……」

 

「なに言ってんだ。ちゃんと使われてやってるだろ。それがお前の意に沿わなかっただけでむくれるな。子供か」

 

 レキとの会話を終えてから、何やら不機嫌なジーサードが絡んできたが、その理由が子供だったので面倒臭いとか思いつつ、レキにキャッキャと話しかけていた理子の頭をポンポン叩いて移動することを伝える。

 そんなオレと理子を見送ったジーサードは舌打ちなんてしていたが、アトラスとコリンズがフォローしてるようなしてないようなな対応でなだめてるのが見えてちょっとクスリとする。あれでリーダーとか笑うなってのが無理だわな。

 それでも戦えばオレなんて瞬殺される自信があるので、その笑いは見られてはいけないのだ。

 

「だがどうしてこうなった……」

 

「それはキョーやんと理子の新婚旅行も兼ねてますからな」

 

 というわけでジーサード一味とは別れて飛行機に乗り込んだオレと理子は、ニューヨークに行くとか言っていたジーサード達とは別行動でアメリカに入る。

 その理由は昨日に理子からの提案があってのことで、ジーサード側の了承も一応は得ている。が、あのジーサードの態度からも不本意だ。

 それで別行動の理由だが、これは考えれば至極当然の流れでもあって、1度はエリア51への突撃をかまして失敗してるジーサード一味は、その性格を知ってるアメリカなら懲りずにまた攻めてくると予測できてるはず。

 そんなすでにマークされてるジーサードについて『味方ですよー』とアピールしたところでバカなのだ。

 聞くところによると相手にはマッシュ・ルーズベルトとかいう同類の人工天才がいるとかで、先端科学兵装を用いるジーサード達より上の超先端科学兵装(トランサンデ・エンジェ)を用いてる化け物。

 まぁあのジーサードが撤退を余儀なくされてる時点でぶっ飛んでるのは予測済みだが、そんな相手に正面からぶつかれるのは超人連中だけ。

 

「向こうに着いたら昼夜逆転する時差だから寝とけよ」

 

「おっす。キョーやんの肩をお借りしてもよろしいですか」

 

「体勢的にキツいだろ。普通に寝ろ」

 

 だからこそ別行動は活きてくる。

 ジーサード達が派手に突撃をかまして注目を集めてる間に、オレと理子は別ルートからエリア51を目指して中の瑠瑠色金を奪取する。

 言うは易しで実際にはそんなアホみたいなことが可能なのかはやる前からわかるのだが、無謀に見える中にも不可能ではない可能性があるから、やる前に諦める選択はない。

 そんなオレと理子がまず目指すアメリカの地は、誰でも知ってるカジノの聖地ラスベガス。

 直通では行けないのでサンフランシスコを経由して到着の予定だが、その時差は15時間ほど。

 フライト時間もそのくらいなので日本を出発した頃と同じ時間に到着するので、昼夜がほぼ逆転して時差ボケにやられるため、理子にも注意はしておくのだが、こいつの方が海外慣れしてるから余裕が見える。

 目的地にラスベガスを選んだのは理子だが、ジーサードの援護を受けないという選択をしたのでその準備にも現地調達が必要。

 そのための資金稼ぎも兼ねてラスベガス。しかもネバダ州南部に位置するラスベガスからエリア51は目と鼻の先なので偵察もある程度はできそう。

 距離にすれば直線で約200キロあるが、東京から静岡の浜松までと考えればまぁ、遠くはない。遠いけど。100キロ出しても2時間かかるし。

 

「エリア51って周りが乾燥地帯だよな」

 

「乾燥地帯なのは確かだけど、言っても山間部だから意外と高低差とかそういうの多くて見晴らしが良いとかはないよ」

 

「そうなのか。だったら近づくのも希望的……」

 

「一応は機密の多いとこだから、簡単ってことは全然ないよ? 車とかで近づける限界はあるだろうし、『上』からなら高低差なんてないようなもんだし」

 

 知識としては色々と入れたものの、実際に見たことはないオレが小声で理子に質問をぶつけるが、本当に見たことあるかのように答える理子には少々驚かされる。行ったことあるわけないのにな……

 だが言ってることは確かにそうなので、案外いけるかもとか簡単に思った自分を呪いつつ、そろそろフライトから3時間ほどは経ったので、逆算から寝た方が良いと判断して話し足りなさそうな理子を無理矢理寝かしつけてオレも眠りに就いたのだった。

 

「さすがに半日以上の時差あると不思議な感覚だな……」

 

「ねー。実質日付も時間も変わんないし」

 

 そうしてサンフランシスコ国際空港を経由して降り立ったラスベガスはまだまだこれから1日が始まるという朝。

 こっちは朝に出発してようやく1日が終わるくらいの感覚のために、その現実的な時差は精神的にくるものがある。

 だが切り替えは大事なので時間をこっちのに合わせて空港を出たオレと理子がまず目指したのは、数日の拠点となるホテル。

 有事の際に迅速さが損なわれるのはあれなので、仕方なく。仕方なく部屋は一緒でチェックインし、設定も新婚夫婦にはしておいたが、調子に乗せると底が知れないので絶対順守のルールを設けて――まぁヒルダもいるのだが――おきつつ、ホテルに併設されたカジノに行くためにお着替え。

 別にカジノにはドレスコードはないし、案外ラフな格好で出入りする人もいるのだが、オレと理子はそういう格好をすると年齢が浮き彫りになるため却下なのだ。

 そもそもとしてカジノには21歳未満の人は入れない決まりがあり、それがバレたら稼ぎは没収となる。

 だからチェックインの段階で新婚夫婦の設定があるわけで、身分証明のあれこれも理子がこしらえたやつを使う予定。怪盗さんはこの辺でも役に立つ。

 

「こんなもんでオッケーっしょ」

 

 それでオレも右腕の処置も最低限にし隠した上からタキシードに着替えて、見た目はまぁ良いかなと鏡で確認していたら、洗面室の方で着替えていた理子が出てきてお披露目。

 どこか子供っぽかったツーサイドアップの髪は後ろでまとめて持ち上げてキャバ壌っぽいイメージ。

 耳に真珠のイヤリングもつけて化粧も盛りすぎないながら理子を女にしている。

 ドレスは真っ赤なタイトなもので、背中はパックリ開いた結構なエロさ。レースの手袋もなかなか様になっている。

 靴もドレスに合わせて赤のピンヒールで身長をちょっと上乗せし、ネックの低身長もギリギリとは思うがカバーしている。

 正直に言って隣を歩いてほしい女としては申し分ないレベルで、元から女子力の高い理子だからこその仕上がりにはビックリさせられる。

 

「な、何さ。何か言ってよ」

 

「ん……いや……子供目線かもしれんが、凄く色っぽいぞ」

 

「あ……ぐっ……も……あぅ……」

 

 割と軽い感じで出てきたから、オレも軽い感じで感想を述べるべきところだったが、タイミングを逸してしまって理子に言われてからぎこちない感想を口にしてしまう。

 そのぎこちなさが悪かったのか理子も言葉に詰まって恥ずかしそうにうつむいてしまった。ぐはぁ! この空気はヤバい……

 2人して微妙な空気を作ってしまって次の言葉が出てこないあれな感じになってしまった沈黙の時間。

 軽くいこうとした理子の流れに乗れなかったオレが悪いので上手い切り替えをしようと口を開きかけたが、その前に理子の後ろから「おほほほほっ」とか言いながらヒルダが影から出てきて微妙な空気をブレイク。

 

「お前はダメな男ねサルトビ。女を褒める時に言葉を詰まらせてはダメよ。見て感じたものを吟味して女が喜ぶ言葉を選んで口にする。それが自然にできる男とできない男では雲泥の差があるわ」

 

 出てくるなり偉そうに上からものを言ってくるヒルダにはムカッとくるが、言ってることはなんか正しい気もするので黙って飲み込む。

 そうしたヒルダの出現で理子も持ち直して、キャラ作りを始めたのか落ち着いた雰囲気を纏って「じゃあヒルダのことも褒めてあげて」と言うもんだから、いつものゴスロリ衣装で代わり映えはしないヒルダも自分に降りかかろうとは思ってなかったのかちょっと慌てる。

 その反応にさっきのムカッとをぶつけるため、わざわざヒルダの耳元にまで行ってささやくようにしてこれでもかというくらい褒めちぎってやると、急なことで顔を真っ赤にして洗面室に逃げ込んでしまったのだった。

 

「じゃあ行きましょう、あなた」

 

「あんまりはしゃぎすぎるなよ」

 

 そんなヒルダはいざ部屋を出るとなればまた理子の影に潜ってしまってついてくる気満々だったことに2人して苦笑しつつ、部屋を出てから夫婦の設定を押してエスコートしろと目で訴えてくる。

 仲の良さは言葉じゃなく空気で周りに伝わるので、仕方なく左腕にスペースを空けて理子の右腕を受け入れ、そのままカジノへ直行。

 理子の用意した偽造の証明でカジノ入りを難なくパスし、そこからはとりあえず個別でゲームに参加して資金稼ぎ。

 ここでコケると資金稼ぎどころかジリ貧になるが、こういう賭け事は何故か強いオレと理子は退き時さえ見極めればそこそこプラスの収支にできる。

 理子はその辺バカなので、ビッグチャンスがくると迷わずゴーするのを止めてやる必要はあるが、そうなるタイミングがなきゃ堅実だから、手元が心許ない初期段階は放置でいい。

 

「さて、オレはどうするか……」

 

 理子は頼りになるが頼りすぎもあれなのでオレもオレで稼げるなら稼いでおくに越したことはないので、理子の惨敗も視野に入れて手堅く稼ごうとウロウロして、辿り着いたのはルーレット。

 ルーレットはポーカーやブラックジャックといったカードゲームほど運要素が強くなく、賭け方によって最悪でもほぼ2択で2倍の配当がされる。

 連敗さえしなければいいので手堅さではカジノ随一かもしれないそのルーレットの席に着いたオレは、早速チップに替えてゲームに参加する。

 ルーレットは大まかに高配当だが当たる確率の低いインサイド・ベットと低配当でも当たる確率の高いアウトサイド・ベットがあり、まずは手堅くアウトサイド・ベットの赤か黒の2択からベットする。

 それを何ゲームかこなしつつ、ルーレットを回すディーラーにも注目して玉の入りを観察。これが意外と馬鹿にできない重要なポイントだが、注目する人間は相当なガチ具合だろうな。

 まぁそのガチの1人になるオレもディーラーにそう思われないように勝ったり負けたりの娯楽観光者に見せてルーレットの傾向を分析。

 できるディーラーは狙った番号やそこに近いポケットに入れるといった神業的なこともできるとかいうので、意図的にビッグチャンスで稼ぐのは1度きりといったところか。

 ルーレットでは賭け時間が玉を投げ入れてからディーラーがコールするまでの間のため、素早いベットも求められるが、こういう時に右腕が使い物にならないのはちょっと痛い。ほぼ両利きだからいいんだけど、元々が右利きだしな。信頼感が違ってくる。

 

「ずいぶんチキンなボーイだな」

 

 そんなこんなで手元が減らないように地味にチャンスを待っていたら、横にいた客にちまちま稼いでるなと英語で暗に言われてしまい、他の客からも苦笑をもらう羽目に。

 別にそんなことで腹を立てるほど沸点も低くないオレではあったが、丁度そろそろ仕掛けてもいいかもなと思ってたので、バカな客を装いつつ乗ってやる。

 

「なら次はビッグな夢を見させてもらう」

 

 煽られたから大勝負に出たように見せる言葉を英語で返してやり、それに周りもちょっと盛り上がる中、いいカモだなとか思ってそうなディーラーにもわかりやすく頭に血が昇ったように見せて今のゲームの配当を終える。

 そしてここからオレが集めた情報から1度きりの『3分の1の勝ち確定勝負』に挑む。

 ここまでのディーラーのくせとルーレットの結果から、ルーレットの盤。ウィールの回転とディーラーの玉の入れるタイミングがほぼ同一であることから、その結果の誤差が狙った番号の前後1つ分しかないのも判明していたので、ここ1番の集中力を発揮してウィールの回転と玉の入るタイミングを動体視力で追う。

 そこからディーラーが入れたい番号を特定し、そこと隣り合う2つの数字にも素早く同じ枚数でストレート・アップでベット。これが勝ち確定の3択。2つが外れでも配当は36倍。圧倒的なプラス収支だ。

 その瞬間にディーラーが焦ったような表情をしてベットを締め切ったが、ルーレットは回ったらもう結果は変わらない。

 

「悪いな。運はオレに味方したらしい」

 

 悔しそうに配当してくれたディーラーと拍手喝采する客に別れを告げて席を立ったオレは、たぶんこれ以上は稼ごうとすると散財すると踏んで撤退の構えにしつつ、理子を探して右往左往したら、やたらと盛り上がってるテーブルを発見しギャラリーをかき分けて見ると、いた。

 騒ぎの中心にいたドヤ顔の理子は、それでもいつものお転婆な部分を引っ込めてクールビューティーでいこうと頑張ってる感じの雰囲気でブラックジャックをやっていて、手元を見ると……だいぶやっちゃってるなコイツ……考えなしに勝ってるぞ。

 

「次も私が勝たせてもらうよ」

 

 すまし顔で勝利宣言する理子はこの上なく調子に乗ってたので、上げてから落とすカジノの落とし穴に落っこちる前にゲーム開始前に割り込んで理子を引っこ抜き撤退。

 完全に目的を忘れてました的なテヘペロッ、をした理子には軽めのチョップをくれてやってから、互いに稼いだチップを換金してカジノをあとにする。

 今回はまぁ上手くいったが、人生そんなに甘くないので、今後は気安くカジノで稼ごうとか思わないでおこう。最初で最後くらいの気持ちでいないとな。

 何はともあれ資金はある程度は稼いだ。やっとアメリカでのスタートラインに立ったってところだし、ここからが本番。



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Bullet127

 辿り着いたアメリカの地でまず資金稼ぎをカジノでしたオレと理子は、2人合わせて60倍くらいにはしたので、資金面では少し余裕ができた。

 次はその資金で必要なものを調達するためにまた着替えて外出。

 カジノには4時間ほどいたので、時間的には昼を少し回った頃ということもあり、ついでに昼食しつつで計画的に資金のやりくりを相談。

 

「まずは足だよねぇ」

 

「偵察も早めに行かなきゃだし、あっちともタイミングを合わせる都合、時間的猶予はないな」

 

「うーん。問題はいくつかあるけど、やっぱり敷地に入るまでが関門かも。物理的に近づくのが無理ゲー」

 

 アメリカらしくハンバーガーにありつきながら、エリア51侵入作戦を割と堂々と話し合うが、日本語だしシリアスな雰囲気もなしで周りからは観光程度にしか思われてない。

 実際の問題として敷地にさえ入れれば、牛歩ではあるがなんとかなる算段はあるオレと理子なのだが、その段階に行くまでにつまずいているのが現状。

 

「あっちから餞別で『便利品』はレンタルできたが、あれも敷地内用だしな」

 

「いっそ滑空で突撃してみたりとか」

 

「隠密の意味をもう1度よく考えようか」

 

 山間部にあるということで周りに何もないという隠密性を無に帰す敷地はオレや理子を殺すには十分すぎて笑えてくるが、どうにかしないといけないので冗談を言う理子を正して改めて思案。

 それでも出てこないものはポンとは出てこないので、昼食を終えてからは片付けられるものから片付けることにして、パパッと車を購入し、それを足に各々で必要そうなものを買い揃えていった。

 

「キョーやん……女子力高ぇ……」

 

「これは女子力なのか?」

 

 今のところで必要なものを買い揃えて夕方頃にホテルへと戻って早速それぞれで準備の段階に入ろうと自分の陣地を展開したところ、機械系の理子とは違って、オレはこの作戦用に用意しなきゃならない服をこしらえるためにソーイングセットと布類を広げた。

 そうしたら理子のやつが不思議なボケをかますので、やんわりツッコミつつ今回持ち込む装備が無駄なく身に付けられるようにイメージを固めながら元の服に縫い合わせていく。

 隠密行動用なので、基本的に『見つからない』を前提にするため、布擦れによる音やら装備品のガッチャガッチャ鳴る音を最小限に留める縫い合わせは割とぴっちりでやらないといけない。

 だからオレの分はいいのだが、理子の分は測らないとダメなので、理子の方が一段落してから元の服を着てもらって色々とサイズを測らせてもらう。

 が、オレがやろうとすると「にゃんっ」とか「ひゃんっ」とか嫌な悲鳴を上げるので、イラッとしたからゲンコツを1発くれてやってからヒルダに丸投げする。最初からこうすれば良かった。

 

「そういや中のセキュリティーが謎だが、そこはどうするんだ?」

 

「キョーやん人任せ過ぎるんだけど……ちゃんと策はあるから」

 

 理子がサイズを取られてる間に手も動かしながらいじってた機材を見るが、赤外線ゴーグルを小型化してたり、噴射式のスプレー缶みたいなものに得体の知れないガスを充填してたり、小型の爆弾まで作ってるようだが、電子系のセキュリティー対策がいまいちに感じる。

 それでも割と自信がある理子の言葉にとりあえずは安心しておくが、現地で何するかわからないのは困るので後で装備について詳しく説明してもらうか。

 というよりその装備を収納する服をオレが作ってるんだから聞かなきゃダメだった。

 そこから今夜は理子の要望に応えて服を仕立ててやって、睡眠も大事とか言いながらベッドに誘ってくる理子にヒルダを押しつけてワイヤーで縛り上げて黙らせ、もう1つのベッドで横になるのだった。

 

「騒ぐだけ騒いで静かに寝るんだよなぁ……」

 

 理子の嘘泣きとヒルダの罵声をBGMに心地よく眠れたオレが、自然と目が覚めて体を起こしてみると、ワイヤー自体は少し緩めにしていたこともあって2人とも抜け出して隣のベッドで仲良く寝ていた。

 いつもの理子ならワイヤーを抜け出た段階でオレのベッドに乗り込んでこようものだが、オレが不穏な気配に敏感なのを散々わからせてきたことと、チェックインの時にベッドへの侵入禁止も言っていたからな。

 それから一緒にいるからこそわかるが、理子はたまに有り余る元気を無駄に放出して自分をコントロールしていることがあり、こうやって地味なことをやったりするとその傾向が強くなる。

 だから昨夜のも本気であれこれ言ってやってたわけではないのはわかってたからヒルダに付き合わせたのだが、やはり理子の相手はエネルギー消費がハンパないらしく、夜型のヒルダがこの有り様。

 おそらくは起きてくればまたリセットされて適度な元気の理子が復活するが、それならオレも相手してやれる。ヒルダ様に感謝。

 

「んん……ふぁあ……」

 

 そんな黙ってれば壮絶に可愛い生物はオレが起きてから1時間ほどでのんびり起きてきて、完全に覚醒していたオレに見られてるのに気づいてよだれやらを拭って顔を洗いに行くと、それで切り替えていつもの理子になって朝食にしようと言い出し、まだ寝ているヒルダを放置して2人で朝食タイム。

 

「今日は見学に行ってくるぞ」

 

「おっす。そのために望遠鏡も買ったしね」

 

「今回の見学だけに使うには勿体ないくらいに高いのをな……」

 

 ジーサード達とは繋がりを匂わせないためにこっちに来てからは連絡を取らない決まりがあったので、向こうの動きを把握する意味でもエリア51への偵察は必要だった。

 あとはこの偵察でエリア51への侵入の糸口を掴まなきゃ、瑠瑠色金の入手など夢物語に終わる。

 

「一応、徒歩での接近も考慮しちゃいるが、そうなると何キロ歩くんだっけ?」

 

「だいたい30キロ以上とかになるかなぁって感じ」

 

「時速5キロ出しても6時間か……辿り着いてもそこまでの消耗が馬鹿にならないな……」

 

 最悪、徒歩ならジーサードからの餞別を使えば不可能ではない接近なのだが、食料とかそういうのを持っていく余力というか、無駄になるものは荷物として機動力を削ぐので却下の流れとしては長時間の移動は避けたいところ。

 出来るならパパッと近づいてパパッと敷地内に侵入してしまうのが望ましいが、それこそ言うは易しだ。

 実際には航空写真にも撮られるだろうし、接近を目視されれば門前払いで終了。

 とにかく偵察に行くのは確定事項なので、朝食を終えてから1度ホテルへと戻って、1人にされていじけていたヒルダも連れ出して改めて出発。

 この偵察でやれることは2つ。

 まずは施設外周の侵入経路が存在するかの確認。これがなきゃ多少の強行策は練らなきゃならないため、リスクの大小が変わってくる。

 そして重要な車での接近がどこまで行けるのか。これによって当日のオレ達の行動が緻密に逆算されることになる。

 ラスベガスを抜けて北西に進路を取り、エリア51までの道を何もない景色の中で黙々と進む。

 

「よく考えたらさ、望遠鏡でも2、3キロは近づかなきゃ使えないよな」

 

「そりゃ倍率の問題とかあるしねぇ。200倍でも2キロ先のものを拡大できる程度でしかないから」

 

「そこまで近づいたらアウトだよな」

 

「別にアウトでいいんだよ。そのために変装してきたんだからねんっ」

 

 そこでふと思った疑問に平然と答えた理子の言う通り、現在オレと理子は特殊なフェイスマスクとカツラを被って変装中。

 これは向こうさんに1度はバレてもいいようにとした保険のつもりだったのだが、理子は始めから見つかる前提でしていたらしく、望遠鏡はつまり向こうから警告に来るまでの距離を稼ぎながら敷地の周りを探る道具なのだ。

 

「ってことは戻ったら車も買い替えか」

 

「そだね。だから安物にしたんだけど、売って新車の足しにするから壊さないでよ」

 

「運転してんのはお前だろ」

 

 そうとわかれば今はビクビクしなくていいのだから、変に保っていた緊張感をなくしてまだ影も形も見えないエリア51までの道のりをのんびりと過ごすのだった。

 片道が約200キロの道のりはなかなか暇で、オレよりも飽きやすい理子なんて1時間も運転してたら交代を進言してきて、色々と役に立ってるので多少のわがままはと許容して運転を交代。

 したらしたで隣で携帯ゲームを始めるは、往復分の食料を考えなしに食べたりと好き勝手やるので、マジで1度だけ車から放り出して置いていくという究極のボケをかましてやったら、それ以降は体育座りでちょこんとしてくれた。

 

「おっし。ここから速さ勝負だな」

 

「おっしゃあ! ばっちこいや!」

 

 それでもいつまでもちょこんとされていては困るので、エリア51まで残り10キロを切っただろう頃にスイッチを切り替えて、理子には望遠鏡を用意してもらうが、直径30センチというビッグサイズのレンズを持つ望遠鏡は理子が押し潰されてしまっていた。

 まともに持てないので助手席を倒してヒルダも協力して前を向く形で構えるが、ヒルダが望遠鏡の下敷きにされて高さ調整してる様が可哀想になる。端から見てたらコントにしか見えん。

 

「キョーやんキョーやん。高さ意識して。平地だとレンズに入りづらいから」

 

「高いとこ行けってか。見渡し良くないとダメなのはわかるが、道を逸れるぞ」

 

「だいじょぶだいじょぶ。これあれば誤魔化せるから」

 

 ヒルダのちょっと苦しそうな声が車内に響く中でもノーリアクションで行動するオレと理子はなかなかにシュールだが、ここまで道のような道じゃないようなところ――長く使うとタイヤの跡とかで道っぽくなる砂利道だ――を走ってたのを進路変更して横の小高い丘の方に登っていく。

 しかしオフロード用でもない車では傾斜や凹凸でガッタガタなのでその度に望遠鏡の下敷きにされてるヒルダがゴッスンゴッスン酷い目に遭ってしまい、再生能力持ちとはいえあまりにも可哀想なのでなるべく揺れないように丘の頂上を目指した。

 

「よっと。見え……るな。どうだ?」

 

「ちょおっと待ってねぇ……倍率合わせて……ヒルダ、もうちょっと持ち上げて……ストップ」

 

 そうしてヒルダという尊い犠牲――本人はピンピンしてる――を払って丘の頂上に車を止めて、目視でうっすらエリア51らしきものを確認したオレは、すぐにピントを合わせた理子と顔を入れ替えて覗き込む。

 ここで外に出て望遠鏡を使う方が良いのだが、どこでどう見られてるかわからないので視認されるようなことは避ける。

 そのせいで視界はやや悪いが、敷地の周囲はなんとか確認することができ、そこから侵入できそうなルートを急いで探す。

 

「外周ならなんとか……かな。ほい交代」

 

「よっしゃ! えっとえっとぉ……」

 

 本当に細かいところまでは不明だが、2ルートほど理子込みでも侵入可能な箇所を見つけたので、第一関門は突破。

 次は建物内部への侵入を担当する理子がルート検索のために望遠鏡を覗き込み、あそこはダメ、あそこもダメとポイントを転々としていく。

 オレよりも難易度が高いだけに理子のルート検索は時間がかかるが、その間に「やっべ。尖兵出撃ですわ」とか言うので、どうやらオレ達はもう発見された模様。

 

「ねぇねぇキョーやん。キョーやんのスパスパブレードって鉄も切れるよね?」

 

「単分子振動刀な。ちょっと音が鳴るから使うのは控えた方がいいぞ」

 

「うん。よし。あとはヒルダが手伝えばなんとか……完了でっす!」

 

 時間的猶予もなくなったので理子も多少の強引さも考慮したルートを探したようで、オレの単分子振動刀とヒルダの助力とでどうにか突破できるルートを確保した。詳しくは後で聞くが、鉄は厚さによるぞ。

 とにかく最低限の調査は終えたので、急いで丘を降りて本来のルートへと戻り、今度は打ち合わせた通りにエリア51へと普通に近づいていって、向こうから来た軍の車によって引き止められる。

 当然ながら銃を向けられて警戒されるのだが、そこは理子が事前に用意していた紙とペンで「観光しに来て星の観察をしに来た」とカンペを作り軍人に見せる。

 一応、英語の苦手な日本人観光客という設定なので、ついでにあまり英語がわからないと書き足してもいたが、身分証明を促されて確認が取れたところで初めて銃を下ろしてくれる。

 そしてカンペに軍人が「ここから先は立ち入り禁止区域だから進んじゃダメだよ」と書いてくれて、それをわざとらしく携帯の辞書で翻訳してオレとほんわかと会話してから「オッケー」と笑顔で返して事なきを得る。

 それから車をUターンして軍人に怪しまれないようにラスベガスへとまっすぐに戻っていった。

 往復でだいたい7時間はかけてラスベガスへと戻ってきたオレ達は、以降は使わないだろう望遠鏡を売りさばき、素性のバレた車も売却。

 次の足となる車を別の店で買おうと移動をしつつ、今日の夕食をどこにするかと目移りもしていた。

 

「んお? なーんか不穏な空気をビビッと」

 

「不穏っていうか、不吉な予感だな」

 

 そうやって意識を外側に向けていたからか、周りの変化に敏感になっていたオレと理子がほぼ同時にそれに気づく。

 進行方向の先の交差点の左の通路の方で不自然な渋滞が発生していて、道行く人の流れも野次馬のそれに似ていたことから事故でもあったのだろうとすぐにわかった。

 作戦行動前なので警察とか救急とかとこんにちはしたくなかったのでスルーしようと思ったが、野次馬根性たくましい理子が「事件だブーンっ」とか楽しそうに走っていってしまったので、仕方なくオレも野次馬になろうと理子のあとを追った。

 その先ではやはり事故が起きていて、かなり大型のトレーラーが道を完全に塞ぐ形で横転し、その横転に何台かの車も巻き込まれてボコボコになってたりしていた。

 

「死人が出てなきゃいいが」

 

「これで死人いなかったら凄いっすよ兄貴」

 

「兄貴って何だ」

 

 事故は割とさっきのようでまだ警察や救急も駆けつけていなかったが、よく見ればすでにあの惨事の中で救助に動いている人が数人いて、その中でも特に大声で指示する女性はテキパキとした手際で重傷者の手当てをする。

 その手際は専門のそれと同じかそれ以上のものだったので、たまたま居合わせた医者かなと思って見ていたら、なんか……見覚えがあるな。

 

「…………あー、理子。あの中に行ってもいいか」

 

「それはダメっすよ兄貴。あとで警察に状況説明とかめんどいっすよ」

 

「だがなぁ……行かないと後が怖い」

 

 このまま野次馬でいることももちろんできるのだろうが、それをしてもしも向こうが気づいていたらと考えた時のオレの血の引き様は理子に伝わらなかったが、止めても行くのだろうことは伝わって一緒に野次馬の中から抜け出て事故現場の中に入っていった。

 

「お手伝いしますよ」

 

 相手がわかってるので近づいたのと同時に日本語で処置をする女性に声をかけると、女性は日本語ということもあって処置の合間にオレの顔をチラッと見て、処置に戻って2度見する。

 

「……何してはりますのや?」

 

「それはこっちが聞きたいですけどね」

 

「んおー! 誰かと思ったらまゆちんかー!」

 

「……誰やと思たら、いつかのゲテモノ着物を着ようとしとったバカ娘どすか」

 

 向こうもまさかアメリカでオレ達に会うとは思ってなかったのか、ちょっとした心の揺れみたいなものを見せてくれたが、状況が状況なのですぐに切り替えて現場のリーダーをしてくれてる薬師寺眞弓さんの指示に従って他の人に応急処置を施していった。

 

「相変わらず凄すぎてよくわからん……」

 

「超人だよあれ……Sランクじゃなきゃ納得しないね」

 

 その眞弓さんの凄さは目の当たりにすれば圧巻の一言。

 自分でも難しい処置をしながら、オレ達が診てる人への適切な処置を指示して、さらに救急が到着してからは1人1人のバイタルと怪我の詳細を説明して搬送と病院での処置をスムーズにさせていたのだ。

 その圧倒的な実力に人を誉め称えることはあまりしない理子でさえマジなコメントをする始末。

 結果として現場での確定的な死者はゼロ。運も味方しただろうが、眞弓さんがいたから助かった命も確実にあっただろう。

 その後の警察への事情聴取も事故を目撃していた眞弓さんが事細かに説明してくれたのでオレ達への聴取はされず何事もなく解放されると、一仕事終えてもケロッとしてる眞弓さんはいつもの表情のわかりにくい線目でオレと理子を見る。

 

「立ち話もなんやし、とりあえず移動しましょか」

 

 そんな眞弓さんに唖然としていたオレ達の内心を知ってか知らずか、とにかくまずは落ち着こうかと懐から扇子を取り出して広げ扇いでみせたのだった。

 眞弓さんの言う通りに近くのフード店に入って改めて話をする形を取ると、その前に誰かに連絡をしていた眞弓さんは、その相手が到着するまで待つように言って沈黙してしまった。が、聞きたいことは聞いておこう。

 

「あの、眞弓さんっていつの間に海外に出れるようになったんです?」

 

「はて、いつやったかなぁ……去年のような、一昨年のような……今年やったかもしれまへん」

 

 まず気になったのは眞弓さんがアメリカにいるという軽い衝撃。

 実は眞弓さんは昔に、やんごとなき事情で日本国外に出ることを家から止められていたのだ。

 オレの知る限りではまだその制限は解除されてないと思っていたのだが、今ここにいるということはそんなこともなかったということ。

 しかも答え方がまた眞弓さんらしく謎。

 

「まぁ京夜はんがどうしても知りたい言うなら、教えてあげへんこともありまへんが、そこまで重要なことどすか?」

 

「いえ、些細なことでした。海外再進出、おめでとうございます」

 

「……おおきに」

 

 理子からすればキョトンとしてしまう意味がわからない会話だったが、こうして眞弓さんがアメリカにいるということの感動はおそらく、オレと雅さんくらいしか共感できないことなので仕方ない。

 そうした眞弓さんの事情はさておき、今度はどうしてアメリカにいるのかを尋ねようとしたら、ちょうど眞弓さんが呼び出した人物が店に来てぴょこぴょこと近寄って「わおっ!」とオレと理子を見てアメリカンなリアクション。日本人だけど。

 

「京くんじゃーあーりませんかー」

 

「また懐かしい呼び方を」

 

「あれぇ? みやっちも来てたんだ」

 

「私と眞弓はセットやからなぁ」

 

「ウチはこれのお守りどす」

 

「えー、逆やと思うけど?」

 

 在学時に聞いたような呼び方に懐かしさを覚えつつ、眞弓さんがいるならもしかしたらと思っていた雅さんの登場には、少々納得したところがある。

 おそらく月華美迅はこの2人だけがアメリカに来ていることはこれでわかったが、この2人が出張ってきたことにちょっとした恐怖を感じながらも、やはり聞かなきゃならないかと口を開いた。

 

「それで、お2人はどうしてアメリカに?」

 

「まぁ話せば長なりますが……」



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Bullet128

 

 エリア51の偵察を終えてラスベガスに戻ったら、まさかの眞弓さんと雅さんと遭遇。

 2人にしては割とオープンな感じの雰囲気でアメリカにいる理由についてを話そうとしてくれる。

 

「京夜はんはもう知ってはると思いますけど、この雅は『とある契約』で武偵ランクを下げられとります」

 

「それはまぁ……そもそもの原因はオレの言動からですし……」

 

「そやで。京くんがあん時に提案してくれなかったら、今頃はミッちゃんにミッチャミチャにされとったからな」

 

「挽き肉にされてるみたいな擬音だね……」

 

 その前に前置きとして雅さんの武偵ランクに関しての話から入った眞弓さんだが、その話は耳が痛い。

 京都武偵高にいた頃に遊び感覚で武偵庁のサーバーにクラッキングしていた雅さんをどうにかするためにオレがちょっとだけ口出しした結果。武偵ランクをBに留める代わりにサーバーへのクラッキングを黙認しセキュリティー強化への協力を認められているのだ。

 本来なら雅さんはその能力でSランクは余裕なのだが、そうした契約のせいで世間的にはどこにでもいるありふれた武偵の1人という扱い。

 これには恩師であるミッちゃん。夏目美郷(なつめみさと)先生が頭を抱えていたのを今でも覚えている。

 

「夏目先生にミッチャミチャにされるのは別にいいんですけど」

 

「いやいや、良くないやろ!」

 

「雅、やかましいどす」

 

「その雅さんの話がどうアメリカと繋がるんですか?」

 

「今の雅の話は知る人ぞ知るところの裏取引みたいな側面があります。それをどう嗅ぎ付けたのか、えらい評価した変わり者がこっちにおりましてな。その手腕を買って対談とついでに電脳戦したい言うバカを懲らしめに来たっちゅうことです」

 

 そんな物好きがいてもおかしくないと思えるアメリカの国柄には苦笑しかないが、日本でも屈指のコンピュータ技術を隠し持つ雅さんを見つけて招いたそいつも、雅さんに負けず劣らずの技術力があるんだろう。

 その相手の挑戦に応じてやって来たのはわかるが、それなら雅さん1人でも問題はなさそうに思え、それを疑問系の表情に少しだけ変化させたのを察知されてしまう。

 

「それが『雅の』こっちでやることですよって」

 

「ってことは眞弓さんはまた別件ってこと?」

 

「敬語は使いましょか、金髪はん」

 

「別件ってことでしょうか?」

 

 その言い回しからして眞弓さんも眞弓さんで雅さんのお守りという冗談抜きでこっちでやることがあるのはわかったのだが、なんだか正月の振袖騒動の後から上下関係に敏感になった眞弓さんと理子の蛇と蛙みたいな関係は不思議な感覚になる。

 あの理子が眞弓さんに素直に従ってる図というのが愉快すぎる。眞弓さんも理子の名前を呼ばない辺りに意図がありまくりだ。

 

「京夜はん、女同士のやり取りを横目で笑うのはいただけまへんえ?」

 

「大丈夫です。主に理子の反応に笑ってるだけなので」

 

「それなら構いまへんが」

 

「構ってよぉ!」

 

「なんやろ……この昔の愛菜と千雨を彷彿とさせる眞弓のいじり方。りっちゃん、あの2人と仲良しさんやし、類は友を呼ぶんやな……」

 

「どっちかというと幸姉への対応に近い気もしますけど」

 

 そうした会話で微妙に話が脱線していくのはもはや常だが、本筋に戻す一声が出せる眞弓さんがいれば万事問題はない。

 圧倒的な存在感を持つ眞弓さんが「それは置いといてや」と言えばそれでもう話は元に戻り、改めて理子の問いかけに答えてくれる。

 

「ウチがわざわざ来たんは『後進の育成』って言うたら聞こえはエエかもしれまへんな」

 

「後進……武偵の、ですよね?」

 

「京夜はんは衛生武偵のSランクが何人いてはるか知ってますか?」

 

「いえ。というよりもSランク武偵712人の専門の割合とか考えたこともないです」

 

「そこの金髪はんは?」

 

「わかりませんけど、たぶん1%に近い割合だと思います」

 

「エエ線どす。衛生武偵は現状、専門としてはウチ含めて14人しかおりまへん。これが意味するところがわかりますか?」

 

 後進の育成と言うからには、どこかの武偵高にでも赴いて指導とかするのだろうが、そこに含まれる理由についてを話そうとする眞弓さんの話にオレも理子も聞き入る。たった14人、か。

 

「そもそもSランクになるには抜きん出た実力が伴わなきゃならないわけですよね」

 

「つまりあれだよキョーやん。衛生武偵でSランク取るのは化け物級ってことだよ」

 

「否定はしまへん。が、言い方が気に食いまへん」

 

 あまり考えたことのなかったSランクの専門の割合だが、衛生武偵の数の少なさは理子の言うように難易度が高いのだとオレも思う。

 しかしそんな簡単に行き着く答えを眞弓さんが求めてるとは思えないので、扇子でおでこをバシッ、と叩かれた理子を横目に話を再開する。

 

「…………絶対数」

 

「おっ、京くん鋭いで。さすが難解な眞弓の理解者の1人や」

 

「一言余計どす。京夜はんが言うたように、そもそもとして衛生武偵の絶対数が他の専門より少ないのがあります。さらに衛生武偵のSランク要求レベルが高めに設定されてますさかい、そら数も必然増えませんよって話どす」

 

「ほえぇ……でも確かに衛生武偵って要求される能力が割と分散してるよね。その辺の全部が平均以上とか、そりゃキツいかも」

 

 そこで絶対的な武偵の数での専門の割合が違ってると考えてちょこっと口にするとどうやら当たりだったようで、確かに活躍する武偵の大体が強襲科や探偵科などの武装探偵を地で行く専門にいるのは明らか。

 そこから派生した医療系や情報系が数の上で劣るのは仕方がないことではあるのだ。

 さらに衛生武偵は医療技術に加えて、自らが現場で生存する義務に近い必須事項があるため、戦闘能力でも護身程度は最低でも必要。Sランクともなればそのどちらも高水準でまとまってないといけないなら、眞弓さんの言うことにも納得。

 

「まぁ言うても、Sランク武偵を育てるなんてSランク武偵でも無理ですよって」

 

 そういった話から眞弓さんが衛生武偵の後進育成のために来たことは明白だったが、凄くリアリストな眞弓さんはいかにもな話をしておいて「自分にもそんな大層なことはできません」と平然と言うので、2人して当たり前なことに空笑い。

 

「Sランク武偵は意図として育成はできまへん。最後は結局、その人の才能とやる気と結果が評価されなあきまへんからな。やけど、その土台を作ってやることはできます」

 

「眞弓はこれで人の才能を見る目はあるさかいにょあ……」

 

 それでもSランク武偵になれる可能性を上げることはできると力説する眞弓さんの言葉の力はさすがで、横から雅さんも褒めてはいるのだが、やはり言い方。

 言い終えるより早く頬にグリグリと扇子をねじ込まれた雅さんの呂律が微妙になったが、眞弓さんの『目が良い』のは知っている。

 オレも京都武偵高に通学した初日で目をつけられたからな……

 

「武偵には秘密主義の性質がありますが、それは戦闘において相手に手の内を見せないための習性。それが身に付いてる京夜はんや金髪はんからすればアホかと思うような技術提供ですけど、命に関わる医療技術と護身術は秘匿したところで自分のプラスにはなっても世間のプラスにはほとんどなりまへん」

 

「広めるべき技術と秘匿すべき技術。その区分はしっかりされるべきって考え、ですか」

 

「聖人さんみたいな考え方だよねぇ」

 

「その分の見返りはちゃんと請求しとるから、別に慈善事業ってわけやにゃいで……」

 

 昔からオレ達とは見えてる世界が少し違う眞弓さんが持ち出す意見は確かに武偵として異質。

 だが元々が武偵よりも医者寄りの眞弓さんだからこその持論は、今後の武偵社会に根付くべきものなのかもしれない。

 もちろん、雅さんの補足したように見返りは求めて当然のことではあるが、あれもこれも秘密では廃れてしまう専門だってある。

 いつもオレなんかより先を歩く眞弓さんの背中は今でも遠いが、眞弓さんにはそうあってほしいと願うオレがいるのも事実で、それを扇子を頬にグリグリやってるところに被せて笑うと、笑いのツボを勘違いされてしまった。

 

「眞弓さんはやっぱりカッコ良いですね」

 

「カッコ良い背中を見せておかな、また膝を折って俯いて生気の抜けた顔するかもしれへん子がおりますさかい、落ち込んどる時間もありまへん」

 

「……耳が痛い話ですね……」

 

「1回カッコ悪い背中見せたから、もう2度と見せへんって言うてんねにゃで……」

 

 一応、勘違いは訂正しておきつつで改めて眞弓さんを賞賛すると、オレをピンポイントで撃ち抜く返しをされて笑うことさえできなかったが、こういう時にブレない雅さんにも感謝だ。

 そんな身内話に理子がキョトンとしたところで、眞弓さん達の事情は話し終え、止まっていた食事を再開させたのだが、食べてるうちにあの眞弓さんが。『あの』眞弓さんが自分の都合だけを話すなんてことが不気味に思えてきて嫌な汗が出てきた。

 や、やべぇ……眞弓さんの顔が見れない。

 

「それで、京夜はんは何でこないなところにおりますのや? ウチらのことを話しましたさかい、もちろん教えてもらえますよね?」

 

「それは理子から話がされます」

 

「こっちに投げるの!?」

 

 嫌な雰囲気に勘づいてあからさまに眞弓さんの顔を見ないオレに対して、絶対に嫌な笑顔を向けていた眞弓さんが「そろそろいいかな」的な感じで切り出してきたので、これから泥棒をやろうとしてる都合、オレからは口を開きたくなかったから理子に丸投げ。

 丸投げされた理子もオレにパスしてきたが、これを繰り返すと眞弓さんの機嫌がよろしくなくなってくるので、結局はそのことがわかってるオレが折れることで話をする。

 実に話しにくいことだったので始めはもごもごした話し方をしたが、イラッとした眞弓さんの空気で姿勢を正してきびきびハキハキ話し終えると、わざとらしくハンカチを取り出して扇子で口元を隠して泣くフリをする眞弓さん。

 その様子からして予想したよりも怒ったりはしてないようでひと安心だが、雅さんはなんだか意味深な笑みを浮かべたので嫌な予感はする。

 

「京夜はんが泥棒をやるようになるなんてお姉さん悲しいどすえ」

 

「心にもないこと言わん方がエエで眞弓」

 

「言うても法に触れる仕事やし、見逃すのもあきまへんやろ」

 

「また心にもないことを言うて。京くんや。その泥棒さんに入るの、エリア51で間違いないんやな?」

 

 なんか冗談なんだか本気なんだかよくわからない2人のやり取りにヒヤヒヤするが、確認するように雅さんが侵入する場所を口にしたので、オレも理子も間違いないと首を縦に振る。

 すると泣くフリをやめた眞弓さんもいつもの笑顔の奥に嫌な笑みを浮かべて雅さんとアイコンタクトすると、こっちがまさかと思うようなことを平然と言い放った。

 

「丁度エエどす。ウチらもそのエリア51にお呼ばれしとりますから、そっちの都合が良ければ、中まで案内しますよって」

 

「「………………えっ……」」

 

「まぁ補足するとや。私を呼んだ変わりもんがそこにおるから、向こうの準備が整うまでラスベガスに待機してたって話やね。なんや当人、どっか行ってて留守やから待っとれって、なんやねんと思うてたけど、それで京くん達に会えたわけやから感謝せななぁ」

 

 まさかまさかの目的地の一致。

 しかもそれに留まらずに侵入しようとしていたオレと理子を中に入れてくれるとまで言う眞弓さん達の話はビックリ仰天。

 それはエリア51へ不審者を招き入れる行為でしかないわけで、眞弓さん達にメリットなど何一つない。

 

「何でそんな提案を?」

 

「気に食わへんからどす」

 

「気に食わない? 何が?」

 

「け・い・ご」

 

「……何がですか?」

 

「雅を呼びつけた生意気な輩がどす。向こうから呼び出しておいて都合がつかないからここに待機させてって、どこぞの王様ですかって話どす」

 

「まぁ交通費、宿泊費、その他もろもろの経費は向こう持ちやから待遇が悪いってこともないんやけど、向こうの都合に振り回されとるのが気に食わんってことやね」

 

 てっきり何かの要求があるのかと勘繰って質問をしたのだが、見返りとかそんなものではなく、単純にムカついてるからときたのでオレも理子も「大人のすることか」と思ってしまう。

 要するに眞弓さん達を招き入れたそいつが許した侵入だから、その責任はそいつにいくだろバーカ。ってことだろうな。

 もちろん、オレと理子が終始見つからないことは前提にあるが、これで瑠瑠色金が盗まれていたら王様気取りのそいつは責任を負わざるを得ない。

 侵入の機会を作れた眞弓さん達だって知らぬ存ぜぬを通せば証拠不十分で解放される可能性が高い。というかその自信がなきゃ提案なんてしてこない。

 

「とまぁ提案はしましたが、実際問題でゲストとして入れると消える時に不都合が出ますやろ。その辺はどないどす?」

 

「それは、はい。大丈夫です。『物理的に姿を消せる道具』があるので」

 

「ほほぅ。そないな便利品があるんやね。それ使たら覗きが捗りますなぁ」

 

「何で女のみやっちがエロ思考なんだろう……」

 

 しかし提案はしても、その具体的な侵入方法は丸投げな眞弓さんには驚くものの、元々オレと理子が見つからずに侵入する方法を探ったりしていたことから、敷地内で見つからない手段があるのはわかってたんだな。

 だから確認するような眞弓さんの問いかけには流し気味で答えておき、ササッと夕食を終わらせて解散。

 来たる日がいつ来るのかわからないので、まだ準備が万全ではないオレと理子は眞弓さんからの連絡が来る前に準備を完了させるため急いでホテルへと戻って、必要な装備の見直し――工程が減ってくれたので――と作戦の細かい部分の確認をしていった。

 

「しかし、お前も眞弓さんの前だと大人しいのな」

 

「あー。絶対それ言うと思ったぁ」

 

 その過程で空白の沈黙ができたので、ずっと静かな空間は主に理子の方に悪影響が出るので会話に繋げると、動いていた手も止めてオレを見た理子は少し怒ってる。

 

「理子だって怒らせちゃダメな人くらいわかるし。正直、戦闘能力なら理子の方が高いかもとは思うけど、それでもまゆちんには勝てないんだよねぇ」

 

「勝てない?」

 

「そう。あっ、戦闘の勝ち負けじゃないよ? そういうのとは違う意味で勝てないの」

 

 そんな理性とでも言うべき本能は持ち合わせてると豪語する理子は単なる戦闘狂とは違うところを見せているが、負けず嫌いが垣間見えるところはまだ子供。

 それとは別に意味がわからないことも言うが、理子自身もその意味について具体的なことが言えないらしく言葉に困っていた。

 だがオレにもなんとなくその理由はわかる。

 

「あの人は……眞弓さんは『正しい』んだよ。いつも。いつでも。どこでも。どんな時でも。正しい人には勝てない。それがわかるのが人間だ」

 

「正しい、か……そだね。理子みたいに悪いこともいっぱいしてる人間じゃ、きっと一生かけてもああいう人には勝てないんだろうなぁ」

 

 眞弓さんは、いつもオレの前を歩いてる偉大な人で、その背中を一生追いかけなくちゃいけないような存在。

 憧れ、とは違うが、眞弓さんの背中が語ってくるのは、いつだって「私のすることに間違いはない」という確信にも近い自信。

 失敗だってある。間違いだってあったかもしれないが、眞弓さんは『正しくあろう』としていつも行動している。

 その姿勢はずっと見てきたオレも幸姉も、月華美迅の誰もが感じてること。

 

「人を助けるのに理由なんていらない。誰もがためらったりすることを迷いなく出来る。そういうことが当たり前に出来るからきっと、眞弓さんは強いんだよ」

 

「ふーん。じゃあキョーやんは付き合うならまゆちんみたいな人が良かったり?」

 

「恋愛脳が。眞弓さんはそういうのじゃない。例えるなら……そうだな……会社の超有能な上司ってところだ。その人の下でなら自分の仕事に誇りを持てるっていうか、そんな感じの」

 

「おおー。でもその超有能な上司は部下をめっちゃ選ぶし、使えなきゃポイされるんでしょ」

 

「それは仕方ないことだろ」

 

「いやいや、企業ならブラックよブラック」

 

 そうした話を黙って聞いた理子は、真面目な話が少し苦手な部分を出しつつで最後は無理矢理に恋愛話に持ち込んだが、自分の表現したい強さを言葉にされて納得した様子だった。

 正しいだけでは武偵としてダメかもしれない。だがその正しさがなければ、それはきっと『武装探偵』ではなく、『武装した何者か』になってしまうのかもしれない。

 それだけはあってはならないんだ。

 あの日。幸姉から離れて武偵になると決めたオレは、眞弓さんのように正しくあろうとしないと。

 

「…………まっ。今は盗人のそれをやってるわけだけどな……」

 

「ん? なに独り言してんの?」

 

「何でもねーよ。眞弓さんからいつ連絡が来るかわかんねーし、睡眠も取っとけよバカ理子」

 

「キョーやん様のお添い寝があるなら今すぐにでも寝ぶっ!?」

 

 とかなんとか考えつつも、今やってることの若干の矛盾にツッコんで独り言したら、理子の耳に届いたので誤魔化しつつ、バカを言うバカの顔に枕をぶつけてやるのだった。

 

『ほな、行きましょか』

 

 物凄く軽い感じの眞弓さんの声には呆然とさせられたが、翌日の昼にそうした連絡がオレのところに来て、割と作業に没頭し夜ふかしで爆睡していた理子を起こして急いで準備を整えてホテルを出発。

 わざわざ向こうから迎えを寄越すとかの待遇なので、オレと理子はその迎えに勝手に同席してそのままエリア51へと侵入する手はず。

 なので眞弓さん達とはそれより前に合流しておき、乗車の際に勘づかれないようにちょっと手助けをしてもらう必要がある。

 

「これはまたけったいな道具どすなぁ」

 

「うおー! カッコええ! カッコええでぇ!」

 

「チートだよねこれ」

 

「自分で使うとそう思う」

 

 それで急いで合流した先で、オレ達がどうやって同行するかを確かめたいと言う眞弓さんの指示でジーサードからの餞別であるあの例の透明になれる道具を身につける。

 正式名称は『光屈折迷彩(メタマテリアル・ギリー)』と言う、説明を聞いた限りだと周囲の景色に同化するように常に映像を投射し続けるレインコートのこれは、本当に便利だ。便利すぎて泣けてきた……オレ達の創意工夫って……

 

「まぁそれなら問題ありまへんやろ。あと1時間くらいは待ちますやろし、昼寝でもしときなはれ」

 

 悲しいほど努力を科学が上回った現実にうちひしがれてるオレと理子――透明になってるので見えてないが――にリアクションもほどほどで淡々とそう告げた眞弓さん。

 こういう時でもマイペースな眞弓さんを見ると安心感が半端なく、いつまでも落ち込んでても仕方ないと切り替えて、光屈折迷彩に興奮気味の雅さんに付き合って、顔だけ星人とか意味不明なことをして遊び始めたのだった。

 これが作戦開始前の雰囲気とは……懐かしすぎてホッとすると思ったのは内緒にしておこう。



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Bullet129

 

「ゲストの迎えがこれどすか」

 

「ナメとんのぅ」

 

 眞弓さんと雅さんの協力を得て、エリア51への侵入が可能になり、そのための迎えの車が到着。

 しかしその車は軍用のもので、理子が言うにはハンヴィーとか言う汎用車らしい。これを元に作られたのがハマーだとかなんとか。

 一応は装甲車の部類なので、屋根部分に銃座とガトリング砲が搭載されていたが、送迎目的だからか今はそこに人は乗っていない。

 乗ってきたのも運転手と世話係みたいなのの2人で、この対応には眞弓さんが不満たらたら。日本語と無表情の線目なので相手には伝わってないが、雅さんがちょっと怪しい。

 まぁ何にしろ、この状況なら同乗も楽勝だな。

 そう思いながらすでに光屈折迷彩で姿を消していたオレと理子は、打ち合わせ通りにゲストらしく荷物を積み込むのを手伝えと2人に命令してくれて、ハンヴィーから降りた2人が眞弓さん達の荷物に意識を向けて完全にハンヴィーに背中を向けたタイミングで屋根の銃座に静かに飛び乗る。

 どうしても乗る時には重さで車体が沈むので、誤魔化し様のなかったそこを乗り切ってひと安心。

 したかったが、そういうことで乗り込んでからは下手に動けないこともあって、乗ってからどうなっても文句は言わない約束をしていた理子が、見えてるんじゃないのかというベストポジションでオレが座った膝の上にちょこんと綺麗に収まって座ってきたのだ。

 

「お前、狙っただろ」

 

「へへへぇ。キョーやんならこう座るだろうなって予想して乗り込んだのであった。特等席ぃ」

 

「マジで足が痺れるかもしれん……」

 

「理子そんな重くないんですけど」

 

 一応、乗り込む際にハンヴィーの両サイドからということは決めていたので、最小限の動作を考えればオレの収まり方はわかっただろうが、意図的に長時間の移動に向いてないポジションに座られるのは軽く殺意が湧く。

 だがもう動いて揺らすことも出来ないので、あぐらの上に座られてるのだけはキツいから、足を前に出させてもらって、その間に理子を収めて落ち着く。

 互いに光屈折迷彩を着ているのでなんだかいるのにいない不思議な感覚の中で、事前に買い込んでいた超がつく大量のチョコレートをハンヴィーに積んだ眞弓さん達も無事に乗車。バレては、いないようだ。

 ちなみにチョコレートは本当に必需品みたいなもので、これからアホほど雅さんのお腹に収まることになるだろう。

 そんなオレ達を乗せたハンヴィーはすぐに動き始めて、片道3時間ちょっとはかかる目的地、エリア51を目指して進路を取っていった。

 

「そういえばさ」

 

 道中。走ってしまえば割と会話は出来てしまうので、沈黙嫌いの理子がちょんちょんと腕をつついてから話しかけてきて、どうせ暇なので付き合ってやる。

 

「今回キョーやんが色金問題に熱心なのは何で?」

 

「アリアのためって言ったら信じるのか?」

 

「信じるよ。よくわかんないけど、アリアも放っておいたらヤバい感じなんでしょ? でもそれだけじゃない気がしたから」

 

「うーん…………別に他の理由はないんだが……お前のためにもなったりするのかもな」

 

「ん? 理子のため?」

 

 そういえばオレが結構すんなりジーサードの要請に応えたのは、理子からすれば不思議なことになるのかもな。

 と、言われてから気づいたが、理子の言う通り理由についてはアリアのためってのがほぼ全て。

 元々、宣戦会議でヒルダに好き勝手やらせて緋弾の殻金を奪われた責任がある。その殻金を元に戻すことは責任を果たすのと同義と思って頑張ってはいた。

 だが色金に意思があるとわかって、その対話を試みる段階になって思ったことがあった。

 それは理子の持つ色金合金。

 これもまた緋緋神が宿る緋緋色金とは違う瑠瑠神が宿る瑠瑠色金であることは言うまでもないが、同一異種のその瑠瑠色金の力を引き出している理子が『このまま無事でいられる可能性』も怪しいのではないかと思ったのだ。

 つまりアリアの緋緋神化と同じ現象。瑠瑠神に意識を乗っ取られる『瑠瑠神化』を起こす可能性もなくはないことに気づいてしまった。

 

「杞憂で終わればそれでいいんだが……当事者なしで事を進めるのも良くないと思ったから、お前も連れてきたのかもな」

 

「こういう時にフワフワしたこと言うのはキョーやんらしいっていうか。教える気が全然ないよねぇ」

 

「確信がないことは」

 

「言わないんでしょ。いいよもう。理子のために動いてくれてるだけでちょっと嬉しいし。それで理子を働かせてるのはマイナスですけどねぇ」

 

「へいへい。ポンコツで悪ぅございましたね」

 

 だが璃璃色金が人の感情を好まなかったり不干渉であったりとあるので、璃璃神のように瑠瑠神が無害の可能性は十分にある。

 現にこれまで理子は瑠瑠神からのコンタクトらしきものも受けてないようだしな。

 だが今後もそうである確信だってないわけだから、どのみち理子と瑠瑠神は対話をする必要はあると思う。

 もしかしたら瑠瑠神さえその気なら、理子の持つロザリオからでも対話が出来そうだが、それが出来ないから璃璃神がレキを動かしたのかもしれない。

 推測だらけでどうにもまとまらないが、やることは明確で変わらない。

 エリア51に入って瑠瑠色金を手に入れる。

 オレが考えてるのは全てその後のことだ。後のことを考える前に今はそこに至るまでのことに集中しなきゃならない。

 

「そういやこの光屈折迷彩って、動力とかあるんだよな」

 

「調べたからわかるけど、かなり燃費良いよ。1日くらいならフル稼働でも大丈夫だと思う。それ以上は怪しいけど」

 

「ってことはあと22時間ちょっとか。その前に片付けばいいが……」

 

「それは高望みっすよ兄貴。中のセキュリティー次第で難易度が変わってきますからねぇ。だからどこかで節約できるタイミングは見つけておかないとね」

 

「だからその兄貴の設定なんなの? 泥棒の子分的なのならお前が姉御になれよ」

 

 集中ついでにふと思ったことを口にしたオレに対して、新規装備のチェックに余念のない理子は自分の見解を述べてくれたが、昨日からの兄貴呼びが気になってツッコミ待ちだったそこに思わず触れてしまい、そこから無駄も無駄な兄貴、姉御論争を勃発させてしまった。

 

「見えてきたよ、魔王の城が」

 

「最終ダンジョンってか」

 

「燃えますなぁ」

 

 ハンヴィーに揺られて約3時間ちょっと。

 日も沈みかけた頃に前回はあえなく撤退させられた地点も抜けてうっすら見えてきたエリア51。

 士気を高めるように理子がらしく言葉を発したので、折角だからオレも乗りつつ静かに集中力を高めていく。

 エリア51へと入ってからまず最優先は敷地内のマップの確保。これがなきゃ目指すべき場所もわからずに右往左往する羽目になるから重要だ。

 そのために最短のルートはおそらく、眞弓さん達について回ることで、その辺は段取りとしてあるから、とにかくハンヴィーを降りてからは緊張の連続だ。

 そんなエリア51へと何事もなく入っていったハンヴィーは、そのまま眞弓さん達が案内されるのだろう敷地の施設の前にまで移動して停車。

 この頃には日も沈んで多少の違和感は暗闇が隠してくれる中、施設の明かりでハンヴィーが照らせれて影ができ、そこからまずヒルダがスルリと降りてハンヴィーの下へと移動。

 いくら影になれるヒルダでも、隠れ蓑にする影がなければただの黒い物体なので、光屈折迷彩を使ってるオレ達にはついて回れない。

 だからこれからハンヴィーから降りる眞弓さんの影に潜んでもらうということ。

 そしてオレと理子は眞弓さん達の降りるタイミングに合わせて逆側へと飛び降り、素早く眞弓さん達の横をキープ。

 これが難しくて泣きそうで、降りる時に車体に負荷をかけられないため、蹴った勢いでする飛び降りという行動に矛盾が生じる。

 それを可能な限り実現できそうなやり方がローリングなので、銃座の枠に背中をつけてのローリングで眞弓さん達の降車に合わせて2人でせーのでハンヴィーから滑るように降り、音もなく着地。

 多少の揺れはあったが、ここは雅さんが大袈裟に飛び降りてくれて不審に思われずに済んだ。ナイスアシストです。

 

「それにしてもお腹が減りましたなぁ」

 

「空腹やでぇ。アイムハングリー」

 

 ヒルダも見たところ無事に眞弓さんの影に潜んだようで、大量のチョコを運ばせて施設の中へと足を踏み入れつつ、食事の要求をする2人は、わざわざ入り口を開けたところでスローペースになって会話へと持ち込み、オレ達が中に入る余裕を作ってくれて、ひと足早く中へと侵入し、それから案内で移動する眞弓さん達についていった。

 

「ガキどすなぁ」

 

「ガキやなぁ」

 

「会って早々に辛辣な言葉だね」

 

 さすがに空軍基地なだけあって内部も面倒臭そうな電子ロックやら鉄の扉やらと入ったことを後悔するセキュリティーだが、この辺のセキュリティーを見ても参考になるかはわからないし、瑠瑠色金がこんな地上の施設にあるとも思えない。

 そういった考えは理子も同じのようで、互いに姿が見えないからぶつかるのを防止するため、ハンヴィーを降りてからずっと手を繋いで存在を認識しながら、指信号(タッピング)で会話していた。

 指信号もそれなりに意識が向くので、様々な情報処理で割と手一杯の状態で眞弓さん達が目的地に到着し、管制室っぽいそこで呼びつけてきた人物と対面したのだが、開口一番で爆弾を投下。

 普通に日本語だったが向こうも理解があるようで、普通に会話が成り立っていたが、怒ってる様子がないそいつは余裕の態度を崩さない。

 だが眞弓さん達の言うように、そいつはガキと表現するに相応しいだろう容姿で、マッシュルームカットの頭は特徴的。

 鼻が高く、そこに金縁メガネをかけ、歯には矯正器具をつけている白人の少年。

 スーツを着てはいるが、なんとなくスーツに着られてる感はあるそいつは、あの眞弓さんを前にしてもどこか見下したような態度が見え隠れしていた。

 

「ともあれ、ボクの招待に応じてくれたことには感謝しよう。マッシュ=ルーズベルト。これから君を完膚なきまでに叩きのめす相手の名前だからね、しっかり覚えてくれたまえ」

 

「やる前から勝った気でいる人間ほど、世間では負けるってジンクスがあるんやけど」

 

「ボクが、負ける? 冗談でも笑えない。これはボクの能力が優れていることを証明するためのデモンストレーション。つまりボクが勝つことが大前提なのさ」

 

 見るからにインテリ系でインドアなマッシュと名乗った少年は、相手への敬意など微塵も見えない挨拶で握手を求めてきたが、その手を取ることもなく雅さんはアッカンベーして返す。

 どっちが年下かわからない態度の違いだが、元から見下し目線のマッシュは握手を求めておきながら、ハンカチを取り出そうとしていた手を戻して手間が省けたとばかり――あからさまな汚いものを触ったから拭くという行為だ――に挨拶を終えると、無駄話もしたくないのか本題を切り出してきた。

 

「すでに君からの要望に応えた機材と場所は用意してある。何をするのか理解したなら、すぐにでも始めてくれ」

 

「お膳立ては出来とるってわけやな。それで私は何をすればエエんや?」

 

「ルールは簡単さ。事前にボクがここのサーバーを掌握。厳重なセキュリティーシステムを組み込んで電子の要塞を築いておいた。君はこの要塞からボクに関するプロフィールを抜き取って、提示すればいい。1度でもセキュリティーに引っ掛かって発見されたら君の負けだ」

 

「時間制限はあらへんのやな?」

 

「そんなリミット程度でミスを誘発しても仕方ないからね。存分に時間を使ってくれたまえ。そしてボクの方が優秀である事実を受け入れて跪くのだね」

 

 殴りてぇ……

 マッシュが口を開く度に眞弓さんと雅さんの額に怒りマークが追加されていく恐怖映像を見つつも、今回の怒りは同意できるので恐怖はマッシュへの怒りに変換。

 自分の実力を全く疑ってないマッシュの鼻っ面は雅さんがへし折ってくれるのを期待しつつ、眞弓さん達とはこれ以上の会話はしたくないのか、用意したとかいう場所に案内するように言ったマッシュは、別件の仕事があるのかどこかへと行ってしまったが、その先にあった大きめのモニターの1つに見覚えのあるものが映って目を疑った。

 スクール水着みたいなコスチュームを着た少女。今はゴッテゴテのユニットを装備されて整備中みたいな雰囲気があるが、あれは宣戦会議の時にいたLOOと呼ばれたロボットだ。

 てっきりアリアに駄目にされていたゴテゴテの超ロボットがLOOで、中から出てきた少女は操縦者だと思ってたが、少女の顔に生気がないところを見るに、あれも人型のロボットってところか。

 そうなるとあのLOOとかいうロボットはジーサードの言っていた超先端科学兵装とかってあれなのかもしれないが、今のオレと理子では裏工作で破壊とかも出来ないので野放しにせざるを得ない。

 だがこの管制室っぽいところの落ち着きからして、まだジーサード達が突撃をかましてきた様子はないので、一足早くエリア51には到達したようだが、ここからの戦いが厳しいのが現実なので気は緩めない。

 そうしてちょっとだけ情報を整理していたら、理子に行くよと手を引かれたので、再び集中して移動を始めた眞弓さん達についていった。

 雅さんの要求に応えたという場所は、ディスプレイが3つあるパソコンとそれを乗せるデスクがドンと中心にある部屋で、脇にはくつろげるようなソファーベッドやらもあったが、そっちはおまけ程度。

 白い床と壁と天井で割と落ち着かない、というよりも物がないので殺風景な空間がオレとしては集中力を削ぐ感じだが、雅さんは目の前にパソコンがあればそこにだけ集中できる強者だから気にしてない様子。

 それでさっそく自分の空間作りを始めた雅さんがパソコンに向かう中で、眞弓さんは案内してきた人に食事を要求したのだが、その量たるや相手が若干引くレベル。

 その要求に一応は了承して引っ込んでからは、眞弓さんもそれまではソファーで用意されていた雑誌類を流し読みしたりで時間を潰していく。

 

「雅、そっちもエエどすけど、周りはどないですのや?」

 

「おお、忘れとった。ちょっと待っとってやぁ」

 

 その間に何やら指示する眞弓さんの言葉で作業中だった雅さんが中断して、持ってきていた金属探知機らしきもので部屋の中をぐるっと回って、それらしき反応がないことを確認。

 

「オッケーやで」

 

「そうですか。ほな京夜はんと金髪はん、出てきてエエどす」

 

 雅さんの両腕の花丸オッケーが出たところで雑誌を閉じた眞弓さんが、この部屋なら光屈折迷彩を脱いでもいいことを言い、一応は用心深い理子が部屋に入った時から別行動で探索していたが、その理子が我先に光屈折迷彩を脱いで隅っこから姿を現したので、オレも続いて光屈折迷彩を脱いで小さく息を吐く。息も足音も殺すのは神経を使うからな。

 

「雅にはこれからクラッキングでここの全体図を引っ張り出してもらいますが、それがどのくらいかかるかわかりまへん。やから今のうちに休んでおきなはれ。食事も多めに頼みましたし、雅の暴食を差し引いても腹八分にはなりますやろ」

 

「ありがとうございます、眞弓さん」

 

「あっぶねー。理子そろそろ腹の虫が鳴るところだったから、ハラハラしてたんだぁ」

 

「もし鳴ったそん時は、私がテヘペロッてやるつもりやったから感謝しや」

 

「おっしゃあ! ありがとうみやっち!」

 

 ぐわっし!

 正直なところ、ここでひと息つけたのはかなり大きいので、眞弓さん達には感謝しかないが、豪快に手を取り合った雅さんと理子は本当に仲良しだな。

 

「それなら今のうちに……ヒルダ」

 

 何はともあれエリア51に侵入して最初のインターバル。ここで機を逃すのはいただけないので、理子とは違って意思疏通が難しいヒルダを呼び出して、眞弓さんの影からヌルッと出てきたヒルダは、夜になってきたこともあって割と元気そう。

 一応は面識がある眞弓さんと雅さんだが、改めて見るヒルダの登場にちょっと驚く雰囲気を出す中で話を進める。

 

「ヒルダ、次に食事を持ってきた人の影に潜んで、出来るだけ内部を探ってほしい」

 

「サルトビ、それが人にものを頼む態度でして? あなたに出来ないことを出来ちゃう私に、何か言うことは?」

 

「絶好調だなお前……どうか、内部の情報を引き出してきてくださいよろしくお願いしますヒルダ様」

 

「ほほっ。素直に跪くサルトビを見ると愉快で仕方ないわね」

 

 とても調子が良いヒルダはいつになく偉そうで殴りたくなるが、今はその怒りが別の方向に向いてくれてるので半分くらいは流しつつ、片膝をついて頭を下げると、それでご機嫌になったヒルダはオレの頭を日傘の先でペシペシ叩いて女王様気取り。やっぱり殴りてぇ。

 

「こらヒルダ。それ以上やったらクチ聞いてあげないからね」

 

「ほほ……ほっ!? ま、待ちなさい理子……これは一種のお遊びであって、決してサルトビを貶めたいとかそういうことではないのよ?」

 

「キョーやんが殴りてぇって顔したから止めるけど、その辺の変化に気づけるようにならなきゃ、ヒルダの方がりっこりこになるからね。魔臓の位置だってもう知られてるし」

 

 オレがそう思ったのとほぼ同時に理子がその通りにヒルダを叱るので、ちょっとビックリしつつ2人のやり取りを見ていたら、理子に強く言われたせいで小さくなったヒルダはそのままズルズルと眞弓さんの影に隠れてしまい、一応は頼み事が了承されたか確認すると、影で丸を示してくれる。

 

「また個性的な子どすなぁ」

 

「性根は悪いやつではないんですが、好き嫌いが激しくて」

 

「そこが憎めないんやろ? 京くんのドMぅ」

 

「えっ!? キョーやんヒルダのあれが好きだったの!?」

 

「何故そういう解釈になる」

 

 初めて見る絡みに割り込みもせずに見届けた眞弓さんからの感想はその程度で済むが、オレの言葉をどう解釈したのかアホなことを言う雅さんと理子に真顔でツッコんだところで、心臓に悪い部屋の扉がノックされたため、オレと理子は慌てて光屈折迷彩を着て姿を隠す。

 着いた頃から腹が減ったと言っていたからか、予想より早く食事が用意されて、マジで要望通りの量が部屋に運ばれてドン引き。大食いが3回に分けて1日で食べる量くらいあるぞ。

 戦慄の光景にオレは血の気が引くが、この半分以上がこれから雅さんの胃袋に収まる光景の方が戦慄かもしれん。それが出来ることを知ってるだけまだ衝撃が小さいのかもだが。

 ともあれ、頼んだ通りに退室していく人の影に移動したヒルダは、情報収集のために動いてくれて、その間にオレ達はエネルギー補給。

 

「それで雅さん。ここのマップを手に入れるまでどのくらいかかりますか?」

 

「ぶー……ぼべばばだばがばぶばぁ」

 

「ヒルダが何か収穫してくればこっちも動けるんですが」

 

「ぼばべ。ばぁぼべぇばぶびばばべばばび」

 

「よろしくお願いします」

 

 その食事中に雅さん当人にずばり質問をしてみたが、口一杯に食べ物を含んだ雅さんはそのまま喋ってやってみないことにはわからないと当たり前な返事で、それでも任せなさいと言ってくれるのは心強い。

 

「いや、何で会話が成立してるの……」

 

 そしてそんなやり取りに冷静にツッコんだ理子に、オレも雅さんも理子を見てほぼ同時に「なんとなく」と答えたのだった。



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Bullet130

 

「言うだけあんなぁ……カッチンコッチンやわ」

 

「うっわ……理子の表現がそのまま表現されてる……」

 

「魔王が住んでそうだね」

 

 エリア51に入ってから最初の食事後。

 パソコンを自分仕様にする作業を再開した雅さんが、1時間ほどかけて自作のソフトを起動し、いよいよクラッキングの準備が完了したところ。

 ババン、と3つ並んだディスプレイは画面の延長として活用されて表示され、微妙に開いた『コ』の字になるように置かれたディスプレイの中心に雅さんが陣取る。

 そして雅さんの自作のソフトはつまらない表示のクラッキングをゲーム風にアレンジして、生成されたダンジョンをゲームキャラを操ってクリアするというもの。

 雅さんが言うにはダンジョンはそのサーバーによって毎回、姿形が変わるらしく、それは難易度にも影響されると言う。

 それで今回のエリア51のサーバーで生成されたダンジョンが、ここに入る前に理子が比喩で言っていた魔王の城そのものだったのだ。

 禍々しいとさえ言えるその城のバカでかい城門の前で静止する雅さん似のキャラがまた雰囲気に合わない今時のきゃぴきゃぴ具合だから場違い感がハンパないが、キャラに性能などないからどうでもいいらしい。

 

「魔王とか入り口を潜ったらいきなり出てくるレベルやでこれ」

 

「魔王がまず歓迎してくる城とか斬新……」

 

「そんなの糞ゲー認定されるよね」

 

 自作のソフトだけあって、こういうパターンでの難易度を理解してる雅さんの例えを聞くに、ラスボスを最初に置いて、それと同格のやつを各所に配置してるっぽいことはわかる。

 そんなセキュリティーレベルに挑むとなると、さすがに無理があるのかなと思って雅さんの顔を見るが、当人はそうは思ってない笑みを浮かべて無線のゲームのコントローラーを用意してパソコンと同期させる。

 

「こういうバカみたいにでっかい入り口は侵入自体は簡単やってことなんやけど、その実、ゴキブリホイホイと一緒や」

 

「えっと……入れたって思った瞬間に御用だー! ってなるわけですな?」

 

「正確には入ったはエエけど、どこもかしこも袋小路で進めへんってことやけど、まぁ正面から行ってもしゃーないってのは当たりや」

 

 オレと理子にも分かりやすく説明しながら、コントローラーでキャラを操作して城の外周を周り始めた雅さん。

 他の入り口でも探してるのかと予想しつつ様子をうかがってると、案の定、キャラがギリギリで入れそうな裏門みたいなものが出てきて、雅さんもその前で止まる。

 

「そこで脇道から裏口入学や。わざわざ相手の釣り針に引っ掛かってやる必要はないっちゅう話やで」

 

「「なるほど」」

 

「そ・や・け・ど」

 

 そうしてドヤってる雅さんにオレと理子はついつい相槌を打ってしまったのだが、話だけをソファーに座って雑誌を読んで聞いていた眞弓さんが割り込んでくると、こっちの様子も見ることなく口を開いてくる。

 

「あのねじ曲がった性格の悪さから考えて、それも釣り針と見てエエどすやろ」

 

「眞弓ぃ、先に言わんといてや。私ももうちょっとドヤ顔しとりたいんやで」

 

「そら余計なこと言いましたな。ウチはもう黙りますから、続けなはれや」

 

 その眞弓さんの意見にまたも納得してしまったのだが、雅さんはそれも予想済みだったようで頬を膨らませながらも、またキャラを動かして元の城門前に戻ってくる。

 

「まぁそんなわけやから、普通に進んだら詰みのこっちから入るんやけど、京くんらの要望に応えられるんは早くても朝になるやろうし、それまではのんびりしときや」

 

 そうした説明でオレ達に焦っても仕方ないと言った雅さんは、大量にある板チョコの1つを口にしてから完全に切り替わってディスプレイとにらめっこを始めていき、こうなると周りの音を遮断する雅さんとは会話が不可能。

 偵察に行ってるヒルダも眞弓さんが人を呼ばない限りは戻ってこれない都合、オレと理子は装備のチェックをしてからは保険で光屈折迷彩を着て睡眠を取るのだった。

 

「眞弓、京くん達を起こしてや」

 

 おそらくはぐっすり6時間ほどは寝た頃に、ちょっと急ぐような雅さんの声で目が覚めたオレは、起こそうと立ち上がった眞弓さんを煩わせないように光屈折迷彩を脱いで起きて、隣で寝てるはずの理子の頭だろう部分を叩いて起こすと、急かす雅さんの元へと寄る。

 

「あと2分が限界やから頭に叩き込んでや。コピーは足跡残すからなぁ」

 

 オレ達を呼んだということはそういうことなのだろうと予想をしていたが、ディスプレイには現在進行形でエリア51の全体マップが表示されていて、雅さんのキャラが下でカウントダウンをしていた。

 

「理子、どこにあると思う?」

 

「んっと……捻りがないなら最下層だよね」

 

「そもそも侵入される前提にないから妥当なところだよな」

 

 結構な最新具合で、表示されるマップは立体の骨組みのようなもので、現在のエリア51の構造をそのままにしている。

 当然、このマップには『瑠瑠色金はここです』なんて目印も何もないので、当たりをつける必要があるが、オレも理子もこの構造と堅牢な守りから最奥に重要なものを置くのがベターだと判断し、マップ上で最下層になる地下5階のフロアに注目。

 そこから残りの時間で現在地からの最短ルートを検索してみるが、目的地に通じる入り口が施設の外にあるという面倒臭さに舌打ち。

 

「ここに監視カメラがあったらアウトだな」

 

「どういう入り口かがこれだとわかんないよね。なんか地上に出てないからマンホールみたいな感じかな」

 

「剥き出しなら楽なんだが」

 

「ん、監視カメラなら……そいや!」

 

 問題はその入り口を光屈折迷彩を着たままでどうこうできるかだったが、監視の目を気にするオレと理子の言葉に画面をキョロキョロ見てた雅さんがコントローラーを操作して、パッと監視カメラの有無とカメラの範囲を表示してくれる。

 それによると入り口を見られる監視カメラは定点ではないようなので、隙間を抜ければどうにかできそうで、さらに幸運なのは当たりをつけた地下空間には監視カメラが基本的にないこと。

 これも侵入されることがないからと無駄を無くした結果だろうが、入ってしまえば光屈折迷彩も必要ないかもしれない。

 

「あかんな。これで終いや」

 

 監視カメラのデータも引き出したからか、表示されていたカウントダウンがぐんと減って、残り10秒足らずになったのを見て、雅さんはオレと理子を退けてキャラの操作を再開。

 表示されていたマップも消えてしまって、まだ見足りなかった理子がぐぬぬ、と声を漏らしたが、マップの記憶は得意なオレがすぐに必要なマップを抜粋して書き記し、そこから改めて作戦会議。

 あーだこーだと言い合ってる内に1時間は経ったらしく、食生活のリズムがある眞弓さんがオレ達に構わずに人を呼んだところで、偵察に行っていたヒルダを回収。

 そのヒルダの最新情報によると、ついさっきジーサード達が乗った航空機がネバダ州に入ったところで撃墜させられたらしく、その指揮をしていたのがあのマッシュだったとか。

 あのジーサードが撃墜程度で死ぬなら苦労はないので心配はしてないが、ここに辿り着けるかは怪しいのでこっちは失敗できなさそうだ。

 

「次の食事の回収の時に行くか」

 

「オッケー。ヒルダはどうする?」

 

「思ったんだが、理子の真下なら光屈折迷彩の中で見えなくなるだろ。試してみろよ」

 

 とにかく、ジーサード達が動いてマッシュがそっちに意識を向けている間に行動を開始したいので、この朝食の回収に来るタイミングで部屋から出ることを決め、ヒルダもそもそもな解決策を提案したら、あっさり隠れられたのでいけそうだ。

 

「京夜はん。お互いにあのガキの鼻、へし折ったりましょか」

 

「ええ。オレもあれにはイラッとしたので」

 

「金髪はんも、京夜はんに迷惑かけたらあきまへんで?」

 

「理子、そこまで役立たずじゃないんですけど……」

 

 そうして行動開始の前にのんびりしてリラックスしていた体を動かして引き締めていると、これでおそらくはお別れになる眞弓さんが言葉をかけてくれる。

 

「京くんのマジ顔、撮って愛菜に送ったら売れそうやから、行く前に撮ってエエ?」

 

「証拠品になるんでやめておいた方がいいですよ。冗談なんでしょうけど」

 

「それがわかっとれば判断力は落ちてへんな。まぁ心配いらへんとは思うけど、お姉さんとしての体裁やから」

 

 次いでモリモリと朝食中の雅さんが先輩としてエールを贈ってくれて、それに後押しされて気も引き締めたオレ達は、1時間後に来た朝食の回収の際に、開きっぱなしの扉からスルリと抜け出て行動を開始した。

 施設の正面入り口は人の出入りがあまりなさそうだったので、1階のトイレの窓から監視カメラのない外へと抜け出て、頭に叩き込んだマップから最短のルートで地下施設に繋がる入り口へと向かう。

 

「確かこの辺りか」

 

 一見すると何もないようにさえ見える目的地に辿り着いて足を止めたオレは、地上に出てないという入り口を探して砂漠の地面を見回す。

 するとよくカモフラージュされてはいたが、妙な枠の隙間を発見し、マンホールのようなそれは明らかに人工的なもの。

 入り口自体は動かせば開きそうなのを少し確認してから、施設を出たところから別行動になった理子と合流するために事前に決めていた安全地帯に移動し、そこにクナイを立てて待つ。

 

「お待たせっ」

 

「監視カメラはどうだ?」

 

「みやっちの引き出したやつと同じっぽいね。あれに映らないで動けるのは8秒がギリギリ」

 

 待つこと3分ほど。

 唯一見えるクナイを目印に近寄って正面辺りに来た理子は、情報通りの監視カメラかどうかを確認してきて、それが大丈夫だと報告。

 8秒あれば入り口を開けて入って閉めるまではシビアだが不可能ではないはず。

 

「あとは人の目に注意して、行くぞ」

 

「あいさー」

 

 時間も昼前なので人の目が本当に怖いが、敷地の割と端の方なのは幸い。

 今度は理子と手を繋いで移動して入り口の前まで来たところで、小声で段取りを確認して理子がスコープで監視カメラの死角のタイミングを見て、オレが周囲を警戒。とにかくスピード勝負だ。

 

「…………今だよっ」

 

 静かに告げられた理子のサインにすぐさま反応して入り口を開け、まずは理子を中に入れてから滑るようにオレも入って入り口に蓋をする。その間、約6秒ってところか。大丈夫なはず。

 入り口の下はタラップのような階段があって、そこを降りて廊下へと出ると、砂漠の色と同じコーティングの壁、床のひんやりとした金属の廊下はシンプルで、ここからは監視カメラの類いがないことは把握しつつ、人の気配の方を探りながら先へと進む。

 が、進んでも一向に人の気配がなく、そのまま地下1階の電子ロックの隔壁まで到達。

 

「これはあれか。防犯なんだな」

 

「だねぇ。しかも身内すら信頼してない感じのやつだよ」

 

 ここまで来れちゃうとオレも理子もこのセキュリティーの置き方が意図的であることに気づき、これ以降も人はいないだろうと予想。

 要するに警備を配置しても、その警備が奥にある何かを盗みかねないから最初から配置しないし、そもそもここまで侵入してこれる人間がいないから警備を置く必要がないと。

 だから人が触れないで済む鉄の壁に守らせておけばいい。その周囲を自分達が守れば、ほら要塞の完成。

 

「で、開けられそうか?」

 

「ちょおっと待ってねぇ……」

 

 そうとわかれば油断はしないがコミュニケーションにも支障が出る光屈折迷彩は脱いでさっそく電子ロックの隔壁を開けるために理子があれこれと調べる。

 

「カードキーでぇ……磁気タイプのやつか。ほいほいっ」

 

 この辺はお手のものとばかりにどういったものかをすぐに理解した理子は、この作戦用に用意したプラスチック性のリュックを下ろして、そこに入れていたよくわからん機材であれこれし始める。

 磁気タイプとか言うので、ヒルダも呼び出されて作業すること十数分。

 適当なカードを作った理子は、それを電子ロックにサッと通して、その際にヒルダが微量の電気を放出。何がどうなのかはさっぱりだが、それで認証がされて電子ロックが解除されたのだから誉めるしかない。

 

「各階にいくつ隔壁があるんだか」

 

「構造的に3つくらいかなぁ。ここ地下1階の隔壁は同じ電子ロックだから楽だけど、全部そうとは限らないから、時間はそれなりにかかると思うよ」

 

 1つ目の隔壁を突破して先へと進み、さらにその先にあった隔壁も同様に開けて進んでる途中にそんな疑問を口にすると、理子は構造的に3つくらいと答え、またすぐに隔壁へとぶつかるがこれもすぐに開けて進めば、確かに下の階層に続く階段が現れ理子がドヤ顔。

 

「ドヤ顔するなら最下層まで辿り着いてからにしような」

 

「じゃあ辿り着いたらご褒美のチューね」

 

「ヒルダがするってよ」

 

「なっ!? ばっ!? サ、サルトビお前!?」

 

 まだふざける余裕があるのは良いことなのだが、ふざけるのと騒ぐのは別なので、慌てふためくヒルダの口はすぐに塞いで地下2階に突入。

 次の隔壁はまた電子ロックが違うらしく、さっきよりも手間がかかるものの、難しいのではなく単に工作に時間がかかるだけとかで、1時間ほどかけて1つ目の隔壁を開けることに成功。

 

「お前、開けられない電子ロックってあるのか?」

 

「そりゃありますよ。最新式のやつとかこんな簡易装備で対応できないしね。ここは長いこと侵入者が……侵入者自体が皆無だから、電子ロック自体は割と古いタイプで取り替えたりはしてないっぽいねぇ」

 

「それも侵入されないからか。さすがにこれは怠惰のような気もするが」

 

「そのおかげでここまで来れてるんだから、感謝しなきゃだよ」

 

 なんだか簡単そうに解錠する理子を見てると、大したことないのかと錯覚するが、この理子も相当な手練。怪盗の一族だしな。

 決して楽ではない電子ロックの壁を順調にクリアしていく理子の快進撃は、なんと地下4階まで続き、この地下空間に入ってから9時間が経過したところで最下層の地下5階に到達してしまう。

 外はもう夜になってしまってるだろうが、そんなの関係ないとばかりにおそらくは最後になる隔壁の前まで来たオレ達は、これで最後かもという期待感で電子ロックと向き合うが、ここで初めて理子が「うげげっ」と嫌な声を上げたので、オレも見ていた電子ロックを確認する。

 

「パスワード式か」

 

「しかもミスしたらドボンのやーつー」

 

「桁数は……6、か?」

 

「100万通りですな。はっはっはっ……はぁ」

 

 パスワード式の電子ロックはオレでもわかるので、0から9まである数字のボタンとその上の入力欄から6桁なのはわかったが、それだけだと理子の言う通り100万通りのパスワードがあるので、1発で当てるのは奇跡と言える。

 しかも間違えるとアラートでも発信されるのか、1から順番に入力していく作業も出来ないとなると苦しい。

 

「……まぁ半分以下の確率にはしてやれるかもしれんが……」

 

 理子もやれなくはないのだろうが、ここまで来るのにも相当な神経を使ってきたからか、これからこいつに取りかかるだけの気力がないようで、ここまで頑張らせたからオレも役に立とうと当たって砕けろ。

 入力のボタンのところにもしもの時のために持ってきていた砂漠の砂の入った袋を叩いてその粒子を振りかけて、そこにライトを灯して目を凝らす。

 本当はそれ専用のものがあるのだが、急ごしらえの無駄に終わる可能性が大だったが、超がつく奇跡。

 粒子を振りかけられたボタンのいくつかにうっすらと凹凸が現れてくれる。

 これはこのボタンに触れた人の指紋による跡。そこに粒子がほんのわずかに乗っかった形で浮かび上がったのだが、本当によくわからないレベルなので厳しい。

 しかしそこからかつて押しただろう数字を抽出して、なんとか5つの数字は判明するが、どうやら同じ数字が使われてるらしく、理想的な絞り込みは出来ずに終わる。

 

「気休め程度の確率アップだな。分母が小さくなっただけだし」

 

「まぁその努力は無駄にしないよ。でも今日はもうギブぅ」

 

 結果として100万が10万以下にはなったか程度の差――計算が面倒なので適当だが――で、分子が1である以上、厳しいのは変わらない。

 それでも理子としては面倒な作業がいくらか削れたのか嬉しそうにはするが、さすがに10時間くらいは稼働しっぱなしだったからダウンしてしまい、今夜はもう寝かせてやることにする。

 作戦行動前に判明したことだが、ヒルダの影はある程度の物なら持ち運び可能らしく、その便利な能力のおかげで1日分の水と軽い食料は持ってこれたので、それを口にしつつで理子の休息中の警戒を夜通しで行う。

 あくまで保険なのでオレもかなり深い時間帯はヒルダに任せて光屈折迷彩を着て仮眠を取ったが、ここから抜け出ることも考えると、あと1日以内で片付けないと精神的にキツい。閉鎖空間ってのはそれだけ人に不安やら何やらを与えるからな。

 

「…………ちょっと。ねぇサルトビ。起きなさいな」

 

 色々と考えながら寝ていたので、頭は全然スッキリしていない状態でヒルダに呼ばれて意識を覚醒させる。

 ちょっとヒルダらしくない困惑混じりだった声色なのもあって異常事態なのも想定してヒルダを見るが、誰か人が来たとかではない――ヒルダが姿を隠していないから――ようで、そのヒルダはどこかを指差して動かないため、オレは釣られるようにその指差す方を向く。

 するとそこには昨夜に頭を悩ませたパスワード式の電子ロックがあり、なんと何がどうなってるのか勝手に数字が入力されているのだ。

 

「……何だ?」

 

 入力の速度は亀並みで、オレが見た段階で6桁中の2桁目が入力された段階だが、ヒルダが気づいて起こした時間から1分くらいで1桁が入力されているっぽい。

 とかなんとか思考していたらまた1桁入力されてしまい、オレには理解の及ばない現象なので理子を起こして見てもらうが、その理子も驚くばかりで説明はできないようだ。

 

「どうする?」

 

「どうしよっか」

 

「…………見守るか」

 

「……見守りますか」

 

 不思議で不気味な現象に立ち尽くすオレ達ではあったが、共通しただろうことはこの現象を止めてはならないという認識。

 そうして見守っていたら最後の6桁目が入力されて不思議現象は停止。あとは確定のボタンを押すだけで、これもオレと理子の意見は一致してオレが代表で確定ボタンを押す。

 するとそのパスワードは認証されたらしく、重たい鉄の扉はゴウンゴウンと音を鳴らしながらもゆっくりと開いていったのだった。



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Bullet130.5

 

 ――あの人は本当にもう!

 そんな怒りが込み上げてきてる今日この頃。

 すでにバレンタインデーから数日が経って、妙なそわそわ感が漂っていた学園島も平穏を取り戻していつも通りになっていましたが、私の心は穏やかじゃない。

 今月の上旬に帰ってきたと思って、バレンタインデーでは手作りチョコを最初に選んでくれて上げられたかと思えば、数日後にはまた海外に高飛びしてしまった京夜先輩の奔放さに振り回される私の滑稽さ。

 さすがに本人を前にこのクソとは言えないので心の内に留めますが、もう本当に徒友契約が終わってしまうのにこの放置プレイは責任放棄なのではなかろうか。

 私の一端の武偵ですから、いつまでもあれを教えてこれを教えてではダメなのはわかりますが、徒友っていうのはそういうことをしていい間柄になることではないのかと。

 そうした苛立ちが面に出ていたのか、専門科目の授業中にシャーペンの芯を延々と出しまくるという奇行が先生の目に止まって注意されてしまった。

 

「珍しいでござるな。小鳥殿の素行が悪くなるとは」

 

「私も人間としては未熟なもので……」

 

 その放課後。修行に行く途中まで陽菜ちゃんと下校を一緒にしていると、さっそく授業中のことをツッコまれて苦笑してしまう。恥ずかしいなぁ……

 

「して、小鳥殿の悩みの種は?」

 

「悩みっていうよりは不満というか……塵も積もり積もって山となりかけてる段階って感じ」

 

「よくはわからぬが、あまり溜め込みすぎては身体にも精神にも影響するでござるから、思い切り発散するも手でござる」

 

「発散、か」

 

 そうしたいつもと違う私の原因が悩み事だと思った陽菜ちゃんのちょっと鋭い質問に素直に答え、詳しくは聞かなくても解決策を言ってくれる辺りは優しい。

 しかし陽菜ちゃんのお悩み相談もここまで。どうやら修行の時間が早まったとかで走っていってしまって、それから1人でとぼとぼと帰路についていると、なんだか同じような空気を纏った人と帰る集団を発見。

 よく見なくてもあかりさんのグループでしたが、その中心のあかりさんの姿がなく、仲良さそうなライカさんと麒麟ちゃんを先頭に桜ちゃんと志乃さんがその後ろに続いてる。

 けど、あかりさんがいないせいか志乃さんが明らかにどんよりとした雰囲気で見てるこっちが鬱になりそうなあれな感じで、桜ちゃんが何度か声かけして反応を見てますが、上の空な返事をするだけで無駄っぽい。

 

「ん? 小鳥じゃんか」

 

「小鳥様、お疲れ様ですー」

 

「あ、うん。お疲れ様ぁ」

 

 違う道から来たライカさん達が立ち止まっていた私の存在に気づいて挨拶をしてくれたので、とりあえず挨拶は返したけど、やっぱり後ろの志乃さんの負のオーラが気になってしまい、私の言いたいことがすぐにわかったライカさん達も苦笑いを浮かべて志乃さんを見る。

 

「これはまぁ……気にすんな。あかりのやつがアリア先輩に付いてイギリスに行っちまって、元気ないだけだからよ」

 

「イギリス? アリア先輩の祖国ですね。帰国ってことでしょうか」

 

「さぁな。けどすぐには戻ってこないかもって話で、それで志乃がこの様ってわけ」

 

 話を聞くとやっぱりあかりさんの不在が原因っぽいことがわかり、アリア先輩の名前が出たことで志乃さんがピクッと反応し、次いで「神崎……アリア……」と念仏のように唱えたので、隣にいた桜ちゃんがビクッと怯える。

 あまり人に依存するのも良くないとは思うけど、友達に会えない悲しさは個人で大小が異なるものだしね。

 

「でもあの様子だと周りにも伝染しかねないですよね」

 

「そうですの。佐々木様にはなんとか持ち直してもらいたいのですが……」

 

「うーん。それなら……」

 

 ただ、その悲しみのオーラを周りに影響させるのはよろしくないので、ライカさんも麒麟ちゃんもどうにもしたいとは思ってることを知って提案を出そうかと思ったところで、また別の道から志乃さんに近いオーラを纏った高千穂さんが愛沢姉妹を連れてやって来て鉢合わせ。

 ちょっと仲が良いんだか悪いんだかわからないグループの遭遇で微妙な空気が流れますが、高千穂さんはあまり元気がないので挨拶もそこそこで立ち去ろうとしてしまう。

 

「あの、高千穂さん。もしかしてあかりさんがいなくて元気ないですか?」

 

「なっ!? 橘小鳥! お前は何を言って……」

 

「図星ですか。でも丁度良いです」

 

 思い返せばクラスでも「あかり……」とか独り言してた高千穂さん。となれば志乃さんと症状は同じな気がして尋ねると慌てたので、分かりやすい人と思いつつこれから言おうとしていた提案を聞いてもらおうと足を止めてもらう。

 

「私を含めてどうにも皆さん、鬱々とした雰囲気が漂っているので、ここは1つ、溜め込んでいるものを吐き出しに行きませんか?」

 

「吐き出しにって、どこに行くんだよ」

 

「女子高生の定番ですっ」

 

 そうした私の提案に一同が首を傾げる中、ちょっと可愛くそんな返しをすると麒麟ちゃんがまず気づき「賛成ですのー」と味方に。

 そこから麒麟ちゃんが行くならとライカさんも参加。桜ちゃんも上手く志乃さんを誘導して加わり、なかなかにプライドの高い高千穂さんには「これも友達付き合いですよ」と友達というワードで釣って愛沢姉妹も一緒に同伴が決定。

 ……あっ。女子高生の定番とは言ったけど、2名ほど女子中学生がいますが、そこはまぁ気にしないことにしよう、うん。ちっちゃいことは気にすんな、です。

 こうしていつもとは違った女子グループを形成して学園島を出て、港区の適当な場所まで移動してくると、私の意図がわかってる麒麟ちゃんが行きつけの店を紹介してくれたのでそこで即決し少し移動。

 辿り着いた飲み放題のカラオケ店にぞろぞろと押し寄せて部屋を確保しドリンクも頼んで準備完了。

 

「ではでは、日頃の鬱憤を歌に込めて発散しちゃいましょう!」

 

『おー!』

 

 一応の言い出しっぺである私がマイクとドリンクを持って音頭を取ると、意外とノリも息も合った一同は乾杯。

 さっそく曲を入れ始めますが、なんとライカさんがいきな無茶振りで私の曲を勝手に決定してしまい、そのままトップバッターにされてしまう。

 あ、あれ。こういうのは一番明るい子がムード作りのためにやるのが定番では……

 

「いえいッ!」

 

 強制的な選曲でしたが、ライカさんなりの優しさでメジャーなアップテンポの曲でなんとか歌い切り、それなりに場のムードも盛り上げられたかなとピースをすると、みんなが笑顔を向けてくれたのでとりあえずは成功でしょうか。

 私が歌ってる間にみんなが割とがっつり曲を入れていたので、以降は途切れることなく歌が続き、ライカさんと麒麟ちゃんのデュエットや桜ちゃんの子供向けアニメの歌、高千穂さんの歌に合いの手を入れる湯湯さん、夜夜さんの盛り上げもなかなか。

 さぁ流れが来たぞ! ってなタイミングで次の曲のイントロが流れ出すと、なんとも言えない謎の勢いがあるイントロでみんなして知らないからか微妙な表情になる中、スッと立ち上がってステージに移動した志乃さんはマイクを両手持ちして超マジの歌を披露。

 その曲がもうあれで、歌詞が大好きだった人を横取りされてその怒りを周りにぶつけるという乱暴さが超目立つもので、サビなんて志乃さんが泣きながら拳を握って歌うもんだから、みんなしてその迫力に圧されてだんまりになってしまった。こ、怖い……

 

「ふぅ……ちょっとスッキリしました」

 

 そして全部歌い切ってから志乃さんは丁寧なお辞儀でペコリとしてから、次の曲がかかる前に席へと戻り飲み物に口をつけて落ち着く。

 でもちょっとだけと言った証拠に、まだ発散し足りないのか次の負のオーラを纏う曲を探し始めたので、それを私と桜ちゃんでさりげなく止めつつ、仕方ないので他の人達が歌ってる間に愚痴を聞くことで発散させる作戦に切り替える。

 

「というかですね。いくら先輩で戦姉(あね)とはいえ戦妹(いもうと)を連れ回す権利があるとは思えないんですよ……」

 

 上手い具合に歌が志乃さんの愚痴を掻き消してくれるけど、聞かなきゃいけない私と桜ちゃんは嫌でもそれを耳にしないといけない。

 しかし志乃さんが言ってることもなんとなく共感できちゃう辺り、私もずいぶん徒友制度に不満を抱いているのかもしれない。

 

「戦妹は戦姉の道具じゃないんですよぉ」

 

「それは言えてますねぇ。まぁ、戦妹を放置プレイされるのも問題がある気もしますが……」

 

「あれ、小鳥先輩は猿飛先輩に不満があるんですか? 私から見たら羨ましい先輩ですが」

 

「桜ちゃんは京夜先輩の良いところしか見えてないからそんなこと言えるんだよ。実際には頼りたい時にいないし、どうでもいい時に限って色々と言ってくるし」

 

 ソフトドリンクを飲んでいるはずなのに、何故か酔ってる風になってきた志乃さんの本音が駄々漏れですが、毒には毒。愚痴には愚痴と言うように私も戦兄への不満を口にすると、京夜先輩の評価が高い桜ちゃんが驚くような反応をしたことに驚く。いつの間に好感度を上げたんでしょうか、あの人は……

 

「そうなんですか。来学期にダメ元で徒友申請してみようと思ってたんですが」

 

「桜さん……浮気ですか?」

 

「えっ? いえいえ! 今はちゃんとしっかりあかり先輩から学ばせてもらいますよ! あくまで次の話ですから」

 

「なんだかんだで私の次の徒友契約は倍率高そうですよねぇ。EランクからAランクに飛び級する先輩なんて話題に事欠かないし」

 

「ですけど、冷静に考えて3年生と徒友契約はメリットが少ないですよね」

 

「ですねぇ。3年になったらその道のプロと差し支えない扱いになりますし、海外進出や依頼で後輩の面倒なんて見てる暇はないはずですぅ」

 

 愚痴だったはずなのにいつの間にか真面目な話になって、酔った風の志乃さんが冷静な思考で意見するのをホゥホゥと聞き入ってしまったけど、確かに3年生ってあんまり学校で見ないから徒友契約はメリットがなさそう。みんな色々と考えてるんだなぁ。

 

「そういえば志乃さんは白雪先輩が戦姉ですけど、戦姉自慢はないんですか?」

 

「白雪お姉様のですかぁ? そんなのアリア先輩と比べるまでもないほど素敵なお姉様ですよぉ。いつも『親切』を学ばせてもらってますぅ」

 

「親切、ですか?」

 

「そうですぅ。『親切』ですぅ。フフフッ」

 

 そこで良い流れなのでネガティブ方面からどうにかポジティブ方面に舵を切ろうと白雪先輩の話題を聞き出そうとしましたが、なんか志乃さんが口にする親切が妙に凄みがあって鳥肌が立った。

 きっと凄く優しくて非の打ち所がない戦姉なんだろうなってのは雰囲気でわかるんですが、なんだろうな。この志乃さんだからこそ最高の戦姉である、という確信に近い何かは……

 おそらく私が春先から見聞きし下の階で繰り広げられてきた数々の暴動――怪獣大戦争かと思った――のせいなのでしょうが、アリア先輩や理子先輩が絡まなければ白雪先輩は温厚で優しい人。だと思うので、きっと私のマイナスの思い込みが悪いんでしょう。

 

「おいおい。折角カラオケに来てんだからもっと歌っとけって」

 

「ですのー! 佐々木様もデュエットなんていかがですか?」

 

 などなど、雑談がメインになり始めたところに積極的に歌っていたライカさんや麒麟ちゃんが誘ってくれたので、デュエットなら志乃さんも曲のチョイスは大丈夫だろと私も桜ちゃんも勧めてステージへと上げ、ちょうど歌い始めようとしていた高千穂さんと必然的にデュエット開始。

 

「な、何で志乃と一緒に歌わなきゃならないっちゃ!」

 

「こ、こっちこそ御免被ります!」

 

「歌姫2人でデュエットなんて最高だなぁ」

 

 しかし普段は仲の悪い2人が歌うより先に喧嘩を始めそうだったので、その喧嘩のベクトルを変えてあげるガヤで高千穂さんをノセて、ステージを降りようとした志乃さんを煽るように仕向ければ、はいデュエット開始です。

 そうして歌い始めたらかなり息の合ったパート分けとハモりを披露するんだから、本当は仲がとっても良いんじゃないかと疑いたくなる。

 そんなカラオケは2時間くらいで終わってしまいましたが、店を出た頃には歌い疲れたのもあるでしょうけど、グチグチとネガティブなことを言う人もいなくなっていた。

 作戦は概ね成功と言っていいのではないでしょうか。

 帰りは港区に居を構える志乃さん、高千穂さん、桜ちゃんがそれぞれ迎えの車やらバスやらタクシーやらを捕まえて、ひと足早く帰路についていこうとし、私とライカさん、麒麟ちゃんも学園島に戻るために別のバスに乗りに移動をしかけたタイミング。

 全員の携帯に着信があり、そのシンクロした動きにお開きムードから真面目な雰囲気に切り替わった私達は一斉に届いたメールに目を通す。

 やっぱりメールは教務科からで、周知メールのそれには現在進行形で品川駅の近くで無差別な爆破をしてる輩が暴れてるとあった。

 

「爆破って、手榴弾とかでしょうか」

 

「火炎瓶とかで車に引火させてんのかもな」

 

「RPGでド派手にってこともあり得ますの」

 

「警察の方からも情報を引き出してみますね」

 

 緊急のメールだからか内容が酷く薄くて、現場を見ないことにはどうにもならなそうな雰囲気が流れ、桜ちゃんが橋架生のコネで警察の方にも確認を取ってくれるけど、もうその警察が対応してくれてる気もする。

 楽観視は良くないけど、こういうメールはよくあるし、駆けつけた頃には解決してるなんてこともザラだと聞いてるので、私達も詳細が来るまでは近場で待機か現場に行くだけ行ってみるかで分かれる。

 

「…………人がせっかく気分良く帰ろうとしていたのに……」

 

「空気の読めないバカには本当にイライラするわね……」

 

 しかし志乃さんと高千穂さんはこの騒動に足を止められたことが非常にイラついたらしく、2人して不気味な笑い声を出したあとは、私達の意見も聞かずに品川駅へと一目散に走っていってしまい、なんだか暴走気味の2人を放っておけないので私達もすぐにそのあとを追っていった。

 

「何あれ……特攻隊?」

 

「人間爆弾だろありゃ」

 

「バカな男の行動は読めませんの」

 

「これでは手を出すのも難しいですね」

 

 辿り着いた品川駅の近くの交差点の中心。

 今や警察のパトカーが周囲を取り囲んで1人の男を包囲してはいたものの、その暴れていた男は体に巻いたベルトにびっしりと装備された手榴弾で周囲を威嚇していた。

 目視ではあるけど、手榴弾の数はおよそ30はあり、ピンもベルトから取るだけで外れちゃうような仕組みがあるっぽい。

 その男の近くではすでに5台の車が炎上し黒い煙を噴き上げていて、ガソリンへの引火で爆発も起きている。

 男もすぐに使ってしまえば御用なのはわかってるからか、無駄に手榴弾を投げたりはしてこないで、不気味な笑い声で如何に多くの犠牲が出せるかを考えている節が見られる。

 

「なんか、捕まってもいい感じを出してますよね」

 

「ああいう類いの奴は自棄を起こしてるケースが多いからな。どうせ捕まるなら被害を最大にしたいとか思ってんだろ。迷惑極まりねぇよ、ホント」

 

 一応の増援なので、各々が主武器を持ち出して話し合いをするけど、これはもう交渉人とかの出番な気がしないでもなく、強襲でどうこうはリスクが高すぎると思う。

 もちろん、犯人の生死を問わないのならすでに狙撃の準備くらいはされてるだろうし、そのための包囲である可能性の方が高い気もするけど、日本はそっち方面への舵切りは色々と判断が遅い。

 

「ちょっ!? 高千穂先輩!」

 

 時間も時間でもう日が落ちてしまったものの、警察によるライトで犯人の姿は完全に捉えていたところに、スタームルガー・レッドホークを装備した高千穂さんが包囲を抜け出て犯人へと歩み寄って射程距離にまで近づいてしまい、それには警察の方々も私達もどよめく。

 

「これはあとで始末書とか書かされるんじゃねーか?」

 

「それよりも何の策もなしに前に出たかもしれませんのよ……」

 

「麗様、戦術の組み立ては苦手なのに……」

 

「でもバカじゃないからもしかしたら……」

 

 完全に直前のあれが尾を引いて考えなしで出ていったと思われてる高千穂さんですが、現場においては冷静さを欠かない高千穂さんが無謀なことはしない、と思いたい私は、その行動に意味があると考えて周囲に目を配る。

 

「……あれ、志乃さん?」

 

 と、そこで初めて志乃さんの姿がないことに気づいてみんなにも知らせるが、誰もわからないとなって頭を抱える。

 よりによって暴走気味の2人が奇行に走るなんて……

 と、ストッパーとして来たはずの自分に落胆していると、昴が何かを見つけたようでそれに従って移動してみると、近くのマンホールが開けられて地下への穴がぽっかりと空いていた。

 マンホールが勝手に開くことはないので、誰かが意図的に開けたことになり、少し思考してから犯人の近くを観察すると、すぐ足元にマンホールが。

 

「あれ、もしかして……」

 

 そこで思い至った私は、スタームルガー・レッドホークを犯人に向けてベラベラと挑発するように喋って自分に注目させる高千穂さんの狙いがわかり、警察の影に隠れてそれをライカさん達にも伝達。

 高千穂さんの挑発によってその注意が高千穂さんに寄ったところで、マンホールの通って地下を移動してきた志乃さんが、犯人の近くのマンホールを開けようとしたところで高千穂さんが空に向けて発砲し音を掻き消す。

 そうしてマンホールから出てきた志乃さんは、すぐに持っていた刀を抜刀し犯人の体に巻きつくベルトを斬り落として、地面に落ちたベルトを後ろへと放り捨ててしまうと、それと同時に私達も突撃。

 息もつかせない強襲で無力化した犯人を取り押さえて、何かの拍子でピンが外れてしまった手榴弾が前の方で盛大に爆発してしまったけど、みんな退避していたので犠牲者はなし。

 

「まったく、ヒヤヒヤしたぜ」

 

「ホントですよ。やるならやるで私達にも知らせてくれないと困ります」

 

 何はともあれ志乃さんと高千穂さんの機転で事件が解決して、反省会をする中で、おかんむりなライカさんや桜ちゃんの言葉にはぐうの音も出ない様子の2人でしたが、やっぱりなんだかんだで仲が良くなきゃ出来ない連携をした2人が仲良しさんなんだなぁと思いながら、そのあとはしっかり私達も一緒に警察からのお叱りを受けてしまうのでした。



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Bullet131

 

「開いちまったな……」

 

「開いちゃったね……」

 

 エリア51の最深部と思われる場所にあったパスワード式の電子ロックの隔壁の前で足止めされていたオレと理子とヒルダだったが、朝方に何故かそのロックが自動で解除されてしまい、重々しい隔壁がいとも簡単に開いてオレ達に先に進める道を作る。

 

「罠かもだが?」

 

「かもねぇ。でもどのみち進むんでしょ」

 

「違いない」

 

 こちらの意図としない展開なので、当然ながら疑ってかかるわけだが、どうせ罠にかけるならこの前の隔壁を全て閉じてしまえばそれでオレ達はミイラになるしかないんだから、こっちを開ける意味はない。

 理子もそう思ったのか、寝起きで体が起き切ってないのか大きく伸びをしてからヒルダに水をもらって「さて!」と行くことを告げる。

 並んで隔壁の向こうへと踏み入り、大広間になっていたそこには、年期の入ってそうな稀少な戦車や戦闘機などがあったが、瑠瑠色金らしきものは見当たらない。

 

「そもそも瑠瑠色金はどのくらいの大きさのものなんだか……」

 

「ヒルダは知らないの?」

 

「色金について調べたりはしたけど、原石と呼べるものの大きさについてはわからなかったわ。でも色金なら超能力者である私に知覚できるはずよ」

 

「ならここからはヒルダの感覚が頼りだな……ん?」

 

 一応、大広間をぐるっと回りながら瑠瑠色金を探すが、そもそもの姿形すらわからないものを探せという無理難題。

 しかし超能力者には色金を知覚できるらしいので、本当に理子を連れてきて良かったと思いつつ半周ほどしたところで、この大広間にまた出入り口らしきものが現れた。

 不思議に思ってその前にまで移動して先を見れば、暗くて見えにくいがまだ先があり、階段のようになってるのがわかる。

 

「おいおい。マップにない隠しルートですか?」

 

「こりゃまだ下があるね。また隔壁もありそう……」

 

 ここにきてまさかのマップにない階層の登場で、オレと理子はちょっとゲンナリしてしまうが、下がある以上は行くしかないし、その間にぐるっと回ってきたヒルダもこの大広間に瑠瑠色金がないことをジェスチャーで知らせてくれた。

 そしてマップにない地下6階に到達すれば、やはりというか別の隔壁が道を阻んでいてガックリくるが、少し調べた理子が驚きの声を上げるので何事かと思うと、この隔壁のロックもすでに解除されているというのだ。

 

「怖っ!」

 

「これもう開くから開けるけど、何なんだろうこれ……」

 

 もはやちょっとしたホラーなのだが、手間が省けてるのは事実なので、理子のように不思議に思うくらいで留めておくのがいいのかもしれないと思考を止めて、抵抗なく開いた隔壁の先へと進む。

 隔壁の先はまた別のものが保管された大広間になっていて、見てはいけないようなものもあるようなないようなだが、今は特に興味がないのでスルーしつつ、ヒルダの反応をうかがうが、この大広間にも瑠瑠色金はないようだった。

 

「…………次も開いてるに1ドル」

 

「じゃあ理子は100ドル」

 

「賭けにならん。行くぞ」

 

 そうなるとまた見えていた階下への通路を見ながらに理子とちょっとした賭けをしようとするが、理子も開く方に賭けちゃ敗者がいなくなるので破綻で終わり、とうとう地下7階という深部に到達。

 この地下7階にも隔壁が存在していたが、オレと理子はその変化にすぐ気づく。

 隔壁にはこれまでなかった前置きとして『警告 制限区域 立入禁止』の文字が英語で記されていて、ここから先がこれまでとは違うエリアなのを否が応でも知らせてきていた。

 

「やっぱ開いてるか」

 

「まっ、ここでたぶん終わりでしょ。ここになかったら諦めるしかないねぇ」

 

「外はもう昼か。のんびりしすぎたかもな」

 

 そんな特別な区域のくせにまたも電子ロックは解除されていて、何の苦もなく入ることができたわけだが、ここまで割としっかりと中を見てきたので時間もそれなりに経過してるのを時計で確認しつつ、謎の手助けについてもなんとなく見当がついて警戒心も薄くなっていた。

 そしていざ制限区域に突入してみると、これまでとそう変わらない大広間で、正直ここまで来るのに見てきた物の方が価値があるとさえ思える保管物にオレと理子とヒルダはちょっと拍子抜けを食らう。

 大広間にあったのは黒塗りの同型クラシックカーが20台ほど並べられているだけ。

 

「T型フォードかぁ。超が付くくらいの量産車だけど、何でここに?」

 

「先に通路は……なさそうだな」

 

 一応は確認のために理子の言うT型フォードの1台に近寄って触ってみるが、何の変哲もない車だし、入ってきた以外の扉や出入り口もないことから、正真正銘ここが最深部なのは疑いようがない。

 

「これに意味があるなら……ヒルダ。もしかしてこの車が……」

 

 予想では瑠瑠色金は理子のロザリオのような青色をしていると思って、その先入観で無意識で青色のものを探していたが、こいつは『金属を加工』して作られているし、色だってわざわざ黒に塗装されている。

 そうした予想を交えつつ色金センサー持ちのヒルダに確認してもらおうとすると、そのヒルダはその目を今まで見たことがないくらい見開いて驚く表情でT型フォードを見ていた。

 

「…………嘘でしょ……これ『全部が瑠瑠色金』だわ……」

 

「うえっ!? これ全部が!? うっそでしょ!?」

 

「これを全部まとめると……ちょっとした巨岩サイズの瑠瑠色金になるな……」

 

 そのヒルダが言うには、ここにある車の全てが瑠瑠色金で出来ているらしく、元は1つだったのだろうその総質量を考えると相当な大きさなのがわかる。

 そこから考えたら理子の持つロザリオの瑠瑠色金がどれほど少量かわかるが、まさかこれほどの大質量とは思ってもみなかった……

 

「うおうっ!?」

 

 とんでもない事実に驚愕していたら、何やら別のことで驚く声を上げた理子に目を向けると、首から下げていたロザリオが取り出されて、そのロザリオが淡い光を放っていた。共鳴、か?

 理子のロザリオは光を点滅させながら徐々にその光を弱めていき、すぐに元に戻ってしまったが、それが何かの確認作業だったかのように次は車となった瑠瑠色金が淡く光ると、オレ達の前に立体映像のように青く光る女が姿を現す。

 が、この女がよく見るとオレ達がよく知る人物である真田幸音その人で、しかも一糸纏わぬ裸体なのでちょっと目のやり場に困り、理子とヒルダに白い目で見られてしまう。オ、オレが悪いんじゃないやい!

 

「あなた達がここを目指し近づいてきているのは、そのロザリオから見ていました」

 

 真面目な場面なのに微妙に男女で温度差があるオレ達のことなど大して気にすることもなく、視覚化された瑠瑠神とおぼしき存在はここまで来たオレ達の接近を知っていたようなことを言う。

 

「あんたは緋緋神と同じ存在。瑠瑠神って認識でいいんだよな」

 

「あなた達が緋緋神と呼ぶ存在がヒヒ……私の姉であるという共通認識であるならばそうなります。この姿はあなた方が最も共有できる存在の姿をお借りしていますが、私自身に決まった実体はありません」

 

「……すまないんだが、生物学的にメスとされる方々の視線がオスを攻撃してくるので、何か被服を纏うことはできないでしょうか」

 

 ずいぶんと難しい言葉ではあるが、自分が瑠瑠神であることを認めたので、言葉を瑠瑠神の方に寄せて、とりあえず全裸の幸姉と正面から対話は困るのでどうにかならないかと進言すると、オレの……人間の羞恥心というのに疎そうな瑠瑠神は理解はしてなさそうだが、ワンピースのような被服を纏って直視できるようにはなってくれた。

 

「それじゃあ瑠瑠神。オレ達の前に出てきたってことは、何か伝えたいことがあるってことだよな」

 

「猿飛京夜と言いましたか。あなたも私に聞きたいことがあってここまで来ましたね。まずはそちらをうかがいましょう」

 

 かなりナチュラルに瑠瑠神と会話をするオレに理子とヒルダが面食らって固まってしまってるが、緋緋神とは違ってちゃんとこっちの話を聞いてくれる瑠瑠神の厚意で、まずはこちらの案件を片付けにかかる。

 

「いくつかあるが……まずはそうだな……ここにいる瑠瑠色金の力を使ってる理子を、緋緋神のように人格を乗っ取ることはできるのか?」

 

「可能か不可能かの話であれば、可能でしょう。その者が私との感応を高めればよりスムーズに。しかし私はヒヒとは違い、あるべき自然の形を崩すようなことはしません。なるべくならば人との関わりも持ちたくはないのです」

 

「それは今後、理子が色金の力を使おうが、どうこうしようとする意思はないって解釈でいいんだな?」

 

「そのように判断して構いません」

 

 そこでまずはこの場にいる理子の安全を確保したかったので、そうした質問をしてみる。

 それにはちょっと怖いことも言われてしまうが、緋緋神のように人格を乗っ取るような行為はしないと断言してくれたので、自分の話にキョトンとしていた理子を見て「良かったな」とアイコンタクトしつつ、まだ解決すべき案件はあるので話は続ける。

 

「その言葉は信じるしかないな。次は……単刀直入にいこうか。緋緋神が今、1人の人間の人格を乗っ取って世界に混乱を招こうとしてる。それを止める手立てを知ってる、もしくは持ってないか」

 

「その問いかけに対する回答を持ち合わせていますが、私は今、その決断に迷いがあるのです。それが私があなた方に干渉したことと関係しています」

 

「迷い?」

 

 人との関わりを嫌ってる節がある瑠瑠神が長々とオレ達との対話に応じてくれる保証もないので、回りくどいことはせずにズバリ答えに迫ると、その答えを持ってはいるがまだ話す気はないといった返しをしてきて、それがどういうことかを考える。

 

「……それは璃璃色金……璃璃神とも関係してる?」

 

「あなたはずいぶんと核心に迫る情報を持っているようですね。そうです。私の迷いを払拭するためには、妹であるリリと会う必要があります」

 

「なるほど。つまり瑠瑠神、あんたの接触してきた理由は、ここから連れ出して璃璃神に接触させてほしいって言うためか」

 

「その通りです」

 

 そうした考えに至るための情報は、不自然に合流してきたレキの言葉を思い出すことで予測できたが、突然に瑠瑠神と会いたいと言い出した璃璃神と感覚的に何かを共有したということなのか。

 

「それはこっちの目的とも合致するからいいんだが、さすがにここにある瑠瑠色金を全部は無理だぞ」

 

「私の力は質量に比例しますから、人の力を借りずに今のように話すならば、1キロ程度を運んでいただければなんとかできるでしょう。そこの私の力を使う者の体を借りて話すことも可能でしょうが、それはしないと言ったばかりですので」

 

「1キロ程度ね。あからさまに剥ぎ取るとあれだし、理子、どこなら楽に取れる?」

 

「えっ? えっと……普通の車ならナンバープレートとか、かな」

 

「んじゃそれ取って撤収するぞ。どうやらこれ以上の話はレキがいなきゃ進まないらしいし、なんか嫌な予感もする」

 

 なんにしても、これ以上の突っ込んだ話がレキ。璃璃神抜きではしてくれない雰囲気だったので、場所が場所だけに時間を無駄にはできないと判断。

 車についてはそれほど詳しくもないのですぐに取り外せる物を理子に聞いてからは、まだ呆然としている2人を多少放置して作業に取りかかり、瑠瑠神もオレの理解が早かったからか、意外とまだ話してくれそうな雰囲気で実体化していた。

 

「瑠瑠神、ちなみに緋緋神を止める手段ってのは、実行するとなると具体的にどうやるんだ?」

 

「……今あなたが切り離している私の一部を運んで、世界各地の緋緋色金に接近してもらいます。そしてその都度、私の換価重力圏にヒヒを捕らえ、その重力子を集め、圧壊させていくのです」

 

「んー……ヒルダ。解説を頼む」

 

「……素粒子の分野の話になるから、サルトビにはどうしても難しくなるのだけど……要するに緋緋色金の力を瑠瑠色金の力で囲い込んで押し潰して消滅させるってところかしら」

 

「相殺とは違うのか」

 

「それでは運び出す瑠瑠色金の質量だけではどうしようもなくなるでしょう」

 

「なるほど。だがそれはつまり緋緋色金を……緋緋神を消滅させるってことだろ。話からしてお前ら色金は姉妹のような存在なのにそんなこと……って、だから迷ってるってことか」

 

 瑠瑠神の言い回しがよくわからなかったので、超能力担当のヒルダの解説でなんとなく言ってることは理解できたが、出てくる単語がいちいち不穏なのでさすがにオレでもその意味には辿り着く。

 さらにそうしたある種の『殺害』とも呼べる行為が、同類でしかも姉妹らしい瑠瑠神を踏み留まらせていることに気付き瑠瑠神を見る。

 

「私と妹のリリは、今の私達の在り方を変えるつもりはありません。ですがヒヒは数千年前に『情熱』という人間の感情に興味を持ち、いたずらに干渉を始めてしまいました。姉のしでかしたことの不始末は妹である私達がつける。人間の言葉にするならばそれは……」

 

「『尻拭いをする』とでも?」

 

「そうしたことをする責任が、私達にもあると考えています」

 

 迷いがある、ということはそれはつまり、色金にも同族を殺すことへの抵抗があるということに他ならないが、たとえ意思のある金属の話とはいえ生き死にの話をされるのは気分が良くない。

 

「他に緋緋神を止める手段はないのか? たとえばお前が説得するとかして」

 

「それができるのであれば、もう何千年も前にやっているとだけ」

 

 ある種の思考停止にも思える瑠瑠神の話ではあるが、今ここでオレが食い下がっても仕方ないので、もっとガッツリとした話はキンジ達を交えての方がいいだろうな。

 それを察したのか瑠瑠神もそれ以降は口を閉じて、幸姉の姿をした仮の実体もすぅっと消えてしまい、それと同時にオレもナンバープレートを取り外すことに成功し、それを単分子振動刀である程度だが分断して短冊状にし足に仕込むように差し込んで収納。取り付けていたネジも瑠瑠色金だろうから、それはミズチの収納に入れておく。

 

「さて、ここにもう用はないな。太陽も恋しいしさっさと……」

 

 ――ゴゴンッ。

 瑠瑠神との対話もとりあえず終えて、瑠瑠色金の回収も済んだので、長居は無用と情報の整理をしていた理子とヒルダに声をかけて撤収しようとしたが、そうした重々しい駆動音が響き周囲を見れば、オレ達が入ってきた扉が閉まり始めていた。

 

「やっばーい!」

 

「走れッ!」

 

 あまりに唐突なことで思考してる暇もなく走り出し、影になったヒルダが先行して扉をどうにかしようとしてくれたが、あの大きさの扉を食い止めたりは無理そう。

 本気の全速で扉を抜けようとしたが、あまりにも無情に扉は閉じ切ってしまい、一瞬だけ食い止めたヒルダも圧力に押されて中に押し戻されて、その体をオレが支えてやったが、閉じ込められたか。

 

「こういうのって緊急用に中からは開けられる装置があったり……」

 

「知ってるキョーやん? こういう場所って侵入者を逃がさない檻のように作られてるって」

 

「ですよねぇ……」

 

 とりあえず希望的観点から、一般的な大型冷蔵庫などには普通に付いてる機能がないかを考えてみるが、ちょっと見て回った理子がバッサリ。こっちもガックリだ。悪い予感って当たっちゃう。

 次に単分子振動刀で扉に傷をつけてみるが、やはり厚さも強度もあるので、一時的なチェーンソーみたいな単分子振動刀では火花を散らして浅い傷をつけるので精一杯。とてもじゃないが貫通は無理だ。最悪、単分子振動刀の方がスクラップになる。

 

「時間は……午後3時過ぎか。こりゃキンジ達が来るのを祈るしかないな」

 

「確率的にはどんくらい?」

 

「……10%くらい?」

 

「ひっく! でもそんくらいが妥当かぁ」

 

 諦めるのも癪だが、こればっかりはどうしようもないので固く閉ざされた扉の前で座り込んで気を紛らわす会話をしてみるが、溜め息が出るような結果になる。

 

「だが、だ。この状況を説明する2つの可能性はあるぞ」

 

「理子達が見つかった可能性が1つでしょ」

 

「単純にセキュリティーチェックで扉が開いてることに気づいた可能性よね」

 

「その2つはイコールだろ。もう1つあるとすれば『ここに誰かが辿り着く可能性』があって、セキュリティーを外部から操作したかだ」

 

「それってつまり、キーくん達がここに来る可能性があるってことだよね」

 

「あくまで希望的な可能性を考えるならな」

 

 溜め息は幸せが逃げるし、ネガティブな考えは発狂の元なので、物凄く冷静に、客観的に今のこの状況を見てポジティブな可能性を考えて口にすると、理子もヒルダもうっすらと笑ってから落ち着きは持ったようだった。

 それから2時間弱、冷静な頭で大広間を見て回ったりして打開策を各々で練ってみたり、気分転換で光屈折迷彩でかくれんぼなんてしてみたりで緊迫してるんだか諦めてるんだか判断が難しい落差の行動でヒルダが本気で心配してくる。

 別にふざけてるつもりはないが、理子みたいなやつは適度に遊んでやらないとそれこそ発狂して変なことを言い出す可能性があり、案外、こうやって遊んでるとポッと解決策を思い付いたりするから侮れない。

 

「瑠瑠神に頼んでみるか」

 

「無理そうじゃない? 自然と共になんちゃらー、とか言ってたし、理子達が閉じ込められたのもある意味で自然なことだし」

 

「こうなってオレ達が死ぬのもまた自然なことってことか」

 

 まぁそれでも打開策は思い付かないので、ここに存在する瑠瑠神に土下座でもして何とかしてもらおうかと思ったが、理子の言うようにこの状況も自然なことで、人間への干渉も嫌ってる瑠瑠神は聞こえてるはずだが無反応なので無理そう。

 いよいよポジティブ思考もネガティブ思考に切り替わるかといったタイミングで、扉の前にいたヒルダが向こう側から音がすると言い出し、慌ててオレと理子は光屈折迷彩を着てヒルダも理子の下に隠れて様子をうかがう。

 すると固く閉ざされていた扉がまたゆっくりと開き始めて、その奥からはなんかもう懐かしいとさえ思えるやつらの姿が見えてちょっと泣きそうになった。

 キンジ、レキ、ジーサード、かなめにロカ等ジーサードの部下数人に、何故かマッシュまでいたが、好戦的な雰囲気もなく揃って中へと入ってきたので、完全にその後ろを取ったオレが挨拶しようとしたら、先に理子がキンジの背中に飛び付いて光屈折迷彩を脱ぎ「キーくんやっほー!」とかやったので、オレも一同が驚く中で光屈折迷彩を脱いで存在を主張。

 

「ずいぶん遅かったじゃないか、諸君」

 

「いや、何でそんな偉そうなんだよ……」

 

 だがただ出ていくのが嫌だったので、ちょっとカッコ良く口を開いてみたが、逆に冷静になったジーサードがすかさずツッコミを入れてくるのだった。



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Bullet132

 いくつもの難問をなんとか突破して、ようやく手に入れた瑠瑠色金を外へ運び出そうとしたところで、オレ達の運も尽きて、深い地下の空間に閉じ込められてしまったが、同じく瑠瑠色金を目指していたキンジ達も辿り着くことで危機を脱する。

 

「それで、瑠瑠色金はあったのかよ」

 

 先に入って閉じ込められていたオレ達が光屈折迷彩を脱いで現れた時のちょっとした混乱もすぐに納めて、ジーサードが回りくどいことはなしだと言わんばかりに問いかけてきたので、オレは足に仕込んでいた瑠瑠色金を取り出して近くにいた超能力担当っぽいロカに手渡しておく。オレにはあまり必要ないしな。

 

「まだ必要なら勝手に持ち出しとけ。オレじゃこのくらいが限界だったってだけだからよ」

 

「あっ?」

 

 ロカの確認を待たずに答えを示したオレは、不思議そうにするジーサードの視線を先にあるT型フォードへと向けさせる。

 

「まさか……あれ全部、なのか?」

 

「ヒルダのお墨付きだぞ」

 

 ロカに渡したのがナンバープレートを分断したものだと理解したキンジが驚愕の声をあげ、一同がわらわらと瑠瑠色金に近づいていく。

 そうした一同から1歩引いた位置で止まったオレと理子、ヒルダは、念願の瑠瑠色金に到達し喜ぶキンジ達を見てちょっと笑い合うが、すぐに別の驚きが場を包む。

 なんとレキがいきなりキンジに強引なキスをして、舌まで絡めてそうなそれには理子が興奮。

 すぐに尋常じゃない行動とは思い至ったので理子にはオレから茶々は入れるなと釘を刺しておき、かなめでさえ割り込めなかったキスを終えると、レキはその表情に普段よりも人間っぽい喜びに似たものを浮かべて瑠瑠色金へと向き直る。

 そのレキの変化に合わせて、感応するように今度は瑠瑠神が先ほどのように仮の実体となって姿を現すが、その姿はオレの知らない……いや、写真でしか見たことがない人物。

 ジーサードやかなめ、人工天才に敬愛されていたサラ博士と思われる人物の姿となった瑠瑠神はまたも裸なので、ムッとした理子がオレに目隠ししてしまう。まぁ話さえ聞ければいいし、このままでもいいけど。

 その瑠瑠神が口を開く限り、今レキは璃璃神にその体を貸している状態のようで、自然を破壊するのを嫌ってるという言葉通りにジーサードの願いであったサラ博士を生き還らせることを拒否。

 それから自分達、色金の特性である『分かたれても個体それぞれに意思を持つ』ことや、緋緋神がずっと昔からしてきたことを話してから、オレ達と話した時には迷っていたこともハッキリと口にして『緋緋神を殺す』と言い、一同を困惑させる。

 

「ダメだ。殺さない。家族殺しの片棒は担がないぞ」

 

 だがキンジはこれに少しだけ沈黙してから瑠瑠神のやり方を否定。間があったのはおそらくオレと同じで色金をどういう扱いで見るかを定めていたといったところだが、そんなキンジに瑠瑠神も「では?」と尋ねると、ここは即答で「逮捕する」と言うもんだから、もう周りがどよめく。

 しかしその具体的な逮捕する方法まではここでは思い付いていないようで、日本の法律の話やらで理屈っぽく瑠瑠神を説得すると、その方法を探る時間はくれるような言い回しでとりあえずは納得したようなしてないようなだった。

 それから瑠瑠神の策も実行できるようにするためと、ジーサードの私的な目的のために瑠瑠色金を適量で車から拝借して、なんか長居もできないらしいこの場からさっさと退散。また閉じ込められたら泣くわ。割とマジで。

 そうしたマジな感想を抱きつつ、地上を目指しながらここにきて初めて顔見せになったロカの隣まで移動して挨拶がてら会話に臨む。

 

「ちょっとぶりだな、ロカ。日本には来てなかったんだよな?」

 

「リーグの全員がサードに付いて回ることなんて珍しいくらいだし。あと知り合い感覚で接してこないでちょうだい」

 

「まだ笑ったこと根に持ってんのかよ。そんなことじゃ背も伸びないぞ」

 

「そんなことで私の背が伸びないことを実証するデータを提示しなさい。迷信とかそういうの嫌いなんだけど」

 

 この中で一番の迷信とかオカルトの部類の超能力者なのにか。

 

「超能力だって科学的に立証されてきてるのよ。私はその最先端にいたんだから当然でしょ」

 

 兵装も超能力も先端ってか。それは失礼しましたね。少しだが子供扱いもレディーにするもんじゃなかったな。

 

「そう思うならちゃんと言葉にしなさい。私は言葉入らずの翻訳機じゃないんだか、ら!」

 

 どげしっ!

 途中からオレの思考を読んで会話してくれたので楽したが、オレを注視しなきゃいけない都合なのか余計なことをさせるなと尻に蹴りを入れながらのツッコミをされてしまった。怠惰、良くない。

 そんなオレとロカがどう見えたのか不明だが、後ろをヒルダと歩く理子からジト目が飛んできていたが、オレも世間話とふざけるために会話をしたわけではない。

 

「それで、何でマッシュがこっち側で我が物顔してるんだ?」

 

「私達がエリア51に到達した段階であいつが所属してたNSAから弾かれたのよ。でも私達が暴れてここまで来るのを防ぐって建前で案内役を買って出たわけ」

 

「ならその権限はないだろ」

 

「だから今こうして急いでるでしょ。頭が悪いわね」

 

 なるほど。つまり今、マッシュはジーサードに敗北して失脚し、起こってしまったことをせめて穏便に収めるために瑠瑠色金まで通したと。どうせ負けたならどれだけ泥を被ってもいいやっていう自暴自棄なところもあるのだろう。

 

「ん、となるとオレ達がここまで来てたことはマッシュも知らなかったってことか?」

 

「でしょうね。あなた達がどうやってあそこまで行けたか私も気になるけど、気付かれてないならそのままの方があなたにとっては都合が良くない?」

 

「全部マッシュとお前らのせいにしていいってか? お優しい言葉ですが、リーダーは納得してらっしゃるので?」

 

「あなたが下手に有名になって名前を売られるよりも、そっちの方が今後のためになるってことよ。だから外に出る前にレンタル品は使っておきなさい。あとは私達についてくれば出してあげるから」

 

「利用価値は影であることってか。まぁ利害は一致してるしな。ここはお言葉に甘えておきますか」

 

 事の詳細はまた後でではあるが、大雑把な事は今の会話でだいたい把握したので、会話に応じてくれたロカに例を言ってから後ろに下がって理子と合流し、グチグチ文句を言われたが軽く聞き流して、外に出る前に光屈折迷彩を着ることを伝えた。

 約1日半ぶりに外の空気に触れたオレは、ぞろぞろと出入り口から出るキンジ達から少し離れた位置で様子をうかがいながら深呼吸。砂漠地帯の空気だから美味いって感想はないが、天然と閉鎖空間では吸い込む感じはやはり違う。

 まぁそんなことはさておきだ。

 全員が外に出てきてから、ジーサードとマッシュの会話の最中で地中から突然LOOがほぼ武装なしの少女で現れて一悶着あるかと思われたが、どうやらペンタゴンにお世話になるしかなかったマッシュをジーサードがスカウトすることで事は済んで、LOOを出したのは攻撃の意思はないことを示しただけ。びっくりさせんなよ。

 その騒動のあと、みんなで移動をして空軍キャンプの1つにまで辿り着くと、ジーサード達をヒーロー扱いの軍人達がすでにここからの脱出用ガンシップを手回ししてくれていて、あとは乗り込むだけとなっていた。

 

「根暗な少年、無事どしたか」

 

「言うたやんか、大丈夫やって」

 

 そのキャンプには何故か眞弓さんと雅さんもいて、HSSも解けてすっかり元通りのキンジに近寄って話をしているが、何の話だろうか。

 

「えっと……月華美迅の……」

 

「おいおい兄貴。薬師寺眞弓とも知り合いかよ」

 

「知り合いってほどじゃないし、むしろ猿飛の方の知り合いでだな」

 

「酷い! 京都であないにお世話したったのに!」

 

「恩着せがましいどす」

 

 ほとんど会話もしたことがないキンジは独特な空気の2人に対して反応に困って、眞弓さんを知るらしいジーサードも予想とは違ったのかちょっと苦笑しているが、そんなのお構いなしな眞弓さんは雅さんを軽く小突いてから話を進める。

 

「なんやあんたら、蒸気機関車で突撃してきたようどすが、よう生きてましたな」

 

「こんなことで死んでたら、俺らはもうとっくにこの世にいねェよ」

 

「お前の基準に俺まで取り込むな」

 

「京くんの知り合いはオモロイ子がおんなぁ。それより私の『援護』は役に立ったか?」

 

 どうやらキンジ達の接近を知ってたらしい眞弓さん達は、仲良しな遠山兄弟に援護らしきことをしていたみたいだが、それに心当たりのないキンジもジーサードも首を傾げたが、話を聞いていたマッシュが憎たらしげに割り込んで会話に加わった。

 

「やはりあなただったか。ボクの管理下にあった無人機の1つの遠隔操作が切り離されて、そのまま1機を巻き込んで墜落させられたのは腹立たしかったよ」

 

「ん? おお、そういや戦闘中に勝手に沈んでった無人機があったな」

 

「そやで。その1機のカメラから少し見ただけやったけど、京くんの知り合いやし助けたろかって思てなぁ」

 

「もののついででたまたまやったことでしたが、そこのガキが悔しがったんならエエとしましょか」

 

「くっ……待て。もののついでってことは……」

 

「そのまさかやろ」

 

 何をどうやってジーサード達がここまで来たのかをまだ聞いてなかったのは失敗だったが、なんかとんでもない方法だったのは片腕をもがれてボロボロ――義手だからいいのかもだが――のジーサードやらを見れば想像するに容易い。

 そのジーサード達の進撃をもののついでで援護したらしい雅さんは、血の気の引くマッシュにババンッ! と何かをコピーした用紙を突きつけてみせると、それを見たマッシュはガックリと肩を落としてしまった。あれは抜き出せとか言ってた自身のプロフィールだな。

 

「まさかこのボクが1日で連敗するなんて……」

 

「……なんか知らんが、こいつをこんなにするとはやるじゃねェか。こりゃ月華美迅もスカウトしとくか」

 

「日本の治安もままなりまへんのに、アメリカにまで手を貸す暇はありまへんなぁ」

 

「まぁなんかあったら『愛菜の父親』にでも頼めばエエんちゃう? 確かこっちやと『不死身の男(イモータルマン)』とか呼ばれてんのやろ」

 

「あっ? そりゃミスターマッケンジーっていやァ顔は合わせたことはあるが……ありゃSS(シークレット・サービス)だし、俺の仕事にゃ合わねェ」

 

「大統領のSPやってた奴がよく言うぜ」

 

「昔の話だろそりゃ」

 

 さすがの雅さんには誇らしいとさえ思うが、勧誘の話から愛菜さんには隠されていた父親の話がポロッと他人の口から出てきてそっと耳を塞ぎつつ、なんとなくこの会話の意図が見えたので静かに眞弓さんの背後に移動して肩をタップし気付かせてから、小声で話をする。

 

「ありがとうございました。こちらへの『援護』も助かりましたので」

 

「……そうですか。このままあの子らと行きますのやろ」

 

「はい。なのでここでお別れになります。最後に姿も見せずすみません」

 

「次に会う時は京都でのんびりにしましょか」

 

「その時はお茶菓子の土産でも用意しますよ」

 

「おおきに」

 

 眞弓さんと雅さんはオレ達の姿が見えないことから、そのまま消えることを予想してキンジ達に話しかけてちょっと場を盛り上げてくれたわけだ。

 さらに雅さんはオレ達がここにいることを前提にキンジ達へ向けた言葉にオレ達への言葉も含めていた。

 今日の朝に起きた謎の電子ロック解除も、きっと雅さんが助けになればとやってくれた『もののついで』で、閉じちゃったのはおそらくマッシュが後から別の操作をしたからだろう。

 それがわかったのでガッツリ会話に参加する雅さんには話しかけられなかったが、眞弓さんから伝えてもらえればいいかと思い次の再会での約束をしてから離れて、先にガンシップに乗り込んでいったロカ達に続いて乗り込む。

 それからすぐ会話を終えたキンジ達も無事に乗り込んでアンガスとアトラスの操縦するガンシップは離陸。目的地はニューヨークのケネディ空港らしかった。

 搭乗者はジーサード達だけだったので、オレ達もようやく光屈折迷彩を脱いでそれを返却。稼動限界も近かったのか、受け取ったコリンズに「ずいぶん酷使しちゃって」とか言われたため、内心ヒヤッとしながらも最後まで助けてくれたことに感謝。

 理子なんて便利なもんだから買い取ろうとしていたが、維持費とかをロカから聞いて青ざめていたので、一個人が簡単に持てるような代物でもなかったことは言うまでもないな。

 ガンシップでの移動中、各々が割と自由に過ごす中で、ツクモからエリア51到達までの話を膝枕しながら聞いていた――本人が「サード様ごめんなさい」とか言って本能に勝てなかった辺り、やはりツクモも化生の類いだった――オレは、そのぶっ飛んだ話にも今さら驚くようなこともなく夢物語を聞くように流して把握すると、キンジ達が今後のことを話し始めたのでそちらに耳を傾ける。

 オレもこれからどうするか身の振り方を決めないとな。

 

「イギリスに行って、アリアに会うよ」

 

 ジーサードの今後どうするかの問いかけに対して、考えがあったっぽいキンジがそう答えると、おネエのコリンズが男女の話かとキャッキャとはしゃいだが、割と消去法だと説明したキンジは、瑠瑠色金を持ってアリアと合流し、妹であるメヌエットに会うのが最善と判断したようだ。

 確かにメヌエットの推理力なら、材料さえ揃えばかなりの推理を披露してくれるはずだし、それで事態の解決まで持っていける可能性もある。

 

「それならオレもイギリスに行くか」

 

「いや、猿飛が付き合う必要はないぞ」

 

「イギリスに行く選択肢があって行かなかったら、なんかアリアに『風穴っ!』って言われる気がするし……」

 

「……はっ?」

 

 しかし『キンジがメヌエットと会う』というこの上なくヤバめなマッチングを見て見ぬふりは知り合いとして出来ないので、以前に何やら不穏なことも言っていたメヌエットとキンジが会う前にどうにか穏便に済む道を探しておきたい。

 それがなくても帰国直前のアリアにメヌエットと会ってることをそれとなく伝えてしまってるから、もしも向こうで手をこまねいていたりでもしたら風穴は間違いない。

 

「んー、まぁ『別件』もあるしイギリスには行く意味があるんだよ。だから最悪は別行動でも問題ないし、オレが迷惑をかけたことなんてあったか?」

 

「数えきれんほどにある」

 

「真顔で言うな」

 

 そんなわけでオレとキンジはイギリス行きが決定。

 すっかり元に戻ったレキはこっちについてくるかわからないが、何かしらの返答はキンジが引き出してくれるだろう。

 理子は険悪な雰囲気で威嚇みたいなことをしていたロカとなんか意気投合して、今やマブダチっぽい感じで会話していたが、こっちの話を聞いても何も言ってこない辺り、藍幇のマークの関係でここらが限界と見たんだろうな。オレも良い判断だと思う。

 翌朝。

 J・F・ケネディ空港に到着してから、バカみたいに派手なスーパーカーの行列でジーサードの拠点へと行くと、そこでジーサードはリーグのやつらに休暇を与えて、直前の作戦行動がなかったかのようなテンションで各々が行動を開始。

 理子も時計コレクターらしいロカと一緒にオークション会場で何やら競り落としてくるようなことを言って正装してから消え、他も野球観戦とかお出かけとかなかなかアクティブなことをしたりする中、部屋でまったりしだしたキンジとレキとLOOにはなんか凄く落ち着く。これが普通だよな。

 そうしたそれぞれの休暇の使い方を見送ってから、お国にマークされてるキンジのイギリス行きをスムーズになるよう手配するために動き始めたジーサードとアンガスとマッシュについて、オレも自分の分の手配をするために行動。

 理子のやつが今回のオレからの報酬をジーサードから直接で受け取って逃げたので、オレの手取金がイギリス行きと滞在費、帰国便で消えるくらいには心許なくなったのはキツい。ほぼプラマイゼロって……

 

「よし、マッシュを脅す。お前はオレ達の侵入を許したからな」

 

「いいのかい? それが露見すれば、君も晴れてアメリカのブラックリスト入りだ」

 

「一時の感情で下手に名を売るのはバカのやることだぜ」

 

「猿飛様の懸命なご判断が問われますな」

 

「オマエラ、キライ。モウイライシテクンナ」

 

 ガチの金のやり取りだっただけに、ほぼほぼ冗談だったオレの言葉にも辛辣なジーサード達は、バカなこと言ってないで早く手配しろよと暗に言ってきやがって腹が立つ。

 オレはキンジとは違ってイギリスには良い顔してるので、入国審査を顔パスできるんじゃね? くらい簡単に手配は完了し、翌日の同じ便で行けるようにあたふたしてるジーサード達は、偽造パスポートから作成してるっぽく、その過程を見てからそんなことは露知らずにぐうたらしてるキンジが、翌日の出発の朝に身勝手に怒り出したのを腹を抱えて笑ってやるのだった。

 

「あら素敵。これが噂に名高いクロメーテルさん?」

 

「お前、いつかの仕返ししてんだろそれ……」

 

「自分の意思とは関係なく絶賛される苦痛を味わいたまえよ」

 

 そうこうして迎えたイギリス出発の直前。

 ジーサード達が用意した偽造パスポートは、キンジが欧州で潜伏中にしていた変装を流用したため、その性別が女になって、名前もリサに適当に言ったらしいクロメーテルが採用されて公式化。

 そのせいで搭乗前の段階でクロメーテルさんに変装を完了させたキンジを軽くいじって遊んでやるが、やはりあの金一さん――ここではカナを指すが――の弟。そのポテンシャルは高く、周囲からも注目されていた。

 あんまりいじると出発前にベレッタが火を噴いて御用だ御用だ、になる可能性もあるので、かつて自分がした女装の経験も相まってちょっと可哀想には思い、飛行機に乗ってからは黙って付き人的な空気で自由席の隣に座って、さりげなく周りとの緩衝材になってやる。

 そんなオレとクロメーテルを乗せた飛行機は何事もなく空港を出発。

 レキはどうやら故郷のウルスに帰省するとかで、また別の便で旅立つようで、理子もロカとエンジョイしてから日本に戻るらしく、出発直前に競り落とした品と一緒の写メが送られてきたが、顔は変装していたので抜かりがない。ロカは素顔でムスッとしてたが、仲良きことはなんとやらだ。

 何はともあれ、アメリカでのこともなんとか達成して乗り込むイギリス。

 あの時から持っている情報もずいぶん変わったからな。今度はもう少し踏み込むぞ、メヌエット。

 そして今度はタコ焼きでも一緒に食べようか。



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ロンドン編
Bullet133


「1ヶ月経たずにまた来てしまった……」

 

 贅沢出来ない身の男2人――約1名は女装してる――が格安の飛行機で辿り着いたロンドン、スタンステッド空港の入国審査を無事に通過。

 クロメーテルと化していたキンジは、人の目を盗んで速攻で男子トイレに駆け込んで女装を解きに行き、それをやけに多い人混みの中で待ちながら独り言。

 一応、こういうサプライズを怒りそうなメヌエットにはメールをしておき、ついでに宿泊の当てとして羽鳥にもメールをしてから、元の姿になってトイレから出てきたキンジがワトソンが迎えに来てると言うので、そのまま空港を出て車寄せを見ると、ポルシェに寄りかかるワトソンが笑顔を向けてきた。

 

「また派手な車で」

 

「911に愛着が持てんのは同感だ。ライトがカエルの目玉みたいだし」

 

「そこが可愛いんじゃないか。トオヤマもサルトビもセンスがないな」

 

 別にオレはポルシェが悪いなんて一言も言ってないのに、まとめてツッコまれると納得しがたい。が、どうでもいいから流しとく。

 それから空港がやけに混んでいたのが近々ロンドン市内で競技バルーンの世界大会が開かれるからとか、アリアの救援要請を受けてワトソンがこっちに来たことを移動しながらしてくれる。

 が、ワトソンに救援を求めたってことは、事が上手く進んでないということを示しているわけで、続けた話ではどうやらまだメヌエットと会えてもいないっぽい。

 さらに当のアリアはどこかに身柄を押さえられてしまっているらしく、捕まってるとかそういうことではないと話すワトソンに、キンジがバカなのでこのロンドンでMI6。イギリス情報局秘密情報部の中の00シリーズの名を出そうとしたから、助手席の後ろから締め上げて言葉を切らせたが、ワトソンの厳重注意が飛んできて話が中断されてしまった。

 そんな厳重注意をが終わった頃に大英博物館の辺りに差し掛かって、そこからさらに南下しようとするワトソンの運転がどこに行くかわからないので、とりあえずオレだけは降ろしてもらう。

 

「こんなところで降りてどうするんだい?」

 

「ん、ちょっと友達に会ってくる」

 

「お前に友達なんていたのか。しかもこんな海外に」

 

「ほほぅ。そんなことを言うキンジには仲のよろしいお友達がいらっしゃるので?」

 

「ぐっ、ブーメランが痛ぇ……」

 

 オレがメヌエットと友達なことをここで言っても良かったとは思うが、じゃあそれでキンジとワトソンに取り次いでくれと頼まれたところで、素直に「いいでしょう」なんて言うような質じゃないのは分かりきってるし、そうしてプライベートに余計なものを持ち込む無粋はするべきじゃない。

 だからまだメヌエットとの関係は黙っておきつつで事を進め、キンジ達とは後でまた合流することを決めてから、ワトソンはポルシェを再び走らせていき、オレもメールの返事が来ていたメヌエットの家を目指して歩き始めた。

 

「「ようこそ、京夜様」」

 

「サシェもエンドラも変わりないな……って言っても1ヶ月も経ってないし当たり前か」

 

 地理もある程度だが頭にあるので、迷いなくメヌエットの家まで辿り着き出迎えてくれたサシェとエンドラと会話とも言えない会話をしてから中へと通される。

 メールによると今はちょうど客人と対談中とのことだったので、待つ間にこの1ヶ月の変化を調査。

 家を調べるならまずは冷蔵庫ということで、割と偏食なメヌエットの食べ物に大した変化は見られなかったが、作り置きされたクレープがあって、頻繁に使ってるのかキッチンにも焼き器が目に見えるところに置かれていた。

 これがメヌエットが自分でやってるかはわからない……いや、もう飽きてやってないな絶対。

 とか失礼なことを考えつつも、なんだかメヌエットの空き時間を待つ自分がことのほかソワソワしてることに気づいてらしくないなと深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 しかしその様をサシェとエンドラが見てクスクスと笑うので、普段はあまり気にしないが妙に恥ずかしくて口笛で誤魔化してしまい、それがまた2人から笑いを取ってしまう。あ、穴はないか!

 

「京夜、来ているのでしょう。上がってきなさい」

 

 一応、サシェとエンドラには釘を刺しておき、30分ほど経ってから客人が下りてきて、サシェとエンドラが見送りに出たところで上からお呼びがかかったので、今回は意地悪して足音を殺して応接室の方に向かおうとした。

 だが階段を上がりきったところで応接室から出てきたメヌエットがごきげんようしてきて、その見透かしたようなドヤ顔で「京夜のやることなどお見通しです」と口にしてないのに言ってきてイラッとする。シット!

 

「これからティータイムにしますが、京夜の分は必要かしら?」

 

「味の良し悪しはよくわからんが、出してくれるならいただこうか」

 

「私の飲む紅茶が気に食わないなら、それは京夜の舌が平民である何よりの証拠でしょうけど」

 

 相変わらず人をからかうような話し方はイラッとするが、挨拶みたいなものと割り切ることでオレも流しつつ自室に入っていったメヌエットを追って部屋に入り、テーブルについていたメヌエットの向かいの席に椅子を持っていって座る。

 

「その付け襟はなんかのイメチェンか?」

 

「ええ。お姉様のご帰国を祝ってあつらえたのですが、私は実物を見たことがありませんの。何かおかしなところはありませんか?」

 

 対面してからの第一声はまず、女子の変化についてとなんか相場は決まってるらしいので、以前に会った時にはなかった付け襟が東京武偵高のセーラー服みたいな感じになっていたから、その辺を指摘するが、どうやらアリアの帰国はもうメヌエットの知るところのようだな。

 

「どうせなら実物を見て自分で判断しろ。確か写メの中にセーラー服が写ってたのがあったはず」

 

 私服にセーラー服の要素を足したような服装なのでなかなかパーツの違和感が拭えないが、出不精で人ともあまり会わないメヌエットなら別にいいのかと思いつつ、携帯に入ってた理子の勝手に送ってきた写メの1つをメヌエットに見せてやる。

 

「この女性は京夜のガールフレンドですか?」

 

「同級生で悪友だ。メヌとは合わないだろうから、一生かかわらない方がいい」

 

 なにせリュパン家の人間だしな。

 そんなことを知る由もないメヌエットは、ただの確認だったのかすぐ納得して写メのセーラー服を見てから、化粧台の鏡で自分の付け襟を再確認してその出来に一喜一憂。女子だねぇ。

 おおよそ付け襟の出来には満足できたようなメヌエットは、サシェとエンドラがティーセットと茶菓子とクレープを持ってきたところでテーブルに戻り、優雅なティータイムに突入。

 オレにも紅茶が出されたので、とりあえずひと口だけ飲んで2人に美味しいと感想を述べて、それを聞いてから部屋を出ていった2人を見送って改めてメヌエットと対面。

 

「アリアとはまだ会ってないのか?」

 

「ええ。お姉様はいつも忙しない方ですから、私が会いたいと言っても会いに来てくださるのは稀で」

 

「ふーん。まぁそれは『いつものアリア』だったら納得できるが、今回は違うだろ」

 

「そうですね。今回に限ってはお姉様から会いたいと言ってくださってる状況で会えてませんので、その予想は当たってますよ。ですが会えていないということは私にとって『良い方向に進んでいる』ことを意味しますから、寂しくはありません」

 

「…………なるほど。帰国早々に嫌がらせしたわけか」

 

「フフッ。嫌がらせなど可愛いものですよ」

 

 たぶんだが、今回のオレの訪問はメヌエットにとって予測できていた1つの可能性なのは間違いない。

 そこから雑談混じりで聞かれるであろうことも予測済みで、隠す気がないことも今のでわかる。

 

「それで、今アリアはどこにいると推理してる?」

 

「京夜はわかりませんか? ここに来るまでに考える時間はあったでしょうに」

 

「アリアに会えなくてもメヌにとって良いことになるんだろ。となると……アリア経由の間接的にでも自分に得がある事態になることだが……」

 

「ヒントをあげましょう。それは今の私の位にあります」

 

「位……貴族……より上……王族……?」

 

「良い線ですよ」

 

 それでも素直に教えてくれないメヌエットに付き合って思考を巡らせていき、王族にまで辿り着いたところでなんとなくメヌエットが何をしたのかわかる。

 

「えっ、なに、アリアと王族をくっつけようとしてるの?」

 

「京夜も立派に頭を働かせましたね。私はそのようになれば面白いと根回しをしただけですが、京夜でさえお姉様と会えていないのなら、おそらく今頃はバッキンガム宮殿で優雅な日々を送ってらっしゃるのでしょう」

 

「それで会えない、か。一応は聞いとくけど、アリアが帰国した理由についても推理できてるんだろ」

 

「それはもちろん。ですがこうなったならば、1つの解決になっていることになりませんか?」

 

 メヌエットがどう根回ししたのかはわからないが、とにかくアリアと王位継承権のある王子とを巡り会わせて、見た目だけなら超絶美少女なアリアを気に入らせ、そのまま王太子妃にする。

 そうなればメヌエットもアリアの妹だから王太子妃の妹となり晴れて王族の仲間入りとなる。

 よくできた話だが、続けたメヌエットの問いかけには少し理解が追いつかずに首を傾げてしまう。どういうことだ?

 

「はぁ。まぁ京夜ならこの程度が限界なのは予測していました。では小舞曲のステップの如く順を追って説明いたしましょう」

 

 そんなオレを見たメヌエットは優雅に飲んでいた紅茶のティーカップをソーサーに置き、いつもの口上の後に話を始める。

 

「まずお姉様は緋緋神になりたくなく、その解決のために私から知恵を借りようと帰国してくださいました。ですがそもそも緋緋神というのは恋と闘争を好むというではありませんか。ならばその2つの要素をお姉様から遠ざけてしまえば、事は解決したことになると考えられます」

 

「……その理屈だと闘争はわかるが、恋は遠ざかってなくないか?」

 

「あら、私はお姉様にはすでに想い人がいて、その上で殿下と引き合わせたのですが、これはある種の政略結婚。王子からは愛あるものでしょうが、お姉様に果たしてそれはあるでしょうか」

 

「なるほど。って、納得するかアホ」

 

 懇切丁寧に話してくれたメヌエットの謎の説得力はさすがだが、オレも鵜呑みにするバカじゃないので1度は乗ってからツッコむと、やはりツボがわからないホームズ家はクスクスと笑いやがる。

 

「恋と闘争から遠ざけるってのは解決策じゃない。逃げの一手だ」

 

「逃走もまた策ですよ」

 

「それは一理あるが、あのアリアから恋と闘争を遠ざけること自体がナンセンスだとオレは思うぞ。遠ざけても勝手に近寄ってくるから、アリアは緋緋神に適合しちゃったとも言えるわけだしな。王子だってある意味、それに引き合わされたと考えられるわけだ」

 

「京夜にしては説得力のある話ですね。少し感心しましたわ」

 

 とりあえず緋緋神化の脅威を退ける根本的な解決にはなってないのは確かなので、メヌエットが起こした事態では不十分だとそれらしい言葉で否定すると、意外にも受け入れる反応を見せたメヌエットは、しかし余裕を崩さない態度でクレープを頬張る。

 

「私もそんなことで丸く収まるとは思ってませんから、今はお姉様の足掻きを遠目に見て楽しんでいるといったところです。そんな中でも私の元まで来られたなら、知恵を貸すこともやぶさかではありませんわ」

 

「ああそう。要するに『お姉ちゃんを私の元まで連れてきて』と言いたいのか。これはオレへの嫌がらせも含まれてたな」

 

「考えすぎですわ。大切な友人に嫌がらせなんて」

 

 ――フフフッ、フフッ。

 なんか求婚者に試練を与えるかぐや姫よろしくなメヌエットのやり方にはアリアどんまいとしか思えないが、自分の元に来たなら考え直すと言うので、それをオレに言う辺りはやはりそういうことなんだろう。

 それを表すように2人して変な声で笑い合ってこの話は一旦は終了する。これ以上は話しても無駄だろうしな。

 ちなみにこの嫌がらせは「お姉様に協力的な京夜はなんだか気に食わない」とかその辺の可愛い理由なので、この嫌がらせに対する効果的なダメージはアリアを連れてくる他ない。

 まぁ、それでメヌエットがぐぬぬしてくれるなら頑張ってやろうではないか。

 

「今、何やら不純な事を考えましたね。私を見て口角が上がりましたよ」

 

「いや、やっぱりメヌは可愛いなって思っただけだよ。それが不純なことなら、オレはもうメヌを可愛いとは思わないように努力するが?」

 

「そんな努力はするだけ無駄です。それは事実をねじ曲げる嘘になるのですから」

 

「自分で自分を可愛いとか言う子は将来が心配になる」

 

 自信過剰なのか照れ隠しなのかよくわからんメヌエットの言い回しには深く言及するのはやめて、話題を方向転換してみようと部屋をなんとなく見回す。

 しかしそれにはすぐメヌエットのお叱りを受けてしまったが、その中でふと目に入った無駄にお洒落なカレンダーだけはしっかりと見ながら話題作り。

 

「カレンダーに書き込みがあるな。1週間以内には花丸があるし、もしかして誕生日だったりするのか?」

 

「ええ。もうすぐ私も14になりますね」

 

「ふむ。ならなんかプレゼントしてやりたいところだが、何あげても喜んでくれるか?」

 

「それはもちろん物によります。ですが京夜は特別なので、ハードルはかなり低くしてあげますよ」

 

「いやぁ嬉しいなこれで気楽にプレゼント選びができるよぉ」

 

「まったく心にもない言葉ですが、本当に気楽に選んで落胆させないでくださいね」

 

「それはまぁ、期待せずに待っててくれれば最低限にはしたい」

 

 よくよく考えたら記憶力も抜群のメヌエットがカレンダーに印なんて必要ないので、カレンダー自体はあっても不思議はないが、印についてはオレに気づかせる目的だったことに思い至る。

 それでまんまと誕生日ネタに食いついたオレと嬉しそうに話すメヌエットは、期待してないとか言いつつも初めてであろう友達からの誕生日プレゼントを楽しみにする女の子そのもの。

 表情にこそほとんど出ないが、必要以上に言葉を発しないのはオレをこの段階で萎えさせないための注意ってところか。口は災いを呼ぶからな。

 

「プレゼントの件は了解した。それと言い忘れてたが、近いうちにエル・ワトソンってやつがアポイントメントを取りに来ると思うが、話くらいは聞いてやってほしい」

 

「ワトソン家の長男ですわね。旧知の家系ですし、門前払いにはいたしませんよ」

 

「あとアリアのパートナーの遠山キンジも来てるが、あんまり邪険にしないでやってほしい」

 

「京夜はお願いばかりですね。友人の頼みですから聞き入れるのはいいですが、私からも何かをお願いしてもいいのですよね?」

 

「そうくると思ったよ。ただ2日くらい待ってくれ。準備に時間がかかる」

 

「……私はお願いがしたいのであって、何かをしてほしいわけでは……」

 

「まぁまぁ。メヌのお願いなんて難題の確率が高いしオレも勘弁したいところ。だから今回はオレのおもてなしで手を打ってくれ」

 

 とにかくこれでメヌエットを気持ち上向きにはしたので、もののついでみたいな感じで今後のワトソンとキンジのコンタクトをやんわりソフトなものにする手回しをしてやった。

 が、やはりお願いを聞いてばかりはメヌエットも気分が良くないので、オレもそうくることを予測してすでに手は打ってある。

 そうやって妙に先回りしてごり押しするオレにメヌエットは怪しい視線をぶつけて腹の内を探りに来たものの、オレが先日にやったクレープサプライズが効いてるのか、その最後の1つを食べてから「まぁいいでしょう」と妥協してくれた。

 

「さて、そろそろ次の客人が来ると思いますから、今日はもう帰りなさい。次に来る時はこちらからメールを送りますから、それを待ちなさい」

 

「それまでには準備しておけってことか。了解。邪魔したな」

 

 そこで丁度ティータイムも終わりのようで、紅茶を飲み干したメヌエットは事務的にそう告げてオレを帰そうとするので、忙しい中で時間をくれたメヌエットに感謝しつつ、最後に応接室まで車椅子を押してやってから別れた。

 

「さってと。次はこっちだが……」

 

 サシェとエンドラに見送られてから、とりあえずキンジ達と合流しようとメールを入れておき、奇跡的に羽鳥からメールの返事が来ていたのでその内容を見てみる。

 それによると羽鳥は今、ドイツのベルリンにいるらしく、ロンドンに戻ってくるのは来月3月になるとのことで、滞在中に会うことはできなさそうだった。

 しかし宿泊先については羽鳥の使ってる拠点の使用許可が下りて、リバティー・メイソンの息がかかってるものの、これで生活には困らないだろう。

 その代わりに部屋の掃除をやってほしいと頼まれたが、嫌な予感がヒシヒシとするなこれ。

 あんまり贅沢を言うとバチが当たるので、愚痴は実際に行ってみて改めてするとして……うげっ、小雨が降ってきやがった。早くもバチが……

 と、そんなタイミングで今度はワトソンから電話がかかってきたので、適当なところで雨宿りをしてからそちらに応じる。

 

「アリアとは会えたか?」

 

『会えたには会えたが、トオヤマが拗ねてしまった。一時的なものだろうけど、僕も至らなかった』

 

「おおかた王子にアリアを取られてってところだろ」

 

『その口ぶりだと、サルトビはもうアリアがどこにいるか突き止めたわけだね。さすがジャパニーズ忍者だ』

 

「とにかく今はメヌエットとコンタクトするのが先決だろ。アリアはアリアで何とかするだろうし、1つずつ状況を良くしていくぞ。とりあえず迎えに来てくれ」

 

『その通りだね。今どこにいるんだい。行き先はもう決まってる?』

 

 何をどうやってアリアと会えたかは合流してから聞くとして、今の状況はだいたい把握したので、言葉通り1つずつ片付けていくしかない。

 そうしたポジティブさがワトソンにも伝わったのか、少し沈んでいた気持ちが上向いた声が返ってきたから、オレもなるべくはベイカー街から離れた場所に移動してそこを合流地点にした。まだメヌエットとの関係は勘づかれたくない。

 

「ここがそうっぽいね」

 

「サンキューな。今日はオレも休むから、ワトソンも気を張りすぎるなよ」

 

 ワトソンと合流してすぐに羽鳥の拠点へと足を伸ばして、キングス・クロス駅の東側すぐ近くに建つアパートに辿り着き、送ってくれたワトソンはオレを降ろしてから「本当にあのフローレンスが協力的なのが不思議でならない」とか言い残して行ってしまう。オレもそう思うよ。

 話はすでに通してあるという大家さんから部屋の鍵はすぐに渡され、案内された部屋の前まで来て覚悟を決め扉を開ける。

 

「ぐっ……さすが羽鳥……いや違う。クソ羽鳥が……」

 

 事前に注意はあったのでかなり警戒していたが、入った部屋はあまりにもあれな感じだったので、ついここにいない羽鳥に悪態をついてしまう。

 そこはゴミ屋敷。とは言わないが、あまりにも整理整頓のされていない部屋。とてもではないが人が住める環境にはなかったのだった。



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Bullet134

 ゴミが散らかってるわけではない。

 そう。見るからに廃棄物があるわけではないのに汚い。これが凄いのだ。

 ロンドン滞在の初日。

 当分の宿泊費を浮かせるために早々にあまり頼りたくはない羽鳥に頼ってアパートを貸してもらえたまでは良かったが、その部屋は俗に言う汚部屋で絶句。

 しかしその汚部屋の掃除も承諾した手前もあるし、今からホテルに泊まるなんて無駄以外のなにものでもないので、とりあえずまずは全体図を把握しにかかる。

 

「あいつ、日本でオレ達がいなかったらこうなってたんじゃないだろうな……」

 

 脱いだら脱いだままの衣服や、靴の泥もちゃんと落とさずに歩き回ったような足跡に、こじんまりとしたリビングのテーブルは空の試験管やらでビッシリ。

 唯一の安置となっていたソファーもそこで寝たりするのか毛布が無造作に置かれていた。

 

「というより、物自体はあんまりないんだがなぁ……なぜ散らかるのか」

 

 他にもキッチンや洗面室などもチェックしたが、そちらは無事だがやはり服やらは洗濯した形跡があったりなかったりの物がたたみもせずに放置されていた。

 さらに気になるのは部屋全体から漂う物のなさ。生活するのに最低限の家具を置いてみました、レベルの物のなさは個性云々を語れる段階にすらいない。

 そんな部屋をザッと見回した感想は、この部屋が『寝て起きるだけの部屋』であるということだな。生活臭はお世辞でもあるとは言えない。

 実際に羽鳥はあちこちを転々として昼夜を問わずに働いてるような奴だから、この部屋はそのインターバルで『使う』程度のものなんだろう。

 

「だからって仮にも女なんだし、服くらいちゃんとしろよ……それを男のオレに片付けさせるって、主夫じゃねんだぞ……」

 

 そんな愚痴も言いたくなるのは当然だが、言ったところで掃除は誰かがやらないと一生かかっても部屋は片付かないので、まずは散乱する衣服を回収して分別。順番に洗濯機にぶち込んでフル回転だ。

 これだけでかなり片付いたが、生活するからにはオレの不快さを増加させる要素は取り除く必要があるので、洗濯の間に羽鳥の仕事道具などを洗えそうなやつは洗ってそれ用の収納に仕舞い、何か入ってたり栓のしてあるものはそのまま環境を変えない――日当たりとかの問題――で目の届きにくい場所に移動。

 それが終われば床掃除も楽で、明らかに着なさそうなシャツを雑巾にして泥を拭いたり掃除機をかけたりでようやくリビングが人の住める環境になってくれた。

 あとは大量の洗濯物を無駄に乾燥機まで搭載してた2機を洗面室で回しながら、ほとんど使った形跡のない備え付けのベッド――マットレスのみ――だけの寝室に存在する寝具を運んで寝床を確保。にしてもシーツすらないとは思わなかったが。

 それだけならまだ良かったが、問題なのは冷蔵庫だ。

 ビックリするがこいつ、冷蔵庫には水と氷しか入れてなかったので、普段から料理とかしない部類の人間なのは間違いない。まぁ賞味期限が切れた何かを入れっぱなしにされるよりはいいけど。

 辛うじて何かの実験に使ってるのか、塩と砂糖とみりんはあったものの、それと水とで何をしろと。混ぜて氷にして食べろと? アホか。

 

「気付いたら夜だし、明日の出費を決めておくか……」

 

 今から外に出て買い出しはさすがに面倒臭いので、今夜はもう活動をやめておきつつ、まさにゼロからスタートのロンドン生活での出費をどうするか考える。

 そういや自炊で生活するのもずいぶん久しぶりな気がする。小鳥をデリバリーしたい……

 そうしてロンドン生活の初日は片っ端から洗濯した衣服を整理整頓するだけで終わり、寝る前にワトソンにキッチン用品のレンタルを頼んでおきようやく眠りに就く。包丁すらないこの部屋で料理などできん。

 

「ぐっ……こんな追い打ちがあろうとは……」

 

「君も色々と苦労が絶えないね」

 

 翌日。

 ワトソンからの返事をもらってキッチン用品の寄せ集めを借りたついでに市場での買い物を手伝ってもらったのだが、ロンドンはタイミング悪く物価が高騰中で何を買うにもお高くてオレのお財布をバシバシ痛めつけてきた。もうやめて! 京夜の財布の残高は風前の灯よ!

 

「…………そういやワトソンや」

 

「なんだい?」

 

「ロンドンでは『デビルフィッシュ』さんはお買い求めできるのでしょうか」

 

「んー、どうだろうね。生鮮市場に行ってみればあるかもしれないけど、日本のように『丁寧な売り方』はしてないと思うよ」

 

「いや、日本みたいな売り方されてたら困る。今回に限ってはだがな」

 

「ん?」

 

 そんな中でも日持ちする食品を飽きが来ようが気にせず買い貯めし、数日後に控えたメヌエットのおもてなしのために必要な食材の入手に乗り出す。

 基本的にデビルフィッシュとか呼んじゃうような国では食べる文化自体がない『タコ』だが、日本文化に触れたからか生鮮市場に足を運べば確かに売っていた。

 が、やはり日本のように下処理をして足だけを売るようなことはしていなく、丸々1匹がドカンと売られていて、それを見たワトソンは顔を青ざめていた。

 

「人気ないんだろうが、この売値は魅力だね。買ったぁ!」

 

「ほ、本気かサルトビ!? こ、こんなヌメヌメした生物をどうするというんだ」

 

「ふん。言ったな。なら手伝ってくれた礼にご馳走してやる。騙されたと思ってついてきな」

 

 その見た目から敬遠されて買い手がないのか、叩き売りされてたタコはオレにとってご馳走でしかないので速攻で買いに走ったが、拒否反応を見せたワトソンがなんだか人生を損してるので特別にタコ料理を振る舞ってやることにして、厚意を無下にできないとか思ってるのか渋々でついてきたワトソンを部屋に招き入れてさっそく調理を開始。

 

「よ、よく触れるね……ボクには無理だよ……」

 

「ん、まぁ見てろ。お前のその顔をすぐにハッピーにしてやる」

 

 とりあえず下処理のためにバケツにタコを移したのだが、工程を見守るワトソンが面白いので逐一その表情の変化もついでに観察しておく。

 まずはタコの頭。正確には胴体なんだが、その中に詰まってるワタを包丁を用いて取り出し、ついでに目と足の付け根にある歯も切り取って後の処理をしやすくする。

 この段階でのワトソンはもう死にそうだ。まぁ仕方ない。これはオレもやってて気持ち良くはない。

 続けてタコの体にまとわりついたヌルヌルを取り除くために塩をよく揉み込んで水で流す。ここで手を抜いてヌルヌルを残すと味に関わってくるから、吸盤の隙間なども丁寧にだ。

 ここまでやればもう楽なんだが、事前に煮立てた鍋にヌルヌルを落としたタコを投入。まずは足から入れてタコウィンナーみたいな足にしてから頭を投入。

 10分ほど茹でてから鍋のお湯を捨て、鍋の余熱で少し蒸してから赤々としたタコを取り出しようやく調理用のタコが完成。この処理を日本は売る前にやってくれてるんだから感謝感謝。

 ここまで来ればワトソンも血の気を取り戻していたが、まだ食べる意欲には繋がっていないらしい。

 

「この大きさなら足を2本残せば足りるな。んじゃまずは刺身から」

 

 タコの大きさからして4日くらいなら朝晩のみならタコだけでも生活できそうなので、そういった逆算のあとに足を1本1本切り分けて、その内の1本でワトソンをおもてなし。

 最初はオーソドックスに刺身として普通に切ったのを味見をした上で勧めたが、抵抗が高くてノーサンキュー。美味いんだがな。

 仕方ないので次に生み出したやつは天才と呼んでやりたい、タコの唐揚げを少々手間ながら作ってやる。

 

「これを食べなかったらお前の人生はもうタコと関わることはないだろう」

 

「ボクはそれでも構わないんだが……君のその強い目にはなんだか負けてしまう……」

 

 手間をかけてやったからには食べてもらう。

 そうした思いを汲み取ったワトソンは、タコへの抵抗をなんとか圧し殺してぱくりっ。目を閉じたまま口に放り込んだが、口の中でしっかりと咀嚼するうちにその表情を驚きに変えていく。

 

「……美味しい! 美味しいよサルトビ! 日本人はこんな美味しいものをいつも食べているのかい!?」

 

「そんないつも食べるもんでもないが、居酒屋とかだと割と定番メニューで嫌いなやつは少ない印象があるな」

 

「最初はブヨブヨした食感があれだったが、噛めば噛むほど滲み出てくる味が最高だ! サ、サルトビ、こっちのサシミも食べてみるよ!」

 

 やはりタコの唐揚げは最強だった。

 その味はイギリス人のワトソンにも通じたようで、タコへの抵抗がかなり下がってテンションが上がったのか、さっきは断った刺身にも手を出してくれて、そちらも程度はあるが美味しいと評価。

 

「他にレシピはないのかい? サルトビの作るタコ料理なら何でも食べられそうだよ!」

 

「誰が作っても味に差はほとんどないが、そう言ってもらえると嬉しいな。だがオレの今後の食生活の要だからおもてなしはこれで終わりだ。食べたきゃレシピを教えてやるからシェフにでも作らせろ」

 

「そうしたいところだが、あのタコの処理をしてもらえるか……いや、日本から輸入すれば出費は多くなるがどうにか……とにかくありがとうサルトビ。ボクは今日のこの感動を一生忘れないよ!」

 

「あんまり食べると飽きて感動が薄れるから薦めないが、まぁ美味しく感じるうちに食べたいだけ食べとけ」

 

 やたらとテンションの高いワトソンだが、このテンションに付き合って振る舞ってたらオレの食料がなくなるので、勢いで食べきりそうなタコの唐揚げはオレも食べて昼はこれでしのぐ。

 そのあとはレシピを書いて渡してやり、ついでにこの辺りに金属の加工所のようなところはないかと尋ねておき、上機嫌のワトソンはわざわざその場で調べて教えてからポルシェに乗って帰っていった。

 タコもいくつかのブロックに切り分けて冷凍保存し、何日か分の献立を大雑把に決めて後片付け。って、普通に暮らしてどうするんだオレ……

 

「キンジも1日経って落ち着いたろうし、明日にでも会って動きを確認しとくか」

 

 とりあえずこのあとはワトソンに教えてもらった金属加工所に行くので、キンジには明日にでも会おうと待ち合わせのメールをしておいてまた外出。

 バスを使って辿り着いた加工所は銃弾の製造も請け負ってるところで、立ち入りもなかなかに厳しかったが、オレも武偵の端くれなので武偵手帳を見せることで中に入ることができ、ちょっとした要望を叶えてもらう。

 要望自体は難しいこともないので、1時間も待ってれば出来るとあって待たせてもらい、その間に電話で交渉を持ちかけておく。相手は上海藍幇の中将、劉蘭だ。

 

『どうなさいましたか、京夜様』

 

「劉蘭、ちょっとお願いがあるんだが、話だけでも聞いてくれるか?」

 

『はい。京夜様からのご要望であれば、可能な限りご恩を売る形で聞き入れますよ』

 

「藍幇に入れとかじゃなければなるべくってことで頼む」

 

『フフッ。それは残念です』

 

 久しぶりに話す劉蘭ではあったが、変わりなく抜かりがないのは良いことなのか悪いことなのか。いずれにせよビジネスの話と読んだ劉蘭にふざけた様子はない。

 

「お願いってのは……うーん。まだ確定ではないんだが、そっちの戦力を少しだけ貸してもらいたいんだ。具体的には趙煬クラスの」

 

『お急ぎの入り用ではないとはわかりますが、お貸しするにはそれなりの理由はなければ難しいでしょう』

 

「理由については話すが、まだ可能性ってだけで実行するかはこれからになる。だからせめてその時になってもたつくのを防ぎたい」

 

『あらかじめ私達に話は通して了承を得ておき、キャンセルもできる状態にしておきたいわけですか。お話しください。了承するかはそれをうかがった上で決めたいと思います』

 

 完全にお仕事スイッチの入った劉蘭はオレよりも頭の回転が早いので、色々と察してテンポ良く話を進めてくれてありがたい。

 そうした上で今回の要求の理由についてを劉蘭に話すと、少しの沈黙の後に携帯越しの劉蘭は口を開く。

 

『…………わかりました。そのお話が本当であるならば、我々藍幇も協力を惜しみません。行動に移される際には趙煬をお貸しいたします』

 

「いいのか。可能性の段階の話で、確実性も計画性もほとんどないフワフワしたものだが……」

 

『京夜様は自分ではそう仰いますが、その程度に収まる話をわざわざ私に持ち込んだりはしませんでしょう。つまりその話には何かしらの根拠も可能性も十二分に存在するということ。そんな京夜様を私は信じていますから』

 

 オレよりもオレのことをわかってる風の劉蘭の言葉には少々ドキッとさせられるが、確かに曖昧でフワフワの可能性の話を人にするのはオレのやることではない。

 だからオレは無意識のうちにこの話が可能性ではなくある種の確信に近いものを持ってると判断して行動していた。

 

「……そう、かもな。ならオレはもう少し自信を持って行動しなきゃダメか。悪いな劉蘭。そういうわけだから話だけは進めておいてくれ」

 

『承知しました。今の京夜様の声はとてもカッコ良かったです』

 

「ありがと。あとバレンタインのチョコ、美味しかったよ」

 

『そのご様子のお写真はすでに入手済みです。油断大敵ですよ、京夜様』

 

 それならもうキャンセルの可能性はなくして堂々と劉蘭に言ってみせて、その意志に応えるように返答した劉蘭はオレのやる気を引き出す術を知ってるようでやっぱり怖かった。

 話も終わったので、ついでにバレンタインのチョコの件の礼も言ったら、なんかいつの間にか写メでも撮られたらしいオレの様子を知ってるとかで嬉しそうにするが、誰だ。オレに気づかれずに写メを撮るなんて……

 それを聞こうとすれば、劉蘭もとぼけて「別の仕事がー」と笑いながらに通話を切ってしまい、日本に帰ってからの尋問が必要になった。犯人はどいつだ!

 

「あとはジャンヌと羽鳥と……あの子も呼べれば心強いが……どうだろうな」

 

 写メの件はじっくりやるとして、とりあえず最初の交渉は成功したので、この話に協力してもらう戦力を改めて練るが、どいつもこいつも手間も出費も半端ない大食らいで頭を抱えそうになる。

 まぁそれだけの苦労をかける価値はあるかもしれない話と割り切ることはできるし、事によっては大団円で終えることも不可能ではない。

 そういった意味でもこれから先の可能性を確実なものにしていくのは重要。そのためにはメヌエットの協力も不可欠だ。

 

「まぁこっちは焦って進めても仕方ないし、今は緋緋神の問題をどうにかするか」

 

 とはいえ、アリアの緋緋神化問題と並行して進めるには少々大きな話なので、ジャンヌと羽鳥にはメールで話の概要は伝えるだけにしておき、そちらからも意見をもらいつつでじっくり。

 そうした切り替えをしたところで要望の品が出来たと報告があり、それを受け取って今日はそのまま帰宅。一応はメヌエットのおもてなしの準備はひと通り終わった。あとは頼んでる物が届けば完璧。

 

「それで、メヌエットとは会えそうなのか?」

 

「さぁな。今はワトソンが話を進めてくれてるが、連絡はまだない」

 

 翌日。

 約束通りにキンジと合流して適当な場所で落ち着いて進展状況の確認をしながら、作ってきた酢ダコの和え物を摘まむ。

 

「アリアとは連絡も取れない感じっぽいしな。間宮はどこにいるんだか」

 

「あいつなら上手くバッキンガム宮殿に潜り込んでたぞ。こっちに来た初日にメールももらったが、要領を得ない感じで役に立つかはわからん」

 

 とかなんとか言いながら間宮から来たらしいメールをオレに見せつつ、ちゃっかりオレの酢ダコを食べようとしたので、サッと躱しつつ内容を読むが、確かに何を伝えたいのか明確にせず箇条書きを無理矢理で文にした感じがあり、その辺はまだ1年で経験値のなさが原因だろう。

 

「まぁ中との連絡が取れるなら使わない手はないだろ。オレもちょっとバッキンガム宮殿は見学してくるが、期待はするなよ」

 

「警備はガッチガチだったからな。あれを突破できるならお前はもう人間じゃねー、よっ!」

 

 おそらくはアリアの手助け有りで侵入に成功している間宮は貴重な情報源だが、このメールから期待は薄いのでオレ自ら出向いてみることにはするものの、苦い思いでもしたのか微妙な表情でそう話したキンジはまたも酢ダコに手を伸ばしてきたので回避。

 

「……俺は今、非常に貧しい思いをしている」

 

「奇遇だな。オレも倹約生活を余儀なくされている。それもこれもロンドンの物価のせいだが、つまみ食いは犯罪だ」

 

「その理屈でいくと世の中のガキはみんな犯罪者だな」

 

 キンジもキンジで貧困生活を送ってるのはこの行動でわかるが、オレも人に恵んでやれるだけの余裕はないので、それ以降はキンジの手の届かない位置に置いて食べ、恨めしそうに見てきたキンジとは目を合わせない。見えませーん。

 

「……そういやワトソンが助っ人を呼んだらしいんだが、誰が来るのやら」

 

「お前が今みたいな状況になるのを読んでメイドでも雇ったんだろ」

 

「…………ああ……」

 

 つまみ食いは諦めたらしいキンジは、それで思い出すように助っ人の話をオレにするが、何の助っ人かすらわからないからテキトーに言ったのだが、本当にそっち方面の助っ人だったのか誰かさんの顔を思い浮かべて微妙な表情をしてしまった。贅沢なやつだ。

 それから話も済んだのでキンジとは別れて、言った通りに1度だけバッキンガム宮殿に赴いてその警備やらを確認していったのだが、やはりキンジの言うように誰にも見つからずに中に侵入するのは無理そう。

 くそっ……こんなことならジーサードから光屈折迷彩をまだ借りておけば良かった……

 とかなんとか後悔先に立たずなことを思いつつも、どうしようもないのでその日はそれで終了。そろそろメヌエットからの連絡が入るかもしれないので、準備だけは万全にしてその時を待つことになった。

 そしてようやく2日後の朝にメヌエットから連絡が来て、よっしゃあ! と意気込んで荷物を持って出陣。

 メールが来た日は丁度メヌエットの誕生日だったので、おもてなしと誕生日祝いをセットで一石二鳥な配慮はメヌエットの優しさなのかなんなのか。

 それからメールにはオレ宛の荷物が届いている旨の報告もあったので、ちゃんと送ってくれたらしい。サンキュー、幸姉。

 

「フッ。久々に本気を出す時が来たようだな……」

 

 道中で万全な体勢につい調子に乗ったオレは、おもてなしの失敗とかそんなことは一切合切考えずに、不敵な笑みを浮かべてしまうが、それだけオレも本気なのだ。

 さぁメヌエットよ。オレのおもてなしに太鼓判を押すのだな。フハハッ!



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Bullet135

 

「来てやったから喜べ貴族様よ」

 

「では今すぐお帰り願いますか。上から言われることの腹立たしさは不愉快を通り越して殺意すら湧きますので」

 

「今日の主役がしていい目ではない」

 

 記念すべきメヌエットの誕生日にお呼ばれしたオレは、今日だけは誰とも会う予定はないと言っていた当人を前にして挨拶代わりのおふざけをするが、瞳からハイライトを消して虫けらでも見るような視線で攻撃されてしまう。容赦ないなぁ。

 

「まぁ挨拶の毒を吐いたところでおもてなしといきますか」

 

「私の毒抜きをしたような口ぶりは気に食いませんが、この後の対応の如何で処遇を決めましょう。寛大な処遇に感謝するように」

 

「ところでオレ宛の荷物ってどこ? サシェ、エンドラ。今から下に行くから出しておいてくれ」

 

「……そういえば京夜は人の話を聞かない都合のよい阿呆でしたわね」

 

「ほら行くぞメヌ。おもてなしが待っている!」

 

 誕生日だしいちいちリアクションしてやってもバチは当たらないんだが、誕生日だからと調子に乗せるのは今じゃないので、反応したらしたで長くなりそうなのはスルーしてさっさと車椅子を押し1階の食堂に移動。

 食堂にはオレへの届け物がちゃんと置かれていて、送り主が幸姉であることもちゃんと確認してから、まだ中身を見てないのかちょっとワクワクしてるメヌエットにも見えるように包装を解き中身を取り出す。

 

「悪いな、こっちに送ってもらう段階で住所の当てがなくて、メヌの家の住所を使わせてもらったんだよ」

 

「それはもういいです。それでその『窪みのある鉄板』はもしや……」

 

「出不精のメヌのことだから、日本に来るなんて一生に1度あるかどうかになるかもだからな。この機にご馳走してやるよ」

 

 一応はこっちに送ってもらう都合で勝手に届け先にしたことを謝りつつ、出てきた半円の窪みが複数ある鉄板。たこ焼き器に目が釘付けのメヌエットに説明の必要はなさそうなので、メヌエットの前のテーブルに置いて観察し出したのを横目にキッチンの方に引っ込む。

 

「焼くのは私にやらせなさい」

 

「そのつもりではあるけど、まずはオレのカッコ良い手本を見せてからだぞ」

 

「別にカッコ良くある必要はありませんが、そういうことをしたい年頃なのですね」

 

「男の子はいつでもカッコつけたい生き物ですからな」

 

 事前に調達していた材料で生地を作ってる間に、声を弾ませたメヌエットが自分で焼きたいと言い出すのは予測していたので、そんな会話をしながらマヨネーズやら特製ソースやらを運んでくれてるサシェとエンドラにたこ焼き器に熱を通してもらう。いざ焼くとなってから温めてたら時間の無駄だからな。

 

「生地はオーソドックスなやつとオレの地元のやつとでやるけど、野菜入れたら食べないとか言わないよな?」

 

「私は偏食ではありますが野菜を食べられない人間ではなくてよ。いいからやってみせなさい」

 

 準備もできて焼きに入ろうとしたところで、やはりタコがダメなのかサシェとエンドラはテーブルから後退って事の成り行きを見守るが、メヌエットはタコへの抵抗もないのかオレの作業に集中している。

 まずは普通の天かすや紅しょうが、ネギを入れた生地を流し込んでたこ焼き器をヒタヒタにする。天かすはこの前のタコの唐揚げの時についでに作ったが、抜け目はないのさ。

 

「こんなに注ぎ込んでは完成する時にグチャグチャになるのでは?」

 

「下手に窪みに入れていくよりもこの方が楽なんだよな。ある程度で生地に火が通ったら、このキリで漏れ出てる生地を切って窪みにこうやって……」

 

 焼きながら鉄板が見えなくなるくらい生地で埋まった焼き器に疑問を持ったメヌエットに、慣れた手つきでキリを操って窪みにはみ出ていた生地を折り入れて窪みにだけ生地を収納。

 それに納得したようなメヌエットを横目にパパッとタコを入れて、表面が固まったら窪みに沿うようにキリを動かして生地をひっくり返し形を整える。

 次々とひっくり返す様を見るメヌエットは「ちょっと、早いわ京夜」と文句を言うが、慣れちゃってるから逆にゆっくりやれないのだよ。スピードも重要だしな。

 

「これであとは表面全体に焼き色がつくように適度に転がして形も整えて……最後はキリで皿に放り入れて、マヨネーズとソースとかつお節をかけて……青のりは歯にくっつくし今回はやめておいたから、これで完成っ」

 

 割とスピーディーにやったのでメヌエットからは若干の不満がぶつけられたものの、出来上がったたこ焼きには興味津々でさっそく食べようとしたのだが、出来立ては熱くて普通の人間は食べられないので、少しだけ待ってもらって、その間に今度はオレの地元の生地でたこ焼き作り。

 ここでメヌエットのチャレンジ開始。といきたいところだが、京都とか兵庫とかの生地にはキャベツを入れるため、それで焼き時間が短くなり、初心者にはわたわたする時間もないのでこれもまずはオレが焼く。

 さすがに2回目となるとメヌエットも観察するところが違ってきて、オレのキリの扱い方をじっくり観察してるようだったが、焼き具合を観察した方がよろしいかと。ひっくり返すタイミング掴めないぞ。

 

「よし。んじゃ2種類のたこ焼きが出来たところで食べてみるか」

 

「これで美味しくなかったら面白いですがね」

 

「……そうか。1つにワサビでも入れてロシアンルーレットにすれば……」

 

「本気でやりかねなかったのが伝わってきて嫌なのだけど」

 

 そんなこんなで地元の生地も焼き終わっていざ食べようというタイミングで冗談っぽくメヌエットがからかってきたのだが、たこ焼きパーティーの定番のロシアンルーレットをやり忘れたことに本気で愕然としてしまった。やっちまった……

 しかもそのワサビやらの刺激物も調達してないので、この後のメヌエットのチャレンジでも混ぜることができないのでマジでへこむ。くそぅ……

 

「あら、美味しいわ京夜」

 

 そうやってオレが悔しがってる間にサラッとたこ焼きを食べたメヌエットは、初めて食べたたこ焼きを高評価。

 食べたのはオーソドックスな方だったが、続けて食べた地元の方も美味しいとの評価をもらえたので、たこ焼きのおもてなしの第1段階はクリアしたと言っていいかな。

 第2段階はチャレンジ接待だ。

 オレの焼き方を観察したとはいえ、クレープでもちょっとあたふたしてたので、タコの投入だけはオレがやってあげることになり、意外と少食な人は数を食べられない都合、これから作る分から逆算してメヌエットが残すだろう数をサシェとエンドラが初めてのたこ焼きに挑戦し舌鼓を打ってくれたのは地味に嬉しかった。生のタコを見たり触ったりはダメっぽいけど。

 

「それではやりますよ。京夜、焼き具合はあなたが見て指示なさい」

 

「我、タコを入れるだけの黒子なり。それ以外のことはやらぬで候」

 

「変な日本語を使ってないで言ったことをやりなさい」

 

 緊張した面持ちでボウルとお玉を持つメヌエットがなんか新鮮すぎて面白いのだが、タコだけだったはずが仕事を増やされたオレは、それでさっきキリしか見てなかったのかと納得。マジで接待だなこれ。

 それでいざ始めてみると、サシェとエンドラが横で「ああ、お嬢様!」「お袖に気を付けてください」と意外とうるさく、世話係という仕事柄で仕方ないとはいえそのハラハラは視界に入るとこっちまでハラハラするので無視。

 

「そろそろ窪みにまとめてみろ。窪みに畳み入れる感じでな」

 

「こう、かしら。京夜は何故これをあんな簡単そうに出来るのかしら」

 

「慣れだよ慣れ。オレが今のメヌよりもずっと小さい頃からやってるんだから、呼吸するように出来て当然だろ。食べる担当が多かったのもあるけど……」

 

 なんとか窪みに生地を入れるところまでは出来たメヌエットにサシェとエンドラもホッとひと息。

 そのままホッとしててくれと思いつつ、メヌエットの呟きにタコを入れながら答えてやるが、食べる担当だった幸姉やら愛菜さんやら千雨さんやらが頭に浮かんで苦笑い。あの人達は本当にブラックホールのように焼いたそばから胃袋に入れちゃうからなぁ……火傷しないのが不思議なくらい……

 

「この焼き器はご実家から届けさせたようですが、幸音に何か頼まれたのでは?」

 

「鋭いな。送ってあげる代わりに返す時にはイギリス土産の1つでも添えろって言われてるんだが、何か喜びそうな贈り物はないかね」

 

「ちょっと待ちなさい。いま形を整えていますから。ですが上手く球体になりません」

 

「中まで火が通ってくると整えやすくなるから、あんまりクルクルやるな」

 

 生地をひっくり返すところまで進むと、メヌエットもひと仕事終えた感じで会話に興じる余裕を見せ、卓越した観察力から幸姉への土産も見抜かれていたのはちょっと驚いた。送り主を見たのはあるだろうが、性格まで読み切っての推理だろこれ。

 しかしここまでやるとあとは適度に全体を焼くだけになるため、素人特有の無駄に窪みでクルクルやるあれが炸裂したので注意しつつ、無事に完成したメヌエット製のたこ焼きをみんなで実食。

 

「味は京夜が焼いたものとさほど変わりませんね」

 

「焼くタイミングをオレが指示したんだから、差なんてメヌとの効率の差でしか出んわな」

 

「それでもですよ。私には才能があるようですね」

 

「まぁ初めてにしては上手かったよ。ついでで悪いんだが、生地を全部焼いて残りを持って帰りたいから、ササッと焼いちゃっていい? ロンドンの物価は平民には厳しくてな」

 

「それなら焼き器ごと持って帰ればよろしいのでは?」

 

「だってそれだと電気代が……っはあ!」

 

 たこ焼きの味自体は明らかに差があるわけでもなく、普通に美味しかったのでメヌエットもドヤ顔を披露したが、予測してたから上手い切り返しをしつつ、残りの生地を焼いてしまう許可を取る。

 しかし羽鳥の家でやると電気代とか片付けの水道代とかかかっちゃうという本音が漏れたら、メヌエットの指示でしっかりとサシェとエンドラがオレの頭にツッコミを入れてきたのだった。

 とはいえお優しいメヌエット様はちっちゃいことを気にするオレを見下したいがために許可を下ろして、サシェとエンドラにたこ焼きを作らせるという命令をして自室の方に移動。

 オレもタコを触ることに戦慄する2人を不憫に思いつつもメヌエットに付いて自室に移動し、おもてなしにご満悦のメヌエットが勧めるままに椅子に座る。

 

「幸音への贈り物の件ですが、ベターですがロンドンらしく紅茶のセットなどはいかがですか?」

 

「ああ、それはもう決めてあるんだよ。ただ幸姉はそれだけだと『面白くないわね』とか言いそうだから、他に何かプラスで予想を裏切るやつをな」

 

「それでしたらスコッチなどいかがですか。ボトルにビッグ・ベンの造形を起用したものもありますし、幸音はあれでもお酒を嗜める年齢でしょう?」

 

「前に酔い潰れた姿を見てるから選択肢から除外してたが、別に酒が嫌いな感じではなかったし、それでいいかもな」

 

 ちゃっかり幸姉へのお土産を考えてくれていたメヌエットからその上機嫌さは伺えたため、最初こそそのテンションに付き合って話したものの、話していくうちにその『真意』について思い至って冷や汗が出る。

 凄く遠回しではあるが、幸姉へのお土産。メヌエットが言ったようにつまりは贈り物。

 そして今日はメヌエットの誕生日。誕生日、贈り物……ハイハイわかりましたよ。連想ゲームをありがとう。

 

「よし。幸姉への土産はそれでいいとして、メヌにもプレゼントを渡さないとな」

 

「あら、もう出してしまうんですの? もう少し焦らすものかと思ってましたが」

 

「早く出せって暗に言ってきたのによく言う」

 

 そうして促されるようにオレから誕生日プレゼントの話を切り出させたメヌエットのとぼけ具合は無駄に可愛いが、思惑通りに動いてやったんだからプレゼントのハードルは下げてもらいたいね。

 

「とはいえ、オレもメヌが本気で喜ぶかどうかわからん物を用意した手前、出しにくいところはある」

 

「何故ここで出し惜しみするのかわかりませんが、そういった口ぶりからして今すぐにでも出せる物。しかも衣服に隠し持つことができるほど小さな物であることは推理するに及ばずですが、私の機嫌が良いうちにさっさと出すのが京夜にとっても精神的にもよろしいことかと」

 

 言われてみれば自分でハードルを上げてるので、ちょっとヤケクソ気味に懐からプレゼントを取り出したオレは、それをメヌエットのテーブルに静かに置き、その反応を見る。

 

「これがオレからのプレゼントだ」

 

「…………私は物騒なものは好みませんが」

 

「知ってるっての。得意の推理で何か当ててみろ」

 

 テーブルに置いたのは1発の未使用の銃弾。

 口径はアリアのガバメントに合わせて.45ACP弾で、その全ての塗装が光沢のある『青色』で統一されている。

 

「お姉様の使っていらっしゃる舶来の銃の口径のようですが、それは私への配慮として、この塗装に意味があるのでしたら……瑠瑠色金ですね」

 

「純度ほぼ100%だからな。アリアの緋弾と変わらない質量になる。薬莢もあるからこっちの方が大きいかも。あ、雷管はないから撃てないぞ。形だけだ」

 

 オレよりも情報量ではちょっと劣るはずなんだが、すぐに答えに辿り着くところは少しだがムカつく。さすがではあるんだが。

 

「これはどこで入手したのですか?」

 

「さぁどこでしょうね。気付いたら持ってた、なんてな」

 

 その卓越した推理でも瑠瑠色金の入手先まではわからなかったようで、言う気のないオレの返事にムッとした表情はしたものの、超希少な金属が目の前にあるのはそれなりにテンションが上がるのか、銃弾の形となった瑠瑠色金を手に取って観察を開始。

 正直なところ、オレもロンドンに来てから思い出したんだが、オレはアメリカから瑠瑠色金を持ったままだったのだ。

 かろうじて銃弾サイズに加工できる程度の量の瑠瑠色金がどこから出てきたかと言えば、ナンバープレートを外した時にもて余していたネジ。

 それをとりあえずでミズチの収納に入れていたのをすっかり忘れていて、羽鳥のアパートで寝る前に軽く整備した時に出てきたわけだ。

 どう扱うか困ったものだったが、加工所でちゃんと加工できた――量が足りなくて若干の合金にはなってるが――ので、今に至る。

 

「これにも緋緋神と同じような意思、瑠瑠神が宿っていると予測されますが」

 

「たぶんそうだろうが、瑠瑠神は緋緋神とは違って人と関わろうとしないから、こっちからどうこうしようとしても対話は無理だろうな」

 

「では私でもこれを持つことで超能力を扱えるようになるのですか?」

 

「それもたぶんだが出来る。だがアリアみたいに緋緋神と同調するようなことはないだろうから、出来てもその長い髪を動かしたりとかその程度だと思う。経験則だが」

 

 なかなかタイムリーな物だけに関心が尽きない様子のメヌエットは、珍しく推理をせずに質問攻めする。

 オレとしてはあくまでも今後の研究対象としてとか、アリアの問題の解決に繋がる何かになればと思うところがあるので、純粋にプレゼントとしてあげたかと言われると怪しい。

 理子の例もあるが、実際にこれを使うのもメヌエットの自由だが、純度が高いだけに身に付けたりするのは控えてもらいたい。出来れば使うのもやめてもらえたらと思う。

 

「……お姉様ほど鮮やかなピンク色にはならないでしょうが、色金と長い時間を共にあると、それが身体にも影響を及ぼすのでしょうから、これは大事に保管して今後の研究材料の1つとしておきましょう。これで曾お祖父様の『緋色の研究』に並ぶ『瑠色の研究』ができます。感謝しますよ、京夜」

 

「皆まで言わなくてもわかってますってか。メヌの綺麗な金髪が青色になったりしてもあれだし、そうしてもらえればオレも安心だ」

 

「京夜はたまにではありますが、女性を喜ばせる言葉を使いますね」

 

 そんなオレの内心を察してか、瑠瑠色金の扱いに関してはオレの希望通りにしてくれたメヌエットは、瑠瑠色金の銃弾。名付けるなら『瑠弾』をとりあえず懐に収めつつそう話し、オレも素直な気持ちを言葉にする。

 が、何故かそれにちょっとだけ頬を赤らめたメヌエットは、なんか嬉しかったらしく文句のような文句じゃないようなことを言ってから思考を切り替えていつもの表情になるが、自分の髪が自慢だったりしたのかね。

 

「そういえば京夜の言った通り、エル・ワトソンからアポイントメントの取り付けが来ました。ご要望通りに受け入れましたよ」

 

「そりゃありがたい。いつ会うんだ?」

 

「明日ですよ。ただしお姉様のパートナーである遠山キンジとだけですが」

 

「…………先に謝っておくが、キンジが失礼した」

 

「まだ会いもしていない方の代わりに謝罪とは。遠山キンジという人物はよほど礼儀を知らない愚民なのでしょうね。その謝罪で1度だけ無礼があっても見逃しますが、それ以降は保証しません」

 

 友達の言葉は素直に受け入れる節があるメヌエットの照れ隠しから出てきた切り替えの話は、ようやくキンジと会うという話だったものの、会うのはキンジだけと仰るから不安が膨れ上がり、ついついそんな保険をかけてしまったが、奇跡的に好転したから貸し1つだぞ、キンジ。

 

「オレはどうする? もちろんキンジと2人きりで話したいこともあるんだろうし、同席するタイミングはメヌの判断でいいけど」

 

「あら、まだ私と京夜が友人関係であることを告げてないのですね。てっきり『オレには友達がいるんだぞ』と意気揚々に話しているものかと」

 

「ふーん。じゃあオレから『キンジに会ってほしい』って頼まれたかったのか? プライベートと混同してまで。とゆーか、この前にお願いした段階でそれをしてないことは明白だろ」

 

「そうでしたかしら? そうだったかもしれませんね。最近、記憶力が落ちてきてしまって。これも14歳になった弊害でしょうか」

 

「14で記憶障害が出てるなら大問題だ。今すぐ病院に行って精密検査が必要だな」

 

「……京夜は乗るだけ乗ってツッコまないから困ります」

 

「どこまでボケるのかと思ったが、意外と堪えられなかったな」

 

 もはや言葉のお遊びでしかないが、こうしたやり取りがメヌエットのツボにハマるのはなんとなくわかってきた。

 その証拠に先に折れてオレに遊ばれてムッとはしたが、すぐにクスクスと笑って和やかな空気にしたから、メヌエット的にも楽しんでいたらしい。

 

「また来てほしい時には連絡します。今日は私の誕生日を祝ってくれてありがとう、京夜。友達と過ごす誕生日は私にとってとても貴重な体験でした」

 

「お気に召したようで何より。んじゃ今日はもう帰るかな。泊まって欲しいならおねだりしてくれていいぞ?」

 

「殺しますよ」

 

 笑いも収まったところで今後のオレとの関係を明かすタイミングをメヌエット主導になったのを確認し、今日はこれで退散の流れになり、最後のからかいに対してはマジのトーンで返ってきたから苦笑いを返しつつでさようなら。

 サシェとエンドラが焼いてくれたたこ焼きを受け取りつつ、たこ焼き器も回収して帰路についたオレは、明日に控えたメヌエットとキンジのコンタクトに早くも胃がキリキリしてきたのだった。



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Bullet136

 

 メヌエットの誕生日祝いを無事に終えて羽鳥のアパートへと戻ってきたものの、時間はまだ昼下がりで体は起きまくってる。

 荷物の関係で1度は戻ってきたが、このあとは幸姉への贈り物を買って送るまではやれそうだな。

 そう考えながら部屋の扉を開けようとしたが、鍵が開いてやがる。

 

「…………どっちかね」

 

 扉には強引に開けたような跡はないので盗っ人の線は薄いが、捨てきれない可能性ではあるため、一応は警戒して音もなく部屋に入る。

 元々が物のない部屋だから盗る物すら皆無で、無くなったものはほぼわかると思うが、リビングに人の気配があるからそちらに一直線。

 細い廊下を抜けてリビングに入った直後、横から誰かの腕がぬっと現れてオレの喉へと持っていたメスを突き刺しに来た。

 普通なら反応が追い付かないレベルの鋭い刺突だったが、あらかじめ警戒はしていたので物理的にメスの届かない位置に退いて腕が壁に阻まれてオレの目の前で止まる。あっぶねぇ。

 

「……3月のお帰りじゃなかったのか?」

 

「おや、腕を怪我して最前線からは遠ざかっていたと聞いていたが、なかなかの反応じゃないか」

 

「ジーサード経由だな。あいつも個人情報ガバガバにするから困る」

 

 いきなりのご挨拶をかましてきたくせに、何の悪びれるようなこともなくメスを引っ込めて姿を現した家主、羽鳥は、何が楽しいのか手に持つメスをクルクルと弄びながらオレをリビングへと招き入れ、冷蔵庫から水を取り出してくる。

 

「約束通りに部屋の片付けはやってくれたようだが、あまり君の生活臭を出さないでくれたまえ。入った時に思わず吐きそうになった」

 

「目に見える私物は寝室にまとめてあるが、お前の言う生活臭とやらはどの基準なんだよ」

 

「君がいるという痕跡があった段階でアウトだ」

 

「それは遠回りに死ねと言ってるも同義だ。その理屈だと片付けをした時点でオレはもうアウトだろうが糞が」

 

「ああそうなるのか。じゃあ譲歩して私物が見えたらにしておいてあげよう。感謝したまえ」

 

 とりあえず荷物を置きつつ会話をして、こいつが帰ってきたのが1時間ほど前なのを把握。まだ荷ほどきもしてないし、冷凍庫に入れていた刺身のタコが良い感じで解凍されてつままれているからな。

 しかしいつ会っても人をイラつかせる天才の羽鳥はオレが同じ空間にいるだけで不快なようで、毒舌というか独裁者みたいな振る舞いに拍車がかかってる。つまりは調子が良い。

 

「……んで、帰りが早かった理由は?」

 

「愚問だね。そんなの私が『優秀』だからに決まっているだろう」

 

「…………オレがいるのにわざわざ戻ってきた理由は?」

 

「それこそ愚問だろう。本来なら次の仕事に経由なしで向かうところだったが、君が私を呼んだのではないか」

 

「断じて呼んでないね」

 

 そんな羽鳥に合わせてやり取りしてたらストレスがハンパないので、スルーできそうな部分は右から左に流して話を強引に進めるが、何故かオレのせいで羽鳥が戻ってきたっぽいことを言うので困る。オレが何をした。

 

「先日にもらったメールの内容。あんなものを読まされて私が片手間に仕事をやると思うのかい? 君はそれほど馬鹿げたことをやろうとしてることを自覚すべきだ」

 

「問題点をメールすれば済む話だろう」

 

「なぜ私が君のために長々と1万字を越える内容のメールを作成しなければならない。それだけに留まらず討論になることは必至だから、こうしてインターバルで来てやったんだ。これこそ感謝してもらいたいね」

 

 どうやらオレが先日に送ったメールが原因で戻ってきたらしいことをガミガミと言ってきた羽鳥だったが、その割には行動が伴う分、余計に手間がかかってる気がするので矛盾が生じてるようにも思え首をかしげる。

 その引っかかりにオレが気づいたのを察した羽鳥は、ここまでは前置きだみたいな雰囲気でソファーに座ってつまんでいたタコを食べて落ち着く。

 

「本来であれば私も関心はあっても手は出さない案件だったが、なかなかどうして君もタイムリーな男だよ」

 

「タイムリー?」

 

「私がベルリンにいたのは、そちらで調査をしていたからだが、その現場にはカツェとシスターメーヤも同行していた」

 

「またいるだけで喧嘩しそうな面子ですこと」

 

「だから私が仲裁として割り当てられた。それだけが理由ではないが、これも師団と眷属の停戦協定の一環だと考えてくれたまえ」

 

「…………んで、何がタイムリーなんだよ」

 

「私達もまた、君の話に繋がることを調べていた。そんな話だよ」

 

 なかなか本題に入らない羽鳥の言い回しは今に始まったことではないが、自分で時間が惜しそうなことを言っておいてのこれはアホなだけなので、もう羽鳥ペースでやらせてやる。これなら文句は言えんからな。

 そうした前置きの前置きを終えてようやく話を進めた羽鳥は、さっきまでベルリンで何をしていたのかをバカに説明するがごとく懇切丁寧に話してくださり、その全てを聞き終わってから1発だけ殴ろうとしたが、あえなく回避されてしまった。

 

「ちっ。話はイラつくレベルで理解できたが、聞く限りだと成果は芳しくなかったんだろ」

 

「だからこそだろう。もしも君の話が確率論で言って高い可能性を秘めているなら、私としても解決への近道。あれの影に怯える日々も終わって一石二鳥だ」

 

「前は引き止めてた側のくせにな」

 

「以前と今とで状況が違うということだよ。君だって以前のあれこれがあったから今回の話に至っているわけだろ。それは人が学ぶ生き物だという何よりの証さ。バカなりにだがね」

 

「ひとこと多いんだよ」

 

 そうした話を終えて羽鳥の考えは理解したものの、カツェも貧乏くじを引いたな。あの子は別に関係ないだろうに、中途半端に割り込まれたから魔女連隊の代表として駆り出されたんだろうし。

 とまぁ、今回のカツェの役回りには同情しつつで仕事の延長としてこっちに来た羽鳥の事情を考えて、オレの話はしっかりと練らなきゃ恨みを買う。

 そんな恨みは御免被りたいので、オレも毒吐きの生意気な表情から真剣な表情へと変わっていた羽鳥に合わせて、いま出せるだけの情報から話を作戦へのシフトさせていった。

 

「はっ? 幸姉と会った?」

 

「正確にはテレビ電話で会話しただけだが、それがカウントになるなら会ったことになる」

 

 話も一段落して、今日中に実家へ送り返したい物があると呟いたら、息抜きも兼ねて羽鳥がササッと要求の品のある店に案内してくれて助かったが、その帰りに先ほどの話でカツェ経由ながらも幸姉と会ったことを右隣を歩きながら何気なく話すもんだからちょっと驚いてしまう。

 そういやこいつ、幸姉とは入れ違いで学園島に来たから直接の面識はないんだよな。

 

「助言ってことだろうが、あのカツェが幸姉との繋がりを持ってたことに驚きを隠せない」

 

「在学時代に勝手にアドレスを交換されたらしくてね。カツェが消しても定期的にメールが来るし、それで機種変更やアドレスを変えたら負けだとか変なプライドで今まで放置してたのを利用させてもらった」

 

「…………まぁタバコを吸ってることを気にかけてたし、世話好きの頃にでもブラックリスト入りしたんだろうが、安いプライドだこと」

 

 テレビ電話だと聞いて、このウザいのが幸姉に直接の迷惑はかけてないことに安堵しつつ、今後も関わらないでくれと一応は注意しておく。

 こんなのと幸姉が組み合わさったらどんな化学反応が起こるかわかったもんじゃない。

 

「それと君の今日の行動から色々と推理をしてみたのだが」

 

「なんだよ」

 

「貧困生活を余儀なくされて叩き売りされていたデビルフィッシュを小分けにして食べていた、にしてはあのたこ焼き器は手間だね。つまりここ英国において食文化として普及の微妙なたこ焼きを誰かに振る舞った。それから私の調べでは確か今日はメヌエット・ホームズの誕生日。さらに前回、君はそのメヌエットにお呼ばれして面識がある」

 

「オレがメヌエットと仲良く誕生日パーティーをやってたらどうなるんだ?」

 

「こうなる」

 

 オレとの沈黙を嫌ってるのか、やけに口を開く羽鳥が今度はオレの直近での生活から何をしていたかを推理してきたのだが、恐ろしいまでに当たってて引く。

 今さらシラを切っても仕方ないからこいつには肯定で通しておくと、自分が仲良くできないことを現実的に理解しているからか、その腹いせにオレへと八つ当たりの裏拳が炸裂。

 当然ながらテレフォンパンチだったのでしゃがんで避けたのだが、追撃に逆の手のブローが腹に迫りバックステップでギリギリ躱す。危ねぇな! 左手に紅茶と酒を抱えてんだぞ!

 

「あ、そうそう。戻ったらすぐに話を詰めるからね。今夜の最終便で私もまたバチカンに向かわなきゃならないから、ねっ!」

 

「おうおう行けさっさと行けクソが。メーヤさんとローレッタさんによろしく、なっ!」

 

 2度も避けられて諦めたように会話を繋げた羽鳥だったが、 改めて近づいたオレに回し蹴りを見舞ってきやがったので、リーチの限界で躱してカウンターの回し蹴りをお見舞いしてやるが、これも空振り。

 そんな物騒なやり取りを道端でやってるもんだから、人の怪訝な目が痛くて、注目されるのが苦手なオレに対するこいつの精神攻撃だったことに遅まきで気づいてしまう。マジで腹立つ。

 

「さて、君への嫌がらせもこの辺にして」

 

「一生やるな」

 

「『右腕』。咄嗟に使わないように意識しすぎだ。もう大丈夫だと慢心してまた怪我するのは治す側として困るが、まだ治ってないという小心も困る。自分の体だからわかるだろうけど、頭で考えて使わないうちは役立たずもいいところだよ」

 

 そんなオレをちょっと笑ってから、今度こそ嫌がらせをやめたはいいが、八つ当たりに見えた今のがちゃんと意味があったことを告げてきてギクリとする。

 言われて気づいたが、羽鳥の攻撃は全てオレの右側からしか来なかったので、やろうと思えば回避ではなく右腕でどうにでもできたかもしれなかった。

 オレの右腕はもうほとんど違和感もなく使えるのは、この頃の経過から感覚的わかっていたが、羽鳥の言うように咄嗟に使うことは意識的に避けていた。

 

「……感謝はしないぞ」

 

「あまり私を失望させないでくれたまえよ。じゃなければ私はまた君を『壊そうとする』かもしれないからね」

 

「それは本当に勘弁、だ」

 

 そうした警告をした羽鳥の意図はきっと、不甲斐ないオレの姿を見たくない。とか可愛い理由ではなく、羽鳥にとっての最後のストッパーがちゃんと機能してくれないと困るから。

 まぁ言い方はいくらでも変えられるが、少なからずオレへの信頼があるから会話もするし関わりを切ろうともしない。ワトソンもそれを不思議に思うくらいにはな。

 そんなオレの言葉を確認するように、また唐突に拳を突き出してきた羽鳥だったが、今度はオレもその拳を右手で受け止めて微動だにしない。

 

「女の拳を止めたくらいで得意気にならないでほしいね」

 

「……そういやお前って女だったな」

 

「またそういうことを言って……私だって傷ついちゃうんだからね」

 

「お前が女の武器を身に付けるには経験が足りなすぎる」

 

「じゃあ君が経験値を分けたまえ。私に負けないくらい女と遊んできただろう?」

 

「酷い誤解で非常に不快だ」

 

 これくらいビシッと決めなきゃと思ったものの、羽鳥はどうしても非力な女なのを言われて思い出し、ちょっとカッコがつかなかったが、わざとらしい女の涙を使う羽鳥の安い芝居は見るに耐えない。普段はキレッキレの演技派のくせに、何で女らしくすると安くなるのか。

 ……どうでもいいからか……

 

「ハハッ。君の不快は私にとっての愉快だよ。これからも私に不満そうな顔を存分に披露してくれ」

 

「はいはい、その性格を改善する気なしのお前に今更なにを言ったところで変わらんし、せいぜい人の不幸を笑って不幸になれ」

 

「失敬な。私は人の不幸を笑うほど人間的にクズではない。ただ少しだけ高くなってる鼻が折れる瞬間が好きなだけだ」

 

「それも大概だアホ」

 

 どこまでもブレない羽鳥を見てると、自分の生き方に自信を持つことの難しさをつい忘れそうになる。

 羽鳥の性格は見習うところがないが、その在り方はオレよりもきっと人生を精一杯で生きようという意思があって嫌いではない。

 だからオレは、人間として嫌悪すら覚えるようなやつなのに、心の底からこいつを嫌いにはなれないんだろうな。

 血の呪いとやらと向き合ったこいつは、どこか清々しいほど心が自由で……自由すぎて殴りたくなるな……

 そうしてやっぱり嫌いなことには変わりないことを再確認して、拳をわなわなさせたオレをまた愉快そうに笑う羽鳥に怒りの飛び蹴りをかましてやるのだった。避けんなこらぁ!!

 

「…………まぁこんなものだね。あとは日本にいるジャンヌに動いてもらって真偽のほどを確かめてもらって」

 

「妥協した感じが否めないんだが」

 

「君の草案レベルをここまでにしたんだから文句を言うな」

 

 アパートに戻ってから本当に時間を惜しむように話をまとめ始めた羽鳥は、いま考えられる最善をひと通り出し切って、これからやるべきことも優先順位を決めて解決に向かわせる。

 それから荷物を作り直して完全に出立の準備を完了させた羽鳥は、いつもの漆黒のコートを羽織って最後の毒を吐いてくる。

 

「あとは君がメヌエットからの協力を得られるかが重要になってくるが、セクハラで訴えられたりしないでくれよ」

 

「オレが何をすると思ってるんだ。お前こそ、いざって時に仕事だとか言ったら殴るからな」

 

「酷い。こんなか弱い女の子を殴るだなんて……」

 

「さっさと行けよ、うぜぇ」

 

「ハハッ。今度はどこで会うことになるか、今から考えるだけで反吐が出る」

 

 笑いながらに胸糞悪いことを言って部屋を出ていった羽鳥には姿が見えなくなってから中指を立てておき、やっと1人になって心の底から落ち着いてソファーに座ると、本日最後のお仕事としてさっきまでまとめていた内容と頼み事をジャンヌにメールで送って終了。

 明日はキンジとメヌエットの対面があることも頭の片隅に置きつつ、明日も明日でやっておきたいことがあるため、早めの就寝。

 翌日。

 キンジ経由で間宮からアリアの所在を聞き出してから、面倒なこともなくバッキンガム宮殿にいるっぽいアリアの周囲を偵察。

 今回の目的は侵入とかではないので警備などは無視して、ひたすらにバッキンガム宮殿の周辺を観察。

 日本人特有のやたらと写真を撮りたがる風の観光してる感じで1時間ほどは見てみたが、オレが求める成果は得られなかった。やっぱり難しいな。

 キンジがメヌエットと会うのは夕方頃と聞いていたので、昼下がりになる今からは緊迫の数時間だな。

 

「バカと天才は紙一重とは言うが、生粋の天才とバカと天才のハイブリッドは果たして合うのか……」

 

 これから対面する2人をそんな風に評価しながら、先日の件のお礼にと今夜はワトソンが夕食を奢ってくれると言うので、その合流のために移動。食費が浮くので本当に助かる。

 助かるついでに合流してすぐワトソンに付き合ってもらって、とある場所に行ってもらい、今後に関わることをある程度で決めたわけだが、この時のワトソンの嫌な笑顔は忘れないでおこう。お前がニヤけることでは断じてないからな。

 

「まあ! 猿飛様、お久しぶりでございます」

 

「本当にヘルプで呼んだのか」

 

「君はもう少しトオヤマと情報共有をしたらどうだい?」

 

 それを終えてから、丁度いい頃合いになったのでメヌエットとの面会をしに行ったキンジが押し付けた最強メイド、リサを拾いに来たのだが、相変わらずの美人でお行儀の良いリサにキンジを殴りたくなる。

 とはいえキンジから話だけで聞いていたので、ロンドンで会うのはこれが初。改造したセーラーメイド服を着こなしたニコニコ笑顔のリサを見ると、ニタニタと嫌な笑みを浮かべてばかりだった羽鳥との落差で涙が出そうに……

 

「ど、どうなされました!? リサが何かいたしましたでしょうか?」

 

「いや……リサがあまりに眩しくて目をやられただけだ。これからもリサはリサのままでいてくれ……」

 

「は、はい……よくわかりませんが、猿飛様のご期待に添えるよう努力いたします」

 

 実際に少しだけ泣いちゃったら、心配したリサがハンカチを渡しながら言葉をかけてくれ、ドン引きしたワトソンには脇腹を手刀で刺す。

 そんな3人で改めて移動をして、ワトソンの行き着けとか言うレストランで今夜はディナーにありつき、武偵高の制服でフルコースメニューを食べるという奇妙な絵面を完成させたが、ブルジョアなワトソンが店を貸し切っての食事だったので気にしなくても良かった。奢ってもらってあれだが、なんか悔しい。

 そうした格差社会を実感する夕食の最中に、キンジからワトソンにメールが届き、明日にでもリサを寄越すようにと指示があった。

 

「トオヤマは上手くやってるのだろうか」

 

「ご主人様はしっかりとご自分の役目を果たされる方です」

 

「リサを呼びつけたってことは、明日以降も一応はメヌエットのところにいられるわけだ。キンジにしては頑張ってるんじゃないか?」

 

 メールに指示から不安そうなワトソンと自信満々のリサとでリアクションが極端だが、あのメヌエットに門前払いを食らわなかったならキンジもそれなりに頑張ってるはず。

 それを経験からわかるオレの言葉には、ワトソンもリサも謎の説得力を持つからか首をかしげたが、ポジティブな意見ならいいかと納得したようだった。

 夕食を終えてアパートに送ってもらう途中、リサが突然「今夜は猿飛様のところで厄介になってもよろしいでしょうか」と言い出し、キンジから預かった身のワトソンも「明日にはメヌエットのところに行かせるし、1泊くらい面倒を見てやってくれ」と割とすんなり許可するから困ってしまう。

 このリサの言動についてはなんとなく理由がわかるから、浮気とかそういう感じのやましい気持ちが一切ないのは救いなんだが、オレも健全な男子高校生である。

 

「オレはソファーで寝る。リサはベッドで寝ろ。以上、解散」

 

「お、お待ちください猿飛様っ!」

 

 そうしてリサを押し付けられたオレは、戻った部屋で速攻でそんな指示をして寝ようとしたが、やはりリサも狙いがあるから食い下がる。やめてくれー。

 

「猿飛様はとても心地よい匂いがして、リサは猿飛様のお側でならご主人様といる時と同じくらい心安らかに寝ることができそうなのです。ですからどうか今晩だけお添い寝を……」

 

「…………オレも一応は男なんですよ。隣にリサみたいな子がいたらオレがジェヴォーダンの獣になっちゃったりするんだからな?」

 

「リサは猿飛様がとても紳士であることを存じ上げておりますよ」

 

 ぐはっ! 眩しいっ! 眩しすぎるっ!

 リサも忘れがちになるが、純粋な人間ではなく、玉藻様のような化生に近い人間。だからオレの匂いが同様に本能を刺激するから、部屋に入ってからはなんか目もトロンと微睡んでいる。

 だがリサもこれが例外だからと凄く強く言って懇願するし、なんか謎の信頼もするので、そうなるともうオレも泣きそうなリサを1人で寝させられなくなる。ズルいよこの子!

 しかしまぁ、実際にベッドで一緒に寝てからは会話も少しですぐに寝たリサは、なんか気の緩みからなのか獣の耳とモフモフの尻尾を出してしまい、それを見たらなんかオレも気が紛れて、ほどなくして眠りに就くことができたのだった。



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Bullet137

 翌朝。

 早起きなオレよりも早く起きて朝食の準備をしてくれたリサは、いつもより割増で調子良さそうだったので、オレとの添い寝は想像以上に快眠だったと見える。

 それならオレもちょっとだけ苦悩した甲斐はあったかなと思いつつ、リサの作った朝食でエネルギー摂取。やはりメイド。美味い。キンジ殺す。

 

「メヌエットの家まではオレが送るが、そこからはご主人様に守ってもらえよ」

 

「はい。猿飛様のエスコートなら安心して外を歩けますね。よろしくお願いします」

 

 半ば押し付けられたリサではあるが、こうしてお世話になった分は返さなきゃ悪いので、これから行くメヌエットの家までの護衛は受け持つが、やけに信頼を預けてるリサの笑顔は謎だ。リサに対して特別なにかしたことはないんだが。

 

「ああそうだ。メヌエットは基本的にお世辞は通用しないから、接する時は思ったままを口にする方が穏便に済むと思う」

 

「猿飛様はメヌエット様とすでにご面識があるようですね。ご主人様の命令が優先されはしますが、ご助言、痛み入ります」

 

 まぁ深く考えたところで仕方ないことなので、朝食ついでにこれから会うメヌエットの取り扱い注意を1つしてやり、余計なおせっかいなのは承知でスーパーメイド、リサを強化しておく。これもキンジへの貸しにしておこう。

 朝食を食べ終えてからは、キンジに呼ばれてご機嫌のリサに急かされて少し早くアパートを出てバスを利用しベイカー街へと赴き、見てるこっちまで幸せな気分になるスキップを披露するリサの護衛はあっという間に終了。

 メヌエットの家に着いて意気揚々とチャイムを押したリサは、出迎えたサシェに連れられてすぐに中へと通されていき、2人に一礼されたオレはそこでお役御免なので、今後のキンジとリサの働きに期待しつつ今日もバッキンガム宮殿に向かった。

 

「日本だとそろそろ夕方だが……」

 

 今日も今日で大した成果がない感じがプンプンする朝9時頃。

 それでも何もしないと怒るだろう人物の顔を浮かべながら、当人のいる日本の時間を計算する。

 そんなオレの内心を察したように、絶妙のタイミングでその当人から電話がかかってきて、もしかしたらロカが超人的なにかで知らせたのではとかアホなことを考えてから通話に応じる。

 

「どうかしたのか?」

 

『どうかしたのかではない。お前が色々と調べるように言ってきたのだろう』

 

「そりゃそうだ」

 

『帰ってきたらその態度を改める躾をしてやる』

 

「鞭で? キンジのように?」

 

『……ガルニエ宮でのあれも見ていたわけか。その通りだ』

 

 なんか久しぶりな感じがしないでもないジャンヌは、オレの反応に少しイラッとしてるのがわかるが、携帯越しではどうにもならないからか、それだけ言って切り替えて話を本題に移す。

 

『これから橘を連れて確認に行くのだが、お前の方からも応じないのか?』

 

「一応は何度か電話したが、向こうもこっちの行動を察してるんだろうな。だから頼む」

 

『察しているということは、核心に迫っているという証拠にもなるが、やはり確実な情報にすることが重要だな。戻ったらまた連絡するが、そちらも監視は怠るな。お前の判断で今後の作戦が実行されるかどうかが決まる』

 

「わかってる。まぁ前提からして不穏さは拭えないから、あまりスムーズに進んでほしくはないが」

 

『ポジティブな結果かネガティブな結果かはさすがに京夜の努力でどうにかなるものではないかもしれんが、できる最善をしてやれ。それに文句を言うほどあれも人間として出来てないわけではないだろう』

 

 話をする時に言葉を選んでる感じがわかったので、近くに小鳥がいるっぽいことを察して、オレも通話が漏れてもいいように言葉を選んで話を進め、着実に進行している作戦を成功に導くべく、オレも気を引き締め直してからジャンヌとの通話を切って、その報告を待ちつつ今できることを全力でやる。

 が、その腰を折るようにまたも通話の着信があって、誰かと思えば幸姉。

 まだ贈り物は届いてないはずだが、文句なら聞いてやらないと思いつつ通話に応じる。

 

『おっすおっす。声を聞くのはちょっとぶりぃ』

 

「いいのかよ。仕事で死にそうってメールにあったが?」

 

『死地は脱したわ。それよりこの前のメールで変な確認してたけど、また面倒なことに首を突っ込んでるでしょ』

 

「まぁな。だが無策ではないよ」

 

『やれないことはやらないのが京夜だし心配はしてないけど、なんか引っ掛かったから報告だけはしておくわ』

 

 想像よりも真面目だった幸姉にちょっと拍子抜けは食らったが、相変わらず勘は良いのでオレの現在の状況もなんとなく察した――送り先の住所もメヌエットの家にしちゃったし――上で何かを知らせるために電話をしてきたようだった。

 

『仕事柄で日本から物が出たり入ったりは割と耳にするんだけど、なんか呉に預けてたっぽい「アレ」がずいぶん前になくなってたらしいわ』

 

「呉? 広島の? アレって何だよ」

 

『イ・ウーの原潜』

 

「…………」

 

 ずいぶん軽い感じでサラッと凄いことを言うもんだから、完全に反応に困って沈黙したが、イ・ウー解散後にその拠点だった原潜がどうなったかを今更に知ったオレからできる反応なんてたかが知れている。

 

『私もアレがどうなったかは知らなかったんだけど、噂ってのはどこから出てくるかわからないものだからねぇ』

 

「呉か……そういや修学旅行Ⅰの時にアリア達が行ってたし、信憑性はあるな。んで、なくなってたってことは、盗まれたってことだよな」

 

『あんなもん盗めるやつなんて考えるだけ馬鹿らしいでしょ。だから報告。ロンドンにいるならお友達のメヌエットにでも伝えなさい。小躍りして喜ぶわよ』

 

「嫌な話だな。了解」

 

 幸姉の話を聞いてから、妙に聞いたことある地名だなと思い出し、噂の信憑性についてほぼ確定情報をして処理。

 あんなデカい原潜が『いつの間にかなくなってた』なんて怖い話、にわかには信じがたいが、生憎とそれができてしまうだろう人物がオレと幸姉との間で完全に一致。

 最後にオレの答え合わせをするようにメヌエットに触れた幸姉は、これからまた忙しくなるのか、割とあっさりと通話を切ってしまい、また面倒なことを知ってしまったオレは、それも踏まえて今後の行動をしていったのだった。

 2日後。

 特にこれといったこともなかったが、どうにか進展したジャンヌからの報告で作戦の方は着々と確実性が増している。不確定要素の方がまだ多いけど。

 この調子だとちょっとのんびり進行だが、緋緋神の問題も絶賛停滞中だし、何か起きてほしいとか不謹慎なことを思い始めた今日この頃だった。

 

『いいから来なさい』

 

「しゃらくせぇ」

 

 何でかこのタイミングで問題しか運んだ試しがない夾竹桃から電話がかかってきて、ゲッソリしながら通話に応じたのだが、何故か携帯越しの相手は夾竹桃ではなくメヌエット。

 何が何やらな状況でさらに謎の上機嫌なメヌエットがウフフ、オホホのこの上なく気持ち悪い感じだったこともあって、友達に紹介したいとか言うのにとりあえず落ち着こうと反抗してみたんだが……

 

『20分以内に来なかったらこの世から消しますよ?』

 

「オーケーわかった。オレが着くまでに謝罪の言葉を推理しておけ」

 

 互いに冷静になっていつも通り? なやり取りのあとに通話を切って、言われた通り今いるというカフェに全速力で向かっていった。

 

「お前……何したんだよ……」

 

「お前こそどうしたんだよ」

 

 20分という絶妙にギリギリで間に合う時間を指定したメヌエットに戦慄しつつ、どうにかメヌエットのいるカフェまで息を荒くして辿り着いたはいいが、その近くにキンジがアホ面を晒してベンチに座っていたから、挨拶がてら八つ当たり。

 

「お嬢様が大層な上機嫌でお友達を紹介したいそうでお呼ばれしたんだが、来るのを強要された」

 

「お、おう。なんか知らんがお疲れ……って痛っ! 何で殴る!?」

 

「他人事じゃねーんだよバカキンジが」

 

 何をどうやってもメヌエットがカフェに行くことなどないので、ここに連れてきたのはキンジで間違いない。

 さらに意味不明な夾竹桃の携帯でメヌエットが電話してきた理由は、紹介したいとか言ってた相手が夾竹桃だということをカフェの前に来て判明。

 これらから考えて、以前にメヌエットが言っていた友人が夾竹桃である可能性は高いが、どんな接点で知り合ったんだ。

 そんな疑問も残りつつ、オレに少しでも汗をかかせる原因を作ったキンジに一撃お見舞いしてからカフェに入って、優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいたメヌエットと夾竹桃の席の前まで行くと、後ろ姿のメヌエットはわからんが、正面から顔を合わせた夾竹桃は眉をピクリと動かして「2人の時間を邪魔しやがって」みたいな空気を放ち始める。じゃあ今すぐにでも帰りますけどね!

 

「あら京夜。15秒前に到着なんて、紳士として恥じなければなりませんね」

 

「5分前行動ができなくて悪かったな。こちとらいきなり呼ばれて来てやったんだから、紅茶の一杯でも奢ってもらって然るべきではあるが?」

 

「呼んで差し上げたのにその言い草。素直に喜べば紅茶くらいお出ししたのに、最も残念な返事でしたわ」

 

「なら帰るわ。お友達とやらにもオレの紹介は済んだろうし、女子2人の方がトークも盛り上がるだろ」

 

 そうしたオレと夾竹桃のやり取りに気づいてないのか、呑気な雰囲気のメヌエットは隣まで来たオレに向き直ってらしい言葉で会話をするが、こうした態度のオレに本気の怒りを見せない辺りでそのご機嫌はうかがえる。

 夾竹桃もオレが帰ると聞いてあからさまに「あら残念」と心にもない表情でほくそ笑んでいたが、なんか自分の気持ち優先なのかメヌエットは気づかない。

 

「紹介はまだ済んでないでしょう。いいから紅茶の一杯だけでもいただいていきなさいな。モモコ、こちらが話していた私の数少ない友人、猿飛京夜よ」

 

「…………ええ、よく知ってるわ。幸音の腰巾着だったのだもの」

 

「……鈴木桃子様は何用でロンドンまで?」

 

「お友達に会いに来たのよ。そのついででロンドン観光もしていくけど」

 

「あら、2人ともすでに面識があったのですね。世界は広いようで狭いと言いますが、私の友人同士も知り合いだったなんて、素敵な偶然ですわ」

 

 自慢の推理力が著しく低下中なのか、明らかに仲は良くない雰囲気のオレと夾竹桃を和やかな雰囲気で包み込んでくるメヌエットが年相応すぎて、オレも夾竹桃もなんか険悪な空気を放出するにできなくなる。

 それが狙いだったかは知らないが、オレも言われた通りに紅茶を一杯だけご馳走してもらって、その間にどういった経緯で自分達が知り合ったかを話して3人の仲を深めたような深めてないような。

 メヌエットと夾竹桃はネットゲームで知り合って今日が初めてのリアルでの対面だったらしく、色々と嘘で塗り固めていた――プロフィールとか色々だ――ことも正直に話して今に至ると聞いた。

 続けてオレと夾竹桃の話もしたが、イ・ウーのことに触れるのはあれなので、幸姉経由の知り合いで軽いコンタクトだったと口裏を合わせた。嘘は言ってないし。

 とりあえず目的だった自己紹介は終えたので、わざわざロンドンまで来てガールズトークをする夾竹桃の意思を尊重してオレは退散。

 メヌエットも女友達だからできる話を優先したいからか咎めもせずに見送ってくれたから、退散ついでに本当のことは言っておく。

 

「メヌ、たぶんだがオレと桃子は互いに互いを好きじゃない。だから今後はブッキングをしないでくれ」

 

「私からも頼むわ。彼が、というよりも私は男という生物が苦手なの」

 

「私も男は嫌いですよ。ただ京夜は特別というだけで。でも2人共がそう言うなら、今後は同時に会わないよう取り計らいます。京夜、来てくれてありがとう」

 

 おそらくはこんなことを言わずとも、この3人が同時に顔を合わせることなんて皆無だとは思うが、ないとも限らないので可能性はなくしておく。

 そうしたオレと夾竹桃の関係を友人として少し残念そうにはしたが、世の中には合わない人間ってのはいるもの。

 それがわかってるからメヌエットも「仲良くしてほしい」とは言わずに進言を受け入れた。別にオレも夾竹桃が嫌いなわけではないし。羽鳥と違ってな。

 

「いつからだよ」

 

 カフェを出てすぐに待っていたキンジがここまでの様子からメヌエットとの関係を見抜いて質問をしてきた。

 

「極東戦役の停戦協定が組まれてすぐだから、1ヶ月くらい前」

 

「何で黙ってた」

 

「それを知った上でオレが介入したら、事はスムーズに行ったと思うか?」

 

「…………いや、思わないな……」

 

「黙ってたのは悪いとは思うが、お前はオレに感謝しておけよ。たぶんだが、お前の無礼の1つか2つはオレのおかげで許されたんだからな」

 

「……そういや初対面の時に礼儀がなってないとか言われてから『これでお願いは聞きましたから遠慮はしません』って言われた気が……」

 

 ――早ぇなオイ。

 オレがメヌエットと知り合いなのを黙ってたことに怒ってたっぽいキンジだが、これもメヌエットと会ってその性格はわかったからオレの言葉で冷静に納得。

 しかしオレが事前に張ってやった予防線が出会い頭で破られてるとは思ってなかったから、予想以上にバカを出していたキンジに再度グーパンを入れてやるのだった。

 それからさらに何日かが経ち、オレとメヌエットが友人関係であることが割と公になって、キンジ達と初めてのロンドン観光に出た。

 オレ、メヌエット、キンジ、リサ、ワトソンというちょっとした所帯で、物知りなメヌエットの案内でアビー・ロードまでやって来て、かの有名バンドのレコードのジャケットのように道に並んでみたりと観光っぽいことをして割と楽しんでいたのだが、そんなオレ達を明らかにマークしていた停まり方だった高級車から、白スーツに目元を隠すサングラスをした男が降りてきて、潔癖なのか手袋をした上で外気を直接吸わないようにハンカチを鼻に当ててオレ達を見る。

 

「この辺りは車通りが多く、臭くてかなわん。おい、お前たちが来い。余は、このような汚れた場所でなくとも歩きたくない。グズグズするな」

 

 誰だあの偉そうなやつは。

 と思ったオレの疑問に隣のキンジが「ハワード……!」とか反応して、すぐにメヌエットに手をつねられたことで解決。

 ワトソンやメヌエットの驚くような、おそれ多い雰囲気からもわかるが、オレもただロンドンでのほほんと過ごしていたわけではない。

 彼が噂の殿下。アリアの婚約者になろうとしてるハワード王子なのだ。街で話だけ聞いていたから、実物を見るのは初になる。

 その王族の命令とあって、メヌエットもワトソンも尻尾を振るように動こうとしないハワード王子に近寄っていき、オレとキンジとリサもとりあえずそれについて近寄る。一応は日本だと皇族と会ってるに等しい状況だ。

 

「――キンジ。余はお前の事を聞きにきた」

 

「話す事はないね」

 

 1度は面識があったような突然のやり取りにメヌエットとワトソンが揃ってキンジを睨んだが、キンジが無礼な人間なのは学んでるハワード王子もいちいち反応することもなく、今回のお忍びでの外出についてを話す。

 それによるとアリアを嫁にして王族にするが、アリアの過去でキンジと関わっていたことがマイナスになるから、手切れ金を払うからアリアとの関係を絶ってほしいという最大限の譲歩と秘匿のため。

 当然ながらアリアと2度と関わるなと言われて了承するキンジではないので、チラッと見えた手切れ金の額に目が飛び出そうになったものの、よく見てないキンジは断り「お前は嫌いだ」と言葉を足して突き返す。

 あまりの無礼にメヌエットもワトソンもフォローに回ったが、自分にこうまで楯突く輩が初なのか、愉快そうに笑って同じようにキンジを嫌いと言えば、今度はお金ではなく原始的な決闘という形で物事を決めようと提案してくる。

 お世辞にも喧嘩が強そうには見えないハワード王子に啖呵を切るキンジは即決でやると言うが、それで互いの了承が取れた瞬間、オレはメヌエットの車椅子を引き、リサの襟首を引っ張ってオレよりも後ろに下がらせる。

 

「な、なんですか京夜!」

 

「どうなさいましたか、猿飛様……」

 

 そんなオレの珍行動にメヌエットは怒り、リサは首をかしげたが、それとほぼ同じタイミングで横を通ったバスの影がなくなった瞬間、キンジの隣に1人のイギリス人男性が立っていた。

 

「王子。お戯れも、その程度に」

 

 直前にハワード王子が決闘には代理人を使うと言っていたので、突然に現れたこいつがその代理人なのは間違いないが、キンジもワトソンすらもその出現に気づかないほどの移動と気配のコントロールは只者じゃないどころではない。十中八九でヤバい奴だ。

 

「武偵・遠山キンジ。新進気鋭の有望株に会えて、嬉しく思う」

 

 遅れる形でキンジとワトソンが警戒する中、ダークグレーのスーツを着たそいつはキンジと同じ視線でハワード王子の方を向いたまま口を開き、次いでいち早く察知し備えたオレにはちゃんと視線を向けてくる。

 

「それから影の陰、だったな。お前は今後、私達とも『友好的であるべき』だ。そのまま女を守っていろ」

 

「……友好的であるべき?」

 

「誰だお前」

 

「ボンド」

 

 この場にいるだけで異質さを放つ男は、オレに意味深なことを言ってからキンジに問われてようやく名乗るが、それだけでなんとなくわかった。

 

「サイオン・ボンド」

 

 そして確定したものにするように姓名を名乗り直したサイオンは、イギリスのためなら殺しも許されたMI6。

 その中で00セクションと呼ばれる数人しか存在しないと噂のナンバー7だと自ら名乗ってきた。

 

「人類最強の中の1人、か」

 

 00セクションなど、敵にした時点で死ぬとさえ比喩されるほどの強さを持つのはこの道では有名。

 当然、オレなどサイオンの敵にすらならないが、だからこそ先程の言葉が意味を持つわけだ。ここで敵対すれば、オレの人生はその時点で終わる。黙るしかない。

 しかしこの渦中にいるキンジはそうもいかない。

 ワトソンは疑うように007がサイオンのような若者ではなかったはずと言うが、最近に世代交代を済ませたと即答するサイオンは、その先代の養子だと説明。

 ハワード王子も最年少で00セクションとなったサイオンを使ってみたかったと漏らし、ちょっと私情が見えたものの、出てきたからには事を収めるにはキンジが決闘するか、ハワード王子を説得するしかない。だが決闘すればキンジは殺される可能性がある。分が悪すぎる。

 

「――トオヤマ、逃げろッ! 殺されるぞ!」

 

 それをよく知るワトソンがいち早く動いて体に仕込んでいた暗器でサイオンに飛びかかって時間稼ぎをしようとするが、ワトソンを敵とすら認識してないサイオンはこれを不思議な体捌きで避けてカウンター気味に側頭部を打たれて失神させられる。

 

「ご主人様!」

 

 その光景にいよいよヤバい空気が満ちてきたところで、勇敢なのか無謀なのか、控えさせていたリサが飛び出してキンジを庇うように抱きつく。

 そんなリサに威圧するように退けと言い放ったサイオンに臆しないリサは抵抗したが、次の瞬間にはサイオンが何の予備動作もなくいきなり地面に向けて威喝射撃をし、コンクリートを抉る。

 そのコンクリート片の1つがメヌエットに飛んだので、咄嗟にキャッチしつつ今の威嚇射撃の凄さを遅まきに理解する。

 銃を撃つという動作は誰でも直前に「撃つぞ」という気配を放つものだが、サイオンはそれが一切なかった。

 それはサイオンにとって発砲が「呼吸するのと同義」であることを意味し、それほどまでになる訓練を積んだ証拠でもある。

 これほどの危機感を持つ人物と対面するのは、おそらくシャーロックや第3態のヒルダ、閻くらいだと思うが、人外クラスと肩を並べてる時点でおかしい。

 ――ヤバいぞこれ……どうしようもない……



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Bullet137.5

 

 ぐはぁ……緊張するよぉ……

 もうすぐ3月になるという頃。武偵高ではちらほらと進級が確定した人達が小遣い稼ぎの小さな依頼で授業をサボ……一生懸命に世のため人のために働く姿が見え始め、クエストボードが寂しくなっていたりする。

 そんな中で私も無事に進級は確定させて、手持ち無沙汰にしていたのですが、今日になっていきなりジャンヌ先輩にお声をかけてもらって、その依頼のために放課後になってはいますがこれから移動をします。

 

「……ああ、吉報を待っていろ。ではな」

 

 で、荷作りを完了させて、島先輩の車を女子寮の前で待つ間、依頼主であるジャンヌ先輩が京夜先輩と何やら携帯で話をしていたのですが、どうやら京夜先輩は今ロンドンにいるらしく、今回の依頼も京夜先輩から発生したものっぽいことが会話からわかった。何してるんだろう。

 

「さて、島が遅れているが、今日中に着けばいいから些細なことか。橘には明日から頑張ってもらうぞ」

 

「あ、はい。ですが私なんかがお役に立てるのか……」

 

「直近の依頼報告を見た上で私が選んだのだ。まぁお前は保険の意味合いもあるから、そこまで気張らずにやってくれればそれでいい」

 

 京夜先輩との通話を終えて、まだ島先輩が来ないことをボヤキつつ私に気張りすぎるなと言葉をかけてくれる。

 そんな今回の依頼内容は私の唯一の得意分野である捜索になるみたいですが、物ではなくて人でもなくて、場所。

 

「おっまたせですのー!」

 

「遅いぞ島。今回は何に見とれていたんだ?」

 

「車輌科の後輩さんが奮発して購入した小型船舶さんを見に行っていましたのー」

 

 数十分後にようやく到着した島先輩は、麒麟ちゃんのお姉さんだけあって外見は物凄く似ていますが、興味の対象が乗り物な辺りは麒麟ちゃんと明らかに違いますね。

 その島先輩の寄り道もいつも通りなのか、ジャンヌ先輩もちょっとだけ注意するようなことは言うものの、テヘペロッする島先輩は反省してる感じではない。大丈夫なのかな、このチーム。京夜先輩が苦労してる絵が浮かぶ。

 とはいえ島先輩は車輌科でも腕利きのドライバー。乗り物なら大抵は運転できるとあって、その小さな体に似合わずダイナミックな運転も売りらしい。

 なのでちょっと不安があったけど、実際に車に乗り込んで出発してからは、タクシーかと錯覚するくらい静かな運転に驚く。

 そういえば貴希さんもお兄さんと同じくらい尊敬してるとか言ってたっけ。

 

「すでに宿泊する宿は取ってるが、島も橘も贅沢はできんからな」

 

「寝泊まりできれば贅沢は言いませんよ」

 

「苺は温泉さんに入れれば構いませんのー!」

 

「フッ。そこに抜かりはない。私も冷え性だからな。この時期に入る温泉には期待している。効能もそちらに効くところを厳選した」

 

「あれ、贅沢はできないはずじゃ……」

 

 道中、情報科だからリサーチはさすがで、すでに宿泊先は確保してると話すジャンヌ先輩でしたが、なんか贅沢できない理由が宿を選り好みしたからにも聞こえて苦笑。

 まぁ私は先輩持ちの経費で依頼をこなすので文句など出しようもないからいいのですが、本当に気張らなくていいだろう旅行みたいな空気は困惑してしまう。楽しんでは、ダメだよね。

 学園島を出発して高速道路も使ってひたすらに本州を北上する車が向かう先は、その本州の最北端、青森県。

 正確には弘前市までですが、かなり冷静に考えたらその移動時間が7時間以上になるので、着いた頃には深夜0時近くなってしまうけど、温泉は朝に入るのでしょうか……

 

「…………今夜はもう寝るとしようか」

 

「ですのぉ……」

 

「テンションひっくぅ……」

 

 途中のパーキングエリアで夕食も済ませて、ほぼほぼノンストップで弘前市までは来れたけど、やっぱり着いた頃には深夜0時を過ぎてしまって、9時頃にジャンヌ先輩が気付いて連絡を入れ、なんとか宿泊先の旅館には入れたものの、テンションがた落ちのジャンヌ先輩と島先輩は部屋に通されるや否や敷かれていた布団に倒れて死んで(寝て)しまった。

 制服にシワが残る方があれなので、お2人の制服は失礼ながら脱がせてもらって、備えてある浴衣を着せて改めて布団に入れてあげる。お化粧とかは……ごめんなさい。

 それから私も浴衣に着替えて、気持ち良さそうに寝るお2人を見たらすぐに眠気に襲われ、ほどなくして眠りに就いていった。

 今日はなーんにもしなかったなぁ……

 

「夏休みにも思ったが、やはり温泉とは良いものだな」

 

「ですのー! お肌もスベスベですの!」

 

 翌朝。

 普段から早起きの私よりも早く起きて、昨夜のローなテンションはどこへやらなお2人に急かされて一番風呂の方を頂きにいき、スイッチのオンオフがキッチリし過ぎなお2人を見ながら温泉に浸かる。

 そうしていると本当はただ旅行に来ただけだったような気がしないでもなくなってくるけど、きっとこれは私の仕事への真剣さを試されてるんだと思うことで真面目さは保つ。

 ……けどまぁ、温泉に浸かってる間くらいは肩に入った力も抜かなきゃなぁ、と思って気を緩めたら、両脇にジャンヌ先輩と島先輩が陣取って抜け出せない状況に。し、しまったー!

 

「そういえば橘は京夜のことを好きなのか?」

 

「な、なんですかいきなり!?」

 

「女の子が揃ったら恋バナしかありませんのー」

 

「そういうのは布団の中でするのが定番ではないかと」

 

「場所などどこでもいいだろう。この前のバレンタインでもチョコを作っていたし、気がないわけではないのだろう?」

 

「それを言ったらジャンヌ先輩だってチョコをあげてたじゃないですか」

 

 先輩に両腕をやんわりホールドされて完全に退路を絶たれ、もう話すしかない状況の中でいきなり京夜先輩の話を持ち込まれて焦る。

 けど、バレンタインの話はジャンヌ先輩もチョコをあげてたので、その辺から話を逸らそうと強気に返してみる。

 

「私は半分くらいがノリで、もう半分はまぁ……日頃の感謝とこれからもよろしく頼むということだ。他意はない」

 

「苺も猿飛さんにいっぱいいっぱいご迷惑をかけてるので、何かプレゼントしたかったですのぉ……」

 

「では京夜が戻ってきたらチームのみんなで鍋でもやるか。島はその時に京夜の膝の上にでも座ってやれ」

 

「ですのー!」

 

 お、思いのほか話題逸らしが上手くいって、恋バナから鍋パーティーになって、腕の拘束も緩んだので、その隙を逃さずにのぼせそうと一言添えて温泉を脱出するのだった。

 

「では島。ナビ通りに進んでくれ」

 

「了解ですのー!」

 

 温泉から上がって朝食をいただいてから、ようやくお仕事スイッチの入った先輩2人に安心しつつ、昨日と同様にタクシーレベルの丁寧な運転で車を出発させた島先輩は、助手席で携帯を片手にジャンヌ先輩が指示する方向へと進んでいく。

 ジャンヌ先輩が言うには、ある程度のところまでは探す場所は特定してるのだが、そこから先は結構な曖昧さで困りそうとのことで、そこからが私の出番。

 車は弘前市の南西へとひた走り、中心地からはすぐに離れて車通りの少なめな山道へと入っていく。

 

「島、速度も40キロをキープだ。速度のズレで目標ポイントからもズレが生じるからな」

 

「前も後ろも車がおりませんから、快適ですのよ」

 

「あの、ジャンヌ先輩。その目標ポイントって、どうやって割り出したんですか?」

 

「これは以前に京夜が調査した際に可能な限りで集めた情報から再現して進んでいる。だから私も現場がどうなっているかまでは把握していない」

 

 まだ季節的には冬なので、道路や森林地帯には雪が残る中を進む途中、元々の目指すところを何故か大体で把握してるジャンヌ先輩に少し疑問を持って尋ねると、そんな答えが返ってきたので納得。

 そういえばこの前に1人で青森に行ってましたが、ここに来てたんですね。

 だからなのか、ジャンヌ先輩は進路を指示しながらもパソコンを起動してGPSでルートを記憶していて、その行動は『次また来る時に迷わないようにしてる』のがわかりますが、その辺は私の詮索すべきところではない。

 完全なる山道に入って約1時間ほど迷いようのない1本道を進んで、このまま道なりに進めば何てこともなく秋田県に突入するルートは何かがあるようには思えない。

 

「そろそろだ島。徐行に切り替えてくれ。橘も脇道らしきものを探せ」

 

「了解です」

 

 しかしジャンヌ先輩はその何もなさそうな道の途中で目標ポイントに差し掛かったと言い、島先輩も後ろから車が来ないことを確認してから、かなりゆっくりの徐行運転に切り替える。

 道路の両脇は右側が崖のようにそびえているのでそちらは無視でき、左側が少し前からちょっとの段差を隔てた森林地帯になってるので、ジャンヌ先輩も私もこっちに注力。

 ガードレールなどもないので、入ろうと思えば入れそうですが、車でとなるとそれなりの空間は必要なので、必ず不自然な隙間はあると思うし、使用頻度があればそれだけわだちなども顕著になる。

 

「…………島、止めてくれ」

 

「ですの?」

 

「ん?」

 

 そうやってゆっくりと進んでると、唐突にジャンヌ先輩が車を止めるように指示を出し、車から降りたジャンヌ先輩に続いて私と島先輩も車を降りてその動向をうかがう。

 ジャンヌ先輩は何の変哲もない道路横の森林地帯に少しだけ足を踏み入れて、腕組みしながらじーっと見つめている。

 

「…………ここのようだな」

 

「えっ? 何も、ないですよ?」

 

「ですの」

 

「そのように『見えるようにされている』のだ。下手に干渉して術式が壊れれば先方にも悪いからそのままにしておくが、どうしたものか」

 

 ちょっとジャンヌ先輩の言ってることがわからなかったけど、おそらくは超能力関連のあれこれだと判断して深くは聞かないでおく。聞いてもわからないだろうし。

 それで先があるように見えない森林地帯の先に進むかどうか思考中のジャンヌ先輩は、とりあえずここの座標を記録して唸りながらお決まりのあっち行ったりこっち行ったりをする。可愛い……

 

「……橘、お前に頼っても大丈夫か?」

 

「えっ!? えっと……やるだけやってみてってことでなら」

 

 先輩に可愛いは失礼かなと思ってたら、いきなり私を見てそうした確認をしてきたジャンヌ先輩にビックリしつつ、ようやく来た出番にちょっと張り切ってみたり。

 ジャンヌ先輩のオッケーが出たので、私も森林地帯に足を踏み入れて近くにあった木の1つに手を触れる。

 

「……お願い、教えて。星伽神社はどこにある?」

 

 そして今回の捜索対象である白雪先輩のご実家。星伽神社のある場所をこの森に尋ねる。

 先日にたまたま覚醒した、私の自然と対話する能力は、動物よりももっと大きな自然とも少しだけ対話が可能になった。

 まだ完全にはコントロールできてないけど、感覚的に理解は出来てきたかなといったところで今回の依頼があったので、私としては願ったり叶ったり。

 そう、思っていた。

 

「…………えっ?」

 

 聞こえた。確かに森からの返答はあった。

 でもそれはあまりにもハッキリと聞こえすぎて、耳を疑ってしまう。

 ――出ていけ。

 そうしたまさかの拒絶の答えに私が驚いていると、辺りから急に音が消え去り、その異変にジャンヌ先輩も島先輩も気付き周囲を見回す。

 ――出ていけ!

 そしてまだ木に触れていた私に、今度はさらに強くハッキリと意思を伝えてきた直後、森の奥から物凄い圧迫感が押し寄せてきて、それに恐怖すら覚えた私は急いで車に戻るように言って3人で車に乗り込むと、数秒後に森から途轍もない突風が私達を襲う。

 あまりに強すぎるその突風は3人が乗ってる車さえもひっくり返しそうな勢いで通り過ぎて、横の崖に当たって上の雪を舞い上げ道路にドサッと重量感のあるまま落としてきた。

 

「…………何だ今のは……」

 

「森さんがお怒りですのぉ……」

 

 突風は1度きりで、追撃がないことを確認したジャンヌ先輩と島先輩は各々で今の現象に驚き半分、怖さ半分で声を漏らす。

 ですがそれを引き出してしまった私は、直接的に『自然の怒り』に触れてしまったから、その恐怖で体の震えが止まらない。

 

「大丈夫か、橘。何やら不吉な予兆があったから、何かあったのはすぐにわかったが」

 

「すみません……たぶん、もうこの森には近づけないと思います……怒らせちゃったみたいで……」

 

「ふむ。星伽神社の場所を尋ねただけでこれか。おそらく星伽はこの辺の一帯を味方にしているのだろうな。安易に踏み込んでいい領域ではなかったか」

 

 失敗しちゃった私に対して心配してくれるジャンヌ先輩は、本当に気にしてないように冷静な思考で次の行動を模索し始める。けど、頼りにされてこの結果は私にとっては悔しさが残る。

 だからといって、自分の力をコントロールする練習くらいの気持ちで依頼を受けた私がこれ以上なにかしようものなら、確実に悪い方向に進んでしまう。

 

「……仕方ない。少々手荒いが、強行策といくか」

 

 私が失敗したことで星伽神社への道が閉ざされてしまったけど、それで諦めるジャンヌ先輩ではなく、積んでいた荷物から西洋の細剣を取り出して外へと出る。

 それでまた突風が襲ってくるかと思ったけど、道路からは出ないジャンヌ先輩に反応はせず、それを確認したジャンヌ先輩は鞘から抜いた剣を地面に突き刺して何やら呟く。

 すると剣を突き刺した地面から森に向けて冷気のようなものが伸びていき、木々の根元に達するとパキパキ、と音を立てて周囲を凍結させる。

 何が起きてるのやらな現象を私と島先輩が車から見ていると、明らかに1本だけが上の方まで凍ってしまった木があって、それがガラスでも砕けるように割れる。

 でもその割れ方は木が凍って割れたにしても不自然すぎる割れ方で、それを疑問に思った瞬間、その木の奥に今まで見えなかった車1台が通れそうな道が開けてビックリ。

 それをやってのけたジャンヌ先輩は、抜いていた剣を鞘に納めてから携帯を取り出して誰かに電話をかけ、それに応じたらしい相手に何やら話をして車に戻ってきた。

 

「今から白雪がここに来る。それまで私達は待ちぼうけだ」

 

「あの、何をしたんですか?」

 

「星伽に通じる道を一般人にも見えるようにしたのだ。これをまた見えないようにするために星伽の人間が処置をしなければならない。だからこうして強引に呼び出した」

 

「星伽神社を見つけるのはいいんですか?」

 

「ん、それはどちらでもいいのだ。私の目的は始めから白雪に会って確認したいことがあっただけだからな」

 

「そう、ですか」

 

 どうやら私がどうこうしなくても最初から問題なかったように説明してくれたジャンヌ先輩ですが、本当に結果すら問題ないとわかると、依頼された側としてはガクリとくるものがある。

 ジャンヌ先輩としては私の結果が良ければそれで万々歳ではあったのだろうけど、その淡い期待も裏切ってしまった私の情けなさは目も当てられない。

 それにダメ押ししたのが、今まで死んだように沈黙していた昴で「良かったな、失敗しても報酬もらえそうじゃん」とか他人事のように言うから、もう生き返れない。死体蹴りやめてよぉ……

 

「しかし橘は運が良かったな」

 

「えっ? どうしてですか?」

 

「ん、これだけ大きな自然という存在に踏み込んで怒らせながら、警告で済んでいるんだ。運が良いとしか思えんが」

 

「そうなんでしょうか……」

 

 そうやって私が後部座席で死んでいると、道路に落ちた雪を退けに島先輩が車から降りたところで、ジャンヌ先輩が不意にそんなことを言うから、私も改めてそのことについて考える。

 そして私は青木ヶ原樹海の捜索依頼の時におじいちゃんから言われたことを思い出す。

 

『その力で天災にでも触れれば、怒りさえ買いかねんぞ』

 

 この前にも力の多用は『自然に食われるかもしれない』とか言われていたけど、何が引き金で自然の怒りを買うのかがわからないこっちの方が怖いことを実感した。

 この力は使わなければそれで問題が起こるわけでもない。だからこそその扱い方と自然との関わり方は細心の注意と敬意が必要になるんだ。

 

「…………すみませんでした。私、今回の依頼を心のどこかで先輩に頼られてラッキーとか、簡単だなとか思って、自然に対して失礼な態度で臨んでました」

 

「それを自然が読み取ったかは不明だが、次はしっかりと結果を求めても良さそうだな」

 

「……ありがとうございます!」

 

 それを知れた今日の出来事は私にとって大きな1歩になった気がするけど、結果は失敗しているので、正直に役立たずですみませんと謝る。

 そんな私を見てジャンヌ先輩は笑顔で『次』を示してくれて、本当にあるかどうかは置いておいても、そう言ってくれたジャンヌ先輩に最大限の感謝のお辞儀をしたら、運転席におでこをぶつけてしまって笑われてしまう。恥ずかしい……

 当然、報酬の方はもらえない結果なので、そのあとに報酬の方は断って、かかった経費の一部も払うことで手打ちにしてから、せっせと雪かきをしていた島先輩のお手伝いをして白雪先輩の到着を待つ。

 1時間ほどして開けた森の道から高級車がやって来て、その車から白雪先輩が降りてくる。

 ちょっと呆れ顔にも見えた白雪先輩は、同じく車から降りたジャンヌ先輩と小声で会話をすると、すぐに戻ってきたジャンヌ先輩はそれで終わりなのか島先輩に車を出すように言ってしまい、白雪先輩も見送るように私達に綺麗なお辞儀をして手を振ってくれた。

 

「島、Uターンはまだいいから、少し先に進んでくれ。明るいうちに確認したいことがある」

 

「了解ですのぉ!」

 

 白雪先輩に見送られて車は発進したのですが、ジャンヌ先輩はまだ何か白雪先輩以外のことで確認したいことがあるようで、進んでいた方向をさらに道なりに進むよう指示。

 そこからさらに5キロほどゆっくり走って、パソコンに色々と書き込んだジャンヌ先輩はそれでとりあえずは納得がいったのか、ようやくUターンで弘前市に戻る進路を取り、弘前市に戻ってからも学園島に戻る進路でそのまま南下を開始。もうやることは全部終わったってことですね。

 

「さて、島よ。寄り道はどこがいい?」

 

「自衛隊さんの演習場がいいですの! あっ! でも演習は見れませんから、港でお船さんを見る方が現実的かもですぅ!」

 

「ハハッ。島は本当に乗り物が好きだな」

 

「ですのですのー!」

 

 その証拠に青森県を抜けた辺りで完全にスイッチをオフにした先輩2人が、もう絶対にどこかには寄り道する話を進め始めた。

 当然、同乗者の私もこれに乗る流れなので、私にも意見を求めてはくれましたが、先輩の意見は優先されるので結局は仙台でグルメ満喫コースに決定。

 その日は夜遅くに学園島に戻ってきましたが、今日のことを忘れないようにお風呂に入りながら脳に刻み込むように頭で反復させてからベッドに沈んだのでした。



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Bullet138

 楽しい楽しいロンドン観光がハワード王子とサイオンの登場によって台無しにされたアビー・ロードで、キンジを庇うように抱きついたリサに威嚇射撃をしたサイオンに対して、オレの後ろに控えさせていたメヌエットが不機嫌な態度で口を開く。

 

「威嚇射撃とはいえ、英国紳士が女性に撃つとは、手加減なさいな」

 

「メヌエット・ホームズ女史。拳銃の使用は私の場合むしろ手加減だ。それとも、手加減しない方が良い(Better)か?」

 

 メヌエットの苦言にも表情を変えずに言葉を返したサイオンは、おそらくその言葉通りに拳銃など攻撃手段の1つ程度で、その中でも最弱なのだろう。

 もはや人という皮を被った化け物に見えてしまうサイオンにどうしたものかと動向をうかがっていると、サイオンがリサに何かを投げつけたところでキンジが入れ替わってそれを腕で受け止める。

 投げつけた何かは1メートル程度のチェーンで繋がった手錠で、キンジの左手首に片方が繋がれ、もう片方は拳銃を仕舞ったサイオンの右手首に繋がれる。

 その様はチェーン・デスマッチだな。

 武偵高でも一時期だけやる奴がいたが、逃げられないという特性上、今回の決闘に持ち出されたのは厄介かもしれん。

 いつの間にかHSSになっていたキンジではあったが、そのキンジでも今回は相手が悪いと思い、本当にどうしたものかと思考し始めたところで、後ろに控えていたメヌエットがオレの手の平に触れてアルファベットを描いて言葉を伝えてくる。

 それによると『Please Help(助けてあげて)』というお願いで、かなりの無理難題につい視線をメヌエットに向けそうになる。

 しかしここで不自然にメヌエットを見ては、サイオンやハワード王子に勘づかれる可能性があるので、自分に出来ることを状況を見ながら必死で考える。

 この決闘にあからさまな横槍を入れるのはまず得策ではない。だからといって説得が出来るならメヌエットが動くし、そう出来ないのはハワード王子が持ち出した決闘だからだ。

 となればオレが出来るのは……

 

「ああ、そういえばサイオン。そのネクタイの柄だけど、よく見ると――」

 

 何をどうしても無敵くさいサイオンに隙が出来てくれなきゃ何もできない。

 そう思いつつあるかもしれない瞬間に備えたところで、タイミングよくキンジがサイオンとの決闘前の会話から、ほぼノーモーションでいきなり顔面に拳を叩き込んで、まともに受けたっぽいサイオンの頭が後ろに振れ、ハワード王子も情けない声を上げてサイオンを注視。

 チェーン・デスマッチは逃げられない性質上、先手必勝で相手の体勢を崩してそのまま倒し切ることも可能。

 だがそんな定石が通用するなら00セクションなどなれるはずもなく、鼻血を出してちょっと仰け反った程度で踏み留まったサイオンは、ここに現れた時に使っただろう不思議な接近法で易々とキンジとの間合いを詰めると、お返しとばかりに同じような威力のパンチを繰り出してキンジを昏倒させる。

 そこからはサイオンの重そうなワンツーが面白いようにキンジへと突き刺さり、どうにか反撃しようとしてはいるが、キンジに余裕は全くないままダメージだけが蓄積していく。

 やっぱりこうなったか。

 この調子だとサイオンの拳だけで死ぬかもしれないキンジを見ながら、オレは心の中でカウントをやめない。

 ……3……2……1……

 

「チェックメイトだ、遠山」

 

 ……0!

 そんなオレのカウントの一瞬前にグロッキー状態のキンジにとどめを刺そうとしたサイオンだったが、その拳が振るわれる前にほぼ真上から何かが落ちてきて爆発。

 真っ白な煙を発生させて周囲の視界をほぼ奪い取り、すぐにスーツを半分脱いで扇ぎ白煙を振り払ったサイオンの即応力はさすがだが、白煙が晴れた時には2人を繋いでいたチェーンが断ち切られてその役割を完全に失っていた。

 

「…………この場合、お前達の間ではどうするんだ?」

 

「…………チェーン・デスマッチ中のアクシデントは……仕切り直しってとこだな……」

 

「殿下。『何者か』はわかりませんが、水を刺されてしまいました。このまま決着にしてもよろしいですか?」

 

「うむ。無粋な輩もおったものだ。よい。決闘はまたの機会にしようぞ。ああ、つまらぬ」

 

「御意に」

 

 断ち切られたチェーンをぶらつかせながら興が削がれたような態度のサイオンは、同じく横槍で盛り下げられたハワード王子の指示で決闘を中止。

 撤収していくハワード王子に続いてサイオンも自分と倒れるキンジの手錠を外して立ち去ろうとするが、その時にハワード王子が車に乗ったことを確認して、メヌエットを守る位置にいたオレに視線を向けてくる。

 

「一応は感謝しよう、猿飛京夜」

 

「……何のことやら」

 

 何に対しての感謝なのかはさっぱりだが、サイオンにとってもこの決闘は進んでやりたくなかったことなのは今の言葉でわかる。

 そしてそれだけ言ってクールに立ち去ったサイオンとハワード王子は、なんかまた来そうな感じはあるものの、とりあえず今の窮地は脱したのでオレも警戒を解いて、キンジに駆け寄ったリサを見ながらワトソンを背負ってやる。

 

「凄いですね京夜。あなたの本気の動きを初めて見ましたが、お姉様にも負けない俊敏性でしたよ」

 

「そりゃどうも」

 

 場が収まってから、何故かテンションが高めのメヌエットは決闘をうやむやにしたオレの功績を誉めてくれるが、そうやってお願いを聞いたことまでうやむやにしそうな勢いで話を終わらせてキンジに近寄ろうとする。

 

「おーい、お願いを聞いたんだが?」

 

「あら、私も京夜のお願いを聞いて差し上げたのですから、これでおあいこ、ということにはなりませんか?」

 

「んー、どうだったか。記憶力ではメヌの方が良いしな。今回はそういうことにしとくか」

 

 確かにオレはメヌエットに2つほどお願いした気がするし、1つは誕生日のおもてなしでチャラにしたとしても、もう1つは宙ぶらりんだったかも。

 そうした心当たりがあった時点でメヌエットへの要求は通らなくなったので、仕方ないかとメヌエットを見送り、いつまでもアビー・ロードにいるわけにもいかないので、1度みんなでメヌエットの家に戻るのだった。

 メヌエットの家に戻る最中にワトソンが目を覚まし、サイオンに対して怒り心頭だったのか、すぐにその素性をリバティー・メイソンの力で調べさせ、家に着いてキンジがリサの治療を受けてる最中にもうメールでプロフィールが届いた。

 同じ英国人ってことで調べやすかったこともあるのだろうが、執念が凄い。女を怒らせると怖いのはどこの国も同じだな。

 

「痛快でしたわ、キンジ。私、殴り合う男性同士を生で初めて見たのです。現代の武士と騎士。とても面白かったですわ。今夜は興奮して眠れなそうなほどです」

 

 皆がサイオンに対して思うところがある中で、メヌエットだけはマイペースにさっきの決闘の余韻に浸っていて苦笑しつつ、ワトソンの頭に包帯を巻いてやる。

 そんなメヌエットに見物料を取ろうとツッコむキンジだったが、上手く躱されて舌打ち。

 

「というかだな、あの状況でよく煙幕なんて出せたな」

 

「お前は目の前のサイオンに集中してたから気づかなかっただけだろ」

 

「私からは丸見えでしたからね」

 

「メヌをブラインドに使ったんですぅ」

 

 これ以上は粘っても無駄と判断したキンジは、次にあの決闘をうやむやにするきっかけを作ったオレに話題を変えてくる。

 あの時の煙玉は確かにオレが投げた……いや、蹴り上げたものだが、ハワード王子はともかく、あの隙のないサイオンの目を盗んでそんなことはできない。

 だがキンジが最初の一撃でサイオンを仰け反らせた時、一瞬ではあるがサイオンの視界は潰れていて、その一瞬で腰の後ろから落とした煙玉を足の裏で受け止めて高く蹴り上げたわけだ。

 それが落ちるまでにキンジが倒されたのは想定外だったが、無事に着弾し煙幕を張れた瞬間に2人に接近し単分子振動刀でチェーンを寸断。素早く元の位置に戻ってメヌエットを煙幕から守るような素振りで構えてみせた。

 だから角度によってはオレの行動は完全に丸見えだったりで酷くお粗末な内容なのだが、あの場はハワード王子とサイオンの目さえどうにかすれば良かったからそれでも結果オーライ。キンジも上手く口裏を合わせて仕切り直しになるようにしたしな。

 まぁ、サイオンには見抜かれてたっぽいが、その辺を『不明なままにした』のはこっちも感謝だ。

 

「ああ、そういやサイオンが感謝するとか言ってたが、真意がわからなかったな」

 

「あれは……フェアな戦いじゃなかったからだ。俺達には武偵法9条ってハンデがあって、向こうにはマーダー・ライセンス。殺しもオッケーな部分があったから手加減してたんだと。だから次があったら殺すって言われた」

 

「お互いに遠慮なしでやれる戦いじゃなかったからうやむやになって良かった、と。何それ。サイオンって全力のぶつかり合いが好みなの?」

 

「そうじゃないと思うぞ。こっちが殺す気がないのに、自分が最初から殺すつもりで行くのが癪だったんだろ。今日のは実力の差を見せつけた上での警告だ」

 

 そこでふとサイオンの言葉を思い出して、小声で会話らしきことをしていたキンジにどういう意味かを問うと、意外にも人間味のある感情を持つサイオンにちょっと好感を持ちかける。

 しかしサイオンはリバティー・メイソンが調べた資料によれば、爆破テロによって両親を亡くした孤児で、才能を見抜いたMI6が戦闘のプロを育てる養成機関に入れ、12年間まともな休みを与えずに育てたイギリスのために戦う戦闘マシーンだとある。

 

「アイツは人間じゃない。殺人マシーンだ。トオヤマ――悔しくてもサイオンと戦っちゃダメだぞ。MI6――あの悪の組織には、ボクらが苦情を入れておくから」

 

 それを意識させるように包帯を巻き終えたワトソンがキツい言葉でキンジに釘を刺すので、オレも敵とは違うがそれに近い位置でサイオンを固定する。

 どうあれ、イギリスの命には冷静に、冷酷に仕事を遂行する殺人もありの仕事人だ。こっちから仕掛けて良いことなど1つもない。

 そういった意識が全体に浸透したところで、ダメ押しするようにメヌエットが割り込んでキンジではサイオンに勝てないと断言し、再戦しても負け、アリアもハワード王子のものとなり、自分も王族の一員になれると嬉々として話す。

 さらにアリアのものでなくなるキンジも自分のものになると変な理屈まで持ち出すが、キンジは拒否。

 それに対して珍しく駄々をこねるメヌエットが可愛かったが、得意の話術でそうなる展開のメリットまで話し始めたらそれっぽく聞こえて困る。

 

「メヌ、キンジは理屈でどうこう言ってるわけじゃない。本人の意思ってやつを尊重してる。だから貴族だ王族だは今さら言うだけ無駄で……」

 

 なので場の空気がメヌエットに支配される前に割り込んで、あくまでキンジの意見の代弁としてメヌエットに進言するが、途中でタイミング悪く家の電話が鳴り、サシェが出たそれにメヌエットが出る。

 

「……はい。はい。ええ。お姉様。キンジはそれはそれはメヌエットによくして下さっておりますの。特に夜、お風呂上がりなどにも可愛がってくださるのです。はい? いいえ。同じ部屋で寝ておりますよ」

 

 わざわざメヌエットに替わったからにはそれなりの人物だとは思ったが、どうやら電話の相手はアリアのようだ。

 が、アリアを挑発するような言葉の色々がどの辺が嘘か本当かわからないもんだから、オレとワトソンはジト目でキンジを見てやる。

 一応、ここ数日はキンジとリサがメヌエットの家で寝泊まりしてるのは事実なので、メヌエットから替わるように言われて受話器を取りに行ったキンジは顔を真っ青にしていた。何を言っても無駄かもしれんな。南無三。

 

「で、どこまでが事実なわけ?」

 

「フフッ。私がキンジと仲良くしてるのは気分が良くありませんか? 京夜は意外とやきもちを妬くのですね」

 

「別にメヌが誰と何しようといいんだが、事実を知らなきゃキンジを弄れないだろ?」

 

「まあ。京夜もいい性格をしてますのね」

 

「そりゃ、いい性格をしてるメヌの数少ない友達ですから」

 

 受話器越しのアリアに怒鳴られてるっぽいキンジを見ながら、戻ってきたメヌエットと小声でそんな会話をして、互いにおもちゃ扱いのキンジを見てクスリとする。

 そんなことは露知らずにアリアと会話していたキンジだったのだが、なんか急にオレを見て受話器を渡そうとするので、何かオレも怒鳴られることしたっけと思いつつ受話器を受け取る。こ、怖い……

 

「お、おーっすアリアぁ」

 

『ん? 何で恐々とした声なのよ。あたしがそんなに怖いってこと?』

 

「いえそんな滅相もない。んで、オレになんか用?」

 

『別に用ってほどじゃないわ。バカキンジがサイオンとやり合った時に京夜が助けたって聞いたから、そのお礼を言おうと思ったの。ありがとね、京夜』

 

 とにかくまずは怒らせないように腰を低くして通話に応じたが、キンジの時とは違っていつも通りなアリアは、キンジから聞いたのかサイオンとの一件でオレが助け船を出したことに感謝してくる。

 メヌエットからお願いされたこともあったのでアリアからも感謝されると過剰にも思えるが、そうとは知らないアリアからの感謝なら素直に受け取っておく。

 

『それからバカキンジにも言ったけど、今はあたしに関わると危ないから、しばらくは大人しくしてて。京夜ならメヌもバカキンジも上手く抑え込めるでしょ』

 

「無茶言うなよ。どっちか1人ならやってやらんこともないが、2人とかオレが2人いないと抑え込める気がしない」

 

『じゃああれよ。ジャパニーズマジックのほら、分身の術? それを使いなさい。京夜は忍者なんでしょ?』

 

「それが出来たら今までの事がどれだけ楽に済んだか……」

 

 それでこっちが本題だったとばかりに、サイオンが出てきたことから、自分をどうこうしようとするのは控えて大人しくしていてほしいという釘を刺しに来た。

 が、その釘はオレにではなくて現在進行形でどうにかしようとしてるキンジと咎めようともしないメヌエットに刺したもの。

 なのでオレはその物理的な釘になれってことなんだろうが、冗談なのか本気なのか分身の術を持ち出すアリアに困惑。過去にも分身の術なんて使えた人間はいないだろうよ。

 

『とにかく、次にサイオンを出されたら命はないんだから、バカキンジをその辺でうろつかせたりしないで。それじゃあね』

 

 言うだけ言って一方的に電話を切ったアリアに何も言葉を返せず、仕方なく受話器を戻すが、この感じは行動力の塊のアリアだとなんとなく考えがわかるな。

 オレ達に行動制限をするからには、アリア自身で事の解決に動く可能性はかなり高い。しかも割とリスクを無視した強行策もあり得る。

 メヌエットの推理力はあっても自身の行動力のなさはある意味で安心できるが、根拠や理屈もちゃんとなく勘で動けるアリアは怖いほど心配。

 

「…………さて、どうしたもんかね」

 

 それでもアリアが言うことの危惧はわかるし、デリケートな問題なのもわかる。それにオレも今後の立ち回りは慎重にならざるを得ない。

 だからオレに出来ることの方が限られてる中で、明確にやってほしいことを言ってきたアリアは直感が冴えている。オレの中でもそれが波風を立てないベストな選択だからな。

 なんだか状況が複雑になってきたが、キンジもメヌエットから色金の情報を聞き出す交渉は続いているし、ハワード王子とてそんな連日でサイオンを引っ張り出せるほどのわがままは通らないと思うので、今日のところはキンジとメヌエットに外出は控えるように言って解散の流れにして、ワトソンの車で帰宅していった。

 翌朝。

 今日はあの2人をどうにかして家に縛りつけなきゃなとあれこれ考えながらの朝食にしていると、なんかキンジからメールが届き何気なく読む。

 だがメールの内容がなんかキンジっぽくない上品さが漂うので不思議に思うと、送ったのはどうやら携帯を借りたメヌエットのようだ。

 だったらパソコンから送ればいいだろと少し思ったものの、そうしなきゃならない理由がメールにあったのでツッコミはなしで急いで朝食を終えて出かける準備。

 

「昨日の今日で動きが早すぎるんだが……」

 

 メールによると今朝方、バッキンガム宮殿の方からアリアが行き先や期間も言わずに『休暇』を取ったと一報あり、妹のメヌエットのところに見かけたら教えてほしいとのことらしい。

 さらにそれを受けてすぐにお忍びでハワード王子がやって来て、アリアの腰巾着をしていた間宮のファインプレーでアリアの居場所を突き止めた向こうは、あれよあれよとアリア捜索に乗り出して今はその準備中とか。

 何の準備かは書かれてなかったが、アリアがどういった理由でいなくなったかは簡潔に書いてあって、何やら鬼とセーラがロンドンにいてそっちとコンタクトを取ったとある。

 ざっくりしすぎだが、これだけで察するだろうというメヌエットの信頼を裏切らないため、オレも働き始めた頭で思考。

 アリアが自分から鬼達とコンタクトを取ったなら、十中八九で緋緋神問題。

 最後の殻金を持つハビから殻金を奪取して緋緋色金の制御を元に戻そうとしてると考えて妥当だろうな。

 緋緋神の入れ物になってる自分は殺される心配がないからというちょっとした安全性は確保されてはいるが、鬼の拠点がどこにあって、どれほどの戦力が待ち構えているかもわからない場所に連れていかれる危険性はそれを遥かに上回る。

 誰が見ても無謀なその策が成功などしようはずがないので、アリアが連れていかれる前に阻止しなきゃならない。

 そんなわけで朝も早いが出撃してアパートを出ると、タイミング良く同じような連絡を受けたワトソンがポルシェを走らせて迎えに来てくれて、状況を把握してることもあって助手席に少々乱暴に飛び乗ったオレに悪態もつかずに再び走らせてくれる。

 

「朝は正直、通勤時間と被るから車はミスチョイスなんだけど」

 

「足が必要になるかもしれんしポジティブにだ。それよりこの季節にオープンカーはやっぱり厳しいぞ」

 

「文句を言うなサルトビ。君も男だろ」

 

 しかしすでに朝の通勤時間に苦戦したのか、ちょっとイライラしてるワトソンの運転は荒く、落ち着かせるようなことを言いつつも、こんな寒い時間にもオープンカーを走らせてきたワトソンに文句を言うと、それで気が紛れたのか運転も落ち着きを取り戻してくれた。

 さて、相手は鬼とセーラか。

 こちとら並の武偵で吹けば飛びそうな存在ではあるが、今回ばかりは弱音は言ってられない。

 何故ならメールには最後の一文にメヌエットからのメッセージが添えられていたからな。

 

『お姉様を取り戻してください』

 

 唯一の友達の『お願い』だし、聞いてやるのはやぶさかではないが、相手が相手だしな。ちゃんと『見返り』は求めさせてもらうぞ、メヌ。



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Bullet139

 ハワード王子とサイオンの面倒臭そうな2人と遭遇した翌日の朝。

 昨日の段階で不安な言動をしていたアリアが独断で鬼達と会って殻金を取り戻しに行こうとしてしまう。

 

「チェイニー・ウォークってのはどの辺だ?」

 

「テムズ川沿いの道の1つだよ。チェルシー・エンバンクメントの横道に当たるけど、バッキンガム宮殿の南西って言えばわかるかい?」

 

「テムズ川の向こう側か?」

 

「手前側だよ」

 

 そんな無謀を放置はできないので、現在進行形でアリアのいる場所を目指してオレ、ワトソン組とキンジがそれぞれで向かっていたが、街の中心地から車で向かったオレ達は朝の通勤時間とのブッキングで、緊急車両用の青色警光灯を使っても抜けられるスペースを確保できないなどがあり、最短ルートからずいぶんと迂回させられていた。

 これなら走って向かった方が早くないか?

 とか思いかけるが、距離も距離で結果的に大差なさそうだし、それなら体力を温存しておくかと助手席で大人しくしつつ、備えあれば憂いなしってことでミズチやワイヤーの装備を万端にする。

 

「さて、鬼とセーラか。誰なら倒せると思う?」

 

「竜の港で対峙して理解してるが、鬼と戦っても勝算は限りなく低いだろうね。セーラも瑠瑠粒子の濃度が薄いから超能力もあるし、あの弓の技量で狙撃されたら対抗手段がないかも」

 

「同感。この際だからサイオン辺りをハワード王子に呼んでもらったら可能性が出てくるかもな」

 

 ようやくバッキンガム宮殿を視界左に捉えて緩やかに南下していくところで、現場でオレ達が何を出来るかを話すものの、2人して勝てそうもない相手にため息。

 もう何でも勝算が欲しいからサイオン辺りの名前を出したら、昨日の今日のことで気分が良くないのか、ワトソンはキロッと軽く睨んでくる。仲の悪いMI6には頼りたくないってか。

 

「まぁその辺は戦闘にならないように立ち回れれば最善。無理ならオレはオレらしくやるし、ワトソンも策の1つくらいあるだろ」

 

「皆が皆、君のように都合よく状況に合わせて策を練れると思わないでほしいね。君も大概、フローレンスと同種で計りかねるところがあるから」

 

「あれと同じ扱いは嫌なんだが……」

 

 しかし今回の任務はアリアの奪還であって鬼達との戦闘はしないならしないに越したことはない状況。

 楽観視はあれだが、悲観的になるのも早いと前向きに話すオレに苦笑しつつのワトソンは、何故かオレと羽鳥をひとまとめにすることを言うので不満だ。

 そうこう話していたら、かなり迂回した上で目的地のチェイニー・ウォーク付近に西側から進入するルートにまで差し掛かって、オレも集中力を高める。

 するとテムズ川沿いのチェルシー・エンバンクメントに出てすぐに銃声が響き、出た道にはなんか凄くピッチピチな英国風スーツを着込んだキンジと、その奥で銃を構えながら華麗な身のこなしで車道へと乗り込んでくるサイオンの姿が。

 

「えっ……何でサイオン……がっ!?」

 

 よくわからない状況をあえて口にすることで落ち着こうとした瞬間に、何故かワトソンがいきなり加速してキンジを通りすぎ、その奥のサイオンを盛大に撥ねやがったから、本気で焦る。

 撥ねられたサイオンは道路のさらに奥へと吹き飛ばされて転がったものの、それを気にも留めないワトソンはすぐにバックしてキンジの横までつける。

 

おっと失礼(Oh excuse me)友人(トオヤマ)がステキな身なりをしてたから、ついよそ見運転をしちゃったよ」

 

「サイオンをガン見してたやつがよく言う……」

 

 それで平然と撥ねた理由を誰に言ってるのかわからない感じで口にしたワトソンは、昨日の仕返しをしてやったくらいのノリで寒気がする。

 だからオレも小声でワトソンにツッコミつつ、ターンして開けた視界の先に鬼とセーラを捉えて気を引き締め直す。アリアの姿は、ないな。

 

「貴様、サイオンに何をするかッ。だがその叱責は後だ、追え!」

 

 なんか自走するように転がる大きな壺も見えて困惑するが、それよりも割り込むように聞こえた声に振り向けば、後部座席に乗り込んできたハワード王子に仰天。何でいるんだよ……

 だがハワード王子がいるならサイオンがいたことにも納得がいくので、状況もやや鮮明になってきたぞ。

 完全にお荷物なハワード王子を降ろそうとキンジがしたが、オレとキンジはほぼ同時に後ろで起き上がってきたサイオンを確認し、さらに通りかかったオートバイの運転手を蹴落としたのを見てアイコンタクト。

 仕方ないので抵抗するハワード王子はそのまま乗せてシートベルトを掛けたキンジを見て、オレはワトソンに発進のサインを出す。

 

「お前、後ろは責任持てよ。前はオレが見てやるから」

 

「ありがたいね。正直、前と後ろを掛け持ちは俺もキツい」

 

 サイオンから逃げるように、先を走る鬼達を追うように発進したポルシェにハワード王子が悲鳴を上げるが、そんなことを気にせずにオレはシートベルトを外して座席に立ち前方を見据え、キンジは後ろから追ってくるサイオンに集中。

 おそらくサイオンはハワード王子がここにいるから『キンジが誘拐した』という大義名分で追ってきてる。

 それに巻き込まれた形だが、ハワード王子を引き渡したところで命の保証はないのでこのまま行くしかなく、どうにかサイオンの狙いを前の鬼達に向けられないかと考えるが、無理かなぁ……

 チェルシー・エンバンクメントは通勤時間でも車通りはそこまでながらも、ジグザグ運転はせざるを得なく、対して鬼達は自走で車並みのスピードを出しながら、走る車は踏み越えていく強引さ。

 

「キンジ、小さい鬼と転がる壺は?」

 

「小さいのは津羽鬼(つばき)。スピードが驚異的だが、今は閻達に合わせてるはず。壺のやつは(こん)ってやつで、元イ・ウーの天才技師らしい。壼もアリアも今あの壺の中だ」

 

「アリアは気絶でもさせられたか。あれが起きれば向こうも混乱してくれそうなもんだが……」

 

 とはいえ、オレには鬼達に有効打はないに等しいので、とにかく情報が欲しくて初見の鬼のことをキンジに聞くが、向こうもセーラくらいしか遠距離はいなさそうだな。

 今のところ逃げに徹してるセーラは追い風に乗って鬼達と並走し、自慢の弓もトランクに入れているようだ。

 

「スタッドレスタイヤにしてくれば良かった」

 

 しかし超能力は絶好調のようで、悪態をつくワトソンの通りに現在進行形でオレ達の走る道の範囲にだけ雪が降り始める。

 テムズ川の対岸は降っていないので、ほぼ間違いなくセーラが雪雲を呼んだのだろうが、風の超能力って便利ね。

 突然の降雪とオープンカーのコンボで温室育ちのハワード王子が「寒い寒い」と喚いていたが、そんなことに気を取られてるわけにいかないのでスルーしたら、前方のセーラが持っていたトランクを開けて超能力を乗せた跳躍で走る閻の肩に乗る。

 その時にはすでにトランクの中の物を取り出し終えて、左手には弓。右手には矢が持たれてあっという間に射ってくる。

 誰を狙ったかはオレの死の回避と死の予感の感覚が教えてくれて、ワトソンも急減速してくれたおかげでキンジの後頭部に飛来した矢を掴んで止めることに成功。

 したが、死の予感が更なる危機を察知し、掴んだ矢の後ろに次の矢を忍ばせていたセーラの技術に戦慄する間もなく、再度キンジに迫った矢を掴んでいた矢の羽根の部分で飛来する矢の羽根の上部分を軽く叩き矢尻を上方向へと向けて軌道修正。

 その結果、キンジの頭に矢尻こそ刺さらなかったものの、下方向に流れた羽根が掠めて通り過ぎる。あっぶね!

 

「…………おい猿飛?」

 

「……すまん。2射目が神がかってた」

 

 完全にオレに任せて背中を向けていたキンジが思わず振り向いちゃって冷や汗を流すが、正直な話、これを止めたオレを褒めろよ。オレじゃなきゃ不可能だったぞ。

 あとセーラが即死級の攻撃をしてくれたおかげだ。感謝しろ、セーラに。

 だがまぁ、任された以上はオレの至らなさの招いた結果なので本音は口にせずにいると、ワトソンの急減速の隙にサイオンが距離を詰めて真横にまで到達。

 ハワード王子が座席でほぼ倒れて座ってる事をいいことに、サイオンが後部座席の方にサブマシンガンを乱射。

 それを難なく弾くキンジの化け物ぶりもあれだが、流れ弾は怖いので一旦オレは助手席に収まって難を逃れる。

 すぐ後ろで嫌な音が響く中で、前方には巨大なトレーラーが見えてきて、速度差でグングンと近づいてきたそれを避けるようにワトソンがサイオンの方へとハンドルを切って押しやる。

 だがワトソンは直前でハンドルを切り返して逆方向へとトレーラーを避け、サイオンとはトレーラーを挟んで並走する形となる。上手いな。

 

スーパー・チャージャー(Nitrous Oxide Systems)を使う。衝撃に気をつけて!」

 

 その束の間のインターバルでワトソンはポルシェに搭載された加速装置を使うと言うや否や、それを使ったポルシェは爆発的な加速で前方へと突き進み、サイオンを置き去りにする。す、座ってて良かったぁ……

 間違いなく立ってたら道に放り出されていた加速を乗り切り安堵しかけるが、その隙を突くように飛来したセーラの矢がまたもやキンジの後頭部に飛来したので、アッパーカットで打ち上げる。

 直後にサイオンからも銃撃があったが、そちらはキンジが応戦して事なきを得たものの、こうキンジばかりを狙われるとオレが無視されてるみたいで癪だな。

 まぁサイオンに狙われる理由はオレにはないし、そっちはいいんだが、セーラに無視されるのは如何なものかなので、再び座席に立ったオレは弓を構えるセーラに見えるように指をクイッ、クイッと動かして挑発。

 ついでに口パクで「殺してみろよ」と言ったら、なんか伝わっちゃったみたいで、向こうも口パクで何か言ってきたから読唇術で読むと「バカなの?」だそうだ。ええそうですよバカですよ。

 

「矢が切れたら儲けもんだがなぁ……」

 

 そこからの超能力も併用したセーラの本気の射撃がマジでオレを殺しに来たわけだが、変則的な軌道の矢をことごとく掴んだり弾いたりで防ぐと、その度にセーラのご機嫌がななめにおなりになっていき、表情もムッとしていく。

 オレの死の回避の存在を完全に知らないとはいえ、セーラは即死級の攻撃を負傷レベルに留めるだけで無力化できちゃったりするわけだが、この辺はマジで情報力だよな。

 それでセーラが茹でダコみたいになって無駄射ちをやめようとしたところで、後ろでバリバリ言ってた弾の1発がセーラ達の方に飛んでいき、それを閻が手で掴んで止めてセーラを守る。銃弾がおもちゃみたいに止められたな……

 

「ワトソン、猿飛、ありがとう」

 

 防戦一方ではあったが、セーラを食い止めることは出来ていた中で後ろのキンジが何か考えがあったのか、そんなことを言ってワトソンの頭にキスをしてポルシェから飛び降り、あやや製であろうエアバッグを銃弾から飛び出させてクッションとして使い、右折してきた女性の乗るバイクに着地。

 一瞬のうちに女性を抱えて足場にしたエアバッグに落としてバイクに股がると、それを駆って追撃を再開。

 たぶんだが、今もギャアギャアとうるさい後ろのハワード王子がいつ何をやらかすかわからないから、何か起きる前にサイオンの攻撃から遠ざけたんだろう。

 同時にセーラの狙いもキンジに向かったので、もうオレはどうしようもないが、お役目御免なわけではないから戦況を観察。

 すると前を走る閻が妨害のために露店のパイナップルのカゴをぶちまけてきて、さらに転がっていた壼の中から似たような形の手榴弾がいくつか投下される。

 

「ワトソン、道から外れるのが良さげだ」

 

「らしい、ね!」

 

 それを見逃さなかったワトソンはオレの言葉を聞くより早くハンドルを切って右折し、一旦は追跡ルートから外れて難を逃れる。

 

「それにしてもあのセーラの矢を全部防ぐなんて、サルトビもトオヤマに負けず劣らずだね」

 

「特定の条件下でだけだよ。セーラは素直だから相性が良かった。反撃はできなかったけど」

 

 前も後ろも脅威がなくなって余裕ができたワトソンは、運転に集中しつつもオレのここまでの攻防を評価してくれたが、攻勢に出るきっかけさえ作れていないのだから働きとしてはプラマイゼロに近い。

 大きく道を外れることなく、わずか2分足らずで鬼達の走る道路へと戻って、何やらその間にドッカンドッカンと嫌な爆発音が響いていたが、ビックリしたのは追跡のルートに戻って早々にバイクをサイオンに向けて乗り捨てたキンジがまた飛び乗って後部座席に収まり直してきたこと。

 その拍子にハワード王子に軽く膝を入れてたが、オレは関係ないしいいや。

 

「お前、ちゃんと弁償してやれよ?」

 

「それは……あとで考えようか」

 

 それでキンジにバイクをぶつけられそうになったサイオンは減速して引き離すことには成功したが、乗り捨てたバイクは残念なことになってたので、アリアの奪還という大義名分があるとはいえ、とりあえず現実は突きつけておく。

 それに対して苦笑で返したキンジは、アリアにでも賠償させそうな雰囲気がありつつで切り替えるように前の鬼達を見据える。ズルいやつめ。

 さっきまで手榴弾やら爆発物を使ってた鬼達も、全く振り切れないオレ達には無駄と判断したのか使用をやめて、本格的な目眩ましとして赤い煙幕を焚き始める。

 それとほぼ同時に差し掛かった五叉路の道路がまた厄介だ。

 その道で嫌なことに散開したっぽい鬼達をどう追うか話し合う時間もなかったので、直前に周囲のガラスやら何やらの反射を利用して鬼達の姿をわずかに確認したオレは、聴覚に頼って目を瞑っていたキンジに言葉をかけながら、ミズチを準備。

 

「……壼は左だ。アリアを追うなら1択だろ」

 

「だな。ワトソン」

 

 キンジも壼の行き先はわかったようなので、迷うことなく左折するワトソンのポルシェは鋭いドリフトでほぼ直角に曲がり、オレはその前にミズチのアンカーを街灯の柱に付けてポルシェから飛び降り、ワイヤーを巻き取りながら柱をぐるっと1周し慣性の勢いを少し殺して着地。理子との逃走時より負荷は全然なかったな。

 そうしてポルシェから降りて猛スピードでテムズ川の方向へ消えていったキンジ達を見送る暇もなく、オレも丁度良く五叉路に入ってきたバイクを引き止めて拝借すると、キンジのように壊さないよう発進させる。

 

「追いかけられるか心配すぎる……」

 

 アリアの奪還は最優先事項ではあるが、それだけを考えていたら鬼達に先手を打たれ続けることになる。

 だからオレは壼を追うのではなく、五叉路を直進していった津羽鬼が見えていたので、そっちを追って先手を打たれる前に潰せたらと思ったのだ。

 だが残念なことに、この津羽鬼がスピード自慢なことで追い付ける云々ではなく、すでに見失わないようにするだけで精一杯。

 遠目に見た限り、津羽鬼は下駄を履いてたのだが、マジで速い。どんだけ手加減して走ってたんだよあれ……

 津羽鬼は緩やかに左に流れる道をまっすぐに走ってから、南西方向のほぼテムズ川の流れと平行の道になってすぐに、徐々にテムズ川へと近づく直進ルートを取る。

 そこからは道を多少無視して走るため、バイクでの追跡は困難どころではなく不可能に近かったが、左側に見えてきたテムズ川とその対岸にうっすら見える自然地帯。

 おそらくは自然公園的なものだが、その辺りに半径300メートルくらいの妙な霧がかかっていて、テムズ川の一部を覆い隠しているようだった。

 この不自然な霧にはオレも見覚えがあったので、すでに津羽鬼は90%くらい見失っていたが、その霧の中心辺りを目指してバイクを走らせる。

 

「カツェじゃないのは間違いないからな。ならあれはたぶん……」

 

 霧を発生させる超能力はカツェが使う水の超能力の応用。

 それであの規模を霧で包むならカツェクラスの魔女じゃないと無理っぽいと判断すると、それが出来そうで最近、その存在を匂わせることを聞いていたことから推理。

 完全に霧の中に入ってテムズ川のすぐ横まで辿り着き、そこでバイクとはさよならをしてテムズ川に沿って少し走る。

 するとそのテムズ川からぬっと浮き上がるような物体があり、それがオレのいる側にほぼ接岸して停まっていた。

 

「…………またこれを見る日が来るとはな……」

 

 テムズ川に現れていたのは、呉から消えたというイ・ウーの原潜。

 この時、このタイミングで現れたということは、これを盗んだやつが鬼達とも繋がりを持ってる可能性を示し、現に今、この原潜の甲板からはヘリのローター音が響き始めて、ここに来ただろう津羽鬼がそれに乗って合流しようとしてると考えられる。

 もはや猶予はないとミズチを使って原潜を強引に登って甲板に到達すると、今にも離陸しそうな武器類を満載した攻撃ヘリが見えて、その操縦席には津羽鬼の姿があった。

 

「…………やっべ!」

 

 思うや否や津羽鬼の死角から一気に接近したオレは、ヘリの着陸足の下に滑り込んで、素早くワイヤーを両側の足に巻きつけてヘリの底の中央で結び、それを2セット、少し緩めに作り、その2本のワイヤーを凄く痛い椅子のようにして使ってヘリに同乗。

 すぐに離陸を始めたヘリはグングンその高度を上げて、原潜を覆っていた霧を抜けその進路を東へと向ける。

 緩くたわませたワイヤーはヘリの底との間にスペースを作り出し、オレはそのスペースに落ち着く形にはなっていたが、ワイヤーが切れたり無理な角度で飛ばれたりしたら簡単に落ちそうなバランスに四苦八苦。

 何よりすぐ下はロンドンの街。数百メートルの距離から落ちれば間違いなく死ぬ。

 

「ちょっと……これは何も出来ない、かも?」

 

 あまり丁寧にワイヤーを固定してないせいで着陸足の幅だけワイヤーが前後して安定しない恐ろしさに見舞われながら、もう後戻りもできない事態に舌打ちしつつ、目につく武器を単分子振動刀で落としてしまおうとする。

 しかし単分子振動刀を出そうにも手に空きができなく、落ちないようにするので手一杯。

 なら着陸足に腰かけるっていう手もあるが、たぶんまだ津羽鬼に気づかれてないだろうから、ヘリの重心を変えてまで視界に入りそうな場所に落ち着きたくはない。

 いざという時に移って奇襲を仕掛けるのが最善だと思うしな。

 

「地上が恋しい……」

 

 半ば勢いで同乗したヘリにすでに泣きそうなオレだったが、そんな泣き言を聞いてくれる相手もいないので本当に寂しい空の旅に遠い目をするのだった。



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Bullet140

 アリア奪還の様相になったロンドン市内での鬼達との攻防戦。

 キンジとワトソンとは分かれて津羽鬼を追ったはいいが、その津羽鬼がひっそりとテムズ川に進入していたイ・ウーから攻撃ヘリを持ち出し、それに気付かれないようにヘリの底の下にワイヤーを使って潜り込んだまでは良かった。

 だがしかし、現在進行形で命綱なしでヘリの真下を空中ブランコ状態のオレは何をすることも出来ずにただ津羽鬼が行く先に同行することしかできない。

 

「さーむーいー」

 

 まだロンドンも朝9時すら回ってない時間帯とあってお空の上は寒く、さらにヘリも高速移動してるので受ける風もバカ寒い。

 手先の感覚が鈍らないように防刃グローブをした手は常にグーパーしておきつつ、ほぼ東に進路を取ってるヘリから下の様子をうかがうと、警察による封鎖がある程度だが機能して全体的に車通りが少なくなっている。

 そんな中で同じ方向に爆走するトレーラーと黄色いバスを発見。

 ワトソンのポルシェが見えないが、どうやらおいかけっこは乗り物を替えて展開してるようで、黄色いバスは1度トレーラーと並走すると、そのバスの屋根の上にいた人影が2つトレーラーへと移り、バスはそのまま道を外れるように横へと逸れてしまう。

 依然としてトレーラーが爆走中ということは、そっちに鬼達がいて、飛び移ったのがキンジと、おそらくはサイオンか。

 敵対してた2人が休戦して行動してるっぽいのはヘリが急接近したことで鮮明になったものの、ヘリの角度が嫌な感じでトレーラーに向いた瞬間、すぐ前方のガトリング砲が駆動し砲火が開始される。

 目の前でバリバリバリバリうるさい中で撃たれるトレーラーの方を見ると、荷台の方は大穴をいくつも開けられていくが、その上にいたキンジとサイオンは直前で運転席の上に転がり込んで安全地帯に逃げ込むのが見えた。

 津羽鬼もさすがに仲間が乗ってるからか、トレーラーを完全破壊するような掃射はせずに荷台の方だけを穴だらけにして撃つのをやめ、今度はこのヘリで逃げるつもりなのかトレーラーの真上を陣取ってオレの頭上からフック付きのワイヤーが下ろされる。ってか危ないんだよ! ぶつかるところだったんですけど!

 そうして下ろされたフックに危うく殺されかけて少し安堵したのも一瞬。

 今度は荷台の中にいたっぽいセーラから矢を放たれて、オレを支えていたワイヤーが2本いっぺんに切られてピンチ。死んだんじゃねこれ……

 

「あ、の、小娘ぇ!」

 

 叫ぶ暇もなくヘリから落ち始めたオレは、ミズチのアンカーを出しかけてやめ、真下で狙いを定めるセーラにクナイを投げて牽制しつつ、下ろされていたワイヤーを掴んで半ばほどで落下を阻止。

 下ろされていたフックは壼とアリアの入った壺を引っかけて、その上にセーラが腰かけて浮上を始め、巻き取られるワイヤーに合わせてオレも再びヘリの着陸足に辿り着き腰かけることに成功。

 ワイヤーで吊り上げられてきた壺も金具でオレとは逆の着陸足と繋がってぶら下がり、セーラもその上で弓を構えて隙がない。

 必然的にヘリ本体を挟んで対峙することになったが、ここからでは互いにどうこうすることが難しい軽い膠着状態が完成してしまう。

 

「猿飛京夜。邪魔ばかりしてムカつくヤツ」

 

「これもお仕事なんでね」

 

 弓で狙うにも着陸足の隙間しかなくて、そこも狙わせないようにいつ撃ち出されるかわかったもんじゃない横に装備されたミサイルにしがみつき足も出さない。

 その間にフックがまた下ろされて、今度は閻がそれに掴まって回収を終えそうになっていたが、キンジが阻止するように飛び出してフックを掴み、それを荷台に開いた2つの弾痕に通してワイヤーを噛ませて接続。

 それによってヘリとトレーラーがワイヤーで繋がってしまい、トレーラーの進行方向にヘリが合わせなきゃならない形になるが、危なすぎないこれ……

 

「あ、そういやセーラ。おいかけっこの間もチラチラ見てたけど、今回もスパッツ穿いてなさそうだな。サービス精神旺盛ですのぅ」

 

「ちがッ!? こ、殺す!!」

 

 まぁ危ないけど鬼達の逃走を阻止したのはファインプレーなので、オレも上からのセーラの攻撃を阻止するために感情を揺さぶる事を言ってやる。

 以前に風の超能力を使うのにスカートの中への配慮がないことを指摘してたのに、今回も対策してなさそうだったからそこを突いたら、見事に反応してオレに向けて殺気を放ってきた。

 

「前に忠告したんだからこれはセーラの落ち度だよな。それで見えちゃったものでとやかく言う権利はないでしょ」

 

「み、見ないようにするのが紳士! 女の敵は落ちろッ! そして死ねッ!」

 

「オレ英国紳士じゃないしなぁ。というかオレは別に見えたなんて一言も言ってないし、見られたって被害妄想で殺されるのは御免被りたいわ」

 

「バカッ! バカバカバカッ! やっぱり死ね!」

 

「セーラのボキャブラリーが貧相にやっておられるぅ。怖いよぉ」

 

 ヘリ越しで届く殺気は怖すぎるものの、そうやってオレに意識を向けて集中力が散漫になってる間は下のキンジとサイオンが射抜かれる可能性が低いのは間違いない。

 弓というのはそれだけ精神状態がダイレクトに伝わる武器。それもあってセーラもレキのように無愛想な感じはあったが、女の子らしさはレキよりも面に出てくれて助かった。

 そうして順調にセーラの好感度を下げていくオレの身を削る行動の間に、下のトレーラーでは荷台の中で閻が金棒を振るって暴れてるっぽく、缶詰めのように徐々にフックの付けられた上部だけが剥がされていく。

 かなり強引だが、閻のやってることはトレーラーとヘリとの繋がりを断って空へと上がる最善。

 キンジとサイオンの妨害も考慮して荷台の中から出来る最大限があれだったようだが、ついに荷台の上部だけが剥がされてトレーラーと切り離されると、元から乗っていたキンジとサイオンと上手くバランスを取るように閻もそれに乗り、ヘリもトレーラーと離れて徐々にスピードを上げ上昇を開始する。

 しかしヘリはその重量とアンバランスさで安定性がなく、津羽鬼も操縦が上手い方ではないと思うから何かの拍子に墜落、なんてこともあり得そうで怖いな。

 しかもご丁寧に最初の関門が眼前に迫ってきやがった。

 

「セーラさんや。そっちのミサイルをパージ出来ませんかね?」

 

「無理。それに気休めにしかならない」

 

「両方合わせりゃ何百キロ単位で減りますけどね」

 

 ヘリの飛ぶ前方方向に見えてきた巨大橋梁、タワー・ブリッジにこのまま行くとぶつかってしまうだろう軌道をどうにかしようと、目の前のミサイルを単分子振動刀を使って落とすことを考えたが、セーラ側のミサイルもどうにかしないとかえってバランスが悪くなってしまう可能性もあったので却下。

 というかこんなものを落としたら下の街が惨事になるわな。

 下ではキンジ達も一時休戦して宙ぶらりんの足場を上げにかかり、セーラも上昇気流でも発生させてるのかヘリも弧を描きながら上昇。

 それによってギリギリのところで下の足場が橋の一部に掠った程度で難を逃れたが、今のでヘリがさらに不安定な挙動になって大きく旋回するような軌道で飛び始める。

 操縦席の津羽鬼を無理矢理覗くと若干コントロールが効いてない感じだ。

 これならワイヤーを切って下のキンジ達をテムズ川に落とし、ヘリも危険を承知で不時着気味にでも降りた方が良いと考えた。

 が、色んな条件が重ならないとまずキンジ達をテムズ川に上手く落とすことも出来そうにないし、ヘリを降ろしたところで津羽鬼、セーラ、壼を相手にオレが粘れるかと言えば無理だ。アリアがいてもそれは覆らないはず。

 ならオレがやるべきことは下のキンジとサイオンが閻を倒すまで、上にいるセーラと壼を無力化することくらいなもんか。

 幸い、壼は壺の中に隠れて蓋までして出てくる気配はなかったし、その上にセーラが陣取ってるから、あの蓋の上に乗ってれば壼は無力化できるはず。

 

「あとは……タイミングと運だな」

 

 下の様子を見ながら、どうにかしてセーラ達のいる側に行く方法を考えてみるが、やはり多少の運は絡んでくるし、その間はセーラの攻撃をオレが止められない。今度は下手にオレへの意識を持たれると狙い射ちされかねん。

 なのでキンジとサイオンには先に心の中で謝っておくが、その当人達が今まさに崖っぷちに立たされているのが見えて冷や汗を流す。

 サイオンは完全に足場から落ちて、足場に手がかかってるだけのキンジとワイヤーで繋がって落下を阻止してる状態。

 そしてそのワイヤーもセーラの矢によって無情に断ち切られて落ちるかと思ったが、その前にキンジがサイオンの足下にまたもあやや製と思われる銃弾を放ってエアバッグを炸裂させる。

 そのエアバッグを蹴って足場に掴まってサイオンは間一髪で落下は免れたが、やべぇ。下手なアクション映画よりアクションしてるわこれ。

 足場は片方に寄ったせいでバランスが崩れていたので、閻も追撃を諦めて反対側に移動してバランスを取り、その間に2人も足場へと戻っていく。

 

「…………チャンスを待つ間のピンチが多すぎる……」

 

 鬼相手に善戦する2人には頭が上がらないが、それを称賛する暇もなく次の障害がオレの目には見えてきて、それはほぼ全員が認識してるであろう危機。

 ロンドンに来た時に空港が混んでる理由をワトソンが『競技バルーンの大会がある』とか話してくれていたが、まさか今日のこのタイミングでか。

 ヘリは細かい操縦が効かない状態で目の前に見えてきた競技バルーン。気球の群れに突入しようとしていた。

 三次元的に展開される気球の群れの中をヘリが通り抜けるのは不可能に思うが、当たれば墜落は免れない。

 しかも下の足場がさっそく気球の1つと当たる軌道にあって、それを避けるために足場の角度を調整するようにサイオンが飛び降りて気球の上に移動。

 それで足場はギリギリ気球を避けることに成功するが、足場に戻ろうとするサイオンを、厄介な相手の脱落を見逃さないとばかりにセーラが狙いに行く。と先に読んだ。

 プロゆえに相手の隙を見逃さないセーラの攻撃の隙。

 その瞬間を待っていたオレは、足を外側に投げてヘリの着陸足に両手で掴まり、振り子の原理でヘリの下へと潜り込むと、流れるように雲梯(うんてい)の応用で左の着陸足から右の着陸足に跳び移り、懸垂と逆上がりで着陸足に着地。

 矢を放った直後だったセーラは、いきなり横に現れたオレにビックリして対応が少し遅れ、その間に接近してセーラを抱き締めて簡易の拘束をして壺の上でドカッと座り込む。

 

「は、放せヘンタイッ!」

 

「ちょおっと待ってろよっと」

 

 抱きついたのは拘束目的だったが、もう1つ背中に背負っていた矢筒から残りの矢を全て破棄するためだ。

 それを完了させてからセーラとの密着状態は解除して、上手い具合にセーラの体を回して今度は後ろから抱きつく体勢になると、とりあえず無力化したとはいえ手に持つ弓も没収して袈裟に背負っておく。

 

「まだ超能力もあるし油断はしないけど、このまま黙っててくれれば何もしない」

 

「……抵抗したら?」

 

「太ももとかお腹とか不可抗力で触っちゃうかもしれないなぁ」

 

「ヘンタイ」

 

「まだ触ってないんですが……」

 

 どうにかセーラの無力化には成功し、下の壼も蓋を抑えて封じ込めるのには成功してると思いたい。

 セーラは弓は神がかってるが、それ以外の近接戦などは心得がないらしく、オレの拘束を受けてだんまり。

 だんまりの前に没収した弓を壊したら呪うとか言われて無駄にプレッシャーをかけられたが、さてさて、ここからどうしよう……アリアが起きれば嬉しい限りだが……

 壺の中の壼は人外の鬼。セーラを拘束しながらこの蓋を開ける勇気はオレにはないので、どうにかして下の2人が閻を倒してくれたら、着陸足と壺を繋ぐ金具を壊して壺を下に落として拾ってもらうのがいいかなと考える。

 セーラの妨害がなくなったおかげで自由の利くようになったキンジとサイオンはさすがの機動で閻と渡り合うが、それよりもこの危険地帯を抜けられる方が奇跡まであるのはいただけない。鬼を倒す云々の前にこっちをどうにかしないと。

 

「なぁセーラ。このままだと気球にぶつかって全滅ってことになると思うんだが、どうにかできないか?」

 

 そこで拘束中のセーラにどうにかできないものかと相談してみる。

 オレに対して不機嫌なオーラを放つセーラではあったが、自分もピンチなのは事実なのでオレへの怒りは引っ込めて口を開いてくれる。

 

「……ここじゃ大きな超能力が使えない。ある程度はヘリから離れないと危ないから」

 

「離れるって言ってもなぁ……」

 

 オレの問いには手段があるような回答のセーラだったが、空中でヘリからある程度とか無茶な想定を言われて困ってしまう。

 が、先ほどのサイオンのアクションで気球の上に跳び乗ったあれを思い出し、丁度ヘリの真下辺りに気球が浮いているのが見える。

 

「飛ぶぞ。落下阻止はするが、落下調整は任せる」

 

「はっ? えっ!? ちょっと!?」

 

 四の五の言ってる場合でもないので、セーラの言う条件を満たすためにセーラを左腕で抱えて立ち上がり、右腕のミズチを準備していざ出陣。の前に下の壺の蓋を少し開けて、中に閃光弾を放り込んでおき、壼の目を一時的に潰しておく。

 そうした上で下の気球に落ちるように飛び降り、足場で戦闘中のキンジとサイオンにはすれ違い様に「後はよろしく」とだけ言って、少し気球の中心からズレる軌道なのをセーラが空気を蹴って修正してくれ、ミズチのアンカーを気球に取り付けて、ぼふんっ! 無事に気球の上に着地して難を逃れた。

 

「セーラ、頼む」

 

「指示しないで」

 

 着地後にセーラの腰を持って支えて、セーラもオレの突飛な行動に文句を言う前に両手を広げてヘリを押し上げるような動作をし、それに合わせてヘリも気球の危険地帯の上を抜けて離れていった。

 

「もう戻れないよな」

 

「無理。人は飛べない」

 

「セーラからそれが聞けて良かったよ」

 

 一応、まだセーラがここから1人でヘリの方に復帰する可能性もあったが、役目を終えて暴れる様子もなく座り込んだセーラは大人しいものでひと安心。

 オレもずり落ちない場所に腰を下ろして、少し離れてジト目で見てくるセーラと対面する。

 

「何もしないって。地上に降りるまで大人しくしてようぜ」

 

「……弓、かえせ」

 

「それは地上に降りるまでダメです。超能力で吹き飛ばされて落ちる未来が見えるので」

 

「…………」

 

 オレへの警戒具合が半端ないセーラは弓の返却を求めてくるが、ここで返すと即座に気球から落とされる可能性が高いので却下。

 それに仏頂面をしたセーラは、弓が大切なのか無理矢理に取り返そうとはせずにだんまり。

 しかしオレはセーラに聞きたいことがいくつかあるので、口を開かせるために話しかける。やることもないし。

 

「少し疑問に思ってたんだが、セーラって鬼達に雇われてるんだよな?」

 

「……それがなに」

 

「いや、セーラはプロだしとやかく言うつもりはないんだが、支払い能力だけで具体的に雇う理由を言ってなさそうな鬼達についたのが気になってね。それで考えた。セーラの依頼主って『鬼達じゃない』んじゃないか?」

 

 口を開かせるには意外性もないとダメかなと思って、どうでもよさそうなところから抉りにいくと、オレの言葉にピクリと眉が動く。

 

「それとこのタイミングで何でセーラ達がロンドンにいたのかも疑問だった。まるでアリアの所在を知った上で動いてるみたいな挙動は、本能的な鬼達にしては知的だし」

 

「何が言いたいの」

 

「んで、さっきヘリに同乗する時にイ・ウーの原潜を発見した。あれってまた盗まれて行方不明だったんだけど、『誰か』がまた使ってるのは間違いないし、要するに繋がってるでしょ。その『誰かさん』と」

 

 ピクピク。

 オレの持つ情報からの推理に対して、あからさまな反応はしないものの、普段が無表情ゆえに変化がわかりやすいセーラは諜報科には向いてないな。

 

「そこでちょっとものは相談なんだが、セーラの今の依頼主に掛け合っておいてほしいんだ。実はオレ達の方でセーラを雇いたいから、そっちの契約を満了にしてくれないかってね」

 

「私に、依頼? 複数系……」

 

「支払いに関してはたぶんうちのリーダーがなんとかできると思うし、詳しいことを知りたいなら説明もするけど?」

 

 そのセーラのおかげで依頼主の方はほぼわかったので、二重契約はしないセーラのプロ意識は大事にしてそっちの契約を終わらせてもらうように交渉。

 新たに依頼したいと話すオレに説明を求めるセーラは当然なので、今のところのオレ達が計画した作戦についても説明。

 それを黙って聞いてくれたセーラは、何を考えてるのかよくわからない無表情でしばらく思考する。

 

「…………確実性はあるの?」

 

「それがなきゃセーラを雇うなんて奮発はリーダーもしないだろうな。下手すりゃ超絶赤字だぜ?」

 

「……私も個人的に因縁がある。もしも達成できたなら報酬は半分でもいい。それだけの価値はある、と思う」

 

「じゃあ掛け合ってもらえるかな」

 

「どうなるかはわからない。けど言ってはみる」

 

 その思考から出た言葉に笑って返事をすると、要求通りにとりあえず掛け合ってくれることを決めたセーラに、背負っていた弓を返してあげる。

 それには一瞬だけ嬉しそうにして、すぐに表情を戻して受け取ったが、何故というジト目でオレを見る。

 

「信頼の証。まさか次の依頼主になるかもしれないオレを殺したりはしないだろ? セーラはプロなんだし」

 

「ぐっ……」

 

 本当は下がりまくりのオレの好感度を少しでも上げる目的があったが、そうした理屈もあった上での返却なので、別に自殺願望があったわけではない。

 だからセーラもぐぬぬしながらもオレを気球から落とそうとはせずに再びだんまりを決め込んで以降、オレが見逃すこともわかってるから、見えてきた地上の方をじっと見て降りるタイミングを図っていた。

 それで地上から30メートルほどの高さまで降りてから風に乗って走り去ったセーラは、去り際にチラッとオレを見てあかんべーしてくるが、可愛いもんだよ。

 

「さって。オレもメヌの家にでも行くか」

 

 セーラを見逃したので後でキンジに何か言われそうだが、まぁ言い訳は考えておくことにしてオレもミズチを使って気球から滑り降りて、キョトンとする乗員に頭を下げてから、メヌエットの家を目指して移動を開始。

 あとはキンジの報告待ちってところだな。頼んだぞ、キンジ。



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Bullet141

「駄犬ですね」

 

「忠犬の間違いだろ」

 

 鬼達との戦闘を中途離脱してメヌエットの家にまで戻ってきたオレは、リビングに通されるや否や家主のメヌエットに結果報告を求められ、素直に説明すると返ってきた第一声がこれだ。

 

「私はお姉様を取り返してとお願いしましたのに、京夜ったらそのお姉様を忘れてくるなんて、駄犬もいいところですわ」

 

「その辺はキンジとサイオンがやってくれてるっての。むしろあの人外大戦に途中まで付き合ったオレを称賛してもらいたいくらいだ」

 

「その割には怪我もなさそうですが? 死闘を繰り広げたと言うならば、それなりの手傷を負って戻ってこられた方が説得力があると言うものではありませんか?」

 

「きーこーえーなーいー」

 

「おおよそ、自分の手に負えない相手をキンジやサイオンに押し付けて、安全な場所から援護射撃でもしていたのでしょうが、それでしたり顔で戻ってこられる京夜の強心臓には感心しますよ」

 

「きーこーえーなーいー」

 

 メヌエットが何か迷惑したわけでもないのに、現場でのオレの行動を推理して軽く批難してくるのは納得いかないが、まぁ言ってることは正しいところもあるのでソファーでふて寝を決め込む。

 そんなオレに追い討ちの言葉をかけてくるメヌエットもしつこいが、紅茶を持ってきたリサは何が面白いのか笑いながら淹れた紅茶を差し出してくる。失礼じゃない?

 

「失礼しました。お嬢様が楽しそうに猿飛様をいじめてらっしゃるのが面白くて。それを聞こえないふりで乗り切ろうとする猿飛様もまた面白くて」

 

 そうした自分の行動が失礼だと自覚してるリサは謝りつつもまだクスクスと笑い、なんか言われちゃうとオレもメヌエットもそれをすることをためらうことになって、結果的にやり取りが終了。

 ひょっとしたらリサはそうなるとわかってて割って入ったのかと勘繰るも、どこまで何を計算して動いているか判断がつかないリサは本当に扱いが難しい。

 まぁそれで助けられたオレは淹れてくれた紅茶を飲むことで感謝としつつ、正午を指した時計を見てからキンジの帰還を気長に待つのだった。

 

「くそっ。何で俺がこんなにボロボロでお前がケロッとしてるんだ。納得いかん」

 

「役割分担だろ。オレが鬼に勝てるわけないんだから、勝算のあるお前がぶつかる。素晴らしい采配だ」

 

「そんな采配クソ食らえだ」

 

 夕方。

 ようやく戻ってきたキンジは、全身がバッキバキになってるらしくてリサに治療を施されながら、呑気にリサの作った夕刊各紙のスクラップを読むオレに文句を言ってくる。

 

「京夜は自分が『役立たず』なのを自覚してるんですから、あまり言ってあげないのが大人というものですよ」

 

 もうキンジの対応はお手の物なので軽くいなしにかかったオレだったが、同じようにルーペを使ってスクラップを読むメヌエットが酷い言葉を割り込ませてきて『役立たず』の文字がオレの頭に順番に落ちて当たる。痛い。心が。

 

「……別にいいですけどね、役立たずでも。自分の力不足なんて実感するのは今に始まったことじゃないし」

 

「あら、開き直りですの? ですがそれで学習せずに今に至っているのでしたら、役立たずに加えて『無能』なのでは?」

 

「…………」

 

「お、おいメヌエット。そのくらいにしてやれ。猿飛の目が死んでいく」

 

「あらあら。役立たずで無能ですのに、落ち込んでる暇があるのですか? 京夜は時間を無駄にするのが好きなのですね」

 

「……ぷぷぅ。そんなオレをいじめて遊ぶメヌの方が時間を無駄にしてるけどな」

 

「なっ!? くっ!」

 

 1度でもメヌエットが饒舌になると割と止まらなくなるから、調子に乗せてから落とすという手法に切り替えて自虐もやむなしでいたが、上手くいって良かった。ダメージは残るけどな……

 それでメヌエットもぐぬぬと唸りながらスクラップに集中したところで、オレもその内容を頭の中で整理。

 キンジの話では鬼達は3人とも捕まってロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)に引き渡されたらしいが、事件に関わったやつら――ハワード王子やらサイオンやらアリアやら――がどいつもこいつも表立って記事に出来ないとあって、スクラップにオレ達の名前は一切出ていなく、バスジャック犯逮捕の記事には手柄はロンドン警視庁に取られ、見たこともないやつらの顔写真が載ってる始末。

 攻撃ヘリが飛び回ってたのも、オレとセーラが脱落してからほどなくして墜落したのも、全部が映画の撮影とその事故によるものとされていた。

 鬼達は顔写真が出なかったところを見るに、セーラが助け出して不祥事を隠したのだろうが、キンジの存在のおかげでまたアリアを奪いに来るってことはなさそうか。

 まぁそんな感じでロンドンで暴れたにしては目立ったこともなく終息して安堵の息を吐いたら、家の電話が鳴ってそれにメヌエットが応じると相手はアリアだったようで、すぐ近くに来てるから迎えに行ったらとキンジに勧め、アリアが絡むと素直なキンジは1人で家から出ていってしまう。

 

「ああそうだメヌ。お願いを聞いたオレに相談する権利ってのは与えられてもいいよな?」

 

「何ですかいきなり。今回の件は京夜1人で解決したわけではないでしょうに」

 

「それでも危険な現場で死ぬ思いはしたんだ。何もなしは暴れるぞ」

 

「やけに素直にお願いを聞いたかと思えば、そちらが目的でしたのね。推理できてはいましたが、こうも推理通りに来られるとため息も出ますね」

 

「推理通りに動いたんだから文句を言うな」

 

 どうせすぐにアリアを連れて戻ってくるだろうから、ゆっくりするがてら、今回のアリア奪還の件での要求をメヌエットにすると、わかりやすいオレの行動を推理していたからか、結構な嫌々な表情をしつつもわかってて頼んだ部分はあると認めて要求を通してくれた。

 これでオレが今できることは全てやったかね。あとは万全の状態で日本に戻れれば文句を言われることはないだろう。

 

「お久しぶり、メヌ。あんた、しばらく会わないうちにキレイになったわね」

 

「お姉様もですよ。女は恋をすると美しくなると言いますけれど、さて」

 

 オレの相談についての話はもう少し落ち着いてから改めてということで保留にして、10分と経たないうちに戻ってきたキンジと迎えに行ったアリアがリビングへと入ってきて、久しぶりの姉妹が顔を合わせての挨拶はやはりメヌエットが主導権を握る。

 さっきの電話でアリアの他にもう1人いるとか言っていたが、その人物はどうやらハワード王子だったようで、その王子がアリアを手放して今に至ってると推理したメヌエットに肯定と取れる反応をしたアリアは、チラチラとキンジを見ながらメヌエットを睨む。

 そんな視線もなんのそのなメヌエットもようやくアリアと会えて安堵し一件落着としたのだが、そもそもメヌエットのところにオレ達が来たのは、色金について知ってることを教えてもらうためで、そのためにあれこれと苦労していたキンジがその辺を指摘する。

 なんかメヌエットにとって良いことをすれば貰えるとかいう星の最後の1つを賭けてギャンブルを持ちかけたキンジに、メヌエットも同意して話が進むが、その辺はオレの関与するところではないので成り行きを見守る。

 勝負は昨日の決闘のようにキンジの代理人としてアリアがメヌエットとポーカーで勝負することになり、奥にあった音楽室の方に移動。

 そこにあった丸テーブルに対面する形で着いた両者は、こうなるとご自慢のカンで読んで持ってきていたアリアのトランプを採用し、姉妹ではいつもの形式らしくカードを全て裏面にしてテーブルに広げて、その中から5枚を選んで手札を作る。

 カードの交換は1度きりで、先にメヌエットが1枚交換し、アリアは難しい顔で3枚を交換して新たな手札を作ったが、アリアが持ってきたトランプの柄がどこかで見たことあるような気がしていたオレは、交換前のアリアの顔を見て思い出した。

 こういったゲームが大好きな理子が趣味で集めてる『イカサマコレクション』の1つだこれ。

 一見すると何の変哲もない裏面がまだら模様のトランプだが、このまだらが目の焦点をズラすと表の文字を見せてくれるってやつで、オレも見ようと思えば全てのカードがわかるが、それをやるとメヌエットに勘づかれるのでやめておく。

 その結果、イカサマでメヌエットのフラッシュより少し強いフルハウスを作ったアリアが勝利し、メヌエットも素直に負けを認めてキンジに星を授け、無事に色金についても終息。

 

「サシェ、エンドラ。私とお姉様が幼かった頃のように――ペツォールトのト長調、B・W・V、アンハング114番を。今日はリサも加えて、三重奏で」

 

 久しぶりにアリアに負けたからか、はたまた再会したからか機嫌の良いメヌエットは、自らの名前にある小舞曲(メヌエット)を3人に演奏するように指示し、サシェがピアノ。エンドラが堅琴(ハープ)。リサがバイオリンを演奏。

 その演奏に合わせて手を取り合ったアリアとメヌエットは、さすが貴族の嗜みといった具合で綺麗なダンスを披露する。

 

「メヌエット」

 

「なあに、お姉様」

 

「あなたが、大好きよ」

 

「――私もですわ。お姉様」

 

 踊りながら、2人ともが穏やかな表情で互いのことを好きと言うホームズ姉妹を、部屋の端で見ることしかできなかったオレだが、幸せそうな2人を邪魔するほど野暮じゃないってことだ。こんなことなら楽器の1つも演奏できるようにしておけば良かったかね。

 そうしてこの空間でちょっと寂しい思いをしていたオレのことなど気にするやつもいない中で、演奏とダンスが終わってこっちを向いてきたメヌエットは、ようやくその重かった口を開いてくれた。

 

「――日本へ帰り、星伽白雪に会いなさい。緋緋色金の事は、彼女が全て知っています」

 

 その言葉によってキンジとアリアは驚きの表情を見せるが、同時に心のどこかで「やっぱり」と思ってたのか、その驚きは大きくない。

 

「小舞曲のステップの如く、順を追ってお話ししましょう」

 

 オレはこれまでの情報から白雪が。星伽がキーパーソンなのは予測できていたから、メヌエットの言葉でようやくそこに目が向いたかといった感じ。

 しかし具体的にそれがどういった意味を持つのかまで推理できているメヌエットは、チェリーの精油を香らせたパイプを咥えていつもの口上の後に話してくれる。

 

「お姉様たちは初めから、緋緋神問題に対するアプローチ法を間違えてらっしゃるのです。問題とは、その問題の正体を見極める事で初めて対応できるもの。『殻金を盗まれたから取り返そう』と場当たり的に対応したり『憑依されたから追い出そう』と闇雲に緋緋神と闘うより先に――相手が何者なのか、その正体を暴くべきです。正体が分からなければ、どう戦えばいいのか、どう話し合えばいいのかが分からない」

 

 ――なるほどな。

 そう思わざるを得なかったメヌエットの話に返す言葉が見つからない。

 確かにそもそもとして緋緋神が何なのかということにオレ達は関心が薄かった。

 意思を持つ金属。ただそれだけを知って緋緋神と対話をしようとしていたオレの考えも、同種の瑠瑠神で何とかしようというのも、オレ達は理解の外での出来事を客観的に見ている程度でしかなかったってことだ。

 緋緋神の問題をどうにかするつもりなら、その緋緋神がどんな存在なのかをちゃんと理解しなきゃ解決には導けない。

 メヌエットはそう話してくれたわけだ。

 そしてその答えを白雪が知ってるのかと尋ねたアリアにメヌエットはさらに言葉を重ねる。

 

「星伽神社の巫女たちは初代緋巫女の時代からおよそ2000年、緋緋色金――すなわち緋緋神の研究をしている。言わば星伽神社は『緋緋色金研究所』の側面も代々持っている神社。その歴史を継承した者が当代の緋巫女、星伽白雪のはず。彼女より緋緋神に詳しく、またその正体に近い者はいないはずですよ」

 

 何でそんなことまで知ってるのか謎すぎるが、断言に近いそれはほとんど確かな情報なのだろうことはわかり、オレ達は納得。

 しかしこの推理にも欠陥が1つあると付け加えたメヌエットは、自分の推理にキンジが絡むと正常に働かないから、キンジのせいで思い通りには行かないだろうと不安なことを言う。

 だがそれにアリアまでカンを働かせて同意しちゃうので、キンジは微妙な表情をせざるを得ない。同情はしないがな。

 とにかくこれからの行動は決まったのでメヌエットの推理も終わり、白雪に会う前に一報くらいはと家の電話を借りに行ったキンジとリサが音楽室から消え、何気なく音楽室の楽器についての雑学をメヌエットに披露してもらっていたら、家の外から変な鳴き声がかすかに聞こえてくる。

 オレの他にアリアも気づいたようだが、夜には奇声を発するアホもいないことはないので1度は無視したが、次の――ホッキョアアアアァァァァーッ!――というおぞましい鳴き声はかなり鮮明に聞こえてきて、さすがに人ではないそれには全員が反応。

 すぐにリビングに戻って、同じように鳴き声の気になったキンジがテレビをつけてライブ映像のニュースを観る。

 そこにはサーチライトで照らされた夜霧の立ち込めるテムズ川の上空を翼を広げて飛ぶ怪鳥が映されていて、一同はその大きさに言葉を失う。

 大きい。翼を含めておよそ10メートルはある巨体のその怪鳥は、かつて地球上に存在していた翼竜、プテラノドンのように見える。

 そんなオレの予想を確信に変えるように恐れおののくサシェ、エンドラ、リサを他所に興奮気味のメヌエットは、テレビに釘付けになってそれがプテラノドンであることを説明。

 何故どうしてそんなものが現代に。

 そういった疑問は浮上するも、プテラノドンにはさほど反応がないアリアが立ち込める霧の方を気にして、これが自然発生のものでないと予測。

 そこから弾き出された答えは、オレ、キンジ、アリアにおそらくはメヌエットも同じのようで、放置できるわけのないキンジとアリアに向き合ったメヌエットは、それで別れの言葉を2人にかける。

 

「お姉様、キンジ、どうぞ、ごきげんよう。私の事も、よろしくお伝え下さい」

 

「いってらー」

 

「……メヌエットはいいとして、お前は来ないのか、猿飛」

 

「悪いがオレがお前らに付き合ってやれるのはここまでだ。オレも別件で『やること』があるし、お前らだってやることも行く場所も決まったんだ。最後はお前の手で助けてやれ。アリアもその方が嬉しいだろ?」

 

「バ、バカ京夜! アンタなに言ってんのよ!」

 

 そのメヌエットに合わせて、オレもここから先には同行しないことを伝えて、ここまで付き合ったオレに対して文句の1つも言わなかったキンジは「そうか」とだけ返し、直前の言葉でプンスカしていたアリアもいつもの調子に戻ってから「ありがとう」と一言だけで感謝し行ってしまった。

 残されたリサは後日、オレと一緒に日本に戻るということで良さそうだが、どうやらのんびりとメヌエットの家でくつろいでるわけにもいかなくなったな。

 おそらくキンジとアリアが向かった先には、死んだと思っていたシャーロックが待ち構えている。

 鬼達と繋がりのあったシャーロックは、イ・ウーの原潜を拠点にしつつ鬼達に助言をしオレ達の行動の先に配置した。

 相変わらずイラッと来る行動だが、このタイミングで出てきたからには、緋緋神の問題が確実に関わっている。

 元はと言えばあのシャーロックから緋緋神問題が発生したと言っても過言じゃないし。

 

「さて、待ち人は来るかな」

 

「何を企んでますか、京夜」

 

「企んでなんかいないさ。ただ過程で躓きたくないって話。とにかく1時間は待ってみていいか。それからオレの話をする」

 

「私、今日はもうはしゃぎすぎて眠いのですが、夜更かしをさせるつもりですの?」

 

「キンジに聞いたぞ。いつも深夜までネットゲームやって起きてるって。だから大きくならないんだぞ」

 

「どこが、までは言わないのは殊勝ですが、視線は正直なのですね。傷つきましたわ」

 

 何をするのかわからないシャーロックのことを推理するのはオレのような凡人には無理な話なので、どう判断し行動するかはキンジとアリアが決めればいい。

 そしてどうあってもあの2人はほぼ間違いなく星伽神社に行く。

 それさえわかっていればオレ達の進める作戦に大した影響はない。離れる分タイミングは難しくなるがな。

 とにかく、向こうは向こうで進展すればいいので、オレもその時になって出遅れないようにいよいよ持ち込んできた話をメヌエットにする段階になり、その前にオレの話を持ち込んだセーラが来る可能性を考慮して、1時間だけ待ってもらう。

 

「ホームズ4世。アリアの妹」

 

「ご存じなようで光栄ですわ。セーラ・フッド」

 

 40分ほど経って家のチャイムが鳴り、出迎えたサシェと一緒にリビングにやって来たセーラは、くつろぐオレ達をざっと見回してから、メヌエットが誰かを特定して挨拶っぽいような確認をし、メヌエットもすでに顔は知ってたから無表情で言葉を返し沈黙。

 何故セーラがここに来れたかなんて推理するまでもないが、来てくれたということはシャーロックから依頼完了のお達しはもらえたんだな。

 それを証明するように特に何かを語らないセーラは、対面してるオレとメヌエットの間のソファーに腰かけて、紅茶を持ってきたリサにビクッとして――先日のジェヴォーダンの獣のせいだろうな――からそれを口に含み落ち着き、オレに「さっさと話せば?」と目線をくれる。

 

「さて、んじゃ話をするけど、その前にセーラとリサの携帯を借りるぞ。この話に同席してもらいたいやつが3人いるからな」

 

 ここまで話を引っ張っておいて、まだ引っ張るのかというメヌエットの痛い視線が本当にグサッとくるが、こればっかりは全体で把握しておいた方がいい案件なので、事前にメールで電話をすることは知らせていた3人と借りた携帯も使って通話を繋ぎ、スピーカー機能で向こうの声もみんなに聞こえるようにする。

 

『そっちは今は夜の9時頃か……さすがに朝5時の起床は覚醒しないな……』

 

『そんなことを言っていられるのも今だけかと思いますよ。ええと……ジャンヌ様、でよろしかったですよね?』

 

『そういうお前は劉蘭だな? 京夜から話は聞いている。京夜の現地妻らしいな』

 

『……君は女には一途なタイプかと思ったが、存外そういうこともなかったようだね。いっぺん死んだらどうだい?』

 

「お前らこの場にいないからって好き勝手に言いすぎなんだよ。合流したら殴るぞ」

 

 そうして全ての電話が繋がったところで、互いの確認のためなんだろうが各々が好き勝手に喋って挨拶も兼ねるが、あることないこと言うから殴りたくなる。

 

「……とにかく、作戦は実行の前段階まできたんだ。ここからはおふざけなしの真面目な調子で頼む」

 

 殴りたくはあるが、いないやつを物理的には殴れないので、そちらの方は保留ということでとりあえず落ち着き、仕切り直して真面目なトーンで言うと、ワイワイやってた通話組のジャンヌ、劉蘭、羽鳥も黙ってくれる。切り替え早いな。

 

「では話してくださいな、京夜」

 

「ああ。それじゃあ話すよ。オレ達が密かに進めてきた作戦。この作戦で捕まえる。『完璧な犯罪者』……世界最強の陰陽師、土御門陽陰をな」



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最強の陰陽師編
Bullet142


「それじゃあ行くよ。色々と世話になったな」

 

「本当に、面倒なことばかり起きた日々でしたわ」

 

 キンジとアリアと別れてから2日後。

 直前までシャーロックのところにいたセーラの話によると、キンジとアリアは鬼達と一緒にハビのいる拠点、キノクニに向かったらしく、その移動時間は約160時間。

 そこから考えて、オレ達が準備を整えられる時間はそれだけとなるわけだが、1週間もあれば十分だ。

 それですでに36時間ほど経過した頃にロンドンを発つことになったオレは、最後の挨拶のためにメヌエットの家へと立ち寄っていた。

 最後までメヌエットらしい言葉で見送りをしてくれたのはいいのだが、言ってる割にはちょっと元気のないメヌエットの内心を推理しちゃったオレは、そのメヌエットの前で屈んでその手に触れる。

 

「別に2度と会えなくなるわけじゃないだろ。メールだってしてくれれば返事はするし、頻繁には無理だが……また会いに来るよ」

 

「…………何ですかそれは。まるで私が寂しがってると言いたげで不愉快なのですが」

 

「あれ、違った?」

 

「……違っ…………えっと……」

 

 あまり他人に素顔を見せたがらないメヌエットだからこそ、こういう時でも素直になれないのはわかる。

 だが今くらい正直になってほしいので優しく話すと、ちょっと否定しかけて視線をさ迷わせると、観念したようにオレの手を握って口を開いた。

 

「……また来てください。京夜とキンジのせいで、退屈な日々に耐えられなくなってしまったんですから、その責任を取る義務があります」

 

「そんな毎回メヌを楽しませるエンターテイメント性は持ち合わせてないんだが……まぁ、努力はするよ」

 

「とはいえ、どうせまた『ひと月もすれば』京夜は私に会いに来るのでしょうけど」

 

「オレが寂しがりみたいなことを言うな」

 

「違ったのですか?」

 

「……違っ…………わなくもなくもない……」

 

 観念したのはいいが、開き直ったように仕返しでオレの言葉をそのまま返してきてしたり顔のメヌエットは、この上なく嫌な笑顔だったものの、正直になってくれた手前でオレが正直にならないのはあれなので、さっきのメヌエットのようにごにょごにょと言う。

 それでなんか偉そうなメヌエットはクスクスと笑うが、オレもオレで笑ってしまったのでもう怒りすら湧かず2人で少しだけ笑い合ったのだった。

 

「メヌエットお嬢様とのご挨拶は滞りなく終えられましたか?」

 

「駄々をこねるような年じゃないだろ。色々と『推理』もできてるみたいだし、思ったよりは寂しがってなかったよ」

 

 そうして後腐れなくメヌエットと別れて空港へとやって来たオレを待っていたリサが手続きなどを終えた状態で話しかけてきて、同乗するセーラもリサの荷物に腰かけて待ちぼうけしていた。

 

「猿飛様といる時のメヌエットお嬢様は、呼吸をするように辛辣な言葉を放ったりとありますが、それは猿飛様にお心を開いているからこそだと思います」

 

「信頼の示し方がダメージ付きって嫌なんですがね……」

 

「ふふっ。私の見立てでは猿飛様はそれも意外と楽しんでいらっしゃるのかと思ってましたが」

 

「Mではないんだが……まぁ、来年までは見逃してやろうとは思ってる。それ以降は性悪認定だ」

 

「搭乗時間、迫ってるんだけど」

 

 オレとメヌエットを気遣って別れの挨拶は前日に済ませていたリサは、自分の時にはそういった毒吐きがなかったからか、心からの言葉で言ってくれているのだが、毒を吐かれる側はたとえ信頼の証であろうと多少のダメージは必至なので羨ましがるものでもない。

 だからメヌエットが15歳になってもあの調子なら、接し方は変えようと心に誓ったところで、待ちぼうけしていたセーラが電光掲示板を示しながら割り込んできたので、オレもリサも話は切り上げて3人でロンドン発の羽田行きの便に乗り込んでいった。

 ――色々あったけど、また会えて嬉しかったよ、メヌ。

 

「おっすおっす! おかえりダーリンっ!」

 

「…………」

 

「あれぇ? セーラんもいるー! おっすおっす!」

 

「……」

 

 約半日かけて早朝に羽田へと到着したオレ達を出迎えたのは、帰国を知っていたジャンヌと送迎係の島のみ、と聞いていたのだが、アメリカから帰国していた理子が朝とは思えないテンションでついてきていて、オレとセーラはげんなり。

 こっちは微妙な時差ボケもあったりで体内調整が整ってないところでのこのテンションには乗れねーんだよ。

 そういったツッコむ気力も振り絞るのが億劫だったオレとは違い、いつでもどこでもスーパーメイドのリサはそんな理子に付き合ってキャッキャと対応してくれて助かる。

 

「他のやつらはまだか?」

 

「24時間以内には揃う予定だが、とりあえず海外組ではお前達が一番乗りだ」

 

「理子には話してないんだよな」

 

「あまり頭数がいても仕方ないだろう。役立つことは間違いないが、役割分担もすでに決めてしまったし、今から組み込むにしても練り直しが必要だぞ」

 

 助かってる間に近寄ってきたジャンヌと小声で確認作業しつつ、理子がオレ達の作戦を知ってるのかを聞くと、そこは知らずに来ていると知りちょっと安心。

 理子には直近で頼ってしまってるのもあるし、最強クラスの超能力者との対面が想定されてるだけにプチ超能力者の理子は使いたくないのが本音。

 だったらジャンヌとセーラがいるだろという話にもなるが、こちらは参謀と遠距離攻撃、サポートに徹してもらうからギリギリオッケー判定。超能力分析も兼ねてもらうから、いなくては困る枠なのだ。

 

「おやおや? 正妻を放っておいて愛人と内緒話ですかな?」

 

「嫁面うぜぇ」

 

「京夜の愛人か……悪くない響きだな」

 

「えー! ジャンヌが乗り気ー!? そりゃ意外ですなぁ」

 

「私にも略奪愛への憧れがあるのかもしれんな。どうだ京夜。嬉しいか?」

 

「ジャンヌを愛人にするくらいなら、ちゃんと正妻にするっての」

 

 都合やら何やらとあるが、今回は理子を巻き込まないようにしようと視線をちょっと理子に向けたら、内緒話に気づいた理子が近寄って冗談混じりで割り込もうとしたが、ジャンヌが何故か澄まし顔で冗談に付き合うのでくだらないからお話終了という意味でそう返したら、なんか場の空気が変わったんだが……

 オレは『ジャンヌを愛人にするほど男として腐ってないし贅沢でもない』と言ったのだが、何をどう捉えたのか理子とジャンヌは「マジかー」みたいな表情でオレを見る。

 

「いや……なんだ……京夜が本当にその気なら私は考えないこともないぞ?」

 

「うえーん! キョーやんがジャンヌにプロポーズしたぁ!」

 

「あっ? 何でそうなる。オレは……」

 

「しかし私の家の都合、京夜には婿養子に来てもらうことになるだろうが……いやだが、私としては京夜のファミリーネームを名乗るのも悪くは……」

 

「びえーん! もう婚前の話してるぅ!」

 

「…………ふんっ!!」

 

 どうやら2人して同じ誤解をしたようなので、説明しようとしたら各々で泣いたり照れたりで話を聞く耳を持たないので、脳天へのチョップを振り下ろして黙らせてから、改めて説明して誤解を解く。

 それを聞いてから笑顔全開の理子は「わ、分かってたしー!」とか言ってセーラに絡んでいき、ジャンヌも「私は理子の冗談に乗ってやっていただけだ」と腕組みしながらそっぽを向くが、2人して誤魔化し方が下手くそすぎ。変装術を習得してるくせに何だこのクオリティーは。そこを恥じろ。

 まぁそんな些細なことで実力を発揮されてもあれなので2人とも冗談でオレにツッコませたことにして話を終わらせて、みんなで島の車で学園島に戻る。

 それから理子とリサは普通に登校していったが、オレとジャンヌとセーラはオレの部屋に集まって情報の確認と作戦の詳細を頭に叩き込んで、その間に島はこれから来る羽鳥と劉蘭からの派遣要員、趙煬を迎えに成田空港の方に行ってくれる。

 

「出発は明日にしても、日本だと璃璃粒子の方か? そっちは大丈夫なんだよな?」

 

「このところは濃度も薄いからな。絶好調とまでは言わんが、戦力にはなれるだろう」

 

「大丈夫」

 

 オレ達が来るまでに作戦内容をまとめてくれていたジャンヌのファイルを見ながら、それに関わる案件を確認すると、ジャンヌもセーラも調子は良さそうで超能力は安定してるっぽい。

 

「だけどそれってつまり、あっちの方も戦力ダウンは見込めないってことだよな」

 

「そもそも私達はあいつの情報をほとんど持ち合わせていない。あるのはお前と真田幸音から教えられた超能力や推定のGくらいで、実際に相対した場合はほとんど臨機応変に対応するしかない」

 

「問題ない。超能力なら使わせればいい。その方が勝算が上がる」

 

「頼もしい限りで。良い仕事を期待してるよ、セーラ」

 

 しかし2人がそうなら、これから捕まえようとしてる土御門陽陰も条件は同じということなので、安心した反面で不安も出てくる。

 それでも想定内で作戦を練ってくれてるジャンヌと、高い報酬を払うセーラは落ち着いたもので頼もしい。

 

「私達のことはあまり心配するな。むしろ私は前線に出るお前達の方が心配だ。作戦云々よりもちゃんと連携は取れるんだろうな?」

 

「んー、どうだろうな。その辺は顔を合わせてみてってところか。仕事と割り切れるだけの器量はあるが、協調性は基本ないし」

 

「バカだから」

 

「一言余計だ」

 

「自覚があるなら京夜は大丈夫だろう。問題はなまじSランクのあいつと人外クラスの『神龍(シェンロン)』か」

 

 そんなオレの言葉をそのまま返すように、今度はジャンヌが前線に立つオレと羽鳥と趙煬を心配したが、こっちは現状で断言できるような要素がないから曖昧な回答になった。

 その曖昧なところをセーラがつついてくるが、オレよりも羽鳥と趙煬を不安視するジャンヌの意見はもっともかもしれない。

 基本的に何でも1人で出来ちゃう人間の羽鳥に、共闘などしようものなら本来の実力を出せない可能性のある超人、趙煬。

 この2人とオレとセーラを同時に動かすジャンヌには実際かなりの負担だろうな……

 

「まぁ、オレも羽鳥も趙煬も想定外には弱くはないし、作戦行動内でならリーダーも機能するさ」

 

「そうでなくては困る。私が想定外に弱いのだからな」

 

「威張って言うな天然リーダー」

 

 正直、人選を間違ったかもとも考えたが、自負するように想定外に弱いところのあるジャンヌをフォローするには臨機応変に柔軟な対応のできる前線メンバーが必要だったわけで、加えてオレ以上の戦闘能力を持つ奴となると頼れる人材にも限りがあった。

 あとは『こっち以外』にも配置しなきゃならない人材もあったし、精一杯の結果がこれなのだから今さら文句も弱音も吐けない。

 それがわかってるからジャンヌも弱音として自分の弱点を自虐したのではなく、その弱点を補えるだけの活躍をオレ達に期待してるんだ。わかりにくいけど。

 その期待には応えたいので、オレも今回はマジのマジでやる。

 元々はオレが持ち込んだ話から実行に移されたものだし、頑張らないのも変な話ではあるが、細かいことはいいんだ。要はやる気に満ちているわけだからな。

 

「相変わらず不愉快な顔だね君は」

 

「まったくだ」

 

「普段の顔を批判されるのは非常に不快だ」

 

 クソだなこいつら……

 そうして今回はやる気満々だったオレに対しての羽鳥と趙煬の第一声がこれである。

 夜に到着し空港から直行でオレの部屋にやって来た2人は、着くなり我が物顔でリビングでくつろぎ始めたが、図々しいところも似た者同士。

 ジャンヌとセーラは明日の出発の時に再合流すると言って今日はジャンヌの部屋に戻っていき、小鳥も幸帆のところに泊まってもらったので、今夜は会話も弾みそうにないこの面子で過ごさないとダメで憂鬱だ。

 趙煬なんて主武器なのか3メートルはある槍っぽい何かを布に包んで持ち込んでるし、羽鳥も何が入ってるのやらなトランクを持ち込んで大事そうにテーブルに置いてるし、さらに今さらだけど趙煬が羽鳥に合わせるように普通に英語で話してたし。

 てめぇ英語で話せるなら香港でも英語で話せやこらぁ!!

 と言いたかったが、立ち向かっても勝てないので黙っておき、ジャンヌの作ったファイルを2人に渡してオレは明日に備えて先に就寝。時差ボケを治す意味でも日中はずっと起きてたから、すぐに寝られるだろうな。

 翌日。

 羽鳥が車輌科からボックスカーをレンタルしてくる間に、今回の作戦で出撃するメンバーが第3男子寮の前に準備を整えて集合。

 オレ、ジャンヌ、セーラ、趙煬に羽鳥の5人と少人数ながらなんか無駄に濃い面子にオレの影が薄くなってるが、これだけの面子を揃えても作戦の成功率は五分程度。

 それだけ相手も強敵な証明だが、たとえ五分でも千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「お前が神龍か。藍幇でも五指に入るその実力、期待している」

 

「劉蘭から出来るだけ力になるよう言われている。役立たずにはならないつもりだ」

 

 基本的に口数が少ないか無駄に饒舌なやつらの集まりだけに、待つ間の会話など皆無に等しかったが、全員を統括するジャンヌはそうも言ってられないので、英語で趙煬と挨拶がてら会話をしていた。

 それを横目にオレはセーラに近寄って隣に立つと、ちょっと睨まれたが微動だにしないセーラに話しかける。

 

巨視報(マクロユノ)、だっけか。ジャンヌの話だと的中率は100%らしいが、まだ何か見えないか?」

 

「直接的な影響のないここでは予報もできないし。現地に行けば嫌でもわかる」

 

「一応、セーラのそれとパトラの占星術で正確性は上げるってことだが、それでもピンポイントとはいかないよな」

 

「あくまで予報。占い。未来予知じゃない」

 

 作戦上、オレ達が動き出すタイミングは陽陰の出方次第で変わってしまうため、その辺の都合をセーラの巨視報。自然物の大局的な動向を予報する能力である程度で察知し、さらにジャンヌが無理矢理こじつけたパトラの協力で、欧州で逃亡していたリサを見つけた実績のある占星術を使ってもらって確実性を上げていく。

 パトラも香港で陽陰の超能力を近くで感じたとかで足掛かりはあったから協力してくれるが、最近に婚約した金一さんとの新婚生活に水を差されて完全に乗り気ではないらしく、顔を合わせたらパンチやらキックやらが飛んできそうで怖い。占星術自体は遠くでも出来るから、パトラが現地に来ることがないのがせめてもの救いだ。

 

「まぁセーラとパトラに頼りきりはオレもあれだし、出来ることはやるよ。それから巨視報の他に死相も見えるんだよな。もしかしてこの面子で死相の出てるやつがいたりする?」

 

「…………味方の死相は見えても言わない。仮にお前に死相が見えて、それを知らされてどう思う?」

 

「…………やる気出ねぇな」

 

「わかったならバカは黙って」

 

「うい……」

 

 そんな感じで初動はセーラとパトラの働きにかかってるのは間違いないが、おんぶに抱っこでよしとするわけにもいかないので、助力はすることを伝えておく。

 それとついでにその人の顔の相。顔相という手相みたいなものが見えるセーラに死相が出てるかも聞いたが、完全にアホなことを聞いたことを突き返されて黙らせられる。

 そりゃそうだよね……誰だって「数日中に死にます」なんて言われて危険な作戦に参加なんてしませんわよね……

 なんか年下にバカ呼ばわりされて正論を叩きつけられるとガチで落ち込むが、仕事である以上、ちゃんとコミュニケーションを取れるセーラの確認はできたのでそれでよしとしよう。

 落ち込んでいた時間はそう長くはなかったが、羽鳥の到着がちょっと遅いなぁ、くらいに思ってきた頃に挨拶を済ませたジャンヌが「作戦中の常用語は英語に統一する」と通達されて、なかなかハードな言語統一だが、趙煬に中国語を使われるよりはいいかと了承。

 だが趙煬が関わらないなら日本語でオッケーだよな。趙煬のための言語統一だし。

 などと早速ジャンヌの通達の抜け道みたいなものを探すオレのズル賢さは表に出さず、こっそりやっとくかと甘やかしていると、羽鳥の到着の前に幸帆のところに泊まっていた小鳥が戻ってきて、まだ出発してなかったオレ達を見て申し訳なさそうに近寄ってくる。

 

「な、なんか凄いメンバーでのお仕事なんですね……あちらの中国人っぽい人は物干し竿みたいな長物を持ってますし、なんとなくレキ先輩っぽい子も近寄り難い何かを感じますし、あとはフローレンスさんもいるんですよね……」

 

「オレもかつてないくらい豪勢な面子だと思うよ。これから1週間くらいかな。留守にするからな」

 

「……そうですか」

 

 ただならない趙煬とセーラの空気を感じ取る辺り、小鳥もなかなか場数を踏んできてる気がするが、この2人が一際あれなだけかもしれないので気にしないことにし、これからまたしばらく留守にすることを伝える。

 それに何故か少し俯いて寂しそうに返事した小鳥が何やら考え事をしてるような感じがして、言うまいか迷ってる雰囲気だったので仕方なくオレから言葉を引き出す。

 

「何か言うなら今のうちだぞ。メールなんかで済まないなら尚更な」

 

「……では言いますけど、もうすぐ京夜先輩との徒友契約が終わってしまうんです」

 

「お、おう。あとひと月ないな……」

 

「それなのに京夜先輩はいつもいつも学園島にいなくて、今年になってからなんて外に出てる時間の方が長いんです。正直なところ、戦妹としては今の扱いに不満があります」

 

「お、おう……すまん」

 

 きっと心配するなって言われるから、それ系の言葉を言わないようにしてたんだろうと軽い気持ちでいたら、俯いていた顔から鋭い眼光でオレを睨むような小鳥の表情が見上げて、そうした不満を爆発させてきて焦る。

 オレも思わず謝ってしまったが、よくよく考えたらオレも依頼とか真面目な仕事をしてるわけだし、戦妹とはいえその処遇をどうこう言われるのは違う気がする。勢いに圧されたな。

 

「……ですが京夜先輩も好きで私を放置してるわけじゃないですし、ちゃんと武偵として活動しての結果ですから、私も不満はあっても文句はないです。仕方ないと割り切れます」

 

 だがそんな不満がオレに謝らせることではないと自覚もしていた小鳥はちゃんと割り切れてることも話してくれ、やっぱりこの辺で戦妹として戦兄に放置される寂しさがうかがえる。それは申し訳ないと思うよ。

 

「この仕事が終わったら落ち着いてくれるはずなんだ。だから帰ってきたらゆっくり話そう。小鳥のためだけに時間も作る」

 

「……わかりました。私もその時に言いたいことを言います。無事に帰ってくるのを学園島(ここ)で待っています」

 

 えー……まだ言いたいことあるんですか……

 そうした小鳥の気持ちを汲んで、帰ってきたらの約束を取り付けたはいいが、なんか不満はまだありそうでこっちは不安になる。

 ただそうやって帰りを待ってくれるというのは、これからのことを考えれば少なからずオレの力になる。

 こちらの仕事の危険性については全然わかってないだろうに、自然と力になってくれた小鳥の頭をポンポンッと軽く触ってから、いつの間にか到着してオレ以外が乗り込んでいた羽鳥の運転するボックスカーにオレも乗り込んでようやく学園島を出発。

 まず目指すのは本州の最北端、青森県だ。



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Bullet143

 

 土御門陽陰の逮捕を目論むオレ達がようやく全員揃って、決戦の地となる青森県を目指して学園島を出発し約2時間。

 多国籍の集団のため、言語統一は英語と決められたこともあってオレは発言もちょっと面倒臭くて、作戦内容の反復とあら探しを黙々と頭の中でやっていた。

 が、対照的に祖国語だから絶好調な運転手の羽鳥は、助手席に乗ってすらもらえない人気のなさを嘆くこともなく後部座席の前後の後ろに座るジャンヌとセーラに話しかけていた。

 一応、その間にはオレと趙煬が並んで座っているが、そんなオレ達が存在しないようなスルーっぷりは感心すらできる。

 

「しかしまぁ、よくこの面子で作戦に当たれたものだ。程度はあれど、皆が皆、1度は敵として相対した関係にあるわけだからね」

 

「それが武偵の縁なのだろう。昨日の敵が今日の友となる時もあれば、その逆もあるということだ」

 

 ほぼほぼ羽鳥の一方的な会話も飽きてきたところで、半ば諦めるようにして話題をシフトした羽鳥は、バックミラー越しにオレ達を見ながらそんなことを言い、話題が全体に変わったからか口を開いたジャンヌが武偵という職業柄の話をして返した。

 が、この中で武偵は3人なので、その言葉が適切なのかは正直かなり微妙なところだし、羽鳥が言い出したこととはいえ、全員と直接の戦闘経験があるのはオレだけじゃないですかね。

 冷静に考えたら、オレってなかなかハードな高校生活を送っているよなぁ、なんてことをついつい思っちゃうくらいにはここにいるやつらの異常さは際立つし、これがまだ1年以内の出来事だったことがもうあれだ。やっぱりハードすぎる。

 まだプロの武偵にもなってないのに、ましてや本気で武偵になると決めて半年も経ってないのにこの調子では身が持たないかもなぁ、とかなんとかも思いはする。

 しかし辛いことばかりでは決してなかったし、その証拠が今のこの状況なのだろうとも思う。

 このハードで刺激的な日々の始まりはきっと、あの春のチャリジャック事件……いや、アリアと出会い、あの台詞を言われた時からだったのかな。

 

「……他人より優れた能力を持っていても、それを隠し続けて出し惜しみするようなら、それは宝の持ちぐされ、か」

 

 あの時のオレはただ、武偵という体でなんとなく過ごしていただけの怠け者に等しかった。

 あの時のままのオレだったなら、絶対に今のこの状況は作れなかったし、今頃は教室でのほほんと何食わぬ顔で授業に参加していたのも明らかだ。

 面倒なことから自然と遠ざかり、その場その場をのらりくらりとやり過ごす。そんなことだけ上手くなっていたはず。

 きっとオレにとっての人生の分岐点はそこにあったんだと思う。

 アリアのあの言葉があったから、翌日に小鳥が戦妹になり、色々な起こりえなかったことが身の回りに降って湧いてきた。

 武偵としての分岐点もあれがあったから訪れたと、今なら思える。

 

「……何やら非常に不気味な笑顔を浮かべている男がいるが、後ろの美女であらぬ妄想でもしていたのかい?」

 

 そうしたことを考えながらなんとなく外の景色を見ていたら、羽鳥が余計な茶々を入れてくるもんだから、後ろのジャンヌとセーラが背中越しでもわかるジト目を向けてきて困る。

 

「そんなことは断じてないが、だがまぁ、意識を脱線させてたのは認める」

 

「これから大捕物をしようというのに、ずいぶんな余裕だね。まぁ、今からガチガチになられる方が心配になるからいいんだけど」

 

「それならお前も良い緊張感を保ってもらえないかね。あまりにいつも通りだと緊張の裏返しに見えてくるわ」

 

「この私が、緊張? 私が人生の中で緊張して動けなくなったのは1度だけだ。まぁそれも半分以上は恐怖が上回っていたがね」

 

 その辺は誤解を招く前に解決しつつ、言葉を返すように羽鳥を問い詰めたのだが、なんか無駄にこいつの過去を知ってるだけに掘り返すのがためらわれる言葉が出てきて強制終了させられる。

 たぶんだが、羽鳥の言うその場面は羽鳥が武偵になる前の話で、それを証明するように口を開いていた羽鳥からは少し哀愁のようなものが漂っていた。これは武偵、羽鳥フローレンスが出さない類いのものだ。

 

「その1度目はともかく、2度目がないことの証明にはなるまい」

 

 だが、事情を知るオレとは違い、羽鳥について知らないも同然の趙煬は本来ならオレが言うべきことをズバッと言ってしまって、それにはバックミラー越しの羽鳥も青筋を浮かべてひきつった笑顔も見せる。

 

「言うことはもっともだが、君の方こそこのメンバーの中で最強の戦力なんだ。いざって時に『中国拳法も槍術も効かない。ダメだこれ帰る』などと言わないようにしてくれたまえよ、神龍」

 

「武は俺を裏切らない」

 

 相手が男だからか、羽鳥も標的をオレだけに絞ることなく、割と趙煬に対しても辛辣な言葉を並べてコミュニケーションを取るが、趙煬も趙煬で羽鳥の毒を涼しい顔で受け止めて無駄にカッコ良いことを言って黙る。

 しかしオレとは違う反応に羽鳥は舌なめずりし、どう平静を崩してやろうかとちょっと燃えてるみたいで、これなら当分オレへの毒攻撃は来ないかなと安堵したものの、そういう心の隙を見逃さない羽鳥は結局オレへの毒は適度に吐いてダメージを与えてくるのだった。

 

「部屋は分ける」

 

「それは構わないが、当然ながら私はそちら側だよね?」

 

「何故だ? お前は女扱いが嫌なのだろう?」

 

「夜這いでもしそうな輩から君達を守るためだよ」

 

「ああ、お前のことか」

 

「違いますけど……」

 

 休憩も挟みつつで無事に青森県の弘前市に夕方頃に到着したオレ達は、数日間お世話になる予定の旅館に入って、2部屋を男女で分けて使うと決めた。

 だがまぁ、なんというか扱いの面倒臭い羽鳥が女部屋に入れられなくて不満が駄々漏れし抗議していたわけで、生粋の女子2名が羽鳥との同室を断固拒否するので話は平行線。

 非常にどうでもいいやり取りなので、オレと趙煬はロビーで言い合う3人を放置して先に部屋に行き、各々で自分のスペースを確保する。自分の空間って大事だよなぁ。

 結果として理屈を通すことが出来なかった羽鳥が愚痴を言いながらこっちの部屋に来てオレと趙煬をキロッと睨んで「吐き気がするから寝る時は離れてくれたまえ」と不可侵領域を設定して落ち着きやがる。

 別に何かしようなんて思ってもいねぇし、そんなに嫌なら個室でも取ればいいだろと本気で思う。

 

「険悪な雰囲気を作ってる場合ではないぞ。ブリーフィングを始めるから、渡したファイルを出しておけ」

 

 そうして同じ空間にいるのも息苦しい3人が会話もなく部屋でバラけていると、荷物を置いてきたジャンヌとセーラが部屋にやって来てこの部屋の重い空気にツッコミつつ、手に持つファイルを叩いて示すので、それに従ってテーブルを中心に全員が座って準備を整えた。

 

「まずは今日はもう日が暮れてしまったから、現場の下見は明日に行う。遠山とアリアがキノクニへと出発しておよそ80時間が経過したから、あと3日は猶予があると見ていいが、気は抜かんようにな」

 

「それはもちろんの事だが、1つだけ確認したい。色々な根拠があるとはいえ、本当に土御門陽陰は現れるのだろうね」

 

「……前提から覆す発言だな」

 

「だろう。かも。おそらく。この作戦で出来る限り使用すべきではない言葉がチラつくのはポジティブではないと言っているんだよ」

 

 シャーロックが現れてからおよそ80時間が経過し、キンジとアリアがキノクニに到着するまであと80時間ちょっとくらいになったのを知らせたジャンヌは、あと3日で準備できることを順に片付けていこうと今後の予定を話した。

 しかしその前にと真面目な雰囲気になった羽鳥がそもそものところを言及してきて今さらかよと一同が呆れる。

 ロンドンにいる時に納得して進めたと思ってたが、曖昧な言葉が嫌いな羽鳥は改めて確信を持ちたいのだろう。

 

「羽鳥の言うこともわかるから、確認のために改めて説明してやるよ」

 

 仕方ないのでファイルでは省略されてしまってるその部分を情報を揃えたオレが説明する。

 

「まず1つ。年末の香港での騒動の時に、幸姉が日本と香港にあった陽陰の地脈の噴出点を利用した天地式神を破壊。これによって一部アジア圏の陽陰の目を潰すことに成功している。さらに現在進行形で日本の天地式神は武偵庁と幸姉の協力で敷かれていない」

 

「それによって今も日本は『陽陰本人がいない限り』は穴になっている。そういう認識でいいのだろう?」

 

「天地式神ってのは地脈を利用して式神に魔力を常に変換、供給する術式で、これなしで式神を遠隔操作する場合は術者からそう遠くまでは無理だって話だ。陽陰が規格外の陰陽師だとしても、半径100キロが限界だろうってのが超能力者による見解だ」

 

「これについては私とセーラも同意している。これ未満の見誤りはあっても、これ以上はないという確信がある」

 

「これ以上は人間じゃない」

 

 なるべく丁寧な説明と専門家による補足によって、まず最初の要素については納得した様子の羽鳥は、そこに指摘するところはなかったのか次の話を促してきた。

 

「2つ目。これは幸姉や劉蘭も現場にいたから知っていることだが、藍幇城に現れた陽陰はそこにいたアリアと猴を見てこう言ったんだ。『緋弾の娘か。まだ緋緋の色は薄いようだが、お前の行き着く先には興味がある。そこの斉天大聖のような末路となるか。はたまた……』とな」

 

「その緋緋の色、というのがアリアの緋緋神化を指しているのだとすれば、陽陰はその結末に興味を持っていることになるわけだ」

 

「加えて、シャーロックがその色金問題の結末が近いと推理したことも陽陰の知るところだとすれば、今のアリアの動向を掴んでいる可能性はかなり高い」

 

 続けて年末の香港での陽陰の言動から推測で語ったアリアの監視の説だが、これも可能性としてはほぼ間違いないと見ていいため、羽鳥も推測の域ではあるが90%以上は確率的にあるので指摘することはなく、了解の意を示した。

 

「3つ目。緋緋色金の原石と呼べるものが星伽神社にあるからだ」

 

「これは私から話そう。京夜がアメリカで発見した瑠瑠色金は、その総量が巨岩サイズにまで及ぶものだったという。瑠瑠色金がそれだけの質量ならば、同族異種の緋緋色金もその原石と呼べるものがあって、それだけの質量を持っていると考えられる。そして星伽は代々、その緋緋色金を研究すると同時に守ってもきた」

 

「これはオレがロンドンにいる間にジャンヌが白雪から聞き出して確定情報になっている。さらにシャーロックとメヌの推理で何はどうあれ、キンジとアリアの今の終着点も星伽神社だ」

 

 これは要素として強くはないのだが、緋緋色金の全てが星伽神社にあるとなれば、その全てが収束する場所と考えてもいいだろうという理屈。

 どのみちアリアも遠からず星伽神社に来るだろうし、先回りした形なのは周知の事実。というか先回りして待ち伏せしないと作戦の意味がない。

 

「4つ目。ここまでの要素から陽陰は星伽神社の近くまで来なければその結末を見届けることができない」

 

「加えて星伽の周囲には侵入者への対策もされていて、夏のパトラの一件から星伽神社を中心にドーム状の陣を半径500メートルの範囲で敷いているらしい」

 

「その警戒網に引っ掛からずに監視をしようとするなら、式神に視覚と聴覚をリンクして、望遠と透視、盗聴の機能も持たせないとほぼ不可能だ。これだけの高性能の式神を扱うとなると、術者本人も限りなく近くでコントロールする必要があるらしい。少なくとも幸姉はそんな式神を扱うことはできないって言ってたよ」

 

「それがファイルに書いてある星伽神社から2キロ圏内ってわけだね」

 

 と、ここまでの話を一応はロンドンにいる時にしたと思うのだが、改めて説明したことで羽鳥も趙煬もどこか納得のいった表情をしていた。

 

「まだいくらか可能性の域を出ないが、未知数の部分は仕方のない不安要素だね。了解した」

 

「改めて説明すると面倒臭いな」

 

「君はメヌエット女史にずいぶんと助けられた事実を真摯に受け止めるべきだね。彼女なしでロンドンでの話はスムーズにいかなかったのが今のでわかったよ」

 

 言われてみればこの辺の根拠はある前提でメヌエットに話を進めてもらった気もしないでもないので、羽鳥の言うことに強く言えなかったが、要するにそういった根拠があるからこそ作戦は実行に移されている。

 それを再確認したところで羽鳥も大人しくなったので、ジャンヌも小さく息を吐いて仕切り直すと、明日の下見での各々の役割を説明していった。

 それが終わって解散になってからは、温泉に入ったり食事をしたりで各自がリラックスしながらの時間の使い方をし、この辺の様子をなんとなく見ていたが、個性が出て面白い。

 まずジャンヌは日本文化に関心があるから、温泉に長く浸かって、戻ってきての食事の際にあれこれ料理について尋ねられてちょっと疲れた。

 セーラはなんか姿さえあんまり見なかったが、ジャンヌと一緒に温泉に入ってから食事はベジタリアンらしくてほとんど口にせずにどこかへと消え、それから朝まで女子部屋から出てこなかった。

 羽鳥はアホなので普通に男湯に入って騒がれて、ジャンヌとセーラと時間をずらして女湯に入っていたが、公共の施設に向いてない。

 しかも寝る前になってから怪しげなトランクを引っ張り出してよくわからん化学実験をやり始める始末。寝ろ。

 趙煬もなんかストイックなのかどうなのかわからないが、温泉に入る前に持ってきた長槍を外でブンブン振り回して汗を流してきて、温泉でもサウナ部屋で倒立して腕立て伏せをやったりと酷いもんだ。

 なんかもうグローバルな連中の集まりだが、この人目を気にしない傲慢さはある意味で頼もしいとさえ思えるし、自分のやりたいことを我慢しない感じは見てても分かるから安心もする。

 ここで変にストレスを溜められても仕方ないし、メリハリはつかないと良い緊張感も保てないものだからな。

 そんな変わり者集団を客観的に見つつ順応してる自分自身の慣れにちょっとあれ? とも思うが、考えてみれば幸姉を含めて昔からとんでもない人達と絡んできた都合、今さらだよなと冷静になったり。ホント、今さらだったわ……

 

「くそっ、人を何だと思ってるんだ……」

 

 翌日。

 予定通りに星伽神社の近くまでやって来て、ジャンヌとセーラは巨視報で予報をするために見晴らしの良い場所へと行ってしまい、羽鳥と趙煬は作戦当日の待機場所を調整するために公道沿いをのんびり散策。

 対してオレはと言えば、近接戦闘要員の3人の中で一番のサバイバル術を会得してるからと、作戦当日にトライアングルの陣形を組む都合で森林地帯に待機しなきゃならないため、その下見で森の中に入れられたわけだ。

 

「冬のサバイバルは……生存率が段違いなんだぞコラぁ……」

 

 まだ雪も十分に残る森林地帯は同じ景色の連続で遭難なんて超簡単だが、本当に遭難したら事なのでちゃんと足跡を残しつつ進む。

 愚痴など吐いて捨てるほど出てくるが、言い出しっぺのオレが泣き言を言えば士気にも影響するし、羽鳥か趙煬に行かせて遭難されたらそれこそ寝覚めが悪い。捜索するのも二度手間だし。

 ジャンヌが白雪から聞き出した情報によると、この辺に見える中腹が抉れた標高の低い山の麓に星伽神社があるらしく、森林地帯に入る前にそれを確認したオレは、そこからおよそ2キロ程度離れた距離のトライアングルのポイントを目指した。

 当日は待機時間があって寒さ対策も必要なので、厚手のコートやら手袋やらは必須かなぁとか思いながら待機場所の目印となる木に1週間は持続するという赤色の点滅装置を取り付けて準備完了。

 野生動物にいたずらされないように割と高所に付けたので、これなら遠くからでも発見できそうだ。

 

「あとはどこに陽陰が現れるかだが……その辺も巨視報と占星術で特定できないものかね」

 

 トライアングル陣形は陽陰の退路を塞ぐための封鎖的な配置なので、場所さえ特定できればその範囲もグッと縮められ、オレの待機場所も深くする必要がなくなる。

 しかし現実はそう上手くいかないので、こうして苦労して色々と準備をしないといけない。

 何事も楽だけじゃやっていけないっていう現実を認識させる良い機会だよな。

 そう思うことで自分を納得させて森林地帯を抜け公道へと戻りしばらく待っていると、下見を終えたジャンヌとセーラを乗せた車が戻ってきてオレを回収。

 最後に趙煬を戻った先で回収してから、帰りの道でジャンヌが報告会を開き状況を確認。

 

「セーラの予報では『数日中にこの地に緋緋神がやって来る』らしい」

 

「アリアじゃなくて緋緋神が、か」

 

「その辺は私達がどうこうすることは叶わないかもしれんが、星伽神社に緋緋神が来るということは、陽陰もまたその動向を掴んでここに来ると見ていいだろうな」

 

「あとはパトラ姉の占星術でタイミングを図るだけ」

 

「パトラにはどの程度の回数やってもらうんだい?」

 

「日に5、6回くらいは占ってもらわねばなるまい。兆しがあったら昼夜を問わずに出るから、長期戦も覚悟しておいてくれ」

 

 セーラの巨視報は無事に見えたようなのだが、それによると星伽神社に来るのはアリアではなく緋緋神なのだと告げられてなんとも言えない気持ちになる。

 完全な緋緋神になって星伽神社に来てしまうのか。星伽神社にある緋緋色金の大元に接近する目的があるのかわからないが、中身がどうあれアリアの体がここに来てしまう未来は知らされてしまった。

 それによって陽陰もこの近くに来る可能性はグッと高くなったので、アリアの心配はするがこちらも集中しないと返り討ちに遭いかねない大仕事。

 なに、アリアには不可能を可能にする(エネイブル)がついてる。これまであいつのとんでもない所業の数々を見てきたんだ。だから今回も頼んだぞ、キンジ。

 

「いよいよって感じがしてきたな」

 

「なんだい? まさか緊張してきたなんて言わないよね?」

 

「この面子で緊張なんてしてたら蹴落とされて役立たずの烙印を押されちまうだろうが。大丈夫だよ」

 

「強がり」

 

「京夜、私が言うのもなんだが、虚勢は心配になる」

 

「弱いやつほどよく吠える」

 

「お前ら揃いも揃って人の言葉を信用しないんだな……」

 

 陽陰の影がチラついたことで一同にピリッとした緊張感が漂ったのを肌で感じたオレは、あえてその事実を口にすることで今から張り詰めても仕方ないと示したのだが、何故か全員がオレをいじる側に回りやがって不愉快である。

 そうした扱いにそっぽを向いたオレに対して、大なり小なりで笑って緊張感を柔らかくした一同の変化にちょっと安堵しつつ、来るべき日に備えて改めて気持ちを作り始める。

 ――決戦の日は近い。



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Bullet144

 セーラの巨視報と現場の下見のために朝から弘前市南西部の山林地帯。そこにある星伽神社の周辺で色々と準備をして旅館へと戻ってきたオレ達は、来たる決戦の日に備えて自分に出来ることを黙々とこなしていた。

 

「とはいえ、オレはコンディションを万全にしておくくらいしかやることねぇんだよなぁ……」

 

 他の4人はまだやることがそれなりにあるようなのだが、オレはといえば手のかかる装備もないし、趙煬のようにストイックなトレーニングは無駄な筋肉が付くから逆効果。

 とにかく万全を期すという意味では、オレは学園島を出た段階でほぼ完了していたわけで、今さら普段やらないようなことをやって調子が狂っても仕方ないから、とりあえず温泉に浸かってみたわけだ。

 森林地帯を歩かされたから、それなりに神経を使ったのもあるのでやることがないからというわけではないが、やはりせっせと準備するジャンヌ達とは違ってのんびりしてる感は否めない。

 

「君だけ一足早く休息期間に入るなんて、ずいぶんなご身分じゃないか」

 

 このあとはどうしようかなと考えながら天井を仰ぎ見ていると、すぐ近くまで来て温泉に入ってきたやつがいて、もう言動とかその辺で誰かは一瞬でわかった。

 が、昨日の今日でまたやってんのかこいつは……

 

「また他の客に驚かれて騒がれるぞ」

 

「問題ないよ。仲居さんに20分ほど誰も入れないでくれと『お願いした』からね」

 

「女が女を口説く違和感は半端ないな」

 

 もはやバカなのかと思うが、話しながら平然とオレと少し離れた隣で温泉に浸かった羽鳥は、何一つ隠す気もない堂々たる態度で縁に腕を広げて乗せて足も投げ出していた。

 状況的には混浴してることに他ならないのだが、本当に色気も何も出さない羽鳥に何の感情も湧かないため、スルーしつつも面倒臭い反応をされそうだから横は向かない。

 

「んで、オレがいるのを知ってて来たのは何でだよ」

 

「君が私達のようにやることがあることを羨んでるように見えたからね。からかいに来た」

 

「のぼせて温泉に沈め」

 

「すまない。私は長湯が全く問題なくてね。のぼせたという経験がないんだ」

 

 それで仲居を買収してオレだけがいる温泉に入ってきた理由について尋ねると、なんとも羽鳥らしく人を小馬鹿にする理由だったので殴りたくなる。

 

「ハハッ。まぁそれは半分は冗談として、今の君に伝えておくべきことはあるだろうなと思った。単なる気まぐれだから感謝は不要だよ」

 

「言われる前から感謝するやつがいるのか。まだ感謝すべきことかもわからないのに」

 

「君の抵抗も割と論理的になってきたね。理屈や正論で言われると私も次の言葉に少しだけ困ってしまうよ」

 

「そりゃどうも」

 

 オレも仲居さんを買収してまでからかいに来たのが100%だなんて思ってもいなかった――嫌がらせは如何に労力を割かないかというこだわりを持ってるだけにな――ものの、何を言われるかわかったもんじゃない状況にちょっと気分は良くない。

 

「……おそらく君は今、自分が何をするでもなく手空きなことに罪悪感のようなものを感じてるのだろう?」

 

 そうしてオレが警戒してると、いきなりスイッチを切り替えた羽鳥がズバリなことを指摘してきて焦る。

 こいつのこういう鋭すぎる観察力は心臓に悪すぎるんだよ……

 と思ったのも束の間で、話しながら何やら羽鳥が立つ気配を感じたからさらに警戒していると、湯の中を歩いてオレの真正面まで移動してきた羽鳥は、反射的に逃げようとしたオレの肩を押し潰して腹の辺りに馬乗りされ、かなりヤバイ姿勢で湯に浸かる羽目になった。

 

「……君は……あなたは優しくて自分に厳しいからそういう風に思ってしまうのかもしれない。けどそれは違うよ」

 

 しかもこういう時に限って羽鳥のやつも『女』になってオレの頬に手で優しく触れてささやくように言うもんだから、オレもつい視線が羽鳥のあちらこちらにいってしまう。

 

「あなたが『土御門陽陰を逮捕する』なんて馬鹿げたことを言わなければ、今のこの状況は作られなかった。あなたからの発端でなければ、ここまでの人が協力してくれることもなかった。それはあなたが頑張ってきた何よりの証であり、他の誰かに出来なかった偉業。だから何も出来ないなんて思わないで。あなたはもう、これからの私達に劣らない凄いことをしたんだから」

 

 それを恥ずかしがるように話しながらもどんどんその体を密着させてきた羽鳥は、ついにオレの首に腕を回して完全に抱きつく形になり、やはり女な羽鳥の感触にちょっと本気でヤバイ感じになってきたが……

 

「だからあなたは胸を張っていいのよ」

 

 羽鳥なりのオレへの言葉が本心から来るものと理解すると、なんとか理性の方も持ってくれて九死に一生を得る。

 

「…………なぁ、フローレンス」

 

「フフッ。名前で呼ばれると照れ臭いね」

 

「胸、大きくなってないか?」

 

 だがここで感謝の言葉を口にするのはなんか非常に恥ずかしかったので、オレなりにこの妙な雰囲気を壊す言葉を探した結果、アホみたいな言葉が出てきて、これには羽鳥もパッとオレから離れて自分の胸を寄せて揉む。

 

「そうなんだよね。これも変化なのかな。ライフスタイルは変わってないんだが、栄養がこっちに行き始めてるらしくて困ってる」

 

「……困るのかよ」

 

「私もまだ心が追いついてないからね。でもまぁ……」

 

 それを見せつけるようにやるからオレもつい視線を逸らしてしまったが、アホみたいな言葉でいつも通りに戻った羽鳥は見られることに抵抗がない。

 それどころかオレが自分に対して劣情を催したと睨んだ羽鳥は、怪しく笑ってから正直に反応していたオレの下半身を掴んで握ってきやがった。

 

「こんな私でも君をこうすることができることがわかって収穫だったよ」

 

「オレが本気で怒る前に消えろ」

 

 驚きを通り越して怒りすら湧いてきたので、女が簡単に男のモノに触るなと警告してやったら、逃げるように湯を出た羽鳥は、悪びれる様子もなく立ち去ろうとする。

 

「まぁそれを鎮めたら君も上がりたまえ。あと、これでもまだ何かしたいなら、彼女らのアシスタントをしてみてもいいのかもね。私は御免被るが」

 

 その去り際に余計なお世話をしつつもアドバイスをくれた羽鳥は、入念に体を洗ってから出ていき、それが済むまでオレも湯の中で鎮まるのを待つ羽目になってしまった。くそぅ……

 

「まったく酷い目に遭った……」

 

 温泉から上がって部屋に戻る最中に、激しく感情を揺さぶられたことに参っていると、隣の女子部屋にタイミング良くセーラが入っていくのが見える。

 その腕には大きなボウルいっぱいに入った茹でたブロッコリーもあったが、超偏食だなあいつも。これも超能力に関係あるのか、単なる好き嫌いなのか、はたまた宗教とかそんなやつなのか。

 その謎の解決は本人に聞けば解決するが、こういうことが意外と地雷だったりするし、偏食が原因で発育がうんたらー、とか言わない自信もないので謎のままにしておく。

 それはそれとして、さっき羽鳥が言っていたアシスタントとやらが出来ないかと思い、女子部屋をノックして許可をもらった上で入ると、ジャンヌは留守中らしく部屋にはブロッコリーをつまみながらせっせと矢を自作するセーラだけがいた。

 

「その矢っていつも自作なのか?」

 

「時と場合による。今回はいくらあっても心配だから」

 

「それだけ警戒してるってことか」

 

 あまり近づくと嫌がられるので、適度に距離を取りつつ腰を下ろして会話をするも、やはり言葉少なでオレを見ようとはしてくれない。

 

「ジャンヌは?」

 

「温泉。浸かりながら考え事するって言ってた」

 

 その間も手を止めずに矢は量産されていくが、その手際を見て覚えたオレは、ちょっと材料を拝借して、ジト目を向けてくるセーラを横目に1本だけ作ってみせる。

 

「出来のほどは?」

 

「……矢尻が重心からズレてる」

 

 さすがに商売道具だけあって評価が厳しいセーラだが、指摘されたのはそれだけだったので、そこを修正したら何も言われなかったから、そのまま材料を分けてもらってお手伝い開始。

 セーラはたぶん、今日中に終わらせる予定だった量だが、オレが手伝うことでセーラの他のことに費やす時間が作れるなら喜ばしいことだ。

 

「そういや、今回の作戦で陽陰を捕まえられたら報酬は半分でもいいとか言ってたよな。それって陽陰と何か因縁があったり?」

 

「……イ・ウーにいた頃に巨視報をあいつに知らずに利用されてた。シャーロックがその存在を明確にしなかったのもあるけど、私の巨視報が知らないやつの耳に届くのはイヤ」

 

「そりゃもっともなお怒りですな。要は『盗み聞きして趣味に利用しやがってこの野郎!』ってことだろ」

 

 それで2人で作業しながら、今回の依頼に積極的だった理由を聞き出すと、自分の能力を勝手に利用されていたことに腹を立てていたことを知って納得。

 土御門陽陰がイ・ウーにいたことは都市伝説みたいなことだったようだし、セーラもそれが事実だったことを知ってシャーロックを問い詰めでもしたんだな。

 

「それだけじゃない。今までの仕事の中でもあいつの影が見え隠れすることが感覚的にあった。邪魔もされてたと思う。それが不快。だから捕まえる」

 

「その怒りが空回りしないことを祈りつつ、頼りにしてるよ」

 

 そうしたセーラの事情を知って、ますます作戦は失敗できないと思いつつ、割とすぐに材料がなくなって手空きになると、セーラはそれ以降は黙々とブロッコリーを食べて「まだ何か用?」みたいな目をするので、特に何もなかったのでオレも失礼して部屋を出たのだった。

 まぁお礼の1つはあってもとは思ったが、勝手にやったことで感謝を求めるのはあれだしなと男子部屋に戻ろうとしたが、中には化学実験する羽鳥が1人でいたので、さっきのあれもあったから入るのはやめて気分転換に外に出てみる。

 すると旅館を出て人の邪魔にならない場所を見極めて拳法の型を一心不乱にやってる趙煬を発見。

 

「あれは何だろうな……八極拳、ではないか。太極拳かな?」

 

「…………太極拳には身体の調整に適した健康的な側面もある」

 

 割と後ろから近づいて日本語で呟いたのだが、拳法の単語には反応するのか、英語でそんな説明をしてくれるが、こいつもオレを見ようともしない。コミュ障か。

 

「太極拳については勉強になったよ。それより気になってたんだが、お前って劉蘭のお付きなんだよな?」

 

「…………正確には違う。仕事柄、非力な劉蘭によく付かされるが、上海藍幇の重役の護衛や敵対勢力の排除が主だ。上海藍幇は武闘派ばかりだから、歳を食った老害を除いて劉蘭のような人種は特殊なんだ」

 

「老害……聞くとお前って、今の仕事を好きでやってはいないんだな」

 

「好きだけでやっていけるほど現実は甘くない」

 

 こいつには何か出来ないかと聞くとサンドバッグにされそうなので、それはやめておいて謎の多い仕事について尋ねたら、意外と話してくれて驚く。

 

「まぁ言うことはもっともだわな。じゃあもしかしてお前にもやりたかった仕事とかあったりしたのか?」

 

「……やりたかったではない。今も可能ならやりたいと思う仕事はある。叶わん夢みたいなものだ」

 

 まだ趙煬も21とかそのくらいだとは思うが、護衛対象を老害呼ばわりしたりとあって、もしかしたら他にやりたいことがあるのかと尋ねたらズバリで、その話をすると趙煬も太極拳をやめてオレと向き合ってくれる。

 

「…………アクション俳優だ」

 

「へっ? アクション俳優って……」

 

「昔からカンフー映画などに強い憧れがあったんだ。誰かを傷つける武ではなく、大衆を魅了する武にな」

 

 あの超人、趙煬からまさかのアクション俳優とかいう単語が出てきて、今日一番で驚いたが、趙煬の憧れというのは男ならわからなくないもので共感できる。

 オレもアクションとコメディーを織り混ぜたアクション俳優の映画は好きだし、ノースタントだからこその迫力はその人だから出せる特別なものだと思う。

 それなのに今の趙煬は大衆を魅了する武とは違い、外敵を排除する武を振るってるわけだ。そりゃ仕事を好きになれるはずもない。

 

「劉蘭に言えば、取り計らってくれたりするんじゃないか?」

 

「男の夢を女に叶えてもらって、お前はそれで誇りを持てるのか」

 

「そう来るか。プライドの高いこと。わからんでもないけど」

 

 そんな話を優しい劉蘭にでもすれば、どうにでもなりそうなものだが、趙煬にとっては裏技みたいなもので嫌なんだな。

 なんだかここにきて趙煬に好感を持ってる自分があれだが、話をしないとわからないこともあるってのは本当なんだよな。

 

「叶うといいな、その夢」

 

「もし叶っても、知り合い面して自慢するなよ」

 

「ぐっ……やりそう……」

 

 趙煬にも人並みの夢があり、同時に苦悩もあるのだと知って、オレもこれからそんな板挟みに遭う可能性も考えたら、純粋に趙煬を応援したくなったが、向こうはオレを知り合い認定してないらしくてガックリ。

 

「……あっ。もしかしてお前が英語を話せるのは、将来的にハリウッド映画とかに出られるようにか?」

 

「…………もう黙れ。気が散る」

 

 いい加減、オレを迷惑に思ってきた趙煬がどっか行け的な空気を出し始めたので、去り際に唐突な推理ができて口にすると、肯定と取れる反応をして拳でも飛んできそうな雰囲気になったので、逃げるように退散。

 武術だけじゃなくて、そっちの方も努力家なんだな、あいつ。

 趙煬はもう少し汗を流しそうな雰囲気だったので、部屋に戻るのはもう少し待って売店コーナーでウロウロしてたら、温泉から上がってきたジャンヌとばったり。

 風呂上がりの女ってのは無駄に色気が出るものだが、ジャンヌもその例外ではなく、普段は結ってる髪もほどいてて、少し顔が火照ってるのもいただけない。けしからんぞ!

 

「なんだ京夜。もう土産の方に頭が向いているのか」

 

「別にそんなことはないんだが……」

 

「フフッ。では暇なのだな。せっかくだから少し付き合え。散歩がてら話し相手がほしかったところだ」

 

 自分のフェロモンを自覚してる様子もなくいつも通りのジャンヌは、オレが暇なのだとわかると旅館の外に足を向けてついてこいと散歩に誘ってきて、断る理由もないので少し嬉しそうなジャンヌの隣を歩いて散歩を開始。

 

「なぁ京夜。私は記憶力がいいのだ」

 

「ん? そりゃ大した自慢だな」

 

「何だその他人事のような反応は」

 

 あまり長く外にいると湯冷めしてしまうので、そうなる前に旅館に戻れるようなルートをさりげなく取りつつ、ジャンヌの話に応対するのだが、なんか記憶力に関して意図があるらしく、オレの反応に頬を膨らませる。何だ?

 

「お前は自分でした約束も忘れるやつなのだな」

 

「約束? 約束……プライベート?」

 

「当たり前だ。お前が仕事のことで何かを忘れることなどあるわけがない。その辺でお前は私の信用を勝ち取ってる」

 

 唐突な話なのでオレも心当たりがすぐになくて色々とヒントを引き出すが、あんまり長考するとマジで怒りかねないから脳内フル回転。

 ジャンヌとしたプライベートの約束なんてほとんどないはずで、ちゃんとした約束ならオレも忘れないので、おそらくは実際に果たすかどうかも曖昧な部類。

 

「…………オレの実家にいた時のあれか?」

 

「私はそれなりに楽しみにしていたのだぞ。それなのにお前がこれでは寂しいではないか」

 

「うーん……その辺はジャンヌから言ってくれれば予定を組んだりしてあげたんだが、今年に入ってからバタバタしっぱなしだからなぁ」

 

「そんな悠長なことを言ってもいられないだろう。お前は誰にも言ってないのだろうが、私はチームリーダーだ。高天原先生から内密に話は聞いている」

 

 それで思い出したが、ジャンヌとは確かに旅行をしようなんて話を年末にしていた。

 このタイミングで切り出したのは、その旅行先がここより北の北海道でもと話していたからと、どうやら高天原先生からオレのことも聞いてだったようだ。

 そうなるとこの約束を果たすには、どうやっても今月中には行かないと無理で、先延ばしにした場合は秋以降になるのは間違いない。

 

「……もしかして怒ってるのは旅行の話が半分だったり?」

 

「旅行の件は思い出したならばいい。だが報告はお前の義務だ。ましてや私の騎士ともあろうお前が責務を放棄する事案だぞ」

 

「それはジャンヌが勝手に言ってるだけだろ。報告しなかったのは悪かったが、騎士が云々は勘弁だぞ」

 

 旅行の件はちゃんと果たしてくれるなら怒らないと言ってはくれたが、どのみち今月には果たさないと不貞腐れそうだから、この作戦が終わったら頑張ってみようと決めつつ、おそらくはこっちが本題なのだろうことでジャンヌは珍しくわがままみたいなことを言う。

 

「私はいてほしい時にいない騎士が嫌いだ。つまりそんな京夜が今は嫌いだ」

 

「横暴だ」

 

「うるさい」

 

 ……面倒臭い……

 そう思わざるを得ない今のジャンヌはオレの視線をプイッ、とそっぽを向いて躱して聞く耳を持たない。

 こうなったジャンヌは例にないものの、なんとなくジャンヌがこうやって不機嫌なのはオレの何かを待っているのだと思い至る。

 単なる勘だが、そうならきっとジャンヌが聞きたい言葉はオレのくだらないツッコミではなく……

 そう思ってジャンヌの前に立ち塞がったオレは、足を止めてオレを見てくれたのを確認してその手を取って話をする。

 

「黙ってたのは本当に悪かった。だがオレも考えなしにそうしたわけじゃない。今のオレがこれまで以上にジャンヌの側にいるに相応しい武偵になれるように、自分を磨きあげるためだ。だから待っててくれ。その我慢に見合うだけの武偵になって必ず戻ってくる」

 

 たぶん、ジャンヌが欲しかった言葉は、オレの決断においての決意表明。

 その決断がどういったことに基づいてなのか、それを明確にしてほしかったんだと思う。

 それもなしに報告もせず勝手にどこかへ行こうとしたオレに怒っていたんだろう。

 

「…………京夜。私はな、人を信用するという行為が苦手なのだ。何故だかわかるか?」

 

「……ご先祖様がそれに裏切られたから」

 

「そうだ。かつて私の先祖であるジャンヌ・ダルクは、民衆を導く聖女として祀り上げられた。しかしその聖女も最後には異端の魔女として磔にされ、火炙りに処された。表の歴史でもわかるが、人の心は時と場合で簡単に裏返るのだ。私の一族はそれを理解し本当に信用に足る人間を選んで時代を生き抜いてきた」

 

「人を信用するってのは、誰でも難しいと思うよ」

 

「そうだな。だからこそ、私はお前を『信じたい』と思っている。この意味はわかってくれたと信じている」

 

「こりゃ裏切ったら腹切りだな……」

 

「その上で人間樹氷だぞ」

 

  ご先祖様のことまで引き出して信頼についてを語るジャンヌの言葉の意味を十二分に理解できたオレは、不安そうに見てくるジャンヌの頭をポンポンと触って再び歩き出し、ジャンヌも子供扱いされたと思ったのか少しムッとしてから隣を歩く。

 

「……京夜。私はな、お前のことが好きだよ」

 

「……………………それは、人間としてって意味だよな」

 

「フフッ。男としての方が嬉しかったか?」

 

 しかし妙に感情豊かなジャンヌは、隣を歩きながら今度は何気なく告白じみたことを言うので、きっと直訳ではないのだろうと長考してから確認の質問をするとどうやら当たりのようで、少し焦ったオレを見てクスクスと笑ってくる。

 

「そうだな。京夜となら夫婦になるのも悪くないとは思う。だが私はお前に対してそういう感情は持たない。私は今の京夜との関係が好きなのだ。これが崩れてしまう進展を望まない」

 

「…………なんだろうな。そう言ってくれるのは嬉しい反面、告白してないのにフラれたオレの気持ちは微妙に虚しい」

 

「フッ。お前にフラれる女は数いれど、お前をフッた女は生涯で私だけだろうな。自慢できる勲章だ」

 

「変な誤解される言いふらし方するなよ。オレは告白してないからな」

 

「どうだろうな。噂には尾ヒレが付くと言うだろ……くしゅっ!」

 

 オレへの攻撃がまだ足りなかったらしいジャンヌのからかいは、本人が満足げに笑うので手打ちとしていいのだが、それも途中で出たくしゃみでキャンセルされ、氷の超能力を使うくせに冷え性という変なジャンヌと一緒に旅館にUターンし、2人してまた温泉に浸かりに行ったのだった。



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Bullet145

「…………わかった。感謝する」

 

 キンジとアリアがキノクニに到着しただろう165時間が経過して、準備を整えたオレ達が一応の警戒をしながらパトラの占星術の結果を逐一で待っていた頃。

 ようやくそのパトラから自発的な連絡が来て、ジャンヌが応対する中で「行くぞ」とジェスチャーで示したのを見てオレ達もすぐに動き出す。

 時間は午後2時を過ぎた頃だが、ここから現地に行ってどのくらいを過ごすのかわからないとなると、深夜まで及ぶ可能性も考慮しないとか。

 

「いよいよだね。こういうのはあまり発言すべきではないのだろうけど……」

 

「今さら言い淀んでどうすんだよ」

 

 あの森林地帯で夜を過ごす可能性を考えたらゾクゾクして体が震えてきたが、旅館を出て車に乗り込むまでに羽鳥が歩きながら口を開くのでそちらに耳を傾けた。変なこと言いそう。

 

「いや、性分なのかもしれないが、少しワクワクしている」

 

「……それが空回りしないことを願う」

 

 確かに発言としてはちょっとあれだが、陽陰を逮捕すればおそらく世界レベルの貢献になるから、表沙汰にならないまでもそれなりの報奨はどこかしらから貰えるだろうし、そんな大捕物を前に気分が(たかぶ)るのは変なことでもない。

 まぁこいつの場合はそういった『後のこと』ではなく、逮捕するまでの過程に対してワクワクしてるのがわかるから、油断とかとは縁遠いのは確かだが、やる気に満ちた人間ってのは得てして油断と似た状況を起こすものだ。

 それが心配だから感情のコントロールはしっかりしろと言っておきつつ、全員が車に乗り込んでいよいよ出発。

 

「ここからしばらくは忍耐勝負にもなる。各々で対策はしているだろうが、いざという時に動ける準備だけは怠るな」

 

 移動の道中で改めてブリーフィングをしながら携帯食料を配布するジャンヌは、いつにも増して真剣な表情で安心する一方、少し余裕がなさそうだったので、携帯食料を受け取る時にその手を取ってみると、少しだけだが震えていたので、頼りになるやらならないやらのリーダーのフォローをしておく。

 

「何が起きても連帯責任だ。それにこの面子でカバーできないような大ポカするほど、お前はダメリーダーなのかよ」

 

 話の流れを切るように割り込んだオレの言葉にちょっと面食らったようなジャンヌだったが、すぐに物言わず集中するセーラ、趙煬、羽鳥を見回してから、最後にオレを見直すと、その時にはもう手の震えは止まっていた。

 

「メルシー。京夜。私が至らなかった時は、よろしく頼む」

 

「任せたまえ。ジャンヌが見惚れる華麗なフォローを約束しよう」

 

「お前には言っていな……いや、私情はやめよう。よろしく頼む」

 

「……素直に受け入れられると困るのは全て君のせいだな」

 

「オレを指すな」

 

 この面子を指揮するとなって重圧が凄かっただろうジャンヌのフォローは上手くいったが、返事をしたのが羽鳥なのが気に食わないし、珍しく発言を受け入れられたのに微妙な表情をした羽鳥が運転しながらもオレをバックミラー越しに指すのですかさずツッコむ。お前の普段の行いのせいだろ。

 ここに至るまでに耳にタコが出来るほどしたブリーフィングで作戦内容は完全に頭に入った状態。

 体調もほぼ万全で装備も不備はない。

 

「では頼むぞ」

 

「戻ったらフランス料理のフルコース、忘れるなよ」

 

「フフッ。了解だ。その時は2人きりでもてなそう」

 

 だが、いざ行くとなるとやはり嫌なものは嫌で、オレがこれから潜る森林地帯の前で降ろされて、一応は約束しているジャンヌ奢りのフルコース料理で奮い立たせる。

 2人きりでというのは別にどうでもいいのだが、ちゃんと約束を守ってくれそうなジャンヌは、そうして笑顔で返してから自分達の作戦ポイントに移るために車を走らせていってしまい、独りぼっちになったオレも棒立ちしてるわけにもいかないので、意を決してこれからどんどん暮れて寒くなる森林地帯に足を踏み入れていった。鬱だ……

 

「我ながら無駄なサバイバル術を習得してる……」

 

 普通なら方角すら危うくなりそうな森林地帯をコンパスもなしに以前に来たポイントまでほぼタイムロスなしで到達した自分にこの上なくアホなスキルだと自虐。

 こんなスキルがあるからこんな役目になってるんだよなぁ、とか思いつつ目印にしていた点滅灯を取り外してその木に登り、簡単な自分のスペースを作り上げると、今度はオレの居場所を知らせるために渡された信号弾を真上に撃ち出す。

 信号弾が鮮やかな赤い軌跡を残して天へと伸びるのをのんびり見ていたら、突如としてオレのすぐ横の木の幹にストン、と矢が突き刺さって心臓に悪すぎるが、事前に聞いていたからビックリも半分くらいで収まったかな。

 その矢には紙が結ばれていて、えらく古典的だが矢文ってやつを受け取って紙を広げて読むと「巨視報で改めて視たところ、確実に深夜まで及ぶので頑張れ」とあってげんなり。

 ジャンヌとセーラはオレ達3人のポイントを見渡せるポイントで待機してるので『試し射ち』も兼ねてセーラに矢文をやってもらったが、問題なさそうだな。

 残念ながらオレの居る場所では携帯が役立たずになっていたので、高性能の無線――それなりにゴツい――を配布するかと考えたが、作戦では耳に仕込むインカムを使いたいし、装備を増やすと迅速性を求める移動の妨げになるので却下した。

 それにセーラには長距離狙撃の役目もあるので、その精密さを確認する意味でも矢文はやるべきと羽鳥が推してきたわけだ。

 とにかく、この状態であと8時間近くはいなきゃならないとあって、ニット帽と着込んできた厚手のファーコートに体を小さくして入って暖を取りつつ、ちまちまと持ってきた携帯食料と水を適度に摂取して、それでも集中を切らさないようにしながら次の知らせを待ち始めた。

 

「さぁ、いよいよ時間も夜の11時を回ってまいりました」

 

 無駄なエネルギー消費やらを避けるためにほとんど動かないでいたのだが、あまりにやることがないもんだから、夜になって目が暗闇に慣れてから周辺のわずかな変化を観察して実況するという訳のわからないことをして遊んでいたのだが、3時間もやってるとさすがに飽きて時報みたいになってしまった。

 そうして精神の安定をなんとか保ってひたすらに知らせを待っていたオレに、ついに動きが。

 夜の闇を切り裂くように飛来した矢がオレのすぐ横に突き刺さって、それについていた矢文を読むと「作戦を開始する。空を見ておけ」とあり、撤収の知らせじゃなかったことに安堵しつつ、いよいよ来た瞬間に一瞬で切り替えて集中。

 

「よっと」

 

 その準備運動も兼ねて登っていた木の頭頂付近まで登って森林地帯から顔を出したオレは、星すら見える夜空に呆然としつつも、すぐに周囲へと視線を向けてその変化を見逃さないように目を凝らす。

 

「星伽神社があの辺りだから、最初はあの上辺りに何かあるか」

 

 作戦の開始はセーラの狙撃から始まる。

 矢文からその通知が来たことから、陽陰は確実にこの近くに来ている。

 そしてセーラの巨視報を信じるなら、緋緋神も星伽神社に来てしまったと考えていいが、その結末は星伽神社の敷地内でということになる。

 陽陰がここに来たということは、その結末を見届けるために他ならないので、そのためにかなりの高性能の式神を上空に飛ばして望遠、透視、盗聴をする。

 そこまでするなら、おそらくはその時は式神の視界も陽陰の視界も完全に緋緋神に向いている。

 そこにセーラが奇襲を仕掛けるわけだ。

 ――キィィイイイイイイイン!!

 その奇襲が成功した証として、羽鳥の武偵弾の1つである音響弾が炸裂。

 セーラの矢に仕込んだそれが炸裂したなら、陽陰の放っていた式神は今ので射ち落とされたはず。

 だがそれは陽陰にオレ達の存在を知らせることになるため、邪魔が入ったとなれば陽陰も撤退か排除の2択だが、姿を頑なに見られないようにしてきた陽陰が、そのリスクを負って何人いるかもわからないオレ達に仕掛けてくる可能性は限りなく低い。

 だからオレ達はその撤退を妨害しつつ詰める。

 ジャンヌ達の超能力者による分析によれば、式神で術者を乗せて飛ぶことも可能だろうということで、作戦では次の狙撃は……

 そう思っていたら、次の変化が森林地帯の上で起こり、少し離れたところからまばゆい光が発生。

 今度は撤退する陽陰の式神に撃墜ついでに閃光弾が射ち込まれたのだ。

 その光を頼りに着弾点を見極めてオレも行動開始。瞬間記憶で方角と距離をおおよそ記憶して木を滑り降り、そこ目指して最速で森林地帯を駆け抜ける。

 ファーコートが邪魔だが、どこかに放って回収する時――不法投棄になるから――に面倒なのでそのまま走り続け、今も足止めをしてくれてるだろうセーラとジャンヌの奮闘を無駄にしないように、近づきながらどんどん集中力を上げていく。

 

「さて、どんな顔なのか見せてもらおうか、土御門陽陰」

 

 未だかつて誰もその存在を明確にしたことのない完全なる犯罪者、土御門陽陰の姿を捉える瞬間が近づいて、羽鳥ではないが少しワクワクしてるオレは、今までどこ知らぬところで好き勝手にやってくれた礼はしてやろうと意気込んで、記憶したポイントのすぐ近くまで到達。

 そこまで行くと耳に仕込んだインカムも有効範囲になったのか、急にジャンヌや羽鳥の英語が飛び交ってきて和訳に努める。

 

『足止めには成功している。だが有効打の一切が通らない。どんな方法で切り抜けてくるかわからんから急げ!』

 

『もうすぐ着くけど、一番乗りは誰になりそうかな』

 

『あと2分ほどだ』

 

「ならオレが一番乗りだな」

 

 どうやらまだ誰も陽陰の元には到達してないようで、5分以内には出揃いそうだがオレが一番乗りになったらしい。

 なのでジャンヌや羽鳥の警戒の声を聞きつつ、まずはオレが陽陰とぶつかるため、聞こえてくる戦闘の音を頼りに急接近。ついに少し開けた空洞地帯にファーコートを脱ぎ捨てて足を踏み入れた。

 

「お前が、土御門陽陰だな」

 

「ほう。誰かと思えば、あの時の小僧か」

 

 空洞地帯の中心で立っていた男は、目視でオレを確認して思い出したように低い声でそう返し、その言い回しは香港で喋っていた陽陰にそっくりだ。

 陽陰はオレの出現にどこか苛立つような雰囲気を出しつつも、余裕の態度を崩さずにオレの専門を知ってか周囲に発光する札を投げて空洞地帯を照らし出してしまう。

 その隙にセーラが狙撃で陽陰を狙ったものの、飛来した矢は陽陰に届く前に突如として発生した炎に焼かれてしまう。

 

「颱風の魔女と銀氷の魔女がさっきから鬱陶しいのだが、無駄なことをやめるように言っておけ」

 

「無駄でもないだろ」

 

 発生した炎は言うまでもなく陽陰が何かしてるのだろうが、そうして超能力を使わせ続けているセーラとジャンヌの行動は無駄ではない。

 その辺でオレに知識がないと踏んでいたのか、陽陰も軽く舌打ちするが問題はないらしく、その表情から余裕は消えない。

 明るくなったことで明確になった陽陰は、アホかというくらい染め抜いた金髪にモデルでもできそうな端整な顔ながら、耳には両方ともに2つのピアスがある。

 年齢は20代後半ってところで、身長は180センチ近くあり、漆黒のロングコートを着ているから体重まではわからないが、太くはない。

 佇まいがどこか素人っぽく、今もコートのポケットに手を突っ込んで不測の事態に対応する体勢とは程遠い。

 人前や現場に出向くことがなかっただろう陽陰の性格や性質が顕著に出てるようだが、それに油断するような段階にオレもいない。

 

「今日がお前の人生謳歌の最後の日だ。緋緋神なんかに釣られて日本に来たのは早計だったな」

 

「その口ぶりからすると、俺の動きを読んで罠を張っていたか。ロンドンにいた時に颱風の魔女が離脱したのはこちらに荷担するためか」

 

「それを知ってるってことは、お前もイ・ウーの原潜に潜んでいたか?」

 

「あれの中には特別製のネズミの式神を仕込んでいたからな。シャーロックには気づかれていたが、放置していたところを見ると、あれも貴様の動きを条理予知した上で円滑に進めたわけか。嫌な予感はしていたが、老いぼれの芝居に騙されていたとはな」

 

 何やらオレ達にではなくシャーロックに悪態をついた陽陰だが、あのじいさんが知らんところでファインプレーをしてくれたようなので、今度会った時――会えると思ってないけど――にでも礼くらいは言っておくかと考えつつ、時おり飛来するセーラの矢が焼かれる現象を観察。

 炎の壁にぶつかってる、というのが見た感じではあるのだが、陽陰に動いている様子はないので、見て防御してるわけではないだろう。

 つまりは自動防御の部類と判断し、オレも陽陰への接近は慎重にならざるを得ない。これで近づいて火だるまにされたらひとたまりもない。

 

「だがまぁ、あの魔眼の魔女のお気に入りを消せるのであれば、僥倖とも言えよう。あとは貴様に荷担した輩を全員、排除してしまおうか。俺に噛みついた報いは死でしか受けられんと身をもって味わえ」

 

 警戒するオレに対して坦々とした口調で死の宣告をする陽陰は、全く動く動作を見せないので仕掛けてくるにしてもタイミングが掴めない。

 だがオレの死の回避はオレの理解を経由せずに反応するため、突如として大きくバックステップした体に足がもつれて転がるように後退し、何事かと前方を見ていたら、オレのいた地点にいきなり炎が弾けて轟音を轟かせる。

 

「ほう」

 

 意味のわからない現象に仰天して動きが止まってしまったオレを見て感心したような声を上げた陽陰だったが、すぐに追撃の意思のようなものを見せてきたので立ち上がり思考も回復させたものの、セーラの矢がそれを防ぐように陽陰を攻撃し追撃は来ずに防御の炎が噴き上がる。

 どうやら攻撃と防御を同時にはできないようだが、何の前触れもなく来られるから対処のしようがない。

 

「思考してるならまずは口にして行動することを勧めるよ」

 

 そんな未知の攻撃に足踏みしていたら、陽陰の後方からとインカムからイラッとする声が聞こえてきて、それに陽陰も振り向く仕草をした瞬間、陽陰の頭上で炎が傘のように燃え広がり何かを防御したようだったが、すぐに炎は消えてしまう。

 その次にすかさず銃声が響き、陽陰に向けて羽鳥が発砲したようだが、これも炎に阻まれて通じなかった。

 が、銃弾は炎で燃やされたわけではなく、何か硬質な物体に阻まれたような衝突音がしたので、炎の温度は鉄を一瞬で溶かすほどではなく、炎とは別の障壁も存在することがわかった。

 

「燃焼を阻害する薬品は効果なしか。つまりその都度で燃焼が発生しているようだね。それに現象を起こしているのは土御門陽陰ではなく、すでにこの場に存在している『何か』であることもわかった」

 

 銃を構えながら空洞地帯に姿を現した羽鳥は、今の攻防で考察したことを口にしてオレにも知らせてきて、オレだけでなくこの情報共有が全員に向けていることにすぐに気づく。

 そうだ。今はオレが黙って考察するより、何かを試して情報を全員に伝えて推測する手があったんだ。

 それを気づかせてくれた羽鳥には頭が上がらないが、礼を言うのは後にして、今は謎の現象の解明に頭をフル回転。

 

「闇の住人か。お前ともなかなかどうして縁がある。俺がちょっかいを出した案件にお前がしゃしゃり出てきた回数は確か……」

 

「6度になる。だがそれもこの7度目で終わりだ」

 

「図に乗るなよ、殺人鬼」

 

 Sランク武偵だけあって、 陽陰も羽鳥の存在を知っていたようだが、少なからず因縁がある2人の会話は陽陰のその言葉で途切れ、殺人鬼と呼ばれて一瞬だが硬直した羽鳥を見てビリビリとヤバい感じが全身に伝わるが、死の予感は体を動かすまでに至らなかったことから、死の危険はないか、或いはもう……

 

「羽鳥! 避けろッ!!」

 

 何事も悪い予感の方で考えるべきだと作戦前にも言われていたことから、オレのフォローが間に合わなくて動けないと判断し、咄嗟に声を張り上げて羽鳥を無理矢理に反応させ、即座に大きく横っ飛びした羽鳥のいた場所にはオレの時と同様に炎が弾けて燃え盛る。

 しかしそれと同時にセーラの矢が炎の壁をすり抜けて陽陰へと迫り、ここで初めて陽陰が回避に動きステップし、セーラの矢は地面へと突き刺さるとそこからパキパキと地面を凍らせて広がるも、また炎が弾けて一瞬で溶かしてしまう。

 

「小賢しいな」

 

 2度も不可視の攻撃を避けられて機嫌が悪くなった陽陰だが、追撃もことごとくセーラが封じて、しかも今度は隙を突いて攻撃を通してきたから苛立ちも一際だ。

 

『波状攻撃は有効のようだな。明かりのおかげで私もセーラも目視でハッキリ確認できて考察が捗る』

 

「頼むぞ、超能力担当2人」

 

『規格外過ぎて意味がわからないがな』

 

 かなり遠くでこの現場を見てるジャンヌとセーラが解明できないならかなり厳しいが、もはや撤退も出来ない状況で弱音も吐けないため、やるしかないと奮い立たせているインカムの向こうに頑張れと念を送りつつ、死と隣り合わせの現場でオレも思考を止めない。

 とにかく、オレ達が攻撃されないようにセーラも攻撃の頻度を少し上げてくれるが、用意した矢にも限界はあるから控えさせてもやりたい。

 だからオレも羽鳥もセーラの攻撃に合わせて接近を試みるが、防御から防御の間隔が1秒程度で発生するので容易ではない。

 

「くっそ! 早すぎるぞアレ」

 

「銃弾は見えない何かに弾かれるし、困ったね」

 

『任せろ』

 

 1歩動かすだけでも容易じゃない陽陰の謎の超能力に苦戦する中、強い声がインカムに割り込んで来たかと思えば、再三に渡るセーラの攻撃で巻き上がった炎の一瞬の視界の遮断の隙に弾丸のように接近した趙煬が、持ってきていた長槍で切り込み陽陰に鋭い突きを放つ。

 だがこれも直前で羽鳥の銃弾を防いでいただろう何かに阻まれて止まるが、そこで終わる趙煬ではなく、突き刺した何かを切り裂くように上下へと振り素早くバックステップ。

 すぐに趙煬のそばにも炎が弾けるが、さすがの回避に呆れるほどだ。

 

「いるな。見えにくいが、人型の巨人のような物体だ」

 

 槍を構えながら確かな手応えを得た趙煬が、今の攻撃で見えたという見えない何かの正体を口にし、相変わらずオレにも見えないその巨人とやらが陽陰を守っていると、そういうことなのだと言う。

 

「人間は視覚に頼る生き物だからな。その点、貴様は他の感覚も鋭敏だから知覚できるか、神龍」

 

 まだ完全にはわからない陽陰の超能力だが、良い線まで来た趙煬に称賛を贈るような陽陰は、オレ達に聞こえる笑い声を上げてから、その声色を怖いものへと変貌させる。

 

「貴様ら相手に苦戦するのも癪だな。折角の豪華な顔ぶれだが、遊ぶのはやめだ」

 

 ビリッ。

 陽陰の言葉に全身の細胞が警報を鳴らす。

 ヤバい。逃げろ。死ぬぞ。

 今すぐにでもこの場を離れろと叫ぶ体に抗うオレの意思は、少しでも臆した体をアドレナリンを分泌することで黙らせ、無理矢理にこの場へと留めてくれる。

 さぁ、ここからが本番だ。



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Bullet146

 練りに練った作戦でついに土御門陽陰をオレ達の前に引っ張り出したまでは良かったが、規格外すぎる超能力に攻略の糸口をなかなか見つけられず足踏み。

 羽鳥達の分析で陽陰がすでに式神らしき見えない何かを操っていて、そいつの出す炎が攻撃に向くと厄介極まりない。

 

「さて、やるにしても数がいるのは面倒だな。『こいつ』も万能ではないから……ん」

 

 そして陽陰も本格的にオレ達を排除にしかかろうと雰囲気を変えたのだが、この間にもセーラの矢が陽陰を狙い、見えない式神が炎で防いだところは変わらない。

 だがその炎の出力が今までより少し落ちたので、陽陰もそれに気づき言葉を切る。

 

「ちっ。やはり季節と時間の関係で『朱雀』を降ろしたのはベストではなかったな。銀氷の魔女が面倒になるが力の出せる『玄武』にするか」

 

 その変化自体は予測の範疇だったような口振りの陽陰は、コートに突っ込んでいた手を抜いて見えない何かに触れ、言うように式神に変化を加えようとするので、なんだかわからないが止めるべきと思ったオレと羽鳥と趙煬はほぼ同時に手裏剣を、銃弾を、槍撃を陽陰に放つ。

 位置関係では陽陰を三角形で囲んだ形だったので、かなり対処は難しい攻撃だったはずだが、これも全て見えない式神に阻まれてしまった。

 しかしここでもセーラの矢が活躍し、ジャンヌの氷の超能力も乗ってる矢が見えない何かに突き刺さり、そこからパキパキと周囲を凍らせて上腕と思われる部分が氷に覆われ見えるようになる。

 その上腕の大きさから見えなかった式神の全長をおおよそ割り出すと、3メートルはあるな。しかも閻よりもガタイが良い。拳だけで50センチはあるぞ。

 

「直接受けると面倒だ。これ以上あの矢は食らうなよ」

 

 そうして観察していたら、式神の変化が終わったようで……いや、炎を使えば凍結なんて問題ないはずなのにそのままにしてることから、観察の前より完了してたのは間違いないか。

 

『陽陰は何をした? 直前に喋っていたことを教えろ』

 

「時間がどうだ季節がどうだとか、朱雀を降ろしただの、玄武にするかだの。四神ってやつが関係してるのか?」

 

『時季と朱雀……玄武……』

 

 戦闘の合間にジャンヌの質問が飛んでオレが即座に答えてから思考してくれるのだが、その前に周囲からゾゾゾゾゾッ! と地鳴りのような微震動が発生。

 何事かと警戒を強めて構えていると、この森林地帯にあっただろう雪が吸い寄せられるように大量に降り注いできて、陽陰の近くにいる式神の掲げられていた腕の上で集まり、うねりを上げながら溶けて大きな水の塊になる。大きさは……直径10メートルほど。

 

「マジかよ……」

 

「炎の次は水か。忙しいね」

 

「呑気なことを言ってる場合か」

 

 これほどの量の水を操る式神も大概だが、それを苦もなく扱う陽陰が化け物。

 想定外の連続で再び思考が止まりかけるが、それを許すほど陽陰も甘くなく、見える分マシになったが水の塊から散弾のように放たれた水がオレ達を急襲。

 各々ですぐに回避行動に入って直撃したやつはいなかったが、外れた水の弾丸は近くの木の幹に深い穴を穿っていたので、威力は銃弾と同じかそれ以上だ。

 

『……四神ではない。それよりももっと土御門陽陰と関わりのあるものだ』

 

 セーラの矢も放たれてはいたのだが、厄介だと話したジャンヌの超能力が効いてるのか、塊から少しだけの量を抜き取ってそれを矢の防御にあてがって、その水はたちまち凍りつき地面に落ちるがそれで終わり。矢が通らないのは変わらない。

 だがここまでの考察で何か閃いたらしいジャンヌの声を聞きながら、嵐のように撃たれる水の弾丸を全力回避し続ける。巧妙が見えるか?

 

『陰陽師である土御門陽陰が操っているのは、陰陽道にある十二の神、十二神将。もしくは十二天将と呼ばれるものだろう。十二の神はそれぞれで子から亥の十二支と合致し、五行の属性と季節と方角の振り分けがあるのだ』

 

「すまないが、分かりやすく、まとめて、くれない、か!」

 

『要するにだ。現在時刻がもうすぐ深夜の0時になるが、時間にして子の刻となるそこに冬の季節をあてがられた十二天将が玄武なのだ。つまりベストの能力をその式神に宿している可能性が高い』

 

「突破口は?」

 

『力の弱くなる丑の刻まで持ちこたえ……』

 

「「「却下だ」」」

 

 どうやら陽陰の式神の能力に関しての見当がついたようで、今の玄武を降ろした状態は力のピークらしく、それを削ぐには丑の刻となる午前1時以降まで粘るしかないとか言われて、現在進行形でピンチのオレ達はインカムが故障しそうなシンクロでツッコむ。

 全部がインカムに通ってないが、1つでもジャンヌの耳に届けばいいだろ。

 

「作戦会議もいいが、俺のこれを止めるつもりなら全力で考えろよガキ共」

 

 その様子を再びコートのポケットに手を突っ込んだ陽陰が見て煽ってくるが、ここでイラついて仕掛ければ陽陰の思う壺。

 それがわかってる羽鳥と趙煬――陽陰は日本語だが雰囲気で――も下手に仕掛けには出ない。

 

『丑の刻はダメ』

 

 しかしこうも水の超能力が強力だと時間稼ぎが得策にも思えてきたところで、唐突にセーラが言葉を発してそれはダメだと言う。

 

「何でだ?」

 

『ジャンヌの推測はたぶん正しい。なら丑の刻の神は貴人(きじん)。十二天将の主神。五行でも上神に位置してて能力が不明』

 

「……つまり今よりも厄介なものを出される可能性があるってことだね」

 

「ならば水を使うとわかってるあれをどうにかする方が現実的だな」

 

「時間稼ぎの次は時間制限かよ」

 

 セーラの話によるとジャンヌの話した十二天将の一番が丑の刻に出てくるかもってことで、陰陽道の五行で特別枠とされてる貴人とやらを相手にする方が厄介だという。

 それなら目に見えて水を操る玄武を倒す方が何か浮かぶだろうと満場一致で丑の刻までの決着に合意し、集めた情報から式神の打倒を思案し始める。

 式神の水の弾丸は確実に水球の総量を削っているはず。なんだが、目に見える変化がなくて全力回避の中で羽鳥と趙煬を見ると、その近くに着弾した水の弾丸は雨粒レベルの水滴で水球へと戻っているのがわかる。

 

「水の弾丸であの水球が無くなることはないっぽいな。目に見える減量はジャンヌの凍らせてるやつだけだ」

 

「らしいね。となるとあれを分離前に凍結させられれば活路はあるかな」

 

「そんな大きな力が使えるのか?」

 

『…………溜めるのに少しかかるが、一撃なら可能だ。だがそうなるとここから一切の超能力での援護はできんぞ』

 

 式神自体の戦闘能力も不安はあるが、まずは主武器の水を奪ってしまおうとジャンヌの超能力を頼りに一発勝負に出ることになる。

 しかしそうはなっても問題は出てくる。

 

「問題はどうやってそれを当てるかだが……」

 

「ジャンヌの一撃のリーチは?」

 

『すまないがセーラの矢では耐えきれないレベルだから、私も出なければならない。10分ほどは時間を稼げ。その間に隙も作れるようにも頼む』

 

 その一撃の役目を負うジャンヌもどうやらこちらに来るようで、その間に式神に攻撃を当てる方法を探しておけとか丸投げって感じの言葉に窮地の中でさえオレ達はちょっと苦笑いをする。

 陽陰戦で超能力者が近づくのは得策ではないと作戦前に告げた本人がその危険を冒してまでやると言うのなら、オレ達も踏ん張らなきゃ男じゃない。

 まぁ2名ほど女だがそんな細かいことはどうでもいいとして、とにかく見えない式神の死角やらを探るために各々が回避の中でやれることをやってみる。

 まずはオレが回避と同時にクナイと閃光弾を投げ放って、視角のある相手かを見極める。

 炸裂した閃光弾の光からの間髪入れずのクナイが陽陰に迫ったものの、完全に目を閉じていた陽陰にクナイは当たらず、見えない式神の左腕らしきものに弾かれてしまう。

 つまり式神に目眩ましは効かないってことか。

 

「もう1つわかった。こっちの攻撃がいくらか陽陰に迫れば、あれの攻撃頻度も落ちる」

 

「あれにも思考回路と呼べるものがあるんだね。攻撃のリソースを削って防御にリソースを回した結果だ」

 

 だが収穫はそれだけでなく、オレの攻撃が迫った時に式神の水の弾丸がその数をいくらか減らしたのがわかり、それに気づいた羽鳥と趙煬も次の考察に移る。

 次に動いた趙煬は、今まで回避していた水の弾丸を動きを止めてその長槍を振り回すことで弾いて防御しつつ、なんと正面を切って歩いて接近。

 近づくに連れて着弾速度も上がるが、重そうな長槍を振り回してるとは思えない槍捌きでその全てを弾いて、これには陽陰も「ははっ」と称賛するような笑いを漏らす。

 

「ふんっ!」

 

 そして陽陰まであと5メートルほどにまで近づいたところで、ジャンヌが凍らせた上腕を目印に趙煬がその掲げられていた腕に一閃。振り回していた勢いを利用して一撃を放つ。

 しかしこれも左腕らしきものが長槍を弾き防御されてしまい、趙煬もすぐさま迫った水の弾丸を躱すために後退を余儀なくされ……

 などと回避しながらに見ていたオレとは違い、趙煬の攻撃に追撃するように羽鳥が陽陰に発砲し間隙を縫い、さらに別方向からセーラも陽陰を射抜こうと矢を放つ。

 間隔としては趙煬の槍が弾かれた瞬間に羽鳥とセーラの攻撃が陽陰に迫った感じだったが、左腕らしきものも間に合わないタイミングでも攻撃は陽陰に届くことなく弾かれる。

 

「何に弾かれたかわかったかい?」

 

「……しなりのあるものだった、かもしれない」

 

「俺にも風切り音が聞こえた。太さは直径で30センチはあるな」

 

『尻尾がある。猫みたいに長いやつ』

 

 その様子をほとんど余裕がなかったのか、攻撃が止んでいた中で見ていたオレと待避しながらの趙煬と目の良いセーラでほぼ意見が一致。

 どうやら式神には二足歩行に加えて長い尻尾も備わってるようで、あれを掻い潜って陽陰に攻撃を通すのは並の波状攻撃では無理そうだ。

 

「人材の寄せ集めにしては動きが良いな。協調性があることに驚くと同時に、少々だがこれの手も足りん。このあとに緋緋のやつに使おうと思っていたが、致し方あるまい」

 

 ジャンヌの攻撃を通す算段もまともにできないまま、再び式神の水の弾丸に攻め立てられるオレ達だったが、先ほどの攻防を見て心境に変化があったっぽい陽陰が、ここにきてまた新たな一手を繰り出そうとコートのポケットからその手を抜く。

 当然、何を出されるかわかったもんじゃないので一斉に陽陰を攻撃するが、それ故に単調になった攻撃は全て式神に弾かれてしまう。

 その間に陽陰は1枚の札を取り出して人差し指と中指でそれを挟んで目の前に立てるように掲げると、何やら陰陽道の呪文のようなものを一節ほど唱えてみせる。

 すると持っていた札がカッ! と一瞬だけ光を纏って、それに嫌な感じがしながらも光が収まった陽陰を見ると、なんと札だったはずのものが少し装飾を施した大きな丸鏡に変化していた。

 

『……ッ! 逃げろッ!』

 

 それを見るや否やインカム越しにセーラが叫んだのだが、具体的に何からどう逃げればいいのかわからなかったオレ達は、とにかくこの場からは離れようと大きく後退しようとする。

 

「そら、貴様らの全てを『映してやる』」

 

 鏡を手にした陽陰は、逃げようとするオレ達を笑いながら、その手の鏡を順番にオレ達に向けて鏡面を光らせる。

 その鏡に写っただろうオレも羽鳥も趙煬も直視だけは避けようと顔やら何やらを咄嗟に隠したものの、陽陰の笑いは止まらなかったので無意味だったのか。

 

『何人が映された?』

 

「たぶん、3人とも」

 

「かな」

 

「だろうな」

 

『……手強いのが出てくる』

 

 何が起きたのかすら理解してないオレ達に、インカム越しに緊張の声を出すセーラ。

 一体いまのが何なのか。

 その答えを明確に言わずにこれから起こるだろう事態を述べるセーラにはハッキリしてもらいたいが、答えについては陽陰がすぐに示してくれた。

 ――最悪の形でな。

 

「俺は強い人間ってのが割と好きでな。それが何故かわかるか?」

 

 ひとしきり笑った陽陰は、その手に持つ鏡を片手で抱えるように持ち替えると、そんな疑問をオレ達に投げかけながら空いた手に別の札を3枚取り出してみせる。

 

「……お前の趣味がイメージコレクションだからだろ」

 

「それもある。が、どんな形であれ強い人間ってのはその力を振るいたがるものだからだ。権力、暴力、財力、などなど、それらを業のままに振るう人間は愉快で堪らない」

 

 本当に悪趣味な陽陰の答えに、水の弾丸が飛んでこない中で立ち止まって聞いていたオレ達は胸糞悪くなる。

 陽陰はそんな人間達をいつも我関せずで見て、時にいたずらのようにそそのかして操ってきたのだ。

 こいつが好きだという人間は詰まるところ自分自身なんだろうな。

 自分の持つ力を好き勝手に振るって世界を裏で揺るがす姿なき犯罪者。ナルシストめ。

 

「だが俺は純粋に武力を持つ人間は総じて高い評価をしている。お前らのような……特にそこの神龍のような武力は、ダイレクトに俺の養分になるからな」

 

「……奴は俺を見て何を言った?」

 

 いつ水の弾丸が襲うかわからないため、ずっと身構えていたオレ達に余裕の語りをする陽陰が日本語で話すもんだから、それがわからない趙煬は雰囲気だけで自分のことを言われたと察してオレ達に翻訳を促す。

 それをそのまま伝えると、相当に気に入らなかったのか、インカムを通さなくても聞こえてきそうな舌打ちをして「気に食わん」と小言。

 

「では美味しい養分となってくれたお前達に褒美だ。たっぷりと堪能して……」

 

 そうした長い語りを終わらせてようやく動きを見せた陽陰は、その手の札を鏡の前にかざして何かを唱えると、その鏡が光を放って札を照らして、その光を受けて発光した札を陽陰はそれぞれ1枚ずつオレ達の前に投げ込む。

 するとその札は光を放ちながら大きくなり、形を変え人の形を作り出すと、光が収まったそこには、いつか見た黒い影のような式神が立ちはだかった。

 さらに陽陰はその式神の1体に趙煬の持つ長槍と同じサイズの言霊符で作った槍を持たせて、趙煬の前の式神がそれを構えるが、その構えは趙煬と瓜二つ。いや、全く同じ。まるで鏡写しのよう……

 

「無惨に死ね」

 

 と、オレがそれにピンと来そうになった瞬間、言葉を途中にしていた陽陰が残す言葉を言い切って死刑宣告。

 それと同時に目の前の式神も動き始めてオレ達に襲いかかる。しかも速いぞ。

 

「ちっ! 羽鳥! 趙煬! わかってるな!」

 

 だがオレ達も知る限りの陽陰の能力への対処法は通達済み。

 この式神は幸姉がちゃんと攻略法を見つけて、香港で迎撃に成功している。

 それを踏まえて羽鳥と趙煬にも各個撃破の策は練るように言ってあったので、実際に出てきた際にはオレの合図でそれかどうか判断する手はずだった。

 なので今の掛け声に応答はなかったが、届いてさえいれば問題はな……

 

「……なっ!? くっそ!!」

 

 ないのだが、他の問題が発生した。

 襲いかかってきた式神はこっちの意識の隙を突くような素早い接近から的確に急所を打ち抜く打撃を放ってきて、それを捌こうと体術に切り替えたのだが、式神の力が想像よりも強くて捌くことすら出来ずに強引な回避を強いられてしまった。

 そのせいで体勢が崩れたオレは畳み掛けるように回避するしかない蹴りを放ってくる式神に成す術なく追い詰められて木を背にしてしまい、後ろに下がれないところに回し蹴りが炸裂。

 かなり際どかったが、なりふり構わずにミズチのアンカーを木の太い枝に付けて咄嗟に上へと逃れたオレは、上がったついでにカウンターの蹴りを頭にぶち込んでやるが、体勢もままならないから威力が出ずに痛撃とはいかなかった。というか足が弾かれた。

 

「っていうかだな……」

 

 この際、式神の強度に関しては仕方ないと割り切るにしても、今の攻防だけでこの式神の厄介さがハッキリとわかった。

 

『ハハハッ。まんまとしてやられたね』

 

『子供騙しの間違いだろう』

 

 新たな式神の登場で陽陰から半ば強引に引き離されて空洞地帯から姿の消えたオレ達はインカムを頼りに情報収集に当たるが、羽鳥も趙煬も式神の正体に気づいたようで称賛やら悪態やらを述べる。

 そんな2人の反応からもわかるが、オレの相手をする式神は的確にオレの動きをスムーズにさせない要所を攻めてきて、エグいくらい急所を突いてくる。

 その動きはいつかのスカイツリーで見せたヒルダに対するオレの動きに似ている。いや、全く同種のものだ。

 

「養分ね……言ってくれる」

 

 ミズチのアンカーで式神の届かない高さにいたので、割と冷静に分析できたが、ここでアンカーの粘着力が切れて落下。

 それを待ち構えていた式神の掴もうとしてきた手を蹴り払って肩を足場に跳び前宙を切り、回し蹴りを放ってきた式神の足を単分子振動刀で斬り落として、小さい方を着地と同時に蹴り飛ばして爆発から難を逃れる。

 足の一部を失ってバランスを崩し、再生までのわずかな時間で距離を開き構えたオレは、そこで確認のためにセーラに話しかける。

 

「セーラ。この式神はオレ達のコピーってことになるか?」

 

『そう。でもステータスは底上げされてるから劣化じゃなく強化コピー』

 

『となると……あの鏡に映された、時にコピーは完了していたわけ、だ。だからセーラは、あの段階で逃げろと指示を、出した』

 

『あれは照魔鏡(しょうまきょう)

 

『何!? そんなものを何故やつが!?』

 

 オレの相手をする式神がオレのコピーだという確認が取れ、戦闘中に発言してる羽鳥の推測からセーラがあの鏡について触れ、その名前を聞いた瞬間に移動中のジャンヌが驚きの声をあげる。そんな驚くことなのか?

 

『照魔鏡は化生の正体を暴き真の姿を映したり、その者の性質や本質を見抜く神代の代物だ。その筋の情報では日本の重要機関から盗まれていたらしいが、まさかやつが……』

 

「日本のって……まさか千代田区のあそこじゃないだろうな」

 

『そのまさかだ。とにかく、お前達の強化コピーを作られたとしても、何がなんでも全力で倒せ。セーラだけではやつの相手は荷が重い』

 

『ごめんジャンヌ。もう攻撃されてる』

 

 照魔鏡ってのが凄い代物なのは雰囲気でわかったので、そこはもう置いておいて、とにかく今は目の前の自分のコピーを1秒でも早く倒して孤軍奮闘するセーラの援護に行かなきゃならない。

 オレ達がいなくなったことで式神も余裕ができて遠間のセーラに攻撃を仕掛けることができてるようだし、誰か1人でも倒されれば容易く戦況が傾く。

 

「だとしても、強化コピー……自分を相手にするなんてな……」

 

 急ぎたいのは山々だが、物言わぬ目の前の相手はオレ自身。つまりは弱点なんかもバレちゃってるわけだ。

 加えてオレの場合、普段は武偵法9条やらの制限のおかげで本来備わった能力を100%で振るってないのに、向こうは全力で向かってくるわけで、さらにステータスが底上げされてる。

 あれ、これかなりヤバくないか……



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Bullet147

 

「くっそが……」

 

 そんな悪態が出てしまうほどの急所攻撃にイラッとしながら、陽陰が出してきた自らの強化コピー式神との距離を一定に保って回避し続ける。

 陽陰が出してきた照魔鏡なるもので映し取られ、そっくりそのままのオレのスペックに式神のマシマシのステータスのコンボは厄介すぎる。

 同じ攻撃を繰り出したとしてもこっちが負けてしまうとか正直やってられん。

 だからといって腐っても式神の攻撃が止まるわけもないので、繰り出された横腹への抜き手のフェイントからの逆の手による目潰しを紙一重で首を振って避けて、その腕を取って一本背負いでカウンター。

 しかし式神は投げられる途中で取られた腕を強引に引っこ抜いてオレのほぼ真上からのし掛かるように背中を押して倒そうとする。

 ただ倒れると潰されてマウントを取られる危険があったので、式神の加えた下方向の力に少し抗って前へと倒れ、頭を内側に入れて丸めて足裏もうまく使って前転しながら式神を前に蹴り飛ばしてやる。

 それによってのし掛かられることは防いだものの、吹き飛ぶ瞬間に背中に拳を叩き込まれてちょっとむせるが、背中の防御力は人体でも高い方なので普通に痛いレベルで戦闘にさしたる支障はない。

 オレよりもさらに前に吹き飛んだ式神は同じような前転からの起き上がりで難なくリカバリーし振り向いてきて、オレも前転を1回に留めて後転からの倒立で立ち上がり次の攻撃に備えた。キツい……

 

『狙えるポイントからズラされる』

 

 今や孤軍奮闘の模様になったオレ達は、姿の見えない仲間がどういう状況なのかをインカムからしか把握できない。

 だから羽鳥達も必要な情報だけをインカムに通してくれていて、今も遠くの方で何かの崩れる音が響いてからセーラの声が聞こえ、陽陰と強力な式神を相手にするセーラは余裕がなさそうだ。

 

『すまないセーラ。及ばないかもしれんが私が援護する。京夜達は一刻も早く再合流してくれ。超能力抜きで剣術のみは私も精神力より先に体力が持たないかもしれん』

 

『式神の尻尾には気をつけたまえ。直撃すれば太い綱で叩かれたような衝撃になるはずだ』

 

『あの男がまた何か言ったらリピートしろ。こちらにも変化があるかもしれん』

 

 陽陰のいるところの光源が少し遠くてセーラへの攻撃がどんなものなのか把握してないが、ジリ貧になってるセーラの援護は接近中だったジャンヌがしてくれるようで、何をするかわかったもんじゃない陽陰の言葉を拾える存在はありがたい。

 策士としての才能に秀でたジャンヌだが、剣術もかつてオレ達を苦しめた実力がある。そう簡単には崩れないだろう。

 

「それでも……総力でかかる方がいいし、な!」

 

 そのジャンヌにも大仕事があるので、前線に立たせる時間は極力は少なくしてやりたい。

 そのためにも目の前の自分を倒すしかないが、光源から離されたせいで元々が黒い物体の式神は夜の闇に紛れるように動き、こちらの意識的な死角を攻めてくる。

 今もインカムにちょっと集中しただけで足下の小石を最小の動作で蹴り上げて目に飛ばしてきて、予備動作が見えにくくて回避が遅れて顔には小石が当たってしまった。

 顔っていうのは攻撃された際に隙が出来やすく、特に視覚を刺激する攻撃は普段からそのほとんどを頼る人間には致命的な隙を生む。

 相撲における猫だましなどがそれになるが、それに近い攻撃で死角を意図的に作り出した式神は低い姿勢から地面を縫うように接近して低姿勢からの蹴り上げで的確に顎を撃ち抜きにきた。

 が、ここまでの動きはオレがよくやる奇襲そのものだったので、ほとんど勘で下から来ることを予知してワイヤーを取り出し、バック宙と同時に蹴り上げてきた右足首にワイヤーを巻きつけてやり回避。

 すぐにワイヤーの片端に分銅を付けて近くの木の幹に投げて巻きつけて拘束を完了。

 これで動きを封じられたか。と思ったのは一瞬で、ワイヤーが突っ張らない位置で立ち上がった式神は強引にその右足を振り回して足首から先をカット。

 そのカットされた足を蹴り飛ばしてオレにぶつけてきて、巧妙に爆発の時間もコントロールして強く弾いても十分な距離が稼げずに爆発に巻き込まれてしまうのを把握。

 しかし死の回避が発動しなかったならば即死することはないはずなので、決死の覚悟でほぼ真上に弾いてからしゃがんで制服を被って頭を守って丸くなり、直後に物凄い衝撃と熱が襲ってきてどうしようもなくなる。

 

「……………ぶはっ!」

 

 熱気を吸い込むと危ないので呼吸を止めてやり過ごし、爆発が収まってから起き上がって呼吸を再開したが、ここは完全に迂闊だった。

 死を回避した安堵から状況判断が鈍り、ワイヤーの拘束を抜けた式神の接近からの全力の蹴りを立ち膝の状態だったオレの胸の中心を捉えて吹き飛ばしてしまう。

 あまりの衝撃で受け身すら取れずに後ろへと転がってうつ伏せに倒れたオレは、今ので心臓を止められたことがわかってしまう。

 心肺停止してすぐに意識が飛ぶことはないが、3秒も止まれば危険域になるため、なんとかして再び心臓を動かさないと……ダメ……な……ッ!

 そうこう高速思考したせいで早くも脳への異常が来て意識が飛びかけたものの、無防備状態のオレを追撃してきた式神がさらに蹴りを放ってオレをサッカーボールのように吹き飛ばし、その衝撃で奇跡的に心臓が活動再開して意識が戻る。

 しかしノーガードで受けたダメージは相当ヤバく、全身に芯から痺れるような感覚が残り、口からも血を吐き出してしまっていた。

 なんとか今度は受け身を取って地面を転がりリカバリーして立ち上がれたものの、痺れで感覚が鈍ってしばらくは細かい調整ができなさそうで、ワイヤーを取り出すのも厳しいかもしれない。

 

「くっそ……羽鳥以来だぞ。こんなギャグみたいなダメージ……」

 

 相手にしてみてわかったが、オレって敵にするとクソ過ぎるな。

 マジでこの状態のオレを相手にしたヒルダには帰ったら謝っておこう。洒落にならん。

 相性の問題もあるんだが、オレは基本的に急所攻撃は心得てても即死攻撃がほとんどないから、肝心の死の回避が今回は仕事をしない。

 それは死という概念がないだろう式神も同じだろうが、そうなると手加減の一切ないステータス上乗せの向こうの方が自力で勝ってしまう。

 

「…………ああ。そうか。そうだった」

 

 そこまで考えてからオレはふと思い至る。

 相手は式神。武偵法9条の及ばない云わば陽陰の武器の1つだ。

 なら、こっちが手加減してやる必要なんてないじゃないか。

 

「…………ふぅー」

 

 ゆっくりと息を吐いて呼吸を整えるのと同時に意識を沈めていき、相手との戦力の差を冷静に頭で反復。

 向こうはオレのコピーとはいえ丸腰。

 身体能力は軒並み向上してるが、まともにやり合いのはオレのスタイルじゃない。

 コピーにはさっきやってたが、その辺のものを武器にする武器術もあり、森林地帯には式神が雪を取り除いたせいで武器がてんこ盛り。ここは注意したい。

 だがこっちには強力な単分子振動刀にワイヤー、クナイ、その他ちょっとの武装で固めてある。これらをフル動員すれば勝機はある。

 

「…………来いよ猿真似」

 

 そんな挑発で上下する感情があるとは思わないが、これはオレが『切り替える』ためのスイッチのようなもので、そこからのオレはもう相手に対しての容赦はない。

 完全に目は据わってるだろうオレの変化に勘づいたように、さっきまでの攻撃的な姿勢から迎撃体勢になった式神には何か本能でもあるのか、こちらが仕掛けるのをひたすらに待つ感じだ。

 なら望み通りに仕掛けてやるから、ちゃんとしのいでみせろよ。仮にもオレのコピーならな。

 とかなんとか考えられるうちはオレもまだ切り替えに失敗してると思うが、体の方は無駄な力みもなく痛みを気にせずに動かせそうだ。

 そうして動いたオレの初動は単分子振動刀の抜刀。

 距離的に抜いたところで仕方ないわけだが、抜いた直後にオレはその単分子振動刀を投擲。

 単分子振動刀はやや上から下に抜刀するため、投擲に繋げると下手投げの形になるが、切り裂くのに用いる単分子振動刀を突き刺すように使ったところで威力は発揮されない。

 しかしだ。オレは投擲の時に右腕のミズチのアンカーを単分子振動刀の柄の先端に取りつけてやった。

 そうなればこれはもう投げナイフのような軌道では迫らず、すかさずワイヤーを巻き取りつつ右腕を上手く振るえば刃が式神を切り裂くってわけだ。

 名付けて『単分子振動刀ウィップ』。

 その単分子振動刀ウィップでまずは式神の首を切り飛ばしてやり、ぼとりと落ちた頭は式神の足下で爆発。すると思ったが、直前で蹴り飛ばしてオレと式神の間で頭は爆発し視界が遮られる。

 戻ってきた単分子振動刀をキャッチして収めながら爆心地を突っ切るように走り、同時に閃光弾を右斜めへと放り炸裂させる。

 そうすることで閃光弾が作り出した式神の影で位置を確認でき、オレは爆炎に紛れて奇襲が可能。

 式神には視覚があっても目眩ましは効かないのはわかってるので、それを踏まえて爆炎を抜けて頭が再生した式神に全力の飛び蹴りを食らわせて仰け反らせることに成功。

 続けてクナイを3本、額と両肩に投げ刺して後ろへと重心を傾け、踏ん張っていた足をミズチのアンカーを取りつけて引っ張り転倒させる。

 しかし式神も倒れた反動を利用して後転倒立で立て直し、アンカーのワイヤーを引っ張り出す力で抗ったので、壊されては困るからワイヤーの巻き取りをやめてアンカーが取れてから回収。

 その隙に刺さっていたクナイを抜いて右手の指に挟んで持ちつつで接近してきた式神は、爪のようにクナイを振るってオレの頸動脈を狙う。

 狙い通り『凶器』を手にした式神は最も殺傷力のある攻撃を仕掛けてくれたので、死んでいた死の回避が復活してその攻撃をバックステップで躱して、返しの引っ掻きも加速する前に肘を殴ることで阻止。

 そこから流れるように合気道の要領で左足を払い、右側頭部を掌打で撃ち体が横に回転する攻撃で式神を倒し、倒れる前に右手首を左手で掴んで右手で単分子振動刀を抜き肘から先を切断。

 力を失った右手をすぐに倒れる式神の少し上に放り、滑り落ちたクナイを素早く回収し大きくバックステップ。

 途端、式神のいる地点は爆炎に包まれて何も見えなくなる。

 

「誘爆で倒せるなら苦労はないが」

 

 それでも倒したという感覚はなかったので、おそらく完全ではないものの爆発に対する耐性はある――極力だが爆発を避けてる節があったしな――から、やはり幸姉の言っていた4分割以上の細切りにしなきゃダメだな。

 

『はぁ、はぁ……すまん。手短に伝える』

 

 どうなってるかもわからない爆心地に突っ込むのは得策ではないと判断して呼吸を整えながら構えていたら、インカムからジャンヌの戦闘中と見られる息の荒い声が聞こえてきて、先ほどの趙煬の言葉を実行して陽陰の言葉を伝言してくれる。

 

『私達の……「協力者」が割れてしまった……はぁ、はぁ……今、陽陰はその協力者に襲撃を……始める……』

 

 その言葉を聞いた瞬間、オレの脳裏には遠くロンドンの地でのんびり過ごしているであろうメヌエットの顔が浮かび、顔から血の気が引く。

 

「ジャンヌ、お前が喋ったのか?」

 

『いや、先の真田幸音の香港での件と……今回ので……シャーロックに近い推理力を要する人物が……裏にいると読まれた……』

 

 柄にもなくちょっと焦ったオレは、そんなことあるはずもないのに反射的に失礼な言葉を返して、それにちゃんと答えてくれたジャンヌは陽陰が自らの導き出したことだと伝えてくる。

 だがそうなると陽陰は今からこの場から意識をヨーロッパの方に飛ばすことになるため、完全に無防備な状態となる。

 

「今のうちに陽陰を拘束できないのか?」

 

『それができないから……陽陰も余裕を見せて……やろうとしているんだろう!』

 

 だからチャンスでもある。と意見するも即答に近い形でちょっと怒鳴るように返されて返す言葉もない。

 つまり陽陰の式神がセーラとジャンヌの2人を相手にしてなお、陽陰を守り抜けるということ。

 

『キンキンうるさいよ君。可愛い友人の危機に焦る気持ちもわかるが、チャンスであることに変わりはないだろう』

 

『さっさと目の前の敵を倒せ。そうすれば総力戦で式神に対抗できる』

 

 戦闘中で喋る余裕がなかったのかと思っていた羽鳥と趙煬だが、らしくないオレの言葉を聞いて冷静にどうすべきを明確にしてくる。

 その言葉で混乱しかけていた頭がすぅっとクリーンになり、取るべき行動の最短を導き出す。

 陽陰の目がメヌエットに向いてしまったのは仕方ないとしよう。

 そのために向こうに飛ばす式神を操るため本人の意識がここからなくなる。

 メヌエットが襲撃される前にこっちの陽陰を捕らえれば結果としてメヌエットも救える。

 それを現実にするためには……

 

「目の前の敵を倒す、か。上等」

 

 乱れた思考を立て直して再び意識を沈めたオレは、ようやく晴れた煙の中から出てきた式神を見据えて、本格的にどう細切りにしてやろうか思考。

 

『どうやら……陽陰が意識を飛ばしたようだ……思ったより早い。急げ』

 

 急かすようなジャンヌの言葉が聞こえて、再び思考が乱れるかと思ったが、集中力は持続してむしろ本能的に式神を倒せる策が思いつく。動物的……

 オレがコピー攻略の算段が立ったところで、インカムからちょっとイッちゃってる羽鳥の笑い声が漏れ聞こえたが今はスルーし、危険も伴うが確実に倒す策を実行する覚悟を決める。

 その号令となるような4回連続の爆発音を聴覚が捉えた瞬間、まずは単分子振動刀ウィップで横凪ぎに払い式神の胴を寸断する一撃を放つ。

 当然、式神はバックステップでそれを躱して手元に戻ったのを見てから一気に接近してくるが、これは式神の接近を誘発するための隙を作っただけ。

 そしてオレならこれが罠である可能性を考えて別のアクションをして様子を見て懐に入るか決める。

 案の定、式神は走りながら掬うように小石を拾って筋力任せに小石の散弾をオレへと浴びせにくるが、そのくらいしかないだろうと読んで上着を脱いで前に放って散弾を防ぎ、ついでにブラインドとして利用する。

 ここで式神は姿なきオレを警戒して左右どちらかにスライドすると思うが、これも読んで分銅付きのワイヤーを両手で操り左右から挟み込むように投げ入れ逃げ道を塞ぐ。

 上手くいけばここで式神をワイヤーが捕らえて上半身だけでも拘束できるが、そう上手くいかないことは承知の上。

 

「肋骨の1本くらいはくれてやるよ」

 

 そして上着も落ちて前方の景色が見えると、ワイヤーは深く屈んだ式神をスルーして空振りし大きな円を描きながら戻ってくるが、その前にワイヤーを手放すことでそれを防ぎつつ、もう片方にも取り付けた分銅によってバランスを保ったワイヤーは回りながら式神の頭上を通過。

 そこでまた4回の爆発音が聞こえるがこっちも生死の境をさ迷いそうな正念場なのでスルーしてワイヤーと一緒に接近したオレは、紙一重なタイミングでワイヤーをやり過ごした直後の式神の地を這うような回し蹴りを前方宙返りで躱して頭上を飛び越える。

 これと同時にちょっとだけ先を進んでいたワイヤーの先にアンカーを地面に撃って止めて着地。

 直後に回転の力を利用して立ち上がり左拳を全力で放ってきた式神の一撃を脇腹に受けて悶絶。

 気絶しそうなほどの一撃だったが、それを受けたのはあえてだ。撃ち切った拳にパワーはない。

 そうして止まった式神の腕を両手でガッシリと掴んで数秒。オレの後ろで塞き止められたワイヤーがアンカーのワイヤーを起点にぐるりと回ってオレと式神の胴に巻き付いてくる。

 しかしそれを意図的に狙ったオレは式神と一緒に巻き取られる前に掴んでいた腕を全力で下に投げて屈み、回ってきたワイヤーは式神の上半身だけを巻き取り腕の自由を奪い、間髪入れずに単分子振動刀を抜いて式神の両足首を切断して転倒させる。

 バランスを崩して倒れた式神にさらに畳み掛けるように単分子振動刀を振るって膝、腰、胸、首と4分割以上にぶった切ってやってから、ワイヤーが絡んでどうしようもなくなったミズチのアンカーのワイヤーを切ってその場を全力で離脱。

 離脱に有した時間は1秒あるかないかだっため、かなりの至近距離で式神の爆散に巻き込まれて、何度も地面を転がって木の幹にぶつかりようやく止まった。

 火傷も軽度だがいくつか出来ちゃったようで、拳を受けた脇腹も痛いとかのレベルじゃない。

 

「…………こんな勝利じゃ身が持たん……」

 

 だが式神はなんとか撃破に成功し、爆発によって舞い上がっていた制服の上着がヒラヒラと近くに落ちてきたのを起き上がって拾い、ボロボロのそれを気休め程度にまた着直して沈めていた意識を戻し切り替える。

 

「ここからは武偵、猿飛京夜だ。オレは武偵だ。武偵なんだ」

 

 切り替えていた時間が長かったので、もうすぐには元に戻らないだろうと思い、陽陰のいる場所を目指しながら自己暗示のように自分に言い聞かせておく。

 そういや理子にはもうこれをやるなって言われてたっけな。

 悪いな、理子。オレはそのお願いを聞いてやれなかったが、お前が言ってくれた『綺麗な手』ってやつは、ギリギリ守り抜いたよ。それで勘弁してくれ。

 光源が近づく中でふと、病院で理子が言っていたことを思い出して、それに対して言い訳のように謝罪するが、帰ったらちゃんと言葉にしようと思う。

 それで怒られて殴る蹴るがあっても、それは甘んじて受けよう。脇腹は防御しよう、うん。

 

「待たせた……な……」

 

 そうして再び空洞地帯に戻ってくると、すでに再合流していた羽鳥と趙煬はグロッキー寸前のジャンヌを庇いながら、見えにくい式神を相手に奮闘していた。

 いやね、戦闘中の爆発音で先に倒してたのはわかってたけど、何で2人ともかなりの軽傷で済んでるわけ? お兄さんもう自分の情けなさに挫けそう。

 

「遅いじゃないか。完全に遅刻だよ」

 

「2分程度の差で威張るな」

 

「お前ら元気すぎない?」

 

「式神とはいえ所詮は紙だからね。持ってきた薬品が色々と試せて楽しかったよ」

 

「敵を知り己を知れば百戦危うからずとはこのことだろう。自分の弱点など承知している」

 

「さいですか……」

 

 こっちが必死こいて撃破した強化コピーなのに、こいつらにとってはただの実験材料や練習台程度でしかなかったと聞くとマジでヘコむ。もうオレ休んでいいですかね。

 だがそんなことを思ってる暇はない。こうしてる今もメヌエットに危機が迫っているのだから。

 メヌエットを殺させやしないぞ、陽陰!



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Bullet148

 

 どうにか陽陰の差し向けた自分の強化コピーを撃破して空洞地帯に戻ってきたが、同じ状況にされた羽鳥も趙煬も大した負傷もなく一足早く戻ってきていたことに少々の衝撃を受ける。

 言葉から察するに羽鳥は自分を倒したというよりも式神という存在の隙を突いた科学的な戦術で倒したようで、持ってきていたトランクの中の物が役に立ったんだろうな。

 対して趙煬はもはや超人。強化コピーだろうがなんだろうが、自分の弱点も知るから意図的にそれを狙ってほぼ一方的に倒したようだ。子供騙しとか言ってたしな。

 

「陽陰はまだ戻ってないのか」

 

「たぶんね。だが『それでいい』」

 

「今はセーラに任せてある」

 

「さっさと終わらせるぞ」

 

 オレはボロボロだが、とにかく今はこの場から意識を手放して、オレ達に協力してくれたメヌエットのいるロンドンに式神を飛ばしていった陽陰を逮捕してしまうことに集中。

 そして陽陰が何やら印を結んだまま微動だにしないのを確認したため、羽鳥もジャンヌも割と遠慮なく言ってくれるが、それが油断じゃないことを祈るよ。

 陽陰は動いていないが、現在進行形でそれを守る見えない式神は、依然として大量の水の球を頭上に掲げてオレ達を迎撃するような雰囲気を出し続けている。

 

「ジャンヌ、疲れが見えるがやれるのか?」

 

「ふぅ……問題ない。少し集中するから、奴に決定的な隙を作り出してくれ」

 

 最初の方もそうだったが、オレ達の頭数が揃うと式神は攻撃の頻度が減ってくれて、さらに今は動かない陽陰の護衛が最優先にされてるおかげで式神から仕掛けてくる様子がない。

 視覚的に動きを捉えにくいのはあるが、それでも嵐のような攻撃が来ないのは楽なので、今のうちに式神を撃破しにかかろうとジャンヌの調子を確かめてから、手元の時計をチラリと見やるが、深夜0時30分になろうとしてる。

 これなら丑の刻までにはなんとかなりそうだと考えてから、その油断を頭からすぐに振り払って式神の撃破に集中。

 

「担当を明確にしようか。セーラは陽陰を執拗に狙ってくれたまえ。私は見えてる右腕をどうにかする。神龍、君は強いから左腕と尻尾だ」

 

『わかった』

 

「削ぎ落とすのが良さそうだな」

 

「おい、オレは」

 

「君は『コソコソ』していたまえ。邪魔だから」

 

「あっそ」

 

 それも難関なのでこの場の全員が協力して撃破に乗り出し、羽鳥が手早く担当を割り当てたが、オレだけなんか雑で笑えない。

 具体的な指示をオレにしないのは今に始まったことではないが、それを今回でもやってくる辺りはいつもの羽鳥で安心できる反面、もう少し優しくてもいいだろと思う。

 まぁ今ので羽鳥の言わんとしてることを理解しちゃってるオレもオレだが、頼られてるんだか頼られてないんだか微妙な役割に苦笑しつつ、キツい接近戦を担ってくれた羽鳥と趙煬の実力を信用する。

 

「じゃあやろうか。3分以内で頼むよ、諸君」

 

「ミスのフォローはしてやれんぞ」

 

『自業自得』

 

「仲良くやれや」

 

 そしてあくまで協力関係であることを主張したようなやり取りを最後に全員がほぼ同時に行動開始。

 まず羽鳥はトランクからいつも使ってるのとは別の拳銃を2丁取り出して、空の弾倉に次々と銃弾を装填していく。

 その間に趙煬は式神の間合いに飛び込んで見えない左腕と尻尾の攻撃を長槍で弾き引き出させる。

 そんな攻防の隙間にセーラが風を操って四方から矢で陽陰を狙って狙撃し、これに水の球体を崩して龍のようなものを作って周囲を渦で覆うように動かした式神は、それで矢を防御して趙煬との攻防戦を続ける。

 

「願ったり叶ったりだ」

 

 式神はどうやら逃げ道を失った趙煬を先に片付けるために水の壁を展開したようだが、あれのおかげで外側の方の警戒が薄くなったのは確実。

 そのチャンスを見逃すはずもないジャンヌは、静かに瞑想していた段階から砲弾のように前へと飛び出して、その手に持つデュランダルに恐ろしいまでの冷気を纏わせる。

 

「――オルレアンの氷花(Fleur de la glace d'Orléans)――」

 

 そこから放たれたジャンヌの最大火力の氷の超能力は、とぐろを巻いていた水の龍に突き刺さるや否やパキパキパキパキーン!

 5秒とかからずにその全てを氷結させて動きが止まり、それで制御を失った今や氷の龍は重力に逆らえずにドズンッ! と地面に落ちて沈黙。

 それと同時に全ての力を使い果たしたのか、気絶するように倒れたジャンヌを慌てて抱き止めて、近くの木の側に下ろしてやる。

 

「すまない……私はここから戦力になれない……あとは頼む」

 

「これだけのファインプレーされて失敗できるかよ。あとはオレ達に任せとけ」

 

 意識を手放す一歩手前で踏み留まってる感じのジャンヌは、リーダーとして戦闘を最後まで見届ける役目を完遂しようとしてくれて、そんな風になるまでの援護を受けたオレも頑張らないわけにはいかない。

 

「さて、炙り出しの時間だ」

 

 操る水を失った式神は趙煬との戦闘を継続していたが、氷の隙間から逃げるように後退した趙煬に対して、もはや氷の檻に入れられたに等しい式神は追撃ができずに足踏み。

 その檻の外からやたらと楽しそうな羽鳥が装填を終えた拳銃の1つを式神のいる檻に向けて発砲。

 銃弾は氷の隙間を縫って式神はそれを防御するが、着弾した銃弾はそこで弾けて物凄い蛍光オレンジの液体を式神の防御した腕に付けてその姿を露にする。

 

「ハハハッ! 見えないなんて意味を成さないなぁ!」

 

 その後も笑いながら檻の中の式神に次々とペイント弾を撃ち込んだ羽鳥が、その全弾を撃ち尽くす頃には、式神の体の要所はペイント弾によってくっきりとその輪郭を露にして、とどめとばかりに手投げのペイント玉を式神の頭上に投げ入れて落ちる前にいつもの拳銃で撃ち抜いて炸裂させ、式神の頭部に降りかかった。

 そうして70%ほどが見えた式神の姿をようやくじっくり見ることができたので、未だ氷の檻で陽陰を守るその姿を把握しにかかる。

 大きさは目測通り推定3メートル。筋骨隆々のマッチョみたいな体格だが、人間と比べるのはバカらしいくらい線は太く、どちらかと言えばゴリラに近い。

 やや前傾気味の丸まった背が霊長類っぽいが、顔は獅子の類い。たてがみまでありやがって威圧的。

 後ろから伸びる尻尾も自由自在のようでかなりしなやかな動きでゆらりゆらりと揺れている。

 それら全てが元は真っ黒だったのだろうが、今は羽鳥のペイント弾で台無しにされて心なしか式神も怒り心頭のように見えなくもない。

 

「これでやりやすくなったね。神龍、打ち合ってみてどうだったんだい?」

 

「この槍では切断できそうにない。サイズ的にもあれの小刀は心許ない」

 

 水を封じて遠距離攻撃の来ない間に、直接ぶつかった趙煬がさっきまで相手をしていた強化コピーのように4分割以上にして倒す手段が通用しなさそうなことを言い、オレの単分子振動刀も切断力は十分でも式神のサイズには両断するまでに至らないと冷静に分析。実際に無理だよな、このサイズじゃ……

 そうなると式神を倒すという手段が具体的に浮かばないし、もたもたして陽陰が戻ってきたら状況が悪化しかねないので、倒せないなら大元を断ってしまおうと満場一致。

 

「難易度は今なら高くないよ。お膳立てはするから手早く頼む」

 

「猿なら余裕だろ」

 

『さーるさーる』

 

「セーラのはなんか悪ノリに聞こえるんだがな」

 

 要は式神を操ってる陽陰を取っ捕まえて式神も止めちゃおうってことだが、この場にいないからとセーラが調子に乗ったので、終わったらほっぺをびろーんってしてやる。

 しかしオレ達のその動きに本能的に何かを察した式神は、力技で氷を砕いて檻を破壊し自由になると、その氷の破片をオレ達にアホみたいな速度で投げ飛ばしてくる。

 当たれば即死だろうそれを全力で回避したものの、すぐに死の予感が座り込むジャンヌを見て発動し体が反射的に動く。

 式神から破片が投げられる前に動いたオレの体が驚異的だが、動けずにいたジャンヌを最短距離で拾ってギリギリで投げられた破片から回避させることに成功。

 そこからも足下にある破片がなくなるまで破壊的な投擲が続き、周りの木がいくつか折れたり地面が抉れたりと荒らされまくり。ゴリラだなもう。

 

「京夜……すまない。余計な体力を使わせた」

 

「……女を抱いて走るのはご褒美だ」

 

「私の真似事はやめたまえ」

 

 地形を変えかねない破壊的な攻撃も投げるものがなくなってようやく終息し、その間ずっとジャンヌをお姫様だっこしたままだったオレはかなりぜーぜーな息遣いになっていたが、申し訳なさそうなジャンヌを見ると強がるしかない。

 そのジャンヌを今度は木の裏に下ろして再び空洞地帯に戻ったら、近くでツッコんでた羽鳥もすでに趙煬と連携して式神を攪乱していて、セーラの矢も的確に陽陰を狙って動きを阻害していた。

 

「ワンチャンスだ! 逃したら承知しない!」

 

「お前はやる前に何をするか言え」

 

「趙煬に同意」

 

 その動きの中でペイント弾を装填していたのとは別の拳銃を取り出した羽鳥が何か仕掛けるようなことを言うので、オレも常に式神の背後に回る動きをしながら、具体的なことを言わないのでちょっと集中力を高める。これが狙いなんだろうがな。

 そうして羽鳥の行動に注意しながら徐々に式神との距離を詰めていくと、ついに羽鳥が持っていた拳銃を構えて発砲。

 ちょうど趙煬が式神の拳を槍ではいなして地面に撃ち込ませたところを横から狙った形だが、銃弾はいとも簡単に尻尾に弾かれてしまう。

 が、銃弾を弾いた尻尾は途端に溶けるように崩れて半ばからぼとりと腐って落ちる。

 その間にも羽鳥は走りながら式神の正面に回って2発撃ち込み、それを両腕で弾いたものの、またも当たった箇所から溶けるように腕が落ちる。

 式神は所詮は紙。とかなんとか言ってたから、紙を溶かす成分でもある銃弾を撃ったのだろうが、爆発も起こさずに部位破壊できるのかよ。新発見だな。

 しかし式神は部位破壊されてもすぐに再生してしまうので、羽鳥が言うワンチャンスというのはその再生までの時間を指しているとわかり、両腕と尻尾の半分を失った式神に一気に接近。

 趙煬が押さえてくれてる横を抜けて懐へと入り、ついに動かぬ陽陰に手が届くところまで来て、対超能力者の銀の手錠をかけようとした正にその瞬間。

 

『……来た!』

 

 インカムからセーラの興奮したような、危険を告げるような声が割り込んできて、そちらに一瞬だけ意識を向けてしまって、すぐに陽陰に意識を戻したが、その一瞬で陽陰はどうやらその意識をこちらに戻してきたようで、手錠を持つオレの手の手首を掴んで力任せにぶん投げられる。

 その力が尋常じゃなく強くて、羽鳥のいる場所までノーバウンドで吹き飛んだオレは、なんとか受け身を取りつつ着地するが、その間に再生を終わらせた式神に後退させられた趙煬が離れた位置で構える。

 

「お前ら、ガキだガキだと言ってはいたが、こればかりは俺の怒りを買ったぞ」

 

 戻ってきた陽陰はこちらの状況などいま知ったようなものなのに、ずいぶんとご立腹のようでその顔にも笑顔はない。

 

「まさか香港でのあれをまたやられるとは思ってなかったが、ここまで俺に喧嘩を売った人間は初めてだ」

 

「なんだ。もしかして向こうで失敗したのか?」

 

「とぼけたことを。全てお前らの策略だろう。俺がお前らを見下していることまで加味して仕掛けられた、危険を承知の罠」

 

 そう話す陽陰が何を言ってるのか。そして意識を飛ばしてる向こうで何があったのかを聞くまでもなく理解しているオレ達は、そこでようやくメヌエットの作戦が成功したことに笑顔を見せる。

 この作戦が始まる前、ロンドンでメヌエットから助言を引き出していたオレ達は、陽陰をどのレベルまで嵌めるかを深いところまで話したのだが、羽鳥から朗報が入ったから考えついたのが、いま陽陰が腹を立てている内容。

 メヌエットは今回の作戦で自分が過去に幸姉に助言して天地式神の仕組みを推理しその対処法を教えたことから、今回で自分の存在が怪しまれることまで推理していたのだ。

 そうなれば陽陰は遅かれ早かれ。メヌエットの推理ではオレ達との戦闘中にでも襲撃してくるだろうと推理し、そこに罠を張った。

 メヌエットは自分の身の危険があることはほぼしない、高みの見物を決め込むところがあり、陽陰もそれを知ってるから襲撃に躊躇はしないだろうことまで推理して、自分の身の危険を省みずに作戦に加えてくれたのが効いたはず。

 もちろん、襲撃されればメヌエットなんて無力に等しい武力しかないので、襲われた時点で終了だ。

 だが襲撃されるとわかってて何もしないなんてのはそれこそ愚行。ちゃんと対策を『2つ』も用意していた。

 

「どうにも繋がりの見えない顔ぶれだとは思っていたが、まさか『祝光』と『厄水』まで引っ張り出していたとはな。バチカンと魔女連隊を協力させるなど、歴史を見てもおそらくそうない事案……いや、戦役ではバチカンが裏で動いていたか」

 

 その2つの対策に見事に嵌まった陽陰の言う通り、オレ達はメーヤさん達バチカンとカツェ率いる魔女連隊をある場所に配置していた。

 1つは襲撃されるメヌエットのところに。そしてもう1つは欧州のほぼ全土をカバーしていただろう陽陰の天地式神の術式の近く。

 メヌエットのところにはメーヤさん達についてもらって、カツェ達には天地式神の破壊を担当してもらい、こちらで陽陰が動いた段階でメーヤさんとカツェに連絡を入れ、カツェのところで式神が出現したのを確認してからメーヤさんのところに辿り着いたタイミングでカツェが術式を破壊。あとは香港で幸姉が仕掛けた作戦と同じというわけだ。

 先ほどのセーラの報告はその作戦が成功したことを告げる合図だったのだが、それは同時に陽陰がこちらに戻ってくることを知らせる危険信号でもあったということ。

 これが出来たのはオレがこの作戦を提案する前に羽鳥達が欧州で陽陰の天地式神の術式を探していたことが大きい。

 偶然ではあったものの、その捜索がギリギリのタイミングで間に合って術式の破壊までこぎ着けることができた。

 術式はリヒテンシュタインというスイスとオーストリアに囲まれた小さな国の土地にあったらしく、香港で超能力ジャックを食らった腹いせにとカツェが破壊を担当してくれたが、私怨って怖い。

 バチカンも陽陰の逮捕は世界平和に繋がると快く承諾してくれたが、組織改革は進んでるか微妙だ。

 

「俺の生涯でここまで追い詰めたのはお前らが初めてだが、ここで俺を捕らえられなければ、これまでの策もただのお遊び。それがわからんわけではないだろう」

 

「そうならないようにするまでだろうが」

 

「愚問だね」

 

「日本語をやめろ」

 

 要約するとここまでの作戦で欧州で陽陰の手と目が伸びるのを阻止したのと、当面のメヌエットの安全を確保した――陽陰を逮捕しても何があるかわからないし、完全にではないが――わけだが、陽陰の逮捕は確実にしておかないと安心はできない。

 陽陰が戻ってきたことでその逮捕が難易度を上げるものの、危険を冒して作戦に加わってくれたメヌエットのためにも、協力してくれたバチカンと魔女連隊のためにも失敗は許されない。

 作戦では陽陰が戻ってくる前に決着が最良とはされていたが、無理だったならその時の状況で判断して押し通すとなっていたので、ここから先は個人での判断と連携が最重要になる。

 言葉にして動くのは簡単だが、それでは陽陰に丸聞こえ。相手に悟らせずに詰めるには言葉なしの連携が求められる。

 

「ならまずは飃風の魔女から退場願おう」

 

 1つのミスが全員の危険に繋がるとあってやや慎重になったオレ達の意識の隙を突くように、ゆったりした動きで懐から札を取り出した陽陰は、それをサッと横に放り投げ、空中に留まった札に手をかざして印を結ぶ。

 すると札が光を放ったと思った瞬間には、もうその光は弾丸のように撃ち出されてどこかへと飛んでいき、数秒としないうちにインカムから『ウッ!』というセーラの悲鳴のようなものが聞こえる。

 

「超能力者の感知など俺にとって造作もないんだぞ。遠間だからと安心するなよ小娘」

 

 オレの死の予感が何も告げなかったので、今ので即死したということはないだろうが、セーラへの攻撃をいとも容易くやられて面食らうオレ達は、次の札を取り出した陽陰の狙いに気づくのが遅れる。

 超能力者の感知が造作もないなら、この近くに休ませているジャンヌが危ない!

 そう思って動き出したところで陽陰の無情なる光は横を通りすぎて木の裏にいただろうジャンヌに貫通。

 光は直径10センチ程度の穴を木に穿つが、熱量はないのかそこから燃えたりといったことはなくそれに留まる。

 

「ジャ……」

 

「余所見をするな!」

 

 冷静にそんなことを考えてる場合じゃない。

 死の予感が何も告げなかったのは単に即死攻撃を受けないからではなく、すでにどうすることもできなかったからとも取れるので、姿の見えないジャンヌに駆け寄ろうとしたが、それを制した羽鳥の声で陽陰へと視線を即座に戻す。

 その直後に陽陰がオレに向けて光を放ったのがわかり、その理解よりも早く死の回避が発動し倒れるように体が崩れ、光はオレの左肩をわずかに掠めて通過。

 おそらくオレの心臓を狙った光は、当たった肩に抉るような痛みを与えてきたので、どうやらドリルのような回転で襲ってきてるらしい。光っててそんなの全くわからないがな……

 

「やはり貴様は殺そうとしても殺しにくい部類のようだな。ならば避けられないようにしてから、その心臓を抉らせてもらうぞ、小僧」

 

 この間に羽鳥と趙煬も陽陰に攻撃を仕掛けていたのだが、バラバラの攻撃は式神に防御されて陽陰には届かずに終わり、次弾を警戒しながら立ち上がったオレは本気で牙を剥いた最強の陰陽師の力の片鱗に触れて、少々だが体が震えてきてしまった。

 ……おいおい、怖じ気づくなよオレ。ここで踏ん張れなきゃ男じゃないだろうが!



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Bullet149

 現状で考えうるだけの策で陽陰を追い詰めたまでは良かったが、本気になった陽陰は高速の光の弾丸でセーラとジャンヌの超能力者組を速攻で無力化して、さらに接近戦組のオレ達に狙いを定めてくる。

 2人の生死が不明でそっちの方が気になるが、それよりも次の光の弾丸を放つ札を手に取った陽陰から目を離せず、さらに式神もいるのでどう対処するか整理がつかない。

 

「ずいぶんとしてやられたようだが、これならばもうステルスはいらんな。水も残らず凍らされたようだし、少し早いが降ろしてやるか」

 

 式神の防御の中からかなり集中していないと当たる光の弾丸を撃ち出せる陽陰に足踏みしたオレ達が仕掛けてこないのを確認した陽陰は、札は持ったままペイント弾で半分ほどは見えてしまってる式神を見てそんなことを言いながら空いた片方の手で式神に触れる。

 降ろすという言葉の意味を汲み取るならば、先ほどの朱雀から玄武へと切り替えた式神の変化が思い出され、少し早いという意味を汲み取るとこれは時間が関係し、チラリと時間を確認するとあと20分ほどで午前1時を回ってしまう。

 つまりセーラが危惧した丑の刻で力を発揮するという十二天将の主神、貴人とやらを今から式神に宿そうとしているのだ。

 

「阻止だ! 手を斬り飛ばす勢いで止めるんだ!」

 

 それを理解した羽鳥もオレと同じようなことを思ったようで、オレ達に聞こえるように前進を促して陽陰の行動を止めようとする。

 日本語がわからない趙煬は羽鳥の声色で危機的状況を理解しオレより早い反応で飛び出して先陣を切るが、式神の妨害ですぐに動きを止められる。

 だがその隙にオレと羽鳥が別方向から接近して陽陰を攻撃しようとするものの、羽鳥は横凪ぎに振るわれた式神の尻尾に吹き飛ばされ、オレは構えられた札から放たれた光の弾丸で死の回避が発動し地面にヘッドスライディングすることになり攻撃失敗。

 オレの転倒の隙を逃すまいと次弾を構えた陽陰の動きが早く、クナイの1つでも投げてやろうとした行動をキャンセルされて即座に立ち上がるも、羽鳥を吹き飛ばした尻尾が追撃してきて真後ろに吹き飛ばされてしまう。

 

「空中は避けられまい」

 

 尻尾の衝撃で意識が飛びかけて弧を描くように吹き飛ぶオレの耳にもハッキリとその声は聞こえ、なんとか陽陰に顔を向けるも言う通り空中ではどうすることもできず、札を投げて印を結んだ陽陰をただ見ることしかできない。

 ここでミズチのアンカーが反射的に出るところだが、それはさっきのコピーとの戦闘で肝心のアンカーとワイヤーが繋がってない状態。アンカーは回収していたが、ワイヤーの交換は余裕がなかった。くそっ!

 無情な光は陽陰の姿を隠すように煌めいて、死の回避も無理と悟るように無反応でいよいよ死んだかと半ば諦めたその時。

 急にオレの左足に何かが巻きついて、その巻きついた何かに引かれてオレの体は急に真下へと落下して地面に叩きつけられ、何事かと思いながらもギリギリで受け身を取りダメージを軽減し片膝で立ち上がり状況を確認。

 どうやら今ので陽陰の光の弾丸は回避できたようだが、荒っぽい救出は誰によるものかと左足に巻きついたものを見ると、分銅のついた鎖が前方に伸べていて、その先は趙煬の右の袖の中へと繋がっていた。

 

「お前が死ねば劉蘭が悲しむだろうが」

 

 まさか趙煬が助けてくれるとは思ってなかったが、そんなことを言う趙煬はオレに注意を向けたせいで式神の攻撃を防御しきれずに吹き飛ばされ、鎖で繋がったオレも遅れて引っ張られて地面を転がってしまう。

 趙煬は槍を即座に地面に刺して木への激突を回避しつつリカバリーするが、オレは地面にベタッとすることで強引に止まって鎖を解く。

 

「よく動くものだな。だがこれに苦戦していたお前らがどう足掻くか、見せてもらうぞ」

 

 陽陰の追撃が来ないことを確認してから、吹き飛んでいた羽鳥の安否を確認し、咳き込んではいたがなんとか立って構える羽鳥を発見。

 しかし全員が陽陰から引き離されたことで式神の切り替えが完了してしまったようで、今まで使っていた見えなくなる超能力を解き、ペイント弾も取り払われて一新したように黒塗りの式神となり、さらにその体がふた回りほど小さくなると、背もまっすぐになり尻尾もなくなって人間に近くなる。

 目に見える変化はそれだけで一見すると小さくなってくれてありがたいと言いたいが、オレ程度の観察眼でもそんなことを言えない事態になったことがわかり嫌な汗が止まらない。

 その証拠にオレよりも戦力分析が出来るだろう趙煬がまだなんとかなりそうだと顔に出していたそれが消え、今までで一番の集中力を宿したのが遠間でもハッキリとわかった。

 

「貴人、だったか……万全じゃなくてこれかよ……」

 

 何もしていなくても放たれる式神のプレッシャーに押し潰されそうになりながら、まだ丑の刻ではないことを確認して心が折れかける。

 予測できるのは式神がこれからもっと強くなっていくというネガティブなものだからだが、オレ達の心が折れたからといって陽陰が見逃してくれることも万に一つもない。

 だったら無抵抗で死ぬよりも1秒でも長く抗ってやるよ。

 それに羽鳥と趙煬の顔にはまだ絶望の色はないのに、オレだけが膝を折っては士気に関わる。

 まだ動いてすらいない式神に臆す理由もない。

 

「生きて帰るんだろ、猿飛京夜」

 

 オレは知ってる。こんな状況でも、不可能を可能にしてきた男を。

 オレはあいつとは違うが、何とかしようとしない人間にそのチャンスすら訪れないのだ。

 他力本願の精神を持つオレだが、それが悪いことなわけではないことを学んだ。

 仲間に頼り力を合わせて事を収拾する。それもまた不可能を可能にするための力なのだから。

 だからこそ今ある力で最善を尽くす。それが以心伝心したオレ達の動きは無駄がなくなった。

 ……はずだった。

 

「油断するなよガキども」

 

 集中力はかつてないほど高めていた。

 だが陽陰がそんな言葉をオレ達に向けて放った瞬間、佇んでいただけの式神の姿がブレて消え、次には離れた位置にいた趙煬がこっちにノーバウンドで吹き飛んできて、それをなんとか受け止めつつ趙煬の様子をうかがう。

 

「縮地法か……人形風情が人の真似とはな」

 

 ダメージ自体は防御して通ってなさそうだったが、どうやら趙煬も使える相手との距離を瞬時に詰める技を使ったらしい式神に苛立ちが見える。

 縮地法とか言うが、端から見たオレにはステータス任せに高速移動しただけにしか見えなかったぞ。

 

「奴とは5メートル以内の距離に近寄るな。お前とあれでは意識する前に殴られて殺されるぞ」

 

「……だそうだぞ、羽鳥」

 

『これだから超人バトルは好かないんだ』

 

 オレも全面的にそう思うよ。

 今の攻防だけで式神とこっちとの戦力差を正確に見抜いた趙煬の助言によって、まともに相手ができるのが趙煬のみとわかったオレと羽鳥は、一層の気合いを入れて槍を構えて突撃していった趙煬を横目に合流。

 そこから趙煬は徒手空拳らしい式神と槍で高速の攻防を始めたのだが、なまじ姿が見えるようになったからこそ、式神の動きが化け物じみてるのがハッキリとわかり、それについていける趙煬の凄さも再確認する。

 だが趙煬も式神だけで手一杯らしく、肝心の陽陰にまで気が行っていないのか、容易く光の弾丸を撃ち出す札を取り出させて狙いをつけられてしまう。

 

「その間に陽陰を取っ捕まえろと、そう背中が語っているね」

 

「呑気に言ってる場合じゃないだろ」

 

 その様子を見てさっきの借りは返そうとクナイを取り出してそれを陽陰の札を狙って投げ入れ、羽鳥も動きを悟らせないようにか、腕に仕込んだメスを取り出して小さな動作で投げ入れる。

 それでもオレ達への注意を払っていた陽陰は、しっかりと反応して札を引っ込めてクナイとメスを躱し、式神と趙煬の戦闘が式神やや優勢と見るやまずはオレ達の始末からといった感じで向き直ってくる。

 光の弾丸は厄介だが、オレには死の回避があるのでフェイントにも引っかからず接近が可能と判断し、迎撃体勢の陽陰に正面から突撃。

 対して羽鳥はその場から動かずに拳銃を構えてオレをブラインドに隙間から陽陰を狙う。札を出されたらおそらくは横にズレると思われる。

 

「姑息な手では俺に手傷すら負わせられんぞ」

 

 そのオレ達の光の弾丸対策に一笑した陽陰は、札を使うまでもないといった雰囲気で切り絵のような簡易の鳥の形をした紙を3枚、懐から取り出してオレの方に投げ印を結ぶ。

 すると紙は一瞬で黒い鳥、烏になって襲いかかってきて、咄嗟に単分子振動刀を抜いて真ん中から来た1羽を両断してやり過ごし、残りの2羽は腕を掠めて通りすぎて後ろの羽鳥を強襲したよう……

 そう思った次の瞬間、単分子振動刀を納刀したオレの胴に正面から圧迫する感覚と後ろに引く力が働き、何事かと踏ん張ってみる。

 

「バック宙したまえ!」

 

 だがそんなオレに後ろから叫んだ羽鳥の指示は力に抗うなといったニュアンスのもので、胴にある圧迫感が何やら縄状のそれに似てるのもあって即座にその場でバック宙。

 体が回転したことで胴の圧迫感は4分の1回転でスルッと抜けるようになくなり、そこで羽鳥がオレを掠めるように陽陰に発砲。信じてないわけじゃないが、危ないのは変わらない。

 そして上下が逆転した反転の視界では、通りすぎた烏が少し左右に広がったところから羽鳥に挟撃を仕掛けてるように見えたが、距離的にはクロスのタイミングが早い。あれでは羽鳥の前でクロスして当たらないだろう。

 そんな後ろの光景をチラッと見て着地を決めると、札を取り出そうとしていただろう陽陰が羽鳥の銃撃によってその動きをキャンセルされ、何も持たない右手をシュッ、シュッ。謎の動きで左右に振る。

 

「ぐっ!」

 

 何か変化が起きるのかと構えていたら、直後に後ろから羽鳥の呻き声が聞こえて振り返ろうとしたが、目を離せばまた光の弾丸を使われる危険があったので、クナイを取り出してその刃の反射で鏡のようにして後ろを見る。

 後ろの羽鳥はどうやら木に縛りつけられてる感じだが、胴辺りに巻きついてるだろう縄は見えない。それでも服に食い込みは見える。

 その羽鳥が縛りつけられてる木の側面には、さっきの烏がくちばしを突き刺して止まっているのが見えた時に、オレはさっきの謎が解けて納得。

 オレの胴にもあった圧迫感は羽鳥を縛りつけている見えない縄によってもたらされ、それを2羽の烏が元から繋がった状態で運び、最初はオレを拘束しようとした。

 羽鳥のバック宙しろというのは、烏がオレの後ろでクロスして折り返してくる前に縄から脱出するための手段で、それが叶わなかった烏は即座に羽鳥に狙いを変えて木に縛りつけたのだ。

 銃撃の直後で縄が見えないから回避のタイミングを掴めなかった羽鳥は、結構しっかりと拘束されたようで簡単には脱出できそうにない。両腕が動かせない縛りつけ方なのが災いしてる。

 こうなると陽陰には絶対に光の弾丸は撃たせてはならない。オレが避けられても羽鳥が避けられないんじゃ意味がないんだ。

 まさに姑息な手でしか陽陰に仕掛けられないオレは、後出しジャンケンの陽陰に羽鳥を守りながらどう仕掛ければいいか思いつかない。

 どうにかして陽陰の予想外を引き出して隙を突かなきゃ、懐に入る前にやられる。

 趙煬もあと何分、式神を抑えてられるかわからないし、思考時間は短くしなきゃならない。

 

「忘れるな、君は『影』だ」

 

 とにかく1秒でも早く陽陰を捕らえなきゃと考えるオレに、そうして諭すように口を開いたのは、後ろで拘束される羽鳥。

 響くような声ではなかったが、何故かハッキリと聞こえたその言葉にスッと思考が落ち着いた瞬間、背中に何かが当たって落ちる前に背面キャッチ。

 それは羽鳥からの1つのプレゼント。どう使うかはオレの技量しだいといったところか。上等だ。

 影は影らしく『影の中でコソコソ』するさ。

 

「土御門陽陰。お前を逮捕する」

 

「ほざけ小僧」

 

 今や陽陰と対峙してるのはオレだけだが、ここでオレが相手の土俵で戦ってることに気づき、それがそもそも間違っていたと冷静になってクナイを取り出す。

 後出しジャンケンが出来る陽陰は少しだけ構えてオレの動きに注意するが、そうして注視すればするほど、お前に死角が出来るってことを教えてやる。

 クナイを両手で合計8本持って、それをほぼ同時に投げたオレの標的は陽陰ではない。

 作戦上、ジャンヌが見えやすいだろうからと戦闘開始から放置していた陽陰の光源。

 ジャンヌやセーラにとっては少々ありがたい存在だったと思うが、オレにとっては持ち味を消す1つの要因になってたので、それを今クナイで撃ち抜いて排除。

 クナイで撃ち抜かれた光源の札はその効力を無くして発光を停止し、空洞地帯は再び夜の闇に紛れ、突然の暗闇は星明かり程度では簡単に順応はできない。

 だが光源が無くなるとわかっているオレはその瞬間に目をつむって暗順応を済ませ、目を開いた時にはもう暗闇で動ける目が完成していた。

 その視界で見た光景では、すでに陽陰が次の光源を出そうと動き始めていて、それをじっくり見る前に行動を開始したオレは、音を最小に留めて陽陰に接近。

 

「遅いぜ陽陰」

 

 そして妨害なく陽陰の背後に回れたオレが、その手錠を持ってかけようとした瞬間、光源を出そうとしていたはずの陽陰は、まさかの光の弾丸の札を、しかも背後のオレに待ってましたとばかりに構えて放とうとしてきた。

 

「背後が得意なんだろう? わかっていたんだよ小僧」

 

 ――カッ!

 そんなオレの動きを読んでいたらしい陽陰は不敵な笑みを浮かべながら躊躇なく光の弾丸を撃ち込んできて、その光にオレは成す術なく撃ち抜かれる。くっそぅ……

 

「…………オレをそう簡単に理解できると思うなよ、陽陰」

 

 なんて言うくらいの演技があっても良かったのかもな。

 とかなんとか思いながら、驚きながら正面を向いた陽陰は、そこにいたオレの目にも止まらない拘束術で地面に伏せられて、後ろ手に背中に乗られる。

 

「……貴様ぁ、確かに背後から迫っていたはずだ」

 

「そうだな。オレの『声』は確かに後ろにやったからな」

 

 まだ何が起きたか理解してなさそうな陽陰は、疑問を解消するように質問をしてきたので、オレもしっかりと力の入らないような拘束をしつつ応えてやる。

 

「オレはお前の『背後には回ってない』。あの短時間で接近できるほどオレも超人じゃないし、お前がそれを読んで罠を張ってるだろうことは読んでたからな」

 

「裏の裏を読むだと? 小僧が浅知恵を働かせたか」

 

「その小僧に捕まってるんだ。何を言っても負け犬の遠吠えだぞ」

 

 話しながらオレは暗闇に慣れてきただろう陽陰に顎であるものを見るように促し、それを見た陽陰は苦虫を噛み潰したような顔でオレを見返す。

 言ったようにオレは陽陰の背後には回れていない。

 時間的に言えば2秒もかかってないその接近時間で15メートルはある背後に回れる脚力はないからな。

 ならどうしたかと言うと、直前で羽鳥から渡されたプレゼント。羽鳥が付けていたインカムを陽陰の背後に落ちるように投げていたのだ。

 そこから接近しながらタイミングを見計らってインカムに声を通し、その声を拾った陽陰が振り向いて光の弾丸を撃つ間に接近を完了させて今に至るというわけ。

 これが陽陰の言う姑息な手だったとしても、オレにとってはその場しのぎじゃない逆転手。姑息なんて言わせはしない。

 

「……フッ。小僧はやはり小僧だな」

 

 そうやってオレの使ったトリックを理解した陽陰はしかし、不敵な笑みを再び浮かべて、超能力者用の手錠をかけようとしていたオレを煽ってくる。

 強がりだと思われたが、何か時間を稼ぐ節があった陽陰の違和感に気づき、拘束する手元を見ると、1枚の札が袖の中から引っ張り出されていた。

 

「死ね」

 

 それは間違いなく光の弾丸を撃ち出す札で、死の回避もここに至って発動してくれなくて回避不可能だったかと瞬時に悟った。

 だがそうではなく、死の回避は『回避が無理だから発動しなかった』のでなく『死なないから発動しなかった』のだと、横から札を撃ち抜いた銃弾を見て理解する。

 

「犯罪者に饒舌になるな。バカか君は。口を開く前に手を動かしたまえ」

 

 その声を聞くよりも早く陽陰に今度こそ手錠をはめることに成功し、オレを倒せなかった陽陰もついにその口から舌打ちの音を漏らして沈黙した。

 陽陰を沈黙させても油断せずに、銃弾を放ってくれた羽鳥へと視線を向けると、ちゃんと拘束から抜けて拳銃を構えてくれていた。

 実はクナイで光源を撃ち抜いて動き出す前に、単分子振動刀を抜いて背後の羽鳥を拘束する烏の1羽を狙って投げていたわけで、片方が緩くなったおかげで縄も緩んで拘束から抜けられたみたいだ。いやぁ、やっといて良かったぁ……

 

「君、まだ終わってないんだがね」

 

 一応、陽陰には足首にも手錠をはめて、2つの手錠を後ろで繋いで人体的にかなり厳しい拘束をしてから立ち上がり、この暗闇の中でもまだ式神と戦ってる趙煬に目を向ける。止まってないのかよ……

 

「おい陽陰。あれはどうやれば止ま……」

 

 陽陰には力を奪うはずの手錠がかけられてるのを確認しつつ、それでも止まらない式神の止め方を無理と承知で聞き出そうとしたのだが、力なく横たわる陽陰はすでに意識を手放してその目は閉じられていた。

 

「ちょっと待て! 何でこの状況で寝られるんだ!」

 

「待ちたまえ」

 

 マジで意味不明な陽陰の現象に思わず胸ぐらを持ち上げて起こしにかかったオレを制して、羽鳥は仰向けにした陽陰の状態を医者目線で観察。

 

「脈は正常。呼吸も乱れがなく、完全に睡眠状態だ。だが突然すぎるし、眠りも深い」

 

 その羽鳥の診断でハッキリと睡眠状態にあることがわかったが、今はその謎を解いてる暇はない。

 なので多少強引にでも起こしにかかったが、全く起きる気配すらないために、起きたとしても話す可能性の方が低いと判断して陽陰は保留にしたオレと羽鳥は、衰えることなく壮絶な攻防を続ける両者にどう割り込むかを考える。

 下手に割り込んで趙煬の調子を崩して倒されたら、オレと羽鳥じゃ瞬殺される。

 だが人間である故に徐々に趙煬も体力的に押されてきていて、長引けば不利なのは間違いない。

 

「どうしようか」

 

「どうするよ……ん?」

 

 薬品を使い切ってしまったからか、羽鳥も手持ちではどうするか判断に迷っていて、互いに顔を見合ってしまうが、そんなオレの耳が何やら変な音が近づいてくるのを捉え、それが空から聞こえてくることがわかって、同じように聞こえたのか羽鳥も夜空を見上げる。

 ――なんだよ、何が来るんだよ!



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Bullet150

 

 ギリギリの攻防でついに陽陰を拘束して超能力用の手錠をかけたまでは良かったが、それでも貴人の力を宿した式神は止まることなく趙煬と激しい攻防を続け、陽陰は拘束された瞬間から深い眠りに就き始めて意味不明。

 しかも何やら上空から徐々に高速で近づいてくる音が聞こえてきて、それが新たな敵なのかどうかもわからないときた。

 

「……航空機。だがそれにしても速いな。大きさもそこまでじゃない」

 

「航空機より速く小さい飛行物体って……」

 

 だがそんな状況でも冷静な羽鳥は近づいてくる音を分析し、さっき投げていた単分子振動刀をオレに返してくる。

 それを受け取って納刀しつつ、羽鳥の分析から近づいてくる物の正体がかなり限定されて見当がいくつかついたのもすぐ。

 音は超高速でオレ達のいる地点の頭上を通過。暗闇に見えたその影は紛れもなく戦闘機だったが、偶然、なのか?

 ほぼ南から北に飛んでいった戦闘機が何だったのかと羽鳥と顔を見合わせてしまうが、通過したから関係ないのかなと思考をやめようとした。

 

「……何か来るね」

 

「…………あっ」

 

 が、その時に空を見上げた羽鳥がまた何かを捉えて視線を固定するので、オレもそちらを見ると、なーんか見たことある『人』が降ってきていた。

 その人は弾丸のようにオレ達のいる空洞地帯をめがけて落下してきて、激突の直前に空気のクッションみたいなもので3度ブレーキをかけてオレと羽鳥の前で華麗に着地。

 

「おーおー、派手にやってるわね」

 

「……何でここに来てんだよ、幸姉」

 

「そんなの愛する京夜のために決まってるでしょ?」

 

「嘘つけ」

 

 およそ戦闘をする格好ではない、仕事終わりに駆けつけました的な黒スーツ姿の幸姉は、何やら背中にクソ長い刀を背負って呑気な雰囲気。

 それにはここまで緊張の連続だったオレも殴りたくなったが、今はそれを抑えてここに来た理由についてを尋ねる。

 

「愛するの部分は本当にしといて、話はあれを片付けてからにしましょ。それと京夜にはこれ」

 

 しかし今は状況が状況だからと話を切った幸姉は、戦闘中の趙煬と式神に視線を向けて切り替えると、背負っていたクソ長い刀を鞘ごとオレに渡してきてウインク。何これ。

 刀は日本刀の形状で少し抜いたら片刃のほぼ直刀。刃渡り150センチほど。幅は10センチはあるが見た目ほど重量はそこまでじゃなく、両手でなら十分に振り回せそうなくらいだ。

 

「これを何でオレに?」

 

「さぁ? アメリカ帰りの眞弓が持って帰ってきて『京夜はんに渡すよう言われましてな』とかなんとか。誰からかは察してちょうだい」

 

 ……ああ、ジーサードのお節介か。ってことはこれ先端科学兵装の1つだな。

 しかもオレに扱えるやつなら、単分子振動刀と同じ構造だろう。完全に主力武器(メインウェポン)に照準した造りだ。

 

「君ってどうしてそう人から好意を向けられるんだろうね」

 

「一方通行なことが多いんだがな……」

 

「だがそれならあれをどうにかできるだろうね。こちらの状況など知らないはずなのにファインプレーをしてくれる」

 

 思わぬプレゼントに少々言葉を失っていると、横から白けた目で羽鳥が口を開き、しかしこの状況では切り札になり得るそれには嬉しそうに笑顔を見せ、オレも刀を腰に差して戦闘中の式神に向き構える。

 

「一発勝負でいきましょう。綺麗に決めてきなさい、京夜」

 

「おう」

 

「……君は真田幸音がパートナーだとそんな笑顔を見せるんだね」

 

「笑ってない」

 

「笑ってるよ」

 

「あらあら、仲良しさんね」

 

「「それはない」」

 

 それで1度は完全に切り替えたかと思ったが、なんか変な掛け合いに発展してちょっと調子を崩され、気に食わないがハモってしまったオレと羽鳥がふんっ! と顔を振ってから行動開始。

 どう割り込めばいいかもわからない高速の攻防ではあったが、そんな速度を無にする幸姉の魔眼が煌めき、両者から一瞬ではあるが全ての運動エネルギーを奪い、その異変で即座に離脱に動いた趙煬は見事。

 その趙煬を追撃しようとした式神との間に羽鳥が最後の武偵弾である炸裂弾を放って手動で爆破。

 その爆発に少々だが巻き込まれながらも後退して逃れた式神の動きはさすがだが、その逃げた背後に回っていたオレは、信じられない反応速度で振り返って攻撃を仕掛けてきた式神に大太刀の抜刀が遅れる。速すぎだろうが!

 

「1人じゃ瞬殺だったな……」

 

 だが今はオレ1人で戦ってるわけじゃない。

 オレなんかじゃ死の回避に頼らなきゃ避けることさえできない攻撃も、幸姉の魔眼によってその動きはピタリと止まり、そのわずかな時間で可能となったオレの渾身の抜刀からまずは横一閃で胴を真っ二つにする。

 抜刀した大太刀は式神に対してほぼ抵抗なく振り抜かれたため、そのエネルギーを上手く利用して今度は両手持ちに変えて八相の構えから正中線をなぞる縦一閃。

 

「美味しいところを持っていく」

 

 その二連撃によって式神は撃破でき、4つに分かれたパーツはそれぞれが爆発の予兆を見せたが、爆発の規模から考えても離脱が間に合わなかった。

 だからといって諦めたわけではなく、式神の背後から近づいてきていた趙煬が見えていて、なんかオレに対して嫌味っぽいことを言いながらその手の槍で式神のパーツを一瞬で横へと弾き出して爆発の範囲から逃がしてくれる。

 そうして空洞地帯の端っこの方で爆発した式神の余波だけでその場に留まることも出来なかったオレは、大太刀を地面に突き刺してやり過ごすが、あっつ! 火傷するわ!

 爆発の煙で式神が倒せたかどうかの確認がまだできないが、大太刀を地面から抜いて納刀し趙煬と一緒に煙が晴れるのを待つものの、なかなか晴れないな。

 

「あれだけ撃ち合って怪我はなさそうだな」

 

「見た目からはわからんだろうが、打撲が8ヵ所ある。俺もまだ修行が足りんようだ」

 

「打撲だけで済んでる時点で十分すぎるだろ……」

 

 あの式神との打ち合いでも痛打は浴びなかった趙煬の化け物ぶりはもう呆れるが、味方としては頼りになりすぎる。これから先は藍幇と敵対しないようにしよう。うん。

 そうした会話をしていたら煙も晴れて、草の根もなくなった爆心地には何もなく、周りに飛び火もせず火事などにはなってないことも確認。

 趙煬もそれらを確認して槍を肩に担いで警戒を解き、オレもふぅ、と息を吐いてから後ろにいた幸姉と羽鳥に視線を向ける。

 が、何故かこのタイミングでオレの死の回避が発動し、その体がゆらりと横に逸れて動くと、後ろから光がやや上方向にオレと趙煬の間から抜けていく。

 

「「往生際が悪い」」

 

 それが式神による最後っ屁であると理解したオレと趙煬は、ほぼ同時に振り返ってそれぞれがクナイと投げナイフを投擲し、爆心地で不自然に浮いていた真っ赤な人型の札を貫いて沈黙させた。これで今度こそ終わりか。

 そう思ったら全身から力が抜けて尻餅をつきそうになったが、それを堪えてちょっとフラつく足取りで幸姉と羽鳥に近寄り、確認しなきゃならないことを口にする。

 

「ジャンヌとセーラが無事かどうか確かめないと」

 

「だね。セーラにはインカムから応答を確認してみてくれ」

 

「ジャンヌとセーラね。超能力者なら私が大雑把に感知できるし、最低限の治療もできるわよ」

 

「とりあえず近くにジャンヌはいるから幸姉はそっちを頼む。オレはセーラを拾ってくる」

 

 まだ安否すらわからないジャンヌとセーラの心配をしながら、テキパキと行動を開始する一同。

 医療技術のある羽鳥と超能力による治療ができる幸姉がいるのは心強いが、死んでいては意味がないので、一刻も早くセーラを見つけなきゃとインカムに声を通しながら移動を開始した直後。

 インカムからではなく、近くから「その必要はない」とセーラの声が聞こえてきて、そちらを見れば森林地帯から自力でここまで来たのか、フラフラな足取りでセーラが姿を現し、オレ達が見えて緊張の糸が切れたのか、近くの木を背にぺたんと座り込んでしまった。

 

「怪我は?」

 

「お腹にもらったけど、ギリギリで防御した」

 

 そんなセーラに近寄った羽鳥の言葉にお腹をさすりながら答えたセーラは、あの光の弾丸を腹に受けても貫通はさせなかったようだが、可愛い服が腹見せスタイルみたいに穴を開けておへそが見えていた。

 

「京夜ぁ、ちょっと手伝ってぇ」

 

 とりあえずセーラは大丈夫そうなのでホッとしたら、ジャンヌの方に向かった幸姉が呼んでくるので、呑気な声から無事なのはわかって小走りで近寄ると、気絶してはいるが目立った外傷も出血もないジャンヌは静かに寝息を立てていた。

 

「これに感謝ってところ?」

 

「……かもな」

 

 そのジャンヌを助けただろう、半ばからポッキリと折れてしまってるデュランダルを持った幸姉に、オレもそうなんだろうなと思う。

 起きたら悲鳴を上げそうなデュランダルの有り様は同情するが、とにかく無事だったジャンヌの頬に軽く触れてから、他に外傷はないか幸姉に確認してもらって、全員の無事にようやく安堵の息を吐いたのだった。疲れたぁ……

 

「しんどぉ……」

 

「その言葉をあとでジャンヌに聞かせてやろうか」

 

「やめてくれ。太っただなんだ言いかねん」

 

 各々の応急処置やらを空洞地帯で済ませて休憩してから、撤収のために車に戻ろうとしたのだが、その車は先の戦闘で崩れた崖の岩でぺしゃんこにされたとセーラから言われてしまう。

 足を失ったオレ達がどうするかと悩んでいたら、そそくさと携帯を取り出した幸姉はどこかへと連絡したかと思えば、なんか星伽神社に入る許可を取ってくれたらしく、寝てるジャンヌをオレが。ヘロヘロなセーラを羽鳥が。意識のない陽陰を趙煬がそれぞれ運び、幸姉の先導で星伽神社まで辿り着いたが、もう歩けない……

 

「お待ちしておりました、猿飛様、幸音様」

 

 満身創痍なオレ達が星伽神社の入り口でへたれていると、奥から小走りで近寄ってきた風雪ちゃんが呑気に挨拶をしてきて、それに会釈しつつ連れ立ってきた他の巫女にジャンヌ達を運んでもらって、オレ達も境内の方に移動しながら話をする。

 

「それで白雪ちゃんはどこにいるの?」

 

「はい。今は御神体の元にいらっしゃいますが、先ほどその御神体の元で崩落があり、安否の確認が取れません」

 

「そこにアリアとキンジもいたりする?」

 

「……はい」

 

 どうやら事前に風雪とは何かを話していたらしい幸姉は白雪の居場所を聞き出してそこに向かうような足取りで、緋緋神がここに来てるのはわかってるからアリアと、それからもしかしたらとキンジもいるかと尋ねるといるようなので、オレもそっちに向かうことにする。

 

「羽鳥達はメーヤさんとかへの連絡を頼む。武偵庁にも陽陰を引き渡さないとか」

 

「その辺の手配は私がやる。少し気になることもあるしね。そちらは任せよう」

 

「何かあっても無理はするな。今のお前など吹けば飛ぶ」

 

「ご忠告ありがとよ」

 

 ここからは趙煬達にとっては依頼にない事なので、そうした意味でもついてこようとはしなかった一同に見送られて、風雪ちゃんの案内で本殿の裏へと回り、その奥の林を抜けて湖のある空間に出る。

 するとその湖の奥の星伽山とか言うらしい噴火口の凹みに積まれていただろう岩が崩落したような跡を残して無惨な姿を晒していた。

 

「この湖は水面に足場があり歩いて渡れます。この奥には私は行けませんので、ご案内はここま……」

 

 白雪の次に年長の風雪ちゃんだから、妹達のいる手前、冷静には見えるが内心では駆けつけたい一心だろうことを察して、湖の前で足を止めた風雪ちゃんの手を引いてガラス張りでもしてある水面から3センチ程度の深さにある足場を通って湖を渡り始める。

 

「猿飛様……困ります」

 

「今のオレなら簡単に振り払えるぞ。そうしないのは風雪ちゃんだけど?」

 

「こら京夜。年下の子をいじめないの。ゴメンね風雪ちゃん。うちの京夜が『強引に』連れてきて」

 

「……仕方ありません。男性の力には抗えませんから」

 

 渡り始めてすぐに風雪ちゃんが戻ろうと少し抵抗するが、その力は消耗しまくったオレでも止められるほど弱く、あんまり気の利かないオレの言葉を訂正して幸姉が言い訳作りをしてくれて、少し迷った風雪ちゃんはその言葉で仕方なくついてくることにするが、その顔には少々の涙と笑顔があった。

 湖を渡り切った先の噴火口の凹みは、どうやら人工的に岩を積んで中に空間を作り出したものだったようで、鳥居などでどの辺が入り口だったかはわかったが、今やそこも天井になっていた岩盤が沈んで崩れて完全に塞がり、人が潜り込めそうな隙間も見つからない。

 

「この中にキンジ達がいるのかよ。生きてるのか?」

 

「こら。風雪ちゃんの前で縁起でもない。ちょっと待ってなさい」

 

 どうしようもなさそうな状況で中もどうなってるのか探りようもないと口に出したら、心配そうな風雪ちゃんをさらに不安にさせたオレは幸姉に怒られ、その幸姉は懐から札を取り出してネズミの式神を作り、視覚をリンクさせたそれを小さな隙間から潜入させる。

 

「暗い! 何も見えないんだけど!」

 

「そりゃそうだ」

 

「仕方ない。聴覚もリンクさせて目が光るようにするか。ちょっと集中するから黙っててね」

 

 何のギャグなのか当たり前に暗い中を進んで叫ぶ幸姉がこの上なくアホなんだが、式神の性能を上げてからはすっかり沈黙して式神を奥へ奥へと進めていったようだ。

 この幸姉を見ても式神の操作にはそれなりの集中力を要することがわかり、改めてさっきまで戦っていた陽陰が反則級の化け物だったことを実感し背筋に寒いものを感じる。よく生きてたなオレ。

 

「ん、赤い……石?」

 

「……赤?」

 

「おそらく御神体ではないかと」

 

「御神体……っていうと、緋緋色金の原石か」

 

「そうなります」

 

 5分ほどかけてかなり深いところまで式神を進行させた幸姉は、ようやく何かを見つけて目を閉じたまま呟くので、赤い石と聞いた風雪ちゃんはそれが御神体であると言い、その御神体が緋緋色金であることを知ってるオレの問いに肯定を示す。

 

「…………はっけーん! ひー、ふー、みー……よー、いつー?」

 

 そしてついにキンジ達を発見した幸姉は、その人数の確認をしてくれたのだが、なんか数が多くない? 2人ほど知らないのがいるよね。

 

「風雪ちゃーん。お姉ちゃんはとりあえず生きてるわよぉ。上手い具合に御神体とやらの下でやり過ごしてたみたいね」

 

 続いて生死の方を確認した幸姉が明るい感じでそう言えば、それだけで風雪ちゃんは安堵の息と涙を同時に出して顔を手で覆って静かに泣き出す。

 オレもキンジ達が生きててひと安心だが、緋緋神がどうなったかがわからないからまだ脱力するには早い。

 

「あー、はい、はい。了解です玉藻様。ではそのように」

 

「ん? 玉藻様がいるのか?」

 

「緋緋神の方も問題は解決したみたいよ。とにかく救助のために重機やら何やらを呼ばないとだから、風雪ちゃんはそっちの手配をしに行ってくれる?」

 

「わかりました。お二方には後ほど、どなたかに暖を取れるものを運んでいただきますので、少々お待ちください」

 

 そして向こうの声を聞いた幸姉は、中からの指示で本格的な救助要請の許可を取ったようで、それを聞いた風雪ちゃんはペコリとお辞儀をしてから急いで本殿の方に戻っていき、式神を向こうに置いたままリンクだけを切った幸姉も休憩しつつ崩れた岩場に座ってオレを隣に招くので、隣り合って座る。

 

「あと1人は誰だったんだよ」

 

「んー、緋緋神の思念体みたいな? アリアとなんか折り合いがついたみたいで敵対はしてないっぽいわね。大人しくしてるわ」

 

 思念体っていうと、瑠瑠神がやってたあれみたいなやつだな。

 そうして思念体を出してるってことは、アリアの体からは出ていった? とかそんな感じなんだろうが、よくわからんから説得はできたって理解でいいかな。

 その程度の解釈ではあるが、まぁ緋緋神の問題が解決したならいいかとようやく安堵して寝転がると、幸姉も一緒に寝転がって夜空を見上げてそのまま会話を続ける。

 

「んで、どうしてこのタイミングでここに?」

 

「パトラがね、金一に頼まれたからって私の方に情報をリークしたのよ。それでちょうど自衛隊に投入される戦闘機のテストパイロットに早紀がゴリ押ししてくれて、それに同乗してきたってわけ」

 

「早紀さんは?」

 

「そのまま函館に行って供給受けたら戻るはずよ。お土産頼んでおいたから今から楽しみなんだよねぇ」

 

「あの大太刀は他に何か聞いてるか?」

 

「あー、なんだったっけな。『これがあればあの扉も斬れるんじゃね?』だったかな。何の扉かは知らないけど」

 

「バカかあの脳筋は……」

 

 時間ができたのでさっきはあやふやにされたことを聞けば、どうやら金一さんのファインプレーだったようで、それがなきゃ死んでたかもしれないから、今度会ったらお礼を言っておこう。

 その弟ってことになるジーサードは頭が良いのにバカらしく、あの大太刀ならオレと理子が閉じ込められたエリア51の隔壁も破れる武器を作ったみたいだが、携帯性重視のオレにあれを渡すのはバカとしか言えない。あんなの常日頃から持ち歩けるかっての。

 

「でもまぁ、京夜達が真っ向から陽陰に喧嘩を売るなんてビックリよ。それで逮捕までしちゃうんだからさらにビックリ」

 

「うーん……それに関してはちゃんと話しておくべきだったのかもな」

 

「なに言ってんの。情報ってのは知る人が増えればそれだけ漏洩の可能性が高まるんだから、教えなくていいのよ。私だって陽陰と直接やり合ったらセーラとジャンヌみたいな結果になるだろうし、式神だけにしてくれたからこそ役に立てたわけ」

 

「ナイスタイミングすぎて最初は敵かと思ったけどな」

 

「そこはほれ、女の勘ってやつ?」

 

「恋愛限定の能力かと思ってたよ」

 

 張り詰めた空気を完全に払拭したからか、今頃になって怪我という怪我に体が悲鳴を上げてくるが、そうして幸姉と話していると痛みもずいぶん柔いてくれてる気がして、綺麗な夜空を見たまま少し笑い合う。

 

「ありがとな、幸姉」

 

「私もありがと、京夜」

 

「……何に対しての感謝だよ」

 

「ふふっ。そんなの決まってるじゃない。『生きててくれてありがとう』ってこと」

 

 何はともあれ、ピンチを救ってくれた幸姉にはちゃんと感謝を述べようと口にしたら、幸姉からも感謝されて困惑するが、そんな返しをされると改めて実感してしまう。

 ――ああ、生きてるんだな、オレ。

 

「…………帰るか。『みんな』で」

 

「それはとっても素敵なことね」



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Bullet151

「やっと出られたわね!」

 

「もう朝になってるじゃねーか……」

 

 大量の岩の下に生き埋めにされていたキンジ達は、駆けつけたレスキュー隊による夜通しの作業で朝方ようやく救助され、ピンピンしてるアリア。怪我だらけのキンジ。それを心配する白雪と蹴鞠に化けて抱かれる玉藻様とゾロゾロ出てきて途端に騒がしくなる。

 白雪には風雪ちゃんや粉雪ちゃんら妹達が泣きついたり、アリアは中で色々と決め事があったのか、携帯を借りて早速どこかへと電話をかけまくって、ボロボロのキンジは羽鳥の診察を受けながら担架で本殿の方に運ばれていった。

 

「京夜」

 

 バタバタする現場で全員が無事なのを目視で確認したので、オレもやっと落ち着いて朝食でも食べられるかとキンジや白雪達のあとをついていこうとしたら、電話の合間にアリアが話しかけてきてそちらに向き直る。

 

「何がどうなって緋緋神と和解したかは知らないが、問題が解決して良かったな」

 

「まぁその問題解決っていうのもこれからになるんだけど、ありがと」

 

「それが解決したら今度はかなえさんだな」

 

「そうね。ママの件もあたしがどうにかしてやるから、良い報せを待ってなさい。京夜も京夜でまだやることがあるんでしょ? フローレンスとか趙煬とかセーラまでいるみたいだし、武偵憲章8条よ」

 

「わかってる。お互いに次に会うのは学園島ってことで」

 

「ええ。帰ったら理子達も呼んでパーティーでもしましょ」

 

 そうした会話をしてから可愛いウインクで再び電話の方に戻ったアリアに軽く手を振って了承の意を示しておき、もうすぐ到着予定の東京武偵庁からのエージェントを待つために朝食を含めて改めて本殿へと移動。

 あれから1度として目覚めない陽陰はかなり気がかりだが、星伽の術も追加して力は封じ込めて、趙煬が寝ずの番をしてるので起きて暴れられる心配はない。

 ジャンヌとセーラは星伽神社に着いてからすぐに寝かされて、セーラの方は起きて様子を見に来てくれたが、ジャンヌは本殿に戻った時に起きたらしく、パッキリと折れたデュランダルに四つん這いで涙していた。南無三。

 そんな作戦の参加者で揃って朝食を摂ってからすぐ。午前8時頃に武偵庁から来たヘリが星伽神社に到着し、そのヘリに全員が乗って東京へと帰還。

 幸姉は星伽の方で手厚い送迎をするとかで優遇されていたが、仕事先から当主に大目玉があったようで、帰るのが億劫になってた。こっちも感謝と同時に南無三。

 

「東京武偵庁の支部とか初めて入るな」

 

「警察の紛い物組織だよ。ロンドン武偵局だって似たようなものだ」

 

「お堅い組織は苦手」

 

「同感だ」

 

「俺がそれに共感するわけにはいかんが、わからんでもない」

 

 星伽神社から数時間かけてやって来た東京武偵庁の支部ヘリポートからヘリを降りて移動する最中。

 エージェントが先頭を歩いてるのを良いことに小声で聞こえないように失礼なことを言う一同には苦笑いが出る。

 武偵庁とも繋がりのあるロンドン武偵局に所属する羽鳥は事前に色々と要求を通していたようで、これから公安のお偉いさんを交えて司法取引のあるオレ達とは別にあれこれと動いていたが、司法取引を済ませた頃に戻ってきてオレ達を揃って連れ出す。

 

「さて、健闘してくれた君達には少々だが残念な事実を突きつけることになるかもしれないね」

 

「残念?」

 

「百聞は一見にしかず。君達の目と耳で理解してくれたまえ」

 

 廊下を歩きながら消沈気味に語った羽鳥の言いたいことがいまいちよくわからなかったが、辿り着いた『取調室』とある部屋に通されて、向こうからは見えない窓ガラス越しに意識を取り戻した陽陰が取り調べを受けてる様子が見える。

 

『もういいっしょ!? 俺は何にも知らないっての!』

 

『もう少し待て。もうすぐそれが本当かどうかを判断する手段が到着する』

 

 意識を取り戻した陽陰は超能力者用の手錠はかけられたまま、イライラした様子で椅子に座らされていて、対峙する尋問専門だろう武偵もテーブルを挟んで椅子に座っている。

 

「意識を取り戻した陽陰……いや『彼』は君達が司法取引をしている間もずっとこちらの質問に知らないの一点張り。そもそも自分が何故ここにいるのかも理解していない様子だったんだ」

 

「ふむ。それはいくつか可能性が考えられるが……」

 

「悪いがおそらくはかなり残念な部類の可能性だ。昨夜の段階でこちらには相手の記憶を読み取る超偵と念写の出来る武偵を召集してもらっていたが、到着が遅れていてね。その両名が引き出した情報で確定できるはず」

 

 取調室の変な雰囲気はすぐにわかったが、羽鳥の説明でその理由については大雑把に理解。

 どうやら意識の戻った陽陰。いや、陽陰『かもしれない』男の身元やらがハッキリしなく、超偵の到着待ちだということだ。マジかぁ……

 

「一応、彼が言う名前と仕事先から身元の方はもうすぐ確認が取れるが……っと、来たようだね」

 

 それでも名前やら住所やらから身元の割り出しは進行していたようで、その確認を済ませたエージェントが入ってきて口頭でオレ達に知らせてくれる。

 この辺も司法取引の中に含まれるから他言は出来ないが、司法取引する価値があったのかも今や怪しいものだ。

 一応の確認によると、男の身元は証言通りのようで、2日前に無断欠勤して仕事先が困っていたらしい。

 男もその情報を伝えられて初めて自分が無断欠勤して、意識があった日から2日も経ってる事実に驚愕していた。

 その表情の変化を諜報科であるオレや尋問科の羽鳥、エージェントが見た限りでも、男が素人以下の普通の人間であることがうかがえて思わず唸ってしまう。

 

「2日前から記憶が途切れた男か。これは男の身体検査を入念にやるべきかもしれんな」

 

「超能力者の見解はそうなるのかい?」

 

「それしかない。でも慎重にやるべき」

 

 この時点で導き出される予測は、男が本当に土御門陽陰ではなく、ただの普通の社会人で、何らかの手段で『陽陰に意識を乗っ取られていた』可能性がある。

 それを何の仕掛けもなくすることなど出来ないはずと語るジャンヌとセーラだが、ここに来る前にオレ達も簡単にではあるが男の所持品などを確認して取り上げているものの、超能力用の札くらいしか怪しい物はなかった。

 逆に男の本来持つべき財布やら何やらが一切なかったのがおかしいなとは思っていたが、そちらは自宅に全て置かれていたと報告にあったから、陽陰が邪魔だから置いてきたと予想できる。

 そうした推測から、超偵の到着前に男の身体検査をジャンヌとセーラが加わって行われることになり、超能力関係には疎いオレ達は結果報告を待つ。

 20分ほどの待機で身体検査は終わり、戻ってきたジャンヌとセーラは何やらちょっと疲れた様子で超能力を使った感じがなんとなくわかる。

 そのジャンヌが密封した袋を持っていて、透過しているその中には血のように赤い札に草書体の黒い文字が書かれた物が入っていた。

 

「まったく……つくづく陽陰が規格外で嫌になる」

 

「化け物」

 

「その札は何なんだ?」

 

「あの男を操るために用いていた、陽陰の魔力が大量に注ぎ込まれていた『だろう』札だ」

 

「だろう、と言うことは今その札に魔力は……」

 

「空っぽ。昨夜の戦闘で使い切ったのか、意図的にそうしたのかの2択」

 

 札を指しながらに愚痴をこぼしたジャンヌの説明では、この札が男の体に貼り付けてあったらしく、取り外しにさえ苦労したようなことを雰囲気で語りながら、今はもう札自体に陽陰の力がないことを言うが、その表情からしてそれだけではなさそう。

 

「なんにせよ、あの男は陽陰ではないことがほぼ証明されたことになるが、これが手がかりになる可能性もある」

 

「指紋や筆跡、その他の形跡。あとは物に残る思念を読み取れる超偵なら、何かを拾えるかもしれないね」

 

「だが少々問題もあってな。この札、魔力自体は完全に消失しているのだが、それがトリガーになっていたのか、また厄介なものを纏っている」

 

「呪術」

 

 それでもここまででわかるのは、捕まえた男が土御門陽陰ではないという残念な事実。

 そこには落胆するが、それでもまだ陽陰の手がかりが潰えたわけではないので、その札を調べたら何か掴めるかもと話が進む。

 しかしここでも抜かりがない陽陰は魔力が切れたら呪術が残るように細工していたらしく、これがジャンヌとセーラを困らせてるっぽい。

 

「具体的にはどんな呪術なんだ?」

 

「あくまで推測でしかないが、札に触れるだけで死に繋がる呪いを受けるだろう。だから私もセーラも感知と取り外しに苦労した。物理的には見えんし、取れなかったからな」

 

「うっかり男が触れてしまえば呪いで死に、札は亡骸ごと焼却して隠滅。本来ならばそんな感じだったのだろうね。まさに使い捨ての操り人形だ」

 

「胸くそ悪い話だな」

 

 その呪術というのは先の護衛依頼の時に見たからなんとなくわかるが、あれが物理的に殺すのではなく、死を招き寄せるなら確かに事故死や病死、何でもありで呪いだと疑うことすらなく羽鳥の言う通りになっただろう。

 人を人とも思わない陽陰のやり方に苛立ちすら覚えるが、こんな被害者が他にいる可能性まで浮上すると、本物の陽陰が動く必要なんてまずない。まさに雲の上にいるような感じで苛立ちも倍増する。

 呪術の解呪はジャンヌとセーラでは出来ないということで、そちらの方の専門も新たに召集した武偵庁の人材の豊富さはさすが組織といったところだが、どうやっても1日はかかるということで札の件はとりあえず保留としておき、先に召集した超偵の方が到着したので、男の記憶を読み取る裏取りが開始される。

 もうほぼ100%男は陽陰本人ではないが、こうして操り人形にされたということは、過去に陽陰と接触している可能性もあるので、その辺の記憶が読み取れれば或いはといった感じ。

 念写に関しては札になら使う余地がありそうだという話で、こっちは解呪待ちということになる。

 

「…………まぁそうだわな」

 

「……あまり表情に出すな。こっちまで鬱になる」

 

 というわけで超偵の調査が入ったわけだが、結果は空振り。

 陽陰と接触した記憶は本人の認識のあるなし問わずどこからも読み取れなかったようで、超偵が言うには『日常的な些細なことで陽陰と知らずに接触した可能性がある』とのこと。

 要するに記憶を改竄されたとか、対面して会ったとかではなく、街でたまたますれ違って肩がぶつかったとか、そんなレベルの接触だから探りようがないってことらしい。

 残す手がかりは呪われた札だけになったが、それも手を出せるのが明日以降になるというから、もうオレ達に出来ることは何もない。

 それにこの結果が出るまでは趙煬やセーラも戻らないと言う。

 オレもメヌエット達に報告しなきゃならない――司法取引にはメヌエット達も含まれてる――ので、今日のところは武偵庁の控え室やらでお世話になってしまおうとみんなして宿泊。優しいな武偵庁。

 実際はそこまで優遇されたわけでもなく、仮眠室でスシ詰めに近い状態で一夜を過ごしたのだが、武偵病院から医者を派遣して割と本格的な治療を無償でしてくれた手前で文句も言えなかった。

 それでわかったのだが、オレは肋骨の3本ほどにヒビが入っていたらしく、羽鳥も同じレベルの負傷をしていたようで、割とケロッとしてるオレ達に医者が「痛みに慣れるのは良いことだが、慣れすぎるのは危険だ」と注意されてしまった。

 別に慣れてるわけでもないのだが、痛みで怯んでる余裕すら与えてくれなかった相手が悪いんだよなぁ。

 オレはそんな感じだったのだが、羽鳥はマジで「こんなの痛みの内に入らない」とか医者に言い出すからドン引きした。

 尋問科って尋問への耐性も上げるって聞くが、対拷問耐性も上げるのか……尋問科に入らなくて良かったわ。

 といったことがあっての翌日。

 医者からは1ヶ月程度は戦闘行動を避けるように言われて、2年生としての武偵活動が実質的に終了したので、今月をどう使おうかなとぼんやりと考えながら、放置していたミズチの整備やらをやり、他のやつらも自由に時間を使って陽陰の件の進展を待つ。

 そんなオレ達が仲が良くないみたいに見えるバラバラ具合で過ごしていると、千代田区の霞ヶ関にあるこの武偵庁に所属する武偵が仕事ついでにオレ達に会いに来てくれた。

 

「どうやら生きて帰っては来れたようだな」

 

 武偵庁に姿を現したのは、オレ達の元に幸姉を送り込んでくれたキンジの兄、金一さんで、何気にカナとして会った回数の方が多いから普通の姿で会うとちょっと戸惑ってしまう。

 それでもこの人の行動なしでは今ここにいなかったかもしれないので、そうした戸惑いも面に出さずにまずは感謝の言葉と共に頭を下げておく。

 

「金一さんが幸姉を動かしてくれなきゃどうなってたかわからなかったです。感謝してます」

 

「いや、俺も仕事から戻ってパトラから聞いて動いたから、正直な話、間に合わないと思っていたが、幸音はどんなマジックを使ったのか」

 

「……戦闘機に相乗りしてきました……」

 

「…………そうか。幸音は仲間にも恵まれていたな」

 

 そうした感謝に対してかなり、えっ? となる事実を言ってくる金一さんに肝を冷やすも、金一さんも幸姉の駆けつけ方には苦笑いを浮かべていた。

 それから元イ・ウーの仲間であるジャンヌとセーラとも簡単に挨拶代わりの言葉を交わして、羽鳥と趙煬とも自己紹介を済ませると、話は陽陰の方に向く。

 

「カツェもそうだったようだが、俺と幸音もイ・ウーに潜伏していた頃は陽陰についても探りを入れていて、実際に幸音は良いところまで接触はできたがそれで終わってしまったからな。今回の君達の行動はかつての俺達を上回る功績を挙げたと言っていいだろう」

 

「それなんですが、陽陰の方は……」

 

 金一さんもかつて幸姉と陽陰について調べていたらしいことを述べつつ、今回のオレ達の功績を讃えてくれるが、それもぬか喜びで終わってると言おうとした。

 しかしそれもわかってると手で制した金一さんは、キンジより優秀なその頭で考えたことをオレ達に伝える。

 

「確かに陽陰本人を捕らえはできなかったかもしれない。だが幸音がかつて言っていた陽陰の言動の中にこんなのがあったらしい。『どんな強大な力にもリスクはあるし、ノーコストで物事を成そうとしても上手くいくわけがない』。つまり陽陰の力にもまた強大な力の代償は付きまとっているということだ」

 

「代償……なぁジャンヌ、セーラ。あの札って仮に製作するとしたらどんな代物になる?」

 

「どんなと言われても、あまりに規格外で予測が難しいぞ」

 

「私には同等の物は一生かけてもたぶん作れない」

 

「つまりはそういうことだね。私はあの札がもっと『大量』に製作されていて、もっと多くの人間があれの手駒として控えていると考えていた。昨日はそこに辟易していたが……」

 

「なるほどな。超能力者がその製作の手間を予測すらできない代物なら、如何にあの男と言えど『大量生産はできていない』可能性がある」

 

「どうやら明るい展望が見えたようだな。俺はこれから仕事がある。陽陰の今後については武偵庁が世界を動かして対策に乗り出すことになるだろうが、そのきっかけは間違いなく君達の働きによるものだ。誇ってくれ」

 

 金一さんの言葉から1つの明るい可能性が浮上したことで、昨日は鬱になりかけてたオレ達もいくらか持ち直すことができ、そんなオレ達の表情を見て小さく笑った金一さんは、これからのことを話しつつ仕事へと戻ろうと踵を返す。

 

「ああ、それからキンジについて何か知ってるか? おそらくだがあちらの問題もそろそろ何らかの結果が出てると思うんだが」

 

「それならもうたぶん9割くらいは解決してるはずですよ。キンジはボロボロで今頃は星伽神社で寝かされてるでしょうけど」

 

「そうか。遠山の男は死んでも生き返るからな。心配はしていなかったが、無事で良かった」

 

 その別れ際に思い出したようにキンジのことを尋ねてきた金一さんもやはり長男。兄弟の心配くらいはしていたらしく、オレの言葉を聞いてまた小さく笑うと、今度こそ歩いていってしまうのだった。

 その後、昼下がりになってようやく札の方の呪いを解除して、その札から新しい情報を引き出したと報せが入り、そちらの結果を聞く。

 まぁ聞いてもよくわからないが、呪いってのは純粋に解呪する方法とそっくりそのまま術者に返す方法があるらしく、今回は全力で後者をやって成功し、一時的にではあるが陽陰本人とのリンクが出来たとかで、その超偵の見たものを念写した写真をオレ達が見ることになったわけだ。

 

「……どこだここ」

 

「私も草花の専門ではないし特定は難しいよ」

 

「雪がないのだから季節的には冬ではないのかもな」

 

 しかしその念写した写真はとてもじゃないがオレ達が見て場所を特定できるような情報を持っていなくて、みんなしてにらめっこしてああだこうだ言うしかなく、それには武偵庁のエージェントも悩ましそうだ。

 

「……今はロンドンって朝方か。なら友達に頼るかね」

 

「……本当、君にその発想ができて羨ましいよ。私はアポを取るところから始まるだけに腹が立つ」

 

「ならお前も友達になってやれ。喜ぶかは別として、やってみなきゃ始まるものも始まらないぞ」

 

 そこで手詰まりになる前にオレはこんな時にこそ頼りになる友人、メヌエットに写真から場所の推理をしてもらおうと、まずは家に電話をしてサシェとエンドラに用件を伝えてからメヌエットのパソコンに写真の撮られた時刻も記してメールし、それを当然のように手間いらずでやるオレに羽鳥が愚痴をこぼすが半分くらいはスルーして返信を待つ。

 メール送信からものの数分で返ってきたメールには、例によって『小舞曲のステップの如く』から始まる推理が長々と書かれていて、写真の草花の種類と植生地域、日照時間、建物の建築様式など、様々な情報から国。さらには写真の地域まで特定してくれて、そのメールをエージェントに渡して迅速に行動してもらう。

 あとはそこにいた日系人をしらみ潰しに探せば或いはといったところだが、こちらからの干渉も知られていると言うし、これで王手とはいかないか。

 

「あとは組織力に任せるしかないか」

 

「どうあれ私達が知るべきことを知り、仕事は無事に引き継がれた。ならば私達のやるべきこともここで終了だね」

 

「うむ。みんなよくやってくれた。報酬の支払いはこれから個別になるが、お手柔らかに頼む」

 

 どうあれ、これでオレ達がやるべきことは終わったので、ようやく重苦しい雰囲気を解いたオレ達は、これからの報酬の交渉に苦笑いを浮かべるのだった。



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Bullet152

 作戦終了から一夜。

 ジャンヌの壮絶な報酬戦争も終わって、まず最初に動いたセーラを見送るために羽田空港に来ていたオレとジャンヌは、坦々とした様子でチェックインを待つセーラと最後のお話。

 

「色々と世話になったな」

 

「それが仕事だから」

 

「そうだな……まさか一文も負けてくれんとはな……」

 

「それは約束通り」

 

 次の仕事がもう入ってるらしく、傷も癒えきってないのに多忙な年下の女の子を見るとなんとも言えない自分の怠惰さが嫌になるが、サボってないし!

 などと思いつつも、当初は報酬も半分でいいとさえ言っていたセーラが、すっかり消沈したジャンヌからびた一文も負けずに本来の報酬で通したのは笑えなかった。

 理由については陽陰を逮捕できたら、という限定条件を達成できなかったとのことで、その辺はオレ達の作戦の不十分さが原因と判断し、自分の落ち度ではないと主張されてしまえばそうなのだから、ジャンヌもどうしようもない。

 

「まぁこんなジャンヌの様子からして、今後はセーラとも仲間として動けることはあまりないとは思うが、また機会があったら頼むよ」

 

「ちゃんと報酬を払えば仕事はする。それがプロ」

 

「それから最後に、ピョンピョン飛び跳ねる時はちゃんとスパッツか何かを履きなさい。これはお兄さんとしての忠告です」

 

「かえれ!」

 

 そうこう話していたらセーラの乗る飛行機のアナウンスが鳴ったので、オレ達も撤収の流れで言葉を交わし、今回の作戦でもスパッツを履かなかったセーラには忠告してやったが、デリケートな問題だったから顔を真っ赤にして追い返されてしまう。

 それでも本当に感謝はしてるので、退散しつつもチラッと振り返って手を振ると、まだ怒ってそうなセーラはプイッとそっぽを向いて返してくるのだった。ブレないなぁ。

 

「よし島。次は成田だ」

 

「了解ですのー!」

 

 羽田空港をあとにしてオレ達が次に向かったのは、遅れて上海に戻る趙煬の見送りのために成田空港へ。

 どうせなら空港くらい合わせてくれた方が楽なんだが、この辺が仲間意識がなくなった元チームの物悲しさを語っているな。協調性、大事。

 その趙煬がなぜ成田空港から戻るのか理由について聞いていたので、この場合はセーラが協調性がないのだが、フライト時間で少しでも速い方とかそこまで変わらないだろうに。

 

「京夜ー!」

 

「ごぶっ!」

 

 それで成田空港に足を運んでロビーの方に行ってみると、オレを見るや否や突撃をかましてきた猴が怪我した肋骨にダメージを与えてきて悶絶。や、やめてくれ……

 

「ほ、本当に日本に来てたんだな……オレも会えて嬉しいよ……」

 

「猴も孫になってた間に日本に来たのですが、趙煬が来ていて助かったです」

 

 なんとかギリギリで猴を受け止めることはできて、嬉しそうに抱きつく猴の頭を撫でてやる。

 猴が何故ここにいるのか。それは先の緋緋神の件でキンジ達と一緒にキノクニに行っていたらしく、その時に緋緋神に再び乗っ取られて孫となり、気づいた時にはキンジと一緒に青森の山中にいたんだとか。

 それから星伽神社に向かったキンジを觔斗雲とかいう瞬間移動で近くまで送って、その直前に貰った駄賃でなんとか人里まで下りられたらしいのだが、その金で行けたのが成田空港までだった。

 あとはギリギリの金で藍幇に連絡して、諸葛から劉蘭に連絡が行き、趙煬に迎えに行かせて今に至るということだが、作戦中は結構近くにいたという事実にちょっと驚きだ。

 

「おおー! お前達、見たことある。見送り大義!」

 

 それともう1人。趙煬のそばでおにぎりを頬張っていた鬼のハビが、見送りに来たオレを見てなんかかなり友好的な言葉で接してくる。

 このハビもまた緋緋神に体を乗っ取られて猴と同じ状況にされたとかで、キンジと和解? みたいな感じになったからオレ達とも敵対していないとからしい。

 そのハビは藍幇がどうにかしてキノクニに帰すと劉蘭が決めたとかで、その辺は鬼に恩を売る形で何らかの繋がりを作る算段があったんだろう。抜かりがない。ますます藍幇とは敵対できないな。

 

「帰る前に京夜に会える聞いて、猴も嬉しかったです。今度はゆっくり観光で来るですから、案内を頼みたいです」

 

「来る時はちゃんと連絡をしてくれよ。オレにも予定とか色々あるから、突然来ても会えないかもしれない」

 

「はいです。その時は劉蘭も一緒に来るですよ。あ、でもそうなると趙煬も来るですから、京夜は気まずいですか?」

 

「いや、趙煬はなんだかんだで嫌いじゃないよ。日本語を話せるようになってくれると楽ではあるけど」

 

「じゃあ猴が教えておくです。劉蘭にも助けてもらうですよ」

 

 オレと会えたのが何故か嬉しいらしい猴は、そうやって今度また日本に遊びに来ることを伝えて、日本語のわからない趙煬を見ながらそうした話で互いに笑い合う。

 それには見られた趙煬がムッとしていたが、オレも猴も素知らぬ顔で明後日の方向を向いて誤魔化し、今度はジャンヌと話しに行った猴を横目に趙煬と言葉を交わしに近づく。

 

「世話になった。お前にはずいぶんと助けられた」

 

「敵の排除と対象の護衛はある意味で俺の専門だ。言うなとは言われたが、劉蘭には『お前を死なせるな』と泣きつかれたこともある。そうした意味ではお前もまぁ、よく生き延びた」

 

「完全に運だった気もするが、互いに死なずに済んで良かったよ」

 

 趙煬と長話などできる自信はなかったので、言葉はそれだけで小さく笑っておしまい。

 劉蘭に頼まれたからオレを助けたみたいなことを言ってはいたが、きっとこいつはあの時にそんなことは考えてなかったとなんとなく思う。

 だからオレも直接は言わないが、少しだけ趙煬の夢の後押しをしてやることにして、ゆうべに劉蘭にメールをしておいた。

 秘密にしていた趙煬の夢。アクション俳優になりたいという夢を。その辺は劉蘭ならかなり巧妙な手でバレずにどうにかしてくれそうだから頼りになる。

 あとは趙煬がそのチャンスを掴めるかどうかだ。オレは応援してるぜ。

 そして趙煬達もフライトの時間となって、子供2人の保護者みたいな出で立ちで行ってしまった趙煬の背中に、オレとジャンヌは静かに頭を下げたのだった。ありがとな、趙煬。

 

「さて、残るは羽鳥だけか」

 

「私は先に学園島に戻らせてもらうぞ。やつのところに行くならば1人で行ってくれ」

 

「押し付けるなよリーダー」

 

「私はもうやつに会う必要がないのだ。会いに行くと言ってる京夜の方がおかしい」

 

 作戦の参加者2人の見送りを終えて、いよいよ残った羽鳥の方の顔出しかと鬱になってると、我関せずに急に方向転換したジャンヌは島の車へと戻っていき、結局は1人で会いに行くことになったオレは東京武偵庁の前で降ろされて、本当に学園島に戻っていったジャンヌにアッカンベーしてやってから、今も陽陰の件で忙しなく動いている羽鳥に会いに重い足を進める。

 

「なんだ来ていたのかい。君は暇なのかな。良いご身分だね」

 

「なら帰るわ。じゃあな」

 

 それで会ってみての第一声がこれだからもうやだこいつ。

 エージェントの1人を捕まえて羽鳥のところに案内してもらったはいいが、大量の書類と格闘中の羽鳥はオレをチラ見してからかなり適当な毒入りの挨拶だけで会話をしようという意思がないのがわかる。

 

「暇なオレとは違って忙しそうなお前のために手短に用件を伝えるぞ」

 

「右から左に流れるのを承知でよくやるね」

 

「ありがとよ。お前がいてくれてかなり助かった」

 

 なので感謝だけは伝えてさっさと退散しようと、聞く耳持たない羽鳥にハッキリ伝わるなと意地悪なことを思いつつ言葉を送り立ち去ろうとする。

 が、そのオレの手を引いて止めた羽鳥は、エージェントの1人にあれこれ指示を出してから休憩室に移動を促して、そこで2人きりになってからコーヒー片手に話をする。

 

「君はどうしてこうもタイミングが良いのか不思議だね。あのタイミングで丁度よく作業が一段落したから、うっかり君の声が耳に入ってしまった」

 

「そりゃ災難だったな。んで、オレを引き止めたってことはなんか話すことがあるんだろ」

 

「これも司法取引の範疇だし、後から聞くだろうから余計なことだが、これからの陽陰の対処について方針が固まったから、先に教えておくよ」

 

 オレ達よりも活動時間が長いだろう羽鳥の疲労は外見的にはわからなかったが、こいつはそういうのを表情に出さないやつなので、少々だが心配する顔をすると「やめてくれる?」みたいな嫌な顔をされたのでイラッとしつつも、固まった方針とやらに耳を傾ける。

 

「まずは世界中にある陽陰の天地式神を全て破壊し、やつの機動力と情報力を奪う。この辺は1ヶ月以内に完了する予定だ」

 

「まぁそれはやっとかないとやられたい放題だろうしな」

 

「それが完了したのち、長期に渡る陽陰との探り合いが予想されるだろうけど、そうやって陽陰の注意を武偵庁や武偵局が引いている限りは、君達や陽陰にちょっかいを出した全員を守る役目も果たせるだろうね。武偵庁も忙しいから、各支部から2人程度が担当になるだろうけど、塵も積もればなんとやらだ」

 

「そうまでしても捕まえられるかわからないってのがまた怖い相手だよな」

 

「国すら滅ぼす相手だろうと、ビクビクして放置していたらダメな段階にまで私達が歩を進めたんだ。たとえ何十年かけてでも必ず捕まえるさ」

 

「お前はその中心に居続けるつもりか?」

 

「それは無理だよ。私はこれで優秀だからね。あれこれと任務が山積みだ。ロンドン武偵局をやめようかなと考えるくらいに」

 

 どうやら今後はオレやメヌエットといった人物に陽陰の魔の手が伸びることは限りなく低くなることがわかり、少しだけ安心するが、あの陽陰がどんな隠し玉を持ってるかわかったもんじゃないから、武偵庁や武偵局にはマジで頑張ってもらいたい。天地式神さえなければ陽陰もかなり行動に制限がかかるはずだしな。

 そして羽鳥は今は陽陰の案件で中心で動いてはいるが、ほとんどを引き継ぎでまた別の任務に邁進するようで今からちょっと鬱気味に苦笑い。

 それには優秀な人間の贅沢な悩みだろといった表情で笑ってやってから、羽鳥に用がありそうなエージェントの姿を休憩室から見つけたので、話もこれくらいにしておく。

 

「なんにせよ、1つの仕事を終えて、またお互いに歩き出す。訃報を聞かないようにだけは注意しないとな」

 

「殺そうとしても殺せない君に言われると嫌味にも聞こえるよね。まぁ私も悪運は強い方だ。女の平均寿命も男より長いしね」

 

「それとこれとは関係ないだろ」

 

 そうしてコーヒーを飲み干して立ち上がったオレ達は、よくわからない会話をしてから握手を交わして小さく笑い合うと、また各々の道を歩み始める。

 きっとまたこいつとは同じ仕事をすることがあるだろう。

 その時はもっと優秀になってる羽鳥に負けないように、オレも頑張らないとな。というか羽鳥より明らかに弱くなると暴走した羽鳥を止められる自信がないし……

 

「あとは……そういや声を聞いてなかったっけ」

 

 武偵庁を出てすぐに学園島に戻ろうと進路をそちらに向けて、なんだかまだやらなきゃいけないことがあるような引っ掛かりがあったので思い返すと、そういえばまだメヌエットとちゃんと連絡を取ってなかったなと思い至り、時差を簡単に計算して起きてる時間なのを確認してから電話をしてみる。

 

『遅いですね。これは今度の再会でお仕置きが必要ですか』

 

「そんなに連絡を待ってたなら、そっちからかけてくれれば良かっただろ。メヌは変なところで頑固だよな」

 

『そんなことをして京夜が喜びでもしたら悔しいでしょう。それで昨日のメールが先ですからね。謝罪の1つも欲しいくらいです』

 

「悪かったよ。今度そっちに行ったらお土産を持っていくから、それで許してくれ」

 

『ではお姉様を所望します』

 

「こんにゃろうが」

 

 家の固定電話からサシェかエンドラが出るかと思ったら、いきなりメヌエットが出てきて焦ったが、こんなところで推理力を発揮するなと思いつつ挨拶代わりのやり取りで独特な空気を作ると、元気そうなオレにちょっと安心してくれたのか調子良く言葉を紡ぐメヌエット。

 

『それで私の推理では土御門陽陰についてはすでに国際的な武偵組織に引き継ぎが終わった頃と予測していますが、私や他の方々の当面の安全は保証されたのですよね』

 

「それはほぼ大丈夫だと思うが、まだちょっとごたついてるから、メヌにはまだ護衛をつけててもらった方がオレとしても安心かな」

 

『そちらに関してはバチカンの品のない胸のシスターが話がしたいと待機していますから、話す許可を出します』

 

「品のない……ああ、メーヤさんか。品のない?」

 

 さすがに連絡を待ってる間もぼけっとしてたわけじゃないメヌエットはこっちの動きも推理して話をぐいぐい進めてくれ、何やらメーヤさんから話があるらしくて向こうで少ないやり取りのあとにメーヤさんが電話に出るが、品のない胸って自分がまだ未発達だからって嫌いすぎだろ。

 

『ジャンヌさんからもご連絡はいただいておりましたが、改めてご無事で何よりです』

 

「メーヤさんもありがとうございます。ちゃんとメヌのことを守ってくれたみたいで」

 

『いえいえ。私の力など無力に等しかったです。猿飛さんがメヌエット女史にプレゼントした瑠瑠色金が我々を助けてくださいました』

 

「瑠瑠色金が? それはまた意外なところで役に立ってくれましたね」

 

『はい。瑠瑠色金が式神にリンクしていた陽陰を弾き出してくださり、窮地を脱することが出来ました。そうなれば我々もえいっ! とやっつけることが簡単でした』

 

「式神単体ならカツェの方でも撃破できてましたし、余裕でしょうね」

 

『ええ! あの魔女連隊にできて、我々にできないことなどありませんから!』

 

 電話の向こうのメーヤさんはそれはそれは元気で、自分達が現地で体験したことを語ってくれて、オレも活用法など特に考えてなかった瑠瑠色金が役に立ったと聞いてちょっと驚く。

 しかしその辺の話は挨拶程度のもので、本題はまた別のことなのはわかってるので、基本的にのんびりしてるメーヤさんに合わせると延々と長電話する羽目になって通話料が大変なことになる。

 そうなる前にこっちから切り替えて本題の方を話してもらう。

 

「それでメーヤさん。メヌの護衛については大丈夫ですか?」

 

『あ、はい。きちんと許可をいただいて、2ヶ月ほどは配備が可能ですよ。私も1ヶ月ほどはお向かいの居住で身辺警護を担当しますので、ご入り用の時は連絡くださいね』

 

「メヌがわがまま言ったらそっちから連絡してきてください。オレが怒ります」

 

『フフッ。ではそのように』

 

 メーヤさん達には今後も陽陰の襲撃を警戒してメヌエットの警護を継続してもらう予定だったのだが、その辺はまだ未定の段階だったので、今ので正式に継続が決定した旨がわかってオレもひと安心。

 

『それからメヌエット女史からお話を聞いたのですが、猿飛さんとは入れ違いになってしまうようで残念です』

 

「……ああ、そうなるんですね。オレも残念です」

 

 そうしてメーヤさんとの会話も終わりかなと思っていたら、最後にメヌエットから何か余計なことを聞いたようで、そういえばな話をしてくる。

 それにはまぁ特に思うこともないので社交辞令で返して、メーヤさんの笑い声を聞いてから再びメヌエットに替わり、なんだかご機嫌で話していたメーヤさんが気に食わなかったのか、ちょっとトゲのある声色のメヌエットは別の話題を振ってくる。

 

『それと京夜。私の推理ではあなた達の作戦の前後にお姉様達もまた問題の佳境にあったと思いますが、そちらの方は聞き及んでいますか?』

 

「おう。そっちも解決したみたいだな。今は……うーん、星伽神社にいる、のか? なんかアリアが色んなところに電話してたから、ちゃんと確認しないとわからんが、とにかくアリアはピンピンしてるよ」

 

『そうですか。少しくらい淑女として塩らしくなってもバチは当たらないと思うのですが、元気だけが取り柄のような人ですから、それを奪ってしまうのは忍びないのかもしれませんね』

 

「姉に対しても容赦ないな……」

 

 こいつの推理は何に基づいてやってるのか不思議でならないが、推理通りオレ達とほぼ同じ頃に問題が解決したアリア達のことを正直に話すと、あれこれと言ってはいたが、内心ではアリアのことをかなり心配してたんだろうなと勝手に解釈して笑ってやると、どう取られたのか一層の不機嫌になってトゲが鋭くなる。

 

『それはそれとして、もうすぐ3月14日になるようですよ』

 

「3月14日? なんかあったか?」

 

『まあ。紳士たる者がこの日付でピンと来ないなんて駄犬にも劣る虫ですね。考える頭を持たない虫は早く進化して女性の喜ぶことを1つでも多く考えてください』

 

「よしわかったオレもこの際だから言わせてもらうが、メヌの毒を聞きながら理解したがよ、そもそもとして先月にメヌから『何一つ恵まれていない』オレからすれば今のはわがままにしか聞こえませんねぇ」

 

『あら、ギブアンドテイクだけでは関係は成り立ちませんよ。男は元来、女に何かを与えることでその価値を見出だす人種です』

 

「ほほう。なら14日にはメヌが見るのも嫌になるくらいの量のクッキーを送りつけてやるから、覚悟しておけよコラ」

 

『そんなことをしたら京夜のただでさえ寂しいお財布事情が大赤字になってしまうわ! そんなの友人として悲しいのですから、身の丈に合った贈り物をしなさいな』

 

 ぐわぁぁああああ!! くっそ悔しいぃぃいいいいい!!

 完全なるオレへの嫌がらせに対して抵抗はしてみたが、メヌエットの毒が強すぎて敗北。

 オレのお財布事情までちゃっかり把握してやがるのがさらにムカつくが、バレンタインデーのお返しという意味のホワイトデーでメヌエットに贈り物をするのが確定させられたのが一番悔しい。

 

『あらあら、声を殺していても心が泣いているのがわかりますよ。元気を出しなさいな』

 

「…………もう切る。疲れた。またなメヌ」

 

 そこにメヌエットの死体蹴りが来たので、これ以上のダメージは心を病むので、携帯の向こうでちょっと慌てたメヌエットの声を最後に通話を切って、しばらくその場で精神統一。心をリセットしよう。メヌエット消えろぉ。

 ……そうしてたっぷり3分ほどバカになってから、とりあえず学園島に戻ろうと思い至り、その足を学園島へと向ける。

 なんか色々とあったが、ちゃんと生きて帰ってこれたな。

 そんなことを考えながら男子寮まで辿り着き、自分の部屋の扉を開くと、ずっと待っていたのか、はたまた女の勘で直前でスタンバイしていたのか、玄関で仁王立ちする小鳥が腕を組んで入ってきたオレを睨む。何故に?

 

「勝負です京夜先輩! 私と本気の勝負、してください!」



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学期末編
Bullet153


 

 陽陰との戦いを終えて武偵庁への引き継ぎが完了したので、ようやく部屋に戻ってこれたは良かったが、部屋に入るや否や玄関で小鳥に立ち塞がれて奥に行けない。

 なんか「勝負です!」とか言ってるし、よくわからない状況にとりあえず頭を空っぽにして、そんなことを言ってきた小鳥に質問をぶつける。

 

「あー……勝負って何?」

 

「私が京夜先輩の戦妹になってからの集大成を見せるための勝負です!」

 

「ほいっ」

 

「ぎゃふんっ!」

 

 突拍子もない挑戦状の理由についてを尋ねると、もうすぐ徒友契約が終わってしまうから、要は卒業試験的なことをしたいってことを伝えてきたので、仕方ないなぁとか思いながら額を指で小突いて怯ませ、その隙に片足を持ち上げて引っくり返す。

 それに思いっきり尻餅をついた小鳥はスカートまで翻して不様な転倒を披露し、その間に横を抜けてリビングに入る。成長?

 

「まだこんなので倒されるのに、勝負するのか?」

 

「いったぁ……そ、そうですよ! 勝負します! 今のは私の望む勝負の形じゃないですから!」

 

 荷物はとりあえずソファーに置きつつ、尻を擦りながらリビングに来た小鳥に呆れつつで質問を返すと、なんか言い訳みたいなことを混ぜてオレへの敵対心を露にする。

 でもまぁ、帰ってきてから話を聞く約束もしていたし、それがこのことならスルーするのも悪い気はするな。

 

「んじゃ、その勝負ってやつはどんな形だよ」

 

「かくれんぼです」

 

「…………原点回帰ってやつか?」

 

「私と京夜先輩が初めましてをした実力テスト。それが今の私の実力を計るにはもってこいだと思ったんです」

 

 武偵が何かを宣言して勝負するというこの上ない違和感はあるものの、後輩からの挑戦状をはたき落とすのはカッコ悪い。

 なので小鳥の土俵がどんなものかを尋ねると、なんとオレが小鳥を戦妹にするために行なったかくれんぼをすると言い出すからビックリ。

 しかしオレもオレで小鳥がどのくらい成長してくれたのかを見るならそれがいいかなとすぐに考え至ったので、医者に止められてる戦闘行動じゃないし乗り気になってしまう。

 

「今は15時半か。ルールはどうする? 前と同じか?」

 

「いえ、それじゃあ私が納得できません。京夜先輩には本気で隠れてもらいます」

 

「ほう。だが制限時間と捜索エリアくらいは設定しないとオレも『一生隠れてなきゃならない』んだがね」

 

「では今から30分、京夜先輩には行動する時間をあげますので、人工浮島(メガフロート)の中で隠れてください。移動もいくらでもどうぞ。時間は17時ジャストまででどうですか?」

 

「ヒントはいるか?」

 

「いりません」

 

「上等だ」

 

 自分の成長を確かめたいと言う小鳥なりに色々と強気な発言が連発するが、ほぼノーハンデのこの条件だと正直な話、オレでは捜索側はやりたくない。

 あまりに厳しいスタートを強いている小鳥にはどうしたものかとちょっと思うところもあったが、その迷いのない目には覚悟のようなものも見えたので、オレも手加減してやる気にはなれず笑みをこぼす。

 そして16時から動き出す小鳥から逃げるように男子寮を出たオレは、絶対に見つかってやるもんかという意地を持って行動を開始した。

 ――さぁて、見せてもらおうか。お前の1年の成果ってやつをな。

 

 

 

 

 ――言っちゃったよぉ! 私バカなの? そうだよねバカだよね!?

 3月の中旬。この時期からすでに武偵高は進級を確定させた生徒が授業を可能な限り休むプチ春休みに突入していることもあって、平日でも普通に学園島は生徒が闊歩している。

 もちろん普通に依頼などで出払う京夜先輩のような人も多いですが、そんなことは今はどうでもよく、私も進級は決まっていたので今日は午後からサボ……重要な案件を片付けるために部屋で待ち伏せ。

 今日の昼休みに幸帆さんからジャンヌ先輩が戻ってきたことを聞いて、そこから京夜先輩も数時間後には戻ってくるだろうと聞き、今回の勝負を持ちかけたけど、ハードル上げすぎたぁ!

 

「どうしよう昴……本気の京夜先輩とか1時間で見つけられる気がしないんだけど……」

 

 私の強気な挑戦にやる気を見せた京夜先輩のあの笑顔は怖かった。

 もう絶対に見つかってやるもんかって意気込みすら見えたし、今更ながらそんな弱音を昴に吐いてしまう。

 それを聞いた昴も「あれはねぇな」とすでに投げやり気味で、手伝ってくれる気配が薄い。そこは味方してほしかったなぁ……

 とはいえ強気に出た手前、今から「やっぱりルール変更します」とは口が裂けても言えないので、もうこれで1時間を頑張るしかない。ヒントなしかぁ……最初の行動すら定まらないや……はははっ。

 

「でも……卒業しなきゃダメだから」

 

 それでも私はあの人の背中ばかりを見ていい場所にいちゃいけない。

 そうした覚悟で挑んだ、戦妹になって最初で最後の本気の勝負。

 敵わなくたっていい。届かなくたっていい。あの人にちゃんと見せるんだ。今の私の本気の実力を。

 

「…………あと、3分」

 

 勝算なんて考えてない、開き直ったかのような精神状態にまでなった私は、そうやって自分を落ち着かせて目をつむり、ゆっくりと目を開けて時計を見て、長針が57分を指しているのを確認し、改めて最初の行動を考え始めた。

 ――大丈夫。積み重ねてきたものは、絶対に自分を裏切らないから。

 

 

 

 

 よく考えなくてもやっぱり1時間とか短すぎるよなぁ。大丈夫かよ。

 小鳥の本気に触発されて行動を始めたはいいが、オレが本気を出せばチームバスカービルを全員相手にしても1時間なら隠れきる自信はある――そもそも畑違いのチームで基準にならないかもだが――ので、昴がいるとはいえオレの方に分があるのは明らか。

 1年前のかくれんぼでは色々と痕跡を残しながら逃げていたが、あの時の小鳥よりも成長してるなら、もしかしたら届くかもしれない。

 そんな期待を込めた考えがないわけではないし、戦妹の成長を喜ばない戦兄もいないだろう。

 それでもオレはその前に武偵だし、何より男だ。勝負で負けてやることをまず考えるなんて恥でしかない。

 男子寮を出てからオレがまっすぐに向かったのは、車輌科の専門校舎。

 これは偶然だが兄妹で仲良くバイクの魔改造を楽しそうにやってた武藤兄妹に声をかけて、ある乗り物を借りる。

 ついでにもしもに備えて武藤兄妹には別途で指示をしておき、時間もないしすぐに移動を再開。これでまぁ、意地悪は2つだな。

 

 

 

 

 よっしゃあ!! 行きますよ!

 時計の針が16時を指した瞬間に男子寮を飛び出した私は、その間に考えていたことを実行に移して、まずは真っ先に車輌科へと向かう。

 京夜先輩は運動能力は高いけど、疲れることは嫌いな方だし、自転車くらいは使いそうと踏んでのことだけど、それだけじゃない。

 どのみち車輌科に寄るのは無駄足じゃないので、私も自転車くらいは借りようと校舎の方に入ると、貴希さんがお兄さんと一緒にバイクの魔改造をしていたので、友達だから話しかけやすいこともあって速攻で声をかける。

 

「貴希さん! あの、お借りしたい乗り物があるんですけど」

 

「小鳥が借り物? 車は運転できないでしょ?」

 

「いやまぁ、それはそうですけど、今は車じゃなくてボートです」

 

「ボートねぇ。東京湾に出るなら小型船舶くらいは乗らないと不意の高波でドボンだよ?」

 

「それも大丈夫です。東京湾でも移動はちょっとなんで」

 

 何やら意図のわからない私のレンタルに首をかしげる貴希さんでしたが、すぐに返してくれるならお金は取らないと友達料金の設定をしてくれたので、すぐに貸し出されたボートに乗って移動を開始。

 目指すはレインボーブリッジを挟んで学園島の北にある人工浮島、通称『空き地島』。

 言ってから気づいたけど、私は勝負の時にエリアの制限で『人工浮島』と言ってしまっていた。

 完全に凡ミスでしたが、これが案外、功を奏したような気がしなくもない。

 京夜先輩はあれでかなり意地悪な性格をしていますし、私の言葉から別の解釈を引き出して後でああだこうだ言って納得させるのはいつものこと。

 なら今回も私の考えつかないそんな場所でクスクス笑ってそうな顔が目に浮かぶようだったので、今度はこっちが笑ってやります!

 空き地島には隠れる場所はないし、勝った!

 

「…………いない」

 

 読みは合ってたと思うんですよええ。

 ですが空き地島には京夜先輩の影も形もなくて、もうすぐ4月になるとはいえ、まだ少し肌寒い風が吹きっさらしの空き地島を通り過ぎる。

 

「……いないなら戻らないと!」

 

 京夜先輩の裏の裏を突いたと思ったから、空振りしたことにはダメージがあったけど、呆然としてる暇があったらとにかく動かないとと切り替えてボートに乗り学園島へと出戻り。

 ものの10分程度で戻ってきた私に不思議な顔をした貴希さんでしたが、お礼を言って今度は自転車を借りたいと言うと、何故かクスクスと笑い出してしまうので何事かと貴希さんを見る。

 

「ああごめんごめん。ここまで推理が合ってたら言っていいって言われたから言うけど、あんた、京夜先輩にからかわれてるの?」

 

「へっ? どういうこと?」

 

「小鳥が来る前に京夜先輩も私達のところに来てボートを借りたいって言ってきたのよ。でもすぐにそれは『……って小鳥が言いに来ると思うから、貸すボートを指定したい』って。それでそのボートを貸したんだけど、なんかメモなかった?」

 

 何故か勝負のことを知らない貴希さんから京夜先輩の名前が出てきて、ちょっと笑いながらにボートを指して言われたのでボートをちょっと捜索すると、なんかあった。

 エンジンに貼られていたメモには『ミイラ取りがミイラに』とかムカつくことが書かれていて、そのメモを読んで破り捨てた私は、怒りのボルテージを1つ上げる。

 

「それでもう1つ伝言。『30分で逃げ場のない空き地島に行ってジッとして捕まるとかアホか。それなら普通に逃げるっての』だってさ」

 

 ふんがー!!

 よくよく考えたら男子寮から空き地島が見えるのに、そこを見なかった私もだけど、そもそも空き地島に行ってない京夜先輩にムカつく!

 これには裏を読んだつもりになっていた私の鼻をへし折る威力がありましたが、怒りで思考を鈍らせてる場合じゃない。

 

「それで……京夜先輩はどこに?」

 

「自転車を借りて学園島の南西の方に向かったかな。ああこれは指示されたとかじゃないよ。指示されたのはボートの件と今の伝言だけ」

 

「そうですか。じゃあ私も自転車で行きますからよろしくです」

 

 京夜先輩への怒りは捕まえた時に全部まとめてぶつけることにして、結果的にここまでで20分も使わされた私は、残りの40分を無駄にしないために借りた自転車で走り出した。

 見つけたらとりあえず殴ろう。先輩だから? 知りませんそんなの。

 

 

 

 

 さてと、小鳥が学園島に戻ってきたし、オレも移動を再開するかね。

 小鳥の言葉のトラップが自覚、無自覚を問わず、空き地島に安易に行って見つかる恥ずかしい事態を避けたオレは、持っていたコーヒーを飲み干してカップを双眼鏡と一緒にテーブルに置き、ソファーから立ち上がる。

 

「もう行かれるんですか?」

 

「小鳥が追いかけてきてるしな。近いうちにゆっくりくつろぎに来るから、今日はこれで邪魔するよ、幸帆」

 

「じゃあ明日でお願いします」

 

「了解でーす」

 

 それで幸帆の部屋に帰ってきた旨の挨拶も兼ねてお邪魔していたところを、そろそろ頃合いかなと思って失敬。

 また明日に改めてくつろぎに来る謎の約束をして女子寮を出たオレは、乗ってきた自転車を1度は跨ぐが、すぐに幸帆に連絡して移動を再開する。

 本気で逃げてはいるが、ちょっと楽しんでるなぁ、オレ。

 小鳥が真剣なのにオレの方がちょっと不真面目にも取れる感情は内側で処理しつつ、なんだかんだでヒントを与えてしまってる自分に笑いが漏れてしまうのだった。

 

 

 

 

 ――あったぁ!!

 昴も先行させて貴希さんが京夜先輩に貸したという自転車を探すこと10分。

 第3女子寮の前に停めてあったそれを見てまずあったのは、幸帆さんのところで呑気にお茶でもしてたんじゃないかっていう予感。

 本気って言ったのにあの人はもう!

 とは思いつつも確認のために幸帆さんの部屋にお邪魔すると、やはり片付けて間もない京夜先輩専用のカップが洗われている!

 

「となると乗り捨てた外の自転車はどうするつもりなんだろう……」

 

「それなら小鳥さんが来られた後に回収するように言われてまして、明日はそれで私が登校して貴希さんにお返しする手はずになってます」

 

「抜かりないなぁ……じゃなくて、完全に私のことを舐めてますよね!」

 

 京夜先輩がここに来た裏取りもしたところで、しっかりと自分のいた痕跡を残しまくる京夜先輩にはまだ余裕がうかがえるし、相手として不足していると宣言されてるに等しいこの仕打ちには憤慨。

 しかしすぐに冷静な思考が働き、京夜先輩の逃走ルートが脳裏を通り、女子寮を出ながら理子先輩に電話。

 たぶん京夜先輩は学園島に戻ってきてまだ挨拶を済ませてない人に会っている。

 その予想が正しいなら、京夜先輩に会えなくて悶々としていた理子先輩のご機嫌取りはしてそうと踏んだ私の電話に応じた理子先輩は、携帯越しでもわかる上機嫌で苦笑い。

 

『おっすおっすことりーん! 何か用かなー?』

 

「あの、理子先輩のところに京夜先輩が来てませんか?」

 

『うん、いるよー。今は理子とラブラブチュッチュして……』

 

 その感じで京夜先輩がいるなぁとは思いつつ、理子先輩の冗談混じりの話を聞いていると、なんかその言葉が切れて沈黙したと思った矢先、急に萎れた声になって「いなくなった」とか言うので頭を抱える。早いよ!

 

「今どこにいるんですか?」

 

『理子の部屋……第2女子寮……おお?』

 

 第2女子寮なら自転車で3分とかからない。

 今しがたの出来事なだけに遭遇の可能性が高いそこに賭けて自転車に股がった私でしたが、携帯越しの理子先輩が何かに気づいた声をあげたのでそっちも最後に聞いておく。

 

『なるほど! さっすがキョーやん。わかってるー! じゃねことりん! 楽しみにしてるよんっ!』

 

「えっ!? 理子先輩!?」

 

 しかし勝手に納得しちゃった理子先輩は、何故か私によくわからない期待を寄せて通話を切ってしまい、何のこっちゃと少し考えてから、今は京夜先輩の方が大事と切り替えて自転車で爆走。

 どうせ今のも自分が勝った暁に何か奢るとかそんなことでしょうし!

 

 

 

 

 あっぶね! ニアミスしたんですけど!

 ずいぶんと早くオレの行動を予測してきた小鳥が、会ってすぐの理子のところに電話をしてきたのを見るや否や第2女子寮を飛び出し、昴を警戒しながら木の下を上手く利用してそそくさと女子寮から遠ざかる。

 おそらく入れ違いにはなるが、第3女子寮の方向も考慮したルートで逃げたオレに抜かりはない。

 いや、抜かりはありまくりだが、それでもあと20分。あともう1時間あったらもう少し焦るが、やっぱり制限時間の短さは命取り。オレの心の余裕をなくすなら2時間は欲しかったな。

 とかなんとかすでに勝った気でいると思わぬところから槍で刺されるので、最後まで油断だけはしないでオレの任務も遂行する。

 

 

 

 

「ごっめーん。わかんない」

 

 かつてない立ち漕ぎで第2女子寮まで辿り着いたはいいけど、直前まで電話をしていた理子先輩が出迎えて早々でテヘペロして京夜先輩の行き先についてわからないと言うのでガックリ。

 途中で発見もできなかったし、昴も「忍者は見つけられない」と投げやりで役立たず。

 

「あと、15分……」

 

「キョーやんとかくれんぼとか胸熱だねぇ。1つの場所に留まらないのもキョーやんらしいし」

 

「あの落ち着きのなさは野生児に近いです」

 

「くふっ。実際に1ヶ月くらい野生児だったみたいだしねぇ」

 

 京夜先輩に振り回されて残り時間も15分を切り、いよいよ尻に火が点いてどうしようかと悩みながら理子先輩とお喋り。

 そこで京夜先輩の過去にちょこっと触れたものの、すぐに寮には戻らずに移動を始めた理子先輩は「まぁ頑張れ後輩!」と声援だけは送って行ってしまう。

 その方角にちょっと気が向きつつも、とにかく京夜先輩を見つけないとと思考した私は、ついに最後の手段に出る。

 出来るなら積極的には頼りたくない自然の力。

 学園島に植生する木に語りかけて、京夜先輩らしき人を探し出す。

 

「…………お願い」

 

 以前は星伽神社の近くで失敗したけど、この学園島の木々は怖い感じはしない。

 それが何故かはわからないけど、自然にも顔があるのは確かで、その顔を変えてくれないようにお願いして語りかけると、少し前に自分達のそばを歩いていく男がいたみたいで、昴を避けて移動した京夜先輩だろうと勘繰った私は、その行き着いた先に一直線。

 植生する木々は規則的に生えていることもあって、学園島の全体に目を持ってるに等しいそのガイドで辿り着いたのは、学園島で唯一の大型スーパー。

 お、お買い物でしょうか……

 

 

 

 

 残り3分。楽勝だったな。

 そう思ってレジに並ぼうとした瞬間。入り口から小鳥がスーパーに入ってきて反射的に死角に逃げる。

 えっ? 早くね? というかこのスーパーに入ったのがわかったのか? マジかよ。

 昴にも見つかったつもりはないし、ここを出たところでタイムアップにしようと思ってたのに、想定外ですよ。

 

「……まっ。それもそれで」

 

 嬉しくもあるとか複雑だよな。

 そんなことを感じながら、店内をキョロキョロしながら移動する小鳥を捉えながら、常に死角に移動してやり過ごす。

 が、すぐに昴が店内の天井スレスレを飛んで捜索し、オレを発見。

 見つかったかぁ。やられたぁ……

 とはならず、ちょっとからかうように小鳥との距離を縮めさせない移動で時間稼ぎをして、タイムアップしたところで止まってやり、必死に探していただろう小鳥に見つかると、何か一言あるかなぁと思ったら、言葉もなしでいきなり殴られたのだった。な、何故……



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Bullet153.5

 

 京夜先輩が戻ってきて早々に始めた本気のかくれんぼ。

 制限時間内に京夜先輩を見つけることができず、最後の追い込みをかけたスーパー内で昴の指示通り右往左往させられてタイムアップとなってしまった。

 そして時間を確認していただろう京夜先輩がそれと同時に逃げるのをやめて私が追い付くのを待っていましたが、そんな京夜先輩のお腹に私は割と本気の拳を叩き込んでしまった。

 その行動には痛みよりも何でといった表情をした京夜先輩でしたが、それがわからないほどバカな人ではない。けど……

 

「……私、本気で逃げてって言いましたよ?」

 

「…………」

 

「それなのに行く先々でヒントを残していって……追ってこいって言わんばかりのそれが私は……」

 

 嫌だった。

 そう口に出す前に目に涙が滲んでしまい、それを拭うために言葉が切れる。

 しかしそんな私を見て京夜先輩は、一瞬だけ申し訳なさそうな顔をしてから、すぐに真顔になっていきなり私の脳天にチョップをお見舞いしてくる。な、何で!?

 

「アホが。どう考えてもお前の前提条件だとオレを見つけられないだろうが。お前がそういう条件にしたから乗ってやったが、本来なら『逃走側の設定』をもっと細かくするべきなんだよ」

 

「…………へっ?」

 

「強盗犯とか窃盗犯とか、そういう役に、武器の有無。性格なんかも考慮しないと逃げる側の心理を読むこともできやしない。きっと小鳥は今回のを『きっとオレなら』って考えて行動したんだろ。だからオレもオレらしく動いた。そうしないと『意味がないから』な」

 

 …………言われて気付く。

 1年前はまだ私も京夜先輩のことをよく知らないで挑んだかくれんぼだったから、そういうものと考えていたけど、あれは『必要な情報』だったのだ。

 決して私に対する情けとかではなく、明確に『誰を捜索するのか』を提示してくれていた。

 対して今回のかくれんぼは私があまりにも単純に『京夜先輩を探そう』としたから、京夜先輩がわざわざその条件に合わせてくれた。

 それを私は勝手に手抜きだとか思って殴って……恥ずかしいんですけど!

 

「……殴ってごめんなさい」

 

「いや、それだけ小鳥も真剣だったってことだろうし、ちょっと楽しんでたのも事実なんだよな。それに本当はここでの買い物を終えてから見つかるはずだったのに、ここまで来られて焦ったのはあるよ。その辺ではオレの予想を良い意味で裏切ってくれたんじゃないか?」

 

 京夜先輩はこのかくれんぼ自体に有意義なものを本来なら持たせたかったんだろうことを悟ると、そこまで考えずに勝負を持ちかけた私の落ち度が酷すぎて謝るしかない。

 それでも優しい京夜先輩は私を怒ることもせずに、さっきのチョップでチャラにしたようなことを言いつつ、私のこともちゃんと評価してくれて、お釈迦様にすら見えてきた。

 しかしこんな話をスーパーでやってたもんだから、他の買い物客の迷惑になりそうな雰囲気を察して京夜先輩が先に動き出し、私もそれに続いてレジの方に移動しカゴの中のものをチェック。

 

「食材的にすき焼きっぽいですけど、高いお肉まで買って大丈夫なんですか?」

 

「特別報酬が入ったからな。いやぁ、太っ腹な組織もあったもんだ」

 

「どこからのお金なんでしょうか……」

 

 カゴの中の食材からすき焼きなのはすぐにわかったのですが、最近はお財布事情が厳しかったので贅沢はしてなかったから、突然の贅沢に何事かと尋ねると、直前の仕事が相当な儲かり具合だったみたいですね。

 そして買い物を終えて男子寮の方に戻ってみると、何故か部屋の方に明かりが点いていて、リビングに移動するとせっせと鍋の準備をするリサ先輩とテレビゲームをしてる理子先輩が。

 

「お帰りなさいませ、猿飛様、小鳥様」

 

「食材はこんなもんだが、締めとかは武藤達に頼んであるからよろしく頼む」

 

「承りました。これだけのものがあれば、かなり上等なすき焼きができますよ」

 

 これもどうやら折り込み済みで驚く様子すらない京夜先輩は、買ってきた食材をリサ先輩に渡して自分もくつろぎ始め、理子先輩のゲームにのそのそと参加。

 このあとには武藤先輩と他数人も来るみたいなことを言ってたので、私も順応するようにリサ先輩のお手伝いに加わる。

 というか理子先輩の言ってた「楽しみにしてる」発言はこれだったんだなぁ。

 

「邪魔するぜ!」

 

「お邪魔しまーす!」

 

「もう賑やかだね」

 

「お邪魔いたします」

 

 私との勝負の間に決めたのだろう突然のすき焼きパーティーの参加者が続々と部屋に来訪し、武藤兄妹に不知火先輩、幸帆さんまで来てのちょっとした大所帯で一気に賑やかに。

 呼ばれた人達が揃ったからか、ゲームをしていた京夜先輩と理子先輩もすぐにゲームをやめて今度は席決めのジャンケン大会がスタート。

 とはいっても京夜先輩などの男子組はさっさと座ってしまい、女子組が京夜先輩の両隣を争う様相で……って、それなら私もー!

 と、滑り込みで参加したジャンケンは見事に撃沈し、勝った幸帆さんと貴希さんが意気揚々と京夜先輩の隣に座るのを理子先輩と一緒に恨めしい目で見てから、私達も適当に座ってすき焼きパーティーが開始される。

 

「それじゃあキョーやん生還パーティーを開始しまーす!」

 

「そんなパーティーじゃねぇ」

 

 理子先輩の謎の音頭で始まったすき焼きパーティーはいつも通りのどんちゃん騒ぎで、それにはもうすっかり耐性が付いた私も自然に混ざってお肉の取り合いにまで参加する。この肉は私のだぁああ!!

 まぁこういう争いでは理子先輩が強すぎて前半は負け越しに終わって、後半からは京夜先輩に説教とセットの4の字固めを極められた理子先輩の脱落で私もお肉にありつけましたが、締めのうどんはきっちり食べに来る辺りはさすがですね。

 すき焼きパーティーが終わってからは後片付けを私とリサ先輩、幸帆さんでやって、京夜先輩達は罰ゲームありのゲーム大会を開催してさらにヒートアップしていき、後片付けを終えた私達が合流した頃には武藤先輩と不知火先輩が罰ゲームの餌食となってパシリにされてました。

 人数が増えたことでチーム戦になったりとありながら夜10時くらいまで騒いだ私達でしたが、京夜先輩の撤収の合図で今夜は珍しく誰も泊まってはいかずに解散となり、普段は粘る理子先輩も今夜はあっさりと退散していったのはちょっと気になりますが、撤収の際に片付けも卒なくこなして帰ったリサ先輩のおかげで私も京夜先輩もさっさと入浴を済ませて就寝とすることができました。リサ先輩ありがとう!

 そうして久々に京夜先輩と同じ時間に寝室に入ったわけですが、ここで珍しく京夜先輩が寝る様子を見せずにベッドに座って私を隣に招くので、ちょっとだけドキドキしながら壁を背にベッドに体育座り。

 こうなったからには京夜先輩からお話があるんでしょうが、下半身にだけ布団を被せてくれた京夜先輩は、一緒にそれに入って一拍。

 

「……あー、改まって話すようなことでもないんだろうが、話すことに意味はあると思うし言っておく」

 

「な、何でしょうか」

 

「その、なんだ……小鳥との徒友契約もあと半月くらいになったし、さっきの勝負もそれに関係してるんだろうから、その辺を話そう」

 

 あんまり重苦しい空気とか真面目な空気が苦手な京夜先輩がそうならないように前置きしてくれたのは、さっきの勝負を持ち出した私の心情も察した今後の話で、それを騒ぎ疲れたこのタイミングでしてくれたのは余計な熱を入れさせないためだったのだろう。

 つまりすき焼きパーティーも単なる贅沢をしたわけではなく、私のためにしてくれたもの、かもしれない。

 

「小鳥を徒友にした時から、オレは小鳥とは違ったタイプの武偵で、目指す武偵の道も違うだろうってのはわかってた。だから小鳥の描く武偵に必要かどうかはともかく、役には立つ技術をずっと教えてきたつもりだ。まぁ、相変わらず無音移動法はぎこちないし、ミス・ディレクションも下手くそだけど」

 

「ぬぐっ……」

 

「それでも小鳥なりに成長してるっていうのは目に見えてた。今日のかくれんぼだってオレの予想を上回って追いかけてきたしな。それは1年前の小鳥にはできなかったことだと思う」

 

 そんなことを考えながら京夜先輩の話を聞いていると、ずいぶんな下げ方にぐうの音も出ない感じになったものの、そのあとにちゃんと上げてくれる辺りは嬉しい。けど、恥ずかしい。

 

「私……ちゃんと見せたかったんです。京夜先輩から学んで成長したんだってところを。でも結局、バカなことをしたみたいでカッコ悪いですね……」

 

 そんなことしなくても、京夜先輩は私のことをちゃんと見てくれていたんだ。

 それが今の話だけでわかって、意気込んで成長を見せようとした自分の行動がバカみたいに思えてうずくまってしまう。

 顔を伏せてしまった私はそこでちょっと嬉しさ半分、悲しさ半分で泣きそうになってしまいましたが、そんな私の頭に手を乗せてちょっとわしゃっと撫でてから、京夜先輩は話を続ける。

 

「オレは人を褒めるのが苦手だから、小鳥をちゃんと褒めたことが数えるくらいしかなかったな。それが今日のかくれんぼに繋がったなら、オレにも悪いところはあったさ。だから今はちゃんと言うよ」

 

 話しながらに私の頭を少し自分へと寄せて、それに逆らわずに京夜先輩に体重を預けてしまったけど、それを気にせずにそのままで今まで1度としてちゃんと言ってくれたことのないことを私に言ってくれた。

 

「小鳥は武偵として立派になってきてるよ。一人前はオレもまだまだだから評価してやれないが、くすぶってた頃のオレよりは立派な武偵になったさ」

 

「…………ふぇ……」

 

「小鳥の目標はたぶん、英理さんと吉鷹さんなんだろうから、進級前には探偵科に戻ると思うが、あの人達を目指すなら武偵としての技術だけじゃなくて、外国語から逃げるのもやめ……」

 

 こんなにはっきりと京夜先輩に褒められたことがなかった私は、話の途中で涙が溢れ出してしまい、今後のことも話してくれていた京夜先輩も私のぐずる声に言葉を切ってしまい、少しのあいだ私の鳴き声だけが寝室に聞こえて、そんな私を落ち着かせるように京夜先輩は頭を優しく撫でてくれた。

 

「すみませんでした。大事なお話の最中に」

 

「女に泣かれるとどうしていいのかわからんオレもダメダメだな」

 

 気持ちも落ち着いて京夜先輩から離れて顔を上げ座り直した私は、そんなことを言って空気を和らげた京夜先輩にちょっと笑ってから、話を再開する。

 

「私も今の自分に足りないものが色々と見えてきました。前まではどうすればお母さんやお父さんみたいな探偵になれるかなって考えても、足りないものだらけでどうしていいかわからなくなってましたけど、京夜先輩の戦妹になって学んで、色んな依頼を解決して、何をどうすればいいかを考えられるようになりました」

 

「そうか」

 

「だから京夜先輩との徒友契約が切れても、私は大丈夫です。昴もいてくれますしね」

 

 直前に色々と課題も言われていたので、それもちゃんとわかってると言うと、京夜先輩も改めて何かを言うこともなく、ただ一言「そうだな」と言ってくれる。

 決して京夜先輩から離れることに不安がないわけではない。

 それでも私は武偵の卵で、いつかはその殻を自らの力で破らなければいけない。

 それを京夜先輩に手伝ってもらうなんてカッコ悪すぎる。

 

「でも私はちょっと心配なんですよ? 私がいなくなって、京夜先輩は今後の家事をどうするんだろうって」

 

「アホが。お前が来る前は全部1人でやってたっつうの。それでなくても海外生活の経験も積んだから、小鳥より優れた家事スキルを習得したことになる」

 

「ムムッ。確かに英語とか中国語とかよくわからないですけど、私だって2年生になったら修学旅行Ⅱまでに英語くらいちょちょいと習得してみせますし」

 

「この1年で英語の成績が平行線だった人間がよく言う」

 

「な、何で京夜先輩が私の成績表のことを知ってるんですか!」

 

「部屋には鍵をかけるべし」

 

「ムムー!!」

 

 しんみりとした感じを嫌って私から空気を変えにいったのは確かですが、こういう空気ではやっぱり京夜先輩の方が一枚上手で、流れを完全に持っていかれてしまった。

 でもすぐに互いに小さく笑って話が区切られて、また和やかながらも真面目な空気が流れて私から口を開く。

 

「私、明日にはここを出ます」

 

「また急だな」

 

「急ではないですよ。京夜先輩に勝負を持ちかけるって決めてから、勝っても負けてもそうするって決めてたんです。お部屋の荷物はもうまとめてありますし、小物は少しずつ移動させてたので、両手に抱えるくらいの量しかこのお部屋には私物はありません」

 

 結構な唐突な話だったと思うのですが、私が部屋を出ていくと聞いても大した反応がなかった京夜先輩は、言葉を待つ私に少し考えてから言葉を返す。

 

「……正直な話、最初にここに同居するって言ってきた時は迷惑に近い感情があったんだよなぁ」

 

「うえっ!? そうだったんですか?」

 

「オレにも男の生活ってやつがあるしな。幸姉や幸帆とも離れて、こっちに来てから自分の時間ってやつをじっくり使うことを覚えた矢先のことだったから、女のいる時の配慮ってやつをまたやるのかって感じ」

 

「そんなの始めに言ってくれれば住み込みなんてやめてたかもなのに……」

 

「いや、あの勢いは絶対にやめなかったね。断言する。ほぼゴリ押しだったし」

 

 そ、そんなことないやい!

 と言いたいところでしたが、なんか昔の自分はかなり勢いで押しかけたような気がしなくもないので、そう言われるとぐぬぬとするしかない。

 でもそれを今さら言う京夜先輩も京夜先輩です!

 

「でも今は小鳥がこの部屋にいるのはオレにとっての当たり前になってたんだよな。時間の流れって怖いわ」

 

「……私も、ここに帰ってくるのが当たり前になって、いつもフラフラとどこかへ行く京夜先輩の帰りを待つのが日常でした」

 

「フラフラはしてない」

 

「じゃあブラブラですね」

 

 それでも今は私がこの部屋にいるのを当たり前と思ってくれてる京夜先輩の優しさは感じつつ、ちょっと仕返しで留守が多かったことを突くと、それもまた事実なので反論は1回で終わる。勝った。

 

「……京夜先輩」

 

「なんだよ」

 

「私、京夜先輩の戦妹になれて良かったって思ってます。あんまり多くは身に付かなかったかもしれませんけど、京夜先輩の戦妹だった時間は、私にとっての誇りです」

 

「まだ半月あるんだがね」

 

「そうですけど、その時になってしんみりするのは私も嫌ですし」

 

「オレも、後輩をみっちり指導するって経験は初めてだったから、教える側に立ってみてわかったことがたくさんあったよ。その後輩が小鳥で良かった。素直すぎるのは困りものではあったがな」

 

 話したいことはまだある気がするけど、ここで全てを吐き出す必要もないかなと思うと、これが最後というように感謝を述べ、京夜先輩もこんな私に感謝をしてくれて、それで心地よくなった私は意識が途切れ途切れになってきて、いつの間にか京夜先輩の隣で寝始めてしまった。

 ――大好きです、京夜先輩。

 

「うわっ!」

 

 翌朝。

 寝る直前のことを思い出すように飛び起きた私は、京夜先輩のベッドで1人で寝ていたことを確認し、次に時間を確認すると、7時を回っている。

 普段なら完全に寝過ごしたレベルの寝坊ですが、私も京夜先輩も進級は確定させてるので登校は最悪しなくてもいいから、私も特に焦るようなこともなく寝室を出る。

 

「珍しく寝坊助だったな」

 

 まずは顔を洗おうと洗面室に向かったら、キッチンから京夜先輩が声をかけてきて、これも珍しく朝食を作ってくれていた。

 

「怒ったり笑ったり泣いたりで疲れてたみたいです」

 

「もうできるからさっさと顔を洗ってこい」

 

 いつもとは逆の立場になってのやり取りにちょっとだけ違和感を感じながらも、ゆっくり2人で食べる朝食は本当に久しぶりでなんだか嬉しい。

 そしてこんな風に京夜先輩が朝食を作ってくれたのは、きっと私がいなくなっても問題ないと示す1つの手段で、それに少しの寂しさを覚えながらも、食べ終わってから2人で後片付けをして、着替えも済ませて荷物をまとめる。

 

「それでは京夜先輩。今までお世話になりました」

 

「1人で使うには広すぎるんだよなぁ、この部屋」

 

「フフッ。1年前までは普通に使ってたじゃないですか」

 

「慣れって怖い」

 

「それ、昨日も聞きましたよ?」

 

 最後に私物の未回収がないかを確認してから、両手に抱える程度の物を持って玄関で京夜先輩と挨拶。

 別にこれでこの部屋に一切合切来なくなるわけではないけど、私もなんだかこの部屋を出るのがこの上なく名残惜しく感じてしまい、持っていた荷物を置きたい衝動に駆られてしまう。

 しかしそんな私の心境を察したのか、京夜先輩は自分の名残惜しさを顔からなくして、私の頭に乗る昴を触ってから私に小さく笑って口を開く。

 

「今年は小鳥が戦姉になるかもと思うと、不安でいっぱいだわ」

 

「ムッ。私だって京夜先輩みたいにちゃんと指導してみせますし! というか京夜先輩みたいにほったらかしにもしませんから」

 

「その前に戦妹ができるのか疑問はあるが」

 

「できない根拠もないですし!」

 

 そうして出てきた言葉はやっぱり私をからかうようなことで、それにはつい対抗心を燃やした私も売り言葉に買い言葉で返してしまう。

 でも対抗する私とは裏腹に頭の上の昴は「できる根拠もないよね」とか追撃してくる。あとで喧嘩ですね。

 それで結果的にしんみりとした空気は払拭されて、私もなんとなく京夜先輩の側から離れたい気持ちになったので、その足は玄関から外へと自然に進む。

 

「……それから、進級が決まったからって専門科の授業には出てくださいよ。私はまだ京夜先輩の戦妹なんですから、教えられる権利があります」

 

「はいはい、わかってますよ。せいぜい最後までオレの指導に四苦八苦してくれ」

 

 本当に最後まで私を煽るんだから!

 そうは思っても京夜先輩から何かを教えてもらうことに、最初から最後まで嬉しさを忘れなかった私は、徒友契約が切れる最後の日までみっちりと指導してもらおうと決意し、1年間、お世話になった男子寮をあとにするのでした。



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Bullet154

 

 静かなのが珍しいくらいだった部屋が、ずいぶんと寂しくなったもんだ。

 昨日、帰宅した早々で小鳥とのかくれんぼに臨み、小鳥の成長を確かめられて嬉しかったが、昨日の今日で徒友契約が切れるより少し早くこの部屋を出ていって意外とあっさりした感じだった。

 まぁ会わなくなるわけでもないのでオレもいつまでも寂しく思ってるのもアホらしいと切り替えて、今日はまず約束していた幸帆のところで午前中は過ごそうと移動を始める。午後からの専門科の授業は出ないと小鳥に怒られる。

 進級自体はもう決定してるから一般教科の授業はサボっても問題ないし、いま登校してるやつはつまりそういうやつらだってこと。

 もちろん真面目な人間は普通に授業を受けていると思うが、幸帆もあれで武偵に毒されてきたから、時間の使い方がズル賢くなってる。

 一応は事前に行くことを伝えておくと、10秒足らずで「了解です」の返事が来て苦笑いしつつ、ジャンヌにもメールを送っておく。

 3月もあと半月ということで、新学期になる前に色々と整理しなきゃならない都合、どうしても2日は取られるジャンヌとの北海道旅行は早めに予定を組まないといけない。

 だからジャンヌには最高で1泊2日という制限を加えて行きたい場所を決めろとメールしたが、個人的には札幌か函館で収めてほしいところ。というか空港のある都市部じゃないと忙しいスケジュールになるし。

 

「あとはホワイトデーのお返しと……理子の誕生日もあったな」

 

 他にもやらなきゃならないことを考えたら、もう目の前に迫ったホワイトデーは早急な案件として、祝わないとめちゃくちゃ駄々をこねそうな理子の誕生日が3月の最終日にあることも思い出し、どうしたもんかと悩む前に女子寮に到着。

 まぁ理子の誕生日までは日はあるので焦る必要もないかと今は後回しにして幸帆の部屋にお邪魔する。

 その幸帆は専門科の課題でもあったのかノートパソコンをテーブルに置いて何やら作業をしていたようだが、オレを招いたということは片手間にでもできるのだろうと解釈して、割とふてぶてしくソファーでくつろぐ。

 

「1年生ももう終わりだが、2年生になる準備はしてるか?」

 

「私は武偵としては半年も活動してませんから、周りと比べても留年した方がいいとさえ思えてなりませんが、進級させてもらえたということは大丈夫なのではないでしょうか」

 

「ジャンヌにはなんか言われたか?」

 

「『私の戦妹が留年などあり得ん』と。それがまたプレッシャーになりましたけど、ジャンヌ先輩が綴先生から色々とお仕事を取ってきてくださったので専門科の単位が足りた部分はありますね」

 

「今やってるのもそれか」

 

「これは学期末試験の公民のテスト作……」

 

 おい綴こら。生徒にテストを作らせるなアホか。

 幸帆も幸帆でそんな依頼は断ればいいものを、しかしながらこうやって裏で単位をもらっていた過去のオレ――魔剣の件だ――が言うのもあれだったので、うっかり口を滑らせた幸帆には何も言わず、聞かなかったことにする。

 幸帆も幸帆で「3年生のだけですから」とか自分のテストには関わらないことは付け足したが、どうせ1、2年生のテストも違う学年の生徒に作らせてるんだろうな。というか1年生に3年生のテストを作らせるなよ。

 

「テストっていやぁ、ランク考査の方はどうなんだ? 幸帆はまだランクなしだろ?」

 

「暫定では編入時にいただいているのですが、来週に定期外のランク考査がありまして、そこで正式にランクを取らせてもらえます」

 

「今の幸帆ならBランクは取れるだろうが、戦姉がAを取れってプレッシャーかけてるだろ」

 

「そのようなことは……ある、かもしれませんが、ハッキリとは言われてませんから、今の私の実力が出せた結果なら納得してくださると信じてます。雅さんからも気負うなと言われていますし」

 

「…………雅さん? 何で?」

 

 話題を変える必要があったので、テスト関連から連想して幸帆のランク考査について聞くと、来週にあるにしてはずいぶんと余裕があるなぁと感心。

 しかしすぐに意外な雅さんの名前が出てきてちょっと驚くと、キョトンとした幸帆は「言ってませんでしたか?」と徒友契約の時にも聞いたようなことを言う。

 

「こちらに来る前に雅さんにはご指導をいただけることになりまして、週に2回ほどは映像通信で色々と教えていただいているんです。なので私にとってのもう1人の戦姉、ということになるのでしょうか」

 

「雅さんもそんなこと言ってなかったし、幸帆もずいぶんオレに隠し事をするようになったな」

 

「そ、そんな隠し事なんて! 単にお伝え忘れていただけでして!」

 

「そうだよなぁ。オレも幸帆とのコミュニケーションを怠ったから隠し事されちゃうんだよなぁ」

 

「それは一理ありますが、意地悪はやめてください!」

 

「一理あるんかい」

 

 幸帆もまだ丁寧語は使うが、ずいぶんとオレへの接し方が柔らかくなったな。

 そんなことが今のふざけた会話からもわかって、妹のようだった幸帆の変化がなんだか嬉しくて笑うと、直前のツッコミがウケたのか幸帆も一緒に笑ってくれる。

 

「コミュニケーション不足を不満に思うほど私も子供ではありませんからいいですけど、小鳥さんとは最後まで付き合ってあげてくださいね。私から見てもずいぶんと放任主義なところがあると思いましたし。昨日は皆さんにお願いして騒いで疲れさせたようですから、その後にお話はされたでしょうけど」

 

「お見通しってやつか。みんなには泊まらないでくれって言っただけだったが、やっぱり武偵なんだよな。小鳥の方は問題ない。今日も午後の授業は出ろって命令されたところだ」

 

「では午前中は京様を独り占めさせてもらいます」

 

「昼御飯もご馳走になれたら楽だな」

 

「私は都合の良い女ですか。うぅ……」

 

「じゃあ作るの手伝いますぅ」

 

 昔はちょっと構ってちゃんなところもあった幸帆だが、その辺はちゃんと成長してて……というか1年以上離れて暮らしてたし今さらだったな。

 小鳥の件も鋭い指摘が飛んできて反省だが、それは昨日に済ませたので流しつつ、また2人でおふざけして笑い合うのだった。

 

「あっ、そういえば」

 

 オレとの時間は思いのほか嬉しかったのか、あのあとも作業をしながら話を途切れさせなかった幸帆は、一緒に作った焼きうどんを食べ始めてすぐにそうやって口を開きオレを見るので、何だろうとオレも幸帆を見る。

 

「京様の誕生日がもうすぐですよね」

 

「…………そんな日があったな、そういえば」

 

「ご自分の誕生日をそんな日なんて言わないでください。その様子だと大丈夫なのでしょうけど、当日のご予定はありませんよね?」

 

 重要な案件かと思って聞いたら、別にそんなこともなくオレの誕生日のことだったので流そうと思ったが、京都にいた頃は毎年なにかしらのプレゼントをくれた幸帆からすれば大事なことらしく、当日の予約を入れようとしてくる。

 

「今のところはないんだが……絶対にごり押ししてくるやつが1名いるから、オプション付きでよければ」

 

「理子先輩ですか。あ、ですが理子先輩の誕生日は京様の誕生日の『前日』のようですし、お2人まとめてお祝いしてしまうのもいいかもしれませんね」

 

「去年は実際にそうだったんだよ。んで日付変更のタイミングでプレゼント交換してってやって。ほとんど触りもしないゲーム機だったし、結局いまは理子が部屋に来た時に勝手に使ってるからな」

 

 オレはともかく、理子の誕生日も把握してる辺りに幸帆の情報収集能力がうかがえたが、一石二鳥みたいな幸帆の考えは去年も経験していて、3月31日が誕生日の理子に続いて、翌日の4月1日はオレの誕生日という偶然。

 去年は2人きりではなく島とかもいてどんちゃん騒ぎをしたものだが、今年はどうなるやらわかったもんじゃない。

 

「でもまぁ、その辺は理子との相談の必要はあるだろうから、どういう方向性でいくにしても、理子の誕生日は理子を尊重してやりたい」

 

「では京様の誕生日は京様を尊重するということで、どうしますか?」

 

「静かに祝ってもらえたらそれがいいな」

 

「誕生日ケーキは小鳥さんや貴希さんにも手伝ってもらいましょうかね。それとプレゼントを渡して終わりでいいでしょうか」

 

「幸帆の気遣いは嬉しいが、きっとそんな大人しく終わるわけがないんだよなぁ。勘だけど」

 

 理子だけじゃない。今年は去年までとすっかり周囲の様相が変わってしまって、当日までに騒がしくなるのは目に見えているのだ。

 だから静かに過ごしたいというのはもうほとんど願望であり、それを実行しようとしてくれる幸帆には感謝感激だが、きっと幸帆も当日までの雰囲気に呑まれてしまうだろう。

 

「オレの誕生日はまぁ……気楽に考えてくれていい。それよりホワイトデーのお返しなんだが……」

 

 悲観論で備え、楽観論で行動するのが武偵。

 今からあれこれ考えても仕方ないのもあるので、騒がしくなることは前提にしておきつつ、計画なんて得てして崩されるものといった意味で話題を変えようと間近に迫ったホワイトデーの話に切り替えて、本人に聞くのもあれだがクッキーでいいかと、ついでにメヌエット用の意外性のある贈り物を相談しようとした。

 だがここでオレの冴え渡る勘が働き、後者を相談するのをやめる。これ聞くと幸帆が不機嫌になりそうな気がする。おそらく。

 

「京様は人気者ですから、お返しも大変でしょう。私の分は安物で済ませても構いませんよ。大事なのは気持ちですので」

 

「正直なところ、個人個人で渡すものを変えるのはしんどいんだよな。だからクッキーを大量に作って分配する予定」

 

「そこで市販のものに頼らないのが京様の良いところです。きっと皆さんも貰えることに意味があると納得してくれますよ。おそらくは」

 

 おそらくは、って付け足すところを見るに文句を言う可能性のあるやつもいるってことなんだよな。

 しかし直前の相談キャンセルも気付かれなかったようだから、ホワイトデーの話はこれで終わ……

 

「ところで京様。そのクッキーの件とは別に何か尋ねようとしましたよね? 京様は隠し事をするとなに食わぬ顔をする癖がありますので」

 

 ……れなかったー!

 さすが長い付き合い。オレの無意識の癖を見逃さなかった幸帆の洞察力がちょっと怖かったが、バレてしまったなら隠し通すのは得策ではない。シラを切ると言及が止まらないし。

 

「……実はバレンタインに何も貰ってないやつからホワイトデーのお返しをせがまれてその贈り物に困ってる。普通が嫌いな子だから手作りクッキーは味気ないし」

 

「へぇ。京様はその子にだけ特別な贈り物をするんですか」

 

「下手すると命に関わるからな……」

 

 冗談ではなく気に入られないとどんな毒が吐かれるかわかったもんじゃない。

 そんなメヌエットの面倒臭さを知らない幸帆は、オレのその特別扱いが気に食わないらしく、予想通りちょっと不機嫌になって焼きうどんを食べ切る。

 

「ではこうしましょう。そのご相談には乗りますが、報酬として私のお返しもグレードアップしてください。それで手打ちです」

 

「……仕方ないな。じゃあ幸帆の好きなみたらし団子でも付け足すか。そっちは別日にするが、幸帆が武偵色に染まっていくな……」

 

「武偵を目指していますから、それは誉め言葉として受け取っておきますね」

 

「たくましく成長してくれてオレも嬉しい限りだよくそぅ」

 

 さっきは安物でもいいって言ったくせに、オレの贔屓がわかると掌を返す幸帆の性格がすっかり武偵っぽくて嬉しいやら悲しいやら。

 それでも相談相手になってくれるならと条件を飲むと、みたらし団子が大好きな幸帆は目を輝かせて後片付けを始める。

 

「それでその図々しい要求をする方はどなたなんですか?」

 

「アリアの妹のメヌエット」

 

「はぁ……ええっ!? あのメヌエット・ホームズ女史ですか!? 何でそんな方とお知り合いに……アリア先輩の紹介とか?」

 

「小鳥の母親からの紹介だな。探偵繋がりで」

 

「小鳥さんの……そちらとも仲がよろしいんですね」

 

「良いか悪いかで言えば良い方だとは思うが、吉鷹さんとの関係でプラマイゼロだろうな……」

 

 片付けをしながら会話を続ける幸帆は具体的にプレゼントのイメージをするためか、結構な踏み込みでメヌエットを引き出したが、なんか英理さんのことを話したらまた不機嫌に。人妻だぞ。

 ジャンヌや羽鳥もだが、何でこうオレを節操ないやつ扱いするのか。幸帆は違うと思ったのに!

 とかなんとか思いつつも口には出さずに、今日の放課後にでも買い出しに行きたいので、取り急いで相談の方を進めるのだった。

 

「やっべ。専門科の授業が始まっちまうな」

 

 メヌエットの贈り物をああでもないこうでもないと話して、ようやくそれらしいものが決まった時には、時間もすでに午後の授業が始まる10分前くらいになっていて、小鳥にさっそく怒られるのも嫌なので割と急ぎで幸帆の部屋をあとにして諜報科の専門棟に直行。

 なんとかギリギリで駆け込みセーフだったが、入り口で嫌なやつとばったり鉢合わせて苦い顔をすると、向こうも普段からキツい目を鋭くして睨みを効かせる。

 

「アタシの顔見てそんな顔しないでくれるかい」

 

「綴先生の生徒ってだけでこっちは鬱になるんだよ」

 

「へぇ。そんなこと言ったら綴先生にチクっちゃうんだから」

 

「そんなことしたらいつかの着物を剥がされた恥ずかしい格好を掲示板にでも貼るか」

 

「またハッタリかい? あの時アンタの所持品に撮影できるものはなかっただろ」

 

「残念。あの時に招いていた客人が一部始終を盗撮してたから、その線から入手済みだ」

 

「っ!? ふ、ふーんだ。どうせそれもハッタリよ。あるならまず実物を見せびらかすもんさ」

 

 顔を合わせて挨拶もなくいきなり喧嘩腰になった相手、鏡高菊代は、あのクーデターやらの騒動のあと、なんか年末から武偵高に通い始めて諜報科と尋問科を兼科している。

 そのためこうして顔を見ることは割とあったのだが、互いに良くない対面だったせいで未だに溝は埋まらないまま、なんか知らんうちに牽制し合う関係になってしまったのだ。

 それでも武偵だからいざとなれば割り切れる自信はあるが、仲良くする理由ももはやないので羽鳥とほぼ同じくらいの距離感で接している。女との接し方は底辺だということ。

 

「ハッタリかどうかを調査するのも武偵の領分だろ。さーて、お前より怖い戦妹に怒られる前に失礼するよ。ああ、綴先生にチクってもいいよ? どうぞどうぞ」

 

「ぐっ……アンタのその性格、アタシより質が悪いからね!」

 

「人は選んで悪役をやってるから心配するな。今のところお前にだけだが」

 

「ホンットに死ねばいいのに!」

 

 んで、今回の口喧嘩はオレの勝利だなこれ。

 まぁオレが散々相手している羽鳥やメヌエットに比べたら屁でもないから、菊代でその鬱憤を晴らしてる部分もあるし一応の罪悪感はあるが、なんだかんだで悪口を本人を目の前にして言えるっていうのは向こうにとっても悪いことではない、かもしれない。少なくともオレはそうだ。

 本当なら無視もできるオレを相手にする辺り、菊代も日頃の鬱憤は溜まってるんだろうし、そういう解釈でいいよなと勝手に思っておきつつ、待っていた小鳥のもとに行くと、何故か風魔が便乗して「ご指導ご鞭撻のほどを」とか言ってくるので、面倒だから2人相手に『背中にタッチできたら勝ち』とかテキトーな内容で勝負。

 どちらかというと風魔の方が厄介だったが、オレと幸姉くらいの連携熟練度がない小鳥と風魔ではピンチは何度かあっても、結局はタイムアップまで逃げ切ることができ、最後の最後で小鳥が禁じ手の昴にタッチさせるという愚行をしたので、それもタイムアップの直後だったからといって見逃すはずもなく、2人でという約束を破った罰としてデコピンを食らわせるのだった。

 

「風魔もキンジのやつに放置されてんだろうなぁ」

 

 そのあとは別室でやっていた沈黙麻雀――言葉を発することを禁じてジェスチャーなどで進行する――に参加してほどよく観察眼を養ったところで専門棟を出て勝手に放課後に移行。

 移動しつつジャンヌからの返信があったのでそれを見ると、なんか呼び出しの内容だったからまた女子寮に行く羽目になって、買い物もしないといけないから何を言われるかをいくつも考えておく。

 

「雪まつりが良いのだ!」

 

「くっそおせぇよバカか」

 

 それでジャンヌの部屋に辿り着いての第一声がこれだから困ったもんだ。

 雪まつりってのは札幌で毎年やってる雪像や氷像なんかを作って展示するイベントだが、やってるのは2月の始め頃。

 さすがの北海道だって3月にもなれば徐々に雪も解け始めるし、良いのだと言ったところで無理なものは無理。

 

「それもこれもお前がちんたらと約束を先延ばしにするからだ。つまり私が雪まつりを見られないのはお前のせいなのだ!」

 

「そんなに見たけりゃ来年にまで先延ばしだこら! こちとら好きで先延ばしにしてたんじゃねーんだよ!」

 

「逆ギレか! 逆ギレなのか!」

 

「正当ギレじゃ!」

 

 ご丁寧に北海道の観光ガイドの雑誌まで持って該当ページをこれ見よがしに開いて顔に押し付けてくるジャンヌにオレも意味不明なキレ方になる。

 その声に別室で何かしていた中空知が「ひいっ!」と奇声を上げてコケたようだが、そんなことはどうでもよく、明確な目的があったのにそれを黙ってたジャンヌにイライラが爆発。

 

「…………はぁ。じゃあオレが悪いとして、旅行は来年にするか?」

 

「…………ふぅ。ノン。私もいつまでも約束を先延ばしにするのはモチベーションが下がる。今回は別のプランで旅行を楽しみたい。雪まつりは来年までお楽しみに取っておく」

 

「来年は中空知とか島と行けよ。女子同士の方が気楽だろ」

 

「もちろんそのつもりだが、まさか京夜、私が来年も2人きりで旅行をしたいと言い出すと思ったのか? 理子や幸帆ならまだしも、ちょっと自信過剰になってはいないか?」

 

 ぷぷぅ。

 そんな笑い方のジャンヌは、ひとしきりの不満を吐き出して落ち着いた会話の中で来年の計画について先読みして話したオレに「そこまで私は好意を持ってないぞ」と忠告してくる。

 それにはオレもちょっと恥ずかしくなるが、男がそれを期待しちゃいかんのか!

 とか心の中でだけ開き直っておき、その後のジャンヌのマシンガントークの旅行プランとやらを頭に叩き込んで、予約やら何やらをやっておく段取りとなって解放され、ようやく女子寮を出た時にはすでに日は沈みきっていたのだった。

 …………買い物は明日にしよう。



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Bullet155

 

 何だ……何がいるんだ……

 ホワイトデーという難関をどうにか乗り切って、明日の早朝にはジャンヌとの北海道旅行が控えた今日この頃。

 ちょっとばかり遅れてメヌエットのところにもオレが贈った品が届き、その感想が朝っぱらから来たわけで、これといった不満が出てこなかったことに安堵。

 幸帆のアドバイスで「外国人には日本のお菓子で良いのでは?」とホワイトデーのお返しはクッキーというなんか定着した概念を吹き飛ばしてくれたので、ならばと我が故郷、京都が全国に誇る八つ橋をたくさんの味わいで楽しめるセットを購入し贈ってやったのだ。

 さすがに八つ橋は作ったことがないので購入に踏み切ったが、味に満足したからかそこを突いてくるようなこともなく本当に良かった。

 マジで良かったぁ……と心底ホッとして、今日はアリアが戻ってきたとか聞いたのでそっちに顔でも出そうかなと部屋を出てすぐだった。

 階段を1つ降りて下の階に足を踏み入れた瞬間、なんかキンジの部屋の方からそれはそれはおぞましいほどの殺気というか怒気というかが廊下の先まで漂ってきて、妖怪でも憑いてしまったのかと怖いもの見たさに近寄ってみる。

 部屋の扉は閉じられているが、いる。入ったすぐの玄関に。

 オカルトはあまり好きじゃないが、見えるのだ。なんかどす黒いオーラみたいなのが、扉から漏れ出てきている。

 

「本当に化け物がいるんじゃ……」

 

 開けたら最後、オレの命が刈り取られるような錯覚さえ覚えつつも、部屋には入れたということは中のリサが最低でも通していいと判断した人物。

 ならオレが知らないこの世に終焉をもたらすような禍々しい異形の存在ということはない、はず。

 そうやって自分にちょっと無理矢理に言い聞かせながら扉を開けるかどうか迷っていたら、どす黒いオーラのようなものが急にスゥッと消えていき、中の殺気も消失。

 それには驚きよりもホッとした感情が先に来て、危機が去ったと思いノックして扉を開ける。

 

「おっ、白雪か」

 

「あっ! 猿飛くん、ちょっとぶりだね!」

 

 開けた先の玄関には星伽神社で別れて以来な白雪が何故か超ご機嫌な感じで振り返って丁寧なお辞儀。

 その後ろからはいつもの調子のリサがニコニコ笑顔でオレに挨拶してきて、2人に適当な返しをしてから他に来客はないかとチラッと探るが、どうやら白雪だけらしい。ということは……

 

「なぁ白雪。そういえば白雪はリサとは初対面じゃなかったか?」

 

「あ、うん。キンちゃんが帰ってきてたら悪いかなってチャイムを押したら、この子が出てきた時はちょっとビックリしたけど、それだけだよ」

 

「はい、リサもどなたかと最初は思いましたが、このお部屋の鍵をお持ちだったのですぐにご主人様の『奥様』だとわかりました」

 

「や、やだもうリサちゃんったら奥様だなんて!」

 

 …………ああ、なるほど。そういうことか。

 何もなかったってのは半分は本当で半分は嘘だな。

 あの謎の殺意のオーラはおそらく、キンジの部屋に居着いた謎の女、リサに対する白雪の殺気。

 今にも襲いそうな空気になった白雪を見て本能的に怒らせてはいけないと悟ったリサが、神がかったパワーワード『奥様』呼びで白雪のご機嫌を取り今に至ったわけだ。

 

「…………ってことはキンジはまだ帰ってないのか。アリアが戻ってきたっぽいからキンジもセットかと思ったが、あいつら何してたんだ?」

 

「あっ、それはえっと……緋緋色金をお空に還してあげてたんだけど、その辺の説明は聞きたいかな?」

 

「お空? 空……宇宙?」

 

「そうなるかな」

 

 まぁなんであれこの場で嫁とメイドの旦那争奪戦が勃発しなかったことに安堵しつつ、まだ帰ってきてないキンジについて話すと、その辺の事情を知ってる白雪が緋緋色金のことも話してくれそうな雰囲気で口を開くのでそちらを聞くためにちょっと部屋にお邪魔する。

 突然の来訪にも柔軟な対応のリサの淹れたお茶を飲みながら、オレ達が星伽神社を出たあとのことを順を追って聞くと、どうやら緋緋色金、璃璃色金、瑠瑠色金は遠い昔に宇宙から落ちてきた金属とか。

 それで宇宙に戻れなくなった色金は地球の重力に縛られてしまい、緋緋色金は寂しさを紛らわせるように人の感情に興味を持って遊び始めてしまったのが事の発端のようだ。

 それから3つの色金を束ねる母親のような色金が3つの色金が落ちた時からずっと地球の近くにいたらしく、パトラの無限魔力の源はこの色金の恩恵とかなんとからしいが、今はどうでも良い。

 そんなわけである種のホームシックを引き起こしていた緋緋色金を宇宙に還すべくアリアがあの手この手で緋緋色金を持ち出して宇宙に還してきたらしいのだ。

 それで生き埋めから脱出して早々にあちこちに連絡してたのか。問題解決がこれからって言ってたのも納得だ。

 

「ふーん。ってことは緋緋色金が世界の脅威ではなくなったって認識でいいわけだよな」

 

「それはそうなんだけど、アリアが緋緋神と契約みたいなことをしちゃって、宇宙に還す代わりにアリアが必要と思った時に緋緋色金の力を自由に引き出せるようにするって話で収めちゃったから、どちらかというと今はアリアが世界の脅威になっちゃってる、のかな」

 

「うぇ……嫌だよそれ。今後はアリアを怒らせたら目からレーザー飛んだり瞬間移動してきたりするんでしょ……怖すぎる」

 

「フフッ。そうやって冗談っぽく言えてる猿飛くんは凄いね」

 

「そうならないように星伽はあったんだろ。だったらちゃんと止めてくれ。星伽としてでもいいし、アリアの友人としてでもな」

 

 そしてどうやら緋緋色金の力を自由に引き出せるようになったらしいアリアの今後が怖くなるが、世界を敵に回してどうこうしようなんてアリアも考えてないだろうし、もしも暴走気味になってもキンジや白雪がストッパーとなってくれるはず。

 それに今なら星伽の緋巫女としてではなく、アリアの友人として止める名分もできて義務感だけじゃないしな。

 そんな意味でのオレの言葉にちょっと驚くような表情をした白雪だったが、すぐに嬉しそうな笑顔で「うん」と応えたのだった。

 

「うわぁ、先輩やっとる……」

 

 寮での白雪とリサの顔合わせが無事に済んだのを見届けてから改めて外出したオレは、アリアに送っていたメールの返信で居場所を知り、アリアが普段から通うカフェ、ヴィルドシュートに向かった。

 基本的に女子御用達のカフェなので中は不文律のように女子が10割の空間で非常に入りづらくはあったが、鬼のアリア様にご入り用なら文句は言われまい。

 そんな風に言い聞かせて店内に入ると、男の客だとちょっと視線を感じたものの、気にせずにアリアを探すとすぐに見つかり、後輩を侍らせて朝からティータイムときたもんだ。

 テーブルには適度な量のケーキやらもあったが、アリアがカロリー管理でもしてるのか常識的な量でデザートは別腹な女子にしては大人しい。

 後輩は戦妹の間宮とその友人達で固まっていて、佐々木、火野、麒麟、高千穂と腰巾着の双子といるが、真面目な桜ちゃんはちゃんと授業に出てるんだろうな。

 というか間宮。お前はロンドンに置いてきぼりを食らったと思うが、ちゃんと1人で帰ってこれたんだな。

 とかなんとか思いつつ足を組んで優雅に先輩ぶるアリアの隣の席に座りつつ、後輩達には適当に挨拶して話をする。

 

「白雪から聞いたぞ。ずいぶん遠くに行ってたみたいだな」

 

「京夜も行こうと思えば行ける時代よ。まぁ色々と手間はかかるけどね」

 

「このお茶会は休息って感じか」

 

「後輩の厚意で息抜きね。午後からはまた忙しくなるわ」

 

 後輩の前なので色々と深い話はできない都合、互いにわかってる中での会話だが、先輩2人の会話にどうしようみたいな後輩達の視線の泳ぎ様が気まずく、顔を見るのが目的なところもあったので「紅茶くらい飲んでいきなさい」というアリアのありがた迷惑な言葉にはやんわりとお断りをしておく。

 

「ああそうだ。アリアに頼まれなかったから放置してたが、間宮。ロンドンで置き去りにして悪かったな」

 

「えっ? あ、はい。それは別にどうということは……」

 

「アリアも戦妹をロンドンに放置するなよ。向こうで何かあったらお前の責任だろ」

 

「あ、あたしはそこまで過保護じゃないの。それに出入国くらい1人で出来なきゃあかりが可哀想でしょ」

 

 これ完全に間宮のことを忘れてたな。

 それを確信できるアリアの反応には困ったものだが、後輩の前ではカッコ良い先輩を演じたいようなので言及はやめておき、先輩から謝られて困ってる間宮にも「気にしてないならいい」とだけ言って席を立つ。

 

「……あとそうだ。アリア、かなえさんとの面会許可の方を取ってくれないか?」

 

「はっ? 何で京夜がママと会うのよ」

 

「いやぁ、ちょっと今さらなんだが、『約束』を果たしてないのを思い出したから、怒られる前に果たしておこうかなと」

 

「約束? って京夜はまだママと会ったことないじゃない。それで何で約束なんてできるのよ」

 

「秘密」

 

 それからアリアの関連でかなえさんのことを思い出し、夏休みの時にかなえさんとした『アリアの友人として会う』という約束を未だに果たせてないことも思い出し、面会の取り付けをしてもらおうとするが、やはり言及は避けられなく、なんか怪しまれる。説明やだよぉ。

 

「ふーん。まぁ京夜ならあたしの知らないところで話くらいはできそうだし、納得しといてあげる。でも許可は取らないわ」

 

「それは何ゆえに?」

 

「京夜には冷たいガラス越しじゃないところでママに会ってほしいからよ」

 

「…………なるほど。了解」

 

 かなえさんとの秘密の会合を説明するのをためらうオレに対して、気にはなってるだろうが言及はやめてくれたアリアのこういうところは好きだ。

 しかし面会許可を取ってくれないと言われると渋い顔をせざるを得なかったが、理由についてを聞くとオレも納得せざるを得なくなる。

 要するにかなえさんとはちゃんと釈放になってから会わせると言ってくれたのだ。

 それはオレにとっても嬉しいことだし、アリアもずっと独奏曲(アリア)としてやってきた中でできた繋がりの1つであるオレを満面の笑みで母親に紹介したいのだ。

 それを約束されたオレは、それが早く現実になるといいなといった雰囲気でアリアに笑顔を向けると、この時だけはアリアも後輩の前ということを忘れて無邪気な笑顔を向けてくれたのだった。

 そのあとは別の席の後輩が「奢るので同席してください」と呼び掛けてきたので、紅茶を1杯もらって少し会話をしてとしたら、また別の席から「ケーキを1つ食べていって」とあり「奢ってくれ」とも最終的に来たので、さすがに同級生の、しかもCVRの面子だったから「女を武器にたかるな」とツッコんでカフェをあとにする。

 とはいえ思わぬところでエネルギー補給ができたので、昼は抜いてもいいかなと考えながら寮に戻っていたら、途中でばったり理子と遭遇。

 見つけた向こうはオレと目が合うなりルンルンなステップで近寄ってきて腕に抱きついてきたので、振り払おうとすると一層強く抱きついて胸を押し付けるので、仕方なくそれで歩く。仕方なくだ。

 

「丁度キョーやんの部屋に行こうとしてたからラッキーだよぉ」

 

「何の用だよ」

 

「用がなきゃ行っちゃいけないの? 理子とキョーやんはそんな淡白な関係だったの?」

 

「えっ? そうじゃないの?」

 

「ムー! そういうノリは理子きらーい! ぷんぷんがおーだぞ!」

 

 歩きながら何か用なのかと尋ねると、案の定だが何にもなさそうなのでからかう方向に切り替えたが、からかわれるのは嫌いな理子はいつもの指で角を作る怒ったアピールをする。

 それも見慣れたせいかスルー気味だが、まともに見ると可愛さが腹立つのであえてちゃんと見なかったところがあるのは内緒。あざとい可愛さには耐性があるはずなんだが、これだけはなんか苦手なんだよな。

 といったオレの内心を知る由もない理子はそれでもオレといるのが嬉しいのか、ホワイトデーのお返しの話とか誕生日の話とか絶えない話題で話しっぱなしのまま男子寮に到着。この辺のトーク力はさすがすぎて脱帽である。

 

「おお、本当にことりんは出ていったんだねぇ。ことりん臭が薄いや」

 

「謎の匂いで判別するな」

 

 何気にあのすき焼きパーティー以来の来訪な理子は、部屋のリビングのソファーにダイブしつつ鼻をクンカクンカさせて小鳥が出ていった情報を確認。

 数日が経つのでことりん臭とやらも大分なくなっただろうが、小鳥のいない部屋の違和感はまだちょっとあったりする。

 

「よし、これからは理子の匂いをいっぱい刷り込んで、キョーやんが理子の匂いだけで興奮するように……」

 

「オレは匂いフェチではないぞ」

 

「いやいや、女の子の匂いはそれだけで価値がある!」

 

「それを香水にして売ればうっはうはだな。あやや辺りに交渉してみろバーカ」

 

「バッカだなぁキョーやんは。女の子の匂いはその女の子が持つ個性だよ! 香水で個性を売っても売れないの」

 

 うわぁ、すっげぇバカな会話。

 理子と話してるとバカな話になるのは今に始まったことではないが、何にも考えずにバカな会話に興じられるのもまた理子だからという部分があるので、話していて楽なのは良いことだ。

 

「そうだキョーやん。理子は今ポンポンが空っぽなんですよ」

 

「へえ」

 

「可愛い女の子が飢えて死んじゃいそうなんですよ」

 

「へえへえ」

 

「もうお腹と背中がくっつきそうなんですぅ……」

 

「へえへえへえ」

 

「お願いです理子りんのためにお昼ご飯を作ってください」

 

「オレも料理の腕が鈍ってるからな。作るのはやぶさかじゃないが……」

 

「後片付けは理子がやります!」

 

「よろしい」

 

 楽なんだが、理子も理子で圧倒的な我が物顔でくつろいだ挙げ句、唐突の空腹宣言で図々しかったので、理子が折れるまで真顔を貫いてやると、案外あっさりと折れてソファーの上で土下座したから、仕方なく昼食を作ってやることに。

 理子も自炊ができないわけでもないのにわざわざ作ってと頼んだのは単純に面倒だからだろうが、オレの料理だから喜んでる節もあるから困る。

 それこそ小鳥の料理の方が美味しいし、この辺はやはり『誰が作ったか』を重視する恋愛系の思考なんだろうな。恥ずかしいわ。

 そうしてオレの分もちょっとだけ余分にして、有り物で調理を開始すると、限界みたいなことを言ってた理子がうろちょろし出してリビングから消えたり戻ってきたりと落ち着きがなくなる。

 

「腹減ってるならソファーで死んでろ」

 

「キョーやんの手料理だからワクワクで落ち着かないんだよ」

 

「だったらキッチンに来るだろ。何か探ってんなら気づかないところでやれ」

 

「えー、そんなことしてないよぉ」

 

 いや、絶対にしてるね。確信してるし。

 おそらくはオレとジャンヌの北海道旅行の情報でも聞きつけて真偽のほどを確かめに来たんだろうが、生憎のところ、旅行関連の物はまだ荷作りもしてないし、チケットなんかも予約はしたがジャンヌに管理させている。

 こうなることを事前に察知して対策したからいいものの、本当にこいつの情報源ってやつが気になって仕方ない。

 そしてオレの方に確認をしに来たということは、これからジャンヌのところにも行く可能性が出てきた。

 今日を乗り切れば勝ちなので油断はしないが、理子が帰ったらジャンヌに一報しておこう。物の方は幸帆を丸め込んでそっちに置いてあるだろうから心配はないが、変なところでポンコツだからな、あの天然リーダーは。

 

「ところでキョーやん。今年の誕生日はどないします?」

 

「何で唐突な京都弁なんだよ」

 

「いやぁ、将来はキョーやんのお嫁さんだし、京都弁も使えるようになろっかなって。テヘペロッ」

 

 その理子の捜索も空振りしたからか諦めムードでリビングで大人しくなってすぐにオレの料理も完成し、できた料理を食べながら今年の誕生日の話を切り出してきたが、脱線する要素を入れてくるのは困るのでジト目で見て本筋に戻す。

 

「理子の誕生日はキョーやんと2人きりなら嬉しいけど、やっぱりどんちゃん騒ぎはしておきたいよね」

 

「んじゃ夜は2人でいいんじゃないか。それまでは後輩とかと騒げばいい」

 

「じゃあそうするね。夜はキョーやんと2人きりぃ。きっと勢いであんなことやこんなことが……」

 

「起きないぞ。誘っても乗らないからな」

 

「じゃあ理子が乗るね」

 

「何の話だ」

 

「えっ? 体位の話じゃゴフッ!!」

 

 戻してちゃんとした予定を立てたように見せかけてまたも脱線したので、エロトークが本格的になる前に理子の向こう脛を蹴って言葉を切らせると、割と本気で蹴ったから理子が椅子から転げ落ちてゴロゴロとリビングまで転がって戻ってきて椅子に座り直す。ギャグか!

 

「いったぁ……キョーやん容赦なさすぎぃ。そんなに照れなくてもいいじゃーん」

 

「……プレゼントの方はどうする?」

 

「今年も交換って感じでいいかなって。でもまだプレゼントに悩んでるんだよねぇ」

 

「くれぐれも『プレゼントは理子でーす』とかやめろよ」

 

「えっ、えー? そ、そそそそんなこと言うつもりなかったしぃ。キョーやんったら妄想癖ありすぎぃ」

 

「だったら目を泳がすな」

 

 ふざけながらの話だったので、オレもふざけられる前にふざけとけの精神でプレゼントの件を進めると、意外なことにまだプレゼント選びに迷ってるらしい理子にへぇとなる。

 まぁふざける余裕があるからなんとなくプレゼントの候補は出てるんだろうが、オレのためにそうやって悩んでくれてるのはちょっと嬉しいものだ。

 そうなるとオレも理子へのプレゼントは真面目に選ばなきゃならない。

 

「でもね、去年とはぜんぜん勝手が違って、本当に悩んでるんだぁ。何をあげたら京夜が喜んでくれるかなって真剣に考えてる」

 

「そんなに張り切らなくていいぞ」

 

「張り切るよ。だって本気で好きになった人へのプレゼントだもん。だからたくさん悩ませてよ。悩む幸せを理子から奪わないで」

 

 ……はっず!

 それで理子へのプレゼントについては数日くらいは悩もうと決めた矢先に急に女になる理子にはビックリするが、本人を目の前にしてそれを言うなと口にしたい。

 口にしたかったが、返す言葉がそれではからかわれると思いなんとか飲み込んだ。

 しかしその間でオレが照れたことを悟った理子が女の顔からいつもの顔になってからかい始めたので、照れ隠しでまた向こう脛を蹴ってリビングまで転がしてやるのだった。



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Bullet156

 

「まだずいぶん雪があるなぁ」

 

「雪解け水が凍ってアイスバーンが怖い時期でもあるらしいぞ」

 

 3月もいよいよあと10日ほどになった今日この頃。

 来週には卒業式と終業式も控えて進級も見えてきたが、学期末試験がまだ残っててちょっと嫌だなぁと思いつつもジャンヌと一緒に呑気に北海道旅行に出かけたわけだ。

 完全に試験をナメてるだろってタイミングだがそれはまぁいいのだ。オレもジャンヌも何気に成績が良いから赤点回避は最悪でもできる。武偵高で赤点ってなかなか取れないものでもあるが。

 そんなわけでやって来たのは北海道の南に位置する函館。

 札幌は来年の雪まつりで行くから、今回は函館に1泊2日の日程で基本的にはグルメ旅みたいな感じで楽しむ予定。

 函館空港は函館の中心地から少し離れた位置にあるが、函館山に向かう途中に都合よく有名な温泉を有するホテルなどがあるので、そちらに先にチェックインして荷物を置き身軽にしてから市内を満喫できるタイムロスの出ないメリットもある。

 オレ達も例に漏れずに空港から先にホテルへとチェックインを済ませてから中心地を目指すが、旅行ガイドを片手にウキウキするジャンヌは何やら非常に可愛い生物と化している。

 

「京夜、競馬場があるぞ」

 

「シーズンじゃないからレースはやってねぇよ」

 

「誰も入ろうなどと言っていない。ただあるぞと言っただけだ」

 

「実況はしないでくれ。恥ずかしいから」

 

 そんなジャンヌは移動にもこだわって、全国でも運営がそれほど多いわけでもない路面電車でゆっくりと函館山を目指すと決めていたので、道路のど真ん中を車と一緒に走る景色にちょっと興奮気味。

 別に路面電車なら東京にも都電荒川線や東急世田谷線があるし、京都でも嵐山本線の一部がそうなので珍しいという感覚はオレにはない。

 しかしながらこの路面電車はガソリンやらではなく電力による供給で動かしているので環境に良い市民の足として長年親しまれている。

 そんな古き良き函館文化に揺られながらまずは五稜郭へと差し掛かって下車し、歩いてすぐにある五稜郭公園へと行ってみる。

 上空から見たら星形をしていることで有名な五稜郭だが、それを見下ろして一望できる五稜郭タワーは数年前に建て替えされてまだ真新しさがある。

 

「この見える範囲でどれほどが桜の木なのだろうか」

 

「それはオレにもわからん。見たかったなら開花の時期に来るんだったな」

 

「それでは間に合わんだろう。確か北海道の桜の開花は5月になることもあるのだろう?」

 

「まぁそうだが……こりゃ函館もまた来ることになりそうだな」

 

「その時はみんなで花見でもしようではないか」

 

 数千本の単位で植えられたという桜の木はまだ開花するには寒すぎるのでどれがそうかはわからないものの、それ見たさに花見で訪れるのもいいかもなとジャンヌの話に素直にそう思う。

 近い将来には北海道にも新幹線が開通するという話も聞くし、そうなれば東京から3時間とかからずに陸路で来られるわけだしな。

 まぁその頃に日本を拠点に武偵をやってるかも今のところはわからないが、やれないこともないので前向きに考えつつ、この五稜郭が新撰組の鬼の副長、土方歳三の没した地だということを思い出し、遠巻きながらも千雨さんと所縁があるんだなぁと、五稜郭の中心に建つ資料館辺りを何気なく見下ろす。

 

「…………うん。昼飯にしようかジャンヌ」

 

「なんだ。まだ11時になったばかりだが、もうか?」

 

「この時期は卒業旅行の客とかも多いし早めの方が待ち時間に悩まなくて済む」

 

「それは確かに……ではそうしよう」

 

 見下ろした先になーんか見えた気がしたので、何か起きる前にここから離れようとウキウキのジャンヌに悟られないように提案。

 理屈ありきで言えばチョロいリーダーは疑問も大して持たずに賛同してくれて、逃げるように五稜郭タワーを下りてすぐ下にあったご当地グルメのハンバーガーショップで昼食。

 ハンバーガーショップと言いながらもカレーやらピザやらとそのラインナップが豊富なメニューにジャンヌもあらかじめ決めていたとはいえ、現地ではやはり目移りして割り増しで注文。

 オレも興味本意で一品を追加してしまったが、それを後悔しない味には大満足だった。

 

「しかしだなジャンヌさんよ。これから朝市にも行くのですが、お腹の方は大丈夫でございますか?」

 

「も、問題ない。夕食の海鮮丼までには消化は済むだろう……おそらく」

 

「もし食えなくても隣でオレが美味しそうに食べてやるから安心しろ」

 

「それは嫌がらせなのか!? 嫌がらせなんだな!!」

 

 一品を追加したとはいえ、サブメニューの唐揚げだったオレに対して、がっつりハンバーガーとピザを食べたジャンヌさんは、店を出て路面電車の停留場に向かう道中で何度か苦しい表情を見せたので、これからのグルメ旅が心配になる。

 グルメ旅と言ってたのにこのペース配分だからアホとしか言いようがないが、アホはオレの美味しそうなグルメリポートを指を咥えて見るくらいのことがあって当然なので、主導権を握る発言で優位に立つ。

 しかしこれが気に食わないのか両頬を膨らませて怒ったジャンヌは「トイレで吐いてくる」とかまたアホなことを言い出したので主導権を渡して止めてやるのだった。乙女がそんなことするなよ……

 

「おい京夜。あれがやりたい。私についてこい(フォローミー)

 

「言われなくてもついていきますよ、お姫様」

 

 路面電車に揺られて次に訪れたのは、普通に線路を走る電車の駅が目と鼻の先にある函館朝市。

 本当は午前中のうちに来るのがベストなのだが、贅沢は言ってられないので人の混雑もそこまでじゃない昼時に見て回っていると、ジャンヌが他の客がやっていたイカ釣りに興味を持ち意気揚々とやり始める。

 そうして釣ったイカを店の人が捌いてその場で食べられるのが売りのようだが、まだ腹の膨れ具合が万全なジャンヌは刺身を何枚か食べてあとはオレに丸投げするという暴挙。釣ったら食べて?

 食べられないのに朝市にいるのも悪いかと、ジャンヌを責めるのを無理矢理にやめてパパッと朝市を抜け赤レンガ倉庫の方に足を運ぼうと提案してみる。

 するとジャンヌも「食べ物を見てると食べたくなるし、いいだろう」と自らの満腹とオレへの押し付けをちょっとは気にしてるような発言で了承してくれて助かる。

 手のかかるお姫様だが、なんだかんだで楽しんでるオレもオレだし、わがままを聞くのは幸姉で慣れっこだ。悲しいけど。

 オレとしては正直、カニなんかも食べておきたいが、それは夕食の海鮮丼で融通は利くだろうと我慢して路面電車の停留場へと行ったものの、ここで痛恨のミス!

 

「いえーい!」

 

「よっしゃあ、ですね」

 

「京夜ー!」

 

 五稜郭で見かけて絶対に鉢合わないようにと思っていた理子、劉蘭、猴のトリオが、丁度良く五稜郭方面からの路面電車を下りてオレ達を発見。

 すぐに寄られて騒がれ、周りに迷惑になりそうだったから停留場からは離れて嬉しそうにする3人を見て、オレとジャンヌはげんなり。くっそぅ……

 

「…………いちおうは聞こう。何でここにいる?」

 

「そーんなのキョーやんが理子に内緒でジャンヌとお忍び旅行をするからだよぉ」

 

「私は理子様から京夜様が不穏な動きをされているから、浮気を暴いてやろうと」

 

「猴は劉蘭の付き添いです!」

 

「…………どこだ?」

 

「まぁぶっちゃけジャンヌがやたら浮かれてたから、ほっちゃんを事前に買収しただけなんだけど、蘭ちんの都合がついたのは偶然のラッキー!」

 

 幸帆……お前ってやつは……

 無邪気な猴が腰に抱きつくのを受け入れつつ、このタイミングで函館にいた理子達がやはり偶然ではなかったのを確認――わかってたけど――し、感情が丸出しだったらしいジャンヌにジト目を送って鳴りもしない口笛で誤魔化される。こういうところがポンコツなんだよ……

 

「ていうかキョーやんさぁ、五稜郭で理子達に気づいて逃げたよね?」

 

「はっ? 何を根拠にそんなこと言ってんだよ」

 

「猴ちゃん鼻が良いんだからね。キョーやんの匂いがしたって言うから、絶対に逃げたと思ったし」

 

「酷いです京夜様。私達がまるで邪魔者のような扱いを」

 

「実際に邪魔しに来てるよね? 間違ってないよね?」

 

「……猴は邪魔者ですか?」

 

「あー! キョーやんが猴ちゃん泣かせたー! いーけないんだ!」

 

「ぐっ! 卑怯な!」

 

 このポンコツめと思ってたら、なんかオレもやらかしていたようなことを理子が言うので、シラを切ったものの猴の鼻を持ち出されたら勝てん。

 しかしジャンヌの希望での2人での旅行に割り込んできたのは邪魔以外の何物でもないからそこは正論で通したら、泣きそうな猴を武器にされてげんなり。

 

「…………仕方ない京夜。こうなってしまった以上、ここから別行動というのも気が引ける。皆で観光を楽しもう」

 

「……はぁ。ジャンヌがいいならオレも文句はねぇよ。ただジャンヌにこう言わせたお前らは謝っとけ」

 

『めんごっ!』

 

「ふ、ざ、けるな」

 

『あうちっ!』

 

 どうせ突き放したところで後でグチグチと言われることもわかってるジャンヌは、せっかくの旅行だからと理子達の愚行を許して、それに喜ぶ理子達だったが筋として謝るのは道理なので謝罪させる。

 が、その謝り方が打ち合わせしてたようなテヘペロッをしやがったので、1発ずつ脳天にチョップをお見舞いしてやるのだった。っていうか藍幇の中将にテヘペロッとかやらせるなよ!

 

「函館って言えばやっぱりイカだよねぇ! ゆきちゃんとかにお土産買わないとだしぶーん!」

 

「や、やめてくれ理子。そんなあからさまにはしゃがれると恥ずかしい……」

 

「こ、猴は果物の方がいいですよ!」

 

 それでみんなで改めて行動を開始して、赤レンガ倉庫に辿り着くや否や理子のやつがジャンヌと猴の手を引いてグイグイ歩いていってしまい、オレと劉蘭は恥ずかしいのでその3人とは無関係を装いつつ並んで歩く。

 

「そういや趙煬は? こういうプライベートでもあれはついてくるものだと思ってたが」

 

「趙煬は今とても忙しいのです。先日に私達がスポンサーをさせていただいてる映画製作会社の新作の撮影で、悪役の俳優が怪我をしてしまいまして、急遽スタントを趙煬がやることになりまして」

 

「なりましてって、そうなるように助言したんじゃないのか?」

 

「いえ。確かに京夜様のお小言は意識して撮影現場の見学をさせてもらいましたが、非常事態で初めて趙煬が自ら進んでスタントをやると言い出したんです」

 

 歩きつつ、本来ならいても不思議はない趙煬の姿がないことに疑問を持っていたオレは、付き添いなのにナチュラルに仕事放棄してる猴を遠い目で見つつその辺を尋ねると、どうやら夢への1歩を自ら踏み出したようなことを話してくれる。

 

「そうしていざやってみましたら、監督さんに気に入られてしまいまして、そのまま全ての撮影で趙煬を使いたいと懇願され、趙煬も異存はないと言うので置いてきちゃいました」

 

「そりゃ藍幇でも指折りの超人がスタントやったら凄いよな」

 

「撮った作品は日本での公開はされませんが、京夜様にはDVDが出来次第、お送りさせてもらいますので、楽しみにしていてください」

 

「そりゃ嬉しい。でも趙煬には知り合い面するなって言われてるから自慢のネタには出来ないのが寂しいね」

 

「フフッ。そうなのですか?」

 

 その作品がヒットすれば趙煬の夢も大きく前進するかもしれないと思うと、他人事ながらにちょっと嬉しくなり、劉蘭もやりたいことをやる趙煬を応援してる感じが見てとれた。

 

「こっちにはいつまで?」

 

「実は今夜にも日本を発たないとなりませんので、京夜様とご一緒できるのはあと数時間程度になります。ご夕食までは大丈夫かと思いますが」

 

「相変わらずお忙しいことで。だが……」

 

 趙煬のことはわかったので次に滞在時間の方を尋ねると、こっちもオレが聞かなきゃ言わなかったような感じで過密スケジュールを話すから、そうとわかると邪険にしたオレも悪いような気がしたので、劉蘭の手を取って引っ張り、ちょっと戸惑った劉蘭に言ってやる。

 

「それならちゃんと作ろう。日本での楽しい思い出をさ」

 

「京夜様……はい」

 

 そんなオレの言葉に嬉しそうに笑った劉蘭に小さく笑い返して、言った通りの楽しい思い出を作るために店でうるさくする理子達と恥を忍んで合流していったのだった。

 

「あー! キョーやんのイクラやっぱり美味しそう! ちょーだい?」

 

「知るか。活イカの踊り丼を迷わず頼んだお前が悪い」

 

「り、理子様……う、動いてますよ?」

 

「は、早く食べてやれ理子……うわっ! 醤油をかけたらより凶暴にぃ!」

 

「き、京夜ー! イカが猴の口にくっついてくるです!」

 

 赤レンガ倉庫での買い物を楽しんでから、1度は函館山に登ってみようかと意見を出したものの、どうせなら夜景を見たいという女子のロマンチック思考に負けて、ハイカラな衣裳が貸し出しで着られる公会堂に行ってそちらを満喫。

 オレもタキシードなんてパリ以来に着させられて恥ずかしかったが、女性陣が華やかなドレスに身を包んでツーショット写真をせがんできたことの方が恥ずかしかったので、必殺の雲隠れしてやり過ごしてレンタル時間を逃げ切る。

 その代償に延滞料を取られたが仕方ないと割り切って、ジャンヌのお腹もキャパシティーがようやく空いたので少し早く夕食にして今に至る。

 しかし生け簀の活イカをその場で捌いて1杯をほぼ丸々使った踊り丼を頼んだ理子と猴の丼にジャンヌと劉蘭は戦々恐々。

 胴体から切り離された頭と足がまだウネウネと動くイカがどんぶりの上に乗っていて、さらにそれを食べるというのだから、見る人が見ればなかなかにおぞましい光景だが、好奇心から足にかぶりついた猴が吸盤に引っ付かれて四苦八苦。

 理子は理子で大人しく海鮮丼を頼んだオレやジャンヌや劉蘭からネタを勝手に拝借しながら吸盤など物ともせずに食らいついてむしっていたが、野生児っぽいそれにはジャンヌと劉蘭が引き、猴は真似する始末。ワイルド過ぎるわ。

 

「ほらほら早く早く!」

 

「ですよですよ!」

 

「ま、待て理子、猴。食後にすぐ走るのは少々キツい……」

 

「そんなに急いでも劉蘭の足は速くならないぞ」

 

「す、すみません皆さん……本当に体力がなくて、悲しく、なります……」

 

 戦慄の夕食を済ませてすぐに、劉蘭と猴がもうすぐ帰国の時間となるため、サッと函館山の展望台に行って夜景を見て戻るというミッションに挑んだオレ達だったが、路面電車を下りてもロープウェイの乗り場までちょっと距離があり、その距離を走るわけだが、運動音痴の劉蘭節が発揮され先頭の理子との差が広がるばかり。

 結局は理子達を待たせる形で急いだ意味は全くなくなってロープウェイに乗り、展望台へと3分程度で到着。

 その頃にはすっかり日も暮れて天候も良好なため見事な夜景を望むことが出来た。

 

「おっほぅ! これが日本三大夜景の1つですかぁ!」

 

「その三大なんとかーって、日本特有らしいぞ」

 

「確かに日本はやたらと三大なになにというジャンルがあるな」

 

「日本人は3が好きなのですね」

 

「あの、皆さん、もう少し夜景への感想を……」

 

 人もそれなりにいたのでバカみたいに騒いだりはさせずにいたものの、夜景に対して関心がないようなオレ達の脱線した会話に劉蘭がまともなことを言って割り込む。

 至極まっとうな意見なのでみんなして反省しつつ、改めて函館の夜景を眺めると、やはり街の明かりが輝いて見えてとても綺麗だ。

 

「綺麗だねぇ、京夜」

 

「京夜、こういう時に女に言う台詞があろう? 私にだけ言ってくれ」

 

「京夜様はどなたをお褒めになるのか気になります」

 

「京夜、ちょっと猴では見えにくいです。体を持ち上げてはくれないですか?」

 

「うんうん。猴だけがオレの心のオアシスだよ。3人ともプレッシャーが半端ない……ほーら、たかいたかーい」

 

 オレが綺麗だと思ったのだから、感性が男よりもある女性陣も同じく感想を抱いたはずで、何故かこういう時だけ結束する女性陣がオレから何やらくさい台詞を引き出そうと言葉を分けるようにプレッシャーをかけてきた。

 だがそれに上手いこと加われなかった猴の癒しで助けられたオレは、夜景ではなくオレを見る3人の視線を無視して一心不乱に猴と夜景を堪能するのだった。怖いよぉ……

 

「それでは皆さん、ごきげんよう」

 

「京夜、また遊びに来るです」

 

「おう。今度はちゃんと連絡してくれ」

 

「蘭ちん、ばいちゃ」

 

「達者でな」

 

 函館の夜景を見てロープウェイで下りてからすぐにタクシーを拾った劉蘭と猴は、迫るフライトの時間に追われるように別れの挨拶を手早く済ませて行ってしまい、オレとジャンヌも明日は午前中のうちに東京へと戻るのでホテルへと戻る。

 しかしまぁ予想通り理子も同じホテルにチェックイン済みで、すぐにオレ達の部屋に乗り込んできて騒ぎ始める。

 基本的に何かしてないと落ち着かない理子のこういうところは時々鬱陶しいので、ジャンヌに温泉に連れ出してもらってようやく1人の時間を作り出せたオレは、遅れて温泉へと向かってゆったりまったりくつろいで旅の疲れを癒す。言うほど疲れてないけど。

 

「さーて、理子への誕生日プレゼント。どうしよっかねぇ」

 

 湯に浸かりながら考え事する贅沢な時間を理子のために使ってるのは癪だが、年に1度の記念日くらい頭を悩ませてもいいかと割り切ってぼんやりとプレゼントについてを考えるが、これといったものが浮かばない。

 なんとなく理子はオレがプレゼントすれば何でも喜びそうな絵が浮かぶから楽観視してるのもあるが、あいつが普段から本心を隠すタイプの人間だから、本当に欲しいものってやつがよくわからないのもある。

 

「…………悩む幸せねぇ」

 

 オレとしてはつい昨日に理子が言っていた『プレゼントを悩む幸せ』ってやつがいまいち掴めないが、これを楽しめる理子が特殊なのかオレが特殊なのか。

 結局はほとんど進展しないままプレゼント選びは保留となって温泉から上がり、まだ騒ぎたい理子に付き合って夜遅くまでゲームやらをやっての翌日に、3人一緒に飛行機で東京へと戻り、1泊2日のプチ旅行は終わりを迎えた。



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Bullet157

 3月28日。

 学期末試験も無事に乗り切り、その翌日となる今日は武偵高の終業式・卒業式が行なわれる。

 とはいえ春休みに入っていたも同然のオレからすれば、なんとも微妙な感覚でのんびりと登校をしていったわけで、何が起きるでもなく普通に式が行なわれる大講堂に辿り着く。

 そんなしょっちゅう何かが起きる方がどうかしてるが、心穏やかに始まった1日になんだか表情も緩んでいると、いつもなら式のギリギリにやって来そうな理子が近寄ってきて「そんな顔してると後ろから刺されるよ」とか武偵らしい警告をして大人しく絡んでくる。

 オレも時と場所くらい選んでるので余計なお世話だが、わざわざそばまで来て言う理子のちょっとした違和感はすぐにわかり、その辺を思考すると答えは簡単。

 2つの式が行なわれるということは、必然として卒業式で送られる3年生もこの場にはすでに来ているからだ。

 一般の高校とかなら卒業生の入退場とかあるもんだが、ここはそんな面倒な段取りをしないから式の開始から生徒の集団の前方を陣取って並んでいる。

 3年ともなればもうほぼプロの武偵と言えるので、下手に刺激でもして機嫌を損ねれば、冗談ではなく後ろから刺される可能性もなくはない。

 そうしたことから理子もいつもの元気をこの場では出さないようにしていると見た。というかそれしかない。

 オレはなんだかんだでこの空気はすでに4度目――京都武偵高の2度と去年で1度だ――なので、慣れるということもないが、変に緊張はしなくなっている。心の余裕は持っておくに越したことはない。

 

「――武偵の武とは、戈を止めると書きます……」

 

 しかしだ。この人だけは一向に心の余裕がなくなる。

 滞りなく始まった終業式ではあるが、壇上に上がった東京武偵高の校長、緑松武尊(みどりまつたける)校長が話し始めてから、オレは壇上を見られない。

 武偵高の校長なんて京都武偵高のいてもいなくても遜色ない校長しか知らなかったから、こっちに来てマジで衝撃を受けた教師陣のトップがあの校長だ。

 オレと同類とも言えなくもない緑松校長は、その出立ちにほとんど特徴がない。

 別にディスってるわけではなく、怖くなるレベルで『特徴がない』のだ。それはつまり、アリアのようにどこにいても目立つピンク髪とか、理子のようなロリ巨乳とか、そうした個人を認識するための要素がないことを意味する。

 要は『ありふれた人間過ぎて記憶に残らない』のが、この緑松武尊という人間の最大の特徴なのだ。

 だからあの人が人混みに紛れてしまえば、こっちが警戒する前に一方的にやられる。誰にやられたかもわからないまま、ただ倒されるのだ。

 そんな緑松校長を『見える透明人間』と呼び恐れる生徒・教師陣の緊張感たるや尋常ではないが、そうしてガン見したところでこの式が終わった頃にはどんな顔をした人かもわからなくなるなら、最初から見ない方がいい。

 だからオレは緑松校長が壇上に上がった時からその声にのみ集中して、唯一無二のはずのその声を記憶に鮮明に残そうと試みていた。

 だが聞けば聞くほどどこかで聞いたことのあるような曖昧さがまとわりついてきて、どこかでその顔を声と照合しようとしてしまい、結果的に声の記憶には失敗した。マジでヤバいな、緑松校長……

 

「あぁ……疲れた……」

 

「始まる前はあんなに余裕そうだったのにねぇ」

 

「校長の恐ろしさを再確認した……」

 

「影の陰でも校長は攻略不可ですか」

 

「その呼び方は嫌いだ」

 

「良いじゃんカッコ良いよ?」

 

 式が終わってしまえば、校長の声がどんなものだったかもすでに消失し、徒労に終わったことに落胆していたら、講堂の出入り口がどん詰まりしている間に理子が寄ってきてさっそく絡んでくる。

 出入り口が詰まってるのは、4月に全員が付けることをほぼ義務付けられた規則のための名札を廊下で教務科が配っているから。

 要領の悪さはあの教師陣だから仕方ないが、出るだけでも時間がかかりそうなこれの間に理子だけじゃなくキンジ、アリア、白雪も合流してなんだか賑やかになる。

 その一団でごった返す生徒の波を抜けて無事に名札を受け取り外へと出ると、色々なゴタゴタを片付けてスッキリした顔のアリアが自然と口を開く。

 

「こういう式典があると、未来への期待に胸が膨らむわね」

 

「期待に」

 

「胸が」

 

「膨らむぅ?」

 

「マジでか」

 

 仲間外れは嫌だったので、この1年で変化なしのアリアの胸の膨らみを見ながらにキンジ、白雪、理子、オレと言葉を分けてみると、やはり怒り心頭になったアリア様は……

 

「なんであんたらセリフ割って言えてんのよ!」

 

 いつもの調子でガバメントを抜いてオレ達にバカスカと撃ってくるのだった。

 なんだかんだでアリアのこれも久々な気がするね。

 アリアのガバメントから逃げつつ、仲良さそうに集まっていた小鳥、幸帆、貴希、風魔らの集団に紛れて少し会話に興じ、このあとはカラオケに行くから一緒にどうかと誘われたものの、その前に不知火と武藤が合流してくる。

 何か用なのかと思ったら、ただ単に暇だから混ぜろ的なノリだったので、それならこのメンバーで行くかとなり、ついでにファミレスで昼食も約束して一旦は解散。

 そろそろ誰かしらがアリアの犠牲になっただろうと再合流を図ったら、案の定キンジが捕まってタコ殴りに遭っていたから、それをやんわり止めつつ落ち着く。

 するとそれを見計らったように生徒達の中を掻き分けてあややみたいな幼児体型の合法ロリ、錢形乃莉がやって来て、アリアを探していたようなことを言う。

 そんな錢形に招かれるまま、大講堂の隣の梅・桃・桜の木を一ヶ所に植えたなかなかに凄い中庭に移動。

 すっかり敵対心というものがない錢形の無害さはちょっと怖いが、元々は敵というほどのものでもないからすぐに切り替えて中庭に来た理由についてを考えるが、それは案外すぐにわかって笑顔になる。

 

「……やっべ」

 

 中庭には武偵高の生徒の他に、よくわからない一般人が結構な数で花見のようなことをしていて、錢形が寝る間も惜しんで集めたというその人達はどうやら、何らかの形でアリアに助けられた人達という括りでまとめられるみたいだ。

 オレが知ってるのはこの中でバスジャックやハイジャック、エクスプレスジャックの件くらいだろうが、バスジャック以外はほとんど無関係だから面識など当然ない。

 しかしサプライズらしいこの集団の中心には、最高のサプライズが用意されていて、アリアと共に法廷で戦っていた弁護士と針小棒大にアリアのことを語る間宮の話を聞く人物が、アリアから言葉を奪う。

 神崎かなえさんだ。

 ゆったりしたロングスカートのワンピースを着たかなえさんは、到着したオレ達に気づいてこちらを向くと、嬉しすぎて絶句していたアリアはヨロヨロとした足取りで近づいていき、オレはその様子を見ながら普段はあまり気にしないが唐突に寝癖とか変なところがないかを確認。

 そのオレの変化に敏感な理子が横からジト目で見て「何で見た目を気にするの」と聞いてくるが、オレも何でかよくわからない。

 たぶん『初めて会う』かなえさんに失礼がないようにしたかったのだろうが、彼女と待ち合わせしてる落ち着かない男か!

 とかなんとか自分にツッコミつつ、この突然の釈放が白雪のおかげみたいなことをほろ酔いの軽い口から漏らした錢形に、白雪は無反応でアリアに付き添っていった。

 そしてようやく触れ合うことを許されたアリアとかなえさんは、人目もはばかることなく抱き合って、アリアはただただ、子供のようにかなえさんの胸の中で泣きじゃくり始めてしまった。

 後輩もいるのにそうなってしまうほどの感動で泣きじゃくるアリアを見ていると、その苦労を知るオレとしてももらい泣きしそうになるが、それをグッと堪えて理子にコブラツイストを極める。

 

「いだっ! いだいいだいキョーやん何これ!? 意味わかんない!!」

 

「すまん。ちょっと感動して……」

 

「感動してコブラツイストとかキャラじゃないんですけど!? 意味わかんないんですけどぉ!?」

 

 人は時に不可解な行動をすることがある。

 それをこのタイミングでオレがすることになろうとは思わなかったが、そうして理子をいじめていると気が紛れたので、とりあえず痛がる理子を無視して少し長く極めておく。

 理子も理子で感動の涙を流しそうだったところでの別のお涙頂戴があったから、解放してからオレに逆襲のサソリ固めをしつつもその涙はちょっと流れたままだった。ギブ・アンド・テイクだが、そろそろオレもギブ・アップだ……

 

「関節が1つ増えたかもしれん」

 

「そんなマジで極めてないんだけど」

 

「いや、これは第2の膝が出現したな」

 

 オレと理子のコントプロレスはアリアとかなえさんの感動から離れたところで行われたので、武偵高生徒がちょっと盛り上がって終息し、もらい泣きも収まったので改めてふざけつつアリアとかなえさんを見ると、アリアもようやく落ち着いてきたようで、よく見れば近くにいたはずのキンジの姿はなくなっていた。

 きっとオレや理子と同じ理由でこの場から離れたかったのだろうが、黙って行くなよ。

 それを当人に言うこともできずにサソリ固めのダメージを癒していると、泣き止んだアリアがかなえさんを連れて笑顔で近寄ってきたので、オレも姿勢を正してダメージを思わせない笑顔で応対する。

 

「紹介するわママ。あたしの大切な仲間の……」

 

「猿飛京夜です。お初にお目にかかります、神崎かなえさん」

 

「……あら。フフッ。そうね。はじめまして、京夜さん。いえ、あ・な・た」

 

 オレとの約束を守りにきたアリアに促されて自己紹介をしてお辞儀をしたオレに対して、かなえさんは少しだけ沈黙してオレの声を聞いてピンと来たのか、笑いながらに挨拶してから何故か言い直して爆弾投下。

 それには笑顔だったアリアの表情が氷のように固まって、隣の理子も同じように思考停止して内部時間が停止。

 次いですぐに復活したアリアは鬼の形相でオレを見て、理子も横を向けないが修羅のオーラを放出。

 

「ちょっと! どういうことよ! 何でママが京夜のことをそんな風に呼ぶのよ!?」

 

「セツメイヲヨウキュウスル」

 

「怖いっての! かなえさんも人が悪いですよ!」

 

「えっ? じゃああの時のプロポーズは嘘だったんですか!? 私ったら年下の男性に弄ばれちゃったのね……」

 

「ぐぉおおおぉらぁあああ!! 京夜ぁ!!」

 

「プロポーズってなんじゃこらぁあああ!!」

 

「ぐっはぁああ!!」

 

 こ、こんなはずでは……

 プロポーズはしてないはずなんだが、話を誇張したかなえさんのせいでオレはアリアと理子からボッコボコのリンチに遭い、かなえさんが止めてなんとか重傷で済んだが、あなたがあんなことを言わなきゃこんなことにはなってなかったんですがねぇ!

 

「…………お元気そうで良かったですよ、かなえさん」

 

「ごめんなさいね京夜さん。でも京夜さんも悪いんですよ? 私はアリアと一緒に会いに来てくれるのを心待ちにしていたのに、全然来る気配すらなくて」

 

「それはまぁ、オレが悪かったですが、こうして自己紹介をできたなら、それでいいんじゃないですか?」

 

「……そうね」

 

 まだアリアと理子が睨みを効かせてくる中で立ち上がって、改めてかなえさんと話してみると、オレのあんな言葉でも楽しみにしてくれていたとわかりちょっと反省しつつも、こうして会えたことを喜ぶと、かなえさんも優しい笑顔を向けてくれる。

 

「それで、何がどうしてママとそんな話になったのよ」

 

「ちゃんと説明しろよ、京夜」

 

「別にそんな深い話じゃないぞ」

 

「そんな……あんなに濃密な関係になっておいて」

 

「かなえさんはオレが死ねばいいと思ってらっしゃる?」

 

「いえいえそんな。ただ京夜さんは世渡りが上手そうなので、意地悪したくなっちゃうんです」

 

「かつてここまでアリアに殴られたことはなかったのに……」

 

「理子も殴ったことないんですけど」

 

「お前はそうでもない」

 

 これで落ち着いたかと思ったらまたも同じようなやり取りをやらされて死にかけるが、さすがにオレの生死が不安になったのか、それ以降は意地悪をやめてくれたかなえさんに安堵しつつ、説明を求める2人に腰を下ろして誤解がないように説明して納得してもらうのだった。

 ……疲れたよ……

 

「さっき会ったばかりなのにずいぶんボロボロになったね」

 

「言うな。思い出すだけで疲れる」

 

 本来から感動の余韻が残っていてもいいくらいのサプライズだったのだが、アリアと理子の暴力のせいで残ったのは体の痛みのみ。酷いもんだ。

 そんなボロボロの状態で小鳥達と再合流してファミレスに来て席に着いて早々、隣の不知火がいらんことを言うので、適当にメニューを見ながら記憶の彼方にさっきのことは葬り去る。

 オレの到着が最後だったようで、みんなして注文をする中、さっきはいなかったワトソンがこの集団にいたのがちょっと意外で、男4の女4の数合わせで武藤に捕まったと話すが、オレやキンジ達とだけじゃなくたまにはこういうコミュニケーションもいいかと気まぐれもあったようだ。

 まぁ正確には男3の女5になって数の上ではバランスが悪くなっただけだが、それを知る由もないこの集まりなら問題はないので、オレも余計なことは言わずに賑やかに会話しながら昼食を取っていった。

 それからすぐにカラオケに直行して武藤の熱いアニソンから場の空気が温まって、アップテンポの曲が次々と入れられる。

 オレもいくらかデュエットとかで歌わされて、それが女子連中で連続で要求するもんだからちょっと疲れる。

 それを表情に出して場の空気を盛り下げるのもあれだったので、適当なところでワトソンを生け贄にしてトイレ退室し、ちょっとのんびりと用を足したところで、入れ違いに不知火がトイレにやって来て少しだけ会話に発展する。

 

「風の噂で聞いたよ猿飛君」

 

「何をだよ」

 

「終業式も終わっちゃったし、新学期もすぐに始まっちゃうしね。誕生日パーティーでは餞別でも贈るよ」

 

 トイレに来たのに用を足す様子もなく洗面台の前で鏡を見ながらに話す不知火が何を言ってるのか最初はわからなかったが、回りくどいその言い方でなんとなく何を言ってるかは把握。

 風の噂とか言うが、まず知ってる人間が圧倒的に少ないはずだからこいつの情報源ってやつがちょっと怖いね。

 

「それなら物じゃなくてオレの質問に答えてくれるとありがたいね」

 

「今ここでかな?」

 

「答えようと思えば即答できるぞ」

 

「じゃあ聞くだけ聞こうかな」

 

「お前も武偵だし自分語りは嫌だろうがな、オレは初めて会った時からお前には『踏み込まないようにしていた』」

 

 しかし不知火から付け入る隙を見せてくれたので、それを好機と見たオレはなんだかんだでずっと『仲の良いクラスメート』として接してきた……接せざるを得なかった不知火に踏み込む。

 

「それと同時にお前は会った頃はオレを無気力系の武偵と思って関心がなかったんだろうが、オレはお前に踏み込まれないように距離を取ってた」

 

「そうなんだね。ああ、だから僕といる時はたいてい誰かしらを挟んでクッションにしていたんだ。納得だよ」

 

「何でオレがそんなことをしてたか。それが質問だよ、不知火」

 

「その聞き方は質問じゃなくてクイズだね」

 

「『本当のお前』はどんな顔をしてるんだ?」

 

 こいつは会った頃から柔らかい物腰でコミュニケーション能力が高かった。

 だがその一方で誰にも深く踏み込まず、自分のことも語った試しがない。

 要するにこいつは誰とでも仲良くするが、誰とも親しくないんだ。まるで武偵高では『仮面を被ってる』ように、不知火亮という武偵は中身がない。

 その違和感を初見から感じていたオレは今日まで不知火を放置していたが、最近になってこいつが何か目的を持ってオレやその周囲の人間と行動してるのが感覚的にわかったから、これがオレにも関係あるなら放置もしてられない。

 

「『本当の僕』か。なかなか哲学的な質問だね。これでも僕は僕として日々を過ごしているつもりなんだけど」

 

「じゃあそれでいい。要はお前が『秘めてる何か』にオレは含まれてるのかってことを聞きたいんだよ」

 

「……餞別って言っちゃったからね。嘘を言っても猿飛君はわかっちゃうだろうから正直に言うけど、猿飛君は関係ないよ。これで納得してくれる?」

 

「オレ『は』ね……まぁいいさ。面倒なことは聞かない聞いてないはい終わりー。オレもアリアに感化されてずいぶん『能ある鷹は爪を出しまくり』になってたかもしれんな。こうやって接触されたんじゃオレの警戒が気づかれたんだろうし」

 

「…………猿飛君は優しいね。本来なら僕をどうすることもできたのに荒事は避けてくれた」

 

「抜く気も最初からなかったやつに刃を突きつけるほどオレは抜き身じゃないっての」

 

「猿飛君を闇討ちするには僕はもう何年か腕を磨かなきゃか」

 

「何年かでどうこうできると思われてるのか」

 

「まだ僕も17だしね。可能性は無限大だよ」

 

 話を聞く限りではオレに害はないようだが、口ぶりからしてオレの近くの人間が不知火の何らかのマークをされている。

 それが依頼ならこいつは話さないし、個人的なものでも同じだろうから、これ以上の踏み込みは不知火に銃を抜かせる可能性も考慮して撤退。

 オレが関係ないならとは言ったが、本当に無関心を決め込むつもりはないし、悪巧みなら気づいたら阻止もするさ。

 そうして最初からこの話をしたかったらしい不知火は、絶対にオレの怪我についても知っていながら強引な口封じは避けて『関わらないでくれ』と警告してくれた。まさかこれが誕生日プレゼントとはな。

 

「おいおい猿飛。ずいぶん長いションベンだなぁ。みんなお前と歌いたいって騒いでんだから早く戻れ。ワトソンも喉が枯れ始めてるぞ」

 

 結果的に長話にはなったが、オレの戻りが遅いのを気にしてやって来た武藤の登場でオレも不知火もピリッとした空気を霧散させていつも通りになって武藤と絡み、信じられないパワーで歌いまくる後輩達に付き合ってそこから3時間もカラオケに興じる。

 それが終わった頃にはさすがの不知火もちょっと疲れた表情を見せてガラガラ声になった武藤の心配をしていた。

 オレもゲッソリとしたワトソンを介抱しながら、心配事だった不知火の件もとりあえずは片付いて安堵し、残す理子の誕生日をどうしたものかと考え始めるのだった。



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Bullet158

 終業式の翌日。

 2日後には理子の誕生日が控えた今日は、昨夜にビックリするような人物から連絡があってその人物とお出かけ。

 人目を忍びたいという本人の希望で学園島の外の台場には出てきて待ち合わせをしたが、ちゃんと来るんだろうな。

 そうして半信半疑になるような人物をアクアシティお台場の出入り口で待っていると、人の行き来する中に影から影へと移動する影があり、それはオレの近くまで来て一旦はオレの影に入ってから、人目を忍ぶようにオレの背後から這い上がって姿を現す。高潔なる竜悴公姫、ヒルダ様のご登場だ。

 

「ちょっとサルトビ。こんな朝早くに待ち合わせるなんて、酷いのではなくて?」

 

「頼んできたのはお前だろ。ならお前の都合じゃなくてオレの都合に合わせる譲歩くらいはして然るべきだろ」

 

「それはそうなのでしょうけど、ここに来るだけでも労したのだから愚痴の1つでも言わせなさい。度量の小さい男」

 

「じゃあ学園島でも良かったんですがね」

 

 人目を忍びたいと仰られたくせに、いつも通りの漆黒のゴスロリ服を身に纏うヒルダは、日の光が嫌いだから文句タラタラ。

 それでもこうして来たということは、それだけヒルダにとって重要な案件だということなのだが、正直なところオレでなくても適任はいる。

 

「さぁサルトビ。さっそく必要なものを集めるわよ」

 

「経費はヒルダ持ちだろうな?」

 

「お前に支払い能力など求めてないわ。お前はただ私に知恵を貸せばそれでいいのよ」

 

「そりゃありがたいことで」

 

 しかしこの竜悴公姫様は残念なことにお友達が少ないので、人に頼るという行為自体できる相手が指折りで数えられる程度しかいない。

 特に理子が絡むことになるとその優先度がオレに寄るのは、その仲を取り持つのを協力するとかつて言ってしまったからに他ならない。

 だから今回のも当然ながら理子の絡む案件であり、ヒルダにしてはちょっと頑張って『誕生日ケーキ』の製作に挑むというのだ。

 キッチンに立つことさえ億劫だろうヒルダが自ら言い出したことに驚きはしたが、かつての虐待を猛反省して理子との関係を築くヒルダは好感を持てるのでオレも最善は尽くしてやる。

 

「ケーキって言っても色々あるが、どんなものにするかのイメージはあるよな」

 

「当然でしょう。ベースは苺のショートケーキ。そこに理子の好きなものを散りばめて味にバリエーションを加えるのよ」

 

 最善は尽くすが、いざ買い物を始めると買い物カゴはオレが持ち、ヒルダは前を胸を張って歩いてオレにあれこれと指示をして材料を取らせるという始末。殴りたい、そのお顔。

 しかしこれはある種の依頼という体をしているから、依頼主に手をあげるのは武偵として底辺以下。それをグッと堪えてヒルダの要求に心を無にして応じていった。

 1時間ほどじっくりと材料を選んで両手にギリギリ持てるくらいの量を買い込んだヒルダの容赦のなさにオレも支払いはしてもらっても運ぶ労力を考えたら文句は言いたくなったので、詰め終わったそれを持つ前にヒルダを見る。

 が、このヒルダ様。できた2つの袋を自分の影に入れるように指示して、それに従えば普通に影の中に入ってそれで持ち運び完了。そういやアメリカでもこれ使ったっけ……超能力ズルい……

 そう思わざるを得ないヒルダの行動を予測してなかったオレが文句を言いそびれたのを表情に出したからか、それを見たヒルダが「どうしたのサルトビ? まさか何の考えもなしに買い込んだとでも思っていて? ほほっ」とかなんとか煽るもんだから、ついつい視線を誘導して目を離した隙にアクアシティお台場を去るという凶行に及んでしまった。大人げなかったな。フフッ。

 

「次やったらその首をはねてやるわ!」

 

「果たしてその次があるのだろうか」

 

 まぁさすがにオレも本気じゃなかったので出入り口で待っていたら、ちょっとだけ涙ぐんだヒルダがヒールを鳴らして追いついてきて死刑宣告をしてくるが、即時でやってこなかった辺りは丸くなったもんだ。

 一応はそれについて謝りつつ、許してくれたヒルダはオレの影に入って影絵で「早く戻りなさい」と外を指差してみせて、機嫌を損ねたばかりで沸点も低いだろうヒルダに素直に従って学園島の男子寮へと直帰。

 材料は豊富だったので、まずはヒルダのイメージするケーキをオレが作ることになり、手順やら工程やらを教えながらにパパッとスポンジを焼き上げて、そこまでをめっちゃ真剣にメモしたヒルダも現物を目にしてよりイメージがしやすくなったのか、スポンジがまさかの6層構造という贅沢な仕様にされる。

 スポンジの1層が薄くなり、層ごとに苺やら何やらと生クリームが盛られるので、全体の厚さが1.5倍にはなってどうすんだよ状態のケーキがとりあえずは完成。

 

「断面を見るのが怖いんだが……」

 

「いいから切り分けなさい」

 

 ヒルダにとっては渾身の出来のようだったが、指示通りに作った身としては明確なイメージが出来てるだけに実際にホールを切り分けて見る断面が怖い。

 見た目には無駄に大きいホールケーキで済んでるから、このままにしておきたい衝動がありつつもヒルダ様の指示で8等分サイズで1切れを取り出し皿に移してその断面を2人で見る。

 

「…………食欲湧かねぇ……」

 

「そう? 人間の感性はよくわからないわ」

 

 別に不味い食材を使ったわけではないので、実際に口にすれば全然食べられるものなのだろうが、見た目も重視する人間様の感性だとそこで食欲を刺激しない。

 下から1層目は普通にスライスした苺と生クリームで普通。

 2層目は缶詰のみかんと生クリームでまぁ大丈夫。

 3層目からチョコバナナと生クリームで色合いが怪しくなる。

 4層目では黄桃と白桃のミックスに生クリームで「おい」となる。

 5層目には種なしぶどうを皮ごとドーン。

 最後の6層目はメロンがバーン!

 

「味の大洪水だよバカ野郎……」

 

 それらの層が全てまとめて口に放り込まれるのを想像すれば、何をどう味わえばいいのかわからないのは明白で、味の化学反応さえなければ吐き出すものでもないのがまた嫌だ。

 

「早く食べなさいサルトビ」

 

「……あとでリサに手を加えてもらおう……そしてキンジに押し付けよう」

 

 これを会心の出来と思ってるヒルダの押しが煩わしいが、食わないと片付きもしないし考えを改めもしないとわかってるので、残ってる分の処理も考えつつ1切れを意を決して食す!

 ……予想通りというかなんというか、味がありすぎて上手い具合に混ざらない単独主張が多く、ケーキを食べてる感覚はかなり薄い。ミックスジュース食べてるのオレ?

 美味くはないが不味くもない。そんな感想しかないケーキを1切れ食べ切ってから、感想を待つヒルダに目をかっ開いて人間様の感性を叩きつける。

 

「これをそのまま出したら理子は層ごとに分けて上から食べるという暴挙に出るだろう」

 

「なッ!?」

 

「貴様は理子が好きなものを詰め込めば美味しいだろうという妄想でしか作らないからこうなるのだ。自分に置き換えて物事を考えろ。貴様の好きなものは何だ?」

 

「ひ、人の生き血とか……イモリの黒焼きかしら?」

 

「…………」

 

 生物としてこうも違うと頭を抱えたくなるが、オレの言葉で好物を他にも思い浮かべたっぽいヒルダがそれをひとまとめにして口に入れた想像でもしたのか、ちょっと青ざめて現実を見たようなので、わかってはもらえたかと話を進める。

 

「何でもかんでも詰め込めばいいってもんじゃないのがわかったところで、引き算をしていくぞ。とりあえずヒルダの残したい食材は何だ? そこに合わせてオレもアドバイスしてやる」

 

「もちろん苺は残すわよ。それから最近はやたらと桃を食べていたから、桃も残したいところね」

 

「苺と桃ね。それなら問題なく作れるな。あんまり手本で作っても処理が大変だから、オレが教えてヒルダが作れ」

 

「ま、待ちなさいサルトビ。私は完成品がないと上手くやれる自信がないわ!」

 

「失敗するなら今しろ。本番でそこはまず失敗しなくなる。人間は失敗から学ぶ生き物だ。吸血鬼だって人間の変異みたいなもんなんだし、失敗から学べない愚かな種族でもないだろ」

 

 ある意味ですでに失敗はしてるので、今さらオドオドしても仕方ないだろと思いつつ、とにかく作ってみようと促してやる。

 そんな挑発も含めたオレの言葉で竜悴公姫のプライドが働いたのか、ちょっと戸惑いつつも「よしっ」と意気込んだヒルダは、影の中からフリッフリのエプロンを取り出してゴスロリ服の上から装備。理子の趣味に寄りすぎだろ。

 

「ああそれからやる気になったヒルダに助言」

 

「言うなら早くなさい。始めたら戯れ言に耳を傾ける余裕はなくてよ」

 

「食べ物はその相手が美味しそうに食べてくれるのを想像しながら愛情を込めて作るのがいいらしいぞ」

 

「あ、愛!?」

 

「大事なのは気持ちってことだよ。味がついてくればそれに越したことはないが、自分のためにって作ってくれたものを喜ばない人間はそういないってこと。だから理子のために愛情を込めてやれ」

 

「愛を、込める……」

 

 綺麗系が可愛い系の格好をする光景にどういう反応をしたものかと少し迷ったが、とりあえずスルーして動き出す前に最後の人間の感性というやつを教えてやり、愛だのに疎そうなヒルダでも理子を想う気持ちに嘘はないからかその表情に真剣さを増して三角巾までご丁寧につけてオレの指示を仰ぐ。

 そこからのヒルダはぎこちない手つきながらも超能力も使わずに自分の力だけでケーキを作り、ちょっと生クリームを混ぜすぎて固い仕上がりにはなったものの、2層構造の苺と桃のケーキが完成。

 スポンジの上のトッピングはスライスした苺と桃で花びらをイメージした綺麗な感じで中央にはデカい苺をドンと置いてインパクトもある。

 

「んじゃ味見」

 

「ま、待ちなさいサルトビ! い、一応は私の初作品なのだから、写真のひとつでも収めておくのがいいのではなくて?」

 

「そんなの当日に理子がやってくれる。今日のはノーカンってことにしとけ。どうしてもって言うなら撮ってやるが」

 

「そうかしら? ならそうさせてもらうから、さっさと味の感想を言いなさい」

 

 工程を見ていたので不味いわけはないことはわかっているが、やはり自力で作ったから思い入れが出来たのか記念撮影をしようとするヒルダだったが、どうせ撮るなら理子にちゃんと撮ってもらった方がいいと言えば素直。

 忙しいヒルダはドキドキの顔でオレの感想を待ち、オレも1切れ取って断面も問題ないことを確認してから実食。

 

「生クリームの舌触りが微妙だが、普通に美味いよ」

 

「ホホッ。高潔なる竜悴公姫である私が作ったのだから当然でしょう。当日は絶対に理子に美味しいと言わせてみせるわ」

 

「調子に乗るのはいいが、当日の面倒は見てやらないから、失敗したところはちゃんと確認しとけー」

 

 誉めると調子に乗るだろうなと思ったが、自信を持たせてもおかないとまた作り始めるかもしれないので、今回で微妙だったところをメモして自分でも1切れ食べ始めたヒルダに渡してやる。

 そうしたら本当に当日は手伝ってくれないことを理解してちょっと弱気になったものの、言葉の力である『愛』でごり押すと自らに暗示術をかけたように自信を取り戻して1切れを食べきると、後片付けをオレに任せて帰宅。

 当日はここで作ってから理子のところに向かうと笑いながら言っていたので、材料なども置いていったが、後片付けをするまでが料理ですよヒルダさん。

 しかしまぁ余った食材は今後の食料として足しにはなるので感謝しつつ、寝室の上下扉を通って下のキンジの部屋にお邪魔する。

 リビングでのんびりしているようで落ち着いてないキンジは何やらアリアにディナーの招待をされたとかで、かなえさんも交えてのそれに色んな感情があるみたいだ。

 それはそれとしてこっちも用があるのはリサなので、早速ヒルダ作のごちゃ混ぜケーキを提供してアレンジに賭けると、笑顔を崩さないリサはこれをどうにかするようなことを言って引き取ってくれて感謝感激。

 そのあとは昼も夜も果物フィーバーで腹を満たして過ごすのだった。

 

「さて、そろそろだろうな」

 

 翌日の30日。

 この日は事前に予定が入っていたので、朝から心構えだけはしておいてリビングでくつろいでいると、昼になる少し前に部屋のチャイムが鳴り響き、それに応じて玄関を開ける。

 

「きょーうちゃーん!」

 

「ぐむっ!?」

 

 開けた瞬間に抱きつかれて、その豊満な胸に顔を埋める形になったオレは、久しぶりだから力の加減を忘れたのか万力のように抱き締める相手、愛菜さんの背中をタップして危険を知らせると、愛菜さんも我に返ってオレを解放してくれる。胸の中で窒息死とか恥ずかしいよね……

 

「堪忍や京ちゃん。年越し以来やから嬉しなってしもて」

 

「……いえ。立ち話もなんですし中にどうぞ」

 

「お邪魔しまーす」

 

 テンションの高い愛菜さんを落ち着けるようにとりあえずリビングに通しつつ、持ってきた荷物を運んであげるが、多いな。

 そしてこうしてわざわざ京都から1人で来てくれた愛菜さんの今回の目的。それは少し早いがオレの誕生日を祝うためである。

 愛菜さんの、というよりも月華美迅の都合上、今日から明日にかけてしか人員を割けないらしくて、本当は電話とかビデオレターとかその辺で片付けるつもりだったのだが、愛菜さんがごり押しで来てくれることになったのだ。

 それならそれでと京都居残り組は愛菜さんにプレゼントを押しつけて送り出し、1泊して帰る愛菜さんも数少ないチャンスにそわそわしっぱなし。

 別にオレを襲おうとかそんな怖い話ではないが、オレの誕生日ということもあっていつも以上にお姉さん気質が面に出てきている感じ。

 昔からオレの誕生日は幸姉よりも愛菜さんの方が気合いが入っていたが、今年はどんなことになるのやら。

 

「そういえば理子ちゃんも明日が誕生日なんやろ? せっかくやしここに呼んだらどうや?」

 

「いいんですか? あれがいるとオレの独占権が剥奪されますけど」

 

「あー、それは喧嘩になるかもしれんなぁ……ほなら明日の朝に会うてから帰ることにしよか」

 

「それが賢明ですね」

 

 移動で窮屈な思いをしたのか、リビングのソファーでのびのびしながらの愛菜さんを見つつ、昨日ヒルダが作ったケーキを出して話をする。

 一応ケーキとかは買わないように言ってあったので、愛菜さんも食べ物はチキンとかその辺にしてくれたのをテーブルに広げてくれて、あとはジュースやらを揃えてプチ誕生日パーティーが開始。

 

「あ、京ちゃんそのまま立っとってや」

 

「はい?」

 

 準備が整ったので座ろうとしたところで、何故かそれを止めて愛菜さんがデジカメを取り出しタイマー機能を使ってオレと並んで写真撮影。

 写真は普段なら拒否するが、愛菜さんは特別なところがあるので素直に受け入れるも、愛菜さんもオレも特にピースとかしない撮影でちょっとした違和感があった。

 

「エエねぇ。バッチリやん」

 

「何がバッチリなんですか?」

 

 しかし愛菜さんはその写真でも文句はないらしく、性格的にほっぺにチューくらいの写真は撮りそうな人にしては大人しいなと疑問を投げかけると、優しい笑顔を見せた愛菜さんはデジカメの画面をオレにも見えるようにと隣に移動してくる。

 

「これがいま撮ったやつで……こっちが、ほれ」

 

「…………ああ」

 

 そうして見せられたのは、いま撮ったツーショット写真と、もう1枚スライドさせて見せられたのは、オレが14歳になった時に愛菜さんと同じような構図で撮った写真だった。

 まだオレも愛菜さんも京都武偵高の制服を着てて幼さがあるし、何よりオレが小さい。愛菜さんとほとんど変わらないぞ。

 

「寸尺もこの時と同じにしたから、こうやれば成長が見てとれるやんな。あーん! 京ちゃん昔は私とほとんど変わらんタッパやったのに、こない大きなってカッコええなぁ」

 

「愛菜さんはあまり伸びてないですね。綺麗にはなってますけど」

 

 今となっては愛菜さんよりも15センチ近くも大きくなって、写真を見比べれば一目瞭然だが、オレのそんな成長を見比べて悶える愛菜さんは本当にオレの姉のように喜んでくれる。

 

「うーん。おっぱいはカップが1つ大きなったんやけどね。成長はもうこの時でほとんど止まってしもた感じ。今は化粧してるから綺麗に見えるだけやで?」

 

「いえ、それ抜きでも綺麗ですよ。愛菜さんはいつだってオレの自慢のお姉さんですから」

 

「もーう! あんまりお姉さんを褒めるとギューってしてまうでぇ!」

 

 そんな愛菜さんだからこそオレもこうして出向いてまで誕生日を祝ってくれるのは素直に嬉しいし、幸姉とはまた違うお姉さんポジションで特別な存在なのだ。

 だがあまり正直に褒めすぎると案の定だが喜びながらの抱きしめにも力が入って頬擦りまでされて押し倒されてなんかイケない感じで密着されたが、引き剥がすことはできずに満足するまで付き合ってあげた。ムッチムチ……

 

「ほい、これが眞弓からで、こっちが雅。そんでこれが早紀んで、これが千雨のや」

 

「ぐっ……これがプレゼントという名の課題か……」

 

「みんな京ちゃんにはもっと頼もしくなってほしいって利かんくてな。その代わりに私はちゃんとしたプレゼントやさかい、安心してや」

 

 愛菜さんの気が済んだところで誕生日パーティーを始めて、すぐに持ってきたプレゼントを広げて順番に渡してくれたのだが、月華美迅からはひとまとめに『コンピュータ関連』の本やUSBや教材がプレゼントされてしまう。

 眞弓さん達が普通のプレゼントをくれたらくれたで何かしら怪しさは感じただろうからある意味で安心するプレゼントだったが、やはり苦手の克服はやる気も湧いてこない。でも使わないとネチネチ精神攻撃されるしなぁ……

 と考えながら手はつけようと弱い決心をしたところで、満を持して愛菜さんのプレゼントが取り出されて、ちゃんと包装されていたそれを開けると、こっちもこっちで似たようなものだなぁと思ってしまった。

 

「京ちゃんに頭を使う仕事はさせへんでもエエねんな。やからこっちが正解や」

 

「愛菜さんと同じやつですよね、これ」

 

 愛菜さんからのプレゼントは、愛菜さん自身が愛用している拳銃、ブローニング・ハイパワーで、ご丁寧にガンホルダーもセットだ。

 

「別に強要するつもりはあらへんよ。京ちゃんが反動を嫌ってるのもわかっとるし、私も嫌がらせしとうてチョイスしたわけやあらへん。ちゃんと改造して私のより半分くらい反動を軽減できるようにしとるから、京ちゃんが思うよりもずっと使いやすいと思うねんな」

 

「オレにこれから先、必要になると思ってですか?」

 

「あの時にこれがあればって場面がいつかあるかもしれんし、一生ないかもしれん。でもないよりはあった方がエエかなって」

 

「それを言っちゃうと眞弓さん達のプレゼントも愛菜さんと同等ですよね」

 

「そんなことないやん! 私の方が京ちゃんのためを思ってプレゼントしとるんや! これは絶対の絶対!」

 

「ははっ。ありがとうございます、愛菜さん」

 

 どのみち、武偵として歩み出したオレのためにと考えてくれた眞弓さん達も愛菜さんもやっぱり全員が弟分の成長を願ってくれているのだ。

 ならオレもその期待に応えたいし、背中ばかり見てきたこの人達にいつかオレが背中を見せてやると心に誓い、さっそくプレゼントされたブローニング・ハイパワーをガンホルダーと一緒に装備してみせ、その様を見て激写する愛菜さんから逃げる羽目になるのだった。



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Bullet159

 

「ほなら京ちゃん、今度は夏休みにでも帰ってきてや?」

 

「あー、余裕があればってことでお願いします」

 

 愛菜さんとの少し早い誕生日パーティーから一夜明け、朝早くに帰り支度を済ませた愛菜さんは、これから理子にも会ってくることを言って玄関でお別れ。

 名残惜しくなるから玄関まででいいと言う愛菜さんに従ってそこまでの見送りにするが、いざ扉を開けようとした愛菜さんはもう1度だけオレを見て抱きしめたい衝動でもあったのか、それをグッと堪えて笑顔で手を振って行ってしまった。

 別にそこまで自制しなくてもいいだろうに、眞弓さん辺りに釘でも刺されていたんだろうか。

 そんな予想をしつつ、今日は理子の誕生日の当日。いつ来るかは知らないがヒルダもケーキを作りに来るだろうから、それを待ちつつオレも昨日、愛菜さんからプレゼントされたブローニング・ハイパワーのメンテナンスを慣れるために、懇切丁寧に改造機構込みで教えてくれた通りに何度かバラしてやっておく。

 使用感の方はヒルダがケーキを作ってからでもいいかと思ったところで、理子の誕生日に何をやってるんだろうと思い至りやめようかと考えたが、変に何かする日でもないかと思い直して作業を再開。

 日中は後輩とかとワイワイやると言っていたので、オレがいるとテンションが下がる麒麟とかを盛り下げないために夜に時間を割いてもらってるしな。

 

「しかしまぁ、銃ってのは手間がかかるな」

 

 今まで手先の感覚を重視して拳銃などの使用は避けてきたが、 携帯武器に昇格するとコストも上がる。

 銃弾だってタダじゃないし使う度にメンテナンスはしなきゃならない。みんなよく使うなぁと本気で思う。

 

「あらサルトビ。お前もそんな物を持つようになったのね」

 

「……チャイムくらい押してもらいたいんだが」

 

「何故サルトビに私の来訪を知らせてやる必要があるのかしら。ここは理子の拠点の1つ。なら私にとっても家も同然でしょう」

 

「その理屈はおかしい」

 

 慣れないメンテナンスで手順やらを頭で反復させていたせいで、扉も開けずに影のまま部屋に入ってきたヒルダの来訪に声をかけられてから気づき失敗。

 何やら意味不明なことも言ってはいたが、挨拶もその程度で理子の誕生日ケーキ作りに移ろうとしたヒルダは、バタバタされるのは嫌だったから必要なものはダイニングテーブルに出しておいてやったのを見て「手伝わないのではなくて?」とかまだ淡い期待をしている感じの表情をする。

 だがそのヒルダをチラ見した程度で作業に戻ったオレは「食べ物だけは冷蔵庫に戻してくれよ」とだけ言って後片付けに期待してないことを強調。

 そうすればオレに反発的なヒルダは本当にそれだけをするのがはばかられて、結局は道具も片付けてくれるという算段。

 

「冷蔵庫に戻す? 何を言っているのかしら。余ったものは理子のものになるに決まってるでしょう」

 

「…………」

 

 斜め上いったー!

 くっそぅ。下手な挑発をしなきゃ残していったかもしれないと思うと悔しくて仕方ないが、残していくことを前提にしていたオレの悔し顔を見たいだろうヒルダには死んでもそれを見せたくないので「あっそ」とだけ返して作業を続け、予想した反応が返ってこなくてつまらなかったのか、ヒルダも時間を惜しむようにケーキ作りに移っていった。

 

素晴らしいわ(フィー・ブッコロス)! 完璧な仕上がりよ!」

 

「そりゃあ良かったザマスね」

 

 オレの手助けなしで四苦八苦しながらも、そうした声をあげるほどの出来映えになったらしいヒルダのケーキ。

 その代わりにオレのキッチンは悲惨なことにはなっていたが、今日くらいは勘弁してやろうと諦めつつ、事前に買っていたケーキの入れ物を組み立ててそれに入れるように促してやる。

 上機嫌のヒルダはそれに感謝しながらケーキを入れて、奇跡的に道具の後片付けを始めたので、その間にオレもこっそりと入れ物の中に理子宛のメッセージカードを放り込んで前祝いを贈っておく。本番は夜だからな。

 

「それじゃあサルトビ、行ってくるわ」

 

「途中でケーキを転がすなよ」

 

「私の超能力を馬鹿にしないことね。中では天地がひっくり返ることはないのよ。ホホッ」

 

「そりゃお前にしかわからん世界だしな」

 

 本当に余った食材は根こそぎ持っていかれて泣きそうだったが、昨日に完食したケーキやリサに押しつけたケーキの言及がなかったのでそれで手打ちでいいかと立ち直って、上機嫌なヒルダを見送る。

 その頃にはすでに午後1時を回ってしまっていたので、あと6時間くらいの暇を潰すためにまずは適当に昼ごはんを済ませて、それからブローニング・ハイパワーの試射をしたかったので不知火辺りに見てもらおうと思ったのだが、珍しく繋がらなかったので、仕方なくワトソンを呼んで強襲科の射撃レーンを拝借。

 昔から拳銃の反動というのに抵抗があったから、授業でも撃たざるを得ない時――ランク考査とかが当てはまる――は相当なテキトー具合で散々な結果を出していた。

 

「急に撃つのを見てくれなんて言うから、サルトビはてっきり下手な部類と思ってたけど」

 

「オレも下手な方だと思ってたがな」

 

 しかしそれは『扱う気がない』ゆえの結果であり、実際に『武器として実践投入する』という前提が加わればまた違ってくる。

 人の命を左右する武器を扱う責任を持って撃ったオレの銃弾は、固定されたマンターゲットの肩や腿をある程度だが集中させて当てることができ、その結果に横で見ていたワトソンも呆れ顔を浮かべる。

 

「メインに据えるならまだまだだけど、撃つ習慣さえつけて練習していれば数週間で上達はするだろうね」

 

「羽鳥くらいの腕になるなら?」

 

「あれは君が思うよりずっと上手いよ。トオヤマのような派手なパフォーマンスはできないけど、無駄撃ちがほとんどないからコストパフォーマンスは理想系に近い」

 

「とことんSランクだなあいつも」

 

「サルトビは何かとあれと張り合うけど、ライバル意識でもあるのかい?」

 

「いや、あれと離されるとオレが危ないし……」

 

「ん?」

 

「こっちの話だ」

 

 腕はまだまだとの評価だが、上達の余地はあると見たワトソンの目は信じてみるとして、改めてわかる羽鳥の有能さにはちょっと焦るね。

 ワトソンは知る由もないが、あれがまた暴走した時にはオレが止めてやる義務みたいなものがあるので、実力の差が開くとそれだけオレの死ぬ可能性が高くなるから、ワトソンの言うライバル意識はないが立ち止まってるわけにもいかないのだ。

 本当に面倒なやつと関わっちまったなぁ……

 それからワトソンにもオレの銃を撃ってもらって、どの程度の差異があるのかを比べてもらうと、明らかに反動で差があるらしく、改造の機構についてを尋ねられてしまった。

 実はこの改造は京都武偵高にいた青柳空斗という装備科だった同期の武偵がカスタムしてくれたものらしいのだが、あややまでとは言わないまでも挑戦的な技術は2割くらいで不具合を出すから正直ちょっと心配はしている。

 まぁその辺は愛菜さんがずいぶん前から調整に次ぐ調整をするようにとガンを飛ば……お願いしての完成なので1割未満の不具合くらいにはなってるだろうが、オレのようにそもそも主武器にしてない武偵のための改造なため、継戦能力は削ってしまっているらしい。

 つまり弾倉2つ分くらい――約30発と言われた――を撃ったらメンテナンスが必要なくらいデリケートな銃なので、ワトソンのように割と使うやつには向いてないと端折って説明すると、唸りながらも納得はしてくれた。

 

「サルトビには向いてると思うんだけど」

 

「向き不向きじゃなくて好き嫌いの話なんだよ」

 

 納得してくれたのはいいのだが、そんな事情もあって長々と撃ってられないから、メンテナンスを終えてからは西欧忍者(ヴェーン)とか呼ばれてるワトソンが前々から密かに日本の忍者の末裔であるオレに興味があったとかでやたらと装備についてを語り始める。

 話し出すと意外と饒舌なワトソンは暗器を用いないオレが不思議でならないと言って、自分が普段から携帯している暗器をいくつか見せてその有用性について話してくれたが、オレは靴のかかとに刃を仕込んだり口の中に剃刀を仕込んだりはなんか嫌だし、装備を増やせばそれだけ整備も増えるからと勧められた暗器は却下。

 というかすでにジーサードのやつからクソ面倒な長刀の単分子振動刀も押しつけられたし、愛菜さんのブローニング・ハイパワーも増えて武装の補強は事足りているので、これ以上の新装備はいらない。多けりゃ良いもんでもないし。

 

「そうか……ならボクもたまに使うドラッグなんていうのは……」

 

「合法だろうと薬物は依存性がある。使えば使うほど効きにくくもなるしな。っていうかあんま武偵が手の内を明かすなよ。基本がなってないぞ」

 

「サルトビは無闇に敵を作るようなバカじゃないだろ。それにリバティー・メイソンはまだ君の勧誘を諦めたわけじゃない。ボクもサルトビとなら良い仕事ができると思うし、あれの理解者も必要だ」

 

「理解者だの言ってるから置いていかれる。まずはお前らがあいつを理解しようとしろ」

 

「サルトビも不思議な人だね。嫌悪してると思えば肩を持ったり」

 

「お前らの怠惰をあいつのせいにするなって言ってるだけだ。肩は持ってない」

 

 それでも色々と言ってくるワトソンが何をそんなにご執心なのかと勘繰ると、個人の意思が半分の組織の意思が半分くらいの魂胆が見えたので納得。諦めてくれませんかね。

 最近は関係も良好だったから距離を詰めてきたようだが、こういうスカウト的な行為は経験が浅そうなワトソンでは逆効果なので、これ以上の勧誘行為はウザいから話を強引に終わらせて強襲科の専門棟を出たところで逃げるように別れた。

 

「仮にも秘密結社ならコソコソしてほしいもんだ……」

 

 理子との約束まで残り1時間ほどになって、1度は帰宅して寝ていたオレは、直前までの勧誘のせいで夢にまでワトソンやらカイザーやら羽鳥やらのリバティー・メイソンが出てきて呪われそうな「入れぇ」によって目覚めて1人愚痴る。

 あの手この手で強引に引き抜こうとかする組織よりはかなり良心的なやり方で助かるが、あの羽鳥を見てるとどうしても組織という枠に収まる気にはなれない。家があの状態になるんだもんな……

 こういう考えがまだオレが子供だってことなのかもしれないが、子供でも大人でもない今だからまだ決めるのも早いってだけ。

 

「一人前の武偵になるための残り1年。大人になるための残り1年。無駄にはできないな」

 

 のんびり歩いていけば丁度いいくらいだったので、明日から3年生になるという実感をジワジワと感じながら武偵の道を進む新たな決意もひっそりとする。

 そんな決意をしたせいなのかよくわからないが、第2女子寮に向かう途中で微かにだが少し遠くからプレッシャーが伝わってきて、それでも全身が身の危険を知らせるように警鐘を鳴らす。

 なんかまた化け物みたいなのがいるようだが、オレに向けられたものではなさそうなそれに関わると面倒臭そうなので、気付かなかったことにしてちょっと回り道。

 学園島に来てるんだし犯罪者の類いではないと思うが、オレの危険センサーもずいぶん性能が上がったもんだ。これも経験かね。

 とかなんとか思いつつ、よくわからない危機を脱したオレは無事に第2女子寮に到着。まっすぐに理子の部屋へと向かうと、タイミング良く誕生日パーティーをやっていたっぽい後輩連中と廊下ですれ違う。

 メンバーは火野と島姉妹だが、姉の苺の方は「猿飛さんですのー」とか言いながら友好的なのに対して、妹の麒麟は明らかにテンションがた落ちしたような表情で火野の後ろに隠れた。姉妹の落差よ。

 火野も男嫌いなところがあるから挨拶も明るい感じではないが、麒麟のような態度は見せずにやり過ごす。1年でこの差。麒麟もそろそろ大人になろうな。

 などと自分を棚に上げて後輩をやり過ごして理子の部屋のチャイムを押すと、忘れ物を取りに来た火野達かと思ったのか心の準備が不十分だったようで、扉を開けてから珍しくフリーズ。

 

「…………うぉおお! キョーやんだったよぉ! もう来るなら来るって言ってよねぇ!」

 

「約束の時間通りに来たのに何を言ってるんだ」

 

「そこはほら! 主役は遅れてやってくる的な?」

 

「今日の主役はお前だろ。アホか」

 

「ささっ! そんなところに突っ立ってないで上がりんさい! 夜はこれからですぞ?」

 

「玄関で道を塞いでるのもお前だがな」

 

 何やら言ってることが思いつきレベルで酷いが、そんなテンパるほどのことをしたのかと疑問を抱きつつ、通されるままにリビングの方に移動。

 なんか珍しくヒルダがパーティーの後片付けをしていてビビったものの、作ったケーキは完食したようで何よりだ。

 

「ヒルダ。ありがとね」

 

「今日はお前の誕生日なのだから、気にすることはないわ。それよりサルトビ、わかってるでしょうね?」

 

「そういうのは理子に言え」

 

 後輩達とのパーティーの後片付けをして、その間に落ち着いた理子は、これから席を外すヒルダにお礼を言えば、ツンデレなヒルダは平静を装ってはいるが嬉しそうに背中の小さな羽をパタつかせながらそう返して、理子と2人きりになるからオレは睨まれてしまう。

 オレはこれで誠実という名のヘタレで知られているから問題ない。ヒルダが想像するようなことが起きるとすれば、理子から起きるものだ。たぶん。

 それでも決まっていたことだからヒルダも無理を言って部屋に残ろうとはせずに影になって静かに部屋を出ていき、それを見届けた理子は「よしっ」と何か切り替えたような雰囲気でソファーに座り隣をポンポンするので、主役のご指示とあって素直に隣に座る。

 

「あー、暑いねぇ」

 

「さっきまで騒いでたからだろ。部屋自体は快適な温度だぞ」

 

「そ、そっか。そうなのかな。あははぁ」

 

「それよりケーキ、美味しかったみたいだな」

 

「うん、美味しかったよ。でもあれ、ヒルダが1人で作ったって言ってたけど、キョーやんも手伝ったでしょ?」

 

 まだ緊張してるのか、スカートやらブラウスの裾をパタパタやって涼む理子が絡み方を模索中だったから、オレからそんなことを言って話題を提供する。

 すると理子は言いながらケーキと一緒に入れていたメッセージカードを取り出して勘繰ってくる。メッセージカードは手書きだから字でバレるよな。ルーマニア語じゃなくて日本語だし。

 

「悪いが本当にヒルダが1人で作ったぞ。オレは事前のアドバイスとそれをこっそり入れただけ」

 

「マジかぁ……じゃあヒルダにちょっと悪いこと言ったなぁ。キョーやんが手伝ったって疑わなかったから」

 

「あとで謝れば済むことだろ。っていうか食べてくるなって言うから腹が減ってるんだよ」

 

「おーそうだった! 今日は理子りんが腕を振るって好感度を上げる予定だったんだよ!」

 

「お前の自炊スキルなんて知ってるわ」

 

 それでもヒルダが1人で作ったことは事実なのでその辺はハッキリと言ってやり、呑気な会話と共に腹の虫が鳴りそうになったから食べ物関連で繋ぐと、思い出したように料理を始めようとする理子の思惑が口から漏れてすかさずツッコむ。

 キッチンの方を見ると下準備も微妙な線だったので、何を作るかを聞いて手っ取り早く食べたいからオレも手伝うことにすると、最初は1人で作ると言ったが、すぐに考え直して「つまりこれは初めての共同作業か!?」とか言うから、もうそういうことにしておいてテキパキと行動していく。

 料理しながらかなりの上機嫌で鼻歌も交えている理子がまた可愛いのだが、ちょっと手が空くと意図的にオレに寄りかかるという謎行動には困惑。邪魔にならないタイミングなのも考慮してるから拒否しにくいな。主役だし。

 

「暑いとか言っててこういうことするんだからお前はわからん」

 

「気持ちのいい暑さってのもあるんだよねぇ。まぁ大抵はそういうのを『温もり』とかそういう風に言うけど」

 

「温もりねぇ……後ろから抱きつかれたりも嬉しいのか」

 

「いいですなぁ。好きな人限定だけど胸キュンポイント高いですぞ」

 

 会話するだけの余裕も出てきたようだから他愛ないことを話して調理を進めるが、胸キュンポイントなるものについて話し出してしまって、理子調べの『女性が喜ぶ恋人にされたい愛情表現』を聞かされて、なんか1つくらいはやらないといけないのかという雰囲気を作られる。

 具体的にやってほしいことを言ってこないから、やらない雰囲気を出せばリクエストが来て権力を発揮される可能性があるため、出来上がった料理をリビングのテーブルに運んでから、エプロンを脱いでキッチンから移動しようとした理子を有無も言わさずにお姫様だっこ。

 ランキングの中にあったやつで楽な部類のそれに最初は「うおっ!?」と驚いた理子だったが、すぐに順応して首に腕を回してお姫様気分。

 移動自体はすぐだったからものの数秒の出来事だったが、ソファーに下ろされた理子はテンションが上がったのか隣に座ったオレから腕を離そうとしなく、なんか食事どころではない。

 

「食べるんだよな?」

 

「理子が食べられるぅ。食べて?」

 

「いいから冷めないうちに食べるぞ」

 

「仕方にゃいにゃあ」

 

 ふざける余裕まで出てきた理子をなんとか食事の方に意識を向けさせて離れてもらったのはいいが、いざ食べるとなるとスプーンなども取らずにオレを見て黙るから何事かと思う。

 

「早くぅ」

 

「いや、食べろよ」

 

「理子はいま手が使えないのです」

 

「料理してただろ」

 

「意地悪しないでよぉ。あー」

 

 そうしたらオレ待ちみたいなことを言うから、ようやく理子のしたいことがわかって微妙な顔をするが、そんなのお構いなしな理子はオレを見て明確に口を開けて「あーんして」と要求。

 なんだろうか、今日の理子は甘えん坊なのか女子力アピールがしたいのか色々と散らかってるが、それくらいなら恥ずかしさはあっても無理はないので、オムライスを掬ってオープンしてる理子の口に入れてやる。

 

「うーん、美味しっ」

 

「そりゃ良かった」

 

「じゃあ次はキョーやんね。はい、あーんっ」

 

 それを味わった理子は、今度は自分がしたいのかオレからスプーンを奪って口を開けろと言ってくる。

 割と悪くない雰囲気ができ始めていたから、ここで拒否すると理子のテンションもガタ落ちするのが目に見えたので、1回だけならいいかと大人しく口を開けてオムライスを食べさせてもらう。

 思った以上に恥ずかしいそれには思うところがあったが、咀嚼中に理子が「いやん、間接キッスぅ」とか言うもんだからむせて吐き出しそうになる。

 

「おまっ……ガキかよっ」

 

「見た目はロリ巨乳、中身は乙女、その名は」

 

「迷武偵、峰理子さんですね」

 

「その『めい』って別の字を当ててない?」

 

「気のせいじゃないか?」

 

 なんとか吐き出さずに飲み込んでからツッコミをいれてやれば、嬉しそうにどっかで聞いたような名乗り文句をやるからノッてやる。

 そうした息の合ったやり取りがまた嬉しいのか笑ってくれた理子だったが、やはり食べさせあいっこは恥ずかしいと思ったのか、顔を少し赤くして「じゃ、じゃあ普通に食べよっか」と料理に手をつけようとした。

 しかしそのスプーンはオレが没収して使い、あえて言うやつは気にしてるの法則から間接キスはさせないようにすると、あからさまにブーブーしながら別のスプーンを取って食べるのだった。

 とはいえ、なんだかんだで楽しいんだよな、理子といると。



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Bullet160

「へいへいへーい! ケツに火が点いてるよ!」

 

「うるせぇ」

 

 理子の誕生日祝いの、恥ずかしさに耐えた食事も終えて完全に遊びスイッチに切り替わった理子は、テレビゲームに没頭し出して戦闘機を操るゲームでオレと連戦。

 圧倒的に後ろを取るのが上手い理子にオレはほとんど為す術なく撃墜されること10数回。

 元々ゲーム自体が得意な方でもないオレでは相手にならないため、理子もそのくらいで今度は協力するゲームを持ってきて、ついでにネットも使ってオンラインで始めた。

 が、一緒になったオンラインプレイヤーがマナーが悪くて理子がガチギレしプレイヤーを抹殺。挨拶もなしにオフラインにしたので、こっちもこっちでマナーが悪いなぁと思いつつしばらくはオフラインで2人でまったりとプレイした。

 

「よっし。良い頃合いだねぇ」

 

 ゲームで時間調整をしていたような理子が区切りの良いところで時計を見てそう言ったのは、夜の11時になる少し前。

 もう少しで理子の誕生日が終わって、今度はオレの誕生日になるって頃に何を企んでいるのかとその行動を見ていたら、立ち上がった理子はオレの手を引いて立ち上がらせると「夜のお散歩しよ」と誘ってきたので、意外なお誘いに乗って揃って女子寮を出て夜の学園島を歩き始めた。

 

「夜はまだちょっと寒いねぇ」

 

「何も着込まないからだろ。ブレザー貸すか?」

 

「いいよ。どうせすぐに寒くなくなるし」

 

「ん?」

 

 向かう先はわからないが、理子の隣を歩きながら他愛ない会話で沈黙は阻止。

 しかしよくわからないことを言った理子に言及しようかとしたら、急に「キーンッ!」とか言いながら両腕を左右に伸ばして蛇行しながら走っていってしまい、そういう意味かよと脱力。

 深夜の学園島は建物のいくらかにまだ明かりくらいは灯っていたりするものの、音は静寂に近く理子の走る音が一番目立つくらい。

 そんな理子を見失わないように小走りで追いつつやって来たのは、一般教科の校舎のグラウンド。

 当然ながら何もないそこのほぼ真ん中辺りに移動して止まった理子は、追いついてきたオレを確認してからフランス語の歌を歌いながらバレエの真似事のような踊りを披露。

 月明かりを妨げるものもないそこで踊る理子はいつになく綺麗で、その踊りに目を奪われてしまったが、呼吸が乱れる前に丁寧なお辞儀で締めると、ひと呼吸を置いて口を開く。

 

「ありがとね、京夜」

 

「特別なことは何もしてないぞ」

 

「ううん。誕生日に一緒にいられたことが理子にとっては特別なことだから」

 

 後ろで手を組んでオレを見る理子はもうすぐ終わってしまう自分の誕生日を名残惜しそうにするが、不満はなかったようでオレもちょっと安心。

 理子にしては要求が少ないとは思っていたが、自発的にもう少し何かしてあげれば良かったとも考えてしまっていたところでそう言われたので、残り30分程度になった誕生日に何か脚色しないとという思いが薄れる。

 

「それでね、プレゼントの方なんだけど、先に理子からあげてもいいかな?」

 

「交換って話じゃなかったか?」

 

「うーん。それでもいいんだけど、理子のは物じゃないから」

 

「……理子がそうしたいなら別に構わない。順番なんて些細なことだしな」

 

 そして切り替えるようにプレゼントの話にした理子はどうやら今からプレゼントをしたいらしく、後でいいと本人が言うならオレも断る理由がないので了承すると、小さく笑った理子はゆっくりとオレを中心にした歩き方を始めて口を開く。

 

「理子ね、いっぱい考えたんだよ。京夜に何をプレゼントしたら喜ぶかなって。悩んで迷って何日も経って。それで今日の朝に愛菜んが会いに来た時にようやく決まったの。理子の誕生日プレゼント」

 

「ギリギリだな」

 

「そだね。でもきっと京夜も喜んでくれるはずだよ」

 

 オレの周りを半周くらいしたところで立ち止まった理子は、確信に近いそんな言葉のあとに後ろで組んでいた手をパッと離してその腿に収めてあった2丁のワルサーP99を抜く。

 

「理子は京夜が好き。大好き。でも大好きな人に一番ふりかかってほしくないのって、やっぱり『死』だよね。だから理子があげられるのはこれからの京夜に必要な『経験』。あたし1人も相手にできないようなら、大人しく東京武偵高(ここ)で残りの学生生活を過ごしておけ。その間はあたしが鍛えてやる」

 

 話しながら自分の中のスイッチを戦闘モードに切り替えていった理子は、まさかの鉛弾のプレゼントに呆然とするオレを我に返すように足下に1発撃ってきて、それでオレも理子の本気具合を理解して臨戦態勢に入る。

 

「そういうわけにもいかないだろ。いま以上の武偵になるためにした選択を阻止されたんじゃ堪ったもんじゃない。その障害になる壁がお前なら、乗り越えていくさ」

 

「…………やっぱりカッコ良いね、京夜は」

 

「なに?」

 

「吠えてろよ雑魚。言っとくけどあたしはアリアと同じくらい強いから、Sランクを倒すつもりじゃないとフルボッコだぞ」

 

「Sランクならもう1人倒してるよ。去年までのオレと思ってる方が危な……」

 

 唐突な誕生日プレゼントではあったが、この戦いにかける理子の色んな『思い』もなんとなく汲み取れたオレは、道に立ちふさがった理子を排除するために動こうとしたら、先制の銃撃を放たれて回避に動かされてしまった。

 それはまぁ仕方ないと切り替えることはできたが、戦うとなると場所が悪いのだけは仕方ないと言えないな。

 理子はこうすることを決めていたから、ミズチや死角を封じるために拓けたグラウンドを選んだんだ。

 予測しろって方が無理なものだが、常に自分の有利な条件で戦えるわけもないという理子の言ってもいない言葉が聞こえてきたので、文句も言わずに理子の無力化に集中。

 思えば理子とまともに戦り合うのは初めてなオレは、本性を隠していた理子の実力を正確に図りきれていない。

 かつて女子寮の屋上でアリアと少し戦ったところと、ブラド戦のわずかなもの。あとはヒルダ戦と藍幇城での戦闘のみしか見れていない。

 過去にブラドが親の才能を遺伝できていない、落ちこぼれと評した理子だが、そこからアリアと互角レベルにまでなったのは間違いなく自力がある証拠。

 

「あははっ! 愉快に踊れ京夜ぁ!」

 

 その理子が開幕からワルサーを撃ってオレとの距離を詰めさせないようにしてきて、その銃撃に右往左往させられるオレは不規則なステップで回避。

 その様に愉快になった理子は手を休めることなくオレを狙い続けたが、当然ながら弾も無限ではないので弾切れを起こすタイミングはすぐにやって来る。

 残弾を間違えるようなバカではない理子は薬室に1発入った状態で弾倉の交換を手早く済ませたようだが、それでも撃たれないわずかなインターバルは出来るので、その間にミズチのアンカーを横に撃ち出して一直線に理子へと接近。

 撃ち出されたアンカーが出切ったところで右腕を横凪ぎに振るってアンカーを拘束するワイヤー代わりに使うと、それに気づいた理子はリロードを済ませてすぐに身を屈めてワイヤーを潜り抜け、低姿勢からオレを狙おうとした。

 だがオレも理子が屈んだのを見るより前に左手からクナイを2本、理子の両肩に当たる軌道で投げ入れて、躱されたワイヤーは強い遠心力が生まれる前に巻き取って回収。

 これで横っ飛びでもしてくれれば接近戦に持ち込めると踏んでいたが、即応力のある理子は即座に瑠瑠色金の力で髪を操って背中からナイフを2本取り出して飛来したクナイを弾いて処理すると、接近していたオレに躊躇なく発砲。

 それには急ブレーキをかけてオレが横っ飛びすることになってまたも銃撃によるダンシングに勤しむことになってしまう。振り出しに戻りましたとさ。

 

「予備の弾倉はあと2個が精々だろ」

 

 とはいえ理子の弾倉も無限ではないから、撃たせていれば否が応でも接近戦には持ち込める。

 それまでオレが被弾しないで体力に余裕があればって厳しい条件はあるが、動きの鈍らないオレに業を煮やしていそうな理子は、どうあってもその前にオレを削りたい気持ちが体勢を崩す銃撃にほころびを出してくる。

 急な制動制御を強いられていたところにきたそのほころびはオレに悪巧みを考えさせる余裕をくれて、それがバレないように表情には出さず理子の死角で準備を進める。

 

「チッ、マジで当たんねーな!」

 

 いよいよ理子のイライラもピークになって、ワルサーの銃弾も撃ち切ってスライドがオープン。

 多少の息は上がってしまったが、被弾は掠り程度で直撃はなし。上々と言えるだろう。

 オレにも聞こえる舌打ちをしてワルサーを納めた理子に好機とばかりに真正面から接近を試みるが、その前に避けながら作成していたワイヤー付きのクナイを6本、かなり高く投げ放つ。

 落下するまでは8秒とないだろうが、その謎行動を理子は頭の隅に置いていないといけないハンデを背負うわけで、今度はオレが先手を打って攻める。

 接近戦に持ち込まれた理子はワルサーに変えてナイフを2本追加して合計4本のナイフで迎撃に出てきて、腕の振りとは勝手が違って不規則な軌道で振るわれる髪で持つナイフが厄介極まりない。

 リーチも腕より少しあるのでオレの間合いで好きにさせない攻撃はさすがだが、オレにも単分子振動刀という反則気味の武器があるので、理子の攻撃を視線や動作で誘導してナイフの刃だけを綺麗に斬り飛ばし無力化することに成功。

 髪で持つ分の2本を処理したところで持ち手を投げつけて後ろに下がった理子に合わせて、多少の当たりどころは無視して持ち手はほとんど避けずに前進。

 怯まないオレに手に持つナイフを髪に持たせて徒手空拳にした理子がカウンター狙いで立ち止まったが、それよりほんの少しだけ早く足を止めたオレはカウンターのタイミングを外すことに成功したものの、反応が早すぎるオレに違和感を持った理子がさすがの反応でさらに後退。

 オレが止まったのは理子のカウンターを警戒したからではなく、空に投げていたクナイの落下地点に踏み込まないためで、ちょうど理子が止まった手前辺りに落ちてくる予定だったが、やっぱり凄いな、理子は。

 

「ありがとな、理子」

 

 それでも譲れない思いがあるオレは、理子のいた場所に自ら踏み込んで意表を突く行動に出て、背中スレスレの地面に突き刺さった6本のクナイがほとんどまとまっているのを感覚的に把握して、その場でクルッと回転しながらクナイに付けていたワイヤーが落ちる前に全て回収。

 両手で持ったワイヤーを回転の勢いで振り回してクナイを地面から抜き、そのまま理子に鈍器として叩きつける。

 腕に直撃したクナイに悶絶した理子の隙を見逃さずにワイヤーを手放して懐へと潜り込み、何もさせずに一本背負いで地面に倒し、その首筋にクナイを突きつけて詰み。

 

「…………引き分けってことで手を打ちませんかね?」

 

「京夜がどうしてもって言うならいいよ?」

 

「じゃあどうしても」

 

 だったはずなのだが、それと同時に理子が髪に持っていたナイフをオレの首筋に突きつけてきて、さらにワルサーまでまだあった弾倉をリロードして抜かれては動けない。

 しかも理子の首筋にはオレが使ったワイヤーが挟まれていて、クナイがすぐに傷をつけられないようにされていたのに突きつけてから気づいたので、完全にオレの方が詰み。

 だが理子はお優しいので引き分けということで手を打ってくれて、互いに武器を納めてから起き上がらせると、体についた土などを払ってからすっかりいつもの調子になった理子が途端にムスッとした感じになって腕を組む。

 

「でも京夜が手を抜いたことはぷんぷんがおーですね」

 

「抜いてないんだが」

 

「だったらこのお腰につけた新装備は飾りですか? このチート武器は抜くべきところで抜かないんですかー?」

 

 何でそんな顔をするんだと思っていたら、どうやらオレのブローニング・ハイパワーが抜かれなかったことや、本来ならもっと抜くべき要所があった単分子振動刀のもて余した感じが気に食わなかったようで、ブレザーに触れてそれらをチラ出しして見上げてくる。

 

「って言われてもなぁ……ブローニングはまだ人に向けるほど上手くないし、単分子振動刀だってああしなきゃお前のその……綺麗な髪を切っちまっただろうし、あれが限界だったんだよ」

 

 間近に迫ってきた理子を少し離しつつ、決して手加減したわけではないことを説明するが、単分子振動刀はちょっとオレの身勝手だったので怒るかなと表情をうかがうと、なんか頬を赤らめて切られなかったテールの髪をさわさわする。

 

「それはそれとして、引き分けにしてくれたってことは、認めてもらえはしたってことでいいんだよな」

 

「それは……最初から止めるつもりはなかったもん。ただ理子に完敗するようなら心配だし、月1くらいで様子見でも行こうかなって思ってたくらいで……」

 

「親かお前は」

 

 妙な沈黙をする理子が何も続けないから、仕方なくオレが話を繋げてこの勝負の結果での今後を心配すると、負けてたら保護者みたいなことをされていた事実に思わずツッコむ。

 しかしなんか知らないが調子を崩されたっぽい理子が唐突にオレに抱きついて足を引っかけて倒してきて、受け身を取りつつ理子を庇うと、即座に馬乗りしてきた理子に困惑。

 

「はい、右腕のアレ出して」

 

「アレって、ミズチか?」

 

「いいからはいっ!」

 

 それで何をしようとするかと身構えたら、なんかミズチを出せと言われて怪しむと、面倒だと言うように強引にミズチを剥ぎ取られてしまう。お、追い剥ぎよー!

 そして剥ぎ取ったミズチを少しいじってから返してきた理子は、何故か笑顔で変わったところを教えてくれるので、何をしてくれたと見てみれば、なんか邪魔にならないミズチの肘側の先端にオレンジ色の宝石が取り付けられていた。

 

「プレゼントはないって言ったけど、それね、京夜の誕生石のサンストーン。京夜は悪運が強い方だと思うけど、危なっかしいから運気から上げておこうかなって」

 

「4月の誕生石って水晶かダイヤモンドだったと思うんだが」

 

「あれ、よく知ってるね。でも誕生石には細かく日にちでも設定されてるの」

 

「じゃあ理子にも3月31日の誕生石があるわけか」

 

「あるよ。理子のはね……」

 

 プレゼントはないと言ったくせにサプライズのつもりかこんな渡し方をする理子の照れ隠しには痛みなしでやってもらいたい気持ちでいっぱいだったが、お腹いっぱいの新装備とかではなくラッキーアイテムっぽいところで収めてくれたのは素直に嬉しい。

 だがそれ以上にちょっと驚くことが起きたので、理子の言葉をそこで切らせるように口に指を軽く当てて黙らせると、お返しに理子からロザリオを拝借。

 不思議に思いながらも素直にロザリオを首から外して貸してくれたので、ロザリオを提げるチェーンを外し、それに変わる新しいチェーンと合わせて理子へと返却。

 

「理子の誕生石はカイヤナイト、だろ?」

 

「あっ……」

 

 そのチェーンにはロザリオの左右に来るように2つの青い小さな宝石が施されていて、その宝石は理子の誕生石であるカイヤナイト。

 完全なる偶然ではあるが、オレも理子へのプレゼントに誕生石を選んでいたのだ。

 本当は物はやめておこうとも思ったが、以前に理子にロザリオを見せてもらった時――色金の件でだ――にチェーンの方がずいぶん傷んでしまっていたのを思い出し、女の子の好きそうなラッキーアイテム的なのも付けられたから、邪魔にはならないかなとプレゼントにした。

 のだが、なんかロザリオを返された理子が身に付けようともせずにその手で握り締めてしまって、気に入らなかったかなと思って別の物をまた用意しようかと提案しかけたところ、急にストンとその頭を落としてオレの胸に顔を埋めてしまう。

 

「ありがと、京夜。今まで貰ったプレゼントで2番目に嬉しかったかも」

 

「……1番じゃなかったか」

 

「それは無理だよ。だって1番は未来永劫、お母さまから貰ったこれだもん」

 

 その状態で話すもんだから、表情が見えない理子に困るが、喜んではくれたようでひと安心。

 しかしプレゼントとしては2番目だったらしく、1番がロザリオでは勝ち目はないと納得。形見には勝てんわな。

 

「でもでも、おんなじ誕生日プレゼントを用意しちゃうって、理子達やっぱり以心伝心。相思相愛だよね」

 

「以心伝心はまぁいいが、相思相愛は気が早い」

 

「でも好感度的には理子が今トップでしょ?」

 

「…………教えない」

 

「はいダウトー! その間は図星だよねぇ」

 

 あまり感傷的になりたくないからか、割とすぐに頭を上げてロザリオをかけ直した理子は、女子女子した感じでオレをいじり出すので、言及を避けるように理子を巴投げして押し退けて立ち上がり、ギャグのように「ぎゃふんっ」とか言って仰向けに倒れた理子に手を貸して立ち上がらせる。

 

「まぁ脈なしより断然良いのではないでしょうか」

 

「ポジティブだな」

 

「理子がネガティブなところとか見たくないっしょ」

 

「それはそうだ」

 

 言及を避けたいオレの内心を察して終わらせてくれる辺りが理子らしくあるようでらしくないが、助かりはしたのでそのまま流すと、思い出したように時間を確認した理子が何やらカウントダウンを開始したからそれを聞いていると、ゼロになったところでぶつかるようにハグしてきた。

 

「誕生日おめでとーう!」

 

「ん、ああ、日付が変わったのか」

 

「反応うっす! でもまぁ京夜らしいっちゃらしいか。18歳に一番乗りおめでとう」

 

「くっそ。お前が17歳になったばかりなのに……」

 

「くふふっ。理子と京夜って実質1歳差あるから、理子の方が歳下だよね。京夜は歳下の女の子でも恋愛対象になる?」

 

「ストライクゾーンは広いから心配しなくていい」

 

「つまり京夜は小学生でもオッケーと……じ、事案だー!」

 

「限度はあるっての!」

 

 気づけば日付が変わる時間になっていたことにちょっと驚きつつも、誕生日にかけられた言葉がそんな糞みたいなことだったのには無性に腹が立ったので、ハグしたままの理子をジャーマンスープレックスで再び地面に沈めてやり、オレの誕生日は理子の「ぎゃふんっ」と一緒に糞みたいなオープニングを迎えたのだった。



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Bullet161

 理子の誕生日からオレの誕生日に日付が変わって、あまりハードではなかったが戦闘行動の反動で理子の部屋に戻ってからは特に何をするでもなく2人して就寝。

 理子にしてはあっさりと寝たなぁと思いながら、オレもソファーで寝たのだが、朝になったらオレにバレないようになのか下着姿に毛布を被っただけの理子が向かいのソファーでオレの方を見ながら寝ていて苦笑い。

 何かする気配があれば反射的に起きられるが、何もせずに距離を取って寝るとは考えたな。

 とかなんとか理子の成長なのか悪知恵なのか不明な行動を評価しつつ、ガッツリ見えてるハニーゴールドのブラジャーが隠れるように毛布をかけ直して、ぐっすり寝てる理子を起こさないように朝食を作ってやって静かに部屋を出る。

 昨夜に理子からは「京夜の誕生日を一緒に迎えられたから満足」と言われていたので、また何かあればその時に勝手に会いに来るだろうと思ったのと、朝食を作ってる最中に玄関付近に気配を匂わせる存在があったのでそっちにも気を遣った。

 

「何もしていないでしょうね?」

 

「ソファーであれな格好はしてるが、身の潔白は信じて欲しいね」

 

 その気配を匂わせたヒルダは、約束通りに朝に戻ってきたが、まだオレがいるから律儀に外で待ってたようで、玄関からオレが出てくるなり確認を怠らない。

 状況的にリビングを見るとヒルダの心配が的中してそうなのもあるから、信じてもらえないかもと思ったが、意外にも言葉だけで信じてくれたヒルダは、

 

「理子はお前と過ごす誕生日を楽しみにしていたわ。その時間をあの子にくれてありがとう、サルトビ」

 

「オレも1人で迎える誕生日じゃなくて良かったよ」

 

 絶対に言うなと言われていそうな事をオレに事後報告みたいに言ってきて、聞かなかったことにしつつオレも言わなくていいという旨でそう返して女子寮をあとにした。

 男子寮に戻ってからは午前中のうちに幸帆がひっそりと誕生日を祝ってくれる予定が入っていたので、何も食べずに9時頃まで待っていると、小鳥と貴希を引き連れてやって来た幸帆がビターなショコラケーキと共に買ってきたピザやらも用意してくれる。

 人数も良心的であまり騒がない小鳥と貴希の人選もグッジョブだが、プレゼントは謎の不公平がないようにと3人で1つのものを用意したらしく、なんとあの一足早く留学したあややに発注したとかの品。

 あやや製には期待半分、不安半分のギャンブルが付き纏うので開けるのがちょっと怖かったが、いざ開けてみるとメカメカしたものではなく、むしろ分かりやすい代物でちょっと驚く。

 見た目には完全にフードなしの黒の全身タイツ。素材も伸縮性のあるよくありそうなものだが、あやや製ならただの全身タイツってこともないだろう。

 

「京様は身軽にするためにいくらか火力を抑える体作りをされていましたから、その助けになればと私達で考えまして」

 

「平賀先輩に相談しましたら『こっちの面白そうな素材を使って作るのだー!』って意気込んでくれました」

 

「服の下に着込むだけで色々と違うらしいですよ」

 

 何が違うのかと観察しながら、幸帆、小鳥、貴希の言葉を聞いて普段から着込むやつなのかとちょっと不安が増す。

 通気性とか大丈夫なのかと思いつつ、3人がようやくこのタイツの性能についてを説明してくれて、それによると関節の駆動サポートやら圧倒的な通気性やらと都合の良い言葉が出てくる。

 中でも着ていることさえ忘れるフィット感という謎ワードが強調され、ついでにシェイプアップや着痩せ効果もあるらしい。いらん。女子か。

 とにかく今の状態に違和感なく着込んで体のキレが上げられる代物ってことで納得し、その効果は後日に確認するとしてささやかな誕生日パーティーが開始され、昨日に発表されたクラス替えの話などで盛り上がる。

 オレもここで初めて3年のクラスを確認したが、3年は実質的にクラスがあってないような感じになる――出張依頼が多くなる――のを京都武偵高で経験済みなので流し気味。オレもオレで半分以上はクラスにいていない扱いになるし。

 朝食と昼食も兼ねた誕生日パーティーも幸帆達の将来の話で締めに入り、何故かオレのアドバイスで終了という感じになったが、その頃を見計らったように後片付けをしてくれてる幸帆達を他所にジャンヌからメールが届く。

 誕生日祝いのメールかなとちょっと期待したオレがバカだったが、期待を裏切って『第3女子寮に来い』という命令に理由がないので行くのをやめようかなと考えた。

 だが残念なことにすでに苺のお迎えが来てる旨もメールにあったので、仕方なく幸帆達と一緒に部屋を出て、苺の運転する車で第3女子寮に向かった。

 

「中空知が留年したのだ」

 

「そりゃまた」

 

「大変ですのー」

 

「ず……ずびまぜん……」

 

 そこで聞かされたのは、まさかの中空知の留年。

 成績自体は悪くなかったはずの中空知だが、周知の運動音痴が足を引っ張って体育だけ単位が足りずに見事、留年が決定したらしい。

 今もオレがいるからフルフェイスのヘルメットを被って対面してるが、あれはたぶんフェイス部分は完全に視界を遮断してる。

 

「今朝方に留年生ガイダンスに参加してきて、教務科の方から処遇の決定がされたのだが、封建主義の武偵高では留年生は邪魔者扱いを受ける」

 

「そりゃ同じ学年に元先輩がいたら空気があれするしな」

 

「だからこの場合、顔の知られていない別の武偵高に編入し新2年生として過ごすことが決まりらしく、中空知は今月から神奈川武偵高に編入することになった」

 

「お別れですの?」

 

「ずびまぜん……」

 

 話ができなさそうな中空知に代わってその辺のことを説明してくれたジャンヌは、チームメイトの残念な結果に頭を抱えてしまっていて、こうなるとどうやって去年は進級したのか不思議な中空知は今までのような援護が難しくなりそうだ。

 

「それから……遠山だが……」

 

「ん……そういやあいつも今はうちのチームのメンバーってことになってるのか」

 

「うむ……その遠山も留年したようだ……」

 

 ……………………ワタシヨクキコエナカッタヨ。

 色々と癖が強いチームだとは思っていたが、まさか6人中2人も留年生を出すチームに入ろうとは思わなかったな。

 というか通信教育の京極でさえ進級できてるのに、何故に普通に通学してるやつらが留年しとんねん!

 

「はぁぁぁぁぁぁ…………んで、バカキンジも神奈川武偵高?」

 

「ノン。遠山は中空知と違って日本に引き取り先がなかったらしい。なので海外のローマ武偵高に留学するのだそうだ」

 

「ローマ……御愁傷様」

 

「その反応はどうなのだ?」

 

「いや、なんか悪気はないが巡り巡ったのかなと勘繰った。悪意もない」

 

 それで盛大にツッコむと中空知が泣きかねないので長い溜め息で切り替えておバカさんの行き先を尋ねると、なんかどこかで聞いたような名前が挙がって、勝手ながらごめんなさいを言っておく。

 というか日本の武偵高でキンジを引き取ってもいいってところが1つもないってのがある意味で凄すぎる。これがいくつもの国を敵に回した男の末路というわけか。

 自分はそうならないように気を付けようと心に誓って、チームメイトが残念なことになって消沈しまくりのジャンヌを苺が慰めているのを見ていたら、幸姉から電話がかかってきたので部屋を出て通話に応じる。

 

『まずはまぁ、誕生日おめでとうってことで』

 

「まずは?」

 

『そっちの方が先ですかい』

 

「ああはい。ありがとう、幸姉。んで?」

 

『もう少し感傷に浸りなさいよ。まぁいいけど。電話のきっかけに誕生日を利用して悪いんだけど、本題の方はちょっと重いわよ』

 

「じゃあ嫌だ」

 

『ダメよ。今日を逃したら京夜への通話料だってバカにならないんだし』

 

「どこからの情報だよそれ」

 

『そっちに行った時にジャンヌが愚痴ってたもん』

 

 こっちに来たあとに戻って当主様に説教を受けてずいぶんと大人しくなってた幸姉からの電話だったから、お祝いだけってのはないなと思っていたら案の定。

 しかもオレの今後を知ってる口振りに探りを入れたら、ガバガバなジャンヌさんから漏れていたらしいので通話を終えたらさらに落ち込ませておこう。

 

「ジャンヌにはマシンガンチョップを食らわせるとして、本題をどうぞ」

 

『あんまりいじめないであげなさい。京夜といられなくて拗ねてたみたいだし。それで本題なんだけど、京夜は覚えてるかな? 小さい頃に1度だけ会ったことがあるんだけど、勇志(ゆうし)君って子』

 

「勇志…………フルネームは?」

 

『おお、めんご。お家の方は私達とも縁があるところで、今は霧原(きりはら)ってなってるけど』

 

「霧原勇志……ああ、十勇士の」

 

『そっ。霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)の子孫の子』

 

 本題の方が割と重いというからその空気を出してくるかと思えば、なんか軽い口調で調子が狂うが、その前に確認作業として1人の男の名前を出して思い出させてくる。

 霧原勇志とはオレが5歳くらいの時に、絶縁にはなってないかつての十勇士の子孫が集まれるだけ集まって同窓会みたいなことを親がした時に会ったことがある。

 勇志はオレより2つ歳上の、今年で20歳になるはずのお兄さんだが、確か親の英才教育だかで公安入りを目指してアホみたいに優秀だった記憶がある。

 子供の思う優秀だから当てにはならないが、7歳の当時で『霧隠の秘技』を体得してたらしいから幸姉と同類の天才ではある。

 

「その勇志……さんがどうしたんだよ」

 

『勇志君、親の希望通りに警視庁公安部に配属されたらしいんだけど、ほら、去年に首相が代わって、行政刷新会議……事業仕分けの内容の中に0課の解体が含まれてたわけ』

 

「そんなの言われても公安0課なんて表沙汰になってない御庭番みたいなもんだしな。って、0課?」

 

『そっ。勇志君はそこにいたらしいんだけど、解体のあとから連絡が取れなくなっちゃってて、公安の方でも所在を掴んでないってきな臭さみたい』

 

 それでその勇志さんがどうしたのかに話が進むと、解体されたという公安0課にいたその勇志さんが行方不明になっているということ。

 さらに所属先の警視庁公安部でさえその行方を知らないというのは、牙持つ狼を野に放ったに等しい失態。

 

「そんな話、どこから降って湧いたんだよ」

 

『勇志君のご両親からよ。公安でも何か隠している節があったけど、真相に迫るには権限も何もないって話がどん詰まり。でもどうにかして見つけ出したいからって、旧知の仲を頼って秘密裏に真田に話が来たのよ。京夜が武偵をやってるのも耳にしてたみたい』

 

「嫌だよオレ。公安とか検察とかそっちのエリート組織と関わりたくないもん。元0課なんてそれこそ人間やめましたなやつらじゃん。実物見たあとだと尚更」

 

『0課の人と会ったことあるの?』

 

「あ、いや、正確には0課相当の超人にだけど……」

 

 当然、こんな話が噂とかで流れてくるわけもないので、どこから舞い込んできたのか探ると、勇志さんのご両親からと。

 さらに口振りからして幸姉の言わんとしてることがわかってあからさまに嫌がり、頭の中ではサイオンと趙煬の顔が浮かんで青ざめる。

 

「とにかく、勇志さんを探せって依頼ならオレには荷が重い。旧知の仲でも断っておいてくれ」

 

『誰も依頼なんて言ってないわよ。私だって京夜に任せていいかどうか判断くらいできるってば。こんなの眞弓達だって即却下されるし』

 

「……じゃあ何でこんな話を?」

 

『別にこだわらなくてもいいってのを前提にして、何か勇志君に繋がる情報が耳に入ったら報告してほしいってこと。武偵にも武偵の情報網ってのがあるでしょ。こっちで掴めないこともあるかもしれないから、アンテナは多い方がいいなって。もちろんこっちでも危険が及ばない範囲で探りは入れてみるけどね』

 

「そういうことなら肩肘張らずにやるけど、期待はするなよ」

 

『期待してないところで来る京夜の連絡ってドキドキするしね。まぁあとは百地(ももじ)の旦那にも話は行ってるから……っと、蛇足だったわね。そういうことだからよろしくね、京夜』

 

 草の根分けてでも探せと言うかと思ったが、そこまで期待はしてないから小耳に挟んだりしたら教えてねってことでホッとするのと同時に、やはりそれだけでいいのかと考えもする。身内って言えばそうだし、放置もできないからな。

 まぁそれでも率先してやるべき案件ではないと判断して了承しておくと、なんか別ルートでも探りを入れてることを口走った幸姉は、言い過ぎたなと口を塞いで通話を終了。

 すぐにメールで警察学校卒業時の勇志さんの画像――去年のものだ――が送られてきて、その顔を記憶して画像を削除。

 きな臭さは半端ないが、何もなく無事に見つかることを祈るね。

 

「…………っし。行くか」

 

 幸姉との電話のあと、ぐったりしているジャンヌに温情でチョップ1発だけをお見舞いして、なっちまったもんは仕方ないと開き直らせて解散。

 オレもオレでやることがあったから、それからは誕生日ということも忘れて準備に追われる1日となり、翌朝に全てを終えて出発の時間を迎え、2年使ってきた部屋を一瞥してから、割と大きくなった荷物と共に男子寮を出た。

 向かった先は羽田空港。

 新学期も始まるというこの時期に呑気に旅行だぜ。ではなく、以前から決まっていたオレの留学がこれから始まるわけだ。

 いざ空港まで来ると、しばらくは日本に帰ってこないこともあり、初めての長期滞在に色んな思いが出てくる。

 

「寂しくはないだろうがな」

 

 とはいえ行く先には顔見知りもいるし、なんだかんだで忙しい日々はほぼ確定してるから寂しさなどの感情は抱かなくて済むのは助かるような残念なような。

 しかしそれ以上に留学をちょっと楽しみにしてる自分の感情に驚いている。

 海外に対する不安感をこの1年でずいぶん拭えたのもあるだろうが、今の自分が日本以外でどのくらい使えるのかを知れる機会は、意外と貴重な体験。自分を見つけ直すにももってこい。

 あとはキンジのように悪目立ちしないようにだけ注意すれば有意義な留学生活を送れるだろう。

 そう考えてフライト時間までのわずかな時間をのんびりとしていると、まぁ予想はしていたが何人かの見送り組がオレを発見して近寄ってきた。

 

「緊張はしていないようだな」

 

「さすがキョーやん! 理子りんの未来の旦那様はこのくらいで緊張しないよねぇ。くふっ」

 

「あんた達、もうそこまで進展してたの……」

 

「理子が勝手に言ってるだけだ」

 

 オレの留学は周知させてないので、知る人ぞ知るといった情報だから、見送りに来られるやつは情報戦で勝利したやつということになる。

 それで姿を見せたジャンヌ、理子、アリアもオレが周知しなかったことを考慮して余計なことはしないで来てくれたらしく、他に知り合いの姿はない。

「くれぐれもお前だけは問題を起こさないでくれ。頼むからこれ以上チームメンバーに頭を悩ませないでほしい」

 

「切なる願いだな。オレも問題児扱いは嫌だし、適度に大人しくしておくよ」

 

「あと向こうで女を作るなよ。お前の周りは色々と物騒だ。理子もそうだが、劉蘭なども怖い」

 

「色恋沙汰は心配するな……理子も睨むな。そんな余裕はオレにはない」

 

 何か順番決めでもあったのか、主張の強い理子もアリアも黙ってまずはジャンヌがオレとの挨拶をしてくれて、切実な思いを吐いたジャンヌにリーダーの苦労がうかがえて苦笑。

 これで心労が祟ってジャンヌが京極みたいな出不精になったら大事だから、オレくらいはちゃんとしてやろうとポジティブなことは言っておくが、女癖が悪いみたいな物言いにはツッコまざるを得ない。

 女と聞いて反応する理子も怖いが、余計な心配をしたジャンヌには昨日に続いてチョップをくれてやり、頭をさすったジャンヌは小さく笑う。

 

「声が聞きたくなったらいつでも連絡しろ。愚痴くらいなら聞いてやらんこともない」

 

「それはジャンヌが言いたいことがあるんだろ。まぁ聞いてやらんこともないぞ」

 

「真似をするな」

 

 最後に電話はいつでもしていいみたいなことを言ってきたジャンヌだが、これは先に連絡した方が負けだなと思いつつそんな返しで終了。

 入れ替わるようにアリアが寄ってきて、かなえさんの釈放から一切の曇りもなくなって可愛くなった笑顔で見られてちょっとドキッとするが、ポーカーフェイスはお手のものよ。

 

「ワトソンからちょっと聞いたけど、向こうじゃあたしのいない穴を埋める役目になるみたいね。そこは素直に謝っておくわ。ごめんなさい」

 

「他にも選択肢があって選んだわけだし、アリアが気にすることもない。ワトソンにもそう言っておけ」

 

「京夜がそう言うならあたしも気にしないわ。あとはそうね。妹のことを頼めるかしら」

 

「言われなくてもどうせ手足として使われるしな。この機に生活習慣も改善してやろうと思ってる」

 

「それはいいわね。あの子は嫌がると思うけど、京夜のすることなら割と受け入れる傾向があるみたいだし、1人で歩けるくらいになったら嬉しいわ」

 

「オレは魔法使いじゃないんだが……」

 

 留学先でのオレの役割を聞いていたらしいアリアは最初こそ申し訳なさそうにしたが、けしかけたのは妹の方だし気にするなと言えば、本当にコロッと態度を変えたからそれもどうかと思う。

 それからやはり妹のことは気になるのか、数少ない友人であるオレに頼むアリアはちょっとだけお姉さんって感じがして、オレもオレでメヌエットにはしてやりたいことがあったから快く返事して、それを聞いたアリアはまた笑って理子と交代していった。

 

「まぁ死なないようにだけ頑張れや」

 

「やけにあっさりした挨拶だな」

 

 そして最後になった理子だったが、いざ口を開けば1番まともというかなんというかで、もっと抱きつかれたりでもするのかと思って気持ちを作ってた自分が恥ずかしい。

 

「言いたいことも伝えたいことも昨日ので全部だったしね。ああでも、ジャンヌが言ってた女にだけは注意。あっちには日本人にない別の色気ってやつがあるから」

 

「これでも欧州には結構いたんだぞ。それにジャンヌやメーヤさんで美人への耐性は付いてるし……」

 

 そうした内心は隠しつつ大人しい理子の理由を探ると、そういやそうだなと納得したものの、すぐにまた女の話をするので意地悪を言ってやると、言い切るより前にほっぺを引っ張られてしまった。

 

「おかしいなぁ。理子りんの名前は挙がらないのかなぁ?」

 

「お前は日本人の血の方が濃いだろうが。文句を言うなら生粋のフランス人に生まれ変わってこい」

 

「はい差別ぅ。理子りんだってフランス人の血を引いてるしぃ。っていうかそれ言ったらメーヤってシスターも生粋のイタリア人じゃないじゃん!」

 

「そういやそうだな」

 

 言われて気づいたが、メーヤさんは生粋のイタリア人じゃなく日本人の血が混じっていたので、オレの言葉の説得力は崩壊。

 それでも意地悪をしたからには押し通す!

 

「いいですよーだ。帰ってきた時にキョーやんが意地悪できないくらい美人になってればいいわけでしょ。絶対にぎゃふんって言わせてやるから」

 

「ぎゃふんは昨日に散々言ってたろ。お前が」

 

「ぷんぷんがおー!」

 

 やっぱり最後まで理子だった挨拶だが、搭乗の受け付けが始まったアナウンスが流れたので、2人してそれでクールダウンして切り替える。

 

「じゃあ行ってくるわ」

 

「あっ……うん」

 

 何か言いたそうに見えた理子だが、オレの言葉に上手く返せなくて俯いてしまった。

 まだ言えるぞとちょっとだけ待ってみたが、言い直す素振りもなかったので後ろにいたジャンヌとアリアに目配せして行くことを告げ踵を返す。

 

「京夜」

 

 しかしそのタイミングで理子が声をかけたもんだから、反射的に振り返ったら近寄ってきた理子が振り向き様に抱きついてきて、それでもすぐに離れて、オレが1番好きな笑顔で見上げてくる。

 

「行ってらっしゃい」

 

「……おう」

 

 そうしてオレは、新学期の始まりと共に理子達に見送られて遠くロンドンへと旅立った。



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Bullet162

「よくもまぁこんなもんを……」

 

 今日もまた面倒事を押しつけられて現場に来てみたはいいが、何やら違和感を感じて探りを入れてみたらビンゴ。

 下水道の通路の途中に出来た妙な横穴。

 人が1人で通れるようなそれは暗がりなら気づかないようにくり抜いたコンクリをはめて栓がしてあったが、見つけようと思えば余裕。

 穴は横穴から少し進んで、そこからほぼ垂直に上へと伸びていて、6メートル程度の高さに栓がしてあるが縁から光が漏れている。

 

「あとは上で追い立ててくれれば……っと、始まったか」

 

 地上ではロンドン警視庁がこの穴が繋がってる建物を包囲し、潜伏している窃盗団を追い詰め始めてパトカーのサイレンが聞こえてくる。

 ここ最近の情報からこの窃盗団がかなり用意周到な集団なのは手口などからわかっていたから、アジトがバレた時には逃走をスムーズにするための抜け道を作ってる可能性が考えられた。

 あとは建物の立地が逃走に不向きなところがあったから、目に見えない逃げ道がありそうと睨んだ結果だが、ドンピシャだったな。

 穴が狭いこともあって逃げる際には渋滞になるのは当然だが、上から聞こえてきた窃盗団の足音が穴へと到達して、列を為して降りてくるのがわかる。

 

「警察官に通達。下水道にて隠し通路を発見。応援を求む」

 

 しかし油断は禁物なのでもしも別の逃走ルートがあったりして、事前にこっちを押さえてしまうと逃がす原因になるため、実際にこのルートを使ってきたことを確認してから、持ってきた無線で上のロンドン警視庁に報告。

 時間稼ぎは5分といらないだろうが、一応はギリギリを攻めたからそれはちゃんとやる。

 窃盗団が横穴へと到達してはめ込んでいたコンクリの壁を蹴り飛ばして開けたところに、ミズチのアンカーを天井に付けて振り子の原理で出てこようとした先頭に蹴りをお見舞いして押し戻す。

 そこから狭い通路が仇となって、まともに反撃もできない窃盗団は穴の出口で陣取ったオレの蹴りだけで足止めされてしまい、地上の建物からも突入して穴を発見した声が聞こえ、下水道にも警察官が到着しオレの足止めも終了。

 恨みを買いたくないから終始で窃盗団には顔を見られないように立ち回って地上に出たオレは、ほとんど終わってしまってから呑気に到着した羽鳥を発見して、見つかる前に撤収しようとした。

 が、踵を返す直前で見つかってしまったから、仕方なく近寄ってくるのを待つと、どこかご機嫌な羽鳥は開口一番で毒を吐きそうな笑顔でオレを見る。

 

「君にしては抜け目がない行動だったが、足止めは雑だったんじゃないかい?」

 

「見てきたようなことを言うな。その口振りだと無線も拾ってたんだろうが、仕事するなら早く来い」

 

「勘違いしないでほしいが、私はあくまで尋問担当だ。現場で動くのが君の仕事。私は捕まえたやつから必要な情報を抉り出すのが仕事。つまり」

 

「これからが仕事なんだろ。はいはいわかったから窃盗団の顔を見るなりなんなりしてこいよ。オレなんかに構ってる時間が勿体ないぞ」

 

「言われずともそうさせてもらう。だが君が私に声をかけてもらいたい顔をしたから、仕方なく寄ってやったのにその言い草はどうなんだろうね」

 

「そんな顔をした覚えはない。自意識過剰なんじゃないか?」

 

 案の定で毒を吐く挨拶できた羽鳥だが、現場に出てきたのはこいつの尋問が相手の表情を見ることから始まるから、本格的に仕事を始める前に下見に来た感じ。

 それはわかってるのだが、優秀なのは事実なのでこいつがいると事はもっと迅速に解決する可能性が高いから、皮肉を込めてやったわけで、それがわかってる羽鳥もオレいじりで仕事前にリラックスしようとしてるんだ。質が悪い。

 

「それはそうと、今回も安い報酬で動いたようだね。それでちゃんと生活できているのかい? アリアのように振る舞っていたらすぐにロンドン警視庁に都合のいい人形にされるよ」

 

「元々がアリアみたいに報酬目当てで動かない、偽善者的な人材を探してオレに来た話だしな。ちゃんと報酬があるなら向こうから舞い込む依頼を解決する方が楽なのはある。依頼を探したって見つからないこともある武偵業で、待ってればいいのは利用してるとも言えるし」

 

「君もずいぶん図太い精神を持ち合わせたものだね。互いに利用し合う関係ってわけか。ロンドン警視庁への信頼も買えて一石二鳥だ」

 

「内容はちゃんと確認するがな。信頼されすぎれば無茶な依頼が舞い込む可能性も上がるし、弾よけみたいにされるのは御免だ」

 

「おや、その辺を忠告してやろうと思ったが、意外と頭を回してるね。おっと、のんびりしてたら窃盗団を連れていかれる。用が済んだなら行きたまえ。どうせ今日も呼ばれているのだろう?」

 

「そんなしょっちゅう呼ばれてない。オレが暇みたいに言うな」

 

 そんな羽鳥に付き合ってると精神を削られるので、下水道から出てきた窃盗団に目をやりつつちゃんと考えがあって行動してることを話し、早く行けと促してやると、オレの精神的な成長にちょっと驚いた羽鳥も仕事に追われるように行ってしまった。

 オレの留学にはロンドン警視庁へのちょっとだけ優先度の高い協力が含まれていて、それによって留学して1ヶ月が経過した今で、もう結構な案件で引っ張り出されていた。

 依頼の数としてはロンドン警視庁からの方が上回ってしまってるが、まだまだオレへの探りを入れてる感じでハードな依頼は避けてくれてる印象があり、もう少しすると面倒な依頼も来そうな予感はしている。アリアの代替も楽じゃない。

 

「さて、約束までまだあるし、いったん戻って適当に食べてから行くか」

 

 昼下がりにはなってしまったが、羽鳥の言うように今日はメヌエットにお呼ばれしていたから、その前に腹ごしらえして時間を潰そうと今の居住へとまっすぐ帰宅。

 留学の特典の中に賃貸の確保があったのだが、確保をしてくれるだけで支払い能力を無視したものだったから、以前にロンドンへ来た時にワトソンにお願いして不動産に行ってもらい、別の賃貸を見つけて今はそこに住んでいるが、メヌエットの住むベイカーストリートもロンドン武偵高もほどよく近いので立地も悪くない。

 

「それで、学校の方はどうなんですか?」

 

「まぁ特別に親しいやつってのもいないが、居心地が悪いってことはないぞ」

 

「学校に馴染めるというだけで京夜は才能がありますね。私には一生かけても無理でしょうから」

 

「メヌはオツムの方で同世代から頭1つ2つ抜けてるしな。飛び級とかで大学にでも通ってみるのも手かもしれん」

 

 それで少し遅い昼食を済ませてからメヌエットのところにお邪魔して、いつものようにメヌエットの自室で他愛ない会話でコミュニケーションを始めたわけだが、何やらオレの留学生活が気になるらしいメヌエットは、自分の目の届かないところでのオレのことをよく聞いてくる。

 

「大学に行って私が何を学ぶのです? 人との関わり方ですか? それとも教授に論文を叩きつけて追い返す嫌がらせをしろと?」

 

「ああはいオレが悪かったよ。押しつけがましい人とのコミュニケーション手段を提案したオレがバカだった。メヌにはメヌのペースもやり方もあるんだよな」

 

「人には向き不向きがあって当然です。特に交友関係など一朝一夕で築けるものではないですし、学舎という環境では自分を偽ることも我慢もせねばならない時もあるでしょう。私はそれに耐えるだけの強さを持っていないと自覚していますから」

 

 聞かれることに答えるだけでは一方的だから、オレもあの手この手でメヌエットの今を改善する提案をしてはみるのだが、やはり言葉巧みに躱してくるメヌエットは手強く、未だに進展はしない。

 今も甘い香りを漂わせるパイプを吹かせてアロマを嗜む余裕がうかがえる。無駄と言いたいわけだ。

 だからといってメヌエットの出不精を良くは思わないのは変わらないので、とにかく外に出る習慣くらいはつけておきたい。

 

「そうは言うけどよ、人ってのはどこかしらで我慢はしなきゃならないもんだぞ。学校に限らず、どこでだって我慢っつーか忍耐はなきゃやってられん」

 

「だからこそ私は必要以上にこの家から出ないのです。外は人の我慢で満ち溢れていますし、今だって京夜の都合が合わずに来ない日は面白くありません」

 

「わがままなお嬢様だな。なら考え方を変えろよ。メヌが我慢しない生活の裏では、別の誰かがひたすらに我慢をしていて、その我慢がいずれ自分に火の粉となって降りかかるとしたら?」

 

「曖昧な話はやめなさいな。例えばどのようなケースで私に火の粉となって降りかかると?」

 

 今日はなかなか引き下がらないオレにメヌエットも叩きのめすために論破を狙って食いついてきて、そこに丁度サシェとエンドラが茶菓子を運んできてテーブルに置いてくれ、例え話をするなら身近な人を挙げた方がいいかと口を開く。

 

「例えばこのサシェとエンドラが日々のメヌのわがままを素直に聞いて、自分の時間を使えないことに我慢が出来なくなって、メヌが寝てる間にこの家を出て雲隠れしたら、家事スキルのないメヌは1日で発狂するだろ?」

 

 急に自分達が話に加えられてビックリする2人は話の流れがわかってないから、なんて例え話だと言わんばかりにオレを見てメヌエットに「そのようなことはいたしません!」と弁明に動く。

 あくまで例え話だからメヌエットも必死な2人に対して淡白な返事でわかってるとは言うが、あながちない話でもないからか少しだけ思考するように顎に指を添える。

 

「……京夜の例え話は極端ですが、サシェ、エンドラ。あなた達は私への奉仕とフリータイムのバランスをどう思っていますか? 怒りませんから正直に話しなさい」

 

 そして意外なことに2人の今の処遇に不満がないかと尋ね出し、そんなことはかつてなかっただろう2人も顔を合わせて目をぱちくりさせる。

 だが沈黙はメヌエットをイラつかせる原因なのでオレが小声で「答えないとあとが怖いぞ」と言えば我に返って、恐る恐るサシェが代表して発言。

 

「メヌエットお嬢様へのご奉仕は私どもにとって生活の一部も同然ですから、不満などございません。ですがその……メヌエットお嬢様のお留守のうちに捗る作業もございまして……」

 

 と言ってから、2人はペコペコと申し訳なさそうに頭を下げるが、初めて聞いただろうサシェとエンドラの意見に黙ったメヌエットは、出された茶菓子を1つ食べてからオレを見る。

 

「京夜は私に学校へ行ってほしいのですか?」

 

「学校じゃなくても別にいいさ。とりあえずは日々のほとんどを家で過ごす今が少しでも変わるなら、散歩でもなんでも構わないと思ってる」

 

「外の空気は好きではありません。ですが今日は過ごしやすい陽気のようですから、散歩がてら太陽光を浴びるのも良いでしょう」

 

「今日だけか?」

 

「何度も言わせないでくれますか。日によります」

 

 本当はもう少し多くの人と関われる環境に放り込んでやりたくはあるが、メヌエットの毒を受け止められる存在が少ないこともあるので不安も大きい。

 それでもメヌエットが外に出たいと言ってくれるのは嬉しいことだし、サシェとエンドラがこんなことを言えたのも自分達がいなくてもメヌエットを任せてもいいと思えるオレがいたからだと思いたい。

 そうして散歩に出かけることになって車椅子を押せと無言のアイコンタクトでエスコートを勧めてきたメヌエットに従って、サシェとエンドラに見送られて昼下がりのお散歩に出発。

 

「良い機会ですから、京夜の素行調査でもしましょうか」

 

「嫌な予感」

 

「さぁ京夜。行くべきところはわかってますね。あなたの言葉が真実かどうか証明されてしまいますね」

 

「嘘は言ってないつもりだが、メヌが受ける印象とは違うことはあるかもしれないぞ。そこは許容してもらわないと困る」

 

「京夜の言葉とあまりにかけ離れた事実があった場合は、その処遇はその時に考えましょうか。ふふっ。楽しみですね」

 

「悪魔的な笑いをするな性悪め」

 

 出発して早々に目的地を決めたメヌエットの口振りから、どこに向かえばいいかはすぐにわかってしまったが、オレへの嫌がらせがしたい魂胆が丸見えのメヌエットに悪魔の尻尾が生える錯覚が生じる。

 しかし行かなきゃオレが嘘をついたことになるので、仕方なくさっきまで話していたオレのここでの学舎であるロンドン武偵高へと足を運んでいったが、その足取りは重かった。

 

「嘘をつきましたね?」

 

「これは完全に100%でメヌのせいだ」

 

 それでいざロンドン武偵高の敷地に踏み入って、放課後になりたての時間帯なこともあり生徒の出入りもそれなり。

 そこに留学生ってことでちょっとだけ注目されてるオレが、英国が誇る安楽椅子探偵を連れてくるもんだから、まぁ目立つ目立つ。

 あまり校舎の深くに踏み入るのも注目を集めるだけだからやらないが、それでもここに通っていたアリアの妹はざわつくには十分で、ロンドン武偵高に来て一番の注目を浴びている。苦手な視線だ。

 

「視線のほとんどは私に向けられていますが、一部は京夜に向けられていますよ。主に女子生徒から」

 

「女子かどうかまでわかるもんかね」

 

「お姉様のような表現をするならば、女の勘です」

 

「妙な説得力が生まれる不思議。だが話しかけては来ないんだから親しいかどうかは確認できただろ」

 

「それはまぁそうですね。私に尻込みするような方であれば京夜も親しくはしないでしょうし」

 

「オレの人脈の基準をメヌが作るな」

 

 実際にアリアがいた頃はどうだったか1ヶ月の間に聞いていたが、アンジェリカ・スターとかいうSランクの戦姉と活躍して一目置かれ、戦姉妹のダブルSランクとあって近寄りがたかったところはあったらしく、特に親しいという人物もいなかった。さすがは独唱曲様だ。

 それもあって妹のメヌエットにもアリアと似た近寄りがたい空気を勝手に感じてる生徒達は興味はあるものの敬遠気味で、オレというクッションありきでも変わらないみたいだ。

 それが良いとは言わないが、結果的に学校で特に親しい関係にある人物がいない証明になったから、あらぬ誤解を生まずに済んだのは幸運。複雑な気持ちではあるがな。

 そうした結果に満足したメヌエットは、元々が武偵が嫌いなところもあって撤収も早く、少し硝煙臭いロンドン武偵高をあとにして、帰ろうと思えばすぐに帰れるベイカーストリートのやや北東のところにあるリージェント・パークのパーク・クレセントでのんびりと日光浴。

 明日は武偵高でメヌエットのことについてを根掘り葉掘り聞かれるだろうなぁとかその対応についてを考えてベンチに座っていたオレに、街の中にある自然に囲まれた空間であるここでリラックスした様子のメヌエットは、他に誰もいないことを軽く確認してからあまり大きくない声でオレに話しかけてくる。

 

「バチカンの護衛も解けて日も浅いですが、進展の方は聞いていますか?」

 

「んー、報告くらいなら会いたくもないのに会う羽鳥から色々とな。とりあえずアレの世界の目は全部潰しただろうってのと、それらしき人物の写真をいくつか入手したってことくらいか」

 

「その写真とやらはまるでアテにならないでしょうが、確実に力は削いでいるということですね」

 

「その証拠がメヌの無事なら喜ばしいことだ」

 

 唐突な話だったが内容についてはすぐにわかる土御門陽陰のことなので、特に間も開けずに聞き及んでることを答えておき、オレがつけたバチカンの護衛があるうちに襲撃がなかったことを今さらだが喜ぶと、ちょっと言葉に困ったメヌエットはさっさと話を畳みにくる。

 

「武偵組織も役立たずではないことを少しくらいは信じてもいいかもしれませんね」

 

「今メヌが照れたことに関しては触れないであげよう」

 

「でしたら声に出す必要はありませんよね。京夜は頭がおかしいのですか?」

 

「ネジの1本くらいは飛んでるかもな。じゃなきゃメヌみたいなぶっ飛んでる友人とは付き合いが続かな……」

 

 そんな照れ隠しが可愛い隙だったからちょっと突いて遊んでみたが、タイミングが悪いことにここでオレの携帯にメールが来て、言葉を切ってメールを確認すると、送り主は理子。エスパーかこいつ。

 オレが女といることを邪魔するような理子のメールは、さすがに状況をわかってて送られたものではなく、近いうちに修学旅行Ⅲで顔を出しに行くからという報告。

 まだ留学して1ヶ月なんだが、そんな早くに会いに来るかこいつは、とか思いつつ、オレのメールが気になったメヌエットがどんな内容だったのかを尋ねてきたから素直に教えてやる。やましいこともないし。

 

「そういえばお姉様も近々こちらに来るようなことをメールしてきていましたね。ということはそのメールの送り主はお姉様と同じチームである可能性が高く、わざわざ京夜に報告するということは京夜に好意を寄せている。是非とも1度お目にかかりたいですわ」

 

 簡単な推理と共にそれが純粋な好奇心なのか判断の難しいメヌエットの放った言葉に何も返せなかったオレは、遠からず訪れそうなホームズとリュパンの2度目の邂逅に心臓が変な鼓動を刻む。何も起きないわけがない。お喋りが名探偵の前でベラベラ喋るんだからな。

 そんな微妙なオレの反応を見逃さなかったメヌエットが言及に動こうとしたから、オレも寝たフリでもしようかなとベンチで横になりかけたところで、またも携帯に今度は電話がかかってきて、話の腰を折られたメヌエットは明らかに不機嫌な顔で「どうぞ」と出ることを促し、正直なところ助かったその相手を見ると、登録名には『レストレード』のファミリーネーム。

 だからあからさまに嫌な顔をしたオレが通話に応じるのを躊躇ったから、メヌエットも誰かと問いかけてきたから画面を見せると、急に携帯を奪われて勝手に通話に応じられる。えぇ……

 

「……はい……はい。では1秒でも早く事件が解決することを願っていますわ」

 

 そこから可哀相になるくらいの毒を吐かれていた携帯の向こうのロンドン警視庁の警部さんには同情するが、通話の切れた携帯を笑顔で返したメヌエットにオレも戦慄を覚える。怒ってらっしゃるよぉ……

 

「虎の威を借る狐とはあのような者を言うのでしょう。曾おじい様の時代からレストレードの人間はその気があったようですが、受け継ぐべき素質を間違えているようですね」

 

「勝手にオレから仕事を奪うな」

 

「何人であろうと私と京夜の時間は奪わせません」

 

 おそらくはロンドン警視庁からの仕事の依頼だったと思うのだが、我慢のできないメヌエットが却下してくれたおかげで次にロンドン警視庁に顔を出した時が怖い。

 依頼がコストが上がっても解決できるならいいが、今後はメヌエットといる時は携帯を貸さないようにしようと心に決めて、日も沈みかけてきたからメヌエットも帰ろうと言ってきたので、再び車椅子を押してゆっくりと帰路につく。

 

「さて、明日はちょっと面倒臭い日になりそうだ。どこかの誰かさんのせいで」

 

「ふふっ。退屈な日々よりもずっと良いのではないかしら? 人生にもスパイスは必要です」

 

「効きすぎても嫌じゃないか」

 

「濃い味付けは男性の好みでしょう」

 

「好みは性別で決まらないぞ」

 

 本当に自由気ままなメヌエットには振り回されっぱなしだが、わかってて選んだ道でグチグチ言ったところで仕方のないこと。

 ならメヌエットが言うようにこれからの人生に少々のスパイスを加えていくことにも抵抗は少ない。

 そのスパイスによって彩られるオレの人生はまだまだ始まったばかりだが、せいぜい笑って楽しんでやるさ。

 だが、そのスパイスを加えるタイミングくらいは自分で選びたいもんだね。

 ――そうじゃなきゃやっぱり面倒臭い。面倒臭いのは、なるべくなら避けたいしな。

 

 

Go For The NEXT!!



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エピローグ~if~
Landing


※この話はBullet100からの分岐ルートの話です
そのためいくつかの設定などがBullet101からと違うところがありますが、そういうものだという認識で読んでください


 

「ん、今回もなかなかの出来だ」

 

 金三……ジーサードのやつが品種改良しただけあって、敷地の一部を使って開拓した自作菜園の色々な野菜・果物は夏に差し掛かる時期の収穫期で概ね満足のいく仕上がりとなっていた。

 

「最近思うのだが、京夜はもう農業に転職してはどうだろうか」

 

「ですのー! 苺ちゃんは苺ちゃんの栽培を担当してもいいですの!」

 

「し、島さんはこの前、発芽で失敗してたのでや、やめた方がいいかと……」

 

「お、ブロッコリーなんてしっかりしてるな。これならセーラもモリモリ食べてくれるか」

 

 その収穫の作業をしていたら、何やら一緒に作業していたジャンヌや島、中空知がやいややいやと騒いでいたが、毎度のことなので軽くスルーしつつ同業のよしみと要望で育てたブロッコリーを収穫。

 東京武偵高を卒業して3年。

 卒業後すぐに武偵チームでヨーロッパに移住をしたオレ達コンステラシオンは、とある重要拠点で長期に渡る極秘任務を遂行するために、イタリア、オーストリア、スイス、ドイツに囲まれたリヒテンシュタインのライン川が望める都市、シャーンの町外れに少々贅沢なくらいの土地を借りて活動していた。

 いつ終わるかもわからない任務のせいで、食料の自給自足を目的に半年ほどしてから始めた菜園も今やジーサードの協力で1年を通して安定した収穫が出来るようになっていた。

 

「あーそうそう。午後からロカとコリンズが来るよな。交渉は大丈夫か?」

 

「抜かりはない。そのためにわざわざリサを呼び寄せておいた」

 

 そのジーサードから毎度、様々な品種改良した種を購入していて、その都度でジーサード・リーグから寄越される奴との値段交渉が今日あるのだが、そこは策士ジャンヌ。事前にキンジに話でも通していたのか、そのお付きのメイドである最強の会計士リサをレンタルしていてオレに親指を立ててみせる。

 ロカとコリンズには悪いが、リサがいればこちらの勝ちは確定。泣いて帰す羽目になるな。

 長期任務とはいえ、それだけをやっていても生計は立てられないので、当然のごとく他の依頼をジャンヌ辺りが取ってきて、ヨーロッパ諸国を中心にそれなりに成果は上げているが、その仕事は面に名前すら出ない秘匿性の高い依頼ばかりで、ジャンヌの祖国であるフランスの裏では『コンステラシオンは影の英雄』とか囁かれているらしい。

 オレとしても堂々と名を売って武偵業をやるのは避けたいのでありがたいが、それで有名になるのはリーダーであるジャンヌという構図は如何なものかと思う。

 少しくらい中空知と島と京極に譲ってやれと口には出さないが思っている。

 他には個人的な繋がりを通して、イギリスからはよくフローレンスが使者として嫌々ながら依頼を持ってきたり、中国でも劉蘭や諸葛が時々どうだろうかと案件を運んでくる。

 ジーサードとはその辺でも協定があり、互いに交互に協力要請を出せる援護システムが交渉の結果採用された。

 今は向こうがこちらに協力を依頼できる立場だったかな。今日の交渉で一緒に持ってこなければいいが……

 そうこう考えながら収穫を終えて昼食の準備でもしようかと、武偵高の学生寮のような造りの住居施設にみんなで入ろうとしたところで、豪快な運転で敷地内に入ってきた大型ワゴンが施設の玄関前でドリフトを決めて停車。

 特徴のあるその運転には覚えがあったので誰が来たかはすぐにわかるが、中のやつらは絶対酔ってるな。

 

「先輩方、ちょっとぶりです!」

 

「貴希さん、急に運転荒くしないでください……」

 

「警察に見つかったら減点ものですよもう……」

 

「最悪……」

 

「……リサは貴希様の運転を好きにはなれなさそうで……す」

 

 停車したワゴンからはまず我先に運転席から貴希が元気よく挨拶してきて、それに続いて助手席と後部座席に座っていたやつらがヨロヨロと降りて出てくる。

 今や両親と同じく世界中で引っ張りだこの特殊武偵、小鳥は貴希の運転に文句を言いつつ相棒の昴を頭に乗せて割と元気そう。

 武偵高を卒業後に正式に月華美迅の雅さんに弟子入りした幸帆も、もう慣れ始めたのか少しの元気を残した状態でスピード違反でもしてきた貴希を咎めるが、当の貴希に反省の色はない。

 貴希も運び屋として営業地域を転々としてるし、1つどころに留まれない感じは落ち着きがないのか旅好きなのか未だにわからない。

 そして貴希の運転に明らかに不慣れで具合の悪そうな顔色をした銀髪ロングストレートのちょっと目付きの悪い少女セーラは、同じくフラフラな薄い金髪ロングヘアーのわがままボディを持つキンジのメイド、リサと肩を寄せ合って座り込んでしまった。

 2人とも元々は極東戦役においてはオレ達師団と敵対した眷属所属の戦士でイ・ウー主戦派残党だったが、リサは戦地で出会ったキンジに運命的なものを感じてそのまま流れやらで仲間入り。今も公安0課の仲間入りしたキンジを影で支える功労者の1人。

 セーラも元々一族の生業として義賊をしていて、報酬の良い眷属にいただけだったので、オレ達に含むところはなくその後はちょっとした交渉でここを仕事をする上での仮拠点として提供していて、こうして月に1回程度で顔を出して何泊かしていく。

 セーラは本名をセーラ・フッドと言い、ロビン・フッドの末裔にして魔女の血まで持つスコットランドの超能力者。『颱風(かぜ)のセーラ』の異名を取るレキ同様異次元レベルの弓の名手。

 リサもリサでその正体はオランダの伝説にある『ジェヴォーダンの獣』という人狼で、イ・ウーでもアリア、パトラ、ブラドと並ぶシャーロックの後継者候補にまでなっていたとんでもない子だ。

 そんな2人も普段は可愛いし美人だしで人畜無害で仕事とプライベートをきっちりしてるタイプ。

 リサは人狼化に条件があってほとんど戦力外だからちょっと違うが、具合の悪そうな2人を小鳥と幸帆が介護してみんな揃って1階にある食堂へと移動。その途中でリサとセーラは空港で鉢合ったから拾ってきたと説明されて納得。

 一応、全員が今日来ることは連絡が来ていたが、いつとは聞いてなかったので偶然って怖いな。

 食堂のテーブルでグッタリするセーラとリサを横目に昼食作りを開始したオレ達は、こういうことに昔から積極的な小鳥と幸帆が率先してテキパキやってしまうので、厨房での仕事はほとんどなく皿出しくらいしかやれなかった。

 武偵高を卒業してから髪を伸ばし始めた小鳥は、今や肩甲骨を隠せるほどの長さにして、在学中の子供っぽさがだいぶ抜け、母親の英理さんに似て美人になりかけている最中といった変化の時期に差し掛かっていた。

 そんな小鳥が3年生になり徒友の契約期間が切れて解消された日に告白してきたのは今でも鮮明に覚えている。

 精一杯の言葉で、噛み噛みだったが真剣な気持ちを伝えてきた小鳥に、オレもちゃんと気持ちを伝えてやったら、その時はさすがに泣かれてしまったが、その後も先輩後輩の関係は問題なく継続している。

 幸姉からの情報で最近、誠夜とお見合いさせられたとか聞いたが、それは完全に幸姉が小鳥を使用人として家に引き入れたいある種の政略結婚だと思われる。

 結果についてはなんか複雑な気持ちで聞いてない。小鳥からお義兄さんとか呼ばれる日が来るかもと思うと色々と、な。

 幸帆は逆にどんどん幸姉に似てきて、周りからそう言われるのが少し嫌だったのか、その髪をセミロングに切ってひとまとめにしている。

 それでも今の小鳥よりもずっと大人びていて、雅さん曰く「師匠が弟子に見られて不快である」とのこと。

 その幸帆もオレの卒業と同時に再度告白してきたが、オレの気持ちはその時にはもう決まっていたのでキッパリと断ると、それで未練もなくなったのかアッサリと身を引いて、今は不知火となんちゃらーとポロッと言ってたようなそうでないようなだ。

 今回、小鳥と幸帆と貴希が一緒にいたのは偶然ではなく、れっきとした武偵チーム『憐花(れんげ)』のメンバーだから、活動範囲も内容も違いながら日程を合わせて来たのだが、3人ともその活動に余裕があるわけではないはず。現に最後のメンバーである風魔が都合が合わずに欠席? しているしな。

 小鳥は自分の能力を生かして、遭難救助や犯人追跡。主に捜索関係の依頼を受けて動く武偵の中で特に注目株のようで、森や山での遭難者捜索においては生死に関わらずほぼ確実に探し出すことから『女神の千里眼』とか欧州諸国では呼ばれ始めてるっぽい。

 幸帆も雅さんの教授の甲斐あってか、日本の武偵庁からスカウトの話が来ていて、コンピュータセキュリティーや情報管理での仕事をさせてもらえるみたいだが、本人はまだ迷っていることをオレに話している。

 貴希は3人の中で1番大人びた女になったが、その中身はあまり変わってない。今も兄妹仲良く世界中のあらゆる乗り物を乗り回してハッスルしている。

 オレ達コンステラシオンも島だけで足りない足を確保する時の候補にしてやってるが、豪快な運転で何度中空知が吐きそうになったか。実際吐いたこともあるけど。

 そんな憐花のメンバーの活躍を先輩として喜びつつも負けてられないと対抗心を燃やしたこともあるが、こうしてプライベートで会うとついつい和んでしまうのは後輩に甘い証拠なのかわからん。

 とかなんとかやってたら昼食もあらかた出来上がってセーラとリサも復活してきた頃に突然、外の方にヘリっぽいモーター音が聞こえてきたかと思えば、食堂の扉を勢いよく開けて入ってきたのは、

 

「よう京夜ぁ! 邪魔すんぜ……って、なんかゾロゾロいやがんな」

 

 このあと来る予定だったジーサード・リーグのトップ。ジーサードが部下を引き連れてやって来た。相変わらず派手で騒がしいやつ。

 

「今日はロカとコリンズだけじゃなかったのか、金三」

 

「その呼び方マジでやめろよ。家族以外に呼ばれるとイラッとすっから。ちょいと欧州に用があってついでに寄らせてもらった。それよりメシか。京夜、トマトだトマト。採ってあんだろ」

 

 我が物顔で食堂に入って、周りの雰囲気でこれから昼食なのを察してドカッとテーブルについてトマトを要求するので、厨房にあった洗っただけのトマトを投げて渡すと笑顔で受け取りそのままムシャムシャ食べ始める。

 なんかこいつの活命制限(ライフ・リミット)の解除が出来る成分を含むのがあのトマトらしく、あれだけは通年で収穫できるように特別レベルで品種改良されてる。つまりあのトマトはジーサード専用みたいなもんだな。

 それからジーサード・リーグの面々、超能力担当のロカ。支援・資金調達担当の黒人オネエ、コリンズ。前線担当のマッチョ、アトラス。ジーサードの腰巾着、玉藻様と同種の化生の幼女、九九藻(ツクモ)。頭脳担当のマッシュ。ロボ担当? のガイノイド、LOOがジーサードの座るテーブルを囲み、最後に外に降りたであろうヘリみたいに離着陸できるステルス航空機を操縦していた初老のおじさん、アンガスが食堂に入るなり空気を読んで追加メニューを作るために小鳥と幸帆の厨房に自然と入っていった。すげぇ。

 これだけの来客にも平気で対応できるこの施設は、実は武偵専用の宿泊施設という側面も持っていて、知人関係に限られてはいるが、基本的に来る者拒まずで宿泊料金を取りつつで副業している。

 欧州諸国に用があるやつらは下手にホテルを取るより安いからと武藤やら不知火やらまで遊び感覚でやって来てはお土産話を置いて行っていた。

 スイスのチューリッヒ空港もそれなりに近いから、時差ボケ直しとかで意外と利用するやつは少なくない。

 ジーサード達の来訪で一気に賑やかになった食堂はワイワイやりながらのランチとなり、回復したセーラも大好物のブロッコリーのサラダをモリモリ食べて表情にこそあまり出ないがレキ系統なのでなんとなく雰囲気を読んで幸せそうにしているのを悟り、リサも回復さえしてしまえば小鳥や幸帆を退けるほどの超人メイドと化すので、テキパキと率先して給仕をしては軽やかなトークまでこなしてみせていた。

 マジ優秀。ここで働いてほしい。実際ジャンヌが今もキンジと交渉中なのは本当の話。

 基本的に女子率が高くなってるこの施設でオレはちょっと普段から気を遣うことが多い。それが問題で何やらというのは……まぁ……無きにしもあらずだが、その都度で適切な対応をして切り抜けている。

 ほとんどが向こうの不注意なのが不満ではあるが、それを言うとジャンヌ辺りは尚のこと怒るから、事が面倒になる前に終わらせているのが現状。

 オレの立場は年々地に落ちてきているが、まだ家事全般と依頼で役立つから地の底は見えていない。

 昼食後は予定通りにロカとコリンズ、ジャンヌとリサによる交渉戦が食堂で開催されたが、そちらはスルーしてジーサードと九九藻、セーラと一緒にとあるもののチェックも兼ねて散歩。

 異色な組み合わせながら、三者間で協力体制は万全なので仲が悪いということもない。会話は続かないが。

 

「んでよォ、最近兄貴がつれねーっつーか、付き合い悪ィのよ」

 

「キンジももう公安の犬になったしな。弟のご機嫌取りしてる余裕もないんだろ。かなめはお構いなしで構ってちゃんみたいだから、お前も『お兄ちゃーん』ってすり寄ればいいんじゃね?」

 

「……気持ち悪い」

 

「サード様にそのようなことをさせるなど言語道断! 猿飛はサード様を何だとお思いか!」

 

 とかなんとかブラコン金三の愚痴を聞いてやってたら、横のセーラも眉をしかめて嫌な顔をして、九九藻もやいやい言ってきたが、九九藻は現在オレに肩車されてる身。

 例の匂いのせいでこうしたことはいつものことだが、立場を弁えない九九藻をとりあえず軸回転で目を回しておく。

 バスカービルの連中はどいつもこいつも出世頭の有名人になり、元から欧州諸国で有名だったアリアは自らの最重要案件である緋緋色金のあれこれを解決し、かなえさんも無罪放免で釈放させたあとは破竹の勢いで世界中の犯罪者を捕まえて『緋弾のアリア』の異名もずいぶん聞くようになった。

 半年に1度くらいこっちに顔を出すが、忙がしさは他の追随を許さないほどだろうな。

 キンジも話で出たように東大に合格後にあれやこれやとあって公安0課に配属され、ついに向こう側の人間に昇格。人間やめちゃいました。

 レキは、今も時々ふらっとここに現れてはふらっと消える神出鬼没さに磨きがかかり、アリアの仕事の手伝いやら、オレやジーサードの仕事にもたまに付き合ってもらっている。

 白雪は緋緋色金の問題が片付いたとはいえ、星伽の掟がまだ厳しいために日本国内での活動が主だが、武偵高と協力した超偵育成の取り組みに参加したりと日本国内の物騒化を援助している。超偵自体の少なさが不幸中の幸いか。

 

「そういや聞いたぜ? お前にフラれた劉蘭、この前あの『神龍(シェンロン)』と婚約したってな」

 

「何だ、やっぱりお前も趙煬とはやり合ったことがあるのか」

 

「いや、噂だけで聞いてるがいつか殴り込みに行く予定だぜ。なんせ兄貴が勝てるかわかんねーって言ってた相手だからな」

 

「一応友好関係にあるんだから問題は起こさないでくれ」

 

 九九藻を黙らせてからこれ以上はいじられると思ったのか愚痴を切り上げたジーサードは、次の話題としてどこから拾ってきたのかオレも最近に本人から報告されたことを引っ張ってきて血の気の多い発言にヒヤッとする。

 劉蘭は修学旅行Ⅱの時期の香港で言った通り、オレが卒業するまであれこれとアプローチして告白までしてくれたのだが、その時にはもうオレへと気持ちは整理をつけるためだったのか、フラれてからしばらくしてずっとお付きで側にいた趙煬と正式に交際を開始。

 あとから聞いたが2人は小さい頃からの幼馴染みでオレと幸姉みたいな関係だったらしいので、近すぎるのも問題だよなと自分のことのように思っていたら、先週に婚約したことを報告してきたのでちょっとビビった。

 

「いずれはイギリスのOOシリーズともガチンコやりてェんだけどな。中国の達人(マスター)もフルコンプ目指すぜ」

 

「死んでも自己責任だぞ……っと、着いたか。九九藻、セーラ、頼む」

 

 何年経っても思考回路がぶっ飛んでるジーサードに諦めの意思を込めて返してから、目的の場所まで来たので九九藻を降ろして超能力専門の2人に調子の方を見てもらう。

 施設の端の方に設置してある小さな社のような祭壇。魔的な意味を持つ様々な式には、ここを中心に半径数キロの範囲を覆う玉藻様の『鬼払結界』が常に発動して、ある特定の人物が侵入するとジャンヌやら他の超能力者が気付ける仕掛けが施されている。

 実はあの香港での出来事以降、世界最強の式神使い、土御門陽陰は幸姉の張った超警戒網を気にしてか日本に新たな天地式神を設置しに来ていなく、今もその身柄は押さえられていない。

 日本では未だに陽陰を警戒した動きが継続されているが、どうにも雲行きが良くないという理由で、オレ達に仕事が来たわけだ。

 オレ達が拠点を置くこの場所もまた、かつては陽陰の天地式神が存在した地脈の噴出点であり、日本よりも陽陰にとって痛手となる穴を開けている。

 というのもこの場所からカバーされる天地式神の範囲にはバチカンや隣国首都やらが入っていて、欧州に大穴を開けた感じになっている。

 特にバチカンは秘匿情報の宝庫とも言われる重要地点。メーヤさんも天地式神の破壊の際には惜しむことなく協力してくれた。

 要するにオレ達は今も土御門陽陰の逮捕のために動いていて、痺れを切らせて出てくるのをひたすらに待っている状態。

 これがあとどのくらい続くかは陽陰の動き次第ということになり、毎年南北のアメリカ大陸、アフリカ大陸と1ヶ所ずつ大穴を開けてそこにオレ達のように武偵や専門家が駐在し網を張っていた。

 

「特に不具合はなさそうですね。流石は玉藻様です」

 

「あと10年は大丈夫」

 

 その対陽陰用の鬼払結界も一応は時々点検してもらっているのだが、2人の口ぶりから問題はなさそうだとすぐにわかり、これを張ってくれた玉藻様には感謝だ。

 その代わりにジャンヌが顔を青ざめる要求をしたようだが、オレには関係ないし。

 

「おおそうだ京夜。今日は泊まって明日には出発するけどよ、お前も来い。今回はド派手に暴れられる一方でお前向きの役割もあってよ。いたらこっちも楽っつーかなんつーか」

 

「事前の話くらいしてくれ。まぁ、幸いスケジュールは空いてるから問題ないが、ジャンヌには許可貰ってこいよ」

 

「よっしゃ! 実はお前のコレが持ってきた案件だから、参加させるのもいいかと思っただけなんだがな」

 

「余計な気を遣うな金三。あいつが持ってくる仕事なんて数え切れないほどあるんだから今さらだボケ」

 

 鬼払結界の点検も滞りなく終わったので施設に戻ろうとUターンしたところで、やっぱり仕事を運んできたジーサードに予感はしていたオレは了承。

 元よりあっちには権利もあるし、ここらでこっちに権利を戻すのもいいだろう。

 そしてジーサードが余計な気遣いをしてくれたあいつ、理子はその幅広い人脈と情報収集能力で、通常の武偵業もたまにやりながら主に依頼を厳選し最適な武偵に仕事を回す『仲介人』の仕事で荒稼ぎしている。

 ヒルダも相変わらず理子に引っ付いて仲良くやってるみたいだ。

 結局のところあいつの意外にも一途なところと、一緒にいて自然体でいられる心地のよさがオレには合っていたようで、卒業してからオレが告白し以降付き合いが続いている。

 互いに欧州を中心にした活動だが、顔を合わせる機会は月に1回あるかないか程度で、恋人らしいことはほとんどできていないのが現状だが、メールだけは向こうから毎日来るのでコミュニケーションに問題はないはずだ。

 近々こっちに拠点を移して仕事するみたいなことを言っていたから、遠距離ももうじき終わりかもな。

 と、ジーサードのせいで普段は意識しない理子のことを考えてしまったが、仕事となれば当然詳しく話は聞かねばならないため、施設に戻りながらジーサードから今回の仕事の内容を聞いて頭に入れ始めた。

 補足にはなるが、この数年でオレにも非公式で欧州諸国と米国、アジア圏に2つ名を付けられた。

 あくまで武偵業界でのみにはなるが、矢面に出ない武偵の中でも特に隠密性に優れて優秀な成果を上げる。

 そんな意味合いを込めて『影の陰(ファントム)』と名付けられたが、やはり理子的に言うなら中二臭くて好きではない。

 理子はかっけぇとか言って気に入ってたが、公式になったらもう諦めることにしている。

 何にしてもオレの武偵としての道はまだ始まったばかり。世界で活躍するアリア達にも負けないためにも、今日もオレは精一杯頑張っている。

 

 

END



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Succession

※この話はLandingの後の話です
Bullet101以降の話とは繋がらないのでそういうものと思って読んでください


 

「おーおー来おったか! こりゃまたずいぶんと懐かしい顔見たわ。なぁ綴ぃ!」

 

 まずは挨拶にと入った教務科でやたらと強そうなポニーテールの女教師は、そうやって昔を思い出したのか笑いながらに近くの席にいた綴と呼ぶ教師に声をかけたが、その綴、先生はラリってるのかメチャクチャ据わった目でタバコをくわえながらオレ達を見てニヤリと笑う。なんか怖い……

 

「あー、そいつらが今日来るって話だったあいつらの……でも色々と惜しい感じィ?」

 

「確かにな。お前らところどころで『逆』や。んで、どっちが『ひねくれもん』や?」

 

 ニタニタ笑う綴先生の言うことに共感する目の前の女教師、蘭豹先生は、オレと隣のもう1人を見ながらにそんなことを言いつつ、次いで机にあったオレ達のプロフィールを見せて問いかけてくる。

 

「「それは間違いなくこっちです」」

 

 だから至極当然のことを隣の双子のファザコン妹を指しながら断言してやったのだが、隣も隣で同じことをして言いやがったのでガンつける。ひねくれ者はテメーだファザコン。

 

「言っておきますが蘭豹先生。あたしは正式なファミリーネームをそこに記載しておりますので、わざわざ『旧姓』を名乗ってるこっちのマザコン野郎が間違ってやがります」

 

「間違ってねーし。実際こっちの姓で母さんと仕事してたし問題ないね。そっちは仕事上目をつけられるから名乗るなって親父も非推奨だったろ。今からでも遅くないからこっちを名乗れ愚妹よ」

 

「生まれたのが数十分早かったくらいで兄貴顔すんなし。二卵性で本当に良かったわ。こんな兄貴に顔まで似たら今頃自殺ものよ。それに比べてパパのカッコ良さは天井知らず……はぁん、パパぁ」

 

 人によってコロコロ性格の変わる愚妹はオレに対しての毒が半端ないが、自分自身のイライラを解消するように懐から取り出したスマホの親父の待受を見てふやけきったバカ面を晒す。

 しかしオレ達の口喧嘩を目の前で聞いてイラついたのは蘭豹先生もで、その後揃って拳骨をもらって退室を促されてしまい、教務科の校舎から出たオレ達はこれ以上一緒にいても喧嘩しそうなのでとりあえず分かれてそれぞれの寮へと荷解きに向かう。

 オレと妹が今日来たばかりのここ、東京武偵高はレインボーブリッジの南北に浮かぶ東西500メートル、南北2キロの2つの人工浮き島の上に存在する、日本では最大の武偵高だ。

 昔、親父と母さんも通っていた時代には南の浮き島だけが開拓されて『学園島』などと呼ばれ、北の浮き島は何もない『空き地島』などと呼ばれていたようだが、今は規模を拡張して浮き島間で地下トンネルを開通し台場との交通ラインも整い開拓も済んで様々な学科の建物が建設されている。

 この背景にはどうやら全国的に武偵高を都市部に集中させて生徒数の少ない武偵高を取り壊し、その分が都市部の武偵高に流れたことにあるらしい。

 だから今の日本には武偵高は4校――札幌・東京・大阪・福岡――しかないとかだが、別段興味はない。

 ちょっとしたゴタゴタもあってオレと妹は入学式から1日遅れて武偵高へとやって来たのだが、今は放課後に当たる時間で下校中の生徒達もいたりで結構賑やかだ。

 そんな学園島をこれからホームにするわけなので一応は地形やら何やらを確認がてら歩いて男子寮まで辿り着き、指定された部屋に行ってみるが、寮も増設されたり改修されたりで親父達の時代にあった4人部屋というのはないが、それでもコミュニティーとして2人部屋が固定である。

 当然オレもその2人部屋だが、電子ロックの扉を開けて中に入ってみるがやはり時間的にルームメイトはいなかった。しかしすでに生活感はあるためいるにはいるのだろう。

 このままルームメイトを待って自己紹介が自然の流れだろうが、生憎とやることもいっぱいだ。

 とりあえず部屋に届いていたオレの荷物が2つある個室の1つに入れられていたので荷解きをしつつ間取りなどをチェック。

 2032年にもなると学生寮とはいえ便利な機器が色々と初期搭載されていて生活には全く困りそうにない。

 セキュリティーも電子管理が大体だ。今の時代で機械音痴は致命的だからな。

 親父のように前時代的に苦手だなんだと言ってられない。使えないと生きられないのだから。

 とにもかくにも割と最先端な寮の設備に感心しつつ、荷解きもあらかた終わったので次は現地調達できる生活用品の買い出しに出掛けることにする。

 母さんも学園島とその周辺の確認は買い物しながらが一番楽だと言ってたし、何事も同時にこなす効率重視な行動は武偵に必要なスキル。

 今や買い物と言えばネット販売が4割を占めるが、オレや母さん、親父や妹も現物を見て判断する性格からネット購入はあまりしない。特に自分の命を預けるものに関しては慎重さが増す。

 まぁ今回は生活用品だけだし慎重になる必要はないが、ついでのついででウェポンショップでも見て品揃えを確認してくるか。

 それらを考えながら台場に行くモノレールの駅まで行くと、なんともタイミング悪く改札で分かれた妹と遭遇。

 行動目的からして行き先は同じっぽいからこの際、鉢合わせたのは仕方ないと諦めるが、双子の兄妹とわかると面倒だし、すでに友達らしき女子2人を連れて話をしているところに割り込むKYでもない。向こうも向こうでオレなど存在しないかのごとく無視してるから対応は間違ってないだろう。

 そんな妹と一緒のモノレールに乗って移動するオレだったが、やはり視界に入ると気になるので怪しまれないレベルで妹の様子を見ていると、まぁ猫被ってキャッキャウフフと会話をお楽しみ中。

 あれは相手の様子をうかがう時の妹の習性だが、周囲に溶け込むのが早く上手い。これは悔しいが母さん譲りで才能だ。オレにはできない。

 代わりにオレは風景に溶け込むのが上手いわけだが、こっちは親父譲りで好きじゃないし、妹はそっちに向いてない。諜報科を専攻してるくせにだ。

 その最な理由は……あまり自慢したくないが、ああして友達と並んでも妹は頭ひとつ抜けて可愛い。

 認めたくないがおそらくは男子の3人に1人は好きになるタイプのガッチリ可愛い系の妹は、両親のを足したような黒ずんだ金髪のオレとは違い、ツーサイドアップの長い黒髪が綺麗で親父にも褒められた過去から手入れは異常なほど。身長も可愛いの範疇の150センチ前半だし、胸も最近Dになったとかで何故か母さんが喜んでたな。

 しかしながら残念なことに当の本人はこっちが引くレベルのファザコンで男にほとんど興味がない。モテるのに男性経験なし。

 今も『世界的犯罪者』を逮捕した過去のある自慢の親父の話を情報を極力伏せながら話していて、その顔が素になってふやけている。

 このファザコンを治すためにわざわざ親元を離れたのに効果ない気がして頭が痛い。

 オレもオレでマザコンとか言われてるが、妹ほど重症じゃないのに道連れにされたわけだ。

 暇潰しの妹観察をしていたら、どうやら気配が漏れた瞬間があるらしく妹の友達2人がこっちをチラッと見てからヒソヒソと妹に小言しているのが見えてマズイと思う。いっけね、これじゃ探偵科でE評価貰いかねない失態だ。

 初歩的なミスを反省しつつも同じ武偵高生徒だからか警戒するというよりは誰が見られていたのかの話のようだが、その話に妹はこちらにわかるようにあからさまな口の動きで『あんな人知らない』ときたもんだ。

 あっちが完全に他人のフリをするので、モノレールが台場で停車し妹達が降りていくのを見て台場で買い物をと思っていたが、急遽予定を変更して台場から港区の方へと方向転換。バスに乗り継いでレインボーブリッジを渡って手頃なデパートを目指して移動した。

 1時間程度かけて思いつく限りで必要な日用品を買ったオレは日も傾いてきた頃に再びバスに乗り学園島へと戻るためレインボーブリッジを移動しようとしたのだが、なんかレインボーブリッジに交通規制がかかって渡れなくなっている。規制というか、緊急事態でレインボーブリッジを渡れない感じだ。

 それを敏感に察したオレはバスを降りて走ってレインボーブリッジの端の方まで行ってみると、ちょうど真ん中の辺りで黒煙が上がっていて車が何台か横転しているのが見える。

 事故かと一瞬思ったが、次には聞き慣れた拳銃の発砲音が響きただの事故じゃないことを理解しスマホを取り出す。

 すると速報の方で護送車が襲撃され犯罪者が武器を持って抵抗中とあり、よくもまぁ天下の武偵高がすぐ下にある中で暴れたもんだと呆れる。

 事件発生からまだ10分とかかってないっぽいので武偵の姿はほとんどないが、こうした事件は学校の通知メールで報告はあると思うので制圧隊が到着するのもすぐだとは思うが、速報には嫌なことに騒ぎに巻き込まれた人質がいるとかあるので強襲だけでは危険だ。

 そこでオレはまだ台場にいるだろう妹に連絡。しようとしたら向こうからかかってきたのですぐに電話に出れば、向こうも向こうで反対側の端に来ているみたいで指示する手間が省けた。

 

「わかってると思うが、まずは状況確認」

 

『誰に物を言ってるつもり? こっちは丁度Sランクが1人近くにいたからそっちとも連携するけど、そっちはアンタだけ? 頼りなっ』

 

「黙れ愚妹。不安要素はお前の方が大きいだろうが」

 

 生意気な妹の覇気のある声にはらしさがあったが、向こう側にはどうやらSランク武偵がいるようで強襲に乗り出るような雰囲気を察した。

 とにかく向こう側との挟撃ができるとわかったので橋へと1歩乗り出してみると、同じように前へと出てきた武偵高生がいて、これも同様にスマホを片手に誰かと通話中らしくほぼ同時に顔を横に向けてご対面。

 その瞬間、オレは持っていたスマホを落としそうになってしまうが、ギリギリでそれを防いで武偵高のセーラー服を着た雰囲気上級生の超絶美人を凝視する。

 もうあれだ。妹などガキにしか見えないレベルの美人。すれ違う男が全員振り返るであろう絶世の美女武偵は、長い黒髪を三つ編みにして黒のストッキングを履いていた。

 

「あなた1年生? 緊急事態にも臆さずに前へ出るなんて度胸があるのか、それともただのおバカさんかしら?」

 

 呆然とするオレに対して非常に落ち着いた口調でそう問いかけてきた先輩らしい美女武偵は、オレの答えを待っているのか顔を見て首を傾げるので、なんとか思考を取り戻したオレは気を引き締め直してその問いに答える。

 

「この程度の事件なら欧州で何度も解決してましたので」

 

「あら、あなた留学生? その言葉が真実なら、頼りにしちゃおうかな。いちおう私は3年の先輩でSランクだから、指示とかしちゃうけどいいよね?」

 

「こっちにもSランクが来たか……」

 

『ちょっと兄貴! Sランクがどうしたって?』

 

 ずいぶん余裕あるなとは思ったが、この美女武偵もSランクみたいなので思わず声に出てしまうが、スマホ越しの妹がうるさいのでそちらに黙ってるように言っておく。

 

「私はカナ。いま向こう側に従弟もいるのだけど、あの子喧嘩っ早いからもうすぐ突っ込んじゃうと思うの。だから私達もすぐに行きましょうか。えっと……」

 

「あっ、(さく)です。探偵科ですが強襲もそこそこ。ご指示の方よろしくお願いします、カナ先輩」

 

 状況は緊迫しているのに何故かこの人、カナさんがいると本当に緊迫しているのか微妙な感じになるが、スマホを仕舞ったカナさんは向こうにいるとかいう喧嘩好きな従弟が動くからと言って自己紹介の後はまっすぐに橋の真ん中へと走り出していったので、オレもそれに続いて懐からワルサーP99を抜いておいた。セーフティーは、状況次第だな。

 現場には横転・炎上した車がいくつかあり、護送車を運転していたと思われる警察2人も車を盾にして踏み留まっていたが、何ぶん犯罪者側の人数が8人に全員が武装とあって手が出ないようだ。それに加えて一般人の人質が1人。腕を極められる形で拘束されている。

 

「咲、あなたは人質の救出(セーブ)をお願い。周りの無力化は私達でやるから」

 

 その様子を見て臆する様子も見せないカナさんは銃を抜きすらせずにオレに指示を出すのだが、主武器(メインウェポン)は何なんだ?

 その疑問を解決する前に確認の問いかけをしてきたカナさんに慌てて了解すると、近付いてきたオレ達に気付いた犯罪者達が一斉にオレ達を見て手に持つアサルトライフルを向けてくるが、まだギリギリ有効射程外。撃たれてもどうにでもなる。

 

「一応言っておくのだけど、無駄な抵抗はやめて降伏しなさい。これはあなた達のために言っています」

 

 その有効射程外で立ち止まったカナさんは、最後通告のように犯罪者達に説得を試みるが、一斉に笑った犯罪者達はバカバカしいとばかりに態度を変えなかった。

 まぁこっちは見て2人しかいないし強がってるようにしか見えないんだろう。

 だがカナさんのこの問いかけもここに留まった理由もオレはすぐに気付いた。

 そうしてオレ達に注意を向けている隙に、後方から接近する妹と従弟さんを強襲させるため。

 だからオレも2人の影が思わぬところから接近してるのに気付きつつ人質との距離と救出ルートを決定する。まぁ6秒あれば問題なさそうだ。

 レインボーブリッジの両サイドにある主塔。塔高は最大126メートルにもなるその主塔にかかるワイヤーを両サイドから弾丸のごとく駆け上がる影は、主塔へと到達すると勢いを殺すことなく今度はこちら側へと飛び降りてきて、その手にはワイヤーが持たれていて主塔へと伸びる太いワイヤーへ引っかけてターザンのように強襲。

 カナさんの視線の引きつけと予想外のところからの奇襲によって犯罪者達はその2人の接近に気付くことなく、後ろからワルサーP99を抜いた妹が正確無比な射撃で犯罪者達の持つアサルトライフルを撃ち抜き弾くと、同じようにターザンしてきたカナさんの従弟らしい男子生徒と近くの奴にダイブキックをかまして着地。

 その蹴りで2人を吹き飛ばし、さらに巻き込む形で2人を押し倒すと、

 

「ははッ! 俺に合わせられる女で良かったぜ!」

 

「そっちもね!」

 

 何やら直前に挑発でもし合っていたのか互いに声がけしていたが、今の強襲で犯罪者達の注意はあの2人へと向いたので、その隙を見逃さずに飛び出したオレは最短距離で人質の元へと迫って拘束する犯人のアサルトライフルを持つ手をワルサーのグリップで叩き落として、その手の肘を振り上げて顎を一閃。

 一瞬で意識を奪うと持っていたワルサーを投げて人質をお姫様抱っこし離脱。

 投げたワルサーは空中で妹がしっかりキャッチし母さんの面影を感じる2丁拳銃で犯人達の太ももを容赦なく撃ち抜いていく。

 相変わらずの隠密行動の下手さだが、これで親父をリスペクトしてるのだから全くもって向いてない。

 妹の現場での目立ち様は今さらなのでもう慣れたが、カナさんの従弟とかいうのもかなりのやり手だ。

 近接戦オンリーだがその動きは一種の嵐と呼べるほど荒々しく凶暴。殴った犯人が数メートルほど吹き飛んでいるのが怖い。

 その2人を見ながらカナさんのところまで撤退したオレは、近くの警官のところへ人質を運んで安全を確保し隠すとカナさんのところへ戻る。

 

「手際がずいぶん良かったけど、探偵科の技じゃないわね。どっちかと言うと……」

 

「…………オレ、『手癖が悪い』んですよね。両親がそうだったんで自然と」

 

 と、呑気に会話をしたところで制圧中の妹達を他所にこちらにアサルトライフルを向けた犯人の1人がいたのでちょっと焦ったが、カナさんは「あらあら」とか言ってマイペース。

 直後、犯人がオレ達に発砲。一瞬で数え切れない銃弾をばら蒔いてきた、はずなのだが、オレ達と犯人の間でキキキキキキキキキンッ!! と連続した金属同士の衝突する音が響き渡ったかと思えば、オレ達まで届く銃弾は1つとしてなく犯人もオレも唖然。ただ1人この状況にノーリアクションのカナさんは、

 

「曲芸なんて言われちゃうけど、お父さんも叔父さんも出来ちゃうのよねこれ」

 

 今のは自分がやったと言ってため息を吐いていた。

 な、何したんだ……アサルトライフルとは違う銃声はしたんだが、抜いてなかったし……謎だ。

 この現象に仰天した犯人も放心気味だったので、先に回復したオレはまた撃たれる前に近付いてパパッと無力化。

 見れば残りの犯人もあと2人でそれも妹と従弟君によって鎮圧終了。強襲からまだ1分と経っていないが迅速性の求められる強襲としてはまあまあといったところ。人数を考慮すれば早いとは思うがな。

 と、鎮圧した現場に気を抜きかけたオレは、自分のワルサーを腿のホルスターに仕舞った妹の背後でうごめく犯人の1人を発見。

 まだ意識があったそいつは腰に挿していた拳銃を抜いて妹を背後から撃とうと構える。

 

(あき)っ!」

 

 それに気付いていない妹に叫びながらオレは一気に妹の元へと駆けて妹を押し飛ばし場所を入れ替わると、同時に犯人の凶弾がオレへと迫る。

 ――クンッ!

 確実に当たって死ぬという軌道で迫った銃弾だったが、オレはその銃弾を無意識で躱すようにその首を曲げて頬を銃弾がかすって通過。

 何が起きたといった顔の犯人を見てオレも驚く反面、散々親父に仕込まれた技術がいま使われたのを理解すると、横からカナさんが「お痛が過ぎたわね」とか言いながら犯人の持つ拳銃を無手の状態からどうやってか撃って弾き、従弟君が容赦なく蹴って気絶させてしまった。

 今度こそ完全に沈黙した現場で一息ついたオレはその場で座り込んでしまったが、次いで吹き飛ばした妹のことを思い出してそちらを見ると、ヤバイ。車の窓ガラスを突き破って頭から突っ込まれてらっしゃる……

 

「さぁぁぁぁああくぅぅううう……」

 

 それを見て逃げ出そうとしたオレに対して、恐ろしいほどの殺気を放つ妹が車から出てきて瞳のハイライトを消しオレを見ると、ワササッ、ゾワワッ、と比喩ではなく現実に髪を逆立ててメドゥーサのように広げ化け物状態になる。

 

「おいこら! 強襲でも使わなかった『それ』をオレに使おうとするな!」

 

「黙れクソ兄貴……パパに褒められた髪に傷が付いたじゃないのよ。これは万死に値する重罪よ……」

 

 マジギレしている妹はオレの言葉など聞く耳持たない様子で15歳の誕生日に親父からプレゼントされた純瑠瑠色金製のロザリオの力を発揮。

 髪を器用に動かし懐から10本のクナイを取り出し持つと、仕舞ったはずのワルサーまで抜いて両手も2丁拳銃に。

 こ、怖い怖い! というか瑠瑠神さん、こんな妹に手を貸さないで!

 今にも暴れ出しそうな妹にどうすることもできないと悟ったオレが本気の逃走を試みようとしたところで、珍しいものでも見るかのように近寄ったカナさんが突然よしよしと妹の頭を撫でる。

 

「このくらいなら洗えば大丈夫よ。それよりもあの子を血祭りにする方があとが大変。血ってなかなか取れないからね」

 

 言ってることはわかるのだが、そのなだめ方は色々とぶっ飛んでる気がしないでもない。

 しかしそれを聞いた妹は目の前の美人に驚いたのか髪の操作もやめて我に返ると、確かにとか言いながら武器を収めてくれるが、オレを見て鬼の形相で睨んできた。

 そうこうしていたら警察の方もやって来て、カナさんと派手なフェイスペインティングしていた従弟君――カナさんが金吾(きんご)と呼んでいた――がそちらの対応をしてくれたので、あとはSランク武偵――どちらも遠山というらしい――に任せてオレと妹は顔を見合って静かにこの場をあとにする。

 その理由は1つ。我が家の家訓にこうあるからだ。

 ――みだりに名乗るべからず。

 警察の事情聴取などを受けると必ず武偵手帳を見せて名乗らねばならないし、顔と名が知れるということは後々に敵を増やすことにも繋がるから。

 

「クソ兄貴」

 

「何だよ」

 

「……ありがと」

 

「……後先考えなくて悪かったな」

 

「それは許したつもりはない」

 

 レインボーブリッジを台場方面に走りながら、そんな会話をしたオレ、峰・咲・リュパン5世と猿飛玲は沈みかけた夕陽を背にガミガミと口喧嘩をしながら、これからお世話になる学園島を目指していったのだった。

 あ、買ってきた物をバスに置いたままだった……また買い物に行かないとか……

 

 

In The Next Generation!!



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番外編~キャラクターエピソード~
Aiming1~Kotori~


 

 人の習慣っていうのは、条件反射に似ている。

 自覚のあるなしは関係なく、染み付いた感覚が自然とそうなるように導いてしまう、人体のちょっとした神秘ですね。

 その習慣に従って、新学期の始まりとなる今日もいつもとほぼ同じ時間に目を覚ました私、橘小鳥は、本日より高校2年生になる。

 

 ようやく馴染んできた1年ぶりの第2女子寮の部屋も、今や私色に染まりまくりで、同居人がいないのを良いことに酷い有り様ですが、め、迷惑とかかかってないしね。

 目覚めは良い方なので、起きてからすぐに顔を洗ってセーラー服へと着替えて朝食の支度に取りかかって、その間に昴も起きて、お行儀悪く室内で育ててるミニトマトを1つつまみ食い。

 まぁ昴用なので別に良いんですけど、あれやったら朝食の用意はしないのがお決まりになりつつあります。

 朝食の後は室内の観葉植物達──リビングにもはや8つの植木鉢があります──と朝のコミュニケーションをしつつの水あげ。

 ようやくこの子達の声も聞こえるようになってきて、この子達の欲しがっている水の量を教えてもらえるようになってからは、植物の奥深さを思い知る毎日。丸々1日、水をあげなくてもいいなんて子もいますしね。

 図鑑なんかに書いてることとちょっと違ったりとあるのは、やっぱり植物にも性格とかがあって、まだ解明できてない部分もあるんだなって。

 

 それらを終えてようやく登校。

 インターンを除いて武偵高で先輩の立場になる今日からは、私も少しだけ周りからナメられないような立ち振舞いをしなきゃとちょっと意気込んで登校したのですが、身の丈に合わない振る舞いはかえって悪目立ちするとかなんとか京夜先輩に言われてしまいそう。というか言われる。

 それを考えたら肩肘張っても仕方ないかなと、結局は登校途中でいつも通りになった私に対しての昴の「やっぱり小鳥は間抜けな顔が合ってる」が突き刺さり、勝てもしないのに飛んで逃げた昴を追いかけて走っていった。

 

「…………またあなたですか」

 

 私を嘲笑うかのように校門で呑気に待っていた昴は非常に腹立たしいですが、私がいなきゃ食住に困るのはあなたの方ですからねぇふふふ。と脅してやれば頭を垂れて謝るので許してあげつつ、息を整えて校舎へと入ろうとしたら、なんでしょうね。デジャヴってやつですね。ええ。

 確か去年もお見かけしました猫さんが私と昴の前に姿を現して、本能的に私の頭の上にまで避難した昴は「相容れない存在だ!」とめっちゃ拒絶してる。

 猫さんの方も何がそんなに気になるのか、昴をじっと見つめて今にも飛びかかってきそうな……というか言ってるそばから飛びかかってきて、去年と同じようなやり取りが始ま──

 

「す、昴は食べ物じゃ……」

 

 ──りそうになって、私はそれではダメだと言葉を切って猫さんの初撃を躱してから、また飛びかかってきそうな猫さんに臨戦態勢を解いてしゃがみこむ。

 それには頭の位置が下がったせいで昴から「ふざけるな小鳥!」とバッシングを受けましたが、その声を気にせずに飛びかかろうとする猫さんに右手を前へとかざして静止を促す。

 

「昴は私の大切な友達なの。だから食べようとするのはやめて」

 

 その手か言葉か、どちらの影響かはわからなかったけど、飛びかかろうとした猫さんは興奮気味だった状態から徐々に落ち着きを取り戻していき、楽しそうにフリフリしていた尻尾もピタリと止まってその場に座り込む。

 わかってくれたのかなと思ったのもつかの間。これでコミュニケーションは取れたっぽくてすぐに猫さんの思ってることが私に伝わってきて、それによると「じゃあなんかちょうだい」とまさかのおねだりをしてくる。

 ずいぶんとまぁ図々しい子ですが、それで昴を食べないでくれるなら安いものかもと思い、昼休みに何かあげることを約束すると、猫さんは「くれなかったら猫パンチするからな」と猫が猫パンチとかいう単語を使ってる違和感ありまくりな言葉を残してどこかへと走っていってしまったのでした。

 

「何をしていたんですか?」

 

 そんな様子を途中から見ていたっぽい幸帆さんが挨拶と一緒に近寄ってきて、周りから見たら珍行動を取っていただろう私に疑問を投げかけてくる。

 

「えっと、昴を食べようとした猫さんと交渉をしてました」

 

「そうなんですね。あの様子だと交渉は上手くいったようですが、猫相手に譲歩するのはどうなのでしょう」

 

「今回限りにしてもらう、予定です……」

 

「あの猫、私の寮の先輩が部屋によく入れてるのを見るので、飼い猫の可能性もありますよ。舌が肥えてたり、甘やかされて育ったのだとしたら、少し面倒かもです」

 

 あまりに普通に会話へと興じる幸帆さんに釣られて私も普通に会話してしまいましたが、去年にこんなことをしていた私を受け入れてくれた人はほぼいなかったことを不意に思い出して、この1年で自分の周囲の環境が劇的に変わったことを実感する。

 それをさらに実感させるように、いつも仲良しのあかりちゃん達も登校してきて、私達を見つけると笑顔で近寄って普通に挨拶してくれる。

 

「…………へへっ」

 

「どうしたの小鳥ちゃん。何か嬉しいことでもあった?」

 

 その普通が嬉しくて、ついつい笑いが溢れてしまい、それに気づいたあかりちゃんにすぐに言及されてしまうけど、なんだか恥ずかしいのでその場は「何でもないよ」と誤魔化してみんなで校舎へと入っていった。

 

 昨日の段階で校内(イントラ)ネットで新しいクラスは発表されていたので、何の力が働いたかは不明ですが、私の友達関係はほぼ全員同じC組で、先にクラスにいた陽菜ちゃんや貴希さん、かなめちゃんともキャッキャと挨拶がてらの会話をする。

 担任が蘭豹先生なのだけが心配ですが、まぁ一般教科の授業を受けるためのクラスでもあるので、合流しやすくなったくらいの感覚でいいのかな。

 

「オラっ、ガキども。早よ教室に入れや。殺すぞッ」

 

 友達との会話は時間を忘れてしまうところですが、初日だからか珍しく時間通りにHRを始めに来た担任の蘭豹先生の登場で終わりを迎え、一応の決まった席はあるものの、すでにみんなが自由に座っていたので、私達も近くに寄って席を固める。

 それからすぐに蘭豹先生の自己紹介があったけど、みんな知ってるし軽い感じで終わって、次いで私達にも恒例ということで自己紹介を促される。

 その最初の指名を受けたのは、教室の1番後ろの廊下側にひっそりと座っていた女子生徒で、パッと見ても見覚えがなかったその女子生徒は伏し目がちながらも、長い黒髪は綺麗で、自己紹介のために立ち上がると身長も170cmはあってモデル体型、かもしれない。

 

「……オランダ出身の、クロメーテル・ベルモンドです……日系人です。よ、よろしく……」

 

 全体的に肌の露出を抑えるようにロングスカートを履いていたりとあって服の内側はハッキリしませんが、美女と呼ぶに相応しい容姿で、さらに声もおしとやかというよりは単に小声なだけにも思えるけど、それがなんか神秘的で、自己紹介を終えても男女問わずにみんながその視線をクロメーテルさんに注いでいた。

 見覚えがないと思ったら転校生ということらしかったので、それならこの教室の反応も頷けると納得しながら、他の人の自己紹介もなんとなくで聞いておく。

 すると私の頭の上で大人しくしていた昴が、何故かずっとクロメーテルさんを見ていたようで、何かを発見したのかその声に耳を傾けてみる。

 それによると「人間って不思議な生き物だよな。男が女の格好しても何も言われないんだから」だそうで、ちょっとなに言ってるかわかんないですね。もうボケちゃったのかな? あなたの平均寿命はまだまだ先よ?

 なーんてことを考えながら昴が今年で6歳になるのを思い出しつつ、改めて昴の言葉を吟味してあげる。一応は親友だしね。

 

「…………男?」

 

 ですが、やっぱり聞き間違いだったのではないかと思って、頭から昴を下ろして机に乗せ、小声でリピートを要求。

 それでもやっぱり昴は「あれ男だってば。人間は鈍いよな」と呆れている様子で、かつて京夜先輩の只者じゃない感を見抜いた昴の言葉にはちょっと信憑性もあって困りますね。

 

「よし、次ぃ!」

 

 あれほどの美人が男とは到底思えないので、蘭豹先生が知らないってこともなさそうだし、転装生(チェンジ)の可能性も考慮して調査くらいはしてみようっと。

 などと考えていたらいつの間にか私の番になっていたようで、反応の鈍い私を蘭豹先生が睨んできて、幸帆さんなんかもアイコンタクトで「早く」と急かしてきたので、慌てて立ち上がった私はテンパりつつも自己紹介。

 

「えっと、はい。橘小鳥です。今年は探偵科に戻ってます。依頼は捜索などが得意です。この昴ともども、よろしくお願いします」

 

 なんか日本人としてカタコトみたいな挨拶になって恥ずかしさ全開でしたが、ペコリと頭を下げた際に昴が頭の上でピョンピョン跳ねて「よろしくな!」といった動きをすると、去年は不思議ちゃんの空気が全開だった自己紹介も和やかな笑いが包み、あかりちゃんなどからは「よろしくね」と温かい言葉が返ってくる。

 これはやっぱり『京夜先輩の戦妹だった』という過去ももちろんですが、私の能力が周囲に認められた証拠、なのかな。だとしたら素直に嬉しいな。

 

 結局LHRは自己紹介が大半を占めて終わってしまい、訪れた休み時間にはさっそく好奇心旺盛なあかりちゃんが志乃さんと鈴木桃子さん? だっけなとクロメーテルさんに突撃していき、男子がそれで二の足を踏んだのをチラ見。

 そっちはそっちで気になるけど、こっちもこっちで話すことがあったので、近寄ってきてくれた幸帆さんと陽菜ちゃんと雑談。

 

「クロメーテルさん、美人だよねぇ」

 

「そうですね。私もさっそく調査依頼がきて、放課後から動くことになりそうです」

 

「さすがは情報科でござる。某も個人的に気になる故、情報の共有を所望したい」

 

「構いませんよ。それとお2人は今年の徒友申請はされる予定があるのですか?」

 

「幸帆さんは申請が遅かったからまだジャンヌ先輩の戦妹でいられるんだよね。私は今のところ予定はないけど、陽菜ちゃんは京夜先輩に申し込むとか言ってなかった?」

 

 まずは話題のクロメーテルさんについてを軽く話してから、会話はすぐに徒友制度へと変わり、今年の申請予定は今のところはない私とは違って、3月の頭から京夜先輩の戦妹になりたいとぼんやり言っていた陽菜ちゃんに振ってみる。

 しかし何やら振られて微妙な表情──口当てしてるから目くらいでしか判断できないけど──をしたので、2人してどうしたのかと問いかけてしまうけど、何も知らない私達が意外だったのか、今度はビックリした表情へと変わる。

 

「お2人ともまだ知らぬでござるか? 猿飛殿は今朝より交換留学という名の修行のため、倫敦(ロンドン)へと旅立ったでござるよ。それ故、某も今年の徒友申請は保留中にござる」

 

「「…………えっ?」」

 

 自分よりも私達が京夜先輩の近くにいると確信していた陽菜ちゃんは、すでに知っていることだと本当に思っていたからこそ、言われるまで言わなかったのだろうけど、それをいま知った私と幸帆さんは揃って驚いて顔を見合ってしまった。

 

「き、昨日までそんな素振りも見せてなかった、よね?」

 

「京様は昔からそういうところでボロは出さないですから……」

 

「でも何で黙って行ったり……」

 

「……留学は個人的なことですから。それに武偵として掴んでいるべき情報でもあったと言われている気がします。現に陽菜さんは知るところであって、私達が未熟だっただけの話、ですね」

 

 昨日の誕生日会でもいつも通りだっただけに、突然の留学には驚いて整理ができないまま話しちゃいましたが、動揺しつつも冷静になっていった幸帆さんは自分達の未熟さを認めて仕方がないことだと納得しようとする。

 それでも好きな人が何も言わずに遠くに行ってしまったショックはあるようで、その表情は悔しさと一緒に寂しさも滲み出ていた。

 

 放課後。

 私は幸帆さんのようにすぐには割り切れず、なんとなく無駄なあがきをするために京夜先輩の留学を知っていただろう人物に強襲。

 それを1番に知っていそうな……というか知らないはずがない人、理子先輩が同じ学科ということもあってすぐに捕まり、その辺のことを問いただすとめちゃくちゃ軽い感じで──

 

「もちろん知ってたであります!」

 

 ──なんか挑発するように敬礼しながら笑顔で言われてしまいました。

 これには先輩と言えどちょっと殴りたい衝動に駆られてしまいましたが、すぐに敬礼をやめてちょっと真面目な雰囲気を醸し出した理子先輩の気配に臆して言葉が出なくなる。

 

「……だから言ったんだよ? のんびりしてたらキョーやんが遠くに行っちゃうかもって。後悔は先に立たないって」

 

 そこに叩きつけられたのは、バレンタインの少し前に理子先輩が不意に言っていた言葉。

 あの時はそんなことが起きるわけがないと思っていましたが、今にして思えばあれは理子先輩からのヒントであり、その時から京夜先輩の留学の話はあったことがわかる。

 

「まっ、キョーやんの留学を知ってたのは理子含めても両手の指で数えるくらいだし、今朝の見送りは理子とジャンヌとアリアだけだから、キョーやんの隠したがりなところを怒ってもいいと思うんですよ、ええ」

 

「お見送りに行ったんですね……な、何か特別なこととかしてない、ですよね?」

 

「んん? なになに? 具体的にはどんなことかな? 握手ぅ? ハグぅ? そ・れ・と・も、キッスぅ、とかぁ?」

 

「ち、違いますぅ! 違わないけど、違いますぅ!」

 

「いやいやどっちやねーん!」

 

 それで私が悔しそうな表情をしたもんだから、気を遣ってくれただろう理子先輩が京夜先輩をディスりますが、自分語りをしないのは武偵の基本ですし、それを思えば当たり前。

 その辺で能天気に構えていた私がどうこう言えるわけもないので、チャンスを掴めなかったということに納得しつつ、抜け目なく見送りに行った理子先輩が抜け駆けとかしてないかを探るも、逆に余裕ある返しをされて私が慌てる羽目になってしまった。

 ここでも未熟さが露呈して残念極まりなかったものの、そうやって理子先輩が余裕たっぷりってことは本気で何か特別なことはしてない可能性は高い。

 何か。キ、キスとかしたなら、たぶんだけどもうちょっと曖昧な感じで答えていたと思うし。理子先輩って意外と嬉しい感情では嘘をつかないから。

 

「それよりも理子先輩はよく知ってて留学に行かせましたね。てっきり反対運動でもしてるのかと」

 

「にゃはは。まぁ反対したい気持ちがなかったって言ったら嘘になるけど、キョーやんだってちゃんと考えて行くことを決めてたし、理子的に『当たり前の日常』がない間に考えたいこともあったからねぇ」

 

「当たり前の日常、ですか。私もようやく放課後に京夜先輩のお部屋に帰ろうとする癖が抜けましたけど、当たり前ではなくなって見えてくるものもありますかね」

 

「違和感はハンパないよねぇ。それでも当たり前を大切にするための時間だから、理子も立ち止まってらんないよ。京夜は言ったって待っててくれないし、置いてかれたくないから」

 

「まぁ現実的に置いていかれてはいますけど」

 

「それは言うなし!」

 

 理子先輩が言わんとしてることは、多少ふざけられてはいても理解できる。

 京夜先輩だって遊びに行くためにロンドンになんて行きませんし、色んな環境に自分を放り込むのは、東京武偵高っていう小さなコミュニティーに慣れるのを防ぐ有効的な手段とも言える。

 それが成長に繋がらないなんてことは絶対にないし、戻ってきた時に実力の差を肌で感じたりするのは、同じ武偵として少なからず衝撃は受けると思うしね。

 私なんて現状でも圧倒的な実力差を京夜先輩から感じてるのに、留学から戻ってきて手の届かない存在にでもなられていたら、きっと秘めた想いすら伝える前に握り潰しちゃうかも。

 

「あの、理子先輩がよければですが、たまにでいいので共同で依頼をこなしたりとかできませんか? 同じ学科の先輩として尊敬してますし、京夜先輩からは学べなかったこともあると思いますから」

 

「ほほぅ。ここで戦妹になりたいって言わなかったのは、理子に少なからずライバル意識があるからってことかにゃ? その上で盗めるものは盗むって? ことりんもなかなか強かになったもんだ」

 

「いえ、そこまで深い考えは……」

 

 だからそうならないように私も日々の努力を怠ってはならないんだと決意して、その1歩として目の前の先輩から学べるものは学ぼうと積極的に関わろうとしたら、なんか深読みされてしまったけど、無意識でそういう対抗心が働いた可能性は否定できない。

 そんな私が謙遜していたら、両肩をドンドン叩いて「そうだよねぇアハハー!」とか笑われてしまって、肩も撫で肩になりそうなくらいに沈む。痛いんですけど……

 でもそれをやめて「気が向いたら声をかけてあげる」と好意的な返事をした理子先輩は、用事でもあるのかそれを最後の会話としてスッと耳元に顔を寄せてきて、今までの理子先輩が虚像であったかのような妖艶で少し怖い声色で呟いてくる。

 

Les chatons deviennent des adultes?(子猫は大人になれるかな?)

 

 発音からして英語ではなく、フランス語とかスペイン語のように聞こえたけど、なんて言ったのかはどのみちわからず、すぐに離れて「ばいばいきーん!」などと言って走っていってしまった理子先輩を追いかける隙も与えられず、その場に立ち尽くすしかなかったのだった。

 

 最後に理子先輩になんて言われたのか物凄く気になりながらも帰宅した私は、リビングのソファーにドカッと腰を下ろしてから天井を見上げて、漠然としていた将来の武偵の姿を考える。

 ただがむしゃらに頑張っても身に付けるべき能力も何もかもが散らかってしまうのを去年に学ぶことができた。

 だからこそ、まっすぐに進む京夜先輩のように目指すべきものはハッキリとさせ、そのために必要な能力と補うべき部分を見定める。

 

「お母さんとお父さんの良いとこ取りの武偵、なんていうのはハードル高いのかなぁ」

 

 その辺で昔からブレてはいなかったので、両親の背中を思い浮かべて、追い付くだけでなく追い越すつもりの目標を定めると、聞いていた昴から「英理と吉鷹より凄いのとか無理だろ」と容赦ない言葉が飛んできて泣きそうになる。

 それでも憧れる両親の背中は今の私を支える大切な目標だし、そのためにどうするべきかを京夜先輩が教えてくれたのだ。

 そして決意を新たにソファーを立った私は、自室に封印していた禁忌の書を手に取って、それを机で広げて目を通してやる。

 そう。外国語の学習本を!



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Aiming2~Yukine~

 ──真田十勇士。

 かつて真田に仕えた10人の忠臣。

 戦国の世の真田信繁に仕えた10人が広く世の中に知られるところだけど、その後の彼、彼女らの子孫がどうなったかを公の歴史は語っていない。

 

「猿飛……霧隠……根津に……由利。時代ってのは残酷よね。離れてしまえば否が応でも疎遠になっていく」

 

 語られない歴史は多く、むしろ公に語られている歴史こそが全体で見れば極一部でしかないのは言うまでもないし、そうした語られない歴史を生きてきたのが私達ってこと。

 

 2010年4月末。

 霧原の家からの極秘の要請に応じて動き出して、ひと月ほどが経った今日この頃。

 極秘ながらも可能な限りの人脈を使って動いている霧原勇志君の捜索は、今のところ何も掴めていない。

 まぁそもそも動けるような人員っていうのが片手の指で数える程度なこともあるし、公安が伏せてるような案件を比較的一般人の私とかがどうこうしようって方が無理な話なわけで。

 一般人というには人間的にちょっと普通じゃないけど、私にも今の仕事があるし、果報は寝て待て。焦っても仕方がない。

 

 そんなこんなで久々にちゃんとお休みをもらって朝からのんびり過ごしていた私は、この間に使ったばかりの連絡手帳を見ながら、500年という月日の経過を実感していた。

 江戸時代の終わりと共に散り散りとなった真田十勇士は、猿飛は今もそばにいてくれているけど、霧隠は霧原と名を変えていたり、穴山の血は100年ほど前に絶えてしまったと聞いていたりと、その繋がりはずいぶんと希薄で細いものとなってしまった。

 現在で真田と親交がある家は猿飛と霧原、根津と由利のみとなってしまっていて、連絡をしてみたところによると、根津の家も由利の家も当代では武偵や警察などといった武力や権力とは縁遠い仕事をしていた。

 

「まぁ家も迷走してた過去があるし、厳格だけじゃ食っていけないのよね……」

 

 でもそうして生業が変化するのも時代の流れ。

 真田でさえ明治の初めまでは料亭をやっていたり、今では対外貿易なんてことをやっているのだから、京夜や勇志君のように代々の技を活かす職業に就けるのは幸運とも言える。

 そんな今の普通に生きている根津や由利の家に厄介事は持ち込みたくないので、結局は霧原の家の旧知である百地の旦那や京夜といった少数しか動けていないのは残念ではあるけど、心強さなら少ない人数を補えるくらいかな。

 1つだけ問題があるとするなら、その心強い2人ともが現在進行形で日本にいないということ。

 

「…………通話料がかかるのよ……バカぁ……」

 

 京夜はこの春からロンドンに留学しに行っちゃって、今はたぶん、メヌエットちゃんと仲良くお茶でもしてるんじゃないでしょうかね。時差的にあっちはいま深夜だけど。

 百地の旦那も今の居住はフランスのリヨンだって言うし、霧原の家から教えてもらった連絡先を使うこともできるけど、初回の連絡以降、こっちから連絡するのは正直なところ嫌だ。

 世界で活躍する人脈っていうのは貴重で頼りになるものだけど、こういう小さなところから不便さは拭えないもので、世界の広さが憎い時もある。

 

 そういえば先月には土御門陽陰の天地式神についてを武偵庁が根掘り葉掘り尋ねに押し掛けてきて、そのまま日本で敷いてた迎撃体制を引き継がれちゃって、私の武偵としての最後の仕事を奪われたけど、まぁそれは京夜達が頑張ったおかげだし、私より大きな力が動いたんだから、感謝すべきところなんだろうなぁ。少し寂しくもあるけど。

 実際問題、私の武偵免許も金一の働きかけでまだ有効にはなってたけど、いつまでもってわけにはいかなかったし、ちょうど良かったのかな。

 

「…………休みのうちに行っておくか……」

 

 そんなことを思い出したせいで、もう所持してるには無駄になりそうな武偵免許を失効してもらうために武偵庁へ足を伸ばす案が浮かび、面倒なことは後回しが基本な私としては足が重かったけど、金一から「いい加減にしろ」とか連絡されるのも嫌だから行きますよ、ええ。

 そうそう。金一と言えばパトラと婚約したのよねぇ。

 式とか披露宴とかやるのか知らないけど、お呼ばれしても行けない可能性の方が高いし、結婚祝いくらいは準備しておこうかな。

 武偵庁への道中では眞弓達のおかげで治安が物凄く良くなった実感を感じ……るなんてこともなかなかわからないものだけど、見ている限りでは何事もない市内で金一とパトラのことを考えて思わず笑ってしまう。

 あの2人はイ・ウーにいた頃から仲良かったり喧嘩したりと色々あったから、ようやく落ち着いてくれたなって感じ。

 カナの時は何故か恋バナしてたりで謎めいた関係だったわけだけど、今もまさか夜な夜なカナと何かしてたりするんじゃ……

 元々が男嫌いの気があるパトラだから冗談とも言い切れない話なのがまた生々しいけど、本人達が幸せなら、まぁ、いいのか、な?

 

 なんだかんだで良い夫婦としてやっていけそうな2人の幸せくらいは願いつつ、私もそろそろ彼氏の1人くらいできないもんかねぇと真面目な悩みを抱いてしまったが運の尽き。

 別に行き遅れたなんてことはない、まだまだ大人のひよっこな、21歳になる私だけど、知人の婚約と聞くとなんとなく焦りのようなものを覚えてしまうもの。

 そんな中で披露宴とかに行って知人と話す中で言われちゃうわけですよ。

 

『えー、幸音さんは彼氏いないんだぁ。だったらこの披露宴で相手を探してみたら? 案外食いついてくるかもよ?』

 

 まるで私がモテない女のようなそんな扱いは……イヤだぁ!!

 これでも仕事先で「なんて綺麗な女性なんだ。是非とも食事の席で話をしたい」とか言われちゃうくらいにはフェロモンはムンムンなんじゃい!

 ……そうですよはいはい! 社交辞令ですよクソヤロウ!!

 なーんてことを考えて人目を気にせずに1人で地団駄を踏んだりしたもんだから、すれ違った人から危ない人みたいな目で見られて、それに気づいて途端に恥ずかしさで冷静になるけど、マジで恋愛を漫画とか小説でしかしてないのは問題だよねぇ……女としても、超能力者としても……何で私の消費エネルギーはエストロゲンなのか……

 

 なんだか考えてたら嫌になってきたから、思考をポジティブ方向に切り替えて武偵庁に行った後をどうするか迷いながら、もうすぐお昼時なこともあって、以前から食べたかったものがある飲食店を頭の中にいくつも浮かべて周辺マップでの移動ルートと時間効率も同時に考える。

 そうした効率も考えてしまうのは眞弓の影響だと思うけど、あの超人武偵がいてくれたから、私も武偵高時代にイ・ウーへの潜入を決意できたから、本人には口が裂けても言わないけど、感謝はしてる。

 眞弓がいなかったらたぶん、私は一時的にでも京夜との縁を切ることができなかったし、私がいなくなった後に混乱してしまっただろう京夜を任せられると思えなかった。

 その辺は愛菜にも期待してたけど、眞弓と愛菜を含めて月華美迅にはこれからも贔屓にしてあげないとか。

 

 そうこう考えていたらお腹の虫が鳴っちゃって、結構ガッツリ食べていこうかなと思い立った矢先。

 武偵庁のある道とは反対方向の道の視界の端に不穏な気配を感じて、分岐する道で足を止めてそちらに目を凝らして見てみる。

 遠くからではよくわからなかったけど、周囲の人の様子が慌てていたり、怯えていたりとあり、緊急性があると踏んで近寄ってみると、本当に緊急事態。

 何がどうなってそうなったのかはわからないけど、真っ昼間の道端で携帯式の折り畳みナイフを持った中年の男が、まだ小学校に上がってるかどうかも怪しい──時間帯的に小学生ではないか──小さな女の子を拘束してその首筋にナイフを突きつけていた。

 

「せ……っと」

 

 周囲の緊張した様子とは裏腹に、こうした状況で冷静になれる訓練を受けてきた私は、瞬時に人質の解放に動こうと誠夜に声をかけようとしてやめる。

 今日は世間一般では平日。誠夜も学業はおろそかにできないので今は普通に学校に行っていていない。

 そうした反射的な呼びかけが浸透するほどには誠夜との関係も良くなったのはいいけど、肝心な時にいないのはどうなのよ。

 

「……さて、どうするかな」

 

 そんな社会へのツッコミはやめておいて、現実的に事件の解決に乗り出すために思考を巡らせると、犯人側が何やら勝手に主張を始めてくれたので、穏便に解決できるならとそれに耳を傾ける。

 それによると男は今朝方、15年勤めてきた会社からリストラされて、明日からの仕事もなくなって自暴自棄になって事件を起こし、ニュースになれば社名を公言して公共の電波で会社を貶し、復讐をしようとしてるらしい。

 なんとも身勝手な話だとは思うけど、事はそう悠長に構えていられないのもわかってくる。

 男はどうあれ今、かなりの興奮状態で、人質なんてまだ本当に小さな女の子。

 その顔を見れば泣くなとでも言われたからか我慢はしているけど、もう心的外傷後ストレス障害(PTSD)になってもおかしくないほどに恐怖でひきつってしまっている。

 武偵や警察の到着はすぐだろうけど、それまでに犯人が少女を傷つけないとも限らないし、素人が下手に飛び出して事態を悪化させる可能性だってある、いわゆる「どうにかなりそうな緊張感」が漂っている。

 それは犯人がナイフの扱いに素人臭さがあったり、出で立ちに隙があったりで漂う空気なので、素人同士の衝突ほど怖いことはない。

 

 そうした事態が連鎖的に起きる前に事を収めようと前に出かけた私は、その前に犯人の前へと出ようとする、少女とほとんど歳の変わらなさそうな少年が目に入り、それを止める母親と思われる女性が、どことなく人質の少女に似ていることから、3人の関係がおおよそわかる。

 親子。少女と少年のどちらが上かはわからないけど、人質にされた少女を助けようと少年は勇気を振り絞って飛び出そうとした。

 それを見た私は、犯人の方ではなく、その親子の方向へと歩み寄っていき、制止を振りほどこうとする少年の前にしゃがんでその顔をまっすぐに見て、少年もまたピタリと動きを止めて割り込んできた私をまっすぐに見てくる。

 

「あの子はあなたの妹?」

 

「……お姉ちゃん。でもお姉ちゃん泣き虫だから、俺が助けないと」

 

「そっか。君はとっても大事なものを持ってるね。誰もが持てるわけじゃない『勇気』って大事なものを」

 

 事は刻一刻と悪化している空気はあるけど、この少年を無視できなかった私がそうやって語りかけると、少年はまだ何を言ってるかを完全には理解できていなかったようだけど、落ち着いてはくれた。

 

「でもその勇気はちゃんと自分も大事にできる人が振り絞らないと、何も助けられないことになるかもしれない。だから君の勇気、お姉さんに貸してくれない?」

 

「勇気を、貸す?」

 

 母親はそうやって少年を褒める状況ではないと険しい顔をしたけど、私だって奮い立たせるために話したわけではないので、すぐに私に任せろといった意味の言葉を繋げ、どうすればいいかわからないといった少年の手を取って、その小さな手を両手で包んでギュッと握る。

 

「ん、これでよし。君の勇気はお姉さんが借りました。だから君はお姉さんを信じてここで待ってて。君はお母さんを守ってあげなきゃだから」

 

 形なんてどうでもよかったけど、少年にもわかりやすく勇気をもらった私は、少年をこの場に留める理由も加えて、それに「わかった」と返事したのを確認してから立ち上がり、大きくなってきた騒ぎの中心へと歩みを進めた。

 

「人質はもっとちゃんと選ぶべきよ」

 

 周囲を威嚇し続ける犯人の意識の隙間を縫うように最前線へと躍り出た私は、突然現れたように見えただろう慌てた犯人に優しく語りかける。

 何か変な挙動があったらすぐに魔眼を使う準備はしていたので、少女の安全は確実なものだったけど、この最前線へと出るタイミングは緊張したなぁ。

 

「その子、もうほとんどあなたの腕力だけで支えられてるくらいには虚脱気味でしょ。これだから突発的な犯行に及ぶ輩は困るのよ。後先をよく考えない」

 

 私の登場で他の人達が飛び出すタイミングを作ってもいけないから、続けざまに周囲にも聞こえるように犯人を煽って逆上させたように見せて緊張感を高め、タイミングを逸することには成功したものの、言葉をその通りに受け取って感情を昂らせた犯人も何をしでかすかわからない状態にまで引き上げてしまう。

 

 あまりに思慮のない私の発言で周囲からふざけんな的な空気がビシビシ伝わって痛いんだけど、私だってちゃんと考えてますぅ。

 煽られて犯人が奇行に及んだとしても、私が最前線へと出た時点でもう解決しているに等しいんだから。

 私の言葉で逆上した犯人がほとんど足手まといになっていた少女に手をかけようとナイフを動かしかけた瞬間。

 私は魔眼で犯人を睨み付けて、その運動エネルギーを1度だけ奪って物理的に止めると、不可思議な停止攻撃を受けた犯人は混乱する1歩手前でそれを行なったと思われる私を見てきた。

 

「ふざけるな!!」

 

 その時には犯人が私に少なからず恐怖を抱いていたのが表情からわかったので、とどめの一喝と一緒に魔眼でその命令伝達神経を麻痺させて一時的に動けなくしてしまう。

 まるでその場で石のようになってしまった自分の体に怯えるばかりの犯人を余所に近寄っていき、その手からナイフを取り上げて、腕から少女を解放して抱き上げると、私に強く抱きついて泣き出してしまった少女を連れて、ちゃんと言う通りに待っててくれた少年と母親の元へと行き下ろしてあげる。

 解放されたことで少女も母親も少年さえもが抱き合って泣くのを見ながら、私が視線を外したことで拘束が解けていた犯人を改めて睨み付けてビクつかせるけど、私は誰も傷つけない。人質も、犯人もね。

 

「リストラさせられたのは同情します。でもその腹いせに他の誰かを巻き込んでも、あなたへの憎しみを抱く人間が現れてしまいます。復讐からは何も前向きなものは生まれない。生まれるのは憎しみの連鎖だけ。その火種をあなたは蒔いてしまった。でも今ならまだ摘める可能性があります。自分がしでかしたことを悔い改めて、あの少女と母親と少年に、精一杯の謝罪を。それが贖罪の第1歩です」

 

 憎しみの連鎖は誰かが止めなければ終わらないもの。

 その連鎖が今回は彼から始まったものだからこそ、私の言葉は心に届いたはずなのだけど、やっぱりリストラされたショックやぶつけようのない怒りは行き場を失って、その矛先が目の前の私へと向けられてしまう。

 喧嘩などしたこともなさそうな、どう見ても素人の拳なんて受けるわけもないけど、あの人が私に向けた憎しみが私で止められるならとそれを受け入れる覚悟でいた。

 

 ──タァン。

 

 しかし私にその拳は届くことなく、目の前で足を抱えて転がった男は、その右足から出血していて、後から聞こえたその銃声で私の遥か後方から放たれたことと、正確無比な狙撃で誰が撃ったかはすぐにわかる。

 

「はいはい、お説教なら別のところでやってもらえますか?」

 

 そして人をかき分けて姿を現したコッテコテの京都弁の眞弓は、倒れていた男に手錠をはめてから足の応急手当をし、やって来た警官に引き渡すと、涼しい顔で私を見てくる。

 

「到着前にほぼ終わらせてもろておおきに」

 

「美味しいところを持っていくのね。でも撃つ必要はなかったんじゃない?」

 

「早紀はんには何かされる前に無力化するよう言っておきましたさかい、賢明な判断やと思いますけど。それとも自分があの男の憎しみを受け止める、とかなんとかかっこエエこと言わはるつもりやぁ、あらへんよねぇ?」

 

「ぬぐっ……」

 

 話しながら私が奪ったナイフを回収する眞弓は、周囲に溶け込んで様子をうかがっていたのか、私の内心を的確に読んで笑みを浮かべてくるけど、こういうところが苦手なのよねぇ……

 

「まぁそこが幸音はんらしいといえばそうやし、人間そう易々と根っこのところは変えられまへんからなぁ。武偵向きな性格かはさておいて、ウチはそういう在り方、嫌いやありまへんえ」

 

 たぶん手柄は月華美迅にいってしまうけど、別に報酬欲しさに動いたわけでもないから私も面倒な事後処理をしてくれるならと眞弓にあとは任せて立ち去ろうとした。

 でも眞弓はそんな私に珍しく褒めるようなそうでないような言葉をかけてから、去り際に後ろを向くように促してきたので、促されるままに振り向くと、そこにはさっきの少年が立っていた。

 

「……ありがと、お姉さん」

 

「……うん。あ、そうだ。君から借りてた勇気を返さなきゃね」

 

 まだ言葉足らずになりがちな少年からの感謝にちょっと照れてしまった私は、誤魔化すようにしてしゃがんでまた少年の手を取って借りていた勇気を返すような素振りをしてみせると、その勇気を返してもらった少年は何か言いたげに私を見るので、その言葉を待ってみる。

 

「お姉さん、ぶていってやつなの?」

 

「……そうよ」

 

「俺もお姉さんみたいにぶていになったら、お姉ちゃんを守れるようになる?」

 

 返してもらった勇気で踏み出すようにして尋ねてきた少年のまっすぐな想いは、とても健気で、しかし強い意思を感じて、同時に目の前の少年とかつての京夜が重なって見えた私は、その純粋な想いに真剣に答える。

 

「その気持ちがあれば、武偵にだって、警察にだってなれるわ。大事なのは、その気持ちを忘れないこと。それさえ忘れなければ、武偵や警察にならなくても、きっとお姉ちゃんを守れるわ。だからそのために強くなりなさい。お姉さんみたいにね」

 

 きっと京夜も、ずっとそんな想いで私を守ってくれていたんだ。

 そう思うと自分がどれほど京夜に助けられてきたのかを実感し、その守られる側にいたからこそ見えていた大きな背中を少年に伝えてあげる。

 その全てが伝わったかはわからないけど、何か決意をしたような表情をした少年は、警察の保護を受けていた母親と少女の元へと走っていってしまい、その先にいた母親には軽く会釈して立ち去ろうとした。

 が、その母親のそばには血縁なのか私と同じくらいの妹か誰かが近寄ってきて、その時に私と目が合う。

 私はピンとは来なかったけど、向こうはそうでもなかったのか、私を見たその女性はハッとした表情で固まってしまい、何かしたかと動揺したところで、その恐怖にも似た表情が記憶の奥底から掘り起こされる。

 彼女は、私の小学生時代の同級生だ。

 それがわかった時、私はかつて魔眼を暴走させてしまったあの頃がフラッシュバックし、私を見るみんなの恐怖の顔を次々と鮮明に思い出させる。

 その中の1つが、今の女性の表情と同じもので、まだあの頃の恐怖を覚えていたのだろうと悟り、反射的にその場を走り去ろうとしたけど、姉であろう少年の母親が言葉をかけて冷静になった女性は、かつての恐怖を拭い去るようにして強い意思を持って私に近づいてきて、

 

「幸音ちゃん、だよね。お姉ちゃんが幸音ちゃんが助けてくれたって……」

 

「……そう、なるけど」

 

「……ありがとう。幸音ちゃんはあの時から変わってないんだね。みんなが困ってたら助けてくれる、みんなのヒーロー」

 

「…………あっ」

 

 昔を思い出すようにして話しかけてくれた女性は、あまりのショックで名前すら思い出せない私とは違ってちゃんと名前を覚えていて、かつての恐怖もあるだろうに、姉とその子供を救ってくれた私に対してそんなことを言ってくれる。

 あまりに予想外な言葉に何も返せなかった私が黙っていたら、あの日以来、口すらきかなかった過去が後ろめたかったからか、逃げるようにしてお辞儀してから立ち去ってしまった女性に、自然と涙が出てしまった私は、それを隠すようにしてお辞儀を返してから、本来の目的地であった武偵庁へと足を伸ばしかけて、やめる。

 

 ──もう少しだけ、正義の味方でいても、いいよね。



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Aiming3~Florence~

 ──女の幸せとは何なのか。

 世の中の女性にこんな質問をしたならば、おそらくは半数以上が結婚や出産などといった子孫繁栄に関わる何らかのことを答えるのだろう。

 それが理解できないほど私もひねくれてはいないし、否定だってするつもりはないが、それを考えた時に私自身が出すべき回答は、今のところない。そんな話だ。

 

 1年365日のほとんどをしっかりとした休みもなく活動し続ける私のライフサイクルは、他人から見れば狂っていると思われても仕方ない。会社ならばブラックもブラック。訴訟すれば余裕で勝ててしまうだろう。

 しかしそれは私自身が望んで投じている状況であり、ロンドン武偵局やリバティー・メイソンはことあるごとに「長期休暇を取ってくれ頼む」などと言う始末。

 さすがに1年もそんな調子だと上の方が泣いてしまうので、4月14日から3日間だけは完全休暇でのんびりすることにしている。

 

 そんな休日の初日はやることが決まっていて、朝から訪れたのは私の母校だったロンドン武偵高。

 訪れるのにはしっかりとした理由があるのだが、今年はどうにも気乗りしない理由も存在し、登校時間から少し遅れて敷地内へと入って、その理由と万にひとつも遭遇してしまわないように校内へと踏み入り、まっすぐに教務科を目指す。

 授業中なこともあって教務科も今は教師がほとんど出払ってしまってガラガラだが、私の入り用には授業はあまり関係ないので、毎年来てることもあってグイグイ奥へと進み、校長室へとノック1つで返事を待たずに入る。

 

「今年は遅かったわね。時間にはうるさいあなたにしては、のんびりしているわ」

 

「10分程度ならば然したる問題もないでしょう、校長」

 

 その校長室には、まぁ当然ながらこのロンドン武偵高の校長がいて、ロンドン武偵高で初の女校長は、小皺と白髪はずいぶんと増えているが、まだまだその身からほとばしる活力は衰えを知らない。

 ──マリアンヌ・ナイチンゲール。

 今年で確か57歳になるはずの彼女は、私が来たことで奥の席から立ち上がって、備え付けのティーセットを取り出して紅茶の準備を始め、私もその招きに応じて備え付けのソファーへと腰を下ろして待つ。

 紅茶にはうるさいマリアンヌ校長はその淹れ方にもこだわりがあるので、私は口出しさえ許されていないため、ただ待つしかないこの時間は手持ち無沙汰になる。

 

「あなたが遅れた理由について、推理してもよくて?」

 

「出来れば遠慮願いたいですね」

 

「あら、あなたがそんなに追及を嫌がるなんて、よっぽどなのね。そんなにあの留学生と顔を合わせたくないなんて思わなかったわ」

 

「…………始めからわかっていたなら確認を取らずとも良かったのでは?」

 

「珍しいあなたが見られて面白かったからじゃ、怒りますか?」

 

 だからマリアンヌ校長も紅茶を淹れながら会話へと興じてくれて、それに応じる形で成立させてみるが、おそらくは私が来る前から遅れた理由についてわかっていたマリアンヌ校長は何故か楽しそうにしていて、お茶菓子と一緒に淹れた紅茶を運んでテーブルに置いてくれ、自らも私の向かい側のソファーに腰を下ろしてまずは紅茶を啜る。

 

「猿飛京夜さん。留学初日に挨拶程度の会話をしましたが、とても良い目をしていました。礼儀も良くて、英語もお上手で。今のところ問題も起こしていません。留学生はカルチャーショックなどで在学生とギクシャクしたりあるものですが、それもなく校長としてとても助かります」

 

「そういう風に見える立ち振舞いをして波風を立てないのがあれのやり方ですよ。周りに溶け込む能力というか、周りに詮索されない能力が秀でているだけで、あれ自身は問題が多々あります」

 

「あなたが男性を嫌うのはいつものことですが、彼に対してのトゲはいつにも増して鋭いですね」

 

 落ち着いての会話になってマリアンヌ校長が切り出してきたのは、私がしたくもない、現在進行形でこの校内で授業を受けているであろうあれの話で、去年の帰国後にうっかり話したのが悪かったか、私との関係を探ってきている節がある。

 この人に対して隠し事はあまりしたくないが、さすがにあれを過去に殺しかけたなどと言えるわけもないので、単に嫌いなだけという態度で示してみせるが、私の奥底を見てくるようなマリアンヌ校長は落ち着いた雰囲気で私を見てくる。

 

「……シャンプーを変えましたね。それも男モノではなく、フローラの香りの女モノ。昔のあなたなら、そんなことをすれば心穏やかではいられなかったでしょうに、今はとても自然体です」

 

「それとこれとは関係ありませんがね」

 

「スキンケアもしっかりとしているように見えますね」

 

 フフフッ。私の言うことなど聞く耳を持ってないようにして笑うマリアンヌ校長がこの上なく不快で、珍しくそれを表情にも出してしまったが、そんな私の表情すらも受け流してしまうマリアンヌ校長は、しかし次には子供を見守る親のような優しい目で私を見て口を開く。

 

「私は素直に嬉しいんですよ。あなたが女として多少なりとも立ち振舞いを気にし始めていることがね。あなたがそうなってしまった原因は、私にありますから」

 

「校長は悪くありません。あなたが道を示してくれなければ、今も私はどこかの施設に隔離されて、狂気に満ちた表情で何かを壊していた」

 

 その優しい目は少し苦手なのだが、私のことを心配してくれているのは痛いほどにわかって素直に受け入れるしかないが、恩人であるマリアンヌ校長が自分を責めるようなことを言うのだけは真っ向から否定する。

 

「それでもですよ。私が武偵の道を示さなくとも、別の誰かがあなたをもっと真っ当な道へと導いたかもしれない。結果論でしかないけど、私はあなたの手が血に染まるのを手伝ってしまった。それを申し訳なく思います」

 

「それ以上あなたが自責の念にかられるのは止めさせてもらいます。私はあなたに感謝こそすれ、恨んだことなど1度としてない。あなたの選択は間違ってなかった。他の誰があなたを責めようと、私自身があなたを肯定する。それは未来永劫、変わることはない」

 

 マリアンヌ・ナイチンゲールは、その名からもわかるように、イギリスが誇る偉人、ナイチンゲールの直系の子孫だ。

 偉大な曾祖母にも負けず劣らずの衛生武偵だった彼女は『人を救う』という一点において妥協はなく、それが叶わなかった時。もしくは自分の意に沿わない結果となった時は、今のように自分のことを責めてから反省し、その後の糧とする。

 

 彼女と私が出会ったのは、私が社会復帰のためのリハビリをしている最中。

 もはや手立てがないと施設の人間が匙を投げる寸前の状況の時にふらりとやってきたマリアンヌ校長は、不気味な笑みを浮かべる私を見ても顔色ひとつ変えずにまっすぐに見つめてきて、施設から渡されたカウンセリング成果を見て提案をしてくれた。

 

 ──普通に生きられないなら、普通から遠いところで生きればいい。

 

 当時の私にとってその言葉は残酷にも思えたが、抑えられない衝動を別のベクトルへと導く必要があると考えたマリアンヌ校長は正しかった。

 

「……あなたを見つけた時。私は柄にもなく神のお導きだと思いました。呪縛に苦しむあなたをなんとしても助けなければと、ただ老いていくだけの私が奮起することを決意したのです。単なる偶然かもしれません。ですが私はあなたのその名が私をあの場所に導いたと思っています。『フローレンス』」

 

「この名は……両親が付けてくれたんです。あなたの曾祖母……フローレンス・ナイチンゲールのような偉大な人間になれるようにと。だから私も運命だと思いました。この名がマリアンヌ校長をたぐり寄せてくれたのだと。だからあなたの言葉を信じて私は武偵、羽鳥フローレンスになることができた」

 

 今の私でさえその選択が最善だと考えるのだから、マリアンヌ校長はあの段階で優れた判断をしていた。

 その後すぐに私と共にロンドン武偵高へと赴任し、以前からあったらしい校長の打診を受けて現在に落ち着いているが、校長の立場でありながら、在学中は親身になって私の指導をしてくれたし、今の男装の案もマリアンヌ校長が発案。

 そうした過程があっての今の私を見てマリアンヌ校長は、今まで語ったことがなかった当時の本音を吐露し、フローレンスという名が導いた今を噛み締める。

 人を殺める血を持つジャック・ザ・リッパーが、人々を救ったナイチンゲールの名を持つなんて、おこがましいにもほどがあると幼いながらに思ったこともあったが、今はこの名を誇りにさえ思える。

 だからこの名が私を踏み留まらせてくれる。断じてあの男のおかげではない。

 

「酷く歪で危ういものではあったけど、今のあなたはどこか安心して見守ることができます。あなたは認めたくないのでしょうけど、留学から戻ってからのあなたは自然な笑顔をいくらか見せてくれるようになりました。そのきっかけをくれたのは、猿飛京夜なのですよね。否定するのは構いませんが、忘れないでください。人は誰かと繋がることで安定していく生き物です。孤独は人を殺してしまう。それがわからないほどあなたは愚かではないと信じていますよ」

 

「今はまだ男を信用などできません。トラウマなどと言うつもりはありませんが、私を女から遠ざけた男に心を開くには、もう少しだけ時間がかかると思います」

 

「時間がかかっても改善しようとするあなたは確実に進歩しています。昔のあなたはそれすらも拒否していたくらいでしたからね」

 

「……もう昔の話はやめましょう。私のことを探っても面白くもなんともないでしょう」

 

「フフッ。そんなこともないのだけど、あなたが嫌ならやめましょう。でもそうなると話題がね……ないのだけど?」

 

「…………私の土産話でよければいくつかしますよ」

 

 そこまで考えたところで、いつまでも律儀に付き合う私を良いことに話が終わらないことで苦笑してしまい、マリアンヌ校長も暇なのかいつまでも話す雰囲気があったので、私から無理矢理に会話を終わらせて別の話題を提供してあげる。

 結局は私がほぼ一方的に土産話を1時間ほどもして満足したマリアンヌ校長は、授業の終わりを告げるチャイムで切り上げて校長の仕事に戻っていき、なんだかんだで一緒にいてストレスがないマリアンヌ校長との時間を満喫した私も、次なる目的地を目指してロンドン武偵高をあとにしていった。

 

 ロンドン東部のホワイトチャペル地区にあるザ・ロイヤル・ロンドン病院。

 かつてジャック・ザ・リッパーの被害者が運び込まれたことがある病院として少し有名だが、何の皮肉か今やここにはその加害者の子孫が入院してしまっている。

 緊急の連絡を受けない限りは私もこの休暇中にしか来ないが、この病院の一室へと赴いた私の目の前には、静かな寝息を立てて眠る両親の姿が変わらずにあった。

 

「…………私は元気だよ」

 

 物言わぬ両親に1人呟いた私の言葉に、当然ながら反応はない。

 それはわかっていてもついやってしまう人の心理に基づく行動だが、そうしたことをして備え付けの椅子に座った私は、この6年の間に1度として目覚めていない事実を噛み締めながら両親の顔を見つめる。

 

 私が人身売買で売られていった後、両親はその自責の念から心中を謀り、不幸中の幸いと言えるのか一命は取り留めて、それからずっと眠り続けているらしい。

 私が両親のことを知ったのは、警察に保護されて割とすぐのことだったが、当時はまだ私も精神的に不安定すぎてそれどころではなく、こうして見舞いに訪れるようになったのは3年前。

 医者によればいつ目覚めても不思議はないが、いつまでも目覚めない可能性もあるといった診断で、あまり期待はしていない。

 期待して裏切られるくらいなら、悲観論で備えていた方が精神的に楽なこともある。

 それは武偵憲章にもある事柄で良くできていると思うが、こうして毎年見舞いに来るのはやはり私の中でまだ何かを期待している表れなのだろう。

 

「……また一緒に暮らせるようになったら、私もこの装いを剥いでみせるよ。そして人並みの1人の女性として幸せを……」

 

 それでも私自身のこれからを語るのが両親の前であることは自然なことだし、思いは口にする方が良いとも言うから、私もそれに倣って色々と言いかけるが、最後まで言うより前にそれを引っ込めて飲み込んでしまう。

 まだ私は、そこまで望めるほどに自分を変えられていない。

 血の呪いは未だに私の中でくすぶっているのが本能的にわかるし、まだ人を殺している自分を俯瞰で見る不思議な悪夢を見ることだってあるほどだ。

 

 そんな私が人並みの幸せなど高望みも甚だしい。

 仮に今の言葉を口にするならば、その時の私はおそらくもう、武偵としては活動をやめてしまっていることだろう。

 そんな自分の姿が想像すらできない今の私では口が裂けても言うことは叶わないなと自虐したところで、いつまでも両親を眺めていても状態が良くなるわけでもないと椅子から立ち上がり、最後に一言だけ「また来るよ」と残して病室を出ていった。

 

 見舞いのあとは少し気持ち的に沈んでしまうので、病院を出る前に受付の看護師さんを軽く口説いて華麗に流されてから病院を出て、普段は全くといっていいほどにしない買い物なんかを敢行しにデパートへと足を伸ばし、防弾性のシャツやら実用性に特化した衣服類を中心に買い漁っていく。

 私の装備は基本的にオーダーメイドが多いので市販品は衣服がせいぜいなものだから、買い物が片寄ってしまうのは仕方ないが、どれもこれも男モノばかりを自然と選んでしまう辺りが笑えない。

 マリアンヌ校長が気づいたように、小さなところから自己暗示を緩めて、少しずつ女性らしさを取り戻していってはいるが、全体で言えばまだ98%くらいは男。

 身に付けるものもまだ全てが男モノで、ブラジャーなどといった下着すら自宅にはないのが本当に仕方ないし、マリアンヌ校長が知れば頭を抱えそうだ。

 それを思えば下見くらいはしておくべきかと、それなりの勇気を持って女性用下着の店に入ってみるが、普段着が男モノなせいで店員さんからも怪しむ気配がうかがえて、なんだか長居するのがはばかられてしまう。

 しかしながら、女性用の下着というのはキラキラしていて眩しいとさえ思えるね。

 口説いた女性のを見ることは多々あるが、自分が身に付けることを考えて見てみる下着は、どうにも気乗りしない。

 結局、試着したいなどと言おうものなら、そっちの趣味の人に見られそうだったので下見だけで店を出てしまったが、今度来る時は女装して……いや違うな。正装……いやこれも言い方がおかしい。

 ……ちゃんとした女性らしい服装で来られればいいなと思いつつ、これ以上の買い物も必要ないとデパートを出て1度帰宅。

 3月辺りにあの男が整理整頓したはずだが、すでに見る影もなく元通りの衣服が散乱する汚部屋へと変貌したところへ買ったものを置いて、適当なところで外食しようかと外へと再び出たのが運の尽き。

 

「…………ちっ」

 

「いい加減にそのあからさまな舌打ちはやめろ」

 

「やめてほしければ私の視界に入らないでもらえるか。君が視界に入るだけで吐き気まで催す私の気持ちになってくれたまえ」

 

「オレは汚物か何かなのか」

 

 日本食は私の中に流れる服部の血が合うのか、ここロンドンでも外食時は割と足が向く選択肢の1つで、今日はそんな気分だったから行ったことのない店を検索して行ってみたら、先に来てカウンター席でラーメンをすすっていた猿飛京夜とばったり会ってしまい、この上なく不快で表情にも表れてしまう。

 向こうも向こうで私が入ってきた瞬間に嫌そうな顔をしたのがまた殴りたくなるが、私は大人だから毒を吐くだけに留めて、不幸なことに隣しか空いてない席に可能な限り離れて座って注文。

 

「まだ授業はあるはずだがね」

 

「わかってて聞いてんのか。例によって依頼の後だよ」

 

 ラーメンを待つ間は暇なので隣のバカに暇潰しで話しかけてやると、ロンドン警視庁の犬として今日も張り切っていたことがわかる。

 呑気にラーメンを食べてるところを見ると依頼自体は簡単なものだったと予測できるが、よりによって私が選んだ店にいなくてもいいだろうに。

 そんな視線のジト目を向けてやると、何もしてないのに隣が不機嫌になるから、ちょっと居づらそうにその食べるスピードを上げる。よしよし、さっさと消えてくれたまえ。

 その様子にちょっとご機嫌になった私は、退散される前に会話に興じる余裕ができ、出来心で話しかけてしまった。

 

「時に数々の女性を泣かせてきた君に質問がある」

 

「自覚はあるがその言い方だと誤解を招くから、恋愛関係じゃないことは理解してろよ」

 

「さして変わりはしないと思うがね。そんな女泣かせな君は、女の幸せは何だと思っている?」

 

「質問の意図がなんなのかわからなくて怖いんだが」

 

「何も企んではいない。答えたまえ」

 

「そんなのは……よくわからん。女としてならそりゃ、好きな男と結ばれて子供を作って家庭を築くとかなのかもな」

 

「はぁ……100人に聞いたら99人が回答しそうな模範だね。さすがだよ君はうん」

 

 質問の意図などと言われて珍しく回答の用意がなく頭が真っ白になって素で返してしまったが、私の質問にありふれた回答をされたことで思考が回復。

 すぐに呆れ顔を披露してやると、仕返しのつもりなのか「だったらお前はどう考えてるんだよ」と質問を返されてしまうと、答えの用意がない私はダメな間を作ってしまう。

 

「……そんなものは千差万別だよ。君には模範ではない回答を期待したんだがね」

 

「逃げたな。でもまぁ結局はそんなもんだとオレも思うぞ。幸せなんて人に押し付けていいもんじゃない。独身だって色んな男に愛されることが幸せだって思う人もいるんだろうし、仕事に生きて死んでいくのが幸せだって人も……って、これだと女とかは関係ないが、女として生まれたからには、女にしか得られない幸せを考える権利くらいは、平等にあるんじゃないか?」

 

 その間でバカにも察せる逃げを披露してしまったが、そこに噛みついてくることなく運良く同調すると、なんかそれらしいことをいきなり言うもんだから困る。

 上手いこと言ったつもりかもしれないが、冷静に考えれば深い意味もない、ありふれた言葉をそれらしく言っただけ。

 漠然とした回答にはまた呆れてしまったが、そんな私の表情にも反応が薄くなったバカは、ラーメンを食べ終えてさっさと席を立って行こうとする。

 

「その権利を放棄するのは自由だがよ。お前にだってその権利ってやつは当然あるんだからな。その辺、諦めたりしたら勿体ないと思うぞ」

 

「わかったようなことを言うなよ。それに私は放棄するなんて一言も言っていない。なぜ話を飛躍するのだ君は。バカなのか? バカなんだねああそうだったよすまなかった」

 

 その去り際に変なことを言うからつい突っかかってしまったが、言われた瞬間に先ほどまでの自分が幸せを考える権利とやらを放棄しかけていたことに気づき、これも珍しく動揺してしまったが、それを悟らせないまま彼を追い出しにかかると、私との会話がストレスなのだろう彼は「はいはい」と投げやりな感じで店を出ていく。

 

「最後に言っておく。校長に迷惑がかかるようなことだけはしてくれるなよ」

 

「あっ? 言われなくてもしねぇよ。厄介事なんてこっちから願い下げだ」

 

「……フッ。それならいい。行きたまえ」

 

 最後の念押しにマリアンヌ校長を困らせるなと忠告して、それを聞いて消えていった彼を目で追うこともなく、カウンター席で1人笑った私は、そんなありふれた彼の言葉で張り詰めていた何かが消えたのを自覚。

 ──幸せを考える権利か。

 それがあっても考える暇も余裕もなかった私にとって、何故か心に響く言葉となったが、気づかせたのがあれなのが気に食わない。

 気に食わないが、私も大人だからね。人並みに感謝はしているよ。

 その考える余裕を与えてくれた君に、少なからずはね。猿飛京夜。

 そうしたことに気づいた今日この頃。その幸せの答えはまだ、私の中にはない。



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Aiming4~Yukiho~

 

 さてさて、どうしたものでしょうか。

 新学期もすでに2週間を経過した今日この頃。

 環境の変化にもだいぶ慣れてきたのはいいのですが、その変化の1つは今も私はちょっと納得がいっていない。

 

「お前はまだ拗ねているのか」

 

「拗ねてません」

 

「あれが自分語りをしないのは今に始まったことではないが、謝罪はあったのだろう? ならばそれで納得しろ。子供じゃないのだから」

 

「だから拗ねてません」

 

 それが表情にも態度にも表れていたのか、放課後の私の部屋で作業中の私と違って、淹れた紅茶が美味しいってだけの理由で入り浸るジャンヌ先輩が優雅な放課後ティータイム中に話しかけてくる。

 そのジャンヌ先輩は私が納得のいっていない案件。京様の留学を知っていて見送りにまで行っていた1人なので、そのジャンヌ先輩から拗ねてるだのと言われるとなんだかムキになってしまって作業も集中を欠く。

 新学期の始まりと一緒にロンドン武偵高へと交換留学していった京様は、そのことを自分からは語ることなく黙って行ってしまい、現在でそれを知っていたと判明しているのは、ジャンヌ先輩と理子先輩。陽菜さんとアリア先輩と姉上だけ。

 ジャンヌ先輩は同じチームだからと教務科から知らされたラッキーなようで、姉上もたまたまジャンヌ先輩から聞き及んだらしい。

 アリア先輩も軽く質問したところ、どうやらロンドンにいる妹、メヌエット女史から「これからしばらく京夜をオモチャにできるのが楽しみで仕方ない」とか言われたらしくて、それで知ったとか。

 そんな3人に対して理子先輩は、留学の話があった段階から怪しんで自力で調べて知った本物。陽菜さんも偶然ではあったようですが知り得たのは実力。

 なので純粋に武偵の能力として留学を知ったのは理子先輩と陽菜さんだけ。

 

「というよりもジャンヌ先輩も報告されずに拗ねたと聞いていますけど」

 

「そんなこともあった気もするが、今はもう納得している」

 

「それは見送りも行ったから言えることです。それすらできずにメールで事後報告になった私の気持ちはジャンヌ先輩にはわからないでしょうね」

 

 京様のことになるとちょっと力が入る都合、留学の一件からずいぶんと掘り下げたところ、姉上辺りから聞いたことをブーメランしてあげますが、やはり留学前と後で知るのでは温度差もあって余裕を崩さない。

 京様からはロンドンに到着後にメールで謝罪と黙っていた理由についても教えられましたが、家族同然の私に対しても武偵気質が強いのはあんまりだと。

 そりゃあ……1人の女性として見られたいって願ったのは私自身で、実際にそうした扱いをしてくれている京様には感謝していますけど、それとこれとは話が……女は理屈じゃないんですよもう!

 なんてわがままなことでもうちょっとだけ駄々をこねていたい私は、困り顔でやれやれといった感じのジャンヌ先輩が言葉に詰まったのを見て冷静になってから謝罪し、切り替えて作業に集中し直しノートパソコンと向き合う。

 

 そういえば京様について調べてわかったことがもう1つ。

 昨年の夏休みから京様の武偵としての評価が一変して以降、小鳥さんがいたので表面化はしていませんでしたが、京様と徒友契約をしたいって人がかなりいたみたいですね。

 現2年生の中でも私が知る限りで12人。探偵科と諜報科の生徒ですが、現1年生は話題性とか選んで将来性を加味してないのか、数は多いですが学科はかなりバラけてしまっていますね。CVRとか何を学ぼうと言うのでしょうか。

 まぁそれも京様が留学してしまったことでお流れになってしまったわけですが、仮に留学しなかったら京様は誰かと徒友契約をしたのかは少し気になるところ。今度メールで聞いてみようかな。

 そんな脱線した考えを浮かべながらノートパソコンで作業をしていると、気になったジャンヌ先輩が画面を覗きに移動してきて、その成果に目を通してくる。

 

「ふむ。レポートとしてはずいぶんまとまっている」

 

「ですがなかなか核心に迫る情報が出てこなくて謎です」

 

 私が何をしているかはすでに知っていたのでジャンヌ先輩も流し読み程度で評価ができていたけど、私的には2週間も経ってこの成果は納得がいかない。

 新学期からのクラスに転校生としてやって来たクロメーテル・ベルモンドさん。

 そのあまりの美貌と武偵高生らしからぬおしとやかさが注目を集めて、初日からファンクラブが結成されたり、彼女の素性を探る依頼があちらこちらで発生したわけです。

 かく言う私もその依頼された1人で、こうして暇を見つけてはクロメーテルさんについて情報収集をしている。

 始めは同じクラスだからとちょっと悠長に構えていたのですが、1週間としないうちに突如として登校しなくなってしまい、蘭豹先生からも「一身上の都合ってやつや。プフフッ」っていう笑う要素もないのに笑って説明されて納得するしかない感じ。

 本人から色々と順を追って話を聞こうとしていた私としては大変によろしくない展開だったので、仕方なく正攻法でネットなどを使って拾える情報を集めてまとめて、私だけしか知り得ない情報の1つでもと粘って現在に至る。

 期限は特に設けられてなくて、情報の中身次第で報酬が変動する感じなので粘らせてもらってるけど、それも今月までかなと。

 

「活動記録もなかったところを見ると、ここに来るまで武偵ではなかったのかもしれんな。フフッ」

 

「何でそこで笑われるんですか? ジャンヌ先輩はクロメーテルさんの話になると最近はそうやって笑いますよね。何か知ってて教えてくれてないみたいな」

 

「さてな。それを探るのもお前の実力だぞ。デジタルもいいが、武偵ならたまには足を使うのもいいかもしれんぞ」

 

「行くアテもなく出歩いても仕方ないと思いますけど……」

 

 なんだかジャンヌ先輩はクロメーテルさんについて重要な何かを知っているようなそうでないような感じはしているのですが、その辺を指摘するとはぐらかされてしまって進展はない。

 そしてずっとノートパソコンとにらめっこをしている私にそんなことを言って外出させようとするジャンヌ先輩に意図があるかはわからないですが、確かにネットからの情報は他の人が大体は収集してしまっているし、手詰まりなことは勘づいていた。

 

「そうなると行ける場所は……」

 

 ジャンヌ先輩に試されているような感覚はありつつも、武偵の基本は足でという基礎も疎かにできないと外へと出てみたはいいですが、行くアテもなくさ迷っても時間の無駄。

 なので寮を出る直前までに目的地を決めてみると、陽菜さんが初日にチラッと話していたことを確かめに行くことにする。

 もうすぐ夕食時の6時ということもあるので、確実にいるだろうと考えてやって来たのは第3男子寮。

 京様が留学してからは1度も来てませんでしたが、目的は京様ではないのでまっすぐ京様の部屋の真下に当たる部屋。遠山キンジ先輩の部屋の前まで来ると、とりあえずチャイムを鳴らしてみる。

 鳴らして割とすぐに玄関の扉を開けて出てきたのは、キンジ先輩の専属メイドらしいリサ先輩で、夕食の支度中だったのかエプロンをつけてのお出迎え。

 

「幸帆様ではありませんか。ようこそいらっしゃいました」

 

「少しだけお邪魔させてもらうだけでいいのですが、遠山先輩は?」

 

「ご主人様は一身上の都合により、しばらくの間お部屋を空けております。ご主人様にご入り用でしたら、私から用件だけでもお伝えしますが」

 

「いえ、遠山先輩がいないのでしたら構いません。用件もお部屋の方にありますから」

 

「よくわかりませんが、お上がりになるだけでしたらどうぞ。ご主人様は寛容なお方ですから、物色などをしなければ大丈夫です」

 

 どうやらキンジ先輩はいないようでなんとなく緊張がほぐれ、ちょっとだけお邪魔させてもらえることになって玄関に入ってみると、リサ先輩の他に2足、別の靴があったので誰か他にいるのかなと勘ぐりつつリビングへと通されると、ソファーでくつろぐアリア先輩がももまんを食べていて、キッチンの方には白雪先輩が。

 

「あれ、ここは男子寮、なはず……ですよね?」

 

「当たり前じゃない。わかりきったことを口にするなんて変な子ね」

 

「アリアは状況を見て出てきた疑問だってことがわからないんだね。いらっしゃい幸帆ちゃん」

 

「お、お邪魔します」

 

 見事なまでの女子率100%なのでつい確認するまでもないことを口にしてしまいましたが、アリア先輩は言葉のままに受け取って答えられ、意図を汲んだ白雪先輩が挨拶ついでにちゃんと理解している旨を伝えてくれる。

 そうしたお2人にどう対応すべきと思考しかけて、リビングをクルッと見回しながらピタリと動きを止めてしまう。

 目的のものがあったからです。

 

「あの、アリア先輩、白雪先輩。この写真って……」

 

 50cm四方ほどの額縁で飾られていた写真には、話題のクロメーテルさんが唾なしの帽子と防寒着を身につけて窓際で座って黄昏れているような様子で写って飾られていて、陽菜さんが言っていたのはこれだと確信。

 まだキンジ先輩と徒友契約が生きていた頃に発見したと陽菜さんは言っていましたが、こうも堂々と飾られていようとは……

 

「アンタ、あかりと同じクラスでしょ。だったら知ってるじゃない。話題のクロメーテルよ」

 

「だからアリアは言葉通りに意味を受け取りすぎ。それはリサちゃんがこっちに来た頃に持ち出してきて廊下の壁に飾ってたみたいなんだけど、キンちゃんがお留守の間にアリアと峰さんが日陰に飾っても仕方ないって」

 

「リサ先輩がですか?」

 

「ご主人様には片付けるように言われましたが、やはり美しいものを飾ると部屋も明るくなりますから」

 

 よくよく見ると写真自体は収集した情報の中で見たことがあるものだったけど、リサ先輩が武偵高に来たのは確か2月の頭とかその辺だったはずなので、それよりも以前に撮られた写真ということになる。

 記憶を辿ってこの写真の出所を引っ張り出してみると、クロメーテルさんの母国のオランダの片田舎だったはず。ブー……ブータン? なんかそんな感じの名前の町だったかな。

 映像記憶としての最新は武偵高でのを除けば、確かアメリカのJ・F・ケネディ空港とイギリスのスタンステッド空港で撮られた目撃写真。

 アップされた時間などからアメリカからイギリスに移動したところを撮られているようですが、SNSなどでは『美しすぎる女性発見!』とか『どこかの国のタレントか!?』などといったコメントでアップされていたし、この写真をアップしたオランダでさえ『深窓の令嬢としか考えられない』みたいなコメントだけで、やはりここに来る前は武偵ではなかったのだろう。

 本人が何もしてないのに遭遇した周りがこれだけ騒ぐのだから、武偵活動なんてしていたらもっと早く世に知れ渡っていたのは確実。それが根拠。

 

「もしかしてリサ先輩はクロメーテルさんとここより前にお会いしたことがありますか? この写真は目撃情報として現状で最も古いですし、偶然見つけたとは思えません」

 

「さて、どうでしょうか。それよりもせっかくいらしたのですから、お夕食をご一緒にいかがですか? 3人より4人の方が食事も楽しいでしょうから」

 

「それでしたらお手伝いしますよ。先輩方に甘えてはいけないので」

 

「ありがとう、幸帆ちゃん。どこかの誰かさんとは大違いね」

 

「あたしを見ながら言わないでよ! 手伝えばいいんでしょ手伝えば! んぎぃぃいい!」

 

 調べたからわかることですが、こうした情報は火が点いた以前の情報はあまり表沙汰になっていないから、こうして額縁に入れて飾る動きが2月の段階であったのは時期的に早い。

 となればクロメーテルさんの話題が表面化していない段階でこんなことができたリサ先輩は、クロメーテルさんと何かしらの接点があるのかもと勘ぐってみる。出身も同じオランダですしね。

 しかし割と正直者なリサ先輩が何故かはぐらかすようなことを言いつつ、話題を脱線させるように私を夕食に誘い、アリア先輩と白雪先輩も巻き込んで言及できない空気にされてしまって、これは何かあるなと思いながら夕食のお手伝いへと乗り出していった。

 

「そういえば遠山先輩って留年したとかなんとか聞いた気が……」

 

 支度を終えて割とすぐに夕食となって、アリア先輩と白雪先輩の口喧嘩が何を種に勃発するかわからない状況下で、仲裁役になる私とリサ先輩がなんとか間に入ってやり過ごしていると、ここがキンジ先輩のお部屋だということを思い出して、ジャンヌ先輩が愚痴っていたことをふと口にしてみる。

 するとそれがいけなかったのか、急に不機嫌になったアリア先輩としくしくと泣き出した白雪先輩に困惑。

 

「あのバカキンジはホントーにどうしようもないわ。どうやったら留学なんてできるのかこっちが知りたいくらいよ」

 

「元はといえばアリアがキンちゃんをあちこち連れ回すから、キンちゃんも忙しくて勉学に身が入らなかったんですぅ」

 

「はぁ? あたしが悪いわけ? ねぇ幸帆。あんたもそう思う?」

 

「わ、私に聞かれても遠山先輩がどのような学校生活を送っていたかはよく知らないので、どう思うも何も……り、リサ先輩はどう思いますか?」

 

「ご主人様は自ら困難な道を選び、それを乗り越えようと頑張っておられます。勇者の道は波乱万丈。山があれば谷もあります」

 

「答えになってないような……」

 

 どうやらキンジ先輩がお2人のトリガーになる確率が高いことが今のでわかって、早々に切り上げるべきと判断したものの、神速のごとく私に飛び火して慌ててリサ先輩にキラーパスを送ると、涼しい顔でまるで聖母のような包容力を以てキンジ先輩の擁護らしきことをして場が鎮圧。

 アリア先輩は「そんな考えてるわけないでしょ」とまだお怒りのようですが、なってしまったものを今さらガミガミ言っても……というか本人に呆れるほどには言ったのだろうから、大きなため息が漏れて食事を再開。

 ですが留年した遠山先輩は学年でも見かけていないので、その辺の処遇はどうなっているのでしょうか。

 

「あの、遠山先輩って今は登校されてるんでしょうか」

 

「それが新学期から全く見かけてないのよ。学校の決まりで変装はしてたはずだけど、探しに2年の教室に行ってみても見つけられなかったし、あのバカキンジを見つけられないとか屈辱だわ。今日だってこうやって張り込んでるのに帰ってきさえしないじゃない」

 

「きっとアリアと会うのが嫌で仕方ないんだね。日頃の行いが出てきちゃったのかな?」

 

「だったら白雪もそうじゃないの。新学期から会ってないんでしょ」

 

「私はSSRの合宿とかで留守にしてただけですぅ。キンちゃん様ならこうやってメールにも反応してくれてますぅ」

 

 この2人の口喧嘩はもう止めるだけ無駄なのかなぁと蚊帳の外から悟りつつ、アリア先輩の言うところによると、どうやらキンジ先輩はそうとわからないように変装をして登校してるみたいですね。

 でもそんなアリア先輩が……私達の学年の全員がわからないほどの変装って、諜報科に向いているのではないでしょうかね。京様でもそんな変装ができるとは思えません。それこそ京奈さんレベルの変装じゃないと……

 ヒートアップするお2人の口喧嘩が微妙に真面目な空気が作りにくいですが、その中でも集中して思考した私は、何故かはわからないですがその変装という単語から引っ掛かりを感じる。

 

 お2人の口喧嘩は終始続いた夕食もリサ先輩の仲裁で手が出るまでのことはなく終わり、後片付けを手伝ってからおいとましようとして、玄関までリサ先輩が来てくれて2人きりになったところで、何やら知ってそうなのでそれとなく探りを入れてみる。

 

「リサ先輩、遠山先輩はもしかして、物凄い変装をして登校していたんじゃないですか?」

 

「具体的にはどのような?」

 

「例えば……女装、とか」

 

「幸帆様は自分なりの推測が確信に変わりつつあるのでしょうね。将来は素晴らしい武偵になれると思います」

 

 今の探りはいくつかのことを判明させるための質問でしたが、話術には長けていそうなリサ先輩がそれに気づかないはずもないのにわざわざ答えてくれたことでわかったことが少なくない。

 その答えを聞いてから男子寮を出た私は、足を使って得られた成果にちょっと気分が良くなる。

 1つ。リサ先輩はキンジ先輩の変装を知っている答え方をした。

 2つ。私の例え話に否定も肯定もしなかった。

 3つ。その上で私の将来性を買ってくれた。

 これらのことから私の推測が間違ってはいないのがわかった。

 あとはそれを確定の情報とする証拠が掴めれば完璧だけど、今は難しいと思う。

 そう考えていた私が部屋に戻ろうと進路を取っていたところ、小鳥さんからメールが届いて新作映画の観賞会を理子先輩の主催でやるとのことでお誘いが。

 断る理由もなかったし、丁度よく第2女子寮への進路変更がタイムロスにならない位置だったので行く旨を伝えて小鳥さんのお部屋に向かった。

 部屋には見慣れたとはいえ、大小様々な観葉植物がビックリするほどすくすくと育っていて面食らいますが、育て方が尋常じゃないほど上手い小鳥さんだからこそなので尊敬しています。

 私が来た頃にはすでに観賞会は始まっていて、探偵科らしくミステリー映画のようですが、理子先輩の鋭いメスが入って内容の推理が主体になっている。

 それを小鳥さんとライカさんと麒麟さんがうんうんと話半分で聞きながら観賞してる中に入る。前に小鳥さんだけをリビングから連れ出してちょっとした確認。

 

「小鳥さん、新学期の初日にクロメーテルさんについて確証がないからと口をつぐんだことがありましたけど、今も確証はありませんか?」

 

「えっ? どうして今それを……もしかして依頼の方を急かされましたか?」

 

「いえ、そういうわけではなく、こちらでちょっと確証がないので、それで小鳥さんの件を思い出した次第で」

 

「私の方は……えーっと……確証には至ってますけど……うーん……世の中には知らなくてもいいこともあるとだけ」

 

 どうやら小鳥さんはクロメーテルさんの秘密についてわかってるようで、その秘密を探ってる私にも教えてくれないところをみると、やはり私の推測は間違ってなさそう。

 

「あとはそうですね。かなめちゃんに聞いたらいいのかもです。私の口からはそれだけしか言えないので、どうするかは幸帆さんに任せます。その情報を開示するも黙殺するも自由だと思いますし」

 

「私の推測が正しかった場合は、そうですね。依頼とはいえ口外しないと思います。ありがとうございました、小鳥さん」

 

 そうしてクロメーテルさんの秘密について言葉を濁す小鳥さんの考えがわからないわけでもない私も、もしも推測が合っていた場合は同じように胸の内に秘めてしまうだろうと語ると、揃って笑い合って会話は終了。

 あまり長話をしていると理子先輩が怒るので2人でリビングに戻って観賞会に加わると、それを観ながらも私は明日、かなめさんにまずは会いに行こうと決める。

 クロメーテルさんの正体が遠山キンジ先輩であるという、確証のない真実を暴くために。



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Aiming5~Mayumi~

 

 …………憂鬱やわぁ。

 アメリカへの武偵教習に行くためにようやく解かせてもろた海外への外出どすが、心配性な親にもちょっと困りもんどす。

 そもそも武偵になることに対してもえろう反対しはった両親やから今更っちゅうこともありますけど、エエ加減に娘を信用してくれと思いますわ。その点に関してはお祖父様とお祖母様の方がよっぽど理解がありますな。

 

 2010年4月4日。

 アメリカ行きを快く思ってへんかった両親が、それでも行くならと約束したお見合いの席に渋々で着いとるウチやけど、相手方の到着が少し遅れて待ちぼうけ。このまま来れへんなんてことになってくれたら御の字やけど、そう都合よくはいきまへんやろな。

 京都でも随一の座敷と広い庭がある料亭と、店選びからして金の臭いがプンプンなところも嫌やけど、両親のやる気がまたウチとの温度差を広げて居づらさを助長します。

 このお見合いの両親の魂胆は見え透いとりますが、まぁ約束したことやし、先方に失礼がない程度に付き合うたるつもりどす。

 わざわざこの日のために雅らから休みを取らなあかんかったのが納得いきまへんが、何の休みかは教えてへんから、後日に「お見合いしてフラれたん? ウケるー!」とか愛菜はん辺りに言われることはないはずやけど、雅が余計なことしてへんとも言い切れんのが厄介どす。

 

 ただ座って待つっちゅう暇な時間ができるとろくでもないことばかり考えてまいますが、感覚だけは鋭くなっていたおかげでお座敷の外から人の気配が近づいてくるのがわかり、ようやく到着どすかと思いつつ失礼のない破談へと持ち込むための思考へと切り替えます。

 医者家系の薬師寺っちゅうこともあって、相手方も同業の医者。それも花形の外科医の先生で、研修医時代からお父様が知ってる将来の有望株。

 まだ26歳や言う話で、然したる功績も経験もあるわけやありまへんが、お父様が有望株っちゅう評価をするなら間違いはないやろうな。

 写真で見た限りでも裏表のない若者な印象は強かったどすし、お父様もそんな人間やからお見合い相手に選んだんやと……

 そう考えとりましたら、お座敷に当の本人がご両親を引き連れて入室してこられまして、礼儀だけはしっかりとしてから対面で座り直します。

 実際に対面してみると写真はちょっと修正が入ってるような気もしますが、歳下相手やからか向こうには余裕がうかがえて、ウチが見つめると爽やかな笑顔で返してくれます。

 最初は両親同士の聞くのも無駄な話が繰り広げられて暇どしたが、ウチと相手方が自発的に喋らない空気を察してくれたお母様の機転で、早くも2人きりにさせられてまいました。こんな時にカウンセラーの本領を発揮せんでもエエんどすが……

 

「眞弓さん、と呼んでもいいかな」

 

「構いまへんえ」

 

 そうして2人きりになったお座敷でまず口を開いたのは相手方。

 名前は何て言いましたかな。興味がなくて下の名前が出てきまへんが、藤木っちゅう名字なのは間違いあらへん。

 その藤木さんは話の主導権を握りたいのか、ウチとの距離を縮めるような会話へと持ち込んできますが、まぁ向こうから晒してくれはるんなら、わざわざウチから踏み込む必要もありまへんな。楽どすわ。

 

「眞弓さんは確か、最年少で医師免許を取得した天才少女だったとお父様からうかがってます」

 

「そない大層なもんとちゃいます」

 

「海外でも祖父母についてご活躍されていたとか。そして今は関西で有名な武偵チームのリーダー。まだ20歳の女性とは思えない経歴だ」

 

「…………おおきに」

 

 ウチも話題性っちゅう意味ではそれなりやと思いますが、藤木さんも無知やあらへんことを暗に示してきた感じやろ。

 それだけならウチも社交辞令程度で済ませたかもしれまへんが、この男。どうにも違和感がありますなぁ。

 その違和感が何なのかは今のところわかりまへんが、ウチのこれは昔から悪い方向性やと外れたことがほとんどありまへんから、注意はしておきましょか。

 言葉遣いからして関西出身っちゅうわけでもなさそうな藤木さんやけど、こっちから向こうに探りを入れるのは興味を持ってると思わせる要因になってしまいますから難しいところどすが、会話の主導権が向こうのままでも誘導することはできます。その辺はお母様の話術が活きますな。

 

「眞弓さんは家事などは自分でやられるんですか?」

 

「やらへんように見えますか? ウチはそない箱入り娘な印象を与えるんやろうか」

 

「いえいえ、眞弓さんのお父様がずいぶんと溺愛されているのをよく耳にするもので、やりたくないことはやらなくてもいいような環境があるのかと思っただけですよ。よく言うじゃないですか。甘やかされて育つと社会に出てから苦労すると」

 

「社会に出て苦労するのは育った環境だけが全てやありまへんえ。大切なんは自分がどう生きたいかをしっかりと見据えて、そのために何が必要かを考えることどす。それができへん人間がダメになりやすいだけの話どす」

 

「では眞弓さんはどのような将来のビジョンを見据えているのですか? 女性ならば結婚などが挙げられると思いますけど」

 

「ウチは結婚を見据えて生きとりまへん。結婚願望もそれほど強くありまへんし、主婦になって牙をもがれるんはもっと先でエエと思ってます」

 

 藤木さんはずいぶんの乗り気な見合いなのは話からもわかりますが、それに付き合ってあげるのもそろそろ終いやろと考えて、話題が結婚にシフトしたところでその気がないことを匂わせて反応を見てみる。

 しかしそれだけの言葉やと、向こうは『今はまだ』的な解釈で受け取ったみたいで、交際には前向きな雰囲気は変わらへん。

 昔から表情が読めへん言われるウチやけど、ハッキリとものを言えへん状況になるとそれも引き立ってしまいますな。こっちの意図が伝わりまへんわ。

 

 対面して座ったまま言うのがなんや堅苦しいっちゅうことで、ベッタベタなシチュエーションにはなりますが、場所を庭に移して散歩しながら生産性のない会話を続けます。

 何か決定的に相容れない価値観なんてものが出てくればと期待して話に付き合うとりますが、どれも統計学的に見れば平凡な価値観で突き放すレベルではないのがホンマに困りますな。

 いっそ性癖でも暴いてドン引きするくらいのことをしてもエエかもしれまへんな。と、ウチの口から出るはずもない話題の切り出しで主導権をこっちに持って来ようとしましたが、それよりも先にウチの携帯がバイブで着信を知らせてきました。

 休みは貰とりますが、雅達以外の個人的な要請もありますから、その辺で何かあったら仕方ありまへんし、それがどんな連絡かはバイブの種類で分けてますから、ラグは生じますが……

 そう思いながらバイブの震え方を確認してみますと、緊急性のある、ウチの設定で最も上の優先度の連絡やとわかります。

 しかもメールやなくて電話。これにかけられるんは武偵庁と雅達以外だと片手の指で数えられる程度。

 

「すみません眞弓さん。少し外しますね」

 

 さすがに出ないとマズイ思とりましたら、藤木さんも何や電話の着信があったみたいで話が聞こえないところまで移動してしまいます。

 お見合いはそれなりに力を入れていたように見えましたから、よほどのものやないと無視しそうなもんどすが、それができへんような案件や言うことどすか。

 そんな引っ掛かりが気になりつつも、ウチもウチでさっさと取らな切られてしまうと携帯を取り出してみますと、相手は同業の先生。京都で『2番』の衛生武偵どすな。

 そんなことを言うても先生は自分が1番や言うと思いますが、それはそれとして電話に出ると、開幕から「さっさと出んかいアホんだらっ!」と怒声が飛んできます。

 そら出るまでにラグはありましたが、怒鳴らんでもエエどすやろと内心で愚痴っといて、緊急性のある連絡やいうことを念頭に本題を切り出してもらいます。

 

『この騒ぎでお前がいないことにこっちが驚いとるんや! ニュースも観てへんようやから教えたる! デパートでフロア火災があってん! 原因はなんやまだわからんが、結構ヤバめの爆発が何度かあって、死傷者の数もまだ把握できとらん! 現場は収まりつつあるようやけど、こっちが手が足りんねん!』

 

 その先生の話やと、だいぶてんてこ舞いな現場になっとることはわかります。

 今も誰かの治療の片手間にかけてるんやろうし、先生のことやから陣頭指揮もやってはるのでしょう。

 その先生が手間を増やしてでも要請してきたなら行かないわけにはいきまへんな。

 ウチは慈善事業だけでやっていけん武偵どすが、苦しんでる人を助ける機会を与えられて黙ってられる冷血漢でもありまへんえ。

 

「報酬はどこから出ますのや?」

 

『そんなん追々や! まずは人命を1つでも救いや!』

 

「ごもっともどすな」

 

 それでも貰うもんは貰えんと無駄骨どすから、先生をちょっとイラつかせてから電話を切って、とりあえずこのお見合いを終わらせる口実ができましたさかい、電話を終えた藤木さんに堂々と用事ができた旨を伝えます。

 そやけど、ウチへの要請とほぼ同じタイミングで来た藤木さんの電話が全く関係あらへんなんて思えんかったウチは、先にどんな電話やったかを尋ねてみます。

 

「いえ、病院からちょっと連絡が入っただけですから、お気になさらずに」

 

「そう、どすか」

 

 先生の方は武偵病院でしたが、そちらがパンク寸前なら一般の病院かて似たような状況ですやろ。

 そやったら病院から来た言う連絡も藤木さんの手が欲しいとかそんなものであって然るべきどす。それを詮無きことのように振る舞ってお見合いを続けますか。

 

「…………藤木さんには悪い思いますが、ウチは心から尊敬できる、信頼できる人なら、旦那が家庭を省みない仕事優先の人でも構いまへんのどす」

 

「はい?」

 

「公私をしっかりと分けられる人が壊れにくいのもわかっとりますが、ウチはそれでも『人として大事にすべきものを持っとる人』と結ばれたらエエと思とります」

 

 ウチが電話の内容を知らないと思てる藤木さんには唐突な話でピンとは来おへんようどすが、お見合いを断っとることはなんとなく理解できたようで、ちょっと慌てた様子が見えます。

 それと同時に庭にお父様の姿が見えて、おそらくはお父様にも同様の要請が入って呼びに来たいうところと予測して、呆然とする藤木さんには1度だけお辞儀をして近づいて来ていたお父様を追い抜いて、追い抜く際に武偵病院に行くことを告げ、すかさず早紀はんに連絡。

 その早紀はんはどういうわけか現在進行形でウチのいる料亭に向かってるところで、どうせ雅辺りが事故の情報から先手を打ってくれはったんやろうけど、これで愛菜はん達にいじられたら雅のせいにしときましょ。

 

「マユがオフの時にこないな大事故が起きるとか、マユは呪われとんのかね」

 

「神様には見放されとりますさかい、今さら呪いがどうこう言われたところで痛くも痒くもありまへん」

 

「……皮肉が通じんマユはおもろないな」

 

「おおきに」

 

 待ち時間は10分とありまへんでしたが、その間にお母様からビジネススーツを剥ぎ取っ……拝借して着替え、行き先もわかっとる早紀はんの車はまっすぐに市内の武偵病院を目指して走り出し、その間に早紀はんの皮肉を軽く受け流しておきつつ、雅にも連絡。

 どうせ動いとるやろと挨拶もなしに電話に応じた雅によれば、現場の方は出る幕なし。

 愛菜はんと千雨はんと一緒に現場にいるようどすが、消防も救急も警察も迅速で野次馬が変なことせえへんように怒鳴ることくらいしかやってへんようや。

 車のテレビを点けて緊急中継も観ておりましたら、丁度その姿と声がテレビに流れて、雅にやかましいから報道の邪魔はせんようにだけ注意して電話を切る。マイクも寄ってへんのにやかましい人達どす。

 まぁこないな状況でも各々が考えて動けるこのチームはずいぶん良くなりましたし、愛菜はん辺りは京夜はんへの依存も緩和されてアホ具合は抜けてきましたな。バカなのは変わりまへんが。

 

「早紀はんはもう帰ってもエエどすえ」

 

「アホ。私が帰ったらマユの帰りの出費が余計やろ。待っといたるからはよ助けてきや。それは私ができんことやから」

 

「そうですか。ほなら雑用としてこき使ったりますから、ついてきてもらいましょか」

 

「……えっ」

 

 最短距離と時間で武偵病院に辿り着いた早紀はんの運転はさすがどすが、ここで待ちぼうけするとかアホなこと言いはるのは見過ごせまへんなぁ。

 やからウチの手足になってもらおうと仕事を与えたら、なんや「楽しようとしたのがバレた」みたいな顔をしはりました。

 早紀はんは真面目やけど抜くところは抜きますから、ウチくらいしかケツを叩いてやれまへんのがズルいどす。他は隙あらば手抜きしますさかい、人のこと言えん状態どすから。

 

 そんな早紀はんを連れて武偵病院に入ってみると、えらい騒がしい感じで人が行き交っててまさにてんやわんや。

 ニュースを見た限りやと死傷者合わせて200人近いかもと言うて張りましたから、そら手も回らんって話どす。

 来たばかりで状況がわかりまへんから、とりあえず先生のいる場所に仕事を貰いに行きますと、ウチらを見つけるなり白衣を投げつけて「見分けがつかんから着とけアホんだら」っちゅう怒声と共に担当する区画をざっくり指示してくれます。

 まずは事前にやってくれてます患者の優先度を示した院内トリアージ──色分けされてます──を見て、残念でもウチがその目で判断を下さなあきまへん、黒。要は死亡者の確認を手早くしていきます。

 先生や他の救護武偵が診てるかもしれまへんが、人が入り乱れすぎて確認も難しそうやし、いちいち担当を確認する方が面倒どす。

 急ぐ必要はありますが、亡くなった命をないがしろにはできまへんから、手早くではありますが、出来る限り丁寧に小さな見逃しもないように診ては、両手を合わせます。これはいつになっても辛いどすなぁ。

 ウチがいたら防げた事故や言うんはあまりに傲慢どすが、ウチがもう少し早く駆けつけていたら助かったかもしれん命が、この中に一体いくつあったのか。

 そんなことを考えながら、これ以上の死者を出さないために自分の出来る最善の処置を早紀はんの助けを借りながら、迅速に、丁寧に、ミスもなくしていきます。

 ──生きてさえいてくれれば、必ず助けます。

 それをウチはいつも口にしますが、現実は時に非情で残酷で、叶わんことも少なくありまへんでした。

 現代の医療では治せへん怪我や病気。いくらウチでも出来へんことは出来まへんから、仕方のないことと言うんは簡単どす。

 やけど、医者っちゅうんは出来ないから諦めるを繰り返してエエ職業と違います。

 何百、何千ものトライアル&エラーを繰り返してでも、今日は治せなかったものを明日には治せるようにする。そういうものどす。

 

「…………救えなかった命に報いるには、その何倍もの命を救わないとあきまへんのや」

 

「それを原動力に動いとるお前は凄いと思うで、眞弓」

 

 世間話をする暇もなかった現場でしたが、全てを終えて一服してみれば静かなもんどす。

 早紀はんは運転する余力もなさそうやったから少し休んでもらってますが、先生はあれだけ先頭で動いとってまだウチと会話する余裕がありますのは、さすがのウチも化け物やないかと目を疑いますな。

 そんな人の皮を被った化け物の先生は、経過を見なきゃあきまへん患者の様子を見にそれだけ言うて行ってしまいますが、それなら先生は何を思ってあない必死に人の命を救ってはるんでしょう。

 その答えを聞くのは簡単やけど、ウチの中ではなんとなく答えはわかってて、やいややいやと怒鳴り散らすのが常な先生どすが、あの人ほど命と真剣に向き合う人はそうおりまへん。

 やからきっと先生は、目の前に助けられる命があるから助けるんやろ。お人好しどす。武偵である必要がどこにありますのや。

 

 引き受けたからにはウチも妥協はしまへんので、診た全ての患者の安全が保証されたところでお仕事を終了。

 その時には日も完全に落ちて、早紀はんなんか起きてから腹が減った言うて牛丼食べに出掛けてしまいましたが、もうすぐ帰ってきはるでしょう。

 何故かそうやって待つ立場の人間を待つ逆転現象に見舞われながらも、お父様へ今さらながらお見合いの途中で抜けたことを謝罪しようと電話しておきます。

 ウチ的にはラッキーなことどすが、親としては残念な結果やろうし、また日を改めてとかそんな感じになっててもしゃーないかと思とりましたが、電話に応じたお父様からは意外なことを聞かされます。

 なんやウチが出ていった後にお見合いを優先して緊急要請に応じなかった藤木さんに酷く落胆したお父様は、あの段階では当然、藤木さんも一緒に病院に行くものと思っとったらしいどす。

 それでお見合い話も破綻っちゅう流れになったらしいんどすが、そうなると向こうも本性が出てきたみたいで、お父様に目をかけられることで薬師寺の家に上手く取り入ろうとしとったようどすな。

 実際、お父様はその長い仕込みに引っ掛かってお見合い話を持ち込んでますから笑えへん話どすが、初対面やったお母様は藤木の家族と会ってから少し怪しんでおりましたみたいで、ウチらが2人きりでいる間に両親からそれとなく腹の内を探っていたようどす。

 その辺でお母様が鋭いのは頼もしいどすが、ウチが感じた違和感はこれに起因するところやったのかもしれまへん。直感は遺伝するんどすかね。

 

「お父様はこれに懲りてお見合い話は当分、持って来おへんでください」

 

 結果的にウチの見合い話は破談になりましたが、今日の見合いでわかったことは、ウチの結婚願望は今のところ地の底にあるいうことどすか。

 それを言うとお父様は泣いてしまうやろから、今後の見合い話は慎重にといった意味の言葉を残して通話を切って、腹を満たして満足したような早紀はんが到着したところで武偵病院から退散。

 報酬の方は武偵病院から先生の評価を加味して払われる言うてましたが、どうせ「後から来てこれだけしかやってへんのやから文句言うなや」とかなんとか言うて叩きつけてくるんどすやろ。知ってますよって。



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Aiming6~Aina~

 世の中は五月病やなんやと騒ぎつつも、それを助長するようなゴールデンウィークに突入した5月始め。

 忘れがちやけどそないな連休が続くんは日本だけで、他所の国ではその国の祝日があってまちまちや。

 

「何で私がこないなこと……」

 

 そやけど私が組んどる武偵チーム、月華美迅にはそないな休みは当然のごとくあらへんから、今年もどうせ人でごった返す関空あたりの警備をやるんやろと思っとったら、昨日にいきなりお母さんから連絡が来て、今日の午後から明日の昼までを空ける突貫工事をさせられて今に至る。

 そんで血反吐を吐きそうな仕事を終えてから来た関空で待ちぼうけを食らってる間にグチグチ呟いてストレス発散しとったら、電光掲示板の表示の中に到着が遅れとった便が到着した表示に変わって、ようやく来たかとゲートの近くに移動してちょっと。

 あんまりニコニコしとったら調子に乗ってハグからのチューはしそうやから、いつでもブローニングを抜ける準備はしつつ人の通り始めたゲートを見ていると、もうあれやね。どこにいてもわかってまうほどの巨漢が見えた瞬間、体の力が抜けてしまうわ。

 まぁ身長は203cmあるし、この日本ではバリバリに目立つ金髪白人の筋骨隆々アメリカ人やから、浮き具合がハンパないのはしゃーないんやけど、あんなんでも一応は私のお父さんやし、私だけでもあの浮きっぷりを受け入れてあげな可哀想やもんな……

 と、私が大人な対応をしようと思っとったら、ゲートを潜ってきたお父さんはビックリするくらい一瞬で私を見つけて気持ち悪いくらいの笑顔になると、荷物も放って私に近づいてきて熱い抱擁をしようと両腕を広げ……って! あないな剛腕で勢いよく抱き締められたら痛いし暑苦しいわ!

 

「Oh! 愛菜ァァ!!」

 

「ちょい待ちやお父さん! ウェイトやウェイト!!」

 

 あまりに暑苦しいから抱き締められる前にブローニングを抜いて牽制しながら静止を促すけど、私が本気で撃たへんことは分かりきってるお父さんは、ほんの一瞬だけ躊躇う動作をしてから、何やら別の愛情表現を思いついたみたいで、広げた両手を私の脇に入れてひょいっと持ち上げてクルクルクルッ。その場で子供をあやす親みたいなことを始めてまう。はっず!

 

「愛菜ァァ! オオキクなりました!」

 

「や、やめやお父さん! 私いまタイトスカートやから中身見えるっちゅうねん!」

 

 結構な豪快さで回すもんやから、宙ぶらりんの足が遠心力で外側にいってしもて、周りの人に娘のパンツを見せびらかすアホな父親を本気で撃ちたくなった、21歳の春でした。

 未だに日本語がカタコトなお父さんには私の訴えもいまいち伝わらなくて、最終的に感激してるお父さんにはフランケンシュタイナーで床に沈んでもろて強制終了させたったけど、それを受けても親子のスキンシップ程度の認識でピンピンしとるのはバケモンすぎるわ。

 そんなハチャメチャな親子が空港で暴れとるもんやから、警備の方がビクビクしながら対応しにきてしもて、テロとかそんなんちゃうことを武偵手帳なんかを見せて穏便に済まして、周りの人達にはお父さんを土下座させて安心させてようやく落ち着いたわ。何で父親の迎えだけでこないな労力を割かなあかんねん。

 

 ──クレイグ・マッケンジー。

 アメリカやとこの名前を聞けばある業界がざわつくほどの有名人。

 シークレット・サービスがお父さんの仕事で、お母さんと結婚する前は大統領の警護を担当しとったりと結構な自慢話を持っとって、全盛期を過ぎた今も年中ほぼ無休で誰かしらの要人警護をしとる忙しい人や。

 そんなお父さんが日本に帰ってくるんは年に2、3回っちゅうことと、それがほぼ決まって年末年始とお盆くらいやったから、この帰国はかなり突然でお母さんも急やったから迎えは私にってお願いしてきたのが事の成り行き。

 別に1人で家に帰れん方向音痴とかそないアホな父親ってわけやないから、迎え自体はいらんのやけど、私とお母さんのために体を張って稼いでもろとるわけやし、迎えくらいはしてあげな可哀想っちゅう話やな。

 そんなお父さんを乗せて早紀からレンタルした車で京都に戻っていく道中。

 体がおっきいお父さんやから助手席なんて座れたもんやないから、後ろで横いっぱい使てくつろぎながら「愛菜がウンテンしたクルマにノッテルよ」と感激してたりして恥ずいわ。

 思えば武偵高を卒業してからお父さんの迎えをするのは初めてやから、運転できることは知っとったやろうけど、実際に乗せるんはこれが初やったか。

 そない感激するもんでもあらへん気もするけど、父親にとっては娘の成長を感じられた瞬間やったりするんやろか。

 お父さんとは別に仲が悪いとかないわけやけど、小さい頃からこんな感じで家にいること自体がレアやから、実際に会うてみてもお母さんがおらへんと話題が浮かばん。

 そんなんやから家に着くまでにした会話はお父さんによるセクハラまがいの質問攻めで、父親やからっておっぱいとか尻のサイズをズケズケと聞いてくるんはダメ親父やろ。

 

「愛沙はまだカエラナイみたいね」

 

「だから私が迎えに行ったんやんか。時差ボケあるんやろうし、少し寝た方がエエんとちゃうの?」

 

「No。せっかく愛菜がいるのにネルなんてモッタイない。もっとオハナシしましょう!」

 

「話しよ言うても私は特に話したいこともないし……」

 

 仕事を終えて直接で迎えに行ったから正直な話、私が休みたかったんやけど、スタミナお化けのお父さんは何かしてへんと落ち着かんようで、話をしようにも話題があらへんで、お父さんからやとセクハラされるし手詰まりや。

 考えてみたらお父さんと2人きりとかいう状況が今までほとんどなかったのが今になってこの窮地を生み出してしもて、コミュニケーション不足が露呈したんは恥ずかしいことやけど、どうにかして乗り切らなあかんと視線をさ迷わせとったら、冷蔵庫に今夜の献立が貼ってあって、それでピンときた私は速攻でお母さんにメールしてから、

 

「そやったら買い物してこよか。今夜はお父さんの好きなすき焼きやさかい、肉はお父さんが選び」

 

 そないな提案をしてみるのやった。

 

「ただいまぁ」

 

 私の提案を快く呑んでくれたお父さんと一緒に夕飯の買い物に行って、なんとか窮地を脱したまでは良かったんやけど、ホンマ日本のどこに行っても目立つお父さんやから人の視線が突き刺さってしゃーなかったな。

 別に注目されるんは仕事で慣れとるしエエんやけど、親子として認識されるんがこないに恥ずかしいとは思わんかったわ。

 買い物してきたお店はどこも昔なじみで顔見知りやから、私がどないにアメリカンな容姿でも「近所の愛菜ちゃん」で通るんはエエけど、お母さんがこないな巨漢と結婚したのは知られとっても、買い物とかするんはレアやから、いざ会うと絡まれ方がなぁ。

 結果的にお父さんとの会話はあんませぇへんでも良かったんやけど、お父さんの口が軽すぎて私のあることないことペラペラ話されてアメリカンなジョークも飛び出してで散々や。

 そんで娘の自慢ができてご満悦なお父さんとは裏腹に買い物しただけでどっと疲れた私は、それ以降は家でお風呂の準備やら色々と動いてお父さんが話しかけてくる隙を与えない立ち回りに徹して、いよいよやることない、ピンチや! って頃にお母さんの帰宅が間に合って全身の力が抜ける。もうクタクタやで……

 

「Oh! 愛沙ァァ!」

 

 私のそんな奮闘も知らずに衰え知らずなお父さんは、玄関からお母さんの声がしたと同時に玄関に直行して、私の時と同じような行動を取ろうとしとったけど、お母さんにメロメロなお父さんがこれを成功させたことは1度もあらへんな。

 

「お父さん、仕事帰りで疲れとりますから、そういうんはあとででよろしおすか?」

 

「Oh……ワカリマシタ……」

 

 お母さんが嫌や言うことはやらへん。それはお父さんのエエところやけど、娘の言うことも聞いてほしいところやねんな。

 

「愛菜はお疲れさん。色々やってもろて助かりました」

 

「エエからはよ食べようや。今日は夜更しできへんねん」

 

 あんま両親のラブラブしてるとこは恥ずかしいから見たないんやけど、お母さんは私の目を気にしてくれるから、リビングに入ってきた段階でお父さんとはそういう雰囲気はなくしてくれて、そんな会話も少しでようやくの夕食。

 お父さんのすき焼き好きはお母さんとの出会いがきっかけやったとかなんとか昔に聞いたことがある。

 お父さんが初めて日本に来たのは当時の大統領が来日した時で、そのおもてなしが京都やったらしく、そん時に歓迎の芸姑としてお母さんが選ばれて、大統領の護衛をしとったお父さんが仕事も忘れかけて魅入ってしもたんやったっけな。

 そのあとにプライベートで日本に来たお父さんがほとんど無理矢理デートに誘って。でも店とかわからんからってお母さんに連れられて入って食べたのがすき焼きで、その味に衝撃を受けたお父さんは以降、日本に来る度にすき焼きだけは必ず食べてから帰るっちゅうことを繰り返しとったみたいや。

 そんで5回目の来日で付き合うとるわけでもなかったお母さんにいきなりプロポーズして、そん時はお母さんも玉砕させたらしいんやけど、結婚してくれるなら日本語を覚えて不自由はさせないとかなんとか色々と付け足して、そこまで言うんやったらしゃーないなって感じでその熱意に負けたらしい。

 その結果が今のカタコトやからなぁ。詐欺やで詐欺。プロポーズ詐欺やで。

 まぁ生活に関してはおかげで不自由を感じたことはあらへんけど、寂しい思いはしとったんやからどっこいや。

 そないな事情もあるさかい、私はお父さんの帰国の際にはお母さんとの時間を大切にしてほしいっちゅう思いがあるわけで、どっかお母さんに遠慮してたところはあって、それが今日のような事態を招いたわけやけど……

 

「何で私がこないなことせなあかんねん……」

 

「こないなこととか言うたらあきまへん。お父さんが可哀想やろ」

 

 今回に限って何でそれを強調するようなことばっかりさせられるんか全くもってわからん!

 夕食後にお風呂ってなって、いつもならお父さんと一緒にお母さんが入って背中やら流してラブラブするのに、空気の読めへん……っちゅうか、読んであえてその権利を譲ってきたお母さんの悪意が憎い!

 しかも拒否権のない命令に近い所業のせいで、有無を言わせずに洗面室に放り込まれて服を剥ぎ取られて退路を断たれるとかなんやねん! 鬼か!

 

「……なんやのお母さん。いつも通りでエエやんか」

 

「愛菜には話さへんけど、お父さんも愛菜には話してもらいたいことがあるんやて。なんの話かは娘ならわかりますやろから言いまへんが、家族なんやから恥ずかしがらんとしゃんとしなはれ」

 

 いや、めっちゃ話したがっててんやけど……

 とか思ったのは口には出さへんかったけど、お母さんが何を言いたいかは残念ながらわかってしもうたし、私が観念しないと洗面室の扉も開くことはないと理解したので、大きなため息をしてから、先に入って待っとるお父さんのおる浴室に入っていく。

 入ってすぐにゴッツい背中がバーンと視界に飛び込んできて、思えば物心ついた頃には見なくなったその背中になんや不思議な感情が湧いたんやけど、私が入ってきたことで振り返ろうとしたお父さんが嫌でその首を正面に強制的に向き直させて固定。

 

「エエかお父さん。親子やからって恥ずかしくないわけやないんや。やから、見たらどつくで」

 

「Oh……愛沙はそんなことイワナカッタのに……」

 

「それは夫婦やからや!」

 

 割とマジなトーンの私にビクッとしたお父さんは、ホンマに嫌われると思ってくれたか微動だにしなくなって、大人しなったお父さんの背中を渋々ではあるけど洗い始める。

 この家はお父さんが結婚前に建てさせたもんやから、設計の段階でところどころがお父さん仕様になってて、この浴室もお父さんのサイズでも湯船に浸かれるようにかなり大きく作られとる。

 とはいえさすがにお父さんと一緒に湯船に、となればちょっと窮屈になるのはしゃーないわけで……そもそも一緒に入るつもりもないから、体を洗ってあげたら退散するんやけど。

 

 そないなことを考えながら洗ってみる背中やけど、実際に触ってみるとやっぱりお父さんの体は『異質』やな。

 武偵になってからちゃんと理解できたことやけど、お父さんは武偵用語で言うところの『乗能力者』で、幸音みたいな不思議な力でドカーンってやる超能力者と違って、生まれつき身体機能の一部が常人の数値よりも桁違いで高かったりする人のことをそう呼ぶ。

 お父さんの場合は生まれつき皮膚組織の表皮が常人の128倍ほど硬質化していて、銃弾も通さない鋼の体を売りにシークレット・サービスをやっとるわけやな。

 それでいて体の伸縮性を失ってへんのはなんや納得いかへんのやけど、ガッチガチの皮膚やと関節が曲がらへんなんてことになるから、人体の神秘っちゅうことで納得するしかあらへん。

 そんなお父さんやから、目とか剥き出しの器官以外なら銃弾も弾き返すその様から『不死身の男(イモータルマン)』なんて呼ばれて恐れられとるらしいんやけど、仕事してるお父さんは見たことあらへんから実感はないなぁ。

 それにしてもこの皮膚やと、ちゃんと洗えてるのかわからんところがあって、ついつい力が入ってまうんやけど、ちゃんと痛覚とかもあるから「イ、イタイですよ、愛菜」って言われてやや本気でゴシゴシしてたんを自覚。

 銃弾を受けても平然としとる男が娘の力で痛がる言うのも変な話やけど、謝るついでに話しかけるきっかけにはエエかと思て、覚悟を決めてずっと言えへんかったことをお父さんに話す。

 

「あんな、お父さん。私が武偵になった理由、お母さんから聞いとるんやろうけど、お父さんはそれに納得しとらんのとちゃう?」

 

「…………」

 

「……もう18年も前のことやねんな。あの頃の私は子供やったから、お母さんの気持ちもお父さんの気持ちも考えんと自分勝手でしょーもない娘やったやろ」

 

「そんなこと、アリマセンよ」

 

 お父さんには自分の口から何で武偵になったかを話したことがなかった。

 それは18年前に起きた悲劇。私の弟になるはずやった子がお母さんのお腹の中で死んでしもた、不運としか言えへん事件。

 まだ3歳やった私は、私とお腹の子を守ろうとしたお母さんが凶弾に撃たれてしもたことを自分が弱いせいやと責めて、大切な人を守れる力が欲しいって武偵になることを決めた。

 やけど、ホンマはもう1つ。親不孝な理由があったんや。

 

「あん時の私は、お父さんが『大切な人を守るお仕事をしてはるんや』っちゅうお母さんの言葉を信じて、きっとこの状況でもお父さんが守ってくれる。そう思っとった。やけど現実はそうならへんで、アメリカにおったお父さんにはどうすることもできへんかったし、お母さんもお腹の弟も撃たれてしもた。そん時に思ってしもたんや。『お父さんが守ってくれへんなら、私がお母さんを守らな』って。そっからお父さんには中学に上がるまでぶっきらぼうに接して寂しい思いさせてしもた。ゴメンな」

 

 お父さんは乗能力者であっても超能力者やないし、あの事件を察してアメリカから日本に瞬間移動なんてできるわけないんや。

 何より悔しかったんは、お母さんと私と弟をその手で守れんかったお父さんで、お母さんが撃たれたっちゅう連絡を受けてたった2日で駆けつけてきたんやから、それだけでもお母さんにとっては安心することやったはずや。

 それやのに私はそれから10年近くもお父さんを『家族を守ってくれない人』っちゅうレッテルを貼って避けてしもて、かなーり早い反抗期に入って武偵になった理由も話せずじまいになってもうた。

 反抗期が終わってからもなんやお父さんに申し訳なくて結局は今日まで話すタイミングがあらへんかったわけやけど、いざ話してみると……自分の幼さに泣きそうやね。

 

「……ワタシも、あのトキはジブンをウラミましたよ。どうしてセカイでイチバンダイジなカゾク、マモレなかったって。スゴく、スゴくクヤシかった。愛菜の弟をシナセテしまったのも、ソバにイテアゲラレなかったワタシのセイです」

 

「ちゃうやん! お父さんは自分の仕事をちゃんとやってたんや! 悪いんは事件を起こした犯人で、逃げ遅れる原因を作った私のせい……」

 

 こうなってくるとお父さんも私も自分のせいとか言い出してしまってどうしようもない感じになるんはわかっとった。

 わかっとっても、時が経つほどにあの時に自分がどうにかできたかもしれないことが見えてきて、それができなかったことを悔やんでしまう。

 そうした負の連鎖を私にはどうしようもできなくなったところで、振り返らずにその手を私の手に触れてきたお父さんは、落ち着かせるように優しく言葉を紡いでくれる。

 

「愛菜はワルクありません。武偵にナルとキメタコトも、タヨリない私にカワッテ愛沙をマモろうとシテくれたからとイッテくれました。それはトテモウレしかったよ。スコシマエまではフアンもありましたけど、愛菜のこと、アメリカにイテモ名前をキクことがあって、リッパな武偵にナッタのわかってイマはアンシンしてます」

 

 ホンマは娘が武偵になるなんて不安で嫌やったんやろうに、お母さんからその理由を聞いて黙って見守っててくれてたんや。

 そしてお父さんに認められるような言葉に柄にもなく感激してしもた私がちょっと泣いてしもたのがいかんかったんか、心配したお父さんが振り返ってきてしもて、反射的に拒絶反応でその顔をビンタでカウンターして元に戻して、泣き顔を見せられへんから逃げるように浴室を出てしまうんやった。

 

「もう行きますのやね」

 

 そこからはお母さんが剥ぎ取った服が洗面室に戻されていたのを着直して、お父さんとはもう時間を置かんと話をできへんなぁと思って今の家に戻って寝ようと玄関に移動したら、察したお母さんが引き止めるでもなく見送りに来てくれる。

 

「私がおったらお母さんがお父さんとおられへんやろ。それに娘のおらん方が気兼ねもなく夜は捗るんやろうし」

 

「親にそないな気を遣わんでエエわアホ」

 

「照れんでもエエやん。そん歳になってもお盛んなんは夫婦円満の証拠やろ」

 

 話すことも話してとりあえずはよしとしてくれたからか、お母さんもはぐらかす私に付き合うてなんや可愛い照れ顔を見せたりとあって2人して笑い合うと、時間も時間やから戻って寝る時間も考慮して会話もそれで終い。

 

「ちゃんと体を休めなあきまへんよ」

 

「それを言うなら眞弓に言うてや。あれの人使いは荒くてしゃーないで」

 

「それだけ信頼されとりますのやろ。立派になった証拠どす。やから倒れん程度に頑張りなはれ」

 

「……わかっとるよ」

 

 最後にそないな親らしいことを言うてリビングに引っ込んでいったお母さんを見て、今日まで元気でおってくれてありがとうと心で思いながら、明日からの忙しくなる日常に一喜一憂して帰宅するんやった。



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Aiming7~Chisame~

 まだ肌寒い日もある3月の終わり。

 学校やったら春休みとかそんな時期やから、昼をちょい過ぎたくらいやけど街を歩く子供の姿がちらほら。

 新学期の準備に忙しいんは新入生やら親が大半やから、在校生は割と気楽なもんやけど、自分にもそないな時期があったようななかったような、グレてた頃の記憶やから曖昧なもんや。

 そうやって物思いに更けたりとあるのは、あたしがいま向かっとる場所にあるんやろうな。

 仕事がない日に合わせてもろて、約束通りに電車に揺られてやって来たんは、大阪の中心、大阪市の北にある吹田市。

 そこの南千里駅で降りて東に歩いとった最中。

 すぐ近くには万博記念公園もあるところやけど、向かっとるんはそっちやなくて、そこより南に位置する高野公園。

 隣接するんは住宅街なんやけど、その一角にどっしりと構えとる道場があって、その道場の前までなんとか来ることはできた。

 できたんやけど、目的地ではあるその道場の門をどうしても潜れんで立ち往生しとったあたしは、端から見たら変な女なんやろうな。

 そうやって3分くらい門の前で立っとったら、同じ目的地に辿り着いた男があたしに気づいて盛大な舌打ちをしてくる。

 

「……ちっ。何でお前が来とんねん、千雨」

 

「あんたこそ、何で今日に限って来とんねん、秀二」

 

 近寄ってきたあたしの親戚で同い年の沖田秀二は、武偵高時代に会ったっきりで4年ぶりくらいになるわけやけど、向こうも卒業後はプロ武偵として大阪で活動しとるみたいな話は聞いとる。

 やから今も腰には刀が1本差してあって、着てるもんもそれなりに高価な防弾性のやつやな。

 

「何でって、俺は兄貴に呼ばれて来ただけで、俺はお前が来とる方がビックリや。破門された分際でこの門を潜れると思とんのか?」

 

「それは……」

 

 まだ秀二とは関係が良くないこともあって、互いに反発気味になってもうてるけど、兄さんに呼ばれて来た言うのは気になるな。

 何故ならあたしも今日はその兄さんに呼ばれて来とるんやから。

 そしてこの道場はあたしが破門になった沖田の家がやっとる剣術道場であり、秀二の実家っちゅうことになる。

 やから秀二も私に対して帰れと言うような口調で睨んでくるけど、あたしも兄さんに会わずに帰るわけにはいかへん。どないな覚悟で来たと思とる。

 でもそうやって2人で門の前で騒いどったから、声を聞きつけた兄さん。沖田秀一が門を開いて出てきてしもて、いきなりの兄さんの登場にあたしは挨拶のひとつも出来んくなる。

 

「2人とも来とったんならさっさと入らんかい」

 

「兄貴、何で千雨なんて呼んでんねん。聞いとったら絶対に来んかったのに……」

 

「お前ならそう言うやろと思たから言わんかったんや。今日は2人が揃わな意味がなかったからな」

 

 話の全容が全くわからんのは秀二も同じみたいで、何をするつもりなんかわからんから、あたしも秀二も揃って兄さんを見てしもたけど、そんなあたしらを半ば無視してまずは道場に入れと強引な兄さんに促されて、10年ぶりくらいに門を潜ってあっさりと道場に入ってしもうた。あたしの苦労はなんやったんや……

 あたしが破門になっとることは当然、兄さんも知っとるのに、わざわざその道場に引き込んできたからには何か重大な話があるんやろうと、秀二と嫌々ながらも兄さんの前に並んで正座して、とりあえず喧嘩もせずに黙っとるあたしらに笑顔を見せた兄さんは、いきなり本題には入らずまずはジャブを仕掛けてくる。

 

「それにしても千雨は大きなったな。最後に会うたんが11、2歳の頃やったから当然っちゃ当然やけど」

 

「ぜんぜん成長してへん部分もあるけどなぁ」

 

「ぐっ……せ、精神的にガキなままよりはエエと思とるけどなぁ」

 

「なんやと!」

 

「なんやねん!」

 

 久々に会うた兄さんに成長を褒められたから頬を緩めとったら、横からなんやあたしのおっぱいを見ながら糞なことを言うてくるアホのせいで台無し。

 デリカシーの欠片もない秀二は思春期のガキみたいな部分が相変わらずやから、すかさず仕返しして口喧嘩になりかけたんやけど、それを兄さんが制してくれる。

 

「ホンマお前らはいつの間にそないに仲が悪なったんや。俺が師範代やっとった頃はエエ感じで競っとったのに」

 

「千雨がこの道場の剣術で暴れて破門になってからや。兄貴が大事にしとったこの道場の評判を落としおって最悪やったわ」

 

「あれは……兄さんを……」

 

 バカにしたやつらをこらしめただけや!

 そうハッキリと言うたれば良かったのかもしれんけど、それは当時に何度も言うて全く受け入れられへんかった、子供の癇癪で片付けられた真実。

 やからあたしがここで何をどう言うても秀二には言い訳にしか聞こえへんのやろうし、兄さんに話したとしても責任を余計に感じさせてまうことになる。

 ただでさえ兄さんには監督不行き届きっちゅうレッテルを貼ってしもてるから、これ以上は迷惑をかけられへん。

 

「とにかくや。俺は千雨を許すつもりはあらへんし、武偵として立派に活躍しとっても、この道場の名を汚した事実は消せへん」

 

「別に秀二に認めてもらうために武偵をやっとるわけやないし」

 

「これは思うとったより重症やな……」

 

 そんな感じやからあたしと秀二の溝は深まるばかりで、それを憂いた兄さんもなんや深刻な問題やと頭を悩ませてしもて、何で兄さんがそない悩む必要があるんやと思っとったら、ようやく本題に入ってくれた兄さんのおかげでそれがわかる。

 

「実はな。2人に大事な話があるんやけど、その前に2人には仲直り、までとはいかへんでも、顔を合わせたら喧嘩するような関係からは脱してほしいって思っとってん。2人とももう大人になる時期に来とると俺は思うから、子供の喧嘩は今日で終いにして、俺に気持ちよく話をさせてくれや」

 

 あくまで本題の本題は伏せたままやけど、その前に兄さんはあたしと秀二を仲直りさせるのが目的やったことを話してくれて、話してから立ち上がって、壁に掛けてあった木刀を2本取り出して、あたしと秀二に1本ずつ投げ渡してくる。

 それを難なくキャッチしたあたしと秀二も立ち上がって、これから兄さんが何をさせようとしとるのかを悟って互いに素足になってから距離を取って構える。

 

「勝っても負けても恨みっこなしや! 互いを許せなんて簡単やないことは言わん。ただ積もり積もった思いの丈をその剣に込めて撃ち合え! 俺が用意してやれんのはここまでや」

 

「おおきに兄貴。あれ以来、千雨とはガチで撃ち合うとらんから、ここらで格の違いってやつを叩きつけたる」

 

「……悪いんやけど、私闘で負けでもしたら、ウチのリーダーがネチネチ言うてくるのが目に見えるから、負けるつもりはあらへんよ」

 

 今さら話し合いで仲良しこよしなんてできへんのはあたしも秀二も兄さんでさえわかってしもたんやから、やるならこうした強引な方法しかあらへん。

 そんなことはずいぶん前からわかっとったのはあたしと秀二も同じやったけど、同じ空間にいることさえ嫌がっとったあたしと秀二じゃここまで来ることさえできへんかったから、マジで兄さんには感謝や。

 そう思いながら木刀を構えた秀二には悪いんやけど、今のあたしは二刀流。構える前に壁に掛けてあった木刀をもう1本取り出してから、すっかり様になった左の木刀を前にした中段で2本を構える。

 その様子に兄さんはちょっと寂しそうな表情をしたのが見えてしもたけど、今は気にしとる余裕もないから目の前の秀二に集中して、待ちは性に合わんとあたしから仕掛けていく。

 

「──フッ!」

 

 我流で身に付けた二刀流やけど、これで秀二と撃ち合うんは初めてのことで、プロ武偵として活動し始めた秀二の成長の度合いも未知数。

 初撃は防御されることを前提とした所謂ジャブで、左から放った袈裟に振り下ろす一撃を秀二は冷静に木刀で受けて止め、その際に開いた左脇へと右の凪ぎを鋭く放つ。

 お互いに防弾・防刃性の服やから割と遠慮がない攻撃やけど、迷いのないその凪ぎも見切って左の木刀を捌いてわずかなバックステップをし、紙一重で躱した秀二は、すぐに間を詰めて互いに剣を振るえない間合いにまで接近してきて鳩尾に肘をねじ込んで昏倒を狙ってくる。

 それをあえて当たりにいくことでインパクトをズラしてダメージを抑え、密着した秀二の脇に木刀を握った拳を数発ぶち込んで反撃。

 意外と痛かったのか、すぐに力技で押し返して距離を取りにきて、互いにちょっと咳払いでダメージを確認。ぜんぜん余裕や。

 

「手数だけで何も怖ないな、二刀流っちゅうんは」

 

「言うとるけど、使わさへん間合いに詰めてきたんは嫌っとるからやろ? バレバレやで?」

 

「ちゃうちゃう。今のはあの間合いでお前が何してくるんか試しただけや。両手が塞がっとるとできることも少ないんやろ?」

 

 昔やったらあたしの方が笑って相手して、秀二は必死な顔して食らいついてくるような関係やったけど、今の秀二はなんやえらい自信に満ちた感じでちょっと癇に障るわ。

 中等部時代までは学舎が同じやったから見ることもあったけど、あの頃にもなかったこの自信は、おそらく大阪武偵高に在学して以降のどこかで付けたもの。

 それでも力関係までそう易々と覆せはしないと思っとる。

 あたしかてのらりくらりとやってきたわけやないし、それは実績にも繋がっとる。

 

 せやけど秀二は余裕の態度を崩さずに、今度は自分から仕掛けてきて、上段からの振り下ろしで攻めてくる。

 ただの上段と侮るには鋭いその一撃は、受けるにも重そうなんは瞬時に理解して、摺り足で横に動くことで回避。

 すかさず振り下ろされた木刀を右の木刀で上から押さえて動きを制限して、左の木刀を膝の裏へと撃ち込んで崩しにかかる。

 

「ふんっ!」

 

 崩したら間髪入れずに右の木刀を喉に押し当てて強引に倒して終いにするつもりやった。

 けど秀二はあたしの左の木刀を振るう手首を木刀から放した右手で掴んで止めて、右手だけで持っとった木刀を滑らせてあたしの右脇に入れると、掴んだ手首を下に引いて木刀を強引に振り上げてあたしの体をぐわんっ!

 合気道にも似た力で浮き上がらせて床へと倒してきた。

 幸い何が起きたかを知覚はできたから受け身を取れはしたんやけど、そん時に右の木刀を捨てなあかんくなって、秀二の追撃を避けるために距離を取ったせいで木刀は手の届かんところにいってしもた。

 

「それが我流の限界や、千雨」

 

「なんやて?」

 

 木刀を1本失ったせいで、必然的に両手持ちの構えになったあたしに対して、なんや上から目線の秀二が言うてくる。

 我流の限界? なんやそれ? 我流が悪いみたいな言い方が気に食わんな。

 どんな剣術や体術も、元を辿ればみんな我流が流派になったに過ぎひん。

 それが後世に残ったかどうかの違いだけやろ。

 秀二の振るっとる剣術も兄さんから教えてもろた天然理心流がベースになっとるけど、今の体捌きとかは独自のアレンジが入っとる我流。

 言うてることとやっとることが合うとらんねん。

 

「言うて秀二かて我流みたいな動きしとるやろうが。そやのにとやかく言われる筋合いないわ」

 

「何もわかってへんな。俺は兄貴から教わった天然理心流を誇りに思とる。やからそれをリスペクトした上でアレンジしとんねん。やけど今のお前はなんやねん。見てて苛つくわ!」

 

 実際にそれを口にしてみると、急に怒り出した秀二に面食らってしまったあたしは、何がそないに苛つくのかわからずについ見守っとる兄さんに視線を向けてまう。

 すると兄さんもなんや秀二に賛同するような目であたしを見てきて、その視線の意味がわからんあたしは頭が混乱しかける。

 その隙を突くようにまた突貫してきた秀二には不意打ちもエエところやろと思いつつも、心許ない木刀の1本を握りしめてそれを迎撃せなあかん。

 力ではもう男の秀二に勝てへんのはしゃーないけど、実力では負けたなかったあたしは、再び振り下ろされた上段からの一撃をバックステップで躱して、持ち味である空間認識力で道場の間取りを把握し、追撃してきた秀二に追われる形で壁を背にする寸前に振り返ってその壁を蹴ってパルクールの真似事をして秀二を飛び越えて背後を取る。

 それでも背後を取れたんは一瞬で、意表を突いたわけでもない秀二は、あたしの飛び越えに合わせて体の向きを変えてしもて、着地と同時にまた先手を打たれてまう。

 中等部時代までは習得できてへんかったはずの木刀の先を前へと向けて腕を引いた構えをして、そこから一気に全エネルギーを前へと押し出して放つ突き。

 鋭さはさすがや。けど神速の域には達してへんそれを木刀で外に払って躱したあたしは、転じて訪れたチャンスに渾身の力を込めて踏み込み腹へと一撃。

 それをまともに受けた秀二はよろよろと下がりながらもあたしへの威嚇はしたまま構えを緩めず咳を何度かしてみせる。

 

「……なんやねん。体は正直やな」

 

「なんのこっちゃ……ッ!」

 

 始めは秀二が何を言っとるのかわからんかったけど、あの緊迫した攻防を強いられて木刀1本で対処せなあかんかったあたしは、ずっと使わんようにと意識しとった天然理心流の動きを使ってしもうたんや。

 それに気づいた時にハッとして兄さんの方を向いてみると、破門された分際で使ったあたしにニコッと笑ってみせてくれる。

 

「何で、怒らんのや……」

 

 兄さんも秀二も、あたしが天然理心流を使たことに怒りを現す様子がなくて、意味がわからへんこの状況に困惑。

 そんなあたしに目の前の秀二はさらに言葉を重ねてくる。

 

「何が我流やねん。お前の二刀流は兄貴から教わった剣術を捨てるためのもんやろ。やから見るもんから見れば動きの洗練さも粗も丸見えなんや。そらそうや。体に染み付いた剣術を完全に捨てるなんて無理な話や。必ずどこかにほころびが出てくる。そないちぐはぐな剣術が通用するんは一流の極一部まで。ホンモンに当たったらマジで死ぬで」

 

「今まで大丈夫やったんや! やからこれからも……」

 

「お前は! 兄貴が武偵になるっちゅう話を真剣に聞いてくれた唯一の門下生やった。やからお前が暴れたって聞いた時、必死に兄貴の味方をしてくれてたんやて、ホンマは知っとった。破門になったんも納得いってへんけど、何より苛ついたんは、それから兄貴の剣術を捨てたお前が中等部に来たことや!」

 

「……秀二……」

 

「お前はやり過ぎたのかもしれん。やけど間違うたことをしたなんて思うなや! それをお前が間違いやって認めて二刀流なんて始めたんが、俺は気に食わんのや! 間違うてへんと思てるなら捨てるな! お前は兄貴が……俺が認めた天然理心流の使い手なんやから!」

 

 初めてや。初めて秀二の本音を聞いた気がした。

 元からあんま熱血なタイプやなくて、道場に通い始めた頃も物静かで声を張る姿すら見んような男やったけど、ホンマはこない熱い思いを秘めてたんやな。

 確かに秀二はあたしを嫌いやった。大嫌いの部類やろ。

 でもそれはホンマはあたしのやることなすことが兄さんと秀二を傷つけるようなことばかりで、それをやめてほしいと願ってくれてたんや。

 それがこれまでの嫌がらせに繋がるんは不器用っちゅうか歪んどるけど、言葉にされてようやく気づけたあたしも大バカやんな。

 

「…………使て、エエんか?」

 

「俺の許可が必要なんか?」

 

「兄さん、使てエエんか?」

 

「それは千雨の心が決めることや」

 

「あたしの心が……」

 

 あの日の暴走は後悔ばかりや。

 この歳になってもそれが呪縛となってしもうてたんやし、秀二に言われた後でも反省する気持ちは変わらん。

 でもただ1点だけ。兄さんが武偵として大成せんっちゅう言葉を取り消させたことだけは、間違いやったなんて思わへん。

 その思いひとつでずっと引っかかっとったもんが解けた感覚がしたあたしは、依然として構えを緩めん秀二を余所に近くに落ちとった木刀を拾い上げて再び二刀流で構える。

 

「それがお前の答えなんやな」

 

「そうや。あたしは二刀流を捨てへん。でも、天然理心流も、捨てへん」

 

 1度はあたしの選択にガッカリしたような雰囲気になった秀二やったけど、続けたあたしの言葉でその目に闘志の炎を燃やしてくれる。

 そんな秀二に対してあたしが返せるんは、いびつやった二刀流の可能性。

 

 天然理心流には奥義と呼ばれる技がいくつかある。

 正確にはちょい違うようなんやけど、かの沖田総司が使えたゆう技に『三段突き』っちゅう神業があって、真相は闇の中やけど、伝聞では『突きを放ったと思たら3度突かれてた』とさえ言い伝えられとる神速の突き。

 いくつか説はあるんやけど、要は神業やっちゅうその奥義を、さっき秀二はやろうとしとった。

 兄さんすら至れない奥義中の奥義やから、あたしもやろう思ても土台無理な話やけど、擬似的な再現は可能かもしれん。

 

 その覚悟を秀二も感じたらしくて、柄にもなく完全な受け身の構えで受け切ろうっちゅう腹積もりや。

 下手にカウンター狙いとかそないなことをなさそうやから、あたしも攻撃に集中して右手の木刀を引いて構えて、頭の中でこれからやろうとしとることを1度だけイメージ。

 そのイメージが残ったままに突貫したあたしは、まずは右の木刀を出せる最速で突き出して秀二の構えとる木刀の腹に突き刺してみせる。

 

「──ラァッ!!」

 

 そこから今度はほとんど間隔なく左の木刀をほぼ同じ位置に突き刺して追撃し、その威力でわずかに後退した秀二との距離でほんの少しだけ出来た空間を埋めるように突き出していた右の木刀を左半身が前に出とる分で前に出る力も利用してもう1度引ききらずに突く。

 その間、わずか0.5秒の早業やったけど、ちゃんと木刀を狙ったにしても威力がいまいちで秀二を仰け反らせる程度で終わってまう。

 

「……二刀流で三段突きやなんてズルやな」

 

「まだまだ改良の余地ありやけどな」

 

 それで受けきって出てきた秀二の言葉にはムッとしてもうたが、時間差で秀二の木刀が当てたところから折れて、その結果には秀二もやれやれといった感じの表情をする。

 

「終いや。得物を失うたら剣士の負けも同然」

 

「受ける必要あらへんかったんに、負け損やろ」

 

「うっさいわ」

 

 木刀を折られたことで秀二が負けを認めてしもて、あたしも納得いかへんけど、ここでまた喧嘩をしてもうたら兄さんが怒りそうやから、仕方なくここでの決着はこれで納得してやって、2人でそもそもこうなった話の本題とやらを聞きに兄さんに近寄ってみる。

 でもいざ話すとなってみると、何でか恥ずかしそうにする兄さんが気持ち悪くて、秀二がイラッとしたところでやっと口を開いてくれる。

 

「実はな、今年の6月に結婚するんや」

 

「……えっ? けっ……こん……」

 

「それで2人にも披露宴には来てほしいから、そこで喧嘩でもされたら台無しやろ? やから……って、千雨、どないした!?」

 

 わざわざ京都から時間をかけて来て、収穫もあったけど、それ以上に衝撃的な現実を叩きつけられたあたしは、話の途中から意識が遠退いて放心状態になってしもうた。

 ああ……さよならや、あたしの初恋……



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Aiming8~Miyabi~

 教員いうんは祝日でもないと自由がないもんやしなぁ。

 入学シーズンを終えて世間がゴールデンウィークに突入した5月始め。

 私ら月華美迅も1人ずつ1日の休みをもろて各々が自由に過ごしている中で、私はといえば古巣である京都武偵高を訪れて、そこの宿直室で朝まで飲んだくれてたミッちゃんとユウたん。

 夏目美郷と古館遊姫の教師2人と近況報告っちゅう名の女子会をやっとったわけで。

 

「今さらやけど、宿直室で飲んだくれてたんはエエんか?」

 

「いいのよミヤ。もともと私達は宿直とかじゃないし」

 

「家に帰るのが面倒で間借りしてるだけぇ」

 

「宿直の当人はどないしとったんや……」

 

「休憩の時に私達が絡んで休ませてた!」

 

「楽しんでたからいいんじゃない?」

 

 ミッちゃんとは従姉妹やから元教え子と教師とかいう堅苦しい関係もなしにタメ口で話せるわけやけど、ユウたんは卒業したら歳の上も下も気にせんのかタメ口でもスルーしてくれとる。

 そないなプライベートゆるゆるな2人やけど、一応はこの京都武偵高の中で優秀な教師に数えられとるだけに、その実力は武偵としても高水準。

 ミッちゃんは言わずもがな、ここに赴任する前は武偵庁のセキュリティー部門で働いとったバリバリのエリートやし、ユウたんも低血圧がネックやけど、授業を授業という枠から外して遊び感覚で教えるのが天才的に上手い、日本の古い遊びが好きな精神年齢が永遠に17歳な大人。

 人として見た時にあんま似てへんこの2人やけど、なんや昔から馬は合うらしくて、ミッちゃんが赴任する前から仲良しさんやったらしい。

 

「それもどうやと思うけど……ミッちゃんもユウたんもあと2年もしたら三十路やっちゅうのにそないな調子で大丈夫なん?」

 

「結婚とかの話ならやめてくれ。女武偵ってのはそれだけで婚期が遅れるデータが存在してるんだから耳が痛い」

 

「ミッちゃんはもう少し男の前で隙を見せればコロッと落ちるくらいには美人なのに、ここで見せてる顔とか絶対しないもんねぇ」

 

「男にナメられたら終わりだからな。私は男を尻に敷く女でありたい。遊姫が意外と尽くすタイプなのが本当によくわからん」

 

「自分のことになるとだらしないけど、相手のためだったら頑張れるみたいなそんな感じがいいのかねぇ。男がいる時はこんな宿直室でオールナイトとかやらないし」

 

「っちゅうことは今は男がおらんと……にゅ!」

 

 その仲良しコンビが貴重な休みを始まりから潰しとるのがなんや悲しくて現実を突きつけたるけど、2人揃って焦りもなくて涙が出てくる。

 ミッちゃんは昔から高嶺の花みたいな扱いで近寄りがたい雰囲気があって、今もその尾を引いとる感じやけど、ユウたんは逆に誰とでも距離感が近なるからCVRの素質もあったりなかったりしたみたいや。

 男性経験っちゅう部分で見ればミッちゃんとユウたんは天地の差があるんやろうけど、結婚できるかはそないなことで決まるわけやないし、結婚適齢期を逃して泣くことになるんは2人やからもうエエわ。

 そんな意味も込めてユウたんには現在進行形で彼氏がいないことをいらんのに確認したら、ジト目で見られて両頬をむにっとされる。

 

「そう言う雅はいつになったら処女を卒業できるのかなぁ? ねぇねぇ?」

 

「私は結婚する人としかSEXせぇへんって決めてんねん。ユウたんみたいに付き合う男全員とヤったりせぇへん……にぇん!?」

 

「私がビッチみたいな言い方はやめてくれるぅ? 雅の考えは否定しないけど、私も体の相性ってのを気にするタイプだからさぁ。雅みたいなやり方でいざってなって『具合が悪くて気持ち良くない』とか最悪だと思うし」

 

「そないなこと言うて去年に『バカ空』の味見するためにわざわざ特別報酬払ったって知っとんのやから……にゃ!?」

 

「それとこれとは関係ないしぃ」

 

 言われっぱなしはユウたんらしくないから、私に詰め寄りながら反撃に出てくるんやけど、私の虚弱体質を知っとるから物理的な攻撃は一貫して頬をむにっとするだけで、それでも言葉は鋭さを増してくる。

 こっちもこっちで怖じ気づくわけにもいかんから、バカ空……青柳空斗が去年にたまたま会うた時に口を滑らしてたことを言ってみると、事実やったようで物好きやなぁと本気で思う。

 バカ空は女からの依頼なら報酬を金やなくて体で払う手段を提案してくるバカの極みやけど、まさかその支払い方法を実行するアホ女が目の前におるとは……

 なんや悲しいやら優しいやらようわからん感情が混在して涙が出てきたら、それを痛がってると勘違いしたミッちゃんが間に入って止めてくれたんやけど、「くだらないことで喧嘩するな」と言われてしまうとなんや私もユウたんもくだらなかったとは思わんから、今度は結託してミッちゃんに噛みついていく。

 

「そういえばミッちゃんは男とヤった話を聞かないけど、もしかしてまだ?」

 

「えっ? そうなんミッちゃん!?」

 

「いや、さすがに経験はあるぞ? ただ自分から話すようなことでもないだろ」

 

「初めては襲われたん? それとも襲ったん?」

 

「何故に襲う襲わないの2択なんだ……普通だ普通。上か下かは想像に任せるわ」

 

「まぁミッちゃんなら上で主導権を握ってたんだろうなぁ。相手はドが付くMだったでしょ」

 

「想像に任せるわよ!」

 

 女3人で集まってする話がなんや最初から男とヤっただのヤってないだの下ネタのオンパレードで酷いもんやけど、エエ加減に昼間からする話やないことを自覚してきたのか、ミッちゃんの投げやりな叫びからは割と冷静になって、3人揃って未だに結婚のけの字にかすりもしてない現状にうちひしがれて互いに謝るっちゅう現象が起こってまうんやった。

 男と結婚の話は争いの元やってことがわかったところで、話題はその方向性を変えて近況のことになる。

 そうなると覚醒しとるユウたんの口は止まらん。

 

「それにしても雅達が卒業してもう3年目に突入してるんだねぇ。今にして思えばお前らの世代は粒揃いで面白かったわ」

 

「ユウたんが面白い言うとなんや授業中のことを思い出すわ。まっちゃんとかちっちがよく愚痴っとったのも覚えとる」

 

「ほう? あのダブラ・デュオが愚痴をねぇ……って、私を目の前にしてもズバズバ言ってたし今さらだな、がっはっはっ」

 

「遊姫は今の生徒にも文句を言われてるしな。せめてだるころくらいは条件緩和してやればいいのに」

 

「だるころはあれで絶妙なパワーバランスを保ってるんだよねぇ。ミッちゃんはわかってると思ってたのにぃ」

 

「未だに逃走側の生存率0%のどこが絶妙なんだか……」

 

「逃走側は犯人側の心理を学べるわけで、それが今後に活きるというのを身をもって体験できるのですよ」

 

「要するに逃がすつもりもあらへんだるころやってことやろ。それを京くんが聞いたら発狂すんで」

 

 何故か急に教師らしく私らのことをどう評価しとったかとか色々と口を滑らせてくれるんやけど、その中で生徒の間で不人気No.1のだるころについての暴露があって、逃走側にほぼ選出されとった京くんの必死の頑張りがなんや悲しくて遠い目をしてまう。

 そうやって京くんの名前を出してみると、何故かミッちゃんもユウたんも「あー」といった声を出して笑うから、なんやねんとツッコまざるを得ない。

 

「あれは私の教師生活において特にハードな条件でやらせたからなぁ」

 

「そうそう。入学初日から珍しく遊姫が『こいつは生半可な条件だとクリアしかねない』って言ってて、ミヤの件も含めて私もよく覚えてるよ」

 

「まぁあの眞弓が初日に目をつけたくらいやからなぁ。ミッちゃんもユウたんももっと京くんのことを誉めてエエんやで? 京くんは私らが育てた言うても過言やないからな」

 

「雅がなんと言おうと勝手だからいいけどさ、あの子ももう今年で高3だよね? 連絡は取ってんの?」

 

「直近やと2月の中旬くらいにラスベガスで会うたで。年越しとかもこっちに戻ってきてくれたからな。ねっちんの家で騒いどったよ」

 

「元気にやってはいるんだな。2年ちょっと前にいきなり東京武偵高に編入させられないかとお前らに打診された時は何事かと思ったが、その前の真田の娘の退学事件の方が衝撃だった気がするな」

 

「あれはねっちんにも事情があったんやけど、その辺はお口にチャックや」

 

 何で笑ったかの理由については、ミッちゃんもユウたんも実は京くんの実力を認めた上で将来性を買ってたみたいで、改めて京くんのポテンシャルの高さを認識するのと、なんや自分のことのように嬉しなって鼻高々になる。

 そんな私をスルー気味に話を進めて京くんの現状やらねっちんの昔のことやらを話すと、そこで東京武偵高の名前が出たことでユウたんが食いつく。

 

「東京武偵高かぁ。私もミッちゃんもそこのOGだけど、知り合った頃のミッちゃんは仕事に生きる女! って感じで男が寄り付かなかったよねぇ」

 

「また男の話か。遊姫は馴れ馴れしくて私は最初は嫌っていたんだがな。いつの間にか一緒にいるのが普通になってたか」

 

「あっ。私その辺のこともっと聞きたいねんけど、ミッちゃんとユウたんって学生時代は優秀やったん?」

 

「私は3年間で学年5位以内をキープしてたが、遊姫は自分に必要ない知識とかには絶望的な不真面目さがあったから、成績は安定してなかったか」

 

「留年寸前のところを低空飛行したこともあったなぁ。まぁその時はCVRの兼科もしてて、男のいない時期もなかったから仕方ない仕方ない」

 

「そん時からビッチやったんやな……」

 

「言っとくが学年時代にヤった男は1人だけだからな。卒業してからの男とは大体ヤってるけど」

 

「誰だっけその在学時代にヤった男って。確か後輩で今で言う草食系の可愛いタイプだったような……」

 

「母性をくすぐるような頼りなさがなんかこうグッときてねぇ……って、その話はしたことなかったはずだけど、何でミッちゃんは知ってるのかな?」

 

「私は情報科だったんだがな。身近な人間の情報くらいは把握していた」

 

 ユウたんがこっちが意図したわけやないけど、懐かしむように学生時代の話をしてくれて、その辺のことはミッちゃんからも聞いたことがなかったから詳しく話してもらうと、また男の話が持ち上がって嫌な流れになるかと身構えてしもた。

 ただ今回は初々しい初体験の話やったから荒れることもなく、むしろ恥ずかしい初体験をユウたんですら他人に話したことがなかったのに、それを知っとったミッちゃんに驚いて詰め寄るんやけど、ミッちゃんはどこ吹く風で自分の専門やからと話を終わらせにいく。

 それにはさすがのユウたんもぐぬぬと唸って黙るしかなかったわけで、それでも反撃はしたいと思たのか、冷静になって同じ話題で攻めてくる。

 

「そういえばミッちゃんはいつ処女を卒業したんだっけ? 在学中は男がいなかったから卒業してからになるけど、武偵庁で良い男が見つかったって感じ?」

 

「…………さぁな」

 

「ん? 待てよ? 確かミッちゃんから武偵高の教師になりたいって話をもらったのが22歳の時だったから、もしかして痴情のもつれが原因で転職したわけじゃ……」

 

「えー? ミッちゃんに限ってそないな理由で武偵庁をやめたりせえへんやろ。なぁミッちゃん?」

 

 探偵科の教師だけあってなかなか鋭いメスを入れていくんやけど、推測でしかないユウたんの言葉に徐々に余裕の表情を曇らせていったミッちゃんは、私の問いかけにそっと顔を背けてしまう。

 そんな反応には私もユウたんもまさかと思わざるを得んかったわけやけど、ミッちゃんみたいなタイプに限って恋は盲目っちゅう言葉が似合うてしまうもんなんかもなぁ。

 

「……勘違いをしてほしくないんだが、別に元カレがいる場所で働きたくなかったわけではなくて、武偵庁の仕事があまりに事務的な作業で精神的にキツかったからが主であって、男はその、きっかけに過ぎなかったわけでだな……」

 

 そうして観念したように事の真相を話してくれたミッちゃんなわけやけど、仕事でストレスが溜まって男とも上手くいかんかったら、そら転職してもしゃーないかと私は思た。

 けどユウたんは男と上手くいかんかったミッちゃんの方に興味が向いたみたいで、その元カレとどないなことをしたんかを根掘り葉掘り聞き始めて、あんまりしつこく聞いてくるからか、イラッとしたミッちゃんがガス式のエアーガンをユウたんの額に密着させて威嚇。

 

「なぁ遊姫? そこまで私が話すなら、当然、そのあとにお前のことも根掘り葉掘り聞いてもいいんだよな?」

 

「うーん。知られて困るようなことも特にないんだけど、男とどんなプレイをしたかを人に話すのは確かに恥ずかしい。よし、やめにしよう!」

 

「ったく。好奇心旺盛なのは良いが、私を怒らせるな。ただでさえ学生時代はそれにイライラしたんだから」

 

「それはミッちゃんが周りと距離を取るから、ミッちゃんの優しいところとかみんなに知ってもらおうとした善意だから。仕事への信頼だけでやっていけるほど武偵は甘くない仕事だしさぁ」

 

 撃たれればさすがに血は出るやろうそれにはユウたんも両手を挙げて降参して、引き下がったユウたんからエアーガンを下ろしたミッちゃんも、なんだかんだで良かれと思てしてたユウたんの昔のことはわかっとったのか、ツンデレな「余計なことしなくていい」を炸裂させて残っとったお酒をコップに注いで一気飲み。

 ユウたんもユウたんでミッちゃんのそないツンデレが好きなのか、ミッちゃんに続いて残っとったビール1缶を一気飲みして、おっさん臭く「ぷはぁ!」とか言うとる。もう昼なんやけどなぁ。

 

「……あっ。そういえば宿直室に来る前に掲示板に貼ってあったお知らせを見たんやけど、ここって今年で閉校になるんやって?」

 

「ちゃんと読んだのか? 正確には大阪武偵高と統合して、この敷地は合宿所とかそんな感じで使っていくって話だよ」

 

「ものは言い様だよねぇ。結局ここは限定的な使用になるわけだしぃ」

 

 酒が入るとまた男の話とかになりそうやったから、もう腹一杯のそっちに舵を取られる前に私から話題を提供したると、2人してちょっとだけ寂しい表情をして教師らしく話をしてくれる。

 

「これでも粘った方ではあるんだがな。直近で言えば、お前ら月華美迅を輩出した実績で先延ばしにはできていたようなんだが、それに続く武偵がなかなかな」

 

「育成っていうのは難しいもんで、私らができるのはそいつの可能性を見出だして、それを磨く術を教えてやることが精々で、そこからどうなるかはそいつ次第ってこと。優秀な教師から漏れなく優秀な武偵が輩出されるなら苦労はないって話よ」

 

「言うてることはもっともやけど、ミッちゃんもユウたんも教える側の人間としては優秀やから、閉校後はどないなるん?」

 

「統合だから大体の教師は大阪武偵高に行くことになるんだが、さすがに全員となると供給過多ってことにはなるから、私も遊姫も別の武偵高の教師として異動になる」

 

「だからこうやってミッちゃんとオールナイトしたりとかもできなくなるんだよねぇ」

 

 京都武偵高はまぁ、慢性的に生徒数がギリギリやったし、経営していくにもそろそろ限界が来てたんやろうけど、母校が無くなるっちゅう話は聞くとやっぱり寂しいもんやな。

 それでミッちゃんもユウたんも来年には別の武偵高の教師として異動になるらしくて、行き先も離れ離れになるんは無駄にミッちゃんに抱きついてわざとらしく泣くユウたんの反応からわかる。

 

「それでミッちゃんとユウたんはどこに行くことになってん?」

 

「私は札幌武偵高になる予定だが、下見に行って馬が合いそうになかったら福岡武偵高が第2候補ってことになってる」

 

「私は母校に決まってるよぉ」

 

「えっ? ユウたん来年から東京武偵高なん?」

 

「そうだけど、雅達の育てた猿飛の小僧は入れ違いだろ? いやぁ、残念だねぇ」

 

 抱きつくユウたんがウザいからか、引き離しながらに自分の今後を話してくれるミッちゃんに続いて、離されて不貞腐れたユウたんも来年から東京武偵高の教師になることを教えてくれる。

 京くんと入れ違いになって残念なんはユウたんの方やと思うけど、そうなってくると私が気になるのは別のことや。

 

「京くんのことはエエねんけど、来年やとほっちん……ねっちんの妹が3年生になるから、向こうでよろしゅうやな」

 

「真田の娘の妹か。わざわざ東京に行って通ってる辺り事情がありそうだが、ミヤが気にかけるってことは特別な繋がりがあるな?」

 

「昔のミッちゃんと私みたいな関係やって。師弟関係ってやつやな」

 

「おっ? ついに雅を師事するやつが現れたか! ミッちゃんも報われたねぇ。武偵庁のサーバーに攻撃してきてたアホが弟子を持つなんてねぇ」

 

「それは今もやってんで……」

 

 ユウたんが東京武偵高でどないな評価を受けるかは未知数やけど、向こうでほっちんとバッタリ会うたら、絶対にねっちんと間違えそうやからそれだけは伝えておこうとしたら、鋭いミッちゃんはその関係を疑ってくる。

 別に隠す気もあらへんし、すぐに師弟関係は暴露したんやけど、何でか親の心境なユウたんがおかしなことを言い出して苦笑。あんたは私の何やねん。

 

「来月に2人とも下見に行くんだけど、猿飛の小僧に伝言とかあったら伝えるよ?」

 

「あー、それ無理やと思うで。京くん今は交換留学でロンドン武偵高に通っとるから、帰ってくるんは12月とかそんくらいやてねっちんが言うとったわ」

 

「おいおい。あの真田の腰巾着が留学してるのか? 人は変わるもんだな」

 

「いいなぁロンドン。ヨーロッパなら私の憧れの『真実を暴く眼』とも会える可能性が高いしねぇ」

 

 その下見も来月に控えとるらしくて、直接の連絡手段がある私に伝言あるかと言われても特にないし、その京くんといま行っても会えへんとわかると露骨につまらなそうにするユウたんに、京くんが留学しとることに素直に驚くミッちゃんの反応はめっちゃ分かりやすい。

 ユウたんの言う真実を暴く眼は私も知るところやけど、憧れとるなら何で探偵やなくて武偵になっとんねんって話やけど。

 

「なんにしてもミッちゃんもユウたんも残りの時間を大切にしときや。また話したいことあったら聞きに来るしな」

 

「その時にはミヤの結婚話が聞けると嬉しいね」

 

「ちょっと待ってミッちゃん。その前に私らがその話できないと寂しくない?」

 

「……せめて彼氏くらいは作っておこうか」

 

 時間もエエところやから私がおいとまするつもりで話を切り上げにかかると、今度は結婚話を持って来なあかんことになってしもて、自分で自分の首を絞めたミッちゃんは、ユウたんに指摘されたことで今後の目標をひっそりと掲げて話を締めるんやった。



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Aiming9~Saki~

 ──もう、6年も経ったんやで。

 雪もそろそろ全国的に解け始める3月20日。

 京都はもう春の気温に近づいてきたかなといったところで、朝から天候にも恵まれて、防寒着もいらん感じの陽気の中を移動。

 午前中はフリーやったから。いや、ホンマはこの日の午前中だけは、何も言わんけど毎年チームのみんなが気を利かして私を働かせんようにしてくれとるのがわかっとった。

 それに対して礼を言ったところで揃って「はっ? なんのこっちゃ」とか言われてまうのは目に見えとるし、私も今さらそないなことをせずに今日を迎えたわけで、そないな気遣いの中でやって来とったのは、辛気臭いと思われるのもしゃーない、墓地。

 毎年この日にだけ来るようにしとる墓地やから、迷うことなく目的の墓石の前まで一直線で来た私の前にあるのは、別に私のご先祖様が入っとるお墓やない。

 その証拠にお墓には『宍戸家之墓』っちゅう進藤家とは響きは似とるけどちゃう名前が刻まれとる。母方の旧姓ともちゃう。

 

「まずはお供えもんして。それから自慢話やな」

 

 決して間違いやないそのお墓に恒例のお供えもんとして、買ってきたフルーツ盛り合わせをバスケットごと供えて、お線香を焚いて手を合わせてから、その前でどっしりとあぐらをかいて座って対面。

 始めはちゃんと立って喋ってたんやけど、年を重ねるとなんやかしこまって話すんがらしくないなぁと思て、いつからかこのスタイルになったんやけど、こないなことで怒りはせんやろ。なぁ、寧々(ねね)

 

「最初の話はそやなぁ……これか」

 

 ものも言えん故人に勝手なことを思いながら、努めて明るい感じで話し始めた私は、順番も何も決めてへんかった話の中からまずはと懐からある免許証を出して見せつける。

 

「じゃーん! 定期運送用操縦士の資格やでぇ! ここまで来ると専門資格やけど、取っといて損はあらへんしなぁ」

 

 去年の秋に取ったばかりのこの資格は、まぁ旅客機とかそんなんを飛ばすための資格やけど、パイロットにならんなら完全に自己満足の趣味枠やな。

 学生時代に自家用操縦士の資格を取って、卒業してすぐに事業用操縦士の資格──武偵活動上で必要やったからな──を取ってのこれやけど、受験料が痛かったなぁ。タダで受けさせてくれへんかな。

 

「今年は重機の操縦資格を取る予定やけど、色々あるし受験料もかかるからなぁ。1つずつ仕事の隙を見てになるし、1発合格せな勿体ないから、また数年単位での取り組みになるかもしれん。それでも三十路になる前には運転できんもんがないようにはなるさかい、期待しとってや」

 

 そんで私が何でそないな報告をこの墓に眠る人。宍戸寧々にしているかっちゅうと、寧々は中等部2年までの私のかつての相棒やったから。

 生まれつき心臓に病気を抱えとった寧々は、そないなことを思わせんくらいに明るくて活発で、嘘やろと話を聞かされた小学生当時は思ったもんやった。

 後から聞かされたことやったけど、寧々は出会った頃から20歳まで生きられるかわからんと医者に余命宣告を受けとって、それに悲観するんやなくて、自分の生涯に後悔を残さんように毎日を全力で生きとった。

 そんな寧々が武偵になりたい言い出して、私もそれに巻き込まれて大阪武偵高の中等部に入ったのは勢いに圧された感じやったか。

 そんな感じやったから私は当時、何か大層な目標もあらんまま寧々の後ろをついていくだけの木偶の坊やったけど、狙撃の才能を褒められてからは腕を磨くんも悪ないなぁと思た。

 寧々も寧々で射撃のセンスがないとわかって観測手に徹したのも束の間で「観測手だけやったら早紀の仕事量に見合わん」とか言い出して、いきなり車輌科と兼科して運転免許を取り出す始末。

 そんで出来たんが『動ける狙撃手』の先駆け。

 この通り名は今や私1人のもんになってもうたけど、中等部の頃は寧々が運転手兼観測手としていてくれて、私が狙撃のみの担当やった。

 実力も当時のダブラ・デュオに派手さで負けてはおったけど、それなりに堅実な実績を積み重ねていっとった。

 

「そやそや。この前にネィの謎の力で自衛隊の新型戦闘機の試運転やってん。大阪から函館まで往復でひとっ飛びしてきたんやけど、やっぱり戦闘機は伊達やなかったで。旅客機なんて目やない速さで着いてしもた。あっ、函館土産はアイとチィが欲張ってしもて持ってくる分が無くなったんは堪忍や」

 

 ──あまりにも急なことやった。

 2年生の終わり。3年生になるいう時期の3月20日。つまりは6年前の今日この日の朝。

 寧々は自宅の自室で静かに息を引き取った。

 前日には明日の予定をいつも通りに確認して別れたはずやった。

 いつも通りに底抜けに明るくて前向きで、私の手を引っ張ってくれる寧々がおったんや。

 私がその訃報を聞いたんは、すでに登校を終えて朝のHRを待つ時間やった。

 朝は自分で起きる寧々がいつまで経っても起きてこんからと見に行った母親が最初に発見して、そこからドタバタしたやろうに、親友やった私には早く知らせなと寧々の携帯からメールしてくれて、学校には私の方から報告して寧々の自宅に駆けつけた時には、静かに眠る寧々の前で涙を堪える母親に抱きついてわんわん泣いたのを今でも鮮明に覚えとる。

 

「ネィのこと、寧々には3回忌の時に話した思うんやけど、ほら、ネィもあれで問題児やったから、武偵高の卒業目前で行方不明になったって話したやん? それが去年にふらーっと戻ってきて涼しい顔で家の仕事しとるんやで? 図太いっちゅうか、こっちの気も知らんで自由やなって」

 

 葬式には参加してあげられんかった。

 親身にしてくれた寧々の両親には悪かったと今も思うんやけど、当時はあまりに唐突なことで気持ちの整理が全然出来んくて、寧々が亡くなってから新学期までの間は自室に引き籠って人生のどん底におった。

 なんとか新学期の登校日からは学校には行けたんやけど、数日くらい心ここにあらずな虚ろな状態でおったせいで、学校側から休学するよう言われてしもて、このままやとあかんと寧々の死と向き合おうと決めた。

 

 そうと決めて寧々の家にお邪魔して、真新しく飾られた笑顔の寧々が写っとる遺影と仏壇の前で、葬式に参加できんかった謝罪とお別れの言葉を紡ぐことができた。

 やけど人間、そう簡単に立ち直れるもんやないから、それから1ヶ月くらいは壮絶なスランプに陥って狙撃の精度がアホなくらい落ちてしもて、依頼なんて受けられん状態に。

 元々が寧々がおっての私の狙撃やったから当然っちゃ当然なんやけど、それにしてもな精度の低下に教師陣も本気で頭を悩ませていた頃。

 

「ネィといえば! その腰巾着やった京がな、東京武偵高に行ったっきりで音沙汰ない中で、ようやく修学旅行Ⅰで京都に戻ってきてな。見んうちに私より大きなっててビックリしたわ。顔もなんや凛々しくなっててエエ男になっとったんやで? あの京がやねんで? っちゅうても京とも寧々は会うたことないしな」

 

 寧々の部屋を整理しとった母親から、渡したいものがあると言われて渡されたんが、小学1年生の頃から毎日欠かさずに書いとった日記と、自分がいつ死んでもエエようにと、1年周期で書き残しとった遺書の最新のもの。

 日記は余命宣告を受けた寧々が、その日その日を全力で生き抜いたことを書き綴ったもので、必ず最後の一行には「明日も元気に頑張っていこう!」と自分を奮い立たせるような言葉を綴って締めとった。

 亡くなる前日の日記にも、その日にあったこと、やったことが映像で思い出せるくらいびっしりと書かれてて、その最後にも「明日も頑張ろう」と力強い字で書いとった。

 蓄積されたそれらノートは段ボール箱いっぱいに綺麗に整理整頓された状態で入っとって、私と初めて会った日の日記には『王子様みたいなお友達が出来た』とか書いとって、ホンマに恥ずかしい言葉のチョイスしとんなぁとつい笑顔になったんをよく覚えとる。

 それからの日記には私が出てこん日の方が少ないくらいには一緒にいたことがわかって、3時間以上もかけて亡くなる前日までの日記を読み終わった私は、寧々がどんな思いで私と一緒におったのかがようやくわかる。

 

「それでも京とネィが戻ってきてくれて嬉かってん。アイはもちろんやけど、チィもミヤも、あのマユでもホンマは喜んどったのがわかって、そん時に改めて思てん。やっぱり背中を預けられると思た存在の大きさは凄いんやなって。語彙力なくて堪忍や」

 

 それから渡された遺書には家族に宛てたものと別に私に宛てたものがあって、その遺書には自分がいつ死ぬかもわからんことを話さんでいてごめんといった文面が冒頭にあってから、寧々が武偵になろうとした理由と、自分がいななった後の私を心配することを書いてあって、その心配は今まさに陥っとったスランプを予期したようなドンピシャなことでビックリした。

 そんで寧々は私が寧々と違って武偵になることに拘ってへんかったことも見抜いて、自分がいななって調子を落とすようなことが続いたら、武偵になるのをやめてもエエとまで書いてあったのは意外やったけど、私もこの頃にはもう武偵を続けるつもりしかあらへんかったから、ナメんなやっちゅう気持ちで続いとったそうしない場合の文面に目を通す。

 狙撃の調子が上がらんくなったなら、自分への義理とかそんなんはエエから、他の観測手を新しいパートナーにして活動して欲しい。

 運転も大変やけど私がやればエエやんとか書かれとって、割とやる側がハードな仕事になるんやけど、あの日記と直前に書かれとる遺書の内容を読んでしもたら文句も出てこんわ。

 

「年越しも盛り上がってん。京が女を2人も連れ込んできてな、これがまた可愛いやの美人やのと贅沢なもんで、京に惚れとるホォが大変やなって思うくらいやったわ。私は京が誰とくっついてもエエんやけど、やっぱり知っとる子との方が応援はしやすいねんなぁ。その前に私が男を作らな寧々も心配か。なんやCMのせいで子供からえらい人気になってもうて複雑やねん。それも何故か女の子の方が多いって。これも寧々が私を王子様とか表現したんが原因やで?」

 

 元々、私は他の子よりも成長が早くて、寧々と会うた頃には他の女子より頭ひとつ抜けて大きかったんがコンプレックスで、大きさとは裏腹に控えめな性格やった。

 それやのに底抜けに明るい寧々と絡むようになってから、私も釣られて活発な方になって、小学校を卒業する頃には男子にも負けんくらいのスポーツ女子になっとったっけ。

 そんな私をいつも寧々は「かっこエエ!」と言って持て囃すもんやから、私もついつい頑張ってしもて、寧々がやればできると言ったことならやれると思えるようになっとった。

 やから武偵になることへの不安もなかったし、寧々がおったら最高の武偵になれる。そう信じて疑わんかった。

 やけど寧々が武偵になる言ったんは、私と将来的に武偵チームを組むことを夢見てのことやなかった。

 寧々は私にとっての太陽で、自分はその太陽に照らされた月のようだと思っとったのに、寧々は寧々で自分が月であって私が寧々にとっての太陽やと思っとったことが遺書には書いてあった。

 

「まぁエエんやけどな。子供は嫌いやないし、あの子らの笑顔を守れてるっちゅう実感も湧いとる。寧々が武偵になる言わんかったら、私を誘ってくれへんかったら、あの笑顔をこの手で守ることもなかったんやから、感謝しとるよ」

 

 寧々がいつも底抜けに明るいんは、ホンマは自分が死ぬかもしれん恐怖の裏返し。

 怖いから笑って吹き飛ばそうと、幼いながらに考えてやっとった強がりやったんやけど、そないなことをずっと続けるんは精神的にもキツくて、日記にも時おり弱音が吐き出されとる。

 そうやって精神をすり減らしてギリギリのところで笑っとった寧々と会ったのが私で、ホンマは色んなことができるはずの私がくすぶってるのを見た寧々は、私を輝かせようとしてくれてたことが日記に書いてあった。

 そんで輝く私の姿を見て、寧々はもっと私を輝かせようとして頑張って、その輝きで困ってる人を助けることができたら最高にかっこエエやろと、私を武偵の道に進ませてくれた。

 寧々は、私が輝く姿を見ていたくて、私っちゅう太陽をもっと輝かせようとその命の炎を燃やしていたことが、遺書には書かれとったんや。

 普通に生きたら私よりも絶対に長く生きられん寧々やから、その限りある命で私の才能を輝かせて、私がみんなを救うヒーロー。王子様になる夢を思い描いていたことが、書かれとった。

 

「マユが海外への出禁解除になったから、今年からは海外に行くこともあるかもしれんし……っちゅうかマユとミヤが先行してアメリカに行っとるわけで……月華美迅もこれからもっと有名になってくはずや」

 

 ホンマはその夢を自分が叶えられたらエエんやけどなとも書いとったけど、自分の見せかけの輝きやなくて、ホンマもんの輝きを見つけてしもたからしゃーないと、その夢を私に託してくれた寧々を、私は恨んだりしない。

 だって寧々は私が……どうしようもなく人を助けてまう、元来のヒーロー気質を持つ人間やって見抜いて、武偵にしてくれたんやから。

 武偵法っちゅう束縛はあるけど、武偵ほど自由の利く人助けはないってよく言うてたな。

 

 寧々の遺言を読んだ私は、翌日から死に物狂いで訓練に努めて、寧々のおらん状態でも狙撃ができるようになろうと頑張った。

 けど現実はそう簡単やなくて、観測手を失った私の狙撃は、寧々のおった頃の半分以下の絶対半径にしかならんくて、車輌科の兼科もせなあかんのに時間だけが過ぎていって焦って……

 悪循環に陥りかけてた時に声をかけてくれたんが、ミヤやった。

 中等部で最高と最低の身長の女子やった私とミヤのでこぼこコンビは、ミヤの立ち上げてくれた狙撃補助プログラムのおかげでその精度を回復させて、寧々とのコンビ以来の状態にまで戻って、さらに上の精度を身に付けた。

 車輌科との兼科もとんとん拍子で進んでまずは車とバイクの免許を取って、足踏みしたせいでそれで中等部を卒業することになってもうたけど、京都武偵高に通った3年間でも大型免許やら取れそうなもんを確実に取っていった。

 

「まぁちゃんと天国で見とってや。寧々が輝かせてくれた私が、これからもっともっと輝いて、あの太陽よりも輝けるその時を見逃さんでくれ」

 

 気づいたら話すこともなくなってしもて、ちょっと長話をしたせいか、立ち上がってお尻が痛なってることに気づいてそこを擦りつつ、頂点に向かって移動する太陽を見て拳を突き上げる。

 現実の太陽よりっちゅうのはさすがに言い過ぎかもしれんけど、そんくらいの気持ちで今年も頑張るぞってことや。相棒ならわかるやろ、寧々。

 

 午後からはまたマユにこき使われるんはわかっとったから、墓地をあとにする足取りは若干重いような気もするけど、入れ違いで墓参りに来た寧々の両親とばったり遭遇して、今も親同士が親交がある関係上、私も割と顔を合わすんやけど、この場ではちゃんとお辞儀をして言葉少なで対面。

 向こうも丁寧なお辞儀を返してから、今年も来てくれた私に笑顔でお礼を言ってくれて、そない当然なことでお礼を言われても恥ずかしくて、まともな返しができへんかった。

 なんとも微妙な空気が流れかけたその時に、タイミング良いんか悪いんかわからんけどマユから割と緊急の連絡が入って、寧々の両親には謝ってから通話に応じると、いつも通りのマユがいつもの調子で私に命令を下してくる。

 

『墓参りは終わりましたやろ? 早紀はんには悪い思とりますが、足がありまへんと困る案件ですのや。やからいま言う住所にすぐ来てください』

 

「あんなぁ……気を利かせてくれてんのはわかっとるけど、もう少し待ってくれへんのかいな。まだ11時やで?」

 

『そう言いはりますが、ウチが待ったところで事件は待ってくれまへんしなぁ。恨むんやったらこんな朝早くに事件を起こして暴れとる犯人に言うてもらえますか?』

 

「ぐぬっ……正論やからぐうの音も出んけど……運転やったらアイかチィでも」

 

『あの2人の粗っぽい運転やと雅が複雑骨折どす。ウチかて運転できまへんから、消去法になりますやろ?』

 

「…………もうわかったわ! 大阪でも兵庫でもどこでも運んだる! 北海道まで飛べ言うんなら戦闘機で飛んだるっちゅうねん!」

 

『エエ返事どす。ほな頼みますえ』

 

 言葉で勝てるはずもないマユに珍しく反発してはみても、やっぱり勝てへんで行くことが決定して通話を切って、言われた住所に向かうために車に乗り込もうと移動しかける。

 すると話が駄々漏れやったからか、聞いてた寧々の両親が失礼を承知でクスクスと笑う姿があって、それには私も恥ずかしいところを見せたと謝罪してすれ違おうとすると、その前に笑うのをやめて声をかけてくれた母親が、優しい言葉をくれる。

 

「早紀ちゃんが立派な武偵になってくれて、寧々もきっと天国で喜んでくれてます」

 

「…………まだですよ」

 

 それは母親としての本心やと思う。

 けど私はまだ、今の自分に納得も満足もしとらん。

 狙撃かてまだミヤのプログラムの補助がないと精度は落ちるし、大型船舶の資格も取れてへん。

 やからまだまだ私はこれからなんや。

 

「寧々が輝かせてくれた私は……進藤早紀はもっともっと輝けますよ。もっと凄い武偵になって、寧々がなれんかった立派な正義のヒーローになりますから、これからも、寧々の分まで、見守っててください」

 

 最後の方はちょっと泣きそうになって、それを隠すように深いお辞儀をしてしもたけど、夢のような私の目標を笑うこともなく真剣に聞いてくれた両親は、顔を上げるように言ってから、その優しい笑顔でそれぞれ一言だけ「頑張って」と言ってくれた。

 それだけで最大限の活力になる単純な私は、続けて「仕事が入ったんやろ?」という言葉で現実に戻ってきて、遅れるとやかましいマユを想像してちょっと青ざめてからまたお辞儀をして両親とすれ違い、停めとった車に乗り込むと、また忙しないプロ武偵の日常へと戻っていった。

 

 ──寧々。私は今、ちゃんと輝けとるかな。



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Aiming10~Liu-Ran~

 上海市のとあるビルの会議室。

 年齢にバラつきはあるものの、その誰もが高級なスーツを着込んだ男性。

 計20人いるその中に1人。私だけが女性であるこの光景にも、もうずいぶんと慣れたような気がしますが、集まった面子の全員が全盛期には豪傑と呼ばれた武闘派の人間なだけあって、顔には何かしらの傷跡が残っていたりとその顔は厳つい。

 

「では劉蘭。君の企画を聞こうか」

 

 藍幇の中将以上の位階が集まって行われていた4月の定例企画会議。

 藍幇では3ヶ月に1度、藍幇の影響力を強めるための企画を立案して持ち込む機会を設けていて、その企画の決議を集まった面子で行う。

 もちろん持ち込みは自由意思なので決議が成される企画は毎回3つほどが精々で、歳を召された方ほど挑戦的な企画は上げてきません。

 しかし私はほぼ毎回、何かしらの企画を持ち込んでは意気揚々とプレゼンをするので、藍幇の元帥が私の名を呼び話の主導権を渡せば、周囲の大将、中将の方々は口には出さないものの「またか」といった雰囲気になる方が半数以上を占める。

 これは私がまだ中将という位階にいることが全面的に認められていない何よりの証拠ですが、そんなことに尻込みしていては、これからの藍幇の変革など夢物語。

 現状維持の姿勢が強い藍幇の今の思想を変えるため、掴めるチャンスを逃すまいと立ち上がった私に対しての視線は様々ですが、女は度胸。

 

「皆様、本日の企画は皆様が想像するよりもずっと挑戦的な要素が少なくなっておりますことを、始めにお伝えします」

 

 そうした始まりから私が用意した資料をプロジェクターに表示し、その横に立って指示棒を手にプレゼンの姿勢に。

 画面の切り替えは同行させた機嬢がしてくれて、今回はやけに協力的なことには疑問はありつつもプレゼンを始める。

 

「この中にもご存知の方がおりますでしょうが、今年の6月に上映予定となっているこちらの映画。撮影は昨年の夏に行われましたが、その撮影はここ中国、北京を中心としております。出演俳優には香港のアクションスター。アメリカで有名な俳優の息子が主演ということもあって話題性はかなり高いものとなっております」

 

 表示した画面には今年放映される映画の表紙とタイトルと主演の写真があり、元来の武闘派の方々も映画が有名なドラマのリメイク作品であることも説明すれば食いつきが悪くない。

 

「そこで映画の上映時期を見計らって、日本ではポピュラーになってきている聖地巡礼。いわゆる観光ビジネスの1つで、映画の舞台となった場所に実際に足を伸ばして、作品の空気に触れようといった主旨のお手伝いをまとめて引き受けようというのが、今回の企画になります」

 

 映画による宣伝効果が見込めると説明してから、いよいよ本命となる観光ビジネスの説明をしてみますが、企画が観光ビジネスだとわかると渋る顔がチラホラ。

 その理由は私にもわかり、要は『そんなことは他もやっている今さらなこと』という意味合いでしょう。

 ですがプレゼンとは落差をつけることでその効果を劇的に上げることができる魔法がありますから、私もそうした普通に行き着く結論に導いてから画面を別のものへと変えてプレゼンを続行。

 

「何をそんな大仰にとお思いになった皆様。私もそれだけではお客様の目を引く観光には1歩足りないと感じます。ですがこの聖地巡礼に特別なオプションを付けることでその1歩をたぐり寄せることができるのです。具体的にはこちらにあるように、今回の主演お2人を事前にお招きして撮影場所を先行して回り、その時々で撮影時のコメントなどをいただくことで映像とし、編集されたその映像を観光参加者に観ていただくことで、より観光地への期待感を煽ることができます。さらに観光の最終日のために主演お2人から特別なコメントをいただき、最後に流すことで、この観光でしか味わえない特別な時間を提供しようというわけです」

 

 そうして今回の企画に不覚にもワクワクしたような方がそれでも威厳を保つように咳払いなどをして誤魔化しましたが、感触は上々といったところでしょうか。

 詳しい内容については早急に詰めなければなりませんが、他の観光ビジネスに負けない強みを打ち出したことで決議も賛成が多数の空気になりかける。

 しかしそう上手くいかないことも理解していたので、冷静にプレゼンを聞いていた元帥から鋭い指摘が飛んできます。

 

「話はわかったが、肝心の主演2人を招いての映像の作成は可能なのかね?」

 

 さすがは元帥といったところで、その質問が出てきた瞬間、少し浮かれていた皆様が現実に戻ってきたように企画の根幹に関わる無理難題に対して難しい顔を私へと向けてどうなんだと睨み付けてきます。

 ですが私はできないことを口にするような愚かなことはしません。

 

「ご安心ください。先日、とある映画制作会社とのコネクションで、こちらが望むのであれば今月中までにならば取り付けるとお約束いただき、実はすでにお招きしております。到着は本日の夜で、明日から2日をかけて映像作成に協力いただけることになっています。報告が遅れたことを謝罪いたしますが、作成予定の映像はこちらで企画が否決になった場合でも無駄にならないように配慮はしております。ですが若干、藍幇には利益が少ない結果になることは間違いありませんので、懸命なご判断を皆様に委ねようかと思います」

 

 こうしたことを涼しい顔でやってのけてしまうから、私のことを一部では『食えない女』と呼ぶ者も少なくなく、今も可決にせざるを得ない状況にされていたことを知らされて悔しそうにする皆様が、さらに険しい顔で睨み付けてきます。

 が、そんな私に対して元帥だけは開き直りなのか声高々に笑ってみせて、皆が呆然とする中で私を真顔で見て口を開く。

 

「こちらに不利な条件を飲ませる手口はよくあるものだが、こちらに有利な条件を突きつけて選べときたか。その強引さはあっぱれだ。次の定例会議での結果報告を楽しみにしよう」

 

「それでしたら次の会議は月末に開催してください。そうでなければ時期的に報告もできないものになるかと」

 

「では次の定例会議は7月31日の開催とするか」

 

 元帥がそうして私の企画を認めたことで、他の皆様も否決にして得られる利益を失うことがほぼ確定している事実に納得して、企画は可決の方向となり、プレゼンを終えた私がホッと息を吐いて指示棒を下ろすと、パソコンを操作していた機嬢も心臓に悪いといった表情で私を見てくるのでした。

 

「お前に付き合ってたら寿命が縮まるネ」

 

「あら、曹操の子孫がこの程度で音を上げては示しがつきませんよ?」

 

 その後、定例会議は滞りなく終了し、私のプレゼンの時にだけ入室していた機嬢が会議室を出るなり私の腕を引っ張って他の皆様の目の届かないところまで移動してからそのような文句を言ってきましたが、14歳にはまだ耐えられない空気のようですね。

 私も中将になってもうすぐ1年になりますが、あの空気は苦手です。

 でもあの緊張感があるからこそ、私は弱音を吐く暇がなくて頑張れているような気もするので、機嬢にもいつかそのくらいの胆力を身に付けてもらいたいですね。

 次代の藍幇は私達が築くわけですから、ココ姉妹も実力は確かなので、あの舞台に上がる時はいつか来るはずです。

 

「……劉蘭の挑発、乗っても旨味ないヨ。それより早く北京に行くアル!」

 

「そうですね。出発時間もあと30分ほどですから、待たせてあるタクシーの料金が上がる前に駅に向かいましょうか」

 

 そうした意味で期待を込めた挑発をしましたが、機嬢は4人の中で理知的なので生産性のないことはせず、それよりもと私の腕を再び引いてさっさと北京に行きたい旨を伝えてくる。

 その表情は14歳の少女そのもので、何をそんなに楽しそうにしているのかはプレゼンの時の機嬢のノリノリな感じでわかりました。

 

「それにしても機嬢はミーハーですね。そんなに有名俳優と会えることが嬉しいのですか?」

 

「当たり前ネ! どこの名前も知らない男なら見向きもしないアルが、来るのがあの人なら話は違うヨ!」

 

「ふふっ。実は私も楽しみなんです。私が生まれる以前から活躍している大スターですからね。サインはどうしますか?」

 

「り、劉蘭から切り出してほしいヨ。ココじゃ最悪、現場に迷いこんだ子供に間違われるネ……」

 

「タイミングの話をしたつもりでしたが……では機嬢の分も私が書いてもらいますから安心してください。その代わり、護衛の方は狙姐と一緒に頑張ってくださいね」

 

「任せるアル! 北京にいる間の劉蘭の安全はココ達が保証するネ!」

 

 上海駅へと向かうタクシーの中で、私の想像以上に今回の企画に乗り気だった機嬢の興奮は収まることがなく、ほぼほぼ独占インタビューに近い今回のこれには内心で私も興奮していることを伝える。

 こうなると私と機嬢もただのファンであり乙女で、これから会える大スターに自然と笑みがこぼれる。

 

 上海駅から北京駅とを結ぶ京滬(けいこ)線は、その総距離を約1500kmとしていて、移動だけでも10時間以上かかってしまいます。

 なので到着する頃には来客をもてなす時間を過ぎて早朝になってしまうこともあり、そうなることを見越して狙姐と静幻を北京に先行させて、現地で協力してもらう方々と合流してもてなす準備をしてもらっています。

 広い中国でのこの移動時間はアメリカなども抱える問題の1つですが、この京滬線も来年には新幹線を通すことが出来るようになり、その京滬高速鉄道が開設されれば、上海虹橋(シャンハイホンチャオ)駅から北京南駅の間を最短で約5時間にまで短縮される予定となっています。

 それには私たち藍幇も1枚噛ませてもらっているので、式典には元帥が呼ばれるのではないでしょうか。

 その京滬線の寝台電車に揺られて終点となる北京駅に到着したのは早朝にあたる時間帯で、始めこそワクワクでお喋りをしていた私と機嬢でしたが、やはり眠気には勝てずにぐっすり6時間ほどは睡眠を取って到着したので、降りた時には2人して快調。

 ここ最近は仕事続きでまとまった睡眠時間を取れなかったため、この睡眠は体に良かったらしく、迎えに来てくれた静幻と狙姐が揃って「顔色が凄く良い」と褒めてくれる。

 これからのことを考えれば疲れた顔を見せずに済むのでありがたいことですが、まだやっておくことはあるので、静幻と狙姐にはお2人の歓迎が何事もなく済んだ報告を聞いてから、宿泊先となるホテルへと直行して急いでシャワーを浴びて朝食を済ませて、現地のスタッフと合流してから段取りのチェック。

 その辺は静幻が事前にまとめてくださったおかげで、私は段取りを聞いて細かい部分のチェックだけになり、あとは現地で順応していこうと一同に声をかけておきます。

 この声かけはあまり意味のないものと思う人が多いのですが、私の場合は単に律儀や礼儀などといった括りで語れるものではなく、性質的に意味が出てきてしまう。

 

 私は生まれつきというか、そのような感じで人から疑われにくく信頼されやすい性質を持っていて、敵意や悪意といったマイナス面の感情さえなければ、大抵の人は私のことを初対面でも自然と受け入れてしまうらしいのです。

 そうした元来の性質の持ち主を天衣無縫。日本でわかりやすく言えば天真爛漫ということで、周囲に好かれやすいこの性質のおかげで今の位階に登り詰められた部分は確実にあります。

 もちろんそれだけで登り詰めたなら、人につけこんで得た地位などと言われてしまうでしょうが、私は決してそのような性質を利用して歩んできたつもりはありませんし、私のことをちゃんと認めてついてきてくださる静幻や趙煬といった存在も大きい。

 ですがやはりそんな私を好意的に見られない者も藍幇には多く、表向きには良い顔をしてくる人の中には、今の地位から引きずり下ろそうと企む者も少なくない。

 特に同性は賛否が真っ二つで、好きか嫌いかの2択でどっちつかずの人はおそらくいないでしょうね。

 実際に中将になる以前は頭角を現した辺りで陰湿ないじめに遭って出る杭を打つ勢いで妨害をされましたし、青春と呼べる学生時代は私にはなかったかもしれません。

 それでも頑張れたのは、その頃はまだ生きていると信じていた約束。京夜様との婚約があったからに他ならなく、それだけを支えに頑張れた私は、今にして思えばかなり異常な執念で食らいついていたように思えます。

 だからなのか、ココ姉妹のように正々堂々と喧嘩をしてくる存在は私にとって内心で嬉しいものであり、嫌いと言いながらも互いにその存在と実力を認め合う対等な関係になれていた気がします。ココ達がどう思っているかはわかりませんがね。

 

「どうしたネ、劉蘭……ちょっと気持ち悪いヨ」

 

 打ち合わせも終わっていよいよ主演俳優お2人をおもてなししながらの映像作成が開始され、ちゃんとした撮影スタッフと機材でロケさながらの体制で撮影ができ、私達はそれをバックから眺めて同行する形でついていっていました。

 その最中にここまでの私の道程を振り返って笑みが浮かんでしまっていたのか、横にいた狙姐からちょっと失礼なツッコミが入って冷静になると、ココ姉妹を褒めてしまった手前、それを口にするのは恥ずかしかったので「ちょっとした思い出し笑いです」と誤魔化しておきます。

 それに納得するような狙姐でもありませんが、良からぬ企みをしているわけではなかったのは理解して特に気に留めることもなく撮影風景にまた視線を戻して目を輝かせていた。

 

「それにしても、趙煬には悪いことをしましたね」

 

「そうですね。彼あっての今回の企画の成立ですから、来られなかったのは本当に残念ですが、来られない理由もまた悩ましいところです」

 

 目の前では2人の俳優が撮影時に食べていたものを食べて振り返る場面を撮っていて、それを見ながらに狙姐とは反対の隣でフラッシュがつかないカメラで時おり写真を撮っていた静幻に話しかけてみますと、本来であれば私の護衛を任されているはずの趙煬がこの場にいないことを残念なようなそうでないようなといった微妙な返事が。

 実は今回のこの撮影は、3月の半ば頃から映画の撮影でアクションシーンの代役をしてくれた趙煬が、その映画監督に酷く気に入られたことから実現した背景があり、結構な無理を通していただいた条件として、趙煬をそのまま映画の役者として使わせてほしいと言われ、趙煬の合意も得て今に至っています。

 その撮影が上手くいけば趙煬もなんとかスケジュールを合わせて合流する手はずではあったのですが、超人、趙煬でもアクションシーンはNG知らずのキレキレの演技はできても、台詞を与えられての演技には悪戦苦闘しているようで、撮影もそこで難航しているようです。

 

「ですが趙煬が悪の親玉役なんて、意外と合っていると言いますかなんと言いますか」

 

「それは本人には言わないのが懸命でしょう。本人としてはあの方のようなアクション俳優が憧れでしょうし」

 

「そちらも問題ないでしょう。趙煬が評価されたのは類まれな身体能力と幼い頃より精練された功夫(クンフー)によるものです。それは間違いなくあの方にも引けを取らない天賦の才。それが世間にも認められれば、自ずと今後の身の振り方も変わっていきますよ。何よりまだ趙煬はスタートラインに立った段階ですから、何もかもがこれからです」

 

 あの趙煬が日々を悩みながら演技に励んでいる姿はなかなか珍しく、それをこの目で拝めないことを少しだけ悔やんでいる旨のことを口にした私に対して、あくまで冷静なツッコミをする静幻は後々に都合の悪いことを言って趙煬に知られるのを恐れているようですが、私はそんなに酷いことをするように思われているのでしょうか。心外ですね。

 おそらく私ではなく狙姐と機嬢がチクることを想定して言葉を選んでいるのでしょうが、私としては本音で話してほしいところなので少し残念です。

 そうしたところで静幻とは腹を割ってのブラックトークが出来そうになかったですし、狙姐も機嬢も目の前の撮影に釘付けで私との会話など邪魔にしか思わなそうで、ちょっと口と耳の方が暇になってしまったところ。

 唐突に私の携帯に着信があり、相手が誰かと確認してみると、このところ忙しくてお相手ができていなかった理子様だったので、話し相手が向こうからやって来てくれた幸運に感謝しながら通話に応じます。

 

『おっすおっす! 今はお暇だった?』

 

「丁度いま話し相手がほしいと思っていたところでした。理子様は今のお時間ですと学校なのでは?」

 

『依頼で今は校外なんだよねぇ。3年生になると依頼の質も上がるから大変ですよ』

 

「その割にはこうして私に連絡する余裕はあるのですね」

 

『何事にも息抜きは必要なのですよ。それよりもさぁ、この前アリアが……』

 

 理子様はいつもこっちの都合などお構いなしに自分が話したいことを勝手にペラペラと喋って、それに対しての反応がどうであれ、それによって溜め込んでいるものを吐き出すところがあります。

 始めはほぼ一方的なそれには戸惑いましたが、こちらがつまらなそうな雰囲気になれば、いち早く察して話題を変えたりと意外と空気の読める方で、歯に衣着せぬその言動は聞いていて心地よさを覚えることもあります。

 

「……そうなんですね。アリア様も理子様に似てプライドが高い方ですから、喧嘩もほどほどになさってください。それよりも理子様、いま私はとても凄い方と一緒にいるのですが、知りたいですか?」

 

『なぬ? 蘭ちんが凄いというからには、相当なあれですかな。何系の人?』

 

「芸能系です。香港出身の男性ですよ」

 

『ほほう。理子りんに凄いとわかる香港のスターですか。ならその男はズバリ……サインもらって送ってください!』

 

「ふふっ。かしこまりました」

 

 何よりも私にとって理子様は、初めて対等に接してくれた大切なお友達であり、同じ人を好きな恋のライバル。

 恋敵というとドラマなどではもっとギスギスとした関係で描かれるものですが、理子様に抱く感情はそうしたネガティブな要素はなくて、これからもずっと仲良くいたいという思いと、絶対に負けたくないという思い。それと同時にこの人になら負けても悔いはないと思える不思議な感情が混在している。

 

『ああそうだそうだ。来月に修学旅行Ⅲでキョーやんに押し掛け女房やってくるんだけど、プレゼントしたいものとかある?』

 

「えっ!? そんな急に言われても何を差し上げればいいのやら……」

 

『いやいや、今日明日の話じゃないし、考える時間くらいあげるって』

 

「そ、そうですよね。もちろん差し上げたいので、決まった際にはご一報させていただきます」

 

 理子様もこうしてライバルであるはずの私にもチャンスを与えるようなことをわざわざしてくださるので、私のことを対等な存在として扱ってくださっているのかなと感じます。

 おそらくは私の恋のライバルとしては最大の敵である理子様ですが、私も理子様の正々堂々の姿勢に応えて、いつか京夜様が出してくださる決断に納得ができるように、悔いのない勝負をしていきます。

 

「……負けませんからね、理子様」

 

『ハッ。かかってきなよ劉蘭。こっちも負けるつもりなんてないからな』

 

 それを言葉にしてみると、意味を汲み取った理子様はいつもの様子から一変して本気モードで返してくれて、またすぐにいつもの調子に戻って通話を切っていってしまいました。

 最短であと1年。後悔は残したくないですね。



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Aiming11~Zhao-Yong~

 

「はいカットカット」

 

 もう何度目になるだろうか、この現場で一番の地位を持つ人物のその声で俺を含めた全員が張り詰めていた緊張を解いてリラックスする。

 対してその言葉を引き出した原因である俺は、一向に改善できない問題について完全に八方塞がりで周りの声がどこか遠くに聞こえていた。

 

 2010年4月末。

 先月の半ば頃に劉蘭の仕事の一環として、投資していた映画会社の新作映画の制作現場を見学させてもらった時に、悪の組織のリーダー役がアクションシーンの撮影で怪我をし、その代役として俺がやったところ、映画監督がそのアクションを高く評価してくれる。

 映画制作も序盤だったこともあって、悪の組織のリーダー役をそっくりそのまま俺を起用して制作したいという話が持ち上がり、その際に劉蘭が「ギャラはいらないから、何か別の要望を聞いていただければ」という交渉で今に至る。

 その時に監督が出してきたのがとある香港スターとのコネクションだったこともあり、またいつもの悪巧みを思いついた劉蘭は、今頃は北京でそのスターとの時間を満喫していることだろう。

 俺さえまだ遠目にしか見たことがないあの人と会えるチャンスが降って湧いたのに、肝心の俺が撮影で会えないというのは残酷としか言い様がない。

 いちおう映画監督とは『撮影が順調にいけば行ってもいい』といった約束はしていたのだが、何ぶん経験の全くない役者という仕事に四苦八苦。

 アクションシーンは日々の鍛練の延長で難しさはあまりなかったが、寸止めやある程度の手加減をしなければいけないことの方に窮屈さを感じてしまった。

 そうしてアクションシーンだけはトントン拍子で撮り終えていたのだが、肝心の台詞を与えられた演技の方でNGを連発。

 アクション俳優には叶わないと思いながらも憧れはあったから、魅せる動きというのはそれなりに研究していたのだが、肝心の台詞回しは周囲に話したこともなかったから、相手がいる中でと、撮影の現場の空気にはどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

 

 演技指導はちゃんと受けながらで少しずつ棒読みな感じや表情は改善されてきてはいたものの、1つのシーンにかかる時間は割増しで予定も滞ってしまっている。

 素人同然の俺を起用しようと言い出した制作側としてもかなり寛容な対応で付き合ってくれてはいたが、やはり撮影が遅れるというのは精神的な疲労にはなり、俺にとっても長引けば長引くほどに罪悪感が増していく。

 何より俺自身もいつまでも劉蘭の護衛をココ姉妹に任せておくわけにはいかず、劉蘭が取り計らっているとはいえ、上海藍幇からいつ何を言われてもおかしくない状況でもある。

 そうした色々なことが混ざって地に足がついていない感じが演技にも影響しているのがわかって、監督も俺の調子が上がってこないのを見て、台詞付きだからと残していた要所のアクションシーンの撮影をして調子を上げさせようとする。

 俺としても残っているのが演技だけと思うから「まだあるのか」という気持ちが消せず疲労に繋がっていたかもしれないので、体を動かさせてくれるのはありがたい。

 

「じゃあシーン12。アクション!」

 

 撮影シーンは物語の序盤で悪役のリーダーの実力を主人公とその仲間達に見せつけるところで、圧倒的な強者感を存分に出して高圧的に台詞を言ってくれと指示があり、俺もそのつもりで迫真のアクションから言ってみるのだが、対面している役者がキャリアのある人達で、俺みたいな若造が演技とはいえ高圧的になりきれるかというとそんなことはなかったようで、やりきれてないのを監督が感じたからNGが出てしまう。

 主人公サイドの役者からも「遠慮なんていらないから」と優しく言ってくれるが、その優しさがなんというか気持ち悪く、いっそのこと「ちゃんとやれ」と怒鳴ってくれた方が開き直れるような、そんな気までしてきた。

 そうやっていつまでも役に入りきれない俺を見た監督は、演技自体の上達はしてきていると言ってくれて少しだけ前向きにはなれたが、もうひと押し何かがあればと考えたのを表情から察したのか、妙案を出してくれる。

 

「悪役ってのはなりきれって言われても、根っからの悪人なんてそういねぇからな。参考とかしにくいのはわかる。だから目の前のやつらを『お前さんの気に食わない奴ら』に置き換えて、ストレス発散する感じでやってみるのも手かもな」

 

「八つ当たりみたいなもので気が引けますが……」

 

「目の前の役者じゃなくてその気に食わない奴らに言ってると思い込め。お前さん、見かけによらず優しいのがわかるから、そうでもしないと悪役なんてやりきれないぞ」

 

「気に食わない奴らに……置き換える」

 

 監督としても起用を決めたからには妥協はしたくないのだという意志がそこから伝わってきて、俺の中途半端な演技が監督の作品をダメにするかもしれないという現実と向き合う。

 そうすれば自ずと変換する作業に関しては上手くいきそうで、頭に浮かんだ気に食わない連中を役者の上に被せて、そこからそいつらから被ったストレスをぶつける直前に持っていく。

 それだけで俺の拳がわずかに震えたのが見えたらしい監督は、その状態がいつまで保つてるかわからないから、すぐにスタッフ達に呼び掛けてシーン撮影に入ってくれる。

 日頃から上海藍幇の老害達が革新派の劉蘭を煙たがって、その位階を下げる機会をうかがっている様を思い出し、何でも力で解決してきた老害達のやり方が敵の排除以上に増やしていることにも気づかないのかと、その怒りをアクションと台詞に乗せて吐き出す。

 

「お前達が敵に回したのがどんな男か、その身を以て味わいたいようだな」

 

 自分ではどう変わったかをいまいち把握できないため、そのあとのアクションシーンに繋げてくれたことから、監督は納得してくれたようで、そのまま次の台詞とアクションも監督のカットが入ることなくシーンを撮り終えることができた。

 予想よりも結果に繋がった意識の置換は、他の役者からも急に段違いで良くなったと評価されて、今までどんよりとしていた現場の空気がパァッと明るくなったのが俺にさえわかって、こういう空気は勢いと言うように監督は次に詰まっていたアクションなしのシーンを撮ろうとノリノリになる。

 俺としても今のでいいならまだ怒りの矛先はあるので、それらに対する怒りが尽きる前に撮れるだけ撮りたいという思いで監督の指示に迅速に行動し、気に食わない連中を頭に浮かべながらに高圧的な見下すような演技で挑んでいく。

 その結果。今日の分で今までの遅れを半分ちょっと取り戻してシーン撮影が終わり、明日からもこの調子でいければ、クランクアップも来月の頭にできるかもと監督が言っていた。

 何より俺の役が出るシーンは7割以上も消化できている。山場のアクションシーンは最後に撮ろうという監督に意向から考えれば、そこにモチベーションを持っていきつつ、問題の台詞回しがどうにかなればと考えながら、その日の内に明日から吐き出せそうな怒りを記憶から引っ張り出して眠りに就いていった。

 

 翌日からの撮影も今までの鈍足ぶりが嘘だったように順調に撮り終えていき、好調3日目からは主演の役者などとも演技について話し合ったりする余裕まで出てきて、完全にノッてきたといった感じが自分でもわかって、憧れていた役者という仕事を楽しんできている心境の変化は心地よいとさえ思えてきた。

 そんな頃に無事に企画していた観光プランに使う映像を撮り終えた劉蘭から連絡があり、明日にはクランクアップも見えた山場の撮影が控えていることもあって、ホテルで入念に台本のチェックをしながら携帯をスピーカーにして会話に応じる。

 

『こちらもこれから映像の編集に立ち合っての作業が始まりますが、そちらの調子はどうですか? 監督さんから悲鳴が聞こえてこなかったので最悪の事態は避けているものと思いますが』

 

「それは俺を馬鹿にしているのか。そっちこそ、招いておいて失礼を働いてないだろうな」

 

『あら、そんなことを言う趙煬には折角いただいたサインを差し上げるのは気が引けますね』

 

「……ちっ。そういうところが老害達に嫌われているんだぞ」

 

『状況と相手は選んでやってますから、無闇に敵を作ったりしませんよ。ご忠告ありがとう、趙煬』

 

 昔から鋼の精神力で物怖じすることなく前進してきた劉蘭だが、誰に対しても媚びるような態度だけはしなかったから強かさは異常なほどで、生来の天衣無縫と合わさって味方と敵の数がほぼ半々になってしまっている。

 その強かさを俺にまでたまに向けてくるのは迷惑極まりないが、デコピン1発で倒せてしまえるほど弱い劉蘭を見限らないのは、やはり劉蘭には天賦の才と呼べる人の上に立つ才能があるからなのだろう。

 劉蘭の先祖、劉備玄徳がかつての蜀を人望で築き上げたように、その中にいた俺の先祖の趙雲子龍も、静幻の先祖の諸葛孔明も、今の俺と静幻のように劉蘭の『何か』に期待していたのかもしれん。

 

『クランクアップの後はまた私の護衛にしばらくついてもらいますが、映画の評判と要望によっては今後、本格的にアクション俳優として活動してもいいように進言してみたいのですが、趙煬にその意思はありますか?』

 

「…………それは可能性としてあり得るのか?」

 

『あなたが望むなら、必ずや通してみせますよ。何よりも幼い頃よりそばにいてくれた趙煬に恩返しができるのであれば、願ったり叶ったりです』

 

「俺がお前にしてきたことを恩に着せたつもりはない」

 

『感謝しているという話ですよ。こういうことでもないと、あなたは素直に受け取ってもくれませんでしょう』

 

 おそらくは冗談だった挨拶を終えてから、互いの仕事に支障がないことも確認が取れて話したかったのだろう案件を切り出してくるが、俺にとって少し予想外な提案が飛んできたので珍しく戸惑ってしまう。

 劉蘭にさえアクション俳優になりたいという夢は話したことがなかったのだから当たり前だが、俺の背中を押す劉蘭の言葉は本心では嬉しくて、それでも日頃の感謝だなんだと言われるのはしっくりこない。

 物心ついた頃から妹のように後ろをついて回ってきた劉蘭は、俺にとっては守るのが当然の存在であり、俺個人としては劉蘭の親以外の保護者だと勝手に思っている。

 それは今も変わらないし、当たり前のことをしている俺にとって感謝されるということの違和感は拭いきれないものがあるが、向こうも勝手に感謝してきたことなのだから、今回は素直に受け取ってやろう。

 

『話は進める形でいいと解釈しますね。そ、それでその……話は変わるのですが、趙煬に意見をうかがいたく思います』

 

「なんだ改まって」

 

『実は先日に理子様よりご連絡があって近々、学校の修学旅行で京夜様のいらっしゃるロンドンに行かれると話していて、その際に京夜様への贈り物はないかと尋ねられまして。その贈り物について趙煬から意見をうかがいたいのです』

 

 …………ああ、またか。

 俺が了承したとみて話を進めると言った劉蘭は自分のことのように嬉しそうにしていたが、打って変わってモジモジした態度になった劉蘭がそうなるのを、俺はもう数えきれないほど見てきたからげんなり。

 普段は女であることすら忘れていそうな、女狐の劉蘭だが、かつての許嫁であった猿飛京夜の出てくる話をする時だけは、ドン引きするくらいの乙女に変貌してみせるわけだ。

 物心ついた頃からある突発的な猿飛京夜への依存症は、自分が何をすれば相手が喜んでくれるかを考える際に、一番身近な異性として俺を参考にすることが多い。

 こうなってしまえばいい加減な態度で接すると「真面目に考えてください」とトーンが落ちた声色で脅され、まともな意見が出せないと後日には考えすぎで寝込んでしまうという悪循環がよく発生していた。

 さすがに佐官になった13歳くらいから寝込むような事態はなくなったが、真面目に答えないと怒るのは今も変わらない。本当に面倒だ。

 

「お前ももう18になるんだ。いい加減に自分の選択に自信を持て。毎度思うが仕事での度胸はどこに行くんだ」

 

『それとこれとは話が違います! 京夜様は余程のことでなければ喜んで受け取ってくださるでしょうが、本当に素直に喜んでくださる物をお送りしたいという気持ちの迷いの何が悪いのですか!』

 

「そんなエスパーでもなければわからんようなことで悩んでるなら、いっそのこと本人に尋ねればいいだろ。昔と違って今は直接の繋がりがあるんだから、それを利用しない手はないだろう」

 

『そのような私的な理由でのご連絡は、勉学のために留学されている京夜様に失礼極まります。ですから男性の代表として趙煬の意見を参考にと尋ねているのですよ』

 

「…………それで意見そのままに送って微妙な結果になった時には俺のせいにするつもりだろ。その手は食わん。好きな男への贈り物ひとつ自分で選べんなら、男を好きになるな」

 

 その面倒臭いという気持ちがちょっと表面に出てしまった結果、なんだか素直に言うことを聞いて意見するのが嫌になった俺は、いつまで経っても兄弟に頼る妹気分の劉蘭に厳しい言葉を発してしまう。

 怒ってる感じでは言ってないつもりだったし、俺が意見しないまま話を終えれば、次は静幻辺りが捕まって意味がないものになる可能性が高かったから、とどめに結構な本音を浴びせて黙らせてやる。

 すると面食らったらしい劉蘭は携帯越しの向こうでしばらく沈黙し、ようやく口を開いて出てきた「そうですね」から興奮気味だった気持ちを落ち着かせて続ける。

 

『趙煬の言う通りです。大切な想い人であるからこそ、自分で選ばなければならないのだと気づきました。相手のことを想って選んだ贈り物にこそ、意味があるのでしょう』

 

「……お前は落ち着きさえあれば聡い女だ。それに自覚はないだろうが……歳の割には大人びた雰囲気もある。自分に自信を持たないのは勿体ないぞ」

 

 仕事での鋼の精神力がここでも活きれば、劉蘭はもっと達観して物事を考えられるのはわかっていた。

 それができるようになりそうな今になら優しい言葉のひとつくらいはかけてやってもいいかと思って言ってみたら、何故か携帯の向こうから小さな笑い声が聞こえてイラッとする。笑うところではなかったぞ。

 

『趙煬が私のことを仕事以外で褒めてくれるのは初めてですね。ありがとう。あなたが私のそばにいてくれて本当に良かった』

 

 そうだろうと思って怒ろうとしたところで、不意にそんなことを言うから俺も咄嗟に言葉が出てこなくて沈黙してしまうと、携帯越しの俺の表情がわかったかのように一方的に話を終わらせて通話を切ってしまった劉蘭に、結局はいいようにされてしまった事実がのしかかる。

 だが今回は少し、ほんの少しだけだが、まぁ悪くはなかった気もするな。

 

 そんなことがあっての翌日の撮影。

 この日も順調に撮影は進んで、残すところはクライマックスとなる主人公との一騎討ちのアクションシーンのみとなり、背景が夜のため日が完全に沈むまでの待ち時間で気持ちを作ろうと置換を始めて、気づいてしまう。

 いくら日頃からストレスの溜まる仕事をしていたからといっても、それが際限なくあるわけもなく、怒りをぶつける対象が思い付かなくなっていた。

 好調だったことからポンポン頭に浮かんできて気づくのが遅れたが、クライマックスシーンともなれば監督の熱量も最高潮になり、それに合わせて俺も考えうる最高のコンディションを作らなければならなかった。

 つまり最高の怒りをぶつける対象を残さなければならなかったのだが、思い付かないということはそういうことだ。完全に失敗してしまった。

 現場の空気も好調のままだから、ここで明らかに見て取れるNGの1つでも出せば、たちまち空気は一変し、最悪また泥沼化してしまう。

 それだけは阻止しようと待ち時間の間に必死になって対象を探してみたが、やはりおあつらえ向きな顔は浮かんでこず、ついにクライマックスシーンの撮影となってしまった。

 とにかく好調の時のイメージを膨らませて、今まで怒りをぶつけてきた対象を再度頭に浮かべて無理矢理にボルテージを上げてみるが、とてもじゃないが最高の状態とは言えない。

 そんな状態で主人公役の役者と向き合って構えた瞬間。この作品の台本の内容が鮮明に思い出され、この主人公の姿がある男と被る。

 

 俺などよりも力ではずっと劣りながら、敵わないと頭では理解しているはずなのに、それでも立ち向かわなければならないとなった時にする覚悟の表情と眼。

 それは去年の末に出会った劉蘭の元許嫁、猿飛京夜の姿とそっくりそのまま重なってきた。

 あの時。藍幇城での戦いでそうだった。

 俺の登場を先んじて察知し、誰も敵わないだろうと踏んで仲間を先に行かせ、何分持つかもわからない俺の足止めを買って出て立ちはだかってきたあいつの姿が、目の前の光景と重なる。

 そして始まるクライマックスシーンの撮影。

 終盤にきても主人公とボスとの実力差はまだあり、何度も地面に倒してみせるのだが、その度に立ち上がってくる主人公と、あの時のあいつの姿が、重なる。

 

「何故だ。何故まだ立ち上がる?」

 

 ──何故だ。何故お前は諦めない?

 

「そんなの……決まっているだろう……」

 

 ──勝てないとわかっているのだろう。それでも立ち上がって向かってきて、何を求める?

 

「大切な仲間を守るためには、お前を倒さなきゃならないからだ!」

 

 ──大切な仲間を守るため、か。

 あの時のお前も、やはりそうだったのか、猿飛京夜。

 勝てないとわかっていても、仲間の危機には逃げたくなかったと。立ち向かわねばと奮い起ったのか。

 それは自己犠牲の破滅の道。たとえそれで守られる者があったとしても、残された者はどう思う? お前のいない世界を受け入れられるのか?

 気づけば演技の中で自問自答をしていた俺は、一転して主人公の猛攻に切り替わった場面で徐々に押されていき、ボロボロの主人公からついにクリーンヒットの蹴りをもらって初めて地面に倒れる。

 その迷いとも取れる葛藤も撮影の中で良い表情を作ったらしく、動揺したボスは最後の力を振り絞ってラッシュを仕掛けた主人公に敗北。

 もう立ち上がれないほどのダメージによって倒れた俺が、夜空を見上げながらにその答えを星を探すかのように見つけ、意識を手放す演技で締めるが、その時の俺は主人公の在り方とこの結末を肯定してなどいなかった。

 命あっての物種とはよく言うが、自分が死ぬ気で物事を成そうと、それは自己満足でしかない。

 それならばその抗えない力を越えた力で以てねじ伏せられるようになればいい。単純な話だ。

 だから俺は今のお前を完全に認めてはいない。認めてほしければ強くなれ。俺に膝をつかせる程度になったら、その時は少しだが認めてやろう。

 

 そんな答えを出した時に聞こえた、監督からの「オッケー!」の一言で全ての撮影シーンを撮り終えたことを理解して起き上がると、主人公役の役者が「迫真の演技だった」と褒めながらに手を差し伸べてくれ、その手を取って立ち上がりながら、今回は役に立ってくれたあいつにほんの少しだけ感謝しておく。

 ──この映画が有名になったら、友人面くらいは許してやる。



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第2部 ロンドン留学編
Slash1


 習慣とは恐ろしいモノで、高校3年生となったオレは日々の生活リズムをほとんど崩さないため、毎朝6時に自然と目が覚める。

 起きてからしばらくはダラダラと過ごすのだが、そうするうちに腹も減るわけで、いつものように買い貯めしてある食パンにジャムなんかを塗ってムシャムシャと食べる。

 最近は長らく料理というものから遠ざかって……というか2年時にいた師弟関係の妹分。戦妹(アミカ)だった橘小鳥(たちばなことり)が家事のほとんどをこなしてくれていたので、その援護のない今の生活で楽は怠惰だと割と料理はしているが、朝は食パンの消費を優先しただけだ。楽したんじゃない。絶対に。

 朝食後はすぐに登校の準備に入って、防弾性のシャツやズボンを着て、右腕にはアメリカに留学中の同級生。装備科(アムド)平賀文(ひらがあや)が作ってくれた特殊武装のTNK(ツイスト・ナノ・ケブラー)ワイヤーを収納する籠手『ミズチ』を装備。

 さらにショルダーホルスターを着込んで、左脇には下向きに抜けるようにジーサードから押しつけられた先端科学兵装(ノイエ・エンジェ)の小型の単分子振動刀(ソニック)を。

 右脇には先月の誕生日に愛菜(あいな)・マッケンジーさんからプレゼントされた拳銃、FNブローニング・ハイパワーを装備。

 オレの今の主武装はこれらになるので、あとは最小限に留めたクナイや手裏剣といったらしい道具を入れたウェストポーチを着けて、最後に真っ黒なジャケットを羽織って準備完了。

 

 とまぁ、ここまでのオレの準備でもわかるように、オレは普通の高校3年生ではない。

 今や世界中にそれ専門の学校が併設され、世の中に当たり前に存在する、凶悪化する犯罪に対抗して新設された国家資格『武装探偵』。通称で武偵を育成する学校。武偵高校に通っている。

 武装を許可され、逮捕権を有して警察に準ずる活動を許されるオレ達は、公務員である警察と違って金で動く『便利屋』の側面は強いが、そのおかげで警察にはできないことも出来る利点がいくつかある。

 

「今日は特に何もなし……」

 

 その武偵高のうちの1つであるロンドン武偵高。そこが今、オレが留学先として通っている学校になるが、母校である東京武偵高から留学してまだ1ヶ月程度が経過したくらいの、海外生活にもようやく慣れてきた5月初旬。

 日本ならばゴールデンウィークで盛り上がっているところだが、生憎とそれは日本の祝日と休日が成せる所業であり、適応外のイギリス、ロンドンでは平常運転の光景が広がっている。

 ロンドン武偵高では武偵高の祖であるローマ武偵高に倣って制服は『何色にも染まらない誠実さ』とされる『防弾制服・黒(ディヴィーザ・ネロ)』を正装としているが、堅苦しい印象もあるということで強制ではなく、武偵徽章(きしょう)さえ服にあれば割と許容されるくらいには緩い。

 これは今の校長であるマリアンヌ・ナイチンゲールが『実力が伴えば身なりくらいは自由でいい』というなかなか面白い考え方に基づく校則だが、逆に言えば『実力が伴わなければ身なりくらいはきっちりしろ』と言うこと。

 なのでロンドン武偵高で自由な服装でいる武偵高生は、学校側からも暗黙の了解を得た実力者の証と言えるわけだ。

 そんなロンドン武偵高は、ロンドン市内のかつてはハイド・パークと呼ばれていた場所を大胆にも占有して改築し出来上がった学校で、かのシャーロック・ホームズの自宅からもリスペクト精神なのか割と近い。

 オレの現在の住所はそのロンドン武偵高の真東に位置するメイフェア。地下鉄、ボンド・ストリート駅近くの5階建てマンションの一室で、徒歩でも登校は20分とかからない場所だ。

 メイフェアは商業地区として発展していて他よりも土地が高いのだが、オレが住むマンションはいわく付きで『死神が住むホラーマンション』と呼ばれていたおかげで格安。

 その手の類いは慣れすぎていて全く気にならなかったから即決したし、他にも住人がいるがほとんど武偵高生なのはらしさがあって面白く、元々住んでいた学生寮の感覚に近い。

 そのマンションを出発してすぐに携帯をチェックし、今日は特に何もないかと思っていたら、タイミングを見計らったようにメールが届き、そのメールの送り主を見て内容は察しつつ本文を読む。

 それによれば「放課後に用事があるから寄っていけ」ということで、ご機嫌を損ねると命の危機なのはわかりきってるから、すぐに了解の返信をして携帯をしまい信号待ち。

 街を歩く人はこれから仕事や学校の人が多く、人の流れは大きく途切れるようなこともないし、交通量もそれなりだ。

 その中でオレの進行方向とは違う方向に進もうとする子連れの母親が目に入り、オレの信号が青になって、必然としてその親子の進む方向は赤になった。

 当然その親子も普通に信号待ちで止まったのだが、まだ3歳程度の子供の手を握る母親が反対の手で携帯を操作して子供を見ていない。

 さらにその子供も少し落ち着きがなく、母親の手をブンブン振ってはしゃいでいる。

 そんな親子が交差点のすぐそばに立っているから嫌な予感がして少し見ていたら、不意に母親の手が子供の手から離れて、その勢いで子供が交差点の向こうにバランスを崩して倒れかけ、流れる車がその子供を認識してからでは間違いなく轢いてしまうタイミング。

 そうなるんじゃないかと『予感』していたオレは、親子の手が離れた瞬間に右腕のミズチに搭載されたアンカーを空気圧で発射して子供の体に撃ち込む。

 アンカーの先は粘着性のゴム質なもので5秒で自然と取れるようになってるが、そのアンカーが付いたと同時に今度は伸びたワイヤーを巻き取るボタンで引っ張り、道路に転がりそうになった子供を歩道側へと強引に引き寄せて、間一髪のところで車を回避。

 さすがに母親も心臓が止まる思いをしたか、歩道に戻ってきた子供を抱き止めて怪我はないかの確認をし、その間にアンカーも外れてオレの手元へと戻ってきて、点滅を始めた信号に急かされる形で道路を渡っていった。

 これであの母親も携帯片手に子守りをしようとは思わないだろうし、素早い退散で子供を助けたのがオレであることもわからなかったと思う。

 

 元来、目立つことが苦手なオレは、武偵での活動も隠密方向に特化していて、専門も裏方の諜報科(レザド)

 武偵としては今のような状況なら母親から報酬くらい貰って当然なことをしたわけで、誰が助けたかもあやふやなまま現場を去るなど武偵としては二流もいいところだろう。

 だがオレはそれでいいと思っている。人の命を救うことは当然の行いであり、自分の命を危険に晒したわけでもない状況で損得勘定など持ち込むのは守銭奴のそれだ。そんな人間にはなりたくないだけ。武偵である前に人でありたいとオレは思う。

 

 そんな感じのオレだから、留学してから割と目立つ『留学生』という待遇にも気持ち悪さはあったし、英国人だらけな武偵高の中にバリバリの日本人という空気も居心地が悪かった。

 それも時間が解決するだろうと、この1ヶ月は物凄く大人しく過ごしていたおかげで、ようやく学校の空気に馴染めたのだが、昨日にそれを見事に打ち砕くハプニングが発生して、実は今日の登校は割と恐ろしさを孕んでいた。

 イギリスの教育制度はなかなか複雑で、日本に当てはめて考えても違いがある。

 初等教育は5歳から11歳。中等教育が16歳までで、そこから先は高等教育と続くわけでもなく、各種試験に備えての2年間の勉強があり、その先に大学や就職などがくる。

 ただロンドン武偵高はその教育制度からは少し外れる形でカリキュラムが組まれ、中等教育が始まる12歳から生徒を受け入れて、16歳までに基本的な技術などを磨き、17歳からは高校ということで本格的な依頼などをこなし、19歳になる年に卒業となる。

 さらに日本では当たり前のように新学期は4月からだが、イギリスなどの国では9月からが新学期になるため、オレの立ち位置は非常に難しく、東京武偵高では3年生だが、こっちでは2年生の課程にあり、12月までの留学期間に学年が変動してしまうのだ。

 それが面倒でマリアンヌ校長は7月の学期末まで2年生として、そして新学期からは改めて3年生として学ぶように言ってきたのだが、その辺は留学の注意事項に記載されていたのをオレが熟読を怠ったせいでの結果。

 留学自体は9月から来年の2月までといった、短くはなるが面倒のない期間もあったのは知っているし、そっちでも問題はない……いや、問題があるから面倒な方になったのか。

 その面倒な選択をさせた張本人が昨日にやらかしてくれた所業のせいで案の定、登校して早々に自分のクラスでは留学初日以来となる生徒の群れが押し寄せてくる。

 会話はできるとはいえリスニングもまだまだ慣れが必要なレベルのオレでは、英語による捲し立てるような質問の嵐には対応できなく、聖徳太子でもないオレが落ち着かせるように1人ずつ回答すると言えばようやく事態は落ち着き、本当は答えたくもない質問にいくつか真面目に答えていく。

 

「キョーヤ。君が昨日ここに連れてきたのはホームズ4世で間違いないよね?」

 

「さぁな。病院通いの病気の従妹かもしれん」

 

「ええー? でもロンドンに住む人ならメヌエット女史を見間違えるようなことはないでしょ。だってあのシャーロック・ホームズの曾孫で、アリアの妹よ?」

 

「それならお前達が見たものを信じればいい。オレの言葉が信用に足るかどうかなんてオレが考えることじゃない」

 

「じゃあ質問を変えよう。君はメヌエット女史と深い関係にあるのかい? 例えば恋人同士であったり」

 

「仮にそうだとして何なんだ? オレとメヌエット女史の関係がお前達に何らかの影響を与えるのか? 噂好きな武偵らしさは評価するが、騒ぐだけならここでやめとけ。人脈狙いのやつはもっとやめとけ。オレでさえ未だに何かの拍子で殺されかねないんだ。突っかかってくれば飛び火して火傷じゃ済まないぞ」

 

 話題の方は昨日に不意打ちでオレの素行調査とか言ってここに連れてきたメヌエット・ホームズ。オレの頼れる仲間である神崎(かんざき)(ホームズ)・アリアの腹違いの妹のことについて。

 ロンドンでは知らぬ者のいない世界最高峰の安楽椅子探偵は、その異名の通りに超がつく出不精で、自宅から出てくることなどほとんどない。

 そんなメヌエットを外に引っ張り出して、不自由な足の代わりの車椅子を押してきたオレの姿が目撃されてしまっていたからの今日のこれというわけ。

 メヌエットとは色々あって友人関係には発展したものの、恐ろしく機嫌を損ねると精神的に殺しにくる可能性はある。廃人になるとかではなく、文字通りに精神をズタズタに引き裂いて自殺に追い込まれるのだ。

 そんなS級危険生物であるメヌエットに興味津々なクラスメートの気持ちもわからないでもないが、性格もかなり気難しいところがあって人脈狙いは命の保証はできないし、ここに在籍していた時もあるアリアの妹として語るのもオレの命が危ないので、キツめの口調であやふやに答えつつ暗に「これ以上詮索すると死ぬぞ」と警告。

 それがわからないほどバカでもないクラスメートも、メヌエットの気難しさの噂も知るところだったか、オレとメヌエットの関係だけはハッキリさせたいという思いはあったのだろうが、ぼかすようなオレの回答では確信は得られないと判断して渋々で解散していき、それに安堵したオレはピリッとした空気を霧散させて、なるべくいつも通りに過ごしていった。朝から疲れる……

 

 そのあとは別のクラスやら学年やらの生徒が絡む可能性があったから、釘を刺したクラスメート達が「奴に関わると命が危ない」と言いふらしてくれるまで教室からは出ずにやり過ごし、昼くらいにはそれも浸透して平穏が戻った。

 しかし噂というのは伝わるうちに解釈が違ってくるもので、どこでどう転んでしまったのか「猿飛京夜(さるとびきょうや)の機嫌を損ねるとメヌエット女史に殺される」という歪曲した噂となって広まって、なんか悪目立ちする形になってしまった。

 これで当分は不用意に近づいてくる輩がいなくなるのは助かるが、留学の目的である人脈やら異文化交流の機会が損なわれているのではなかろうか。それダメだよなぁ……

 とはいえ1度流れてしまった噂は簡単に払拭することができないので、メヌエットに尻込みする程度ならと割り切って……割り切る努力で開き直ることにしての放課後。

 マリアンヌ校長に脅迫の罪で呼び出しとか食らわないかと心配があったものの、確たる事実もあるわけでもない段階で裁くことはできないので、噂が真実になることだけは避けようと、朝にメールしてきた問題児、メヌエットに会いにベイカー街の自宅へと足を運ぶ。

 この1ヶ月で通い慣れたベイカー街の景色もオレの中ですっかり馴染み、地元感まで出てきたが、すれ違う人の顔立ちなどがやはり日本人のそれと違うことで自分がこの国の人間ではないことを自覚する。

 日本人は平均的に見ても幼く見られることが多く、オレがそれに当てはまるかはわからないが、ロンドン武偵高に通っていても同い年とは思えない生徒の大人びた印象はやはり感じざるを得ない。

 だからといって見た目で判断するような奴は武偵として下の下。童顔だろうと鬼みたいに強いやつもいるし、ナイスガイでも喧嘩は弱かったりするやつもいるのだから、大事なのはその人が持つ能力を正確に見極める目を養うことにある。

 

「サシェ、エンドラ。邪魔するぞ」

 

 その最たる例がこれから会うメヌエット・ホームズであることは明らか。

 すでに我が家同然のホームズ宅には、先日からメヌエットに呼ばれた時間さえ把握されていればチャイムなしで上がっていいという謎ルールが適応されている。

 なので普通にチャイムも鳴らさずに中へと入り、いつも歓迎に出てくれるメヌエットの世話係の双子の姉妹であるサシェとエンドラに一応は声をかけて挨拶してから、メヌエットの自室やらの生活スペースがある2階へと上がり、自室ではなく乱雑に物が散らかる仕事部屋の方に入る。

 足が不自由で車椅子が移動手段のメヌエットが動けるだけのスペースが確保された仕事部屋は相変わらず片付けてやりたくなる荒れようだが、この手のやつは自分ではどこに何があるかを完璧に把握しているから、他人があれこれ弄るとかえって悪化するため、オレもそこには触れないで、大きな机の奥にいた金髪ロングの美少女、メヌエットに目を向ける。

 

「今日は色々と大変だったんだが。主にどこかの誰かのせいで」

 

「まあ。それはご苦労様でしたね、京夜。労いの言葉では足りないかもしれませんが、今の私にはそれくらいしかできることがありませんので、至らない無礼をお許しくださいな」

 

「自慢の推理は封印ですかね。それじゃあ今日のことでメヌが『怒らせたら怖い最恐の後ろ楯』に昇格した話はしなくていいな」

 

「……おおかた、自分に不用意に近づいたら、私の気分次第で生死を左右されるなどと凄んで、それが歪曲した噂になったといったところでしょうが、私は学校で京夜がどういった交友を持とうと、私がどう思われようと気にしませんので」

 

「オレは留学生なんだよ。何で留学先で恐れられなきゃならん。完全なる不本意だ」

 

 姉のアリアに似て全体的にミニサイズなメヌエットは、普段は強気な性格が顔にも出ていてキリッとした表情を崩さない。

 しかしオレをオモチャにして遊ぶ時には、何が楽しいのかその表情もずいぶんと柔らかくなって、その口から吐かれるのが精神を蝕む毒でなければ、世界中にその美少女具合を自慢したいオレの最初の友人。

 曾祖父があのシャーロック・ホームズであるメヌエットには卓越した推理力が遺伝して、オレが挨拶代わりに今日の学校でのことを話してやっても、見てきたわけでもなしにすぐに何があったかを察してしまう。

 この推理力にかつて助けられたこともあるので普段から発揮するなとも言わないし、メヌエットの個性でもあるからそれを前提にした会話はもう慣れてきたが、メヌエットのオレ弄りだけは慣れたくないものだ。

 そんな挨拶代わりの会話でオレがため息を吐いたら、それが不思議とメヌエットの笑いを誘ってクスリとすると、オレ弄りもそのくらいで切り上げてくれたメヌエットは、自室ではなく仕事部屋に通した理由についてを話し出す。

 

「京夜。これはあなたを信頼できる友人として。そして優秀な武装探偵と見込んでの話です。他言無用の案件ですので、聞きたくないのであれば部屋を移りましょう。余らせた時間はティータイムで過ごすのも考慮しています」

 

「報酬は出るのか? たとえ友人の話とはいえ、オレも武偵の端くれだ。貰うものを貰わないと動いてやれない」

 

「現金ですね。ですがそれも京夜らしいですし、報酬があるならば私のために動いてくれると言ってくれたと解釈できる返事でしたから続けますよ。もちろん、達成してくださった暁には報酬も出します」

 

 そう言って前置きまでしてオレの反応を見てから、机の上にあった1枚の小切手にサラサラと数字を書き込んだメヌエットが、それをオレの側にクルリと回して報酬額を示してくれたが、ま、ま、万万万!? 桁を間違えてないですかね?

 

「さすがに前払いというわけにはいきませんが、これに関しては私の推理力と京夜の行動力。2つを用いて解決に向かう協同捜査の流れです」

 

「それでこれがオレの取り分? すっごい嫌な予感しかしない。額が額なだけにな」

 

「それは否定しません。ですが危険が伴うのは武装探偵の運命。ならば私の推理込みで考えられる多少なりの安全性を信用してみてはいかがかしら?」

 

 ちょっと桁が桁なだけに珍しく心が乱れたが、それを面には出さずにそれだけの報酬なら危険性もまたあるだろうと二の足を踏む。

 しかしそこでもメヌエットの正論が体当たりしてきてヒビを入れられ、そこにメヌエット自慢の推理力がとどめを刺して意図も簡単にオレの抵抗という壁は崩壊。

 

「…………オレの能力が必要な依頼ってことでいいんだな?」

 

「むしろ京夜ほどに適任はいませんよ。問題が解決した際には女王陛下から勲章も賜れるでしょうが、そういった『目に見える報酬』は私が引き受ければ、そういったものが嫌いな京夜ともギブ・アンド・テイクでしょう?」

 

 渋々ではあるが依頼を受ける形となって、最終確認のようにオレ向きな依頼かだけは尋ねておくと、なんか女王陛下とかとんでもな人物も話に出てきて冷や汗が出る。

 

 ──だがこの話がオレ、猿飛京夜の適度に刺激的だった留学生活に確かな亀裂を作り出したのだった。



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Slash2

「それじゃあ話してくれ。その光栄な依頼の内容とやらを」

 

 あのメヌエットから直々の依頼という怖すぎる展開に腰が引けそうにはなるが、しっかり退路を断ってくるメヌエットの話術によって乗るしかなくなったのはもはや仕方ない。

 命の危険も十分にあるようだが、今回はメヌエットの不自由な足の代わりといった意味合いにも思える依頼だと勘づきはしていて、その辺は隠す気もないメヌエットも依頼の内容について詳しく説明するため、チェリーの精油をパイプに香らせながら仕事のように口を開く。

 

「先に述べた通り、これは女王陛下から私とお姉様への勅命。故に他言無用の上、書類など形に残したものもありませんから、全て頭に入れてくださいな」

 

「アリアにもか。ってことは向こうも向こうでチームを組んで……」

 

「京夜はバカなのですか? 本来であれば京夜にこうして話すことさえも何らかのお叱りを受けかねないもの。お姉様もおそらく……そうですね。可能性としてキンジだけには協力を求めているやもしれませんが、口は多いほど災いを呼び込みます」

 

 先に述べた通りとか言って、女王陛下からの勅命とは言ってなかったことには目をつむるとしても、アリアにも話がいってるならと共同戦線も見えかけたが、極秘も極秘の案件なのだとちょっと怒らせてしまい反省。

 それを顔にして沈黙すると、バカは仕方ないですねと言わんばかりの呆れ顔をしてから話を再開。その顔ヤダ。

 

「京夜は留学の手前でイギリスについても多少は学ばれたことでしょうから、イギリスがEUでどういった立場にあるかはご存知ですよね?」

 

「本当に多少だぞ。EUって日本があまり関係ないからピンとは来ないが、国としてはイギリスは先頭に立ってるレベルだろ?」

 

「そうです。第二次世界大戦後、ただ資源や経済圏を奪い合っていたかつてのヨーロッパを、融和政策によって経済的な抑止力で戦争を防ぐ最先端。その最前線にイギリスは背負って立っているのです」

 

 国境を緩めたり、通貨を統一したりで国同士が助け合うというのがEUの理念なのはわかるし、そのおかげで今日の平和が保たれていることも事実だ。

 まぁトップとか言っといてイギリスの通貨がユーロじゃなくてポンドなのはどうかと思うが、それを言っちゃうとお国自慢をしたメヌエットに悪いし話の腰を折るので黙って話を聞く。

 

「ですがそのイギリスは現在、歴史的な不況に陥りつつあります。京夜もイギリスの物価には少し頭を悩ませることもあるでしょうから、これは実体験として身に染みているでしょう」

 

「傷口に塩を塗るな」

 

「そんな不況や戦争などの非常時に備えて、終戦時に旧枢軸国から接収した黄金172tがサウサンプトンに保管されてあったのです。その隠し財産を切り崩してでも難局を凌ぐことはイギリスの義務とも呼べますが……」

 

「サウサンプトンに保管されてあった……『過去形』か」

 

「仕事になると理解が早いですね。今回の案件は『そういうこと』になります」

 

 そのお国自慢から本題へと突入した内容はどうやらかなりの大事らしく、察するにサウサンプトンにあった隠し財産が丸ごと『無くなっていた』とわかると、肯定するようにメヌエットもあえて口にはしないでパイプを吹かせる。

 だがそんなことが現実に可能なのかという率直な疑問が浮上するのは当然。

 何せ172tもの黄金を誰にも気づかれずに持ち出してしまうなど、どれほど綿密な計画を立てたところで不可能に見えるからだ。

 

「京夜が察してくださったように、この案件には現実的ではない要素が見えています。まずこの隠し財産が無くなっていたことに気づいたのは、消失した直後ではなく、ある程度で時間が経過していたこと。これは管理体制にも少し問題があった証明ですが、そうとしても外部からは侵入すら不可能な保管をしていた黄金を、誰にも気づかれずに、侵入の痕跡さえなく、残さず持ち出したということ。これはどう考えても非常識」

 

「メヌでもその方法は思いつかない?」

 

「既存の科学技術や人間の繰り出せる技術ではどうしようもないでしょうね」

 

「《超能力(ステルス)》か」

 

 メヌエットでも既存の技術力ではどうやっても人の目に触れてしまう大がかりな作業になるはずだと推理し、そのメヌエットが無理だと言うなら可能性は1つ。

 人や人外の生物が稀に発現する超常の能力。分類やら何やらとその業界には色々とあるようなのだが、今はそれをあまり考える必要はない。

 

「ですからそれを京夜に調べていただきたいのです。いくら私でも詳細が判然としなければ推理することは難しい。形に残せない事柄ゆえに、まだ私にも事の全容は見えていませんので、私には自由に動ける目と耳と手足が必要なのです」

 

「なるほどね。それなら確かに協力体制だな。んじゃ今のところ唯一の友人の助けになるために奔走してきますか」

 

「京夜の性格ではこれから先も私以外の友人など出来はしないでしょうが、その働きには期待していますよ」

 

 事が事なだけにメヌエットにも資料という形で何かが持ち込まれたわけではなく、事実だけが伝わって勅命を受けた感じ。

 さすがのメヌエットでもそれだけで解決に導けるほど予言者めいてはいないから、オレが見聞きしてきた情報を元に推理するってのがメヌエットの考え。

 

「ちなみにこの案件が解決しないとどうなる?」

 

「そうですね。推測の域ではありますが、不況を乗り切れなかったイギリスは内情不安に陥り、最悪でEUを離脱することになるかもしれません。そうなればイギリスの後を追って離脱する国も出てくることでしょう。それはつまり今の平和の崩壊に繋がるということ」

 

「また世界大戦、まではいかなくても、ヨーロッパが戦火に包まれる可能性もあるってことか……重てぇな……」

 

「引き受けた以上は重たくても完遂しなさい。さしあたってはまずは武装探偵らしく現場検証をして来てくださいな」

 

「……サウサンプトンってロンドンからどのくらい?」

 

 話はわかったので最後にこの案件の成否でどういった結果になるかを尋ねると、聞かなきゃ良かったと思える惨劇の可能性を告げられて急に責任という重圧が増す。

 それでも誰かがやらなければその惨劇が生まれてしまうなら、白羽の矢が立ってしまったオレの持てる力でやるだけやるさ。失敗しても……イギリスに消されるくらいで済むかな。糞がっ!

 

 ロンドンの南西約130kmほどのところにある都市サウサンプトンは、ロンドンから鉄道を使えば2時間程度で辿り着ける港町だ。

 あのタイタニック号が出港した港町として有名であるサウサンプトンには、メヌエットから依頼を受けた翌日の昼に到着。

 日帰りする予定なので日中でここでやることはやってしまおうと、到着してすぐにメヌエットに教えられた隠し財産があった場所に向かっていく。

 しかし1kg約50立方cmの金の延べ棒で換算してもそれが約172000個。

 それだけ大質量の黄金を隠しておくとなるとかなりのスペースは確保しなければならないし、下手に警備を敷けば隠し財産として名前で敗北してしまうので、人の出入りも自由にできず人目にもつかない場所が必須。

 メヌエットが事前に話を通してくれていたので、指定された銀行に行って武偵手帳を掲示すると政府の人間が奥へと招いてくれる。

 なんでもこの銀行の地下にある通路から隔離された人為的な空洞空間に隠し財産を入れていたらしく、入り口は通ってきた通路のみ。

 すでにMI5とMI6も立ち入って調査はしているということで、どこかに別の通路を貫通させられたということには疑いの目は向けずに隠し倉庫に到達。

 網膜認証やらのセキュリティーもあってオレではどうやっても侵入は不可能な倉庫の分厚い扉が開かれて中へと入ってみると、10m四方の金属の壁に覆われた空間には話に聞いた通りすでに何もなく、もぬけの殻という表現がピッタリなほど閑散としていた。

 それでも収穫なしで戻ればメヌエットにどんな役立たずのクズ野郎がな視線と罵倒を浴びせられるかわかったものじゃないので、何もないにしてもちゃんと調べておくことにする。

 

「壁は厚さ10cmってところで、壁の向こうは土の壁。両方の隙間は……限りなくゼロに近い、と」

 

 そこでまずはこの空間を作り出す金属の壁に着目して歩いたり壁を叩いたりして構造を把握。

 掘り出した空間に金属の板を貼り付けた感じだが、使われてる金属は戦艦の装甲板などにも使われるものと同等の強度だろうな。

 満遍なく壁を調べても金属の壁の向こうに空洞があるような感覚はないので、どこかを掘り進んできたという可能性は潰えて、強度的に脆くなる角と辺と辺の繋ぎ目にもしっかりと目を向けたが、これも手が加わった形跡は全くない。

 まさに神の手が黄金をかっさらっていったとしか思えない状況はMI5もMI6も驚愕したことだろうよ。オレもこの場に1人なら目が飛び出ていたかもしれん。

 

「ふぅ……何かないか」

 

 超能力にしてもここまで鮮やかだと誉めるしかないが、ここで手詰まりになってはメヌエットの推理まで手詰まりになる可能性があり、それなしにオレが今後どう動けばいいかの指針もなくなり迷宮入りも有り得る。

 そうなったら女王陛下の期待に応えられなかったメヌエットに殺されるし、イギリスにも殺されるダブルプレーに加えて、歴史から抹消される3アウトでゲームセットだ。

 そうして背筋に寒いものを感じながら1つでも手がかりをと集中力を上げて目を凝らし倉庫を観察。

 小さなことでもいいと色々な角度から観察していると、倉庫の床の金属板の表面にほんのわずかだが違和感があることに気づく。

 それを見るために床に貼りつくように顔を近づけてどういうものなのかをじっくりと見ていたら、それに集中していたせいでいつの間にかこの倉庫に入ってきた存在に気づくのが遅れてしまう。

 

「……相変わらず薄気味悪い接近方法だな」

 

「驚かせるつもりはなかったが、ここまで近づいて気づかないほど集中していたか、猿飛京夜」

 

「それに関しては言い訳しないが、意味もなく気配を殺して近づかないでくれ」

 

 あまりに希薄な存在感と無音の接近にはオレと同様の技術を思わせるが、その実で別の技術を要しているだろうその人物は、扉のそばに立っていた政府の人間が目の前に出現してから気づくほど自然と意識に滑り込んできて、完全に背中を向けていたオレからすれば必殺も可能な技術。

 オレは専門として背後はよほどのことがなければ取られないが、こうも簡単に背後に立たれると自信を無くすね。

 まぁ今回のこいつは特例としても、今後は本気で気を付けておこう。

 そうして反省しつつ立ち上がって背後に立っていた五厘刈りの黒スーツ姿の同世代ほどの男と向き合って改めてそいつがMI6の00セクション。そのナンバー7である人類最強の1人、サイオン・ボンドであると認識。

 

「どうしてここに?」

 

「昨夜、メヌエット・ホームズ女史よりここの視察に入る許可を下ろすように連絡があり、実際に足を運ぶのは懐刀であるお前ではないかと踏んで来てはみたが、本当にそうだとはな」

 

「良い読みだな。MI6もこの件は色々と嗅ぎ回ってはいるんだろうが、ろくな成果も出せずに焦ってるのか」

 

「否定はしないが、焦っているというのは訂正願いたい。本件の迅速な解決は優先度は高いが、今日明日で国がどうこうなるほどイギリスも脆くはない。それに我々にも我々のやり方がある」

 

「怒るなよ。別に喧嘩を売ってるわけじゃないんだ。そっちと友好的でありたいのはオレも本意だし、ここにお前が来たのは何かしらの手がかりをオレが見つけるかもと思ったから、オレを協力的にするためなんだろ」

 

 2ヶ月ほど前にアリアを取り巻く問題解決の最中に遭遇したサイオンとは明確に敵対したわけでもないが、一時的に対立関係にはなったことがある。

 その時のことを根に持ったりとか小さいやつではないし、個人の感情を持ち出すほど人間的でもない、お国のための存在なので、ロンドン留学中のオレがイギリスに牙を剥くことさえなければ味方、ということにはなる。

 敵に回ればオレがたとえ10人いたとしても敵わないほどの戦闘力を有しているサイオンがここに来た時点で、オレの生殺与奪権はサイオンに握られてしまっているのだ。ここで喧嘩を売ったところで完全なる無駄死に。

 なのでMI6の命令なのか個人の判断なのかはともかく、メヌエットの推理を教えるのは無理だが、ここで見つけたものについては共有しておこうと素直にサイオンを呼び込み、今まで見ていたものを教えてやる。

 元からそうであった可能性も捨てきれないが、無視してもいいものではないだろうと、そばに寄ったサイオンがわかるように懐から予備の弾倉を取り出して、そこから銃弾を1つ抜いてそれを金属板の上に置く。

 するとその銃弾はゆっくりではあるが床を転がって、ちょうど倉庫の中心部分でその動きを止めた。

 

「……平面ではないのか」

 

「普通にしてたら気づかないほど小さな傾斜だ。触ったところで気づきもしないだろう」

 

 その結果に眉をひそめたサイオンはさっきのオレと同じように床に顔を近づけて床面が完全な平面ではないことを確認。

 とはいえハッキリとわかるような傾斜でもなく、床板全体が平面でも傾きがある場合もあるが、銃弾が中心部分に転がったことから『中心部分に向けて傾斜が存在している』ことがわかる。

 実際にどのくらいの傾斜になっているのかを視認できるように、今度はミズチからワイヤーを取り出してサイオンと一緒に対角線の角から床にワイヤーを張って、そのワイヤーと床が作り出す空白を見てみる。

 

「2mmあるかくらいだな」

 

「傾斜の始まりは角から2mほどから中心に向かって深くなっている。もう1つの対角線と等分するラインも見るぞ」

 

 頭も良いサイオンだから逆に指示されてしまったが、やりたいことは同じなのでテキパキ動くサイオンに感謝しつつ、もう1つの対角線でも同じことをして傾斜の傾向を観察。

 追加で辺の中心と対面する直線を2本調べて同じような観察をしてみて、それを終えてワイヤーをしまったオレとサイオンが出した結論は全く同じ。

 

「中心に向けて直径6mほどの円形に傾斜ができている。これはこの床の設計ミスではないな」

 

「ここまで滑らかな傾斜が金属板にできるもんかね。ちなみにここにあった隠し財産の配置って……」

 

「もう少し乱雑ではあったが、収めようと思えばこの円形の範囲内に収めることはできただろうな」

 

「となると、何者かがこの倉庫に侵入して、この円形の範囲内に黄金を配置して、何らかの手段で持ち出した? 現実的じゃねぇ……」

 

「だがこの円形の窪みに意味がないと俺には思えん。しかしこれを見つけるとはな。日本人でなければMI5辺りにいてほしい人材だ」

 

「そりゃどうも」

 

 MI5って防諜専門のところだったか。

 どのみちオレはお国のためとかサイオンのように大層な理念に基づいて自己犠牲の精神では動けないので、たとえイギリス人だったとしてもなりはしないだろうが、評価だけは素直に受け取っておこう。

 それから新たに何かが発見できたりといったこともなく、オレがこれ以上は無駄だと悟ればサイオンもあっさりと諦めて政府の人間と3人で地上へと戻る。

 時間にしてみれば1時間とかかっていない作業だったが、これでサウサンプトンでやることは全て終えたので、さっさとロンドンに戻って報告するかと鉄道駅に向かおうとする。

 だが気前が良いのかサイオンが車で来たらしくて、帰るなら乗っていけと安上がりになりそうな提案をしてくれる。

 サイオンと2人きりとか間が持てない気もするが、出費が抑えられるならとその提案に乗ってみれば、反応も薄いサイオンは近くに停めてあるという車に向かって気持ち悪いほど静かな移動を始める。普段からそんなんなの?

 

「猿飛京夜。遠山キンジは元気か?」

 

 オレも人のことが言えないくらい生活音は出さない主義だが、呼吸するようにスニーキングするサイオンは群を抜いてるなと車まで辿り着く間に考えて、いざ車に乗り込もうとしたところでふと、サイオンがキンジについて尋ねてきた。

 そんな仲良かったっけ? と思いながらも近況が気になる程度には意識しているらしいサイオンに武偵らしい答えで返しておく。

 

「さぁな。今頃は『日本は小さすぎるぜ』ってどっか別の国にいるかもな」

 

「チップだ。正確に教えろ」

 

「わかってるな。武偵高を留年して肩身が狭い思いをしてるよ。アリアも呆れて機嫌が悪かったな。今月中にでもローマ武偵高に留学って形で行くはずだぞ。新高校2年生じゃなくて留学扱いだから、実質的な国外逃亡だ」

 

「…………」

 

 武偵はタダでは動かない。それがわかってるサイオンも始めこそポロリを期待したようだが、オレも抜かりはないのでお口にチャックした回答をしたら、速攻で100ポンド──日本円で約15000円くらい──ほど差し出して金で情報を買いに来た。

 キンジの近況なんてMI6が調べれば割とわかりそうなものだが、私情で組織は動かないという意思なのだろう。

 一応、キンジとはいま同じ武偵チーム『コンステラシオン』のメンバー同士ってことでその辺の話はリーダーのジャンヌ・ダルク30世から聞いてはいたから、何か不都合がないだけの情報をサイオンにサクッと売って小遣い稼ぎ。儲けである。

 まぁチームメンバー6人中の2人──キンジとサブリーダーの中空知美咲(なかそらちみさき)──が留年という可哀想になる我がチームの現実には目をつむるとして、サイオンも留年したと聞いてアリアと同じような呆れ顔を披露していた。英国人ってみんなそんな反応するの?

 

「あの男は本当に計れないな。(エネイブル)も自身の進級は可能にできないのか」

 

「上手いこと言ってやるな。あとオレが漏らしたことは直接会ってもバラすなよ」

 

「ああ、わかっている。俺は頭も固いし口も固い。安心し……」

 

 そんなキンジの近況は笑い話にもならなくて、念のためオレから提供された情報なのは伏せるように釘を刺しておき、自覚はあったか頭の固さに加えて口も固いと言うサイオンは、しかしそれを言い切る前にその眉をピクリと動かしてチラッと視線だけを左右に向ける。

 

「……何だ?」

 

「……いや、なんでもない。日があるうちにロンドンに戻るぞ」

 

「ああ。よろしく頼むよ」

 

 わずか2秒に満たない行動だったが、あのサイオンが何かに反応したと見られる行動に意味がないなどあり得ない。

 それがオレにもわかってる上で『なんでもない』として車に乗り込んだサイオンにも何か考えはあるのか、気づきもしなかったオレではどうしようもないのでその場は合わせることで車へと乗り込み、サイオン同様に静かに動き出した車はロンドンに向けて速度を上げていった。



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Slash3

 サウサンプトンでの調査を終えて、遭遇したサイオンの車でロンドンへと戻る道中。

 世間話などしなさそうなサイオンとの会話とも呼べないレベルの言葉のキャッチボールを時おり挟んで、なんとか2時間という拷問に近い重苦しい空気を切り抜けた。

 オレも口数が多い方ではないが、周りが勝手に喋ってくれる環境のありがたさが身に染みた2時間は非常にそれを考えさせられた。

 いつもは悪友の(みね)理子(りこ)・リュパン4世なんかのマシンガントークを鬱陶しいと思っていた……いや、今もやられたらやられたで鬱陶しいと思うが、この呼吸すら苦しくなる空間よりは10倍マシだ。

 ロンドン市内に入ってしまえば景色で楽しむという最高の暇潰しが出来るので、市内を流れるテムズ川を横断するアルバート・ブリッジ・ロードを渡った辺り。

 そのまま北上してロンドン武偵高を過ぎたところで右折してメヌエットの家に行ってくれると思っていたら、サイオンは橋を渡ってすぐに右折してチェルシー・エンバンクメントを走り始めて、500m程度進んだ先で謎のUターンを決めて路肩に停車。

 

「寄り道か?」

 

「そんなところだ。10分で戻る」

 

 便乗した身で寄り道にとやかく言う資格はないので、スマートに車を降りたサイオンが通過していく車に認識もされずにスイスイと道路を渡っていった不思議現象を苦笑しながら見届ける。

 ブレーキも踏ませないとか意味不明すぎるが、考えるだけ無駄な技術なので無視して長時間の着席で体が痛かったオレも車を降りて歩道で軽くストレッチし体をほぐす。

 すぐ横にはテムズ川が流れていて、平和な時間が流れているなぁと、その自然な流れにリラックスしていたら、そのテムズ川のちょうど中間辺りの水が明らかに不自然な流れを作り始める。

 始めは小さな渦だったものが、徐々に勢いを増して大きくなり、直径8mほどの渦潮にまでなると、今度はその水が強力な渦のまま上昇し水の竜巻が発生。

 20m以上も持ち上がった竜巻はオレのほぼ正面にくる位置で発生し、チェルシー・エンバンクメントを通っていた車もその現象を見て車を停めていた。

 だがそれがあまりにも危険なものだと直感するには十分すぎる状況と判断したオレは、携帯などを取り出し始めていた一般人達に思わず叫ぶ。

 

「そんなことする前にここから離れろ!!」

 

 その時にテムズ川を背にして道路に顔を向けてしまったのは完全なる判断ミスだったが、オレの叫びの中の必死さが伝わったか車を停めていた人達も携帯をしまい退避を優先してくれた。

 と思った瞬間、振り返ろうとしたオレの体がオレの意思とは全く異なる動きを強いてきて、その場から飛び退くように横へと飛んで歩道を転がる。

 これはオレが死ぬ思いをして修得した条件反射『死の回避(デス・イベーション)』が為せる死に至る脅威から逃げる術。

 オレの全身の細胞が死の匂いをかぎ分けて意思とは関係なく脊髄反射で起こる現象なため、コントロールするといったことは難しいが、視認したりなどの必要がない分で不意打ちには滅法強い。

 その死の回避が発動したからには今、オレは死に至るような危険に晒されていたということ。

 それを自覚したのは、自分が一瞬前まで立っていた位置にあったサイオンの車が横から物凄い勢いで飛んできた水の弾丸に叩かれて道路側に吹き飛んでいった光景を見送ったところでだった。

 幸い、道路を転がった車が他の車や歩行者を巻き込む二次災害は起きなかったが、爆発の恐れもある車と、車を吹き飛ばしたであろう謎の渦巻きから逃げるように一般人は脱兎のごとくこの場を退避してくれた。

 

「くっそ……誰がこんなことを」

 

 問題はあの渦巻きが『誰を狙っているか』なのだが、無差別攻撃ならばさすがにオレでも一般人への被害をゼロにするのは不可能。これがオレだけが狙われているのならばまだなんとかなるが……

 そう考えながら立ち上がり今度は渦巻きから目を離さずにいると、騒ぎを聞きつけたサイオンが反対側の歩道からこちらにやって来て、ついでに証拠隠滅のために自分の車を自爆させたみたいだ。豪快だな、MI6。

 

「さて、面倒なことになった」

 

「お前、こうなるって予測してただろ。サウサンプトンからここまでで」

 

「さぁな。仕掛けてくるかはわからなかったが、向こうが俺とお前、どちらを狙ってるか見極めたかっ……」

 

 涼しい顔で登場したサイオンだったが、この状況にあまりにも冷静なもんだから、サウサンプトンを出発する前にわずかに反応したことと関係あるなと、そこに触れるなといった空気を察して聞かずにいたことをここで聞く。

 それにはサイオンも素直に肯定と取れる反応で返して、そこからオレもこの襲撃者が少なくとも無差別攻撃するやつではないとわかる。

 次にオレとサイオンのどちらか一方、或いは両方が狙いなのかを判断しようとしたところで、渦巻きから水のつぶてが散弾のように飛んできて、オレとサイオンはそれぞれ左右に散ってそれを躱す。

 水のつぶてはコンクリの道路に穴を穿つほどの威力を誇り、当たれば骨折どころでは済まないと瞬時に理解しつつ、この渦巻きを操る術者本人の捜索を開始。

 あまり好き勝手に逃げれば周囲への被害が大きくなるので、なるべくテムズ川のそばの歩道から離れずに水のつぶてを躱すが、対岸の方にはそれらしい影もなく、攻撃を止める手段は見つからない。

 今のところオレとサイオンの両方が水のつぶてに襲われているので、襲撃者はおそらくあの隠し財産を盗んだやつと関係がある。そうでなければここまで大胆に狙われる謂れはない。

 

「となれば……」

 

 襲撃されてしまった以上は倒すか殺されるかの2択だろう。

 だが術者の姿が見えない以上は倒すのはほぼ不可能だし、簡単に殺されるのを許容するほど人として潔くはない。

 サイオンは放っておいても死にはしないだろうがオレは違うので、周囲への被害と術者が見える範囲にいないことを鑑みて長引かせるのは得策ではないと判断し『死んだと思い込ませる作戦』に出る。

 かつてジーサードとの遭遇戦でも通った綱渡りだが、ジーサードには近すぎて見破られたのも教訓に、少し小細工も織り混ぜる。

 依然として飛んでくる水のつぶての勢いは悶絶級だが、当たりどころさえ良ければ死ぬことはなさそう。

 それも冷静に見極めてタイミングを計っていたら、進行方向にこの騒動に対して腰が抜けてしまった初老のお婆さんが立ち尽くしているのが見えてしまう。

 

「くっそ……ッ!」

 

 目測で約60m先にいるお婆さんを巻き込まないためにはUターンしなければならないが、水のつぶてはそんなことを許すほど優しい弾幕ではないし、道路側に90度切り返しても住宅などに被害が出てしまう。

 となればもう選択肢は1つしかなく、慎重になっていた作戦をすぐに実行するためにすぐ後ろの歩道を穿つ水のつぶての勢いであえてバランスを崩して転倒しかける。

 そこから体を反転させて正面を水のつぶてに向け、懐から単分子振動刀を勢いよく抜き、瞬間的にチェーンソーのようになった単分子振動刀の切断力で体の中心に迫った水のつぶての1つを両断。

 それによって両断された水のつぶてがオレの両脇を抜けて歩道に突き刺さり、他の水のつぶてはオレの足や腕を直撃ではないが弾き、しかし急所となる頭などには決して当てずに水のつぶての弾幕の中で歩道に叩きつけられる。

 周りから見ればまともに食らったと見せるには1発だけまともに食らうよりも弾幕の中の方が効果的と思っていたが、死の回避がなきゃ絶対にやらない。やりたくない。

 そうして見事に水のつぶてによって倒されたことで渦巻きからの水のつぶても止んで、30m先にいたお婆さんにも被害は出ることなく鎮圧。

 最後の小細工に血のりを口と胴体から垂れ流して演出してみせれば殺害現場の出来上がりだ。血のりとか初めて使ったわ。

 念には念を入れて騒ぎの音が聞こえなくなるまでは死んだふりで通しておき、渦巻きがわずかに見えるように倒れたのを利用して観察していると、サイオンが殺されたわけでは絶対にないだろうが、向こうも人類最強クラスを簡単に倒せないと踏んで撤退になったようで、渦巻きは急にその勢いを弱めてテムズ川へと戻っていき、何事もなかったかのように静寂を取り戻した。

 辺りからは人の騒ぐ声やら何やらが聞こえてはいたが、襲撃者がまだ観察している可能性もあって自分の意思では起き上がれずにいたオレは、マズイことに近くにいたお婆さんがオレの殺される現場を目撃してショック症状に陥ってしまったらしい事態を察知。

 どうにかしたいがオレが動けばまた渦巻きが発生して攻撃される可能性もあるのでどうしようかと高速思考していたら、危機を脱したサイオンが汗1つ、怪我1つない姿で視界に入ってきて、オレの靴底を軽く蹴ってきた。

 

「気配はなくなった。お前の機転で被害が抑えられたことに感謝する。猿飛京夜」

 

「……感謝してるなら情報操作くらいはしておいてくれよ」

 

「『今回の件で武偵1人が命を落とした』。そういう記事でいいか?」

 

「向こう側にわかるように形として出ればいい。お婆さん! 大丈夫ですか!」

 

 その合図でサイオンの索敵レーダーからも気配が消えたことを理解して死んだふりからガバッと起き上がり単分子振動刀を納刀しながら血のりを拭い、サイオンに隠蔽工作をお願いして、呼吸困難になっていたお婆さんに駆け寄っていった。

 幸い、死んだはずのオレが生き返ったことで九死に一生を得たお婆さんを、一応は病院に運ばせてから人混みに紛れて姿を消したサイオンへの言及もできないまま、ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)とそれなりに関係もあるオレは、駆けつけてきたレストレード警部に適当な状況説明をしてから現場を離れて、夕暮れ時になった頃にメヌエットの家に到着。

 なんかボロボロなオレが入ってきたことでサシェとエンドラに余計な心配をかけてしまったが、手足に多少の打撲がある程度なので心配ないと言っておいて、メヌエットのいる2階の仕事部屋に入る。

 

「成果はありましたか?」

 

「今のオレを見て推理してみな」

 

 部屋に入ると珍しく最初からオレの方を向いていたメヌエットが、読んでいた何かの伝記本を机に置きつつ呑気に尋ねてくるので、わかってるだろうにとボロボロな姿を見せつけてやる。

 

「あら、てっきりここに来るまでに何度も転んできたのかと思いましたが」

 

「オレはどんなドジっ子キャラなんだ」

 

「フフッ。それだけ元気なら見た目ほど体へのダメージは少ないようですね。安心しました」

 

「……心配どうも」

 

 そこからアホな推理を披露するメヌエットのおふざけは酷いもんで、思わずツッコミを入れてしまったが、そうやってオレがツッコむ気力もまだあることに安堵したのか素直に心配はしていたことを吐露。

 そういうところが本当に時々だがあるから調子が狂うが、心配させたのはオレの至らなさが原因なので、謝罪も含めた感謝を述べて、それから話を本題へと切り替える。

 

「サウサンプトンの隠し財産があった倉庫の金属の床に直径6mくらいの円形の窪みがあった。一番深い中心部でも2mmないくらいだったが、それに人為的なものを感じた」

 

「ふむ、大方の予想はしていましたが、これでほぼ確定したといったところでしょうか。それとサウサンプトンには京夜だけでしたか? 私の調査の申請の際、どこかしらの機関が。具体的に言えばMI6辺りのエージェントが『威圧』してきたのではないですか?」

 

「お察しの通りで。個人の判断か組織の命令かはわからないが、サイオンが来たよ。向こうで見つけたものについては共有したが、ここでメヌがした推理をどうこうしろとは言われてない」

 

「そうですか。では今後の京夜の行動も監視されていると見た方が良さそうですね。京夜もこれからの隠密行動には更なる精度が求められます」

 

 とりあえずサウサンプトンでの成果を報告するところから始めて、それを聞いたメヌエットが推測の域だったものをほぼ確定したものにできたようで、オレの行動も無駄ではなかったみたいだ。

 それから自分が調査の申請をした段階でMI6などが動くと見ていたらしいメヌエットの先読みは今さら驚くこともなく、それならと今後の動きへの警戒を怠らないようにと注意してきたところで、話をまた隠し財産の方へと移していつものパイプをくわえてチェリーの精油を香らせる。

 

「では今回の隠し財産の消失について、小舞曲(メヌエット)のステップのごとく、順を追って説明しましょうか」

 

「説明するってことは、今後もオレの力は必要ってことだな。どうぞ続けて」

 

「まず隠し財産を外へと持ち出した人物。これは十中八九で超能力者。或いは人ならざる者の力が働いた結果でしょう。その中で最も可能性として高いのは……」

 

 いつもの口上と共に饒舌になったメヌエットがオレにそうやって話をするということは、その推理だけでは解決には至れないから。

 まぁその前にオレの動きを注意したりとしてるから今さらだが、オレが理解することで今後の動きに明確な意思を持つことができるのは大きなことだ。

 何のためにそこに行くのか、何のためにそれをやるのか、それを理解してるのとしていないのでは動きのキレはまるで違ってくるからな。

 なので話し始めたメヌエットの推理に耳を傾けていたのだが、何やら少し考える素振りを見せたメヌエットは、そこで濃厚な可能性とやらを言わずにオレに推測させにくる。

 

「京夜。あなたはお姉様が超能力を使うところを見たことはありますか?」

 

「んー、自分の意思で使ってるのは見たことないかもしれん。ただ話でなら何が出来るかくらいは聞いてる」

 

「でしたら問題ありませんね。そのお姉様が使える超能力の中に答えがありますよ」

 

 推測させるということはオレの見聞きしたものの中にそれを可能にする材料が存在することに他ならず、少し身構えていたら自分の姉であるアリアが浮上。

 今年の3月までアリアは自分の心臓の近くにまでシャーロックによって埋め込まれた緋緋色金の弾丸。緋弾によってその精神を意思持つ超常の金属、緋緋神に乗っ取られそうになっていた。

 その緋緋神となんやかんやあって今は折り合いがつき、緋緋神が使える超能力を今やアリアが自分の意思で使えるようになっているのだ。

 まだまだコントロールがおぼつかないみたいだが、その気になれば髪を自在に動かしたり、目からレーザーを出したり、目視した場所へ瞬間移動なんてこともでき……

 

「……瞬間、移動……」

 

「正解です。京夜は優秀な生徒ですね」

 

「誰の生徒なんだオレは……でも待ってくれメヌ。アリアの瞬間移動は確か目視した場所にしか飛べない制限があるぞ。使用回数だって1日1回が限度だって話も聞いてる。重量制限もあったか」

 

「それはお姉様に限ったお話ではありませんこと? 瞬間移動が現実に扱える者が存在する以上、より高度に瞬間移動を扱える者が存在していても不思議ではありません」

 

 言われてアリアの使える超能力──本人が言うには超能力より上の超々能力(ハイパーステルス)という分類らしいが──を1つずつ思い出してみると、なんかそれらしいものが引っかかり口にする。

 その答えにメヌエットもご満悦だが、言うようにアリアの瞬間移動には色々と制限も存在している。

 しかしメヌエットはそんなことは超能力者初心者のアリアだからと切り捨てて、より上位の瞬間移動を使える超能力者がいるのだと推理。

 それが推理と呼べるのかはとりあえず置いておいて、そこに至った経緯とやらに耳を傾ける。

 

「実際に高度なのかどうかはわかりませんが、お姉様の瞬間移動が目視であるのに対して、隠し財産を盗んだ者は……例えば座標を指定し、点と点を行き来するものである可能性です」

 

「……それなら確かに隠し財産のある座標……緯度とか経度、高さもか。その辺を精密に特定してるなら、隠し財産のある倉庫に入る必要はないのか」

 

「座標でなくとも、物、生物といったものをマーカーにして移動させる方法も可能でしょう。ただしこの場合は超能力者本人があらかじめそれ自体を視認しておく必要はあるかもしれませんから、別の何者かが倉庫に侵入したことにはなります」

 

「あそこに入るとなると微生物とかぺらっぺらな薄さの紙みたいなヤツが扉の隙間から入るしかないと思うがな」

 

「壁を透過できる超能力者の可能性もありますよ。何れにしても隠し財産が盗まれた際に使われたのは瞬間移動の超能力で間違いありません。倉庫にあったという円形の窪み。それは瞬間移動を使った際に本来は球形の範囲を指定し黄金を持ち出し、その際にわずかに指定がズレた結果、金属板の一部を抉り取って移動させてしまったということです」

 

 ああ、そういやアリアの瞬間移動も『対象を取る』タイプじゃなくてある程度で範囲を定めて、その中のものを瞬間移動させるとかなんとかだったはず。

 それなら金属の床の一部が不自然に切り取られたようになっていても納得できる。

 メヌエットの推理も未確認の事象が絡むので確定ではないが、アリアクラスの超々能力を使える敵がいる可能性は十分にあるため、オレもここから先の調査には恐怖を覚える。

 オレ程度では超々能力の前では無力に等しいからな。レーザーなんて撃たれたら……死ぬかもしれない。

 と、昔に緋緋神に体を乗っ取られた斉天大聖、孫悟空と呼ばれている(あやかし)(こう)が放ったレーザーを避けていることを棚上げ──猴が多少抑止力になってくれていたこともある──して考えていると、メヌエットも敵の正体がおぼろ気にでも見えてきたことを話す。

 

「どうあれ黄金を盗んだからには、敵はそれだけの軍資金を使って大きなことをしようとする組織である可能性が高いですね。いえ、イギリスの不況も事によっては無関係ではなく、その組織がすでにそうした流れを作り出しているのかもしれません」

 

「つまりイギリスをEUから離脱させてヨーロッパを一昔前の姿にしようとしてる組織がある?」

 

「そのようなことは計算高い人間でも容易ではないですが、曾おじい様以上の天才的な頭脳と推理力を持つ人間ならば、事を逆算し意図的にその結果を生み出すための動きを計算できるのかもしれません。京夜とサイオンを襲ったのは『これ以上は詮索するな』という警告の意味と『こちらはその気になればお前達とも十分に戦える』という宣戦布告でもあったのでしょう」

 

「それで殺されるところだったのは嫌な話だよ。だがそうなるとオレ程度じゃメヌの手足になるのは荷が重いかもしれない」

 

「それは私が判断することですよ、京夜。それに京夜は殺そうとしたところでそう簡単には死んでくれないでしょう。そこだけは信頼しているのですよ」

 

 どうにもかつてのイ・ウーのような巨大な組織が絡んできそうなこの一件は、解決するまでに色々と別の案件も片付けていかなければならない。

 そんな予感がしてきたのをあえて口にはしなかったが、すでにその大きな流れの中に身を投じてしまっている感じは全身が理解してしまっているようで、おぞましいほどの寒気を覚えたのだった。



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Slash4

「休息も時には必要だよなぁ……」

 

 サウサンプトンへ調査に行って帰ってメヌエットへの報告を済ませた翌日。

 昨日の姿なき襲撃者のことはニュースにもなっていて、幸いなことにオレ以外の死者は出ていない──そういう情報操作をサイオンに頼んだからな──ような報道がされていて安心したが、襲撃者には顔を覚えられた可能性もあるため1、2週間は大きな動きをしない方が良いだろうとのメヌエットの判断で、オレはいつも通りの日常を過ごすため登校していた。

 一応は無傷ではないしそのダメージを回復させる意味でもこの休息はありがたく、得られた情報を整理する時間も出来て有意義に思える。

 メヌエットの推理では世界規模での変革を扇動する組織が本格的に動き始めているってことだが、その構成員の姿さえ確認できていない現状、かつてのイ・ウーよりも難敵であるのは間違いない。

 こうなってくると世界のどこかにいるシャーロックの予言に近い推理、条理予知(コグニス)に頼りたくなるところだが、コンタクトのしようもない人間を頼るのは現実的ではない。

 というかあれは人間なのだろうか。120歳越えて超人レベルの肉体と能力を維持してるヤツを人間と呼んでいいものか。

 

「……アリアとは繋がっておくか」

 

 そんなビックリ人間に頼るという不可能に近い行為はさておき、隠し財産の捜索をメヌエットと同じく勅命を受けてるアリアとはちゃんと意思疏通をしておいた方が得られるものは大きそうなので、アリアのいる日本との時差を計算して昼休みにでもメールすれば大丈夫かと、今のうちにメールの内容だけは考えておくことにする。

 あんまりストレートな言い方だと書類にも出来ない案件ってやつに触れるので間接的にオレがメヌエットと協力して事に当たってることを伝えるにはまず……

 と、メールの内容に集中しようとしたのだが、やっぱり気になるものは気になるので無視を続けるのは不可能と諦める。

 実は授業が始まってからクラスの生徒の1人に異様な視線で見られ続けていて、それを無視するために色々と別の事を考えて意識しないようにしていたのだが、一向にやめてくれないのでいい加減にその正体を確かめることに。

 さすがに向こうもここまでやって気づいてないなんてことあり得ないだろ的なことは思ってるはずだし、これだけの視線を浴びせられて気づかないヤツは武偵としてとっくに死んでる部類。別の意味でヤバいヤツだ。

 敵意とかそんな感じではないので身構えたりはしなかったものの、どんな思惑があるかはわからないので油断はせずにオレの右斜め後ろの席にチラリと視線を向けると、2人ほど挟んだ先の席に座る女子生徒が視線の正体だとわかる。

 女子にしては高い170cmの身長とスレンダーな体は、ロンドン武偵高の入学パンフレットにも起用される予定もあるらしいほど無駄がないプロポーション。

 胸はお世辞でも大きいとは言えないが小さいわけでもないので、本人も気にした様子はない。

 それら身体的特徴に加えて天然らしいウェーブのかかった茶髪のロングは肩甲骨の辺りまで伸びていて、サファイアのような青い瞳と整った顔立ちに、日焼けなどしたこともないというほどの白い肌。

 日本人にはあまりない大人びた印象もある、ロンドン武偵高でも5指に入る──誰が決めたかは不明だが──ほどの美人武偵。

 名前はヴィッキー・リンドバーグ。専門はオレと同じ諜報科だが、主な手段として色仕掛け(ハニートラップ)などの特殊技能を用いる、特殊捜査研究科(CVR)を兼科しているため、オレとは全く別のベクトルにいる武偵だ。

 オレが表舞台に出ることを極力避けながら仕事を遂行するのに対して、ヴィッキーはその表舞台で堂々たる立ち振る舞いで女という武器を生かして情報収集して仕事をこなす。

 影の中のさらに影に存在ごと潜もうとするオレと、眩しいほどの光の中で己の内側だけを影で覆って戦うヴィッキー。

 だからなのか留学してからこれまで同じ学科でも話すことなど皆無で、留学初日に少し話したかくらい記憶にない。

 武偵ランクはオレと同じA評価を貰うくらいには優秀だが、ニアSランクくらいでなければ服装をいじれない不文律も存在することから、それを弁えてかヴィッキーも武偵制服・黒を着用している。

 そんなヴィッキーとは接点もほぼないはずなのだが、今回のこれはどんな意味があるのか。

 武偵なら探るのが基本だが、この手のものにあれこれ動くのはエネルギーの無駄遣いと結論を出して、昼休みに本人から聞き出してしまおうとヴィッキーには視線には気づいたと目で合図して授業に戻り、昼休みまで時間を待つこととなった。

 

 運命の昼休みとなって、すぐに近づいてくるのかと思ったヴィッキーだがそうはせずにあえて場所を移動して話をするようで、自分の机に何か書いたことをオレにそれとなくわかるように手で撫でるように触れて教室を出ていってしまう。

 仕草の1つ1つが謎の色気を纏うヴィッキーの妖艶さはCVRで培ったものだろうが、そういうあからさまな色気には耐性があるオレは特に気にすることなく、ヴィッキーが触れていた机の部分を教室を出るついでにチラ見すると、アルファベットで『MRPr』と書かれていたので、廊下に出つつ推理。

 場所なら校舎内にある教室を指している可能性が高いので、割とすぐに音楽室(ミュージック・ルーム)だとわかり、後ろのアルファベットは準備室(プレパレーション・ルーム)を指していると連想し、アリアへのメールと購買で昼食を買ってからまっすぐに向かって入ってみた。

 中にはまだ誰もいなくて、呼び出しておいてヴィッキーの方が遅刻なんてダメだろとかなんとか思いながら少し奥に入ってみると、準備室なだけに音楽室とを繋ぐ扉があって、その扉の前にこれ見よがしにパイプ椅子が置かれていた。

 ああ、そういうことね。ヴィッキーはこの扉の奥ですか。

 その意図を察したオレは、オレと話しているところを見られるのも避けている節があるヴィッキーの話が、何やら不穏な気配を纏っていることに気づく。

 深刻な問題に発展する何か、とかではなく、オレ個人にとってあまり得ではなく、ヴィッキーにとってだけ得な話ということだ。

 それがわかっていてもこのまま立ち去ってしまえば、また熱視線攻撃が待っているなら乗り切るしかない。

 その心構えでパイプ椅子に座って存在感を向こうに出すために買ってきたパンの袋を音を立てて開けて食べ始める。

 

「1人で来たんだ。警戒心が薄すぎない?」

 

「そっちも1人なのは余裕の表れか?」

 

 オレの到着はそんなことをしなくてもわかっていたとでも言うように、こっちにはオレだけなこともわかってるヴィッキーの気の強そうな声が扉のすぐ向こうから聞こえてくる。

 そしてこの挨拶みたいな会話は諜報科では割とポピュラーなもので、常に油断しないだけの緊張感と余裕はどこかに持っておけという教訓的なやつだ。

 

「オッケー。女だからと侮ってるわけじゃないのは今のでわかった。メヌエット女史とコンタクトしてコミュニケーションが取れてる男ってのも、信じがたいことではあってもあながち間違いじゃないのかもね」

 

「狙いはオレかメヌエットか。いや、口ぶりからして両方の可能性もあるな。何が目的だ?」

 

 だが今回の場合は同時にヴィッキーがあらかじめ仕掛けていたブービートラップのいくつか──引っ掛かると盛大に音が鳴るタイプのやつだった──をすでにオレが解除して平然とパイプ椅子に座ってることで、ヴィッキーもこの程度のトラップが全く通用しないことを音で判断していたのだ。

 まぁあまり状況を冷静に見たくはないが、ロンドン武偵高で5指に入る美女武偵からの呼び出しなら、普通のヤツは何らかのラッキーイベントと思って完全に油断するから、その有象無象の男かどうかを試されたといった感じだろうな。

 そうしてオレの実力を計るようなことと、メヌエットとの交友を信じた節のあるヴィッキーの口ぶりから、オレとメヌエットのどちらか、或いは両方に用があるのだと推測し聞き出しにかかる。

 

「別に怖い気配を出さなくてもいいでしょ。ちょっと美味しい話を持ってきてあげたの。ただそれは私1人だといくつかクリアできないかもしれない。だからあなたと、あなたと繋がりのあるメヌエット女史の知恵を借りたい。そういう話」

 

「生憎とあの貴族様は仕事だからって『はいそうですか』と推理ショーをするほど簡単な性格はしてない。オレも報酬が良いからってホイホイ乗っかるような都合の良い方針で動いてない。悪いが他を当たってくれ。ヴィッキーの誘いなら乗るヤツは大勢いるだろ」

 

「報酬では動かない。なら人命がかかってるってなったら、あなたはどうするのかしら?」

 

 全容こそわからないものの、依頼の協力要請であることは今ので判明し、その解決のためにオレとメヌエットの力が必要とのこと。

 ただそういう話なら協力するのは難しいとちゃんと理由も述べて断りを入れたオレに対して、動じることもなく先に言うべきことを後に持ってくる話術で引き止めに来る。

 報酬の多い少ないは武偵にとって大事なところではあるが、言うようにオレにとっては最重要な項目ではない。

 しかしその依頼に人の命が関わってくるなら、猿飛の血は否応なく反応してしまうのだ。ずっと真田家を守り支えてきた猿飛の血は、命という価値に貴賤がない。

 

「抗争とかなら強襲科のやつらの方が向いてるぞ」

 

「荒事とか流血沙汰ってわけでもないのよね。でも解決しないと人命に関わってくるの」

 

「……ハッキリものを言わないのは癖か何かか? 協力させたいなら依頼の内容くらいちゃんと話せ」

 

「始めからやる気のないヤツに丁寧に話すほど私もお人好しじゃないからね。関心のあるなしで吸収力も変わるものだし」

 

 とはいえ本当に誰彼構わず助けていたらオレの命の方がいくつあっても足りないので、オレ以外のヤツが動いて救えるのならオレが固執する必要はないと考えてもいる。

 だからその辺でもオレである必要性について言及するが、どうにもヴィッキー的にオレにこだわる理由がありそうで引き下がってくれそうにないので、仕方ないから話だけでも聞こうと耳を傾ける。

 

「話す前に、あなたってゴーストとかのオカルトな存在は信じてる?」

 

「信じてるとか以前にそれに近いのを見てきたしな……」

 

「日本にはそういうのも結構いるんだ。じゃあ別に怖かったりはしないわね」

 

 その話をする前に何やら霊的な存在の信憑性について尋ねられたので、人外のあれこれやら妖怪の類いと会ってきた経験からいないこともないだろうと返す。

 ヴィッキーもそれらしいものは存在すると思ってる人間なのか、当たり前のようにそれ前提で話を続ける。

 

「依頼の内容自体は割と簡単なもので、いわゆる立ち退き交渉ってやつ。建築物がかなり老朽化してて、地震とかの災害でいつ倒壊するかわからないから、1度取り壊して建て直そうって計画が前からあるんだけど、そこの住人っていうか……憑いてるっていうかなヤツがずっと邪魔してるって感じ」

 

「憑いてる? 物理的に妨害してるのか」

 

「どうにも超能力を使えるみたいで、念動力(サイキネシス)で追い出しにかかってくるって話。ただこっちが手荒なことをしなきゃほとんど無害なだけに膠着状態になってるから、どうにかしてそいつを建物から剥がすのが私達の仕事」

 

「そういうのって超能力捜査研究科(SSR)の領分なんじゃないか?」

 

「交渉の余地があるなら私達にだって解決はできるわよ。それにこれは街が抱える問題なだけに報酬も破格で……っと、これはあなたは興味ないんだっけ。とにかく、やりようでは私達でも解決できる可能性があるし、無理なら諦めてSSRにでも回すわよ」

 

 現金主義の武偵の鑑だな、ヴィッキーは。

 話だけなら超能力専門のSSRがやれば簡単に解決しそうなものを、報酬に目が眩んだヴィッキーはそれ目当てに動かないオレを選んで人員を削減し、取り分を多くしようとしてる。

 ただ専門外だから不安なこともあってオレとメヌエットの推理を頼ってきたのは冷静な判断で、依頼書の方も人の目につかないようにいち早く掲示板から外して受理したのだろう。

 オレも依頼書を貼る掲示板は登下校のついでに2度ほど見るが、そんなオカルトな内容と破格の報酬なら覚えているから、そういう経緯で間違いないはず。

 

「それで一緒に来てくれるの?」

 

「……メヌエットに頼るのはあくまで最終手段。そういう前提なら行ってやる」

 

「じゃあ決まりね。出発は学校が終わってからすぐに発つから、ヒースロー空港で待ち合わせましょ」

 

「ちょっと待て。肝心の場所を聞いてない。どこに行くんだ」

 

「ニューカッスル・アポン・タイン。ロンドンの北北西約400kmにある都市よ。まぁ目的地はそこから少し移動するけど、今日はそこで1泊してくわ」

 

 話はしたので順当に返答を求めてきたヴィッキーに、少し楽観視しすぎな部分はあると思いつつも、オレが断ったところでやめはしないだろうとテンションからわかるし、荒事じゃないならオレもそこまで拒否する理由もない。

 なのでヴィッキーが金に目が眩んで強行策に出たりしないようにストッパーの役割を果たす意味で同行に了承すると、もう色々と手配はしていたのか、すでに決まっているフライトと今後の予定を述べて音楽室を出ていってしまった。

 せめて準備室に仕掛けたブービートラップくらい片付けていけと思いつつ、パンを食べ終えてからヴィッキーが取った依頼書の方を確認しに教務科の方に行って、ちゃんと目を通しておく。

 確かに報酬は破格で太っ腹なほどだが、注意書きの方に『依頼に失敗した場合、訴訟にて賠償金を請求する』とかなんとか不穏すぎるものがある。

 これ、すでに街として失敗してて、それでどうなるかがわかってる前提で書いてるよなぁ……つまり訴訟できるだけの不安要素がすでにこっちを見てる。嫌だわぁ……

 ヴィッキーの話じゃ念動力で追い出しにかかってくるとか割とやんわりな表現だったが、解決してくれる武偵が現れないのもあれだからと依頼主が表現を和らげてるだけっぽいぞ。

 

「…………まっ。争い大好きな緋緋神ほど厄介なヤツじゃないだろ。そう思おう」

 

 虚偽は依頼する側にもペナルティーはあるが、このグレーゾーンな書き方はその手に詳しい人からのアドバイスを受けてそうな感じだ。

 まぁ武偵憲章の7条にも『悲観論で備え、楽観論で行動せよ』ってあるし、ヴィッキーほどじゃないにしても、どうにかなるさくらいの心持ちでいよう。

 

 それからヴィッキーとは一言を話すことなく放課後となり、1度帰宅してから簡単な荷造りをしてヒースロー空港へと向かう途中、アリアからメールの返信が来て内容を見てみると『20日にロンドンに行くからその時に詳しく話そう』とだけあり、まだ10日以上も先の話になるのかと思いつつ了解の返事を出してヒースロー空港に到着。

 来る前にメヌエットに連絡しておくか迷ったが、ここ最近はちょっとわがままが目立ってオレもそれに振り回されていたので、何でもかんでも自分の思い通りにはならない現実の厳しさというのも思い出させてあげようととりあえず放置。

 オレが結果として泣きつくことにならなければいいが、最初から誰かに頼るのも武偵としてはプライドの問題もあるから、自分の甘えを無くす意味でもこれで良いのだ。

 空港にはすでにスーツケースなんて持ってるヴィッキーがいたが、フライトがギリギリだったかすぐに呼ばれて2人でしばしの空の旅へと出発。

 距離的には東京・大阪間に満たないくらいなものなので、フライトも2時間程度。

 その間にヴィッキーからは「アリアとは東京でも顔見知りだったの?」とか「彼女とかいるんじゃない?」とかプライベートに関する質問をあれこれとされていたが、隣の席を良いことに肩に寄りかかってきたり手に触れてきたりと、この親近感を武器に情報収集する感じは理子と通ずるものがあって、躱し方が自然とそれと同じになってしまう。

 人とは何1つ真面目に答えない人間に質問を繰り返すのは、個人差はあるが必ずどこかで飽きる。

 そうなればオレの勝ち。理子はその辺で吹っ切れてしまって、その地点を過ぎると独り言のように自分語りを始めて自己満足の世界に入ってくれるが、ヴィッキーの場合は質が悪かった。

 真面目に答えないオレに業を煮やしたヴィッキーは、触れていたオレの手を握って何を思ったか自分の胸に押しつけるように触れさせてくる。

 

「キャッ! ちょ、ちょっとやめてよ……こんなところでなんて……私達そんな関係じゃないでしょ……」

 

 大変な危機感を覚えたオレは寸でのところでそれは拒んだのだが、ここは女の武器が勝り周囲にも聞こえる声量で悲鳴を上げられてしまう。

 こうなると男は非常に不利な状況になるのはほぼ万国共通で、セクハラ紛いのことをしたと思われたオレは他の客に変な警戒心を与えてしまった。

 心象を悪くするというのはどんなことにも有利に働くことはないので、これが2度3度と続けば御用となるのも割と現実的にあり得てしまう。

 

「……1つだけだ。答えられる範囲の質問には答えてやる。だからそういうことはやめろ」

 

「聞き分けが良いじゃない。社会的に避難を浴びるのは厳しいものね」

 

「それもある。だがCVRじゃそういうのが常套手段なんだとしても、それをためらわずにやれる女性にオレがするのは嫌なだけだ」

 

 それを察して仕方なく折れてやったが、癪なので窓の景色に目を向けて不貞腐れたら、面白そうなヴィッキーが顔を除いてそんなことを言うから、正しくはあるが全てではないので『正直』に話してやる。

 これで約束は守ったのでズルだなんだと言われなくて済むなと薄く笑ったのだが、なんか反応がないのでチラッとヴィッキーを見たら、何故か席に直ってアイマスクをして仮眠に入っていた。

 この会話を拒否するような反応は覚えがあるが、何がそのトリガーになったのかよくわからない。

 恥ずかしい、怒った、飽きた。このくらいが今の反応の正体なのだが、ヴィッキーが何に反応してそうなったのか不明なので傾向的にオレから尋ねたりはしない方がいいかと、それ以降は会話もなく2時間のフライトは終了し、到着したニューカッスル・アポン・タインの空港近くのホテルで1泊──もちろん部屋は別だ──して、チェックアウトを済ませたところでようやくいつものヴィッキーになってひと安心。

 女は未だによくわからない生き物だが、鈍感になろうとしていた昔のオレとは違うので、理子で言うところの『フラグ』とやらにも気を付けていこう。

 そんな謎の決意と共にヴィッキーと2人で目的地へ向けて移動を開始したオレは、このあとに待ち受ける展開に少し楽観的になりすぎていた。



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Slash5

 ヴィッキーの誘いでとある依頼を引き受けたオレは、その依頼を達成するべくニューカッスル・アポン・タインを訪れ、そこから西へ4km程度移動した先にある閑静な住宅街、ヘドン・オン・ザ・ウォールというところへとやって来ていた。

 都市部であるニューカッスル・アポン・タインとは違ってのんびりとした雰囲気もあるここは平和そのものといった印象を受けるが、街の代表に挨拶して依頼にあった老朽化した建物へと案内してもらってから、わずかながらに空気のよどんだ感じが漂った。

 これがこの建物に住む地縛霊みたいな存在が出している空気ならまだそれらしいから良いのだが、どうにも違和感もある。

 案内された建物は3階建ての木造建築で、老朽化していると言うだけあって外観だけでも塗装が剥げていたりツルが壁に巻きついていたりで手入れもされていないとわかる。

 見ただけで今の建築基準は満たしてないなぁと思いながら、街の代表が「よろしく頼みます」とだけ言ってさっさと退散してしまったのを見送り、無人のはずのその屋敷に入ろうと踏み出す。

 しかしこの依頼を受けたヴィッキーが何故かオレのあとをついてくるようにテンポを遅らせて歩くので、なんか察してしまったところもあるがとりあえず進行して、入り口の扉にあったドアノッカーで来客を中へと知らせる。

 この屋敷自体はもう200年以上も人が住むことはなく、敷地の前には立入禁止の看板も立っているのだが、屋敷に憑いている霊は今も礼節を持って訪れれば、ちゃんと招き入れてくれるらしいのだ。

 それでオレがドアノックをして数秒後に、ガチャッ、と扉の内側から鍵を開ける音がして、それにちょっと驚きつつも招かれはしたので扉を開けようとしたら、後ろのヴィッキーが何故かオレの制服の袖を握ってくる。

 

「…………ヴィッキー。もしかしてお前……」

 

「な、なななな何かしら? は、早く入りなさいよ」

 

「……はぁ。外で待ってるか?」

 

「い、行くわよナメないでよ!」

 

 その反応がもう完全にあれだったから、気を遣って様子見だけは1人で行こうとしたら、まだ強がるだけの余裕はあるのか、行く意思だけは示してくるが、オレの袖から手を放してはくれない。

 だからこの依頼で在学生じゃなくて留学生のオレを選んだのか……

 それらしい理由は必死に考えていたのかと思うと可愛いものだが、これで完全に役立たずになられると報酬も等分は不公平極まりないので、その辺は結果次第で交渉しておくとして、扉を改めて開けて中へと入ってみると、オレは心底驚くことになった。

 

「…………すげぇな。これで200年以上も経ってるのか」

 

「な、なになに? 何が見えるの?」

 

 外観があれだからきっと中も相当なものだろうと思っていたら、まるでこの屋敷の外と中で別の空間になっているかのような錯覚さえ覚えるほど、屋敷の中は掃除が行き届いて綺麗にされていたのだ。

 塵1つない、ほぼほぼ完璧と呼べるほどの整理整頓が行き届いた1階リビングは、今も人が住もうと思えば全く問題ないレベル。家具なども古くはなっているがテーブルやソファーもまだまだ使えるはずだ。

 さすがに水道や電気などのライフラインが切られているから実際に住むとなると不備は出てくるが、本当に老朽化してるのかを中だけ見れば疑いたくなるな。

 そんな屋敷の中を入ってから固く目を閉じて見ようともしてないヴィッキーには呆れて、もうアイマスクでもしてろと助言してやってから屋敷の探索を開始しようと向き直る。

 時間にすれば数秒だったのだが、オレが目を逸らしたその間に2階に続く階段の前に1人の女性が何の前触れもなく立っていた。

 女性は一昔前の召し使いといった風貌で、シルクの生地の服で全身を覆い、薄く長く伸ばした金髪の頭の上にはメイドなどがするヘッドドレスもつけている。

 幽霊のはずだが輪郭もハッキリしていて、端正な顔立ちはヴィッキーにも負けない美人の部類だし、年齢は20代半ばくらいに見える。

 幽霊だから歳を考えるだけ無駄だろうが、立ち尽くすオレとヴィッキーを見て足さえも覆い隠していたシルクのスカートを両手で摘まんで持ち上げて頭を下げる挨拶をした女性は、とても綺麗な所作で歓迎。

 

ようこそ(ウェルカム)、うら若きご夫婦様」

 

 透き通るような優しさを含む美声は幽霊とは思えないほど心地よく耳を通り、思わず頭を下げてしまったが、幽霊からの挨拶にヴィッキーはさらにオレの後ろに反射的に隠れる始末で、誤解のある発言にもツッコめずにいる。

 

「すみません。我々は夫婦ではなく同じ学舎のクラスメートなんです」

 

「そうでしたか。勘違いをしてしまい申し訳ありませんでした。おもてなしは満足にできませんが、心ゆくまでおくつろぎくださいませ」

 

 仕方なくオレが訂正してやり、誤解も解けたところで女性は立ち話もなんだからと火は点いていないが暖炉の前にあるソファーへとオレとヴィッキーを勧めて、左手をサッと上げて振ると、1階の閉められていた全てのカーテンが勝手に開けられて、そこから日の光が入り込み室内が一気に明るくなる。

 それらの現象を冷静に観察するオレと、もはや泣き出しそうなヴィッキーの対比が凄いことになってるが、ビクビクしてるヴィッキーを見た女性は自分が怖がらせていることにも気づいていたか、まずはこれ以上怖がらせないようにか自己紹介を始める。

 

「申し遅れました。わたくしはシルキー。このお屋敷に486年と52日、お仕えさせていただいております」

 

「えっ、シ、シルキー!?」

 

「おっ、反応した」

 

 室内が明るくなってますます女性の存在感というのがリアルになったが、不思議と彼女への恐怖心はなく、シルキーと名乗ってとんでもな年月をこの屋敷で過ごしていることを述べる。

 するとシルキーの名前を聞いた途端に怖がっていたヴィッキーが初めてオレの後ろから顔を出して目の前のシルキーを見ると、その顔からは恐怖心が一気に抜けていったのがわかる。

 

「シルキーってあのシルキーよね? 本当に存在するんだ……」

 

「どちら様?」

 

「知らないの? 名家の屋敷に住み着いて、頼まれもしないのに屋敷を掃除したりするイングランドで有名な妖精よ。って、キョーヤは日本人だったわね」

 

 名前だけでそうしてしまうほどの有名な逸話でもあるのかと思って尋ねてみれば、やはりイギリスでは有名なオカルトだったようで、それを聞いて改めてシルキーを見ると、そうなるとわかっていたのかただニコッと笑って返してくる。

 まぁシルキーが有名な存在なのはヴィッキーの話でわかったし、シルキーとわかって怖がる様子もなくなったヴィッキーが復活してくれたのは良いことなので、一応の確認として目の前の女性が『ここに存在しているのか』を確かめるためにシルキーに近づきその手を取ってみる。

 そんなオレに嫌な顔1つせずに笑顔を変えないシルキーは、かなり寛大な心の持ち主のようで、その心の在り方が綺麗だからか、ちゃんと握れた手からは人肌と同じくらいの体温が伝わってくる。

 

「失礼かもしれないけど、シルキーはその、どういう存在なのかな?」

 

「怖がらせるつもりはないのですが、そちらのお嬢様が仰ってくださった妖精、というのは正確なところではなく、この屋敷を依代に魂を定着させている亡霊というのが正しいかと。こうして具現化するためにはエネルギーを必要としますが、依代の屋敷が綺麗であればそれだけわたくしも満たされますので、実質的に自給自足できてしまいます」

 

 霊体ならここまでの温もりは持ち得ないので、率直にどういう原理で存在しているのかを問うと、自分の口から亡霊なんて言っちゃったせいでまたヴィッキーがビクッと反応してシルキーから少し距離を取り、それに対して謝るやり取りが行われる。

 だがその話が本当なら、オレ達がこれからやろうとしていることは実質的にシルキーを殺すことに繋がってしまうのではないだろうか。

 屋敷からシルキーを追い出すのは話を聞く限りでは不可能だし、力の大きさはまだ不明だが屋敷のこの完璧な状態からして超能力も相当なレベルで扱えるはず。

 

「シルキー。君に嘘はつきたくないから正直に話すが、オレ達はこの街の人に頼まれて君をこの屋敷から出ていってもらう交渉に来たんだ」

 

「……あなた方も、わたくしを疎ましく思う方々の味方をしているのですね」

 

「立場的にはそうなっちゃうが、オレはそれを強制しに来たつもりは毛頭ない。ヴィッキーもそうだ」

 

 そんなシルキーが相手では力ずくはほぼ不可能なので、まずは切り出すタイミングを失わないためにオレ達がここに来た理由についてを正直に話すことにし、その言葉でシルキーの優しさに溢れていた雰囲気が凍りつくような冷たいものへと変貌。

 それは超能力やらに疎そうなヴィッキーすらも肌で感じられるほどで、その怒りが爆発する前にまだ完全に敵対しているわけではないと付け加え、ヴィッキーもそれにうんうん頷く。

 

「……ではあなた方はわたくしをどうするおつもりですか?」

 

「……わからない。だがシルキーをこの屋敷から追い出すってことは、それはつまりシルキーを殺すって意味にもなっちまう。そうだろ?」

 

「ご理解が早いですね。あなたはどこかでわたくしと同じような存在とお会いしたことがあるのでしょう。初めてお会いしたのに、とても冷静に物事を判断できております」

 

 そんなオレ達にとりあえずで怖い雰囲気は和らげてくれたシルキーだが、単なる客人という見方から警戒心を上げられてしまった。

 それは仕方ないことと割り切って話を続け、亡霊と言えど決して悪いことをしているわけでもないシルキーを屋敷から追い出そうなど、そんなのは暴挙に等しい行為。

 とはいえこの依頼を失敗すると街から訴えられるともあって、オレ達が残された道はこのまま何もせずに依頼を断るか、心を鬼にして断腸の思いでシルキーを屋敷から引き剥がすか。

 ヴィッキーもその事に気づいたか、まだ反感を買うまでに至ってないシルキーを横目にオレを呼び寄せて、小声で作戦会議を始める。

 

「この依頼、難しすぎない?」

 

「報酬に目が眩んだヤツがそれを言うのかよ」

 

「だってシルキーが屋敷にいるなんて思ってなかったのよ。彼女は適切に接していれば害もない存在で、昔話でも『シルキーがいる屋敷は名家の証』って言われるくらいの持ち上げ方なの。そのシルキーを追い出すなんて……」

 

「依頼を断るか? だがオレ達がやめたところでまた新しい受注者が来て、そのうちシルキーを強引に追い出す輩が現れないとも限らないぞ。この問題を解決したいなら、オレ達でどうにかするのが後腐れもなく終えられる方法だろうな」

 

「でもどうやって……」

 

 ヴィッキーも金の亡者と言うほど人としてはみ出してはいなかったか、シルキーへの畏敬の念はあって、ここでヴィッキーとは意見が合ってくれた。

 だが問題は街の人の問題がこの屋敷にあって、老朽化した建物の危険性はオレも理解してるだけに、シルキーを尊重してこのままにしておくこともできないこと。

 そこに頭を悩ませていると、オレ達を見ていたシルキーが自分のことで困っていると察したか、話を整理したりする意味でもと屋敷の案内をしたいと申し出てくる。

 何を呑気なとヴィッキーは表情にまで出していたが、とにかく今は情報も少ないこともあってその提案にオレが乗っかり、考え事はじっくりやりたいタイプなのか、ヴィッキーはソファーに腰を下ろしてしまい、仕方なくオレ1人がシルキーの案内で屋敷の探索に乗り出した。

 

 1階が生活のほとんどを過ごすスペースということで、キッチンやトイレ、浴室といったものは全て1階に集まっていて、シルキーはそれらの場所を思い出話と共に説明してくれる。

 500年近くも過ごした屋敷なのでその熟知具合は神がかっているため、昔に住んでいた家族の子供がイタズラで付けた傷なども楽しそうに語ってくれるが、これを全て聞いていたら日が暮れるどころではなさそうなので適度に割り込んで進行してもらい、1時間ほどでようやく2階へと上がる。

 上階に続く階段は、質量が軽めらしいシルキーはほとんど音もなく上がっていけるのだが、男では軽量級のはずのオレが足をかけてみると、階段はかなり長めの木が軋む音を鳴らしてくる。

 これだけでもこの屋敷の老朽化は深刻だとわかるし、シルキーがいくら掃除や手入れをしたところで老朽化は止められないもの。

 ましてや屋敷の外側はシルキーもどうしようもないのかかなり自然の侵食が進んでいて、そこから長い年月で中の構造にも毒のように侵食してしまっているだろう。

 だからこそ今のこの室内の様子は奇跡とも呼べる状態で、これはシルキーの有能さが成せるものに他ならない。

 だからといってこの奇跡があと何年もつかはわからないし、明日にでも何か問題が起きるかもしれない。

 そうなってからではもう遅い。起きてしまえば街の人も強行策に出るしかなく、優しいシルキーも自らが消えることを受け入れてしまうだろう。

 2、3階は主に家族1人1人の自室が設けられているようで、部屋の数やベッドから最盛期には10人くらいの人が一緒に住んでいたっぽいことがわかる。

 

「この屋敷に最後に人が住んでたのが200年くらい前って話だけど、人が住まなくなった理由については?」

 

「……もう211年と23日前になりますか。最後の家主様は、先代の家主様のご子息であらせられましたが、歳を召されるにつれてお金に執着なされるようになっていきました。そして妻を貰い家庭を持っても、徐々に家庭を省みないお方になりました。今で言う亭主関白というものになるのでしょうか」

 

 そのベッドの1つ──当たり前だがシーツなどはない素体がむき出しのものだ──に座って、何か解決の糸口はないかとシルキーの過去について探りを入れることにする。

 シルキーがどんな存在にしても、この屋敷にこだわる理由があるならそれを解消することで解決できるかもしれないからと思って、まずは人と一緒に住んでいた時間まで遡ってみる。

 

「その傾向はどんどんエスカレートしていき、ついには妻や子に仕事のストレスをぶつけるようになり、わたくしはお屋敷の平和を守るため、やむなくご主人様を屋敷から追い出したのです。そこからはもう止められない負の連鎖が続き、わたくしが人ではないと知った奥様と、とてもなついてくださった子供も、一緒には住めないと言って、ほどなくして屋敷を出ていかれました。わたくしはただ、この屋敷に住む方の笑顔をお守りしたかっただけなのですが、現実とは非情なものですね」

 

「シルキーはその事を後悔してるのか?」

 

「……いえ。わたくしがそうしなければ、奥様と子供は遠からず屋敷を出ていかれていたでしょう。それで残された旦那様はきっと、今度はわたくしにその矛先を向けていたはずです。どのみち、結末は変えられなかったのなら、奥様と子供が少しでも傷の浅いうちに旦那様から解放できて良かったと、そう思うようにしております」

 

 ……やるせないな、ホント。

 大切に思うからこそ苦渋の決断でしたことが、結果としてその家庭を崩壊させてしまった。

 こういったことは社会でもよくあることとわかってはいるが、人のためと思う気持ちさえも悪いことのように打ち返してくる現実の厳しさは精神的に辛いものがある。

 人と同じように考え動けるシルキーはその思いを200年以上も抱えて生きてきたと考えるとちょっと想像もできない精神力だが、誰かにこの話をするのは初めてだったのか、どこかスッキリした笑顔でオレを見て頭を下げてきた。

 

「わたくしのお話に耳を傾けてくださってありがとうございます。話したことで胸に秘めてくすぶっていたものが少し晴れたような、そんな気がいたします」

 

「……オレもやり方は少し乱暴で違うけど、シルキーのように人のためにって働く仕事をしてるから、オレもそういう問題にいつか直面するかもしれない。だからシルキーがしたことが間違いだったとか、正解だったとか今のオレがあれこれ言うべきじゃないと思ってるけど、これだけは言いたい。シルキーのその在り方はとても尊くて、誇ってもいいものだって」

 

「……お優しいのですね、あなたは」

 

 辛い過去は人に話すことで幾分か和らげることができることもあるが、シルキーもそうであったようで、感謝されるようなことをしたつもりもないオレとしては恥ずかしさのある感謝だ。

 それにオレとしてもシルキーの昔話は他人事と済ませるにはリアリティーがあるだけに、勇気ある選択をしたシルキーを尊敬し、立派だと子供ながらに言ってあげると、優しい笑顔で返したシルキーはまた小さく頭を下げて感謝を示した。

 

「そういえばまだ、あなたのお名前を聞いておりませんでしたね。物事の順序がずいぶん変わってしまいましたが、お名前を教えていただけますか?」

 

「ああ、シルキーが名乗った時にオレ達も名乗るべきだったよな。悪かった。オレは猿飛京夜。下にいる女性はヴィッキー・リンドバーグ。武装探偵って仕事をしてる」

 

「探偵さんなのですね。道理でこちらを詮索するようなことを尋ねてくると思いました」

 

 そうしてシルキーとの関係も良好に戻してから、まだ自分が名乗ってなかったことに言われて気づき、ヴィッキーも合わせて自己紹介。

 武偵という存在すら知らなかったシルキーだが、オレの詮索には疑問は持っていたようでようやく納得したと表情にも出してまた笑顔を見せると、時間はすでに昼を回ってしまっていたので、放置していたヴィッキーの様子も気になるからと2人でまた1階リビングの方に戻っていった。

 リビングでは考えすぎてか空腹だったか、ソファーでぐでっとしたヴィッキーが死んでいたが、オレ達が戻ってくると顔だけ上げて「お腹減った」と吐露。

 1人で街に買い出しでも行けば良かったのにと呆れつつも、真面目にこの依頼をどうするか考えていたのが、手に持ってにらめっこしていた依頼書でわかったので口には出さないでやる。

 

「シルキー。街で食べ物を買ってきてここで食べてもいいか?」

 

「ご自由になさってください。本当ならばわたくしが腕を振るってお料理でもできればいいのですが、水も火も満足にありませんので」

 

「えっ? でもシルキーってこの屋敷を掃除とかしてるのよね? それって水とか使うんじゃないの?」

 

「はい。空気中の水分を寄せ集めてバケツ1杯分ほどの水は確保でき、火も可燃物さえあれば着火はできるのですが、1日に何度もやりますと室内環境が変わってしまうので、お料理をしてしまうとお掃除に支障が出てしまうのです」

 

 武偵の悪い癖が出てるヴィッキーがあからさまに動くのが面倒臭い空気を出し始めたのにもいち早く気づきはしたが、オレもオレで気になることがあるので買い出しは自分で行く旨を伝えて、飲食の確認をシルキーにする。

 そこでまたシルキーの超能力の割と万能な部分がチラッと見えたが、水もなしに掃除ができていた謎が意外なところで解けて、シルキーと2人きりになると悟って「早めに戻ってきてくださいお願いします」みたいな顔をオレに向けたヴィッキーを無視して屋敷を出て買い出しへと出掛けるのだった。



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Slash6

 ヴィッキーが受けた依頼でニューカッスル・アポン・タインの近くの街、ヘドン・オン・ザ・ウォールに来たオレとヴィッキーは、老朽化した屋敷に住む亡霊シルキーをどうにかして屋敷から離れさせるための手段を考えていた。

 現状ではシルキーは屋敷を依代に現世に留まれているような話を本人がしていたこともあり、街としての目的である屋敷の取り壊しはシルキーの死を意味する。

 シルキー自体は共生さえできれば家計を圧迫しない──食事も服も必要ない──有能なメイドとしてほぼ無償で働いてくれるので良い事ばかりなのだが、人ではなく家に憑くタイプは移動だけは不自由なのが悔やまれる。

 

「…………あっ。イングランドの隣人の魔女がいた」

 

 シルキーを無事に屋敷から離れさせる方法さえ見つかれば、悩んでいる問題も解決できるのだが、オカルト的なものへの知識が不足するオレやヴィッキーでは限界がある。

 そのことに食料の調達のために屋敷から出ていたオレが思い至り、早くもメヌエットを頼る案が頭をよぎったが、それよりも専門の人間がいることに気づき携帯を取り出す。

 

「でもなぁ……『プロ』は仕事にうるさいからなぁ……」

 

 以前に番号だけは教えてもらっていたので登録リストにもあったそれを選んで通話を試みるが、たとえ繋がったとしても素直に教えてくれる可能性はまずない。

 何せ相手はプロ中のプロの傭兵で何をするにも見返りを要求してくる。

 その辺の危惧はあるが話だけでも聞いてもらえたらと繋がるのを待っていたら、きっと向こうでオレの名前が表示されて嫌な顔でもしたのだろう微妙な間を置いて携帯が繋がる。

 

『……仕事の話なら今は無理』

 

「いや、本当に申し訳ないんだが、仕事の話じゃない。ただ……」

 

 ──ぶちぃぃん。

 開口一番にいつもの仏頂面してそうな声ですでに別の依頼を引き受けてる旨を伝えてきた颱風(かぜ)の魔女、セーラ・フッドだが、そんなことはオレにとってはどうでもよく、まずは頭を低くして話を聞いてもらおうとした。

 が、仕事じゃないと聞こえた瞬間に通話を切りやがったあのガキに「プロ気取りの痴女が!」と悪態をつきたくなる衝動で携帯を投げそうになったものの、ギリギリで踏みとどまる。

 あの魔女様は風の超能力を使っているくせに、その風でぴらっぴらなびくミニスカートを穿いてやがるので、すでに何度かスカートの中を目撃してるが、一向にスパッツの1つも穿かないから、もうそういう趣味の残念な子として勝手に諦めている。

 だが今はその痴女に1つでも意見を述べさせるべく、込み上げた怒りを腹に落として再度チャレンジ。

 

『……しつこい』

 

「今日はスパッツを穿いてるんだろうな?」

 

 ──ぶっちぃぃぃん!

 何故か変わらないはずの通話を切る音が怒りを帯びていた気がするが、オレも大人げなかったな。メヌエットとそう変わらない歳の少女をいじめても仕方ないだろう。大人になれ猿飛京夜。

 

『…………用件は?』

 

「始めから話だけでも聞いてくれればこんなこと言わないのに」

 

 と思って3度目は真面目に行こうとしたら、セーラも不毛すぎると思ったのか素直に用件を尋ねてきてくれたので、お言葉に甘えてシルキーについて意見を求める。

 

「セーラはシルキーって妖精のことは知ってる?」

 

『当然。それが何?』

 

「そのシルキーを屋敷から離れさせる方法なんてあるのかなぁと思って」

 

『そんなことをしたらシルキーは消える。終わり』

 

「だから、そうならない方法が万に1つでもあるならと思っただけなんだけど、専門家の目線からしてもその可能性はない?」

 

 魔女であるセーラは超能力やオカルトな事柄について詳しいので、何かしらの可能性は出てきてほしいと願うが、無情なセーラは1秒でも早く通話を切りたいというあからさまな不機嫌オーラを声に込めて話を終わらせようとする。

 しかしオレが食い下がればまた電話がかかってくると思ったか、真面目に思考してくれたような沈黙のあとに携帯越しにその答えが返ってくる。

 

『そのシルキーはどのくらい生きてる?』

 

「えっと、ほぼ500年だったかな」

 

『屋敷の状態は? シルキーが屋敷に居ついた頃からある所縁のものとかがあれば、可能性はあるかもしれない』

 

「屋敷は人が住まなくなった200年くらい前のまま綺麗にされてる。所縁のものは……本人に聞いてみないことにはわからないが、探せばあるかもしれない」

 

『ならシルキー本人に言ってみて。────』

 

 真面目にさえなれば有能この上ないセーラの助言で、オレは今後やるべきことを明確にすることができ、あくまで可能性だと言うセーラにお礼を言って通話を切ると、まずは腹を空かせて死んでるヴィッキーを復活させるために買い出しを再開。

 セーラには今度会った時に失礼を働いたお詫びに頭を撫でてやろう。うんそうしよう。

 

 買い出しに出たのはセーラに連絡するためではなく、他にも目的があった。

 どちらかと言えばセーラへの連絡がもののついでということになるのだが、その辺は曖昧でいいやと放棄してテイクアウトの出来る飲食店に入り、注文がてら中年のオジさん店員にそれとなくシルキーについて話を聞く。

 

「この街ではシルキーは嫌われているんですか?」

 

「……そんなことはないんですよ。私なんかが生まれる前からこの街にいる年長者で、彼女のお世話になった人も多くいます。この街とシルキーは長い年月と共に当たり前に存在するものになっています」

 

「そう、ですか」

 

 次に寄り道として小さな酒店に入って、飲むかは不明だがシルキーへのプレゼントとして赤ワインを1本買おうとした。

 しかしそれを止めるように店の奥から店主を押しのけてお婆さんがわざわざ出てきて、オレがこの街に来た理由についても理解があるのか、棚から1本の白ワインを取り出してオレに差し出してくる。

 

「シルキーさんはこの白ワインが好きなんだよ。でもあまり強い方じゃないから、飲ませ過ぎないように気を付けておくれ」

 

「……ではこの白ワインをいただきますね」

 

 年の功なのかオレが飲むわけじゃないと悟ったお婆さんの経験値はさすがだが、シルキーも酒は嗜むんだなと思いながら、お婆さんの厚意に甘えて白ワインを購入。

 これでまぁほとんど目的は達せられたので、酒店を出てからはまっすぐ屋敷へと戻り、待ちわびていたヴィッキーが飛び付いてきたのを押し返して少し遅めの昼食を開始した。

 

「これはシルキーに。酒店のお婆さんがシルキーの好みだからって勧めてくれたよ」

 

「酒店の……あの子ももうお婆さんと呼ばれる年齢になったのですね。昔はよく家出をしてはここに籠城していた子でしたが、厄介になる時は自分用の食料と一緒に、いつもこの白ワインを持ってきてくれました」

 

 昼食の前にシルキーには勧められた白ワインを手渡してあげると、やはり人とは違う時の流れを生きてる言葉が飛び出して反応に困るが、この街にシルキーが根付いている何よりの証拠が示されたことにはなる。

 そこでオレは念動力で食器棚からグラスを取り出したシルキーと、オレの分まで食べそうな勢いのヴィッキーを放置して改めて2階へと足を踏み入れ、その部屋の中で屋敷の正面の景色が見える場所のベッドを調べる。

 予想通り、ここのベッドだけは他のベッドよりも使用頻度が多いのか、少し古くはあるがマットレスが存在している。

 酒店のお婆さんがシルキーの言うように家出少女でここに来ていたのなら、一夜くらいはここで過ごすこともあっただろう。

 さらにそんな子供があのお婆さんだけだったということもまたないはずで、この街の子供は少なからずこの屋敷に逃げ込んではシルキーのお世話になっていたのだろう。

 それならばこの屋敷を出ることができないシルキーなのに、街の人がお世話になったこともあると言う理由は納得のいく話だ。

 言ってしまえばシルキーはこの街の人達にとって第2の母親みたいな存在で、この屋敷にはシルキーがいるから他の幽霊などが悪さをするようなこともない安心感があったはず。

 

「……助けないとな。この街もシルキーも」

 

 そんな事情が見えたところで、今更ながらにだがこの依頼が何故ロンドン武偵高にまで下りてきたのか、そのカラクリについてわかってしまった。

 依頼書にそうと書かずともシルキーが関わる問題だとプロにはわかってしまい、解決のためには非情にならざるを得ないことも、解決しても人の信頼を得ることができない悪循環を生むと判断し引き受ける武偵企業がなかったから、その下部組織である武偵高に回ってきた。

 武偵高生ならまだ組織ではなく個人の枠に収まるし、事細かに依頼の全てを履歴として残すこともないから、影響が少なくて済むからな。

 そういった裏事情がわかったものの、本当にその通りにするつもりもないオレは、大団円のエンディングを目指して行動を開始する。

 その1歩を踏み出すために再び1階リビングに戻ってみると、なんかヴィッキーがソファーで正座してシルキーと向き合っている構図が飛び込んできて困惑。

 

「らかられすね……わたくひはこにょ屋敷にこりゃれりゅ方の味方で、何百年もそうひてきたんれすよ」

 

「はい。はい。よーくわかりました」

 

「らいたいれすよ? わたくひがこの街の人たひに何か気に障るようなことをしまひたかと言いたいれすよ」

 

 その謎は顔が見えない位置ながらも完全に呂律の回ってないシルキーの様子ですぐに解け、ヴィッキーと目が合うと助けを求めるアイコンタクトをしてきたので、シルキーもオレの存在に気づき振り向いてくる。

 そうすればまぁ見事に頬を赤く染めて泥酔していらっしゃるようで、白ワインのボトルの中はグラスに注いである量を計算しても2杯飲んでない。下戸かよ……お婆さん、強い方じゃないからじゃなくて圧倒的に弱い方です……

 まさかシルキーがこんなことになるとは思ってなかったが、グラスがヴィッキーの分も出されながら注がれた様子がないことから、ワインを勧められて断ってこうなったと推測。

 イギリスの飲酒制限は18歳から解禁なので、ヴィッキーはまだギリギリ18歳になってないのだろうし、ここは今年の4月1日で18歳になったオレが選手交代をしてやろうとヴィッキーと入れ替わりでソファーに座って、白ワインを飲みシルキーに付き合うと意思表示。

 ヴィッキーは長くなりそうと判断して昼寝でもするのか2階へと上がっていって逃走を図ったが、あいつやる気あるのかないのかわからなくなってきたぞ。

 そこからのシルキーは物凄くて、酔うと日頃のストレスを言葉にして吐き出すタイプらしいシルキーは、ギリギリ丁寧語を保とうとはしてるが乱暴な言葉もいくらか飛び出すほどには思考低下はしてるみたいだ。

 このタイプは変に相槌を打つより、共感する言葉で心に寄り添って溜めてるものを出し尽くさせてしまうのがいいので、半分くらいは聞き流したものの約2時間は愚痴に付き合わされてしまった。

 それが落ち着けばシルキーもオレが差し出したジュースを飲んで呂律は元に戻ってきた。

 そのタイミングならとお酒の力も借りてシルキーから本音を聞き出す作戦に乗り出す。

 

「シルキーがこの街の人に大事にされてきて、シルキーもこの街の人を大事に思ってるのは話からもわかったよ。だから聞かせてほしい。シルキーは本当は街の人達がやろうとしてることを否定したいわけじゃないんだよな?」

 

「…………わたくしだって、街の方々の言い分を理解していないわけではありません。このお屋敷がすでに限界なのは、このお屋敷を依代にしているわたくしが一番よくわかっております。ですが……だからといってわたくしがここにいた証すらも奪おうとする行為に……わたくしが消えることを選んだ街の方々に、簡単にそうですねと言えないことが、そんなに悪いことなのでしょうか……」

 

「自分が消えることをすんなり受け入れることなんてほとんどの人ができないよ。シルキーは何もおかしくはない。でもこのままじゃダメだってこともシルキーはわかってる。これ以上は街の人にも迷惑になってしまうならって考えもあるんだろう」

 

 思考の低下でポロッと漏れたシルキーの本音はやはり、今の状況をしっかりと理解して、その上で何か解決策はないかと問題を先延ばしにしてきた旨のもの。

 自分が消えれば終わることではあるが、それが出来るならどれほど楽なことか。だがその選択をすることで悲しむ街の人がいることももう知ってしまった。

 それら全てを考えながら、ソファーの肘置きにもたれかかってうつむくシルキーを見ながら、愚痴を聞いていた時に気になったものを見るために立ち上がる。

 買い出しの時にセーラは屋敷とシルキー、両方にとって所縁のものはあるのかどうかを確認しろと言っていたので、それらしいものをこのリビングで探していた。

 そしてそれらしいものに目星をつけて、その中で有力そうなものからシルキーに尋ねようと、暖炉の上の棚にあった純銀製の大きめの杯に触れようとする。

 

「それに、触れないでいただけますか」

 

 しかしそれに触れる前にうつむいていたシルキーが顔を上げて止めに入ったので、機嫌を損ねたくはないから杯には触れずにその理由についてを尋ねる。

 

「その杯はこのお屋敷を建てた初代の家主様が、お屋敷の完成の記念にとお作りになられて、わたくしが住み着いた486年と52日前に、6代目の家主様が歓迎の印としてお酌をしてくださった杯なのです」

 

「じゃあこの杯はこの屋敷が出来た時からあるのか。今も新品みたいな輝きだが、シルキーが錆びたりしないようにしてたんだな」

 

「大事なものですから、家主様以外の方には触れさせてこなかったのです……」

 

 それによればこの杯は屋敷の建設当時からある代物で、シルキーとも切っても切れない縁があることがよくわかる。

 それならばセーラの言っていた可能性も芽が出てきたかもと、シルキーにそのことを話そうとしたら、思い出話をして心地よくなったのか静かに寝息を立ててしまっていたので、起こすのもあれだからとオレもグラス1杯分のワインのアルコールを抜くためにソファーで仮眠を取ることにしたのだった。

 

 アルコールのせいにするつもりはないが、少し深い眠りについていたオレは、ヴィッキーが2階から下りてきた時の階段の軋む音で目が覚めて時間を確認すると、すでに日が暮れて18時を回っていた。

 シルキーはまだ眠っていて寝顔は美人そのものだが、3時間以上は寝ていた事実に落胆しつつ近寄ってきたヴィッキーが武偵の顔になって口を開く。

 

「わずかにだけど匂わない?」

 

「…………揮発性の高い……ガソリン辺りか。中じゃないな」

 

「ええ。2階からじゃ違和感くらいにしか思わなかったけど、1階に下りて確信したわ。この屋敷にはガソリンなんてなかった」

 

 言われて気づいたが、普通の人ならかぎ分けるのは難しいレベルの希薄な匂いが屋敷の中に入り込んできてるのを確認し、それがガソリンの匂いだとわかると一気にオレとヴィッキーの警戒レベルが引き上がる。

 しかしそれは時すでに遅しなタイミングだったのか、屋敷の裏から真っ赤な光が立ち上って、それはすぐにこの屋敷を取り囲むように広がって室内を照らし出す。

 ──炎。この屋敷が燃え始めたのだ。

 

「ッ! シルキー! 起きろッ!」

 

 炎の勢いは物凄く、あと数分で外周のみならず室内にまで入り込んで全てを燃やし尽くしてしまうだろうことを察してシルキーを起こす。

 だがシルキーも炎が上ってすぐに屋敷の異変を察知したのかソファーから飛び起きてくる。

 

「これは……早く火を消さない、と……」

 

「お、おいシルキー!?」

 

 状況を完全に把握してはいなかったが、やることに迷いがなかったシルキーがすぐに消火をしようと超能力を使いかける。

 しかしシルキーはその前に急にその膝を折って床に座り込んでしまい、苦しそうに胸を押さえてしまった。

 それはこの屋敷を依代にしているシルキーだから、屋敷の燃焼がシルキーの力を奪っていっているゆえの現象。

 

「くそっ! ヴィッキー! お前は先に外に出ろ!」

 

「キョーヤはどうするのよ! それにシルキーも!」

 

「オレもシルキーもすぐに外に出る。死ぬつもりなんてない。いいから行け」

 

 シルキーに寄り添いつつ、本格的に火の手が回り始めたリビングに長居すれば危険だと先にヴィッキーだけを逃がして、心配しながらもこの状況で冷静な口調に戻ったオレを信じてヴィッキーは屋敷を脱出。

 息遣いも荒くなってきたシルキーはあと数分で消えてしまいそうなほど弱ってきていたが、まだ姿を保てているうちにオレも一か八かでセーラに言われたことを実行しにかかる。

 

「ごめんなシルキー。触るぞ」

 

 苦しむシルキーをソファーに座らせて、謝罪をしてから暖炉の上の杯を手に取ってシルキーの手に持たせる。

 火の手は2階にも回ってきたか、いつ天井が崩れてきてもおかしくないぞ。

 

「シルキー、君は自分で思うよりもずっと強い存在なんだ。力は大きく損なうかもしれないが、この屋敷と同等の価値があるこの杯になら、新しい……いや、一時的にでもシルキーの依代になるはずなんだ」

 

「……わたくしが、この杯を依代に?」

 

「そうだ。500年って時間はシルキーという存在をより強固にした。ずっとは無理かもしれないが、この杯を依代にすれば、君は今ここで消滅しないで済む。ぶっつけ本番になって悪いが試してくれ。オレはこの街の人も、シルキーも悲しませたくないんだ。だからこんな結末で終わらせたくない!」

 

 オレも一酸化炭素中毒の危険が出てきたので、手早くシルキーにしてほしいことを告げて、心肺機能で呼吸してるわけではないシルキーは屋敷が燃えていくことでどんどん弱々しくなっていて、互いにもう1分程度が限界。

 セーラはシルキーのような存在は長い年月のうちに土地や建物に縛られずに、人と共に住み処を移動する術を得られるらしいのだ。

 だがシルキーのように屋敷に思い入れがあるとそこに固執してそういうことが出来ることに気づかずに消えてしまうことが多いらしい。

 だからオレがそれを教えてあげることでシルキーはやってくれると信じると、消えることに抵抗していたシルキーも最後の力を振り絞るようにして手に持つ杯を胸に抱き寄せる。

 するとシルキーの体が淡い光を放って消えていき、入れ替わるように杯が強い光を放ち始めて、シルキーの体が完全に消えて杯がソファーの上にポトリと落ちて光は消えてしまう。

 失敗したのか? と思って杯を持ってみると、火事の影響ではないと確信できる優しい温かさを帯びているのがわかり、だめ押しするように杯がカタカタと勝手に震えてみせた。

 ならばとオレも1秒でも早く屋敷を脱出するために立ち上がり、扉を蹴破る勢いで外へと脱出したのだった。



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Slash7

「くっそ……気分が悪い……」

 

 突然の屋敷の火事でシルキーが消滅しかけてしまったが、寸でのところで屋敷所縁の銀の杯に依代を移すことで屋敷からシルキーを引き剥がすことに成功。

 その依代となった杯を持って燃え盛る屋敷の中から命からがらで脱出して、一酸化炭素中毒の初期症状である頭痛や吐き気が襲う。

 軽度のものなので自然回復で十分だが、それよりも気になる屋敷を見てみると、オレが出てきた正面入り口もすでに炎に包まれてしまい、屋敷全体が焼ける大惨事となっていた。

 この火事は当然ながら街の人も気づいて野次馬として集まっていたが、大半の人は屋敷よりもシルキーが無事なのかを心配する声をあげている。

 

「ちょっとキョーヤ! 何してたの!」

 

「大事なことだよ。この街の人にとってもな」

 

「……はぁ?」

 

 その野次馬の中から出てきたヴィッキーが心配しながらも怒ってるような声色で迫るが、何をしていたかハッキリしないオレの答えに首をかしげる。

 その後すぐに消防が駆けつけて屋敷は鎮火されて周囲の家々には被害が出ずに済んだが、鎮火されたとはいえ屋敷はほぼ全焼。

 辛うじて残った屋敷の輪郭も吹けば崩れるほどに脆くなってしまっていた。

 消防のあとには警察もやって来て、屋敷跡地の現場検証が始まってしまったが、オレとヴィッキーもそれに参加して諜報科らしく観察してみれば、この火事の真相というものが見えてしまう。

 屋敷は無惨な姿になってしまっているが、その周囲の敷地が少し不自然な焼け方をしていて、ある境界を作るように焼け方にムラがあった。

 

「……放火」

 

「屋敷を円陣にガソリンを撒いて、そこから着火したみたいね」

 

「……ヴィッキー」

 

「報酬はどうする?」

 

「6:4でいいから、頼む」

 

「まっかせなさい」

 

 直前にしたガソリンの匂いとも無関係ではないことは間違いないので、この火事は間違いなく放火によるもの。

 なら誰がという疑問にぶち当たった時に挙がるのは、街の代表だろうな。

 オレ達も曲がりなりにも武偵の卵。放火したとして焼け死ぬようなヘマはしないと踏んでいただろうし、シルキーがオレ達の相手をし、酒まで飲めばその警戒はほとんど外には向かない。そこを狙ったんだ。

 酒が入ったのはおそらく予定外ではあっただろうが、街の安全を守る義務がある代表としては、感情論よりも優先すべきことがあった。

 その事がわかってしまったオレとヴィッキーは、それを責めることはできないとその咎を負って『自分達が街に頼まれて安全確認をした上で行った』と申告。

 ただ街への周知が不十分で消防や警察が駆けつける騒ぎになってしまったのだと説明するヴィッキーを横目に、焼けた屋敷を呆然と見つめる街の人達に近寄っていく。中にはあの酒店のお婆さんの姿もある。

 

「ああ、アンタ。シルキーは? シルキーは無事なのかい?」

 

「……はい。なんとか屋敷から連れ出すことはできましたよ」

 

 オレが近寄ると真っ先にお婆さんがオレに詰め寄ってシルキーの心配をしてくるので、安心させるように声を落ち着かせて、懐に入れていた銀の杯を取り出しお婆さん達に見せる。

 

「今はシルキー本人が姿を見せたり喋ったりすることはできないと思いますが、あなた方の声はちゃんと聞こえています」

 

 出来るならとっくに自分で姿を現してお婆さん達と話をしているはずのシルキーが、今も杯から出られないならと察して、シルキーの言葉を代弁してお婆さん達に見えるように杯を持つと、オレの話を聞いてお婆さんを皮切りに街の人がシルキーに声をかけ始め、その言葉は一様にこの火事の謝罪だった。

 やったのは自分ではないのかもしれないが、そうしなきゃならないところまで責任を感じていた代表を止められなかったのは自分達のせいで、シルキーのためにしてあげられることが何もなかった自分達への怒り。

 どれを取ってもシルキーへの強い気持ちが込められていて、手に乗る杯はその言葉の1つ1つを噛み締めるように小刻みに震えて何か言いたそうにする。

 そしてそれが臨界点を突破したのか、残りの力をいくらか振り絞って声だけは届けようとしたか、シルキーの優しい言葉が街の人達にかけられた。

 

「皆様、本当にありがとうございます。そしてごめんなさい。わたくしがわがままを言ったばかりにこんなことになってしまって。全てはわたくしの至らない行いが悪かったのです。ですから皆様が謝ることなど、何ひとつありません」

 

 ほとんど一方的な言葉で、そんなことないと返した街の人の言葉にももう言葉を返すだけの力を出せないようで、どれほどの余力を残しているのかわからないオレは、まだ話をしたい街の人達には申し訳なく思いつつも早急に取り組むべきことを伝える。

 

「あの、すみません。この街にあの屋敷のような古くからある建物はありませんか? こうして杯に移していられる時間も限られていますので、そうした建物があるならそちらをシルキーの新しい家にしてもらいたいのですが」

 

「この街にはもう……あの屋敷の他にシルキーが住み着けるほど古い建物はありません……」

 

 この杯への引っ越しのような処置はあくまで緊急措置であり、シルキーも長くはこの状態ではいられない。

 だから新たな依代となる建物が必要になるのだが、シルキーは本来、何世紀も続く屋敷に住み着くものなので、最低でも築100年は経過した建物でなければ依代として機能しない。

 しかしその新たな依代となれるだけの建物はこの街にはもうないらしく、シルキーもあと1日持つかどうかわからないくらいには力を消耗しているはず。

 

「このままじゃシルキーは……」

 

「じゃあキョーヤの住んでるところに運んであげなさいよ」

 

 これではシルキーはただ消えるタイミングがズレただけで解決とはならない。

 それに今からそんな建物を見つけるのはなかなかに難しいことで、その建物に住む人がシルキーを受け入れられるかの問題が出てくる。

 そこで行き詰まって思考が止まりかけたところで、警察に状況説明をしていたヴィッキーが戻ってきて、話が漏れ聞こえていたか、いきなりそんなことを言い始めてマジでビックリする。

 だが冷静になって思い出してみると、確かにオレの住むマンションは築150年とかそんな感じの数字があった気がする。

 今は増築とか改築とか色々とされてて、そこまで古い建物な印象がなかったこともあるが、探す手間が省けるならヴィッキーの提案は良いものだ。

 元々が死神が住む事故物件みたいな扱いだし、今さらシルキーみたいなのが増えたところで気にするヤツもいないだろうしな。

 そうと決まれば善は急げ。

 シルキーもいつ消えるか判断が難しい状況なら、今夜にでもロンドンに戻って朝には引っ越しを完了させたいところ。

 しかしそれをオレの一存では決められないだろうと街の人達に目を向けてみるが、オレを見る街の人達の顔は安堵と諦めの色を含んでいるのがわかった。

 

「連れていってあげてください。私達はシルキーに許されないことをしました。この街にシルキーの居場所がないのなら、シルキーが安心して住める場所があるのなら、そこに住まわせてあげてください。私達は、シルキーさえ元気でいてくれるなら、それ以上なにもいりません」

 

 その気持ちについて代表するようにお婆さんが口を開いて、それに賛同するように他の人達も頷いてみせる。

 そう言ってもらえるならオレもシルキーを連れていくことに抵抗はない。むしろ連れていって消滅を阻止しないと街の人達に恨まれるまであるので、オレにはもう選択権などありはしない。

 半ば押しつけられた形だが、それに嫌悪感を抱くことなど全くない清々しさもある中、ヴィッキーがニューカッスル・アポン・タインからロンドンに向かう便の確保に動いて、ここからニューカッスル・アポン・タインまで車で送ってくれるという人が手を挙げてくれる。

 それらの準備が整う間に、シルキーにお別れの言葉をかける街の人達は、その言葉の中に色々と思いを込めるが、皆が等しく口にしたのは「ありがとう」の感謝だった。

 

「本当に、ありがとう。シルキー」

 

 ある時は家出した子供を匿い、寂しくないように話し相手となり寄り添ってあげて、またある時は人生の先輩として悩む人達の相談相手になってあげて。

 そうやってシルキーが見返りも求めずに善意だけでしてきたことが、こうして今、感謝という形となって返ってきた。

 それに感激したのか、もう声を出すのも危険だろうにカタカタと震えていた杯から、これで最後だと言わんばかりのシルキーの震えた声が響く。

 

「皆様も、いつまでもお元気でいてください」

 

 柄じゃないが、こういうのは涙腺を刺激して涙が出そうになるな。泣かないけど。

 感動のお別れはそうして幕を閉じ、車も準備ができて先に乗り込んだヴィッキーに呼ばれて車に乗り込んだオレは、街の人達に手を振って見送られて、1日といなかったヘドン・オン・ザ・ウォールの街を離れ、今夜の最終便でロンドンへと戻っていった。

 

 帰りの飛行機の中でようやく腰を落ち着けられて気が抜けかけ、ヴィッキーは実際に気を抜きまくって睡眠モードに突入しようとしていたが、今回の依頼には未だ残る違和感が拭えていなかったため『わざと』寝ようとしているヴィッキーに話しかける。

 

「それで、お前はどこの差し金だ」

 

「……あらぁ、やっぱりバレたかぁ」

 

「バレたかぁ、じゃねぇんだよ白々しい。仮にもA評価を貰ってる武偵がこんなに無能なら、オレはロンドン武偵高の評価を疑う」

 

 そうやって最後まで『キャラ』を貫こうとしていたヴィッキーだったが、オレが言及したことで観念したように装着しかけたアイマスクを取って可愛く笑ってみせる。

 今回の依頼、ヴィッキーは終始して並みの武偵以下の活躍しかしていない。

 それがヴィッキー本来の実力なら残念極まりないが、そうではないと気づいたのは火事の直前。

 オレが油断しているところをピンポイントで補うように危険を察知して警告をしてくれたのは、並みの武偵にはできないこと。

 なら何故、実力を隠してまでそんなことをする必要があったのかと思考すれば、ヴィッキーがオレの実力を見るためにしていたことだと察することができ、今回の依頼もどこかで手を回して仕組んできたことで、個人ではなく組織が絡んでいると読んだのだ。

 何よりシルキーの引っ越し先となるオレの住むマンションが条件を満たしていることを何故ヴィッキーが知っているのか。それは事前にこうした結末を描いたヤツが裏にいるんだ。

 

「いやはや、恐れ入ったねぇ。さすがに報告書だけじゃ計れない部分があったし、その辺を自分の目で見ようって思ったけど、予想以上だこりゃ」

 

「それらしい理由で役立たずになるのに幽霊が怖い設定までやるんだから、お前も大概だぞ」

 

「迫真の演技だったでしょ。CVRってそういう授業もあるのよ」

 

「それでどこの差し金なんだよ」

 

「それも予測できてるんでしょ。でもまぁ、私も演技で疲れたし早めに切り上げて寝たいから答えてあげる。リバティー・メイソンよ」

 

 ……しっつこいなぁこの組織は!

 歴史の裏で暗躍する秘密結社リバティー・メイソン。

 構成員の数は不明ながら、ヨーロッパを中心に勢力を持つ彼らは、常にその力を維持・増幅しようと有能な人材を発掘し勧誘している。

 すでにそのメンバーであるエル・ワトソンや羽鳥(はとり)・フローレンスといった奴らとも繋がってしまっているオレは、現在は無期限で停戦中の『極東戦役(Far East Warfare)』で味方として力を貸し、その実力を残念なことに認められてしまっている。

 その頃からワトソンとか経由で勧誘があったのだが、秘密結社とか言いつつ羽鳥とかを見るとブラック企業スレスレな労働を強いられる可能性があるので、断固拒否していた。

 それなのにまだオレを狙ってるとかストーカーで訴えたいね。ワトソン殴りに日本に行こうかな。あ、違う。もっと近くに殴れるヤツがいた。

 そう思って隣のヴィッキーに対して無言で頬を指でグリグリするという行為に及び、まだ優しいオレの拒絶反応にヴィッキーは振り払いつつ話を続ける。

 

「ちょっと待ってよ。まだ勧誘するなんて言ってないでしょ」

 

「しないのか?」

 

「……するけど……や、やめてぇ」

 

 少なくとも今回のことはリバティー・メイソンの意思で、ヴィッキーは改めてオレの実力を確認し勧誘するに値するかを判断する人材として選出されたもの。

 それがわかってるからヴィッキーの言い分はもう組織の代弁なので、それらしい発言に問答無用で頬をグリグリを実行。

 

「もう……何でそんなに嫌がるかな。キョーヤが思ってるほど悪い組織じゃないんだよ? 私も仕事は選ぶけど、ちゃんとリスクマネジメントもされてて人材を大事にしてる組織なんだから」

 

「……どのみち、オレはリバティー・メイソンに入るつもりはない。リバティー・メイソンが先の戦役で最初、どんな動き方をしたか。それを知ってるからこそ、そういう生き方はオレには合わないって思った」

 

 それでも勧誘を諦めないヴィッキーが聞こえの良い言葉を並べて食い下がってくるが、戦役においてリバティー・メイソンは、最初に『師団(ディーン)』と『眷属(グレナダ)』の2つの勢力に分ける段階で中立を選択し、情勢有利になった眷属に取り入ろうとした。

 その後、ワトソンの進言でオレ達の側の師団に変更したものの、そうやってリバティー・メイソンは『勝算の高い側に後出しじゃんけんすることを厭わない組織』ってイメージがオレの中で固まってしまった。

 同じように敗者にだけはならないようにと裏で動いていたバチカンもオレは好きではない。

 もちろん、個人としてなら組織にいる祝光の魔女、メーヤ・ロマーノさんなんかは嫌いじゃないが、それはそれなのだ。

 

「……あーあ。そこまで意思が固いと無理っぽいなぁ。こりゃ賭けも私の負けか」

 

「羽鳥だな。このシナリオを書いたのは」

 

「まぁね。『この結末に持っていけないようなら、彼もその程度さ』って。フローレンスって会った頃からよくわからないヤツだったけど、キョーヤのことになるとやたら楽しそうにするからビックリしたわよ」

 

「オレで遊ぶのが生き甲斐みたいな性根の腐ったヤツだからな」

 

 事前に聞いてはいたのだろうが、実際に勧誘してみてヴィッキーも諦めがついたのか、羽鳥と賭けでもしていたようなことを漏らしつつ、始めから解決していたようなこの依頼も羽鳥の筋書き通りだったと知り舌打ち。

 相変わらずオレに対してだけ『人の苦悩は蜜の味』みたいに思ってる羽鳥の性格は歪んでるし嫌いだが、人を不幸にするシナリオを書かないだけマシだろうな。

 

「あー、でもこれって私がキョーヤが留学中って期間で承った仕事だから、これからもちょいちょい勧誘はさせてもらうわね。その気になったらいつでも声をかけて」

 

「そんな日は来ないがな」

 

「あと誤解がないように言っておくけど、行きの飛行機でのあれは、いちおう私の本音」

 

 性格は歪んでいるが根っこのところは腐ってない羽鳥をなんだかんだで嫌いになりきれないオレの甘さに内心で苦笑して、勧誘もこれで落ち着いてくれるかなと思ったら、なんか留学中は仕事の期限らしくて、まだ勧誘は完全に諦めてない発言をしたヴィッキーに嫌な顔をする。

 その顔を見て笑う辺りは羽鳥と同じタイプの性格で一気に苦手意識が芽生えたが、話の終わりに行きの飛行機でしたあの謎の反応はヴィッキーの本音だったと吐露。

 

「あれって怒ってただろ」

 

「そうよ。そういう女にしたくないとか、カッコつけてなに言ってんだって怒ってたわよ。でも、芯がしっかりと通った男って、それ以上に女は『いいな』って思っちゃうこともあるの。はい話は終了。寝るから着いたら起こして」

 

 あれに関しては深く考えないことにしていたから忘れかけていたのに、何故ここで蒸し返すのかと考えたのだが、少し照れながらどう思っていたかを話したヴィッキーは、それでオレの言葉を待たずにアイマスクをして強制的に会話を終了。

 またなんか女をドキッとさせることを言っていたことに気づかされたぞ。今後は思わせぶりな言葉は慎もう。自覚できてれば苦労はないがな……

 

 ロンドンに着いたのは夜の10時を過ぎた頃で、空港で別れたヴィッキーはシルキーの様子を見ることもせずに「報酬の方は明日にでも渡す」と言い残してさっさと帰宅。

 どうせ近いうちにオレの部屋に色んな理由をつけて遊びに来た時にでも確認するんだろうが、誰が入れてやるか。

 そんなことを決意しながら自宅マンションまで戻って部屋に入ると、シルキーの入っている銀の杯を日の当たらない場所に一時保管して、シルキーには杯からこのマンションに依代を移ってもらう。

 オレの合図で到着したことを察して、杯が淡く光ると、その光が杯から離れて宙に浮くと、部屋の中心で弾けて消えてしまう。

 それから数秒のあとにすぅっと実体化したシルキーがオレの前に現れて、苦しそうな様子もなくその顔に笑顔を浮かべてペコリとお辞儀をした。

 

「本当に、ありがとうございました。京夜様のおかげで街の皆様とわだかまりもなく、正直な気持ちでお別れすることができました」

 

「お礼とかいいよ。それよりこのマンションはどう?」

 

「はい。あのお屋敷ほど年月を経てはいなく、ずいぶんと散らかったお部屋も多いようで、超能力の方は満足に使えないとは思いますが、住まわせていただく以上は、これから誠心誠意、皆様のお力になれるように頑張らせていただきます!」

 

「いきなりはみんな怖がるだろうから、まずは挨拶とかしておいてね」

 

「はい。それは頃合いを見て勝手にやらせていただきますね」

 

 そうした改まった挨拶も済ませて、言ってしまえば寮母さんを雇ったような状況にみんな受け入れてくれるだろうかと少しだけ不安に思うも、シルキーは有名らしいので心配はないかと楽観視。

 夜も遅いので今夜はもう寝ようかと思っていたら、姿を消さないシルキーがマンションを依代にしたことで別の感覚器官が生まれるのか、何かを探るような集中をしだして、次にはオレの部屋にあった刃渡り150cm。幅10cmもある、ジーサードに押しつけられた大太刀の単分子振動刀──大きくて携帯するには邪魔すぎるので基本使ってない──を鞘に納めたまま手に取ると、少し超能力も込めたのか淡く光ったその単分子振動刀で何もない空間をそいと叩く。

 

「あだっ!」

 

 するとその単分子振動刀が振るわれた先で何かに当たったかと思えば、手品のように突然姿を現したボロ布1枚だけ着た白髪の少女が床に転がって倒れたのだった。



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Slash8

 シルキーの一件が片付いて、無事に今日を終えられると思った矢先、引っ越しを終えたシルキーが何やら不穏な気配を察知して立て掛けてあった大太刀の単分子振動刀を何もない空間に振るってみせると、それを受けたボロ布1枚だけの白髪の幼女が突如として現れてオレとシルキーの前の床に転がる。

 もう超能力的な現象は見慣れてきたからリアクションのバリエーションも出尽くしてきたと思ったが、眠気もあったからかその光景には目の覚めるような衝撃を受ける。

 そして突如として現れた幼女は単分子振動刀で打たれた頭を擦りながらガバリと起き上がって、その目に涙を浮かべながらこっちを睨んでくる。

 

「ぐっ……誰だお前!」

 

「わたくしはシルキー。本日よりこの住まいにて皆様のお世話をさせていただく者です」

 

「シルキーだってぇ? まったく何でそんな面倒臭いのがここに来てんだよ。そこのガキが連れてきたんだな?」

 

「ガキって……あー、そういう系か……」

 

 かなり生意気な性格なのは言動から丸わかりだが、殴ったのがシルキーとわかると怒り自体は少し収まり、代わりに連れてきたオレに矛先が向けられ睨まれてしまう。

 そしてオレを見てガキ扱いするということは、この幼女は見た目など当てにならないシルキーと似た感じの存在で、シルキーさえ少し見下してるところを見るに、相当な年月を生きてる。

 オレの知る中では各色金が最年長の生命体──2000年を越えている──で、次はおそらく斉天大聖、孫悟空の猴──1400年ほどだったはず──で、その次が白面金毛(はくめんこんもう)の天狐である玉藻(たまも)様──800年ほどだ──といった辺りだ。

 さすがに玉藻様クラスの化生って可能性は考えたくないが、選択をミスるわけにはいかないので、慎重に事を進める。

 

「確かにオレがシルキーをここに連れてきたが、オレも突然シルキーがこうしたから状況が飲み込めない。まずは自己紹介してもらえないか」

 

「ふん。人間が俺の姿を見られるなんて光栄なことなのだからな。得と見て驚け。俺はバンシー。あらゆる命を見届け、その寿命を報せる者だ」

 

 まずは偉そうなこの幼女が何者なのかを特定するために頭を低くして問いをぶつけると、オレの態度に気を悪くはしなかった幼女はボロ布1枚でガッツリ床にあぐらで座り、腕まで組んで偉そうに名乗る。

 

「バンシー様!? これは失礼を働き申し訳ありませんでした! この無礼はこの命を以て償わせて……」

 

「ああ、良いから良いから。過ぎたことを気にするほど俺は懐が小さくはないからな。その礼儀だけで許してやる」

 

「…………シルキー。ちょっと来て」

 

 その名前を聞いた途端、あのシルキーが豹変したように血相変えて土下座まで始めて謝罪し、やっとわかったかみたいな態度のバンシーと名乗った幼女もシルキーの様子にご満悦。

 しかしながらその辺に疎いオレはどのくらいこの幼女が凄いのかわからないため、シルキーを呼び寄せてその知識を借りる。

 

「このお方はバンシー様。スコットランドやアイルランドが主な伝承の出どころですが、生きとし生ける者の死の前兆を予見し、時にはそれを報せる(いにしえ)の大精霊様です。正確にはわかりかねますが、わたくしの5倍ほどは生きておられます」

 

 5倍!? シルキーが約500歳だから、紀元前から生きてんの!?

 その役割はなんか死神じみているが、神聖視さえされているっぽいバンシーは目を見開いて驚くオレを見てふふんっ! 鼻を鳴らして偉そうに胸を張る。

 

「ちなみに言っておくが、シルキーの見立ては甘いぞ。俺は人間がようやく青銅器を作った頃にはもう存在したからな」

 

「青銅器って……確か紀元前3000年頃だよな……シルキー、5倍どころじゃないぞ?」

 

「も、申し訳ございません!! 何ぶん、わたくしも人の歴史の中でうかがい聞いた伝承を元にお話ししたため、バンシー様のご年齢には誤差が……」

 

 5倍どころか10倍くらい長生きしてるバンシーには引っくり返りそうになり、シルキーも想像以上の大先輩にもはや頭を上げられずにいると、オレ達の反応が面白かったのか怒った様子もなく笑ってみせる。

 しかしそんな大層な大精霊様が何でこんなチンケな事故物件にいたんだろうか。

 

「ん、ってことはこのマンションの死神っていうのも、バンシーのことを言ってるのか」

 

「それは違うぞガキ。俺が住み着いたからそう呼ばれるようになったんじゃねぇよ。逆だ逆。死神の住むマンションとか呼ばれてたから俺が住み着いたんだ」

 

 それを考えたらこのマンションが『死神が住むマンション』なんて呼ばれていることと関係があるのかもと疑問を口にしてみると、なんかよくわからないがバンシーのせいでそう呼ばれるようになったのとは違うらしい。

 それならそれらしいところを選んで住み着いたのかと思うのだが、その辺の事情を聞くより前にバンシーが幽霊的に浮き上がって近づき、オレの顔の前に顔を近づけると、少し怒った風な顔と血のように赤い瞳で睨んでオレの鼻をツンツンしてくる。

 

「だいたいだな、場所によって俺は死神と呼ばれはするが、別に俺自身が死を振り撒くような悪霊なわけじゃねぇ。むしろ俺は死が迫る人間達に『もうすぐ死ぬぞ』と宣告してやってるんだ。この前のロンドンへの空襲でだって場所は違うが俺が報せてやったから生き延びた奴らが大勢いるくらいだぞ」

 

「この前のって、ロンドンに空襲なんて来たのは第二次世界大戦の話じゃ……」

 

 と思ったが、5000年くらい生きてるバンシーにとっては60年前のことなどつい最近の出来事くらいの感覚なのだろうとすぐに思い至って口を閉じるが、年配者への配慮が足りないとツンツンが強くなってベッドに倒されてしまった。

 さらにバンシーは倒れ込んだオレの正面に股がって座り、胸に両手を押しつけてマウントを取ってくるのだが、ボロ布は相当な痛み具合で100cmあるかどうかなバンシーの体のところどころが布の穴の隙間から見えてしまっている。

 そこから先はバンシーの肌が見えているので、ボロ布の下には何も身に付けていないことがわかってしまった。パンツも穿いてない。これ系は玉藻様と同じかぁ……

 まぁおそらくだが、こうやって人前に出ることさえ皆無だったから身だしなみにも無頓着。或いは人のように羞恥心を持つことがそもそもないかなんだろう。

 オレも年齢はともかく見た目がこれほど幼ければ異性として見ることはないので、何が見えようと動揺はしない。が、見えるもので気が散るのは事実。

 そうした意味で視線をバンシーに固定できずにいると、やっぱりバンシー側からはオレが動揺しているように見えたのか、にやぁ、と悪い笑みを見せてくる。

 

「おいおい、ガキとは思ってたが、まさかお前、俺みたいな体つきの女が好みなのか?」

 

「……言い訳に聞こえるかもだが、真面目な話をしてるのにそんな穴だらけのボロ布を着た幼女が目の前にいたら気が散るだろう」

 

「人間の趣味嗜好は多種多様だ。だから俺もお前の好みをとやかく言うつもりはないぞ。ほれほれ、見たければ好きなだけ見て堪能しろガキぃ」

 

 そう言いながらオレの主張をほぼ無視してボロ布をペロペロめくり上げて女性なら本来は恥じらうべき場所を躊躇なく見せてくる。面倒臭いなこのお婆ちゃんは……

 目の前で痴女がセクハラしてくる光景は初経験だが、心底イラッときたことだけは確かなので、面倒だからとボロ布を脱いで全裸にでもなろうとしていたバンシーをいきなり起き上がりつつ両手を掴んで拘束。

 すかさず掴んだ手を持ち上げて、くるっとその体を180度回転させてオレと同じ向きにしてあぐらをかいた懐に下ろして収めてしまう。

 

「話を続けていいか?」

 

「からかい甲斐のないガキだなぁ。それとも、こういうのがいいのか? んん?」

 

 これで手を封じてしまえば大人しくなるかと思ったら、オレの顔を下から見上げながら怪しく笑ったバンシーは、今度はその腰をクネクネと動かしてオレの股間を攻撃。このクソババアが!

 さすがのオレも敬う心を上回るいじりに怒りが噴出し、ミズチからワイヤーを取り出してバンシーをグルグル巻きにして手足を動かせないようにしてからベッドに投棄。

 その扱いに大いに怒るバンシーだったが、暴れるとほぼ地肌な体に食い込んで相当に痛いので、早々に大人しくなって、観念したか沈黙。

 これで話を再開してくれるかと確認しようと少し近づいたら、いきなり体を浮かせてオレに突撃してみぞおちに頭突きをお見舞いしてきて、見た目と同じで軽いバンシーの全体重を乗せた頭突き程度なら受けたところで大したことはない。

 なので突っ込んできたバンシーの体をホールドして軽くジャンプしてベッドの上でバンシーの頭を叩きつけるパイルドライバーを炸裂させてやると「ふんぎゃあ!」と悲鳴を上げてバンシーは撃沈。

 天地逆さまな状態になったバンシーはオレが手を放すと前に倒れてうつ伏せでベッドに沈み目を回していたので、ちょっとやり過ぎたかなと思っていたら、そこまでを黙って見ていたシルキーが我慢の限界とばかりに声を張り上げた。

 

「お二方! いい加減にしてください!」

 

 その後、オレとバンシーは床の上に正座させられて、プンプン怒るシルキーを前に強制的に黙らされてしまった。

 圧倒的に偉いはずのバンシーはブツブツと「何で俺がシルキーなんかに怒られなきゃならん」とか漏らしていたが、大太刀の単分子振動刀を鬼教官のように柄頭を上に両手を置いて睨みを効かせるシルキーに上から物は言わない。

 

「もう夜も遅く、京夜様もお疲れなのです。なのにこうも騒がれては進むお話も進みません。お気持ちの整理ができないようでしたら、本日はもう就寝なさるかしてください。お話を続けるのであれば、お二方ともまずは友好を示して握手をし、それからお話を続けてください」

 

「……はぁ。悪かったよシルキー。オレも少し我慢が足りなかった。このくらいの挑発を受け流せなかった未熟さを叱ってくれてありがとう」

 

「むっ、なんだガキが大人ぶりやがってからに。まるで俺が子供みたいな言い方しやがって。だいたいお前が俺の体に欲情したのが悪いんだろうが」

 

「そうですねバンシー様。そこはオレの至らないところでした。いくらでも謝りますので、お許しいただけたら話を続けてくださいますか」

 

 オレも精神的にはそろそろ大人にならないといけないので、バンシーの扱いを玉藻様と同等レベルに引き上げて接することにし、握手のために手を差し出したのだが、18歳のガキに5000歳のババアが精神的に劣るような態度の変化にイラッとしたのか、差し出された手をパシッと弾いて、むぅ。明らかに機嫌を損ねた顔をする。

 しかしその態度にまたシルキーがギロリと睨みを効かせてきたおかげで、自分は悪くないという態度を崩さなかったバンシーも、不機嫌そうな顔はしたままで無言で手を差し出し、オレがその手を取って握手。これで一時休戦だ。終わったらシメる。

 そんな意思を握手に込めてちょっと強めに握ったら、バンシーも気づいたか握る力をその体で出せる最大出力に上げて返してくる。徹底抗戦だな。

 それをシルキーに悟られないように完了させて握手を終え、ようやく話が再開となると、シルキーも床に正座して3人で小さな輪を作る。

 

「あー、それでどこまで話したっけ?」

 

「死神が死神の住むマンションに居着いた理由です」

 

「そうだったな。まぁ知っての通り、俺は元々はアイルランドとスコットランドを住処に転々としてたんだが、100年くらい前だったか、妙な連中が俺を探してる動きを察知した。俺に何をしようとしてるかはわからねぇが、気味悪ぃからそれまで行ったことのある場所と国を避けてイギリスに逃げたわけだ。それでもなーんか嫌な感じが拭えなくてな。イギリスでも80年くらいは結構な数の引っ越しをしたんだが、ジリジリと詰め寄ってくる感じは消えなかった」

 

「……ああ。だから『逆』なんですね。バンシー様が由来と思われる噂の建物はその追跡者にとっては狙いやすい的。ならその追跡者が1度は調べたであろうそこに逃げ込んだ」

 

「そういうこった。俺は超能力的にもかなり接近しないと探知されない術を持ってる。ここのシルキーも興味本意で近寄った俺が3m以内に入ってようやく気づいたくらいだからな」

 

「さ、さすがバンシー様です。この建物を依代にした時にさえ気づかなかったことに驚きはありましたが、そこまでの隠密性をお持ちだったとは……」

 

 話によればバンシーは100年ほど前から誰ともわからない追跡者に執拗に狙われ続けていて、そのおいかけっこの果てに今はこのマンションに隠れ住み着いたということらしい。

 80年ほど逃げていたってことは、このマンションには20年近く住み着いて、かなり安定した隠れ家として機能していることを意味する。

 隠密性も高いらしく、建物自体がシルキーになったに等しい状態でもバンシーの存在に気づかなかったことからシルキーは感激し持て囃し、悪い気はしないバンシーも鼻高々に胸を張る。

 

「100年以上も狙われて……今も狙われてる可能性があるということは、その追跡者もバンシー様やシルキーのような存在ってことですか?」

 

「さぁな。ただ言えることは、そいつは1人じゃねぇ。複数で何か明確な目的があって俺みたいなやつを狙ってた。風の噂じゃアストゥリアスの『小僧』やレス島の『小娘ども』も接触されてたみたいだが、どうなったかは知らん」

 

 だが話の中じゃそこまで凄いこと、恐ろしいことができるわけでもないバンシーを執拗に狙うやつの目的がさっぱりで、その辺に何かあるのかと探ってみるが、暗躍している追跡者は組織である可能性と、バンシーの他にも異能のような存在を狙っていることだけ。

 バンシーの言う小僧や小娘どもっていうのがまた誰なのか気にはなるが、そういうのを追及していくと本題が逸れるので、もう少し情報を整理してから聞き出そうと考える。今は眠気もあって冴えがないし。

 

「なんだか話が大きくなりそうですけど、バンシー様がここにいる理由は納得しました。もう少し話は聞きたいですが、今夜はもう色々とあって疲れました。なので日を改めてお話しできますか?」

 

「ハハハ、精神と肉体が繋がってる人間は活動限界があるからな。俺も人間と会話したのはクー・フーリン以来だったから楽しかったぞ。ただヤツとは違ってお前はやんちゃだったな」

 

「クー・フーリンって……頭痛ぇ……」

 

「ハハッ、ヤツも有名になったな。俺はヤツの死を宣告してやったが、恐れるどころか覆してやると息巻いてたか。まぁ俺の宣告は外れないからヤツも結果的に覆せはしなかったが」

 

 このマンションから出ていく気配が今のところはないバンシーなら、日を改めても話はしてくれるだろうとそんな提案をしたら、あれでなんか楽しんでいたらしいバンシーは人との会話が久しぶりなことも口にする。

 だがオレの前に話したのがケルト神話の半神半人の英雄であるクー・フーリンだと言うからもう頭が痛い。

 そんな人物が実在していたこともだが、そのクー・フーリンすら見下してるバンシーの態度の大きさは威厳すら出てきた。

 そのクー・フーリンもバンシーの死の宣告を受けた後に亡くなったことも語られたが、その時のバンシーの瞳はその死を悲しむかのように潤んだ、ようにも見えた。

 

「……話は日を改めるのだな。ならば今夜はゆっくりと休め。都合はお前の許す時で構わんぞ。俺は基本的に暇だからな。いや、むしろ働かせるな。ここに住む武装探偵とかいうガキどもは8人に1人は俺の死の宣告を受けてるぞ」

 

「死が付きまとう職業なのでオレにはどうしようもないですし……その宣告を受けるのがオレじゃないことを祈っておきます」

 

「せいぜい死なんように励めよガキ。少なくともお前がここにいる間は俺が死ぬ時くらいは教えてやる」

 

 表情の変化など微々たるものですぐに調子を戻したから観察は出来なかったが、さすが死神の住むマンションだけあってここに住む武偵の死亡率も割とバカにならない数値を叩き出していることを教えてくれたバンシー。

 最後にブラックジョークのようでマジなことを言ってからその体を浮かせたバンシーは、元々はその姿も消しているからか、ふわふわと壁に近づいてどこかに行こうとした。

 ──ごちんっ!

 だが普通に壁も透過しようとしていたバンシーは、その壁に触れた瞬間に透過することなくガッツリ壁に激突。

 顔面から壁にぶつかったバンシーはズルズルと落ちて床に座り込んでしまうと、心配して近寄ったシルキーに抱き起こされる。

 

「ど、どうなさったのですかバンシー様!?」

 

「ぐぬ……お前のせいだぞシルキー! この建物全体をお前が『領域』設定したから、建物が俺を弾いたんだ!」

 

「……はっ! わたくしとしたことが本当に申し訳ありませんー!」

 

 オレにはそうなった原因がわからなくて呆然としていたら、抱き起こされたバンシーはそうしてくれたシルキーに対してポコポコ叩きながら怒る。

 それでシルキーも原因がわかったか叩かれるのを物ともせずにバンシーから離れて土下座。

 どうやらシルキーがこのマンションを依代にして一体化したから、超能力的なある種のバリアがマンション全体に張られてしまって、バンシーが透過できなくなってしまったようだ。

 

「で、ですがこの領域はわたくしがどうのうできるものではありませんので、ど、どういたしましょうか……」

 

「えっ……じゃあバンシー様はこのマンションを自由に動けなくなったってこと?」

 

「うぅ……一応、不可視化は可能だが、そういうことだ……」

 

 しかしそれを解決しようにもシルキーに自由の利くものではないようで、バンシーもそれはわかってたかその姿を1度パッと消してからまた現れるという動作をしてみせたが、現状ではそれしかできないとお手上げポーズ。

 

「それに、あまり可視化を多用すると俺の気配が漏れやすくなる。またヤツらに捕捉されて移動するのは面倒だ」

 

「ですが、シルキーを追い出すのはその、連れてきた身としては避けたいのですが……」

 

「わ、わたくしも出来ることならここを離れるのは……」

 

 バンシーの都合を思えばシルキーをどうにかすべき案件ではあるのだが、オレもシルキーもその解決策は出来るなら避けたいと懇願するようにバンシーを見る。

 バンシーもバンシーで自分本意な性格はしていないのか、有無も言わさずにシルキーを追い出すようなことを言わずに何やら思案に入ってくれたものの、本当に苦肉の策といった表情でその目を見開いてオレとシルキーを見る。

 

「……俺も鬼じゃないからな。そこまで言うならお前らが責任を取れ。可視化は不可視化と行き来すると気配が漏れる。ならそれをやらなきゃいい。だが建物を透過できねぇなら不可視化する意味が特にねぇ。だから俺をこの部屋に住まわせて世話をしろ」

 

 バンシー本人もやったことはないといった雰囲気もありながら、シルキーを追い出さずに現状を維持するための方法を口にしたはいいが、それが意味するところはつまり、オレの部屋でバンシーが人間のように生活することと同義だったのだ。マジかよ……



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Slash9

 謎の組織から追跡され、オレの住むマンションに隠れ住んでいた大精霊、バンシーと話はできたものの、シルキーが引っ越してきたことでバンシーがこの建物内を自由に移動できなくなってしまう新たな問題が発生。

 あまり超能力的な力を使うと追跡者に悟られるとあって、普段使ってる不可視化も使えず、しかしシルキーを追い出すわけにもいかなかったため、バンシーが苦肉の策として出してきたのは、まさかのオレの部屋での人としての生活だった。

 

「ああ心配するなガキ。俺はお前ら人間のように食事によるエネルギー補給も、排泄なんてものも、呼吸なんてものも必要ない。だからお前の生活を圧迫するようなことはないぞ」

 

「ですけど、バンシー様だって何らかのエネルギー補給は必要なのでは?」

 

「それはそうだが、別にお前が気にするほどのことじゃないってことだよ。今のところ何の問題もないんだからな」

 

 迷惑をかけたのはオレとシルキーの責任ではあるから断ることはできないが、補足するように生活費が増えるようなことにはならないと言ってはくれて少しだけだが安心する。

 エネルギー補給の件も今のところは問題ないと言うならそうなんだろうが、その辺は詳しく話したくないといった雰囲気がなんとなくわかって、気にはなるが今は聞かずにそうなのかと口を閉ざす。

 

「だが人間に認識できる姿をするとなると、今のままは少々マズいか。これでは見たヤツに奴隷でも買ったと思われかねんな」

 

「奴隷制度はもうとっくに廃れてますが、確かにその格好とかで部屋をウロウロされるのは困りますね」

 

「年齢相応に見せるのであれば、身だしなみもそれらしく繕う必要がありますね。お洋服も必要になりますでしょうし、材料さえあればわたくしが暇を見つけてお作りしますが……」

 

「材料でいいならオレが明日にでも買ってくるよ。今夜のうちに材料のリストを作っておいてくれ。あとは髪も……」

 

 もうバンシーが住むことは決定事項として話は進め、生活費の負担が少ないと言っても、やはり今のままのバンシーを部屋に匿うのは人目につく場合に問題が出てくる。

 その自覚はあるかバンシーも自分の着ているボロ布を摘まんで苦笑いし、服も必要だろうとシルキーが目測でバンシーの色々なサイズを測る。

 オレも生活させる以上はボロ布1枚でウロウロされたくないので、完成品を買うよりもずっと安上がりにできそうなシルキーの自作の話に乗って、それとは別に無造作でボサボサなバンシーの白髪をどうするかと考える。

 

「髪か。これならば俺はどうにでもなるぞ。せっかくだからガキの好みにしてやる。どんなのがいい?」

 

「そんな自由が利くんですか……じゃあシンプルにストレートロングでお願いします」

 

「ハハッ、飾らない女が好きなのか」

 

 しかしその髪はバンシーの自由意思で変幻自在らしく、せっかくだからとオレの要望を聞き入れてくれるようで、リボンとかゴムとかそういうのが必要ないものでいいかとストレートロングにしたら、また茶化されてニヤニヤされるが、ここは我慢。

 その要望通りに両手を頭にかざしたバンシーは、ボサボサだった髪を1度ぐわんっ! と逆立てて伸ばすと、癖っ毛のようだった髪がピンとストレートになって艶まで現れ、ふわっと重力にしたがって落ちれば、それでもう要望通りのストレートロングになり、床についてしまった分と20cmくらいの長さを取り除いて膝ほどの長さのストレートロングが完成する。

 

「まあ! 見違えましたよ、バンシー様!」

 

「ハハッ、本来であれば容姿も自在だが、どの時代も人を油断させるのは子供の姿だからな。ガキもちんちくりんで我慢しろよ」

 

「その姿の方が色々と助かりますよ……他の住人に見つかった時に彼女だなんだと言われると面倒ですし」

 

 元々の容姿はかなり優れていたので、髪ひとつでも整えると様変わりしたように可愛くなったバンシーは、微風でもなびくであろうサラサラな髪を触りつつドヤ顔。

 体型もいじれるようなこともポロリするが、それでオレと同じとか歳上の女性の姿になられる方が困るので勘弁してくれと顔に出す。

 実際、人に見られた際に言い訳が利きやすいのは『依頼で子供を預かってる』とか『知り合いの子供』とかが詮索もされにくい。彼女とかだと話を発展させる要素が多すぎるのだ。

 

「ハハッ、それもそうか。じゃあこれからしばらくは一緒に過ごす仲になるわけだから、親睦を深めるために風呂でも入るか。確か日本には『裸の付き合い』とやらがあるんだろう?」

 

「バンシー様は体を清潔にする必要が?」

 

「うん、ない! だが意味のないことに興味はある!」

 

「…………今から湯を張るのはあれなんで、今日のところはシャワーだけでお願いします」

 

「じゃあ風呂は明日だ。さぁ行くぞガキ」

 

 そんな理由付けに笑いながら納得したバンシーは、さっきまで喧嘩みたいなことをしていたオレとも友好関係を築くべきと思ったか、唐突な一緒にお風呂を提案してくる。

 何故に日本文化を知ってるのかは知らないが、男と女でそれは適応されにくいものだとは強くも言えず、ここで拒めばまたロリコンだのと弄られかねないので、渋々で了承。

 そうなったらバンシーの行動は早くて、浴室に向かう最中にボロ布を脱ぎ捨てて全裸で消えていき、マジでやんちゃな子供が家に来たような感覚に戸惑いつつ、バンシーの分の着替えも持ってオレも浴室へと向かったのだった。

 人の生活などしたことがないだろうから、ほとんどが新鮮な経験らしいバンシーは、オレが浴室に入るまでにシャワーを豪快に使って遊んでいたが、水だったので自分にかけられるのを防ぎつつバンシーを力技で落ち着かせる。

 

「体を洗うんだろう? これをつけるのか? それともこっちか?」

 

「男物なんですけど、そういうの気にしないようなので使い方を見ててください」

 

「ハハッ、これから一緒に住むんだ。堅苦しい言葉遣いはしなくていいぞ。俺もお前以外の人間には普通の子供を演じてやる。名前は何て言ったか」

 

「……猿飛京夜。京夜でいい。でもそれならオレもバンシーのことを外でどう呼ぶか決めないとな」

 

 好奇心が強すぎて座らせたところでうるさいが、やり方を真似ろと言えばオレを楽しそうに見るので、体を洗いながら外行きの設定とかを決めていく。

 

「俺のことはそうだなぁ……ああ、あれだ。エメル。そう名乗ろう」

 

「エメル、ね。ここにいる間は……オレの親戚の子供ってことにしておこう。細かい設定は寝ながら考えるとして、とりあえずいつまでかわからないがよろしくな、エメル」

 

「ハハッ、これ以上の迷惑は御免だからな、京夜。それにしてもお前、ガキと思っていたがなかなか……」

 

 その上でオレは疎いがシルキー以上に有名っぽいバンシーをそのまま呼ぶのはあれかと偽名について尋ねると、何か気に入った名前なのかエメルと呼べと言うバンシー。

 そういうのは気になるのであとで調べてみようと思いつつ、簡単な設定を決めてバンシーも了承したところで改めて挨拶。

 バンシーも出会いこそあれだったが、協力する理由があれば素直なもので少し偉そうではあるものの笑顔で返してくる。

 しかしそれが終わって早々にオレを真似て体を手洗いしていたバンシーは、その目がなんかエロ親父みたいなものに変わってオレの体をまじまじと見る。

 特に見てきたのが下半身の股間部分だったから、やっぱり見た目が幼いだけで5000歳のババアなことを再認識させられたところで、触り始めたりする前にツッコミとして頭に軽いチョップを食らわせてやって、洗い終わった体にシャワーをかけて流し、オレに背を向けさせる。

 

「髪を洗ってやる。必要ないんだろうが、髪が長いと勝手も違うからな」

 

「奉仕というやつだな。苦しゅうない」

 

「本当は日本に行ったことあるんじゃないのか……」

 

 さっき整えたばかりだから洗う必要なんて微塵もない髪だが、これからずっと一緒に風呂に入るわけでもない──そもそも興味本意だからこれ以降に湯船以外に入るのかは不明だが──ので、教えておくべきことは今のうちにと後ろから髪を洗ってやる。

 鏡に反射したオレを見て話すバンシーがまたなんか日本人っぽい言い回しをどこで覚えたか日本語でやるもんだから、ついついツッコんでしまうが、それが面白いのかケラケラ笑う。

 だが動けばシャンプーがあらぬ方向に流れるので、それが不幸にも目の中に突入したか、笑いから悲鳴に変わったバンシーを助けるようにシャワーで顔面を攻撃。悪気はない。少ししかない。

 思わぬダブルパンチでダメージを受けたバンシーではあったが、リカバリーするように丁寧に髪を洗いつつ、頭のマッサージもやってやったら機嫌は一瞬で直り、それが終わったらオレの頭を洗ってやると言い出し、怖いが任せて背後に回らせる。

 体が完全に幼女なので非力なのは仕方ないが、いざやらせると少し物足りない強さ。

 ただ一生懸命にオレの頭を洗うバンシーの姿は鏡越しでもなんか愛らしくて和んだので、今日のところはこれでいいかとそのままシャワーは終了。

 上がってから体を拭き、バンシーに合うサイズの服など今はないので、仕方なくオレのTシャツを着せてみたのだが、見事なまでのミスマッチ。Tシャツだけでバンシーの体がほぼ全て隠れてしまった。

 それでもボロ布よりも隠れる面積は広いので今夜はこれで我慢して、便利なことに髪もすぐに乾いたバンシーはベッドへ直行。

 リビングに戻るとすでにバンシーがベッドの上で大の字になって寝転がっていたが、今は無視してオレの部屋の掃除を始めていたシルキーに声をかける。

 

「今夜はもういいよシルキー。ありがとな」

 

「いえいえ。わたくしこそたくさんご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。今夜はゆっくりお休みになってくださいませ」

 

 睡眠という休息が必要じゃないらしいシルキーは夜通しで掃除とかしそうな勢いだったが、オレはちょっと気配に敏感なためそれはやめてくれと暗に言うと、察したシルキーはそれだけ言ってお辞儀してから、すぅっとその姿を消してオレの部屋からも気配が消える。

 本当に有能なメイドさんだと感心しながら、オレもようやく寝られるとベッドに移動し、バンシーにスペースを空けてもらおうとしたら、睡眠など必要ないはずのバンシーが静かに寝息を立てて寝てしまっていた。

 もしかしたら可視化した状態を維持するとこういうことになるのか、そもそも睡眠を必要とする生き物なのかと思考するも、やはり眠気が襲ってきて深くは考えられなく、それは明日にでも本人に聞くことにしてバンシーを抱き上げて寝かせ直してオレもその隣で就寝。

 黙っていればただの子供でしかないバンシーを見ていると、小さい頃に幸姉(ゆきねえ)幸帆(ゆきほ)、弟の誠夜(せいや)と4人で雑魚寝したりした頃の記憶が甦って心が温かくなる。

 それを思い出したら腹を出して寝ていた幸姉や幸帆に布団をかけ直したりした記憶も甦ってきて、ついついバンシーにもその気遣いが出てしまったか、布団をかけてから寝相でどかせないようにオレの腕を布団の上から乗せて、そのままオレも浅くも深くもない眠りへと誘われていった。

 

 翌朝。

 特に何か不穏な気配を察知したということもなく一夜を過ごして起きてみると、隣で寝ていたバンシーが寝転んでオレの方に寄り、本当の子供のように体を丸めて寝続ける姿がまず視界に入った。

 シルキーの例もあるので必要ないとはいえ、起きてから何か食べると言い出すことも予測して、自分の分と少量の朝食を追加して作り、食べないなら弁当にでもしようと考えていたら、隣の部屋から隣人の武偵の何やら驚く声が響いてくる。

 早速シルキーが挨拶回りでも始めたのかとリアクションもそこそこで作業を続けていると、その声で起きたかバンシーも目を擦りながら顔を見せてきた。

 

「んん……可視化したまま寝たのは久々だったから、妙な感覚が残ってるな……」

 

「顔を洗えば人間みたいにスッキリするかもな。あとご飯も作ってるんだが食べるか?」

 

「んん……いや、ものの味を覚えると麻薬に似た症状になることもあるから、食べ物に関しては興味はあるが、いらん」

 

 寝ぼけながらに今の状態を伝えてきたバンシーは、やはり普段から睡眠は取ってるらしいことがわかる発言をする。

 5000年も生きてるとずっと起きてることが苦痛になることもあるんだろうな。

 それからすぐに洗面室の方に顔を洗いに行ったのを横目に料理をしていると、朝もまだ早い7時前なのに部屋のチャイムが鳴らされる。

 こんな早くに誰だよと思いながら玄関に行き扉を開けてみると、そこには綺麗なセミロングの黒髪を後ろでまとめただけの黒コートを始めにほぼ全身が黒コーディネートな美男子が立っていて、オレの顔を見るなりニコリと営業スマイルを向けてくる。

 

「相変わらず辛気臭い顔で安心したよ。これ以上見ていたら反吐が出そうだ」

 

「だったら今すぐ回れ右して帰れバカが」

 

 日本人の血も濃く引いてる影響か、肌の色やらはオレに近いものの、瞳の色は澄んだ蒼色と外人の血を思わせる。

 その男……いや、男に見えるようにしている女はオレを見るなり挨拶代わりの毒舌を披露するが、そんなのにいちいちイラついていたらこっちがおかしくなるので適当に返す。

 羽鳥・フローレンス。正式な名前は服部(はっとり)(ジュリウス)・フローレンスは、ロンドン武偵局に配属されているSランク武偵。

 極一部の人間しか知らないが、服部半蔵(はんぞう)とジャック・ザ・リッパーの子孫というハイブリッドみたいな血筋を持つこいつは、昨日に勧誘してきたヴィッキーと同じリバティー・メイソンの一員でもある。

 その羽鳥が何故ここに来たのかはなんとなく察しがつくものの、本当に顔を合わせる度にオレに拒絶反応を示すのが面倒臭すぎるからお帰り願おうと扉を閉めるが、足を割り込ませて笑顔で阻止しながら強引に押し入ってくる。くっそ!

 

「いやぁ、反吐は出そうだが、君のおかげでずっと口説いてきたヴィッキーとデートができるのだから、そのお礼くらいはしておこうと思ってね」

 

「ああ、賭けってそういう……っていうか、お礼とか用事の1割くらいだろうが。残りの9割は何だ?」

 

「ロンドン警視庁から聞いたよ。3日前のチェルシー・エンバンクメントでの事件。あれ、記事に載った死んだ武偵ってのが君なんだって? それなのに何で生きてるのかな? そのまま死ねば良かったのに」

 

「口が軽いんだよロンドン警視庁……」

 

 部屋に上がりつつ何かを観察する鋭い眼光の羽鳥は、いつものオレいじりをしながら目は合わせようとしないので、用事はおそらくシルキー辺りか。

 こいつの仕組んだ依頼がこうした結末になったことをちゃんと確認しに来たといったところが濃厚だが、話していたら今度は反対の隣の部屋から悲鳴が上がり、挨拶回りも順調そうなシルキーに苦笑。

 

「……どうやら無事に居着いてくれたようだね。君のことを毛嫌いして消えてしまったなんてことを心配したが」

 

「そんな心配すること自体がナンセンスだ。あとオレの朝飯を食べるな」

 

 その悲鳴で羽鳥と勘づいたか、シルキーが健在なことを確信して安堵しつつ、作りかけの朝食をつまみ食いしやがる。

 その行為を止めつつ1秒でも早く部屋から追い出したかったオレが「早く帰れクソが!」と顔に出していたら、オレの不快な顔が大好物な羽鳥はあえてテーブルの席に着いて腰を落ち着かせる。か・え・れ!

 

「なんだ騒々しい」

 

 そうやって長居しようとする羽鳥に苦戦していると、顔を洗ってきたバンシーが戻ってきてしまい、羽鳥とバッチリ目が合ってしまう。

 そこでバンシーはまずどうすべきかを高速で考えて、その結果、子供のようにオレの後ろに隠れて顔だけを羽鳥に見せる、顔見知りスタイルで対応。

 

「おや、これは麗しいレディーがいたものだ。まさかとは思うが、誰との子だい?」

 

「んなことあってたまるか。この子は依頼で一時的に預かってる子だ。昨日、空港から戻る最中にロンドン武偵高の生徒ってことで頼られた。名前はエメル。まだ5歳で人見知りもする」

 

 ちょっと直前に偉そうな言葉遣いがあったからあれだが、口を閉ざしたバンシーが女の子なこともあって羽鳥も雰囲気は優しい。

 しかしだ。このおと……女は気持ち悪いくらいめざといので、何か疑問があれば誘導尋問でポロリを狙ってきやがるから、オレもそれらしい理由を平静を装って言ってみせる。

 この辺、羽鳥を前提にしてなかっただけに設定の穴が大きすぎるが、ごり押す!

 

「へぇ。ご両親はとてもネーミングセンスがいいね。『エメルへの求婚』は私も好きな話だが、それは子供を大事に思うゆえのものなのだろう」

 

「……何の話だ?」

 

「日本で言えばそうだね……竹取物語みたいなものだよ。かぐや姫に求婚しに来た男達が求められたものを取りに行く試練に挑むってやつさ。厳密には違うが、互いが困難を乗り越えて結ばれようとする話ってことだよ」

 

「要は娘を嫁に出すなら、それに相応しい男を見定めるってことか」

 

 ポロリにだけは気をつけて羽鳥の言動に注意はしておくが、意外にも名前に食いついた羽鳥が名前の由来について勝手に推測しだし、オレにもわかるように噛み砕いて説明する。

 それを知って名乗ったのかと後ろのバンシーにチラッと視線を移すと、目が合ったバンシーはただニコリと笑うだけ。そうらしいな。

 

「まぁベビーシッターは君に似合わない気もするが、依頼主が素敵な女性だったのなら納得できるかもね。ではエメルが空腹で泣いてしまわないうちに朝食にしようじゃないか」

 

「お前の分はないからな」

 

 よ、良かったぁ……バンシーの分も料理していたのが羽鳥の目を誤魔化す材料になってくれたよ。マジ冴えてるオレ!

 女には異常に優しい羽鳥がそうやって席を立ってくれたおかげで、入れ替わるようにバンシーをそこに座らせたオレは、いらないとは言っていたが状況的に食べないと怪しまれると踏んで、バンシーも子供っぽい手つきでフォークを持って出された目玉焼きやらウィンナーやらを食べ始める。

 その様子をリビングにあった大太刀の単分子振動刀をいじりながらに見ていた羽鳥がまだ何か疑ってる雰囲気があったので、こっちも防戦一方ではないと攻勢に出る。

 

「あんまりジロジロ見てやるなよ。それともお前はこんなちっちゃい子供も守備範囲なのか?」

 

「いや、さすがの私も線引きはちゃんとしている。12歳未満の女性は皆、等しく私の庇護下にあるので、君がエメルに何か犯罪的なことをしないか不安でね。ああ安心したまえ。その際には私が責任を持って君を殺してあげよう。殺しは得意だ」

 

「イギリスの武偵も武偵法9条の適応内だったと思うがな」

 

 疑いの目を逸らすのが目的だったとはいえ、その逸れた先がオレになることがわかりきっていただけに、その毒も切れ味が違う。

 その証拠に話しながら持っていた単分子振動刀を鞘から抜いて狂気の目でオレを見て殺してやると言う羽鳥は凄く楽しそう。

 ジャック・ザ・リッパーの血は呪いとして時に羽鳥を蝕んで破壊衝動を起こさせるのだが、たとえこれが冗談だとわかっていても、かつてその凶刃を向けられて殺されかけた身としては鳥肌ものだ。

 とにかくそうなるのは嫌なので予防として殺人を禁止する武偵法がイギリスでも採用されてることを挙げておくが、それもわかっててやってる羽鳥は、オレの表情のあからさまな変化を楽しんでから、笑顔で単分子振動刀を鞘に納めて立てかけ、ようやく帰ってくれそうな足取りで玄関へと向かってくれる。

 

「さてと、じゃあ私も午前中は仕事があるから失礼するが、詮索されたくないのなら、もう少し子供らしくすべきだよ、エメル。いや、エメルを名乗る誰かさん、かな」

 

 それにホッとする直前で、姿が消える前に立ち止まり、何をどうやって観察していたか不明なくらいの推理でバンシーをただの子供ではないと見抜いた羽鳥が、ビックリしてフォークを落としたバンシーを優しい笑顔で見るが、その笑顔の奥には底知れない恐怖があった。



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Slash10

 

 完全に不覚を取ったぞ……

 シルキーを助けてバンシーと思わぬ遭遇をして一夜が明け、色々と新たなことがスタートするという初日に会いたくなかった羽鳥がさっそく来訪。

 尋問のスペシャリストであるSランク武偵は、こっちが悟れないほどの観察力で子供のエメルを演じていたバンシーをただの子供ではないと看破。

 

「……何でエメルがただの子供じゃないって思うんだよ」

 

「ん? それは君達を見ていれば割とわかるよ。おそらくアリアも勘だけで違和感には気づくはずだよ」

 

 まだカマをかけてる可能性は残っているので、その辺で探りを入れてみたが、どうやら本当に確信しているようで自分の他にもアリアもこの状況を見れば勘づくだろうと補足してくる。

 だが何だ? そんなにおかしな演技をしたつもりはなかったぞ。

 

「ハハッ、朝から面白いことが起こるもんだな。おい京夜。こいつはハッタリを言っちゃいないぞ。目を見りゃわかる」

 

「そっちが君の素のようだね。だけどその態度の急変。これは私も心の準備をしておくとしようかな」

 

「まぁ名前はあとにして、まずはお前の推理とやらを聞かせろ。今後も京夜とは上手くやってかなきゃなんねーから、改善点は見えた方がいい」

 

「……あー、どうしてお前が初日に来てしまう不幸が起こるんだ……」

 

「悪く考えすぎではないかな。逆に最初に来たのが私で良かったと考えるべきだ。もしも君達が危惧するような事態が起こるのが取り返しのつかない状況だったなら、それはこれ以上の不幸をもたらしていただろうね」

 

「そりゃ俺も同感だな。京夜、こいつが嫌いなのはわかったが、公私混同は良くねーよ」

 

 羽鳥がハッタリでものを言ってないとバンシーも気づいたか、子供の演技をやめて素に戻り切り替えも早く反省会を始めてしまう。

 羽鳥が何者かもわからない状態にありながら、そうした切り替えができるバンシーの凄さに感心しつつも、やっぱり羽鳥の助言を受けることになるのが気に食わないオレは、渋々で椅子に座って羽鳥の偉そうな推理に耳を傾ける。

 

「まずはそうだね。君のその子へ対する対応に不備があった。朝食時、私の知る君ならば5歳児に食事をさせる際に『食事の補助』を全くしなかったのが違和感としてあった。出した朝食は決して熱すぎるということはないが、食べやすいように冷ましてあげたり、小さく切り分けたりとするべきだったね」

 

「…………そんなことでかよ」

 

「そんなことだが、気づくヤツは気づくよ。それだけ見ても君がその子を庇護する対象と捉えていないことが不自然として残る。そこから私はその子を疑い、この部屋のその子の私物を探ったが、いま着ているTシャツ以外の、昨日まで着ていただろう服さえ見当たらない。洗濯している? いや、君の服がリビングにいくつか残っていることから洗濯したとは考えにくい。君は効率的だから、ある程度の洗濯物が貯まったらまとめて洗うタイプだろう?」

 

 気持ち悪いくらい色々と見てる羽鳥にはバンシーもドン引きしていたが、羽鳥の気持ち悪さはこれに留まらず、少ない情報からまだまだ見つけたものはあると饒舌になっていく。

 

「とまぁここまでが君のバカさをわからせる推理として、エメルと名乗った君も子供というものをわかっていないね。私は君が朝食を始めた段階でいくらか殺気を放っていた。これは感覚器官が鋭敏な子供の頃には、本能がそれを察知してしまう反射に近いもので、漠然と『怖い』という感覚は鳥肌だったり怖気として現れる。しかし君は彼が気づくような殺気を放った時にも何のリアクションも見せずに黙々と朝食を食べていたし、あんな大きな刀剣を抜き身にしても泣く様子も怯む様子もなかった。それはもう鈍感を通り越して……少々異常だよ」

 

 こいつは前からオレ達とは見えてる世界が違う人間という枠組みに入れていたが、さすがはSランク武偵という理屈を交えた話にバンシーが思わず「おおぅ……」と引きつつ納得。

 わずか数分の出来事だった中でそこまでの推理を披露した羽鳥は、それでようやく腰を落ち着けて話をするつもりなのかオレとバンシーの座るテーブルの椅子に座ろうとする。

 

「それで君はどこの誰なのかな?」

 

「俺はバンシーだ」

 

 ──ガタァァン!

 そのついでにバンシーの正体について問いかけたはいいが、心の準備はしていたのだろうに、それ以上の衝撃があったか、座ろうとした椅子に座り損ねて尻餅をついた。あの羽鳥があからさまに動揺したの初めて見た気がする……

 その反応が良かったのか、楽しそうに笑うバンシーが出していたミルクを飲んで鼻の下にミルクをつけてるので、反省点を活かしてタオルで口を拭いてやりつつ、オレも朝食を食べる。

 

「まさかのバンシーときたか……存在さえ伝説のあなたがまさか、こんなチンケなところに居たことの方が驚きですよ」

 

「ハハッ、お前は俺を知るイギリス人か。京夜はその辺で疎くてリアクションが薄かったが、本来ならこのくらいのリアクションをするんだぞ」

 

「へいへい。オレが悪うございましたよ」

 

「それでそのバンシーが何故この男のところに?」

 

 羽鳥らしくないリアクションはあったものの、改めて座り直してバンシーに畏敬の念を込めて話を進めるのを黙って見ようとしたが、バンシーが面倒臭がってオレに説明を丸投げしてきて、バレてしまったなら仕方ないと昨夜にあったことを話してやる。

 学校もあるので色々と作業しながら10分程度で話すべきことは話し、バンシーがこうなったことへの理解はできたようだ。

 しかしやはりバンシーを狙う追跡者の組織というやつに羽鳥も難しい顔をして思考に入ってしまう。

 

「……バンシー。君が知り得る人外の生物や超能力的な存在を可能な限りでいいから教えてもらえるかい?」

 

「悪いな羽鳥とやら。俺もこの世に存在して長いが、人が蔓延るようになった世界から恐れられ、迫害を受けたあいつらをこれ以上追い詰めるような真似を俺は出来ねぇ。たとえお前が俺のことを考えて何か行動しようとしてるんだとしてもだ」

 

 その思考から羽鳥は追跡者について探るために過去に接触した可能性のある人外の生物や超能力的な存在を調べてみるべきと判断したか、バンシーからの情報提供を促す。

 だがバンシーも無駄に長生きしてきたわけではなく、ちゃんとした慈愛の心といったものもあって、人が世界の中心になった世の中で生きづらくなってしまった仲間達をさらに追い詰めるようなことはできないと真面目な顔で語る。

 それはそうだろうな。オレも知る限りでそういう存在は例外もあるが、猴や玉藻様も人の姿をして人の世に溶け込んでいるし、リサ・アヴェ・デュ・アンクやヒルダといった人狼や吸血鬼も人に紛れて生きる道を選んでる。

 それに当然、そういったことができない存在も多くいて、人の目から避けるように生きるしかなくなった存在が今もどこかにいるのだ。

 

「そう言われてしまえば、私としても手が打てないね。おっと、そろそろ登校しないと君も遅刻だ。私も仕事があるので失礼するが、あなたの力になれるのであれば、私はいつでも力を貸しますので、これを経由してご連絡を」

 

「ハハッ、そんな時が来ないことを願うね」

 

 それを思えばオレ達人間がどれほどこの地球に影響を与えてしまったのかが垣間見えるが、そんな大きな時の流れを今さらどうこうできるわけもないので黙って聞いていたら、割とあっさりと身を引いた羽鳥がそれだけ言い残してオレと一緒に部屋を出ようとしてくる。

 それを引き留めるでもなく手を振って見送ったバンシーの呑気さは気が抜けるものの、シルキーが置いていっていた買い物のリストを持って羽鳥と部屋を出たオレは、バンシーに聞かれたくないことを話すんだろう羽鳥にこっちから話しかけておく。

 

「んで、何かするのか?」

 

「さしあたってはエメルが口を滑らせた『アストゥリアスの小僧』と『レス島の小娘ども』。この2つを調べてみる価値はあるね。実際に動くとなると私や君のように隠密性が高い人材で少数でが良いだろうから、その時には君も動け。まさかエメルとこのままずっと暮らしたいなんて思ってはいないんだろう?」

 

「そりゃな。オレもこっちにいられるのはあと7ヶ月を切ってる。責任はあるが無責任で終わることは望んでない」

 

「それなら話は早いさ。君は放課後にでもメヌエット女史にエメルのことは伏せて先の2件について尋ねたまえ。この手の調べ物は案外、伝承や何かがヒントになるかもしれないからね」

 

 キッチリと部屋の中と外で呼称を変えて話す羽鳥の適応力に感心しつつ、オレも気にはなっていた追跡者の手がかりについてを内密に調べると言うので、ずっとこのままというわけにもいかないオレもその話に乗る。

 実際オレも留学している身なので、いつまでもバンシーを匿ってあげることはできないし、そうなってからシルキーに全ての責任を負わせることになるのは端から見ても酷い話だ。

 

 そんなわけで順調にやるべきことが増えていくオレの留学生活も順風満帆とは言えなくなってきた。

 本当に仕事のあった羽鳥とはマンションを出てすぐに別れて1人で登校し、学校ではいつも通りの時間が流れるものの、頭の中では隠し財産のことやらバンシーのことやらがグルグル。

 何かの拍子に弾けてしまいそうな難問に頭が痛くなってきたところで、オレと一緒にシルキー問題を解決しに行っていたヴィッキーがスニーキングで教室に入ってきて席に着く珍事が発生。

 オレと同時期に欠席して依頼を受けたことで、同じ依頼を受けていたことを隠していた都合、ヴィッキーも出席のタイミングをズラしたかったのだろうが、1日くらい置けばよくね? と思わなくもない。

 オレは別にヴィッキーと一緒に依頼をこなしたこと自体が周りにバレようとどうでもいいから普通にしてるが、ヴィッキーにもこの学校での立場というものが形成されているから、色々と面倒なんだろう。

 実際にヴィッキーの主な依頼の履歴に男の協力者はいなく、それは依頼の特性上でも男持ちというステータスが依頼に影響したりするから──色仕掛けには邪魔だし──もあるっぽい。

 それでそのヴィッキーがほとんどが無音で着席しようと、空席だったところにいつの間にか人がいたらそりゃ気づくだろうってことで教師には注意を受けてひと笑いされるも、それもヴィッキーの可愛い笑顔で誤魔化されてしまい、そういうヴィッキーの姿を見ると不思議と和んでしまった。

 

「あーあ。キョーヤのせいで私、このあとフローレンスとデートになっちゃったんだけどぉ」

 

「賭けをやってたのはお前らの勝手だろ。オレは悪くない」

 

 昼休みになるとまた音楽室と準備室で密談という形でヴィッキーに呼び出されたのはもう仕方ないとして、まずは昨日の依頼の報酬が無造作にパイプ椅子に置かれていたのを拾い、ちゃんと約束通り6:4のうちの4の方が入っているのを確認。

 リバティー・メイソンが秘密裏に入手した依頼を武偵高に通したってのが真相だろうが、ちゃんと依頼としては機能していたことがこれでわかったのでひと安心。

 それから昼食を摂りながらの雑談に入るが、さっそく朝に仕入れたばかりの新鮮なネタをぶち込まれて知るかとツッコミ。オレのせいとか言うのは筋違いだっての。

 

「キョーヤは日本でフローレンスと2ヶ月くらい一緒に暮らしてたんでしょ? なんか弱点とか知らないの?」

 

「それこそリバティー・メイソンであいつを見てきたんじゃないのかよ」

 

「私はフローレンスよりも新参なのよ。フローレンスがここに通ってた頃は、なんか怖い印象が強かったから話しかけようって気にもならなかったし、第1まだ私はリバティー・メイソンの一員でもなかったもの」

 

 それでこの密談は放課後に控えた羽鳥とのデートを如何にして乗り越えるかを考える作戦会議だったらしく、デートが羽鳥の思惑通りにいかないようにするための策を練りたいヴィッキーはいたって真面目。

 しかしオレはどうでもいいのでのらりくらりとやり過ごしてヴィッキーを困らせようとすると、扉を隔てた向こうで膨れっ面をしたような気配を出しながらも、ロンドン武偵高時代の羽鳥についてポロリ。

 確かロンドン武偵高時代は男装して血の呪いを一時的に克服する術を編み出した頃だから、尋問科(ダギュラ)救護科(アンビュラス)で狂気の表情で尋問や検死などをやっていたはず。

 その狂ったような様と実力からSランクを取得して『闇の住人(ダーク・レジデント)』なんて公式(オフィシャル)で呼ばれるようになった羽鳥だが、あいつもあいつで苦悩してきた時代だ。

 今も男装をやめられないくらいには重症ではあるが、時おり血の呪いって何だっけってほどの女の羽鳥が顔を見せることも…………数秒くらいはあるが、まだそんな程度。男装はやめられないだろう。

 ということはヴィッキーは羽鳥が女であることはわかってるはずなのに、何でそんなにデートで警戒するのか。別に貞操の危機というわけでもなかろうと。

 

「なぁヴィッキー。ロンドン武偵高にはそういう近寄りがたいやつって他にもいただろ。そいつらと羽鳥は同じ感じの近寄りがたさだったのか?」

 

「んー、私がそう感じたのはフローレンスの他に2人くらいよ。1人はキョーヤも知ってるアリア。1年くらいしかいなかったけど、ホームズ4世ってことを抜きにしても同年代に思えなかった武偵ってアリアとフローレンスくらいよ。やっぱりSランクともなると格の違いってやつを思い知らされるっていうか」

 

「それは同感だ。知ってるSランクはみんな常人の域を越えてる」

 

「もう1人は2年先輩のSランク。もう卒業しちゃって有名武偵企業(ゼダックス)に就職したんだけど、なんか風の噂でもうクビにさせられたって聞いたわ……」

 

 そこでアプローチを変えて物の見方を変えてみたらどうかと、羽鳥の他にそうやって敬遠した武偵はいないかと尋ねると、真っ先にアリアの名前が挙がる辺り、アリアもキンジに会う前まで独奏曲(アリア)なんて呼ばれて孤立していた時代があったことを思い出してしまう。

 Sランクってなんか変な部分も突出してるような、と思っていたら、もう1人の先輩もSランクですでに卒業しているとはいえ、最低年俸2000万円の有名なところをクビになっていると聞くと、やっぱりSランクは変わり種が多い。

 

「その人、アリアの戦姉でもあったから、アリアと親しいなら聞いてみるといいわよ」

 

「えっ、あのアリアの戦姉……ってことはアンジェリカ・スターか」

 

「変わった人ではあるけど、実力は本物よ。変わったっていうのは、そうね……日本ではオタクって言うんだっけ。日本の漫画やアニメのヒーローにマジで憧れて武偵やってるような人だから」

 

「その人、武偵に向いてないよ。漫画やアニメのヒーローって基本的に見返りとか求めないもん。武偵でそれは……ああ、だからクビになったの?」

 

「正義を貫く! みたいなところよね。頑固とも言うんだろうけど」

 

 その先輩とやらがアリアの戦姉だったと聞くと、それが誰かはここに来てから聞いた話でアンジェリカさんであることがわかる。

 実際に会ったことはないが、その話を聞くと以前から思っていたことで、あのアリアを戦妹にする人とかちょっと気になるな。

 そんなことを思っていたら昼休みもそろそろ終わりそうになっていたので、結局は羽鳥とのデート対策は何1つ助言することなく逃げるように準備室を出るオレに、思わず扉を開けて引き止めにきたヴィッキーをやり過ごして午後に授業に取り組んでいく。南無三。

 

 放課後はすぐにシルキーの書いた買い物リストを消化しに雑貨店へと足を運び、マンションに帰る前に羽鳥に言われた通りにメヌエットからの知恵を借りにホームズ邸を訪れる。

 事前にメールはしておいたので今回も顔パスでメヌエットのいる仕事部屋に行くと、紅茶を飲みながらまた何かの伝記本を読んでいたメヌエットは、オレの来訪に合わせて視線をこっちに向けてくる。

 

「その手のものはプレゼントというわけではないようですが、毛糸や布といった素材からして、縫い物でも始めるのですか?」

 

「オレがじゃないが、まぁそんなところだ。それで今日はメヌに聞きたいことがあってな」

 

「あまり私を頼りすぎるのも良くありませんよ? 仮にも武装探偵でいらっしゃるなら、まずは自分なりに調べる努力はするべきです」

 

「オレもそうしたいんだが、何ぶんやることも多くてな。楽な道を選びたくなる日もある。どうか怠惰なオレに知恵を貸してくれ」

 

「……仕方ありませんね。京夜は私がいなければ何もできない人ですからね。無能な京夜に私の垢を煎じて飲ませて差し上げます」

 

 今日も絶好調なメヌエットは頭の低いオレに対してマウントを取る言葉で罵ってくるが、朝から羽鳥の毒にも侵されていたオレは感覚が麻痺してて割とどうでもいいと投げやり。

 それを知らないメヌエットもオレの素直さにちょっと気持ち悪そうにしてから、オレの話を聞く姿勢になったので、それに甘えてバンシーの件について尋ねてみる。

 

「いきなりで悪いんだが、アストゥリアスってところの伝承とかそういう不思議な話があったりするかな。あとレス島ってところもなんだけど」

 

「アストゥリアスはスペイン北西部の起伏の多い海岸線や内陸の険しい山地が特徴の自治州です。州都はオビエド。聖遺物が保管された施設もあり……」

 

「ああその辺でいいよ。どういう場所かはさほど重要じゃないから」

 

「……尋ねておいてその言い方は失礼ですよ。まぁ京夜が何故そうして早く帰りたがるのかを詮索するのはやめて差し上げますが、私にやましい隠し事をするのであれば、それ相応の報いを受けてもらうしかありませんね」

 

「やましいことはないんだが、面倒だからメヌを巻き込みたくない。それを優しさって取ってくれないとオレも困るかもだが、どうしてもってことなら日を改めて話すよ」

 

 すでにオレが何かを隠しながら話をしていることに勘づいてるメヌエットが言及しそうな雰囲気を漂わせ、機嫌もよろしくなくなってきたのはすでに予測していた。

 それでも今はまだメヌエットを巻き込みたくないと本音で語れば、人の目を見て真偽を確かめられるメヌエットも今日のところは言及を避けてくれて話を戻してくれる。そういうところが好きだよ、メヌ。

 

「……レス島はデンマークの北部、カテガット海峡の北海に浮かぶ、人口約2000人の琵琶湖より小さな島です。が、どういう偶然でしょうね。京夜の口からアストゥリアス州やレス島の名前が出てくるなんて」

 

「それはどういう……」

 

 しかしそれにもちゃんとした意図があったっぽいメヌエットは、オレが内心で好感度を上げたことなど知らずにレス島についてを語ってから意味深なことを言う。

 それが意味するのが何なのかを問うより先に、手元にあった伝記本を無言でオレの側に向けてきたので、開かれていたそのページに目を通してみる。

 

「隠し財産の件で私は扉を透過する超能力についてを可能性として挙げましたが、京夜が述べた紙のように薄くなる超能力についての可能性も考えていました。そして先日の京夜とサイオンを襲撃した者が水を操る超能力を使ったことから、私は水などの液体にまつわる伝承を調べていました。その中に京夜が挙げたアストゥリアスとレス島も無関係ではないのですよ」

 

「これは……もしかして」

 

「京夜が問題として抱えるもの。それはおそらく隠し財産の件とも無関係ではないでしょうね。偶然にしては出来すぎですから」

 

 そのページを見ながらのオレに先日の件も含めた話をしたメヌエットと、実際に見ていたページがあまりにもピンポイントに尋ねたかった案件に刺さっていたため、オレもこれが単なる偶然ではないと確信。

 これはもしかしたら、隠し財産を盗んだやつらとバンシーを狙っているやつらが、同じ組織かもしれないな。



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伝説の探求編
Slash11


 

 5月12日、水曜日。

 バンシーと遭遇してすでに2日が経過した今日この頃。

 オレはそのバンシーの漏らした『アストゥリアスの小僧』と『レス島の小娘ども』とやらの情報を元に、メヌエットとの協同極秘任務とも不思議と重なったそれを調べにデンマークの北部に位置する港町フレゼリクスハウンを訪れていた。

 この街から南東に浮かぶレス島との間にフェリーも出ている──30km程度しか離れていないのですぐに着く──ので、島へ向かう前の情報収集もしていく予定だ。

 

「港の一部が海軍基地になってるって話だったな。そっちにはお前が行くんだろ」

 

「お堅い軍人は苦手なんだがね。君のような不審者では捕まりかねないし仕方ないさ」

 

「歩く犯罪者みたいな言い方やめろ」

 

「……アンタ達、仲良いわよね……」

 

「「それはあり得ない」」

 

 その第1歩の確認のためにオレが同行者に嫌々でも話しかけてみれば、やっぱり余計なことまで付け加えるバカ、羽鳥の毒が炸裂するが、そのやり取りを見たヴィッキーが鳥肌が立つようなことを言うので全否定。

 そこを異口同音でツッコんでしまったがためにヴィッキーには笑われてしまったものの、本当に仲は良くないのでこれ以上の会話はやめておく。

 今回の案件はオレ1人が向かう予定だったのだが、Sランク武偵の血が騒いだのか何なのか不明ながらも滑り込むように羽鳥が同行してきて、それならと前回、本来の実力を全く見せなかったヴィッキーが汚名返上とばかりにやる気でついてきてしまったのだ。

 別に情報収集が主な目的だから人数は多いに越したことはないのだが、メヌエットに頼まれている隠し財産の件を何かの拍子でポロッと言いかねない状況にだけはならないように注意しなきゃならない。

 特に人の嘘とかに敏感な羽鳥が相手だと余計に警戒しないとだ。こいつマジでオレの知らないところでいつの間にか確信に至るからな。

 ここに来る前にメヌエットが調べていたことと、バンシーが漏らした化生の類いの存在が同一かはまだわからないが、幸か不幸かこのデンマークには古くから有名な話がある。

 童話作家で知られるデンマーク出身のアンデルセンが作品にしている『親指姫』や『裸の王様』。そして『人魚姫』。

 アンデルセン作品はどれも空想モノで、現実には存在しない生き物として描かれてはいる。が、国にまで根付くほどの存在は有名になり得る理由が存在するもの。

 事実、首都であるコペンハーゲンには人魚の像なんかも作られているし、そうやって有名になってもしかし、その存在が今日まで判然としないというのはかなり『らしい』。

 先日にオレとサイオンを襲った奴は水の超能力……と思われるものを使っていたし、人魚は超能力はどうかわからないものの『水』とは切っても切れない縁がある。

 

「では私は行くとするよ。君の顔を見ていると具合が悪くなってくるんでね。ヴィッキーは暇になったらすぐに私のところへ来てくれていいよ」

 

「このまま帰ってくれても構わんがな」

 

「同感ね」

 

 メヌエットも人魚が存在すると断言はしなかったが、人魚伝説がデンマークを中心に点在することから、存在する可能性はあるとしたし、バンシーの言う小娘どもが人魚である可能性も低くない。

 その細い糸を手繰り寄せるようにして行動を開始したオレ達は、各々の手段で情報を収集しに街へと散っていった。

 オレは人魚と関わりのある海に出る漁師や漁業関係者に話をうかがうことで、噂などの場所の出どころをおおよそで絞り、いくらかの当たりをつけることにする。

 別に機密性のある話などではないので、ただの伝承マニア的な客を装えば、まぁ渋りもしないで教えてくれる人も多く、信憑性はこの際で無視しても人魚に関する話は誰でも1つくらいは持っていた。

 多くは又聞きみたいな噂話を他人事のように語るものだったが、2つほど漁師達の間で語り継がれてきたという話があった。

 1つはレス島が浮かぶカテガット海峡を航行する時、夜な夜な聞こえてくることがある、この世のものとは思えないほどの女の美声での歌声。

 その歌声に誘われて向かってしまえば最後、その船は数日後に人1人いない無人船となって海上で発見されるのだとか。

 2つ目は有力そうなレス島に関することで、かなり昔から南の海岸線を真夜中に彷徨うと神隠しに遭い、骨すらも見つからなくなるらしい。

 2つ目は人魚という可能性も少し落ちるが、どちらにも共通しているのは『人がいなくなる』ということ。

 そこから考えると人魚というのは人を拐って食ったりする、結構危険な生き物なのかもしれないな。

 街での情報収集は2時間程度で切り上げて、レス島に行くフェリーに乗り込んでから、その移動時間を利用して3人で集めた情報の整理を始める。

 

「街の人達からは目撃情報らしきものは出てこなかったけど、まぁ人魚伝説が根付いてるから噂話はわらわらと出てきたわよ」

 

「オレの方も目撃情報こそ出なかったが、やっぱりレス島とカテガット海峡には人魚に関する何かがあるような気配はある」

 

「私の方でも海軍から色々と話が聞けた。主にここ100年ほどに起きた海難事故なんかの詳細についてだが、その中に1つ、不可解な案件があったよ」

 

 ヴィッキーもオレと同じような調査結果みたいで確信を得るようなものは入手できていなかったし、オレもオレでかもしれないの域を出ない結果を報告。

 どのみちレス島の神隠しについては調査出来るのでそちらは進める予定でいたら、海軍の方に顔を出してきた羽鳥が怪しげな情報を持って帰ってきたのでまずはそれを耳を傾ける。

 

「今から34年前の今頃だね。この街の漁師の1人が夜間の漁に海に出ていたんだが、その漁師が翌朝になっても戻ってこないから、捜索もされたそうだよ。捜索自体は割とすぐに終わって、漁師の船はレス島の南の浅瀬の岩礁に乗り上げていたようだ。ただ船には漁師の姿がなく、付近を捜索したところ砂浜に打ち上げられていた。死体となってね」

 

「それはそんなにおかしいことなの?」

 

「聞くだけなら嵐にでも遭って船から投げ出されたって線も……」

 

 こういう時には話を焦らす癖がある羽鳥の性格はわかってるつもりだったが、あまりに自然にヴィッキーが疑問を口にしてしまったから、オレも釣られて疑問を出してしまったら、案の定でまだ話には続きがあるといった顔をした羽鳥にイラッとしてしまう。

 これとの付き合い方は半分以上の感情を殺すことだ。平常心、平常心。深呼吸しろ、ヒッ、ヒッ、フー。

 

「私がこれだけで不可解な案件と断じるわけもないだろう。だが君の疑問には答えてやろう。漁師が漁に出た夜は波も高くなかったし、むしろ夜空の星が見えるほどに晴れていたそうだよ。だから船から落ちたとかそういう事故ではない」

 

「それでも船から落ちることはあると思うけど?」

 

「それならどういう時に落ちると思うかな、ヴィッキー」

 

「そりゃあ、網とかの回収とかの作業中じゃないかしら」

 

「だとしたら船の(いかり)は作業のために下ろされているはずだよ。だが発見された船の錨は下ろされずに岩礁に座礁して止まっていた。つまり漁師は作業中の転落ではなく、穏やかな海の上で船から落ちた可能性が高い。或いは……」

 

「自ら海に飛び込んだ可能性か?」

 

「私はそう考えている。あとはその漁師の死因だね。海に落ちた人間ならその死因は考えられる限り1つ。溺死だ。だがその漁師の直接の死因とされていたのが『衰弱』だったわけだよ」

 

 ……それは確かに妙だ。

 海が荒れていたわけでもなく、漁の作業中に転落したわけでもなく、直接の死因が衰弱?

 溺れた人間ならまず衰弱する前に大量の海水を飲んで溺死する。衰弱が先に来るということは、その漁師は『溺れる前にほぼ死んでいた』ってことになる。

 そこまで弱るほどに泳ぎ続けた? いや違うな。衰弱っていうのはそんな肉体の疲労だけで決まる問題じゃない。

 

「それらの点から私はこの件は単なる事故死ではないと考えた。が、これが人魚の関わる案件かどうかは可能性としては低いね。人為的な殺しの線だってもちろん捨てきれない」

 

「……いや、レス島の南ってのはオレの聞いた神隠しの件とも場所が重なるな。レス島に着いたらまずその海岸線に行ってみる価値はあるかもな」

 

「それはいいんだけどさ……私もシルキーなんて見ちゃった後だから疑うわけでもないんだけど、2人とも、まさか本当に人魚が存在すると思ってるの?」

 

「私は半々だね」

 

「オレは……人魚かはともかく『何か』はこの海にいると思ってるよ」

 

 そうした羽鳥の掴んだ過去の事故も含めて、レス島に着いたらまず向かう場所は決まり、それ自体は自然な流れだった。

 しかしこういったオカルトの線で行動したことがないっぽいヴィッキーがよく考えたら当たり前なことをオレと羽鳥に尋ねてきて、ここで信じてないと断言できない自分の経験値に愕然としてしまった。

 ああ……オレはもう世間一般から見ても『オカルト信者』に見られてしまうくらい世界の裏側に足を突っ込んでしまっているんだな……悲しい。

 と、よくよく記憶の奥底から掘り起こせば、そもそも幸姉が魔眼を暴発させた頃から天狐の伏見様とかと会ってしまってる時点で手遅れだった。オレまだ9歳だったよなぁ……若気の至りってやつか。って違うわ!

 とかなんとか内心でやってることも露知らず、オレと羽鳥が異形の存在を全否定しないことに苦笑いしたヴィッキーは「本当にいて好戦的だった場合は任せた」と先に予防線を張って役立たず宣言。

 おいこらお前。この前の汚名返上で来たんじゃなかったんかい。

 

 レス島は昔、乾燥地帯で気候などの条件から塩が生産されていたが、その影響で森がなくなり不毛の地となり生産が中止され、今はリゾート開発やらで観光地として有名になっていて、湿地の保護を目的とするラムサール条約でレス島周辺が丸ごと登録されている。

 島の主な開発は北と西側に集中し、南側と先細りした東側は比較的人の手が加えられていないが、人がいないわけでもないっぽい。

 1時間とかからずに到着したレス島でまずはヴィッキーにホテルの確保に動いてもらい、オレと羽鳥が車で島の南側の海岸線を様子見。

 島の南側の海岸線にはこれといった特別なところはなく、島から少し離れた位置に学園島くらいの大きさの小島が存在するくらいが精々。

 

「どこにでもある海岸線って感じだが」

 

「だね。何かあるにしても、ただ側だけ見ても見つけられるわけもない。事によっては海中探索も必要になるかもしれない」

 

「それは明日に回すにしても、今日のうちに出来ることはやるに越したことはないだろ」

 

「ほぅ。具体的には?」

 

「神隠しの件。条件があるのかは知らないが、この場所が関わってるなら検証の余地はあるだろ」

 

 比較的だが目の良いオレと羽鳥が見える範囲で不審なところがないかを見てみるが、そんなものが見つかったら見つかったで人魚伝説が胡散臭くなるので、ここで何も見つからなかったのは予定通りといったところ。

 その上で今後の動きを検討したオレと羽鳥が意見を出し合い、オレの方から神隠しの件に触れると、なんか凄く嫌な笑みを浮かべた羽鳥がオレを見てくる。

 これは凄く嫌な予感……

 

「いやぁ、君の口から検証の余地があると言われたなら仕方ないね。ではお言葉に甘えて今夜にでも検証しようじゃないか」

 

「……お言葉に甘えて?」

 

「件の海難事故や歌声の導きは男性が犠牲者として多い。人魚に好みがあるのか、はたまた歌声などに含まれるかもしれない催眠効果が男性に強く影響するのかはわからないが、1つでも条件とやらを満たすのならその再現性は高い方が良いだろう。おや? まさかそんなことも考えずに『被験者』に立候補したのかい?」

 

 …………そういうことかよクソが。

 確かに人魚が関わってそうな案件の被害者は男性が圧倒的に多いのは話からもわかっていた。

 その前提があってオレが検証などと口にすればこれ幸いと乗り気になるこいつもこいつだ。

 3人の中で男はオレだけだから、それをやるとなれば当然オレが検証の材料にされる。くっそ、そこまで考えてなかった。

 

「……チッ。安全策くらいは練ってもらうぞ」

 

「何がどう安全策になるのかはわからないが、自らの保身を他人に委ねるのはどうかと思うよ?」

 

「お前、もう帰れよ」

 

「冗談だよ。君は本当にからかい甲斐がある。留学してもそこは変化しないね」

 

 ハッハッハッ。そんな風にして笑う羽鳥の言葉には純粋な怒りしか湧いてこない。臨界点突破して殺意に変わるのもそう遠くないかもしれないな。

 それで明らかに怒りを顔に出すと益々喜ぶアホなのはわかっているが、1度くらいはぶつけないと際限がないのでこの1回で羽鳥のいじりを終わらせてヴィッキーの取ってくれたホテルに撤収。

 羽鳥の言うように何が安全策になるかは全くの不明ながらも、過去の案件から人の思考力を奪う洗脳や催眠といった類いの可能性を前提に作戦を練る。

 たった1度の作戦で成果が出るとは思ってないので、数日に渡る計画を作成しつつ、囮となるオレの設定が完成したのだが『ロマンチストなナンパ男』とは何事か。オレから最もかけ離れていて苦しすぎる。

 それでもレス島の神隠しの件は割とポピュラーな話らしく、地元はもちろん、レス島に観光に来た人でさえそこに向かうとわかれば警告はされるので、それでも近づく『バカ』な設定は必要不可欠との判断。羽鳥の独断に近いが。

 

「うん。今夜は設定としても良さそうだ。では頼んだよ撒き餌君」

 

「これで死んだら恨む。人魚じゃなく羽鳥を」

 

「うわぁ、それ理不尽じゃない」

 

「ハハッ。超能力者でもない君が恨みで人を殺せるならやってもらいたいくらいだよ」

 

 そうして迎えた夜の11時頃。

 夜空に輝く星々の光が鮮明に見える好条件に機嫌の良さそうな羽鳥は、これから南の海岸に向かうオレの肩を叩いてくるが、その顔がこの上なく笑っているのでイラッ。他人事なんだよな、こいつ。

 一応の安全策は講じているが、それが機能するかは不明なので、羽鳥とヴィッキーにも少し離れたところに待機はしてもらう。

 その前に南の海岸に移動したオレは、設定の通りの男を演じるためにかなりの仕上がりにしてきたヴィッキーと2人きりで1度、デートのようなシチュエーションをするためにそれらしく散歩を始める。

 ただわかってはいるのだが、こういう時のヴィッキーの洗練された仕草などが真に迫る本気度でマジで良い女に見えて仕方ない。

 まぁオレも表面上だけで女を見るような男ではないから、それで惚れたりだのはあり得ないが、ヴィッキーの実力はやはりこういう方向性で真価を発揮するタイプだな。

 

「今夜はこんなに星が綺麗に見えるからね。君と一緒に見たくて連れてきたけど、嫌だったかな?」

 

「……いいえ。私も彼と喧嘩して寂しかったし、良い気晴らしになってるから」

 

「じゃあオレがそんな男のことを忘れさせてあげるよ」

 

 そんなヴィッキーを相手に臭い芝居をしなきゃならない状況に舌打ちしたくなるが、それを押し殺して役を演じてやると、一瞬だけオレの羽鳥っぽい台詞に笑いかけたヴィッキーも、すぐに切り替えて役を演じてくれた。が、笑うな。真面目にやってんだぞ。

 事前に打ち合わせもした上でやってるのに笑われるのは恥ずかしさで死にそうだが、半端なことをすると芝居がかるので振り切るつもりで役を続けて、その足を止めてからヴィッキーの肩に手を添えて向き合うと、そこから何も言わずにキスしようとする。

 しかしヴィッキーは設定の通り、彼氏がいるのでオレのその行為を止めるように胸に手を当てて離れるように引き剥がし「ダメよそんなの」と塩らしい演技。

 あー嫌だーこんなこと続けたくなーい。

 打ち合わせ通りに進んではいるが、ここから先はただのアホなので演技でもやりたくない。

 だがやらないとヴィッキーをこの場から離れさせられないので、本当に仕方なく彼氏への負い目がある設定のヴィッキーを再び抱き寄せて、勢いに任せて押し倒してしまう。

 

「そんなこと、オレと一緒にここに来た時点で気にする必要ないよね? だったら……」

 

 そうなったら男と女がやることなど1つしかないので、オレが強引にその方向に持っていこうとする。

 これだけ見ると完全にレイプ寸前のクソ野郎だから心底嫌だが、ヴィッキーには逃げてもらう前提なので暴れてもらって、その拍子に金的攻撃を当ててもらう。

 もちろん本当に当たったら悶絶ものなので寸止めにはしてもらったが、寸止めはなかなか難しいからちょっと当たってしまい、それ自体には仕方ないと諦めて大袈裟に痛がり、その隙に逃げたヴィッキーは、乗ってきた車でリゾート開発エリアに戻っていってしまう。

 当然、車を失ったオレは徒歩で戻ることが確定し、女に逃げられたことにも落胆して砂浜に寝転がるしかない。

 こんな様子を端から見たらオレなら引くね。ドン引きだよ。神隠しに遭うなら好都合とも思う。

 そんな男が無防備に1人でいたら何かが起こってもいいと思うだろう。

 しかし現実はそんなに甘くはないから、30分くらいはふて寝を敢行したものの、何の変化も起こらなかったので今夜は撤収する流れになる。

 非常に不快だし羽鳥にもヴィッキーにも笑われるから早く終わらせたいのは山々だが、こっちが諦めると決めたのは5日後の17日。

 その時が来るまでは毎晩、変装したヴィッキーと同じようなやり取りを繰り返すことになっていたので、日に日に変わるヴィッキー七変化を唯一の楽しみにして苦行に耐え続けた。

 

 そしてオレ達が定めた期限の前夜である16日に変化は起きた。

 これまでのように女を口説くことに大失敗したオレが月を見ながら黄昏れていると、発生源は全くの不明ながらどこからともなく女の歌うような声が、決して大きくないのに脳へ直接ハッキリと響いてくる。

 これが遠くに待機している羽鳥達にも聴こえているのかは定かではないので、まずは自然な反応としてその声に周囲を警戒する仕草をしてみせる。

 しかしそれもすぐに反応として鈍くなるのを感覚として自覚したオレは、次いで自分の思考力が徐々に低下していくのを理解。

 そこでようやくどうにかしようと考え出すが、あまりにも低下する速度が早くて、その時にはもう何かを考えることも不可能になり、自分が自分じゃないような感覚に襲われてしまう。

 体が思い通りにならないこの感覚はかつてヒルダにかけられた催眠術の感覚に非常によく似ていたが、違うところは確かにあって、この催眠術みたいなものはオレの意思に関係なく体を動かし始めたのだ。

 ──前へ、前へと。冷たい夜の海へ。



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Slash12

 

 ──俯瞰で自分を見ているような感覚。

 もっと言えば幽体離脱しているような、そんな感覚がオレを襲い続ける現状。

 レス島の南の海岸にて囮捜査を実行していたオレ達が行動を起こした4日後に、ついに囮であるオレに幻聴のような女の歌声が聴こえたかと思えば、すぐにオレの思考は自由を失い、体までが勝手に冷たい海の方へと歩いていってしまう。

 その状況をオレは危機感とか何かを感じることもなく、ただ傍観者として見ているような認識で見ることしかできなく、何をどうするかの思考を切られている。

 だからこの状況をどうしようとか全く考えることができずに、自分の体が海へと沈むのを黙って認識していることしかできない。

 ──バヂィィン!

 どうしようもないとか、そういうことさえも考えられなかったオレの体が海へと足を踏み入れる直前。

 不意に胸の辺りで電流でも流されたような衝撃が走り、その痛みでオレの思考が急速に戻って回復。

 あっぶねぇ……事前に仕込んでた電極装置を羽鳥が作動させてくれたんだ。

 これは催眠術などにおける対策としてショックによる覚醒を促すためのものだったが、効いてくれたみたいだ。

 依然として女の歌声は聴こえているが、1度でも解けると効力が失われるのか異常は起きなかったので、また電気ショックをやられても困るが、まだ催眠状態だと相手に思わせておくことにして、夜の海にあえて足を踏み入れていく。

 さすがに濡れてしまうと電気ショックが殺人兵器になりかねないので、羽鳥も足が海に触れたところで再度電気ショックを流してくることはなかったが、オレもオレでどこまで行くべきかの判断に迷う。

 このまま体が海に沈んだタイミングで何か仕掛けてくるのか、はたまた溺れて苦しんでいるところにとどめを刺しに来るのか。

 どうあれ水中ではオレもまともに動けないから、顔が海に沈んだタイミングで何もなければ引き返そう。それで手遅れだったら……死ぬ、かな。

 とかなんとか考えてるうちに胸まで海に浸かったオレに依然として変化はなく、しかし歌声は聴こえ続けているから限界まで行くしかなく、そうと決めた顔が海の中へと入り込んだ。

 当たり前だが夜の海は視界ゼロ。目を開けようと何をしようと何も見えることはなく、何が来ても対応はできないだろう。

 だが残された聴覚と触覚でわずかな変化を逃すまいと集中すると、オレの体を不自然な水の流れが沖の方へと導こうとしているのがわかった。相当に強いぞ。

 ──これは、ヤバイ!

 まだ足はかろうじて着くが、この流れに乗れば数秒で溺れるところに到達する。

 そうなったら確実に死ぬと確信したオレはなりふり構わずに羽鳥から渡されていた特殊な製法によって作られた弾丸、武偵弾を手投げして前に送り出すと、手動でも起爆できる炸裂弾(グレネード)はすぐに海中で爆発を起こして、沖へと向かいかけていたオレの体を止めて、水の流れも強引に変える。

 そのチャンスを逃さずに炸裂弾の痛みも堪えて海中から一気に浜へと戻り、なんとか溺死を免れる。

 

「はぁ、はぁ、くっそ……」

 

 それに安堵してる場合ではないので、すかさず閃光弾(フラッシュ)を海上へと投げ込んで周辺を照らし、何かいないかを確認しにかかるが、備えがないオレでは閃光弾の光が邪魔でしかない。

 その辺は近くにいる羽鳥とヴィッキーがどうにかしてくれてると信じて、目を閉じていたオレは聴こえなくなっていた歌声が海中でもはっきりと聴こえたことから、音。つまりは振動によって聴こえるものではないと考察。

 音はどうしたって大気中と水中では伝わり方に差が出るのに、それがないならそうとしか思えない。

 閃光弾の光が収まり目を開けてみれば、すでに周囲には何の変化もなくこれまでと同じような静寂の中で波の音だけが聞こえてくる。

 

「…………もう無理だな」

 

「さすがに明日また、とはいかないだろうね」

 

 ずぶ濡れになりながらこの状況から次にどう動くべきかを考えていると、待機していた羽鳥とヴィッキーが安全を確認しながら近寄ってきて、独り言に言葉を返してくる。

 ヴィッキーからタオルを受け取りつつその場で着替えながら、今の出来事での成果を報告。

 

「それにしても突然だったね。君には何か幻聴でも聴こえていたのかい?」

 

「ってことはお前らには聴こえてなかったか。女の歌声が頭に直接な。音じゃない念みたいなものかね。それを聴いたら体が自由を奪われた」

 

「電気ショックは効いてたの?」

 

「それは効いた。それから歌声の影響は受けなくなったが、誘い込むために催眠状態のフリをしてた」

 

「それで炸裂弾と閃光弾を? 君も大概、出費を惜しまない人間になってくれたね。武偵弾の請求を君に出してあげようか?」

 

 その報告で確認が取れたのは、オレにしか聴こえなかった歌声は『対象を取る』タイプのもので、無差別に効くものではないこと。

 それと切羽詰まってたから忘れてたが、武偵弾が高価だったこと。請求されたら死ねる。

 ただそれを表情に出すと本当に請求されるのでポーカーフェイスで屁理屈として「オレに預けた時点で使用権はオレにあった」と言ってみせると、オレの嫌そうな顔がお望みだった羽鳥はつまらなそうに「仕方ないね」と引き下がった。危なかったぁ……

 

「ねぇ、話をするのはいいけど、それってここじゃなきゃできない? 暗いから捗るものも捗らない気がするんだけど」

 

「「いや、やることはある」」

 

「な、なによ……」

 

 個人的な危機を脱して着替えも終えるところで、車からペンライトを持ってきたヴィッキーがオレと羽鳥の顔を照らしながらにまともな意見を述べてくるが、嫌なことにここでも羽鳥と意見が被りヴィッキーもそれにはちょっとビックリする。

 もちろんここで今夜のうちにやっておくべきことは1つしか思いつかないが、羽鳥は違うと信じて先に言わせると、ヴィッキーからペンライトを借りた羽鳥は適当な漂着物を拾い上げて、オレが着ていた服を絞り、その上からデンマーク語、英語、ドイツ語、スウェーデン語、ノルウェー語で同じ内容の文を書き上げて漂着物にくくりつけ即席の看板を作った。

 

「これらの言語が通じるかどうかはさておき、とりあえず私が今夜のうちにやっておくことはこれだけだ」

 

「お前って何ヵ国語出来るんだよ」

 

「まさか。こうなることを想定して事前に用意していただけだよ。いざデンマーク語やスウェーデン語で話されてもわからないよ」

 

 作った看板を砂浜に突き立てながらにオレの呆れ気味の質問を笑いながら返した羽鳥は、どうやらこの展開も想定していたようで無駄がない。

 そしてオレもオレで悲しいことにやろうとしていたこと自体は同じだったから、流れるように「さぁ君は何をするのかな?」とターンを回してきた羽鳥に舌打ちして車へと戻るしかなかった。殴りてぇ。

 その帰りの車の中でも話は続け、さっきの看板に何を書いたのか推測の域を出ないヴィッキーがオレに尋ねてくるが、そこは羽鳥に聞いてくれと思わなくもない。

 

「オレと羽鳥がやろうとしたことが同じならだが、あれには待ち合わせ時間でも書いたんじゃないか?」

 

「ふーん。そんなのでホイホイ出てきたら苦労はないと思うけど?」

 

「出てくるさ。むしろ出てこずにはいられないよ。こちらにはすでにカードがあるからね」

 

「カード? えーっと……どんな?」

 

「ヴィッキー……もう少し頑張れよ。さっきの出来事。あの結果でどう状況が変わった?」

 

「状況…………ああそういう。2人とも頭の回転が早いのね。それにあそこで気づいてたわけでしょ」

 

 これがヴィッキーなりの話を円滑に進めるための演技なら良かったが、割とマジでわかってないっぽいからヒントを与えたら、ようやく理解してくれてひと安心。

 仮にもAランクの武偵だから躓かれても困るが、さっきの出来事でこれまでと変わった1つの事実。

 それは『神隠し事件が現実に起きうること』が証明されたことだ。

 方法はこの際後回しでいいが、あくまで噂話や伝説でしかなかったことが事実として公表されれば、たちまち話題は拡散してこのレス島の周辺は徹底的に調査が行われることになる。

 そうなればいくら人魚、かはまだわからないが、この周辺に隠れ潜む存在が明るみに出るのも時間の問題。

 そういうことに頭が回らないアホならとっくの昔に見つかっているはずなので、その知恵がある大前提で羽鳥はあの看板に待ち合わせの時間と、おそらくはカードと称したちょっとした脅しをやんわりと混ぜているはず。

 

「『君達と事を荒立てるつもりはない。話がしたいだけで、その内容によっては君達の存在も秘匿することを約束する』。そんなことを書いてはみたけど、交渉の際はまず君だけが行ってくれ。複数人がいきなり行けば警戒が増すはずだ」

 

「何が出てくるかもわからないのにまた餌をやれと? 鬼だなお前」

 

「じゃあさっきの武偵弾……」

 

「時間はいつだ」

 

「フフッ。明日の午前0時」

 

 今のご時世。引っ越しなども衛生写真なんかに写り込む可能性は否定できないし、事前の備えなしに移動するのはリスクを伴う。

 それならその場に留まれる選択があればそちらを選ぶはず。バンシーもかつて何者かに接触されたようなことを言っていて、未だにここにいるなら交渉の余地があるはずなのだ。

 そこまで頭が回ってそういうメッセージを残してきた羽鳥なら、すでに交渉で引き出すべき事も考え始めているだろうが、オレもオレで交渉に当たってのリスクも考えておく。

 向こうにとって手っ取り早いのはもちろん、オレ達が死ぬことだからな。

 

 ホテルに戻ってからオレがシャワーで海水やらを落として上がる間に、羽鳥とヴィッキーが明日の連係の打ち合わせをしていて、そこにオレが加わるとあからさまに嫌な顔をした羽鳥は無視。

 まずはオレの殺されるリスクを下げる意味でもヴィッキーには交渉への参加は控えてもらい、可能なら羽鳥が同行する流れを作る。

 それでオレ達を殺しても外に情報を漏らす存在がいる状況で交渉に持ち込みやすくなる。

 次に交渉の際に向こうが何を指定してくるかの推測と対策になるが、こればかりは甘んじて乗るしかない部分が多くなるだろうな。

 それらの共通認識が為されながら、オレが咄嗟に投げた閃光弾の炸裂中の写真をちゃんと撮っていた羽鳥がテレビに繋げて連写していたものを画面にスライドで順番に表示。

 さすが武偵弾という威力の閃光弾のせいでかなり広範囲が光で見えなかったが、距離もあったからか発生地点から離れた位置は強い照明を当てられた程度の鮮明さを保っていた。

 オレの姿も写り込んでいるのが確認できたので、その辺りを拡大表示して数枚を見比べてみて違和感を探す。

 

「……ここと、ここ。2ヵ所だな」

 

「大きさはわからないか。これがイルカサイズとかならウェイトでも勝てなくなるけど」

 

「アンタ達って本来するべきリアクションしないから困惑するんだけど……」

 

 その中にはハッキリとではないが、オレのすぐ近くの海面付近に何かの影が沈み込むのと、奥の離れ小島の付近で波とは違う水しぶきが発生している変化が見られた。

 大きさは人サイズと同等かそれ以上な可能性が高いが、断定するには材料が少ない。

 そうして冷静な分析をするオレと羽鳥が人魚らしきものを普通に受け入れていることに、まだ普通の枠にいたいらしいヴィッキーがツッコミを入れてくるものの、その段階はもう過ぎているためにヴィッキーの反応が逆に新鮮に思えてしまう。

 いやぁ、オレもこんな現実を普通に受け入れる人間にはなりたくなかったよ? でも仕方ないじゃん。オレの意思とは無関係に向こうが関わってきたんだから。

 

「……小娘どもという発言から複数体の活動は推測していたが、人を選別していそうなところを見るに、誰彼構わずに襲ってくるわけでもないんだろうね」

 

「何かしらの条件が満たされないとあの歌が聴こえないのかもしれないな。肉声じゃない、羽鳥とヴィッキーには聴こえなかったことから、今のところは距離的な問題くらいしか予測できないが」

 

「精神的な問題の可能性もあるね。病は気からと言うように、その聴こえた歌とやらも精神的に付け入る隙が必要なのかもしれない」

 

「精神的にって、それってもしかしてキョーヤ。連日で私にフラれて演技でも傷ついてたり?」

 

「…………役になりきるってそういうことなんじゃないのか……」

 

 ヴィッキーにも早くこっちの側に来てもらうことを願いつつ話は淡々と進み、先ほどの催眠術みたいな歌への対策も考え始めて、距離問題は最有力ながら羽鳥が言う精神状態によるかもしれない推測でマズい反応をしてしまった。

 演技とはいえ美人のヴィッキーを口説き続けてフラれることを繰り返して、男として少しでも傷つくことの何が悪いというのか。

 いや、決して傷ついたなどということもなきにしもあらず程度なのだが、口から出た言葉があれなせいで羽鳥からは「へぇ、君が傷心ねぇ」などと笑われ、ヴィッキーには「キョーヤは普通にしてればイケメンだから大丈夫よ」と謎の励ましを受けることに。

 だから別に傷ついたとかないんだよ!

 

「……その辺も考慮するとして、またあの歌が聴こえたらその時点でさようならだ。ヴィッキーには目視できる距離からの観測はさせない方が良いだろうな」

 

「最悪、ヴィッキーにはこのホテルに待機してもらうことにもなるが、向こうもこちらが対策しないなどと思ってはいないだろうし、口封じ目的で強行な手段はないと信じたいね。何にしても向こうには身を隠す場所が確実にあるから、明日はそこに招かれてしまう可能性を前提にした方がいい」

 

「そうなる時は時間くらい指定して戻ってきてよね。戻って来られなかったら情報を漏らすくらいの脅しは必要でしょ」

 

「確かにな。もしも行った先がこっちと時間の流れが違ったりして、戻ってきたら10年後だったとか笑えないし」

 

「日本の浦島太郎みたいな話かい? まぁ相手が相手だし、そこは考慮すべきところかもね」

 

 ムキになると余計な笑いを与えるのはわかりきってるから心に留めたツッコミはあとで寝る前に枕でも殴って発散するとして、大人になったオレからいくつかのケースを想定した対応の話が真面目に繰り広げられる。

 その中には想定するべきか真面目に対応を考えるべきかなことまであったものの、常に最悪を想定したシミュレートはいざという時に「あの想定よりマシだ」と思える精神的な余裕にも繋がるので無駄では決してない。

 まぁ人外の相手だとその想定をいつも上回る最悪がついて回るから「あの想定より酷いじゃねぇか!」ってなる可能性も十分にあるが、それはそれで開き直ることもできるので悪いことではない。展開としては悪いことだけど。

 

「問題はまだあるけど、その辺はいま考えても仕方のないことかもしれないね。それから日程的に私も猶予はない。明日の交渉の結果に関わらず、もう一方の件は君とヴィッキーに任せることになるが、何か問題はあるかい?」

 

「お前の危惧する問題ってやつがどのくらい先を見据えたものかによるが、この件を終えて言わないとかあると問題だろうな」

 

「荒事になるなら私はパスしたいなぁ。アンタ達と違って私はか弱い女の子だし」

 

「セクハラしようとしたマルボシをキックボクシングで半殺しにしたとか噂で聞いたことあるけど、それでか弱い女の子ねぇ」

 

「素人相手とでは勝手は違うだろう。ヴィッキーには選択の自由はあるから好きにしてくれて構わないよ。君は他に予定があろうとやれ」

 

 しかし夜ももう遅いとあって、夜型の羽鳥の調子が上がってくるのに反比例して、基本はノーマルサイクルのオレとヴィッキーが思考を落とし始めたのを察して、羽鳥が話を切り上げにきた。

 羽鳥は朝に寝て昼過ぎに起きるので、3人での話し合いは夕方頃がベストと判断しつつ、寝られるとあって嬉しそうなヴィッキーのか弱いアピールには苦言を呈して見送り、これから何かするっぽい羽鳥も出ていくならさっさとしろと目で訴えてきたので、お望み通りに羽鳥の部屋を出て今夜の出来事を整理してから就寝していった。

 

 翌日の夕方。

 オレとヴィッキーが起きた頃に寝た羽鳥が頭を覚醒させるまで待ってから始めた今夜のための作戦会議は、一晩寝かせたおかげで色々と可能性や対策が飛び交い、割と有意義なものにはなった。

 食べられそうになったらオレが犠牲になるというところ以外は概ねで合意して、最後の晩餐とならないためにあえて質素な夕食で済ませた後は、出すことにはならないようにするが各武装の整備に時間を使う。

 要は暇だったんだが、羽鳥は羽鳥で次の仕事の話でどこかに連絡したりとマジで休暇返上のブラック就業で動いていた。

 それには同じリバティー・メイソンのヴィッキーが信じられないとオレに漏らしていたが、オレもこいつの仕事熱心には恐怖すら覚えるね。

 まぁ動いていないと血の呪いが体を蝕んだりとあるのかもしれないが、単に働くのが好きな部類かもしれないな。そんな顔はしたこともないが。

 

「さて、では行くとしようか。ん? 何だいその顔は?」

 

「いや。リバティー・メイソンが頭を抱えるのがわかるなぁと思ってな」

 

「アンタが休まないからキョーヤのリバティー・メイソンへのイメージが悪いのよ」

 

「休む? ちゃんと休んでいるじゃないか。今朝だって5時間も寝たんだけどね」

 

「「そういう意味じゃない」」

 

 絶対にわかっててあえて言ってるのだが、ツッコまざるを得ないとぼけ具合にオレとヴィッキーは口を揃えてツッコミを入れてしまう。

 こいつが特殊なのはわかっている。わかってはいるが、オレもリバティー・メイソンに入ったらこうなるかもしれない可能性があると、やはり勧誘は断固として拒否させてもらう。自由が欲しい!

 そうやってオレとヴィッキーをからかってひと笑いしてから車を出しにホテルを出ていった羽鳥に呆れながらも、今はやることをしっかりとやろうと切り替えてオレとヴィッキーもホテルを出て車へと乗り込み、人魚の待つ南の海岸へと足を運んでいった。

 

「鬼が出るか蛇が出るか」

 

「そこは人魚であってほしいね」

 

 ヴィッキーと車を海岸よりも離れた位置で待機させて歩いて海岸まで来たオレと羽鳥は、昨夜に取り付けた簡易の看板に何か変化はないかを確認しつつ、指定した時間まであと3分と迫ったことも確認。

 看板はいくつかの言語で同じことを書いていたのだが、いま見ると英語だけが器用に残されて他の言語はインクを落とされてしまっていた。

 これは向こうからの返答で英語でなら会話可能というサインだと思われる。

 とりあえず言語は通じそうなのでそこをクリアしたことに少し安堵し、約束の深夜0時になるのを警戒しながら待ち、鐘などの音もなく静かに迎えた深夜0時ジャストに、オレと羽鳥の頭の中へと謎の女性の声が響いてきたのだった。



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Slash13

 

『まったく、面倒な人間に絡まれたものだな』

 

 人魚の存在が確認できそうなところまで踏み込めはしたが、綱渡りな駆け引きをしているのは否めず、そのままの状態で指定した時間にレス島の南の海岸に羽鳥と一緒に行くと、どこからともなく頭の中に直接響いた女の声にオレも羽鳥も顔を見合わせる。

 羽鳥にも聞こえたということは幻聴などではなく現実に起きてることと認識し、かなり大人びた感じで気の強そうなその声は英語で喋ってはいたが、オレよりも拙さを覚えるくらいのものだった。

 そこに謎の親近感が湧いたのも一瞬で、言葉の後にはオレと羽鳥の近くの海面に人が1人すっぽりと入れる程度の渦潮が静かに発生し、それが明らかに自然なものではないと確信しながらどうすべきかと思考。

 

『そこに入れ』

 

 意味がある渦潮ならといくらか思いつく手前でまた女の声が頭に響いて、どんなものかもわからないあの渦潮に飛び込めとか怖いことを言ってくる。

 真夜中の海に発生した底も見えない渦潮に飛び込むとかマジで怖すぎて鳥肌モノだったが、隣に立つアホがいきなり懐から拳銃を抜いてオレの後頭部にあてがうという暴挙に出てくる。

 

「行きたまえよ、モルモット君」

 

「オレに味方はいないのか」

 

「何を言ってるんだい。君の『能力』を信頼してやっている。早く行きたまえ」

 

 こいつがやることはいつも突飛で説明もないから困るが、そうやってオレが先に行くことで『死の回避』が発動するかどうかを1つの判断基準にしようとしているのだ。

 この渦潮に即死性の何かがあれば、オレの体は渦潮に飛び込むことを全力で拒絶するはずで、それがなければとりあえずの即死は免れられるというわけだ。

 どうせ撃たれても勝手に避けてしまうだろうが、人としても見てない羽鳥のオレの扱いには無事に戻ったら猛抗議してリバティー・メイソンに損害賠償を求めるとして、腰の辺りにまで浸かるところで発生していた渦潮の前まで来てから、真っ暗でほとんど何も見えないその中に入ろうと身を乗り出す。

 死の回避の発動は確認できず、直前でピタリと止まって羽鳥に振り返り問題なさそうなことをアイコンタクトすると、安心した羽鳥がにこやかな笑顔で拳銃を仕舞ってから「ならさっさと行きたまえ」とオレの尻を蹴って前に押し出しやがった。

 それに備えなしだったオレは頭から渦潮に突っ込んでしまって、反射的に目をつむった状態で渦潮に流される。

 だが渦潮には不思議な超能力が働いているのか、渦巻く水の影響を受けることなくウォータースライダーを滑るように渦潮の中を移動していき、真っ暗な渦潮のトンネルをかなりのスピードで通り抜けて放り出されたのは、どこともわからない空洞空間。

 しかし渦潮はその出口がほとんど真上の方向に設定されていたのか、勢いで空洞空間の天井付近に投げ出されて、10m近い高さから今度はゴツゴツした岩場に叩きつけられる事態が発生。

 

「って、おいおい!」

 

 とんだ欠陥アトラクションだなと悪態をつく間もなく対応に追われたオレは、右腕のミズチからアンカーを天井に発射して取り付けて岩場への激突を天井からぶら下がることで回避。

 岩場から3m程度の高さでぶら下がっていたら、同じように投げ出された羽鳥が落ちてきたので、蹴ってやろうかと思ったが50%は優しさで出来ているオレは仕方なく落下してきた羽鳥の腕を掴んで勢いを殺してから岩場に下ろし、アンカーが自然に取れたところで巻き取りつつ着地。

 

「少し暗いね。空間の全容が見えない」

 

「ここがどこかって疑問は後回しか」

 

 助けてやったのにお礼の1つもなしに平然とこの場所の考察に入っていった羽鳥が気になるが、別にオレが助けなくても自分でどうにかできたとか思ってるんだろうし、オレもツッコミは入れずに懐から自前の閃光弾を投げ放って辿り着いた空間の把握にかかる。

 炸裂した閃光によってこの空間が幅20m。奥行き30m。高さ10m程度の狭めの空間であることはわかり、オレ達が出てきた海面は空間の端に池のように佇んでいた。

 

「察するにここは、レス島の南の小さな浮き島の下の空洞空間かな。移動の際にざっと速度と距離と方向を測った程度ではあるけど、潮の満ち引きで海面が上下するんだろうね。酸素もあるなら天井に小さいながら外気を取り入れる穴もあるはずだよ」

 

「まともな出口はそこの穴だけってことか。実質的に閉じ込められたわけだ」

 

「言い方が悪いね。私達が彼女らに招かれたと解釈すべきだよ。何事にも敬意は見せないと痛い目を見る」

 

 羽鳥の推測ではここは魔界とかの異世界ではないとのことだが、どのくらい進めば出られるかわからない穴から脱出するのは冒険になるので、そこしか出入りができなさそうなここはほとんど密閉空間と言っていいだろうな。

 そんな空間にオレと羽鳥を招き入れたからには、向こうにも半端なことはしないという明確な意思があると判断できるし『どうやってここに来たか』を不明なままにされているのも上手い。

 

『さて、お前達をどうしてくれようか』

 

 これなら今まで人魚伝説が伝説止まりなのもいくらか納得がいくことかもなと考えていたら、またも女の声が頭に響いて身構えると、オレ達が出てきた海面からガバッと何かが出てきて、傍の岩場にその体を乗り上げさせる。

 それが連続して3回ほど起こるが、暗がりで何かハッキリとしないため羽鳥が温存すべきと使わずにいたペンライトを点けて海面の方に光を向ける。

 するとそこにはオレが想像する通りの姿があって、さすがに慣れてはいても驚きで言葉を失ってしまう。

 人間と同じのような上半身に巨大な魚の下半身を備えた女性。

 その幻想的な姿はまさしく伝説の人魚そのものではあったが、貝殻の胸当てとかそういうところまで幻想的かと言うとそんなこともなく、3人もいた人魚達は全員が人間から盗みでもしたのかTシャツやらビキニを着用して体の局所を隠していた。

 長い金髪のロング、ウェーブのかかった金髪ロング、黒髪のポニーテールと三者三様の髪型にも、いくらかアクセントとして人が作ったような髪飾りが取り付けられている。

 よく見ると着ている服や髪が全く濡れていないのもわかったが、そういうものなのかととりあえずは無視。

 誰が序列で上かや、頭に響いた声の主が誰かさえもわからないが、直前に響いた声に不穏な気配もあったのでまずは交戦の意思がないと見せるために羽鳥と一緒に膝をついて頭を下げる。

 

「昨夜の我々の無礼な振る舞いに対して怒りがおありならば謝罪します。ですが我々の目的はお伝えした通り、あなた方を白日のもとに晒すことにはありません。いくつかのお話をうかがえれば、すぐに引き上げる所存です」

 

 こういうことを言わせると弁が立つ羽鳥がスラスラと用意していたような言葉で向こうの警戒心を解きにかかり、オレも余計なことをして事態をややこしくしないように黙っておく。

 すると言葉だけではやはり警戒は解いてはくれないか、代表するように金髪ロングの人魚が話の前にとオレと羽鳥に肉声で警告をしてくる。

 

「お前達は今から話が終わるまでその場から1歩たりとも動くことを許しません。それが破られた時には即座にその命を奪います」

 

「一応、外にはオレ達の仲間が待機して……」

 

「了解した。ただ姿勢だけは少し楽なものへとさせてもらいたい。要らぬところで動いたと見なされるのは不本意なので」

 

 頭に響いた声と全く同じ声だったので金髪ロングの人魚が3人の代表と判断しつつ、約束を違えたらオレと羽鳥を躊躇なく殺すことを宣言され、さすがに簡単に殺されるのは嫌だとこっちも用意していたカードを切りにいく。

 しかしそれを羽鳥が制して丸呑みしてしまい、姿勢を崩す要求が通ったことでその場に楽な姿勢で座ることはできたが、何故止められたのか。これでは相手に主導権が一方的に渡ってしまう。

 

「ペースは私が作る。君はない頭をフル回転させておけ」

 

 それでは引き出せる話も信憑性が失われることになりかねないが、考えがあって制止した羽鳥はそうはさせない算段があるみたいだな。

 まぁカードっていうのは取っておく方が良い場合が多いから、オレもオレで展開を見ながら動きを変えるしかない。

 羽鳥のやつがあまりに逸脱した行動をしなければ問題はないはずだ。

 

「まずはそうだね。お互いに自己紹介でも……」

 

「お前たち人間に興味はない。だが我らを呼称するならば話に支障はあろう。我らはセイレーネス。人間からは人魚などと呼ばれているが、この尾は本来あるべき姿ではない。故に我らは人魚ではない」

 

「……なるほど。ではセイレーネス。あなた方それぞれに呼称は?」

 

「私がテレース。こちらがライドネーとモルペー。言った順番に人間が言うところの姉妹になるわね」

 

 話を始める前に向こうの呼称を定めようと順当な運びをすると、意外にも目の前の人魚は人魚ではないらしく、だったら何なんだといきなり疑問が口から出そうになった。

 だがこっちが抱えてる問題はそこではないので、羽鳥も目の前のセイレーネスという種族? らしき括りの3人から個別の名称を聞き出す。

 それによれば話をしている金髪ロングの女、テレースが長女。ウェーブのかかった金髪ロングの女が次女で、黒髪ロング女が三女ってことみたいだ。

 言い方からすると彼女達には姉妹とかの関係性は簡単には結びつけられない何かがあるのかもしれないが、それも今は気にするだけ無駄なので呼称も決まったところで主導権はないまま羽鳥が進行する。

 

「ではテレース。これからいくつか尋ねるけど、答えたくないことには答えなくても構わない。だからといってこちらも収穫なしでは困ってしまう。なので出来る限りの協力を頼みたい」

 

「殊勝な態度だな人間。陸に残してきたであろう仲間を守ろうとしたか。はたまた我らの力を見抜いたか。どちらかな」

 

「女性に隠し事はしない主義なだけさ」

 

 羽鳥にしてはかなり頭の低い姿勢で話してはいたが、その理由について勘繰るテレースもまた侮れない。

 どうやら最初から他の協力者の存在には気付いていて、オレが出しかけたカードは悪手になりかねないことだったことがわかる。

 それにいち早く気づいていたっぽい羽鳥はいつもの調子ではぐらかしてみせ、未知の能力を匂わせた相手に不敵な笑みを浮かべる。

 

「ただそうだね。あなた方がそうして我々を拘束する時間が多ければ多いほど自分の首を絞めることにはなるね。確かに陸には我々の仲間が待機してはいるが、仮にあなた方の力とやらで仲間を消される事態になっても、我々にしか解除できない装置が時限式で作動中だ。それが発動すれば、このレス島周辺に人の手を入れるよう指示を出すメッセージが重要な機関に送られる。つまり──」

 

「……お前達を殺してしまえば、我々は住処を失い、このまま拘束しても同じというわけか。だから人間は嫌いなのだ」

 

 そんな装置を作動させた記憶は全くありませんがね。

 と、口からでまかせを言ったであろう羽鳥の命がけの胆力には恐れ入るが、オレがそんなことを思ってもセイレーネスの3人は余裕を崩したので、別に思考を読み取れるといった超能力があるわけではなさそうだな。

 これがジーサードの仲間のロカ相手ならオレが戦犯になるし損な役回りだが、こうやってオレが試すことで羽鳥の言動に信憑性を持たせることには繋がる。

 仮に思考を読まれていたとしても羽鳥はオレが疑われることは痛くも痒くもなく切り返せるからな。酷い話だが。

 

「状況が理解できたところで話を始めましょう。先にお伝えしましたが、我々は話がしたいだけなのですから」

 

「我らに関することには極力ではあるが伏せるぞ。それでも良いのなら尋ねるといい」

 

 心臓に悪い綱渡りにはどうにか成功し、立場もほぼ対等となったのは素直に驚きで、知能も高いセイレーネスには細心の注意は必要だが、これでやっとスタートライン。

 オレ個人としては昨夜の催眠術みたいな超能力についての情報くらいは今後の対策として引き出して欲しいところではあったものの、羽鳥の話術でもそう簡単なものではなさそうなので、ここは本来の目的にのみ集中した方が良いだろうな。

 

「我々はあなた方に大いに興味はあります。が、その好奇心は秘めておくとして尋ねましょう。まずはそうですね……我々の調べでは、我々よりも前にあなた方に接触してきた存在が確認できているのですが、その履歴についてはどうでしょうか?」

 

「履歴だと? そんなものが聞きたいことなのか」

 

 羽鳥もオレの内心を代弁するように言葉を紡いで、今回の目的をズバッと直球で尋ねると、聞かれたセイレーネス達は顔を見合って不思議そうにオレ達を見た。

 そりゃそうだ。ここまで手の込んだことをして自分達にあまり関係なさそうなことを聞かれたらそうなる。

 

「生死を問わぬのなら、その数は少し多くはなるが」

 

「我々が知りたい情報はおそらく、あなた方が生かした者になると思います」

 

「ふむ……そうなるとお前達を除けば、60年ほど前に我々に『同志になれ』と接触してきた者達がいた。後にも先にも我々の力で消すことができないと確信したのはあやつらだけだったものだが……」

 

「情報とも符合する時期だね。その接触者について尋ねたい」

 

 人間もそうだが、自分に関係ない話になるとわずかながらに口が緩む。

 その心理はセイレーネスにも通用するのか、口が固そうなイメージとは打って変わって簡単にポロリと情報を吐いてくれる。

 60年前ならバンシーが逃亡していた時期に聞いたという話とも合うので、その接触者がバンシーの追跡者だとほぼ断定して更なる情報の引き出しにかかる。

 直接顔を合わせたなら、もたらされる情報もより確実なものになるしな。

 

「我らを引き入れようとした者達は、3人。グランデュカと名乗る獣人に、ヴァルキュリヤと呼ばれていた女の騎士。ハルピュイアと呼ばれた鳥人だ。見たところ我らと『祖を同じくする者』であるのは間違いないが、我らの言語が通じなかったために話をしたのは人の言語を習得していたグランデュカのみだ」

 

 話し方からしてセイレーネスとしてはその話を断っているっぽいが、接触してきたというやつらはどうやらセイレーネスと同種の人外の存在だったようだ。

 ヴァルキュリヤとかいう女はまだ人の可能性もあるが、テレースが『同族』みたいなことをひとまとめに言ったなら違うんだろう。

 

「話からするとあなた方はその話は断ったようだが、接触者達の目的についても聞いてのことでしょう。彼らは何をしようとしているのか、その手がかりになることは?」

 

「話の内容については我らとしても今のこの状況を変革し得るだけの物を持つことはわかった。賛同する理由も確かにあっただろう。だがそれが我ら3人が同志となる理由にはならなかった。それだけの話だ」

 

「……その目的については話せないってことで良さそうだな」

 

「言ったであろう。我らの力ではどうにもできないほどの力を持つ相手。それに歯向かい報復を受けるようなことはできん。お前達が何故やつらを追っているかは知らんが、我らが与えた情報がやつらを刺激する可能性があるならば、与えられる情報にも限りはあろう?」

 

 それで口も軽くなったし、一気に話が進みそうと思ったのは甘かったか、自分達よりも力のある者には下手に逆らわない弱肉強食のルールがあるみたいだ。

 反感を買わないために出せる情報も限られると言われればその通りだから、オレと羽鳥も接触者達の目的に関しては切り上げるしかないと判断。

 ならばとアプローチを変える羽鳥の話術でどこまで引き出せるか。

 

「では彼ら……グランデュカなる人物達の情報を開示した理由は? 場合によってはそれだけでも報復の対象にはなり得るはずだよ」

 

「やつらは名を明かした程度でどうこうなるほど矮小な存在ではない。そのような詮無きことで同族殺しをしていては、やつらの目的にも反する愚かな行為であろうな」

 

「なるほど。それほど過大な評価をしてなお、彼らに協力しなかったのは……あなた方を取り巻く現状を変革し得る計画に乗らなかったのは、それを強く望んでいなかったからかな」

 

「人間とは愚かで弱い生き物だ。だがその弱い人間が今のこの世界を掌握しつつある事実は、度しがたいものではあるが認めねばなるまい。我らがその煽りを受けて肩身を狭くすることになったことにも憤りはある。だがそれは自然の流れが起こした事象。その流れを我らは否定しない」

 

 なんだか難しい言葉で羽鳥の問いに答えるテレースにオレの理解がなかなか追いつかない。

 言語が英語ということもあるのだが、それにしても言ってることが何やら壮大というかなんというかで、接触者の目的が見えていない現状では真の意味で言ってることを理解できない。

 だがそれでも推測できることはいくつか挙がってきた。

 接触者達の目的の中でセイレーネスを殺すことは理念などに反する行為であることから、彼女らのような存在を生かそうというのが計画の中には存在している可能性がある。

 次に人間中心の世の中についてを解いたテレースに意味があるのなら、今の人間が蔓延るこの時代に対する何らかの変化が接触者達の計画ということになるかもしれないな。

 ただその時代の流れは誰かが意図として作り上げたものではなく、いわゆる天然モノであるなら、セイレーネスはそれを黙って受け入れることを選び、協力しなかったってことか。

 まぁまだ確定ではないが、イギリスの黄金を盗んで資金源にしているかもしれない組織がやることなら、それくらいの規模でなければ納得しづらいことではあるかもしれん。

 

「つまりあなた方は『起きた事象は受け入れること』をよしとすると。ならば遠からず彼らが進める計画とやらが遂げられて変革した世界もまた黙って受け入れると?」

 

「それらは大きな流れの中で選択・淘汰され、生き残った流れが本流となるのと同義。故に我らはどのような世界になろうと、それが世界が望んだ姿ならば受け入れるだろう」

 

「正論だね。そこに人為的であったりは関係ないか。では時間もそろそろ危うくなりそうだから、最後にこれだけは聞いておこう。その接触者達は自分達を1つの括り……組織として表す名前を持っていたはず。それは何だったかな?」

 

 どうあれ自分達は時代の流れにただ従うだけだと言うセイレーネスは、現状ではオレ達にとって何か問題があるわけでは全くない。

 傍観者を決め込んでくれるならそれでいいだろうと時間を確認した羽鳥は、ここらが引き際かと話を締めに入り、一番重要なことを最後に尋ねる。

 するとテレースがこれからそいつらと敵対するのかもしれないオレと羽鳥の無謀さを笑ったか、小さな笑みを顔に浮かべてから、やってみろと言わんばかりに答えてくれた。

 

「やつらは自分達をこう名乗っていたはずだ。そう、『N』とな」



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Slash14

 

「そうですか。やはり人魚と伝えられている生物は実在していましたか」

 

「本人達が言うには人魚じゃないってことなんだがな」

 

 5月19日、水曜日。

 セイレーネスとの対話を完遂し、無事にロンドンへと戻ってきたオレは、とりあえずの成果の報告のために朝早くからメヌエットの家を訪れて、まだ少し眠そうで完全に支度も出来ていなかったメヌエットの髪を梳かしながら会話。

 その間に朝食を摂りつつのメヌエットは寝起きとあって普段の毒も吐かずに淡々と話をしてくれて助かる。普段からこうなら良いのに。

 

「そのセイレーネスという者達に接触したきたという『N』なる組織。その名は私も噂には聞いたことがあります」

 

「イ・ウーみたいな感じか?」

 

「広義ではそうなるでしょうが、組織として見た場合はより過激な方向性と言えるでしょうね」

 

 そのセイレーネスから引き出せた接触者達の組織、Nは、名を聞いた羽鳥も何やら知ってそうな気配は出していたし、すでにどこかで世界に影響の及ぶ活動はしていると見ていた。

 羽鳥は羽鳥で無事に帰還した後はリバティー・メイソンに何かの文書を送りつけて別の仕事に行ってしまい、Nについてはメヌエットが知ってるだろうと割と丸投げして消えていった。

 ひねくれ者のメヌエットから何か1つ引き出すだけでどれほどの苦労があるかもわかっててやってる意地悪だが、生憎とこっちには黄金消失事件に関しての共同戦線があるから問題ないのだ。ざまぁみろ。

 という顔を空港を発つ直前の羽鳥の背中にしてやったのも昨日のことで、朝食と呼べるのか不明な苺オンリーな朝食を食べ終えたメヌエットは、同時に髪を梳かし終えたオレにお礼を言ってから、自室を出て仕事部屋の方に移動。

 

「Nは自分達の力で世界を思うように操り、規模や影響はまだ小さく少ないながらも各地で起きる暴動や紛争に介入しているようです。或いはそれらの事象を引き起こす火種を蒔いている。少なくとも私の推理では、その動きは洗練され無駄がない」

 

「……組織にシャーロックみたいなズバ抜けた頭脳(ブレイン)がいる?」

 

「それ以上の、と考えておく方が精神衛生上は開き直れるかと」

 

 頭も働いてきたメヌエットは、現状で知っているNの情報をオレに教えてくれるが、話を聞くだけでも嫌になりそうだ。

 あの予言に近い推理『条理予知(コグニス)』を有するシャーロックをも越える頭脳がいる組織なら、そうそう尻尾も出さないはず。

 

「ともあれ黄金の消失にNが関わっている可能性が高くなった以上は、選択肢は1つしかありません。より多くの情報を手に入れるために、京夜にはすぐ発ってもらいますよ」

 

「次はどこだっけ? スペイン? 東へ南へ忙しいですなぁ……」

 

「不満があるのですか? それとも京夜は私といられる時間が短くて不貞腐れているのかしら?」

 

「それはメヌの方ではありませんか……ね……」

 

 たとえ尻尾を出したとしても、その尻尾を掴むことすら難しいかもしれないなら、現状ではNについての情報を収集するしかない。

 それでNの構成員。出来れば幹部クラスを捕らえられれば、黄金の行方もわかるかもしれない。

 そのために次なる目的地をメヌエットに示されるが、5月に入ってからのオレの移動距離が半端なくてため息が出そうになる。

 移動費だけでもかなり痛いから、その辺でメヌエットに泣きつこうかなとか思ってたら、オレの表情を察したメヌエットがすかさずからかいにきたから困りもの。

 この際だから泣きつく口実にでもしようかと話題を広げにいったのだが、そこにオレの携帯が通話の着信を知らせてきてしまい、メヌエットとの会話中にこれは非常に機嫌を損ねる原因だ。

 見ればメヌエットも携帯を取り出したオレにジト目を向けて「どうぞお出になったら?」とすでに機嫌が良くない方向に行き始めてる。胃が痛い……

 仕方ないから着信が誰かを確認するが、この胃痛の原因は誰であろうと許すまじ!

 そんな気持ちで表示を見てみると、登録されてる人物だったのでバッチリ名前が。表示は……理子だよもう……

 

「……はい」

 

『出るのおっそーい! 国際線なんだから早く出ないと通話料お高くなるしぃ!』

 

「それはかけてきた人の都合だ……な!?」

 

 面倒な時に面倒なやつからの電話でもう気が狂いそうになりながら通話に応じてみれば、なんだかんだで電話とはいえ元気そうな理子の声を聞いて少し嬉しくなってしまったオレがそれをわずかに表情に出すと、メヌエットがギラリと目を光らせて睨みを効かせてくる。こ、怖ぇ……

 

『およ? 変な声出してどしたの? あっ! 久々に理子りんの可愛い声が聞けて声が弾んじゃったとか? キャハッ!』

 

「……それでいいけど、用はなんだよ。今は取り込み中だから長々と付き合ってやれん」

 

『…………女だな、京夜』

 

 キモッ! 勘とかそんな次元じゃねぇよこれ!

 目の前でも携帯越しでも女が眼光鋭くて蛇に睨まれた蛙な状態のオレが、どっちの機嫌を取るべきか一瞬で考え、すぐにどっちもやらなきゃダメなことに気づく。

 まだ間に合う。女とはいえメヌエットは別にビジネスパートナーとして話をしてるのであって、プライベートで仲良く話をしていたわけじゃない。今日はな!

 そしてあと10秒でも長引かせればメヌエットが携帯を取り上げて理子と言葉の戦争を起こしかねない! 急げオレ!

 

「女は女だが、仕事の話の最中なんだ。それをどうこう言う資格はお前にないだろ」

 

「あら、仕事のお話ならすでにほぼ終了しているでしょう、京夜」

 

『へぇ。名前で呼ばれちゃうくらい仲良いんだぁ。可愛い声だったしぃ。へぇへぇ』

 

「うん。もう切る。面倒臭い」

 

 まずは理子を鎮静化させようと仕事を理由に切り抜けようとしたのだが、そのビジネスライクな物言いに友人としてのメヌエットが大変にご機嫌を損ねたのか、わざわざ理子に聞こえる声で割り込んでくる。

 それで理子もまたズンと重い何かを言葉に込めてトーンが下がり、オレのどうにかしようという気持ちさえも汲んでくれない2人に思考停止。

 完全にどうでもよくなって死んだ目で通話を切ろうとした。

 ただこういうオレが諦める態度をすると不思議と効果があることが多く、切られて困る理子の方が「にゃあ! お待ちになって!」とふざけてるのか真面目なのかわからない慌て方で引き止めにきて、切ると思っていたメヌエットはその叫びが聞こえたか切るのを留まったオレに再びジト目。

 

「慌てるくらいなら最初から面倒臭い絡みするなよ。んで、用件は何だ?」

 

『久々にキョーやんの声聞いたからテンション上がっちゃったの。それくらい許してよぉ。そんで用件なんだけど、理子とアリアね、去年の修学旅行Ⅰ(キャラバン・ワン)を呉に行ってすっぽかしたから、今回の修学旅行Ⅲが前乗りになったの。アリアはキーくんに会いに行くってイタリアの方にまず行くんだけど、この前メールした通りロンドンに行ってもいいのかなぁって』

 

「行けばいいだろ。オレの所在が関係あるのか?」

 

『あるよぉ! 理子はキョーやんに会いに行くための修学旅行Ⅲだと思ってるんだもん!』

 

 それは修学旅行Ⅲの取り組みとしての捉え方を間違ってるな。目的が公私混同すぎる。

 確かに5月の始め頃に修学旅行Ⅲについてのメールは届いていて、ロンドンに来るみたいなことは報告していたが、それにオレの都合を含めるのはいかがなものか。

 まぁイ・ウー時代に海外での活動もそれなりにしていたっぽい理子が今さらヨーロッパで必死こいて何かする必要はないんだろうな。隠れ家もいくつかの国に所有してるとか言ってたし。

 そういうところで無駄に優秀な理子だからオレも強くは言わないものの、ここでふと思いつく。

 

「なぁ理子。スペインって土地勘ある?」

 

『ほえ? んー、マドリードくらいなら行ったことあるけど、地図なしにウロウロ出来るほどじゃないよ。それがどうしたの? まさかこれからスペイン入りっすか』

 

「そのまさかだ。観光気分のところ悪いが、オレに会いに来るなら必然として仕事を手伝うことになるから、そのつもりでストーカーしろよ」

 

『ストーカーとかどいひー。でもまぁ、キョーやんなしで修学旅行Ⅲは楽しめそうにないし、時間余ったらデートしてよね』

 

「それが報酬代わりだって言うなら取引成立だな」

 

 どうせ何を言ったってオレのいるところに来るのはやめないだろうし、スペインに行くことを黙ってすれ違いをしたら呪いの電話が止まなそうなことは把握。

 それならもういっそのこと、スペインでの調査を手伝わせてしまおうと思いつき進めてみれば、普通にまとまってしまい拍子抜け。

 詳しい行き先などは後でメールしてと言って通話を切っていった理子は機嫌も良さそうだったからあっちは問題なく解決したと見て良いが、もう1つの問題はそうもいかなそう。

 

「理子というのは、以前に見せていただいた東京武偵高のセーラー服の参考画像に写っていた童顔の金髪女ですね。京夜に好意を寄せていることはわかっていましたが、なかなかオープンな方のようで」

 

「自分に正直なやつだからな」

 

「デートもするようですし、早くスペインに発ってはいかがですか? 私との会話など仕事の関係でしかないから、つまらないのでしょうし」

 

「あからさまに不貞腐れてるな。言葉は悪かったかもだが、オレはメヌとの会話をつまらないなんて思ったことないぞ。っていうかつまらないとか思う暇がないくらい毒吐くし」

 

「それは京夜が私の機嫌を損ねることばかりするからではありませんか?」

 

「女の子って何が地雷スイッチかわかりにくいんだよ。そういうスイッチを見えるようにする超能力ってないものかね。見えれば絶対踏まない自信がある」

 

「見えていて踏むような方はただのおバカさんではないかと」

 

 別にオレと理子の関係に嫉妬してるというわけではないのだろうが、自分以外の人と流れるように会話する姿が友人1号として気に食わなかったらしい。

 オレの交友関係に偏見もあるメヌエットは普段からオレが人と話すことすら珍しいみたいな人間だと思っているっぽい。

 そんな極端な性格してるわけがないのだが、そういうイメージがあるからメヌエット的には面白くないらしいので、メヌエットとの会話は少し特別だとやんわりと言いつつ、微妙に話題をスライドさせて下らない話にすり替える。

 そしてそういう機転の利いた話が不思議とメヌエットにハマることがあり、今回も鋭い指摘をしてから小さな笑みを浮かべて「何故このような当たり前のことを言わせるんですか」とノリツッコミしていた。

 

「帰ったら一緒に食事でもしに行こう。外食が嫌ならサシェとエンドラとで何か作るよ」

 

「その時にはお姉様もこちらに顔を出すでしょうから、あまり期待はせずに待っておきましょう」

 

 そうなってしまえばメヌエットも改めて不機嫌になるような労力は働かせないので、簡単な約束を取り付けて話を終わらせてしまう。

 スペインに行くにしてもまだやることがあるので明日にでも発てるように今日は学校は休むかと思っていたら、最後の最後でメヌエットから約束のディナーには理子は呼ばないようにと釘を刺されてしまった。

 問題ない。元より会わせるつもりがなかった。アリアとでさえまだ化学反応を起こすのに、ホームズ4世が2人もいたらリュパン4世は発狂しかねないからな。

 

 メヌエット宅を出てからまっすぐに帰宅して、出発に備えようと色々やることを考えていたら、オレが帰ってきたことを音で判断したバンシーが見えないところでドタバタするから何事かと覗いてみる。

 食費が全くかからないから、デンマークに1週間近くいようが餓死とかの心配がなくて居候としては心配事も少なく楽な部類のバンシーではある。

 しかし留守の間に暇潰しにひたすらテレビを観ていたようで、帰ってきた時にシルキーが見張ってなかったのを良いことに、テレビを点けっぱなしで寝ていた時には拳骨をくれてやったものだ。

 それがつい昨日のことだから、今度は何をやっているのかと少し怖くもあったが、実際に見てみるとまぁそこまで酷いものではなく、拳銃の弾を使って縦に積むという珍妙なことをしていたみたいだ。

 オレの帰宅で集中が乱れたせいで崩れたっぽいが、元から1つも積めてなかっただろうと鼻で笑ってやると、至って真面目に取り組んでいたらしいバンシーはそんなオレを鼻で笑う。

 

「ふんっ。ガキはこれだから困るな。いいか、全ての物質には必ず『芯』が存在する。その芯を捉えることが出来れば、一見すると無理なものでも絶妙なバランスを保って直立するんだよ」

 

「ほほう。ならばその手並みを拝見させてもらおうか」

 

 オレがデンマークに行ってる間にシルキーが用意した材料からバンシーの衣服を見事に仕立て上げ、今やシルキーお手製のノースリーブの黒のワンピースに薄茶色のショートパンツを着たバンシーは、綺麗な白い髪も映えてそれはそれは大層な美少女になっていた。

 だからといって5000歳のババアなのは変わらないので少女という表現もいかがなものかと思いながら、オレに謎の力説をしてくるからそれが事実かどうかを確かめてやる。

 挑発されれば集中力も削がれるから出来たとしても失敗するだろうと高をくくっていたのだが、そんなオレの挑発をものともせずにわずかな振動も起こすなと注意してから、銃弾を縦に置いたその上にさらに銃弾を慎重に置き、芯とやらを探るために微調整を始める。

 するとわずか10秒足らずでその芯とやらを見つけたか、ソフトタッチでその位置に銃弾を留めて摘まんだ指を放すと、マジで立ったんだが……

 こういうのは質量も重要なはずだが、物理法則を無視するような出で立ちには気持ち悪ささえある。普通は芸術の域なんだろうけど。

 

「この大きさと重さでは3つ目は積めないが、芯を捉える感覚さえ掴めば物は問わずにできるぞ。どうだ、ガキに出来るか?」

 

「素直に凄いとは思うんだが、出来るようになりたいとはあまり思わん。それはすまん」

 

「このぉ……俺が長年で培ったものに対して距離を取るな。一緒に住んでるんだから少しは興味を持てよ」

 

 その気持ち悪い銃弾プチタワーを崩してドヤるバンシーの気持ちはわからんでもなかったが、それが出来たからといって何かの役に立つかと言えば別にとしか思えない。

 そういう実用性とかを意識してしまうのは武偵の性分になってしまうので悪気はなかったものの、そんなオレに不満ありまくりのバンシーが面倒な絡み方をしてきたから、理子へのメールを作成しつつ仕方なくご教授をいただくことにする。

 しかしやってみるとやはり簡単ではなく、バンシーの言う芯を捉える感覚とやらが漠然としすぎていて掴めない。

 仮に1度でも成功すればその感覚を頼りにも出来るが、その成功すら見えないと心が折れる。

 

「集中力とかなんとか言いたくないが、出来たところでって気持ちがある分、真剣に取り組めん。なんかもっと『身に付けたい!』って思える技術とかないか?」

 

「これを下らんことみたいに言うな。言っておくがこの芯というのはお前たち人間にも存在してるだろうが。戦いで言うところの重心ってやつだ」

 

「それはあるけど、そんなの戦闘中は常に位置が変わる。それをどうこうしようってなると人体構造とかそういう知識も必要になる」

 

「まぁそうだわな。だが芯ってのは何も重心だけを指すものじゃねぇさ。人間の伝達神経にも芯は存在するだろ」

 

「……脊髄か。だがそれとこれとは関係なくないか?」

 

「そう思うのも仕方ないが、仮にその芯を捉える感覚ってやつが異常に鋭敏なやつがいて、外部から干渉できる術を持ったとしたら、なかなか面白い人間が出来上がるわけだ」

 

「仮の話に全くもって意味がないんだが……」

 

 きっとバンシーも実体化したらしたで話し相手は欲しいんだろうなぁと、留守中はシルキーと話していただろうから寂しさを感じたりはなかったはずだが、やっぱり住まわせてる以上は可能な限り構ってやるのも家主の責任ってやつだろう。

 そんなモチベーションだから集中力が皆無だったので、バンシーもやる気ないなら教えるのもバカらしいと早々に諦めて芯の話を広げてくる。

 その話を聞いて実在するかもわからないそんな人間の話に意味はないだろと構うのもやめようとしたが、神経系の話でまずHSS(ヒステリア・サヴァン・シンドローム)を持つキンジを思い出し、それとは別に小さい頃にそんな話をどこかで聞いたような記憶が呼び起こされる。

 確かあれは……親同士の会話を漏れ聞いた時に言ってたか。『伝達神経をなんたら』とか。

 5歳くらい時の記憶だから理解も何もなくてほとんど覚えていないが、誰かの何かについての話だったことはなんとなく覚えている。

 

「どうした? 仮の話に意味がないと言っておいて、ずいぶんと神妙な顔をするじゃないか」

 

「……いや、ちょっと引っかかることがあっただけだ。仮の話に意味がないのは変わらない。それより昨日も話したが、明日からまた少し留守にするから、シルキーがいるとはいえ贅沢はするなよ。特にテレビは点けっぱなしで寝るな」

 

「俺をガキ扱いとは失礼なやつだ。人間の生活とやらを俺なりに満喫してるんだから文句を言う……にゃぎゅぅう!?」

 

 それで言葉を微妙に切って思考に入ってしまったからか、表情を読んだバンシーが詰め寄って顔を覗き込んでくるが、言葉を訂正するつもりはない。

 話もなんか途切れそうになったのでそのまま強引に終わらせて、明日からのスペイン行きに関する注意事項を5000歳のババアにしてやると、満喫とかいう都合の良い言葉を出しやがったので、そんな言葉が出てくる口を両頬を押さえてアヒル口にして塞ぐ。

 テレビを点けっぱなしで寝るようなのは中年のおっさん──完全なる偏見だがな──だコラ。ババアは夜の9時には寝てる──これも偏見だ──んだよ。

 といった意味の無言のアヒル口変則アイアンクローを食らったバンシーは、それがわかったかどうか不明ながらもがいて脱出すると、そのまま怒りに任せてオレにタックルしてきたから、幼女のアタックなど取るに足らない威力ゆえに頭を押さえることで難なく阻止。

 その程度かと鼻で笑ってやったら、無駄に学習能力はある5000歳のババアは、鍛えようのない皮膚にダメージを与えるために頭を押さえるオレの腕をつねってきやがり、怯んだところで顎への頭突きをお見舞いして昏倒させてきた。

 そこからの泥仕合は語るのも恥ずかしいが、オレもオレで見た目は幼女なバンシー相手に本気でやるわけにもいかず、ほどよいダメージでノックアウトしようとするのだが、謎の粘りで奮闘するバンシーに苦戦。

 15分にも及ぶ泥仕合は最終的に他の部屋の掃除の合間の休憩に来たシルキーの目に止まることで終息し、いらんことに体力を使ったことを反省しながらシルキーのお叱りを受けるのだった。どうしてこうなる。



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Slash15

 

 5月20日、木曜日。

 ロンドン・スタンステッド空港から直通の便で約2時間。

 スペインのアストゥリアス州にあるアストゥリアス空港へと昼前に到着したオレは、到着がズレる理子を待つよりも先に、数日の滞在先にする予定のアビレスという都市にいち早く向かって現地の下調べをしておく。

 アビレスはアストゥリアス空港からほぼ東に10km程度のところにある、アストゥリアス州で3本の指に入る都市だ。海にも面していて漁業や貿易はもちろん、製鉄工場が大きく産業都市でもある。

 

「スペイン語圏だから英語でも少し不自由するが、人を選べば話が通じないってこともないな」

 

「だから不自由に思うなら組織から通訳を派遣するってば」

 

 理子の到着は昼を少し過ぎた頃になるとからしく、少し前にメールでマドリードの空港に着いたと報告があったから、あとは飛行機の乗り継ぎ1時間程度でこっちに来るはず。

 それはまぁ予定通りでいいのだが、予定外は今も普通に隣を歩きながら独り言のような呟きを会話に発展させてくるヴィッキーだ。

 さすがにそろそろ依頼による欠席が重なりすぎて武偵高でもオレとヴィッキーが一緒に依頼をこなしてるんじゃないかと思われても不思議ではない。

 そんなタイミングにも関わらず律儀にリバティー・メイソンの職務を全うするためか、オレを尾行してきていたヴィッキーに気づいたのは、情けなくも飛行機に乗り込んで飛び立つ数分前。

 その辺はやはり諜報科といったところで、ガチの人毛を使ったウィッグまで使って変装してたからわからなかった。質感がリアルすぎた。気持ち悪い。

 

「……あのさ、ヴィッキー。オレは気にしないからいいんだが、武偵高でもそろそろ噂とかになってないのかよ」

 

「ああそれ。それねぇ、さすがにもうバレてたかな。昨日はキョーヤが学校に来なかったから私が問い詰められた。キョーヤとヤったのかヤってないのかって。下品よねぇ」

 

「…………オレが気にしてるのはヴィッキーのこれからのことなんだが……」

 

「あれ、そっちか。キョーヤは優しいね。でも大丈夫だと思うなぁ。男の影って言ってもあくまで依頼の上でってことだし、将来的には私、国内での活動を中心にする予定だから、こうやって国外での活動ならあんまり気遣いはいらないってわけ。だから今回も張り切っちゃうわよ」

 

「張り切らないでくれていい。はぁ、心配して損した……」

 

 そうまでしてオレについてくるヴィッキーのやる気の源が何なのか不思議でならないが、やはり武偵高でもすでにオレとヴィッキーの関係が怪しまれていたのは事実で、ヴィッキーの身の振り方からして余計な男の影は邪魔だろと、今からでも帰れとやんわり言ってみる。

 しかしヴィッキーもヴィッキーである種の開き直りをしてここまで来たことが言葉からもわかって、もう何を言っても帰りはしないと諦める。

 セイレーネスのことに仰天したりで一線を引くと思っていたから、同じような今回はついて来ないだろうと思ったんだけどなぁ。女ってわからん。

 

「それより何度か携帯を確認してたけど、これから誰かと合流するの?」

 

「東京武偵高の援軍。向こうの修学旅行と被ったからついでに手伝わせる」

 

「手伝わせるって、後輩なの?」

 

「いや、同級生。報酬も決めてるから合意の上でだ」

 

 仕方ないのでヴィッキーも今回はメンバーとして数えることにし、気になっていた連絡の相手についても教えて不慮の事故を防ぐことにする。

 どうしてなのかこういう時にブッキングする女はオレが予想するより嫌なリアクションをすることが多いので、その経験から理子にもヴィッキーについては報告のメールをしておく。

 そのメールを送る間にヴィッキーも性別が気になって尋ねてきたから素直に女だと答えてやるが、その時に「ふーん」とか嫌でも気になる反応をしたのに悪寒が。会わせるべきではない。本能がそう言っている、気がする。

 だが仕事上で会わせなきゃならないので、ヴィッキーの行動には注意すればいいと判断して、街の中は把握したから今日中に集めるべき情報を集めにヴィッキーと分かれて行動。

 

 アストゥリアス州にはバンシーが匂わせたレス島のセイレーネスとは違う種類の言い伝えやら何やらが残されている。

 ただ聞く限りではセイレーネスなんかよりもよっぽど信憑性がないというか可能性を感じないというかなものなので、メヌエットも「無理そうなら2日とかけずに帰ってきていいですよ」と割と諦めムードを最初から出している。

 メヌエットがそうなるくらい、このアストゥリアス州の伝承やらは現実味がないのだ。

 ──ドラゴン。

 ゲームなんかではRPGやファンタジーでその名を聞いたことがないはずがないほど有名なモンスター。

 東洋では蛇のような長い胴体を持つトカゲに似た姿の龍が広く伝わり、西洋では肉食恐竜に翼をつけたようなものや、両腕が翼の役割を持つ翼竜、ワイバーンなどが該当する。

 この辺は理子辺りが目をキラキラさせながら説明してくれそうだが、そういうゲーム知識は今は必要なく、このアストゥリアス州には古くからそのドラゴンが存在するような話があるのだ。

 もちろんオレも様々な異能の存在を見てきたから、今さらドラゴンが生きて存在していることを100%あり得ないと切り捨てるところにはいない。

 それでも大きさだってまさか人間サイズなんてことはないだろうし、大きければそれだけ隠れられる場所だって限られてしまう。

 科学も発達させてきた人類の今日においていつまでも『伝説』でいられるはずがない。

 

「ドラゴンはいるに決まってるさ!」

 

「ドラゴンはこの地方の守り神よ」

 

「守り神のおかげでここ300年くらい、サメやらが寄りつかない海って割と有名だよ」

 

「年に1度、街じゃ守り神様を讃える龍神祭ってのをやって、守り神様に供物を奉納する行事もやってるよ」

 

 ……はずなのだが、どうにも英語の話せる街の人から聞く話では、ドラゴンは昔から街の守り神として祀られている存在のようで、すでにいるいないという次元ではなく『神聖化』してしまっている。

 ただこういうのは日本でも河童や天狗といったものが同じような扱いを受けていたりするものだから、彼らをバカバカしいと一蹴することなど到底できない。玉藻様にも「信心が足りん!」とか言われそう。

 デンマークの人魚伝説は畏怖の念も強くて、漁師などは語り草にするようなもので割と有力な情報になってくれたが、ここアストゥリアス州では苦戦しそうだ。

 守り神ならそれを祀る祭壇なんてものもあるかもしれないが、それがある場所がイコール、ドラゴンの住み処なんて都合の良い話はないし、神格化していると都合の悪い話なんかは歴史の中に消えていってしまう。触れられたくない汚点を忘れるかのように都合の良い歴史がそれを塗り潰してしまうのだ。

 

「唯一の確定情報は……サメの寄りつかない海、か」

 

 アストゥリアス州は何かを探すとなるとやはり広大。

 地図を見ながら話の中にあった情報と、事前にメヌエットから教えてもらった伝記などから水辺に当たりをつける。

 そうするとアストゥリアス州だけならビスケー湾に面する北の海岸線沿い約150kmくらいの範囲に絞られる。

 日数で分ければ1日50km程度の捜索で3日。30kmでも5日もあれば大体は捜索を終えられる。

 まぁそれは楽観視しすぎで、実際はもっと地形もグニャグニャしてるし聞き込みだって時間を取られる。移動だけを考えればってことだ。

 と、ここまでの調査ですでに1時間ちょっとは使っていたので、そろそろ理子もアストゥリアス空港に着いた頃かと携帯を見ると、ジャストのタイミングでアビレスに向かってるメールが来たので、コミュニケーションの鬼である理子のフレンドリーな性格なら聞き込み調査が捗るかと、一旦ヴィッキーも召集して3人での初顔合わせといく。

 

 集合場所にはテラリス通り沿いのアビレス駅を選び、合流してからああだこうだ言うのも不毛だから来る前に飲食店の席を確保しておき待っていると、それらしきタクシーが駅の前に停まって人が降りてくる。

 その人物は見間違うことの方が難しいと思える東京武偵高のセーラー服にフリルなんてあしらった女子女子してる服装に輝いて見えるほどの綺麗な金髪をツーサイドアップに結った小柄な少女。

 もう少し身長があれば『美人』という部類に入れても問題ない、まだ美少女の域をギリギリ出ない17歳になったばかりの峰・理子・リュパン4世は、タクシーから荷物を降ろすなり辺りを見回し、謎の高感度センサーで遠目にいたオレをびこんっ! と反応したように見つけて花が咲いたような笑顔を見せてくる。

 その至上稀に見る純粋な笑顔に不覚にも『可愛い』とか思ってしまったが最後、完全に目が合ったところで恥ずかしさから目を逸らしてしまったから、絶対に弄られる。これは確定事項。

 キャリーバッグを転がしながらこれでもかってほどの女の子走り──もちろん普段はしない──で可愛さアピールして近づいてくる理子の今さら感にはツッコまないぞと心に決めて待ち構えていると、狙ったかのように別方向からヴィッキーがオレを見つけて接近。

 距離的にヴィッキーの方が先に寄ってきて、理子に気づいた様子もなく成果の方の報告をしようとするが、理子の方が純粋な笑顔から凍りついて冷たい笑顔に変化。

 一応メールで協力者の存在は伝えていたが、理子の基準では自分より劣る女とでも断定していたのか、モデル並みのヴィッキーにリアクションを用意してなかったっぽい。が、それはそれで怖い。

 

「いやぁ、キョーやんはどこに行っても必ず女を1人は侍らせてるねぇ」

 

「人を遊び人みたいな言い方するな」

 

「えー? 事実を言ってるだけですよぉ」

 

 そうして寄ってきた理子がまずはヴィッキーを無視して日本語で挨拶するもんだから、オレも日本語で対応すると、意外にもオレに対しての怒りとかはぶつけてくる様子はない。

 それでも言葉にトゲはあるが、絡み方に苛立ちは感じないから本当に挨拶代わりなんだとわかる。

 

「ねぇキョーヤ。彼女が東京武偵高の協力者? ちっちゃくて可愛いわね」

 

「同い年だって言ったろ。あと英語は普通にわかるから……」

 

 おそらくオレの初見の反応から今のを差し引いてチャラになったくらいの怒りゲージだからこの程度なんだし、事を荒立てることさえしなければ穏便に話が進むと確信。

 ヴィッキーの方も流れで説明できるなと安心したら、日本語のわからないヴィッキーは会話に理解はなくても割り込みはしてきて、割り込まれた理子が英語でリトルだキュートだと『上から』言われたように解釈できたことにムッとしてしまう。

 さらに理子の出現で女同士のヒエラルキー問題が発生したのか、武偵の性質上から対等でいいのに上下関係で事を決めたいらしく、目線で火花を散らしたあとに先制攻撃でヴィッキーがオレの腕に抱きついてくる。かなりの密着具合だ。

 

「それじゃあ人員も揃ったし食事でもしながら今後の話をしましょう。もちろん夜のことも、ね」

 

「…………」

 

 それに全く意味が見出だせないオレを無視して、ヴィッキーは謎の強気からオレとなんかいかがわしい関係にあるような匂いを醸し出す。

 これはおそらく理子がオレとかなり進んだ関係と本能的に察して理子をぐぬぬさせるつもりなんだと気づくことはできたが、CVRで鍛えた演技力は女優レベル。理子もダメージは入ったかもしれない。

 こうなった時はオレがあれこれと本当のことを言ってもあまり信じてもらえないのは経験からわかるので、理子の反応を見つつ修正しようと様子をうかがうと、理子も理子で昔なら蹴りの1つも飛んできていた状況でも手を後ろで組んで余裕の笑顔を見せている。

 

「理子ね、キョーやんと会えないこの1ヶ月半くらいでわかったんだよねぇ。キーくんもそうだけど、良い男には善し悪し関係なく女が寄ってくるんだよ。それが必然なの。だからキョーやんが女と一緒にいてもそれは普通なこと。理子が好きになった人はそういう男なんだって思えば、いちいちキレるのがバカらしいって考えに至りました」

 

「お、おう……なんかしっくりこないが、そうなのか……」

 

「うん。それとその女がアホみたいなことしてるのもあんまり気にならないかな。キョーやんが付き合ってもいない女と寝たりするわけないし」

 

 その余裕の笑顔の理由についてはオレが納得いかない部分があったが、ヴィッキーの演技も理屈っぽく見抜いたのは本当らしく、日本語のわからないヴィッキーが何を言ってるのか気にする様子を見て楽しんでいる。

 なんかそんな理子の立ち振舞いが新鮮すぎて、初対面のヴィッキーよりもオレの方が困惑してしまうほどの心境の変化は悟りでも開いたのかと思う。

 ひょっとしたらジャンヌによる変装の可能性もなきにしもあらずか! とか思ったが、この低身長はジャンヌには無理なので本人で間違いない。

 

「それで、下手くそな芝居でテメェはいつまで京夜に抱きついてやがるんですか?」

 

「おおぅ……キョーヤもしかしてこの子、とっても怖い?」

 

「戦闘力ならオレより上だぞ。性格もそっち向きだ」

 

「そういうことは早めに言ってほしかったんだけど」

 

 ただ別人に思えた理子ではあったが、ニコニコ笑顔もなんだかんだで頑張ってやってたみたいで、初めてヴィッキーに話しかけたタイミングではすでに可愛い表の理子が引っ込みかけて、素の方の裏の理子がこんにちはしてきていた。

 その変貌にはヴィッキーも思わずオレからパッと離れて、理子との戦力差を本能的に理解したみたいで、オレよりも強いと聞いて理子イジりは速攻で終了。

 険悪なムードはヴィッキーが空気を読んで自己紹介と共にすぐ謝罪したことで払拭され、理子もまだ何かヴィッキーに対して謎の警戒を残してはいたものの、この警戒は敵味方云々ではない何かだ。男のオレにはわからん。

 

「よーし、挨拶も済んだしとりあえずご飯だよキョーやん! ランチッ! ランチッ!」

 

 とにかくこれでオレの警戒していた女同士の初対面は無事に終わったので、さっさと仕事の方も終わらせたいから移動しようと提案しかけたら、先読みしたか単に腹が減っていたのかオレの腕に抱きついて引っ張り、オレが席を確保していた店を指して移動し始める。

 推理したとかでは絶対ないから深く考えないが、ビビるのは腕に抱きつく理子の胸の大きさと柔らかさ。嘘だろこいつ、たった1ヶ月半で少し成長しちゃいないか?

 ヴィッキーはスレンダーなタイプだから慎ましくも気持ちいい感触だったが、理子のはまるでマシュマロだ。ぽよんぽよん……

 

「いやーん、キョーやんが理子のおっぱいの感触を楽しんでる顔してるぅ。もっと堪能してぇ。うりうりぃ」

 

「そんな顔はしてないが、当たるものは拒否しない」

 

「じゃあ触らせるのもオッケーってことですな!?」

 

「あっ、痴女みたいなことはノーサンキューです」

 

 そういえばこうやって女にスキンシップされるのも久しぶり……というか理子くらいしかやらないから当たり前だったが、男の本能がそれを楽しもうとしたところでスペインなのを良いことに日本語でオレを茶化してくる。

 完全否定できないオレも表情には絶対に出してないと断言しつつも、胸の感触は堪能しかけてたことは肯定。

 そうしてオレが理子の喜ぶことを言うから調子に乗って本当に触らせようとかしてくる前に真顔で否定しておき、上がったテンションを元に戻してやった。テンションが乱高低しすぎだ。災害かお前は。

 理子のテンションをコントロールするのは難しいが、食事に関してはオレにベタベタするよりも食欲を満たすことに意識がいってくれて、料理をモグモグしながらオレとヴィッキーの話にまずは聞きに徹する。

 オレとヴィッキーも詳細を知らない理子にわかるように今回の仕事の内容を確認するようにして聞き込みの成果を報告すると、理解力が高い理子はモグモグしながらもドラゴンとかの単語に誰が見ても目をキラキラさせてきたのがわかる。ゲーマーはこれだから……

 

「それでそれで? そのドラゴンっていそうなの?」

 

「今のところは『いないかもしれない』に寄ってるな。神聖化してるから日本の河童とか天狗の伝説に近い」

 

「でもあれよ? こういうのってほら、日本では何て言うの? 年季が入った物とかに魂が宿るみたいな話」

 

付喪神(つくもがみ)か。つまりドラゴン信仰によって人からドラゴンが生まれたかもしれないって説か?」

 

「物じゃないからわからないけど、フローレンスはそういう逆説的な可能性も考慮すべきかもとは言ってたわ」

 

 ゲーマー目線でワクワクしてる理子には悪いが、現実にドラゴンがいたとしたら、勇者のように戦えるものでは絶対にないから高揚感とか排除していただきたいね。

 そんな意味も込めて今はいない可能性の方が高いと言ってテンションを下げにいったが、事前に羽鳥とも連絡を取っていたっぽいヴィッキーから新たな説が出てきている可能性に話を傾ける。

 だがその逆説的な可能性は現実として起こりうることのようには思えない。

 仮に自分の想像したものを現実に出来る超能力者がいたとしても、命あるものを作り出すという行為には超能力の域を越えるものを感じる。

 しかもそのドラゴンが知識を持ち、今もどこかに隠れ潜んでいられるほどの知恵もあるなら、生命体としては人間に近いか越えるものを持っているかもしれない。或いは……

 

「……その方面は専門家に意見を聞くとして、当面の行動はこのアストゥリアス州の海辺を中心に調査する。異論は?」

 

「ないであります、隊長」

 

「変な話だけど、これで『何もなかった』ってのが嬉しいのは私だけ?」

 

「それは同感」

 

「えー、いたらワクワクじゃん!  マロンがないなぁ」

 

「栗はなくてもいい」

 

 何にしてもまずは調べないことにはわからないので、陽があるうちにもう少し当たりをつけられないか調査し、明日から移動も含めて本格的にやると決めて、理子とヴィッキーも反対意見はなし。

 

「ああそうそう。キョーやんにアリアから伝言。メールとかだと困るからって日本を発つ前に預かってきたの」

 

「メールじゃできないね……なんて?」

 

「今アリアはローマに行ってるんだけど、24日にそっちで合流したいって。場所はトレビの泉。時間は午後3時ジャストでっす」

 

「急な過密スケジュールに……了解はしたが、行けるとは言ってない」

 

「なるほど、そこに理子とのデートをぶち込んでくれるわけです……にゃ!?」

 

 それじゃまた動くかと食事も終えてから席を立ったのだが、その前に日本でアリアから預かった伝言を理子から受け取り、メールできない案件と聞いて黄金の件かと理解。

 ローマってことは留学と言う名の海外逃亡をしたキンジの様子見でもするんだろうが、そちらの都合だけで合流を決めるのは横暴ですわよアリアさん。

 とまぁそんなことを言っても貴族様には改善の兆しが見えるかもわからないので、仏の顔も三度と言うし今回は間に合えば行ってやろう。

 そんなことを決めて理子の妄言にチョップと言う名のツッコミを入れて店を出て、今夜泊まるホテルを集合場所に3人で分かれて街へと散っていった。



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Slash16

 

 アストゥリアス州のドラゴン伝説調査の2日目。

 久々にオレに会ってテンション上がりまくりで、なかなか寝ない理子をワイヤーで拘束して無理矢理寝かせたのも数時間前。

 朝起きたらやっぱり一緒だった竜悴公姫(ドラキュリア)のヒルダが理子のワイヤーを解いてオレに『理子をいじめたら殺す』とかいう物騒な置き手紙をテーブルに置いていた時は肝を冷やした。

 そんなこんなありながらの3人での朝食時に、ふざけながらもやることはやる理子が昨日の段階で曖昧だった部分をいくらか実証してくれていた。

 

「ドラゴンとか胸熱だけど、それ以上にキョーやんとのデートを取りたいのでさっさとお仕事は終わらせますぞ。昨日言ってたこの辺一帯の海について色々と専門家の記事とか漁ってみたよ」

 

「何かわかったのか?」

 

「うん。ここ300年くらいは本当にサメとかの被害はないみたいで、興味を持った海洋学者とかがその原因究明のために調査したって記事があったの。それが20年くらい前でアテになるかはともかく、調査の結果としては海水の温度とか気候とか魚の生息圏とか、そういうのは他の海とも大きく違った特徴はないから、サメとかが寄り付かない理由には繋がらないだろうって」

 

「科学的には原因はわからなかった?」

 

「他にも超音波とか電磁波とか、サメとかが嫌がるものが発生してないかって調べたみたいだけど、人を襲うような魚だけが全くいない原因には辿り着けなかったって。不思議な話だよねぇ。ドラゴン信仰も生まれるわけだよ」

 

 こういうデータに関しては探偵科(インケスタ)のAランクは調査が早く、真面目なら有能という証明をしてくれて、ヴィッキーもまだ覚醒しきってないながら理子の有能さには気づいたらしい。

 しかし科学的に人食い魚が近寄らない海が存在しうるとなると、やはりドラゴン信仰ってのも単なる伝説ではない気がしてくる。

 

「それってさ。つまりそのドラゴンがこの辺一帯の海に『俺の縄張りに近寄ってくるな』ってやってるんじゃない?」

 

「……野生動物の縄張り争いみたいな話か? 確かにそういう食物連鎖のピラミッドがあれば、ドラゴンは頂点だろうが……」

 

「案外良い線いってるかもよ? ほらっ」

 

 科学的に証明できない事例ってのは世の中に溢れてはいるが、超能力的になら証明できることもある。

 その辺での意見としてヒルダにも協力してもらおうかと思っていたら、その前にヴィッキーが半分くらいはふざけていたのだろうが、意外と反論しづらい仮説を立ててくる。

 そんな馬鹿なと一蹴するでもなく、これを拾った理子が自分の足元を指すからそちらを見ると、ヒルダも理子の影に潜みながらその影の形を『NICE』と読めなくないものに変えていた。

 

「影絵は良いから口頭で頼む、ヒルダ」

 

「いきなり出ていったら、そこの女がビックリすると思っただけよ、サルトビ」

 

 その不思議な現象にはヴィッキーも完全に目が覚めたように目をパチクリさせていて、オレの声に応えて今度はその影からぬるっと黒いゴスロリのドレスに身を包んだ金髪ツインテールのヒルダが姿を現す。

 意外にもヴィッキーへの配慮があって段階を踏んだと話すが、その意味はなかったようで椅子から転げ落ちていた。

 こうなるなら昨日のうちに紹介くらいしておくべきだったかと、つい今朝方にヒルダの存在を思い出したオレが矛盾するように思っていたら、ヴィッキーも連日の仰天イベントで耐性が上がったか、すぐに持ち直して順応。ようこそオレ達の側へ。

 

「それで超能力的観点ではこれをどう見るんだ?」

 

「超能力というよりは動物が持つ本来の力。本能に働きかける力とでも言うのかしらね。それがこの辺一帯の海に作用しているようね」

 

「もう少し噛み砕いてお願いしたい」

 

「お前にも1つくらい覚えはあるでしょう? かつて東京のあの塔で私の『第3態(テルツァ)』と対峙した時、お前は私にどんな感情を抱いたかしら?」

 

 順調にヴィッキーも異常な環境に適応してきたのは置いておいて、反応したからには話があるヒルダの意見に耳を傾けると、ずいぶんも抽象的な言葉を使うから、もっと理解しやすい表現を頼む。

 するとヒルダは去年の10月くらいに建造途中の東京スカイツリーの天辺で戦った時の話を持ち出し、あの悪魔のような雷を纏って無敵に近かった自分をどう感じたかを尋ねてくる。

 あの姿を自分で『神』とか言ってたこともあるが、圧倒的な戦力差はオレとあのキンジから勝機を失わさせるほどのプレッシャーを放っていたのは確かだ。

 

「……それと今回のが結びつくのか」

 

「抽出するなら『恐怖』の感情が最も本能を刺激する。誰だって100%勝てない相手には挑むことさえしたくないでしょう。怒らせたくないでしょう」

 

「ああ、その恐怖をあの海に放ってるのがドラゴンってことかぁ」

 

「しかもこれは周波数のようなもので、発信する側と受信する側との波長が合わないと機能しない。ドラゴンかは私にもわからないけど、この海にいる何かは自分にとって都合の悪い生物にのみ力が作用するように調整しているのでしょうね。だから人が食せる魚なんかには影響がないのよ」

 

 その話と今回のが結びつくならと進めれば、ヒルダの見解ではそうした恐怖を周囲に拡散する存在がこの海にいて、無差別ではなく作為的な行動によってコントロールされている可能性があるとのことだ。

 ただそう聞くとやっぱり超能力的な感じは否めないので、有力な可能性を出した功績で理子に褒められてデレまくってたヒルダに普通の人間にも使えるものなのかと尋ねる。

 すると受信する側なら誰にでも持ち得る才覚で、発信する側になると人間的な強度が必要とのこと。

 要はサイオンとかあのレベルの人間ならコントロールは出来なくても現象自体を起こすことは不可能じゃないってことらしい。

 確かにサイオンと対峙した時に勝てるイメージが全く湧かないのは、そういう力が働いているからなのかもしれないな。

 そんな生物の神秘みたいなものに触れる話をしてくれたヒルダは、完全なる夜型のせいで今からが睡眠の本番だと言うように、理子に褒められて気分良くまた影の中に潜んでいってしまい沈黙してしまった。理子のためにこの時間まで起きてたと思うと健気なんだよなぁ。

 半年くらい前までは理子を家畜の奴隷としか見てなかったのに、今じゃこの変わり様なのだから知る人が見れば劇的な変化だが、オレに対しての態度にはさして変わりはないので、その辺の変化があると今後は助かるね。

 とにかく超能力的な見解から有力そうな情報は引き出せたので、海に何らかの影響を与えている原因を探るためにドラゴン信仰について具体的なこと引き出しつつ、現地に赴いての調査を開始した。

 

 午前中には車のレンタルを済ませてアビレスから出られる準備を整え、午後からは東に20km程度移動したところにあるヒホンというアビレスに並ぶ規模の都市に到着。

 この街もアビレスと同じく港湾都市で漁業や製鉄業が盛んなので、ドラゴン信仰はあるとアビレスの住人も言っていた。

 そこでドラゴン信仰がアストゥリアス州全土で同じ様式なのかどうかを調べるために方々に散って聞き込みを開始。

 アビレスだけが行っている風習。ヒホンだけが行っている風習。そんなものも出てくるだろうとは予想していたが、調べてみると意外にもアビレスとやっていること自体はほとんど同じだった。

 さらに聞き込みを進めてみると、龍神祭というのは、ここアストゥリアス州にある12の街が1年を通して月に1度、守り神への奉納をすることで海の安全を祈願してきたのだそうだ。

 奉納品は食物で農作物だったり獲れた魚だったりと街によってバラバラなようだが、それら奉納品はキチンと納める場所があるらしい。

 そこからまた面白い話も聞けたので、きっと同じような話を持って帰ってくる理子とヴィッキーよりもひと足早く集合場所へと戻り、先に今後の展開を考えておく。場合によっては今日明日にでも終わるかもしれないしな。

 あまり楽観視もあれだが、潰すべき可能性が湧くとやる気も出てくるもので、戻ってきた理子とヴィッキーも適当に買い食いしながらだったか手にはスイーツがあった。

 それは自由だしスルーしつつ、仕事はちゃんとしてくれてると信じて報告を聞くと、やはり2人とも龍神祭についての追加情報を持って帰ってきた。

 さらに理子は聞き込みから気になったか、朝に報告していた海洋学者の調査の資料をまた引っ張り出してノートパソコンにそれを表示してオレとヴィッキーに見せてくる。

 そこにはここ、アストゥリアス州の地図が表示されている。

 

「キョーやん達も聞いてきたと思うけど、この辺の龍神祭ってので奉納品を納める場所があるよね。それがここ、ヒホンから北西に20kmくらいのところにあるビオドって小さな町。この町に一旦その奉納品は預ける形で、天候なんかを見て後日に少し北にあるここ、カボ・ペーニャス灯台から西500mのところにある奉納場所に納められるの」

 

 その地図に指で示しながら説明してくれた理子には悪いが、オレも話を聞いてすぐに調べたからそこまではすでにわかっている。

 アビレスとヒホンの間には北にピョコンと突き出たような地形があって、ビオドはその突起の地形の最北端の町で、カボ・ペーニャス灯台は実質的にアストゥリアス州の最北端にある建造物ということになる。

 ドラゴンへの奉納品はその灯台の西に建てられた祭壇のような場所に安置されるらしいのだが、この奉納品は奉納した翌日の朝には全て消えてしまう現象が起きるのだとか。

 野鳥などが平らげるにしてもおかしな話だし、それがなくなるところを目撃した人もいないらしいが、それはひとえにドラゴン信仰が成せることというか、奉納品が奉納されてからその場所には翌日まで人が近寄らない暗黙のルールが存在するらしいのだ。

 ただ人間は愚かな生き物なので、実際にそのルールを破る者もかつてはいたようだが、それからの1ヶ月は異常なほどのサメが海に押し寄せて漁をするどころではなくなったのだと伝え聞いた人が語っていた。

 それが約300年前に実際に起きた事で、それ以来アストゥリアス州ではドラゴン信仰がより強く根付いたようだった。

 

「そんでこれが海洋学者が調査した人食い魚がいないと定めた海の範囲」

 

 そうした現実の話もありつつ、あえて説明をする理子なら追加情報はあるだろうと黙っていたら、今度は海洋学者が調べたという人食い魚が出現しないエリアを赤い線で地図に書き加えられると、その線は不思議なことに祭壇のある場所をほぼ中心点にアストゥリアス州近辺の海を覆い尽くすように円形に広がっていた。

 

「こういうのってさ、地震と同じで発生源から波紋状に広がるってのが納得のいく感じだと思うんだぁ。そう考えるとぉ……」

 

「ここに何かあるのか」

 

「えー、本当にドラゴンがいるかもしれないの? 今すぐじゃなくて心の準備くらいしておきましょうよぉ」

 

 デジタルなデータを引っ張り出せる理子を引き込んで良かったと思える収穫に思わずニヤリとしてしまったが、そんな顔が大好きな理子が1人悶えるのをとりあえずスルーし、真っ先に潰すべき案件がこれで決定した。

 しかしヴィッキーの泣き言を聞くわけではないが、今からその祭壇に向かったところで陽も微妙になるし、調査の方は明日に回そうと話して、ちゃんと心の準備はしておけと忠告。

 オレだってドラゴンとか会ったら腰が砕ける自信がある。それでも会わなきゃならないなら腹は据えるさ。

 

 最後に一応、ここまでのドラゴン信仰が世間であまり有名ではないことの理由についてを考察しようと、アビレスに戻るための車へ乗り込む間に理子に尋ねようとした。

 しかしそれよりも前に街のオレ達のいる場所に近いところから異音がして、それに気づいた理子とヴィッキーも鋭い眼光でまずは自分達に危険はないかの安全確認と周囲への警戒を強める。

 その辺でやはりAランクは取るだけあって無駄はなく、2人が警戒してくれてる間にオレは異音の正体と発生地点を特定。

 何かはわからないがかなり大きなもの同士の衝突した際の音に聞こえて、人の動きを観察して方角を特定。

 とりあえずオレ達への危険はなさそうだったから警戒も緩めたものの、野次馬根性たくましい理子が様子だけでも見ようと運転席に乗ってしまったので、事件性のあることだったら武偵としては放ってもおけないとあって仕方なくそれに同伴する形になってしまった。

 

 現場はオレ達のいた場所から500mと離れていない街の一角で、異音の原因は現場を見てすぐにわかった。

 大型のトラックが何かの店の1階オフィスに突っ込んで止まっていたから、その時の衝突音が聞こえたものと判断。

 それだけなら事故だろうと推測できたのだが、どうやら事はそう簡単に片付く話ではなく、被害者側であろう店の人達が物騒な武装で店から出てきて周囲を威嚇していたのだ。

 

「どう思う?」

 

「マフィア同士の抗争かもねぇ。もしくはレジスタンスのアジトだったとか?」

 

「どっちにしても健全な店に突っ込んだわけではなさそうね」

 

 さすがに武装があると野次馬も蜘蛛の子を散らすように逃げて周囲は軽くパニック状態になっていたが、銃などに怯んでいたら武偵は務まらないオレ達は向こうに警戒されない距離で車を停めて状況を把握しにいく。

 トラックは運転席部分が店にめり込んでしまっているので運転手の安否が不明。わざと突っ込んだのなら神風特攻よろしくなことをした可能性もあるし、衝突の寸前に飛び降りた可能性もある。

 その辺を確定させるためにヴィッキーには目撃者からの証言を至急取るように言って動かし、オレと理子は他に被害が出ていないか、これから出ないかの注意に意識を向ける。

 

「あいつらがどう動くか選択肢はあるが、警察だけで解決できるかね」

 

「レジスタンスとかって有事の際の動きは割ときっちりしてるから、逃げられたら難しそう。ほら、車も出てきたよ」

 

 向こうも下手に騒ぎを大きくしたくないのか、ブッ放しそうな雰囲気は薄いものの、不用意に近づけば危険なのは変わらない。

 そして理子の言う通り、騒ぎが起きてからまだ5分と経っていないのに、トラックが突っ込んでからもう逃走の準備を整えたのか、地下に続く横の道から大型の車が2台出てきて、地上にいた武装者達も周囲を警戒したままその車に乗り込んでスムーズに発進しようとする。

 レジスタンスなんかは隠れ拠点をいくつも持っているから、追跡を撒いてからまた隠れたりが動きとしては自然だが、逃走を開始した車は幸か不幸かオレ達の車が停まる通りを抜けようと動き始め、このままいけばすれ違う。

 

「理子、マグネット式のGPSってなかったっけ」

 

「あやや製の小型のやつなら1個あるけど、動いてる車にとか怪我するよ?」

 

「やりようはある」

 

 さすがに無関係な案件に首を突っ込んでいられる余裕もないので、これから追跡するだろう警察への助力程度にはなろうと、理子の手持ちから小型のGPSを貰ってワイヤーを取り出す。

 そのワイヤーの片側に分銅を付けて対向車線の横にあった排水溝に引っ掛かるように投げ入れてから、もう片方からGPSを通して滑車のような装置を作る。

 それを利用してGPSを車に乗ったまま対向車線の上まで滑らせて、逃走車がその上を通過したところでワイヤーを振り上げてGPSを車体の下に設置。

 そのままではワイヤーごと引っ張られるのですぐに手離してGPSだけが車に取り付けられ、ワイヤーは分銅の重りで下水へと流れて証拠も消える。不法投棄かもしれんが、不可抗力だ。

 

「これであとは受信機を警察に渡せばいいだろ」

 

「キョーやん、ロンドンでこういうことやってるんだ。ロンドン警視庁のお手伝いって地味だね」

 

「これで金が稼げるんだから楽なんだがな……ッ!」

 

 それらの動作を周りに悟られることなく何食わぬ顔でやってのけたオレに対して、ロンドンで警察のお手伝いという名の都合の良い犬をやってることを知ってた理子が哀れむような、さすがといった雰囲気の混じった視線で見てくる。

 オレだって喜んで尻尾を振ってるわけじゃないし、留学の項目に『可能な限り協力するように』とのお達しがあったから半分くらいは仕方なくだ。

 ともあれこれで逃走車の追跡は乗り換えがなければ可能になったので、聞こえてきたパトカーのサイレンに合わせて、聞き込みに行ったヴィッキーが戻ってきたところに受信機を警察へ渡すように言おうとした。

 しかしそのタイミングであまりに不意に全身を駆け巡ったゾクッとする悪寒のような感覚に、反射的にどこともわからないところを見回してしまう。

 理子と戻ってきたヴィッキーは普通にしているところを見ると、オレにしか感じ取れなかった何かではあるのだが、視線とも殺気とも判然としないそれにはオレも困惑。

 ただ、誰かに見られている可能性というのは、少し意識していた方がいいのかもしれない。

 それでなくてもオレ達がしていることは世の歴史の裏側で生きる者達を暴くような行為に近いのだから、それを良く思わない者がいても不思議ではない。

 或いはすでに嗅ぎ付けられてしまったか。全容さえ見えない組織Nに……

 

「それじゃあよろしくお願いしまーす」

 

 言い知れぬ不安は生まれたものの、そんな不安は人間いつだって持ち得るものだと納得させて、予定通りヴィッキーに受信機を警察へ渡させてまた戻ってきたところで、使いっぱしりにされてご不満そうなのは重々承知で目撃者の証言を聞く。

 それによるとトラックは店に突っ込む段階ですでに運転手がいなく、エンジン音すら上げていなかったとか。

 つまりトラックはエンジンを停止させたまま無人で動いて店に突っ込んだということになるのかもしれない。

 そんなことがあり得るのかと思って、現場検証も始めた警察の方に顔を出してトラックを見せてもらうと、トラックにはキーが挿さっていなく、遅れてやって来たトラックの持ち主が酷い有り様に泣き崩れてしまった。

 

「ギアはニュートラルに入ってる……なら誰かがトラックを動くようにしてから、何らかの力で店にめり込むほどの速度でぶつけた?」

 

 遠くまで衝突音がしたことからかなりの速度で突っ込んだのは間違いなく、それだけの速度をエンジンをかけずに出すとなると無理がありそうなものだ。

 トラックは生け簀用の鮮魚を積んだもので衝突の際に後ろの扉がばっくり開いて魚も海水もぶちまけてしまっていたが、その光景を見てオレはロンドンでの襲撃とメヌエットの話をふと思い出し引っ掛かりを感じた。

 

「…………水、か」

 

 オレとサイオンを襲撃したNと思しき者は高度な水を操る力を用いていた。

 その力ならトラックの積み荷の中の海水を操作してトラックを押し出すことも出来たかもしれない。

 だとしたらこの騒動を起こしたのはN、なのかもしれない。だが何故?

 そんな疑問を残したまま、結局は姿も見えないやつをどうこうすることも出来ないので、尾行などには細心の注意を払いながらヒホンの街を出てアビレスへと戻っていったのだった。



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Slash17

 

 アビレス滞在3日目。

 昨日は何やら不穏な空気も感じ取ったので、あまりのんびりしてると危険な匂いが増しそうな気がする。

 そんなオレの変化に長年の付き合いの理子はきっちりと気づいて、昨夜の段階でいざという時の備えをしてくれていた。

 それを使わずに済むのが最善で、本当に使わざるを得なくなった場合は理子とヴィッキーだけでも確実に逃がすことを決めて朝からアビレスを出発。

 

「理子、ヒルダは眠いだろうが起こしておいてくれ。使える手は多い方がいい」

 

「そこまで警戒されると理子もヴィッキーほどじゃないけどちょっと怖いなぁ。まっ、何かあったらキョーやんが守ってくれると信じておりますよ」

 

「自分の身は自分で守れ。って言いたいが、チームリーダーとしては最低限のことはしてやる」

 

「じゃあ私のこともちゃんと守ってよね」

 

「……前提として2人とも、まずは自分でどうにかする意思は持ってくれます?」

 

「「善処します」」

 

 その道中に今は寝てそうなヒルダも着くまでに起こしておくようにと理子に指示しつつ、緊急時の対応を軽く話すが、この2人は自衛も放棄しようとしてるんですが。オレはベビーシッターか。

 そんな赤ん坊みたいな2人を連れて30分とかからずに到着したカボ・ペーニャス灯台の西にある竜神祭の奉納品を納める祭壇。

 祭壇というのはあまりに質素な造りで、潮風や海水による塩害の侵食を受けても影響の少ない石材を削って表面を滑らかにして土台にし、その石材に樹脂のコーティングを施しているだけ。

 物としてはそれだけで、屋根があるわけでもドラゴン信仰にまつわる石碑などがあるわけでもない。

 

「信仰があるのかないのかわからないな」

 

「そだね。でもこの祭壇、かなり海側に寄ったところにあるよね。長年で岸壁が削れていったのかもしれないけど」

 

「それよりここからどう調べるの? 見たところ祭壇に何か仕掛けがあるわけでもなさそうだし、見えるのは沖にある小さな島々くらいなものだけど」

 

「海は荒れてないし、守り神様のおかげで割と安全性は確保されてるしな。行ってみるのも手だろ」

 

 祭壇の周囲にも特に怪しいものはなく、奉納品が消失する現象を究明する材料は見つからなかった。

 となれば理子が昨日に表示した海洋学者の調査でわかった人食い魚の寄り付かないエリアの中心点付近となるこの辺一帯に見える小島に当たりをつけるしかない。

 まさかドラゴンが魚と同じエラ呼吸して常に海の中にいるとは考えにくいしな。どこかの陸地で身を潜める場所があるはずなんだ。

 その最も有力そうな島は、この祭壇がある位置から北西に約1kmほどのところに浮かぶ、この辺では一番の大きさの島。エルボサ島と呼ばれているもの。

 大きいといっても縦横200mくらいで広い公園といったほどだから、行けば1時間とかからずに調査は終わるはず。

 日中には終わらせたいので、そうと決めたら動きも早くて一旦アビレスまで戻って船を出してくれる人を捕まえにいったが、理子とヴィッキーがニャンニャン猫被りなお願いをしたら簡単にホイホイできた。

 これをオレがやったら壮絶な顔で拒否されてただろうから、この辺で2人がいて良かったと思うが、行き先をエルボサ島周辺と言ったら目の色を変えて「行けない」と拒否されてしまう。

 他にも2、3人を捕まえてみたものの、揃ってエルボサ島周辺には行けないと言われてしまったので、ドラゴン信仰による弊害はここにもあったらしい。

 仕方ないので騙すようで悪いが船を貸してくれる人を探して、行き先を告げないままその船でエルボサ島を目指すことにして、昼頃に上陸することに成功。

 島には起伏も乏しくて端からでもほとんど全景が望めるほど見晴らしが良いので、何かあればパッと見でもわかりそうなもの。

 なのでヴィッキーを中央突破させて、オレと理子で外周を左右から攻めて反対岸まで効率良く行って、何か見つけたらすぐに合図を送る手筈で動き出す。

 理子が見せてくれた航空写真では穴みたいなものは見当たらなかったので、横穴がないかを重点的に調べていく。

 レス島のセイレーネスも潮を満ち引きで変化する洞窟を住処にしていたので、出入り口が海に沈んでいる可能性も考慮しながら、ドラゴンが巨体で出入りする前提で見ていると、島の北西の辺りに大穴を発見。

 理子とヴィッキーを呼び寄せてその大穴の上に集まり、中までは見えないそこにどう入るかで会議。

 

「海水が……30cmくらいの深さで穴に入り込んでるか」

 

「潮の満ち引きからして、今は干潮に近いみたいだよ」

 

「これより深くなったら船を回せるけど」

 

「満潮でどのくらいになるかわからない以上、降りるしかないな。降りた先でいきなりドラゴンと遭遇したらほぼアウトだが」

 

「そんな浅い穴だったらドラゴンなんてとっくに見つかってるって」

 

 手頃な石を放って海から穴に侵入している海水の深さをおおよそ割り出し、今なら人の足でも中に行けるとあって降りることを決める。

 ただ、中の様子がわからない以上は慎重にならざるを得ないのでまずはオレが穴の横からミズチも使って先行して降りて、入るまでの安全性を確認。

 ほとんど絶壁だったところをスルスルと降りるから理子とヴィッキーに「さすが忍者」とか茶化されたのを無視して、穴の奥が暗がりで見えないほどには深いことを確認し2人にも降りてきてもらう。

 ヴィッキーは普通に降りてきたのに、理子はヒルダを呼んでそういえばあったなという落下緩和くらいなら出来る羽で降りてきやがる。それはズルい。

 そうした感想は主にヴィッキーが降りてからしていたのを聞いてから、改めて横穴へと進入。

 ドラゴンがいたら刺激したくはないので、明かりも最低限にして銃などの武装も抜かずに物音も少なく慎重に進んでいく。

 穴の大きさは出入り口から変わらずに徐々に登るように続いていて、形状からして自然に出来た穴ではないことがわかったので、ドラゴンが自分で掘った住み処なのかもしれない。

 80mほど進んでも最深部に辿り着かないので少し恐怖が増すが、さすがにエルボサ島の下なので200mを越える深さはないだろうと冷静に考えた瞬間。

 オレの感覚器官が危険な匂いを察して鳥肌を立て、次いで穴の奥から猛獣の唸り声のような音が聞こえて、武偵としての本能がそれに反射的に銃へと手を伸ばさせる。

 あのヒルダまでが身構えたので相当なヤバさだが、オレは銃を抜こうとした2人の手を押さえて止め、ヒルダにも電気の超能力を使わないようにと小声で指示。

 ここで臨戦態勢になったところで元より交戦の意思がないオレ達にはデメリットをもたらす可能性の方が高いという判断からだが、これが功を奏すかはまだわからない。

 せめて責任はと思って理子から明かりを借りて1人で奥へと歩み寄って、ようやく穴の奥にいる何かを目視で確認できた。

 ──コォォォォオオ。

 ただの呼吸音のはずだが、低く重厚のあるその声にはこの場の空気が一変する。

 穴の奥にいたのは、直径6mはあるこの穴のサイズとほぼ同じ巨大な生物。

 トカゲのような爬虫類を思わせる体に刺々しい黒く硬そうな鱗が幾重にも連なり、その背には折り畳まれている2枚の比翼。

 穴の中で丸まっているので、立ち上がればもっと大きいだろうそれはまさしくゲームなどで見たドラゴンそのものだ。

 そのドラゴンはオレの接近に対して首だけを持ち上げてまっすぐに見てくるが、この時点でヤバいことがわかる。

 ドラゴンの口の中。喉の辺りで赤々とした何かが漏れ見えて、それが炎であろうことを理解。

 有無を言わさずにそれを吐き出してきそうな緊張感の中でしかし、武器だけは抜かずにいたオレを見てドラゴンは口の中の炎を少し小さくして低く唸ってみせる。

 

「言葉は通じるのか……英語はわかるか?」

 

「…………意図せず迷い込んだわけではないな、人間」

 

 それが何かの変化と察知しすかさずコミュニケーションに入ったオレは、まず英語が通じるか試してみると、まさかの英語での答えが返ってきてビックリ。

 さすがにドラゴンは喋らないだろうと思っていたからマジでビックリだが、野太く濁ったようなその声は威圧感たっぷりだ。

 

「ドラゴン。お前を探してここまで来たが、先に言っておきたい。オレ達はお前のことをどうこうしようとして来たわけじゃない。少しだけ話を聞きたいだけなんだ」

 

「ドラゴンとは人間が付けたただの俗称であろう。俺はクエレブレ。アストゥリアスでは守り神と呼ばれている」

 

「そうか。ならクエレブレ。お前から少しだけ話を聞けたなら、オレ達はすぐにここから引き上げる。口外もしないと約束する。だから……」

 

「貴様は俺の存在に気づいても攻撃の意思を見せなかった。それは話がしたいという言葉に偽りがないと判断していいということか」

 

 大きさからしてオレなんてひと口で丸飲みできるだけに、顔が届く距離に詰めるという行為には絶対的な拒絶反応が起こる。

 それでも話が通じるならとクエレブレと名乗ったドラゴンに交渉を持ちかけてみると、オレ達を試した節のある言葉を投げ掛けてきたので、恐る恐る後ろから近寄ってきた理子達ともアイコンタクトしてから静かに頷く。

 

「本来であれば俺の前に人間が現れること自体、アストゥリアスの加護を消すに値する蛮行ではあるが、そこの竜悴公姫をそばに置く貴様らに少し興味はあるな。今の殊勝な態度と合わせて特別に不問としてやる」

 

「高潔なる竜悴公姫である私に対してなんて上から目せ……んぐっ!?」

 

「「黙ってろバカ」」

 

 武器を出さなかったことが結果的に良い方向に向かってくれたのは本当に安堵しかないが、オレ達の行いがアストゥリアス州で300年続いた安寧の海をぶち壊すかもしれなかったことには心臓が飛び出そうになる。そんな責任は負えそうにないからな。

 それで話をしてくれると言ってくれたクエレブレに早速Nについてを聞こうとしたら、偉そうなクエレブレに格下に見られたヒルダがヒステリーを起こしかけたので、理子と2人で物理的に黙らせる。危ないなこの女は……

 

「じゃあクエレブレ。まず聞きたいのは、ここ100年くらいの間にNと名乗る組織が接触してこなかったか?」

 

「N? ああ、40年ほど前に現れた不気味なやつらのことか。ワイバーンに乗ってきたから覚えているぞ」

 

「うおっ! ワイバーンとか胸熱ぅ!」

 

 理子に口を押さえられて頬を赤らめるという意味不明な反応で黙ったヒルダは大丈夫と判断して改めてクエレブレにNとの接触の過去があるかを尋ねると、やはりバンシーの聞いた通り接触してきたらしい。

 ただワイバーンとか名前を出すから今度はゲーマーの理子が目をキラキラさせて話の腰を折りそうになるから、ヴィッキーに口を封じてもらって話を続行。

 

「オレ達はやつらの目的について知りたいんだ。接触の目的はクエレブレを仲間にしようとしたからだと思うんだが……」

 

「口が軽いな人間。俺はまだ接触されたことを教えただけで、やつらの仲間ではないと断言したわけではないぞ」

 

「……ッ!!」

 

 ……しくじった。言い方からして過去の出来事という先入観で話を進めてしまったが、クエレブレがあえてそういう言い回しをしただけである可能性を考慮してなかった。

 レス島の時はどちらでも立場が対等だったから穏便に済んだだけで、今回はこっちが圧倒的に不利な立場。

 クエレブレがNの一員だとしたら、この場で敵となるオレ達を始末するのは当然の流れだ。

 頭もキレるらしいクエレブレによって一気に窮地に陥ったオレ達が身構えてしまいそうになるものの、その反射的な動きをまたも抑制して冷静な思考を取り戻したオレは、クエレブレのしていることの矛盾に気づかせる。

 

「……いや、クエレブレはNの仲間じゃない」

 

「ほう。何故そう思う?」

 

「本当にNの仲間だとしたら、オレがNの目的を知りたいと尋ねた瞬間にでも殺していたはずだ。クエレブレがオレ達を殺せない理由はないんだからな。だがそうせずにオレ達を動揺させるようなことをあえて言った。万に一つの逃走の可能性も消すならそんな無駄なことはしない」

 

「…………俺がやつらの仲間とわかったらどういう反応をするかと見てみたが、なかなかどうして機転も利くようだな。だが単にやつらを殺す目的ではないということは今のでわかったぞ」

 

「し、心臓に悪いよぉ……」

 

「死んだと思ったわ……」

 

「そうなったらサルトビだけ消し炭になってもらって逃げるつもりだったけど」

 

「そういうことは本人の前で言わないでくれる?」

 

 仮にNの仲間だとしたらと考えた時にクエレブレが取った行動は無駄なことが多いことは事実。

 そこを理屈に推理すると、クエレブレもNの仲間ではないことを正直に話し、九死に一生を得た理子達も口々に安堵の声を漏らすが、ヒルダ、お前は人でなしだ。あ、人じゃなかった。

 

「残念ながらNの目指す世界は俺にとっては然して影響がない。どころか今の環境を変えかねない可能性があった。故に俺はやつらに力を貸すつもりはない。当時もそう言って追い返した」

 

「クエレブレにとって今の環境に不満はないってことか?」

 

「不満が一切ない者などこの世のどこにもいなかろう。大事なのは環境に適応すること。俺はアストゥリアスの守り神となることで概ねの不満を解消している。人間からの供物のみでこうして身を潜めながらにして生き永らえることができるのだから、身動きに自由がないことくらい、安いものであろう」

 

 仲間割れが起きそうなヒルダの発言にはとりあえず目をつむり、Nとは協力する関係にはないことを告げたクエレブレもまた、セイレーネスのように今の環境に順応していると取れる言葉を使う。

 クエレブレが自由という言葉を使ったことから、やはりNの目的がクエレブレ達のような存在がただの伝説ではなく、現実に存在しそれが認知された世界を作ろうとしている可能性が上がる。

 その目的に関してはクエレブレもハッキリとものを言うつもりはなさそうなので、その辺の言及は諦めるしかないだろうな。

 

「奉納品はちゃんと受け取っていたってことか。じゃあクエレブレがあの祭壇から奉納品を持っていってるのか」

 

「いや、持ち運びをするのは俺ではない。俺がこの穴から出るのは、力の差がわからん低能な輩が俺の領域内で暴れた時くらいだ。供物は俺の協力者が運んでくれている」

 

「協力者がいるのか。そいつは人間……ってことはないよな。300年以上も経ってるわけだし」

 

 となれば次に繋がる話。クエレブレの知るNと接触した存在についてを尋ねようとしたが、その前に奉納品の謎が解けそうだったからそちらを思わずつついてしまった。

 すると思わぬ協力者の存在が浮かび上がり、自分の存在が浮き彫りになると危ういと自覚のあるクエレブレが奉納品を運ぶのを任せるからには、その協力者は人間の姿である可能性は高い。

 

「人の姿はしているが、生きる年月はすでに400年を越える。ビオドという町にいるが、姿や名は数十年ごとに変えている。今は確か『モニカ』と名乗っていたか」

 

「はいはーい。そういうことを教えるってことは、こっちに何かして欲しいってことじゃないですかぁ?」

 

「察しが良いな。その協力者がここ数年で俺に隠し事をしている節が見えてきている。俺に対しての罪悪感などは感じないことから、後ろめたいことではなさそうだが、何かを思い悩んでいるのなら解決してはやりたい。そこで交換条件というわけだ。その問題を解決してくれたなら、Nの目的に関することを隠さず話してやろう」

 

 予想通り協力者の姿は人間と違わないみたいで、ビオドの町も奉納品を預かる町であることから納得のいく話だ。

 ただそんな話をクエレブレ自ら明かすから、口の軽さが目立つと感じた理子がすかさずクエレブレの思惑を察して尋ねると、まさにその通りの展開に。

 出された条件は悪くないが、そのモニカを名乗る協力者の抱える問題とやらがオレ達に解決できるかどうかもわからない以上、快く返事はできない。

 そこでなんとか問題だけでも聞き出しクエレブレに伝えることが出来れば、内容によってはそれで良しとしてくれるように交渉し、クエレブレとの会話はそれでお開きとなった。

 

 無事に帰されたことで寿命が縮まったとか漏らしそうだったとかアビレスに戻る最中に話す理子とヴィッキーの言葉には概ね賛同してやりつつ、陽もまだあることから今日中にビオドに赴いてモニカと接触してしまおうと決める。

 相手はまた人間ではないから油断ならないものの、クエレブレとの繋がりがわかれば交戦的な雰囲気は払拭できるはずだ。

 しかし逃げ足に関して光るものを持つ理子からすると常に最悪の想定は欠かせないのか、ビオドへ向かう道中でふざけた様子もなくブツブツと呟きながら思案していたのを見て、オレも武装のチェックだけはしっかりとしておく。

 ヴィッキーもこれ以上の厄介な現象は避けたいのか、車に残って逃走の準備に努めるとか臆病風に吹かれていたが、それが普通だしオレもそっちの方が心配事が少なくて済む。

 なので有事の際の動きはだいたい固まった段階でビオドに入ることができ、早速モニカを探すために聞き込みをしてみると、丁度そのモニカはカボ・ペーニャス灯台に向かったと聞き、そちらの方に行ってみる。

 モニカの容姿の特徴も聞いたので、それに該当する人物を探してみると、目的のモニカは灯台のすぐ下にいて、用事を終えたのか降りてくるところだった。

 というよりもそのモニカらしき人物以外の人の姿がないので、間違いようがない。

 

「あの、モニカさんで間違いないですか?」

 

 車にヴィッキーを残してオレと理子でそのモニカに近寄り話しかけてみる。

 クエレブレによると顔も名前も一定周期で変えてビオドに住み続けているらしいので、今の容姿は本来の姿ではないのだろうが、一応の観察をしてみる。

 髪は金髪のストレートロングで見ただけでも質は最上級品。理子が面食らうくらい綺麗だ。

 顔は化粧っ気がほとんどないにも関わらず素体が良いとしか思えない端麗で、年齢は20代半ばくらいか。

 体型は160cm、45kg程度の平均的なもので秀でたところはなく、服装も割と地味めで露出はほとんどなく、整った顔立ちからはアンバランスさがあるように思える。

 

「確かに私はモニカですが、私に何かご用ですか?」

 

「ええ。実は……」

 

 さすがに服装は個人の自由なのでオレの感想に意味はないが、オレの質問に対して確認が取れたので早速クエレブレについて話そうとしたその時。

 とんっ。とオレの背中に自分の背中を合わせて後ろに振り返った理子が、明らかに警戒を強めた雰囲気になったのを背中越しに察知。

 モニカに気を取られて後ろへの警戒を怠ったから後ろでどうなっているのかわからない。が、目の前のモニカが微動だにしていないことの異常さはバカでもわかる。

 

「あまり軽率な行動は避けるべきだ。でなければそれが罠と気づいた時に後手に回ることになる」

 

 どうにも嵌められた感じはわかったので、オレも身構えつつ理子と確認を取ろうとする。

 そこに後ろから若い男の声がして、すでに顔は見ただろう理子と息を合わせてその場で位置を入れ替わり後ろに振り向くと、わずか10m程度の距離に真っ黒なロングコートを着た1人の男が静かに佇んでいて、その少し後ろにはヴィッキーの乗った車があるが、運転席のヴィッキーは意識がないのかぐったりと頭を垂れている。

 

「……誰だ」

 

「お前は俺を知っている。そして俺もお前を知っているぞ。猿飛の長兄、京夜」

 

「……アンタは……ッ」

 

 どうやら目の前の男にすでに無力化されたヴィッキーに気づいて理子とヒルダが反応したみたいだが、反射的に尋ねてしまったオレの問いに恐ろしい返しをしてきた男をよくよく見てみると、オレのことを猿飛の長男などと知っていて、妙に覚えのある顔でハッとする。

 見たことがあるのは当たり前だ。それはロンドン留学に行く前に幸姉から見せられた写真にこの顔が写っていたからな。この人は……

 

「──霧原(きりはら)勇志(ゆうし)さん」



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Slash18

 

 垂れる黒髪を全て後ろへと流してオールバックにした髪型。

 生まれつきなのか自然体でも目付きが鋭く、それでいて近寄りがたいというほどでもない不思議な親近感のような雰囲気に混ざって、やはりわかる人にはわかる鋭利な牙を持つであろう危険性を孕む目の前の男。

 身長はオレと同じくらいの175cmほどでロングコートのせいで体重までは不明。中に武器を隠している可能性は大いにある。

 アストゥリアス州の守り神と呼ばれるドラゴン、クエレブレの要望で協力者のモニカなる人物に会えたまでは良かったが、会ってすぐに出現した男によってこれが罠であったことを告げられた。

 逃走用の車を運転するヴィッキーはすでに運転席でぐったりしていて意識があるかどうかも不明で、モニカを名乗る人ならざる者と男にオレと理子は挟撃に遭ってしまう。

 しかもその男とはオレは過去に面識もあり、意味深なことを言ってくれたおかげで男が誰かわかったのはいいが、それはあまりに残酷な仕打ち。望まない再会となってしまった。

 霧原勇志。今はそう名乗ってはいるが、元はオレの先祖と同じく真田を守る十勇士の1人だった霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)の子孫。

 オレより2つ歳上の彼は、去年に警視庁公安部の所属となり、そこの第0課──とんでもない超人も数多くいる殺人ライセンス持ちの公務員だ──に配属されていたのだが、首相が変わったことで事業仕分けという名目で0課を解散させられ、それ以降から消息不明となっていたのだ。

 その事を留学前に知人の繋がりとして真田の家から幸姉を経由してオレに話だけが来て、彼に関する情報を聞いたら報告するようにと言われていた。

 その時に警察学校卒業時の写真を見たので、その特徴が一致する目の前の男はまず間違いなく霧原勇志その人だ。が、何故ここに……

 

「最後に会ったのはお前がまだ5歳の時だが、武偵になっていたとはな」

 

「ほとんど成り行きではありましたけどね……」

 

「そこのリュパン4世と竜悴公姫、ヒルダ・ツェペシュが仲間とは、ずいぶんとバラエティーに富んだ人選だが、もう少しリーダーは優秀にならねば扱いきれないな。宝とまでは言わんが、持ち腐れ。フルパフォーマンスをさせてやるにはお前では足りない、京夜」

 

 オレの疑問など答えるつもりもなさそうな勇志さんは、昔を懐かしむようなことを言いつつも気配に油断は一切なく、構えなど腕さえ下げたままなのにこっちから先に動ける気がしない。

 その勇志さんが理子とまだ姿さえ見せてないはずのヒルダについてすでに情報を入手済みで、4世とだけ呼ばれることに少しコンプレックスのある理子がイラッとした雰囲気を背中越しに出すのを堪えさせるが、この感じは違和感がある。

 

「……『いつから』オレ達を見ていたんです?」

 

「それには俺が答える権利はないな。どうですか?」

 

 罠に嵌めてきたことからも、明らかに勇志さんはオレ達のことを前から監視して仕掛けるタイミングを計っていた。

 それが一体いつからだったのかさえわからない現状、迂闊に会話をするのも危ういと察して情報を引き出しにいくと、意外にも勇志さんはオレの後ろにいるモニカと名乗る女性に確認するように口を開いたので、振り向くことはできないがそのモニカの言葉に耳を傾ける。

 

「日本語はわからんと言っている。何を聞かれたのだ」

 

「失礼。これらをいつから監視していたかと尋ねられたのです」

 

 おそらくはスペイン語で話したモニカが日本語がわからない的なことを言ったことに謝罪してから、オレ達にもわかるかとあえて英語で喋った勇志さんに合わせて、モニカも通訳が必要になるならと英語での会話に興じてくる。

 

「いつからか。それに答えるメリットはこちらにはないが、そちらの口を開かせる意味では多少は有意義か」

 

「オレ達から何かを聞き出すつもりなのか」

 

「手段などいくらでもあるが、痛みが伴うのは生物として嫌であろう?」

 

 話しかけた時の優しげな印象とは打って変わって高圧的な女性の口調になったモニカは、オレ達を罠に嵌めた理由の1つとして何か情報を引き出したいらしいことを言う。

 その過程でオレ達の処遇が決まるみたいな怖いことを言うものの、それに臆して屈するわけにはいかないだろう。

 

「仮にあたし達がお前らの求める情報を吐いたとして、その後にあたし達を見逃すって選択はあるのか?」

 

「……ないな。悪いがたとえ小蝿(こばえ)と言えど、我らの前で動かれて目障りなのは変わりない。だが安心しろ。せめて苦しまず逝けるように配慮はする」

 

「ちっ。殺す時点で配慮はないんだよ」

 

 ただし差し出せる情報がこちらにとって不利益にならず、命も助かるのならと理子が素の状態でもしもの話をするが、至って冷静に、冷酷に見逃す道はないと断言されてしまう。

 それならばもうオレ達が取れる行動は1つしかない。

 

「勇志さん、アンタは今、Nにいるって認識でいいんだよな」

 

「どこまで嗅ぎ付けたかは知らないが、警告は以前にもしたぞ」

 

「…………やっぱりあの時にもいたのか」

 

「あそこで素直に死んでいれば今のこの状況はなかったんだが、お前が死を偽装していなければ我々も欲していた情報を得られなかった。そう考えれば、お前が生きていて良かったと捉えることはできるな」

 

「もう情報を得たつもりでいるんですね」

 

「我々と対峙した時点で、お前達はすでに敗北している。それが現実なんだ、京夜」

 

 勇志さんとモニカの撃破。は、現実的に無理がありそうなのは対峙してわかってしまっているから、この場でのオレ達の勝利は全員で勇志さんとモニカの包囲から脱して振り切ること。

 そして勇志さんが残念なことにNの一員である確認が取れたところで、話すことはこれ以上ないと告げる言葉で勇志さんとモニカから攻めてくる気配が漏れ出す。

 霧隠才蔵の子孫とはいえ、オレは勇志さんがどんな戦い方をするのかを全く知らないし、その勇志さんの上役っぽいモニカはさらに強いと考えるべきだろう。

 だが幸いこちらは辛うじて数的優位はあるので、1人でも包囲を抜けて動けないヴィッキーの乗る車を動かせれば……

 まだ陽があるためにヒルダの調子が上がらないことは、向こうが竜悴公姫と知ってる時点でバレてるだろうから、オレが勇志さんを、理子がモニカを相手するのがいいかと理子の背中に指で触れて指信号(タッピング)で伝える。

 

「指信号とかやってる場合じゃないぞ、京夜」

 

「何だって?」

 

 だが返事を指信号ではなく口頭で伝えてきた理子の緊迫具合が半端ではなくて、また理子と立ち位置を入れ替わりモニカに振り返る。

 180度変わった景色では驚くべきことに、後方の海から2つの水の竜巻がモニカの頭上にまで伸びてきていて、それは先日のテムズ川での襲撃に出現したものと酷似していた。

 

「水……アンタがそうか」

 

「紫電の魔女を動かすのも良かろうが、感電しても責任は持てんな」

 

「来るぞ京夜!」

 

「クソッ!」

 

 状況からしてこのモニカが件の襲撃者で間違いなさそうだが、今はそれをどうこう考えている場合ではないので、理子の掛け声と同時に左右別方向に動いたオレと理子は、狙いを分散させつつ2人の挟撃に対して視野を広げる行動に出る。

 横に動けば多少ではあるが勇志さんとモニカの2人を同時に視界に捉えることは不可能ではなく、理子はヒルダと視覚を共有して上手く立ち回れそうな雰囲気。

 気になるのは再び捉えた視界で勇志さんが全く動いていないことだが、不動の勇志さんに対してモニカの方は容赦なく、頭上に浮く渦巻きから先の水のつぶてをオレ達へと散弾のように放ってきた。

 何か情報を引き出すつもりでいるからか、水のつぶての威力は以前の半分ほどで当たりどころが悪くなければ死にはしないだろう。

 さらに幸いなのは前回はモニカ。術者の姿を捉えることができずに防戦一方だったのが、今回は見えている。これは大きいぞ。

 

「勇志、遊びはいらんぞ」

 

「俺が遊んだことなんてないでしょう。むしろあなたが遊ぶ傾向にある」

 

 状況は悪いが思考は冷静な確認が取れたことで対処までを算段し始めたのをまるで見抜いたかのように口を開いたモニカと勇志さんに思考が乱されて2人の行動に集中せざるを得なくなる。

 それでモニカに暗にサボるなと言われたに等しい勇志さんは、やれやれといった様子で短い息を吐くと、くるっと回れ右して後退し後ろに控えていた車に乗るヴィッキーに近寄っていく。

 ──ビリッ。

 と、それを見た瞬間にオレの全身の細胞が反応し、ヴィッキーの身の危険をかなり早くに察知。

 これはオレの死の回避のバリエーションである『死の予感(デス・フィーリング)』が視界に捉えた者の死の前兆を感覚的に捉えられる力で、これが発動したということはヴィッキーが……

 そうと考えるよりも先に体が動き出していたオレがモニカの攻撃を掻い潜って勇志さんを止めに迫るが、勇志さんが懐から拳銃を抜いてヴィッキーの頭に銃口を向けるまでに間に合いそうにない。

 勇志さんも考えて位置取りし、理子からは撃っても当てるのが難しいか、頭しか狙えないか、車のエンジンに当たるかしかなく、オレ達が武偵法9条──活動上での殺人を禁じられている──に縛られていることも折り込み済み。

 それでなくても勇志さんは元0課の武闘派。迂闊に間合いに入れば訳もわからず無力化される可能性も高い。

 となれば間合いの外からの攻撃で勇志さんを一時的にでも退かせる必要があるが、クナイや手裏剣は狙いこそ正確だが速度が圧倒的に足りないから軽く避けられるか防御されて終わりだ。

 まさかこんな早くにこれを使うことになるとは思わなかったが、時間があれば使っていたこともあって体は自然とそれに手を伸ばしてくれて、ロスなく懐のブローニング・ハイパワーが勇志さんに向けられた。

 撃つために一瞬でも止まる必要があったので、モニカの水のつぶての間隙で1発撃つのが精一杯。

 戦闘の保険レベルのオレの射撃では勇志さんの銃を持つ手は狙えないので、大腿部に当てて機動力を削ぎ昏倒を狙う。

 ──ガゥン!

 おそらく実践で人に向けて当てるつもりで撃ったのは初めてのその1発は、狙い通りに勇志さんの下半身には当たる軌道で放たれた。

 だが撃つ寸前にオレの方をチラッと見た勇志さんが銃を持つ左手とは反対の右手をオレの銃弾の軌道上に乗せて、命中したタイミングでぐるんっ! 360度しゃがみながらのターンを決めて元の位置に戻る。

 そして驚くべきことにオレの撃った銃弾は発射時のスピン運動をしたまま、勇志さんが右手にはめていた黒い指輪の上で威力だけを殺されてコマのように回っていたのだ。

 

「『マキリ』さんみたいにはやはり出来ないか」

 

 恐るべき絶技。理屈では今のを理解はできるが、やろうと思って出来るものでは毛頭ないことは明らか。

 銃弾の速度と全く同じ速度で指輪に当たった瞬間に手を引き、その勢いを殺すために体も回転させて推進力をゼロにした。テニスなどで迫ったボールに添えるようにラケットを引き勢いを殺すあれと原理は同じだ。

 それをマッハで迫る銃弾で平然とやってのけた勇志さんに呆気に取られてモニカの水のつぶてを危うく受けそうになったが、呟いたマキリという人物が今の技のオリジナルってことなのか?

 だが今の銃撃の防御で勇志さんが体を回転するアクションをしてくれたことで、理子がヒルダに指示をしてくれたか、太陽に小さな雲が重なって薄い影が広がったところで理子の影から離れ高速で車の下まで移動。視覚的には勇志さんには見えていなかっただろうが……

 

「だから遊ぶなと言っている」

 

「正当防衛ですよ」

 

 バッチリと目撃していたモニカの声で気づいたか、サッとその身を車から離してヴィッキーの頭を撃ちにいくが、それを阻止しつつ攻撃するように車の影からヒルダの武器である三叉槍が飛び出してくる。

 惜しくも外れはしたが、当たったら当たったで死んでたかもしれないので肝を冷やしつつブローニング・ハイパワーを懐に仕舞って、車の影から三叉槍を持って出てきたヒルダが勇志さんを牽制しながら車を移動させようとしてくれて助かる。

 そしてここまででわかったのは、モニカにもまた突くべき弱点があることだ。

 水のつぶては容赦なく襲ってくるが、狙いをつけて撃ち出されるのはオレと理子にのみ。戦闘開始から動けないヴィッキーを狙われたら確実に窮地に陥っていたのはこちらだったが、そうはならなかった。

 単に射程の問題かもしれないが、ヴィッキーを狙えない、狙わない理由があるのはこっちにとって喜ぶべき事実なので、雲の影があるうちにヒルダに車を移動させてもらおうと牽制で動けないヒルダを助けるために再度オレが勇志さんに接近。

 それも察した勇志さんがオレにも意識を向けた瞬間にヒルダが影の中から理子の所持品で危険物指定されてるウィンチェスターM1887のソードオフを取り出して三叉槍と持ち換える。

 ウィンチェスターは対人仕様では殺傷力の高い散弾銃。しかも近距離で弾を拡散させるためのソードオフまで施してるので、勇志さんとの距離だと確実に逃げ道がない。

 

「ちょちょちょい!」

 

 当然、接近しようとしていたオレまで射程に入ってしまうので慌ててブレーキをかけてモニカの水のつぶてを回避するが、その間に勇志さんもウィンチェスターを見てオレが撃ったさっきの銃弾を鋭いスナップで投げてウィンチェスターの銃口に突っ込む。

 あまりの早業でヒルダが対処までに思考が遅れてしまい、その隙を突いて一気に距離を詰めにいった。

 接近戦に弱いヒルダでは危ういと考えるより前にミズチのアンカーを射出して、遠心力も加えた技で勇志さんの体に巻き付けようとしたが、しっかり見てきた勇志さんはその軌道より姿勢を低くしながら走るのをやめずに潜り抜けてしまう。

 だがアンカーが勇志さんを捉えられずにヒルダの持つウィンチェスターにアンカーがくっつくようにと保険をかけていたのが幸いし、防刃グローブを絶縁性のものにも変えていたのでミズチと繋がるワイヤーをグローブで掴んで電撃を遮断。

 ワイヤーに触れたヒルダはそれを迫る勇士さんの体に触れるように動かしてから、自前の電力をワイヤーに流して感電させにいった。

 殺傷力はそれほどないので、筋肉を硬直させることができれば御の字。

 バヂンッ! と勇志さんの肩に触れていたワイヤーから火花が弾けて、電撃を受けただろう勇志さんも倒れる。

 

「ヒルダ! 行け!」

 

「私に命令しないでちょうだい!」

 

 すぐに起き上がってこなかったのを確認して叫びヒルダの離脱を促すと、悪態をつくヒルダも何をすべきかはちゃんとわかっていて、動けないヴィッキーを助手席に乱暴に押しやって乗り込む。

 勇志さんはまだ起き上がらないが、何か違和感はあって不用意には近づけないと判断して、車をUターンさせたヒルダが離脱の前に「理子が死んだらお前を消し炭にするわよ、サルトビ」と死んだあとに灰も残してもらえない宣言に苦笑。

 モニカも逃げる車を攻撃することはなく、予想より簡単に2人を逃がせたのが怖いが、これはチャンスかもしれないと理子とアイコンタクト。

 もしも本当に勇志さんが動けないなら、勇志さんを人質にしてモニカから距離を取り、それで離脱ができるかもしれない。

 ただオレの勘はそれをよしとせず、理子も博打になるかもといった表情でオレを見てくる。

 博打は勇志さんのことだけではなく、なんとなくこのモニカと勇志さんの間には仲間意識が薄い気もするため、人質として機能するのか、それも怪しいということ。

 

「策があるなら使わんと、死ぬぞ?」

 

 その辺での迷いがモニカにも見て取れたか、水のつぶてを放ちながら殺気を込めた目でオレと理子を睨み付け、それに気を取られた瞬間にオレと理子は意図せずに急に転倒。

 あまりにいきなりのことと、あり得ない現象だったから思考も停止しかけたが、オレと理子はスリップしたのだ。『氷の上』で。

 何故この春も終わるというこの時期にと思うしかないことのようだが、もちろんこれはモニカが起こした現象に他ならなく、散々撃ち続けて水浸しになっていた足場の水を一瞬で氷結させてアイスバーンにしたんだ。

 しかもこのアイスバーンがなかなかハードで、並みの雪国をしのぐレベル。立ち上がるのも生まれたての子鹿みたいになっちまうぞ……

 そんなガクガクのオレと理子に容赦ないモニカが水のつぶてを絶妙のコントロールでぶつけて滑らせて、オレと理子は防御に手一杯で思惑通りに動かされていく。

 

「チェックメイトだ」

 

 そして1ヶ所に集まるように滑らされたオレと理子が辿り着いたのは、いつの間にか起き上がっていた勇志さんのそばで、その勇志さんのいる地点を区切りに氷は終わっていて、ホイホイされてきたところをガッ! 後ろ首を同時に掴まれてしまう。

 当然、チェックメイトだのと言われて黙っているわけがないので水のつぶてを受けながらも拘束を抜けようとした。

 ──動かない。

 恐怖で体が動かなくなったとか、そんな話じゃない。マジでピクリとも動かない。

 

「な……んだこれ……」

 

「んー!」

 

 理子も同様に体を動かせなくなったのか、必死の抵抗を声にしていたが、声は出せる。呼吸もでき、思考も首も回る。だが首から下が全く動かない。

 

「さて、大人しくなったところで話を聞こう」

 

 何をされたのか理解すらできない状況で混乱気味のオレと理子に対して、首から手を放した勇志さんがオレ達を生かしておいた理由である情報を聞き出すために、等身大の人形のようになってしまったオレと理子の正面に回ってくる。

 

「ああ、その前にあっちは片付けておくか」

 

「竜悴公姫は簡単には死なん。手ぬるいぞ、勇志」

 

 さらに絶望を与えるように口を開いた勇志さんは、まるで忘れ物をしていたかのような調子でそう言うと、次にはオレ達の後ろから何かが爆発する音が微震動と共に伝わってきた。

 それが示すのは間違いなく、逃げたヒルダとヴィッキーの車が爆破されたのだ。

 それを実行しただろう勇志さんの表情に変化がなく、何も感じていないかのようなそれに戦慄していると、攻撃をやめたモニカが近づいてきて勇志さんに文句を言う。

 確かにヒルダはあのくらいで死にはしないが、ヴィッキーは別だ。くそっ、完全敗北だぞこれは……

 

「竜悴公姫なら様子から見てこの女が餌になるでしょう。拷問だって加減がいらない分、人間より気遣いが必要ない」

 

「貴様のその考え方は我らも含むようで気に食わんな。まぁ今はいい」

 

「……痛覚は問題なく通っている。五体満足で死にたいなら、素直に話せ」

 

 どうやっても逆転の手が打てないと確信してしまったところにまた残酷なことを言う勇志さんが、本当にオレの知る人なのかと疑いすらする。

 これが公安を目指して努力していた霧原勇志だと言うなら、オレは認めない。

 だがオレの否定など無意味と言うように拷問も辞さないと宣言した勇志さんは、拳銃を手にして聞き出すべき情報についてを口にした。

 

「バンシーはどこにいる」



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Slash19

 

 圧倒的敗北。

 勇志さんには目に見えるダメージも与えられず、モニカにはかすり傷1つつけられずに拘束されたに等しい状態にされたオレと理子は、逃げられたと思ったヴィッキーとヒルダが乗った車すらも爆破されて完全に意気消沈。

 そんな精神的ダメージが襲う中で首から下を全く動かせなくなったオレと理子にと尋ねてきた勇志さんの口から出たのは、最近に知り合ったばかりの訳有り同居人であるバンシーの名前だった。

 

「……バンシー? 飼ってるペットでも逃げたのか?」

 

「京夜。旧知の家柄のお前だから最初に尋ねたんだ。正直に言え。お前がレス島のセイレーネスに会ったことは知っている。そして今回のクエレブレ。この短期間にこうも我々Nと接点を持った存在に接触し得たのは、お前のそばにそれを知る存在がいたからだ」

 

 バンシーはどこにいると尋ねられたからには、Nとしてはまだバンシーの居場所を掴んではいないってことだ。

 それにはすぐに気づいたので、バンシーが何者であるかさえも知らない素振り──ここで「誰だ?」と返すのさえ注意した──でポーカーフェイスを決め込む。

 だが向こうも向こうで確信があって尋ねてきたのは確かなようで、勇志さんとモニカ。双方の表情の機微を見ながら返しは慎重にする。

 

「彼らの共通の面識者は我らのメンバーを除けばわずか2個体。その内1個体はすでに確認が取れてお前達とは非接触だったが、もう一方のバンシーに関しては我々がその居場所を把握していない。バンシーに言われたか。我々を探れと。潰せと」

 

「……仮にオレがそのバンシーってのを知っていたとして、お前達はバンシーをどうするつもりなんだ?」

 

「おい勇志。こいつは半端なことでは吐かん。無駄話はこれで終わりだ」

 

 勇志さんは割と堪え性のあるタイプなのは話からわかったが、どうやら上司らしいモニカはそうでもないらしい。

 勇志さんに話させて情報を引き出そうとするオレが気に入らなかったか、明らかに不機嫌な態度になって勇志さんから拳銃を奪って撃ちかねない雰囲気にまでなる。

 

「少し待ってください。利害さえ一致すれば交換条件という手もあり得るかと」

 

「利害の一致だと? はっ! これと何が一致するのだ」

 

「反応を見たところ京夜はバンシーについてろくに知りもしない無知。我らがバンシーを欲する理由と、彼らの命とバンシーの居場所。これを交換条件にすれば或いは……」

 

「勇志」

 

 それをなだめつつ話を穏便に済ませようと進言してくれた勇志さんに隣の理子がちょっと目をキラめかせたが、そうやってオレ達を助けようとするような提案をした勇志さんに対して、モニカは水の超能力で作った水の球体を勇志さんの口と鼻を覆うように展開。

 水で口と鼻を塞がれれば、当然その先に待つのは窒息なのに、そうなってからも勇志さんはまるで苦にしないように冷静に無呼吸を続けてまっすぐな目でモニカを見つめる。

 その顔がまた苛立ちを募らせたか、一応は仲間なので本当に窒息してしまう前に解放したが、小さく咳き込んだ勇志さんから拳銃を取り上げたモニカは、その銃口をオレへと向ける。

 

「お前は新参だからそういう甘さがあるのは許容しよう。だがそれを小蝿の前でチラつかせるな。小蝿と言えど逃がしていい理由がない」

 

「こほっ……はい」

 

 そして流れが勇志さんの従順さによって完全に変わってしまったのを敏感に察知。

 理子も超金属である瑠瑠色金を含有するロザリオの力で髪を自在に動かす超能力が使えるが、モニカが超能力の発動の前兆を鋭く見抜き、防弾セーラー服の上から腹に1発お見舞いし悶絶させる。

 

「お前には竜悴公姫の呼び水になってもらうために少し長く生かさなきゃならん。勇志。そいつの力の根源は首から提げてるロザリオだ。奪っておけ。色金の力をわずかに感じる」

 

「や、めろ……これに触れ……るな」

 

 理子が撃たれても庇うことさえ出来ない自分の無力さに絶望するが、理子の母親の形見のロザリオを勇志さんが取り上げようとしたのだけは阻止しようと、首だけで強引に体を振って体を理子の方に倒して、ロザリオを奪おうとした勇志さんの間に入り理子を上から押し倒す。

 

「今ので何もさせてもらえないのはわかった。だからこいつからこれを取り上げるな」

 

「はぁ……勇志。面倒だ。2人とも剥くぞ」

 

「何か手がかりを持ってるかもしれないですしね」

 

 それで懇願に近いオレの言葉が届くかと一瞬でも考えたが、人間というのに興味がないのかモニカは溜め息まで吐いてオレと理子の全てを取り除こうとしてくる。

 何もかもが悪手になるモニカとの相性の悪さは本当に嫌になる。血が通った存在にさえ思えない。

 そんな相手が目の前にいて何も出来ないことの歯痒さは理子も感じているのか、黙って剥ぎ取られる屈辱を歯を食いしばって堪えようとしていた。

 そして2人がオレと理子に手をかけようとしたその直前、ほぼ同時に2人ともが何かに反応してその場を後退り、そのあとに後方から重なるような銃声が2つ響いてくる。

 誰かが勇志さんとモニカを撃った、のか?

 そうとしか思えない状況に少し距離が開いた2人から目を離して理子の上で首を回して後ろを見ると、撃った人の影はない。

 勇志さん達の回避行動と銃声のタイムラグから500m以上は離れていることはわかったが、スナイパーが2人、かなりの精度で撃ってきたわけで、そんな援軍は思い当たらない。

 誰かはわからないし状況が好転したのかの判断もつかないものの、今のうちに動けるようにならないかとあれこれ試し始める。

 

「理子、何か違和感はないか」

 

「わかんない! でも京夜が庇った時に首の後ろが見えて、何かほっそい何かが刺さってる? のは見えた気がするんだけど」

 

「刺さってる? 痛みなんてなかったが……」

 

 依然として理子の上で首を回すことしかできなく、動くと理子の胸が顔に当たる不具合があるが、今は理子もふざけてる場合じゃないと真面目に思考してくれて、庇った時に首の後ろに何かあったと言われる。

 気になるのでもう1度確認してもらってから、オレも理子の首の後ろを確認してみると、確かに髪の毛よりも細い針のようなものが刺さってるように見える。

 こんなものを仕込まれたとするなら、やはり勇志さんに首を掴まれた時になるが、オレと理子が痛みすら感じずに全く気づかなかったということの不思議は残り、体が動かない原因はこれなのだろうと予測もできた。

 だが何かもわからないこれを抜くことには慎重にならざるを得なく、勇志さん以外の人が抜いて何か別の症状が出たりしたらそれこそ悪手。

 どうするかの判断はオレに任せるといった顔の理子がオレの決断を待つ間に、勇志さんとモニカは姿なきスナイパーに対して迎撃体制を素早く整えて、次弾を防ぐ手段がありそうな勇志さんがモニカを庇う位置に立ち拳銃を構える。

 しかし謎のスナイパーは先の2連発から次弾を撃たずに沈黙し、来ないならとモニカが凍らせていた水分を解かして水の塊を作ると、その水でオレと理子を取り囲み持ち運ぼうとしてくる。

 

「お前とはつくづく顔を合わせるな、猿飛京夜」

 

 持ち去られてしまえば拷問再開だろうことは間違いないので、オレだけなら賭けに出るかと理子にオレの首に刺さってる針を抜いてもらおうとした時、不意に頭上から男の声がする。

 聞き覚えがあったその声にどこから湧いて出たというズレた感想を抱きつつも、取り囲む水の外側に静かに着地した男、サイオン・ボンドは、連れ去られようとするオレ達を無視して勇志さんとモニカに突貫。

 そこは助けてくれないかな、と思ったが、超能力を扱うのに集中力が必要なことを思い出し、それを乱すために前に出たなら掴めない水をどうこうするより好判断だ。やっぱり頭も良いな。

 

「00セクション、ナンバー7。サイオン・ボンドか」

 

「人間の中で頑強な部類のやつだな。勝てるか?」

 

「今の俺ではまだとしか。マキリさんでも5、6割ってとこでしょう」

 

「呑気な会話だな」

 

 スナイパーに続いてサイオンの登場でNの2人も余裕がなさそうな会話をしていて、それでもサイオンを前にして会話できるのだから凄い。っていうかマキリってやつは見立てでもサイオンと互角に戦えるのかよ。嫌になるわ……

 だが思わぬ味方の乱入で向こうがオレと理子から意識がいかなくなったのがわかり、さらにサイオンの突貫でそちらに意識が強引にいった瞬間を見計らったように、スナイパーからの狙撃が勇志さんとモニカの右肩に命中。

 狙撃のダメージが目に見えてなさそうなくらい表面上は無傷の2人は、しかし遠距離への対応策がなかったのかこっちの押せ押せな雰囲気に傾きかける。

 それを見極めたのか、サイオンがゼロ距離にまで接近する前に再び海から渦潮が伸びてきてサイオンを攻撃するのかと思えば、その渦潮の中に勇志さんとモニカを巻き込んで連れ去ってしまい、渦潮はそのまま海へと戻って消えてしまった。

 

「……引き際が潔すぎて気持ち悪いな」

 

 撤退したと見せかけての奇襲にも警戒しつつ、脅威が去っていくのを感じ取ったのか、足を止めたサイオンは捕らえるつもりでいただけに収穫のなかった出撃で悪態をつく。

 だがオレ達からすれば撤退させてくれただけでも感謝しかない絶望的な状況だったから、悔しがるサイオンには苦笑しかない。考え方が違いすぎる。

 

 Nが撤退したと判断してオレと理子の下まで戻ってきたサイオンに何故ここに来たのかと問いかけてみる。

 するとサイオンは取り出した小型の通信機に話しかけてからその問いに答える。

 

「ここにNのメンバーが潜伏していると情報が流れてきたのだ。着いたのは今し方だったが、爆発し炎上した車が見えて、その近くにいるお前達を見て降りてきた」

 

「……降りてきた? 飛行機にでも乗って来たのか?」

 

「そんなところだ」

 

 相変わらずクールなやつで最低限のことしか答えはしないものの、イギリスのMI6を引っ張り出すような情報源がどこからもたらされたのか気にはなる。

 それからサイオンの登場より前にオレ達を助けたスナイパーがサイオンの味方なのかどうかも確認しようとしたら、オレ達から視線を外したサイオンが何かを見たので、オレもその視線を追って首を回すと、遠くから1台のボックスカーがやって来てオレ達の近くで停車。

 その車から真っ先に降りてきたのは、車ごと爆破されたはずのヒルダとヴィッキーで、オレ達が無事なことを知って駆け寄って抱き起こしてくれる。

 

「お前ら……よく無事だったな」

 

「ヒルダが設置されてた爆弾の遠隔装置の微弱電流を察知してくれて、爆発の前に脱出できたのよ」

 

「動けない人間を運ぶのは面倒だったけどね」

 

 2人の無事にはオレも安堵するが、オレを足蹴にして理子を抱き起こしたヒルダには文句を言いたい。

 完全敗北からの全員生存は精神的にかなり救われたが、その逆転の1手を打ってくれたのが誰なのかと抱き起こしてくれたヴィッキーに支えられて車から降りてきた男を見る。

 身長185cm、90kgほどの巨漢で、白髪混じりの乱雑に切られたボサボサの黒髪。口回りに髭をたくわえた定年間近の初老ほどのダンディーな男は、懐からタバコを取り出して吸いながらオレ達の方に近寄ってくる。見覚えは、ない。

 

「お前さんが猿飛のところのせがれか。目付き悪いなぁ」

 

「日本語……日本人、ですか」

 

「在住はフランスのリヨンで、日本にはもう30年くらい帰ってねぇな」

 

 見覚えはないが向こうにはオレの情報があるようで、また猿飛の、と言われて身内関係者なことはわかった。

 だいぶフランクな印象の男はそうやって話しながらにオレと理子の首の後ろに刺さっていた針を無造作に抜いてしまい、2人して焦るが、特に異常はなく体もすぐ自由に動くようになった。

 

「こいつは『ナノニードル』。毛髪の1万分の1の細さの針で人間の痛覚をすり抜けて刺せるってんで、専らは医療用の注射針に使われてんだが、ああいうのが使うと兵器だな」

 

「あのぉ、あなたは?」

 

「こりゃ失礼お嬢さん。俺は百地彰介(ももじしょうすけ)。ICPO所属のおっさんだ」

 

「インターポールか。ということは情報源はお前だな」

 

 それを知ってて引っこ抜いた男は理子の問いかけに百地と名乗り、ICPOの組織名にサイオンが反応した。

 そしてオレは百地という名前に聞き覚えがあって、少しだけ思考する。

 それで直近で勇志さんとも遭遇したこともあり、その関連であったとすぐに思い出してその辺の記憶を辿ると、4月に連絡してきた幸姉がその名前を口にだけしていた。

 

「…………百地の旦那……幸姉がそう呼んでた人ってあなたですか」

 

「幸姉ってのは真田の姫さんか。1度だけ連絡を取っただけだが、確かにそんな呼ばれ方になったな。その旦那で間違いない」

 

「じゃあ、あなたは勇志さんを追ってここに?」

 

「いや、勇志のボウズがいたのは完全に想定外だった。俺は今、Nの捜査を担当しててな。その線からここに来たんだが、面倒なことになったもんだ」

 

 整理しなきゃいけないことが多すぎてなかなか話が進まないので、理子とかサイオンとかが百地さんに聞きたいだろうことが聞けずもどかしい感じになっていて、オレも早く片付けたいが急かさないでくれ。

 その百地さんは勇志さんを追ってきたわけではなく、Nの捜査担当としておそらくサイオンの言い分からモニカ辺りを発見して来たんだろう。

 そこでオレ達がドンパチやってたから気づいて援軍に来てくれた感じだな。MI6への情報はもっと前から流していたと思うが。

 だがICPO。インターポールって組織は警察などとは違って人員を使って現場に赴いたり事件を解決したりといったことには関わりがなかったはず。

 日本語では国際刑事警察機構って訳になるが、その業務は主に警察などへの情報提供や国際指名手配の実行とかそんな感じのデスクワークで、国際的な活動から国とのトラブルを避けるため逮捕権も基本的に有していない。

 なんか風の便りで酔狂な人もいて、特定の人物に特化して逮捕しようとする捜査官なんてものもいたらしいが、真実かはわからない。

 そのICPOの百地さんがなぜ捜査にまで手を伸ばしているかは今は後回しでも良さそう。というかサイオンがそろそろ話をさせろと無表情なのに睨んできて怖い。ゆ、譲りますよぉ。

 

「インターポールで掴んだNに関する他の情報はあるか」

 

「あるが、こっちはここほど確実性はないから、わざわざMI6さんが動くまでもなく俺らで調べるさ。確実性が上がったらまた報告させてもらう。戦闘力に関して言えばアンタらは頼りになるしな」

 

「あなたの狙撃もなかなかだったがな。それから猿飛京夜。次は助けてはやれないぞ」

 

「……肝に命じておくよ」

 

 いるだけでちょっと怖いサイオンにターンを譲ってみたら、サイオンはたったそれだけを聞いて話を終わらせて撤収のために歩き始めてしまい、去り際にキツい一言を放っていく。

 思えばサイオンには助けられてばかりでオレ良いところないよな。実力不足はロンドン留学でもなかなか補えないってことか。

 

「先代のナンバー7はもう少し人間味があったが、ありゃ友達いねぇな」

 

「てゆーかMI6とかと知り合いって、キョーやん何したのさ」

 

「オレというよりはキンジだが、敵対してるわけでもないからいいだろ。それよりさっきの狙撃は2人スナイパーがいたと思うんですけど、もう1人は?」

 

「あ、それこの人と私ぃ」

 

 そうしてサイオンが早々と離脱していったのを見送って、話もまた別のものとなり、ナンバー7が先代の頃からMI6と関係があるっぽい百地さんに先の援軍の狙撃についてを問うと、意外なところのヴィッキーが自慢気に答える。

 が、それにはオレも理子も疑いの目を向けて信じようとしないので、プンスカ頬を膨らませたヴィッキーはご機嫌を損ねてしまった。

 その様子を見て小さく笑った百地さんはそれが事実であることを述べてから、車に戻って中から物凄くゴツい狙撃銃を持ってきた。

 

超先端科学兵装(トランサンデ・エンジェ)って知ってるか? アメリカのロスアラモスってとこで研究されてる武装なんだが、こいつもそれの1つで、簡単に言えばまぁ、最低限の狙撃の基本ができれば各種サポート完備のこいつで誰でも精密狙撃ができるってわけだ」

 

「へぇ。じゃあヴィッキーがドヤってるのは筋違いってことでいいんですね」

 

「それが助けてあげた人に対する態度ですかねぇ!」

 

 その無駄なゴツさはなんか既視感があったので、言われて納得してしまったオレもオレだが、ロスアラモスって祖国以外にも技術提供してるんだな。やってることは未だに全て許容はできないが。

 ロスアラモスはキンジの兄弟のジーサードやジーフォース、かなめを始めとした人工天才(ジニオン)を作り出し、人間兵器(ヒューム・アモ)にしようとか非人道的な計画をいくつも企てている組織で、オレとしてはあまり良い印象がない。

 そこに留学しちゃった同級生の平賀文(ひらがあや)が悪い方向にグレードアップしないかと今も不安で仕方ないが、その兵装のおかげでヴィッキーにもあれほどの精密狙撃が出来たなら、今回は素直に助かった。

 

「んでだ。話が落ち着いたところで確認したいんだが、ビオドの町に潜伏してたNのメンバーってのは、さっき逃げてった勇志のボウズと一緒にいた女で間違いないか?」

 

「おそらくは。モニカという偽名で顔も変えていると言っていたので、今後の目撃情報は当てになるか不明ですが」

 

「ねぇねぇキョーやん。こうなるとあれにも確認を取らなきゃだよ。理子達が嵌められたのがあれのせいならぷんぷんがおーだし」

 

「それに関してもだが、もう1つ確認しなきゃな。百地さん。勇志さんがナノニードルで使った技の正体を知ってますよね。オレ達はまだ勇志さん達に狙われる可能性が出てきました。なら対策は練っておきたい」

 

「そうだよそうだよ! 狙われるって言えばキョーやんまだ隠し事してるでしょ。バンシーってあのバンシーでしょ。それとも知り合いなの?」

 

「そっちは知らん。向こうもまだ憶測で尋問してたっぽいし後回しだ」

 

 ようやく話の整理もついてきたので、もう少し細かい話は場所を移動しようみたいな雰囲気になりつつ、ビオドに潜伏していたNのメンバーがモニカである確認を取った百地さんに、ついでに勇志さんの使った技についてを問う。

 だがそこに割り込んでくる理子がまた面倒なことを掘り返してくれて話が散らかりそうになるのを強引に止め、ナノニードルの存在を知っていた百地さんを見ると、タバコを1本消化して携帯灰皿に捨ててから口を開いた。

 

「あれは霧原の秘伝、『刺毒(しどく)』だ」



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Slash20

 

 5月22日。夜9時過ぎ。

 Nのメンバーとなっていた勇志さんとモニカの待ち伏せで窮地に陥って、そこを偶然に鉢ち合わせた百地さんとサイオンに助けられてからすでに6時間ほどが経過。

 今はアビレスのホテルへと戻って各々で時間を使い、やることがあるからと一旦別れた百地さんがホテルに来るまでにやるべきことはやっておこうと色々と実行中。

 まずはすでにNにも嗅ぎ付けられかけているオレとバンシーとの関係性は非常に危険。

 バンシーを追う組織がNである確証は取れたが、漏れ聞いた話ではバンシーには死にまつわるあれこれの他にもNにとって重要な力を有している可能性が浮上した。

 これは早急に知るべき案件だが、撤退していった勇志さん達がオレ達の監視をしていない保証もない以上、堂々と携帯などで連絡したり、場合によっては帰宅も出来ないかもしれない。

 さらにすでにオレの住居がバレて動かれていたら後手に回ってしまうので、バンシーに身の危険を知らせ、一時的にでも別の場所に潜伏した方が良さそう。

 だからオレはバンシーの情報を唯一共有できている羽鳥に連絡を取り、それとなくバンシーを避難させるように伝えることにした。

 

「……あー、嫌だぁ」

 

『開口一番に失礼な男だ。死ねばいいのに』

 

「起きてるってことは欧州辺りにいるのか。ロンドンに戻る予定は?」

 

『今のところない。私の予定など聞いて何が目的だ。気持ち悪い。用件があるなら手短に言いたまえよ。あと死ね』

 

「いや、実はシルキーに頼まれてたものを買い忘れてて、明日の朝までに何とかしないといけないんだが、オレも今はスペインだからどうしようも……」

 

『し・ん・で・く・れ』

 

 本来なら羽鳥からオレに対して使われる予定だったコールだっただけに逆転現象で頭が痛い。

 だが背に腹は代えられないので仕方なく普段なら絶対に言わないようなことを羽鳥に言って、その中で『シルキー』『明日の朝』『どうしようもない』の3ワードを使ってバンシーの身の危険を知らせる。

 そのワードの最後を言い切るより前にイラッとする態度で語彙力を失った死ねの連発によって通話は終了。

 ここまでいつも通りにやられるとこっちも平常心でいられなく、通話の切れた携帯をベッドに叩きつけてしまった。あの野郎がぁ!! 野郎じゃないけど!!

 一応、バンシーにもエメルという仮の名前はあるのだが、シルキーの方が有名でいても不思議はない──エメルがいるとなるとまた設定を盛らないといけないから──からと暗にバンシーを指すワードに指定した背景があるが、上手くやってくれるのだろうか。

 羽鳥が今ロンドンにいない、帰る予定がないとか言っていたが、オレからの電話で察して嘘は言ってるはずだし、そこは信用するしかないな。

 

 それから壊れずにいてくれた携帯を持ち直して、時差の関係で向こうが朝方になるのを待っていた相手に電話し聞きたい案件を早々と問いかける。

 が、直近の相手が羽鳥だったことと、相手が相手なのでオレも少しアドレナリンが出ていたせいで妙なテンションが言葉に出てしまう。

 

「よう夾竹桃(きょうちくとう)。日本は晴れてるか?」

 

『…………切るわ。今のあなたが殺したいほど気持ち悪いから』

 

「……うん。自覚はあった。悪い。この前に羽鳥のアホと話したから変になってた」

 

『……それで、冷静になったあなたは私から何を取ろうと言うのかしら?』

 

「情報を。言い値で買う」

 

 自覚できるほど気味の悪い調子に対しての毒使いのイ・ウー残党、夾竹桃。鈴木桃子(すずきももこ)氏の青ざめたようなツッコミで冷静になり、いつもの調子に戻ったところで向こうもどうせ世間話ではないだろうと話を本筋にしてくれる。

 彼女も今は東京武偵高に通う花の高校2年生──実年齢20歳越えの年齢詐称だが、見た目はまぁそのくらいでも不思議はない──なので、武偵らしく要求には対価を求めてくるのはわかっていたから、オレも出し惜しみなしで上限なしの交渉に応じれば、携帯越しに小さく笑った夾竹桃は面白そうに口を開く。

 

『言い値で、ね。何が聞きたいのかは私の専門に関係するのでしょう? 聞くだけ聞いてあげる。その結果がどうなるかはお楽しみ』

 

「頼むから現実的な額で頼むぞ……」

 

 こういう時に遠慮がないというか、こっちの足元を見るというかな夾竹桃の性格は嫌だが、頼りになるのは今はこいつだけなので甘んじて受ける覚悟で用件を尋ねようとすると、部屋に理子とヒルダがやって来て聞き耳を立ててくるから、スピーカーにして通話を続行。

 

「聞きたいのは毒に関することで間違いないんだが、それがどういうものかがわからない。『刺毒』っていう技? というか術というか、そんな名前のものなんだが」

 

『刺毒なんて、広義だったらサソリもそうだし、クラゲやエイもそうなるわよ』

 

「もー、夾ちゃんの意地悪ぅ。わかってて言ってるのわかっちゃうんだからね」

 

「桃子、おふざけはいいから教えなさいな」

 

『あら、理子とヒルダがそちら側にいるなんて、大方その刺毒にしてやられたといったところかしらね。でもおかしいわね。私の知る刺毒の使い手は警察関係者だったと記憶してるけど……犯罪にでも手を出したのかしら?』

 

 オレも百地さんから聞いてから少し調べたが、刺毒というのは夾竹桃の言うようにトゲに毒のあるものを指す意味合いがあり、勇志さんが使ったという刺毒は厳密には毒という分類ではないはずなのだ。

 だが毒に関連するあれこれに美学というか執着のある夾竹桃なら詳しく知っているかもしれないと尋ねてみれば、やはり霧原の家のことも知っている口ぶりで刺毒に関しても知識があるようだ。

 

『まぁ渋る情報でもないし教えてあげるわ。刺毒は霧原って家に代々伝わっていた秘伝の名前で、毒とは付いてるけど成分的な意味では無毒よ。毒っていうのはその効力に対しての畏怖を込めてね』

 

「お前、まさか霧原の家から秘伝を?」

 

『あら、知り合いだったのかしら。でも仕方ないじゃない? あの頃はイ・ウーにいたし、秘伝も毒っていうからわざわざ調べに行ったのに、口伝で聞き出すのにも手間を取ったのよ』

 

「さっすが夾ちゃん。ブレねぇよ」

 

『誉めてくれてありがとう。それで刺毒についてだけど、そうね。100万でどうかしら?』

 

 情報取得の概要まで話してから値段交渉をしてきた夾竹桃の商才はさすがだが、100万は高い。

 それを携帯越しでも嫌な顔をしていたら夾竹桃が怪しく笑うので反応を楽しんでるのだろう。値下げ交渉はまだ出来る。

 

「構わないわ。私がそれに見合うものを今度あつらえてあげる。だから話しなさい」

 

 そう思っていて、理子もその気満々だったところで、横からなんてことはない調子で割り込んだのは意外にもヒルダ。

 100万なんて余裕よと言わんばかりの調子にはこっちが参るものの、ただの遊びだった夾竹桃からすればもう単なる儲け話でしかなくなった。

 それを知ってか知らずか得意気に理子に親指を立てたヒルダだったが、オレと理子的にはもう少し抑えられただけに微妙な表情。こいつ商才なさすぎだろ……

 ともあれヒルダが肩代わりしてくれることになったのでオレも痛くも痒くもなくなった報酬の件はそれでサラッと流して、いよいよ聞きたかった刺毒についてを話してくれる。機嫌も一際良くなった。

 

『刺毒っていうのは、もちろん刺して効力を発揮する毒なのだけど、霧原の秘伝は毒を撃ち込むのではなくて、生物の命令伝達神経を一時的に麻痺させる技術のことよ』

 

「麻痺……そんな感じだったか?」

 

「うーん。麻痺っていうよりはなんていうか、体への命令にロックがかかってたみたいな? 命令自体が飛んでいってないみたいな」

 

『あらそうなの。あくまで聞いただけで実物を見たわけではないから、実際の効力に関しては不明だけど、技術としては超精密なもので、首の後ろの脊椎に針の穴を通すように針を撃ち込んで物理的に伝達神経を遮断するらしいわ。実際に出来るのかはともかく、やられたら文字通り木偶の坊になり下がるでしょうね』

 

 霧隠の秘伝については猿飛の人間も知らない中で進化してきた歴史があるが、戦国の時代の猿飛が暗殺に特化していたように、霧隠も殺しに特化していたことだけはわかっている。

 それを時代の中でどう進化させてきたかは、今の霧原の家を見れば殺しに特化したものではないはず。

 その上で夾竹桃の刺毒の説明を聞いて、オレはスペインに来る前のバンシーの言葉を思い出し、連鎖的に思い出しかけていた記憶も掘り起こされた。

 

「……そうか。あの話は霧原の……」

 

 存外、バンシーの言葉もバカに出来なかったことを認識しつつ、小さい頃の神経系の話が霧原の秘伝に繋がるものだったと1人で理解していると、話だけで面倒な相手だとしか思ってなかっただろう理子とヒルダがオレを見てくる。

 

「それで、その刺毒を使う勇志って人。知り合いなんでしょ」

 

「こっちは襲われているのだから、情報くらい無償で提供しなさい」

 

「それは隠すつもりはないが、話なら百地さんが来てからしよう。その方が要領が良いと思う」

 

 話したいのは山々だったが、オレも勇志さんについて知っていることは少ないので、オレ以上に知ってそうな百地さんが来てからにしようと話を一旦終わらせて、夾竹桃との通話もお礼を言ってから切る。

 それからすぐにヴィッキーも部屋にやって来て全員が合流してから、百地さんが来るまでに今後の行動指針を決定しておくのだった。

 

 百地さんが来たのは夜の10時を回りそうになる頃で、老体には堪えるとかなんとか言いながら部屋の椅子に座ってタバコを一服。

 その様子を見ながらに戦力分析をしてしまったオレは、言い方は少し悪いが、戦闘力という意味合いで百地さんはそこまで高くはないと思われた。

 確かに還暦近い人としては鍛えてある方で頑丈なレベルだろうが、そこ止まりの評価は覆らないし、タバコも身体面の維持で武偵としては非推奨だ。

 まぁ吸う人もいるが体が商売道具のオレや理子は一生縁がないものだし、副流煙も少し気になるなと思っていたら、気づいた百地さんが窓を開けてその近くに移動してくれる。優しいなぁ。

 

「んでだ。まずは何から話す?」

 

「とりあえずは……百地さんとオレ達のこれからについて」

 

「まぁそうだわな。さっき聞いた話じゃ、お前らはNが欲しがってる情報を持ってる可能性がある。つまりこれから先もNにマークされるかもしれねぇな」

 

「逆に言えば、こっちが何もしなくてもNが接触してくる可能性もあるってことです」

 

「でもそれってやっぱりギャンブルだよねぇ。今回のでヴィッキーは死んだと思われてるかもだけど、理子とキョーやんはずっと一緒にいられるわけでもないし、分散したところを狙われたら辛いよぉ」

 

「言いたいことはわかるぜ。お前らを保護するって手もあるにはあるが、ICPOは武闘派な組織ってわけじゃねぇ。働きかけとしては各国の武偵庁や武偵局、警察組織への救援って形になる。そうなると動きにも制限を加えられるかもな」

 

 現状で百地さんとは協力関係には出来るが、ICPOの百地さんではNの動きを監視するのが精一杯とホテルに来る前に聞いていた。

 そしてバンシーの情報を持つかもしれないオレ達は今後、こっちが願わずともNから接触してくる可能性があるため、不用意な行動も慎まなければならない。

 だがやりようによっては今後、その接触も1度限りで以降は狙われる可能性を無くすことが出来るかもしれない。

 

「そのことでオレ達が持ってるカードが切り方によって使えるかもしれないことがヒルダの話でわかりました。なので次にNから接触された際に切ってみて、上手くいかなかった場合は百地さんの力を借りるということにしたいのですが」

 

「……そのカードってのは、今は言えないってことか」

 

「これはまだ理子達にも詳しくは話してないので」

 

 ただバンシーに関してはヒルダとの筆談によって新情報を入手済みで、それが本当かどうかは本人に尋ねるしかないのでまだ手は打てない。

 なのでバンシーのことはまだ伏せたまま、確証が得られた際にそのカードを切ると言って理子達を納得させることはできた。

 百地さんも知ることによるリスクを考えて今はそれでいいと納得してくれて、一応は今後のNの動向を監視する目的で連絡はし合ってくれると約束してくれた。

 オレもNにマークされたからといって引き込もってはいられないので、百地さんもそれを咎めたりはしないようだが、これは自己責任になるから死んでも文句は言えない。

 その覚悟を決めるにはまだ少し揺らぎはあるが、それを見せると不安は伝播して不幸を招き寄せたりするし悪循環は避けたい。

 そうした意味でも話を次に移行させるため百地さんには勇志さんについてを話してもらおうと尋ね、今後の対策を練る。

 

「勇志のボウズとは俺も霧原の家族が旅行でリヨンに来た時に会ったのが最後だからなぁ。あいつがまだ15歳の時だったと思うが、その時にはもう異常さの片鱗を見せてたぜ」

 

「異常さ、ですか?」

 

「まず刺毒ってのは霧原の秘伝として完成形に辿り着くまでに20年はかかるって言われる代物だって話だ。刺毒についてはもう調べがついたろ。それだけ繊細で精密な技術だから圧倒的な経験値が必要だってことだが、ボウズはこれを10歳になるより前に修得した。天才なんてもんじゃねぇさ。あいつの指先の感覚は常人のそれとは一線を画すほど鋭敏なんだよ。その指で刺毒を操る速度と正確さは恐怖すら覚える」

 

 オレも話には聞いていたので、勇志さんが10歳になる前に秘伝を修得したことには特に驚きはなかった。

 だがナノニードルを撃ち込む場所を指先の感覚だけで探って撃ち込むまでのタイムラグがないに等しいほどの鮮やかな手際の良さは、実際に味わったオレと理子が鳥肌を立ててしまう。

 あんな速度だと首を掴まれた時点でほぼアウト。勇志さんとの接近戦はこれまでにない以上の緊張感を孕むものになる。特に即死攻撃ではない点でオレとの相性も悪い方だ。

 

「それに加えてあいつは記憶の分野でほぼ完璧にエピソード記憶を物心ついた頃から内包できてる。自分の見聞きした体験なんかを全部、昨日のことのように思い出せるってのはつまり『過去に相対した相手の技を記憶し反復させて修得する』なんてことも十分に可能ってことさ。実際、その能力であいつは日本の公安0課に配属された」

 

「……確か勇志さんはマキリさんって言ってたな……そのマキリって人もNにいるっぽいが……」

 

「マキリ……伊藤(いとう)マキリか。あれもNの側にいるのか。マキリも元公安0課の実力者だ。そしてボウズの上司に当たる人物だった」

 

 さらに勇志さんは記憶能力にも先天性の優れたものを持っているようで、その記憶力なら他人の技のコピーも不可能じゃないと説明され、それでマキリとかいう人の技を使えたのかと納得。

 そのマキリも元0課のメンバーで上司だったなら、0課解散から2人が結託してNに下った可能性も出てきたな。

 やはり尋常ならないNの戦力に警戒を強めたオレ達に、自らは正面切ってやり合うつもりはないといった雰囲気で百地さんは忠告してくれた。

 

「マキリに関しては戦うこと自体を避けるべきだが、対峙しちまえばそんなことも言ってられないか。実力のほどは俺にも測りかねるが、マキリは0課時代から人を殺すことにためらいがないと聞いてる。それだけは覚えておけ」

 

 ──翌日。

 百地さんは昨日の夜のうちに出発してリヨンに戻っていき、アリアとの約束も明日に控えたせいでオレも今日のうちにローマには行きたいので、それらの手配やらを理子とヴィッキーに頼み、オレ1人でクエレブレにモニカのことを報告をしに行った。

 理子達には1人では危険と言われた。

 それも当然。何せクエレブレの捜索をしていたオレ達にモニカに会えと言ってきたのはあのクエレブレ当人で、そこに待ち伏せされていたらクエレブレを疑うしかない。

 だがオレはいくつかの疑問からクエレブレがNと通じてる可能性は薄いと見ている。

 それを確証するためにまたクエレブレのいる洞窟内に踏み入ったオレを、クエレブレは昨日のような警戒心は最初だけ見せて普通に招き入れてくれた。やっぱりな。

 

「モニカには会えたか」

 

「会えたが、話なんて聞ける状況じゃなくなった。Nの待ち伏せに遭った」

 

「……俺を疑うか」

 

「いや、今回のことはこっちの落ち度だろうな。モニカがNのメンバーだとわかっていればもう少し慎重になれた」

 

「…………そうか。やはりあれはNと……」

 

 クエレブレが嵌めたならここに来た時点でオレは消し炭になっていたはずだが、そうせずに話をするということは、クエレブレは待ち伏せの件は知らなかったと見える。

 さらに1度目の来訪の前にオレ達はヒホンの街でレジスタンスの騒動に遭遇している。

 あれはおそらく勇志さん達がオレ達に対して仕掛けた戦力調査。取り逃しがないように人員の数やらを把握するためにやったことだろう。

 だからオレ達がクエレブレに会う前から、Nにはマークされていたのだ。おそらくレス島のセイレーネスとの接触を悟られてアストゥリアス州に網を張っていた。

 他にもどこかに網は張られていたのかもしれないが、それに引っ掛かったオレ達はクエレブレを責めることなど出来ない。

 モニカがNのメンバーだということを知らなかったが勘づいてはいたっぽいクエレブレは、少し落胆したような、消沈したような気配で俯くと、その目でオレを見てくる。

 

「あれがNに下ったことを俺は咎められん。その理由については察しがつくからな」

 

「……クエレブレは今を変えるつもりはないんだったな。だとしたらモニカは、今を変えたいと思ったってことだ。それは……」

 

「俺のためだろう。あれは俺のこの姿を美しいと言った。雄々しく、猛々しく翼を広げた俺を好きだと言った。その俺をここに留める今を、あれは良しとは思わなかった」

 

「……Nの悲願が叶えば、またクエレブレのそんな姿が見られると」

 

 戦っている時は人間をゴミのような目で見て残酷なことも平然とやる雰囲気だったモニカだが、その行動理由をクエレブレから聞くと、きっとモニカも必死なのだと理解が及ぶ。

 それほどまでの愛情を持ったモニカをどうすることも出来ないクエレブレの歯痒さはオレにも伝わり、人間の感情として敵ではあるがどうにかしてあげたいと思ってしまう。甘いのかね、オレって。

 

「なぁクエレブレ。オレは武装探偵。武偵だ。依頼されればどんなことでも武偵法が許す範囲でなら受けてやれる。オレに何か依頼はないか?」

 

「武装探偵……見返りは何を求める」

 

「金品なんてどうせないだろ。ならオレに協力してくれ。一緒にモニカを取り戻すぞ」



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分岐点編
Slash21


 

 5月24日。月曜日。

 スペイン、アストゥリアス州を出発してやって来たのは、アリアとの密談予定があるイタリアの首都、ローマ。

 まだNによる奇襲を警戒しなければいけない都合、その標的になっている理子、ヒルダ、ヴィッキーも道連れで来ていたが、観光するには十分すぎるローマに来てから、立場がわかってないのか普通に観光してやがる。

 人が多くなればそれだけ異質な気配には気づけるとか謎の理論がある理子とヴィッキーがそんな調子でいるので、下手にホテルの部屋に詰め込んでそこを狙われて連れ去られるより、目の届く範囲にいてくれる方がマシと許容して今に至る。

 アリアとの約束は30分後の15時にトレビの泉の前で待ち合わせすることになっていたから、願掛けも兼ねてトレビの泉にコインを投げ入れておく。

 まぁこの願掛けってのも後ろ向きに投げ入れるコインの枚数で願いが変わるとかで、1枚だと再びローマに来られる。2枚だと大切な人と一緒にいられる。3枚だと何故か一転して縁切りになる。

 ここは2枚投げるのが内容的には合ってるかもしれないので、投げ入れてから理子とヒルダとヴィッキーが迷子にならないようにと願っておく。失礼? そうは思わん。

 

「あら、2枚入れたってことは、京夜は恋愛祈願かしら?」

 

 人がそれなりにいるのでガヤガヤと割とうるさいトレビの泉だが、そんな中でも聞き間違えることはないと断言できるほどの可愛らしいアニメ声がオレに話しかけてきたので、声のした方を向く。

 そこにはこのトレビの泉の人混みでも目立つピンク色のツインテールをした美少女。神崎・H・アリアが腰に手を当てて立っていた。

 

「だとしたらその相手は誰だと思うんだよ」

 

「そうね……理子辺りって言いたいけど、アレが浮かれる姿が嫌だからジャンヌ辺りにしておこうかしら」

 

「そういうのアリアが決めることではないだろ」

 

 なんか久しぶりに顔を合わせての会話だったのに、よくわからない会話に発展して変な顔をしてしまうと、それを見たアリアが小さく笑ってくれたので、とりあえずの挨拶はそれで終わり。

 ただオレと会ってから何やら小さなため息を吐いたようにも見えたので、なんとなく心労みたいなものがあるのかなと思いつつ場所を移し近くのピザ店でピザを突っつきながら話を始める。

 

「呼び出しておいて悪いんだけど、あたし今はちょっと忙しいのよね。だからゆっくり世間話を挟んでる暇はないわ」

 

「オレも似たようなもんだ。サクッと情報共有といくか」

 

「ええ。まずはそうね。進展の方はどうかしら。あたしは昨日、1つ当たりがついたんだけど」

 

「オレの方は……確証が取れてはいないが、まぁ間違いはないと思う」

 

「さすが京夜よね。バカキンジとは大違い」

 

 アリアとはイギリスの黄金消失事件を捜査する上で協力関係にあると言ってもいい。

 実際はメヌエットとの共同戦線上での繋がりってことになるが、協力しちゃいけない理由はないので、真相に迫れるなら惜しむ必要はないというわけだ。

 そんな背景があるから話もスムーズで、余計な説明も必要なくどんどん進み、どうやらキンジにも協力は頼んでいたっぽいアリアがオレとキンジを比較してはキンジのダメっぷりを愚痴る。

 おそらく直近でローマ武偵高にいるキンジとも会っているんだろうが、それで疲れてるのか。

 だがやめてくれキンジ。お前がアリアの機嫌を損ねるとオレにまで飛び火するんだよ。

 

「……ってな感じで、黄金の消失にはNが関わってると見て間違いない」

 

 この飛び火はオレまでポンコツだと燃え上がるので、そうならないためにオレが調べた情報を包み隠さずに話すことで阻止。

 サウサンプトンでの調査から、その後の襲撃。セイレーネスとの接触からアストゥリアスでのNとの遭遇。

 それらを経ての話にアリアも納得のいったような顔をしてオレを見てくる。

 

「そのサウサンプトンでの調査のあとの襲撃もNによるものっていうのは大きいわね。でも京夜も結構危ない橋を渡ってるわ。引き際を完全に失った感じ」

 

「実際、今も襲撃に備えなきゃいけない状況でな。そっちは別件だから話せないが、Nに関しては引き続き情報を集めたい」

 

「なら丁度良いわね。あたしも昨日、そのNと接触したわ。その場には曾お爺様も味方としていたんだけど、敵の大将格にやられて瀕死の重症よ」

 

「あのシャーロックが負けたのか……いよいよヤバいな……」

 

 オレが出せる情報もバンシーが絡む案件以外は話したので、次にアリアが情報提供をしてくれたのだが、つい昨日にNと接触したと聞き少し驚き、さらにそこにシャーロックがいて敗北したと聞くと焦りもする。

 それでもアリアが無事に生還してるのだから、何があったかを詳しく聞くと、どうやらその場にはアリアとシャーロックの他にキンジ、レキ、メーヤさん、カツェもいたらしく、あともう1人、ベレッタなる人物も居合わせたようだ。

 Nはそのベレッタを引き入れようと接触し、そこにぶつける形でシャーロックが根回しをしたようだが、ベレッタはNへの加入を拒否し、仲間にならないならと殺害されそうになった。

 ただ実際に殺されたところをキンジが必死の蘇生術で引き戻して、大事には至らなかったらしいのだが、死んでないとわかったNがまだ狙う可能性は高いとあって、今はキンジと一緒に警護に当たってると、そんな事情があっての今日だという。

 

「それでそのベレッタってのは人間なのか? オレが会ってきた奴らがことごとく人間じゃなくて言葉が悪いが、許してくれ」

 

「京夜も言うことが冗談みたいになってきたわね。ベレッタはあたし達と同い年のローマ武偵高の生徒。ベレッタ社の令嬢で装備科のSランク。拳銃技師(ガンスミス)でその一点に関しては天才よ」

 

「へぇ。んで、そのベレッタ嬢は何でNに狙われたんだ?」

 

「Nの目的を果たす上でベレッタが必要だった。ううん。必要だからよ。曾お爺様もおっしゃっていたんだけど、人の歴史には『人類史の分岐点』がいくつも存在していて、良し悪しに関係なくそれをもたらす。もたらせる人物が存在するの。その1人がベレッタだって話よ。ただその分岐点にいる時期っていうのが極々限られた時間だけみたいで、ベレッタに関してはあと半月くらいが期限みたい」

 

「それで今はキンジとアリアが警護してるってわけね。納得」

 

 その警護の理由についても納得がいき、そうやってベレッタについていればNがまた襲撃してくるかもしれないからとわかると、状況としてはオレ達と同じく『待ち』に徹し始めたってことだ。

 現状、Nの足取りを追えない以上は下手に動き回っても仕方ないので、アリアも柄ではないだろうが迎撃する形で納得してるようだ。

 

「どのみち黄金の件は奴らの拠点を見つける必要はあるだろうし、捕縛して吐かせる感じだよな」

 

「それで済むなら話は簡単だけど、あたしの勘ではそれだけじゃ無理そうなのよね。捕らえるなら敵の大将格。昨日の中だとネモとか名乗った女が良いわ」

 

「ネモねぇ。そいつがシャーロックを倒した奴か」

 

「ええ。歳はあたし達よりも低い15歳くらいなんだけど、あたしよりも高度な超々能力を使える女よ。有視界内瞬間移動(イマジナリ・ジャンプ)も上のランクで、1度で20km以上も離れた位置に目視なんかも関係なく跳んで逃げられたわ」

 

「そこはメヌが推理した通りの人物がいたってことだな。それを捕らえるとなると、言うは易しってやつになるか。もっと現実的に攻めたいが……」

 

「他の奴らを捕まえること自体に意味がないわけじゃないわ。そうすることで奴らの計画を遅延させられれば、それはそれでこっちに都合が良いしね。情報が出るなら尚更よ」

 

「ポジティブだねぇ」

 

「俯いていられる状況でもないでしょ。ただでさえ曾お爺様が倒れられて苦しいんだから……」

 

 そこで話を次に進めて、オレ達が事を上手く進められたらに移してみると、Nのメンバーの捕縛は敵の大将格であるネモを捕まえるのが最良だろうとアリアは言う。

 しかしそれはアリア以上の超々能力者となれば難しいだろうし、そこまでの高望みはかえってこっちのモチベーション。やる気などを失うので排除気味にしておく。出来れば泣いて喜ぶくらいの心持ちでいい。

 それとは別に色んなことに前向きな姿勢のアリアに、ちょっと急いた焦りのような感じもあるのに気づいたオレは、割と本気で精神的にダメージがあるっぽいアリアの本音を聞いて自分の思慮のなさを悔いる。

 オレからすればシャーロックは教師みたいな澄ましたお爺ちゃん超人。ってな印象と距離感だが、アリアにとっては血の繋がった世界で最も尊敬し敬愛する曾祖父で、そんな人が自分の目の前で倒され瀕死の重症を負ったのだ。

 それが昨日の出来事で、まだ気持ちの整理が完全ではないのに、こうして『次』をあれこれ考えなければならない状況はアリアにとって心労以外の何物でもない。

 

「……だな。せめて気持ちだけでも上を向かなきゃ滅入っちまう。悪かったな、軽率なこと言って」

 

「……いいのよ。あたし、京夜の前だと少し安心して本音が出ちゃった。京夜のことはあたしもメヌも頼りにしてる。だから良い報せを待ってもいいかしら?」

 

「約束はしてやれないが、精一杯のことはするつもりだ」

 

 せめてその心労の中にオレが含まれないようにしてやるのが、今のオレに出来ることだろうと謝罪も交えて乗っかっておき、それにニコッと笑顔を浮かべたアリアもいくらかリラックスできたようだった。

 そのリラックスがアリアにとってプラスに働いたのか、そのあとすぐに何かが頭をよぎったか考える素振りを見せて、それからオレを改めて見て1人でうんうん頷くので、何なのかと問うより前に席を立ったアリアが口を開く。

 

「話はこのくらいにするとして、京夜に暇はあるかしら?」

 

「そうだな。別段、何かをしなきゃってこともないが、そろそろメヌに顔を見せないと怒りそうってくらいだ」

 

「ふふっ。メヌの独占欲もなかなかね。今すぐにって話じゃないなら、今からベレッタに会ってほしいの。これはあたしの独断だけど、なんとなく京夜はベレッタと会わせた方が良い気がしたのよ」

 

 その思いつきっぽい仕草は勘が働いたみたいなことで、これから話に出てきたベレッタに会ってほしいというもの。

 会ったからといって何かが変わるようなこともなさそうに思えるが、明確に断る理由もなかったし、天才の拳銃技師と人脈を作れるならオレにとって悪い話ってこともない。

 そんなちょっとした下心もありつつ、アリアの申し出に了承したオレは、離れた位置で話が終わるのを待っていた理子達にもそれを告げる。

 ただアリアが理子達がついてくるのを嫌ったため、そこに不満爆発な理子と一悶着あって面倒な喧嘩が勃発。

 アリアには近寄りがたいとか以前に言っていたヴィッキーはその光景に割り込めずに終息するのを待つ様子で、女同士の喧嘩は女が止めてくれと内心で思いつつも、双方が納得する折衷案を付き合いの短いヴィッキーに頼るのはあれかとオレが割って入る。

 それでアリアにはお駄賃を理子にあげることでフリータイム延長を進言し、理子にはそのフリータイムが終わったらバチカンに駆け込んで、そこにいるらしいメーヤさんと合流して待機してもらうことにする。

 ヒルダもヴィッキーもそれで賛成の方向になったので、なるべく別行動は避けたいから早めに用件を終えようと、理子達がどこかに行った後にアリアが乗ってきたというスーパーカー、光岡オロチで移動を開始。

 なんかそのオロチの助手席にマッシュがこき使ってた美少女型ロボットであるLOO(ルウ)がちょこんと座ってたから何故と思ったら、流暢な英語が車内からスピーカーを通して聞こえてくる。

 どうやらこのスーパーカーに搭載されてるAIがアシとか言う、昨日シャーロックが事前に招集していたメンバーらしく、ジーサード傘下だがそのままオロチの運転を任せているっぽい。

 AIもこき使うアリア様の相変わらずな貴族気質は今さらツッコむ気も起きないのでスルーして、2人で後部座席に乗り込んでアリアがアシに行き先を告げると、オロチはタクシーばりの静かな自動運転で移動を始め、この近未来感ある自動運転にはワクワクとドキドキが半々だ。事故らない、よな……

 オロチはトレビの泉付近を出発して北上を始め、すぐ北にあるボルゲーゼ公園を迂回するように北西の道をテヴェレ川に沿うように進み、高級住宅街っぽい地区へと入っていく。

 ただ、景観重視なのか道路整備は粗い石畳の道になって、さすがのアシも徐行しようとガッタンガッタンオロチを揺らして進む。

 そんな石畳の道を行くこと数分。

 如何にもな高級住宅の1つの門の前で停まったオロチからアリアがまず先に降りていき、逆三ツ並び矢マークの紋章が描かれたその門を見ながらオレもオロチから降りる。

 紋章はベレッタ社のロゴだな。ベレッタ社の令嬢なら当然だが、中にはそこまで多くの人の気配はしないので、別に私利私欲をむさぼってるわけでもなさそう。というかSランク武偵だったな。金の力や怠惰な奴ではなれないランクだ。

 そうやって1人で納得しながらアリアに続いて門を潜ろうとしたら、何か思い出したようにアリアが「ちょっと待って」とオレを止めるので何事かと立ち止まる。

 

「そういえばここ、男子禁制とかあったような……でもまぁバカキンジもいるし、例外的な措置はあるかも。ちょっと確認してくるわ」

 

「そういうのは事前にしてほし……いえなんでもありません」

 

 ここまで来ておいてからの来客拒否とはこれ如何に。とツッコみたくなることを今さらに思い出したアリアについ文句を言ったら、スカートの中のガバメントに手が伸びかけたので速攻で訂正して邸宅に入っていったアリアを見送る。

 その間にオレも暇だからアシに適当なBGMを流してもらいながら、LOOの体の神秘についてを直に触って調べてみる。

 体裁的に倫理観に触れそうな部分は除いて触ってみると、なかなかしっかりと人型として作られてるなと思っていたら「LOO」しか話せないコミュ症な欠陥を抱えるそのLOOの足下で動く何かを発見。

 何だと助手席に顔を突っ込んで覗いてみると、ネズミだ。深紅の目をした真っ白なネズミ。

 どこにでもいそうな種類に見えるが、オレやLOOがいても逃げ出すわけでもなく、むしろこちらをまっすぐに見るようにその動きをピタリと止めている。

 

『……お前は確か魔眼の魔女の……』

 

「あっ? ネズミが喋って……」

 

 そんな不自然な動きから突然、聞いたことのある男の声が発せられてビックリしたが、その声の主に心当たりがあったオレはすぐにそのネズミを取っ捕まえようと手を伸ばしかける。

 しかしそれとほぼ同時に邸宅から出てきたアリアが声をかけて入っていい旨を伝えられる。

 このネズミはいま逃がすのはかなり痛いことになるのでどうにかしたいが、すぐに行かないとアリアがガバメントを抜きかねない。

 

「よしアシ。そこのネズミを捕まえておいてくれ。絶対に逃がすな」

 

「了解しました。LOOに捕獲させます」

 

「LOO」

 

 そこでものは試しとアシに頼んでみると、LOOへの命令権を持つらしいアシが言う通りにネズミをLOOに捕まえさせて、命令を遂行したLOOは片手でネズミを掴みながらオレに親指を立ててくる。いえーい。

 とにかくこれでネズミ問題は解決したので、何か別の問題が生じる前にベレッタと会ってしまおう。

 なんだか思わぬ収穫もありつつでベレッタ邸にアリアと一緒に入ってみると、さすがの豪邸にちょっと場違い感があり慣れない空気に苦笑い。

 そんな中で通された広いリビングには……うげっ。何であなたがおられるのか……

 

「金、払え」

 

「え、えー、何のことかなぁ、セーラさーん」

 

「誤魔化すな。金銭の支払いをプロはキッチリやる。情報料は相場だからお前でも払える」

 

 リビングには家主専用と思しき花柄のソファーに座る濃い金髪ロングのアリアクラスの幼児体型の女が座ってオレを見ていて、その横に控えるようにレキとセーラが立っていた。

 セーラには先日のシルキーの件で借りがあって、正直会いたくないなぁと思ってたから、この遭遇は大変な迷惑。

 それを証明するようにしっかり覚えていたセーラの方から仕事中だろうに私語ですよ。プロがそれでいいんですかね。

 でもまぁ会ってしまったなら仕方ないと諦めて、相場とかいう情報料を渋々払ってやる。その金でスパッツでも買いなさい。

 そうしてセーラとのやり取りを終えてから、リビングにキンジが姿を現してオレの出現にビックリしていたが、今は無視してソファーから立ち上がったベレッタがオレの前で腕を組んで見上げてくる。

 

「どうやらあそこのイヌよりはまともらしいわね。目付きが悪いけどちょっとカッコ良いし」

 

「あー、やっぱイタリア語かぁ。英語で話せるかな?」

 

「ああ、ごめんなさい。あなたは日本人だものね」

 

 最初はイタリア語で何を言ったかわからなかったが、キンジをチラッと見て話したからには、何か関係を探られたか、比較された気がする。

 その後は英語で話してくれて通訳いらずの会話が成立し、アリアも加えての話に進展。

 

「ベレッタ。あなたが今日のプレゼンで話してた『アレ』。あたしから京夜を推薦してあげる」

 

「プレゼン? 何の話だよ」

 

「はっ? おいおいアリア。まさかあの話を本当に……」

 

「「キンジ(イヌ)は黙ってて」」

 

 そこからまたプレゼンとかの話が出てきて何のこっちゃと疑問を口にすると、そのプレゼンの場にいたっぽいキンジも横槍を入れたが、圧の強いアリアとベレッタに負けて沈黙。よ、弱ぇ……

 

「推薦してくれるのは嬉しいけど、いきなりのことだし、あたしの目でこの人がそれに足る人物かは見極めたいところね」

 

「……それもそうね。でも京夜はランクこそ諜報科でAだけど、バチカンとかカツェのところだと非公式(アンオフィシャル)で『影の陰(ファントム)』って2つ名(ダブ)を付けられて恐れられてるわ。あたしも京夜のことは信頼してるし」

 

「……その話は頭が痛い……やめてくれ」

 

 なんだか胸騒ぎがする話の中心に立たされているのは非常に心臓に悪いので、一刻も早く何の話なのかを判明させようとするが、アリアとベレッタが2人で話し出して、なんかオレの黒歴史を掘り起こしておりやがるぅ。

 武偵の経歴を話してるから何かしらの仕事関連の話なのは予想がつくが、何をさせられるのでしょう……

 

「とにかくまずはお互いに自己紹介ね。あたしはベレッタ・ベレッタ。ふざけてるわけじゃなくて、本当にそういう名前」

 

「…………猿飛京夜だ。話の中身がわからないから、まずはその辺をしっかり説明頼みたい」

 

「ええ、そのつもりよ。よろしくね、京夜」

 

 不安しかないこの話に頭痛までしてきたオレに、マイペースなベレッタは本格的な話の前にと自己紹介を始め、それに倣ってオレも名乗ると、組んでいた腕を解いて握手を求めてきたので、本当にその手を握っていいものかと勘繰りながらも、横のアリアが「取って食ったりしないわよ」と笑顔で言うから、恐る恐るその手を握るのだった。

 なんかまた厄介なことに巻き込まれた気がするぞ、これ……



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Slash22

 

「それじゃ京夜。お互いに頑張りましょ」

 

「……おーう」

 

 ローマでのアリアとの密談を終えてから、何を思ったかNにとっての要人になり得る人物、ベレッタと会わせたアリアは、そのベレッタと結託してオレを巻き込んだ話をほとんど勝手に進行。

 昨日にNと遭遇しその命を脅かされた身でありながら、翌日の今日にはベレッタ社の四半期の全体方針案のプレゼンに参加してきたらしいベレッタは、そのプレゼンでとんでもないことを口にしたのだとか。

 ベレッタ社はキンジが愛銃にしているM92FS(ベレッタ)などからもわかるように、武器製造会社の大手。いわゆる武器商人だ。

 世の中の流れとしてはこういった会社が儲かるのはあまり良くないが、なければないで困るという需要と供給が保たれてもいるところ。

 そんな武器製造が本業の会社のプレゼンで、ベレッタは『武器を世界にバラ撒くのはやめよう』と言い出した。

 ざわつく会場の人達を他所に至って真面目に話を続けたベレッタは、Nがベレッタの殺人未遂に使った銃がM92FSだったことを理由に、自分の作った武器が悪用もされることを痛感し、そういう会社だからと開き直らずに武器をバラ撒くことを否定した。

 ただし武器の製造をやめても、減らそうと施策しても、武器を所持する世界を変えようとしても、すでに溢れた武器を悪人は簡単には手放さない。

 それでは悪がのさばる世界になってしまうから、その悪を討つための『正義の味方』を立て、その正義の味方にベレッタが武装を造る。

 これはアメリカの人間兵器の思想。つまりロスアラモスの思想を元にした国単位ではなく、世界の変革。

 『ジュスト』と名付けたその正義の味方は、その正体を隠して日常に溶け込み、有事の際には無償で悪を裁く。

 まさに日本のアニメのようなその正義の味方を実現させようとベレッタが本気でプレゼンしてきたのが、たった数時間前の話で、プレゼンの結果についてはまだ出ていないが、ほぼ100%ベレッタのプレゼンは採用されないだろうとのこと。

 その影響で今後のベレッタの会社での進退が悪い方向に向かうかもしれないことも含めての今で、それを包み隠さずオレに話してくれたからには、オレも話の全容は嫌でも見えるわけで。

 

 まだまだジュストの制度のようなものが明確化していない、仮とも言える段階の話なので、ベレッタもオレを今すぐにジュストに任命するといったことにはせず、まずはオレの評価を定めたいと言う。

 オレとしてもベレッタの提唱したジュストは考え方としては肯定的だが、やはり現実として見れば綺麗事すぎることも理解できるため、世のため人のためと無償で危険を冒す行為には前向きにはなれない。そこまでオレも聖人じみてないからな。

 そこは包み隠さずにベレッタには伝えて、ついでにジュストになる特典らしいベレッタ特製の武装とやらも今のところ全く思いつかないし、そもそも必要性を感じてないことも話しちゃったら、ちょっとムクれさせてしまった。

 自分の造る武装に自信を持つ職人気質な性格からのプライドを傷つけられた怒りなので、そこは素直に謝罪しつつ、ジュストに関してはそれ以上の進展はなし。

 まだ骨組みの段階の草案をこれからキッチリと整備したのちに、改めて会おうと握手を交わしてベレッタは笑い、アリアも今はまだそれで良いかとこの出会いをもたらした側として笑顔を見せた。

 それから打って変わってテンションを上げたベレッタがオレの懐に忍ばせていたミズチと単分子振動刀とブローニング・ハイパワーを発見して取り上げると、それら武装に「凄い(ブラーヴォ)!」と感嘆の声を上げていたのだが、結果として完全分解させられたから、その分で時間を食ってしまった。

 

 単分子振動刀とかちゃんと元に戻ってるのか心配で仕方ないが、ベレッタが大丈夫と言うからとりあえず信用して邸宅を出てから、見送りに出たアリアと短いやり取りをして別れて、待っていたオロチに乗って理子達が待ってるはずのバチカンを目指して発進。

 その移動の間に、ベレッタ邸宅に入る前にLOOに捕らえさせておいたネズミを受け取り、てっきり暴れるのかと思っていたら異常なほど大人しくて、むしろ捕らえておく必要すらなさそう。何で?

 その疑問に対して運転中のアシが察して答えてくれる。

 

「どうやらそのネズミは京夜様にお話があるそうです。それを終えるまでは逃げるつもりはないと」

 

「つまり話が終わったら逃げる気満々なわけか。やっぱこのままで」

 

『こんな使いっぱしりの式神を捕らえたところで、お前達には何のメリットもないがな』

 

「そう言っておけば、もし何かお前に繋がる手がかりがあっても見逃すかもしれないからな。オレはそこまで甘い考えじゃないぞ、土御門陽陰(つちみかどよういん)

 

『ふんっ。どうとでも取ればいい。式神など俺にとって目と耳としての機能しかないに等しいのだからな』

 

 どうにも怪しいこのネズミは、以前から色々と因縁がある敵である元イ・ウー主戦派(イグナティス)の土御門陽陰の式神で、この式神を通して陽陰本人は姿を全く晒さないまま世界中を見て回り、時に人の心の弱さにつけ込んで操り、その様を見て楽しむ快楽犯。

 その正体を知る者が誰もいないとさえ言われていて、国をも滅ぼすだけの力を持ちながら幻のようなその存在から『完璧な犯罪者』と呼ばれている。

 以前まではこの式神も独自の魔力供給システムで際限なく世界中に放てたのだが、2ヶ月ほど前にオレや羽鳥が加わって出来た精鋭部隊で陽陰本人を誘き出して逮捕に踏み切った。

 激しい戦闘の末、実際にその場に現れた陽陰と思しき人物の逮捕には成功したのだが、これは陽陰が操っていた身代わりにすぎず、真の逮捕には繋がらなかった。

 しかしその後、陽陰の存在を大々的に認めた世界が動き、この式神の無限供給システムをぶっ壊してくれて、今はかつてのように世界中のどこでも目が届く状況にはなっていないし、陽陰本人も国際指名手配がされている。

 だからこそこうして式神であろうと陽陰に繋がるものに出くわしたのを逃す手はなく、余裕の態度を崩さない陽陰だが、それも油断を誘う罠と考えて取り合わずにネズミは掴んだままにしておく。

 その気になれば自壊くらい出来るだろうから本当に痛くも痒くもないのかもだが、敵である以上は一切付け入る隙を見せてはいけない。

 

「それで話ってのは何だ」

 

『緋弾の娘から話くらいは聞いているのだろう。昨日のNとの接触についてだ。俺もあの場にいた』

 

「あ? そんなことアリアは……」

 

『気づかんだろうよ。誰もな。これ自体は会談が行われた部屋の天井に潜ませてそこから透視していたからな』

 

「……お前、Nとの接触を予知してたりしたのか」

 

『俺がではない。あのシャーロックの老いぼれが条理予知し、俺はそれに同伴しただけのこと。以前にも話したはずだがな。あの老いぼれの拠点には式神を配置していると。それがこいつだ』

 

 その敵の陽陰からわざわざ接触してきての話なら、オレ達への報復やら文句やらがしたいわけではないとは思ったが、意外とペラペラと喋る陽陰は昨日にあったと言うNとの接触の場に自分もいたことを告げる。

 さすがに堂々と居合わせたわけではないようだが、ずっとシャーロックに付けていたこの式神を動かしてきたことは話からわかった。

 

「……それでその話について何なんだ」

 

『あの場でシャーロック以外に俺に気づいている奴はいなかった。俗に言う「味方」にはな。だが奴らは俺の存在に気づいていた。それがわからんほど馬鹿ではない。だからこそだ』

 

「だからこそ?」

 

『俺がその気になればこんな式神だろうと1人くらい道連れにしてやれるくらいには力を持っていた。だが奴らは終始で俺を歯牙にもかけずに行動し逃走した。つまり俺を脅威にすら捉えなかったということだ』

 

「お前は無視すれば無害と思ったんじゃないのか。余計な手間をかけたくないって」

 

『本当にそう思うか? だとしたらお前は愚かだな。俺は今回のことで確信に変えたのだ。その意味がわからんなら、わざわざお前の前に姿を現した理由がない』

 

 おそらくNに関する話ということもわかったものの、陽陰の真意には辿り着けず問いかけばかりになる。

 そんなオレになかなか直球を投げてこない陽陰も陽陰だが、あの独断行動万歳な陽陰がオレだからと接触してきたと聞き、さらに今回のスルー案件とでも呼ぶ事柄から、1つの事実に辿り着いた。

 

「『天地式神』か」

 

『ふんっ。さすがに馬鹿ではなかったか』

 

「だがそう考えれば確かに……」

 

 今はすでに世界の警察・武偵機関によって全て排除されはしたが、陽陰が世界中にバラ撒いていた魔力無限供給システム、天地式神は、その存在を知っていればみすみす放置しておくには鬱陶しい。

 Nのような裏であれこれと画策するタイプの組織になればなおのこと邪魔に感じるだろうに、昨日の陽陰の察知からわかるようにNはこれを知ってて放置していた可能性が高い。

 互いに不干渉を決め込む不文律が存在していたとも思えないし、陽陰も自分以外に世界的に裏で暗躍する組織を良くは思ってなかったはずだ。きっと奴らの企みの1つくらい意図せずに潰したりもしただろう。

 

『奴らは俺をそもそもの敵とさえ認識していない。或いは俺の気まぐれさえも奴らの教授に条理予知され、良いように使われていたかもしれんなら、気持ちの良い話ではない』

 

「好き勝手やってたはずが動かされていた。いや、そう動くならこういう結果にしてしまおうって感じか。その教授とやらは思い描いた結果へと導く逆算が出来るっぽいからな」

 

『俺は誰かの掌の上で踊らされるのが死ぬほど嫌いだ。だから……』

 

 Nが暗躍していたのは、少なく見積もっても1世紀ほど前。

 それほど前から動いていたなら、ここ何十年かほどの陽陰の横暴な幅の利かせ方はやはり邪魔だったはず。

 いや、その陽陰の活動すらも隠れ蓑にして何かしていたとも考えられるわけだが、それら含めて自分が利用されてきたことを悟った陽陰が怒りを露にする。

 ただ話をしていたらオロチがバチカンに到着したようで、それを察知した陽陰はあからさまに不機嫌な感じで黙り込んでしまう。

 

『……何故バチカンなどに来た。ここは好かん。用があるならさっさと済ませろ』

 

「お前、別に魔女とかの血筋じゃないだろ。それとも異端って自覚はあるのか」

 

『バチカンの聖人面が気持ち悪いだけだ。自分達のルールに沿わないものを徹底的に排除する排他的な思想も、魔女狩りの時代から変わらない』

 

 魔的な存在はバチカンを嫌うとか聞くが、それはそういう場所にバチカンがあるからとヒルダがローマ入りの時に愚痴っていたのを思い出しつつ、それに漏れずに毛嫌いしている陽陰が話を中断してしまったので、仕方なくオレも理子達を連れ戻すために動く。

 アシはオレと陽陰をオロチから降ろすと「ご入り用の際はサード様にお取りつぎを」と残して行ってしまい、陽陰も逃げるつもりはないとオレの手から解放されると物陰に隠れて待つ姿勢。

 まぁ待ってくれるならいいかとオレもバチカンに入って理子達を探すと、その理子とヴィッキーが変なことをしないようにと付けられただろうメーヤさんが困り顔をしているのを発見。

 本格的に飽きて何かし始める前に保護者として回収しなければと近寄ったら、花が咲いたように笑顔になったメーヤさんが、相変わらず豊満なその胸をポヨンポヨン揺らせて駆け寄ってきた。すげぇ……別の生き物みたい。

 

「猿飛さん、お久しぶりですね。またお会いできて嬉しいです。これも神のお導き。感謝です」

 

「そんな大袈裟な。それよりあの2人が迷惑かけなかったですか? かけたならゲンコツくらい入れときますけど」

 

「いえいえ、とても大人しくされていましたよ。これ以上のご滞在は退屈されてしまいそうでしたが」

 

「落ち着きのない連れで申し訳ない」

 

 普段は女性の胸を凝視なんてしないが、メーヤさんのは別格なので仕方ないと開き直りつつ、近寄って手を取って再会を喜ぶメーヤさんと簡単な会話でやり取りをする。

 その仲良さげな雰囲気に理子がニコニコ笑顔の中に不吉なオーラを含ませるので、我慢強さはどこ行ったと内心でツッコミながら、外では陽陰も待ってるのでさっさと退散する流れに持っていく。

 メーヤさんとしてはもう少し話もしたいといった空気はあったのがわかるし、オレもNの襲撃以降は少し気を張り続けているから、その癒しにメーヤさんと雑談でもしたいところ。

 しかし外にいる陽陰が律儀に待ち続けるとは思えないし、理子達も娯楽施設などもないこのバチカンで大人しくしていられる保証がない。というか無理。だからメーヤさんも困りかけてたんだから。

 

「すみませんメーヤさん。今度またゆっくりお話する機会は作りたいと思うので、今回はこれで失礼します」

 

「そんなお気遣いはいりませんよ。私も今年から教職に就いてローマ武偵高に身を置いてますから、お暇もそこまでありませんしね」

 

「あー、じゃあキンジを教える立場になったわけですか。あれはそっちの武偵高でも迷惑かけてそうですね」

 

「いえいえ。遠山さんはクラスにも馴染んで人気者ですよ」

 

 うっそだー。あのキンジが人気者とか世も末だよー。

 と、大変に失礼なことを思いつつも、聖職者として嘘はつかないだろうメーヤさんの言葉は一応は真実と受け止めることにして笑顔で会話を終わらせると、話が終わったならと腕を引く理子によってズルズルと引き摺られて、笑いながら手を振るメーヤさんとお別れしバチカンをあとにする。

 日も暮れてきて闇討ちには適した時間帯に突入してきたこともあって、今日はもう大人しくホテルに戻ろうと話して移動を開始したオレ達の姿を見て、陽陰の式神のネズミもオレの足元からスルリと駆け上がってオレの胸ポケットに侵入してくる。

 それをバッチリと目撃した理子とヴィッキーには当然のごとく追い払うようにと促されたが、そうもいかないので歩きながら事情を話す。

 

「これは土御門陽陰の式神だ。なんか話があるからってコンタクトしてきたんだが、まだ話が全部終わってないから、どうこうするのはその後だ」

 

「土御門って、キョーやんがジャンヌ達と逮捕大作戦やってた相手じゃん。イ・ウーにも姿さえ見せなかった陰気なやつって印象しかないけど」

 

「土御門陽陰……リバティー・メイソンでも最近ようやくその存在が肯定された最高峰の超能力者じゃない。そんなやつが何で?」

 

 元イ・ウーメンバーの理子は知ってて当然で、ヴィッキーもリバティー・メイソンでの情報で知ってはいた。

 ヒルダなんてあからさまに影絵で首を絞めろとジェスチャーしてるが、それは用が済んだら自分でやってください。

 ともあれ陽陰同伴でホテルへと戻り、ささっと夕食を済ませてからオレの部屋に集まると、ヒルダも理子の影から出てきて陽陰を警戒しながら腰を落ち着ける。

 

『チッ。また面倒な女どもが引っ付いていたものだ。お前らには用はないんだがな』

 

「無理言うな。こちとら現在進行形で漏れなくNに狙われてるんだ。別行動はほとんど取れない」

 

「お前がどんな理由でサルトビに近づいたかは知らないけど、それが巡り巡って私達にまで影響が及ぶのなら、私達にも聞く権利はあるでしょう」

 

『紫電の魔女もずいぶんと丸くなったものだな。昔は人間など下等生物と罵るだけに過ぎなかった愚かな竜悴公姫が、どんな心変わりだ? 男でも知ったか?』

 

 こいつぶち殺す! みたいな殺意をみなぎらせるヒルダは遠回しに理子を守るようなことを言って、それが見抜かれて爆発寸前。

 挑発に乗りやすいところがあるヒルダを理子になだめてもらいつつ、この場に理子達がいる上で話を聞く旨を伝えれば、仕方ないといった雰囲気ながらも、しかし中断された話から再開するというささやかな抵抗に出てくる。

 ただしここまでのやり取り全てが日本語なので、ヴィッキーは完全に置いてけぼりだ。

 

『俺は奴らに後悔させてやるのさ。俺を侮ったことを生涯忘れぬくらいの屈辱を与えてな』

 

「お前の決意表明なんて聞かせるためにコンタクトしてきたわけじゃねーだろ。後悔させるってやつは、実質的にお前は動かない。そういうことだろ」

 

「えっ、話が見えないけど、もしかして理子達、こいつの手足になれって言われてる?」

 

「ねぇちょっとぉ、日本語わかんないんだけどぉ」

 

 陽陰も英語を話せないわけもないだろうが、わざわざこっちに合わせるほど良い奴では決してないので、ヴィッキーにはあとで伝えるとして話を要約する。

 高圧的な上から目線なのでわかりにくいが、陽陰が誰かを頼るなんて小さい男ではないのは重々承知で、言葉だけなら陽陰自らが手を下すことを決めたように聞こえる。

 が、そんなことを始めの1手からやるならこいつは完璧な犯罪者になんてなっていないし、何より現在進行形で国際指名手配されてる身。オレ達と顔を突き合わせることも絶対にない。

 そう考えれば必然、この話はオレ達を利用しようとする陽陰の思惑があり、自らはチェスのプレイヤーが如く高みの見物を決め込むつもりだ。

 

『勘が冴えているな。だがお前はこの交渉を呑むしかない。何故なら俺からもたらされる情報はお前にとって重要な案件になるからな』

 

「……今のお前は手足をもがれたに等しいと思うが、それでも情報を武器にするか」

 

『天地式神がなくとも、俺の特別製の式神はこれを含めて今も問題なく動いている。無駄遣いは出来ないが、お前達よりもNについての動向は探れるんだよ』

 

「こいつのペースに呑まれたらダメよサルトビ。交渉な以上、私達とこいつは立場の上で対等。妥協はするべきではないわ」

 

 それを否定しなかったおかげでこっちとしての意見も決裂の方向に出来そうだったが、何やら含みのある物言いに話だけでも聞かなきゃならない気がしてくる。

 だがそこで素直に話を聞けば、情報を与えた対価として労働力に使われてしまうので、ヒルダが止めに入る。

 こいつは商才はないのに駆け引きは微妙にわかってるんだよな。謎すぎる。

 

『そう邪険にするな。俺は善意で言っているぞ。事態は刻一刻と進行中だ。緋弾の娘から聞いたならわかるだろうが、分岐点の話だぞ』

 

「それはベレッタの話だろ」

 

『理解が乏しいな。いや、とぼけているだけか。人類史の分岐点に立つ人物は1人ではない。ベレッタなどはその内の1人に過ぎない』

 

 陽陰のことは信用など到底できないし、ヒルダの言うようにこの交渉は対等な立場の上で成り立つから、こちらにも陽陰がメリットと感じるものと同等のメリットがなければ決裂にした方がいい。

 それをわかってて情報を出し渋り聞くしかない状況にしてくる陽陰はイラッとするが、聞かなければこちらのメリットもわからないし、分岐点の話を持ち出したからには、オレのコミュニティの中の誰かがその話の中心にいることは予測がついた。

 そもそも陽陰がNのメンバーである可能性だって十分にあるし、これ自体がすでに罠の可能性もある。が、Nに繋がる案件に先手を打てるかもしれないなら、こちらとしても聞く価値はあるかもしれない。

 そんな意味も込めての長いため息から、ある種の覚悟を決めたオレが話を聞くことを決断すると、式神の向こうでニヤリとしただろう陽陰がようやくその重たい口を開いたのだった。



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Slash23

 

「そうですか。では黄金消失の件にNが関わっていることは明白となったわけですね」

 

「今後はアリアとも協力してNのメンバーの捕縛に動くことになると思う。それが黄金に辿り着く道に繋がる」

 

 アリアやキンジ、ベレッタと顔を合わせたローマでの出来事も昨日のこと。

 土御門陽陰との接触もありつつで迎えた翌日の夕方には、ロンドンへと戻ってメヌエットに調査報告という名の顔見せに訪れていた。

 そのメヌエットもオレの到着を待っていたようで、大変に珍しく報告を聞きながら外出の準備をなさり始めた。

 

「捕縛はいいですが、何の当てもなく、策もなくぶつかればアストゥリアスの二の舞いですよ。その辺はちゃんと理解していますか?」

 

「一応はNの動向に当たりはついてる。その先で具体的にどうするかはまだハッキリとはしてないが……」

 

「ふーん。つまり京夜はまたどこかへ行かれるわけですか。そんなに遠征を続けて学業の方は大丈夫なのですか? 主に出席日数的なお話になりますけど」

 

「それは……ちょっと怪しいところだな。ランク考査も来月には控えてるし、その前後くらいはちゃんと通えるように頑張るか」

 

「そう言って現実にするのは難儀なことですが、私は京夜が落ちぶれて最終学歴が中卒でも友人でいてあげますので」

 

「その中卒すらできない人間が何をおっしゃって……」

 

 そこにどのタイミングでツッコむべきか悩みながら会話を繰り返していくが、オレがまた遠出すると察知したメヌエットはあからさまに不機嫌なオーラを噴出させて言葉のジャブを連打してくる。

 それが痛いのなんので心も耳も痛いが、目を背けていい話でもないから一応はメヌエットの優しさと無理矢理解釈しておく。

 そして自分に都合の悪いことには耳に蓋をする悪い癖が発動したところで外出の準備が整ったメヌエットはオレを見て小さなため息。それ嫌い。

 

「さて京夜。尋ねるべき案件を放置したのですから、こちらからタイミングを差し上げますわ。私はこれからどこへ行くでしょう」

 

「外」

 

「……京夜は私をなんだと思っているのでしょうね」

 

「家の外に出ることが3度の規則正しい食事よりも珍しいメヌ」

 

「そこは否定しませんが、それを自信満々で言われるのは釈然としません」

 

 それでメヌエットの方から行き先を推理させる質問が飛んできて、それだけでメヌエットが行く先はそれなりに楽しみなことがわかったが、さすがに皆目見当もつかないだけにおふざけで乗り切ろうとする。

 それすらわかったらしいメヌエットは時間を無駄にしたくないからかさっきより大きなため息を吐いてからオレに車椅子を押させて移動を促す。

 

「携帯電話ショップに行きます。日本から輸入した機種が届いたと一報ありましたが、契約に本人確認が必要とのことですから」

 

「携帯? 家から出ないメヌが?」

 

「いいですから早く押しなさい」

 

 その行き先が全く予想していなかった場所だったからマジで驚いてしまって、ボケなしのマジツッコミを炸裂させたら、言及を許さないといった雰囲気でそれ以降は口を閉ざしてしまった。

 仕方なく言われるがまま車椅子を押して最寄りの携帯電話ショップに足を運び、14歳が1人で契約できるのか──保護者の同行とか必要なんじゃないかって方向でだ──と、保護者目線で見守るが、なんか貴族様のお力でゴリ押しした。

 それでメヌエットがわざわざ日本から輸入したという携帯は、どうやらこれから先の時代で爆発的に普及するだろうという、スマートフォンなる機種で、オレの折り畳み式などと違ってボタンなどもサイドにある程度でほぼ前面が液晶画面の小型テレビみたいな作り。

 その画面に映される絵柄などを直接タッチして操作するタイプのようでオレには先端すぎてよくわからない。

 そのスマホの契約を終えたメヌエットは、その帰り道で早速あれこれと操作をして何かのゲームを始めていたので、なんだかアニメのアイドルがテーマらしいそれについて問いかける。それやりたかったの?

 

「これは日本が運営している携帯ゲーム『アイドル@シンデレラ』。通称アイシンです。先日このゲームが爆発的に人気を上げたとあって、私もその人気の秘密に興味があったのです」

 

「そういうのはよくわからないが、あんまりハマりすぎないように気をつけろよ。基本無料? ってのはどこかしらで儲けるシステムを組み込んでるものだろ? 運営の思う壺は良い気分ではないな」

 

「課金は日本のお布施みたいなものですよ。それにそういったシステムを利用する人がいるから、ゲームは運営し続けられるわけです」

 

「……まぁメヌが納得してすることならオレもどうこう言わないが、ゲームにかまけてオレが放置されるのは理不尽だからな」

 

「ゲームに嫉妬なんて、京夜も可愛いところがありますね」

 

 ぜんっぜん違うけど! こっちは命がけで動いてるのに、動かせてる本人が家でポチポチと呑気にゲームしてる姿を想像するだけで殺意が湧いてくるってだけですよ!

 まさかそのゲームをするためだけにスマホを取り寄せたのかと思うと呆れるが、オレが頑張ってる一方でぬくぬくとゲームをしている現実の対比を煽るメヌエットには怒りすら覚える。

 それを口にはしなかったが、全てをわかってて意地悪を言うメヌエットもそれだけで放置するのは可哀想とでも思ったか、おふざけはやめて話をする。

 

「もちろん京夜が危険を冒して調査をしてくれていることに感謝はしています。安否だってそれなりに心配しているのですから、その心労も察してください」

 

「……訃報だけは報せないように努力するよ」

 

「そうしてください」

 

 メヌエットもメヌエットでオレが行った先で死ぬんじゃないかという不安はあったことを吐露されると、心配させるオレが悪いような気もするので強くは言えない。

 大丈夫。絶対に死なない。なんて都合の良い言葉を出したところで、そう思わせるだけの実力を併せ持たないオレでは余計な不安を抱かせるだけなら、今のオレが言えるのは死なないように最善を尽くすことだけ。

 それでもメヌエットにとっては少しでも安心する言葉にはなったのか、本音を語るのは柄ではないとまた話をアイシンに戻して、ついでに買ったスマホでオレの携帯とアドレス交換を済ませるのだった。

 

 メヌエットを家に送り届けてから、自宅に戻るまでに同じくロンドンに来ていた理子がヴィッキーのところで1泊すると決まっていたのでそちらに連絡してみると、元気そうにしていたから警戒だけは怠らないようにと注意して終了。

 オレもオレでNに住居がバレていることを警戒してマンションへと戻り、監視の目もある前提で部屋を開ける。

 するとどういうことでしょう。女モノの靴が1足ありやがりますよ。

 鍵はかかってたから、シルキーが通した可能性がなきにしもあらずだが、そうでない場合は……

 と、警戒を強めて武装も整えてリビングにそろりと入ってみると、そこにはシルキーが話し相手となって接待する人物が1人。

 

「……何でいるんだ」

 

「むっ、その言い方は気分が良くないな、京夜。わざわざ東京からはるばる来たのだ。もっと歓迎しろ。そして喜べ」

 

「わーい世界一の美人リーダーのジャンヌさんだー、わー」

 

「何だ? 不満でもあるのか? んん?」

 

 長い銀髪を綺麗に結ってまとめ、雪のような肌と外人独特の美貌を有したジャンヌ・ダルク30世が、呑気というか優雅というかなティータイムをシルキーと嗜んでおられた。

 その光景にはオレも思わず脱力して、久々に会ったオレの所属する武偵チーム『コンステラシオン』のリーダーに素直な感情をぶつけられなかった。

 本当は普通に。普通に会ってればそれなりに嬉しいイベントではあったのだが、状況が状況なだけにタイミングが完全に悪かった。

 

「あーそっか。アリア達が前乗りしてただけで、ぼちぼち他のやつらも修学旅行Ⅲで来てるのか」

 

「と言っても、私のチームでは実質的に私と島だけなんだがな。お前はこの通り留学しているし、京極は例のごとく。中空知と遠山は留年ときた。まったくこのチームは問題ばかりで私の頭痛はやまないぞ……」

 

「その頭痛の種にオレを入れられるのは大変に不服ですが」

 

 きっとジャンヌ的にはサプライズのつもりで待ち伏せしてたんだろうが、オレの反応に不満があってあからさまに不機嫌に。

 さらには自分のチームの悲惨な状況にオレまで加えられてこっちも不満だ。オレは何も問題は起こしてない。はず……

 とはいえいつまでも不貞腐れてもらっても困るので、挨拶はそれくらいで話を進めようとする。

 だがその前に思い出したように立ち上がったジャンヌは、すでに入浴の準備を進めていた風呂場の方に行ってしまい、戻ってくると着替えなどを持って行こうとする。

 

「ふむ、話がしたいなら一緒に入るか?」

 

「その気もないのに誘ってくるな。話はしたいが」

 

「なら浴室と洗面室の扉を隔ててでもしよう。それならば問題あるまい?」

 

 いえいえ問題ありまくりぃ。洗面室にはあなた様のお着替えと着ていたものが置かれますのよ? ハレンチよハレンチ。

 そんな些細な注意力も落ちているっぽいジャンヌの謎のテンションはさておき、そういうのは注意してれば大丈夫かと自分に言い聞かせて、ジャンヌが浴室に入るまでの間に失礼しようとしたシルキーと話をしておく。

 

「シルキー、エメルの保護者はちゃんと引き取っていったか?」

 

「はい、滞りなく依頼は完了しました。ご報酬の方はそちらのテーブルにありますのでお受け取りください」

 

「助かったよ。子供の面倒を任せきりにして悪かったな」

 

「いえいえ。エメル様はとても賢くて大人しい子でしたから」

 

 話の内容はもちろん今ここにいる気配がないバンシーについて。

 ローマ入りの前に羽鳥に手は打ってもらったので、シルキーも話を合わせたところを見るに事情は把握してくれている。

 今どこにいるのか聞きたいところだが、どこに誰の目があるかわからない以上、バンシーを匂わせる発言はできない。たとえシルキーの領域内であっても油断禁物。

 とにかくバンシーの避難は成功したようなのでそこだけは安堵して体裁だけの報酬──あとで羽鳥辺りに返却だな──に目を通してからジャンヌが浴室に入ったのを確認して洗面室へ。

 幸い、脱いだところで気がついてくれたか、下着などは上着の下とか中に隠してくれて見えないから、下手に何か触って出てくるのを警戒してそのままを維持して浴室の扉の前に腰かける。

 と、その浴室の扉の下に何やらジャンヌ直筆の紙が置いてあったので、それを読みながら雑談。

 

「こっちにはいつ来たんだよ」

 

「昨日の朝方だ。最初はホテルにでも泊まろうとしたんだがな。お前のところなら旅費が浮くと考え至った」

 

「おい、じゃあほぼ2日ここにいるのかよ。好き勝手してないだろうな」

 

「お前こそもう少し健全な男子高校生として振る舞え。いかがわしい本1つないとは不能なのか。それとも外で遊んでいるわけか。まさかとは思うが、シルキーを……」

 

「お前はオレの母親か。っていうかエロ本の捜索とか同級生の女子がすることじゃねぇし、シルキーをそういう目で見たことないっての」

 

 紙の内容によると、ロンドンに来るのは予定通りだったが、来てすぐに羽鳥から連絡があって、バンシーの保護者設定でオレの家からバンシーを引き取る依頼をされたらしい。

 その際に理子直伝の変装などもしてやってくれたようで、実際、バンシーのあの白髪とジャンヌの銀髪は色的に近いから親子でもギリギリ通るな。

 さすがにバンシーとシルキーに直接は連絡が取れなかった羽鳥はジャンヌにメモを持っていかせて、それで2人にも事情を知らせて今に至っていることがわかった。

 バンシーは今はとりあえず羽鳥のあのゴミ屋敷、というか汚部屋に引っ越ししているらしいから、何かが弾ける前に回収しないとな。

 

「……なぁ京夜。明日から一緒にいられる時間はあるのか?」

 

「それは……悪い。明日からまたロンドンを出ることになってる。帰りはいつになるかわからん」

 

「そう、か。いや、それを残念には思っていないが、頑張りすぎて倒れるなよ。私はそれだけが心配だ」

 

「ジャンヌにも心配させてたか。こりゃ男としていよいよ情けないな」

 

 そうして思考と会話とで全く別のことを器用にしていたら、読み終わった頃合いを察してジャンヌから観光のお誘いがかかる。

 だが明日からオレはまたロンドンを出なくてはいけないため、悲しいが断りを入れて、そのあとはメヌエットと同じように心配されていたことを知る。

 そんなに頼りにならないものかねと、自分の実力を疑い始めたオレに対して、小さく笑ったジャンヌは「そういうことではない」と否定。

 

「私はな、京夜のことを信頼しているよ。しかし信頼しているからこそ、大切に思うからこそ、どうしたって京夜の安否は心配になるものだ。京夜だって私が同じような立場にいれば、一切の不安がないなどと、そんなわけにはいかないだろう」

 

「それは確かにそうかもしれないが……」

 

「人と繋がるというのは、人知れずそういう不安も抱えさせるということだ。本当に恐ろしいのは、誰からも心配されないことだと私は思う」

 

「ひょっとしなくても励ましてくれてる?」

 

「これでも私はチームのリーダーだからな。メンバーを鼓舞したりも私の役割だ」

 

 人と人とが繋がれば、その人が自分の見えないところで危険なことをしていればどうしたって不安になる。

 それは人として当たり前の感情だと話してくれたジャンヌが珍しくオレを励ましてくれて、扉の向こうでドヤってると思うと笑えてくる。

 ただ、言ってくれたことは割と真理に近いような、そんな気がして無理に心配させないように頑張るのはやめようと考えた。無理に頑張って負の連鎖を起こしても仕方ないしな。

 

「さて、少し元気は出たのだろうが、まだ足りないというなら背中でも流してくれないか? そちらの方が京夜は元気が出るだろう?」

 

「年頃の若者にそんなお誘いはやめておけよ。背中だけじゃ済まなくなるぞ」

 

「フフッ。ここで迷わず踏み込んでこないところが京夜らしい。女性としては少し傷つくが、お前がそうでなくてはこういったからかいも出来ないからな」

 

「ったく、のぼせる前に上がれよ」

 

 さすがにこれ以上の言葉はジャンヌとしても恥ずかしいのか、湯船から出て動いたのを察知。

 恥ずかしさを誤魔化すための冗談が耳を疑うお誘いで、体は正直だが心は理性を保ってくれた。よくやった、オレ。

 そこでオレが誘いに乗らないことはジャンヌの計算通りだったから、ジャンヌも普通に体を洗い始め、お風呂というのは1人でゆったりする時間でもあるので、オレも静かに退散した。

 

 ジャンヌとの話し合いを終えてリビングに戻ってから、1つの問題があることを思い出す。

 ──今夜はどうやって寝ればいいの?

 これマジでどうしよう。明日は朝早くからフライトだし、徹夜も1つの手だが疲労だけは向こうに持っていきたくない。

 となれば6時間でも最低寝ておきたいが、この部屋にまともに寝られるスペースはベッドしかない。

 だが今夜は客人のジャンヌがいるからベッドは使用不可。必然、オレはどうしても寝苦しい夜を過ごすことに。

 

「ぬぐぉぉ……こうなれば最終手段を……」

 

 そもそもの家主はオレだから勝手に上がり込んできたジャンヌに気を遣う義務はない。ないが、ここは紳士の国イギリス。

 ジェントルメーンの心を学ぶオレがレディーを床で寝させるなどあってはならないナッシング。

 ……ふざけてる場合ではなく、どうしてもちゃんと寝たいオレがジャンヌもないがしろにしないで済む方法はただ1つ。

 

「今夜は一緒のベッドで寝させてください」

 

「風呂から上がった女に最初に言うことがそれか! お前というヤツは!」

 

「絶対にエッチなことはしないから! いや、決してしたくないわけじゃなくて! どうしてもオレは安眠が欲しいけど、ベッドが1つしかないから!」

 

「余計な気遣いはかえって傷つくぞ! ああもう! なぜ敷布団がないのだ! 日本人の心はどこへ行ったのだ!」

 

「そんなものは正月に京都に置いてきた!」

 

「……タイムラグなしで嘘を言うな……フランス人だが悲しくなったぞ」

 

 風呂から上がって満足気なジャンヌの機嫌が良いうちにと先手必勝で土下座からの懇願を敢行してみせはしたが、やはり『一緒に寝たい』は若い男女には破壊力がありすぎたか、さっきは背中を流せと誘ってきたジャンヌもお怒りモードに。

 さっきの誘いを断った手前で色々配慮したことを言うが、それが逆効果になったのは謎で、敷布団なんて大きなものを留学に持ち込むとかアホがやることなので、ジャンヌもジャンヌでテンパりまくりなのがわかってしまう。

 ちょっとお互いにテンション高めで収拾がつかなくなったため、ジャンヌが自分を落ち着けるようにオレのボケに対して冷静にツッコんでため息を漏らす。

 そしてオレの理由を考慮して少し考える仕草をしたあと、頬をわずかに赤らめて確認をしてくる。

 

「まぁ私も信頼していると言ったばかりだ。一緒のベッドで一夜を過ごしたとしても、京夜がケダモノになるなどとは思っていない。ね、寝相は良い方か?」

 

「寝た時のまま動かないで有名だ」

 

「そんなものが噂になるとは到底思えんのだが、起きた時に別の体勢。私に覆い被さったりなどしていたら人間樹氷にしてやるからな。わかったか」

 

「努力はするが、寝ている時のオレにその努力が反映されるかはわからない。香水とかやめてくれると危険度は下がるかもしれん」

 

「ぐっ……シャネルの19番は……」

 

「むしろ勝負に出てないそれ?」

 

 とりあえず許可は出たっぽいが、色々と注意事項を述べてくるジャンヌはしきりに女としての身だしなみを気にし始めて、その気持ちはわからんでもないものの、そうやって準備を万全にすればするほど男として反応が大きくなるからやめてほしい。

 それでかろうじて香水をつけることだけは阻止して、一緒のベッドで横になったまでは良かった。

 問題はすぐに寝れば良いものを何故かジャンヌさんがオレの方を向いてじっと見てくること。

 

「……何かあるなら言ってくれ。寝られん」

 

「いや……お前に枕がないから寝づらいのではと思ってな」

 

「この程度なら問題ない」

 

「そこで私から提案があるにはあるのだ。私の枕は京夜が使え。それでその……私の枕は……京夜から提供してもらいたい」

 

 何か困った問題があるのかと思ったら、オレが枕なしで寝て、自分がオレの枕を使って寝ていることに気兼ねがあったらしい。

 その解決方法について言い淀んだことでオレもその方法については察しがついたので、皆まで言わなくてもジャンヌからの提案ならと、オレはジャンヌから枕をもらって、そのジャンヌの頭の下にオレの腕を伸ばして置いてやる。

 その腕の上に頭を乗せて枕代わりにしたジャンヌが体もオレの方に向けて寝るから、オレは仰向けでジャンヌを見ないように寝ると、一言だけ「おやすみ」とささやいたジャンヌは、ほどなくして眠りに就いて、オレも余計なことを考え始める前に眠りに就いていったのだった。



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Slash24

 

 ロンドンに戻ってきて一夜が過ぎ、隣で寝ていたジャンヌが寝ぼけてオレに寄りかかってきたところで起きたら、ジャンヌも寝ぼけながら自分が何をしてるかを把握して反射的にオレをベッドから蹴落とすという理不尽で最悪の目覚めを迎える。

 私に蹴られたのだ光栄に思え。とか言って開き直ったジャンヌにはジト目攻撃で数分間攻めて謝らせてから、朝食を終えて2人ともがマンションから外出。

 ジャンヌには理子達と合流してもらって守りを固めてもらい、理子も白雪と合流するということだったから、Nと言えど簡単には襲撃はできないはず。

 その間にオレは土御門陽陰からもたらされた情報を頼りに動き、そこでNとバンシーの件での問題を解決し、分岐点とやらもNの都合の悪い方向に向けてやりたいところ。

 その前にジャンヌには羽鳥宅に避難しているバンシーに空港へと来るように伝言してもらい、本人には悪いと思うがバンシーに同行を頼むことになる。

 ジャンヌと別れてからまっすぐにヒースロー空港へとやって来て、人でごった返す中で自分が乗る便を待っていると、マンションではシルキーの領域設定のせいで透過などが出来ずにいたバンシーも制限解除され、不可視状態でオレの背中にもたれ掛かって存在アピール。

 会話は警戒して出来ないからジャンヌには伝言ついでに事の成り行きを書いたメモを渡してもらっている。

 その上で来たならバンシーも協力してくれるということだ。悪いね、オレが至らないばかりに。

 そうしたあれこれの話は現地に着いて落ち着いてからするしかないので、今は黙ってオレについてくるようにと態度で示して搭乗便に乗り込み、どこにいるかもわからないバンシーもいることを願ってまたロンドンを発つ。

 ──行き先は……中国、上海だ。

 

 アジア圏に来たのは2ヶ月ぶりだが、降り立った上海浦東(シャンハイ・プードン)国際空港ではまだ外国人の感覚が色濃い。

 何かの調べでわかっていることだが、アジア圏の人間はその顔つきだけで同じアジア圏ならどこの国の人かおおよそでわかる。

 しかしオレ達はヨーロッパの人間をパッと見ただけではどこの国の人か区別すらつかないが、ヨーロッパ圏の人はこちらと同じようにおおよそでわかるのだ。

 これはどこの大別でも起きることで、この上海に来た欧州の人なんかはオレや中国人を見比べても違いはあまりわからないだろう。

 そんな認識の違いをぼんやりと思い出しつつ、あれは日本人かなとか、そんな他愛ないことを考えて空港を出ると、出てすぐに歩きながらのオレに近づいてきた影が。

 それは人ではなく鳥。スズメみたいな見た目の小鳥だが、もちろん野生ではない。

 

『ずいぶんとのんびりした到着だったな』

 

「これでも出せる最速で来たぞ。お前は視点を変えるだけだから感覚が狂ってるんじゃないか?」

 

『最速と言うならローマから直接来ればいいだろう。ロンドンを経由するなど寄り道以外の何物でもない』

 

 到着早々にグチグチとうるせぇなこの男は。

 オレの肩に乗った鳥はここ中国で活動させている陽陰の式神で、それを通して陽陰が話しかけてくるが、開幕から険悪だ。

 ただこの先のことは陽陰なしでは少し手間がかかるので面には出さずにどこへ向かえばいいかを問いかける。

 

『上海市の中心、黄浦区(おうほく)にある「蘭盛街(らんせいがい)」という場所に行け』

 

「うわぁ、如何にもな名前だこと。やっぱ凄いのな」

 

『街として形になったのは1年ほど前だが、まだ成長する余地があるな。なかなかの手腕と認めるしかあるまい』

 

 この空港は陽陰の言った上海の中心からは少し離れているのでタクシーでの移動を余儀なくされ、目的地を運転手に伝えるとちゃんと伝わるんだから、それなりに根付いていることを意味していた。

 上海のタクシーは日本などと比べても格安なので移動手段として最適レベルまであるが、出費があるのは変わらないので多用は禁物だ。

 そのタクシーに揺られて訪れた黄浦区の蘭盛街なる場所は、なんか凄く……物凄く活気がある。

 移動中に運転手が話してくれたところによると、この蘭盛街は300m×300mの広範囲に住居、飯店、雑貨屋などの生活に困らない施設がぎゅっと詰まっていて、この街に住む人達がほぼ全ての施設を回している、ちょっとした独立国家みたいな街らしい。

 もちろん観光地としても栄えていて、観光客の姿も相当なもの。京都の碁盤の目のような道作りも整然としていて、十字路にある看板もごちゃごちゃした印象もなく店の種類で色分けしたりと迷いにくいのは助かる。

 

「それで、この街のどこにいるんだ」

 

『偉い人間は街の中心にいる。最も、作り手からすれば有事に街のどこからでも辿り着ける最短、最長の差が小さい場所がいいといった理由らしいがな』

 

「それもらしい理由だが、そんなことまで調べるとか暇人か」

 

『この街が作られる開発段階で少し興味が湧いて、街を中心に上海を混乱させようと思ったことがあったのだ』

 

「出来てないんだろ」

 

『混乱を起こすにはこの街から火を点けねばならなかったが、あの女は面白くない。偽善の極みで興が削がれた』

 

 その蘭盛街に足を踏み入れて陽陰が事前に調べていたことを問うと、確かに中心を走る道の真ん中には3階建てのビルのような建物があったが、凄く質素で日本の雑居ビルと代わり映えしないので豪華さは皆無。

 入り口も四方にあって非常にオープンな造りで、正面という概念がない不思議さがあれだが、1階はフロントのようなもので受付が数人いる程度。

 こうなるとアポイントメントが必要だろうなと思いながらも、一応は受付に対応してもらうと、意外にもその場で上に掛け合ってくれて、すぐに来てくれると言うので待たせてもらう。

 陽陰がいると言っているのだから、おそらく上の階にいるんだろうなと考えながら待つこと10分。

 1階の造りがオープンなせいか、中央辺りが2階まで中抜きな天井で螺旋階段が対角線上に2つあり、そのうちの1つから目的の女性が姿を現して、フロントにいたオレの姿を捉えると嘘のようにパアッと笑顔を咲かせて階段を駆け降りてくる。

 そして降りてからも一刻も早くオレへと近づきたいと走るのだが、案の定、マジモノの運動音痴は何もないのに突然つまずき前のめりに倒れそうになる。

 それがなんとなくわかってたのでオレもそうなったら助けられるように構えていたのだが、そのオレよりも早く螺旋階段を無視して2階から飛び降りて倒れかけた女性を片腕で首根っこを掴み助けてしまう。

 

真的不够细心(本当にドジだな)

 

 軽業師のような身のこなしとスピードは猿のようだったが、驚くことにその人物は中国の民族衣装を着た女性。

 髪が坊主の2、3歩手前くらいに短くされていて中性的に見えるが、服が体のラインにだいぶ沿ってることから骨格などは誤魔化せないためわかる。

 身長は160cmほど。体重はかなり軽いな。その証拠に胸部装甲が薄く、尻も小さいし、腕も細い。華奢な部類に入るレベルだ。

 

谢谢。得救了(ありがとうございました。助かりました)

 

 その謎の女性に引き上げられてからお礼を言ってお辞儀までしたら、本来の目的とばかりにオレへと振り向き、今度は転けないように小走りで近寄ってくると、いきなりオレの手を取って強く握ってくる。

 

「お久しぶりです京夜様! またお会いできて幸せです!」

 

「幸せって大袈裟な……でも元気そうで良かったよ、劉蘭(りゅうらん)

 

「はい! 京夜様もお変わりなく……では失礼ですね。とても凛々しくなられて」

 

「社交辞令ね。ありがとな。劉蘭も一段と綺麗になったか」

 

 光ってるんじゃないかと思わせる長い黒髪に、楊貴妃もこんな人だったのかなと考えさせられるほどの美貌を併せ持つ目の前の女性、劉蘭は、赤を基調としたチャイナ服を着こなして、かつての許嫁と聞かされていたオレとの再会を心の底から喜んでくれる。

 今は許嫁などという関係ではないものの、それまで以上にオレに好意を寄せてくれている劉蘭の純粋さは恥ずかしいほど。

 日本語も独学ながらに達者で、会話にも全然困らないのはこちらとしても楽だ。

 

趙煬(ちょうよう)はいないのか。てっきりいつもみたいに愚痴を言われるのかと思ってたが」

 

「趙煬は今とても大事なお仕事をしています。来週には合流できるとは思いますが」

 

「あー、ってゆーか、いきなり来て悪かったな。忙しかったりするんだろ?」

 

「京夜様の突然の来訪に対応できないほど忙しくありませんから、お気になさらず。今は1つのことに集中していますので、上海から離れる予定もありません」

 

「そこは情報通りか……」

 

「えっ?」

 

 テンションがめちゃくちゃ高い劉蘭との若干の温度差はありつつも、いつもはそばにいる趙煬の姿が見えないことが気になる。

 劉蘭に付きっきりの男というわけでもないから、別の仕事をしていると言われれば納得するしかないし、その代わりにあの謎の女性が……

 と、話しながら劉蘭の後ろでオレ達を見ていた女性を様子見していると、何故か少し驚いたような表情をしてから、オレを怪しんでいるような表情へと変えて近寄ってくる。

 そこからはオレと劉蘭の間に割って入って物理的に引き離されると、それを疑問に思った劉蘭が女性を見て問いかける。

 

「どうしたのですか。京夜様は先ほど言いましたがとても信用できるお方ですよ」

 

「……なんやこの男、タイミングが良すぎるんとちゃうか、劉蘭」

 

 ……日本語を嗜んでるんだな……ってゆーよりも! 何故に関西弁!?

 と、日本語への理解より先にコッテコテの関西弁に仰天したオレは、何でそんなに驚かれたのかと訝しむ表情で見られるが、ちょっと印象が悪いっぽいのでオレも少し心の距離を取る。近すぎると噛みつかれるかもしれん。

 

「す、すみません京夜様。こちらは美帆(メイファン)。趙煬と同じ藍幇の武人で、『神虎(シェンフー)』と呼ばれています。従兄弟が在日の日本人とのハーフでして、そちらの関係で親日家でもありまして、その従兄弟から言葉を学ばれたのですが、どうにも私とは勝手が違って通じないことも間々あります」

 

「ああなるほど……でも従兄弟って中国は兄弟は……」

 

「ワイのオカンが双子なんや。それよりおどれは何が目的で来たんや。返答によっちゃ追い返すことになるで」

 

 ……なんだろう。この蘭豹(らんぴょう)と会話してる感は……

 仲を取り持とうとしてくれている劉蘭の態度にも厳しい目を緩めないメイファンは、どうにもその口調とかが東京武偵高の暴力教師、蘭豹と被ってやりにくい。

 ただこのメイファンの鋭さは侮れないな。オレがここに現れたことをまず疑ってきた。

 護衛としてその反応は正解だ。たとえ護衛対象の知り合いでもそうすべきところだからな。

 問題はこのメイファンがあの超人、趙煬の代わりに劉蘭付きになってるなら、その実力は趙煬とそう変わらないだろうこと。

 そうならオレでは絶対に勝てない自信がある。100%勝てないね、うん……

 

「……疑われるのも仕方ないから正直に話そう。劉蘭、近々藍幇で大きな会議があるんだろう。そこで何か大きな提案をする気じゃないか?」

 

 現状ではまだオレは敵対しているわけではないので、ここはどうにかして味方につこうと、陽陰が掴んでいた情報を少し提示して質問をぶつけると、仕事の話になればポーカーフェイスが凍りつくほどに恐ろしい劉蘭が表情を歪めた。

 どこでそれを、といった反応に近いと思うが、残念ながら陽陰については伏せたまま進行しなきゃならない都合、どうしても無理が出てくる。

 

「別にその提案の内容を知りたいわけじゃないし、会議自体にも興味はないんだ。ただこれだけは信じてほしい。これから劉蘭が持ち込もうとしている提案は、ある組織にとって非常に都合が悪いらしいんだ。そいつらが会議の前に劉蘭の暗殺をしようと目論んでいるかもしれない。オレはそれをなんとしても阻止したい。だからここに来た」

 

 嘘は言わないが一部の真実は伏せる。

 その無理がメイファンの警戒レベルを上げることになったが、オレを信用してくれている劉蘭は、この話を真面目に受け取って考える素振りを見せる。

 その間にメイファンがオレからさらに情報を引き出しに来る。この辺でも有能ですこと。

 

「劉蘭の敵は今に始まったことやない。藍幇内にもぎょうさん敵はおんねん。やからいつもワイや趙煬、(こう)が必ずついとる。どこから掴んだか知らんが、会議も迫っとる今は特にや。開催の1週間前にもなれば趙煬とワイがどんな敵の接近も許さへんわ。おどれはいらん。必要な情報だけ置いて帰れや」

 

「そういうわけにもいかないんだよ。こっちにもこっちの事情がある。それに敵はメイファンや趙煬みたいな超人でも臆さない行動力と実力と強力な頭脳の支援がある。暗殺だってその方法は多様だ。その全部をはね除けて劉蘭を100%守り切れるなら、オレも文句はないが?」

 

 趙煬やメイファンを信用していないわけでは決してない。メイファンの言い分も十分に理解できる。

 だがそれでも劉蘭が殺される未来を可能性として孕んでいる以上、オレは退けない。

 バンシーのことも、オレや理子達の身の安全の保証もある。しかしそれだけじゃない。

 ロンドンを発つ前夜にジャンヌも言っていたが、劉蘭との繋がりをオレは大切に思っているんだ。それだけは嘘偽りない真実。

 

「……ええよ。そんだけの覚悟を言うんやったら、ワイが試したるわ」

 

「ダメですメイファン! あなたの技は京夜様を『壊します』! それこそ今後、京夜様が武偵として活動できないほどの傷を負わせる可能性だって……」

 

「それもわかっとってワイに意見したんやろ? ワイが趙煬と同等やったら確実に負けるのはわかっとったはずや。それやのに引き下がらんかったんやから、自己責任っちゅうやつやろ」

 

 その覚悟とも取れるオレの言葉を受けて、メイファンが武人らしく拳で語ろうみたいな提案をしてきて、こうなる予感はしていたからメイファンの観察はすでに終えている。

 仕込みの武器はなし。棒手裏剣みたいな細長い武器なんかだとわからないが、体に割とフィットしている服に不自然なところがないから、メイファンはおそらく徒手空拳の拳法家。

 決して鍛えているわけでもなさそうな細腕や足からも趙煬のバカみたいな撃力を生み出すタイプでもない。

 それなのにこのメイファンは神虎なんていう異名を取っている。そこが鍵だ。

 

「…………では決着は私が決めさせてもらいます。京夜様はメイファンに一撃、有効打を与えられれば勝利。メイファンは京夜様に必殺が入ると判断したら勝ちとします。ですがメイファンは『内気勁(ないきけい)』はなしです。『外気勁(がいきけい)』も半分までの出力に限ります」

 

「劉蘭! それはこいつの覚悟を踏みにじるハンデやで! 外気勁は全開で使わせてもらうで!」

 

「オレもそれで構わないよ、劉蘭」

 

「ですが……わかりました。くれぐれもメイファンからは当てられないよう注意してください。メイファン。もしものことがあったなら、私個人としてあなたを許せそうにありませんからね」

 

「そら怖いなぁ。劉蘭にはデッカイ借りがあるさかい、恨まれたくないんやけど、あの目を見たらそうも言ってられへんわな」

 

 中国4000年の武などとよく言われるうちの1つ2つ3つそれ以上がこのメイファンに秘められているとして、あの劉蘭が技の制限をしたほどなら、その威力は殺人級ということだ。

 それが怖くないわけではないが、両者が納得した上で行うべき案件なら、向こうにばかり背負わせるのはフェアではないと、ハンデを少し緩和することを許可。

 その意気やよしとばかりにニヤリとしたメイファンは、サッと右足を引いて半身で腰を落とすと、両腕を緩く下向きで構えて戦闘体勢を整える。

 型から見るに攻めより守りに寄った感じだが、中国拳法はたまに物理法則を無視するからな。油断はできない。

 劉蘭の助言を頼るなら、メイファンに攻撃を当てられるだけでも致命傷のレベルと考えられ、そんな人にどうやって接近すればいいのやらな状況。

 

「来んのやったらワイから行くで」

 

 そうしてオレが攻めあぐねていると、受け身になっていたメイファンがさっさと終わらせようと自ら攻めに回ってきて、摺り足のような体捌きでぬるっと前進。

 素早く動く下半身とは裏腹に異常なまでに動かない上半身。特に両腕がほぼ脱力状態を維持したままのメイファンにこの上ない気持ち悪さを感じて、明らかな隙があるのに手が出るより先に体がバックステップを踏む。

 それにメイファンが小さく「へぇ」と声を漏らすが、依然としてオレとの距離を縮めて踏み込んでくるので、何が狙いかはわからないが、こっちも踏み込まなきゃ進展しないと悟る。

 とはいえ最初から受け身になったメイファンがカウンタータイプの武人なのは明白。そこにこんにちはの攻撃をしたところでさようならされるだけ。

 だからオレも真っ向から打ち込まずに、古典的なフェイントである相手の目の前で手を叩く、いわゆる猫だましでの怯みを狙ってパァン! 結構な勢いで実行に移してみせると、如何な神虎と言えど人間の反射はそう簡単に制御できずに目こそ閉じなかったがその足は一瞬だけ止まってくれた。

 その一瞬の隙を逃さずに素早く姿勢を低くしてメイファンの足を払いに低空回し蹴りをお見舞いし、転倒を狙った。

 

「その警戒は間違いやあらへんよ」

 

 ──バヂィィン!

 実際にオレの回し蹴りはメイファンの足を捉えて命中した。

 命中したし、あの華奢な体なら勢い余って折るかもしれないくらいの威力で放った蹴りだったが、その蹴りはメイファンの足に当たった瞬間、鉄筋コンクリートにぶつけたかのような衝撃によって弾かれて、逆にオレの体が反動で吹き飛ぶ。

 何が起きたかわからないほどの衝撃で思考が半分以上は停止しながらも体勢を立て直して立ち上がったオレだったが、その時にはすでにメイファンが懐へと入り込んで脱力させていた両腕を腹へとあてがう。

 

「これがせめてもの情けや」

 

 ただあてがっただけ。

 それだけだったはずなのに、メイファンに触れられた瞬間、オレの腹に物凄い衝撃が襲い掛かり、前から後ろへと突き抜け、遅れてその衝撃でオレの体が嘘のように建物の壁までノーバウンドで吹き飛んだ。

 腹にもらったはずなのに今や全身にビリビリとした痺れすら残すダメージは確実に行動不能なレベル。内臓にもいくらかダメージがいってるな、これ。

 

「京夜様!」

 

 声もろくに出せないほどのダメージで近寄ってきた劉蘭を見ることしかできなかったオレに対して、突き出していた両腕を戻して戦闘体勢を解除したメイファンは、静かにオレを見ながら自分の下顎を拭う仕草をする。

 

「……イタチの最後っ屁っちゅうやつやな。あと3cm深かったら有効打やったかもしれんで」

 

「えっ? メイファンが攻撃を受けたのですか?」

 

「こんなもん攻撃に入らんで、劉蘭」

 

 ほぼほぼ完璧な敗北に揺るぎはないが、吹き飛ぶ瞬間に本能的に蹴り上げた足がメイファンの無防備な下顎を掠めただけの一撃。

 到底、有効打にはなり得ない悪あがきだったが、それを受けて体を起こしてくれた劉蘭は、その結果をどう判断するか迷う節を見せる。

 

「メイファン、全力で撃ち込みましたよね」

 

「……せやな。これは勝敗関係ないかもしれんな。認めたないけど」

 

「京夜様。この勝負は京夜様の勝利です。メイファンの一撃をまともに受けて未だ意識があるなど、本来ならばあり得ないこと。それを鑑みて、そう判断させていただきます。メイファンもよろしいですね」

 

「しゃーないやろ。外気勁の一撃で飛ばんかったんやし……」

 

 ……何が何やらな状況だが、どうやらオレはメイファンのテストに合格点を出せたらしいことは間違いないようだ。

 ただその合格の仕方がこの上なくカッコ悪いのは……凄く嫌だな。



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Slash25

 

「美帆が手荒いことをして申し訳ありませんでした」

 

「いや、こうなったのはオレの力不足だから気にするな」

 

「せやで劉蘭。趙煬やったら食らわずに反撃しとったで」

 

「趙煬は人間としての強度が違うんです。比べないでください」

 

「それはそれでその男が傷つくで劉蘭……」

 

「…………」

 

 Nの企みの1つを阻止するために訪れた中国、上海で再会した劉蘭。

 彼女がその企みの鍵を握る『人類史の分岐点』となりうる人物だと言う土御門陽陰の言葉を信じて来てはみたが、藍幇にとって今後を担うであろう重要な会議が近々行われることを知っていたオレを護衛のメイファンに怪しまれてしまった。

 その辺で劉蘭の味方であることを主張してはみてもメイファンには言葉以上に拳で納得させる方法が良かったらしくて、そのテストでたったの一撃で戦闘不能に。

 だがテスト自体は合格とかいう謎判定によって引き入れられたオレは、まだ痺れを残す体を劉蘭に起こしてもらって壁に寄りかかる。

 その際に謝られたりとあったのだが、事実を突きつけられて結構な精神的ダメージを受けて空笑い。劉蘭も悪気があるわけじゃないしな、ハハハ……

 

「にしても何でワイの外気勁で気絶せんかったんや。ちょい調べるさかい、内気勁使てもエエか、劉蘭」

 

「ついでに治療もしてくださると助かりますが」

 

「それはワイの気分次第やな。ちょっと触んでぇ」

 

 味方と認めれば少し砕けた気配になったメイファンは、先ほどの外気勁なる超絶技で気絶しなかったオレの謎を解こうと劉蘭に内気勁の使用許可を得る。オレへの許可は?

 どのみちまだ動けないオレにダメ押しするような行為は無意味なので診察と思って受け入れると、オレの前で屈んだメイファンは両手を握って目をつむる。

 

「…………あー、あれやな。おどれ、無茶苦茶やわ。人間やめとるん?」

 

「そんなつもりは全くないが、そう思うようなことでも?」

 

「説明がめんどいなぁ。劉蘭、場所移してエエか? ここやとあれや」

 

「では上のお部屋に。京夜様、動けますか?」

 

「あと1分くれ。全力で回復させる」

 

「それが無茶苦茶やねんけどな……」

 

 メイファンに手を握られてから心なしか体が暖まるような感覚が広がってきたが、すぐに手を放したメイファンはオレの中の『何か』を異変として捉えて、病気か何かだと凄く怖いんだが、そういうものでもなさそう。

 内気勁というのがそもそもどんなものかもわからないから、何を調べられたか理解もないし、話はしてくれるらしいのでオレも動けるようになるだろう目安で話をして回復に努めるが、メイファンがそれすら異常だと呟くのが聞こえた。

 それからとりあえず歩けるようにはなったので、場所を建物の3階、劉蘭の応接室へと移動し、そこにあったソファーに座って改めて話をする。

 

「それで、オレの何が無茶苦茶なんだ」

 

「……話すんはエエけど、日本人は年功序列が根強いんやろ。やったらワイにも敬意は払わんとな」

 

「あの、京夜様。見た目がとても若く童顔などと言われたりしますが、美帆は27歳。私達よりも少し歳上なのです」

 

「マジか……てっきり趙煬と同じくらいだと……」

 

「若く見られるんは悪い気分やないしエエんやけどな」

 

 その前にメイファンが年齢の話を持ち出してオレの言葉遣いを正そうとしてきて、27歳と聞いて素直に驚く。

 どう見ても10代後半から20代前半だと思ってたから、10歳近くの歳の差は確かに敬意を払わないとな。

 それで改めてメイファン……さんに話を切り出すと、劉蘭にペットボトルに入った水を貰ってそれを左手に持つ。

 

「ワイの使う内気勁と外気勁。大きな区分で言えばまぁ、俗に言う発勁の類いと思ってくれてエエよ。ほれ、気を飛ばすーとか、丹田に気を集中させるーとか、そういうやつや」

 

「気を飛ばす……っていうよりは、何か送り込まれた感じがしたんですけど」

 

「エエ感覚持っとるな。ワイの外気勁は人体を循環しとる気の流れにワイの気で栓をして逆流させて暴発させるんや。逆流やさかい、どこに撃とうと当然ダメージは全身に行き渡るんやけど、おどれはそれが不十分になったんや。やから想定したダメージが出んかった」

 

「それがオレの無茶苦茶な部分と関係してるんですか」

 

「そうやな。ここに水があるやろ。水は導体。これがワイの体を流れる気やとする。ここにワイが気を流せば……」

 

 武術などの話を出すとわかりにくいだろうと、オレにも抽象的でも理解できる説明をしてくれるメイファンさんは、先ほどの外気勁がどういう原理かを実践。

 左手に持っていたペットボトルを底の方に持ち替えて、何やら力んだ様子を見せると、ペットボトルの底から水が上から下へと移動し、8割を満たすペットボトル内で循環を始めた。中国マジック。

 

「気は全体に影響するっちゅうわけや。この流れを循環に例えてさらにこうするとや」

 

 と、ペットボトル内で流れを作り出したあとに今度はその流れとは真逆の気を流してせき止めて相殺し、動きをピタリと止めてしまう。

 これがさっきオレの体でも起きた現象ということなのだろう。

 

「一時的にやけど、人体の気の流れは麻痺して止まる。その間は気が行き渡らんで、いわゆる虚脱状態に陥るし、血液の循環と似た機能やから、脳ミソも再稼働させるために1度落ちるんや。そうなるようにワイが撃ち込んだ」

 

「ですが京夜様はそれを受けても気絶しなかった。つまり気の流れが暴発はしましたが止まらなかったということです」

 

「オレは特別なことは何も……つまり……どういうことなんです?」

 

「おどれの気は人体を循環しとらん。いや、正確には完全な循環をしてへん変異種ってとこやな。人間でそないなことになっとるやつ、初めて会うたわ」

 

 その外気勁を食らえば確実に意識を持っていかれるのに、オレがそうならなかったのは気の流れが完全に止まらなかったからと説明され、何故そんなことが起きたかをメイファンさんが分析し説明してくれる。

 でも何でオレの気の流れとやらは他人と違うのか。

 その謎もメイファンさんにはわかったらしく、ペットボトルをテーブルに置いて、さっきの内気勁とやらの説明を始める。

 

「ワイの内気勁は外気勁とは逆の性能やねん。外気勁が相手の気に自分の気をぶつけるんに対して、内気勁は相手の気に自分の気を同調させて流すんや」

 

「本来、内気勁は気の流れをコントロールして、人体治療にも用いられる発勁なのです。適切な処置をすれば自然治癒力を著しく引き上げたりも可能です。それだけ気の流れというのは人体に影響を及ぼすということなのですが……」

 

「……コントロールするってことは、人体に悪影響を及ぼすこともできる……」

 

「気っちゅうのは『気脈(きみゃく)』言う全身に伸びる1本の通り道を通って常に人体で循環しとるけど、丹田には気を作り出す機能もあって、一定の周期で気を入れ替えるんや。やけど気を循環させる上限っちゅうのが人体には必ず存在する」

 

「じゃあ溢れないようにする機能もあるんですね」

 

「汗腺みたいなもんが気脈にも備わっとって、老廃物と同じで古い気は『気穴(きけつ)』っちゅうところから体外に放出されるわけや。基本的に寝とる間に行われるさかい、ワイみたいに意識的に気穴を開けることは才能に加えて訓練でもせんと出来へんよ」

 

 なるほどな。劉蘭がテストの前に内気勁を禁じたのは、その気のコントロールでオレにメイファンさんの気を上限以上に流し込まれて、気脈とやらをズタズタに引き裂く事態を避けるためだったわけだ。

 そうなったら気脈の循環が正常に行われずに様々なところで不調をもたらすことになったはず。それこそ自然治癒力が落ちて病弱になったりするのかもしれない。

 

「それで美帆。京夜様はどのように他の方と違うのです?」

 

「気脈は他の人間と一緒でしっかりとあるんや。やけど、その気脈のところどころに常に開いとる気穴があんねん。要するにこいつは常に気を一定量で放出しとる。やからワイの外気勁の暴発もその気穴から放出されて軽減されたわけや。加えて丹田からの気の捻出も常時行われとるから、気脈の循環が止まることもない」

 

「それって大丈夫なんですか?」

 

「常人やったら丹田が働きすぎで機能不全起こすはずやけど、そうなっとらんっちゅうことは、それが起こらんように作り変わったか、元からそういうもんやったかや。外的要因でそうなったんなら、どっかで1度か2度死んどるかやな。その蘇生のために気の循環を通常やとあり得んくらい活性化させたんやろ」

 

 内気勁の効力に理解がなされたため、劉蘭がオレの体の話へと戻してメイファンさんに改めて質問すると、どうやらオレの気穴とやらが緩んでるみたいで、一定周期でしか行われない気の入れ替えが常時行われているみたいだ。

 そのおかげで外気勁の逆流も気穴から抜けることで軽減されたと、そういうことらしい。

 さらにオレがそんな体質? になった要因を推測したメイファンさんの言葉に心当たりがあったオレは、11歳の時の猿飛の修行のことを思い出す。

 確かにオレはかつてその修行中にどのくらいかは定かじゃないが死んでいた時間があった。

 その時にオレはオレ自身を生かそうと必死になっていたのだとわかるメイファンさんの推測に少し合点がいった。

 

「自分、周りに過剰なスキンシップする人とか、触られることを喜ぶ人とかおらん? あとは自分の意思とは別に動物にすり寄られたり」

 

「えっ? 確かにそういう人はいますし、動物にも好かれる傾向にありますけど、それも気が関係してるんですか?」

 

「気っちゅうのは満たされとる状態になることの方が珍しいねん。やから満たされようとする本能が生物にはあって、自分がその気を常に放出しとるから、本能に忠実な人間や動物は自然と引き寄せられるっちゅうこと。人間やと異性のフェロモンにやられる感じや。スキンシップしてくるんは、たぶん女ばっかやろ」

 

 それが関係してか、理子や幸姉、愛菜さんや幸帆がやたらとボディータッチが多かったり、撫でられるのを喜んだりにそれなりの理由があることが判明。

 動物に好かれやすい体質も、以前にオレの元戦妹(アミカ)である橘小鳥(たちばなことり)の祖父である泉鷲(せんじゅ)さんに匂いがそう変質したとか言われていたが、気も関係していたっぽい。というか本質的に同じ意味なのかも。フェロモンとか言ってるし。

 こうなるとジャンヌとかもオレと一緒に寝ることに安心感や心地よさを覚えたりしていたのかもしれないな。

 

「往々にして人っちゅうんは死にかけたり死んだりすると体が変異するんやけど、多くは後遺症っちゅう形で悪影響が出る。麻痺とかそういうやつやな。やから自分みたいにポジティブな変異は相当珍しい……っちゅうよりもまず、死んで蘇生する体験の方が珍しいわけやけど、気穴が常に開いとるんやったら、自分も使えるかもしれんで。外気勁と内気勁」

 

 話としてはずいぶんと長くなったが、だいたいの理解はされただろうとメイファンさんもひと息ついて水を飲み、ちょっとした雑談のつもりで変異の話をしてくれる。

 その中でオレの変異が外気勁と内気勁を扱う素養に結びつくものだと語り、本人としては本当に軽い気持ちで言ったのだろうが、自分の力不足を身に染みてきていたオレからすれば、それは悪魔の誘惑にも思える話に聞こえてしまう。

 実際、極めればメイファンさんのように相手に触れるだけであれほどの威力の攻撃ができる外気勁に、人体破壊の内気勁も習得できれば、オレに足りなかった攻撃力の面での強化は十分すぎるものになる。

 

「その話、実際にやるとなったら、実戦で扱えるようになるのにどのくらいかかりますか」

 

「はっ? やる気になったところでそう簡単な話やない……いや、気穴が開いとるんやったら気のコントロールを習得すれば課程を大幅に短縮は出来るんか……」

 

「どうなんです?」

 

「……やってみんことにはわからんな。実際、気穴の開閉が修行の上で才能の有無が顕著になるんやけど、そこを自分は通過しとる状態やから、本来の行程よりは早く実戦仕様には出来るやろうな。本来なら最短でも1年はかかる話やで。ワイクラスなら3年以上や」

 

「それは美帆だからでは? 他の方では5年から、最悪10年以上はかかると聞いていますよ」

 

「マジでか……」

 

 そんな甘い話では絶対にないとわかっていながらも、それにすがろうとする気持ちが年単位の話に落胆したのを自覚する。

 少林拳や八極拳といった拳法だって、積み重ねた鍛練の果てに趙煬のような撃力と練度を生み出しているわけで、それはどんな事柄にも当てはまる道理だ。

 逆に簡単に習得できるようなものなら、それは強さにあまり結びつかない可能性は高い。

 

「……美帆。たとえ雑談の上とはいえ、京夜様に可能性を与えたのはあなたの責任です。ダメだったでも構いませんので、京夜様に指導することを求めます」

 

「劉蘭、何でその男の肩を持つんや。武偵っちゅうんはワイらの仕事の邪魔をすることもある職業やろ。将来的に敵になるかもしれんやつに教える親切はやらん。責任を持ち出してもや」

 

「あら、仮にそうなったとして、美帆は弟子に負ける可能性を考慮しているということですか? 美帆は意外と小心なのですね。趙煬はもっと自信家ですが、まさか神虎ともあろうお方が負けを想定しているなんて驚きです」

 

「お、おい劉蘭……」

 

 まだオレが外気勁と内気勁を習得したいとハッキリと言ったわけではないのに、オレの中の強さへの渇望とでもいう感情を汲み取った劉蘭が師事することを懇願してくれる。

 それには藍幇の戦士として冷酷ながらも冷静な判断で断ってみせたメイファンさんだったが、そうなるだろうこともわかってた劉蘭は『食えない女(フォクシー・ウーマン)』の異名を取る不敵な笑みからメイファンさんを煽る。

 さすがに17、8の娘に煽られたくらいで27歳の大人が……と思いながら劉蘭の言動に一応は制止を入れてみたら、趙煬に対してライバル意識でもあるのかこめかみに血管を浮き上がらせたメイファンさんは、大人の余裕だけは辛うじて保つように腕を組んで背もたれに身を預ける。

 

「そこまで言うんやったら教えるのは構へんよ。ただし、3日以内で見込みがなさそうやったらそこで終いや。ワイもそこまでお人好しやないからな」

 

「京夜様ならきっと大丈夫です。良かったですね、京夜様」

 

「あ、ああ。ありがとう劉蘭。メイファンさんも無理を言ってすみません」

 

「修行言うても1から10まで丁寧になんて教えへんで。1教えたら3くらい理解するつもりでおれよ。あと功夫(クンフー)は地味やから、劉蘭にエエ格好しよう思ても出来へんからな」

 

 意外と扱いやすい部類らしいメイファンさんに苦笑しつつ、こうなることがわかってた劉蘭は何の見返りもない仕事に笑顔を見せてくれる。

 そうしてまでオレにチャンスをくれた劉蘭に報いるためにも、この3日以内になんとしても可能性を繋げないとな。

 最後のカッコつけとかは完全にどうでもいいので、地味だと言う鍛練を早く始めようと時間を無駄にしない計らいをするが、焦ったところで仕方ないとばかりに手で制したメイファンさん。

 

「言ったやろ。地味やて。それでも始めは集中力がものを言うもんや。功夫に入るなら風呂の時とか寝る前とかの空き時間にしとき。雑音もないところが好ましいな」

 

「……それはわかりましたけど、まずは何をするんです?」

 

「自分の気脈を流れる気を感じられるようになることや。これが出来んかったら始まるもんも始まらん。イメージは血液や。全身に循環する活力の源。それが丹田からポンプみたいに送られて行き渡る感じやな。意識できるようになると、ほれ」

 

 功夫は今からやっても効果的ではないと語るメイファンさんは、練習時間をある程度指定してからどうすればいいかを言葉だけで教えて、その成果を自分で判断する基準として水の入ったペットボトルを投げ渡してくる。

 となるとこの中の水を気で動かせるようになればいいのか。と思ったが、それは少し先の話のようで深読みしたオレに面白そうに笑ったメイファンさんは答えを述べる。

 

「その水を手の平に1滴垂らして、雫を少しでも動かせるようになればエエ。気穴が開いとるから意識すれば出来るやろ。いきなりペットボトルの中の水にまで影響を及ぼす発勁なんて無理やで。ハハハッ」

 

「ぐっ……」

 

「フフフッ」

 

 具体的に何をどうするなどは一切教えてくれないが、すでに修行は始まったと判断して、笑う劉蘭とメイファンさんを見返してやりたいというちょっとしたプライドも働き、言われたことを参考にして忘れないようにしておく。

 そしてオレがここに来た本来の目的は修行ではないので、それはそれとして切り替えて、仲間として引き入れられたからには、これから劉蘭がやろうとしていることにもちゃんと理解がある方がいいと考えて話を聞くことにする。

 劉蘭もそのつもりではあったようで、修行の件に一区切りがついたと判断したら、すでに話をする準備をしてくれていて、オレに数枚にまとめた資料を手渡してくれる。

 

「それは日本人用に翻訳したものなので問題ないと思いますが、口頭で説明いたしますね」

 

「日本人用……つまり劉蘭の提案ってのは日本も絡んでるのか」

 

「お察しの通り、日本のみならず中国の近隣諸国も絡めたアジア圏に。ひいては世界規模にまで至るかもしれない、私の人生で最大級の計画になります」

 

 その資料がオレのために用意されたものなわけがないので、いきなりスケールの大きそうなその話に予測を立てると、オレに渡したものとは別の言語の資料をもう5種類ほどもチラ見せ。

 その上で劉蘭の計画としては過去最大級と聞き、その計画の成否を担う護衛任務に就いた重圧がのしかかる。これは失敗できない。

 

「時に京夜様はどちらの空港からこちらに来られましたか?」

 

「上海浦東空港だ。寄り道はしてない」

 

「では実感はなかったかと思われます。一見きらびやかに見えるこの街、上海の貧富の差を。上海だけではありません。それこそ中国全土に暗い影を落とす、富を持つ者と持たざる者の差」

 

 資料に速攻で目を通すことも可能だったが、オレを見て話をしてくれる劉蘭を無視はできなかったので、本格的に話が始まったら目を通しながらにしようと聞きに徹すると、どうやら話は中国の貧富の差の問題が深く絡んでいるらしい。

 

「私も大別してしまえばこの2択で言えば前者ということになってしまいますが、私はどうしても変えたいのです。得た富を私利私欲のために使い私腹を肥やすのを更正し、この華やかさの裏で汚れるしかない者達が胸を張って道を歩き、家族や仲間達と笑い語らい合える世界に」

 

 こういう話になると本当に凛々しさと力強さを持つ劉蘭は、その人を惹き付けるカリスマでオレまで話へと引き込んで力説を始めたのだった。



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Slash26

 

「京夜様はここ中国の貧富の差がどの程度か知っていますか?」

 

 来たる藍幇の重要な会議までの劉蘭の護衛任務に就かせてもらったオレは、Nが暗殺まで狙う可能性があるという劉蘭の壮大な計画を聞き始めていた。

 スケールの大きさは冒頭だけでも十分に察することができたので、渡された資料を手にまっすぐ見てくる劉蘭の質問に答える。

 

「人口も日本とじゃ桁が1つ違うからな。それだけ差も広がるってことなんだろうが……」

 

「現在で最上位5%と最下位5%の層で比べてしまうと、実に200倍以上も違うのですよ。彼ら最下層の人間が1日に100人民元(約1600円)を稼いでいるとして、最上層は2万人民元(約3万2千円)以上も稼ぎがあるのです。これは世界的に見ても大きな格差であることは統計が証明しています」

 

「……そうは言っても、最上位と最下位でだけ比べても仕方のないことにも思えるんだが」

 

 仕事の話になるとオレへのいつもの照れなども一切なくなる劉蘭の切り替え様はこっちが面食らうほどだが、オレの言うことも正しいと頷く劉蘭は、しかしと予測できていたっぽい返しにも考える素振りを見せずに即答。

 

「ではこう言ってしまうとどうでしょう。今の中国の総資産の約60%ちょっとを、この富裕層の上位わずか10%が保有している、と」

 

「それは……」

 

「こうした所得の話では基本的にピラミッドが形成されますが、この中国におけるピラミッドは酷く歪なのです。この富裕層は当然ながら全体で見れば極々少数ですが、その下の層もバランスを取れるほど多くはありません。そうなると膨れ上がるのは下層、ということです。さらに都市部と農村部という違いでさえ、愕然とする大きな所得の差が生まれています」

 

「それが今の中国の現実ってことや」

 

 貧富の差はどこの国でも必ず出来る格差でどうしようもないこととオレは思っていたが、中国の事情は想像よりもずっと劣悪な状況にあることが今の話でもわかる。

 要はこの国の総資産の40%ほどを全国90%の国民が保有していて、残りの10%の国民がそれすら上回る資産を保有しているという、馬鹿馬鹿しいとさえ思える現実にあるのだ。

 それでは経済が上手く回るということも難しく、持つ者と持たざる者の差は埋まることなどほとんどない。下手をすれば生まれからすでに勝者と敗者で分けられる世界なのかもしれない。

 

「もちろん、それで中国が国として成立している以上、どうにかなっているとも言えますし、大きな企業を運営していくとなれば、それなりの才覚や人材も必要になります。それら全てを否定するつもりは私にもありません」

 

「中国の戸籍の問題もあれやで。今は都市戸籍と農村戸籍っちゅう2つに分類されとるんやけど、その戸籍だけでも歴然とした待遇の差があんねん。都市戸籍は全国で4億人くらいおって、農村戸籍は倍以上の9億人。それだけの数が農村戸籍ってだけで色んなハンデを背負わされとる」

 

「例を挙げるなら、大学受験の際に合格ラインを引き上げられたり、医療や社会保障などにも制限や最悪、受けられないものもあります」

 

「……どうしてそんな問題を国は改善しないんだ?」

 

「当然、改善しようと国も動いているのです。ですが抜本的な解決のためには様々な弊害や連鎖的に起こる問題も解決せねばならなく、今日まで変革と呼べるものに至っていないのです」

 

 国によって人種差別などがまだまだ根強いのは知っているが、中国では人種ではなく戸籍で差別が起こってるってことか。

 いつからそうなったかはわからないし、そうならざるを得ない国の事情もあったのかもしれないから、オレがそれ自体をどうこう言ったり憤ったりするのは微妙なところ。

 だが少なくとも劉蘭やメイファンさんは今のその状況を良しとは思っていない口ぶりで、そのための会議だと強い目をする。

 それらの事情を知ってもらった上で劉蘭も改めて渡した資料の方に目を通すようにと促してくれて、まさかこの問題を解決する秘策が書かれているのかとちょっと期待してしまう。

 

「だからと言って、私など藍幇という組織の上役の1人でしかありませんし、藍幇自体が国を大きく動かすほどの力を持っていません。ましてや国の法を変えるなど不可能に近いです」

 

「じゃあ劉蘭はこの問題にどういうアプローチをしようとしてるんだ?」

 

「法は変えられませんが、法が変わるまでの間に変わらざるを得ない状況を促進するのです。そのために私はまず、戸籍問題を改善します」

 

 しかしオレの期待はさっそく裏切られて、そこまで大きな力はないと断言して笑う劉蘭に苦笑。

 だとしたらと資料を読み始めたオレにここに書かれている内容を説明してくれる。

 

「京夜様はこの蘭盛街の生い立ちについてはご存知ですか?」

 

「ちょっとした独立国みたいなところとは聞いたが、生い立ちまでは知らない」

 

「独立国ですか。表現としては如何なものかと思いますが、試験的な部分を含んで開発されはしました。言ってしまえばこの蘭盛街が今回の私の提案の先駆けなのです」

 

「劉蘭は別に思い付きで今回の提案を通そうとしとるわけやないで。それこそこの蘭盛街が開発される前から温めとったのを満を持してってことや」

 

「この蘭盛街は藍幇が土地を買い取って開発を進めました。さらに居住に関しては生活費を除いて家賃などは撤廃。社会保障なども藍幇が負担して、住民間での差を無くし働きやすい環境を提供しています」

 

「つまり農村戸籍とか都市戸籍とか関係なく、住めば最低限の生活が保障されるってこと、だよな」

 

「もちろん働かざる者食うべからずですから、住む以上は労働と教育。生活するための稼ぎが必要になるように負担も強いていますが、それらは差別とは関係なく、生きていく上で必要な負担にしているつもりなので、住民の皆さんも納得して生活してくれていますよ」

 

 蘭盛街については陽陰から簡単に聞いてはいたが、まさかこの街すら劉蘭の提案の1つだったとわかると、今回の提案がどれほどの過程を経て出すものなのか計り知れなくなる。

 先駆けと言ったこの蘭盛街の在り方も、聞いた限りでは確かに差別がなく、陽陰の独立国みたいなところというのも少し納得のいく説明だったな。

 

「現状、この蘭盛街の負担のほとんどは私がしていますが、私程度ではこの街だけで手一杯。とてもじゃないですがこれ以上の規模の開発は不可能です」

 

「やけど藍幇のお上もこの1年での蘭盛街の発展と実績は定期の報告で確認しとる。環境さえ整えれば人は動いてくれるっちゅう証明を1年かけて劉蘭はやっとったんや」

 

「ただし、この蘭盛街は開発段階で住民の募集を行い、その当時でさえ倍率が30倍ほどになっていました。そのほとんどが農村戸籍の人々で、こうして発展し栄えた今がある現状、不満の声も上がっているのです。どうして私達が住めないんだ、と。その気持ちは十分にわかっているつもりなのですが……私だけではどうしようもないのです」

 

「国民の全てを助けるだけの力はないってことだよな。なるほど。それで偽善か……」

 

 そして蘭盛街の負担のほぼ全てを賄っている劉蘭は、そういう話で進めたのだろう計画が順調に進んでいる一方で、不満の声もあることを吐露。

 それはそうだろう。農村戸籍の人にとってはまさに救いの手を差し伸べられたに等しいのに、その手を取れた人はほんの一握りだけ。

 その一握りが幸せな生活を送れているなら、どうして自分達はと思うことは何も不自然なことではない。

 そうなることもわかった上で計画を進めた劉蘭も独善的とわかってはいるのか、一部にだけ幸をもたらす偽善者の自覚で苦悩していた。

 

「その不満の声が爆発する前に手を打たんといかんっちゅうことや。そのための1年。その限界が1年やった。あとはアホでもわかるやろ。劉蘭がやろうとしとること」

 

「この蘭盛街のような土地を藍幇がいくつも開発して普及させるってことか」

 

「簡単に言ってしまえばそういうことになります。私個人での限界を藍幇が負担できる限界にまで上限を上げられれば、それだけ多くの人々を生活しやすい環境に置くことが出来るのです。それでも全ての人々を助けることはできませんが……」

 

「何も蘭盛街が儲からん仕組みやないこともあらへんからな。現状は収支がトントンやからギリギリやけど、やり方がしっかりしとればそれだけ稼ぎも多くなる。そうなれば藍幇の他にも同じことしよう思う組織は出てくるし、そこまでいけばもうこっちの勝ちやろ」

 

「…………連鎖的な競争で水準を上げる」

 

「そのためにもしっかりと稼ぎが出るような施策も同時進行しなければなりません。先立ってはままならないところもある全国へのライフラインの確保などが挙げられますが、そこは国がすべき案件です。その資料が他国言語に対応しているのは、稼ぎのための人脈を駆使したからです。例えば日本のとある企業には、中国のある土地で効率的に育つ作物の品種改良と量産、輸出入の契約など、土地を提供する代わりに技術の提供や出荷ラインの確保をしております」

 

 藍幇も全体を含めれば富を独占する層に当たるはずで、その藍幇が社会保障などを負担するならそれは、国への還元でもある。

 そうして富を放出させつつ、さらに稼ぎも出るなら、藍幇以外も確実に動く。

 それが農村部だ都市部だを撤廃した環境で生まれる利益ならば、国も全国にまで普及してしまえば戸籍にこだわる理由がなくなる。

 

「……ん? でもそれで戸籍が統一化されでもしたら、今度は土地を治めるところの負担が減るから……」

 

「そこは考えてはいけませんよ、京夜様」

 

「……さすが食えない女……」

 

 そうなったらなったで社会保障などの負担が減るので、その浮いた分は劉蘭の懐に余裕ができるということ。

 結果として儲けが大きくなる仕組みに気づいてしまったことで思わず劉蘭を見てしまったら、その劉蘭もそうなることはわかってたからか、政治の話に可愛くウィンクして誤魔化されてしまった。

 その後、資料の方も一通り読んだら貿易交渉の案件もあって、この話に幸姉が噛んでることを知り、その事を聞いてみたらなんと明後日にこの件で幸姉と会合があると言うのだ。

 さらにその会合にはココ姉妹と猴も同席するらしく、護衛になったオレもそれに同伴することになると言われて、なんだか一気に久しぶりの面々と再会してしまう事実に苦笑してしまった。

 それらの話を終えても、まだ陽は高くて劉蘭も今日やるべきこと自体は会う前に終わってしまったと言うので、この1年の成果をちゃんと見てほしいとかで蘭盛街を見て回ることになる。

 その辺でスイッチがハッキリと切り替わる劉蘭は、メイファンさんもいるが意味合いで言えばデートに近いことからテンション高め。

 暗殺を警戒しなきゃならない立場のオレからすれば、たとえ蘭盛街が劉蘭の統治する街といえ、オープンな造りな以上は油断ができない。

 しかし楽しそうに建物を出ていく劉蘭を前にするとオレが険しい顔をしながら同行するのは気分を害することになりかねないため、そこはメイファンさんとアイコンタクトして「最低限の警戒はしておけ」と許可が下りた。

 

「ではまずは居住区から見てもらいましょう。居住区は北西の区画になりますのでこちらですよ」

 

「農村戸籍と都市戸籍って括り自体はまだあるわけだろ? その辺でいざこざとかないのか?」

 

「始めはやはり衝突は避けられませんでしたが、ここを運営していく上でそんなことをいちいち引き合いに出していても発展はないと気づいてくださる方が多く、運命共同体としての連帯感で大きな問題もなくこられていますよ」

 

「まぁ些細な揉め事は人間やさかい、するなって方が無理やけど、仲裁に入る人間もおるし劉蘭からの弾圧は一切してへんよ。こういうとこは頭が利益目当てで絞り出すと狂ってくるんやけど、欲があらへんからなぁ、劉蘭は」

 

「わ、私にも欲くらいはありますよ! た、例えばその……京夜様と一緒にお食事がしたいとか……」

 

「ちゃうちゃう! そういうのは欲とは言わんて! ワイが言っとる欲はのし上がろうとか、誰かを蹴落としてでも頭になろうとか、そういうやつやから」

 

 まずはこの蘭盛街が蘭盛街たる理由の1つを見せようと歩く劉蘭に気になっていたことを尋ねてみると、やはりその戸籍問題というのは根強いようなことを返されるが、それは最初だけで今は上手くやれていると言う。

 それも劉蘭が治めるからだと自分のことのように語るメイファンさんに対して、恥ずかしそうに我欲を漏らすものの、そんなものは小さいと笑われていた。

 確かにオレと食事なんて今日にでも叶いそうな願いだもんな。それを幸せに感じてくれるのはこっちも恥ずかしいが。

 

「あっ、劉蘭だ!」

 

「美帆もー!」

 

 自己犠牲とは違うが自分の幸せについてを後回しにする傾向が見える劉蘭の在り方は、いつか自分を不幸にしてしまわないかと心配になるが、周りを幸せにしてその幸せを自分のことのように思える劉蘭だからこそなのかもしれないとも思える。

 その証拠として居住区の中心辺りに入ってすぐに外で遊んでいた子供達に発見されて走り寄られた劉蘭は、その子達を迎え入れつつ仲良さそうに挨拶を交わす。中国語だから翻訳が面倒だが、雰囲気はすぐわかる。

 

「おわ! 劉蘭が彼氏を連れてきたよ!」

 

「お兄さんお兄さん! 劉蘭とお付き合いしてどのくらい?」

 

「こ、こら! 子供がそういうことではしゃいではいけません!」

 

「劉蘭が照れてるー! 逃げろー!」

 

「劉蘭は走ったら転けるからダメだよー!」

 

「子供にまで転けるの心配されてるのか……」

 

「筋金入りの運痴やからなぁ」

 

 人懐っこそうな子供達の興味は割とすぐに見慣れないオレへと移ると、10歳くらいの子供達は丁度そういうことではしゃぐ時期で、からかわれた劉蘭が律儀に付き合うから子供達もテンションが高い。

 そして劉蘭の運動音痴は有名らしくて子供にまで心配されてる辺りにメイファンさんも苦笑し、顔がゆでダコみたいに真っ赤になっていた劉蘭を落ち着かせる。

 オレもオレで女の子が興味を持ったようで、劉蘭のお叱りをすり抜けて質問攻めされ、子供の好奇心に圧される。無邪気って凄い。

 

「誤解しないでほしいんだけど、オレは劉蘭の彼氏じゃないよ」

 

「あれ、お兄さん日本人? じゃあ劉蘭が前に言ってた許嫁って人だ!」

 

「結婚の約束してるんでしょ!」

 

「話を聞いてるかな? オレは……」

 

「こらガキどもー。愛だ恋だで盛り上がるんは100年早いでー」

 

「100年も経ったらじいちゃんばあちゃんだよ美帆!」

 

「そんなんだから結婚できないんだぞ美帆!」

 

「おどれらは結婚がどないなもんかもわからんやろがー!」

 

「いやー! 美帆が怒ったー! 捕まったらほっぺが伸びるー!」

 

 劉蘭が対応できなくなったのでオレが代わりに否定はしておくが、どうやら許嫁の話を子供達にも話していたらしく、それでまた盛り上がってしまい、見るに見かねてメイファンさんが止めに入ったものの、独身を弄られてキレてしまった。

 別に今時27歳で婚期を逃したなんて全く思わないし、気にしなければいいのにと口にするのは琴線に触れることが明白なので、劉蘭と違ってガッツリ身体能力の高いメイファンさんは事もなげに子供達を捕まえてそのほっぺを引っ張ってお仕置きをしていた。

 しかしそんな子供達からもわかるように、この居住区はとても穏やかで親しみのある雰囲気が醸し出ていて、その子供達の親とも顔を合わせたが都市戸籍と農村戸籍の親と子供が一緒になって普通に生活している風景は、あの話の後だと凄いことなのだろうと素直に思う。

 来たついでに復活した劉蘭は何か些細なことでも問題はないかと話をしているのも聞こえ、住民ともコミュニケーションをしっかりとやってることもわかり、オレの中での劉蘭の株はうなぎ登り。

 逆にこんな女に惚れられてるオレの不甲斐なさがどんどん浮き彫りになってきて、オレなんかを……とつい考えてしまうが、人を好きになるということは他人がとやかく言うことではない。たとえ惚れられてるのがオレだとしてもだ。

 だったらオレが出来るのは劉蘭が少しでも胸を張って素敵な男だと言ってくれる男になること、なのか。

 ん、何か違う気がする。オレは劉蘭と恋人になりたいと考えてるわけじゃなくてだな……んー?

 そんなまとまらない気持ちを抱えて悩んでいたら、話を終えた劉蘭が次の区画へと移動しようと話しかけてきて、それに柄にもなく慌ててしまったオレは、内心を悟られないように表情にだけは出さずに応答。

 しかし見れば見るほど綺麗なんだよな、劉蘭って……

 

 その後、雑貨店の集合した区画。食料関係の集合した区画。飯店の集合した区画と順に回ったのだが、どこへ行っても劉蘭は大人気。

 大人達からは「蘭ちゃん」とアイドルみたいな扱いを受けていたし、同年代や子供達からはモテモテ。女子からすらモテてたのは意外だった。

 きっとこの街の人達は本当に劉蘭に感謝しているんだろう。親身になって自分達が生活しやすい環境を整えてくれる劉蘭に心から。

 だからなのかオレが元許嫁だとわかると大人達はこぞって「蘭ちゃんを泣かせた男か!」とちょっとした怒りをぶつけられてしまったりもあったが、そこは否定もできないので甘んじて受ける覚悟でいた。

 ただ劉蘭がすぐにフォローに回ってくれて大事には至っていないが、それだけの信頼を得ている劉蘭の気持ちを先延ばしにしているオレは最低のクソ野郎なのではないだろうか。

 劉蘭だけでなく理子や幸帆の気持ちも知っていながら、学生であるうちは恋愛を遠ざけると線引きしたオレの気持ちも決して彼女達から逃げてるつもりはなかった。

 だが今も未来も大事にしている彼女達と比べてしまえば、オレの覚悟なんてのはただの言い訳でしかないのかもしれない。

 そんな気持ちを抱かせることとなった蘭盛街での時間を終えて、再び中心の建物へと戻ってくると、飯店で食事は済ませた都合、今日はもう休むこととなり、劉蘭とメイファンさんは入浴のために行ってしまい、こういう時の護衛は同性に任せるしかないなと思いつつ、せっかくの1人なので昼にメイファンさんに言われた功夫に着手。

 しかしメイファンさんが言うように気のコントロールの功夫にはかなりの集中力を要するみたいで、色々と考え事も多くなった今では雑念が邪魔をしてしまう。

 これでは功夫どころではないと夜風に当たるためにベランダに出てみると、近くにずっと待機していたらしい陽陰の式神の鳥が手すりに止まって話しかけてきた。

 

『何を黄昏れている』

 

「……若者の悩み相談にでも乗ってくれるのかよ」

 

『バカなことを言うな。貴様の悩みになど興味すら湧かない。その調子でNの襲撃に対応できるのかと聞いているのだ』

 

「そこは揺るがないさ。劉蘭は守る。絶対にな。それだけが今のオレが劉蘭に誓える唯一の思いだから」

 

『……青いな。絶対などこの世には存在しない。等しくある不変の事象は……死のみだ。肉体のある生命体である以上、これからは逃れられん』

 

 陽陰も一応は周辺警戒という名目でオレ達の周囲に式神を待機させてはいるが、こいつが本当にNと敵対しているかはまだ確証を得られていない。

 その意味でも馴れ合いは避けなきゃならないのだが、精神的に少し弱ると陽陰相手でも話し相手にしてしまうものなんだなと自虐。

 ただ陽陰も雑談しに近寄ってきたわけでもなさそうで、オレが悩みを抱いているのを察知してか、はたまた風呂から上がった劉蘭がベランダに姿を現したのを見てかそそくさと飛び去ってしまい、チャイナ服をラフな感じに仕立てた寝間着姿の劉蘭が近寄ってくる。

 

「少し、お話をさせてもらってもいいですか?」

 

「オレなんかで良ければいくらでも」

 

「では、あちらに座っていたしましょう」

 

 そうしてオレは劉蘭に促されてベランダに備えてあったベンチに隣り合って座り、穏やかに流れる時間の中で劉蘭の話に耳を傾けていった。

 ──自分の半端な気持ちを抱いたまま。



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Slash27

 

「どうでしたか、私の夢の第1歩である蘭盛街は」

 

 劉蘭の護衛任務に就いて初めての夜。

 これから劉蘭のやろうとしていることを知り、その計画の先駆けとなっていたこの街、蘭盛街を見て回った感想をベランダのベンチに座って劉蘭が横から尋ねてくる。

 風呂上がりなのでベランダとはいえ女子特有の匂いとシャンプーの香りが意識を脱線させかけるが、真面目に尋ねている劉蘭に失礼なのでしっかりと意識をそっちに向ける。

 

「率直に言って、ここまで仲睦まじく雰囲気も良く運営できているとは思わなかった。生活の中での不満もその都度で解決してきたってのがよくわかった。やっぱり劉蘭は有能なんだな」

 

「私など皆に助けられてばかりで、その方々に返せるものが誠意でしかなかっただけです。今の蘭盛街があるのは、この街に暮らす人々の力があってこそなのですから」

 

「情けは人のためならず。そういう諺が日本にはあるぞ」

 

「情けは人のためにならない。甘やかしてはいけない、という意味ですか?」

 

「日本語ってのが難しいって言われる理由だな。人のためにしたことはいつか巡りめぐって自分のところへと返ってくるって意味なんだ。今の劉蘭みたいな在り方をそう表現する」

 

 軽く見て回った程度ではあったが、この蘭盛街が良い街であることは人々の表情からも十分に推し測れたし、観光客などの楽しそうな雰囲気も満足度が高い証明だった。

 その環境作りに尽力したのは他ならない劉蘭なのでそこを誉めたら相変わらずの謙遜が炸裂するが、オレの諺がお気に召したのか、小声で復唱してから小さく笑ってみせた。

 その笑顔にドキッとしつつも、すぐに笑顔から少し影を落とした表情に変わった劉蘭は、決して良い面ばかりではないと現実的な思考を自ら発する。

 

「ですがこうして街の人々が笑顔で過ごす一方で、今も満足に生活できず、苦しんでいる人々もいて、そういう人々の方が圧倒的に多いのです。決して手を抜いているつもりはありませんが、それでもどうしようもない現実があると、自分の無力さに憤りを感じてしまいます」

 

「……それはオレも常々感じるよ。自分に出来ることの限界ってやつを突きつけられて、個人としての力がこんなにもちっぽけなんだってな。でも劉蘭はそれをよくわかってて、迷うことなく今の道を選んだ。それは本当に苦しむ人達を思えばこそ出来た決断だって、そう思うんだけど、違ったか?」

 

「……どうでしょうか。私の行動原理は……以前にもお話ししたことがありましたが、少しでも京夜様に誇れる自分でありたいと願う気持ちからです。決して京夜様がおっしゃったようなことが動機ではなく、結果としてそうなっただけなのかもしれません」

 

「それはきっかけに過ぎないとも前に言ってたぞ。それに今をこうして頑張ってる劉蘭は、オレに認めてもらおうってだけで動いているのか? 何で今そうしているのか。本質はそこにあるんじゃないか?」

 

 おそらく劉蘭は他人に対して異常なほど弱音は吐かない性格で、本音を口にすることも珍しい。

 その劉蘭がオレに対しては素直な気持ちを吐き出してくれるのは、それだけオレに心を許しているってことなのだろうから、オレも親身になって応えてやる。

 ただオレなんかよりもずっと凄いことをしている劉蘭に偉そうなことは全然言えないため、言葉の多くは劉蘭を持ち上げるものになって、その言葉に少し照れるような仕草も見せつつの劉蘭は自分の気持ちに素直になって胸に手を当てて目を閉じる。

 

「……私は、この国をどこにでも誇れる国にしたい。日本の方が移住したいと思えるような、そんな国に。そのために私は動いている。そこに嘘偽りは……ありません」

 

「だったら迷うなよ。今の劉蘭を認めてくれる人はこの街にたくさんいる。劉蘭を必要としている人がもっとたくさんいる。今回の計画で救われる人がいる。誇っていいよ。劉蘭は立派で素敵な人だ」

 

「京夜様……ありがとうございます」

 

 そこから出てきた言葉は紛れもない劉蘭の本音。

 人のためにと頑張れる劉蘭はオレという存在などなくても始めからそう動ける人物だったと、オレは信じている。

 その劉蘭の歩みを止めようとするNを、オレは許さない。

 なんだかクサイ台詞もいくらか言ってしまったような気がして恥ずかしくなってきたが、オレに励まされた劉蘭はお礼を言った後にスッとオレの手に自分の手を添えて顔を赤らめてオレを見る。

 

「それでその……わ、私のことはこれから……蘭、と呼んではくれませんか? 劉は日本の名字と同じなので、もっと京夜様に親しみを込めて呼んでいただけたら嬉しいな、と……」

 

「あっ、そうか。語呂も良かったから気にしたことなかったけど、劉蘭はフルネームになるんだよな。ちょっと慣れない感じはあると思うが、これからはそう呼ばせてもらうよ、蘭」

 

「はぅぅ……」

 

 何やら恥ずかしいことを言うつもりなのは態度からも歴然だったからオレも変に身構えたが、言われたのは今後の呼び方について。

 たぶん理子達は普通に名前で呼ばれていることに対して思うところがあったのだろうが、ずっと言い出せなかったんだろうと察して、そのお願いを快く受け入れて呼んでみたら、それだけで頭から湯気を出して爆発した劉蘭にオレも動揺。

 こ、これは慣れてくれるんだろうか……

 そう思わずにはいられない劉蘭の反応に介抱すれば接触が増えてますます劉蘭が暴走するので、仕方なくメイファンさんを呼んでベランダからベッドに運んでもらって事なきを得た。そこまでなりますかね、あの子はもう……先が思いやられますよ。

 時間が解決してくれるはずの問題なのは間違いないが、メイファンさんに運ばれていく劉蘭を見て思ったことは、オレも負けていられないってこと。

 同い年の劉蘭があれだけのことをしようとしていて、自分にはその力がないと足を止めて諦める。そんなの、最高にカッコ悪いからな。

 この日はもう劉蘭がダウンしてしまったので、オレもメイファンさんと交代で休憩しながら護衛を続けて過ごし、悩みもいくらか吹き飛んだうちに功夫も試みてみたが、やはり初日で何かを掴むまでには至らず、交代を告げに来たメイファンさんにも「その調子やと3日は無理やな」と苦言を呈させれてしまったのだった。

 

 翌日。

 明日に控えた幸姉との会合に備えて、ココ4姉妹と猴が昼頃に蘭盛街に到着するという。

 そういえば何故ココ達が来るのかまでは聞いていなかったので、その辺のことをノートパソコンで取引先とやり取りしていた劉蘭に尋ねてみる。

 

「あまり内部事情を話すのも如何なものかと思いますが、京夜様は無闇に口外はしないと信じて話します。実は最近になって静幻の状態が芳しくなくなりました」

 

「それは急なことなのか?」

 

「いえ……静幻の病はずっと以前から発症していたものですから、それ自体は最近のことというわけではありません。当時は武闘派だった静幻が今のように前線を退いたのもその病が原因ですしね」

 

「そうなのか。その話を絡めてきたってことは、諸葛のやつは……」

 

「持ってあと半年といったところだと余命宣告を受けました。ですがそれもそもそも奇跡に近いのです。本当なら静幻はもっと早くに……」

 

 ココ姉妹と猴の話に諸葛が絡んできて、さらに余命宣告の話まで飛び出したとなると、こっちもすぐに察することが出来てしまう。

 今は香港藍幇のトップに据えられている諸葛が病に倒れてしまって、余命幾ばくもないとなれば、浮上するのが次代のトップに誰を据えるかということ。

 去年の末に香港で『極東戦役』のうちの戦いでココ姉妹が諸葛の指示を無視してオレ達と交戦。

 その結果ココ姉妹は敗北しその位階を下げられて諸葛と劉蘭に逆らうことすら出来なくなっていた。

 だがその好戦的で野心的な性格はともかくとしても、まだ14、5歳ながらも曹操の子孫としての血筋は優秀で、そこは劉蘭も認めているほど。

 

「じゃあココ達は次の香港藍幇を?」

 

「私はそうなってほしいと思っております。去年にはあのような強行に及びはしましたが、才覚は確かなものです。まだ若いので上を納得させるには色々と方便は必要になりますが、4人が力を合わせれば問題はないでしょう」

 

「あの悪ガキどもの教育も請け負うとか劉蘭も物好きやで」

 

 つまりは今回の会議にココ姉妹も参加させて藍幇上層部の空気などを学ぶ機会を設けたわけだ。

 劉蘭がそうであるように、そういうところで踏ん張るにはそれなりの強心臓はないとプレッシャーに押し潰されるものだから、潰れるのは今のうちってことだろう。

 そのココ姉妹と面識があるっぽいメイファンさんは好き好んでやることじゃないと笑うが、劉蘭は諸葛を香港藍幇のトップに据えた責任もあるはず。無責任はプライドが許さないといったところか。

 

「そういえば会議ってのはどこでやるんだ? まさかここでやるなんてことはないだろうし」

 

「本来ならば事前に本部のある北京か、どの支部で行うか通知があるのですが、今回は上海支部なのです。会議自体は年に4度行われる定例会議とは別物でして、日時がある程度決まった定例会議でタイミングとして挙げにくい案件が複数ある場合の処置なのです。場所に関しては元帥の動向次第と、そういうことです」

 

「複数ってことは蘭クラスの提案がもう1つ2つあるってことなのか」

 

「私ほど大規模なものはここ10年を見てもありませんよ。おそらく各支部で力関係に影響を及ぼす程度のものでしょう。内部での争いも苛烈なので」

 

「その辺を考えんのは劉蘭の担当やないからな。上海支部には大将もおるさかい、中将やと意見する程度や。ちなみに大将は合わせても5人しかおらん」

 

「北京、上海、南京(ナンキン)西安(シーアン)成都(チェンドゥ)の5都市に1人ずつおりますよ。中将は各支部に最低1人はいますから、全体では20人ほどになります」

 

 とりあえずココ姉妹が来る理由については納得したので、迫る会議とやらの開催場所についてもついでに尋ねておくと、意外にもここ上海らしいので護衛としては会議まで出来る限り蘭盛街にいてくれれば守りやすいな。

 まぁそうも言ってられない立場にあるのは今の話で地位的な問題からもわかるから、幸姉との会合も含めて気を張らないと。

 そうした雑談しながらでも仕事はこなす劉蘭の有能さはさすがだが、これ以上は邪魔だろうと身を引いておきつつ、この仕事部屋からは出ないと聞いてオレもココ姉妹と猴が来るまでの間は功夫に時間を費やすことにする。

 あと2日しかない現状、メイファンさんに言われた通りにしていたら可能性すら見出だせずに終わるのは確実だからな。

 その覚悟でソファーで座禅を組んで集中し始めたオレに対して、劉蘭もメイファンさんもなるべく物音を立てないように気を遣ってはくれるが、人がいる空間で音がしない方が不自然なので2人には普通にしてもらうようにお願い。

 えっと……気の流れは血液と似たもので、全身に伸びる気脈を感じ取り、そこを流れる気の循環を……

 

「なぁ劉蘭。趙煬はいつ来るんやったか」

 

「予定では4日後になるはずですが、役者や映画監督との人脈作りは焦ってはいけませんからね。趙煬には『ファンみたいなテンションは抑えるように』とは言い聞かせてます」

 

「……ん? 趙煬って今そんなことやってんの!? 話が進むの早くないか!?」

 

「こーらアホンダラ。集中せんかい」

 

「仕事もアクション俳優に徐々にシフトしていくと思いますが、まだどちらかというと見る側の気持ちが強そうですよ」

 

「マジか……今のうちにサイン貰っておこうかな……いてっ」

 

「余裕やなぁ自分。そないな感じなら明日にでもテストしたるけど、どうする?」

 

 メイファンさんに言われたことを反復して感覚に神経を集中し始めたところで、普通にしてとは言ったがあまりに普通に雑談を始めた劉蘭とメイファンさんの話につい耳が反応して、趙煬が映画界に身を投じていることを知る。

 オレが趙煬が本当はアクション俳優になりたいことを聞いたのが2ヶ月ほど前だったし、それを知るのは劉蘭くらいのものなはずだが、そんなにトントン拍子で話が進んでいたのか。

 と、完全に趙煬のことで頭がいっぱいになっていたオレの頭にメイファンのチョップが炸裂し、テストの期限を縮める発言までされてしまうとオレはもう切り替えるしかなかった。

 

 功夫に関しては今夜また集中し直すことにして、劉蘭の仕事が一段落したところでココ姉妹から上海に到着した連絡が入り、出迎えるために蘭盛街の南出入り口の方へと足を運ぶ。

 時間も調度良いので合流したらまずは食事にしようと、移動の途中にメイファンさんが飯店の方に寄って席を予約。

 昨日も食べた飯店なので味は保証されてるからオレも何を食べるか今から少し迷うな。

 そんな少しフワフワとした気持ちがありながら出入り口の前で待っていると、小柄な体躯を利用して1台のタクシーに乗ってきたココ姉妹と猴が到着。

 アリアを黒髪にして民族衣装を着させたような容姿のココ姉妹は、やはりパッと見では全く区別がつかなくて、オレを見て真っ先に反応したのが狙姐(ジュジュ)で、1人だけ眼鏡をしているのが機嬢(ジーニャン)だということしかわからん。猛妹(メイメイ)炮娘(パオニャン)は……どっちでもいいか。

 

「京夜ー!」

 

「ぐえっ!」

 

 ココ姉妹に関しては追々見分け方は考えるとして、最後にタクシーを出てきた猿っぽい雰囲気のある武偵高のカットオフ・セーラー服を着た少女、猴がオレと目が合うなりいきなりタックルしてきて抱きつかれる。

 その勢いはラグビー選手並みだったが、体重の軽さのおかげでダメージは少なくて済んだ。挨拶が過激ですよ猴さん……

 

「どうしてキョーヤいるネ」

 

「劉蘭呼んだか?」

 

「逢い引きアル!」

 

「大事な時に何やってるネ」

 

「どうして京夜がいるですか?」

 

「逢い引きじゃないが、オレもメイファンさんと同じく蘭の護衛をな。急なことだからサプライズになって悪かった」

 

 開幕から先制パンチをもらったが、なついてくる猴を少し離しつつオレがここにいるのを疑問に思ったココ達に答えておく。

 ただその理由にというよりもオレが劉蘭を名前で呼んだことに女子らしく反応して「キョーヤが」「劉蘭を」「蘭って」「呼んだヨ」と言葉を分けて驚かれる。

 そのせいでまだ慣れてない劉蘭がまた顔を赤らめてフリーズ気味になって、面白がったココ達がニヤニヤしながら劉蘭をこれでもかと攻め立てると、なんかオレが入り込めない女子空間が形成されてしまった。

 

「ホンマうるさいわこのガキどもは」

 

 ココ達に攻められて珍しく反撃できずにいる劉蘭を見かねてメイファンさんが助け船を出しココ達を掴み上げると、引き剥がすように4人まとめて近くに投げ飛ばすと、身軽さを見せつけるように4人ともが華麗な身のこなしで着地して横一列に別々のポーズで並んでみせた。あれ前に香港で見たなぁ。何だっけ。四神のポーズだっけ。

 

「それじゃあ京夜もしばらく一緒にいられるですか?」

 

「だな。少なくとも会議が無事に終わるまではそうなる」

 

「蘭盛街はもう見たですか? まだなら猴が案内するですよ! 日本では猴がお世話になったですから、こっちでは猴がお世話するです!」

 

「ああ、ありがとな猴。何か困ったら頼ることにするよ」

 

 万能の武人『万武(ワンウー)』とか自称し、かつてはあのイ・ウーにも身を置いていただけあって、その実力は特技を分けた4人が合わさればオレをも凌ぐココ姉妹だが、なんだかこうして見るとギャグ要員にも思えてくる。

 そのココ達を無視するようにテンションがやたら高い猴がお尻の辺りから伸びる細長い尻尾をフリフリしながら見上げてくるので、純粋すぎるその瞳に勝てなかったオレはその頭を撫でながら対応。

 その後、どうにか復活した劉蘭が場を落ち着かせてとりあえず食事にしようと、さっきメイファンさんが押さえてくれた飯店へと向かい、みんなでワイワイ盛り上がりながら席へと着く。

 昼時ということで客もそれなりに席を埋めている飯店では、多少騒いだところで気にするような人もいなく、うるさいココ達やはしゃぐ猴を咎める人もメイファンさんくらい。

 姉妹なのに注文する料理は全くバラバラなのが意外だったココ達は、その理由を全員でシェアするから同じものを頼むメリットがないと説明し納得させられて、やっぱり総量は減るだろうと冷静なツッコミを入れておく。

 そこを突かれるとココ達も好きなものをたくさん食べたい欲が出たか、1品の奪い合いのジャンケンを繰り広げたりとあったが、いざ料理が到着すればやはり目移りするようでジャンケンの無効化が即決定し笑ってしまった。

 それで全員の料理が出揃うまではお預けにしていたので、最後のオレと劉蘭の料理が来たところでようやくのいただきます。

 日本の所作ではあるがみんなで手を合わせて「いただきます」を唱えて箸を持ち、いざ実食というところまで来て、異変が起こる。

 意外とオレも待ちきれなくて口に運ぶ手が早かったのもあって、誰よりも早く料理に手をつけたのだが、その手が急に口の前でピタリと動きを止めて口に入ることを拒否。

 これはオレの死の回避が発動した時の反応と同じだったため、今にも口に含もうとする劉蘭達も危険だと死の予感が察知し、しかし周囲に悟られないように皆に制止を呼びかけた。

 

「食べるな。料理に毒が盛られてる可能性がある」

 

 その呼びかけでギリギリのところで踏みとどまった一同は、サッと料理に視線を落としてからその手の箸を置き、メイファンさんは鋭い眼光で厨房の方に向かった。

 そしてオレはこの毒がオレ達の料理にだけ盛られたものなのかを確かめるために飯店の客を1人1人見て死の予感が発動するかを見るが、反応はなし。どうやらオレ達をピンポイントで狙ったもののようだ。

 さらに情報を集めるためにテーブルにある料理を一通り口まで運んでみて、死の回避が発動する料理を厳選してみると、驚くほど正確に劉蘭とオレの料理にだけ毒が盛られていることもわかった。

 

「明らかに蘭を狙った犯行だ。だが騒ぎ立てれば蘭盛街の評判に影響する。会議の前に問題が起きるのは良くない」

 

「暗殺者はそれも含めて狙っているのでしょう。おそらくは店の方に非はありません。毒を盛ったタイミングは相当に限られた時間に手際よく行われたと考えるべきです」

 

「だとするとこの店にいる。もしくはいた住民以外の観光客とかに紛れてた可能性が高いな。ココ。お前達の目ならそれらしいやつらがわかるだろ。ダメ元で探ってくれ」

 

『任せるネ』

 

「猴も、オレにはわからないが、この料理にあるかもな変な臭いを辿れないか試してくれるか?」

 

「あいっ。わかりました」

 

 相手は人間の心理をよくわかってる。

 信頼できる人で結束を高めようとする食事の席では、どうしても人に注意が向いて警戒が緩む。

 そこを狙い打つようにして仕掛けてきたのが誰かはまだわからないが、オレには少し確信に近いものがあるな。

 いるぞ。もうすでにこの近くに、Nのやつらが。



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Slash28

 

 ココ姉妹と猴が合流して早々の食事で劉蘭とオレの料理に毒を盛られる事案が発生。

 それに死の回避でいち早く気づき難を逃れ、騒ぎを起こせば蘭盛街の評判にも関わるとあって隠密での調査を開始したオレ達は、食事をするはずだった飯店を中心に毒を盛ったとおぼしき人物を捜索。

 メイファンさんは真っ先に厨房の方に乗り込んで劉蘭とオレの料理に使われた食材やらに毒が含まれていないかをチェックしてくれて、ココ姉妹と猴は怪しい人物を散開して探しに出て、オレは残った劉蘭と周りに不審に思われないように話をしながら護衛。

 

「この手のやり口は藍幇の私の反対派とは違いますね。毒などという手を使うなら、私などを狙わずともこの飯店で騒ぎを起こせば済む話で、ずっと前からやろうと思えば出来たはず。このタイミングでするには不自然なところが見えます」

 

「だな。というかここも一応は藍幇の利益にはなってるはずだし、そこを狙うってなら相当の自己中だぞ。藍幇の品格を問われる」

 

「そうした野心のある方がいないとも言い切れませんが、位階に関しては元帥が公正の目で以て頂く名誉あるもの。それを裏切る行為には及ばないと信じます」

 

「となればこの案件は……やっぱりオレが警戒してる方か」

 

 盛られた毒に関してはあとで警察にでもこっそり運んで鑑識してもらうとして、この毒を誰が盛ったのかを劉蘭と話し合うとしっかりとした意見で劉蘭は身内の仕業ではないとほぼ断言。

 その理由にはオレも納得がいくので、なんとなく予感はしていたがこれでほぼ確信を得られたとあって気も引き締まる。

 やつらの手口とやらもまだハッキリとしたものは見えていないものの、長きに渡って歴史の裏で暗躍してきたやつら。Nが強力な頭脳とそれを実行する力によって必要最小限の動きで成果を出してきたことだけは確かだ。

 それを考えれば劉蘭だけを狙っただろうこの行動はNによるものと見て間違いはないだろうな。

 

「ですがよく毒と気づきましたね。毒が入っていると聞かされてもわからないほど不自然なところはないのですが」

 

「それはオレが死に関して異常に敏感なだけで、今回は蘭と同じ料理にしていなきゃマジで危なかった。そうじゃなきゃ食事中は蘭から目を離すから、死の予感も役に立たなかったかもしれん」

 

「死の、予感……なかなかカッコ良いネーミングですね。京夜様がお考えに?」

 

「ぐっ……冷静に考えたら口にしたの初めてかも。オレが勝手にそう呼んでるだけで、正式な名前は難しい漢字で書くし呼びにくいから使ってないんだ」

 

 構成員の中に暗殺に適した人材がいるのかもわからないが、毒という典型的な手段ながらほとんどピンポイントで狙ってきた正確さはさすがで、その暗殺に気づいたオレのことを尋ねてきた劉蘭との会話で死の予感とか普通に言っちゃう。

 これをまた謎の感性で誉められると恥ずかしさが物凄い。や、やめてぇ。オレは中二病患者とかじゃないんですぅ。

 そもそもオレの死の回避と死の予感は元からして理子が大好きな中二病溢れる名称が秘技として伝えられているから、オレとしてはこれでずいぶん緩和しているのだ。

 それでも口にするのは避けてきたのに、こんなポロッと出てしまったのは相手が信用されやすい劉蘭だからだ。そうじゃなきゃ納得したくない。

 ちなみに猿飛の秘技としての正式な名称は死の回避が『朧ノ陽炎(おぼろのかげろう)』で、死の予感が『骸川蝉(むくろかわせみ)』。どっちも理子が「かっけぇ!」とか言いそうだから呼ぶのを避けてる。

 

「……オレのことはいい。とにかくこれで食事にも警戒しなきゃならなくなった。蘭も不用意な食事はしないように注意してくれ。というかオレのいないところで物を口にするな。しても毒味はしてくれ」

 

「はい。食事は細心の注意を払うように配慮いたします。で、ですがその……意図せずに口などに入ってしまう物に関しても警戒するのでしたら若干の不都合が……」

 

「…………あー、入浴とかか。それは……するなってのは厳しいから、メイファンさん達と相談だな」

 

「すみません。このようなことにまで配慮していただいて……」

 

 とりあえずこれでオレも護衛の役には立てたので、能力に関しての名前はともかく、成果を出せたことは良好として話を進め、今後は毒殺にも警戒を上げていこうと決める。

 その中で入浴などの際に口や鼻から入るお湯などまで警戒してくれる劉蘭の目ざとさにはちょっと感心しつつも、食事ならともかくその場にオレがいるわけにもいかないので、その辺はメイファンさんやココ姉妹と要相談という流れになる。

 劉蘭としてはもちろん恥ずかしさが超上回っているのは間違いないが、心のどこかでオレになら見られてもいいとかそんな感情が少しでもあったのか、しっかりと線引きしたオレに対してほんのわずかだが残念そうにしたのはいただけない。ダメですよそういう考えは。

 以前にも東京で護衛の依頼をこなして、その時には女装していた黒歴史はあるが、護衛対象を辱しめたりする行為は信用に影響する問題。しっかりとしないとどっちにとっても不利益でしかないのだ。

 その後、周辺を捜索していたココ姉妹と猴が戻ってきて報告をしてくれるものの、芳しい成果は得られず、厨房に入っていたメイファンさんも食材などに問題がなかったことを報告してくれる。

 となれば毒を盛ったタイミングは料理が出来てからこのテーブルに運ばれてくるまでの数十秒間。運ばれてくる様子は少し見ていたので、実際はもっと短い時間で行われたことになる。

 一応、運んできた店員さんにもこっそりと話を聞いてみて、料理が出来てから運ぶまでに誰かと接触しそうになったりはなかったかを確認するが、そういったことはなかったと証言。お盆も手前で持ってたから目を離すことはなかっただろうしな。

 とするなら毒は料理が出来てから店員がお盆に乗せて運び出すまでの数秒間の早技で盛られたわけだ。そうと決めてなければ実行は不可能なレベル。手慣れてるとかそういう次元じゃない。日常的にそういう手癖があるやつの犯行と考えていい。厄介だぞこれは。

 どんなやつが刺客として送られてきたかは不明ながらも手荒い手段で強引に仕掛けてくる気配はなさそうなので、毒殺と狙撃。あとは人混みにさえ気を付ければメイファンさん達とで守りは十全に機能させられる。

 料理に関しては猛妹が警察に鑑識をお願いしてくれて、夕方には結果が出るだろうと予測しつつとりあえずは住居の方へと戻って、そこで改めて食事にありつく。

 その間にオレは劉蘭達と少し離れて別の部屋を借り、そこで式神を通じて陽陰と密談。

 

「お前からは誰か怪しい人物は見えなかったのか?」

 

『あのような閉じた空間にこれを入れたら不自然だろうが。外で張っていたが視覚的に無理がある』

 

「出ていった客だよ。お前くらい人を弄んできたなら何か気配くらいわかるもんだろ」

 

『バカか貴様は。聞くにその暗殺者は全く無駄のない手際で毒を盛ったのだろう? だとすれば俺が感じられるほどの気配を漏らすはずもない。神虎でさえ捉えられなかったのがその証拠だ』

 

「ずいぶんとメイファンさんを買ってるんだな」

 

『これだから無知は困る。あれは(りょ)家の血を色濃く継ぐ稀代の武神の1人だ。巡りめぐって劉家に付くのはどんな思いがあるかは知らんがな』

 

「呂家? ひょっとして()の……」

 

 今は小さな鳥の式神しか使える手駒がないからか、毒の件では飯店の外に待機していて中の様子はわからなかったと別の毒を吐きながらに話す陽陰。

 その中で意外にもメイファンさんを高く評価している節があった陽陰にその理由があるのかと勘繰ると、そこからまた意外なことが判明する。

 確かにオレはメイファンさんの名前しか聞いていなかったからわからなかったが、陽陰の言う呂家というのが三国志の時代に呉の武将として名を馳せた呂蒙子明(りょもうしめい)の血筋を指しているなら、武人としての遺伝子から見れば確かに優秀なのかもしれない。

 理子が聞いたら怒りそうな案件なので血だけが全てじゃないと自分に言い聞かせて、陽陰が評価するメイファンさんへの信頼は揺るぎないものとする。

 っていうか字で書くと『呂美帆』なんだな。失礼だがちょっと字面としては微妙かも。

 

『どのみちこのタイミングで仕掛けたということは、イレギュラーのはずのお前の戦力調査を兼ねていたのだろう。これで済めばよし。阻止されたなら警戒させ疲弊してしまえ。そのくらいの軽い動機だ。今から気を張っても無駄だぞ』

 

「だからといって隙を見せるのは違うだろ。それにいつまで続くかわからない護衛ならそれも確かにキツいが、今回は期限がある。人間、終わりが見えていれば頑張れるもんだぞ」

 

『会議が無事に終わればそれで終わり。本当にそう思っているなら楽観的だな。事と次第によってはその後の方があの女が必要な展開も十分にあり得るのだぞ? そう考えれば護衛など1ヶ月でも2ヶ月でも、最悪何年もということになるかもしれん。それでもその言葉を吐けるなら、足掻いてみろよ』

 

「脅しはよせ陽陰。今回の件は可決に持ち込めば大きな流れが生まれる。それさえ作り出せばもう蘭個人をどうこうしたところで影響がないことは明白だ。まぁ、もしもそうなったとしてもやり遂げるさ。武偵憲章にもあるしな」

 

 そのメイファンさんのことは置いておいて。

 陽陰なりのNのこの動きについての考察を断定しているかのように語ってくるのは少し困るが、オレもこの動きに関しては陽陰に概ねで同意していた。

 イレギュラーと表現されはしたがオレという存在が出てきたことで発生する様々な要素を考慮して、その間隙を突いてきたかのような今回の毒殺は実に巧妙。

 イレギュラーは連鎖するものなので、そのイレギュラーで何が起きても向こうの不都合にはならないタイミングを狙ったものなら、ここから先はオレもイレギュラーとして処理されずに暗殺の障害として指定し、作戦を立てて再度仕掛けてくるだろうな。

 その間はもちろんこちらとしても気は一切抜けないし、護衛というのはどうやっても消耗戦。状況が長引けば守る必要のない、タイミングを選べる仕掛ける側が有利になっていく。

 その点でオレには期限という天井が見えていると考えがあったのだが、その考えは甘いと陽陰から暗に警告されると、そうなのかもしれないと思い直すことになるが、終わりの見えない状況は精神的にキツいものがある。

 それでも自分の精神力と劉蘭の命とを天秤にかけた時に迷わずに劉蘭に傾くだけの思いがあるのは確かだし、そう言われたからといって降りる選択などあり得ないのだ。

 その決意を見てなのか、鼻で笑った陽陰は話はもうないとばかりに窓から飛び去ってしまい、1人残されたオレは小さく息を吐いてから窓を閉めてその下に腰を下ろし『もう1人の同行者』に話を振る。

 

「ずっとついてきてくれてたよな?」

 

「ふんっ。ロンドンから忘れられてると思ってたぞ」

 

 今ならNの刺客の目も劉蘭に向いているだろうと踏んで思い切ってずっとそばにいたはずのバンシーに話しかけると、当の本人は放置され続けて少し拗ねたご様子でオレの懐に姿を現して腰を下ろしてくる。

 別にこの位置に落ち着いたのはオレに甘えたいとかそんな理由じゃなくて、視覚的に外から見えないようにだろう。

 

「イギリスじゃ見られないものも色々と見られたんだろうから文句は言わないでくれ。それでバンシー。お前は何か感じなかったか?」

 

「今の話のことか? 確かにあの場には俺もいたが、下手に動くと闘戦勝仏が勘づきそうで外への警戒が薄くなってた」

 

「猴にならバレてもなんとかなったんだが……何もわからなかったってことだな。Nはお前のことも狙ってる組織だから、その接近の気配に気づいてたお前なら、本気を出せば予兆みたいなものもわかるんじゃないか?」

 

「それは暴論だぞ。俺はやつらが近づいてくるのを感覚で察知してたわけじゃねぇ。火のないところに煙は立たないっていうだろ。そういう断片的な情報を拾って躱してきただけだ。ただまぁ、お前がいま必死になって守ってるあの女。あれがどうなるかはわかる」

 

「……はっ?」

 

 バンシーならNの気配がわかると思っていたが実はそうでもなくて、当てが外れたオレが少し落胆してしまったら、それをフォローするつもりだったのか、タダでは終わらんと凄く重要なこと口にしたので耳を疑う。

 劉蘭がどうなるかがわかる? 何をご冗談を……

 そうやって笑うには状況が許さないためやらないが、ふとバンシーにどのような伝承があるかを思い出す。

 バンシーは死を司る精霊。暗殺という危険に晒されている劉蘭なら、セーラの『巨視報(マクロユノ)』のように死を予期することは十分に可能なのだ。

 

「……こういうのはセーラも士気に関わるから教えないとは言ってたが、今回は覚悟がある。教えてくれバンシー。蘭は死ぬのか?」

 

「ずいぶんとあの女にご執心なようだな。向こうもお前に気があるようだし、俺としては見ていて微笑ましい限りだが」

 

「頼む」

 

「……真面目すぎるぞ京夜。結論から言えば、あの女には死の予兆はない」

 

 そうなればオレが知るべきなのは劉蘭が死ぬのかどうかだけであり、冗談抜きでバンシーに問いかけると、オレの圧に負けて真面目な表情からどんな原理でわかるかも省いて結果だけを伝えてくる。

 その結果が劉蘭の死ではなかったことに安堵。あのクー・フーリンが覆せなかったバンシーの死の宣告だ。その正確さは未来予知と言っても過言ではないからな。

 しかし安堵したオレに対して下顎に頭をぶつけてくる凶行に及んでから「安心するのは早い」と言ってきたバンシーに、気を引き締め直す。何だ?

 

「ただし俺の予兆は直近で240時間。10日以内に限る。だからあの女は少なくとも10日以内に死ぬことはないってことだ」

 

「……じゃあ、それを過ぎればまだわからないってことか」

 

「俺は1度視たらそのリミットまで同じ個体の死を予期できねぇ。つまりリミットの10日後に再度視てやりはするが、その時に残された時間が数時間ということも十分にあり得るってことだ。それを忘れるな」

 

「10日後……今からならちょうど会議のある日か。蘭のこと。いつ視たんだ?」

 

「ここに着いて京夜があの女を守ると決めてからだ。時間にすると昨夜の午後9時辺りか」

 

「となると会議の前夜までってことか。嫌なタイミングで切れるな」

 

「俺が悪いみたいな言い方はやめろ」

 

 どうやらバンシーの死の宣告には1度視てからのクールタイムが存在するらしく、次に視る場合はその時にどんなに死の期限が迫っていても結果を更新できないってことらしい。

 だから次にバンシーが劉蘭を視る時に劉蘭に死の宣告が出た場合、残された時間は最長では10日あるが、最短では1分1秒にも満たない可能性すらあるということだ。

 それを考えると確かに安心するには早すぎるし、未来は不確定なもの。バンシーの死の宣告は確実なものとしても、オレが死なないと油断して未来が悪くなる可能性は十分にあるんだ。

 あらゆる可能性を考慮して出る死の宣告なら逆に安心──いや、出たら困るけど──だが、そういうわけでもないとバンシーの目が言ってるので、油断だけは絶対にできない。

 それにバンシーが視たのは何も劉蘭だけということはないはず。オレやメイファンさんにも死の宣告が出ていないのだろうと勘繰り問いかけてみれば、案の定オレとメイファンさん。ココ姉妹と猴に関しては大丈夫だったとのこと。

 まぁオレに関しては上海に来る少し前に視ていたようで次に視るのは早いらしいが、 身内が死なないとわかるのは安心だ。

 

「とにかく京夜。やつらと接触する時は俺も出る。その時はちゃんと守れ。俺もそれに見合うことはしてやる」

 

「ああ。お前をみすみすNに渡るようなことはさせない。上手くやるよ」

 

 とりあえず今後の展望だけがおぼろ気に見えたところで、そろそろ戻らないとと思ったのを察してバンシーも話を終わらせにきてくれ、Nと接触した場合の話で締める。

 そう。今回の件はオレや理子達の安全を確保するためにNと接触する必要もある。危険が伴うがそれをしなければNの影に怯える日々が続く。それは避けたい。

 

 バンシーは話が終わればすぐに姿を消してまたオレのそばをついてきてくれて、劉蘭達のもとに戻ると猛妹も戻ってきて鑑識の結果を報告。

 その時に猴がオレに抱きついて話を聞いていたのだが、直近のバンシーが懐にいた時の匂いが残っていたのか、それに反応されて心底焦る。

 くっそ。実体化して生活してたからか、バンシーにも生活臭みたいなものがついてたのかもしれん。またボロ布姿に戻してやろうか。

 それは冗談として、猴には蘭盛街の子供達のかもと誤魔化して改めて猛妹の報告に耳を傾けると、暗殺に使われた毒は『三酸化二ヒ素』という無味無臭の水溶性で常温では白色固体のもの。

 16世紀のヨーロッパなどで検出方法がなかった頃からビールやワインに溶かして使われていた毒性のもので、日本でも使われていた。というか忍者も使ってた。

 それが料理のスープに溶け込んでいたとのことで、致死量となる量も検出されたらしい。

 

「自分、これの犯人の目星がついとるんやろ。話せ」

 

 これを受けてメイファンさんはこれが藍幇内での抗争ではないと看破した上で、その犯人を知ってる節があったオレを睨み話すように促す。

 その目は真剣そのもので、毒殺に気づけなかった自分を責めているようにも見えたオレは、メイファンさんに非はないことを述べてからNについて知る限りの情報を開示。

 とはいえ知ってることなどたかが知れてるので、その目指すところが何なのかと、そのためにどんな理由で劉蘭に狙いを定めたのかについてを重点にしておく。

 

「……Nやて? そんなアルファベットの糞みたいな組織の目的のために劉蘭は殺されなあかんのか」

 

「蘭の計画が実現すれば、やつらの計画にある歴史の逆行から遠退くらしいからな」

 

「私の計画にそれほどの効力があるのかは不明ですが、その方々は戦争を望む節が見られる以上、看過することはできませんね」

 

 それらを聞いてメイファンさんがまず憤り、当人の劉蘭も明確にNとの敵対を表明するように決意に満ちた目でオレ達を見回して静かに立ち上がる。

 その目に促されてオレも一層の決意を胸に立ち上がって、メイファンさん達もそれに倣うように立ち上がり劉蘭を見る。

 

「今回の計画を必ず成功させます。ですから皆さん、どうか私にお力を貸してください」



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Slash29

 

「あれぇ? なーんで京夜がいるのかなぁ?」

 

「偶然って怖いよなぁ」

 

「あ、兄者! 久方ぶりにございます!」

 

 劉蘭の毒殺未遂事件から一夜が明け、今回の会議で何がなんでも計画を通してやろうと決意を新たにしたオレ達は、翌日の昼前に会合のために蘭盛街へとやって来た幸姉こと真田幸音を迎え入れていた。

 他にも韓国の要人やらマレーシアの貿易商。インドの大商人やらと各国の国と国を繋ぐ手段を持つ人物も到着していて、幸姉もその1人として招かれている。

 幸姉は最後の来客だったが、律儀にフロントで待ち続けていた劉蘭に反応するよりもまず、その近くにいたオレに反応し絡んできて、オレの実の弟で瓜二つとまで言える猿飛誠夜(さるとびせいや)まで付き人の任を忘れて私語で挨拶してくる。そして兄者呼びはやめろ。

 仕事モードなためビジネススーツを着込んで長い青みがかった黒髪をポニーテールでまとめる幸姉はいつ見ても超がつく美人だが、さすがにもう見惚れて立ち尽くすほどオレも愚かではない。

 12、3年にしてようやく慣れた。物心ついた頃からの換算だが、まぁそんな頃から飛び抜けて綺麗だったしな。

 その幸姉が劉蘭との挨拶を割と適当に済ませるほどにオレの存在が気になっているのか、オレも話さないわけにもいかないので、これからの会合の準備に取りかかる劉蘭はメイファンさんに任せてその場に残り少し話をする。

 

「かいつまんで話せば、蘭の護衛の依頼でここにいる」

 

「人材豊富な藍幇で護衛の手が足りないってこともないのに? っていうか蘭ってアンタ……ふーん。なるほどねぇ」

 

「察しの通りこっちから願い出た護衛だよ。わざわざロンドンから来た理由は私情もあるけど、それと護衛の利害は一致してるってところだよ。あとその顔やめて」

 

 話すと長くなるし、Nについても含めると立ち話では済まないこともあって、まずはオレの存在理由についてザックリと説明したのだが、幸姉の場合はそっちよりもオレが劉蘭を呼び捨てにしていたことに注目してニヤニヤするから困る。女子は何でこっちの反応が良いのか……

 なまじ物心つく前──幸姉からすればオレが生まれた時からだ──からの家族同然の関係だったせいで色々と言わなくても察せてしまうくらいには物分かりの良い幸姉は、オレが説明を省いた理由について腰を落ち着ける必要があると判断して言及はしてこなかった。

 そこは本当に以心伝心というか元パートナーの意思疎通が成せる技って感じで、オレもそれに甘えてニヤニヤするのをやめてくれた幸姉と誠夜を連れて会合の部屋へと案内する。

 

「ロンドンでの生活はどう? 日本と勝手が違うんじゃない? メヌエットちゃんと仲良くやってるの? お姉さんそういうことは定期的に連絡してほしいんだけどなぁ」

 

「オレはシスコンか何かかよ。そんなこと幸姉に報告する義務はないが……メヌとは仲良くやってる。それだけは確実だ。じゃないととっくに死んでる。精神的に」

 

「アハッ。確かに機嫌を損ねたら殺されてるよねぇ。そうなってないならメヌエットちゃんも京夜のことを気に入ってるってことか。モテ男は役得だねぇ」

 

「メヌとは別に恋愛感情はないからモテ男とか関係な……そもそもモテ男じゃない」

 

「照れないの。私の目から見ても京夜スキーは少なくないわよ。理子然り。劉蘭然り。エトセトラぁ」

 

 その移動中でもオレと話すのが楽しいのか、仕事の合間の息抜きのつもりなのか、やたらとテンション高めで話しかけてくる幸姉にちょっと気圧される。

 昔からこんな人だし、律儀に付き合っていたら終わりがないこともわかっているのに、無視できない存在感というかそんなので話は途切れさせてくれない。というか無視したら何されるかわかったもんじゃない。

 

「オレのことはいいよ。それより百地さんから連絡があったと思うけど」

 

「あー、あったあった。あの件でしょ。百地の旦那の口から京夜の名前が出てきた時はビックリしたわよ。でも無事に面識できて良かったわ」

 

「面識とか言うなら留学前の連絡の時にでもちゃんと伝えてくれれば良かっただろうに……」

 

「だって話自体はもののついでくらいだったし、百地の旦那もデスクワーク中心でICPOの本部からあんまり出ない人だって聞いてたから、会うことないだろうなって思ってたの。それなのにどういう運命の悪戯が働いたのか」

 

 幸姉ペースで話させると会合のギリギリまで喋ってそうだからオレから強引に話の流れを変えて、先日にNの一員として遭遇した霧原勇志さんについての報告を百地さん経由で聞いているかを尋ねる。

 自分の興味のある話を切られて少しムスッとした幸姉ではあるが、真面目な話ではあるからすぐに切り替えて表沙汰になっていない話の内容を具体的には言わず進める。

 その中で百地さんの協力を知っていたのにオレに伝えなかった理由が凄い言い訳くさくて呆れた。

 確かに勇志さんの捜索に関してはそれ自体に腰を据えてやる必要はなく、どこかで存在を匂わせるようなことがあれば知らせてくれればいいくらいの依頼とも言えないレベルのことだったのは事実。

 百地さんもNの捜査線上でたまたまオレや勇志さんと遭遇しただけで、Nという共通点さえなければ幸姉の言う通り出会うことはなかったかもな。

 そんな感じで愚痴を漏らしておいて1人納得してしまってる自分勝手さを自虐しながら、超真面目な声のトーンになった幸姉にオレも少し強張る。

 

「……どのみち、相手があのNなら下手に関わらないのが得策よ。教授(プロシェシオン)が昔に話していたわ。『この世には私よりも優れた条理予知を持つ者がいるんだよ』って。当時は冗談でしょって笑い話で流したけど、Nの存在を知ってからそれが事実だってわかった。向こうの教授、モリアーティはそれほどに厄介な敵ってことよ」

 

「モリアーティ……確か羽鳥のやつが昔に言ってた……」

 

「表立った史実には名前すら載ってないわ。ただ100年くらい前に歴史の裏で死んだって噂は流れたみたいだけど、それも姿を眩ませるための情報操作だったのかもね」

 

 決して張らない声でもハッキリと何を言っているのかを聞き取れる幸姉の言葉からは、敵対するNのトップの名前が出てきて驚く。

 シャーロックが昔からその存在を知っていたのはすでに知るところだが、それをイ・ウー時代に幸姉にも話していたのか。

 これが当時からシャーロックが狙って残した情報なのかはわからないし、本当に謙遜なしで自分の条理予知が未熟だと言ったのか判断はつかない。

 それでも羽鳥が去年になんとなしに話していた事柄とも繋がって現実味を帯びたそれに、明確となった敵をどうやって捕まえるか考える思考になる。

 それ自体が危ないと注意されてるのにそうしてしまうのは、やはりもうオレも後に引けないところに立ってしまっていることを自覚しているんだろうな。

 幸姉はオレの心配をしてくれているのは十分にわかってるから、今回の護衛もNと関わることになることは伏せておこう。

 もうオレも幸姉に守られるだけの男じゃないんだから、幸姉まで巻き込むわけにはいかない。

 まぁそれも幸姉には悟られていそうな気がするくらいには勘が冴えてるから困る。

 そうこう話していたら会合の行われる部屋に辿り着き、その中に入ったらオレと幸姉も自分の仕事に集中しないといけなくなるので、私語は出来ない。

 その前にオレも最後の用件だけ伝えておく。

 

「そうだ幸姉。会合が終わってからまた話す時間とかある?」

 

「上海には1泊するから夜は比較的空いてるわよ。そうじゃなくても会合が終わったらしばらくは暇だから、話があるならその時ね」

 

 オレが幸姉を頼ったのは現在進行形で頭を悩ませているメイファンさんからの課題の功夫で行き詰まってしまっているから。

 明日の夕方には今後の修行を継続してくれるかの進退を決める試験が待っているので、そこで未来に繋ぐためになんとしても課題をクリアしないといけない。

 だが現状でオレはまだ自分の体を巡る気の流れとやらを感じ取ることすら出来ていないし、手の平に垂らした水の雫を気の力で動かすことなど不可能レベルの進捗だ。

 マジで初日から何の進歩もない危機感から、オレは超能力者でもある幸姉になら何か感覚を掴むアドバイスを貰えると淡い期待をしていたのだ。

 それを知らない幸姉はオレと話せるとあって嬉しそうに了承し、待たせてる身としてはニコニコしていたらダメだろうと気を引き締め直して真面目な顔になると、部屋の扉を開いて堂々たる出で立ちで会合に臨んでいった。

 

 会合は食事も交えて行われる予定になっていたので、蘭盛街の飯店を任されてる料理人が腕を振るって歓迎していたが、昨日のこともあるので劉蘭には事前に料理には一切手をつけないと公言してもらっている。

 そうすることでこの場にもしもNの構成員が紛れていたとしても毒殺という手段に及ぶ可能性を下げられる。

 あくまで下げられるだけなので、最終的にはオレの死の予感で料理に手をつける人の危険を察知する態勢はしっかりとしつつ、物理的な暗殺の方もメイファンさん達が万全で警戒してくれている。

 集まった要人は国も言語もバラつきがあるものの、最初から『英語を最低限で習得している者』という通達もあったことから通訳は基本的に必要ないとのこと。

 だからなのか集まったのは必要最低限といった感じで、各企業やらから多くても3人とか少数で護衛側も把握しやすくて助かる。

 会合の目的は今度の会議でこれまで進めてきた提携などがどのくらいスムーズに進行するのかなどの説明が主で、こういうのはだいぶ先まで見通しが出来ていないと企業も首を縦には振ってくれないものだからな。

 しかしオレはこの計画が通る前提で進む話には少し疑問もあり、もしも会議で否決でもされたらどうなってしまうのか不安になってしまう。

 本決まりでもない現状であれこれ言われたところで慎重な企業などならオッケーは出さないし、こうやって会合を開いたところで集まることもなかったはず。なのに何故?

 

「キョーヤ、何でこの会合が上手くいってるか気になるカ?」

 

「機嬢か。そりゃそうだろ。会議はまだ先の話だ。今から準備しても頓挫する可能性だってあるんだ。そこに幸姉含めて人が集まる理由がわからん」

 

「劉蘭には『9億人の味方』が付いてるよ。それは藍幇でも無視できない大きな力ネ」

 

 料理には危険がないとほとんど判断がついたところで、それでも一応は最後まで自分の仕事を全うしつつのオレが難しい顔でもしていたからか、近寄ってきた機嬢がその疑問に答えてくれる。

 9億人の味方だって? そう思ったのは一瞬で、それほどの数を聞いたのは直近でも中国の人口くらいなものだったから、それが指す味方は全国にいる9億人の農村戸籍の国民だとわかる。

 劉蘭の計画は大雑把に言えば今の中国から戸籍問題を排除してしまおうって話だが、それを望むのは圧倒的に格差をつけられている農村戸籍の人。

 計画にはもちろん段階があるので、可決されたからといってすぐに改善されるほど速効性のあるものではないし、藍幇だけでは国全体を改革するまでには至れない。

 一定の利益を出しながら藍幇以外の優取得者が同じようなことに手を出さなければとてもじゃないが中国全土を救う手は広がらない。

 それでもだ。その1歩を踏み出すかどうかで未来が大きく変わるのは事実で、その期待を一身に背負う劉蘭のプレッシャーは考えるにおぞましい。

 オレなら確実に押し潰されて再起不能にさえなってそうなその期待というプレッシャーを、まるで感じていないように気丈に立ち話をする劉蘭を見ていると、本当に同じ世代の人間として尊敬してしまう。

 

「……強いよな、蘭は」

 

「たぶん劉蘭は早死にするネ。いずれ胃に穴が開いて心臓が破裂するヨ」

 

「話を聞いて同じ立場になったらって考えるだけで胃が痛いもんな……」

 

 そうした意味でボソリと呟いたオレに賛同するように機嬢が悪口のようなそうでないような言葉を劉蘭に贈り、その気持ちがわからんでもないので否定はせずにおく。

 でも早死にするはやめてあげろ。劉蘭には長生きしてほしい。あの子はまだまだ人類に必要な存在だよ。

一応は劉蘭支持派なので、将来的には同じ立場になろうとしている機嬢には「上を目指すならあのくらい強心臓じゃなきゃな」と他人事ではないぞと言ってやると、あの場に自分が立つ想像でもしたのか、顔からは血の気が引いて真っ青で狙姐達のところへと戻っていった。

 あの調子で中将だなんだ言ってられるんだろうか心配しかないぞ。

 

「えっ? 今そんな修行してるの?」

 

「素養はあるって言われたから、可能性があるならってやってみてるんだけど、今まで培ったことのない感覚だからコツが掴めなくて」

 

 会合はオレ達の緊張やらを裏切る形で2時間程度を経て無事に終わり、どこも実りあるものとなったようだった。

 続々と部屋を出ていく人達を見送りながら、会合の後にでも話そうと約束していた幸姉がさっそく仕事モードを切って話しかけてきたので、余計なことはなしで功夫のことを説明。

 オレが発勁に手を出したことにちょっと驚きつつも咎めたりはしない幸姉は、全くの見当違いとも言えない自分を頼ったオレにどうアドバイスすべきかを悩む。

 

「そうねぇ……私の超能力は魔眼を例外としても基本的には『五行思想』が元になってるのよ」

 

「あー、なんだっけ。火は水に弱いとか木は火に弱いとかそういうのだっけ」

 

「そんな曖昧な覚え方してる辺りが京夜よね。ざっくり言えば『循環』。私は自然界で発生している循環する力の一部を切り出して超能力を行使してるのよ。分類で言えば第Ⅱ種超能力。ジャンヌとかヒルダも方法論とか違ったりするけど、基本的にはこの法則から逸脱してないわ」

 

 気という目に見えない力を操るのと、魔力という目に見えない力を操る原理はどうやら本当に似るところがあるらしく、循環という言葉で表現した幸姉に先日のメイファンさんの言っていたこととが重なる。

 超能力は専門外すぎて今までちゃんと理解しようとして聞いたことはあまりなかったが、それを怠らなければコツを掴めたかもしれないと思うと自分の怠惰には怒りたくなるね。コラ。

 

「例えば火を1つ出すにしても、1度は循環の過程をイメージするから、本当は見た目よりもずっと難しいものなのよ。それを洗練させてイメージの短縮を出来て初めて実践で使えるレベルになるの」

 

「要は反復ってことか」

 

「反復させるにしても循環する力を感覚的に理解しないとそもそもスタート地点には立てないわよ? 京夜はそのスタート地点に立てなくて困ってるように理解できたんだけど、違う?」

 

「おっしゃる通りで……それでどうすればいいかわかる?」

 

 それでオレが聞きたいことを噛み砕いてこれと同じことでしょと話してくれる幸姉は、具体的にその感覚はどうすれば培えるのか超能力者目線で話してくれる。

 ただしそれは超能力者の感覚であって気を操る発勁とは結びつかないかもと保険はかけられてしまった。そりゃそうだ。

 

「自然界の循環は大きすぎるから、まずは自分がその流れの中のちっぽけな一部だってことを自覚するところから入るのよ。それで自分の矮小さと、その矮小な存在の集合体が循環であることも理解して、ようやく感覚は掴めた感じ。これだけでも半年くらいかかったけどね」

 

「半年って……オレあと1日しかないんだけど」

 

「それは知らないわよ。でもそのメイファンさんって人も始めから無理難題を突きつけるような人じゃないでしょ。だったら何らかの可能性はあって然るべきだと思うわ。それも京夜がすでに培ってる何かで掴める何かがね」

 

 その話の中で半年とかまた目眩がする時間が出てくるから気絶しそうになるが、本当に本来ならそれくらい大事に培う感覚ってことなのだろう。

 そうなるとマジであと1日というタイムリミットが無理すぎると落胆。

 しかし幸姉は今日初めて見たのだろうメイファンさんに対して謎の信頼を持ってそんなことを言うから、説得力があるようなないようななそれにオレもそうなのかと思う。

 そこに見送りを終えた劉蘭達が戻ってきて、メイファンさんが鋭い目付きでオレ達の会話の内容を察したか「それ以上は反則やで」と口止めされてしまった。

 師匠からそう言われてしまえばオレも幸姉も逆らうことはできないので、仕方なく会話を終了させて仕事モードを切った幸姉と劉蘭は女子な会話をするのを話し半分で聞きながら内容をまとめる。

 超能力界隈での循環はとてつもない大きな流れから力を切り出して使うみたいなことだったが、気の流れはオレの体の中で完結してしまう流れだ。

 幸姉はこの流れの中の一部であることの矮小さを自覚して感覚を掴んだんだよな。それはこれとは違う……いや。

 

「自分の無力さ……か」

 

 気やら魔力やらとは全くの別物ではあるが、矮小さという点で何か引っ掛かったオレは、ここ最近の自分の実力不足を痛感し、それがあって今回の発勁の修行に繋がってることを思い出す。

 小さい。そこからイメージを膨らませたオレは、目を閉じて常に気の入れ換えが行われているというオレの体を頭で思い描き、その全身に巡る仮想の気脈を構築。

 血管のように体を巡らせた1本の気の通り道を丹田で生成された新しい気の塊。1つの個体としてイメージして、オレという意識がそれと同期している感覚で、それが気脈を通る様を想像。

 流れは自然発生するもので、オレはその流れに逆らわずに気脈を通る。

 途中には開いている気穴があるので、一部はそこから体外へと放出されるが、オレはひたすらに体内を循環していってまた丹田の辺りへと戻っていく。

 たぶん、循環というのはこういう一連の流れの中で発生するものなのだろうと、無意味かもしれなかったそのイメージから離れて目を開けてみると、オレが突然に集中し出したからか興味津々で見ていた幸姉と劉蘭の顔が近くにあってちょっとビックリ。

 

「な、なんか変だったか?」

 

「うーん……いやね、ちょっと驚くくらい活力が上がったから何したんだろって」

 

「私はなんといいますか、無視できない何かを京夜様が放出していたというか……上手く言葉にできません」

 

 単に自分の世界に入ってしまっていただけの自覚しかなかったからか、不思議そうにする2人の言葉にオレもよくわからない。

 特別なにかをしたとも思ってないから疑問は大きくなるばかりだったものの、神妙な面持ちで見てきたメイファンさんが、オレに近づきその手を握ってくる。

 

「自分、今のもう1回やれるか?」

 

「はっ? やるって、オレは何も……」

 

「あん? ワイがわからんとでも思とるんか。おどれ今、頭の中で循環のイメージを膨らませたやろ。それもかなりの強度でや。それをもう1回やれ言うとんねん! どないなもんか見たる」

 

 何が何やらな展開に困惑しているオレをほとんど無視して、いま起きたことに理解があるようなメイファンさんがズバリオレがしていたことを言い当てて、もう1度やれと促してきて、それがオレが望む気の流れに関係したことだとわかると、やらないわけにはいかなくなった。



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Slash30

 

 幸姉を含めた劉蘭の計画の賛同者による会合が無事に終わり、もののついでで幸姉に気のコントロールのコツを掴むための意見を聞いてみたところ、超能力者である幸姉の意見を参考にイメージを膨らませてみれば、何故かそれを見ていたみんなが驚くような反応をする。

 自分としてはただイメージトレーニングをした程度の認識だったから何の自覚もなかったが、メイファンさんがオレの手を取ってもう1度やれと言う。

 そういう反応をしたということは何らかの変化があったことは明らかなのだが、同じイメージを同じだけするというのもなかなか難しい。特に……

 

「…………あのぅ」

 

「なんや、さっさとやらんかい」

 

「メイファンさんはともかくとしても、幸姉とか蘭とかの視線が強い……」

 

 さっきは勝手にやってたから集中力もそれなりにあって周りも気にならなかった。

 ただ、今はメイファンさんが確認のために手を握って内気勁を使ってるっぽいし、幸姉や劉蘭も興味本意でオレを凝視してきて非常にやりにくい。

 熟練者のメイファンさんなら気にもならないことだろうし、甘えるなって感じだとはわかる。

 しかしオレはまだひよっこ同然の素人であり、それがわかっててメイファンさんも功夫は1人の時にやれと言ってくれていたはず。

 

「あかんなぁ。そないな状態やったら調べるだけ無駄やな」

 

「さっきの感覚で良かったなら、今夜にでも反復させておきます。試験は明日の夕方ですよね。それまでにはなんとかします」

 

「言うは易しやな。まっ、悔いのないように足掻いとけや」

 

 暗に環境が悪いと言うオレに対して鼻で笑いそうな顔をしたメイファンさんがちょっとムカついたものの、言い訳したオレが文句を言えるわけもないので、パッと手を放したメイファンさんが予定通り明日に試験をすることを告げてココ姉妹をこき使って部屋の片付けを手伝いにいってしまう。

 上手くいけば明日を待たずに試験合格もあったかもしれないチャンスを逃したのはオレとしても痛いところで、そういうところでチャンスを活かせないオレの不甲斐なさを幸姉もやれやれといった感じで見てくる。

 劉蘭は励ますような視線と両拳を握って「頑張って」とジェスチャーしてくれる優しさで幸姉とは対照的だ。

 厳しさと優しさ。どちらがオレにとって良いのかは……わからん。

 

「さて、と。それじゃあ私も行こうかな。劉蘭、夕食を一緒にとか出来ない?」

 

「申し訳ありません。今は食事の席を一緒にするのは幸音様にもご迷惑をかける可能性がありますので。その代わりに私のオススメのお店を紹介いたします」

 

「劉蘭も大変ね。こういう女には心の支えになる人は必須と思うし、京夜はその辺さっさとハッキリさせたらどうかなぁ」

 

「……オレは……」

 

「幸音様。あまり京夜様を困らせないでください。京夜様にもご自分の貫くべき思いがあって、私もそれに納得した上で今を受け入れています」

 

「あらら、怒られちゃった。でもまぁ私としては京夜の付き合わない宣言は何がなんでも貫くべき気持ちでもないって思うから、つまんないプライドで本当に大切なものを取りこぼす前に、考え直してもいいとは思うわよ。お姉さんからはそれだけ」

 

 そしてオレとの話も一段落したと判断した幸姉も長居は無用と退散する素振りを見せ、劉蘭とプライベートな会話をする。

 食事の誘いは残念ながら昨日のこともあって控える形となったが、暗殺の件は話してないのにその辺を察する幸姉の危機回避能力はさすがで、食い下がらずに別の話題にシフト。

 そこでオレに矛先が向く辺りが幸姉の嫌なところでもあり、もちろんオレも反論するべきところではあったが、なんとも絶賛お悩み中でもあった件をツッコまれて咄嗟に言葉が出てこなくなってしまう。

 そんなオレを庇うようにして劉蘭がすかさずフォローに回ってくれたのが良かったのかどうか。

 いや、良くはなかっただろうな。

 少なくとも幸姉はオレの心の揺らぎを敏感に感じ取っている。ずっとそばで見てきた人の目は誤魔化せない。

 オレは去年のクリスマス辺りに理子や劉蘭のいる場で『高校在学中は誰とも付き合わない』と宣言した。

 それはオレ自身がまだ武偵としても男としても半人前な上に、今後のことも明確にできていない段階で色恋沙汰にかまけている余裕はないと、オレなりの覚悟で宣言したものだった。

 もちろんそれを撤回する気は今もないし、気持ちの変化もないが、幸姉にこう言われてしまうと揺らぐものも確かにある。

 オレが一人前の武偵になってから恋愛のことを考えるというのは、男として見ればある種の甲斐性という、立場的なものを意識した立ち回りになる。

 ちゃんとした土台ありきの将来設計をすることはオレの中でかなり重要なことと思う。女を養えない男ほどカッコ悪いこともないからな。

 だがその一方で幸姉が指摘してきたような今の理子や劉蘭の気持ちに応えようとしない態度は、端から見ればイラつくものに映るんだろう。

 そしてその気持ちをないがしろにした結果。理子や劉蘭がオレから離れてしまって、生涯の伴侶となったはずの女を逃がしたなんてことになることだって十分にあり得る。いや、このままなら遠からず起こりうることと考えていい。

 今はまだ理子も劉蘭もオレを好きだと言ってくれているが、人の気持ちは移り変わるもの。そこに変化が起きないことなどあり得ない。

 それを考えればオレが貫こうとしている覚悟は、どうあっても守らなきゃならないものではなく、むしろ理子達から『逃げている』のではないか。

 向けられる好意から逃げないと誓ってした覚悟は、実はまだ逃げの1手だったのか。それならオレは……

 幸姉のたったそれだけの言葉で確実にオレの中の何かが崩れかけてきたのを自覚しながら、蘭盛街を出ていく幸姉と誠夜を見送り、それから何事もなく夜を迎えて1人の時間まで進み、そこでようやくゆっくりと自分を見つめ直す時間が作れた。

 正直、今は明日に控えたメイファンさんの試験に向けて功夫をやるべきところで、考え事はそれを乗り越えてからでも遅くはない。

 だがオレはもう逃げたくない。自分の気持ちを圧し殺してまで守るべきものとは何なのか。本当に守りたいものは何なのか。未来ではなく、今をちゃんと見なきゃいけないんだ。

 

「逃げてるつもりは全くなかった。でも見る人によってはそう映って、そこを突かれて揺らいでるなら、やっぱりそういうことなんだろうな……」

 

 考え事を普段は口にしたりはしないオレでも、今回ばかりは強く自覚するために呟きレベルでも声にしてわからせる。

 そうして事実をまずは受け入れて、あの宣言からこれまでの自分を振り返れば、確かにこれからのために色々とアグレッシブになった。

 ロンドン留学だって元を辿ればそれが理由の1つになるのは明らかだし、愛菜さんから誕生日プレゼントに貰ったブローニングも、心許なくなってきた自分の実力を増強する目的があり、今の功夫もその延長線上にあるのは間違いない。

 だがそれで武偵高を卒業してプロの武偵になったからといって、そこでオレが自分に納得して理子や劉蘭と真剣に向き合うことにすんなりと繋がるのかと問われれば、それは違う。

 詰まるところ、オレがオレ自身を認められるかどうかというだけの話で、そこに彼女達を巻き込むのはそもそもとして間違いなのではないか。そう考えてしまった。

 たとえ今後、宣言通りに武偵高を卒業してプロ武偵として働いたとして、そこを転機に彼女達と恋愛云々を考えるというのも勝手な話で、そこでまたオレは何かしらの理由をつけて先延ばしにする可能性は十分にあり得る。

 それらを考えればオレの覚悟なんて……

 まさに幸姉の言葉通りの思考に至ってきた自分の弱さには腹が立ってくる。

 しかしそれと同時に振り回してしまった理子達への申し訳なさから今さら引き下がれないという意地も出てきて、グラグラな思考はその手に携帯を握らせて、その登録者の中からジャンヌ、理子、幸帆と何人かに電話を掛けようとしてしまう。

 自分だけでは決められないといった揺らぎが見て取れていながら、その指を携帯から離せずにいる時間がいくらか続き、オレへの好意という点で恋愛感情がないだろうジャンヌに電話してみようかと心が負けそうになった時。

 その携帯がこちらの意図とは別に突然鳴り出し、柄にもなく小さな叫びを上げて携帯を宙に舞わせてキャッチし、誰からかと確認すると、この迷いの元凶とも言える幸姉からだった。

 

『そろそろ誰かに電話して相談しようかなって考えてたんじゃない?』

 

「オレの心を読むのやめてくれよ……」

 

『京夜はあれこれいくつも悩みとか抱えられる器用な子じゃないからね。1つずつ解決しようとしたらまず私の件からだろうなって思っただけ。思考誘導ってやつよ。相手はジャンヌ辺りかな』

 

「もうやだこの人怖い」

 

 通話に応じて挨拶もなしでいきなりオレの悩みのタイムリーな話題をズバリ当ててきた幸姉の超能力者めいた予知は恐ろしい。

 いくら長年一緒にいて親の顔より見知った存在だからといって、これは引く。さすがにドン引きだ。ストーカー認定されてもおかしくない。

 とまぁ今に始まったことでもない幸姉の超察知能力へのツッコミはそのくらいにして、わざわざオレが誰かに電話して相談する前に阻止してきた感じの幸姉の目的について尋ねると、携帯越しに非常にリラックスするような声と共に布の擦れる音がわずかにする。

 あー、これホテルの部屋に着いて完全にオフモードに入りながらの通話だ。最悪全裸になるぞ。

 

「あのさ幸姉。せめて通話してる時は下着くらい付けててくれよ」

 

『えー、もうブラに手をかけちゃったんだけど……あーホックが外れて綺麗なおっぱいが露にー。そしてパンティーも謎の重力で落ちるー』

 

「…………まだジャケット脱いでシャツのボタン緩めたくらいだろ。変な実況するなよ」

 

『音だけでそこまでわかるとか京夜のエッチぃ。音だけをおかずにヌケるんじゃない?』

 

「話があるなら早くしてくれ。護衛の交代とか休憩に使う時間とかあるんだから」

 

『イライラは美肌の大敵だぞ』

 

 ビキッ!

 何でこんなにウザい絡み方をしてくるのか謎すぎる幸姉にはちょっとイラッとしてきた。

 野郎が肌を気にしてイライラするとでも思ってんのかああん? 幸姉を逆にイラつかせてお肌を荒らすぞコラ!

 と、出来もしないことに労力を割くだけ無駄なので口から出かかった言葉を必死に飲み込んで聞くのも嫌になる長いため息で呆れてることを表現して伝えると、言ったそばから携帯をスピーカーにしてテーブルにでも置いた幸姉は、空いた手でズボンを脱ぎにかかったっぽい音を立てるから、わざとっぽいその音の生々しさから創造力が働かないように携帯を遠ざけるのだった。遊ばれてるなぁ、オレ。

 幸姉の悪ふざけもズボンを脱いだだけに留まり、本人からするとぴっちりタイプのズボンは疲れるとかでマジだったようだが、こっちは耳が良いのを考慮してほしかったと愚痴りつつ本題に戻ると、携帯を持ち直した幸姉はさっきまでのおふざけモードな声色をちょっとだけ真面目にさせて口を開いてくる。

 

『話っていうか、京夜が少し調子悪そうだなって会った時から感じてたんだけど、その原因が今の悩みなのかなってのはさっきわかったのよね。それで私も悩ませるようなことを言った手前、フォローくらいしておかないとと思ったの』

 

「じゃあ幸姉が相談に乗ってくれるのかよ」

 

『乗らないわよ。男のうじうじした悩みを聞くほど私は優しくないもの。そういうのは勝手に解決しなさい』

 

 じゃあ何をフォローしようとしてるのこの人……

 どうやらオレが上海に来てからわずかながらに抱えていた悩みまで見抜いていた幸姉は、それを掘り返した責任感で電話してきたようだったが、それで悩み相談させてくれるのかと思えば違うらしい。

 全くもって意味不明な幸姉の行動にどう返せばいいかわからないオレに構わずに自分のペースで話す幸姉の独特のペースには尊敬するね。

 

『私が京夜に言うことは1つだけ。今そうやって悩むのは大事なことだけど、最重要じゃないわ。だから後回しにしなさい』

 

「それは……出来な……」

 

『出来ないとかじゃなーい。そうしなさいって言ってんの。今の京夜は何をしてるの? 劉蘭の気持ちに応える準備? 違うでしょ。劉蘭を良く思わない連中から守ることでしょうが。それをないがしろにしてまで頭を悩ませて、それで劉蘭を守れなかったじゃ、それこそ劉蘭が可哀想よ』

 

 フォローって何なんだと予測もつかなかったオレに対しての幸姉の言葉は、悩みを抱かせた本人から『後回しにしろ』という衝撃のもの。

 悩ませておいてそれかよと思うのは当然ながらも、次に指摘されたことがぐうの音も出ない正論で、そこでやっと言葉の意味を理解する。

 そうだ。今オレがやるべきことはNの脅威から劉蘭を守り抜くこと。

 功夫はそのための手段として有効だからいいが、今の悩みはそれとこれとは話が別。護衛の任務中にあれこれ考えて解決すべき案件では決してなかった。

 そんなことさえも判断がつかないほど思い悩んでいたことに気づかされて、その間にもしも劉蘭が狙われていたらオレはその役目を果たせていただろうか。

 答えはNOだ。無理に決まっている。

 

『問題を解決しようって気持ちがあれば、どうにか出来るだけの時間を確保してそこでやりなさい。劉蘭も理子だって今の京夜でも待つって言ってるんだから、焦って変な答えを出す方が見てられないわ。だから今はやるべきことに集中しなさい。明日には何か試験があるんでしょ。解決するならそっち! わかった?』

 

「……わかった。やっぱり幸姉には敵わないな」

 

『私はいつでも京夜の味方よ。これまでも。そしてこれからもね。だから京夜も良い男であろうとする努力を怠るな。初恋の相手が情けないのは私も寂しいんだからね』

 

「幸姉の初恋は幼稚園の先生だったんじゃ?」

 

『あれは単なる憧れ。っていうか幼稚園児で初恋はマセすぎでしょうが』

 

 一番大事なことを一番言ってほしい時に言ってくれる。

 そんな存在がそばにいる幸せを噛み締めながら、それに頼る自分の甘さもここに置いていこうと誓う。

 そんなかつての太陽が放つ光で出来る影だったオレは、本当の意味でその影から抜け出るという決意を胸に秘めて他愛ない会話のあとに通話を切り、今なすべきことをしっかりと見つめる。

 理子や劉蘭の気持ちに応えることも大事なこと。だがそれ以上に大事なことを見失うな。お前は劉蘭を守るんだろ。

 

「そのために今オレがやるべきことは──」

 

 翌日。

 この日はせっかく上海に来たからと昨日の要人が時間をズラして来訪してきて、個別に劉蘭と話し合いをしていた。

 その間、昨日までなんとなく集中しきれていなかったオレも自分の調子を確かめるように感覚を鋭敏なものへと変えていき、ちょっと鋭くしすぎてメイファンさんから「怖いわボケ!」と注意されてしまった。

 そういうのが表情に出るところがまだまだ未熟の極みだなと反省しつつ、夕方頃には来客もなくなり、アポイントメントを取っていた客の対応は終了。

 夕食までは割と暇になったので、劉蘭やココ姉妹、猴も見ている中でメイファンさんが試験を始めると言い出す。

 

「ほーん。昨日とは違って劉蘭達を邪魔者扱いはせんか」

 

「元々オレは騒がしい環境に放逐されてたので、この方が落ち着くまでありますよ」

 

「言うたな自分。ほなら見せてもらおか。その成果っちゅうやつを」

 

 そこに文句の1つも言わずに水の入ったペットボトルを取り出したオレにニヤリとしたメイファンさんは、この一晩でのオレの変化を見抜いたのか、それ以上は何も言わずに腕を組みオレをまっすぐに見てくる。

 その期待かどうかはわからない笑みに応えられるようにペットボトルから手の平に水を一滴だけ垂らして、その手をメイファンさんに見えるように前に伸ばして目を閉じ集中力を高める。

 幸姉との電話のあと、頭をまっさらにして集中したところ、会合後のイメージを反復することで身体中を絶えず巡る血液のように、常に丹田から捻出される気が全身に巡る感覚を掴むことが出来た。

 ただし気の流れを理解できたからといって、その気をどうこうしようとする方法はわからず、メイファンさんの言う通り、まずは常に開いている気穴の1つから気が放出される感覚に意識を集中。

 そうすることで手の平に垂らした水の雫が放出される気の影響を受けてわずかに動いた。気がした。

 しかしそのポジティブな捉え方は大事なもので、気づけば1時間ほども集中していた結果。その後にちょっと脱力感が襲ってきたものの、自分でも確信できるほど水の雫を動かすことが出来るようになったのだ。

 

「…………どうですか」

 

 未だに気とかそういう抽象的な力に疑念はあるのも事実だが、自分で出来てしまうと認識も変わってくるもので、劉蘭達の緊張する視線を浴びながらも手の平の水の雫を気の力で動かしてみせたオレは、スッと目を開けて目の前のメイファンさんの返答を待つ。

 与えられた課題はクリアしたはず。それなら答えは1つしかない。

 そんな期待とわずかな不安を胸に腕を組んでいたメイファンさんがそれを解いて腰に手を当て小さくため息。

 

「……はぁ。しゃーないか。まさかホンマにやってまうとは思わんかったわ」

 

「えっ、それはちょっとズルいのでは……」

 

「そ、そうですよ美帆! クリアできない課題を与えるなんて」

 

「あーもう! うるさいわぁ! 稽古つけたるんやから文句言うなや! スパルタでやるから覚悟せいや!」

 

「ごり押しネ」

 

「ごり押しヨ」

 

「美帆、割と脳筋アル」

 

「後先考えてないアル」

 

「良かったですね、京夜!」

 

 何のため息かと思えば、まさかの振り落とすための試験だったと語るメイファンさんに嘘だろとマジで驚く。

 それには劉蘭達でさえ文句やツッコミを容赦なくしていて、口々に言われることに鬱陶しいと振り払う様はちょっと大人げなかった。

 その後、バンシーの死の宣告によるある程度の命の保証もあって、油断はしないが適度に気を緩めるだけの余力を残した護衛を続けつつ、メイファンさんによる気のコントロールの功夫が宣言通りスパルタで行われる。

 寝る時間も削って功夫をこなしてみても、メイファンさんでさえ1年以上もかけて培った発勁だ。そう簡単に何かを掴めることもなく、無意味に時間だけが過ぎていく感覚は凄く歯痒かったし、時間を経過を異常なほど早く感じたのだった。

 そして護衛任務に就いて8日目の昼下がりに事は起きた。

 

「……はい。はい、わかりました」

 

 劉蘭の命が脅かされたわけではないが、それに関わる非常に重要な案件で本人から連絡が入り、それに応対した劉蘭が電話を切ると、少し落胆したような顔を見せた劉蘭は事実だけを伝えてくる。

 

「趙煬は……明後日の会議までには戻れなくなりました」



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Slash31

 

 6月4日。金曜日。

 来たる藍幇の会議を明後日に控えたこの日。

 Nによる暗殺の気配も毒殺未遂以降は全くなく、オレもメイファンさんから発勁の功夫を仕込まれながらにこの日を迎えたのは喜ぶべきところ。

 劉蘭も未だ健在だし、このまま会議も無事に可決して終われば万々歳。それが最良ではあったが、そこに至るまでの盤石な体制を整えつつあったこちら側にわずかなほころびが生じることとなる。

 あの『神龍(シェンロン)』と呼ばれる武神、趙煬が会議の前には合流するはずだった予定が狂って、当日も来られなくなったと言うのだ。これは正直かなり痛い。

 

「趙煬は何て言うてたんや?」

 

「なんでも自分を売り込むためのパフォーマンスショーが急遽開催されることとなって、そこで演武を披露したところ、何人かの映画監督が起用に前向きになってくださったようで、そのための話し合いが連日で組まれてしまったようです」

 

「そういや趙煬って今どこにいるんだ?」

 

「アメリカのハリウッドです。帰国しようとすればまだ間に合いますが、優先されるべきは趙煬自身のお仕事ですから、素敵なお話を棒に振るようなことだけはさせてはいけません」

 

 趙煬1人でオレ何人分の戦力か考えるのもバカらしくなるほど圧倒的。

 その戦力ダウンは劉蘭としても本心では不安になる事態のはず。

 話の規模で言っても中国全土を巻き込む可能性のある大計画と一個人の将来で、本当なら天秤にかけても劉蘭に傾くものなのに、個人を優先させる辺りは異常にも見える。

 でもそんな劉蘭だからこそ惹かれる人が多いのだろうし、趙煬がいなくてもオレやメイファンさん達が必ず守ってくれると信頼しての判断であることは目が語っていた。

 

「なってしもたことを嘆いてもしゃーないな。趙煬のおらん分はワイが気張るとして、気落ちするんだけはやめや」

 

「要はこれまでと変わらないってことなんですから、そういう意識でいればいいってことですよ」

 

 それを汲み取ったメイファンさんも早々に頭を切り替えて趙煬なしの護衛で継続することで納得し、オレも今までと同じなんだと言い聞かせることで気を引き締め、ココ姉妹と猴も余計なことを言わずに頷いてくれた。

 

『……匂うな』

 

 その夜。

 劉蘭に対するバンシーの死の宣告による保証も残すところあと1日となったタイミング。

 護衛シフトの休憩中に接近してきた陽陰に日中の趙煬の話を報告してみると、少し思考に入ったあとに何やら不穏な空気を察したようでそれを伝えてくる。

 

「趙煬のこれは意図的だとでも?」

 

『断言はしない。だが奴らにとっても神龍の存在は無視できない障害であることに違いはない。神虎と並べば物理的な手段での殺害は不可能になっていたはず。そこを防いできたと見るのが妥当だろう』

 

「なら何でそうなる前に暗殺を実行しなかったんだ? チャンスならあの毒殺未遂以外にもあったかもしれないのに」

 

『確実に仕留められる機会にしか動かないような連中だ。何らかの条件が整うのを待っていたのかもしれんな。だがそれもこの辺りで終わりだろう。神龍が足止めされた以上、会議の前に奴らは動くぞ』

 

 あくまで陽陰の見立てでしかない推論ではある。

 オレも鵜呑みにするつもりはないとはいえ、このタイミングで趙煬を引き離しにきた可能性を考えると警戒厳重になる会議当日を除けば、今日と明日にでも仕掛けてくる読みは的外れではない。

 ただしバンシーの死の宣告は明日の夜9時まで有効なのを考慮すると、明後日の昼に開催される会議までの間なら約15時間の空白がある。

 確実性を持って仕掛けてくるなら、ここが正念場と見ていい。

 

「お前はどうするつもりだ」

 

『俺は直接手を下す手段は好かん。それで少々手痛い目にも遭わされているのでな。接近に関しては報せてやるくらいのことはしてやろう』

 

「オレ達が悪いみたいな言い方だな」

 

『事実だろう』

 

 そこで話すだけ話して別段なにをするわけでもない陽陰の動きを把握しようと質問を投げ掛けてみるも、やはり自分で手を下すような行為には及ばず、あくまでオレやメイファンさんを動かしてNの企みを阻止することに終始するつもりらしい。

 その理由をオレ達のせいにされても言い訳にしか聞こえないが、何を言ったところでこいつが動くことはないだろうから、最初から戦力外として考えておく方が精神的に良いだろう。

 まだ陽陰の思惑や真意は見えていないから、引き続き警戒だけはしておきつつ、話すだけ話して消えていった式神を見送って護衛の任務に戻っていった。

 

 翌日。

 この日は朝から空には暗雲が立ち込めていて、夜からは雨も降るとの予報がある。

 決戦の前日にこの天候は少し縁起が悪いようにも思えるが、こればかりは人の手が及ぶところではないのも確かなので気にするだけ無駄と割り切って、朝から機嬢と会議でのプレゼンの段取りやらを確認し始めた劉蘭を警護。

 その間もメイファンさんにやっておけと言われていた功夫もやってはいたものの、水が半分入ったペットボトルの中の水を発勁で動かせとかいう難易度が爆上がりしたことをやらされて困っている。

 メイファンさんが言うには短期間で使い物にするためにはある程度の割り切りは必要で、最低限で使えるようにするためにイメージしやすい手の平から気を放出する感覚を磨くべきだと。

 全身から自在に気を放出できるメイファンさんと比べれば天と地ほどの差がある現状で、ここで文句を言うようではお手上げってことでやっているが、未だに成果はない。

 水なんてピクリともしないんだが。ペットボトルの壁1つ隔てただけで次元が違うんですけど。

 色々と愚痴は出そうと思えば出てくるのが悲しいけど、実践ならこのペットボトルは相手の体に見立てることができ、この壁を越えて気を送れない限りは外気勁も内気勁もお話にならない。やるしかないんだよなぁ。

 これも劉蘭を守るためだとやる気だけは失わないように黙々とやり続けるオレに対してメイファンさんは……あ、欠伸をしてらっしゃるぅ。見る価値ないですかそうですか。進化しろオレぇ! うおぉお!!

 まぁ気合いでどうなるわけもないので、精神統一の妨げになる感情は早々に捨て去って護衛と功夫を並行して続け、気づけば日も傾いて外も暗くなっていた。

 さらに本降りの前兆なのか霧も発生していて、それと合わせて極細の霧雨も降っているようだ。

 室内にいてもじっとりとした湿気が感じ取れるほど湿度が高いことはわかり、ジワジワというよりも急激に来たようなそれには少しだけ違和感があった。

 そこで一応の確認のために劉蘭にテレビを点けてもらい、天気予報をやっているチャンネルに切り替えてもらうと、ここ上海の天気は雨。今が本降りなはずだった。

 その事実によってかどうかはわからないが、ずっとオレの近くでちょこちょこしていた猴が長い尻尾をぴーんと立てて何かに反応。

 超能力者というか化生の類いの猴は超常の気配にも敏感らしいのだが、これはそっちの反応だ。

 

「こんなことがあるですか……」

 

「どないしたんや、猴」

 

「囲まれてるです……蘭盛街だけでなく、この辺の区画を丸ごと呑み込んで……この霧は降ってる雨を霧散させて作り出されてるです」

 

 驚愕の表情をしながら窓の外を見て感じ取ったものをそのまま伝えてきた猴の言葉に、オレ達も驚きを隠せず同じように外の景色を見る。

 光源だけが見えるといったほどに濃くなってきた霧はもう、どのくらいの範囲に展開されているのかわかったものではなく、これが敵によって作り出されたものなら逃げ場はない。

 となればこの建物も安全とは言いがたい場所になったと思った瞬間、フッとこの建物の明かりが静かに落ちて真っ暗になる。

 不意打ちの暗闇だったせいでオレも暗対応が遅れて目が適応できず、咄嗟に携帯を取り出してライトを点けて周りを確認。

 劉蘭はメイファンさんに抱かれてしっかりと守ってもらっていて、ココ姉妹と猴も各々が武器を取り出して構えていた。

 そして心許ない光源に頼るのは危険だと判断して改めて暗対応するために消灯のタイミングを合わせて目を暗闇に対応させる。

 

「外の明かり、消えてないみたいヨ」

 

「ではこの建物のブレーカーを落とされたのでしょうか」

 

「大規模停電となると事が大きくなるからな。襲撃者がNなら余計な問題は起こしたくないだろう」

 

 しっかりとは言わないが暗闇でも劉蘭達の顔くらいは認識できるくらいの視野で警戒するオレ達は、どこから来るともわからないNの襲撃に対して有効な対策が取りづらい。

 劉蘭には部屋の中央にいてもらって狙撃などからも守っておくが、この霧と停電から狙撃というのはいまいちピンと来ないな。オレの死の予感への対策としても意味はあまりないし。

 ならこのお膳立てのような霧と停電は何のためにやっているのかと考えたところで、窓を警戒していた狙姐と炮娘が大きく跳び前転して窓から離れてオレ達の方へと転がり込んできて、それとほぼ同時に両開きの窓の隙間に水の刃がズバッ! 下から上へと振り上げられて錠を破壊し窓が開けられる。

 その窓枠に静かに着地したのは、あの霧雨の中でも全く濡れた気配もない金髪ロングの白の一枚布を服に仕立てた古代ギリシャ人のような女性。

 初めて見る人物に間違いはない。しかしオレはこの女が初対面とは思えない。何故なら今の水の超能力は、スペインで見たものと同種のものに思えたからだ。

 

「こんな遠方まで我々を追ってきたか、小僧」

 

「英語……やっぱりお前はモニカだな」

 

「それは偽名に過ぎん。貴様からはバンシーの情報を引き出さねばならんが、それが終われば用済みだ」

 

「ちょうど良かった。オレはお前に用があるんだよ、モニカ。いや、『シャナ』」

 

「貴様……あの人に聞いたのか」

 

 それを証明するようにオレを見て最初から英語で話しかけてきたのは、以前スペインでオレにスペイン語が通じなかったことからで、確認のためにモニカの名前を口にするとズバリ。

 もう隠す気もないのかバンシーの名前を堂々と出してオレを脅してくるモニカに対して、オレもオレでクエレブレからの依頼として接触の必要があったから好都合とばかりに会話に興じる。

 その中でまだ名乗っていないシャナという本来の名前を出したことでシャナの表情が変わり、それだけでオレがクエレブレと何らかの繋がりを持ち続けていることを察したようだ。

 だがオレとの会話で注意が逸れた瞬間を見逃さなかったメイファンさんが、有無を言わせるよりも早くその場で右の掌打をシャナのいる方向へと放ち、間違いなく気を飛ばしたその一撃は反応の遅れたシャナに命中。

 確実に体の中心に当たったとわかる変化がシャナに起き、胸に直径20cmほどの穴が穿たれて、一見すると絶命したようにも見えるが、窓枠に立っていたシャナは幻であったかのように揺らめいて消えてしまう。

 おそらくカツェが香港で使った水の分身のようなものだろう。攻撃性まで持たせるのはカツェ以上と見ていいだろうがな。

 

「ちっ。本体やないんかい」

 

「ずいぶんなご挨拶だな、神虎」

 

「英語はわからん。中国語か日本語で話せや。まっ、おどれと話すこともあれへんけどな」

 

 不殺のオレとは違って最初から殺す気でいたっぽいメイファンさんの冷酷な一面が垣間見えながらも、用心していたシャナはそれを躱して窓の外から姿を見せずに話しかけてくる。

 しかしメイファンさんとでは言語での会話は不可能とわかると沈黙し、姿を見せるのも危険と判断したか本体が入ってくる気配はない。

 だが攻撃はする気は満々で、窓の外には霧雨を凝縮して直径1mほどの水球があっという間に形成されて、それがゆっくりと室内へと侵入してくる。

 水球は球体を保つわけではなく、その表面を波打たせてグニョグニョと動いていて、まるで中でエネルギーが暴れているかのように見える。

 ──ゾワッ!

 その水球に変化が起きるかもというタイミングで、オレの死の回避と死の予感が同時に発動。

 室内の全員が死の危険に晒されてしまったことを認識するよりも早く劉蘭を背に水球に接近。

 何をすべきかはほとんど本能に近いもので理解していたオレがしたのは、うごめく水球の表面に触れて抑え込むことだった。

 物理的な手段で抑え込めるなら苦労はないが、オレがこうしたということは何らかの方法があるという証明になり得る。

 死の回避と死の予感が導いた手を止めるわけにはいかないので、ここから何が出来るかを高速で思考し、そして行き着く。気による水の流れのコントロールだ。

 

「メイファンさん!!」

 

 水球に触れた直後くらいに叫んだオレに応えるより早く同じように近寄ってきたメイファンは、どうやらこの水球が触れても問題ないものかを見定めていたような節が見られ、オレが躊躇なく触れようとしたことで決断したみたいだ。

 

「自分には無理やろ! 劉蘭守れや!」

 

「はい! ココ! 猴! 部屋の外に出ろ!」

 

 自分の気のコントロールの影響を水を伝って受けないようにオレの手を退けつつ水に触れたメイファンさんは、水球に何かさせるつもりもないだろうが、もしもに備えて劉蘭の退避をオレ達に任せる。

 その判断は冷静にして的確で異論もなかったオレ達はすぐにこの部屋からの脱出のために扉を蹴破って出ていく。

 オレは殿を務めつつ最後に部屋を出ようとして、そこで見たメイファンさんの気のコントロールであれだけ荒ぶっていた水球が強引に流れを変えられて大人しくなっていくのが目に見えてわかった。

 おそらくあの水球はシャナの合図か何か時限式かで周囲を爆発して攻撃する密閉空間用の爆弾だったのだろう。そうじゃなきゃ全員に死の予感が働くなんてない。

 その処理の判断があと少し遅れていたらどうなっていたかわからなかったことには肝が冷える思いがするが、メイファンさんの行動がとにかく早かった。さすが神虎だ。

 水球は中のエネルギーを抑え込まれたことで勢いを失い爆発することなくただの水へと変わって床にぶちまけられ、そこで安堵する隙を突くように窓の外から水のつぶてが散弾のように襲いかかってくる。

 

「はよ行けや!!」

 

 それにさえ油断1つ見せなかったメイファンさんが自分に当たるだけの水のつぶてを気で弾きながらオレに行くように叫び、ここでシャナ1人を食い止めるつもり……いや、倒すつもりでいる。

 それならオレは邪魔でしかないと判断するのは容易で、すぐに下の階に逃げようとしてる劉蘭達を追って走り始めた。

 3階から下への階段は1つしかないため、迷いなくそこまで走って劉蘭達に追い付くことは出来た。

 しかしその階段の手前でココ2人と猴に制止させられる劉蘭と、階段の下でサブマシンガンの連射音が響き、金属が硬いものに打ち付けられた音も聞こえた。

 人選としては近接戦闘担当の猛妹と銃器担当の炮娘が出て応戦してるんだろうとその音で判断は出来たが、相手は……

 そう思いながら階段横まで付けたオレがその先を覗き見ると、その時には短い悲鳴を上げて猛妹と炮娘が踊り場で倒されてしまい、意識がハッキリとしながら動けない様子には見覚えがあった。

 その2人のそばでは闇に紛れるように漆黒のコートを身に纏った男が立っていて、暗闇の中に浮かんだその顔は紛れもなく霧原勇志さんだった。

 

「勇志さ……」

 

 シャナが来たならもしかしたらと思っていたことが現実になって胸が苦しくなったオレが判断を遅らせると、炮娘が持っていたサブマシンガンを拾い上げてこちらに躊躇なく撃ってきた。

 角度的に引っ込めば当たらなかったから、それ自体は何てことはなかった。だがここで隠れていれば足元にいる2人が人質にされる。

 

「狙姐、機嬢。2人の首の後ろに物凄く細い針が刺さってて、それが動きを封じてる。オレが隙を作るから助け出して針を抜け。猴は蘭を頼む」

 

 勇志さんが交渉に出てくる前に手を打たなきゃならないと瞬時に考えたオレの指示に無言で頷いた狙姐達と行動を開始。

 暗闇を利用して閃光弾を最大威力で使えるので、それを階段の方に放って炸裂させる。

 ただし閃光弾は予想されている可能性があったから、炸裂の寸前で飛び出して勇志さんが何らかの閃光対策──目をつむったり顔を覆ったりだ──をするのを防ぎに行き、しっかりと勇志さんと倒れる2人の位置を確認した上でクナイを投げて牽制。

 オレか閃光弾かクナイかの取捨選択には勇志さんも迷ってくれてると信じて閃光弾の炸裂と同時に目を閉じながら単分子振動刀を抜き、光が収まる寸前で目を開き、同じくらいのタイミングでクナイを最小の動きで避けて目を守っていた勇志さんの持つサブマシンガンを真っ二つに切り裂く。

 間髪入れずに振り抜いた単分子振動刀をその場で投げて床に刺して無手になり、ナノニードルと動きを封じるために両手首を掴んで拘束する。

 その隙に狙姐と機嬢が飛び出して倒れる2人を素早い身のこなしで救助し踊り場を駆けて2階へと逃げ切る。

 これで人質に取られることもなくなったかとほんの少し気を緩めた瞬間、拘束する腕の間から勇志さんの右足が鋭く振り上げられてオレの顎を掠める。

 直撃すれば一撃で意識を持っていかれそうだったそれをほとんど本能で避けたオレにさらにかかと落としをしようとしてきた勇志さんに思わず両手を放して距離を取ってしまった。

 そうしなければ当てられていたのは確実ながら、あの距離であの蹴りを放てる柔軟性と脚力はオレ以上。

 思わぬ反撃で状況を五分にされてはしまったが、それも一時的なものだ。下の階にはココ姉妹が。すぐ上には猴もいるこちらの有利は揺るがなくなった。

 それは勇志さんもわかったか少し落胆したような雰囲気を出したから、このまま撤退の方向になれば拘束することも十分に可能かと考えた。

 が、勇志さんはすぐにコートのポケットから小型のスイッチを取り出して躊躇なく押すと、踊り場の先。つまり下の2階の方からドゥゥウウン!

 相当な量の爆薬が炸裂した音と共にその黒煙が踊り場まで入り込んできた。

 

「数的不利など想定済みだ」

 

「ちぃ、猴! 行け!」

 

 どこでどのくらいの規模を破壊したかわからないが、下の階に逃げたココ姉妹が安全無事などという希望的な推測はすべきではないと判断し、劉蘭を守りながらの2対1は状況として五分よりも勝算が低いので猴には劉蘭を連れて逃げてもらい、オレは勇志さんの足止めに専念。

 ……マズいぞ。確実にこっちの戦力を削られてきてる。



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Slash32

 

「大人しく女を差し出してはくれないか」

 

 気づいた時にはすでに包囲されて静かに襲撃してきたNによって、オレ達は場当たり的な迎撃にしか回れずに窮地に立たされる。

 大将格と思われるシャナはメイファンさんが1人で抑えてくれていたが、逃走経路の階下への階段を押さえていた勇志さんによってココ姉妹が安否不明の事態に陥らされ、残ったオレと猴だけでNの手から劉蘭を守らねばならない。

 劉蘭を守るために猴と一緒に移動を指示したオレは、階段の上の角から走り去る2人の足音を聞きながら、足下の床に刺さっていた単分子振動刀を抜いて鞘へと納め、追いかける素振りも見せない勇志さんと距離を取り階段を登りきる。

 

「勇志さん。あなたはこれからあの子が何をしようとして、何を成そうとしてるのか。それがわかっててその命を狙うのか」

 

「そうだ」

 

「それであなたは……蘭がどんな思いで明日の会議に臨もうとしてるのか理解できないんですか。そんなことと切り捨てられるんですか。だとすればあなたの目指した正義はどこに行ったんだ、勇志さん!」

 

「正義か……なんとも漠然とした言葉だな」

 

 劉蘭を追うためにはこの階段を通るしかないため、その前にいるオレが邪魔だろう勇志さんが少しでもその足を止めるように会話へと持ち込む。

 だがそれで削れるオレの心も確かにあり、劉蘭の計画を知っていながら殺そうとする勇志さんの行動に理解が及ばない。

 正義の味方になるために精進していた勇志さんが今していることは、間違いなくその逆を行く蛮行。正義とはほど遠いところにあると思えて仕方ない。

 そうしたオレの魂の叫びが届いたとは思わないが、正義という言葉に反応した勇志さんは小さく笑ってみせ、何がおかしいのかと睨む。

 

「では京夜。その正義とやらのために俺やマキリさんが0課でしてきたことは、万人に対しての正義となり得たのか?」

 

「……少なくとも、大多数のための正義にはなっていた。だからこそ0課に任務として降りてきたんでしょう」

 

「大多数。京夜が指すそれはどのくらいの規模を言っているのか知らんが、俺達0課がしてきたことは『日本』という1つの国のために振りかざす正義なんだよ。その他はどうでもいい。そこに純粋なる正義が存在したのか? 答えは否だ」

 

「じゃあ今の勇志さんは正義を謳えるって言うんですか。オレはそうは思わない。勇志さんには蘭が世を脅かす悪人に見えるんですか」

 

「お前はおそらくあの女の光の部分を強調されて聞かされているんだろうな。いいか京夜。どんな変革にも光と闇が存在する。その闇の部分にまで目を通し手を加えることをしなければ、いずれそれは悪行へと変わる。その事にあの女は気づいていない」

 

 怒りさえ含む勇志さんの言葉には、正義という曖昧な形に対する考え方がよく見えた。

 だがそれは仕方のないことだろう。公安0課とは日本のために汚れ仕事を引き受けるダークヒーローといった面がある。

 日本のためにと作られた組織が日本のために働かされるのはなんら不思議なことではない。

 しかし勇志さんが掲げる正義は、そんな小さな正義を振りかざすものではなかった。そう言いたいんだ。

 そこはなんとなくわかったし理解もできなくはないが、それと今回の劉蘭の暗殺は別だろうと断言するオレに何やら意味深なことを返してくる。

 その闇の部分とやらは今の状況を悪化させるほどの何かを孕んでいて、それは確実に起きうることなのだとほぼ断言してくる勇志さんの目は嘘を言っていない。

 

「……なら、蘭の計画は誰も救うことができないって、そう言いたいんですか」

 

「そうは言わん。救える者もいるだろうが、それ以上に不幸を撒き散らすと、そう言っている」

 

「…………そんなこと」

 

 あってたまるか!

 それを100%の気持ちで反論できなかったオレが明らかに動揺したのを見逃さなかった勇志さんは、思考の隙を突くように滑らかな抜銃から発砲。

 機動力を削ぐために足を狙ってきたそれをギリギリで避けることは出来ても、同時に階段を登ってた勇志さんへの対応が致命的に遅れる。

 すでに放つには遅いタイミングで放ったオレの蹴りを低姿勢で避けて潜り抜けた勇志さんは、階段を登りきって軸足だけで体を支えていたオレを裏拳で殴りつつ劉蘭達の逃げた方へと走り出す。

 当然、殴られた程度で怯めるわけもないオレもすぐに追いかけるべく踏み出そうとした。

 が、その直前に足下で赤く点滅する何かがあることに気づき下を見ると、超小型の爆弾らしきものが床に設置されていて、それを見るや否やバック転を切って距離を取り爆発から身を守りなんとか事なきを得る。

 

「ッ……くそっ!」

 

 爆発の規模は大したことなかったのが幸いしたのはいいが、そのタイムロスで勇志さんとは大きく差が開いてしまい、この差で運動音痴な劉蘭となら簡単に距離を詰められる。

 猴が数秒ほど持ち堪えてくれれば挟撃も出来るかもしれない。そこで無力化できれば……

 3階にはまだシャナもいるので危険が多いとあっては、猴も逃げる先は1つしかないだろうと思っていたが案の定、猴と劉蘭が逃げたのは3階より上の階。つまりは屋上だ。

 外の霧は猴が言うには人為的に作り出されたものということで、それに触れてしまう屋上もまた危険さでは同じくらい。

 それでも屋上と3階で違うことは1つ。視界が開けているかいないか。これが大きい。

 最後の手として猴には瞬間移動の超々能力があるから、それで劉蘭と一緒に離脱してくれれば、シャナと勇志さんからは大きく距離が取れる。

 問題があるとするなら、その瞬間移動の発動までに時間がかかることと、飛んだ先に危険がないとは言い切れないことがあり、出来れば使わずに済む方が守る側としては最良。

 色々な想定をしてイレギュラーを少なくしながら、屋上への階段に差し掛かった勇志さんを追ってオレも階段を登ろうとする。

 だが勇志さんは爆弾を使っての奇襲が上手いので、ここでも追走を邪魔する爆弾があると踏んで階段の1段目を音を立てて踏んで後退。

 手動だろうものなら勇志さんは音で判別するしかないと予測してやってみたら、ドンピシャ。

 角にサッと隠れた直後に爆弾が爆発して、その威力で階段が抉れたりしてしまうが、追走を再開して屋上を目指す。

 階段の爆弾でまた少しロスしたが、 辿り着いた屋上では劉蘭を背にして薙刀を構える猴と、それに構わず歩いて距離を詰める勇志さんが駆け引きをしていた。

 そして想像を越えて霧が濃いぞ。この屋上すらその全容が見えなくなってしまってて、50m離れた建物すらシルエットとしてわずかに見えるレベル。

 とてもじゃないが有視界内での瞬間移動は使えないとわかり、猴がいることも考慮してたってことか。

 

「勇志さん!」

 

 それならここで勇志さんを無力化するしかないと注意を分散させるために存在をアピールし、歩みを止めた勇志さんは半身でオレと猴、劉蘭の3人を見て沈黙。

 屋上の縁付近にまで追い詰められてる2人をどうにかこちら側に引き込んで、今度は下の階に逃がしたいところだが、そうしたいのは勇志さんにも読まれているはずで容易ではない。

 

「斉天大聖。その女をそこから落とせ。それで全て終わる」

 

「出来ない話です。劉蘭は殺されるような悪いことしてないです」

 

「お前も盲目的な信仰にあるか。カリスマとは時に洗脳に近い効果を生むものだが」

 

「違うです! 劉蘭は本当に優しい人です! そんな風に言われる筋合いはないです!」

 

 ……マズい。

 状況としては若干ではあるが勇志さんが挟撃されてるとあって不利。

 でもこっちはまず劉蘭を安全圏に置きたい心理があるから、位置的には五分で手の打ち方1つで傾く危うさ。

 そのバランスを崩そうと勇志さんが猴を焚き付けて前に出そうとして、思惑通りに猴が動いてしまう。

 猴も横を抜かれないようにと考えて前に出はしたのだろうが、勇志さんはわざわざ前に出そうと誘導したからには、潜り抜ける手が打てる。

 だからオレは猴が前に出た瞬間に勇志さんにミズチのアンカーを射出してコートにくっつけて動きを阻害しにいく。

 ミズチは初見のはずの勇志さんは警戒して弾きにくると読んで、直前にワイヤーを巻いて腕を引きアンカーを強引に戻して時間を稼ぎ前へ出る。

 一瞬の隙でしかないとはいえ、その一瞬が勇志さんの思惑をわずかでも狂わせられれば良いし、猴の接近の1歩は稼げたはず。

 その1歩分のリーチで薙刀を振るった一撃が勇志さんを襲い、元々の身体能力の高い猴から放たれたそれは受ければそれなりに重い。

 しかしこれを勇志さんはその場でのムーンサルトで華麗に躱して空振りさせ、反転したところでオレに発砲し牽制。

 さらに反転して着地を決めると、フォロースルーに入っていた猴の懐に入り込んで顎と腹を撃ち抜く掌打で意識を刈り取りにいった。

 猴も野生的な本能で後ろに跳んで直撃を避けるも、薙刀を落とす失態で武器を失い、後ろに下がってバランスの悪い猴をさらに追撃。

 さすがにこれで猴がダウンさせられては勢いで劉蘭が屋上から落とされかねないとあって、オレも本気の本気で床を蹴り猴に意識の半分以上を持っていきオレを見ていない勇志さんをムーンサルトで頭上を飛び越えて、身構えていた猴の前に着地。

 必然的に勇志さんと対峙する形となって猴に向けられた拳をオレが防御して腹を蹴って後退させる。

 しかし階段側に連れてくるはずの予定が狂って、揃って縁の方に来てしまうと退路がなくなっていよいよ不利だぞ。

 

「猴、ここから跳べるところはあるか」

 

「霧が濃くて先が見えないですが……探すです」

 

 となれば未知数なところもある瞬間移動で逃走するしかなく、振り向かずに猴に跳べる場所を探すように指示し、それを受けた猴は瞬間移動に要する準備をしながら屋上からの景色に目を凝らす。

 そしてオレは後退してすぐに距離を詰めに来た勇志さんにナノニードルを刺されないよう注意しながら迎撃の近接格闘戦。

 諜報科であるオレは打撃力といった攻撃力に寄る近接格闘術は筋力などから不向きだったため、関節などを極めにいく柔術寄りの近接格闘術で、対する勇志さんはどちらに寄るといったことが一切ない総合格闘術で隙がない。

 こっちが関節を取りに行けば、そこをフェイントにしてこちらの関節を取りに来たり、力押ししてほしくないところで躊躇なく押してきたりと、元0課の戦闘能力の一端ですら大きな差があるとわかってしまう。

 攻めになど転じている隙がないため防戦一方になるも、それでギリギリのところで踏ん張れている間に猴が瞬間移動の準備を完了させ、跳ぶ先を発見するだけになる。は、早く跳んでくれ!

 

「この濃霧だ。有視界内瞬間移動(イマジナリ・ジャンプ)は使えんぞ」

 

「そんなの……やってみなきゃわからない!」

 

 やはり猴の瞬間移動も想定済みだった勇志さんには余裕すら見えて嫌になる。

 だがそれではいそうですかと諦められるわけもないオレが会話に興じた少しの隙で単分子振動刀を抜いて振るうと、その威力を見ていた勇志さんもさすがに距離を取って躱す。

 そこでわずかながらの空白の時間が生じて、次に勇志さんが仕掛けてくる前に仕込みをしようと懐に手を伸ばしたオレの背中を猴が引っ張ってその位置を入れ替わってくる。

 何事かと前に出た猴を見れば、前ではなくこちらに体を向けて勇志さんに対して完全に無防備な姿を晒していた。

 

「跳べるところを見つけたですが、猴では劉蘭を『安全に降ろせない』です。ですから京夜が行ってください」

 

「おい、猴!」

 

 その理由はこれから跳ぶ先が猴の向いている方向だからで、話だけでかなり危険な跳躍になることはわかった。

 だがオレはこの場に猴だけを残して行くことはできないと口にしようとした寸前。

 猴の瞬間移動の光に包まれたタイミングで迫る勇志さんの後方から姿を現したメイファンさんが映り込んできて、メイファンさんが来てくれたならと覚悟を決めて劉蘭を抱き寄せて瞬間移動を完了させた。

 

 パッ、と視界がフラッシュアウトしたかと思えば、次に訪れた謎の浮遊感と不安定どころか足がつかない状況に少し慌てて、自分達が『空中』に投げ出されたことを理解する。

 しかもその高さは地上から50mほどもある位置で、そのままなら落下死は免れられない。

 確かにこんな位置に跳んだら劉蘭を抱えてリカバリーは猴では無理だったかもしれないが、オレでも厳しいのは変わらないっての!

 濃霧のせいで周囲もよく見えないから怖さも割増しではあるが、オレにしがみつく劉蘭の方が遥かに怖い思いをしてることを考えれば冷静になれる。

 それで目を凝らして地面に激突する前にどうにか出来ないかと思考すると、落下地点から少しズレたところに川が見え、街灯の細長いポールを発見。

 生き残るにはこれしかないかとその街灯の上の方にミズチのアンカーをくっつけてワイヤーの長さを調整。

 腕への負荷も最小限にした上でアンカーの位置を支点に大きく川の方へとスイングさせて地面への激突を回避。

 ただし戻ってくる時にアンカーが外れてしまって、5mくらいの高さから川へと落ちてしまい、泳げなさそうな劉蘭を抱えながらどうにか岸へと上がって難を逃れた。危ねぇ……

 

「劉蘭、大丈夫か?」

 

「けほっ、けほっ。大丈夫です。ですが猴やココ達が……」

 

「あっちにはメイファンさんが残ってる。みんな無事だって信じよう。今はどこかに移動しないと。ここは……」

 

「蘭盛街から東に500mのところを流れる黄浦江です。ここからなら少し北上した場所に知人のバーがありますから、そこで身を潜めるのが安全かと」

 

 ずぶ濡れにはなったものの、濃霧と霧雨で似たようなものだったから気にせずにまずは移動しようと土地勘のある劉蘭の意見でそのバーを目指すことにする。

 いくらシャナと勇志さんでも一瞬で500mの距離を詰められるはずもないから、身を潜める時間は十分にある。

 そう思って劉蘭の手を引いて移動を始めた瞬間。オレの死の回避と死の予感が同時に発動し、意思に反してオレは劉蘭を突き飛ばして離れさせ、オレ自身も背中を川の方へと向けて身を丸める防御姿勢となり、直後にその背中へと超高圧の水球がぶつけられて冗談かと言うほど真横に吹き飛んだ。

 まさかシャナがもう追い付いてきたのか……

 背中で受けたことでダメージこそあっても他で食らうよりも遥かに少ないダメージで済み、思考力も失われていなかった中で水の超能力による攻撃でシャナかと思う。

 だが違った。

 オレと劉蘭を攻撃してきた相手は黄浦江の岸側に発生した渦潮の中心に浮いている翡翠色の長髪の女。

 シャナと同じような白い布地を衣服に仕立てたものを着て、しかし下半身は人のものではなく、魚類を思わせる形状と鱗を備えている。

 人魚……いや、セイレーネスか!

 まさかNの側にセイレーネスがいるとは思わなかったオレが、以前に会った3姉妹がハッキリと勧誘を断っていたことを思い出して、そこで矛盾が発生した隙に右手を前にかざしてオレに向けたセイレーネスがグッと握る仕草をすると、オレの周囲の霧が凝縮して水となり、直径3mほどの水球がオレを丸飲みしてきた。

 すぐに抜け出そうともがくも、水球はオレをその中に押し留めるように流れを生み出してその中心から全く動けない。

 水中だからこのままでは窒息して溺死するのも時間の問題とあってオレも焦るが、それ以上にこの場には劉蘭を守る人間はオレ1人しかいないのだ。そのオレがこれでは……

 最悪の展開が頭をよぎった時には、もうセイレーネスは動けずにいた劉蘭を水のつぶてである程度のダメージを与えて逃走を防ぎ、自らも渦潮から伸びた水の腕のようなものに乗って劉蘭のそばに近寄る。

 劉蘭が殺される。それが死の予感の発動で確定したのを全身で感じ取ったオレは、アンカーを地面にくっつけて脱出を試みるが、アンカーすら水の流れに邪魔されて無力化されてしまう。

 その間にセイレーネスは劉蘭の首を片手で掴んで持ち上げ、目線の高さが合うと苦しそうにする劉蘭に顔を近づけて口を開ける仕草をする。

 すると脱出しようと手足をバタつかせていた劉蘭がみるみるうちにその力を失っていく。

 ──おい、猿飛京夜。お前は何のためにここに来たんだ。守ると誓った女が目の前で殺されるのを見に来たのか? 違うだろうが!!

 セイレーネスが何をしてるかはわからない。それでもどんどん生気が失われている劉蘭を前にして何も出来ない自分への怒りが爆発した。

 そしてそんなある種の暴走がオレの全身から気を放出して水球の作り出す水の流れをかき乱し、その状態で泳ぐことで水球を脱出。

 気の大放出の影響か恐ろしいまでの虚脱感に襲われながらも、ついに手足が動かなくなった劉蘭からセイレーネスを引き剥がすために急接近して単分子振動刀を振るう。

 さすがにセイレーネスも劉蘭から手を放してオレから離れるように水の腕を戻して川の方へと戻っていき、地面に倒れた劉蘭を抱くオレとぐったりとした劉蘭の様子を見てから足下の渦へと沈んで撤退していった。

 その後この辺りに発生していた霧が徐々に晴れて、元々降っていたのだろう雨が打ち付け始める。

 どうやらオレは勘違いをしていたらしい。

 シャナも確かに水の超能力を使っていたが、もう1人、あの霧を発生させるだけの超能力を使えるNの構成員がいたんだ。

 そしてそのセイレーネスは始めからこの黄浦江に網を張っていた。猴が瞬間移動を使うようにシャナと勇志さんで追い込み『唯一開けていた活路』としてこの場所に跳ぶように仕向けた。

 そこにまんまと飛び込んできたオレと劉蘭は狙い撃ちされた。されてしまった。

 それに気づいたところで時すでに遅し。いま劉蘭はオレの腕の中で今にもかき消えてしまいそうなほど弱い鼓動で苦しむことすら出来ない衰弱を見せている。

 

「蘭! おい! 聞こえてるか!」

 

「…………」

 

「ら……くそっ! どうすれば……」

 

 どんどん血の気が引いている劉蘭をこのまま処置もせずにいれば確実に死ぬが、どうしてここまでの衰弱をしているのかもわからないオレでは処置のしようがない。

 さらにオレも気の放出のせいで劉蘭を背負っての移動は困難。八方塞がりってやつなのかよ……

 

「これはセイレーネスの『エナジードレイン』だ。受けたやつはその生命力を術者の匙加減で容赦なく奪われる」

 

 まだ辛うじて息がある劉蘭の弱々しい姿に涙まで出てきたオレが絶望に落ちようとしていたところで、不意に隣に姿を現したバンシーが劉蘭の顔に触れて今の症状を説明。

 エナジードレインとやらで生命力を奪われたらしいことはわかったが、じゃあ回復させる方法は……

 というオレの言葉を先読みしたバンシーは、落ち着かせるようにハッキリとした口調で話してくる。

 

「時間も選択の余地もないが、助ける方法はある。お前がそれを受け入れられるかどうかだ」

 

「やる! 何でもやるさ! 蘭を助けられるなら何だって!」

 

「俺にもあるんだよ。エナジードレインとは違うが、生命力を移動させる術。『エナジーコンバート』がな。本来は寿命を残して死んだやつから俺が残りの生命力。寿命を譲り受けるためのもんだ。だがこれに加減は一切ねぇ。やれば生命力を抜かれたやつは死ぬ」

 

「つまりオレが犠牲になれってことか」

 

「そういうことだ。が、そうならないための手段もある。生命力をお前が放出して、そこから俺がこの女に移す」

 

「……放出?」

 

「あー、要はあれだ。生殖行為。それで出す精子から生命力を奪って流し込む。ただし精子ってのはほとんど一瞬で生命力を失うから、コンバートにはこの女の中に出す必要がある。あとはわかんだろ。どうする?」

 

 ……つまりバンシーの言う蘇生術はオレが劉蘭を犯せばいいと、そういうことを言っていた。

 状況は1分1秒を争い、迷っている時間など1秒とないとわかってはいても、意識のほとんどない瀕死の劉蘭を汚す行為には明らかな抵抗がある。

 だがそれでもバンシーはそれしかないと目で訴えてきて、腕の中の劉蘭は冷たくなっていく。

 

「…………わかった。やるよ」

 

 苦渋の決断。

 どんな言い訳を並べたところで、今後オレはオレ自身の弱さが招いたこの現実を一生忘れない。

 オレが弱かったせいで劉蘭が死にかけ、それを救う手立てとしてオレは劉蘭をこれから犯す。

 移動はほとんど出来ないため、近くにあった1隻の船に無断で乗り込んで雨風を凌ぎ、そこでバンシーがエナジーコンバートの準備をしている中でオレは……

 ──劉蘭を犯した。



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Slash33

 

 6月6日。日曜日の朝。

 Nによる襲撃から一夜が明けて、外の天気は昨夜で雨は上がり朝霧が少しあるが、今日は青空が見えるだろう。

 思わぬ3人目の襲撃者であるセイレーネスの策略に嵌まって、劉蘭がエナジードレインを受け瀕死の間際まで追い詰められたが、Nにとっての想定外、バンシーの助言でその窮地を乗り切り、今は落ち着いた呼吸で眠っている。

 そのためにオレは劉蘭に対して非人道的な手段で命を救っている。

 今いる誰かの船舶の中には毛布があり、劉蘭が安定してから濡れた服のままでは体温を下げるため、本当に申し訳なく思いながら下着を残して脱がせて毛布を被せてあげている。

 バンシーもエナジーコンバートを使ったからか、処置を終えてからは姿も消して休息モードに入ってまだ姿を見せてくれていなく、肝心な話が出来ずじまい。

 Nが劉蘭の暗殺失敗に気づいて戻ってくる可能性もあったから、オレは一睡も出来ていないし、気の大放出と、かなり無理をして劉蘭と行為に及んだせいか、体力その他諸々が全然回復していない。今すぐ横になりたいくらいしんどい。

 メイファンさん達に連絡して駆けつけてもらう手も考えたが、Nの尾行がないとも限らない以上はリスクを避ける選択で朝まで乗り切ったものの、そろそろ限界……

 さすがに襲撃から9時間以上も経過していれば大丈夫かと、メイファンさんに連絡しようと携帯を取り出したところで、寝ていた劉蘭が起床。

 完全に寝ぼけた様子で虚ろな目をしたまま上半身を起こした劉蘭は、自分が下着姿なのを理解しないでいたせいで、毛布で隠れていた部分が露に。

 

「あれ……私、いつの間に眠って……」

 

 そのまま徐々に覚醒しながら頭を整理する劉蘭からオレが顔を背けていると、オレを見た劉蘭が干してある自分の服も発見したか、ようやく自分の今の状態を認識してくれる。

 何が何やらな頭で毛布を羽織って体を隠してはくれた劉蘭に向き直ったオレが、順を追って話をしようとすると、タイミングを図っていたらしいバンシーが急に現れて「俺が話してやるよ」としゃしゃり出る。

 

「えっ? えっと、あの、あなたは……」

 

「俺はバンシー。5000年くらい生きてる人生の大先輩だ。今は諸事情で京夜と行動してる。上海に来た時からずっと一緒にいたんだぜ」

 

「おいバンシー。いま出てこなくても……」

 

「なんだ。京夜から説明するのは色々と気まずいだろうから出てきてやったのに、俺の厚意はいらないか?」

 

「…………頼む」

 

 猴なんかが化生の類いだから劉蘭もバンシーを割とすぐに受け入れた様子で、わざわざこのタイミングで出てきたことにオレが余計な混乱を招くなと暗に言うと、バンシーもバンシーでちゃんと考えていたらしくて、説明の段階になるとどうしても言葉に詰まるだろうことも事実だったから、大人しくバンシーの厚意に甘える。

 本当ならオレが自分の口からちゃんと説明すべきなのかもしれないが、言葉を選びすぎて的確な説明ができなくなるかもしれないから。

 その後すぐに落ち着いた劉蘭に昨夜のセイレーネスに襲われてエナジードレインを受けたことから話し始めて、それで瀕死の状態になったこと。

 そこから生還させるためにバンシーがエナジーコンバートを使ったこと。

 そのエナジーコンバートでオレが劉蘭と交わることになったことまで説明すると、その辺りで現実と認識できなくなったか、思考が停止気味に。

 

「あの……その……つまり私と京夜様が……」

 

「ん、だからこういうことだ」

 

 それでも無理矢理頭を働かせて理解しかけていたところにバンシーがとどめとばかりに左手の親指と人差し指で輪を作り、その輪の中に右手の伸ばした人差し指と中指を出し入れして比喩表現。

 そこでついに劉蘭が完全に理解して頭がパンク。顔を真っ赤にして毛布で頭までスッポリと隠れてしまって見えなくなる。

 

「ああ安心しろ。ヤることはヤったが、出した精子は1つ残らず生命力に変換したから、お前が身籠ることはないぞ。それとも残念と言った方が良かったか?」

 

「そそそそそそんなあの私は安心でも残念でも何でもないですはい!」

 

 その劉蘭に対して遠慮なしに畳み掛けるバンシーの悪さが出て、取り乱しまくりの劉蘭を見て楽しんでやがる。

 さすがにこれ以上はバンシーが余計なことをしそうなので、軽くチョップして反応を楽しむのをやめろと制止し、劉蘭には深呼吸させてある程度で落ち着いてから話を再開する。

 

「それでその……シたあとに濡れた服のままだと体温を下げるから、悪いとは思ったが脱がせて寝かせて今に至ってる」

 

「そう、なんですね……」

 

 最後に下着姿で寝かされていた説明をして現在に至ることを話し終えると、少し放心気味の劉蘭は自分の意識がほぼない状態で起きたことをゆっくりと受け入れていく様子を見せる。

 そしてまだ現実味を帯びていない様子もある劉蘭に対して、オレが今すべきことは1つしかなく、しっかりと正座をした上で頭を下げて土下座。

 

「悪かった。蘭を助けるためとはいえ、一生消えない傷を負わせたのは、オレの未熟さが招いた結果だ。責任を取れと言うなら何でもする。そのくらいの覚悟はあるし、軽蔑してくれても構わない。この任務が終わってから絶縁しろと言うなら、黙って立ち去って2度と会わないと誓う」

 

 謝罪の言葉など自分の罪を軽くしようとする惨めな行為でしかないのかもしれない。

 それでもオレは劉蘭に謝ることをまずしなきゃいけないと思ったし、それで許されなくても仕方ないことをオレはしたんだ。どんな罵りの言葉も甘んじて受ける覚悟はあった。

 オレの土下座と謝罪の言葉を聞いた劉蘭は、しばらく何も言わずに静寂が続き、一向に頭を上げようとしないオレを見かねてか、優しい口調で頭を上げるように言ってくる。

 その言葉に従って頭を上げると、オレが予想していた軽蔑するような目を一切していない劉蘭がまっすぐにオレを見て優しく微笑んでくる。どうしてそんな顔を向けるんだ。オレはお前を汚した男だぞ……

 

「お2人がおっしゃったことが事実だということは信用しています。意識が遠退いてからの記憶は私にはありませんが、自分が死にかけたということはハッキリとわかりますから。その私を救うために京夜様が苦悩したことも、今の謝罪から十二分に理解できます」

 

 怒るのでもなく、泣くのでもなく、まずは事実をしっかりと受け止めてオレの苦悩までも汲み取った劉蘭は、依然として優しい目でオレを見てその心の内を話す。

 

「京夜様は私に傷を負わせたと、辱しめたと言うのでしょうが、それはあくまで京夜様のお気持ちであって、私の気持ち次第で変わるものであると考えます」

 

「確かにそういうことにはなるのかもだが……」

 

「ご自身が納得できないというお話ですね。本当に京夜様は優しくていらっしゃいます。その優しさを知るからこそ、私は今回のことを責めるつもりは一切ありません。何故なら京夜様は……こんな私を救うためにご自分の気持ちを押し殺して、犯してはならない罪と自覚しながら、それでも実行してくださったのです。感謝こそすれど、罰を与えることなど、私には出来ようはずがありません」

 

 自責の念に囚われているオレが少しでも納得してくれるようにと話す劉蘭は、話しながらそっとオレの手に自分の手を触れさせて、昨夜まで冷たくなる一方だった手に、今は確かな温もりが戻っていることを伝えてくる。

 この命を救ったのは、紛れもなくオレなのだと伝えるように。

 

「どうかこれ以上、ご自身を責めることがないようにお願いします。許すも何もなく、京夜様は私の命を救ってくださった。その事実を誇りに立ち上がってください。まだ護衛の任務は終わっていませんから」

 

「…………それでも何かの形で償わせてほしい。ここだけは譲れない。男として」

 

「……では、いま以上に素敵な武偵になると約束してください。そしてその力で私のみならず、たくさんの方を助けてあげてください。京夜様はそれが出来ると信じております」

 

 劉蘭は本当に……凄い女だよ。

 オレの罪は消えたりしない。それでも罪を犯してでも救えた命があったことを忘れるなと言える劉蘭にオレの心も少しだけ救われた。

 

「それは約束してやるけど、それはそれだぞ。蘭個人に対しては何かさせろ」

 

「えっと、すぐには思いつかないので、とりあえずは保留ということでよろしいでしょうか。まずは今日の会議に集中しなければいけませんし」

 

 ただ物凄い約束をしても劉蘭個人に対しての償いにはならないから、やはりそこは譲れないと食い下がると、すぐには思いつかないことと、あと6時間後くらいには始まる会議に集中しなければいけない都合でその保留を受け入れるしかなくなる。

 それでとりあえずの話は終了して、そろそろ蘭盛街に戻ろうかと切り出そうとしたところで、ずっと黙っていたバンシーが消える前にニヤニヤしながら劉蘭の隣に移動して耳元で何やらささやく。

 まぁ読唇術でなんとなくわかるんだが、なになに……お前は京夜が好きなようだから教えておくが、あれを旦那にすると大変だぞ。なんせお前を助けるという名目はあったが、昨夜だけで4発も……

 

「ふんっ!」

 

「いだっ! な、何すんだガキが!」

 

 言わんでいいことをわざわざ教える辺りが大変にイラッとしたので最後まで言う前にアイアンクローからの雑な投げで劉蘭から引き剥がす。

 投げられたバンシーはプンスカ怒るがそっちは気にせずにほとんど聞いてしまった劉蘭を見ると、思ったよりも頑張っていたオレに顔を赤らめてしまい、知られたくなかったことを知られてオレも何を言うべきか言葉に詰まる。

 これ以上の沈黙はオレの苦手な空気が出来そうになったから、無理矢理に乾かしていた劉蘭の服を手に取って渡して着るように促し、背を向けたオレに少し待つように言って受け取る。

 着ている最中に「体が持つでしょうか」とか「一晩にそんなに求められるなら、体力もつけないと」とかなんかブツブツ呟いていたが、それは聞かなかったことにしてあげよう。うん。

 服は生乾きだったので戻ったら改めてシャワーと着替えは必要だが、とりあえず外に出ても問題ない状態にはなった劉蘭と蘭盛街に戻ろうというタイミングで、そういえばと消えようとしていたバンシーに聞くことは聞いておく。

 

「なぁバンシー。昨夜のセイレーネスはオレの知らない個体だったんだが、お前は知ってるのか?」

 

「ん? なんだお前。セイレーネスの4姉妹に会ったことがあるのか」

 

「4姉妹……オレが会ったのは3姉妹だが……」

 

「セイレーネスは4個体しか存在しないぞ。テレース、ライドネー、モルペー。昨夜に見たのはテルクシオペーだな。その4体だ」

 

 オレの知らないセイレーネスの個体と、先に会っていた3姉妹が無関係ということも考えにくかったのだが、バンシーが言うにはセイレーネスはその4体しか地球上には存在しないらしい。

 それなら3姉妹がNの勧誘を断ったという話にも矛盾が生じるが、おそらく屁理屈なんだ。『私達はそうだが、1人は違う』っていう。騙されたな。

 

「しかしテルクシオペーだけが単独でとなると、やっぱ『呪い』の影響か、或いは……」

 

「呪い? そのテルクシオペーってのは他と違うのか」

 

「ん、テルクシオペーは500年ほど前か。呪術師から『あるもの』と引き換えにその身に呪いを受けたんだよ。解呪は出来ねぇとか、するつもりもねぇとか言ってたはずだが、心変わりでもしたか」

 

「呪いってのは具体的にどんなものなんだ」

 

「『声』だよ。それを得るためにテルクシオペーは声を失った。とはいえそれも得たものを使ってる時に限るわけだが」

 

「声を失ってまでその方は何を得たかったのでしょうか」

 

「クサい話だぜ? 『愛』さ。あいつは人間の男に恋をした。だからその人間に愛されようと、同じ人間に見られるように『人間の足』を手に入れたのさ」

 

 そのテルクシオペーがNに下った理由についてはバンシーにもハッキリとわからないようだったが、他の姉達とは違って唯一、その身に呪いを受けているというテルクシオペーだけがそうなら、理由はきっとその呪いにある。

 そうした推測で呪いについてを詳しく聞くと、なんともまぁオレの苦手な話なようで、種族の壁をどうにかしようとした結果なようだった。

 こういうのはやっぱり女の方が食い付きが良いようで、敵側の事情ながら劉蘭が少し嬉しそうにしていて、禁断の恋みたいな感じのそれには事情がありそうだと思う。

 

「まっ、その惚れた男ってのも時の流れが違う以上は報われねぇし、テルクシオペーも自分がセイレーネスだってバレて色々と辛い思いをしたらしい。それでも人間を好きになった自分が悪いって、人間を憎まないようなお人好しだったはずなんだが……」

 

「……なるほどな。だからこそだ、バンシー」

 

 普通はそんな辛い思いをしたなら、以降は人間との友好などあり得ないところだ。

 しかしテルクシオペーはそんな経験を経ても人間への好意は失わずにいたと聞けば、Nの思想が『異形の存在が受け入れられる世界』にすることにあるから、種族の壁がなくなれば自分も人間に受け入れられると考えても不思議はない。

 

「テルクシオペーは人間と共存したいんだろう。だからそれを実現しようとしてるNに協力してるんだ。おそらくはな」

 

「……まったく、バカなヤツだ。その夢の実現のために好きな人間の命を奪うことになるなら、それは本末転倒というやつだろうが」

 

 まだそうと決まったわけではないし、何か転じて人間を憎むようになった可能性だって十分にある。

 それでも劉蘭をもっと残酷な殺し方も出来たテルクシオペーがそうしなかったのは、まだ人間を好きな心があるからだと信じたい。

 ともかく、昨夜の襲撃で遭遇したNのメンバーは3人であり、そのうちの2人は水の超能力を使う都合で水場や雨天時にしかその力を十分に発揮できないことは確か。

 陽陰が言っていたタイミング云々は昨日の雨がそれだったんだろう。

 それを考えれば劉蘭の生存を知ったNが再び襲撃してきても、脅威となるのは天候などに影響を受けない勇志さんだけ。水のある場所を避ければ相当な危険回避ができる。

 それならと話を終えてからその水場の代表格である川からは一刻も早く遠ざかるべきと、一夜を勝手に過ごした船舶をあとにして蘭盛街へと戻ったオレ達は、さすがにあの襲撃で被害を受けたビルに警察などが入っているのを許容しつつメイファンさん達と合流しようとする。

 それも劉蘭の帰還に早々に気づいた住民達が野次馬のごとく群がって心配していたことを口々に言って騒ぐから、向こうからは大変に見つけやすかったようで、騒ぎを聞きつけて人混みをかき分けて近寄ってきたメイファンさんと猴がそれぞれ劉蘭とオレに抱きついてくる。

 

「ホンモンやな? ホンモンの劉蘭やな!?」

 

「うわーん! 京夜も劉蘭も生きてたです!」

 

「2人とも、心配をおかけしました」

 

「なんとか生き残ったよ」

 

「あの男と幽霊女。自分らが跳んだ後に『これで目的は果たした』とか言うてさっさと撤退しおって、それで罠やって気づいたんやけど、それもフェイクで尾行されるかもわからんから合流できんかった」

 

「ごめんです京夜。猴が跳ぶ先を読まれたばっかりに……」

 

「いや、あそこで跳ばなきゃ蘭は殺されてたと思う。ナイス判断だったよ」

 

 あれから勇志さんとシャナはテルクシオペーが劉蘭を殺すシナリオを信じて撤退したようで、それもフェイクで合流するのを待つ作戦かもと疑ったメイファンさんは留まるしかなかったことを話してくれる。

 その判断は正しいし、猴も責任を感じているっぽかったが、あの状況ではどのみち劉蘭は屋上から落とされていたとフォローし頭を撫でる。

 そして気がかりだったココ姉妹の安否についてを劉蘭が尋ねると、少し暗い顔をしたメイファンさんは言いづらそうに口を開く。

 

「あの子らは……まぁ命に別状はなかったんやけど、瓦礫に足とかやられて、まともに動けるんは機嬢だけになってもうた。戦力としては機嬢も期待できんな」

 

「そうですか。いえ、命があっただけでも幸運なことです。それをまず喜びましょう。とりあえず今は会議に向けての準備をします。彼女達の犠牲を無駄にしないためにも、何としても計画を通します」

 

「それはもちろんやけど、自分、ちょっとどないしたん?」

 

 あの爆発で全員が生きていたのは奇跡的だったが、さすがに戦力外にはされてしまったようで、ココ姉妹の生存に安堵した劉蘭はその奮闘を無駄にしないためにとさっそく動き出す。

 しかしその前にオレを見たメイファンさんが唐突にオレの様子をうかがってその手で頬に触れてくる。疲労が顔に出てただろうか。

 

「めっちゃ気が減っとるで。こんなんでよく立っとれるな。やせ我慢か」

 

「正直なところ、だいぶヤバいですけど……大丈夫です」

 

「大丈夫なわけあるかボケ。自分まで倒れたらウチと猴だけになるやろ。まったく、しゃーないな……」

 

 見ただけで気の減少を悟って、内気勁で確証を得たメイファンさんがオレの限界な状態をバラしてしまったから、劉蘭に心配する顔をさせてしまう。

 そんな状態では護衛もままならないだろうという正論にぐうの音も出なかったオレにため息を漏らしたメイファンさんは、そのまま頬に触れた状態でオレへと気を流し入れてくれて、普段と同じくらいの状態にまで回復させてくれた。

 これならオレの回復力である程度なら持ち直せるはずだ。

 

「自分、気の大量放出でもしたんとちゃう? それで寝もせんでおったら気穴が開いとる自分は回復もせんわな。今後は無闇に気を放出するんはやめとき。下手したら死ぬで」

 

「はい。肝に命じておきます。ありがとうございました」

 

 そうか……オレは気穴が常に開いてるから、丹田で気を常に作ってても、それと同じくらい体から気が抜けてったら回復なんてしない。

 それを抑える効果がある睡眠は凄い大事なんだな。まさに体を休めるってやつだ。

 意外な欠点がわかったのは良いが、今のオレでは回復も想定して気を扱わないと逆に弱くなるってことだ。メイファンさんみたいにバカスカ放出できないんだな。まぁそんなことまず自分の意思で出来ないんだけど。

 とにかく、これであとは食事でも摂ればなんとか護衛任務は続けられそうなので、劉蘭にも体力と気力を回復してもらうために、5時間後に迫った会議に向けて動き始めた。

 ──今度こそ劉蘭を守り抜く。来るなら来いよ、N。



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Slash34

 

「ここが藍幇上海支部です」

 

「さすがにデカいな」

 

 Nの襲撃をしのいで会議まであと2時間と迫った昼前。

 しっかりと身支度を整えて蘭盛街を出発し、車で10分程度移動した大通りに面したところにある藍幇上海支部へと到着。

 さすが藍幇全体で5人しかいない大将がいる支部だけあってその規模は大きく、50階はあるビル全てがそうだと言う。

 すでに他の支部の重役が到着していることもあって、劉蘭は着いて早々に挨拶回りに奔走。

 それにはメイファンさんが付いて回り、オレは猴と一緒に支部の中を早足で確認。

 こういうことは事前にやっておくべきだったが、劉蘭を蘭盛街から出すわけにはいかないと止められていたから出遅れる形になった。

 まぁその蘭盛街にいても襲撃されてしまったのだから笑えない話だが、今度こそ守りきるために全力だ。

 メイファンさんのおかげで体の方もずいぶん回復して、万全とは言わないが戦闘になっても問題ないし、次にNが仕掛けてくるとするなら、そのタイミングもほぼ特定できている。

 会議はビルの25階にあるコンサートホールで行われることになっていて、おあつらえ向きにステージと客席が設置されている。

 外が見えるような窓はなく、防音設備も完備しているから構造的に外部からの狙撃などは不可能。

 人の出入りも厳重にチェックが入っているので会議が始まってしまえばむしろ安全性が格段に上がるということだ。

 

「あとはどうやって侵入してくるかだが……」

 

 つまりNが仕掛けてくるなら会議が始まる前のこの2時間弱がリミット。

 会議後に仕掛けてくる可能性もあるが、会議後では手遅れになる可能性の方が高い以上、確実性重視のNの行動の確率としては会議前しかない。

 ただしそれを可能にするにはどうやってもこの支部の中に侵入しなければならないため、オレはほぼ素通りしてくるだろうその方法についてをビルの確認をしながらに考える。

 なるべく騒ぎを起こさずに劉蘭だけを狙い打つには……

 用意周到なNなら昨夜の暗殺が失敗した時に備えた計画も当然あるはずで、それはこのビルへの侵入を前提としたもの。

 そうなるとかなりの準備期間があったことを意味していて、昨日今日考えた作戦とは練度がまるで違うはず。

 そこまで考えてオレは、スペインでクエレブレが言っていたことを思い出し、それまでのシャナの行動でピンと来る。

 

「……あれしかないな」

 

「どうしたですか、京夜」

 

「いや、Nが仕掛けてくるのを待ち伏せ出来そうだってな。蘭達と合流しよう」

 

 ここに来て冴えてきたオレの頭にちょっぴり自画自賛しつつ、警戒すべき要点を絞ったオレはよくわかってない猴と共に劉蘭とメイファンさんと再び合流し、Nを追い詰めるべく行動を開始した。

 

 会議開始まで残り1時間。

 ここまで来ると会議のために人の出入りは制限されてしまい、ビルは完全に外と隔離される。

 その頃合いを見計らって行動を開始したオレは、配布したインカムを通して劉蘭、メイファンさん、猴と連携。

 特に藍幇の人員に詳しい劉蘭とメイファンさんには都度で確認をしてもらって、手当たり次第に紛れ込むNの構成員を探す。

 探し方はシンプルだ。

 スペイン、アストゥリアス州でシャナはクエレブレの食料確保のために、その顔を変えて何百年も同じ町に暮らし続けていた。

 顔を変える方法についてはクエレブレが言うには水の超能力で顔の表面を別の顔でコーティングするとからしく、その精度は触れても見破れないほどとか。

 それだけの精度なら『藍幇の人員に変装して入り込む』ことも十分に可能と考えたオレは、昨夜に遭遇した3人がまた襲撃してくると読み、言語の上で不自由そう──中国語も話せないだろうし、テルクシオペーには呪いがある──なシャナとテルクシオペーは変装こそ完璧でも会話が不可能なら必ずボロが出る。

 それを出さないためには記憶能力がずば抜けてる勇志さんが中国語をマスターした上で行動を共にしないといけないだろうから、彼らは3人1組(スリーマンセル)でいるはず。

 さらに変装で誤魔化しが利かない部分として身長などの体格があるため、3人のおおよその体格を把握していたオレは劉蘭とメイファンさんにそれに近い体格の人物をピックアップしてもらって、その人達を遠目から確認していた。

 

「──いた。猴、25階のコンサートホール前の東側廊下」

 

『確認したです』

 

 オレ達が劉蘭から離れて行動してるとわかれば、向こうに疑念を抱かせる要因になるため、可能な限りの隠密行動で探っていたが、それらしい体格の人物3人が固まっているのを発見。

 元から女性の数もそこまで多くはなかったのと、その3人がそれぞれ別の支部の人間であることも確認できる。

 劉蘭が言うには各支部で交流はあっても、会議などの場においては上司でも馴れ合いはしないと断言していた。

 それであの状況は明らかにおかしいが、その辺は調べがついてるのか決して仲良くしてるわけではなく、喧嘩が始まりそうな険悪な雰囲気が出ているから周りも咎めたりはしない。仲裁くらいしてほしいものだがな。

 まぁそこは謝った方が日和ったとか、仲裁が新たな火種を生むとかそういう考えなんだろうから、何かとすぐに謝ってしまったり、空気を読んでしまう日本人の感覚では理解が難しいところか。

 思考が脱線したが、その3人以外には怪しい人物はいなかったし、注目を集めることも考慮して1度解散したのを見て、猴と一緒にこっちも撤退。

 襲撃者がわかれば、あとは仕掛けるタイミングをこっちがコントロールして罠に嵌められる。

 時間に余裕もないため、取り急いでN包囲網を完成させるべく劉蘭達と話し合い、昨夜のお返しとばかりの迎撃をした上で安心安全に会議を迎えてやるさ。

 来るなら来いよN。オレ達は逃げも隠れもしないぞ。

 

 会議が始まる30分ほど前。

 劉蘭も治療を終えて合流した機嬢とプレゼンの最終確認をコンサートホールの隣の準備室で行っていると、部屋をノックする人物が訪ねてきて、それにはオレが対応し扉の前で対応。

 訪ねてきたのはオレ達がマークしていた3人のうちの男。

 おそらく勇志さんだが、近くで見ても変装だと見抜けない。予測してなきゃ騙されてたぞ。

 

「うちの中将に劉蘭中将へこれを渡してこいと言われまして、会議前で余裕はないかもしれんが受け取ってくれ」

 

 中国語も物凄く自然で外人が使う独特の固い発音もないのは素直に驚きだ。オレはここまで話せない。

 その勇志さんが持ってきたのは、包装されたお菓子などが入る箱で、中身は不明。

 こっちとしては護衛の立場と同時にすでに確認が取れた人物の訪問とあって、警戒と安心の板挟みで非常に曖昧な雰囲気を出さないといけないため、オレの演技力が勇志さんに通じるかが勝負の分かれ目だ。

 とにかく無反応は怪しまれるので渡された物を受け取って、一応は中身を警戒する素振りを見せてから、他に用件はあるかと中国語で尋ねると、勇志さんは何もないと返して立ち去ろうとしたので、オレもその背を見送りながら扉を閉めようとする。

 しかしその前に勇志さん達が仕掛けてきて、閉じかけた扉の死角にいたシャナかテルクシオペーが水超能力で高圧の水の刃を作り出し扉を破壊。

 さらにその奇襲に便乗するように切り返してきた勇志さんが怯んだオレの首を掴んでナノニードルを撃ち込もうとしてきて、バンシーの情報を握るオレが殺される可能性が低いことは承知していたから、まさに飛んで火に入る夏の虫だ。

 

「ごっつぁんゴールってやつやろ!」

 

「せいやぁ!」

 

 向こうは主導権を握った奇襲のつもりだっただろうが、奇襲を仕掛けたのはこっちだ。

 オレが勇志さんに対応している間に室内をオレをブラインドにしてメイファンさんと猴には扉の横に張ってもらい、向こうが仕掛けてきたら即座に応戦してもらう手筈だった。

 だから勇志さんが飛び込んできたところを襲撃した2人の挟撃にはさすがの勇志さんも急ブレーキをかけて後退するしかなく、畳み掛けるつもりでいたシャナとテルクシオペーも変装に用いていた量でしか操れる水がないからか力押しはせずに室内へ入ってこない。

 完全に奇襲を失敗した勇志さん達が再び攻勢に出る手があるとすれば、オレが渡された箱しかないので、始めからこれな爆弾だという前提があったオレがそれを後退した勇志さん達へと投げつければ、勇志さんもおいそれと爆発させるわけにはいかず動きに隙ができる。

 その隙を見逃さずに投げつけてすぐに懐からブローニング・ハイパワーを抜いて箱を発砲し爆弾を起爆。

 結構近い位置で爆発させたのでこっちも危険があったものの、爆発するとわかっていれば距離の取り様もあるから、3人とも爆発の範囲からギリギリ逃れ、勇志さん達はだいぶ直撃コースで受けたはず。

 

「油断すんなや! ちゃんと受け切っとるで!」

 

 手応えも多少はあったはずだが、黒煙で見えない勇志さん達が防御したと叫ぶメイファンさんの言葉で身構える。

 すると黒煙が晴れた先ではシャナとテルクシオペーが攻撃に使っていた水を防御に回して盾にしたような気配があり、爆発で水は蒸発したみたいだ。

 

「まったく、貴様はイレギュラー過ぎるな。教授が絶妙に条理予知を外されている。まるで存在自体にモヤがかかっているかのようだ」

 

「何でもお前らの思い通りにはいかないってことだ」

 

 Nとしてはこの襲撃は成功するはずだったという意味合いの言葉を口にするシャナが忌々しげにオレを見てきて、アリアも話していた教授とやらの条理予知をオレが狂わせているらしいことがわかる。

 その要因についてはオレにも見当がつかないが、Nの思い通りになっていないならこちらにとっては好都合。このまま返り討ちにしてやる。

 操れる水もなくなってシャナとテルクシオペーは攻勢に出にくいのが目に見えたため、何か仕掛けられる前にメイファンさんが突貫。

 触れれば必殺の外気勁はN相手と言えど変わらないようで、明らかに接近戦を避ける動きに切り替わった3人。

 メイファンさんが前に出たことで3人がさらに後退して、好機と見たか猴も加勢して出入り口付近は完全に制した形になるように思えた。

 だがオレはこういう時こそ冷静に見るべきと視野を広げて、劉蘭と機嬢を別の出入り口から避難するように指示。

 この準備室は廊下に繋がる出入り口とは反対側に扉があり、その先はコンサートホールのステージ裏を通る幅4mほどの細長い廊下が伸びて、もう1つの準備室とで繋がっている。

 オレの指示でその廊下へと逃げた2人を背にして、狭い廊下で交戦するメイファンさん達を観察すると、攻め気の2人では気づかないくらい緩やかにシャナとテルクシオペーが絶妙の距離感を保って引き付けて、勇志さんが何かのタイミングを図っているのがわかる。

 しかしそれを口にすれば2人の意識が一瞬でもオレへと向いて決定的な隙を作り出す気がしたので声を出すに出せず、それならオレが勇志さんを徹底的にマークすればいいと判断。

 

「さすが神虎と斉天大聖。隙がほとんどない」

 

 爆弾の爆発によってコンサートホールに入ってしまっている人は除いてこのフロアにいる人なら異変には気づいているはずで、おそらく数人いるかどうかだがそれが駆けつければいよいよこっちに戦況が傾く。

 そのギリギリのラインは向こうにもわかるらしく、どうにかして劉蘭へと辿り着こうとする執念のようなものを捉えて、無意味に敵を称賛するような人じゃない勇志さんが口を開いたことに警戒。

 それはメイファンさんと猴も同じで、実力者だからこそそれを警戒して勇志さんを反射的に見てしまう。

 その瞬間を狙い定めたように両手の指先を鋭く動かした勇志さんがメイファンさんと猴に何かをして、2人は顔に何かを当てられたのか軽く頭が弾かれるくらいの衝撃で怯み、その隙に勇志さんが壁を突破してオレへと迫る。

 何か物を飛ばしたのは見えなかったから、目に見えない何かをぶつけて怯ませたと分析したオレに、勇志さんは2人と同じように指先を動かしてきたので、咄嗟に顔を腕でガード。

 その判断は間違っていなく、ガードした腕にデコピンくらいの衝撃があり、今のから猫だましみたいな技であることが確定。

 原理についてはあとで考えるとして、今は横を抜けて劉蘭を追おうとする勇志さんの前に立ちはだかり妨害。

 だがオレへの猫だましと同時に死角を利用して何かしていたらしい勇志さんが激突の前にビタッ! と止まったのが明らかに不自然で思考に入った瞬間、オレの後ろの扉が爆発。

 くそっ! 猫だましと一緒に爆弾を扉に投げて設置してたのか!

 爆発のせいでバランスを崩したオレに対して急接近した勇志さんは当然のようにナノニードルを首の裏に刺して身動きを封じてきて、あっさりと横を抜かれてしまう。

 ただオレも悪あがきはしてやって、ナノニードルを撃ち込まれる寸前にミズチのアンカーを勇志さんの腰のベルトに取り付けて5m程度の遊びですぐに気づかないようにしておいた。

 

「猴ッ! 頼む!」

 

 予想通り、扉をほんの少し進んだ先でワイヤーが張ってオレ自身が重りとなって勇志さんを足止めし、ワイヤーが切られるまでの間に近寄ってきた猴にナノニードルを抜いてもらい自由を取り戻す。

 状況として数的不利は作るべきではないと猴にはメイファンさんの加勢を続行させて、ワイヤーを切った勇志さんとの距離を詰めて腕のリーチを意識した接近戦でさらに足止め。

 ただし位置的によろしくないのでそうと気づかせないギリギリの隙を作り出して単分子振動刀を抜き、利き腕を使えなくしようと肩を刺そうとする。

 さすがに切れ味抜群の単分子振動刀には触れられない勇志さんも素早い身のこなしで単分子振動刀を躱して、オレの勢いを利用して柔道の一本背負いで床に叩きつけようとしてきた。

 合気の可能性も考慮していたが攻撃力という点で柔道技を繰り出してくれたので、オレも投げられる前に単分子振動刀を手首のスナップで劉蘭と機嬢のいる方向へと投げておき、体が浮いて完全に投げられる前に掴まれていた腕を全力で引き抜いて脱して、勇志さんの肩辺りに手をついて跳躍。

 跳躍と言うほど綺麗なものではなかったが、やや斜め下へと投げ飛ばされたオレが両手から床に触れて受け身を取りつつ前転から単分子振動刀を回収し劉蘭と機嬢の前で立ち上がり、無事に守りやすい形へと持っていける。

 

「昨夜より動きが良いな。迷いがない」

 

「オレは決めたんです。何があっても蘭を信じるって。だからもう、勇志さんが何を言おうと揺らがない」

 

 勇志さんとしては嫌な位置取りになったのは確かで、そうなるように誘導されたことを自覚してオレの動きを評価。

 敵でなければ光栄とさえ思える言葉でも今は違うので、昨夜は劉蘭の計画のほころびを指摘されて揺らいだが、今日は違うと意思を強く持つ。

 そしてここが勝負どころと判断したのか、Nを前にして初めてバンシーがその姿を現してオレの隣に堂々と立ち、勇志さんも誰かはすぐに理解したようだ。

 

「お前らが俺を探していたのは100年くらい前からわかってる。俺を欲する理由はまぁ、1つしかねぇよな」

 

「バンシー。このタイミングで姿を現したということは……」

 

「おうともよ。お前らがやってほしくないことをやるつもりだぞ。止めるならこの男を退かしてみろよ」

 

 挨拶もなしにいきなり駆け引きに出たバンシーは、不敵な笑みを浮かべたまま勇志さんとの会話に応じながら、ゆっくりと後ろへと下がって劉蘭のそばへと寄る。

 そのバンシーがこれから何をするのかをもう理解した勇志さんは、さっきまで余裕のあった表情に怒気を含んだ真剣さを増してオレを倒そうと仕掛けてくる。

 勇志さんが何故そこまで必死になってバンシーの行動を止めようとするのか。それは死を告げる妖精、バンシーが持つ固有の能力にある。

 オレも知ったのはスペインでNに襲撃を受けてヒルダに聞いてからだが、バンシーには死にまつわる能力とは別のベクトルの能力があるのだ。

 その方法は男としては実行したくないことではあるが、バンシーの乳房を吸った者の願いを叶えるという強力無比な能力があるという。

 すでに本人にも確認は取れているが、かつてこの行為に及んだクー・フーリンは、その後の史実であるエメルへの求婚を見事成し遂げたらしい。

 あまりにも強力で人の運命すらねじ曲げる願望器の存在は、バンシー自身も危険だということで伝説上の代物だと吹聴し、ヒルダもNに狙われてるとわかるまではお伽噺だと本気で思っていた。

 そしてこの能力には当然のごとく厳しい制約もあって、1度でも使えば次に使えるようになるまでに最低でも500年の年月はかかるらしく、それを今から劉蘭に使おうとしているから、勇志さんも本気で焦っているというわけだ。

 Nとしては自分達の計画の最重要案件に対して確実な保証を得るためにバンシーを欲していたのだろうが、これでやつらの企みがまた1つ潰せる……

 攻撃的になった勇志さんの動きは少し強引な部分が出てきたので、冷静ささえあれば今のオレでも防戦でしのぎきれるし、抜かせない立ち回りは十分に出来る。

 しかもバンシーの1手はNにとっては2つ同時に計画を潰されるに等しい行為──劉蘭の願いが計画の成就にあるからな──とあって、オレも守ればいいだけで余計なことを考えなくて済む。

 そう、思っていた。

 

『何を勿体ないことをしているのだ』

 

 しかし現実は非情であり残酷。

 不意に降ってきた男の声で全員の動きが止まり、その男が誰か唯一わかっただろうオレが警戒を強めた瞬間、オレの後ろにいたバンシーが1辺2mくらいの無数の札で作られたキューブに閉じ込められてしまう。

 そしてそのキューブの上には今の今までその存在すら消していた陽陰の式神の鳥が降りて留まる。

 

『まさか貴様がバンシーと繋がっていたとは、こちらとしても嬉しい誤算だった。悪いがこれは俺が貰うぞ。万能の願望器とやらの力、俺も興味があるのでな。クックックッ』

 

「てめぇ、土御門陽陰!」

 

 ここにきて現れた陽陰が完全に予期しない動きを見せてバンシーを拘束し、自分のものにしようとしてきて、こっちの計画を狂わされたオレが怒りを露にして式神にクナイを投げつける。

 だが式神は避けるでもなく足下のキューブをトンと踏みつけると、キューブは高速回転して収縮し一瞬で1辺1cmのキューブへと変わり、その収縮で高さの変わった式神はクナイを避けてその足でキューブを軽々と持ち上げて飛び立ち、オレ達の前から姿をくらませた。



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Slash35

 

 Nによるおそらく最後となる襲撃を察知した上で迎撃に動いたオレ達は、劉蘭を守りながらもだいぶ有利に立ち回れていた。

 Nが狙うバンシーもその秘めた能力を使い切ることでさらに追い詰めようとして、2つの狙いを潰せる寸前までいったのだ。

 だがそんなタイミングで今まで情報をもたらすだけでこれといって存在感を示してこなかった土御門陽陰がしゃしゃり出てきて、超能力でバンシーを拘束。

 無数の札で作ったキューブに閉じ込めたと思えば、それを圧縮して鳥の式神の足で持てるサイズにまでして逃走していった。

 

「あのクソ野郎が……」

 

 決して味方などと思ってはいなかったし、Nと共謀している可能性すら考えていたくらいだから警戒もしていたのに、Nを追い込むことに意識がいったところを突かれた。

 バンシーの存在は陽陰にも隠していたから、陽陰にとっても嬉しい誤算だったということなのかもしれない。

 それにしたって最悪のタイミングでやってくれやがったぞ。

 バンシーが連れ去られたことで状況は一変し、バンシーの願いを叶える能力で劉蘭の計画の成就を確定させ、連鎖的に劉蘭暗殺を阻止する手筈だったのが失敗したことで、焦っていた勇志さんが冷静さを取り戻してしまう。

 反対に陽陰のせいでオレが取り乱してしまったから、気持ちをリセットするために勇志さんを強引に引き剥がして距離を取り、隙を生まない程度の深い呼吸で勇志さんに再度集中。

 

「……なるほどな。お前が教授の条理予知をわずかながらにも狂わせている理由がわかった」

 

「……どういうことです?」

 

「お前は本来なら繋がることがなかった点と点を結ぶ線の役割を果たしている。縁を繋ぐとでも言えばいいのか。お前という存在を通して、今まで存在していなかった未来が新たに生み出されている。その不確定な未来が教授の条理予知を狂わせている」

 

 オレが早々に持ち直したのを冷静に見て攻め急がなかった勇志さんも勇志さんで何かを考えていたことを口にし、今の一連のことで確信に近いものを得たようだ。

 勇志さんが言う縁を本当にオレが繋げているとするなら、オレ自体がNにとっての厄介者になり得る可能性は十分にある。

 そうなればオレの始末も遠からずNにとっての優先項目に浮上しかねないが、それを今どうこう考えるのは後だ。

 

「とはいえその縁もお前が望む形で繋がるわけでもなく、やはり行き当たりばったりであるのも事実だろう。先ほどの土御門陽陰がその良い例だ」

 

「つまりオレが繋ぐ縁がそっちにとってプラスに働くこともあり得るってことですか」

 

「その辺は可能性の話でしかないな。とにかく、土御門陽陰も追わねばならなくなったし、その女はそろそろ退場願うぞ」

 

 繋ぐ縁がどんな結果をもたらすかなどオレには計算できるはずもないし、勇志さんもその事については同じような意見を述べて話を終わらせる。

 オレも陽陰を追わなきゃならなくなったし、シンプルだったNが敵という構図が崩壊した今、まずは目の前の敵をどうにかしなきゃいけない。

 向こうもそれは変わらないので、メイファンさんと猴がこちらに来ないということはシャナとテルクシオペーもまだ交戦中ということだから、勇志さんも対面で有利だと思われるオレをいち早く倒して劉蘭を殺しに来る。

 その殺気を敏感に感じ取って勇志さんの挙動に反応。

 元々がそうだからということなのだろうが、勇志さんは殺しの手段に対してバリエーションが乏しい。

 旧0課でもマキリとかいう人の下で働いていたのが見受けられ、その人が割と容赦ないようなことを百地さんが言っていたことから、殺しが認められる0課とはいえ極力で血は流さないように配慮していたはず。

 そのストッパーとして勇志さんをあてがったと考えれば、勇志さんの拘束力は十分な性能を持っている。

 そこで完結し、殺しになればマキリが出ると、ある種の役割分担が出来ていたなら……

 殺気こそある勇志さんだが、そこに『何がなんでも、無闇やたらに殺す』というようなものはなく、オレだから感じ取れる劉蘭のみに向けた殺気。

 言ってしまえば勇志さんは劉蘭以外を殺すことに抵抗があるように見えて仕方なかった。

 それは戦闘において武偵法9条という足枷を持つオレとそう変わりはないということだ。

 だからといって殺されない保証もないのでそういう立ち回りはしないといけないが、勇志さんには無力化の筆頭としてナノニードルという武器がチラついているため、否が応でもそれを意識した動きを強いられる。が、そここそが付け入る隙にもなる。

 警察学校では犯人を捕まえるための訓練で剣道や柔道などを学ぶのは割と有名なことで、勇志さんもその例には漏れない。

 ただし勇志さんの場合はそれ以前から体に染み付くほどの訓練をしたとしか思えない型があることに気づく。

 昨夜の襲撃の際にも恐ろしいまでの柔軟性と関節の稼働域を誇っていた勇志さんは繊細なナノニードルを扱う手を守るためか、殴るなどの直接攻撃はしてこなくて、代わりに出てくるのが足。

 つまり蹴り技が主体の型があり、その無駄のない滑らかで鋭い動きは韓国の国技でもあるテコンドー。それかタイのムエタイが元にあると推測。

 蹴りは拳の3倍ほどの威力になるから当たれば当然ながら痛いし大きな隙を生むきっかけを作りかねない。

 かつてジーサードにアホみたいな威力の蹴りで体が冗談抜きで1回転しかけた経験のおかげで蹴りに対しての危険察知能力は高く、どの程度の威力かは見ればわかり、巧みな足捌きで寸止めから逆の足で飛び蹴りといったトリッキーな攻撃もなんとか防御することができる。

 防御こそできはしても攻めに転じられなければジリ貧なのは事実で、しかし勇志さんにとってはオレに時間を稼がれることが一番嫌な手。

 劉蘭を守れればそれでいいという意思を見せたのもあるが、オレが攻めに転じてこないで防戦に回るという思い込み。その意識の違いが勝負の鍵になる。

 チャンスは1度きりだが、昔からここぞのところでは乗り切ってきた自分の勝負勘を信じようか。

 蹴り技は威力を犠牲にして隙が生まれやすくなるはずなのだが、勇志さんの蹴りは特殊で、通常なら股関節から稼働させて振り抜く蹴りを膝を起点にして膝関節のみで振り抜く形で振りが速い。

 だから片足を軸にした連続蹴りが凄まじく、下がれないオレとしてはかなり苦しい。

 それが表情にも防御にも表れたか、攻撃の手を全く緩めない勇志さんは変幻自在の蹴りでパターンすら掴ませないバリエーションからオレの防御をズラし、崩し、当ててくる。

 将棋などの詰めのように1手ずつ追い込まれていくオレは、いよいよ勇志さんの王手がかけられるタイミングでぐいん! とあり得ないくらいの方向転換で真横から真上に振り上げられた蹴りが下顎を捉えて顔が上を向いてしまう。

 さらに顔の上でピタリと止まっていた勇志さんの足がギロチンのごとくかかとから落とされてオレの肩を直撃。

 その威力で上から下へと激しく体を揺さぶられたオレは勇志さんの前に頭を差し出す形になり、首の後ろががら空きに。

 そうなるように仕組んで攻撃した勇志さんはオレが反応するよりも早くナノニードルを撃ち込んでこようと手を伸ばしてくる。

 ──ここ、だぁ!!

 決して演技ではなく、マジで追い詰められることを前提にしたオレのカウンターは、首を掴みかけた勇志さんを強襲。

 前のめりに倒れる勢いを利用して足を後ろから振り上げてほとんどその場でローリングしてのかかと落としを繰り出す。

 そうと決めてなければ繰り出すことができなかったカウンターに対して、やはり反応が遅れた勇志さんが初めてその手で攻撃を受けての防御に回り、両手を使っての防御で胴体に隙が生まれる。

 脳を揺さぶられた影響で意識がぐらついていたが、この好機を逃すかと踏ん張って仰向けで倒れながら抜銃し腹へと3発の銃弾を撃ち込み、ほぼ同時に床を蹴って滑り後転から片膝立ちで銃口を向け直す。

 そこでさらに撃ち込めればダメージもそれなりに入って撤退も促せると踏んでいた。

 しかし現実とは非情なり。

 銃を構え直した時には距離を取ったと思っていた勇志さんが全く距離を離さずに追随していて、構えた瞬間には横から蹴られて銃を手放されてしまう。

 さらに返しの蹴りで顔をモロに蹴られて床に倒されてしまった。

 

「人の目の奥には信念が見えるものだ。お前は苦境の中でも光を失わなかったのが引っ掛かっていた。だからここぞのタイミングで反撃してくると読んでいたが、予想の範疇だったな」

 

 まだ抜かせるわけにはいかないとわずかながらの抵抗で単分子振動刀を抜き足を狙って投げ込むも、たった1歩後退するだけで躱した勇志さんは、無慈悲にオレのカウンターを読んでいたことを告げてくる。

 目は口ほどにものを言うってやつだろうが、目を見ただけでそこまでわかるもんなのかよ……

 旧0課に抜擢されたのは勇志さんのそんな観察眼も理由の1つだったのかもしれないと今さらに思いながら、ついに開けてしまった劉蘭までの道を見据えた勇志さんが速やかに行動を始める。

 これで……終われるわけがないだろうが!

 決死のカウンターが読まれたからなんだ。そこで万策尽きるならお前は武偵として未熟そのものだ。

 どんなことにも第1、第2第3とプランを練るのは基礎の基礎。考えることをやめたらダメなんだよ!

 N相手に自分の都合の良い展開が望めるなんて考えが甘いと思っていながら、それで止まりかけていた自分を叱咤し唯一残された細い糸をたぐり寄せる。

 勇志さんの殺気からして本気で劉蘭を殺そうとしているのは事実。

 ならオレはそれを見過ごせないのだ。死の予感によってな。

 体の痛みなど無視して動いたオレは、劉蘭に拳銃を抜いて向けた勇志さんにではなく、恐怖で後退りした劉蘭の足と床の間にクナイを滑り込ませて踏ませることで転倒させる。

 それと同時に発砲されはしたものの、転倒が重なって銃弾は劉蘭の頭の上をギリギリ通過して難を逃れ、尻餅をついた劉蘭に再度銃口を向けられる前にカポエイラで拳銃を狙いながら立ち上がる。

 崖っぷちに立たされてもまだ粘るオレに拳銃をしまって今度こそ意識を刈り取りに来た勇志さんの目にはオレに対しての殺気が込められたことが本能でわかる。

 意趣返しではないがその殺気ならと繰り出された全力の蹴りに対して、確実に当たりどころが悪ければ死ぬという位置に頭を持っていき、死の回避を無理矢理に発動。

 自力では避けられなかっただろう鋭い蹴りを前に出ながら潜り抜けて躱したオレは、ゼロ距離にまで肉薄した勇志さんに全力の掌打を撃ち込む。

 意識など全くしていなかったし、劉蘭を守るという強い気持ちだけで繰り出した掌打は、勇志さんの超ギリギリに合わせた拳と激突。

 ダメージなど期待できるものではなくなったと確信する防御だったが、それでも振り抜いた掌打が勇志さんの拳を押し返して、さらに接触の際にオレの力とは別の拳を弾く力が加わったのが感覚でわかる。

 そしてバチンッ! と静電気でも走ったかのような衝撃で後退した勇志さんは、初めてその顔を苦痛の表情へと変えて、防御に使った拳を庇うような挙動を見せる。よく見れば腕が痙攣している。

 

「お前……神虎と同じ……ッ!」

 

 その現象に既視感を覚えていたオレに勇志さんの口からメイファンさんが出てきたことで、今の攻撃に無意識で気を送り込んでいたと自覚。

 さすがにメイファンさんの外気勁とは比べるのもおこがましいほどの威力だったが、片腕とはいえ勇志さんにダメージが入ったのはこちらにとって僥倖。

 そのダメージで退く選択をするかどうかは可能性として低くはあったはずだが、オレを見ていた勇志さんは言葉を切って突然その目をオレよりも後ろへと向けて固定させたため、何が起きたのかと気配を探る。

 

我诚然、想是太很好的话(なるほど、旨すぎる話だと思った)

 

 警戒の都合で後ろに振り向くことができなかったオレに存在を教えるようにして聞こえてきた声は、男。

 しかも聞き覚えのある中国語の声はここに来られないと言われていたはずの神龍、趙煬その人だった。

 オレ達がいた準備室とは逆の準備室から入ってこの通路に入ってきたのだろう趙煬は、コツコツと殺せる音をあえて立てながらオレの隣にまで移動して、視線は勇志さんに固定したまま話しかけてくる。

 

「劉蘭は自分に関することで話すことを話さない悪い癖がある。それを出させたお前も美帆も配慮が足りん」

 

「お前、どうしてここに来れたんだよ。ハリウッドで仕事の打ち合わせしてたんじゃなかったか?」

 

「その打ち合わせが中身のない話だったから、何かの意図を感じ取って独断で戻ってきた。そうすればこの有り様だ」

 

 どうやら陽陰が怪しんでいたことは事実だったようなことが今の会話からわかり、それを察して戻ってきた辺りはさすがとしか言い様がない。

 劉蘭もNに狙われていることをあえて告げずに仕事に集中させたいと言っていたが、趙煬はそれを怒ってるようなことも言うのはいい。

 ただそれを本人じゃなくてオレとメイファンさんにぶつけるのはどうなんだ?

 しかしNが恐れていた趙煬が現れたことで状況は一気にこちらに傾き、明らかに趙煬の登場で攻め気が薄れた勇志さんもどうするか思考しているようだ。

 

「霧原勇志さん、でしたね。京夜様からそううかがっています」

 

 オレと趙煬という双璧が立ちはだかったことで勇志さんの動きが大きく制限されたのを見計らい、勇志さんも思考中の時。まさに絶妙なタイミングでオレと趙煬の間に並び立った劉蘭が話しかける。

 依然として命の危険があるのに前へと出てきた劉蘭に勇志さんもどうすべきか迷う様子を見せ、どんな動きにも反応できるようにオレと趙煬は細心の注意を払って警戒。

 

「昨夜、あなたは京夜様に私の計画の闇の部分を鑑みていないと、そうおっしゃったと聞きました」

 

「……」

 

「都合の良いことばかりを述べて、明るい未来だけがあるように思わせているのだと、そう思われてしまって京夜様に迷いを生ませてしまったのなら、それは私の責任と言えるでしょう。ですが勇志様がどのように私の計画を知ったのかはわかりませんが、その認識は間違いであると、それだけは申し上げておきたいのです」

 

 朝に蘭盛街へと戻って支度をする間に、オレは昨夜の勇志さんとの会話についてを劉蘭に報告していた。

 それを聞いた時、まず劉蘭はオレへと謝罪して説明不足だったことを反省していた。

 そしてその後にはこう言ったのだ。

 

「私の計画には確かに進めた先に明るい未来と共存する苦難の未来が待っています。それは各国とのバランスを大きく崩すやもしれない大変にデリケートで慎重にならねばならない事案です。それがわからないほど私は夢ばかりを見る女ではありません」

 

「では何か打開する施策があるとでも?」

 

「私は今日の会議までこの問題は最重要機密として取り扱ってきたこともあり、趙煬も、美帆でさえ知らない機密であった以上、勇志様にも知り得なかったと推測します。ですからまずはご理解ください。私が決して問題を直視していなかったわけではないことを」

 

「……ものは言い様だ。言葉だけで信じられるほど俺もお人好しではない」

 

 勇志さんの危惧する問題というのには劉蘭も直面しずっと考えていたことだったと。

 そしてそれを隠すようにしていたのは、大々的に公表すべき問題かどうかをまずは会議の場で藍幇が判断すべきだと考えていたからだと言う。

 計画自体が秘匿事項とはいえ、勇志さん。Nのようにどこでどう嗅ぎ付けるかわからない以上、騒ぎの元となる情報は伏せておきたかったという劉蘭なりの配慮だったわけだ。

 それを考えの甘い女だと判断した勇志さんを攻撃するのではなく、認識を改めてもらおうと説明した劉蘭に対して、やはり言葉だけではどうとでも言えると切り捨ててくる。

 

「これ以上の言葉は勇志様には不要というわけですね。では私は今の言葉を証明せねばなりません。そのためにもこれから行われる会議には何がなんでも臨まねば、証明のしようがありません。ですから私にあの壇上に立つチャンスをいただけませんか」

 

「命乞いにしては短い延命措置だな」

 

「私はこの会議を、この計画を自らの命を賭けてでも成功へと導く責務があります。その結果として勇志様にご納得いただけないのであれば、所詮はその程度の計画だったということ。その時は自らの命を差し出しましょう。ただの夢見る女の戯言だったと切り捨ててください。私は逃げも隠れもしません。だから!」

 

 全ては会議の場で判断してほしいと、その場しのぎで言ったことではないと証明するために、身を投げ打つ劉蘭の交渉に勇志さんは沈黙。

 殺すなら会議のあとにしろ。それで殺されるなら納得してやると言う劉蘭の覚悟にどうすべきか独断では決められないような雰囲気になった勇志さんは、完全に劉蘭のペースに呑まれてしまっている。

 オレと趙煬にもその決意に意を唱える隙を与えなかったのだから、やはり劉蘭は凄い。この歳で中将にまで上り詰められたのは劉蘭だからこそなんだ。

 そんな説得で場が少しの沈黙に包まれたあと、返答しかけた勇志さんの言葉を遮るように向こうの準備室からシャナとテルクシオペーが雪崩れ込んできて合流。

 追う形でメイファンさんと猴も来て、完全に挟み撃ちの状態になる。

 

「あっ? 何で趙煬がおんねん。自分アメリカにいたんとちゃうんかい」

 

「日本語はやめろ。お前の祖国語は中国語だろう」

 

「やかましいわ! 日本語わからんってそこで止まっとるやつに文句言われる筋合いないわ!」

 

「だったら貴様は英語を話せるようになれ」

 

 会って早々に口喧嘩を始める趙煬とメイファンさんが日本語と中国語を飛び交わせるからなかなかカオスだが、今はそれどころではないとアイコンタクトすると2人もわかってはいてすぐにやめてくれる。

 そして挟み撃ちにされた勇志さん達はいよいよ追い込まれたといった雰囲気でオレ達に睨みを効かせてくる。

 

「ちぃ、神龍まで来ていたのか。仕方あるまい。今回は撤退だ」

 

 こうなると如何なNでも戦況は不利と判断したか、シャナが撤退を決断。

 それを受けてテルクシオペーが懐に入れていた何らかのスイッチを押すと、わずか数秒で3人の周囲にキラキラと光の粒子が舞い始める。

 これは、瞬間移動か!

 Nはアリアや猴が使う有視界内瞬間移動よりも高度な瞬間移動を使えて、座標か何かで跳ぶことが出来る。

 だからこんな状況でも瞬間移動を使えば逃げられるということだ。

 それをみすみす実行させるわけにはいかないとオレが瞬間移動の前に捕縛しようと叫ぶが、食い気味に猴がそれを制止。

 

「やめた方がいいです。どこに跳ぶかわからないですし、あの光の範囲を見誤って近づいて跳ばされれば、体が千切れるかもしれないです」

 

 自身が同じことを出来る猴が言うから、オレ達も光に包まれていく勇志さん達を見送るしか他なく、跳んだ先が敵の本丸で返り討ちに遭う可能性もある以上、本来の目的を優先すべきと判断。

 そうして動きを止めたオレ達から逃げる形となったシャナは明らかな怒りの表情を見せてくるが、勇志さんは跳ぶ寸前に劉蘭へと言葉を投げ掛けてきた。

 

「俺達を退けた以上、運命はお前に味方しているのかもしれんな。自分が言ったこと、忘れるなよ」

 

「……必ずやご期待に沿いますことを約束します」

 

 約束などしていないが、覚悟を秘めた劉蘭の強い目にフッ、と小さく笑った勇志さんは、カッ、とひときわ強く輝いた光に包まれてしまい、それが収まった時にはもう、その場に勇志さん達の姿はなかった。



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Slash36

 

「では参りましょう」

 

「最後まで気ぃ抜くなや」

 

「オレ達が守ってやるから、蘭はプレゼンに集中してくれ」

 

 Nの襲撃を退けてわずか数十分後。

 あんな騒ぎがあったのに会議は普通にやる辺りが藍幇という組織の図太さを表現しているように思える。

 まぁこれで会議が延期にでもなったらまたNに襲撃のチャンスを与えかねないので、こっちとしてはありがたい限りだ。

 それで時間通りに劉蘭のプレゼンの番となって、ステージ横で待機していたオレ達は意気込む劉蘭と一緒に藍幇の重役達が見守るステージへと上がりプレゼンと護衛を始める。

 Nを退けたとはいえ、また襲撃してこない保証などないのだからオレやメイファンさんが気を抜けるわけもなく、猴と趙煬も加えた4人体制の守りはNでなくても対応できるはず。

 

「それではこれより、私の持ち込んだ計画についてご説明いたします」

 

 そんなほぼ万全な護衛体制の中で堂々と真ん中に立ってプレゼンを開始した劉蘭は、機嬢が操作するプロジェクターの映像に合わせて説明を始め、最初はオレに話してくれたような内容を要領よく、絶妙にまとめた言葉で理解させていく。

 もちろん重役達の手元には用意していた資料も配布されているし、仮にも今の藍幇を動かしている人達なので、言葉以上に見えてくるものが多いだろう。

 オレなんかとは違って話の途中から勇志さんが危惧していた計画の闇の部分とやらに勘づいた人もいそうなもので、耳障りの良い言葉だけで夢物語のように話す劉蘭に厳しい視線をぶつける人も少なくない。

 それもわかった上であえての進行をしていた劉蘭の強心臓には手伝ってる機嬢が冷や汗をかいているが、劉蘭の計画の全容がほぼ見えてきたタイミングで、1度プロジェクターを消して資料にも書いていないことを話し始める。

 もちろん内容はオレも知らない計画の闇の部分について。

 

「さて、以上が私の計画のほぼ全てということになり、採用された際には今の藍幇の組織力で賄える規模の開発と、その全ての開発案がすでに用意されています。しかしすでにお気づきの方もおられますでしょうが、この計画にはとても大きな問題が近い将来に待ち受けています」

 

 勇志さんはこの問題が看過できないとして劉蘭の殺害に踏み切り、Nの計画にとっては悪い方向に向かう可能性があるという、ちょっと考えると不思議な話で頭が混乱する。

 Nの計画と勇志さんの志のようなものが完全に一致しているとは思えないのは、正義についてを語ったことでなんとなくではあるが見えていたから、そこで劉蘭の殺害という共通項が挙がるのは不思議だった。

 

「資料にも書かれている通り、私が進めている開発案のほとんどが農業、林業、漁業。いわゆる第一次産業に当たるものとなり、それらを今後の中国の大きな経済力へと変えていく予定でいます。そちらは生産ラインの安定化や特産物の生産などが出来てくると徐々に割合として多くなるはずですが、そうした繁栄の裏には衰退も確実にあります。人の労働の比重が変わるのですからそれは仕方のないことです。そして私の計画において衰退するのは──軍需産業です」

 

 あぁ……それは荒れるわな……

 質疑応答の時間にでも割くのかなと思っていた重役達は、自分から触れられたくないだろうことに触れてきた劉蘭にどよめく。

 オレも言われるまで見当もつかなかったのに、いざ言われると何故それを隠し続けていたのかはすぐにわかる。

 オレがわかるのだから重役達はその重要性に一層の難しい顔を浮かべている。

 

「ご存じの通り、軍需産業は国が認める武器類の製造などを受け持つものであり、これの衰退はつまり、国の軍事力を落とすことに直結する由々しき事態です。それはいま辛うじて保たれている国と国とのパワーバランスを崩しかねない重要な案件であり、ただ中国の軍事力が落ちれば最悪どこかの国。例えばアメリカやロシアといった国が勢いを強めて一強状態にする恐れもあります。いえ、そうならない可能性の方が確率としては低いかもしれません」

 

 銃規制などが緩和してまだ日の浅い、非核三原則やら平和主義やらと掲げる日本だとピンと来ないかもしれないが、軍事力というのは自国での軍需産業による自給自足の有無で大きく変わってくる。

 そして軍事力というのは国を守る力でもあるため、これが落ちるということは国が弱体化するということである。

 勇志さんが危惧していたのはまさにその弱体化による世界のパワーバランスの崩壊だ。

 これを放置すれば大袈裟な話ではあっても世界大戦も可能性としてはあり得なくもない。

 中国の軍事力は今、アメリカ、ロシアに次いでの3位。そこが崩れればどうなるかはオレの頭では想像が難しいところだが、世界が良い方向に向かうかと問われれば素直に首を縦には振れない。

 その国力を落としてまで経済力を高める必要が果たしてあるのか。焦点としてはそこだろうな。

 

「ではそうならないために私達がすべきことは何か。それは『世界レベルでの軍需産業の衰退化および完全撤退』です」

 

 人間という生き物は愚かなもので、時代の節目では必ずと言っていいほどに『闘争』が絡んでくる。

 つまり人間は戦うことによって繁栄を得る生物であり、戦争などとは切っても切れない縁がある。

 だが劉蘭はそんな人間の本質的なものを否定して、世界規模で武器などの生産をやめて、軍事力の低下を狙おうと言ったに等しい。

 それには今日一番のどよめきが起こり、その大部分は『そんなことが可能なのか』ということ。オレには不可能に思える。

 だがそんな話をつい最近、どこかで聞いたような気もして護衛中ということも構わずに劉蘭の話に耳を傾ける。

 

「すぐには無理でしょう。世の中に武器、兵器を所持するのは国だけではなく、テロリストやマフィアといった組織にも行き渡ってしまっているのが現実。それらを放置して国が弱体化してしまえば、国同士の争いよりも悲惨な未来が待ち受けています。ですからその未来を回避するために、世界規模で『厳格で純粋な正義感を持つ武力組織』を結成するのです」

 

 正義。その言葉を聞いた時に頭に浮かんだのは、やはり先ほどまで対峙していた勇志さんの顔。

 しかしそれと同じくらい鮮明に浮かんだもう1人は、つい先日にイタリアでアリアに会わせられたベレッタ社の社長令嬢であるベレッタだった。

 彼女も基本的な組織の構想こそ違えど、正義の名のもとに世界的な闘争の根絶を掲げて『ジュスト』の設立を訴えていた。

 劉蘭とベレッタに繋がりはないのだろうが、その目指すところに共通項があるのは事実であり、緩やかにでも世界から武力を取り除こうとしている。

 

「その組織の設立を以て、まずは我が中国が率先して軍需産業から手を引くことで理解を得てもらい、アメリカ、ロシアを始めとした強国を筆頭に協力を得られれば、パワーバランスを崩すことなく、世界レベルでの軍事力の緩やかな低下を促せるはずなのです」

 

 ざわざわする場に構わず、もはや国の方針にすら干渉する思想をぶつける劉蘭に、当然ながら重役達も意見をまとめられようはずがない。

 だが劉蘭の計画を進めれば中国の経済は確実に第一次産業に推移するため、先延ばしにすることは出来ないどころか、今から対策を考えている劉蘭が正しいと来ている。

 メリットとデメリット。リスクマネジメントと考えることは様々で複雑化してしまっているが、劉蘭のプレゼンからは純粋な国を思う気持ちと、世界への配慮があって頭ごなしに無理だなんだと言えないのが素直に凄い。

 ベレッタはその辺で理想だけを語って否定されてしまった──銃器製造会社ということもあって立場も悪かったが──ようだが、会場の雰囲気は今のところどちらに傾くとも言いがたいほど混沌としている。

 

「……私は、この国が大好きです。国がより良くなる余地があって、そのためにできることがあるなら、苦労など買って負いましょう。生活に苦しむ人が1人でも多く救えるのなら、国を、世界を変えましょう。私はこの国があらゆる面で世界に羨ましがられる国であってほしいのです。そしてその羨む心が戦争や紛争などではなく、もっと純粋なる競争を促し、文化を発展していけたらと、そんな夢を見るのです。ですからその第1歩を、この藍幇が踏み出してはみませんか」

 

 今日この場での決議はもう不可能なのは間違いないので、この計画は各々が持ち帰って十分な検討をしたのち、改めてとなるはず。

 それがわかっているからか劉蘭もここで決意を固めてもらおうというほどの熱意はぶつけていなかったが、最後には愛国心を語り決して叶わない夢物語ではないと言って締めくくった。

 

 プレゼン後、いま出せるものを全て出し切ったのと、Nとの精神力の削り合いによる疲労が出たか、割とガッツリ眠ってしまった劉蘭は、翌日の昼まで起きることなく眠り続けてしまった。

 その間にNによる再三の襲撃もなく、プレゼン後に気づく失態だったが、オレの服の袖裏に盗聴器が仕掛けられていて、こんなものを仕掛けられたのは勇志さんしかいないと確信。

 その盗聴器の傍受範囲が半径300mとないことから、勇志さん達は会議の間も近くにいたことが判明したが、それから襲撃してこなかったということは、流れを止められないと悟ったか、計画に納得してくれたかのどちらかと考えられた。

 出来れば後者であってほしいというオレの思いは内に秘めつつ、眠りから覚めた劉蘭はまず、昨日の会議まで自分を守ってくれたオレやメイファンさん達に感謝の言葉を述べてくる。

 ただしオレ達は基本的に素直じゃないので、守るのは当然だといった意味合いの言葉でそれぞれが感謝する必要はないと返して困らせてやる意地悪を敢行。

 みんなが揃って言うもんだから劉蘭も結託されたのがすぐにわかって膨れっ面を見せたが、すぐに笑ってくれてオレ達も笑みを浮かべるのだった。

 会議の決議は来週になるだろうとのことと、趙煬も合流した都合もあって、オレの護衛はこの日をもって満了となり、ロンドン武偵高でも来週にはランク考査が執り行われるため、のんびりもしていられなかった。

 なので翌日にはロンドンに戻るための準備を進めて、実質的に上海にいられる最終日となったこの日の夜には劉蘭の希望で2人きりでの食事を約束。

 それが保留にしていた劉蘭の願いなので素直に応じつつ、その前にとオレは同じ思想を夢見る者同士として今後、繋がるべきと判断してベレッタと劉蘭を引き合わせた。

 向こうはまだジュスト問題で会社と揉めている最中のようだったが、劉蘭と話す内容は非常に有意義だった様子で、今後も密に連絡を取り合おうと話を締めているのが聞こえた。

 そんなこんなの夕食では、オレとゆっくりとしていられる最後の時間だからか割と吹っ切れてる劉蘭がやたらとオレに食べさせようとしてきて、それに強く抗えないオレも恥ずかしながらにそれを受け入れ、恋人気分を堪能した劉蘭はその最後にオレへと護衛の報酬を渡して夢から覚めるようにクールダウンしたのだった。

 

 翌朝。

 早くの便でロンドンへと発つオレをわざわざ空港まで送ってくれた劉蘭達。

 まだ護衛は必要だから趙煬もメイファンさんも猴もついてきて豪勢な見送りになっていたが、この2週間はオレにとって色々と収穫のあるものとなった。

 

「京夜! 次に中国に来たらゆっくり案内したいです!」

 

「そうだな。次は観光目的で来られたらいいな。その時はよろしく頼む」

 

 別れの挨拶としてまずは猴がオレに抱きついてきて、まともにできなかった観光気分での案内を次回はしたいと言ってくれる。

 それは素直に嬉しいし楽しみなので、猴の頭を撫でながら簡単な口約束をする。

 時間もそれほどないので猴も気持ち良さそうにしてから割とすんなりとオレから離れてくれて、入れ替わるように口を開いたのは今回一番絡みの少なかった趙煬。

 

「日本ではなくロンドンというのが不思議な話だ。そっちでまともに学んでいるのか疑問だ」

 

「お察しの通り、向こうの授業に出てない日の方が多い。留学って何なんだろうな」

 

「俺に聞くな。だがまぁ、今回は劉蘭の手助けをしてくれて多少なりとも感謝している。あれは口には出さんだろうが、お前がいたことでこの期間を乗り切れたところはある。もちろん戦力的な意味ではなく、精神的な意味でだが」

 

「それもどうだろうな。オレなんかがいなくても蘭は頑張れる人だって信じてるから」

 

 珍しくオレに感謝などを述べてきた趙煬の気持ち悪さは鳥肌モノだ。

 しかし今回は自分が劉蘭のそばにいてやれなかったことに少なからず悔いがあるように見える趙煬と冗談を交わす気にはなれなかったので、精神的支柱になったとかいう部分は劉蘭の強さに失礼なので否定しておく。

 それを聞いた趙煬は謙遜とでも捉えたのか小さく笑ってから「余計なことを言ったか」と言いたげな雰囲気で踵を返して下がってしまって、柄にもないことは言うものじゃないなと勝手に教訓にしておく。

 下がった趙煬に対して笑いながら中国語で話してから次にオレに近寄ってきたのはメイファンさん。

 今回は彼女がいなければどうなっていたかわかったものではないから、功夫のことも含めて趙煬ではないが感謝すべきだろう。

 

「自分、会うた時よりエエ顔するようになったな」

 

「それはメイファンさん達のおかげだと思います。オレはここに来る前に自分の弱さを痛感していました。自信も……それなりに失っていたのかもしれません」

 

「失うだけの自信があったような口ぶりやな。生意気やで。やけど自分の力を信じられんようになったらそいつは終いや。そこんとこ忘れんなや」

 

「趙煬やメイファンさんほどオレは自分の力ってやつに自信はないですけど、後悔しないように努力は続けます」

 

「それでエエんよ。功夫も続けるんやろ? 継続は力なりや。毎日欠かさんでやっとれば結果はついてくる。ウチからはそれだけや」

 

「ありがとうございました」

 

 なんというか、メイファンさんからもらう言葉にはオレを頑張らせる何かが込められているようで、餞別とばかりにオレの胸をドンと叩いたメイファンさんは、それ以上は何も言わずに引っ込んでしまい、最後だと劉蘭の背中を押して前へと出してくる。

 その勢いが少し強くて前に倒れそうになったのを受け止めてやれば、いつもの赤面から謝りながら少し離れて立ち、呼吸を落ち着けてからオレを見てきた劉蘭がゆっくりと口を開く。

 

「この度は本当にありがとうございました。京夜様のおかげで無事に会議のプレゼンまで終えることができました」

 

「だからそれはオレだけのおかげじゃないって」

 

「……京夜様には大変なご迷惑もおかけしてしまいました。それも京夜様はご自分の力不足が招いたことだとおっしゃるでしょうが、本当にそうなら私は今頃、ここに立ってお話ししていることもなかったと思っています。ですから京夜様は胸を張ってください。京夜様は私の護衛の依頼を完遂してくださいました。それが事実なのです」

 

「…………それでもオレは……」

 

 なんともまぁ綺麗なお辞儀から感謝の言葉を自然と述べてくる劉蘭の美しいこと。

 後光でも差してる錯覚すら起こす聖人な劉蘭に昨日も言ったことを返してみても、感謝を受け取ってほしいと言葉を重ねてくる。

 オレだって劉蘭を守りきれたという結果は喜びたいし、胸を張ってロンドンに戻りたい気持ちだが、その過程は決して手放しで喜べるほど立派なものではなかった。

 それで劉蘭を傷つけたのも事実だし、それを蒸し返すのはあれかとも思うが、自分で納得がいかないことは劉蘭に言われても納得するわけにはいかない。

 そんな気持ちを汲んでくれてはいる劉蘭は、皆まで言わなくてもいいとその手の指をオレの唇の前に持ってきて閉ざすようにすると、

 

「ご自分が納得出来ないというのであれば、私との約束をしっかりと守ってください。それで今度はきっちり誰かを助けてくださいね」

 

 あの朝にした『立派な武偵になる』という約束を持ち出して笑顔を見せてくれる。

 どうしたって起きてしまった過去は変えられないし、その過去に納得がいかなくても変えられない。

 だったら前に進むしかない。自分が納得できる形で依頼をこなせるように、胸を張って報酬を受け取れるように、それしかオレにはないんだ。

 

「ありがとな、蘭」

 

「いえ、私など大したことはしていません。それから少しだけ気になったことを差し出がましいですが助言させていただきますね」

 

「……ん?」

 

「京夜様は私の好意に対して真摯に向き合っていないのではと考えている。蘭盛街で一緒に過ごしている時にそう感じました。ですからこれだけは言っておかねばと思います。私のみならず、理子様や他の方々も京夜様の決意を聞いてなおアプローチをしていますし、その気持ちはもちろん届いてほしいと思っていますが、それはあくまで私達が勝手にしていること。それに負い目を感じることは全くありませんし、理子様だってご自分がそうしたいからしているはずです。したいことをただしているだけの私達に京夜様が難しく考えることはありませんよ」

 

 俯いてる暇があれば前を見て突っ走れと励まされて気合いの入ったオレに嬉しそうにした劉蘭は、もう時間はないだろうと最後にオレが上海に来てから何度か思い悩んでいたことをズバリ指摘してきて珍しく表情にまで出て驚いてしまう。

 その辺はやはり女の勘が働くのか、モヤモヤとしていたオレの気持ちを晴らすように自分や理子がこれまでしてきたことに関しての話をしてくれる。

 それを要約すると理子や劉蘭は本能に忠実でやりたいことをやってるから、それにオレが一喜一憂してくれるのは嬉しいが、オレの決意まで揺るがしたい意味はないということ、なのかな。

 オレがきちんと考えるといった未来までの間に向けた好意は自分達の身勝手さだと言いたいのだろう劉蘭に、そんな考え方でいいのかと表情にまで出してしまうが、それをクスクスと笑った劉蘭は「それで構いません」と断言する。

 

「あの時にああしていれば。そんな後悔をしないように私はしているだけです。ですからこれからも京夜様はそのままの京夜様でいてください。まっすぐに自分のなりたい武偵になれるように、しっかりと歩いてください」

 

「……そうだな。とりあえず同世代に蘭みたいなとんでもない女がいるからには、自分の可能性ってやつを信じて突き進まないとな。そうじゃなきゃ将来、蘭に養ってもらうことになるかもしれないし」

 

「や、養うというとそれはつまり……」

 

「そういう可能性の話だよ。おっと、そろそろ行かないと。じゃあ蘭。これから大変だろうけど、頑張れよ」

 

「……はい。京夜様もお元気で」

 

 劉蘭がそう言うならきっとそうなんだろうが、やはり貫くべき決意かどうかは考える必要はあるのかなと思いつつ、とりあえず今は劉蘭達の好意を深刻に考えることはないと納得。

 搭乗も迫ってきたので最後にお互いに励まし合うような言葉で締めて別れたオレは、劉蘭達に手を振られて空港を出発しロンドンへと帰還していった。



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ランク考査編
Slash37


 

 物凄く濃密だった上海での2週間を終えて、約12時間をかけて夕方にロンドンへと到着。

 上海では劉蘭を守ることができたものの、結果としてはそれだけになったとも言えて、Nに関する問題は進展したとはお世辞でも言えないだろう。

 さらに土御門陽陰にはバンシーを拉致されるという失態も冒してしまっていて、あれがバンシーの能力を嬉々として使う姿を想像するだけで背筋が凍る。

 なんとかして取り返したいところだが、やつに繋がる線は今のところないのでどうしようもない。

 そんな中で不幸中の幸いなのは、オレとバンシーの繋がりがNに伝わった上で陽陰が横からぶん取っていったから、バンシーを探すために狙っていたはずのオレや理子、ヒルダ、ヴィッキーがその対象から外れたことくらいか。

 その件で要警戒を促していた理子達にはロンドン到着後すぐに連絡して安全を確保したことを報告。

 分散を避けて修学旅行Ⅲの期間を少し延長してロンドンに留まっていた理子は、ジャンヌと一緒に明日にでも日本に戻ると言うので、急遽ではあるが夕食を一緒にすることになる。

 その辺はせっかくの再会をゆっくりしてあげられなかったから不満が爆発しないようにしてあげるのは当然として了承したが、そのあとにいつもの流れとしてメヌエットへの報告にも行ったら……

 

「報告はわかりました。では京夜。時間も良い頃ですし、たまには外での夕食などいかがですか?」

 

「えっ……」

 

「何ですかその『えっ』は。私が外食を希望したことにではなく、都合が悪いことへの反応に見えましたよ」

 

 大変に珍しい現象で外食を所望されたメヌエットに困惑。

 まさかそんなことになろうとは思ってもいなかったから備えがなかったせいで、これから誰かと約束があることを反応から看破されてしまう。くっそぅ、何故だー!

 バレてしまった以上は誤魔化すと殺されるので正直に夕食の約束があることを伝えて、メヌエットとの食事は日を改めようと提案しようとする。

 しかしメヌエットは先約だからかいつものわがままを通すようなことはせずに、少しだけムッとした顔をしてから、オレの提案を先読みしてくる。

 

「待ちなさい京夜。私は今夜を逃せば外食など行きたくなくなる気がしてなりません。その約束している者とはいま連絡が取れますか?」

 

「えー? 取れるけど向こうの予定をズラすとか無理だぞ? 明日には日本に戻るし」

 

「誰が先約をキャンセルさせるなどと言いましたか。それから今の口ぶりから、約束の相手は東京武偵高の修学旅行生と断定しました。となれば京夜とわざわざ食事の席を設ける人物は……例の金髪の女か、いつかの電話で言葉を交わしたジャンヌという女あたりといったところですか」

 

「…………その両方だけどな。それでメヌはどうするつもりなんだ?」

 

「丁度いいです。以前からお会いしたいと思っていましたし、この機会に『ご挨拶』でもしておきましょうか。私もその席にご一緒させていただきますが、よろしいですね」

 

 メヌエットは気分で行動をコロコロ変えるから、またいつ外食したいなんて言うかわからないと自分で言う辺りが重症だ。

 オレとしてもメヌエットを家の外に連れ出す機会は逃したくないから、何か提案があるっぽいメヌエットに耳を傾けてみると、秒で約束の相手を推理して好都合と怪しい笑みを浮かべる。

 そして何が怖いって、あのメヌエットがわざわざ自分から出向いて理子とジャンヌに『ご挨拶』をするって言うんだよ。

 こちとら普通に夕食をしたいだけなのに、何で途端に何が起こるかわからない化学反応を恐れる晩餐会にしなきゃならんのだ。

 とはいえオレがここで反発してダメだと言ったところで、メヌエットは得意の推理でこのあと食事する店をピンポイントで当ててサシェとエンドラを使ってでも乗り込んでくるだろうし、そうならなくても明日からのオレの待遇は酷いものになることは確実。

 選択肢が始めから消失して1択しかない理不尽な現実に深いため息が漏れたオレは、仕方なく理子達に連絡してメヌエットが一緒に来ることを伝え、心の準備だけはしておけと忠告しておいた。

 

 これもオレが繋いでしまった縁なら、もはや呪いの類いではないだろうか。

 勇志さんの言うオレの人と人とを繋ぐ力は教授とやらの条理予知を多少なりとも狂わせるほどのようだが、オレの日常も狂ってきてるんですけど。

 謎の上機嫌で車椅子を押させたメヌエットと一緒に理子達との約束の日本料理店まで足を運び、個室を取ってくれていた理子とジャンヌの呼ぶ方へと行く。

 個室は少し趣向を凝らして掘炬燵にされていたので、車椅子のメヌエットを抱っこして掘炬燵へと足を入れて座らせてやり、4人だしとテーブルの四方を囲む形で座ればいいかと思っていたら、なんかメヌエットが「どうして隣に座らないのですか?」と本気で不思議そうにオレを見て袖をチョイと摘まむ。何それちょっと可愛いんだけど。

 わざわざオレの分のスペースも空けて座っていたからマジのあれだが、どうしたものかと理子とジャンヌに視線を向けると、ジャンヌはともかくとしても理子は明らかに自分がオレの隣に座りたいという顔をしていて、しかし相手が年下のメヌエットということもあって大人の余裕みたいなものも出したい狭間で苦悩している。

 

「…………いいんじゃないかなぁ。そのくらいの歳の子は甘えたい気持ちもあるんだろうしぃ」

 

 大人の体裁を取ったな。中学生と張り合うのはさすがにプライドが許さなかったらしい。

 ということで理子の了承も得たので仕方なくメヌエットの隣に座って腰を落ち着け、理子とジャンヌもバランスを考えて対面の席に隣り合って座ったのだが、座った時に理子にがっつり脛を蹴られて悶絶しかける。いったぁ!

 座るのが楽な掘炬燵が仇となった形で仕返ししてやろうと思ったが、それで許してやるみたいなニュアンスだから終わりのない蹴り合いになるのを察して今回はやめてやる。せっかくの食事の席だし喧嘩はしたくない。

 

「それでその子がアリアの妹かぁ。とりあえず自己紹介ね」

 

「人に尋ねる際にはまず自分から名乗るのが礼儀というものですよ。大人でしたらそのくらいご理解しているかと思いましたが、どうやら私の買いかぶりだったようですね」

 

「……ちっ、これだからオルメスは……」

 

「はいはい食事の場。喧嘩腰ならオレは帰るぞ。仲良くしろとは言わないから、せめて料理を美味しく食べる努力はしてくれ」

 

 オレがそう思っていても現実はホームズとリュパンの4世同士の対面とあって、その自覚がないはずのメヌエットが本能なのか理子と始めから険悪な雰囲気。

 理子も理子で直感型のアリアより苦手そうな論理型のメヌエットにもうイラッとしたのか素が出かけてオルメスというホームズのフランス語呼びが炸裂。

 それでもう勘づいたっぽいメヌエットがさらに踏み込む前にオレが割り込んで緩衝材となり、オレという存在がいなくなればこの場はたちまち地獄と化すのは目に見えていたので、2人ともなんとか抜きかけた矛を納めてくれた。

 

「……峰理子」

 

「メヌエット・ホームズですわ」

 

「以前にも少し話したが改めて。ジャンヌだ。しかしなぜ挨拶だけでこんな空気になる」

 

「メヌが気難しいのと、理子がプライド高いからだな。あと陰と陽みたいな対極にあるのもか」

 

「やーいやーい、陰キャのメヌぬーん」

 

「誰にでも良い顔をするような女の本性など、見た目以上に醜いものですが、あなたは果たしてどうなのでしょうね」

 

「理子りんは見た目も中身も超キュートだから問題ないでーす。リア充サイコー」

 

「現状に充実感を持っているかどうかは他人が決めることではないですが、私はあなたがリア充にはとてもではないですが見えませんよ」

 

 それでようやく自己紹介を終えて食事に入れそうとメニューに目を通したところで、またバチバチやりだす2人は互いに引き下がらない様子。

 煽りに煽りで返すやり取りは聞いていて心臓に悪いが、さすがに手は出ないだろうと無視していたら、オレの見ていたメニューを覗き込んできたメヌエットがわざとオレに寄りかかるようにくっついてきて、自称リア充の理子を挑発。

 リア充なら好きな人にこういうことを出来るポジションくらい確保するでしょ?

 みたいなノリでやられるこっちの身にもなってほしいし、始めからこういう挑発をしやすいようにオレを隣に置いた節があるメヌエットの性格の悪さが出てしまう。

 その挑発に眉をヒクつかせる理子はまだ堪えられているが、あまりメヌエットを野放しにすると面白がって理子を追い出しかねないな。

 

「……メヌ。オレは友人が良く思われないのは嫌だよ。あとでオレで遊んでいいから、今は純粋に食事に集中してくれないか?」

 

「別に遊んでいるつもりはありませんよ。ただ私は日本料理に関してはほとんど知識でのみの理解しかないので、京夜に教えてもらいたかっただけです。それを咎められては私は何も出来ません。箸だって上手く扱えないから隣に置いて差し上げたのに……」

 

「何で急に日本食ビギナーを推してくるんだよ。別に箸を使わない料理だって普通にあるだろ」

 

「私が食べたい料理が箸を推奨していたら困るでしょう。それに京夜は自分で持った料理を私に合法的に食べさせる権利があるのですから、条件としては破格だと思うのですが」

 

「何その『はい、あーん』の押し売り。全然嬉しくないんだけど。してもらいたいなら理子かジャンヌにしてもらえ」

 

「それでは意味がありません」

 

「意味があること自体に問題があるんですぅ。オレ達の反応を楽しもうって魂胆が出ましたな」

 

 最初はメヌエットを抑制するつもりで会話をしていたのに、気づけばメヌエットと2人きりの時のテンションで話してしまっていて、理子とジャンヌが完全に入り込めない世界が構築されてしまった。

 それに気づいてハッと理子とジャンヌを見ると、やっぱりキョトンとした様子で普段は口数の少ないオレに驚いたような感じ。

 これはやっちまったと反省しかけたのだが、次には顔を見合った2人がクスクスと笑い出すから、今度はこっちが困惑。

 

「キョーやんって時々だけど素で面白いよね」

 

「普段からそうならもっと人が寄ってくるだろうに、おかしなやつだ」

 

「……元が面白くない人間で悪かったな……って、余計なお世話だ」

 

「京夜が人気者になったら武偵として死んだも同然でしょう。これからも面白くない人間でいてもらわないと困ります」

 

「どういう意味だコラ」

 

 メヌエットの気難しさよりもオレの変なテンションに対して反応していた2人の物言いは気に食わない。バカにしおって。

 さらにメヌエットまで便乗してくるからマジで帰ろうかなと思ってメニューを置きかけたら、オレいじりという共通のことをした3人がちょっとだけ意気投合して和やかな雰囲気になる。

 方法には不満があったが、ほんの少しでも心の距離が縮まったっぽいこの空気を壊さないために開き直って言いたいように言わせておいて料理を注文。

 日本食ビギナーのメヌエットのために料理が被らないよう注文したので、全ての料理が出揃うまでに時間はかかったものの、ここの料理長は生粋の日本人がやっているし、その従業員にもしっかりと仕込んでいるから料理も海外によくある『なんちゃって日本食』とは完全に違う。

 普通に凄いのは料理長が寿司、天ぷら、そば、うどん、丼物、1品料理と精通してどれも一級品なことで、東京でもなかなかお目にかかれない名店なこと。東京か京都にも欲しいね。

 そのおかげでテーブルに並ぶ料理は間を繋ぐための1品料理が何度か分けて来て、メインに握りのセットやうどん。天丼などが来ると、それら全てをメヌエットが摘まむようにして食べて感想を述べるといった流れに。

 どれも一流ということもあるのかメヌエットには珍しく苦言を呈するようなことはなく、ひと口ふた口で食べるのをやめる偏食ぶりは健在ながらも、喉ごしが気に入ったとかでうどんは麺だけ完食。

 この店のうどんを気に入られたせいで家でも出来るなら作れと言われたが、市販の麺じゃこの味は出せないとツッコミ。汁だって出汁からこだわれば手間が凄いんだからな。

 

「そんじゃキョーやん。ロンドン武偵高は7月末から夏休みってヴィッキーが言ってたから、その間は日本に帰っておいでよ。そんで理子とひと夏の思い出作っちゃお」

 

「京夜。帰国は構いませんが、夏休みを丸々使ってのバカンスは許しませんよ」

 

「おい。理子とメヌエットの都合だけ聞いて、私の要求を聞かないということはあるまいな? 私もこの夏は京夜に付き合ってほしいことがあるのだ。よもや嫌だとは言わないだろうな?」

 

「オレがオレの夏休みをどう過ごすか決められないって何なの?」

 

 いざ食事が始まってしまえばメヌエットも理子もジャンヌも和気あいあいとした雰囲気のまま何事もなく時間が過ぎていき、直近の護衛依頼で懐に余裕があったことを見抜かれたオレが奢ることになった以外は平穏無事に食事会は終了。

 店の前で別れる際には1ヶ月以上も先のことを理子が持ち出して早くも夏休みの予定をぶちこまれ、メヌエットとジャンヌもオレの都合を無視して予定をねじ込んでくる。

 3人でこの調子なら幸姉とか幸帆、愛菜さんとかもねじ込んできそうなので、近いうちに要望を聞いておこうと諦め気味に決めて、ホテルへと戻っていった理子とジャンヌを見送ってからメヌエットを自宅まで送ってようやく帰宅することができた。

 

 気づけば時間も夜9時を過ぎていて、若干の時差ボケも修正の必要があったので、まだ目が冴えていたが今日はもう無理矢理寝ようと部屋のドアに手をかけて中へと入ると、丁度オレの留守中の部屋を掃除していたシルキーが出迎えてくれる。マジ有能。泣ける。

 

「お帰りなさいませ、京夜様。バンシー様」

 

「…………ん?」

 

 玄関前まで来て丁寧なお辞儀で招き入れてくれたシルキーは癒しそのものだったが、なんか物凄く普通にありえない人物まで招き入れた気がするんだが……

 何かの聞き間違いかなとシルキーを見ると、オレの反応がおかしかったのか首を傾げてキョトン顔を披露するので、どうやらオレが間違ってるらしい。

 なので恐る恐る後ろを振り返ってみると、オレのすぐ後ろにニヤニヤしながら実体化したバンシーが呑気に立っていた。

 

「はぁ!? おまっ、何で!?」

 

「いやぁ爽快爽快! お前のそういう顔が見たくて黙っていた甲斐があったな。ガッハッハッ! ナッハッハァ!?」

 

 陽陰に拉致されたはずが何故。というオレの疑問に対してちゃんと答えないバンシーにイラッとしてアイアンクローをお見舞いし締め上げると、速攻でタップで降参してシルキーも訳がわからないがやめるように言ってきたから、仕方なくやめてやる。

 思わぬ攻撃でダメージを受けてテンションが急降下したバンシーは、ズキズキと痛んでいるだろう頭を押さえながらリビングに移動していき、オレとシルキーも腰を落ち着けるために一緒にリビングに移動して話を聞く体勢になる。

 

「土御門陽陰とか言ったか。あのいけ好かねー野郎は」

 

「お前を連れ去ったヤツならそうだが、あのあとどうやって逃げてきたんだよ」

 

「別に逃げてきたんじゃねーよ。あのあとアイツが勝手に俺を解放したんだ」

 

 これ以上ふざけるとオレが何するかわからない恐怖からか、おふざけなしで話を始めたバンシーによると、陽陰はあの拉致から割とすぐにバンシーを解放して手放したらしい。

 あんなテンションの陽陰なら意気揚々とバンシーの能力を使うと思っていたのに、それもしないで手放すというのはしっくり来ないな。

 

「何か条件を出されたのか?」

 

「それも違う。アイツは最初から俺なんてどうでも良かったんだろうよ。狙いはNだったっぽいぞ」

 

「……どういうことだ?」

 

「今回、ヤツはNに無視されたのが気に食わなかったから、お前を使って妨害工作をしたんだろ? だから無視できないようにしたんだろ」

 

「……ああ。バンシーを連れ去るところを見せつければ、Nは嫌でも陽陰を追うしかない。つまり無視できないってことか」

 

 それなら解放の条件でもあったのかと尋ねてもバンシーはそうじゃないと言い、ますます疑問が深まる中で目的自体を本人から聞いたわけではなくても推測は出来ていたバンシーの説に少し合点がいく。

 バンシーの存在は陽陰にとってもイレギュラーだったのは事実だろう。

 ただそれを利用してNの目を自分へと向けるためだけにその場でバンシーを拉致してみせた。

 オレも陽陰が本気で拉致したと思ったから素のリアクションをしたのも陽陰の狙いで、繋がりはあったが利用していただけということを印象づけて逃げたんだ。

 

「……だがそれでバンシーを解放するってのも勿体ないことだよな。そこは腑に落ちない」

 

「それはヤツにプライドがあるからだな。あの手のヤツは『自分の意のままに事を進めて成功させる』ことを快楽にする。そんなヤツが『何でも叶う願望器』の力で物事を成功させたところで悦に浸れねーってことさ」

 

「……まさか陽陰の性根が腐ってて良かったと思う日が来るとはな」

 

 だがそのままトンズラすればいいものをわざわざバンシーを解放して自由にした辺りが不思議だったオレに陽陰の性格上の問題を指摘したバンシーの話でまた納得。

 そりゃ成功するってわかりきってる事は、過程を大事にするタイプの陽陰からすればつまらないものなんだろう。

 そしてオレも1つ気づいたことがあり、おそらく陽陰は自分が世界中どこを探されてもNにも見つからない自信があるのは前提としてあって、しかしシャーロックをしのぐ条理予知を有する教授を侮らないために、もしも見つかった際に「バンシーなどとうの昔に手放している。徒労だったな」とか言ってやるためだけのものなんじゃ……

 その辺でとことん性格の悪い推測が出来てしまうが、その可能性がある時点で陽陰の元々が酷いことを証明し、やっぱり野放しもダメだなと考えを固めたところで、無事に戻ってきたバンシーと今後の話をする。

 

「……とにかくこうして戻ってきたことは素直に喜ぶべきだろうな。だがNにいつ気づかれるかもわからない以上、バンシーはここ。いや、オレやオレと繋がるやつとは離れた方が良いだろう」

 

「とか言うが、また根なし草は御免だぞ。住む場所探しは不可視だろうと難しいんだからな」

 

「そこは大丈夫だ。バンシーにはクエレブレのところに行ってもらう。そのための布石は敷いてきた」

 

 まずオレはNを騙すために陽陰を追ってる体を取らないといけないため、近くにバンシーを置いておくのは危険と判断。

 それには文句も出てくるバンシーの気持ちは理解できているので、オレはいくつかの条件を満たして結果として安全となったスペインのクエレブレのもとへ行くようにと自信を持って勧めたのだった。



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Slash38

 

 6月9日。水曜日。

 ロンドンに戻ってきて2日目の朝。

 理子とジャンヌ──ついでにヒルダもか──が日本に発つので、その見送りのために空港までやって来たら、時差ボケ対策でオールナイトして、理子のハイテンションに付き合いゲッソリしていたジャンヌをとりあえず合掌して弔ってあげる。

 完全に脱け殻状態だったから別れの挨拶も無理と悟って、まだ元気を残していた理子に向き合うと、これから飛行機では爆睡モードに移行するからか、最後の元気をオレに吐き出してくる。

 

「結局こっちじゃゆっくり出来なかったから、ちょっと残念だったなぁ」

 

「修学旅行Ⅲは観光が目的じゃないんだから、健全ではあったがな」

 

「もー! すぐそういう正論で返すのキョーやんの悪いとこだよ。でもまっ、理子のいないとこで死にそうにないってことはわかって安心しましたよ」

 

「何を根拠にそんな風に思えるんだか……」

 

「えー? 普通だったらスペインで死んでたけど、キョーやんも理子も生きてるもん。それはキョーやんの死亡フラグがばっきばきに折れてるからだよぉ。その悪運はヒルダの保証付きだぞ」

 

 今回は理子に危険が及んでしまったのは申し訳なく思っていたが、武偵が命の危険に晒されるのは常であり、そこに飛び込んだのは自分の責任と割り切ってる理子に謝罪するのは違うので、比較的いつも通りに接して最後の挨拶にする。

 理子としては今回の修学旅行Ⅲはオレの生存確認とか諸々の目的があったっぽいし、謎の根拠で安心してくれたのは素直に喜んでいいのかわからん。

 なんか保護者みたいな心配の仕方の理子には違和感が満載ながら、それだけ心配してくれる理子に報いるために留学中には死なないようにしようと強く思う。

 

「それじゃあ、その悪運とやらに頼らなくてもいいように平和的に留学生活を終えようと思う」

 

「そりゃ無理な話だよぉ。雪ちゃん曰く、キョーやんの留学生活は波乱万丈に満ちてるみたいだからねぇ」

 

「なぁ、そういう占いとかって本人を無視してやっていいもんなの?」

 

「占いの結果を知りたいならタダじゃダメだよ? 現金もしくは……理子への愛のキッス。括弧マウストゥマウス限定です!」

 

 Nと関わる以上は安全無事に留学生活を終えるなんてことは不可能とわかっていて、8割は冗談のつもりで言ったら、なんかオレの留学生活の行く末を白雪に占ってもらっていたっぽいことが判明。

 どのくらい具体的に占ったか知らないが、知りたいなら金を払うかキスをしろと言ってきた理子は、始めから金で解決する気ゼロの態度で目を閉じてオレにキス顔を晒して待ちの姿勢。

 周りからすれば恋人同士の別れのキスにしか見えないので、場面だけ見た人からは「早くしてやれよ」と視線をぶつけられる。

 まぁそんな視線もなんのそのなオレは無防備に目を閉じる理子に対してデコピンを実行して現実に戻してやり、そんなことするわけないだろと笑ってやると、わざとらしく頬を膨らませて「ぷんぷんがおー」をやってから小さく笑う。

 

「雪ちゃんの占いでもキョーやん死ぬことはないみたいだし、その辺は気を付けてれば大丈夫だと思うよ」

 

「そりゃどうも。理子もあんま無茶するなよ。ヒルダも変なことし出したら止めるくらいしてくれ」

 

 あんまり長く話していると別れが辛くなりそうだからか、そろそろ頃合いと見た理子が話を終わらせに来たので、オレもキスほどではないにしてもハグだのなんだのと要求されても困るから、後腐れなく話を終わらせる。

 理子の影になってすでに寝ぼけ始めているヒルダもオレの言葉には影絵でOKと見せてはきたが、たぶん反射的に反応しただけだなこれ。

 ともかくこれで別れの挨拶となって、ぐったりしていたジャンヌを引き摺って搭乗便に乗り込んでいった理子達を見送り、オレが空港に来たもう1つの目的を遂行しにいく。

 

 昨夜、陽陰から普通に解放されて上海からずっとオレにくっついていたらしいバンシーが、これから先もオレと一緒にいるのはリスクがあるということで、潜伏先をスペインのアストゥリアス州に身を潜めるドラゴン。クエレブレのところへと移すことが決まった。

 そのアストゥリアスまで行ける便をオレが探してバンシーを送り出す必要があったので、今も姿を消してついてきているバンシーに聞こえる程度の小声でどの便でどこに行けばいいかを独り言。

 クエレブレとはシャナの件でNから引き剥がす依頼という形で、今も繋がりがあり、シャナという本当の名前もクエレブレから聞いて、上海ではオレの背後にクエレブレがいることを印象づけておいた。

 元からオレやICPO、MI6にも潜伏先がバレてしまってるシャナは、もうアストゥリアス州には戻れないところで、クエレブレとまで意見が割れてしまっていよいよ近寄れなくなっている。

 つまりNが近寄れないポイントがクエレブレのところで、たとえ接触されたところで協力者であるクエレブレがバンシーを引き渡すことはないはずだ。

 シャナの件も確実に進めないとクエレブレに食われる重大案件なので、なるべく早めにどうにかしたいところだが、そう簡単じゃないことはここまでで十分にわかっている。

 彼女達も強い決意を持って行動していて迷いがない。それを説得するのは専門家でも難しいのは明らかだ。

 勇志さんだってオレはまだ何とかしてNから引き剥がしたいと思っているし、それが不可能ではなさそうなのもわかっている。

 ただあれもこれもと抱えても処理しきれないで混沌とするだけなので、気づけば色々と抱えてしまっている案件を1つずつ解決していくしかない。

 そのためにバンシーには安全圏にいてもらうのが最良であり、無事にアストゥリアス州まで行ける便まで誘導して、姿はなくともバカではないバンシーはこれでクエレブレのところへは行けるだろう。

 幽霊みたいなバンシーは完全に不正で搭乗していくことになるが、上海にもそれで行ったし今さら罪悪感とかも特になく、しばらくは会えなさそうなことを少しだけ残念に思いつつ空港をあとにする。

 Nに関しては問題山積みだが、それとも別に4日後にはロンドン武偵高では学期末の武偵ランク考査が控えている。

 ロンドンでは学年が上がる直前のランク考査なので、ここでの評価は新学期にも多少なりとも響くため、今頃のロンドン武偵高は少しピリッとした空気を纏っているはず。

 そういう空気がすこぶる嫌いなオレは、当日までなるべく行きたくないなぁとか思いながら、何気にシルキー問題の解決のあとに登校して以来から全く顔を出していないことを思い出し、ヴィッキーとの怪しい噂の進展すらわからない状態だ。

 こういうのは後回しにすれば面倒臭いのは経験上ほぼ100%間違いないので、ランク考査前に片付けてしまおうと足取りは重いがこの期間にこなした依頼の報告も兼ねて登校。

 時間としては完全に遅刻だったが、依頼が絡むと武偵高に遅刻の概念はそんなにないから、全く気にせずにまずは教務科に寄って依頼書と報告書を提出して欠席を正当化。

 ただ一般教科の単位は補充できないから、あまり外に出てると夏休みは補講地獄だと言われてしまったので、出られる授業には出なきゃと本気で思い、今やってる授業にも途中から参加。

 席に着く間に出席していたヴィッキーのそばを通るので、昨日に連絡していたから今日は登校すると読んであらかじめ用意していたか、誰にもバレないように小さく折り畳まれたメモを手渡される。

 こういうことは普通に上手いんだよなぁと、同じ諜報科として評価しつつ席に着いてから渡されたメモを見ると、オレの留守中に広がってしまったありもしないヴィッキーとの交際の噂が現状でどのくらい誇張されているのかが簡潔に書かれていた。

 ざっくり言えばもう体を重ねるほどの関係だと思われてるみたいで、ヴィッキーが否定しても元々が常に男の影がチラつくような武偵活動をしているからか、半信半疑が精々だったみたいだな。

 さてさて、まずはそこから解決しないといけないみたいだが、この授業中に解決する策を見出だせるか。

 一番簡単なのはみんなの前でヴィッキーに盛大に嫌われることなのだが、匙加減によっては痴話喧嘩程度にしか思われない可能性もあって、オレとヴィッキーの演技力次第のギャンブル性がある。

 まぁ嫌われる手段が胸を揉むだのスカートを捲るだのと小学生レベルのことしか浮かばない時点でやるべきじゃない。

 幼稚すぎるし、心にもないことを言うのも他の人の心象も悪くして学校での立場を失う。長期的な観点から見れば、うん。なしだな。

 ……なら逆転の発想でいくか。

 下手に誤魔化したところで実力のある武偵には見抜かれる可能性が高い。

 ならデキてると噂になってるオレとヴィッキーが体まで重ねておいてまさか『体に触れるだけで照れる』なんて現象が起きようはずがないわけで、授業終わりに早速群がってきた連中は予想通りオレとヴィッキーを持ち上げて無理矢理にくっつけようとしてくる。

 その力に適度に抗いつつもヴィッキーと軽く抱き合うような状況にわざとなって、ヴィッキーにも意図を理解してもらうためにオレがすぐに離れて照れながら謝罪。

 

「わ、悪いヴィッキー。昨日までの依頼のせいで疲れててな」

 

「あっ……い、いいのよ。周りも強引なところあったし、不可抗力ってやつでしょ。っていうかそんなに照れないでよ。私の手も握ったこともないからって動揺しすぎ。女に免疫ないの?」

 

「いや、免疫っていうか、オレのせいでいらん噂が広がったみたいだから、あんまり近づかれるの嫌だろうなと」

 

「ああもう! そもそも誰よ私とキョーヤがデキてるとか噂したのは! こっちはランク考査前でピリピリしてるんだから、くだらないことで盛り上がるのもいい加減にしなさいよね!」

 

 普段のオレならもっとドライな対応をするのはもうヴィッキーには見抜かれているので、そうとは違う反応をしたオレに気づいて即興で設定を合わせてくれる。

 この辺はやはり演技派の潜入武偵でアドリブに強い。伊達にAランクではない。

 さらに女の子の日みたいなイライラをランク考査に置き換えて怒りを噴出したヴィッキーにふざけていた周りもオレとヴィッキーの関係をまだ疑いつつも、これ以上の言及は銃を抜きかねないとあって退散。

 ふーふーと息を荒らげるヴィッキーはそのまま怒りを鎮めるためにトイレに行ってしまい、あの怒りは演技じゃなくて割とマジだったんだなと苦笑するのだった。

 

「あースッキリした。キョーヤが来たらますます弄られるんだろうなって辟易してたから、言いたいこと言えて満足」

 

「あの啖呵なら気になってももう寄っては来ないだろうな。オレもヴィッキーがアドリブに強くて助かったよ」

 

「いきなりキョーヤらしくない反応したからビックリしたけどね。でもああいう反応しても周りが不審に思わないって、やっぱりキョーヤはおかしいわ。普段どれだけ素を出してないのよ」

 

「単に性格まで把握されるほど学校にいないってだけの話なんだが……」

 

 教室でそんな出来事があったからか、他の教室のヤツらはヴィッキーの逆鱗に触れることを恐れて突撃してくることもなく、普段が割とテキトーな性格のヴィッキーの豹変が効果抜群だったようだ。

 それでオレは最小の労力で問題をほぼ解決できたからヴィッキーに感謝で、昼休みにはいつもの音楽室と準備室の扉を隔てての密会。

 こういうことしてるから怪しまれるんだろうが、学校での情報を仕入れるのにヴィッキーは使えるので必要あっての接触。他意はない。

 

「それでランク考査でピリピリしてるってのは本当なのか?」

 

「あー、それ? 怒りを爆発させるほどではなかったにしても、試験前でふざけてる場合でもないのは本当。日本がどうかは知らないけど、ロンドンじゃ武偵ランクは依頼の質に関わる大事なものだし、特にAとBのランクの差はバカにできないわよ」

 

「そういえば掲示板の依頼書もA以上とB以下では区画で分けられてたな」

 

「はぁ……何でそんな他人事なのかしら。キョーヤだってランク考査くらい真面目に受けてるでしょ?」

 

「んー、一番真面目に受けたのは中学に上がった時の編入試験だから、5年前になるか。それからはEランクに落ちたりで割とテキトーだったような……」

 

 雑談なら情報料とか言われないので、さりげなく流れるような会話で情報を仕入れるオレに扉越しのヴィッキーは口が軽い。

 しかしランク考査へのモチベーションにはヴィッキーや世間一般とで乖離があったっぽいオレの言葉に扉越しでも呆れるような雰囲気が伝わってきた。

 

「……リバティー・メイソンから勧誘に当たってキョーヤの略歴はもらってたけど、京都武偵高じゃインターンで3年間A評価だったのに、東京武偵高に編入してからのEランクだった1年半の落差。それが謎だったけど、本当にやる気なかったのね……」

 

「やる気というか、武偵であること自体が自給自足のためで仕方なくって感じだったからな。どっかのピンク髪のツインテールに関わらなきゃ今もそれは変わらなかったかもしれないが」

 

 今も割とリバティー・メイソンへの勧誘を諦めてないヴィッキーはそれに当たって略歴も知っていたようだが、そりゃ略歴だけ見ればこの落差は不可解すぎるしな。今の認識の違いで納得されたのはこっちが納得できないけど。

 落ちぶれたきっかけは幸姉の失踪で、復調のきっかけはアリア。

 考えればオレの人生は女に振り回されてばかりだが、今はそうじゃないと言えるように今回のランク考査を頑張るのも1つの手段なのかもしれないな。

 オレが自分の意思で武偵であると決めたその証明として。

 

「ランク考査って言えば、諜報科は今回、実践形式らしいわよ」

 

「実践形式? 模擬戦でもやるのか?」

 

「内容まではわからないけど、総合的な能力を見るための試験になってるかもって。真偽はさておき、私は戦闘力重視じゃないからそっちに振られるとA維持は厳しいかなぁって今から不安よ」

 

「げっ……オレも機械工作とかあったらヤバいぞ」

 

 そうやって意気込んだ出鼻をくじくようにすでに諜報科らしくランク考査の内容について噂程度の情報は仕入れていたヴィッキーが苦手分野もねじ込まれているかもと話してきて、努力はしているがまだまだ苦手意識の強い機械関係が絡んできたらオレもA評価は厳しいだろう。

 あと4日しかないし、付け焼き刃の技術であれこれやるよりは今あるもので全力で立ち向かう方が良い気もする。

 たとえA評価を落としたところで、考えてみれば学校からの依頼なんて全く受けてないし、ロンドン警視庁からの協力依頼とかで仕事にも特に困ってない。

 むしろ今は一般教科の単位の方がよっぽど大事だ。あれ、オレってやっぱりおかしいわ……

 

「それで、この情報料とか取るのか?」

 

「ふーん。自分から払ってくれるっていうならありがたい話だけど、今回は無料で良いわよ。私達の安全のために2週間も頑張ってくれたんだし、そのお礼ってことで」

 

「そういうことならありがたく」

 

 ランク考査前に午後の専門科の授業を一般教科の補習で埋め合わせようなんて奇抜なことを考えるのはオレだけだろうなと、自虐気味にこのあとのことを笑ってから、今のがタダでくれた情報ではないだろうとさすがに怪しんで自ら切り出す。

 しかし意外と律儀というかなヴィッキーはNの標的としてから外してくれたお礼と称して情報料は取らず。

 自分の命に関わる案件だっただけに不安もあったのだろうから、それから解放してくれたオレへの感謝は本物なのだろうが、この情報料と命が釣り合うかと言えばそんなことはない。

 それでもオレは恩を売るために上海に行ったわけじゃないし、自分の責任でもあると思ってたから、これで良いんだ。

 その後ヴィッキーは食事も終えたのかそそくさと音楽室から出ていって、準備室に残ったオレも午後の授業を一般教科の補習に回すために教務科へ行こうとする。

 が、その足を止めるようにオレの携帯が通話の着信を知らせてきて、誰かと思えば今は確かローマにいるはずのアリアからで、出ないと風穴を開けられるので通話に応じる。

 

『ああ京夜。今どこにいるの?』

 

「今はロンドン武偵高。昼休みがもうすぐ終わるから用件なら手短に頼む」

 

『じゃあロンドンにいるのね。まぁランク考査もあるし、いるとは思ってたんだけど。あたしも今夜にはロンドンに戻るから、報告会も兼ねてメヌの家に来てちょうだい』

 

「そっちも一段落したみたいだな」

 

『そっちもってことは京夜の方も進展ありってことね。頼もしいわ。じゃあまた後でね』

 

 早々に所在を聞いてきたからには、直接会って話がしたいのだろうと予想しつつ、アリアの声色がローマで会った時よりもずいぶん明るい調子になっていたから、ベレッタの護衛任務も無事に済んだことがわかる。

 劉蘭と連絡した時にはまだ確かNに狙われる可能性がある期間だったからどうなるかと思っていたが、そこは良かったよ。

 手短にと頼んだ都合でザックリとした話になったが、また今夜もメヌエットの毒のコントロールをしなきゃならないと思うとちょっと気が重い。

 アリアとメヌエットの姉妹仲はすこぶる良いはずなのに、その愛情表現が歪んでるからきっと面倒臭いことになるのは目に見えてる。緩衝材も楽じゃないぜ……

 

 アリアがメヌエットの家での報告会を開くと言ったからには、すでにメヌエットにも話はいってるとみて、放課後はちょっと買い物をしてから連絡なしで訪問すると、やっぱり待ってましたなメヌエットはオレの訪問する時間まで推理していたか、珍しく1階のリビングでくつろいでいた。

 そうしてわざわざ1階にいたのはオレも推理ができていて、昨夜に大変お気に召していた日本食、おうどん様を早速ご所望だろうと思っていた。

 だから材料の調達をして来たオレを見てご機嫌なメヌエットは「皆まで言わずに準備してきたので、ご褒美をあげましょうか?」と冗談半分に頬にキスをしようとするから、おあずけを食らうくらいならと自分から頬を寄せてメヌエットの唇に触れて勝手にご褒美を賜る。

 するつもりはなかったからか逃げるようにキッチンに移動したオレに空気銃を数発撃ってきたメヌエットだが、当たらなければどうということはないのだよ。ホホホッ。

 しかしこれが良くなかったのか、そのあとの味の審査が死ぬほど厳しくなって、出汁から麺まで全てにおいて赤点を食らったオレは、次の品評会までにクオリティーを上げてこいと課題を出されてしまうのだった。



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Slash39

 

「何やってんのよアンタ達……」

 

「この世の理不尽についてを考えている」

 

「人の気持ちによる味覚の変化についてを少々」

 

 メヌエットの家でアリアが到着するのを待つ間、昨夜に気に入ったうどんを食べたいと言い出すことを見越して準備してやったのはいいが、ちょっとおふざけが過ぎてするつもりのない頬にキスのご褒美を勝手に貰ってご機嫌を損ねてしまう。

 そのせいでせっかく作ったうどんもこれでもかと言うほどの辛口評価で赤点をもらい、完全に意気消沈していたオレと、オレの反応が鈍くなってきて1人で思案に入ったメヌエットを到着したアリアが見て苦笑。

 リビングのソファーでぐったりするオレと対面して会話するでもなかったメヌエットの図は端から見れば異様だったのだろう。

 

「なんだかわかんないけど、良い匂いはするわね。何かしら?」

 

「作ったうどんの汁が余ってるんだ。食べるなら麺を茹でるけど」

 

「それじゃあ報告会の前にいただこうかしら」

 

 2人して割り込みにくい思考に入っていたから、さすがのアリアも深く事情を聞き出すことはせずに、切り替えるようにオレの作ったうどんに反応。

 食べてくれるなら嬉しいオレがちょっと復活したのをムッとして睨んでくるメヌエットは軽く無視してキッチンへと引っ込み準備。

 この家はメヌエットに支配されてるから、メヌエットが美味しくないと言えばサシェとエンドラも美味しくないとしか言わないから、もう本当に心が折れるんだもん。

 そんなオレのガラスのハートを修復するためにメヌエットの干渉を受けないアリアにお手製のうどんを振る舞い、メヌエットが「お姉様のお口には合わないかと」とか言う口をむにゅっとアヒル口にして封じる。ぐははっ! もにょもにょ何を言っているか!

 まぁ秒で手首を極められて床にキスしかけることになったが、そんなコントを横目にアリアがオレのうどんをちゅるりと飲食。

 日本食ビギナーで箸の扱いもおぼつかないメヌエットとは違って食べる姿も日本人っぽいアリアは、その辺で母親のかなえさんの血だなと思わせる。

 

「うん。美味しいわ」

 

「そうなんだよ。メヌにももっと言ってやれ」

 

「お姉様は庶民派の味覚なのでしょう。長く世俗にまみれて貴族としての味覚を失いつつあるのかと」

 

「どういう意味よそれ。っていうか本当に普通に美味しいもの。これはメヌの方に問題があるわよ」

 

 そして出てきた感想にこれでもかと乗っかってメヌエットを攻めるが、心の防御が固いメヌエットはアリアにさえ牙を剥く。

 舌が肥えるっていうのは上流階級には確かにあるのだろうが、舌が肥えたところで普通に食べられるものを美味しくないと言う変化はあまりないので、アリアもすぐにメヌエットが意地悪してるだけと看破。

 しかし意固地になって美味しくないを主張するだろうメヌエットに対してアリアという味方をつけたオレは1人ではできない作戦を実行に移し、用意していたオレの分のうどんを持ってきてアリアの隣で一緒に食事をする。

 アリアも何がしたいかはすぐにわかって食べながらの軽い雑談を展開し楽しそうな雰囲気を形成。

 美味しい食べ物がなきゃ共有できない独特な空間を作ることで、一時的にでもメヌエットが蚊帳の外になれば……

 

「そう。劉蘭もベレッタと同じで高い志があるわね」

 

「でも現実は厳しいと思うぞ。ベレッタの時も思ったが、世界平和ってのは武器がなくなれば達成できるものでもないわけだし」

 

「たとえ法で武器が禁じられたって、人間は新しいアプローチから争いの種を蒔くものだしね。なんならキッチンにある包丁だって使い方1つで凶器になるもの」

 

「だよなぁ。でもそれはそれであって、蘭達の目指すものはもっと尊いものだから……」

 

「……どうしてそうした話を私を除け者にして話しているのですか。あからさまに隣り合って対面し、意見を聞こうともしない姿勢は不快です」

 

「えー? だってオレ達は食事しながら雑談してるだけで、そんな話に高貴なメヌエット様の意見なんて畏れ多くて」

 

「そうよメヌ。アンタは味覚の変化について考えてたんでしょ。邪魔はしないから安心しなさい」

 

 大好きなお姉ちゃんが目の前にいながら相手にされないことに耐えられないメヌエットは、その相手がオレということもあってか想像を絶する早さで餌に食いつき、無理矢理に絡みに来る。

 ただしそこで受け入れては意味がないので、オレもアリアも1度は突き放してこの空間に入るための手段をとっくに推理できているメヌエットにその手を切らせにいく。

 それはやりたくないとばかりに抵抗は見せたメヌエットだったが、構わずに話し出してしまったオレ達にぷくぅと頬を膨らませ、明らかに我慢の限界を迎える。

 ちょっと涙目にもなってるし、オレ達にこれ以上のことをさせるか?

 

「…………美味しかったですから。京夜の作ったうどん。美味しかったことを認めますから、私にも論理的な意見を述べさせなさい」

 

「やっとメヌが折れたか。始めから素直になってくれれば良かったのに。いや、オレも悪ふざけしたのは謝らないとだけど、せっかく作ったものを美味しくないって言われるのは辛いもんだってわかって欲しかった」

 

「なに? 京夜もなんかやってたの? だったら協力するんじゃなかったかしら」

 

「そうですお姉様。この男はあろうことか私のファーストキスを無理矢理に奪った現行犯ですわ」

 

「ほっぺにな! そこのところハッキリ言って!」

 

 そのまま弱っていくメヌエットを見る羽目になったら、その年下いじめみたいな空気に負けて逆にこっちが追い込まれるところでもあったものの、その前に折れてくれたので安堵。

 こっちだって泣かせたくてやってるわけじゃないんだから……と内心で思いながらお互い様だったことはちゃんと認めた上でメヌエットの分のうどんも用意しようとしたら、一方的にメヌエットが悪いと思ってたアリアが敵に回りかけて心臓が飛び跳ねる。

 特にキスだのなんだのはアリアも敏感なタイプなので、頬にさせたことを強調して減刑には成功。ガバメントのグリップで頭は殴られたけど。

 

 そんなこんなありつつもようやく場が落ち着いてゆっくりと食事を終えてから、改めて雑談ではなく報告会を始めたオレ達は、直近での出来事を報告し合う。

 その前に前回の会合で話し忘れていたというNについての追加情報として、Nが『ノーチラス』の頭文字を取ったものであることを教えられる。

 ネモ本人がそう言っていたから確定情報としても、どのみち呼び方はNの方が短いしそっちで統一。

 まずはオレの方から上海での経緯を報告し、言うかは迷ったものの上海に行く動機が誤魔化しづらかったため、仕方なく土御門陽陰と一時的な協力をしていたことも話す。

 犯罪者をどんな理由があろうと許せないタイプのアリアはオレのその行動には少し顔を険しいものにしたが、陽陰がどうあっても逮捕できない状況だったのは理解したようで納得はしてもらえた。

 そしてオレが遭遇したNの構成員である霧原勇志。シャナ。テルクシオペーの3人にはまんまと逃げられたことに関してはお叱りを受けてしまった。

 せめて1人くらい逮捕しろといった感じの怒り方だったからには、そっちは成果があったんだろうなとアリアの報告を聞く姿勢になると、坦々とした調子で私情なしに報告を始めた。

 オレがイタリアを離れてからアリアとキンジは昨日までベレッタの護衛に就いていたが、それも今日付けで満了となったみたいだ。

 というのもNによる襲撃が昨日にあって、結果から言えばそれを撃退することでベレッタの人類史の分岐点としての役割が期限切れになったから、Nに狙われる心配もなくなったということだ。

 イタリアに現れたNの構成員は名前と容姿だけは話に聞いていたグランデュカという獣人と、その娘とかいうイオ。あとは姿は見せなかったらしいものの、メルキュリウスというやつの3人。

 あとはベレッタを再度殺すため遠隔からネモの瞬間移動が使われて海中に沈められそうになったそうだが、アリアが瞬間移動で相殺して事なきを得て、ネモ自身はその場にはいなかったとか。

 ネモの瞬間移動はこっちでも使われているので厄介極まりない技だ。攻撃にも逃走にも使えるわけだからな。

 それでグランデュカとの死闘を制してイオ共々で逮捕することに成功し、2人の身柄は今バチカンの地下に収監されて、事情聴取などはメーヤさんやカツェがして数日のうちには報告が上がるだろうとの事だった。

 これだけ聞けば結果としては良いものでオレもこれで終われば良いなぁとは思っていたが、やっぱりそんなわけもなく、ここからは私情を交えてのアリアが頭を抱えながらに話すと、Nの襲撃はローマ武偵高のランク考査の日と被り、日本よりもそこは厳しいローマ武偵高に所属しているキンジは拐われたベレッタを救出するためにランク考査を蹴り、それで翌日にはローマ武偵高を退学にされたという。

 それもキンジを嵌めるNの策略だったようで、グランデュカが負けるはずがないという部分が覆ったのを除けば、どちらに転んでもいいというもの。

 すでに日本に帰っていったキンジはこれから武偵免許の維持のために何らかの手を打たなければ、数日のうちに武偵免許が失効になる。

 日本で武偵免許は本来なら20歳以上にしか交付されない国際資格なため、これを未成年者が保持するためには武偵機関所属であるか、その卒業生であることは必須。

 それでも保持するには今から武偵庁に所属したりとか武偵企業に所属するかしなければならないが、どちらも望みは薄いだろう。

 なんと言ってもあの武偵高を退学になるような人材を欲しがる企業はないに等しい。

 特にキンジは国際的にもマークされてる危険人物リストに入ってそうな輩だ。超人ランキングとして有名なSDAランキングにも入ってるらしいから厄介事を運んでくる疫病神として引く手はなお厳しい。

 時期も年度の始めとあって人材不足なところもなさそうだし、本気で何か考えないとダメっぽいのはアリアもベレッタもわかっていたからか、帰国前に何らかの策はリサの方に託したらしい。

 それでもどうなるかはわからないので、数日後にメーヤさん達も交えての報告会を開く時にでも進捗を聞くと言うから、オレも同席しろとのお達し。ここに来れば良いんですね。了解。

 あとはベレッタのジュスト計画もNGOを絡めて話が進展しそうなことも聞いて、そこに劉蘭の計画も上手く絡んでいけたら、世界は良い方向に向かうかもしれない。

 その先に武偵という職業が廃業になることはわかりきってるが、必要がなくなって閉じる歴史ならオレも喜ぶべきものだし、オレが現役のうちに廃業になることはないとも思う。それだけ劉蘭とベレッタがやろうとしていることは先の見えない偉業なのだ。

 

「とりあえずの成果としてはそのくらいね。あとメヌ。ネモの瞬間移動の件で意見が欲しいわ。ちゃんと来てあげたんだから知恵を貸しなさい」

 

「そうですね。これも黄金消失と無関係ではないようですし、しっかりと推測を立てるべきと考えますわ」

 

「あと京夜。その勇志って人との因縁は収まりがつくのかしら?」

 

「説得って意味でなら、かなり厳しいかもな」

 

「ならまずは逮捕。上海でアンタは勇志の行動原理を知ったんでしょ。なら次に会ったら話をしようなんて考えないで、有無を言わせずに逮捕しなさい。話なんてそれからでも遅くないわ」

 

「……オレが中途半端なのを見抜いての意見か。そうさせてもらうよ」

 

「頼むわよ。バカキンジだけならまだあたしも穏便だけど、京夜まで役に立ってくれないなら頭の血管が切れちゃうかもしれないから」

 

「そ、それは十分に注意する……」

 

 報告会としてはそこで一端の区切りとして、今後のオレの行動に迷いがありそうなのをいち早く察したアリアがその辺でズバッと指摘してくれる。

 物事を回りくどく言わないアリアの指摘はありがたいものなので真摯に受け取りつつ、アリアとメヌエットの話に耳を傾けかけた時にオレの携帯に連絡が入り、相手はICPOの百地さんだった。

 アリアとメヌエットにも百地さんについては報告してあるから、何かNについての新情報が入ったのかもとだけ言って通話に応じてみる。

 

『よう。夜遅くに悪いな』

 

「何かありましたか?」

 

『いやな。Nについては特にこれといった進展はないんだが、仕事上で色んなとこに報告が極秘で飛ぶんだよ。そんでその中でお前さんと勇志のボウズが接触したことを気に止めたとこが出てきた』

 

「オレと勇志さんの接触に対してですか?」

 

 フランスとの時差はほとんどないから向こうも同じような時間帯だろうが、挨拶も簡単にすぐ本題を切り出した百地さんは、なんとも不思議なことを言う。

 ICPOはその組織上、警察や武偵組織との繋がりが強いため、Nという国際組織になると協力関係は密なものになるはず。

 その情報の中で何故オレと勇志さんの接触がピックアップされるのか。

 

『日本の警視庁。反応としては勇志のボウズの情報を欲しがってるってとこかもしれねぇが、それだけじゃねぇ空気もある』

 

「旧0課がこっちに来るんですか?」

 

『いや、近々そっちに顔を出すのは確かなんだが、旧0課の人間じゃねぇらしい。公安部ってのはそうだが、1課の人間だ。名前は崇清花(しゅうきよか)。階級は参事官』

 

「参事官!? それって警視長か警視正ってことですよね……お偉いさんじゃん……しかも女性って」

 

 その情報で動いたのが日本の警視庁と聞くと、勇志さんをみすみすNに行かせた責任感からかと思うが、幸姉から話を聞いた段階で警視庁はかなり怪しいと踏んでいる。

 勇志さんの失踪に関して警視庁は足跡すら追えてないという大失態を冒しているにも関わらず、動きがスローなのだ。

 マキリとかいう勇志さんの上司らしき人物までNに下っていることもわかってる以上、0課なき公安と言えどのんびり構えているのは不自然。尻拭いくらいもっと腰を入れろと思ってさえいる。

 だからなのか百地さんから接触を知らされた人物の階級の高さにいよいよ本気になったかといった雰囲気も感じる。

 参事官ともなればその上には警視総監と警視監しかいないに等しい。そんな人が単独で接触とか……

 その階級になるまでには劉蘭のような飛び級クラスの昇進はまずないので、年齢は40歳を越えているのは確実。両親の世代かそれ以上だ。

 

『俺もその参事官には会ったことがねぇからなんとも言えねぇが、顔写真からは頑固そうな性格が見えるな。一方的な要求をされる可能性も視野に入れとけ。あと付き添いって形で旧0課の人間も1人行くが、刺激しなきゃ何も起きねぇよ』

 

「何が刺激になるかわからなくて怖いんですが」

 

『そこは危機察知能力でなんとかしろ。んじゃ連絡役としての仕事は終わったから切るぞ。なるべく穏便に済ませろよ』

 

 わざわざ百地さんを通して接触を知らせてきたということは、向こうとしては表立って動いていることを悟られたくない部分がありそうだな。

 最後に旧0課の人間も付き添いで来ることを告げる辺り、文句は受け付けたくない百地さんの本音が垣間見えて苦笑。

 0課の人間とはあまり関わりたくないが、決まってしまってることを嘆いても仕方ないかと通話を切られた携帯をしまって、Nに関係のあることには違いないから2人には報告。

 

「警視庁がNの動向を探ってないわけがないし、この動きには意図があるわね。インターポールの人から情報は出たんだから、その崇清花って人のことは調べておくべきよ」

 

「会談においては向こうの意図をいち早く察して、逆に情報を引き出す攻めの姿勢でいなさいな。情報源が向こうからやって来てくれると考えれば気は楽でしょう」

 

「動きはするが、メヌの言うようなことは出来ないかもだぞ。0課の人間がいるってのは、サイオンほどじゃないにしてもそんなヤツがそばにいるってことだし、警視庁と敵対したくもない」

 

「でも利用されるだけなら犬と一緒よ。どうにかして対等な立場にはしておきなさ……ちょっとごめん」

 

 さすが強気なホームズ姉妹は、貴重な情報源を無駄にするなとオレに発破をかけてくるものの、そこまで強気にはなれないので向こうの意図くらいは知っておこうかなくらいの気持ちで臨もうと思う。

 犬と言えばすでにロンドン警視庁に都合の良いように使われかけてもいるし、尻尾振りは得意だぞ。好きじゃないけど。

 まぁそれはさせてやるつもりもないからオレを利用するって腹なら抵抗はしよう。

 その意思を目で示してみせてから、今度はアリアの方に誰かから連絡が入って、こっちはNに関係ないプライベートか個人的な案件だったからか、オレとメヌエットには聞かせられないと席を外していってしまう。

 反応からしてキンジ絡みではないな。仕事か、内容までは推測できない何かか。そのどちらかだろう。

 それがオレやメヌエットに関係ない話なら良いなぁとは思いつつアリアが話を終えて戻ってくるのを待つこと5分。

 ちょっと長かったからオレもメヌエットもかなり本気でアリアの反応を観察しておく。

 

「何よ2人とも。別に怪しい話じゃないわよ。ちょっと依頼が入っただけ。あたしにしか出来ない仕事だからって回ってきたみたいだけど、たぶん他にも声くらいはかかってるはずよ」

 

「Sランク武偵だからって話か」

 

「そうね。その認識で間違いないわ。内容確認は後日改めてってことだから、今はもうこの話は終わり! それより京夜も日曜日にランク考査があるでしょ。どっかのバカみたいに試験を受けないで退学とかやめてよね」

 

「現実にそんなヤツがいることの方が驚きだよ。そうならないために上海から急いで戻ってきたんだし」

 

「せっかくですしこの際、京夜には景気よくSランクにでもなってくださると、友人として鼻が高いのですが、無理でしょうか?」

 

「そういう高望みすると足をすくわれるんだよ。人には見合った立場ってのがあるもんだ」

 

「でも上昇志向がないのは問題よ。京夜はやればできるんだから、精一杯やることには意味があると思うわ。だから頑張りなさい」

 

 反応を探られるのをわかってたからか、自らペラペラと話して強引に話を終わらせてきたアリアの判断はさすが。

 それだけではオレもメヌエットさえも何かを引き出すまでには至れなかったから、妹対策は万全だったわけだ。伊達で姉妹やってないわ。

 そして話がオレのランク考査にすり替えられると、やたらとオレの評価が高いホームズ姉妹からの声援がプレッシャーに。胃に来るからそういうのやめてくれ……



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Slash40

 

 6月12日。土曜日。

 ランク考査も明日に控えた今日この日に、日本へと帰っていったキンジやイタリアにいるベレッタやメーヤさん達とのテレビ電話会議があるということで、朝も早くからメヌエット宅へと召集を受けたオレは、3人では携帯の画面は小さすぎるということでメヌエットのパソコンの画面で通話に応じていた。

 いくつかの画面が同時に表示されて、キンジとリサの画面。ベレッタ、メーヤさん、カツェの画面と白雪と粉雪ちゃんが映る画面とがあり、音声も届いているかの確認も挨拶で済ませる。

 

「キンジ。どう? まだ武偵免許はある? そこはどこ」

 

 開口一番に何だかんだで心配はしていたらしいアリアがどこにいるかもわからないキンジに退学後の進展を尋ね、ベレッタ達もメーヤさんによる日本語の同時通訳で会話に耳を傾けてくる。いやぁ、日本語での会話はありがたいね。

 その質問に対してあらかじめ策を授けていた側のアリアとベレッタはキンジが無事に武偵事務所を起業したまでは驚くことはなかった。

 が、その事務所も開業早々から問題が発生しまくりのようで、何をどう手違ったら事務所に饅頭工場が選ばれるのか大変に不思議なことを言う。

 すでに倒産寸前と聞いてアリアが無意味にガバを抜いて暴れようとするから、それをオレがなだめていると、画面の向こうの白雪はいつもキンジの味方なのでガミガミ言うアリアに対して「キンちゃん様社長をバカにしないで!」と一喝するが、ちゃんと様と社長とを繋げるヤバい呼び方には苦笑。初期のキンちゃん呼びが何でこうなった。

 それでアリアと白雪による口喧嘩はいつものことだから8割方スルーして強引に鎮火させると、メーヤさんが先日にネモに倒されて瀕死の状態にあるシャーロックの容態についての報告をしてくれて、一命は取り止めているものの、まだ昏睡中にあることを知らせてきて、それでもNとの戦いは止まらない以上は頑張ろうと、教職に就いたらしい人の言葉で鼓舞してくれる。

 そして捕らえたグランデュカからも情報を引き出すことはできたようで、そちらの報告を話を引き継ぐようにしてカツェがしてくれる。

 

『まずは、グランデュカへの聞き取り調査の報告だ。「我が祖先は神の国から来た」とか、身の上話が多くてなァ……要を得ない話ばっかだったぜ。ただな、Nには指輪で示される金・プラチナ・銀・鉄の4階級があるって事は分かった。いま言った順に偉い』

 

 そのグランデュカから取れた指輪の情報から、オレはこれまでに会った勇志さん達が指輪をしていたかどうかの記憶を遡る。

 勇志さんは、していた。

 アストゥリアス州で遭遇した際にオレの銃弾を指輪で受けながら勢いを殺して防御してみせた時に確認は取れてる。

 シャナとテルクシオペーの確認は取れていない……というかそこに注意してなかったからわからないが正しいが、階級があるならあの3人で同じ階級になることはないはず。頭が1つじゃないと統率は乱れるからな。

 それを考えれば明らかに勇志さんの上司のような態度だったシャナが勇志さんより上で、超能力の観点で見れば圧倒的なレベルのテルクシオペーが一番上。

 勇志さんが鉄階級にあったとしたなら、少なくともシャナは銀かプラチナ。テルクシオペーはプラチナか金になる。

 

「ふむ、プラチナが金より下というのは、一般的な感覚と異なりますね。18世紀中頃までプラチナは偽銀(フェイクシルバー)と呼ばれ、無価値なゴミとして捨てられていましたが……」

 

 それを鑑みて頃合いで報告しようと考えていたら、妙なことに引っ掛かったメヌエットが指輪の階級に疑問を覚えたことを口にする。

 確かに今はプラチナの方が金よりもその希少価値が高くて、そのプラチナが金より下という順番には違和感はある。

 だがメヌエットが疑問を解決できないということは、それ以下な脳みそのオレでは意見のしようがなかったから思考の邪魔はするべきじゃないなと口を閉ざしたのに、キンジがアホなことに絡んでいって、案の定「小舞曲のステップの如く」からのわずか4ステップで論破され撃沈させられていた。

 そんなんだから先行き不安になってるんだよとツッコミかけて、白雪を敵に回すリスクにギリギリで気づき引っ込めると、アホらしいキンジとメヌエットのやり取りに苦笑したカツェが話を続ける。

 

『あー、それでだな。Nは誰がメンバーなのか、その全容が──金指輪の階級以外には、自分たちでも分からないようにしてるって話だ。だから指輪はNのメンバーにとって超大事なんだ。奪われたり盗まれたりしたら、誰かがメンバーのフリをしかねない』

 

 つまりNは少なくとも金指輪であろうモリアーティやネモ以外は自分達の組織の全容を完全に把握していないってことか。

 まぁ仲良しこよしが動機な連中でもないし、何かが転じて敵になるかもしれないヤツに素性なんかはなるべく隠したいんだろうな。

 そうした意味でもNの仲間意識はそこまで高くはないだろうと推測しつつ、指輪に関してはこれで終わりだとカツェが締め、次にアリアが黄金紛失の件を切り出し、事前に話がいっていた白雪が口を開く。

 

『──アリアから依頼を受けて、私、イギリスから消えた金塊の件を占ってみたの』

 

 占いに頼るほど情報が不足してるってのは事実ながら、1つの結果として受け止めるくらいなら良いのかなと黙っていると、同じようにこの件で依頼をされてるキンジが他人事みたいな顔をしたのが気に食わなかったか、アリアが噛みついていく。

 そこでまた2人の喧嘩が勃発したりとあってオレとメヌエットがアリアから少し離れてあからさまにうるさいと態度で示しつつ、真面目な話をしているからか白雪もスルーして続ける。

 

『「(セン)」では大ざっぱな結果しか出ないんだけど、金塊は「世界5大陸のどこにも無い」って出たよ。172tも無くなってるのに、そんなはずないと思うんだけど……』

 

「サウサンプトンの黄金紛失事件が起きたのは、最後に国庫が確認された2004年以降。Nの活動が疑われ始めた、つまり顕現化し始めた、つまり活性化したのも、2004年。いくらモリアーティ教授が条理バタフライ効果を操れようと、Nの暗躍には莫大な資金が要ることでしょう。非超々能力的(ノンハイパーステルシー)に大質量の黄金を地上から「消す」手段が推理され得ない以上──ネモを擁するNと黄金紛失事件は、関係を疑うべき候補の1つです」

 

 確定情報ってことではないものの、白雪の占い結果からすると少し不思議な話ではあるな。

 5大陸に存在しないとなると、Nの拠点ってのがそもそも5大陸の上にはないって考え方ができるわけだ。

 それで考え付くのは、かつてのイ・ウーがそうであったように、原潜。或いはそれに類似した移動拠点か、洋上や海底、地下に拠点がある可能性になる。

 それなら5大陸になくても矛盾はないし、洋上、或いは空中、地中といった場所でも、ネモの瞬間移動があれば移動手段に困るようなこともない。

 その辺はメヌエットもすでに推理できているだろうが、重要なのはNと黄金紛失事件が無関係ではない可能性が濃厚になったことだから、まずはそこをハッキリと断言していた。

 これでオレも黄金紛失事件を追う者として、また勇志さんやシャナのこともあるNとの因縁は切っても切れなくなった。

 ここからはマジで運だけではどうにもならないだろうから、大事な場面で意図的ではないにしても悪運に頼る節があったオレは自力の底上げが益々重要になる。何度か死にかけてるのも事実だしな。

 とりあえず話はそれでお開きになりかけたので、オレが持ち得るNの情報はキンジ達にも教えておき、ベレッタには劉蘭との交流はどうなったかも聞いておく。

 

『劉蘭は凄い賢い人よ。武偵なら情報科(インフォルマ)とか鑑識科(レピア)で大成したんじゃないかってくらいにはね。ジュストもまだ原型は出来上がってないけど、進展としては良い方向に向かってるわ』

 

「そりゃ良かったよ。どうにもオレが運ぶ縁ってやつは良し悪しに関係なく繋がっちまうところがあるみたいでな。そこを心配してたんだ」

 

『縁? 面白いこと言うわね。でもそれなら素敵な出会いをくれたと思うわ。もちろん京夜と会えた縁も私にとって良縁と断言できるもの。貴重なジュスト候補でもあるし……そういえばロンドン武偵高のランク考査ももうすぐだったはずだけど』

 

『おっ? まさかとは思うが、メヌエットのわがままに付き合って試験をすっぽかしたとかあるんじゃないのか?』

 

「キンジはどうやら私を面倒な小娘と認識しているようですね。そんなキンジには今後一切の協力を断ることも可能ですが、さて、どうしましょうか」

 

 劉蘭はこれから忙しくなるだろうからプライベートな案件でのコンタクトは避けてあげたいから、ベレッタと話せるチャンスを逃すまいと聞いてみたところ、関係は良好なようだ。

 ジュスト候補からは外してもらって構わないんだが、ローマ武偵高では少し早くランク考査があったからと、キンジの退学が現実に起こった都合でオレの進捗に踏み込んでくる。

 それ自体は不都合はないんだが、試験と聞いて真っ先に絡んできたキンジの嬉しそうなこと大変にイラつく。

 さらにメヌエットまで巻き添えにして喧嘩を売ってきたので、ホームズ宅に集まったオレ達は視覚化してそうなほどのどす黒いオーラでキンジを威圧。

 人の不幸を喜ぼうとするその態度にはベレッタやメーヤさんも苦言を呈してキンジはすぐに萎縮してしまった。ざまぁ。

 

「ランク考査は明日だ。まぁそこにいるおバカさんみたいにならない程度には受けてくるから、その辺は心配しなくて良い」

 

『ケケッ。別にいんだぜ猿飛。お前が武偵高を退学になったら、イヴィリタ長官に取り計らってこき使ってやるからよ』

 

『いけませんよ猿飛さん。このような魔女の手先になっては悪に手を染めるのと同義です。そうなるくらいでしたらバチカンが責任を持って職を与えましょう』

 

『うわぁ、猿飛くんは人気者だね。じゃあ星伽も何らかのポストに就かせちゃおうかな。男の人は色々と立場が弱くなっちゃうけど、風雪も粉雪も喜ぶしね』

 

「この画面の向こうの無礼な方々は何を言っているのでしょうね。仮に京夜がそうなったなら、私の専属武偵として取り立てますから、職に困らせるようなことにはなりませんので心配には及びません」

 

「おいコラ。何で退学する前提で話を盛り上げてんだよ。それにロンドン武偵高のランク考査はローマほど厳しくないから、どのみち退学なんて余程のことがなきゃ起きんぞ」

 

 それはともかく、ランク考査が明日に迫ってるのを知った面々が最悪の結果になってもキンジのように路頭に迷いかけたりはないと新たな働き口を提案してくれる。

 それはありがたいと思う反面、退学が大前提で非常に不快。そういうのって現実になったりするから本当にやめてくれ……

 結局なんかオレのツッコミで笑い話になって会議が締められるという納得のいかない終わりになったが、メヌエットも笑い話ではなかったようでテレビ電話が終わってから念を押すように「あの方々の話を真に受けてはなりませんよ」と謎の釘を刺される。

 そうならないように最後の懸念であるメヌエットのわがままが明日に炸裂しないでくれよと逆に言ってやってから、まだ間に合うからとそそくさと通学していき、若干遅れ気味だった一般教科の補習を受けていった。

 ランク考査が明日に控えているのに一般教科の補習をやる変わり者なんてオレだけだろうなと思ったら、なんかヴィッキーもいたりでこいつも図太いヤツだなと自分を棚に上げて呆れてしまう。

 聞いた話じゃNの件で気が気じゃない生活を送らせていた時期は理子とジャンヌのお世話で学校に行ってなかったとかだが、そこは登校しておけと。あんな観光気分の2人に合わせてたら遊び人に転職しちまうぞ。行く末は賢者だな。あ、でもそれだと貴重な人材になる気がする。それは違うな。今のなし。

 といった心の内を読まれたかどうかは知らないが、不穏な空気は察したのかオレを見てなんかムッとした顔をしたヴィッキーの勘の鋭さはアリア並みではなかろうか。野性の勘ってやつかもしれん。注意しとこう。

 

 ともあれ補習が終わって一晩を寝て過ごせば、あっという間に翌日のランク考査の日。

 年に2度しかないロンドン武偵高のランク考査は、卒業や進級を控えたこの時期の緊張感は割と胃に来るものがある。

 オレは日本基準ということもあって卒業までにこれを除いてもあと1回は挽回のチャンスがあるから、周りよりもピリピリとした空気は纏ってないのだが、それが悪目立ちするというか場違い感が出てしまうので、諜報科らしくこの緊張感に紛れておく。試験怖い……帰りたい……

 兼科している武偵は必然的に試験も増え同時には試験を受けられないため、学科ごとに試験の時間は異なり、諜報科の試験は午後3時に1年から3年までが学年ごとに同時開始となる。

 それまでは適当に時間を潰そうかなと思っていたら、諜報科の実技試験の内容が昼から開示されるとかで、強襲科などでも試験時に口頭で説明なのになぜ諜報科だけ? と疑問は生じる。

 この場合に考えられるのは事前に作戦を練る必要があったり、或いはチームを作る必要がある可能性くらいだが、どっちもってのもあるな。

 その予測は案の定で的中してしまい、諜報科の教諭から渡された数枚の紙には色々と書かれていた。

 

「盗まれた機密文書の奪還作戦。1年は3人1組。2年は2人1組のチーム。3年は1人で、機密文書を保管している建物へ侵入し、これを奪還。配置されている警備に迎撃、または機密文書の消失は依頼の失敗とみなす、と」

 

 基本的な試験内容はそれだけで、方法に関しての制約は特になし。もちろん殺しはNGだがな。

 人数による難易度の上下の設定をしているってことは、1年から3年までの内容は同じものではあるが、求めるものは違うといった感じか。

 建物の見取り図は依頼主が事前に調査してくれている設定なため、構造は紙にもしっかりと図解されているが、警備や防犯に関してはまるっきり分からないし、機密文書とやらの保管場所もさっぱり。守る側に立って考える必要がありそうだ。

 そこら辺はじっくり考えるとして、まずはパートナーを確定させて能力の把握などを済ませないとかと思って、この試験内容に適した人選は早い者勝ちなところもあるなと行動を迅速にしようと、この2ヶ月ほどで把握していた同級生の中で最適なパートナーを選択。

 今回は試験向きとも言えない能力のヴィッキー辺りが泣きついてくる前にどうにかしようとしていたら、ふとした疑問が浮上したのと同時に、諜報科の教諭から直々にお呼びがかかる。

 疑問というのは2年の諜報科の所属人数についてで、オレの認識では確か2年生はオレ含めて合計で23人。2人1組を組むには数が合わないのだ。

 その辺で学校側が考慮していないはずもない──実際に1年生では余りが出ない──のにどうしてだと引っ掛かっていたら、その疑問に対する答えを教諭から伝えられてしまった。

 

「猿飛京夜君。君は東京武偵高では最高学年に当たるため、当校でも試験内容は同等のものとする。なので試験は3年と同じく1人で臨むように」

 

「…………こういう時だけ3年扱いなのかよ……」

 

 オレのロンドン武偵高での扱いは、9月の新学期までは2年生で、それ以降からは3年生というもの。

 なので試験も2年の扱いで受けるものと考えていたが、なるほどそういうことね。畜生が。

 それを当日に言い渡す学校側の意地悪に文句を言おうとも思ったが、最上級生という立場を忘れて生活していたこっちにも落ち度があるから、これはトントンくらいにしかならないと勝手に解釈して、色々と口から出かかったものを引っ込めてその通達に承諾。

 なになにと気になって近寄ってきたヴィッキーがもののついでにパートナーにしようと目論んできたが、ふっ。その策略も無意味に終わったな。神は死んだのだ。

 

「えー! キョーヤは1人で受けるのぉ!? 御愁傷様でーす」

 

「やめろ手を合わせるな。というかそっちも御愁傷様だな。この内容だとAランク維持は厳しいだろ」

 

「ちょっとぉ、あんまり私をナメないでよね。1人ならともかくパートナーがいれば私だってどうにか出来る可能性がなくもないし」

 

「あっそ。どうでもいいけど頑張れよ。オレもこうなると余裕がないからな。残りの時間は1人で集中させてもらう」

 

 オレをパートナーに選べなくなったことよりも、オレが1人で試験を受けることになったことに反応して合掌してくる辺りがヴィッキーの性格を表しているような気がする。

 リバティー・メイソン的にはオレのランクダウンは評価に影響しそうだから、この際Bランク以下に落ちて勧誘の手を引かせるのもありかとも考えたが、それよりもランクダウンと聞いてメヌエットのイラつくほど失望する様が頭に浮かんで、無いなと即決。

 教諭からは最後に試験の順番が最後であることを告げられて、待ち時間は他の生徒の様子を見学することも出来ないこともあり、とにかく情報不足がキツすぎて何に対しての対策を取るべきかもハッキリしない。

 見取り図の他には建物の外観の写真もあるが、侵入口くらいしか参考にならないな。どうしたもんかね。

 結局は中に入ってみての出たとこ勝負な部分が多いため、アンロックスキルだけは迅速に行えるように指を慣らしておきつつ、わざわざ校外の建物を使って行われる試験が始まったのを校舎から見学。

 建物までは自力で辿り着いてのスタートなので校外へと向かう試験者の姿は確認できるが、それだけなのでとりあえず戻ってくるまでの時間でも測るかと並行して思考もしていたら、1、2年の方は割と時間がかかっているのに対して、3年の回転率が早い。

 確かに1人で受ける3年は回数も多いから回転率は上げなきゃならないが、それにしても早いぞ。1、2年が1組終わる間に5人も出発してる。

 そうなるとやっぱり試験者はほぼ迎撃されたか、或いは驚くほど簡単なのかの2択──生徒がみんな優秀という考え方をしないのは悪いがな──だろうが、たぶん前者だ。誰も戻ってきてないし。

 その現実を受けて、オレも試験という名の付くものにこれまで大したプレッシャーを感じたことがなかったのに、どんどん迫る順番に少しずつ緊張の色が表れ始めたのだった。



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Slash41

 

 ──1人。

 諜報科のランク考査が始まってオレの順番に回ってくるまでにこの校舎へと戻ってきた生徒の数だ。

 オレを除けば3年生は全員で25人いたのだが、その中で機密文書を持って帰って来られたのは、ゼロ。

 戻ってきた生徒も機密文書を持ち出すまでには至らなくて生存して戻ってくるのがやっとだったようで、評価としてはおそらく25人の中では最高だろうが、試験を突破したとは言えない。

 

「これ普通じゃねぇな」

 

 オレが失敗すれば全滅という、なんか間違ってるんじゃねとさえ思えてくる学校側の難易度設定には文句も言いたくなるが、それはオレが失敗した時にでも3年生と一緒にやる方が効果的だろうと、今はそれを引っ込めてスタンバイしていたところに教諭がスタートを告げる。

 制限時間は特に設定されていないのでじっくりといきたいところなのだが、そう考えるヤツもいたはずの中でのこの結果だ。当然そうさせない仕掛けもあるんだろう。

 目標の建物はロンドン武偵高を出て1kmほど西に移動したパディントン地区の一角にあり、5階建ての地下はない商業ビルだ。

 周囲にも同じような建物はあるが、部外者が立ち入るには不審感を与えるような雰囲気はあるため、堂々と正面からの侵入は無理そう。

 しかもビル内にはエキストラとは思えない一般人が普通に仕事をしている様子が見え、演技では完全にないところを察するに、本当にビルだけお借りして試験をしているっぽい。おいおい、人が死んだら責任取れるのかよ……

 こうなると一般人を巻き込むかもしれない中での荒事はご法度で、いるという警備も学校側が絶対にミスをしないプロを雇ってる可能性が高い。

 

「監視カメラ……」

 

 だがそこまでわかると機密文書の保管場所も当たりはつけられる。

 場所だけを借りているなら機密文書は本来の業務をしている彼らに差し支えない場所に保管してあるはず。迷惑をかけたら抗議文とか怖いしな。

 なんか学校側と会社側の思惑を考えてる辺りで思考がズレている気がするが、そういうことなので通行人を装ってまずは建物の監視カメラを探して配置を確認。

 道路を挟んだ向かいには手頃な建物もあって屋上は観察にはもってこいなんだが、嫌な気配がするんだよな。侵入する建物より背が低いから見る場所によっては屋上も丸見えだし、スナイパーがいる可能性も考慮すると狙い撃ちされる。

 監視カメラは物凄く緩く表の出入り口に1つあるだけ──商業ビルだし当たり前ではあるけど──で、入ろうと思えば裏口から普通に入れそうではある。

 鍵はかかってても電子ロックではないのでピッキングで開けられるはず、なのに、どうにもこの裏口からの侵入は匂う。

 一般人の仕事の支障になるトラップは無いと見ていいが、裏口なんて「この日は使わないでくれ」と通達があれば非常時を除けば何の問題もないはずだし、赤外線センサーならそもそも邪魔にさえならない。

 外部からのあらゆる侵入口に設置されてると仮定するなら、警備が最も駆けつけるまでに時間がかかるのは厳重にする1階から遠い上階になる。

 ということでスナイパーがいるかもしれない屋上からの侵入に決めたオレは、建物と建物の間がわずか50cm程度しかない隙間に人目を盗んで入り込み、3階建ての隣の建物までは力業で登り、そこから残りの8mほどの高さはミズチのアンカーを撃ち込んで巻き取りながら登頂。

 ここが最も人目につくので1秒でも早く登りきってみせて、屋上に顔を出す際にはスナイパーがいないかを一瞬で見極めて転がり込む形で音もなく到達。

 案の定、スナイパーが1人いたのだが、オレの予想通り正面の向かいの建物への注意と、他の面への警戒を一定時間ごとに変えているようで、オレが屋上に来たことには気づいていない。

 死角を利用して隠れて、スナイパーが無線で他の警備と会話するのを聞いて、移動する間隔を把握してから、タイミングを見計らって奇襲し意識を刈り取ると、武装を単分子振動刀で破壊し、ナイフなどは屋上の高い場所の上に置いてワイヤーで拘束。

 最後に無線を回収して完了だが、装備からして武偵ではなく軍隊所属の人間のようで、中のヤツらもそうなのかね。

 

「……性格悪いヤツがいるよなぁ、これ」

 

 まだ警備がどれだけいるかも分からないから慎重に行動して屋上から中へと入る扉をピッキングで開けてみると、扉のすぐ内側に上下左右で2本ずつの赤外線センサーが設置されているのが確認できて、隙間を通ろうにも人1人が通り抜けるだけのスペースがない。

 なのでだいぶやっつけで取り付けられているそれをセンサーに引っ掛からないようにと、正常な稼働を阻害しないようにしながら取り外して、2個1組の小さなセンサーを赤外線照射する面同士でくっつけてワイヤーで縛り固定。これで稼働しながら異常を検知されることもないはずだ。

 スナイパーの定期報告は移動と同時だったので、その時間もわかってるオレは出来る限りの声真似で無線に報告を流して異常のない風を装いつつ、ようやくビル内部に侵入。

 そして無線を持ってわかったことが1つ。中の警備は1人しかいない。

 というのもこの無線、かなりの安物でペアでの相互間しか繋がらないタイプ。普通に使えはするが実践においてはオモチャと言っても差し支えない代物だ。セットでも5000円しないんじゃないか。

 これが単なる手抜きなのか、はたまたあえての穴なのかはわからない。もしかすればそう思わせる罠かもしれないので、この目で確認するまでは油断は禁物だな。

 屋上から5階に降りて、頭に入れていた建物の見取り図を掘り起こし、普段は人の入らない部屋を探し出す。

 5階ともなるとそれは顕著で物置みたいな部屋がいくつかあったので、その中で施錠されていない部屋を選んで身を潜める。

 いちいちピッキングで開けている時間もあるかわからない状況でリスクを冒す必要はないってこと。

 さてさて、これから下の階に行くにつれて人も多くなるのは確実だが、オレの推測では1階と2階。それとこの5階には機密文書はないと見ている。

 考えられる侵入口として1階と2階は諜報科なら割と可能性としてはある。手段さえあればオレのように屋上も選択肢に入ってくるが、半端な階層で外からも目立つ高さの3階、4階は入るに入れないと誰もが考えるし、実際に無理に近い。人目につかずにって条件ならオレには不可能とさえ言えるね。

 となればその侵入される可能性のある階層には機密文書は置かない。最も安全な位置に配置する、はずなんだが……こういうのは眞弓(まゆみ)さんとかの方が論理的に推測して行動できるから自信があるかと言えばそこまででもない。

 でも闇雲に探して動き回って見つかってドボンでは意味がないから、いくつか当たりを付けるのは必要なこと。それが外れた時は、危険を冒して行動するしかないかな。

 スナイパーの定期報告の間隔が5分置きと割と頻繁なため、行動時間の制限がキツいものの、報告さえ怠らなければ警備にはバレないから焦る必要はない。

 だから確実に歩を進めて4階に辿り着いたまでは良かったが、階段の下から人の気配がして鉢合わせはマズいと近くのトイレに潜り込み、1、2段は飛ばして登ってきた人物が社員ではなさそうだと階段側にわずかに顔を出して観察する。

 音もほとんどなく軽やかに階段を登ってきたのは、やはり警備の人間っぽく……んーと、フルフェイスと防弾装備で誰かはわからないようにされてるけど、小さくね?

 身長は150cmにも満たないし、体格からして間違いなく女。しかし漂う強者感は上にいたスナイパーを遥かに上回る。

 

「…………ああ、そういうこと」

 

 そんなミニサイズで只者じゃないオーラを出せる人物をオレは数人しか知らないし、4階に到達して1度立ち止まった警備は、同じように降りてきたオレの気配を察知していたのか少しだけ考える素振りを見せてから、5階へと登っていってしまった。

 その体重を感じさせない動きと勘の良さ。アリアだなあれ。レッグホルスターに収まってたのもガバメントみたいだったし。

 ということはこの前にアリアに直接来ていた依頼っていうのはこれか。道理ではぐらかしてきたわけだ。

 そして中の警備がアリアだけなのは『アリアに合わせられる人材がいないから』だろうな。

 ここ1年くらいはキンジを筆頭に割とチームプレイというか人と絡んでの仕事をしていたから忘れがちだったが、そもそもアリアはそのスペックがズバ抜けていて、欧州では『独奏曲(アリア)』と呼ばれていたくらいだ。

 だから中の警備はアリア1人で、外への警戒に1人だけスナイパーを使ってる形なんだろう。それなら連携は最低限でも妨げにはならない。

 とはいえこうしてSランク武偵が中を守っていれば、Sランクのいなかった3年生では1人で突破は厳しいだろうよ。

 強襲科と諜報科の学科の相性としては諜報科に分があると言われているが、SランクとAランク以下では相性も覆るってことか。

 これはオレも相対したらやられるなと確信しながら、何故アリアが5階に向かったかに意識を向けて、おそらくはオレの定期報告に違和感、或いは不備があったからだろうと判断。

 もう少し緻密な打ち合わせがあって、それに引っ掛かった可能性が高いので、オレの侵入はアリアに知られたと考えて策を練り直す。

 

「…………チャンスでもあるか」

 

 だがアリアに侵入を察知されたならと、オレは警備がやりがちな行動パターンに思い当たり、1人しかいないアリアならそれも顕著になるだろうと、アリアが降りてくるのを待つことにする。

 今回の機密文書の奪還という任務の特性上、物自体を機械的なセキュリティーで守るのはよくあるし、アリアみたいな警備も配置される。

 だから警備は侵入者を察知すると意識的にでも無意識的にでも『対象の近くに移動する心理』が働くもので、1人で迎撃しなきゃならないアリアはあちこち動き回ってる間に奪還される可能性を排除しなきゃならないから、機密文書のある部屋を固めないといけなくなる。

 その動きに意図があるかどうかを見極めて場所を特定することにしたオレが、警備であるアリアを見張るという逆転した状況には違和感満載。

 それでもアリアが相手な以上、下手に動いて尻尾を掴まれてブンブン振り回してぽーいされる可能性は限りなく高いのだから、最小限の動きに留めるにはこれしかない。

 

 ……そう思っていた時期が私にもありました。

 予想通り戻ってきたアリアは真っ先に機密文書のあるだろう部屋を確認しに行き、実際に中にまで入って確認もして出てきたのだが、その行動に迷いがなさすぎる。

 確かに機密文書の有無は警備としては最も気にかけるべきところだろう。

 それでもアリアのこの行動は言い方を悪くすれば、軽率。配慮が足りていないように思えた。

 それを裏付けるようにそれ以降は部屋の前を動くこともなく不動の構えで警備するアリアは、絶対に通さないといった雰囲気を放出してアンテナが鋭くなったのがわかる。

 アリアには侵入者がまだ猿飛京夜であることはわかってないはずだが……もしもオレだと断定して動いているなら、これはもう読み合いになってるのかもしれない。

 眞弓さんはいつも『こうなってほしくない状況』に対しての対策をまずすると言っていた。

 そうすると必然、それ以下の状況には冷静でいられ精神的にも余裕が出来るからだと論理的な説明もされたことがある。

 

「この状況での最悪……か」

 

 熟考するにも腰を落ち着ける必要はあったから、1度5階の備品倉庫に退避して状況を整理。

 そこから最悪の状況というのを考えられる範囲で想定してみる。

 詰みという状況がそれなら迷いなく撤退するが、想定はそこではなく、任務遂行に当たっての壁の話。つまりまだ望みがある前提での最悪だ。

 吐きたくなる状況としては……アリアにはもうオレという人物の特定が完了していて、オレのここまでの考えも勘と経験値から行動を監視されると読んで、オレの思考を誘導していた場合だ。

 とすればアリアのあの軽率な行動にも意味があって、機密文書はここだとオレに印象付けしたことになるのかもしれない。

 問題はアリアがオレにどう行動させたいのかを読むことだが、普段のオレならアリアの守る部屋には逆に機密文書はないと踏んで足を止めてくれてるならと別の部屋の捜索に走る。うん。これは間違いない。

 労力は使ってしまうがそれで他のところになければ消去法で結果としてはあの部屋に辿り着けるしな。

 だが消耗狙いならアリアにしては消極的な攻めとも言え、オレがそういう行動を取ると読めたなら、そこに罠を仕掛けてくる。

 部屋を印象付けて警備を固めたところまで見せてから、他の部屋の捜索に行ったところを御用。

 もしくは最後に残ったあの部屋しかないと諦めて正面突破してくるまで我慢する根比べか……

 そう考えていた時に全身の細胞がそうではないと警鐘を鳴らしてくる。

 ……いや違う。もうオレのこの思考も誘導されてるんだ!

 ──キィィィィ。

 それに気づいたのとほぼ同時に隠れていた備品倉庫の扉が静かに開けられて、明らかに社員の開け方ではない、音を殺す開け方はアリアだ。

 今は明かりを点けていないから窓もないこの部屋は薄暗く、人がいるかどうかはすぐにはわからないが、明かりが点けば……

 勘も良いアリアなら上手く隠れてもバレるのは確実。詰んだか?

 意味もなくスナイパーの安否の確認のために5階。または屋上まで行ったとは思えなかったが、まさか施錠の有無まで確認してたのか。

 オレがアリアの行動の意図を考える時間を取ることを読まれて、その場所に当たりを付けられていたってわけだ。Sランクは伊達じゃないぜ。

 扉は内開きのため、物理的な死角はまだあるが、それも数秒で有視界内に変わってしまうとあってオレも四の五の考えてる余裕はなく、半開きにまでなったところでガバメントを持つ反対の手で明かりのスイッチに手をかけたアリアを見て覚悟を決める。

 片手がスイッチにいった瞬間にそばにあった消火器を持ってアリアを奇襲。

 さすがの反応でガバメントを向けはしたが反射神経も良いから消火器を見て撃つのをキャンセルしてくれて、そこで間を詰めたオレが消火器を投げつけてやると、逆に蹴り返してくる狂暴さはアリアらしいが今はやめてくれ!

 蹴り返された消火器を受け止めて自棄気味に持ったままアリアに突撃をかまして、体重差で押し切りにいくと、フッと消えるように沈み込んだアリアが仰向けになってオレの足を蹴り転倒させようとしてきた。

 そのままオレが転倒する間に潜り抜けて立ち上がろうという魂胆も見えたのであえて蹴りを食らって体勢を下向きにし消火器をアリアにタッチダウン。ほぼ落としたんだけど。

 急な消火器の襲撃で「ぐえっ」と小さく呻いたアリアのそばに手をついて、前に転がり備品倉庫を脱出。

 これでアリアとのおいかけっこが始動してしまったが、こっちも後手後手に回りたくはないから、色々と先手を打たせてもらうぞ。

 まずはすぐに追いかけてきたアリアとの距離を開くために屋上へと逃げる。

 スナイパーを解放されていたらマズいが活路はここしかないから行くしかない。

 全力ダッシュで屋上まで辿り着いて扉を開けると、幸いスナイパーは解放していなかったみたいで待ち伏せはなかったが、1秒を争う状況で安堵などしてる時間はない。

 扉を開けてすぐに単分子振動刀を抜き、開けた扉の裏側へと逃げるようにして動き、外側のドアノブを単分子振動刀で破壊。ただしドアノブはほんの2mm程度だけ残してドアとしての機能は辛うじて残るようにする。

 そこから屋上に飛び出してきたアリアを見るよりも早く扉の上を掴んで反対側へと乗り越え出入り口の前に着地。

 そこでアリアとは至近距離で対峙することになったが、わずかに先手を打てたオレが振り返るアリアを蹴り飛ばして距離を強引に開けて扉を閉める。

 防犯上の理由で内開きが基本の欧州では珍しく外開きのこの扉は、閉まると割とピッタリ壁と一体化するため、開けるにはドアノブがほぼ必須。引っ掛かりがないとたとえ施錠されていなくても開けるためには道具か何かは必要になる。

 まぁアリアなら鉄の扉だろうが蹴破ってきそうだし蝶番が外にある都合でそこを破壊される危険性はあるが、扉の構造上、物理的に内側に開かないようになってる扉を力業では破りにくいはずだ。

 これに時間をかけてくれれば万々歳。油断はできないからここを突破してきた際に踊り場を経由しないで飛び降りる選択を迷わずするだろうアリアのために手をつく位置に古典的だが撒き菱を置いておく。踏んだりすると当然ながら痛い。

 とにかくこの1分あるかどうかな時間は貴重なので、急いでアリアの守っていた部屋まで行き、屋上での対峙の際にこっそりと拝借していたこのビルのマスターキーを使ってあっさりと中へと侵入することに成功。

 扉の内側には赤外線センサーがあったが、もう見つかってるからと無視してこれ見よがしに置いてあった暗証番号入力式の金庫に近づいて迷いなく単分子振動刀で両断。いや便利便利。

 ──パキンッ。

 問題なく金庫は突破したので単分子振動刀を納めようとしたら、ここまでの酷使が響いたのか単分子振動刀の刃が先端から5cmほどが欠けてしまう。

 ぎにゃー! これジーサードに修理依頼しなきゃならないやーつ!

 これまで色んな物を斬ってきた単分子振動刀だが、やっぱり耐久も一緒に落ちてはいたんだな。南無三。

 この試験が終わったらすぐにジーサードに連絡することにして、今は機密文書と切り替えて金庫の中にあった機密文書を取り、さっさと出ないとアリアに捕まると部屋も出ようとする。

 しかしこの部屋に金庫以外のある物があったため、少しだけ考えてそれも一緒に持ち出して部屋を出る。

 さてさて、アリアがどこから来るのか全く予想ができないから、どうやってこのビルから出るかね。

 屋上の扉を開けられないと判断したならワイヤーでも使って降りてるだろうし、なりふり構わないなら瞬間移動で地上まで跳ぶことさえ出来るからな。Sランクの超々能力者はやることがわからん。

 それでもこっちが安全無事に脱出する方法がないわけでもないので、そのための準備をして上の階には危険だから行けないから下の階を目指して降りていく。

 

「逃がさないわよ」

 

 そこを狙うかのように下から上がってきたアリアと鉢合わせして、3階と下の踊り場で再び対峙することになってしまった。

 やっぱり降りてたか。だがここが最後の正念場ってところだな。意地でも通らせてもらうぜ、その先を!



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Slash42

「あっ。これ返しとく」

 

 ランク考査試験でビル内部に隠された機密文書の奪還をすることになったオレは、警備としていたスナイパーを撃破して残ったSランク武偵、アリアとも交戦。

 なんとか1度は振り切って機密文書を手に入れることはできたが、脱出の際に再び捕捉されてしまう。

 2階へと降りるための階段の踊り場で立ち止まったアリアを抜けない限り下へは降りられない状況。

 アリアが下に来たなら上が安全になった。わけもなく、下へ降りる際にオレが拘束していたスナイパーは100%解放されて、屋上に逃げたら今度こそ狙い撃ちされるね。

 それを察して挟み撃ちに遭うくらいならアリアを突破しようと考えて、盗んでいたマスターキーをアリアへと投げ返すと、それをアリアは受け取る素振りも見せずにスルー。さすが。

 

「その手には乗らないわよ」

 

 言いながら正体を隠すためだろう顔の防備を解いて素顔とトレードマークのツインテールを晒したアリアは、向けてくるガバメントを少しも下ろさない。

 素直にマスターキーを受け取る素振りでも見せてくれれば、その隙に1手くらい何か出来たが、Sランク武偵には通用しないな。

 顔見知りだから会話に持ち込むことも可能に思える状況だが、仕事に私情を持ち込むようならアリアはSランクにはなれないため、ここでその手は相手に仕掛けるチャンスを作りかねない。

 アリアとしては機密文書をオレから奪い返すのが最優先で、オレの捕縛は最悪できなくてもいいというスタンスではあるが、プライドもあるだろうし確実に捕縛も前提にしてくる。

 そこにはSランクだろうと絶対に無理が出てくるから、オレはその無理の隙を狙うしかない。

 ただしオレには事前の策が1つあるため、いつ頃に使えるかはタイミングが選べなく運が絡んでくるのはあるが、とにかく時間を使いたい。

 下から来たアリアならオレが4階でしていたことはわからないだろうから、上に逃げるのは狙いを悟られるからダメ。

 どうにかこの3階に留まるか、下の階に突破するかで固めると、オレの思考を途切れさせようとアリアがガバメントと小太刀の変則二刀流で仕掛けてくる。

 ガバメントは働く社員に不安を与えないように可能な限りで使用は控えると踏んでるが、ここぞで撃つ度胸がアリアにはあるからチャンスは与えない。

 動き方から見てアリアはオレを上の階に追いやりたいようで、階段を守りながら通路側に逃げないようにガバメントを牽制に使い、小太刀で回避を誘導。

 そうしか避けられない攻撃というのがアリアらしい追い込み方だが、意図がわかれば抗うことも出来るため、ミズチのアンカーを天井に付けて体を浮かせて小太刀を躱して、宙吊り状態からアリアを蹴って反動をつけようとする。

 それを読んだアリアもオレの蹴りが届かない低い姿勢になって躱しながら、身動きの上手く取れないオレを狙う好機とガバメントを撃ってこようとする。

 が、オレがこんな簡単にガバメントを撃たせるようなことはしない違和感に気づかれてガバメントをしまって小太刀二刀流に切り替えられる。

 

「やっぱそうなるよな!」

 

 アンカーは5秒で外れるので待ち構えるアリアに先制されないためにガバメント対策に取り出したクナイを2本に増やして同時にアリアへと投げ落とすと、至近距離に関わらず小太刀で2本とも弾かれてしまう。1本くらい当たろうぜ……

 わずかながらの期待はあっても有効打になるとは欠片も思ってなかったから、今の弾きで5秒の宙吊りをしのぎ落下と同時に煙玉を炸裂させて目眩まし。

 その煙の中で鋭い小太刀の一閃がオレの背中に命中して呻きそうになるも、アリアもここからは勘だけで小太刀を振るえばオレの首を飛ばす可能性もあるから音に集中するので、得意の無音移動法(サイレント・ムーブ)で階段へと向かい、踊り場まで転がり込む。

 その着地だけは音を立ててしまったので空間認識能力もあるアリアは煙の中から弾丸のように飛び出して踊り場にいるオレを強襲。

 しかも下の階に逃げるルートを真っ先に潰す強襲で角に追い詰められてしまう。やだもう! 敵を前にしたアリア嫌い!

 敵に回すと厄介だということを再認識させられたアリアの強さはまともなダメージを食らっていないにも関わらずヒシヒシと感じてしまう。

 2本の小太刀を左右に構えて仁王立ちするアリアの横を抜くのはもう不可能で、アリアも諦めろと言わんばかりに鋭い眼光でオレの動きの1つも見逃さないプレッシャーを与えてくる。

 ──ジリリリリリリリリリリィ!

 身動きを取ろうが取らなかろうが問答無用で無力化させられる。そのための攻撃をアリアが仕掛けようとした瞬間、このビル内に響き渡ったのは、各所に設置されている災害用の非常ベル。

 タイミング的にオレが押したように思えるところだが、押したのはオレじゃない。もちろん誰かが押すように細工はしてきたんだが、間に合ったぁ。

 3階に降りる前にオレはある部屋に白色の発煙筒を10本ほど発火させて放置してきた。

 あれは1度使えばかなりの量の煙を放出するので、10本も点ければみるみるうちに部屋内に煙が充満する。

 マスターキーで鍵も掛けてきたので自然発火を装え、すぐに中を確認できなくもしていたから、隙間から漏れる煙を見た社員が気づいて非常ベルを押すと、そういうことだ。

 オレにとってもタイミングは選べないが、アリアにとってはオレ以上の予想外だったのは確かで、非常ベルが鳴った瞬間に隙が生じて、虎視眈々と狙っていたオレの素早い行動に反応がわずかに遅れたアリアの両手を握り小太刀を封じる。

 そして毎日欠かさずにやってきた功夫によって軽いスタンガンくらいの発勁までは手から放てるようになったオレがアリアに気を流すと、バヂンッ!

 両手に電撃のような衝撃が生じてアリアは握力を一時的に弱められて小太刀を落とす。

 そのアリアを投げ技で組み伏してすぐに下の階へと逃げたオレにアリアは対応が間に合わない。よっし……

 

「そうはいかないわ!」

 

 あとは避難に動き出す社員の波が来ればそれに便乗して外に出るだけ。

 そう思っていたらただ投げ倒されただけではなかったアリアは、あの交錯でちゃっかりオレから機密文書の入った円筒の筒を掠め取っていて、そういう技術は強襲科で習わないだろ! とツッコむ暇もなく再度の奪還にアンカーを射出し筒にくっつける。

 幸いアリアの握力が弱っていたこともあってあっさりと奪い返せたが、抵抗を見せるアリアがなんと、両足を使って筒を挟み込んで死守。

 しかし筒の開く方を挟んだ都合でスポンっ!

 綺麗に筒が外れてオレのところに本体はやって来て無事に回収……

 

「あっ、やっべ……」

 

 ってなことにはならず、万が一アリアに奪還された際に敵側に機密文書がある危険性を考慮して何の手も打たずに開けると簡易の発火装置が作動するように仕込んでしまっていたのだ。

 その結果、オレの手元に来た時にはもうボンッ! と小さな火を上げて燃え始めてしまっていて、慌てて消すももう無理。8割以上も焼失してしまった。

 それにはオレもアリアも目を点にして呆然とするしかなく、この場合のオレの最良はとにかく全力でこのビルから逃げ切ること。

 アリアもオレの捕獲に動こうと痺れてる手をぐーぱーしながら立ち上がり、オレも急いで階段を降りてようやく来た社員達の避難の波に乗るように上着を脱いでパッと見で『社員の誰か』に偽装。

 さすがのアリアもあの小さな体格では人の波を押し退けてオレに接近するのは困難だったようで……とか言うオレも強い力の波に抗えずあれよあれよと1階に辿り着いて社員達と一緒に外へ脱出。

 アリアとスナイパーからの追撃を逃れるために近くにいた同じくらいの背格好の黒髪の男に上着を被せて別方向に逃走。

 ビルから100mほど離れたところから少しだけ観察して正面出入り口でキョロキョロしてから地団駄を踏むアリアの姿を見て、今回は痛み分けってことで素直に撤収することにした。戻ったところで機密文書ももうないし。

 

 なーんてこともあるかなと用意周到で良かったと心底思うね。

 実は機密文書を持ち出した時に、近くには同じサイズの紙が保管されていて、それを燃えてしまった筒の中に入れて、本物はミズチと腕の隙間に入れていたのでしたぁ。

 変な音が鳴るとアリアに気づかれる可能性があったからかなり折って挟み込んでいたが、無事ならいいだろ。

 そのちゃっかり持ってきた機密文書をロンドン武偵高まで運んで待っていた教諭に提出してオレの試験は終了。

 さすがの疲労感であまり動きたくはなかったので、少しだけ押してる1、2年の帰還者を何気なく見ながら休んでいると、3年の試験は終了したからか、ビルにいたアリアとスナイパーと、試験で戻ってこられなかった3年と向こうにいたっぽい試験官がまとめて校舎に戻ってきたのが見える。

 3年生は唯一戻ってきた1人を含めて何やら教諭と共に教室の方に向かい、オレにはお呼びがかからなかったから玄関前で座り込んでいたら、アリアとスナイパーが近寄ってくる。

 スナイパーはイギリス陸軍の若きエース候補だったらしく、握手を求められたから応じるとなかなかの好青年。青年って言ってもオレより年上なんだけど。

 

「あーあ、今回はあたしの完敗ね。さすがに2人で20人以上も連続で相手するのは精神的にも肉体的にもキツいわね」

 

「最後がオレで嫌だったか?」

 

「出来るなら充実してる最初に倒しておきたかったとは思うけど、それは言い訳よ。そんなの現場じゃ通用しないもの。だから京夜は素直に誇っていいわ」

 

「んじゃ今回はオレの勝ちってことで。普段は色々と負けてるし、たまには勝たないとな」

 

「あら、京夜があたしに負けることなんてあまりない気もするけど……っていうか勝負ごと自体したことない気が……」

 

 アリアもアリアで仕事が終わればいつもの調子でオレと接してきて、負けず嫌いが珍しく素直に敗北を認めて爽やかにするから、少しだけ気持ち悪いが素直に称賛は受け取っておく。

 それからスナイパーの方は教諭に呼ばれて行ってしまい、アリアは時間があるのかオレの隣に座って会話を続行する意思を見せる。

 でもなぁ、あんまりホームズ4世と一緒にいると、また学校で色々と噂が立ったりで面倒臭いんだよなぁ。

 

「それよりあたしの両手を痺れさせたあれは何? まさか京夜まで超能力に目覚めたとか?」

 

「んなわけないだろ。どっかの超々能力者と一緒にしないでくれ。オレのは中国4000年の神秘だよ。まだまだあれでも素人に毛が生えたくらいのもんだけどな」

 

「でも確実に京夜の力にはなってきてるんでしょ? だったらこれからも頑張りなさい。あたしも緋緋色金の力を少しずつ引き出せるようになってきたし、お互いに、ね?」

 

「ヤツらとの戦いも厳しくなってきたしな。嫌でも頑張るさ」

 

 どうせメヌエットと交流があってアリアとも面識があるってのはすでに周知されてるし大した騒ぎにはならないかと早々に諦めて会話に応じていると、キンジと喧嘩ばかりしてガミガミ言ってるイメージが強いアリアでも、こうして普通に話していて笑顔も見せてくれると、改めて超可愛い美少女であることを認識せざるを得ない。

 だからといってそれだけで惚れたりするほどオレも単純ではないので、あくまで世間一般の感性として捉えるに留まり、自然と差し出された拳に拳を軽くぶつけて会話を締めたのだった。

 

 アリアも着替えたいからと話し終わってから校内のシャワーやらを使いに行ってしまって、その間に1、2年の試験も終了。

 これで諜報科のランク考査も終わったので、結果については後日だろうと帰る支度をしていたら、教諭から校長室に行くように通達が。

 このタイミングで校長にお呼ばれとか、なんとなく予想ができてしまったところはあるが、行かないという選択はないため足取りは若干重いながらまっすぐに校長室へと向かった。

 

「お待ちしてましたよ、猿飛京夜さん」

 

 留学前日に挨拶したきりで全く話すこともなかったロンドン武偵高の校長、マリアンヌ・ナイチンゲール。

 ロンドン武偵高初の女性の校長ということもあって欧州でも少しだけ話題になったそうだが、小皺と白髪も定年間近な感じながらさすがに武偵高の校長になるだけあってその身から漏れ出る気配に衰えを感じない。

 かのフローレンス・ナイチンゲールを曾祖母に持つことでも有名な校長は、オレのために紅茶を淹れてくれていたようで、招かれてすぐにソファーに座らされて紅茶を振る舞われた。

 

「今回のランク考査試験はいかがでしたか?」

 

「……ランク考査と言うには難易度設定が高かったかと。特に卒業になる3年生には酷な内容だったのでは?」

 

「諜報科に限らず、ロンドン武偵高では卒業を控えた生徒の皆さんには『挫折』を経験してもらうことにしてるんですよ。昨今ではプロ武偵も多く輩出されて、仕事が回らずに早期に廃業に追い込まれるケースが増えてきています。そういった武偵崩れが犯罪に手を染めるケースも少なからず発生し出してきた以上、こちらとしても対策を取るしかなく、今回の苦い経験が彼らの決意や覚悟といったものを改めて考えさせる機会になればと思っています」

 

「今回の試験で今後、プロ武偵としてやっていける自信がなくなったなら、大学進学や一般社会に戻る機会を与えるということですか。この時期にやるにはなかなかハードな気もしますけど」

 

 紅茶に口をつけてから対面に座った校長は早速さっきの試験についての感想を尋ねてきたから、正直にやりすぎだと語る。

 しかしそれも校長の意向だから良いのだと笑って返されると苦笑いするしかない。

 確かに今や日本のみならずどこの国でも武偵という職業は世間に認知されその需要は増し、供給も過多になりつつある国も存在する。

 ここイギリスも少しずつ供給過多にはなりつつあるらしく、そのせいで仕事にあぶれてマフィアに落ちたりなどの問題も発生していると、ロンドン警視庁でも問題提起されていると聞いた。

 だからといって大学受験とかのタイミングもあろうに卒業間近で挫折させることもないだろうと思わなくないが、そこは理不尽などに敏感な日本人の感性なのかもしれないな。

 

「もちろんプロの道を諦める生徒へのケアもしっかりとさせてもらっていますし、この挫折をバネに飛躍する武偵も少なからずいます。まぁ、あなたのように挫折せずに突破してしまう生徒も極わずかに存在しますが、彼らは例外なく活躍していますので問題はないでしょう」

 

 と、アフターケアもやっていることを付け加えながら、オレのように試験を突破してしまう生徒もいることはいると話したところで、着替えるために別れていたアリアが校長室に招かれてオレの隣に座ってきて、紅茶と一緒にデスクから何かの書類も持ってきた校長はそれをオレの側に向けて差し出す。

 

「今回の協力には感謝していますよ、ホームズ女史」

 

「いえ。私もRランク試験に落ちたばかりだったので、気を引き締める意味でも今回の協力は有意義でした」

 

「えっ。Rランクに試験とかあるの? あれって任命みたいな感じだと思ってた」

 

「その任命のためにお眼鏡に叶うかを試験されたのよ。さすがに世界で数人しかいないRランクの壁は高かったけどね」

 

 その書類にはまだ触れずに招いたアリアにまずお礼を述べた校長に対して、敬意を感じる返事をするアリアにちょっと違和感。敬語を使うアリアって珍しいからな。

 それはともかくとして、ちゃっかりRランクの試験なんてものを受けてしかも落ちていた事実を述べたアリアに反応して2人で話をしてしまったから、校長が置いてけぼりに。

 それはマズいかとすぐに会話はやめて、本題であろう書類の方に集中。

 

「それで、京夜さんについてはどうでしたか?」

 

「はい。特殊な状況下と設定ではありましたが、私を突破して試験をクリアしたことは十分な成果と見て間違いないかと」

 

「ではあとは本人の承認だけということですね。京夜さん。この度の試験の結果を受けて、ロンドン武偵高としてはあなたにSランク昇格の承認申請を出す準備をいたしました。こちらがその書類で、本人のサインがあれば国際武偵連盟(IADA)に提出して、後日に審査されて結果を通達となりますが、この結果ならばほぼ間違いなく承認されるでしょう」

 

 ……来ましたよ。

 予想していたとはいえ、こうも手早く準備を済まされていたところを見ると、最初からオレのSランク資格の判定をするつもりで3年の試験に混ぜたな。

 これが東京武偵高の意思かロンドン武偵高の意思かを確かめる術は校長に聞くしかないが、どっちでもすでに通ってしまった事なら些細なことだから聞かずにおく。

 以前にも東京武偵高からはSランクになるチャンスを2度ほど与えられはしたが、その時はまだ自分にそんな資格はないと辞退していた。

 何よりあの頃は武偵という職業すらも成り行きでやっていたに近かったからな。

 しかし今は……

 

「……アリアは武偵ランクなんて気にしても仕方ないし興味ないって言ってたよな。それは今も変わらないか?」

 

「そうね。あくまで主観でのものならその意見に変わりはないわ。でも武偵ランクは自分で決められるわけじゃないし、武偵として周囲に認められる評価ではあるから、結果を受け入れるかどうかは主観に意味がないのよ」

 

「まぁそうだろうけど、アリアはオレがSランクって評価を受けることに納得するのかよ」

 

「だから前にも言ってるじゃない。あたしは京夜がA評価なんて低いって。かといってSランクになるために欠けてるものがあったのは確かだけど、今回のこれでそれもクリアしてたと思うし、もっと自分に自信を持ちなさい」

 

「だそうですけど、どうしますか?」

 

 武偵としてしっかりと歩き始めた今、学校側から下されたその評価は素直に嬉しいと思えていた。

 ただし浮かれるわけにもいかないのがSランク武偵になるという重圧。

 人数制限もあるSランクは『世界から選ばれた武偵』になるということ。そこにはSランクとしての働きも期待されるのだ。

 その重圧をずっと背負ってきた先輩のアリアはなんてことない顔をしてオレの質問に答えてくれるが、自分がSランク武偵だからと肩肘張る必要はないと言ってくれる。

 それらの会話を聞いて校長がボールペンを差し出しながらサインするかどうかを尋ねてくるので、これを蹴れば今後、武偵高がオレにチャンスを与えてくれることもないだろうと内心で考えつつ、それならいっそ、たとえいつか席を下ろされることになろうとSランクの重圧とやらを経験するのも手かとボールペンを手に取って書類にサインするのだった。



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Slash43

「それじゃ京夜。結果報告を楽しみにしてるわ」

 

「おーう。メヌには大袈裟に言わないでおいてくれ」

 

 挫折目的のランク考査試験を無事に終えて、Sランクへの昇格申請の書類にサインした放課後。

 アリアは用事があるからとさっさと校舎を出ていってしまい、それを見送ってオレも今日はもう帰ろうとアリアのあとを追うように校舎を出る。

 あっ、ジーサードのやつに単分子振動刀の修理を頼まないといけないんだった。だが連絡先がわからない。詰んだ。寝よう。

 試験後でなるべく頭を使いたくないからか、単分子振動刀の修理も急ぐ必要があるのに、そのための労力を費やせない。

 後回しにして良いことなんてなかったから、とにかく帰ってからゆっくり考えようと校舎を出たら、進行方向の先に何やら怪しい2人組を発見。

 観光に来た日本人みたいな様子で、見た目の年齢差からして親子というよりは祖母と孫に見えなくもない。

 それだけならオレも特に気にかけることもなく、もしも接近して話しかけられたら優しく対応してあげるか程度のものだったが、生憎とそうはならないと確信していた。

 祖母に見える女性の方は孫を持つにはまだ少し早いくらいには若作りがされているから、見る人によっては母親でも通りそうなほどに綺麗。

 白髪も出始めてるのだろうから染めてるだろうとわかるショートボブの黒髪に右目の下には泣きぼくろがあるその人は、会ったことはないが見たことがあるのだ。

 もう1人の女性の手を引いて孫のようにはしゃいでいる女の子は見覚えがないものの、見た目からは想像できないほどの潜在的な何かを感じる。危ない気配ってやつだな。一般人じゃない。

 

「すみません、少しお時間よろしいですか?」

 

 その孫に偽装してるだろう女を落ち着かせて近寄ってきたオレに日本語で話しかけてきた女性は、同じ日本人だから道を尋ねてきた。というわけでは当然なく……

 

「猿飛京夜さんですね。食事の席を用意してありますから、同行してもらえますか?」

 

「拒否権はないんでしょう? 崇清花参事官」

 

「あえて触れるな猿飛京夜。何のための偽装だと思っている」

 

 調べておくべきだと言われていたから2日前に調べてわかっていたが、目の前にいる女性は百地さんが近くに接触してくるだろうと教えてくれた日本の警視庁公安1課の参事官その人。

 それなりに地位の高い人物がほぼ単独で動くことはそうないから、この接触がお忍びであることはわかりきっていたが、上から何かを言ってくる可能性もあるから強気に出ておく。

 そうすると孫を偽装していた女の方がオレにだけ向ける鋭い眼光で睨み威圧。

 身長は130cm程度しかないし童顔だから小学生くらいにしか見えないが、142cmの同級生とか、同じくらいで成人してる人も知ってるから、見た目だけで何かを判断するのは危険だろうし、百地さんは同伴に旧0課の人間が付くとも言っていた。それがこの人ならこっちが不利。

 試験後の疲労もあるし揉めるのは避けたいので、仕方なく崇さんの案内で東に移動してメアリルボーンにあるイギリス料理店で夕食となった。

 

「では改めて自己紹介を。私は崇清花。警視庁公安1課参事官の地位に立つ者です。そしてこちらが」

 

「旧0課の加納(かのう)ユキだ」

 

「猿飛京夜。コンタクトに関しては百地さんから聞いていましたが、用件は何ですか?」

 

 席に着いて注文してからさっそく話を始めたオレは、表面上でまだ孫を偽装して無邪気にしているのに声は真面目な加納さんのギャップに違和感を覚えながら崇さんの返事を待つ。

 最初の印象が悪かったか加納さんがオレに対して当たりが強いのに気づいて、崇さんは小声で「ユキさん」と咎め、大人げないと思ったか加納さんもそれ以降は冷静さを感じる雰囲気になる。

 

「お話はそこまで複雑なものではありません。かつての同僚である霧原勇志さん。彼とあなたは家族間での交流があるとうかがっています」

 

「それが関係あるんですか?」

 

「霧原勇志は0課所属の時は四式だった伊藤マキリの抑止力として大きく貢献していた。我々は伊藤マキリに関しては0課解体の前からその危険性に気づき、解体後はすぐに抹消するつもりでいた」

 

 勇志さんに関しての情報をシャットアウトしてる節がある警視庁が何を狙っているのか早めに気づくことができれば、色々と情報を聞き出す手も出てくるとはメヌエット談だが、やっぱり試験後でいまいち頭が回らないせいか割と聞きに徹してしまう。

 しかし説明のためか元同僚である加納さんが順を追って話をしてくれる感じでラッキー。そのまま全部話しちゃおうぜ。

 ちなみにいきなり四式とか言われたけど、おそらく0課内での序列か何かだろうな。つまりマキリとやらは0課ではNo.4だったってことか。

 そして危険因子と判断されて解体と共に抹消されるはずだった。まぁNにいるんだから失敗してるんだな。

 

「その逃走に協力したのが霧原勇志だ。彼はマキリの抑止力であったのと同時に、マキリの排外的な国家観と理想主義に賛同もしていた。そのせいでマキリに心酔……まではいかないが、マキリの抹消は国の大きな損失とでも考えたのだろうな。差し向けられた0課メンバーはことごとく行動不能にされ、霧原勇志も姿を眩ませた」

 

「その勇志さんが姿を現して、接触者であるオレから情報をってことですか」

 

「いえ、彼がマキリと行動を共にしていることは以前からこちらでも掴んでいたのです。ただ逃亡後、どこかからバックアップを受けて法で裁けない悪人を裁いていたマキリに対して、彼に関してはその動きが全く見えなかった。だから我々はもしかしたらマキリとは別行動を取っているのでは勘繰り始めていました」

 

「…………勇志さんの今の所在の確認が取れて、やっぱりマキリとは同じ組織にいることが確定した。それはいいとして、やっぱり行き着くのはオレに接触した理由ですけど」

 

 マキリの逃亡の手助けを勇志さんがしたと聞くと、勇志さんがマキリを尊敬しているのは確実で、国家のためなら殺しを躊躇わないマキリのやり方自体は否定的だったものの、思想に関しては共感していたこともわかる。

 勇志さんの場合は国という縛りなく、世界という単位での理想主義者だから規模は桁違いだが、警視庁よりマキリを選んだ。それだけマキリという人物には可能性があるんだろう。

 話だけなら勇志さんは0課解体後は本当に消息不明で困っていたのは事実だったらしいが、それも先日のアストゥリアス州での一件が決め手になったみたいだ。

 ICPOでN担当の百地さんからの情報と、MI6の介入は勇志さんがNの一員であることを強く印象づけただろうが、だからこそ何故オレにという疑問が消えない。

 

「あなたはスペインでだけでなく、すでに上海でも彼とはコンタクトしていますね? いえ、こちらは確証はありませんが、少なくともNと思しき人物と戦闘になっていたはず。上海では極々一部の地域のみに不自然な濃霧が発生していたことがネットニュースにも取り上げられていましたしね。そしてあなたの渡航歴を調べたところ、その時期に上海へ滞在していたこともわかっています」

 

「警視庁が監視とか趣味が悪いんですね」

 

「どうとでも言えばいいさ。だがこの事実から我々は猿飛京夜。君が『独自の捜査網で、今後Nと接触する可能性が極めて高い』と判断し、その過程で霧原勇志とも相対する確率が低くないと見たんだ」

 

「ですからその際に彼を。霧原勇志を捕縛し、回収していただきたいのです」

 

 警視庁も警視庁で勇志さんのことは追ってるのはわかったし、捕捉できていないことも事実としてあるんだろう。

 だからこそその勇志さん。いや、勇志さんとマキリが所属しているNとのコンタクトを自力で成功させているオレに白羽の矢が立ったということ、らしい。

 が、今の崇さんの言い方は個人的に気に障るね。回収、ねぇ……

 

「まるで勇志さんは警視庁の所有物みたいな言い回しですね」

 

「あなたが不快に思ったのでしたら語弊があったかもしれませんが、警視庁としても彼の能力は手放すには惜しいという考えなのです。もちろん罪には問われることになるでしょうが、マキリのような対応をするつもりは毛頭ないことをご理解ください」

 

「……これは依頼という形になるんですよね?」

 

「君が報酬を受け取らないと言うならそれでも構わないが、武偵である以上はそういった質問は無粋に思えるよ。Sランクともなれば尚更ね」

 

 組織では割とありがちな人を人として扱わない部分がチラッと見えて、そういうところが勇志さんをNに下らせたんじゃないのかと思わなくもない。

 確かに勇志さんの能力は警察組織としては手放したくないのもわかるし、敵に回せば脅威でもある以上はNに身を置かせてるわけにはいかない。

 そこにはオレも共感はするから依頼という形で受けることはできる。

 黄金消失事件とクエレブレのシャナの件と依頼を複数受けるのは仕事上よろしくはないが、全てがNと関わりのある話ならやること自体が散らばることもないはずだ。

 しかし依頼を受ける前に加納さんが何やら引っ掛かることを口にしたから、冴えない頭でもフル回転して何故そんな言葉が出てきたのかについて推測が立つ。

 Sランクともなれば尚更だって? まるでオレがSランクになったことを知ってるようじゃないか。

 

「……てっきり東京武偵高かロンドン武偵高の思惑だと思ってたが、そっちが絡んでたか。ならこのタイミングも納得だ」

 

「どうやら少しだけ勘違いがあるようなので補足しますと、別に我々が京夜さんのSランク昇格を進言したわけではなく、事前に調査した際に東京武偵高の方からそうした試験を近々受けさせると聞いたのです。タイミングに関しては今日この日に決めていたのは事実ですがね」

 

 ん、ちょっと推測は外したか。

 だがオレが今日、Sランク昇格のための試験を受けることは知っていた崇さんがなぜ試験終わりにすぐに接触してきたかは今のオレの状況からわかる。

 推測を外したように、ちょっと今のオレは思考に熟慮が足りなくなってる。

 下手に全快なオレを相手にすれば警視庁が知られたくない何かに気づく恐れも上がるから、身の上話で引き受ければ万々歳といったところだろう。

 裏を返せばそうしなきゃオレに勘づかれると踏んだ警視庁は何かを隠してるのがほぼ確定したことになるが、それを引き出すための情報が不足している。

 

「今日のこの対面は崇さん。あなたでなければならなかったのですか?」

 

「参事官。乗る必要はないかと」

 

「いいのよユキさん。下手に隠そうとすれば依頼主としての信頼は失われますからね。今回の対面は必ずしも私である必要はありません。ですが私が会ってみたかったのです。他でもないあなたにね」

 

「……私情ですか」

 

「ええそう。真田のお嬢さんには先月にたまたまお会いしたけど、実は私。あなた達と少なからずの縁があってね。と言ってもずいぶん昔の話にはなってしまいますが」

 

 そこでわざわざロンドンまで出向いてきた参事官殿が接触してきたことの意味についてを尋ねると、そこは特に意味はないと言う。これに嘘はなさそうだ。

 ただしオレと幸姉……いや、言い方からして猿飛と真田に縁があるっぽい崇さんは、しかしどこか他人事のように語りそれ以上のことは話そうとはしなかった。

 昔がいつ頃のことを指すのかで推測もできるかもしれないが、アバウトすぎて特定は無理と悟り表情からも特に何も読み取れそうにない崇さんは手強い。

 事前に調べていた崇さんの経歴も、女性ではかなり珍しい参事官のポストにいながら、特筆すべき事件に携わった記録もなく『不自然なほどクリーン』な当たり障りない経歴が羅列していた。

 塵も積もればなんとやら。そう言えば聞こえは良くなるが、彼女が今の地位にいるのには何かしらのカラクリがある気はする。

 それが対面すればわかるかもと思っていたが、わかりそうにないな。

 崇さんからは無理そうだったから少しでも何かと加納さんの方も見ると、崇さんがわざわざ出向いた理由については知らなかったのか、わずかに目を見開いた加納さんの反応は「そうなのか」と驚く感じ。

 それを見ると崇さんと加納さんとの間に確固たる信頼があるわけでもなさそうなのは明らかで、あくまでも上司と部下のような事務的な関係性と踏む。

 ならもう加納さんからは崇さんの深いところを引き出す情報は出てこないか。

 

「それで、この依頼を受けてはくださいますか?」

 

「……オレは勇志さんがNに下った原因の1つが警視庁にあると踏んでます。勇志さんは日本さえ守れればそれでいいというあなた方の考えに反発していた。もちろん勇志さんがNのメンバーである以上、オレとしても逮捕しない理由はないですから、依頼は受けられます。ですが……」

 

「我々は日本の組織なんだ。その思想がいけないと言うなら我々は何も出来なくなる。霧原勇志はその点において高い思想を持つことはわかったが、マキリに近い理想主義。それを崇拝し我々が夢を見て変わるようなことはない」

 

「ユキさんの言うことも京夜さんが言うことも理解できます。難しいものですね。私達は『守る』という点においては共通の目的がありながら、その規模によって道が分かれてしまった。彼に関しては今後、その身の振り方をよく考えるように上にも掛け合うことを約束しましょう。これは依頼主として信頼を得るための努力と受け取ってください」

 

「……わかりました」

 

 これ以上の思考は睡魔が襲ってきそうになってしまったので、警視庁の思惑に嵌まるのは癪ながらマジで頭は働かない。

 せめて崇さんが捕らえた勇志さんを利用しているのかどうかだけでも探ろうと、依頼を受ける前の最後の確認として元の鞘に納まるつもりはないだろう勇志さんの処遇についてを少しでも具体的にさせる。

 その狙い通りに次の政権交代でまた0課が復活する可能性も十分にある以上、そこで飼い慣らすつもりなら警視庁には引き渡さないくらいのことを言うと、加納さんはともかくとしても崇さんは依頼主としてオレの意図を汲んでくれた。

 その後、依頼の話は終わったことで普通に食事をしてから2人とは別れて、家に帰ってから速攻で寝そうになる。

 

「…………あー、ジーサード……」

 

 ベッドに沈んで完全に気が抜けかける寸前で単分子振動刀のことを思い出し、いよいよ疲労も限界なんだなと自覚しつつキンジにメールだけ送っておく。

 兄弟なら連絡くらい出来るだろうし、最悪かなめにでも聞いてくれれば確実にわかるはず。

 ただ今のキンジに他人に構うだけの余裕があるのかは全くの不明なので、かつては繋がりがあった羽鳥の方にもメールを送っておき、その日はもうダウン。思った以上に神経をすり減らしてたな……

 

 翌日。

 起きてみると羽鳥からは「情報料は1000ポンドで構わないかな?」と足元を見てくるぼったくりの返信が来ていたから無視。朝からイライラゲージ溜めさせやがって。

 頼みの綱のキンジからも返信が来ていたが「会うことがあったら言っておく」と超受け身。何なの?

 結局は単分子振動刀の修理は進展なしでガックリしながらシャワーを浴びて朝食後に登校。

 試験の翌日くらい休みでもいいだろうになぁと思いながら校舎に辿り着くと、教室では昨日の試験の結果が芳しくなかったのか、ヴィッキーが朝から机でぐったりしていたが、明らかに絡んでほしいオーラ全開だったからスルー。他の誰かに任せることにした。ヴィッキーになら絡みたいヤツの方が多いし。

 ランク考査も終わったし校内のピリピリした雰囲気も霧散してとりあえず残りの1ヶ月は平和だろうなと思っていたら、やはり耳の早いヤツらは多くて、オレが3年の試験を受けたことを聞いたらしい面々が、唯一試験を突破したオレに色々と聞いてくる。放っておいてくれぇ……

 話題の中心にいることがすこぶる苦手なオレはとにかく仏頂面でなあなあに済ませようとしていたのだが、試験官にアリアがいたことに触れられたところで携帯に電話が。

 正直いまは誰が相手でもいいやとそそくさとみんなを退けて教室を出たオレは、改めて電話の相手を見ると、ここ最近は連絡が来ても依頼中だったりでガン無視していたロンドン警視庁からで、こっちもこっちでそろそろ何かやらないと苦情が来そうだなと、うるさい連中から逃げる口実をくれたお礼として通話に応じた。

 最後にロンドン警視庁の依頼を受けたのが5月の頭らへんだったこともあってか、1ヶ月ぶりに通話に応じたオレに向こうは安堵が先に来ていた。

 そんなにオレに頼らないといけない案件とかありますかね? と向こうの他力本願具合が気にはなったが、どうせ捜査協力の依頼だろうとさっさと本題に入るように言う。

 緊急性がないのか向こうは直ちに現場に向かってほしいような雰囲気はなくて、出来るならロンドン警視庁に出向いてくれた方が説明がしやすいということなので、1度通話は切って学校側にも例のごとく捜査協力と告げて早々と早退。

 というかまだ出席も取ってないから早退というのも違う気がするが、細かいことは気にせずにロンドン警視庁に出向くと、待ってましたとロビーでレストレード警部が出迎えてくる。

 メヌエット曰く、レストレードの人間は代々、警察関係者として仕事に就く秀才ではあるのだが、昔から肝心なところで他人の力に頼る節があるらしい。

 昔で言えばシャーロックやメヌエットの祖母。他にも色々といったところだ。

 それはさておき。そんなレストレード警部の先導で会議室の1つに通されたオレは、そこに集まっていた捜査員の数に驚く。

 多い。パッと見でも50人以上はいるな。これは刑事事件しかないな。

 ただ電話の時の緊急性のなさと、この捜査本部には明らかに不審な点があってどういうことなのか見える情報から推測を立てる。

 ホワイトボードには犯人と思しき人物の写真が数枚。相関図も色々と書かれているが、なんか変だ。繋がりが極端に少ない。というか被害者の写真がない?

 状況からもよくわからないため、仕方なく口頭での説明で理解しようと席に着くと、オレを待っていた捜査本部は今回の事件の要点をまとめて話し出し、その話にオレは首を大きく傾げることとなってしまった。

 ──何だこれ……意味がわからん。



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サバイバル編
Slash44


 6月15日。火曜日。

 ランク考査から2日後となる今日この日。ロンドン警視庁からの依頼でロンドンを発つ前に武偵高の方に呼ばれたオレは、朝から校長室の方に通されて、今週2度目のマリアンヌ校長との対面を果たす。

 別に好きで会いたい人でもないわけだが、どうやらオレのSランク昇格の申請が早くも通ったらしくて、その通達のために呼ばれたみたいだ。メールでも良いですけどね。

 

「すみませんね、朝からお呼びして」

 

「いえ。それより承認に当たって何か特別なことでも?」

 

「こういうことは学校側としてきっちりやらねばなりませんので、面倒とは思いますが少しお付き合いください」

 

 そう話した校長はテーブルにノートパソコンを置いて、事前に話は通っていたのか音声のみの通話で誰かとすぐに繋がる。

 相手は……東京武偵高の校長である緑松武尊(みどりまつたける)、と思われる人物。

 相変わらず声を聞いて名乗られても明確な顔が思い浮かばない『特徴がないのが特徴』という校長。

 オレの中でこの人への警戒心は最上位に位置しているにも関わらず、実際に街で顔を合わせてもその人と自覚できない恐怖を想像するだけで夜も眠れない。

 それで緑松校長が何故という疑問にもならない答えは、オレが東京武偵高の生徒だから、校長としての義務でだ。

 武偵高の校長を2人同時に相手にするという心臓に悪い状況はともかく、2人からは無事にSランク昇格の賛辞を述べられて待遇は良いもの。

 緑松校長からは留学終了後、改めて本校にて話をということで通話は終わり、マリアンヌ校長からはロンドン武偵高の暗黙のルールとしてある『私服での登校』を大々的に容認するようなことを言われたが、この学校で私服でいる生徒は良い意味でも悪い意味でも目立つので丁重にお断りして退室したのだった。

 

 Sランク昇格の報せはどうせ言わなくても勝手に知る奴らばっかりだから黙っておくとして、言わなきゃ怒るだろうジャンヌにだけメールで報告してロンドン武偵高を出る。

 次に向かうのは駅。行き先はロンドンから西に約200kmほどの位置にあるウェールズ。

 自然が多く残されるウェールズは、約20%の面積が国立公園になっていたりと色々と凄いところだ。

 こんなロンドンから離れた地に何故ロンドン警視庁の依頼として来ることになったかは、その異様な背景にある。

 事の発端は今から5日前。

 ロンドン警視庁が傷害事件の容疑で張り込んでいた容疑者が、警戒も薄い様子で外出。

 誰が運転しているかもわからない車に乗り込んでそのまま駅へと向かい、1人でここウェールズへと向かったと言うのだ。

 当時、容疑者は任意での事情聴取に応じていて、明確な証拠もないということで駅で確保とはいかず、私服警察を1人つけて尾行。その足跡を追った。

 容疑者はオレが来たウェールズの南に位置する人口第2位の都市、スウォンジーで下車して、駅に近いホテルに宿泊。

 そこからはウェールズ警察の協力も得て張り込みが続いたみたいで、現地に着いたオレはまずその張り込みしていた警官らと合流することになる。

 ここまでならそう異様な感じはないが、問題はこの張り込み中に起こったわけで、容疑者が宿泊するホテルに連日、1人ないし2人ほどの傷害事件以上の刑事事件を起こした犯罪者が宿泊しに来て、確認が取れただけでもロンドン市内で指名手配されていた3人に、エディンバラ、リバプール、レスター、カーディフ、サウサンプトンでそれぞれ指名手配されていた犯罪者ないし容疑者が1つの場所に集結したのだ。

 イギリス中の危険人物が集結したということで事態を重く見たロンドン警視庁は、偶然では絶対にないこの現象を監視を続けながら目的について探りたかったようで、下手に接触して刺激し暴動が起きれば大事だとこういうことに長けたオレに声がかかったというわけ。

 オレも別に得意なわけではないが、静かに事が運んでいたっぽいこの動きに無法者の知性以上のものを感じたため、ほとんど偶然に近いロンドン警視庁の察知を鑑みても何かNの気配を感じたから引き受けてみたんだが、確証はないしな。

 

 無事に警官と合流して、容疑者達が連日入っていったホテルの見える飲食店で現地の最新情報を更新すると、容疑者達はホテルに入って以降は誰1人として外には出てきていないと言う。

 確認が取れている容疑者ですでに5日もホテルに入り浸っていることになるのだが、中は私服警官すら察知される可能性を考慮して侵入には至っていなく、ホテルの人間には余計なことはしなくてもいいという前提でいつも通りに営業するように知らせてはあるらしい。

 暴れたらただじゃ済まない犯罪者が何人も宿泊してるなんて言われてホテル側が正常でいられる時間などそう長くないのは確実なので、とにかくオレはこれからホテル内に立ち入って探るしかない。

 宿泊客を装う都合でウェールズ警察の婦警1人に協力してもらい、新婚夫婦という設定のもとホテルへと入り、監視の目があることも考慮して武偵手帳などの提示は避け、普通にチェックインして部屋まで通してもらってから、案内の人に武偵と警察であることを知らせる。

 そこからはルームサービスを利用して宿泊客のリストを運んでもらったり、該当者の宿泊する部屋などを確認していく。

 部屋は全然固まった位置にはなっていなく、余計な移動を伴う分で容疑者達が結託して何かしようとしている様子もなさそう。

 さらにルームサービスの利用の有無や部屋から出ている目撃証言なども従業員から色々と聞いてみるのだが、チェックイン以降、全員その姿すら見ていないと言い、監視カメラにすらそれらの様子が映されていない。

 つまり彼らは皆、チェックイン以降、部屋から1歩も出ていないことになり、最後にフロントを担当している従業員から重要な証言が出てくる。

 それはリストの客の全てが『部屋の掃除なども必要ないから出入りしないでほしい』という要求があったこと。

 

「…………行くか」

 

 これらのことからオレの行動を監視している線はほぼなくなったため、とにかくまずは1人でも確保に動いてみるかと、バラけてはいても容疑者が1人しかいない最上階に狙いを定めて行動開始。

 他の容疑者達に察知されずに確保はなかなかハードなものになるだろうが、そこから結託しているのかどうかもわかってくると信じたいね。

 婦警には部屋に残ってもらって、オレが30分経っても戻ってこなかった場合は、ウェールズ警察へ報告して突入部隊を向かわせるよう指示──監視の目がないとわかったから可能だ──して、最上階の部屋へと突入。

 カードキー式の施錠だが従業員からカードキーをもらっていたからすんなりと扉は開き、音はどうしたって鳴るからそこからはもう死ぬほど素早く室内に侵入して容疑者が声を上げる暇もなく行動不能にする動きをした。

 ……のだが、いない?

 室内はワンルームのバスとトイレ付きとオーソドックスな部屋で、その3つしかない空間のどこにも容疑者の姿はない。

 

「…………どこに」

 

 荷物すらないし、ベッドには生活に使った形跡すらないため、少なくとも3日前にチェックインをしているはずの部屋としてはあまりにも不自然。

 他にも部屋内のあらゆるものが使われた跡がないことから、容疑者はこの部屋に入って間もなく忽然と消えたとしか言い様がない。

 不気味なまでの現象には超能力的な怪しさが醸し出されてきたことから、専門知識が必要だと思ってロンドン武偵局の方に連絡しようとする。

 しかし携帯は何故かいきなり圏外になって外との連絡手段が絶たれてしまい、とにかく部屋を出ようと扉に手をかけるも、開かない、だと?

 ちっ、なら窓から……と窓を開けてワイヤーで降りる手に移るも、その窓も鍵が開かない。というかこの部屋全体がハリボテのような、偽物のような気配がしてきた。

 まるで異空間にでも入り込んだ気がしてきて気分も悪くなってきたからか、この部屋から一刻も早く出たいという衝動が強くなり、何か手がかりはないかと観察してみると、小さなクローゼットに自然と目がいき、そこをほぼ無警戒で開けてしまう。

 ──ゴワッ!

 クローゼットの中はオレが想像していたよりも恐ろしいことになっていて、本来なら普通に服を入れる収納のはずの空間には漆黒の空間が広がり、しかもブラックホールのような引力が働いているらしく、開けた途端にオレはその力に抗えずに漆黒の空間に吸い込まれてしまった。

 

「ぐえっ!」

 

 漆黒の空間に吸い込まれたと自覚したのとほぼ同時に尻餅をつくことになって、その落ち方も乱暴だったせいで尻が痛い。

 しかしそれよりも驚いたのは、尻餅をついていた場所がどこともわからない森の中だったこと。

 クローゼットの中には異世界が広がってました。なんておとぎ話の中でだけやってほしかったもんで、まさか自分が実体験する日が来ようとはね。

 混乱は精神的な疲労に繋がるのでいち早くこの状況を飲み込んで冷静さを保ちつつ立ち上がり、携帯を確認するが、やはり圏外のままか。時間は正常なようだが、どこかに飛ばされたなら時差があるかもしれない。

 日はまだ高いし気候も穏やかなので、イギリスとは緯度も時差もあまり差がないと考えると、欧州のどこかか、スウォンジーからそう遠くない位置に跳んでるのか?

 森は緑が多いことから季節のズレもなさそうで、とにかくここがどこかを少しでも理解するために背の高い木をよじ登って、その上から森を見てみる。

 さすがに森の全容が見えるほどではないにしても、地形がどんなものかはおおよそでも見ればわかった。島だ。

 一番高い場所で50mあるかどうかな小さな山があって、その先は見えていないが、そこ以外に見える森の終わりには海が広がっている。

 泳いで渡れそうな別の小島もいくつかあるものの、人が住んでいそうな気配もないのでチャレンジ精神で行くにはこの島の散策が済んでからでも遅くはないな。

 とにかくこれでわかったのはオレが今いる場所はスウォンジーでもウェールズでもない、どこかの無人島かもしれないということ。

 

「……瞬間移動? とは違った気もするが……」

 

 自分の置かれた状況はなんとなくわかったから、木の上で座り込んでこうなった考察をしておく。

 考えられるのはスウォンジーのホテルのあのクローゼットが、この無人島かもしれないところに繋がっていたか、誰かの意図で瞬間移動させられたか。

 クローゼットが異空間だったことが偶然じゃないとするなら、オレは嵌められたと見るべきだ。

 そしてもしもスウォンジーのホテルで宿泊していたはずの容疑者達の部屋のクローゼットが全て、ここに繋がっていたとするなら……

 ──パァン!

 そうした可能性を考慮して身を隠す意味でも木の上に留まっていたら、どこかから発砲音が1つ聞こえてきて、反射的に身構える。

 位置はちょっとわからないな。距離は少しあったと思うが、遠すぎるってことはない。おそらく半径500m以内で発砲があった。

 反撃も追撃もなかったことから、ヒット&アウェイな攻撃だったか、野生の動物を一撃を仕留めたか、或いは人を、か。

 とにかく交戦にはならなかったと判断できる状況でも人がいることは確定した。それが友好的な奴ならいいけど、そうじゃない可能性もある。というか拳銃を所持してる時点で友好的と考えるのは危険すぎる。

 不用意な接触は絶対に避けるべきと本能も言っているから、こっちが見つからずに相手の方だけを発見できる状況が望ましいと考えて、しばらくこの木の上から様子を見て、日が暮れたら夜目に慣れてる分で行動を開始しよう。こうなると食料の確保も視野に入れないといけないし。

 この森がちゃんと植生しているなら確実に真水は存在する。根拠があれば探し物も見つけられるのは道理。

 水ならおそらく山の付近にあるだろう。川か湖は年月によって自然と形成されるものだから、まずはそこからだ。

 完全にサバイバルモードな思考に切り替わったオレは、そのサバイバル能力が人並み以上にあることがちょっと残念な気もしてくる。

 無人島でサバイバルとかどこのテレビ番組だよって話だ。出演したら1ヶ月は生き延びちゃうぞ。

 

 結局、日があるうちにオレの近くに人が来ることもなく、銃声などもあれ以降は全くなし。

 ただし暗くなれば新たな発見もあり、街灯などもない無人島は恐ろしいほどに暗く、見惚れるほどに夜空は綺麗。

 まず夜空には北極星が確認できたので、方角と、少なくとも地球上の北半球であることは確定。

 異世界とかだったらどうしようとか思ってたから、それだけでも安心する要素になるのはありがたい。

 さらにここまでの暗さになると無人島の森は夜目だろうと関係なく遠くなんて見えないものが、見える場所がある。光源があるのだ。

 山の麓付近に見えるその光源は焚き火では出ない強さから、電気類かキャンプファイアレベル。拠点のようなものがあるんだろう。

 そこを偵察に行く選択も候補ではあるが、闇夜に紛れる意味を考えれば今夜は水と森の様子を少しでも見ておくのが先決。

 野生動物でも熊とか狼とかいたら動き回るだけでも危険が伴うわけだし、ウサギや鹿なんかがいれば貴重な栄養源になる。

 それら野生動物の痕跡を探しつつ木を降りて散策に出たオレは、暗闇の森で目印もなく歩いていく。

 こういう場所では無闇に動くなって教えられるのが普通だが、島とわかっていれば直進するだけで海には出られるのでそこまで深刻に考える必要はない。

 サバイバルでは海の幸を狙う手もあるが、夜の冷え方がまだ油断できないとなれば服を濡らしたり泳ぐのは余計な体力と体温も奪われる。

 海によっては海岸近くだろうと鮫がいる可能性もあるから、選択肢としては後ろの方。

 これだけ緑が多ければ食べ物もそれなりにあるだろうと思っていたが、野イチゴを発見。

 野イチゴは大体が5、6月には食べられるようになるから、季節もやはりズレはほとんどないっぽいな。

 気休め程度でも腹を満たしつつ水分も補給できたのは幸運で、少し余分に採取してポケットに入れておきつつ散策を続けると、水の流れる音を察知。川だな。

 音がする方向に少し歩いてみるとやはり小さな川が流れていて、深さは膝に届かない程度で、川幅も5mくらい。

 飲み水として使えるかどうかも問題ないようで、その辺の水道水より澄んでるし美味しいくらい。このレベルなら川魚も生息してるはず。

 この川を遡れば確実にあの光源の近くには行けるので、今後はこの川の近くに張って偵察などができれば……

 そうやって今後の見通しを立てながら川を降ろうと川上に背を向けた瞬間、対岸から何かが飛来。

 三日月にわずかに照らされて光って見えたのは、刃物。

 投擲だったそれを屈んで躱して、投擲と同時に前進し川を飛び越えてきた存在に対して迎撃の構えを取る。

 銃を持ってそうなのに使わなかったのには意図があるのかはわからない。

 死の回避があるオレとはいえ、不意打ちも出来たはずでそれを使わなかったなら、昼に撃ったヤツとは別人の可能性がある。

 月明かり程度ではシルエットしかわからないが、ロングコートを着ている存在は驚くほどにしなやかで静かな動作で川を飛び越えてオレを地に伏せようとする近接格闘を繰り出してくる。

 身長はオレより低いが男とも女とも判断がつきにくく、何か情報を得ようとするオレにその余裕すら与えない戦闘力は、プロ。ただの人殺しなんかでは到達できない領域に足を踏み入れてる。

 この近接格闘術がやりにくいというか、オレの、というよりも人が本能的に嫌だと思うところを攻撃して畳みかけてくる感じは、精神的な攻撃も兼ねてる。

 そしてそれもしのいでいけば向こうも通用しないと判断するのが早く、一瞬のうちにその手に刃物を取り出して足の腱を狙ってくる。あっぶな!

 ただこれらの攻撃でわかったのは向こうにオレを殺そうとする意思がないことで、刃物を出しながら腱を狙ってきたのはオレの動きを封じるためだ。

 そんなことをするよりも殺した方が楽なのは状況からしても確実なのに、それをしないのには理由が?

 狙いがハッキリしないがオレもやられるわけにはいかないから反撃に転じて、距離を取るために隙を見て川の水をつぶてにして顔に当ててやり、動きが鈍ったところで強烈な蹴りをお見舞いして川に落としてやろうとする。

 浅いとはいえ水の中ではどうやったって動きは緩慢になるのでこちらが有利なのは間違いなかったが、向こうもガードをしっかりとした上で体勢を崩して川に落ちそうになったものの、細かいステップを踏んで短い助走からジャンプで川を飛び越えて濡れずに着地。何その動き。キモい。良い意味で。

 結果的に狙い通りに距離は取れたから、オレも追撃は避けて向こうが不用意に飛び越えてこないように対岸に立って構え、出方をうかがう。

 

「何が目的だ」

 

 奇襲に対して有効打の1発も入らなかったからか、向こうも攻めあぐねてる雰囲気だったからこっちからストレートに話しかけてみる。

 するとよくわからないが警戒心が異常なレベルになっていたはずの向こうの気配が半分以上も解けて緩み、動揺したのかとさえ思うほどの変化にはこっちが動揺する。何? 怖いんだけど。

 

「……なんだかこの世で一番聞きたくない男の声が聞こえた気がするね。しかもこんな異常な状況で聞こえるとか、幻聴すら疑うよ」

 

「…………その声……」

 

 戸惑いを隠しきれなかったオレがどうするかの判断を迷っていたら、向こうも向こうで初めて声を出してくる。

 その言葉がまたトゲがあるというか喧嘩を売ってるとしか思えない内容でイラッとしたが、オレをイラッとさせることに関してここまで秀でた能力を持つ人物はこの世に1人しかいないのをオレは知ってるし、声も聞き間違えるはずがない。こいつは……

 この時点でお互いに誰が誰かは完全にわかって警戒が解け、警戒の必要がないとわかった向こうは持参していたのだろうペンライトを取り出して点けると、まずはオレを照らしてみせてから、間違いはないかと自分にもペンライトを当ててみせた。

 そのペンライトに照らされて現れたのは、男とも女とも取れる中性的な容姿をした羽鳥・フローレンスその人だった。



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Slash45

 

 ウェールズのスウォンジーからどこともわからない未開の島に飛ばされたオレは、どうにも危険な気配が漂うこの島を視界が制限される夜に散策。

 誰とも遭遇することなく川を見つけて小休憩をしていたら、そこを襲撃してきた人物と肉弾戦になるも、その人物が羽鳥・フローレンスとわかり、向こうもオレとわかると交戦の意思を消し場は鎮静する。

 

「何でお前がここに?」

 

「それはこちらの台詞なんだが、おそらくは君と同じような経緯でこの島に来たと見ていい」

 

 暗いので羽鳥の取り出したペンライトの明かりを頼りに川を挟んで対面する羽鳥の方へとジャンプ。

 そうしたら着地の前に節約のためだろうがペンライトをいきなり消すから足元が見えなくなって転けそうになるも、なんとか無事に着地。危ないんだよ!

 

「じゃあお前もどこかからこの島に飛ばされたのか」

 

「飛ばされたという表現が正しいのかは疑問だけど、昨日の昼まではスウェーデンのストックホルムにいた。そして緯度と経度からおおよそで割り出したが、この島はケルト海のどこかとわかった」

 

「ケルト海……となると北の方にアイルランド。北東にイギリス。東にフランスって感じか」

 

「近くに陸があるような言い方だけど、まさかどこを目指しても500kmはある航海をして脱出しようなんて希望を持っていたりするのかい? この文明の利器もない孤島から? ハハッ、笑えるね」

 

 不毛な争いは体力の無駄だから、些細なことは気にしないくらいの気持ちで情報の共有に入ると、羽鳥もスウェーデンからこの島に飛ばされたことを伝えてくる。

 さらに星の位置などからおおよそでも場所を割り出せる辺り、羽鳥の博識はさすがで、ケルト海の島なら希望はあるかもしれない。

 ただ現実主義な羽鳥は船もない状況で500kmの航海をするのは不可能と断定してその場に腰を下ろす。まぁ普通はそう思うよ。

 

「……それよりオレ達以外の人間もいるみたいだが、その辺はわかってるのか? オレは今日の昼頃に来たからこの島の状況がさっぱりわからん。銃声はお前か?」

 

「いや、撃ったのは私ではない。撃たれた側だからね。あんな下手クソの弾が当たるはずもないが、多勢に無勢では私も迂闊に手は出せないというものさ」

 

 島からの脱出は焦っても仕方ないので、オレも隣に座……ったら露骨に距離を置かれてイラッとするが、小さいこと小さいこと。

 脱出の件は置いておいて、オレよりもこの島の滞在が長そうな羽鳥の持つ情報を引き出そうと昼間の銃声のことを含めて尋ねると、どうやら敵対する人間が複数いるみたいだな。

 

「どこまでわかってる?」

 

「順を追って話そうか。私は昨日の昼下がりまで、国外逃亡していたイギリスの犯罪者を追ってストックホルムを訪れていた。潜伏先もリバティー・メイソンの調査でわかっていたからね。事はすぐに解決となるはずだったけど、突入した建物には誰もいなかった」

 

「……クローゼットか?」

 

「君はそうだったのかい。私は浴室だったよ。扉を開けた瞬間に吸い込まれてね。気づいたらこの島さ。だがあの場所とこの島が繋がっていたなら、犯人もここにいると踏んだ私は、日のあるうちに探索も兼ねて捜索を始めた。予想通り奴はこの島にいたが、問題は奴だけがいたわけではなかったことさ。どいつもこいつも国内で犯罪を犯しているか、容疑者になっている者達が徒党を組んでいたよ」

 

「徒党を? 面識なんてなさそうな連中が?」

 

 どうやら昨日からこの島に来た羽鳥は、オレとほぼ同じように飛ばされ、銃声で慎重になったオレとは違ってアクティブに調査をしたみたいだ。

 その話からオレが追っていたイギリス国内の犯罪者達もやはりこの島に来ていることがほぼ確定し、人数についてもわかってる範囲で10人──羽鳥が追っていたのと、オレの方で確認が取れてる8人に不明者が1人だ──と数の上でも近い。

 最低でも12人はこの島にいることがわかったのはいいが、問題はオレ達と敵対する犯罪者達が仲間意識があることと、そもそも何故、この島に飛ばされたのかってこと。

 単にオレと羽鳥は巻き込まれた形なら納得はできるが、仮に犯罪者達がこの島に飛ばされる目的があったとして、徒党を組んでいるなら、そうしなければならない理由があり、現在進行形で何かをしていると見るのが普通。

 そしてこの島に飛ばした当人の目的は犯罪者達を結託させて達成できること、ということか?

 

「彼らが何のために集められ行動しているかはまだわからない。確定的な情報としては、この島に貴重な資源があって、それを採掘する人手として招かれてるわけではないということくらいだね」

 

「何でそれがわかる?」

 

「君ももう気づいているだろうが、あの明かりの場所に彼らの拠点があり、あそこにはキャンプするのに十分な食料やテントなどもある。供給している者は不明だが、贅沢をしなければ10人いようと1週間は安泰だろう。それらはまぁいいとしても、その支給品と思しき物の中に物々しい武器類があった。そんなものが採掘などに必要かい?」

 

「野生動物が凶暴だったりするんだったら、護身用ってこともあるだろ」

 

「野生動物相手にRPGも使うのかい?」

 

「そんなもんまであるのかよ……」

 

「ちなみに採掘道具なんかがなかったのが決め手ではあるよ」

 

 羽鳥にも目的については推測が立っていないみたいで、可能性を消す意味で採掘などの目的ではない根拠は述べてくれる。

 確かに過剰な武器類の供給とやらは気になるな。それらを『何に対して用意したのか』が今回の目的に関わってくる気がするし。

 

「……人間以外の異形の存在って可能性は?」

 

「セイレーネスのような存在がこの島にいると? まぁなくはないだろうが、この島での彼らの行動を見る限りでは、その線も薄いよ。探す素振りこそしてはいるが、10人もいながら行動は2人1組。RPGなどを使うような危険な相手ならそもそも分隊にはしない。彼らの動きは明らかに自分達とほぼ同等の何かを狙っているものだよ。つまり人間」

 

「…………オレ達、か」

 

「と、私は見ている。正確には私かな。君はイレギュラーな気がするからね」

 

 想定の相手がなかなか手強そうだから、クエレブレやセイレーネスといった存在がいる可能性も頭をよぎるも、それは羽鳥が理屈ありで否定。

 聞けばオレも納得するしかない正論だったが、そういう情報はもっと出してほしい。オレの思考が浅いみたいになるじゃん。

 だがそこまでわかればなんとなく犯罪者達の狙いとやらが見えてきて、この島で現状、彼らと敵対するのはオレ達のみ。

 羽鳥はオレをイレギュラーと考えてるが、いつもそんな感じのオレもそうなのかもと思う反面、なんとなく今回は違う気もする。

 そして仮に犯罪者達の狙いがオレ達……羽鳥の言い分なら羽鳥だとして、羽鳥を殺してそれで終わりなのか?

 いや、ただ殺すだけならこんな回りくどい方法をする必要が果たしてあるのか。

 ワープじみた能力も使えるような奴が、わざわざ犯罪者達と羽鳥をこんな島に飛ばしてなんて、もっと消費するエネルギーを抑えたやり方が思いつきそうなものだ。

 そうなるとワープを使える奴は戦闘能力がなくて羽鳥に恨みでもある人物ってことかね。いや、ワープが使えるなら海にでも落としてサメに食わせれば良くね?

 

「気持ち悪いモヤモヤが残るんだが、解消する手立てはあるか?」

 

「へぇ。君にしては勘が良いね。私もこの件にはもっと深い狙いがあると見ている。そのためにはまず、向こうの1人ないし2人を拉致してお話してみようと思うんだが、手伝ってくれるかい?」

 

「お話って平和的な言い方してるが、お前が言うと怖いんだよ」

 

「もちろん、平和的な意味合いは全くないからね」

 

 状況は大体でも把握したので、今後の動きについて考えがあるのかを尋ねれば、そこはSランク。1日以上を過ごして進展の目処は立てていたようだ。

 でも今のってオレがいたから進んだ話だよな。向こうが2人1組だから拉致するにも仲間に察知されないために2人一辺に発砲も声すら上げさせない早技が必要だが、それを1人では不可能だったはず。

 それを言わない辺りが羽鳥らしいっちゃらしいが、こんな状況なら素直に頼ってほしいところだよ。

 別に感謝してほしいとかでもないからオレも何か言うこともないし、そうと決まったなら明日に備えようと立ち上がった羽鳥だったが、その足取りは少し重そう。

 

「ところでお前、サバイバルスキルはどの程度あるんだ」

 

「どうだろうね。知識はそれなりにあるけど、それを実際に活かせるかと言えば自信はないよ。この島に来てから満足に食べてないのはあるね」

 

「頭も体も動かすには栄養は必要だぞ。とりあえず野イチゴがあるからこれ食っとけ。足りない分は明るくなったら探しておく」

 

「やけにポジティブだね。もしかして私よりもサバイバル能力があるかもと思ってマウントを取りに来てるのかい?」

 

「そんなんじゃねーよ。こんな状況で倒れられたら面倒を見るのはオレになるだろうが。マウントとか喧嘩するエネルギーすら勿体ないっての」

 

 今は暗いから羽鳥がよく見えないが、おそらく顔にもそれなりに疲労が出てるだろうと思い、サバイバルスキルについてを聞きながら立ち上がると、やっぱりそこまで順応はできていないみたいだ。

 それによる弊害は肉体的な疲労よりも先に精神的な疲労がピークに来ること。

 主に食料の問題で食べられるか否かで疑心暗鬼になったり、寝るにしても落ち着ける場所を見つけられなかったり害虫や害獣の脅威は馬鹿にならない。

 特に蚊なんてのは何のウィルスを持ってるかわかったものじゃないから、刺されない努力はした方が良いが、そんな方法は知らないと防ぎようもない。

 そう考えれば羽鳥はここに来てから睡眠なんて取ってないはずで、それがこれからも続けば確実に3日も持たない。

 そうなる前に休ませようと野イチゴを食べさせて適度に胃に入れさせて、夜には徘徊しないっぽい犯罪者達への警戒はオレがしておいて強引にでも眠らせる。

 蚊の対策には風通しの良い場所に行くことで効果は期待できる。蚊ってのは飛ぶ力が弱いから、扇風機の風程度でもまともに飛べなくなるからな。

 蚊はメスしか吸血はしないが、目はすこぶる悪いから生物を自力で探すのに高い温度や体臭、吐き出す二酸化炭素を頼りにする。

 つまりは温度、臭いなどで生物を探っているので、明るくなってからハーブ系の植物を探して、その中に含まれる蚊の嫌う成分を散布するか、肌に擦り込めば一気に刺されにくくなる。

 それが医療知識にもあるのか、眠る羽鳥からは体臭とは違う植物の臭いがして、対策はしっかりしていたようだ。ってことはこの島にハーブ系の植物はあるんだな。

 

 翌朝。

 犯罪者達による襲撃の危険も杞憂に終わって、6時間は寝ていた羽鳥も無事に起床。

 オレは不眠不休でも省エネモードなら3日は大丈夫なので、寝るのは今夜でいいかと羽鳥からハーブのあった場所を聞いて採取。

 次に今日の目標である犯罪者の拉致のための罠を考えるついでに、川へと戻って川魚を2匹捕獲。清流だからやっぱりいてくれた。

 その川魚を犯罪者達のベースキャンプから最も遠いだろう海岸まで移動してから火を起こして焼いて朝食に。羽鳥がライターを所持してたから火起こしに知恵を出さなくて良かった。

 

「それで、奴らを捕まえるとして方法は?」

 

「それくらい考えていてもらいたいね。私は担当を分けるべきと考えていたから、その後のことを考えていた」

 

「つまり拉致する方法はオレのに賛同するんだな? なら問題ない」

 

「それなら私の尋問にも協力的であってくれよ? 手始めにこの浜辺に2m程度の深さの穴を2つほど掘りたいんだが」

 

「……漂着物がほとんどない。この島はあまり海流が入ってこない場所っぽいな。適当な漂着物で簡易のスコップでも作れれば……」

 

 森の木々は深いので煙が上がっても確認するにはそれなりに高所から見ないとほとんど見えないので、あまり警戒なしで魚を焼いて食べながらこの後の動きの確認をする。

 何か言えば文句を言うタイプの羽鳥と会話するなら、ある程度の文句を予測して引き出してオレのペースに持っていく必要があるので、羽鳥が捕らえるまでの流れをオレに一任する流れを形成。

 その代償に尋問を担当する羽鳥の手伝いもやる羽目にはなったものの、埋めるのかい。確かに拘束も出来て口を割らせる意味では色々と効果的だけど。

 やることはえげつないが躊躇のないこの性格は少し尊敬しておくとして、穴を掘るにも道具は必須で、そのための材料をその辺を見回して探してみる。

 漂着物には流木程度しかないから文明の利器みたいな加工品は見当たらないため、島にあるもので作成する必要があるが、スコップの役割を担える強度の物はないだろう。

 

「手錠はいくつある?」

 

「その質問をすると言うことは穴堀りは非効率的ということかな。2つしかない」

 

「オレも2つ。拘束するなら木で良いだろ」

 

「埋めた方が心理的なストレスは大きいんだが、仕方ない。妥協しよう」

 

 穴を掘るというのは現実的に時間もかかるし労力もそこそこかかることもあって諦める方向で話を進め、呑気にしてもいられないのはわかってる羽鳥も妥協に応じて魚を食べ終える。

 準備がいらなくなったからこれで犯罪者の拉致に全力が出せるが、捕獲に当たってこちらのカードはオレというジョーカーを伏せることで決定。

 羽鳥はすでに向こうに捕捉されているが、オレはまだ奴らとエンカウントしていないので不意打ちが出来るということ。

 向こうが羽鳥1人しかいないと油断している隙を狙うため、魚を焼くために使った木を森の中へと運び、あたかもそこで焚き火をしていたような配置にする。

 銃は絶対に撃たれないにしても、声を出される可能性は考えて散策が一番散るだろう森の端っこの方に仕掛けた焚き火トラップのそばで待つこと約2時間。

 ようやく来た2人組は双方ともにサブマシンガン装備で死角をカバーして行動していたが、銃の持ち方や移動の仕方。警戒の具合からどの程度の能力かを判断すると、一般人に毛が生えたくらい。

 警察から逃げているだけに警戒の仕方は様になってるが、それだけの話だ。

 その警戒心からオレ達の仕掛けた焚き火にも割とすぐに気づいてくれて、あからさまな焚き火の後に怪しさを感じたかサブマシンガンを構えながらジリジリと近寄りつつ周囲への警戒も怠らない。そこは誉めてやろう。だがな。

 あからさまに怪しいから周囲を警戒させるのがオレ達の狙いであり、2人の位置取りが絶妙なタイミングで隠れていた羽鳥が飛び出して瞬時に反応した2人の背後からサブマシンガンを撃たれる前に無力化。警戒心をあえて強めて反応を早くさせ、間髪入れずに死角から意識を刈り取る。

 向こうが羽鳥1人だけと思い込んでいるから出来た意識の空白への攻撃は容易く決まり、一声も上げられず気絶した2人が目覚めないうちに海岸近くまで運び、幹の太めの木を背にして座らせて両手を回して木の後ろで手錠をはめて拘束。

 さらに両足にも細工をして、足首にワイヤーをくくりつけ足を伸ばし、ワイヤーが張るようにしてクナイを力では抜けないように地面に刺して埋め、無理に動こうとすると足首がスパーン、となるようにしておく。

 当然ながらこの辺は羽鳥の指示でやってるし、これから行う拷問込みだろう尋問にはオレは関わらないで他の犯罪者への警戒をしながら陰から観察することになるが、尋問科ってのはこういう時に妙に生き生きしだすのがちょっとあれだ。

 これだけでも自力で抜け出すのは至難の技なのは明白だが、尋問においてはさらに追い詰めたいのかハンカチを取り出した羽鳥は、手頃な小石をいくつか拾ってからそれを犯罪者の1人の口に入れてハンカチを口縄にし吐き出せないようにする。

 

「おい、喋らせるのに口を封じてどうするんだ?」

 

「君はそろそろ退場したまえ。彼らがいつ目覚めるともわからないのに呑気に突っ立って発見されてはこちらが困る」

 

「質問に答えろよ」

 

「君も察しが悪いね。別に1人の口を封じたからといって、情報源が絶たれるわけではないだろう。素人は外野席で見物しているといいよ。フフッ」

 

 ──ゾワッ。

 尋問するのに口縄をするのは何なのかと隠れる準備をしながらした質問に対して、さも当然のように答えた羽鳥から、オレはかつて感じたことのある寒気を覚える。

 それは去年の秋の終わり頃にこいつが『ジャック・ザ・リッパー』の子孫としてその呪われた血によって目覚めた時の人が変わる瞬間に感じたものとほとんど同じ。

 見るからにはその兆候はなかったし、今も別にあの頃のような凶暴性が発揮されているわけではない。むしろ、大人しいくらいだから、きっと尋問や拷問の際に出てくる冷徹な部分、なのかもしれない。

 綴が前に言っていたが、この手の仕事は楽しめるようになるくらいでなければ、壊すことに知らず知らずで疲れて、遅かれ早かれ心が壊れるんだそうだ。

 そうならないために羽鳥も切り替えたと見るべきか。いや、どうなんだろうな……

 

「……やりすぎるなよ」

 

「何も心配いらないさ。私はこんなことは日常茶飯事だからね」

 

 人間味はまだ全然あるし、犯罪者達も人として認識してる──覚醒すると男は肉塊にしか見えないとか言ってたしな──のは今のでわかった。

 きっとオレが変に気にしすぎているだけなんだろう。

 Sランクになって眞弓さんみたいな思考に寄ってきたところがあるから、不安な要素は早めに確認したくなってしまうんだ。もしもを考え出したらキリがない。

 ここは羽鳥を信じて動かそう。こいつだって同じSランク。その評価は伊達じゃないんだから。

 そうしてここからの尋問は羽鳥に任せて、オレは犯罪者達の死角になりつつ森を監視できる位置で腰を落ち着けて羽鳥の様子をうかがい、口縄をした方の犯罪者を羽鳥が起こしにかかって、意識が戻ったところでSランクの恐怖の尋問が始まった。



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Slash46

 無人島サバイバル2日目。

 自分達の置かれた状況を正確に理解するために、同じく島にいる10人の犯罪者達のうちの2人を拉致して拘束することに成功。

 オレはまだ奴らには見つかってないので尋問は羽鳥に任せることになって、物陰から周囲への警戒をしながらその様子を見ていたら、まだ意識のない犯罪者の1人に石を口に含ませた状態で口縄をした方にメスを取り出していきなり靴の上からブッ刺す。おーい。過激だよぉ。

 当然、痛みで一気に覚醒したものの、まともに喋れも動けもしない状態では足掻きようもない。

 

「やぁ、おはよう。今日も良い天気だねぇ。君もそう思うだろう?」

 

 混乱気味のところにメスを刺したまま正面で片膝をついて対面する羽鳥は気持ち悪いくらいの笑顔で、相対してたら狂ってるのかと思う。ここから見てても思うもんな。

 しかも話しかけておいて喋られなくされてるという意味不明な状況は混乱を招き、みるみるうちに呼吸の乱れが見て取れてくる。

 

「あまり暴れないでくれたまえよ。暴れた拍子でうっかり口の石を飲み込みでもすれば、数日のうちに君の肛門から出ることになる。もちろん、激しい痛みと大量の血も伴ってね」

 

 痛い痛い痛い。

 聞くだけで痛い話を目の前でされた犯罪者は、表情が見えないからどう反応してるかわかりにくいが、確実に青ざめて絶句してるだろう。喋れないんだけど。

 とりあえず暴れるような素振りは消えてここから尋問かなと思っていたのだが、オレはやっぱり羽鳥という人間をわかってなかったよ。

 静かになった犯罪者に機嫌が良くなったのかウンウンと頷いてみせた羽鳥は、その笑顔のままで今度は逆の足にメスを容赦なくブッ刺して悶絶させる。えー!?

 

「実は君達に聞きたいことがいくつかあるんだが、素直に吐いてくれる気はあるかな? もしもそうでないとこれから君の足から段々と上にメスが突き立てられていくことになるんだが」

 

 メスは刺したままなら出血もそれほどにはならないし、別に太い血管を傷付けてるわけでもないから処置さえすれば命に別状はないだろう。

 それもわかっててやってるから怖いんだが、もっと怖いのは質問すると言って、犯罪者が了承の意味で首を振ってるのがオレにもわかるのに、また平然とメスを手に持って弄んでいること。やべぇよあいつ……

 

「君達はどうしてこの島に来たんだい? 何が目的で私を狙っていた。いや、目的は私なのかな?」

 

 何の抑揚もない調子で質問しながら、相手に一向に話す権利を与えない羽鳥の狂気は犯罪者にもすでに伝わったか、拘束されていても暴れようとしてるのがわかる。

 だがその足掻きも自分をさらに傷付ける行為でしかなく、暴れるもんだからまた羽鳥のメスがふくらはぎに刺されてしまう。

 

「君達をこの島に誘った者には会っているのかな? 会っているならどのような人物か教えてくれないか? ねぇ、聞いているのかい?」

 

 呼吸するように質問しながらメスを刺していく羽鳥に対して、犯罪者も喋る気が満々にも見えてきた。

 それでも口縄を外しもしないで質問を続ける羽鳥の狂気のメスは太股の太い血管を避けて刺されて、次は男にはキツい男性器に狙いを定められる。

 さすがにそこで犯罪者も羽鳥の狂気に耐えかねたのか自己防衛のために自ら意識を失い、その首がガクリと下がる。

 それを見てつまらなそうにした羽鳥は小石を拾って今度は隣の犯罪者に投げつけて覚醒させると、同じような反応で状況を理解しようとする犯罪者に見せつけるように意識のない犯罪者の腕にメスを刺す。

 

「実に困ったよ。私は簡単な質問をしているだけなのに、この男は一向に話そうとしてくれなくてね。いや、ここまでして話さないのは立派ではあるけど、私もこれ以上はこれをどこに刺すべきか迷ってしまう。つい手元が狂って大事な血管を傷つけでもしたら……死んでしまうから」

 

「話すって……そいつの口、塞がってんじゃねーかよ……」

 

「ははっ。君は何を言ってるんだい? 人が言葉を発するのに口が開くかどうかは問題じゃない。大事なのは話してくれるかどうかの意思だよ。彼には些かそれが欠如していたようで、私には話をしてくれる雰囲気を感じなかった。いやぁ、仕方ない。幸い口は2つあるしね。今度はそちらに開いてもらおうか」

 

 さく。さく。さく。

 状況を理解しただろうもう1人に対して世間話でもするような調子で話す羽鳥の心情は全く読めない。

 何故ならそうやって話しながら意識のない犯罪者へ何の躊躇いもなくメスを追加で刺していって、その度に覚醒しかけるが、絶妙な場所に刺しているからか目覚めることはない。

 言っていることも狂気を孕んでいて、行動まで理解不能な目の前の人物にどうすればいいかわからない雰囲気で、その狂気が自分に向けられるとなった瞬間。

 羽鳥が容赦なく人を傷つけられる人間だとわからされた犯罪者は、驚くほど素直に自分から何を話せばいいかを聞き、その間にも振り下ろされるメスによってあの場は完全に羽鳥が支配していた。

 

 話を聞いてから2人の腕と足の腱を切って再起不能な状態にして、手錠だけ回収しその場を去った羽鳥は、2人から奪った武装を持って森へと入りオレと合流。

 最終的に28本ものメスを犯罪者の体に突き立てた羽鳥は、止血作業こそちゃんとやって放置していたし、メスも有限とあって回収していたが、そのやり方には賛同しかねる。

 

「それで彼らから聞き出した情報だが……」

 

「やりすぎだ。あそこまでやる必要がどこにある?」

 

「…………やりすぎ? 面白いことを言うんだね。あんなの、私にしてみれば『あの程度』な問題だよ。君が文句を言うだろうことも考慮してずいぶんマイルドにしていたが、それでも批難されるとはね」

 

「あれでマイルド……狂ってるな」

 

「君は甘いんだよ。今回のケースは嘘の情報を掴まされると死に直結する緊迫した状況だ。生温さが少しでも相手に見えれば、簡単に嘘を吐かれて私達は嵌められておしまい。真実を口にするしかない状況を相手に強いるにはこちらが異常であることを印象づけ、それを直接ではなく目の前で見せつけることが効果的だった。それだけだよ」

 

 かつて猿飛にも忍の技として拷問術や催眠術の類いはあったらしいし、指を詰めたりで話を聞き出さなかった羽鳥の手腕は相当なものだ。

 それはわかるが、やはり人間として受けつけがたい光景を目にして拒否反応が出てしまうのは仕方のないこと。

 それも予測していた羽鳥も別にオレを否定するわけではないが、必要あってやっていたことを理屈で説明してきて、誉められたいわけでもなく、ただこの状況で生き残ろうとする意思をオレに伝えてきた。

 それを聞いて羽鳥から『仕方なくやった』といった雰囲気もいくらか感じ取ることはできて、決してあれを楽しんでいたなんてことはないのだと思えたのは不幸中の幸いかもしれない。

 

「……下らない論争をするつもりはないよ。話を戻すが、彼らはやはり何者かによってここへ誘われて、その目的も明確にされていた」

 

「オレにも話は少し聞こえてたが、話を聞いてもよくわからないな」

 

「かもしれないね。彼らの目的がこの私の殺害だと確定したのであるなら、やはりこんな場所にわざわざ招かなくともいい。それに彼らがここに誘われた経緯も不透明な部分が多い」

 

 なるべく拉致した2人からは離れるように移動しながら響かない声での会話を進めるオレと羽鳥は、無駄なエネルギーの消費を抑えるように無駄口は叩かず進行。

 恐怖によって話された真実味があるあの犯罪者の話によれば、犯罪者達は皆、ホテルに来たまでの記憶が薄く、操られていたことが発覚。

 そこから脱出不可能な部屋の至るところからオレや羽鳥と同じようにこの島に飛ばされて、最初に来た奴がすでに7日は経過しているとのこと。

 数はこちらが確認している10人とブレはなく、面識もない連中で仲間意識もかなり低いが、ベースキャンプは資材が豊富で生活に困らない程度には整っていると。

 その資材の奪い合いを避けるためにいくつかルールを設けたとも言っていたが、そこは重要ではなく、そんな準備をした何者かは集まった10人に姿を見せず『君達を捕らえる憎き武偵。羽鳥・フローレンスを殺害せよ。報酬は10万ポンドで分け前は自由』という指令だけを与えていったと言う。

 

「どこにポイントがあるのか。そこだろうな。単にお前を殺すだけが目的なら、お前が言うように手が込みすぎている。なら必ずこの場所でこの方法でなきゃいけない理由が存在する」

 

「武偵は恨みを買う仕事だが、こんな形で仕返しをされるのはレアケースだろうね。君の考察も良いセンを行っていて気に食わないし、私なりに仮定の話をしよう。現実として私が殺害された場合の影響についてだ」

 

「ひと1人の影響力なんてたかが知れてるもんだが、人類史の分岐点なんて存在がいる以上、お前もその可能性を秘めてるって考えはあるが……」

 

「それはないね。断言してあげよう。私に歴史を動かすだけの野心も夢も希望もない。あるとするならそれは……手の届く範囲での救済。それのみだよ」

 

 単なる羽鳥の殺害なら話はもっとシンプルに進んでいるのに、わざわざなこの状況の真意は知らなければ踊らされる。

 それもわかってる羽鳥はオレの考察に間違いがないことに少し嫌な顔をしたが、オレだってちゃんと考えてるんだよ?

 話の規模からベレッタや劉蘭のようなセンもあるかと思ったが、羽鳥が自分で否定するように、周囲の環境を歪ませる……多少なりとも変える力こそある羽鳥でも、歴史に載るような偉業を成したりするようには感じない。

 となればここからの動きは、彼らを操る人物との接触が最も効果的ではあるが、この島に今もいるかもわからないその存在を何のアテもなく探してうろつくのは犯罪者達に見つかるリスクも上がり、余計な体力も消耗することに繋がる。

 長期的な見通しを立てるなら、まずは犯罪者達のベースキャンプから資材を盗んで、こっちの環境を整えた方が良いだろう。羽鳥もいつまでこの調子でいられるかはわからないしな。

 となれば羽鳥にも少しはリスクを負ってもらって、明るいうちにオレが素早くベースキャンプを偵察しに行くのがいいかと提案しかけたところで、不意にオレ達が遠ざかろうとしていたところから1発の銃声が鳴り響き、その音でオレが足を止める。

 

「今のは……」

 

「ああ。1発だけ残していってあげたんだよ。あのままあそこにいたらどうなるかわかったものじゃないしね。仲間と呼べるかは知らないが、その選択をしたのは彼らだ」

 

「お前……それは」

 

「それより彼らが『ここにいるぞ』と叫んでくれたんだ。今のうちに行くべきところがあるだろ。何故か彼らは通信機器を使ってないから、どこで誰が何をしてるかは共有できない。その間隙は突くべきだと思うよ」

 

 自殺したわけではないだろう。

 だが、羽鳥は直接的に言わなかったにしても、その措置はある意味で死を意味することくらい、バカでもわかる。

 彼らの間で信頼関係などない。依頼主と呼ぶべき者によって勝手に連れてこられた地でたまたま一緒になった犯罪者。

 羽鳥の殺害に関しても、報酬の分け前に関しても彼らが決めたルールの上であるとしても、殺してしまえば総取りは誰もが考える。そこにまともに動けなくなった奴を生かしておくメリットなど、あちら側にはない。

 

「だから君は甘い。顔にあまり出すな」

 

「……引き金を引いたのはアイツらだ。悪いのはアイツらだ。そうやって自分を蚊帳の外にするのか。それならお前は陽陰と変わらないぞ」

 

「何とでも言ってくれたまえ。私は君と違って真っ先に狙われる対象だ。その相手が少なくなることに異論はないよ」

 

 ──コイツは!

 人の命というものの価値に上も下もないとはよく言うが、実際には命の価値の差はどこにでも存在している。

 そんなことを議論していては何日あろうと終わらないのは明白だが、今のだけは看過できない。

 人が死ぬことを喜ぶような羽鳥の言い分に対してオレは、力づくで胸ぐらを掴んで木に押しつけて睨んでしまう。

 ほとんど反射的で感情的な行動だったから羽鳥もそうなるだろうと予測していたか動揺はなかったが、その目にはいつものような余裕が抜けかけているのがわかってしまった。

 

「──放せよ。君と喧嘩するつもりはない。だが、敵への同情は早々に捨てろ。でなければ次に死ぬのは、君だ」

 

「……だとしても」

 

 イギリスは日本ほど殺人に関して厳しい規則があるわけではないため、武偵法9条があるオレとは違って羽鳥は少し抵抗が低い。

 いつもの羽鳥ならその選択は最終手段。手詰まりになった時に出てくる苦肉の策といった部分で扱うべき手を、こんな段階で切る辺りに違和感があった。

 すでに羽鳥の中で何か異変が起こってるのかもしれないが、特異な状況でオレの知らない羽鳥の側面が出てきているのかもしれないし、これが普段で、オレやアリア達の前での羽鳥が異常だったのかもしれない。

 それを断定するのはオレには不可能だ。それでも今の羽鳥はいつも以上にイラつく。嫌味とかそんなのお構いなしにな。

 

「失う必要のない命を失わせることに、オレは寛大にはなれない」

 

「……なら好きにしたまえ。私はこれからヤツらのベースキャンプを偵察してくる。君が生きていたら、日が沈んだ頃合いに昨夜の川で落ち合おう」

 

 そのオレの反抗心を察して、羽鳥の方から別行動する提案がされ、胸ぐらから手を放したオレから離れて歩き出した羽鳥は、その姿が見えなくるまで、もう一言も話すことはなかった。

 別に喧嘩をしたわけじゃない。どちらかが謝ってはい終わりと言う話でもない。

 それだけにオレの中でモヤモヤとした感情だけが残るが、それはきっと羽鳥も同じだ。

 これを解消するにはもう1度、羽鳥と話をする必要はあるだろうし、それは今じゃないのはわかってる。

 今は失われようとしている命を助ける。それだけ。

 羽鳥なら1人でも偵察くらいは造作もないだろうから、オレは踵を返して来た道を戻って、犯罪者達が足手まといとなった2人を見つけて殺す前に匿うために動き出した。

 

 オレがヤツらに見つかってもこれからのアドバンテージを失うだけなので、なんとか見つからずに2人を別の場所に移して、当分の面倒は見なければならない。あれ、難易度が高いぞ。

 慎重に来た道を戻ったオレが2人の元に辿り着くと、2人は切られた腱のせいで地面を這うしかない状況で海岸をベースキャンプに向かうように迂回していた。

 移動距離としては100mくらいだが、生きようとしてる2人の意志は十分に伝わってきたので、犯罪者達に見つかる前に回収しようとする。

 しかし海岸に出ようとしたオレの足を止めるように、別の位置から海岸へと出てきた存在がいて、2人の進行方向の先に現れた2人組は十中八九で他のペア。

 同じようにサブマシンガンを装備した2人は海岸を這ってる2人を発見して近寄っていき、オレも森の中から慎重に距離を詰めて会話が聞こえる位置にまで詰める。

 

「た、頼む! せめてベースキャンプまで連れていってくれ! このままじゃ俺達はのたれ死んじまう!」

 

「あ? そうなったのは自業自得だろ。つーか2人いて1人にやられたのかよ。だっせぇ」

 

 聞こえてきた会話からも仲間意識など皆無なことは100%わかり、無駄話に移行してしまえば躊躇なく撃つことも雰囲気でわかってしまったので、あと1分もなさそうな命乞いの時間を無駄にしないためにオレも動く。

 1人が会話に興じて、もう1人が一応の周囲への警戒をしているため隙はあまりない。

 しかしこっちが一方的に相手を捕捉している状況は有利!

 それでオレが行動を開始しようとしたら、少し遠くの方からサブマシンガンの連射音が轟き、その音に海岸の4人もすぐに反応し森の方に目を向ける。

 撃ったのは……羽鳥か。意図かどうか知らないが、助かったよ。

 戦闘の音ではないのは応戦の音がなかったことから明らかなため、この発砲は羽鳥によるもので間違いない。

 これがこっちの状況を察して撃ってくれたとは思わないものの、タイミングとしては悪くなかったので、内心で羽鳥に感謝しつつ、4人がまとめて森の方を向いたタイミングを逃さずになるべく死角から森を出てクナイを投げながら急接近。

 さすがに森から出るところで気づかれてしまったが、構える前にオレのクナイが2人の腕に刺さって怯んでくれて、その稼いだ数秒で距離を詰めてさらにクナイを投げて太股に刺す。

 それで膝をついた2人に発砲されるより早く飛び蹴りからの手刀と顎への殴打で脳震盪を起こして気絶させて無力化。

 すぐにサブマシンガンやらの武装を外して破壊してしまう。

 さらに起きて暴れられても面倒なので、羽鳥と同じように手足の腱を切って再起不能な状態にして止血の処置。

 あーあ。これで介護者が4人になっちまったよ。どうするよこれ……

 そんな感想しか出てこないくらい、自分がバカなことをしている自覚はありつつも、なってしまったものは仕方ないと諦めて、オレが色々とやってる間に、羽鳥の仲間だと確信したのか、先ほどの拷問の影響で逃げていた2人に簡単に追いついて行く手を阻む。

 拷問が効いたのかオレも何かしてくるんじゃないかと怯える2人に対して、そんなつもりはないと言いつつも、言葉だけではどうしようもないと考えて、行動で示すことに。

 

「お前達を助ける義理はないんだが、死なれるのはこっちの寝覚めが悪いんでな。そっちのベースキャンプには今ので戻れないのはわかっただろうし、生き永らえるための手助けをしてやる。ただし、この島から脱出したら、容赦なく刑務所にぶち込むぞ」

 

 言いながらオレが2人のうちの1人に手を貸して立ち上がらせて、森の木にもたれさせると、2人も羽鳥とは違う雰囲気を感じてくれたのか、警戒はしているが抵抗はせずにオレの話に耳を傾けてきた。

 ──さてさて、どうしたもんかね。



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Slash47

 

「くそっ……我ながらバカなことしてる……」

 

 無人島サバイバル2日目にして余計なものを背負ってしまったオレは現在、絶賛自虐中。

 10人いる犯罪者に命を狙われる羽鳥が相手の命を少し蔑ろにしていることに反発して、戦力外にした2人の犯罪者を用済みだと始末されてしまうのを防ぐために別行動。

 案の定、仲間とも呼べない他の犯罪者を呼び寄せていた2人は、駆けつけた他の2人に容赦なく殺されかけていたところを救出。

 そうなる前に匿いたかったが現実は非情なり。同じように無力化して役立たずの4人となった犯罪者は、向こうの残り6人に見つかれば問答無用で殺されるだろう。

 誰であれ人が死ぬのを見過ごせなくなったオレは、これからこの4人を守りつつ残りの6人も無力化しなければならなくなり、難易度は跳ね上がる。

 とにもかくにも四六時中コイツらを見ているわけにもいかないので、手足の腱を切っているとはいえ暴れないとも限らない4人を大人しくさせるためにオレは生殺与奪権を行使。

 コイツらもバカではないので、もう安全無事にこの島から脱出するためには他の犯罪者に見つからないようにするしかないのは理解している。

 その上でまともに移動もできないコイツらの当面の安全と食事の提供をする代わりに、事が終わるまで1つの場所から動くなと命令。

 オレとしてももしもコイツらが殺されずに他の犯罪者と合流して情報を漏らされたら、折角のアドバンテージを捨てるリスクは避けたいのだ。まずはその線を断つ。

 その命令に対してほとんど選択肢がなかった4人は忌々しそうな顔こそすれど、生かそうとするオレの事をとりあえずは信用してくれたようで、満場一致で従ってくれた。

 その後、4人には身を低くして茂みに隠れさせて、当面でなるべく見つからないための居住を探して森の中へと入り、少し移動したところにガッツリと深いブッシュを発見。

 獣道がトンネルのように出来ているので、そこを這わせて中へと入れて適度に広げれば、4人が寝転んだ上で隠れられて、物音さえ出さなきゃ見つからない、はず。可能性なんてオレにはわからないからな。

 目測ではプロでもない限り80%くらいは隠し通せるだけのブッシュで、ここを掻き分けて散策するほど、まだ犯罪者達に必死な感じは見られない。

 見つかるにしても向こうにストレスが溜まりに溜まった辺りくらいからだろう。狩りか何かと勘違いしてるうちは、だ。

 そうして4人の当面の隠れ家を見つけて、1人ずつわざわざ背負って往復し中へと入れてから、犯罪者がそれぞれ持っていた水筒を確認。

 だいぶ森をナメ腐ってたのか水筒の中は昼前なのにもう枯渇寸前。贅沢だねぇ。

 

「時計はあるな。毎日6時と18時の2回だけ、お前達に食料と水を運んでくる。それ以外の時間に近づく気配は全て敵と思え。そしてお前達のうちの誰か1人でもこの中の人間を出し抜こうとしたら、問答無用でその後の供給は絶つ。4人ともが無事でこの島から脱出するのが最低限だってことを忘れるな」

 

 とりあえず残ってる水を2つの水筒にまとめて返し、空の2つを持って立ち上がる。

 そして一番大事なことを4人に伝えて、仲良くしろとは言わないまでも、協調性と緊張感は持たせようとする。

 オレと羽鳥もすでになってしまったが、些細な意見の食い違いや自分の思い通りにならないストレスで人は簡単に自分本意になれる。

 それがこの4人の中で起きれば崩壊するのは一瞬。武器は無くとも人を殺す手はいくらでもある。

 そうならない可能性は限りなく下げておきつつ、4人が持っていた武器類で使えそうなサバイバルナイフは装備。単分子振動刀がまだ絶賛破損中なので代用だな。

 あとは無闇に使わないようにペンライトも没収してその場をあとにしたオレは、まだまだ日没までは時間があるので地形の把握と植生する植物やらを散策し、今後の4人の食糧に見通しを立てておく。

 

「あの状態の4人が大人しくしていられる時間は恐ろしく短いだろうな……持って3日。それまでには残りの犯罪者を無力化しないと、悲惨なことになる」

 

 自分と羽鳥の分も考えなきゃならないから負担しか増えてない現実が、オレに疲労としてのし掛かって足が一気に重くなるも、匿った4人が正常な思考でいられるリミットが短いことにも考え至る。

 こんな人の手が入ってない島で負傷してまともに動けないなんて、冷静になればなるほど不安が膨れ上がっていくものだ。それが普通で1人ならオレも自殺という選択肢が候補に挙がってしまう。

 だから4人でいればまだいくらか精神的に安定はするので、それを込みでの3日というリミット。

 こうなる前は相手が焦れて乱れるのを待つ長期戦を想定していたが、こうなったらもう短期決戦でさっさとこっちの安全を確保してしまった方が良い。

 向こうのベースキャンプを制圧すれば必要なものは手に入るし、匿う必要もなくなる。そこで初めて島からの脱出を練る段階に進めるだろうか。

 そっちもそっちで頭が痛い問題だが今はそこを考えていたら本当に精神的に参るので頭の片隅に追いやって、敵を引き付けるような発砲をして以降、予定通りにベースキャンプを偵察しに行ったのか不明な羽鳥の安否を少しだけ考える。

 ……うん、あれは心配するだけ損な気もする。今夜もケロッとした感じで何かしらの成果を持って合流してくるはず。

 オレはそうなるだろうと予想してアイツが放棄した食糧の確保を確実にしておこう。うん。

 

 ベースキャンプは島の北側に位置しているので散策は必然的に南側に寄り、この数時間で5分の1程度の範囲を散策できた。

 そこからわかったのは、この島の外周を回るだけでも1日かからないことと、野生動物で肉食はいなさそうなこと。

 肉食動物の糞なんかは割と分かりやすく臭いし、マーキングの一環でもあるから見つけるのも苦労はないが、それが見当たらないのはこの島にそれがいないからだろう。

 ただし野ウサギやヘビは見かけたから、この島での生態系の頂点はずいぶん低いのは確実。

 だからなのか野ウサギも警戒心が割と低くて、適当に集めた野イチゴをエサに簡単なトラップを仕掛けておいたら、戻った時には引っ掛かってくれていて、それを捌いて焼き、4人に水と一緒に提供して今夜を乗り越えてもらう。

 羽鳥が撃っただろう銃声から以降は1発たりとも発砲がなかったので、羽鳥も上手く立ち回って見つからずにベースキャンプを偵察はできたと信じて、完全に日が沈む前に合流地点の川に移動して魚を獲って焚き火の準備。

 こういう場所では栄養が偏るのが一番怖いが、人間その気になれば水だけで2、3日くらいは持つ程度には頑丈なので、短期決戦を挑む以上は栄養面の心配よりも腹を満たしているかどうかの方が重要だ。

 そうこう考えてると日没になり、夜の静寂が訪れて、ベースキャンプの方が明るくなった頃合いを見計らって焚き火を点けて魚を焼く。

 

「おや、ライターは渡してないはずだけど、どうやって火を?」

 

 焚き火を始めてから15分程度で明かりを頼りに偵察から戻ってきた羽鳥が姿を現して、開口一番にこの焚き火の着火方法について尋ねてくる。

 最初からライターをオレに渡していれば手間も少なかったんだが、コイツは必要になるかもしれないものは手放さないからな。

 なのでオレはその質問に対してそばに放置していた物を手に取って羽鳥に見せる。

 物は適度に曲がった木の棒と丈夫なツタで作った弓。こんなもので火は起こせる。

 

「ああ、弓きり式ってやつかい。ツタの弦に別の木の棒を噛ませて、弓を前後に動かして棒を回して摩擦で火種を作るアレ。現代社会で使おうと思う人間がいるんだね」

 

「使う羽目になったのは誰のせいだと……それより成果は?」

 

 説明の必要もなく物を見ただけで知識として持っていた羽鳥は自己完結してしまったから、オレも無駄な口を開かなくてもいいならとイラッとする発言はスルーして本日の成果とやらを尋ねる。

 それに対して焚き火のそばに腰を下ろした羽鳥がコートの中から双眼鏡を取り出してオレに放ってきた。

 

「ベースキャンプには常に2人が見張りとしていたが、向こうにしてみればウサギ狩りの気分なんだろうね。呑気に談笑しながら食事をしていたよ。そのおかげでどのくらい近寄れるか試せたわけだけど、あまり堂々とは無理だったね」

 

「守りがザルなのはわかったが、こっちも今日だけで4人も削ったからな。さすがに明日からは真面目に守るだろうよ」

 

「4人? 数を減らしてくれたのは喜ばしいが、まさかとは思うけど4人とも匿っていたりしないだろうね? それだけの人数を世話するとなると、君が戦力にならないんだが?」

 

「日が経てば経つほどそうなるだろうが、3日くらいなら問題ない。それまでに全員を行動不能に追い込めばいい」

 

「おやおや。君が勝手に招いた結果に私を付き合わせるつもりかい? 私としては向こうがイラついて仲間割れでも始めたら上々くらいの気持ちだったんだけどね」

 

「またお前は……」

 

 双眼鏡は今後の警戒や偵察でも使えるから物としては良いが、オレに投げ渡してきたということは明日からはオレが偵察やらの行動をしろってことだと察する。

 狙われてる羽鳥をやたら動かして消耗させるのはオレとしても悪手だと思うからそれは良い。

 ただ今の羽鳥の言動からも、このまま好きに動かしていたら向こうに死人が出る可能性は十分にあるし、オレの短期決戦とぶつかる長期戦が狙い。ここを統一しないとこっちも仲間割れが起きる。

 

「……オレは匿ってる4人を抜きにしてもこの状況は早めに打破すべきだと思ってる。今日のお前を見て危ういとも感じたしな」

 

「危うい? 私は至って冷静だがね。今日だって向こうの状況判断能力を試すための試射をしたくらいで、あとは大人しいものだったと自負してるよ。ちなみに彼らには音の反響から正確に場所を割り出す能力はない事が確定した」

 

「そういう部分じゃねーよ。オレが危ういって言ってるのは、冷静さの中に冷徹さが含まれてることだ。それが普通だなんてオレは思わない。いや、思いたくないってのが正直なところか。今でさえオレと反発気味になってるのに、これ以上になる可能性は考えたくない」

 

「なら私と行動を共にしなければ……違うな。うん。確かに言われてみると少々だが思考が攻めに寄りすぎている気もする。こういうのは尋問と拷問以外では出ないようにはしてるはずだったが、無自覚になるほど自然と切り替わっていたか……」

 

 短期決戦も長期戦も互いの都合なので、ここで話すのは相手の都合にどちらが合わせるかの大人な対応を求められること。

 それはオレが合わせればいいで片付くなら苦労はなく、こっちも長期戦は受け入れられないので、羽鳥をこちらに引き込むしかない。

 その理由として羽鳥のこの島での様子を素直に話せば、羽鳥もそれで初めて自分が変になってることに気づく。

 ここを否定されたら面倒な口論が始まるだろうと予想してたから、ここで思考してくれたのはラッキーだが、逆に言えばあの羽鳥が他人に言われなきゃ気づかなかったという部分。

 

「…………君が食糧を安定して供給できるなら、長期戦の方が勝算が高いのは明白。リスクを負う短期決戦にメリットはない。だが君が匿ってる4人を放置できない以上、君のサバイバル能力を必要としているこちらとすれば、折れるしかないね。ただし」

 

「何の策もなしに短期決戦なんて言っていたら殺す、か? メヌのジャブに揉まれて同じようなヤツの言うことが予想できるようになったよ」

 

「わかっているならいい。どうせ君のことだ。浅はかな考えで私を囮に使う算段だろうから、私は私で自分の生存率を上げる手段を取らせてもらうが、許容範囲だよね?」

 

「正当防衛に訴えるのだけはやめろよ」

 

 無自覚のストレスってので些細な変化に気づかなかったにしても、どんな状況でも余裕すらある羽鳥がこうなった以上は、注意しなければまた冷徹な部分が引き出されるはず。

 今ので引っ込んだとも思えないし、本来の羽鳥が持つ気質なところもあるからその辺はデリケートなはず。

 とにかく短期決戦について同意は取れたので、さっそく明日から作戦開始に向けて行動を詰めることになる。

 オレが何をやろうとしてるかは、もう羽鳥にも理解があるから余計なことは言わない。

 羽鳥が狙われてるなら、その羽鳥を向こうに晒すことで囮として使い、その間に正体がバレていないオレがベースキャンプを強襲し守りを撃破。

 それで2対4の状況を作れて、羽鳥が上手く立ち回って逃げ切れれば、オレが詰めて数を減らせる、はずだ。

 問題があるとするなら、羽鳥がしくじって詰める前に捕まったり殺されることで、そうなる前に羽鳥なら確実に相手を殺す。それではオレが短期決戦をする意味がなくなるに等しい。

 それもわかってるから羽鳥もそれ以上は何も言わずに焼いていた魚を食べて明日に備えて英気を養う行動に移り、オレも明日はベースキャンプを偵察しに行くことになるから、余計なことはせずに交代での見張りをしながら休息に努めていった。

 

 翌朝。

 4人への食事を届けてから羽鳥と再合流後、今日の役割分担を確認してベースキャンプへと直行する。

 散策を始める犯罪者達と遭遇するリスクを避けるために山の反対側の麓から登って接近を試み、ついでに山の頂上から双眼鏡で島を観察しておく。

 見えていなかった島の全貌は、やっぱり半日とかからずに外周を1周できる程度の大きさ。

 ベースキャンプは島のほぼ中央に位置していて、川の道も確認できる。

 羽鳥が言うにはベースキャンプは切り立った10mほどの崖のすぐ下に設置されていて、川も小さな滝を作って流れているらしい。

 なので偵察はこのまま山を降りてベースキャンプの崖の上に位置づけてすることにして移動を再開。

 途中に湧水の源泉を発見し、このまま下ればベースキャンプに辿り着くだろうと川下りをすると、川幅3mくらいになったところで崖に到着。

 見たところ崖の上という死角を潰していない辺りに向こうの油断が見て取れるが、それも昨日までの話で、4人も一気に減って警戒が強まったはずなので、これからここも危険な位置になる可能性は低くない。

 だから今は安置なここから可能な限りの情報を引き出そうと腹這いになって崖の縁に顔を出して双眼鏡を覗く。

 昨日の今日でもベースキャンプの守りは2人。そこはまぁそうだろうな。攻めを薄くして羽鳥に余裕を持たせたら調子づかせることに繋がる。

 可能ならここで2人も戦闘不能に追い込めば…… とも思うが、ダメだな。匿うための準備がない。死人を出さないという最低限を守るのが厳しい。

 

「強襲の出来そうな待機場所は……」

 

 出来ないことはやらない。それに限るので、ここでの戦闘は考えないことにして次の思考に入り、来たる一網打尽の時に備えて準備を進める。

 崖の上からでは強襲が難しいのはバカでもわかるからベースキャンプに限りなく近く死角になりやすい場所をいくつか探す。当日は状況を見てその中での選択になるだろう。

 強襲の前には相手の注意を引ければ成功率が上がるから、そのための手段についても思いついた。そっちは手間がないな。

 必要なものと必要な要素。それらを吟味して情報として持ち帰る準備もできて、早ければ明日にでも行動を起こせるかと思いながら撤退を選択。

 もと来た道を辿るように静かに崖から遠ざかって川を登り、ついでに山菜でも採っておこうと水場の近くの山菜を探していると、ガサッ。

 生き物の気配が唐突にして、ほとんど直角に曲がって川から離れて茂みに隠れたが、見つかったか?

 まさか犯罪者かと、少しタイミングを間違えば背後から襲われていたかもしれないことに戦慄しながら森から川へと出てきた存在に目を向ける。

 すると、ビックリ仰天。

 古代ギリシャの白い布のような服を着た翡翠色の長髪の女性。

 この人物に見覚えがありまくりだったオレが、割と無警戒に川に裸足を入れて涼むような行為をする女性を凝視してしまったのが悪かったか、鋭い視線に気づいた向こうがオレに気づきハッとしながらその手をオレに向けて川の水でつぶてを放ってきた。

 散弾くらいの威力があるそれを受けるわけにはいかないので、回転受け身で川の方に飛び出て躱してみせるも、姿を現したのが運の尽き。

 水の超能力を操る女性に対して水場で戦うこと自体が圧倒的に不利と理解するより前に絶妙な水の操作でオレの鼻と口を塞ぐように水がまとわりついてきた。

 ヤバイ! 手がかりがない水じゃ排除しようにも出来ない! 窒息させられる!

 そうと考えた時に真っ先に浮かんだ策が目の前にいる女性を攻撃して集中を削ぐことで、狙いは向こうにもわかってしまったか、かざしたままの右手とは別に左手でグッと握り込めば、川の水から縄になってオレの両足にまとわりついて拘束してきて、いよいよ本気でヤバイ空気に。死ぬっての!

 動きと呼吸を封じられて八方塞がりになりかけたところで、生存本能が働いてオレの未熟な発勁が顔の水を弾いて女性の操作を乱すと、集中するのに意識が向きすぎた隙を狙ってクナイを投げて右手を攻撃。

 その行動が早かったおかげで女性が回避行動に動いてくれて両手がオレから外れ顔と足の水が力を失い、また仕掛けられる前に川から離れて対岸で10mもない距離で女性と対峙。

 

「はぁ……はぁ……やっぱりお前達が関わってたか。なぁ、テルクシオペー」

 

 急な窒息の危機からの脱出だったから、乱れた呼吸を整えつつ警戒心がビリビリと伝わる相手、セイレーネスの4女にして、Nのメンバーであるテルクシオペーに話しかける。

 人の足があるからおそらく今は呪いのせいで話せないと思うが、オレの言葉に対して険しい顔を崩さないテルクシオペーは、不思議なことにオレとわかったからなのか、遭遇時に感じた殺気だけは引っ込めて攻めあぐねているようだった。

 ──何だ? 何を迷っている?



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Slash48

 無人島サバイバル3日目。

 行動不能にしてしまった4人の犯罪者を他の犯罪者に始末されないように匿う手間を選んだオレは、長期戦を想定する羽鳥を説得して短期決戦に持ち込もうとその準備のためにベースキャンプを偵察。

 必要な情報を集めて撤収を始めたところで、あまりにも唐突にNのメンバーの1人であるテルクシオペーと遭遇。

 当然のように戦闘となり、互いに場当たり的な対応を落ち着かせて川を挟んで対峙し牽制し合うが、テルクシオペーの方は相手がオレとわかると何やら難しいというか、困惑したような表情で水場の有利にも関わらず仕掛けてくる様子が見えなくなる。

 その変化が好機か否かでオレの心も揺れ動いて、迷いが生じた時点で満足な攻撃は不可能だと結論し相手の出方をうかがいつつ川からもう少し離れて水の影響を遠ざける。

 

「やっぱり今回のこれもお前らが関わってたか」

 

「…………」

 

 相手は超能力者の中でも規格外のレベル。油断は一切出来ないながらも、何が来ても対応できるだろう距離まで下がってからテルクシオペーの思考を探ろうと口を開く。

 しかしテルクシオペーはバンシーが言っていた通りなのか、人の足を備えた状態では声を発することが出来ないからか、1度だけ声を出そうとしてそれを止める仕草を見せて、それからオレの方へ。というよりも川の中へと足を踏み入れてくる。

 すると川に足が浸かったところで水を下半身に纏うように操り、渦を巻いて動いた水がゆっくりと勢いを失って川へと戻った時には、テルクシオペーの下半身はレス島で見た3人のセイレーネスと同じような魚を模した姿に変化していた。

 それ前提だからか、身に付けてる衣服も下半身に影響しないようにスカート状になってるっぽく、あの変化だと下着とかも穿いてないな。ここ重要じゃないけど。

 

「──まさかあなたと遭遇してしまうとは思いませんでした」

 

 その状態になると声も普通に出せるのも、バンシーが言っていた呪いの話と一致するが、テルクシオペーの声を初めて聞いたオレは少しビックリする。

 レス島の3人のセイレーネスもかなりの美声だったが、このテルクシオペーは群を抜いて澄んで通った美声で、声だけで周囲を魅了する歌姫特有の力を持っているのがわかる。

 きっと歌なんて歌わせたら、それだけで人を虜にするだけの力があるだろうテルクシオペーが声を発しただけで警戒が緩んだオレの無意識の脱力を強制的に排除しつつ、今の言葉の意味について考える。

 オレと遭遇するとは思わなかった。

 そうした言い方をするということは、オレがこの島にいることはNにとって想定内。むしろ必要な存在だったと考えられる。

 オレと羽鳥はイレギュラーと想定していたが、どうやらそこから間違いだったっぽいな。

 

「ここで何をしてる? 犯罪者達を使って羽鳥を殺させるだけなら、ずいぶんと回りくどいって思ってるんだが」

 

「賢い人間には情報を与えない。あなたは上海で我々を罠に嵌め、策を潰しました。すでに我々はあなたに対して少なからずの警戒をしています」

 

「それを教えてくれるのはテルクシオペーの優しさかね」

 

 オレへの配慮か最初から英語で話すテルクシオペーは当然ながら何かを話してくれそうな気配がない。

 だが話せば話すだけボロが出るタイプみたいなのは今のでわかり、オレの言葉にハッとしてほんの少し頬を赤くする様子はなんか可愛かったりした。

 

「ここへはどうやって飛ばした? そっちのネモとかいう超々能力を使う人材もいるが、そいつか?」

 

「……あなた方の認知ではワームホールです。ここと繋がるトンネルを開き、その出入り口にあなた方を招いただけです。力はそこまで必要としません。超能力者が2人いて、理論さえわかっていれば容易です」

 

「ワームホール……聞く限りだと場所は任意で選べないっぽいな」

 

「あっ……」

 

 口が軽いというか素直な感じは話してすぐにわかったので、向こうの情報もいくつか掴んでることをあえて漏らしつつ、この島にどうやって飛ばしたのかを尋ねると、最初はオレに理解できない言葉で説明しようとしてから、めちゃくちゃ端折って原理などはわからないまでも教えてくれる。

 それがまたうっかりというよりも聞かれたから答えてしまったみたいな雰囲気でハッとして口に手を当てているから、もうなんかこっちが力が抜けるわ。

 たぶんテルクシオペーがこんなんだから、アストゥリアス州でも上海でも実質的な指揮はシャナが取っていたんだろう。強いけどそっち運用以外では取り扱い注意みたいなやつだ。

 そんなドジっ子なテルクシオペーからはまだまだ話が聞けそうな気がしたから、頑張って今回のこの作戦については口を閉ざそうとしているところに風穴を開けようとしてみる。

 というか何でテルクシオペーはオレへの攻撃をやめたんだろうか。そっちの方を先に解決すべきか……

 

「……テルクシオペー。今こうしてオレと話をするメリットがお前にあるのか? ないのに排除もしないのは、この島でオレに役割があるから、とか?」

 

「……もう私に何も聞かないでください。あなたには『死すべきタイミング』がある。それだけです」

 

 いくら口が滑るテルクシオペーとはいえ、詰め方を間違えば流れは変わるだろうと慎重に聞くべきことを吟味して、目の前の疑問を先に解決しようとした。

 が、それがどうやら今回の作戦に触れるものでもあったみたいで、そこだけは口がずいぶんと固くなってるテルクシオペーがそれ以上のことを漏らすことはなかった。

 どうやらオレはこの島でどこかのタイミングで死ぬことになるらしいが、それはNの教授を名乗るモリアーティが描いたシナリオってことで良いのか?

 しかしこれだと何を聞いても口すら開かなくなりそうな気配がプンプンしてきたし、話が終わればオレを遠ざける動きか逃げる動きをするのもわかったから、出来るなら捕縛したいので、仕方なく会話を繋ぐために優先度の低いことを尋ねる。

 

「……テルクシオペー。お前はどうしてNに? やっぱり人間が蔓延るこの世界が生きづらいから、か?」

 

「どうしてあなたがそのようなことを気にするのです? 私の行動理由など、あなたには詮無きことでしょう」

 

 尋ねつつ遠くから以前、聞いていたNの指輪の話を思い出してテルクシオペーの手を観察すると、確かに指輪をしてあるのがわかり、光り方と光沢の具合からプラチナであろうことがうかがえた。

 つまりシャナと勇志さんにとっての上司であることは確定で組織の中でも中堅以上の位にはいるはず。

 その上でやはりテルクシオペーがNに身を置く理由は知るべきだとオレは思ったのに、当のテルクシオペーはオレを敵として認識しているから、そんなことを尋ねる意図がわからないと首をかしげる。

 

「確かにNである以上、問答無用で逮捕する理由くらいにはなるさ。だが勇志さんだって、シャナでさえその内には揺るがない強い決意を感じた。その譲れない思いってのがテルクシオペーにもあるなら、知った上でどうするか決めたい。ただ捕まえるだけなら意味がない。敵ではあってもオレは、Nの全てが悪であると断言も出来ないと思ってる。もしかすればオレの理解がミクロなもので、マクロなもので見ればお前達が正義であるってこともあるかもしれないしな」

 

「正義と悪などという考え自体がミクロなものです。我々の対立の上にあるのは『世界のあるべき姿をどうするか』だけです。我々と対立するあなたは『砦』なのでしょうが、揺れ動くものがあるならば、我々は仲間にもなれるかもしれませんね」

 

 ……砦? 何の話かはわからないな。

 だがオレが少しだけ友好的な反応をしたからか、テルクシオペーが同調しようと言葉でオレを迷わせに来て、同時にまだその道を選択すれば死ぬ未来は回避できるぞと暗に言われる。

 だがオレはまだNとは敵対関係でいるべき立場だし、勇志さんとシャナのこともあるからそこに迷う余地はない。

 

「……テルクシオペー。お前は今の世界に不満があるのか?」

 

「無粋な質問ですね。確かあなたは姉達とはすでに会っているのですよね。ならわかるはずです。どうしようもなく人間が溢れた今の世界で、我々のような存在が生きるだけでも大変なことは」

 

「それはわかったつもりだ。だけどそれでお前達のような存在が闊歩するような世界になって、オレ達人間が淘汰されたり……人間としての生活や尊厳が失われない保証はあるのか?」

 

「答えるのが難しい質問です。それは私にもなってみなければわからないとしか言えません。ですが少なくとも私は、あなた方を蔑ろに考えたりはしていません。そのような考えなら私は今、このような呪いをこの身に受け続けてはいないでしょう」

 

 人間本意なオレの意見にもテルクシオペーは真摯な気持ちで答えてくれたように思えるところからも、やはりテルクシオペーは人間に対しては敵対的なわけではない。

 それはかつて人間の男に恋をして、叶わないと感じつつも呪いを受けてまで人間の足を手に入れたテルクシオペーだからこその回答。嘘はないと信じたい。

 だがテルクシオペーでもどうなるか予測できない未来をみすみす許容できるほどオレ達も今の世界に絶望していない。

 おそらくテルクシオペーの願いは、受け入れられなかった自分が人間と普通に生きられる世界にしたいという平和主義のような理想。

 そこに純粋な気持ちがあるのは間違いないが、だからといってそこに至るまでの『過程』を蔑ろにしていいわけもない。

 

「テルクシオペー達のような存在には悪いとは思ってる。どうしようもなく人間中心の世界で生きづらいことも、これまでの色々で理解は出来たつもりだ。だがテルクシオペーはその理想の世界になるために大勢の犠牲が出ている事実をどう考えてる。そこに心が痛んでないのか?」

 

「……それは……」

 

 人間を好きだと言うテルクシオペーが理想のために人間を犠牲にする今のやり方に矛盾や葛藤があればと、揺さぶる意味でも事実を突きつける。

 それにテルクシオペーは言葉を詰まらせて表情にも明らかな苦悶の色が見せるが、やはり決意は固いのか切り替わるように真面目な表情へと変わる。

 

「……人間の社会でもあるでしょう。大を生かすための小の切り捨て。全てを生かそうとすれば世界に必ず歪みが生まれます。その歪みが世界を壊すほどに膨れ上がる可能性がある以上、割り切ることも必要なことなのです」

 

「大義名分はわかるさ。そういうやり方だってのはこれまでのお前達を見れば十分なほどにな。だがオレが聞いてるのはお前の気持ちだよ、テルクシオペー。Nのやり方に妥協して、その結果、理想の世界を築けたとして、お前はその世界で笑顔でいられるのか。その世界のために消えた命を背負ってなお、笑顔でいられるのか?」

 

 ただテルクシオペーの変化はNの一員としての顔になっただけとすぐに見抜いて、完全に切り替わられる前に質問の本質を叩きつけてテルクシオペーの逃げ道を断つ。

 こうした話術でなら羽鳥やメヌエットが適任で、上手くやればテルクシオペーをNから引き剥がすことも可能なのかもしれないが、生憎とオレにはそんな話術はない。

 あるとするならテルクシオペーの中にある葛藤を大きくすることくらいだろう。

 

「……逆にあなたに聞きましょう。私のような存在を疎ましく思っていないあなたは、このままの世界で良いと思っていますか? 私は──嫌なのです。人間でないという一点のみで爪弾きにされる心の痛み。あなたにはわからないでしょうが、人間が好きであればあるほど、その痛みは増すばかり。この思いがいつ反転し好意が憎悪へと変質してしまうか。それももう、このままならそれほど遠い未来ではないのが現実です」

 

「……そうか。人間に絶望したら、テルクシオペーはもう、Nにもいる意味がないんだな……」

 

 自発的にNからの脱退を促せるならと思って返答を待っていたら、まさかの質問返しにあってオレが困惑してしまう。

 だがその質問返しは裏を返せばテルクシオペーにとって痛いところを突かれた何よりの証拠で、もしかしたらこの場で答えを出せないと判断しての言動になったのかも。

 そして質問返しと一緒に出てきたテルクシオペーの本音と取れる心の叫びを聞いて、オレの言葉もどん詰まりしてしまい、自分自身にもまたテルクシオペーと同じような矛盾があることを自覚させられた。

 痛いところを突き合ってお互いに沈黙してしまえば、この場はもうこれ以上の進展はない。

 それがわかってしまったオレもテルクシオペーも、次にどうすべきかはなんとなく以心伝心して顔を合わせる。

 

「……もしも、あなたがこの島で生き残り、再び私の前に現れるようなことがあった時。その時は私も今の質問に対して正直に答えましょう。あなたの答えもその時に改めて聞かせてもらいます」

 

「ああ。そういやオレはこの島で死ぬ予定なんだっけか。こりゃ何がなんでも生き残らないとな」

 

 暗にもう会うことはないだろうと言うテルクシオペーが、言いながら足元の水を超能力で巻き上げて渦潮を作り出しその中に隠れていく。

 気泡を多く含ませているから透過率も低く、水越しでもテルクシオペーの姿はみるみるうちに見えなくなっていき、この流れは止められないかと攻撃されないなら今回は穏便にいこうと決める。

 それでも話をして最も気になったことだけは尋ねておこう。

 

「最後に1つだけ聞かせてくれ。テルクシオペーは何で今も人間が好きなんだ?」

 

「──私は知っているからです。人間が短く儚い命を精一杯に輝かせる事が出来る生き物であることを。それは我々のような長命の存在には決して出すことの出来ない輝き。私はそれを何よりも尊いと感じています」

 

 人間に恋をしたというのも聞いてはいたが、手痛い仕打ちをされたとも聞いていたし、世界に受け入れられていない現実から今も好きでいる理由などオレには想像もつかなかったが、徐々に声が遠ざかりながらのテルクシオペーの迷いのない回答に、少しだけ納得。

 バンシーなんかも5000年とか生きてるから、オレ達とは時間の流れが違うのは当たり前で、人間の一生などテルクシオペーなどからすれば儚いと思うほど短いんだ。

 寿命という観点で見てもテルクシオペーにそれがあるかすら不明なことから、彼女達は長い時の中で人生が色褪せてしまうんだろう。

 その命の価値観からすればオレ達のような100年と持たない生物の生き死には羨ましくもあるのかもしれない。

 そう考え至った時には、すでに渦潮も力を失って川に落ちてしまい、テルクシオペーの姿も完全に消えてしまっていて、上海で遭遇した時に感じた超然とした雰囲気やプレッシャーの他に得られるものがあった今回の出会いは、オレの中では大きな収穫となった。

 

「…………それで、みすみすそのテルクシオペーとやらを逃がしてきたと? 死んでくれないかな」

 

「うるせぇ。捕らえるつもりではいたが無理だった。それをとやかく言われるのはイラッとする」

 

 が、そのあと撤収を再開して夜に羽鳥と合流したまでは良かったものの、テルクシオペーのことをありのまま話したら当然のように罵倒されてイラッ。

 捕ってやった魚を食べながら文句を言うなら没収してやろうかとも思ったが、こいつが倒れたら困るから仕方なく文句で返して発散。

 

「しかし君のその話からすると妙な部分があるね。君がこの島にいることがイレギュラーではないのなら、どうして犯罪者達は君の存在を知らされていない? 知っていたならこの状況が生まれるはずもなかったし、下手をすれば2人とも今ごろ死んでいた可能性もあり得る」

 

「そこなんだよ。羽鳥の殺害が目的ならNが味方になり得るオレの存在を隠すメリットがない。しかもそれでオレはこの島で死ぬ予定があるって言うんだから益々わからん」

 

 それを歯牙にもかけずに平然と話を戻していく辺りが羽鳥だが、オレの話から当然の疑問が真っ先に浮かんで口にしてくる。

 そこにはオレも同意で、状況から考えてもNの行動がよくわからないのだ。

 初めからオレと羽鳥が標的にされていれば奇襲などもできなかっただろうし、向こうはそもそも数的有利を活かす意味でも2人1組での行動はしていなかった。

 結果として膠着状態は今も続いていた可能性は高いし、長期戦になっての優劣はどう傾くかわからなかった。

 それをあえて避けていたように思えるNの思惑になんだか嫌な予感がする。

 それは羽鳥も同じようで難しい顔をして思考していたが、チラッとオレの顔を見てから短いため息を漏らして思考をやめる。

 

「はぁ。どのみち私達には時間がない。奇襲は明日にでも実行する。Nの意図は図りきれないが、それに囚われて行動に迷いが出ることの方がマイナスだろう」

 

「だがオレとテルクシオペーの遭遇は想定外だったみたいだし、今頃オレの存在を知らされてる可能性だって捨てきれない。テルクシオペーと会ったことで危険も孕んできたぞ」

 

「ネガティブな思考はやめたまえ。どのみち君の存在はNの匙加減でどうなるか操作されていた。それを知ってるか知らないかで我々が想定する作戦も前提が変わる。それだけの話だろう。それとも君は奇襲をやめて長期戦に勝つ算段があるのかい? あのお荷物4人を抱えながらね」

 

「それは……」

 

 オレを見てのため息は意味があるのか知らないが、言ってることは正論で反論ができなかった。

 オレの存在がNの匙加減で決まるなら、もうそれを知ってるか否かだけが問題なのはその通りだし、長期戦に出来ないと踏んだのはオレの判断で、短期決戦を言い出したのもオレだ。

 危険が伴うとわかってそれに付き合うと決めた羽鳥がやると言うなら、オレももう腹を括るしかない。

 オレが反論しなかったからか、羽鳥も同意と捉えて魚を食べ終えると、余計なエネルギーを消費しないためか早々に横になって仮眠に入ってしまい、見張りのために起きるオレは、これがこの島での最後の夜になることを願いながら、明日のために精神を集中させていった。

 ──言い知れぬ不気味さを孕んだまま。



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Slash49

 

 無人島サバイバル4日目。

 今日で犯罪者達との戦いを終わらせるために、朝から出来る限りで万全の状態にしたオレと羽鳥は、昨日からいくらか確認してきた作戦内容を別行動前に再確認していた。

 

「私は奴らに捕まらない立ち回りはするが、それでも逃げられる時間には限りがあるだろう。私の足が止まる前に君にはベースキャンプを強襲し、守りの2人を無力化。そのまま私を追う4人を捕捉覚悟で強襲してくれ」

 

「オレの強襲が読まれていた場合は、ちょっと手こずるかもしれないぞ」

 

「出来ないと言わない辺りが君の成長かもしれないね。頼りにはしないが、私の労力は逃走のみにさせてくれたまえ」

 

「応戦は最後の手段ってか? まぁ殺すのも厭わないお前がその手を使う前には何とかしてみせる」

 

 互いに信頼関係を築けたなんて思ってもいない。育もうとしたことすらないと言えるし、むしろ不仲なんじゃね? くらいの羽鳥との関係ではある。

 それでもオレは羽鳥の実力を認めてるし、羽鳥もオレの実力を認めている。と信じたいので、人間として信頼しなくても良いからせめて、そっちだけは信じろと弱音は吐かずにいてやる。

 それは羽鳥も同じようなそうでないようなだったが、どこか様子もおかしいと感じていた羽鳥が殺しを最後の手段にしてくれているなら余計なことは言わずに別れて、オレはオレの仕事を100%で遂行してやるさ。

 

 羽鳥は別行動後1時間が経過したところで適当に存在アピールして犯罪者達との追いかけっこを開始するので、オレはその前にベースキャンプまで辿り着いて強襲の準備を整える。

 まずは昨日に通った山を登って崖上に出るルートを通ってベースキャンプに到達するが、この過程をまず1時間でってのはハードすぎて移動だけで死にそう。

 万に一つでも犯罪者達との遭遇や捕捉は避けなきゃならないから大胆かつ慎重な移動はそれだけで神経を使う。

 幸いなことに何事もなく崖上までは来られたものの、その直後に予定の1時間が経過してしまって、ベースキャンプを様子見するより前に羽鳥が派手にサブマシンガンを連射して作戦がスタート。

 これでオレは銃声に反応するベースキャンプの守りの隙を逃したことになるが、まだ手はある。大丈夫さ。

 そんな楽観的とも言える余裕をわずかに持つことで緊張を適度に解しつつ、焦らずにベースキャンプを崖上から様子見してみる。

 

「…………ん?」

 

 ベースキャンプは基本的に設営された大型テントの下に人も物もいたりあったりだったのだが、上からだと昨日はいたはずの守りがいない。

 いないのではなく単に見えないだけの可能性もあるので、予定通りにまずは隣を流れる川から時間差で勝手に流れていく煙玉を設置して、それが流れてベースキャンプの横を通る前に崖からスルスルと下へと降りて、昨日に見つけた安置から観察。

 あからさまに人工物が川から流れてきたら、普通はどうあれ反応する。無人島なんだからな。

 しかもそれが川上から流れてきたとあっては、必然としてその警戒は崖の上へと向き、その間は灯台もと暗しってやつだ。懐ががら空きになる。

 その隙さえつけば2人がいようとなんとかなる。

 それはもう自信に近いものを持ってそのタイミングを待って、オレの目からも注視しなくてもわかるくらいあからさまに煙玉が滝から落下。

 あれを見逃すのは逆に至難の技だと思いつつ、ベースキャンプを観察していた、のだが……全く反応なし。

 煙玉は当初の目的を遂行することなく川下へとドンブラコされていってしまい、予想外の出来事にオレは2つの選択肢で決断が揺らぐ。

 1つ。この強襲が読まれていてすでに罠を張られている。

 2つ。考えたくないが、今このベースキャンプに人がいない。

 前者であれば今すぐに撤退して羽鳥を助ける動きに切り替えて仕切り直しにしなければならない。

 後者ならここから出て確認する必要があり、前者の罠に嵌まるリスクはあるが、ありもしない罠に怯えてここの確認を怠れば犯罪者側のアドバンテージになってしまう。

 

「……くそっ。行くしかないか」

 

 羽鳥は自分を危険に晒して頑張ってるなら、オレも罠に怯えている場合ではない。

 ほとんど選択肢はなかったとも言える2択にはなったが、オレの存在が犯罪者達にバレているなら羽鳥のフォローは早く行かなきゃならない。

 とは考えても罠とわかって嵌まるのはアホ臭いので、カッコ悪いと言われようとまずはクナイでベースキャンプに牽制を入れて様子見し、さらに煙玉を高く放って、それが落ちて炸裂する前に飛び出してベースキャンプを正面から見据える。

 仮に誰かいても直後の煙玉で隠れる算段だったが、やはり守りに人が割かれていなかった。

 誰もいないし罠も特別に何かに触れたり近づいたりしなければ作動するものはなさそうとあって、落ちてきた煙玉をキャッチしつつ、この結果を高速で思考。

 ベースキャンプの守りを放棄したと見られるこれはおそらく、向こうも4人を欠いたことで羽鳥を危険視して体制を変えた。

 或いはテルクシオペーから何らかの助言を受けてオレ達の奇襲作戦の可能性と、オレの存在が知らされて迎撃に動いているか。

 肝としてはオレがベースキャンプに辿り着いた時にはすでにここはもぬけの殻だったことで、羽鳥の行動云々は関係なさそうなこと。

 つまりこっちの動きに反応して臨機応変に対応しているわけじゃないから、向こうは始めから何かしらの目的があって行動を開始していた。

 

「だとすれば連中の狙いは……ッ!」

 

 ここに罠がないなら、犯罪者達にはまだオレの存在は伝わっていない。

 そうでなければわざわざ潤沢な資材やらをプレゼントするような行為にしかならないため、そうとわかれば目的は1つ。

 確実に羽鳥を追い詰めて6人で仕留めてしまおうという魂胆だ。

 だとすればさっきの羽鳥の行動は完全なる裏目に出たことになる。

 こっちとしては羽鳥を追う人数を2人1組の2チームで4人を相手として想定したギリギリの攻防。

 そこに守りを捨てて3チーム。或いは3人1組の2チームで動かれたら、如何な羽鳥でも数によって扇状に展開されたら、島の外側へと追い詰められるのは必然。

 森の中ならまだ銃を撃たれても障害物が多いから避けられる余地はあるが、浜辺に出てしまえばもう格好の的でしかない。

 くそっ! これならオレが罠に嵌まる方がまだマシだったぞ!

 その最悪の展開が容易に想像できるほど切羽詰まった状況になったことを、おそらく現在進行形で逃げてる羽鳥よりも早く気づいたオレは、羽鳥が森を抜けて浜辺に追い込まれるより前に1人でも多く行動不能にするべくベースキャンプをあとにして走り出した。

 

 闇雲に走っても羽鳥を見つけることはできないが、おおよその方角はわかる術はあると、始めに羽鳥が発砲した地点を目指して走りつつ、その術が向こうから来るのを待つ。

 向こうの有利はほぼ揺るがないとさえ言える状況なら、確実にいくらかの無駄撃ちはしてくるはず。それで目指すべき方角は定められる。

 そう考えて森のほぼ中心に差し掛かったところで1度足を止めて聴覚をフルに使って集中。

 絶対に発砲はある。それが羽鳥へのとどめでさえなければ必ず間に合うように駆けつける。

 その思いだけで焦る気持ちを抑えてひたすらに待つこと5分ほど。

 羽鳥が発砲してから20分は経過したところで初めて銃声が島に響き、オレの耳にもその音は聞こえてきた。

 方角は島の南東。音の大きさからこの島では割と遠かったこともあって、かなり浜辺に近い位置から撃たれたかもしれないぞ。

 時間的な猶予はほぼないと考えて一直線に銃声のした方へと再び走り出したオレは、その過程で自分が見つかる可能性が低いことを確信して割と堂々と森を駆ける。

 しかし銃声が単発で、それ以降は出てこないから、羽鳥が撃たれた可能性がうっすらと頭をよぎる。

 さらに忘れがちながら羽鳥はその性別は紛うことなき女で、見た目は中性で姿格好が男とも普通に見間違う。

 それが犯罪者達にバレて行動不能にされたら、もしかしたらただでは殺されないかもしれない。

 どうせ殺すならと羽鳥を嬲り、辱しめ、精神的に殺してから肉体的にも殺すという……

 

「頼む……間に合ってくれ!」

 

 そんなことは漫画とかの世界だけにしてくれと本気で願いつつ、たった1発の銃声を頼りに守りを駆けたオレが辿り着いたのは、島の南東の浜辺。

 銃声からわずか5分とかけずに森を突っ切ったオレの目に飛び込んできたのは、浜辺で輪を作っている犯罪者達の姿。

 全員が立っているわけではなく、膝をついたり腰を下ろしたりで完全に羽鳥を探している雰囲気ではない。

 それも当然。何故ならその羽鳥は犯罪者達の作る輪の中心で力任せに組み伏されていたからだ。

 まだオレは犯罪者達に気づかれていない。

 というよりも自分達以外に他に人がいない確信しているからだろうが、その意識は輪の中心の羽鳥へと向けられて、武器類も横に放ってしまっている。

 それどころか犯罪者の1人はそのズボンを無造作に下ろして下半身を晒け出していて、他の5人は暴れる羽鳥を取り押さえる役割に徹している。

 もうそれだけで何をしようと。しているのかは明白で、女だとわかった犯罪者達は殺す前に十分に楽しもうとしているのだ。

 ──やめろ。羽鳥にその行為はトラウマを蘇らせるぞ。そして……

 罠の中の羽鳥が今どうなっているかはわからないが、おそらく女としての尊厳もない見るに耐えない姿にされているだろう。

 しかしそれより何より、過去に羽鳥は同じような行為に長期間及ばれて、それがきっかけとなってジャック・ザ・リッパーの血の呪いが目覚めてしまった。

 そうなった羽鳥は立場上で仲間だったオレすらも平然と笑いながら殺そうとするほどの殺意と残虐性を有していた。

 あれが目覚めればあの6人は確実に動かない肉塊にされてサメの餌にでもされてしまう。

 

「お前達! それ以上はやめろ!」

 

 当然の報いだと言ってしまうのは簡単だろうが、オレはその結果によって羽鳥が壊れてしまうことの方が危険と判断して、奇襲すらやめてブローニングを抜きすぐに武器を手にできない犯罪者達を牽制した。

 だがそれがマズかった。

 オレが現れたことで犯罪者達の意識の半分以上がオレへと向けられて、取り押さえる羽鳥への警戒が緩み、その隙を見逃さなかった羽鳥が一瞬で拘束を抜けて、腕に仕込んでいるメスを取り出す装置からメスを取り出して、信じられないほどの正確さで犯罪者のうちの3人の頸動脈を一閃。

 あまりにも鮮やかな一撃だったから他の3人は何が起きたのか理解が追いつかない様子で立ち上がった羽鳥を見て、ハッとしたように武器に手をかけたが、時すでに遅し。

 犯罪者達によってコートを脱がされ、前のシャツをはだけさせられて、ズボンもベルトが外されて下ろされる直前までいっていた乱れた姿の羽鳥は、オレの角度から見えてしまった貼りつけたような笑顔でニヤァ。

 残った犯罪者達をその笑顔だけで金縛りにして、腰を抜かした3人にゆっくりとサブマシンガンを拾って、無慈悲に1発ずつ眉間へと撃って永遠に沈黙させてしまった。

 

「…………羽鳥」

 

 この間、わずか10秒程度。

 止めようにも物理的な距離からブローニングではどうすることもできなかったのもあるが、去年に目覚めたジャック・ザ・リッパーの血の呪いよりも、今回はその身に纏うプレッシャーの桁が違うと感覚的にわかってしまう。

 全身の細胞が警鐘を鳴らしている。あれはヤバいと。今すぐこの場から離れろと。

 だがあの血の呪いに苦しむ羽鳥を知っているオレにはそんなこと出来るはずがなく、何かを信じるようにブローニングを下ろして羽鳥へと話しかける。

 すると羽鳥はオレの声に応えるでもなく、その場で俯き加減の頭をゆらりと持ち上げると、真上を見るような頭の位置でピタリと止まり、ケタケタと笑い始める。

 乱れた服装を直すでもなく、むしろズボンなど重さでずり落ちてしまい、下に穿いてるボクサーパンツが露になるがそれすら関係ないとばかりにズボンから足を抜き、シャツ1枚の薄着で落ち着く。

 男としては今の羽鳥の姿は女としてやめてほしいところだが、そんなことにツッコミを入れられる状況でないことは一目瞭然。本能が羽鳥に近づくなと警鐘を鳴らし続けているのをなんとか黙らせてこの場に留まってるものの、どうすべきか判断がつかない。

 

「ハハッ……いけないね。このままじゃ『鮮度』が落ちてしまう。腐ってしまう前に『保存』しなければ……」

 

 近寄りがたい雰囲気を全く消すことなくケタケタと笑うのをやめた羽鳥は、持っていたサブマシンガンを放って横たわる6体の遺体に目を向けてそんなことを呟く。

 鮮度。保存。

 それらの単語が意味するところはおぞましいほどの作業であり、羽鳥は過去、初めて人を殺した時にその遺体をバラバラに解剖して弄んだと言っていた。

 それは武偵となって医療の技術や知識が増えた今なら、文字通り遺体から使える臓器を取り出してしまおうとしているのだ。

 そんなことをしても取り出した内臓を保存する設備もないし、空気に晒す以上は腐蝕を早めるだけの行為でしかない。

 それがわかってるからか手に持ったメスで腹を裂こうとしたところで「あはっ、どうやって保存するんだよ」と1人でノリツッコミをしていたが、ブラックジョークどころではない現実に血の気が引く。

 

「ッ……羽鳥ッ!」

 

 もう何が楽しいのかわからない笑みをずっと崩さない羽鳥がそれでも解剖をやめそうになかったから、決死の思いで叫びその手を止めさせ、オレに顔を向けたところでブローニングを再び持ち上げる。

 だがこのブローニングを撃つことは不可能に近い。今の羽鳥にブローニングの銃弾を当てて無事な箇所がほぼないからだ。

 シャツは防弾性であるにしても、それ1枚での防御力など心許ないし、ズボンまで脱がれて足も狙えない。

 いや、オレに覚悟さえあれば羽鳥を傷つけてでも止めるべきところなのは重々承知しているんだ。

 でもな……それを今したら取り返しのつかないことになる気がする。これは確信に近い。

 だからオレの向けたブローニングに対して希薄すぎるほどの反応しかしなかった羽鳥は、今のオレがどう映っているかも不明ながら1度は笑みを消して動きが止まる。

 しかし次には笑みの代わりに心底冷めたかのような無表情になると、落ちているサブマシンガンを再び拾ってタイムラグなしでいきなりオレに撃ってきた。

 あまりにも唐突で無動作で発砲した様は、かつてアビー・ロードで牽制のために撃ったサイオンの発砲と同種のもので、発砲に殺意が込められていなかった。

 サイオンはその辺りを日常的な動作のようにしていると言っていたが、羽鳥の場合は毛色が違う。

 セミオートでの発砲は全てオレの顔面へと迫る即死コースで放たれたから、死の回避で身を屈めて躱すことは出来、すぐに次弾に備えて森の中に逃げ込み木を盾にする。

 羽鳥のあの目はオレを人として認識していない。ただの動く肉塊としての認識だから、殺すだのというのは雑念でしかなく、そもそも殺意を抱きすらしないんだ。

 そういった意味で殺意のない銃撃は羽鳥の発砲を予期しにくく、死の回避なしには避けるのも難しいだろう。即死コースから外れたら容易に当てられるぞ。

 

「あれ、なかなか新鮮な肉だね。活きが良いからきっと、中身も健康だね。アハハッ」

 

 木の裏に隠れたオレに対してサブマシンガンが当たらなかったことを笑う羽鳥は、オレを猿飛京夜と認識していないと取れる発言をする。

 声で判別くらいできそうなものだったが、それも今はフィルターでもかかって鮮明さに欠けているか、言語として捉えていない可能性──動く肉塊が喋るわけがないという理屈でだ──がある。

 オレの叫びに反応したというよりは、変な雑音の先に肉塊があったみたいなことなのかもしれん。

 なんにしても完全に覚醒してしまった羽鳥は以前よりも拍車をかけたように危険な雰囲気を纏って目の前に君臨してしまった。

 あれを止めるには心の奥底へと引っ込んでしまった羽鳥本来の意識を覚醒させるしかないが、前はほぼほぼ相討ちでようやく止められたくらいの強さだったわけで、今回はその上を行くなら無理かも……

 冷静に考えればここは撤退して、1度羽鳥を自由に動かして満足させるのが良いのかもしれない。

 遊ぶおもちゃが無くなればすぐに飽きてやることがなくなる。そうすれば元の羽鳥の意識に戻る可能性は十分にある。

 あるのかもしれないが、その選択は生憎と却下だ。

 もしもそうして羽鳥が元に戻った時に、自分のしたことに羽鳥が耐えられる保証がないから。

 自分の欲求を満たすためだけに死体を弄んだ事実はきっと、羽鳥の心を壊すだけのものを孕んでいる。

 だから今のオレがやるべきこと。それはあの羽鳥のこれ以上の暴走を止めて元に戻すこと。すでに6人も殺させてしまったんだ。これでオレまで死んだら……

 と、そこまで考えて昨日のテルクシオペーの言葉がオレの頭でリピートされた。

 ──オレの死ぬべきタイミング。

 テルクシオペーはそれは近く訪れるだろうことを言っていたが、それがここなら最悪を通り越して醜悪すぎる。

 羽鳥の中でオレの存在など矮小なイラつく人間程度のものなのは揺るがないと思うものの、それでもいくらかの死線を潜り抜けた仲だ。

 そこに仲間意識がわずかにでも芽生えているなら、殺す必要が全くないオレをその手で殺したと知れば、今度こそ羽鳥は自分の血の呪いに負けてしまう。そんな気がする。

 そしてそうなるように仕組んできたNの目的がようやく鮮明になった。

 Nの目的は最初から羽鳥の殺害にはなかったんだ。

 そうであるように仕込んでおきながらも、その裏では今のこの状況を思い描いていた。そう……

 ──Nの狙いは、羽鳥を武偵の道から外して『ジャック・ザ・リッパー4世』として仲間へと引き込むことにあったんだ。



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Slash50

 

 やってくれたな、N。

 羽鳥の殺害のために用意された無人島で10人の犯罪者達とのサバイバルをしていたオレと羽鳥だったが、短期決戦に臨んだこちらの意図が犯罪者達とミスマッチ。

 向こうの体制が変わったところで作戦通りに決行したのが裏目に出て、ベースキャンプを空にした攻めの1手で羽鳥が窮地に追い込まれてしまった。

 殺される前に犯罪者達の慰み者にされかけていたところで、トラウマから羽鳥の中のジャック・ザ・リッパーの血の呪いが色濃く発現してしまい、わずかな時間で残っていた6人の犯罪者は全滅。

 あまりにも躊躇なく6人を殺害した羽鳥は、男を人として認識できない症状が出ているからか、オレまで攻撃し始めてしまい、木の陰に隠れてなんとかやり過ごすことができた。

 そしてそこで状況をほぼ完璧に把握したオレは、この仕組まれたサバイバルにおけるNの狙いが理解できた。

 羽鳥はあれでかなりの修羅場を経験しているSランク武偵で、危険な場所に自ら突っ込んで行くくらいには危機に対しての耐性というか、対応力が高い。

 しかしそれはほぼ全てにおいて羽鳥の意思で飛び込んだ危機。いくらかの備えが事前にあるのが前提なのだ。

 だからなのか今回のようにイレギュラー的に危険な場所に放り込まれると、その備えが上手く機能しなくて、どこかしらにストレスがかかるんだ。

 オレが感じたこの島に来てからの羽鳥の余裕のなさはこれが原因だったと今ならわかるが、そうやって羽鳥に精神的なストレスを与えるのがNがこの島を選んだ理由の1つ。

 逃げられない状況は羽鳥に四六時中の警戒を促していたのは確かだし、オレと会わなければ3日目には1人ずつでも犯罪者達を殺して回っていたかもしれない。成功率で見ればかなり高いだろうしな。

 だがそれでは今の状況は作れないため、そうならないようにオレをこの島に配置して、この時までの抑止力にした。くそっ、よく考えてやがる。

 武偵法9条に縛られてるオレなら犯罪者と言えど、みすみす殺すようなことはしないしさせないと、ある種の信頼をされた上で仕組まれたシナリオ。

 オレと羽鳥なら犯罪者を無力化することも十分に考慮して10人も配置したのも確実で、そうなった場合に一網打尽にならない数を揃えながら、無力化した犯罪者を隔離する労力を割かせるのも策の内だろう。

 そうなれば必然、オレ達が取れる選択肢は短期決戦での決着しかなくなり、攻めの1手を早くに仕掛けることになる。

 そのタイミングに合わせて、数の減らされた犯罪者達に「敵を舐めすぎだバカが」とかそんな感じで煽れば、向こうも攻めの1手を仕掛けて、互いに攻めの姿勢でぶつかることになって、元々のパワーバランスが犯罪者達に片寄ってる以上、追い詰められるのはこっちというわけだ。

 これで下準備はほぼ終了。あとは羽鳥が死のストレス。或いは過去のトラウマを呼び起こされるような事態になってくれさえすれば、積み重なったストレスが爆発してジャック・ザ・リッパー4世が目覚める。

 最後の仕上げとして殺す必要のない、羽鳥に近しいオレが殺されることで羽鳥を完全に壊し、武偵として再起不能にしてしまえば、行き場のない羽鳥はNの誘惑に乗ってしまう可能性が高い。

 いや、事によってはオレの知る羽鳥はその時点で死んだも同然になってしまうのかもしれない。

 

「ふざけるなよ……」

 

 恐ろしいほどに悪魔的で計算された計画。

 これを逆算して仕組んだだろうモリアーティの強大さを垣間見て普通なら臆するところだろうが、今のオレは怒りしか感じない。

 羽鳥がどれほど血の呪いに苦しんでいたかも知らずに。その呪いと戦いながら、紙一重のところで武偵を続けて人助けをしていた羽鳥の危うさを利用して。

 ただ自分の望む世界のために1人の女を平気で壊すこのやり方は、あまりにも(むご)い。

 痛々しいほどに壊れかけた今の羽鳥から身を隠しながらも、これ以上のNの計画の進行を阻止するために今ここで羽鳥を止める決意を固める。

 以前にジャック・ザ・リッパーの血が目覚めた時はほぼ相討ちでなんとか止められたが、今の羽鳥はあれ以上にヤバい状態と見て間違いない。

 それでも止めなければ、事はNにとって都合の良い方向に向かいかねない。

 ……いや、そんなことは今はどうでもいいんだ。

 目の前で悲鳴をあげてる女がいるんだ。理由なんてそれだけで十分だろ。なぁ、猿飛京夜!

 勝算があるわけでもなく、どうすべきかもまとまらないが、とにかく動きを封じてから考えようと木の陰から顔を出して浜辺にいる羽鳥を覗き見る。

 が、そこでオレは一気に血の気が引くのと同時に、右手がクナイを取り出して構える。

 直後。オレが顔を覗かせた反対側から羽鳥の子供持ちしたメスが左手から裏拳で振り抜かれ、顔面に迫ったそれをギリギリで躱して横に転がりすぐにリカバリーし追撃に備える。

 気配が全くしなかった。

 木の陰に隠れていても羽鳥への警戒は解いたつもりはなかったし、音に対しても敏感になっていたから、接近すれば気づける自信があった。

 それなのに接近を悟れず10m程度の距離を詰められたのは失態と呼ぶには理不尽なくらい。

 手加減など一切なく振り抜かれたメスはオレの顔があった位置の幹にザックリと突き刺さって止まり、そのメスを持ったまま右手に持っていた羽鳥の愛銃であるサプレッサー付きのHK45Tが無造作に火を噴く。

 それがまた殺意なしのノールックで撃ってくるから予兆が全くなく、反応が遅れて死の回避で避けることになる。

 ノールックのくせにちゃんと即死の狙いで撃ってくる羽鳥の殺傷能力が高いのに、そこに殺意がないという意味不明な現象が気色悪くて、別の木の陰に身を潜めながら感覚を修正しにかかる。

 あの感覚は人が物を壊す気配に近いから、感覚に慣れるのはこの短時間では無理だろうな。

 やるなら徹底した対面での回避。攻撃される状況になったらとにかく距離を取ったり物陰に隠れたりでやり過ごすしかない。

 だが気を付けなきゃならないのは、あまり浜辺から離れすぎて羽鳥が追跡をやめて戻り、あの死体を処理し始めてもダメだ。

 付かず離れずで相手しながら殺されずに羽鳥を無力化する。何この無理ゲー。理子にやらせりゃクソゲー認定されるね。

 などと冗談でも考えてる場合ではないので、しっかりと羽鳥の動きを確認して不意打ちは避けようとすると、再び動き出した羽鳥はいつの間にか裸足で音が鳴りそうな草や砂利を的確に避けて距離を詰めてきた。

 気配を完全に消した技術はまだ謎だが、無音移動法(サイレント・ムーブ)はオレも出来るから、羽鳥が出来ても驚きは少ない。

 問題はこんな草木の生い茂る森で裸足になるリスクを全く考慮してない羽鳥の行動にあって、このまま森の中で逃げ回れば、素足を晒して走り回る羽鳥は何れ傷だらけになって動けなくなる可能性があること。

 もちろんオレとしてもそれは好都合と思えるが、羽鳥を元に戻した時に武偵として致命的な怪我でもされたら、そこで羽鳥の武偵としての生命が終わってしまうこともあり得る。

 それもまた困るので、苦渋の決断ではあっても森を出るしかなく、羽鳥を誘導して死体が転がる浜辺から少し離れたところに出て迎撃。

 

「アハッ。本当に活きが良い。早く捌いて綺麗な中身を見せてくれよ」

 

「お前の美的感覚にはついていけん」

 

 場所が再び浜辺になっても羽鳥の行動に変化はなく、依然としてオレの命を刈り取ろうとメスを喉笛に投げつけてきて、それをクナイで弾きつつ、メスに集中した一瞬の隙にぬるっと距離を詰めてくる。

 反撃を恐れない羽鳥の突撃は攻撃一辺倒のようでその実、反撃の隙がないイヤらしい距離感を操ってくる。

 新たに左手に持ったメスを手首のスナップで至近距離から投げつつ回避を読んで右手のHK45Tがオレの眉間を狙うので、通常の回避から死の回避と動かされて無理な体勢に持ち込まれる。

 頭がぐん、ぐん、と2度も同じ方向に動かされて左にほぼ90度、上半身が折れ曲がってしまい、その折れ曲がった腰に羽鳥の蹴り上げが強襲。

 なんとか腕を噛ませてガードは出来たが、女とは思えないパワーでわずかに体が浮き上がり、直後にはまた左手に持たれたメスがすとん、とオレの側頭部に飛来。

 しかも同時にHK45Tもほぼゼロ距離から放たれて完全に死亡コースな攻撃を浴びせられるが、オレの死の回避はそれすらしのぐ1手を導き出す。

 右手で持ったクナイで放たれた銃弾を受けて軌道を逸らし、同時に肘を振り下ろされる羽鳥の左腕に下からぶつけて側頭部に到達する前にガード。

 そこまでが死の回避による動作で、さらに蹴りを受けて痺れ気味の左腕を倒れながら羽鳥の胸に伸ばしてスタンガン程度の発勁を撃ち込んで次の動作までの時間を稼ぐ。

 オレの発勁で不可解なダメージを受けた羽鳥は少しだけ苦悶の表情になって半歩後退し、その間に浜辺に倒れたオレは後ろへ転がって距離を取り立ち上がる。

 今の攻防でちょっと両手が痺れて感覚が心許ない。痺れが引くまでは繊細な動作は出来そうにないな。

 だがあの距離で銃弾を逸らすかね、オレの死の回避や。これはキンジのことを超人だのあーだこーだと言えなくなってきたよ。

 オレの発勁はまともな休息がないと消耗する一方だから、こんなサバイバルで使うには完全に向いてない技。多用すれば羽鳥に殺されるまでもなく死ぬ。

 使うにしてもあと1回に留めないと余力がなくなりそう。あー、使える手が消化されていく。

 そうして様々な制限が勝手にかかっていくオレに対して、ほとんどのリミッターが外れてしまっている羽鳥は全開に近い。

 それに前回はスタミナ管理が疎かになって、後半にアドレナリン切れでバテていたから、今回もそれを狙えるかと観察していたが、瞬発力重視の緩急を使った動きで緩い部分でしっかりとスタミナの消耗を抑えている。

 あれが本能なのか考えてなのか表情からは全く読み取れないが、スタミナ切れを狙っての立ち回りはこっちのスタミナ切れも見えてきそうな感じだ。

 戦うなら俄然、森の中の方が障害物も多いし三次元的な動きもいくらか可能だから、拓けた浜辺で戦うメリットがないに等しいのも痛いぞ。

 どんどん悪化していく状況から、それでもどう打開するかポジティブに考えないとと構えていたら、羽鳥がまたHK45Tをオレに向けてきたから発砲のタイミングを見誤らないように注視。

 しかしそれすらすでに利用してきた羽鳥はオレが拳銃に意識の大部分を向けた隙を見逃さずに裸足の足で浜辺の砂を蹴り上げてオレへとぶつけてきた。

 攻撃力はないに等しいが目にでも入れば痛いし視覚の遮断はもっと痛いので、オレもその場で顔を腕で庇う動きを強いられた。

 そのガードの隙にがら空きの腹へと容赦なくHK45Tの弾丸が3発も撃ち込まれて昏倒。こいつ……もう死の回避のカラクリに気づいたか……

 今の羽鳥はオレをオレとして認識していないから死の回避の存在は考慮されていないが、ここまでの戦闘で再三の必殺のチャンスを潰されたことで学習したんだ。物凄い適応力。

 腹を撃たれたことでほとんどの動きに必要な腹筋に力が入らなくて、ガードを下げた直後に飛ぶような挙動で一気に肉薄した羽鳥の豪快な蹴りに対して抗えなく、辛うじて割り込ませた腕のガードでダメージは軽減するも威力に押されて浜辺に倒れてしまった。

 

「やっと転がったかこの肉はぁ!」

 

 羽鳥としては肉塊が動くのが耐えられなかったのか、オレが倒れたことで一気に感情が爆発し立ち上がらせまいと蹴り。蹴り。蹴りの連打。

 その1発1発が重いのなんので、ガードしないと意識を刈り取られてしまいそうなほど。

 そのガードする腕も受ける度に力を奪われるようなダメージを負っていって完全に悪循環に陥っていく。

 さらに蹴りのガードに必死なところに銃弾まで追加で叩き込まれては手の打ちようがない。

 防弾制服の上から脛、太もも、腹と悶絶する部分を狙われてガードすら緩みそうになりながら、そこだけは緩めるわけにはいかないと苦痛に顔を歪めながら耐える。

 その先に勝機があるわけもないのに耐える時間は地獄でしかない。いっそガードを下げて意識を手放してしまえば楽になれる。

 そんな思考すら頭をよぎるほどに壮絶な羽鳥の猛攻に隙はなく、体より先に心を折ろうとしているのがなんとなくわかってしまった。

 それに加えてガードの先に見える貼りつけたような笑顔で蹴る撃つを繰り返す羽鳥の姿はまさに悪魔そのものだ。

 でもな……オレはどんなに痛めつけられても、心まで折られるわけにはいかないんだよ。そんな顔、お前には似合わないのを知ってるからな。

 羽鳥の攻撃に隙がないのは事実で、蹴りも戻りが早くて掴んでやろうとするのを何度かすり抜けられていた。

 危機察知能力の高さは十分にわかった。ならその危機察知が緩む瞬間を狙ってやる。

 人間は攻撃する時に隙が出来るとよく言われるが、今の羽鳥のように警戒さえすれば備えられるレベルにすることは可能。

 それでも出来る絶対的な隙を生み出すのは、こちらを必殺で倒せる時であり、その一瞬に関してはどんな強者もほぼ100%。たとえ短くとも攻撃に全意識が向く。

 ただしオレがその隙を意図的に作り出せば羽鳥は危険を察知して飛び込んでは来ない可能性があるから、意図的ではない『必然のタイミング』でカウンターを仕掛けるしかない。

 どうすればそんな意図しないタイミングを狙えるかなんて、考えるまでもなくこの猛攻でマジで限界になってガードが緩んだ瞬間。羽鳥はここぞとばかりに隙のある攻撃で倒しに来る。

 オレはそのいつ来るか自分でもわからない限界が来た時に、渾身の力を絞り出せるように心構えと動作を整えておけば良い。

 まさに言うは易し行うは難しといった賭けだが、背水の陣で臨めば結果は伴うと信じてやるしかないんだよな。

 そしてその時はそうと決めてからあっさりと訪れる。

 

 サバイバルというのは自分で思う以上に色々と消耗させられるもので、決して回復はしない状況下での消耗と苛烈な羽鳥の攻撃に悲鳴をあげた体は、顎を蹴り抜く羽鳥の攻撃をガードしたのと同時にバァン!

 これまでの踏ん張りが嘘のように大きく頭の上へと弾かれてしまい、仰向け状態でほぼ前面ががら空きになったところに羽鳥のこれでもかという不気味な笑顔から足で腹を踏まれて押さえ込まれ、メス、HK45Tがオレの顔面に撃ち込まれる。

 理論上、メイファンさんが教えてくれた発勁は手からのみならず、全身の気穴から気を放出できる。

 その気穴の一部が常に開いてるオレはどこがどの程度で気穴が開いているかをこの数日間でどうにか把握しようと気脈の流れを事細かに探っていた。

 その結果。全身にほぼ均等なレベルで気穴が開いていることが判明し、今のところ手から発せるレベルの発勁なら全身のどこからでも出来ることがわかった。

 ぶっつけ本番が最近の常になってしまってるのが恐ろしく寒気もするが、羽鳥の足がオレの腹に乗った瞬間。

 オレはその腹に全神経を集中して発勁を使い、羽鳥の足に自分の気を流しバチンッ!

 外気勁による反発で弾き、同時に放たれたメスとHK45Tの弾丸が寸前のところで狙いが上へと逸れてオレの頭のすぐ上の砂浜に突き刺さった。

 

「ッ……心臓に悪すぎる」

 

 今回は気を発生させる丹田の近くだったから、手とほぼ変わらない感覚で発勁を使えたが、もしも胸を押さえ込まれたらどうなってたかわからない。

 オレの発勁で足が不意に持ち上がってバランスを崩した羽鳥に即座に足払いをかけて転倒させて、どうにか距離を取って立ち上がることが出来たものの、その代償はかなりのもの。

 両腕は持ち上がらないほどのダメージで握力もほぼなし。

 腹や太ももにも何度も銃弾やらを撃ち込まれてズキズキを通り越した痛みが引かない。

 正直、今なぜ立っていられるのか自分でもわからないほどのダメージを確認し終えて、HK45Tは今ので撃ち切ったことはわかってたから、転倒からゆっくりと立ち上がった羽鳥が再装填の動きをしなかったのをしっかりと見る。

 それどころか使えないからとスライドが開いたHK45Tをさっさとその場に落として、まだまだ肉弾戦に余裕があるからか、満身創痍のオレに突貫。

 

「アハッ……ハッ?」

 

 が、動き出した羽鳥はオレの発勁で痺れた足の不調で感覚が狂ったのか、砂浜に足を取られて前のめりに倒れそうになる。

 それを堪えるために余計な力を要した隙を見逃さずに、こっちは自覚ある痛みを堪えて前へと踏み出して顔を上げた瞬間の羽鳥に今の渾身の蹴りをお見舞い。

 別に筋肉質でもない女の羽鳥は、ガードこそしっかりとしたものの、発勁のダメージで踏ん張りは効かなかったか、力で押されて横へと倒れる。

  またすぐにリカバリーして距離を取られてしまえば、回復の点で見てもこっちが不利と分かりきってたから、羽鳥が起き上がるよりも早く再び足払いからの馬乗りをし、ただの意地で動かした両手で羽鳥の左腕からメスを取り出す先端科学兵装を取り外して捨て、暴れる両手を掴んで封じる。

 そしてこの状態でさえ危うく抑え込める時間はわずかと悟ったオレが取れる唯一の行動が、回避不可避の渾身の頭突きを羽鳥に食らわせて昏倒させることだけ。

 ──ゴヅンッ!

 頭が割れそうなほど加減なしで振り下ろしたせいでオレが意識を飛ばしそうになったが、オレの頭突きを受けてさらに砂浜に後頭部をぶつけたっぽい羽鳥は割増でダメージが大きかったようで、暴れていた体も今は力を失ってくれた。

 それでも意識は失わなかったからタフすぎるが、頭は十分に揺れたか再行動までに10秒程度は稼げたはず。

 

「おい羽鳥! 今ならまだ戻ってこれる! まだ絶望するな! オレの声に耳を傾けろ! 血の呪いになんか負けるな!」

 

 その時間を使ってもう1度頭突きをして完全に意識を刈り取る選択もあったが、オレも限界をちょっと越えてて次の頭突きで気絶する可能性がある以上、リスクは冒せない。

 だからここまで近づけばと語彙力も何も失った叫びを羽鳥へとぶつけて、ジャック・ザ・リッパー4世の意識の奥へと引っ込んでしまった羽鳥を呼び起こそうと試みたのだった。



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Slash51

 

 ジャック・ザ・リッパーの血の呪いで覚醒した羽鳥の猛攻をギリギリのところで踏ん張って耐えながら、どうにか馬乗りして動きを止めることに成功する。

 しかし度重なったダメージが羽鳥を拘束する力を奪い取ってしまい、あと10秒ほどで逃げられるのは確実。

 その短い時間で渾身の頭突きをお見舞いしてほんの少しだけ時間を稼いで、どうすればいいかまとまらないままの言葉で心の奥底へと引っ込んでしまった羽鳥本来の意識を覚醒させようとする。

 前はこれで呼び起こすことができて事態を終息させられたが、今回は羽鳥の覚醒の度合いが違いすぎて可能性が低そうに思える。

 どうにかオレの言葉が届いてくれ。そう願う気持ちで頭突きのダメージに怯んでいた羽鳥を見ていると、額から血を流しながらも未だにその顔からは不気味な笑顔は消え失せることなく存在し、滴った血を舌で舐めとる様は狂気を孕んでいた。

 

「うるさく吠えるな肉が。やかましくて耳が腐る」

 

「腐っても構うかよ。お前が嫌がることをし続けてでも叩き起こすぞ羽鳥!」

 

「あー、こいつは保存とかどうでも良いな。2度と雑音が出ないように、グチャグチャにしてやるよ!」

 

「羽鳥フローレンス!」

 

「私は服部・J・フローレンスだ! 2度と間違えるな生ゴミがぁ!」

 

 ……ダメだ。

 これだけ近くで叫んでもオレの言葉はフィルターがかかっているのか、単なるノイズとしてしか認識されず、名前にのみまともな反応をするも、羽鳥フローレンスであることを否定する拒絶で返される。

 しかもそこで回復が完了したかオレの拘束の緩さから瞬発力のみで腕を動かして抜け、右腕の関節を捻り切るほどの勢いで極めてくるから、ほとんど反射的に捻った方向に体を回して腕を抜く。

 そのせいで羽鳥の上から退く形になり、オレが退いた直後にすぐ横に片膝立ちしたところを足蹴にされてバランスを崩され、オレを蹴った反動で後退しながら立ち上がってしまう。

 対してオレは蹴られたことで同じような挙動でリカバリーしようとしたら、腕にも足にさえ自分の体を持ち上げるだけの力が残っていなくて仰向けで倒れてしまった。

 ──ヤバい。

 それを頭を考えるよりも全身が感じ取って、痙攣まで始めていた手足に鞭を打って羽鳥から距離を取ろうとする。

 幸い羽鳥からは武器を取り上げているから、仕掛けるにしても肉弾戦しかほぼないとわかっている。

 わかっているのに今のオレと羽鳥ではその身体機能の差に大きな開きが出来てしまっていて、速攻で切り返してきた羽鳥は前進と同時に砂をすくって煙幕代わりにオレへとぶつけてきて、腕が咄嗟に動かなかったせいで目を閉じてしまった。

 その一瞬の視界の封鎖が仇となって真正面から一気に距離を詰めた羽鳥が立ち上がりかけていたオレの胸に掌底を撃ち込んで倒しにかかり、踏ん張ろうと体を起こしにいったオレの膝を足蹴にして跳躍。

 その際に空中でムーンサルトを切りながらオレの顎に手をかけて背後へと回り貼りつかれる。

 さすがに羽鳥の重さで体を支えられなくなって後方に倒れてしまったが、どうせ倒れるならと羽鳥を思いっきり砂浜に叩きつけようとしたら、顎にかけられた手がグイッと持ち上げられてオレの頭が一番最初に落ちる位置へと誘導されてしまった。

 結果、オレは頭を戻す力を振り絞ることになってほとんど普通に倒れることになってしまい、オレが倒れて下敷きにされた羽鳥は離れることがなく、むしろより密着して両足を腰に回して腕は首へと回されてチョークスリーパーをほぼ完璧に極められた。

 絞め技にはチョークスリーパーとスリーパーホールドがあるが、その大雑把な違いは頸動脈を絞めるか呼吸器を絞めるかだ。

 羽鳥が今やっているチョークスリーパーは頸動脈を絞めるため、絞め続けられると脳へ血がいかなくなってかなりアッサリと落ちる。

 苦しさで言えば呼吸器を絞め続けるスリーパーホールドが死ぬほど苦しいから、チョークスリーパーなのは気持ち的には優しさがあるように思えるが、今回はどっちだろうとオレが落ちた時点で終わり。

 

「ガッ……ハッ……」

 

「さっさと落ちろゴミクズが」

 

 あまりに鮮やかで手すら挟み込む余裕がなかったから、頸動脈は完璧に極められて血流が停止してしまっているのがわかる。

 このまま何も出来なければ10秒と持たずに意識を失うと確信できる状況でしかし、オレに出来ることは皆無。

 羽鳥を背負ったまま倒れた状態から体勢を変えるのは残った力で考えても不可能に近く、発勁も羽鳥を下敷きにしてる以上は一瞬怯もうと些細な足掻きにしかならないし、その一瞬を活かせるほどオレに余裕がない。

 そうこう考えるほど頭が回らなくなって視界まで揺らいできたところに、羽鳥の絞める力が増して一気に意識が遠退く。

 だがオレはこの状況で打てる手をまだ残していることに気づいていた。

 使いたくない。使ったら終わりだと言い聞かせていたが、もう無理だ。ここで落ちたら終わりなら、あとで死ぬほど謝って全ての責任を負ってやる。だから許せよ、羽鳥。

 薄れゆく意識の中でそうやって羽鳥へと謝罪したオレは、半ば無意識でショルダーホルスターに収まるブローニングに手を伸ばして抜き、ほぼ真後ろにいる羽鳥を撃つために自分のシャツを捲り、腹を露出させ致命傷にならないようにオレごと撃つ。

 ──ぐぅぅうううううッッ!

 声にならない声というのはこういうことかと、自らが撃って負ったダメージに苦悶の表情を浮かべながら、羽鳥のチョークスリーパーが緩んだ隙を逃さずに頭を抜き、ついでに緩んだ両足も振り払って横へと転がる。

 自分で開けた風穴に砂が付いたりしないように注意しつつ流れ出る血の量からヤバい気配を感じるも、羽鳥も羽鳥でオレの体を貫いてなお羽鳥の横っ腹を貫いた銃弾によって初めてその顔から笑顔が消えて、同じように傷口に砂が入らないように立ち膝になって止血を試みていた。

 

「こんな……ところで、この傷がどういう結果になるか……わからないほどバカなのか……ゴミが……」

 

「はぁ、はぁ……わかってて、やったんだバカが……」

 

 内臓に当たる軌道では撃ってなかったから致命傷にはならないが、止血をしっかりしないとどのみち致命傷になるのは確実な一撃で、さすがの羽鳥もこの状況で攻撃に回るほどの余裕はなかったようで、止血に使えそうなものを探して、着ていたシャツを脱いで止血をする。

 オレもオレで同じような状況だから同様にシャツを脱いで止血に使うが、こんなのは気休めにしかならない。

 止血に手一杯で動けないオレをよそ目に自分の治療を優先した羽鳥は、立ち上がって自分のコートやらが落ちている場所へと移動してしまい、ここから動けもしないオレは羽鳥が戻ってきたらどうすべきかを考えるしかない。

 羽鳥も十分な治療など見込めないはずだが、オレを殺すだけなら向こうにはサブマシンガンが落ちてる。オレを殺してからベースキャンプに行く余力があれば、なんとかなるかもしれない。

 これは詰んだか……オレの助かる道は……

 

 時間にして5分程度だったか。

 オレの出血は依然として止まることはなく、あと持っても10分あるかどうかくらいで意識も朦朧としてきた。

 思考すらまともに出来なくなってきたところに止血を終えてコートを羽織って羽鳥が戻ってきて、その手にはオレを殺すための拳銃が持たれているのがわかった。

 止血と言っても近くで見れば出血を抑えるくらいの処置でシャツにはジワジワと血が染みてきているのがわかり、本格的な処置は出来なかったんだろう。

 それでもオレを殺すことを優先してきた羽鳥の執念のようなものは恐ろしく、放っておいても死ぬだろう状況でもオレに拳銃を向けてきた。

 

「まったく、自業自得のくせにまだ足掻くのか、ゴミ」

 

「……ははっ。いつもの羽鳥にも……ゴミとは言われたことなかったんだが……なかなかクルな……」

 

「大丈夫さ。もうそんな感情も抱くことはない。お前はここで死ぬ」

 

「……死ぬ?」

 

 あとは引き金を引けば終わり。

 そうなったにもかかわらず、それをせずに何故か口を開いた羽鳥は、ここで初めて会話が成立する。

 そしてオレはこの状況で羽鳥がオレを『人扱い』したことに疑問を覚えた。

 こうなった羽鳥は男を人として認識しないし、そう扱いすらしない。

 それなのにどうして今、オレは死ぬだのなんだと言われている?

 

「……なぁフローレンス。お前はどうして人を殺す?」

 

「人? 私が殺しているのは生きる価値もない醜いゴミだよ」

 

「そうか……じゃあお前はそのゴミを殺すだの、生きる価値だの、生き物として扱ってるのは、何でだ?」

 

「ッ……黙れよゴミがッ」

 

「起きてんだろ羽鳥……だったらさっさと元に戻れよ……」

 

「元に、戻る、だと? 私は! 私が! 服部・J・フローレンスだ!」

 

 そこでいつ撃たれるかわからない緊迫の状況ながら賭けに出たオレは、会話が成り立つことで羽鳥へと逆上したりしないように話しかける。

 フィルターが取れかかってるならオレの声も認識できるかもとわずかな希望で話をするが、未だに覚醒したジャック・ザ・リッパーの血が荒ぶっていて、奥に引っ込んでいる羽鳥は出てきそうにない。

 だが羽鳥本人も自分の行動と言動に違和感は感じてきたか、情緒はかなり不安定になりつつある。

 

「お前は! 元に戻るだのと言うが! お前が私の何を知ってる!」

 

「……知らないさ。お前の過去も、思考も、何もかも。オレが知ってることなんて、羽鳥フローレンスっていう人間を構成する数%に満たないものだろうよ。だがな……」

 

 ここで撃たれる覚悟をしたオレだったが、意外にも逆上しているのにオレへと問いをぶつけてきた羽鳥に対して、オレは説得しようとかそんなことも考えず、もはやそんな打算なんて出来ないくらいの出血のせいなんだが、思っていることをそのまま言葉にしてしまう。

 

「……オレが知る、羽鳥フローレンスってヤツはな……自分がどんなに苦しくても、どんなに辛い思いをしても、人を助けようとする人間なんだって……知ってるんだよ……決して今のお前みたいに……壊すことを楽しむようなヤツじゃないん……だよ……」

 

 あー、ヤバい。いよいよ意識が保てなくなってきたぞ。

 まだ倒れるな……あと少し。あともう1度だけ、オレに口を開かせろ……

 

「世界中の誰もが……今のお前を悪人だと言おうと……オレが……オレだけは最後まで……味方でいてやる……柄じゃない、が……信じてる……から……お前が……殺したくて、殺したわけじゃ……ない……って……」

 

 ああ。落ちたな。死んだかぁ。死んだのか? よくわからんな。

 この思考は夢でしているのか? それとも死ぬ間際の走馬灯みたいなやつ?

 1度だけ死んだことがあるとはいえ、その時には眠るように死んだからこんなことを考えたこともなかったが、みんな本来はこんな風に死んでいくのかね……

 いや待て猿飛京夜。たとえ夢だとしてもこうして思考している猿飛京夜という存在はどこにある?

 あれだあれ。よく言われる魂がどうのとかあれ。心がどうだとかその辺の。

 うわぁ、頭悪い語彙力のなさ。

 要はあれよ。こうして思考してるのが猿飛京夜だっていう自覚がある以上は、まだオレが猿飛京夜であるという何よりの証明であって、つまり……

 

「生きてるのではないだろうか」

 

「その自覚があるならそれ以上は頭も体も使ってくれるなよ。足りない血がさらに減って今度こそ死ぬよ。まぁ死にたいなら止めはしないけど」

 

 そこで意識が覚醒したっぽいオレが最初に見た景色は、緩やかに流れる雲がある青空。

 それで自分が仰向けで寝かされていることを認識し、次いで認識したのはすぐ横から聞こえた羽鳥の声。

 しかし頭はまだぼんやりとした感じで全身には力がほとんど入らないのと、血が満足に通っていない感覚で今の状態が危険と隣り合わせなことも自覚。

 その状態でも首だけは動かして見るべきものを見ると、まずはオレの銃創はほとんど完璧に処置されていた。

 止血も済んでちゃんと包帯を使ったものは医療の知識で的確にされているから、隣にいる羽鳥がやってくれたと見るべきだ。

 そしてその隣に腰を下ろしていた羽鳥は、しっかりとズボンと靴を履き直して、オレのジャケットを拝借して着ている。

 ロングコートはオレが倒れた位置からほとんど動かせなかったからか、シート代わりにしてオレと羽鳥が横になったりしている。

 

「……どのくらい寝てた?」

 

「2時間17分。現在時刻は14時8分だ」

 

「……状態は?」

 

「それは君のかい? それとも私の?」

 

 こうして一時でも平穏があるということは、オレが意識を失っていた時に羽鳥は元に戻ったと見るべきなのだが、それが安定してるかどうかはわからないので、その辺でまず確かめる質問をぶつけると、オレが聞きたいことはわかっててそんな返しをしてきたことから、精神的な余裕はあると見て良さそう。

 何がきっかけで戻ったのかはわからないまでも、とりあえずNの思惑は阻止することはできただろうと安堵して口を閉ざして空を見ていると、隣の羽鳥も疲労からか横で寝始める。

 

「……私は君が思うほど良い人間ではないよ」

 

「……聞こえてたのか」

 

「君はうるさすぎるくらいだ。たとえ防音設備が完璧な部屋に閉じ籠っても、それすらぶち破る声でわめき散らしてきそうなほどにはね」

 

 オレの隣で寝るとか拒絶反応が出そうなほど嫌だろうに、それを我慢してでも横になりたかった羽鳥の疲労もピークを過ぎてるってことで納得しつつ、意識を失う直前の言葉が羽鳥に届いていたとわかる言葉に少し嬉しくもあり恥ずかしくもあった。

 が、やっぱりトゲがある言い回しにイラッとする。ホントいつも通りになったなコイツ。

 

「……私は、一生この血の呪いからは逃れられないと、そう思っていた。そして今回のこれで思い知ったよ。『アレ』もまた、私の本質なんだとね。人を助けようとする偽善的な私も私ではあるけど、同時に人を殺して悦に浸ろうとする私も、どうしようもなく私なんだよ。二重人格とかそんな話じゃない。アレも私が望む私の姿なんだ」

 

 嫌味を言えるほどの余裕があるとしっかりと示したところで、一拍置いてからトーンを少し落とした羽鳥が自虐とも取れる発言をしたことでオレも真顔になってしまう。

 オレからすればあの変わり様は二重人格とかの方がしっくりくるくらいには別人なのに、羽鳥はあれすらも自分の本質なんだと認めてしまったみたいだ。

 それは違うと断言してもいいと率直に思ったものの、それを許さない羽鳥の雰囲気に圧されて言葉を発することが出来ない。

 

「私はあの私が反吐が出るほど嫌いだよ。人を人とも思わずに無惨に壊す様は、私が殺めた6人よりも何倍も残虐だ。だけど私はそれを止めることもしなかったし、あの6人が死んだ時、心の奥底では『当然の報いだ』と納得してしまっていた。そんな私は、武器を持つべき人間ではないんだよ……」

 

「違うだろ」

 

 平静こそ取り戻していた羽鳥ではあっても、やはり心だけは弱りきってしまっていて、いつもの羽鳥からは絶対に出てこないだろう言葉が次々と出てくる。

 そして自分に武器を持つ資格がないとまで言った時、オレは反射的にそれを否定した。

 ほとんど割り込む形になったオレに言葉を切った羽鳥は、珍しくオレに面食らったような雰囲気で沈黙する。

 

「そんなお前だから武器を持つべきなんだよ。お前は自分の怖さを知ってる。人を殺す怖さを知ってる。そういう怖さを知ってる人間こそ、武器を持つべきなんだ。それに当然の報いだと思ったとか、そんなの同じことをされたらオレだってそう思う感情は湧くさ。それは人間だから仕方ないことだ。誰もが抱く感情を特別なものだって言うのは、背負いすぎだろ」

 

「だが私は……」

 

「だがじゃねぇ。お前も女なんだ。男に乱暴されたら本能が怖がるのは当然だ。怖かったんだろ。やめてと願ったんだろ。その当たり前を圧し殺すな」

 

 羽鳥は自分に厳しすぎるところがある。

 それが今回のことでより厳しくなって、人として当たり前の感情すらも重荷として背負ってしまって、このままでは武偵を自らやめると言い出しかねなかった。

 その選択を止める権利はオレにはないが、止めたいと思う気持ちまで止められなかったオレの言葉に、ここまで保っていた緊張の糸が切れてしまった羽鳥は、普通の女の子のようにその目に涙を浮かべて泣き出してしまった。

 

「……またあんな思いをするんだって……そう思ったら怖くて体が動かなくなって……助けてって何度も何度も心の中で叫んだ……もうやだって……何度も……」

 

「それが普通だよ。悪かったな、そんな思いをする前に助けられなくて。あんな風になる前に助けられなくて」

 

「違う……あなたは悪くない……だってあなたは駆けつけて……助けようとしてくれた……なのに私が……弱かったか……がふっ」

 

 本当に弱りきった時にだけ出てくる羽鳥の本音は、普通の女の子を思わせる口調にまでなって心に響き、そういう部分を普段は絶対に見せないからそのギャップは凄い。

 そんな羽鳥をあやすように謝罪したりとしていたら、緊張の糸が切れたことで別の我慢も解けてしまったのか、突然吐血して苦しそうにし始める。

 慌てて体を起こして羽鳥の容態を見ると、オレのジャケットを捲ってその事態の重さがわかる。

 羽鳥は自分自身の処置を十分にできずに自分のシャツで止血をしたままだったのだ。

 そもそもオレの体に巻かれる包帯はどこから持ってきたのか。そんなの考えなくてもわかるだろ。

 羽鳥はこの状態でベースキャンプまで走り、数少ない救急キットでオレの治療をして、自分の分はなくなってしまったから応急処置で留めていた。

 それを悟られないようにここまで痩せ我慢をしてきたことに気づかなかった。くそッ、このままだとヤバいぞ。

 近くには救急キットの箱が開きっぱなしで置かれているのを発見して中を見るも、使えそうなものは全部オレに使ったみたいで羽鳥に使えるものはない。

 羽鳥の出血はベースキャンプを往復したせいで全然止まっていないからか、シャツからは血が染み出始めていた。

 とにかく血を止めないと失血死は免れない状況で、羽鳥も苦しさから逃れるように意識を手放してしまった。これで2度と目覚めなかったじゃ洒落にならん。

 オレもオレで動けば傷が開いてまた出血して2人とも御愁傷様では話にならないので、この場で何とかしないとと頭をフル回転。

 そんな時だった。

 羽鳥を診るために背中を向けていた海からとてつもない気配がして、恐る恐る振り向いた先にいたのは、下半身を魚類のものへと変えたテルクシオペーが海面を足場に静かに立っていたのだ。

 ──おいおい、これはダメだろ……



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Slash52

 

 これが夢であってほしいね。

 瀕死の怪我を負いながら、ようやくの思いで暴走していた羽鳥を止めることに成功したのも束の間。

 オレの治療だけで精一杯だったせいで羽鳥が自分の治療をまともに出来ていないことに気づき、意識を失った羽鳥をどうにかして治療しないといけない状況になったものの、限界を越えて生きるだけで精一杯な満身創痍のオレではどうしようもないと絶望しかけていた。

 そんなところに追い討ちという名のとどめを刺しに来たテルクシオペーの出現で完全に思考停止してしまった。

 海上に自らの超能力で立つテルクシオペーは、周囲の波の音さえも操作しているかのように恐ろしいほどの静寂の中で存在し、決して張ってるわけでもない声量で絶望していたオレに話しかけてきた。

 

「私がこれから何をするかは、言うまでもないでしょうか」

 

「…………羽鳥が仲間にならなくて、オレも死んでないなら、やることなんて1つだろ。放っておいても死ぬオレ達にする必要があるかは知らないがな……」

 

「そうですね。生殺与奪権は教授より私に委ねられています。もっとも、教授の条理予知によれば、この結果も5%ほどの確率で起こりうるとされていたようですが」

 

 ……ここに来てもまだモリアーティの掌の上ってか。嫌になるね……

 考え様によってはわずか5%の未来を勝ち取ったとも言えなくはないが、どのみちそこにもテルクシオペーを配置しているなら関係ない。

 

「殺すならさっさとやればいいだろ。今のオレも羽鳥も抵抗なんて不可能に近いんだから」

 

「……私は、そこで寝ている彼女にあなたが殺されると確信しながら動向の一部始終を見ていました。実際、あなたが意識を失ってから彼女は実に3度もその手の銃の引き金を引こうとしたのです。ですがその引き金がついに引かれることはなく、それどころか自らの命の危険を省みずにかの拠点へと走り、あなたを助けた」

 

 テルクシオペーの力なら容易く殺すことはできそうなものだが、その仕草すら見せずに会話に興じることには疑問が生じる。

 さらにオレが意識を失っていた間の羽鳥の行動も見ていたテルクシオペーからそんな情報がもたらされてさらに困惑。何が目的なんだ……

 

「私は、人間の『愛』というものに強く惹かれるのです。私達セイレーネスはつがいのいない種族ですから、人間の愛を感じさせる行動は理解しがたいもの。ましてや自らの命を危険に晒してまで助けようとしたあなた方の行動は、私には納得できる理由が考えられませんでした。愛の形は様々だと思いますが、あなたはどうしてそのような状態になってまで、彼女を助けたのですか?」

 

「愛を……理解できない、か……だったら何でテルクシオペーは、呪いを受け入れてまで人間の足を手に入れたんだよ」

 

「……会いたいと、願われたから」

 

 こうして話している間も羽鳥の血は減っていっているので、せめてもと傷口を押さえて止血をして会話を続ける。

 どうやらセイレーネスに性別。或いは男という存在がいないらしく、異性間の育む愛情が理解できないようだった。

 だがバンシーはテルクシオペーが人間の男に恋をしたと言っていたから、どうにもその辺で違和感を感じて質問を質問で返すと、どうやら順序のようなものが違ったことがなんとなくわかった。

 

「最初は気まぐれだったのです。海で溺れていた人間の男を見つけて、いつもの私であればエナジードレインで食事をして終わりでしたが、その男は溺死する直前に自らが身に付けていたペンダントを握りしめて死を受け入れた。その様子が誰かへの謝罪を思わせたからでしょうね。私はその男を岸へと運び助けました。そして男が握りしめていたペンダントには1人の女性の顔が描かれていました。それは後に婚約者であることがわかりましたが、男が死の間際に抱いていたのが自分のことではなく、その婚約者への感情であったことに強く興味を引かれました」

 

「……残された者を憂う人の感情も理解できなかったのか……」

 

「はい。セイレーネスに『死』の概念はありませんからね。しかし私はその時に抱いた疑問に思案していたことで、男が意識を取り戻したことに気づくのが遅れてしまいました。すぐに海へと逃げましたが、朦朧とする意識の中でも顔と性別だけは判別できたのでしょうね。翌日の夕刻には私を探す男の噂が船乗り達の間でもささやかれるようになりました」

 

 意外にも饒舌なテルクシオペーの話は、彼女をNから引き剥がすきっかけを見つけるに至れそうなこともあって、羽鳥の容態が悪化していくこととの板挟みに遭う。

 そんなオレの気持ちの焦りを察したか、どのみち殺せることには変わらないからか、テルクシオペーが水の超能力で羽鳥に向けて水の塊を投げ飛ばすと、その水は羽鳥の腹にまとわりついて止血をしながら、出てくる血を体内に戻して循環させ出血を抑える役目を果たす。

 血も水も液体だからテルクシオペーにとっては造作もないことなのかもだが、おかげで羽鳥の顔色も幾分良くなって呼吸も落ち着いた。

 

「……ありがとう。テルクシオペー」

 

「まだ私はあなたから答えを聞いていませんので、話どころでなくなっては困ります」

 

 殺されるまでのわずかな時間なのかもしれないが、たとえそれでも羽鳥を助けてくれたことには変わらないため、敵であろうと感謝の言葉を述べる。

 ただテルクシオペーとしては自分の抱いた疑問が解けることの方が重要なようで、そのために必要な話を再開する。

 

「噂はそれだけではなく、どうやら男は私に見惚れて婚約者との婚約を破棄したとも聞き及び、そこで私は興味が湧きました。人間とは『どのようにして愛を覚えるのか』と。その疑問を解くために私は、当時の呪術を生業とする魔女に頼み、人間の足を手に入れ、自らがセイレーネスであることを隠し男に近づきました」

 

「……恋愛ごっこ。真似事か」

 

「真似事と言えば、そうなります。男は私のことを心底愛してくれました。声の出ない私が男の愛を確かめる術は限られましたが、男は私が欲しいと願ったものを買い与え、して欲しいことをしてくれる。当時の私はその快感に溺れ、男が私にのみ向ける愛情に酔っていました。そしてその愛情が本物かどうかを試すために、ある日の夜に私は真の姿を男に見せました」

 

 興味本位からの恋愛ごっこ、か。

 そのために呪いを受けるテルクシオペーの好奇心は理解しがたいものだが、少なくともテルクシオペーは人間の愛情を理解しようと努力をしたことはわかる。

 そして話からするとセイレーネスとしての姿を晒したところで何かが起きたのだろう。それは今のテルクシオペーの影のある表情から察することができる。

 

「……男は、私を受け入れてくれました。セイレーネスの私であろうと、変わらずに愛すると言ってくれました。私はその時、初めて男に恋をしていることに気づきました。嬉しかった。一緒にいたいと心の底から思いました。ですが周囲はそれを許さなかったのです。私がセイレーネスであることがわかると、男の周囲の人間は『人魚に魅入られた可哀想な男』と哀れみ、男の目を覚まそうと私を引き剥がし街を追い出されました。男が悲しむ姿を見たくなかった私は、私を迫害した人間を殺すことはせず海へと帰り、2度と男と会うことは叶わなかった」

 

「……男は会いに来ようとはしなかったのか?」

 

「……残念ながら。私もそれを密かに望みながら10年、男を待ちましたが、叶わぬ夢と散りました。あなたはどう思いますか? 男の愛は周囲の反発に負けてしまうものだったのか。私は本当に愛されていたのか。もしかすると本当に人魚に魅入られていただけなのではないかと考える日もあります」

 

 難しい話だと、率直に思う。

 テルクシオペーに寄った考え方をすれば、男の行動は愛が足りなかったとも言える話だし、10年も待ったテルクシオペーの愛もまた本物だったと思う。

 ただ男に寄った考え方をすれば、色々なしがらみがあったのだろうことも察することはできる。

 

「……テルクシオペーは……というかセイレーネスは当時、人間達にどう捉えられていたんだ?」

 

「姉達が気まぐれに船を襲い、乗船した人間からエナジードレインをする食事を楽しんでいましたから、人間には決して良く思われてはいませんでした」

 

「……だとしたら、男の愛が偽物だったかは図りかねるな。推測でしか語れはしないが、もしも男が会いに来なかったんじゃなくて、会いに行けなかったとしたら?」

 

「会いに、行けなかった?」

 

「テルクシオペーは人間の感情や命の尊さを理解しようとしてるが、まだ不可解な部分が多いんだろ? だから男がその後に死んだ可能性にも思い至れなかったんじゃないか? もしくは男の取り巻く環境を見誤っていたか」

 

「……人間の寿命は当時でも60年余りはあったはず。男はその時でもまだ30歳ほどでした。それに取り巻く環境とは何です?」

 

 テルクシオペーは他人の立場になって物事を考えるだけの人間の思考や理解力を持っていない。

 だからオレ達なら考えうることにも考えが及ばないんだろう。

 そうした意味でテルクシオペーが理解できていない部分をオレが教えてやる。

 

「セイレーネスが当時、恐怖や破滅の象徴とされていたのは間違いないし、そんな存在に魅入られたとなって、いつまでも思いを馳せ続けていたら、人間ってのはそれこそ『呪い』だなんだと騒ぎ立てる。その結果として男を排除しようとする動きがあってもおかしくはない」

 

「……つまりあなたは、人間の手によって男が殺されたと言いたいのですか」

 

「あくまで可能性の1つだ。あとは男がその後に監禁に近い扱いで街から出られなかったか、街から離されて2度とテルクシオペーのいる海に行けなくされていたかだが、どちらにせよ男に自由がなかったという考え方がある」

 

「…………あなたの考え方は、人間の言葉では『自業自得』と言うのでしたか。自らのこれまでの行いが招いた結果ということで納得するしかない、と」

 

「別に納得することはない。話でしか聞き及べない以上、本人でもなければ事の真相はわからないんだから、可能性でしかないんだよ」

 

 オレが真剣に答えたからか、テルクシオペーもそうなのかと納得しかけるが、こんな推測の域を出ない話に結論など出せるはずもない。

 そうした意味でどう捉えるかはテルクシオペーの自由だと付け足してやりつつ、オレはこんな話ならNのメンバーの中でも理解できるヤツはいるだろうにと素直に思う。

 

「……どのみち、人間という存在が種の壁を取り除けない狭量でしか物事を見られないのが悪いのです。未知を恐れて身の守るために排除する排他的な考え方を改めるには、世界を丸ごと変えるしかないでしょう」

 

「その先にテルクシオペーが求めるのは、何なんだよ。人間の男との愛をまた育むことか? それとも──」

 

 ──自分という存在を受け入れてほしいのか。

 そうした言葉が出てくる前に話は中断せざるを得ないことになる。

 これまで全くと言っていいほど文明の気配がしなかったこの島に、機械的なプロペラ音が近づいてくるのがわかった。ヘリだ。

 その音にはテルクシオペーも気づき、こんなタイミングでヘリが近づいてくるのはおかしいと思ったか、海中から水のつぶてを出現させてオレと羽鳥を始末する動きに切り替える。

 

「あなたとの話はとても興味深かった。ですがこれで終わりですね。最期に聞かせてください。あなたが彼女を助けた理由を」

 

「テルクシオペー。お前に大切な存在はいるか? この人のためになら自分が傷ついても良いと思えるような、そんな存在が」

 

「……強いて挙げるなら、姉達がそうでしょうが、姉達もまたセイレーネス。守る必要などなく、そうした感情を抱くことはありません」

 

「そうか……なら教えてやるよ。人間ってのは、時にそういう存在のために自分の命さえも犠牲にする時がある。オレの場合は死ぬ気なんて更々なかったが、あんな羽鳥を見て見ぬフリはできなかった。それだけだ」

 

「それが答えですか」

 

「いや……色々言ってるが答えはもっとシンプルだよ」

 

 こうなるともうオレはテルクシオペーを止めることは不可能だが、せめて羽鳥だけでもとその上に覆い被さってやりつつ、答えを求めるテルクシオペーに回答。

 別に羽鳥のことを好きなわけでもないし、命を懸けて救おうとも思ってなかったさ。

 

「──目の前に助けを求める人がいたら助けるのが、人間っていう愚かな生き物なのさ」

 

 オレが羽鳥を助けた理由なんて、究極的に言えばそれだけのことなんだ。

 迷子を見て見ぬフリができないとか、駅のホームから落ちた酔っ払いを咄嗟に助けたりとか、それと同じこと。

 良心というものを持っていれば自然としてしまうことをオレがしただけのことだが、テルクシオペーはそれが不可解でならないとばかりに無言になってしまう。

 

「…………やはり理解はできませんね。人間とは何故そうも愚かなのでしょう。いえ、だからこそ人間が輝いて見えるのでしょうか……」

 

 そして出てきた言葉はなかなかに厳しいもので、ここまで話してもテルクシオペーには理解されなかったようだった。

 こうも人間とセイレーネスで考え方が違うのかと、人外の種族の難しさに苦笑していたら、話が終われば水のつぶてが飛んでくるとばかり思っていたオレは目を疑う。

 水のつぶてを出現させていたテルクシオペーは突如として水のつぶてを海中へと戻して殺意を収めると、呆然とするオレに意外な言葉をかけてきた。

 

「今のあなたはとても輝いて見えています。その輝きを失わせることは私には出来そうにありません。その輝きを見せるための彼女もまた、殺せばあなたの輝きを失わせることになりかねない。生殺与奪権が私に委ねられているということは、こうした結果もあり得るということです」

 

「……今度また会うことがあったら、オレ達はお前達の敵としての立場は変わらないんだぞ」

 

「その時はあなたの輝きの如何で処遇を決めましょう。私はとても人間らしいあなたのことが少しだけ気に入りましたので。それでは『また』」

 

 テルクシオペーの言う輝きとやらがどれほど眩しく映っているのかは知らない。

 しかしテルクシオペーはその輝きを尊く思う気持ちを優先してオレ達を生かそうと言ってくれた。生かしてくれたんだ。

 その結果は情けをかけられたような悔しさはありつつも、死んではそれまでの人生で拾った命を粗末にはできないと甘んじてそれを受け入れる。

 そしてそれだけ言って笑ったテルクシオペーは、その体をスッと海中へと沈めてその場から消えてしまったのだった。

 

 その後、予想通りオレと羽鳥──正確には羽鳥の方をだ──を探していたリバティー・メイソンのヘリが島へと到着して、瀕死のオレと羽鳥を救助。

 指揮にはカイザーがついていて、とんだ再会になったオレと羽鳥の状態を見て「よく生きてたな」と皮肉なのか判断しづらい言葉をくれてヘリに収容される。

 一応、生き残ってる犯罪者達も森にいることを伝えて、一辺には運べないと追加でヘリが要請されて、6人の遺体もベースキャンプの物も全て回収する流れとなり、一足早くヘリでイギリスへと戻ることになったオレと羽鳥は、ヘリの中で同伴していた医師に適切な治療を受けて、ようやく本当の安息を得たのだった。今回はキツかった……

 ヘリの中で聞いたが、羽鳥の持ち物の中には、よく単独行動で消息不明になる──極東戦役でもやってたからな──ことからGPSが仕込まれていたらしく、それで居場所を捕捉することができたらしい。

 性能に関しては何日もかかったことからお察しなようだが、羽鳥も知らないで持たされていたならあまり高性能のゴツゴツしたのは仕込めなかったんだろうな。

 リバティー・メイソンも手に負えないなら手放せば良いだろうに、物好きなこった。

 まぁそうしてでも確保したい人材ってことなんだろうが、そもそも組織に向いてないんだよな、羽鳥は。

 オレ達を乗せたヘリは日が暮れる少し前にロンドンへと到着し、その間に意識が戻ることがなかった羽鳥と一緒に武偵病院へと搬送されて、そこで全治1ヶ月を言い渡される。

 羽鳥についてはロンドン武偵高のマリアンヌ校長が保護責任者として見舞いに訪れて診察を聞いたようで、病室を一緒にされたオレに全治1ヶ月であることを教えてくれた。

 それでその日はもうオレも限界突破していたこともあって久しぶりのベッドで爆睡。やっぱりベッドって素敵な寝心地ですよ。消毒液臭いのはいただけないけど。

 

 翌日は少し慌ただしい1日になった。

 まずオレが捜査中にいなくなったことで困惑していたロンドン警視庁のレストレード警部がリバティー・メイソンからでも話を聞いたか、代表して見舞いに来て、オレ達の聴取から作成された報告書を持ってさっさと退散。見舞いの品くらい持ってきてほしかったね。

 それから冷やかしのように登校前にヴィッキーが見舞いに来て、オレと羽鳥がボッロボロなことを苦笑しながらも「お大事にー」と笑顔で声援を贈る。が、見舞いの品はなし。コイツら……

 さらに何の用事かは知らないがロンドンに来ていたカツェがどこから聞いたか顔を出してきて、こっちは悪意全開で「ついに悪運尽きたか。ケケッ」と笑って帰っていった。

 これは酷いと自分の人脈のひとでなしな感じが傷口を抉るが、羽鳥も羽鳥で本気で心配して来てくれたのがマリアンヌ校長のみだったことを考えると、こっちも大分あれだ。

 そんな可哀想なオレが療養に努めていたら、意識が戻ってからも会話をしようとはしなかった羽鳥が唐突に口を開いてくる。

 

「君にはすまないことをした。今回は私の弱さが招いた結果だ」

 

「……別に責任を押しつけるつもりはないんだが。オレもオレで力が足りなかった」

 

「君はまたそんなことを……それでは私が困るのだと気づけバカが」

 

「知るかよ。自分の弱さから目を背けられるほど愚かじゃないんでね」

 

「……バカが。でも、ありがとう、京夜」

 

 容態も安定すると口の悪さも復活したか、すっかりいつもの羽鳥である意味安心して会話に興じていたら、あまりにも唐突に女としての羽鳥から感謝されて反応に困る。

 互いに顔が見えないから、それから静寂が訪れて何やらオレの苦手な気まずい雰囲気になった病室は、非常に居づらい。誰か助けてー!

 その願いが通じたかどうか知らないが、この静寂を破ったのは病室の外からの来訪者によるもので、慎ましくも図々しい感じのノックの後に入ってきたメヌエットお嬢様。と、サシェとエンドラがズカズカと入ってきてオレのベッドの前で止まる。

 

「さぁ退院ですわ京夜。車椅子は用意しましたから準備なさい」

 

「い、いやいや。オレ全治1ヶ月……」

 

「安静に療養できるなら場所などどこでも構いませんのよ。早くなさい。これ以上わたしを待たせたらどうなるか、教えて差し上げましょうか?」

 

 それだけで嫌な予感はしていただけに、有無も言わせないメヌエットの迫力に圧されて、クスクスと息を潜めて笑う羽鳥に気づきつつも従うしかなかったオレは、勝手に決まった退院によって武偵病院をあとにするのだった。



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Slash53

 6月19日。土曜日。

 オレがウェールズのスウォンジーから無人島にワープして救助され入院するまで、たったの4日しか経ってないという衝撃的な現実にうちひしがれる暇もなく、入院1日目にしてオレの入院生活は終了を迎えた。

 全治1ヶ月って割と重傷なはずなんだけどなぁ……とかなんとか思いながら、別に入院のための準備を万端にしてたわけでもないから、荷物など皆無なまま用意された車椅子に乗せられて武偵病院を退院。

 

「珍妙すぎるぞ、この光景」

 

「フフッ。日本ではペアは仲が良い証拠になるのだとか」

 

「ものによるわ。これは特殊すぎる」

 

 その退院を進言したのであろうメヌエットは、サシェに自分の車椅子を押させて、オレの車椅子をエンドラに押させてダブル車椅子状態で並んで道を歩き出す。

 確かに療養できるなら医療費がかかる武偵病院よりも自宅とかで療養できるならそれに越したことはないんだが、わざわざメヌエットが来て現在進行形でオレの自宅マンションに向かうルートではなく、ベイカー街のメヌエット宅に向かってるのにため息が出そうになる。

 それを実際に出したらメヌエットがキレて道端に放りそうな匂いがプンプンするから実行はせずに、今の状況をネタにして他愛ない会話で繋ぐ。

 

「……それで、怪我人を捕まえてどうするつもりなんだ?」

 

「あら、私は親切から京夜を我が家へと招こうとしていますのに、お気に召しませんの?」

 

「正直なところ療養するならシルキーがいる自宅でも十分なんだよなぁ。それよりもメヌエットの家を選択するメリットはありますかね?」

 

「まず私のお世話ができます」

 

「それはデメリットだ。メリットになるのはサシェとエンドラだけ」

 

「失礼ですね。貴族であり英国の至宝でもある私のお世話をしたい人間が、この英国だけでもどれほどいるか。その栄誉を蹴りますか。贅沢なことですね」

 

「残念ながらオレの友人メヌエットは、そういうのをチラつかせて友人関係を築く人間じゃないからな。冗談はそれだけにしてくれよ」

 

 それでこっちから聞かなきゃ話しもしないだろうから、オレが単刀直入にこの行動の真意を問うも、どうにも遊びたい気分なのか真面目なようでふざけた感じのメヌエットはしかし、話してること自体はご機嫌なのがうかがえる。

 そりゃ確かにランク考査の前に話して以降から顔も合わせてなかったから、ほぼ1週間ぶりとはいえ、もっと長い期間会わなかったこともあるし、謎だ。

 

「京夜はせっかちですね。女性の本心というのは何重もの衣で覆い隠すものですから、それを剥ぐ行為は恥辱と同義。それをわかって聞きますか?」

 

「もっと言葉を選べ。オレがイヤらしいことしてるみたいで不快だ」

 

「言葉を選んで追及を逃れようとしているのです。つまり質問には答えたくありません。答えずとも時間が経てばわかることなのですから、気にするだけ無駄かと」

 

「じゃあ1つだけ。オレにとってマイナスになる要素はあるか?」

 

「可能性がないわけではありませんが、それは京夜の選択次第なので、間違えなければ100%でプラスになりますよ。私が保証しましょう」

 

「分岐あるのかよ。何のギャルゲーだ……」

 

「ギャルゲー。日本のシミュレーションゲームの一種ですね。様々な女性キャラクターとコミュニケーションを取りつつ好感度を上げ恋愛へと発展させる疑似恋愛体験ゲーム。現物はやったことがありませんが、興味はありますね。京夜、今度の帰郷ではそれを持って帰ってきなさい」

 

「メヌがやっても選択肢の先を推理できてつまらない気がするんだが……やりたいなら理子にあつらえてもらうよ……はぁ」

 

 とはいえメヌエットの機嫌が良いならそれを損ねないのが最良だし、本心を言いたくなくてオレに害がないなら大人しくしていよう。

 それに理由も単純にオレと一緒にいたいだけなら相当に可愛いものだし、そう思うことで色んなことが許容できる心の余裕が生まれる。おいおい可愛いなぁメヌ。飴ちゃん欲しいのかい?

 そうやってナメきった態度が気配に出てしまったか、鋭い女の勘が働いたか「……何やらとても失礼なことを考えていませんか」とドキーンな発言。そそそ、そんなことありませんよ、ええ。

 その動揺までは悟られまいと得意のポーカーフェイスで切り抜けて、夏休みのお土産が決定して機嫌もさらに良くなったメヌエットは、このまま帰っても勿体ないかとサシェとエンドラに進路変更を伝える。

 場所はパディントン駅の近くのオープンカフェテリア。

 屋根付きとはいえ雑多な感じのカフェテリアはメヌエットが人に酔いそうとか勝手に思ってしまったが、朝食にも遅く、昼食にも早い今の時間は利用者も大学生とか食事目的というよりも食事の片手間な感じで数もまばら。

 まぁそれを見越して選んだんだろうが、来て早々に自然がメヌエットを呼んだとかでサシェと一緒にお手洗いへ。

 エンドラも適当な料理を取りに行ってしまって1人で3人を待つ間、オレもやることがなくて暇になる。

 

「夏はこれからだが、暑さも気になってきたな……」

 

 屋根で日差しは防げているものの、初夏の暑さになってきたのを肌で感じて少し憂鬱になる。

 どちらかというと暑いよりは寒い方が色々と対策が出来て好きなんだよな。暑さだけは方法が限られて苦手だ。

 

「まさかあの島から生還するとはな」

 

 部屋が蒸し暑くなったりしてたら嫌だなぁ。でもシルキーが換気とかしてくれてるかぁ。と、他愛ないことを考えてせっかくの休みを満喫し始めた意識にスッと静かに入り込むような声がしたのは、オレがいる席の後ろから。

 その声で一気にオレの中の警戒心が引き上げられて、この状況でどうすべきかを考えたが、後ろを取られた時点でほぼ詰んでる。何故なら相手は、勇志さんだからな。

 

「……どこまでがあなた達の狙いだったんですか」

 

「お前がロンドン警察庁から依頼を受ける前から事は始まっていた。俺とシャナはスウォンジーに待機していたが、最後の最後。テルクシオペーがお前達を逃がしたのは想定外だった。あの島で何があった。テルクシオペーに何を吹き込んだ?」

 

「別に何も。ただ少し人間ってやつを教えてやっただけです」

 

 勇志さんのナノニードルは問答無用でオレを行動不能にできるから、オレがここから形勢を逆転するのは不可能なのは確定的に明らか。

 しかし勇志さんは背中越しでも伝わりそうな殺気を全く出さずに、まるで今回の出来事で起きた現象を解決するために接触してきたような気配。

 Nは3人1組が原則らしいが、今は勇志さん以外の怪しい気配もないことから、独断の可能性にも気づく。

 

「そこがまずおかしいんだ。何故テルクシオペーがお前に聞く耳を持つ。成り行きを見守るだけだったテルクシオペーがお前達に興味を持ったこと自体がイレギュラーだ」

 

「そんなのテルクシオペー本人に聞けば解決するはず。何故オレに?」

 

「……俺は……というより、Nのメンバーは教授以外がテルクシオペーと会話することを禁じられている。だからテルクシオペーに話しかけはできても、話を聞くことはできない」

 

 戦闘や暗殺の意思がないなら穏便に事を済ませられそうだと感じたのと、話を長引かせればメヌエット達が戻ってきて切り上げられてしまう。

 なら簡潔にでも話を解決しながら情報を引き出そうと会話に応じつつ、質問をぶつける。

 すると大した情報ではないと判断したか、勇志さんはテルクシオペーにNの中で意思疏通できる相手がモリアーティしかいないことを教えてくれ、それで無人島でのテルクシオペーに抱いた疑問が解ける。

 実際に話をすればすぐにわかるが、テルクシオペーは何かと疑問があればそれを解決しようとする部分があり、その好奇心は今回の事態を招く大きな要因になった。

 その好奇心をコントロールしようとすれば、必然として疑問に対する答えを出せる存在が1人いればいい。

 それがモリアーティであり、テルクシオペーがNに居座るように都合の悪そうな情報をテルクシオペーに与えないよう話術でコントロールしているんだ。

 

「それが敗因ですよ、勇志さん。テルクシオペーは人間以上に好奇心に溢れてる。だから少しでも会話が成り立てばそこに付け入る隙が生じる。だがそうとわかってもNはテルクシオペーとの会話を解禁できない」

 

「……なるほどな。なら俺がテルクシオペーに恨まれようと、ここでお前を殺すことに意味はあるか」

 

 そう、なるよな。

 現状でテルクシオペーとまともに会話ができているのがモリアーティ以外にオレだけなら、再びの干渉を防ぐ意味でオレを排除するのは当然の流れ。

 この流れを止められる段階にないと言葉にしてから気づいて嫌な汗が噴き出るオレが、どうすれば生き残れるかと高速で思考。

 

「…………だがお前は即死級の攻撃を反射的に躱すことができる以上、俺は1度お前の動きを完全に封じる必要が出てくる。その動作1つを強いられた状況で『アレ』を躱してこの場から逃げることはできそうにない。 まったく、つくづく悪運が強いな、お前は」

 

 後ろの勇志さんに全神経を集中していたから、少しの沈黙のあとに紡がれた言葉の意味を理解するのに時間がかかる。

 そう言われたことでようやくオレも周囲へと意識を向けることが出来て、気配ではわからないから動かせるだけの視線で勇志さんを牽制している何かを探すと、いた。オープンカフェテリアの横を通る歩道から、わずかに顔を覗かせたピンク色の髪。アリアだ。

 あれで隠れてるつもりはないだろうし、奇襲をするつもりなら最初からしてるので、そうできない配置に勇志さんが陣取ってるか、アリア側に問題があったかだ。

 しかしそれでもアリアを警戒した勇志さんは、たったの1手で結果が変わるこの状況を冷静に読んで速やかに撤退を選択したようで、一言だけ「次はないだろう」と言い残して気配が一気に遠退いていった。

 九死に一生を得るとはこのことか。

 完全に死んだと思っただけにこの安堵は一際だったが、撤退した勇志さんを牽制してくれたアリアも撤退したと見せかけた奇襲への警戒もしつつオープンカフェテリアに入ってオレに近づいてくる。

 そしてキョロキョロと最後の警戒をして安全と判断してから向かいの席に腰を下ろして足と腕を組んでオレを見てきた。

 

「今のが霧原勇志ね。 こっちから仕掛けるタイミングが全くなかったわ。旧0課ってのはあんなのを何人も配属させてたのかしら」

 

「あれでも斥候みたいな役割だから、もっと化け物がいたんだろうよ。伊藤マキリとかな」

 

「あたしはそのマキリと戦った……相対したって感じだけど、確かに手強いと感じたわ。ホント、Nの戦力は嫌になるわね」

 

「それよりアリアは何でここに? 偶然ってわけじゃないだろ」

 

「ああ、それなら……」

 

 まだロンドンにいたのかというツッコミはさておき、ここに至ってアリアが偶然通りかかって牽制したとは考えられないため、回り道なしでズバッと尋ねる。

 そこに隠すこともなさそうに話しかけたところで、お手洗いに行っていたメヌエットとサシェ。料理を持ったエンドラが戻ってくる。

 するとそのメヌエットと何かアイコンタクトをして頷いたアリアに、メヌエットは「あら」と少し驚いたように、しかし想定内といった反応で返してオレの隣に落ち着く。

 

「もうですか。ずいぶんと早かったですわね」

 

「Nにしては遅いくらいではあったと思うけどね」

 

「ん? もしかしてメヌが仕掛けたのか?」

 

「だから言ったでしょう。時間が経てばわかることだと。これでもプラスにはなりませんの?」

 

「……いえ、大変感謝しております」

 

 どうやら勇志さん。Nが接触してくるのもメヌエットに推理できていたようで、それを見越していつからかは知らないがアリアを潜ませてオレを守っていたみたいだ。

 だが何故Nの接触を推理できたんだ? そんな情報はメヌエットには……

 とかなんとか疑問を1つ解決して、また新たな疑問が生まれたところで、それに先回りして答えようとアリアが口を開いてくる。

 

「実は京夜とフローレンスが近いタイミングで同じようなケースで行方不明になったことは、あたしとメヌの耳にもすぐに届いてきたのよ。それで偶然なわけがないってあたしの勘もメヌエットの推理も導き出して、2人、もしくは1人でも生還したならって策を練ってたわけ」

 

「もしも帰ってきたなら、行方をくらませていた間に手段こそ情報不足で推理しきれませんでしたが、京夜と羽鳥フローレンスとやらの2人ないし、他の誰かである必要がある何らかの仕掛けがあり、それで無事で済むような余地をNが残すわけがない。その上で奇跡的にも生還し、それをNが察知したならば、必ず数日のうちに暗殺に及ぶと思い、向こうに動きを悟られないようお姉様達を配置したのです」

 

「お姉様達?」

 

「京夜が接触したNのメンバーは水の超能力を使うって聞いてたから、それ専門のカツェを呼んで、武偵病院に運ばれた夜から潜ませてたのよ。それで動きがなかったから、メヌに京夜だけ運び出してもらって餌になってもらって、あわよくば逮捕って狙ってはいたけど、そう甘くはなかったわ。さすがにロンドン警察庁もロンドン武偵局も動かさないでってなると、包囲網も満足に作れないしね」

 

 オレ、撒き餌にされてました。守ってくれたにしても酷くね?

 確かにテルクシオペーが見逃したのがNにとっての誤算だったなら、この襲撃も予測できたことなのかもしれない。

 勇志さんが単独で接触してきたのは、おそらくモリアーティがメヌエット達の罠に気づいていたからあえて見逃していたと考えるべきだろうな。

 そう考えると最悪、勇志さんが捕まっても、Nにとっての痛手にはならないという事実にもなるわけだが、テルクシオペーは情報規制をしてまで手元に置くなら、何かしらの役割があると見て良さそうだ。

 

「……ん? でもオレと羽鳥が生還する可能性が限りなく低かったのに、よく罠を張る気になったな。言っちまえば無駄になる可能性が高かったわけだろ」

 

 バンシーと同じように、セイレーネスにもまた秘められた力があって、それがNにとって必要なものって線が濃厚だろうかと思考したところで、今の話の根幹で気になったことをふと尋ねてしまう。

 結果として生還はしたが、その確率が1%あったかどうかレベルの出来事だっただけに、その後を見据えて動いていたメヌエット達に純粋な疑問が出るのは当然だ。

 その辺が本当に不思議で2人を見てみると、顔を見合った姉妹は揃って小さく笑うと、さも当然のように疑問に答える。

 

「だって京夜だもの。簡単に死ぬような武偵じゃないってさんざん見てきたし、今回も大丈夫だろうって思ってたわ」

 

「すでに夏休みの予定もあるのですから、それを破る行為をするような人間なら友人になどしません」

 

「フフッ。こんなこと言ってるけど、京夜の行方不明を聞いて『京夜が死ぬわけがありませんわ』って私より先に断言したのよ? しかも涙目になってね」

 

「なっ!? そのような事実はありません! 忘れなさい京夜!」

 

「そんな大声出すなよ。周りに迷惑だろ」

 

 オレが不死身の男みたいな扱いをされても困るんだよなぁ。死ぬ時は死ぬし。実際に今回はマジで死んだと思ったし。

 ただオレが死ぬわけないと。死なないと信じて動いてくれていたなら少しだが嬉しいところはある。

 アリアの場合はなんかキンジと似た扱いな気がするから嬉しさ半分、悲しさ半分って感じで微妙だが、メヌエットに関しては心配しながらも死んでほしくないと思ってくれたことがわかって素直に微笑ましい。

 それを悟られたくなくて平静を装ってたのに、アリアが盛大なネタばらしをしたせいで一気に余裕が崩れてただでさえ鋭いツリ目がギロッと怒りを含む目になってしまった。

 そんな照れ隠しを誤魔化すメヌエットの挙動をなだめつつ、もう忘れることはできないから別のベクトルへと持っていくべく言葉をひねり出す。

 

「でもありがとな、メヌ。心配してくれて。信じてくれて。嬉しいよ」

 

「…………そう思ったのでしたら、私に少しでも心配させない努力をなさい。成果を上げなさい。脅威を排除なさい。前進しないのは怠惰です」

 

「返す言葉もない……次にNと遭遇したら、必ず逮捕するよ。そうすればオレの安全もいくらか確保されるしな」

 

 メヌエットの性格上、素直にお礼を言われると恥ずかしいからか話を早めに畳みに来るので、それを引き出して守れるかはわからない約束を交わすことで収束。

 今のところオレはN関連のことで大した成果を上げられていない以上、そろそろ結果を出さないと、黄金消失事件の解決を女王陛下から受けてるメヌエットの顔に泥を塗ることにもなる。

 

「なんか、京夜とメヌはあたしが知らないうちにずいぶん仲良くなったわね。合わなそうな性格なのに、妙にしっくり来てるのが不思議」

 

 なんとも言いがたい雰囲気でそうした言葉を交わしたオレとメヌエットを端から見ていたアリアが、不思議そうに、でもどこか納得したように言葉を紡ぎ、それに顔を見合わせたオレとメヌエットも、何故こうも普通に会話が成り立っているのかちょっと不思議に思ってしまった。

 初対面の時はこんな会話になどなる余地すらなかったと確信できるほどメヌエットとの心の距離は遠かったものだが、今となってはこれが普通になってる。実に面白い。

 

「メヌが歩み寄ってくれるからだろうな」

 

「京夜がズカズカと私の懐に踏み込んでくるからですね」

 

「何それ。結局どっちなのよ」

 

「メヌが優しいから好き勝手できてるな」

 

「京夜がありのままの私を受け入れてくれるから」

 

「プッ。ならお互いにそれでいいじゃない」

 

 その奇妙な友人との関係が成り立つ理由をそれぞれで口にしたら、ここで噛み合わない辺りがオレとメヌエットで、2人揃って相手を尊重するようなことを言えば、合ってるようで合ってないオレ達に笑いが堪えられなくなったアリアがとどめを刺してしまった。

 アリアに笑われて直前に素直になってたこともあって、割と本心を語ったのが急に恥ずかしくなりメヌエットを見たら、メヌエットもまた普段は絶対に言わないようなことをあっさりと言ってしまった恥ずかしさから完全に口にチャックで沈黙。

 それにまた笑みをこぼしたアリアは、少しからかったことを謝ってから、せっかくエンドラが持ってきた料理が勿体ないからと食べるのを促してくれて、オレもサバイバル生活から生還してなんだかんだ初めての健康無視な食事に素直にありつくのだった。



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Slash54

 

「これ面白くない。やめる」

 

「あら、ギブアップが早いわね」

 

「それでは武偵などやっていけませんよ」

 

「オレは推理型と直感型の極致を相手にしてるから感覚がおかしくなりそうなんだよ。お前ら基準をやめろ」

 

 無人島サバイバルから生還して、全治1ヶ月の怪我の療養のために武偵病院からメヌエットに引っ張り出されて12時間ほどが経過。

 朝方には勇志さんによる単独の襲撃もあったが、これを予測して罠を張っていたメヌエットとアリアが撤退に追い込み事なきを得て、その後もまだ安心はできないとアリアが同伴してくれていた。

 今後、少しの間はアリアの護衛が付く関係で自宅マンションにアリアを引き込んで住まわせるというのは、アリアのピュアなハートが爆発しちゃうので、仕方なくメヌエット宅に宿泊することになったのは自然な流れゆえ、オレに抗う権利はない。

 それは別に良かったが、夕飯を食べながらオレはどこに寝ることになるのだろうとぼんやりと考えて、きっとリビングのソファーになるんだろうなぁと結論して思考をやめる。

 そのあとが問題のお遊びになるわけだ。

 メヌエットは当然ながら、オレも今はアクティブな遊びができない都合、寝る前までの時間を潰すのは主に頭を使う遊びになる。

 その前提でメヌエットの私室で行われたのは、アリアが理子達と最近にやったとか言う『NGワードゲーム』で、プレイヤー1人につき1つ。言ってはならないワードを決めて、自分のNGワードは見えないようにし、全プレイヤーは自分のNGワードが何かを推理しながら会話を繰り広げて、他のプレイヤーのNGワードを言わせれば勝ちという、シンプルながらも恐ろしい遊びだ。

 今回は心理戦に重きを置いて、オレのNGワードをアリアが。アリアのNGワードをメヌエットが。そしてメヌエットのNGワードをオレが考えての気の休まることのないピリピリした会話の戦争が勃発。

 すると思っただろ? 違うんだよなぁ、これが……

 NGワードに人の思惑が入り込んだ段階で、すでにメヌエットとアリアには強力なアドバンテージが発生してしまうんだよ、諸君。

 オレがメヌエットが会話の中で無意識に口にしてしまうであろう『頭が悪い』とか『お姉様』とかを選択しても、会話が始まった段階でNGワードを得意の推理で看破して絶対に言わないで切り抜けてくるんだよクソが。

 アリアもアリアでメヌエットの意地悪な性格を理解してるから会話には慎重さが増すし、持ち前の直感で会話中に何を言わせようとしてるか察知するしで鬼のように強い。

 結果、絶対に言わない2人が結託してオレにNGワードを言わせる、もはや別の遊びになり果ててしまい、オレの連戦連敗。

 苦肉の策、というよりも禁じ手の一人称──メヌエットの場合は『私』だ──をNGワードにしてやっても、初手で見破られて、大変お上品に『わたくしめ』とかで話し出す屈辱を味わったのが今さっき。

 こんなことなら日本語じゃなくて英語にすれば『I’m』の時点で引っかけられたのに……うぉおおおお!!

 

「フフッ。これ以上は京夜がいじけて立ち直れなくなりそうですし、今日のところはお開きにしましょう。お姉様、お風呂はどうなさいます?」

 

「一緒に入りたいならそう言いなさいよ。京夜はまだ無理よね?」

 

「腹に穴が空いたんだからそりゃしばらくはな。勝手にタオルでも借りて拭かせてもらうから、邪魔者は下に退散しますよ」

 

 こんなにやりごたえのない遊びは久しぶりだ無くなってしまえ。

 そんな風に思い始めていたところで察したメヌエットがお開きにしてくれたから、その優しさなのか哀れみなのか微妙なラインの配慮に感謝はしつつ、姉妹仲良く入浴タイムとあってオレは下の階に退散。

 メヌエット仕様の家だから車椅子でも1人で問題なく下へと降りられたオレは、サシェから濡れタオルを貰ってササッと体を拭き今夜をどう過ごすか2人に相談。

 サシェとエンドラの寝室は当然ながら無理として、どこなら良いかと尋ねると2人も横になれるのはリビングのソファーが精々だろうと申し訳なさそうにしていたが、そのソファーには絶対そうなるだろうと予想してたからか、すでにオレ用の毛布と枕が置かれていて苦笑。

 まぁサシェとエンドラに罪はないんだ。悪いのは怪我人をまともに受け入れる環境にないのに招き入れたメヌエットが全て悪い。反省して?

 などと本人には口が裂けても言えないから、物言わぬジト目を上の階で入浴中のメヌエットにプレゼントして、今夜はもう寝るだけだろうとため息混じりでソファーで横になり休息に入る。

 が、そこでふと思い出したように休息という観点からある人物が頭に浮かび、時差を計算してから大丈夫そうだとメールを送って返信を待つ。

 寝て起きてからでは遅いのでのんびり待つこと10分程度。

 メールを送ったのはオレの発勁の師であるメイファンさんで、どうせしばらくは動けないのなら、動けないなりに出来る修行はないかと尋ねてみた次第。

 気のコントロールは使い方次第で自然治癒力を向上させるとかなんとか言ってた気もするから、ひょっとすれば全治1ヶ月も全治3週間くらいになったりしたら嬉しいなぁと思っていたが、現実とは非情なり。

 最近こればっかり言ってる気がするが、今回も例のごとくで、メイファンさんからのメールの返信によれば、自分自身の自然治癒力を向上させるためにオレが決定的に欠けているものが2つもあると断言。

 メールなのに関西弁丸出しの文面には『気を作り出す丹田のコントロール』と『気穴の開閉の自由』が不可欠で、そのどちらも出来ないオレにはどうすることも出来ないと書かれていた。

 具体的にはこうだ。

 まず自然治癒力を向上させるために整える状態は、全身にほぼ100%の気が充填させていて、その上で気の流れを促進させ循環。

 その状態で一定時間を過ごして、風船のようにその気を放出し、新たな気を充填させての繰り返し。これで初めて自分の自然治癒力は向上するらしいのだ。

 だがオレの場合、元々の気穴が一部開きっぱなしのため、常に気は体外へと放出されていて、その放出量に負けないために丹田も常に気を作り出し続けているという特殊な体質で、体内の気をほぼ100%に留めて循環させることが出来ない。

 

「……もう寝よ」

 

 メイファンさん曰く、オレの気穴はアホになってるとかで開きっぱなしの気穴はどうしようもないから諦めろってことで、修行に熱心な弟子の心を何の躊躇もなくへし折ってきたメイファンさんに当たれるわけもなく「ありがとうございました」の返信をしてから本格的にふて寝。もうやだやだ! 誰か助けて!

 ただ1つだけ、常に新しい気が体内を巡っているオレは、静養さえしていれば常人よりも回復は若干だが早いだろうとのことだから、2、3日程度なら完治も早まる可能性はあるらしいので、気のコントロール訓練だけは欠かさずにやっておこう。他にやれることもないし。

 それら全ての感情を面に出したらサシェとエンドラにドン引きされること間違いなしなので、努めて平静に落ち込みながら寝ていたら、風呂から上がったアリアが降りてきてソファーに腰かけてくる。

 

「あの子、お風呂から上がるなりネットゲームを始めちゃったんだけど、夜更かしを止めてくれないかしら?」

 

「日本のモモコと遊んでるんだろ。オレ以外の唯一の友人だから大目に見てやれ。0時過ぎても起きてたら夜這いに行くって伝えろ」

 

「京夜はメヌに優しすぎない? あと最近買ったスマホのゲームにも10万円入れたみたいで呆れてるわ」

 

「スマホは知ってるが課金は初耳だ。アイシンだったか……10万も何を買ったんだよ……」

 

「ゲーム内の通貨というか、理子が言うにはガチャ? に使うものらしいんだけど、中毒性があるから危険だって言ってたから、出来れば止めさせたいわ。あの子、お金には困らないけど使い方が荒いのがねぇ」

 

「オレも賛成だが、どうせ言ったところで『私の資産をどう使おうと私の勝手ですわ』って言われて終わる気がする……」

 

「そこは頑張りなさいよ。あたしじゃ簡単に論破されるし、友人って立場は最大限利用していきなさい。メヌがインドアなのは仕方ないにしても、全部がそうじゃダメだと思うしね」

 

 こういう話を聞くとアリアもちゃんとお姉さんをしてるんだなぁと思う部分もあるものの、大部分でオレに丸投げしてる気もするからそこは頑張れと逆に言いたい。

 まぁオレもメヌエットが家から出なくても生きていけるみたいな今の考え方は良く思わないから協力はするよ。

 しかし会話だけなら少し解釈を変えれば、オレとアリアが娘のことを心配する親みたいであれだ。意識すると妙な恥ずかしさがある。

 アリアはそれに気づいてないからあえて言う必要もないし、黙ってれば波風立たないならそれが一番良い。

 そのあとはいつものごとくキンジに対する不満やら何やらの惚気話をいくつかされて、それに相槌を打っておきつつ、ある程度吐き出して満足したアリアがメヌエットの私室へと戻っていったのを見届けて就寝。

 サシェとエンドラも上にアリアがいるからそそくさと寝る支度を整えて1階はようやく明かりが消え、静寂の中でオレも寝心地はともかくとしてゆっくりと眠りに就くことが出来たのだった。

 

 その後、Nからの襲撃はオレのところにも羽鳥のところにもなく、ロンドン留学に来てからおそらく一番の平穏な日々を過ごすことになった。

 その理由が療養というのがなんともらしいというかで笑えないが、オレにとっても、そして羽鳥にとってもこの休息は色々と考える時間をくれた。

 2週間もすればオレも車椅子とはおさらばして、メヌエット宅での宿泊もその時に終了。

 アリアの護衛もメヌエットの「いつまでも些末なことに割く時間がNにあるとも思えない」との推測から、もう襲撃はないだろうと解除となり、アリアは日本へと戻っていった。

 オレと羽鳥の生死がNにとって重要ではないと断言されたのはなんか悔しいが、世界を変革しようとするNが人類史の分岐点でもないオレと羽鳥を重要視する理由は確かにない。

 今回のことも結論から言えばNにとっては『オレが死んで羽鳥が仲間になれば最良。そうならなくても両方が死ねば良し。死ななくてもどうでもいい』で片付く案件だってことだ。

 この借りは勇志さん、シャナ、テルクシオペーを逮捕することで返してやると心に誓って、車椅子生活から脱却してからは登校も再開し日常へと戻って数日。

 車椅子生活の間はひたすらにメヌエットの相手をしていたからか、メヌエットがすこぶるご機嫌でスマホのゲームも控えてくれたのは喜ばしいことで、しばらくはオレへの当たりも柔らかくなるだろうと思われ、急な呼び出しも特にない日々の中。

 療養の初期に依頼という形でジャンヌに頼んでおいた調査の報告が届き、放課後にさっさと帰宅してそれを拝見。

 調査してもらったのは、先日に接触してきた警視庁参事官、崇清花について。

 事前の調査でも顔を合わせても何か疑問が消えない彼女を調べるのは、勇志さんを捕らえて差し出すように依頼してきた警視庁の裏を探る上で繋がる気がしたから。

 それに彼女との面識は確かになかったのに、先日に初めて会った気がしないのも心のどこかで引っ掛かっていた。

 そしてジャンヌによる調査はそのオレの疑問を払拭するだけの内容を含んでいた。

 ジャンヌによる調査報告にはこう書かれていた。

 ──崇清花はその系譜を辿ると、ある一族の血族であることが判明。その名は──

 

「──『穴山(あなやま)』」

 

 その名はかつての真田十勇士の1人にして、真田幸村の影武者として有名な穴山小助(こすけ)を先祖に持つ一族。

 家に残ってる文献によれば、穴山小助当人は徳川軍との戦いにおいて幸村の影武者として壮絶な死を遂げたとあり、その子孫は細々とだが生き延びていたものの、100年ほど前にその系譜も絶たれたとあったはず。

 別に穴山小助と血が繋がる穴山ではない可能性も十分にあるが、崇清花本人が真田と猿飛に関わりがあると言ったからには、その線で間違いないだろう。

 だがそれだと何故、穴山の血が絶えたなどという記録が家にあるのか……

 

「……幸姉にも教えておくか」

 

 穴山家に特別な力があるという記録も特にないし、血の断絶の偽装をしたのだとしてもその理由が判然としないのは確か。

 それに真田や猿飛が関わっているのなら幸姉から当主へと話も行くだろうし、そこから見えてくる事実もあるはず。

 とにかく崇清花の系譜については今後の幸姉の報告次第ということで保留にして、警視庁に所属した経緯についても報告があったからそちらにも目を通しておく。

 見る限りではコネとかで所属したということもなく、警察学校も経て順当に昇進してきているが、やはりその昇進スピードと経歴が合致しないというか、この経歴でよく参事官になれたなという部分が見える。

 結婚相手も一般人のようだし、その子供も警察には関わっていないみたいで普通なのに、何故こうも彼女だけが普通の中で異彩を放つのか。

 結局のところ調査の結果としては崇清花が普通ではないということしかわからなく、ジャンヌもこれ以上は調べようがないほど情報が少ないと付け足しているので、追加調査をさせても何か核心に迫るものは出てこないだろう。

 勇志さんを捕まえる前にこの件は解決しておきたいところなので、幸姉には少し頑張ってもらおうとメールに重要なことを書き足して送り、返事を待つことで今回は終了。

 よくよく考えてみれば崇という名字は中国からの外来ではなく、穴山という名を隠したある種のアナグラムであることにも気づいたところで、唐突にシルキーが目の前に現れて険しい顔をオレに向けてくる。

 その理由についてはオレもすぐにわかって、どうやらオレの部屋のベランダから誰かが訪ねてきたらしい。

 殺気などは一切なかったからNではないが、一応は警戒して玄関付近に逃げられるように退路を確保すると、ベランダの窓をわざわざノックして存在を知らせてきた人物の姿はなし。

 でも、あー、これ光屈折迷彩(メタマテリアル・ギリー)だ。ジジッと景色が若干だがブレた。ジーサードか?

 その姿なき来訪者が敵じゃないとわかればオレの警戒も一気に解け、シルキーにも心配ないと伝えて別の作業中だった事に戻れと言って、ノックした来訪者を中へと招き入れる。

 普通に玄関から来れば良いのにと素直に思っていたオレに対して「誰に見られるかわかったものじゃないもの」と答えて光屈折迷彩を脱いで姿を見せたのは、ジーサードリーグの超能力担当、ロカだった。思考を読まないでくれ。

 

「京夜は油断すると思考でセクハラするから」

 

 しませんよー。ここは紳士の国ですし、セクハラなんてしたことありません。

 

「……じゃあ去年に私が穿いてたパンツは?」

 

「レースの白」

 

 ──ボゴンッ!

 リビングに通されたロカは挨拶代わりの思考を読む力でオレと会話しながら窓の前で立ち止まり、誘導尋問でオレを殴る理由を作り出すと、言質が取ってから即座に超能力の拳で殴ってくる。罠だ!

 

「罠って、口に出したのによく言うわね……」

 

「むっ、思考を読まれてると考えてるのか言ってるのかわからなくなるんだよ」

 

「どっちみち記憶してるんだから変態に違いはないでしょ。はいこれ。注文の品。用はこれだけ」

 

 自分で思い出させておいて変態もクソのなかろうに……

 と、そこまで考えて睨まれたから心を無にして円周率を考え出したら、ロカもため息を吐いて思考を読むのをやめてくれて、ここに来た理由である単分子振動刀を懐から出してオレに投げ渡してくる。

 キンジに連絡してから音沙汰なしでいきなりだから事前に何か知らせてほしかったものだと内心で思いつつ、届けてくれたロカに報酬は何かと尋ねると、元々が先端科学兵装の出来損ないだから在庫があって、ジーサードはゴミを押し付けられるならとタダで良いらしい。

 タダほど怖いものもないから、ジーサードには簡単な依頼なら特別料金で引き受けると言伝を頼んで、用が済んだらわざわざロンドンに来た理由がそれだけではないロカは、このあとに開かれるオークションに遅れるからとまた窓から光屈折迷彩を着て出ていったのだった。

 

 急な来訪だったが、まぁこれで欠けていたオレの装備が無事に補充されたので、早速その単分子振動刀をいつものポジションに装備して違和感がないことを確かめる。

 やっぱりこれがあるのとないのじゃ精神的にも違ってくるな。これが無人島にあったらもうちょっと何とかなったと思うし。

 と、装備に関しての重要性を改めて大事だとしみじみ思っていたら、今度はちゃんと玄関の方から来訪者がチャイムを鳴らしてきて、シルキーが警戒しなかったことから危険性は薄いと判断して玄関を開けると、そこには退院したばかりの羽鳥が表面上はケロッとした様子で立っていた。

 

「少し話があるんだが、怪我人に立ち話をさせるのかい?」

 

「お前がわざわざ来るとか、明日は嵐か……」

 

 その羽鳥が話があるから中に通せと言うから、冗談半分で返してみるも、いつもの毒も吐かずにキロッと睨むだけで反撃してこなかった羽鳥になんか調子が狂う。

 仕方なくオレもいつもの調子は控えて羽鳥をリビングに通して、体を少し気遣うような動作で椅子に座った羽鳥は、ソファーに座って距離を取るオレに前置きもなく話を切り出してくる。

 

「当分の間、武偵として動けなくなった。怪我は関係ない」

 

「…………それは、Nに狙われたからか? 萎縮したのか?」

 

「いや、そんなことで私は今さら引き下がれないさ。私が償うべき罪はまだ償えていないし、今回でそれも増えてしまった」

 

 いきなりの武偵活動の休止宣言にまず考えたのが、今回のNによる強引な勧誘による影響で、その狂気をNに利用される可能性に萎縮したのかと思った。

 しかし羽鳥はそうではないとバッサリ切り捨てて、別の理由でそうなったことを話してくれる。

 

「先の件で私が殺めた指名手配犯。処理としては問題はなかったけど、納得がいかない人がいるのはわかるかい?」

 

「指名手配犯の家族とか……被害者。被害者遺族、か」

 

「そう。殺人犯なんかは特にそうだが、犯人が死亡して終わるケースは簡単ではないんだ。被害者や被害者遺族の中には、当然ながら『一生その罪を背負って生きていけ』と考える者も少なくない。それは死という怒りや哀しみのぶつけようのない結果に対する感情だ。私が同じ立場になればそう考える。死などという安易な結果は生温いとね」

 

「死を生温い、か。わかるような、わからないようなだが……憎むべき対象がいなくなる空虚な感情は理解できるかもな」

 

「そうした事後処理に私は動くことになる。何せ今回、私は6人もの人間を殺めてしまったからね。その憎悪やらも6倍ということだよ。それらを遺恨なく終わらせるなんて不可能かもしれないが、精一杯のことはするつもりだ」

 

 無人島での羽鳥の殺人は、ロンドン武偵局の武偵としての行きすぎた行為とは捉えられず、そこに羽鳥の罪は法的にはないと聞いていた。

 しかしそれではい終わりではないのが現実で、その事後処理に奔走する旨を伝えた羽鳥の表情は幾分か暗い。

 それでも羽鳥は自分がしたことへの責任を果たそうと再び前を向いて歩き出したことは本当に良かったと思う。

 ひょっとしたらもう武偵として精神的にやっていけないことにもなりかねないと思っていただけに、その話には嬉しさ半分、悲しさ半分といった感情で、今後はNに関しての事にも積極的には動けないと付け足された。

 ここでの羽鳥の離脱は正直かなり痛いが、なってしまったことをあーだこーだ言うのも女々しいので、話はそれだけだった羽鳥も椅子から立ち上がって、玄関へと向かっていくのを黙って見送る。

 

「ああ。それからもう1つ」

 

 玄関まで見送りに行くのは柄じゃないと動かずにいたオレに、姿が完全に見えなくなる前に振り返った羽鳥は、その瞬間にいつもの男勝りな羽鳥の顔から、年頃の女の子のような微笑を浮かべてオレを見る。

 

「私も頑張るから、あなたも頑張りなさい、京夜」

 

 そうして普段なら絶対の絶対に。100%言わないような励ましの言葉を述べた羽鳥に、しばらく思考停止。

 脳が再起動してから状況を理解した時には、すでに羽鳥の姿もなく、女らしく振る舞えば破壊力抜群な羽鳥に、クスリと笑ってしまうのだった。



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400年の愛編
Slash55


 

 7月15日。木曜日。

 無人島サバイバルから生還して、その傷もほぼほぼ完治した今日この頃。

 医者からも余程のことがなければ大丈夫だと太鼓判を押してくれて、武偵病院をあとにした放課後。

 療養中は戦闘やらに発展しそうな依頼はせずに探偵科のような仕事で捜索系をこなして小遣い稼ぎをしてきたが、ようやく制限なく動ける。

 焦らずに療養に努めたおかげで、調子もこのところ安定して良好。今からでも少しハードな依頼をこなせるかもしれない。やらないけど。

 そんな込み上げてきたやる気は明日から出していこうとまっすぐに帰宅して、装備の整備をしてさっさと寝ようかなぁとリビングに入ったら、

 

「よう京夜。ちょっとぶりぃ」

 

「……何でいるんだよ」

 

 なんか、いた。しかもここにいるべきじゃない奴。

 脱色したような白髪に深紅の瞳をした見た目は完全に幼女の姿。しかし中身は5000歳を越えるババ……死神バンシーだ。

 

「愛しの京夜に会いに来たんだよ? って、言っとけば可愛いか? ガハハッ」

 

「可愛くないし嬉しくもなんともない。遊びに来たとか言ったら殴ってたところだ」

 

 我が物顔でソファーでくつろぐこいつは、現在進行形でNにその身を狙われている関係で、先月にアストゥリアス州にいるドラゴン、クエレブレの元へと身を隠していた。

 Nの視点では今、バンシーは土御門陽陰が捕らえていることになってるが、いつどこでそれが嘘の情報とバレるかわからないから繋がりを絶ってたってのに、自分から来るとかバカなの? 死ぬの?

 そんな状況だったから呑気にふざけるバンシーに軽く殺意すら湧いて拳を握ってしまったが、まさか5000歳のババ……人生の先輩が何の用もなく危険を冒して接触してくるかと疑問が生じて落ち着く。

 ただおふざけを継続されても面倒臭いから、あからさまに「真面目にやらないと怒るぞ」と表情に出してやり、空気くらいはさすがに読めるバンシーもおふざけはそれだけでソファーから飛び起きて空中であぐらをかく姿勢に移行。ソファーでくつろいでいた意味とは。

 

「まずはそうだな。あれから成果はあったのか」

 

「進捗を聞きに来たのか? だとしたら何もない。シャナに関しても上海での一件以来は会えてもいないから、クエレブレにももう少しかかりそうだと伝えてくれ」

 

「そうかそうか。なら丁度良い。シャナに関してならこれからなんとかなるかもしれんぞ」

 

「はっ? 流れが見えないんだが……」

 

 空中では無重力のような状態なのか、話しながらのバンシーはゆっくりと回転して上下左右前後の概念がない感じ。

 そのせいでいま着ているワンピースのスカート部分がヒラッヒラしてこっちはイラッとするが、人間の羞恥心など微塵も持ってないバンシーに指摘するとからかわれるだけだから黙って話に集中。

 しかしその話も唐突でよくわからなくて、何がどうして丁度良いのか。

 説明が下手くそ過ぎるバンシーに順を追って話せと口から出かけたオレだったものの、そのオレを手で制して暗に落ち着けと諭すバンシーは、自分の説明不足を棚に上げて話を続けた。

 

「とりあえず行くとするか。アストゥリアスに」

 

「……だ、か、ら! 何でそうなるのか話せって言ってんだよこのババアが!!」

 

「俺をババア呼ばわりとは失礼だぞ! 呼ぶなら敬意を込めてバンシー様と呼べガキがァ!!」

 

「そう呼ばれたいならそれに値する態度で示せやコラァ!!」

 

 このババアは自分を不可視化できるから飛行機もタダ乗り出来るし良いけどな。こちとら「アストゥリアスに行くのか。よし行こう」なんて都合よくいかないんだよバーカ!

 移動に金はかかるし、ロンドン武偵高にはそれなりの理由がなきゃ単なる欠席扱いでマイナスだし、そもそも何で行かなきゃいけないのか不明なまま飛行機に乗れるかよ!

 っていうのは余さず口に出してキレ散らかしてバンシーとの喧嘩に発展。

 物理的にはオレの圧勝だし、このマンションは現在シルキーの支配下でバンシーも不可視化はできても物質の透過は出来ないので、関節を極めるオレから逃れられず苦悶の表情を浮かべている。ぐはは、苦しめ。

 能力に関しても戦闘方面には秀でていないっぽいから喧嘩になったら一方的でちょっと可哀想にもなるが、手加減したらしたでその隙を突いて嫌なことをしてくるから手は抜かん。骨があるのか知らんがヒビよ入れ!

 そんなプロレスまがいの喧嘩でバンシーが声にならない声を出し始めたところで、異変を察知したシルキーがやって来て、その光景を見るなり念動力でオレをバンシーから強引に引き剥がして、さらに2人共の姿勢を正座にして床へと下ろす。

 あれぇ、おかしいなぁ。シルキーの念動力ってマンションの綺麗さに比例して強くなるはずなんだけど、明らかに腕も足も引きちぎれるくらい強かったんですが……

 そこから導き出される答えとしては、もうすぐこのマンションに移り住んで2ヶ月になる段階で、すでにほぼ全ての部屋の整理整頓を終えてしまったということ。

 始めこそシルキーを受け入れがたい雰囲気というか、マンション全体がざわついていたのは気づいたが、それもシルキーの家事スキルの前では騒動どころか感謝が大きくなって普通に受け入れられてしまった。

 あとはシルキーがいる手前で部屋を汚く使えないという圧力で住民の意識改革が成されたからか、こうしてシルキーも強力な超能力を取り戻して維持できるようになってしまったわけだ。

 

「お2人ともお元気なのは良いことですが、もう少し平和的な話し合いをしてくださいませんか」

 

「「すみません」」

 

 これはこのマンションに攻め込む時にはまず、ロケットランチャーでも撃って壁を破壊しないと。

 とかなんとか戦闘面での本気の突破口を思案しちゃうくらいシルキーが怖かったが、逆にこのマンションのセキュリティーレベルが下手な監視カメラや警備員などを導入するよりも高いのは賃貸としては良物件になったんだよな。

 こりゃ『死神が住むマンション』から一転して『人件費なしのメイドが住むマンション』って噂が立って家賃が上がる日も近いかもしれん。

 せめて留学中は上がるなよ! 絶対だぞ!

 そんなシルキー様と対立したら追い出されるので格上のはずのバンシーも威圧感に負けてオレと一緒に素直に謝罪し、大人しくなったオレとバンシーに満足したシルキー様もどうしてそうなったのかを尋ねて今度は緩衝材としてそばにいてくれる。ありがてぇ。

 

「バンシー様、お急ぎの案件であるならば、なおのこと京夜様へのご説明はするべきかと思われます。飛行機もすぐに乗られるわけでもありませんし、ご納得した上で行かれる方が準備もしやすいのではないでしょうか」

 

「うむぅ……確かに準備はしておくべきだったか」

 

「何でオレの文句で納得しなくて、シルキーの話で納得するのかはこの際ツッコまないでやるが、納得したなら何でアストゥリアス州に行く必要があるのか話してくれ」

 

 最初からちゃんと話していればこんな無駄に等しい時間の浪費もなかったけどな!

 なーんて思っても大人だから口にはしないで、ソファーに座り直してわずかばかりの毒を吐き、話す気になったらしいバンシーにターンを回してやると、オレの上からの態度にムッとした表情をしながらもシルキー様が控えておられるから突っかかっては来ずにまた宙に浮いて漂いながら口を開いた。

 

「クエレブレがアストゥリアスで信仰の対象になってるってのは、もう調べてたんだよな?」

 

「ああ。だからこそクエレブレの存在を確信して見つけられたわけだしな。まぁ見つけたせいでシャナに罠を張られもしたんだが」

 

「んじゃあの辺りの人間が月に1度、クエレブレに供物として食糧を奉納してるってのも知ってるわけだろ?」

 

「まぁな。クエレブレ本人からも聞いてるし、その供物をシャナが町に変装しながら住み続けてクエレブレに届けてたってのも……」

 

 説明するとなると割と親切というか丁寧なバンシーがクエレブレについてオレがどの程度で把握してるかを問うので素直に答えていく。

 そして話の肝となるであろう事柄に話しながら気づいたオレが言葉を切れば、察しが良いオレにバンシーもニヤリとする。

 

「もうわかったのか。ガキにしては勘が良いな。これは本当に最初から話していれば良かったか」

 

「……来たのか。シャナがアストゥリアスに。クエレブレの近くに」

 

「姿は見せなかったが、来たことは間違いない。その証拠に……」

 

「先月の供物がクエレブレの元に届いた、か?」

 

 一応の確認で相違がないことも確かめて、それで先月にシャナがクエレブレの供物を今の住処に届けたことがわかる。

 オレ達を罠に嵌めるためにシャナは何百年と姿を変えながら隠れ住んでいた町から離れてNの拠点に身を移したから、オレもその可能性は低いと思っていた。

 だが冷静に考えても、シャナはオレとクエレブレが今も繋がっている可能性を知りながら行動を起こしたことになる。罠である可能性は高い。

 

「……次の供物を届ける日はいつなんだ?」

 

「今は毎月第3日曜日の夜と決められている。今月の第3日曜日は……3日後だ」

 

「呑気に準備してる暇もないか……何故もっと早く伝えに来れなかった?」

 

「準備ってのは長けりゃその分で外に漏れる可能性も上がるもんだぞ。向こうにこっちの動きを悟られねぇためには時間的猶予は作るべきじゃねぇ。ってのがクエレブレの考えだった」

 

 そうと知っていて次もシャナが来る保証は全くないし、仮に来てもシャナ1人である可能性も低い。

 それなら準備にいくら時間をかけたところで大差ないような気もするが……

 いや……クエレブレはもう少し先を見ているんだ。

 

「……Nにも些末事に人員を多く割けない事情があるはず。先月にオレと羽鳥を嵌めた時も引き際はあっさりしてたし、オレや他の邪魔な連中を消せれば良しくらいの認識なら、出来る限り最低限の戦力を投入したいだろう」

 

「俺は戦いは専門外だ。要はクエレブレの考えがお前にはわかったのか」

 

「さっきオレが言ったみたいに、こっちが準備万端で待ち構えた場合、こっちの戦力をわずかでも上回る戦力を向こうが投入してくる。だが余剰戦力に余裕もない向こうに、こっちの戦力がギリギリまでわからないような対処をすれば、向こうも最適な戦力を割くことが出来ないってことだよ。まぁオレとクエレブレの繋がりを前提にしてるなら、オレの人脈の限界がある分で戦力の推測はされてるだろうがな」

 

「だがその対策にも穴はあるだろうよ。俺でもわかる重大な、な」

 

 Nはあの羽鳥すら余計な手間をかけて手駒に欲するほど人員に余裕がないのは明らか。

 その上で世界の変革を成そうとする動きに無駄を省かなきゃならないのは明白で、モリアーティとて戦力の捻出は余計な労力だろうよ。

 とはいえだ。ここまで読めれば根本的に破綻する問題もあることにも気づける。

 バンシーでさえ気づいたんだから大して深く考えなくてもわかることだが、オレでさえ読める戦局をモリアーティが読めないわけがないんだから、そもそも無駄な戦闘は避けるべきで、Nはアストゥリアス州に赴かない選択をするだけでオレ達を空振りさせられるんだ。つまりシャナの動きを止めるだけで良い。

 

「…………いや、来るよ。少なくともシャナだけは」

 

「根拠はあるのか?」

 

「根拠なんてないさ。ただオレは信じたいだけだよ。クエレブレとシャナの、絆ってやつをな」

 

 事の全容はそんなところで、何かを起こすにしても空振りの可能性の方が高い以上、動くやつも徒労を覚悟しなきゃいけない。

 そこから考えるにICPOの百地さんに声をかけたとして、イギリスのMI6レベルが動くかどうか怪しい。

 バチカンも話くらいは聞くかもだが、急な要請に応えるまでのレスポンスが悪い気がする。

 先月に会ってるカツェが所属する魔女連隊もオレ個人でどうこうできる規模じゃない。

 何よりどうあがいても金銭面での問題がネックになって、ほぼボランティアみたいな参加を促さなきゃならん。命を懸けるんだから条件が無理すぎる。

 ただ1つだけ確信に近い何かを感じているオレは、今回の件で空振りはないと信じていた。

 Nに協力する動機がクエレブレにあるシャナなら、たとえ罠とわかっていたとしてもクエレブレが困る事態は避けたいはずで、こちらにとって好都合な解釈をすれば、シャナが尻尾切りにされる可能性もありえる。

 それはまぁ希望的な観測としても、シャナのクエレブレへの愛が本物であると信じるオレの夢見がちな根拠に対して、愛情に関して理解に乏しいバンシーもキョトンとした顔をしてからケタケタと笑う。

 

「カッカッ。良いねぇ、そういう男と女の愛ってやつは、どの時代でも輝いてるからな。なら行くんだろ。アストゥリアスによ」

 

「その前に出来るだけの準備はする。発つのは明日か明後日になるが、バンシーはどうする?」

 

「あっ? まさか事が終わるまでここにいろって言うんじゃねぇだろうな? 俺も行くぜ。事の顛末ってのをこの目で見届けてぇからな」

 

「物好きかよ……間違ってもNに存在を悟られるな」

 

 我ながらクサいことを言ったもんだが、バンシーはそんなオレを笑ったわけではなく、おそらくは性別という概念のない側からの興味から面白いと感じたんだな。

 それはいつかのテルクシオペーのような理解できないからこそのあれで、バンシーもこれで男女の愛というものに興味があるんだ。

 付いてくるのも、どうせ止めたところで不可視化されてしまえばオレに付いてきているかもわからなくなるし、止めるだけ無駄なら説得は諦めて、さっさと動き出した方が堅実。さぁて、ここから時間との勝負だ。

 

 アストゥリアス州でシャナを迎え撃つことは決定したものの、問題は誰を使えるかということもあり、とりあえずオレよりも動かせる人が多いだろう百地さんには連絡をしておき、空振りの可能性も考慮して動いてもらう。

 ここは情報を提供することで無償で動いてくれる信用があるからいいが、あとは情報だけで誰が動くか。

 そう考えた時に思い浮かんだのは、根は正義の味方なジーサードで、先日の単分子振動刀の件でちゃんとラインを確保してれば良かったと本気で思いながら、仕方なくまたキンジにメールをしておく。

 時差から考えて向こうはもう深夜を回ってるから、返信は数時間後になるだろうなと別の線も考え始めたのだが、意外や意外。返信は電話という形で1分とかからずに返ってきた。早くね? 張ってたの?

 

「お前にこんな早く反応されると困惑するんだが」

 

『兄貴は今ぐっすり寝てるぜ』

 

「その声……ジーサードか」

 

 しかも電話でわざわざ応答するってのも変な感じがしながら通話に応じてみると、その違和感は電話の相手ですぐに判明した。

 何故かキンジの携帯から聞こえたジーサードの声に疑問を抱くも、話がしたい本人が出てくれたなら好都合。

 ジーサードもキンジが寝てる発言からメールを勝手に見て通話してきたんだろうし、用件は書いてなかったから早く言えみたいな空気を察して挨拶もなしに本題を切り出す。

 

「……ってことで、3日以内にスペインのアストゥリアス州。ビオドって町に来れないか? 上手くいけばNのメンバーを捕まえることも出来るんだが……」

 

『あー、話としちゃ行きてェとこだがな……』

 

 頭は良いジーサードに1から10まで説明する必要はないなと要点を絞って話して、来られるかどうかを単刀直入に尋ねてみる。

 ジーサードの性格的に飛びついてきそうな話ではあったはずなのだが、話を聞いたジーサードはなんだか歯切れの悪そうな声で返答に困る雰囲気を出す。

 

『……今はタイミングが悪ィ。こっちもこっちで兄貴がぶっ倒れちまってるし、急に出てきた妹の事で手が離せるかもわかんねェからよ』

 

「キンジが倒れた? っていうか妹って急に出てくるもんでもないだろ。なに言ってんだ?」

 

『京夜もわかってんだろ。俺やかなめがロスアラモスで作られた人工天才だってのは。そこからまた俺ら……っつーか、金叉の遺伝子を組み込まれた人工天才が脱走してきたんだよ。脱走とも違うみてェだが、まぁそんな経緯で兄貴のとこに転がり込んできた。その妹のごたごたで兄貴が倒れた』

 

「相変わらずわけわからん一族だな……」

 

 どうやら向こうも向こうで現在進行形で問題が発生しているようで、しかもロスアラモスが絡む案件はろくなことがないのはジーサード達とのいさかいやアメリカでの事で実感している。

 どういう理由でそのキンジ達の新しい妹とやらが接触してきたかはわからないが、ジーサードが妹と認めている以上は、あのかなめさえ受け入れたキンジもロスアラモスと対峙しているはず。

 すでにぶっ倒れてもいるようだし、家族の問題を優先するのは当然とも言えるので今回はこっちが身を引こう。

 

「とにかくお前や仲間は来られないってことでいいな。こっちも急だったし、仕方ないさ」

 

『悪ィな京夜。行けねェ分はこの前の単分子振動刀のでチャラにしてくれや』

 

 えっ、マジで? なんか得したような気が……

 別に断ったからといって咎められることもないのに、ジーサードの方から詫びのように単分子振動刀の件を無償にしてもらえてラッキー。

 なーんて思ったが今回の件で言えば、ジーサードやロカ達に来てもらった方が何倍も頼りになったことを考えれば、オレ個人の損得勘定とかどうでもよくね? むしろ損してね?

 そうして誰に文句を言えるわけでもない結末に微妙な感情がモヤモヤしながらもジーサードの方から通話を切られてしまい、幸先の悪いスタートを切った仲間集めにため息が漏れる。

 数打ちゃ当たる理屈でやっているとクエレブレの配慮を無駄にすることになるから、なるべく空振りは避けたいと思いつつ、バチカンや魔女連隊にも話だけはと連絡。

 あとは最も現実的ではないセーラに話をしてみるも、案の定「仕事なら報酬を貰う」とのことで却下。

 あんな高給取りを雇う金なんてあるわけねーだろ。ふざけんな。

 まぁセーラはわかりきってたから別にいいとして、やっぱり確実に1人くらいは確定で助っ人が欲しいと頭を悩ませていると、先日にジャンヌが調べてくれた崇清花についての報告をして以来の幸姉からメールが届く。

 忙しい中で色々と調べてくれたんだろうとメールの内容を確認しながら、今メールしたなら時間的な猶予があるのだろうと踏んですぐにメールを送る。

 可能性は低いが……かなり低いし幸姉頼りになってしまうものの、もしも通ればもしかするかもしれないと淡い期待をして返信を待ち、オレもオレで来たる決戦に備えて装備を整えていく。

 今回こそ結果を出さないと、いよいよメヌエットからお叱りを受けかねないしな。気合いを入れないとだ。



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Slash56

 

 7月17日。土曜日。

 突然のバンシーの訪問からアストゥリアス州に行くこととなったオレは、早急に出来る限りの準備を進めてから16日の夜に空港に近いアビレスに到着しそこで1泊。

 翌朝の今日は声をかけた仲間達の進捗を確認してから、ビオドの町に近い港湾都市ヒホンに移動。

 今月はヒホンが奉納品をクエレブレに献上する月らしく、それを翌日に控えた今はそれらしい動きや話を見聞きしていた。

 改めてここアストゥリアス州のドラゴン信仰の根深さを認識しながら、決戦の前にクエレブレに会いたいと思うものの、さすがにこの時期にクエレブレのところへ船で近づくことは出来ないと漁師達に言われて足止めを食らう。

 そりゃ自分がクエレブレの住処付近に近寄ったせいで、300年も続いた海の安寧がなくなるかもしれないとあっては、恐ろしくて二の足を踏む。

 オレもここで暮らしてたら絶対にやらん。アストゥリアス州に住む人全員を敵に回すってことだからな。生きていけなくなるに等しい。

 

「そうなると……だ」

 

 そんな無茶なお願いはできないし、船を借りるってのも後々に貸したことを咎められたりがあるかもだから避けたいところ。

 ヒホンはクエレブレの住むエルボサ島まで少し遠いし、ヒホンよりずっと近いアビレスからでも直線距離で10kmほどは離れてる。

 最短で向かうならやはりビオドの北端、カボ・ペーニャス灯台付近から行くべきか。あそこからなら1km程度の海上移動で済む。

 問題はその移動を現地民に目撃されないようにしなきゃいけないのと、手漕ぎボートにせよ準備には街の人間の協力が必要になることで、それも無理な相談ということだ。最悪、街から追い出されるぞ。

 あまり街をうろついてNに捕捉されるのもいただけない……というのは動きを読まれてる時点で考えないことにして、朝の進捗報告からもうすぐ合流になる百地さんと待ち合わせ。

 資金面で余裕がないオレとは違って組織で動いている分、いくらか都合のつく百地さんなら何とかしてくれると信じてオープンテラスのある飲食店で昼食ついでに待つと、特技かはともかくあまりに自然と街並みに溶け込む百地さんを視界に捉える。

 仕事柄スーツなどを着る機会が多そうな百地さんだが、今回はかなりラフで年相応な服装に徹底している。

 観光客でもビジネスマンでもなく、この街に住む人に紛れるような自然体な初老の男性を演じる百地さんは、アイコンタクトでオレとどう接するかを示し合わせる。アドリブだが、どうにかなるだろ。

 話だけなら1分もあれば十分なことから、必要な情報だけを聞き、百地さんに伝えることをリストアップ。

 よし来いと自然体で昼食にありついていたら、百地さんはスペイン語でオレと誰かを間違えるようなことを言いながら向かいの席に座ってきて、オレは心底不思議そうな顔で応対。

 そこからペラペラとスペイン語を捲し立てる百地さんにさらに困惑しながら、とりあえず英語でスペイン語がわからない旨を伝える演技をする。

 どこで誰が見てるかわからない以上、小声だろうと直接の会話は控えたいと思っていたオレは、話しながらテーブル下で百地さんの足を踏んで和文モールス。

 角度的にほぼ1方向からしか見えないのでそこへの警戒だけして、早急に海を移動できる小型の乗り物を手配してほしいことを伝え、百地さんも頃合いを見て必要な情報を拡散すると報告してから、乗り物に関しては午後6時に再度落ち合うタイミングで用意しておくと返答。

 さすがICPO。頼りになるぜ。

 最後に落ち合う場所だけ伝えてから、表上の会話で人違いをしていた旨の謝罪を述べた百地さんはそそくさと席を立ってどこかへと行ってしまい、やれやれな顔で見送ったオレもほどなくして店をあとにして、他の仲間の進捗を確認していった。

 

 期間的にもギリギリなタイミングで、集められたメンバーはオレと百地さんを含めてもわずか4人となった。

 あとは百地さんの情報拡散でどうなるかくらいで、基本的にはその4人でシャナの逮捕までいく算段を立てなきゃならないわけだが、正直厳しい。

 何せ集まった面子の役割が丸被りで、前線なんてオレ1人だけという、隠密職を矢面に立たせる必要があるちぐはぐ具合。やってられるか!

 ……などという文句もせっかく応えてくれたメンバーに言えるわけもないから進めるしかなく、そこはオレが腹を括るしかない。はぁ……

 

「で、だ」

 

 とにかく作戦はもう始まってるので止まれないなら突き進むのみと約束の時間にアビレスへと戻り、待ち合わせの本屋へと立ち寄って百地さんを待とうとすると、その百地さんは先に本屋に入って出てくるところでオレとすれ違い。

 その際に手配してくれた乗り物のキーと何かを書かれたメモを手早く渡され、オレも必要であろう情報を書いたメモを百地さんへと渡し、それらの交換を1秒とかけずに終了させる。

 初めて会った時も思ったが、百地さんはデスクワーク中心のICPOにいるにしては、この手の技術が並ではないから、経歴を洗えば何か出てきそうな気がする。

 ただ全面的な味方である百地さんを疑うような行為に今は意味が全くないから、個人的な興味は横に置いておきつつ、少しだけ本屋を物色してから適当な移動をして渡されたメモを確認。

 メモには用意した乗り物の置き場所と、明日に備えてオレが集めた2人と顔合わせをしておくことが書かれていたので、Nに監視されてるのがオレだけを前提にして裏で動いてもらう分には問題ないかとメモを燃やして廃棄。

 日が完全に落ち切る前にどんな乗り物かを確認すべく指定されたアビレスの北東の外れに行き、舗装道路からあえて外したところに放置されてある4輪バギーを発見。

 近寄ってキーを挿し込めばピッタリ合ったのでこれで間違いないが、1人乗り用にしても少しゴツいな。

 いや、水陸両用なら浮きに使う部分は必要だから多少の肥大化は仕方ないのか。あとはエンジン音だが……

 闇夜に紛れて移動するにしても周囲に音を撒き散らすようでは意味がないから、しっかりと確認するようにキーを挿し込みエンジンをかけると、エンジンの特徴的な音は出るにしてもそこまでうるさくない。

 これなら100mも離れれば耳を澄ますでもしない限りは周囲の音に紛れてくれそうだ。

 そうと決まったら燃料がほぼ満タンなのを確認して、急いでビオドの北端、カボ・ペーニャス灯台のある海岸を目指していった。

 

 ビオドも明日の奉納に備えた動きが夜でも見受けられたから、そちらに気取られないように中心部は避けて灯台近くまで行き、そこからは波の音と闇夜に紛れてバギーで海岸から海上へと乗り出し、クエレブレのいるエルボサ島の洞窟にまっすぐ向かう。

 クエレブレのおかげで夜の海でも危険な生物がいないとわかってると安心感が違うな。ライトすら点けずに進めるのはクエレブレ様々だ。

 本来なら想像以上に怖いはずの夜の海の上でも月明かりだけで障害もなくすいすいと進むことができたオレは、クエレブレの住む洞窟の前でバギーを降り、ここまで来れば安心だと実体化したバンシーと共に洞窟の奥へ入って、そこで身を丸めて鎮座するクエレブレと対峙。

 

「何用だ、人間」

 

「シャナとぶつかる前に少しだけ話を聞きたくてな。話したくないならそれでもいい。尋ねるだけ尋ねさせてくれ」

 

 言葉を発するだけで威圧感たっぷりなクエレブレの迫力は身を丸めた状態だろうと関係なく凄みがあり、本能的に後退しそうになる。怖いわぁ……

 だが今は敵ではないとわかっているから気を強く持って踏み留まり、わざわざここに来た理由を述べる。

 シャナとの対決を明日に控えたこのタイミングでわざわざ来たなら、つまらないことを聞きに来たわけではないと察してくれたっぽいクエレブレは、質問を了承するような沈黙でオレを受け入れる。

 

「明日、オレはシャナをNから引き剥がしてクエレブレの元に戻す。それは依頼された通りに遂行する。だがそのためにオレはシャナについてもう少し知るべきだと思ったんだ。シャナがクエレブレと決別……いや、クエレブレの元を離れてまでNの目指す世界を望むのか。それを理解せずにぶつかったら、オレは力で強引に引き剥がすしかなくなってしまう」

 

「……それではダメなのか」

 

「クエレブレもわかってるだろ。その方法でシャナを取り戻したところで、シャナはきっとまたNにすがる。シャナを本当の意味で取り戻すなら、シャナの心もNから引き剥がさなきゃならない。だから教えてくれ。クエレブレとシャナ。2人が過ごした何百年という時間の、かけがえのない思い出を。そこにシャナを取り戻すヒントがあるかもしれない」

 

 オレはクエレブレからシャナを取り戻す依頼を受ける際、シャナの名前と超能力を用いない素顔の特徴などをクエレブレからいくつか聞いていた。

 だから上海で再会した時にその名を呼ぶことでクエレブレとの繋がりをシャナに認識させ、あわよくば動揺してくれるかと思った。

 しかし実際にはオレがクエレブレのために動いていることを知ってもシャナは揺るがずにNに身を置き続けている。

 その意思の強さ。想いが全てクエレブレのためだと言うなら、きっと何かのきっかけがあったはずなんだ。

 それを紐解くにはシャナと共に生きてきたクエレブレから過去を聞かなければならないとあって、ギリギリのタイミングだろうとここに来なければならなかった。

 クエレブレもシャナを大切に思うからこそオレに依頼をしてくれたわけで、真の意味でシャナを取り戻すためと聞いて少しだけ思考したクエレブレは、自分達の過去話とあってか、決して張るような声色ではなく静かに、しかししっかりと聞き取れる調子でその出会いから話し始めた。

 

「……シャナと出会ったのは今から約400年ほど前になる。当時の俺は人間など下等な生物と蔑み、人間中心の世の中に悪態をつきながら、決して人間に見られることなくこの周辺の海を定期的に食い荒らしていた。その都度、人間は俺の行いを『龍神様の怒り』だなどと言って騒ぎ、畏れ、そして愚かで馬鹿なことをしていた」

 

「愚かで馬鹿なこと?」

 

「龍神の怒りを静めるために、人間を1人、生け贄として海に放り込んでいたのだ。まったく以て理解に苦しむが、俺の食事は1度で大量に摂取し間隔を空けるからな。人間達からすればそれで怒りが治まると錯覚していたのだ。だから当時、ひと月の間隔で人間が海へと放り込まれていた」

 

「カカッ、人間ってのは存在を認知してもいねーのに神様だのなんだのを信じて時々、突飛なことをするよな」

 

「自然への恐怖とか説明できない事象に対して、たとえ偶像でも『誰かのせい』にすることで納得しようとしてたんだよ。そうしなきゃ成す術のない事柄に人間ってのは簡単に心が壊れるからな」

 

 そうして始まった話の冒頭は、まだクエレブレが神格化されていない頃の生活と周囲の環境について。

 その気性からしてクエレブレはアストゥリアス州に身を置き始めたのが400年ほど前なのだろうことがうかがえ、住みにくくなった土地を転々としていたっぽい推測が立つ。

 そんな災害みたいなクエレブレに対しての人間の行動にケタケタと笑うバンシーと理解できないクエレブレに、それらしい理由で少しくらいは納得がいくようにして、2人もそうなのかといった具合の雰囲気を出した。

 

「シャナは……そんな人間の愚かな行為の犠牲者だった。ただの偶然だったのだろうが、ある時この洞窟にシャナは流れ着いた。季節は冬。極寒の海を流れてきたシャナは虫の息だった。今にも消え入りそうな命の灯火を見て俺が抱いた感情は、哀れみと静かな怒り。こんなにも弱い生物が何故、今の世界を掌握しているのか。なぜ俺がこんな身を隠して生きねばならないのかという、な」

 

「……クエレブレも、タイミング次第ではNに身を置いてたかもしれなかったのか」

 

「カカッ、その頃のコイツは俺達の界隈じゃ悪名だけが轟いてたからな。なぁ、大食漢?」

 

「元の体躯と容量が違うだろう。貴様にとって食事は『他者の命』なのだろうが、俺には人間と同じように胃袋が存在する。食べねばいずれ飢えて死ぬ」

 

 その人間の愚かな行為の犠牲者がシャナだったと話すクエレブレは、その頃にNの思想に賛同するような意思を持っていたことも話す。

 それが何故、今のように穏やかとも言える生き方を選んだのか興味が深まるが、荒れていたという頃のクエレブレをバンシーが茶化して話が逸れかけてしまう。

 その中でささやかな反撃のようにバンシーの食事に触れたクエレブレに、一瞬だが表情を歪めたバンシーをオレは見逃さなかった。

 死神バンシーが何をエネルギーとして生き長らえているか、その辺は曖昧にされていたが、他人の命ときたか。

 ただこれは本人が話さないなら触れるべきではないと無言で通し、バンシーもさらに茶化して自分のことを話されるのを警戒したか、自ら脱線した話を戻しクエレブレに主導権を渡した。

 

「……きっかけはそんな感情をシャナにぶつけ、ささやかでも気晴らしをしたかっただけだった。死にかけて意識もほとんどなかったシャナに俺は自らの血を少量飲ませてやった」

 

「ドラゴンの血を? それは意味が……あったから、今もシャナが生きてるのか」

 

「俺のような種には……稀に他種族に対して劇薬となる作用を促す要素がある。俺の場合はその血を体内に取り込ませることで、肉体の成長と老化を著しく遅らせる代わりに、人としての機能の大部分を失わせる。今のシャナは寒さや暑さといった感覚も、空腹や睡眠欲といったものも消失して、それらによる死因も影響を受けなくなっている」

 

「それでシャナは助かったのか」

 

『いや、助かるなどと思っていなかった』

 

「京夜、クエレブレの血は人間の身体を根本から作り変える。その時に生じる痛みは想像を絶し、万全の状態の人間が取り込んだところでほぼ100%の人間がそれに耐えられず死に至るぞ。それを死にかけてたシャナが取り込めるはずもなかったんだ」

 

「確率にして万が一といったほどだったはずなのだ。俺はもがき苦しむ人間の断末魔を聞ければそれでいいと思っていた。その後にせめてもの情けで死体を食ってやろうと、そんな腹積もりでいたのだが……シャナは最初こそ身体が作り変わる激痛に悲声をあげた。しかしすぐにその悲声も発しなくなり、そしてシャナはその痛みを乗り越えて生き残った。まったく、今にしても奇跡以外の何物でもなかった」

 

 瀕死のシャナがどうやって生き残ったのかは割と衝撃を含む内容となったが、クエレブレとバンシーが言うように助かる可能性なんてないに等しかったのなら、シャナからすればクエレブレは救いの神。命の恩人ってことになる。

 クエレブレも奇跡だなんだと話しながらも、昔はどうか知らないが今はそれが嬉しかったことのように声色を明るくしていた。

 

「結果として助かったシャナはその後はすぐに気絶し、翌朝に目覚めた時に初めて俺を認識したのだが、ここでもシャナは予想外の反応をした。普通なら目の前にドラゴンなどいようものなら恐怖のあまり失神しそうなものを、シャナはどう処理するか困っていた俺を見て一言『美しい』と言った。こんな威圧的な体躯の俺を見てだぞ? 逆に俺が驚かされたよ。どうにもそれで食う気も失せてしまった俺は、人としては死に生まれ変わったシャナとしばらくの間、一緒に過ごすことにした」

 

「おっ? ようやく惚気話が始まるか。カカッ」

 

「……シャナは俺に献身的だった。何もする必要はないと言っても自分で考えて俺のためにと勝手に世話を焼き、鬱陶しいと威嚇しても萎縮せずに次の世話を焼く。最初はそれが煩わしくて追い出してしまおうと何度も思ったが、たとえ理由が何であれ俺が助けてしまったシャナを人の世に戻し、その異常性で排除される未来は残酷に思えてしまった。だから極力無視して過ごそうと徹したのだ。しかしまぁ、シャナはめげない女だった。反応がなくなった俺にさえその好意が薄れることはなく、毎日毎日、他愛ないことを尋ねてきたり自分の話をしたり。そんなことを目の前で繰り返された俺はついに折れてシャナに付き合うようになった。話すようになった。そして気づけば共に笑うようになった。何百年かぶりに味わった心地よい感覚だった」

 

 シャナは、クエレブレの孤独な心を共に過ごすことで救っていたんだな。

 そしてシャナにとってクエレブレは人に見放されて孤独になったところを救ったヒーロー。或いは神と美化していたのかもしれない。

 始めはどちらも好意があったわけではないのだろう。でもクエレブレとシャナは共に過ごすことでその絆を深めて、いつしか大切に思うようになった。種族の垣根を越えて。

理子とかが聞いたらきっと「純愛とかロマンチックー」なんて言うのかね。

 

「100年ほどの時を過ごし、シャナも俺に対して意見をぶつけるようになった頃だ。何の悪戯か、またこの洞窟に人間が流れ着いた。さすがにその人間は流れ着いた段階で息絶えていたが、それを見たシャナはこれ以上の生け贄を良しとしなかったか、俺に提案をしてきた。それが……」

 

「今の奉納と守護の関係だな?」

 

「シャナは自らを龍神の巫女と名乗って人里に舞い降り、俺の代弁として奉納品を納めるように言って、それが実際に納められたことで俺もアストゥリアスの海に守護をもたらした。そうして俺とシャナは今の平穏を得たのだ。シャナがいなければ、俺はまだ別の地に移り天災として暴れていたのだろうな」

 

「シャナが今の平穏を、か。だったら何でそれを崩すようなNに加担を……いや、シャナが元々人間だったなら、それは業。本能なのかもな」

 

「俺にとってより良い環境。それがシャナにとって俺の考えの上を行ってしまったのだ。俺が今のままで良いと考えを改めた矢先に、シャナが世界に対して憤りを覚え、そうであって欲しいと願ったところへNが来てしまった」

 

 人間は楽を選ぶ生き物だ。

 生活が豊かになる。楽になるならそれに越したことはないし、その可能性があるなら後の楽を取るために今の苦労を買って出る者もいる。

 シャナはまさにそれであり、クエレブレが今よりも生きやすい世界になるならとNに身を寄せた。

 全ての動機がクエレブレにあるのは話からも見えているが、シャナ本人がまだ何かを語ったわけではないのは確か。そこはまず会って確かめなきゃならないな。

 そしてもう1つ。

 

「……どうしてクエレブレは、今の生活で良いと思うようになったんだ? そこが今回のすれ違いの肝な気がする」

 

「……俺はシャナに対して自分の本心というのを語ったことがない。それは……」

 

「お前がどうしようもなく照れ屋だからだろう。のう? カカッ」

 

 世界へ憎しみに近い感情を抱いていたクエレブレが、食事こそ安定していても今もその身を隠さなきゃならない世界を許容し続けられるようになったきっかけは何だったのかを尋ねてみる。

 するとクエレブレは今までの威圧的な雰囲気を一気に霧散させて、人間で言うところの恥じらいを見せ、すかさずバンシーが茶化していた。

 そんなバンシーに反撃もできないほど図星を突かれたらしいクエレブレは、ぐぬぬといった雰囲気のまま言いかけた言葉を発して、それを聞いたオレは今回のシャナの説得が一気に現実味を帯びてきたことにニヤリとしてしまった。

 ──これは光明ってやつが見えたかもしれないな。



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Slash57

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 7月18日、日曜日。深夜11時50分。

 もうすぐ日付が変更されようとしている頃。オレはカボ・ペーニャス灯台の上で陣取り、シャナが現れるのを待ちながら、最終確認のために連絡してきた百地さんと通話。

 すでにクエレブレへの奉納品はビオドの町の人間によって無骨な祭壇の上に置かれて、例により朝を迎えるまでは人が寄り付かない場所となっている。

 ただあまりにも大きな音を立てれば、異変を察知した町の人間が来てしまう可能性があるので、百地さん他2人にはその辺の注意を促しておいた。

 バンシーには野次馬精神があったから、マジで怒る3秒前な雰囲気で威圧してクエレブレの洞窟で事が終息するまで大人しくさせておき、クエレブレにももどかしいかもだが待機をお願いした。

 そもそもクエレブレの姿が最初からあってはシャナが奉納品を洞窟まで運ぶ必要がないと判断して出てこない事を危惧したわけだ。

 先月に来たことを加味してクエレブレの動きはもっとあるべきかとも思うが、シャナが来る時間を絞れるわけではないから、クエレブレも人間に姿を見られるリスクを何時間も負えない前提での動きで、果たしてどうなるか……

 いや、シャナはもう来ることが確定してるんだ。あとはオレ達がどこまでやれるかの話。オレがNに臆さずどこまで踏み込めるかが全て……

 これまでのことでNに対して様々な感情を抱いてきたが、その大部分は残念ながら組織としての不気味さや底の見えない恐怖が占めてしまっている。

 それは言い換えれば本能的にも意識的にもオレがNを恐れていることに違いなく、ここまでの戦績を見ても現実として勝ててもいないのは苦しい。

 そんな苦手意識が今回の件で影響を及ぼす可能性は残念ながら否定できないし、そのためらいが前線で孤軍奮闘するオレの致命傷になるかもしれない。

 待機してからかれこれ2時間は経とうという頃合いなせいで、色々と考えては振り払うみたいなことを繰り返して精神統一が上手くいってないのは分かりきってる。

 それを落ち着かせようとしても無駄だったから、いっそのこと早く現れろ。そうすれば開き直れる。と姿なきシャナにちょっとした怒りをぶつけ始めたところで、時間は深夜の0時を回った。

 不気味なほどの静寂。聞こえるのは穏やかすぎるくらいの海から上がる波の音くらいで、少し離れたところにあるビオドの町のわずかな灯りがここ周辺をほんの少しだけ照らしてくれている。

 とはいえ灯台下の人を判別できるような光源になっているわけでもないから、どちらかと言えば暗闇に近いし、その暗さに目を慣らしてしまったから今さら強い光源はいらない。暗さはオレのほぼ唯一のアドバンテージになりえる……

 状況だけは冷静に見ておこうと振れ幅の大きい精神とは別のところで周囲を俯瞰して見ていたオレだからだろうか、或いはその警戒している精神が及ぼした影響か、陸地に目を向けていたオレの聴覚がすぐ後ろの海から異音を拾う。

 穏やかすぎるくらいと言っていた海から波の音以外の渦を巻くようなザァァァァ、という途切れない水の音の流れを察知。

 波ならこうはならない音にオレが瞬時に振り向き状況を確認しに行った時。

 灯台からわずか50m程度の海上に直径10mはある渦潮を発生させて、その中心に直径1mほどの小さな水の竜巻を発生させ上に乗るテルクシオペーが視認できたのとほぼ同時に、その渦潮から水のつぶてがオレへと飛ばされてきた。

 

「くっ! おおっ」

 

 情けも容赦もないその奇襲を灯台から身を投げて陸地側に落ちることで躱すことには成功したが、その落下地点付近には水の超能力で光の屈折でも利用していたか、ゆらりと揺らめいた場所にシャナが長い金髪をなびかせて出現。テルクシオペーと同じような水のつぶてを下方向から狙い撃ってきた。

 奇襲するつもりが先に捕捉されて奇襲されちゃ、諜報科として落第点すぎるだろ。チャン・ウー先生に「ロンドンでナニを学んだのかしらネ」とか言われそう。

 と、落下中にそこまで考えられていたおかげで自分が想像よりずっと落ち着いていることを自覚しつつ、ミズチのアンカーを灯台の壁面に射出して固定。

 ワイヤーを巻き取って落下軌道を変えつつ、飛来した水のつぶての1つを足の裏で蹴って受けて落下スピードを減退。

 壁面にぶら下がってから十字手裏剣をシャナに投げつつ、すぐにワイヤーを緩めて地上まで降りて追撃を阻止することに成功した。

 テルクシオペーとシャナに挟み撃ちに遭うのを避けるために灯台からは即座に離れて海を右側に、正面にシャナが来る位置に陣取り十分に攻撃を躱せる距離を保つ。

 テルクシオペーも海面から海岸付近まで竜巻を移動させて高さ10mほどに上昇して陸地を見下ろす位置で止まり、シャナもいくつかの水球を空中に維持したまま右腕を横へと伸ばして構えている。

 

「やはり来たか。お前もしつこいな」

 

「アンタも来るとわかってて来たなら、相当なバカだと思うが?」

 

「確率は五分程度だった。来たなら来たで問題もない。あの島で死んでいた方が良かったと思うことになるだけだ」

 

「そうはならないさ。そのために準備もしてきた」

 

 余計な音を立てて人間が来るのを避けるためか、シャナもテルクシオペーも無駄になりそうな攻撃を仕掛けてくる様子はなく、やはりオレが来ることは予測されていたこともわかる。

 ただNにしては予測の確率が低かったのが気がかりだな。シャーロックと同等の推理力を持つモリアーティならほぼ100%に近い確率を出しててもおかしくないのに……

 それには少しだけ引っ掛かりつつも、今は状況として1対2の劣勢。もしかすればどこかに勇志さんも潜んでいるかもしれないなら、こちらに余裕がある態度は百地さん達の存在を察知される要因になりえる。

 だからオレも平静を装ってるような警戒心で暗に余裕がないように見せながら会話。

 

「準備か。そんなものは無駄だろうが、私とテルクシオペーを相手に水辺で戦うことの愚かさを思い知れ」

 

「雨が降ったら絶望してたが、星も見える快晴の夜空なら幾分マシだ。それよりクエレブレはお前に会いたがってたぞ。ひと目くらい顔を見せていったらどうだ?」

 

「人間風情があの人の名前を気安く口にするな。あの人はお前などよりもずっと上位の種族。超常の世界でさえ恐れられる存在だ」

 

「だろうな。だがお前に人間風情がとか言われるのは違うな。今は違うかもしれないが、お前だって昔はオレと同じ人間だったんだろ」

 

「黙れよ人間。どこまであの人から聞いたか知らんが、私はもう人間ではない。人間の上をいく種。あの人の眷属だ。これまでも、これからもな」

 

「そこまでの忠義があって何で……いや、聞くだけ野暮だな……」

 

 向こうもオレ以外からの奇襲に警戒している素振りがあるので、動くタイミングは慎重に見つつ会話を続け、シャナから感情を引き出していく。

 さすがにこの程度で揺らぎはしないものの、クエレブレとは顔を合わせたくない空気はしっかりと伝わってきた。

 言葉は武器にもなり得るのでこれ以上の刺激でシャナに先制させ主導権を握られるのは避けたかったから、とりあえず会話はここで終わりだなと先制を仕掛けるための合図を百地さん達に送る。

 右手にクナイを逆手に持ち、左手は懐の手裏剣に伸ばして構えることで、こちらの様子を見てくれている3人に行動開始の合図にしていたのだ。

 だからオレが奇襲された時も薄情かと思うほど3人は動かなかったが、通信手段を絶ってオレとのみ意思疏通ができない状況──向こうに3人の意図が伝わらないようにするためだ──を作ることで、シャナもテルクシオペーもオレの挙動抜きで姿なき襲撃を常に警戒し続けなければならなくなる。

 オレの意思が介入しない援護はオレもちょっと反応が遅れるが、オレが不利になる援護は来ないならアドバンテージはこちらにあるのは明らかで、さらに相手がシャナの他にいた場合は、3人にはオレとシャナがタイマンになるように援護してくれと頼んである。

 そこまで決まっていればオレの取る行動は単純明快。シャナとのタイマンに集中すること。

 

「……最早お前と語ることもない。テルクシオペー、やるぞ」

 

 オレはまだ説得する気は満々だから、頃合いを見て勝手に話させてもらうけどな。

 戦闘の気配が強くなったのを感じ取ったか、シャナは水球を小さく分散して数を増やしながらテルクシオペーに仕掛ける旨を伝える。

 しかしすでに合図を送り終えているこっちが先に動けるのは道理であり、実際に海水を自在に操れるほどの超能力を持つテルクシオペーがオレに凶暴なまでの攻撃の意思を見せた瞬間、音を置き去りにした高速の弾丸がテルクシオペーを襲う。

 夜の闇から飛来した弾丸は視認など不可能だったはずだが、何らかの感知能力があるのか寸でのところで攻撃に気づいたテルクシオペーは水の盾を作り出して咄嗟に防御。

 海水を圧縮した盾の強度は練り上げた集中力に比例するのだろうが、弾丸はその盾を容易に貫いてテルクシオペーに迫ったものの、水の抵抗のせいか軌道が変わり命中はしなかったようだった。

 あの威力の弾丸は対物ライフルのそれだったろうな。となると撃ったのは3人の中で最も長い絶対半径を持つレキだ。

 レキはダメ元で連絡してみたら、イタリアでのベレッタの護衛の依頼後、まだヨーロッパに滞在したようで話をしたら即決してくれて、昨日にこっちに到着して作戦に参加してくれた。

 そのレキがいつかのかなめとの因縁の時に持ち出した対物ライフルを躊躇なくぶっ放す辺り、生半可な攻撃が通用しないと判断したんだな。人間なら完全にオーバーキルだけど。

 そして向こうにとっては少し想定外の奇襲で意識を散らしたタイミングを見逃さずに、テルクシオペーが防御に回った辺りでシャナへと距離を詰めたオレは、若干だが反応が遅れて水のつぶてを放つのが後手になったそれを先んじてサイドステップを用いたジグザグ移動で躱す。

 その間にテルクシオペーの動きをさらに封じるようにレキの攻撃の間隙を埋める形で2人目の狙撃手が狙い撃ち、攻撃に移る隙を的確に潰す。

 着弾から発砲音の到達までのタイムラグからおおよその距離を割り出すと、いま撃ったのは幸姉経由で来てもらった援軍。旧知のプロ武偵チーム、月華美迅のメンバーの1人、進藤早紀さんだ。

 あの人達もかなり忙しい部類だから期待はしてなかったが、なんとか早紀さんだけ都合を合わせて派遣してくれたのはありがたい限り。

 自ら移動しながら狙撃ができる早紀さんは今回の依頼で遊撃手として使うには十分すぎる人材で、狙撃ポイントを特定されても回避が出来るのは大きな強み。

 その移動の隙をレキと百地さんが埋められるから結果として今回の狙撃手3人構成は悪くないものだったかもしれない。

 ただやっぱり前線に1人は欲しかったよね。オレの負担よ。

 そんな援護が頼もしい一方、それも際限がないわけではなく、当然のごとく弾数に限界があるため、オレが悠長にシャナと戦い続けて泥仕合になって援護がなくなったら詰みだ。そこだけは要注意。

 そうやってシャナとタイマンさせてくれるレキ達の援護に応えるために、水のつぶてを上手く避けて懐まで一気に入って拘束してしまおうと緩急もつけて翻弄。

 オレの動きを先読みできないシャナの水のつぶてはほとんど後追いする形で当たることはなく、これならと意気込んで前へ加速。

 ワイヤーと超能力者用の銀の手錠を持って最速の拘束を仕掛けてやろうと3mまでに迫ったところで、シャナの動きに変化が。

 オレに当たらなかった水のつぶては全て後方の地面に当たって崩れていて、その水を前回は凍らされて動きを制限させられたから、一応は確認していたのだが、今回はその水が再び地面から離れて浮き上がりシャナの元へと戻っていく挙動を取る。

 その速度は前にいたオレを追い抜くもので、1m距離を縮めた頃にはほぼ全ての水がシャナの手元に戻り、それが圧縮されて水の鞭を作り出す。

 

「ふんッ!」

 

「ぬわっ! とぉっ!!」

 

 シャナには操れる水の総量が決まってるっぽいのは今のでわかった。

 ただ飛び道具主体の超能力者特有で近接攻撃が弱点が当てはまらない想定外にオレの方が慌てる事態に。

 2mとなるともう近すぎて鞭は振るえないところを、シャナは振るう力と超能力の操作で不自然すぎる軌道で鞭を操り、至近距離のオレを正面から弾き返すように動かしてきた。

 鞭の壁なんていう経験皆無な攻撃と、当たってどうなるかわからない水の鞭とで避けるしかなかったオレが急ブレーキからバック転で切り返すと、着地の足を鞭に絡め取られて引っ張られ仰向けに転倒してしまう。

 このままではされるがままになると追撃される前に単分子振動刀を抜き水の鞭を切ってくっついたりする前に距離を取ると、足首に絡みついた水はバシャッと崩れて地面を這って水の鞭まで戻っていった。

 

「近接も出来るのかよ……」

 

「私が飛び道具だけの女と侮ったのはお前の勝手だろう」

 

 確かに想定外で慌てもした。ぐうの音も出ない正論をぶつけられて苦しい。

 反論する余地もないからそこは受け入れるとしても、こうなると懐に入りさえすれば有利という前提が崩れて戦術の組む直しが必要だ。

 まだ冷静だ、落ち着け。崩す余地はある、はず。観察しろ。思考しろ。立ち止まるな。時間の猶予はそんなにない。

 今もテルクシオペーに対してほぼ絶えずに攻撃して防御に回させてくれているレキ達のおかげでシャナに集中はできてる。見えてる。もっとよく見ろ。そして考えろ。

 水の超能力の操作速度はオレの接近よりも速いから、懐に入るにはどうやっても後手になる。

 ならそれを前提として水の鞭をしのぐしかないが、果たしてあれはただの水の鞭なのか。当たって致命的なダメージを負うような何かがあれば最悪だ。

 となればもう1つの活路は、シャナの超能力を使う精神力の枯渇狙い。

 アリアみたいな色金を使う超々能力者は例外として、ほぼ全ての超能力者の力は有限。使い続ければ精神力を消耗し、いつかは発動すらできなくなるのは道理。

 これにも個体差があるから、その辺で圧倒的な力を感じるテルクシオペーは精神力の枯渇を狙えないにしても、目の前のシャナは確実にテルクシオペーよりもずっと早く限界が訪れるはず。

 集中力を削ぐことでも安定性を下げることが出来たはず。やはり動揺狙いで無駄撃ちをさせるのが得策か?

 光源がないと水というのがそもそも見えにくいから、夜空の明かりとわずかな町の明かりでギリギリ見えている状況もあり、オレはそれを捉えようと集中力を上げてシャナを見る。

 そして気づく。シャナに本来あるはずのものがないことに。

 

「シャナ。オレの見間違いか? お前、付けてないよな?」

 

「…………」

 

「沈黙……ってことは自覚があるってことか。なるほどな。だから来たなら来たで問題もない、か。それは自分自身にも言い聞かせてたわけだ」

 

「戯れ言はその辺にしておけよ」

 

「テルクシオペーはどうかわからないが、お前は今日、ここで悪い結果になっても良い覚悟で来たんだな。だから付けてないんだろ、『指輪』をよ」

 

「黙れ」

 

 この暗さではほぼ気づかないレベルのことだったが、Nにとって重要な階級を示す証明である指輪はオレの意識の中で大きく、それがシャナの指に付けられていないことに気づくことが出来た。

 ただ偶然で付けてないだけかもしれないから、そこを確認してみたら意図的なものだと反応で判明。

 そこからわかる可能性の1つが、五分だったらしいオレの待ち伏せに引っ掛かるとわかっていて来ることをNに止められながら強行し、その結果として負けて捕まっても知らぬ存ぜぬを通せと宣告されたか。

 或いはすでにNにとってシャナは不要で尻尾切りとして見捨てられたかだが、どちらにせよNにとってはシャナはそれほど手放すには惜しくない人材だってことだ。

 そんな使い捨てみたいな扱いにはシャナでなくとも怒りを覚えるも、シャナもわかってここに来ているはず。それでも戻るためにはオレ達に勝つしかない。死に物狂いで来てるんだ。

 その覚悟がどれほど固いかはシャナの表情などから読み取りにくいが、反応から気にしてることはわかった。ならそこから崩すぞ。

 

「Nはもうお前の成否なんて気にしてないんだろ。テルクシオペーが付いてきたのは……それはある程度で予想がつくからいいか。戦況が悪くなったらテルクシオペーはお前を見限ってでも撤退するんだろうが、そんな状況になるかもしれないのに来るなんてな」

 

「……あの人が困ってるかもしれないなら、放ってなんておけないじゃない。それもこれもお前があの日、ここに来たから狂った」

 

「オレが来なくても近い未来にICPOが、MI6がお前を見つけていた。狂ったのはオレがここに来たからじゃない。お前がNになんて加わったから……」

 

「その口を閉じろ人間風情が!」

 

 自分の状況を理解しているからこそ、その事実を他人に突きつけられると苛立つ。

 そうなるとわかってて飛び込んだ自分の愚かさを客観的に見れば見るほどバカなことをしていると理解でき、意識と行動の不一致で心が揺れる。

 話せばどんどんと人間らしくなっていくシャナはやはり元人間。いや、身体の構造こそ変わったのかもしれないが、心はまだずっと誰よりも人間なんだ。

 そんなシャナとクエレブレの関係にテルクシオペーは興味を持って来たんだろうな。あれはシャナよりずっと分かりやすい。種族の壁という共通項もあるし。

 それで激情を煽られたシャナは水の鞭を再び水球へと変え、今の激情を乗せたようなつぶてがオレを襲う。

 しかし激情任せな攻撃はオレの動きを読んでいるわけでもない単調なもので、避けるのはそう難しくなかった。

 

「お前はクエレブレを崇拝……思い慕うあまりに、クエレブレ本人から本音を聞くのを躊躇った!」

 

「何を!!」

 

「自分勝手にクエレブレのためと行動し暴走した結果が今だ! それを認めるのが怖いんだろ!」

 

「黙れぇぇぇえ!!」

 

 ここまで感情を揺らせば超能力にも乱れが生じる。

 それはまず間違いなく水のつぶてにも現れ、つぶての速度は上がったが放たれる圧力が、脅威の度合いが落ちた。

 おそらく密度や圧縮率に差が出ているんだろうが、これなら当たっても数発なら問題ないかもしれない。

 と、オレの方がよほど余裕が出てきたのは事実なはずだったが、シャナの場合は激情すらも力に変える才能があったのだ。

 単調に狙って放たれた水のつぶては確かに容易に避けられたが、オレの周囲にまばらに着弾したせいでいつの間にか地面は水浸し。

 それを狙っていなかったのはわかっても、利用されるとは思わなかったオレは、両腕を左右にバッと広げて、それに連動するように地面の水が持ち上がり、いくつもの水のカッターを作り出しオレの周囲を取り囲むと、左右の腕を前へとかざしたのと同時に逃げ場なしの水のカッターが一斉にオレを襲ってきた。

 ──やべぇ……避けられない……



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Slash58

 

 全方位から迫り来る水の刃。

 その1つ1つが着ている防弾制服の防刃性能を上回るのは、高速回転が発する高音から明白。

 逃げ道は、ない。いや、ないわけではないかもしれないが、たとえ避けられてもおそらく五体満足ではいられないだろう。

 正直あそこまで平静を失ってこの精度の超能力を操れるのは想定外だった。

 ほころびが出るのを期待していたオレにとって、この状況は悪い方向に転んでしまったし、死の回避も最悪に引っ張られて嫌な対応を取ってしまう。

 水の刃はシャナの左右に広げられた両腕が前でクロスするように振るわれる動きに連動するのは明白。

 加えて今、シャナが操る水は全てオレへの攻撃に用いられ、シャナを守る余剰分はないように見えた。

 だから死の回避もシャナの動きを『確実に止めるため』に懐のブローニングをクイックドローし、その額へと銃弾を撃ち込もうとしたのがわかってしまった。

 シャナはクエレブレの血で身体を作り変えられて餓死や病死のない長命になったとはいえ、完全に死ななくなったわけではないから、銃弾が額に命中し脳にダメージを受ければ、人間同様に致命傷となり得る。

 武偵法9条で殺人を禁止されているオレにとってこの動きはなんとしても止めなきゃならないが、完全に止めればオレが死ぬかもしれない。

 

「……ここまででいい」

 

 通常のオレは自分が発動させる死の回避を止めるために身体にかなりの負荷をかけてしまうから、止めたら最後、無防備を晒して水の刃で八つ裂きにされる。

 だが今回は驚くほどに冷静な頭がそこまでの行動を予測してくれて、ブローニングをクイックドローしてシャナの額に照準し発砲するまでの動作を修正する余裕があった。

 その負荷はほとんどなく、オレがしたのは額に照準された狙いをシャナの肩辺りに命中するようにズラしただけで、シャナにとっては予想以上のクイックドローだったか、発砲した時には反応が遅れて動きも止められていなかった。

 

「ぐっ!」

 

 その結果。オレの放った銃弾はシャナの右肩に命中し、水の刃を動かす動作を強引に遅延させることに成功。

 1秒となかったかもしれない猶予で、わずかばかりに水の刃の回転も鈍ったのを確認しつつ、即座に単分子振動刀でいくつかの水の刃を切り裂き無力化。

 そこに出来た隙間に飛び込んで包囲網から抜け出すと、直後にはオレのいた場所は元の殺傷力を備えた水の刃が殺到して殺意を撒き散らした。

 

「……っぶね……」

 

 回転受け身を取りながら単分子振動刀とブローニングを納めリカバリーして立ち上がり、また1つの水球となった水を見てから、撃たれた右肩を押さえるシャナに視線を移すと、ちゃんと赤い色をしていた血が腕から手へと伝っているのが見える。怪我は、治せないみたいだな。

 

「人間風情がこの私に血を流させるとは……」

 

「こっちは殺しそうなのを止めてるんだ。怪我の1つくらい大目に見ろ」

 

 その代わりに無人島でテルクシオペーがやっていたような水を使った止血は出来るようで、忌々しそうにオレを見ながらしっかりと右肩に水を纏わせて止血したシャナは、滴り落ちた血や左手にべっとりと付いた血を残さず水で掬って混ぜ合わせ、わずかばかりに濁った水が水球となって浮く。

 その行為に何か意図的なものを感じたオレは、血を流したことでいくらか冷静さを取り戻してしまったシャナが身に纏う殺意を高めたのを察知。

 

「お前はもう、私があの人から血を分け与えられたことを聞いたのだろう? なら私の身体を流れる血もまた、それに応じて変質しているとは思わないか?」

 

「……おいおい、まさか……」

 

「あの人のような劇薬にはならないし、変質も起きはしないだろうが、身体に入れば拒絶反応が毒のように蝕み、中をズタズタにするだろうな」

 

 ゾワッ、と、それを聞いた瞬間にオレの全身の感覚器官が警鐘を鳴らし、一気に血の気が引く。

 あの水はもう人間に対する毒。触れることさえ危うい上に液体という変幻自在の物質だ。

 それを異常なほどに警戒するオレの身体は今すぐこの場を離れろと訴えてきていて、何故こうも逃げ腰な姿勢になるのかと頭が理解に努め、わかった上で決断しようとする。

 が、その理由はすぐにわかってしまった。

 シャナの血を含んだ水球は頭上へと掲げられると、見た目からはほとんどわからないほどの表面が波打つ微振動を始める。

 振動こそ小さいが、それは振動の波が小さいだけで、ハチドリのホバリングのごとく秒間何百、何千回と振動しているのがわかり、それだけの振動を与えることで表面から少しずつ水が分離して空気中に霧散するんだ。

 そして霧状になった水は周囲へと広がり、呼気や皮膚に吸引、或いは吸着して体内へと侵入する。そうなれば……

 

「ウィルス兵器かよっ!」

 

 空気感染などと同等の効果を得た毒は避けようがない。

 対策はとにかく離れること。幸い、シャナが操る水の総量は直径3mほどの水球だったから、それを霧状に霧散させたとしてもシャナの半径100mも離れれば毒の範囲からは逃れられるはず。

 よく見ればシャナも繊細な超能力のコントロールをしているのか、その表情にいくらか余裕の色はないが、こっちの攻撃に防御を回すだけの余力はあるな。キャンセルは難しい。

 止められないなら逃げるしかないと心と身体の動きが一致したオレは、現在進行形で霧散されていく毒霧を吸い込んだりしないために全力で逃走。ほぼ無風とはいえ風向きも向かい風の方向へと走ればいくらか霧も影響を受ける、はず……

 もっと言えばクエレブレへの奉納品を用意してくれているビオドの町の人間を無闇に殺しでもして、クエレブレの今後に悪影響を与える可能性がある以上、オレがビオドの町まで逃げればシャナは手を出せない。

 そこまで考えての逃走で迷いなどなかった。が、誤算があったとすればオレがビオドの町に向かい灯台の方へ背を向けた瞬間。

 そちらからゴゴゴゴゴ、とうねりを上げてせり上がる何かを察知し走りながらチラッと後ろを見ると、今までレキ達が抑えてくれていたテルクシオペーが海水を巻き上げて巨大な水球を発生させていた。

 その水量はレキの対物ライフルすら通さない圧倒的な量で、その水球の中に姿を隠したテルクシオペーには現状、誰も手が出せなくなってしまっていた。

 あれもまた膨大な精神力を消耗するから出し惜しみしていたんだろうが、このタイミングで使ってきたことにこの上ない恐怖を感じていたら案の定、水球の中で動いたテルクシオペーが別の海水の塊を海から引き上げて陸へと移動させる。

 その海水の塊はオレとシャナの間ほどの位置でバシャリと弾けて広がり、逃げるオレの先を追い越してドーム状に落ちてきて、大きな水の膜が形成される。

 それだけならまだ!

 ドームの半径は50mあるかくらいで、その縁辺りにいたオレはシャナの毒水ではないならとそのまま突き破るため加速。

 しかし水の膜はオレが体当たりする直前に一瞬にしてビキビキビキィ! ジャンヌのオルレアンの氷花のような瞬間凍結により氷と化し、オレの体当たりすらものともしない強度で立ち塞がってきた。

 厚さは5cmはある。ムラもなさそう。穴も……ない。マズい!

 直径では100mほどあるとはいえ、密閉空間に閉じ込められたことには変わりなく、今も毒の霧を発生させるシャナがその範囲を広げていく。

 このままじゃ1分と待たずにドーム内に毒の霧が充満して耐性のないオレだけがダメージを負う。いや、最悪死ぬ。

 死の回避も歩み寄ってくる死にいつ反応するかわからないし、そうなったら今度こそシャナを撃ち殺しかねない。

 それ以前にオレの発砲を警戒して拳銃が通用しない可能性の方が高いか。

 とにかく毒の霧を逃れるためにはこの氷のドームを脱出するかシャナを無力化するしかないが、どちらもオレ1人では突破口が見えない。

 それでも思考を止めずにいると、氷のドームの外からガンガンガンッ! 3発の銃弾がほぼ同時に別々のところへ着弾。

 レキ達が異変を見て即座に破壊を試みてくれたようだったが、氷の壁はほんのわずかに削られた程度ですぐさま修復されてしまっていた。

 ならばと今度は3人が示し合わせたか、ほぼ同じ箇所に同時に着弾させてみせたものの、ピシッ、といくつかの小さなヒビを入れただけに留まる。

 あれでは到底破壊は無理だと悟り、もう地面に穴を掘ってでも抜け出すしかないかと悪あがきに走りかけた時。

 ──ドガァァァアン!

 氷の壁を隔てた向こう側で武偵弾と思われる炸裂弾が壁に直撃し爆炎を撒き散らす。

 物理的に無理なら解かそうという魂胆だったのかもしれないが、燃え盛る炎をものともせずに立ち塞がる壁は1cmも薄くはなってくれていない。

 

「無駄なことを」

 

 それを見たシャナもテルクシオペーの超能力の強さを知ってるからか、突破されないとわかりきった嘲笑を浮かべて、いよいよ毒の霧も逃げ場がなくなってきた。

 ただオレはシャナの嘲笑を聞きながらも、わざわざあの高級な武偵弾を無駄撃ちするようなことを3人がするはずないと冷静に考察して、オレが何かをすべきなのかと考えを巡らせる。

 そして炸裂弾の炎がその威力を落とし始めた瞬間、その炎を突き破って1発の銃弾が氷の壁を撃ち抜いてシャナの近辺の地面に着弾。

 あまりにロスがなかったその銃弾の軌道には、銃弾の幅のみを残した穴が壁に穿たれて存在し、その威力から徹甲弾(ピアス)と判断。

 だがそれだけではオレが反応したところでこの氷のドームを抜け出すための手としては浅い。正直どうにもできないぞ。直径1cm程度の穴では広げるより先に再生が間に合ってしまう。

 事実、氷の壁に空いた穴はすぐに再生を始めて、オレが動くより遥かに早く再生を完了させてしまう。

 が、その再生の時間に再び外から銃弾が飛来し、徹甲弾が作り出した穴に寸分の狂いもなく、針の穴に糸を通すような精密な狙撃でドーム内に銃弾が通過して着弾。こんな神業はレキにしかできない。

 地面にぶつかった銃弾はこれも武偵弾で、炸裂弾とは違った燃焼を周囲へと撒き散らし始める。

 この燃え方は焼夷弾(フレア)か。炸裂弾は弾自体に爆発力を内包してその威力で対象を攻撃する武偵弾だが、この焼夷弾は弾自体に殺傷力はあまりなく、燃焼を助ける薬品が内包されているから、それで周囲を焼き殺す弾だ。

 焼けないにしても一酸化炭素中毒に陥れることも出来るから、密閉空間であるこのドーム内では絶大な威力を発揮するだろうが、閉じ込められてるオレもヤバイんですがね……

 さすがに焼夷弾1発でこのドーム内の酸素を全てどうこうできる燃焼は起きないはずだが、生憎とレキが撃ち込んだ場所の近くにはクエレブレへの奉納品という絶好の延焼材料があり、火に薪を放るがごとく炎はそっちに引火。

 炎と毒の霧の地獄のような光景に目眩がしてきそうになりながら、燃焼によって毒の霧が蒸発しドーム内に広がるのを阻害してくれているのがわかり、オレの脅威は一酸化炭素中毒だけになってくれているのはせめてもの救いか。

 シャナも焼夷弾による燃焼は苦しいのか、その場から離れるような動きを見せていたが……

 

「ああっ!」

 

 クエレブレへの奉納品に引火した途端に毒の霧を発生させるコントロールも解いて元の毒水へと戻し、奉納品が燃えるのを自らの水を使うことで防ぎ始めた。

 気配からもその必死さはしっかりと伝わり、この瞬間にはオレへの警戒すらもほとんどしていないほどの隙を生じさせるシャナに、オレはどうすべきかをほんの少し悩んでしまった。

 氷のドームがある以上はテルクシオペーの介入はないと見ていいし、毒の水も消火に全て使っているなら防御も皆無だろう。

 だが今シャナが生じさせた隙は、ひとえにクエレブレへの愛情が生み出した産物であり、非情な人間でなければ誰しもがためらう場面だ。

 ……違う。そうじゃないぞ猿飛京夜。シャナを止められるならこのチャンスを逃す方が大きな痛手で、これを逃せばオレはまた毒の水の恐怖に怯えることになるんだ。

 せっかくレキ達が作り出した1度きりのチャンスを棒に振るのか。答えは否!

 ──だから……行け!

 ドーム内の酸素も消費させられてるから、大きく息を吸って体に酸素を取り込み、最小限の動きで無呼吸動作へと移ったオレが、消火に勤しむシャナめがけて突進。

 ……したが、そのシャナをスルーして奥に位置するクエレブレの奉納品へ一直線に駆け、上着を使って消火に入る。

 

「違う! 着火点付近の火を消せ! 燃焼を促進する薬品の燃焼を完全に止めろ! そうすりゃ延焼も止められる!」

 

 あー、何やってんですかオレは。

 まさかの割り込みにシャナも面食らって動きが止まってしまったが、オレが嘘を言って動いてるわけではないと理解はしたのか、すぐに指示通りに水を操作してレキの焼夷弾の消火に集中し、オレもまだ被害が少ない奉納品を必死に守る。

 シャナの操る水は焼夷弾の着火点を覆うように渦を巻いて範囲を狭めて一気に消化し、それによって奉納品への延焼もいま燃えてるだけのものを消すだけで簡単に消化することができた。

 呼吸もドーム内にまだ十分な酸素があり一酸化炭素中毒の心配がなさそうなのを見越して呼吸を再開。

 それから残りの火を2人で消して焼夷弾の脅威が完全に無くなったところで、落ち着きを取り戻したシャナが残った水を手元へ戻しつつ、上着を着直したオレをまだ距離を取りながらまっすぐに見てくる。

 

「何の真似だ」

 

「……オレにもわからん。あえて言うなら、クエレブレを困らせたかったわけじゃなかったってところか。もしクエレブレの加護が消えたら、このアストゥリアス州の人達の生活を脅かしかねないしな」

 

「他人事だろう。綺麗事だ。敵を目の前にしてやることではない」

 

「それをお前が言うのかよ……」

 

 シャナの立場からすれば至極当然な問いかけに対して、自分でもバカだなぁと思いながらそれらしい理由を後付け。

 本当は非情になりきれなかった甘さゆえの行動だったが、今回の案件を解決に導く上でなんとなくあそこでシャナを拘束するのは違う気もしたのは事実なんだ。

 この選択がどういう結果を出すかはまだわからないものの、敵を前にしてって意味でシャナも人のことを言えたものではないと返せば、ぐっ、と言葉に詰まりわずかばかり表情を恥じらいのそれに変えて顔を逸らす。

 

「……礼は言わん。殺すことにも変わりはないぞ」

 

「だろうよ。オレもやることは変わらない。お前をクエレブレの元に帰す。それだけだ」

 

 それでも感謝はしなかったシャナはすぐに切り替えて仏頂面へと戻ると、毒の水をいくつかの水球に分けて操作。

 おそらくさっきの超振動による霧は精神力の消耗が激しかったんだろうな。使えば近寄る隙も与えないし……というか防御に回せるだけの水の量が無くなったと見ていいのか。

 厳密には蒸発した水はまだこのドーム内に存在するから、氷のドームによって冷やされれば水滴になってシャナのコントロール下に戻るように思えるが、そうならないならシャナの超能力には何らかの操作可能条件があるのか。

 単に弱っているだけと捉えることはできるし、こちらの油断を誘う罠の可能性も考慮して何かされる前に制圧すべきと判断。

 毒の水に触れずにシャナを倒すには、シンプルにシャナの水の操作がオレの動きに追い付かなければいい。

 そうした状況を作り出すためにオレが出来る唯一の策は、懐に忍ばせている閃光弾。

 それを取り出す動作をすれば警戒されただろうが、すでに動作は上着を着直した段階で完了している。

 着直した際に閃光弾を左袖に通して肘で止め、シャナが先に動く前にクナイを取り出す動作を右手でやって視線をそちらへ誘導。

 同時に左肘を伸ばして閃光弾を滑り落とし、流れるようにピンを抜き地面に落ちる寸前で炸裂させる。

 ほとんど動作なしで行ったため、オレが目をつむる瞬間にもバッチリ目を開けていたシャナが目を眩ませたのは確実で、目を開けてすぐにシャナが反射的に手を顔の前に構える防御姿勢になっていることを確認。

 血を流すような傷を加えるとこっちが毒にやられるので、超能力者用の銀の手錠を取り出して駆け、視界が戻る前にと決着を急ぐ。

 しかしシャナもオレが接近してくるのを察知して、毒の水を細い縄状にして新体操のリボンのように体の周りを周回するように動かし触れられないようにしてきた。

 絶対に捕まってたまるかという強い意思を感じるシャナの抵抗は、あと10秒もしないうちにオレへと向ける殺意に変わる。

 そうなったら勝ち目はほぼないため、直接触れずとも手錠をはめられる手段としてミズチのアンカーの先に手錠をくっつけて射出。

 腕を振ることで軌道を修正して、不幸中の幸いと言うのか、水の縄を動かす右手が頭上に掲げられて固定されてるそこを狙う。

 手先の繊細なコントロールには自信があるから寸分の狂いもなくシャナの手首に手錠がはまる軌道に乗せ、凪ぐような手錠はシャナの手首にガッチリはま……

 

「ぐぇっ、マ、ジかよ!?」

 

 る寸前にシャナの後方。氷の壁の向こう側からテルクシオペーのピンポイントな水の弾丸の狙撃が襲いかかって、ワイヤー付きの手錠が弾かれてしまう。

 そりゃ自分で作ったドームに小さな穴を作るなんて造作もないだろうけど、ここまで精密な狙撃をできますかそうですか。

 だからといって諦めるほど根性なしではないぞ。

 弾かれた手錠が地面に落ちる前に弛んだワイヤーを張り直すため体をその場で回転させて手錠を360度回して再度トライ。

 次弾を撃ち込むには時間もあっただろうが、今度は左手にブローニングを抜きさっきの軌道上に狙いを定めて撃ち落としに備えた。これでチェック……

 ──ピューン。

 メイトぉぉぉ……とはならず、テルクシオペーの狙撃に撃ち落とされるでもなく、ミズチのアンカーの粘着力がギリギリ持たず、300度辺りで取れてしまって明後日の方向へと手錠がさようならしてしまった。

 …………やっべ。これ詰みじゃね。

 完全にオレとテルクシオペーが目を点にした珍事で時間すら凍結した感覚があったものの、何が起きてるかを理解していないシャナは依然として水の縄を回し続けて、ついに視界も元に戻ったような気配でオレを捕捉してきた。

 いよいよヤバいぞ。手は残ってるには残ってるが、最終手段は使いたくないから最終手段なのであって、いま使ってもテルクシオペーが邪魔すぎる。

 レキ達もドームのせいで牽制ができないみたいだし、どうすれば……

 手詰まり1歩手前な状況に陥ってパニックになってないのは成長だが、活路を見出だせなきゃ意味がないんだよ!

 そして無情にもシャナの視界が完全に元に戻って、その水の縄が密度を上げて短くなり鞭へと変貌。

 来る。来る。来る!

 膨れ上がる殺意に当てられて体も硬直しかけてしまったのをギリギリで叩き起こして迎撃に備えて、シャナが1歩踏み出そうとしたその時だった。

 オレとシャナの真上。ドームの頂点に不意にドン! と何かが落ちてきた音が盛大にして、2人して動きを止めて頭上をバッと見上げる。

 するとそこには、ゴツいパイルバンカーみたいな装備を構えたMI6の007。サイオン・ボンドが今まさにこのドーム内に侵入しようとしていた。



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Slash59

 

 ──ズドォオオン!

 とてつもなく重い衝撃音が氷のドームの天辺から轟く。

 何の前触れもなくオレとシャナが入る氷のドームの上に降り立ったサイオン・ボンドが撃ち下ろしたのは、人が本当に持ち上げられるのかというレベルのパイルバンカー。

 そのパイルバンカーから勢い良く射出された杭は氷のドームの天辺に突き刺さって、そこから放射状に大きなヒビを入れ、仕上げとばかりに杭を撃ち終わったパイルバンカーを放ったサイオンが1番の負荷がかかったはずの半ばまで突き破った杭を謎の超パワーで蹴り貫通させる。

 落ちてきた杭を避けるためにオレとシャナは距離を取るようにバックステップして場を仕切り直させられ、氷のドームも天辺の一部が再生が間に合わずにサイオン1人なら通れるだけのスペースを与えてしまっていた。

 その穴を躊躇なく飛び降りて再生されつつあるドームの天辺付近に自前の小型アンカーを撃ち込み、悠々と地面に転がる杭のそばにオレへ背を向けシャナを正面に据える形で着地。

 その鮮やかすぎる登場に唖然としている場合でもなかったオレは、唯一とも言えるチャンスを逃すまいと再生する天辺に向けて十字手裏剣を1本だけ投げ上げる。

 位置的にサイオンが被ってシャナにはその動作が見えてなかっただろうし、手裏剣も黒塗りだから闇夜に紛れて気づかれなかったと信じて、投げ上げた手裏剣がドームを抜けていき、その先で1度だけ弾けたのを確認する。

 弾けたのは手裏剣をレキが狙撃したからで、そんな意味のない行為を何故するのかと言えば、あの手裏剣の中心には小型の煙玉が付けられていたのだ。

 しかも白ではなく真っ黒な煙で闇夜でばら蒔かれても普通なら近くでなければ見えないほどのもの。

 この1手がオレの隠し玉。効果を発揮するまでには若干のタイムラグがあるから、それまでオレは時間稼ぎを……

 

「お前は騒動の中心には必ずいるな、猿飛京夜」

 

「……お前もイギリスからはるばるご苦労様だな」

 

 必殺仕事人の登場はシャナとテルクシオペーにとっても厄介らしく、オレの時とは違って即座に攻撃してくることはなく、そのわずかな時間の猶予で振り向かずにオレに話しかけてきたサイオン。

 おそらくサイオンが百地さんの呼んだ戦力だろうな。タイミング的にも図って来たってわけでもなく、急いで来た感じがなんとなくわかる。

 だがどうだろうな。状況を変えてはくれたものの、面倒臭いことにもなった。組織の人間は融通が利きにくいからなぁ。

 こっちとしてはシャナの確保は共通の目的としてあるしサイオンと共闘は出来るだろう。

 しかしそのあと、シャナを確保してからは、おそらく揉める。確実に揉める。そして圧し負ける。個人で国には勝てないから。

 有無を言わさずにシャナを連れていかれてはクエレブレの依頼を失敗したに等しい結果になるから、それだけはなんとか防がないとと思いながら、明らかに荷が重いと感じているのかシャナも攻める意思がどんどんと小さくなっていくのがわかった。

 それに氷のドームもテルクシオペーの意思で穴を開けられるなら、シャナだけを外に出してオレとサイオンだけを閉じ込めることも十分に可能と見ていい。

 その可能性にはサイオンも鋭い洞察力で気づいたようで、逃走を許さないためにオレと2人で挟撃しようと動き出す。

 

「サイオン! 奴の操る水には触れるな!」

 

「毒か何かだな。了解した」

 

 来たばかりでシャナの情報を持たないサイオンにそれだけの助言をして、本格的な逃走に移ったシャナの背後を取ろうとサイオンが人間離れした動きで駆けるのを見つつ、シャナをドームの中心付近に誘導するためにオレもサイオンと直線上で繋がるように移動。

 その際に凡ミスでドーム端に吹っ飛んでいた超能力者用の銀の手錠を回収して懐に仕舞う。

 シャナももう全身をカバーできるほどの水を操作できないから水の鞭でオレとサイオンを牽制するが、近づかないオレはいいにしても攻撃までしようとしてるサイオンは当たるリスクを冒して避けながら距離を詰めている。凄すぎて意味わからん。

 時折あり得ない挙動での回避をしてシャナを惑わし、その隙に1歩ずつ距離を詰めるサイオンの圧力は対面するシャナの表情からもハッキリとわかる。

 気づけばドームのほぼ中央に誘導されたシャナが半身になってオレとサイオンを警戒する形が完成し、消耗もあるシャナではオレはともかくとしても万全のサイオンを相手に強い手は使えないはず。

 どちらにも警戒の比重を傾けられない以上、神経をすり減らすしかないシャナにはもう攻撃は不可能。あとはサイオン任せでも片はつくが、それだとサイオンが過剰にシャナにダメージを与える可能性が出てくる。それは1番あってはならない。

 

「サイオン、シャナの血は猛毒だ。手荒な真似はやめてくれ」

 

「その毒があの水に混ぜられたわけか。面倒な女だ」

 

「面倒なのはどっちだMI6! コソコソと我らを嗅ぎ回ってはうろつくハイエナが!」

 

「それを恥と思い逆上する程度の人間は我々の中にいない。そしてハイエナは横取りの象徴のように揶揄されるが、実際はライオンや虎などよりよっぽど真っ当な狩りをする。つまり我々もそうだ。常にベストな選択をし成果を出す」

 

 一転して追い詰められる形となったシャナが感情的なのに対して、努めて事務的な無感情で対応するサイオンに一切の隙はなく、血を流させられないと理解して物理的に戦闘不能な状態に持っていこうと接近戦に移行しようとする。

 ただオレはシャナが意味もなく追い詰められてはいないと勘繰っていたため、サイオンの位置がオレとでシャナを挟撃しているのと同時に、氷のドーム越しではあるがテルクシオペーとで挟撃されていることに気づく。

 そして予想通りサイオンの後方の氷のドームの壁に小さな穴がいくつか音のなく開いて、そこから殺傷力の高そうな水のつぶてが飛来。

 わかっていたからこそオレは明らかな視線誘導でサイオンに危険を知らせ、サイオンに状況確認のために一瞬でも振り向かせて隙を生じさせて、そこをシャナに狙わせる。

 千載一遇のチャンスを逃すまいと顔を逸らしたサイオンに毒の水を飛ばそうとしたシャナだったが、さらにその攻撃の隙を見逃さなかったオレが再度、ミズチのアンカーで手錠を飛ばして振るわれるその手首にガチンッ! ギリギリではめることに成功。

 手錠には特殊な文字やら模様が直接掘られていて、近くに存在するだけで魔術的な力はかなり封じ込めることが可能らしく、シャナも手錠をはめられた瞬間に水のコントロールが不安定になって止血をしていた肩の水ごとその場にバシャシャッ、と力なく落ちて弾けてしまった。

 さらにサイオンも後ろから迫った水のつぶてを真正面から蹴る殴るの物理的な手段で防御して全くの無傷で、シャナへの警戒もちゃんと残して半身で処理しきった。やっぱり化け物は違うわ。

 

「ぐっ……こんなものぉ!」

 

 得意の超能力を封じられて肩からの血も再び流れ始めて、そこで意気消沈してくれれば良かったのにまだ諦めないシャナは、忌々しい手錠を見て隠し持っていたらしいナイフを取り出して、ほぼ迷いなく自分の手首を切り落とそうと振りかぶる。

 が、そんなことをされればシャナと言えど死なないとは言い切れないし毒も濃度が増して手に負えなくなる。

 だからオレもサイオンもその行為を止めるべく動き、やはり初動すら速いサイオンがナイフが振り下ろされる前に蹴って阻止。

 最後の足掻きを阻止されて今度こそ意気消沈したシャナに、ダメ押しするようにサイオンが手錠をしっかりと前で両手にはめて拘束。

 

「お前はMI6でその身柄を拘束する。Nについても知っていることは話してもらう」

 

「…………」

 

 これでシャナはほぼ無力化したと見てよさそうだし、テルクシオペーもこの状況からシャナを助け出すのは無理と判断して撤退するはず。

 氷のドームもテルクシオペーの撤退と同時に解けると信じて、一応は攻撃の警戒をしつつサイオンとシャナに歩み寄る。

 

「協力には感謝する。ただシャナを引っ張るのは待ってくれないか」

 

「猿飛京夜。お前は賢い男だと認識していたが?」

 

「言いたいことはわかる。だがオレも譲れないんだよ。ここでシャナを連れていかれたら依頼が失敗ってことになりかねない」

 

「お前の依頼とやらが何かは知らないが、それとイギリスを天秤にかけてもそちらに傾くほどのものなのか? 答えはノーだろう? 表情を見ればわかる」

 

 力なくその場にぺたりと座り込んでしまったシャナに高圧的なサイオン。

 今後のシャナの身柄について決定事項のように話したサイオンだが、このまま黙って引っ張られては困るのも事実。

 どうにかしてMI6にシャナを持っていかれない案を練り出さなきゃならないが、この堅物をどう説得するか。

 

「そっちにシャナの口を確実に割らせる手段はあるのか? もしないならこっちに委ねてみないか」

 

「それこそ同じことを返そう。そちらにそんな手段があるのか? あるなら提示してみせろ。でなければ議論の余地はない」

 

「それはまだわからない。だがシャナがこうまでして、こうなるかもしれない可能性を知っていてここへ来たのには、ちゃんとした意味がある。お前には理解できないかもしれないがな」

 

「意味?」

 

 MI6はシャナがNについての情報を口にするまで絶対に拘束を解いたりしないのは明白。

 事によってはNの壊滅まで拘束が続き、それがいつまでかも見当がつかない以上、シャナをサイオンに引き渡せない。

 その意思がサイオンに伝わったのか、本来なら味方であるはずの存在から徐々に敵対する存在へと変えられていく。

 これは高くつくぞ、クエレブレ。

 

「どうしてもつれていくってことなら、仕方ないんだよな」

 

「やめておけ。お前では俺に勝てない」

 

「……勝つ必要は、ないかもだが……」

 

 もう衝突は免れないと悟り、ゆっくりとサイオンから離れたオレは、構えもしないのに圧倒的なプレッシャーを放つイギリス最高峰のエージェントに、最初で最後であってほしい喧嘩を売ってしまった。

 

「所詮は武偵。物事を金で決める輩というわけか」

 

 勝ち目は、ない。だが敗北の道も倒れない限りはない。

 その瞬間までオレもどうなるかわからないが、とにかく時間を惜しむようなサイオンをこの場から離させないように足止めに徹する。

 テルクシオペーも空気を読んでくれ。氷のドームがあるだけで今は安心す……

 集中はしていた。それなのに意識の外側から不意に死の回避が発動してオレの頭が右側に傾き放たれた銃弾を避ける。

 これは前にもあったな。殺意なき銃撃。呼吸するように発砲するから予兆も何もない戦慄の一撃。

 威嚇で済んでいたあれが今、確実にオレに向けて放たれたのだ。その証拠にサイオンの垂れ下がった右手にはいつの間にか拳銃が握られている。

 抜いた瞬間すらわからなかったぞ。どんだけ撃ったらあんな銃撃が出来るんだよバカか!

 戦力差は今のを見ても一目瞭然。これで一撃死。或いは戦意喪失すればよしとしていたっぽいサイオンだが、オレの目が死ななかったことから戦闘を続行。

 オレの死の回避にいち早く気づいたか即死コースではなく手足を狙って動きを止める方向にシフトしたのを視線から察して、すでに抜銃されている状態ならと集中力をさらに引き上げて殺意なき銃撃に備える。

 指1本の動きさえ見逃さない自信がある集中力で構えていた。だからなのか戦闘中の基本である相手の全体の動きを見るのが疎かになったオレの隙を見逃さなかったサイオンが無音動作で急接近して強力な蹴りを放ってきた。

 なんとかギリギリのところで手を滑り込ませて、わずかばかりの発勁を足にお見舞いして盛大にバックジャンプしダメージを軽減……してもいってぇなオイ!

 靴の上からだったから発勁も大した意味はなかったみたいだし、着地の前にまた頭を撃たれるしで嫌になる。集中力が持つか心配。

 

「今回は金で雇われたわけじゃないけどな」

 

「同じことだ。対価を求めて仕事に応じる。そこに忠誠はない」

 

「お前みたいに忠誠だけじゃ食っていけないんでね」

 

 強がりでも余裕があるように見せることでゴリ押ししてくるのを抑制しつつ、わずかでも会話を長引かせる作戦を仕掛けるも、話しながらでも手を緩めないサイオンは死の回避の反応速度を警戒して狙いを足。つまり機動力を削ぎに来る。

 CQCを仕掛けてきながら右手にはしっかりと拳銃を持つサイオンのガンカタはその全てが超一流。

 フェイント1つでも本気でガードか回避をしなければやられると理解させられる圧があってまんまと釣られ、鋭く振り下ろされようとした左の手刀を堪えるために踏ん張ってガードを上げた瞬間に右の拳銃がノーモーションでオレの太ももを強襲。

 防弾だから貫通はしなかったものの、至近距離からの銃弾はそれだけで悶絶ものの痛みを伴ってオレの膝と心を折ろうとしてくる。

 さらにオレが怯んだ隙にフェイントだったはずの左の手刀が容赦なく振り下ろされて片足の踏ん張りを失っていたのもあって意図も容易く地面に膝をついてしまった。おっもてぇな……コラ……

 やりたい放題なくらいの実力差からか、さっさと片付けてしまおうという意識が動きの中に見えたサイオンが膝をついたオレに回し蹴りを放って側頭部を狙い、食らえば1発でノックアウトなそれを腕でガードするも、その上から威力で真横へと面白いように吹っ飛ばされてしまう。

 ここで地面に倒れたらヤバいと確信していたオレは、吹き飛んで1度は地面をバウンドするも、その勢いを殺さずに体を操って起こし両足で着地。

 想定していたようなリカバリーにサイオンもわずかに嫌な顔をするも、すでに機動力を削がれたオレが反撃に出るだけの速さを持ち得ないだろうと最速の蹴りをお見舞いしに来る。

 ──ここしかないよな!

 手負いのオレにどれ程の警戒をするかが懸念だったが、シャナの逃走の恐れがある以上は時間をかけられないんだろ? わかるよ、その心理。

 オレもサイオンとぶつかり始めた時にはもう気づいていたからな。テルクシオペーが海側に近いドームの壁の一部。

 シャナ1人分が屈めば通れそうなくらいの小さな穴を開けていたことを。

 気づかれないように完全に開けるんじゃなくて、かなり薄くしてぶつかれば割れそうなくらいにしていたようだが、シャナにも動きを強要する以上は異変には気づける。

 いつ走って逃げ出すかわからないから、サイオンもそれを邪魔する形になってるオレの排除を1秒でも早く済ませたい。だから必ずどこかに焦りという付け入る隙が生じる。

 足に力が入りきってない体勢を作っていたオレに対してフェイントなしで正面から撃ち込みに来たサイオンにあえて前へとよろけて懐を隠し、見えづらいところから右手で単分子振動刀を抜き放つ。

 腕の1本くらいはもらっていくつもりで抜き放ったオレの起死回生の一撃は、常人なら手首から先を失っていただろうが、化け物じみた反射神経を持つサイオンはこれを回避。

 抜き放ったオレの右手が振り抜かれるより早く、手刀で手首にスタンガンでも仕込んでるのかという一撃を加えて単分子振動刀を握らせてもらえなかったんだ。嘘だろ……ってな。

 空を切る形となった腕は握力すら一時的に失っていたものの『こうなるとわかってた』なら出来ることはあって、始めから単分子振動刀を握るつもりがなかった右腕を振りサイオンの視界を一瞬だけ遮る。

 その一瞬で左手の逆手で単分子振動刀を抜き、下から上へとまっすぐに切り裂く。

 ここは正直、腕に傷でも入ればいいくらいの一撃で放ったが、やはり戦闘のプロは次元が違うらしく、ほぼ見えなかったはずの一撃を急ブレーキでスウェーし射程ギリギリに留まって頬をわずかに切りつける程度で終わる。

 だがここでサイオンは攻撃に移るための溜めが必要になったのを見逃さなかった。

 その溜めが完了するより早くガクつく足を黙らせて渾身の回し蹴りを横から叩き込む。

 さすがに息もつかせぬ三連擊ともなるとサイオンでも防戦に回ってくれて、しっかりとガードはされたが若干でも後退させることは出来た。

 立ち止まって頬から流れる血を拭うサイオンとシャナの直線上に再び立ったオレに、努めて冷静な表情のまま仕掛けては来なかったが、この短時間で歴然とした実力差を実感しただろうと疑問を持つ顔をされる。

 

「……わからんな。そうまでしてその女を守って何になる? お前にとっても敵であることに変わりはないだろう」

 

「確かに事実はそうかもしれないさ。だがこれからも敵であり続けるかは別の話だろ。シャナの行動原理が愛によるものなら、それは気持ち1つで。誰かの伝え方1つで裏返るかもしれないだろ」

 

「……ここでも愛を語られるか。だが俺は先代のように愛や恋などという曖昧な感情に揺らぎはしない。そんな不確かでくだらないもので俺の前に。イギリスの前に立ち塞が……」

 

「ふざけるな!!」

 

 単に依頼だからという理由で邪魔をしてるわけではないことは理解したようなサイオンだが、体を張ってまですることかと至極真っ当な意見で排除しに来る。

 オレも何でここまでしてるのかちょっと自問自答したくはなっていたから、グサッと来なかったわけではなかったが、サイオンの口から出た『くだらない』の一言だけは聞き逃せずに言葉を切って吠えた。

 

「オレもまだ真剣に向き合えてないから、それがどれほどの想いなのかは計りかねることではある。だがな……愛や恋の感情を知ろうともしない奴が、その尊い感情をくだらないの一言で片付けるな! それを理解しようともしない奴がここから先に踏み込んでくるな!」

 

 プロ相手に感情論をぶつけるのは素人だったろうな。我ながらバカらしい。

 だが今のシャナを救うのは紛れもなくサイオンがくだらないと一蹴した愛なんだ。それを踏みにじろうとするなら、オレは何度でも立ち塞がってやるよ。

 しかしサイオンにとって止まる理由にすらならないオレの叫びは当然のごとく無視されて、再進行を始める動きを見せた。

 が、その目が目の前のオレやシャナではなくさらに後方へと向けられて動きが止まったのを察知したオレは、サイオンへの警戒はしつつ半身で振り返り後方を確認。

 すると氷のドーム越しでもハッキリ感じられる圧倒的なまでの存在感が、何故か呆然としていたテルクシオペーを長い尻尾で豪快に吹き飛ばしてしまう。

 テルクシオペーの離脱によって氷のドームも維持できなくなったか、あれほどの強度を持って存在していたドームが一瞬で水となって消失しバケツをひっくり返したような水がオレ達に降り注ぐ。

 だがそんな水を全く気にもしないでオレとサイオン、シャナは灯台の横で大きな翼を広げて羽ばたくドラゴン。クエレブレを凝視していた。

 

「まったく……遅いんだよ……」

 

 月光に照らされて君臨したクエレブレの登場で、ようやくオレのお役目も終わりかと安堵の意味を含む悪態をついたオレは、凍りついたように動かなくなったシャナのそばへと悠々と着地したクエレブレにアイコンタクト。あとは任せたよ。

 会いたくなかったといった怯えるような、申し訳ないような表情で固まるシャナに神々しい出で立ちを崩さないクエレブレは、しかしその存在感からは想像できないほどの優しさを含んだ声色で口を開いた。

 

「もう終わりにしよう、シャナ」



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Slash60

 

 どことなく爬虫類を彷彿とさせるような漆黒の鱗を身に纏う全体のシルエット。

 その黒に染まることなく煌めく金色の眼は宝石のようであり、しかしその口は肉食獣のそれに近く、わずかに開いた口からは鋭い牙がちらりと見える。

 前足と思われる部分はその獰猛さからすれば幾分か小さく、脅威の度合いとしてはおそらく外野どの部分よりも低いだろうが、親指のような少し離れた位置にある指と3本の並んだ指が手のような形で鳥類の足に酷似している。

 対して後ろ足はライオンなどのようなしっかりとした足で、大腿も太く蹴りだけで人間など粉々に粉砕できてしまうだろうことは想像するに容易い。

 尻尾は付け根から徐々に細くなり、しなやかさを落とさないフォルム。

 何よりも鮮烈なのはその背中から生える大きな翼で、片翼ですら自身の体高よりも大きなその翼は左右に開かれた時には幅30mに到達している。

 月光を背に受けてオレ達のいるカボ・ペーニャス灯台付近に姿を現したドラゴン、クエレブレは、着いて早々に海上に陣取っていたテルクシオペーをその尻尾で吹き飛ばし、それによって展開されていた氷のドームが瓦解。

 何も隔てるものがなくなったクエレブレとシャナは、Nという組織による介入で生じた亀裂を修復したいかのように見つめ合う。

 いや、クエレブレはもちろんそうだろうが、現れたクエレブレに対して言葉を詰まらせて動けずにいるシャナは別のことを考えているかもしれない。

 

「まさかドラゴン退治まですることになるとはな」

 

 そんなクエレブレの登場でオレの役割はほぼ終わりだと安堵しかけていたのに、何を見ようと畏れも躊躇もないサイオンはクエレブレもまた障害であると認識してそのプレッシャーを引き上げてくる。バカなのこの人!?

 そのプレッシャーを察知したかシャナへと向けていた優しげな瞳がギロリとサイオンへと向けられて、その口の奥から赤々とした光が漏れ見えて攻撃を牽制。

 

「黙っていろ人間」

 

「ほう。話ができるのか」

 

 その気になれば周囲を焼き尽くせるだけの力があると踏んだか、サイオンも下手に前へは出ずに隙をうかがう様子になるが、倒すべき対象という認識を変えるつもりはなさそうだ。

 何かのきっかけで再び状況が動いてしまいそうな雰囲気の中で、これ以上の戦闘行為は無意味と判断しているオレは、炎を吐きそうなクエレブレを手で制してサイオンとの直線上に移動し再び立ちはだかる。

 

「サイオン・ボンド。ここはもう退いてくれ。これは警告でもある」

 

「警告だと? それはこちらの……」

 

「ここアストゥリアス州の海産品はな、安定した漁獲量と品質が高く評価されて長年に渡りヨーロッパ各国に出荷してるんだ。もちろんお前の愛する祖国であるイギリスもその中に入ってる」

 

「……それがどうした」

 

「その根幹を支えてるのがあそこにいるドラゴンだとしたら、それを打ち倒すことはイコール。イギリスの損失じゃないのか?」

 

「仕入れ先の1つや2つで国益にはさほどの影響はない。それ以上に我々はNから損害を受けている。お前もそれはわかっているだろう」

 

 まぁ確かに黄金の損失は国を揺るがすほどの額なのは事実だが……

 ここで引き下がってくれれば楽だったが、そうもいかないかとやれやれな態度で返されたことには肯定を示しておく。

 それでも何も準備をしてこなかったわけではないオレは、サイオンにとって割と痛手になる手を放つ。これで退けよ。

 

「だがその海産品が『王室御用達』の食材だったらどうだろうな。特に女王陛下はここのロブスターで作る料理がお気に入りらしくて、シェフにはなるべく振る舞ってくれるように頼んでるって話だ」

 

「…………ブラフ」

 

「だと思ったか? 残念」

 

 ただの口先だけの戯れ言なら斬首の刑でも待ってそうなハッタリをぶち込んだからか、サイオンからもプレッシャーが高まるが、即座に懐から携帯を取り出して事前に調べていた『王室ジャーナル』なる記事を表示したままサイオンへと放る。

 携帯を受け取って記事にパッと目を通したサイオンは、ここでようやくその迸るプレッシャーを収めて携帯を閉じ、オレへと投げ返してくる。

 

「……情報は聞き出せ。そして我々にも共有しろ。何も出なかったはどうなるか、わかっているな?」

 

「情報に関しては後日、ICPOを経由して送る。救援には感謝するよ、サイオン」

 

「お前達を助けたわけではない。それは結果論に過ぎん」

 

 おそらく比重としては一般論で言えばまだまだ黄金の方が上だろう。

 それでも王室が絡むと無視できない案件に昇華してくれるのが国の組織というもの。

 サイオンとて最強レベルの戦闘力を持っていてもあくまでエージェントの1人だ。独断で動いていいものではないし、こっちが情報を聞き出す可能性を示している以上はリスクよりもそちらを取る。

 そうしてオレの最後の手札で引き下がってくれたサイオンはクールに踵を返してこの場を去っていき、邪魔者がいなくなったことでクエレブレにアイコンタクトすると、ようやく両者が会話を始めた。

 

「シャナよ。俺がいま何を考えているかわかるか?」

 

「……怒っているのでしょう。あなたに黙ってNに与したことを」

 

「そうだな。俺は怒っている」

 

「でも! 私は間違ったことをしているつもりはないわ! 全てはあなたがこの世界で自由を手にするために!」

 

「そうだな。そんな風にお前が考えていたことにさえ気づかなかった」

 

「私は! あなたがあんな洞窟でひっそりと生きなきゃならない世界を変えたい! それだけが願いで……」

 

「もういい」

 

 立場としてクエレブレが圧倒的に上なせいか、あの高圧的だったシャナが別人のように声を震わせていたが、その思いだけは曲げられないと自分の気持ちを吐き出していた。

 コミュニケーション不足が見えていたクエレブレとシャナにとって、これが初めての本音のぶつけ合い。

 その気持ちを本人からぶつけられたクエレブレはシャナに怒っていると言われて肯定した上で言葉を切らせ、タイミングのせいでシャナが殺されるとでも思ったのか怯えた様子で身を縮め固く目を閉じてしまった。不器用だなぁ、このドラゴン……

 

「俺はお前に怒っているのではない。お前に本音を話させることすら出来ずにNに与させた自分自身に怒っているのだ」

 

「…………えっ?」

 

「俺がNの誘いを断った時、お前はきっと俺とは違う考えを持っていたのだろう。そしてお前が俺のためにと動き今に至っているのは、俺がお前の考えを聞けば止められると、そう思ったからだな」

 

「ッ……わかってクエレブレ! 私は怒られることを怖れたんじゃないの! ただあなたに否定されたら、あなたのために私が出来る唯一のことを失ってしまう。それが心の底から怖かった……」

 

 不器用だからこんなことになってるのかと2人に気を遣って話が聞こえるくらいの距離まで下がって、レキ達には周囲への警戒をハンドサインで指示。

 オレもテルクシオペーが戻ってくる可能性を考慮しつつシャナが完全に折れるのを待つ。

 

「お前が俺に出来る唯一のこと? 唯一などと、なぜ思う?」

 

「あなたがこの海を守護し、その報酬として人間達から食糧を搾取するサイクルへと変えたのは私の案だった。けどそれは本心ではあなたのためではなく、私自身のため。ここで悪名が立てばあなたは遠くない未来にこの地を離れてしまう。そうなったら私はきっと置いていかれる。私はまた絶望するんだって、そう思ったら怖くなった……だからあなたがこの地を離れなくていいようにって、私は……」

 

「それではお前の行動には矛盾が生じるだろう。仮にNの望む世界が生まれたとすれば、俺はこの地にこだわる必要がなくなるぞ」

 

「それでもよかった! あの洞窟でひっそりと佇むあなたを見る度に私は自分のしたことの罪に苛まれた。こんな自由に翼を広げられもしない生き方を強いた私を呪った! だって私は……あなたが何の憂いもなくこの空を雄々しく飛ぶ姿が、初めて見たあの日から愛おしいほどに好きだから……その姿がまた見られたのなら、私はもうどうなってもいいって」

 

「…………それがお前が秘めていた全てか」

 

 今にも泣き出しそうなほど声を震わせて思いを吐き出したシャナは、穏やかながらまだ威圧感のあるクエレブレの問いに対して首を縦に振り肯定。

 クエレブレも予想の範疇でしか語らなかったシャナの本音が全くの見当違いってわけでもなかったのは確実にプラス方向で、シャナが自分自身のためだったと語った部分も人間として当たり前の感情と思えばそこまで逸脱したものではないだろう。

 あとはそれを聞いてクエレブレがどういう答えを出すか。どういう思いをシャナに伝えるかだ。

 

「ならば俺も応えねばならんな。お前が胸の内を明かしたなら、俺もまたお前に秘めていた思いを全て吐き出そう」

 

「クエレブレ……」

 

「400年前。俺がお前を助けたのは単なる気まぐれだと話したな。十中八九で死ぬ人間などどうでもよかったと。正直、生き長らえてしまった時は面倒なことをしたと後悔もした。人間から見放されたお前をまた人里へと送れるはずもなく、仕方なしにそばに置いていた数ヶ月は、幾度となく話しかけてくるお前を鬱陶しいと思っていた」

 

「……だからあなたは私に『黙れ』と何度も言っていたわね……でもあの頃の私にはあなたのそばしか居場所がなかった……あなたにしか心の拠り所がなかった」

 

「そうだ。そんな寂しさを生み出したのは俺で、こんなことになるならいっそ殺してやろうかと何度も考えた。だが必死に生きようと話しかけてくるお前の姿を見て、俺はいつしかお前と話をするようになった。何気ないことを何度も何度も話して、それはいつからか当たり前になった。俺にとってお前との時間が苦痛ではなくなった」

 

 空気が、変わりつつあった。

 クエレブレの登場からずっと怯えている雰囲気だったシャナが、どんどんと穏やかな声を強めていくクエレブレに呆然として話に聞き入っていた。

 2人で笑い合うことはあったと話していたクエレブレだが、それは会話の中であった話題に対する反応であって、互いに気持ちをぶつけるものではなかったんだ。おそらく1度も、な。

 

「笑うようになった。誰かと過ごす時間を尊いと思えるようになった。誰かがそばにいることの幸せを思い出した。俺は1人ではないと寂しさを感じなくなった。お前との時間を最も大切に思うようになった。そして俺は今、400年前の自分にこう言ってやりたいと思っている。『お前は生涯で最高の選択をした。シャナという世界で最も素敵な女に、お前は救われるぞ』とな」

 

「クエレ……ブレ……」

 

「なぜ俺がNの誘いを断ったのか。それは俺にとって、自由に空を駆けるよりもお前と穏やかに過ごす日々の方が、何倍も大切になったからだ。その日々を壊しかねないNの企みには賛同できなかった」

 

「ひっぐ……ぐすっ……」

 

「俺は気持ちを言葉にするのが苦手だから、もう2度と言わんかもしれんが、今は言わせてくれ。『シャナ、お前を愛している』」

 

「……私も……愛してるわ……クエレブレ……」

 

 たった一言。『愛してる』の言葉が言えなかっただけですれ違っていた2人の心が、ようやく通い合った。

 感動のあまり泣き崩れたシャナに優しく寄り添うようにゆっくりと顔を近づけたクエレブレに、甘えるようにして自らも近づきピタリと頭と体を寄せたシャナ。

 それから少しの間、シャナは泣きながらクエレブレに何度も何度も謝罪の言葉を述べ、クエレブレはやめろとも言わずに黙って受け入れて寄り添い続けた。

 

 人とドラゴン。生物としてこれほどまでにかけ離れた種族同士でも育むことができた愛は偉大だと、本当にそう思う。

 自分もかつて同じ境遇にいたから、なのかはわからない。

 それでもクエレブレに吹き飛ばされながら、遠巻きにでもオレの視界に捉えられる海面に戻って上半身だけ出して様子をうかがっていたテルクシオペーが、これ以上の邪魔をしてくることはなく、最後まで見届ける前にその海面に静かに沈んで姿を消していった。

 これでお前はかつて自分が愛した男を信じられるようになったのか、テルクシオペー。

 どんな事情があってあの結末になったのかは最早オレには推測するしかないが、種族の違いなんて些細なことなんだよ、テルクシオペー。愛は相手を思う気持ち。そこに種族はない。それが今回のことでわかってくれたら嬉しいよ。

 

 ひとしきり泣いてスッキリして、クエレブレの本音を聞いたからか、シャナからは完全に戦闘の意思はなくなり大人しくクエレブレのそばで座ってオレを呼ぶような目で見てくる。

 最後まで警戒だけは怠らずに話が出来る距離にまで近づいたところでクエレブレに対するものとは明らかに別人レベルの力強い口調で話をする。

 

「戦闘の途中で気づいていたが、私はこの結果でNのメンバーではなくなった。あそこで聞き知ったことも手駒程度の私では計画の根幹に関わることは何もわからないぞ。それでも私から何を聞く?」

 

「聞けることは出来る限り全てだよ。そうでもないとお前をMI6に引き渡すことになりかねない」

 

「……驚いたな。私はどこかに拘束されるものとばかり思っていたが、そうしないというのか?」

 

「オレはクエレブレから『シャナを取り戻してくれ』って依頼された身だからな。『どこの組織・団体から』までを曖昧にしちゃった以上は、MI6だろうとICPOだろうと拘束やら収容をするならクエレブレの元へは帰れない。それじゃ依頼失敗だ。だから協力してくれ、シャナ。お前とクエレブレの平穏を守るために」

 

 自分のしてきたことの重要性がわかっているからか、明日にでも何らかの機関に身柄を拘束されると踏んでいたらしいシャナは、拘束するつもりがないと取れるオレの発言にかなり驚いていた。

 オレも職業上は拘束すべきって思ってはいるさ。でもなぁ、クエレブレからの依頼が漠然としていたのもあるし、何よりシャナの後ろから見てくるクエレブレが目力だけで『シャナを連れていくなら殺す』みたいな態度だからそう言うしかないでしょうが……

 そんなクエレブレの圧力に屈したオレは、携帯を取り出してメールで百地さんに拘束はしない方向でお願いする旨を伝えておく。

 

「そのような頼まれ方をされては協力せざるを得ないな」

 

「だがシャナよ。Nにとっても外部に漏れては困る情報もあるはず。それを漏らした報復を受けるようなら、話すべきではないこともあろう」

 

「それを言ったらそもそもの口封じもこの段階であり得たよ。それをしなかったなら、おそらくシャナの知りうる情報はNにとって痛手にはならないんだろ」

 

「そういうことになるか。それにもしもNが来たとしても、クエレブレが守ってくれるものね?」

 

「むっ、それはそうだが……」

 

 とりあえず話をしてくれる流れになったのは良しとして、クエレブレの懸念も常に先手を打ってくるNの動きからすれば後手に回っている今から考えればほぼないだろう。

 そうして油断したところを後ろからブスリ。みたいな可能性もなきにしもあらずだが、クエレブレを出し抜くのもNにとって至難の技と見ている。

 シャナもその辺で絶対の信頼があるのか、相思相愛がわかって急に距離感が近くなった甘え声で頼り、クエレブレも慣れない感じで応えていた。惚気なら他所でやってほしいね……

 というオレの視線に気づいて2人して誤魔化すように下手な咳払いをしてから話を戻すが、そういう気まずい空気もやめてもらえます?

 

「そういえばシャナ。Nは3人1組が基本だって話だが、ここにも3人で来たのか?」

 

「いえ。今回は特殊なケースだったし、テルクシオペーがついてきたこと事態が私にとってイレギュラーだったわ。同じチームにされてから読めない人魚だとは思ってたけど」

 

「ああそうか。テルクシオペーはモリアーティ以外とは会話を禁じられてるから……」

 

「……何でそれをお前が知っているんだ?」

 

「たまたま話す機会があって本人がそう言ってたからな。それよりここにはお前とテルクシオペーしか来てない。それは確定なんだな?」

 

「…………いや、確定では……ない……ッ!」

 

 他人の惚気はこっちが冷めてれば自然消滅してくれると信じて話を進め、今回はイレギュラーとわかりつつもNのセオリーに当てはまっているかを聞いておく。

 シャナによれば同伴者はテルクシオペーのみということだったのだが、この話で何かを考え出したシャナが唐突にハッとした表情をしてオレを見てくる。

 

「お前達はどうしてNが、私が今夜ここに来るとわかった?」

 

「それは先月にお前があそこにある奉納品をクエレブレの元に届けたから……」

 

「違う。もっと根本的なことだ。その情報は『どこからもたらされた』かを聞いている」

 

「どこから? そりゃ……あっ!」

 

 ……迂闊だったと言うしかない。

 シャナにそんな質問をされて今回の経緯を辿ると、恐ろしい事実が浮かび上がることに今更ながら気づく。

 そうだ……この情報を持ってきたのは他でもないあのバンシーだった。

 クエレブレとオレ達の繋がりは確かにNにも知られる事実としてあったが、ここアストゥリアス州とは物理的な距離があって、クエレブレも文明の利器を持たず連絡を取る手段がない。

 だからこそその使いとしてバンシーが動いてくれて、オレ達もこうやって準備をしてシャナ達を迎え撃てた。

 つまりオレ達がここに来るには、クエレブレが得た情報を『誰か』が伝える必要があった。

 そしてオレ達は導かれるようにこの場に来てシャナとテルクシオペーと激突してしまった。

 その結果が出てしまえば、たとえ土御門陽陰が残した痕跡があろうとバンシーの存在が浮き彫りになるということだ。

 

「クエレブレ! バンシーは今どこに?」

 

「バンシーならついてくるのを引き止めたからな。俺の住み処で不貞腐れているだろう」

 

「くそっ……今すぐ洞窟に戻ってバンシーがいるか確認してくれ!」

 

「無駄だろうな。クエレブレがここへ辿り着いてすでに20分以上は経過している。それだけの時間があれば……」

 

 時間的な猶予もなく、チャンスとも思ってしまったから3割くらいは勢いで実行したことが仇になった。

 オレ達がシャナが来る根拠を探ったのと同じように、Nもオレ達が来る根拠を探っていたってことかよ。追い詰める側が誘き出されてりゃ世話ねぇぞバカ野郎が……

 

 その後、わずかな希望にすがってクエレブレに洞窟の確認をしてきてもらったものの、そこにはもうバンシーの姿はなく、オレ達はシャナを奪還したのと同時にバンシーをNに奪われる痛み分けの後味の悪い結末を迎えることとなってしまった。



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Slash61

 翌朝。

 シャナの奪還には成功したものの、オレ達の意識の外からバンシーを奪われて痛み分けで終わったNとの激突。

 結果に一喜一憂してもいられないから、その夜はとりあえずクエレブレへの奉納品を洞窟へと運んで戦闘の痕跡をなるべく排除して撤収。

 シャナには拘束の必要はないと判断して手錠は外し、傷の手当てをしてからモニカとして暮らしていたビオドの家に1度帰して、現在はその家でオレと百地さんの2人が話を聞くために来訪していた。

 レキと早紀さんはその職種上でみだりに顔を晒すべきではないと判断──セーラも徹底してたからな──して、報酬関連の話はすでにまとめて完全に撤収してもらっている。今頃は2人とも別の便でそれぞれ日本を目指していることだろう。

 そんなこんなで面倒事は避けるために得意の変装術でモニカの容姿になっていたシャナとゆっくり話が出来る段階に落ち着いたのはいいが、人を招くことがないのか家の中には物がほとんどなく、食事も必要ないからか冷蔵庫すら存在しない異質な空間でダイニングテーブルの席に着かされる。

 ここに人が住んでるのが不思議な空間に若干の気持ち悪さを感じつつ、ただの水道水をコップに注いで差し出してきたシャナが対面の席に座ったのを確認して、そのおもてなしに百地さんと苦笑しつつひと口だけ含んでから話を切り出す。

 

「まず何から聞けばいいか考えてきたが、妥当なところではやっぱり知る限りのNのメンバーについてだろうな」

 

「すでにグランデュカから指輪に関しては聞いているのだろう。Nは構成員がどの程度かを把握させないようにしているから、私が知るのは同じチームだったテルクシオペーと勇志。金指輪である教授とネモ。あとは勧誘に来たグランデュカとヴァルキュリヤに、勇志の元上司らしい伊藤マキリのみだ」

 

「モリアーティ以外はこっちで顔と名前が一致するか……他に名前だけでも聞いたことがあったりは?」

 

「名前のみならばエンディミラ。メルキュリウス。それからヒュドラと言ったか。それらの存在は確定している。どこへ何をという情報が聞き漏れていた。実際にどんな姿、能力を有しているかまではわからないがな」

 

 うーん。聞いた中では以前にアリアやキンジが遭遇した奴らが大半で、真新しい人物としてはエンディミラとヒュドラって奴くらいか。

 それも容姿や能力が不明なら情報としてはないに等しいし、シャナがそれ以上に知らないことを尋ねても何も出ては来ない。ここは潔く次の質問に移るのが得策。

 

「じゃあNの拠点はどこにある?」

 

「…………それは、わからん」

 

「わかんねぇとか、そんなことがあんのか?」

 

「確かに指令を受けたり、装備や準備を整える場所はあったが、そこへのアクセスは必ずネモの『陽位相跳躍(フェルミオンリープ)』で移動させられていた。外の景色も見えない空間で出入り口らしきものもないから、探ろうにも手がかりがなかったよ」

 

「陽位相跳躍……ってのは、有視界内瞬間移動の上位の……」

 

「行き先に術者の目視を必要としない瞬間移動だ。それにも条件はあるようだが、拠点に関してもハッキリしていることは何一つない」

 

 ちっ。拠点についても用意周到のようでおおよその場所さえも特定する材料を構成員に渡してないのか。

 それともシャナが遠からずNから抜けることを予知して始めから深いところには関わらせていなかったか。

 どんな理由にせよ、Nの拠点を叩くという作戦は今後もまず組めはしないだろうことは確実だな。

 モリアーティやネモを捕らえて吐かせれば別かもしれないが、高望みはすべきじゃない。

 

「お前さんらのこれまでの動きについてはどうだ?」

 

「それも後で調べてもらえばわかるだろうが、参照してもらうためにひと通りは話そう。まずは──」

 

 不透明なものは不透明なままで情報が更新されない歯痒さが増してきたところで、唸りたくなるのを堪えて確定している情報を引き出そうと百地さんが質問の内容を変更。

 すでに起きて終わっている当事者からの情報なら確かにNの目的はどうあれ出てくるものはあるし、その案件によって起きた出来事からNの狙いを推測することも出来るかもしれない。

 そしてそこからシャナがNの一員として活動し行なってきた任務を順を追って聞いていく。

 潜入捜査に工作。とあるマフィアの壊滅に大企業同士の潰し合い。要人暗殺に同士討ちの誘発。

 変装などが得意なこともあってそちらを生かした任務を任されることが多かったようだが、聞けば聞くほど逮捕して警察組織にでも引き渡した方がいいんじゃないかなと思わざるを得ない所業の数々に耳を塞ぎたい。あーあー聞こえませーん。

 人間への恨みがまだあるからなのか、話している時も自らの行いに対する罪悪感をほとんど感じてなかったのも印象としては悪かったが、そこを言及して正すにしてもシャナの根底にあるものを揺るがすほどの言葉はオレからは出せないし、百地さんも自分の倍以上の時間を生きるシャナに言葉を詰まらせていた。

 ともかく現状ではそれらの行為がシャナ達によって行われたかは不確定なんだと割り切ることで思考停止。だって言ってるだけだもん。

 

「……なるほどな。そしてそれらによってNの計画が具体的にどう作用して進行していたかはハッキリしないってことでいいのか?」

 

「任務を完遂することで何が起きたかを知れば、いくつかの推測は立つものだが、生憎と私はその辺で無頓着でな。その後を考えさせられたのはお前が守り抜いた藍幇の小娘くらいのものか」

 

「人の生き死にに無頓着ってのは聞き捨てならねぇとこだが、聞かなかったことにしてやるさ。事件になってんならこっちで推測が出来るしな」

 

「なんにせよ、Nの計画は教授の条理予知によって着々と進行中だということだ。Nに所属してわかったが、時を重ねる毎に大きくなりつつある流れは、もう止められないところまで来ているのかもしれないな」

 

 覚えている限りの任務を羅列し終えて、百地さんもそれをメモしながら、ただの駒として働いていたシャナの思考停止には思うところがあったようで苦言は出るものの、これから先を大人しく暮らしてくれるならと人格面でのシャナの欠点を呑み込んでいた。大人だなぁ。

 すでにそこには目も耳も塞いだオレは何を言うでもなくNの計画がすでに止められない段階にまで来ていそうだと話したシャナにちょっとだけ焦りを覚える。

 

「異能の存在が普通として認識される世界って言うけど、そんな世界レベルの意識改革なんてどうやるつもりなんだ? テルクシオペーは前にオレを『砦』側だとか言ってたが……それも関係してる?」

 

「ほう、テルクシオペーがな。無論、Nの計画でもある日に突然『はい、今日から我々は虐げられない』となるわけではないだろう。何故ならNが行なうことは『サード・エンゲージを意図的に発生させること』にあるからだ」

 

「おいおい、それを一武偵に話していいもんなのか?」

 

「その口ぶりならば、ICPOはすでにNの計画の到達点には辿り着いているわけか。もっとも、アメリカなどの先進主要国のトップはわかっていながら止められずにいる。いや、判断に困っているというのが現状か」

 

 だからなのかその焦りを象徴するような核心に迫る質問をついぶつけてしまったが、これが新たな道を切り開く。

 どうやら百地さんはすでに知るところだったみたいで隠し事をしていたのかとチラッと見るものの、悪ぶりもしない反応から察するに個人レベルで知るには大きな問題なんだな。

 

「サード・エンゲージ……つまりすでに2度それは起きている……」

 

「その通りだ。ただしその2度はNによってではなく発生したもの。それこそ数百年、数千年も昔に遡る」

 

「……これは聞くべきなのか。そのエンゲージってのは何だ?」

 

「お前は、あの人やバンシーがこの世界で生まれた存在だと思うか?」

 

「そう聞くってことは、そうじゃないんだろ。だとしたら、どこで」

 

「別の世界だよ。元々この世界には魔的な存在はほぼいなかったと言われている。今に存在している超能力者のほぼ全てが、かつて別の世界から来たあの人やバンシー達の血を引いていると言っても過言ではないだろう。ただし、そんな存在が手軽に世界を行き来しては今のバランスなどとうの昔に崩壊している。それこそ人間などが世界を統べていることはあり得なかった」

 

「ってことはエンゲージってのは、一時的にでもその世界と世界を繋ぐことを意味する?」

 

「少しニュアンスは異なる。エンゲージとは多くの魔的な存在がこちらの世界に流出してくることを指す。お前が言っているのは結果の前の過程だ」

 

 なるほど……ヤバそうなことは話でもわかるわ。

 要するに今、Nがしていることは時代の逆行による人類の原始化で、クエレブレ達でさえ死にかねない核爆弾やらの科学兵器や高度な文明を使わせず、大量の魔的な存在を安全にこっちに招こうってことだろう。

 そうして人間至上主義同然のこの世界のバランスを崩して混沌とした世界を作り上げようって魂胆。

 結果としてクエレブレ達のような存在が当たり前に闊歩するような世界が完成すると。

 

「だがなシャナ。そうやって話しはするが、実際問題そのエンゲージを人為的に発生させる手段ってのは見つかってないはずだろ。話によりゃセカンド・エンゲージは人為的に発生させたみたいな説があるようだが……」

 

「だからお前達は具体的な対策もできずにNにされるがまま。今日まで奴らを止められずにいる」

 

「なら知ってるんだな。Nは……モリアーティは、そのエンゲージを人為的に発生させる手段を」

 

「だろうな。でなければNのこれまでの行動に意味がないことになる。もっとも、計画の全容を把握している者など、教授とネモくらいのものだろうから、他の構成員を捕らえたところで私と大差ないだろうさ」

 

 エンゲージについてはわかったが、百地さんによれば肝心のエンゲージを人為的に発生させる方法はどこの国も見つけていないっぽく、モリアーティは唯一それを知る人物ってことに。

 本当にそうならば現状、Nの計画を阻止することは不可能に近い。誰も止める術を知らないんじゃ無理って話だ。

 当然、そんな最重要機密をおいそれと教えるような馬鹿ならシャナを捕まえた時点で事は終息に向かっていたが、どうにも悪い流れってのがすでに出来てしまってるな。

 

「……それで砦とかってのは何かの揶揄か」

 

「それは人間どもが勝手に作り上げた言葉だが、それに倣うならNは過剰ながらも超常を受け入れる側。それらを招く意味で『パンスペルミアの扉』と呼び、逆に今の人間中心の世界を保守しようとする側を『パンスペルミアの砦』と呼ぶのだ」

 

「猿飛のせがれなら、何故そんな扉だの砦だのと呼ぶのかは予測できるだろ?」

 

「…………はぁ。考えたくないですけど、分かれてるんですね。国、或いはいくつもの団体・組織が、扉と砦に」

 

 Nに身を置いていたシャナが止められない流れになりつつあると感じたならそれはもう事実と受け止めることにして、話を整理する意味で疑問を解決に向かわせにかかると、またヤバいものを掘り起こしちまったぞ。

 シャナの言うパンスペルミアの扉と砦。その言葉を作り出したのが人間である以上、作り出す理由が存在するんだ。

 単にNを敵と認識するならわざわざそんな言葉を作らずとも話は成立するのに、そうなっていないのはNのような超常を受け入れる側の人間がお偉いさんの中にいるんだ。

 砦側の主張はまぁ想像するに容易いが、扉側の主張はおそらく、何らかの恩恵を考えているんだろう。

 世界の混沌を受け入れてでも得られる何かはオレの頭では想像が難しいが……世界で意見が割れる以上は簡単に解決するものではない。

 

「そういうこった。お偉いさん方がまとまらんし、無闇に口外すればお前さんのこれまで築いた関係に亀裂も入るだろうよ。話すなとは言わんが、話す相手は慎重に選べ」

 

「Nについてわかればわかるほど問題が複雑化していくな。これ解決できるのか?」

 

「そんなことは私には知らん。だがこれからもNを追うならば、お前にもいずれ選択の時は来る。なあなあで済むとは夢にも思っていまい?」

 

「ちなみにICPOはどちら側なんです?」

 

「こっちは中立ってとこだな。ってのもぶっちゃけICPOがNを追う理由ってやつが、Nの計画がどこまで世界に影響を及ぼすかを知るためなんだわ。そこがハッキリしちまえば組織として方々に発信するのさ。『扉』を開くか『砦』となるかを、な」

 

「あくまで情報の発信に努めると」

 

 国やらがそんな感じだから、さらに細分化する個人レベルになればどうなるか。

 扉と砦の二分化でしか話が進まないなら、割れた先で対立が生まれ、仲間だったはずの人間が敵になりうる。

 それを避けるためにも百地さんが言うように他者に安易に意見を求めるべきではない。

 ICPOも結論を出す方針ではないようだし、決断には何か強い意志を通さないと簡単に揺らぐほどの問題なのかもしれない。

 一気に難しい問題をぶつけられたせいで珍しく表情にまでそれが表れていたのか、思考しかけたオレにシャナが「今すぐに結論を急ぐな」と諭してくれて、とりあえずそれらは頭の隅に置くと、話すべき事もほとんどないと締めに入ったシャナが最後にバンシーについてを話してくれる。

 

「これはネモがわずかばかり口を緩ませて出てきた言葉だが、伝えておこう。お前はバンシーの願望器としての能力を狙われていると思っているな? そしてバンシー本人もそう思っていたはず」

 

「…………まさか、違うのか」

 

「違いはしないだろう。だが願望器としての能力は『両者による合意』があって初めて機能することを考えれば、強引に奪ったところで意味はない」

 

 えっ? そうなの? 初耳なんですけど……

 バンシーの願望器としての能力については本人から聞かされていたものの、その条件の中にそんなものがあるとは言ってなかったぞ。

 だがここでシャナに嘘をつくメリットは皆無なのでそうなのかと相槌を打っておき、じゃあ他にどんな目的があるのかと聞きに徹する。

 

「先ほどお前は世界と世界を繋ぐと言ったな。実際、それは偶発的に稀に世界のどこかで起きるのだ。それによってこちらの世界に流れてきた者もいなくはない。そしてどうやらバンシーはその中で『影の国』と呼ばれる場所に繋がるトンネルを開くことが出来るらしい」

 

「それって……」

 

「さすがに無条件ではないだろうが、Nは最初からそちらの方が目的だったことをネモが漏らしていた。実際にその影の国というのが何かは知らんし、そちらからこちらに『何か』を呼ぶにせよ、注意はしておけ」

 

 いやいや、注意しろって、何を?

 あまりに無責任な助言に理子にするようなツッコミを披露しかけたが、ギリギリで踏み留まって「わかった」とだけ返し、Nに関しての話はそれで終了。

 しかし影の国ねぇ。誰がつけたのか知らんが理子的な言い方をすれば中二臭いって。そこに何があるっていうのよ。教えてバンシー!

 黙っていたことがあったことにもちょっと怒りを覚えながらこの場にいないバンシーに心の中で文句を言っておき、百地さんも席を立ち外に足を運んだのを追うようにオレも席を立とうとすると、対面のシャナが懐から何かを取り出して静かにテーブルの上に置いてオレに差し出してきた。

 物は50mL程度の小瓶で、中にはうっすらと赤色の見えるほぼ透明な液体が満たされている。それを3つ。

 

「今回の報酬だ。あの人の血をほんの1滴入れて1000倍に希釈したもの。飲めば病気や怪我を瞬時に癒すような効果は望めないだろうが、一時的に常時の10倍ほどの自然治癒力は発揮してくれるだろう。副作用はないはず」

 

「1度きりの応急薬ってところか。売れば高そうではある」

 

 そういえば今回のクエレブレからの依頼の報酬は具体的にどう払うかを聞いてなかったが、こんな形で貰えるとは思っていなく、つい現実的なことを口走る。

 それにシャナからのギロリと鋭い視線をぶつけられて冗談だと返して受け取り懐に収めると、見届けたシャナは今度こそ立ち上がったオレに言葉をかけてくる。

 

「あの人はもうお前達とは会わないと言っていた。その無礼に当たる行為には目をつむってくれ。そしてあの人に代わり私が感謝を述べることも許してくれ。ありがとう。私とあの人の『絆』を取り戻してくれて。本当に、ありがとう」

 

 このアストゥリアス州の守り神として伝説であることを選んだクエレブレなら、人との関わりは極力排除すべきなのは当然の事。

 だからもう会わないと言うクエレブレを無礼などと思わないし、これから先もシャナと一緒に平穏に暮らして欲しいと心から願う。

 そしてクエレブレの気持ちと一緒に感謝を述べたシャナは、頭こそ下げなかったものの、その顔には初めて見るだろう心からの笑顔が浮かんでいて、それが見られただけで今回の苦労もいくらか報われたような気がしたのだった。

 

「それでお前さん、これからどうする?」

 

 シャナの住む家を出て割とすぐ。

 煙草を吹かして歩きながら大雑把な質問をしてきた百地さんに、考え自体が全くまとまっていない中でも言葉を返しておく。

 

「Nは引き続き追いますよ。計画云々はまだ計りかねますけど、自分なりの答えは近いうちに出すつもりです」

 

「お前さんがどういう選択をしようと俺は肯定も否定もしねぇよ。俺は事実だけを知りたいわけで、そのために必要なら、また連絡する」

 

「百地さん個人としては、どっち側ですか?」

 

「そりゃ聞くだけ野暮ってもんだろ。それとも俺が敵になってほしいのか?」

 

「いえ。ただ百地さんくらいの年齢になっても迷う問題なのかと思っただけです」

 

「そりゃな……少なくとも俺がお前さんくらいの歳に直面したなら、お前さんみたいに冷静に受け止められた自信はねぇよ。それくらいのレベルだ。焦って事を急いだりはしねぇことだな。おっさんから言えんのはこのくらいだ」

 

 質問の意図は明白で、これからも利用する価値があるかの判別。

 ここで退くならそれまで。追うならこれまで通りにといった確認作業を終えて、いらない質問をしたオレにも大人な対応で返した百地さんは、それ以降に言葉を発することはなく、アビレスのホテルに戻ってから余韻も後腐れもなく別れた。

 オレもNにバンシーを奪われるという失態を冒したものの、ここアストゥリアス州ですべき事は終えたと判断してその日のうちにロンドンへと帰還。

 メヌエットへの報告も必要だと思いながら、それは明日にでもしようと寄り道はやめて帰宅し、なんだかんだで酷使した身体を休めるためにベッドに倒れ、本日の成果であるシャナの笑顔を思い出して眠りに就いていった。



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帰省編
Slash62


 

「──なるほど。貴重な情報を持ち帰ったこと、誉めて差し上げます」

 

「そりゃ良かったよ」

 

 アストゥリアス州での案件を終えてロンドンへと帰ってきた翌日。

 疲労回復優先で後回しにしていたメヌエットへの報告のために朝早くからホームズ宅に訪れて、半分くらい寝ぼけていたメヌエットを覚醒させながらアストゥリアス州で掴んだ情報を報告。

 サシェとエンドラに仕度をさせながら、自室の扉越しにちゃんと働いてるのか微妙な頭でそんな返事をしたメヌエットは、仕度を終えて自室から出てくると、廊下の壁に寄りかかるオレをキロッと睨んでくる。理由は……はいはい、わかってますよ。

 

「しかし報告は結構ですが、来るなら来るで時間を選びなさい。紳士たる者、寝起きの女性の顔など、人前に出しにくいことは考えなくともわかることでしょう」

 

「こっちもこのあとは武偵高の修了式なんだよ。放課後も留学のあれこれとか帰国の手続きとかで遅くなるし、明日の朝には日本に発つんだぞ。メヌが思うほど時間に余裕がないんだ。そこは見逃してもらいたい」

 

「では日本に帰らなければいいのでは? いっそのことイギリスに帰化してしまえばよろしいのです。まぁ素敵。これで日本に帰る必要がなくなりますわ。いえいえ、帰るではおかしいですわね。旅行に行く、ですか」

 

「何でそんなことを嬉々として饒舌に語るのか……」

 

 まだ若干だが覚醒していない頭を起こすために食事をしようと1階キッチンへ移動しながら、事前の連絡を到着の30分前にしたことをプンスカ怒られる。

 どうせ昨日にメールでもしようものなら「いま来なさい。すぐ来なさい」とか言われると思ってあえての行動だったが、予想通りのリアクションで助かるね。リカバリーのしようがあるよ。

 当然、寝起きのメヌエットの攻撃力は低下するので、ダメージを抑えつつそれらしい言い訳──とはいえ本当のことなんだが──をして弁明。

 移動の際に車椅子からメヌエットをお姫様抱っこしてお嬢様扱いで階段を降りることでご機嫌取りもし、キッチンには来る前に買ってきた苺をこれ見よがしに置いておいた。完璧だね。

 

「……謝罪の気持ちはわかりました。仕方ないので早朝の無礼な訪問は不問とします。私がレディーで助かりましたね」

 

「ははー。ありがたき幸せ」

 

「わかりましたから下ろしなさい。まさかこのまま私に苺を食べさせるつもりではないでしょう」

 

「メヌが良いなら食べさせるけど?」

 

「冗談もそのくらいにしなさい……朝から疲れますね……」

 

 ぐはは。寝起きのメヌエットは攻撃力半減どころではないな。これからたまに狙ってやろうかなこれ。

 好調なメヌエットなら家から追い出してしばらく訪問禁止くらいの判決が下りそうな行為にも目をつむってもらい、これ以上はやめておけと本能も告げたことから素直に車椅子へと下ろしてあげて、膝の上に箱ごと苺を置いたメヌエットはそのままリビングへの移動を促してオレをソファーへと誘導。

 

「私は超能力に関して博識ではありませんから、そこに至るまでの推理が出来ませんでしたが、別の世界ときましたか。まるでファンタジー小説のようなことが現実に起こっているとは」

 

「そんなこと言ったらそもそも超能力なんてものもファンタジーみたいなものだろ。むしろオレは超能力の由来が別の世界にあったって方が納得するよ」

 

「別の世界とは言いますが、それは果たしてファンタジー小説のような地球とは別の次元に存在する異なる世界。つまり『異世界』なのか。それとも……」

 

「えっ? そこに複数の説があるのか?」

 

「あります。京夜はそんなことにも考えが及ばないのですね」

 

 さっそく苺を食べながら先ほどの報告の中のNの目的について触れたメヌエットは、回り始めた頭でいきなりオレの想像を越える話でマウントを取ってくる。仕返しはやっ。

 残念なことに考えが及ばない現実は変えられず苦い顔をしたら、やれやれといった雰囲気でまた苺を頬張ってからいつもの口上から親切に説明してくれる。

 

「想像力に乏しい京夜のために小舞曲のステップの如く丁寧に説明してあげましょう。まず異世界の定義として一般的なのは、先に挙げた次元の異なる世界であることは理解していますね?」

 

「少なくともこの地球上のどこかにあるものではないってことだろ?」

 

「説としては世界の分岐の上で分けられた、所謂パラレルワールドがその1つと言えますが、ドラゴンや人魚が存在する以上、生物の進化の歴史から覆すような差異があるようですから、可能性は捨てきれませんがこの説はあまり有力ではありませんね。何故ならそれほど古代の分岐が存在するならば、もっと直近の分岐世界とも繋がる可能性が高く、世界はとうの昔に混沌としていただろうからです」

 

「それでもう1つの説ってやつか」

 

「京夜はその説を導くだけの情報を与えられていますよ。ヒントはこれです」

 

 最初にオレが考える異世界の認識を確認してから、パラレルワールド説を否定気味に話してオレの考えが及ばなかった方の説を説明するためにメヌエットが懐から取り出したのは、オレが誕生日にプレゼントした銃弾に加工したほぼ純正の瑠瑠色金。瑠弾。

 肌身離さず持っているとアリアのように人体にも影響を受けるかもしれない──理子がそうなってないし杞憂かもしれないがな──からか、割と厚いケースに入れているそれを見せてきた意図は……

 

「瑠瑠色金……いや、色金か……」

 

「珍しく察しが悪いですね。ではこの色金という超常の金属生命体は『一体どこから来たもの』なのですか?」

 

「どこからって……何千年も前に宇宙から落ちて……ッ!」

 

 今年の3月にアリアと緋緋色金の一件で、アリアと緋緋神は和解のような形になり、緋緋色金はその取り引きとして本体を宇宙へと戻された。

 そう。緋緋色金。ひいては今もレキの故郷であるウルス。アメリカのエリア51の地下に保管されている璃璃色金と瑠瑠色金も、元を辿ればこの地球上には存在しなかったのだ。

 それは隕石のように地球の重力に引き寄せられて飛来した地球外生命。言ってしまえば宇宙人に他ならない。

 

「あー……つまりあれか? 色金が宇宙由来のものなら、ドラゴンや人魚もそうだって説か?」

 

「確定させるにはまだいささか弱い根拠ではありますが、なくはないでしょう。京夜は先月の無人島での一件ではワームホールを利用して移動させられたのでしたよね。同じ地球上の座標から座標へ移動したに過ぎない事象ですが、注目すべきはこの移動に『距離』が無視されるということ」

 

「えっと……まさかとは思うけど、そのワームホールが『地球以外の惑星』に繋がるんじゃないかってことじゃ……」

 

「ふふっ。それこそまさにSF(スペース・ファンタジー)の世界ですわね」

 

 非現実的な事象とは最も遠いところにいそうなメヌエットから、夢のような説が飛び出したことにオレも心底驚く。

 ただこれまでの超常の事象を受け入れなければメヌエットさえも推理に支障が出るところまで来たのだと察することもでき、またこの説を絶対にないと否定する根拠がオレから出てこないのも事実なのだ。

 

「ドラゴンや人魚が地球の環境に適応していることから、彼らの故郷も地球の環境に近いか、順応性に長けているか、もしくは適応したのか。そしてその地球以外の生物が存在する惑星がいくつ存在し繋がるのか。考えられる可能性を考慮すると尽きませんが、今のところの説としてはこれが有力なところかと」

 

「宇宙人か……スケールがデカすぎて実感が湧いてこないな」

 

「説明している私も真面目に話しているのが不思議なくらいですから無理もありません。それとこの話はまだお姉様には伏せておきなさい。良くも悪くもお姉様は決断が早いですから、Nとの敵対が強い以上、ほぼ確実に砦側に回ってしまいます」

 

「それはまぁ想像するに容易い。話す相手も慎重にとは言われてるし、今のところはメヌだけにしようと思ってる」

 

「懸命な判断ですね。京夜のもたらす情報1つで、我々の側の統率がどれほど乱れるか想像も尽きませんから。それに表面化していないだけですでに裏では対立が生まれているやもしれませんね。Nが仕組んでいることとはいえ趣味が悪いとしか言えません」

 

 とんでもない説はどうあれ、メヌエットも無闇に話すことではないと結論を出して釘を刺してきて、オレも話すならメヌエットくらいだろうと始めから決めていた。

 1人いるとするならエンゲージのあった時代に先祖がいたことが確定してる星伽。その子孫の白雪だが、現状で話したとしても進展があるかと言えば、ほぼないだろうな。

 

「なんにしてもNが起こそうとしてるサード・エンゲージとやらを止めるか否か。それをオレやアリアといった個人レベルの武偵やどこかの団体・組織が決断していいものか。それと扉側のメリットってのがよくわからないんだよなぁ」

 

「決定権に関しては難しいところですが、扉側のメリットは比較的容易に想像できますよ。要するに人類にとって超常の存在とのコンタクトが利益や発展に繋がればいいのですから。先のエンゲージでもたらされた最たる例が、今日に世界各地に存在している超能力者達と言えますよ」

 

「……そうか。世間一般的には超能力の存在はまだまだ眉唾モノだから世界への影響ってのに繋がらなかったが、これが認知されて一般に利用されれば十分な利益や発展を生む可能性があるのか」

 

「超能力だけに限らず、あちらに存在する未知の技術や物質もその対象になりますね。ただし、その発展のために大きなリスクを負うのも事実です。あちら側から来る者が全て世界にとって無害の存在であるなど、誰が保証できましょう」

 

 時間もそろそろなくなってきたから、最後にオレが考えてもわからなかった扉側のメリットに関して尋ねると、これもすぐに考え至っていたらしくスラスラと回答の例を述べてくれて納得。

 人類の発展の上でほぼ欠かせないのが、未知。今は教育の中でも教えられるようなことも昔はわからなかったことばかりで、これを解き明かした人間がいて、利用し発展させた人間がいたから常識が生まれたんだ。

 その発展がサード・エンゲージで起きるとなれば、確かに人類にとってのメリットに十分なりえるが、それと同時にメヌエットの言うリスクも背負うんだ。

 下手をすれば人類滅亡なんて未来も可能性としてある以上、サード・エンゲージ大歓迎っていうNの考えは過激に思える。

 

「そのリスクを軽減、或いは排除するためにNが慎重に計画を進めているという捉え方も出来ますが、そうだと断定する材料もない以上、私や京夜がすべきことは変わりません。Nは我がイギリスから黄金を盗み、世界各地で法に触れるテロ紛いの行為を繰り返しています。これを止め秩序を取り戻すのは武偵の本分でもあるでしょう?」

 

「武偵は世界平和を目指すような綺麗な職業でもないが……そうだな。それらを放置していい理由もないか。ありがとな、メヌ」

 

「何のお礼ですか。訳のわからないことを言ってる暇があるのなら、1人でもNのメンバーを逮捕なさい」

 

 扉と砦。双方の主張がわかったのと、色々な情報を取り込んだオレがこれからの行動についてを迷っているのを悟ったのかはわからない。

 それでもメヌエットはオレがこれまでにやって来たことが無駄ではない。これからもやることは変わらないとほぼ断言して背中を押してくれた。

 その辺の意図を汲み取るのが早かったからか、メヌエットもそれ以上の会話は嫌ってオレを遠ざけつつ顔を背けて苺をパクリ。照れ隠しだと信じたいね。

 

 大事な話のあとはオレの夏休みの帰国の日程を尋ねてきて、それを教えてやれば、長いだの土産はあれがいいだのと文句やらが噴出してきたから無視してホームズ宅をあとにして登校。

 メヌエットの要望を全部聞いてたらオレの帰省なんて10日もなくなるだろうし、何かあればすぐ戻って来いとか言い出しそうで怖い。

 こっちの都合も考えない我が儘は聞くだけ付け上がるだけだから、土産を少し豪勢にすることでバランスを取ろうそうしよう。

 そんなメヌエットお嬢様のちょっとした寂しがりな部分を察しつつ、ギリギリ修了式には出られたオレも無事にロンドン武偵高での生活に一区切り。

 一区切りとか言うほど学校での思い出も出来事もなかった気もするが、それはそれとして午前中の内に終わった学校の放課後は、マリアンヌ校長に呼ばれて校長室へと招かれていた。

 オレの他にも3人。学年はバラバラだが生徒が先に到着していて、顔ぶれを察するとロンドン武偵高に留学に来てる生徒が集められてる。

 オレが最後の1人だったか、到着して早々にソファーへと促されてマリアンヌ校長の淹れた紅茶を皆が口に含んでから、対面に座ったマリアンヌ校長が口を開く。

 

「さて、時期はバラバラながら、4名とも無事に我が校での学習期間を終えました。引き続き新学期以降も留学を続ける方が1名おりますが、生きて故郷に帰れることを嬉しく思います」

 

 なんとも武偵高らしい生き死にの安堵の話から始まり、冗談ではないマジな心配事の1つが消えてマリアンヌ校長もさぞホッとしたことだろうよ。

 オレなんて運がなきゃこの4ヶ月くらいで3回くらい死んでるからね。報告書とかには無事だなんだと書いておいたけど、洒落にならないっす。

 それもあと3ヶ月ほど続きますがよろしくお願いしますよ。

 などと表情には出さないが辛労になりそうなことを思いながら話を聞いてると、留学を終えた他の3人にそれぞれ書類を渡して言葉を贈り、割とアッサリと3人は退室させられ、残されたのはオレ1人。

 まぁ4月が新年度になる日本が時期的に悪いのもあるし、留学期間が変になるのは仕方ないさ。他の3人はみんなヨーロッパの武偵高だったはずだしな。

 日本も9月からの新年度になれば良いのになぁ。とかマイノリティからの脱却を密かに考えながら改めて対面に座ったマリアンヌ校長がオレに向けた書類をテーブルに置いてくれる。

 

「そちらには留学に関するものと評価等の書類。あとは帰国用の航空チケットを封入させていただきました」

 

「航空チケット……何かのサービスですか?」

 

「捉え方はご自由に。我々としてもSランク武偵の扱い方は慎重にならざるを得ないとだけ。それから今後の留学に関して1つ」

 

 失礼を承知で話の最中に書類を開いて中から航空チケットを確認し、搭乗便を見つつ裏を探る。

 ただこれはSランク武偵への配慮みたいなもので、オレ個人に恩を売ろうとかそんな下卑た話ではなさそうでひと安心。

 これで素直に受け取って「これで留学ではなく晴れて転学になります」とかなったら理不尽にもほどがあるし。

 ロンドン武偵高としてもオレの日本人気質を見越して先に何かを提示し追加要求が来ないようにした形だろうし、オレとしても特に何かを絞り取ろうとかないからありがたく受け取っておくことにする。

 そしてこっちが本題とばかりに少しだけ真剣さを増した表情になったマリアンヌ校長に合わせてオレも話に集中。今後の留学?

 

「猿飛京夜さん。あなたの本校での評価はSランク取得などを加味して十分な高評価と言えるでしょう」

 

「それは、はい。ありがとうございます」

 

「ですが、一点だけ気になることがあるとするなら、これでしょう」

 

 最初に留学生としてのオレの評価が総合すれば高いことを述べてくれたので、オレもそれは素直に感謝しつつも、次に1枚のレポート用紙を見せてきたマリアンヌ校長に促されてそれを拝見。

 これは……うげっ。オレの出席日数ではなかろうか……

 とりあえず問題はギリギリないとはいえ、公欠扱いの入院期間を除けば授業に出てる日が60日程度。えっ、4ヶ月って何日でしたっけ?

 

「勘違いしないでくださいね。武偵高は依頼による校外活動で欠席扱いはしませんし、日本では最上級生であるあなたが、今後に向けて依頼に力を入れるのも大いに構いません。私はそれを咎めているのではありません」

 

「それじゃあ、これの何が……」

 

「本来、留学の目的は他校の校風や文化を知り、将来の人脈を広げるなどのコミュニケーションに寄るところが大きいです。先の3名はあなたに評価こそ及ばないものの、その点で見ればあなたよりも良い傾向にあったと言えますね」

 

 あー、これはあれだ。つまりオレが留学の目的に沿ってないってことだ。

 おそらく東京武偵高で全く同じ行動を取ったとしても、あっちでは何も言われることもなく、むしろ蘭豹なんかなら「お前も出世したなぁ、ガハハッ」とか背中をバシバシ叩かれる優等生だったはず。

 それがそうならないのは、これらの行動を留学先でする必要があまりないから。

 話からオレが悟ったのを察して、全てを話すまでもないかとオレの欠点は直接的には言わず、ただし暗い話ではないのだというようにニコッと笑顔を向けてくる。

 

「私はこれまでのあなたの行動をネガティブに捉えてはいません。本校で言えば神崎・H・アリアさん。アンジェリカ・スターさん。そしてフローレンス。彼女らもまたあなたと同じように『学校』という狭い枠に収まらない器なのです。あなた方のような武偵にとって学校というものが足枷になってしまうのなら、早くに決断しても良いのかと考えているのです」

 

「えっと……おそれ多い評価ですが、それはつまりオレが……」

 

「プロの武偵として、どこかの団体・組織に所属するか、独立し個人事務所を立ち上げるかの選択です。もちろん、卒業のための手続きは別途で必要にはなりますが、あなたの成績ならば問題はないでしょう」

 

 これはまたずいぶんと飛躍した提案が来たもんだな……

 こんなにアクティブに依頼をこなすなら、留学なんて手間なことをしていないでさっさと武偵高を卒業してしまえという、割とぶっ飛んだ提案に表情が固まる。

 

「たとえそうしたことでなくとも、あなたの今の行動力をこれからも発揮するならば、無理に留学を継続する必要はないと私は考えています。あなたにとってこの留学がメリットになりうるかどうか、この夏休みの間にもう1度よく考えてみるのもいいかもしれませんね」

 

 さすがにいきなり卒業だ起業だ就職だと言っても困惑するのは目に見えていただけに、マリアンヌ校長もそれはそれとして留学に関しては自分にとってのプラスになるかをよく考えてみるようにと意見してくれる。

 確かにこんな出席率で留学をしている意味があるかと言えば疑問が出てくるところではあるし、Nの問題でも日本にいる方がアリア達と色々な行動を擦り合わせることが出来るだろう。

 

「……期限はいつまでに?」

 

「諸々の手続きなどを考えて、夏休みが終わる1週間前には返答をくだされば。あなたの人生ですから、ゆっくりと考えてください」

 

 正直なところではオレもこの留学に意味があるのかと考えた瞬間は何度かあった。

 ただそれ以上にNの問題に振り回されてそれどころではなかったから考えないようにしていたことを、学校側から提案してくれたのは、ある意味で良かったのかもしれないな。

 もちろん留学に意味を持たせる努力をオレがしないのは怠慢だし、Nだとかそういうのを理由に留学を取り消すのはもっと違う。

 これは夏休みを前に大きな大きな宿題を出されたような、そんな気分になってしまった。



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Slash63

 7月22日。木曜日。早朝。

 昨日の朝にロンドンを発って飛行機で12時間を過ごしたのち、日付が変わっての朝だから時差ボケは割とキツい。

 日本も夏休みシーズンに突入してるからか、早朝でも羽田空港は人が多く、オレの乗ってきた飛行機もほぼ満席で到着していた。サマーバケーションってやつだ。

 そんな人々が浮き足立つ季節を感じながらロビーの方まで移動していくと、事前に連絡していたジャンヌが携帯を片手にお出迎え。

 帰省に関しては報告の義務があるとかなんとか言われそうだったからジャンヌにだけは帰国の便を知らせたが、朝からご苦労様です。

 

「ああ、いま来たから出しておけ。時差ボケは調整できているか?」

 

「まだ微妙なところだな。明日までには復調させておくけど、なんか急用か?」

 

「ん、いや、そんなことはないが、一緒にいて欠伸をされるのは気分的に好ましくはなかろう」

 

「そりゃそうだ。こんな美人を前にして眠気に負けてりゃ男として終わってる」

 

「その台詞はもう少し感情を込めて言ってもらおうか? んん?」

 

 わざわざ空港まで出迎えに来る辺りに意図を感じつつ、通話の相手がドライバーの島苺であろうことも察して、挨拶代わりの軽いトークを交える。

 ただオレの言葉の覇気というかそんなので本気で言ってないことも見透かされて嫌な笑みを浮かべられたのは誤算で、褒められることに関しては手抜きを許さないジャンヌの女の部分を称賛。これは失礼しましたよ。

 そんな圧の少しあるジャンヌに謝罪しつつ一緒に空港を出ると、タイミング良く島の運転する車が横付けしてくれて、ジャンヌは助手席に、オレは後部座席へと乗り込んで目的地も知らされないままに出発。

 

「島は久しぶり。修学旅行Ⅲでは会わなかったからな」

 

「ですのー。苺はロンドンでずっとタクシーに乗ってましたから、会えなかったのも仕方ないですのー」

 

「タクシー? ああ、ロンドンタクシーだもんな。島にとっては至極の時間だったろ」

 

「ですのですのー! もうあの丁寧かつ繊細で無駄のない運転だけで苺はもう……はわんっ」

 

 相変わらず変わった子だよなぁ……

 どこへ行くかは勝手に推理するとして、修学旅行Ⅲでも会わなかった島への挨拶をしたら、年頃の女子高生が行わないような奇行でロンドン観光を満喫していたことが判明。

 なぜ島がこうまでタクシーでの観光を楽しんでいたかは、ロンドンタクシーのレベルの高さにある。

 日本では特定の運転免許さえ取得すれば誰でもなれるタクシー運転手だが、ロンドンタクシーはノリッジ試験と呼ばれる世界でも有数の難関試験を合格しなければなることができない狭き門なのだ。

 試験にはロンドン市内のありとあらゆる地理や施設の情報を記憶し、目的地までの最短ルートを導き出す能力など、多岐にわたる知識と確かな運転技術を必要とされる。

 つまりロンドン観光におけるタクシーは、それイコール最効率の観光を可能にするサービスの1つと言えるだろう。もちろん英語ができていればな。

 ただロンドンタクシーは他より割高だから、乗り回したらしい──しかも景観などを楽しんでたわけでもないだろう──島はきっと、乗ってるだけで有り金のほとんどを消し飛ばしたと見て良さそう。楽しみ方は人それぞれだからいいけどね。

 そのロンドンタクシーを見習ったかどうかは知らないが、話の中でふにゃふにゃにとろけたりしながらも運転は全くブレることなく、むしろ前よりも上手くなってるっぽいぞ。こりゃ武藤もうかうかしてられないな。

 身長135cm程度しかない女児な見た目の島が車輌科の筆頭っていう事実には未だにギャップを感じるものの、チームメイトとして誇らしくもあるのでこの調子で早紀さんレベルの武偵になってくれたらと考えていると、

 

「そういえば猿飛さんはSランクに昇格したと聞きましたの。ご立派ですのー」

 

「ああ、ありがとう。ジャンヌから聞いたのか」

 

「チームメイトの躍進はとても嬉しいですの。苺も負けられませんのー!」

 

 ジャンヌ経由で聞いたっぽいオレのSランク昇格の話を持ち出し、自分も負けられないと気合いを吐き出す。

 吐き出すのはいいが、その気持ちが強くて運転にまで力が入ってぐんぐん前の車を追い越していく無駄な荒々しさはいらなかったな。安全運転大事。

 

 島の運転する車は、本来なら真っ先に目指すべきであろう学園島をスルーして北上を続け、そろそろ通勤ラッシュで移動が鈍化しそうなギリギリの時間に秋葉原に突入し入り組んだ道へと入っていく。

 目的地はこの辺らしいが、早朝の秋葉原に何があったか。

 どこかの店にせよ時間帯として開店はしてないからそっち方向じゃないとすると……

 そう考えながら外の景色に目を向けていたら、前方方向に『ナカソラチオーディオ』なる看板を掲げた建物が見えてきて、車もその建物の前で停車。中空知ですか。

 

「中空知の実家か?」

 

「そうだ。お前が一向に聞かないから、コミュニケーションの必要ありと判断した。まだ出勤前だからいるだろう」

 

「聞かないって……いや待て。そもそも出勤って……」

 

 停車してすぐに車を降りてスタスタと中空知の家の前に移動したジャンヌは、何の溜めもなしに玄関のチャイムを鳴らして来訪を告げてしまう。

 あれぇ……中空知って確か神奈川の武偵高に新2年生として転校したんじゃなかったっけ?

 それが何で今は出勤とか言われてんの?

 これもコミュニケーション不足が招いた結果と言えばそうなんだろうけどさ。ちょっとくらい人の質問に答えてはくれないもんかね。

 遠慮なしな早朝の訪問に男としては気が引けてしまうものの、起きている事態を止められはしないのでジャンヌの後ろで島と成り行きを見守ると、チャイムの数秒後くらいに鍵を開けて出てきたのは武偵高のセーラー服を着た中空知。

 ん? セーラー服を着ておりますが? 出勤とは?

 

「えっ、ジャンヌさん!? こんな朝早くにどうしたんですか? それに……わぁ、島さんと猿飛君も!?」

 

「今朝方にこれがロンドンから帰ってきたのでな。これまでのチームの事情を説明するついでにお前を会社まで送ってやろうと思ったのだ」

 

「今のところ何1つ説明ないんだが?」

 

「ですのー」

 

「それはそれは。親切にありがとうございます。準備までにまだ少しかかりそうなので、家へ上がって待っていてください」

 

 相変わらずのアナウンサー顔負けな通るような美声の中空知は、急なオレ達の来訪にも寛容ですぐに中に招いてくれる。のはいいんだが、なんか今のやり取りだけで違和感が。

 それを言語化するよりも先にズカズカと家の中へと入っていったジャンヌと島に釣られてオレも玄関へと入るが、表札に中空知と母親らしき名前しかなかったのも鑑みて、わざわざ居間までお邪魔する必要はないと判断し玄関に腰を下ろして待つことにする。

 すると遠慮なしな2人が居間からひょっこり顔を出して、来ないのか? みたいな顔をするから、手をヒラヒラさせて気にするなとリアクション。

 その様子を居間で見ていたらしい中空知の母親が律儀に玄関まで足を運んで目の前で腰を下ろしてくれる。

 容姿は中空知と似ているから、母親似なんだな。こんな朝早くにも関わらずに手間な和服を着込んでいるのは、どことなく育ちの良さを感じなくもない。

 

「あなたが猿飛さんですね。ジャンヌさんや娘からお話は聞いておりました。娘がいつもお世話になっています」

 

「いえ、私は美咲さんとはほとんど交流がなかったので、お世話をしたなんてことはないかと。お世話になったことはありますが」

 

「大層なもてなしはできませんが、お上がりにはなりませんか?」

 

「朝方の急な訪問ですし、女性しかいない家に男が入るのははばかられます。どうかお気になさらずに」

 

「まぁ。とても紳士的な方ですのね。化粧っ毛もない家ですから気にしなくてもいいのですけど、そのお心遣いを素直に受け取っておくのがよろしいですね」

 

「京夜。お前はいつからそんな英国紳士のたしなみを身につけたのだ? 留学ではそんなことも学ぶのか?」

 

「習うより慣れろってやつだな。あの我が儘お姫様を相手にしてたら嫌でも身に付くけど……」

 

 中空知と同じような通る美声の母親に中へと勧められはしたが、見方を変えれば思春期男子みたいな理由で断ったオレに折れてくれる。そこは大人な対応で助かった。

 ジャンヌの茶々入れのせいで余計なことも呟いちゃったが、誰のことを言ってるのやらな母親は笑顔で流してくれる。お、大人ぁ。

 

 その後、母親とは他愛ない会話をいくつかしていたら中空知の準備も整って、揃って母親に見送られて島の車に再度乗り込んだオレ達が向かう先は、知らん。どこ行くんだ。

 そんな表情を読み取ってくれたのか、隣に座る中空知が何も教えてくれないジャンヌに代わって口を開いてくれる。

 が、その前にだ。

 

「あのさ、中空知。今も不思議なんだけど、オレと普通に接してるよね? 前はもっとおどおどしてたような……」

 

 玄関での最初のやり取りからずっと気になっていたことをズバッと切り込む。

 そうなのだ。この中空知美咲という人物は、面と向かっての交流が大の苦手で、特に相手が男となると会話すらままならないレベルだった。

 それが今はどうでしょう。オレと普通に話すどころか、手を伸ばせば触れられる距離にいながらオレと目を合わせて平然としているではありませんか。

 

「はい。これも全て遠山社長……いえ、前社長のおかげです」

 

「遠山? キンジの?」

 

「中空知は同じ時期に退学になった遠山が興した会社の最初の社員となったのだ」

 

「会社? キンジって武偵事務所を始めたんじゃなかったっけ?」

 

「興りとしてはそうなりますが、今は色々とありまして武偵まんという商品を製造・販売する会社になっています。社名もTBJ(タベルジェ)に変更になりました」

 

「武偵まん? 確かに事務所が饅頭工場だったってのは話には聞いてたけど、それを利用したわけか。素人が食べ物に手を出してよく成功したな」

 

 なんかキンジと同じ時期に武偵高を退学になってたらしい中空知も大概だが、話だけだと実感が湧かないからリアクションに困る。

 それはそうだろうなと中空知も察して鞄の中から商品であろう武偵まんとやらを取り出してオレに手渡し。

 饅頭に武偵徽章の焼き印が押されているのが特徴なんだろう。味は……美味しいんですけどぉ!? 素人って何なの!?

 謎の饅頭のクオリティーに驚愕してしまったオレに何故かジャンヌがドヤ顔をしているのをバックミラーで確認し、チームメンバーの手柄はリーダーの手柄とでも言いたいのかお前は。留年した時は頭を抱えておりましたよねぇ? んん?

 まぁ都合の悪いことは忘れるらしいリーダーのことは放っておいて、その後もなるべく丁寧に順を追って話をしてくれた中空知によると、饅頭工場の製造機がかなり優秀だったらしく、さらに偶然にも実家が和菓子屋らしい人──キンジの知り合いみたいだ──の技術をその目で見て学んだことで形になった武偵まんがなんやかんやあって大ヒット。

 武偵徽章を付けていることで防犯としての機能を果たす『食べられる防犯グッズ』が売り文句となって、カロリーオフの商品なんかは女子高生に大人気で、好立地な店舗を2つ展開。

 委託販売も取り付けて会社としてはかなり好調なようだった。

 それでキンジは社長の座を降りて退職し、今は中空知が社長として従業員15人を抱えて頑張っているらしい。制服が武偵高のセーラー服なのは謎だけど。

 そうして接客業を忙しなくやったこともあってコミュ症を発揮する暇もなく、いつの間にか人と普通に話せるようにまでなったのは大きな成長で、オレもまさか中空知とこうして普通に会話が成り立つ日が来ようとは夢にも思ってなかった。失礼ですけどね。

 それらの話を聞いて大体の事情を飲み込んで整理できた頃に辿り着いたのは、港区北青山のとある一角。

 そこにあった『TBJ』の看板を掲げた製造工場が本社ってことだ。

 その工場の前で車を降りた中空知が、気を利かせて見学を勧めてくれて、折角なら中空知の社長としての働きぶりを見ようかなとジャンヌと島も一緒に突入。

 中ではすでに数人の従業員がせっせと饅頭製造に励んでいたが、みんな女子なのか。キンジはこれがダメで辞職したんじゃなかろうか。

 とか思いつつ中空知の出勤に気づいた従業員がみんな揃って丁寧な挨拶をして、それに真面目に返しながらオレの紹介を簡単に済ませてくれる。

 ジャンヌと島はすでに顔見知りなようだったから反応はあまりなかったが、初見のオレに対しての反応はちょっと困る感じに。

 中空知がオレのことをどう話したことがあるのかは知らないが、なんか手を止めた従業員がヒソヒソと「例の……」「あの人が?」「どうしよう……」などなど。噂のあの人が来たみたいな会話をしながらゾロゾロと近寄ってきてしまう。

 皆さん、セーラー服を着てますが、正社員ならオレより年上なはずですよね?

 

「社長から話は聞いてました」

 

「とっても頼りになる人だって」

 

「あと顔は怖そうに見えて中身はすっごく優しいとか色々」

 

「でも実際に見たら怖いっていうよりむしろカッコ良いかも」

 

 本当にどう話したのやらなことを言われて困惑しまくりなオレを見る従業員達が苦手なタイプの笑顔を向けてくるから、とりあえずの苦笑いを浮かべてやり過ごそうとする。

 しかし従業員の視線がかなり好意的なものと見抜いたジャンヌがオレの反応を良く思わなかったのか、はたまた別の理由なのかはわからないが、キロッとキツい感じの視線を一瞬だけ向けて威嚇。

 それってどんな意味なのかちゃんと言葉で教えてくれませんか?

 一気にこの場から立ち去りたい気分になって、盛り上がり始めた空気が温まる前にドロンしようとしたら、島がオレの腕に引っ付いて「この前Sランクにも昇格しましたのー」とか一番いらん燃料を投下。

 とどめの一撃とばかりの発言で従業員もいよいよ遠慮という理性が崩壊し、人脈作りやらの思惑が丸見えな連絡先の交換を猛プッシュ。

 さすがに見え透いたアタックは看過できないと判断したのか、ジャンヌも落ち着かせるように割って入り、中空知も迷惑をかけられないと仕事に戻るように指示してくれて事なきを得る。助かったぁ。

 とりあえず燃料投下の罪で島の頭にチョップを1発お見舞いしてやると、そのオレの足をかかとで踏みつけてきたジャンヌが小声で「なに鼻の下を伸ばしているんだ」と怒ってくる。本当にそう見えたんならお前の目は節穴だ。策士引退だよ。

 ともあれ騒いでしまった手前でこれ以上の仕事に支障を出すのはいただけないので、今回は大人しく退散する運びとなり、また後日にゆっくり見学すると約束して会社をあとにして車は今度こそ学園島へ向かい始めた。

 

 実に4ヶ月ぶりとなる学園島は、特にこれといった大きな変化もなく見慣れた風景が続くまま、おそらく最も出入りしていたであろうオレの住む男子寮に到着。

 同居人がいなくて、新学期にも新規入居者が入らなかったらしいオレの部屋は、相変わらず非常用の住居──転入生やらの受け入れ先にされてる──扱いみたいで、きっと今頃は埃だらけで大変なことになってるんだろうな。

 まずは掃除からかぁ。などと思いながら、何故か後ろをついてきたジャンヌと島はとりあえず無視して部屋の鍵を開けて中へと入る。

 ──異変に、気づく。

 

「…………あっま……」

 

 扉を開けた瞬間に中から匂ってきたのが、女性用の香水か芳香剤のくっそ甘い香り。

 あまりに強い香りに思わず鼻をかばう動きをしてしまうが、危険なものでもないからすぐに切り替えて匂いの元を探す。

 異変はそれだけではなく、足跡がくっきり残るほどの埃があると思っていたフローリングの床も酷い状況にはなっていなく、ここ数日以内に掃除をした形跡がある。

 リビングに入ると、ここもやはり掃除が割ときっちりされていて、キッチン、トイレ、洗面所、浴室。どこも問題ないレベル。

 匂いの元はリビングのテーブルの上に置いてあった芳香剤だったものの、中身は市販品じゃなくて誰かの調合だぞ。こんな甘ったるい匂いを充満させられるとか嫌がらせを疑うし。

 

「なに? この部屋でなんかヤバイ実験とかしてたのか? 匂いは何かを誤魔化してるのか?」

 

「いや、そんな怪しげな会を開いたことはなかったはずだが……」

 

「ですのー」

 

「…………おい」

 

 何者かの陰謀を疑いつつ、とにかく嗅ぎ続けるのは身体にも悪そうだから袋で密封して芳香剤を封印。

 その際に我が物顔でキッチンでお茶を汲んで飲むジャンヌと島がアホなことを言い出すから思わずツッコんでしまう。

 会って何だコラ。この部屋はお前らの宴会場じゃねぇんだよ! しかも1回や2回じゃないなオイ!

 

「……はぁ。まぁ掃除してくれてるから文句はあえて言わんが……」

 

「掃除は主に橘と幸帆がしていた」

 

「前言撤回。お前ら帰れ」

 

 それでも掃除をして解散してたなら差し引きゼロで許してやろうかと寛大な心でいたのに、騒ぐだけ騒いで何もしてなかったジャンヌと島を許す心はオレにはなかったようだ。

 このあとも別に何かを手伝ってくれることもなさそうだから、子猫を持つように首根っこを掴んで玄関から外へと放り出して2人を放棄。

 部屋中に充満してる匂いを取り除くために窓を全開にしてから、嫌な予感がして開けてなかった寝室のドアを恐る恐る開ける。

 ジャンヌや島。小鳥や幸帆が出入りしていたなら当然、他の自由人が出入りしていることは目に見えていたから、面倒臭がりは絶対にここで寝泊まりしていると踏んでいたが、案の定だ。

 留学前にオレが寝ていたベッドには、今やオレのベッドかを疑うほどのぬいぐるみと、1000%ネタだろうがオレの等身大写真の抱き枕が置かれていてドン引き。

 こんなことするやつはこの世に1人しか存在しないことは確定的に明らかで、たとえ他所様の所有物だろうと気持ち悪いから抱き枕は処分しようと単分子振動刀を抜きかける。

 しかしその前に女の勘なのか確かな情報を得てなのか知らないが、玄関から室内にドカドカとうるさく入ってきた人物が寝室の出入り口で急ブレーキで止まる。

 

「あー! やっぱりキョーやんじゃん! 帰る時は連絡するのが彼氏の義務だって決まってるんだよ!」

 

「本当の彼女にならそうしてただろうよ」

 

 見つからなきゃそのまま黙っておこうと思っていたのに、もう見つかってしまったか。

 そんな感じの感想しか出てこなかった理子の到着早々のボケにはやんわりツッコミつつ、オレが帰ってくる前に回収しようとしていたのか。あえて見せてリアクションを楽しもうとしていたのか不明なベッドの物に視線を落とした理子が動く気配を察して、好き勝手していたことも加味しダメージを与えておこうと思う。

 そうして理子の妨害が入る前に抱き枕を掴んで軽く真上に放り、床に落ちるより早く単分子振動刀を4度振るうことで等身大のオレは華麗に5等分されて中の羽毛が宙を舞い、その光景に四つん這いになった理子の「うぎゃあああ! 理子のお宝がぁああ!!」という絶叫が木霊したのだった。

 まったく……帰省初日からうるせぇんだよバカが!!



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Slash64

 

「や、やだキョーやんったら。理子にこんなことして何するつもりなの? いやんっ」

 

「安心しろ。お前が想像するような事には絶対にならんし、オレにそういう趣味もない」

 

 学園島の学生寮に戻って早々、自分の住む部屋が色んな意味で荒らされていたことに心が荒んでいたオレは、その元凶が精神的ダメージを負って動けずにいた隙に縛り上げて拘束。

 手首と足首を後ろでまとめて縛ったからエビ反りな姿勢で寝室の床に転がる元凶、理子は、不利な状況にも関わらずボケをかます余裕を見せるから、オレも罪悪感に苛まれなくてありがたいね。

 しかし拘束してもこのまま放置したところでクネクネとキモい動きでイラつかされるのは目に見えてるから、布団を使ってさらに理子の身体をぐるりと包囲して縛り、首から下の動きを不鮮明にすることでストレス軽減。これで口しか動くまいよ。

 

「キョーやん……これはヤバいよ……」

 

「暑さでか? それならクーラーの効くリビングに運んでや……」

 

「物理的に理子の下から見放題の攻め放題だよ! すっごくエッチぃよぐへぇ!!」

 

「万年発情期の猫かお前は!」

 

 ……忘れてた。こいつの一番封じなきゃならんのはペラペラポロポロと言葉が出てくるこの口だったわ……

 しかしそれを封じると会話が成り立たなくなるから、受け身も取れない理子を脇に抱えて2段ベッドの上の側面に頭をぶつけさせ鎮圧……

 しかけたのに頭がぶつかる直前に理子の影に潜んでいたヒルダがオレの足を払って転倒させてきて、真後ろにひっくり返って背中から落ちてしまう。

 

「こっの……ヒルダぁ」

 

「ダメだよキョーやん! 理子のために怒らないで!」

 

「お前は話を捏造するな! はぁ……頭痛い……」

 

 その一連の行動で最終的に布団に包まれた理子が直立不動のギャグみたいな姿勢になったのはスルーして、真面目に相手してるのもバカらしくなったオレは、影から顔だけ出してアッカンベーしてきたヒルダのわずかに出ていた手に超能力者用の手錠を素早く嵌めて影から引っ張り出し、両手にしっかりと嵌めて理子と同じような拘束をして寝室からリビングへ連行。

 理子はしばらくそのまま寝室に放置して、ヒルダは大嫌いな日光が射し込むギリギリの窓際に吊るしてやったのだった。構ってちゃんは放置が一番ダメージあるからこれで良いだろう。

 それから昼まで理子とヒルダの悲鳴やら罵声やら弱音やらが聞こえ続けたが、全く取り合わずに荷物を開けて整理したり、昼飯を作るための買い出しに行ったりで過ごし、帰ってきたら2人とも状況に慣れて扉越しにしりとりをやってたから呑気なもんだ。

 オレが帰ってきたのを察してからすぐに「おトイレー! 漏れるー!」とか切羽詰まった声で言われたりもあって、仕方なく2人を解放してやり、マジだったのか全速でトイレに駆け込んだ理子を見送って昼飯の準備に取りかかる。

 ヒルダはヒルダで理子に執拗な『り』攻めを食らっていたらしく、敗北寸前のところを助けたみたいで謎の感謝をされ困惑したが、罰ゲームでも設定してたのか?

 手錠を外してからはまたいつもの調子を取り戻して、スッキリした顔でトイレから出てきた理子の影に再び潜んでいってしまい、理子も買ってきた材料からオレが作ろうとしてるものを推理して勝手に手伝い始めてくれる。こういうところは何故か良い女なんだよなぁ。普段とのギャップよ。

 まぁ材料自体が卵ときゅうりとハムに麺なんだから、推理もクソもなく冷やし中華なのは確定的でやることも少なく、各種具材を切って麺を茹で、サクッと錦糸卵を作ったらほぼ完成だ。

 これを食べると夏って感じがするからか、オレもさっきまでの頭の痛いやり取りを忘れて夏気分になり、理子もニコニコ笑顔で対面に座ってお行儀良く食べ始める。

 

「やっぱ夏はこれ食べないとだよねぇ。キョーやんわかってるー」

 

「夏本番はこれからだがな」

 

「今年も海行こうよー。理子的には2人きりがベストだけど、周りがうるさそうだし高望みはしないから、ね?」

 

「そういう話はまたあとでだ」

 

 食事中はふざけてテーブルをひっくり返されたりするのが嫌だから大人しい理子が食べ終わる前に聞くべきことは聞こうと、軽い会話を交わしてから本題へと切り替える。

 

「リビングにあった芳香剤と寝室の有り様。あれは何だ。あと来るタイミングが良かったところを見るに、何か仕込んでたな?」

 

「ぶーぶー。タイミング良くないよぉ。理子としてはキョーやんが部屋に入るタイミングに居合わせるのがベストだったしぃ。保険としてドア鍵が開いたら反応するセンサーを仕込んでたから、正規ルートの侵入はわかるようにしてたけど、あくまで保険だったしなぁ。それ使った時点で失敗だよぉ」

 

「あーそう。つまりお前は芳香剤も寝室のあれも自分の仕業だと自供したわけだ。お前くらいしかやらんから無駄な尋問だったが、嫌がらせか」

 

「ちーがーうーよー。ロンドン留学と長時間のフライトで心身共に疲労してるキョーやんを少しでも癒してあげようと……」

 

「あの芳香剤で?」

 

「そう! 実はあれ、夾ちゃんに調合してもらってて、吸い続けると段々と気分がフワッてなってハッピーな気持ちに……」

 

「それが事実ならさっさと捕まれ」

 

「別に違法なものなんて言ってないし! ホントにアレなら理子が対策なしに入ってくるわけないじゃん。ぷんぷんがおー」

 

 ……なんだかなぁ。理子なりの優しさ? なのかもしれないし、夾竹桃が調合したなら本当にヒーリング効果のあるものだったのかもしれないさ。

 でもな、誰だって久しぶりに戻った部屋の中に信じられないくらい甘ったるい匂いが充満してたらヒーリング云々より先に身の危険を感じるっての。そこをまず考えてくれ。

 いやいや、よくよく考えればあの存在自体が危険毒物みたいな夾竹桃が調合した芳香剤って逆に危ないだろ。もうツッコむところがどこかもわからなくなってきたんだが……

 本人は真面目に話しているのかもしれないのに勝手に色々考えてドツボに嵌まっていくオレが険しい表情をしたからか、ぷんぷんがおーしていた理子も罪悪感が勝ったらしく少しテンションを下げてチュルリと麺を啜ってから口を開く。

 

「確かに匂いはちょっとキツすぎちゃったなぁとは思ってたからそれはごめんだけど、悪気がなかったことだけは信じてほしいかも」

 

「…………はぁ。あれで悪気がないってのも凄い話だけどな。いつまでもグチグチ言ってても仕方ないしもういい。あとは寝室だが……」

 

「あれは想像通りの反応してくれたのでオッケーです!」

 

「悪気満載じゃねーか!」

 

 理子のことだから本音の中にギャグを挟み込むくらいのことはしてそうだと思いながら、芳香剤が本音と判断して残った寝室の抱き枕やベッドの占拠はどうなのかを問いただすと、やはりこっちは盛大に仕込んだボケだった。

 5秒くらい前の申し訳なさそうな顔など消し飛ぶような満面の笑みからの親指をグッと突き立てたナイスのポーズには心底腹が立ったので、避ける間もなく持っていた箸をズガガンッ! と理子のおでこに2本ほぼ同時に投げて突き刺す。

 その不意打ちで椅子ごと後ろに倒れた理子は大股を開いてスカートも全開になっただろうが、テーブルが仕事をしてオレからは情けない姿は映らず、ゴロゴロと床を転がりながらの呻き声だけを聞いて大きなため息が漏れたのだった。

 

「い、いちおう言っとくけど、あの有り様でもキョーやんのベッドで寝泊まりしてたとかはないですはい……」

 

「別にシーツの洗濯とかやってるなら使ってても文句は言わなかったが、お前なりの線引きが常識の範疇で良かったよ」

 

「理子は変態なだけであって非常識な人間ではないのでーす」

 

 オーバーなリアクションもおふざけだとわかってるから放置して満足するのを待っていたら、オレの反応がいまいちで速攻で飽きたらしく、のそのそと椅子を戻して座り直しベッドの使用について説明。

 てっきり使いまくってるものとばかり思ってたのに、そこは踏み留まるのかと思ったが、確かに理子は常識をわかった上で行動してるんだよな。変態なのも否定してほしくはあったが。

 そんな変態なことを自慢気にする理子にどう反応するか迷って苦笑いで返したら、ルンルン気分で冷やし中華を食べ終えた理子が一緒に後片付けをしてくれる。

 後片付け中も隣で鼻歌をしながら楽しそうにする理子だったが、それが嵐の前の静けさを感じさせるような落差で変貌した。

 

「…………京夜。劉蘭とエッチした?」

 

 唐突に、ぶつ切りになった鼻歌の後に放たれた不意打ちに、内心では心臓が飛び出そうなほどの衝撃を受けたものの、表面に出せば状況が悪くなることは目に見えていたからギリギリで堪えて、一見すれば失礼にも当たる質問に理子を見ずに怒気を含めた口調で返す。

 

「そんなこと、確たる証拠もなしに聞くもんじゃないんじゃないか。蘭にも悪いだろう」

 

「やっぱり表面には出ないか……。あたしとしては割と可能性としてあると思ってたけど、劉蘭のこと、蘭って呼ぶようになってたか」

 

「蘭がそう呼んでほしいって上海に行ってた時に言われたからだ。それで、そんな可能性が出てきたのは何でだよ?」

 

 素の理子が怒りを含まずに出てくる時は、おふざけが入らない真面目な話だとわかってる。

 だからオレも真実を語るべきタイミングはあるだろうと、まずは理子の話に耳を傾け、嘘はつかないように努める。

 

「先月末くらいに蘭ちんとお電話したんだよ。そん時になんか蘭ちんの雰囲気が今までよりずっと『女』って感じになってた。それだけなら理子の主観でしかないし、大きな山場を乗り越えたからってことで納得もいくから別に良かったけど、蘭ちんってキョーやんの話題になるといきなりポンコツになるんだよねぇ。そんで『キョーやんと何かあった?』って聞いたら『京夜様は何も悪くありません』だって。そんなのもう何かあったわけですよ」

 

 …………劉蘭……何でそこでポンコツになる……

 普段はぐらつくとさえ思えないほどしっかり地に足を付けて我を通し堂々としてる劉蘭なのに、そんなところでぐらつくんかいと遠く上海にいるだろう劉蘭にツッコミつつ、いつもの調子に戻った理子の話を最後まで黙って聞く。

 

「そこから推測すると、たぶん上海でキョーやんと蘭ちんの間に良くないことが起きたんだよね。もちろんそれはN絡みのことだろうし、選択の余地がなかったことなんだと思うの。それで蘭ちんがキョーやんを庇うってことは、その行為はキョーやんから蘭ちんへ向いてるし、キスとかそんな軽い行為で乗り切れる状況でもなかったでしょ。ヒルダから聞いたけど、超能力の中には他人の生命力を分けてもらうみたいなものがあるってね。そういうのの大半は対象との密接な状態を維持するみたいだから、誰かの助力があったにしても蘭ちんを抱いたのかなって」

 

 いつの間にか伏し目がちで話していた理子が手を止めてそういった考えに至った経緯を説明し終えると、最後に「もちろんエッチっていうのは最悪を想定しただけだからね」と付け足したが、本当にそうだった時にどんな反応をするか自分でもわからないといった、そんな不安げな表情を浮かべていた。

 別に理子はオレの彼女でもないし、劉蘭と何があろうと理子にとっても他人事で、オレにとっても理子がどう思おうと他人事ではあるだろう。

 それでもオレを好きだと言ってくれている女性が、オレが他の女性を抱いたのだと聞かされれば、逆の立場ならどう思うかは想像するに容易い。

 

「…………エッチだの抱いただのなんて優しい言葉で片付けられないさ。オレは蘭を犯したんだよ。それが真実だ」

 

 それでもついていい嘘はないことも理解しているから、どんな結果になろうと伝えることにする。劉蘭には、あとで謝っておこう。

 オレの最初の返答にちょっとビックリした表情になった理子が顔を向けてくるが、気にせずに上海で起きたことを包み隠さずに話し始めた。

 理子も口を挟むことなく最後までオレの話を聞きに徹して、ほぼ推測の通りだった事実に何を思ったか顔には思考を読めない色が浮かんでいた。

 

「…………そっか。いやぁ、まさか本当に蘭ちんとヤっちゃってたとはねぇ。構えてはいたけど、直接聞くとやっぱりショックが大きかったかも」

 

「ショックってのは、どういう類いのだよ」

 

「んー、キョーやんの初めてを貰えなかったこと……は別にいいんだよ。初めて同士だとなんか色々不安だったし、キョーやんに経験があるのは今後のあれこれでプラスかなぁと。ショックだったのは……理子が言及しなかったら、ずっと知らないままだったんだなぁってこと、かな。仮にも蘭ちんは友達で恋のライバルだし、キョーやんは理子の好きな人だもん。たとえそれが必要を迫られたからでも、肉体的に繋がったのは事実なわけで、それは男女の関係としては特別なことでしょ?」

 

「だからって他人に話すことでもないだろ」

 

「そりゃそうですけどもぉ……」

 

 オレが想像するよりもずっと落ち着いた感じで少し安心しつつも、片付けを終えて椅子に座り直した理子の顔には苦笑いが。

 きっと自分で言ってておかしいなとは思ったんだろうな。

 今の理子の立場からすればそう思うのも仕方ない反面、こっちの立場になればオレの言い分が正しくなるから、話の納め方がわからなくなった感じだ。やっぱり少なからず頭は混乱してるんだろう。

 まとまらない思考を言葉にしたのがらしくないとでも思ったのか、天井を見上げてちょっとだけボーッとした理子は、切り替えるように椅子からピョンっと跳んで立ち上がると、キョトンとするオレを見てくる。

 

「あーはい! 聞くこと聞いたからこの話は終わりー! プライバシーはちゃんと守るので心配ご無用です!」

 

「いいのか? それで終わって」

 

「ふーん。じゃあキョーやんは理子が蘭ちんに嫉妬して『理子のことも抱いてくれなきゃ許さない!』とか言って欲しいの?」

 

「それは冗談抜きで嫌だ」

 

「でしょ? この話を広げたら理子の好きが暴走して変なことになるから、自制が効かなくなる前に終わるの! それに嫉妬するような話でもないんだよ。そんなの死に直面してた蘭ちんにも、罪悪感と戦ったキョーやんにも失礼だもん」

 

 意外にも話を切り上げに来た理子にありがたいのにオレが食い下がる形になると、続ければどうなるかを言われて心底嫌な顔をしてしまう。

 それを見てクスクスと笑いながらも、自分が抱く感情がこの場で不適切だと判断して引き下がったのは、オレよりもずっと大人な対応だったろうな。

 

「ああでも、1個だけ聞いていい?」

 

「何だよ」

 

「もしも理子が死にかけて、蘭ちんと同じ方法でしか助けられないってなったら、キョーやんは助けてくれる?」

 

「……助けるよ。理子でも蘭でも、名前も知らない人だろうと、目の前で助けられる可能性のある命があるなら、どんな十字架を背負ってでも。そうならないための最善を尽くしてからの最後の手段ってことにはなるがな」

 

「……えへへ」

 

「笑うところか?」

 

「理子が好きになった人がキョーやんで良かったなって思ったら、嬉しくなっちゃって」

 

 こういうの本当に苦手……どう反応するのが正解かわからなくなるんだよ。

 男としてとかそういう話でもないが、人としてあるべき姿を貫きたいだけのオレを理子が誇らしく思ってくれるなら、その期待を裏切らない男でいようとは思う。

 ただそれを言語化するだけの余裕がなくて渋い顔で頭を掻いたら、照れてると勘違いされて「あー! キョーやん照れてる可愛いー!」と茶化されてしまい、何も言い返せないで更なる追撃を許してしまう。

 

「あとあと、理子との時はキョーやんが優しくリードしてね? 理子、初めてで上手く出来るか不安だ・か・ら」

 

 ヤバい。ここで止めねばあと2、3回はこんなのが続く。

 本能でそれを察したオレは、おふざけモードに切り替わった理子によって不幸中の幸いか調子を取り戻し、思考も高速回転。

 そこから導き出された答えは……これだ!

 考えるや否や追撃の手を緩めようとしない理子に迫って抱き寄せてから、その顎をくいっと手で持ち上げて見つめ合い至近距離でささやく。

 

「本当にその時が来たら、な」

 

 理子を弄ぶようで気が引ける……なんてこともなく仕返しのつもりでやってやった渾身の演技に対して、攻勢に出て守りが薄くなっていた理子は途端に赤面。

 これがアリアなら次には突き飛ばされてガバメントを撃たれていただろうが、理子は不意打ちに関しては暴力に及ばない。

 予想してなかった反撃で思考停止気味になったらしい理子は、あぅあぅ、と声を漏らしながらオレからそっと距離を取って胸に両手を添えて自分を落ち着かせるように黙り込む。

 

「……キョーやんのそういう演技力、上がらなくて良いのにぃ……」

 

「演技とわかったならそんなに動揺するなよ」

 

「無理だよぉ……好きな人に嘘でも嬉しい言葉をかけられたら、多少なりともドキドキしちゃうもん。バカキョーやん」

 

「はいはい。茶化された分のでチャラってことで許してくれ」

 

 咄嗟の機転で追撃を逃れることには成功。別の手で弄ってくる様子もないことから、この話はこれで終わるだろうと気持ちを落ち着けた理子から視線も外してリビングのソファーに移動。

 落ち着いた理子には寝室のぬいぐるみやらの片付けをするように言ったら、意外とあっさり引き受けて消えていったので、この数ヵ月間の日本の情勢に疎くなったことも加味してテレビで情報収集を始める。

 自分に直接的にでも間接的にでも関係がありそうなニュースをピックアップしてコロコロとチャンネルを変えてのんびりしていたら、寝室の片付けをしていた理子がぬいぐるみを勝手に使ってる私室に運びながら話しかけてくる。

 

「そうそう。留学中、ほっちゃんとかの後輩達がぷんぷんがおー状態だったよ」

 

「ん? なんか怒らせることしたか?」

 

「怒ってるのは勝手なことだけど、留学するの黙って行っちゃったのはキョーやんラブ勢にはマイナスですよー」

 

「そういや留学してから1度も連絡してないし来てないな……悪いことした、のか?」

 

 聞けば留学することを黙って行ったことに幸帆達が腹を立てていたらしく、そんなことでと思いつつも幸帆に関しては過去に幸姉が突然いなくなった経験があったりするから、身近な人間が黙ってどこかに行くのは少なからず恐怖を感じたのかもしれない。

 そこには配慮が足りなかったかもと感じてしまったから、今からでも謝っておこうと携帯を取り出しメールを送る。

 しかし送信後にリビングに戻ってきた理子がオレのしたことに「あちゃー」と声を漏らしてため息。何だよ……

 

「やっちまいましたなキョーやん。その選択は女に対しては60点ですがね。武偵に対しては赤点ですぜ」

 

「その採点は何だよ」

 

「理子は知らなーい。キョーやんは自力で切り抜けてくださーい。理子は巻き込まれたくないので、ばいばいきーんっ」

 

 はっ? あいつ何?

 核心的なことは一切言わずに何らかの危機を察して片付けを終え、のんびりしていくでもなく速攻で部屋を出ていってしまった理子の思わせ振りな行動にオレは眉を寄せるしかなく、何をそんなに恐れているんだと思っていたら、幸帆から返信が来てそこに「部屋から出ないで待っていてください」と、何の色気も女子らしさもない簡潔な文章に寒気が。

 えっ? オレは何かを間違えたのか? 誰か教えてプリーズ!



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Slash65

 

 武偵高というのはその基本的な構造として上下関係をしっかりとする封建主義なので、先輩は後輩に対して頭を低くしたりは余程の事がない限りはしてはならない。

 とりわけ最上級生である3年生は閻魔の3年と呼ばれるくらいには威厳も持たねばならないし、2年生も鬼の2年として1年生には弱いところは見せないよう注意を払うものだ。

 そしてオレもその枠組みの中では閻魔として君臨する最上級生……のはずなのだが、現在進行形で自室のリビングで肩身の狭い思いを、何故か威厳を示すべき後輩にさせられていた。

 

「……何これ……」

 

「何がですか? 京様?」

 

「いや、何がって……」

 

 思えばあの理子が何かを察して早々に退散した時から変な空気は感じ始めていたが、オレにはこれ系の危機を察知し回避する能力が若干ながら未熟だったようだ。

 理子が部屋を出ていってからわずか10分という驚異的なスピードでやって来た真田幸帆は、来るなりリビングのテーブルに持ってきた雑誌を広げてソファーに足を組んで陣取る。

 その様子は普段の幸帆から感じられる清楚さや大和撫子なおしとやかさはあまりなく、態度としては戦姉のジャンヌに近いふてぶてしさ。

 あまりにも我が物顔で陣取っているから、オレの部屋がアウェーになったような錯覚を起こすほどの存在感を放つ幸帆は、2年生になって色んな意味で成長してしまったのか。悪い方向に行ってそうで嫌だなぁ。

 ただ長年の付き合いもあって今の幸帆の機嫌があまり良くないことくらいはわかるので、その原因についてを考えたいところ。

 理子曰く、報告なしに留学に行ったことを根に持ってるっぽいことは含まれるだろうが、それが全てではなさそうなことを言われている以上、単に謝罪すれば終わる話ではない気がしてならない。たぶん。絶対。

 そんな幸帆はオレが席を外すことをまず真っ先に咎めてソファーに釘付けにしてきたおかげで、行動の自由を奪われて幸帆の顔色をうかがうしか出来ない。

 頑張れオレ。ここから生還して無事に夜を迎えねば明日はないぞ。なんとかして幸帆の機嫌を上向きにしろ。

 まさか帰国後半日もしないうちに窮地に立たされるとは思いもしなかったものの、問題解決の糸口はある。幸帆の性格を考え、持ってきた雑誌にも意味があると思え。

 考えながらいくつかある雑誌の表紙を見てみると、共通しているのはどれもが旅行雑誌ということ。

 夏休みだし小鳥なんかと旅行の約束もあるんだろうし、そこに何の不思議もないが、それを何故オレの部屋でわざわざ物色するのかということ。

 そしてその行為をオレを拘束しながらする理由とは何なのか。そこに答えがあるのなら……

 話しかけてくるわけでもない幸帆に対して選択のミスが許されない状況下で1つの可能性を確かめようと口を開きかけたところで、タイミング良くか悪くか部屋のチャイムが鳴り響き、住人であるオレではなく幸帆の声に招かれてリビングにやって来たのは、去年の学期末までオレの戦妹だった橘小鳥。

 たったの3、4ヶ月程度では見た目的な変化はほとんどなく、年齢よりも少し幼く見える容姿は健在。相棒のセキセイインコ、昴も小鳥の肩に乗って元気に羽を広げてアピールしてきた。

 

「京夜先輩、お久しぶりですね」

 

「お、おう。久しぶり」

 

「昴も『元気にしてたか?』って言ってます」

 

「五体満足で生きて帰ってくるくらいには元気だが……」

 

 幸帆と違ってオレに普通に挨拶をしてきた小鳥に少し安心したかったのはあるのだが、変に警戒心が芽生えていたせいで小鳥の些細な違いに気づいてしまって動揺。

 それを表面上には出さなかったにしても、勘づかれたらヤバいと普通に接して難を逃れたが、何事か。

 小鳥は確かにオレに対して丁寧語で話しはするものの、幸帆のように敬語バリバリにはならないから、「お久しぶりですね」とか固い感じでは言わない、はず。

 その証拠かはわからないまでも、挨拶もそれだけですぐに幸帆と会話をし始めてウキウキで旅行雑誌を物色。

 オレなどこの部屋の置物であるかのごとく扱う2人の態度。無視に近い。

 普段の2人なら留学中のあれこれを根掘り葉掘り尋ねてきたり、オレのいなかった期間の東京武偵高の様子をざっくりにでも話してくれていただろうに、それがないのが怖い。これが女を怒らせると怖いってやつなのか!

 

「それで貴希さんはどうなりますか?」

 

「来週末から鈴鹿サーキットでレースクイーンのお仕事が入ったみたいなんで、行くならその前にって」

 

「では思いきって海外へというのは無しの方向ですね。残念です」

 

 どのタイミングで話に割り込むべきかを探っている段階でも2人の会話はどんどん進み、どうやら貴希も参加予定らしい旅行の都合から、海外旅行の雑誌が取り除かれ、場所は国内限定に。

 しかし疑問なのは金銭的な問題で学生にとってハードルが高くなる海外旅行を視野に入れていたこと。

 言語に関しても勤勉な幸帆はともかく、英語も危うい小鳥と貴希がポジティブだったのは引っ掛かる。

 何か信頼というか保証というか、そんなのがある前提な気がしないでもな…………あれ? これ……

 その間も候補地や観光ルートなどがキャッキャと話し合われていながら、肝心な予算については全く勘定に入っていない計画の杜撰さ。聞いてて怖すぎる。

 

「あの……お2人さん? 質問よろしいかい?」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「女の子同士の会話に入るんですから、つまらないことだったら怒りますからね」

 

 置かれた状況的に悪寒しかしなくなったので堪らず割り込みをかけ、少しムッとした2人に臆しながらもここで退くわけにはいかないと奮起。後輩相手に何の覚悟だこれ……

 

「旅行に行くのは大いに結構なんだが、聞いてるとお前らの計画って予算度外視で正直バカっぽいから、なんかアテがあるのか?」

 

「それはもちろん。私達もそこまでバカではありません」

 

「ちゃーんとアテがあって話をしてまーす」

 

「…………そのアテって……」

 

 ピンポーン。

 話す中でどんどんと悪寒が増していき、いよいよ核心に触れようとしたところでまたも来訪者が。

 話の流れとして人物はほぼ特定できたに等しいし、オレが招き入れる前に2人が対応した時点で拒否権もなし。

 予想通りリビングに入ってきたのは話に出ていた武藤貴希で、何かの依頼の後に直行してきたのか業者用の制服でいつもの美人要素は顔だけに留まっている。

 

「こんな格好ですみません京夜先輩。すぐに着替えるんで洗面室お借りしますね」

 

「あ、貴希さん。着替える前にこちらのプランを見て欲しいのですが」

 

「ちゃんと貴希さんの希望も考慮したんだけど、どうかな?」

 

 貴希に関してはオレに対する態度に変化は見られない。これは声色や表情からほぼ確実なもので疑う余地は少ない。

 そこには安堵しつつ、着替えようとしていた貴希を引き留めてぶつ切りになっていた話を再開させた幸帆と小鳥に促されて、ざっくりと箇条書きにしていたガバガバな旅行プランを見る貴希。

 オレも全てではないにしてもその中身は理解していたから、候補地が3つ。プランが5つほどあったよなと思いながらルンルン気分っぽい貴希の反応を観察。

 鼻歌混じりに全てのプランに目を通した貴希は、ふむふむと少し吟味してから何故かオレにその視線を向けて口を開く。何故に?

 

「こんな贅沢してもいいなんて、京夜先輩も太っ腹ですね!」

 

「……おい……?」

 

「私はどのプランでもいいからそのまま進めてていいよ。それじゃ着替えてきまーす」

 

 はい確定しましたと。

 悪寒の正体は2人の言うアテがオレだったってことだよねこれ。ふざけてやがりますか。殴っていい?

 貴希の無邪気さというか毒気のない感じに悪意がないから、おそらくこのバカ2人から旅費をオレが負担するような話だけを一方的に聞かされたと見るべき。

 そこに疑問を持たなかったのも問題ではあるが、罪としては相当に軽いし今なら撤回も利く気がするから後回しでいい。

 なので貴希が着替えて戻ってくる前にこのバカ2人には灸を据えねばならん。

 

「今なら謝れば仲良し3人割り勘旅行で済む問題だが、どうする?」

 

「うぅ……やっぱり怒られた……幸帆さーん……」

 

「小鳥さん、京様の迫力に負けてはいけません。こちらにだって言い分はあるんですから。京様、怒るのでしたら、まずはご自分の行いを省みてくださってからでも遅くはありませんよ」

 

「留学の件ならメールで謝っただろ。小鳥に報告する義務はなかったが」

 

「酷いです!」

 

「幸帆には幸姉の件もあったから本当に悪いとは思ってる。何かの形で償いはするつもりだ。だがそれでこのアホみたいな旅行の旅費を全額負担は重すぎると思うがな」

 

 やっぱりってことは言い出しっぺは幸帆ってことになるな。

 幸帆に対して負い目はあるとはいえ、省みてもさすがに謝罪の形として割に合わないのは明白だからオレも退くわけにはいかない。

 そんな気持ちを目で訴えて幸帆を威圧に近いもので圧すものの、オロオロし出した小鳥と違って全く動じない幸帆もまた、退かないという強い意思を感じさせる。

 

「確かに姉上の一件で少なからず不安に襲われたのは事実です。そちらに対しての謝罪であれば今は素直に受け取り許します。ですが私や小鳥さんが申し上げたいことはそこではありません」

 

「だったら何に怒ってる」

 

「京夜先輩が周りに何も言わずに留学したこと自体は別にいいんです。私達も武偵の端くれですから、そうした情報を引き出せなかった未熟さを怒りとしてぶつけるほど子供ではないです」

 

「私は……京様のことを姉上の次に近くで見てきた自負があります。だからこそなんとなくわかるのです。京様が黙って留学した隠れた理由について」

 

 何がそこまで2人を怒らせているのか本当にわからなくなったオレが眉間にシワを寄せていると、黙って留学したこと自体に憤っているわけではないことはわかる。

 さらに長年の付き合いから行動以上のものを感じ取っていたらしい幸帆が、ブスリと鋭い針を刺してくる。

 

「表立っては私達に情報戦をさせる意図があり、大勢のお見送りを嫌ったこともあると理解できますが、おそらく京様は留学の件を公にすることで私や小鳥さん他、誰かしらの今後に影響を与えてしまうと考えたのではありませんか? 自分が誰かの何かを変えてしまうのではないかとお思いになられたのではありませんか?」

 

 あくまで推測だという風な幸帆ではある。が、その本質はほぼ的を射ていた。

 言われなければオレ自身も思い出さなかっただろうことを指摘され、咄嗟に何も言えなくなったのを察して、幸帆は責めるでもなく、しかし語気は強めに言葉を続ける。

 

「京様はお優しい方です。ですからそうした考えに至ったとしても私にとって何ら不思議はありません。実際、留学の話を予め聞いていたなら、私も小鳥さんも今とは違った選択をしていた可能性はなくはないでしょう。ですがこれだけは言わなくてはならないと思って言わせていただきます。京様のその優しさは杞憂というものです」

 

「……えっ?」

 

「私達は京様と少し深く関わってしまった以上、大きな行動1つで選択肢が出来てしまうのは仕方のないことなんです。それは京様に限らず、姉上でも、眞弓さんでも同じこと。それならば今回の件でも選択肢が前後したり変わっただけに過ぎないことになりませんか。それら全てをケアなど、到底できないかと」

 

「それは……そう、だろうけど……」

 

 人と人が関わる以上、誰かしらに何かしらの影響を与えるもの。

 長く説明させてしまったが、要はそう言いたい幸帆の言葉に納得したようなしてないような微妙な反応をするしかないオレが言いあぐねていると、若干重たくなった雰囲気を和らげるように「要するにですね」と立ち上がった小鳥がまっすぐにオレを見てくる。

 

「私達が言いたいことは、京夜先輩がどんな選択をしたにせよ、その後に私達が選んだ道は全て自己責任で、京夜先輩のせいとかそういう問題じゃないってことです。そんなことまで京夜先輩に背負わせるほど私達は子供じゃないんです。ハッキリ言って『何様のつもりなんですか』って話ですよ」

 

「私はそこまで言うつもりはありませんでしたが、いつまでも心配されるばかりの幸帆ではないと、そう認識してくださればそれでいいのです」

 

 …………確かに、その通りだな。

 オレは自分の留学を知れば小鳥や幸帆に焦りや戸惑いを与えてしまう可能性を考慮していたし、他の人にも色々と要らぬ心配をしていた。

 心配するのは用心深くあるべき武偵にとって悪いことばかりではないだろう。

 ただ、たまたま今回は留学という大きな選択をしたから必要以上に過敏になってしまった結果、今のような状況にもなったし、オレも当時は重要な決断をした気でいたんだ。

 でも実際はそうではなく、事の大きさに関わらず誰も彼も状況の変化に自分自身が常に選択をしていて、そこにオレの心配や思考など不要なものだったんだ。

 それにオレがあれこれ考えたところで、究極的に言えばオレと関わりが薄くて──同じ諜報科の生徒とかな──も、留学の話を聞いて選択を迫られた人がいたかもしれず、そんなことまで考え至ってしまえばまさに杞憂としか言いようがない。笑えるね。

 とすれば2人の怒る理由も納得がいき、そんなことにまで気を回しても疲れるだけだろうと説教してくれた2人に真摯に向き合う。

 

「……悪かった。どうやらオレはお前らをまだ子供扱いしていたらしい。ちゃんと成長してるのに見えてなかったんだな。むしろ成長してないのはオレの方か」

 

「それは違います。京様は単に優しすぎるだけです。優しすぎる故に多くの心配事を人知れず抱えてしまっているので、今回のことでその心配事の1つが減ってくださればと思い申し上げた次第で」

 

「あれ? 幸帆さん『帰ってきたら絶対文句を言ってやるんだー』って意気込んでたのに?」

 

「そ、それは言葉のあやというか、その場の勢いなども助けてしまった結果ポロッと口から出てきただけで……」

 

「私もっとガミガミ言う幸帆さんが見たかったなぁ」

 

「こ、小鳥さん……勘弁してください。これでも勇気を振り絞ったんですから……」

 

 自分の非はしっかりと認めながら2人に謝罪すると、それ以上のことを言うつもりもなかったらしくて一気に重い雰囲気も払拭。

 それを裏付けるように小鳥が幸帆のことを弄って仲良く言い合いを始めたから、オレも変に割り込んで話を掘り返しても仕方ないと黙っていると、完全に蚊帳の外だった貴希がタイミングを見計らってぬるりと顔だけリビングに覗かせる。

 

「お話は終わりました、よね?」

 

 着替えるだけにしてはこっちの話が長すぎた気もするので、数分くらいは待たせただろうことも加味して3人で空気を察してくれた貴希に感謝しつつ迎え入れ、真面目な空気が苦手な節がある貴希は頭を軽く掻きながら苦笑いで輪の中に加わった。なんか悪いね。

 

「それで結局、この旅行って京夜先輩の奢りでいいんですか?」

 

 待たせたついでに聞きづらいこともズバンと切り込んできた貴希に判断が難しかったオレが、言い出しっぺの2人を恐る恐る見ると、2人も本気でそんなつもりはなかったのかそれらしいリアクションでオレを見た後、やれやれといった雰囲気で判決を言い渡す。

 

「仕方ないので京様には私達の旅行の移動費を負担するということで手を打ちましょう」

 

「車は貴希さんが出してくれるので、相当安くはできますよ」

 

「あー…………つまりオレはお前らの旅行に同行するってこと?」

 

「そうなりますね。良いではありませんか。可愛い後輩3人を引き連れて旅行できるなんて、ご褒美ですよ」

 

「まさか嫌、なんですか?」

 

「京夜先輩の運転で旅行したいなぁ」

 

 自分から可愛い後輩とか言っちゃって恥ずかしくないんですかね。3人とも外見が可愛いのは認めるけど、中身はもうすっかり武偵なのよ? プラマイゼロと言っても過言じゃないね。

 割と拒否権も行使できないような物言いに本気で移動費だけ支払ってやり過ごす手が使えそうにないなぁとたじろいでいたら、タイミング良く誰かから電話がかかってきて、逃げるように玄関の方に引っ込んで携帯を取り出すと、相手はまさかの眞弓さん。はい今すぐ出ます!

 

「はいはい! どうしましたか?」

 

『ん? 何をそない慌てておりますのや。ウチは電話に出るのが「多少」遅れたくらいで怒るような短気とちゃいますよって』

 

「……ちなみにあと何秒遅れたら怒りました?」

 

『そうどすなぁ……あと2秒といったところどすか』

 

 怖いんどすわよこの人! 心臓が口から飛び出しますえ!

 まだ留学から帰ってきたことを知らせてもいなかったから、料金のかかる国際電話はかけてこないだろうと油断してたが、この人にはどんな油断もしちゃいけないんだよな。反省。

 

「そ、それでどういったご用件ですか。眞弓さんもお忙しいでしょうし、手早く済ませられるならそれに越したことはないかと」

 

『お気遣いおおきに。話は例の依頼の件どすが、電話ではもしもがありますさかい、数日中に直接お話しさせてもらえまへんやろか?』

 

「直接、ですか。眞弓さんが東京に来る予定があるわけではないのなら、こちらからうかがいますが。帰省も兼ねられますし」

 

『そう言ってくれる思いましたえ。あー、愛菜はんがやかましく……』

 

 時間にうるさ……厳しい眞弓さんを怒らせないように迅速に用件を聞き出しにかかり、そのスムーズさに少し声色が優しくなった眞弓さんが例の依頼の件で直接お話をということでトントン拍子で帰省が決まる。

 あ、でも旅行……仕方ないよなぁ。仕事だもんなぁ。

 と、小鳥達の旅行を断る口実を得たオレが少しテンションを上げたところで、後ろからギロリと鋭い視線が注がれたのがわかり振り向くと、何故か幸帆が電話の相手を眞弓さんと看破して携帯を渡すようにジェスチャー。えぇ……

 替わらなきゃ面倒臭いことになりそうな予感がしたから仕方なく眞弓さんに替わる旨を伝えて幸帆に携帯を渡すと、物凄いペコペコする幸帆が玄関から外の廊下にまで出て盗み聞きを防止。そこまでして何を……

 話は1分程度続いて、待ちぼうけを食らいながら日程をどうするか考えていると、戻ってきた幸帆が通話を切っていたから、かけ直すの? とか思っていたら、

 

「京様、旅行先が決まりましたのでお知らせしますね」

 

 唐突にオレの知らないところで何かが決定してしまっていたのだった。

 はたしてオレの意思とは何なのか。



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Slash66

 

 7月29日。木曜日。

 まだ陽も登り始めるかどうかな早朝4時に小鳥達のプチ旅行の同行者として、学園島をオレが運転する車で出発。

 休憩も挟みつつ約7時間をかけてお昼時に辿り着いたのは、京都府の宮津市。

 言わずと知れた天橋立があるこの街は、毎年たくさんの観光客で賑わい、夏休みシーズンともなれば人の多さも割増だ。

 人混みが嫌いなオレとしてはあまり足を運びたくはない場所ではあるが、生憎とここに来ない選択肢と権利はオレにはなく、目的地の老舗旅館に到着後、小鳥達はさっさとチェックインを済ませて仲良く観光へと出掛けていってしまう。

 オレも同行していいとのことだったがそうはせず、長距離運転の疲れを癒すように旅館の部屋でくつろぐ……こと自体は出来そうながら、昼寝をしようという気は全く湧かない。いや、湧きようがないだろう。

 

「いやぁ、可愛らしい後輩を持って京夜はんも隅に置けまへんなぁ」

 

「先輩を足に使うような後輩ですけどね」

 

「どうしても京夜はんを同行させたい乙女心やろ? 可愛いもんどすえ」

 

 何故あの押しが強い後輩3人があっさりとオレの休憩を許したのかを考えれば、同じ部屋にいるこの薬師寺眞弓さんに寄るところが大きい。

 何故なら彼女が今ここにいるからこそ、今日のこの旅館は宿泊費が無料になっているからだ。

 約4年前のゴールデンウィーク。当時まだ月華美迅が結成される少し前にこの宮津市に訪れたオレ、幸姉、眞弓さん、雅さん、早紀さんの5人は、観光客を銃で脅して金を強奪する視覚的に消える超能力者を確保。

 観光業への深刻なダメージを回避した謝礼として毎年、眞弓さんのところには5名様までの1泊2日朝・夕食付の宿泊券が届くようになったのだ。

 例年なら月華美迅が時間的な余裕があれば使うみたいな流れがあるようだったが、今回は幸帆が口利きした結果こうなったというわけ。

 だから眞弓さん以外の4人は今日も明日も仕事らしく、今頃は愛菜さん辺りのテンションが駄々下がりしてるのが目に浮かぶ。

 その眞弓さんがいる前で乗り気でないオレを強引に引っ張っていこうとすれば、自ずとその様を眞弓さんに見せることとなり、苛立ちの原因になりかねないことは避けたい3人も大人しく観光に行ったわけだ。

 そんな3人に素直についていけばいいだろと正論が飛んでくるのも回避したオレが、わざわざ眞弓さんと2人きりになったのかは、言うまでもなく意味があるから。

 先日、アストゥリアス州でのシャナ捕縛作戦において月華美迅からは早紀さんを起用させてもらったわけだが、その報酬はまだ未払い。

 というのも眞弓さんから報酬に関してはオレに別の依頼を請け負うことでチャラにしようと提案されて、金欠気味の身としてはこの身で支払えるならと了承。今に至るというわけ。

 今回はその全容も聞いていない依頼についてを聞くためにここに来たまであるので、3人が出払っているうちに聞いてしまおうと挨拶代わりの会話もそれで終わり、さっそく真面目なモードに切り替えて眞弓さんの対面に座り直す。

 

「それで、オレにやってほしいことは」

 

「エエ顔になりましたなぁ。幸音の金魚のフンやった頃からは見違えとりますよ。Sランクになって気構えもピシッとしましたか」

 

「そういうのはいいので……」

 

「照れるところはまだ男の子どすなぁ」

 

 オレの切り替えの良さに先輩として何やら嬉しいことでもあったか、茶化しにきた眞弓さんに上手く返しが出来ずクスリと笑われてしまうものの、そういう反応が見たかったらしくて満足した眞弓さんも口元を扇子で隠していたのを降ろすと、武偵の顔になってオレをまっすぐに見てきた。切り替え怖っ。

 

「今から話すことは全て頭に叩き込んでください。万が一にも見える物として残るのを避けとります」

 

「はい」

 

「今年の4月4日。京都市の大型デパートでフロア火災が発生して、フロアはほぼ全壊。死傷者は248名に及びまして世間を騒がせましたが……京夜はんはロンドンに行っとって知りまへんよね」

 

「いえ、帰ってきた日のニュースで丁度、その事故の特集をテレビで観たので、概要くらいは把握してます」

 

「それやったら『公の真相』については言わんでもかまいまへんな」

 

「確か可燃性ガスへの引火から爆発の連鎖による広域化でしたね。飲食店が多く入ってるフロアだったことも考えれば、なくはないですが」

 

「実際、現場検証でもそないな結果が出とると聞きましたし、警察の見解にウチも疑問は大してありまへんのや。ただ、事故と断定するには早計やと思とりましてな。いくつか調べさせてもらいました」

 

「調べるって……そうなると何かの手がかりがあの事故にあったんですよね? そうじゃなきゃそんな動きはできません」

 

「手がかり言うても偶然やったんどす。たまたま武偵病院に運ばれてきた死者の中に、武偵が1人おったこと。それだけどすが、その武偵、誰やったと思います?」

 

「オレも顔を知ってる……とか、ではなさそうですね。となると……」

 

「関西武偵局の『特命武偵』どすえ。武偵病院の先生がたまたま学生時代のその人に見覚えありまして、雅にデータベースを漁って貰って見つけました。さてさて、そない特命武偵がフロア火災で死亡。これが偶然やと思いますか?」

 

 どんな依頼かの前にどうしてそんな依頼かを説明し始めた眞弓さんに相槌を打つだけでなく、自分なりの推理も交えて進めていく。そうしないと怒りそうだし。

 それでそこまでを聞いてまず思い出したのは、かつてのキンジの兄、金一さんが海難事故を装ってイ・ウーに潜入するため姿を眩ませた件だが、今回は死亡確認がしっかりと取れているため、偽装ではないだろう。

 となればほぼ2択。1つは本当に偶然、その場に居合わせて被害に遭ったケース。

 もう1つは何らかの理由で命を狙われたかだ。

 特命武偵といえば武偵庁、武偵局に属する武偵の中で秘匿任務を任される武偵の筆頭で、一般的に名前も顔も公表したりしていないのが普通。当然その実力もSランク相当。

 

「その特命武偵の死亡時の状態は?」

 

「エエとこに目を付けますな。死因は一酸化炭素中毒。火傷もそれなりにありまして、顔を判別できる状態だったんは幸運としか思えまへんでした。それから……打撲痕が後頭部にありましてな。おそらく爆発で壁にでも打ち付けて、それで気絶してるうちにって先生は言うとりましたが、仮にも特命武偵が事件の中心で無様に後頭部をぶつけて倒れますやろか」

 

「つまり眞弓さんは、その後頭部の打撲は『何者かが実行して気絶させた』と見てる。フロア火災は特命武偵の注意を逸らすために事故に見せかけて起こしたものだった?」

 

「ここからは核心に迫りましょか。フロアには事故後も無事やった監視カメラが何台か残っとりましたから、警察の手にあるうちにウチも雅と一緒に事故前後の映像を観てきました。そしたら映っとりましたよ。その特命武偵が誰かを尾行しとる様子が」

 

 わざわざ依頼するのだからオレが調べるのはその特命武偵が命を狙われたほどの何かだと見当は付きつつ、おそらくこれから動くに当たって必要になってくる情報を真剣に聞く。

 

「相手は2人。その日はたまたま2人やったのか、2人のうちの1人やったのかは定かやありまへんが、尾行していた1人は関西武偵局の副局長。もう1人はデータベースを確認したところ、大阪武偵高3年の有馬鳩雄(ありまはとお)でした」

 

「武偵が武偵を尾行? それも所属が同じ人間を……それに有馬ってどこかで……」

 

「京夜はんは同年代どすが、台頭したのは高校に上がってからどすから噂程度やろ。一応は潜入捜査型のSランクどす。関西武偵局も重宝しとるみたいで、今年は大躍進しとりますよ」

 

 特命武偵が尾行していたからには明確な目的があり、そのターゲットは重要な情報となるが、まさかの同業とはな。

 同じ組織内の動きを探る動きは明らかに不穏な気配がしつつ、眞弓さんがその後に大阪武偵局で大きな動きを見せたようなことを話さないことにも引っ掛かりを感じる。

 特命だから騒がないという考えもあるだろうが、そんな感じではない気がするな。

 

「まだどちらが何かも掴めてまへんが、ウチは尾行されとりました側の2人が怪しいと思とりますのや。それで有馬鳩雄に関しては、事件の少し前からある場所に潜入捜査に出とりましてな。未だに潜伏中のようどす」

 

「つまりオレはその潜伏場所に行って有馬鳩雄が何をしているかを突き止めればいいと?」

 

「最悪、接触することになってもかまいまへん。嘘が含まれとっても本人から聞けることで真偽もある程度はわかりますやろしな。ただ、京夜はんは誰かとの繋がりを少しでも匂わせたらあきまへんえ」

 

「そこは抜かりないですよ。それでその潜伏場所については……」

 

 どんな思惑で関西武偵局が動いているのかは不明ながら、不穏な動きは止めるべきだろうと裏で動いていたっぽい眞弓さん達の行動を無駄にはできない。

 依頼についてはそれでほぼ把握したので、これから向かう有馬の潜伏場所についてを尋ねるのは自然な流れだった。

 のだが、そうしたオレの質問に対して眞弓さんは、たまに見せる嫌な類いの笑みをチラリと覗かせて口元を扇子で隠す。うっわ……聞きたくねぇ……

 

「潜伏先は神奈川県鎌倉市にある私立アニエス学院。女子校どすえ」

 

「…………清掃員として潜入、とかですよね?」

 

「どうやろか。あそこは男をほとんど入れへん学校やさかい、清掃員でも女しか入られへんかもしれまへんなぁ。そうなると生徒としてやもしれまへんが……あ、そうなったら京夜はん。また『京奈』はんにならな……」

 

「………………」

 

 ………………嫌だぁあああああ!!!!

 これか! これが目的か! 眞弓さんでも許さんぞ! 絶対に! 絶対にだ!

 オレを散々やる気にさせておいてからのこの仕打ち! 悪魔の所業! 鬼! 人でなし!

 と、死んでも口には出さなかったものの、女子校への潜入と聞いて汗が出てきたオレに露骨な笑いを交えた眞弓さんは、見たかった反応が見られて上機嫌。

 まさか本当にまたあのトラウマの女装をしなければならないのか……拒否権ないし……

 

「フフッ。普段ポーカーフェイスな京夜はんでも、ホンマに嫌なことを強いられるとわかりやすいどすなぁ。安心してください。ちゃーんと女装せんでも潜入できるよう手配しとりますよ」

 

「……からかうにしてももう少し優しくしてもらえれば幸いです……」

 

「善処はしましょか」

 

 女装という絶大威力のインパクトに冷静さを欠いたものの、冗談だと言われてからクリアな頭で考えてみれば、オレが日本にいるのは夏休みの間だけ。

 生徒として潜入するにしても夏休み中に転入したところで、終わる頃にはいなくなるなら動きとして不自然すぎるから、そもそもの選択肢としてないし。バカなの?

 人が冷静さを欠くと思考力が鈍るという証明が改めてされたところで、アニエス学院にどうやって潜入するかをちゃんと聞き、潜入の開始日が3日後の8月1日からなのを確認……って近っ! だからこんな動きが早かったのか。

 

 当日までに準備しておくことも確認し終えて、特にすることもなくなったし、眞弓さんも部屋にあるお風呂にゆっくり浸かりたいとか言い出したので、からかわれても仕方ないしと旅館を出て小鳥達と合流することにする。

 連絡したところ小鳥達は天橋立駅の近くの飲食店で昼食を摂っていたらしく、オレも行きがてらのコンビニでゼリー飲料を買って胃に流し込み栄養補給。夕食は豪華だし今は贅沢をしても仕方ないのだ。

 きっとその夕食も後輩達にたかられて美味しいところは持っていかれそうと予感はしつつも、まさか眞弓さんの前でそんなことと思考停止。それ、良くない。わかってても、考えない。

 快晴の宮津市の本日の最高気温は36度を記録するらしく、海水浴客は天候に恵まれてるなぁと思いながら小鳥達と合流。

 3人とも良いものを食べたようで携帯に収めた料理の写真をオレに見せてキャッキャとはしゃいでくるが、暑いからあんまりくっつかないで。あと写真とか女子か! 女子だったわ。

 観光となると武偵より先に女子になる小鳥達のテンションの高さに若干ついていけなさそうな気がしながら、行くアテのないオレは3人が行くままにその跡を歩き、食後の食休めに散歩がしたいからと天橋立を徒歩で縦断することに。

 天橋立は長さにして約3kmはあるから散歩には長い気もするが、海水浴場があったりそもそも景観がすこぶる良いから特に苦もなく渡り切れるだろうな。

 京都出身のオレと幸帆でも宮津市に来ることなどないに等しいから、小鳥と貴希と一緒にはしゃぐ幸帆を見ているとなんだかオレも少し嬉しくなったりするもので、大仕事前の息抜きには丁度良かったかもなと思い直す。

 まぁ明日は朝早くから眞弓さんと幸帆を京都市に送って、貴希も鈴鹿市まで送り届けて小鳥と一緒に学園島に戻るっていう長旅になるわけだけど……

 しかし睡眠時間を除けばあと半日もない息抜きではあっても、今を楽しもうとする気持ちは大事だろうと写真を撮りまくりな3人の後ろを追って海水浴場の横を通りかかる。

 ここの海水浴場には幸姉と月華美迅の5人とで遊びに来たこともあるから、昔を懐かしむように全体を眺めて歩いていると、沖の方で少し大きな波が押し寄せたのがわかる。

 あの大きさだと泳ぎが得意でない人が拐われたら危なそうと海に点在する人の輪郭を目で追っておくと、案の定、勢いで浮き輪の上に乗っていたらしい子供と、近くにいた母親らしき人がまとめて沈んで見えなくなってしまう。

 他に溺れた人がいないかも確認し、近くの人も異変に気づき騒ぎ始めてライフセーバーが動き出したのも見えた。これならまず助かる可能性は高い。

 その時点でオレが足を止めていたから、はしゃいでいた3人も足を止めてどうしたのかとオレを見てこようとしたが、それより先に海辺の方が騒がしくなったのに気づいて一瞬で武偵の顔になる。おっ、さすが2年にもなると反応速度が違う。

 しかし現場から遠いこの位置で異変を察知できるということは、この海水浴場のほぼ全域が事態を察知できるということ。

 こういう時は決まって悪いやつが動き出すもので、騒ぎに乗じて海水浴客の荷物から財布などを盗む輩が少ないがいる。

 事態はライフセーバーが終息させてくれるはずなので、オレはその二次災害的な被害を食い止めようと3人にも目を光らせるよう指示を出す。

 

「幸帆さんは左の区画。貴希さんは右の区画を頼みます。私は中央を見張っておくので。昴も先行して」

 

「現場を見た場合は迅速に。間に合わないと判断したら大声で知らせてください」

 

「盗人は明らかに周りと違う動きをするから案外わかりやすいよ。よく見れば犯行前にマークできる」

 

 出そうと思ったが、オレが言うまでもなく事態を冷静に見てオレが指示しようとしたことをそのままに行動開始した3人にちょっと驚く。

 さらにオレに何かを指示するでもなく行ってしまった3人は、オレがこの後どう動くかもなんとなく察してのことだろう。

 チームには司令塔が必要になるが、この場でのリーダーは必然としてオレになるため、オレを動かさずに事態に当たるのは妥当な判断。

 オレもこの位置からなら海水浴場全体を見渡せるから、現場に近づいて視野が狭まる3人をカバーしやすい。

 ただオレ達のこれは完全に杞憂のレベルで、宮津市としても過去の経験を生かしてこの時期は人の多い場所には覆面警備を回しているらしく、オレから見れば引ったくりを探す3人が周りから浮いていて、警備もそれに警戒を示して動き出したのがわかってしまう。

 なので余計なお仕事を増やしたり邪魔にならないように3人に撤収するよう連絡を入れていたら、優秀や優秀。わずか3分足らずで撤収する間もなく3人ともが捕まってしまった。やるでござるな。

 完全にミイラ取りがミイラになった結果の3人が簡易本部に連行されたのを見てから、オレも行ったら注意されそうだなぁと見なかったことする。

 武偵手帳を見せればいいだけだしすぐに解放されるだろうとその場で待っていたら、なんか3人が警備の代表か何かと一緒に近寄ってきて「この人の指示で動きました」と供述。

 部下の責任は上司の責任? 知らんそんなこと! 言わんでいいことを言うな! 面倒臭い!

 

「申し訳ございませんでした」

 

 と怒鳴るわけにもいかず、どうやら宮津市の警備は関西武偵局にも通ってる周知の配備らしくて、関西の武偵なら首を突っ込むなと通知が出ていたみたいだ。

 それを知らなかったで済ませるほど社会は甘くないので、ちゃんと謝罪を述べて釈放となったが、なんか釈然としないよなぁ。

 

「京様、自分だけ責任逃れをしようとしましたね?」

 

「そうです! 私達が捕まった時に来ないなんて酷いです!」

 

「薄情ものー! 轢いちゃうぞ!」

 

 さらに事が済んでから速攻で3人からバッシングを受けるし。

 オレ指示出してないし、もう少し待ってれば警備にもちゃんと気づいてたし。

 とかなんとか言ってのらりくらりと躱すことも出来そうではあったものの、止めなかったオレに責任があるのは確かなので甘んじてそれを受け入れておきつつ、プンスカ怒ってる3人を大人しくさせるために変化球を投げておく。

 

「まっ、言いたいこともわかるが、お前らがしっかり武偵として成長してるんだなってのは今ので確認できたし、結果オーライだろ。怒られたのだってお前らの初動が早かったからなわけだし、落ち込むようなことではない。勲章なくらいだ」

 

「ものは言いようではありませんか?」

 

「そうやって言いくるめようとしてるのバレバレです」

 

「私達そんな単純でもないんですけど」

 

「よーし、今ので宮津市が凄く安全なのは保証されたから、余計な心配せずに観光を楽しもう。確か天橋立の向こう側に美味しい宇治金時の店があるとかないとか。時間は有限なんだから、小さいことで怒ってても勿体ないだけだぞー」

 

 なんか上手いことおだてて流そうとしたら、こんなところでも成長しちゃったみたいで流せなかったのは計算外。

 それならもう開き直って全てを右から左に流してしまって観光に戻ろうと、まだ納得のいってない3人を放って歩き出してしまう。知ーらないっと。

 そんなオレの態度に唖然としはした3人だったが、せっかくの観光を楽しもうと言うオレの的を射てないわけでもない正論が効いたのか、はたまたこれ以上の言及が空振りに終わると諦めたのか、怒るのをやめて跡を追いかけてきてくれた。

 それは良かったのだが、行った先の宇治金時の店で3人の分も奢らされたのは言うまでもない。



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Slash67

 

「それではひと稼ぎして参ります!」

 

「金のためでも笑顔は作るなよ」

 

「あ、それは大丈夫です。レースクイーンって案外楽しいので。レーサーにとってのチアみたいなもので士気も上がるとかなんとか」

 

「それで呼ばれてるんだったらもう才能だよ才能」

 

 宮津市での観光も昨日のこと。

 昨夜は旅館に戻ってからすぐに食事にありつき、オレの分のすき焼きを後輩3人につまみ食いされて散々だったり、その後にお風呂に入ってきて浴衣姿となった3人を褒めさせられるという強制イベントもこなして、同室なのも気にせずのガールズトークに花を咲かせる3人プラス悪ノリの眞弓さんの適度なフリにあたふたしつつ、23時頃にようやく安眠へと至ることができた。

 朝起きたら寝相の悪い小鳥と貴希がかなり際どい着崩れを起こして布団からはみ出していたから、見なかったことにして部屋を出るか、布団をかけ直してあげるべきか、はたまた少しの下心を持つべきかで葛藤する羽目になって、その様子を寝てるんだか起きてるんだかわからなかった眞弓さんに目撃されて土下座で黙ってもらうように頼み込んだりとあった。

 そんなこんなで朝食後は予定通りに旅館を出てのんびりと京都市まで移動して、実家で幸帆を降ろして、駅前で眞弓さんを降ろしてからさらに南下して三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで貴希を降ろして今に至る。

 レースクイーンをバイトでやれちまう貴希は世間的にも高く評価されていると見て間違いないが、そんな美人が金儲けと考えてるのは気に入ってる人達としては知りたくないだろうな。

 本人も楽しんでいるなら良いのかと思いつつも、仕事前でテンションを上げ始めたのか車を降りて最後に振り向き様で投げキッスをしてきたのは割と不意打ちで、それがまぁ色っぽいこと。ファンができる気持ちもわかるね。

 その仕事ぶりでも見たらまた魅力がわかるのかもしれないが、後輩のバイトを覗き見する趣味は持ち合わせていないので大人しく鈴鹿市をあとにして学園島を目指し始めた。

 

 車を走らせて数分後くらいになんとなく考えたら、小鳥と2人きりというのも久しぶりな気がして、徒友だった頃はほとんど当たり前だったことも、今は何やら不思議な感じがする。

 小鳥も小鳥で助手席に座っていながら話しかけてくる様子もないし、昴もグローブボックスの上で正面を見ながら大人しくしている。

 うーん。なんだかこの空気は長続きすると良くないぞ。オレから話題でも振るか。

 そう思って赤信号で止まったタイミングに話しかけたら、小鳥もほぼ同時に「あの……」と被って話しかけてきてしまい、日本人の特徴である譲り合いが発生。

 どっちが先に話すかを軽く言い合っていたら、小鳥の携帯に通話の着信があって、会話を中断して確認した小鳥は、相手が母親である英理さんなのを報告してから通話へと応じる。

 わざわざ通話ってことは、今は国内にいそうだな。徒友だった頃も基本的な連絡はメールでしてたみたいだし。

 

「うん…………今は京都観光の帰りで三重を出るところ……ルートは人を送ったりで遠回りはしてるけど……うん、車だよ。京夜先輩が運転してる…………うえ!? ちょっとお母さん!?」

 

 英理さんの声は聞こえないものの、小鳥の返しから何を聞いているのかはわかる内容に普通の会話かと青信号になって車を発進させるが、オレの名前が出てきた途端に小鳥の声色が急変。

 おそらく向こうの態度が変わったんだろうが、何を言われたんだ?

 

「あの……京夜先輩……」

 

 すでに通話も切れてしまったのか、かけ直す選択も迷いながらそれをせずに恐る恐るな感じでオレに話しかけてきた。何用で?

 

「今お母さんとお父さんが長野の実家に帰ってきてるらしくて、2日後にはまた日本を発つからそれまでに帰ってこれないかって言われまして……」

 

「なるほどな。学園島に戻るなら実家に寄ってくれってことか。今さら遠回りを面倒臭いとは思わないからいいぞ」

 

「なんかすみません。お母さんも帰ってくるなら事前に連絡してくれたらいいのに……」

 

「それだけ忙しかったんじゃないのか。それに小鳥の実家に行くなら、煌牙と美麗の顔も見ていけるし、良い寄り道かもな」

 

「そう言ってもらえれば罪悪感も少ないです……」

 

 話の流れとしては極々自然なもので、何をそんなに動揺したのかがよくわからない。

 もしかしてオレがきっぱり断るとでも思われていたのか。そんなに薄情な人間に思われてたのかオレ……

 これが普段の行いの結果か……なんて密かに落ち込んでいるのも知らずに、小鳥は行き先が実家になったことで携帯のマップ機能を使ってルートの検索を始め、オレに指示を出してくれる。

 

 小鳥のナビゲートで約3時間の道のりを走ったオレは、長野県諏訪市に突入し、大きな諏訪湖を右手に望める道路を通って北上。

 たくさんの動物を飼ってる家なだけあって、市内の中心部に居を構えるのが難しかったらしい小鳥の実家は、発展もしている中心部から離れた北部の自然の多い萩倉の方にあり、小さな集落といった印象の程よい田舎の田園地帯に佇んでいた。

 市内へのアクセスも車があれば容易だし、住もうと思えば不自由は全然なさそうだなぁと思いながら小鳥に言われるまま車を家の脇に停めて玄関へ向かうと、車のエンジン音とか動物達が何かを察して報せたのかでタイミング良く英理さんがお出迎えしてくれる。

 しかしまぁ相変わらず綺麗な人だなぁ。高校生の娘がいるとは思えない。

 

「小鳥、おかえりなさい。京夜さんも小鳥を送ってくださってありがとうございます」

 

「いえ。オレもこの家に引き取ってもらった2匹の様子を見たかったので」

 

「煌牙ちゃんと美麗ちゃんね。2匹ともすっかりこの家に馴染んでいますよ。ささっ、どうぞ上がってください」

 

「何でお母さんが嬉しそうなの……」

 

 オレが会う時はいつもフォーマルな格好をしていた英理さんだが、実家ということもあって今日は涼しそうなワンピースを着ていて新鮮さが目立つ。

 まだまだ若さを売りにできるだけにワンピースでも無理してる感じは全くなくて凄いなぁとぼんやり見ていたら、何やら視線に気づいた英理さんに「そんなにまじまじ見ないでください」と照れられて困惑。どう反応するのが正解なんだ……

 その母親の照れが娘として恥ずかしかったのか、オレが何かを返すより先に「もう! 早く中に入って!」と背中を押して入ってくれて、ナイスだ小鳥!

 そうして家の中に押し込まれる英理さんと押し込む小鳥の後ろから玄関に入っていくと、ドドドドドッ! と、居間の辺りから大小様々な犬が押し寄せてきてオレ達を取り囲む。すげっ。

 小鳥の実家には犬と猫だけで50匹を越える数がいると聞いていたが、犬だけでこの迫力か……

 

「ちょちょっ!? こらぁ!」

 

「あらあら、お義父さんにあとで怒られても知らないわよ」

 

「歓迎、ではないんですか」

 

「お出迎えには変わりありませんけど、その時はちゃんと数に制限を設けているんですよ。もちろんこうやって勝手に騒いだらお義父さんにめっ、ってされちゃいます。今はちょうど鳥達を連れて散歩に出ていて、鬼の居ぬ間になんとやらですね」

 

「それじゃあ、吉鷹さんが怒ったりは……」

 

「あの人はここの子達にナメられてるんですよ。ふふっ、良い意味で、ですが」

 

「……ん?」

 

 小鳥の祖父の泉鷲さんは訓練士でもあるとかで躾もちゃんとしてるはずなのにこれは、よっぽどやんちゃなんだな。

 その泉鷲さんが家にいないからと騒いでる犬達も小鳥がわーわー言うのは無視していたが、英理さんが「そろそろ戻らないと怒りますよ」と圧をかければシュバッと踵を返してドタドタと居間の方に引っ込んでいく。

 しかし居間に居ると思われる吉鷹さんがこの一連の騒ぎに割り込まなかったのは、本当にこの家では動物達にナメられてるんだな。良い意味でってのはよくわからないけど。

 純和風建築な木造2階建ての小鳥の実家はオレの実家に空気感がよく似ていて、初めて上がったにしても変な緊張感がなくすんなりと馴染むことができた。

 そして通された居間には座布団に座ってお茶を飲む小鳥の祖母らしき人と、縁側に腰掛ける淡い色の甚兵衛を着た吉鷹さんが、入ってきたオレを見てそれぞれ反応してくる。

 祖母らしき人は優しい笑顔で「孫がお世話になってます」と丁寧な挨拶と共に芳乃と名乗り、吉鷹さん側の祖母──つまり泉鷲さんの妻だ──であることを説明してくれる。

 吉鷹さんは相変わらずオレに対しては無愛想で一瞥だけしてすぐに背を向けて庭の方を見てしまった。どうも。

 そして居間には今さっき玄関に突撃してきた犬の他にも10匹以上の猫が各々で寛いでいて、初対面のオレに猫らしく興味を持ったのがわかるが、あえて無視してオレの匂いを嗅ぎとって重ねて寝ていた体をムクリと起こして近寄ってきたコーカサスハクギンオオカミの美麗と煌牙の前でしゃがみこむ。

 美麗は視覚を、煌牙は聴覚をそれぞれ失ったことでオレの武偵犬としての役割を引退してここで余生を送っているが、オレに対する信頼はまだあるのか顔を寄せるとスリスリと頭を擦り付けてじゃれてきた。元気そうだな。

 現役ほどの動きができなくなったこともあって運動量も減ったか、少し太った気もするな。肥満にだけはならないといいが、そこは泉鷲さんと芳乃さんが上手く管理してくれてると信じよう。

 美麗と煌牙が離れようとしないから、そのまま促された座布団にあぐらで座り、その膝にそれぞれが顎を乗せてくつろぎ始めたのをやれやれと思いつつ、お茶を淹れて四角形のテーブルの4辺にオレ、対面に英理さんが、横に芳乃さんと小鳥が座って落ち着くと、すぐに英理さんの元に数匹の犬猫が集まってその腹を見せて転がり、小鳥の膝の上を我が物顔で三毛猫が占拠。

 それだけならまぁ橘家の日常風景として素直に受け入れることは容易かったし、小鳥達も自然に振る舞っているのがわかったのだが、幸か不幸か今日はオレがこの場に居てしまったことで少々驚かれることになる。

 美麗と煌牙がオレのそばの大部分を占有しているのがあったにも関わらず、オレが落ち着いたのを確認してから近くの犬猫がノソノソとオレのそばに寄ってわずかなスペースでその体を丸めてくつろぎ始めてしまう。

 これには小鳥のみならず、英理さんと芳乃さん。縁側にいた吉鷹さんも目を丸くしていた。

 

「あら、珍しいこともあるのね」

 

「おやおや、人見知りするこの子らが初対面の人にこんなに」

 

「うわぁ、やっぱり京夜先輩って凄い」

 

 言いながら芳乃さんが人見知りするらしい犬猫を視線で示してくれて、その理由に気づいているオレは示された犬猫の頭をそっと撫でてあげる。

 そして嫌がる素振りを見せないことにまた少し驚かれてしまうが、今のは意図的にやったからな。

 

「オレのこれは上海で原因がわかったんですが、まだ自分でどうこうできなくて自然とこうなってしまって」

 

「お義父さんが以前に言っていたけど、京夜さんは生命力に溢れてるから、動物達もその生命力に惹かれているんだろうって。そういうお話かしらね」

 

「まぁそんな感じです」

 

 オレのバカになって開きっぱなしの気穴から漏れ出てくる気。

 それに本能的に反応した動物達がこうして近寄ってくることを具体的に説明するのが難しかったものの、英理さんは泉鷲さんからオレの体質的なことを聞いていたらしく、やんわりとではあるが納得した雰囲気がある。

 今も内気勁で動物達の体にオレの気を少し流し込んで気を充填する行為をしたから嫌がったりしなかったわけで、それをしなかったら普通に逃げられたかもしれないな。

 それに大人しく動かない相手にならオレも内気勁を上手くコントロールできる程度にはなったことを少し喜んでいたら、動物達が驚かない程度の声量で「上海といえば!」と唐突に変なところに反応した英理さんがその手を合わせる。

 

「実は5月の半ばに私と吉鷹さん、ロンドンに寄ってメヌエットちゃんに会いに行ったんです。そうしたらメヌエットちゃんが京夜さんが留学に来てることを嬉しそうに話してくれてて。小鳥から京夜さんの留学のお話は聞いていたので、私もあわよくば会えるかなぁって期待してたんですけど、メヌエットちゃんからデンマークに行ってるって聞いて残念でした」

 

「あー、その時はテンション高いメヌに顎で使われてましたから……」

 

 何かと思えばオレが丁度レス島のセイレーネスを探しに行ってる頃にロンドンを訪れていたことを話してくれた英理さんに、依頼の内容は言えないから怪しまれない程度で話を合わせて相槌を打っておく。

 人魚伝説を追ってたなんてファンタジーも良いところだし。

 

「それでどうしてデンマークにかなぁって思ってたんですけど、メヌエットちゃんってお仕事の部屋がわかりやすくて、デスクにアンデルセンの人魚姫とデンマークの地図。それからフレゼリクスハウンとレス島付近での過去の事件・事故に関する記事をいくつか置いてたから、なんだかとってもファンタジーな探し物をしてるのかなって考えてましたけど」

 

 …………ウソやん……この人やっぱり怖いよぉ。

 今さらながら英理さんが『誰の依頼でデンマークに行ってるか』を言ってなかったのに、オレが自白に近い形でメヌエットの依頼だと白状したところで、メヌエットの仕事部屋にあった資料からオレの目的までなんとなく推理してきた。

 ただそのこと自体を詳しく尋ねてくる様子は全くなく、むしろ思い出話のように欧州の経験を話してくれる。

 

「デンマークには私も何度か行きましたけど、確かにあそこは人魚に関しての面白い話がいくつかありますよね。それこそ人魚姫のお話のように『人魚に恋した男性の顛末』なんてものまであって……」

 

 仕事柄、多くの人から色々な話を聞く機会が多いのだろう英理さんの知見は相当に広いようで、地方の逸話などにも精通しているみたいだ。

 普段なら「そうなんですね」の一言で片付けられそうな話だったが、しかし今回に至ってはオレも聞き逃せないことを聞いて本当に珍しく目を丸くしたと思う。

 人魚に恋した男性の顛末? それは今、オレが求めていた情報そのものだろうが。

 

「その話、どこで聞きましたか」

 

「デンマークのオーフスという街でしたね。港では『人魚に心を許してはいけない』という戒めのような歌も創作されていました。とは言ってもそのほとんどが海に対する油断を無くす意味合いが強いとのことで、人魚自体は海の比喩表現だとする話ですよ」

 

 それはそうだろう。史実で言ってももう何百年も前のことで、生き証人など存在しない。当事者であるテルクシオペーを除けばな。

 だがこんなところでその話が出てきたのはラッキーとしか言い様がない。なんと言ってもここにいるのは実績保証付の捜索専門探偵だぞ。

 

「…………無理を承知でお二方に依頼したいことがあります。出来るなら早くに動いてもほしいですが」

 

「この話の流れからすると……デンマークに行くことになりそうね。家族団欒のあとにはなるけど、それでもよろしくて?」

 

「引き受けてくださるなら」

 

 動かすならいま欧州にいる羽鳥やヴィッキーも手ではあったろうが、過去の依頼で橘夫妻の報酬は破格なことが判明しているし、確実性を取るなら断然こっちと判断して依頼を申し出る。

 それに意図を汲み取るのも早いから、もうどんな依頼かも察してくれたっぽい。

 唯一の不安は依頼に乗り気な英理さんと違って、相談もなしに依頼を受けようとしてる英理さんに苦い顔をする吉鷹さんだが、仕事ならオレからでも割り切ってくれるでしょ。

 

「おおっ、小鳥が婿を連れてきおったか」

 

 依頼に関しての詳細は明日までにまとめてメールで送る手はずで進み、テルクシオペーの問題に光明が見え始めたのは僥倖。

 意図せぬ寄り道だったが思わぬ収穫だったと内心で喜んでいると、散歩から帰ってきた泉鷲さんが居間に入ってくるなりオレを見て爆弾を投下してくる。

 泉鷲さんの中ではまだオレは小鳥の彼氏って認識なのか反応に困るが、その言葉で橘家は混沌としてしまい、小鳥はあたふたと訂正をし、英理さんは「あらあら」と否定もせずに笑うだけ。

 芳乃さんも「そうだったのね」と信じちゃってるし、吉鷹さんは鬼の形相で居間に乗り込んできそうになる。

 色々と言うべきなんだろうと察しつつも、オレが口を開けばまた誰かが何かしらの反応をして話がこじれる確率が低くないこともあって、ここは沈黙を選択。我関せずー。

 騒がしい居間の中心で無心になって仏様みたいに座っていると、場を掻き乱している英理さんと泉鷲さんに小鳥が涙声で訴えたのが決め手となって話が終息。

 泉鷲さんは泣かせるつもりはなかったと小鳥に謝り、英理さんは「恥ずかしがらなくてもいいのに」とまだ弄る姿勢で困るが、芳乃さんは「婿じゃないのね」と残念がる程度で、吉鷹さんも床を踏み抜きかねない足取りで縁側に戻っていった。

 そんな賑やかな橘家にいつまでもオレがいたらダメな気がしたから、お茶もいただいて泉鷲さんにも挨拶したし、そろそろお暇しようとする。

 しかしそれとほぼ同時に落ち着きを取り戻した小鳥がふと庭の方に視線を向け、何かに気づいたのかその庭へと移動。

 その様子に不思議がった英理さん達も動向をうかがい、オレも立ち上がって縁側まで移動。

 そしてそこでちょっとした違和感に気づいた。夏本番にもなるこの頃にしては、この庭の草花に青々しさが少ない気がする。

 小鳥もそれに気づいたみたいで、泉鷲さんと芳乃さんも原因はわからないが1ヶ月ほど前から草花に元気がないのだと話す。

 段々と悪化しているとも付け加えられると、オレも内気勁でいくらか回復は促せるかもと考えるが、そもそもの原因を取り除かないと意味はないかと黙ってしまう。

 すると話を聞いた小鳥は庭の1本の木の前に移動してその手で幹に触れると、感覚的に何かを感じ取ろうとしてるのがわかり、泉鷲さんは何故か目を丸くしている。何かをしてるんだろう。

 

「…………何か地面に埋まってるみたい。それがこの子達の栄養を奪ってるって」

 

 わずか数秒で木から手を離してこっちに振り向いた小鳥は、まるでその木から直接話を聞いたように原因を探り当て報告してくる。

 そんなバカなことと笑うことは簡単だ。だがそうせずに泉鷲さんが至って真面目に倉庫からスコップを持ち出して吉鷹さんに掘るように指示し、それで木のそばの地面を掘り進めてみると、出てきたのはまさかのタケノコ。

 竹害という言葉が存在するように、竹というのは地面に厄介な根を張り巡らせ、しっかりと管理しないと周りの木々や草花の成長を阻害してしまい、何れは死滅させてしまう。

 その竹が掘ればなんと4本も埋まっていて、根の張り方からして1ヶ月くらい前に植生し出したと見て間違いないため、泉鷲さん達の証言と一致する。

 だが何故こんなタケノコが庭に……と思っていたら、何やら様子を見ていた動物達の方もざわざわし出したのがオレにもわかり、言葉がわかる橘家の人達は話を聞いてやれやれといった雰囲気でため息を漏らす。

 どうやら散歩してきた犬の1匹が森で掘り当てて持ち帰ったものを庭に埋めて隠したようで、そんなことを4回もやってこの有り様だったようだ。

 竹害など知る由もない動物を責めるのは筋違いも良いところなので、厳重注意といった形でこの事件は収まり、タケノコをキチンと処理して元通りになった庭に出たオレは、小鳥が触れていた木に触れて気休め程度の内気勁で気を充填してあげる。

 その様子が自分に似ていたからか、オレが離れたあとにまた木に触れた小鳥は、すぐに手を離してオレに向き直る。

 

「この子が京夜先輩にありがとうって。何でかは私にはわかりませんけど、伝えてくれって」

 

「お前、やっぱり……いや、どういたしまして」

 

 橘の家の特殊な能力は超能力に近しいものだと以前から思っていたが、今回のこれでその認識も違うかもと思い始める。

 小鳥達には超能力者特有の気配がなく、能力を使っている際にも何かを消耗している様子がない。

 きっとこれは超自然的な何かで、人間に本来、或いは遥か昔には備わっていた能力が先祖返りのように蘇っているんだ。橘家はその遺伝率が100%になる遺伝子でもあるのかね。

 そんな考察をしつつ、この庭の危機を救った小鳥を褒めたら、そんな仲良さげな雰囲気に茶々を入れたがる英理さんと泉鷲さんがムフフと縁側からニヤけてきて、吉鷹さんが怒り出すというさっきの流れがぶり返し、また騒がしくなってしまうのだった。



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Slash68

 

 7月31日、土曜日。

 京都旅行から橘家への訪問を経て昨日の夕方頃に学園島に戻ってきたのもすでに18時間ほど前のこと。

 十分な休息を得て起床してから学園島を出たオレは、夏休みなのに全然ゆっくり出来ないなぁとか思いながら千代田区霞ヶ関へと足を運ぶ。

 ここにはオレ達武偵のあれこれやらを取り仕切る武偵庁が構えているが、今日はそちらではなく、もう1つの巨大な機関である警視庁にお邪魔する。

 警察関係は職業柄で少し対立というか衝突が間々あるから、決して良好なイメージや関係があるわけではないが、正面からバチバチやったところで敵を増やすだけなのは明白なので、オレ個人としては無関心でいる。

 警察が武偵をどう思っていようと基本的に無視するくらいで精神衛生上は良いのだ。無の境地。

 4ヶ月ぶりくらいに袖を通した東京武偵高の制服も違和感なく着こなしつつ入った警視庁だったものの、やはりそこは警察機関。

 ひと目で武偵とわかるオレを見る警察関係者の目はどことなく冷ややかで、中には「何しに来たんだ」というニュアンスの視線をチラリと向けてくる人もいた。歓迎ありがとうございます。

 そんなものにいちいち睨み返してたらキリがないから見えなかったことにして、さっさと用件を済ませにいこうと受付の方に足を運び、アポすら取ってない突然の来訪を報せる。

 

「警視庁公安1課参事官、崇清花に面会をさせてもらいたいのですが。武偵、猿飛京夜が来たととりあえず伝えてもらえれば通る可能性がなくもないかと」

 

「はぁ……少々お待ちください」

 

 なかなか受付で参事官に面会を求める人など来ないだろうから、受付も驚いちゃって口が開きっぱなしだよ。

 おそらく名前さえ伝われば会えるだろうと確信はしつつ応答の方を気長に待つことにして、癖で周囲の観察を始めてしまう。職業病って怖い。

 明日からは鎌倉のアニエス学院に潜入開始で本当に時間のない中で来たんだが、面会できないと後々面倒臭いなぁ。警視庁には日本にいるうちしか来れないし。

 絶対に来なきゃいけないってわけでもなかったが、Nとの衝突も免れなくなってる今は小さなシコリも取っておきたいのが本音だ。

 とかなんとか考えながら行き交う人の流れを眺めていたら、2階から見知った2人が降りてきて少し注目。組み合わせとしては意外と言えば意外だ。

 1人はロンドンで崇清花に同行していた旧0課の加納ユキ。

 そしてもう1人はオレの2年後輩でもある架橋生(アクロス)の乾桜。今日は警察の方の制服を着てるな。

 普通にしていれば接点なんてなさそうな2人だが、見ている限りではその関係は良好そうで、昨日今日知り合った関係ではないだろうな。

 知り合いだし挨拶くらいはしようかと少し考えていたら、階段を降りきってからオレの視線に気づいたのかスッと目を向けてきた加納さんが、露骨に嫌な顔をして軽く舌打ちしたのもわかった。そんなに印象悪かったかね。

 確かにロンドンでは険悪な雰囲気にもなったから好かれる理由は皆無にしても、そんなに嫌う理由もなくない?

 割と理不尽な嫌悪についついオレも舌打ちで返してやろうとして、隣に桜ちゃんがいることを考慮しギリギリで取り止める。ふっ、大人だな、オレ。

 しかしまぁその反応で挨拶したところでって雰囲気を察してスルーしようとしたら、加納さんの急な変化に気づいた桜ちゃんもオレに気づいてしまって、あらあら大変。近寄ってきちゃいましたわね。

 そうなると加納さんも近寄らざるを得なくなって、物理的な距離を取るように距離感の近い桜ちゃんの後ろでオレ達の様子をうかがってくる。

 

「京夜先輩。ロンドンにご留学をされていると聞いていましたが、日本に戻ってこられていたんですね」

 

「向こうも学期末から夏休みに入ったからな。とはいえ休みを満喫する時間もそんなにないのが現実ってやつだよ。桜は加納さんと何か用事か?」

 

「ユキさんをご存知なんですね。少し前から将来の進路についてを色々とご相談させてもらっていて、今日もそんな感じです」

 

「乾桜は君なんかと違って将来に期待が持てるからね。今から手間をかけるのも無駄ではないと判断しているまでのことさ」

 

「……なんかトゲの刺し方がどこぞの誰かと似てて既視感が凄い……」

 

 オレに対して友好的で尊敬もしてくれている桜ちゃんの態度は先輩として心地好く、話をするのも苦ではなかった。

 それなのに邪魔をするように嫌味を挟み込んできた加納さんの距離感が羽鳥のやつとそっくりでゲンナリ。

 羽鳥に対しての免疫が高くなってることもあって嫌味自体にダメージを受けるようなことはほとんどなかったのは良かったのか良くなかったのかわからないながら、それだけでオレと加納さんの関係がとてもではないが良好なものではないと察知した桜ちゃんは、日本人の専売特許である空気読みを発動。

 

「えっと……そ、それでは私もこれからお仕事がありますので失礼しますね。先輩も時間に都合がついたら、またゆっくりお話しできれば幸いです」

 

「ああ。オレも桜とは肩肘張らずに話せて楽だし、都合が合えばな」

 

 年上2人が目の前で険悪な雰囲気は同じ立場なら逃げたいよなぁと、桜ちゃんの心境を察しながらそうした別れの挨拶を済ませ、ピシッとオレと加納さんに警察式の敬礼をしてから足早に警視庁を出ていくのを見守る。できた後輩だ。

 将来的には加納さんの後輩にもなりそうだから同じようなことを思ってそうと加納さんの顔をチラッと見たら、桜ちゃんの姿が完全に消えたのを確認してからキロッとオレに鋭い視線をぶつけてくる。

 

「君がわざわざこんな場所に足を運んだということは、用件は参事官にだろう」

 

「お察しの通りで。いま取り次いでもらってて……」

 

 ロンドンまで同行していたこともあってオレの目的にも推測ができたっぽい加納さんに、隠しても仕方ないかと素直に肯定しつつ受付の方に向き直ると、ちょうど連絡が通ったのか上に行く了承を得られる。

 部屋の指定も受けて加納さんとはこれでおさらばだと思ってエレベーターに乗り込んでいったら、なんかついてくるんですけどぉ。

 

「あの、加納さんも上に用が?」

 

「いや。君が参事官に失礼があっては困るからね。勝手ながら同行させてもらう」

 

「礼儀作法は心得てますがね」

 

「そうであっても『意図せず無礼を働く可能性』を考慮している」

 

 ……どんな可能性だよそれ。

 だがそれを聞いたら崇清花には『オレの意図しない地雷がある』という裏付けにもなるし、こればかりは加納さんもミスだな。警戒心が裏目に出た形。

 とはいえ今日は以前に依頼された勇志さんに関しての話はするつもりがないんだよな。進展なんてないし。

 そんな意味では今日は崇清花に踏み込むつもりだから、意図しない地雷を踏む確率はなきにしもあらずだ。勘としては当たってる。

 下手に刺激して後ろからブスリと刺されないように警戒はしつつ、指定された階の部屋へと赴き、加納さんの無言のプレッシャーを浴びつつ扉をノック。

 すぐに返事があって中に入るように言われ扉を開けると、割と質素な小会議室にテーブルと椅子だけがある部屋。

 その最奥の一面がガラス張りの壁の真ん中辺りで外の景色を眺めていた崇さんは、1人。側付はなしか。

 

「あら、ユキさんも一緒だったの?」

 

「失礼ながら受付で面会を求める彼を発見しまして、参事官に何かあってはと思い同行を」

 

「ありがとうユキさん。でも彼を疑ってはいけませんよ。こちらは彼に動いてもらっている身。ならば最低限の信頼と、敬意は払わねばなりません。なので、わかりますね?」

 

 オレと加納さんの入室に振り向いてから、まずは加納さんとそんな話をする崇さんに言われて、少し不満そうにしながらもピシッと敬礼してから加納さんは部屋を出ていく。

 たぶん扉の前で控えはするんだろうけど、中にいられるよりは全然良いや。ずっと目を光らせられたら息が詰まるし。

 そうして部屋で崇さんと2人きりになってから、崇さんが椅子に座るように勧めながら自らも腰かけるも、腰を据えるほど長話をしたいわけでもないから扉の近くで立ったまま用件に入る。

 

「それで、この度はどういったご用件で?」

 

「彼についてはまだ何も。今日はあなたについて少々尋ねねばならない案件を。崇清花さん。いえ、こう呼んだ方がいいですか。穴山清花さん」

 

「もう調べがついたというわけですか。流石と言うべきなのでしょうね」

 

「正直なところ、今も少し混乱はしています。ですがこれは真田家現当主、真田俊彦(さなだとしひこ)及び、次代当主、真田幸音による事実確認の要請を受けて尋ねさせていただきます」

 

「真田の……それは私も嘘はつけませんね」

 

 そう。今回の訪問はオレの意志のみで行われたものではない。

 これは真田家も絡んだ割と大きめの案件で、帰国するよりも前から幸姉には時間がある時に問いただすように命じられていた。

 その内容は……

 

「あなたが穴山の血筋である。まずそこの真偽については?」

 

「仮に私が穴山であっても、そちらとしては分家。直系には当たらないのではないかということですね。そちらに関しての答えとしては、私は穴山小助の直系の子孫に当たります」

 

「だとするならば、こちらでは断絶したとある穴山の血族がなぜ生き残っているのか。そして何故こちらには断絶したという史実が存在するのか。それに関しても何か知ってますね?」

 

「それを話すに当たっては穴山家の秘密についても話さねばなりませんが、仕方ありませんね。あなた方と接触した時から覚悟はして…………いえ、自らヒントを与えた時点で、きっと隠し通すことをどこかで良しとはしたくなかったのでしょう」

 

 崇清花は真田十勇士、穴山家の血筋である可能性があった。

 自らがオレや幸姉と縁があると小言したからにはその線は濃厚で、ジャンヌの調査能力を信じてもいるから、ここで退く選択はなし。

 という覚悟でいたのだが、意外にも崇さんは話す気があるらしくて拍子抜け。もっと渋るものとばかり思ってたんですけど……

 

「真田の家に残されている書物には、穴山の一族がどのような力を持っていたか。それを書いたものはないはずですが、そこに相違はありませんか?」

 

「幸姉……幸音様が調べた限りでは、そのような記述はなかったと記憶しています」

 

「そうでなければ困っていましたが、それを聞いて安心しました。結論から言いましょう。私たち穴山家は代々で『ある力』を継承している超能力者です。真田と十勇士の一族にはその事実を記した記録は残さないようにと穴山が申し出ていたのです」

 

「それは……どういった理由で」

 

「……今から100年余り前に、穴山の力がある者……ある者達に狙われたのです。お婆様が亡くなる前に仰っていたのは『ノア』を名乗る使者と交戦になったこと。捕らえられそうになったところを力を使って辛くも逃げおおせたこと。そしてその危険性から当時繋がりのあった他の一族に危害が及ばないように、穴山家は断絶したと情報操作したこと」

 

「ノア……100年前……嫌なところで符号が一致する……」

 

「察しの通り、穴山の一族を狙ったのはNである可能性があります」

 

「だがNはその名を『ノーチラス』と言っていたはず……それはネモ提督自らがそう言っていたと仲間内から聞いて……」

 

 穴山の能力がNに狙われていた。

 それが事実だとすれば言われた通りの情報操作は納得のいくものだ。

 だがノアとは。イニシャルではノアもNと取れるだけに謎は出てくるが、今はそこを深く考えるのは本題からの脱線に繋がる。

 崇さんも話をちゃっかりNにすり替えようとしたのをオレは見逃さないぞ。

 

「……そこはこちらでとりあえず持ち帰るものとして、今の説明で納得がいかない部分はあります。仮にその情報操作が事実だったとしても、真田の者に穴山家が実は生きていることを口伝でさえ教えられていないのは少し不自然に思えます。こちらとの縁を完全に切りたかったという話なら納得しもしますが、それならそれで『どうやって穴山家の断絶をこちらに伝えたのか』という疑問が浮上する。そこには必ずこちらとそちらを繋ぐ第3者がいないといけない。だがこちらの書物ではただの一文として『穴山家は1907年にその血が断絶した』とあるだけ。それがどこからもたらされた情報なのかは記されていなかった。ただ史実としてあるだけのものに違和感があると思うのは勘繰りすぎですかね」

 

 オレがNとの関わりが深いからそちらに話がブレれば話のすげ替えも出来ると踏んでいたのだろうと、分かりづらいながらも表情からなんとなく察する。

 オレも普段なら乗っていたかもだが、今回は幸姉と当主様の命で動いている手前、私情は二の次に出来ていたのが大きい。サンキュー!

 そんな冷静な思考の中での疑問を矢継ぎ早に崇さんに問いかけると、まだ18になったばかりの高校生が至る推測ではないだろうといった感心に近い表情と一緒に小さな息を吐いた崇さんは、脱線が上手くいかなかったなら仕方ないかと腹を括ったような雰囲気に変わる。

 

「その歳でSランクになれたのも頷ける考察力ですね。ロンドンの時は疲労の残る試験終わりに接触しておいて良かったと、今になって実感しました。出来るならその能力を我々警察組織で活用していただきたいものです」

 

「勧誘は丁重にお断りしますよ。面倒な上下関係や派閥争いに巻き込まれるのはうんざりですから」

 

「それは残念です。さて、推測の通り、穴山の一族が断絶した情報は確かにこちら側が『こうであってほしい』を押し付けたものと言って良いものでしょう。それが出来てしまうのが私たち穴山家に受け継がれる力というわけです。────」

 

 また話を脱線しに来たのかと眉を寄せてしまったものの、優秀な人材を誘う癖でもあるのだろうとわかる切り替えでさっさと本題に戻った崇さんは、そこから穴山家に受け継がれてきた超能力についてを話し始めたのだった。

 

 数十分後。

 聞くべきことを聞いて警視庁をあとにしたオレは、さっそく仕入れた情報を報告すべく幸姉に電話。

 向こうの都合を無視した電話だったが、割とすぐに応答した幸姉は時間的にも余裕があることを述べてから用件を尋ねてきたので、すぐに崇さんについてを話す。

 

「崇清花は穴山の直系の子孫だったよ。そっちにある書物に関しても情報操作して残させたみたいだ」

 

『その狙いは?』

 

「100年くらい前にNに狙われたらしい。それでこっちに危害が及ばないように縁切りの目的でそうしたって話してたが……」

 

『Nに狙われた? 何故?』

 

「なんでも穴山家に受け継がれてきた力が狙われたとか。それで崇清花も超能力者だそうで、その力で情報操作もしたんだとか」

 

『…………おかしいわね。前に会った時にはそんな気配は微塵もしなかったのに。本当に彼女は超能力者なの?』

 

「それに関しても話してたんだが、なんか同類からの感知を阻害する超能力も力の一部みたいで、どんな熟練者でも彼女が超能力を使う瞬間以外は感知できないらしい」

 

『そんな力が穴山にね……』

 

 最初からおふざけも挟まない幸姉との会話はかなり久しぶりな気がしつつ、得られた情報を順番に伝えていきながら幸姉の反応をうかがう。

 半信半疑といった内心なのか少し唸るような声も聞こえてくる中で、疑問を解決していく幸姉からの問いかけは止まらない。

 

『それで、そのNに狙われたって言う穴山の能力は?』

 

「ある種の強力な暗示を与える超能力、みたいなものらしい。実際に見せてもらったわけじゃないが、発動の条件さえ整えば『それはそういうこと』って思い込ませられるとかなんとかで」

 

『暗示ねぇ……それでかつての真田や十勇士の一族に穴山は滅びたって暗示をかけたって? 認識阻害系の超能力なのかしら……それとも脳に干渉するアクセス系……いずれにせよ、人間の記憶に干渉する超能力ってことね』

 

「ああ。だからこれはオレの推測だが、勇志さんはもしかしたら……」

 

『待ちなさい。今の京夜に今回で得た情報から推測を立てるのは色々とマズいわね』

 

 ひと通りの情報を伝え終えてからオレなりの推測を述べようとしたところで、突然それを幸姉が止めて何かを危険視する。

 何がマズいっていうのか。この推測が正しければ、勇志さんはおそらく警視庁の……

 

『京夜が伝えてくれた情報を信じていないわけではないし、中には真実もあるってこともわかるの。ただ全てが本当のことかどうかは定かじゃないわ』

 

「…………っ!? それはオレが……」

 

『そう。崇清花がすでに京夜に対して何らかの措置を施している可能性は決してゼロじゃないってこと。聞いた超能力だって本当かどうか怪しいと思ってる。Nに狙われるほどのものなら、暗示なんて生易しいものじゃない可能性の方が高いしね。それこそ……他人の記憶すら改竄することができるのかも』

 

「改竄って……そんな……」

 

『あくまで可能性の話よ。でも今回の接触で得た情報はこれまでの情報と統合しない方がいいわね。それが致命的な相違を生み出す気がするわ。崇清花には改めて私から接触を試みるから、京夜はそれまで思考はステイ。今日のことはなかったと思って過ごしなさい』

 

「……悪い幸姉。役に立てなかったな……」

 

『なに言ってんの。京夜が陥れられた可能性があるほど、崇清花は油断ならない。それがわかっただけでも収穫だったわ。ありがとう』

 

 自分の中で希望的な推測ができていただけに、幸姉に語った可能性は残酷なまでに無慈悲だった。

 思考は冷静だったし、記憶を改竄なんてされていない自信はあるのだ。

 だがその自信すら崇清花に植え付けられたものだと考えたら、オレはもう何も信じられない。

 少なくとも崇清花と対面して話したことの全てが偽りだったと思えてきた。くそっ!

 その悔しさが携帯越しの幸姉にも伝わってしまったか、落胆するオレを慰めるような声色で話してきて、あとは任せろと言ってくれる。

 確かに崇清花が超能力者の可能性があるなら、専門である幸姉の方が勝算はあるだろうし、オレがまた接触したところで同じ目に遭う可能性の方が高い。

 判断としては妥当だが、なんかやるせないな。

 その後、崇清花への警戒心を引き上げたオレと幸姉の通話はあっさりと終わり、幸姉からの吉報を待つ形で今回の件は幕を閉じたが、なんとも後味の悪い感じになってしまった。

 

 ただ1つだけ残された可能性。崇清花が記憶改竄を可能なら、きっと勇志さんも記憶改竄をされていると考えたい。

 あの日、崇清花が言った『回収』という言葉。それが意味するところの意味が、そこに繋がるわずかばかりの可能性を信じて、な。



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Slash69

 

「それでは皆さんよろしくお願いしまーす!」

 

 神奈川県鎌倉市扇ガ谷の標高93mある源氏山。

 鎌倉駅から徒歩20分ほどの距離ながら、周りには他の建造物もほぼゼロに等しい閉鎖的な空間。

 そこに私立アニエス学院は校舎を構えている。

 8月1日、日曜日。夏休み期間中にも関わらず今日この日、オレがこの学校を訪れたのは、別に編入手続きをしに来たわけじゃない。そもそも女子校だし。

 眞弓さんからの情報では、関西武偵局の副局長と何らかの繋がりがあり、その動向を探っていたっぽい特命武偵の不審死に裏がありそうってことで、副局長と繋がっている大阪武偵高の3年、有馬鳩雄が現在潜入捜査をするここ、アニエス学院に来たわけだ。

 捜査方法については割と大っぴらでも構わないとのこと──最悪、本人に潜入がバレても目的が隠せれば構わない──なので、今回は大胆にいくつもり。

 一応、事前に大阪武偵高の在校生リストなんかで有馬の写真などを調べることはできたかもだが、オレが万が一にも有馬を探っていると察知される可能性を考慮してそれは敬遠した。

 そのせいで学院に来たはいいものの、肝心の有馬が誰かはわからない状態。

 探るべき対象が見つかってない状態からのスタートだけに強引さは必要になるんだよな。

 まぁ時間はあったからいくらかの手段は思いついて試すつもりではいるが、全て空振ったら……その時はその時に考えよう。うん。

 

 それでこの男子禁制の学院にオレがどうやって潜入したかと言えば、眞弓さんがどうやってかねじ込んだある団体への協力要請によって。

 この依頼がそもそもなぜ時間的な制限があるのかを考えれば予測もいくらかつくが、今回は外部の人間が学院側から招かれて入る方法。

 今年の春先から企画自体はあったみたいで、この学院のホームページを調べればわかることとして、割と新設校のアニエス学院は、その生徒を付近の廃校予定の女子校から受け入れて数を確保した部分があって、進学校としては最先端の勉強方針もウリみたいだ。

 だがその一方で学費に関しては一般的な公立校の10倍はするみたいで、毎年の受験生の確保も割とスレスレをいくレベル。そりゃお嬢様しか通えないような学校は生徒数の確保も厳しいものがあるさ。

 校長も全国で最年少とかいう堀江美由紀(ホリエミユキ)という女性らしいが、若さから来る発想とチャレンジ精神で色々と試していってるようで、その結果としてこの学院の宣伝動画を作成しようとなったわけ。

 様々な打ち合わせやら何やらを経て、ようやく撮影を開始することになったのが今日この日からの3日間ということで、オレはその撮影スタッフの1人として学院内に入り込むことが出来た。

 だから今はシャツとパンツのみの薄着なスタイルでスタッフに紛れて撮影の挨拶を聞いていた。

 現場監督は校長と顔見知りみたいで、到着して早々に迎えた校長と和気あいあいとした雰囲気で話してからオレ達に機材などの準備を指示し、今回の撮影でモデルとなるキャストがここの制服に着替え終えて姿を現すと、スタッフ側のテンションがぐわっと上がる。

 

「よろしくお願いしまーす!」

 

 紺色のブレザーにロングスカートとお嬢様らしい制服を着込んで元気良くお辞儀と共に挨拶したキャストは、何の因果かオレと同じ武偵高在校の生徒。

 名前は結城ミク。特殊捜査研究科(CVR)の教師である結城ルリの歳の離れた妹で、現在は高校1年生だったはず。

 でっかい水色のツインテールと清楚なブレザーというなんともミスマッチな組み合わせで異彩を放っていることこの上ないが、学校のPRなら派手なくらいが人目を引くし目的には合ってるのか。

 この結城ミクは武偵でありながら世間的に受け入れられたアイドルも兼業していて、歌って踊れる武偵アイドルとして世に出ている稀有な存在。

 ハッキリ言ってオレは面識がない。顔と名前は知ってる後輩くらいの認識しかないから、彼女がどんな人物かは計りかねる。が、逆にオレが武偵で先輩だとバレることもないだろう。留学してて東京武偵高にもいなかったし。

 採用されたキャストにわずかながらの不安要素はあるものの、結城ミクも撮影に全身全霊だろうし多少は無視してオレも役割を果たそうと、有名人の登場で撮影前にも関わらずすでにちらほらと野次馬の生徒が集まり出していて、撮影の邪魔になりそうなラインを定めて注意喚起をする。

 ここは敷地内に建設された寮に住む寮制らしく、夏休みは実家に帰省してる生徒が大半だろうが、残る生徒も少なくはない。部活とかもあるだろうからな。

 そうした一部の生徒に有馬も含まれている可能性は高い。

 何の目的で潜入してるかはわからないが、人も減るこの時期に出来ることは確実に多いし、オレならこの機に何かしらのアクションを起こす絶好の機会と考える。

 

 そんなこんなで宣伝動画の撮影も滞りなく始まり、校門前でのありきたりな冒頭紹介を撮り、順を追って敷地内のアピールしたい施設やご自慢の授業プログラムなどについて結城ミクの口から発信。

 さすがアイドルやってるだけあって、説明口調でも可愛さと笑顔とメッセージ性は全く損なわずに伝えたいことを画面の向こう側へと伝える技術はピカイチ。

 ここまで5シーンほど撮影したが未だにNGなしで別パターン含め全て1発OKは驚嘆に値する。これ3日もいらないんじゃないの。

 あらかじめ撮影予定には目を通しているからどの程度の進行度かは明確にされてるため、逆算すると明日で終わりそう。このまま順調ならだけど。

 しかし本当にそうなったらオレの仕事も達成できないまま終了を迎えてしまう可能性があるので、仕事職人な結城ミクに仕事を巻かれてしまう前に急ぐ必要が出てきた。いらんことするなよもう……

 それに撮影しているうちにこの学校の建物に違和感を覚えてきていたのも、ようやく確信に近い感覚になって、日本人には「何が?」という部分が判明。

 敷地内には目的は不明ながら教会や礼拝堂などのヨーロッパ風建築もあり、そちらに合わせてなのか全体的にヨーロッパ風な外見の建物が大半を占めている。

 見る分には綺麗な建物で問題ないが、少しでも知識があるとその様式がイギリス式だのフランス式だのとごちゃ混ぜであるとわかるんだ。

 これはおそらくあの最年少の校長が独自のこだわりか何かで意図として作ったか、単に知識が不足していて結果的にそうなったかのどちらかだろう。

 なんでもあの校長。世間で有名なRPG『グリフィンサーガ』シリーズの生みの親らしく、そのゲームがヨーロッパ風なことを考えれば、和製ファンタジーを表現してる感が強い。

 メヌエットなんかが見たらきっと指摘箇所の宝庫と化して、少し移動する度に延々と文句を言ってそう。一緒に来たくねぇ……

 

 さて、撮影の野次馬をいくらか観察したところ、漫画の世界のような典型的なお嬢様が存在していて軽く驚愕したのも数時間前。

 それ故に学力特化というか見た目特化というか、とにかく体力面では明らかに貧弱そうな生徒がほぼ100%な比率にはビックリさせられたが、逆に言えば有馬を探しやすくもあるわけで。

 武偵をやる以上、常人レベルの身体能力で留めるのは難しいし、それは体つきや歩き方などにも表れる。

 女性の体をまじまじと見る行為には負い目はあるものの、撮影の隙を見て注意深く1人ずつ観察して除外対象を増やし、怪しい人物をピックアップしていった。

 ──そして、何故か釣れた。

 

「あのぉ、ひょっとしてですけどぉ、ただのスタッフさんじゃないですかぁ?」

 

 ノーマークの結城ミクがな!

 撮影の合間の休憩時間になって買い出しに出て帰ってきたタイミング。

 頼んでいたらしいコンビニスイーツを結城ミクに渡したところで不意にそうやって話しかけられて少しビックリする。

 そんなに不自然な動きはしてなかったはずなんだが、やっぱりわかるやつにはわかるのか。

 

「どうしてそう思ったんですか?」

 

「私ぃ、これでもアイドルなんでー、私に興味がある人とかぁ、見ればなんとなくわかるんですー。でもお兄さんはぁ、私というより違う何かに集中してるー、みたいなぁ? 気がしてー」

 

 なんともフワフワした話し方で気が抜けそうになるも、言ってることは割と武偵らしい? アイドルらしい? 感じがして素直に感心。

 しかし武偵としての勘というよりもアイドルとしての勘みたいなものに引っ掛かるって意外だったな。

 言われてみれば結城ミクに対して仕事への入れ込み方は感心したものの、アイドル結城ミクには特にこれといった興味はなかったから、それが表面に出ていたんだろう。これはすぐにコントロール出来るものじゃないかもな。

 

「……仕事はキッチリやってるつもりですが……不満でもありましたか?」

 

「不満とは違いますけどぉ。一緒にお仕事してて興味を持たれないのは少しプライドがーってお話かも? これでもアイドルですからー」

 

 とりあえずオレが武偵であることを見抜かれたわけではないので、これ以上のマークを避けようと改善点を探ると、なんかいけそうな空気だぞこれ。

 要はここから先は結城ミクにも適度に興味を持つ態度を見せておけば切り抜けられるってこと、だよな?

 と思って結城ミクとのこれ以上の会話は各方面に注目されかねないとひとこと謝罪のようなものをして退散しようとしたら、なんかオレの意図としない「よーし」と謎の意気込みを見せた結城ミクは、プラスチックのスプーンの先をオレの顔にピシッと向けてくる。

 

「じゃあこれからの撮影でぇ、あなたが私に夢中になるくらいにまでしてみせますぅ。覚悟してくださいねぇ」

 

 自信があるのかそんなことを営業とも違う可愛い笑顔で言ってのけた結城ミクは、新たな目標でも見つけたかのようにウキウキしながらコンビニスイーツに手をつけ始め、その宣言に対してどう返すべきか悩んだオレも、直後に他のスタッフに呼ばれたことで結局は返事ができずに仕事に戻ることとなってしまった。

 ただ結城ミクも勝手に定めた目標だからか、特にオレの返事は求めてなかった節があり、それから手が少し空いても呼び止められたりはなく、しかし一瞬でも目が合うとアピールのつもりなのかウィンクをしてきたりと挑戦的なことをしてくるようになった。

 ぐっ……こう変に意識されるとオレも動きにくいっての……アイドルって厄介すぎないか?

 

 そうして結城ミクのいらない視線を気にしつつ、視線に対しての感覚が若干ながら鋭敏になってしまったのが何故か功を奏してしまう。

 よく尾行する側が自分への尾行に気づかないということがあるように、目標に集中していると同じことをされていてもそうとは気づけないことがある。

 今回の場合はオレが有馬鳩雄を探し出すいわゆる攻めの捜索をしていたから、同じ攻めの捜索をされていたことに警戒が薄くなっていた。

 まさかオレに探りを入れるようなヤツがこの学院内にいるとは思わなかった。わけでは100%ないが、可能性の話をすれば除外してもいいレベルだったのは確か。

 だが逆にそんな人物がいるなら消去法で割り出せるというもの。

 結城ミク以外にそんな酔狂なヤツがいるとすれば、有馬鳩雄しかいない。

 そうと確信してオレは撮影の最中に攻めの捜索を何の前触れもなく唐突に打ち切り、全神経をアンテナにする守りの体勢にチェンジ。

 この落差にはどんなヤツでも動揺してボロを出す。なまじ優秀なら優秀なほど、この落差にいち早く気づき反射的に視線を切る。

 その気配をオレが見逃すはずもなく、狙い通りの反応が1つだけあって、不自然だと思ったのかもう1度だけ視線を戻してから撮影に注目するような視線の移動も目視で確認。

 上手いな。ちゃんと誤魔化しが効くように結城ミクとオレが同時に視界に入る位置取りをして見られていたぞ。

 

「にしても、ずいぶんとまぁ……あれだな……」

 

 どうやらそいつが有馬鳩雄で間違いなさそうで、実際ここまででオレがアタリをつけていた生徒の1人でもあったから、驚きこそそこまでではないにしても、そうだったら性別って何だろうなと疑問には思うなと考えていたから、この現実に夢じゃないかとは思った。

 学院に潜入していた有馬鳩雄は当然ながら女子生徒に扮して潜伏していて、パッと見で男子などとは思えない容姿をしていた。

 というよりもその辺の女子生徒よりも頭1つ抜けて可愛くて女子女子してるくらいで、理子のようにカツラか染めたであろうピンクの長髪をツーサイドアップにして色んな意味で目立っている。

 その仕草や表情の豊かさなどから、やはり理子のような快活さがキャラとして定着させている節があり、撮影の見学もいちいち落ち着きがない様子があった。

 なんか注目してくれって始めから言われていたような気もして、撮影初期から呆れ気味に放置していたのが災いしてたな。逆に視界に入らないようにしてたわ。潜伏してる自覚持ってくれない?

 しかしあれが男だとわかると本当に世の中を疑いたくなるな。整形とかしてない天然素材でしょあれ。生まれる性別を間違えたとしか思えん。

 そう思うほどの美少女、有馬鳩雄が何はともあれ見つかり、おそらく向こうにもこっちが見られていたことに気づいたことを悟られたから、ここからは接触があるはず。

 それを待ちつつ結城ミクのさりげないアピールにも苦笑いして仕事をこなしていくと、陽も暮れ始めて本日の撮影は終了。

 結城ミク含めて撮影スタッフ達は最寄りのホテルに宿泊することになるから、機材なども回収して撤収の流れに。

 片付けに追われながら結城ミクが一足早くホテルへと向かって余計な視線が消えてひと安心したのも束の間。

 校長と監督が長話に突入して出発が少し遅れそうなのを見越したか有馬鳩雄の方から接触してきてくれた。

 

「なーんやえらいカッコええスタッフさんがおる思たら、君やったんやねぇ」

 

「…………そっちは誰だよ。記憶力は良い方だが、顔に覚えがない。言葉遣いからして関西圏の人間か」

 

「そりゃ初対面やし。あ、でもウチが一方的に知っとるのは不思議なことやあらへんよ。猿飛京夜。今は影の陰って呼ばれとるんやっけ?」

 

 声まで男らしくないというか女な有馬にはマジでビックリしても表情などには出さず、正体に気づいた様子を見せずにとりあえず警戒心を持って接する。

 その反応は自然だったようで、まずはオレを怪しむような素振りは見せずに会話に応じる有馬は、オレを事前に知ってる発言で話の主導権を握りに来る。

 

「その2つ名はバチカンが勝手に……いや、今はいい。それより何でオレを?」

 

「ウチ、乙葉(おとは)まりあ言うねんけど、一応は同業者ってことになるんよ。大阪武偵高の3年やから京夜とは同い年なんよ?」

 

「大阪武偵高……別にそっちとも接点は……」

 

「自覚ないん? 意外と鈍感なんやな、京夜は。これでもウチは注目しとったんよ。当時、京都武偵高にインターンで約3年、同い年の武偵が通っとったって。あの月華美迅の懐刀とまで言われとった人と、まさかこないなところで会えるとは思わへんかったけど。光栄やわぁ」

 

 仕事上では乙葉まりあを名乗っておいて武偵であることは明かしてくるか。

 これは先の視線が云々の話の辻褄合わせのために予防線を張ったんだろう。素性を隠して話を進めるのは自分を不利にすると判断したってところ。

 武偵手帳を見せなかった辺りで疑うべきものも、オレの勝手に広まった2つ名を知ってる部分で上手く躱してるし。あれまだ国際武偵連盟にも登録されたりはしてないはず。

 

「別にオレが凄かったわけじゃないだろ。凄いのは月華美迅の5人だ。色眼鏡で見られても困る」

 

「謙遜せんでもエエやん。今はちゃーんとSランクに昇格しとるんやし、Sランクは生半可な武偵が取れるランクとちゃうよ?」

 

 まだオレがどんな目的でここに来たのかを探る様子の有馬は、自分が男だとバレてないと判断して可愛らしい笑顔でぐいぐい近寄って上目使いで見上げてくる。

 近くで見てもこれが男とは未だに信じられない不思議な感覚を覚えながらも、女を武器にしてくる手法には慣れているといった態度で動揺すら見せずに平然と対応。そもそもこれは男だ。動揺する理由がない。

 

「オレの自己評価については置いといてだ。互いに知らぬ存ぜぬで通せたのに何で接触してきた?」

 

「逆に京夜は何で接触しようとせんかったん? ウチが誰かもわからんのに放置するん?」

 

「今回は単純なバイトだから実害さえなきゃいいくらいの気持ちだっただけだ。それにあの視線の動き方は素人じゃないから、関わって変なことに巻き込まれるのも嫌った。だからそっちから来たのもちょっと迷惑くらいに思ってる」

 

「ええー、それは酷いやん。ウチは京夜に会えてめっちゃ嬉しいのにぃ」

 

 もう理子を相手にしてる感覚に限りなく近いから、さっさと会話を終わらせる雰囲気で関わりたくない空気を醸し出す。

 一見すれば目的に背く行為になるが、理子タイプは相手の都合を無視する傾向にあるし、うざ絡みを楽しむことも間々ある。

 有馬も例に漏れず話を終わらせたくない空気で対抗してきて、あからさまな寂しいオーラを噴出。

 そうなればまだ2日もここに滞在するオレからすれば、今後の不安要素にしかならないため、仕方ないから有馬が満足する程度の会話を成立させざるを得なくなるわけ。自然な流れだろ?

 

「……やけどぉ、いま京夜は嘘ついたんとちゃう?」

 

「……はっ?」

 

「ホンマに撮影のバイトなんやったら、何で仕事中に周りを探る必要があったん? そんなん普通のスタッフがやることとちゃうよね?」

 

 話の主導権はこれで握れる。

 そう確信して有馬が気になるだろうことが何かを尋ねつつ、スタッフ全員の撤収のタイミングを待つ態勢を整えたが、ぶりっ子の入った演技から急に武偵の顔になった有馬がオレのわずかな綻びを見逃すことなく指摘してくる。

 流石はSランク。やっぱりその対応には眞弓さんを相手にしてるくらいの緊張感は持った方が良さそうだぞ。

 

「あっ、今ちょっとだけ考えとることが表情からわかったで。『こいつ、油断ならへんな』って思たんちゃう? 正直、同じ武偵として侮られるんもウチのプライドが許さんところがあるんよ」

 

「お前……まさかSランク……」

 

「どうやろね。そんで京夜は何でこの学院に来たんや? ウチ、それが気になってしもたわ」

 

 有馬を知らない体を押しすぎて思わぬボロを出してしまったオレに対して、完全に主導権を握りにきた有馬の鋭い眼光は、ここから先のオレの嘘を何ひとつ見逃しはしないといった意思をひしひしと感じさせた。

 うわぁ、面倒臭いことになったわ……



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Slash70

 眞弓さんの依頼で有馬鳩雄に探りを入れにアニエス学院に潜入し、乙葉まりあと名乗る有馬と接触までして話をすることに成功したのはいいが、有馬も有馬で鋭い指摘で嘘を見抜きオレがアニエス学院に来た本当の理由を探りにきて、話の主導権を握られかけてしまう。

 有馬としては自分がこの学院にいる理由を探られたくないからオレの目的が気になるといったところなのだろうし、偶然バッティングしたなんて甘い考えでもないだろうな。

 下手な嘘を重ねてさらに綻びを生じさせて疑われるのは悪手。だからといってのらりくらりと躱せるほどSランク武偵は甘くないのが現実。

 

「…………で? それを聞いてどうするんだ?」

 

 確かに眞弓さんほどの凄さを感じない有馬に警戒が緩くなっていたのはある。が、追い詰められるのは悲しいことに慣れつつあるオレは、武偵の顔をして怪しく笑みを浮かべて探りを入れてくる有馬に対して至って冷静に、いや、冷徹といった態度にシフトして質問を質問で返す。

 別に苦し紛れではない。最初からバイトだなんて信じられないだろうなと思って、そこを突かれた際の言い分を考えていたんだよ。

 バイトというのは9割ほどが真実だから疑われるのは不本意ではあるが、残りの1割の真実を見抜かれては困るのでこのバイト自体を嘘にしてしまう。

 

「そら京夜がウチの障害になるんやったら色々と対応せなあかんし、そうやって苦し紛れな質問返しはますます……ッ!」

 

「ますます、なんだよ?」

 

 強気な有馬の態度に反発したようなオレの反応が有馬にしては思惑通りといったところだったはずなところに、反撃としていきなりオレが有馬にしか発しないプレッシャーを放出。

 その変化にいち早く気づいてオレの射程からすぐに離れて一息で先制できない距離感になった有馬の対応は流石。

 

「それを聞くなら、お前がここにいる理由も話すのが対等ってもんだよな。いつからいるのかは知らんが、関西の武偵がわざわざ鎌倉に出向いてなんて、こっちも探ろうと思えばいくらでもメスは入れられるぞ」

 

 武偵には秘匿義務があるから、たとえ同業と現場でバッティングしようと、その依頼の内容を公にするには色々な条件や理由が必要になる。

 それなしでぐいぐいときた有馬が不用意だったとして脅すオレに、ようやく冷や汗の1つをかいた有馬が、周りの目もあるから変に身構えたりはせずに溜め息を1つ吐く。

 要は今、オレはバイトというのは嘘で別の目的のためにこの場にいると言ったに等しく、そこを探るならお前にも探りを入れるぞと脅したわけだ。

 それがわかった有馬も女に甘そうなオレの口を開かせる方法は通用しないと判断したか、戦闘は避けるべく詰め方を変えてくる。

 

「ほなら何系の依頼かだけにしよか? 捜索? 調査? それとも……」

 

「まだ自分が優位に立てると思ってるのか。わざわざ生徒として潜入してるなら、お前はその素性を偽ったりして通ってるよな。乙葉まりあも偽名の可能性があるし、今ここで小さくても騒ぎが起こるのは都合が悪いだろ」

 

「……それは京夜かて同じやろ? 立場上はか弱い女の子。それもこのお嬢様学校の生徒を襲ったとなったら、たちまち逮捕や」

 

「理由なんていくらでもでっち上げるさ。武偵として名乗っておけば問答無用で連行はないし、お前を拘束してから部屋の荷物検査なんかすれば出てくるだろ? 武偵手帳とか武装の類いなんかがよ。別にオレはそうなっても痛くも痒くもないんだわ。生憎と隠密性は望まれてただけで必須なわけじゃない。だがお前はどうだろうな?」

 

 もちろんハッタリなわけで、マジで問題が起きると有馬の任務が続行不可能になったりは困ってしまう。

 自分の首を絞めるようなことを言ってることには肝が冷えるが、ここまでしないと話の主導権は握らせてもらえないなら通すしかない。

 あまりにもキツい当たり方に有馬も面食らって言葉を失ってしまったものの、オレが冗談で言ってるとは思わなかったのか少しだけ悔しそうな表情をしてから力の入っていた全身を脱力させてうなだれてしまった。勝ったな。

 

「降参や。京夜が女の子をいじめて楽しむ趣味があったなんて知らんかったわぁ……てっきりジェントルマンなんやと思てたのに……」

 

「別にそんな趣味はない。依頼中はともかく普段は紳士的だ。それより脅しておいてあれだが、オレの仕事はお前とほぼバッティングしてないと言い切れるから、そっちの事情次第じゃ話さないこともない。ただし」

 

「こっちのお仕事も少しはってことやろ? ええよ。ウチも京夜を敵に回したいわけやあらへんし、人脈も増やしときたいやん。京夜もウチと仲良しになれたら嬉しいやろ?」

 

「実力のほどもわからんのに嬉しいもクソもあるかよ。そう思わせたいなら自分の有能さを見せることだな」

 

「んー、そうなるとウチの専門はこういうことやけどぉ?」

 

 観念して話の主導権をオレに渡した有馬を1度は脅した形にはなったものの、あくまでそれは『そうなってもいい』と強調したに過ぎないため、有馬が黙秘権を行使するかどうかを探る意味で反転して譲歩をする。

 しかしここからオレが勝手に依頼内容を話せば「勝手に喋っただけやん」と切り返されるので有馬の合意を取りに行くと、合意と取れる返事と共に自らの得意分野なのか、またオレにスルリと近寄って腕に抱きついて上目遣い。あー、そういう系の武偵なのね……悪魔かよ。

 男が男を殺す武偵ってのは想像するに気分が悪いが、有馬のこの見た目なら余程の事がなきゃ男とはバレないだろうし、実際に結果も伴ってのことだろう。オレには通用しないが。

 そんな意味も込めて抱きついてきた有馬を軽く振りほどいて馴れ合いを拒否。

 寂しそうな表情をする有馬に何を思うこともなく、もぎ取った主導権を行使する。

 

「それで乙葉。お前の依頼は何だ?」

 

「大雑把に言えば捜索系やね。何をってとこまでは守秘義務もあるし内緒やけど」

 

「……オレは護衛だ。それだけで武偵ならわかるだろ」

 

「護衛ってことは……あー、アイドルも大変やからねぇ。脅迫状とかストーカー被害があったんやね。御愁傷様」

 

「何事もなきゃそれでいいが、今日のお前みたいな奴がいるとこっちも別の意味で緊張するんだよ。だから明日からはウロウロするな。それか……」

 

「それとなくお手伝いするかしろってことやろ? そのくらいやったらお安いご用や。その代わり、役に立ったら……」

 

「お安いご用なのに見返りを求めるのか? だったら静観してくれるとありがたいね」

 

「んもぅ、冗談やんっ」

 

 捜索系、ね。素直になった有馬が本当のことを言っているかはわからない。

 実際、オレもオレで平然と嘘をでっち上げているからだが、諜報系の武偵同士で本音の探り合いはわずかなほころびが破綻を招く。

 それを知ってるからオレも有馬も捜索系とか護衛とか言葉足らずながらも言及がしにくい単語と理由で相手に予測させることで深入りさせなかった。

 しかしこっちは明確に護衛対象が見えている分で信憑性が増しているのは幸いで、理由についてもアイドルという立場上で色々と想像しやすいのはシンプルにありがたい。

 この結果、情報の開示という意味ではオレの方が幾分か開示したことにはなるし、主導権を握っていたオレがそんな感じだからプライドもありそうな有馬の方もあと1つくらいは有益そうな情報を自発的に出す、はず。

 なのだが、それを今の段階でこっちが求めるのは少々がっつきすぎ。怪しまれて当然だから今は我慢だ。まだチャンスはあるんだからな。

 ここから先は如何にオレが有馬に興味がなく、依頼に集中しているかを見せて有馬の疑いを晴らし、何の裏もない単なるバッティングだったと思わせられるかが勝負。成功すれば本当の情報の1つくらいはポロリしてくれると信じよう。信じないとやってられん。

 その後、有馬は協力的な態度は見せつつ、特別なにかをするとも明言はしないまま普通の女子生徒を演じながら学生寮の方に戻っていってしまい、オレもオレで撤収作業が終わったスタッフの乗るバスに乗り込み潜入1日目を終了。

 初日から有馬に接触できたのは幸か不幸かまだ判断が難しいところだが、失敗すると眞弓さんが怖いし絶対に乗り切ろう。

 何の成果も得られませんでしたは怒りの鉄槌を食らいかねないしな……ってか食らうだろうな確実に……それだけで済めば御の字レベル……やべっ、体が震えてきた……まだ夏は始まったばかりだというのに……

 

 撮影2日目。

 昨日は天気がすこぶる良かったから外中心の撮影でずいぶんと日差しにダメージを負わされたが、今日は天候としては晴れながら少々雲が多く風も強めなことから撮影のほぼ全てが室内でのものとなった。

 そのおかげで生徒による野次馬もかなり制御しやすく護衛もしやすいってなもんで、偽装も楽できた。

 その代わり、昨日に発見して釘を刺したことで変な動きはしなくなった有馬が、何を考えてなのかオレが普段なら注意して観察する場所に的確にいるもんだから逆に気になって仕方ない。視界に入るな!

 有馬なりに不審者がもしも入るならここ、って場所を監視しやすい位置にいてくれてるのかもしれないが、お前みたいなピンク髪がチラチラ見えるこっちの身にもなれ……

 しかもオレがそうやって視線を時々でも有馬に固定したりしたもんだから、謎の宣言以降オレにアピールしてきていた結城ミクも有馬に気づいてアイドルのプライドか何かなのか武偵にしかわからないくらいの不機嫌な表情の変化を見せてキロッと睨まれる。

 気づいてないとか思ってるかもだがバッチリわかっちゃったよ。うえーん、面倒臭いよぉ……

 

「へぇー、あなたはあーゆー子がタイプなんですねぇ。へぇー」

 

 案の定、撮影の合間の小休憩時にニッコニコな笑顔で手招きされて応じて近づいてみれば、彼氏の目移りにチクチクしてくる彼女みたいなノリでお小言されてしまい、武偵であることも有馬のことも話せないオレは「嫌でも目立つので」とありそうな理由で乗り切ろうとする。

 その理由には納得など1mmもしてなさそうな「ふーん」で返した結城ミクが本当に厄介な彼女っぽくて、ついヘコヘコと尻に敷かれる彼氏ムーブをかましてしまうが、別に結城ミクが勝手にしてることにオレが媚びへつらう必要って……

 と考えたらバカらしくなって結城ミクへの当たりがキツくなりかねないとギリギリのところで自覚して引っ込める。

 危ない危ない。今は大事なキャスト様だからな。文句は全てが終わってからにしよう。

 その全てを終えた後のことを考えることで結城ミクのアレコレを聞き流すことに成功し、まだ自分に注目してくれないのかと落胆気味になって愚痴も出てこなくなった結城ミクからも解放。途中からなに言ってたか覚えてない。ボケたかな?

 それでこの日は結城ミクと有馬に変な意味で絡まれただけで撮影は無事に終了。

 オレの心労の方が増える一方で何の前進もしていない気がしないでもないが、明日で撮影は最後だし、心労を理由にボロは出せん。油断せずにいこう。

 

 そして3日目の撮影最終日。

 今日は前日までに撮り終えた必要なカットの中から、監督と結城ミクが納得していないカットをもう1度撮り直すのがメインで、いわゆる調整が撮影の大部分になるらしい。

 だからスタッフもカットへの理解とノウハウがあって動きが全体的にスムーズに進行。

 野次馬の方も流石に3日目ともなれば減るだろうと勘繰っていたが、オレが思うよりも結城ミクというアイドルは人気があるようで、劇的に増えはしないまでも減った様子はないのが凄い。

 みんな何をそんな熱心に見ているんだろうと、アイドルの貴重さとかにいまいち理解が及ばないオレが黙々と作業をしながら観察していると、前2日で全く見なかった野次馬の生徒を発見。

 別にその条件に合致する生徒はもう何人かはいるだろうが、目に入った生徒は良くも悪くも特徴があったもんで、否が応でも反応せざるを得なかった。

 今時の女子高生が持っていること自体が……というか世間一般の人でさえ所持者はほぼいないだろうバズーカ砲みたいなレンズを着けた一眼レフカメラを構えている生徒が、わざわざ離れた位置から──おそらく注意されることを見越している──撮影しやすいように脚立にまで乗っているんだからそりゃ注目もする。

 熱狂的なファンって客観的に見るとちょっと怖い。と感じる程度の些細なことで片付けられると思っていたが、そうは問屋が卸さない。

 数々の人間観察をこなされてきた諜報武偵としては、あの生徒は見過ごせない。見過ごしてもいいけど、前例って1度許すとあれなものだしね……

 正直あまり乗り気ではないものの、見てしまったのと有馬に対する有言実行というかも可能になったと考え直して、カット撮影のチェック中に持ち場を離れて野次馬から離れているカメラ生徒に接近。

 

「すみません。一応の対応として、撮影したものの確認をさせてもらえますか? 何かいかがわしい角度や物が撮られていたりすると困るので」

 

 こっちはほぼ確信を得ていたが、至近距離まで来れば100%だ。

 とにかくまずはもっともらしい理由で脚立から降りてもらうが、これに対して生徒は言葉ではなく行動だけで示して黙って脚立を降りカメラを差し出してきた。

 無駄な疑いは出したくないよな。そうだよなぁ。でももう無理。それが証拠。

 そうして差し出されたカメラを受け取る動作から素早くカメラを取り上げて地面に置きつつ、生徒の腕を捻って体勢を崩して組み伏せてしまう。あー、素人で良かった。

 この時、何かの意地なのか声を出すのは我慢したが抵抗は弱く、オレがあと1つ何かを言えば観念しそうなものだが……

 

「ちょっと! あなた!」

 

 と思っていたら、オレの早業を目撃でもしたのか想像よりも早く他からの反応があり、同じ学校の生徒とあって怒り気味の声で怒鳴られる。

 怒鳴った生徒は純粋な日本人の血筋ではないと思わせる白い肌に長い輝くような金髪と葡萄色の瞳の超美人。

 胸も大きいがその辺はどうでもよく、オレに対して敵対心むき出しな表情で組み伏せた生徒を気遣うような素振りを見せてから抗議をしてくる。

 

「し、失礼ですがこちらの方がこうした扱いを受けるような行為をしていたとは思えませんでしたが、どのような理由でこのような蛮行に及んだのでしょうか」

 

「理由? ええ、撮影自体に問題はありませんでしたよ。ですがこの場合は『不法侵入』の罪には問えますので」

 

「ふ、不法……侵入……?」

 

 彼女からすればまぁ当然の抗議だろうなと素直に聞き入れてあげてから、オレがこうした本当の理由についてを説明。

 この時点で組み伏せた生徒は観念して抵抗もなくなったが、とどめにその頭に被っていた女性もののカツラを剥ぎ取ってあげれば、あら不思議。中性的な短髪男子の登場ですわ。

 お嬢様学校なのに化粧っ気が最初からなかったのもあれだし、よくよく見ればここの制服に見えるものも急ごしらえした感じの荒い縫いとかが見え隠れしている。いや、逆によく2日で準備したなと誉めたいよ。

 場所の特定に関してはおそらく初日辺りにここの生徒がネットに撮った写真を発信して、少ない情報──制服や記事の内容などだな──から突き止めて大急ぎで準備してってところか。ネットって怖い。

 ということで生徒の正体が明かされて美人生徒もビックリ仰天な表情から言葉を失い、納得がされたところでオレは警察に通報。

 駆けつけた警官に連行されていった熱狂的なファンを見送りつつ、嘘から出た実になってしまった現実には少々喜べないが、有馬はこれでオレの任務が嘘じゃなかったかも、くらいには思ってくれたはず。

 

「あ、あの」

 

 とか考えながら必然的に中断せざるを得なくなっていた撮影に戻ろうとしたら、先ほどオレに勇敢に噛みついてきた美人生徒さんがオレの前で綺麗なお辞儀をしてくる。

 

「先ほどは感情のままに怒鳴りつけてしまい申し訳ありませんでした。あの時あの場にいた私と同じ考えだった生徒を代表してお詫びいたしますわ」

 

「あー、良いですよ別に。こういう仕事は嫌われるのが日常なんで気にもしてないです」

 

「で、ですが……」

 

「申し訳ないと思えるその心を大事にしてください。撮影に戻りますので失礼します」

 

 これ以上関わられてもこっちが困るので、少し強引でも謝る生徒を引き離してこの話は終わりにする。

 それに納得するはずもないとわかっていても、オレが素っ気ない態度を貫けばあっちも折れるしかなくなるし、自分の行為が相手に迷惑になってるとわかればそれで終わる。優しくて賢そうだから尚更、な。

 

 予想通り、それ以降は微妙な表情こそすれど接触の機会をうかがう様子もなく大人しくなって、そちらへの意識は撮影の途中で打ち切り、残った厄介な2人へ意識を集中しながら仕事を全う。

 

「なーんだー。ならあなたは先輩だったんですねぇー」

 

 しかしまぁ、厄介な1人の結城ミクに関しては、先ほどの騒動の件もあってオレが東京武偵高の3年であることを正直に話せば、諸々の理由にも納得してあっさりと引き下がってくれる。

 撮影も終わって撤収するのみの段階にまでなってからそんな話をしたからか、ムキになっていた自分に脱力した様子だったものの、結局は最後までアイドルとしての魅力をオレに伝えられなかったことは悔しかったのか、マネージャーに呼ばれて行ってしまう直前に「次に機会があったら今度こそメロメロにしちゃいますよぉー」とかなんとか投げキッスしながら言い放っていった。

 さすがはCVR教師の妹。最後までアイドルを演じたか。いや、演技じゃなくて本心。プライドかもしれないがな。

 結城ミクが思うよりもオレは高い評価をしていたわけだが、それは棚に置きつつ、残る1人である有馬が動きやすいように機材の回収し忘れがないかの確認のために校内を歩き回る雑用を受け持つ。

 そうすればすぐに食いついた有馬は、人の目がほとんどない場所とタイミングを狙って接近し、先ほどの騒動の解決を小さな拍手で労ってくる。

 

「いやー、素人相手とはいえ見事なお手前で」

 

「所持品にスタンガンでも持ってたらと警戒もしたが、ただの暴走したファンで良かったよ」

 

「結城ミクにも素性を隠しとったんやね。てっきり結城ミクからの依頼やと思っとったけど」

 

「余計な心配をかけまいとする事務所の計らいだ。何も起きなきゃそれでよし。何か起きてもオレがって話だ。事前にこっちが知ってたかを結城ミクが把握してなきゃ突発的な問題で済ませられるしな」

 

「それで京夜は報酬が貰えて、撮影も成功。WinWinってやつやね」

 

 武偵の仕事は元々がそういう仕組みだろ。

 という真っ当なツッコミは話が逸れるから引っ込めておきつつ、わざわざ撤収間際に接触してきたなら用があるんだろと素っ気ない空気を醸し出す。

 それを察してくれて本当にこちら側からは有馬にもう興味がないと示すことには成功し、そこに思惑通り隙を見せた有馬は最後の最後でボロを出す。そのプライドゆえに。

 

「お仕事に熱心な京夜に悪いから、ウチも1個だけホンマのこと言いたかってん。ウチの任務、捜索系っちゅーのは嘘。ホンマは──」

 

 手強い相手だったが、海外じゃあまり良い思いが出来なかった分、こっちで運が向いてくれたのかもな。

 こうして眞弓さんからの依頼は無事に完遂。あとは報告を残すのみだが……あー、怒られるなこれ……眞弓さんからじゃなくて……あの……



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Slash71

 

「さぁ今年もやって参りました夏休みエンジョイ旅行! お前ら準備はいいかー!」

 

 8月5日、木曜日。朝5時。

 夏とはいえまだ陽も上り始めたばかりのこんな時間にオレの住む男子寮の前に集合した面々に、意味不明なほどのハイテンションで挨拶してきたのは、毎度お馴染み峰理子さん。

 どうやったらそんなテンションが朝っぱらから出来るのか純粋に尋ねたくなる気持ちすらも言葉に出ない程度にはテンションに差があるのはオレだけではなく、集まった面々の中で島苺を除いて全員がそうだった。

 苺だけは「はいですのー!」と遠足の小学生テンションでついていけていて微笑ましい。癒しー。

 そんなわけで今年も理子発案の1泊2日プチ旅行が開催されるわけだが、それに不運にも巻き込まれた今回の面子は少し新鮮だったりする。

 まず京極めめを除くコンステラシオンの4人。中空知なんてこの日のために有給休暇ですよ。悪いね……

 次はなんか暇だったからと付き合ってくれた不知火。今日も朝からイケメンだな。

 そして意外なところから武藤含めたその繋がりで武偵チームであるキャリアGAから鹿取一美(かとりかずみ)安齋スグル(あんざいすぐる)の3人。

 あと1人、チームにはあややこと平賀文が所属してるが、あややは留学の都合でタイミングが合わなかった。帰ってくるタイミングがな……運が良かったな。

 あとは貴希もなんか来たいとゴネてたが、まだ鈴鹿サーキットで奮闘してるからパスで、小鳥も幸帆も実家から戻ってきた報告がないから話すら通ってなさそう。

 それにアリアと昨日まで行方不明になってたらしいキンジも誘ったはいいが、キンジが静養したいとパスするとアリアもパスし、話を聞いていたジーサードとその一味──キンジの実家にいた──が来そうな気配があったものの、あんなのが一緒だと目立って仕方ないからこっちからパスしてやった。来るなら行き先を特定して勝手に来な。

 そんな経緯がありつつ集まったのがオレ含めて計9名。いや、勝手についてくるヒルダも含めれば10名。男女比4対5+1でギリギリバランスも取れたな。

 それはそれとしてオレが少し気になってるのは、ほとんど交流のなかった鹿取と安齋だ。

 鹿取は初めて見ると2度見はするだろうドレッドヘアーのオレよりも身長が高い車輌科の女子で、姉御肌というかお母さん気質が強いのと、名字と名前のどちらからか取ったアダ名の『カーちゃん』が定着している。

 安齋は装備科の生徒で調達の安定性で信頼を得ている男子で、こちらも巨漢。しかも体重は200kg越えの肥満体だ。狙撃も出来るとか聞いたが真偽のほどは確かめてない。

 安齋はまぁ同じ男だし問題はないだろうが、鹿取の方はちょっとした事情があって少し気まずい状態なんだよなぁ。

 いや、別に嫌いとか嫌われてるとかそういう話ではないんだが、1年の時に同じクラスだったこともあって、その初期の挨拶したタイミングで鹿取が自分で「見た目も中身も女らしくないから」と自虐気味に笑って言うから「そんなの気にしない男は少なからずいる。オレもそうだし」とか返したら、なんか知らんがそれ以来オレに対する苦手意識が芽生えたのが明確にわかったので、オレも苦手に思われてるならと交流を避けてきた節がある。

 だから今回の旅行ではその関係を解消する良い機会かもしれない。キャリアGAとはこれから先も付き合いはあるだろうしな。

 そうしたオレの密かな決意も知らずに呑気な面々は理子の音頭で用意されたマイクロバスに乗り込んでいき、車輌科の3人が誰が運転するかをジャンケンで決める──こういう時は運転手は負けた奴だがそうじゃない──のを見届けると、残念なことに鹿取が行きの運転手に決定した。話すのは向こうに着いてからだな。

 

「んじゃ出発しんこー!!」

 

 早速オレの目標が遠ざかったことも露知らず、鹿取の運転するマイクロバスは理子の合図と共に出発。

 長距離トラックのバイトで荒稼ぎしてるらしい鹿取の運転は苺ほどではないが丁寧で、制限速度ギリギリをキープするのが上手い。時短重視って感じだ。運搬向けの運転。

 マイクロバスの中は乗車人数を多少削るものの、中央に固定テーブルを設置しその周りを囲むように座席が取り付けられたタイプのもので、移動中は全員がお見合いする形になるパーティー用。

 それを意図して選んだ理子の狙いは勿論、移動中の暇潰しに全力を注ぐため。

 持ってきたトランプやらのテーブルゲームを次々に四次元ポケット──ヒルダの影収納だ──から取り出して「何やる何やる?」とテンションの高い理子だが、朝5時からそんなテンションでゲームに興じられる猛者は苺くらいなもの。

 しかし苺はテーブルゲームのセンスが小学生レベル──すぐ表情に出る──で、タイマンで理子の相手は少々荷が重いとなると、早々に飽きられて駄々をこね始める未来が予知できた。

 そうして矛先がオレに向けられる可能性が高いのを0コンマ1秒で見抜いたオレは、静かに耳栓をしてアイマスクを装着し「1時間後にまた会おう」とか意味不明な供述をして仮眠に突入。

 あまりの早業に理子がツッコミを逃してブーブー、ぷんぷんがおー言ってる姿が目に浮かぶが、聞こえんし見えん。罪悪感は全くないね。お休み。

 我が眠りを妨げる不届き者には天誅を!

 みたいなオーラも出しつつで理子のエンジョイスタートダッシュを乗り切り、1時間後にはちゃんと付き合うみたいなニュアンスもあったことから、オレの睡眠を妨害する行為は行われることもなく平和な時間が流れ、約束通りの1時間で睡眠を終えて外界との遮断結界を解いてみる。

 するとどうでしょう。意外にも皆さん理子に付き合って盛り上がっておいでですよ。それはもう嫉妬するほどに。

 開き直ってなのか不明ながらも、速攻で寝たオレが蚊帳の外みたいな雰囲気が完全に形成されてしまって、起きたら起きたで「あ、起きたんだ」みたいな表情で流されて寂しいリアクション。こ、こんなはずでは……

 とまぁ普通の人なら思うところだがオレは違うので、オレがいなくても盛り上がってるなら邪魔はすまいと、目的地に到着するまで寝ようとする。あと3時間はかかるだろうし。

 しかしさすがにそれは無頓着無関心が過ぎるだろうと理子からのツッコミが入ってキャンセルさせられ、なんか区切りも良かったっぽい今のゲームを終了させて新しいテーブルゲームを取り出してみんなにルール確認をさせる。

 そしてそのわずかな時間を使ってオレの隣にシュバッ! と密着してきた理子はその顔を耳元まで近づけて耳打ちしてくる。なんだよ。

 

「キョーやんさんや、要注意人物がおりますですよ」

 

「お前以上の危険人物がこの中にいるのか」

 

「危険じゃなくて要注意! おふざけじゃなくてマジのやつ」

 

「害がある感じの?」

 

「害はないよ。旅行だよ? でも理子にとっては大問題になりかねないんだよねぇ」

 

 ……何が言いたいのかよくわからん。

 わざわざオレにだけ知らせてきたからにはそれなりの重要度なのかとも思ったが、身の危険があるとかそんなんじゃなく、何かしら問題になりそうな不安がある感じだ。

 その不安が何なのか具体的なことを尋ねるオレの質問を先読みしてその指で要注意人物を指した理子から視線をそちらに向けると、その先にいたのは眼鏡をかけてゲームのルールブックを読む我らがリーダーのジャンヌ。

 

「…………旅行だからだろうと勝手に納得はしてたんだが、触れるべきことなのか?」

 

「気づいてたんかい。いやいや、気づいてたんなら最初にツッコミ入れといてよ」

 

「いやだから旅行だし開放的になるくらい人間誰しもあることだろうと……」

 

 何故にジャンヌに問題があるのかという理由についてはよくわからないが、オレもオレで今日のジャンヌがいつもとは少し違うなぁとは思っていたので理子の指摘にはとりあえず納得する。

 というのも今日のジャンヌはいつものセーラー服は当然ながら着ていないにしても、白地のノースリーブワンピース。しかも膝より短い丈のもので露出が多い。

 さらにツバの広い帽子なんかまで横に置いてちょっとしたお嬢様気分に見えなくもない。

 別にジャンヌがそうした格好をすることはオレにとってマイナスでも何でもない。むしろプラスまである──目の保養的なだ──から集合した段階で指摘して着替えるとか言われてもあれだなぁと思ってたくらい。

 おそらく理子はジャンヌがそうした格好をする理由に問題があると考えてる。

 ジャンヌは今も完全にそうかは不明ながら、出会った頃は「未婚の淑女がみだりに肌を出すものではない」とかなんとか言ってセーラー服すらあまり好ましくないと言っていたくらいの価値観を持っていた。

 オレの記憶の限りでも今年の春先まではセーラー服やコスプレに近い趣味の服を除いた私服はほぼ全て露出が抑えられていたはず。

 留学中のオレよりジャンヌと交流があった理子がそこに引っかかって注意喚起してきたなら、やはり今日のジャンヌは様子がおかしいのだ。

 

「別に理子だってジャンヌがキャワワになるのは大歓迎だし良いんだよ。でも今回はなーんか放置できないんだよぉ」

 

「根拠は?」

 

「女の勘。っていうのは簡単だけど、匂ったのはキョーやんが寝たあとだね。理子さ、割とすぐにキョーやんのこと起こそうとしたんだよ」

 

「最低だな」

 

「結果として起こさなかったんだからそれは良いじゃん。それでそん時にジャンヌが『本当に疲れていたら現地で遊んでもらえなくなるぞ。大人しく寝させてやれ』って咎めたの。しかもキョーやんを労うようなくっそ優しい目で」

 

 それは……まぁ……少し怖いな。

 ジャンヌは基本的にオレがどうなろうとどうでもいいスタンス──もちろん生き死にの話は別だが──の対応が常だし、オレもジャンヌの態度に関しては半ば諦めてる節がある。

 そのジャンヌがオレに優しいとはこれ如何に。裏があってもおかしくない。

 ジャンヌには酷く失礼だが、その話を聞くとオレも何かあるのかと思わなくはない。

 しかしだ。ただ純粋にこの旅行を楽しみたいだけなら疑念を持って接するのは気分を害する可能性が高い。それは避けたいところ。直接は聞けないな。

 

「言いたいことはわかった。だがあれで本当に旅行を楽しんでたら悪いから、頃合いを見てオレから聞いておく」

 

「それは任せた。でも注意してっていうのは、ジャンヌの誘惑に負けないでねってこと。キョーやんに対してのガードが緩いみたいだし、無意識かもだけど一応ね」

 

 理子もそう思って本人には聞かずオレにだけ話をしたみたいで、そういう優しさは理子らしいなと思いつつ、そんなに心配することかなと正直なところ楽観視していた。

 

 ──甘かったかもしれん。

 そう思うのが理子と話をしてからわずか30分後になろうとはな。

 約束通りに起きてからは理子の遊びに付き合い始めて、多人数でのテーブルゲームに興じていったわけだが、いざ始めると理子はまぁいつものように強引にオレの隣を占拠して楽しそうに騒ぐのは予想通りとしても、まさか反対の隣にジャンヌが座り直してくるとは思わなかった。

 しかも無意識になのか理子でもしてこないほどの接近で太股同士がピッタリくっついてるし、オレの見る角度によってはジャンヌの隙のある動きとワンピースの隙間から下着が見えたり見えなかったりで心臓に悪い。男だから余計に目が行く。く、苦しい……

 これでも裏がないのかと疑心暗鬼になって問い質そうとしてしまう心を静めて、見えるものも見ないようにして……というか気づいてる理子の視線が痛いから見えないものと暗示をかけてゲームに集中することで乗り切る。

 寝ておいて良かった。こんなのが続いたら間違いなくぶっ倒れるぞこれ……

 まだ目的地にすら辿り着いていないのにこの精神的疲労。ま、まぁ向こうに着いたら状況も変わるし今は耐えろ。たとえそこに純白のランジェリーがあろうとな。

 

「んじゃ荷物置いたら早速いこー!」

 

 ジャンヌのせいでみんなが引くほどのガチ具合でゲームに勝利し煩悩を振り払っていたオレの奇行はさておいて、学園島を出発して約5時間ほどで今回の目的地に到着。

 去年は静岡県熱海市だったが、今年はそこより少し西にある浜松市に来ることに。

 というよりも今回は諸事情によりオレの希望でここ浜松市になったわけだが、珍しくオレが行き先を指定したのが何故か理子にとっては嬉しい出来事だったらしくて、特に文句も言われずに即決定。

 浜松市は栃木県宇都宮市と覇を競うほどの餃子大国なこともあり、ほとんどそれが理由でキャリアGAの参加も決定──あやや以外が大食いだからな──した裏もあるが、海に近い旅館に着いてチェックインすると、理子がオレの腕に抱きついてから反対の腕を掲げて海に行く宣言。

 腕に抱きついてきた時点で一緒に行くことがほぼ決定し、オレの選択権が無いに等しいのはツッコむべきか。いややめておこう。理子がどうこう関係なく、どうせ行くのは決まってるんだし。

 と、そこでほんの少しだけ理子に申し訳ない気持ちを抱くも、オレも楽しくないわけでもないしと開き直って、理子の音頭に反応する面々を確認。

 するとやはりキャリアGAの3人はこれから昼時ということもあって、まずは腹を満たしたいと近くの飲食店で餃子──とラーメンなど──を食べに行く旨を伝えて後から合流することになり、特に別行動を咎める理由もない理子も「オッケー」の一言で片付く。

 ただし、そうなると男女比が崩れて男がオレと不知火だけになって肩身が狭くなる……わけないか。元から遠慮しない連中だしいつものことだわ。

 そうと決まれば行動力が考えるより早い理子の先導で海組は荷物を置いたらすぐに海へ直行。

 旅館から徒歩数分の距離に海がある関係で、水着の上から上着を羽織って移動するのにも抵抗はなく、ゾロゾロと美女、美少女、見た目幼女を引き連れる目付きの悪い不良とイケメンの絵面はなかなかにインパクトがあるような気がしつつ、パラソルのレンタルなどを済ませてビーチ入り。

 

「さぁ行くぞ! 今年はパルテノン神殿だー!」

 

「お手伝いしますのー!」

 

「あ、私もです」

 

「うむ、では設計図は私が担当しよう」

 

『それは結構です』

 

 シート設営などはオレと不知火に任せて、着てきた上着を脱ぎ捨ててはしゃぎ始めた理子達。

 去年は意味不明な造形の砂のエッフェル塔──4本足でちゃんと全体を支えていた──を打ち建てて驚愕したものだが、今年は芸術方面に向かってるようだ。ジャンヌの設計図は拒否してるけど。

 そんな女子の今年の水着の方をどうせ聞かれるだろうと思って観察して感想を用意していたが、聞きたがるのは理子くらいで、それが聞いてこないってことは後で聞く予定でもあるんだろう。ならその時までゆっくりしておくか。

 一応、理子はフリル付きのピンク基調の花柄ビキニで、可愛いに寄せまくってる。実際バカみたいに可愛いから早速ナンパされてら。

 その理子に追随した苺は、楽しければよかろうなのだと意思表明したような紺のスクール水着。名札は付いてないが完全に理子の妹ポジションで違和感がないのが悲しい。

 中空知は上着を羽織ったままで最初から泳ぐ気ゼロ──そもそも運動音痴で泳げなさそう──ながら、その上着越しでもわかる巨乳と安産型な尻を隠す水着は赤のビキニ。眼鏡がなければクールビューティーな見た目で男は振り返る。眼鏡有りも需要があるかもしれんが。

 そして問題のジャンヌ。去年は恥ずかしいとか言って終始ビーチでは上着を脱がなかったレベルだったのが、今年は開幕から上着を脱ぎ捨てて、雪のように白い肌を際立たせる黒のビキニを堂々と衆目に晒していた。

 どことなくその顔にも恥じらいという色は見えなくて、格好に対して気にする様子はなさそう。

 もう完全に開き直ってエンジョイしようとしてるのかなと勝手に考えていたら、パラソルの設置を終えた不知火が荷物番をオレに任せてどこかからかかってきた電話に応じてどこかへと行ってしまい、ポツンと1人に。別に寂しいなんて思ってませんが。

 という強がりにも取れる本音を内心に秘めつつ、オレもオレでさっさと『用件』を済ませようと、ある準備を整えておく。早く済めばいいなぁ。

 用件に関しては完全に受け身なのでオレから出来ることはないと諦めて、ナンパされながらもパルテノン神殿の建造に乗り出した理子達をぼんやりと眺めていた。

 そうしたらオレが1人なのを見てか、ただの偶然かジャンヌが近寄ってきて隣に腰を下ろすと、荷物の中からボトルを取り出す。

 

「日焼け止めを塗り忘れていた。すまんが背中の方を塗ってくれないか?」

 

「えっ……オレが?」

 

「お前以外にここに誰がいる? 別に触られることは気にしない。手早く済ませてくれ」

 

 そう言って取り出した日焼け止めをほとんど有無を言わせずにオレに手渡して、背中の紐をほどいたジャンヌは、片腕で前のトップを押さえながら早くしろと少し顔を赤くしながら催促。

 いやいや、そんな顔を赤らめるなら理子にでも頼みなさいよ。

 そんな至極真っ当なツッコミもすぐに出てこなくて大胆なジャンヌのペースに乗せられてやるしかないのかと錯覚し、その手に日焼け止めを出そうとした。

 

「ほいほい。日差しはお肌の大敵ってねー。塗り残しがないように理子が隅から隅まで塗ってあげるー」

 

 その直前にその手からヒョイっと日焼け止めを盗み取った理子が悪い顔をしながら日焼け止めを両手に取り出して無防備なジャンヌを背中から強襲。

 ジャンヌも突然のことで「ひゃうっ!?」と奇声を上げてしまい、理子も理子で悪ふざけが過ぎて前にも手を回してお腹や胸にまで塗りたくるし、そのせいで艶のある声まで出始め、その様子が大変に不健全なもんだから、仕方なく立てていたパラソルで大部分の視界を遮断してやって事なきを得た。エロ……

 

「こんな辱しめを受けるとは……理子、あとで覚えていろ」

 

「ちゃんと塗ってあげたんだから文句言わないでよー」

 

 その女同士のじゃれあいを終えてから恨めしそうに理子を睨んで苺と中空知の元へと行ってしまったジャンヌを見送りつつ、自分にも日焼け止めを塗りながら理子がオレにお小言。

 

「要注意って言ったよ? まったく、油断しすぎ」

 

「別に日焼け止めくらい……」

 

「良くないの! やっぱり今回は理子がアンテナ張ってないと駄目っぽいなぁ。キョーやんジャンヌにだらしないし」

 

「そりゃすみませんね」

 

 確かに油断はあったかもしれないが、害があったわけでもないしいいじゃん。

 そうした素直な思いがありつつも、やはりオレが絡むとムキになる理子の気持ちも理解してあげないといけない気がするから口には出さず、これから先はどこまで踏み込んでくるかわからないジャンヌとのラインは定めておこうと思う。

 しかしまぁ、それはそれとしてお小言が終わればジャンヌにはさせなかった日焼け止めをオレに塗らせるしたたかさは理子らしいね。喜んで塗らせていただきます。



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Slash72

 

「あれ? 何かあったのかな?」

 

「別に。女子がはしゃいでるだけだ」

 

 1泊2日の浜松旅行の初日。

 昼前に海へと乗り出したオレを待ち受けていたのは、ジャンヌによる天然なのかわからない誘惑攻撃。

 それには理子が無理矢理に割り込んで対処してくれたものの、日焼け止めを背中に塗らせた後に「要注意!」と念を押されてしまった。

 それに微妙な表情で返して見送ったら、電話から戻った不知火に色々と察せられて適当に答えておく。

 もう何を言ったところで不知火のオレの女関係のイメージを変えられないとわかってるからな。無駄な努力はしない。

 不知火も不知火で遠巻きに理子達が楽しそうに遊び始めたのを微笑みながら隣に自然と座ってくる辺り、然して問題があったわけでもないと判断したらしい。それは正しい。

 

「それ、向こうで付いたんだよね。猿飛君がそういう怪我するのって相当なことだ」

 

「ん、まぁ名誉の負傷ってやつかもな」

 

 和気あいあいと話すような気軽さのある関係でもないし、会話が弾むこともないと少し油断していたら、目ざといというか目に入ったのか、羽鳥と無人島サバイバルをした時に空けた腹の弾痕を指摘され、我ながらこれでよく生きていたと思う。

 よくよく見れば割とくっきりと弾痕だとわかる傷が刻まれていて、見る人によっては堅気じゃないだろうとわかり怖いだろうなと客観的な感想を抱くのと同時に、これくらいハッキリしていたら『目印』にも事足りそうと思い1人で勝手に納得しておく。

 不知火もオレの留学生活について気にはなるのだろうが、春先にオレとは距離感があると判明してるからか深く踏み込んではこなく、それ以降は「峰さん達と遊んできたら? 荷物なら僕が見てるよ」と提案して2人でいることをやんわりと拒否するような行動に。

 オレもそれならそれでいいのだが、まだ動けない理由もあるから「どうせ遅かれ早かれだが、向こうに呼ばれたら行くよ」とその場に留まる回答をする。悪いね不知火。少し付き合え。

 あまり長く荷物番をしていると本当に理子達に引っ張り出される未来も遠くないので、早く来てくれと思いながら周囲を観察していると、十数分ほどで目的の人物っぽいのを発見。

 事前に身体的な特徴のみを伝えて意志疎通なしでのアドリブになるから難易度は高いが、まぁやることは単純だからなんとかなるだろ。

 向こうもオレに気づいたっぽい──そのための弾痕見せだ──視線を感じたのでここからアドリブ開始だ。

 見た目はどこのビーチにでもいそうな20歳前後の女子大生。如何にも遊びに来ましたな水着を着て、友達1人を連れて歩いてくるが、オレが知らされた特徴である手首に大きなシュシュをして、手にはチョコのソフトクリーム。足に赤のビーチサンダル。頭には青のカンカン帽を被っている。

 世の中には偶然というものもあるものの、特徴が3つ以上も一致することは非常に稀なことから、この人だと断定してその動きを何気なく見ていると、オレと不知火のすぐ近くまで来てから、友人との会話が弾んだような雰囲気から小粋なステップで後ろ歩きをした瞬間に砂に足を取られて尻餅をつく転倒をする。

 その拍子に持っていたソフトクリームが手からすっぽ抜けて宙を舞い、オレのすぐ近くに落下する軌道を描いたため、勿体ない精神が働いちゃったのと反射的な動きで空中のソフトクリームのコーン部分を掴んで形が崩れないように上手く掬い上げてみせる。

 それには不知火が小さな拍手を贈って笑顔を向けてきて、転んだ当人と友人も「おおー」と拍手。照れますな。

 思わぬアドリブになったが、台無しにならなかったソフトクリームを当人に返しつつ、目的であるものを同時に大きなシュシュと手首の間に滑り込ませる。

 向こうもオレの早業に少しだけ驚く表情をするが、すぐに目的は達成したと判断して「ありがとうございました」と感謝をして去っていってしまった。

 この一連の動作は不知火にも気づかれなかったっぽいから、おそらく他の誰にも気づかれなかっただろうが、どうだろうか。そうでなきゃ困るんだが。

 とりあえずこれでオレがやれることはやったので、あとは『後輩』の報告待ちとして一段落。

 しかも女の気配に敏感になってる理子が今のやり取りを見てオレを野放しにするのもダメだと断定して引っ張り出され、パルテノン神殿の建設を手伝う羽目になる。もういいけどね。

 

 そんなこんなでみんなで作ったパルテノン神殿は午後1時を回る頃に完成。時間にして1時間半ほどかかったが、砂遊びの域を越えた大作に他の人達が写真撮影を始めてちょっとした騒ぎにまで発展。

 写真が嫌いなオレはそそくさと退散して不知火のところに戻ると、食事を終えた武藤達も水着に着替えて合流。

 なんだなんだと騒ぎの中心に突っ込んでいく武藤と腕を引かれていく不知火と安齋がいなくなり、残されたのはオレと鹿取の2人。

 微妙にあれな空気が流れるものの、鹿取も自分があの中に行っても無駄に目立つだろうと読んで大人しく座り込んでしまい、オレもあそこに戻りたくはないので隣に座る。

 

「餃子は美味かったのか」

 

「あー、そうだね。流石は餃子大国ってだけはあったよ」

 

「ふーん。じゃあ帰りにテイクアウトでもして車内で食べておくかね」

 

「そうしなよ」

 

 無言でいるのもと思って会話に興じたオレに対して、意外にも普通に返してくれた鹿取と他愛もないやり取りをするが、それで会話が弾むようなこともなく少し沈黙。

 ただこの旅行中、こんなチャンスは2度とないのもなんとなく察して──理子の目が完全に向いていない──いたから、言うべきことは言おうと意を決する。

 

「なんか、悪かったね」

 

 ……の前に鹿取から何故か謝罪されてしまう。

 別に謝られるようなことをされた憶えもないからキョトンとしてしまうオレに、まっすぐ騒ぎの中心を見つめながら話を続ける。

 

「アンタのこと、嫌いってわけじゃないのに今まで態度が素っ気なかったろ? 避けてるつもりはなかったんだけど、結果としてそうなってたから、悪気はなかったってことだけわかってもらえたらって思ってさ」

 

「……鹿取の性格からして理由もなくそうはならないよな。ならオレにも問題はあったんだろ。そこをハッキリさせてくれないとオレも謝罪を受け入れられないよ」

 

「理由って言われてもさぁ……うーん……なんていうのかな……たぶん、アンタは私の苦手なタイプだって思ったから、なんだけど」

 

 依然として目を合わせてはくれないのが苦手意識の表れに見えるが、やっぱり苦手に思われてたんだなと少し落ち込む。そんな悪いことしたかね。

 

「別にアンタに問題があったとかではないよ。ただその……ほら、初めて話した時に妙なこと言ったじゃないか」

 

「妙なこと? 見た目なんて気にしないみたいなあれか?」

 

「アンタにとってはなんてことないことなんだろうけど、私にとってはそうでもないって話。前も言ったけど、私は自分でも女らしいとかそんな風には思ってないし、そう思われたいなんて願望も特にないの。でもアンタはそんな私を異性として扱ったから、なんかこう、それがむず痒いっていうか、慣れないっていうか、これから先アンタと関わっていくとそういうことを何度も言われるのかもって考えたら自然と、ね」

 

「オレってそんな女を口説く男に見えてたのか」

 

「いやいや、そうじゃなくてだね」

 

 図らずもオレが聞きたかったことを話してくれた鹿取の思いに触れて、率直に感じたことはちょっとした安堵。

 そこから出てきた言葉がまたふざけているような感じになって、そこで鹿取も思わずオレを見てツッコミを入れてしまう。良いノリだ。

 

「たぶん鹿取が思う通り、これから先もオレは似たようなことを言うと思うよ。でもそれは鹿取だから言うことじゃない。きっと女に対してなら誰にでも言うことだ。だから……」

 

「ズルい男だね。あー、謝って損した気分。うだうだ悩んだのも馬鹿らしいって思えてきたよ」

 

 鹿取が思いのほか気にしてる様子がうかがえたから、単に気にするな、深く考えるなと言ってやるつもりが、皆まで言わずとも伝わったようで言葉を切るように割り込み腕を上げ大きく伸びながらリラックス。

 

「まぁでも、ありがと」

 

 そしてそれだけ言って満足したのか、荷物番にオレだけを残して吹っ切れたように騒ぎの中へと突っ込んでいってしまい、何はともあれ鹿取との関係改善には成功したかなと安心するのだった。

 

 その後、ひと通り騒いで満足した理子による「芸術は爆発だー!」という掛け声と共にパルテノン神殿が放り投げられた安齋の下敷きとなりぺしゃんこにされ、見るも無惨な爆心地から人々も消え去る。

 その奇行にジャンヌと中空知と苺が放心状態になっていたが、いつまでも引きずっても仕方ないだろうと当の理子に言われて軽く喧嘩騒動になったのは言うまでもない。

 しかし本当に引きずっても仕方ないからか、理子を砂の中に埋めて──結構なガチ具合だ──放置して海の家で食事をしてから戻ってみると、ヒルダが1人で懸命に掘り起こそうと真っ黒なゴスロリ衣装で日傘を広げながら頑張っていた。水着くらい着ろと言いたかった。

 それからは普通に海水浴を楽しむ高校生らしい過ごし方で夕方まで遊び呆けて、各々がやりたいことを終えて旅館に帰還。

 戻ってすぐに全員が温泉に浸かりに行き、磯の匂いを洗い落としてしまい、長風呂はあまり趣味ではないオレは一足早く上がって誰もいない部屋で夕食までの時間をベランダで涼んで過ごす。

 

「問題なかったか?」

 

 もちろん涼む以外の目的があってベランダに出てるので、独り言レベルの声量ですぐ下の階の部屋に前乗りして宿泊していた後輩、風魔陽菜に報告を聞く。

 

「猿飛殿が来られてからそれらしい人物を注意深く散見していたでござるが、某の見た限りでは取り越し苦労であったと見受けられるでござる」

 

「そうか。ならいい。ご苦労様」

 

 オレとしても警戒に警戒を重ねた行為だという自覚があったから、その報告には割とすぐに納得して懐から依頼報酬の金一封を取り出して下の階に投げ落としてやる。

 今回、オレが何故ここ浜松市を旅行先に選んだのかと言えば、まぁ眞弓さんと打ち合わせた結果だ。

 宮津市での話し合いの段階で依頼の報告に関して細心の注意を払っていた眞弓さんは、電話でのやり取りすら避けてオレとの繋がりを匂わせないように計らった。

 だからオレのアニエス学院でのあれが本当に眞弓さんとは……月華美迅とは関係のない事柄だと見せるために、今回のような面倒臭い処置を施したわけで、昼に接触した女子大生は眞弓さん側が用意した何らかのアルバイト。つまりは一般人。

 オレはそのアルバイトに報告書のデータが入ったUSBメモリを預け、女子大生は受け取ったUSBメモリを所定の場所に届けるといった流れだな。

 ただこれはオレがまだ『偶然に有馬鳩雄とブッキングした』こと自体を有馬側に疑われている前提で動いていることで、探りを入れられている可能性への行動。

 結果としては風魔の言うように監視みたいな怪しい人物はいなかったようなので、取り越し苦労であったと安堵することに。これで本当に一件落着だ。

 

「ん、やはりいたか」

 

 と、安心したのも束の間でオレの行動を読んだっぽい節のある浴衣姿のジャンヌが1人で戻ってきて、何気なくベランダに出て備え付けの椅子に座って落ち着く。

 のだが、着なれてないのもあるのか浴衣の帯が緩いのか、胸元のガードが非常に緩くてノーブラなのが判明。くっ、何でなんだ……

 耐えられはするだろうが気になるのでオレもなるべく見えないように少し離れた位置に座って心と体を落ち着けるが、これもう指摘して良い? 良いよね?

 

「なぁジャンヌ。今日はどうしたんだ?」

 

「どうしたとはまた曖昧な問いだな」

 

「今日のジャンヌはなんかこう……色々と無警戒というか無防備というか……端的に言えば隙だらけだから、らしくないなと」

 

「ふむ。そう言うということは、今も見たな?」

 

 この人悪い人です! 誰か逮捕して! わいせつ罪です! 女子にも適応されますよね!? 罪に問えますか!?

 イタズラな表情をしながらオレの問いに答えたジャンヌは、明らかに動揺したオレを尻目にわずかに緩んでいた帯を締め直して胸元のガードを固くする。

 

「別に見たなら見たで構わん。今回は私自身が1つ、確認したいことがあってそうしたことをしていたからな。京夜の動揺する姿が見られたのは非常に愉快だったよ」

 

「お前なぁ……何の目的があればそんな事するんだよ……」

 

「私にとっては大事なことだったのだ。それに感謝こそされど、怒られる謂れはあるまい? 私のあられもない姿を見られたのだからご褒美と言っても良かろう」

 

「それはまぁそうだろうけど」

 

「……今のはツッコむところだ。バカもの」

 

 今の姿勢を正すような振る舞いと過去形の物言いからして、ジャンヌが確認したいこととやらはひとまず終わったのだろうことは察しつつ、いつもの調子になったか言動から探ると、本当に戻ったっぽいことがうかがえた。

 

「それで、何を確認してたんだ? 見る限りオレに対してだけやってたから、オレも関係あるような気がするが……」

 

「……全く以て納得したくはなかったが、こればかりは仕方ないのだろうな。むしろ自然な流れだったのだろうとも思う」

 

「…………」

 

「きっかけはそうだな。お前が留学した少しあとか。お前がロンドンでどのような生活をしているかを気にするようになった。修学旅行Ⅲでは冗談のように色々と誘うようなことを言ったが、内心では本当にそうなったらどうしようとドキドキしていた。そして先日の帰国の際に中空知の会社でちやほやされるお前を見て、最初はチームメイトとして誇らしかったが、後から何故か無性に腹が立った。私はな、京夜。そうした感情が本当に『そういったもの』なのかを確かめていたのだ」

 

 ……えーっと、普段は鈍いとか鈍くあろうとしてるとか言われるオレだが、自惚れと言われてもいいのかもしれないが、もしかしなくてもジャンヌが確認していたことっていうのはつまり……あれだよな……

 まるでオレにも自分にも言い聞かせるように内心を語ったジャンヌは、もう言葉は必要ないだろうといった態度で人1人分のスペースを詰めてオレに近づく。

 

「香港でお前が学生のうちは誰とも付き合わないと宣言したのは聞いた。だから私も今はこれ以上の言葉は内に秘めよう。だがこれだけはハッキリとさせたい。京夜、お前は私のことをどう思っている? もし私にもチャンスがあるのなら、それを男らしく示してくれ」

 

 物理的な距離を詰められたからには何かしらしてくるだろうと踏んでいたが、言い終えてからジャンヌはその目を静かに閉じて顔を近づける、所謂『キス待ち顔』で迫ってくる。

 えっ、脈が少しでもあるならキスしてくれってこと? 嘘でしょ!?

 ジャンヌにしてはあまりに大胆な行動で面食らってしまったし、実際にオレはジャンヌを魅力的な女性だと思っているのは間違いない。付き合う未来だって夢見たくなる。

 キスしたら付き合うことになるなんてことでもないから、なんとも魅力的な誘いでメリットしかなくね? とも思ってしまった自分がいるのも事実。

 しかしそこでブレーキをかけたのは、他でもないオレの安いプライドだった。

 期待しているジャンヌには悪いが、ずっとそうさせるわけにもいかないからそっとその肩に手を置いて目を開けるように言うと、声色から察したか、やっぱりなといった表情でオレを見てくる。

 

「ジャンヌのことは正直に言えば、たぶんオレの好みど真ん中だと思う。性格を含めるとまた違ってくるけど、それでも魅力的な女性だと思ってるよ。ただオレが今、ジャンヌのその申し出に応えるのは、オレのわがままに付き合ってくれて、今も好きだって言ってくれてる人達に悪いから。だから、すまない」

 

「……いいのだ。私も我ながら無理なことを要求したと思っている。今のは忘れろ。ただ……」

 

 決してジャンヌを拒絶したわけではないことは伝わってくれたのは良かったし、ジャンヌも通る可能性の方が低いとわかってて、それでも言っておきたかったような雰囲気で素直に引き下がる。

 しかしタダで話を終わらせるほど大人しい女でもなかったジャンヌは、申し訳ないというオレのわずかな心の隙をついて、ぐいっとその顔を近づけて有無を言わせずにその頬に優しいキスをしてきた。

 一瞬の出来事だったからオレも色々な反応が遅れてしまい、すぐに離れてわずかに顔を赤くしたジャンヌが嬉しそうな笑顔でキスした唇に軽く触れて口を開く。

 

「隙だらけの男に不意打ちをするのは、してやったりだ」

 

 頬にしたのはジャンヌなりの妥協だったのだろう──口に来ていたら流石に避けられた自信もあるしな──が、そう言われると隙を見せたオレが悪いので責めるわけにもいかないよな。ホント、美人に弱いのどうにかしないとなぁ……

 それからなんとも言い難い男女の空気感というのが形成されかけて気まずくなりそうな気配がしてヤバいと思ったら、女センサーで察知したのか髪も満足に乾かさず部屋に押し入ってきた理子がその空気を吹っ飛ばしてくれて事なきを得る。

 だがやはりジャンヌのオレを見る目に変化があったのは敏感に感じ取ったらしく、その瞬間に理子のジャンヌを見る目が友人に向けるそれではなく、対等なライバルに向けるそれになっていたのはオレでもわかった。

 その視線に真っ正面から向き合ったジャンヌもジャンヌで「すまんな理子。これからはお前の応援をしてやれそうにない」と、恋を応援する友人からの脱却を宣言。

 これには理子も面食らってすぐに言葉が出てこなかったものの、負けるわけにはいかないとオレの腕に抱きついてジャンヌにあっかんべーしながら「本気で勝てると思ってるの? くふふっ」と余裕の態度を見せるが、その両者の間には何やら火花が見えたり見えなかったりだ。こ、怖いよぉ……

 

 そんなことがあってのみんなで揃っての夕食。

 何も起きないわけもなく……ということもなかったのは意外や意外。

 なんか知らんが下手にオレにアプローチして余裕のない女に見られたくない両者の謎の牽制が1周回って巻き起こったようで、2人からの露骨なアピールは鳴りを潜め──そんなことしなくても2人とも魅力的なのは言わないでおいた──、それはこの旅行中ずっと続いてくれたのだった。

 しかしまぁ……あのジャンヌがオレを、かぁ……また贅沢な悩みを抱えたもんだよホント……



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Slash73

 

 あのジャンヌからの実質的な告白から気付けばもう1週間も経過した8月12日。

 旅行から帰ってからはジャンヌを警戒したのか、連日で理子が部屋に遊びに来ては好き勝手にくつろいで過ごす日々が続き、その牽制があったからかジャンヌとは会うことはあっても2人きりになるようなことはなかった。

 その際にも別段、ジャンヌも変わった様子はなかったからオレも普通に接することはできたので、変に意識したりするのは割とすぐに解消したし、理子もいつまでもこんなことをしてはいられないので今日はまだ姿を見せていなかった。

 ジャンヌは正直なところ理子や劉蘭よりも近しい存在──チームメイトとしてだ──なだけに、今後もしも関係が拗れると色々と面倒臭いのは間違いないが、だからといってそんな理由でジャンヌを受け入れるのは違うわけで。

 そうした心配などしなくてもジャンヌなら後腐れなく関係は続くとは思うが、こうやって『その後』を考えながら色恋沙汰を考えてるうちはオレはダメダメなんだよな……

 という自覚はありつつ、自分の気持ちというものもしっかりと向き合わないとなぁと武装の整備をしながら正していると、実家からは戻ってきたらしい小鳥からメールが来て、何かと思えば……

 

「…………うーん。行く、か……」

 

 とある人物が用があるから顔を出せというご命令で、人物が人物なだけにあまり乗り気でもないが、大事な用事だったらあれだしと整備をさっさと仕上げて外出を決める。

 その足で向かったのは新宿区にあるとある会社の本社ビル。

 オレが前に来た時は1階は普通のフロントとして存在していたが、今はオーダーメイドも受け付ける直営店にリニューアルされていて進歩が見られた。

 何の直営店と言えば、男とは少し縁遠い……いや、普及率が女よりも低いと言うべきかな、香水だ。

 そしてそんなオレとはほぼ縁がないと言ってもいいところに呼び出したのは、かつてオレがその護衛の依頼についたこの会社の社長令嬢である有澤燐歌その人。

 今年でようやく15歳になるはずのお嬢様が何のご用かと疑問しかないし、男への免疫が皆無で、記憶が確かなら嫌われてもいた──女装して依頼に当たってオレを女として側に置いていたから恨まれてたはず──と思うので、何らかの嫌がらせのためではなかろうかと子供みたいな勘繰りもしていたり。

 まぁ燐歌は歳こそ15歳だが社会進出している精神的には大人だ。わざわざ小鳥を経由してまで呼び出すならよっぽどの用件なんだろうと勝手に解釈してビルに進入。

 受付に燐歌に呼ばれた旨を伝えたら、ちょっとだけ驚かれたもののすぐに連絡が飛んで来てくれることに。

 何をそんなに驚くのかと思うが、たぶんまだ同年代くらいの異性と接点がないんだろうな。来年からは共学の高校に通わせた方が良いのでは?

 とかなんとか今もおそらく通信教育な燐歌の今後を心配しながら窓際のソファーに座って待つこと10分ほど。

 かつては状況が状況なだけに無理をしている雰囲気がプンプンしながら余裕もなさそうだった燐歌が、今は立場的にも自由が効くようになったからか、私服であろうお洒落をして化粧もバッチリで従業員と自然な笑顔で言葉を交わしながら登場。

 しかしオレの姿を発見すると笑顔からは一転してキリッと険しい表情で近寄ってくる。表情豊かですねぇ。

 

「ずいぶんと早いわね。そんなに私に会いたかったってわけ?」

 

「そうだな。沙月さんがいなくて色々と困ってるんじゃないかとは思ってたよ」

 

 相変わらず年上への言葉遣いがなってないが、それも個性と割り切って挨拶代わりの返しをした。

 のだが、これは武偵に対しての喧嘩腰な挨拶で一般人にはしてはいけなかったとすぐに気づきハッとするも、その時には燐歌もその表情を暗いものにしてしまう。やっちまった……

 

「あっ……悪い。デリカシーがなかった」

 

「……本当にね。そんなんじゃ色んなところで女を泣かせてると見たわ。サイテーね」

 

「それは甘んじて受けよう。1発ビンタも入れておくか?」

 

「じゃあ遠慮なく」

 

 燐歌にとっての血縁意外で強く繋がっていた人である沙月さんは、先の事件の犯人として現在は刑務所。

 その罪を償うために今も反省する毎日を過ごしているはずで、きっと満足な面会すら出来ない人のことを話題にしたらデリカシーがなさすぎる。

 そこは強く反省して謝罪の意味で右の頬を差し出せば、本当に遠慮なく左の手でバチーン!

 フロアにいた従業員全員が振り向くような痛快なビンタを食らわせてきたのだった。痛いです……

 

「それで、用件は何ですか」

 

 右頬に紅葉マークをつけられても気にすることなく切り替えて、対面に座った燐歌に単刀直入に用件を聞き出す。

 ただこの流れと燐歌の様子からして危険性のある話ではなさそうなのはわかったから、オレも特に身構えることなく聞き耳を立てる。

 

「まだ企画段階なんだけど、今うちで消臭効果のある商品を開発しようってことになっててね。小鳥から聞いたんだけど、アンタって諜報系の武偵で匂いなんかも気を付けてたりするんじゃないかって。もしそうなら参考程度にどんなことをしてるのか教えてよ」

 

「それは教えたら報酬が出るのか?」

 

「参考になったら考えなくもないわ」

 

 その予想は的中して、どうやら自社開発の消臭剤の開発のサンプルとしてオレの意見が欲しいだけのようだ。

 小鳥も余計なことを教えてくれたものだと思うが、その程度のことなら報酬がなくても正直、痛くも痒くもない。が、貰えるものは貰いたいところ。懐が寂しくなってもきてるしな。

 年下にたかるようで絵面はすこぶる悪いが、今の燐歌は会社を代表して来てるようなものだし、良いのだ。

 

「報酬は言い値で良い。燐歌がそのくらいだと思った額でオレも納得する」

 

「ふん。そんなこと言って1円の価値もないって言ったら文句を言うでしょ」

 

「言わねぇよ。教えることなんて別に特別なことでもないし」

 

「そ、そうなの……」

 

 オレって信用ないなぁ。まぁ女装して騙してた過去を考えれば当然だけど。

 しかし、そんな色気もクソもない会話なのに、オレと燐歌を見る従業員の目はなんとも暖かいね。

 たぶん普通に会社の外の男と会話する燐歌ってのが新鮮で珍しいことなんだろう。

 その視線はやりづらいと感じつつも、勿体ぶることでもないから報酬の方で納得した燐歌を見てから、オレがしている消臭の方法をいくつか教えてやる。

 市販の消臭剤やらは消臭だけでなく仄かに花の香りをさせたりなどで『周りに気取られる匂い』を孕むため、そうした匂いもさせない必要がある場合は、みんなご存知の『炭』を使う。

 炭による消臭・脱臭効果は科学的にも認められているし、燐歌も香水なんて扱う会社にいれば自然と耳に入る知識だから今さら感が凄い表情。

 それは流石に一般的すぎるから、1つだけご先祖様が使っていたらしい消臭術を教えておく。オレは使ったことないから効果のほどは知らんけど。

 そっちはそっちで原始的に感じたからか、唸るような思案顔で試すべきなのかと考える素振りを見せた。

 ただこれでオレが教えられることはないので話は終わりと締めに入ると、参考になったようななってないような微妙な表情をしながらも、わざわざ呼び出したこともあってとりあえずの感謝の言葉は述べられる。

 

「うーん……参考にしていいものかわからないけど、やるだけやってはみるわ。ありがとね。報酬は……往復の交通費くらいあればいい?」

 

「それだけ貰えればプラマイゼロにはなるな。無駄足とも言えるが……」

 

「じょ、冗談よ冗談。私もそこまで鬼じゃないってば」

 

 本当に往復の交通費くらいの価値しかなかっただろうに、オレが悪ノリしたら真に受けてしまって結局は少し増しの報酬を受け取ることとなり、そのあとは特に尾を引くような事もなく解放され出入り口まで見送りに出た燐歌の意外に真摯な姿勢に感心。

 元依頼主とプライベートで会うなんてそうないことだが、今回のは良かったかもな。元気な燐歌が見れたし、人の成長を目の当たりにするのは良い刺激になる。

 そんな気分でビルを出て歩き出し、見送った燐歌がビル内に戻った際に従業員にあれこれ聞かれて顔を真っ赤にして怒る姿が見えたが、何の話をしてるのやら。

 

 思いの外すぐに用件が済んでしまったこともあって、せっかく新宿に来たならと消耗品などの補充もしておくかと雑貨店の入る大型デパートへと寄り道。

 ついでのついででメヌエットへの献上の品も何かないかと適当にフラついて探していると、パズルやらのコーナーにルービックキューブを発見。

 昔に興味本位でやって地獄を見たトラウマがあるから自分からやろうとは思わないが、メヌエットなら簡単に完成させそうだなぁ。

 と予想も出来るのでこれはないかとスルーしようとするも、なんと通常3×3の正6面体のものよりも難易度が高い5×5の正12面体のものまで売っているではないか。

 もはや解き方の攻略本まで付随するらしいそれならメヌエットでも楽しんでくれるのではと思うものの、これ系のものは1度でも完成させるとメヌエットタイプは飽きる。2度目はない。

 さらに言うなら解いて見せたあとには「ほら京夜もやってごらんなさい」と煽られる。絶対だ。

 そんな未来は望んでないからやっぱり却下して、素直に食べ物に関わる何かにしようとキッチングッズを見に行こうとする。

 そうするとまぁいるのな。見るからに質が悪そうなナンパ男が。

 明らかに女性の方は関わりたくない空気が背中しか見えないのにわかるもんなのに、その男は空気が読めないというかでしつこく声をかけている。

 ああいう輩はハッキリ言わないとわからないんだよなぁと少し後ろから助けるべきかを考えていたら、意を決した女性が男に振り向いて「待ち合わせしているので」と断りを入れた。

 これならそれで終わりだなと思ったら、断られたのが不服だったらしい男が去ろうとする女性の手を掴んで強引にどこかへ連れていこうとする。

 仕方ないので女性の手を掴んだところをスッと近づいて止め、男の手首を掴んで握力を奪う握りで女性から手を放させて、反射的に離れようとした足を引っかけて尻餅をつかせてしまう。

 その行為に最初こそ反抗的な態度で向かってこようとした男も、オレが東京武偵高の制服を着ていたことからすぐに勝てないと踏んで慌てて立ち上がり、逃げるようにどこかへと行ってしまった。

 制服もたまには役に立つもんだと、普段は気にもしない格好で余計な手間が減ったことに感謝しつつ、女性に何か言われる前に退散しようとする。

 

「…………キョウ君?」

 

 すると不意にその女性から呼ばれ慣れてない、雅さんくらいしか呼ばないその呼び方と、オレを知ってる風な態度に反応してしまい、そこで初めて女性の顔をしっかりと確認。

 ポニーテールにしていたし夏の格好を見たことがなかったから後ろ姿でも気づかなかったが、この女性はオレがかつて幸姉の依頼で武器の密輸に関して調べるため東京を奔走した時に、その仮の宿を提供してくれた松方組組長の一人娘の菜々美さんだ。

 確かに菜々美さんの住むアパートは同じ新宿にあるとはいえ、こんなデパートでナンパ男を撃退して助けたら出会うなんてどんな確率だよ。

 しかも菜々美さんとは別れ際にお互いこれからは知らぬ存ぜぬを通そうと言って関係も断ち切っている──お互いのためにだ──から、ここでのオレの選択はあまりに残酷。

 

「あの……どちら様……」

 

 と、また菜々美さんに辛い思いをさせないといけないのかと心を痛めていたら、本当に待ち合わせをしていたらしい菜々美さんを見つけて近づく男性が1人。

 大学生くらいだろうその人と菜々美さんを見たところ、まだ友人かその辺りの関係だとは思うが、これからデートの雰囲気はなんとなく察することはできる。

 そしてそうなるとその菜々美さんと一緒にいるオレは誰やねんって話になるのは当然なので、邪魔者はさっさと退散するに限る。

 

「彼氏さん、ですかね。いやすみません。彼女が質の悪い男に絡まれていたので少し助力を」

 

 そう言えば男性も事実確認を菜々美さんに取ってからオレに感謝を述べて好青年な雰囲気が伝わる。

 武偵のオレと比べれば今のナンパ男の撃退などに関しては守れるのか少々不安はあるが、菜々美さんを大切にしてくれそうなのは空気でわかる。

 

「彼女さんのこと、大切にしてくださいね」

 

 菜々美さんに幸せになって欲しいと願うのはオレの勝手なので、たとえこれから先も他人を演じる必要はあっても、これだけは言っておこうと男性にそれだけ言えば、男性も一言「わかった」とだけ答えてくれてオレも自然と笑顔で応えてその場を去っていった。

 去り際に菜々美さんが何かを言おうとしたものの、オレの態度から引き留めても無駄だろうと思ったのか何も言わずにいてくれた。それでいいんです。

 あー、でもこれで菜々美さんにはオレが武偵であることがバレちゃったな。父親の十蔵さんの耳に届かなきゃいいなぁ。届かないでくれ。

 

 そうしたことがあってデパートを彷徨けなくなったため、メヌエットへのお土産は後日に持ち越しでデパートを出て学園島へと戻ることに。

 その道中、やはり考えさせられてしまう。

 奇妙な偶然とはいえ、今日はかつて交流のあった人のその後を垣間見て、その2人ともがしっかりと前に進んでいると感じた。

 燐歌も菜々美さんも今を大切にしながら生き生きとしていた。その姿はとても輝いていて眩しいと思えるほどだった。

 ──対してオレはどうだろうか。

 今の自分が納得した道を定めてちゃんと進めているのか。否。

 それなら何故、オレは彼女達の今の『本気』を棚に上げているんだ。それはオレが貫くべき覚悟なのか。

 そんな問答はもう何度もしてきたが、今回は違う。

 オレがハッキリとさせないから彼女達を『停滞』させているとも言えるのは確実。それは彼女達のこれから先の輝きを失わせることに繋がるのではないか。そんなことをオレは望まない。

 それこそが(おご)りだと言われるのかもしれないが、オレが彼女達を待たせているのは現実としてある。待つのも勝手だとも言われたさ。だけどだ。

 そんな思いから学園島に戻って1度部屋に買ったものを置いてからオレが向かったのは、あまり行きたくはないが行くしかない教務科。

 思えばこっちに戻ってきてから初めて訪れた教務科だったが、そんなことは今はどうでもよく、夏休みだから教師もほとんどいなくて焦るも、用のある高天原先生はいてくれたのでひと安心して話を通して個室に案内される。

 

「まずはSランク昇格おめでとう、かな。先生も嬉しいですよ」

 

「それは、はい。ありがとうございます」

 

 相変わらず普段は緩い雰囲気の高天原先生の空気にこっちも緊張感が保ちにくいと感じつつ、挨拶はそのくらいでいいだろうとこちらから話を切り出す。

 

「ロンドン武偵高のマリアンヌ校長からお話はあったかと思います。オレの今後のことについて」

 

「はい。そのための手続きは用意がありますから、少し時間はかかるけど来月中には完了の手筈は整えられると思います。これも猿飛君の成績が問題ないから出来ることですから、京都での3年間が結果として活きましたね」

 

「そう、なりますか」

 

 話は夏休み前にマリアンヌ校長から言い渡されていた宿題というかな、オレの今後の身の振り方について。

 このまま留学を続けるか、留学を取り止めて残りの時間を東京武偵高で過ごすか。はたまた早期ではあるが武偵高を卒業してプロ武偵となるかの選択。

 しかし今の高天原先生の言いぶりからわかるように、留学の継続と取り止めの線はなくなっている。

 つまりオレの気持ちはもう、武偵高を卒業してプロ武偵になる決意を固めた。

 そしてオレの卒業に関して学校側がスムーズなのはマリアンヌ校長からの推薦があるだけでなく、過去にオレが京都武偵高で約3年、成績優秀で過ごしていたからもある。そこは真面目な学生で本当に良かったと思う。

 

「でもここは担任として聞いておかなきゃだから一応ね。その選択の理由は?」

 

「……オレは先生達が思うほど自己評価が高いわけじゃありません。今も在学生の中で自分だけがこの選択を出来るだなんて驕りもないし、みんなが卒業する頃には落ちぶれてる未来も十分あるくらいに思ってます」

 

 そうしたオレの決断に反対はしなかった高天原先生でも、やはり教師としての立場からの質問が飛んできて、正直まだまとまっていなかった答えを思うまま吐き出す。

 

「それでもこうしてお話をいただいて選択できるのは少しの自信になりますし、堅実にいくなら大人しく卒業する選択が賢いとも言えます。でもそれはオレがオレ自身を甘えさせている。そう思ったんです」

 

「甘えさせている?」

 

「教師陣の『オレなら大丈夫』って言葉を盾にするつもりはないですが、その言葉に嘘がないなら、オレはその言葉と自分を信じて行動すべきだって。そうしないのは自分がまだ武偵の卵であろうとする弱い心がそうさせるんじゃないかって」

 

 必ずしもそうというわけじゃないのは当然。

 これから先の残りの時間で人脈を作り、一流の武偵企業などに就職する道だって立派なものだし、むしろ何の計画もなく外の世界に放られて何も出来ずに失墜する方が愚かな選択だろう。

 高天原先生もその辺で意見しようとしたが、そんなことはわかってるオレが目で制すると黙って最後までオレの話を聞く姿勢になってくれる。

 

「オレの武偵としての道は、他の誰でもないオレ自身が初めて選んだ道です。だからその道を選んだことを後悔だけはしたくないんです」

 

「それが今の選択の理由なのね?」

 

「はい」

 

「……わかりました。猿飛君のことですし、何の計画もなくってことはないでしょうし、学校としてもいくつかの武偵企業への推薦は出来ますが、本当に困った時には言ってください。私が最も危惧していたのは、猿飛君が『どんな覚悟でその選択をしたか』でしたが、杞憂で良かったと思います」

 

 全てを聞いてから納得したような高天原先生は、それだけ言って笑顔でオレを送り出してくれる。

 高天原先生は探偵科の教諭でオレとはクラス担任という細い繋がりながらも、オレの門出を祝う気持ちは純粋……かはわからない──ひょっとしたらボーナスがあるのかも──が、今は素直に受け取っておこう。

 そのあとは今後のことをあれこれ少し聞かれてすぐにお開きとなり、教務科を出てからはいよいよ自分の選択に現実味を感じて少し手が震えた。

 だがこれは武者震いなんだと言い聞かせることでポジティブに捉えて顔を上げてから、遠くない未来を見据えて歩き始めた。

 ──やってやるさ。オレが次のステージに進むために。



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Slash74

 8月29日、日曜日。

 オレの東京武偵高卒業の話は知るところには知ることとなり、昨日には送別会のような催しがオレの部屋で行われることとなった。

 その催しには知り合いがゾロゾロとやって来ては騒いでいくという迷惑行為に近い行いが連発したものの、夜の10時頃にはその波が止んでメンバーもその時にはほぼ固定されていた。

 最初から翌朝までいたのは幹事の理子と料理担当の小鳥と幸帆。

 寝る直前までいたのがジャンヌと貴希の2人だが、ここは部屋のベッドの数的な問題で催しの貢献度によってほとんど無理矢理に帰されたといった感じだったな。

 落ち着いてからの時間には理子が気を利かせて劉蘭とテレビ電話を繋いで話をしたので、劉蘭にも卒業の件は伝わったことになり、現状でオレに明確に好意を寄せてくれている人──理子とジャンヌと劉蘭と幸帆と、貴希もか?──は全員が知ることになったのは良かったと見るべきだろう。

 卒業するに当たって男子寮の部屋を明け渡さなきゃならない──同室の生徒がいないしな──ので、催しの段階ですでにほとんどの荷物が部屋からはなくなって……というか片付けてみたら理子の私物の方が多かったのでとりあえず殴った。

 持っていくには大きかったり要らなかったりの物は、幸帆達が欲しいと言った物を譲ったりでほぼなくなり、残りはすでにロンドンのマンションに送ってある。

 

 そうしたあれこれがあって今日、オレはまたロンドンへと旅立つ。

 後日に教務科から通達された正式な卒業の日時が9月15日で、留学に関してはもう取り止めても良かったのだが、色々な手続きをロンドンでしなきゃいけないし、何より急にロンドンを出るとか言って癇癪を起こしそうなメヌエットを説得する必要がある。

 まぁオレもすぐにロンドンを出て仕事を始めるつもりもないから説得も何もなく報告で終わるだろうが、今後に関してはメヌエットとも相談はしなきゃいけないし。

 そうした事情のもと、オレのロンドン行きを知ってるメンバーはいなくて、誰にも話さずに発とうと準備してきた。のだが……

 

「甘いねキョーやん」

 

「まったくだ」

 

「2度目は引っ掛かりませんよ」

 

「張っておいて正解でしたね」

 

「京夜先輩もワンパターンですね」

 

 せめて出発の直前にはメールしておこうかと思ったのも全てが無駄。

 搭乗時間の直前に空港にやって来た理子、ジャンヌ、小鳥、幸帆、貴希に意図も簡単に見つかってしまった。

 何でバレたのかと聞くべきではあるだろうと尋ねてみれば、オレが部屋を明け渡すタイミングが早すぎて、かつ新しい住居を探す素振りを見せていなかったのが怪しまれたようだった。

 確かに今後の拠点探しを日本でしてなかったわ。これは盲点。オレもまだまだ甘いな。

 

「んで、見送りに来たのは言い逃したことでもあったか?」

 

「理子は特にないけど、何かあったら頼ってよね。すぐ飛んでくから」

 

「そんな時があったらな」

 

「うむ、改まると私もこれといってないが、訃報だけは聞かせてくれるなよ」

 

「努力するよ」

 

「わ、私はその……えっと、頑張ってください!」

 

「頑張んなきゃ食っていけないからな。心配するな」

 

「京様なら大成すると信じています。私もすぐに追いつきますから、それまで落ちぶれたりしないでくださいね」

 

「後輩に情けない姿は見せないつもりだ。任せろ」

 

「あの、寂しかったりした時は電話でもメールでもしてください。いつでも話し相手になります!」

 

「国際電話は料金がな。メールはもしかしたらするかもだ」

 

 長話は出来ないから各々が一言程度で挨拶をしてくれて、それに1人ずつ返すと、しんみりを嫌った理子がおふざけ半分で抱きついてキスしてこようとした。

 が、それをバカみたいな速さで制して黙らせたジャンヌと幸帆の動きに仰天。示し合わせたようにピッタリ左右の腕を極めておられた。

 やっぱり戦姉妹は似てくるものなのかと考えながら、理子の「ギブギブっ!」を聞いてから解放してやるように言えば、2人も抱きつきにいかない言質を取ってから腕を解放。

 改めて顔を揃えた4人に言葉をかける。

 

「んじゃ、ひと足早く社会人になってくる」

 

 これから先も4人とはどこかで会うし話だってする。

 これが特別な旅立ちではあっても、多くが変わってしまうわけではない。

 それが4人もわかっているから、オレの精一杯の背伸びに対してにこりと笑って見送ってくれたのだった。

 

 なんてことがあったのが約半日前になった頃。

 何事もなくロンドンに到着したオレは、相変わらず朝に出発したのに同じ日の昼近くになる時差に少々滅入る。夏だし。

 しかし暑さにダラけてもいられないので、まずは荷物をマンションに置いてきて、送っておいた荷物もシルキーがしっかりと受け取って部屋に入れてくれていたのを確認。ありがてぇ。

 荷解きはまた後にしておいて、防弾制服・黒に着替えてからロンドン武偵高へ。

 到着予定時刻は伝えてあったので滞りなくマリアンヌ校長との対談が通り、すでに東京武偵高から通達もあったオレの卒業とそれに関する話が始まる。

 

「では事前に打ち合わせた通り、本校での留学は新学期を区切りに取り止めという形でよろしいですか」

 

「はい。約4ヶ月、お世話になりました」

 

「……フローレンスの時もそうして感謝されましたが、私は今もあの子をここから送り出したことが正しかったのか、考えてしまうことがあります。それだけの能力を持っていると判断したことは間違いではありませんが、人を教え導く立場に立ってから、嫌でもそうした不安を感じてしまいます。まだ教えるべきことがあったのではないかと」

 

 いつもの紅茶を差し出しながら対面に座ったマリアンヌ校長は、オレの卒業を喜んでくれるのと同時に、教師としての立場から感じる苦悩を吐露。

 それはこれからここを出ていくオレやこれまでの卒業生。羽鳥にも本来ならば吐き出すべきではない思いだったはず。

 それでも口に出してしまったのは、オレならそれをはね除けるだけの力があると信じてくれたから。と思いたい気持ちで言葉をかける。

 

「そうですね。アイツにはまだまだ教えることはあったでしょうね。例えば掃除や洗濯の仕方とか。あれがどんな環境で生活してるか知ってますか?」

 

「…………フフッ。知ってるわ。あの子、仕事は出来るけど生活力がないものね。どこかで良い旦那さんが見つかれば良いのだけど」

 

 おそらくこれ以上の内心を吐露したくはないと察して、軽い冗談のつもりで羽鳥のだらしない面を言ってあげると、やはり親代わりのマリアンヌ校長はご存知だったらしく小さく笑ってくれる。

 それは良かったが、その言葉の最後で何故オレに期待の眼差しを向けるのか。オレは無理ですよ。あれは人間として拒絶反応が出る。男女がどうこうではない。

 というオレの感情が表面に出てしまったか残念そうな顔をしたマリアンヌ校長は、ひと息入れるために紅茶を口に含んでから話を続ける。

 

「これからの展望はおありですか?」

 

「まだ確定ではないですがいくつか。卒業を薦めていただいた手前、無様なことは出来ませんしね」

 

「あなたのこれからの活躍に期待しています」

 

「はい」

 

 弱音を吐き出した姿は完全に消し去ってからオレのこれからについて少し心配する様子で尋ねてきたのに対して、何の策もなく卒業などしないと笑ってみせると、マリアンヌ校長も詳しくは聞かずに笑顔で返してくれたのだった。

 あとの話は事務的なもので、ほとんどサインしたりなんだりで終わり、オレの留学は滞りなく本日をもって終了。

 終わってみればあっさりとしたもので拍子抜けしたくらいだったが、今日でこのロンドン武偵高にも来ることはなくなるのかと、浅い留学期間だったながらも校長室から出て校舎を歩きながら感傷に浸っていたら、偶然なのか図ったのか玄関でヴィッキーと遭遇。

 オレを見たヴィッキーのちょっと驚いたような反応から意図してではなさそうだったので、卒業を機にまたリバティー・メイソンに勧誘されるのではという危惧は取り除いて折角だからと近寄って話をする。

 

「夏休みに学校に来るなんて、依頼か?」

 

「まぁそんなとこ。キョーヤはいつ戻ってきたのよ」

 

「今日だ。今は色んな手続きをしに来ただけ」

 

「ふーん。留学生も大変ね。んじゃ私、これから用があるから」

 

 いつもなら人の目がなきゃ割と会話を続けるタイプのヴィッキーが、今日はなんだか素っ気なくて寂しいとか思ったものの、日本でウザ絡みされまくった影響でそう思っただけだと考え直して、これから用事があるというヴィッキーを無理にひき止めたりせずに一緒に校門まで歩く。

 こういうところを他の生徒に見られるとヴィッキーが困るらしいが、ちゃんといないのは確認したから問題ない。

 ただ、校門までの道が50m程度ですぐだから、そこまでほぼ無言で歩いてしまったのがなかなかに無意味なことだったような気がしないでもないが、校門を出てからは左右で違う道を行くからか、自然と「それじゃ」とあっさりと別れて行ってしまう。

 そんなヴィッキーの後ろ姿を見て、なんだかんだここでは世話になったので同じ生徒として最後の言葉をかけておく。

 

「ヴィッキー、ありがとな」

 

「えっ? なーに? なんか気持ち悪いんだけど」

 

 普段のオレからはほぼ出てこないだろう感謝に思わず足を止めて振り向いたヴィッキーの反応はすこぶる失礼極まりないが、そんな反応されても仕方ない自覚はあるオレも特に何か言い足したりはしないで軽く手を振って反対方向に歩き出して、そのあとチラッと振り返ったらヴィッキーも首を傾げながらまた歩き始めていた。

 

 取り急いで済ませてしまうべき案件は終わったので、陽の高いうちにマンションに戻って荷解きをするのも手かと思いつつ、その手は携帯でメヌエットへメール。

 スマホを買ってからはレスポンスが早くなったので、ものの1分ほどで返ってきたメールからは1時間後に来いとのこと。

 それだけあるならと早足でマンションへと戻ってから、さっさと荷解きして整理整頓を済ませ、メヌエットへのお土産を持ってまた外出。

 日本にいる間もメールでやり取りはしていたが、顔を合わせるのは約1ヶ月ぶりとあって距離感はどのくらいだったかなと思い出しながらメヌエット宅に到着。

 いつものように呼び鈴を鳴らせばサシェとエンドラが出迎えてくれて、変わりなさそうな2人にお土産の化粧品などをプレゼント。

 ただしメヌエットよりも先にこういうものを貰うと失礼になるからと保留にされたが、面倒なお嬢様ですね。

 仕方ないので2人へのプレゼントは1階のテーブルに置かせてもらって、メヌエットへのお土産だけを持って2階へと上がり、私室と応接室どっちだろうなと観察すると、足音で察したメヌエットが私室から声をかけて招いてくれる。

 一応の礼儀として私室のドアをノックして、許可を得てからドアを開けると、いつもの仏頂面のメヌエットが今日の新聞を広げながら紅茶を飲んでいた。

 

「ずいぶんと長い帰国でしたね」

 

「長いって1ヶ月だろ。メヌの中ではオレの帰国はそれでも長いのか」

 

「家族や親戚に挨拶をするだけならば1週間もあれば十分でしょう。大方、あちらの学友と遊び呆けていたのでしょうし、それを咎める権利も私には無いわけですからいいのですけど」

 

「素直に寂しかったって言えば可愛げもあるのに……」

 

 態度などでは全然いつも通りで平然としていたメヌエットなのだが、その言動は可愛く言えば寂しがり。ひねくれて言えばスネていて、なんとも面倒臭い状態だ。

 メールでは効果があまりないからとその毒を抑えていた感じはしていたから、ここぞとばかりにオレの反応を楽しもうという魂胆は見えたので、大ダメージを受ける前に機嫌を直してやらないとな。

 そう考えながら新聞を閉じたメヌエットの対面に座って落ち着くと、どう苛めようか思考してるっぽいメヌエットにそうはさせるかと先制。

 

「メールでも報告したけど、来月の半ば頃から武偵高を卒業することになった」

 

「そうですね。そして今はその卒業までの空白期間。私の推測では武偵としての活動は日本になるのでしょう。近日中にも今の住居は引き払い、ロンドンも発つと見ました」

 

「おっと。その推測は早計だな、メヌ」

 

 卒業の件はすでに報告済みでも、その後にどうするかはまだ話していなかったからか、メールで話さなかったことをネガティブに捉えたっぽいメヌエットが毒を吐く準備を整えたのを察知。

 そこにストップをかけたオレの意外な言葉にネガティブ思考だったメヌエットは咄嗟に推理が出来なくなったのか、はてとオレを見る。

 

「確かに最初は日本で活動しようと考えたよ。Nの件でもアリア達と動きを合わせやすくはなるし、こっちより知り合いも多いからな。だけどそれは環境に甘えようとする部分が無いとは言えない選択だと思う」

 

「……ではどうすると?」

 

「少なくとも来年の春まではロンドンを中心に活動するつもりだ。そこでその活動内容で1つ、メヌに相談といきたい」

 

「本来は内容にもよりますが、友人の相談にはとりあえず耳を傾けましょう」

 

 オレが日本にまた戻るのではと思っていたところに、まさかのロンドン滞在継続の話となれば、メヌエットにとっては少しでも喜ばしいことだったと信じて、聞く耳を持ったまま毒を吐く隙を与えないように話をたたみかける。

 

「まぁこれは正直オレに都合の良い話だから、論外なら突っぱねていい。端的に言えばメヌとの内密の契約を結びたい」

 

「端的すぎます。もう少し詳しく話しなさい」

 

「これまでもメヌの元にはたくさんの依頼が舞い込んできただろうが、その中に『調査の必要あり』って判断した依頼もあったんじゃないか? そういう調査を……」

 

「京夜に内密にやらせるわけですか」

 

「実際、シャーロックの時代にも似たような協力者はいたって聞くし」

 

ベイカー街遊撃隊(ベイカー・ストリート・イレギュラー)のことですか。彼等は当時のストリート・チルドレンがその実態ですが、確かに得られた情報と引き換えに報酬を与える制度としては京夜の提案と同じですね」

 

「そういうことだ。悪い話ではないだろう?」

 

 これはかつてメヌエットがオレを専属の武偵にするという冗談じみた提案から発想を得て練ったもの。

 調べればシャーロックも現役時代……今もそうと言えばそうだろうが、19世紀末の頃には、ロンドンのストリート・チルドレンに情報収集させて報酬を与える関係を築いていたらしい。

 それに倣ってメヌエットの専属の武偵は出来ないまでも、メヌエットの都合でいくらか自由にオレを使うことはできるわけだ。

 

「結論としては必要ありません。そのような依頼ならこれまで通り断ればいいだけですので」

 

「うわっ、こりゃ手厳しい」

 

「……ですが、京夜がどうしても私に使ってもらいたいと懇願するのであれば、検討しないこともありません」

 

「えぇ……じゃあいいよ……」

 

 しかしオレの予想とは裏腹に思考時間もほんのわずかで提案を却下してきたメヌエットに残念なリアクションをしてしまい、それを見たかったっぽい笑みを少し浮かべてから、頭を下げれば考えなくもないと要求してくる。

 そういうことしてくるのがメヌエットだよなぁと、今更なことにはリアクションをしてやらないのが一番ダメージが入るのがわかってるオレは、逆にここであっさりと引き下がってみせれば、ほーらどうだい?

 

「そうですか。ではこのお話はこれで終わりにして、今回のお土産をいただきましょうか」

 

 …………あれぇ? ここはちょっと困った顔になって「何故そこで簡単に引き下がるのですか」みたいなツッコミ待ちだったんだけど……

 だ、だがオレにもわずかながらのプライドがあるから、それを表情には出さずにメヌエットが欲しがるリアクションを必死に抑え込み話の流れに乗ってみせる。ここは意地を通すんだ猿飛京夜。

 

「お土産については今回ちょっと迷ってな。メヌには少し早いかもと思ってたりするんだが、いる?」

 

「それを決めるのは京夜ではなく私ではなくて? いいから出しなさい」

 

 本当にお土産の話に切り替わってしまって泣きそうになりながら、平静を装って持ってきたお土産をテーブルに置いてその中身を広げる。

 取り出したるは8種類の小型のアトマイザー。その中身はもちろん香水。

 この香水は燐歌の会社が始めていたオーダーメイドで作ってもらった試供品で、オレがメヌエットのイメージを伝えて、それに合わせて作らせたら8種類になったんだが、オレでは何が気に入るかまではわからなかったから全部試してもらう次第だ。

 メヌエットも女の子なので香水を見た瞬間にキラッと目が輝いたのを見逃さず、早いだのと前置きしたことをツッコまれる前に試すように勧める。

 何か言いたげではあっても気分よく試したい気持ちが勝ったようで、1つずつ上品な所作で香りを楽しんで吟味し、特に気に入ったものを2つピックアップ。

 ランの花をベースにしたものと、バラの花をベースにしたものだが、これはわかってて選んだ感じだ。

 調べてわかったが、ランの品種にはかつてシャーロック・ホームズという名前のものがあったらしく、バラにもオラス・ヴェルネという品種があり、フランス画家由来のこの名前は、シャーロックの祖母がこのオラス・ヴェルネと姉妹だったと言及したことから関わりがあったとされている。真実は知らん。

 

「一応の予算としてその2つをもう少しメヌ好みにアレンジも出来て追加発注も出来るけど、他のは諦めてくれ」

 

「京夜にしては頑張りましたね。ではお言葉に甘えてもう少し注文をつけておきましょうか」

 

 香水はお気に召したようで文句も飛んでこなかった分、アレンジの注文が割と細かくて、それに応じた料金も発生する身としては結構な痛手。わかっててやってますねこれ。

 そこはまぁメヌエットに喜んでもらえたとして割り切ることにしつつ、やはり流れた話は少し勿体ないな。プライドや思惑の云々はもう捨ててしまおうか……

 そうした考えで書いたメモをしまって、メヌエットも貰ったアトマイザーを大事そうに化粧台の方に移動させていき、その際にもののついでのように口を開く。

 

「それで先ほどのお話は、本当に流してしまってもよろしいのですか?」

 

「検討してくれるのか?」

 

「京夜が頭を下げるのなら、です」

 

「……はぁ。意地を張っても仕方ないしな。考えてくれると嬉しい」

 

「考えるまでもなく最初からいいのですがね。ふふっ。素直な京夜は好きですから、今後もその無駄なプライドで損をしないように意地悪をしました」

 

 まさかのメヌエットから話を蒸し返してくれて願ったり叶ったりだと受かれそうになるも、すぐに頭は下げないといけない現実を突きつけられて、これ以上の意地はメヌエットの気分すら変えるとわかってしまったオレは、仕方なく折れて頭を下げる。

 そうしたらもう話を聞いた時から決めていたっぽい返答をしながら、本当に悪戯っ子のような笑顔で忠告してくる。

 そんなことを可愛くドヤって感じで言ってるが、最初にツンデレを発症したのはメヌエットなんですがね!

 さもオレが素直じゃなかったみたいに言ってますけど、メヌエットがあんな態度を取らなきゃ……

 なーんて言ったところで今の上機嫌のメヌエットは都合の悪いことは耳に入らない状態にするに決まってるし、14歳の女の子に目くじらを立てて怒るのも大人げない。ふっ、大人になったな猿飛京夜よ。

 というのが生暖かい視線から伝わったらしく、急にムスッとしたメヌエットが珍しく空気銃を抜いてきたのを慌てて制して事なきを得るのだった。



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魂の解放編
Slash75


 

「とりあえずこれで今年は乗りきれるか」

 

 メヌエットとの内密の契約を無事に結ぶことができたのも20日前。

 9月18日となった今日は、ずっと待っていた東京武偵高からの正式な卒業の手続きが完了した旨の書類と卒業証書が届き、晴れてプロ武偵として社会進出が決まった。

 そこで早速、学生であるうちは進められなかった話をまとめるためにロンドン警視庁へと足を運んで、留学中に有効になっていた『ロンドン警視庁への協力』を無効にしつつ、色々な条件をつけた上で新たな独自契約を結ぶことに。

 これはロンドンに戻ってから割とすぐにレストレード警部に話自体はしていたから、契約に関しては双方が納得のいく内容に収めておいていたため、当日はすんなりと話が通って滞りなく終了。

 内容に関してはこれまでオレ側から仕事をあまり選り好みが出来ない不自由さがあったから、その辺でオレに要請を出せる条件を指定しておいた。

 ロンドン警視庁にとってオレが『使い勝手のいい道具』になってしまう恐れを以前、羽鳥のやつが指摘していたが、オレもそうならないための措置を取った上でロンドン警視庁と良好な関係を築こうとした結果だ。

 向こうもそれくらいは汲み取ってくれた上でオレとの契約にメリットがあると結論してくれたのだから、そこは素直に喜ぶべきだろうな。

 

 今後はロンドン警視庁からの依頼も以前ほどではないものの、いくらかは入ってくることは決まって、流石にそれとメヌエット頼みで食っていくには心許ないから、次にロンドン武偵局へと足を運び、様々な理由で引き受けられなかった依頼のいくらかを条件付きでこちらへ流してもらう個人契約をさせてもらう。

 こちらも事前に話は通していたし、実は裏技的なものでアリアと羽鳥の進言もいただき事なきを得ていたりする。

 持つべきものは人脈だなと思ったのは久しぶりな気もするが、Sランク武偵2人からのお墨付きにオレ自身もSランクなこともあり、条件がロンドン武偵局から仕事を奪うような酷い契約でもないから問題も出なかったらしい。

 むしろSランク武偵にこんな条件で依頼を流すのか? みたいな話も挙がったとかなんとかだが、こっちは事務所を開いているわけでもないから、受け身でいたら破産するんですよ。これでいいのだ。

 もちろんこれら全ての契約はオレの仕事が軌道に乗るまでの繋ぎという意味合いが大きいし、将来的にはおそらくジャンヌ辺りと共同で事務所を設けてやっていくことが見えているので、いきなり新設武偵事務所がドーンと出来て仕事が全然来ませんという事故を防ぐには十分なものになるはず。

 それもオレの今後の働き次第にはなるが、ジャンヌが順当に卒業するならあと半年ちょっとのことだ。長過ぎず短すぎずな期間は緊張感を保つには丁度良い。

 今後の話はジャンヌが明確に指針を表明するだろう来年以降になるだろうが、ロンドンに留まるか日本に戻るか。はたまた別のところに事務所を構えるかは要相談だな。メヌエットも交えることになるかもしれんし、そこは面倒になる前提で色々と考えておこう。

 

 着々と基盤が整ってきたのを嬉しく思いつつも、同時に将来的な問題への解決策も練らなきゃいけないなぁと考えながらロンドン武偵局をあとにして帰路につく。

 今日はもうやるべきことはないから、現在進行形で制作中のオレ個人への武偵依頼を申し込めるサイト作成を頑張るかと、内心で苦手克服に意気込んで信号待ちしていたら、スッと、あまりにも突然にオレの身体の自由が効かなくなって自力で立ってることすら出来なくなる。

 この感覚はかつて味わったことがあると思うより早く、崩れ落ちそうになったオレの身体を後ろから首を掴んで止める人物が声をかけてきた。

 

「隙がいささか大きいな。猿飛の名が泣くぞ、京夜」

 

「…………勇志さん」

 

 端から見たら怪しい光景になるからか、すぐに首から手を放して肩へと移動させ、自らは横へとスライドしオレの腕を自らの肩に乗せて肩を組んでいるような姿勢に変えた勇志さんは、首の後ろにナノニードルを刺して自由を奪ったまま話をしてくる。完全に虚を突かれた……

 だが話をするということは殺すことが目的ではない、と信じたいね。

 

「拒否権はないが取引だ。お前がエリア51から持ち去った瑠瑠色金をこちらに渡せ。そうすればバンシーの身柄をそちらに引き渡す」

 

「何故オレが瑠瑠色金を持ってる前提なんです」

 

「そうした探りは無駄だ。こちらも十分な調査をした上で持ちかけている。引き渡しの日時と場所はこれに書いておいた。そしてここから引き渡しの日時までの間、誰ともコンタクトを取らず1人で来い。監視もつけておくから怪しい行動もしないのが賢明だろう」

 

 Nにはすでに瑠瑠色金の力を自在に使えるネモがいるのに、どうして瑠瑠色金を欲しがるのか疑問しか湧かなかったが、オレに質問する権利すらない一方的な取引を持ちかけた勇志さんは、オレの胸ポケットにメモを忍ばせると驚くほど静かにオレから離れて後ろに下がり、後退と同時に首のナノニードルを抜いてオレの身体の自由を解いて消えてしまった。

 自由になってすぐに振り向いても、そこまででもないはずの人混みに紛れた勇志さんを見つけることは叶わず、一方的ながらもバンシーを引き渡すという取引には応じざるを得なくなった。

 これはNとしてはもうすでにバンシーの利用価値がこの取引にしかなくて、それに使えないなら殺してもいいくらいの思惑がある可能性が高く、さらにオレが取引に応じなくても時を同じくして瑠瑠色金を持ち出しているジーサードのところに矛先が向くだけになるはず。

 どちらにせよ攻撃されるなら被害は少ない方がいいし、穏便に済むならその可能性に賭けたい気持ちはある。

 そんな思いで胸ポケットから渡されたメモを見てみると、場所はイギリスの西に位置するアイルランド。その北部辺りのスライゴという都市の近くにあるノックナレアという場所を指定している。

 日時は今から5日後の23日の夜だが、この猶予はどう判断すべきか。

 オレの知るNなら有無を言わさずに数時間後にでも取引を開始してしまうイメージがあるくらい強行な策もする組織なんだが、だからこそこの5日というインターバルが不気味に思える。

 しかし誰とのコンタクトもさせない姿勢からして面倒事にはしたくないというN側の意図はわかることから、この日時の指定にはNがコントロールできない『何か』があると仮定。

 それが何かまでは推測も出来ないが、瑠瑠色金が必要不可欠なことは確かで、ネモがすでに所有しているであろう瑠瑠色金を使えない理由がある。そこまでは確定と見ていい。

 時間的な余裕があったおかげで急な案件にも意外に冷静に思考できたが、監視とやらがついた以上はメヌエット達を頼ることも出来ないな。

 そう思いながらメモを改めて見ると、日時を書いた裏面にも何か書いてあってそれを読むに、監視者についての情報が簡易だが書かれていた。

 何故そんなものが必要なんだと考えるまでもなく、Nには超常の存在が多くいる組織なのだから、その監視者もまた人間ではないからだ。

 それを証明するようにメモをしまったオレのズボンの裾をクイッ、クイッと引っ張る何かが足元にいて、見れば銀色のスライムのような物体が意思を持って存在していた。

 こいつはキンジとジーサードの報告にあったメルキュリウスという水銀の身体を持つNの一員。

 言語を発することは出来ないが意志疎通はできるらしく、思考能力も持ち戦闘能力も体積に比例して強力になるらしい。

 今はオレの手の平サイズくらいしかないが、おそらくこっちが本体から分離したもので、本体はどこか別のところに潜伏しているものと見ていいだろうな。

 あのキンジでも物理的な攻撃では決定打を与えられなかった相手らしいからオレが正面から立ち向かっても負ける可能性が高い以上、上手く出し抜こうというのは得策ではなさそうか。面倒臭い。

 そのメルキュリウスは動作から持ち上げろと言ってる気がしたものの、優しくする義理はないからと無視する選択もあった。

 しかし放ってもついてくるだろうし無駄なことはするべきじゃないなと仕方なく持ち上げてやると、すぐにその形を変えてオレの左手首辺りにリング状のアクセサリーになって固定されてしまう。

 これで期間までの間は四六時中こいつに文字通り纏わりつかれるってことになるが、そうなると1つ問題が出てくる。

 

「ところでメルキュリウス。これから家に帰るんだが、このまま帰ると100%オレはそこに居着いているシルキーってメイドに会うんだが、それは仕方ないと割り切ってくれるか? ちなみに帰らないと瑠瑠色金も持ち出せないぞ」

 

 その辺の問題を解決するためにまずはメルキュリウスがどんな判断を下すのか試すようにシルキーの名前を出して様子見。

 メルキュリウスもシルキーがどんな存在かは同じような超常の存在だから知ってるだろう前提の問いかけだったが、その辺りは伝わったっぽい長考が続いてから、袖の先からにゅるっと細長くなって出てきたメルキュリウスがその形を「OK」と変えて了承。

 器用だなぁと思いつつ、まずは第一段階をクリアして次の段階へ。

 

「それで帰るのはいいとして、シルキーは探知にも優れててな。おそらくメルキュリウスがいることも見抜いてくるんだが、このまま帰った場合にどう説明する? さすがにいきなり友達だからは苦しいぞ? オレもお前みたいな友達を頻繁に連れてくる日常に生きてないつもりだし」

 

 帰ったところで瑠瑠色金は今メヌエットが持ってるから、それを持ち出す以上はメヌエットと会うことも許可を取らないといけないため、そのハードルを段階的に下げていかないと通らないのは目に見えてる。

 だからこそ事を慎重に進めるようにオレが綱渡りな交渉をしていくと、再び思考したメルキュリウスが「コラボレーション(協力者)」と英語で綴る。

 つまり下手に隠さずに抱え込めってことか。実際に出来なくはないから困り物だが、Nにとっては早速の例外が発生したことには違いない。

 これは今のオレの環境が偶然にそうさせたわけで運が良かったとしか言えないが、このまま利用させてもらうぞ。

 

 案の定、自宅マンションに帰ってみれば部屋に戻るなりシルキーが姿を現して、メルキュリウスの存在を認識しているようにオレに問いかけをする。

 メルキュリウスが敵対心を見せなかったこともあってシルキーもだいぶ穏やかな心持ちでオレの話に耳を傾けていたが、Nの一員だとわかるとその表情に険しさが見え隠れする。

 シルキーもバンシーを拐った組織がNだとは知っているから、その反応は至極真っ当なものなのでオレも特に咎めはしないものの、抱え込む以上はオレがシルキーを抑えないといけない。

 

「……ってわけでバンシーを人質に取られてる。腹は立つだろうが今は何も言わず呑み込んでいてほしい」

 

「…………状況は理解しました。現状で私がこの方を排除したところで事態は悪化するだけなのですね。わかりました。今回は私も見ていないものとします」

 

 それでも話を聞き終えたシルキーは出かかっていた怒りをギリギリで引っ込めて理性的で冷静な判断を下してメルキュリウスの存在を黙認してくれてひと安心。

 オレの制限が本来なら他言無用なことも加味すれば、シルキーがオレと分かれてメルキュリウスの監視の目から逃れてから誰かしらに救援を出す。なんてことも可能ではあっても、得策ではないとわかってもいるはず。

 その辺は皆まで言わずともな信頼で省いて話を終わらせようとすると、最後に真剣な眼差しをオレに向けたシルキーが「ですので……」と付け加えて言葉を紡ぐ。

 

「京夜様。どうかバンシー様を助けてください。あの日、屋敷を焼かれて死ぬしかなかった私を助けてくださったように、バンシー様もどうか……」

 

「……ああ。必ず連れて帰ってくるよ。またこの部屋もうるさくなるから覚悟しとけ」

 

「……はい。お二方の帰りを心待ちにしております」

 

 以前からお世話になっていて、バンシーの事を心から心配していたシルキーからのお願いとあっては聞かないわけにもいかないし、元より奪還しない選択を取れるならこうしてNの条件を呑んで行動していない。

 この世に絶対はないが言葉にすることで決意を固める意味でもシルキーには強く返して、それを聞いたシルキーも少しばかり安心したような笑顔でお辞儀をしてからスゥっとその姿を消して別の部屋に移動していった。

 

 さて、これで落ち着いて思考できる場所は確保した。

 次は瑠瑠色金をどうにかして手元に置かないとだが、あのメヌエットを出し抜いて瑠瑠色金を持ち出すという難易度の高そうな任務を遂行しなきゃいけない。

 その前にメルキュリウスにメヌエットに会うことの許可を取らないとか。でもどうやろう。約束も特にしてなかった……

 本来ならこの段階は必要なかったかもしれない──メヌエットにプレゼントしてなければそのまま移動できたという意味で──だけに思考するのが億劫ではあったが、現実からは逃げられないので無理矢理にでもメヌエットに話を合わせてもらう手でいこうかとリビングで落ち着いてから携帯を取り出したら、こっちの思考でも読んでるのかというタイミングでメヌエットからメールが送られてくる。怖っ……

 戦慄はしたが単にメヌエットの何らかの推理が合致しただけだろうと、都合は良いのでメルキュリウスにメールが来たことを確認させ、メヌエットには返事をしないと逆に何かあったのではと勘繰られる可能性が高いと付け加えて返信の許可をもらう。

 もうメルキュリウスが例外を通すことに涙を流し始めているだろうなとちょっと同情しつつも、オレの環境が例外を通さなきゃ回らないんだから仕方ないでしょ。

 それで予定になかったメヌエットからのメールの内容はっと……

 事態がオレに有利に向いてくれてるからちょっと上機嫌になりかけていたオレがそのテンションでメールを見たのが運の尽き。

 そこにはオレの拒否権など一切受け付けない決定事項として、明日から2日間メヌエットの家に世話係として緊急で滞在しろとのお達しが。

 理由についてはまぁ、メイドのサシェとエンドラが一身上の都合で帰省する必要が出てきた──双子だから同じ理由なのだろう──らしく、その穴埋めにオレが抜擢されたっぽい。

 あまりに急だからサシェとエンドラの用事は今日にでも決まったことなんだろうが、そこはいいよ。納得しよう。だが何故オレだ。そこが納得いかん。

 ということでメールだけだと納得いかないからメルキュリウスに電話の許可を涙目で訴えて──オレの事情抜きで断りたいから──勝ち取り、おそらく電話が来るであろうことも推理済みなメヌエットに電話をかければ、

 

『報酬は500ポンドでよろしくて?』

 

「はい行かせていただきますよろしくお願いします」

 

 あえてメールには書いていなかったことを挨拶もなしでいきなり言われてしまい、見事に報酬で釣られましたとさ。オレってやつは本当にもう……

 でもだってたった2日間メヌエットの世話しただけで約7万円はズルいよ。日給3万5千円だぜ?

 それにこの報酬があれば今回の移動の往復費に関してはお釣りが来るレベルだし、全然アリな仕事なんだよ。貴族様はやっぱり違うぜ。

 ……などと思って自分を慰めないと今の即答を受け入れられない自分がいることが一番心にきたものの、決めてしまった以上は腹を括ろう。

 そう。通話を数秒で終えてオレの即答を聞いたメルキュリウスが「反論はあるか?」と言うようにキリキリとオレの手首を締めつけてきても動じてはならない。でも痛いっす……

 

「違うんだメルキュリウス。これは必要あってのこと。というよりもこのメールからもわかるが、このメヌエットという人物は融通がほとんど利かん頑固者でな。これがしたいあれがしたいを押し通すわがまま娘なんだよ。それに反発でもすれば最悪オレは殺されてしまう。そうなれば5日後の約束の日に瑠瑠色金を持っていくという任務を全うすることもできないだろう。それはそっちにとっても由々しき事態だろ?」

 

 あくまで冷静に心を鎮めて坦々と今のオレの反逆とも取れる行動についての言い訳……もとい理由をつらつらと述べてそれらしくしてみるが、メルキュリウスの締めつける力が緩む様子はない。むしろ強くなってない?

 たぶんだけどいくらなんでも身の回りの世話まで任せる、話だけなら友人っぽいメヌエットが意に沿わず反発しただけでオレの殺害までするとは考えてないんだろうけどな。オレとメヌエットの関係は君の学んだ常識に収まらないのだよ。

 

「生憎とメヌエット・ホームズという人間は、友人だからと容赦はないぞ。前に聞いた話だと、気に入らないからってだけでアリアの元先輩を半狂乱状態にしたってよ。オレも運が良ければそれに近い状態で留まれるかもしれないが、耐えられる自信はない。ああそれと、この話からメヌエットを殺そうとかも考えない方がいい。こんなわがまま娘でも世界には大切に思う人が数えるくらいだがいる。そっちの教授の天敵で彼女の曾祖父でもあるシャーロックはもちろんだが、お姉さんは特に手強いぞ。妹が狙われたとあったら、本気の本気で地の果てまでもお前らを追い詰めて、何れは1人残らず逮捕されるだろうよ。オレもそれに関しては協力を惜しむつもりはない」

 

 殺す殺されるの話を流れで自分からしてしまったのはマズイので、Nがしてきそうなことを潰す意味でもメヌエットの殺害だけは得策ではないと吹き込みながら、オレの言っていることが嘘ではないと雰囲気から感じ取れる緊張感を含ませてやる。

 そうすると意外と賢いメルキュリウスはキリキリと締めつけていた力を緩めて少し沈黙。

 ここまで例外をいくつか通してしまったこともあって流石に緩んだネジを締め直さなきゃとも思っていたのだろうが、オレが死ぬかもしれない状況はメルキュリウスにとって困る状況でもあるはず。

 何故ならオレはこの話を持ちかけられてからここまで『瑠瑠色金がどこにあるか』をメルキュリウスに明確にしていないから。

 Nからすれば瑠瑠色金さえ手に入ればオレは不要で、メルキュリウスも最初からその気配を含む雰囲気を感じていた。

 だからそこだけは曖昧にしたまま5日を乗り切らなきゃと覚悟していたこともあって、シルキーの監視があるこの部屋で過ごすことを前提にしていた──どうしても隙が生じる睡眠が必要だからな──わけで、メヌエットのお世話で2日も滞在するのは報酬を抜きにすれば確実にマイナス。寝れない悪夢の2日が始まるのは確定している。

 だからオレの生死を拒否したかった理由になるように上手く誘導した形にはなるが、そこを勘づかれないように下手に口を開かずにメルキュリウスの返答を待つと、オレの真意には気づいた様子もなく、本当に渋々なのがよく伝わるような仕草で丸を形作ったあとにフニャッと力なく崩れてみせたのだった。



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