ちいさなほしのうえで (ゲンダカ)
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二〇五四年 アイルランド・ゴブリンテロ事件
序章 妖精の章


 私はこれより、咎人となる。

 私はこれより、テロリストとなる。

 私はこれより、妖精の面汚しとなる。

―――私はこれより、師に背く。

 許しなど請わない。そんなものは要らない。

 名誉など要らない。そんなものは捨てよう。

 地位。誇り。知識。経験。人生。過去。未来。世界。

 すべて、要らない。

 もう、なにも。

 

 世界か。

 世界にも、名は無いな。

 そも、世界という言葉はその定義すら個人により、場合により異なるものだ。

 あるときは宇宙を示し、

 あるときは個人を示し、

 あるときは全を示し、

 あるときは一を示す。

 世界とは、幾つもの宇宙と完全な無を包括した、果のない空間の名であり、

 世界とは、ただ一人の人間の脳髄から発せられる電気信号の名である。

 

 世界の定義を、この果のない空間に限るなら、その名は宇宙であろう。

 世界の定義を、この星に限るなら、その名は地球であろう。

 世界の定義を、この土地に限るなら、その名は北欧であろう。

 世界の定義を、この文章に限るなら。

 世界の定義を、これを思考するものに限るなら。

 それは。

 その名は、心だ。

 

 故に、世界に決まった名など無い。

 あるとすれば――「世界(ワールド)」こそが、この世界の名なのだろう。

 この星の名が地球であるように。

 この土地の名が北欧であるように。

 これが、私の心であるように。

 

 その「心」が叫び続ける。

 

 魔法の使えぬ妖精に、価値など無いと。

 

 今や純人ですら魔法の行使が可能となった現代に於いて、魔法の使えぬ妖精など、青い薔薇以上に不思議で不確かな、存在し得ぬものだろう。

 だが現に、それ(・・)は存在している。

 青い薔薇がその形を得たように。

 情報技術に依る疑似存在がその形を得たように。

 それらに、そんな不確かに、価値などあるものか。

 そのような無価値が跋扈するこの時代にも、やはり価値などあり得まい。

 ならば、壊してやるのが道理ではないか。

 

 そうだ。

 そして、その役目には、私こそが相応(ふさわ)しい。

 魔法の使えぬ、私こそが。

 

―――ああ。

 我が偉大なる師よ。

 マリアよ。

 私が貴方に背く日が来るなど、考えもしなかった。

 私は貴方に憧れ、私は貴女に焦がれ、この形を得たのだから。

 その私が、貴女に背く日が、とうとう来たのです。来て、しまったのです。

 それでも、あの教え、私が最も重く受け止めた、あの教え。

 魔法ばかりを教える貴方が、ただひとつ「人としての在り方」として説いてくれた、あの教え。

 これ(・・)にだけは、背かないつもりです。

 

「為すべきこと、為したいことが相反したのなら、為したいことを為すように。そうすれば、少なくとも後悔などという惰弱は残らない」

 

 そうだ。貴女の仰る通りだ。

 私はその惰弱を、一片たりとも残したくないのです。

 

 弟子たちにも、少し迷惑をかけてしまうだろう。

 永い時間をかけて積み上げた「ホールリン」の名を、きっと私は地に(おと)す。

 まあ、それでも、奴らならば大丈夫だろう。

 私が言うのもなんだが、奴らはよく育った。ひとりを除いて―――いや、ヤツも含めて、素晴らしい魔法使いに育ってくれた。

 奴らなら半年と経たず、堕ちたホールリンの名を、尊厳を取り戻すだろう。

 

 悔いはない。心残りも、なにも無い。

 準備もじき終わる。もはや私の意思とは無関係に事は進む。

 さあ、始めよう。

 世界(わたし)を、終わらせよう。

 



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一章 純人の章

「ユリ、置いてくぞ」

 コンコン、と木の扉をノックする。扉の向こうからはがしゃがしゃと、なんだか騒がしい音が聞こえてくる。

「え、もう? ちょ、ちょっとまってよう」

「あと五分なー」

「あちゃあ。うん、急ぐよ」

 その言葉を最後に、部屋からの物音はひときわうるさくなった。

「なにやってんだか」

 扉を後にし、階段を降りる。ちょうど父が家を出るところだった。

「行ってらっしゃい、父さん」

「ああ、行ってくる。母さんには言ったんだが、今日は遅くなるかも知れん。何かあったらコイツを飛ばすよ」

 そう言って、父は携帯電話を取り出した。

「オヒサシブリです、シューイチさん。イザというときはオマカセクダサイ」

 画面からひゅん、と実体化する擬似(デミ)妖精(フェアリー)

「はいはい、頼むよ」

 僕の言葉に頷き、デミフェアは画面に戻った。

「便利なんだか面倒なんだか、よくわからんな、コイツは」

 靴をごそごそやりながらぼやく父に、消えたはずのデミフェアが声だけで抗議する。

「ケンイチサマ。ベンリですよ、ワタクシは」

「便利なやつが自分で便利って言うものかい」

「サイキンのコはイイマスよ」

「まあ、サラリーマンとしちゃ、話し相手になってくれるだけでも嬉しいがね。じゃあ、行ってくるよ、修一」

「イッテキマス、シューイチさん」

 へろへろと手を振る父と、その後ろでひゅんひゅん飛び回るデミフェア。

「行ってらっしゃい」

 そのふたりに手を振って見送った。

 自分の荷物はもう玄関に置いてある。朝食は食べたし、準備は万端だ。あとは一緒に登校する同級生を待つのみである。

 時間はまだ少しある。することは特に無い。こういうのを一般的に、暇をもてあます、と言う。

「……暇、だな」

「では、お話しましょうか」

 ひゅん、と、胸ポケットから実体化する擬似妖精。

「お前とは話の種も尽きたよ。それとも、なにか面白いことでもあった?」

「いえ。株価は特段大きく変動していませんし、この辺りでは事件もありません。平穏そのものでございます」

「だろうね。それくらいは知ってる」

 壁にもたれかかって、自分の眼前に浮遊する擬似妖精を見る。

 デミ・フェアリー。

 亜人種の中でも希少な妖精種を、AIによって再現した擬似妖精。

 元々妖精種はその大きさ、性格、能力から全体的に秘書として優秀だと知られていた。それをコンピューターのAIとして再現したのがこの擬似妖精、通称デミフェアだ。

 デミフェアは純粋な妖精種を所有できない一般層に広く浸透した。今では携帯端末の標準機能とされ、機種によってはこうやって立体映像(ホログラフィック)により中空に投影することもできる。

「お前の着せ替えでもするか」

「なんなりと」

 ちょうど十センチほどの大きさであるデミフェアは、サラリーマンから小学生まで、幅広い世代が使っている。話しかけるだけで携帯端末の機能を作動させてくれる利便性の高さも勿論だが、見た目や性格などのカスタマイズが出来るのも大きな魅力だ。

「そういやこないだのイベントで背広貰ったっけ……。お、これだ」

 端末の液晶を撫でて、黒い背広を選択する。

「上等なお洋服、感謝いたします」

 こんな感じで、対話するにはなんだかオカシイ部分もあるけれど、こういう片言なところもデミフェア人気の一端を担っている。

 携帯端末の機能というよりは、普通の友達には話せないようなことでも話せるパートナーとして、デミフェアは認知されている。情報端末を扱えないシニア層にも、デミフェアに話しかけるだけで各種機能が使えると大人気である。

「よし、こんなもんか」

「さすがはシュウイチ様、私めには勿体無いお召し物でございます」

 金のオールバック、青い目、白い肌、黒い背広、白い手袋。そして極めつけの片眼鏡(モノクル)

「執事だな」

「執事でございます」

 ふかぶかと礼をするデミフェア。

 ちなみにコイツには、特に名前はない。自分のデミフェアを特別視し、名前をつける人間もいる。そういう人間にとって、デミフェアはもはやペットである。僕はデミフェアなんて携帯電話の一機能に過ぎない、と考えているので、名前なんて付けるやつの気が知れない。

「ユリアーナ様がお越しになられたようです」

 デミフェアが階段の方を手で指し示す。ちょうど勢い良く扉が開くところであった。

「よっしゃー、まだ大丈夫だよね、シューイチ」

「そうだな、今日は走らずに済みそうだな」

「よしよし。ご飯食べてきまーす」

 わちゃわちゃと忙しい女である。スカートからワイシャツを半分はみ出させたまま、階段を慌てて降り、そのままリビングへ駆け込んでいった。

「ユリアーナ様は今日もお元気そうですね」

「そうだね。ホントにハーフかよ、アイツ」

「それは間違いありません。あの立派なお耳が何よりの証拠です」

「そりゃ見りゃわかるけどさあ」

 ユリはイギリス出身で、珍しい、エルフと純人のハーフだ。見た目は純人とほぼ変わらないが、能力はエルフのそれと同等。そして、耳が長い。

 昨年の秋から、本人の強い意向で、こうして日本にホームステイしに来ているのだ。

「僕、エルフってもっとこう、落ち着いてるイメージがあったよ」

「左様でございますか。昨今のエルフのモラル低下は、国際問題になりつつあります。シュウイチ様のお言葉も、ごもっともかと」

「そんなもんか」

「はい」

 

 

 ユリと並び、広い通学路を歩く。

 ホームルームピッタリの時間に着きそう、というタイミングなので、他の学生の姿は少ない。

「シューイチ、歴史のレポートやった?」

 僕の左で、自分の妖精と指先で戯れながら話すユリ。

「やったよ。お前やってないのか」

「ニホンの歴史とか知らないもん。クロフネ、くらいなら知ってるけど」

「だから勉強してるんだろ」

「う。それは、そう、だね」

 エルフというのは、総じて寿命が長い。歳を取るのもそれに応じて遅いのだが、ユリの場合は僕ら純人と同程度の成長スピードらしい。実際、僕とユリは同い年だが、特に成長に差があるわけではない。

 まあ、一部、未成長な部分はあるようだが。

「あ、なんかシツレーなこと考えてるね」

「人の頭を勝手に覗くなよ……」

「えへへ、わかっちゃんだからしょうがないよう」

 ユリも持っているエルフの特徴として、有する魔力量の多さがある。そして彼女は本場ロンドンで研鑽を積んだ、れっきとした魔法使いである。僕程度の思考を察知する程度、造作も無いだろう。

「魔法って言ったって、最近は規制厳しいからねえ。特にニホンは監視がキツいから、ヘタしたら発火の魔法だけでお縄だよ」

「お前な、なんでそういうところだけ日本語が上手いんだ」

「ユリアーナは日本のサブカルチャー、主に時代劇がお好きなのです」

「あ、こらヨセフ、よけーなこと言わないでっ」

 わたわたとでたらめに動くユリの腕を、直立の姿勢のままひゅんひゅんと避けるヨセフ。

「流石は純粋種、お前とは動きが違うな」

 胸ポケットの端末から、デミフェアを表示させる。

「私どもは所詮妖精()()()、ヨセフィーナ女史のような動きなど、到底真似できるものではありません」

 深々と礼をする、僕のデミフェア。こういう仕草をするからこういう見た目にしたんだが、コイツは意識してやってるんだろうか。

「まったく、ユリといいヨセフといい、なんでウチに来たんだろうな」

「お二方共、たまたまだと仰られていましたが」

「…………別に、いいけどさ、こんな経験、普通じゃできないし」

 純人とエルフのハーフに、それに仕える純妖精。僕みたいな一般人が、おいそれと関ることのできる組み合わせではない。

「ねえ、シューイチ。今日はバイト、無いんでしょ?」

 ヨセフとじゃれあうのには飽きたのか、ふとこちらを振り向くユリ。

「ん。そうだな、今日は無いよ」

「当然でございます、ユリアーナ様。このような日に予定を入れるほど、シュウイチ様は無粋な方ではございません」

 ひゅるりと僕とユリの間に浮かぶデミフェア。

「そうだよね。もしそんな事をするようになったら、貴方がシューイチを止めてあげて」

「かしこまりました」

「…………」

 今日は、僕の誕生日だ。

 そして、ユリの誕生日は四月二十四日。

 すなわち今日である。

 すなわち。

 すなわち、僕とユリは、同じ誕生日なのだ。

「ホントに偶然なのかよ」

 やれやれ、と、ユリには聞こえないようにつぶやいてみる。

「偶然ですよ、修一さん」

「わ」

 ユリの妖精、ヨセフが右から話しかけてきた。

「……ヨセフ、驚かさないでくれよ」

 ヨセフことヨセフィーナ・ホールリン。輝くような赤い髪はまっすぐ背丈ほど伸びており、その瞳は美しいエメラルド・グリーン。

 彼女は擬似妖精ではない、正当な妖精種だ。なので、左にいるユリから離れて僕の右から話しかける、なんていうアクロバティックな芸当が可能なのである。無論、それ以上のこともできるが。

「ご免なさい。修一さんがあまりに素直な反応をするものだから、つい」

 微笑むヨセフ。彼女は結構いたずら好きだ。こういったところは、なんとなくおとぎ話の妖精に近い、気がする。

「そういや、ヨセフって誕生日はいつなんだ? ってか、妖精って、誕生日あるのか?」

「ふふふ、それは妖精に依りますね。私はありますよ。八月二三日です」

「へえ、誕生日がない妖精も居るんだ」

 僕の質問に、ふわふわと宙を漂いながら答えるヨセフ。

「ええ。それどころか名前の無い妖精だって居るんですよ、貴方のデミフェアのように」

「あれ、そうなのか。親が名前をつけてくれるってわけじゃないんだね」

「はい。私の場合は姉さんが付けてくれたんです。それも、つい二ヶ月ほど前のことですが」

「じゃあ、それまで名前、無かったのか」

「はい。名無しの妖精さんでした」

「――――」

 知らなかった。

 ユリがうちにホームステイしに来たときには、デミフェアしか連れて来ていなかった。ちょうど二ヶ月前、「新しいデミフェア」と言って姿を現したのがヨセフだったのだが、まあそんな嘘は直ぐにバレた。

 現在は橘家の家族のみ、ヨセフが純粋種であることを知っている。純粋種だということがバレると、学生の身分としては少し面倒なことになってしまうから、だそうだ。

 それにしても、名を貰ったのがその二ヶ月前とは。

「それ、辛かったんじゃないのか」

「あら、修一さんはお優しいですね。確かに名前がないことは辛くありましたが、きちんと姉さんから貰うことが出来たので良かったのです」

「そうか……。お姉さんの名前は?」

「姉さんですか? イェシカです。イェシカ・ホールリン」

「イェシカ、か。なんか、妖精らしい名前だね」

「ええ、私もそう思います」

 幸せそうに笑うヨセフ。姉の事が、余程好きらしい。

「自慢の姉です。今はなんとインターポールで働いてるんですよ。今はダブリンに居るんだって、連絡が届きました」

「そりゃ凄いな。……って、インターポール?」

「ええ。確か、お父様の賢一様も、インターポールでお仕事をされているんですよね」

「一応、ね。下っ端だよ」

「お巡りさんに上も下もありません。ご立派なことです」

「そう、かな」

 ヨセフにとってお姉さんが自慢なら、確かに僕にとっても父は自慢である。ICPOに所属している、なんて、まるでマンガみたいだ。

「そういう立場にいるから、ユリがホームステイしにきたのかもしれないな」

「そうかもしれませんね」

 ふふふ、なんて笑うヨセフ。

「むう」

 そんなヨセフと僕を、じとりと見つめる視線がふたつ。

「シュウイチ様は、ヨセフィーナ女史と仲が宜しいようでございますよ、ユリアーナ様」

「そうでございますわね、デミフェアさん」

「あらあら、ご免なさいね、ユリアーナ。修一さんを横取りするつもりは無いのですよ」

 するすると、自らの主のもとへ戻っていくヨセフ。

「べ、別にヨセフがシューイチをどーこーしよーがどーでもいいわよう」

 またユリのでたらめパンチが炸裂している。それをヨセフはひょいひょいと避ける。

「…………なあ、デミフェア」

「はい、何でしょうか、シュウイチ様」

「やっぱ、お前も名前、要る?」

 僕の言葉に、少しだけ目を見開くデミフェア。

「……頂けるのでしたら、是非」

「オッケー、考えとく」

「ありがとうございます」

 今日は僕とユリの誕生日だ。

 コイツの名付けには、丁度良い日だろう。

 

 

 

「デミフェアの名前、ねえ」

 歴史の授業中、テキトーに教師の話を聞き流しながら考える。

 僕が自分のデミフェアに名前をつけていなかったのには、名付けすることがとても苦手、という理由もあった。一体、どうやってナマエをつければいいのか、てんでわからないのである。

「ヨセフ……ヨセフィーナって、綴りは……Josefina、だよな。男性形にして、Joseph、ヨセフ……ああいや、ジョセ……ジョゼ、フか。……うーん、なんかイメージが違うな」

 ノートにアルファベットを書きながら、いろいろと思案してみたが、ピンと来るものはなかった。

「あ、そうだ。後でヨセフに訊いてみよう」

 妖精同士、何か良い名前を思いついてくれるかもしれない。

「……第二次世界大戦後、純人種に対し不満を持った亜人種が蜂起し、最初となる魔法大戦が…………」

 ユリにはああ言ったが、実際歴史の授業というのはつまらない。なんというか、昔の話ばかりで親近感というものが湧かないのだ。

 数学や国語、英語ならば日々の生活に直接役に立つけれど、歴史なんて言うのは知っているかどうかを試される教養だ。そりゃあ自分の国の歴史を全く知らないようなヤツは馬鹿にされるかも知れないけれど、それも中学生までの知識があれば十分だろう。高校生で習う内容は中学で習った内容の掘り下げばかりだ。あとの知識は、生きていく上で自然と身についてく。

「橘、答えてみろ」

「あ、はい」

 突然の指名。話を聞いてなかった。が、ホワイトボードを見れば何を訊かれているかくらいは分かる。書かれている文章は、「魔法大戦に於いて亜人種側のリーダーとして立ちまわった人種は――」というところで切れている。

「…………エルフです」

「そうだ。大戦の際、エルフ種が亜人種を取りまとめる立場として、純人種と敵対した。これが大戦のきっかけとなり――」

―――歴史の授業をつまらないと思う理由は他にもある。

 今でこそ和解しているからいいものの、この教室にはユリのような亜人種だって居るのだ。そんな場所で戦争の話をするなんて、無神経にも程がある。

「修一さんは、少し優しすぎますね」

「む」

 頭のなかからヨセフの声がする。

「授業中に念話なんてするなよ」

「あら、修一さんはこの授業はお嫌いだったのでしょう?」

「はあ。そうやって人の頭を勝手に覗くところは、ユリと似てるな」

「ふふふ、先ほどのような強い感情の場合、勝手に聞こえてしまうものなのですよ」

「ふうん。……ああ、丁度よかった、ヨセフに頼みたいことがあるんだ」

 ホワイトボードを眺めながら、口を動かさずヨセフに念話で話しかける。

「あら、なんです?」

「僕のデミフェアに、名前を付けてくれないかな」

「あらあら、私なんかが付けてしまって宜しいのですか」

 ことりと、机から小さな物音がした。下を見ると、僕の机の裏からにょっきりヨセフが顔を出していた。

「ああ。僕はどうも名前を付けるのが苦手なんだ。ヨセフは本を読むのが好きだったろう? 僕よりかは得意かな、と思ってさ。ヨセフが良ければ、頼まれてくれないかな」

 僕の言葉に、ヨセフが笑みを浮かべた。

「ええ。それでは、修一さんの誕生日プレゼントはデミフェアさんのお名前にしますね。楽しみにしておいてください」

 それだけ言って、しゅるりとヨセフの姿が消えた。念話もシャットアウトされている。

「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」

 僕から念話を発することは出来ない。一度、念話の出来る相手に回線を開いてもらえば会話のやり取りができるが、それも一時的なものだ。

 とりあえずは、ヨセフの名付けのセンスに期待しよう。

 

 

 

 滞り無く授業は終わり、昼休憩もついでに終わって、あっという間に放課後になった。

「シュウ、今日は部活出ていかねえのか」

「ああ、今日は早く帰らないといけないんだ」

「なんで?」

 意味わからん、なんて顔をするクラスメイト。

「今日は僕とユリの誕生日なんだ。そういう日くらい、早く帰らないとな」

「へえ、そりゃすげえ」

「だろ? だから、先に帰らせてもらうよ」

「そうかい。せいぜい楽しんできな」

 しっしっと虫を払うような仕草をする同級生にデコピンを炸裂させ、ユリの机に近寄る。

「帰ろう」

「あ、うん……」

「ん? なんだ、どうかしたのか」

「…………ううん、なんでもない。早く帰ろう」

 何かを振り切るように立ち上がり、鞄を持って歩き出すユリ。

「なんでもなくは、ないだろう」

 その背中を追いかけた。

 

 

「……ねえ、シューイチ。ヨセフに何か言った?」

 帰り道。ヨセフを先に帰らせたユリが、小声で訊いてきた。

「何かって?」

「なんかね、ヨセフ、お昼ごろから元気がないの。すごく落ち込んでるみたいで……」

「…………」

 デミフェアの、名付けのことだろうか。

 いや、そこまで悩むようなことではない、ような。

「直接、聞いたほうが早いんじゃないか」

「そ、それはそうなんだけど、もしシューイチが知ってたら、と思って」

 ユリとヨセフは仲が良い。主従関係というより、友達といったほうがしっくり来る。

「……関係ないとは思うけど、頼みごとをひとつしたんだ。コイツの名付けを、ね」

 胸の携帯端末に触れる。

「そう、なんだ。……うん、確かにそれは、ちょっと違うかな」

「だろう。帰ったら訊いてみよう」

「そう、だね」

 

 夕暮れで朱に染まる道路を、並んで歩く。

「…………」

「…………」

 せっかくの誕生日だというのに、なんだか空気が重い。

「あ。そうだ。なあデミフェア、父さん、今日は帰りが遅いとか言ってたな」

 擬似妖精機能を起動し、話しかける。

「はい。本日午前七時二四分に、そのように記録しております」

「どうしたの、シューイチ」

 怪訝な顔をするユリ。

「いや、父さんがこういう日に帰りが遅いなんて、今まで無かったんだ。こう言っちゃなんだけどさ、仕事より家族ってひとだから、僕達の誕生日に早く帰ってこないなんて相当のことだよ」

「そういえば、そうかも」

 父の仕事は警察官だ。それも、インターポール、ICPOの末端組織に所属している。

 嫌な予感がする。

「…………シュウイチ様、噂をすれば影、でございます」

「え?」

「あと五秒で、お父様の擬似妖精が転送されてきます」

「な」

 きっかり五秒。僕の胸ポケットから、父のデミフェアが投影された。

「シュウイチサマ、ケンイチサマは、オシゴトがカタヅカナいそうでス」

「やっぱりか。なんの仕事だ?」

「アイルランドの、ゴブリンが、ナントカとオッシャテいまシた」

「ゴブリン?」

 はて、と首をかしげていると、ユリの表情が変わった。

「ア、アイルランドの、どこっ」

「エエト…………だぶりん、のよウです」

「ダブ、リン…………」

 ダブリン?

―――昼間、ヨセフは言っていた。自分の姉が、ICPOに所属していると。

 そして、ダブリンに居ると。

 

 

 

 結局、家に帰って早々、原因ははっきりした。

「ひどい……」

 居間のテレビは夕方のワイドショーを流している。緊急ニュースとして、煙に包まれたトリニティ・カレッジが映されていた。

 アイルランドの首都、ダブリンで、テロが発生していた。

「カレッジ周辺に居た純人やドワーフなど、死傷者は百名以上に及ぶと見られています。首謀者と見られる妖精種、ヒルダ・ホールリンは既に現地の部隊に殺害されたとの情報もあり――」

「…………ホールリン?」

 ユリと顔を合わせる。

 『ホールリン』は、ヨセフのファミリーネームだ。

 当のヨセフは、テーブルの上に座り込んでしまっている。

「ヨセフ、大丈夫……?」

 ユリが手を伸ばすと、その手にヨセフが寄りかかった。

「……ええ、大丈夫よ、ユリ。さっき、姉さんから連絡が帰ってきたから」

「良かった……」

 だが、ヨセフの顔色はまだ悪い。

「なあ、ヨセフ。答えたくないならいいんだけど、その、ヒルダ・ホールリンって……」

 僕が詰まらせた言葉に、ヨセフは少しだけ微笑んだ。

「……やっぱり、修一さんはお優しいですね。ヒルダ・ホールリンは、私と姉さんに魔法を教えてくれた恩師です。でも、どうして、こんなことを……」

 ヨセフの視線がテレビに戻る。

 テレビには、トリニティ・カレッジの惨状が映し出されている。道路からは白煙が昇り、行き交う人々は血に塗れ、カレッジの一部は崩落している。

「…………たった今入った情報によりますと、ICPO、国際刑事警察機構がこの事件の捜査を各国に依頼していたとのことです。このような事態になる前に、未然にテロを防ぐことは出来なかったのか、ICPOへの非難の声も――」

 ぷつり、とテレビが消えた。

「ユリちゃん、修一。私達に何かあるのなら、お父さんが教えてくれるでしょう」

「母、さん……」

 キッチンから出てきた母は、手にリモコンを握っていた。

「ほら、今日はふたりの誕生日なんだから。ヨセフちゃんのお姉さんも無事だったのでしょう?」

「……ありがとうございます、綾香さん」

 母に向かって、深々と礼をするヨセフ。

「いいのよ。さあ、お父さんは遅いようだから、先にご飯食べちゃいましょう」

 

 

 

 夕食は、ユリの大好きなトンカツだった。ちなみに僕も好物である。

 食後のデザート……というか誕生日のメイン、ケーキも平らげ、まったりした空気が居間を包む。

「あ」

 小さなカップで紅茶を飲んでいたヨセフが声を上げた。

「すみません、修一さん。お名前の件、失念しておりました」

「え? ……ああ、別に構わないよ」

「いえ、そうはいきません。ですが、私も良い名前が……」

 と、なにやら考えこんだかと思うと、ぱっと顔を上げるヨセフ。

「ユリ、携帯電話を貸してくれないかしら」

「え? まあ、ほとんどヨセフのものなんだし、好きにしていいけど……どうするの?」

 ユリが携帯電話を取り出し、ことん、と机に置いた。その上をヨセフがふわふわと漂う。

 デミフェアがそうであるように、純粋種の妖精もこういった携帯端末を制御することが出来る。例えば、

「姉さん、お久しぶりです」

 こんな風に、地球の反対側に向かってテレビ電話を掛けたりできるのだ。

「こうやって顔を合わせて話すのは確かに久々ね、ヨセフィーナ。あら、そちらがユリアーナさん?」

「はい、ユリアーナ・バッヘムです。イェシカさん、ですね?」

「ええ。イェシカ・ホールリンよ。妹がお世話になってるようね。迷惑はかけてない?」

「そんな、ヨセフにはお世話になりっぱなしです」

 てへへ、と頭を掻くユリ。

 実際、ユリはヨセフに甘えまくりである。文字通り朝起きてから夜寝るまで、というか寝てからも、ヨセフのサポートを受けている。完全にメイド扱いである。

 机の上の携帯電話からは、中空にイェシカさんの姿が投影されている。長い金髪、澄んだ碧眼。人形のように美しい、ひとりの妖精。

―――姉妹とは言うけれど、ヨセフとはあまり似ていない。

 ヨセフは目の覚めるような赤い髪で、瞳の色だってエメラルドだ。まあ、妖精と純人では、姉妹という言葉の意味合いも違ってくるのかもしれない。

「それで、どうしたの、ヨセフィーナ。貴方から電話を掛けてくるなんて珍しいじゃない」

「もう。少しは心配する身にもなってください。そちらは大変なんでしょう」

「え? そうね、大変といえば大変だけど、もう済んだことだもの。面倒な手続きは他の人がやってくれてるから、私は休憩中よ。……あ、こらジョゼフ、煙草は……」

 何事かを誰かにつぶやいて、イェシカさんがフレームアウトしてしまった。

「どっか行っちゃったな」

「どっか行っちゃったね」

「どっか行っちゃいましたね」

 十秒としないうちにイェシカさんは帰ってきた。なぜか、自分の背丈と同じくらいの大きさの煙草を神輿のように担いで。

「もう、隙があったら吸おうとするんだから……。ええと、なんだっけ、ヨセフィーナ」

 ぽい、と煙草を投げ捨てて話をするイェシカさん。

「いえいえ、本題はここからです、姉さん。あのですね、こちらの修一さんの、擬似妖精さんに名前を付けてあげて欲しいのです」

 そう言ってヨセフは僕の方に携帯電話のカメラを向けた。

「あ、はじめまして、橘修一です」

「はじめまして、修一さん。タチバナっていうと……ああ、ユリアーナさんのホストファミリーですね?」

「ええ、そうです。今日は僕とユリの誕生日なんですけど、そのついでに、ヨセフにコイツの名付けを頼んだんです。で、何故かこんなことに」

 自分の携帯電話を取り出し、擬似妖精を表示させる。

「私めもナニガナニヤラ、でございます、イェシカ様」

 投影されたイェシカさんに深々と礼をする擬似妖精。

「なるほど、そのデミフェアの名付け、ね。……なんだか、ことごとくデミフェアと縁がある日ね、今日は」

「姉さん?」

「あ、ううん、なんでもないわ。そうねえ、じゃあ……」

 うーんと考えこんだあと、何かひらめいたような顔をするイェシカさん。

「そうだ、ジョゼフ、貴方何かいいアイデア無いの」

 どうも、同じ部屋にいる誰かに話題を振ったらしい。話がどんどん転がっていく。

「あ? つーかお前、ヨセフィーナって、俺の名前勝手に使ったろ……まあいい、ええと、そっちの金髪の名前か?」

 ひどく低い、男性の声が聴こえる。

「はい、私めにございます」

「あー、そうだな、ジェシーでどうだ。綴りは、j、e、s、s、e」

「ジョゼフ、貴方それ、ジェシカ(Jessica)の男性形じゃないっ」

「いいだろ、お前も同じことやったんだしよ。それでいいか、ボウズ」

 ぐいっと画面に割り込んでくる外国人。

 黒髪。赤い目。白い肌。そしてにかっと開いた口から見える、八重歯と言うにはあまりに長い、牙。

「え、あ、はい、勿体無い名前、です」

「おう、貰っとけ貰っとけ。じゃ、お前は今日からジェシーだからな、デミフェア」

「畏まりました。このような特別な日に名前を受け賜り、感激の極みでございます」

「おいおい、なんだ、すげえなコイツ、流石極東ってとこか……。―――うげ、いでで」

「で、て、けっ」

 イェシカさんが、先ほどの男性の頬を全力で押し、フレームアウトさせようとしている。

「おう、えーと、シュイーチだっけか? 横のお嬢ちゃん、とっととどうにかしねえと、俺が獲っちまうぜ」

「ええい、黙れこのウェアウルフ……ッ」

 最後の一押し、といった具合にぽーんと顔をはねのけるイェシカさん。

「はあ、はあ、もう、頼った私が、馬鹿だったわ……」

「いえ、良いお名前がいただけました。ありがとうございます、姉さん」

「……ですって、好評みたいよ、ジョゼフ」

 そーだろー、と言う声が遠い。部屋の隅にでも追いやられたのだろうか。

「ジョゼフさんと仰るのですね。姉さんがお世話になっております」

「ヨセフィーナ、このひとは別にマスターでもなんでもないわ。ちょっと仕事の都合で一緒に居るだけよ」

「あら、仕事の都合で男性と同じ部屋に二人っきりなんて、まるでスパイ映画のようですね、姉さん」

 遠くから、ぶはっと噴き出す声が聞こえた。

「……言うようになったわね、ヨセフ。近くに居るのなら水責めにするところよ」

「姉さんが遠くにいらっしゃるから言えるのです。でも、お元気そうで安心しました」

「ええ、心配は無用よ。用件は終わりかしら?」

「はい、お忙しいところ無理を言ってすみませんでした。ありがとうございます」

「いいのよ、頼ってくれて嬉しいわ。それじゃ、ユリアーナさんと、修一さんも、お元気で」

 笑顔で手を振るイェシカさん。その顔には、特に疲れなども見えないような気がした。

「はい、ありがとうございます」

「あ、ありがとうございましたっ」

 ひゅん、という音とともに映像が消えた。

「なんだか、大変そうだったね、イェシカさん」

「ええ、でも元気そうでした。良かったです」

 ほっと息をつくヨセフ。その顔からは、さっきまでの影が消えていた。

「あれがイェシカさんかあ。話には聞いてたけど、本当に綺麗な妖精さんね」

 携帯電話をポケットにしまいながら、ユリがヨセフに話しかけた。

「ええ。自慢の姉だもの」

 楽しそうに笑うヨセフ。

 名付けを頼んだことが、なんやかんやで良い方向に働いてくれたらしい。

「じゃ、これからよろしくな、ジェシー」

「はい、修一様」

 そう言って、僕のデミフェア、ジェシーは深々と礼をした。

 

 

 

「ジェシー、映画は何時からだっけ」

「はい、本日修一様がご覧になるご予定の『タイガー道場劇場版』は十三時二十五分開演予定となっております」

「だってさ、そろそろ出ないと見れなくなるぞ、ユリ」

 昨日の朝と同じように、ユリの部屋の扉を叩く。

「わ、わかってるようっ。も、もう終わるからっ」

 まったく、毎度毎度なにをごそごそやっているのやら。

「修一さん、お茶を淹れましたから、一杯如何ですか?」

 背後からヨセフの声がした。

「ん、ああ、じゃあそうするかな……。って、ヨセフが淹れたって?」

「ええ、そうですが」

 それが何か? なんて顔をするヨセフ。

「いや、どうやって淹れたんだ。ヨセフの大きさじゃ、ポットとか持ちあげられないだろ」

「ああ、それなら問題ありません。私用に小さな紅茶セットを持ち込ませていただいておりまして。ちょっとしたティータイムにはぴったりなんですよ」

「へ、へえ、そんなのあるんだ」

「流石でございます。私めには到底真似できぬ所業でございます」

 ぴょこんと実体化したジェシーに、ヨセフが近寄る。

「ジェシー、ショギョーという言葉、あんまり良い意味ではありませんよ」

「左様でございましたか。いやはや、ご指摘いただき恐縮至極でございます」

「むう」

 ジェシーの日本語はユリ以上にどこかおかしい。突っ込んでいたらきりがないぞヨセフ、という言葉を飲み込む。

「……お茶飲んでくるよ。冷めちゃいそうだし」

「あ、はい。ユリアーナの準備が整ったらお知らせ致しますね」

 ヨセフの言葉に頷きを返し、居間に向かう。

 今日はユリとともに映画を見るのである。母がどういうわけかチケットを買っていたので、二人で観に行く事になった。映画のチョイスは流石我が母、なんというか内角高めから外角へ逃げるスライダーのようなセンスである。

 テーブルには一杯の紅茶が置いてあった。紅茶の良し悪しはわからないけれど、飲んでみるとなんとなく美味しい気がした。

―――女の子と二人で映画を見る。こういうのは一般にデートと呼ばれるそうだが、相手はホームステイをしている同居人である。なので問題はない。

 あ。いや、それはそれで問題があるのか?

「あら、修一さん。顔が赤いですよ、紅茶、熱かったですか?」

「え?」

 ぼうっとしていたのか、気が付くとヨセフが目の前でふわふわしていた。

「ああ、いや、そんなことはないよ。凄く美味しかった、ありがとうヨセフ」

「いえいえ、お気になさらず。ユリアーナの準備も整いましたので、玄関にお越しください」

 そう言って、ヨセフの姿がしゅるりと消えた。

 

 今日は天気が良い。

 映画が面白いかどうかは知らないが、これなら近くの喫茶店にでも入って、ユリとお茶をするのも悪くないだろう。

 面白くてもつまらなくても。

 その感想をユリと言い合えるのなら、それはきっと楽しいだろうから。



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二章 耳長の章

 西暦二〇五四年四月二十三日

 現代魔法学レポート

「魔法という現象について」

 現代魔法学科一回生 アルミリア・ヘルメリウス

 

 魔法は、生命力を燃料に発動する「現象」の一種である。

 類似の現象として、発火や爆発がある。これらは「燃料の生命力」を使った魔法とも言えるが、現代社会においては基本的に化学反応に分類される。

 魔法とは、科学では代用、再現できない現象を示す。エルフ種、精霊種、妖精種の三種、通称魔法種が主な使い手とされているが、純人種でも扱うことのできる個体は存在する。

 魔法行使をする場合必要とされるのは魔力である。魔力は生命力を変換することで保有することが可能になるが、その変換効率、及び最大量には種族、あるいは個体ごとに大きな差異がある。これは生まれ持ってのものであり、魔法種が魔法を得意とするのは純粋に有する魔力量が多いが故である。純人種では個体ごとに魔力量は大きく違っており、極端な例ではほぼ魔力を有していない個体や、エルフのそれに匹敵するほどの魔力を有している個体が確認されている。

 魔力は生命力を源としているため、使えば身体的疲労を伴う。身に余る魔法行使は生命力を枯渇させ、死に至らしめる危険性すらあるが、大抵の場合そこに至るまでに気絶、あるいは疲労によりそも魔法行使が不能となるため、命を失うことは稀である。

 また、生命力が元となっていることから、魔力は食事や睡眠などの休息を取ることで自然回復する。魔力を多く含む物質を取り込むことで急速な回復を得ることも可能だが、それでも大した量を回復することは出来ない。故に、大魔法を行使する際には大気中の魔力を使うか、事前に何らかの方法で貯蔵しておいた魔力を使うのが一般的である。

 魔法には大別して二つの種類がある。言霊による詠唱を用いる詠唱魔法と、陣を刻むことで発動する陣魔法である。

 詠唱魔法の際に用いる詠唱は呪文とも称されるが、これは各個人により固有のものである。極端な例えをするならば、「凍れ(freeze)」という詠唱で発火させること(I g n i t i o n)も可能ではある。これは詠唱がその意味を自らの身体に語り聞かせ、魔力のあり方を確定させているからだ。いわゆる自己暗示と同一のものであり、故に詠唱魔法は固有のものだ。簡易な、慣れた詠唱魔法ならば詠唱そのものを簡略化させ、手を叩くなどの動作で発動させることも出来る。基本的にこれらの魔法を後世に継承することは、困難を極める。

 一方陣魔法は、地面や壁、あるいは紙などに陣を刻み、魔力を注ぐことで発動する術式である。陣形は基本的に円形であるが、例外も存在する。陣魔法の特色は、その陣の意味を理解せずとも、魔力さえ流し込めば発動するということである。これは詠唱を陣によって代用した恩恵で、第三者の用意した陣でも魔力を通せば発動できる。これにより陣魔法は詠唱とは違い後世に残し、さらなる研鑽を行うことを可能とした。

 陣を刻むには文字通り何かに彫り込むか、水銀、体液等で陣を描く必要がある。詠唱よりも手間がかかる術式だが、その効果は詠唱魔法よりも大きい。

 現代に於いて、魔法を生業とする種族はほぼ皆無と言って良いだろう。銃火器を用いることで収入を得るのとほぼ同程度の割合だと言われている。

 実際、魔法と銃火器というのはいろいろな立ち位置が似ている。一般的に使用が忌避されること、軍事行動の際によく使用されること、各国の法律により厳しく制限されていることなどが主な類似点だろう。

 先述した三大魔法種の主な所属は、警察などの法執行機関や軍隊か、大学を始めとした研究機関だ。

 研究者としての魔法使いは、科学と魔法の融合を目指すものが好ましいとされている。勿論それに対する派閥も多かったが、魔法大戦以後はその動きも沈静化してきている。その研究の成果のひとつが擬似妖精だと言えるだろう。

 時代に取り残された遺物でありながら、今なお研究、研鑽される学問。

 それが魔法である。

 

 

 

 

「はあ」

 ペンを置き、レポート用紙をクリアファイルに挟む。

 基礎が大切だと言っても、こんな基礎からやらされるなんて聞いてない。だってこんなの、呼吸の仕方をレポートしろ、なんていうのと何ら変わらない。

 更に私が腹ただしいのは、その「呼吸の仕方」をもう半年も授業で教えられているということだ。

「あれ、レポート終わったの、アル?」

「終わったわ。エミリー、貴方は? 歴史のレポート、まだだったでしょう」

 隣で私の言葉を聞いたルームメイトは、そのままぐでっと机に寄りかかった。

「めんどくさーいー」

「あっそ。あのヘルゲ爺のお説教とどっちが面倒かしらね」

「むう。アルのそういう、すぐ本質を突くところ、どうかとおもうな」

 顔を上げ、むすっとした表情をこちらに向けるエミリー。それを無視し、鞄に教科書を詰めていく。

「正論でぐうの音も出ないだけでしょう。分かったならさっさとやりなさい。もう九時よ」

「げ」

 私達一回生から三回生までの寮は十時で消灯という決まりになっている。いまどき随分と厳しいものだが、魔法学校であるのだから厳格なのは当然といえば当然だ。

「はーあ。レキシとか、なんの意味があるのかな」

 鼻と上唇でペンを挟んで文句を垂れるエミリー。

「あら、私は有意義だと思うけど。過去があるからこそ今があるんじゃない。私達は未来を創るのだから、その為に先人の功績を知ることは必要不可欠よ」

「もう、アルはスイッチが入ると先生みたいになるね」

「あら、それもいいかもね。先生、か。……むふふ」

「アル、きもい」

「うるさい、とっととやれっ」

 手元にあった消しゴムを、隣のエミリーの額に投げつけた。

「―――きゅう。もう、暴れん坊アルはとっとと寝ちゃえ」

 ぶすぶすと文句を言いながら、それでも歴史の教科書を出すあたり、エミリーは真面目だ。

 明日必要な教科書は全部鞄に詰め終えた。あとは寝るだけなので、二段ベッドの上へと移動する。

「にしてもさ。魔法学校なのに、なんでレキシなんて勉強するんだろうね」

 かりかりとペンを走らせながらエミリーがつぶやいた。布団を整えながらそれに答える。

「魔法なんて歴史を積み重ねた結晶じゃない。学ぶのは当然だわ」

「それは魔法史だけで十分じゃん。なんで一般教養までやらされるの」

「ここが現魔科だから。現代に適応するためには、一般教養だって必要なんでしょう、きっと」

「きっと?」

「ええ、きっと。私だって、よく知らないわ。度胸があるのならあのヘルゲ爺さんに聞きなさい」

「それは嫌なので、黙々とレポートに取り組むエミリーちゃんなのであった」

「喋ってたら黙々って擬音は当てはまらないわね」

「ぎゃふん」

 ルームメイトのエミリーは、今までの人生であまり関わってこなかったタイプの人種だった。

 こういうお喋りで無駄に明るい人間とは距離を置きたかったが、ルームメイトとなると簡単には拒否できない。まあ、一応、ルームメイトとの相性があんまりにも悪ければ寮長に部屋替えの申請も出せるシステムにはなっている。

 けれど、実際にこうやって話してみると。

「じゃーなんて言えばいいのかな。さくさく?」

「作業がそれだけ進んでいるのならね」

「ぎゃふーん」

 意外と楽しいものだったりするのであった。

 

 

 

 魔法学校。ウエストミンスター。西の宮殿。時計台。ビッグ・ベン。

 どれも、この魔法学校を指す通り名だ。どれが本当の名前だったのか、そも本当の名前はなんなのか、もはや誰も知らない。

 そんな学校の昼休憩。

「む?」

 昼食を摂ろうと思い食堂に立ち寄ったのだが、今日はやけに人が多い。特に、テレビのあるあたりは人混みでごった返している。

 この学校内には、テレビなど数えるほどしか無い。古き良き魔法学校であるので、そんなものがあるだけ現代的だと言えるだろう。何か変わったことがあれば、現魔科の学生はこうやって食堂のテレビにかじりつくのが定番になっている。

 そして、だいたいその情報というのは、次の講義までに嫌でも耳に入ってくる。

 予定変更だ。今日は、売店でサンドウィッチを買おう。

 

 

「アルー」

 昼休憩の次の授業は実技。授業の始まる五分前に大講義室に踏み入ると、エミリーが話しかけてきた。

「見た? テレビ」

 ほら。こうやって、みんな話したくてウズウズしているのだ。

「いいえ、何があったの?」

 適当な席に向かって歩きながらエミリーに尋ねる。

「テロだよテロ。それもダブリンのカレッジで」

「な」

 思わず足をくじきかけた。

「か、カレッジって、トリニティ?」

「うん。首謀者は妖精さんで、えーと……ヒ……ヒリダ? ヒリル? って名前だって」

「…………それ、ヒルダでしょう。ヒルダ・ホールリン」

「あれ、なんだ、知ってるんじゃんアル。あーあ、話して損した」

 歩きながら、ぷくっと頬を膨らませてむくれるエミリー。

「テロを起こしそうな妖精って言ったら限られるもの。たまたまその名前だけ知ってたのよ」

「あ、そうなんだ。さすがアル、博識だね」

 ぱちぱちぱち、なんて拍手をするルームメイトをじろりと睨む。

「あのね、ヒルダなんてこの学校に居たら嫌でも聞く名前でしょう。千年単位で生きてるとか、教え子は万単位で持ってるとか、政府の策略によって教壇から引きずり降ろされたとか」

「え、それほんと?」

 一転して目をパチクリさせている。

「全部噂よ。長生きしてるのは事実だと思うし、教壇から降りたのも事実だけどね。理由はみんな知らないみたい。知ってそうな人は話そうとしないし」

「へえ、謎の妖精さんだね」

「そうでもないわ。ここから居なくなった理由だけが判然としないけれど、それまで彼がここで何をしていたかは図書館にでも行けばすぐに分かるわよ。とんでもない天才だったみたいだから」

「ふーん。そんな天才さんが、なんでテロなんかやったんだろ」

 どこからか紙パックのジュースを取り出し、じゅるじゅると飲みながらエミリーが言った。

「知らないわよ。世を儚んで、とかじゃないの」

「む、どういうこと?」

 話がムツカシイ、と視線で抗議してくるエミリー。

「天才の思考回路なんて知らないけどね。ただ、浮世離れしてるのは確かだから、この世界に愛想が尽きたんじゃないかなって」

 私のテキトーな言葉に、エミリーもテキトーに頷いた。

「なるほどお」

「…………で、今日の実技は発火魔法だけど。エミリー、しくじらないでよね」

「にしし、実技ならおまかせあれ。エルフの本懐を遂げるでござる」

 自信たっぷりに笑うエミリー。

 私とエミリーは、エルフだ。それも、混じりっけナシ、血統書をつけたっていいくらいの純血。

 そして、私達の現代魔法学科は特例として純人種も入学を許可されている。世界中探しても、純人が魔法を学べる学科はここひとつだけである。と言ってもこの西の宮殿(ウエストミンスター)の他の学科は考古学やら錬金術など、どうも浮世離れした魔窟のような学科しか無い。普通に魔法を学ぼうと思ったら、純人種と混じってこの「現代魔法学科」で学ぶ必要がある。

 純人が魔法を使うなどお笑い種だ。魔法大戦のときですら科学に頼ったヒューマン風情が、何故今更魔法などに手を出すのか理解に苦しむ。あの種族は好奇心が旺盛すぎるのだ。鉄は熱いうちに打てというけれど、奴らは熱しやすく冷めやすい。どうせ後数十年もすれば、この学科から純人は消えているだろう。

 一種のムーブメントというやつだ。奴らが魔法に手を出すのは。

 大体、純人の受け入れを許可するなんて、この時計台もどうかしている。ダブリンのカレッジが魔法学から手を引いたから焦ったのだろうけれど、あそこは元々あってないようなものだった。妖精種の溜まり場で、エルフですら入り込めない秘境の地。消えて無くなるのは当然だろう。

 時計台は昔から、人狼やドワーフも受け入れていた。純人を受け入れたのは彼らの受け入れの延長線上、というのが表面上の理由らしいが、どうせ本音は資金が欲しいのだ。純人の豊富な資金を、あるだけむしりとってやりたいに違いない。

 まあ、そこだけは、大いにやってくれて構わないと思うけれど。

 

 

 

「授業を始めます。先週申し上げたとおり、今日は発火の魔法を実践していただきますね。皆さん、一列に並んでください」

 この授業の講師は女性の妖精だ。名前は……ええと、なんだっけ。

 がたがたと席をたつ音が講義室を満たす。やる気に満ちた顔、不安に満ちた顔など、学生はそれぞれ違う表情を浮かべていた。

 

 

「ふぁいやーっ」

 ばふ、と大きな音が講義室に響いた。

「あちち、あちち」

 ほら見たことか。初歩の初歩、発火の魔法如きを暴発させて自分の服を燃やすなんて、純人に魔法など早過ぎるのだ。

「次。アルミリア・ヘルメリウスさん、前へ」

 講師の妖精が私の名を呼んだ。

「はい」

 眼前に居た黒髪の純人が、燃える服をはたきながら教室を出て行く。そいつが立っていた場所に進み、目標を見据える。

―――そもそも。こんな魔法に、詠唱を使う時点でたかが知れている。

 狙いは講義室の端っこに立てられたカカシ。距離は六メートル。そこに、左手の人差し指で狙いを付ける。

 呼吸を整え、中指をぱちんと鳴らすと、カカシは綺麗な青い炎に包まれた。

「良く出来ました。でも、きちんと詠唱するようにね」

「……はあ」

 うるさい。発火の魔法で詠唱するなんて、恥ずかしくて出来るものか。

「次。エミリエ・アインツさん、前へ」

「はーい」

 後ろに居たエミリーが声を上げる。その肩をぽんと叩き、自分の席に戻った。

「では、始めてください」

「はい、いきまーす。ふぉいやー」

 両手を水平に振りかぶり、大袈裟な仕草で、ぱちんと柏手を打つエミリー。キッチリ詠唱しているあたり、やっぱりあの子は真面目だ。

 ちなみに、カカシは私のときよりも激しく燃え上がった。

「むう」

 詠唱があったせいだろう、きっと。

「次。フェアリー・フィフス(妖精種五番)、前へ」

 発火の演習は続いていく。

 退屈だが、ここからは妖精種の番。見逃すのは惜しい。

 あくびを噛み殺しながら見届けた。

 

 

 

 

「では、来週も発火の実技を行います。失敗した学生はしっかり練習してきてください。今週成功した学生は、もう少し小さな目標に対して行っていただきますね」

 小さな講師が大きな出席簿に成績をつけながら、来週の内容を話す。毎回毎回、同じようなことの繰り返しだ。半年前は机の上に置いた、丸めたティッシュペーパーを発火させるのが目標で、今月に入ってからやっと遠隔発火に移行した。

「ふう、実技は楽しくていいね、アル」

 隣りに座るエミリーが話しかけてきた。

「……まあ、そうね」

 純人の鼻を明かせるというのは確かに楽しい。

「あのう」

 ふと、後ろから誰かが話しかけてきた。

 振り向くと、そこに居たのは、ついさっき私の眼前で発火魔法を暴発させた、マヌケな純人の男だった。

「……なに?」

「その、君達、とても魔法が上手いだろう? 良ければ教えてくれないかな、と思って」

「ふん、そんなのおこ―――」

「うん、いいよっ。何からやろうか」

「―――とわりしたかったんだけどなー」

 エミリーの元気な二つ返事に、私の拒否はかき消された。

「本当かい、ありがとうっ」

 黒髪の純人も元気に礼を言っている。

 エミリーはこのように即断速攻だ。そのくせ頑固者という厄介な女でもある。今更つっけんどんにはできないだろう。

「……で、貴方、名前は?」

「ああ、ご免よ。アルベルトだ。アルベルト・イェッセル」

「イェッセル……ああ、訛り方と言い、ドイツね。エミリー、同郷じゃない」

「うん、話し方で分かった。あたしはエミリエ・アインツ。エミリーでいいよ。こっちの子は、アルミリア・ヘルメリウスちゃん」

 名前を紹介されてしまったので、一応お辞儀をしておく。

「うん、よろしく、エミリーさん、アルミリアさん」

 にっこり笑うその顔には、邪念というものがまるで無い。ちょっと眩しいので、視線を逸らした。

 隣ではなにやらエミリーがむむむ、と考え込んでいる。

「…………アルとアルで、被っちゃうね」

 エミリーらしい、どうでもいいことだった。

「アルは今までどおりアルでー、うーん、イェッセルって、j、e、s、s、e、l?」

「うん、そうだよ。合ってる」

「じゃあジェシーだねっ」

「…………」

 何が、じゃあ、なのか、てんでわからない。

 ほら、純人だって目を丸く―――

「ジェシーか。うん、そう呼ばれたことはなかったけど、なんだかしっくりくるよ。そう呼んでもらえると嬉しいな」

―――してなかった。いや、目は丸いけど。エミリーのこの突発的かつ意味不明な思いつきに対して全然動じていない。こっちはそれに慣れるのにきっかり三ヶ月かかったというのに。

「それじゃあよろしくね、ジェシー」

「うん、よろしく」

 エミリーは握手までしている。ふたりとも、環境適応能力がずば抜けているらしい。

「アルミリアさんも、よろしく」

 そのまますっと、手を差し出してくる純人。

 払いのけるわけにもいかない。

「…………よろしく」

 指先でちょんちょんと、軽く握手してやった。

 

 

 

 放課後の空き教室。

「手で触っているものなら燃やせるんだけど、さっきの授業みたいな遠隔発火がどうしても出来ないんだ」

「なるほどねえ。うーん、とりあえず、詠唱は英語じゃなくてドイツ語がいいんじゃないかな」

「やっぱり母国語のほうが良いのかい?」

「もっちろん。それから……魔力は足りてるんだろうから、あとはイメージの問題じゃないかな」

 エミリーが勝手に約束を取り付けてしまったので、こうやって純人……ジェシーに、魔法をレクチャーすることになった。

「イメージ……? 具体的には、どんな感じかな」

「そうだねえ、なんていうのかな、届けーっ、みたいな」

 ぐわっと両腕を広げるエミリー。

「……全然具体的じゃないわ、エミリー。例えば、見えない手で目標を掴む感じ、とかかしらね」

 自分も自分で、ついつい口が滑ってしまう。こういう律儀なところは如何ともしがたいらしい。

「なるほど、それは分かりやすいね。ありがとうアルミリアさん、それで一回やってみるよ」

 ジェシーは納得したように立ち上がった。

 机の上には、銀のトレイと、丸めたティッシュペーパーがひとつ。そこから一メートルほど距離を取り、右手をかざすジェシー。

「むむむ……」

 その様子をエミリーは喜々として、私は頬杖をついて眺める。一応、五メートルほど離れた場所から。

「フォイヤーッ」

 ぐわっと目を見開き、ついでに右手も大きく開くジェシー。

 見事、ティッシュペーパーに火が着いた。

「や、やったっ」

「わあ、おめでとうっ」

 ジェシーとエミリーはひどく喜んでいる。

「…………」

 たかが一メートルの遠隔発火なんて、喜ぶようなことでも祝うようなことでもない。火力もマッチ以下だ。ほら、ティッシュペーパーなんていう燃えやすいモノに火をつけたのに、もう消えかかっている。

「ありがとう、アルミリアさん。君のおかげだ」

 にっこり。満面の笑みが私を襲う。

「…………どうも」

 無垢の笑顔。屈託の無い笑み。

 何物にも汚染されぬ、その純真さ。

 それは本来、私達エルフのもののはずだ。

 それなのになぜ、こんな純人が―――

「さすがはアルだね。やっぱ先生になれるんじゃないかなっ」

―――ああ。

 なんだ。

 私が、ねじ曲がっているだけじゃないか。

 

 

 一時間程度で、ジェシーの魔法は随分と上達した。

「ふぉいやー」

 ばふん。

 今日の実技の課題、六メートルの遠隔発火まで成功できるようになっている。

 煙を上げるカカシを眺めながらエミリーがはしゃぐ。

「すごいやジェシー。こんなに上手くなるなんて思わなかったよ」

「ううん、二人のおかげだよ。ありがとう」

 汗を流しながら、爽やかに笑うジェシー。

「あたしはなんにも。アルがすごいのかな」

 こっちもこっちで、純真な笑みを向けるエミリー。

「…………ジェシー、が、素直だから。教えやすいのよ、きっと」

「うん、アルミリアさんがそう言ってくれるのなら、きっとそれは本当なんだろうね。ありがとう、嬉しいよ」

 またこの顔だ。これをされると、どうにも落ち着かない。なんだか、地面がぐらぐら揺れているような、体がふわふわ浮かんでいるような感じがする。

「…………礼を言われるようなことじゃないわ」

「そうかな。僕としては、君達に魔法を教えてもらえるなんて、明日死んじゃうんじゃないかなって思うくらい幸運なことなんだけれど」

「あはは、ジェシーおおげさー」

 けらけら笑うエミリーに対して、ジェシーの顔色は少し良くないように見えた。

「…………これくらいにしておいたほうがいいわね、ジェシー。それ以上やると、体を壊すわ」

「え? そうかい?」

「ええ。見て分かるほどに魔力を消耗してる。明日の授業、何があるか知らないけれど―――」

「アールー、明日は土曜日、お休みだよっ」

 私の話を遮り、ひょいっとエミリーが私の前に顔を出した。

「―――まあ、それでなくても、このくらいにしておいたほうがいいわ」

「わかった。これくらいにしておくよ。ふたりとも、今日は本当にありがとう。片付けは僕がやっておくよ」

 そう言って、練習台のカカシに歩み寄るジェシー。その背中に、椅子に座ったまま問いかける。

「ひとつ、聞いても良いかしら、ジェシー?」

「うん? なんだい、改まって」

「どうして貴方、ここで魔法を学ぼうと思ったの? ここはエルフと妖精の学び舎、純人が来るとどんな目に遭うか、知らないわけではなかったでしょう」

「こらアル、そんなこと言っちゃ―――」

「いいんだ、エミリーさん。うん、アルミリアさんの言うとおり、ここは、ちょっとばかり僕みたいな人種には厳しいところだね」

 よっこいせ、とカカシを担ぎあげながらジェシーが続ける。

「僕が魔法を学びたかったのは、純粋な興味だよ。科学では実証できない奇蹟。本来ヒトが関わることの出来ない技術。それに興味を持つのは、当然のことだろう?」

「そうかもね。でも、その興味だけで、貴方はこんな辺獄へ?」

「うん。僕はね、他の純人の友だちとは違って魔力を作ることが出来たんだ。そして、この時計台は純人種の受け入れをはじめていた。条件はすべて整っていて、僕は魔法に興味があった。だから、ここに来たんだ」

「―――」

 純人らしい、好奇心の旺盛さ。彼はそこにほんのちょっとの条件が乗っただけで、こんな魔境に足を踏み入れた。

 それ以上のことは本当に無いのだろう。それは、あの澄んだ黒い瞳が示している。

「呆れた。純人って馬鹿ね」

「うん、僕たちはおおばかだ。だから三度も大戦を起こしてしまった。でもね、僕らは失敗から学ぶことができたんだ。いろんな失敗をして、そしていろんな成功へと繋いでいく。そうやって純人は、科学という魔法を手に入れたんだよ」

「科学、ね。まあ、確かに、これは便利だと思うわ」

 ポケットから携帯端末を取り出す。

 純人の受け入れとともに、この時計台の中で急速に電子機器が取り入れられていった。科学技術はその殆どを魔法で補うことが出来たが、それには多大な労力を必要とした。対してテレビやパソコンは対価さえ払えば確実に簡単に手に入る。

「勿論、科学技術の発展は、エルフやフェアリーの助力があってのものだったけどね」

 がらがらと戸を開けてカカシを仕舞うジェシー。

「いいえ、私達が手を貸さずとも、時間さえかければ貴方達はここまで到達できたはずよ。エルフや妖精が貸したのは技術ではなく単純な演算能力だけだったもの。純人では時間がかかることを短縮しただけのこと。全部、純人の発想力があってこそのものだったわ」

「その時間の短縮こそ、僕ら純人の最大の課題なんだけどね。僕らはほら、長生きが出来ないから」

「―――そういえば、そうだったわね。貴方、今何歳?」

「僕かい? 今年で十七だ」

「な」

 椅子から滑り落ちそうになった。

 たったの、十七? てっきり、同い年くらいだと思っていたのに。

「ああ、そうか。ふたりはエルフだから、僕よりも成長が遅いんだっけ」

「え、ええ。エルフは純人の四倍くらい、寿命があるから」

「四倍か。単純に僕の歳を四倍すると―――」

 天井を見上げ、暗算するジェシー。

「―――うん。今の会話のことは、忘れることにするよ、アルミリアさん、エミリーさん」

「そうね。そのほうがいいわ」

「むふふ、意外とあたし達はオトナなのです」

 ……エミリー。

 ジェシーを基準にすると、私達、「オトナ」程度じゃないわ。

 

 

 

 結局ジェシーとの無駄話、もとい会話は長く続いて、気づけば食堂で一緒に夕食を摂ることになっていた。

「ところで、昼間の事件のこと、ふたりはどう思う?」

 私の向かい側でリゾットを上品に食べながら、ジェシーが話しかけてきた。

「昼間? えーと、ダブリンのことかな」

 隣のエミリーもリゾットを食べながら答える。ちなみに私もリゾットを食べている。この食堂で一番美味しいのは、このマッシュルーム入りクリームリゾットなのだ。

「そう、それ。よくあるゴブリン騒ぎかと思ったら、トリニティ・カレッジが崩落してたろう? 元魔法学校でインターポールまで動いてたっていうのに、どうしてあんなことになったのかなって、ちょっと不思議なんだ」

 なんでも不思議がり興味を持つあたり、ジェシーは確かに純人だ。

「単純に、首謀者が抜け目無かったんでしょう。―――ほら」

 左側の壁に掛けられたテレビを指差す。ヒルダ・ホールリンの顔写真と共に、詳しい来歴が放送されていた。

「ホールリン、か。確か、実技の授業の先生も、ホールリンだったね、アルミリアさん」

「え?」

 そうだったっけ。

「ふふ。アルはね、優等生さんなんだけど、先生の名前を全然覚えてないんだ」

「きょ、興味が無いだけよ。名前くらい、必要があれば幾らでも調べられるんだし」

 視線をリゾットに向け、ぱくぱくとかきこむ。

「ははは、それはちょっと意外だったな。ええと、実技の先生は、ケニー・ホールリンっていうんだ。何か繋がりがあるのかもね」

「へえ、奥さんだったりして」

 エミリーがまたトンデモ発言を炸裂させている。

「うん、それにしてはケニー先生は若いね。妖精の年齢については全然知らないけど、ヒルダって妖精はお爺ちゃんに見えるな」

 そんなのトンデモ発言に対して真っ向から立ち向かう勇者がひとり。

「それだけ影響力のある妖精ってことなんじゃないかしら。ヒルダについて、エミリーは知らなかったみたいだけど、ジェシー、貴方はどう?」

「名前だけはそこかしこで見かけるね。いろんな魔法陣を遺しているから」

「ですって、エミリー」

「むう」

 今度はエミリーがリゾットをぱくぱくし始めた。

「でも、詰めは甘かったみたいね」

 既にヒルダ・ホールリンの死亡は確定しているらしい。インターネット、テレビを問わず、どこのニュースでもヒルダは死亡していると書いてある。

「そうだね。それにしても妖精を仕留めるなんて、一体どうやったんだろう。だって彼らは姿を消せるじゃないか」

「魔眼とか、行動を封じる魔法は幾らでもあるわ。昔から妖精を仕留めるのは妖精の仕事だし、今回もそうだったんでしょう」

「へえ、妖精は妖精が仕留める、か。確かに同族なら弱点も把握できるしね。うん、それはすごく納得がいくよ」

 うんうん、と頷くジェシー。

 テレビは画面が変わり、コメンテーターがICPOの不始末について声高に論じている。

「……亡くなったのは全員警官で、一般人は軽い怪我人が数人、なんだろう? インターポールは良くやったと思うな」

 そのテレビをぽけーっと眺めながらジェシーが呟いた。

「馬鹿ね、元魔法学校で妖精が暴れたってことが何よりの問題なんじゃない。で、その情報を事前に掴んでいたくせに、百人単位で死人が出た。これが無能じゃなくて何なのよ」

 残り少ないリゾットにスプーンを突っ込む。

「うーん、なんて言えばいいかな……そう、失敗は成功のもと(failure teaches success)、かな」

「純人の好きそうな言葉ね。求めよ(Ask)さらば与えられん(and it will be given to you)、だっけ。でもその失敗は、こういう日の成功の()()にしないといけないんじゃないかしら」

「はは、アルミリアさんは厳しいな。うん、ごもっともだ。でも、やっぱり、一般人に被害がほとんど無かったのは、褒められていいと思うんだ」

 意外。

 こいつ、頑固だ。

「…………まあ、そうかもね」

 振り返ってみると。

 魔法を教えてくれと、私に話しかけたこと。

 今でこそなんでもないことのように感じているけれど、あれは本当は、とても勇気の要る行動ではなかったか。

 だって、この学校で純人がどんな目で見られているか、こいつは理解していると言った。純人を差別している私達エルフに魔法を教えてくれなんて、余程の勇気か、余程の無謀さが必要だろう。そして彼は無謀に、非常識に私に話しかけてきたのではない。この優しそうな風貌のなかに、確かな勇気を持って私に話しかけてきた。

 ただただ純粋に、魔法を使えるようになりたくて。

「…………先輩に聞いたのだけど。発火の魔法の次は、氷結の魔法だそうよ」

 知らず、口が動いていた。

「え、それ本当かい? 参ったな、僕、氷結系は苦手なんだ」

「ええ、そうでしょうね。今日一日見てたから、それくらい分かるわ」

「…………」

 ぼんやりした顔が、しゅんと暗くなる。

 隣に座るエミリーは何も言わない。

 こいつめ。

 こういうときだけ、場の空気を読むんだから。

「…………その。氷結魔法なんて、練習するまでもないの、私」

「うん、そうだろうね。君の魔法は、とても綺麗だから」

「だから、とても暇なの」

 スプーンを皿へ運ぶ。

 リゾットは、もう無かった。

「―――だから。だから、暇つぶしに、教えてあげても、いい、わよ」

 自らの頬の温度を感じながら、下を向いて、それだけを搾りだした。

「――――」

 息を呑む声が聞こえた。

 顔を見ずとも、なぜか、その表情が見えた気がした。

「うん、ありがとう。そうしてくれるのなら、本当に嬉しいよ」

「…………」

 

 なんで、こんなこと、言ったんだろう。

 なんで、顔が上げられないんだろう。

 なんで、こんなことが。

 なんで、こんなに、嬉しいんだろう。

 

 

 

 次の日は、丸一日使ってジェシーに氷結魔法を教えこんだ。

 私とエミリーが何度もお手本を見せるものだから、暖かな春だというのに、空き教室は真冬のような寒さになった。

 でも、ジェシーは笑っていた。

「綺麗な氷だね」

 私が創った結晶を手に、彼はそんなことを言っていた。

 私は指先まで冷えきっていたのに。

 その言葉が、とても、とても暖かかった。



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三章 青龍の章

 天を舞い、下界を見下す。

 地上に住む有象無象に、ときに天罰を、ときに助言を。

 それが我ら、竜種の役目。

 なんて、退屈。

「ふわあ」

 成層圏のあたりの雲に寝転がり、ふよふよしながらあくびをひとつ。

 ここからなら下界のほとんどが見える。無論、地球の裏側まで見えるわけではないので、せいぜい東アジア全域、くらいのものだけど。

「…………お、あのハーフだ。今日もカワイイなー」

 ここ一年か二年の楽しみのひとつは、日本、東京に住むエルフと純人のハーフを眺めることであった。ここ最近のあの国は差別意識が少ないのでよろしい。

 どうも、エルフの美麗さと純人の活発さが合わさると、天真爛漫な天使が産み落とされるようである。キッチリ耳が長いのも重要なポイントだ。これがなくては、いくら美人でも、いくら肌が白くても、エルフとは認められない。

 何より、常に傍に居る純人の男ととても仲が良いのが、グッと来る。恋する乙女とは、かくも麗しいものであったか。

「声が聞こえないのが難点だよなあ。近寄るわけにもいかないし」

 高嶺の花ほど美しいという。僕にとって高嶺というと月くらいのものだが、それはそれ、言葉の綾である。つまりは距離感の問題だ。触れられぬからこそ、その美しさは格別足りうるのだ。

「また妙なことを考えてませんか、青龍さま」

 ぱたぱたと側近の飛龍(ワイバーン)が近寄ってきて、近くの大きな雲に、ぱふ、と着地した。

 飛龍は僕ら竜種の下位種で、召使いというか、子分みたいなものだ。

「ん? ほら、今日もあの娘かわいいなーって」

 爪でひょいひょいと指し示す。

「どの子ですか。インドの看板娘?」

「ばかやろ、あの子は五十年前に死んだろ。東京のハーフだよ」

「トーキョー? ……ああ、あのエルフですか。まったく、元気なのはよろしいですが、好色なのも大概にしてくださいね。ただでさえ東洋の龍は西洋の竜の皆さんに嫌われているんですから」

 やれやれ、なんて溜息をつく飛龍。チラッと火が混じっていた。

「いーじゃーん。他に面白いことないんだしさー」

 ふかふかの雲に寝っ転がり、ごろごろと駄々をこねてみる。

「ああもう、その巨体でごろごろしないでくださいっ。落っこちちゃったらどうするんですか。中国の主要都市がまるっとクレーターになっちゃいますよっ」

 翼をぱたぱたさせながら抗議する飛龍。

「うは、それはそれで面白いや。やってみっか」

「やめてください。青龍様は冗談か本気かわからないのが恐ろしいです」

「で? なんでわざわざ来たの。修行は?」

 仰向けに寝っ転がったまま、首だけを飛龍へと向ける。

 こいつは、飛龍から竜に格上げしてきますー、なんて息巻いて修行していたはずだ。確か千年前くらいに。

「修行は三百年前に諦めました。きちんとお伝えしましたよ、心が折れたましたって」

「ありゃ、そうだったっけ」

「そうです。もう、昔のことをホイホイ掘り返さないでください。今日お訪ねしたのは、北欧の事件のご報告です」

「北欧? 魔法大戦は終わったんじゃなかったっけ?」

 はて、と首をかしげた。やけに騒がしかった二度の大戦の後、性懲りもなくまた人類は大規模な戦争をしていたが、それも終わったはずだ。

「ええ、つい百年ほど前に和平が結ばれています。今回は別件です。アイルランドの首都で、妖精種のヒルダ・ホールリンがテロを起こしたんですよ」

「あいるらんどって、どこかいな」

「ああもう、ちょっとついてきてください。こっちです」

 ふるふると首を振り、欧州のほうへ飛び立つ飛龍。

「しょうがないなあ。あっちはあんまり行きたくないんだけど」

 ごろんと姿勢を戻し、するりと体を宙に浮かせる。

 案内役の飛龍を追い抜かない程度の速度で、長い体を波打たせた。

「どこまで行くのー」

 飛龍の横にぴったり体をつけ、声をかける。

「青龍様の縄張りギリギリまでです。トルコのあたりですね」

「トルコかあ。また遠いところまで行くね。一時間半くらいかかるよ」

「普通の竜種なら三時間はかかりますよ。さすがに青龍様は速いですね」

 そういうこいつもなかなか速い。修行の甲斐はあったようだ。

「へっへーん。翼がないから速いのだ。この速度でなけりゃあと三十分は短縮できるね。そうだ、今度アイス買ってきてよ。美味しいんだ、ドンドゥルマ(トルコアイス)

「はいはい、一応憶えておきますよ。期待しないでくださいね」

 

 

 

「およ。もしかしてあれかな」

 文字通り風を切りながら飛んでいると、怪しげなものが見えた。

「もうご覧になりましたか、青龍様。私ではまだ靄がかかっております」

「うん、煙が見えるね。もしかしてあれ、魔法学校じゃないの?」

「ええ、そうです。トリニティ・カレッジですね。元魔法学校です」

「元? 今は違うんだ」

「はい。ここ半世紀ほどで魔法学からは手を引いております」

「ふーん」

 距離が近づくにつれ、ハッキリと見えてきた。

 ぽっこりと、カレッジの中に二つの穴が空いている。

「わお、すごいなこりゃ。たかがテロでこんなになるのかい」

「首謀者のヒルダはとりわけ優秀な魔法使いでしたからね。もっとも、彼はもう魔法を使えないはずですが」

「ああ、そうか、そんなに生きちゃったのか。そりゃあこんなことしても、仕方ないね」

 僕がそう言うと、飛龍はむっとこちらを睨んだ。

「仕方なくはありません。カレッジは多大な損害を受け、殉職した警官も百人を超えています。幸い一般人に被害は出ていないようですが、妖精ひとりのエゴとして片付けるには大きすぎる事件です。何より元魔法学校で事が起きたということこそが―――」

「ああ、もう、わかった、わかったから。ボクが悪かったよ」

 カレッジ内はわちゃわちゃと忙しそうである。瓦礫を押しのけたり、埋まっている人間を助けたり。

 ふと、珍しいものを見た。

「ねえ、あれって人狼じゃない?」

「え、どれですか?」

「ほら、あそこで瓦礫放り投げてるやつとか、地面掘ってるのとか」

「―――ああ、本当ですね。それもあんなにたくさん。今回の事件、国際刑事警察機構が動いているという話ですから、もしかするとあの人狼部隊にも要請がかかったのかもしれません」

「人狼部隊か。懐かしいね、西暦より前からこっそり動いてたような」

「ええ、代を重ねながら、影に日向に活躍しておりました。とうとう国際的に動くようですね」

 人狼部隊。

 人狼の中でも選りすぐりのエリートを集めさらなる研鑽を積んだ、現代で言うところの特殊部隊である。妖精種やエルフ種などと協力することで様々な力をつけて、数千年活動し続けている部隊だ。

「フリーランスの傭兵はもうやめるのかな」

「そうでしょうね。いまどき傭兵稼業だけでは食べていけないのでしょう」

「へえ。大変だなあ人狼も」

「彼らを含めて、人類というのは生きることそのものが生きる目標ですからね。我々とは違いますよ」

「生きるために生きる、か。それ、楽しいのかな」

 カレッジでは懸命な救助活動が続いている。それを取り巻くように、世界各国の報道陣が右往左往しており、そしてそれらを眺める物見遊山がたっぷり五百人くらい。

「楽しくはないでしょう。最近はそれ以外に目標を見つけようとしているようですが、まあ、あと数世紀はかかるんじゃないですか」

「キミ、下界に詳しいくせに冷たいねえ」

 滑空しながら飛龍を見る。

「当然です。彼らを詳しく知ると、彼らを卑下したくなりますから」

 珍しく、怒りの表情をしていた。

「おおばかものですよ、あいつらは」

 

 

 

 トルコ上空に到着した。

「で、どうするの?」

「西洋竜の方々と情報交換していただきます。私どもだけでは少し情報が足りませんので」

「うげ。苦手なんだって、あいつら」

「そう仰られましても、もう遅いです。ほら、迎えの飛竜(ワイバーン)ですよ」

 ちょうど、遠くから大きな羽根を上下させながらワイバーンが近寄ってきていた。

「これはこれは青龍様。如何なさいましたか」

「うん、なんでも、あいるらんどのテロの情報が足りないから欲しいんだって」

 こいつがね、なんてジェスターを爪でやってみる。

「はあ、ダブリンのテロですね。何をお話しましょうか」

「では、ヒルダ・ホールリンの目的についてお願いします」

 隣の飛龍……ボクが連れてきたほう……が頭を下げた。

「かしこまりました。彼の目的は現地の人狼部隊により既に確認されております。ふたつのうち、まずひとつは、ゴブリン種に対する有害指定の解除です」

「成程、ヒルダらしい(・・・)ですね。確かに昨今のゴブリン種に対する差別は酷いものでしたから」

 うんうん、とワイバーンのふたりは頷いている。僕はよくわからないので、出来る限りよくわからないような表情をしてみた。

「せ、青龍様、何か至らぬ点がございましたでしょうか」

 僕の顔を見て、迎えのワイバーンはなにやら震えている。

「ああ、違うのです。これは『よくわからない』という表情なのです。止めどなく威厳が溢れるお方ですから、そのように見えるのも致し方ありません」

 こうやって解説されるととても恥ずかしい。なので、髭を立ててぷい、とそっぽを向いた。

「これはそっぽを向いておられます。大方、気恥ずかしいのでしょう」

 ばかやろー。焼き鳥にするぞ。

「ふふふ、東洋龍の方々は仲がよろしいのですね」

「ヨーロッパのは違うの?」

 視線をワイバーンに戻す。

「ええ、それはもう。とにかく厳格な方々ですから、こちらも気苦労が絶えません」

 キリッとしていた表情を一転させ、どんよりした顔で語るワイバーン。

「うわあ、そうなんだ。ボクもあいつら苦手だからよくわかるよ」

「青龍様、話に乗らないでください。それで、ヒルダの二つ目の目的というのは」

「それが、どうも妙なのです」

「妙?」

「妙?」

 飛龍と声が重なった。

「はい。ヒルダ殺害に立ち会った人狼及び妖精の報告によると、擬似妖精の根絶、だとか」

「な」

「ぷ。あはははは。なんだそりゃ、そんなのできっこないでしょ」

 驚愕する飛龍を尻目に、空中でころころと笑い転げる。

「青龍様が笑われるのもごもっともです。その情報は確かなのですか」

「ええ、確定情報です。妖精による音声データも録られていましたから。ヒルダ・ホールリンの目的は、ゴブリン種の差別撤廃と擬似妖精の根絶です」

「は、ははは、ふー、ふー。……ヒルダってのは、頭が良かったんだろう? どうしてそんな、途方も無いことを?」

 息を整え、僕がそう問うと、ワイバーンはいっそう顔を曇らせた。

「本人曰く、排除は難しくとも情報、技術そのものを抹消することは出来るのではないか、と。……彼が錯乱していたと考えて間違いないでしょうね」

「…………わかりました。青龍様も、よろしいですか?」

「え、うん。まあ、だいたい分かったよ」

「それはなによりです。ご用件は以上でしょうか?」

「うん、それじゃ―――」

 ばいばい、と手を振ろうとすると、飛龍が言葉を遮った。

「いえ、もうひとつ。降龍の準備をお願い致します」

「へ」

「なんと、降りて頂けるのですか。それは大変ありがたい。実に四十年ぶりの降龍でございますね」

「え、いや、え?」

「前回の降龍で、半世紀に一度は執り行うと決めましたしね。丁度良い機会かと思いまして」

「それはそれは。場所はどちらになさいますか?」

「やはり、ダブリンのカレッジが良いでしょう」

「かしこまりました。では、少々お待ち下さい。準備を整えて参ります」

「ええ、よろしくお願いします」

「あ、うん、よろしくー……」

 来たときとは裏腹に、ばたばたと慌てたままワイバーンは遠ざかっていってしまった。

「…………ねえ、またやるの、アレ」

「ええ。やっていただきます」

 ふん、と鼻息を鳴らす飛龍。

「マジかあー……」

 はあ、と溜息をつく僕。

「あちっ、青龍様、火が混じってましたよ、今」

「しらないやい」

 

 

 

「久しぶりじゃないか、青いの」

「……ひさしぶり、ファフニール」

 僕がそう言うと、雲に座る大きな翼の竜は首を振った。

「よせ、その呼び方は。下界の奴らがつけたあだ名だろう」

「そうだね。ボクも、青いのに青龍って呼ばれてるし」

「ん? 何がおかしいんだ。お前が(Azure)(Dragon)って呼ばれるのは当然だろう」

「あのね、アオをブルーって訳すのは極東の日本くらいのものなんだ。本来『青竜』っていう龍は緑色なんだよ」

「へえ、で?」

「…………別に、何も」

 ファフニールがふん、と火炎を吐いた。

「さっさと行ってこい。降龍は何度もやってるんだろう」

「まあ、そうだけどさ。何回やっても、慣れないものは慣れないよ」

 がふ、と、挨拶代わりに短く火を吹き、ファフニールの元から離れた。

 下の雲に向かって、一直線に落下する。

「青龍様。どうか道々、お気をつけ下さいませ」

 ごうごうと音を立てる風の中、どこからか追いついてきた飛龍が話しかけてきた。

「大丈夫だよ。危ないことされそうになったらすぐ帰ってくるし」

「はい。私は上空に待機していますから、何かあればこちらを視てくださいね」

「うん。いつもどおり、だよね」

「そうです。よろしくお願い致します」

 するりと、落下する軸から飛龍が離れた。

 そろそろ雲を抜ける。

「えーと、三角形に、青い炎、だったね」

 腹に力を込め、三方に向かって青い炎を放つ。これが降龍の合図だ。

 

 降龍。

 科学技術の発展は、人類を新天地(フロンティア)へと運んだ。

 そこは深海であり、山頂であり、洞窟であり、宇宙だった。

 純人は皆、こぞってその未開拓地を開拓していった。

 その結果、エルフを始めとした多くの亜人種は純人種の存在を無視できなくなり、やがて純人と亜人の共存が始まった。

 だが、竜種は、その共存が始まるのがとても遅かった。

 なにせ、空の上だ。地球と宇宙の境目をふわふわしている僕達のことを知っているのは、本当にごく一部の亜人種のみだった。

 純人が竜種を確認できるようになったのは、宇宙開拓に手をかけたあたりのときだった。

 そのころにはもう、飛行機のパイロットによる竜種の目撃例が後を絶たなくなっていた。

 これは、双方にとってマズい事態だった。竜がほんとうにいるのなら、純人は宇宙へなど行けない。また、純人がロケットに乗って地球を離脱しようものなら、誤って竜種がそれを粉々にしてしまうかもしれない。あるいは、しびれを切らした純人たちが、僕達に戦争を仕掛けてくるかもしれない。

 そんな事態を打開する策が、降龍だった。無闇な戦闘が発生する前に、先に和平を結ぶのだ。

 その際選ばれたのは、竜種の中でも一番目撃例が多く、なおかつ何度か人類と顔を合わせたことのある龍。

 それが、僕だった。

 要するに僕は、一番純人に近い龍だったのだ。

 注意力散漫で、好奇心旺盛。

 竜種イチとも言われるうっかり小僧は、西暦二〇一六年に地球の大地へと降り立った。

 その際降りたのは、個人的に一番好きな国、日本だった。

 この国は、いい。数百年も島の中にひきこもって独自の進化を遂げたくせに、他国の文化を何でもかんでも吸収する順応性を持っている。真面目で個性がないのが玉に瑕だけど、そういう欠点も好きなのだ。

 それに、日本という国は龍に対して好意的だ。欧米諸国はドラゴンといえば悪者、と言う扱いなので、降りたが最後、やっぱり戦争になりかねない。

 日本のどこに降りるかは凄く迷ったのだけど、やっぱりこの国の象徴である富士山に降りることにした。具体的にはその近くにある湖だ。

 いきなり大きな声を出すのも悪いので、さっきやったように青い炎で三角形を作って、その中をくぐり抜けるように湖の上へ降りた。僕を最初に見つけたひとの表情は、今でも覚えている。すごい間抜け面だった。

 その後、僕に戦闘の意思がないこと、ただ対話しにきただけだということを出来るだけ小さな声で伝えると、日本のお偉いさんが続々と集まってきた。小さな声で喋っていたつもりだけど、みんな耳を塞いでいたっけ。

 そして、だんだん、なんだか面倒くさくなったので、僕たちは君達に関わらないけど、基本的に味方だよ、みたいなことを言ってさっさと帰った。

 そのあと、竜のことに関していろいろと名前をつけられたらしい。さっきのファフニールとか、青龍とかがそうだ。青い龍だから青龍。マチガイだーって指摘したいけど、まあ、仕方ないかな。日本語としては正しいのだし。

 降龍、という名前をつけたのも、日本のどこかの誰かさんだった。無駄に厳かな雰囲気でありかつ、「交流」とかけているあたりがなんだか面白くて、東洋の龍たちは降龍という言葉を使うようになった。

 それにしても、月日が流れるのは早い。前の降龍からたった四十年くらいのはずだけど、その間に下界ではパソコンとかスマートフォンが出来て、今では擬似妖精なんてものができている。

 アレが出来たときは凄く欲しかった。飛龍に買ってきて、と何度も頼んだけれど、その度に断られた。ちなみに今でも凄く欲しい。

「ふわあ。……あ、緊張してあくび出ちゃった」

 話す内容はさっき覚えさせられた。万一忘れたら、さっきの飛龍を視ればいい。いわゆるカンニングペーパーの役割をこなしてくれる。

 地面が近づいてきた。既にカレッジ内から人狼が他の人種を避難させている。

 さすが、人狼。

 機転が利くし、力も強いし、あの種族はなんとも頼もしい。

「御苦労である、人狼諸君」

 がふがふと火を吹きながら、地上へ着地した。

 

 

 

 ちょうど真昼。日差しがまっすぐ芝生を照らしている。

「よ、いしょ、と」

 上から見て一番広い広場に降りた。わりとスペースに余裕があるので、ぺったり地面に伏せることが出来る。

「こんにちは、青龍様。此度もご足労頂き、ありがとうございます」

 人狼のひとりが、僕の顔に近寄ってきた。

「その言葉はこちらも言いたいものだ。人狼よ、今回の働き、まことに見事であった」

 僕が出来るだけ怖そうな声でそう言うと、黒髪の人狼はとても驚いたようだった。

「まさか、私どもが右往左往するさまを、空からご覧に?」

「応。特に貴公は人狼部隊の頭としてよくやった。陣を二つ壊せなかったのは確かに痛手だが、貴公が指揮を取らねば一つとして破壊することは出来なかっただろう。米国での偵察など、地道な活動があったが故の成果であろうな」

「……いやはや、そこまで視ておられるとは。龍の眼というのは聞きしに勝るものですね」

「故に我らに嘘偽りは通らぬ。肝に命じておくことだ」

「は」

 すっと礼をする人狼。きびきびした動きは、見ていて気持ちが良い。

「此度の一件、貴公らの掴んでおらぬ情報も、我らは掴んでおる。だが、それを明かすことは我らの理に反する故、貴公らの手で明かして欲しい。だがまあ、この件はこれ以上発展することはないであろう。貴公ならば次の情報、そう、東洋の魔法使いすら見つけてみせるであろうな」

「そう出来れば何よりですが、何分、情報が少ないもので」

「人狼が弱音を吐くとは、余程堪えておるようだな」

「ええ、それは、もう」

 人狼の顔には疲れが見て取れた。たぶん、ずっと情報を洗っていたのだろう。

「妖精よ。お前も良くやった。そしてこれからも、この人狼との働きを期待しておる」

 しゅるり、と、人狼の傍に金髪の妖精が実体化した。

「あ、ありがとう、ございます」

 ふわふわと浮いたまま、礼をする妖精。

「―――この一件に関して、竜種として言うことは何も無い。が、事が事だ。あわや人類史の分岐点となるところであった。それ故、此度の降龍を行った。我ら竜種は人類とともに在る。その事を、我らと貴公らに再確認させるためである」

「はっ、そのお言葉、確かに受け賜りました」

「うむ。では、次の降龍までしばしの別れである。我らはいつでも、貴公らを見守っている。よしなに」

 礼をしたままの人狼に、鼻をこつんと当てる。驚いた人狼が後ずさったのを確認して、脚に力を込め、地面を蹴った。

 体が浮いてゆく。

「敬礼っ」

 見れば、人狼部隊が隊長の後ろに勢揃いしていた。長の号令と共に、僕に向かって敬礼を向けている。

 ちょっと嬉しかったので、がふがふと火を吹きながら派手に空へと戻っていった。

 

 

 

「お疲れ様でした、青龍様」

 降りたときに乗っていた雲にたどり着くと、飛龍が出迎えてくれた。

「うん、ただいま。人狼と会えたから、今日のは楽しかったよ」

「ええ、そうでしょうとも。上から視ていても、青龍様がウキウキしてらっしゃるのがひしひし伝わって参りました」

「そ、そうかな。なんか恥ずかしいな」

「それに、今日の降龍は素晴らしかったですよ。竜種としての威厳、しっかり示すことができていたと思います。ただ、最後の、よしなに、っていうのはちょっとヘンですよ」

「あ、やっぱり? でも使いたかったんだ。よしなにー、よしなにー」

 言葉に合わせて首を横に振ると、なんだか楽しくなってきた。

「はあ、そんなところだろうと思いました。……では、そろそろアジアへ戻りましょう」

「えー、疲れたよ、僕」

「何を仰るんです。このままここに居ると、西洋竜の皆様のご迷惑になりますよ」

 飛龍の言葉は、暗に『このままだと面倒なことになる』と言っている。

「はあ、わかったよ。じゃあ今度、ぜーったいドンドゥルマ(トルコアイス)買ってきてね」

「ええ、その程度安いものです。十年と経たぬ間に用意してご覧に見せましょう」

「…………龍としても、十年は、さすがに長いな。せめて五年」

「私共ワイバーンも多忙ですから」

「むう」

 一足先に、飛龍は雲から飛びたった。

 もう一度だけ、足元の下界を視る。

 救助活動は再開され、さっきの黒髪の人狼はまた、司令室であるホテルへと戻っていく。

「…………頑張ってね」

 ひとりごちて、その場を後にした。



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四章 小人の章

 参った。

 何に参ったかというと、もう、何もかもに。

「はあ」

 ため息をしても一人。

 いや、周囲にはヒトが満ちている。純人亜人を問わず、この広場には様々な種族が右往左往している。

 周囲を建物と道路に囲まれ、木々と芝生の植えられた、大きな円形の広場。ちょうど十字を切るように石畳の歩道が敷かれており、中央では大道芸人(パフォーマー)がジャグリングをしている。その足元には、逆さに置かれた空っぽのシルクハットがひとつ。

 彼を見る人は居ない。通り過ぎる人は一瞥もくれずにその横を歩いて行く。眺めているのは、こうやって石の椅子に座って呆けている私くらいのものだ。

 かと言って、彼にチップをあげるほど、私のポケットは暖かくはない。確か、五元札が三枚くらい、だったっけ。そこいらのフードショップに入れば一瞬で消えてしまうだろう。

 三日前だ。

 三日前、私は職を失った。

 そんなこと、中国(このくに)では日常茶飯事だ。ここは万物の流転が早い。建物は建造された端から解体され、技術は旧きを棄て新しきを取り込み、人間は雇用された端から解雇されていく。

 特にここ、「大連市」はそれが顕著なのだ。

 西暦二千五十年代に於いて尚、差別の権化、排他の化身のような中国。

 その例外(イレギュラー)

 隣国(リーベン)で言うところの出島。

 歴史的に、大連はとにかく国際的だったらしい。元は清の国だったが、ソビエトの管理下に置かれたり、日本人に奪われたり、なんやかんやで中国に返還されたりした。

 いろいろと忙しかったらしいが、その甲斐あって大連は中国で一番美しい都市、なんて言われたりもしている。らしい。全部母から聞いたことなので、本当かどうかは知らない。

 でも確かに、ここの美しさは、上海のあの華やかな美しさとはまた別の美しさだ。東欧の建築物が今なお残るこの地は、厳かな、一種独特の風情がある。私の生まれはロシアであるから、この風情はなんとも心地よい。

 ここが中国でも異質とされるのはまさに()()なのだ。古くから他国と交流のあったこの都市は、ITを始めとした様々な最先端技術を、各先進国から貪欲に取り込み発展した。また、その先進国たちも、中国人の貪欲さを求めてこの地に集まった。

 結果として、この国に於いて珍しい国際都市となったのだ。

 まあ、上海なんかも最近は随分と国際化してきているけれど、やはり大連は特殊だ。あんなふうに、広場のど真ん中で日本人が大道芸をやるなんてことはあちらでは難しいだろう。

 私が朝っぱらからこうやって呆としていられるのも、大連の歴史のおかげだ。ありがたいことである。

 だけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。なにせ、今の私は働く場所も、寝る場所も無いのだ。

 十六歳の小人(ドワーフ)、しかも女。そんな私を雇ってくれる、酔狂かつ真っ当な職場を探さねばならない。そして、出来れば住み込みの。

「…………ない、よね」

 若い女のドワーフといえば、水商売っていうのが一番手っ取り早いのだろうけど、それは嫌だ。

 もう一度だけ深く溜息をつく。

 まあ、とりあえず。

 手当たり次第に、雇ってくれそうなお店を見て回ろう。

 

 

 

「わお」

 広場から少し外れた路地。

 美しく磨かれた硝子に張られた一枚の張り紙を、丹念に読む。

 要矮人(ドワーフ)

 年齢不問。住み込みが可能で、英語が話せれば、尚良し。

 まさに、求めていた条件そのものだ。

―――だが。

宝石店(ジュエリーショップ)…………」

 私のような薄汚いドワーフが働いて良いものだろうか。有名ブランドのチェーン店、と言うよりは、個人営業の質屋といった趣きの店構えだけど。

 店名はKnott's Shop。古い木の建物で、お高くとまったお店、と言う感じはしない。

 私達ドワーフの長所はとにかく器用なことだから、こういうお店がその技術を欲するのは自然なことだ。

 でも、宝石店なんて、私にはそんな経験、全く無い。私が前に働いていたのは薄汚い下請け工場だ。なんの機械に使うんだかわからない小さなパーツを削ったり磨いたりするだけ。ただそれだけの単純作業。私に出来ることといえば、それだけだ。

「…………。碰运气(ポンユーチー)、ってやつ、かな」

 英語で言えば、nothing to lose(ダメでもともと)

 店の玄関に回って、曇りガラスのドアを開けた。

 

 

 

 店のなかは狭かった。

 ほんとうに狭い。巨人(トロール)はともかく、純人でも背が高いと難儀しそうなほど天井が低い。壁際にぴったりと並べられたショウウインドウが、店内を更に狭苦しくしている。

 そして、その狭い店内の玄関のちょうど正面にレジがあった。

「なんだい、ひょろひょろのガキじゃあないか。見るだけならいいけどさ、くれぐれも、傷をつけるんじゃないよ」

 流暢な中国語が響く。

 レジにどっかり座っているのは、私と同じ女性のドワーフだった。

 細い顔、細い目。茶色の長い髪は乱雑に後ろで一束に括られている。

 そして、その表情はとにかく険しかった。これではお客さんも、おちおち商品を眺められないと思うのだけれど。

 少なくとも私は、その女性から目を離せなかった。中国の純人なら、意に介さぬのだろうか。

「あ、あのっ、あそこの張り紙を、読んだんです、けど……」

 黙っていることに耐え切れず、とりあえず話してみることにした。

「あん? 張り紙?」

 私が指差した先を追い、硝子を見る店主さん。

「ああ、あれか。冗談半分だったんだがねえ。まさかあんた、雇ってほしいっていうんじゃないだろうね」

 じろり、と、店主の目が私を捉える。

「え、あ、あの、ご迷惑なら、いいんです、けど。その。お金も、家もない、ので……」

 私がそう零すと、鋭かった目つきが少しだけ緩んだ。

「へえ、そうかい。あんた、幾つ?」

「じゅ、十六、です」

「十六ぅ? 親はどうした。学校は?」

 店主さんの怪訝な声。

「父は誰だか知りませんし、母は、早くに病気で……。親戚も居ないから、働くしか、なくて」

 つい、下を向いてしまう。こういう暗い話をひとに聴かせるのは、あまり好きではない。

「で、なんでこの国にいるんだい。あんた、訛り方からしてロシア生まれだろう」

「母が、こっちに連れてきたんです。その二年後に死んじゃいましたけど」

 私がそう言うと、しばし、静寂が流れた。

 かち、こち、と、時計の音が聞こえる。

「…………で、名前は」

 つっけんどんな声が響いた。

「モ、モニカ、です。モニカ・バーベリ」

「あたしはケイトだ。こっちに来な。そんな服で店に立たれたんじゃあ、商売上がったりだよ」

 ぴょこんと椅子から飛び降りて、レジの裏手へ手招くケイトさん。

「は、はいっ」

 なんてことだろう。

 奇跡みたいだ。

 

 

 

「モニカ、あんたの仕事は雑用からだ。住み込みだから、あたしが忙しいときとか、怠けたいときなんかには洗濯なんかもやってもらうけれど、そのうちアクセサリーのひとつやふたつ、作ってもらうからね。いいかい」

 私よりちょっとだけ背の高いケイトさんは、綺麗な赤いエプロンを掛けて、背の高い椅子に座っている。私はそのすぐ目の前で、同じデザイン、同じ色のエプロンを掛けて、ケイトさんを見上げている。

「そ、それは、もちろん。でも、いいんですか、本当に、私で」

「あたしはね、こういう偶然の出会いってのが好きなのさ。それが理由じゃ駄目かい」

「い、いえ、ええと…………素敵だと、思います」

 私がそう言うと、彼女は満足気に頷いた。

「そうだろう。じゃあ、とりあえず窓拭きからだね。ゆっくりでいいから、やってみな」

「はい」

 ケイトさんにぺこりとお辞儀をして、足元のバケツと小さな梯子を窓へと運んだ。

 

「あんた、ここに来る前はどこに居たんだい」

 梯子に足をかけ、ごそごそと窓拭きを始めると、ケイトさんがなにやらクリップボードの紙をめくりながら話しかけてきた。

金州(ジンジョウ)の工業区です。なんか、パーツ作ってました」

 左手で窓を拭きながら、こんなの、なんていうふうに、右手でマルを作ってジェスチャーをする。

「まあ、ドワーフの働き先なんていったら、そんなもんさね。なんだ、歳の割には案外まともな仕事だったんじゃないか」

「はい。潰れちゃいましたけど」

「成程、それでこんな街中まで出てきたってワケか」

 窓の外に視線を送るケイトさん。外の通りは多くの人や車が往来しており、話し声やクラクションの音で満ちている。

「はい。広場には初めて来ましたけど、綺麗ですね」

「そうだねえ。あそこは昔っから変わらないね」

 ぼうっとした目からは、なんだか哀愁のようなものが漂っている気がした。

「…………ケイトさんは、いつからこの国に?」

「ん、あんたと同じくらいの歳の頃だね。アメリカ出て、あっちゃこっちゃぶらぶらしてたら、ここに流れ着いちまった。あたしが今ここに居るのは、ただそれだけのことさ」

 いつの間に取り出したのか、煙草をくわえていた。

「行き当たりばったりの人生だったけどさ、なんだかんだ、上手く行ってるんだ。思うに、あたしの勘が良かったんだろう。だからあんたを雇ったのも、まあ間違いじゃないだろうさ」

 そう言うと、彼女はぴしっと煙草で私を指した。

「―――ケイトさんって、格好良いですね」

「ストリート育ちだからね」

 煙草をくわえなおし、ふう、と煙を吐きながらケイトさんが言った。

「関係あるんですか」

「さあ、どうだか」

 煙草をくわえたまま、ケイトさんは手元のクリップボードに目を戻した。

 それを見て、私も窓拭きを再開した。

 

 

 窓拭きと言っても、硝子は全然汚れていないので、なんだかやりがいというものがない。どの窓もぴかぴかに磨かれている。流石はジュエリーショップだ。

 ショウウィンドウも同様である。一点の曇りもない硝子の中に、きらびやかなアクセサリーが並んでいる。

「気になるかい」

「へ」

 気が付くと、私はそのショウウィンドウをぼうっと眺めていた。

「す、すみません」

「いいんだいいんだ。窓拭きなんて別に急いでやるようなことでもないし、あんたぐらいの歳の女なら、こういうもんに興味が無いほうがおかしいからね」

 そう言って、ケイトさんはショウウィンドウの一つを開けて、中にある銀のブレスレットを取り出した。

 薄く細長いプレートに、細いチェーンがついている。どちらも光沢の強い銀色で、プレートの真ん中には、アクセントにちいさなエメラルドがひとつ。

「ここにあるのはね、ほとんどあたしの手作りなんだ。幾つか買い取ったやつも紛れてるがね」

「そ、そうなんですか?」

 そう言われて他のショウウィンドウも見てみると、なんだか統一感がある気がした。

 とにかく、デザインがシンプルなのだ。細かい彫刻や複雑な構造は一切なし。金属を削り、宝石を嵌める、ただそれだけの、質実剛健なアクセサリーたち。

 ほんとうにただそれだけなのに、私の目にはとても美しく見えた。

「ドワーフのくせに変なことを言うようだけど、あたしは細かいことが嫌いでね。他人が作った細かい彫刻を見るのは悪くないんだが、自分ではやりたくないんだ。面倒くさいってのもあるけど、個人的な信念のほうが大きいね」

 手に取ったブレスレットを眺めたまま、独り言のように語るケイトさん。

「信念、ですか」

「そう。なんて言ったらいいかな……、あー、あたしん中のアクセサリーのイメージってのは、こういうシンプルなものなんだよ。なんでそうなのかは知らないけど、とにかくあたしにとっては、指輪(リング)もネックレスもブレスレットも、シンプル・イズ・ベストなのさ」

 そう言い切って、彼女はブレスレットをショウウィンドウに戻した。

「あんたはどうだい。あんたにとっての装飾品(アクセサリー)は、どんなイメージかな」

 急に問われて、答えに詰まってしまった。

「え、ええと……」

 ショウウィンドウをきょろきょろしてみると、ひとつ、目に留まるものがあった。

「あれ、です」

 お店の入り口にほど近いショウウィンドウを指差す。

「うん?」

 ぴょこんと椅子の上に立ち上がるケイトさん。

「―――ああ。なるほど、あたしとは反対だね」

 私が指差したのは、ひどく緻密で複雑な彫刻が施された、金の指輪だった。

 

 

 

 窓拭きが終わったあたりで、ちょうどお昼になった。

 レジの裏にある台所に移動すると、ケイトさんが「任せとけ」なんて言いながら、手早くうどんを作ってくれた。食器を洗うのが面倒なので、ひとつの鍋をふたりで囲む。

 こうやって誰かと話しながらお昼を過ごすのは久々だった。

「モニカは料理、出来るのかい」

 鍋の中のうどんを平らげると、ケイトさんが尋ねてきた。

「簡単なものなら、なんとか。味は保証できませんが」

 ケイトさんのうどんは豪快な味付けでありながらそれでいて奥深い、不思議な味わいだった。無論、良い意味で。

「へえ、例えば何が作れる?」

「…………番茄炒蛋(ファンチエチャオダン)

「あー……」

 番茄炒蛋は、スクランブルエッグにトマトを突っ込んだだけの、野菜炒めよりも簡単な家庭料理だ。料理と言って良いのか怪しいくらい簡単なので、あんなふうにケイトさんが申し訳無さそうな顔をするのも道理なのである。

 と、お店の扉が開く音がした。

「あれ、お客さんですかね」

「だろうね」

 立ち上がり、ぱんぱんとエプロンを叩いてから足早にお店に戻るケイトさん。私もわたわたとその後を追いかけた。

「らっしゃーい」

「いらっしゃいませ」

 お客さんは、スーツを着た色白の純人だった。

 純人は背が高い。ケイトさんふたり分くらいの背丈の彼は、お辞儀をしてから話し始めた。

「あの、ここはオーダーメイドも受け付けてるって聞いたんですが」

 顔つきからして中国人ではないが、話しているのは流暢な中国語だった。

「ああ、やってるよ。何を作って欲しい?」

「これを、指輪にして欲しいんです」

 そう言って彼がポケットから取り出したのは、くすんだ金のバングルだった。

「ふうん、また随分と古いね」

「ええ、私の母の形見でして。これを、恋人へ贈る指輪にしてもらえないかと」

「おやまあ、いまどきロマンチックなことをするもんだね。いいだろう、デザインなんかはこっちで決めていいのかい」

 ケイトさんがそういうと、彼は難しげな表情を浮かべた。

「ええ、ある程度は決めて頂きたいんですが……なんというか、彼女はとても豪華なものが好きなのです。中世ヨーロッパの装飾品とか。ですから、何かレリーフを彫り込んで頂けたら、と」

「レリーフか」

 ケイトさんが顔をしかめた。顔にそのまま「面倒くさい」と書いてある。

「ああ。ちょうど、こんなふうにしていただけると嬉しいです」

 ショウウィンドウを指差して、彼が言った。

 それはちょうど、私の目に留まった金の指輪だった。

 

 

 

 ケイトさんはなんだかんだで、頼まれたら嫌とはいえないひとらしい。結局、彼の依頼を受けることになった。

 完成したデザイン画を見て、彼は納得したように頷いた。

「よし。まあ、ひと月もあれば完成するだろう」

「ええ、急がなくて大丈夫です。では、お願いしますね」

 最後まで礼儀正しく、純人のお客さんは帰っていった。

「ありがとうございましたー」

 去り際に私がそう言うと、彼は律儀に会釈した。

 扉が閉まる。

 視線をケイトさんに戻すと、案の定、鬱陶しげな表情でデザイン画を眺めていた。

「むう……」

 机にデザイン画とバングルを並べ、腕を組み思案するケイトさん。

 私はなんと言ったらいいかわからなかったので、とりあえずショウウィンドウの硝子を拭いて回ることにした。

 ショウウィンドウは窓よりもぴかぴかだ。やっぱり、やりがいがない。

 きゅっきゅっと、小さな音がお店を満たす。

 十分くらいそうしていると。

「…………モニカ」

 ひどく暗い、ケイトさんの声がした。

「は、はい」

「これ、あんたがやらないか」

 そう言ってケイトさんは、バングルを持ち上げた。

「え、いや、だって、そんなこと、やったことないですよ、私」

「あんただってドワーフの端くれだろう。作り方は私が教えてやる。なあに、工場で部品(パーツ)作るのと大差ないさ。遅かれ早かれやってもらおうと思ってたんだから丁度いいし。ああ、うん、いいアイデアだ。よし、善は急げってね、早速取り掛かろう」

 言うだけ言って、ケイトさんは店の裏に引っ込んでしまった。問答無用らしい。

「…………」

 仕方ないので、ケイトさんの後を追いかけることにした。

 

 

 お店の二階は作業場になっていた。

 木の壁に、ずらりとハンマーやタガネや銀材やらが掛けられている。

「金属の加工は初めてじゃないんだろう?」

「ええ、まあ。鋳造とか鍛造とか、彫り込みなんかもやらされてました」

「それだけ出来れば大丈夫だ。さあ、とりあえずは練習からだね。ほら、そこに座りな」

 暗い部屋の隅っこに、散らかった大きな机と、ちょこんと置かれた小さな椅子があった。そこに座り、何やら棚をごそごそしているケイトさんを待つ。

「まずはあんたがどれくらい金属を扱えるか見させてもらうよ。これ、好きにしていいから、指輪にしてみな」

「はあ」

 手渡されたのは幅五ミリほどの、細長く、薄い銀のプレートだった。

「あたしは店番してるから、とりあえず輪っかにしてごらん。二時間したら戻ってくるよ。道具は好きなもんを好きなだけ使ってくれ。質問があったり完成したら、いつでも下に降りてきていいからね」

 それじゃ、と言って、ケイトさんはお店に戻っていってしまった。

 なんとも強引なひとである。私の意見など聞く素振りすら無い。

「ま、いいや」

 指輪作りも部品作りも結局は同じことだ。金属を叩いて伸ばして削るだけ。

 デザイン画をもう一度見てみる。

 あの純人のお客さんと話して決まったのは、月桂樹の浮き彫り(レリーフ)を入れることと、真ん中にバングルからダイヤモンドを移し替えることだった。

 バングルには幾つか小さなダイヤが嵌め込んであるが、どれも細かい傷がついている。なので、出来るだけ状態の良い物を選ぶらしい。

「よし」

 とりあえずは、銀材を指輪の形にすることからはじめよう。

 

 

 

 ぎゅりりり。

 金属と金属が摩擦する音と、その振動が、今の私の感覚の全てだった。

 ぎゅるるるる。

 ぎゃりりりりり。

「おうい、どうだい」

「わ」

 突然、背後から声がした。危うく手に持っていたリューターを落とすところであった。

「おどかさないでくださいよ、ケイトさん。危ないです」

 むっとした顔で私がそう言うと、ケイトさんもむっとした顔をした。

「ギリギリまで気付かなかったのはあんたの方だろう。集中力が高いのは良いけど、ちったあ周りにも気を配っておくれ」

「そ、そうだったんです、か。すみません……」

「いいさ。で、どんな具合だ。指輪にはなったかい」

「ええ、たぶん……」

 なにせ初めて作ったものなので、良く出来ているかどうかすらわからない。

「なんだ、苦戦したのかい。見せてごらん」

「はい、どうぞ」

 すっと差し出されたケイトさんの手に、さっきまでリューターを当てていた銀材を手渡す。

「……………………」

 ケイトさんはそれを目の高さまで持ち上げて、眉を寄せている。

「その、こんなに細かい作業は初めてだったので、荒い、です、よね……」

 どこからどう見ても渋い表情を浮かべるケイトさんに、苦し紛れの弁解をした。言い訳にすらならないというのに。

「え? あ、ああ、確かに荒い、けど……」

 言いよどみながら、やっぱり渋い顔をするケイトさん。

「あの、どこが悪いでしょうか。経験がないので、それもわからなくて」

 私の言葉に、ケイトさんは返事を返さない。指輪を色んな角度に変えながら眺めているだけだった。

 机の上から小さなペンライトを拾い上げ、しげしげと観察している。あれは……そう、職人の目、というやつだ。

「―――あたしが材料を渡すとき、なんて言ったか憶えてるかい」

 指輪を見つめながら、唐突にケイトさんが言った。

「え、ええと……指輪を作れ、と」

「そうだ。あんたは、あの銀材を指輪の形に曲げるだけで良かったんだ。それなのに、月桂樹のレリーフまで、この短時間でやっちまうとはね。あとはちょいちょいっと磨けば、これ、商品になるよ。あたしが保証する」

「へ」

 あんなのが、売り物に?

「そ、そんな。だって、まだ二時間しか経っていないんでしょう。そんな急ごしらえのものが売れるわけ……」

「ばか、時計を見なよ。あたしは居眠りしちゃってたんだ」

「時計…………あ」

 右手の壁に、小さな掛け時計があった。

 時間は、七時……?

「あんたが作業をはじめたのが昼過ぎだから、ちょうど六時間だね。あんたはこの半日、脇目もふらず、ずっとリューターでゴリゴリやってたわけだ」

「あ……」

 そう言われると、確かにお腹が空いているし、ちょっとお手洗いにも行きたい。手は汗と金属の()()でぐちゃぐちゃだ。

「うん、あんたを雇ったのはやっぱり正解だったね。こりゃあ思わぬ収穫だ。わははは」

 ケイトさんが渋かった顔を一転させた。満開の笑顔を浮かべ、背中をばんばんと叩いてくる。

「い、いた、いたいです、ケイトさん」

 彼女は構わず、今度は私の頭をぐわんぐわん揺らしている。

「いやあ、いい出会いだ。うん、うん、これだから人生ってのは楽しいんだ。この指輪は記念に飾っておこう。細かい技術はこれから教えてやるから、あの純人の指輪、あんたが仕上げるんだよ。いいね」

「は、はいっ」

 

 

 

 晩ごはんはケイトさんの作った水餃子と、私の作った番茄炒蛋だった。

「なんだぁ、旨いじゃないか」

 私の料理を食べて、ケイトさんが開口一番に素っ頓狂な声を上げた。

「母直伝のレシピです。卵の下味がミソですね」

「ふむふむ。あとで教えてもらおうかな」

「ええ、いいですよ」

 ケイトさんの水餃子も美味しかった。箸が止まらない。

「ところでモニカ。中国語が上手だけど、どこかで勉強したのかい?」

 トマトを箸でつまんで、ケイトさんが問いかけてきた。

「母に、ちょっとだけ教えてもらいました。あとは慣れですね」

 ははは、と笑うと、彼女も笑みをこぼした。

「そうだね、そんなもんだね、言葉なんて」

 ひとしきり笑った後、ケイトさんの携帯電話が音を立てた。

「なんだ?」

 机の上のそれを拾い上げ、画面を見るケイトさん。

「ん? …………はあ?」

「どうかしました?」

 拾い上げた携帯の画面を見つめて、何故かヘンな顔をしている。

「ニュース速報だよ。シャオロンだってさ」

「シャオ………なんです?」

 水餃子を口に運びながら、ケイトさんに問いかける。

「ほら、あの、ドラゴンの。ダブリンでやってるらしい」

「ああ、しゃおろんって、(シャオ)(ロン)ですか。…………え?ほんとに?」

「事が事だからね。降りてくるのも、まあ、不思議じゃあないだろう」

 ケイトさんはそう言うけれど、私はいまいちピンとこない。

「ダブリンって、アイルランドですよね? 何かあったんですか?」

 私がそう言うと、ケイトさんは目をぱちくりさせた。

「なんだ、知らないのかい。フェアリーがゴブリン引き連れて、トリニィカレッジを爆破したんだ。テロだよ、テロ」

「とりにてぃ?」

 首を傾げる。はて。どこかしらん。

 そんな私を見て、ケイトさんはこれ見よがしにため息を付いた。

「まったく……。ほら、あのすっげー図書館の」

「ええと、あー……。なんか、ありましたね、そんなの」

 いつだったか、テレビ番組で見たような気がする。世界一美しい図書館、だったっけ。

「……あんた、ほんとに世間には疎いんだねえ。まあ、それも仕方ないか。あたしらには、関係ないことだからね」

 そう言いながら、ケイトさんはテレビのスイッチを入れた。ニュース番組にチャンネルを切り替えると、ちょうど上空から龍の姿を映し出しているところだった。

「わあ、ほんとにドラゴンだ。すごーい」

 画面の中では、大きな芝生の広場に、大きな青い龍が横たわっている。

「ああ、あたしもこうやって見るのは初めてだ。でっかいねえ」

 カメラが龍の頭にズームインする。どうやら、文字通り目と鼻の先に立つヒトと会話しているようだった。距離が遠いからか、何を話しているかまではわからない。

 蛇のような、ワニのようないかつい頭部。鼻のあたりからは、二本の長い髭が伸びている。小さくとも鋭い眼光、今にも火炎を吐き出しそうな大きな口。中国の伝承に残る、龍そのものだった。

 突然、その龍が大きな声を上げた。

『―――この一件に関して、竜種として言うことは何も無い。が、事が事だ。あわや人類史の分岐点となるところであった』

 カメラが更に近寄る。

『それ故、此度の降龍を行ったのだ。我ら竜種は人類とともに在る。その事を、我らと貴公らに再確認させるためである』

 龍らしい、威厳に満ちた声が響く。ただ話すだけで、大地を震わせているようだった。

『では、次の降龍までしばしの別れである。我らはいつでも、貴公らを見守っている。よしなに』

 そう告げると、青い龍は天を見上げた。ふわりと体が浮き上がり、ヘリコプターの脇を通って、するすると大空へ戻っていく。

「ドラゴンか。いやはや、凄いもんだ」

 テレビはダブリンの中継から、スタジオへと切り替わった。ニュースキャスターや専門家達が、興奮した様子で議論を始めている。

「ま、そんなことより目先の仕事だね。他の依頼も受けてるから、そっちも手伝ってもらうよ、モニカ」

 番茄炒蛋をかきこみながら、ケイトさんが話しかけてきた。

「いいんですか?」

 水餃子をもぐもぐやりながら、それに答える。

「今日のであんたの集中力と技術力は見させてもらったからね。ハナ丸付けたっていいぐらいだ。文句なしだよ」

 次の水餃子へと伸ばしていた箸が、止まる。

「あんたの長所はなんといっても集中力だ。それから、とにかく仕事が早い。まだまだ荒削りだが、そこはそれ、あたしがしばらくカバーしてやるさ」

 何か言いたい。

「久々に、ドワーフらしいドワーフと会った気がするよ、うん」

 けれど、なんて言ったらいいか、わからない。

「―――――ほんとうに、ばかだね。こういうときは、笑ってりゃあ良いんだ」

 呆れたように、嬉しそうに、ケイトさんはそう言った。

「は……はいっ」

 それにつられて、私もやっと、笑うことができた。



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五章 人狼の章(前)

 人狼。

 別称、ウェアウルフ、ヴェアヴォルフ、ライカンスロープ、狼男。

 純人種、巨人種よりも強靭な腕力、脚力を持つ我らは、有史以前から自由の傭兵として活動してきた。

 我らに欠点はない。月の夜には獣と化する身だが、それを制御する(すべ)などとうの昔に完成している。

 満月の夜の獣化に関しては抗えないものの、月のない夜、あるいは真昼でも、人狼としての力の一端を発揮する事が可能だ。強大な腕力、強靭な脚力は勿論のこと、鋼のような肉体、霧のような動きなど、簡易的な変化まで可能となる。

 強いて欠点、いや、弱点を挙げるなら、銀に弱いということか。

 アレは我らにとって毒以外の何物でもない。触れればそこが飴のように融け、斬られれば容易く両断され、心の臓にでも埋められようものなら即座に全身が消えて失せる。

 だからこそ、我ら人狼部隊は肌という肌を防弾加工を施した装備によって覆い隠す。

 それらの重量による負荷などは取るに足らない。少し動きにくくはなるが、それ以上に()()()()()なる。

 それに、ただの銃弾、ただの斬撃、ただの毒などなら恐れるに足らない。そんなもので出来た傷など、数秒で完治してしまう。

 唯一の弱点は銀。そしてその弱点すら、我らは純人種の技術によって克服することが出来た。

 

 

 

「なーんてな」

 キーボードを打つ手を止める。

 ノートパソコンの画面に映っているのは、お偉いさんへの報告書だ。

 数日前のことだ。

 国際刑事警察機構(I C P O)からの初仕事がやってきた。

 ゴブリンどもになにやら不穏な動きがあるので人狼部隊に動いてもらいたい、だがそも人狼が何たるかが分からないので教えてほしい、などというすっとぼけた命令である。

 まあ、仕方のない事だろう。本当に人狼が何なのかサッパリわからないわけではなく、ひとつの戦闘部隊として、どれだけの価値が有るのかを見出すのが目的のはずだ。

 ならば、偵察のひとつでもこなしてみるのが定石か。

「よし、それで行こう」

 カタカタとキーボードを叩き、メールを送り返す。

 内容はシンプル。ゴブリンの集会所を判明させ、偵察の任に就かせてもらう。それだけだ。慣れない報告書より、こういう文章のほうが書きやすい。

 

 

「ふう」

 窓を開け、ベランダに出る。

 ストリートに立ち並ぶ、オンボロアパートメントの三階。ここで、行き交う人を見下ろしながら煙草を吸うのが、ここ最近のちょっとした息抜きだった。

 二月のニューヨークは寒い。足元を歩く人々は、とことこと早足で移動している。薄暗い路地裏なくせに、やけに人通りが多い。

 それを眺めながら煙草を口にくわえた途端、どこからか声がした。

「じょーぜーふぅー、煙草はやめてって言ったでしょう」

「うるせえな、俺の勝手だろう。嫌ならお前が出て行け」

 ライターを使い、火を点ける。

「それが出来ないから文句言ってるんじゃない。あたしは貴方のお目付け役なんだから」

「あーもうそれなら耳にタコどころかイカが出来るまで聞いた。聞いたからもう喋るな、せっかくの煙草が不味くなる」

「なにをう」

 と、くわえていた煙草が消えた。

「なっ、てめえ」

 俺の眼前、ちょうど二メートルほどの空中で、火のついたままの煙草が浮かんでいる。

「ふーんだ、こんなものっ」

 ひゅう、と風が吹いたかと思えば、煙草の火が煙とともに消えていた。

「よしよし、満足満足」

 火の消えた煙草は地面に落下、いや投げ捨てられ、その一連の行動を引き起こした存在が姿を現した。

 手のひらにすっぽり収まりそうな小さな体。美しく、長い金の髪。澄んだ碧眼と、白い肌。そして背中に生える、半透明な銀の羽。

「イェシカ、てめえ、ほんっとに握りつぶすぞ」

「へっへーん、やれるもんならやってみなさいっての」

 手のひらサイズの妖精は、その半透明の羽をパタパタさせながら、あっかんべー、なんてポーズを取っている。

「ふん、なにが妖精だ。もーちっと可愛げのあるやつが来てくれたんなら良かったのによ」

「あらあ、あたし以上に可愛い妖精なんて居ないわよ。貴方はラッキーね、あたしを呼べて」

「呼んでねえしラッキーでもねえよ」

 煙草は哀れにも地上へ堕ちた。道を行くドワーフは頭に落ちてきた煙草を不審げに眺め、ぽい、と排水溝へと投げ捨てた。

 はあ、と溜息をつき、散らかった部屋に戻る。

 からからと窓を閉じ、視線を戻すと先の妖精が目の前に浮かんでいた。

「なんだよ」

「なんだよ、じゃないわよ。何よあの報告書、宣戦布告みたいになってるじゃない」

 提出した内容を見られたらしい。イェシカは腰に手を当て、いかにも不満があります、なんて顔でこっちを見ている。

「イェシカ、お前に仕事内容までとやかく言われる筋合いはねえはずだろう」

「そりゃそうだけど、あれはいくらなんでもひどいわよ。まだ最初に書いてた独白のほうが良かったわ」

「てめえ、見てたのか」

「当たり前でしょう。トイレとお風呂と着替えのとき以外は貴方を視ているんだもの」

「どうせいつでも聞き耳は立ててるんだろう」

「当然よ。それがあたしの仕事だから」

 それを聞いて二度目の溜息を付き、椅子に座る。

「何よ」

「部下に指示出すんだよ、さっきの宣戦布告はもう送っちまったからな、あとは動くだけだ」

「あっそ」

 そう言って、イェシカはしゅるりと消えた。

 消えたと言っても、目に映らないだけだ。たぶん、その辺に座っているんだろう。

 

 イェシカ・ホールリン。

 最近では珍しい、真っ当な秘書妖精。風と水、それから治癒の魔法を扱うことができ、姿くらましやらサイコキネシスやら魔眼やらの特異能力もほぼすべて所持している、Aランクの妖精だ。

 そんなスペシャルフェアリーがなんで俺のところに居るのか。

 そもそも俺は擬似妖精すら使っていなかったのだ。真っ当な妖精なんてものは必要ない。必要ないのだが、今回のゴブリンの一件で人狼部隊に要請が来たのと同時に、情報収集、ということでICPOから派遣されてきたのが、このイェシカだった。

 イェシカの言うとおり、コイツはお目付け役だ。お偉いさんからの派遣ということで無碍には出来ない。実際、俺自身が報告書をまとめるより妖精(イェシカ)に情報を集めさせ、報告させたほうが遥かに情報の質は良いだろう。

 なにより、イェシカをここに居させることで、ICPOに対して敵ではないとアピールできる。良い機会といえば確かにそうだろう。

―――人狼部隊、と言っても数は少ない。全体で一個小隊程度の人数で、そいつらを世界各地に配置している。司令塔である俺はほとんどここアメリカから動くことはない。部下に司令を下し、その結果を受け取るのが俺の仕事だ。

 ぶっちゃけて言うと暇なのだ。一応、きちんと自分一人でも戦闘できるようトレーニングしたり、俺自身が調査を行うこともたまにある。

 それでも日々の時間を持て余していることに代わりはない。

 人狼部隊ではない、他の人狼種は純人種とほぼ変わらない生活を送っている。満月の夜の獣化こそ止められないが、それ以外は純人種と変わらないのが我々だ。ヒトの姿でいる間は知能も腕力も変わらない。違うのは、長い寿命、強靭な肉体くらいのものだ。

 教壇に立つ人狼、警備をする人狼、工場で働く人狼、家を建てる人狼。我らのライフスタイルは純人種とともに多様化していった。

 そんな中で、軍人として名を馳せる人狼も多く居た。

 はるか昔は人類の敵として。西暦以後では人類の守護者として。

 そしてとうとう、世界の警察を束ねる、ICPOまでもが我らを必要とし始めた。

 そのひとつめが「子鬼(ゴブリン)」というのはなんだか味気ないが、仕事は仕事だ。これからより多くの役目を負うために、この任務は確実に遂行する必要がある。

 そして、このイェシカについても。

「イェシカ」

「なに」

 どこからか声が返ってきた。姿を消している間は、どこから声が響いてくるのかイマイチわからない。

「自分の身は、自分で守れよ」

「はん。言われるまでもないわ、ばかジョゼフ」

 あとどれくらいの間、この生活が続くのかはわからない。

 けれど、とりあえずは、日々を持て余すことはなくなりそうだ。

 

 

 そして、一週間後。

「ジョゼフ、メールが来てるわ」

「ん」

 午睡から目を覚ますと、律儀にイェシカが話しかけてきた。さすがは秘書妖精、相手が誰であれ仕事を全うするらしい。

 ベッドから出て、椅子に座り、パソコンを点ける。背後に、イェシカが実体化した気配を感じた。

「…………ま、そうだろうな」

「へーえ」

 メールは、調査をさせた部下からの報告だった。

 中東からのゴブリンが、どうもニューヨークあたりに集まってきているらしい。ゴブリンにしては巧妙な手口で密入国し、とあるパブで、夜な夜な集会を開いている。

 ついでに、ICPOから偵察の許可も下りていた。

「灯台下暗し……ってほどでもねえ、か。ここならそう遠くない、俺達で行くぞ」

「ちょっと、何よ、俺達って」

 背後に居たイェシカが、俺の目の前に割り込んできた。腕を組み、ムスッとした表情を浮かべている。この構図も見飽きてきた。

「あのな。お前、俺のこと監視してんだろ。なら一緒に来ねえと仕事にならんだろうが」

「もうちょっと考えてから物を言ってくれないかしら。確かにあたしは貴方と同行するけれど、貴方の味方をするわけではないのだから、あたしのことなんて忘れなさい」

「あん?」

「貴方がこのパブに行くのはゴブリンを偵察するため。あたしがこのパブに行くのは貴方を監視するため。わかった?」

「そうかよ。つれねえな」

「お生憎様。そこまで軽い女でなくてよ、あたし」

 イェシカはそう口にすると、ぷい、と顔を背けたまま姿を消してしまった。

「なあ、それどうやって消えてんだ」

「知らないの? おっどろきー、人狼も堕ちたものね」

 けらけらという笑い声が、狭い部屋にこだまする。

「フェアリー風情のことなんぞ知ってたまるか」

 まあ、いい。こっちはこっちで準備がある。部下からの情報を見るに、おそらく今夜も集会はあるはずだ。

 これから俺が行うのはあくまで偵察だ。だが、拳銃程度は持っておいたほうが良いだろう。

 

 引き出しから弾薬と弾倉を取り出し、弾を込める。

 かち、しゃこん。

 かち、しゃこん。

 かち、しゃこん。

―――中東育ちのゴブリンは、基本的に知能が低い。

 奴らでは、ネット会議、なんて洒落たことは出来ない。大抵は頭の良いどっかの誰かががそのままトップになり、中東ゴブリンはその手先となる。だがそのためには、ゴブリンに入念に計画を刷り込まなければならない。なにせ、ここ一世紀でやっとこさ読み書きを覚えた連中だ。この時代に何かを企むっていうんなら、相当じっくり取り組まないと成功しないだろう。そしてその刷り込みは、(fate t)(o face)で行わなければ意味が無い。

 で、そんなにじっくりやっているところをむざむざ見逃すほど、現代の警察組織は無能ではない。俺の部下がこれほど早くに足取りを追えたのも、中東ゴブリンが間抜けだったおかげだ。

 だが。

「…………ゴブリンごときにインターポールが動くかよ、フツー」

 こんなもの、ニューヨークの所轄にでも放っておけば勝手に解決する事案だ。世界の警察を束ねるICPOが、わざわざ人狼部隊に声をかけてくるような事態とは到底思えない。

「―――同感ね。ゼッタイ裏があるわ」

「驚いたな。俺の仕事には口出さねえんじゃなかったか」

 しゅるん。イェシカが、弾込めをする腕に座るように実体化した。

「おい、邪魔だ、そこ」

「貴方の監視があたしの仕事。でもそれだって、もうちょっと大きな事件じゃないと意味が無いわ」

 俺の言葉は聞いていないらしい。妖精は脚をぷらぷらさせながら話し続ける。

「ゴブリン騒ぎ、なんて、地方新聞の一面にもならないちっちゃい事件よ。それが、今あたしや貴方を動かしている。なら、あたし達に与えられていない大きな情報を、本部は持っているんでしょうね」

「なんだ、お前も知らないのか」

 弾を込める手が止まる。俺はてっきり、コイツは全部知った上で行動しているものだと思っていた。

「あたしは、貴方が人狼部隊の隊長さん、ってことくらいしか知らされてなかったわ。前から獣人には興味があったから二つ返事しちゃったんだけど、なんであたしにそんな話が回ってきたのか、ってことくらい、考えればよかった」

 脚の動きを止め、下を向くイェシカ。

「どうした、らしくないな」

「そうね。ちょっと、嫌な予感がするの」

 沈んだ声。こいつのこんな声は、初めて聞いた。

「へえ。そりゃ、妖精の予知魔法か何かか?」

「…………乙女の、勘かな」

「は。そりゃありがてえな」

「…………うん」

 しゅるり、とイェシカが消えた。

「お、おい」

 本当に、らしくない。

「…………」

 気にしても、仕方ないか。

 弾込めを再開する。ひとつ目は終わったので、ふたつ目の弾倉を手に取る。まあ、三つもあれば十分だろう。

 全て込め終わるまでに、イェシカから何か聞き出せるだろうか。

 その、乙女の勘について。

 

 

―― ―― ――

 

 

 ネオンで描かれた看板を見上げる。夜の路地裏を煌々と照らすそれは、ひどく時代錯誤な代物だ。

 サンクチュアリ(聖域)

 それが、ゴブリン達が集まるというパブの名前だった。

『大層な名前ね』

『そうだな』

 イェシカからの念話に応える。仕事中は話し声を立てるわけにはいかないので、黙っていろと言ったらこんなものを使い始めた。

 人狼にも念話をする奴はいるが、俺は出来なかった。なので、これはイェシカ相手でしか成り立たない念話。コイツの魔法による一時的なものだ。

『念話ってのは、なんだか背中がムズムズするな』

『あたしは普通に喋るより楽でいいけどね』

 周囲に人気がないことを確認し、ホルスターから拳銃を取り出す。

 ワルサーのPPK。古いオートマチックピストルだ。小さなピストルなんて幾らでも存在するが、潜入任務といえば、やはりコレだろう。

 遊底(スライド)を引き、初弾を装填する。安全装置を掛けたことを確認し、もう一度ホルスターへ戻す。

 ここ数十年で流行りだしたポリマー(合成樹脂)フレームってやつは、軽すぎて持っている気がしない。部下には、時代遅れ、だなんて笑われたりもするが、人狼なんてのは存在そのものが時代遅れみたいなものだ。なら、とことん旧型で戦ってやる。

『ねえ、ちょっと思考が漏れてきてるわよ。古臭くってたまんないわ』

『んぁ? そうか、念話ってのは繋がりっぱなしだったか。そりゃ悪かったな』

 と、しゅるんと目の前にイェシカが実体化した。

『やけに素直じゃない。どうしたのよ』

『なんでもねえ。調子が狂うのはお互い様ってことだ。行くぞ』

 イェシカを避け、路地裏から階段を降りる。

 パブは地下にある。地上にあるのならば外部から好きなだけ覗き見られるが、地下となると厳しい。ゴブリンが集会所にするだけあって、魔法防壁まで備えてある。これでは直接入るほか手が無かった。

 程なくして、店に着いた。扉の前に立ち、深呼吸をひとつ。

「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」

 木の扉を押し開け、店に入る。店内は木を基調にしており、パブというよりバーのような内装だった。そして、無駄に天井が高い。

 一歩踏み出そうとする俺を、でん、と立つ巨人(トロール)が止めた。

「らっしゃい。なんの用だ」

 六メートルの高みから見下すその目は、妙な動きをすれば殺す、と言っている。

「…………『電気羊の夢を見た』」

「……いいだろう、こっちだ」

 合言葉くらいは調べてある。が、なんとまあセンスのない合言葉か。

 トロールが右の壁に寄り、床板を開く。そこにはちょうど一メートル四方程度の穴が空いており、更に階段が続いていた。

「見ない顔だな、新入りか」

 板を持ったまま、トロールが話しかけてきた。出来るだけ話したくはないが、無視すると怪しまれるだろう。

「……そんなところだ。珍しい話じゃないだろう」

「ふん、お前らゴブリンのコトなんぞ知ったことか。とっとと行けよ」

 自分から話しかけておいてこれである。普段、ゴブリンにどんな態度を取っているかが伺える。

 とはいえ、このまま突っ立って居ると踏み潰されそうだ。()()()でそんなことをされると洒落にならないので、おとなしく穴に潜り込んだ。

『―――へえ、上手くいくものね』

『人狼を舐めんなってことだ』

 頭の上で、ぱたんと床が閉じられた。真っ暗な階段を降り続ける。

 

 

 今宵は満月。人狼は皆、獣と化す。

 が、まあ、俺みたいな例外も居る。

 人狼は、純人やエルフ、妖精と交流を重ねることで、獣化の際に好きなものに化ける術を得た。個体ごとにその能力には開きがあるが、俺をはじめとする人狼部隊は皆その手のトランスレイションの達人だ。その中でも一番変化が上手いケヴィンの野郎なら、妖精種の目すら欺ける。

『ふうん、それは是非お目にかかりたいものね』

『……おい、どこまで漏れてんた、俺のアタマ』

『そうね、貴方の思考が無駄にポエムチックなのが分かるくらいかしら』

『ダダ漏れじゃねえか……』

 念話が繋がっている間は、余計な考え事をしないほうが良さそうだ。

『ま、それができれば苦労しないわよね』

『ケッ』

 階段が終わった。目の前には小さな木の扉。この先にゴブリン達がいる。

『待って』

 扉を開けようと伸ばした腕に、イェシカが実体化した。

『おい、出てくるなって言ったろ』

『お願い、お願いだから、ちょっとだけ待って』

 イェシカは腕から飛び立ち、扉にその小さな手を当てた。目を閉じ、真剣な表情を浮かべている。

『…………間違い、ない、わね』

『何だ』

『―――――ジョゼフ・ハインドマン。貴方に、この仕事の『裏』に、何があるか、何が居るか、今ここで教えてあげるわ』

 手をついたまま、深刻な表情でこちらを見るイェシカ。こいつと同居し始めて二週間、こんな顔は初めて見た。

『彼らのトップは、妖精よ』

『…………なんだよ、よくある話じゃねえか。それがどうした』

 中東ゴブリンのまとめ役は、北欧のゴブリンだったり、エルフだったりと様々だ。妖精がトップに立つことも、そう珍しい事じゃない。

『ただの妖精なら問題無いわ。その場合は貴方一人でも、この場にいるゴブリンもろとも葬り去れるでしょうね』

『じゃあ、何が問題だっていうんだ』

『……この中にいる彼はね、私達妖精の、師にあたるひとなのよ』

 

 

 妖精種は、すべからく高い魔力を有する。

 が、その使い道、使い方まで最初から知っているわけではない。自らの得意な属性の魔法ならともかく、特殊な魔法、応用の魔法を使うためには、それを教えてくれる師が必要となる。

 昔はその手の魔法学校がそこら中にあったものだが、今ではロンドンにあるひとつが残っているだけだ。

 最後のひとつというだけあって、規模は大きい。街ひとつぶんの広さを持つ魔法学校には、妖精種のみならず世界各地からエルフや純人が集まる。

 今回、ゴブリンをまとめている妖精種は、その講師だと、イェシカは言う。

『正確には講師だった、ね。先生はここ数年で教壇を降りたって聞いたわ』

 扉の前でレンガの壁に寄りかかり、念話を続ける。

『どういう奴だ』

天才(genius)。数えきれないほど多くの画期的な陣魔法を発案してる。詠唱魔法だって、五つの属性全てに於いて、彼の弟子は師である彼に勝てなかったわ』

『それ、教えるのがヘタなだけだろ』

『そうじゃな……、いえ、そうだったのかもしれないわね。でも、とにかく頭が良くて、魔法の上手なひとだった。そのうえ人格者で、私達の面倒をよく見てくれる良い先生だったわ』

『ふうん。名前は』

『…………ヒルダ。ヒルダ・ホールリン』

 うつむいたまま、イェシカはそう言った。

 

 

 

『これでいいか』

『ありがとう。大丈夫よ』

 イェシカの指示に従い、彼女の長い金髪を数本ずつ、扉の四隅のレンガに埋め込んだ。

『便利なもんだな、魔法ってのは』

『そりゃそうよ。でも、こうやって手を借りないと出来ないこともあるから、パートナーは必要ね』

 確かに素手でレンガに異物を「埋め込む」など、純人でも難しいだろう。だがこれで、部屋の内部を監視、盗聴出来るらしい。既に俺の部屋のパソコンと回線を繋いで記録を取っているとか、なんとか。

『お前さんが、ここまでしてくれるとはな』

 随分と楽な仕事になった。後は痕跡を残さず帰るだけだ。

他人事(ひとごと)じゃなくなったもの。……当たっちゃったわね、乙女の勘』

『そうだな』

 手についたレンガの欠片を払う。これで当初の目的は果たせた。ならば長居は無用である。

 降りてきた階段を登りながら、念話を続けた。

『ヒルダ・ホールリンって言ったな。お前と同じファミリーネームだが、なにか理由があるのか』

『もちろん。貴方、妖精種がどうやって生まれるか、知ってる?』

『知らないな』

『でしょうね。機会があれば教えてあげるわ。私達にはね、他の亜人種みたいに親ってものが居ないの。だから、名前をつけてくれる存在が別に居る』

『……ああ。お前の場合は、それがヒルダだったのか』

『半分当たりね。イェシカって名前をくれたのは別のひとだけど、ホールリンは師から貰ったものよ。妖精種はね、みんな、一番お世話になった師の姓を貰うものなの』

『へえ。なかなかロマンチックじゃないか』

『そりゃあ、妖精種が生まれた頃から続いている慣習だもの。ホールリンを名乗ってる妖精は、あの先生にしてはそんなに多くないけど、そのほぼ全員がBランク以上の認定を受けているわ』

『どこから』

『インターポール』

『…………へえ』

 ICPOは世界各国の警察機関の連携を図る組織であり、妖精認定機関などではない。あそこは、所属する妖精にしかそういった認定を下さない。なので、逆に言えば、ホールリンと名のつく妖精の殆どがICPOやその下部組織に所属していることになる。

『そりゃあ確かに大先生だ。だけどよ、そんな相手に魔法なんぞ使って、バレやしねえのか』

『その心配はいらないわ。さっきの監視の魔法は魔力をそんなに使わないから、もともとバレにくいの。それに、先生はね、魔法が使えなくなったから教壇を降りたのよ』

『はあ? 妖精が魔法を使えなくなったあ?』

『あたしも原因は知らないわ。そんな話、他では聞いたこともないもの。だけどそれが真実なのは間違いないわね。先生が現役なら、あたしが実体化した瞬間に串刺しにされてるもの』

『誰が』

『あたし達が』

『…………』

 しれっと言うが、複数形なのが恐ろしい。

『魔法こそ使えないけれど、ヒルダ先生は学者としても天才だった。彼がゴブリンを統率するというのなら、並大抵のテロリストじゃなくなるわよ』

『なるほどな。そりゃあ、インターポールも放っておけねえわな』

『そういうことね』

 

 

 床板を開けて階段から出ると、入ったときとは別のトロールが立っていた。

「なんだ、もう終わりかよ、ゴブリン」

「いいや、ちょっと俺ぁ体調悪くてな。早退だよ」

「け、馬鹿は風邪を引かねえって言葉、知ってるか?」

「…………知らねえな、なんだそりゃ」

「ゴブリン風情が知るわけねえよなあ、けけけ」

 笑うトロールを尻目に、店を出た。

 階段を登り、一ブロックほど路地裏を歩いたところで、姿をゴブリンからヒトに戻す。折っていた服の裾を伸ばしながら、ひとりごちた。

「――極東のコトワザだろう、それくらい知ってるっての……。予定は狂ったが、仕事は終わりだな。ありがとよ、イェシカ」

「べつに。礼を言われる筋じゃないわ」

「そうかよ。…………っと、煙草はNG、だったな」

 胸ポケットから煙草の箱を取り出しかけ、イェシカの小言を思い出した。仕事終わりの一服、というのは格別なのだが、それ以上にこいつの小言は堪える。

「……………。今日、ぐらいは、許してあげる」

「――――」

 念話がまだ、繋がっているんだったか。

 できるだけ何も考えないようにし、一本の煙草を取り出して、指先から火を灯す。

「……なんだ。貴方も魔法、使えるんじゃない」

「煙草を吸うくらいならな」

 ふう、と煙を吐く。

 吐いた煙は地面からの蒸気と混じり、丸い月へと昇っていった。

 

 

 

 二月十八日。

 報告。

 中東ゴブリンの不穏な動きを察知し、彼らの集会所となっていたパブ「サンクチュアリ」に潜入した。その際、本部より派遣された妖精種、イェシカ・ホールリンの監視魔法を設置し、内部の会議を記録した。添付ファイルを参照願う。

 その内容を以下に記す。

 中東ゴブリン種はヒルダ・ホールリンと呼ばれる妖精種を筆頭に、北欧にてテロを計画している。詳しい場所はまだ明らかではないが、会話から推察するに五つから六つ程度の巨大な魔法陣を使い、広範囲を同時に爆破するようである。それと同時刻に某所にて籠城し、何かしらの声明を発表するらしい。

 これらはひとつの意思を示威するのが目的であると推察される。その目的は未だ不明ではあるが、我々は以後も監視を続け、その目的を明かし、テロを未然に防ぐ。

 その為に、こちらから幾つか要望がある。

 ひとつは、万が一テロを防ぐことが出来得なかった場合に備え、吸血鬼等の戦闘員、及びエルフ種のような魔法兵を、六人ずつ用意していただきたい。こちらの人狼部隊では頭数が足らないので、万が一の事態の為に、用意だけしておいて欲しい。

 そしてもうひとつは、派遣されたイェシカ・ホールリンの本作戦への正式参加だ。これは、これからの監視、偵察をより円滑に進める為である。

 無論、我々人狼部隊の監視は続けていただいて構わない。

 以上を以って報告とする。以後、情報が判明次第、逐次報告を続ける。

 

 

「イェシカ。こんなもんか?」

「そうね、いつかの脅迫文よりはマシね」

「脅迫文って、おい」

 ノートパソコンのディスプレイに腰掛ける妖精を、じとりと睨む。

「何よ」

「いいや、何でもない。……っと、そういえばよ、なんかお前、獣人に興味があるとか言ってなかったか」

 俺の言葉にイェシカは目を白黒させた。

「よく覚えてたわね。ええ、そのとおり。ちょっと、いろいろあってね」

「いろいろ、ねえ」

 こいつもこいつで、それなりに苦労しているのか。

「ケンタウロスって、居るでしょう」

「ん? ああ。…………個人的には、ちっと可哀想な連中だと思うぜ、あいつら」

「意見が合うわね。あたしも、そう思うわ」

 半人半馬の亜人、ケンタウロス。腰から上は純人で、腰から下は馬の格好をした、ギリシャを起源とする馬人種だ。

 二、三世紀ほど前までは、その脚力を活かし、荷馬車による運送業やら旅客業やらをこなしていた。だが、今や車とバイクの時代となった。ケンタウロス達は、時代に取り残されてしまったのだ。

 そうして、一部のケンタウロスは、競走馬として扱われることとなった。無論、ケンタウロス達も望んでのことである。純人が徒競走を好むように、ケンタウロスもその足の速さを自慢にしていた。ならば、それを見世物にしてしまえば良いと、純人達は考えたらしい。

 そういった事情で百年ほど前から始まったセント(Centaur)・レースは、大衆に大いにウケた。なにせ、物言わずただ駆けるだけの馬と違い、高い知性を持つケンタウロスのレースだ。

 それはもう空前絶後の大ヒットだった。特にアメリカでは、セント・レースに出場するケンタウロスはスーパーヒーロー扱いで、そんじょそこいらの俳優など足元にも及ばない。

 だが、それを哀れだと思うのは、俺が同じ獣人だからだろうか。

 蔑んでいるわけでも、同情しているわけでもない。でも、そうすることでしか価値を発揮出来ない彼らが、ひどく哀れに思えるのだ。

「なまじ純人とかけ離れた外見として生まれてしまったが故に、世間から切り離されてしまったケンタウロス。ヒーロー、なんてふうに扱われているのはごく一部よ。だから、そういう獣人種はどんなふうに暮らしているんだろうって、興味があったの」

「それで、感想は?」

「期待はずれもいいところね」

 ディスプレイの隅っこに腰掛けたまま、これみよがしに溜息をつくイェシカ。

「貴方達人狼は、純人に近づきすぎよ。唯一の欠点であった獣化、いえ、狼化ですら貴方達は克服してしまった。それはもう、人狼とは呼べないのではなくて?」

「そりゃ誤解だ。俺みたいに獣化を操れるのはほんの一握りだしよ、それだって月のある夜じゃねえと使えねえ。訓練すれば獣化せず腕力だけ上げたりってこともできるが、それだって数十年は鍛錬しねえとどうにもならん」

「へえ。見た目は若いのに、何十年も鍛錬を?」

 訝しげな目線。

「人狼は寿命なんて有って無えようなもんだ。それに俺はな、三度の大戦も前線で生き延びてきたんだ。並の人狼と同列に考えてもらっちゃ、他の人狼に悪い」

「え、それほんと?」

 イェシカは身を乗り出して訊いてきている。余程意外だったのだろう。

「ああ。みっつめの大戦はちっとキツかったが、まあこうやって生きてる」

「魔法、大戦。……あれはそんなに、酷い闘い、だったの?」

 イェシカの目が、僅かに曇る。

「違う。立ち位置の問題だ。アレは亜人と純人の戦争だったろう。人狼はどっちの立場にもなれるし、どっちの立場にもなれない、おとぎ話のコウモリみたいなもんだったんだ」

「……そう。それは確かに、辛いわね」

「短期間で済んでくれて良かったぜ、アレは。長引けば、今居る人狼の半分は死んでたかも知れねえ」

「――――」

 イェシカは目に見えてしょんぼりしている。何か、思うところがあるらしい。

「……まあ、昔の話、済んだ話だ。それよりも」

「それより?」

 ぽかん、と顔を上げるイェシカの顔のその額に、こつんと人差し指を当てる。

「あいた」

 額をさすりながら、今度はうんざりしたような顔をするイェシカ。普段のこいつは感情表現が豊かなので、わかりやすくて良い。

「お前、ほんとにここに残っていいのか」

「何度も言わせないで。この事件はあたし、いえ、私達妖精にとっても重要な事件よ。ここまで関わっておいて、本部に戻るなんて出来ないわ」

「…………下手すると、お前、死ぬぞ」

 俺のその言葉に、イェシカは自信たっぷりに応えた。

「大丈夫よ、あたしは最高位の妖精なんだから。……それでも――」

 視線をずらし、顔を背けながら、言葉を続ける。

「――それでも、ピンチのときは。貴方に、助けて貰うから」

 白い頬が、ほんのり赤く染まっていた。

「……そうか。なら、そうしよう」

 

 こいつが最初にこの部屋に来たときは、一体どうなることかと思った。

 煙草は駄目だというし、昼寝をするとだらしないと文句を言うし、仕事をサボるとすぐに怒る。

 でも。

 なんだかんだで、素直なところもあるじゃないか。

 



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六章 子鬼の章

「私の父はテロリストです」

 

 私が純人の女なら、こんな戯言はきっと信じてもらえないのだろう。

 けれど、私はゴブリン。

 醜く、汚く、世界に嫌悪される存在。

 誰にも味方されず、誰の味方も出来ない、哀れな種族。

 

 こんなふうに生まれたことを恨んだことはある。

 両親に対して理不尽な怒りを持ったこともある。

 だけど、それも過去のこと。子供のころ、ちょっとばかりそう思っただけのことだ。

 私は私だ。私は他の誰にも成れないし、他の誰も私には成れない。

 だからこそ、現状を受け入れる必要がある。

 それは、諦観にも似て。

 ひどく、息が苦しくなることだけれど。

 

 私にもともだちはいる。

 ともだち、というのがどういうふうに分類されるものなのか、その定義にもよるけれど。

 ともだちという存在が、何も臆することなく自分の気持ちをさらけ出すことが可能で、全幅の信頼を寄せうる存在、というのならば、間違いなくこれは私のともだちだ。

 だけど、それが生命体でなくてはならない場合。

 息をして、食事を摂り、肌に触れられるモノでなくてはならない場合。

 ()()は、ともだちではない。

 

 

 一週間前だ。

 雨の降る、冷たい夜のこと。 

 父が、久々に家に帰ってきた。ニューヨークのスラム街にひっそりと建つ、放っておけば自壊しそうなアパートメントに。

「おかえりなさい」

「ただいま、ネイジー。元気にしていたか?」

「うん。大丈夫」

 父はどこかで拾ったらしい、くしゃくしゃの小さな背広を着ていた。

「そうか。……父さんな、直ぐ出なくちゃいけないんだ。それから、いつ、帰ってこられるかもわからない」

「なんだ。それじゃあ、いつもと変わらないね」

 私がそう言い返すと、父は困ったような顔をした。

「いや、いつもとは少しワケが違うんだ。詳しいことは言えないんだが、今から、ダブリンに行かなくちゃならない」

「ダブリン……って、どこ?」

「ほら、アイルランドの首都だよ。北欧の」

「―――ああ」

 場所を把握した瞬間に、父がこれから何をしに行くのかも、わかってしまった。

「―――そっか。それは、ほんとうに、どうなるかわからないね」

「……ネイジー。やっぱり、お前は賢い子だな。今まで散々迷惑をかけた。これは、せめてもの償いだ」

 父はそう言って、腕時計を外した。

「形見のつもり?」

 怪訝な顔をする私を見て、父は少しだけ微笑んだ。

「そうでもあるが、これはただの時計じゃあないぞ。ほら、ご覧」

 父が時計のリューズをかちかちと二度引っ張ると、空中に立体映像(ホログラフィック)が投影された。

「ど、どうしたの、これ」

「先生……父さんが世話になった人から貰ったものだ。父さんにはもう必要ない。データは初期化してあるから、好きに使いなさい」

「と、父さん」

 時計を受け取ると、要件は済んだ、と言わんばかりに、父は玄関を出ていこうとした。

「ネイジー。父さんはもう、行かなくちゃならないんだよ」

「そんなことない。父さんがそんなこと、する意味ないじゃない」

 私の言葉を聞いて、父の動きが止まった。

「……そうだな。確かに、父さんにその義務はない」

「なら―――」

「でもな。誰かがやらなきゃならないんだ。なら、私がしなくては。でなければ、その誰かに罪を着せることになってしまう」

「―――――」

 私は、それ以上口を動かせなかった。

 父の顔を見て、もう、何を言っても無駄なのだと。

 そう、わかってしまったから。

 

「―――いって、らっっしゃい」

 閉じた扉に、そう呟いた。

 

 

 

 父が私に手渡したのは、時計型の情報端末だ。

 太陽光で電力を貯めるらしい。これはとても便利だ。

 音楽とか、写真とかは、パソコンから転送する必要がある。これは、不便。

 インターネットに関しては、無線環境さえ整っていれば問題ない。最近はスラム街でも、あちらこちらで無線のスポットが出来てきているので、ニュースを見たりするには十分だ。

 そして、父が私にこれを渡した、ほんとうの理由は、きっとこれ。

 リューズを、かち、かちと、二度引く。

「何か用かな、ネイジー?」

 投影される擬似妖精(デミフェア)

 ひとりぼっちの私に、父が遺したもの。

 それが、これ。

 浮遊する、一体の女デミフェア。

「ダブリン、今どうなってる?」

「そうだね……特に、目新しい情報はないよ」

 いくつかネットニュースを表示させながら、デミフェアが呟いた。

「おや、トリニティ・カレッジが休講……。これはなにかありそうじゃないかな?」

 ニュース記事のひとつを拡大し、私に見せつけるデミフェア。

「……そうかな。うん、そうかもね」

「なんだ、お父さんが心配じゃないの?」

「べつに」

「ふうん。まあ、いいけど。なにか新しい情報が入ったら教えようか?」

「ええ、お願い」

「わかった」

 そう言って、デミフェアは消えた。

「…………」

 はあ。

 無意識に、ため息がこぼれていた。

 

 

 雨の午後。

 暗い部屋。

 ベッドと、机と、椅子。

 散在する文庫本、食べかけのお菓子。

 これが私の世界だ。

 これが私の持つすべて。

 それを、不幸だと思うことはない。

 だって、仕方のないことだ。

 だって、私はゴブリンなんだ。

 世間から疎まれ、世界から危険視される、その種族の娘なんだから。

 

 でも、父はそれがどうにも許せなかったらしい。

 私が小さな頃から、父はそういうひとだった。

 大戦から百年経った現代でも、なお弾圧されるゴブリン。

 その扱いに反発するゴブリンもまた多かったが、結局それは、私たちゴブリンの評価を著しく損なうだけのことだった。

 抗えば弾圧される。誰でも分かる道理だ。

 だというのに、父は声高に叫んだ。

 自由を。権利を。

 父が叫ばずとも、誰かが叫んだ。

 愛を、慈悲を。

 でも、そんなあたりまえは、私たちが貰い受けられるはずもなく。

 父や誰かの叫び声は、誰の耳にも入らなかった。

 

 父が政治や法についてあれこれ話すのを、私はいつも白い目で眺めていた。

 ゴブリンにのみ適用される、有害指定。

 国によって程度の差はあるけれど、まあだいたい同じだ。ゴブリンの活動を制限、監視することで、テロや犯罪を未然に防ぐ法律、ないし条例。

 個人情報の保護だとか、そんなものは関係ない。

 ゴブリンだから。

 ただそれだけで、私たちの生活は一著しく制限される。

 その法律を撤回せよと、多くのゴブリン達が声を上げた。彼らはときとして暴徒と化し、結局、それらの活動は有害指定をより強固なものとするだけだった。

 それでも。

 それでも、と、父のようなゴブリンは一定数存在して、ずっと抗議の声を上げていた。

 

 どうでもいい。

 だって、何も変わらない。

 父より少し賢い私は、その虚しさを知っていた。

 変革など、個人の手でもたらせるはずもない。

 それはいつも、時代という大きな流れとともに発生する現象だ。父のような小さなゴブリンが、ちょっとばかり頑張ったところで、どうにかなるものじゃない。

 私がそう言うと、父は決まってこう言った。

「それでも、立ち上がる者が居なければ」

 言わんとすることはわかる。

 どんな大きな改革も、ひとつの小さな思想から生まれるものだ。

 ひとりの人間が動くことで、それがやがて大きな流れを生む。

 個人の意見が民衆の意見となり、国を、世界を動かすこともある。

 だけどそれは容易なことではない。多大な資金、膨大な労力、そして気の遠くなるような時間。それらがあってやっと、成し得るかどうかというもの。

 馬鹿馬鹿しい。

 全くもって、馬鹿馬鹿しい。

 右翼だの左翼だの、歴史的背景だの、ゴブリンの権限だの。

 それを説いたところで、一体何になるというのだろう。

 私の部屋に電気が通ってくれるのだろうか?

 私の明日の日給が上がるのだろうか?

 私の晩ごはんに、暖かなチリが追加されるのだろうか?

 あったかくて、辛いチリ。

 

――――チリ、か。

 母の、作ってくれたチリ。

 あれを最後に食べたのは、いつだったろう。

 ひき肉なんて全然入ってなくて、

 おおきなビーンズばっかりで、

 ひたすらにどろどろしてて、

 でも、食べると、体の底から暖かくなって。

 父と、母と、私。

 三人で最後に、あのチリを囲んだのは―――

「ネイジー」

「っ」

 顔を拭う。

「…………なんで、出てるの」

 腕に巻いた時計の上に浮かぶ、銀髪のデミフェアを睨みつける。

「なんでって、別にオフにされたわけじゃないから。忘れてるのかな、そこのスイッチ引かないかぎり、ボクの意識はあるからね」

 デミフェアが指差したのは、時計のリューズだった。

「……そうだったっけ」

「うん。急に泣き出すものだから、驚いたよ。よくあることなの?」

「ううん、そんなことない。ちょっと、目にゴミが入っただけ」

「……そっか。うん、そういうことにしておこう」

 デミフェアが姿を消した。それを見て、同じことが起きないよう、リューズをかちりと引っぱっておく。

「はあ」

 また、ため息が零れた。

 

 

 

 目を覚ます。

 今日は、朝早くから仕事だ。

 大した仕事ではない。

 ドワーフ達に任せるまでもないが、純人がわざわざやるようなものでもない、完成した商品の仕分け作業。

 つまらない仕事だ。

 でも、私でも出来ることというと、これくらい。

 だから、贅沢は言えない。

 給料は安い。

 待遇は悪い。

 でも、文句は言えない。

 

 

 

 仕事を終えて、誰も居ない部屋に戻った。

 今日は、綺麗な月が出ている。

 星までは見えない。

「まあ、それだけで十分、かな」

 かしゅ、と、気持ちのいい音が響いた。

「……ネイジー。キミは今、何歳だい」

 机に置いた腕時計から、しゅるりとデミフェアが投影された。

「はたちよ」

「はあ。あまり若いときから飲むと、体に毒だよ」

「知らない」

 一口、口に含み、一気に飲み下す。炭酸が体全体に染み渡って行く気がした。

「仕事終わりの一杯くらい、私だって欲しいもの」

「お酒の飲めないボクには理解できないな」

「お酒にかぎらず、何も飲めないでしょう」

「それもそうだね」

 ふと、月を眺めていて思い出した。

 いつだったか。

 日本(ジャップ)びいきの母が薦めてくれた漫画に、こう書いてあった。

 春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪。

 それだけで、十分にお酒というものは美味しいのだ、と。

 生憎と、こんなスラム街には桜なんて生えていない。

 だけど、あの月だけで、十分にこの麦酒(ビール)は美味しい。

―――ああ、でも。

 あの台詞には、何か、まだ続きがあったような。

「まあ、いいか」

 二口目。

 今のままで、十分に美味しいのだから、問題はないだろう。

 

 

「楽しそうだね」

 半分ほど飲み終えたあたりで、デミフェアが話しかけてきた。

「もちろん」

「どんなふうに楽しいのかな。飲み物を飲むだけで楽しくなるなんて、少し理解できないんだ」

 本当に純粋な表情で、そうデミフェアは尋ねてきた。当たり前だろう。電子世界の住人に、お酒の楽しさなど想像すらできまい。

 なので、その疑問を邪険にすることもできない。

「そうね……。詳しい原理は知らないけど、アルコールを摂取すると、頭がふわふわするの」

「成程、中枢神経の抑制作用だね」

「…………うん、まあ、たぶん、それ。それで、嫌なことが頭からなくなって、楽しい気持ちだけになるの」

「ふうん」

 納得したような、してないような、曖昧な返答。

「ひとによるけどね。泣きやすくなるひととか、怒りっぽくなるひともいるみたい」

「ああ、つまり、感情が昂ぶるのか」

「えーと……うん、たぶん、そうね」

 缶を傾ける。

 正直、この「苦み」はまだ苦手だ。だけど、それ以上にこの飲み物は美味しい。

 頭がすっきりするのだ。他のいろんなお酒も飲んだけど、今のところ、この麦酒というやつが一番、飲んでいて気持ちがいい。

「成程成程、確かにそれは飲んでいて楽しいのかもしれない。うん、ボクも飲めたら良いのにな」

 しきりに頷きながら、彼女はそう語った。

「―――そうね」

 

 このデミフェアは、父から譲り受けたもの。

 だけど、当のデミフェアの記憶、すなわち記録(データ)は綺麗サッパリ消去されていた。

 当然といえば当然。だってこの二ヶ月、父に付き添っていたというのなら、これから父の起こす行動についても知っていたはずだから。

 その情報は消さねばならないだろう。私に知らせるわけにはいかないだろう。

 別に、知りたいとも思わないけれど。

 

 というわけで、こいつはまっさらな状態で私のものになった。

 性別、性格、外見、すべてを私が設定することが出来た。

 普通のデミフェアで構わない。ヘンにカッコイイやつとかを創っても仕方ない。

 なので、こうなった。

 短い黒髪(ブルネット)に、白い肌。それから、小さく半透明な、一対の羽根。

 性別は、私と同じ(female)

 ちょっと勝ち気で、とにかく真面目。

 そして、おしゃべり。

―――要するに。

 ともだちが欲しかったのだ。

 なんでも話せて、いつでも一緒に居られて、楽しくて。

 そんな存在が欲しかった。

 

 ひとりきりの私。

 哀れなゴブリン。

 だからこそ、そばに居てくれる存在が、欲しかった。

 

 

 

 目を覚ます。

「っ……」

 体中が痛い。

 周りを見渡すと、どうも自分は椅子に座っているらしかった。

 机の上には、空のビール缶と、腕時計。

 月見酒まがいのことをしている間に寝てしまったようだ。

「おはよう」

 そう言ながら、デミフェアが投影された。

「……そっか、貴方の電源も、切ってなかったね」

「うん。でも、おかげで、ちょっとした情報が入ってきたよ」

 ウェブブラウザを開き、何やら操作を始めるデミフェア。

「…………君のお父さん。名前は、なんだったかな」

「マックよ」

 目をこすりながら返答する。

「ファミリーネームは?」

「ゴブリンにそんなもの、ないわ」

「……そうか。それじゃあ、たぶん、間違いないね」

 そう言って、デミフェアがニュース記事を私に向かって表示した。

 宙に浮かぶページ。

 ダブリンで起きた大規模テロ事件の概要と、そこで捕まったゴブリン達の名前が並んでいる。

「…………そう。結構、すごいことをやったのね」

「うん。警官に結構な被害が出たらしい。カレッジも、しばらくは使えないだろうね」

 ずらっと並ぶ英文。読むのが面倒くさい。

「何がどうなったの」

 私の乱暴な問いに、デミフェアは律儀に答えた。

「トリニティカレッジの二箇所で大規模な爆発が起きて、警護にあたってた警官が少なくとも五十人以上は亡くなってる。指導者が妖精種で、爆心地からは魔力が検出されてるから、たぶん陣魔法だね。ゴブリンがその下ごしらえをしていたらしい」

「それで?」

「うん。ほら、ここ」

 右手でニュースページを操作し、逮捕者リストを拡大するデミフェア。彼女は、何故か申し訳無さそうな顔をしていた。

「ここに、君のお父さんの名前がある」

「……そうね」

「随分、冷たい反応だね。お父さんが捕まったんだよ? 心配じゃないの?」

「全然。むしろ安心したわ」

「どうして?」

「だって、生きているんでしょう」

 私がそう言うと、デミフェアは言葉を詰まらせた。

「最近はなんだかんだでゴブリンを保護しようって動きもあるもの。妖精種が指導者で、父さんはあくまでその手先。実行犯とはいえ、極刑にまではならないでしょう」

「どうかな。規模が規模だ。そうとは言い切れない」

 まあ、そうかもしれない。

 父はゴブリン種とはいえ、それなりに頭が良かった。私はそれに負けないくらい良いけれど、それも父の教育のおかげだ。

 だから、今回のテロでも、かなり上の立場に居たかもしれない。

「それでも、死ぬまでに会って話すくらいのことは出来るわ」

「―――ボクは、君のことを少し、勘違いしていたよ。案外、ポジティブなんだね」

「そうでもないと、ゴブリンなんてやってられないもの」

 デミフェアが投影されたままの時計を手に取り、腕に巻く。

「もう出ないと。まったく、デミフェアなんだから、アラームぐらいやってくれなきゃ」

「うん、君があと二分三八秒目を閉じていたら、最大音量を流す予定だったよ」

「…………うん、まあ、それでいいや」

 ベッドに投げられていた上着を羽織り、玄関に向かう。

 

「…………」

 ふと。

 なんとなく、部屋を振り返った。

「…………いってきます」

 誰も居ない空間に、そう呟いた。



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七章 人魚の章

 今日も今日とて波は打ち寄せ、せっせと何かを運んでくる。

 海から来るそれは、石だったり、貝殻だったり、何かの破片だったりする。

 それは風だったり、空気だったり、何かの匂いだったりする。

 ただ、流石に今回はびっくりだ。

 なにせ、人魚(マーメイド)が運ばれてきたのだから。

 

 

 

「もしもーし」

 アザラシかなにかのように横たわる、ひとりのマーメイド。

 もちろん女だ。オトコならば魚人(マーマン)である。そしてもしそうなら、声などかけず、しっかりじっくり海の藻屑になるように石でも括りつけて放流している。

 しかし目の前のアザラシ……もといマーメイドは、それはそれは美しい人魚さま。お伽話にでも出てきそうな麗しい見た目をしている。

 しっとりと濡れた長い金の髪はまるで絹のようで、横たわるその体は太陽の光を受けて真珠のように輝いている。目を閉じているので、瞳の色が確認できないのが残念だ。

 ただ。

 こいつ、なんにも着てない。

 下半身はまだいい。だって、魚だし。青いウロコがばっちりカバーしてるし。

 ただ、上半身がまるっとぽろっとしちゃってるのは、現代の倫理的にちょっとマズいと思う。私が女だからよかったものの、オトコがこいつを見つけてたらきっとそのままキャッチアンドイート、おいしくぺろりといただかれていたことだろう。

「む……むう」

「およ?」

 なにか、今、声を上げたような。

 ずりずりと近寄り、口元に耳を寄せてみる。

「…………こぉ」

「こ?」

 ヘイビューティフルガール、ワンモアセイ。ソレじゃ伝わんないゼ。

「こぉ……」

「むむ?」

 ヘイヘイ、ワンモアセッ。

「…………ここ、どこぉ……」

「……あー」

 美しいマーメイドは、ひたすらにその言葉を繰り返しているらしかった。

 

 

―― ―― ――

 

 

 目を覚ますと、そこは満点の星空でした。

「わあ」

 なんだか見たことがあるような。

 でもちゃんと見るのは初めてのような。

 遮るもののない星空はどこまでも広がっているようで、まるで宇宙に居るみたい。

 ふと、波の音が聞こえたので、寝そべったまま、そちらに目をやりました。どこまでも広がる暗い海に、写し鏡のように星空が瞬いていました。

「綺麗……」

 うっとり。

 何もかもを忘れて、見入ってしまいます。

 がつん。

「へ?」

 唐突に。

 なんだか物騒な音が聞こえたかと思うと、なんだか物騒な痛みが頭部を覆いました。

「あ……ぐ、むむぅ……」

 あんまりにも唐突だったので、しばらく頭が回らないのもしょうがないことです。そのまま両手でつむじのあたりをおさえて、地面にむかってうつ伏せになると……。

 ぺしん。

「あいた」

 今度は背中に痛みが広がりました。

 なんなのでしょう。

 もしかしてわたしは、知らないうちに裏社会の取引材料にさせられ、いまどきB級映画でもやらないような人身売買の果てに、こんな荒れ果てた離れ小島に……」

「こら、なにが荒れ果てた、だ。すっげー綺麗じゃないの。このばかたれ」

 ぺしん。

「い、いたあ」

 二度目のビンタが背中を襲ったようです。というか、聞こえてたんですね。

「す、すみません。ではでは一体、わたしはなにゆえこんなところに?」

 うつ伏せの姿勢からごろんと仰向けの姿勢へと転がると、綺麗な女性がわたしの顔を覗き込んできました。

「はあ? こっちが聞きたいんだけど、それ」

 赤い髪の女性は、呆れたようにそう言いました。

「そ、そうですか。そう、ですよね、はは、は……」

 なんだか恥ずかしくなって、ぽりぽりと頭を搔いてみたり。

「まあ、いいけど。とりあえず、その毛布被っといてよ。そんな立派なもんブラブラさせてたら、男が黙ってないだろうから」

「りっぱ?」

 はて? と首を傾げていると、眼前の女性がそっと指をさしました。

 わたしの、胸のあたりを。

「―――――」

 ばるん。

 それは見事に、まるだし、でした。

 

 

 

「ハイ、きっかり三秒」

 波に運ばれてきたマーメイドは、その美貌に違わぬ透き通った声を島中に響き渡らせた。

「あ、あわわわ、あばばばば」

 砂まみれの毛布を引き寄せ、ぎゅっと胸元に押し付けるマーメイド。

「あー、横からこぼれるね、それは」

「ひゃあああ」

 今度は毛布にくるまりたいのか、地面の上をごろごろしはじめた。見てくれとは裏腹に、中身は残念なようだ。面白い方向に。

「明日になれば服くらいは用意できるから、そのまま寝といていいよ」

 毛布としっちゃかめっちゃかやっているマーメイドにそう伝えて、薪木に火を点けた。

「む?」

「ん?」

 火が点いた瞬間に、マーメイドが頓狂な声を上げた。

「あ、いえ、なんか今、変な感じが」

「変な感じ?」

「なんか、こう……ぞわぞわ?」

「ぞわぞわ?」

「じゃなくて……もきょもきょ?」

「―――――」

「そ、そんな顔しないでくださいっ」

 自分がどんな顔をしているのか、鏡を見ずとも分かる気がした。

「もきょもきょ、ねえ」

 マーメイドの言葉を反芻する。

「もきょもきょ、です」

 わからないでもない。

「…………しゃわしゃわ、かな?」

 毛布を体に掛け、思案するマーメイド。

 そんな彼女に見えるように、右手の人差し指を空に向かって立てた。

「みててごらん。……ふう」

 魔力を込め、人差し指に息を吹きかける。吐息は霧雨のようにマーメイドへと降りかかった。

「わ、つめたっ」

「ほら、これでしょ、あんたの……えーと、もきょもきょって」

「え、あ……はい。なんですか、それ」

「何って、魔法よ、魔法。あんた、人魚なんだから、使えるでしょ」

「そ、そんなヘンなこと、できませんよう」

「ふぁ?」

 あ。ヘンな息が出た。

「ぶ、ぶへえっ」

 私の驚きの声は、そのまま水流となってマーメイドの鼻を直撃した。

「げ、げほ、か、はう」

「ごめんごめん。今のは私が悪かった」

 びしょ濡れになった顔をシャツの袖で拭ってやりながら、さっきの言葉について尋ねてみる。

「で、あんた、魔法使えないの?」

「使えないというか、使い方を知らないというか」

「――――――ああ」

 なんか、分かった気がする。

「今更だけどさ、名前は?」

 推測が正しいかどうかは、この質問で分かる。

「わかりません」

 やっぱり。

「生年月日」

「存じません」

「出身地」

「忘れました」

「記憶喪失」

「そういうことです」

「シャーコラーッ」

 平然と言ってのけるマーメイドに、全力のビンタを炸裂させた。

「いたあ」

「ああ、もう、めんどくさいっ。人魚が波打ち際で漂流してただけでも大問題なのに、記憶喪失とか、これどうすりゃいいのよっ」

 うがあ、と頭をかきむしる。

「まあまあ」

 そんな私に、マーメイドが声をかけた。

「なんであんたが落ち着いてんだっ」

「さあ」

「…………はあ」

 地面に座り、きょとんと私を見つめるその目には、(よこしま)なモノがなにひとつない。純粋無垢とはまさにコイツのためにあるような言葉だ。

 その顔を見た途端、なんだかもう、どうでもよくなった。

「いいや、もう。明日になればジェシー来るし。Tシャツも来るし」

「じぇしー?」

「なんて言うかな、執事っていうか、お世話係みたいな」

「わあ、すごいですねえ」

 ぱちぱち、なんて拍手をされてしまった。

「すごくないわよ」

 なんだか恥ずかしいので、マーメイドに背を向けるように、草を敷き詰めた簡易ベッドに横になった。

「すごいですよ。それに、純人さんなのに魔法まで使えて」

「ん?」

「え?」

 なんか、ヘンなことを言われた。

「私、純人じゃないけど」

「え、あ、失礼しました。エルフさんでしたか。髪が長いので、お耳が見えませんでした」

「それも違う。え、なに、ほんとにわかんないの?」

「ええと……はい、すみません」

「人魚よ、人魚」

 私は寝転がったまま、ころん、と、拾ってきたマーメイドの方を向き、そう言った。

「え? だ、だ、だって、ほら、立派な御御足(おみあし)が」

「ああ、これ、魔法。元はアンタと同じ、おサカナよ」

「……はー……………」

 放心したような顔でこっちに近寄り、ぺたぺたと脚を触ってくるマーメイド。

「いや、でも、これ、うわあ、ええー……」

「やっぱ陸で生活するぶんには足ってあったほうがいいからねー。便利でいいわ」

「……それ、人魚のアイデンティティ捨ててませんか」

「捨てるわよ。いらないし」

「わーお、大胆。で、どうやってるんですか」

「ん、流石に自力じゃないね。どっかの妖精が作ってくれた陣魔法使ってる。日中は人魚らしく振る舞わないといけないし」

「それはなにゆえに?」

 小首を傾げるマーメイド。

「なにゆえって、だってここ、カリブじゃん」

「そういえばそうですね」

「で、緑の残る美しき孤島、いわゆる秘境でしょ」

「まあ、はい」

「だから、観光客がうようよ来るワケ。希少種の私らは、たっぷりサービスしてあげてるの」

「ああ、見世物ですか」

「……身も蓋もないわね。せめて動物園でしょ」

「かわりませんよ」

「そりゃそうか」

 わはは、と、二人で一緒に、少し笑った。

「日中は下はサカナで上はビキニって格好だけど、夜中はこの格好で過ごしてるわ。ここ、電気もインターネットも通ってるから快適だし」

 ぽん、と、長袖のTシャツを着た胸を叩く。

「わあ、秘境感が一気に無くなりました」

「いまどき秘境なんてそんなもんよ」

「世知辛いですねえ」

 眉を寄せて難しげな顔を浮かべながら、彼女がそう呟いた。

「…………ちょくちょくヘンなワード入れてくるわね。ホントに記憶喪失?」

「はい、もちろん。そんな器用な嘘はつけません」

「でしょーね」

 と、急にマーメイドがきょろきょろし始めた。

「なに、どした?」

「いえ、その。ネットも電気も来てるって割には、なんていうか……」

「ああ。そーゆーのは地下にあるんだけどさ、寝るときはココなの。風があって気持ちいいから」

「なるほど」

「それから、あんたを浜辺から引きずって地下に降りるのが面倒だった」

「それは大変申し訳ございません。あと、ありがとうございます」

「別に構わないわ。どうせ暇だからねえ」

 くわあ、と、あくびが出た。それを見たマーメイドも、私と同じくらい大きなあくびをひとつ。

「寝るか」

「寝ましょう」

 うんうんと頷き、各々、草の上へ寝っ転がる。

「あ」

 唐突にマーメイドが声を上げた。

「ん、どうかしたの」

「お名前、お訊きしてませんでした」

「ああ、なんだ、そんなこと。アティーナよ」

「なるほど、お美しい名前ですね」

「名前に美しいとかあるもんかな。まあ、いいや、ありがと」

「うーん、ここで名乗れないのが悔しいですねえ」

「へえ、律儀なもんだね」

 私の言葉をよそに、むうう、なんて声を上げるマーメイド。

「……名前とか、思い出せそう?」

「そういったカンジはまったくしませんね」

「自信たっぷりねえ」

「えへへ」

「…………」

 まあ、思い出しそうにないのなら、それまでの呼び名が必要か。

「んー……………」

「え? なんです?」

 彼女は私の視線に気づき、不思議な声を上げた。

「……トレス」

「へ?」

「あんたの名前。とりあえず、トレスで」

「……トレスって、ウノ(one)ドス(two)トレス(three)、ですか?」

「うん」

「構いませんけど……なんで、(tres)?」

「その毛布、それで三枚目だから」

「………………」

 胸に掛けた毛布を握り、口をパクパクさせて絶句するマーメイド。が、拒否しているふうではない。

「じゃー決まりね。おやすみ、トレス」

「えっと、そのう……、……はい、おやすみなさい、アティーナ、さん……」

 なんだか納得していないようなトレスの声は、潮騒のなかに溶けていった。

 

 

―― ―― ――

 

 

「……って、寝れるわけ、ないじゃないですか」

 草のベッドに横たわり、空を見上げてつぶやくわたし。

 数メートル離れた同じ地べたで、彼女……アティーナさんは、すでにすやすやと眠っています。わたしことトレス(仮称)は、彼女との会話の後、何をするでもなく、ぼうっと横になっていました。

 記憶を紐解こうとしてみても、いろんな言葉や想いが泡のように消えてしまう。なにか大切なこと、忘れてはならないこと、そんなことがあったはずなのですけれど、どうにもこうにも思い出せません。

 特に、名前。名前は大切です。わたしという存在を、わたしたらしめる重要な要素なのですから。

 けれどやっぱり、それもわからないのです。

 アティーナさんの話から、わたしはどうも浜辺で発見されたようです。そしてわたしはマーメイド。きっとうっかり友達とはぐれて、どこかの岩っころにでも頭をぶつけて、ふよふよとここへ流れ着いたのでしょう。

「…………あれ?」

 いえ、今の考えはおかしいです。

 だって、わたしはどこも痛くないのです。怪我なんてしていません。

 そっと毛布をめくって体を眺めてみても、擦り傷ひとつありませんでした。

 そっと頭に手をやってみても、たんこぶひとつありませんでした。

 謎が謎を呼んでいます。これはきっと、わたしの手には負えません。

 

 

 

 

「くわあ」

 朝日を一身に受けながら、大きなあくびをひとつ。

 頭上に広がる青い空と白い雲。毎度のことながら清々しい朝である。カリブの海は今日も平穏なりけり。

 ふと、潮騒に混じって、聞き慣れぬ音が聞こえた。そちらに顔を向けると、それはそれは美しい人魚が整った寝息を立てていた。

「あー」

 トレスだ。

 そう、私が拾い、私が名付けた、記憶喪失のマーメイド。

 厄介なことだ。

 人魚は妖精種よりも数が少ない。その人魚が浜辺に打ち上げられて、その上身元不明だなんて、洒落にもならない。

 当の本人はそんなこともお構いなしに、幸せそうに眠っている。

「このやろ、起きろっ」

 げしげしと脚で蹴ってやると、トレスが気だるげに目を開けた。

「ふわぁ……。ここ、どこですかぁ……」

「…………また、そっからやんなきゃいけない? ト・レ・ス?」

 右手を顔の横でぐっと握りこみ、満面の笑みで話しかける。

「起きます起きます、すみませんっ」

 ばっと起き上がるトレス。

 ああ、そんなふうに起き上がったら―――

「おやおや」

 と、背後から、今度は聞き慣れた声がした。

「ああ、来てたんだ」

「ええ、つい今しがた到着したところです」

 涼し気な青いTシャツを着た、お世話係のジェシー。彼は私の後ろを見ながら、小さく頷いた。

「そちらが、ええと、トレス……さん、でしたね」

「あ、はい。ジェシーさんですね」

「ええ。記憶がないということで、何かと不便でしょうが、しばらくはアティーナと共に過ごして頂きます」

「え、マジ?」

 そんなこと、聞いてない。てっきりジェシーがこのまま帰りの便でお持ち帰り、あとは政府とかの偉い人がどうにかするんだと思っていた。

「本当ですよ。ダブリンの一件で今、政府機関がてんてこ舞いなんです。落ち着くのには三日はかかるでしょうけれど、少なくともその間は記憶喪失のマーメイドなんて扱っている暇はなさそうです。それまでにトレスさんの記憶が戻れば御の字ですからね」

「……むう」

 正論であった。コイツは正論を言わせればカリブ(イチ)だと思う。

 私が黙りこむ一方で、トレスはきょとんとしていた。

「ダブリンの一件って、なんですか?」

 至極もっともなトレスの疑問に、ジェシーが律儀に返答する。

「ええと、昨日のことなんですけれど、トリニティ・カレッジという……まあ、大きな教育機関で、ゴブリン達が爆破テロを起こしたんです。世界中の各情報機関がひっくり返るくらいの騒ぎになってまして、はい」

「はあ。タイヘンですねえ」

 トレスはいまいちピンと来ていないらしい。まあ、当たり前だろう。

「ではトレスさん、差し当たって、このお召し物をご着用ください。その格好(・・・・)では、観光客の皆様が大変驚かれますから」

 ジェシーはそう言いながら、小さな紙袋を取り出した。

「その格好……?」

 ジェシーの言葉を聞き、自分の体を見下ろすトレス。

 彼女の身に付けていた毛布は、勢い良く飛び起きたせいで、足元に吹っ飛んでいた。

 

 

 

 地下は涼しい。コンクリートで囲まれていて殺風景だけれど、冷暖房、インターネット、ふかふかのベッド、ぴかぴかの鏡、生活に必要なもの、そうでないもの、なんでも揃っている。

 ジェシーは服やら食料やら、私がネットショッピングで買ったその他モロモロやらを運び終えたあと、「では、失礼します」といつもどおりの台詞を言って、一足先にエレベーターで颯爽と去っていった。

「はわわわわわわ」

 トレスは私のベッドの上で、顔を赤くして震えている。異性に裸を見られたのが余程恥ずかしいらしい。

「ジェシーはそれくらい、見慣れてるよ」

 なんともいたたまれないので、慰めの言葉を投げかけた。

「そ、それとこれとは別問題ですよう……」

 そう言って顔をうずめるトレスは、既にジェシーの持ってきた服を着ている。服と言っても、ビキニタイプの水着だが。

 下半身はおサカナのままである。半分意識の飛んだ人魚(トレス)をジェシーが担いで運ぶ様子は、さながら大物を獲ってきた漁師のようであった。

「……ええと、それで、これからどうするんですか?」

「海岸で観光客のおもてなしね。ほら、あのエレベーター、上と繋がってるの」

「はあ。でも、アティーナさんの足は戻さないんですか?」

「戻すわよ、これから」

 トレスにそう返事をして、私は身支度を始めた。

 Tシャツをぽいっと脱ぎ捨ててビキニに着替え、鏡の前で化粧と髪型を整える。

「トレス、あんた化粧……は、できないか」

「ええ、はい」

 ぼけっとしたまま答えるトレス。

「……ま、いらないかな」

「そうですか?」

「どーせあたしもナチュラルメイクだし」

「はあ。でも、海に入ったら消えちゃうんじゃないんですか」

「そこはそれ、この化粧、耐水性バッチリだから」

 ぱふぱふとファンデーションを叩きながら、この化粧品の素晴らしさをトレスに伝える。

「海水程度、何の問題もなし。ちゃんとした化粧落とし使わないかぎり落ちないわ」

「はあ」

 む。トレスはやっぱりピンときていないらしい。

「……人魚ってのはみんな美形だから、化粧なんてホントは要らないんだけどねえ」

「あ、それ自分で言っちゃうんですね」

「でも綺麗すぎて困ることなんて無いでしょ。だから人魚も、オンナを磨くワケ。まあでも、アンタはそのなかでもとびきりね」

「ジェシーさんもそうおっしゃってましたけど、その、喜んでいいのやら」

 トレスの声が淀んだ。

「馬鹿、素直に喜んどきゃいいのよ。ジェシーがオンナの顔を褒めるところなんて、少なくとも私は初めて見たわ」

「はあ。……目元はトレスさんに似てるっておっしゃってましたね。初めて会う気がしない、って」

「ん? そうだっけ?」

 その言葉を聞いて、鏡に写る自分の目と、背後でぼけっとしているトレスの目を見比べた。

 今になって気付いたが、私もトレスも、同じ、燃えるような赤い瞳だった。

「ほんとだ。私はもうメイクしちゃったけど、確かに似てるわ。へえ、おもしろいものね」

「えへへ」

 呆としていたトレスが、今度はなにやら照れている。感情の起伏が激しいやつだ。

「よっし、かんせー。トレス、上行くよ」

「わたし、動けないんですが」

「大丈夫。そのベッド、車輪(キャスター)ついてるから」

 トレスの座るベッドに近寄り、エレベーターのほうへと押しやっていく。

「よいせ、ほいせ」

「……なんで、ベッドに車輪が?」

 落ち着かない様子でトレスが問いかけてきた。

「いや、まあ、こんなこともあろうかと」

「あはは。記憶喪失の人魚を拾うなんてこと、そうそうあるわけないじゃないですか」

「―――うん。昨日までの私も、そう思ってたわ」

 エレベーターの前にベッドを寄せて、トレスを抱え上げた。

「おもっ」

「わあ、ひどい」

 そう口にしている割に、トレスは嫌そうな顔はしていなかった。

 トレスをエレベーターに降ろし、私は私の準備を始める。床いっぱいに描かれた魔法陣に手をつき、自らの魔力を注いでいく。

「……なにしてるんです?」

 トレスが不審げな声を上げた。

「昨日言ったでしょ、下半身を魔法で変化させてるって。これがその切替機(スイッチ)なの」

「ああ、なるほど。どうりで大きいわけですね」

 トレスの言うとおり、この陣は大きい。今乗っているエレベーターは機材搬入用のバカでかいものだけれど、その床にも壁にも天井にも、びっしりと魔法陣が掘り込んである。もっとも、今は私が魔力を注いでいるせいで不気味に青く光っているが、普段はただの彫刻だ。あまり気にはならない。

「よし、オッケーかな」

 十分に魔力を注いで、エレベーターのスイッチを押した。ごうん、と大きな音を立てて、エレベーターが動き出す。

「まだ普通の足ですよ」

「ああ、時間かかるから。先にエレベーター動かしとくの」

「はあ」

 

 

 

 トレスはとても飲み込みが早かった。

 今日一日の私たちの行動予定をキッチリ覚え、ついでにルールも覚え、昼になる頃にはお客さんに愛想を振りまく余裕まで出しはじめた。

「あ、お兄さん、チケット落とされましたよ」

「おや、本当だ。ありがとう」

 私たちが居る浜辺と、観光客の歩く浜辺は隔離されている。と言ってもアクリルの壁なんて無粋なものがあるわけもなく、腰の高さくらいまでの木の柵と、魔力殺しの軽い結界が張ってあるだけだ。

 だけども、我々人魚側のルールとして、境界線たる柵にはあまり近寄らないようにしている。観光客と私たち、双方の安全のためだ。無論トレスにもそのことは伝えている。彼女は波打ち際から、五十メートルほど離れた歩道にいる男性の落し物に気付いただけにすぎない。

「……千里眼かよ」

 私は歩道ともトレスとも離れた岩場の上でひなたぼっこをしながら、ぽつりと呟いた。

「千里も離れてませんよ」

「おまけに地獄耳」

「聞こえてますって」

 トレスは何が楽しいのか、尾びれを波にぶつけながらはしゃいでいる。

「なんていうか、あんた、いかにもってカンジの人魚ね」

「……アティーナさん、それ、褒めてます?」

「勿論。ジェシーが聞いたら夢かと疑うレベルで」

「あはは。それなら本当ですね。ありがとうございます」

 にっこりと笑うトレス。

 そう、彼女はとても人魚らしい(・・・)

 いや、らしすぎるのだ。世間一般、いや、私たち人魚も含めて、皆が持っている「マーメイド」という種族に対するイメージをそのまま具現化したら、たぶんあそこにいるトレスが出来上がるだろう。それほど、不自然すぎるほど、彼女は人魚らしかった。

 漂流してきた、彼女の記憶。

 彼女の「人魚らしさ」は、その記憶の、何かヒントのようなものなのかもしれない。

「…………それも、あとちょっとでわかるかな」

 昼になれば、ジェシーが妖精を連れてくる。

 正直あのフェアリーのことは好きにはなれないのだけれど、魔法の腕は折り紙つきだ。あの妖精なら、トレスのことも何か分かるかもしれない。

 

 

「それで、トレス。何か思い出したことはある?」

 観光客に見えないよう、岩陰でこっそり昼食を食べながらトレスに話しかけた。あの妖精の手を借りずにするものなら、それに越したことはないのだ。

「うーん……具体的なことは、何も」

「そっか。……うん、仕方ないかな」

 私がそう言うと、サンドウィッチを食べていたトレスの手が止まった。

「でも」

 いつになく真剣で、不安そうな表情で、トレスが語る。

「なんだか、あの浜辺も、この岩場も、あの森も、初めて見る感じがしないんです。全然思い出なんてないはずなのに、でも、どこかで、見たような」

 海の上でふわふわと浮かぶ精霊(エレメント)たちを眺めながら、トレスが呟いた。

「……デジャヴ、ってやつかな」

「でじゃぶ?」

「うん。既視感って言ってね、初めて見る出来事のはずなのに、どこかで見たような感覚がすること。夢で見たような、はたまた昔どこかで見たような感じ。脳みその処理が速すぎて、見た瞬間に過去だと感じるから、とか、いろいろ理由は考えられてるみたいだけど、詳しいことはまだわかってないんだって」

 トレスが食べているのと同じサンドウィッチを私も食べながら、ゆっくりと喋り続ける。

「でもトレスのデジャヴは、ちょっと引っかかるかな。なんせアンタ、記憶喪失なんだもん。トレスがただ単純に思い出せないだけで、きっと脳のどこかが憶えているのよ。この海を、風を、森を」

「それは、つまり」

「うん。貴女はきっと、この島のマーメイド(・・・・・・・・・)

 

 

 

 一番暑いお昼が過ぎて、少し涼しくなる十五時。

 今日はセント・レースの大勝負があるとかで、お客さんは早くもまばらになっていた。

「トレス、憶えてるかな。昨日のちょうど今頃、あそこでアンタを拾ったの」

 そうトレスに声をかけて、岩場を指差した。

「あ……そう、なんですか。すみません、ちゃんと記憶があるのは、夜に起きてから、くらいなんです」

「だろーね」

「それにしても、岩場で、ですか。わたし、よくケガしませんでしたね」

 トレスはそう呟いて、自身の体を眺めた。白い肌には切り傷も擦り傷もない。

「確かに、言われてみればそうね。……そっか。この島の人魚だとするなら、漂流してきたんじゃないのかも」

 今まで考えていなかった可能性を思いつき、ぱん、と手を叩いた。

「トレスが浜辺で倒れていたから、てっきりどこぞの島から流れ着いてきたのかと思い込んでいたけど……。そうじゃなくて、ほんとは陸から海へ行く途中だったんじゃないのかな。島の中をふらふらして、やっと海にたどり着いて、そうして安心した瞬間に、ふっと意識が緩んでしまった。……………っていうのは、どう?」

「どう、と言われても、お答えできませんが……。でも、確かに、それなら辻褄が合う気がしますね」

「でしょ? なら、ジェシーのやつにキチンともう一回、戸籍なんかを調べさせれば―――」

「いえ、ジェシーさんがそんなミスを犯すとは思えません。アティーナさんの説が本当だとしても、やっぱりわたしは管轄外のはぐれマーメイドだったんじゃないでしょうか」

「……むう」

 やけにきっぱりとトレスが言った。

「随分、ジェシーのこと、信頼してるわね」

「え……、そう、ですね。なんとなく、仕事はきっちりするひとだと思っていました」

 自分でも根拠はないらしく、トレスが顔を曇らせた

「あ、ううん、ジェシーはほんとに仕事のデキるやつよ。そこは私も信じられる。私が驚いたのは、トレスが初対面のジェシーを、そこまで信じていたことよ」

 私がそう言うと、トレスは顔をほころばせた。

「それなら、アティーナさんも同じ、初対面ですよ。わたしはアティーナさんと少しお話して、なんとなく、わたしに嫌なことをするひとじゃないって思いました。直感、みたいなものです。ジェシーさんもアティーナさんも、顔を見れば、悪いひとじゃないってわかりましたから」

「―――――」

 ああ。

 こいつ、ばかだ。

 亜人であれ純人であれ、ヒトと名のつく知的生命体は、他のヒトを信用するべきではない。

 それが家族であれ、友人であれ、恋人であれ、信頼を寄せることはあっても、信用しきってはならない。それは、ヒトが生きていくうえで、自然と身につける知識であり技能だ。

 なぜなら、信用する、ということは、そのまま等号(イコール)で、裏切られる、ということだから。

 生きていれば必ず味わうこと。この世にいる限り逃れられないこと。

 ヒトはヒトを裏切る。

 これはもう、仕方のないことだ。世界というものは、ヒトというものは、そういうふうにできている。

 だからこそヒトは、せめて少しでも、裏切られたときに感じる痛みを減らすため、他のヒトを信じなくなる。

 信じれば裏切られる。

 ならば、信じなければ、裏切られない。

 それだけのこと。誰かに教えてもらわなくても勝手に身につく教訓だ。

 それを。

 それをこのマーメイドは、これっぽっちも考えていない。

 まるで、ヒトを信じることが、当然だと。

 まるで、ヒトが裏切るなんて、ありえないと。

 そんなことを言いそうな澄んだ赤色の瞳が、今、私を見つめている。

「…………参った。うん、アンタにはかなわないわ」

「え、え、なんですか?」

 純粋無垢のマーメイドは、わけもわからず首を傾げていた。

 

 

 

「ちーっす、アティっち」

 その鬱陶しい声が砂浜に響いたのは、日が傾き始めた頃だった。

「…………来やがったな」

「あはは、アティっち今日も怒ってるー。ねえジェシー、なんでアティっちっていつも怒ってんの?」

「アティーナは誰かれ構わずに怒るような、無作法な女性ではありませんよ、ロミ」

 ジェシーが傍らに浮かぶ妖精に語りかけた。

「ふーん、じゃあ、いつもタイミング悪いだけかあ」

「…………そうですね」

 心なしか、ジェシーの顔に疲れが見える。たぶん、あのハイテンションフェアリーと一緒に船に乗ってきたのだろう。ロミを連れてくるように頼んだのは自分なので、とても申し訳ない。

 ただ、他に妖精が居なかったのだ。この島を担当しているロミ以外の妖精を呼ぼうとするのなら、まるっと一週間はかかる。

 それでも、ジェシーには酷な頼みごとをしてしまった。後日、何かプレゼントでも買ってやろう。

「で、アティっち。用があるって―――」

 私に話しかけたロミが、唐突に言葉を切った。しゃべりだすと止まらないロミだが、こうやって不意に止まるとそれはそれで気になる。

「なに、ロミ」

「…………アンタ、何」

 私の言葉を無視して、珍しく険悪な表情を浮かべるロミ。

 その相手は、こともあろうか、トレスだった。

「ちょ、ちょっと、ロミ」

「アティっちは黙ってて。ねえアンタ、ここで何してるの。いつからここにいるの。何のためにここにいるの。いいえ、いいえ、どれも違うわね――――アンタ、なんでそんな格好をしているの(・・・・・・・・・・・・・・)

「…………は?」

 ロミの質問の意味がわからない。

 隣のジェシーも、波打ち際のトレスも、岩場の私も、全員が口を閉ざした。

 

「答えなさいっ。なんで妖精のアンタが、そんな格好をしているのっ」

 妖精(ロミ)人魚(トレス)に、そう叫んだ。

 

 

 

「―――つまり。その女は人魚に化けた妖精。コイツの言葉を信じるんなら、あー、妖精に成って(・・・)すぐ、の状態ね。記憶が無いのは当たり前よ。新しく生まれてくる赤ん坊が思い出を持っていないのと同じことだもん。コイツは妖精に成ったとき、無意識に変化(へんげ)の魔法を使ったんでしょーね」

 岩場の影に私たちを集め、ロミはそう語った。

「わたし、が、妖精……?」

 トレスは戸惑いを隠せていない。

「そーよ。だからとっとと、その魔法を解きなさい」

「そ、そんなこと言われても、わたし、魔法なんて」

 トレスはそう言いながら、私を見た。顔に、タスケテ、と書いてある。

「…………あー、ロミ。トレスは嘘をつけるほど器用じゃないわ。魔法だって、きっと意識的には使えない。ねえ、ほんとうにそんな、魔法を使えない妖精、なんて居るの? そんな、エラ呼吸できないサカナみたいなのが?」

 私がそう言うと、ロミがこれ見よがしにため息をついた。

「まあ、いっか。ジェシーも信じてるみたいだし、ホントなのね。……あー、コイツはさっき言ったとおり、生まれたばかりの赤ん坊なの。考えてみて、母親の子宮から出てきたばかりの赤ん坊が、読んだり書いたり走ったり、出来ると思う?」

「実際トレスは、泳ぐくらいなら出来るみたいだけど」

 昼下がりの暑い時間、トレスは海ですいすいと泳いでいた。さすがは人魚だなあ、なんて思っていたのだけれど、あれを赤子と思え、というのは、ちょっと無理がある。

「あー、うん、例えが悪かったかなあ」ぽりぽりと頭を掻きながらロミが言った。「妖精ってのは、詳しいことは言えないけど、ある程度の知識とか経験を持った上で発生(・・)するの。コイツの場合は、この島で暮らす人魚の生活を見てきたんでしょ。実際、目はアティーナ、口はシャニラ、髪はカシューのを真似てるし」

「あ」

 シャニラとカシューというのは、別の地区を担当している人魚だ。そう言われれば、面影がある……どころか、瓜二つだ。

「そうでしたか。それで、どこか見覚えがあったのですね」

 ジェシーも納得がいったようだ。

「そーゆーこと。これでハッキリしたでしょ。コイツは妖精。人魚なんかじゃない」

 ロミはそう言って、またトレスを睨んだ。

 その視線に、トレスが抗う。

「ロミ・バーニャさん、でしたね」

 トレスが静かな声で、ロミに語りかけた。

「な、なによ」

 突然の雰囲気の変化に戸惑うロミ。

「わたしは、トレスです。コイツでも、ソイツでもありません。アティーナさんからきちんと、トレスという名を頂いています。ですから、トレスとお呼びください」

 凛とした表情で、トレスがそう言った。

「―――――」

 また、砂浜を沈黙が包んだ。

 今までなされるがままだったトレスが、初めて自身の意見を強く主張した。それも、私がテキトーに付けた名前のことを。

「―――そう。もう、名前を貰ったのね、貴女は」

「はい。仮の名でしたが、それ以前にわたしの名が存在しないというのなら、わたしがまだ、この世に生まれたばかりなら、わたしはトレスです」

――――胸が、詰まった。

「いいわ、トレス。貴女を、貴女の名を認める。ついでに、無礼も詫びておくわね」

――――こんなきもちは、久方ぶりだ。

「いえ、ロミさんの対応ももっともです」

「ありがとう。……じゃあ、トレス。魔法を解いてあげましょう」

――――私がつけた名。それを、こんなにも、大切にしてくれるなんて。

「お願いします。ロミさん」

「うん。…………解けろ(dispel)

 しゅるり、と。

 大きな、衣擦れのような音がした。

 

 

「まー」ロミが言った。

「そりゃあ」私が続いた。

「そうなりますね」ジェシーがシメた。

 トレスの魔法は解けた。

「はわわわわわわわわ、あわわわわわわわわわ」

 ただ、トレスにかかっていたのは変化の魔法だ。

 それも体の構造を完璧に変える、とびっきり高度なシロモノ。

 それを解いたら、そりゃあ、生まれたままの姿(・・・・・・・・)に戻る。

「ジェシー、上は見慣れてても、さすがに下は見慣れてないよねー?」

 きゃいきゃいと騒ぐロミ。

「そのご質問、どう答えても私の立場はよろしくありませんね」

 そっと目を伏せるジェシー。

「ふわわわわわわわわわわわ」

 そして、岩陰に体を押し付け、必死に体を隠す、小さな小さな妖精(トレス)

「トレス。おしり、見えてるよ」

「ひゃわあああああああああああああ」

 

 

―― ―― ――

 

 

 トレスはロミが連れて行った。

『ここに置いといてもしょーがないでしょー。時計台に連れてくから、一人前になったらまたここに戻すよ』

 ロミはそう言っていたけれど、果たしてそれもいつになるやら。

 私の日常は変わらない。気ままに泳ぎ、気ままに食べ、気ままに寝る。そして気ままに、ネットショッピングをする。

「アティーナ。これはまた、沢山買いましたね」

 ダンボールの箱の山を持ってきたジェシーが、珍しく愚痴をこぼした。適当に部屋の隅に置いておくように指示し、化粧を続ける。

「おや、この小さな包みは?」

 大きなダンボールに紛れ込んだ、手のひら大の小箱を手に取るジェシー。ちらりとそちらを見て、差出人を確認した。

 少し前に買ったものだが、やっと届いたらしい。ジェシーに開封するよう促す。

「おや、よろしいのですか。では失礼して」

 中身は見ずとも分かる。

「…………ふふ。貴女も、随分と丸くなったものですね」

 三つの輪っか。

 男の指と、女の指と、妖精の腕に合う、金属のリング。

「ええ。いつか、これを身に付けた彼女の姿が見たいものです」

 彼はそう呟いて、箱を閉じた。

 



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八章 血鬼の章

 北欧。

 数々の「亜人種」が誕生したとされ、魔法学にも秀でた土地。

 しかし。 

 亜人種が北欧で誕生した、なんていうのは、純人たちの神話や伝承によるもの。本当は世界各地でポツポツ誕生しているのだ。魔法学だって、ここ百年ほど、ビッグベンのあるイングランドに先を越されている。

 未開の地、神秘の地。

 そうであったはずの北欧は、現代社会に飲み込まれた。

 伝説、歴史、ここは、それらを十二単のように着込んだ、お飾りの土地になってしまった。

 

 

 空港の面倒な手続きを終えて、ロビーに向かう。

 深夜ではあるけれど、ここは国際空港だ。人は多い。

 人混みに目をやると、探すまでもなく、目的の人物が見つかった。

「やっほー」素早く近寄り、数十年ぶりに再開する知己に声をかける。「なんかまた、難しい顔してるね、ハインツ」

「……開口一番、それかよ、イヴァ」

 しかめた顔を逸らす、旧友。

「あはは」

 久しぶりにその表情を見て、ボクは、つい笑ってしまった。

 

 

「ハインツ様と、イヴァンナ様ですね」

 ハインツと会ってすぐ、黒いスーツを着込んだ若い男のひとが声をかけてきた。

「……ああ」

「そうですー」

 ボク達が返事を返すと、男性は(うやうや)しく一礼した。

「ケヴィン・エルドンです。ようこそ、ダブリンへ」

 歯切れの良い挨拶。ぱりっとした動き。

 ケヴィン・エルドン。

―――そっか。

 本当に。

 このひとが、あの人狼部隊(・・・・)なんだ。

「イヴァンナ・ペトローヴナ・ロマノヴァです。イヴァでいいよ、ケヴィンさん」

「……ハインツ・フォクトだ」

 相変わらずしかめっ面を浮かべるハインツをよそに、ボクはケヴィンと名乗った人狼さんと握手をした。

「まずは、ホテルまでご案内します。車を停めてありますので、ついてきてください」

 

 

 

「―――ねえ。聞いてるの、ハインツ?」

 車に乗ってからというもの、なんだか一方的に話し続けている気がしてきたので、ハインツの名を呼んでみた。

「…………カレッジが、狙われてんだろ」

 窓から夜景を眺めていたハインツは、ため息を吐きながら返事をした。うん、話は聞いていたみたいだ。

「そう。あのトリニティカレッジがテロの対象になるなんて、ホント、世も末だよ。魔法学から手を引いてまだ百年そこいらなんだから、襲撃に成功すれば確かに話題性は高いかもしれない。けど、あそこにはあの図書館があるんだよ? 国宝とか、エジプトのパピルスまで保管されてる、世界一の図書館が。あそこが襲われるなんて―――む」

 気づくとハインツはまた、窓の外へ視線を戻していた。

 いつもこうだ。このオトコは、ボクの話をちっとも聞きやしない。

 そんな様子をケヴィンさんはミラー越しにでも見ていたのか、

「ハインツ様とイヴァさんは、ご友人だったのですね」

と、車を運転していながら言った。

「うんっ」ハインツはどうせ答えないので、ボクが代わりに返事を返した。「結構旧い仲でね、最初に会ったのは第二次大戦のときだから、百年くらい前かな。バルバロッサのときにボクがウッカリ捕虜にされて―――」

「友人ってわけじゃねえよ」まだ話の途中なのに、ハインツが割り込んできた。「イヴァはただの顔見知りだ」

「…………ふふ。そのわりには、ちゃんと『イヴァ』って呼んでくれるよね」

 ボクがそう言うと、ハインツは顔の皺をより深くした。

「…………」

 黙りこむハインツ。

「はは、は」

 ケヴィンさんは、引きつったような笑い声を上げた。

「…………なあ」ボクの視線に耐えかねたように、ハインツがケヴィンさんに声をかけた。「あんた。なんつったっけ、名前」

「はい、ケヴィンです。ケヴィン・エルドン」

 運転しながら律儀に返答する人狼さん。

「―――ハインツ、これで名前訊くの三回目だよ? そろそろ覚えなよ」

「……名前を覚えるのは、苦手なんだ」

 ボクのからかいの声に、ハインツは渋い声を上げた。

 

 

 

 ホテルに到着した。

 人狼部隊の拠点だというので、どんな最先端技術が使われているのかとワクワクしていたら、その実態は今にも崩れそうな安ホテルだった。ダブリンにこんなボロい建物が残っていたのかと、驚嘆の声をあげそうになってしまうほどの。

「どうぞ」

 ケヴィンさんが扉を開き、先を促した。彼に続くように、ハインツと並んでホテルの中へと足を進める。

 網膜認証とか、声紋認証とか、そういうのも無いらしい。ハインツが表情一つ変えない辺り、魔法による結界も無いのだろう。

「…………ケヴィンさん。さすがにここ、手薄過ぎない、かな?」

 ボクがそう言うと、ケヴィンさんは困ったような笑みを浮かべた。

「ええ、私もそう思います。ですがこれは、隊長の方針でして。施設に防備を頼るような部隊であれば、いっそ駆逐されてしまえ、と」

「わ、わあ……」

 ……なんとも豪気な隊長さんだ。自分の身は自分で守れ、ということなのだろうけれど、本来拠点というのは安心できる場所、くつろげる場所のはずだ。そこにすら頼らない、いや、頼らずに済むのが、人狼部隊の強さなのだろうか。

「ふん、それで本当に壊滅させられたら、笑い話にもならねえな」

 階段を登りながら、ハインツが吐き捨てるように呟くと、ケヴィンさんはさっきと同じ笑みを浮かべた。

「はい、ごもっともです。ですがご安心を。一応、これまでの歴史では拠点が陥落したことは無いようですから」

「―――――」

 なんでもないことのように語ったケヴィンさんの後ろで、ハインツはぎょっとしたまま黙りこんだ。

 それもそうだろう。人狼部隊の歴史というと、西暦よりも遥か昔まで遡る。数千年単位で活動してきたはずの部隊だ。それなのに、一度も拠点を陥落されたことがない、とは。

「はー……」

 知らず、声が漏れていた。

「いえ、あくまでそういう記録が無いだけです。本当は一度や二度くらい、陥落したことはあるかもしれませんよ。……少なくとも、この数世紀でそういったことはありませんでしたが」

「…………」

「…………」

 ボクとハインツはそれ以上口を開くことができず、しずしずとケヴィンさんの後に続いた。

 

 

 

「うっす」

 ケヴィンさんが扉を開くと、ひどく気の抜けた声がボク達を出迎えた。

 おかしい。

 人狼部隊の隊長さんの部屋だと、ケヴィンさんは言っていたのだけれど。

「隊長、イヴァンナ様とケヴィン様をお連れ致しました」

「おう、ごくろーさん」

―――ああ。

 このひとが。

 ごろっとソファに寝転んで、

 古い雑誌を胸に置いて、

 クタクタのスーツを着たこのひとが。

 この、疲れたサラリーマンみたいなひとが、人狼部隊の隊長なんだ。

「あー、そのへんに座ってくれ。別に大した話は無えけどよ、ふたりとも、長旅だったろ。お前らに動いてもらうのは、現地警察の許可が下りてからだからなあ。酒でも飲むか? ……ん、そうか。なんだ、真面目だなあ、お前ら。俺は仕事前だろうがなんだろうが、飲むときゃ飲むぞ。ああ、だから今もほら、こうやってとっておきのウイスキーを……」

「隊長。先に仕事の話を済ませてください」

「む」

 ボロボロのソファにどっかり座り込んで、薄汚れたボトルを手にした隊長さんに、ケヴィンさんがため息混じりに進言した。どうも、いつもこんな調子らしい。

「お前も相変わらずクソ真面目だなあ、ケヴィン。ま、いいや。えーと、お前は、どの分隊だったか……」

 隊長さんもため息を吐いて、ぐちゃぐちゃの机から何かのリストらしい紙切れを取り出した。

「ああ、第五か。よし、じゃあ所属を発表する。人狼、ケヴィン・エルドン。エルフ、ハインツ・フォクト。ドラクル、イヴァンナ・ペトローヴナ・ロマノヴァ。以上三名を、陣魔法解体部隊第五分隊に配属する。以上。―――もう飲んでいいよな?」

「ダメです。挨拶くらい、なさってください」

「へいへい。あー、よろしく、イヴァンナくん」

 隊長はそう言って、ハインツに握手を求めた。

「―――――あの。オレ、ハインツですけど」

「は?」

 呆れた顔のハインツと、間抜けた顔の隊長さんが、お互いの顔をまじまじと見つめた。

「……いや。いや、いやいやいや。耳長(エルフ)がハインツで、吸血鬼(ドラクル)がイヴァンナだろ?」

「そうっスよ。ホラ、これ、耳」

 そう言って、ハインツはロングヘアーで隠していた耳を露わにした。

「…………あー、うん、こりゃ、立派なエルフ耳だな。

 え……、じゃあ、こっちの、この、ショートボブで、ゆるふわで、ちびっこくて明るくて可愛らしいお嬢ちゃんが、吸血鬼?」

「そうです。そっちのオンナが、ドラキュリーナ(・・・・・・・)です」

 二人の顔が、ボクを向いた。

「―――えへへ。よろしくおねがいします」

 なんとなくそれが嬉しくて、ボクは隊長さんにぺこりとお辞儀した。

 

 

「へーえ、最近の吸血鬼は随分と可愛らしくなったもんだなあ。ほれ、ええと、イヴァンナちゃんか。一杯飲めや」

「じゃ、じゃあ、赤ワインなら……あ、はい、ありがとうございます」

「いや、コイツがイレギュラーなだけっスよ、隊長。……イヴァ、お前はとりあえず、その服装をどうにかしろ」

「え、かわいくないかな? ダメ?」

「いや、だから、もっとドラクルらしくだな……、ああ、いや、もう、いい……」

「……ふうん。なんだ、仲良いな、お前ら」

「いやあ、それほどでもないですよー」

「…………腐れ縁なだけっスよ」

 

 

 人狼部隊長の部屋で、のんびりくつろぐエルフとドラクル。

「……隊長。そろそろ、仕事の、話を」

 そこに割って入るように、厳かなケヴィンさんの声が響いた。

「あ? さっき配属決めたろ」

「それだけではなく、仕事内容も説明してください。何のための顔合わせですか」

「その辺の情報は、先に本部(ICPO)から行ってると思うけどなあ」

「…………隊長?」

「うげ。怖えよ、ケヴィン。最近ただでさえ、お前みたいなクソ真面目が増えたってのに……」

「ああ、そう言えば『彼女』はどちらに?」

「あいつなら隣の部屋で寝てる。いちいち面会しても意味無えっつってな。

 ……えーと、仕事は単純だ。トリニティ・カレッジあたりの地下水道に、爆破系のでっけえ陣魔法が六つ、敷かれてるって情報があってな。お前らにはそれを解体してもらう。で、知っての通り、相手はあの(・・)ヒルダだ。魔力隠し、カウンター、トラップ、なんでもござれって感じだろうぜ。

 とりあえず地上からじゃおおまかな位置すら掴めねえんで、各分隊にひとりずつエルフを配備して、全六分隊総出で探索してもらう。陣を発見したら、この無線機で報告してくれ。念話は混雑するし、ジャミングの可能性もある。ちなみに敵の戦力は不明だ。が、まあ、せいぜいトロールがいるかどうかくらいだろうさ。

 ……情報はこんなもんだ。全部インターポールに報告したんだがなあ。まあ、よろしく頼む」

「はいっ」

「了解っス」

「……よし、良い返事だ。これでいいよな、ケヴィン?」

 隊長さんが気だるげにケヴィンさんの方を振り向くと、当のケヴィンさんは首を横に振った。

「…………なんだよ。まだ、なんかあるか?」

「ええ。隊長の自己紹介が、まだです」

「なっ……」

 自己、紹介?

 そんな、小学校の入学式みたいな言い方をしなくとも。

 今回のお仕事は国際刑事警察機構からの依頼であるので、他にもっと、なにか別の表現があるんじゃないかなあ。

「…………。……あー、えー、ジョゼフ・ハインドマンだ。

 ……………すきなものは、レアステーキ」

 言って、ウイスキーをあおる隊長さん。

「…………」

「…………」

「結構です、隊長」

 真面目に頷くケヴィンさん。

 ボクとハインツは、笑いを堪えるのに精一杯だった。

 

「あはははははははは」

 堪えていたはずの笑い声が、狭い部屋にこだました。

 ボクの声でも、ハインツの声でもない。女性の笑い声だ。

「む」

 顔をしかめる、ジョゼフ隊長。

「―――そりゃアンタ人狼なんだから、生肉好きでしょ。言わなくったってわかるわよ」

 そんな言葉がまた聞こえたかと思うと、ハインツの眼前で金髪の妖精が実体化した。

「はじめまして」ぺこりとお辞儀をし、ハインツへ話しかける妖精さん。「ジョゼフのお目付け役、インターポールから来たイェシカよ」

「はあ」

 ノリノリで挨拶する妖精さんと、不審げで気乗りしない様子のハインツ。そんなふたりを眺める隊長さんが、不機嫌そうな声を上げた。

「おい、イェシカ。お前、寝るって言ってたじゃねえか」

「優秀なエルフが来た気がしたから起きちゃった。ええと、貴方、お名前は?」

「…………ハインツ、フォクト」

「ハインツさんね。ちょっと頼みたいことがあるから、こっちの部屋に来て頂戴」

 言うが早いか、イェシカさんはしゅるりと部屋を出て行った。

「…………」

 ハインツは黙ったまま、隊長さんに「どうすれば」と視線で問うている。

「……はあ。アイツの気まぐれは、今に始まったことじゃねえしなあ。ハインツ、行ってくれるか」

「……分かりました」

 そう言って、部屋を出て行くハインツ。

 ふたりとも、やれやれ、なんて言葉が付きそうな喋り方だった。

 

 

―― ―― ――

 

 

 そして、数時間後。

 吸血鬼であるボクが、良い感じに調子の出てくる深夜帯。そんな時間に、ボク達第五分隊は下水道に潜入していた。

 ケヴィンさんは耐銀装備を頭から爪先まで着込んでいる。第二次大戦の頃の人狼の装備というと、まるで中世ヨーロッパの騎士のようにゴテゴテしていたものだけれど、今代のものは黒くてスマートでカッコイイ。いかにも特殊部隊って感じがする。

 ボクは普段着だけれど、万が一のために背中のリュックサックの中に対紫外線装備を詰め込んである。別に要らないんだけど、隊長さんがどうしても、というので背負ってきたのだ。

 ハインツもほぼ普段着だ。懐中電灯の他に怪しげなアタッシュケースを持っているけれど、それ以外はいつもどおりみたい。

 かつかつと靴音を響かせながら、暗い道を征く。ハインツに照明魔法を使ってもらいたいけれど、対魔力トラップなんかが仕掛けられているかもしれないので、前時代的な懐中電灯のみを頼りに探索を進めていた。

 とはいえ、ボクは吸血鬼だから暗いほうが良く見えるし、人狼であるケヴィンさんも目が良いらしく、問題ないらしい。ハインツは、まあ、ボク達でカバーするしかないかな。

「面白い隊長さんだね」

 黙々と進むのも嫌なので、それとなくケヴィンさんに話しかけてみた。

「そうですね」そう言うケヴィンさんの表情は暗い。「私としては、もう少し威厳が欲しいのですが……。久しぶりに会ってみても、相変わらずです」

「あれ、そうなんだ。最後に会ったのはいつごろなの?」

「ええと、『赤い(Le Brigate )旅団(Rosse)』の事件以来ですから…………七、八十年ほど前でしょうか」

「ふーん」

「お、おい、ふーんじゃねえだろ」いきなりハインツが割り込んできた。「なんだ八十年って。アンタら、同じ部隊なんだろ。なんでそんなに会ってねえんだよ」

「え、世紀ごとに会合が開かれてますから、それなりの頻度では会っていますよ」

「うん、まあ、そんなもんだよね。……そういやボクも、三百年くらい会ってない友だちがいるっけ」

 ボクとケヴィンさんがそう言うと、なぜかハインツは頭を抱えた。

「……………。人狼と吸血鬼(お ま え ら)の基準、ちょっとオカシイって自覚くらいは、持っとけよ……」

「純人の基準がおかしいんだよ。百年しか生きられないなんて、ヘンだよ」

「そうですね」

「……………もう、いい……」

 

 

「……ハインツさん。どう(・・)ですか、この地下道は」

 二十分ほど歩いたところで、ケヴィンさんがハインツに声をかけた。ハインツに訊くということは、この地下道にどんな魔法が使われているか、ということなんだろう。

「…………まあ、流石は、妖精の師ってところだな。もう二十は超える数のトラップがあった。今のところ無詠唱で解除できるようなヌルいのばっかりだが、本命に近づけばそうは行かなくなるだろうぜ。……あと、そう、これだ」

 ハインツはそう言って、レンガの壁に懐中電灯を向けた。

「これ、とは?」

 ケヴィンさんが首をひねる。特に、変わったところはない。

「そう見えるだろうけどな。ここに魔力を流すと、こうだ」

 ハインツが壁に手を当てると、音もなく、一筋の線が縦に走った。

「…………なに、これ。割れ目?」

 ボクがそう言うと、ハインツは首を振った。

「違う。継ぎ目(・・・)だ。ヒルダは、この地下水道全域を陣魔法で回廊操作してるんだ。しかも、水の流れはきちんと元のままにしてな。経路をめちゃくちゃにいじくり回してるくせに、始点、終点はキッチリ合わせてある。この辺の住民から、水が出てこない、流れない、なんて文句が出ないようにな。……これはもう天才というか、怪物の類だろう」

「……では、地図等は役に立たないということですか?」

「ああ、あるだけ無駄だ。探査魔法もまともに働かねえ。徒歩(かち)で探し回るしかないだろうぜ」

「むう。原始的だねえ」

 ボクがため息混じりにそう呟くと、

「しゃあねえだろ」

「仕方ありませんね」

と、ふたりが呟いた。

 それきり、しばらく会話が途絶えた。

 

 

 かつ、かつ、かつ。

 かつ、かつ、かつ。ぼそり。

 三人分の足音と、ハインツの呟くような破魔の詠唱だけが、ただ響く。

 ボクの性格のせいなのだけれど、無言、というのはとても居心地が悪い。何か話していないと落ち着かないのだ。

「……ねえ、ケヴィンさん」小声でまた、ケヴィンさんに話しかけた。「ジョゼフさんは、どうして部隊ごとに個別面談をしたの? みんな一気にやったほうが、楽だったんじゃないかと思うんだけど」

「ああ、あれも隊長の方針ですよ」ケヴィンさんはボクを咎めることなく、話に応じてくれた。「一時的にも部下と上司の関係になるのなら、互いの顔と名前くらい、きちんと覚えておくべきだ、と」

「ふうん。……悪い言い方になっちゃうけど、なんか、古いやり方だね」

 ボクがそう言うとケヴィンさんは、そうですね、と苦笑した。

 が、ハインツは違った。

「…………オレは、好きだけどな」

 懐中電灯を手で弄びながら、ぶっきらぼうなふうを装って、ハインツが呟く。

「ああ、うん。ハインツは、そうだろうね」

「そうなのですか?」

 ケヴィンさんはきょとんとした顔をしている。

「うん、ハインツはね、自分の若かった頃のものが大好きだから。どうしても趣味が古臭くなっちゃうんだ」

「……おい」

「えーと、好きな映画はショーン・コネリーの007、好きな本は『長いお別れ』、好きな女の子のタイプはオードリー・ヘプバーン」

「…………おい。なんで、お前、そこまで、知ってるんだ……」

 ハインツが、今まで聞いたこと無いくらいに情けない声で呻いた。

「へへん。これでもボク、吸血鬼だもの」

 そんなボクらを見て、ケヴィンさんは笑っていた。

「おふたりはほんとうに、仲がよろしいのですね」

 

 

 

「……………………ん」

 地下道に入って一時間が立った頃。唐突に、ハインツがうずくまった。

「ハインツ、大丈夫?」

 罠にでも引っかかったのかと思い声をかけると、

「……ビンゴだ」

と、彼は嬉しそうに言った。

 その言葉を聞いて、辺りを見渡してみる。

「…………別に、なにもないけど」

 周囲は普通の下水道だ。中央を水が通り、その両脇に道がある。天井も床も壁も、今まで通ってきた場所と何ら変わりないように見える。

 ぱんぱんと、柏手を打つような音がした。見ると、ハインツが何やら作業を終えたようだ。

「……よし。今からここを、軽く爆破する」

「へ?」

「軽くだ。だがまあ、向こう側に行っといたほうがいいだろうな」

 ハインツはそう言って、水路を挟んで向かい側の通路を指差した。

「うーん、なんかよくわかんないけど……ケヴィンさん、いい?」

「ええ、お二人に従いましょう」

 幅五メートルはあろうかという水路を見る。ボクとケヴィンさんはともかく、ハインツは飛び越せないだろう。

「よし、ハインツはボクが背負うね」

「ええ、信頼しあっている仲のほうが良いでしょう。お願いします」

「…………はあ」

 

 嫌がるハインツを背負ったところで、ケヴィンさんが心配そうに声をかけてきた。

「―――吸血鬼は流水の上を渡れない、と聞きましたが。イヴァさんは大丈夫なのですか?」

「あー、うん、ボクは大丈夫だよ。ちょっと気持ち悪くなるけど、一瞬だし」

「…………ケヴィン。コイツ、こんな格好だけどな、能力(スペック)だけは一丁前だぜ」

 ボクの背中でふてくされるハインツが、ぼそりと言った。

「そうなのですか?」

「陽にあたっても日焼けで済ませやがるからな。これで中身がマトモなら、稀代の吸血鬼だったろうに」

「えへへ。ねえハインツ、褒めてる?」

「…………」

「い、行きましょうか。……ほっ」

 一足先に、ケヴィンさんが跳んだ。

 瓦礫を巻き上げ、弾丸のように、一直線に。

「わあ。ボクもあれくらいやろうか?」

「やめろ。お前が無事でもオレが死ぬ」

 

 

「よっ」

 ふわりと岸に着地し、ハインツを降ろす。

「よし、じゃあ、さっさとやるぞ」

 さっきと同じようにうずくまるハインツ。

「何してるの? さっきも、血の臭い(・・・・)がしてたけど」

「あ? 血ってのは最高の触媒だろうが。遠隔魔法をキッチリやりたいんなら、それくらいしねえとな」

「なるほど。流石は魔法種だね」

「―――基礎知識だ、馬鹿」

 ハインツがボクを罵倒した瞬間に、向こう岸で爆発が起きた。

「え?」

「おや?」

 妙な爆発だった。ボクもケヴィンさんも首を傾げている。

 音がしないし、瓦礫も飛ばない。その衝撃だけが静かに伝わってきた。

「…………当たり前だ。今爆破したのは、モノじゃなくて結界だからな。戻るぞ、イヴァ、ケヴィン」

 

 

「―――これは、なんと……」

 ハインツが爆破した場所に近寄ると、ケヴィンさんが驚嘆の声を上げた。

 それもそのはず。何もなかったはずの地面は、地下深くへと続く大理石の階段へと姿を変えていた。

 懐中電灯の光を弾き返す、白く美しい階段。下水道にはあまり似つかわしくないように見える。

「私では、何も感じられませんでした。流石です、ハインツ様」

「……一応、エルフだからな」

 頬を掻きながら、ケヴィンさんに返事を返すハインツ。褒められて、まんざらでも無いらしい。

「この先に陣があるってことで、いいのかな?」

「ああ、そうだろうな」

「では、やることは決まっていますね」

 三人で顔を合わせ、頷く。

 先頭はボク、殿(しんがり)はケヴィンさん。

 ハインツを二人で挟む形で、今まで以上に慎重に、白い階段を下っていった。

 

 

 

 階段が終わると、そこは壁だった。

「ハインツ、これも結界?」

 階段と同じ大理石のように見える壁を眺めながら、ハインツに訊ねた。

「ああ。奥から魔力も流れてきてるし、ここでまず間違いないだろう。……結界はお前の腕力だけで壊せると思うが、その前に偵察だな。この程度のセキュリティなら、透視が使える」

 言うが早いか、ハインツはポケットからペンのような物を取り出し、壁に陣を描いていった。

 赤い複雑な模様が、真白な壁に塗られていく。

 

「―――よし」描き終えたハインツが、ケヴィンさんに声をかけた。「ここに手を付けて魔力を注げば、一時的に視界がこの壁の向こうに転移する。アンタが見て、隊長に報告しろ」

「分かりました」

 躊躇なく、陣に両手を翳すケヴィンさん。いかにも怪しい魔法なのに一切の躊躇もないあたり、ハインツを信頼しているのだろう。

「―――――なるほど。……ハインツ様、申し訳ありませんが、無線機を持っていただけますか。何分、視界が悪いもので」

「そうだろうな」

 ハインツはうなずいて、ケヴィンさんの荷物から無線機を取り出し、彼の口元に寄せた。

 

 

 

「―――こちら第五分隊、敵ゴブリンを発見。奥に魔法反応も確認しました。数は十。交戦許可をお願いします」

 中継器を通して、地上の拠点へと無線が飛んだ。

「敵の装備は?」

 ノイズ混じりに、隊長さんの声が聞こえた。

「特に何も。防弾チョッキなんかもなさそうです。――あ、いや、腰にナタみたいなナイフをぶら下げてますね。それから、一番奥にいる奴はハンドガンを持ってます。トカレフのようです」

「――――」

 隊長の返事がない。なにか、逡巡しているようだ。

 それもそうだろう。

 この壁の向こうに居るのは、テロの中核である魔法陣の警護隊のはずだ。なのに、居るのはゴブリンのみの貧弱な部隊、武装は拳銃一丁だけ。

 あからさますぎる。

 ()だ。

「―――銃は使うな。その程度、お前達なら素手で十分だろう」

「了解」

 

 

 

「じゃあ、ボクが行くよ」

 通信が終わったのを見計らってボクがそう言うと、ケヴィンさんは壁から手を離しながら「いいのですか」と、心配そうな顔をした。

「うん。ボクも、ちょっとはかっこいいところ見せたいもん。いいよね、ハインツ?」

 ボクの言葉に、ハインツはあからさまなため息を吐いた。

「……オレに出来るのは、サポートだけだ。戦闘はお前らで勝手にやってろ」

「はーい。だってさ、ケヴィンさん」

 ボクとハインツの言葉を聞いたケヴィンさんは、しょうがない、と首を振った。

「…………確かに、イヴァさんの能力を見ておきたくもあります。では、お願いします」

「よっし、決まりだねっ。行ってきまーす」

 ボクは高らかに宣言し、大理石の結界を蹴り飛ばした。

 その刹那。

「…………狙うなら足元よ(・・・・・・・)

 そんな声が、聞こえた。

 

 

 さっきの爆発と同じだ。

 手応えはあった。

 けれど、飛び散る瓦礫、木霊する轟音など、そんなものはなかった。かなり硬かったけれど、この妙ちくりんな感触は確かに結界だ。

「……む」

 部屋を見る。天井こそ低いが、広い部屋だ。バスケットボールコートひとつ分ほどの広さがある。そして床も壁も天井も、さっき蹴飛ばした結界と同じような真っ白い大理石で出来ている。あれも全部、結界なのだろうか。

 後ろの二人が後退するのを確認して、一歩、部屋へ踏み込む。

 

 その瞬間、全てが変わった。

 

 まず、背後。さっき蹴飛ばした結界が、どういうわけか張り直されている。これはまあ、後ろで待機しているふたりに被害が及ばなくなったので、良しとしよう。いつでも壊せるし。

 次にゴブリン。部屋で各々くつろいでいた彼らは、一瞬で血煙となって消え失せた。肉片ひとつ残さず、奇麗な赤い霧に。

 霧は消えず、真白の部屋を、ただ漂っている。

 吸血鬼(ボク)ならわかる。

 彼らはたった今、存在そのものを、純粋な魔力(エネルギー)にされたのだ。

 その使い道は、さっき張り直された結界や、充満し始めた劇毒の霧、今まさに飛来してきて(・・・・・・・・・・)いる数千発の銀弾(・・・・・・・・)などだろう。四方八方から飛び交う魔弾(それ)は、ライフル弾をゆうに超える速度で迫ってくる。

 人狼ほどではないけれど、吸血鬼にとっても()というのは毒になる。充満している毒は純人やエルフ用のもの、この銀弾はそれ以外の怪物たち(フリークス)に対するトラップだろう。

 十発や二十発の銀弾なんて恐れるに足りないけれども、当たらないに越したことはないので、今のところは全て避けきっている。だけど、これじゃキリがない。なにせゴブリン十人分の魔力だし。ヒルダぐらいの魔法使いなら、一晩中撃ち続けられるくらいの魔力効率を出せるだろう。ボクだってそれくらいは粘れるけれど、あいにくそんな時間はない。明日には、あのバカでかい陣魔法が六つも起動するのだから。

 一番手っ取り早いのは、部屋をまるごとめちゃくちゃに破壊してしまうことだ。けれど、それをすると、ハインツが怒ってしまうだろう。部屋いっぱいに描かれたあの爆破の陣は貴重なサンプルになる。出来る限り壊さず、陣の解体はハインツ(エルフ)に任せたほうがいい。

「うーん……」

 ぴょんぴょんと部屋じゅうを跳び回りながら、鈍い頭を回転させる。ハインツと念話を試みたけど、さっきの結界が妨害(ジャミング)しているらしく、繋がらない。

 もう一度、部屋をゆっくり見渡してみる。

 魔法陣に関しては、詳しくないので置いておく。延々と飛来する銀弾は、床、壁、天井の大理石もどきが変質したものらしい。ボクに当たらなかった銀弾は大理石に戻り、また銀弾となって発射される。魔力の続く限り、半永久的にこのサイクルは続くだろう。これが無作為に発射されていると避けにくいのだけど、どうもこの魔弾は部屋にある生体反応……今はボクのこと……を狙っているらしいので、かえって避けやすい。

 こういうときは、やっぱり魔力(エネルギー)の元か、連結(ライン)を断つのが定石だ。魔法の苦手なボクには、そんな器用な真似はできないのだけれど。

「あ」

 そう言えば、さっき誰かがなにか言ってたっけ。

 足元、がどうとか。

「――――――」

 ゴブリン達が居た場所を思い出す。部屋が広いので分からなかったが、彼らはちょうど円形に並んでいたのではなかったか。

 そう、魔法陣の外周をなぞるように。

 記憶と現実を合成し、再生する。

 彼らの足元。

 そこにはそれぞれ、小さな円形の陣が描かれていた。

 

 

 

「正解だ」

 入り口の結界が自壊すると、なまいきなエルフは開口一番、そう言った。

「むう。普通に褒めてよう」

「馬鹿か。二十分も待たせやがって、何言ってんだ」

 ざくざくと土を踏みながら、ハインツは魔法陣を調べに行った。

 ゴブリン達の足元にあったのは、彼らを魔力へと変換し、罠の陣へと注ぐ「供給陣」だったらしい。ボクがすべての供給陣を破壊すると、大理石もどきの壁や床は、本来の土へと姿を戻した。放っておけば、一時間もしないうちに崩落するだろう。

「…………はい。ええ、お願いします。私達も引き続き、探索に戻ります。……では」

 ケヴィンさんは部屋の入口で、隊長さんへの報告をしていた。ちょうど今終わったらしい。

「ごめんねー、ケヴィンさん。ボクがでしゃばったせいで、待たせちゃったね」

 部屋の真ん中から、入り口のケヴィンさんに声をかけた。

「―――いえ。イヴァンナ様に任せたほうが、良かったのです。私の手に負えるトラップではありませんでした」

 彼は、どこか暗い表情で話した。

「そーかなあ?」

「そうですよ。あの魔弾の速力では、耐銀装備など紙切れと同義でしょう。回避するにしても、私の体力では十分が限度かと」

 やっぱり、ケヴィンさんの顔は暗い。

 細い眉は険しく寄せられ、唇は真一文字に結ばれている。

 手には、音の切れた無線機を握ったまま。

―――むう。

 こういう顔は、すきじゃないな。

 

 さくり、さくり。

 土を踏み、ケヴィンさんの元へと歩み寄る。

「…………ケヴィンさんなら、五分もあれば罠を解除できたよ」

 ボクは、出来る限りの笑顔で語りかけた。

「きっとボクは、ヒントがなけりゃ、いつまででも跳んだり跳ねたりしてたとおもうもの。ケヴィンさんはボクなんかよりよっぽど頭が良いんだから、そんなオマヌケはしないはずだよ」

 たじろぐケヴィンさんを他所に、ボクは頑なに笑いかける。

「ね、そうでしょ?」

「…………そう、ですかね」

 彼は諦めたように、ひそめていた眉をゆるめた。

「――――――ああ、そうだな」

「お?」

 背後から声がした。

 振り向くと、魔法陣を調査していたはずのハインツがすぐ後ろに立っていた。ハインツが自分から会話に割り込んで来るとは、また珍しい。

「言っただろ、ケヴィン。この馬鹿は頭はカラだが能力だけは一丁前だ。並の吸血鬼も刃が立たねえし、先祖のはずの人狼ですら、ちょっとやそっとじゃ負かせられねえだろう。ま、馬鹿だから、さっきみたいなヘンなトラップに引っかかるんだが」

「えへへー」

「イ、イヴァンナ様、褒められていません……」

「それにな。オレ達亜人種にはそれぞれ得手不得手ってのがあるだろう。お前の得意分野は、戦闘じゃなさそうだが?」

 ハインツが、なにか探るような視線をケヴィンさんに送った。

「―――確かに、そう、ですね。…………ええ、そのときが来れば、私も本領を発揮しましょう」

「ああ、楽しみにしとくさ」

 そう言って、彼らは互いに笑みを交わした。

「…………むう」

 おとこのひとは、いつもこうやって、勝手に仲良くなってしまう。

「おんなのこは、大変なんだよ?」

 ふたりに聞こえないよう、ボクはぽつりと呟いた。

 

 

「ねー、ハインツー、まだー?」

 かれこれ三十分。未だにハインツは、巨大な魔法陣の上をうろうろしている。

「黙ってろ。オレだって、これだけ複雑な陣は初めて見るんだ」

 確かに、そう言うハインツの顔は真剣そのものだ。陣をなぞってみたり、ぱしゃぱしゃと写真を撮ったり、なにやら怪しげな魔力を流したりしている。

「せっかく見つかったのですから、じっくり調査すべきですよ、イヴァンナ様。ほかの五隊も懸命に探索してくれているのですし、あの陣から何か手がかりが見つかるかもしれません。我々はじっくり、腰を据えるとしましょう」

「……うーん。まあ、そうだねえ」

 ふたりの意見はきちんと筋が通っていて、反論の余地がない。こうなるとボクは黙って待っているしか無いのだけれど、じっとしているのは苦手なのだ。なので、さっきから部屋じゅうをうろちょろしている。勿論、ハインツの邪魔にならない程度に。

「……あの、イヴァンナ様。先ほどあれだけ動かれたのですから、お座りになって休まれたほうが……」

「え、だって、地面に座ったら汚れちゃうじゃん。このデニム、お気に入りなんだよ」

 ぱんぱんと、青いデニム生地のホットパンツを叩く。ブランド物でちょっと高かったのだけれど、デザインがたいへん気に入っているのだ。

「そ、そうですか……」

 ケヴィンさんの視線が泳いだ。はて、なんでだろう。

「このオフショルダーのシャツも、結構お気に入りなんだあ」

「え、ええ、その、大変、お似合い、です……」

 

 

 それから、更に十分後。

「……………………あん?」

 ハインツの、怪訝な声が響いた。

「どうかしたの、ハインツ?」

「…………ここか。ここ、なんかあるぞ」

 ハインツが手で触れているのは、部屋の一番奥の壁だった。

 他の土の壁と同じで、特段変わったところはない。

「ケヴィン。掘ってくれるか」

「ええ、お任せください」

 ケヴィンさんは颯爽とハインツのもとに駆け寄り、ものすごい勢いで壁を掘り始めた。

 ざっくざっく。ざっくざっく。

 湿った土が、彼の足元に積もっていく。

「―――おや?」

 唐突に、ケヴィンさんの手が止まった。ハインツと一緒に、しげしげと掘った穴を覗き込んでいる。

「え、なにかあるの?」

―――気になる。すごく。

「なにー? なんなのー? ねーってばー」

「…………」

「…………」

 聞いてもふたりは答えてくれない。ので、仕方なく自分から近寄ることにした。

 ふたりの後ろからひょいっと頭を出し、ケヴィンさんの掘った穴を覗く。

 そこには、真っ白な大理石の壁があった。

「ハインツ様。これも、壊しますか?」

「頼む。だが、中に何があるか分からん。慎重にな」

「はい」

 がりがりと、爪と壁とが音を立てる。

 程なくして、その中身(・・)が姿を現した。

 

 

「…………名前は?」

「……マック、だ」

 力のない返事。

 壁の向こうで座り込んでいたのは、ひどく痩せ細ったゴブリンだった。

 四方を大理石の結界に囲まれ、足元には、さっき壊した供給陣が描かれている。

「…………そうか。あの魔弾の嵐は、お前が操っていたんだな?」

 ハインツの言葉に、マックと名乗ったゴブリンはこくりと頷いた。

「さしずめ、生体デバイスってとこか……」

 立ち上がる素振りもなく、ゴブリンは再び口を開く。

「―――――ああ。私達の行いは、確かに非道だろう。悪逆そのものなのだろう。けれど、それでも。我らゴブリンは、それでも―――」

 息も絶え絶えに語るゴブリン。

 けれど、そこまで話したところで、彼は気を失ってしまった。

 力を失った体が、ばたりと音を立てて倒れる。

「…………」

 さて。

 どうしようか。

 

 

―― ―― ――

 

 

「では」

 ゴブリンを背負った人狼が、夜の闇へ溶けていく。

 ゴブリンを連れて歩きまわるわけにもいかないので、地上で待機している人狼部隊さんに引き取ってもらうことにしたのだ。

 隊長さん曰く、人狼部隊は既にゴブリンをひとり、捕らえていたらしい。ただ、そのゴブリンは知能が低く、情報もほとんど持っていない。なので、きちんとした知能を持つあのマックとかいうゴブリンは、それなりに重要な情報源になるかもしれないらしい。

 かもしれない、というのは、ボク達が順路を逆戻りして地上へ戻る間、彼が意識を取り戻さなかったからだ。容体を診たハインツは、生命力を吸われすぎただけだからしっかり休めば意識も戻る、と言っていた。もっとも、それにどれくらいの日数がかかるかはわからないようだけれど。

「…………さあ、仕切り直しです。二つ目の陣を探しましょう」

 きりっと背筋を伸ばし、ケヴィンさんが地下道へと戻っていく。

 あてのない、陣探し。

 六つの分隊が探索を開始して五時間以上は経っているはずだけれど、魔法陣解体の報告は、まだボク達第五分隊の一件のみ。

 もうすぐ日が昇る。いつ、陣が起動しても、おかしくない。

「…………急がなきゃね」

「……ああ」

 

 

 最初に降りたときとは逆方向に歩を進めていく。

 情報が正しければ、魔法陣は全部で六つ。魔法の規模から、極端に集中して配置されているとは考えにくいので、ある程度広い範囲を捜索する必要がある。

 陣の守りが手薄だったから、本来の目的は爆破テロではないのだろうけれど。それでも、あの爆破の陣が強力なものであることに変わりはない。ハインツの見立てでは、あの陣ひとつでアパート二棟は瓦礫の山に変えられるそうだ。

 そんなものを、放っておく訳にはいかない。

 あてのない探索でも。先の見えない徒労でも。

 ボクらがやらなくちゃいけないんだ。

 

 

―― ―― ――

 

 

 足を止めず、ひたすらに地下水道を三人で進む。

 想像以上のトラップを目の当たりにし、ボクらは自然と、口数が減っていた。

 と。

「―――え?」

 ボクの声を聞いて、ケヴィンさんが振り向いた。

「どうかしましたか、イヴァンナ様」

「す、すとっぷ、ふたりとも、すとっぷ」

 地下道をずんずんと歩き続けるふたりの手を引き、その足を無理やり止めた。

「お、おい、なん―――」

 大声をあげようとするハインツの口を、急いで右手で塞ぐ。

「…………あっちから、誰か、来る」

「っ」

 ハインツの表情が強張る。同時に、彼の懐中電灯が消灯した。

 こんな時間、こんな場所に、普通の人間が歩いているとは考えられない。

 今まで出くわすことはなかったけれど、哨戒に出ているゴブリンなんかが居てもおかしくはないのだ。

 足音を立てないように壁際に移動し、三人で固まって身を隠す。

『……何人居るか、わかるか。距離は』

 ハインツから念話が届いた。

『うーん……そんなに多くない。三人居るかどうかかな。距離は遠いね。けど、こっちに近づいてる。……と思う、けど。ケヴィンさんは、どう思う?』

『い、いえ、私は何も聞こえませんでした。……すみません……』

 こつ、こつ、と、足音は次第に大きくなる。やはり数は、三人、ないし二人。しっかりした足取り、でも、それでいて、何かふらふらと彷徨うような。

『………あ、私も聞こえました。そうですね、二人くらいかと』

『そうか。…………仕方ない、とりあえず、身を隠すぞ』

 ハインツは念話でそう言うと、アタッシュケースから一枚の紙を取り出した。

『……それ、何の陣?』

『姿隠しと魔力隠しだ。壁と一体化する。魔力は、お前のを使うぞ。どうせ余ってるだろ』

『うん、好きにしていいよ』

 ハインツが壁に陣を貼り、ボクがその上に手を重ねる。

 ぐっと力を込めるように魔力を流すと、体の片側に薄い膜がまとわりつくような感覚がした。

『―――これで、いいのかな?』

『上出来だ。……魔力量だけは一丁前だな』

『えへへ』

 そうこうしている間に、足音はもう、間近まで迫ってきていた。

 

 

 

『―――あ、見え…………』

 暗闇から歩いてきたのは。

 ゴブリンではなく。

『…………ヒト?』

 純人か。エルフか。この距離では判別がつかないけれど、明らかにゴブリンの身長ではない。

『……照明魔法を使っていますね』

『ああ、しかも片っ端からトラップを解除してやがる。なんだ、アレ』

『なんだろうね?』

 こちらに気付いている様子はない、何かぶつぶつとぼやきながら、ふたり分の人影が近づいてくる。

『―――――ああ、なんだ』

 唐突に、ケヴィンさんが安堵の声を漏らした。

『おふたりとも、ご安心ください。彼らは第六分隊(・・・・)です』

 

 

「こんにちは、レベッカ」

「…………アンタ、いつからドッキリが趣味になったのよ」

 姿隠しの陣から出て、何事もなかったかのように挨拶するケヴィンさんと、それにたじろぐ大柄な女性。女性とともに歩いていた老齢のエルフは、突然出現したボク達を見て腰を抜かしてしまっている。

「知り合いか、ケヴィン」

 ハインツの投げやりな質問に、ケヴィンさんは女性から目をそらさず、

「ええ、彼女は人狼部隊の一員です」

と、簡潔に答えた。

「それで、レベッカ。どの分隊も三人一組のはずですが……貴女の分隊の吸血鬼(ドラクル)はどちらに?」

「知らないわ。そのへんほっつき歩いてるか、もう故郷(くに)に帰ってんじゃないの」

 なんでもないことのように言う、レベッカ。

「…………また(・・)ですか」ケヴィンさんがため息を吐いた。「隊長からあれほど注意されていたでしょう。今回の任務こそ、他種族と綿密な連携をとって―――」

「うるっさい。あんなクソ生意気なドラクルと仲良くしろですって? ふざけないで。アタシは誇り高い人狼よ。劣化種の吸血鬼なんかと手を取り合うなんて、そんな事ができるのは平和主義者のアンタくらいよ、腑抜けのエルドンッ」

 彼女のヒステリックな叫びが響く。

「この薄汚い老いぼれエルフを連れて歩いてやってるのよ。褒めてくれたっていいくらいだわ。いつもなら首を刎ねるか胸を抉るか、どちらかしかしないもの。ほら、まだ左腕しか(・・)取れていないでしょう? それに引き換え、貴方は何? キザなエルフに、かわいこぶってるドラキュリーナを(はべ)らせて。ヴェアヴォルフとしての誇りはないの? それでも、人狼部隊の一員なの?」

「このクソアマ、黙って聞いてりゃ―――」

 食って掛かろうとするハインツ。

 その首根っこを、ケヴィンさんが力づくで引き倒した(・・・・・)

「な―――」

 どん、と響く鈍い音。背中から地面に叩きつけられたハインツは、苦悶の表情を浮かべている。

「う、ぐ…………」

 その場に居合わせた全員が、唐突なケヴィンさんの乱行に言葉を失った。

「…………レベッカ。互いに、隊長からの仕事が残っている筈です。それが終わってから、またお話しましょう」

「――――え、ええ、そう、ね……」

 たじろぎながら、わたわたと去っていくレベッカ。そして、その後を追う片腕の老エルフ。

 ケヴィンさんはしばらく、険しい表情のままだった。

 

 

「…………申し訳ありませんでした、ハインツ様」

 ハインツの背中に手を当て、治療魔法を使いながらケヴィンさんが語る。

「彼女は人狼部隊きっての戦闘員(アタッカー)です。その戦闘力は、イヴァンナ様と同格か、それ以上。荒事に関して彼女の右に出るものはおりません。そして、あの性格です。本気で衝突したら、隊長ですら無事では済まされないでしょう。あのままハインツ様が彼女に食いかかろうものなら、どうなっていたか、想像に難くありません。……ですので、少々強引な手段を取ってしまいました」

「いや……礼を言う、ケヴィン。オレも、頭に血が上っていた」

 地面に座るハインツの背中に、暖かな治癒の光が灯っている。

「―――――これは、隊長と私しか知らないことなのですが」

 うつむいたまま、ケヴィンさんは贖罪するように話し続けた。

「今回の作戦では、各分隊の戦力を、わざと偏らせてあります。第一分隊が最も能力の低い部隊であり、第六分隊が最も能力の高い分隊です。……ですが、その『能力』はインターポールから送られてきた数値(データ)のみを参考にしており、『実力』とは多少異なっています。本来なら、各員の得意分野、分隊員同士の相性など、様々な条件を加味して決めなければならない分隊(チーム)分けですが、今回の作戦は何もかもが急なことでしたので、それも出来ませんでした。ですからせめて、各分隊の中で戦力のバランスが取れるよう、このような配分にしたのですが……」

「仕方ないよ、ケヴィンさん。みんながみんな、チームプレーできるわけじゃないもん」

 ボクはケヴィンさんの横にぺたんと座り、彼の丸まった背中を撫でた。

 硬くて大きな背中だ。

 曲げちゃ、いけない。

「そうだな。オレ達は、イヴァが特殊だったから上手く行ってるが、オレとケヴィンだけならたぶん、あの(レベッカ)と似たような事になってたと思うぜ」

 これまた珍しく、ハインツが素直なことを言った。このエルフも、たまにはいいことを言う。

「―――ありがとうございます。ハインツ様、イヴァンナ様」

 そのおかげか。ケヴィンさんの顔が、少しだけ明るくなったような気がした。

 

 

 

 地下水道の探索は続く。

「…………もう、地上(うえ)は朝か」

「そうだね、ボク、ちょっと眠くなってきちゃった」

「イヴァンナ様、朝になって眠くなるなんて、まるで吸血鬼のような…………あっ」

「あはは、ケヴィンさん、今のおもしろーい」

「……イヴァ。今の、素で間違えただけだと思うぞ」

 こうやって軽口を叩ける程度には、ボク達第五分隊の仲は良い。だけど、他の分隊はどうなっているのやら。

「おや、無線です」

 ケヴィンさんが無線機を取り出した。

『―――こちら第二分隊、陣を解体した。探索を続ける』

 簡潔な報告が流れる。

「あー、ケヴィン、今のでいくつめだ?」

「ええと……我々が二つ、第三分隊が一つですから……四つ目ですね」

「……あと、ふたつかあ。ふわあ」

 あくびをしながら、こつこつと歩く。ちなみに二つ目の陣はケヴィンさんが格好良く解体してくれた。

「ところでイヴァンナ様、ずっと気になっていたのですが……」

「え、なあに?」

「そのお背中の大きなリュック、何が入っているのですか?」

「ああ、これ? ええと……」

 鞄のジッパーを開けて、中身を取り出す。

「じゃーん、この耐紫外線装備ですっ」

「…………」

「…………」

 何故か、ケヴィンさんとハインツは黙りこんでしまった。

「………あれ?」

 ケヴィンさんは首を傾げ、ハインツは呆れ顔を浮かべている。

「…………イヴァンナ様?」

 やっとケヴィンさんが口を開いた。

「私には、サングラスと、日焼け止めクリームにしか見えないのですが」

「? そうだよ?」

 ボクがそう言うと、ふたりは揃ってため息を吐いた。

「で、あとは何が詰まってんだ。どう見ても十キロ以上は―――」

 唐突に、ハインツが言葉を切った。

「…………ハインツ?」

 ハインツの視線が宙を泳いでいる。

 どうやら、誰かと念話しているらしい。

 でも、誰と?

 どうやって?

 地上とは妨害魔法(ジャミング)で通じない。他の分隊に知り合いも居ない。

「―――悪い。ちょっと、移動するぞ」

 そう言って、ハインツは駆け出した。

 ボクらが最初に壊した、魔法陣の方向へ。

 

 

 

「ちょ、ちょっと、ハイン、ツ……」

 異様なスピードで駆け続けるハインツ。エルフのそれではない。明らかに、過出力の魔法を使っている。

「―――っ、―――――っ」

 その証拠に、ハインツの息は絶え絶えだ。それでも、彼は速度を緩めない。

 ケヴィンさんでも追いつくのがやっとの速力で、ただひたすらに駆けて行く。

 

「―――――」

 ちょうど、魔法陣のあった部屋へと続く階段の、その目の前にたどり着いたとき。

 ずざざざざ、と土煙を立てながら、走りだしたときと同様に唐突に足が止まった。

「はっ……はっ……はっ…………」

 耐え切れず、しゃがみこむハインツ。

「ねえ、どうしたの。何があったの、ハインツ」

 ボクの問いを無視して、ハインツは震える手でアタッシュケースを開ける。その中から一本の紙巻(ロール)を取り出し、ボクに押し付けた。

 そこに書かれてるのは、ボクが壊したあの「供給陣」とそっくりの魔法陣だった。

「――――そっか。うん。わかった」

 いや、なにもわかっていないけれど。

 でも、今ボクが何をすべきかはわかった。

 陣をハインツの背中に押し当て、力を込める。

「――――は、あ」

 ボクの魔力が、供給陣を通してハインツへと流れていく。

 ハインツはまだ、アタッシュケースをまさぐっている。

 息も、まだ荒い。

「―――私も」

 そう言って、ケヴィンさんがボクの手の上に、自分の手のひらを重ねた。

「ふっ……う……」

 ハインツの呼吸が整ってきた。

 そうして、彼がアタッシュケースから取り出したのは。

「…………髪の毛?」

 一束の金の髪が入った、試験管だった。

 

 

「―――Übert()ragung().  Die Aus()breitung().  Haar() des() Geldes().」

 聞こえるのは、遠く透き通る青い詠唱。

Einmi()schung().  Hemmung(阻害).  Eine() Demenz(いた)- Fee().」

 見えるのは、まばゆく輝く金の髪。

Heinz(ハインツ) Fogt(フォクトが) verteidigt(ここ) es() hier(唱える).」

 声は高らかに。

Magie(魔よ). Law(法よ).」

 光は清らかに。

Ich(私が) ermahne(彼を) ihn(戒めよう).」

 輝きは収束し、天井を貫いた。

 

 

 

「―――――これで、いいはずだが」

 座り込むハインツ。

 ボクとケヴィンさん、ふたり分の魔力をたっぷりプレゼントしたはずだけれど、今の詠唱魔法で全部使ってしまったらしい。

 手には、輝きを失った金髪が握られている。

「で、なんだったの、今の」

「……頼まれごとだ。地上(うえ)に戻ったら、話して、や、る……」

 それだけ言って、ハインツは静かに横たわった。

 整った寝息を立てながら。

 

「ど、どーしよ、ケヴィンさん」

「ど、どうしましょう……」

 眼前にはぐーぐーと寝息を立てるハインツ。

 周囲には余波の魔力が充満している。

 ボク達はさっきの大詠唱が気になって仕方がない。

 そしてまだ、陣魔法はふたつ残っている。

「…………」

「…………」

 ええっと。

 こういうの、ぱにっくって、言うんだっけ?

 

 

「む?」

 五分ほど経ったところで、妙な魔力の流れを感じた。

 はるか、遠く。

 まるで、爆発するような(・・・・・・・)――――?

 

 

「…………捜索部隊っ。報告しろ、どうなったっ」

 ケヴィンさんの無線機から、隊長さんのがなりたてるような声が響いた。

「―――こちら、第三分隊。同伴するエルフが、カレッジ地下の二つの魔法陣の起動を確認しました」

「そんな――――」

「は。…………結局、こうなったか」

 気が付くと、ハインツが目を覚ましていた。

 座って頭を掻きながら、ぼやくハインツ。

「ハインツ様。今の、第三分隊の報告は……」

「ああ、正しい。解体しそこねた陣が、全部起動したんだろうな」

「…………」

「あ、あ……」

―――間に、合わなかった。

 作戦は、失敗だ。

 あれだけ大きな魔法陣が、ふたつも起動してしまった。

 どれだけの被害が出たのか。どれだけの犠牲者が出たのか。

 ボクらが、もっと、がんばっていれば―――

「おい」

 ぺしん、と。

 急に、頭を叩かれた。

「何してる、イヴァ」

「何、って……」

 見れば、ハインツが立ち上がっている。

「まだ、仕事があるだろうが」

「仕事―――」

 ボクらの仕事?

 まだ、できること?

 陣探しはおしまいだ。全部の陣が、解体されたか、爆破された。

 じゃあ、次は。

「―――そっか。そう、だね」

 この地下水道の上には、トリニティ・カレッジがある。

 人払いはできているはずだけれど、そうでないのなら、たくさんのひとが爆発に巻き込まれている。

 それでも。

 まだ、助かるひとがいるかもしれない。

「…………行こう」

 

 ボクらはまた、地上を目指す。

 次に探すのは、爆発を起こす陣じゃなくて。

 助けを求めるひとたちだ。

 

 

 

 無線から全部隊へ、ホテルに居るジョゼフ隊長からの的確な指示が飛んで行く。

 救助活動なんて、人狼部隊はやったことないはずだけれど、その手際の良さは眼を見張るものがあった。

 夜を徹しての救助活動は絶え間なく、滞り無く進んでいった。

 

 

 そして、「降龍」が始まった。

 

 

 青く燃え上がる三角形が、大空に描かれる。

『降龍、だと……?』

 報告を受けたジョゼフ隊長は、その声を最後に無線を切った。

 

 と、思いきや。

 彼は信じられないほどの速度で、トリニティ・カレッジに駆けつけてきた。それこそ、転移魔法でも使ったんじゃないか、と思うくらいの短時間で。

 そうでないのは見れば分かる。だって、隊長が着地したところが、ごっそりクレーターになってるから。

「―――げほ、げほ。隊長、仕事を増やさないでくださいよ」

「わりーな、急いでんだ」

 ケヴィンさんの声も気に留めず、広場へと駆けて行くジョゼフ隊長。

「イヴァンナ様」ケヴィンさんが、ボクの方を振り向いた。「私達も、行きましょう」

「え、あ、うん」

 救助活動はほとんど済んでいる。あとは瓦礫を片付けるだけだ。

 ちょっとくらいは、休憩しても、いいかな。

 

 

「わあ、おっきいねえ」

「壮観です」

「そ、そう、だな……」

 ケヴィンさん、ハインツと広場の隅っこに並んで、降りてきた「青龍」を見る。

 大きい。とにかく大きい。視界に収まりきらない。

 艶のある、美しい鱗。長く伸びた髭。鋭い眼光。

 ずっと見ていても飽きないな、なんてことを、思ってしまった。

『―――この一件に関して、竜種として言うことは何も無い。が、事が事だ。あわや人類史の分岐点となるところであった。それ故、此度の降龍を行った。我ら竜種は人類とともに在る。その事を、我らと貴公らに再確認させるためである』

 青龍の厳かな声が、カレッジ一帯を震わせている。

「威厳たっぷりだねえ」

「そうですねえ」

「そ、う、だな……」

 さっきからハインツは気圧されっぱなしだ。まあ、仕方ないかな。

『―――では、次の降龍までしばしの別れである。我らはいつでも、貴公らを見守っている。よしなに』

 青龍の足が、地面を蹴った。巨体がふわりと浮き上がっていく。

「――――敬礼っ」

 ジョゼフ隊長の号令で、ずらりと並んだ人狼部隊が一斉に敬礼する。

「むっ」

 それに倣い、ボクとハインツも右腕を上げた。

 青い龍は満足したように、炎を吐きながら住処(おおぞら)へと戻っていった。

 

 

 

「よしなに……って? ハインツ、どういう意味?」

「竜語だ」

「あー、そうなんだ。さすがハインツ、ものしりだね」

「……ハインツ様、イヴァンナ様を、からかわないであげてください」

「無理だな」

「無理だね。ハインツなりの愛情表現だから」

「ははあ、そうでしたか。それは失礼しました」

「…………イヴァ、結局、そのリュックには何が入ってんだ」

「えーとー、お菓子とー、着替えとー、輸血パックとー」

「……遠足かよ……」

「遠足ですね……」

「―――あ、これ。このお菓子、おいしいんだ」

「これは……? 中国語でしょうか?」

「極東のダガシだよ。カバヤキサンタローって言ってね」

「ダガシ……ですか」

「ダガシ、ねえ」

「ダガシだよ」

「では、一枚。…………あ、からいですね、これ」

「うん、ちょっとね」

「かっらああああぁぁっ」

「あ、ハインツ、からいのダメだったっけ。あはは」

「…………ふ、ふじゃへんにゃ……」

「ぷ、あは、あははははは」

「ふ、ふふ……」

「け、けふぃん、てめえ……うああああ」

「あ、逃げた」

「お逃げになられました」

 

「…………じゃー、もう一仕事、しよっか」

「そうですね。まだまだ、これからです」

「うん。頑張ろう」

「ええ、頑張りましょう」

 



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九章 半人の章

ヒルダ先生へ

 

 

―― ―― ――

 

 

二月二十八日

 前略。突然の便り、ありがとう。精霊から報せを受けたときには新手の冗談かと思ったのだけれど、本当に貴方からだとは。随分、日本語も上達したようだ。しかも筆で書いているとは、なかなか時代錯誤なことをするね。隠遁生活をしている私にどうやってこの手紙を届けたのか、想像もつかないけれど、貴方は昔から常に私達の想像の遥か上で生活していた。ので、今更そんなことでは驚かない。だがこの内容は、さすがに目を疑ったよ。本気でやるのかい? 確かに場所はいい。春先っていうのも、なんとなく風情がある。だが、なんとなく、貴方らしくない気がしてね。本気でやるというのなら、私も手を貸そう。出来ることなどたかが知れているが、恩師の頼みとあれば断れないさ。簡素な葉書で申し訳ない。封書を送ることができるほど、こちらの術式が安定していないのだ。返信を待っている。

 

 

―― ―― ――

 

 

三月二日

 拝啓。

 凄まじく早い返事をありがとう。

 貴方は一体全体どんな魔法を使って私にこの封書を届けているんだい? 返信の速度もそうだが……五日ごとにねぐらを変えている私に、よくもまあ届けられるものだ。

 しかも今度の手紙は和紙ときた。このご時世でよく無地の和紙なんて見つけたられたね。力の入れどころを間違っているよ、先生は。理解に苦しむな。

 ロンドンの暮らしは順調だ。真っ昼間に人混みにまぎれて街をぶらぶらしてみると、なんだか自分がただの人間になったような気がする。古臭い建物に不味い料理ばかりだが、私はこの土地が気に入った。極東に戻るのも面倒だしね。

 先生はアメリカでジャンクフードばかり食べているのだろう? たまには野菜も摂らないと、魔力が偏るよ。ただでさえ歳を召しているのだから、体調には十分に気を使ってほしいものだ。

 覚悟の程は確認した。本気で、ダブリンを滅茶苦茶にするつもりなのだね。

 先生の熱意は伝わったよ。少々捻れてはいるが筋の通った大義だ。そこは素直に先生らしい、と言っておこう。

 うん、わかったから、追伸を三通も四通も送るのはやめてくれないかな。うちの精霊たちがてんやわんやで、私の仕事をこなしてくれなくなっているのだけれど。

 いいだろう、大義名分も揃っている。いつかのように、テロリストの片棒をかつぐとしよう。

 とりあえず、依頼された「爆破の陣」の草案を同封しておく。目を通しておいてくれ。

敬具

コーラル・ヤマムラ

ヒルダ・ホールリン

 

 

―― ―― ――

 

 

三月十日

 拝啓。

 こちらの精霊たちもそろそろ投函魔法に慣れてきたようだ。こんな妙な魔法、覚えさせる予定なんて無かったけれど、経験は多いに越したことはない。機会をくれてありがとう。

 こちらの生活は、まあ、ふつうの純人たちと変わらないかな。出かけるときに必ず魔力隠しと変装をしているくらいなもので、それさえしておけばこうやってカフェで手紙をしたためることだって出来てしまう。昨今の世界的な平和ボケには辟易するものの、こういうところではありがたいね。

 陣魔法についての意見、しかと受け取った。修正しておこう。

 それにしても、流石はヒルダ先生だ。あの雑な草案からここまで詳しく陣を分析できるなんて。こうやってチェックを貰うと、ウエストミンスターに居た頃を思い出すね。

 思えば、私の鬱屈した人生で、あの時間、あの場所だけがひどく輝かしかった。

 先生がいて、姉さんがいて、私がいた。がなりたてる先生の声と、それをかき消す姉さんの一喝。私はいつも、椅子で縮こまっていたっけ。

 なんでもない、学生の生活だった。それこそが、私の身には余るほどの幸福だったよ。

 そうそう、姉さんといえば、最近可愛い妹ができたらしいね。私はまだ会っていないのだけれど、あの姉さんが珍しく愛情をダダ漏らしにしていると、風のうわさが流れてきた。余程のことだ。想像もできない。一体、どんな子なんだろうか。先生は知らないだろうか?

 ああ、話が逸れてしまった。陣の件だが、先生の修正を加えて清書をすればもう完成だ。どこかしらで試しに起動する必要はあるかもしれないが、多分そちらは問題無いだろう。

 問題があるとすれば、魔力だ。

 先生の言う規模の術式で、となると、この陣の上に拡大の陣やら増幅の陣やら、とにかく規模を大きくするものを重ねなければならない。それに、爆破の陣はひとつでは駄目だ。ある程度の間隔を空けて、少なくとも三つ、出来れば六つは設置しないと。

 そうなると、個人の規模で補える魔力ではなくなってくる。それこそ数十人単位の魔力が必要だろう。術式そのものに問題はなくとも、起動できなければ意味が無い。魔力は余分に調達しておくことを勧める。

 陣は完成次第、構成をそちらに転送する。魔力は先生次第だ。よろしく頼む。

敬具

コーラル・ヤマムラ

ヒルダ・ホールリン

 

 

―― ―― ――

 

 

三月十三日

 拝啓。

 まずは、謝罪を。

 先生がそんなことになっていたなんて、思ってもいなかった。

 いや、考えようとしなかっただけなのかな。あの先生が教壇を降りるなんて、そんなことでもないとあり得ないのだから。

 だって、そう考えれば、全て辻褄が合ってしまう。先生がウエストミンスターを去ったこと、姿をくらましたこと、そしてこんな計画を立案したこと。

 魔力の枯渇、か。先生……いや、妖精にとっては死と同義だったね。存在の維持に全てを注げばあと十年は生きられるから問題はない、なんて先生は言っているけれど。魔法の使えない十年に、いったい何の価値があるんだい?

 これは、私も本気で取り組まなくてはなるまいね。先生は部下になるゴブリンの養成に手を尽くしてくれ。私が必要な陣を構築する。

 先生のテロ計画には、ざっと見繕っても反射、転移、搾取、姿隠し、魔力隠し、そして爆破の、六つの陣が必要だろう。あとは軽いトラップ陣くらいか。

 確か、転移と反射、それから姿隠しは先生の得意分野だったね。そこの仕上げは先生に任せるけれど、とりあえず六つすべての基礎を私が組み立てておくよ。爆破の陣はほとんど完成しているし。

 待っていてくれ。とびっきりスペシャルな陣を贈呈しよう。

 不肖の弟子の、せめてもの手向けだ。

敬具

コーラル・ヤマムラ

ヒルダ・ホールリン

 

追伸

 私の変装スタイルについて、とやかく言われる筋合いはない。

 たしかに今でも真白のスーツばかり着ているけれど、これは趣味だ。

 どんな服を着ようが、私の勝手だろう。ほうっておいてくれ。

 

 

―― ―― ――

 

 

三月二十四日

 拝啓。

 返事が遅くなって申し訳ない。

 陣の原型が完成してから返信しよう、なんて意地を張っていてね。そうしたら一週間もかかってしまった。以前使った陣を転用すれば早いのだけれど、流石にそんなことをするとすぐ足がつくからね。それにしてもたった六つの陣に一週間もかけるなんて、何十年ぶりだろうか。まあ、それだけ頑張っているのだと思って欲しい。

 というわけで、原型だけはできた。あともう二週間もすれば実用レベルになるだろう。ただし魔力隠しだけは、もう少し時間が欲しい。なにせ、私の一番の得意分野だからね。徹底的なものを創りたいんだ。あまり凝り過ぎると私が手を貸したとバレるかもしれないが、それもまた良し。どうせ手配中の身なのだから、背負う罪がもうひとつ増えるくらいなんということもないさ。

 ゴブリンのしつけは難儀しているようだね。このご時世だ、仕方ないだろう。中東のゴブリンだけでなく、アメリカなどから調達してみてはどうだろうか? あの国のスラム街は、今ではゴブリンの住処になっていると聞く。頭の働くゴブリンもいるだろう。さすがに魔法が使えるほどの者はいないとおもうけれどね。魔力持ちのゴブリンなんて見つかれば、真っ先に時計台送りだし。

 それで、「暇つぶしに文通がしたい」というのは本気なのかい。先生がそんなことを言うとは思わなかった。いや、私は構わないんだけど……話をしたいのなら、他にいくらでも手段はあるだろう。わざわざこんな、時代錯誤で手間のかかる方法を採用しなくともいい。

 まあ、先生がどうしても、というのなら私も付き合うよ。手紙を書くくらいの暇はある。

 話の種が尽きないか、私はそちらのほうが心配だ。

敬具

心配症の弟子

いつも元気な師へ

 

 

―― ―― ――

 

 

四月二日

 拝啓。

 今、私は中国でこの手紙を書いている。

 目まぐるしく進化と退化を繰り返す、先生の嫌いなあの中国だ。私はそこそこ好きなんだけどね。ふらりと立ち寄った遼寧省でとても良い雰囲気のジュエリーショップを見つけたので、今日は一日満ち足りた気分だ。

 ということで、文通を始めよう。まさか先生から「話の種などない」と言われるとは思っていなかったので、先行きに不安しか感じていないのだけれど。なんでそんなので文通をしようなんて言いだしたのか、理解に苦しむよ。

 それにしても……この歳になって「先生」と手紙のやり取りだなんて、悪い冗談のようだ。ついでに課題でも出してもらって赤ペンを入れてもらおうかな? ……まったく、このことを姉さんが知ったら十分間はお腹を抱えて笑うことだろう。

 そういえば、姉さんは今、なにをしているんだろう。私がウエストミンスターを去ったあとも、彼女はしばらく残っていたようだけれど、まさかずっとあそこに居るわけでもないだろう。能力だけは優秀だったから、秘書以外ならなんでもできそうだ。姉さんのことだから、今もどこかで罵詈雑言を垂れ流しているんだろうな。うん、ちょっと調べてみよう。

 姉さんのあの機関銃のような罵倒には、先生もたじろぎ気味だったね。先生は必死に平静を保っていたようだけれど、私にはお見通しだったとも。

 特に面白かったのは、先生が勝手に姉さんのプディングを食べてしまったときだ。「スイーツばかりばくばく食べているから、妖精のくせに太るのよ、このジジイ」なんて台詞を高名なヒルダ・ホールリン大先生に言えるのは、後にも先にも姉さんだけだったろう。

 ……いや、そういえば、なんで先生は妖精なのに太ってたんだ? すぐまた痩せていたけど……魔力が有り余っていたのかな。今思い返すと不思議でならない。カスタード・プディングばかり食べていたからだろうか。

 今もあの甘ったるいお菓子を食べているのかい? いい歳なのだから、ほどほどにしなよ。

 さて、魔法陣だが。先生に仕上げてもらう予定だった転移、反射、姿隠しが形になったので、同封しておく。今からならゴブリンの養成と並行してでも間に合うだろう。私は、私の陣をもう少し煮詰めていくよ。なかなか良い物ができそうだ。期待していてくれ。

敬具

甘いものが苦手な弟子

甘々な師へ

 

 

―― ―― ――

 

 

五月十日

 拝啓。

 先生は相変わらずゴブリンたちに手を焼いているようだね。手紙の文面からでも苦労しているのがひしひしと伝わってくるよ。崇高な目的のため、頑張ってくれたまえ。妖精にはめっぽう厳しかったヒルダ先生がゴブリンたちをどう指導しているのか、気になって仕方がない。

 姉さんについての情報、ありがとう。今はICPOに所属しているとのこと。確かに彼女らしい仕事だ。優秀な魔法使いであったから、存分に腕をふるっていることだろう。秘書としては、すこし毒舌が過ぎると思うけれどね。

 姉さんといえば……私が彼女を「姉」と呼ぶことが、そんなにおかしいかな。確かに血の繋がりがあるわけでも、長い期間共に過ごしたわけでもないけれど、とても世話になったからね。私はきょうだいなどいないから、ああいうひとが姉なのだと思ったんだ。

 だから、そう面白おかしいようにからかうのはやめてくれ。便箋一枚をたっぷり使ってからかうなんて、先生も人が悪い。私もなんだか恥ずかしくなってしまうじゃないか。ああもう、これから姉さんをなんて呼べばいいんだ……。

 私はインドに来ているよ。ここは昔から変わらないね。活気に満ち溢れていて、私の気持ちも少しばかり活発になった。気がする。

 ああ、変化の術は昔よりも得意になったよ。インド人に化けてるんだが、物乞いたちが私を無視するようになった。

 あとは魔力隠しのペンダントでも着けていれば問題ない。余程勘のいい魔法使いにでも出会わない限り素性がバレたりはしないだろう。いやあ、魔力隠しが得意でよかった。こうやって世界中をふらふらできるのも、ひとえに先生の教えのおかげだ。ありがとう。

 さて、それでは先生の「話の種がないから何か書け」という無茶振りに応えるとしようか。

 まずは、偉大なるヒルダ・ホールリン先生の来歴を紐解いてみよう。

 ……と言っても、そういえば私は先生のことをあまり知らないね。

 大魔法使いマリア・ホールリンを師に持つ、元・詠唱魔法の名手。「増幅」の固有魔法との相性も抜群で、精霊種すら凌ぐほどの魔法が行使できた。しかし、妖精種としては保有魔力量が少なく、また固有魔法の燃費が著しく悪く多用できなかったために陣魔法手に鞍替え。そこでもずば抜けた才を発揮し、ウエストミンスターの魔法陣開発のトップで在り続けた。

 出身はダブリンのトリニティ・カレッジ。けれど、カレッジの妖精種至上主義に辟易し、卒業後は早々にウエストミンスターで教鞭をとる。師としてもたいへん優秀で、弟子の数こそ少ないもののその全てが時計台首席クラスの能力を得、現在も社会で大活躍中。つまはじきものになったのは私くらいか。

 先生自身はダブリンのトリニティ・カレッジが魔法学科を閉めたのとほぼ同時期にウエストミンスターの教壇を降り、公には消息不明に。遺されたのは膨大な数の陣魔法と、数少ない優秀な弟子たちだけ。そのどちらも、この先百年以上かけてもそれ以上のものは生まれてこないと言われている。

 そして今では故郷のダブリンをひっくり返そうとするテロリストになったわけだが、これはまだ私くらいしか知らないことだね。

 私が知っているのはこれくらいかな。どうかな、良い話の種になったと思うのだけれど。

 何か追加したいエピソードや情報があれば教えてくれ。伝記として後世に伝えるから。

敬具

つまはじきもののホールリン

超絶偉大なヒルダ師へ

 

追伸

 とりあえず、先立って役に立ちそうな搾取の陣を添付しておく。私がこれまで作った中で最高効率のものだ。これでゴブリンたちから魔力をもりもり搾り取ってくれたまえ。

 

 

―― ―― ――

 

 

六月二日

 拝啓。

 以前送った魔法陣の仕上げは好調なようでなにより。雑な仕事ですまないね。

 アメリカのゴブリンも、とりあえずはそれだけ確保できれば十分だろう。どうせ彼らにやってもらうのは迎撃陣の操作端末役だ。読み書きができるくらいの能力で問題ない。

 うん、計画はおおむね順調みたいだね。そろそろ下水道の回廊操作にも着手する頃かな。あまり魔力を使い過ぎると、ゴブリンたちの生命力だって保たないだろうから、程々にね。

 ところで、先生の手紙にあった「姉弟子」の話は本当なのかい? あの大魔法使いマリア・ホールリンの弟子というと、ヒルダ先生だけだったはずだ。少なくともこの世の魔法使い全員がそう認識しているよ。

「ウラガでどこぞへ消えおった」というのは、日本で言う黒船来航事件のことだね。さすがに三百年も昔のこととなると、情報が残っていないのも仕方ないのかな。

 性格は私の姉さんと同じおてんば、か。姉さんはおてんばとは少し違ったような気がするけれど、なんとなく想像はついたよ。面白い人だったんだね。

 それにしても驚いた。先生に姉弟子がいたとは。さぞや優秀な魔法使いだったのだろう。願わくば、一度話してみたかったな。今でも壮健だろうか。ちょっと探してみようかな。見つかったら連絡するよ。

 それから、諸々の時計台エピソードもありがとう。私の知らないことばかりで、とても興味深かった。

 特に教員同士の派閥抗争。あの学び舎の上層部の胡散臭さは学生にも伝播していたけれど、まさかそれほどとは思っていなかった。闇討ちだの決闘だの、まるでマフィアの抗争じゃないか。そんなことはいいから、生活に役立つ魔法のひとつでも教えてほしいものだ。

 ヒルダ先生がそういうことに関わってなかったというのは、ちょっと考えてみれば当然のことだね。うん、先生はそういう無駄を嫌うひとだったもの。一歩引いて、冷ややかな目で眺めていたことだろう。

 さて、私の記憶に残っている時計台の話というと、やはりどうしても姉さん絡みになってしまうね。いつでもどこでも姉さんが居た気がする。今思い返すと、あれはストーカーだったんだろうか。ああいや、見張りかな。うん。

 じゃあ、先生が知らなさそうなエピソードをひとつ。

 とある純人の学生が、姉さんに懸想していてね。それで、こともあろうに私に恋愛相談をしてきたんだ。「彼女の好きなタイプは」とか、「どうすれば仲良くなれるか」とか。……まあ、よくある話だ。

 私は一貫して「彼女は恋人なんて求めていない」と返答していたのだけれど、どうも、彼はそれを違う意味に捉えてしまったらしい。

 私が姉さんと恋仲にあるという、そういう勘違いだ。相談してきた彼に面と向かって「お前は俺のコイガタキだ」なんて言われたときには、意味がわからなくてしばらく空いた口が塞がらなかったよ。

 まったく、私と姉さんが恋仲などと……なぜそんな勘違いをしたのか、今でも理解に苦しむね。

 結局彼はその勘違いをひとりで抱え込んだまま、悶々とした学生生活を送ったらしい。ウエストミンスターを去る直前に姉さんに告白したようだけれど、姉さんの「貴方、誰?」のひとことで玉砕したとか。姉さんらしい話だろう?

 それにしても、彼女が誰かに懸想するなんて、想像もできない。……今ちょっと想像してみたのだけれど、なぜだか少し気持ち悪くなったよ。

 他にも幾つか思い出したけれど、それは今後の文通で話の種にするとしよう。

 先生も何か面白い話があれば、また教えておくれ。楽しみにしているよ。

敬具

コーラル・ヤマムラ

ヒルダ・ホールリン

 

 

―― ―― ――

 

 

八月十五日

 拝啓。

 先生にしては珍しく返信が遅かったので、どうしたのかと心配していたよ。

 手紙を読んでみたら、下水道の組み換えに手をかけすぎた、だって? 各所の入口と出口をきちんと繋ぐように、それでいて原型を留めないようにでたらめに組み替える? 何をやっているんだ。そこはあくまで囮で、テロのメインじゃないだろう。なんだっていったいそこまで手の込んだことをしているんだ。

 まったく、無駄な回廊操作にそこまで入れ込むなんて……ウエストミンスターに居た頃の悪い癖が、まだ抜けてないんだね。

 思えば、昔から先生は妙なところにばかり手を尽くすひとだった。出血管理を陣魔法で代用するために教室いっぱいに陣を刻んだり、学生の色恋沙汰に首を突っ込んだ挙句当事者たちをウエストミンスター橋から突き落としたり、私が徹夜して仕上げた陣魔法の草案にコーヒーをぶちまけたり。……あ、最後のは違うね。

 回廊操作が楽しいのはわかるけれど、ゴブリンたちの教育は大丈夫なのかい? 中東育ちは覚えが悪い。とっとと当日の動きを染みこませなければ、ここまで準備したものが水の泡になってしまうよ。

 おっと、言いたいことをすらすらと書いてしまったが、先生なら言わずもがな、だったね。釈迦に説法というやつだ。心配している弟子もいるのだということだけ、覚えておいてくれ。

 では、今回の手紙の本題だ。

 先に言っておく。私と姉さんはあくまで姉弟弟子だ。断じて、断じて、断じて、そういう仲ではない。

 というか、先生ならわかってるはずだろう。あの姉さんが男に入れあげるなんてあり得ない。男をたぶらかすことはあっても、男にたぶらかされることはない。想像もできないししたくない。そんな光景を目の当たりにしたら、きっと私は発狂してしまう。

 なぜ先生までそんな風に誤解していたのか、理解に苦しむね。確かに先生の言うとおり、私は姉さんと仲が良かったし、どの講義も一緒に受けていたし、食事も一緒に摂っていたし、同じ部屋で寝泊まりしたこともあったけれど、たったのそれだけだ。まったく、それだけのことでなんで恋仲などと言われなければならないんだ。

 世の中にはもっと美しくもっと醜い男女関係がうごうごしているじゃないか。それに比べれば私と姉さんなんてただのクラスメイトだ。友人だ。健全だ。男と女は磁石のようにぺたぺたとくっつくものではない。

 分かったら、とっととゴブリンたちを一人前のテロリストに育ててくれ。もう八月なんだから、そろそろ急がないといけないだろう。

敬具

純粋を極めた弟子

邪推する師へ

 

 

―― ―― ――

 

 

九月十一日

 拝啓。

 前回の手紙は済まなかった。先生の言うとおり、感情的になってしまっていたようだ。

 それもこれも先生がヘンなことを書くからだが……まあ、この話はおわりにしようか。うん、双方に得るものがない。何より、私が言葉を尽くせば尽くすほど、墓穴を掘りすすめている気がする。

 私は日本に来ているよ。とても久々だ。魔法大戦のとき以来かなあ。

 この国の技術力は相も変わらず変態の極みだね。何が彼らを駆り立てるんだろうか。魔力感知器の精度なんて、先生が欲しがっていたあのストライヒ製の最新型と同レベルだ。ほら、五十キロメートルの遠隔地でマッチ火力の発火魔法を使っても感知される、アレだよ。あんなのがトーキョーのそこらじゅうに配備されていた。市民は平和ボケしているけどね。たぶん私が変装しなくても、素性がバレたりはしなかっただろう。

 ああ、勿論変化の魔法は使っていたよ。手持ちの陣の中で一番強力な魔力隠しもセットでね。それでも警察官に「微量な魔力反応がある」なんてふうに職務質問されてしまった。あの国にはおいそれと近寄れないな。

 別に用件があったわけではないから、もうすぐどこか別の国に行こうと思う。なんでわざわざ来たかって? そりゃあ私だって、たまには故郷が恋しくなるのさ。

 では先生の言うとおり、今度は私の来歴を書いてみようか。わざわざ書くようなこともないけれど、再確認というのは大切だ。

 歳は今年でちょうど百二十だ。純人に換算すれば、おっさんというやつだ。ヤマムラは漢字で「山村」と書く。日本ではありふれた名前だ。デイビスやウイリアムズみたいな感じかな。

 純人の父とエルフの母を持つ、エルフ寄りの半人。先生にはよく「半端者」と言われていたなあ。私に言ってもしょうがないだろうに。生まれは日本で、母の勧めにより早いうちからウエストミンスターの現代魔法学科へ留学した。以後、ほとんど日本には戻っていない。

 得意なのは陣魔法で、詠唱魔法はからっきし。初歩の初歩、遠隔発火すらまともにできない。でも魔力隠しの陣に関してならば、先生の上を行ける自信があるね。

 現在は国際指名手配を受けて世界各地を転々とする……とまあ、こんなものかな。

 大したことをしてこなかったからね。大したことが書けないよ。そもそも先生相手に自己紹介しても仕方ないような……。話の種にはなるのかな。

 文通を始めてもう半年だ。話の種も尽きる頃だものね。

 今回の私の書が、また新たな話題の元となることを祈るよ。

敬具

コーラル・ヤマムラ

ヒルダ・ホールリン

 

 

―― ―― ――

 

十月二十日

 拝啓。

 日本からロンドンに戻ってみたら、ここのあまりの冷え込みに驚いた。寒すぎる。ストリートがそこらじゅう枯れ葉まみれだよ。これを風流だというやつが多いが、私の目には汚れているようにしか見えない。理解に苦しむね。

 アメリカもそろそろ秋かな。ゴブリンたちの体調管理には気をつけてくれ。彼らは案外と冷えに弱いからね。

 で、私は先生の手紙を見て驚いたよ。まさか弟子の私が指名手配されていることを知らなかったとは。先生が知らなかったということを私は知らなかったよ。

 うん、大したことではないんだ。今回の先生の依頼と、似たようなものを知人から受けてね。ほうっておくわけにもいかなくて、ついつい深入りしてしまったんだ。

 そいつはエルフなんだがね、魔法大戦の折、アメリカで純人に奴隷のように扱われていたんだ。勿論大戦が終わってからは解放されたんだが、憎しみが消えるわけはない。むしろあのあとの純亜和平に腹を立てて、アメリカで一発デカい花火をあげてしまった。

 ほら、あの、純人のビルに飛行機が突っ込んだやつ。私が聞いていた以上の規模のテロで驚いた。同時多発とか、聞いてない。宗教関係のいがみあいってのが表向きの理由だが、裏では私や先のエルフなんかの魔法種が手を貸していた。あいつは飛行機に乗ったままくたばったが、まあ本望だったんだろう。

 私は魔法種の痕跡を残さないよう、適当な魔力隠しの陣を提供したんだが、CIAだかFBIだかってのは凄いな。半年くらいで私の学生時代の顔写真が世界中にバラ撒かれていたよ。どうも、飛行機の残骸から陣を探し当てて、それが私の陣だと突き止めたらしい。恐ろしい連中だ。

 無論、罪悪感はある。アレでどれだけの人間が死んだのか、世界がどういう影響を受けたのか、私はよく知っている。

 けれどね。あの三度の大戦は、もっと酷かった。あれに比べればこの程度、どうってことはないだろう。

 だから、今回の先生の計画も受けることにしたんだ。なにしろ、私にはテロリストとしての経験があって、先生への恩義もあった。なれば、手を貸さずにはいられないからね。

 魔法陣は全て完成した。同封しておくから、先生の好きなように使ってくれ。

 なあに、これでまた私の犯行だとバレても、あと百年は逃げおおせてみせるさ。心配せず、先生は先生の為すべきこと、為したいことを為してくれ。

敬具

現役テロリスト

未来のテロリストへ

 

 

―― ―― ――

 

十一月三十日

 前略。

 突然の申し出に困惑している。

 が、まあ、確かに「やめどき」といえばそうかな。かれこれ半年も続いたものね。

 マリア大師のバングルはしかと受け取った。私がこれを受け取るのは気が引けるが……好きに使って良いとのことのなので、そうさせてもらうよ。

 この手紙にも、もう返信を書かないのだろうか。

 …………結局。先生は、寂しかっただけなのだろう?

 自分のこれからを考えると、きっとどうしようもなく虚しく、悲しく、寂しくなったはずだ。

 だって、私も同じ道を辿ったから。

 私は何をしているのかと。何をしてしまったのかと。何を失ってしまったのかと。

 きっと先生も、これからその道を辿るのだろう。

 不肖の弟子、テロリストの先輩として、一言だけ贈らせてもらうよ。

「やるからには全力で」

 それでは、達者でね。

敬具

弟子 コーラル・ヤマムラ

偉大なる師 ヒルダ・ホールリン

 

追伸

 今際の際にでも思い出してほしいので、記しておく。

 貴方の最後の愛弟子、私の最初の姉弟子の名を。貴方がただ、「フェアリー」とだけ呼んでいた、彼女の本当の名前を。

 多くの妖精は師から名を貰うというのに、彼女は、愛したひとから名を貰ってしまった。その名は、「一人前の魔法使いになったら」先生に教えるつもりだったそうだ。

 けれど、先生はその前に姿を消してしまった。姉さんは先生に名前を伝えることが出来なかったというわけだ。

 なので、私が代わりに教えよう。

 イェシカ。

 彼女は、そういう名前だった。

 

 

 

―― ―― ――

 

 

 

四月二十四日

 前略。

 もはやこの手紙を書くことに意味は無い。

 それでも筆を走らせているのは、半年続いたあの文通のせいだろうか。

 この手紙を書き上げる頃には、先生のテロは失敗しているだろう。それは先生自身、わかっていたはずだ。それでも実行に移してしまった。

 先生から手紙を受け取って、目を通して。その瞬間に私は察してしまったんだ。

 もう、私の師は居ないのだと。

 ……西の宮殿の隅っこで、ひたすらに陣を書き、ひたすらに檄を飛ばし、ひたすらに魔法を愛したヒルダ先生。

 先生は、大好きな魔法と同じくらい、私たち人間のことを、人類種のことを愛していたね。

 そんな先生が、事もあろうに母校を人間ともども爆破した挙句、ダブリン一帯を制圧するだなんて、正気や狂気の話ではない。もはや、沙汰の外だ。

「出来損ないの陣に、他人の魔力など注げるはずもなし」

 先生の口癖だったね。今はもう、覚えてすらいないのだろうけれど。

 先生は直接手紙には書かなかったけれど、あのテロの本当の目的は、ダブリンを先生のものにすることだったんだろう? 大掛かりな爆破の陣も、デミフェアの根絶などという建前も、すべては隠れ蓑に過ぎなかったはずだ。

 妖精種がその存在を維持するのに必要なのは、ただただ純粋な魔力のみだ。他のすべての人類種と違い、膨大な魔力さえあれば、肉体、霊体の劣化など瑣末な問題になる。

 そしてその膨大な魔力は、ゴブリンを始めとした亜人種……、いや、人類種から搾取してしまえばいい。

 でも、そんなものは長続きしない。維持に必要な魔力量は加速度的に増えていく。十年もしないうちに、純人ひとりを殺しても一日生きるだけで精一杯になるだろう。詠唱魔法など使えば、一瞬で消滅してしまうだろう。

 それでも先生は、ただただ生きることを望んだ。他人をどう扱おうと、自分さえ生きることが出来れば良いと、そう考えた。

 極端な言い方をすれば、独裁国家だ。血迷っているとはいえ、先生の頭脳は鈍っていない。貴方ほどの手腕なら、そのような無茶も通ってしまうだろう。

 だがまあ、前提からして破綻していた。私などに頼る時点で、先生は諦めていたんだ。

 先生は死にたくないくせに、死に場所を求めていた。

 引導を渡すは人狼部隊。場所は故郷、ダブリン。

 いい、死に場所じゃないか。

 そう時を待たずして、私のことも嗅ぎつけられるだろう。ほら、人狼は鼻がいいからね。

 私もいずれ、後を追うことになるよ。

 そう長くは待たせないさ。

 安心して、眠ってくれ。

敬具

コーラル・ヤマムラ

ヒルダ・ホールリン

 

 

―― ―― ――

 

 

 

イェシカ姉さんへ

 

 

 

―― ―― ――

 

 

七月二十一日

 拝啓。

 久し振りだね、姉さん。初夏の頃、如何お過ごしだろうか。

 そろそろ私のことも嗅ぎつけたかなあと思って、この手紙をしたためている。

 優秀な魔法種を抱えているのなら、あの魔力隠しに気付いたはずだ。そしてそれを姉さんが見たのなら、まず間違いなく私を疑うだろう。

 そしてそれは大当たりだ。私こそ、姉さんの関わったあのダブリンのテロの共犯者。ヒルダ・ホールリンに陣を提供した魔法使いだ。

 だがまあ、簡単に捕まるのも面白くない。私にもいくつか、やりたいことがあってね。一身上の都合というやつだ。もう少しばかり、身を隠させて貰うよ。

 そのうちのひとつが、この手紙だ。姉さんに言葉を贈るのは何十年ぶりだろう。未だに何を書けばいいのかわからなくて、少々混乱している。

 ええと、まずは同封した金の腕輪から。これはヒルダ先生が師であるマリア大師から賜ったバングルを加工して、妖精の腕輪サイズに落とし込んだものだ。人間の指輪とほぼ同じサイズになるね。

 加工と言っても、並みの職人には任せられない。なにせあのマリア大師のバングルだ。資料的にも、魔術的にも、計り知れない価値がある。

 というわけで、先生からバングルを受け取ってから、世界中をうろうろして腕の良い職人を探していたんだよ。

 結局任せたのは中国にある小さなジュエリーショップだ。気の強い女ドワーフがひとりで切り盛りしていたんだが、店においてあった装飾品はどれもこれも素晴らしい完成度で、よく憶えていた。

 それで、仕事を依頼しようと思って店を訪れたら、新しく見習い娘が雇われていたんだが……その娘を見て驚いた。彼女自身自覚しているかどうかは知らないが、技術強化系の不断魔法を持っていたんだよ。ただでさえ器用なドワーフが、技術強化だよ? そりゃあ信頼できるに決まっている。

 で、出来上がったものが、これだ。月桂樹のリング……もとい、ブレスレット。

 素晴らしい出来だ。ここまで仕上げてくれるとは思わなかった。話を聞けば、やはりあの見習い娘が加工してくれたらしい。彼女は私が店を訪れた日にちょうど雇われたらしくてね、店主も娘の技量にたいそう驚いたそうだよ。不断魔法の話をしたらまた驚いていたけれど、深く納得した様子だった。

 姉さんも今後装飾品を買うのなら、あの店がお勧めだ。中国の大連にある、Knott's Shop。是非顔を出してみてくれ。

 ……この指輪、本当に良い出来だなあ。姉さんに贈呈するのを今更惜しんでいるけれど、先に決めていたことだからね。大人しく手放すよ。先生の形見だ。好きに扱ってくれ。

 師からこういうものを受け継ぐことが出来るのは、常に一番弟子でなければね。少なくとも私はそう思う。テロリストの私と、国際警察のイェシカ姉さん。どちらがこれを持つに相応しいか、考えるまでもないだろう?

 ああ、月桂樹を掘り込んでもらったのは私の勝手だよ。花言葉は知っているかな。栄誉とか、勝利とか、そんな感じだ。今の姉さんにはぴったりと思うんだ。

 ええと、それから……後になってしまったが、謝罪を。師弟揃って馬鹿をやってすまなかった。いや、すまなかった、では済まないということはわかっているんだけどね。そういうのを抜きにして、純粋に弟弟子として、姉弟子に謝りたかったんだ。

 師から、姉から賜ったこの陣を、人殺しに使ってしまった。許してくれとは言わない。蔑んでくれて構わない。むしろ、私のようにはならないよう、姉さんは光の道を歩んでくれ。影を歩くのは、私だけでいい。

 最後に、先生について。

 私に計画を持ちかけた先生は、既に狂っていた。私たちの知っていた先生ではなくなっていた。姉さんは、先生に会ったかい? 会えばわかるはずだ。あれはもう、ヒルダ・ホールリンじゃない。私は文通していただけだがね、それでもわかるほど、先生は正気を失っていた。

 姉さんが対策部隊に加わっているという情報を手に入れたときは、正直言って安心したよ。姉さんになら任せられる。もう、済んだことだが。

 偉大なるヒルダ師は死に、忌むべき弟子、コーラルは隠遁中。世界中の「ホールリン」たちはさぞ、肩身が狭いだろう。

 それを打破できるのは貴女だけだ。一番弟子、イェシカ・ホールリン。

 私とその師が穢したホールリンの名を、どうかまた、再興させて欲しい。

 身勝手な願いだ。私にこれを言う資格はない。

 けれど、私以外、誰も貴方に頼めない。だからこそ、恥を承知でこの手紙を書いている。

 よろしく頼む。

敬具

コーラル・ヤマムラ

姉へ

 

追伸

 先生はテロの直前まで、昔のようにカスタード・プディングばかり食べていたらしい。姉さん、勝手にプディングを食べられて怒ったことがあったろう?

 ああいうところは、変わっていなかったよ。

 

 



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十章 人狼の章(後)

 結論から言うと。

 ヒルダとか言う妖精種(フェアリー)は、想定よりも賢くて。

 ICPOを始めとした警察組織は、その日が来るまで、アイツの尻尾を追いかけるだけで精一杯だった。

 

―― ―― ――

 

「イェシカ、またか」

「ええ、また、よ」

 とうに零時を過ぎた狭い部屋。四月のニューヨークはまだ寒く、夜となればまだ冬のようだ。

 そんななかで、イェシカと揃ってため息を吐いている。

 二月のこと。パブ「サンクチュアリ」での監視は成功したが、それっきり会合を覗き見ることができなくなってしまった。どうもあれからすぐにイェシカの魔法がバレたらしく、それ以後は魔法防壁が更に強化され、集会場所も北米中を転々とするようになってしまった。

 サンクチュアリの偵察から二ヶ月。こちらが監視魔法を仕掛けるたびに、向こうから解除されている。

 最初に居場所を突き止め、偵察するのは容易かったというのに、この徹底した「逃げ」はどういうことか。

「…………う、ぐ、あー……。とりあえず、これだけ分かってれば……最悪の事態は防げる、か」

 ノートパソコンの前で大きく伸びをした。画面には、部下からの報告をまとめ上げたレポートがある。

「これは?」

 ディスプレイの右上に腰掛け、画面を覗き込むイェシカ。気づけばいつもここにいる。どうやらこの場所が気に入ったらしい。

「インターポールへの報告書だ。奴らの決起場所と日時が分かった」

「あら、それは僥倖ね。やるじゃない」

「腕の良い部下たちのおかげだよ」

 場所はアイルランド首都ダブリン。日付は今月、四月二十四日、正午。

「―――それから、お前のおかげでもある。礼を言う」

「へ、あたしの? なんで?」

 ぽかん、と顔を上げ、俺を見つめるイェシカ。その額に、こつんと人差し指を当てた。

 これをするとこいつは額を両手で押さえ、むうっと顔をしかめる。これもお決まりになってきたなと苦笑し、会話を続けた。

「お前、サンクチュアリの集会のとき、こっそり別口で盗聴魔法仕掛けてただろ? アレ、勝手にヒルダの野郎を追跡してたみたいでな、ついさっきログが届いたんだ。ノイズだらけだが、要点は拾えた」

 パソコンを操作して、そのログを再生する。イェシカは目を丸くしていた。

「……それ、ほんと? だって、ただの盗聴魔法よ、アレ」

「は、お前の執念が乗り移ったんだろ」

 けけけ、と笑いながら言ってみたが、イェシカは表情を変えて真剣に考え込んでいる。

「…………おい。今の、冗談だぞ」

 俺の言葉に、イェシカは顔を振った。

「―――いいえ。ありえない話ではないわ。妖精種の魔法は、エルフ達のものよりも精霊種寄りのものでね。無意識下で応用を効かせていたりするものなの。それも、強力に」

精霊種(エレメント)? なんでエレメントの話が出てくるんだ」

「……そうね、いい機会だし、教えてあげるわ」

 そう言ってイェシカは、何か吹っ切れたふうにふわりと飛び立ち、キーボードの上に降り立った。

「―――妖精の、生まれ方を」

 

 

―― ―― ――

 

 

「妖精種に、親が居ないって話はしたわよね」

「ああ、そんなことも言ってたな」

 キーボードの上を、右へ左へ、てくてくと歩きながら語るイェシカ。その姿はまるで、ミュージカルを演ずる女優のようだ。

「妖精種っていうのはね、本来は存在しない種族だったの。ある間違いを犯してしまったある種族が、いわば堕天(・・)して成ってしまったのが、私達妖精種(フェアリーズ)よ」

「堕天? じゃあ何か、お前ら元々は天使だったってのか」

 呆れた俺の声に、イェシカがくすりと笑みをこぼした。

「今のは喩え話よ。でも、あながち間違いでもないかもね」

 もったいぶるように、イェシカがそっと両手を合わせた。

「―――私達はね。元々は、精霊だったの」

「な―――」

 精霊?

――――エレメントたちに、自我はない。

 それくらいは俺でも知っている。奴らは一応亜人種のカテゴリになってはいるが、どちらかというと魔法のような「現象」に近い存在だ。魔法使いに使役される、ペットのような、使い魔のような、意思を持たない操り人形。

 それが、妖精になる?

「あら、貴方なら想像がついていたかと思っていたんだけど……。まあ、妖精種の成り立ちに関しては、妖精種以外ほとんど知らないことだもの、仕方ないかしらね」

「…………お前らそのものが、ふわっふわしてっからな。成り立ちなんぞ、気にしても仕方ねえだろ」

 俺の投げやりな言葉に、イェシカはふっとはにかんだ。

「ええ。それが世間一般の考え方よ。そのおかげでこの情報化社会においても、私達の成り立ちは秘密にしておくことができた」

 すう、と息を吸い込み、舞台女優は語り続ける。

「―――精霊種が自我を得ると、かつて持っていた強力な魔法と引き換えに肉体を得る。でもね、そんなふうに自我と肉体を持ってしまえば、もはや精霊なんて呼べないわ。変わり果てた彼らは、妖精種として新しく生まれ変わるの。……ああ、勿論記憶もほとんどまっさらよ。そもそも精霊に人間らしい記憶なんて無いもの」

「――――――」

 少し話が難しい、が。

 要は、精霊が「格落ち」したのが、このイェシカということか。

「ん? ってことはお前、元はエレメントか」

「ええ、そうよ。擬似妖精は別として、私達妖精種は皆精霊種から派生した存在なの。ほら、こんなふうに霊体化出来るでしょう?」

 イェシカがそういうと、キーボードの上にいた彼女がしゅるりと消えた。

「……なるほどな。それ、霊体化してたのか。さしずめ、擬似精霊(デミエレメント)ってとこか」

 今度はディスプレイの上にぽん、と実体化するイェシカ。

「んー……、ま、そんなものかしらね。―――精霊は妖精を上回る魔法を行使できるけれど、自我も実体も持たない。妖精は精霊ほどの魔法は使えないけれど、それを補う自我と肉体を手に入れた。一長一短だから、どちらがいいかなんて、一概には言えないわね」

「そうだろうな」

 とりあえず、納得はした。

 だが、なにか引っかかる。

 こいつ、何か一番重要なところを、まだ話していない、ような…………。

「隠すようなことでもないんだけどね」妖精はまた、歌うように言葉を紡ぐ。「知られてないんならそのままでもいいかな、っていうのが妖精種全体(わたしたち)の意見よ」

 ディスプレイの中央にぽてんと座り、脚をぷらぷらさせるイェシカ。

 その姿はなんとなく、哀愁が漂っていて。

 それを見て、何を訊いてないか思い当たった。

「…………お前。ひとつ、言い忘れてるぞ」

「ん? 何?」

 わざとらしく首を傾げるイェシカに言葉を投げる。

「エレメントが自我を得る条件だ。それなりにキツい条件じゃなけりゃ、この世からエレメントなんてもんは消え失せるだろう」

 ぴしりと、座るイェシカに指をさす。

「――――ふふ。やっぱりあなたは頭が回るわね。人狼にしておくのは勿体無いわ。気づかなければ教えないつもりだったけれど……、ご褒美として、それも教えてあげましょう」

「なんだよ、隠すようなことじゃねえんだろ?」

「いいえ、これは別よ。これを精霊たちが知ってしまうと、貴方が言ったようにこの世から精霊種(かれら)が消え去る可能性がある。……そう簡単には、いかないと思うんだけどね」

 さっきまでとは打って変わって、うつむきながら話すイェシカ。

「…………あー、その、なんだ」頭を掻きながら、イェシカから視線を逸らす。「話しづらいことなら、別に話さなくていいぞ」

「……優しいのね、人狼さんは」そんな俺に、イェシカはまた、優しく微笑んだ。「でも、いいの。これを知っていれば、ヒルダとの戦いに役に立つかもしれないから」

 イェシカがディスプレイの上に立ち上がる。

「精霊はね―――」

 立ち上がった妖精は腰に手を当て、高らかに声を上げた。

「―――恋をすると、妖精になるの」

 

 

 

 しばし。

 静寂が、部屋を包んだ。

「――――」

「…………」

 仁王立ちし、ぴこぴこと羽を動かすイェシカ。

 頬杖をつき、そんな妖精を呆然と見上げる、俺。

「…………ロマンチックにも程がある」

「ふふ。良い反応ね、嬉しくなるわ」

 イェシカは、本当に嬉しそうに微笑(わら)っていた。

「恋をするって言ってもね、別に相手がなんだって構わないの。大抵は純人だったり、エルフだったり、吸血種だったりするけど……、何かの建物とか、何かの技術に固執することで『格落ち』する精霊も多いわ」

「つまり、恋ってのは……何か特定の事柄に強く興味を持つ、ってことか?」

「ええ、まさにその通り」イェシカは大きく頷いた。「自我、目的のないはずの精霊たちが、そういう『強い関心』を持つ―――それは自我の芽生えとおなじこと。そうなってしまえば、もう自我のない精霊(エレメント)では居られなくなってしまう。関心を持ったから自我が芽生えたのか、自我が芽生えたから関心を持ったのか。それはもう、鶏と卵のお話と一緒ね」

「どっちが先でも同じ、か。ふうん、面白いじゃないか。妖精に女が多いのは、それが原因か?」

「ええ。恋する乙女は、種族を問わず多いものだから」

 腰の後ろで腕を組み、意味深な笑みを浮かべるイェシカ。

 と、なると。

 気になるのは。

「……お前は、何に惚れたんだ」

 俺のぶしつけな問いに、イェシカはこれ見よがしに溜息を吐いた。

「ちょっと、もう少しくらい上品な言い方は出来ないの? これだから獣人は荒っぽい、なんて偏見を持たれるのよ。……まあいいわ、もう百年以上前のことだから。……あたしが恋をしたのは、とあるケンタウロスよ」

「へえ」

 意外だ。

 てっきり、なにかもっと「あやふや」な、概念とかに惚れたのかと思っていた。

―――ああ、そうか。

 前に、獣人に興味がある、とイェシカは言っていた。

 このことだったか。

「彼はね。セント・レースの、冴えない競走馬だったの」どこか遠くを眺めるようにして、イェシカが語り始めた。「スポンサーはひとつかふたつくらいしかついてくれなくて、レースでは下から数えて二番目の順位が定位置で。いっそ最下位ならコアなファンもつくのだけれど、中途半端な彼にはそんなファンも少なくて。……でもね、彼はとても努力家だったわ」

 ぺたん、と座り込み、イェシカの話は続く。

「文字通り、彼は粉骨砕身、努力したわ。でも、才能までは補えなかった。努力はそのまま負荷となって肉体を蝕み、体のほうが先に音を上げてしまった。あたしはそんな彼の治療のために呼ばれた精霊だったんだけどね。今思い返すと、彼の体はとんでもない状態だったの。脚の骨も腱もぼろぼろで、心臓への負担も尋常じゃなかった。走るなんてもってのほか、立っているだけで激痛が走っていたはずよ」

 語るイェシカの、顔が曇る。

「でも、彼は治して欲しいってせがんできた。折れかけた骨をくっつけて、無理矢理腱を繋いであげたけど、結局レースになんて出られなかった。でも、それでもいいって彼は笑って、リハビリを続けた」

「…………いい、男だな」

「ふふ。貴方が言うのなら、間違いないわね。ええ、彼は本当に格好良い半馬(ケンタウロス)だった。雄々しくて、努力家で、謙虚で、真面目で、優しくて。―――それでね。気づくとあたしは、妖精として彼の前に立っていた」

 当時を思い出したのか、イェシカはくすりと微笑んだ。

「彼、ほんとうに驚いていたわ。『キミは誰だい』って。―――ああ。今でも。あの声も、顔も、風景も、ぜんぶ、ぜんぶ思い出せる。そういう彼に、あたしは『わからないわ、名前も何もわからないの』って答えた。そうしたらね、彼が『イェシカ』って名前をくれたわ」

「そいつが、お前の名付け親か」

「ええ。由来は、彼の亡くなった奥さんの名前。ジェシカって名前だったんだけど、それをスウェーデン風に読んで、イェシカ」

「…………ジェシカとイェシカ、か」

 綴りは確かに同じだ。スウェーデン読みなのは、北欧が妖精の起源(ふるさと)だからだろう。

「凄く嬉しかったわ。彼と話せることも、彼と触れ合えることも、彼に名前を貰えたことも、なにも、かも」

 懐かしむように話すイェシカ。

 でも。

 その顔は、ちっとも嬉しそうじゃない。

「…………なあ。そいつ、今はどうしてるんだ」

 つい、俺はそう言っていた。

―――訊かずとも分かることだった。

 百年前のできごと。死にかけの競走馬。

 その末路。

 だが、ここまで話を聞いた手前、訊かないでおくのは、イェシカに無礼だというものだとも思ったのだ。

「亡くなったわ」俺の問いに、イェシカはあっさり返答した。「彼、無理をしすぎたの。彼の無理は脚だけじゃなく、心臓にまで負荷を掛けていた。何度も何度も治癒の魔法を使ったけど、格落ちしたあたしに出来たのは、最期を先延ばしにしてあげることくらいだった」

 ぽてんと、イェシカは座り込んでしまった。

 やはり、わかりきったこと。

 訊くべきでは、無かった。

「…………イェシカ、すまな―――」

「彼は最期まで、競走馬として居ることを望んだ。心臓が保たないって、何度も言ったけれど、そのたび彼は『構わない』って走り続けた」

「―――イェシカ」

「あたしも、胸が張り裂けそうだった。あたしに出来るのは、傷を癒やすことだけ。避けられない死はどうしようもない。彼をこのまま走らせていたら、すぐに死んでしまうって、あたしにだってわかってた。でも、でも、でも、彼の脚を止めることは、そのまま彼を競走馬として殺すってことでもあった。だから―――」

「イェシカッ」

 びくり、と体を震わせる妖精。

「――――もう、いい。すまなかった、イェシカ。そこまで話す必要は、無いだろう」

 座り込み、うつむいたイェシカ。彼女へと手を伸ばし、人差し指で、零れ落ちる雫を拭う。

「あ―――」

 自分が涙を流していることに気づいていなかったのか、彼女はひどく驚いた顔を浮かべていた。

 その顔が、ふっと緩んだ。

「…………ありがとう、ジョゼフ」

 イェシカは俺の指をそっとのけ、自分の手でぐしぐしと顔をこすりはじめた。

「…………獣人はみんな、優しいのかしらね」

「……どう、だろうな」

 俺は、そう返すだけで精一杯だった。

 

 

―― ―― ――

 

 

 四月二十三日。

 ゴブリン反乱テロの前日。

「情報はこんなもん、か」

「……仕方ないでしょう。ここまで分かっただけでも上出来よ」

 今日までで判明したのは、敵の魔法の起点が六つあるということ。それから、襲撃、籠城する場所がトリニティ・カレッジだということ。

 トリニティ・カレッジを襲撃地点に選んだのは、インテリのヒルダならではだろう。様々な亜人種が生まれたとされる北欧。その中で最後まで「魔法学校」として残っていたのがあのカレッジだ。今でこそ普通の大学だが、二度目の千年紀(ミレニアム)を迎える直前まではロンドンのウエストミンスターと肩を並べる魔法学校だった。

 そして、魔法陣。六つの「爆破の陣」は全て下水道に配置されているようで、既に人狼、吸血鬼、エルフを三人一組にした部隊を六つ、探索に向かわせてある。人狼と吸血鬼は対ゴブリン戦用の戦闘員、エルフは魔法陣の場所の探知と魔法陣の解除、分析が役目だ。

 あとに残った人狼部隊は俺を含め十人。これらは皆、トリニティ・カレッジの警護に回る。

「カレッジ、本当に封鎖しないの?」

 部下をカレッジ周辺に配備し、ホテルの一室で報告をまとめるのが今日の俺とイェシカの仕事だ。イェシカはいつものように、テーブルの上のノートパソコンに腰掛けている。

「封鎖するにも証拠が足りねえよ。上に掛けあってみたが、結果はこのザマだ。陣の一つでも見つかりゃあいいんだが」

「それも仕方ない、か。あそこが襲撃地点だって分かったの、昨日だったものね」

 そう。アメリカじゅうを点々としながら集会を開く以上、ゴブリン達もそれなりに動きまわることになる。それらしいゴブリンを見つけ、捕らえるのは本来そう難しいことではないはずだったが、ヒルダの手回しのせいで一人捕まえるのが精一杯だった。

 そいつから襲撃場所と日時を聞き出せたのが昨日のこと。事前に吸血鬼らの人員はICPOに確保させていたので間に合ったが、それでもかなりギリギリだった。

「ヒルダ、か。お前の言うとおり、厄介な奴だな」

「……ええ。優れた名探偵こそが、恐ろしい殺人鬼になるってことね」

 どこかで聞いた話だ。

 幾つもの事件を解決する名探偵は、その過程で犯人がどのようにして証拠を残してしまうかを知っていく。ならば、そんな名探偵が殺人を犯した場合。ソイツは今までの犯人のミスを知っているのだから、同じ過ちは繰り返さない。証拠は極めて残りにくいということだ。

「お前、ヒルダの動機に心当たりは無いのか」

「…………強いて挙げるなら、擬似妖精かしら」

「あん?」

 今の質問は、これまでに何度も繰り返してきたものだった。その度コイツは知らないと言っていた。

「お前、知らねえっつってたじゃねえか」

「だから、強いて挙げるなら、よ。ヒルダ先生は擬似妖精が完成した頃、『魔法の使えぬ妖精などにはなんの価値もない』ってとても怒ってたの」

「そりゃ、見当違いも甚だしいな」

 擬似妖精に求められたのは、妖精種の勤勉さや、情報通信能力、つまり秘書だ。魔法を使ってほしいわけではない。

「頭の良いひとだったから、考えもちょっと吹っ飛んでたんでしょうね。先生が世間に不満を持ってるとすれば、擬似妖精くらいしかあたしは知らない。兄弟弟子にもちょっと訊いてみたけど、みんな心当たりは無かったわ」

 足を組み、複雑な顔をするイェシカ。

「貴方は何か知らないの、ゴブリン?」

 その顔のまま、視線をベッドに移す。

「オレ、ヨク、シラナイ」

 ベッドの上には、昨日捕らえた中東のゴブリンがちょこんと座っている。

 コイツがここに居るのには、まあ、ちょっとした経緯がある。

 

 

 ゴブリン種はつい最近まで…………いや、今でも、種族的差別を受けている。

 三度の大戦に於いて尖兵として扱われたゴブリンたちは、その知能の低さから、ほかの亜人種、純人種の身の回りの世話をする奴隷としても扱われていた。

 大戦後もテロの際には実行犯として扱われ、平時では中流・上流階級の下僕として扱われるゴブリン。彼らの性格がねじ曲がってしまうのも、仕方のないことだといえるだろう。

 そういったわけで、国によってはゴブリン種に対し有害指定を出しているところまである。

 しかし、ゴブリンはきちんと整った環境で育ててやれば、純人並みの知能を得る。ドワーフほどの器用さやエルフほどの魔力は無いが、腕力や魔力など、身長以外の能力は純人の上を行くまでに成長する。

 そんな彼らを見直す動きが、ここ数年でようやく純人の中からも出始めた。

―――まあ、確かにゴブリンはよくテロを起こす。良くてヤンキー、悪くてテロリスト、というのがゴブリン種だ。

 だが、俺のような人狼を始めとした亜人種は、純人よりも前から、ゴブリン種の可能性に目をつけていた。彼らが悪いのではなく、彼らを育てる環境が悪いのだ。そして、更生の余地もあるのだとということを、亜人種は純人種にずっと提言していた。

 それが大戦後数十年経って、ようやく受けいられつつある。

 その矢先に、これ(・・)だ。

「ヒルダ先生ってのは、お前らに恨みでもあるのか」

「センセイ、ワルクナイ。オレラノ、ミカタ」

「味方、ねえ」

 警察機関からは、未だゴブリン種に対する差別の根が抜けきっていない。そんなところにコイツを預けていればどんなことになるかくらい、俺とイェシカはわかっている。

 ゴブリン達は単純だ。自らが危険だと感じれば、秘密くらい簡単に漏らす。だから、彼らに過剰な拷問は意味を成さない。せいぜいビンタを一発食らわせるくらいのことをしてやれば、洗いざらい全部話してくれるだろう。

 それが駄目でも、こちらには、イェシカの「眼」がある。

 妖精種は程度の差こそあれ、皆魔眼を有する。石化、魅了など、効果は個体ごとに違うが、イェシカの魅了の魔眼はそこそこ強力らしい。

 その魅了の魔眼を使って、今、この状態である。

「ゴブリン、せめて、魔法陣の配置くらいわからないの?」

 パソコンから飛び立ち、ベッドに着地するイェシカ。

「ゴメン、シラナイ。マホウ、ツカウ、ゴブリン、アタマイイ。デモ、オレ、バカ……」

 ゴブリンはそれきり、しょんぼりとうつむいてしまった。

「ま、仕方ねえよな」

 魅了の魔眼まで使っても知らないというのなら、本当に知らないのだろう。ヒルダはこの辺り、とことん徹底しているらしい。

 と、机に置いていた無線機が音を立てた。

「こちら第五分隊、敵ゴブリンを発見。奥に魔法反応も確認しました。数は十。交戦許可をお願いします」

 六つの部隊は、魔導通信ではなく無線機で通信を行うようにしてある。念話はツーマンセルには最適だが、規模が大きくなるとどうしても混線してしまう。何より、魔導通信ではヒルダにジャミングされるかもしれない。

「敵の装備は?」

「特に何も。防弾チョッキなんかもなさそうです。――あ、いや、腰にナタみたいなナイフをぶら下げてますね。それから、一番奥にいる奴はハンドガンを持ってます。トカレフのようです」

「――――」

 つまりは、そういうことだ。

 ヒルダってやつは、魔法陣を使う連中にマトモな装備をさせていない。

 これは明らかに、囮だ。

 魔法陣によるテロは、成功してもしなくてもどっちでも良いのだろう。六つに分けたのは、こちらの戦力を分断させるため。存在だけを漏らし、場所を徹底的に秘匿させているのも、あからさまな時間稼ぎだ。

「―――銃は使うな。その程度、お前達なら素手で十分だろう」

「了解」

 ぷつりと途切れる無線の音。

 ほどなくして、制圧の報告が上がってきた。

 

 

―― ―― ――

 

 

 結局、今現在に至るまで見つかった魔法陣は三つだけ。思ったよりもバラけた配置になっていたので、待機させていた人狼部隊も動かして探させたが、半分しか見つけることは出来なかった。探索に当たっていたエルフ曰く、入念な魔力隠しが施されているため、魔力探知がアテにならないのだとか。

 なにより、地下道一帯が大幅に「組み替えられて」いるらしい。どの道がどうつながっているかさっぱりわからないそうだ。これはヒルダの回廊操作だろう。

 それから、追加でゴブリンがもう一体捕まった。

 報告によればリーダー格で、そこそこの知能を持っているらしいが、部隊の拠点に運ばれてきた頃には虫の息だった。どうも、魔法で生命力を吸われすぎたらしい。イェシカが応急処置を施したが、急いで目を覚まさせるとかえって危ないそうだ。というわけで、コイツから情報を引き出すわけにもいかない。

 一度沈んだ陽はまた昇り、刻々とテロの開始時間が迫ってきた。

 現在の時刻は朝七時。

 そろそろ、こちらも動かなければならないだろう。

 机の上の無線機を手に取り、通達する。

「各部隊に連絡する。カレッジの警護を予定していた人狼部隊はそれぞれ持ち場に戻れ。他の人員は引き続き、残りの魔法陣を探してくれ」

 手を離し、無線を切る。

「…………行くの、ジョゼフ?」

 真剣なイェシカの声に「ああ」とだけ返答し、装備を確認する。

 魔法陣の配置や、わざとゴブリンを捕まらせてその陣に誘い込む周到さから、俺達人狼部隊が動いていることもヒルダにはお見通しだろう。

―――俺達(じんろう)の弱点はただひとつ、純銀だ。

 その銀も、体表に触れなければ、体内に侵入されなければどうということはない。全身をスーツで覆い、重要な部位はプレートで守り、顔面にはマスクを付けておけばいい。……結局は、普通の戦闘装備であるが。

 一般の装備と違うのは、肌を一切露出させていないこと。それなりに金のかかる装備だが、人狼の力は強力だ。それを上回る収入を簡単に得られる。

「……イェシカ」

「なに?」

 イェシカは、俺の「お目付け役」。俺の働き、能力を審査し、ICPOに報告するのが仕事だ。ならば、こういった事件の当日こそ、俺たち人狼部隊の能力を見定める絶好の機会だ。お目付け役にとっては。

 しかし。

 今ではもう、コイツにすがるしかない。

「……この作戦、一番良い解決策は、魔法陣を全て壊し、ヒルダを拘束することだ。探索に出ているエルフ達が駆けつけてくれれば、妖精の捕縛ぐらい造作も無いだろう。だが―――」

「最悪の場合(ケース)。魔法陣を壊せず、エルフを呼び寄せる訳には行かなくなったとき。あたしが先生を捕縛、あるいは無力化……端的に言ってしまえば、殺せっていうんでしょう?」

「……ああ。だが、無理にとは言わない。なにせあいつは、お前の恩師だろう」

「構わないわよ。テロなんて計画するようなら、消えてしまったほうが世のため人のためってものでしょう。恩はあるけど、情はないわ」

 つーんとそっぽを向いて話すその顔には、確かに情のようなものは感じられない。

「頭の悪いほうのゴブリンは魔眼で眠らせたから、あたしが解呪するか、丸一日経つかしないかぎり起きないわ。そっちは安心して頂戴。死にかけのほうも容体は安定してるわ」

「あ? ……ああ、そうか、わかった」

 まだ夜が明けて直ぐなので、ゴブリンが大いびきを立てて寝ていることに何の違和感も感じなかったが、魔眼で眠らせているらしい。

「……じゃあ、行くぞ。ついてこい」

「言われなくても」

 さて。

 鬼が出るか、蛇が出るか。

 

 

 

 俺を含めた十四人の人狼部隊で、トリニティ・カレッジの警護に回る。

 予定通り事が運べば、魔法陣の探索に出させているエルフ、人狼たち全員で警護をさせたかったが、こればかりは致し方無い。

 ホテルからカレッジへの移動中、車中にて四つ目の魔法陣の破壊報告が入った。

 残る陣はあとふたつ。ここまでの配置から察するに、魔法陣はカレッジの中心を囲うように配置してあるはず。あとふたつの位置はこれで大分絞り込めたので、人狼を三人だけ、探索から警護に切り替えた。

 吸血鬼は昼間なので、下水道からは出られまい。一応、対紫外線装備を持ってこさせているが、アレは重い。あんな装備を抱えた吸血鬼よりかはまだ人狼のほうがマシだ。

 とりあえず爆破魔法を発見したことをICPOに報告し、現地警察にカレッジを封鎖するよう要請を出した。ガランドウになってしまうと流石に怪しまれるので、カレッジ周辺から私服警察をなんとか百五十人ほど寄せ集め、エキストラ兼警備員をやってもらっている。もちろん、危険性は知らせた上で。

「―――ジョゼフ。貴方がこのカレッジで籠城し、城にするなら、どこを選ぶ?」

 人員を散開させたあと、かつかつと石畳を歩いていると、イェシカが話しかけてきた。

 足を止める。眼前にあるのは、世界一美しいと言われる図書館だ。

「…………俺なら、ここだな」

「でしょうね。北欧最大の学び舎、トリニティ・カレッジの中でも最大の価値を持つ建物。エジプトのパピルスまで所蔵している、特権図書館。その貴重性はいわずもがな、ね。ここで銃火器は使えない。魔法なんてもってのほか。それどころか、貴方達人狼の爪でさえ、ここの書物を切り裂きかねないわ」

「ふん、知らねえな」

 がしゃん、と硬い金属の音。俺が手に持った短機関銃(サブマシンガン)に、初弾を装填した音だ。

「…………はあ。まあ、データとしては十分バックアップを取ってあるだろうし、どうせ放っておいても壊されそうだものね」

「そういうことだ」

 

 

 

 一歩一歩、本棚の影を入念にチェックしながら奥へ進む。無線からは、未だにゴブリン発見の報告は上がってきていない。この図書館の中にも私服警官が配備されているはずだが……。

「へえ、初めて来たけど、噂以上ね。本当に綺麗」

「…………」

 俺も来るのは初めてだ。確かに、テロの鎮圧、なんて物騒な目的で来たい場所ではない。

 長細い「ロングルーム」は流石に壮観だ。左右にずらりと幾十もの本棚が並び、そのなかには幾百、幾千の古書が詰まっている。ちらほらと国宝まで混じっている……とまでくると、もはやこの図書館を国宝にしたほうが早そうだ。

「…………あたしね、妹が居るの。本が好きな、ね」

 しゅるり、という音とともに、肩に何かが乗っかった。確認するまでもない、イェシカだろう。

「なんだ、いきなり」

「今朝、連絡があってね。別に大したことじゃないのよ。今ダブリンに来てて、あの図書館に行くかもしれない、なんて話をしたら、心底羨ましそうにしてたわ」

「ふうん」聞き流しかけたところで、違和感を感じた。「…………待て。妖精(おまえ)に、妹だと?」

「―――やっぱり察しが良いわね、貴方は。そう、妖精種には姉妹も兄弟も無いわ。無いけど、他の人種で言うところの、義兄弟、みたいなものかしら。特別仲が良かったり、生まれたときから面倒を見ていると、義理の親や兄弟になるものなの」

「ああ、そうか。お前が『ホールリン』を名乗るのは、お前にとってヒルダ、が―――」

 そこまで口にして、言葉が詰まった。

「姓を受け継ぐ」という言葉の意味を、なぜもう少し考えなかったのか。

「ふふ、察しが良いのも考えものかしら。言ったでしょう、恩はあれど情はない、と」

 肩に座るイェシカを見る。ここに来ても、表情に変化はない。

 思うところはあるのだろう。ないはずがない。コイツは、そういうヤツだ。

 義理人情、人助け。そういうのが好きでたまらない、根っからの善人。俺のような戦争屋とは全く違う。……生まれが生まれなのだから、まあ、当然だろうが。

「…………ん?」

 ふと、妙な匂いがした。

「どうしたの、ジョゼフ」

 鼻をひくつかせる俺を訝しむように、イェシカが小声で話しかけてきた。

「……霊体化してろ。血の臭い(・・・・)がする」

「っ」

 肩の重みが消えるのを確かめて歩を進める。物陰を確認しながら、臭いのもとへ近寄っていく。

 そして、居た。

「………………」

「そんな……」

 棚を四つほど挟んだ向こう、壁際に倒れていたのは私服警官だった。口から一筋、赤色が流れ出している。

 インカムで無線を飛ばす。

「報告、カレッジ内図書館にて警官一名の殉職を確認。各員、周囲の警戒を続けろ」

 無線を終え、今度は肩のあたりに声を掛ける。

「…………イェシカ、お前はそのまま霊体化してろよ。これじゃあどこに敵が居るか分かったもんじゃない」

「……ええ、分かってるわ」

 そっと、遺体を調べる。遠目では分からなかったが、首を斬られているらしい。そう大きな傷ではないが、致命傷なのは確かだ。

 そして、血の臭いに鼻が慣れた頃。何か別の、妙な匂いを感じた。

「…………ジョゼフ、またなにか?」

「ああ、いや、なんかヘンな匂いがするんだ。…………こっち、か」

 私服警官を少し退け、本棚から数冊の本を抜き取る。

「なんだ、こりゃ」

 小さな紋様が、青い線で描かれていた。

「…………ついつい忘れがちだけど、さすがは人狼ね。魔法陣を魔力でなく、におい(・・・)で見つけ出すだなんて」

「これが陣?」

 小さすぎる。せいぜい直径五センチほどしかない。

「ええ。でも、これひとつじゃ成り立たないわね。たぶん、これと同じものをいくつも配置して初めて発動する術式よ。……見たこと無い陣だわ。先生のオリジナルでしょう。けど、壊してしまえばこんなもの、全く無意味になる」

「そうか」

 その言葉を聞き、本棚の板ごと魔法陣を破壊した。

「……グーで殴るとは、思ってなかったわ」

 木材の散る音に混じって、イェシカの呆れた声が聞こえる。

 

「―――――応、儂もじゃ」

 

「な」

「え」

 背後で。

 しゅるり、という音がした。

 

 

 

「――――っ」

「ヒ、ヒルダ、先生……?」

 ロングルームの真ん中に、ひどく年老いた、一匹の妖精が浮かんでいた。

「応とも。その結構な(つら)を見るのは百年ぶりか、二百年か、小娘。どちらでも良いがの、よくもここまで恩師の邪魔が出来るものだのう?」

「先、生……」

 イェシカは変わらず霊体化している。だが、ヒルダの目は俺のすぐ横、ちょうど肩のあたりを見据えている。妖精同士ならば、霊体、実体は関係ないのか。

「…………ふん」

 まあ、なんでもいい。

 銃を構える。

 照準を合わせる。

 安全装置(セイフティ)を外す。

 すべての動作を一呼吸で済ませ、躊躇わずに引き金を絞る。

「ジョゼフッ」

 広い図書館に、きっかり三発分の銃声が響き渡った。

「…………てめえ」

 銃底から頬を離す。今ので殺るつもりはなかったが……いつの間に呼び寄せたのか、ヒルダはゴブリンを二匹宙に浮かせて自らの盾としていた。

「流石獣人だの。その思い切りの良さ、獰猛さはまさに(けだもの)。お前のような(つわもの)を見るのは久方ぶりだわい」

 どしゃり、どしゃり。二つの体が、床に落ちる。たかが三発の銃弾だ。死んではいないはずだが、動く様子もない。

「…………転移の、魔法? 先生、貴方はもう魔法を使えないのではなかったのですか」

「なんじゃ、昔のままなのはその外面だけか、小娘。陣魔法ならば知識と魔力さえあれば発動できる。知識は儂から、魔力はこやつらから絞り出せば良い。儂はほんのわずかの点火剤を注ぐだけで済む―――このようなこと、魔法学の基礎の基礎じゃろうて」

 呵呵と嗤う、妖精。

 耳元でぎり、と鳴る、見えない歯ぎしりの音。

 それも仕方ないだろう。ヒルダがここまで落ちぶれていた(・・・・・・・)となれば、コイツの嘆きも苛立ちも、当然のことだ。

 さて。

 妖精種というのは、基本的に討伐が難しいとされる。エルフ種以上の魔法を難なく行使し、危険だと察すれば霊体化し逃げられる。

 魔法使いでも、精霊使いでも、妖精に太刀打ちできるほどの手腕を持つものは限られる。

 故に、妖精種を討伐、あるいは捕縛する場合―――

「イェシカ。やれるな」

「ジョゼ、フ……」

―――同じ妖精種が、事にあたるのが望ましい。

 

 

「呵呵、小娘、貴様が儂を捕らえるか。儂を討ち取るか。面白い。やってみよ。弟子の分際で師に背くとどうなるか、思い知らせてくれる」

 老いぼれ妖精が、にたりと気色の悪い笑みを浮かべた。

 増援のエルフを呼ぶにはもう遅い。人狼部隊が駆けつけるのにもあと数分を要する。だが、恐らくこのヒルダはいくらでもこの図書館内にゴブリンを呼び寄せられるだろう。お互いが増援を呼べば、逆に事態は深刻化する。ヒルダしかいない今のうちに、俺たちでどうにかするしかない。

「…………ほう? 小娘よ。どうやら儂の陣を分析しておるようだが……どうだ? 成果は出たか?」

 小首を傾げるヒルダ。余裕シャクシャク、なんて表情だ。

「―――はい。貴方はこの陣に、少なくとも五つの魔法を仕込んでいる」

「ほほう、言ってみるが良い」

「ひとつは、魔力隠し。それから、あなたやゴブリンのための姿隠しと転移の陣。すべての陣の魔力源は、恐らくどこか別の場所にいるゴブリン達の生命力。搾取の陣で、魔力に無理やり変換している。そして、それら全ての魔法を、反射……というより、感知の陣によって発動させていますね」

「ほう、よくぞそこまで見抜いた。現代の妖精種も捨てたものではないな」

 それでも余裕の表情を崩さないヒルダ。

 それも当然だろう。これだけ巧妙に陣を組んでいる上に、奴は霊体化できる。逃げに徹されると、俺達は奴を捕らえられない。

『ジョゼフ』イェシカからの念話だ。『一分頂戴。それで、どうにかしてみせる』

 一分、か。

『わかった』

 それくらい、どうということはない。

「で、ヒルダさんよ」銃口はそのままに声を掛ける。「手前(てめえ)の狙いは何だ。手下のゴブリンは、えらくお前さんを慕っていたが」

「捕らえたか。今代の警察組織も、なかなか優秀だの」

「そりゃどうも」

「成程確かに、ここまで儂の邪魔をするだけのことはある。さて、儂の狙いか。良かろう、その手腕に免じ、教えてやろうではないか」

―――かかった。

「光栄だな」

 少しだけ、下へと銃口を下げる。 

 こういう講師ヅラをする輩相手に時間稼ぎをするには、話をさせるのが一番手っ取り早い。なにせ、いつでもどこでもお喋りしたくてウズウズしている人種だ。

 更にコイツは銃口を向けられる極限状態でなお、霊体化すればいつでも逃げられると慢心している。

 ならば、その口はよく滑る。

「狙いはふたつ。ひとつはゴブリン種の尊厳を奪回すること。ひとつは妖精種の権限を奪回すること。質問は?」

 腰の後ろに手を回し、首を傾げるヒルダ。今すぐ撃ち抜きたいほど腹ただしいが、ここは我慢だ。

「……そうだな、まず、ゴブリンの尊厳ってのは何だ。お前の行動は、ゴブリンを侮辱しているようにしか見えないんだが」

「そうじゃろうて。儂はそう見えるように、彼奴(きゃつ)らを動かしているのだから」

 ……こういう手合いは話が遠回しすぎる。面倒で嫌いだ。だが、今日に限ってはそのほうが望ましい。

「へえ、その心は」

「儂が子鬼共をかつての大戦のように使い捨てることで、現代人にゴブリン種の現状を叩きつける。その後、各国にゴブリン種の有害指定を解除するよう宣告するというわけだ」

「あ? 有害指定の解除?」

「いかにも。昨今の純人共のゴブリン種に対する態度は、些か以上に目に余るのでな」

「は、そりゃあお優しいことで。だがその為にゴブリンを使い捨ててるんじゃあ、尊厳の奪回、なんてのは建前だな」

「呵呵、頭の回る人狼だわい。小娘が付き従うだけのことはある」

「…………」

 イェシカは答えない。その代わり、俺に念話を送ってきた。

『ジョゼフ。一度だけしか言わないから、良く聞いてね』

『ああ』

『先生の陣魔法は、複数の陣を組み合わせることで結界になってるわ。たぶん、ちょうど六角形のカタチ。その頂点同士、全ての間に線を引くように、壁みたいな結界を張ってある』

『それで?』

『最初にひとつ壊したでしょう?たぶん、あとはあたしたちの背後と、右の本棚あたりに結界の起点があると思うのだけど、詳しい位置は分かる?』

 イェシカの言葉を聞き、すう、と空気の匂いを嗅ぐ。

―――確かに、先ほどの青い紋様と同じにおいが、俺の真後ろの床と、右のほうから放たれている。

『…………ああ。今、分かった』

『あと少しで合図を送るわ。そうしたら、出来るだけ素早く全部の陣を壊して。それから―――』

 そこで、イェシカは深呼吸するように、一度言葉を切った。

『―――それから、先生を撃って』

 

 

「で? 本音はなんだ、爺さん」

「―――儂のもうひとつの狙いは、擬似妖精どもの根絶じゃ」

 擬似妖精、と口にした途端、ヒルダの目つきが鋭くなった。

 老人のそれではない。

「ふん、それこそお笑い種だ。まだゴブリン種の指定解除のほうが現実的だぞ、爺さん。擬似妖精の根絶? あいつらは情報(データ)だ。殺しようが無えだろ」

「抹消することはできよう。彼奴らの存在は許せぬ」

 鋭い目に、怒りの炎が灯る。

「わからねえな。なんでそこまで擬似妖精を憎む?」

「彼奴らは魔法を使えぬ。精霊から格落ちしたはずの我ら妖精種が魔法まで使えぬとなれば、もはや価値などあるまい」

「それで行くと、アンタにも価値はないぜ」

「そう、そのとおりじゃ。今の儂には知識、データとしての価値しか無い。だが、それでも、それだけしか無い儂にも、まだ成し遂げられることはあった。擬似妖精どもでは、到底真似できぬことが」

「それが、このゴブリン騒ぎか」

 床に転がるゴブリンに目をやる。

「応。魔力が足りぬならば確保すれば良い。手足が足りぬなら奪えば良い。儂が司令塔となり手駒を動かし、そして我が意思を世に伝えるのだ。この図書館、この学び舎は、そのための儂の牙城とする」

「ふざけないでっ」

 女の叫び声がこだました。

「んん?」

「それでも―――それでも、ホールリンの名を継ぐ妖精ですかっ。貴方は、マリア大師の一番弟子ではないのですかっ。その貴方が、なぜそこまで―――」

「そこまで? そこまで、なんじゃ? その言葉の後に、貴様は何を続ける?」

 射るようなヒルダの視線を受けて、一瞬、イェシカが言葉を切った。

 

「―――なぜ、そこまで、正気を失ったのですか。ヒルダ・ホールリン」

 イェシカの言葉を聞き、ヒルダは満足気に頷いた。

「良かろう。ではここで死ね。死に損ないの人狼と、師に歯向かった妖精よ」

 

 

 

 

『―――ったく。なにが一分頂戴、だ。お前がぶっ壊してんじゃねえか、バカ』

『う、うるさいわね。しょうがないでしょう』

『はあ。ま、それもそうだな』

『何ため息吐いてんのよ』

『そりゃため息のひとつも吐きたくなるぜ、これ見てりゃよ』

『……まあ、それもそうね』

 目の前で、目を覆いたくなるような惨状が広がっている

 ざっと見ても五十は超えるゴブリンの大部隊がどこからともなく現れ、世界一美しいと呼ばれる図書館を埋め尽くしていく。彼らはすでに正気でなく、手に持った銀の剣をところかまわず振り回す。貴重な書物、国宝級の本、すべてがその価値を失っていく。

『予定は少し遅れるわ。一分って言ったけど、あともうちょっとかかりそう』

『好都合だ』

 ヒルダは天井のあたりでふわふわしながら、戦場と化そうとする場を俯瞰している。

「全員正気を奪ってある。全員銀の剣を持っておる。殺さねば、殺されるぞ、人狼よ」

 不敵に笑うヒルダ。

「ああ、そうじゃろうなあ。人狼とはいえ、この数相手では太刀打ちできぬか。なにせ月夜でも何でもないしのう」

「―――はっ、それなら心配いらねえよ、爺さん。冥土の土産だ。現代に生きる人狼の戦い方を見せてやる」

「ほう?」

 また小首を傾げるヒルダ。その首に向かって右手を掲げる。

光れ(Licht)ッ」

 右手から、ほのかに輝く球体が現れる。

「これは―――」

 球体はまっすぐヒルダに向かい、ちょうど目の前で留まった。老妖精はそれを目を細めて眺めている。

「――――――月光か」

 

「そうだ」

 二の腕が膨らむ。

「人狼部隊が皆最初に覚える基礎魔法、最後に使う奥の手だ」

 伸びた爪が手袋を破る。

「月がないなら造ればいい」

 膨らんだ筋肉がスーツを破る。

「光がないなら照らせばいい」

 露出した肌を、黒い獣毛が覆っていく。

「昼間だろうと新月だろうと、これさえあれば俺たちは―――」

 磨かれた床に映るその姿は、もはやヒトではなく。

「―――獣に成って果てられる」

 その姿は、二本の足で立つ狼だった。

 

 

 

「こりゃ驚いた。こりゃ知らなんだ」

 はしゃぐヒルダの声が、図書館じゅうに木霊する。

「人狼どもにそこまでの知恵があったとは。獣風情が月の光を生もうとは」

 それをかき消すように、肉を裂く音が響く。

「ま、人狼部隊(おれたち)だけの知恵じゃねえけどな。先達と、それに関わるエルフのおかげだ」

「………ほう。そこまで獣化が進んでいながら、意思の疎通まで可能とは。いや、いや、いや、それは貴様が隊長であるからか。貴様が優秀であるからか。並の人狼では正気を失うに違いない。奥の手というのは、そういうことじゃろう?」

 前から斬りかかるゴブリンの腕をちぎりとり、後ろから斬りかかるゴブリンに投げつける。

「―――そんな感じだ」

「面白い。実に面白い。長生きはするものじゃのう」

 げらげらと笑い転げるヒルダをよそに、俺は動けるゴブリンを片っ端から切り裂いていく。

 殺しているわけではない。いや、五分も放っておけば死ぬだろうが、それでもまだ死んでいない。こいつらは大量失血によるショック死を起こすようなヤワな人種ではない。

 イェシカの魔法なら、きっとどうにか出来る。

 

 妖精種はそれぞれに、とびっきり強力な「固有魔法」を生まれ持つとされる。妖精ひとりひとりバラバラの、この世にひとつきりの魔法。どういう基準でどういう固有魔法が身につくのかは、全くもってランダムだと聞いていた。

 だが、イェシカの話から察するにそれはおそらく嘘だ。

 イェシカが格落ちした理由は、傷ついたケンタウロスに惚れたから。もっと具体的に言えば、そのケンタウロスを「治したかった」から。そこから察するに、コイツの固有魔法は―――

『そう、治癒よ』頭のなかで、声がした。『あたしの固有魔法は、治癒魔法。どんな傷でも、死なないかぎりは治すことが出来る』

 俺の思考を勝手に読んでいたらしい。状況が状況なので、気にしない。

『じゃあ、(くだん)のケンタウロスはどうして助けられなかった?』

『わかりきったことを聞くのね。死なないかぎりは治せるけど、避け得ぬ死はどうしようもないの。あたしのは蘇生魔法じゃなくて治癒魔法なんだから。でも、避け得る死なら一瞬で治せるわ。魔力はたくさん使うけど、こうなったら無理してでも治してあげるわよ。だから、あなたは思う存分、殺さない程度に暴れなさい』

『―――言われるまでもない』

 既に六十は越えたか。血に濡れたゴブリンの体が床に横たわっている。

 俺の両手はそれより赤い。体じゅうに返り血を浴び、襲いかかる子鬼を引き裂くさまはまさに伝説通りの「狼男」なのだろう。

『ジョゼフ。そろそろ、陣をお願い』

『おう』

 飛びかかるゴブリンの腕を銀の剣ごと掴み、引き抜き、陣のにおいのするほうへと放り投げる。ばかん、と割れるような音を立てて床板が砕け散った。

『あと幾つだ』

『もうひとつ壊せば十分ね』

 同じ動作をもう一度。大きな本棚が木くずになる。

「おお、おお、儂の用意した大事な陣が、粉々に―――」

「そのわりには余裕だな」

「まあ、それはそうじゃろう。いくらお主が獣化しようが、霊体化すれば逃げられる。そこの小娘の魔法とて通じはせぬ。なにせ、儂の弟子じゃからなあ。通じるわけがなかろうて。―――ところで、余裕が無いのはどちらかの?」

「っ…………さすがは、ホールリンか」

 あの老いぼれの言うとおりだ。この獣化は仮初めのもの。人工の僅かな月明かりでは、獣化を長く保つことはできない。現に、脚の体毛が剥がれかけている。上がった息を整えるだけでも一苦労だ。

 とはいえゴブリンはあらかた無力化した。戦えるほどの体力が残っている者は居ない。そしてこれ以上の増援を呼ぶ気配もない。

 残るは本命、ヒルダのみ。

『――――ジョゼフ。大丈夫よ。やって(・・・)

 だが。

 まだひとつ、訊いておかなければ。

「―――爺さん。爆破魔法を仕掛けたのは何故だ。ここはアンタの城にするんだろ? 無関係な人間を巻き込んで城を壊して、一体どうする」

 俺の言葉を聞いて、ヒルダはまた愉快そうに笑った。

「嗚呼、アレか。ほんの戯れじゃわい。お主が踏んでおるとおり、成功せずとも良い仕掛けじゃ。無論、成功すればゴブリンの悪名は世界に轟き、それに連なり儂の存在も世に知れよう。発言力が高まるというわけじゃ」

「……そうかい。それもここまでだ」

 完全にヒトのそれに戻った腕。その腕でハンドガンを取り出し、照準を合わせる。普通なら発砲と同時に霊体化されてしまうだろう。実際、ヒルダの気配が少しずつ薄くなっている。

 だが、イェシカのゴーサインは出た。コイツが何を仕掛けたかは知らないが、やれというのならば従おう。

 人差し指に力を込める。引き金を、じりじりと絞ってゆく。

「―――じゃが、まだ全部壊しきっとらんとは思わなんだ。あの程度、現代の無能なエルフ共でさえ、半刻ほどで見つけ出せるじゃろうに」

「え―――」

 イェシカの声は、乾ききった銃声にかき消された。

 

 

 

「こ、ふ」

 宙を舞っていた妖精の師は、朱に染まる地に堕ちた。自らの盾、矛としたゴブリン達の血溜まりで、みすぼらしく藻掻いている。

「……霊体化を、阻害する、とはの。しかもこれは……お前の仕業ではないな、小娘」

「―――はい。ここから一番近い場所にいるエルフの遠隔魔法です。私が中継することで、彼の魔法を正確に貴方に発動させられました。私自身の魔法が貴方には通じないことは、わかっていましたから」

 俺の目の前で、イェシカがしゅるりと実体化した。

「小娘と侮った……儂の、油断……か。まあ、儂らしいといえば、そうじゃろう……」

「先生。何故貴方は、魔法が使えなくなったのです。そのような事例、聞いたこともありません」

 胸の前で手を組み、今にも泣きだしそうな声でイェシカが問う。

「……ほ。簡単な話じゃ。儂は、ちと、永く、生きすぎた。魔力は尽き、補充も、ままならぬ。これ以上魔法を使おうとする、のなら、儂の存在、そのものを……代償に、しなければならなくなった。それだけの、こと。土壇場で、死が、恐ろしくなった。それだけの、ことじゃ……」

 肺から逆流する血液を、何度も何度も吐き出しながら、ヒルダは語る。

「そう、ですか。……貴方は、魔法を使いすぎたのですね」

「そう言われると、身も蓋もないのう……。じゃが、ここで死ねたのは、幸運だったのかも知れぬ」

「先生?」

 倒れこんだヒルダに、ふわりとイェシカが近寄る。そのイェシカに構わず、血を零しながらヒルダは語り続ける。

「お前は、儂の弟子の中でも、とびきり優秀で、あった。報われぬ恋に身を、焦がしたお前は、その反動からか、魔法学へとのめり込んだ。儂には、とても若く、鮮烈に見えたものだ。次代を担うのは、このような妖精であろうか、と……」

「先生」

 血の池にイェシカが降りる。

「教え子に看取られるとは、堕ちた儂にとっては、この上ない褒美であろうな、イェシカ…………」

「…………」

 イェシカがヒルダのもとにたどり着いた頃には、もう、血の音はしなくなっていた。

 

 

―― ―― ――

 

 

 暖かな治癒の光が図書館を照らしている。

 倒れ伏したゴブリンたちに手をかざすその姿は、まるでちいさな女神のようだ。

 その手の先で、裂傷程度は言わずもがな、ちぎれた手足までもが復元されていく。

「さすがは固有魔法だな」

「疲れるけどね」イェシカがため息を吐いた。「余裕のあるゴブリンから魔力をもらってるわ。状況が状況だし、文句は言われないでしょ」

「……ああ、そうだな。足りないなら俺のも使え。そいつらをやったのは、俺だ」

「そうね」

 そう言いながらも、イェシカは俺から魔力を取ろうとしない。

「でもねジョゼフ。それを言うなら、彼らがこうなったのはあたしの師のせいよ。そして、その師にのせられた(・・・・・)彼ら自身の責任でもある。あなたは彼らを解放したの。それ以上、力を浪費する必要はないわ」

 ちらりと俺の腕を見るイェシカ。

「別に大したこと、ねえんだけどな」

 袖が破れ、むき出しになった腕。無理やりな獣化の反動で血管がぶつぶつと切れているらしく、どす黒い色に染まっている。

「ほっときゃ治るぜ」

「でしょうね」

「……なんだよ、つめてえな」

「それもあなた自身の責任よ。前線に出る機会がないからってはしゃいじゃって」

「ぐ」

「獣化なんてしなくても、あなたならゴブリン程度は捌けたでしょう」

「た……たまには使わねえと、腕が鈍るだろ」

「やりすぎよ」

「ぐう」

 イェシカは涼しい顔のまま、治癒の魔法を使っている。

 俺は所在なく、壁に寄りかかっている。

 どうも、こいつには口喧嘩を挑まないほうがいいらしい。

 

 

 

 炸裂音がした。

「なっ」

 音は地の底から。続いて、崩落音。地面を揺るがすような、大きなおとが図書館のなかへと響き渡る。

「……くそ。ヒルダの野郎、なにが成功せずとも良い、だ。自分が死んだら爆発するようにしてやがったな」

「…………どうかしらね」

「あ?」

「いえ。気にしないで」

 ゴブリンの治療は終わったらしく、イェシカがこちらへふわふわと飛んできた。

 銃の安全装置をかけ、無線機を取り出す。

「捜索部隊、報告しろ。どうなった」

「―――こちら、第三分隊。同伴するエルフが、カレッジ地下の二つの魔法陣の起動を確認しました」

「……イェシカッ」

「ええ。行きましょう、ジョゼフ」

 血の海から飛び立ち、図書館のエントランスへと一直線に飛ぶイェシカ。俺はその後を全速力で追った。

 

 

 

 図書館を一歩出ただけで状況は把握できた。

 カレッジの被害は甚大だった。メインの講義棟は崩落し、アパートメントも幾つか崩れかかっている。

「…………狙いはカレッジそのもの、だったな。図書館に仕掛けられてなかったのはラッキーだったか」

「いいえ。仕掛けられていたわ」

「何?」

 あたりを見回していたイェシカがこちらに向き直った。

「さっきヒルダ先生の霊体化を阻害したエルフはね、貴方が時間を稼いでいる間に、出来るだけあたしのそばに来て貰っていたの。ちょうど図書館の真下にね。そうしたら、昨日壊した魔法陣の場所に着いたらしいわ」

「…………成程。クソ、もうちっと早く気付いてれば、こうはならなかっ―――」

「それも間違いよ、ジョゼフ。たとえ魔法陣の全てがカレッジの主要な建物の下に配置されていても、あたしたちには見つけられなかったでしょうね」

「どういうことだ」

「先生が言っていたでしょう、半刻もあれば見つけ出せるはずだと。あれだけの規模の術式だもの、魔力は駄々漏れになるはずよ。そうならなかったのは、強力、なんてレベルじゃない魔力隠しが施されていたから。先生の回廊操作と相まって、この人員と状況じゃ、全部見つけるのには相当な時間がかかるでしょうね。それで、さっきのエルフに魔法陣をもう一度調べてもらったのだけど、どうもヒルダ先生一人で創ったようには見えないらしいの」

「助力したヤツが居た、と?」

「ええ。恐らく、先生の想定していた以上の魔力隠しを仕込んだのよ、そいつは。どこのどいつだか知らないけど、エルフの魔力探知に引っかからないなんて相当な術式よ。てっきりヒルダ先生が新しく考案したものだと思っていたけど、それも違うみたい。先生の使う魔法は北欧のものだけど、その魔力隠しは東洋のものらしいわ。―――たぶん、先生が亡くなったら起動するように仕組んだのも、そいつの仕業」

 イェシカは遠くを睨みながら、ぎり、と歯ぎしりした。

「心当たりでもあるのか」

「ないわけではないけど……あくまで容疑者ね。まだ、わからない。魔法陣のサンプル、しっかり取らせておかなきゃ。……それで、これからどうするの? 警官たちにも相当な被害が出ているはずだけれど、救助は?」

「ああ、それは部下にやらせる。ゴブリンの回収も。俺たちはいつもどおり、ホテルで司令塔だ。―――それに、シャワーを浴びねえとな」

「え?」

 言って、自分と俺の体を見るイェシカ。俺たちの体は、ゴブリンの血で真っ赤に染まっている。

「……そうね。まあ、人狼さんが(いち)ダースも居れば、救助活動は十分かしら」

「ああ、そういうことだ。戻るぞ」

 

 

―― ―― ――

 

 

 配備していた私服警官はその多くが殉職した。それだけに留まらず、カレッジの周囲に居た一般市民にまで被害が出た。

 もちろんICPO本部からはこっぴどくお叱りを受けたが、その一方でゴブリンの捕縛等、我々の情報、行動により被害を抑えられたこともまた事実……ということで、お咎めは無しらしい。

 魔法陣に捜索にあたっていた部隊は、優秀なエルフたちのおかげでなんとか身を守ることができたようだ。多少の怪我はあれど殉職者までは出なかった。地上で警備していた人狼部隊も同様である。

 だが、一般市民に被害が出たのは痛恨の極みだ。今のところ死者は出ていないはずだが、本来なら怪我人すら出すべきではなかった。相手の魔力隠しが厄介であれ、これは俺のミスだ。

 無線を通じての連絡と、外を走る救急車の音だけが聞こえる。

 日の暮れた薄暗い部屋のなか、イェシカは窓の外を眺めている。

「…………お前、ヒルダの固有魔法は知ってるか」

「勿論」視線は窓の外へ向けたまま、イェシカが頷いた。「増幅の魔法よ。ありとあらゆる魔法を、膨大な魔力と引き換えに強化する魔法。……先生らしい魔法だったわ」

「じゃあ、ヒルダが精霊から『格落ち』した原因は?」

 ヒルダ亡き今、どうでも良い事だった。尋ねたのは、ただなんとなく。その気まぐれの問いに対し、イェシカはこちらを向いて真剣な表情で答えた。

「いいえ。でも、想像はつくわね。貴方は?」

「……恐らくヒルダが惚れたのは、魔法という概念そのものだ」

「…………」

 イェシカは何も言わない。

「魔法に惚れ込んだヒルダは、それを極めることに固執した。だからこそ、魔法が使えない擬似妖精に憤りを覚え、魔法が使えなくなった自分にも憤りを覚えた。まあ、惚れた相手にフラレたようなもんだわな。温和だったヒルダはそれをきっかけに変貌し、このテロを画策した。…………ってのは、どうだ」

「どう、って言われてもね……。まあ、大体こっちも同じ意見よ。でもね、先生は最期の最期に、自分を取り戻したんだと思うの」

「根拠は」

「先生は姿を現した時から、あの人はあたしのことを『小娘』としか呼ばなかった。先生はあたしの名前を知らなかったから、仕方ないといえばそうなんだけど……それでも、名前のなかった頃は妖精(フェアリー)って呼んでくれてたのよ。でも、死の間際に、最後の瞬間にあの人はあたしをちゃんとイェシカって呼んでくれたわ。あたしの名前、どこのどいつから聞いたのか知らないけれど、ちゃんとあたしを弟子だって、自分はこの娘の師匠だって、そう思い出してくれたんじゃないかしら」

 ぼう、と視線を漂わせながら、イェシカはそう語った。

「…………根拠としちゃ、弱えな」

 俺は頬杖をついて、それだけ言葉をこぼした。

「そうね。別に、根拠にする必要もないでしょう」

「は、それもそうだ」

 

 

 

 事件は一応終結ということで、こちらで確保していた二匹のゴブリンは一足先に現地警察に引き渡した。そこからICPOによる長ーい聞き取りが始まるのだろう。先に捕らえた頭の悪いほうは、たぶん大した罪に問われることはない。テロ計画に加わってはいたが、それだけだ。結局ヒルダに踊らされていただけ。俺たちに拿捕されていたから、実行犯になったわけでもない。

 しかし、もう一匹のマックとかいうやつは実行犯だ。それなりの処罰が下される。それでもやはりヒルダの操り人形に過ぎないわけで、これまでのゴブリンに対する差別を考えれば、少しくらいは情状酌量の余地もあるだろう。

 ヒルダももう死んだ。これ以上、ヒルダの作り上げた組織が動きを見せることはない。

 

 そんな中。

 イェシカと共に現場の被害状況、救助活動を統括しているとき、日本にいるというイェシカの妹からの通信があった。応答したのはイェシカだが、使ったパソコンは俺のものだ。この妖精はいつの間にやら俺のパソコンに入り込んでいやがったらしい。

 通信の向こう側、極東はなんとも平和そうであった。

―――それにしても、擬似妖精の名付けとは。因果な頼みごとだ。

ヨセフィーナ(Josefina)、ねえ……。イェシカ、あの妹の名前は偶然じゃねえな?」

 通信を終え、ベッドに座るイェシカにじろりと視線を送る。俺は通信中のカメラに割り込もうとしたところをイェシカに部屋の隅まで押し込まれ、そのまま寝っ転がっている。

「……まあ、隠してもしょうがないわね。ええ、あの子に名前をつける必要があったから、あなたの名前を使わせてもらったの」

「へえ、なんでまた名付けの必要があるんだ。デミフェアじゃあるまいし」

「妖精は恩師の姓を貰って、同時に名を貰うものなの。あたしの場合は生まれたときにあのケンタウロスから貰えたけれど、そういう妖精は少ないわ。ふわっと生まれて、ふらっと学んで、ようやく一人前になったら名前が貰える。あたし達はね、そういう種族なの」

「ふうん。面倒なんだな、お前ら」

「あら、あたしからすれば貴方達人狼のほうが大変そうに見えるわ。満月の度に獣化するなんて、この現代社会じゃ玉に瑕なんてレベルじゃないでしょう。……ああでも、貴方は獣化してなかったわね」

「月光浴びなきゃ大した事はねえよ。外に出るとマズいが、まあ俺は特例だ。獣化はしてるが、気合でねじ伏せてる。ほかの人狼部隊の連中も、まあ各々折り合いはつけてるさ。そうでもしねえと仕事にならねえからな。変化が得意な奴は獣化の度に純人(・・)に化けてるぜ」

「あら、便利なものね。そういえば貴方はゴブリンに変化していたっけ。じゃあ、他の、人狼部隊じゃない普通の人狼達はどうしているの?」

「どうもしねえよ。お前の知ってる通り、人狼にとって満月の夜は有給休暇だ。部屋に引きこもって鎮静薬飲んで、グッスリ寝てるだろうぜ。その代わり、他の日に純人の何倍も働いてんだよ」

「大変ねえ」

「お互い様だ」

 ベッドに歩み寄り、イェシカの額を小突く。

「むう」

「で。お前はこれからどうするんだ」

 俺の問いを受けた妖精は、額を押さえながらしぶしぶ口を開いた。

「……どうもしないわ」

「は? お前、俺の働きを視察するのが仕事だろ。なら後は事後処理さえ済めばお役御免で任務完了、大手を振って帰還できるんじゃねえのか」

 怪訝な顔をする俺を見て、イェシカはぷいと顔を背けた。

「あたしもそうだと思ってたんだけどね、さっき本部から、『今回のテロ対策は成功であり失敗である故、成功例のデータを持って来い』なんてお達しが来たの。だから、次の仕事も監視することになるわ。……それに」

「それに?」

「…………魔法陣を手伝ったのは、ホールリンの関係者かもしれないの。他人事じゃないわ」

「なんだ、そこまで掴んでるのか」

「掴んでるわけじゃない……けど、爆破の陣のサンプルを見た限りじゃ、たぶん間違いないわね」

 なんだか歯切れが悪い。イェシカの顔も険しいが、ここはずばり聞き出すべきだろう。

「そいつの名前は?」

「……コーラル」

「コーラル・ホールリンか?」

「馬鹿言わないでよ。あんなのがホールリンを名乗っていいはずないわ」

 語気を荒げるイェシカ。言葉にも、表情にも、あからさまな敵意がある。

「…………姓はヤマムラよ。コーラル・ヤマムラ」

「ヤマムラ……ねえ。どっかで聞いたような……」

 顎をさすりながら記憶を紐解いてみると、ある指名手配犯のことが頭をよぎった。

「―――ああ、アレか。9.11の」

「ええ。あのときも、魔力隠しだった」

 そうだ。あの同時多発テロで大々的に国際指名手配を受けていながら、今日に至るまで捕まっていない謎の魔法使い。目撃情報は皆無で、世界中の魔力探知にも引っかからない。生きているかすら怪しいという話だ。

「…………ソレが相手か。骨が折れるな」

「でも、やらないと」

 イェシカを見る。

 その目には曇りはなく、その顔には(かげ)りもない。

「―――ああ」

 

 次の仕事は決まりだ。

 だが、まあ、生憎と証拠が少なすぎる。とりあえずはまだ、ICPOからの連絡を待つことになるのだろう。

 また、いつもの日々に戻る。

 俺たち人狼部隊の日常は、依頼が来なければ、ただ食って寝て、それだけだ。今回の一件でICPOに正式加盟できるかは知らないが、どちらにせよ頭目は果報を寝て待つしかあるまい。

 だが。

 こいつが残るというのなら。

 それはそれで、退屈はしないか。

「じゃあ、これからも頼むぜ、イェシカ」

「―――ふん」

 俺の言葉を聞いて、イェシカはベッドに倒れ込んだ。

「……あたし、寝るから。起こさないでよね」

 彼女は不満そうにそう言って。

「…………頼まれたって、起こしゃしねえよ」

 満足そうに、眠りについた。

 



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余章 前

「彼女の父はテロリストです」

 

 彼女が純人の女なら、こんな戯言はきっと信じてもらえないだろう。

 けれど、彼女はゴブリンだ。

 醜く、汚く、世界に嫌悪される存在。

 誰にも味方されず、誰の味方も出来ない、哀れな種族。

 

 こんなふうに生まれたことを恨んだことはある。

 両親に対して理不尽な怒りを持ったこともある。

 だけど、それも過去のこと。子供のころ、ちょっとばかりそう思っただけのことだ。

 彼女は彼女だ。彼女は他の誰にも成れないし、他の誰も彼女には成れない。

 だからこそ、現状を受け入れる必要がある。

 それは、諦観にも似て。

 ひどく、息が苦しくなることだろうけれど。

 

 彼女にも、ともだちはいる。

 ともだち、というのがどういうふうに分類されるものなのか、その定義にもよるけれど。

 ともだちという存在が、何も臆することなく自分の気持ちをさらけ出すことが可能で、全幅の信頼を寄せうる存在、というのならば……間違いなくあれは彼女のともだちだ。

 だけど、それが生命体でなくてはならない場合。

 息をして、食事を摂り、肌に触れられるモノでなくてはならない場合。

 あれ(・・)は、ともだちではないのだろう。

 

 

 

 晴れた午後。

 薄暗い部屋。

 ベッドと、机と、椅子。

 散在する文庫本。食べかけのお菓子。

 これが彼女の世界だった。

 これが彼女の持つすべてだった。

 それを彼女が不幸だと思うことはなかった。

 なにせ、仕方のないことだ。彼女はゴブリンなのだから。

 世間から疎まれ、世界から危険視される、その種族の娘。

 彼女自身、それを認識し、またそれを良しとしていた。

 

 そんな娘の生活も、同居者が去ってからの三ヶ月で少しだけ変化した。

 娘は自らが身を置くスラム街のなかで、少しだけ過ごしやすくなった。同居者の行いが、身の回りのゴブリンたちの賞賛を浴びたのだ。

 食料品店で少しだけモノを安く売ってもらえたり、Tシャツを買ったときによくわからないネックレスをおまけしてもらったり、同年代のゴブリンたちと話す機会が増えたり。

 ちょっとした変化。けれど、けれど、彼女にとっては大きな変化。

 だが、彼女はそれらの変化をありがたいとは思えども、素直に喜ぶことは出来なかった。

 彼女の同居人の行いは、明らかな悪行だ。

 春の北欧を震撼させた、大規模爆破テロ。

 妖精種に扇動された哀れな子鬼。

 それが彼女の父、マックだ。

 彼は警察に逮捕されたが、それ以上のことを彼女は知らないし、知らなくてもいいと思っている。

 己の父親のことに興味が無いわけではない。ただ、自分から情報を漁るような真似をしてまで得たい情報ではない、というだけだ。

 もし何かあたらしい情報があれば、友人が教えてくれる。

「……ネイジー?」

 そう、こんなふうに。

 

 

 

「なに」

 ネイジーと呼ばれた彼女は、ベッドの上で眠たそうに目をこすりながら返事をした。

「きみのお父さん、かかっていた魔法がやっと全部解けたらしい。これから事情聴取だって、ニュースが入ったよ」

「…………そう」

 机の上で明るく話す疑似(デミ)妖精(フェアリー)をよそに、ネイジーは大きくあくびをした。

「興味、ないのかい?」

「生きてるって情報は入ったんだし、それくらいは別になんとも。アメリカに移送された、とかじゃなきゃ――」

「ああ、その情報もある。非公式だけど、それなりに有力なソースだ」

「―――――」

 ぴたり、と一瞬だけネイジーの動きが止まった。

「―――公式、発表じゃ、ないんでしょ」

「時間の問題じゃないかな。写真がある」

 机の上に置かれた腕時計から、ホログラフィックが投影された。囚人服を着せられたゴブリンが大きなバスへ乗り込んでいく様子を映している。

 それを見た彼女は、ベッドから跳ね起きて机へと走り寄った。

「ほっ、ほん、と、に……」

 不鮮明なホログラフを両手で拡大し、食い入るように見入る彼女に向かって、腕時計がまた声を掛ける。

「裁判はアメリカでやるんだろうね。戸籍があったのが幸いだ。事件の全容はもう明らかになっているし、すぐ終わるんじゃないかな。ほかのゴブリンたちの裁判の内容からしても、やっぱり極刑はないだろう」

「―――――」

 彼女は口を開かない。ただ、ホログラフを見つめている。

「――――うん。きっと、また会えるよ」

 優しげな声が、腕時計から流れた。

 

 

―― ―― ――

 

 

「おー」

 気の抜けた歓声をあげる男がひとり。

「むふー」

 満足気な顔をする女がひとり。

 ロンドンはウエストミンスター。西の宮殿、時計台、ビックベン、魔法学校。そう呼ばれる建物の前に、その男女は立っている。

「大きいね」

「でしょ?」

「立派だね」

「でしょ?」

「古っぽいね」

「…………でしょ」

 見上げる男をよそに、女は軽くため息を吐いた。

「たまに来るくらいならいいんだけどねー。何年も過ごしてると、さすがにいろいろ不便で不便で仕方ないよう」

「そりゃ、魔法学校が便利だったらヘンじゃないか。ネットとか通ってるの?」

「さすがにネットくらいは通ってるよっ。無線の電波だって、食堂と寮はバッチリなんだから」

「うわ、便利じゃないか」

「……まあ、夜十時過ぎたら切られちゃうんだけどね。一年生の就寝時間だから」

「ああ……なるほど」

 彼は納得したように頷いて、これからどうするのか、と、隣に立つ女に尋ねた。

「うん、とりあえずはアルに会いたいな」

 彼女は彼にそう言って、それでいいかと彼に尋ねた。

「うん、いいよ。それがいい」

 二人は笑みを交わして、建物の中へと入っていった。

 

 

 

 彼の名前は橘修一という。

 日本生まれ日本育ちの純人で、現在高校二年生。夏休みを利用して、このウエストミンスターにやってきた。

 日本人らしく、特徴がないのが特徴。短く切った髪の毛は黒のまま、櫛も通さずくしゃくしゃになっている。

 

 彼女の名前はユリアーナ・バッヘムという。

 ドイツ生まれイギリス育ちの半人(デミエルフ)で、現在高校二年生。夏休みを利用して、ボーイフレンドを母校へ引き連れてきた。

 エルフの血の証である長い耳をひょこひょこと動かすのが得意。純人の血が濃いのか、成長速度は純人と同程度。しかし、魔法の腕は同級生の誰よりも長けている。

 彼女は短く切りそろえた金髪をふんわりさせながら、石造りの廊下をずんずん進んでいく。

 

「で、ユリ。アルって子はどこにいるんだ?」

 余裕たっぷりに歩く彼女の背中に向かって、心細い彼は問いかけた。

「さあ」

「さ、さあって……。待ち合わせとか、してないのかよ」

「いきなり会ったほうがビックリするでしょ?」

「……サプライズ?」

「そうそう」

 さっぷらーいず、と楽しげに語るユリアーナ。修一は彼女のこういう行き当たりばったりな素振りには慣れているようで、「ま、いいか」とあっさり受け入れてしまった。

「まずは寮に行ってみよっかなって。でも、この時期でもたまに講義あるし、いないかもねー」

「そっか」

 気ままなユリアーナの言葉に修一はそう返事をし、視線の先をすれ違う人々の顔へと切り替えた。

 エルフ。純人。ゴブリン。妖精。精霊。

 日本ではめったに見にない亜人種も、ここでは当たり前のように歩いている。

「―――珍しい?」

 先を行くユリアーナが、ちらりと修一のほうを振り返った。

「あ……うん。エルフなら日本でもたまに見るけど……ほら、精霊、なんてナマで見るの初めてだから」

「日本にはなっかなか居ないもんねえ、精霊(エレメント)。便利なのになあ」

 そう言って彼女は、ふわふわと漂う光の球に手を伸ばす。球体はその手に乗るように近寄り、淡い緑の光を発した。

「へえ……綺麗だなあ」

 その様子を見ていた修一は、今日何度目かの感嘆の声を上げた。それを聞いたユリアーナも、今日何度目かの満足気な顔を浮かべた。

 そこに。

「ちょ、ちょうどよかったっ。そこの君、そのエレメント、逃がさないでおくれっ」

 慌ただしい、男の声がやってきた。

 

 

 

「いやあ、ありがとう、助かったよ。知人に任せられていた精霊だったんだけどね、目を離した隙に部屋から逃げ出しちゃって。この子で三匹目だから、そろそろ本格的にお仕置きを食らうところだったんだ」

 修一とユリアーナに駆け寄った男は、ドイツ訛りの英語でそう語った。

『――――修一さん。お札の効果、大丈夫ですか?』

『うん、効いてる。ありがとう、ヨセフ』

 修一は見えない妖精からの念話に対して、特に驚くこともなく返答した。

 彼がヨセフィーナ……ユリアーナのお付き妖精……から貰ったのは、翻訳魔法を「染み込ませた」護符だ。

『それにしても、ヘンな感じだよ。聞いているのは英語なのに、頭のなかで勝手に日本語にすり替わってる』

『魔法ですからねえ』

 ヨセフィーナは姿を消したまま、くすりと笑った。

 修一とヨセフィーナがそんな会話をしていると知ってか知らずか、主人たるユリアーナはドイツ訛りの青年に精霊を手渡した。

「うんうん、よく逃げちゃうよね、この子たち。あたしも十匹くらい逃がしちゃったかなあ」

「あ、やっぱりそうかい? いやほんと、参っちゃうよね」

「ねーっ。よっし、宿題やろうっ、って決めた途端、どっか行っちゃうんだもん」

「あるある。肝心なときに居ないんだよね」

 ははは、と笑い合うユリアーナと青年。その自然な会話の様子から、修一には彼らが初対面のようには見えなかった。

「ええと、クラスメイト?」

 修一がユリアーナにそう訊くと、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「え、知らないコだけど、なんで?」

 青年も彼女の言葉に同意し、頷いている。

「え……? いや……あー……フレンドリー、だなって……」

 これが欧米人のコミュニケーション能力なのか……と、日本人である修一は軽いショックを受けた。ユリアーナが誰とでも仲良くなれるということはよく知っていたが、よもや欧米人が皆そうだとは。

「そうだね、まずは名前から、だよね」青年はにっこりと微笑んだ。「僕は、アルベルト・イェッセル。一年生だ。みんなからはジェシーって呼ばれてるけど、好きなように呼んでくれてかまわないよ」

「ありゃ? アルベルトならアルじゃないの?」

 ユリの言葉に、アルベルトは「被るからね」と答えた。

「あ、そっか。一年なら―――」

 そこで、ユリは言葉を切った。

 長い廊下の向こう、アルベルトがやってきたほうをじっと見ている。

「どうかしたかい?」

「ユリ?」

 不自然に口を閉ざしたユリの視線の先を、アルベルトと修一が追う。

 そこには。 

 全速力でこちらへと走ってくる、少女(ビースト)が居た。

 

 

―― ―― ――

 

 

――――あの、バカ。

 寮の自室へ戻った彼女は、扉を開けた瞬間そう毒づいた。

 なぜなら、居るはずのクラスメイトとエレメントが、どちらとも居なくなっていたからだ。

 今日は手のかかる課題が出たから、せっかく精霊を借りてきたっていうのに。きっとあのバカがまた逃がしてしまったんだろう。ここに入学してもう半年以上経っているくせに、未だに精霊一匹マトモに扱えないなんてこれだから純人は―――

 と、そこまで考えたところで、彼女は思考をリセットした。最近の彼女は、こういう差別的な思想を極力無くそうと努力しているのだ。

 だが、それはそれとして。

―――とりあえず、ビンタかな。

 人種を問わず、彼女はポカをやらかしたバカには罰を下すべきだと判断したのだった。

 そして判断(ジャッジ)を下した彼女の行動は早い。部屋を飛び出て、そこいらの生徒からクラスメイトから「精霊を追いかけている間抜けな純人」の情報をかき集めはじめた。

 彼女に自覚はないだろうが。

 その頬に、確かな微笑みを浮かべながら。

 

 

 そうして、彼女は彼を見つけた。

 女と親しげに話している彼を。

 あまつさえ、その女から精霊を手渡されている彼を。

 遠目でよくわからないが、女は美人に見えた。

 遠目でよくわからないが、彼は楽しそうに見えた。

「――――――――」

 その瞬間、彼女の理性はかき消えた。

 彼女は、二百メートル先にいるバカなクラスメイト(ボーイフレンド)の元へ走り寄るだけの獣と化したのだ。

 

 

―― ―― ――

 

 

「ジェ―――――――」

 彼は見た。

「シ――――――――」

 憤怒の形相で駆け寄ってくる、

「ィィィィィィィィィ――――――ッ」

 自らのクラスメイト(ガールフレンド)の姿を。

(ああ―――これは、仕方ないかな)

 そうして甘んじて、強烈なラリアットをその胸に受けた。

 

 

 

「このっ、バカッ、エレメントをッ、逃がしたっ、挙句―――」

 唐突に現れた少女は、ジェシーを壁際に追いやり、その胸をぽかぽかと叩いている。

「ご、ごめん、アル。いや、ほんと、ごめん」

 ジェシーは大して痛がる素振りを見せず、平謝りを続けている。

「――――その、うえに、ほかの、オンナと、いちゃいちゃ、して…………?」

 そこで彼女の動きが止まった。

 さっき、このジェシー(バカ)と話していた女。

 エルフのように見えた、金髪の美人。

 あの顔。

 なにか、どこかで、見たような――――

「やっほー、アル。ひっさしぶりぃ」

 ジェシーと話していた女が、にこやかに手を振っている。

「うん、ていうか、なんか、アレだね」

 まるで、古くからの知り合いのように話しかけてきている。

「アル、キャラ変わった?」

――――よく見れば。

 かつて、毎日のように見ていた顔がそこにある。

「あ、あ、あああ…………」

 動きの止まった彼女の顔が、みるみるうちに朱に染まる。

「―――――――ふ、はあ」

 そんなふうに息を吐いて、エルフの少女(アルミリア)は座り込んだ。

 

 

―― ―― ――

 

 

「いやあ、まさかあのアルが、恋人(ボーイフレンド)だなんて……へえー……?」

 アルミリアの自室……ルームメイト(エミリエ)は補習で不在……に、修一、ユリアーナ、アルミリア、アルベルトの四人が集まっている。さすがに四人が一堂に会するには手狭な部屋だが、彼らが落ち着いて話せるとしたらここくらいしかなかったのだ。

「私も驚いたわ。ふふ、可愛らしくなったじゃない、アルミリア」

 羞恥心から黙りこくってしまったアルミリアを、旧友であるユリアーナとヨセフィーナがからかっている。修一とアルベルトはなんだか肩身が狭く、扉の傍で所在なさげに突っ立っている。

 基本的に女子寮は男子禁制だが、日の昇っているうちは寮長からの許可が降りる。遠方から来たユリアーナの客人と、もはや常連となったアルベルトには二つ返事でOKが出た。

「う、うるさいっ」からかわれ続けたアルミリアがようやく口を開いた。「それを言うならユリ、貴女もでしょうっ。ホームステイ先の純人をボーイフレンドにだなんて……」

「あら、別段不思議な事でもないでしょう?」それをヨセフィーナが遮る。「ユリアーナは昔から、元気で、明るくて、人懐っこくて、なによりも“乙女”だったもの。修一さんのような魅力的な殿方と出会ってしまえば、それはもう恋に落ちてしまうしかないでしょう?」

「…………ヨセフ、どっちの味方してんの?」

 浮かびながら歌うように語るヨセフィーナへ、ユリアーナが白い目を向けた。

 一方のアルミリアも「むう」とだけ言って黙り込んでしまっている。

 

 そんなふうに殺伐とした女性陣をよそに、修一がアルベルトに話しかけた。

「ええと……アルベルト、だっけ」

「うん、なにかな、シュウ」

 いきなり「シュウ」と呼ばれた修一は一瞬怯んだが、できるだけ平静を装って会話を続けた。

「アルベルトは純人だろ? それなのに、よくここに入学できたね。……というか、よく魔法なんて使えるね」

「うーん、そうだね……。魔力を扱える純人っていうのはだいたい家系にエルフの血が混じってるってパターンが多いけれど、僕が魔法を使えるのは『突然変異』らしいんだ。うちは代々純人の家系だからね。ただ単に、運が良かっただけかな」

「…………そっか」

「残念そうだね、シュウ」

「まあ、ね。…………僕も少しくらい魔法が使えればさ、もっといろいろ、わかったんじゃないかなって……」

「―――ああ、なるほど」

 修一の言葉を聞いたアルベルトは、深く頷いた。

 (アルベルト)は修一と違い、魔法が使える。しかし、その能力は魔法種(エルフ)であるアルミリアには到底及ばない。そばにいるアルミリアとの力の差は、曖昧な歯がゆさとなって常に彼の周りをつきまとっていた。

 ひとのことを理解したいという、人間として当たり前の感情。

 その「理解」の及ばぬ領域。なまじ魔法の使える彼は、だからこそその壁の厚さを知っていた。

 そしてそれゆえに、修一の気持ちに共感できた。

「…………お互い、苦労するね、シュウ」

「……そうだね」

 

 

「ふうん。そんなこと気にしてたの、シューイチ」

 男同士の会話に、ふらりとユリアーナが介入してきた。ヨセフィーナとアルミリアは、相変わらず口論を続けている、

「そりゃあ、まあ……」

 口ごもる修一に、ユリアーナが優しく微笑みかける。

「そんなこと、シューイチが気にすることじゃないでしょ。エルフ同士でも、純人同士でも、お互いのことをカンペキに理解しようなんてそれこそ魔法を使ってもムリだもん。でもだからこそあたしは、あたしたちは楽しいの。理解できないなら想像して、不明瞭なら問いただして。そういうやりとりが、人と人とのつながりってものじゃない」

 ユリアーナはそう言い切ると、そっと修一の手を取った。

「――――――あ、ありがと、う、ユリ」

 顔を真っ赤にした修一は、どうにかそれだけを声に出した。

 

「ちょっと。なに人前でイチャついてるのよ、ユリ」

 いつからかふたりの様子を見ていたアルミリアがそう吐き捨てた。そんなアルミリアに、ユリアーナは「えー?」と、軽い調子で反撃する。

「アルがそれ言う? 廊下で、大勢の学生の前で、アルベルトくんに抱きついてたアルが?」

「がっ」

 ユリアーナの言葉に、またしてもアルミリアが固まる。そして。

「ああ。ユリアーナさん、それならいつものことだよ」

 と、アルベルトがぽろりとこぼした。

 いつも余計なことをぽろぽろ漏らすアルベルトをキッと睨んだアルミリアだったが、さっきの場面を思い出したのか、また顔を赤く染めた。

「――――――――そうだ。新入りがいるの。連れてくるわ。」

 なにかを振り切るようにそう言い捨てて、アルミリアが部屋から逃げ去った。

 

 

―― ―― ――

 

 

「そ、そういえばシュウ。君、日本人だろう?」

「え、うん。そうだけど……。よくわかったね。中国人とかに間違われやすいんだけど」

学校(ここ)はいろんな国の人がいるからね。最近はすぐ見分けられるようになったんだけど……その、日本人にしては、ずいぶん英語が達者だと思ってね。僕は母が英語を話せたからなんとかなったけど、それでも苦労してね……」

「あー……そこは少し、ズル(・・)しててね」

 修一はそう言って、ポケットから細長い紙切れを取り出した。

「―――護符(アミュレット)?」

「うん。僕はよく分からないんだけど、このお札、ヨセフの魔法が『染み込んでる』らしいんだ」

「……………………」

 アルベルトは修一に近寄って、手に持っている護符をしげしげと観察している。

「―――確かに。これは陣魔法じゃない。でも、詠唱魔法でもない。別のなにか(・・・)だ。これは―――?」

「私の固有魔法ですよ、ジェシー(・・・・)

 護符を見つめ続けるアルベルトの肩に、ヨセフィーナがそっと腰掛けた。

「『翻訳』こそが私の固有魔法。その力を誰かに貸すくらい、妖精ならば造作も無いことです」

「いいのかい、僕なんかにそんなことを教えてしまっても?」

「もちろん」ヨセフィーナが笑みを浮かべた。「勉強熱心なその姿勢もそうだけれど、なによりあのアルミリアが認めた男の子ですもの。ちょっとくらい、サービスしたくもなります」

「……ああ、先輩にそう言ってもらえると、すごく嬉しいな。ありがとう、ヨセフィーナ」

「――――」

 アルベルトの、真っ直ぐな笑顔。

 それを受け、ヨセフィーナはつい「修一さん以上かも」と呟いた。

「え、ヨセフ、なんか呼んだ?」

「い、いいえ、なんでもありませんよ、修一さん」

 

 

―― ―― ――

 

 

 数分後。

「ただいま」

 と、いつもどおり……と言っても、修一は慌てふためいているところしか知らないが……のアルミリアが帰ってきた。

「えーと、ヨセフは名前くらい聞いたかもね。新入生の『トレス』よ」

 アルミリアの紹介を受け、ひとりの妖精がふよふよと部屋に入ってきた。

「ど、どうもー……」

「―――三番(トレス)? なんでイタリア語?」

 その妖精の名前にユリアーナが首を傾げる。普通、妖精に仮の名をつけるのなら英語読みの数字を振るはずだからだ。

名前持ち(・・・・)なのよ、この子」ユリの問いにアルミリアが応えた。「なんでも、卒業生の推薦があったとかで、この時期にムリヤリ入学してきたの。ほっとんど魔法使えないんだけど、変化だけは超一流、っていうヘンテコフェアリーよ」

「いやぁ、たはは……」

 ふわふわと浮かぶ赤眼の妖精は、照れくさそうに頭を掻いている。

「へえ、新入生かあ」

 ひとしきり説明を聞いたユリアーナは、興味津々というふうに妖精(トレス)を眺め始めた。

「変化が得意……というのは、具体的にどの程度なのかしら?」

 彼女の従者であるヨセフィーナも、新たな後輩に興味を示している。

「んー……見せたほうが早いわよね。この部屋の中なら別に問題ないだろうし……トレス、アレ(・・)やって」

「え、ええと……はい、じゃあ」

 指示を受けたトレスが地面に着地する。

 小さな彼女はまるで何かに祈るように目を閉じ、手を組み、跪いた。

「――――ふう」

 ためいきのようなひとこと。

 その声が(こぼ)れた瞬間に、しゅるりという音を立てて、トレスの体が巨大化した。

「なっ」

「ひゃっ」

 部屋に居た者が、各々驚きの声を上げる。

 なにせ、さっきまで手のひらに収まりそうな大きさだった妖精が、瞬きの間に見るも麗しい人魚(マーメイド)になっていたのだから。

「―――私は、なんでだか知らないけどね」佇む人魚を横目で見ながらアルミリアが語る。「この子、マーメイドに化けるのだけは見ての通りべらぼうに上手いのよ。エルフの私ですら、最初は妖精が化けてるって見抜けなかったくらいにね」

「……確かに。これは私達(フェアリー)でないと、見破れないですね」

 ぺたんと座り込む人魚と、それをしげしげと観察する妖精。亜人種を見ることすら稀な修一にとっては、映画のワンシーンと同じくらい珍妙な絵面だった。

「でも、どうしてわざわざ人魚に? 人間に化けたほうが何かと便利でしょう。歩けるのだし」

「あ、いや、それはそう、なんですけど……」ヨセフィーナの言葉に、トレスは口を詰まらせた。「今のところ、人間さんにはまだ、あまり上手く変化できなくて。人魚ならバッチリなんですけど」

「人魚のほうが難しいでしょうに」

「あー……それは、ええと、ひ、ひみつ……です。あ、でも、ヨセフィーナさんになら、言ってもいいのかな……?」

 そう言ったきり、何か悩むようにうんうん唸りだしたトレスを見て、ヨセフィーナは「そういうことですか」と頷いた。

「ええ、なんとなくわかったわ、トレス。でも、そうだとしたら興味深い事案ね。あとでお話を聞かせてもらってもよろしいかしら?」

「も、もちろんですっ」

 トレスはそう元気よく返事をすると、またしゅるりと妖精の姿に戻った。

 

「……あれ? それはなに?」

 と、今度はユリアーナがトレスに尋ねた。

「これですか?」トレスは腕をあげた。「私の名付け親さんからのプレゼントなんです。宝物ですよ」

 彼女の腕にあったのは、小さなリングだった。ふつうの人間にとっては指輪程度の大きさだが、彼女のような体の小さな妖精にとっては腕輪(ブレスレット)にちょうど良いサイズのようだ。

「……元気にしてるかなあ。もう夏だし、帰りたいなあ」

「ダメよ」トレスのふわふわした呟きに、アルミリアが素早く反応した。「一人前になるまでは帰らない、っていう約束だったでしょう」

「わ、わかってますよう。言ってみただけですっ」

 その反論に構わず厳しい目を向けるアルミリアと、ぷっくりと頬を膨らませるトレス。

「…………良い師弟ですね」

 その様を見たヨセフィーナが、ぽつりと呟いた。

―――自身の師(ヒルダ)のことを、思い出しながら。

 

 

―― ―― ―― 

 

 

「ところで、ユリ」

 トレスがヨセフィーナの淹れた紅茶に口をつけた頃、ふとアルミリアが声を上げた。

「んー?」

 ユリアーナは、アルベルトの手に持つカードを真剣に眺めながら返答した。彼女はいつの間にか修一、アルベルトとババ抜きを始めていた。

「わざわざ今日ここに帰ってきたってことは、出るんでしょ、あの講義」

「うん、そうだよ。やっぱ気になっちゃってね」

「言い出しっぺは、私なのだけれどね」

 ユリアーナが返事をした直後に、ヨセフィーナも口を開いた。

「―――そう。確かに、ヨセフは気になって当然よね」

 アルミリアはそう呟くと、ビスケットを口に放り込んだ。

 彼女らが話しているのは、今日行われる特別講義のこと。「ダブリンテロにおける異種族の連携について」と題したそれは、ダブリンで起きたテロ事件の対応に関わった亜人種たちが、そのときにどう連携を取り、どうやって被害を最小限に留めたか、という講義だ。

「姉さんは出ないと思うけれど、それでもあの一件に関わった人々をひと目見ておきたい、と思って」

「大事件だしさ。他人事ってわけでもないし……それにほら、人狼さんも出るって話じゃん。見なきゃソンでしょ」

「……人狼部隊、ねえ」胡散臭そうにため息をつくアルミリア。「ほんとに来るわけないでしょ。ていうか、そもそも実在するかも怪しいじゃない。おとぎ話みたいなものでしょ、アレ」

「そうねえ。でも、姉さんの仕事に狼男(ウェアウルフ)さんが関わっているのだけは確かよ、アルミリア」

 小さなティーカップを上品に傾けながら、ヨセフィーナが口を挟んだ。

「……根拠は」

「あの事件の当日、姉さんと連絡を取ったとき、人狼さんと同じ部屋に居たの。雇い主(マスター)ではない、と姉さんは言っていたけれど、あの日あのときに同じ部屋に居たのなら、あの人狼さんは間違いなく関係者でしょう。……ええ、あのひとは間違いなく、人狼だったわ」

「妖精の眼、か」

「ええ」

 アルミリアが今度は渋々納得した様子でため息をついた。その様子を見ていた修一は、首を傾げて問うた。

「……妖精の眼?」

「そうよ」修一の呟きに、アルミリアがぶっきらぼうに応える。「妖精は、一度視た相手の種族を看破できる。相手がそれこそ魔法種レベルの隠匿でも使っていない限り、一瞬で。人狼か吸血鬼か。ゴブリンかコボルトか。そのあたりのちょっと区別しづらい種族も、妖精が一目視るだけで判別がつくってワケ」

「へえ……すごいんだ、妖精って」

「そーよ。少なくともアンタの思ってる十倍はスゴイわよ」

 アルミリアの辛辣な言葉に、修一は「うっ」と黙り込んだ。

「こーら。ユリを取られたからって修一さんに噛みついてはだめよ、アルミリア」それをたしなめるようにヨセフィーナが声を掛ける。

「と、取らっ……カンケーないわよ、そんなのっ」

 唐突に立ち上がり、大声を上げたアルミリア。その彼女を、同じ部屋にいた全員が見上げている。

「うぁ」

 どうも、自分は過剰な反応をしたらしい―――と彼女は気づいたが、それももう、後の祭りであった。




エピローグが前後編とはこれ如何に。
後編は鋭意執筆中です。ゆるりとお待ちくださいませ。


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余章 後

「―――講義、ねえ」

 つまらなそうに、黒髪の彼はぼやいた。

「いーじゃん。楽しそうだよ?」

 はしゃぐように、茶髪の彼女が声を掛けた。

「私は緊張しっぱなしですよ……。学校(ここ)に来るのも、初めてなんですし……」

 もうひとりの黒髪の彼は、不安げに呟いた。

 

 ハインツ・フォクト。

 イヴァンナ・ペトローヴナ・ロマノヴァ。

 ケヴィン・エルドン。

 あの事件(・・・・)。ダブリンのゴブリン蜂起テロの、対策部隊のうちのひとつ。陣魔法解体部隊第五分隊が再集結していた。

 無論、今日行われる特別講義のためである。

 では、なにゆえ彼らが来ているのか。

 全六分隊ある解体部隊は、その単純な戦闘能力ごとにチーム分けされていた。最も能力の優れた第六分隊から、最も能力の劣る第一分隊まで。

 本来であればより緻密に素性、経歴、能力、性格などを調べて配属するのが最良だが、今回は圧倒的に時間が足りなかった。だがその配属方法ゆえに、単純な戦闘ならばまず間違いなく第六分隊が最高の戦果をあげていただろう。

 だが、今回の任務は探索だった。長時間地下道を練り歩く、酷く地道な作業。だからこそ、戦闘能力よりも連携機能がどれだけ働くかがカギだったのだ。

 実際に、戦闘能力だけ(・・)で選ばれた第六分隊はその過ぎたる力ゆえに連携などできず、分隊は瓦解した。

 そして、その次に能力の優れた者を集めた第五分隊は、奇跡とも言っていいほどの連携をとり、全部隊で最も優秀な成果をあげた。だからこそ、今日の特別講義には彼らこそが相応しい―――というのが、人狼部隊の長を務めるジョゼフ・ハインドマンの(げん)である。

 最も、その人狼部隊の中では「第五は美男美女が揃っているから」との意見が有力とされているが。

 吸血鬼であるイヴァンナは言うに及ばず、ハインツ、ケヴィンも相当な美形である。広告塔とするには十分すぎる人材だ。

 

「ホラ、ハインツ。そろそろ着替えなきゃ」

「あ? いいだろ、これで」

「駄目だよっ。そんなよれよれ(・・・・)の格好で人前に出るつもり? ほら早くっ」

 だらだらと動くハインツを、無理矢理に着替えさせていくイヴァンナ。そのスーツも彼女が事前に仕立てていたものである。

「…………本当におふたりは、ただのご友人(・・・・・・)、なのですか?」見かねたケヴィンが口を開いた。

「え、そうだけど、なんで?」

 きょとんとした顔のままで言葉を返すイヴァンナ。ハインツも無言ながら同意している。

「―――いえ。そうでしたね。なんでもありません」

 言って、ケヴィンは微笑んだ。

 とはいえ、イヴァンナがエルフであれば、良き夫婦であったろうに―――

 そこまで考え、彼は首を振った。

 吸血鬼であるからこそ、彼女(・・)彼女(・・)なのだから。

 

 彼らが恋愛関係のようなより深い関係に発展しないのは、イヴァンナが吸血鬼であるからに他ならない……と、ケヴィンは考えている。

 そも。吸血種というのはほかの人種とは関わらない、いや、関わるべきではない人種だ。彼ら(ドラクル)にとってほかの人間など、全て捕食対象に過ぎないのだから。そんな彼らがこうやって人間社会に溶け込んでいるのは、科学技術の発展に依るものだ。

 吸血鬼用の人工血液が実用化され安定して生産、供給できるようになってから、吸血鬼達が生きた人間を襲う必要はなくなった。モノによっては「処女の血」と同等の味を再現しているとされるそれが開発されて以後、吸血鬼による他人種への被害はほぼ皆無となった。

 美味なものほど値は張るが、吸血鬼たちはそのほとんどが悠久に等しい時間を生きてきた。よって、多くが十分な財産を持っている。そうでない、金銭を持ち合わせぬ吸血鬼には、各国政府が無償で人工血液を与えるように決められている。無論、質の良いものではないが、腹を満たすには十分なものだ。

 世界がそう動いたからこそ、彼ら(ドラクル)は人類にとっての脅威ではなくなった。人々が吸血鬼との共存を望み、吸血鬼たちがそれに応えたのだ。

 他人種とは少し違うモノを主食にする変わり者―――それが現代に於ける。吸血鬼に対する世論の印象だ。

 だが。それでも彼ら(ドラクル)は、他人種と密接に関わることはしない。

 誰が言い出したのでもない。誰が取り決めたのでもない。彼らが彼ら自身に、無意識に課した制約(ルール)である。

 イヴァンナもそれ(・・)だ。ほかの吸血鬼たちと同じく無意識ではあるだろうが―――フレンドリーな態度こそ取れど、最奥までは踏み込まない。そういうふうにして、彼女も永い時間(とき)を生きてきた。

 ハインツは、まあ、単純に「そういうモノ」に興味がないだけだろうが―――

「…………仲が良いのは、よいことです」

 ケヴィンは誰に言うのでもなく、そう呟いた。

 

 

 

 講義まであと十分。

 そこで、彼女が爆弾を投下した。

「ケヴィンさんはさー、カノジョつくらないのー?」

 控え室に座るケヴィンとハインツの動きが、イヴァンナのひとことで完全に静止した。「おまえ(あなた)が言うな」と。喉元まで出かかったその台詞を、ふたりはなんとか飲み込んだ。

「―――え、ええ」ケヴィンは大きく深呼吸したあと、なんとか口を開いた。「私はもう、そういう歳でもありませんから」

「ん?」

 ケヴィンの返答を聞いたイヴァンナは、不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。

 それも当然だ。整った顔立ちの彼は、どこからどう見ても二十代。三十代前半……と彼自身が言ったとしても疑ってしまうほどに若々しい。その彼が「そういう歳ではない」と言うのは―――

「――――――まって。まって。ケヴィンさん、いま、なんさい」

 頭を抱えながらイヴァンナが問う。

 人狼は、吸血鬼のもと(・・)になったとされる種族だ。無論、寿命も永劫に近いほど長い。老衰で死ぬことはほぼ無いと言っていいほどだ。

 そして、ケヴィンの最も得意な事は「変化」。

 若々しい美青年(イケメン)で、変化の得意な人狼(ウェアウルフ)。つまり。

「歳、ですか。ええと、今年でちょうど八百二十になります」

「はッ―――――?」

 ボケッとコーヒーを飲んでいたハインツが、両目を見開きマグカップを床に落とした。

「ぼ、ぼ、ぼぼ、ボクより、としうえ…………」

 イヴァンナも、半ば想像はついていたとは言え愕然としている。

「ああ、すみません」ふたりの反応を見たケヴィンが、申し訳なさそうに話を続けた。「もう数百年ほどこの姿のまま過ごしていましたし、周りも私と同じ人狼ばかりでしたから、説明を忘れていました。ちゃんとお話しておかなくてはなりませんでしたね」

「あ―――う、ううん、別にケヴィンさんがなんさいだったとしても、問題があるわけじゃないし、いいんだけど……たしかに、ビックリ、したかな、はは、は…………」

 これまでより、もっと丁寧な態度で接しよう――と、イヴァンナはそっと心に決めた。

「さて。そろそろお時間ですね」

 ケヴィンが腕時計を見ながら呟いた。

「あ、ほんとだ。……ええと、どうやって仲良くしてたかってお話でいいんだよね?」

「そうだ。お前はできるだけ黙ってろ」

「う」

「学生たちから質問が来るでしょうから、それに答えていただければ」

「ケ、ケヴィンさんまで……。はぁーい……」

 

 

―― ―― ――

 

 

 午後二時。

 パーラメント・スクエアにて、特別講義の準備が進んでいた。

 魔法学校の学生だけでなく、受講を希望した外部の人間もパイプ椅子に座っている。

 普段の講義と比べると少し遅い時間で、全く違う場所。

 それもそのはず、この講義は世界中に中継されるのだから。

 人狼部隊の一員が人前に姿を晒すなど前代未聞。それこそ、先の「降龍」と同じかそれ以上の大ニュースだ。各国メディアがこぞってウエストミンスターにおしかけ、中継の申し入れをしてきたのは当然と言える。

 魔法学校側も渋々了承し、時計台の中ではなく、少し離れたこの場所で講義を行うことに決定した。

 

「あれ? マイクとか、スピーカーとかは?」

 パイプ椅子に座った修一が、きょろきょろと公園の周囲を見渡しながら誰にともなく尋ねた。

「あはは、使いませんよ」席の不要なトレスが、修一の頭の上で返答する。「場所は違っても魔法学校の授業ですから。拡声魔法を使うんでしょうねえ」

「へええ、なるほど。……トレスも使えるの?」

「う」

 トレスは短く呻いて、修一の椅子の下に逃げた。

「……使えないのか」くすりと笑う修一。「それにしても、すごい人の数だね。そんなに珍しいんだ、その、じんろーぶたい、って」

 彼の呆けた呟きに、魔法学校の学生たちが大きく溜息をついた。

「ほんっとになんにも知らないのね、シュークリーム(・・・・・・・)

「え、あ、いや、だって、僕、ただの高校生だし……、純人だし……一般人だし……あと、シューイチ、だからね? なんでクリーム……」

「こーら、シューイチもアルも喧嘩しないのっ」ユリアーナが口を挟んだ。「もう講義始まるよっ」

「喧嘩というより、修一さんがいじめられているだけだと思うわよ、ユリ」

「ふん。―――あ、ヒルゲ爺出てきた」

 アルミリアの視線の先。広場の奥に設置された壇上に、一人の老いたエルフが姿を表した。

 

 特別講義はまず、あの事件のおさらい(・・・・)から始まった

 妖精の師、魔法の名手、陣構築の最高権威、ヒルダ・ホールリン。彼が起こした、ダブリンのトリニティ・カレッジ爆破テロ。

 一般人は軽いけが人が数人ほど出ただけで済んだものの、多くの警官がその犠牲となり、カレッジもその敷地の三分の一ほどが崩落した。事件直後はその被害の甚大さからICPOを非難する声が多かったが、爆破の陣が六つも敷かれていたこと、その隠蔽の周到さ、そしてそれを少数精鋭で四つ解体出来たことなどから、非難の声は次第に減っていった。

 無論、全て解体出来るに越したことはない。だが、陣の敷かれた現場の分析に当たった魔法種がことごとく「検知はほぼ不可能」と結論づけた以上、コメンテーターたちも口を閉じるほかなかった。

 もしもICPOが動かなかったら、もしも部隊が機能しなかったら、一体どうなっていたか―――それを考えることが出来る程度には、世論もマスコミも理性を持っていた。

 更にICPOの情報公開が進み、陣魔法の対処にあたった部隊の詳細が発表されると、マスコミはそこ(・・)に食いついた。

 人狼部隊。

 神話の一端。おとぎ話の兵隊さん。夢の世界の英雄(ヒーロー)たち。実在するかどうかすら不明であるものの、世界各地に伝承として残されていた、最古にして最強の戦闘部隊。彼らがICPOに協力し、対処部隊の指揮を執った―――。

 にわかには信じがたいニュースであった。ICPOが公式声明として発表しても、各種メディアは責任を軽くするための虚言だと断じ、街行く人々も疑問を呈した。信じたのは、おとぎ話を信じる子どもたちくらいのものであった。

「おおかみさんだ」「ほんとにいたんだ」「かっこいい」

 そう口にする子ども達と、白い目を向ける大人たち。

「――――私も、つい数時間前までは、その『疑問』を呈する側でした」壇上に立つ教師、ヒルゲ・ピールスが真剣に語り続ける。「しかしながら、警察機構の発表は紛うことなき真実でした。西暦より以前より、ときに人類の敵として、ときに人々の味方として、歴史の裏を、世界の隅々を歩み続けた彼らは実在した。彼らは人狼としての弱点故に、その存在をひた隠しにしていたのです。もっともなことですが―――」

 

「…………人狼の弱点、っていうと、ええと」

「銀よ」修一の呟きにアルミリアが反応した。「純粋な人狼は少量でも銀が体内に侵入すると、そこから肉体が溶けて死に至る。だから、人狼をサクッと殺りたいならボケっと街中でも歩いてるところに銀の針でもナイフでも刺してやって、『暗殺』するのが手っ取り早いの。人狼と正面切って戦っても勝てるわけないし。だから人狼は、自分がウェアウルフだとバレないように正体を隠すの。あの手この手を使って、ときには妖精の眼すらもごまかして」

「…………そんなこと、できるの?」

「できるんでしょ」そう自分で言っておきながらも、アルミリアは信じがたいように眉を寄せる。「でないと、人狼部隊なんてとうの昔に見つかってるでしょうし。数千年も正体を隠せるっていうんなら、それくらいはやってなきゃおかしいわ」

 頷くアルミリアとヨセフィーナを見て、修一もそうか、と納得した。

 

「―――では、本日の特別講師の方々です。どうぞ」

 ヒルゲがそう言うと、壇上に三人の人間が姿を現した。

 黒いスーツをスラリと着込んだ、痩せぎすの男エルフ。

 ゴスロリチックな服を着て日傘をさす、純人のような少女。

 グレーのスーツに身を包んだ、背の高い純人のような男。

「陣魔法解体部隊第五分隊の皆様。自己紹介をお願いします」

 ヒルゲの言葉を聞いて、まず最初に出てきたエルフがしぶしぶと口を開いた。

「……ハインツ・フォクト。第五分隊。インターポールドイツ支部魔法課所属。エルフ。ここの卒業生、…………です」

 続いて、日傘の少女が手を上げた。

「はいっ。イヴァンナ・ペトローヴナ・ロマンブッ……ロ、ロマノヴァですっ。長いから、イヴァって呼ばれてます。こんな見た目ですけど、吸血鬼やってまーす。よろしくっ」

 楽しげにピースをする彼女と裏腹に、会場には不穏な空気が流れた。

 なにせ、今は午後二時、真昼時。太陽が真上からさんさんと降り注ぐ夏の広場に、日傘一つで立つ吸血鬼―――。この学校の関係者ならば、十分にその恐ろしさ(・・・・)が理解できるからだ。

 見るからにか弱く、見るも麗しいその少女の、恐ろしさ。

 だが、三人目の発言で、その空気も一変する。

「――――ええと、どうも、はじめまして。人狼部隊所属(・・・・・・)、ケヴィン・エルドンです」

 背の高い彼の言葉。

 その言葉に嘘はない―――なぜかはわからない。だが、会場に居る全員が……修一も含めて……その言葉を心の底から信じた。

 人狼部隊は実在した、と。

「この度はお招きに預かりまして、光栄の至りです」ケヴィンと名乗った彼は、ざわつく会場に怯むことなく話を続けた。「本来であれば部隊長が来るべき場ですが、さすがにまだおいそれと姿を現させるわけにもいきません。ですので、本日は私が代理としてこの場に立たせていただいております。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

 人狼のそのイメージとは裏腹に、彼は丁寧な口調でそう語った。

 

「あのひとが、人狼……」

 ぽつり、修一が呟く。

「……すましてる(・・・・・)けど、さっきの吸血鬼(ドラキュリーナ)以上のバケモノじゃないの、アレ」

 アルミリアも、つい口を開いていた。

「そうねえ。こうして実際に目にしてみると、ふつう(・・・)の人狼さんとは違います」

ふつうの人狼(・・・・・・)?」ヨセフィーナの呟きに修一が反応した。「人狼が、普通にその辺に居るみたいな言い方だね」

「ええ、居ますよ。彼らは獣化しなければ純人と何ら変わりませんから、その多くが純人のふりをして生活しているのですよ。妖精にはすぐにわかりますが、彼らは平穏を求め、そう暮らしています。悪さをするわけではありませんから、私達も基本的に干渉しません」

「ふうん……」

「人狼さんは、力持ちで、働き者ですから、とてもお役に立っていらっしゃいますよ。インターポールでも随分と前から人狼さんが働いておいでですし。人種としては珍しいほうですが、妖精と同じように、世界中のあちこちで活躍していらっしゃいます」

 へえ、と感心する修一と、常識だと白い目を向ける学生たち。

 

 無論、それに構わず講義は進む。

「では、ここからの進行はケヴィン様にお任せします。どうぞ」

「わかりました」頷いて、ケヴィンが一歩前へ出る。「まずは私どものより詳しい来歴を―――と言いたいところですが、残念ながら時間は限られておりますので、本題へ参ります。

 異種族間の連携。この時代では、確かに難しいことです。我々人類は、数百年、数千年という長い長い時間を経て、ようやく相互理解という段階へ片足をかけました。しかし、未だに差別や偏見が色濃く残っているのも、また事実です。今回のゴブリンたちのテロこそ、まさにその最たるものでしょう。

 ……ヒルダ・ホールリンは、誰もが認める悪行を犯しました。許されざることです。彼の大魔導師たる立場に関わらず、それは糾弾されるべき罪科です。しかしその背景には、長く続くゴブリン種への人種差別がありました。彼の真意は別にあっても、その言葉に多くのゴブリンが耳を貸し、賛同し、手を貸したのは真実です。その点のみ、その一点のみに於いては、私のような亜人種といたしましては、同情の余地があると考えてしまいます。

 テロに参加したその半数のゴブリンは、アメリカの出身でした。皆様もご存知のように、アメリカは特に『有害指定』の厳しい国です。それに反発するゴブリン種が多いのは至極当然のことでしょう。無論、ヒルダらテロリストの行いを擁護するつもりはありません。……ですが、『有害指定』は確実にやりすぎ(・・・・)であると主張します。これは、人狼部隊全員の意見です。

 純人(ヒューマン)にも、耳長(エルフ)にも、血鬼(ドラクル)にも、人狼(ウェアウルフ)にも、どの種族にも一定数の犯罪者は存在します。もう、子鬼(ゴブリン)だけが悪いなどという時代ではない。ヒルダ・ホールリンの口車に乗るようで癪ですが、それでも、有害指定の緩和、もしくは撤廃―――これらは、異種族の相互理解をすすめるうえで避けて通れぬ課題であると主張します」

 広場に居る全員が、彼の長い「主張」に聞き入っていた。

 古来より、純人種と亜人種は相容れぬものだった。

 裏を返せば、亜人種同士の関係は良好だったのだ。

 だからこそ、妖精種をはじめとした多くの亜人種は、かねてよりゴブリンの待遇を改善するように幾度となく進言していた。

 だが、過去の歴史に於いてゴブリンたちが悪さをしてきたのもまた事実。純人は彼らを特に恐れたのだ―――その見た目から。

「他種族を蔑んでおきながら、何が相互理解でしょう。何を連携できるというのでしょう。我々陣魔法解体部隊第五分隊が成果をあげられたのは、互いの人種ではなく、互いの内面を重んじたからです。能力を尊重し尊敬し、足りない部分を補い合ったからです。今回の議題は、根底から間違っている。『異種族間の連携』など、元来何も難しいことではないのです。自らと同じ人種の人々と接するように、ほかの人種の人々とも接すれば良いだけです。理解し、信頼し、行動する―――それだけです。たったの、それだけのことなのです」

 彼は、真剣な表情でそう言い終えた。

 

 会場からまばらに、拍手の音が立ち始めた。

 ぱらぱらという音は、だんだんと纏まっていく。

 次第にその音は大きくなる。

 ついには、大喝采へと変わっていった。

「―――ありがとう、ございます」当のケヴィンは、面食らったように固まっていた。「てっきり、『バカヤロウ』とも言われかねない……と思っていたのですが。いえ、中継の向こうや、今後のことはまだわかりませんが……。それでも、私の―――いえ、人狼部隊の言葉に耳を貸してくださったこと、心より感謝致します」

 深々と礼をする彼に、会場からより一層大きな拍手が巻き起こった。

 魔法学校主催の特別講義だからこそ起きた奇跡のようなものだ―――と、ケヴィンは思った。これが純人の前でのスピーチなら非難轟々だったろう。ゴブリンを含めた異種族と日頃から親しくしていた彼らだからこそ、こうして受け入れてくれたのだ、と。

「長話をしてしまいました。……あ、いえ、講義、というものなら、こうして長話をするのがあたりまえなのでしょうか? ……さて、最後にひとつだけ、この場をお借りしてのお知らせがございます。

 人狼部隊の、インターポールへの正式加入が決定しました。以後、我々人狼部隊はインターポールからの情報を得て、世界各地で行動を起こします。しかし、彼らからの指示を聞いても、彼らからの指図を受けることはありません。インターポールが人々を脅かすとあれば、我らは躊躇うことなく彼らに刃を向けましょう。……ということも、インターポールの方々に納得していただいた上での発表です。これまでよりも人狼部隊の活動がわかりやすくなるでしょうが、大きな変化はないはずです。

 ということで、これで私と、人狼部隊からの話はおしまいです。ここからは皆様からのご質問にお答えしていこうと思います。機密に関すること以外でしたらお答えできますので、今回の一件についてでも、私たちのことについてでも、なんなりとご質問ください」

 

 

 ケヴィンはそう言ったものの、会場の老人たちからの質問はほぼ全て「人狼部隊の機密」に関わるものばかりで、彼はひたすら申し訳なさそうに「お答えできません」と繰り返していた。

「つまんなーい」

 はー、と大きなため息を吐くユリアーナ。

「そうねぇ。こんなに人狼さんばかりへ質問していても埒が明かないと、分からない人たちではないでしょうに……」

「仕方ないんじゃないかな、ヨセフ」ヨセフィーナの言葉を聞いたアルベルトも、やれやれと首を振りながら口を開いた。「珍しいなんてもんじゃないだろう、彼。人狼部隊の一員、なんて。少しでも情報は欲しいだろうさ。……まあ、もうちょっとばかり空気を読んで欲しいところだけれど」

「―――よっし、シューベルト、出番よ」

「へ?」

 アルミリアは明らかに違う人物の名を呼んだが、修一は彼女が呼んでいるのは自分のことだと即座にわかった。この状況にも随分と慣れてきたらしい……などと考える暇もなく、アルミリアが話を続ける。

「あんたはあのジジババどもとは別ベクトルで空気が読めないでしょ。……はーい、はーいっ。しっつもんでえーーーすっ」

 修一の抗議の声に耳も貸さず、アルミリアがケヴィンへと叫んだ。

「――――あ、はい、ええと……そこの、金の髪のエルフの女性。なんでしょうか?」

 彼女の声の大きさにたじろぎつつ、ケヴィンがアルミリアに質問を許可した。自然、会場全体の視線が彼女とその周囲に向かう。

「ホラ、拡声魔法ならかけてあげたから。何でもいいわ、質問しなさい。……なんとなれば、あたし秘蔵の『ユリアーナ恥ずかしフォトコレクション』、分けてあげるから」

「ちょっ、アル、なにそれ―――――」

 慌てるユリアーナ。だが、アルミリアの言葉を聞いた修一はもはや止められなかった。彼は颯爽と席を立ち、すう、と息を吸い込んだ。

 

「―――――――――好きな食べ物は、なんですか」

 

 

 

―― ―― ―― 

 

 

 会場は静まり返った。

 いや、凍りついた、と言ったほうが正しい。

 限られた貴重な時間のなかで、この小僧はなんてつまらないことを訊いているのか―――学校の老人たちは皆、頭の中でそう叫んでいた。

 しかし、壇上の彼らは違った。

 今日初めて、第五分隊員たちは笑っていた。

 

「――――失礼。好物、ですか。それなら私どもでも、お答えできますね」

 ケヴィンは、嬉しそうにほほえんでいた。

「私は人狼ですから、無論肉類は好物です。それ以外ですと……そうですね、たまにしか頂く機会はないのですが、ザッハトルテは大変に美味であると思います。あれは確かに、私の好物と呼べるでしょう」

 彼は努めて穏やかに、それでいて楽しげに自らの好物について語った。

「では、次にイヴァンナ様。……ああ、ハインツ様、彼女に拡声魔法を」

 ケヴィンにそう言われ、ハインツはしぶしぶと左手の指をぱちんと鳴らした。

「―――あー、あーー。やったっ、これ、ボクももう喋っていいんだねっ?」

 イヴァンナは自分の声が広場に響くのを確認して、嬉しそうにくるくると日傘を回した。

「ええと、好きなものっ。そりゃあもうたーくさんあるんだから。木苺のタルトでしょ、マカロンは……何味でも好きっ。ゴディバのチョコも外せないよねー、中でもやっぱトリュフかな、トリュフチョコ。パフェだと、生クリームたっぷりのプリンパフェが一番っ。意外とラスクなんかも好きで――――」ぱちん。

 いくらでも語ろうとする彼女の目の前で、ハインツが左手の指を鳴らした。拡声魔法が切れるどころか声を出すことすらできなくなったイヴァンナが、右隣に立つハインツをむう、と恨めしげに睨みあげる。

「ははは、ありがとうございました、イヴァンナ様。では最後にハインツ様、何か好物を教えて下さいませ」

「あ? 俺もかよ……」

 ハインツは、恥ずかしげに頬を掻いた。

「あー………………、ドライフルーツ?」

 彼がそう口にした途端、隣に立っていたイヴァンナが傘を放り投げて笑い転げた。声こそ出ていないが、大変な笑いようであることは一目見るだけで明らかであった。

 

 そうして、会場の空気は変わった。

 修一の質問を切っ掛けに、学生たちから多くの質問が出るようになったのだ。

 

「人狼さんはお魚も食べますか?」

「ええ。私も、私以外の人狼部隊員もよく食べますよ。骨が強くなりますからね」

 

「こんなに良い天気なのに、外に立っていて大丈夫なんですか」

「うんっ。しっかり日焼け止め塗ってるから、ホントはこの傘もいらないんだー。でも、それだと吸血鬼らしくない、傘を使え、ってこのハインツがうるさいもんだからしぶしぶ使うことにしたけど……いやあ、このハインツが、まさか、こんなにカワイイのを用意してくれてるなんて思わな――――」ぱちん。

 

「実技のテストで、詠唱をよく噛んでしまうんです。何かいい対策はないでしょうか……?」

「知らん。―――いで。痛えよ、イヴァ。あー、とりあえず、落ち着け。その辺の壁にでも地面にでも頭ぶつけりゃ落ち着くだろ」

 

「皆さんの得意な魔法は?」

「言っても良い範囲ですと…………料理、ですかねえ。よく意外だと言われるのですけれど、手作りでも魔法でも、だいたいの国の料理を作ることが出来ます」

「え、魔法? アハハー、ボクムリー。身体強化くらいかなあ」

「……………嫌がらせ系」

 

「ドラキュリーナさんとエルフさんは仲が良さそうですね。おつきあいとか――」

「してねぇよ」

「食い気味の即答ですか……。さすがに、イヴァンナ様がかわいそうですよ……」

「知るか」

 

 

 講義は、その穏やかな雰囲気のままに終了した。

 魔法学校講師の面々は苦々しい顔を浮かべていたが、学生や一般参加の人々、第五分隊員たちはたいへんに満足げであった。

 TVのインタビューを受けた一般男性はこう答えた。

「これでこそ相互理解だよ」

 会場には、少なからずゴブリンも集まっていた。

 彼らからの質問にも、第五分隊は笑顔で応じた。

 ゴブリンたちはただそれだけでも、十分に嬉しかった。

 ケヴィンの演説も、心を震わせるものだった。

―――これならば、世界も動くかもしれない。

 そういうふうに、彼らは感じていた。

 

 

―― ―― ――

 

 

「…………ねえ、ユリ?」

「ん。どうかしたの、ヨセフ」

 会場を後にし、学校へ戻る途中でこっそりヨセフィーナがユリアーナに声を掛けた。

「そ、その……ひとつ、お願いがあるのだけれど……」

 おずおずと、申し訳なさそうに話すヨセフィーナにユリアーナはたじろいだ。明らかに、ヨセフらしくない。

「な、なに。サインでも、ほしかった?」

「い、いいえ、そうじゃなくて……。―――その、連絡が、あって」

「連絡?」

 修一たち一同も、二人の会話にこっそり耳を傾けていた。

「……えっとね。イェシカ姉さんが……来てる、みたいで」

「―――――え、」

「それで、その、少し、顔を見たいのだけれど…………」

「も―――――」

 一同が、すう、と息を吸った。

「もっと、早く言え―――――っ」

 今日初めて、彼らの心がひとつになった。

 

 

 

「ヨセフ。イェシカさんはどこにいるの?」

「ええと……ホールリンの研究室みたいね。今日は第五分隊の皆さんの控え室になってるらしいわ」

「え……それ、あたしたちまで行っていいの?」

「いいんじゃないかしら。姉さんはOKだって言ってるわよ」

「―――ヨセフの姉さんがいいって言ってるならいいんじゃないの?」

「アル……」

 ユリアーナとヨセフィーナのやりとりに、アルミリアが口を挟んだ。

「実際、私も興味あるもの、あの三人。美形揃いでキャラ濃いし、あんなのと関わるチャンスなんてこの先ないわよ。ジェシーとシューマイは? 行く?」

「僕はアルに賛成だよ。人間関係は広いに越したことはないからね」

「…………うん、みんな居るならいいけど。でも、僕、修一だからね、アルミリアさん。覚えよう?」

 アルミリアは修一の言葉に頷きもせず、ヨセフィーナに「行きましょ」とだけ言って歩く速度を上げた。

「―――うーん。キミとアル、仲が良いのか、悪いのか」

「…………悪いでしょ……」

 はぁ、とため息をつく修一の肩にアルベルトが手をかけた。

「いやいや。あのアルが純人の男の子とここまで話すなんて、そうそうないことだよ。少し前までは軽蔑してたくらいだからね。少なくとも、興味はあるんじゃないかな」

「そうなのかなあ」

「そうだとも。僕が保証しよう」

「……はは。そりゃ、心強いや」

 そんなことを言いながら、彼らもアルミリアの後に続いた。

 

 

 

―― ―― ――

 

 

「―――――姉さんっ」

 研究室へと続く階段を登りきるや否や、ヨセフィーナが珍しく大きな声を上げた。

「ひさしぶり、ヨセフ。……うん、立派になったじゃないの」

 扉の前に、ヨセフィーナの姉、イェシカが浮かんでいた。

「そ、そう、ですかね。ふふふ。……姉さんは、お変わりないようで。安心いたしました」

「あら、ありがとう。ええ、あたしはなにも変わってないわ。ご覧のとおりね」

 言って、彼女は空中をくるりと舞った。

「ええ、そうでしょうとも」

 言って、彼女は心から嬉しそうにほほえんだ。

 死地を経ての、姉妹の再会。

 小さな妖精たちは、互いにその喜びに浸っていた。

 

「それで、姉さん。どうして本部ではなく、こちらに? まだテロの事後処理も残っているはずじゃ……?」

「あー、それとは別件。わざわざこの部屋(・・・・)を使ってる時点で、察しはつくでしょう?」

「あ―――そう、でした。……………そう、です、よね……」

「こらっ」暗い顔を浮かべる妹を、イェシカが小突いた。「顔を上げなさい、ヨセフ。これはおめでたいことでしょう」

「で、でも―――つらい、ですよ、きっと」

「ふん。あいにく、貴女の姉はそこまでか弱くないのよ。貴女なら知っているでしょう、ヨセフィーナ」

「っ―――――」

 イェシカがそう言って聞かせても、彼女の顔は一向に晴れなかった。

「…………ま、心配してくれるのは嬉しいけど。まったく、そういうところは相変わらずねえ」

「…………はい。まだまだ、未熟です」

「未熟、ねえ。…………貴女はどう思うのかしら、ユリアーナさん?」

 急に名を呼ばれ、ユリアーナの体が跳ねた。せっかくの姉妹の再会を邪魔すまいと、修一らと共に階段の影に身を潜めていたのに、気づかれていたとは。

「え、ええと……ぜんぜん、未熟なんてこと、ないよ、ヨセフは」おずおずと身を乗り出しながらユリアーナが口を開く。「いつも、助けてくれるもん。宿題わかんないときとか。ヨセフも自分の勉強、たくさんしてるし。一緒にいて、その、すごく、楽しいし」

「修一さんは? ユリアーナさんのボーイフレンドとして、どう?」

 イェシカの声に、今度は修一の体が跳ねた。このひとは一体どこまで見抜いているんだろう―――などと考えながら、彼はユリアーナの隣に並んだ。

「僕は…………魔法なんてよく知らないし、妖精だって、ヨセフのことくらいしか知らないから、なんとも言えないけど……でも、なんていうか……すごく、立派なのはわかるよ。その―――すごく、優しくて、頼りになるっていうか。いつも、余裕があって、気を配ってくれるから」

「…………ですって、ヨセフ?」

「あ、う、ああ……」

 顔を真っ赤にしてふるふると身悶えする妹を、姉は意地悪そうな目で眺めた。

「も―――もうっ、姉さん、もうっ―――」

「あーはいはい、からかいすぎちゃったかしらね。ごめんごめん」言葉とは裏腹に、彼女はくすくすと笑っていた。「さ、せっかくなんだからみんな中に入って。さっきの三人が勢揃いしてるわよ」

 彼女が階段へ声を響かせると、アルベルトたちも気恥ずかしそうに姿を現した。

 イェシカはそれを確認すると、ぱちんと指を鳴らして部屋の扉を開いた。

 

 

 

「いらっしゃいませ。お話は伺っております。イェシカ様のご令妹様ですね。お姉さまにはたいへんにお世話になりました。隊長も……まあ、口には出しませんが、心より感謝しております」

 ヨセフィーナが部屋に入るなり、人狼(ケヴィン)が深々とお辞儀をした。

「え、あの、ええと……は、はい、姉が、お世話になって……」

「ケーヴィーンー。やりすぎ」

 イェシカにぺしぺしと頭を叩かれながらも、彼は一向に態度を変えようとしない。

「いえいえ、本当に、貴女が居なければどうなっていたことやら。であれば、ご家族であるヨセフィーナ様にも―――おや?」

 部屋に入ってきた面々に目をやったケヴィンが、そのなかのひとりに目を留めた。

「え」

 修一、であった。

 

「あ――――――っ。あの子だっ、ええと、好物くん(・・・・)っ」

 本棚の向こうからひょっこり顔を出し、ついでにダッシュで入り口へ駆けつけてきたのは、上着を脱いだ吸血鬼(イヴァンナ)だった。

「こ、好物くん……?」

「いやー、ホント助かったよー。お偉いさんったらこわーい質問ばっかなんだもん。このまま終わるのはヤだなーってヒヤヒヤしてたところに、キミのアレ(・・)でしょ。めっちゃくちゃ面白かったよっ」

 戸惑う修一に構わず、薄いブラウス一枚のイヴァンナはその手をぶんぶんと縦に振った。

「え、わ、あの、え………」

 色白、美人、吸血鬼、白い肌、巨乳、いいにおい、きれいなかお、きれいな瞳、巨乳、やわらかな手、やわらかな表情(かお)、やわらかそうなおっぱ―――――

「ゴルァッ」

「へぶっ」

 そこまで言葉が浮かんだ修一の脇腹に、ユリアーナ(ガールフレンド)の拳が突き刺さった。

「―――不可、抗、力…………」

 ふらふらとうずくまる修一と、きょとんとするイヴァンナ。そして、固く握った拳をふるふると震わせるユリアーナ。

「―――イヴァ」やれやれとイェシカが声をかける。「怒ってるデミエルフちゃんがヨセフの雇い主(マスター)、ユリアーナさん。で、今悶絶してるのがそのボーイフレンドの修一さん。今のは貴女が悪いわね……。修一さん、見るからに女性への耐性無さそうだもの」

「ボク? なんで?」

 手を握っただけだよ、と言うイヴァンナが、唐突に本棚の向こうへ引っ張られた。

「―――ああ、ありがと、ハインツさん。そのまま、もうちょっとイヴァをおさえといて」

「おう」

 棚の向こうから聞こえるイヴァンナのむー、むー、という声。それを無視して、ケヴィンがまた口を開いた。

「―――ええ、あのときの質問には大変救われました。お答えできません、の一点張りではなにも面白くありませんから」

「は、はあ、どうも……」

 空気が読めなかっただけです―――という一言を、修一はすんでのところで飲み込んだ。

 

 

「さて、私たちの紹介は……今更かしらね」

 部屋に入ってきた学生たち一同……修一、ユリアーナ、ヨセフィーナ、アルミリア、アルベルト、トレス……を眺めるイェシカ。

「こちらの紹介が必要でしょう、姉さん」

「それもそうね。じゃ、こっちにいらっしゃい」

 言って、彼女は本棚の向こうへふわふわと移動した。一同もその後を歩く。

「あっ、もうお話していいのっ?」

「まだよ、イヴァ。皆さんの紹介が終わってから。……ここまでお喋りの好きな吸血鬼は初めてだわ、まったく……」

「むふーん」

 部屋は応接室のようになっていた。大きな木の机と、それを挟むようにさらに大きなソファが二つ向かい合うように置かれ、その片方にイヴァンナとハインツが座っている。イヴァンナは先程とは違い上着を着ており、修一(とアルベルト)は少し安心した。

「改めまして。お初にお目にかかります、皆さま。イェシカの妹、ヨセフィーナ・ホールリンです。この度は師弟ともども、大変お世話になりました。心より、感謝致します」

 ヨセフィーナはソファの上にちょこんと降り立ち、丁寧に礼をした。

「では、私のお友達たちを簡単に紹介します。こちらが私の仮雇い主(マスター)、ユリアーナ・バッヘム。半耳長(デミエルフ)で、現在魔法学校卒業前の社会研修中です。そして彼女の横の純人さんが、研修先のご子息、橘修一さん。彼は……本当に、ただの純人ですが、非常に心の優しいかたです。日本人らしい―――と言えば伝わるでしょうか。

 それから、ここの一年生のアルミリア・ヘルメリウスとアルベルト・イェッセル。純エルフのアルミリアとユリアーナは昔から付き合いのある友人同士で、アルベルトは珍しい魔力持ちの純人です。そしてなにより、純人嫌いのアルミリアを陥落させたやり手(・・・)です」

 その瞬間、ヨセフィーナの頭上からアルミリアの鉄拳(てれかくし)が振り下ろされた。が、ヨセフィーナはそれをひらりと(かわ)して言葉を続ける。

「そして最後に、新入生のトレス。名前持ちのフェアリーです」

 ヨセフィーナの後ろで、どうも、と頭を下げるトレスを見、イェシカの目がきらりと光った。

「彼女に関しては、あとで姉さんと相談が。……よろしいですか、姉さん」

 

「不要よ」

 イェシカはきっぱりと言い捨て、トレスの前に立った。

「妹から話は聞いてる。歓迎するわ、トレス・メロウ。貴女が今日からホールリンの家に入ることを、三代目ホールリン当主として許可します。師は―――私もヨセフも、しばらくここには戻れないか。当面の間はケニー・ホールリンに任せます。彼女は実技の授業の講師をやっているはずだから、知っているわね。……これでいいかしら、ヨセフ」

「…………はいっ。姉さんは話が早くて助かります」

 こくりと頷くヨセフと、何が何やら、という表情を浮かべながらも、とりあえず喜んでみるトレス。そして、あんぐりと口を開ける魔法学校の面々。

「ふえー……急になにかと思ったら、妖精の弟子入りかあ。長生きはしてみるもんだねえ、ボク、初めて見たよう」

「そりゃそうだろうよ、普通人前じゃやらねえ」

「新たなホールリンの当主に、新たな家族ですか。いやはや、これは目出度(めでた)い」

 第五分隊の三人も、珍しそうに、嬉しそうにそのやりを見ていた。

「…………?」

 唯一。

 修一だけが、完全に置き去りだった。

 

 

 

 第五分隊の今日の予定は、先程の特別講義のみ。明日は各種メディアのインタビューや人狼部隊のICPO正式加入の会見など、予定がみっちりと詰まっているが、今日はもう、いわばオフである。

 というわけで、こうしてのんべんだらりと談話に暮れても、なんの問題もない。

 

 イヴァを巻き込んでまたババ抜きを始めるユリアーナたち。

「アルベルトくんはいつも笑ってるから、ジョーカー持ってたとしてもわかんないねー……」

 アルベルトの手札を睨みながらぼやくイヴァンナ。

「イヴァさんも似たようなものでしょう」

 彼女の言葉を聞いても、アルベルトは変わらずニコニコと笑う。もはや彼に限らず、イヴァンナが吸血鬼であることに対して誰も恐怖を感じていなかった。

 

 ケヴィンは修一のデミフェア「ジェシー」とゆっくり話し込んでいた。

「私の名付け親は、黒髪で赤い瞳をした人狼様でした。事件当日、イェシカ様と同じ部屋で過ごしていたようなのですが……」

「ははあ、なるほど。ええ、誰かはわかりました。おそらく、ジョゼフです。彼は……残念ですが、今ここには来られませんね」

「……そうですか。名付けの件、是非、直接お礼をしたいと思ったのですが」

「では、私の方からお伝えしておきましょう。彼の気まぐれでついた名を大事にしていただいているようで、私も嬉しいです」

「もちろん大切にいたしますとも」

 

 そして、こっそりと話を続ける妖精三人。

「そう言えば姉さん、修一さんのデミフェアに名を下さった、ダブリンのときの旦那様(マスター)は何処に?」

「ぶん殴るわよヨセフ。―――アイツはドイツで仕事中。それが終わっても次、次、次の次。仕事は山積みよ」

「はあ、随分とお忙しいのですね」

「そりゃそうよ。ニュースでも流れてる通り、犯人のうち、いちばんマズいのがひとり見つかってないんだもの」

「ああ……そうでしたね。見当もつかない―――ということですか」

「……………………いいえ。見当はついてる」

 イェシカは、自らが左腕に着けた小さな金の腕輪(バングル)を睨みながら、ぎり、と歯ぎしりした。

「底抜けのお人好し。前代未聞のロクデナシ。その上逃げ足の早いサル。だから、アイツをこきつかってるの。アイツ以外じゃ手に負えないわ」

「それで、鞭打ちながら働かせていると」

「ええ。すぐサボるんだもの、あのバカ」

「あらあら、まるでお嫁さんのような―――あ、すみません、すみません。調子に乗ったのは謝りますから、ここでそんな術は、あ、ほら、ダメです、お部屋、壊れます」

 

 ハインツは、アルミリアと向かい合ったまま、紅茶を嗜んでいた。

「……………………」

「……………………」

「……………………」もぐ。

「……………………」もぐ。

 なんとなくコイツとは意見が合う気がする―――互いにそう感じ、彼と彼女はひたすら無言でドライフルーツをつまんでいた。

 

 

 かくして、縁は結ばれた。

 

 

「あははー、シューくんよわすぎー」

「…………イヴァさん、やっぱ、いつも笑っててわっかんない……」

 

 

 出会うはずのない彼ら。

 

 

「そうですねえ、こちらのスーツには、やはりこの革靴が合うでしょう」

「なるほど、さすがはケヴィン様。シュウイチ様に負けず劣らぬセンスです」

 

 

 出会うべくして出会った彼ら。

 

 

「じゃー、ちょっとマーメイドやってみてよ、トレス。すっごいんだって?」

「こっ、ここで、ですか、イェシカさん……。さすがに恥ずかしいですよう……」

 

 

 万象に意味があるように―――

 

 

「……………………おいしい」

「……………………だろう」

 

 

 この出会いにも、意味はあるのだろう。

 

 

「ところでユリちゃんは、シューくんのどこが好きー? 顔、綺麗だよねえ、シューくん。体つきもいいしー」

「ぶ、ぶば、ばばば……」

「おや。ユリアーナさん倒れちゃったけど、大丈夫かい、シュウ」

「大丈夫じゃないかなー。…………げ、またババ……」

 

 

 数百年後の鬼札(ジョーカー)

 それは既に、彼女の手に渡っているのだから。

 

 

 

 

―― ―― ――

 

 

 

 知らず、涙がこぼれていた。

 知らず、座り込んでいた。

「……………………ネイジー?」

「…………あ、」

 デミフェアが、名を呼んだ。

 彼女は、我に返り涙を拭いた。

「ショックだったかい。……面白いと思ったのだけど、見せるべきじゃなかったかな」

「う、ううんっ、そんなことない。すごく、うれしかった。……父さん、いい人たちと合ってたんだ……」

 彼女の父、マックを逮捕したのがTVに映る彼ら第五分隊であるという情報は、既に彼女の耳にも入っていた。マックが捕まったとき、ひどく衰弱していたというので、ICPOによほどひどい目に遭わされたのかと思ったが……それをしたのは、きっと、ヒルダのほうなのだろう。

 あの会場には、彼女と同じゴブリンも居た。質問もしていた。それに対して、三人ともほかの種族となんら変わらぬ返答をしていた。

 特別蔑むこともなく、特別敬うこともなく。

「……そうか。なら、良かった」

 そう言って、デミフェアは姿を消した。

 

 

「――――――――――父、さん」

 知らず。

 彼女は、そう零していた。



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