想いを量れたのなら、どれだけ重いのか (千玖里しあ)
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1 心に被さっていたものを暴いたのは、過ちだった。

不味くはないが味気もない病院食、を食べて一段落してた。

 

急な入院で手荷物なんて持参してることもなく、暇を潰せる小説や雑誌なんかも今日が今日だったので、鞄には入れてはいなかった。

一言で言うなら、退屈を持て余しては、いた。

両親は仕事があるし、俺なんかの為には中抜けして来るはずもないのはわかりきってるが、

妹の小町もまた、来てくれるとは思うが、事故が突然のことだったので学校にも連絡は通じてないだろう。

 

金を支払ってまでテレビを見たいほどでもないし、

流行りの番組を見てまでして会話したい知り合いがいるわけでもなく、

そもそも見たい番組は平日にはやっていない、からこそテレビをつける必要はないわけだ。

 

だからといえ、時間を潰せる手段があるわけでもなく、暇を何に費やすかを考えるのに考えてた頃に、

個室のドアをノックして、声を掛けたら入ってきたのが少女だった。

 

 

言葉を失う、ことを実感させられるほど整った姿っていうのを実際に目にしたのは初めてだ。

が、テレビやグラビアで見かけるようなアイドル、とも違った美しさと独特の澄んだ雰囲気、ってものが少女を包んでると話してる今でさえも思える。

 

単純に表すなら、綺麗と一言で示すしかない美貌で、

どっかで見た覚えのある制服姿の、女子高校生がベッドの脇のパイプ椅子に座ってる。

 

長い黒髪を背中に流して、膝に両手を揃えて置いた、

雪ノ下雪乃と会話の始めにそう名乗った彼女は、姿勢正しくまっすぐに俺を見ている。

目を逸らすこともなく、見つめてるともいえる。

 

誰かと視線が合う、合ったとしても外されない、なんてことは妹以外ではどれだけ久しぶりだったか。

 

 

「で、雪ノ下家の所有してる、お抱えの運転手が運転してる車で、

 雪ノ下が乗ってたから、って理由から、この事故の責任の一端は自分にあると謝罪に来たのは話してもらってわかった」

 

 

雪ノ下でいいと、さんづけで呼んで、敬語で会話に応えようとしたらまず、彼女に言われた。

 

今現在もだが、病室に入ってきてから、さっき俺が言った通り謝ってるときも目を逸らさない、

そんな姿勢で接してくるので彼女の性格はよほどまっすぐなのだろう。

また、まだ少しも接してない俺でもわかるぐらいなので、ちょっとばかしは挙動不審になりそうだが、俺にしては普通に会話に応じることはできてる。

 

これが初対面やリア充みたいな意味わからない奴、相手だったらドモったりもするだろうが。

 

 

「ええ、納得してもらえたと思ってもいいのかしら」

 

 

凜とした彼女の言葉もまた裏表もなく正直で、自身に責任を負う姿勢は俺には真似はできない。

 

しかし、彼女の言葉は一端どころか、責任の全てが自身にあると言外に示してるようで、それを許容するのも彼女に認めさせるのも間違いなのだと、さすがに俺でもわかる。

 

 

事故の経緯は簡単だ。

 

総武高校に受験をパスして高校生となった俺、こと比企谷八幡。

入学式の今日ぐらい、早起きしたこともあり早めに登校した途中で、

パジャマ姿の童顔巨乳の少女の手のリードが外れて、散歩してもらってた小型犬が車道に突っ込み、

そこに通りがかった高級車両が犬を避けようとするも、勢いを殺せず、

轢かれそうな犬を投げ捨てて、庇った俺が代わりに轢かれた。

 

と、言葉にしてしまえば、それだけのことでしかない。

 

車道に突っ込んだ俺の自業自得、がほとんどだ。

 

あえて責任を追及したとしても、当事者四人の中で、俺の次は運転手ぐらいだろう。

俺が何もせず、もし犬が轢かれ死んでたとするなら、心情的には飼い主が被害者で、雪ノ下は加害者ってことにもなるんだろうが、

俺が犬の代わりにこうしてる分には、被害者も加害者もなくすっきりしてると俺は思うのだが、それを話して納得してもらえるかは微妙なラインだ。

 

 

「いや、わかったにはわかったが納得はしてない。

 犬が轢かれてもいない以上、俺としては不快な結果にならなかったし、逆に人身事故として不始末を押しつけちまった俺の方こそ、雪ノ下とその運転手に謝罪しなければならないだろ。

 俺がこうしてるのは車に突っ込んだ結果としてはあたりまえで、

 雪ノ下に謝罪されても、お前ん家のとこから医療費とか入院に個室の費用、まで出してもらったんだから俺の方が貰い過ぎになる」

 

「…………そう」

 

 

リスクに対して、デメリットもあったがリターンが予想外に大きかった、という意味を込めて言ってはみたのだが、

俺の言葉の何が気に入らなかったのか、話し始めてから初めて、不快を示すように雪ノ下の眉が顰められる。

 

雰囲気、が怖い。冷たすぎて凍りつく、ような気配が、彼女から漂っている。

 

俺から話しかけるのは躊躇われるほど、正直に言えば怖いし、度胸もないので黙ると彼女も話し出そうとしないので病室が静かだ。

 

 

「……ひとつ、訊いてみてもいいかしら」

 

 

問いかけてくる雪ノ下の、その表情はさっきまでより和らいでいるが、硬いのは見てとれる。

 

何を聞かれるかは、事故に関することだろうとは空気を読まずとも行間でわかるが、

それが俺に答えられることなら、と少しばかし考えてから首肯する。

 

 

「私の質問、比企谷君がそのときに思っていたことを、そのまま答えてくれると、その……助かります。

 比企谷君は、犬を庇って車に轢かれた、と私は考えてます。

 それは、咄嗟の行動? 後先を考えてなく。自分の身を顧みず、それとも何かしら考えがあってのこと、なのかしら」

 

 

彼女の言葉、のどこに恥ずかしがったのかはわからないが、少しの躊躇いの後に、

雪ノ下が声に出した質問は、考えてみる必要も感じていなかったことなので、すぐに答えるには思考を整理することを必要とする。

 

さっき纏めた事故の経緯、で俺は確かに犬を救ける為に行動した。

 

犬を救ける、という意識があったわけでもない。

轢かれそう、だと思ったからこそ体が動いていたわけで。

そこに人間か動物か、という区別があるわけでもなく。

考える前に動いたからこそ、間に合った。

 

雪ノ下が言った通り、自分の身を顧みてはなく、後先も考えてない咄嗟の行動だった。

が、その行動のどこが間違っているかはわからないが、

現にこうして雪ノ下が謝罪に来て責任を感じさせている。しかも、雪ノ下の家にまで迷惑をかけた、のだから俺のしたことに問題はあったのだろう。

 

ひとまず考えは纏まった。

 

 

「その、だな。確かに咄嗟の行動で、後先も考えてないんだが、考えるよりも体が先に動いてたんで、

 今も考えてはみたんだが、俺のしたことに間違いがあったかはわからない。

 犬が救かったのはいいと思うんだが、雪ノ下にまで謝罪させてる、わけで……俺が迷惑をかけたのは問題、なんだとは思う。

 雪ノ下が何を聞きたいのかはよくわからないが、これで答えになってるか?」

 

 

じっと目線を逸らさず、俺の言葉を聞き逃さないようにしているので、言葉にするのが戸惑うぐらいだったが、

俺の言葉を聞き終えると首だけで頷いて、そのまま瞼を閉じて考え込んでしまったので聞かれたことに答えられたのかはよくわからない。

 

また病室が沈黙で静かだが、雪ノ下の雰囲気が柔らかくなってる分だけ、空気は重苦しくはない。

 

雪ノ下の思考を邪魔するのもどうかと思うので、黙って待つ、と数分。

 

 

「ごめんなさい。お見舞いに来てまで、黙ってしまって。

 またお見舞いに来る、つもりだけど、比企谷君は迷惑ではない? 傷に障るなら遠慮しますけれど」

 

 

目を開けるとまた、まっすぐに目線を向けて、口元を緩めて雪ノ下が微笑む。

 

 

「いやいや、やることないから、見舞いに来てもらえるだけで助かる。

 それにわざわざここまで来てくれる客も、見舞ってくれる知り合いもいないからな」

 

 

小町以外は誰も来ないのだから、雪ノ下に言った通り、見舞いに来てもらえると退屈せずにすむ、のもあるが、

正直なところ、ぼっちではあるが俺も男なので、

今までの人生で目にしたこともないぐらい、美少女な雪ノ下が来て会話してくれる、という機会を逃すこともしたくはない。

言葉には出さないし、そんなこと俺が言っても気持ち悪がられるだけだろうが。

 

雪ノ下の笑みが少し深まる。

 

 

「それは笑えばいいのかしら。

 そう言ってくれるのなら、また来るわ。それでは、さよなら」

 

 

パイプ椅子から立ち上がると、ドアの手前で振り返り、お辞儀してからドアを開けて去っていく。

 

雪ノ下の言葉はさすがに社交辞令だろうが、あのまっすぐで裏がないように見えた性格を考えるとまた来てくれるのかもしれない、と。

彼女の翻った黒髪から、香る匂いの残る病室で考える。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

明けて翌日、から数日が経った。

 

 

雪ノ下は彼女の言葉に反することなく、毎日夕方の日が暮れる前に病室に訪れる。

 

あまり社交的ではないように見える印象、のままで、

雪ノ下から投げかけてくる話題には学校や級友に関する話はなく、

どちらかというと読書の内容や、お互いの過去で共感できるものを探して話す、みたいな形になっている。

 

翌日のしばらくはぎこちなさもとれず、話題は硬かったが、俺が無難な話題を振ってみれば普通に返してくれる。

地雷な部分を、俺にしては頑張って空気を読んでみた甲斐もあったのか、

この数日の間に、話していても笑いが少しは漏れるぐらいには、雪ノ下との会話にはこなれたと思う。

 

 

と同じくらいに、雪ノ下の性格や言動の裏、にあるものも把握することはできた。

 

 

雪ノ下雪乃が凜として美しく、まっすぐに正しいと見えてはいても、

そう見えているだけで、そこにあるのは写真や動画に映っているかのような、

彼女の上辺だけを見て綺麗だと、見たままに評しているに過ぎない。

 

俺が見ようとして見えたのは、雪ノ下の強がって強張った姿だ。

そうだと捉えてしまえば、見えてくるものは弱さを曝け出さないようにして、

それがあたりまえのことだと、自分でも強がることが当然になっている痛々しい様だ。

 

それを指摘するのはどうかとも、関わった期間が短い俺が言っても戯言でしかないだろう。

 

 

「なぁ、雪ノ下、俺からもひとつ訊いてみてもいいか?

 雪ノ下が不快に感じたり、こいつ急に何言ってるんだとか思ったなら答えてもらわなくてもいいんだが」

 

 

踏み込んでみて拒絶されたとしても、

俺と関わる関わらないを決められても、雪ノ下の様相が気になるなら訊いてみるしかない。

 

きょとん、と不思議そうに首を傾げてから、微笑んで頷く。何気にあざといな、こいつ。

 

 

「比企谷君が私に質問、なんて珍しいのね。

 答えられることなら答えてあげる、でもえっちなことは訊いてはダメよ?」

 

 

こんな冗談を交わせる、ぐらいに近づいた距離を壊す、のは怖い。

だけど、気になるものは気になる。

 

彼女が見舞いに来てくれるたびに、積み重ねた会話と、

俺が事故に遭わなければ通っているだろう総武高校に雪ノ下がいる間、

暇な時間だけは俺の目同様に、腐らせるだけあったから考えた。

 

誰かのことを、ここまで知りたいと思ったことは初めてだ。

中学の頃、のぼせ上がって告白して玉砕して、黒歴史をまた掘って埋めたときも、

そいつのことを知ろうとしてから告白したわけじゃない。

 

優しくされて、俺だけではないにせよ、普通に話しかけられたから間違っただけだ。

好きになったわけじゃない。

受け入れてもらいたかった、だけで。

 

考えてたときも、今こうして雪ノ下と面と向かい合ってても、

好意は抱いてるにせよ、それは恋ではなく、敬意に近い親愛や共感だ。

雪ノ下雪乃を知りたい、理解したいという感情がそこにある。

 

雪ノ下のまっすぐさの奥に押し込めた、気持ちを知りたい。

 

 

「答えたくないなら聞いてくれるだけでもいい。俺の考えが間違ってるなら、それを指摘してくれていい。

 雪ノ下。

 

 お前が俺の知らない誰かになろうとしてまで、怖がってるものは、なんだ?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

俺の問いかけが不意をついたのか、雪ノ下の表情と動きが固まる。

 

 

「雪ノ下と話していて確かにお前はそこにいる、喋ってるお前と共感や理解ができる。

 わかり合えないと思うこともあれば、知ろうとしたくなる。

 そうしてみればそこに雪ノ下はいた。

 けど、中身がない。外側しか見えてこなかった。

 そこにあるのは雪ノ下雪乃ってラッピングされた、箱だけで、その中にあるべきものが入ってない。飾りつけられたお前だけがあるだけで、見ようとした中身がからっぽなら俺はどこを見ればいい」

 

 

自分でも言っていて抽象的に過ぎる言葉、だと思う。

俺が言いたいことの、言ってることの数十分の一でも伝わればいい、と思って言葉にしてるのだが、

雪ノ下が理解しようとしてくれたのか。

 

なんとなくでも通じて、雪ノ下の強張りが強まる。

 

 

裏表もなくバカ正直に見せかけた、そのまっすぐさも雪ノ下の一面であるのは確かだ。

自分ではがせないほど、こびりつくまでに雪ノ下が無自覚に塗り重ねたそれは、

雪ノ下雪乃を自分でも他人からも見させる、確かなものだと思っているんだろう。

 

が、言動の裏を探り、行間や文脈の裏や粗を読むようにしてみれば、

ぎこちなさや違和感も感じさせることもない、

雪ノ下という少女の、本音や人間性といったものが透けて見えてくる。

 

それのとっかかりに気づけたのは、ぼっちで似てるけど向いてる先が違うだけだったからか、

もしくは雪ノ下と関わりが薄かったにも関わらず、知りたいと考えていたからこそか。

 

 

雪ノ下の内側にあるものを例えてみるなら、

抱える虚無感の深さに怯えて、縋りついて溺れないようにしてる少女、だろう。

 

 

それが誤りかどうか、は雪ノ下の反応を見ればいい。

 

 

「自分ってものがないなら、お前がよく知る誰かの真似をすれば楽に生きられる。

 人からそうあるべしと見られてる自分を続けてれば、

 周囲に流されて、誰かの意思に従うままでいればもっと楽に日常を過ごせる。

 それも処世術ってもんだろ」

 

 

正しさや偽善、ってのは社会から弾かれないようにするには思いつきやすい言い訳だ。

それをなし続けるってのも俺はしようとは思えない大変さだろうが、

雪ノ下のスペックを考えればさほど苦労はしないだろ。

 

 

「どっちにせよ、俺的にはめんどくてやめたいが、お前にとってなら楽な方へと流されたまま生きてる、

 誰かになろうとして寄りかかった雪ノ下、が俺には見える。

 それは依存だろ。

 お前を知りたい、なのに、雪ノ下雪乃の中身をからっぽにしたままなお前は誰だ?」

 

「変わろうとする気持ちは、自殺でしかない。

 だけど、雪ノ下には自分に合わせたように世界を変えようとする意思はあっても、それはお前が変わりたいという気持ちを抱かないで済むようにしてるだけの逃避だ。

 自分を変えよう、なんて考えすらも自分ってもんが薄いから抱かないんだろ。

 ならお前がしようとしてた理想は、他殺を繰り返すだけだ。

 殺して、殺して、殺し続けた、お前以外の誰もを変えてけば、お前って基準値を当たり前にしてしまえば比較されず、雪ノ下が変わらなくても肯定されるだけだもんな」

 

「そんなもん瓦礫を積み上げて廃墟を組み建てる、みたいなものだ。

 俺は嫌だね」

 

 

突きつけるように、具体的に語ってしまうこともできる。

だけどそれは、死体を蹴りつけて弄び身元不詳にするような、趣味が悪く後味が最悪な行いだ。

鋭くて突き刺さるものは、誰だって怖いから俺だって嫌だから、先端を鈍くして和らげてしまった方がいい。

 

 

それでも、彼女は俯いてしまっていて表情が見えない。

膝に揃えられた手は握られて、肩を小さく背を曲げてしまっている。

 

まっすぐに見つめてくる視線はなく、そこに凛とした彼女の姿はない。

 

 

俺がまだ把握しきれてないだけかもしれない。

今見えてるだけで判断するなら、雪ノ下は意識は高いかもしれないが自我が薄く我欲に乏しい一面もまたある。

 

それは彼女を見るなら根拠になる。

 

何かや誰か、自分にとって絶対であると決めたものに縋ったまま依存する。

そんな生き方は楽だ。

自分を変えようとしなくともよくて、自分を誰かが決めた型枠に流し込んでしまうだけで形はできる。それっぽく仕上がれば、枠組みに従ってさえいれば流されるままでいてもいい。

 

否定されるのは、拒絶されてるのは自分ではない。

理想と現実は乖離している。

傷ついても痛みはなく、最低限動けば労力も少なくていいから疲れない。

 

 

だけど、だからこそ心は育たない。

 

 

似ていると思った、雪ノ下雪乃は比企谷八幡とは同類項ではあっても根幹から異なっていた。

 

ペプシとドクターペッパーの違いみたいなものだ。

炭酸でコーラに味は似ていても、飲んでみれば違いは明らかになる。

 

飲んでみなければわからない、が飲んでみても美味しくないわけではない。

 

雪ノ下という少女が弱さを認められない脆さがあっても、

それが彼女を醜くするのでもなく、

むしろ雪ノ下という少女の綺麗さに人間らしさを感じさせる一因にはなる。

 

 

変わりたいって気持ちは、確かに自殺だ。

 

今ここにいる自分を否定するのでもなく、肯定して、弱さを受け入れて生きていけるのならそれは強さだ。

 

 

「俺は、雪ノ下を否定したいわけでも、傷つけたいのでもない。

 依存するってことが悪いって言いたいんでもない。

 誰もに見せてる姿でも、誰かの真似をしてる姿でもない、誰でもないままの雪ノ下を知りたいってだけだ。

 それは、探しても見つからないもの、なのか?」

 

 

あるがままに、ありのままに飾らないものを見つけられたとして、それに名前をつけるのなら俺は一つしか知らない。

 

 

 本物だ。

 

 

それを彼女に見つけたい、だからこうして踏み込んだ。

 

 

ひとまず言葉を止め、雪ノ下の反応を伺う。

俺が言葉にしなければ、考えを纏め次第に雪ノ下は応えてくれる、と言った。

が、沈黙ばかりが残り、重苦しさとも違った息苦しい気まずさがそこにある。

さすがに土足で踏みしめ過ぎたか、と省みそうになると、雪ノ下が手を伸ばして揃え顔を上げる。

 

 

「あなたが……、あなたが、何を言いたいのか、私にはわからないわ。

 私を見ている? 知ろうとしてくれて、でもあなたは私を決めつけてる。あなたが見てる私は正しく映ってるのかしら? 私にはそんなもの見えないからわからない。

 そうね。

 まだ何も、あなたのことだって詳しくは知らない。あなたは話してくれない。私も言ってはいないもの。

 なのに私の何を知った、気になって言ってるの。

 私は姉さんになろうとしてもない、決めつけられたことに従って生きてなんていないことは、確かよ」

 

 

声色は普段通りに強いが、俺を見る視線は揺れていた。そこに動揺が浮かんでいる。

膝に乗せられた指先も、丸められたままの肩も震えている。

 

言葉には出なくても態度では示しているのが、見てとれた。

 

動揺はしていても否定することは怠ってない。

踏み込んだ部分は確かに脆い箇所だったらしく、誰になろうとしてるかに姉と失言してる。流されてることも否定しきれてはいなく、

雪ノ下の言葉を信じるよりも態度を疑わない方が楽だ。

 

だが、これ以上の否定は悪戯に傷つけるだけでしかない。

拒絶されたとしても、嫌われても俺は肯定するべきだろう。

 

 

「お前がどんだけ姉になろうとしてるのかは、俺にもわからないさ。

 理想として、誰もに期待され愛されてる人間になろうとして、

 その結果に、今こうして話してる、俺の目の前にいる雪ノ下雪乃でなくなんなら……、お前らしさってのが失われるならそれは、

 俺には何にも価値がないものでしかない」

 

「俺は、まだまだ15年しか生きてない。

 雪ノ下に話した通りの生涯で、黒歴史ばかりだ。

 そんな人生は他人からしてみれば失敗や恥ばかりで、 負け犬と言われるようなもんだろうけど。

 それでも俺の今までは、俺らしくあろうとしたからこそ、って言い切れるものだ。

 お前の人生にお前って言えるものは、雪ノ下雪乃だからこそってものはそこにあるか」

 

 

自分を認められる要素ってのは、さすがにこの歳まで生きてれば見つけている。

と思い、俺が恥を晒して自虐ネタまで持ち込んだのだが、

雪ノ下は俺から顔ごと逸らして目を合わせようとしない。

いくら待っても、彼女から言葉が返ってこない。

 

そこにあるのは否定だ。

つまり何も見つからないってこと、なのだろうか。おいおい、それは笑えないだろ。

 

わかりやすく、この空気を払拭するのに軽い調子で言葉を費やす。

 

 

「人生なんて、誰もが好き勝手にプレイするゲームみたいなもんだ。

 どんだけ楽しめるか、クソゲーってラベルつけて積みゲーにするかもそいつの自由だ。どんなゲームがあっても楽しみ方なんて人それぞれで、

 製作者の意図した最低限のルールに縛られるゲームと違って、人生は、ルールを自分で決めて自分ができる範囲なら好きにできる。

 楽しみ方を見つけるほうがよっぽど簡単だろ。

 さぁ、お前は、雪ノ下雪乃はどうしたい?」

 

 

 

俺なりに答えは示した。解は出た、それをどう受け止めるかは雪ノ下次第。

正解も誤解も、どう答えを出すかを俺には待つしかない。

 

 

雪ノ下が答えを出すのを待つ時間が、ながく感じていた。

 

 

 



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2 あなたがわかるまで、ひとつひとつ教えてあげるから

 

 

変わろうとしなくてもいいんじゃないか、と俺は雪ノ下に告げた。

 

そう告げてしまったのは誤りだった、のではと思うほど雪ノ下は沈黙したままで、

考え込んで俯き、何かを言おうとすると顔を上げるのだが、

言葉が見つからないのか、何も言わずにまた顔を俯かせてしまう。

 

俺は言いたかったことを言って、十全に伝わってはいないだろうがそれでも、

雪ノ下が悩んでる様子を見せてたので、

受け止められてはいる、と思いたい。

 

 

けれども、その日はこれまで通り雪ノ下が帰る頃合いまで、会話を交わせずに、

彼女が帰りの挨拶だけをこぼすと去ってしまい、

俺一人が残された病室には、気まずさと後味の悪い空気だけが漂う。

 

 

 ※※※

 

 

 

 

翌日、の夕方。

 

来ないだろうな、と昨日の最後からしてみればそう思っていて、

今にいたるまで一度も見舞いに来ていない両親はどうしようもないが、

妹の小町も、進級と学期が始まって忙しなさが抜けないので来るわけもない。

 

本や文系の参考書は、小町に持ってきてもらったので、

暇を潰すこともできるのだが、

昨日のことが頭から離れないので何かをする気にはなれない。

 

他人のことに思考を費やすとは、ぼっちにしてはらしくない。

 

とりとめも意味もなく思考を無駄に広げてると、病室のドアがノックされ思わずびくっとする。

不意をつかれた。

看護師もノックはしてくるが、この時間帯に聞き慣れた調子のノック。

入室を促してみれば、入ってくるのはやはり雪ノ下だ。

 

普段通りに、高校の制服姿で鞄をスカートの前で両手で持って、背を伸ばして姿勢がいい。

いつも通りにぱっと見では思えるが、

よく見れば昨日訪れたときよりも、憔悴している。

 

そこまでやつれてはいないが、目の下に薄く隈ができてるも、

化粧をしていない素顔は陰のある美人、というかんじで、

それ以外に変わった点と言えば、膨らみが重そうな鞄、ぐらいか。

教科書やノートでも詰めた、かのような分厚く膨らんでいる。

 

 

「こんにちは、比企谷君」

 

パイプ椅子を組み立ててベッドの脇に並べて、その横に雪ノ下が置いた鞄が重そうな鈍い音をたてる。

彼女の声の調子は変わらない。

 

俺に対する拒絶や、否定的な感情は見えず、俺が詰問するまでにしてた会話での声音だ。

 

 

「ああ。こんにちはだ、雪ノ下。

 また来てくれる、とは思ってもなかったから、驚いた」

 

 

椅子に腰かける彼女に挨拶を返す。

平静を装って、挙動不審にならないよう話しかけると、雪ノ下の表情が曇る。

 

 

「また来る、と言っていなかったですもの。

 ……昨日は、失礼な態度のまま帰ってしまって、ごめんなさい。

 正直に言わせてもらえるなら、帰ってからもずっと混乱してたわ。

 あなたの言葉が頭から離れない。

 眠れなくて、今日は、学校でも授業に集中できなかった。

 ずっと考えてばかりよ」

 

 

浮かない彼女の表情。

 

俺がそうしてしまったことに胸が絞めつけられるが、後悔は抱いていない。

言わなければいけないから言った、だけだ。

彼女という人間と関わろうとするなら、

病室に見舞いに来てもらい、会話して、相手からのアクションを待つばかりでは、

俺が退院してからも雪ノ下と関係が続くかは俺には、わからない。

 

友達でなく、知り合いといってもいいのかも定かではない繋がり。

 

雪ノ下と話してることは、素直に認めてしまえば楽しかった。

でもそれは、雪ノ下が責任を負おうとしてるからの行動なのか、何を考えて来てくれてるのかまでは俺にはわからなかった。

自分から動かないで関わりが途切れるのは、それは嫌だ。

考えて動いたうえで、雪ノ下に拒絶されたり、

何もしないで自然とまたひとりになるぐらいだったら、動いてから結果に後悔した方がまだマシだろう。

 

そうした俺の、昨日の行動は彼女を傷つけている。表情を曇らせている。

 

 

「私が言われたことはちゃんと、受けとめたつもり、です。

 でも、比企谷君が私を知りたいって言ってくれても、

 私は自分を偽ってるわけでも、虚言を吐いたつもりもないから、考えてもわからなかったわ。

 だから、これまで通りに接してもいい、とあなたは言ってくれるかしら?」

 

「あー、つまりはその、なんだ、

 雪ノ下とはこのまま、

 俺が退院しても、学校とかで話すことがあっても雪ノ下の迷惑にはならない、ってことか」

 

 

俺を見つめて話す、雪ノ下の目線はまっすぐ揺らがない。

が、俺がつい漏らした言葉に、彼女がむっと顔を歪める。そこにあるのは不満だ。

 

 

「あ……あなた、そんなろくでもないこと考えてたの。馬鹿なの? 馬鹿なんでしょう。愚かね。

 私はあなたと話しているのは、嫌じゃないと伝えたのよ。

 昨日好き放題に言われて、よく思い返してみなければ嫌われてるのではと悩ませといて、

 比企谷君は愚鈍よ。

 私を不安にさせといて言うことがそれなんて、ほんと大馬鹿」

 

 

俺が言ったことが悪いのはわかってるが、

そこまで馬鹿馬鹿言われるのもさすがに、傷つくんですがそこんとこはどうなんでしょう。いや聞かないけどさ。

 

ついでに雪ノ下さん、呆れたようにため息つくのはいいんだけど、

罵倒するときが今まで見たことないくらい、イイ笑顔してますね。

真正のSなのか。どSなんですね。

 

俺はどMじゃないので罵倒されてもご褒美じゃありません。ごめんなさい。

 

 

「俺が悪かった。だから罵声はやめて。

 傷つきやすいので乱暴に扱わないで。

 取り扱い注意って八幡の説明書には書いてあるから」

 

「ふふ、あなたの扱い方はちゃんと熟知してるわ。

 わかりやすいもの。

 比企谷君が私の説明書をしっかり読んでないから、用法容量を分かってなかったのでしょ。

 私を知りたい、って言ってくれたのが嘘ではないのなら、ゆきのマニュアルはちゃんと読みなさい」

 

 

お前の半分は優しさでできてなんかいないぞ。

というか冗談で誤魔化そうとしたのも悪かったんで、皮肉を素で返さないでください。

 

笑みを湛えて、細められた目がまっすぐに俺を見ている。

雪ノ下の、瞳の奥にどこか熱を感じる。そんなもん見間違いだ。気のせいだろ。

 

 

「あら、私は比企谷君にとってのバファリン、みたいな女の子でしょう?

 こんな美少女の笑顔をこれからも見られるんですもの。

 比企谷君は幸せ者ね。

 私が笑いかけてあげてるんだから、感謝してくれないと困るわ」

 

 

確かに、雪ノ下には笑顔が似合う。さっきみたいな曇り顔なんてさせたくない。

 

美少女だってのも認めざるをえない。

けど自分で美人って認めて、言葉にするのはどうよ。自意識ありすぎ。

 

口に出したらまたどS降臨、なのはわかりきってるので言葉にはしないが。

 

 

「あー、ありがとうございます。

 

 で、話題を変えて悪い、

 こうして会話できるのはいいと俺も思う。

 気になってたんだが、なんでまた今日は鞄ぱんぱんなんだ」

 

 

病室の空気が和らいで一息つけたので、さっきから気になることを尋ねる。

鞄に視線を向けて、

両手で持ち上げたそれを膝に乗せると、雪ノ下はにっこりと笑う。

 

嫌な予感。さっきのどSがまただ。

開いた鞄の口から覗くのは、教科書に参考書の群れ。

 

 

「そうね、比企谷君から話題に挙げてくれたので、始めることにします」

 

 

いや何を? まさか勉強か。

 

 

「退院してもすぐに授業に追いつけるよう、ノートと筆記具は持参したので、

 勉強をしましょう。いえ、勉強をします。

 国際教養科、で私が習ったことが基準になってしまうけれど、

 まだ始まったばかりだから範囲は似ているはずですもの。

 私が教えてあげる。

 まさか嫌だとは言わないでしょうね」

 

 

ごめんなさい、勘弁してください、

と拒否できたらそれはそれで楽なんだろう。

 

めんどいと伝える前に表情を読まれ、

まくしたてられた正論と、覗き込むよう近づけられた顔が近く、匂いにくらっとして頷いていた。

いやいや、これってハニートラップだろ。

 

ぶっちゃけマジで勉強したくない。

のだが、病室のテーブルをベッドまで動かして、ベッドの空きスペースに腰を下ろして正面に座る雪ノ下に、

そんな素振りを見せようものなら、

話してるときみたいな、楽しそうな雪ノ下を邪魔するってのも憚られる。

 

 

「どうして文系はできてるのに、理数系になると手がつけられないものなの。

 受験には合格してるのだから、もっとできると考えていたのだけれど、

 これだと公式だけ暗記して、基礎から少し外れるだけで答えを導き出すことはできていないみたい」

 

 

手のかかる子供にするように、あらあらと困った顔で微笑むのはやめてほしい。居たたまれない。

 

 

「ほっとけ。文系となら文脈とか読めば答えは見つかるし、あとは適当に暗記するだけでも回答は埋められるだろ。

 けど理数系は四則演算できて、あとは知識として覚えとくだけで手いっぱいなんだよ」

 

「食べず嫌い、をしてる子供そのものよ、そんなんだと」

 

 

勉強を始めてみれば、彼女の授業に意外とついていける。

 

普通科ではなく国際教養科、偏差値が高いクラスに通ってるだけはあるのか。

 

雪ノ下の教え方は丁寧で、

頭の回転がはやい人間特有の過程を飛ばしがちな説明をすることもあるが、

どこに躓いているのか、わからなくなればそれを察して教えてくれるので気にはならない。

 

俺の理解力よりも、雪ノ下の勉強に対する姿勢、ってのに相性がいいのだろう。

 

 

けれど、休憩なしで頭の中に詰め込まれるのは、疲れる。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

勉強で疲れてしまったのか、彼は彼女が帰ってしまう前に眠ってしまった。

 

彼が理解しやすいよう、それでいて頭をしっかりと働かせてそれに気づかない程度に、

一つずつ丁寧に、きりがいいところまで教えてみせて、

寝落ちしてしまうよう、計算づくでそうなるように仕向けたのもある。

 

無防備に、彼女に寝顔を見せている。

 

 

「ふふ、……かわいい」

 

 

右手の指先で、そっと頬に触れる。撫でたり、つついてその感触を楽しむ。

 

彼が起きてれば、慌てて逃げるのがわかりきってる距離感。

彼の匂いがする。

 

重みをかけて目を覚まさせることないよう、注意をはらい、

ベッドの彼の上に膝立ちで馬乗りとなり、

彼の顔の左右に肘を立てて、じっと寝顔を見逃さないよう覗き込む。

 

力の抜けた表情。

彼女といるとき、起きている彼は捻くれているから、こんな顔を見れるのも彼が眠っているときだけ。

それはとても稀少だ。

 

頬に触れた指先があたたかい。

足りなくて、掌を添えてみる。

それでも温もりがもっとほしいと、彼女は欲求に従う。

 

頬を擦り合わせるぎりぎりまで近づけて、堪能する。

 

 

「美味しそう」

 

 

息を漏らす唇を、ふさぎたい。

舐めて、味を確かめて、舌を絡めて貪りたい。

 

誘惑にかられる。

 

それをしてしまえばさすが、彼も目を覚ましてしまうだろう。

そうなればこの近づけられた距離を楽しむのも、もっと楽しむこともできずに終わってしまう。

 

彼女の家の運転手が、迎えに来る時間は遅らせて指定してある。

それまでは、まだもう少しだけこのひとときを味わえる。

 

 

「ふふふ」

 

 

頬に触れる指先に力をこめる。

彼はくすぐったそうに、もぞりと肩を揺らして顔を背けようとする。

 

 

「だめ、よ」

 

 

逃げるのはゆるさない。

 

彼の頬に添えた両手に力を込めて、動けないようにしてしまう。

それでも彼は目覚めない。

 

 

時間はまだ、ある。

 

 

 

退室する前に、鞄から取り出したスマホからカメラアプリを起動して、

ベッドに寝転ぶ彼の姿、特に寝顔をしっかりと撮る。

 

手ブレもせずに一度で撮れたので、保存して待ち受け画面に設定。

 

これでいつでも彼を見れる。

 

 

時間がもう来てしまったので、今日は彼ともさよならだ。

 

テーブルに書置きを残してある。

起きてみれば彼女がいなく、

書置きが残されてることに気づいたときの、彼の反応を楽しみにする。

 

 

明日に、また彼と会ったらなんてお話ししましょう。

 



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3 言葉にしなくても気づいて、そう少女は思う

 

どんなことを比企谷君と話しましょう。

 

まだ一日も過ぎてはいないのだが、雪乃は片手に持ったスマホの画面を眺める。

暇な時間帯があれば学校の中でさえも気にせずに、液晶を点けていたので電池の減りがはやく、昼休みにこっそりとコンビニまで抜け出し急速充電器というのを買ってこなければいけなかった。

 

液晶に映る八幡の寝顔、を見ていて考えるのは、このあと彼の待つ病室でどう会話するか。

 

 

下駄箱からもう片手で革靴を取り出し、外靴に履き替えると、

屈んだ姿勢から腰を上げて、持ち替えた内履きをかわりにしまう。

 

 

彼に勉強を教える、と口実もあるので、話題に気をかければ会話を絶やすこともないだろう。

話したいことや知りたいこと、八幡の散りばめられたトラウマの地雷を踏まないように会話を組み立てておけば、

気に障ってしまうこともなく、存分に話を楽しめられる。

 

ふと自分が考えてることに、スマホに笑みを向ける。

 

男性と会話する、ことに思考を費やしてまでして楽しみにしてる自分、がいるというのもおかしく思えた。

おとといに、八幡の捻くれた詰問を受けて、

その内容について考えだしてから自分は変わったと、雪乃は思う。

意識しなくとも、八幡に関することを考えてる。

 

雪ノ下雪乃はどこの誰なのか。

訊かれたことに答えることができず、わからないとうやむやにしてしまったことに答えを自分でも出したいからこそ、

悩んでいれば、スマホに映る彼の姿に心の中で問いかけてしまう。

答えが返ってこなくても、それはそれでいい。

 

自分では考え込んで眉を寄せてるつもりなのだが、

雪乃は気づいていなくても、

彼女がスマホを片手に眺めながらにこにこと、たまにむぅーっとし、

表情を一喜一憂させてる様子は学校中、彼女が出歩く場所で目撃されてる。

 

ケータイを気にして、いつもはにぁーんと幸せそうに笑顔を振りまいてる雪乃、とわかるように、

学校でも有数の美少女に彼氏ができたのでは、とまずは学年で噂されるようになっている。

のだが、社交性に乏しく周囲と関係性も薄いので、噂されてることにも気づかずに今日もまた笑顔を漏らす。

 

 

校門へと向かう途中、雪乃の横を擦れ違った少女。

 

 

団子に纏めた以外の黒髪を流し、雪乃にとっては忌々しい肉の塊を胸で揺らして、走り去っていく。

擦れ違いざまに見えた顔、と姿のシルエットはどこかで見た覚えがあったのだが、

思い出せずに、考えを放棄すると校門近くに待たせた迎えの車に向かう。

 

その行き先はいつものように、八幡のいる病院だ。

 

 

 ※※※

 

 

 

 

病室のドアをいつものように、ノックしてみると今日は彼の返事は聞こえない。

 

数分、待ってみても反応がない。

いないのだろうか、と思いつつ、静かにそっと入室してみれば、八幡は布団もかけずに眠ってしまっている。

 

寝顔を意図せずまた見れた。

 

彼を起こさないように、物音を立てずテーブルに鞄を置き、ベッドの空きスペースに腰かける。

昨日よりもよく熟睡してるのか、寝息は一定で穏やかだ。

 

 

「よく寝てるのね」

 

 

呟いた言葉は思いのほか、病室に響いたが、八幡の様子は変わっていないことに雪乃は安堵する。

起こしてしまえば、したいことはできない。

 

身を寄せて顔を覗き込み、彼に圧しかからないように片手で体を支える。

 

見つめる寝顔は、雪ノ下が昨日見続けて、スマホに映して眺めていたものから変わってはいない。

 

 

「比企谷君」

 

 

応えは返ってはこない。返ってくることを、今は期待していない。

 

もう片手を伸ばして、頬に手を添えてそのまま指先で側面を撫でる。

ふにふに、むにむにと指先で弄んでその感触を、温かさを堪能している。

 

どれだけ熱中していたのか。

時間の感覚さえ覚えず、雪ノ下が気がすむまで好きに触っていたのに、彼は起きる様子も見せずに寝息をこぼす。

 

 

すると、病室のドアがノックされる。

 

 

「すいません、見舞いに来た者ですが……」

 

 

ナースではない、若い女性の声。雪ノ下には聞き覚えはなく、

彼を起こすのももったいないと思ったので、音をたてずのベッドから腰を上げてドアに近づく。

 

 

「ごめんなさい、彼眠っているから静かにしてもらいたいのだけれど」

 

「ご、ごめんなさい。

 あの……、ここ比企谷さんの病室、ですよね?」

 

 

外が見えるようにドアを開ければ、そこにいるのは見覚えがある少女だ。つい眉を寄せてしまう。

 

 

「そうね、ここは比企谷君の病室よ。

 あなたは、どちら様かしら? 彼の知り合いが来るなんて、聞いてはなかったわ」

 

 

雪乃と同じように、総武高校の制服を着ている。

覚え間違いがないなら、下校時に雪乃と擦れ違った少女だ。

 

彼女が病室を訪れたよりもだいぶ遅れてはいるが、

雪乃は車で寄り道もせず来て、電車やバスを使ったにせよ、眼前の少女は歩かざるをえなかったのだから遅いのも当然かもしれない。

 

それに、彼女が遅れた分だけ、雪乃が八幡の寝顔を堪能できたのも事実だ。

 

 

「その前に、彼を起こしてしまうのもどうかと思うから、室外で話してもあなたはいい?

 それとも、彼に用事があるなら、

 起こしてくるけど、あなたは彼にどんな用事があってがあってここに」

 

「あ。寝てるなら起こさなくても大丈夫、です。すぐどきますから」

 

 

雪乃が通れるように、少女が慌ててドアの近くから後退る。

彼女もまたそれを見ると、ドアを開けて室外へと出て、後ろ手に閉める。

 

これで廊下で話していても、室内にまではさほど声も響かないだろう。

 

ドアを背にして雪乃が声をかける。

 

 

「それであなたはどちら様なのか、聞いてないのだけど。

 ああ、私は、雪ノ下雪乃。あなたと同じ総武高校の生徒で、彼の見舞いに来てる者よ」

 

「あ、あたしは由比ヶ浜結衣です。

 総武高校の一年で、こないだの入学式の朝に比企谷さんにサブレ、

 えっと、飼ってる犬が車に轢かれそうになったのを、助けてもらったんだけど、

 比企谷さんが轢かれちゃったんで、病院に聞いてここに来た、んだけど……」

 

 

彼女、結衣の言葉を聞いてるうちに雪ノ下の眉がしかめられ、その表情を見てしまい声から勢いが失われる。

 

聞いていればわかってしまう。

結衣の犬が八幡が事故に遭う原因であり、彼女もまた当事者である以上は八幡を見舞いに来た。

 

だが、八幡を起こしてまでして彼女に会わせたいかでいえば、雪乃はそうでもない。

 

 

「そう。あなたも、あの事故に関わってるのね。

 

 ごめんなさい。

 あなたの飼い犬を轢きかけた車は私が乗ってた車なの」

 

 

会わせるべきか、でいえばそうなのだろう。

その前に雪乃自身の責任は果たしておくべきだと彼女は思い、

虚言を吐かず正直に事実を語り、頭を下げて謝罪を告げる。

 

下げた向こう側で、見ることはできないが彼女が慌ててる気配がする。

 

 

「あ、あの、頭を上げてください!

 轢かれてなんてなかったから。

 比企谷さんは代わりに入院しちゃってるけど、うちのサブレは無事でなんともなかったから、

 謝られても、その困ります」

 

 

雪乃が顔を上げてみれば、結衣は両手をわたわたと振るって否定している。

 

「そう。そう言ってもらえると助かるわ。

 あなたの飼い犬に支障をきたしてないなら、比企谷君が入院した甲斐もあるもの。

 でも、身を呈して庇ったりして、あなただけでなく私まで困らせてるのだから、

 後先考えずに行動してしまうところ、なおしてほしいのだけど……。

 それで、あなたから彼に伝えておくこととかがあるなら、私でよければ伝言承ります」

 

「えっ、その仲が良いんですね。

 あたしからは、サブレ、家族を救けてくれてありがとうございました、って伝えておいてください

 それとこれお見舞いの品なんで、二人で食べてもらえると嬉しいです」

 

「わかりました。

 私からもごめんなさい、変なこと言ってしまって

 これは比企谷君にちゃんと食べさせておくから、安心して」

 

 

結衣が肘にかけていた紙袋を受け取り、にこりと微笑みを返す。

 

 

「それじゃああたし、これで失礼します。

 比企谷さんにもお大事に、って言ってたってお願いします」

 

 

ばっと頭を下げてお辞儀すると、結衣は足元に立てかけといた鞄を持って足早に去っていく。

最後まで慌ただしそうで落ち着かない様子だった彼女に、はぁ……とため息をこぼすと、焼き菓子の銘菓がプリントされた紙袋を片手にドアを開ける。

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

昼食を食べてから退屈を持て余して横になってたと思うのだが、気づけば寝てたようだ。

 

壁掛けの時計を見てみれば、いつも雪ノ下が来る時間はとうに過ぎていて、

彼女が来ているのかと思って室内を見回しても、誰もいない。

が、テーブルに彼女の鞄が置かれている。

 

持ち手の金具に、ディスティニーのパンさんキーホルダーがつけてあるのが特徴的すぎてわかりやすい。

 

雪ノ下が来てるのはわかったが室内にいないとなると、どこにいるのやらと疑問に思う前に、

病室の外で誰かと話してる雪ノ下の声が聞こえる。

あいにくと声は聞こえても内容がわからないぐらいには、病室の壁も厚い。

 

手をついて起こしてた上半身をベッドに預け、雪ノ下が話し終えて戻ってくるのを目を閉じて待つ。

 

 

ここ二日は、以前よりも雪ノ下について考えてることが多い。

思考の割合的には小町よりもスペースを占めてる。

 

それもこれも口にしてしまった雪ノ下を知りたい、知っていきたいと、

俺が知ってる女とは違って、気持ち悪いとか態度や言葉で拒絶されなかったってのが大きい。

 

傷つけたと思ってそれは正しかったが、雪ノ下はそれでも変わらずに接してくれると言われたことは嬉しかった。

 

罪悪感を抱いているわけでもない。

そんなもん正直に言えばばっさりと否定された。

だから、今抱いてる気持ちは雪ノ下って人間に対する興味や関心だ。

 

ここ数日で雪ノ下の印象はかなり変わった。

 

知ろうとすればするほどわからなくなる。

裏表のない性格だからとはいえ、それで把握できちまうほど単純ってわけでもなく。

目を凝らして捉えてしまえば、見ようとしないでも見えてた痛々しさ、ってのがなくなった。

俺が知りたかった雪ノ下に乏しかった、個性ってものが深まったようで、

それをもっと知りたいからこそ、今もこうして考えてるわけだ。

 

馬鹿の考え、休むに似たりだな。

 

ひとまず結論づけて起きようとする前にドアノブが回され、その音でつい固まってしまいそのまま寝ころんだ姿勢を維持する。

すぐに誰かが入ってくる気配がするが、

目を閉じてるからか、室内に香るいつもの匂いで雪ノ下が入ってきたのだとわかってしまう。

 

俺においフェチじゃないんだけど。

 

がさごそと紙でできた何かをテーブルに置く音。

 

それから雪ノ下は動きを見せない。

 

 

沈黙が重い。

 

 

せめて声をかけるなり、なにかしらアクションがあるなら、こっちとしても目を開けてしまえるのだが。

正直起きるタイミングを逃して、どうすればいいかわからない。

 

寝たフリを続けようにも、雪ノ下に起こされるまでなにもしないってのは無理があるし、それは見舞いに来てくれた客への対応じゃない。

 

雪ノ下の行動を待って、それをきっかけにしようと考えていれば、ベッドを軋ませる物音がする。

 

驚きで声が出る、その前に。

 

 

俺の手首を両方とも掴みあげると、両手で抑えつけて固定して、

雪ノ下が下敷きにした俺の下腹部に体重がそのままかかり、馬乗りになられる。

 

起きようにもどう反応すればいいのか、わからなさすぎる。

いったいどうしろと。

 

耳元に雪ノ下の息遣いが聞こえる。背筋にぞくぞくとなにかが走る。

 

 

「ねぇ比企谷君、寝たフリしてても起きてるのはわかってるわ。

 私が客の対応してる間に起きたのに、疲れてる私にお帰りって言葉もかけてくれないのね。

 目を開けたくないならそのままで、いてもいいのよ。私になにをされてもいいのなら、ね」

 

 

怖っ。ていうか、そんなどっから出してるかわかんない凍った声で囁くのやめてください。耳が凍傷になる。

 

 

「起きないのなら、聞き逃さないようにしてなさい。

 さっきまで来てたのはあなたに来てた、見舞いの客よ。

 私も言われるまで忘れてて、あなたは覚えてるかもわからないけれど、他人に興味がない比企谷君なら忘れてしまってるんでしょうね。

 今どきの可愛らしい女の子よ」

 

「あなたが事故に遭ってまで車から救けた、犬の飼い主だそうよ。

 よかったわね、可愛い女の子が見舞いに来てくれるなんて。

 でもあなたには会わせてあげなかったわ。

 比企谷君への言伝とお見舞い品だけいただいて、帰ってもらったわ。

 家族を救けてくれてありがとうございます、お大事に、ですって。

 よかったわね、私以外にも心配してくれる娘がいて。

 嬉しいのでしょ。どうして帰したのかって? 教えてあげない、内緒よ」

 

 

聞きたくないというか、目を閉じてることがここまで怖いなんて思うの初めてだわ。

つうかこれなに、ホラー?

 

いやいやいや、首、首。喉片手で抑えるのやめて、首絞まってるから。

 

 

「……あのときの事故を思い返してみると、

 改めて思うわ。

 私は、あなたが傷つくことがあれば……不安と、心配で胸が苦しくなるわ。

 咄嗟の行動だったから、後先考えなかったのは仕方ない。

 とでも……あなたはそう思ってるのかしら。

 思ってない? にしても、似たようなことは思っているのでしょう。

 あなたは自分を顧みないのは、もうわかってるから。

 似たようなことがあれば、また同じことを繰り返すのでしょ。

 私の気持ちも考えないで。

 なのに、これだけ私を困らせて、悲しませてるのに気づかない

 私を傷つけて、楽しい?」

 

 

声遠くなる。

意識が白い。雪ノ下の声で、意識が。

 

やば、これきもちいい、かも……。

 

 

「ねぇ、比企谷君。聞こえてるかしら。

 

 目を開けて。私を見て。

 

 私の考えてること、知ろうとして。

 

 どうして、私がしてもらいたいことがわかってても、

 

 なにもしてくれないの。

 

 ……そんなだから、あなたはどうしてけばいいかも、

 

 私、からも目を逸らしてるので な く て ?」

 

 

 

暗転。

 

 

 



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4 愛おしい、と言葉にせず彼女は叫んでいる

寝室のベッドに寝転んで、雪ノ下雪乃はスマホの液晶を眺める。

 

 

高校への入学を控えた前に、はじめたばかりの一人暮らしの自室。

誰に邪魔されることもなく、自分の時間を楽しむ。

 

 

「比企谷君」

 

 

スマホに映る彼の写真は、何も言わない。

 

眠っているだけ、の穏やかな寝顔。

いつもの捻くった態度も、ねじくれて本音をさらさないようにしてる言動もそこにはない。

 

 

タップしてスライド。

 

 

映るのは寝顔ばかりだが、昨日と今日とでは違うものがあると雪乃は思う。

写真はどれも八幡が寝てる隙を、

彼女が意識を絞め落としたあとに撮ったものばかりだ。

 

ブラックアウトして気絶した八幡。

 

それならば、何をしてもそうすぐには起きないと思えたので、

実際にそうだったのだが、

雪乃は写真に撮るだけでは満たされるでなく足りなかった。

 

 

「ふふ、比企谷くん」

 

 

うなされて苦しげな顔。

 

雪乃の手が映り込み、彼女に髪を撫でられてる顔。

 

指の痕がうっすらと残る首元。

 

髪をのけて、頬や瞼、唇を撫でる指先。

 

目を閉じてれば、起きてるときほどは印象は悪くなく、意外と整ってる顔で、

薄く開いた唇から寝息を漏らしている。

 

 

何十枚と撮って、スマホにSDカードを入れてなかったことを悔やむほど、

容量のいっぱいにまで写真を撮り、その連射音でも八幡は意識を戻さない。

帰宅する前に、コンビニに寄り店売りではそこそこの容量の記憶媒体は買っておいた。

 

 

あれから病室には、邪魔者は一人しか来訪することはなく、

雪乃が言葉と態度でもって追い返してからは、雪乃だけが八幡を堪能した。

 

二人だけでしかいない病室で、雪乃が帰らないといけない頃合いまで。

 

 

帰宅してからは家事を済ますのも早々に、

一日の汚れをおとして、バスタブでぼうと八幡のことを考えていた。

 

 

気づけば長湯をしていた。

 

 

身も心も熱をもっていたが、湯冷めする前に拭いて、ドライヤーと櫛で髪も乾かす。

 

勉強までは、いまは手がつきそうにないので、

髪を首元で一束にまとめ、冒頭にあったようにベッドで寝転んでいる。

 

 

「ひきがやくん」

 

 

自分がつぶやく言葉に、熱がこもっていることに雪乃は気づかない。

 

そんなことよりも、

一枚一枚と自分好みの映りを厳選してフォルダに移して、

残りは破棄した写真を眺めることに時間を費やす。

 

 

ここ数日は八幡に関することだけで、時間が過ぎ去ってしまう。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

知識を蓄え、その扱い方を知るという意味でも、

高校生という義務ではない教育機関に通わせてもらっている立場でしかない雪乃だ。

 

授業そのものが無駄だとも雪乃は思わないが、

していたいことがある以上は面倒だと思えてしまうのは仕方のないことだ。

それに、授業中に済ませてしまえばいいだけの話でもある。

 

入院中の八幡が退院したときに、学校の授業についていけないなんてことは、

八幡を轢かせてしまった当事者としても、彼の友人としてでも許せることではない。

 

八幡に勉強を教えるということも、見舞いに次ぐ彼に会いに行く口実になってるし、

教えを乞う八幡もまた素直で可愛いのだから。

 

授業内容をノートに書きつらねると同時に、

自分が彼に教えるならどうわかりやすくするかもノートにメモを取っていく。

 

授業の間だけでそれを行えてしまう雪乃は、自他ともに認める優秀さだろう。

ただまぁ、ある意味内職をしているようなものでもあり、

授業に集中しきれていないので、担当に気づかれてしまえば評価は低くなる。

 

 

そんなことはどうでもいいとばかりに、続けていると授業が終わる。

 

 

ノート内を見直し、彼がわかり難そうな不備があったらそれもすぐさま修正して、勉強道具を鞄にしまう。

代わりに、そのまま鞄から取り出すのは、

パンさんのケースに入れられたスマホ。

 

電源を入れればすぐに映し出されるのは、昨夜厳選してお気に入りの八幡の写真。

 

マナーモードに設定はしてあったが、当然に誰からもメールや電話の通知はなく、

送られてもかけられても、雪乃が今は学内にいる現状をりかいしているのだろう。

両親と使用人ぐらいしかかける相手もいなく、アドレス帳に登録したいと思えるのはひとりだけだ。

 

説明書を読んでまでして、スマホの待ち受け画面に設定しておいた、

薄く唇を開いて寝息をこぼす、八幡の穏やかな寝顔。

起きてる間中は決してその警戒心の高さから、見せることはないであろう無防備な姿を、

このスマホを見るだけでいつでも見られる、優越感と幸福感に雪乃は陶酔する。

 

また、思考が一つのことで定まってしまう。

 

 

比企谷君、比企谷君、比企谷君、比企谷君比企谷君比企谷君……ふふふ、比企谷くん

 

 

今、彼は何をしているのだろうか。

 

雪乃が言いつけておいた通りに勉強か、それとも折ってしまった片足のリハビリに勤しんでるのだろうか。

 

もしくは、彼女が彼にしたことを、

首を絞め動けないよう拘束し、耳元で思ったままに囁いたことに思い悩んでくれてるのだろうか。

雪乃がこうも思い悩まされてるのだから、八幡もまた彼女のことを考えていてほしい。

 

 

八幡の写真をスライドショーに設定したスマホを眺めだす、と。

 

 

そういえばこれからは昼休憩だった。

 

机の脇にかけた鞄から小造りの弁当箱を取り出し、見やすい位置に置いたスマホの横に置く。

 

小さくいただきます、と手を合わせて小声でこぼしたところに、

 

 

「あ、あの、雪ノ下さん。わ、わたしも、ご飯いっしょに、させてもらっても、いいですか」

 

 

見覚えがある。

 

自身と同じ制服。胸元のリビンタイと胸元のブラウスを持ち上げる、豊かな母性。

前髪は表情が見える程度に整えられているが、横と後ろ髪は長く背に流されている。

 

自信なさげで内気に、雪乃を見上げている俯きがちな表情

 

どこかでと思い返してみれば、そんことさえも最近の出来事からしてみれば、

どうとでもなればいいので気にもしてはいなかったが、同じクラスの女子生徒だった。

 

 

名前、名前は……、八幡のことばかりしか考えていなかったので、

クラスを把握することも、クラスカーストに居場所を必要とすることさえもしようとしなかった。

それに誰に何をされようとも対処はどうとでもできたのですし。

 

 

「こんにちは。

 私にしてることに邪魔しないのでしたら、一緒にしてもかまわないわ」

 

 

八幡の写真を見ながらお昼を食べるのを邪魔されるなら、それは不快だ。

 

昼休憩のながい時間に八幡を見ていられる、だからこそ、

放課後になるまで彼に会いたい欲求を我慢できるのであって、

ここ数日は学校に登校するよりも、病室で八幡を見て会話していられる時間の方が貴重だ。

 

 

「あ、じゃ、邪魔は、しないです、けど、

 雪ノ下さん、と、お話しして、みたいです……」

 

 

雪乃の席の前の、今は誰も使ってない机と椅子を二人で向き直させる。

対面するように、雪乃と彼女が席に座る。

と、彼女も持参した弁当箱を机に広げる。

 

 

「私のことは知っているみたいですけれど、あなたはどちらさまなの」

 

「ご、ごめんなさい。雪ノ下、雪乃さん、ですよね。

 わたしは、同じクラスで、琴乃宮、言葉……です」

 

「そう。琴乃宮さんね。

 よろしくしたいのなら、よろしくお願いします」

 

 

琴乃宮言葉と名乗る少女に一瞥をやり、またスマホのスライドショーに視線を戻して弁当をつまむ。

 

 

雪乃は気づいていないようだが。

 

授業の合間の休憩時間や、昼休憩、登下校や廊下を移動する際にも頻繁によく見られる光景。

 

自他ともに認める美少女が、背をのばして座り姿勢よく、

手に持ったり机に置いたスマホを眺めて、にっこりと満面に花開いた笑みをたたえる姿は特に目立つ。

 

クラスメートには見る機会も多いからよく見惚れるのだが、

そればかりか学級外の男子生徒までクラスにまでは入ってはこないが、見ようとして廊下にまで来ることも多い。

 

何を見てるのか気になってる生徒は多く、言葉もまた同様だ。

 

 

「あの……、雪ノ下さん、気になってるのですが、

 いつも見ていられる、その、スマートフォンで、何を見ているんですか……?」

 

 

クラスどころか学年でも誰も、特に男子が気になっていたことをたずねる。

 

机に置いたスマホを覗き込もうとしない彼女に、失礼な行いをしない分だけ少し気をよくし、

雪乃はスライドショーを止めると、待ち受けの画面にタップして戻して言葉に差し出す。

 

 

「これよ。見てはいいですけど、あまりいじらないでね」

 

 

渡されたスマホに言葉は少しわたわたとすると、ゆっくりと画面に映る穏やかな寝顔の八幡を見る。

そこにいるのは実在の場景を切り取った、アイドルとかではなく実在の現実だ。

 

 

「え、えっと、……彼氏さん、ですか?

 雪ノ下さんは綺麗で、この人も恰好よくて、美男美女の恋人なんて、いるんですね」

 

 

たしかに写真の八幡を見るだけならイケメンだ。

クールにもとれる整った顔で静かに寝てる姿は、雪乃もお気に入りの光景だ。

 

だが、言葉の言ったことは雪乃と彼の関係性を正確にしたものではなく、

八幡という人間性を正しくとらえたものでもないので、雪乃は内心ではおかしくて笑ってしまう。

 

八幡は外見では整ってても腐って淀んだ目が台無しにしていて、

彼の魅力が表れるとするなら、自分に素直でわかり難くも気づかいや優しさを示してくれる捻デレな個性だろう。

だがそれを言葉で示したとしても、この場の誰かに理解されたのなら雪乃はきっとこれから苦労することになるのもたしかだ。

 

 

恋敵を作るのは得策ではない。

 

 

「そうね、そう言ってもらえるのは嬉しいわ。

 でも、まだ恋人という関係にはなれてはいないの。彼は鈍感だから。

 私にはもったいないぐらい素敵な人なのはたしかよ。

 優しくて、私を気づかってくれて、誰かの為になら自分でどうにかしてしまう……そんな人。

 だから、自分が誰かに好かれるなんてない、と私の想いにも気づいてくれない」

 

 

言葉を選んで、彼を想いが伝わらない切なさを表情にして見せて、

今後にできてしまうだろう恋敵への牽制にする。

八幡に目をつけ、先に唾をつけておいたのは雪乃だと。

 

まだ雪乃は恋をしたのかは自分でもわからない。だけれど、八幡を誰かに奪られるのも許せない。

 

 

「雪ノ下さん。恋を、してるんですね。

 片想いみたい、ですけど、……通じ合ってるみたいで羨ましいです」

 

 

琴乃宮言葉が雪乃が恋をしてると、片想いを抱く相手がいると見て信じたように、

クラスメートもまたそれを確かだとしたようで、遠巻きに聞き耳をたてていた周囲が騒めいている。

 

中には校内でも有数の美少女に、恋人がいるのだと事実を知って落ち込む男子生徒たちもいる。

 

昼休憩の時間があればそれこそ、学級どころか学年、校内の生徒にまでこの情報はいちはやく伝達されるだろう。

噂とはそういうものだ。

 

雪乃は意図せずにだが、これからされるだろう男子からの告白にも告白されないと対処をしていた。

 

 

 ※※※

 

 

 

「それで、あの、雪ノ下さんが好きになられた方、ってどんな人、なんですか……?」

 

 

言葉がそう口にした途端、雪乃が問いかけにどう返すかを期待して、ざわついていた教室内が静まる。

女子もそうだが、男子は気になりすぎるのか静かなのが顕著だ。

 

 

「どんな人。そうね。

 私が想っているように、彼も私のことを気にかけてくれてるか、気になる人ね」

 

 

頬を薄く赤らめて、物憂げにそう答えてみせると、雪乃はにっこりと笑みをつくる。

 

 

「どういう人かで言えば、優しい人よ。

 身内と他人の境界線がはっきりしていて、線の内側に入れた人にはとても優しいの。

 だけれど、他人にはどうでもいいと評価を気にしない面もあるから、

 捻くれてると言えるのかしら?

 自分の価値をわかってないともとれるわ。

 入学式から一度も登校していない生徒がいるでしょう? まだ学期が始まったばかりだから、噂にはなってないものね。

 彼がその生徒よ。

 車に轢かれそうになった犬を庇って、咄嗟にかわりで轢かれてしまってる、馬鹿な人よ」

 

 

本当に馬鹿な人、とこぼす言葉には蔑みはなく、聞いてとれるほどに情感がこもっている。

 

 

「心配も、不安を抱かせてるとも知らないで、反省もしないの。

 放課後に空き時間を見つけてまで、私が毎日言い聞かせてあげないと、目を離したらなにをするのかわからないわ。

 ごめんなさい。

 クラスでの交遊もしてる余裕はなかったから、こうして琴乃宮さんに話しかけられたことにも驚いたの。

 でも、嫌だというわけでもないから、気にしないでね」

 

 

雪乃が口にする言葉は彼のことを思えばあふれてしまう愚痴だったが、

言葉が嫌な顔もせずに聞いてくれるので、ついつい漏らしてしまう。

 

言葉も、聞き耳を立ててた周囲の女子生徒は、聞いてしまったのろけ話が予想外に甘かったことを話題に、

次第に室外へと出て行く。

男子生徒もまた、出ていく気力があるものはマシだが、その気力も起きないほど落ち込んだ生徒らは机にうなだれてしまう。

 

放課後を待たずして、雪乃の美貌の効果もあり噂は伝播されることは間違いなく。

 

 

「彼もまた、私を想ってくれてるのなら、嬉しいのだけれど……。

 恥ずかしくて聞いてみたことは、まだないわ。

 彼がどういう人なのかは、これで少しは伝わったかしらね」

 

 

校内でも一二を争えるだけの美少女には片想い、もしくは恋人関係な男子生徒がいると噂はまわるだろう。

少なくとも雪乃がベタ惚れなのは確かで、仮に八幡以外の異性に告白されてもフラれるとわかりきったぐらいには、

雪乃を気にしてる、容姿に惹かれた男にはダメージは与えていた。

 

 

「こうして琴乃宮さんとお昼をご一緒させてもらったのも、比企谷君のおかげね。

 社交的とは言えなかった私が、これだけ普通に誰かと会話できているんですもの。

 変なことばかり話してしまって、つまらなかったでしょう。ごめんなさい」

 

 

微笑みを浮かべて、雪乃はなぜか挙動不審に陥っている言葉へと謝罪する。

 

だが、雪乃の内心は計算高く意図して、のろけ話を謝罪するだけでなく、

クラスないどころか、学内の女子間でのネットワークを利用して、

八幡に良い意味でのレッテルをはり、雪乃に優しい彼氏だと情報操作して事前では悪印象抱かれないようにしてしまう。

 

八幡の実物を目にしてしまえば、影の薄さと目の腐りで評価が下がるのは明らかで、

だからこそこうして事前に、寝顔の写メとツンデレっぽい人だと印象づけてしまえばいい。

 

 

それさえ済ませてしまえば、あとは事前にやるべきことは、学内での外堀を埋めてしまう。

 

八幡が退院していまう前に、彼の線の内側に入り込んで一緒にいることに違和感を抱かせず、

どれだけ校内で一緒にいようとしても、八幡が人目で逃げ出さないよう絡め捕る方法だ。

 

そうして雪乃に捻デレで、

素直に優しさを示せない八幡との絡みを見せつけてしまえば、

あとは学内外のどこででも八幡をじっくり攻略することができる。

 

 

だから、その一歩として話しかけてきてくれた琴乃宮言葉さん、利用させてもらったことごめんなさいね。

それと、ありがとう。

 

 

 



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5 狂いかけるほど、彼女の愛が病んでいるのは間違ってはいない

 

今日は午前のうちにリハビリは済んでいた。

骨折したにせよ、意外と治りは早いようで、松葉杖さえあればそこそこ歩くこともできる。

 

相も変わらず、寝るときにベッドで骨折した足を吊り上げられるのは変わらないのだが。

 

雪ノ下が病室を訪れたのは、昼よりも二時間ばかし前の頃合いだった。

 

休日だからだろう。

普段見慣れた制服姿ではなく、長袖のチュニックにカーディガンを羽織っていた。

手にはユニクロの印字された、中身の詰まったビニール袋を提げている。

 

 

「あー、そのなんだ、急に来たりなんかしてどうかしたのか?

 それにその袋も見てると嫌な予感しかしないんだが」

 

 

問いかけてみると、袋から新品のTシャツとジーンズを手渡される。

これをどうしろと? まさか着替えろってことか。

 

雪ノ下はにっこりと笑みを浮かべると、着替えるよう指先で示す。

 

 

「比企谷くん、今日はデートをしましょう。いえ、しませんか? ……デートをします。

 杖もこう用意したのだから、あなたからの拒否は認めませんので、あしからず

 病院の外来には外出許可は取ってあるから、

 あとは比企谷くんがそれに着替えて出かけるだけよ。駄目かしら?」

 

 

デート、デートか……。

 

わざわざ新品の服まで用意してまで来てもらって、それを断るのもどうかってもんだが、

あいにくと妹以外の女性と出かける、ってのは怖気づく。

 

それに、前回の見舞いに来て最後ら辺で記憶が曖昧だが、なにか俺にとって不都合で怖いこともあったような。

 

そこら辺を気にするでもなく、

 

 

「わかったわかった。着替えるからいったん、雪ノ下は病室の外で待っててくれるか?」

 

「あら? 手間取るといけないから手伝ってあげましょうか?」

 

「いや、いい。さすがに着替えぐらいはこの十数日で慣れたわ。

 じゃ、外に出ててくれ」

 

 

案外、言葉とは裏腹に素直に雪ノ下は病室の外へと出ていく。

 

ビニールから出した服を、パジャマから着替えてみると、

シャツはけっこうゆったりとして余裕があり、

ジーンズを履き変えるのはギブスもあって手間取ったが、こちらは腰回りは合うが太ももや脛のあたりはゆったりとした造りだ。

 

適当に自宅から持参してた上着を羽織り、病室の外で待ってる雪ノ下へと声を掛ける。

 

 

※※※

 

 

てっきりタクシーやバスでどっかに出かけるものだと思ってたのだが、

雪ノ下は家のお抱えのハイヤーを待たせていた。

 

乗る以前に運転手さんは事故のときの方と変わらず、お互いに謝り合いで雪ノ下が止めざるをえなかったが。

 

雪ノ下の車が運転してるのでどこに向かってるのかは定かではなく、

彼女に聞いてみたところ、東京の都心へと向かってるらしい。

 

 

「で、都内に行ってまで何をするんだ? あいにくだが今日は俺は持ち合わせはないぞ」

 

「私から誘ったのだからお金のことは気にしなくてもいいわ。

 どうせ使う機会も少ないのですし、今日は比企谷くんのイメチェンをしてみます。

 もうすぐ退院で、人間の第一印象は外見からなのだからあなたも気にしないとね。

 私好みに変えさせてもらうのだから代金とかは気にしなくてもいいわ。

 あなたはそれでもいいかしら?」

 

 

雪ノ下が行きつけのヘアカットサロンで、事前に予約済みなのだと。

 

外見に気を使った覚えもないし、他人の視線なんてどうでもいいのだから気にもしてなかったが、

雪ノ下がそこまで気にするっていうならそれに付き合うのもいいだろう。

 

車内で、買い漁った男性向けのヘアカット系のファッション雑誌をいくつも並べ、

雑誌から見つけた好みの髪型を俺へと見比べて、幾つかどれが似合うかをあたりをつけてるのだろう。

 

 

「あなたにはどれが似合うでしょう。悩むわ」

 

 

結局のところ、雑誌から選んだ候補から俺に似合うのを幾つか組み合わせてカットしてもらい、

そのついでに雪ノ下も毛先だけを整えてカットしてもらっていた。

あとは、雪ノ下が自分でもできるように俺の髪型のセットの仕方を教わってたのが気になるところだ。

 

 

※※※

 

 

ヘアカットの後、雪ノ下があたりをつけてたメンズのファッションショップで、

彼女が好みの服装を何着か着合わせられ、

気に入ったのを決める頃には昼も半ばを過ぎていた。

 

慣れないことをさせられて疲れてもいたので、適当なカフェレストランで昼食。

 

髪型も変えられ、服装も病院からの出かけとは異なる格好で、

他にも買った服とかは袋に纏めて、雪ノ下が足元に置いている。

 

 

食べてるときには静かに、会話もなく食事を楽しんだ。

雪ノ下が適当に選んだ店だったのだが、美味しさといい値段を気にしなければ当たりだろう。

 

食後の紅茶を雪ノ下が、コーヒーを俺が飲む一時を楽しみながら。

 

 

「で、このあともなんか俺に付き合わせることでもあるのか? この際だ、いくらでも付き合うけどさ。

 今日俺をイメチェンでもして雪ノ下に、得でもあったのか」

 

「そうね、あとはあなたの濁り目を和らげる意味合いでも、伊達眼鏡でも選びに行きましょう」

 

「おいおい、表現ぼかして言ってるけど、それって俺の目が腐ってるって言ってるようなもんだからな。

 眼鏡したぐらいで和らぐとは思えないけどさ。

 

 さて、こうして会話を楽しむのもいいが、何かしら会話でゲームをでもしないか?」

 

 

制限時間はお互いの飲み物が飲み終えるまで。

 

 

「いいわ。受けてたちましょう。

 話題は何?」

 

 

「そうだな、まず雪ノ下が今日、急に突然、俺をこうして連れ出したこと。

 ヘアカットと服を買いに、ってのは急ぎでも事前に準備してしまえばすぐできることだ。

 なら、どうして俺を病室から連れ出そうとしたのか? そこが焦点だな」

 

「俺が病室にいること自体が、雪ノ下には不都合な事態が起きるってことなんだろう。

 で、そこが問題となるのは雪ノ下の苦手としてることだ。

 つまり姉か、両親。だが、両親がわざわざ来たところでいまさらお前はどうともしない。

 ならそこで答えは出てる、姉が俺のとこに訪れるから、俺を連れ出してきた、ってわけだ」

 

「今の雪ノ下はまだまだからっぽだからどうにもできやしない。

 だから今は逃げ出した。ま、それも選択肢の一つだ。

 世界は理不尽で、現実はどうにもできないクソゲーだがまだバグっちゃいない。

 お前が自分の中身を埋めようと、一歩踏み出せばきっと何かは変わるんだろう」

 

 

「そう。ねぇ、比企谷くん、私って変われると思う?

 あなたに向けられる言葉はいつも私には辛辣で、だからこそ正しいと私は思うわ。

 だからあなたと関わることをやめたくはない。惹かれるわ」

 

 

「そうだな、昨日の最後にもそんなこと言ってたけど、いまさらでしかないんだよ。

 誤解じゃないんなら雪ノ下から向けられる感情は嬉しくて、

 勘違いをごちゃまぜにしなきゃ見えることが前提で、雪ノ下との関係を変えるのは逃げるみたいだ

 俺は本物がほしい。上辺だけの関係なんていらない」

 

「だからこそ、やりたくないからってゲームをやめる。馬鹿じゃねぇのか。

 比企谷八幡に敗北はない。勝利することもないが。

 だから、これからの付き合いでルールを一つ決めよう。

 俺は雪ノ下を知ろうとして、雪ノ下は俺を知ろうとする。それが最低限のルールだ」

 

 

雪ノ下は胸がときめくのを抑えて、表情にも表れないようにする。

まだ彼とのゲームは始まったばかりで、少しでも優位性を保っていられるように。

 

だが、惚れた方が恋愛では負けだ。

 

 

その後。

 

眼鏡ショップで伊達眼鏡を選び、

ついでに、男物だが雪乃にもだぼだぼでギャップ萌えな、八幡の部屋に置こうと目論んでる部屋着を数着彼に選ばせる。

 



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6 変わりたいって気持ちは、自殺だろ

 

リハビリも済んで、一応普通には歩けるようにはなった。

幸いともいうべきか、入院してた期間は二週間と少しばかしで、

その間、毎日雪ノ下とも顔を合わせていたことになる。

 

日に日に、がらんどうの中身にナニカを足して埋め尽くしてく彼女を見てれば、

あの日に雪ノ下に嫌われることも承知で追及した甲斐もあったものだ。

 

現実はそれまでよりも雪ノ下の俺への執着が強くなってる、気がすることだが。

 

 

雪ノ下が取ってきた院外への一時外出許可も、

俺の骨折がほぼ治り、あとは歩行訓練をこなして歩くのに慣れるだけだったから取れたのだろう。

 

 

退院してしまった以上は、だらけた生活を送るわけにもいかず、

入学手続きを済ませてる高校へと通わなければいけないのだが、気分が重い。

じっしつ転入生扱いみたいなもんだからな。

 

登校しようと支度をしてる最中に、雪ノ下からスマホに連絡があって、

勝手に一人で出発せずに玄関先で待ってるように言われた。

 

 

相も変わらず、運転手の都築さんの運転するリムジンだ。

まさかこれに乗って登校しろというわけじゃないんだろうな、と内心ひやひやしてたのだが、

雪ノ下は俺の鞄を取ると、遠慮もなく俺の腕をとって車に乗せようとする。

 

 

「お前、俺にまでこれで登校しろっていうのか。

 目立ち過ぎるなんてもんじゃないぞ。

 リムジンで、しかも美少女のお前と一緒の登校なんて」

 

「あらあら、だからいいんじゃない。

 あなたは私のもの、私はあなたのもの、それを大衆に見せつけるいい機会でしょう?

 時間は有限なのだから早く乗りなさい。乗らないと酷いことするわよ」

 

 

怖い、怖すぎる。何が怖いかと、具体的に何も言ってきてないのが不安だ。

 

仕方なしに、乗る前に一悶着あったにせよ、

都築さんに挨拶して車に乗らさせてもらう。

 

車に乗って一段落、すると俺をじっと見つめる雪ノ下。

 

 

「やっぱりね。

 髪の毛セットしてないですもの。寝癖とブラシだけは梳かしてきたみたいだけれど

 今から私がやってあげるから、動かないでね」

 

 

カットサロンでやってもらった通り、雪ノ下好みの髪型にワックスと手櫛で整えられていき、

ウェットティッシュで手を綺麗にすると、

ついでとばかりに襟元やネクタイも整えられる。

 

雪ノ下さん、やけに機嫌良いですが内心新妻気分ですか。

 

 

見舞いに来てる頃から、雪ノ下は心からの笑みを俺に向けてきていたような気がしたが、

車が正門前に着いて二人降り、他の学生の衆目に晒されるようになっても、

雪ノ下が俺に向ける笑顔の質は変わらない。

 

偽らざる本物だと、否が応でも俺に悟らせようとする。

 

 

周囲の生徒の視線は痛い。

当然、見知らぬ男子生徒が校内一の美少女に、心の底から惚れてるような満面の笑みを浮かべてみせてる、というのを見せつけられてるわけだ。

 

リハビリは済んでいても若干引きずる片足側で、雪ノ下が自然と支えとなってくれる。

 

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして。鞄、二人分も重くない?」

 

 

支えとなってもらい、リムジンで登校まで手伝ってもらったのだから、

自分と雪ノ下の鞄を二つは持たないと割に合わないだろう。

 

 

雪ノ下は彼に悟らせないよう、優しくしつつも頼ってもいるという信頼関係を周囲に示してる。

 

 

校内一の美少女がベタ惚れの相手がいるという噂が本当だと認めさせられ、

八幡としては雪乃のこういう対応が当たり前だとこの数週間で刷り込まれたので違和感もなく、

周囲としてはかなりのいちゃらぶ模様。

 

 

 

※※※

 

 

 

 

で、だ。

 

あわよくばと恋人の座を狙って、機会を窺ってた男子生徒は、

雪ノ下がそうしたにせよ、無自覚にいちゃいちゃしてる男子の出現に心穏やかにはなれず。

端的に言ってしまえば嫉妬していた。

 

彼らの起こす行動は二つに分かれる。

 

一つは、学年中の自称モテるイケメン連中がこぞって雪ノ下の元まで集い、

雪ノ下には見た目だけは彼女に改善されたイケメンよりも、君を好きな自分を口々に諦め悪く押しかける。

 

もう一つはというと、フツメンや腕っぷしに自信がありそうな体格のいい連中が俺を取り囲み、

これまた集団で口々に聞くに堪えない罵詈雑言で彼を理不尽に乏しめる暴言ばかり。

 

 

ぶっちゃけると意味が分からない。

 

 

ついには俺の胸ぐらまで掴みあげて脅してくる始末。

こいつら進学校に入学できた学力でも持ってるのか、と疑いたくもなるが、

俺だけならいくらでも乏しめられてもどうでもいいことなので気にしなかった。

 

が、しかし。

 

俺と一緒にいたからまでと雪ノ下を乏しめるかの呟きが、雪ノ下の周囲から聞こえてきて沸点が超える。

 

 

「おいおいおい、女の影でバトルの解説でもしてろってか。

 んな男は死んでいいだろ」

 

 

胸ぐらを掴む男の喉を握り、握力で絞め力を込めながら胸元を掴む手を引きはがす。

喉を圧迫し呼吸ができず、喘鳴で脱力してきた相手を転がし、首を握ったままぶら下げて周囲を害意込めて睨みつける。

 

片手で伊達眼鏡を外し、胸ポケットにしまう。

こういうとき、世界を呪うかのような腐った目は、他者を威圧するには便利だ。

 

睨むだけで俺の周囲から集団が後退り、

暴力沙汰の気配に一触即発となるも、男どもの聞いてられない欲望で醜い告白にこちらも沸点超えた雪ノ下が冷徹に吼える。

 

 

「私の男に手を出すんじゃないわよ、誰にも渡さないんだから」

 

 

とりあえず掴んだままだった男の首を離して、放り捨てる。

だれもその苦しげに呻く男を気にする様子はなく、場は雪ノ下が支配してる。

 

 

男どもだけでなく、周囲の野次馬でさえ呆然とするほど、

無慈悲で残酷なほど冷徹に男どもの見え透いた嘘や下種な欲望を言葉にして否定し拒絶して見せる。

 

と、一人一人心をへし折り立ち直れなくさせて、毒舌を久しぶりに全開にしてたが、

久々過ぎて加減を誤り、体育会系でプライドと自意識高い奴を逆ギレさせてしまう。

 

 

激昂したまま雪ノ下に殴りかかり、

突然の暴力に不意を打たれ対処するには遅く、殴られる痛みを覚悟する雪ノ下。

 

 

の寸前で、俺が伸ばした左手で相手の殴る手首を掴み握り絞めて止める。

 

 

雪ノ下が殴られると、頭が真っ白になり咄嗟に庇うことが間に合い、

間に合ったからこそ遅ければ雪ノ下はその顔を傷つけられていたことに気づく。

 

瞬間的に頭に血がのぼる。本気でキレて本能で吼えて、

 

 

「てめぇ、なに女殴ろうとしてんだ。殺すぞ。

 男が、女を! 俺の女に手を出すんじゃねぇよ」

 

 

握った左手を引いて相手を近寄せ、左側から右拳で頬から顎を渾身全力のストレートで殴り抜く。

 

失神して崩れ倒れた相手を追い打ちかけようとする、俺を後ろから抱きしめて

 

 

「もう大丈夫。私は大丈夫だから、ね」

 

 

そう必死に制止する雪乃。

 

男子生徒どもの剣幕で近寄れなかった、雪ノ下のクラスメートの女子生徒や他の経緯を見てた女子も俺を抑えるのを手伝い、

教師が事態を察せられて駆けつけてくる頃には、一段落がついていた。

 

 

 

 

※※※

 

 

 

雪ノ下と、彼女が抱きしめてあやし正気に戻そうとしてる俺は一緒に生徒指導室で、

雪ノ下と俺に詰め寄った男子生徒は人数が多いこともあり、

まとめて、殴られた男も無理やり起こして、一緒くたに空き教室で事情聴取。

 

互いに事情と経緯を聞き、雪ノ下はいつも起動してるスマホのICレコーダーの録音もあって正確だが、

 

男達は個人で勝手に自身に都合よく話したり、騒ぎの責任を認めもせず、

俺の暴力や雪ノ下の暴言が悪いと責任転嫁したりと、身勝手なそのもの。

 

 

暴力沙汰に巻き込まれた俺と雪ノ下を生活指導の教師は気づかってくれて、

事態が収拾つくまで保健室で休むことを勧められた俺に付き添う雪ノ下で、

 

 

ICレコーダーもあったことで、俺ら二人には責任もなく無罪放免は明らかとなるが、

登校初日から騒ぎを起こしたことで、女子を特に余計に注目を浴びることとなった。

 

 

「電話で母と先ほどの出来事の経緯を説明したのだけれど、

 私を庇って、俺の女とまで言ってくれたことまで説明してみたら、

 今度会う機会を作るから、って覚悟しててね」

 

 

保健室のベッドで寝転ぶ俺に、寄り添って座る彼女は頬を赤らめて嬉しそうに微笑む。

なにか人生で取り返しがつかないことをしてしまったような気がしないでも。

ま、雪ノ下がそれでいいならそれでいいか、と思ってしまうぐらいには俺も気を許してるんだろう。

 

 

 

 

でだ、蛇足だが男達は反省の余地もある者は多くはなく、

更生の為に正論と理論立てて生活指導の担当教師達が諭してくが認める者は少なく。

 

とくに雪ノ下への被害があったかもしれないと学校と雪ノ下から知らされた彼女の母親の激怒もあり、

後日に停学処分者しかいなかったはずが自主退学処分一名となった。

 

 

 

※※※

 

 

昼休み。

 

雪乃が用意した弁当を食べて腹ごなしに眠る八幡を、ベッドの上に正座して膝枕して彼女は彼の頭を撫でている。

 

ノックの音。

 

琴乃宮さんも含めて、彼女と親しくしてる雪ノ下のクラスメートの女子達が数名訪れる。

雪乃との互いの信頼関係に加え、後々考えないとわかり難い八幡の優しさ、

しかも雪乃を庇って男を殴り倒したのが格好いいと称賛。

で、それが噂は本当だと補強されて全校に拡散し、男達が停学になったことも噂されてると彼女たちは伝えてきたり。



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IF√ END 彼女の愛が病んでいるのは正しいのだろうか

その日の朝もいつもと同じだった。

春先にはまだ少しばかり遠く、肌寒さから掛け布団だけでなく毛布も手放せない。

 

つまりは毛布のぬくぬくが最高。

 

 

「起きなさい比企谷君。起きなさい」

 

 

いつもと同じように。

 

雪ノ下の声が聞こえてきても、毛布から出たいという魅力はさほど感じられない。出れば暖房が効いてない部屋の寒さで凍える。

いや、もしかしたら雪ノ下がいるということは暖房もつけてくれてるかもしれない。

 

 

「そう。あくまで起きないというなら、私にも考えはあるわ。

 あなたの耳元でどんないやらしいことを囁いてあげようかしら。

 それなら、さすがの比企谷君も起きてしまうものね。ご褒美ほしい?」

 

 

とはいえ、いつまでも毛布にこもってるのはよくないようだ。

男の朝の生理現象に重なって、雪ノ下の声で耳元でそんなことやあんなことを囁かれてしまってはさすがに俺でも勘違いしてしまう。

朝から発情期だ。それは困る。

 

 

「わかった、わかったから起きるって。

 ついでに着替えるから先に行っててくれ」

 

 

毛布と掛け布団をのかして起き上がり、

するとベッドに腰かけてた雪ノ下と目線が近づいて朝からどきどきする。

今日も雪ノ下は綺麗だ。

 

 

「おはようございます、比企谷君。

 二度寝してはだめよ。

 朝食も用意してあるのだから、小町さんも待っているのだし」

 

 

あくまで慣れたように俺の頬を一撫ですると、雪ノ下はそう言い残して俺の部屋を出ていく。

 

寝間着にしてるスウェットから制服に着替え直して、ネクタイはまだしてないでおく。

今日授業のある教科書と、三年にもなって自習時間も増えたので参考書を入れた鞄も持っておく。

 

 

一階ではすでにダイニングで朝食の用意はすんでいるようで、

俺も空いている席に着くと、雪ノ下はご飯とお茶の入った湯呑を置いてくれる。

 

 

「それではいただきましょうか。

 比企谷君、目玉焼きに醤油がいるようだったら先に言ってね」

 

「小町もいっただきまーす。

 いやいやお兄ちゃんも、朝からこんな美人のお姉さんの朝食を食べれるなんて、ごみいちゃんとして小町が面倒見てきた甲斐があったよ」

 

「いただきます。醤油はくれ。それと小町ちゃん、ごみいちゃんはやめろ」

 

 

いつからか、なにをきっかけにしたのかは忘れてしまったが、

雪ノ下は学校のある日もたまに休日も、こうして朝食を作りに来てくれるようになった。

おかげで小町の負担が減ったのはいいのだが、代わりに雪ノ下の負担が増したのではとガラにもなく心配してので聞いてみたところ。

 

 

体力をつける意味でも車通学はやめて、登校は徒歩ですることにしたの。

それで、比企谷君の家に寄るのも、ご飯を作ってあげるのも私がしたいと思ってしてることだから、気にしないでもいいわ。

 

 

とのことだ。

実際いつも雪ノ下の朝食と、ついでに昼飯も弁当で食べさせられてるからか、最近ではサイゼやコンビニ弁当では味が物足りない。

俺の舌好みに味付けしてくれてる食事だから、それもまた仕方ないだろう。

 

食事をすませれば、朝食を作ってくれた雪ノ下の分も小町が片づけをしてるが、

俺はというとなぜか雪ノ下に身嗜みをチェックされてる。

 

歯磨きから洗顔を済ませると、髪型を整えて伊達眼鏡をかけさせられ、

しまいにはネクタイを新妻がするがごとく丁寧にしめられる。

これがほぼ平日では毎日の作業になってしまってるので、いまさら不満を言えるわけでもない。実際のとこ伊達眼鏡をかけるのは疑問だが、それ以外には不満なんてものはないのだ。

 

 

自転車で通うようになった小町よりも、徒歩で登校するようになった俺と雪ノ下は家を先に出る。

雪ノ下の鞄も俺が持ってだ。弁当が二つも入ってるので、俺の分よりも重い。

 

実際に車通学をやめて徒歩で登校するようになって、雪ノ下は多少は体力もついたようだ。俺がわざわざ歩く速度を落とさなくても、普通に歩く速度に合わせてきて息切れもしていない。

 

徒歩通学で俺の家に寄るのは、

毎朝はじめに家の飼い猫カマクラにも朝から会ってスキンシップしてからの方が、

その日一日が気分よくはじめられるらしい。

俺にはよくわからん心境だが。日曜朝にプリキュアを見ないと日曜って気がしない、ってのに似てる気持ちか……?

 

 

徒歩通学をはじめたばかりでは雪ノ下が途中で疲れることもあり、

俺も自転車を押して歩いてたので、彼女がぐったりしてきたら荷台に乗せて座らせてたのだが。

二人乗りで走らせることもせず、横座りの雪ノ下を乗せて押して運んでいたわけだ。

 

それもしなくなってからはけっこう懐かしい。季節的には二つ前か。

 

雪ノ下と登校してるとやはりというべきか、かなりの視線を集めるのだが、

それも俺が伊達眼鏡をかけたり、雪ノ下が外見チェックをするようになってからは雪ノ下が視線を集めることもまた多くなった。

 

俺には相変わらず嫉妬ばかりだが、最近は侮蔑とかは減ったような。

 

 

 

登校してすぐや休憩時間には、誰かに話しかけられるのを防ぐ意味合いでもmp3をスマホからイヤホンで聴こうとしてると、またどっかから視線を感じる。

嫌な、不安感を覚えさせるのではなく、興味や好奇心を含んだような視線。

 

それもまたどうでもいい。

 

スマホを操作して曲を流し、机に着いた腕を支えにして肘杖をつく。

 

顔の間近で、じっと逸らすことなくまっすぐに凝視してくる視線も、どうでもいい。

クラスの誰かしらはグループを作って談笑し、誰かが見てるってことがあってもこちらから視線を向けなければ合うこともない。

 

 

由比ヶ浜は三年にもなると、進路の都合でクラスはさすがに別れた。

せいぜいが廊下ですれ違い目が合うと、テレくさそうに手を小振りにしてくるくらいで、あとは奉仕部の活動ぐらいだ。

 

 

 

 

 

いつもの場所でパンでも買って一人飯、っていうのもなくなった。

 

昼休み。

 

 

授業が終わってすぐに、雪ノ下がクラスまで現れて俺のところまで来る。

周囲もそれに慣れたのか、今ではそれにさして反応もない。

 

 

「比企谷君、またあなた勝手にどこかに行こうとしたんじゃないでしょうね。

 私がこうして来ないと、あなたはどうともしてくれないから。

 あなたを探してからではゆっくりと一緒に食べる時間もそれないじゃない」

 

 

急ぐ彼女に連れられて来るのは奉仕部の部室。

鍵を開けて、中に入れば誰もいるはずもなく、静かな部屋だ。

 

約束はしてないが、またいつものように八幡の分も弁当を作ってきた彼女と、

前の机を借りて、向かい合わせで一緒に食べる。

流れてる噂で不愉快とか不快な感情を抱かせてるだろうから、それも指摘しつつ、

 

 

「こうして一緒に飯食ってると、余計に噂酷くなるんじゃないか。

 俺が酷評されるのなんか慣れてるし、これまでの行いからも予想できなくもなかったが、

 雪ノ下まで、俺に絡んだ悪評を向けられるのはなんか違うだろ」

 

「そんなもの、どうでもいいわ。

 私は他人でしかない誰かに評価や期待を向けられる、それに応えるなんてことよりも、

 比企谷君が私を見ていてくれて、目を逸らさないでいてくれるなんてことの方が嬉しい」

 

 

 

※※※

 

 

雪乃の朝は早い。

身支度にしろ、やることは多いのだから早くに起きて済ませてしまわないといけない。

 

八幡の家に行くときにだけは、時間の短縮で家の車に乗せてもらう。

八幡の家からは徒歩で歩いているのだから、嘘はついてない。

 

 

小町さんへの挨拶を済ませると、八幡の味の好みに合わせた朝食を作り終える。

昼に食べる弁当は自宅で既に作り終えている。

 

時間は少ないのだから急がないといけない。

 

八幡の部屋に足音を消して入り、まずは起こさずに、起こさないよう慎重に、

ゴミ箱とパソコンのネット履歴から彼が昨夜にナニをおかずにしてたかをチェック。

 

八幡にとっては幸いだが、昨夜はそういった行いはしていなかった。

 

そのあとは、彼女がお気に入りに溜まるまで何枚もデジカメで八幡の寝顔や寝姿を盗撮。

 

 

そうしてから八幡を起こして朝食を済ませる。

登校もはじめは体力が足りず八幡を煩わしてしまったが、それはそれで身体的接触が増えて雪乃としては幸福だった。

 

 

雪乃としてはもう既に当たり前の行動となってしまっているが、

彼女が比企谷八幡にし続けている行動を詳細にしてみると。

 

 

まずは所持品や彼の部屋、部室に盗聴器をしかけ、

部室では由比ヶ浜が映りこまないよう角度を調節して隠しカメラで盗撮。

 

盗撮もまた、カメラで録画しまくるだけでなく、

八幡のスマホのカメラをジャックしいつでも雪乃のスマホで見れるアプリを仕込んでいる。

常に雪乃は八幡を監視している。

 

八幡を見ているだけでも幸せで仕方なく、

スマホのICレコーダーで録音し編集した彼の声や言葉をmp3にして、一人のときはいつでもイヤホンで彼の声を聴いている。

 

 

盗聴盗撮、監視や会話した内容はすべて観察日記として記録済み。

 

 

五感がやけに敏感に発達するようにもなったが、特に嗅覚と味覚に秀でて、

八幡の声や匂いに姿、とか特に温もりや声を感じていないと、精神的にフラットな心の平穏を保てない。

 

登下校や休日の外出にはパターンを変えつつ、いつも共に出歩けるようスタンバイ。

八幡が一人でいたい、ような素振りを見せた時には一見では一人にしてるが、彼からはわからないよう隠れてついてまわる。

 

常にレイプ目、瞳にハイライトなく瞳孔開きっぱなし。

 

八幡だけに食べさせる手作りには体液、唾液や血液に愛液を味でわからない隠し味程度に混ぜて食べさせたり。

 

周囲から見られてる雪ノ下雪乃像で、小町だけでなく彼の両親を懐柔したり、自身のクラスや他学年の生徒にまで結ばれていちゃらぶだと噂されるよう外堀埋めてる。

 

外面と内面、思考を二つに分割し、片方では暇や時間の余裕さえあれば常に妄想してる。

 

スイッチ入ると発狂、さらに愛で身体能力がブーストされ、貧弱な体力って欠点も一時的に改善。

 

 

こうして書き出してみただけでも雪乃の異常化はどれだけ酷いかはよくわかり、

それさえも、これらを日常では八幡に隠してみせてるのも雪乃の凄いところだ。

 

 

雪乃にとっては八幡だけがもうすべてで、彼以外の何者も何物もどうとでもよくどうでもいいものでしかない。

 

 

※※※

 

 

奉仕部で二人、今日は由比ヶ浜は一色に連れられてどこかに行った。

 

なにげない会話の応酬で、ふとした拍子に、言葉の流れで雪ノ下への恋慕をぽろっとこぼしてしまった。

聞き逃さなかった雪ノ下がそれを理解すると赤面し、部室内の空気が重くそわそわした雰囲気に陥るも、

 

 

「続き、聞きたいか」

 

 

俺は覚悟を決める。と同時に、雪ノ下にも覚悟を問う。

 

頷く雪ノ下の真正面に座り直して、向かい合いまっすぐに。

 

 

噂とかレッテルを張られることにも、よくあることだから慣れてる。

どうでもいい他人に何を言われても、されてもここまで響くことはない。

傷ついたりも、痛みを感じることもないと、そう思ってたはずなんだけどな。

雪ノ下が俺が陰口叩かれてると傷ついた表情をして、

隠しきれてなくて少しだけ表情に示してるのを、見れて嬉しかったんだ。

俺のことを雪ノ下は見てくれてる、って思えばな。

だけど、それよりも雪ノ下が傷つくことが、痛いのに痛いって言われないことのが胸が苦しかった。

だから、俺は雪ノ下が好きなんだと思う。

 

 

「姉さんのようにならなくてもいい。

 嬉しくて、あなたをもっと知っていきたいから、「今はあなたを知っている」って言ったんですもの。

 あのときよりも、私は比企谷君を知ってると思えるわ」

 

「迂遠で、あなたらしい遠回りした告白の仕方ね。

 でも、あなたはそれでいいわ。

 私が私らしく、あなたを引っ張っていってあげるから、私を(はな)さないでね」

 

 

愛してるわ、誰よりもよ比企谷君。

ああ、俺も好きだ、雪ノ下。

 

 

 

そう、もうようやくずっとずっと欲しかった者が手に入ったんですもの。

 

私とあなたが壊れるまで、溺れそうなほど愛し合いましょう(かわいがってあげる)

 

我慢するのももうやめようかしら?

由比ヶ浜さん、一色さん、小町さん、川崎さん、戸塚くん、ざ、材啄木くん、

そして私の親と、なによりも姉さん。

 

この日々を作り上げて維持するのに苦労したのに、壊されてたまるものですか。

邪魔する者、私と比企谷君との繋がりを危うくするものは()らない。



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