【Girls-und-Panzer】 砲声のカデンツァ (三式伊吹)
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ep.1

 

 

 

 マイバッハHL230P30の振動が、私を揺らし続けている。エンジンの機嫌は良さそうだった。

 耳に入ってくるのは、静かな雑音。ヘッドフォン越しに入ってくる、ベンチレータとエンジンの音だけ…

 薄暗い車内も慣れた物で、別段苦にはならない。額を流れる汗を、ハンカチで拭う。

 鎖に繋いだ懐中時計を一瞥して、もうそろそろだと私は思った。

 不意に…遠くからくぐもった音が聞こえた気がする。間の抜けた花火みたいな音。

《隊長。試合開始の合図です》無線機から通信が入った。私は一人頷く。

「事前の取り決め通り、Aチームは右翼を。Bチームは左翼を進んでください。Cチームは中央を前進。

重戦車を中心に陣形はパンツァーカイルを維持しつつ索敵を行ってください。全車、パンツァーフォー」

 エンジンが唸りを上げて、クラッチが繋がれギアが咬み合う。鋼鉄の猛獣が動き出した。

 小さく、溜息を零す。始まった。私の評価を決める…小さな小さな裁判が。

 ペリスコープから見える外の風景を横目で眺めながら、何事も無ければ良いのに…と思った。

 

 

 

 ……この日、私は体の一部を失った……

 何度も思い出す、記憶の欠片。繰り返し見てしまう。悪夢と言うキネマ。

 身体の痛みは…消えてくれない。回り続ける車輪の様に、次がまた訪れる。

 溜息を零して、私はベッドから抜け出した。

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 

第一話:アイドリング…クラッチミート

 

 

 

 肌寒い空気に身を包んで、顔を洗う。水は冷たい。

 前日の内に仕込んでおいたサンドイッチを冷蔵庫から取り出す。しっかり落ち着いていた。

 電気ケトルからお湯を注いで紅茶を作り、お茶が出るまでの間に着替えを終える。

 ラジオのスイッチを入れて天気予報に耳を傾ける。今日は快晴らしい。風は少し強い。

 ラジオのニュースと音楽に耳を傾けて静かに食事を終える。

「ごちそうさま」ぽつりと呟くのは、気持ちの篭ってない言葉。

 身嗜みを整えて、鞄を背負うと私はドアを開ける。

 …必要な家具以外、殆ど何も無い部屋を振り返って、ぼんやりと見つめる。

 床の上にぽつんとある、菱形戦車のクッションに向けて一言。

「行ってきます…」

 心にも無い言葉を呟いた。

 潮風が頬を撫でていく。此処は学園艦。海を走る街。今日もカモメがキュウキュウと鳴いていた。

 ぼんやりと通学路を歩いていく。商店街の横を歩くと、食べ物の良い香りがした。

 一人、二人と、道を歩いていく生徒が増えていく。

 今日は…入学式。播磨女学園の入学式。

 新しいスタートであるけれども、少女の心は晴れずに居る。

 心中を渦巻く不安で、ただ押しつぶされそうなのだ。

 赤レンガで組まれたゴシック調を思わせる、雅な校舎が見えてきた。

 これから三年間を、あの校舎で過ごすのか…と少女はぼんやりと思った。

 

 

 

 …そうして、入学式の挨拶を終え、其々のクラスへと別れていく。

 がやがやと姦しい教室。女の子の他愛も無いお喋り。

 しかし、少女は静かだった。物憂げな表情でぼんやりとしていたからか。挨拶ぐらいなもので、声を掛けられる事は殆ど無い。やがて教師が現れて、各種の伝達事項や書類の配布を行った後、自己紹介と相成った。

 ぼんやりとしていた少女の番が回ってくるのもそう遠からざる物だった。

 後ろの席の少女に促され、少女は立ち上がり、小さく息を吸って、吐いた。

「この春から播磨にやってきました。神無月しおりと申します。宜しくお願いします」

 可もなく不可もなく…他愛も無い挨拶が出来たと、少女…神無月しおりは安心した。

 碌な挨拶も出来ないと、その後は悲惨である事を彼女は知っていたから。

「それじゃぁ、これにて本日のお題目は終り。クラブの勧誘とかあるから、自由に行動して頂戴」

 教師の言葉に、教室は再び賑やかな空気になった。しおりは元気だなぁ…と周りの少女を見て思う。

 

 

「神無月しおりさんだっけ?宜しくー」

「えっ…?」

 近くの少女から不意に声を掛けられ、神無月しおりは少し驚いた。

「ぼんやりしてるわね。低血圧とか?」

「あ、そう言う訳じゃ…ちょっと、賑やかな空気に慣れてなくて…宜しく」

 名前も知らない少女が差し出す手を握り返そうと、手を差し出した所で、目の前の少女は小さく眉を潜めた。

「…えっと、私、何か?」

 神無月しおりは小首を傾げた。何か変な事を言ってしまっただろうかと。しかし…

「あ、うぅん…なんでもないの。その、しおりさん…何だか手がぎこちないから…」

 その言葉を聞いて、神無月しおりはハッとした。

「……ごめんなさい。以前…ちょっと怪我をしてしまったから」

「あ、うぅん!いいのいいの。なんかごめんね!」

 そう言うと、名も無い少女は腫れ物を扱う様に彼女から離れていった。

 …静かに自分の手を見つめるしおり。ぼんやりと、小さな溜息を零した。

 やはり、自分は普通の少女に成れないのか…と。

「どしたのー?物憂げな顔してー。益々美人になっちゃうよ?」

「ふぁっ?」

 素っ頓狂な言葉に驚くしおり。あたふたと周りを見渡すと目の前に此方を見つめる少女が居た。

「ふふっ…慌てる顔も可愛いなー。神無月しおりさん、だっけ?名前も綺麗だねー」

「…えっと、あの…」

 

 

 息付く暇もなく、目の前の髪を三つ編みに結った少女は話し続けた。

「私、大島明海 って言うの。宜しく!神無月さん、美人だよねー。クールビューティーって言うの?」

「えと、その…」

「あ!もしかして私ばっかり喋って困ってる!?ごめんごめん。何だか神無月さんみたいな子って放って置けなくてさぁ。教室に入った時から気になってたんだぁ。何だかうちのクラスに物憂げな美女が居るぞーって」

「…はぁ…美女…?」

 明海と名乗る少女の言葉にしおりは困惑する。しおりには縁遠い言葉であったからだ。

 可愛いや、美しいと言う物は遠い世界の物だとばかり、ずっと感じていたのである。

「ともあれ、宜しくー。仲良くしよ?」

「…その、どうも…」

 おずおずと、おぼつかない利き腕を差し出すと、明美は力強く握手をした。

「緊張してる?震えちゃって可愛いねー」

「そ、そう言う…訳じゃ」

 ガンガンと押してくる明美の人柄にしおりはたじたじであった。しかし、彼女の笑顔は何故か、くすぐったい。しおりの背筋をぞわりとさせた。それは感じた事のない感覚であったけれど、不思議と悪い感じはしなかった。心地良いとさえ、しおりは思った。

 

 

「ねぇねぇ、神無月さんの事、名前で呼んでいーい? しおりって」

「ぇ…?」

「だから、名前で呼ぶの。私の事も、明海って呼んでいいから、ね? そうだなー…しおりんってどう? 可愛くない?」

「…なんだか、くすぐったい」

 照れ臭そうにしおりは笑った。女の子とは、こんなにも眩しい生き物なのかとも思った。

 苗字で呼ばれる事は何時もあったが、下の名前で呼ばれる事など、今までついぞ無かった。

「なんだかしおりん、遠い世界の人みたいだよー?大丈夫?」

「その…うん。私は…遠い世界の人みたいだから…ちょっとよく判らなくて、困ってるの」

 しおりは明美の言葉を聞いて、つい思った事を口にしてしまったが…

「ぶふっ…!何それぇ!しおりん本当に何処かのお姫様でもしてたんじゃないのー!?名前も何だか雅だしー」

「あはは…お姫様…かぁ」

「んふふー…その言葉から察するに当らずとも遠からずーって感じ?しおりんの秘密、いつか暴いちゃおうーっと。

ところでさぁ?今日暇?よかったら一緒に部活とか見ていかない?」

「え、っと…その…私でいいのなら…」

 唐突の申し出に驚きながらも、しおりは快諾する。すると明海はよっしゃぁ!と声を上げて立ち上がった。

「美人のお友達もゲットした所で、レッツゴーだよ!行こ?しおりん。青春は短いんだよぉ!」

「え、ぁっちょ、ちょっと待って…!」

 鞄を掴んで、明海はしおりの手を引き教室を後にした。

 そのパワフルな行動力にしおりはただ、圧倒されるだけである。

 

 

「大島さんって…パワフルだね」

「そう?昔からよく元気いいねーって言われるけど…て言うかしおりん。名前で呼んでよー?」

「あ…その、ごめん…なさい。人のことを名前で呼んだ事、無かったから…」

「違う違うー!責めてる訳じゃないから。元気出して!ね?」

 ぱしぱしと背中を優しく叩いて明美はしおりを鼓舞してみせた。それにしおりも小さく頷く。

「それじゃ…あの。明海さん…」

「うん!」

「部活…見ようか?」

「うんうん!見に行こう見に行こう!どんな部活あるのかなぁ?」

 その時、不意に校舎の窓硝子を揺らす振動と大きな音が響いた。すわ何事?とばかりに窓の向こうを見る明海と、聞き覚えのある音にしおりは身体がびくついた。独特の、ドロドロと言うくぐもった音。それはどうして、慣れた耳には聞き間違える事が出来ない音。

「わわっ…!?何の音!?」

「…V-2ディーゼルエンジンの音…T34…?」

「しおりん、知ってるの…?って、戦車が走ってる!あれ、戦車道の戦車かなぁ?」

 それは遠く、運動グラウンドの上を走るT-34初期型の姿があった。態々車体の後ろに大きな旗を立てて、仰々しく「来たれ戦車道」と書かれていた。宛ら昔の軍事パレードの様でもある。土埃を上げて走る姿を見てか、グラウンドの傍ではしゃぐ女生徒達の姿も見て取れた。

 

 

「…この学校にも、戦車道あるんだ…」

「にしても凄い迫力だねー。しおりん、戦車のこと知ってるの?」

 明海の何気ない言葉に、少し言葉を濁らせるのであった。

「…昔、少しね…」

「いいじゃん。戦車が好きでもー。私の友達にも戦車が好きな子一杯居たよー?」

「…戦車がすき、か…」

 ぽつりと呟く姿に、明海はしおりからあまり良くない空気を感じ取った。

「まぁまぁ、行こうよ!ほらほら!面白い部活でも探そう?」

「あっ…うん」

 促されるままに、しおりは明海と共に校舎を歩いた。時の流れは速い。

 激流を流れる川の水の様である。こと、それがしおりが望んでいた普通の生活。

 そして普通の女生徒らしい過ごし方であるのならば尚更の事であった。

 学校帰りに寄り道をする事も初体験であれば、友人を自宅に招くと言う行為も初体験。

 初めて尽くしの一日の中、不思議な充実感でしおりの心中は満ちていた。とても穏かで、そして楽しい…と。

 明海と携帯電話の番号を交換し合い、彼女は緩やかにその一日を終えた。

 ……終えた筈であった……

 

 

 

 

 耳を撫でる轟音。身体を揺さぶる車体の振動。金属と金属のぶつかり合う、甲高く耳障りな悲鳴。ペリスコープ越しに見える外の世界。囲まれる自分。此方を向く死神の黒点。そして鮮烈な光と轟音。滅多打ちにされる無茶苦茶な振動。そして次の瞬間…耐え切れずに絶叫する金属の音が響く。

 熱が襲い掛かる。痛みが溢れ出す。激痛が、湧き出る油田の様に身体の中から噴出してくる。見える視界の中、血塗れになる自分。無くなった身体。繋がっているべきソレが力なく転がっていて…

 

 

 しおりは声も無く悲鳴を上げた。右腕と右腋腹を押さえ、苦悶の声を漏らす。

 幻肢痛が彼女を苛む。痛みの余り、彼女は求めた。救いを…

 助けて、助けて…と弱々しく声を漏らす。涙で歪んだ世界の中、目に映った物は枕元に置いた携帯電話。夕暮れの中。 別れ時に言われた言葉を痛みで覚束無い頭が思い出す。

「しおりんはこっちに来て間もないから、困った事があったら私に言ってね。力になるよ!」

 出来たばかりの友人の、優しい言葉。しかし、願っても良い物なのか?こんな自分が助けを求めても、許されるのか?余りの激痛に嘔吐してしまいそうになりながら彼女は僅かに悩み、しかし…震える指でコールした。

 時は深夜の一時を過ぎている。こんな時間に電話を掛けるのは迷惑の極みである。そもそも、相手が電話に気が付くかも判らない。いや、気付かなくても良いとさえ、しおりは思った。他者に縋ると言う行為が心を楽にしたから。

 幾つかの呼び出し音の後、女神は確かにそこに居た。眠たげな声が、聞こえてくる。

≪ふぁーい…誰ですかぁ…?≫

「…ぁ…けみ、さ…ん…」

 痛みを押し殺して喉から声を絞り出す。思った様に喋れない。

≪…え?その声しおりん?しおりんなの?≫

「…いた…い…よ…たすけ…て……」

 僅かに二言。たった二言を呟いて、しおりは携帯電話を手から落した。スピーカーからは、明海の声が響く。

≪しおりん…!?しおりん!?大丈夫なの!?しおりん!返事して!≫

 友の声も意識の遠く。しおりはジクジクと痛む身体にほぼ意識を手放してしまいそうになっていた……

 

 

 ……それは、余りに突然の出来事。すやすやと安眠を貪っていた大島明海には正に寝耳に水の出来事。ベッドの直ぐ傍の机に置いていた携帯電話から着信音が響いた。夜更かしが好きな友人からの悪戯メールかと一瞬ばかりは考えたが、それは違う。電話の着信を知らせる音だったから。眠い目を擦って彼女は着信を受ける。

「ふぁーい…誰ですかぁ…?」

 携帯電話の画面に映っている名前も見ずに彼女は答えた。人の睡眠を邪魔して一体誰なんだかと。しかし、スピーカーから聞こえてきたそれは彼女の予想を遙かに外れた声だった。

≪…ぁ…けみ、さ…ん…≫

 苦しそうな息の中、震える声で聞こえたのは、今日出来たばかりの友達の声。物憂げな表情が酷く様になっていた、紅い瞳に黒い髪がとても似合う、美人の女の子。

 そんな少女の声が、酷く苦しげな声が聞こえてきて、大島明海の眠気は一気に吹き飛んだ。

「…え?その声しおりん?しおりんなの?」

 

 

 尋常ではない事を直ぐに理解し、聞き返す。一体何事があったのか。何故そんなに苦しげなのか。

 そして次の瞬間、背筋が凍りつく様な言葉を彼女は耳にした。

≪…いた…い…よ…たすけ…て……≫

 事切れるように、掠れた声で呟かれた声。救いを求める言葉。身体から血の気が引いてゆく。演技ではない。とてもではないが、演技で出せる声ではない。彼女の声は本当に、助けを求めていて…

「しおりん…!?しおりん!?大丈夫なの!?しおりん!返事して!」

 夜中であり、自らの家はアパートの一室である事を知っていながら、大島明海は声を上げた。返事は無く、僅かに息苦しげな呼吸音が聞こえるだけ。明海はベッドから飛び出した。ダッフルコートをパジャマの上から着込み、スニーカーを履いてアパートを出る。お気に入りのロードバイクに跨って、彼女はペダルを思い切り踏み込んだ。前輪が僅かに浮き上がる。

 全力疾走なら、友人の家まで5分と掛からない。かつてスポーツで鍛えた両足が唸りを上げる。

 季節と潮風が相成って酷く寒かったが、寒さに根を上げる程明美の身体は柔ではなく、ただ、友達が心配だった。

 彼女の住むこじんまりとしたアパートに辿り着くと、直ぐに管理者の部屋へと向かい、呼び鈴を鳴らした。

「すいません!すいません!起きてください!お願いです!」

 ややあって、扉が開けられ、30代程の女性が眠たそうな顔を見せる。

「一体なんなの?こんな夜中に…」

「友達が、ここのアパートに住んでる友達が酷く苦しそうな声を出してて!電話してくれて!」

 

 

 まだ通話の繋がっている携帯電話を見せて、彼女は僅かに聞こえる苦しそうな声を聞かせた。それを聞いた管理者は血相を変えて、合鍵を取り出すと明海と共にしおりの住む部屋へと走る。駆け上がる階段で足をもつれさせそうになりながら、ただ明海は心配で仕方が無かった。

「しおりん!大丈夫なの?今開けるよ!」

 もたつく手で管理者が鍵を開けて、二人は中へと入っていった。そこには…

 ベッドの上で震えて、苦しげに蹲る一人のちっぽけな少女の姿があった。

「しおりん!」

「神無月さん、大丈夫!?今すぐ病院を呼ぶわ!」

 意識の大半を遠退かせていたしおりが、僅かに目を開ける。

 痛みの余り、殆ど働かない頭が、目の前の友人を視界の中に認識した。

「…ぁ…け…み…さん…」

「大丈夫だから!確りして!何があったのしおりん!」

「…うれ……し…ぃ…」

 余りにも的外れな言葉を呟いて、大粒の涙を流しながら、神無月しおりは意識を手放す。

 しかし、その表情は幾らか落ち着いた表情のソレであった。

「しおりん!?確りして!救急車が来るから!しおりん!」

 哀れな少女が助けを求めた、その同時刻…事件はもう一つ…起きていた。

 

 

 

 電子音が携帯電話から発せられて、持ち主に着信を知らせる。

 毛布の中から音を奏でる携帯電話を探り取ろうと、手がシーツの上を蠢いて、掴んだ。

 緩慢な動作でボタンを押して着信を繋ぐ。持ち主は眠たそうに返事をした。

「はぁぃ…夜更けに何方さんでー…?……はぁ!?緊急事態やって!!それで、規模は!?」

 少女は素早く飛び起き、部屋に掛けてあった時計を見た。時刻は、1時30分に少し至らない程か。

「うん…うん……あい判った。悪いけど、他の幹部にも緊急招集をかけて。ごめんね。直ぐに出向くから」

 短い通話の後、彼女は携帯電話の通話を切ると、一人愚痴を零した。

「なんだって言うんよ!こんな時に!」

 それから、やや暫く後のこと…学園艦艦橋構造物の中、幹部会議室に人々が集っていた。集められたのは運営役員の人々、船舶科の管理長と生徒、船舶科機関部の長、工業科の重鎮の生徒達。その他何名か。

 沈痛な面持ちの面子が待つ部屋に、髪を結った少女が会議室の扉を開けて現れた。

 

 

「会長!」

「すまない遅くなった。状況は?」

「船舶科機関部の皆さんのお陰で大事には至りませんでしたが、最悪の事態です。メインリアクターのクアンタム・ハーモナイザーとフォトニック・レゾナンスチェンバーが不調を起こしています。本来此れらの部品は早々簡単に壊れない様に頑丈に出来ているのですが、何処かで無理が祟ったのか、パーツの異常消耗が見受けられて…つい先程、工業科の生徒の手も借りて応急処置は出来ましたが…」

「成る程…正直言って機械の事はさっぱり判らないけれども。それで、端的に言って何が起きる?何が問題だ?」

 会長、と呼ばれた少女は手書きで纏められた情報ノートやメモ書きを流し見ながら真っ直ぐ切り込んだ。

「…会長…我が学園艦の危機です。申し上げましょう。このまま放っておいたら、学園艦のリアクターは作動を停止。一年以内に学園艦は只の海に浮かぶ鋼鉄のたらいと化します。即急に、修理するか…もしくは…」

「だったら修理すればいい!船舶科管理長!君はこの1年間、嵐や異常気象を前にしても素晴らしい航海指揮を取ってきた!何故言葉を濁らせる」

「お言葉ですが!」

 船舶科管理長の少女は拳を握り締め、言葉を濁らせた。

「……メインリアクターのクアンタム・ハーモナイザーとフォトニック・レゾナンスチェンバーの修理には莫大な費用が掛かります。修理に要する期間だけで言えば、一月もあれば出来ますが…人で言えば心臓の移植手術に程近い行為です。ご理解頂けましたか?」

 重々しい言葉に、会議室の面々は言葉を詰らせ、会長と呼ばれた少女は顔を押さえ苦悩した。

 

 

「…それで、その修理に必要な費用ってどれくらい掛かる物なのよ。管理長ちゃん…」

「…余りに莫大。としか…」

 溜息が零れる。なんて酷い知らせであろうか。しかし…

「ともあれ、今はまだ、リアクターは動かせるんよね?」

「は…はい!だましだましの運転になりますが、サブリアクターもありますし」

「工業科と船舶科の機関部は協同してメンテと監視を行う。今は時間が必要だから…やれる事だけの事はやってみよう。それと生徒達に無用の混乱を避ける為にこの事に関しては緘口令を敷く。不安は生活を揺るがす大きな要素だから。あと、文科省には知られないように。出来るだけ隠密に動いて。学園艦運行委員会へは助力を仰ごう」

 指示を出し終えた後、少女はぽつりと零した。莫大な資金か…と。果たしてそれがどれ程の物なのか。想像も付かない。一体幾らの金額を用意すれば良いのか。試算の目処も彼女の頭の中では立ちやしない。心中にて大きく溜息を零す。

 不意に、少女の携帯電話に着信が掛かった。少女は他の面々に一言詫びて電話に出る。

「ああ、田宮。どうしたのこんな時間に」

≪会長…!会長!悪い知らせです…!≫

「もう既に悪い知らせなら受けてるんよー。それで?」

≪あの子が…あの子が!心臓麻痺で…!≫

 少女は嗚咽を漏らしながら、呟く。

≪……つい、先程…亡くなりました……≫

 その言葉に、少女は持っていた携帯電話を落してしまった。

 

 

 

 

 …翌日。播磨学園艦病院の一室で、神無月しおりは目を覚ました。

 何処となく見覚えのある天井。白くて、何も無い、天井の壁。

 彼女は既視感に苛まされた。前にも見た気がする天井だ、と…

「あ、しおりん起きた…!心配したんだよ」

「……明海…さん……」

「大丈夫?具合、悪い所無い?痛いって電話で言ってたけど…お医者様がCTスキャンとかレントゲンとか撮ってみて身体の中は一応問題ないみたいって言ってたけれど…何があったの?話せる?無理に話さなくて良いけれど」

 そうだ、起きたからお医者様呼ばないと…!と彼女はナースセンターへと歩いていった。

 暫くして、問診を受ける。血圧を測ったり、心音を聞かれたり。

 問題ないと言う事で、医者は去っていった。

「いやぁー良かった。取り敢えずは何も無いみたいで…吃驚したよ?電話のしおりん凄い苦しそうだったもん」

「…その、ごめんなさい…迷惑、だったよね…」

「うぅん!いいのいいの!それに、頼ってくれたんだって思えて、ちょっと嬉しかったし。しおりん、もしもアドレス教えなかったらあの後も一人で苦しんでたのかなーって病院に運んだ後に思って…初めて見た時もなんだか一人で抱え込んじゃいそうな子に思えたから」

 友人の言葉を聞きながら、しおりはそっと腕をさすった。

 その様子を明海は見逃さなかった。さする手使いが、重々しかったから。

「…右腕、どうかしたの?しおりん。そう言えば昨日の夜も何だか右腕を押さえてたけど…」

 心配そうに呟く友の言葉に、しおりは何度か深呼吸を繰り返した後、そっと切り出した。

 

 

 

「…明海、さん…聞いて貰ってもいいかな」

「うんうん!聞いてあげる!何があったの?しおりん」

 友人の瞳は真っ直ぐで。それは同時に恐ろしくもあったが、しおりはゆっくりと言葉を紡いだ。

 ベッドの横に腰掛ける明海はそっと背中をさすってくれる。手の温もりが暖かかった。

「……私、昔…戦車道をやってた」

「戦車道!とても信じられない。けども…戦車に乗ったしおりんかぁ…なんだか凛々しそう」

「…小学校の頃からずっと…それで…中学三年の夏の終わりに…事故に遭った…」

 しおりはゆっくりとパジャマのボタンを外していく。覚束無い手で。それでも、外し終えた。

 ゆっくりと右腕の袖を抜いて、彼女は友人に己の右腕を晒して見せる。

「これがその時の傷…戦車の部品が壊れて、私の腕は…吹き飛ばされたの。二の腕から先を…だから、この腕は生体義手。感覚も、熱いも冷たいも判るけど…偽物の腕。その時の怪我の痛みを思い出して、あんな事になってしまうの。幻肢痛が、私を苛むの…」

 目に見えて判る、腕の繋ぎ目。切られて、繋がれた断面から先の腕は、明らかに肌の色が白かった。その腕を見て、明海は口元を押さえる。嫌悪感や気分が悪くなったからではない。余りに悲惨であるからだ。

「…その事故があってから、腕を無くしてから…私は、戦車道を辞めて家を出たの。家に居るのが、辛かったから…」

 静かに右腕に袖を通して、しおりは小さく溜息をついた。酷く疲れた。些細な説明ではあったのに。

 

 

 

「…迷惑、だったね…ごめんなさい…でも…明海さんに助けてって言えた時、とても嬉しかった…

誰かに頼るなんて今まで出来なかったから」

「…っ…迷惑だなんて!」

 明海は咄嗟にしおりを抱きしめた。この少女は、なんていじらしいのだろうと。

「私、さっきも言ったけど、しおりんが頼ってくれて嬉しかったんだから…!

これからも、無理しないで、いいんだよ…?」

「…ぁ…ん…あり、がとう…」

「話し辛い事なのに、話してくれてありがとうね!私、しおりんが苦しかったら

何時でも何処でも駆けつけてあげるから!」

「…いいの?」

「友達が苦しんでるのに一人でお菓子食べたり笑ってたりなんて、してられないよ!」

 ふんすとばかりに鼻息を力強く出して、少女は決意を露にする。それは滑稽でもあったが、酷く心強かった。

 他者に頼ると言う事が、こんなにも心地よく暖かいとは思いもしなかった。

 もっと、心苦しいものだとばかりとしおりは思っていた。

 神無月しおりはその日の内に退院した。医者から、利くかどうか判らない痛み止めを貰って。

 躓いてしまった学園生活を、彼女は友人に支えられながら再開する事にした。

 

 

 

 春の麗らかな陽射しと、まだまだ寒い潮風が吹き付ける日々が流れた。しおりはどの部活に入るかを悩んでいた。色々と見て回ったし、気さくな先輩に話をして貰いもした。だが、其れでも彼女の心は決まらない。物足りなさと心の所在の無さを感じていた。有り体に言えば、どの部活も場違いに彼女には感じられていた。その事に対してしおりは独り儚んだ。普通の生活は出来ないのか、と…

 校舎の屋上で物思いに耽っていると、今日も遠くのグラウンドで走っているT-34初期型の姿が見えた。

 本音を言えば、然程興味はない。然し、暇であったから見てしまう。

 

 

 

「…動き、悪い…駆動系の調子が悪そう」

 T-34の走りを見て、しおりはポツリと呟いた。加速も、減速も、どうにもごたついていた。ギアの入りが悪そうだと彼女は見抜いた。

 学園に、鐘が鳴り響いた。下校を促す鐘の音だ。

 気がつけば辺りもトップリと夕暮れが更けていた。肌寒くさえある。

「下校の時間かぁ」

 不意に何処かからかそんな声が聞こえた。

 この屋上には自分以外に誰も居ない筈…とばかりに、しおりは辺りを見渡した。

「どうしたの、キョロキョロしてるお嬢さん」

声の主は、視線の上…屋上に通じる階段の屋根の上、貯水タンクのある小さなスペースに、女の子が立っていた。

「ぁ…こんにちわ」

「どーも、こんにちわ。まだまだ寒いねぇ…」

 梯子を伝って降りてくる少女はラフな雰囲気を纏っていた。背が高く、髪は短く、明るいグレー。

 少しヤンチャな気配がしたが、人が悪そうだとは思えなかった。

 そんな少女は目の前にしおりが居るのも厭わずに懐をまさぐると、紙巻き煙草とジッポライターを取り出して

 火を点けようとした。…が、彼女の掌に納まっているジッポライターの機嫌は悪い様で、火花は散れども

 一向に火が点かない。少女は舌打ちして機嫌の悪いジッポライターを懐に仕舞いこみ、

 啣えた紙巻き煙草をどうした物かと睨んだ。そして…

 

 

 

「詰まらない事を聞くけど、ライターとか持ってたりしないよね?」

 と少女ははにかみながらしおりに声を掛けた。彼女にとっては殆んど冗談のつもりだったのであろう。

 しかし、彼女の予想に反してしおりは目の前の少女を驚かせて見せた。ベルトに吊るしていたポーチを開けると、古風なトレンチライターを取りだしキャップを下し開けると手慣れた手付きでしおりは少女の目の前に火を点して見せた。 少女は予想もしなかったしおりの意外なアクションに一瞬ばかり呆気に取られたが、

 ヒュウ♪…と口を吹くと有り難く火を貰った。

 しおりと少女の間に、バニラの甘い香りが漂った。

 嘗て嗅いだ事のある煙草の煙は煙たい物だったか、これはそんなに酷くは無かった。

「火を有り難う、お嬢さん。見掛けに寄らないね。ライターの趣味も渋いし」

「…そうかしら?」

「うん。飾らない所も素敵だ。気に入ったよ君の事。また会おう」

 少女はそう言うと煙草を吹かし、喫煙に満足すると校舎の中へと消えていった。

 不思議な人だとしおりは思ったが、見掛けに寄らないと言われたからには、自分も相手から不思議な目で見られたのかもしれないとそう思った。

 トレンチライターを仕舞ったポーチを撫でて、不意に彼女は思い出す。

 その中に入れてあった、愛しい小さなモノを…

 

 

 

 

 双葉葵は大いに悩んでいた。突然の人員の喪失にどうしたものかと頭を悩ませる。彼女の求めている人材は稀有な能力を有している事を条件としている。残念な事に事前に行った調査の中では今年の新入生の生徒の中にはその条件を満たしている人材が一人も存在しなかったのだ。果たして彼女は今決断に迫られていた。抱えている問題を悩み続け、ずるずると先送りには出来ないのである。

 かと言って、既に己の配下に居る人材で賄う事も気が引けた。役職の重圧に耐えられるか?と言う疑問が耐えなかった。或いは、他の類似した能力を持ち合わせた生徒を見つけ出し、その人物に役職を与えるか。先日の葬式の中、棺桶の中で静かに眠り続ける友人の顔は悲しくなる位安らかであった事が彼女の脳裏を掠め続けた。

 と、曲り角を曲がろうとして不意に出てきた人影と双葉葵はぶつかってしまった。あたっ、と小さく声を零して葵はたたらを踏む。相手もバランスを崩したらしい。

 

 

 

「あーごめんごめん、考え事しとったから不注意しちゃってねー」

「いえ、大丈夫ですから…って、葵センパイ?」

 ぶつかった相手…大島明海は驚いた。嘗て同じ中等部の学園艦に在籍していた先輩が目の前にいたのだから。

「あー!明海ちゃんじゃーん。元気してたー?」

「はい!元気一杯ですよー。水泳はちょっと止めちゃいましたけどねー」

「そっかー。明海ちゃん元気良かったから大会でいい成績取れると思ってたんだけどねぇ」

「井の中の蛙、大海を知らずーって奴ですよー。まぁ大会に出たのが楽しかったから良かったんですけど。そう言えば葵センパイ、今は生徒会長やってるんでしたっけー。凄いですね?学校の王様ですよ王様!」

「いやぁーそうは言うねんけども、王様ってーのも大変なもんでねー」

 他愛も無い昔話を交わして、双葉葵は久方ぶりの心の平穏を味わっていた。

 嗚呼、彼女なら件の役職には適さないものの、きっと大いに支えてくれるサポーターとなるだろうと頭の隅で考えていた。大島明海はスポーツマンである。水泳を好み、嘗ては陸の地域大会に出た事もあった。

 残念ながら入賞ならずではあったが…

 

 

 

 

「所で、葵センパイ何か悩んでたみたいですけどもどうしたんです?私で良かったら話乗っちゃいますよ!ドーンって!」

 彼女、大島明海はそう言うとエヘンとばかりに胸を張った。

 その明るい性格が昔から先輩、後輩を問わずに人気だった。

「やーもー困ってるんよねー。今まで戦車道やっとった大事な人が戦車道出来なくなっちゃってさー…もうどうしたらええもんだろーって悩んで悩んで。昔戦車道やっとった人今年は新入生におらへんしー」

 やれやれ、参ったものだねと言葉を続けながら双葉葵は肩を竦めるリアクションをしてみせた。

 しかし目の前の大島明海は彼女の言葉にキョトンとする。『新入生の中に戦車道をしていた人が居ない』だと…?

「葵センパイ、そんなに戦車道してた人を探してるって事は、物凄く困ってます?」

「困ってる困ってる。オットー大先生、今すぐ女子高生になってウチの所に来てくださいー!って願いたいくらいよー」

「はぁ…うーん…その、何かの間違いじゃないんですか?一人も居ないーって。

ウチの学校、制服とか可愛くて色々人気だから毎年少なくない入学生居るし。戦車道してたって言う子も居たし…」

「居たの!?」

 

 

 

双葉葵は可愛い後輩の漏らした言葉に文字通り食いついた。彼女の両腕を掴んで必死になって顔を見つめる。

「ひゃひっ!?え、ぁ…そのー、昔やってたーって言ってる子で…でも、本人が今は戦車道は止めちゃったーって…」

「それで、誰!?教えてーな!お願い!」

 鬼気迫る物を感じさせる、藁にも縋るような真剣な言葉で双葉葵は切願した。中学時代、自分を可愛がってくれた先輩のその姿に大島明海は大いに悩んだが…彼女は折れた。

「その…神無月しおりって言う子で…」

「しおりちゃんやね!ありがとぉ!」

「あ、ちょっ!?葵センパイ!しおりん、今何処に居るかなんて判りませんよぉー!?」

 駆け出した葵に向かって明海は声を掛けるが、その言葉は耳に届いてや居なかった。彼女は一年生の校舎へと駆け出していた。可愛い後輩のクラスは把握していたからもしもまだ校内に残っている可能性があるとすればその周囲に居るかもしれない、と。走りながらに彼女は携帯電話を懐より取り出し、短縮アドレスを押した。

 

 

 

「長谷川!悪いけどとある生徒の事を調べてくれない?大至急!それと身なりとかも」

《会長、どうしたんです急に?勿論調べますけども》

「うちが今探してる人材なのかも知れないんだよ!名前はカンナヅキシオリ!学年は1年生!」

《人材…って事は戦車道の!?直ぐに調べます》

「サンキュー!愛してるよ長谷川ー!」

 頭頂部で結った二つの髪を靡かせながら曲り角を駆け抜け、部活動具を運んでいた生徒達の横をすり抜けていき、双葉は走った。嗚呼、窓の外から見える校舎は黄昏時の赤色に染まっている。一日でも一分でも早く、彼女と話がしたい。 タイムイズマネー。正に時は金なりであった。彼女にとっては一分一秒さえも惜しい状況である。

《会長、聞こえますか?情報が出ました。神無月しおり、普通科の一年生で16歳。今年外部からの入学。人相は黒い髪を伸ばして、ルビーの様に赤い瞳。まるでお姫様か良い所のお嬢様みたいな美少女ですね。小、中学校時代は甲斐女学園と言う所で9年間を過ごしていた模様ですが…彼女の経歴には戦車のセの字もありませんよ?》

「んな馬鹿な!?ウチ聞いたよ、戦車してたーって」

《はぁ…とりあえず、もう少し調べてみますけども、どうします?》

「おっねがーい!宜しくね!あと出来たら校内放送かけて!居たら生徒会室まで来て下さいって!」

《了解しました。ご健闘を》

「おおきに!」

 

 

 

 

 電話の通話を切ると同時に、一年生の校舎に辿り着き、教室を次々に見て回る。まだ残っている生徒達はそれなりに居たが、果たして黒髪の美少女の姿は無い。一つずつ虱潰しに探しているウチに下校の知らせの鐘の音が鳴り、校内放送も流された。果たしてこれは当てが外れてしまったか、と校舎の教室を見て回り終え、どうしたものかと双葉葵は途方にくれた。

 こうなったならば、生徒会室で件の美少女が来てくれる事を祈るか、可愛い後輩に所在を聞いてみるかと悩んでいた所に…

 

 不意に、旋律が聞こえてきた。緩く、少し調子の外れた音が、微かに耳に届いてきた。吹奏楽部の部室は今、彼女が居る校舎の中には無い。また、かと言って個人でバンドを組み、セッションをしている生徒の姿が無い事は、虱潰しに教室を見てきた彼女が一番知っている。

 だとすれば、誰かが演奏しているのだ。

 

 

 パンツァーリートを。戦車兵の歌を。

 

 

 流行の音楽は幾らでもある。それなのに、酔狂にもハーモニカで演奏している誰かが居る。双葉葵は再び駆け出した。メロディの元へと。階段に近付いて、僅かに音が強まった。耳を傾ければ、頭上から聞こえてくる。もしや、屋上かと思い彼女は階段を登った。一歩一歩、それは確かに近付いていく。微かに聞き取れた程度の音は、確かに聞き取れる程になる。

 期待と、違っていた時の落胆が胸の中で綯い交ぜになりながら彼女は屋上へと続く階段を登った。もう音ははっきりと聞こえてくる。何度も繰り返される、パンツァーリートのメロディ。覚束無い旋律は、何時しか足取りも強く、軽快に曲を刻んでゆく。

 屋上に通じる薄いドアを開けると、少女が黄昏の中に立っていた。

 黒瑪瑙の様に艶やかなロングの髪を、春先の寒い風に弄ばれながら、ハーモニカを独り吹いている。最後の旋律を吹き終えた所で、少女は静かに振り返った。ルビーの様に赤い瞳の、美少女だった。

 罰が悪そうに、ドアの向こうから現れた此方をそっと見つめていた。

「あの…ご迷惑でしたか?」

 静かな声がおずおずと語りかけてくる。清楚な声だと、葵は思った。

 成る程、確かにこれは良い所のお嬢様か何かだ、と。

「いやいや全然!可愛いパンツァーリートが聞こえてくるなぁーって思って足を運んだだけなんよー」

「…そうですか」

「所で美人のお嬢ちゃん、お名前はー?」

「…神無月、と申します」

「若しかして、神無月しおりちゃんだったりするー?人を探してるんよねー」

 勤めて、双葉葵は笑顔で接した。少しでも彼女に恐怖感を持たれない様に、出来るだけフレンドリーに行こうと。

「…えぇ、神無月しおりです…他に、同じ名前の人が居なければ…」

「そっかー!いやー良かったぁー。実を言うと折り入って相談があるんだよねーしおりちゃんに」

「私に…相談…?」

 彼女は手にしていた銀色のハーモニカをポーチに仕舞いこみながら、小首を傾げた。

 果たして入学したての自分に何の用であろう、と。

「…お願いします!戦車道してるって他の子から聞いたんよ!ウチの学校の、戦車道に入ってください!この通り!」

 葵は、形振り構わずに地面に膝を付くと、土下座をした。突然の出来事に、しおりは呆然とする。

「えーとなんだっけ。そう、昔やってて、今は戦車道やってないって聞いたんよね。

何で辞めてしもうたかなんて知らないけども今、ウチの学校は戦車道出来る人が欲しいんよ!この通り!ちょっとだけ話を聞いてくれるだけでも良いから!」

「あ、あの…えっと…か…顔を上げてください…困ります…私なんかに…土下座、なんて…」

 屋上に擦り付けていた額を上げて目の前の少女を見てみれば、本当に困っていた。いじらしさが可愛いとさえ思うほど。これはこのまま土下座で押し通すよりも、彼女に歩み寄る方がいいと考えた葵は、そっと立ち上がった。

 

 

 

 

「それでまぁ、イキナリばばーっと話しちゃったけれども、しおりちゃん、戦車道の経験ってある?」

「……えぇ、昔…少し」

 言葉の切れは悪く、表情も芳しくない物であったが、しおりは肯定して見せた。脈はあると葵は踏む。

「そうかぁー。あんね、今うちの学校どうしても戦車道やるんだけども、人員が抜けちゃったの。若しもしおりちゃんが良かったらうちの学校で戦車道して欲しいんだよねー。強制はしないけどもー…本当!お願い!しおりちゃんの要望とかには出来る限り応えるから!」

「……また、戦車道……」

 ぽつりと呟く少女の言葉は、酷く重々しかった。これは拙いか?と葵が内心焦った時、しおりが呟いた。

「……要望って…個人的な事でも…ですか?」

「…?。うんうん!ええよええよー個人的な事でだって!お姉さんに任しときー!」

「じゃぁ…」

 少女は思案し、そして自嘲する様な、悲しい笑顔で答えた。

 

―――私に、居場所をくれますか…?―――

 

「…?居場所、居場所ね!いいよいいよー!作ってあげる!もっと凄い望みだって聞いてあげるよー!試験の結果ちょろまかすとか!」

「…恨まないで…下さいね…私なんかが、戦車道に参加するの…」

「恨むなんて!感謝しきれないよ!誰かがしおりちゃんの事悪く言ったって、うちが絶対庇ってあげるから!」

「…庇って…ですか」

「うん!あ、携帯電話持ってる?連絡先交換しよ?これから色々やらなきゃいけない事あるからねー。あ、でも出来るだけしおりちゃんの負担にならない様にするから。居残りとかしたら晩御飯だって奢ってあげちゃう」

「…はぁ」

 まくし立てられるがままに、連絡先を交換し合い、しおりは何処か釈然とせず、葵はウキウキと喜んだ。

「やーごめんねぇ迷惑色々かけちゃってさー。あ、何だったら家まで送ってあげるよ!」

「…いえ、大丈夫です」

「本当?そうそう、戦車道の事だけども、多分明後日くらいから行動すると思うから、追って連絡するね!」

「わかりました…えっと…」

 しおりはそこで言葉が詰る。それを察してか、葵は名乗った。

「ああ!うちの名前は双葉葵!なんか色々前後逆になってしまってごめんねぇー、自己紹介を先にしないといけないのに」

「いえ、大丈夫ですから…その、双葉さん」

「そんな他人行儀でなくっていいってー。葵でいいよー。それじゃぁしおりちゃん、まったねぇー」

 

 

 

 

 機嫌良く、葵は夜の帳に包まれようとする屋上から立ち去ろうとした。

「あ、そーそ!パンツァーリート。可愛かったよ。ハーモニカって言うのも乙なもんだねぇ」

 思っても居なかった事を不意に褒められ、しおりはただキョトンとした。そして静かに、感謝の会釈をする。屋上と階段を繋ぐドアへと姿を消してから、双葉葵は大いに溜息を付いた。

「はぁー…びびったぁー。やーもーこれで断られでもしたらほんまどーしよーって感じ!でもセーフ!セーフはセーフ!」

 よっしゃ、とばかりに握り拳を握って、少女は己の奮闘を褒め称えた。その時、不意に携帯電話にコールが入った。

「はいはいー。双葉だけどもー」

《会長。長谷川です。少しですが情報が出ましたよ》

「お!本当に?コッチも無事に件の美少女と出会って、ゲットしてきたよー!いやー怖かったぁー」

《…と言う事は…新しい隊長がこれで決まったんですね!》

「おうさぁ!で、そっちの按配は?」

 階段をゆっくりと降りて行き、一路生徒会室へと足を運びながら葵は長谷川へと問うた。

《ええ、ザッと戦車道連盟や戦車道サイトのログを漁ってみた所、ヒットしましたよ、彼女の情報》

「経歴はどんな按配?有望そう?」

《それがですね。キャリアだけなら凄いみたいです。小学生から戦車道をしているっぽくて…》

「小学生から!?…んー…でも、しているっぽいって何さ、ぽいって」

《詳しい情報が出ないんですよ。ただ、色んな競技とか大会とかには出てたみたいですね。

非公式のにも名前がちょっとだけ。あと、ヒットしたと言えばなんですが…》

「もったいぶらない!もったいぶるのは日本人の悪いクセ!」

《すみません。その…偶然かどうか解らないんですけれども、会長は神無月流ってご存知ですか?》

「ぜーんぜん。有名所の西住や島田なら流石に知ってるけどー」

《家元程の影響力は無いらしいんですけども、戦車道の宗家の一つらしいんですよ。臭いませんか?昔から戦車道をやっておきながら、書類の経歴には一切戦車道を臭わせないなんて》

「確かに…なんか臭いなぁ…しおりちゃんには悪いけど、そっちの方洗ってみて貰っていい?」

《解りました。それでは》

 通話を終えた頃、窓の外はもう藍色に染まっていた。あの少女は帰路についただろうか?と葵は思う。

「…ミステリアスなお嬢様だねぇ…しおりちゃんは…BANG!」

 誰にでもなく、双葉葵は口角を僅かに釣り上げながら呟き、窓硝子に映る自分へと、指鉄砲を撃った。

 

 

 

 

 その日の夜、神無月しおりは大島明海から「変な人に戦車道の事聞かれなかった?」と言うメールを受け取り「明日話します」と彼女は友人に返信した。しかし、内心神無月しおりはまだ迷っていた。また、戦車道をする事を。逃げ出した戦車道をしてもいいのかと。自分は役に立つのだろうかと。何よりも…あの惨劇が繰り返されないかと、酷く不安で致し方が無かった。鮮明に脳裏に蘇る、一面の血の海。血糊で汚れた自分と、クルー達。凄惨な現実に顔面蒼白のクルーの顔。

 神無月しおりは、処方された睡眠薬を飲んで、眠りについた…。

 翌日。薄曇の空が浮かんでいた。酷く肌寒く、神無月しおりは着古したトレンチコートを着こんで学校へと登校した。 教室に辿り着けば、大島明海が彼女を待っていた。にこやかに待ってましたとばかりにしおりを出迎える。

「あのねしおりん。私しおりんに謝らなきゃいけない事があるの。ゴメン!戦車道してる人を探してるって言う話を聞いたものだから、何があったのかなって思ってその人と話したらしおりんの事話しちゃった!しおりん戦車道が嫌かもしれないのに!」

 彼女は手を合わせ、そして大きく頭を下げた。

 友人の突然の謝罪に戸惑うものの、しおりは顔を上げて、と優しく言った。

「そんな…明海さんが悪いわけじゃ…多分、戦車道が…向こうから、私に近付いてきたと思うから…」

「でもっ!しおりんしんどい目にあったんだよ!?その…あんな事があったのに…それでもし、またしおりんが戦車道をやる事になったらって思うと、もう私昨日心配で心配で、中々寝付けなかったんだぁ…こうなったのは自分の責任だけど」

「…ありがとう…私をそんなに思ってくれて」

 明海の心底心配するその言葉の気迫に、しおりは感謝を述べた。誰かからこんなに謝られたり、心配されたりと言う事は初体験だったが。

「それで、どうなの…?戦車道…しちゃうの…?」

「…うん…する事に、なって…でも、まだ悩んでる…私がまた、もう一度…戦車道なんかして…いいのか、って…」

「辛かったらしなくても良いんだよ?」

「…でも…頼って貰った、から…」

 しおりはそっと右腕の傷跡の辺りに手をかけた。役立たずの烙印を押された自分が、もう一度戦車道をしてもいいのか。こんな自分が、本当に役に立つのか。頼られる程の力を有しているのか。不安で仕方が無かった。

「……うーん……よし、決めた!私決めたから!」

 不意に、大島明海は小さく決意の言葉を口にした。彼女の突然の行動にしおりは訳がわからずにキョトンとする。

「私も戦車道やるから!一緒に戦車道をやって、しおりんの事支えてあげる!戦車の事なんて全然判らないけども、判らないなら1から勉強すればいい事だもんね!人間誰しも泳ぎ方を知らないけど、覚えるから泳げるのとおんなじ!」

「…!そんな…無理しなくていいのに…それに、戦車って結構しんどいし…怪我だってするかも…」

「うぅん。どんなにしおりんが駄目って言っても私はしおりんの横に立つよ。不安で潰されそうなしおりんを独りになんて出来ない。それに、前にも言ったけど、大事な友達が苦しんでるのに暢気にお菓子とか食べてられないよ!それに、えーっと…昔の偉い人も言ってたよ!苦しみは共に分かち合うことでその苦しみをちょっと良い思い出に変える事が出来るんだーとかどうとかって!」

「明海さん…ありがと…」

 

 

 

 

 友人の揺ぎ無い決心に、じんわりとしおりの目は潤んだ。皮肉にも、歯車は順調に回りだしたのである。かの人の予想に反して。

 そして、他愛も無い一日を過ごし、日が暮れて…曇り空の向こうで月が昇っては下り…翌朝となった。

 昨日とは打って変わって、晴れやかな、しかし何処か寒々とした空模様だった。

 前日の夜、しおりの携帯電話には召集が掛かった。見知らぬメールアドレスからのメールであったが、文面には生徒会より、とあった。そして今彼女は集合地へと足を運んでいた。肌寒い風を通さぬよう、着古したトレンチコートを着こんで。他にも集まった生徒達が、各々の防寒着を着込み、ああだこうだと会話に花を咲かせている。大島明海も勿論そこに居た。

「おや…素敵なライターの人じゃないかい?」

 言葉と一緒に、甘いバニラの香りが漂ってきた。聞き覚えのある声に、しおりは言葉のした方へと振り向いた。

「あ…屋上の」

 ぽつりと呟く。見覚えのある、背の高い、グレーの髪を短く切った少女だった。

「しおりん、その人知り合い?」

「うん。この前ちょっと」

 堂々と未成年でありながら、煙草を吸って此方に近付く素行不良の少女に大島明海は少々危機感を抱いた。

 無理もないだろう。

「やぁ。また会ったね。意外だったな。君が戦車道をするなんて。見掛けに寄らない尽くしだ」

「その…神無月しおりと言います」

「北村カレラ。宜しく。それと…」

 彼女は吸い終えた煙草を携帯灰皿に捨ててから近付いて…

「また、君からライターの火を貰ってもいいかい?お嬢さん。中々どうして、美味しかったんだ」

「え、あ…その…私で良ければ」

「んんー。美人から美味しい火を貰えるのは嬉しいね」

「ちょっとちょっと!何しおりんを口説いてるの!?」

「いや失礼。ちょっと親睦を深めようとしただけでね。別に彼女に悪い事を教えようなんてこれっぽっちも思ってないよ」

「ならいいけど…」

「そう言う育ちの良さが香ってくるお嬢さん、貴女の名前は?」

「…大島明海!しおりんの保護者です!」

 ふんす、と鼻息を鳴らしながら明海は堂々とそう答え、当のしおりはキョトンとし、カレラはあっはっはと笑った。

「保護者か!いや、失礼!中々ジャブの効いたジョークだったから、つい」

「しおりんに煙草とか教えたら、容赦しないよ!?」

「しないしない。私は自分が悪い事をしているって自覚しているからね。っと…お嬢さん方、時間みたいだ」

 

 

 

 カレラがそう言うと、校舎側から数人の生徒が歩いてきた。先頭には、髪を二つに結った少女。しおりには見覚えがあった。

「やぁやぁ皆の衆、無事に集まってくれてありがとうねぇー。おおきにおおきにー」

 双葉葵はにこやかに挨拶の言葉を投げかけ、クルクルと鍵束を指で回し、弄んだ。

「改めてぇ、生徒会長の双葉葵ってゆーんだ。ヨロシクー」

「会長、時間が勿体無いですので…」

 ボブカットの少女がおずおずと横から切り出し、双葉に声を掛けた。

「んー田宮の言う事も尤もだね。えーこれより戦車道を始めたいと思いまーす。事前に連絡した人は聞いてるけども

 授業の単位の事は安心していいからねー。たっぷり上げちゃうし成績はトップにねじ込んどくからー」

「あのー、どうして戦車道をするんです?全国高校戦車道大会の参加はもう締め切ってますし」

 長い三つ編みの少女が不思議そうに声をかけた。

 無理も無いだろう、としおりも思った。果たして、何が目的なのか…?

「まー簡単に言うと学園の名前を売りたいって事なんだよねー。それとウチって生徒自らが外貨を稼ぐのを良しとするし。去年はあんまり戦車道出来なくって稼げなくってねー。まぁ色々と積もる話はあるんだけどもー」

「あのー、使う戦車は何ですか?」

 ウェーブの掛かった少女が問う。双葉葵は「いい質問やねー」と返事を返した。

「では、これより諸君に使ってもらう栄えある戦車を紹介するよー!長谷川、扉開けちゃって」

「了解です」

 葵は弄んでいた鍵束を長谷川と呼んだサイドテールの少女に投げて渡した。

 倉庫の扉を硬く閉じていた錠前が外され、大きな両開きの扉が開かれると、中には…ガラクタと、戦車があった。

「うっわ…何このガラクタ…」

 あまりのガラクタの山に、大島明海は声を漏らしてしまう。しおりは淡々と戦車を見つめていた。

「やー、戦車道やるのは良いんだけども、壊しちゃうと直すの大変でねぇー。使わないけども捨てるのも勿体無いし

直すにはお金が掛かるしでここの倉庫に突っ込んでるってわけー。あ、戦車は安心してええよー。きっちり直してるから。それで田宮。戦車の名前なんて言ったっけ…資料読んだけど忘れちゃった」

「はい。えっと…」

「パンツァーカンプフワーゲン三/四号中戦車、巡航戦車クロムウェル、T-34初期型、ソミュアS35、それと…駆逐戦車T69E3…?」

 見かねたしおりが、倉庫に並んだ五台の戦車の名前を述べていく。長らく離れていた戦車であったが、

 しおりはすらすらと名前を挙げる事が出来た。

 果たしてそれを喜ぶべきか、嘆くべきかは、今の彼女には判らなかったが…

「おおっ、凄いねしおりちゃん。田宮、たしかそんな名前だったよね?」

「はいっ」

「まぁそんな訳で、三/四号と、クロムウェルと、T-34にソミュアと、T69を使ってもらうよー。

勿論、改良していくし、新しい戦車も買ったりするから色々と期待してくれていいからねー」

 生徒達は湧き上がったが、一人の少女がおずおずと手を上げた。

「あんの、会長?」

「ん。葵ちゃんでいいよー。えーと、久留間ちゃんだっけ」

「はい。久留間どす。そんの、うちの学校には戦車道の隊長はんが居てはったと聞いてたんどすけども」

「あー…彼女かぁ…彼女はちょっち一身上の都合って奴で戦車道出来なくなっちゃってねぇ…でも安心してええよ!」

 言うや否や、双葉葵はニコニコと笑いながら神無月しおりに近付き、彼女の腕を取って、掲げた。

「ここに居る神無月しおりちゃんが、隊長をやってくれまーす!」

「…………ふぇ?」

 あまりの出来事に、神無月しおりは思考回路が停止してしまった。

 私が、隊長を?役立たずの私が、彼女らを率いると?

「…あ…あう、あば、あのっ…!」

「ごめんねしおりちゃん。ものごっつ悪いって思うんだけど、頼れる相手が君しか居ないのよー。勘弁してー。その代わり生徒会とうちがばーっちりバックアップとフォローしてあげるから!無茶振り聞くから!ね?」

 拝み倒す勢いで、逃げ場を塞いでくる双葉葵に神無月しおりはやれやれと溜息をついた。そして…

「……双葉さん」

「葵でええよー。で?どしたの?」

「対戦相手の戦車は、もう決まっているんですか?」

 淡々と、しおりは問い掛けた。その声色は、おどおどとした気配が抜けていた。その変化に、双葉葵は何故か背筋がゾクリと震え上がったが、負けじと平常心を装った。

 

 

 

「もっちろん!相手はえーっと、モスカウ文化高校のT-34とKV-1、全部で5両!」

 副会長の田宮からのそっとした耳打ちを受けながら、彼女はそう宣言した。

「T-34…主砲は76ミリですか?85ミリですか?」

「確か小さい…うん。小さかった。小さいよ。小さい奴のT-34。うちと同じ」

「なら、勝ち目はあります」

 しおりの言葉に生徒達の言葉が湧いた。目の前の少女は勝機があると、そう言ったのだ。はっきりと。

「皆さん、聞いてください」

 しおりは少女達に聞こえる様に振り向き、そして話しかけた。

「私達は戦闘経験の薄い初心者です。よって、今すぐ練習を開始したいと思います。先ずは皆さん乗車訓練を。双葉さん。グラウンドの使用許可や、戦車が走行可能な地域は?それと、各種のビギナーズガイドも」

「勿論あけてあるよー。地図とガイドブックは戦車の中に置いてあるし」

「では皆さん、戦車に搭乗して下さい。先ずは1時間を目安に走り続けて。戦車に慣れる事が大事です。車内の物は必要がない限りは安易に触らないように。狭い為、身体をぶつけたりするので注意して。行動開始!」

「それじゃぁ、割り振りを読み上げますので聞いてくださいー」

 田宮と呼ばれたボブカットの少女が、生徒達に戦車の割り振りを発表していく。

 その傍らで、しおりはふぅ…と溜息をついた。そっと右腕の傷跡をさする。

「しおりーん…大丈夫?」

「ぁ…明海さん…」

「まるで人が変わったみたいにハキハキ喋るから、ちょっとびっくりしちゃったよー」

「…そう、かな…」

「いやぁ、しおりくん中々かっこよかったじゃん。指揮官って感じでさぁ!」

 北村カレラが感心した様にそう呟いた。指揮官、と言う言葉にしおりは「そんな柄じゃない」と小さく答える。

「おーい、しおりちゃんー?」

 双葉葵がしおりに声を掛けた。何事だろうと小首を傾げる。

「早速だけど、ちょっと相談に乗ってもらっていーい?」

 神無月しおりは、小さく唾を飲んだ。

 

 

 

「ぶっちゃけるとさー。ウチがやる戦車道は正規の戦車道じゃないんだよねー」

 倉庫の表側に置かれたテーブルと、組まれた椅子に腰掛けながら双葉葵は告白した。彼女、双葉葵の対面に座るしおりは三/四号中戦車に乗り込んでいった大島明海と北村カレラに「お話が終るまでグランドを戦車で走っていて。終ったら携帯電話で連絡するから」と告げて送り出した。

「非正規の戦車道…ですか」

「うん。かなり前にルール変わったっしょー?公式戦車道の。自走砲やオープントップの戦車でも、開口部を鉄板で閉じて特殊カーボンでコーティングしたら戦車道の試合に出す事を許可するーって。まぁぶっちゃけ、態々装甲の弱っちい自走砲を使うなんて事は正規の戦車道じゃぁあんまり使われないけども非正規の戦車道だと今バンバン使ってるんよねー。知ってる?」

「えぇ…ナスホルンやマルダーを使ってるのを何度も見た事があります。何よりも…私達のT69E3戦車です。

あれはほぼ密閉式の砲塔を持ってますけど、ちょっとだけ開口部があるのに…って不思議に思って」

「なら話は早いやー!ウチはね。ショーとしての戦車道をこれからやってくんだ。で、これからバンバン戦っていくの」

 不意に耳に嫌な金属音を撒き散らして、T-34初期型が停止した。

 恐らく、ギアの咬み合わせが悪くてエンストしたのだろう。

 

 

 

「大衆は常に娯楽に餓えててねぇ。ショーとして色合いの強い戦車道の人気が高くてねー。勝つとスポンサーとか付いてくれるし他にもたっぷりと賞金が手に入ったりするんだー!まぁ、惨めに負けちゃうとあんまり賞金貰えないけど」

「それで…双葉さんの目的は?」

 しおりは真っ直ぐに問い掛けた。大会の制覇が目的でないのは目に見えている。

 ならば、目の前の少女は何を欲しているのか、と。

「さっきも言ったよねー。名前を売りたいって。どーしても名前を売らなきゃいけない必要があるんだわさー」

 困ったもんだね。と付け足しながら、双葉葵はやれやれと肩を竦めながら答えて見せた。彼女の言動に、嘘は見受けられなかった。だが、真実は半分しか見えない…と神無月しおりは思った。

「…まぁ、何時か真実は教えてあげるよ。今はゴメンね」

 ハッとした。目の前の少女はまるで此方の心中を見抜いている様に思えたから。

「それはさておき、しおり隊長ー?うちらの戦車隊。どうやって育てよっか?うちってば素人でさー。去年なんてちょっとした理由があって、殆ど戦車道出来なかったし、してた人は卒業しちゃうしで1からのスタートなんだよねぇ」

「……そうですね」

暫し考え込んでから、神無月しおりは思い浮かんだ事を話していった。

「先ず、戦車の走る、撃つ、受ける、に慣れて貰います。兎に角一日中走って、沢山撃って、撃たれる訓練をします。戦車道は武道です。相手の攻撃は必ず此方に当ります。着弾の衝撃に慣れないと、気が参ってしまってすぐ脱落するでしょう。それと、彼女達に戦車道の試合の動画を沢山見させて上げて下さい。戦車の動くイメージをいち早く覚える為に。他には自宅に帰ってから…砲手やドライバー、車長の子達に戦車道連盟が配布している戦車道シミュレータでイメージトレーニングをするよう指示して下さい。私達には圧倒的に場数が足りませんので」

「いいよいいよー。って言うか、戦車道連盟そんなシミュレータ出してたの?」

「古い物ですが…ゲームが出回りだした時期に作られたって聞きました。私も何時間もシミュレートしました。ただ、シミュレートと実戦は違うと言って、シミュレータを嫌う学校などもあったみたいですが…」

「なーる程…」

「それともう一つ…戦車の改良を、お願いします」

「ほほぉ?」

 神無月しおりは、出された紙コップのお茶を一口飲んで喉を潤してから、話を続けた。

「非正規の戦車道なら、基本ルールは戦車道と同じですけれども、サスペンションやエンジンと言った箇所の改造はほぼ無制限な程許されています。私も非正規の戦車道は何度か戦った事がありますので…鑑みて、改良をしなくては現状の我がチームでは戦うのは困難かもしれません」

「理由は、聞かせて貰えるよね?」

「T-34初期型。あれは随分と使い込まれている印象に見受けますが、ギアボックスが明らかに不調を来しています。ギアの噛み合わせやクラッチの調子が悪いと思いますので…出来るのであれば作り直す勢いでお願いします。若しくは、T-34後期型の改良型のギアボックスを用意して乗せかえるか。他の戦車のギアボックスも見てあげて下さい。ハンドルレバーなんかも、ドライバーの子の手や体格に合わせた物に作り直して貰えると有り難いです。エンジンも、馬力のアップとパーツの耐久性を上げる改造をして貰えますか?今後の戦いに必要になりますので。取りあえず思いつく限りの所ではこんな所でしょうか…」

 説明を言い終えて、しおりはふぅ…と溜息を零す。疲れた。こんなに沢山話すのは初めてかもしれない。

「オーケーオーケー。んじゃま…長谷川ー?」

「はい」

 横に立っていた、サイドテールの少女に双葉葵は声をかけた。彼女は直ぐに電話を取り出すと、何処かに話しかける。

「総員傾注!生徒会長からの指示が出た。T-34初期型のギアボックスは丸ごと改良する。シルクの様に動くようにしろ。他の戦車のギアボックスも同じく改良しろとのお達しが出た。部品と在庫をかき集めて来い。倉庫に保管してある予備エンジンを引っ張り出して馬力のパワーアップとパーツ強度の強化を行え。制限は無しだ。思う存分いじくり回して来いとの許可が出た。判ったかこの機械オタクの工業科の生徒ども!よーく喰ってしっかり働け!」

《Yeah!!》

 電話越しに、離れた場所の熱気が篭った声が神無月しおりの耳にも聞こえた。

「…とまぁ、出来る事は学校全体でバックアップすっからー」

「感謝します…」

「んーじゃまー、隊長殿の指示通り、戦車に乗りますかねー」

「私も…体を慣らさないと…」

 震える右手を見つめながら、しおりは一人呟く。

「んー。右手がどったの?なんか震えてるけど」

「…ぁ…いえ…なんでも、ありませんから」

「そっかー。おーい田宮ー、長谷川に青島ー。戦車乗るぞー」

 しおりもまた、三/四号に乗っている大島明海へと、電話を掛ける事にした。

 

 

 

 

 一日掛りの、初めての訓練が終った。訓練内容は多岐に渡った。

 最初こそ走行訓練であったが、早速次には射撃訓練に移るよう、神無月しおりは指示を下した。また、グラウンドのみならず、学園艦の艦内緑化公園地域へと走り出す事もした。地形によって運転の難度が違う事をしおりはドライバーに教えたかったが為である。そして案の定、戦車がスタックした場合は何故こうなったのかを全員に講義した。履帯が千切れた戦車は彼女の指導の下、時間を掛けて修理する事にもなった。戦車道では履帯の修理の可否が時として戦況を左右する為、整備の人に任せ切りになってはいけないと助言した。

 昼食を取り、休憩を終えると再び戦車に搭乗し、訓練を続けた。空が夕暮れの赤に包まれる頃には、全員がヘトヘトだったであろう。双葉葵の「今日はお疲れさん。明日も宜しくねぇ?んじゃま解散」と言う言葉と共に、少女達は散っていった。そして彼女らは今、学内に敷設された浴場へと足を運んでいた。

「もー汗だくだよー。戦車って結構汗かくんだねぇ」

「夏場はもっとしんどくなるのか。ハッカオイルでも用意するかい?」

「あ、それいいかも!すーすーして気持ちいいし、速乾性の肌着も用意しよっか。ところで、えーっと…」

 大島明海は共に歩く、新顔の二人の顔を見て名前を必死に思い出そうとした。彼女は装填手の役目を与えられて居た為、車内ではドライバーと無線手の少女との会話が無かった。

「あたし、霧島蓉子。ドライバーよ。宜しく」

「自分は中嶋奏って言いますー。機械の事なら相談乗りますよぉ」

「そうそう。蓉子ちゃんと奏っちだった。ごめんね?中々名前覚えれてなくて」

「仕方ないんじゃないの。装填手はドライバーと離れているし」

「ともあれ、親睦を深めにお風呂行くんでしょ?どんなお風呂かなぁ」

「立派な風呂だよ。一度入ったことがある」

 北村カレラがぽそりと呟き、大島明海は驚いた。

「カレラさん、入った事あるの!?なんで?」

「私、こう見えて特待生だからね。射撃部に勧誘されたんだよ」

「あー…だから砲手…だから最初っから妙に上手い…」

 他愛も無いやりとりを交わして、四人は浴場に着いた。同じく、戦車道をしていた少女らの何人かも、浴場に入っているようであった。

 

 

 

 

「にしてもしおりん遅いなぁ。先行っててとは言われたけど」

「彼女は隊長役を任されたみたいだからね。生徒会も何かと気をかけてる」

「凄い的確だよねぇ。訓練の時の指示。ありゃ相当戦車道にドップリ浸かってたと見受けるよ」

 うんうんと独り頷きながら、中嶋奏は妙に納得していた。

「私も戦車道の番組結構見てたけど、実際にやってないと言えない事色々言ってたからねぇ」

「そう言う物なの?奏っち」

「履帯の修理が云々ーって話、テレビじゃ全然映んない場面だけども、雑誌か何かでそんな話が書いてあったし」

「そう言う物なんだねぇ…ってうわ、蓉子ちゃん何その素っ気ないスポーツブラ!?可愛げないよ?」

「あたしにはこれくらいで良い…おっぱいも小さいし」

「駄目だよー女の子なんだよー?可愛いを楽しまないと勿体無いよー」

「大島さんはおっぱいが大きいからそんな事が言えるんだ」

「ひっど!?おっぱいには大きい小さいの貴賎なんて無いんだよ!?等しくおっぱいなんだよ!?」

「そこ、力説する所かね?明海くん」

「とか言いながらカレラさん可愛い下着つけてるじゃんー。モデル体系とかズルくない?」

「私は人生を楽しむ口だからね。っと…?」

 脱衣所で和気藹々と騒いでいると、入ってくる人影が一つあった。神無月しおりである。周りの生徒はヘトヘトだと言うのに、彼女は然程疲れては居ないように見えた。昔取った杵柄と言う物なのであろうか。当の本人は「久しぶりで少し疲れちゃった」と漏らしては居たが、彼女と他の少女を比べると、雲泥の差ではあった。

「皆…お待たせかな」

「大丈夫だよしおりん。早く一緒にお風呂入ろう?」

「……ん。うん」

 促されて、神無月しおりは服を脱いでいく。…が、脱いだその姿は問題があった。

「ちょ、ちょちょちょ…!?しおりんどうしたのそれ!?」

「…うわぁ…」

「ナニソレ…」

「…痛そうだな」

 彼女の白い身体には無数の痣や傷跡が残っていた。目立つ物も、然程目立たない物も。足に至っては、黒いソックスで隠されていたからいい物の、火傷の跡らしきものさえも残っていた。

「しおりん、暴力受けてきたとか、虐待されてたとかじゃないよね!?って言うか、どうしたのそれ!?」

「…えっと…全部、戦車道で出来た傷…私、色々してたから…生傷が絶えなくって…

 火傷の跡は…ドライバーをやっていた時にギアボックスが壊れて、加熱したギアオイルが掛かっちゃって」

「それにしたって…酷すぎやしないかい?治療は?再生医療があった筈じゃないか」

 カレラの言葉にしおりは頷く物の、しかしその表情はパッとしなかった。

「…傷は、消えると忘れちゃうから…傷があった方が、戦車道は危ないって、覚えていられるから…」

「何か…抱えてるみたいね」

 ぽつりと呟く霧島蓉子の言葉に不意にハッとなった大島明海は我に返って、慌てた。

「取りあえず今はそれ所じゃないよ!しおりんのこの身体、今他の子に見られたら変な誤解を招くし!

奏っち!中の子がこっち見て無いか浴室覗いて!蓉子ちゃんとカレラさんは私と一緒にしおりんの壁になるよ!」

「はは…なるのは良いけども…お風呂には入る気あるんだ」

「当然!汗流さないと汗疹になるんだよ?えっと…数人で入れるジャグジーあるね!そっち行こうそっち!」

 

 

 

 

 脱衣所に掲げられている浴場の見取り図を見て、明海は即決した。しおりは迷惑をかけてしまったかな…と一人不安になる。幸いな事に、浴場の中に居た少女達はこちらには気にも留めず、お風呂を楽しんでいた。

 5人の少女達はそそくさと、丸いジャグジー風呂へと向かっていった。人目に付かずに湯船に入る事が出来てやれやれとばかりに、溜息を零す。お湯は丁度いい温度だった。

「にしてもしおりん…その、怪我の跡は治した方が良いんじゃない?他の子絶対ビビるよ?」

「…だけど…」

「だけどじゃなーい!って言うか、美少女のしおりんが台無しだよ!?服を脱いだら、怪我塗れって…夏場に泳ぐ事も出来ないじゃん!」

「私、あまり泳がないから…」

「これには明海くんの方が一理あるね。しおりくん、君の怪我の跡は正直、生活を困らせるレベルだと思うよ?」

「…うぅ」

「だがまぁ…戦車道が始まってしまった以上、病院で治療を受けている暇はない、か…」

「私、怪我の跡によく効く傷消しクリーム知ってますよ!

時間は掛かるけど、塗ってるだけで消えて大分判り辛くなるとか」

 中嶋奏の言葉に大島明海はそれだ!と指差してからしおりへと向き返り宣言する。

「しおりん!別に消さなくても良いけど、傷跡が目立たなくなるまで傷消しクリーム塗る事!絶対だよ?」

「…面倒くさいな」

「だーめ!女の子が女の子捨てるなんて勿体無いんだから!私、しおりんとサマーバケーションしたいんだよ?

夏になったらヒラヒラのスカート履いたり、可愛い水着着たり、水遊びしに行ったりとか!」

「…ひらひら…水遊び…」

 次々に飛び込んでくる、実感の無い、自分の体験した事の無い世界の話をされてしおりは呆然とした。

「それなのに、そんな傷跡残ってたんじゃ、お洒落の買い物だって出来ないじゃん!皆もそう思うよね?」

「まぁ、なんだね。健全で文化的かつ、青春を謳歌すると言うのであれば、明美くんの主張は正しい」

「あたしは興味は無いが…不和になるのは聊か宜しくないと思うよ」

「私も消した方が良いと思いますよ?人の口に戸は立てられない、って言いますし」

「それじゃ決定!あ、嫌がって塗らないと困るから、私が塗ってあげるからね!」

「…や…やだ…」

「だーめー!可愛いしおりんが痣塗れなんて、不憫で可哀想で耐え切れないー!」

 斯くして少女達の一日は暮れてゆくのであった…

 

 

 

 

 繰り返される、基礎訓練。神無月しおりは卓上演習も行った。彼女は言う。実際の戦車戦に明確な答えは存在しないと。戦況は常に変化し続ける。その中で其々が最良の働きをする事が、勝利へと繋がるのだと。また、乗員の意見を大事にする様にとしおりは言葉を添えた。ひらめきは何事にも変えがたいアイテムだと。故に彼女はそれぞれの車長のみならず、砲手や無線手にも卓上演習での答えを聞いた。どんな考え方でも良い。考えを生み出す事が大事なのだと。思考停止は敗北を意味すると彼女は冷酷にも言った。

 そして、模擬戦闘も行った。1対1の戦いと、2対2の戦い。最後に、無差別のデスマッチ。少女達は度重なる砲撃と被弾に疲弊したが、一日一日を乗り越えてゆく度に、少しずつ強くなった。その間にも、工業科の生徒の面々によって整備、改良、改造の行われたギアボックスとサスペンション、エンジンが用意された。あれ程普通の運転にも苦労していたT-34初期型が、滑る様に走る様になった。見違える程の走行性能だ。まだ大規模な改造が施されていない物の、エンジンは吸排気バルブをビッグサイズのチタン製バルブに交換。リン青銅製のバルブガイドは新しく打ち込みなおされ、吸排気ポートは滑らかにポリッシュされた。駆動系のパーツは綿密な擦り合わせと重量合わせが行われ、回転の吹け上がりは見事な物になった。

 今回の改造は、エンジン馬力のパワーアップと言う観点で言えば微々たる物ではあったものの各車両のドライバーと、そして神無月しおりに何よりも歓迎された。戦車が少しでも滑らかに動けると言う事は装甲が厚くなるか、主砲の貫通力が50mmは高くなったものだと、彼女はそう漏らしていた。

「やー流石に大規模な馬力のアップは間に合わなかったかぁ…」

 各車両が、乗せ変えたギアボックスとエンジンの調子を確かめるべく、グラウンドを走り回っている最中残念そうに双葉葵はそう漏らしたが、工業科の生徒は大丈夫ですと胸を張った。

「今、エンジンをベンチテストにかけて改良に問題が無いか調べてる所ですから、

次からはパワーアップかけれますよ」

「それ本当?」

「イチから部品を作る必要も幾らかありましたけれど、そこは人海戦術でどうにか」

「嬉しいねぇー。それとさ…今後多分戦車が増えたり変わったりもするんだけど、大丈夫?」

「お任せ下さい!工業科の皆と、学園艦の機械工場のおじさん達が面白いからって喜んで協力してくれるんで」

「頼もしいねー。青島?無線機」

「此処です。会長」

 青島、と言われた目元が髪で隠れた少女はそっと無線機を手渡した。

「総員、集合ー!大事なお話があるよー」

 全員が双葉葵の前に集合した時、彼女は意を決した様に話し始める。

「明日の週末、戦車道競技を行う。改めて言うけれど、相手はモスカウ文化高校のT-34とKV-1。胸を貸してもらうつもりで、とは良く言うけれど、そんな事は関係ない。皆、大暴れしておいで!今日はこれにて解散!休息もまた戦士には必要な行いである!存分に休んで、万全の状態で明日に挑んで頂戴。あ、其々の戦車の車長はちょっと居残ってねー?悪いんだけど大事な話があるから」

 

 

 

 

 

 双葉葵の言葉を受けて、しおりを合わせて四人の少女が生徒会室に通された。

「それで改めて我らが隊長殿?どーやって戦おうか」

 葵は温和な笑みを浮かべながら、しおりへと声をかけた。他の三人の少女も、彼女に注目する。

「敵はT-34とKV-1によって構成された部隊です。恐らくは、装甲の頑丈なKV-1がフラッグ車。T-34はその機動力を持って此方を翻弄してくるのでは無いかと思います。対してこちらは三/四号、クロムウェル、T69E3の三台が主な主力となります。残念ながらソミュアS35とT-34初期型は火力の点から見て不利を強いられる事でしょう。ソミュアとT-34は砲身や履帯などの弱点を狙う攻撃を心がけてください。高速徹甲弾を使えば、ソミュアとT-34でも、相手のT-34の後部装甲を貫く事は可能かもしれませんが、その場合は基本的にほぼ100m以内の極至近距離での戦闘になります。それからえっと…すみません、双葉さん。明日戦闘を行う会場のマップってありますか?」

「田宮ー。地図用意してる?」

 テーブルに戦闘可能な範囲を示した地図が広げられ、神無月しおりはそれをじっと見つめた。

「此処です。長い上り坂の上にある、開けた台地。ここの丘の上で私達は左右からアンブッシュを仕掛けます。敵よりも早く此処の陣地を取る事が出来れば、私達の勝機は見えてくる筈です」

「アンブッシュって…何どすえ?」

「待ち伏せ作戦を意味する言葉です。えっと…」

「ソミュアの車長の、久留間舞子言います。どうぞ宜しゅう、神無月はん」

「はい。久留間さんが疑問に思ったとおり、判らない言葉は聞いてください。戦車戦は専門用語が多く難解です。恥かしがらずに聞いて頂ければ、答えていきたいと思いますので」

「なんだったら、用語集として言葉を纏めて置けばいいんじゃないかしらぁ?」

 長い三つ編みの少女、五十鈴佳奈がそう呟いた。彼女の提案にしおりも成る程、と頷く。

「明日の戦いには間に合いませんけれど、次の戦いまでには準備しておくといいかもしれません」

「んじゃまーそれはコッチで作っておこうかな。最終チェックだけしおりちゃんに見てもらっていーい?」

「判りました。双葉さん」

「じゃー、待ち伏せ作戦って事で、明日は戦おうかぁー。皆、宜しくねんー」

 斯くして、車長会議は終了し少女達はそれぞれの帰路に付いた。しおりは校門まで歩いてくると、そこに見慣れた顔があることに気が付いた。三/四号のクルー達だった。

「やっほーしおりん。待ってたよー」

「明海さん…皆も…」

「折角だから皆でご飯を食べに行こうって話になってね。しおりくんを待ってたんだよ」

「ご飯…」

 ふと、時間が13時を過ぎていた事に気が付く。お昼をまだ食べて居なかったので確かにお腹が空いていた。

「じゃー食べにいこ!何食べにいこっか。ファミレス?」

「中華なんかも良いんじゃないか」

「あたしは何処でも…」

「スパゲッティ食べに行きません?新しいテナントが入ったらしいですよ」

「しおりん、どうするー?」

友人の提案に、暫し悩み抜いて神無月しおりは口を開いた。

「…パスタ。あんまり食べた事ないから」

「じゃぁ、スパゲッティ屋に決定ー!奏っち、道案内頼める?」

「了ー解!こっちですよー」

 昼間から出歩き、昼食を取りに行くと言うのはしおりには初めての経験だった。本来ならば今はまだ授業の時間であるが、不思議な事にちらほらと同年代の少女の姿を街中でも見た。

「うちの学校は学科によったら昼間に空き時間が生まれる事があるからね。それでじゃないかな」

しおりの疑問に北村カレラはそう答えて見せた。調理科や被服科の少女なんかは、買出しに出る事がままあるらしい。

「にしてもついに戦車道の競技かー…なんだかあっと言う間な一週間だったねー」

「そうだね。まさか一週間で競技に出る事になるなんて思いもしなかった」

「生徒会の考える事は割りと唐突だからな…」

「でもでも、楽しみじゃないですか?初めての事にワクワクしちゃいます」

「しおりんはどう思う?今度の戦車道」

「…さぁ…よく、判らない…」

 ぼんやりと、遠くに浮かんでいた雲を眺めて、しおりは呟いた。

「…ただ…頼られたから…頑張る…私なんかを…頼って貰えたから…」

 それは少女の小さな決意の言葉であった。過去から逃げてきた少女の、小さな決意であった。

 

 

 

 

 翌日。天気は快晴。風が吹いていた。寒さはある物の、陽射しが暖かい。

 戦車道観戦地では多くの出店が開かれ、宛らちょっとした祭りの如しであった。ご当地からの出店もあれば、我らが学園艦からも多くの出店があると、しおりは聞いた。度々何度も目にしてきた光景ではあったが、実際にそれに手を伸ばした事はなく、どんな物かも良く知らない。だが、競技の準備時間が選手の休憩時間として宛がわれる事となり、しおりは初めて出店と言う物に触れた。

 鉄板で丁寧に焼かれたたこ焼きがこんなにも美味しい物なのかと、少女は一人感心する。大島明海と北村カレラがしおりに付き添い、共に出店を回ってくれたお陰で分けあって食べる事も出来た。その間、霧島蓉子はと言うと、「あたしは初めての競技で緊張しているから、戦車のエンジンを見てくる」と言い、中嶋奏はそんな彼女に付き合う事にした。気分が落ち着くならば、それもいいのだろう。戦車の整備は学園の工業科がバックアップに就いてくれているので問題ないと、双葉葵は言っていたが。

 やがて時間が来た。各校の隊長が顔合わせをする時間である。神無月しおりは呼び出された。隊長として、こうした舞台に立つ事が本当に久しい。半年以上も前の事なのだから。そう…最後に戦った、あの日が…

「モスカウ文化高校のアレクサンドラ・楠よ。サーシャで良いわ。ハーフなの」

 背の高く、青い瞳にシルバーブロンドの少女が此方に微笑みながら握手を求めてきた。

 しおりはそれに静かに応じる。

「…播磨女学園の、神無月しおりです…今日は、宜しく…」

「宜しく。…ん?神無月…聞いた事あるわね。貴女、以前にも戦車道の経験は?」

「…えぇ、少し」

「確か…カイ、とか言う学校でやってなかったかしら。中学生の頃に」

「…えぇ」

「寡黙ね。そこもまた美しいけど。存分にやりあいましょう」

 言うや否や、彼女、サーシャはそっと神無月しおりの手にキスをした。

「ではまた、戦場で…Пока!(またね)」

 キスをされた手をそっと撫でながら、しおりはサーシャの背中を見送った。

「おーおー。やる気充分だねー」

 そのやり取りを見つめていた双葉葵はしおりに声をかける。

「モスカウ文化高校ってのは、気に入った相手をしとめる合図として手にキスをするんだってさー。

狙われちゃったねい?」

「…はぁ。そうなのですか…」

「ま、ともあれ行くよー?しおりちゃん」

「…はい。時間です。戦いの」

 

 

 

 

 しおりは待機場で駐機されている三/四号を見上げた。そして、そっとその装甲に触れる。

「…お願い…宜しく…私に、力を…」

 念じる様に、一言一言、彼女は小さく呟いた。

 三/四号に乗り込むと、私物のゴーグルを首にかけ、ヘッドフォンを装着し、咽喉マイクを取り付ける。

「こちら、フラッグ車の神無月しおりです。全車、準備は良いですか?」

《こちらT34の五十鈴、問題ないですー。狭いけど》

《クロムウェル車長、柿原、問題なしよ》

《ソミュアの久留間どすー。問題ありまへん》

《T69の双葉だけど、イケルよー》

 それぞれの戦車からの返事を受けて、神無月しおりは頷いた。

「全車、これより所定のポイントにまで移動します。三/四号が先頭に立ちますので、付いて来て下さい。

霧島さん、戦車発進。巡航速度でスタート地点にまで移動をお願いします」

「あいよ」

 クラッチが繋がれ、エンジンが吹かされる。マイバッハの振動が、背筋を撫でていく。キュラキュラと音を立てて、戦車が走り始めた。今はまだ、準備の様なもの。でもそれも何れ終る。ドライブにも等しいスタート地点までの移動の最中、神無月しおりはずっと地面の状況を見ていた。やや不正地ではある物の、地盤は堅くしっかりとしている。速度が出せそうだな…と独白した。

 やがて、事前に石灰によって白線が引かれていたポイントに到達すると、全車は改めて待機する。…この待ち時間が嫌いだと、しおりは何時も思った。まるで断頭台に上げられる前の時間のようで…と。鎖に繋がれた懐中時計を一瞥する。時間は、あと少し…あと少しで、また断罪が始まるのだ、と…

 そして…運命の時間が訪れた。競技開始を知らせる信号弾が打ち上げられ、炸裂する。

「全車、競技開始の時間です。予定通り、取り決めた上り坂の開けた箇所に陣取ります。ここから目的のポイントまでやや遠いので、速力は高めで行きましょう。パンツァーフォー!」

 

 

 

 

 

 彼女の号令によって、戦車が唸りを上げた。

 改めて、調子は上々。機嫌よく、エンジンもギアボックスも動いている。

「今日の作戦って、丘の上で左右から敵を挟むんだよねぇ。しおりん」

「ん…えぇ、左右からアンブッシュで。相打ちに成らない様に、ちょっと互いの位置をずらすけども。

挟撃の基本だから」

「じゃぁさぁ、サンドイッチ作戦だね!」

「サンドイッチ作戦…」

《ええねーサンドイッチ作戦。判りやすいじゃん》

《美味しい具を挟んで食べちゃおうって事ですかぁ》

《如何でもいいけど、サンドイッチの中身って結構落ちちゃうよねー》

 無線で交わされる少女達の会話に、小さな悪寒がしおりの背中を走った。もしもサンドイッチの中央を突破された場合はどうやって切り抜けようか。T-34は足が速いから、それが怖いなと。しかし、悩んでいてもしょうがない。現状に対処し続ける他、無いのだ。戦車道はプログラミングで定められたシミュレータとは違う。絶対の答えなんて、存在しない。土煙を上げて走り続ける戦車達。中央に三/四号中戦車を据えた、単横陣で進軍していた。目的の地点まで、残り2キロを切った時だった…遠くから、土煙が見えた。しおりはハッとする。

「まさか、もう丘を登ってきた!?」

 予想より速すぎる。全速力で相手のT-34は突っ込んできたと言う事か。しかしそうなると、敵のフラッグ車たるKV-1は置いてけぼりを食らってしまう事になる。それは拙い事ではないのか?考えている余裕もなく、相手のT-34は発砲してきた。F-34 76.2 mm砲が立て続けに吼える。

《神無月さん、撃ってきましたよ!?》

「落ち着いて!この距離で全速で走っていたら当りません!当っても撃破判定にはならないので安心して!」

「しおりん、危ないから中に入ろうよ!」

装填手としてすぐ近くに居た大島明海が心配そうに彼女に声を掛けるが、しおりは首を振った。

「ギリギリまで、外の状況を把握しないと」

「でも!もしもしおりんに当っちゃったらどうするの!?怪我所じゃ済まないんだよ!?」

「…じゃぁ、少しだけ…でも、視界は戦車にとっての第二の命だから」

 そう言うと彼女は頭をキューポラからギリギリだけ出して、状況を見続けた。そうこうしている間にT-34との彼我の距離は1キロを切っている。スピードがかなり速い。

 単横陣で突っ込んでくるT-34であったが、徐々に両翼に広がっていった。拙い、としおりは思った。

「全車、警戒して下さい!敵チームは包囲、かく乱を目的として突っ込んでくる可能性があります!

発砲を許可します!牽制射撃を撃って下さい。当らなくても構いません、脅せば良いんです!」

「どうするんだ、神無月。このままだとあの中に突っ込む事になるけど」

 砲弾の弾筋を見極めて右へ左へと高速を維持したまま走り続けていた霧島蓉子が問い掛けてきた。

《サンドイッチ作戦失敗だねーこりゃ》

 無線機から聞こえてくる双葉葵の言葉に内心小さな焦りを持ちながら、しおりが答えようとした瞬間。T-34とは明らかにシルエットの違う影が見えた。KV-1だ。気が付かない内に入り込まれた。でもどうやって?KV-1の移動力はその重量ゆえに愚鈍である。だが、T-34と対して僅かな遅れしかない。

 まさか。

 神無月しおりは思った。T-34・4両を用いて全速力でKV-1を牽引したのではないか?そして、やけに目立つT-34の土煙は、牽引したロープを外さずに引きずっているのではないか、と

「ねぇ隊長!あのカーベー拙いよ!」

 ペリスコープからじっと遠くを見つめていた中嶋奏が声を上げた。

「あれ、ただのKV-1じゃない!うちらと同じ、75mm戦車砲を積んだ、ドイツが鹵獲したKV-1の756(r)だ!ロシア系の学校の癖にドイツが鹵獲した奴使うなんて卑怯じゃんー!」

 言うや否や、KV-1の75mm Kw.K.40 L/48戦車砲が吼えた。鋭い弾筋がこちらへと送り込まれる。この侭では拙い。左右と正面から逆包囲網を敷かれてしまう。しからば、取るべき方法は一つ。

「全車!最大スピードで敵の包囲網を突破します!左右のT-34は無視して、目の前のKV-1に砲撃を集中!同時に発炎筒を展開!煙幕に隠れて逃げます!三/四号中戦車が前に立ちますので付いてきて!」

 指示が下され、スモークディスチャージャから煙幕が放たれる。濃厚な白煙に紛れながら播磨女学園の戦車隊は砲撃の中を突っ切ってゆき、KV-1と交差。そして下り坂を下っていった。

 

 

 

 

 

 

「やるじゃない。可愛いお嬢さん…良い目をしていただけはあるわね…ナイナ!

貴女のT-34で追撃を行って頂戴。私のKV-1は放って置いていいから。接触に気をつけて」

《了解です。コマンダ》

 白煙の中、少しでも自車の存在が判るよう、ライトを点灯したKV-1は静かに佇んだ。その左右を、接触を警戒して速度を落したT-34がV2ディーゼルエンジンの音を響かせて走っていく。咄嗟の判断ながら、見事なものだ。5台の戦車が一斉に発炎筒を炊けば視界は見事に奪われる。突破と同時に時間稼ぎもあの黒髪の少女はこなした訳だ。全く、美味しい限りではないか。快速で鳴らすT-34を更に改良し、荒地でもスピードが出せる様にした物でかく乱、各個撃破する予定であったが

「美味しいじゃないの。無名校の隊長には勿体無いぐらいね…アハハハハ!」

 少女は愉悦の余り、大きく笑った。次は、何を見せてくれると言うのか。

 

《ソミュアの久留間どすー。T-34が追ってきよりましたわぁ!》

 神無月しおりは後ろを見た。煙幕の切れ間から、T-34の姿が見える。

 こちらの煙幕が終るのも、時間の問題であった。どうする?どうすればこの状況下で勝利へと彼女らを導くことが出来る?僅かな逡巡の後、しおりは決意した。

「クロムウェルの柿原さん、聞こえますか!」

《柿原よ。どうしたの隊長》

「柿原さんは単機、この煙幕に乗じて私達の編隊から離れて身を潜めて下さい!後続の敵のT-34をやり過ごしたら敵のKV-1へと向かうように行動。恐らく、敵も追いかけてきますが、全力で逃げ切って下さい。クロムウェルの俊足ならそれが出来ます!T-34は無理に撃破しなくても構いません、KV-1へと向かうように相手に思わせるのが大事です!危険ではありますが、承諾して貰えますか?」

《はーい、柿原了解!これより離れるわよ!》

 言うや否や、煙幕に乗じて彼女は林の中へと一台早くもぐりこみ、深い藪の中へとクロムウェルを突っ込ませた。しおりも霧島に指示をだし、林のほうへと戦車を向かわせる。木々が少しでもT-34の邪魔になればと思ったからだ。果たしてこの作戦に上手い事敵が騙されてくれるか。しおりはキューポラから顔を僅かに出して後ろを警戒し続けた。

 そして…煙幕を突き破ったT-34は確かにこちらへと向かっていた。まるで獲物を追いかける猟犬の様に。

「各車聞いてください。恐らく敵はクロムウェルが離脱した事に気が付いて約半数が転進する筈です。クロムウェルの火力はKV-1を撃破出来るから。その隙に乗じて反撃に打って出ます!落ち着いて射撃して下さい。相手は木々を避けようとして動きが必ず鈍ります!」

 全力で逃げ続けていた最中、不意に相手の動きが悪くなった。掛かった…としおりは確信する。

「全車、回頭!反撃に出ます!」

 

 

 

 

 

≪ナイナ副隊長!クロムウェルが居ません!≫

 一番先頭を走っていたT-34から悲鳴めいた報告が飛び込んできた。拙い。クロムウェルの快速ならばKV-1の後ろに回りこんで撃破されるかもしれない。大人しい見た目に寄らず、敵の隊長はとんだ策士か、賭博師らしい。

「ジーナとエカテリーナはクロムウェルの追撃に向かいなさい。全力で追うのよ」

《Да!(了解!)》

「さて…こちらは…」

 ペリスコープから相手を探ると、左右に展開しながら此方へと砲を向けてきた。やりあう気らしい

「上等ね。気合もあるなんて…貴女、捨てたもんじゃないじゃないの!砲手、撃て!」

 F-34 76.2 mm砲が次々と砲弾を送り込んでくる。破壊力はやや低い物の、その装填速度は侮れない。こちらも応戦する。 形勢で言えば、やや有利に思えるかも知れないが、T-34の速力は大きな武器だ。侮れない。

《きゃぁ!?》

 不意に大きな音が響く。旋回中に林木にぶつかって足を止めたソミュアS35がT-34に撃たれた。見れば白旗も上がってしまっている。撃破されてしまったのだ。

「久留間さん、大丈夫ですか!?」

《久留間どすー。ちょっと身体ぶつけてしもたけど、大丈夫どすえ。皆さん、頑張ってくださいまし》

 しおりは内心ホッとした。しかし次にはキッと目の前を睨み付けた。敵は浮き足立つはず。

「全車、T-34の足を狙って下さい!足さえ潰してしまえば、T-34は怖くありません!北村さん、やれますか?」

「任された。6シュトリヒだから、500mか」

「じゃんじゃん撃っちゃってよ!装填なら頑張るから!」

 北村カレラは瞬く間に彼我の距離を計算して見せると、仰角を修正し、撃った。三/四号の75mm砲が吼える。初弾は外れた。次弾装填。大島明海は叩いた大口を証明して見せる様、重い砲弾をすぐにリロード。次弾、ファイア。緩い放物線を描いて、T-34に吸い込まれる。火花を散らして砲弾が履帯に吸い込まれ、パーツを撒き散らした。左足を奪われ、惨めにも右の横腹を晒したT-34をカレラは的確に射抜く。三発目。胴体にクリンヒット。T-34撃破。

《いやったぁ!T-34を倒した!》

 無線機に少女達の歓声が飛び込んでくる。何故だろう。しおりは高揚感を感じていた。

「次!残ったT-34を倒します!皆落ち着いて!」

 そして残されたT-34は堪った物ではないだろう。3対1の中で孤立してしまったのだから。動揺はその動きにも直ぐに現れ、不意に旋回した瞬間を狙い、播磨側のT-34初期型がドライブスプロケットを撃ち抜いた。直後にアクセルを強く踏み込んでしまったのだろう。無様にもぐるぐるとその場で回ってしまった所を生徒会の操るT69E3のM1・76.2mm戦車砲が撃ち抜いた。T-34、二両目を撃破。

「全車、クロムウェルの援護に向かいます。柿原さん!此方はT-34を撃破しました、状況を教えて下さい!」

《柿原よ。T-34と交戦中。って言うか囮を継続中。鬼ごっこの真っ最中よ》

 通信の最中、無線機越しにクロムウェルの75mm砲の音が聞こえて来た。遅れて、空気越しにも。

 

 

 

 

 

「霞ちゃん、どーよ?この子の主砲の具合は」

「悪くないネ。ビシッと飛んでく。ちょっとT-34が速すぎるけどッ」

「仕方ない。どっちも50km近くでぶっ飛ばしてるから。隊長が助けに来る。バリバリ逃げるよ!霰!もっと飛ばして!」

「ほいさっさ!」

 霰と呼ばれたドライバーは強くアクセルを踏み込み、此方へと飛んでくる砲弾をひらりひらりと交わしていく。このクロムウェルは良い。神無月しおりは決して装甲は分厚くないので気をつけて下さいと言っていたが背中で咆哮するV型12気筒ガソリンエンジンのロールスロイス・ミーティアの力強さと俊足と言ったら堪らない。工業科の面々によって改良が施されて、元より調子の悪くなかったエンジンが更に良くなったのだから。

 不意にT-34の動きが悪くなる。動揺したな、とキューポラ越しに柿崎セリカは見抜いた。

「霞ッ!動きの弱ったT-34を狙って!距離多分600!」

「言われなくても!」

「漣!高速徹甲弾装填!」

「あーい」

 40口径75mmQF砲が吼え、T34の横腹を掠め、弾いた。

 撃破には至らなかったが、衝撃で何かを壊したらしく足を止めた。

「回り込んで!止まった奴は無視!動いてる奴に牽制射撃!」

「ヨウソロ」

 大きな旋回半径を取り、決してスピードを落さずに走り続けながらクロムウェルとT-34は撃ちあい続けた。行進間射撃は互いに有効打を送り込む事が出来ず、泥沼の砲撃戦となったが、それでいい。柿原セリカはこの場を持たせる事が役割なのだ。例え負けようとも、勝利の足音はすぐ其処に近付いている。

《柿原さん、遅くなりました!》

 無線機に声が飛び込んでくると同時に、一発の砲弾がT-34へと飛んでいくのが見えた。旋回中の僅かな隙を突いた見事な狙撃であった。T-34の後面装甲を食い破り、エンジンを破壊。爆発させた。

「いよっしゃぁ!」

 クロムウェルの車内で勝利の叫びが上がった。自らの役目を全うした瞬間を確信したのだ。喜びが溢れて仕方がない。と、次の瞬間、クロムウェルに大きな衝撃が襲ってきた。余りの振動で車内をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回された様な錯覚に陥る。柿原セリカは頭を強かにキューポラにぶつけ、痛みに呻いた。不意に赤いランプが車内に点灯する。

それは撃破された事を知らせる判定ランプの光だった。ズキズキとした痛みに苛まされる。

「いったぁぁ…此方クロムウェル。撃破されました…うぐ…後宜しく…」

《大丈夫ですか!?あとは任せて、休んでいて下さい!》

「セリカちゃん!血が出てる!」

「マジで?すっごい痛いんだけど…」

「大丈夫!すぐ止血してあげるから!」

「ありがとー…霞」

 取り出された救急箱から止血用のパッチを頭の傷口に当てられながら、柿原セリカはしかし充実感に満ちていた。戦車道。楽しかったなと。こうして撃破されて怪我もしてしまったけれども、他では味わえないスリルが心地よかった。

 

 

 

 

 

 

「残るは、KV-1 756(r)だけ…」

 キューポラから僅かに頭を出しながら、神無月しおりは丘をずりずりと降りてくるKV-1を睨み付けた。クロムウェルを撃破したのはKV-1だった。丘の下でぐるぐると行進間射撃を続けていたその隙に下りてきたらしい。

「全車、気をつけて下さい。あのKV-1の主砲は三/四号と同じ物です。直撃を貰ったらお終いです!」

《で、最後のデカブツはどうやって食べちゃうさー?しおりちゃん》

 双葉葵の言葉にしおりは僅かに考え込み、そして即決した。

「五十鈴さん!全力で先行して、KV-1を翻弄しながら接近して下さい!砲弾には気をつけて!

三/四号は右から、T69は左に回りこんでください。KV-1を左右から挟み撃ちにします」

《怖いけど、判りましたぁ》

《はいはーい。やっちゃおう!》

「あと、少し…!」

 しおりは小さく、しかし力強く呟いた。

 

「隊長!T-34が突っ込んできます!」

「落ち着いて!あのT-34は初期型だからこちらを撃破するのは困難よ!」

 皮肉な物だと思う。T-34の快速を生かして襲撃した我々が、最後には相手のT-34によって逆襲を受けている。

「リローダー!弾種は榴弾!T-34のちょっと手前を狙って!」

 だが、最後まで足掻いてみせる。戦いは諦めた所で負けが決まるのだ。

 

「五十鈴さん、怖いよぉ!」

「落ち着いて!大丈夫だから!さっきの敵の動きを見てたでしょ?T-34はすばしっこいのよ!」

 五十鈴佳奈は必死にクルーを鼓舞したが、内心は自分も非常に怖くて怖くて仕方が無かった。キューポラから丘を下り続けているKV-1をじっとにらみつけると、砲身の黒点がこちらを向いた。

「危ない!大淀さん、避けて!」

 ドライバーへと命令を下した瞬間、KV-1が発砲した。目の前が爆発の煙で見えなくなり、ペリスコープに大量の砂や小石が降り注ぐ。次の瞬間、T-34の履帯が異音を発した。

「きゃぁっ!何なの!?」

 答えは先程の榴弾にあった。飛び散った破片がドライブスプロケットに入り込み、ロックしてしまったのだ。斯くしてこちらは上り坂、瞬く間にT-34初期型は失速しながら、横腹を晒してしまう。

 

 

 

 

 

「拙い…!」

 しおりが呟いた次の瞬間、KV-1は無慈悲にもT-34初期型へと砲弾を撃ち込んだ。白旗が上がる。

《あとはうちらだけだねー》

「もしもの場合は、双葉さん、撃破をお願いします」

《そう悲しい事言わないでよ隊長ー。来るよー》

 ウカウカはしてられない。しおりはキューポラの中へと頭を引っ込めた。

 KV-1はこちらへと砲身を向けてくる。フラッグ車を狙うのは当然か。

「霧島さん、合図と同時に左へ大きく旋回。KV-1の前を通ります!」

「上り坂で下手に旋回すると失速するけど?」

「構いません。KV-1の砲塔は旋回速度が遅いですから。北村さん!砲塔をあらかじめ右へ向けておいて下さい!」

「成る程、そう言う事」

 KV-1が此方へと向けた砲身の黒点がこちらを睨み付けて来た。ついにきた。

「左旋回!」

 叫び、霧島が左へと操縦レバーを操作した瞬間、KV-1は発砲。寸前の所で回避する。上り坂で旋回した三/四号は失速しながらも、KV-1の車体前面方向へと大きく移動。対するKV-1も、その遅い砲塔旋回速度を賄うべく車体を回しながら追従しようとした。

 途端、KV-1に砲撃が迫る。T69E3の放った76mm砲が履帯を直撃。急に右側の履帯が破壊され、駆動力を失い、履帯がロックしたも同然となり、KV-1は大きく右へと回頭してしまう。それは三/四号に付けられていた狙いを大きくずらし、皮肉にも射線上に居たT69E3へと合致。発砲。クリンヒットを貰ったT69E3、撃破。白旗判定を上げる事に成る。

「北村さん!」

 しおりが叫び、カレラは撃った。側面装甲を高速徹甲弾が直撃し、KV-1に黒煙が上がる。

 僅かな間の後、KV-1から白旗が上がった。

《播磨女学園の、勝利!》

 戦車道の進行委員会からの無線が入り、勝利を知らせる。彼女達は勝ったのだ。

「いやったぁぁ!!」

 無線機から、そして目の前の少女達が、歓声の声を上げる。神無月しおりはホッとした様に脱力し、椅子に座り込んだ。そんな彼女を大島明海は遠慮なく抱きしめた。突然の抱擁に驚き、彼女は呆然とする。

「やったよしおりん!私達、初めての競技で勝っちゃったよ!」

「ぁ…うん…勝ったね…」

「しおりん凄かったよ!ずっと冷静で的確な判断で!キリッとしてて物凄く美人で!でも、戦車から頭を出してたのは私良くないと思うなぁー。見てて危ないったらないんだもん」

「…んう。ごめんなさい」

「しかし、見事な物だったね。指示もおどおどしていなくて、頼もしさがあった」

 北村カレラも、しおりの采配を評価した。予想外の評価の高さに、しおりはむず痒さを感じる。嗚呼、こんなに褒めて貰ったのは生まれて初めてだ。戦車道をしていて、褒められただなんて。充実感が、満ちていった。心地よさで、身体が重くなる。何故だか疲れも、どっと出てきた。

「ヘーイ!隊長さんー!」

 不意に、戦車の外から呼ぶ声が聞こえた。何事だろうとしおりは立ち上がり、キューポラの外へと身体を出す。其処にはモスカウ文化高校の隊長。サーシャが満足げな表情で立っていた。こちらに来る様にジェスチャを見せる。しおりはいそいそと戦車を抜け出し、地面に降りると彼女の前に立った。果たして何用なのだろうか、と。

「見事な戦いだったわ。シオリチカ。無名の学校だからって甘く見てた私が悪かったわ」

「いえ…そちらも凄かったです。T-34の機動力で重たいKV-1を展開させるなんて。

こちらはずっと押されてましたから」

「ありがとう。こっちも色々と為に成ったわ。楽しい時間をどうもね。また戦車道、やりましょう?待ってるから」

 そう言うや否や、彼女はそっとしおりの頬へとキスをした。突然のキスにしおりはきょとんとしたものの…

「あー!!向こうの隊長さんがしおりんにキスしたー!駄目!駄目ったら駄目!

しおりんをたぶらかすなんて許しませんー!」

「うふふ。随分と慕われてるのね?シオリチカ。じゃぁね?До свидания(ダズビダーニャ・また会いましょう)」

 背中を向けて、自らを待つチームメイトの所へと去っていくサーシャの姿を見送りながら

 しおりはぼんやりとしていた。

「いやぁー!ハラハラしたねー。勝てて何よりだよ!」

「ぁ…双葉さん…」

「しおりちゃんお疲れー!いやーサンドイッチ作戦が失敗した時はどうなるかと思ったよー」

「私も、T-34のかく乱にはどうしたものかと心配になりましたが…」

「それでも勝った!掴んだ勝利は大きい!ありがとうねぇしおりちゃん。本当に助かったよ」

 そして双葉葵はそっとしおりをハグした。暖かいハグだった。じんわりと、心に温もりが伝わってくるようで。

「よーし!それじゃぁ撤収しよっか!帰ったら祝賀会やっちゃおー!ほら、しおりちゃんも!おー!」

「…ぉ…ぉー…?」

 手を掲げ、共に戦った仲間達に祝賀会を知らせる双葉葵に促されて、しおりもまた手を掲げた。

 少女達の第一歩が、踏み出された瞬間である。

 長く険しい道のりの、些細な…しかし、確実な一歩であった。

 その先に何があるかも判らない旅路の一歩を、彼女らは踏み出したのだ。

 春風が吹く。桜の花びらを乗せて。少女達の勝利を彩るように。

 

 

 

 

 

 

 

登場戦車一覧

・播磨所学園側

 

・T-34初期型

正しくはT-34・1941年型改である。1941年型の砲塔を改造し、43年型と同様にキューポラを追加した物。戦車道をするに辺り、車長が外の様子が伺えない事は不利かつ不便と判断されて改造される。この改造により、砲塔はピロシキ型ながらキューポラ付きと言うかなりチグハグな見かけとなってしまっている。尚、戦車道連盟からはソ連自らが1942年からのナット型砲塔にキューポラを追加した事を鑑みて許可が下りている。但し、戦車のオリジナリティを望む一部の戦車ファンからの評判は悪い。

 

・クロムウェル

A27Mの所謂マークIVである。主砲は75mm砲。

 

・ソミュアS35

ARL 2C砲塔に47mm SA 37砲を搭載した改良モデルである。

 

三/四号中戦車。

パンター似の避弾経始に優れる車体に四号中戦車の砲塔を乗せた物。

主砲は75mm KwK40 48口径である。

 

 

 

 

 

・モスカウ文化高校側

 

・T-34 1943年型

ナット砲塔にキューポラを追加した物。モスカウ文化高校はより快速を活かせる改良を施している。

 

・Pz.Kpfw.KW-1 756(r) mit 75mm KwK L/43

 またの名を、鹵獲型KV-1 75mm砲搭載タイプ

1942年型のKV-1をドイツ軍が鹵獲、魔改造した物。

T-34に高速で牽引してもらう為に、兎に角弱点のギアボックス周りと足回りを強化した。

 

 

 

 

 

 

 

登場架空戦車コラム

 

駆逐戦車・T69E3

スペック

全長6.05m

全幅3.01m

全高2.70m

重量29t846kg

武装M1・76.2mm戦車砲

装甲厚

ターレット

前面(防盾)114mm/30°

側面64mm/0°

後面50mm/70°

車体

前面89mm/67°

側面64mm/31°

後面50mm/30°

 

T69E3は激戦のヨーロッパ戦線にて強力な攻撃力と防御力を誇るドイツ戦車機甲師団に対するべく開発されたアメリカ陸軍の駆逐戦車シリーズの1つである。此れまでのアメリカ陸軍の戦闘経験により先ず強力な主砲を搭載する事を念頭に置き設計された。後々の発展性を考慮し、M3・90mm戦車砲の搭載を見込んで同時期に開発途中のM26パーシングシリーズと同様のターレットリングのサイズを採用。限定旋回式のターレットを用意しM4シャーマンシリーズの中で一定の功績を挙げたM1・76.2mm戦車砲を搭載する事に決定。砲弾の保管にはM4シャーマンでも採用された不凍液のグリセリン溶液を用いた湿式弾薬庫によって防御力を高めた。

足回りは当初はM3中戦車に連なるVVSSの使用を予定していたが重量を増加したM4シャーマンがHVSSを使用し、また良好な性能を見せた事により当車にもHVSSが採用される事になる。車体後部の誘導転輪周りの設計はM8自走砲の開発陣の参入により、M8自走砲に類似したデザインとなる。車体構造はM4シャーマンに類似している物の、全体的に装甲厚は1インチ程の増強を図っている。主に流線型の鋳造車体を電気溶接で接続、構成しており強度の確保と生産性の両立を図った物と思われる。また、車内空間をより大きく取るべく、後方から見ると砲塔に被さる様なボンネットを有している。

搭載エンジンは当時主流のフォード製V型8気筒ガソリンエンジンを主にしていたが、車体パーツの多くをM4シャーマンと共有している為M4シャーマンの例に漏れず、ゼネラルモータースGM6046複列12気筒エンジンやクライスラー A57・直列6気筒×5のマルチバンクエンジン、コンチネンタルR-975星型9気筒ガソリンエンジン等の搭載も可能である。走行性能や登坂性能はほぼM4シャーマンと同等と言っても良い他、操縦性も良好である。

完成した車両は少数が量産されるとヨーロッパ戦線に送られ、少なくない活躍を挙げたが既に英国陸軍のM4シャーマン・ファイアフライやM4シャーマン・ジャンボと言った車両の存在や限定旋回式砲塔による使い辛さ(それでも固定砲塔の物よりは扱いやすかったが…)を難点に挙げられまた、M4シャーマンの改良型を態々別の車両で新規に生産する意味があるのかと言うアメリカ陸軍内部の意向により当車両は研究開発と生産の終了を宣言され、歴史の闇へと消える事になるが、流線型でズングリとした愛くるしい見た目はアメリカ陸軍兵士の間で愛好された他、皮肉にもM4シャーマンの部品を多数流用した事により整備性の高さや冗長性を有した事でアメリカ陸軍上層部の予想を裏切り、戦場でしつこく生き残り続ける事となった。

(※当文章は非実在の車両T69E3を実在の戦車の様に扱った筆者の空想である)

 

 

 

 



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ep.2

・小さな思いは、やがて大きな意志へと変わる


 運命に翻弄されるかの様に始まった播磨女学園の非正規戦車道。神無月しおりは、久しぶりの競技の中で己の中に今までに無い感情を感じていた。高揚感。嘗て続けていた戦車道に無かった、暖かい物。その存在に戸惑いを隠せずに居た。どうにか纏め上げた戦車道処女達と共に、決して有利ではない状況の中彼女達は辛くも勝利を得た。泥臭い勝利…然し勝利である事には変わりない。盛り上がる祝賀会。多少の生傷を負った少女らも居たが…彼女らは皆、勝利の美酒に酔いしれていた。

 神無月しおりもまた、その一人であった。しかし…その甘美なる味に酩酊はしなかった。彼女の心中にはずっと、ずっと蟠りが残っていた。次はどんな相手が来るのだろうかと。どの様に彼女達を導けばいいのだろうかと。こんな自分ではあるが、人に頼られてしまった。助けてほしいと。そんな人の必死な思いを無下にする事は出来ない。夕日の中、此方を見つめてきた真剣な双眸。双葉葵の言葉が忘れられずに居る。しかしやがて、はしゃぎ疲れた彼女は他の少女達と同じく、幼気な寝顔を浮かべて眠りに落ちた…

 その姿を見つめる双葉葵の心中は、果たして如何なる物であっただろうか。

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 

第二話:スロットルオン…アクセラレーション

 

 

 

 

 

 

 

 

 モスカウ文化高校との戦車戦を終えて幾日かが経った。学園艦に植えられた桜は葉桜となり、若芽を生い茂らせる。競技で壊れた戦車達は工業科の生徒達と、修理工場の人々が協力し合い無事に修理された。数日振りの戦車に、まだ戦車道を始めて一月も経っていないのにも関わらず、少女達は再会の感動を覚えた。

「始めは凄くしんどかったですけれど、何だか愛着が湧いちゃったんですよね。それに、私達の手で勝利を掴んだって言うのが大きいじゃないですか」

 五十鈴佳奈はそう言いながら、修理から帰ってきたT-34初期型の砲身を、装填手の阿賀野美希と一緒にクリーニングしていた。確かに、彼女の言う事は尤もである。共に過ごし、共に戦い、共に勝利を掴んだ。それは、人間と戦車と言う、有機物と無機物を繋ぐ絆に成り得る。神無月しおりは独り思った。よい事だと。戦車との信頼関係が無ければ、この先の戦いを、戦い抜く事は出来ないと…経験で知っていたから。

「いやー快調快調。修理工場の人達とウチの工業科の皆は良い腕してるねぇ。にしても練習で何度も砲弾は受け止めたけどもさー。KV-1の砲撃を至近距離でどてっぱらに食らった時は死んだかと思ったよー。怖かったねぇ本当。しおりちゃんの訓練のお陰で失禁せずに済んだよー冗談抜きで」

 

 

 

 双葉葵もまた、試運転と試射を終えたT69E3から抜け出し、修理に携わった人達の手腕を褒め称え、冗談を交える。その話に生徒達は「やだもう会長ったら。お下品ですよぅ」と苦笑を零しながら彼女を窘めた。

「はーい、それじゃぁ場が沸いた所で重大発表がありまーす。ちょっと皆、生徒会室まで来てくれるー?」

 はて、何の事だろうか?唐突な発言に少女達は小首を傾げた。一体どの様な重大発表があるのだろう。

「それは生徒会室に来てからのお楽しみなんだよねー。まぁまぁ、お茶出すから付いてきてよ」

 

 

 斯くして数十名の少女達はゾロゾロと生徒会室へと足を運ぶ事になった。場所は播磨女学園の校舎の下…居住区甲板の下、原型艦では艦首艦橋構造物と呼ばれていた物の中にある。窓の向こうは見晴らしのよいオーシャンビューであり、各種委員会の部屋や、講堂も設置されていた。

 生徒会室に集った少女達は銘々が椅子に座り、配られたお茶を飲んだり、持ち込んだお菓子を食べたりした。そして改めて生徒会副会長の田宮恵理子が説明の為に席を立つと、少女達を見渡した。

「それでは皆さんに発表があります。なんと、前回のモスカウ文化高校との試合で私達の戦車道にスポンサーが付きました!それも三社もです!」

 少女達はざわめき、そして喜んだ。

「はいはーい。静かに静かにー」

「スポンサーとなったのは模型屋の大帝国技研さん。滅多に見られないマニアックな三/四号とT69E3の活躍に惚れ惚れとしたそうです。戦車道の試合を撮影するフィルム会社からはブリッツワークスさん。殆ど無名の高校で、全員が初心者でありながら、ハートを熱くさせてくれる戦いに心惹かれたとの事です。そして最後に戦車のアフターパーツ会社よりトリットン・ウィルソン・パンツァー社さん。なんと本日、社員の方がお見えになっています!」

 

 

 

 田宮恵理子の説明に少女達はさらにざわめいた。当然であろう。スポンサーとなった会社の人が、自分達に会いに来たと言うのだから。双葉葵はそっとその場を静めて、咳払いをする。

「では、改めてお会いしよう!トリットン・ウィルソン・パンツァーの、早乙女光さんだー!拍手拍手ー」

 双葉葵の言葉と、そして少女達の拍手と共に生徒会室の扉から一人の女性が現れた。キャリアウーマンと言った風体で清潔に切りそろえられたボブカットの黒髪が良く似合っている。まるでモデルの様な肉付きの良い体系だった。神無月しおりは優しそうな笑顔の人だな…とぼんやりと思った。

「皆さん、ご紹介に預かりました、トリットン・ウィルソン・パンツァー社の早乙女光と申します。この度は皆さんの戦車道の活動を支援したく、お邪魔させて頂きました。そして皆さんに、ご提案があるのです」

「早乙女さんはねー、うちらと独占契約を結びませんかー?って話しかけてきてね。壊れたり消耗した戦車のパーツを早乙女さんの会社で買う代わりに、なんと!出来るだけ安く、役に立ちそうな戦車を買い付けてきてくれるそうだ!」

「勿論、どうしても我が社で用意出来ない部品は他の会社さん等で買って頂いて構いませんので、如何でしょう?」

「美味しい話だけども、うち独りで勝手に決めるのは気が引けたからねー。皆にこうして聞いて貰ったって訳。それでどうかなー。淑女諸君。この話に乗るかい?それともゴメンなさいしちゃうー?」

『異議なーし!』

 

 

 

 少女達は口々にそう答え、神無月しおりもまた静かに頷いた。

「じゃぁ決まり!早乙女さん。契約書類頂戴ー?ハンコ押すから」

「はい、此方になりますー」

 双葉葵は差し出された書類を、改めて、そんな事は無いであろうが、自分達が不利になる様な悪質で迷惑甚だしい契約が書かれていないかを確りと確認した後、播磨女学園生徒会会長の判子を押した。その様子を生徒会会計の、青島寧々が撮影していた。後にとある少女が聞いた所、学内新聞に使うのだと、目元を髪で隠した彼女はそう言った。

「にしても、早乙女さんって出来るキャリアウーマンって感じでカッコイイですねぇ!とっても美人だしー。やっぱり早乙女さんも昔は戦車道をやってたんですかー?」

 大島明海がニコニコと笑顔を浮かべながらそう言うと、早乙女光は少し困った様な表情を浮かべた。

「その…お言葉はありがたいのだけども…実は私、女性じゃなくて男性なの」

衝撃の発言に少女達は驚きの声を上げた。信じられない。声も高く、綺麗な彼女が男性には思えなかったから。

「私の家系は、言わばオペラで言うカストラートをして戦車道でする所だったんです。昔から男の癖にやけに女っぽい家系だと言われて、だから開き直って去勢して…勿論私も、去勢しています。そして戦車道を始めたって聞いたの。有名では無いけれども、それなりに門下生の方は居るのよ。

……やっぱり、可笑しいかしら。男で戦車が好きだなんて……」

 

 

 

 早乙女はそう呟くと、じんわりと目元に涙を浮かべた。部屋が静まり返る。皆が、どうしたものかと悩んでいる時、椅子を立ち上がる音が聞こえた。

「何故、そう思うの?」

 神無月しおりだった。彼女の言葉に早乙女光は顔を上げる。

「好きな物を、他人に悪く言われる権利なんて…無い…好きなら…胸を張って、好きって言ったら良い…男だからとか…女だからとか…そんなつまらない事で…虐げられる必要なんて、ない…」

「貴女…確か」

「……神無月しおりです…女形戦車道の早乙女流のお話…以前にも、聞いた事があります…それに…私には…貴女が女性にしか見えないし…女性としか思えない…だから…好きな戦車を、嫌いにならないで…」

「…はいっ…!」

 神無月しおりの言葉に、喜びの涙をほろほろと流しながらも、早乙女光はまるで救われたかの様に笑顔を浮かべ、隊長の励ましの言葉に周りの少女達は小さく拍手を贈った。早乙女光は目尻に溜まった涙を拭い捨て、よし、と気持ちを入れ替える。

「それでは皆さん、どんな戦車が欲しいですか?」

「ティーガー!」

「速くて強くておっきいの!」

「可愛いのがいいなぁー」

「やっぱり数揃えなきゃ。シャーマンだよシャーマン!シャーマンのファイアフライとか!」

「戦車のパワーアップも欲しいどすねぇ」

 

 

 

 喧々囂々と少女達は己の意見を叫ぶ。そんな彼女らを双葉葵はまぁまぁ、と宥めすかした。

「此処は皆を代表して、しおりちゃんに意見を述べて貰おう。うちらの隊長さんなんだし、私達の中では一番経験があるんだしねー。それでたーいちょ。どうするよ?新しい戦車」

 話を振られて、しおりは暫し考え込んだ。どうしたものか、と。そして…

「可能であれば、パンターやT-34-85、シャーマンファイアフライやイージーエイトと言ったバランスの取れた戦車が欲しい所です。私達の現状の戦力は圧倒的に他校に対して不利と言えます。前回のモスカウ文化高校さんは幸いな事に同数の戦車しか出しませんでしたが、果たして今後の非正規戦車道でその様にフェアプレイを行ってくれる学校ばかりとは限りません。酷い場合には、非正規戦車道での他校との試合を、体のいい移動標的への射撃訓練程度にしか考えない学校も少なからず居ます。

 

ですので、先ず新しい車両を得る。と言う事が第一。だからと言って、火力が足りない、戦力に成らない軽戦車や弱い中戦車等では困りますが…

 第二に何らかの突出した性能があるか、攻撃、防御、機動力のバランスが少しでも取れている車両であるか。この点を大事にしたいと思います。同時に既存戦車の戦力、または性能の拡充を図りたいと思います。T-34初期型はまだ伸び代がありますし、T69E3はM4シャーマンやその他のアメリカ戦車と大部分のパーツを共有していますので、90mm砲や105mm榴弾砲と言った装備が使えます。

 

クロムウェルも、ビッカースのより強力な75mm戦車砲が使えた筈。ソミュアと三/四号はこれ以上の火力の増量は砲塔の規模から鑑みて不可能ですので、何処かからより馬力のあるエンジンを引っ張ってきて貰いたいと思います。

 最後に、我々の学園に残っている、修理出来ずに放置されている戦車の中で戦力に成り得そうな車両の復旧です。中には貴重な戦車もありますので、部品を揃えるのは大変な上に、使えそうな車両をリストアップする必要がありますが、お願い出来ますか…?」

 

 

 神無月しおりの考えをメモ帳にさらさらと書き記しながらうんうんと早乙女光は頷いた。双葉葵は「流石は戦車道経験者だねー」と彼女を褒め、周りの少女達も感嘆の声を上げながら成る程とばかりに首肯した。

「注文の程、了解致しました!出来得る限り、ご要望にそえる様な戦車を即急に用意してきますので、皆さんどうかお待ちください。皆さんの今後のご活躍を祈っています。それと、怪我をしないように」

「それでは皆ー、態々来てくれた早乙女さんに拍手ー」

 生徒会室に拍手が溢れ、早乙女光は擽ったそうに微笑んだ。そして彼女は戦車道受講者一同に見送られ、学園艦艦尾にある飛行場から旅立っていった。ジーベルSi204輸送機に乗って。今後も商談があるのだと言う。

 

 

「素敵な人だったねぇ…」

 ぼんやりと大島明海が呟き、北村カレラもああ、と肯定した。

「とても清潔感があって、信頼出来そうな人だった。きっと私達に良い戦車を運んできてくれる事だろう」

「素敵な戦車だといいね!あっ、戦車増えたら乗る生徒も探さなきゃ」

「明海ちゃん、そこの所は大丈夫だからねー。もう色々と声掛けてあるよんー」

 大島明海が気が付いた人員問題に、双葉葵は大丈夫と横から会話に入ってきた。

「でも、もしも良かったら戦車に興味の有りそうな子にナンパしかけてきてよー。生徒会が色々と優遇してあげるからーって言ってさぁ。まぁあんまり酷い無茶振りは聞けないけどねー。お金持ちにしろーとか」

「ナンパって…葵センパイ、言葉が酷すぎますよぉ」

「ははは…私も、射撃部の子達に声をかけてみようかな」

「そりゃありがたい!射撃上手いってだけで嬉しいねー!そんじゃぁ、学校戻って戦車道の練習しよっかー」

「はーい」

 双葉葵の号令に則り、少女達は次々にシトロエンC6型のボンネットバスに乗り込んでいく。独り、神無月しおりだけが 最後まで飛び立っていったジーベルSi204輸送機の作る飛行機雲を眺めていた。

 

 

 アルグスAs 411空冷倒立V型12気筒ガソリンエンジンの音が響く。乾いていて、しかし何処となくドロドロと個性的なエンジン音が、キャビンの壁越しに聞こえる。窓越しに遠く離れていく学園艦播磨を眺め、早乙女光は呟いた。

「…神無月しおりちゃん…いい子だったけれども、不思議な子ね…硝子細工の様に儚げで、抱きしめたら崩れてしまいそうなほど脆そうなのに…何故、あんなに気丈に振舞えるのかしら?神無月の流派は厳しい所と聞いていたけれども…それの所為、なのかしら…?折れたり、しないで頂戴ね…応援してるから」

 白い飛行機雲を残して、ジーベルSi204輸送機はさってゆく。些細な心配を、その場に残していって…

 

 

 

 

 

 

 

 

 春のまだまだ冷える雪模様の空を、排気ターボチャージャーのタービン音を響かせて、その巨体を空へと浮かべている 存在があった。ツポレツTu70旅客機である。そのエンジンは既存のシュベツォフASh-73空冷星型複列18気筒エンジンではなく、ミクーリンAM-42液冷正立V型12気筒エンジンに交換されていた。過冷却を起こし易い空冷星型エンジンの使用を辞めて、寒地でもその冷却水を温める事で暖気しやすい液冷エンジンに交換したのは偏に利便性の追求の為であった。その他にも、シュベツォフASh-73空冷星型からミクーリンAM-42液冷エンジンへの交換は機体の軽量化にも役立っている。尾翼には、モスカウ文化高校を現す楽譜と絵筆をあしらえた校章が描かれていた。ツポレフTu70はとある学園艦の空港へと着陸態勢に入ろうとしていた。

 着陸脚と各種フラップを展開し、滑走路へとアプローチしていく。巨大なその機体は、海風に惑わされる事なく見事に着陸し、滑らかに駐機エリアへとタキシングしていった。機を休め、エンジンの動力が切られるとタラップが近付けられ、ドアが開かれる。その中から二人の少女が現れた。青い瞳に長いシルバーブロンドの少女と、同じく青い瞳に亜麻色の髪を短く纏めた少女。アレクサンドラ・楠ことサーシャと、彼女の腹心ナイナ・アルダーノフであった。そんな彼女を出迎える人影があった。赤い髪の鬢を三つ編みにゆった緑の瞳の少女であった。

 

 

 

「いらっしゃい。サーシャ。遠路遥々お疲れ様ね」

「Здравствуйте!(ズドラーストヴィチェ)。マリー。元気なようで何よりよ」

 二人の少女は、そっと握手を交わした。二人は学園のとある一室へと通され、ゆっくりとくつろいだ。部屋は暖かく、暖色を基調とした落ち着いた印象のこの場所は、お客人の彼女らのお気に入りの場所でもあった。

「態々遊びに来てくれてありがとう。紅茶は如何?」

「えぇ。頂くわ。ナイナは?」

「私は珈琲を。バーラムは紅茶も美味しいですが、珈琲も中々の物ですから」

「ふふ…どういたしまして」

 やがて午後のお茶のセットと珈琲が運ばれ、少女達に振舞われた。

 

 

「そう言えば今年も此方で公演して下さるの?モスカウ文化高校の劇団ショー。うちはアレを楽しみにしている生徒達が多くって…他所の文化と娯楽に餓えているのよ」

 サーシャからマリーと呼ばれた少女はくすくすと微笑んだ。

「そのつもりよ。バレェと、オペラと、体育館を貸していただけるのであれば、フィギュアスケートもね」

「まぁ。嬉しい。それと、そちらで作っているビーツにチーズ。続けて売って頂けるかしら。美味しいって評判よ」

「有り難い限りね」

「それで…ただ、お喋りとお茶をしに来たわけではないのでしょう?」

 カチリ、とティーカップとソーサーが堅い音を立てた。質の良い焼き物の出す、良い音色だった。

「ご明察。戦車道のお誘いを少しね」

「正規の戦車道だったら、勘弁して頂戴」

 やれやれとばかりにマリーと呼ばれた少女は肩を竦めて見せた。オーバーな表現ではあったものの、彼女にはよく似合って見えた。しかし、サーシャはそんな彼女のリアクションを見ても微笑んでいる。

 

 

「公式の戦車道連盟加盟校との試合なんてウンザリよ。殆ど同じ相手。同じ戦車。同じ戦法。楽しみが無いわ。何が戦車道の暗黙のルールよ。戦車道のイメージダウン?そんなの、代わり映えのしない戦車道を続ける方がイメージダウンじゃないの。ただ、自分達の強者であると言う立場を守る為に自分達だけが有利なルールを作って、弱小と見くびり罵る相手から立場を脅かされるのが怖いだけじゃない。強豪と自称する学園の慢心でしかないわ。愚かしい。

 

 

あの伝説の第63回戦車道全国高校生大会の後、中には面白い戦いを見せてくれる人達も大分増えたけれども、忙しいか、試合が簡単に組める程の資金の余裕は無いか。悲しい限りだわ。そして頭の固い皆様は変革をなそうとしない。何の為に態々、今までの戦車道の禁を破って、あの文科省からの死刑宣告試合の後に、波乱のルール改正をしたのやら…」

 

 

 波乱のルール改正。それは文科省がとある学園艦の戦車道チームに持ちかけた、途方にも無い一方的虐殺を仕組もうとした試合の時の事。文科省側は今までの戦車道のルールを破り、反則とも言うべき高威力のオープントップの自走砲を改造し、試合に導入。対戦相手のチームをこてんぱんに叩き潰す腹積もりであったのだ。しかし、彼女らはそれを打ち破った。その試合以降、文科省側の圧力によって、自らの行いは正当であると言う意見を押し通す為に、公式の戦車道に置いてもオープントップの自走砲に、搭乗者の安全が確保出来る改造を施した場合のみ参加が許される事となった。

 

 

早い話が、開口部を装甲で塞ぎ、装甲を特殊カーボンでコーティングする事。これが後の世の戦車道界隈で伝わる、波乱のルール改正である。

 然し、事実上、一発の一撃に掛ける他無い、装甲の薄いオープントップの自走砲を態々改造してまで試合に投入する公式戦の戦車道チームは少なく、火力の増強と言う観点で弱小と呼ばれるチームや、物好きなチームでしか使われる事が無かった。しかし非正規戦車道においてはその限りではなく、ほぼルール無用のタンカスロンに近い此方の競技ではオープントップ自走砲を用いた新たな戦術や戦い方を生み出そうとし、人気を博していた。

 

 

「かなり、鬱憤が溜まっているみたいね」

 蜂蜜の甘い味と香りが広がる美味しいスコーンを一口食べながら、サーシャは言った。

「えぇ。そりゃもう。寂しいったらないじゃない?承諾してくれそうな学校は一方的に高火力をぶつけようとするし、遊びたい相手とは『今はいとまを持て余していない』と言うんだもの…訓練だけでは、ねぇ…」

 はふ…とマリーは嘆息を零した。

「そんな貴女に紹介したい相手が居るのよ」

 サーシャの言葉に、マリーはぴくりと反応した。そして笑みを浮かべる。楽しそうに。

「あら…貴女が態々そう言うなんて。どんな子なの?」

「私達はシオリチカ・オクチャブリスカヤと呼んでいるわ。えっと…日本語で十月は、神無月って呼ぶらしいわね?彼女の名前は神無月しおり。なんでも、最近戦車道を再開したらしいの」

「神無月…ああ、あの自称、『大胆不敵、見敵必殺』をモットーとする?」

 

 

「そう。色んな学校に門下の子を送って、専ら公式戦以外で大暴れしてまわったあの神無月流」

「でも、あの神無月流は可愛げのない戦いをするでしょう?嫌だわ」

 興味を無くしたとばかりにマリーは言うや否や、サーシャは言葉を連ねた。

「彼女は『あの人』に似ているのよ。何十年も前の『あの人』に…」

「あの人って…貴女、まさか」

「そう。決してへこたれない。決して諦めない。例え傷を負っても、泥濘に足を取られ様とも、まるで這いずってでも勝利に進もうとするその姿。暴虐的な力を振り回すのではなく、知恵と勇気と技で攻めて来る、私達の憧れの『あの人』にね…あの子は今、自分の戦車道を探しているのよ。

 

 

 神無月の家に産まれ、神無月の流派に居たけれども…神無月ではないのよ。紛れも無く。聊か、繊細で、危うい雰囲気もあって…少し心配になる少女だけども…どう?気にならない?ついでに彼女、とても可愛いわよ。貴女、可愛い子に目が無かったわよね?マリー」

 サーシャの語る言葉に、マリーはうっとりとした表情で頷いて見せた。

「俄然、興味が湧いてきたわ。その少女に…改めて、名前をいいかしら。もう一度」

「シオリチカ・オクチャブリスカヤ…神無月しおりよ」

 その名を聞いて、マリーは席を立ち上がり、窓の外を見やった。春の終わりの雪が降り積もる、寒い天気だった。

「神無月しおり…美しい名前ね。うふふ。あはははは!」

 彼女の視線の先には、グラウンドで練習をこなす英国戦車の姿があった。重厚で、力強く走る。大きな車体を持った戦車の姿が。喜びに満ちた少女の声は、そっと静かに雪空へと溶けていった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 播磨女学園の戦車道受講者の少女達は、朝から大いにはしゃいでいた。工業科と地元の機械修理工場の手によって、エンジンがパワーアップされたのだ。かき集められた排気ターボチャージャーやスーパーチャージャーを装備した事により、エンジン馬力は大幅に引き上げられ、とても元気よく走り回れる様になった。お陰様でエンジンルームは、聊か第二次世界大戦中の戦車とは思えない様なパイピングと様々な補助機械類で埋め尽くされる事になってしまったが。

「いやぁー苦労しましたよ。シャーシとエンジンの余剰スペースを計測して、其処から無いパーツは全部イチから作り出して、いきなり実戦に出す訳にも行かないからガッチャガチャと激しい振動を掛けてみたり、何度もエンジンベンチテストをかけた上で、何処まで安全に過給圧を掛けられるのかテストしてみたり、オイルの循環と劣化に問題が無いかとか調べてみたり」

 

 

 長い髪を一つに纏めた工業科の生徒の纏め役、南雲紫が誇らしげに鼻の下を擦りながら答えた。試運転を行う戦車からは過給タービンの回転音が追加され、何処か不思議なメロディーを奏でている。双葉葵は、見事な仕事をしてみせた彼女らに感謝と労いの言葉を投げかけた。

「いやー本当お疲れさん。そんでもってありがとうね。皆には後で学内食道の無料チケットあげるから、美味しい物食べて休んでね。機械修理工場の小父様達にはどうやって感謝しよう。粗品じゃ失礼だしー」

「ありがとうございます。それと、出来るだけ壊れ難いように頑丈に部品を作ったと言いましても、ターボチャージャーやスーパーチャージャーはどうしても繊細な部品ですから、被弾には弱くなってしまいますが…」

「まぁまぁ!そこはほら、しゃーないしゃーない。世の中完璧な物なんて無いからさ。あちらを立てれば此方が立たず、なんてのはよくある事じゃないの。凹まなくたってええよー?」

「その代わり!」

 南雲紫はえへん、とばかりに胸を張ってから言葉を溜めると

 

 

「ターボチャージャーやスーパーチャージャーに依存しないエンジンのパワーアップも研究していますので、どうぞご期待下さい!会長だけに先にお話しますとね…排気量をアップしたりムフフな改造を施したりしちゃおうかと…」

「おぉ!機械の事さっぱり判らんけど、工業科の君達が其処まで言うなら期待出来そうじゃない!」

 双葉葵の、メカはさっぱり、と言う正直な発言に苦笑しながらも南雲紫は力強く頷いた。その時不意に、双葉葵の携帯電話に着信が入った。電子メロディが持ち主の耳を擽る。

「はい、こちら双葉葵ですー。あ!もう到着するんで?はいはーい。迎えの人遣しますんで、宜しくー」

「何か、来客でも?」

「まーぁねー。しおりちゃーん!」

 葵は三/四号の試運転を終えて、工業科の生徒らと一緒にエンジンの具合を調べていた神無月しおりに声をかけた。

「ちょっくらお使いしてくんない?空港まで」

 

 

 生徒会が雑用によく使う、薄いデザートイエローに塗装されたキューベルワーゲンを貸し出され、しおり達三/四号中戦車のチームクルーと、何人かの工業科の生徒達は播磨学園艦空港へと向かった。水平対抗の空冷4気筒エンジンは元気に働き、風除けに広げた幌が風でハタハタと揺れていた。

「にしても、空港にお使いってなんだろうね」

 ナビシートに座りながら、悠長にバニラの甘い香りが漂う紙巻煙草を吸いながら北村カレラは呟いた。後部座席では神無月しおり、大島明海、中嶋奏が身を寄せ合って乗っていた。少女だから、無理矢理後ろに三人も乗り込めたのである。ドライバーの霧島蓉子はマイペースに安全運転でキューベルワーゲンを走らせていた。

「さぁ…行ったら分かるとしか、言われなかったから…」

「空港って航空科の子達でいっぱいだよねー。面白い飛行機沢山あるし」

「文化遺産を定める法人と、産業省が結託して、学園艦を作ったみたいに重工業とかその他の産業を活性化させる目的も合わせて、機械文化遺産として過去の飛行機の再生産や修理が大々的に行われましたからねー。

 

 呉や横須賀とかでは、嘗ての海軍航空隊が元気に編隊を組んで空を飛んでいるとか、内陸の方では陸軍飛行隊を復活させて色んなショーに出たり、模擬空戦をしては腕を競い合っているそうですよ?」

「へぇ~。相変わらず奏っちは機械に詳しいねぇ」

「えへへ…其れ程でも…」

 不意に、道路を走っている彼女らに影が掛かった。はて、何事だろうかと空を見上げると、其処には銀灰色のとても巨大な硬式飛行船が浮かんでいた。ゆっくりと播磨学園艦空港へと向かっている。

 

 

「ツェッペリン級硬式飛行船!あんなに巨大なのは初めて見ました!グラーフツェッペリン並みの船体の大きさですねぇ!操舵装置は昔のLZ-4号みたいでちょっと古風だけども、それがまた可愛らしい!」

「わっ。奏っちテンションたかっ。そしてあの飛行船でっか!あんなにおっきいのが空に浮かぶんだ…へぇー」

「軽量なアルミ合金で作られたフレームで出来てますからねぇ…あ!エンジンが二重反転プロペラに改造されてる!古風ながらに近代化改修で性能向上を行っているのがまたいじらしい!」

 マイバッハ液冷正立V型12気筒VL-2エンジンから交換された、ダイムラーベンツ液冷倒立V型12気筒DB601Aエンジンが、おんおんと力強い音を立てながら巨大な空飛ぶ鯨を動かしていた。

 

 

 その巨体に見合わずに滑らかに動き、播磨学園艦空港の滑走路の片隅に飛行船はゆっくりと着陸した。しおり達、お使いの使者はその様子をキューベルから眺めていた。飛行船からタラップが下され、中から飛行船を操っていたクルーととある人物が降りてくる。それはトリットン・ウィルソン・パンツァー社の早乙女光であった。

「早乙女さん!」

「どうも、御機嫌よう皆さん。早速約束どおり、戦車を持ってきましたよ!」

「本当に!?それで、車種は何なんですか!」

 中嶋奏が興奮気味に問い掛け、早乙女光はふふふ、と微笑みを携えながら唇の前に人差し指を立てた。

「見てからのお楽しみよ。カーゴ、開けて頂戴!」

 

 

 彼女の指示により、胴体下部に追加で取り付けられたゴンドラカーゴのハッチが開かれ、中から戦車が現れた。それは戦車回収車であり、かの車両によって何かがカーゴの中から牽引されて出てきた。

「わぁ!ベルゲタイガーにベルゲパンターだなんて豪華な!使ってる所初めて見ちゃった!」

「ねぇねぇ、あんなに重たい戦車を飛行船に載せたりして、空を飛べる物なの?奏っち」

 当然の疑問にしおりも納得である。とてもではないが、タイガーやパンターを乗せられる程の力は無かったはずであるが、そこでもまた中嶋奏はえへんと胸を張りながら知識を披露してくれた。

「最近は技術発展のお陰で浮力を得るのにヘリウム等の軽いガスだけに頼らなくて済んでいるんですよー。なんでも重力低減装置が開発されたとかで、噂に聞くと飛行船型の巨大な学園艦が建造されるとかどうとか」

 

 

「ずーっと空の上って…高所恐怖症には辛い学校ねぇ…ところで…何あれ!?戦車なの?中身からっぽじゃん!」

「…ルノーB1Bis…」

 ぽつりとしおりが戦車の名前を呟いた。ベルゲタイガーに牽引されたそれは確かにシャールB1Bisであったが、砲塔は無く、側面の装甲パーツも剥ぎ取られ、車体砲も無く、中身の無いドンガラであった。果たしてそれを戦車と呼んで良いのか困るぐらいの代物であったが…

「大丈夫!安心して頂戴。このB1Bisはあくまでベース車両。足りないパーツは全部用意してあります。それも、B1terの改造キットをね!おまけに車体砲は奮発して、長砲身のSA44・75mm砲を持ってきたの!砲塔も少しでも乗ってて楽な様に大きめのARL 2C砲塔を搭載できる様にして準備してあるわ!」

 

 

 早乙女光の説明に、これならば期待出来そうかと神無月しおりは静かに思った。フランスのSA44・75mm砲は、M4シャーマン初期型の75mm砲と同程度の威力を有していたはずだと記憶していたから。

「パーツはベルゲパンターが牽引してるコンテナに入ってるの。それと、T-34の改造キットも!今までF-34・76mm砲で苦労していたでしょう?だから砲弾初速に優れるZiS-4・57mm対戦車砲を持ってきたの!これなら高速徹甲弾を使えば200mm近い装甲を貫通出来る能力があるわ!勿論、43年型のキューポラつきナット型砲塔も一緒にね!」

「やったじゃんしおりん!これでT-34の五十鈴さん喜ぶよ!何時も狭い狭いって泣いてたじゃん!」

「うん…強力な85mm砲が手に入らなかったのは、残念だけども…」

 その言葉に早乙女もよよよと涙を流した。

 

 

「そうなのよ!強力な85mm砲と、T-34-85の砲塔が全然見つからなくて!在ってもポンコツ寸前か錆塗れ泥まみれのひっどいのか、無駄にお値段の高いのとかばっかりでとてもじゃないけれど、そんなのを買ったら貴女達の負担にしかならない物だからもうどうやって安くて良い物を探そうかって必死になって必死になって…

 

 今回の中身カラッポなB1bisも、フランス系戦車を卸してる問屋から「戦車道の競技で壊れて中身は無いけどそれでもいいなら」って言って安く譲って貰って、其処から伝を頼ってちょっとでも強力なBi terの改造パーツをあちこちから引っかき集めて来たんだから!酷いわよね。幾ら戦車道で有名な学校だからって、有利な戦車のパーツを買い占めて回るだなんて」

「そんな事をしているのかい?他の学校は」

 北村カレラが問い掛けると早乙女は首肯した。

「えぇ。有名所中の有名所、黒森峰女学園とか、プラウダ高校とか。酷いわよ?じゃんじゃん使い潰して、じゃんじゃん買い占めて。戦車のパーツを作ってる所は儲かるでしょうけども、殆ど独占。他の学校に行き渡るパーツの量なんて全体の4割もあるのかしら。

 

 そんな事してるから、戦車道が広まりはしないのよ。嫌な話ね…サンダース大学なんかはその財力に物を言わせて自社工場みたいなの作って賄ってるみたいだけど。今回買ってきた改造パーツは、使い古されたパーツの中でも出来るだけ綺麗な物を選んで、事前に我が社でキッチリと修理して、ちゃんと使用に耐えるか確り確認してるから安心してね?」

「暴発の危険が無いなら、大丈夫だろ」

 ぶっきらぼう気味に霧島蓉子がそう呟いた。思い出した様に、早乙女が言う。

 

 

「そうそう…85mm砲は無かったのだけども、随分と程度の良いT-34G型の砲塔と122mm榴弾砲ならあったのよねぇ…どうしようかしら、って思ったけれど…今回は取止めにしておいたの」

「T-34G型は重たくて扱い辛いので…要らないかも…」

「そうよねぇ。それに体格の小さいT-34の子達に迷惑を掛ける訳にもいかないし。辞めておいてよかったわ」

 話を終えた早乙女はさて、と言葉を区切ると肩に下げていた鞄から書類を出した。 

「それじゃぁ、可愛い隊長さん。戦車の受け取りのサインを貰えるかしら?」

「ぁ…はい。その…私の署名で…いいんですか?」

「問題無いわ。受け渡す戦車の種類に色々な書類と、パーツのリストは事前に生徒会長さんに見て貰っているしね」

「では…」

 そう言うと、神無月しおりは早乙女光から借りたペンでサラサラと受領の署名を書いた。

 

 

「はい。完了!後はこれを、其処に居る工業科の人達にお渡しすればいいのかしら?」

「だと…思います。学園の倉庫まで…お願い出来ますか…?」

「勿論!ルノーB1も自走出来る状態じゃないからね。道路を先導して貰って良いかしら」

「分かりました…じゃぁ、そう言う事で」

 斯くしてキューベルワーゲンとベルゲタイガー、ベルゲパンターの隊列は、地響きを響かせながら学園艦へとルノーB1bisと、戦車のパーツが大量に詰ったコンテナを運んでいった。その頃…

 

 

 

「会長。少々お話が…」

 グラウンドから生徒会室に戻り、こまごまとした雑用を片付けていた双葉葵に、髪をサイドテールで纏めた少女、生徒会書記の長谷川凛が書類の入ったケースを片手に声を掛けた。

「んー?なんぞー?」

「彼女の事に関しまして、幾らか判明した事がありますので、そのご報告に…」

 そっと葵に耳打ちをした長谷川に、彼女はゆっくりと首肯した。

「此処じゃなんだから、個室行こうか」

「はい」

 他者に聞かれたくない話をする時、彼女らは小さな個室をよく愛用した。防音処置はバッチリで、中にマイクでも仕掛けられない限り中の会話を聞き取る事は出来ない部屋である。双葉葵は指定席のちょっと座り心地の良い椅子に座った。

 

 

 

「それで、どうだった?」

「はい。彼女、神無月しおり。ほぼ間違いなく神無月流戦車道の宗家の者です。それも直系の。彼女は五人姉妹の末っ子。上の姉二人は現在大学生戦車道をしているとか。三女と四女も現在、高校生戦車道を行っているとの情報が出ましたね。五人姉妹なだけあって、経歴を調べるのが非常に困難でした。何せ、長女が小学生の時からずぅっと戦車道を正規、不正規、タンカスロンを問わずにさせていたみたいで…」

 長谷川凛はインターネットや雑誌で掲載されていた記事、写真と言った物をスクラップにし、纏め上げ、引き伸ばした写真を双葉葵に見せた。其処には年齢はバラバラで、写真の質も差はあったが、神無月しおりの姿があった。

「うっひょぉー。エグいねー」

「大体でも判るのは、彼女、しおりもまた小学生から戦車道をしていた事。学校では基礎授業以外はほぼ毎日戦車道の戦車漬けだった様です。しかし…途中、中学生の時からパタリと情報が途絶えています」

「それがしおりちゃんが言ってた、『戦車道を辞めた』って話かぁ…」

「それと同時に…」

「うん?どしたよ。言葉を濁らせて」

 

 

「いえ…神無月流戦車道なのですが…あまり評判は、その…良くない、らしいです。戦車道の強豪校等からは賞賛を受けていますが、中堅や弱小と呼ばれる方々からの話を聞くと『大人気ない』と評される流派だとかで…」

「何それ…そんな事言われてんの?」

「流派としての傾向は、優れた火力で相手を徹底的に叩く物だそうで。特にアウトレンジからの一方的な攻撃が多く見受けられる様です。それが通用しない場合は、あの手この手を使って勝利を捥ぎ取って行くという…とある人物の言葉を借りれば『何が何でも勝つ』とか『勝利至上主義』だとか…」

「とてもじゃないけど、しおりちゃんの戦い方とは比べ物に成らないじゃないのさぁ。そりゃまーうちの戦車は弱っちくて、火力も装甲も強豪の皆様とは比べ物にならないけどもさぁー」

 あの子の戦い方は、見てていじらしいよね。出来る事は何?どうにかしなきゃって感じでさ…と双葉葵は呟いた。

「最後に…不穏な言葉を、耳にしたんです」

「不穏な言葉?何それ」

 

 

「良くは判りません。インターネットでも、戦車道を扱った雑誌を読んでも、全然情報が出て来ませんから。あの手この手で探しているのですけれど…『晩夏の大流血』と言う出来事があったそうです」

 流血、と言う言葉に双葉葵は眉を潜めた。戦車道は武道である。其れこそ、戦車道の歴史が始まって間もない頃から現在に至るまで、事故や最悪の場合、死亡事故と言う事もある。スポーツのラグビーやボクシング、柔道や空手でさえもそうだ。しかし、現在は其れこそ安全になったと言うにも関わらずそれは『大流血』と呼ばれているのは何故だ?

「きな臭過ぎるんじゃないのぉ…ちょっとぉ…」

「彼女のあの性格にも、何か関わりがあるのかも知れません」

「かーもね…怪しい宗家に、語られない不穏な言葉。こりゃー真面目にしおりちゃんとの付き合い方を考えてあげないと、彼女…絶対壊れちゃうね。戦車道を続けてたら。彼女には迷惑な事頼んじゃったなぁー…」

 夕日の中、彼女の呟いた言葉と、彼女の寂しげな赤い瞳。そして自嘲する様な、悲しい笑顔が忘れられずに居る。

 

 ―――私に、居場所をくれますか…?―――

 

 ずっと引っ掛かっていた。何故、居場所なのかと。もっと直接的に、寂しいと言えば良いのではないのか、と。一体彼女はどの様な心の闇を抱えているのか。とてもではないが、底が知れない。双葉葵はあれほど寂しげな瞳を見たことは一度だって無い。出来る物ならば、助けになりたい…そう思っていた。

「兎も角、長谷川は少しでも情報を集めて。時間掛かってもええから」

「了解しました」

「うちは、しおりちゃんとの今後の付き合い方を考えよう。あんな優しくて可愛い子をむざむざ壊してしまうなんて、とてもじゃないけど出来ないし、見過ごせないよ」

「お優しいのですね。会長は…」

 長谷川凛の言葉に双葉葵は苦笑した。

「弱い生き物だからさー。私って。抱きしめてあげる位しか出来ないのさ」

 その言葉は寂しく、双葉葵自身の心に刺さるのであった。

 

 

 

 

 

 

 数日後の事、播磨女学園の戦車倉庫に新しい戦車が鎮座していた。ルノーB1terと、砲塔を交換し、長砲身の57mm対戦車砲を搭載したT-34であった。T-34のクルーの五十鈴とその仲間達は喜び、他の面々も新たにチームとして加わったルノーB1terの勇ましい佇まいに頼もしさを感じていた。しかし、ソミュアS35の久留間舞子とその仲間達は少しだけ寂しげであった。自分達だけは相変わらずに火力も弱く、同じ様な物であったT-34に置いていかれてしまった様な気分だからである。

「仲間が強くなるんは嬉しいんどすけども…うちらがお役に立てまへんのがえろー悲しいわぁ…」

「じゃぁ、もうちょっと強いB1terに乗り換えるー?」

 双葉葵の正直な言葉の提案に、久留間舞子と仲間達は困った様に首を振った。

「困った事に、もうソミュアに愛着がついてしもうて…駄目な子程可愛い言うはりますんやろか」

「そっかー…いやでも!ソミュアにだって良い所あるよ!可愛いし!背中に何か乗せられそうじゃん!」

「会長はん…慰めてくれて、おおきに…」

 双葉葵はそっと神無月しおりにひそひそと耳打ちした。寂しげな久留間を見捨てる事は出来ないらしい。

 

 

「なんとかしてあげられないの?ソミュア」

「…無理かと思います。砲塔サイズも割とギリギリなので…」

「そこをなんとか!久留間ちゃん放っておけないじゃない」

「……」

 しおりは暫く悩み、同じフランス戦車のB1terを見つめた。しかし…

「…流石にどうにも出来ないかと…」

「そっかぁー…」

「所で会長?新しいルノーB1のクルーはどうするの?」

 B1terを見学していたクロムウェルの車長の柿崎セリカが問うて来た。その言葉に双葉葵はニィ、と笑う。

「ちゃんと呼んであるよー。こっち来るように言ってあるからそろそろ来るんじゃないかなぁ」

「チャオー。会長ちゃーん」

 噂をすればなんとやら。とはよく言ったもので、軽薄そうな声が倉庫の中に響いた。声の主の方へと振り向けば、これまた軽薄そうな、ウェーブが掛けられた長い黒髪をカチューシャやリボンで飾った少女だった。その少女が、数人の少女を引き連れていた。恐らくは他のクルーなのであろう。

 

 

「いらっしゃーい百合ちゃん。まぁちゃちゃーっと皆に自己紹介しちゃって」

「東郷百合でーす。小ちゃいバイクでレーサーしてました。他の子はあたしの友達」

「てな訳で、この娘がルノーB1terの車長になりまーす。異議はー?」

 双葉葵の問いに霧島蓉子がわずかに手を上げた。

「失礼だが、不安を感じるぞ…」

「アッハ。無理ないよねぇ。けどこう見えてあたしは真面目なんだぞー?試験じゃ何時でも80点以上取ってるし、昔バイクレースのチーム戦で皆で頑張って地域大会で2位に入賞したのだ。チーム戦はソロプレーじゃ優勝出来ないんだよー?所でさぁ。噂の時の人の隊長ちゃんって何処?」

 キョロキョロと辺りを見渡す東郷に、おずおずと神無月しおりは前に出た。

「…隊長を、やらせてもらってます。神無月しおりです」

「キャー!何これ!お人形か何か!?学内新聞に載ってた写真で見るよりスッゴイ可愛い!!」

「んむっ…!?」

 

 

 

 東郷百合の豊満なバストに抱きしめられ、しおりは息が出来なくなった。見かねた大島明海が助けに入る。

「ちょ、ちょっと東郷さん!?しおりん窒息しちゃうから!ハグストップ! ハグストーップ!」

「メンゴメンゴー。可愛い物に目が無くって。隊長ちゃんごめんねー?」

「……苦しかった……」

 漸く開放されたしおりは短時間でありながらゲッソリとして、ふらふらとした足取りで大島明海の横へと逃げた。

「アハッ。嫌われちゃったかな?でも仲良くしようねー」

「東郷さん。しおりんちょっとスキンシップ苦手だから勘弁してあげて。大人しい子なのよ」

「まぁまぁ、茶番も程々にして。早速訓練入ろうか。来週の週末、試合が入ったんだよねー」

 双葉葵が東郷百合と大島明海の間に入り、その場を制した。そして試合と言う言葉に周りがざわめく。

「今度の相手は何処なんだ?」

 北村カレラが双葉葵に問う。彼女はポケットから上品な便箋を取り出し、そして広げた。

 

 

「『拝啓、花便りも伝わる今日この頃、播磨女学園の皆様はお健やかにお過ごしの事と存じます。この度は我々との非正規戦車道の試合を、播磨女学園の皆様に申し込ませて頂きたいと思います。敬具。聖・バーラム学院戦車道メンバー一同より』…との事だよー。そう言う訳で次の相手は聖・バーラム学院って所。イギリス系の戦車を使ってくるみたい。戦車の数はこちらと同じ全部で6両。使う戦車は…田宮。お願い」

「はい。使われる戦車は巡航戦車カヴェナンターMk.IVに、歩兵戦車ヴァリアント。そして残りの戦車はサプライズ、との事で…詳細は伏せられましたが、大きくて重たくて個性的な吃驚しちゃう戦車、との事です」

「大きくて…重たくて…個性的…」

「判るのー?しおりちゃん」

 神無月しおりの呟きに双葉葵は微笑みかけた。

「恐らくは…ですが、チャーチルシリーズかブラックプリンスが来るのではないかと。エクセルシオールが来る可能性は…低いかな。これらの車両は装甲が分厚く、登坂性能に優れる戦車ですから…意外な所を走り抜けて現れてくる車両です。

 

 第二次世界大戦では、そうやってドイツ軍へと奇襲を仕掛けたと言う話も聞いています。歩兵戦車ヴァリアントも装甲の固い戦車です。試作車両しか作られませんでしたけれども…恐らく相手は、戦列歩兵の様にゆっくりとこちらに歩み寄りながら射撃を行ってくる物と思います。

 

 カヴェナンターは他の車両と比べれば足が速い車両ですが、装甲は薄いので大きな脅威ではありません。恐らくはですが、足の速い騎兵隊としてカヴェナンターが此方を翻弄し、その隙に敵の本隊たるチャーチルら歩兵戦車が装甲の厚みを生かして進軍。撃破してくる物と思われます」

「戦列歩兵って何ですか?」

 五十鈴佳奈が申し訳無さそうに問い掛けてきた。しおりは頷いて答える。

 

「戦列歩兵とは嘗て、近世ヨーロッパの時代にマスケット銃と銃剣で武装し、隊列を組んで戦った歩兵部隊の名前です。横隊の隊列を組んだ数多の歩兵が敵歩兵兵団へと歩み寄り、所定の距離まで接近したら一斉射を仕掛けると言う物でした。大変危険な作戦ですが、銃弾を物ともせず接近し、必殺の距離で此方へと銃弾を放ってくる敵兵の恐ろしさは凄い物があったそうです」

「…凄く怖いわねぇ」

 

「反面、横に広く広がっているので陣地転換などの行動や、足の速い騎兵隊が行う様な機動戦には弱かったと聞いています。我々は今回、敵チームに勝る速力を出来るだけ活かして戦いたいと思います。本日の訓練は、私達は互いに連携しての行進間射撃と、

 

 火力を一点に集中させる砲撃訓練を取りたいと思います。新しく来た東郷さん達は先ずは焦らずに基礎訓練を始めて下さい。充分な練習を積んだら、私達と共に訓練したいと思います。訓練マニュアルも用意してありますが、判らなかい事は気にせず無線で聞いてください」

「イエッサー。基礎は大事だもんねー?」

「それでは練習に入ります。総員乗車!」

 数十名の少女達が、それぞれの戦車へと乗り込んでゆく。ルノーB1terはグラウンドに残り、嘗て他の少女達がした様に基礎訓練を始めて、他の5両の戦車は戦車道の訓練が可能な広大な緑化公園地区へと移動した。

《隊長。そいで行進間射撃の訓練ってどうするんどすー?》

 ソミュアの久留間舞子が無線機で問い掛けてきた。

 

 

「出来るだけ一定の速度を保ちながら、遠くの標的に射撃します。ドライバーの皆さんは障害物や敵の砲弾を避けていると想定し、ある程度の蛇行運転を行って下さい。砲弾が命中するのが望ましいですが、焦らず至近弾を送り込む事を先ずは心掛けて下さい。ある程度の練習をこなしたら、蛇行運転をしないままの行進間射撃をします。車体が揺れている時と揺れていない時の命中精度の差を身体で覚えてください。それでは行きます!」

 神無月しおりの号令の元、先頭を三/四号中戦車が走った。次いでT69E3、クロムウェル、T-34改、最後にソミュアと言う陣形となった。

「それじゃぁ霧島さん。蛇行運転をお願いします」

「分かったよ」

 やがて、障害物や砲弾を避けていると言う想定の元、戦車は左右へと蛇行を開始した。

「全車!3時の方向。距離約500。行進間射撃を開始、撃て!」

 5台の砲声が次々に轟き、四角い標的へと砲弾が送り込まれる。三/四号中戦車、至近弾。T69E3、やや遠弾。クロムウェル。至近弾。T-34改、近弾。ソミュア、極至近弾。

 

 

「続いて次弾を装填!各車両は撃ち続けて下さい!」

 揺れる状況の中の砲撃と言う物は、恐ろしく当らない。車体の揺れは砲身の角度に直結し、些細な振動もまた、砲身の狙いを狂わせる。それでも、揺れ動く中のここぞと言う瞬間を得ると、撃ち出された砲弾は標的の限りなく近くへと着弾した。数十分の蛇行運転をしながらの躍進射撃を終え、今度は蛇行する事無く走行しながらの行進間射撃を行う。

 それまでの無駄な揺れが無くなり、どうしても発生する走行振動のみの中放たれる砲弾は、確かに先程よりも標的に狙いやすかった。キューポラから身を乗り出し双眼鏡で弾着の状況を把握していた神無月しおりは、今回の訓練が実際にどれ程役に立ってくれるだろうか、と不安で仕方が無かった…。

 

 

 

 

 

 

 

 あくる日の事、午前の訓練を終えた少女達が戦車を置いている倉庫から最寄の空き教室で、生徒会が用意した日替わりの美味しいランチを食べていた所、生徒会副会長の田宮恵理子と、見慣れない少女達がワラワラと教室に入り込んできた。

「皆さん!競技の最中に着て頂く衣装が出来ましたよ!」

 彼女の言葉に少女達から歓声が湧き上がった。先日、衣装を作るからと身体測定を行ったのだ。学校指定の制服のままでも構いやしないが、汚れてしまったり、もしも破れてしまった場合は目も当てられない。それに、特別な衣装も準備した方が少女達のモチベーションも上がるからと双葉葵は専用の衣装を作る事を決めたのだった。

「それでは、栄えある一人目として神無月しおりさん。どうぞ着て見て下さい」

 塩気が効いて美味しいポテトサラダをもぐもぐと食べていたしおりは唐突に自分の名前を呼ばれてキョトンとした。しかし、状況を理解すると食事を中断して、袋を持って待っている田宮恵理子に近付いた。

 

 

「うちの大事な隊長さんですからね。似合うと良いのだけれど」

「はぁ…ありがとうございます。それじゃぁ…」

「しおりん!」

 近くに居た大島明海がそっと声を掛けて来た。はて、と思いながら振り向くと出来るだけ目立たない声で「く・り・い・む!」と囁かれ、嗚呼…と彼女が言わんとする事を理解した。

「では…着替えてきますので…」

 そう言うと彼女はトイレの個室へと向かった。大島明海はホッと胸を撫で下した。何かと妙な所で無頓着、無関心のしおりが、この場で唐突に着替えだしてしまったら、あの凄惨な傷跡をチームメイトの衆目の前に晒してしまう事になる。彼女はそれを恐れたのだ。北村カレラもそれを察したらしく、大島明海に向けてそっとサムズアップを向けた。彼女も頷き応えた。

 やや暫くしてから、神無月しおりはトイレから戻ってきた。少女達の前に新たな衣装を披露して。

 

 

「おぉー!」

「しおりん、似合ってるじゃん!かーわいいー!」

 上着はダブルブレストのパンツァージャケットであった。襟のライン等に色を持たせてアクセントとし、袖口にはボタン止めのシンプルなレース。プリーツスカートもシンプルに誂えられ、飾り裾がついていた。襟元には恐らく、役職を現したのであろうメタル製のバッヂが付いている。車長であるからか。マーク1菱形戦車の物が付いていた。

「これでこれからの活動でも、胸を張って写真に写る事が出来ますね!」

 田宮のにこやかな言葉に神無月しおりは取りあえず頷いておいた。写真か…嘗ての戦車道では何度か撮られた物だが、別段これと言って意識した事は無かった。誰かに何時の間にか撮られるか、呼ばれて撮られるか。その程度の事であった。然し…もしも、彼女達と一緒であるのならば…写真を撮られるのも、楽しいのかもしれないとぼんやりと思った。

 

 

 その日の夜。神無月しおりは三/四号中戦車のクルーらに己の傷を晒してからと言うもの、日課と成った傷消しクリームを大島明海に塗ってもらっていた。クリームは冷たく、そして他人に身体を撫でられるのはとてもくすぐったかった。

「まだ塗り始めてあんまり時間も経ってないけど、始めた時の写真と見比べると大分傷が目立たなくなり始めたねー。えらいねーしおりん。ちゃんと我慢して傷消しクリーム塗って貰って。良い子良い子」

「…んっ…ぁっ…くすぐったい、から…早く、終って…」

「だーめ。しっかり塗らないと効果が無いんだから。我が侭言わないで我慢して?もう少しだからね?」

 

 

 やがて、体中の傷跡に傷消しクリームを塗り終えると、大島明海は傷の経過を見る為に携帯電話で写真を撮った。神無月しおりはくすぐったさに疲れ、ぐったりとしている。

「そう言えばさぁ…しおりんの家族は怪我の事、何も言わなかったの?そんなにボロボロなのに」

 何気ない明海の質問に、しおりはぼんやりとした頭で応えた。

「…なんにも…戦車道と生活に問題無いなら…どうでもいいって…」

「ひどっ!?酷くないそれ!?家族としてありえないよ!?」

「…家族…か…ねぇ…明海さん…家族って…なに?」

「家族って…そりゃー、あれでしょ?愛し愛されて、互いを助けて、時には庇ってあげる。うちはお父さんとお母さんとってもラブラブだし、私の事もすっごく愛してくれてるよ。頻繁に電話掛かって来るし」

「…そっか…」

「……しおりんは、どうなの?」

 

 

 嫌な予感がしながらも、大島明海は聞かざるを得なかった。あえて、彼女の秘密に踏み込まねばならないのではないかと思ったのだ。この、何時でも物憂げな表情を浮かべる、危なっかしい友人に。

「…全然…お父様は居ないし…お母様は、何時でもずっと厳しい人で…戦車ばっかりの人…戦車道の仕事で家を空けてる事なんてしょっちゅうで…褒められた事なんて全然無くって、あれこれとお小言を言われたり…上の姉さんの二人は…何時だって私に厳しくって…負けたらいつも叱ってきた…

 

 私の、ひとつ上の姉さんは…私になんて興味が無いみたいで…気をかけてくれてたのは…三番目の姉さんだけだったけど…忙しいから、あんまり話す事も無くて…家ではお手伝いさんと、ずっと過ごしてた…友達って呼べる人と遊んだ事なんて全然無くて…

 

 家ではずっと、戦車道のシミュレータをするか…戦車を勉強するか…戦車の本を読んでばかりだった…学校でも、ずっと戦車ばっかりだったから…友達なんて出来なくって…テレビとか…流行の遊びとかも、全然知らなかった…ラジオは、聞いてたけれど…」

 

 

 ゾッとするような実態が、彼女の口から語られた。其れは最早、充分過ぎる程にネグレクトや家庭内暴力と言ったソレに等しいのではないかと、大島明海は思った。この哀れで可哀想な線の細い少女は、家族の温かみも、家族からの愛さえも知らずに、

 それ所か、人として享受する事の許される普通の生活と言う物を一切味わう事無く、そうやって孤独に戦車道を続けながら、この16年間をずっと生きてきたのか、と。そして…明海は口を開いた。

 

 

「…いいよ…そんなの、家族って呼ばなくても…」

「……?明海、さん…?」

「しおりんが、愛を知らないなら、私が教えてあげるよ! だって! 可哀想過ぎるよそんなの! 私が! しおりんを守るから! 私がしおりんの家族になるから! 褒めて貰った事も、遊んだ事もないなんて、可笑しいよ! そんなの人の送る人生なんかじゃない! 人生は、もっと輝いているべきものだもの! しおりんは、幸せになる権利があるんだよ!」

「…幸せ…」

 ぽつりと呟く。幸せ。それは今まで縁遠かった物である。果たしてそれは…

「…明美さん…幸せって…何…?」

「……っ!!」

 

 

 明海は大粒の涙を流しながら、しおりの身体を抱きしめた。体面も気にせずに、おんおんと泣いた。友人の、見間違えようの無い悲しみの涙の強い濁流に、しおりはどうしたら良いのか分からなかった。ただ、なんとなく、目の前の少女に病室で背中をさすって貰った事を思い出したので、彼女は覚束無い右手でそっと泣きじゃくる明海の背中を撫でた。どれだけ、大島明海は泣き続けただろうか。泣き声はやがて嗚咽に変わり、それも落ち着いてきた頃、彼女はそっとしおりの体を離し、泣き腫らした顔で言った。

「私…しおりんの恋人になるから。私が、しおりんを幸せにしてあげるから」

「…明海、さん…でも…」

 愛を知らない自分は、彼女の思いにどう応えれば良いのか。全く分からない。

 けれどもそんな友人の心を察したのか、明海は言葉を続けた。

 

 

「いいの。しおりんが何時か、愛が分かった時にありがとうって言ってくれれば、それでいいから…」

「…その…ごめんなさい…」

「いいよ…それと、しおりん? そう言う時は謝るんじゃなくて、ありがと、だよ?」

 困り顔と笑顔の混じった表情で、明海はそう教えてあげた。しおりは「うん」と頷き

「…ありがと…」

 とただ小さく呟いた。

 その日の夜。二人の少女は褥を共にした…

 

 

 

 

 

 

 

 日々を訓練で過ごし、約束の日となった。学園艦が港に寄港し、上陸する。そこから特別編成の輸送列車に戦車と共に乗って、目的地の開場へと向かった。相変わらずお祭りの様な観客スペースには、何台かの戦車が飾られていた。聖・バーラム学院の戦車である。車両は、歩兵戦車バレンタイン。歩兵戦車チャーチルMk1。そして、随分と古風なリトル・ウィリーだった。まるでファンサービスですね、と中嶋奏が写真を撮りながら呟いていた。

 

 

「春麗らかな平原だねぇ」

 遠くに見える、戦闘領域を見ながら大島明海は感想を述べた。春の花々が咲き乱れ、蝶や蜜蜂が暢気に野花の中を飛び回る様は、大変牧歌的であり、これからあの場所で激しい戦車戦が繰り広げられるとは、とても思えなかった。西の方には、今では人が住んでいない市街地が残されていた。

「丘陵地帯だからね…朝露とかでぬかるんでないと良いけれど」

「どう言う事?しおりん」

「地面が濡れていると、履帯が滑ったり、上手く走れなかったりするから、危険なの」

「あ、そう言えば雨の日の練習で蓉子ちゃんとかドライバーの皆がぶーぶーと不平零してたねぇ。ちゃんとグリップしないーって。あれってそう言う事だったんだ。戦車って滑る物なの?」

 

 

「結構簡単に…泥濘に嵌ると、中々抜け出せないし…今後の練習で、色々と考えておかなきゃ…」

「でも!今は目の前の競技だよ!今日も頑張ろ?」

 大島明海はそっと神無月しおりの手を握りながら、彼女を鼓舞した。

「…うん。頑張ろう」

 不意に近くをエンジン音が響いた。荷台に少女達を乗せた、ソ連のZis-5型トラックだった。

「ハァイ!シオリチカ!シオリチカ・オクチャブリスカヤ!」

「あ…サーシャ、さん」

 少女の一団の中から、見覚えのあるシルバーブロンドの少女、アレクサンドラ・楠が此方に向かって歩いて来た。

 

 

「嬉しいわね。名前を覚えててくれたのね。今日は貴女達の戦いを観戦に来たの。頑張ってね」

「…どういたしまして」

「それ、新しい衣装?中々似合ってて可愛いわよ」

「学校の人が、私達に作ってくれたので…」

「成る程。私達の学校でも、衣装は手先の器用な子達が用意してくれたわ。嬉しいわよね。そう言うのって。それじゃぁね。よい戦車道を」

 そう言い、観客席の方へと立ち去ろうとした矢先、サーシャは何かを思い出した様に振り向いた。

「そうそう、今日の対戦相手だけれども…驚かない様にね?無理な話かも知れないけれど」

「…はぁ?」

「あの子、人を吃驚させちゃうのが好きな、ちょっと困った子なのよ。悪い子ではないのだけれど」

「…助言、ありがとうございます」

 

 

 そう言うとしおりはサーシャに深く会釈した。

 やがて放送で召集がかけられる。隊長挨拶の時間だった。呼び出されたしおりは、双葉葵と共に出向いた。其処には優雅なジャケットに身を包んだ少女達が居た。気品のあるブルーがとてもよく似合っていた。

「ごきげんよう。聖・バーラム学院のローズマリー・レンフィールドと申します。ローズでもマリーでも、好きに呼んで頂戴な?」

「播磨女学園の、神無月しおりです…」

「貴女が、神無月しおりさんね…ふふ。あの子の言った通りの可愛い子…」

「…?」

「サーシャにはもう会ったのでしょう?あの子と私は友達なの。今回の試合も、彼女からの紹介なのよ」

「そうだったんですか…」

「それでは、よい戦車道を…宜しく」

「こちらこそ…」

 静かに互いに会釈しあい、そして解散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘陵地帯を、六両の戦車が進んでいく。草花を踏み越え、地面に轍を残しながら。地面の質はそう悪くは無いらしい。濡れてもおらず、草花の下は泥濘にもなってもいない。多少もたつくだろうが、問題なく戦車を機動させる事が出来るだろうと、しおりは安心した。巡航速度で旗で記された所定のポイントまで進み、待機する。キューポラから身を乗り出していた神無月しおりは、三/四号中戦車の砲塔上面をそっと撫でた。

「…今日も、宜しく…三/四号…力を、貸して…」

《しおりちゃーん。改めて作戦の概要説明して頂戴ー》

 不意にヘッドフォンに双葉葵からの通信が入る。マイクのスイッチを入れ、しおりは喋った。

 

 

「先ずは索敵しながら前進します。恐らく、敵側の斥候のカヴェナンターが来ると思いますのでこれを迎撃。敵の本隊を見つけたらチームを二つに分離。二方向からの機動戦を仕掛けて、敵の弱点の背後を突きます。チャーチルにせよ、ブラックプリンスにせよ、正面装甲等は恐ろしく堅いですが後方の装甲は50mmしかありません。撃破のチャンスがあります」

《つまり、ぐるぐる回りながら攻撃するって事でいいんだよねぃ?》

「はい。その様な感じで攻めて行きたいなと」

《それじゃぁ、ぐるぐる回るからメリーゴーランド作戦だねー》

《回りすぎて私達がバターにならなきゃ良いけれど》

《スコーンに塗られるバターにはなりたくありまへんなぁ》

 無線機から少女達の無邪気な笑い声が聞こえてくる。その声を聞いて、しおりは内心ホッとしていた。他愛も無い会話が心を落ち着かせてくれる。ドキドキと、競技の開始を恐れる自分の心を。

 やがて、試合開始を知らせる信号弾が打ち上げられた。

 

 

「全車両、前進開始。三/四号中戦車を先頭に、パンツァーカイル陣形を取ります。パンツァーフォー!」

 播磨女学園のチームが動き出した。中央先頭に三/四号。その右翼側にT69E3とソミュア。左翼側にはT-34とクロムウェルとB1ter。長閑な丘陵地帯の稜線を警戒しながら彼女達は進んでいった。目下、異常なし。敵影見えず。その時不意に、地面に影が見えた。遠くでは分からなかった其れは、近付くと次第に事の全貌を理解した。

「全車、停止!地面に警戒してください!塹壕と対戦車塹壕があります!」

 状況に聡い神無月しおりが指示を下した。それぞれの車長も双眼鏡を取り出してフィールドを見つめてみる。そこら中に、塹壕と、大きな大きな対戦車塹壕の深い溝が走り回っていた。

「ちょっと、ちょっとちょっと何なのよこのおっきい溝!」

 

 

 三/四号中戦車の装填手ハッチから身を乗り出した大島明海が声を上げる。同じく、砲手ハッチから身を乗り出した北村カレラも苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。

「これじゃぁ機動戦を仕掛けようにも迂回、迂回で走り回れないじゃないか。どうするんだい?隊長」

「ネットで調べてみたら、ここはマジノ女学園や、菱形戦車で塹壕戦を嗜む戦車道チームの格好のフィールドの1つだそうです!どうしましょう、塹壕戦に置いては英国戦車を使役する彼方側に一日の長がありますよ、しおりさん!」

「地の利を取られたみたいね…」

 

 暫く考え込み、しおりは決意した。マイクのスイッチを入れて指示を下す。

「皆さん、落ち着いて。確かに塹壕と、対戦車塹壕で私達の予定していた機動戦は取れなくなりました。ですが戦いようはあります。

 市街地エリアに進入し、相手に対して近距離機動戦闘を仕掛けます。交戦距離が短くなるのでこちらの危険度はどうしても増しますが、取りあえずはその方向性で」

《了解》

《分りましたどすえ》

《はいはーい》

 

 播磨女学園チームは、再び前進を開始した。塹壕を乗り越え、対戦車塹壕を迂回し、市街地へと向けて進軍する。塹壕に次ぐ塹壕に阻まれ、思う様に中々進めないで居たが、それでも戦車は確かに前へと進んでいた。その最中に神無月しおりはコンパスを傍らに持ちながら地図に対戦車塹壕のあった場所を書き記していく。

 

 少しでも後々、有利になればと思ってだ。お陰で幾らか、この丘陵地帯の全貌が見えてきた。対戦車塹壕が引かれているのは南北の方向に進撃出来ないように引かれている。無論、多少の枝分かれでそのルールが乱れている場所もあるが、基本はそうだった。これならば、東西方向での狭い範囲ではあるが機動戦が取れる筈だとしおりは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリー様。騎兵隊より報告。狐の群れを確認」

 薄暗い車内の中、紅茶を飲んでいたローズマリーの元に報告が入った。カップに満ちていた紅茶の残りを飲み切り、お気に入りのカップが割れまいようにと、ケースの中に仕舞いこむ。口元をハンカチで拭いてから彼女はマイクを取った。

「栄えある騎兵隊の皆様お疲れ様、此れより狐狩りを開始しましょう。行動は予定通りに。『シスター1』に連絡。移動を開始するわよ。ドライバー?ちゃんと間に合わせて貰えるかしら」

「任せて下さいまし」

 

 アイドリングを保っていたエンジンに対し、アクセルが踏み込まれ、ディーゼルエンジンが咆哮する。その音の更に向こうから、独特の機械音が響いてきた。巨大な車体が塹壕を悠々と乗り越えていく。まるで王者の様に。

「あの子達はどれだけ驚いて、そして私を驚かせてくれるのかしら。楽しみね」

 砲塔から身を乗り出してローズマリーは丘の向こうを見る。遠く、砲声と着弾の爆発音が聞こえて来た。

 

 

 

 

《あっ…!しおりはん!丘の向こうに戦車の陰が見えましたどすえ。なんだかぺたこいわぁ》

 最右翼を進んでいたソミュアの久留間舞子から報告が入った。

「久留間さん!敵の戦車は今も見えますか?何処に向かっているか分りますか?」

《見えはりますよぉ。市街地のほう、進んどるみたいどすなぁ。砲塔が算盤の珠のようやわ》

「カヴェナンターって言ったよね、私勉強したよ!」

 

 

 何時でも砲弾の装填が出来る様に身構えていた大島明海が得意げに呟いた。しおりはそっと頷き、指示を出す。

「訓練の時にも言いましたが、カヴェナンターは戦力としては然程脅威ではありません。しかし、足の速い偵察車両を見過ごしていては此方の不利になります。カヴェナンターの追撃に向かいます。全車、右方向へ転進。」

 しおりの指示を元にチームは右へと転進、同時に複縦陣へと陣形を改めた。右列先頭は三/四号、以下T69E3とソミュア。左列先頭はT-34、以下クロムウェルとB1terとなった。カヴェナンターとの彼我の距離が1キロを切る。砲撃開始。先頭の三/四号とT-34の新しく搭載されたZiS-4 57mm対戦車砲が咆哮する。

 

 

「くっそ…意外と地面がデコボコして狙いが…」

「済まないな。揺らしてばかりで」

「馬鹿を言うんじゃないよ凄腕ドライバー。こんなフィールドなんだから仕方ないじゃないさ」

 北村カレラのぼやきに霧島蓉子は謝罪したが、彼女は責めなかった。たとえ命中弾で無くても、至近距離に砲弾を撃ち込まれた側は堪ったものではなく、回避行動の為にその動きは鈍った。彼我の距離はどんどん詰められていき、市街地へと入り込む頃には100mを切った。

「速度の出せる市街地の中で逃げられると厄介です。早急に仕留めます。五十鈴さん。こちらが榴弾でカヴェナンターの足止めをしますので、止めをお願いします」

 

《了解ですぅ。任せて下さい》

「明海さん。榴弾を装填。北村さん。何処でも良いのでカヴェナンターの進路を塞いで下さい」

「榴弾了解だよ!」

「任された」

 路地を駆け抜け、カヴェナンターは加速しようとする。其処を三/四号の榴弾が邪魔をした。建物を破壊し、そのガレキをカヴェナンターに浴びせかけたり、道を塞いで見せたのだ。流石の巡航戦車と言えど、榴弾の爆風にガレキの雨を浴びれた堪った物ではない。ついには、頭上から振り注ぐ三階建て程の建物からのガレキを浴びて速度を鈍らせた隙に、T-34のZiS-4の57mm砲の砲弾がカヴェナンターのエンジンを食い破った。

 

 

《カヴェナンターを撃破!やりましたよ隊長さん!》

 最初の撃破にチームが沸き上がるが、神無月しおりは辺りをずっと警戒していた。出来るだけ早く仕留める予定であったが、思いの他市街地の中に入ってしまった。何となく嫌な予感がする。不意に砲弾が飛び込んできた。地面を抉り、小石や砂が巻き上げられる。キューポラから身を乗り出していたしおりは咄嗟に身を屈め、僅かに頭だけを出すと周囲を調べた。

 通りの向こうのやや遠く。三両のヴァリアントが隊列を組んで此方に砲身を向けている。

「全車警戒!右側面の通りの向こうにヴァリアントが居ます!間合いを取って、態勢を整えてから路地を回って攻撃します!

 三/四号に付いて来て下さい!霧島さん、左に旋回。通りを走って、出来るだけヴァリアントとの間合いを広げて下さい」

《トンズラだー》

《ヴァリアント、ジワジワ迫ってきおります!ほんまに戦列歩兵やわぁ!》

 

 

 通りを6両の戦車が走り抜ける。横へと抜ける道は、大きいものならどうにか戦車が通れそうだと思ったが、三/四号やT69E3達は聊か苦しいかもしれないとしおりは考える。不意に、遠くから何かを踏み潰す音が聞こえて来た。

「この音は一体…?」

 その疑問は直ぐに消し飛んだ。巨大な車体が、斜面を登って播磨女学園の少女達の前に現れてきた。余りに巨大で、余りに重厚で、そして何処と無く古風な車体が。

《何あれ!?菱形戦車!?》

《チャーチルじゃないだと!?》

「The Old Gang・MK1とMK2!?」

 しおりは驚愕した。あんなモノを持ち込んでくるとは思いもしなかった。TOG・MK1とTOG・MK2の砲塔が、そしてTOG・MK1の側面ケースメイト砲が此方へと照準を向ける。

 

 

 TOG・MK2の車内からペリスコープを覗き見るローズマリーは喜びに打ち震えていた。そう。そうとも。私が感じたかったのはこの感情なのよ。見るからに動揺する戦車達。嗚呼、神無月しおりさん。貴女達の息遣いがペリスコープ越しに伝わって着そうだわと、独り独白した。そして、勤めて冷静を装い、無線機のマイクを握る。

「うふふ。嬉しいわ。あの子達ったらあんなに動揺しちゃって。『シスター1』へ。砲撃開始。『フォックステリアチーム』。ジワジワと輪を狭めなさい」

 75mmハウザー砲、ケースメイトに備えられた2ポンド砲、そして何よりも強力な17ポンド砲が立て続けに吼えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 観客席の大きなスクリーンでは刻一刻と状況が知らされてくる。戦況中継を行う航空機のカメラからの映像では、播磨女学園チームは見事に聖・バーラム学院によって挟まれてしまった。その様子をプリャーニクを食べながらサーシャは眺めていた。その横に座るナイナがお茶を差し出しながら話しかける。

「サーシャ隊長。同志シオリチカは見事に包囲されてしまいましたね…」

「仕方が無いわ。斥候は潰さないと勝敗に大きく関わるもの。斥候を潰そうとするのは当然の行動でしょ…マリーは其処に付けこんだ。戦い慣れている者ほどその術中に陥りやすい。それに、狐を呼び込む囮役が余りに上手過ぎるのよ。マリーったら相変わらず戦列歩兵戦術と狐狩りが好きなんだから…」

「同志シオリチカは、どう動くでしょうか?」

「さぁ?分らないわね。だからこそ楽しみなのだけど」

 大小様々な砲弾が、次々に播磨女学園のチームへと撃ち込まれていく。戦況は、直ぐに動いた。

 

 

「退却して下さい!路地を後退!TOG・MK2の17ポンド砲は大変強力です!直撃したら終わりです!」

「何なのしおりん、あのTOGって言う戦車のオバケ!あんなの勉強したけど知らなかったよ!」

「イギリスが第一次世界大戦後に作った超重戦車です!菱形戦車から進化していった、塹壕を踏み越える事に特化した戦車なんです!多分、一気に丘を登ってきてここまで突っ込んできたのかも!」

 中嶋奏の言葉に大島明海はうへぇ。と困った顔を浮かべた。あんな凄い物を持ち込まれたらそうなるのも仕方が無いだろう。何よりも見た目のインパクトが凄まじい。恐怖は敗北へと繋がるから。それは錬度の少ない播磨女学園の少女達に取っては致命傷に成り得る。しおりは皆の感情が心配だった。

《ソミュアの久留間どす!通りからヴァリアントがじわじわ来よります!》

《くそ、挟まれたか!》

《拙いんじゃないの隊長ちゃん!指示を!》

 

 

 クロムウェルの柿原の苦い言葉と、B1terの東郷の焦りの混じった声がヘッドフォンに飛び込んでくる。どうにかしなければ。何かこの状況を打開する方法を。しおりは必死に周囲を見渡しながら考えを巡らせた。そんな彼女の視界に塔が見えた。古い時代の見張り塔だろうか。行き当たりばったりの閃きが脳裏に浮かぶ。

「聞いてください!狙える車両は左手に見える塔の根元を狙ってください!あの塔を倒してバリケードにします!」

《そんな無茶な!》

「無茶は承知です!砲弾を装填!撃て!」

《やるしかないよねー》

 やぶれかぶれとも思える砲弾が次々に塔へと撃ち込まれていく。着弾の煙が塔の根元を覆い隠していき、どれ程その足元を破壊する事が出来たか分らないが、徐々に塔は傾き始め…大きな音を立てながら倒れこんだ。周囲に砂煙が舞い上がる。

 

 

「東郷さん!B1の車体砲に榴弾を装填!民家を吹き飛ばして、退路を作って下さい!この市街地を下って脱出します!柿原さんと五十鈴さん!クロムウェルとT-34は途中で路地の中に隠れて、この市街地でヴァリアントの相手をお願いします!T-34とクロムウェルの速力と火力なら、絶対に勝てます!残りの4両は市街地を抜け出してTOG・MK1とMK2を相手にします!」

《あいあい、退路作るわね!》

《うちらお得意の高速戦闘か!任されたよ!》

《隊長さん達も、どうかご無事でぇ!》

「スモークディスチャージャー展開!煙幕を張って!これより脱出します!」

 其々の戦車に後付で装備されたスモークディスチャージャーが辺りに煙幕を展開した。その隙にB1terが車体砲を発砲。76mm砲の榴弾で民家は消し飛ばされ、戦車が一両通れる程の道が作られた。その後もB1terを先頭に、榴弾で道を切り開いていく。爆発音を盛大に撒き散らしながら、彼女らは窮地を脱した。

 

 

「それじゃぁ隊長。あたしたち離脱するから」

《歩兵さんは任せて下さい!》

《分りました。怪我だけはしないで下さい》

 しおりの言葉に柿原セリカはそっと笑った。戦果よりも、無事を祈る隊長か。優し過ぎるのよ。あの子は…

「五十鈴!気張っていくよ!大きく迂回して、ヴァリアントの後ろに回りこむ!そっから先は出たトコ勝負よ!」

《やるっきゃないんです!セリカさん、無茶しないでね!》

「分ってる。霰!アクセルベタ踏み!」

「りょーかい。荒っぽくなるよ」

 

 クロムウェルの液冷V型12気筒ミーティアエンジンと、T-34のV2ディーゼルV型12気筒エンジンが吼えた。重たい車体をぐいぐいと加速させて、市街地の通りを突っ走っていく。幾らかの路地を通り抜け、幾度か曲り角を越えて走った先、ヴァリアントの姿が見えた。

「撃ちこめ!撃破出来なくて良い。こっちに誘き寄せろ!」

 クロムウェルの75mm砲とT-34のZis-4・57mm長砲身が立て続けに発砲する。砲弾はヴァリアントの堅い装甲に阻まれ見事に弾かれてしまったが、三両のヴァリアントの意識は此方に向いたらしい。

「此処からが正念場だよ!気合を入れな!」

 柿原セリカが仲間達を鼓舞し、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ローズマリー様。クロムウェルとT-34の57mmが此方に接近。迎撃に出ます」

《逃げられちゃった上に分断されたわね。賢い狐だわ。存分に戦ってらっしゃい。『シスターズ』は三/四号中戦車の追撃に向かうわ。幸運を。怪我はしないようにね》

「ローズマリー様もご武運を」

『フォックステリア』と聖・バーラム学院のチーム内で呼称されているヴァリアント部隊の1号車の車長は小さく息を吐いた。刺し違えても、クロムウェルとT-34を仕留めねば。猟犬には猟犬の意地がある。

「車長。相手は此方の側面を突いてきます」

「分っているわ。全速力で移動!」

 

 徹底的に改良に次ぐ改良を施したヴァリアントの操縦装置をドライバーが操作する。試作車両がたったの1両しか生産されなかったヴァリアントを再生産し、使うなんて酔狂も良い所だろうが、ヴァリアントの車長はこの戦車をこよなく愛していた。重装甲を身に纏い、敵の砲弾を弾きながら進軍する時の相手の怯えぶりと言ったら堪らない。それは正に、昔見た映画の中の戦列歩兵の勇姿その物だったから。

「何処からでも掛かっていらっしゃい!」

 車長の彼女は吼えた。勇ましさ(Valiant)の異名は伊達ではない事を見せてやる。

 

 

「やるわよ大淀ちゃん。上手く回り込んでね。阿賀野ちゃん、装填頑張って!」

「五十鈴ちゃんも、外さないでよ?」

「外れたら全部台無しになっちゃうんだからー」

 全速力で通りを突っ走るT-34の車内で車長の五十鈴は仲間達を鼓舞した。前回はKV-1にこっぴどい目を遭わせられたが、今回は違う。主砲もより強い物に載せ変えて、エンジンの馬力もアップさせたのだ。

「次!右折!その次も右折!すり抜け様に撃つわよ!」

「了解です!」

「装填準備よし!」

 

 旋回Gで身体が振られる。中々にしんどいが耐えられない訳ではない。じっとスコープを覗いてまだかまだかと五十鈴はヴァリアントが視界に入るのを待った。そして、僅かに開けた空間に出たその瞬間、すれ違う。五十鈴は咄嗟に引き金を引いた。Zis-4・57mm砲が吼える。撃ち出された砲弾は惜しくも砲塔装甲を掠めていったが、感触は悪くなかった。

「次と次の路地も右に回って、ヴァリアントの後ろに付いて!」

「相手がそれに気付いたら?」

「出た所勝負よ!」

「五十鈴ちゃんのそう言う所、私は嫌いじゃないな!」

「痛いのだけは勘弁だけどねー」

 

 大淀がアクセルを踏み込みながら応え、阿賀野は装填を終え、次に備えた。石畳の路地を駆け抜けてT-34は回り込む。果たして其処には、信地旋回をしながら此方に主砲を向けるヴァリアントの姿があった。ヴァリアント、発砲。オールドナンス6ポンド砲がT-34の正面装甲の角に当たり、酷い衝撃を与えた。あまりの衝撃にエンジンがエンストする。

「エンジン止まっちゃったよ!」

 大淀が涙声で叫ぶが、五十鈴は咄嗟に思いついた。

「大淀ちゃん、クラッチ切って!」

 

 咄嗟の判断で五十鈴はクラッチを切る事を指示。惰性でT-34は走り続ける。その間に五十鈴は狙いを定めて、真っ直ぐにヴァリアントのドライバー席目掛けて発砲。高速徹甲弾が至近距離から放たれ、クリンヒット。その直前、ヴァリアントも次弾を発射。T-34も被弾。着弾の爆発で当たりに黒煙が立ちこめ…晴れた時、ヴァリアントからは撃破判定の白旗が上がっていた。砲弾を受けたT-34も同じくではあったが…

「こちら五十鈴。ヴァリアント一両倒しましたぁ。けども撃破されちゃいました…怪我は無いです」

 脳震盪を起こしそうな振動を諸に食らったが、五十鈴は満足感に満たされていた。あの重装甲歩兵を倒せたのだから。

 

 

 

「セリカちゃん、五十鈴さんから連絡よ!ヴァリアント撃破!」

 無線手も兼ねていた装填手の串良漣が車長の柿崎セリカに吼えた。此方は既にヴァリアントを擦り抜け様に一両を撃破。残った一両との大立ち回りを演じていた。

「残った猟犬が一番タチが悪い奴って訳ね…!」

「どうやって倒す?有効打が撃ち込めてないわよ」

 ヴァリアントの砲弾が直ぐ近くを掠めていく音を聞きながら、柿原セリカは暫し悩んだ。そして…

「『アレ』やってみよう。練習してた奴」

「本気!?履帯吹っ飛んだらどうするの?」

 砲手の霞が彼女の言葉に異議を唱えたが、セリカは首を振った。

 

「マトモに撃ちあってもクロムウェルの主砲じゃ太刀打ち出来ない!意表を突くしかない!」

「ったくもー…セリカったら頑固なんだから!霰!飛び切りの運転しなさい!」

「ほいほい!確り掴ってよ!」

 全速力でクロムウェルは駆け出す。ミーティアエンジンの強化されたスーパーチャージャーが独特のタービンサウンドを撒き散らしながらどんどん加速させていった。そして、ヴァリアントと相対する。ヴァリアント、発砲。霰は素早い操縦で此れを回避。全速力で突っ込む。

 

 

「正気なの!?」

 ヴァリアント一号車の車長は我が目を疑った。決して広いとは言い切れない路地の中を、あのクロムウェルは全速力で突っ込んできた。彼女からしたら自殺行為にしか見えない。

「次弾装填急いで!」

 

 

 相次いで撃ち込まれる砲弾の数々を、クロムウェルは寸前の所で避けていく。砲塔横を掠めていった砲弾の金切り声は凄まじい物があった。そして…ヴァリアントの横を通り過ぎる瞬間、セリカは吼えた。

「ブチ咬ませ!ブレーキングターン!」

 履帯とブレーキが盛大に火花を巻き散らし、高速で突っ走っていたクロムウェルを減速させる。ハードブレーキングで全車重をフロントに移動させながら、信地旋回。文字通り横滑りしながらクロムウェルはヴァリアントの真後ろを取った。

 

「拙いッ!?」

「喰らえ!」

 ヴァリアントの一号車車長が狼狽したその瞬間、75mm砲が発砲。極至近距離からヴァリアントはエンジンルームを撃ち抜かれ大破炎上した。敗北の白旗が歩兵戦車に上がる。

「いよっしゃぁ!猟犬を喰った!霰、霞!あんたらは偉い!」

「それは良いけどねセリカちゃーん。クロムウェル駄目だよ」

 ドライバーの霰はやれやれとばかりに背凭れに凭れ掛かった。

「多分だけど全力疾走からのブレーキングターンでギアか何処か壊れちゃった。動けません」

「あちゃぁ…工場の人達と工業科の皆に叱られる…でも、勝利は勝利だ!」

 

 時として開き直りが大事である事を、柿原セリカは知っていた。気が付けば喉がカラカラだ。車内に置いておいた水筒を開けてお茶を飲み込む。安物のパックのお茶が、酷く美味しく思えた。

 

 

 

 

 

「神無月さん!クロムウェルとT-34から連絡!ヴァリアント3両を撃破なれど、相打ちになりました!」

 無線機で通話をやり取りしていた中嶋奏が神無月しおりへと報告する。ティーガー戦車並みの重装甲を持つ戦車3両を相手にたった2両でよく奮闘してくれた物だとしおりは感心した。

 現在彼女達は丘の上の市街地を脱出。丘陵地帯を東から西へと移動していた。キューポラから僅かに頭を覗かせて後方を見ると、TOG・MK1とMK2とはそれなりの距離を離す事が出来たらしい。しかし依然として、TOG・MK2に搭載されている17ポンド砲の脅威からは逃げられないで居る。TOG・MK1の火力は然程の脅威でもないが、安全にTOG・MK2を倒すにはコレも倒さなくてはならない。どうしたものか。

 

 

「あの、神無月さん!良かったらこれ、使って下さい!」

 そう言うと中嶋奏はしおりに愛用のタブレット端末を差し出した。其処には今戦っているフィールドの地図が映っていた。精密なもので、なんと塹壕の場所や大きさまで分っている。

「必死になって此処のフィールドの詳細マップを探して来ました!お役に立てましたか?」

「中嶋さん…ありがとう。これで俄然、戦いやすくなりました。皆さん聞いて下さい。これよりTOGとの距離を広げます。三/四号にピッタリと付いて来て下さい。道を外れると塹壕に真っ逆さまです!霧島さん。速度を上げて。ナビゲートします」

「分った。ナビゲート頼んだぞ、神無月さん」

 

 

 播磨女学園の戦車を追撃していた所、TOG・MK2のドライバーは声を発した。

「…ローズマリー様。敵の動きが急に良くなりました」

「あら…?この塹壕で一杯の丘陵地帯で?」

「えぇ。依然として塹壕を避けて通る大回りのルートなのですけれども、随分とキレが良く…」

「一体どんな魔法を使ったのでしょう?」

 装填手の少女が不思議そうにローズマリーへと話しかけた。彼女はそうね、と言葉を区切って。

「案外、本当に魔法を使ったのかもしれなくてよ。彼女、御伽噺の中の魔女みたいじゃない?」

 

「魔女…ですか」

「えぇ。艶やかな長い黒髪に神秘的なルビーの様に赤い瞳。多くを語らず、物静か。烏合の衆とまでは行かないにせよ、まだまだ初心者のチームをあんなに見事に纏め上げて…それが魔女でないとしたら何かしら」

「ローズマリー様。敵チーム発砲」

「この距離では『シスターズ』の装甲を貫くのは難しくてよ。安心なさい」

「それが…煙幕弾です」

「煙幕…?」

 

 

 

《しおりちゃーん。この作戦上手く行くと思うー?》

 次々に煙幕弾をTOG・MK1とMK2の進路上に撃ち込みながら双葉葵は問い掛けてきた。

「相手は己の利点を活かして此方に突入してくる筈です。利点とは裏を返せば欠点でもあります。あれ程の頑丈な戦車に対抗するにはそこに付け入る他ありません。久留間さん、配置に着けましたか?」

《久留間どす。ちゃんと配置に付きましたどすえ。怖いどすなあ》

「爆発したりする訳じゃないから大丈夫です。ただ、この作戦の後はTOG・MK2に倒されるかも知れませんけど…」

 しおりは其処で言葉を濁した。言わば彼女らには捨て奸をさせようと言うのだ。この作戦は。

《隊長ちゃん。おっきいのが来たよ!》

 東郷の言葉にしおりは意識を切り替えた。最早後戻りは出来ない。

「全車、TOGに向かって牽制射撃!ソミュアを援護して下さい!」

 

 

 

「ローズマリー様。煙幕を抜けました」

「破れかぶれにしては妙な戦法ね…何を仕込んできたのかしら」

 振り落としてしまっても割れないプラスチックのカップで、僅かに注いだ紅茶を飲みながらローズマリーは呟く。彼女はこのプラスチックのカップが然程好きでは無かった。割らない為とは言え、味気の無いカップであったから。

「播磨女学園チーム、発砲開始!」

遠くから飛来する砲弾を、TOGは悉く受け止め、または弾いた。強力な装甲は彼女らの砲弾を物ともしない。TOG・MK1とMK2は悠々と丘陵地帯を越えていく。幾つもの塹壕を踏み越えて。

「ん…?ローズマリー様。相手側のソミュアS35の姿が見えません」

「あの可愛い戦車を態々、この段階になって別行動…?何をする気なの。しおりさん」

途端、車間を大きく開いて隣を進んでいたTOG・MK1のエンジンルームが爆発、炎上した。

「何事!?『シスター1』報告なさい!」

《こちら『シスター1』!突然の攻撃を受けてしまいました!状況不明!》

 何事が起きたのかとTOG・MK1の状況を確認すべく外を見たローズマリーは、対戦車塹壕の中をもがいて脱出しようと試みている泥塗れ、煤塗れのソミュアS35の姿を見た。

「もしや…!」

 

 

 

《久留間より隊長はんへ。TOG・MK1を撃破どすえ!重戦車を倒しましたわぁ!》

 無線機から聞こえた久留間からの報告に、牽制射撃を行っていた残りの3両は喜びの声を上げた。しおりはソミュアに待ち伏せ攻撃を行う様に指示をしたのだ。対戦車塹壕の中に潜り込み、どんな戦車であろうと絶対的に弱くならざるを得ない、車体下部を攻撃する事によって、相手を倒したのである。

「久留間さん、お疲れ様です。直ぐに脱出を!」

《それが塹壕の傾斜がきつぅて…きゃぁ!!》

 彼女の悲鳴が聞こえると同時に、TOG・MK2が発砲。17ポンド砲の餌食となり、黒煙を上げた。ソミュアS35に白旗が上がる。やはり撃破されてしまった。しおりは小さく唇を咬んだ。

《最後の一両、どうやって倒そうか?しおりちゃーん》

 しおりは考え、中嶋奏から渡されたタブレットを眺めてから、マイクのスイッチを入れた。

「全車、これより最後の作戦を伝えます。聞いてください」

 

 

 

「まさか、ソミュアでTOG・MK1を撃破してしまうだなんて…!」

 試合を静かに見守っていた副隊長のナイナが驚きの声を上げる。サーシャはパチパチと手を叩いてしおりを賞賛した。

「見事な物だわ、同志シオリチカ。相手は対戦車塹壕を楽々と踏み越える事が出来ると言う利点を、見事にウィークポイントへと変化させたわね。地の利を得ているバーラム学院の足元を、見事に引っ繰り返したわ」

「ですが、それでもまだ17ポンド砲を持ったTOG・MK2が残っています。同じ作戦は使えません」

「大丈夫よ。シオリチカならね。ほら…早速動いたわ」

 

 

 

「ローズマリー様。播磨女学園、再び煙幕弾を発砲。此方の視界を奪ってきました」

「距離を取って回り込むつもりかしら。榴弾を装填。煙幕を吹き飛ばしなさい」

「了解」

 17ポンド砲に榴弾が装填され、発砲。独特の野太く、遠くまで響き渡る音と共に砲弾は飛翔。音速を超えて煙幕弾が打ち込まれたであろう近くへと着弾し、煙を消し飛ばした。すると、その中から全速力で突っ込んでくるB1terの姿が見えた。はたしてそれは、やぶれかぶれか?

「徹甲弾を装填。落ち着いて攻撃なさい。まだ安全距離よ」

「徹甲弾、装填完了」

「ファイア」

 初弾、命中ならず。次弾、徹甲弾を装填。砲手はゆっくりと深呼吸をしながらB1terの動きを見極めてトリガーを引いた。17ポンド砲の砲弾がまるでB1terに吸い込まれて行く様に着弾する。黒煙を上げて、白旗を掲げるB1terであったが、その背後にはT69E3が隠れていた。

「そんな、一列で突っ込んでくる気!?」

 

 

《チキンレース仕掛けるとか、隊長ちゃんキレッキレー!》

 B1terの車長、東郷百合の言葉にしおりは無線越しに謝った。本当に、酷い作戦である。

「すみません。でも、あの17ポンド砲に対抗するにはこうする他無くて」

《いいよいいよー。確り先頭走るから、付いてきて!》

 

 全速力で駆け抜けるB1terを先頭に、次にT69E3。最後尾に三/四号中戦車、と言う隊列で一路、播磨女学園のチームは突っ込んでゆく。相対距離をどんどん詰めながら、TOG・MK2へと接近していった。その間にも17ポンド砲が吼える。

《マジ怖ッ!?》

 ギリギリで砲弾を回避し、至近弾を受けた東郷百合の悲鳴が響く。無理も無い。心臓を握りつぶす様な行為だ。幾ら特殊カーボンで安全だからと言っても、高初速かつ、高威力を誇る17ポンド砲の砲撃を正面から受ければその衝撃は計り知れない。

 だが、他にしおりには作戦が思い浮かばなかったのも事実だ。伸るか反るかの大博打である。そうこうしている内に、TOG・MK2が再び発砲。先頭を走るB1terに正確無比な射撃を撃ち込んでこれを撃破した。フロントから着弾の黒煙を上げてB1terがリタイアする横を、T69E3と三/四号中戦車が素早く通り抜けていく。

 

《ゴメーン。やられちゃった》

「お疲れ様です。怪我は!?」

《ないよー。心配してくれサーンキュ》

 東郷百合の言葉に神無月しおりはホッと胸を撫で下ろした。そんな彼女を双葉葵は優しく叱責する。

《しおりちゃーん。今はそれ所じゃないっしょー》

「すみません。どうしても…」

《ま、それがしおりちゃんの良い所なんだけどさー。青島、TOGの足を狙って!》

 

 T69E3の限定旋回砲塔が旋回し、狙いを定める。76.2mm砲が発砲し、砲弾を送り込むも、側面装甲に接触、火花を撒き散らして弾かれた。TOG・MK2は尚も続けて発砲。突撃を敢行するT69E3のやや前方に着弾。地面を耕し、土を辺りに撒き散らした。

《会長ー!スコープに土が被って前が見えませんー!》

《やっば!?田宮、右、右!続けて左!》

 T69E3のドライバーをしている田宮恵理子の悲鳴を聞いて、双葉葵は必死に彼女をナビゲートしようとする。しかし、精彩を欠いてしまったT69E3の動きは17ポンド砲を避けきれず、再び正面装甲に砲弾がクリンヒット。リタイア。

 

《ごめんしおりちゃん。後宜しくー》

「任せて下さい。霧島さん、頑張って避けて!」

「あいよ」

「明海さん、煙幕弾の残弾残り幾つですか!?」

「もう2発しかないよ、しおりん!」

 直ぐに残りの砲弾を数えた明海に、しおりは静かに頷いた。

「北村さん、TOGに向かって煙幕弾を撃って下さい!」

「この速度で行進間射撃か…難しいが…やって見せよう!」

「明海さん、煙幕弾装填!続けて次弾も煙幕弾!最後に高速徹甲弾!」

「任せて!」

「5シュトリヒぐらいだから650mって所か…!」

 砲弾が放たれ、煙幕弾がTOG・MK2目掛けて飛んでゆく。砲塔装甲前面の上に接触、弾かれる。次弾装填。大島明海は必死の思いで重たい砲弾を出来るだけ素早く薬室に送り込み、装填する。砲尾閉鎖。装填手安全装置オン。直ぐ様に隣に置いておいた高速徹甲弾へと手を伸ばす。カレラは振動と自車の速度の誤差を脳内で再計算し、照準を修正。発砲。煙幕弾は弧を描いてTOG・MK2の砲塔根元に着弾。同時にTOG・MK2も発砲。17ポンド砲が三/四号中戦車の砲塔側面に接触。火花を散らした。

 

「着弾なるも損害不明!」

「再装填、急いで!三/四号は!?」

「煙幕で見えません!」

「左旋回、急いで!三/四号は恐らく左から来るわ!私達の右には塹壕があるもの」

 TOG・MK2はその巨体を電動モーターで駆動させて、大きさに見合わぬ意外な滑らかさで旋回する。側面を晒してしまえばお終いだ。TOG・MK2は確かに重装甲の部類であるが、最早三/四号の必殺の間合いに入り込まれてしまっている。

「おいでなさいな!」

 ローズマリーが叫んだその瞬間、ドライバーのペリスコープに、ちらりと目の前を左から右に動く物体が見えた。そして運転手の少女は悲鳴を上げる。

「三/四号が右に!?」

 次の瞬間、TOG・MK2に衝撃が襲い掛かる。爆発音がローズマリーの耳に届いた。

 

 寸前の勝利だった。正に勝つか負けるか。三/四号は砲塔が故障。旋回が出来なくなってしまっていた。自車は相手から見て左側に位置しており、そのまま吶喊するのは危険と判断したしおりは霧島に左旋回を行う事を指示。塹壕スレスレの大回りを行い、TOG・MK2の右側面に到達すると右旋回を指示。砲塔を装甲に対してほぼ正対させるとTOG・MK2のエンジンルームを撃ち抜いた。黒煙を上げてその動きを止めた巨大なオールドギャングは、満身創痍の少女達の前に終に白旗を晒した。

《播磨女学園の、勝利!》

 二度目の勝利の無線が、播磨女学園の少女達の耳に届いた。無線機から少女達の歓声が湧きあがる。

 

「やーもー、今回は生きた心地がしなかったよー…17ポンド砲怖すぎー…」

 装填手席に座り込んだ大島明海はやれやれとばかりに大きな溜息を付いた。しおりにしたってそうだ。前回といい、今回といい、何時でもハラハラさせられる。しかし、疲れに反して心中に沸きあがる充実感はとても大きな物だった。

《しおりちゃーん、お疲れー。いやー三/四号が被弾した時はやられたか!?って心配になったよー》

 無線機で双葉葵が労いと心配の言葉を送ってくる。確かにそうだ。しおり自身もまた、あの時の砲塔部への被弾には負けを覚悟した。だが運命の女神は偶然にも三/四号に味方したのである。砲塔故障と言うギリギリの対価を支払わせて。

「…お疲れ、三/四号…」

 キューポラから身を乗り出して、砲塔左側面部に大きな擦り傷を残した三/四号の砲塔を、しおりはそっと撫でた。貴方のお陰で、私は力を出す事が出来た。貴方のお陰で、また勝利を得る事が出来た。皆が喜んでくれる勝利が…

 

「やれやれ。見事に負けてしまいましたわ」

 不意にしおりの耳を言葉が擽った。見れば、ローズマリーがクルーの少女を従えてこちらに歩いてくる。

「機動力の不利は承知でも、勝利するつもりはあったんですのよ?私達」

「その…色々と勉強になりました。斥候が囮役だったなんて…」

 三/四号から地面に降り立ったしおりはローズマリーに向かって心中を打ち明けた。その傍らで、双葉葵もそっとしおりに向かって駆けつけてくる。きっと彼女は何か、大事な話をするのかもしれないと思ったのだろう。

「楽しかったわ。神無月しおりさん。可愛げの無いと言われる神無月流の人らしくない…良い戦いだったわ」

「……あの、その……」

「あら、何か…?」

「…私は、神無月流が、嫌いなので…」

 言葉を濁したしおりは、おずおずと呟いた。

 

「まぁ…それは、失礼な事を言ってしまったかしら」

「…いいんです。私は…どう足掻いても、神無月の家の物だから…」

「……顔をお上げなさい?しおりさん」

 ローズマリーはそう言うと、彼女の頬と肩を労わる様にそっと撫でて、優しく呟いた。

「家柄や血縁とは確かに強い力を持つ物だわ。でも…貴女の戦車道は、貴女と、貴女の仲間達が作るのよ。戦車道は他人が決める物ではない。誰にも決める権利なんてないわ。唯一、それが出来るのは、貴女自身なのよ」

「…私が…戦車道を…作る…?」

「えぇ。貴女自身が。そして、貴女はきっと、素敵な戦車道を見つける事が出来るわ。これからも、貴女と共に歩んでくれる素敵な仲間達と、ずっと戦車道を続ける限り。貴女の心が、貴女だけの戦車道を求める限り」

「……はい」

 

 ローズマリーの優しい言葉はまるでしおりの心に染み入るようで、彼女は静かに頷いた。唇が自然と、笑っていたかもしれない。それは小さな笑みだったが、何故か、零れ出したのだ。心の中から。

「本当、貴女は素敵で、同時に不思議な人ね。まるで魔女みたい」

「…魔女…?」

「えぇ。御伽噺の中の魔女。艶やかな黒い髪に神秘的なルビーの様に赤い瞳。そしてあの手この手で私達を惑わしてくる。まるで魔法でも使われたんじゃないかしら、って思う程にね」

「ええねぇ。魔女。しおりちゃんは播磨に勝利を運んでくれる、勝利の魔女だよ!」

 横で静かに話を聞いていた双葉葵がうんうんと頷き、納得した。

「ふふ…播磨の魔女、ね。素敵だわ。そう名乗っては如何?しおりさん」

「…播磨の、魔女…」

 その言葉は何故だか酷くくすぐったかったが、しかし…なんとなく、しおりの心に馴染んだ。

「…悪くない、かも…しれない…」

「そう。おめでとう。貴女は今生まれたのよ。播磨の魔女として。これからも、よい戦車道をして頂戴ね?魔女さん」

「…はい…」

「最後にだけども…カトリーナ?」

 

 カトリーナと呼ばれた、金髪で亜麻色の瞳の少女が小さな木箱を持って現れた。

「これは私達の親愛の印よ。受け取って頂戴」

 品の良い木箱を受け取ったしおりはそっと蓋を開けると、中には可愛らしいティーカップのセットが入っていた。しおりは今まで見た事のない、上品な茶器にそっと息を飲み込んだ。

「グロリアーナの猿真似、と言う訳では無いけれど…是非貴女達とそのティーセットでお茶会をしたいわ。時間が出来たら遊びに来て頂戴ね。聖・バーラム学院は友人を何時でも歓迎しているから。無論、私達も播磨へ遊びに行くから」

「…はい。お待ちしてます」

「じゃぁね。新しく出来た、私の大事な友人さん。またお会いしましょう」

 

 そう言うと彼女ローズマリーはしおりの空いている手を取ると、そっと小さく口付けをした。

 やがて戦車回収車が現れ、それぞれの戦車が無事に回収されると聖・バーラム学院は静かに去っていった。悠々と帰っていく彼女達の姿を見送りながら、神無月しおりは呟いた。

「…私…戦車道で、友達が出来るなんて…思わなかった」

「しおりちゃん…」

 彼女の言葉は、裏返せば痛々しい言葉である。そう、今までの彼女には、戦車道で友達など出来る物では無かったのだ。それを理解して、双葉葵はそっと背中を撫でた。

 

「…でも…今日、友達が、出来ちゃった…」

「そうだね。きっと、前に戦車道をした、モスカウ文化高校のサーシャだって、しおりちゃんの事、大切な友達だって思ってるよ。断言できる」

「…双葉さん…私、判らないんです…今、私の中にある気持ちは…嬉しいって、気持ちなのに…何故か、涙が出てきて…涙が、止められなくて…なんで、嬉しいのに…心も、身体も、痛くないのに…涙が、出るんですか…?」

 ほろほろと涙を頬に流す少女を、双葉葵はそっとその胸に抱きしめた。

 

「大丈夫。大丈夫だから…しおりちゃんは、何も可笑しくないよ。人はね。嬉しい時も涙が出るんだから…だから、安心して泣いていいんだよ。今のしおりちゃんは、とても正しい。友達が出来て、嬉しいんだ」

 双葉葵は神無月しおりを抱きしめながらに思う。嗚呼、本当にいじらしい。そして本当に儚くて、なんて脆い少女なのだろう。友達が出来た事に喜び、そして喜びの涙が理解出来ずに戸惑うなんて。願わくば、彼女がもっと、喜び、笑って上げられる様にしてあげたい。この美少女に、飛び切りの笑顔を咲かせてあげたいと、強く思った。

 

 

 日が落ちて、気温がゆっくりと下がり始める。肌寒い風が肌を撫でて行くが、冬の様な寒さはもう無い。季節はゆっくりと初夏へと歩んでいた。少女は青春を過ごしていく。初めての経験、初めての感情に戸惑いながらも、一歩一歩、確かに歩んでいった。それは掛け替えの無い時間。極彩色の、大切な思い出。

 

 少女が初めて喜びに泣いた日は、これからの人生の彼女を言い表す、魔女の名前を冠した最初の一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

登場戦車一覧

・播磨所学園側 新車種。

 

・T-34長砲身57mm砲装備型

砲塔を1943年型のキューポラ付きナット砲塔に交換し、砲身長73口径のZiS-4・57mm対戦車砲に載せ変えた物。

 

・ルノーB1ter

重装甲で有名なルノーB1Bisを更に改良した物。「Ter」とは三番目を意味する。左右側面の装甲は傾斜装甲に改められ、B1Bisまでは弱点とされていた側面のエンジングリルが無くなり弱さを克服。車体砲も改良され僅かながら左右へと首振りが出来る様になっている。今回、播磨女学園で行われた車体砲の乗せ換え改造は実在の物ではないが、75mm長砲身砲を車体砲に搭載したソミュアSAu 40こと、ソミュア自走砲型の改造を参考に筆者が考案した物である。

 

 

・聖・バーラム学院

 

・TOG・MK1

第一次世界大戦後にイギリスが開発した超重戦車である。

聖・バーラム学院の物は左右のケースメイト砲にそれぞれ一門の2ポンド砲を装備しているタイプである。

また、エンジンと油圧駆動系を強化。機動力や旋回性能を向上させている。

午後のお茶を飲める様にポットが追加されている。

 

・TOG・MK2

第一次世界大戦後にイギリスが開発した超重戦車である。TOG・MK1の改良型。

サスペンションを強化した他、より強力なエンジンと電動モーターを装備し、機動力や旋回性能を向上させている。

TOG・MK1と同じく、午後のお茶を飲める様にポットが追加されている。

 

・巡航戦車カヴェナンター

恐怖の蒸し風呂戦車であるが、聖・バーラム学院のカヴェナンターは冷却系パイプに独自の改良を施してある。魔法瓶の様に真空二層構造の冷却パイプを使用。断熱材を接続部などに巻きつける等の改造で搭乗者のストレスを大分軽減させている。その他、ラジエータには強制冷却ファンを追加装備し、エンジンの出力向上とそれに伴うギアボックスやサスペンションの改良を行っている。

 

・歩兵戦車ヴァリアント

実際に製造された唯一の試作車から操縦装置の問題点を洗い出し、改造を行った上で再生産された物。基本的には既存の歩兵戦車の操縦装置を元に当車両を操縦するに当って便利な様に改造されている。鈍重である為、機動力を向上させる為にエンジンの出力向上とそれに伴うギアボックスとサスペンションの改良を行っている。

 

 

 

オマケ・コードネーム『シスターズ』について。

聖・バーラム学院でのTOGに割り振られるコードネーム。車両の名前の元にもなった、第一次世界大戦中に戦車開発の中心にいた人々を現す「The Old Gang」と言う名前に敬意を表して『シスターズ』(御姉様)と名付けられる事になる。また、第一次世界大戦ルールの戦車道競技に聖・バーラム学院が出場する際、菱形戦車にはより高位の『エルダーズ』(小母様、または長老)と言うコードネームが割り振られた。彼女達の戦車への愛情が伺える次第である。

 

 

 



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ep.3

・始まりを告げる些細な旋風は、全てを巻き込む嵐と化した。


PS.巻末コラムを掲載し忘れておりました。良ければご覧下さい


 

 

 

 二度目の非正規戦車道の試合を制した播磨女学園の戦車道チームの存在は、各校の戦車道チームへとその噂を広げていった。戦車道の歴史の中で、嘗ては無名にも程近い存在だった播磨女学園と言う弱小チームが、今やその存在感をメキメキと増している。況してや、外野を驚かせたのは戦ったチームが急速に彼女らへと接近を図っていると言う事であった。それ程の人材が播磨女学園に居たと言うのか。どの様な人物が、チームを率いているのか。

 

 

 興味は絶えず、謎が新たな噂を産む。新たな隊長はまるで鬼の様な奴だと。いいや違う。余りにも切れ過ぎるが故に強豪チームから弾き出された『切れ者』だと。そうではない。戦車道の歴史に名を連ねる有名家元の隠し子だと。然し…どの噂も噂の域を出ないまま、噂は一人歩きを続けた。ちっぽけな少女の存在を知らぬまま、見知らぬ戦車道チームのリーダーの話として。

 

 真実を知るのは、彼女と砲火を交えた僅かな少女のみ…

 

 

 

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 

第三話:ウォッチ…アンドサーチ

 

 

 

 

 

 初夏の風が、巨大な都市艦の甲板街を撫でて行く。ここは海上都市艦『コンティネンテ』 様々な企業が社を構える、海の上の大都会。学園艦数隻分もの甲板面積を誇る巨大さは伊達では無く、住人も通常の数倍と言われて居る。その海の上の不夜城では今、戦車道で取り扱われる競技用パーツの新商品展覧会が大々的に開かれていた。有名無名、大企業から下町の小さな企業まで、様々な会社が戦車に纏わるパーツを出展している他、過去の商品の安売りセール等も開かれて大変盛況していた。そして、各校学園艦からも何人もの少女達が来客していた。彼方此方でその姿が見れる程。

 

 

その中に目を引く少女のグループが居た。目にも美しいシルバーブロンドに碧い瞳の少女と、鮮やかな赤毛の鬢を三つ編みに結った上品な雰囲気を纏わせる少女。そして、彼女らに付き従う乙女達は見目麗しかった。

「今年のパンツァーフェスタも随分と大賑わいね」

 シルバーブロンドの少女、アレクサンドラ・楠ことサーシャはパンフレットを片手に楽しげに呟いた。

「各地で戦車道をする学校の間口がどんどん広がっているものね。それに航空道や軍艦道が武芸として人気が高まりつつあるから、将来の顧客を逃がすまいと力を入れている訳なのよ。別に、取り合う様な物でもないと思うけれど」

 

 赤髪の少女、ローズマリー・レンフィールドは優雅にそう言った。

「それにしても残念ね…あの子達が此処に来ないなんて。フェスタは楽しいのに」

 残念げに呟いたサーシャは喉の渇きを潤す為にペットボトルから水を一口飲んだ。会場の巨大ホールは人混みも多く、空調が整っているとは言え、少しばかり汗ばむので喉が渇くのも無理は無い。

「何でも独占契約をしているパーツ会社が居るのですって」

 他愛も無い事だとばかりにローズマリーはそう呟いた。僅かに滲む汗をそっとハンケチで拭きながら。

 

「そんな事、よく知っているわね? 何時知ったの?」

「彼方の生徒会長さんとお茶会をした時に」

「テヘラン会談の物真似かしら? 除け者なんてずるいわ」

 小さく頬を膨らませて不満げなサーシャにローズマリーはごめんなさいねと小さく謝った。

「別にそんなつもりはないのよ。それに今、こうして話しているでしょう? だから機嫌を損ねないで?」

 貴方と私の仲じゃないの、と付け足しながら彼女はそう言った。

「本気で怒ってる訳じゃないわ。こんな楽しい時に怒るなんてミルクの無いミルクティー位気がきかないでしょう?」

「えぇ。本当に…」

 

 少女達は出展された商品を眺めていく。歪み難い、より壊れにくい鋼鉄で作られた新規製造のシャーシや装甲。より精度の高い砲身。頑丈に再設計されたギアボックスやエンジン等。正に様々であった。

「あら。新開発の高硬質ガラスで出来たペリスコープ用ガラス。ヒビの入りにくさが旧製品に比べ1.5倍なのね。中々良さそうな商品ねコレ…ナイナ。この商品の事メモしておいて貰えるかしら?」

「了解です。サーシャ」

 ナイナと呼ばれた亜麻色の髪の少女は商品を出している会社の社名や商品をサラサラとメモした。その傍らでは…

 

「まぁ! 17ポンド砲の新規製造品? より命中精度が高まって弾道がブレ難いだなんて…ねぇカトリーナ。素敵だと思わない? 私達もこの17ポンド砲を買おうかしら」

「検討に値するよい商品だと思いますよ。マリー様」

 ふんわりとした金髪を揺らしながら、カトリーナと呼ばれた少女が微笑む。真新しい戦車のパーツに少女達はきゃっきゃと楽しげに声を上げた。良い物を使って、楽しい事を夢見る。これにはしゃがない少女が果たして居るだろうか。

 そんな折、彼女らに近付く小さな人影があった。黄色い髪のツインテールを揺らして、堂々と歩きながら。

 

「ローズマリー! サーシャ!」

 少女はよく通る声で少女達に声を掛ける。呼び掛けられた二人はすぐに気が付き振り返った。何故なら声の持ち主は自分達がよく知っている声なのだから。

「御機嫌よう。貴女達もフェスタに来ていらしたのね?」

 勝気な雰囲気を纏った少女は、スカートの裾を僅かに持ち上げて二人へと挨拶した。

「御機嫌よう。エリザベド。貴女も来ていたのね」

 サーシャがツインテールの少女…エリザベドとそう呼んだ娘に挨拶を返した。ふふん、と少女は得意げな表情を浮かべて、そして頷く。

 

「勿論でしてよ。このフェスタは何時来ても楽しいし、他校の生徒の皆様がどんな物を好むのかで、彼女らが扱う戦車にどんなパーツが組み込まれるか。その傾向も把握出来る。一石二鳥でありましょう?」

「あらあら…姫騎士様は目敏いわね」

 くすくすとローズマリーはそんな彼女の言葉に微笑んだ。何時でも一つ先を見通そうとする彼女の姿に。

「まぁ、今回はそれだけではないのですけれども」

 エリザベドは、勿体ぶって言葉を区切ってみせた。はて何事だろうと二人の少女が首を傾げた時、彼女は口を開く。

「お二方、ひとつカフェーにでも向かいませんこと? 此処では他の人の邪魔になってしまいますわ」

 少女の提案に、サーシャとローズマリーは乗る事にした。

 

 

 

 

 会場の外へと少女達は向かい、道路沿いに店を構えるオープンカフェへと彼女らは腰を落ち着ける。付き添いの少女達に暫しの間、歓談をするようローズマリーは言うと、誘ってきた少女へと向きかえる。

「さて、場所を改めて何をお話したいのかしら? エリザベド」

 少女は、運ばれてきたカフェ・クレームをそっと一口飲んで、それの美味しさを賞賛してから切り出した。

「噂に聞きましてよ。お二方は、面白い少女を見つけたのだとか」

「耳聡いのね。何時知ったの」

 ミルクティーをゆっくりとかき混ぜながらサーシャは問うた。あの子の事を話しているのだと直ぐに察しが付いた。

 願わくば、あの少女には不毛な戦車道チームのイザコザには巻き込ませたくないと思いながら…

 

「つい先日。お二方が…失礼ながら、負けたと言うお話を耳にして。件の試合のフィルムを見せて貰いましたわ…貴女達が負けるなんて、最近中々耳にしないお話だもの。興味が出るのも無理はないのではなくて? 何より…件の相手とは仲良くしているらしいじゃありませんの。しばしば、学園艦へと遊びに出向いているとか…」

「エリザベド。貴女の悪い癖ね。そうやって話が回り道してしまうのは」

 アールグレイを静かに飲みながらローズマリーは少女に言葉を振る。早く本題に入りなさいと暗に言ったのだ。

「では失礼して直球に…お二方だけで色々と楽しんでいるなんてずるいわ。仲間外れは寂しいから、あたくしにもひとつ咬ませて下さいませんこと? 噂の少女と…ね」

 

 不意に地鳴りが響き、少女達を揺さぶる。すぐ近くの道路をドイツの主力戦車達がゆっくりと走っていった。恐らくは、今回のパンツァーフェスタの宣伝車両なのだろう。見るからに真新しかった。

「あの子を、苛めないでよ」

 サーシャは短く、しかしはっきりとエリザベドに言った。

「あら…苛めるだなんてはしたない事、する訳ありませんわよ?」

「あの子は弱い子なのよ。儚くて、線が細くて…友達だと言っても、少しでも苛めたら承知しないわよ」

「騎士道に誓って。そんな事はしないわ。真っ直ぐぶつかりに行く事はしますけれども」

エリザベドは胸に手を当てながらそう宣言する。やれやれ…とサーシャは小さく嘆息した。

 

「それで、詳細を教えて下さらない?」

 彼女の言葉にローズマリーがそっと口を開いた。

「あの子の名前は、神無月しおり…黒瑪瑙の様に美しい黒髪に、神秘的なルビーの様に赤い瞳を持った、華麗な少女にして…播磨の学園艦に勝利を齎さんとする、小さな魔女よ」

「ふぅん…小さな魔女…神無月しおり…はて。神無月…もしや噂に聞く、戦車道流派の神無月かしら?」

「ご明察よ。でも…彼女は違うわ」

 サーシャが静かに言葉を挟んだ。

 

「違うと言うのはどう言う事でして?」

「あの子は、神無月流が嫌いなのよ。美学も無く、ただ勝利をもぎ取っていこうとする…そんな流派を」

「ふぅん…面白そうな子ですこと…」

 エリザベドはカフェ・クレームを一口飲んでから、言葉を発した。

「是非とも、お手合わせ願いたいですわ」

 少女は不敵に笑った。我、好敵手を得たりと言わんばかりに。初夏の潮風が、街路樹の枝葉を撫でて行く。波の様に揺れる青い枝葉の音が、耳を擽っていく。はたはたと風に揺れる少女の髪は、何処か美しかった。

 

 

 

 

 

 播磨女学園戦車道チームはゆるりとした一日を過ごしていた。戦車の大規模整備の為に訓練は出来ず、少女達は戦略研究と称して使用されていない視聴覚室を貸し切り、日がな一日ゆっくりと色んな戦車道の試合映像を眺めていた。中には個人所有の古い試合の映像もあり、今の試合には無い、しかし独特な勝負の熱さを少女達に知らしめさせた。そのまま、昼下がりには解散となり、戦車道で授業を免除されている彼女らは銘銘に緩やかな午後の過ごし方を決めた。神無月しおり率いる、三/四号中戦車のクルー達もそうであった。

 

「これからどうしよっかー? 大分時間余っちゃったけど」

 装填手の大島明海が少女達に問い掛ける。朝から茶菓子をつまみながら試合映像を見ていたせいか、瞼が何処となく重たい。少女達はゆっくり出来る時間を欲した。

「喫茶店、って言う気分ではないね…学校でお菓子も摘んでいた事だし」

 北村カレラが「はふ…」と欠伸をこぼしながら答えた。すぐ横を歩いていた霧島蓉子もやや眠たげな表情であった。

 

「あのー。良かったら私の家でゆっくりしていきます? ちょっと散らかってますけども」

 おずおずとばかりに中嶋奏がそう提案して見せた。

「奏っちの家かー。そう言えばお邪魔した事無かったよねぇ。私達が行っても迷惑じゃない?」

「はい。人に見られて恥かしい物とか置いてませんから!」

「じゃぁお邪魔しちゃおうー! しおりんは大丈夫?」

「…大丈夫。特に予定も無いし…」

 

 少女達は暫し歩き続けて、学校からそう離れていないアパートへと到着した。駐車場つきのアパートで何台かの古くて、しかし可愛らしい車が静かに並んでいた。恐らくはこのアパートの住人の持ち物なのであろう。

「あ! あの車知ってる! イタリアのフィアットって言ったよね? 可愛いー!」

 大島明海は愛嬌のある、小さくてコロコロと丸っこいボディラインの車を指差して言った。

「えへへ…実はあのフィアット500、私の愛車なんです。親戚の小父さんから譲って貰っちゃって…」

 

「へぇ。そうなんだぁ…奏っち、もう自分の車持ってるなんて凄いねぇ…維持するの大変じゃないの?」

 大島明海が中嶋奏の事を褒めると彼女は照れ臭そうに頭を掻いた。

「えへへ…ですんで、学校終った後にコンビニでアルバイトしてます。実家の仕送りのお世話にもなってますけど」

「自活出来る事は良い事じゃないか。私なんて、家の世話になりっぱなしだからね」

 北村カレラの褒める言葉を聞きながら少女達は階段を登った。アパートの二階へと立ち入り、中嶋奏の部屋の扉を潜ると、部屋には趣味のアイテムが所狭しと飾られていて、とても賑やかであった。

 中嶋奏の人柄と趣味が窺い知れる。同時に少しばかり、油のツンとした臭いが彼女らの鼻を擽った。テーブルの片隅には車の部品が置いてあった。

 

「うわぁー! 飛行機に船に車、列車に戦車、バイク…色んな玩具が置いてある…」

「これはまた…趣味の部屋だねぇ」

「とても賑やかなだな…」

 少女達の口から次々に部屋の感想が飛び出てきて、部屋の主は擽ったそうに微笑んだ。

「奏っち、前から機械が好きみたいな気がしてたけど、本当に好きなんだねぇ」

 大島明海が感心する様に呟いた。中嶋奏は冷えたお茶を友人らに配っていく。

 

「恥ずかしながら、母の趣味を色濃く受けてしまって…私の母、機械が大好きだったんですよ。車とかバイクとか船とか…飛行機なんかも全部。女の子らしくはないかもしれませんけども

 好きで好きでたまらなくって。本当は工業科の方を受験したかったんですけれどもちょっと学力が追いつかなくって…でも! 自分で車の面倒見たりしているんですよ。今は予備のキャブレターの調子を見てるんです。ガイドブック片手に」

 

 えへんと胸を張る中嶋奏の表情は、とても輝いて見えた。本当に自分の趣味が、今の生活が楽しくて楽しくて仕方が無いのであろう。ふと、大島明海は気になった事を聞いて見る事にした。

「じゃぁ、戦車道の話を受けた時ってとても嬉しかったんじゃないの?」

「勿論! 去年の播磨女学園の戦車道はあんまり活動して無かったーって聞いてたので、今年は出来るのかなぁ…って心配になってたんですけれども、皆と沢山戦車道出来て本当に嬉しいです!」

「戦車道に名乗りを上げた理由も、やっぱり戦車に乗りたいから?」

「はい。だって、早々乗れる物じゃないですもの」

「微笑ましい理由だねぇ」

 

 北村カレラはくすくすと笑いながら、出されたお茶を飲んだ。汗ばみだす初夏の季節に冷たさが心地良い。

「そう言えば、元々射撃部の特待生だった北村さんはどうして戦車道に?」

 中嶋奏ははて? とばかりに疑問をぶつけて見せた。確かに、態々特待生の彼女が何故戦車道を始めたのだろうか。

「ああ…つまらない理由だよ。普通の銃より大きな大砲をぶっ放してみたかった。それだけさ」

北村カレラは大した事は無いとばかりに呟き、髪を掻いた。

「私は刺激に飢えててね。ただの的を狙い撃つよりも戦車でも撃ってる方が楽しいかなって思ったのさ」

 

「なんてワイルドかつ素朴な…」

「天才ドライバーの霧島女史はどうなんだい?」

 部屋の片隅に置かれていたクッションを抱きしめながらぼんやりとしていた霧島蓉子に北村カレラは声をかけた。

「…勉強しなくても成績貰えるって言うエサに釣られた。あと、その他の特典諸々」

「あっはっはっはっは! 単純明快だ! 明海くんはどうなのかな?」

「私? しおりんの事を支えてあげたいって思ったからだよ! だってしおりん、とてもじゃないけど一人で放っといて戦車道させられるような状況じゃ無かったし…」

 

 大島明海は懐かしむ様に呟いた。そう、彼女が神無月しおりを支える事を決意したのも、もう一ヶ月も前になる。短いようで早い一ヶ月であった。その間に二度も戦車道の試合をして、そして…勝利を掴んだ。

「支えたい、か…中々に聞けない理由だよね…さて。しおり君はどうなんだい? 明海くんや生徒会長の言葉からだとあまり戦車道には良い感情を抱いては居ないみたいだったけれど…?」

北村カレラの言葉に、神無月しおりは小さく頷いた。

 

「…会長さんの…双葉さんの言葉が、とても…真剣だったから…私を頼ってくれたから…でも、今でもなんで、戦車道をするって決めたのか、自分でも判らない…あの人の言葉に流されただけかもしれない…だけど…」

 一口、よく冷やされたお茶を飲んでから彼女は続けた。

「…今、皆との戦車道は…楽しい、って…そう、思える」

 神無月しおりは、珍しくも小さく微笑みながらそう呟いた。

 そんな友人のあどけない表情を見て大島明海は独り思った。

 

 神無月しおりと言う少女が小さな歩幅ではあるものの、変化しつつあると。凄惨な人らしかぬ人生を送ってきた彼女の中で、この学園での生活とこの学園での戦車道が、彼女に微笑みをもたらしつつあると。何時か、この少女にも満面の笑みを浮かべられる日が来るかもしれないと思うと、少女の目頭は少しばかり熱くなった。

 他愛も無い会話を交わして少女達は静かな時間を過ごす。穏かな時間の流れは思った以上に早いらしく、海の上の町はあっという間に夕暮れに染まっていた。団地からは夕餉の美味しそうな香りが漂ってくる。

 

「それじゃぁ、私達はこっちだから」

 中嶋奏に見送られ、通り道を歩いていた大島明海と神無月しおりはとある曲り角で北村カレラと霧島蓉子に別れを告げた。その言葉にはて? と北村カレラは首を傾げ、疑問をぶつけた。

「明海くん、君の帰り道はあっちじゃなかったかい?」

 指で方向を指し示しながら彼女がそう言うと、明海はうん、と頷いてから言った。

「この前まではね。実は生徒会長の葵センパイに頼み込んで、しおりんと一緒のアパートに引っ越させて貰ったんだー。そうした方が色々としおりんのサポートもしやすいと思ったからね」

 

「ははん。成る程…今までの家では通い妻では確かに大変だったろうね」

「もー! 茶化さないでよぉ!」

「いやいや失礼。ともあれお二人さん。また明日」

「またな…」

 北村カレラと霧島蓉子の別れの言葉に少女達は手を振り合った。夕日の中を、少女達はそれぞれの帰路へと歩いていく。陽が落ちて、気温が下がりだすと潮風も何処か、肌寒い。

「ねぇしおりん。戦車道が楽しいって思うのは、本当?」

 

 大島明海は何となく隣を歩いていた小さな少女に問い掛けてみた。不意の言葉に神無月しおりはきょとんとしたものの、大島明海を見つめながらに小さく頷く。

「…うん。前は…ただ、戦うだけで…勝つ事ばっかり求めてて…楽しいなんて…少しも思わなかった…」

「そっかぁ…」

「でも…今は、違う…皆、喜んでくれて…何だか嬉しい…だから、楽しいって…そう思う」

「成る程…ねぇ、しおりん? しおりんは…改めて戦車道をやり始めて後悔とかしてない? 辛いなぁ…とか」

 

 新たな問い掛けに神無月しおりは考え込んだ。そしてゆっくりと言葉を吐き出す。

「……怖かった。どうなるんだろう、って…また、辛い事が始まるんじゃないかって…ずっと、胸が苦しかった。いきなり隊長を任されて…皆に教える事になって…間違っていないかなとか…大丈夫かな、って思ったり。でも…皆との戦車道で…最初の試合の時…T-34を撃破した時の皆の声を聞いて、心が凄く暖かくなった。モスカウ文化高校との試合に勝って…皆が凄くはしゃいだりして…私を褒めてくれて…喜んでくれて、嬉しかった…試合の間はずっと…ハラハラしてたけど…今思うと、楽しかったって思う…」

 

 ぽつりぽつりと心中を話しながら、神無月しおりは思った。ここでの生活は…何もかもが眩しいと。願わくば、何時までもこうして居たいと。楽しいと言う気持ちを…もっと味わってみたいと。

「それじゃぁ、これからも一杯楽しい試合をしようね。しおりん」

「…ん…うん」

 頷く友人の姿に、大島明海はよし! と気持ちを込めた言葉を発した。

「その為には先ずは日々の生活が確りしなきゃだよ! しおりんは今日の晩御飯何食べたい?」

「…肉豆腐」

 

「じゃぁ一緒にお買い物行こっか。あ。それと後でお風呂一緒に入ろー?」

「…明海さん、身体触ってきてくすぐったいからやだ…」

「えー。しおりんの意地悪」

 他愛も無い日常が、緩やかに流れていく。暫しの休息。少女達の淡い一日。それさえもが、青春の一つ一つを彩る極彩色の思い出。何時か色褪せようとも、忘れられない日々の一つになる。

 

 

 

 嘗て日本一の都会の一つであった東京は、今はゆったりとした佇まいを見せるようになった。遠い昔の日本の高度経済を支えた高層ビル群は耐用年数の到来によってその姿を消し、変わりに帝都と呼び慕われた頃を思わせる様な、小洒落た煉瓦造りのビルが増えた。街を行く人々や車達も、セカセカと行き急いだ物ではなく、ゆっくりと一歩一歩を踏みしめている。

 

 静かな、だが趣のある雰囲気を出していた。そんな東京のとある一角。赤煉瓦が目にも眩しい、洋風建築のビルにトリットン・ウィルソン・パンツァー社の東京本社はあった。静かで落ち着いたビルの外見に反して、屋内の一部は熱気に溢れていた。いや、篭っていたと言うのが正しいかも知れない。

 かの人のデスクの上には集められた資料が見やすい様に広げられ、赤や青、緑に黄色と言った様々なペンで目を引く様に幾つもの線が引かれ、激闘を臭わせる空っぽに飲み干された珈琲飲料の缶詰が片隅に追いやられていた。

「嗚呼、どうしたものかしら! パーツは見つかれども、良い戦車が全く出てこない! 出てきても余りに高価か、ポンコツか両極端が酷いじゃないの! メーカー側も必死に競技用の新車を出してくれているけれども、

 財力に物を言わせた所とか懇意にしている学校に優先的に流れていく物だから、結局全然出玉が無いじゃない!」

 

 早乙女光は嘆き悲しんだ。播磨女学園の少女達に大見得を切ってみたものの、現在の戦車道に新たに参入した様々な学園からの新しい需要と、戦力を与えまいとする嘗ての強豪や財力に余裕のある学園からの手によって、中古戦車の市場は大騒ぎであった。このままでは少女達に顔向けが出来ないと独り嘆き哀しみながら、この状況をどうにか打開せねばと彼女は策を巡らせた。

 

 溜息を零しながら缶詰飲料のプルタブを捻り、ブレイクタイムを取る。今は煮立った頭を冷やさなければ。

「光ちゃーん。グツグツ煮えてるねぇ。大丈夫?」

 不意に同僚のOL、鹿島ケイが後ろから声を掛けて来た。何でも嘗ては全日本学生戦車ラリーの大会に出場し、知る人ぞ知る活躍を果たした女性であるらしいが、深くは語らない人物であった。しかし人柄はよく、会社の上の方にその地位を置く人物とも仲が良いのだと言う噂を聞いた事がある。早乙女光の友人でもあった。

 

「ああ、ケイちゃん…もう駄目! アフリカ戦線に持ち込んだカヴェナンターぐらい茹だってる」

「それポンコツ寸前のオーバーヒートって言わない? 駄目だよー力み過ぎたら。それ、件の学園の子達に探してる戦車? 最近どれも人気だよねー。パンターにT-34-85、シャーマンファイアフライ。聞けば四号戦車やノーマルのシャーマンの値段も高騰してるとか。やんなるねー」

「そうなのよ。中古市場の値段が嫌な事になっちゃってて…どうしたら良いかしら」

「でも、この前のB1Bisの手腕は中々の物だったじゃない。課長も凄いねーって褒めてくれてたじゃん」

 

「だけど、あんな風に都合のいい中身空っぽの戦車って早々無いのよねぇ…空っぽの四号戦車だと、ブルムベア突撃戦車に魔改造されちゃったり、T-34だとSu-85とかSu-100の種車にされちゃったり…シャーマンなんて引く手数多!」

「伝説の第63回の戦車道全国高校生大会以降、ぐぐーっと人気が増えて、勢いが弱まってた戦車道と関係の企業が一気に元気になったもんねぇ…今や第二の戦車道の絶頂期とか呼ばれてるし」

「嬉しいやら大変やら…はぁー…」

 

 ぐったりと肩を落としながらデスクに凭れ掛かる友人に鹿島ケイは優しく背中を叩いた。

「まーまー、考え込みすぎるのもあれだよー? 光ちゃんの頑張りは皆知ってるし、ちょっと生き抜きしたらどうー? 甘いもの食べたりお酒飲んだり好きな戦車見に行ったりー雑誌読んだりー。あ、雑誌といえばこの前出た『戦車と私』読んだ? 面白い記事があったんだよー個人所有のフィアット3000を直してラリーに参加するんだってさー」

「ヴィンテージ戦車のラリー競技に出るのかしら? それ。スケルトン戦車とか出てきて結構面白いわよね」

 

「そーそー。ヴィッカースの6トン戦車とかT-18軽戦車とかも出てくるんだよねー。それでまぁ特集組まれてたフィアット3000の修理方法が面白くってさぁ。雨ざらしで後ろがサビサビの車体と、榴弾で前がボロボロの車体のニコイチなんだよね。いやー、個人所有であれだけの大胆な改造は中々見れない…」

「…ケイちゃん。今なんて?」

「え? あー、大胆な改造云々かな。豪儀だよねー。バリバリーって切って貼って繋ぐんだもん」

「そのちょっと前!」

「んー? サビサビの車体と、ボロボロの車体のニコイチ?」

 

 友人の言葉を聞いて光は目を大きく開いた。握っていた珈琲飲料の缶を握り締め、僅かに凹む。

「それよ! ニコイチよ!」

 言うや否や、早乙女光は書類の納まったファイルを取り出し、目当ての情報を探し当てる。次いで電話を取り、何やら連絡を取った。

「急にテンション上げちゃってどうしたの?光ちゃん」

「ニコイチよ! ボロッボロで使えない戦車も、ニコイチサンコイチにしちゃえば使い物になるじゃない! 

 捨て値同然のリサイクル直行の戦車から、使える部位を見つけて、バーナーで切断してもう一回溶接して繋げるのよ! うちの会社、戦車の切った貼ったの修理はお手の物でしょう? ああ、何で今まで気付かなかったのかしら!」

「おーおー。考える事が豪胆ねぇ…修理部門に一言添えとこうか? 大きな修理の仕事が光ちゃんから来るよーって」

 

「お願い出来る? ああ、ヘルキャットの手も借りたい!」

「あっはっは。頑張ってねー」

 斯くして早乙女光は希望を見出し、遠い海の上の少女達に鋼鉄の戦友を届けんと奮闘した。前回の聖・バーラム学院との戦いも心を奮い立たせてくれる見事なものだった。彼女らの力になりたい。そう。もっと輝いて欲しいから。彼女達に勝利と栄光を掴んであげさせたいから。その為にも、新たな戦車をいち早く届けたかった。

 

 

 

 早乙女光と、そしてトリットン・ウィルソン・パンツァー社の奮闘により新たな戦車が播磨女学園に届けられ、そして組み立てられた。快晴であったその日、生徒会長の双葉葵は戦車道履修者の少女達を倉庫の前に呼び寄せた。

「えー戦車道乙女の諸君! 在り難い事に早乙女さんが新しい戦車を引っ張ってきてくれたよー! 今回の戦力増強は前回の比じゃぁ無い! 今までは僅かに6両、

 二個小隊程度の戦力しかなかったウチらだったけども、なんと合計で3両も増えた! 今や播磨女学園の戦車隊は9両! 小さな中隊規模にまで成長する事が出来たのである! これも全て、戦車道の試合で大いに健闘してくれた皆の尽力あってこそだ! さぁ! 新車のお披露目と行こう! 拍手ー!」

 

 少女達の歓声、そして拍手と共に倉庫の扉が開かれ、新たな戦車が姿を見せた。避弾経始に優れる傾斜装甲を身に纏ったドイツの中戦車。75mmの長砲身の対戦車砲がとても勇ましい。砲塔の防盾下部に兆弾防止の為の垂直装甲がついているのが何処と無くチャーミングな車両だった。

「うわぁー! パンターだ! かっこいー!」

「しかもこれ、足回りはパンター2じゃない? 転輪の配置が普通のパンターとはちょっと違うよ」

 少女達の感嘆の声が響き渡る。そんな中、神無月しおりはぽつりと呟いた。

「…よく、こんなのが手に入ったな…」

 

 そんな彼女の呟きに早乙女光は大きく胸を張った。

「頑張りましたよ。解体業者とか、中古業者に声を掛けて、オンボロな戦車の使える部分を切り貼りして、どうにか安くこしらえたんですから! あ、勿論強度とかは安心して下さい!ね 我が社の威信をかけてしっかり事前チェックしてますので。足回りは整備性を重視してパンター2の物を安く流用してみたんです。どうでしょう?」

「それだけじゃないっしょー? 早乙女さん。ほーら、出して出してー!」

 パンター改に続いて現れたのは、2両のT69E3であった。

 

「T69が増えたー!」

「倉庫の中で壊れて眠ってた2両を早乙女さんのお陰で復旧出来たんだよー。足りない部品を頑張ってかき集めて。まぁ主砲は元々積んでた76.2ミリ対戦車砲じゃなくて、M4シャーマン初期型の75ミリ砲なんだけども…無いよりいいよね! バランスの良い戦車だし! 主砲は追々見つけて交換しちゃえばいいんだよ! なんとかなるさ!」

 双葉葵は自らを納得させる様に少女達に説明した。神無月しおりも口には出さなかったがシャーマン相当の戦力が増強された事を歓迎した。しかし何故こんな物珍しい駆逐戦車がこの学園には3両もあったのか…小さな謎であった。

 

「続いて性能アップの時間だよ! カモーン!」

 最後に現れたのは、三/四号中戦車とソミュアS35の二両だった。一見する限りでは、何処が変わったのかが判らなかったが、早乙女光は少女達に説明した。

「これ以上の武装の強化の難しかった三/四号とソミュアですが、主砲の砲身長を15口径ほど長い物に交換してみました。炸薬量の限界もありますので貫通力は大きく向上しませんけれども、これで砲弾が今までよりも真っ直ぐ飛んで命中精度が上がりますよ! 

 

 勿論、今回の改造は非正規戦車道でのルール違反に抵触しませんのでご安心ください。砲身延長はドイツの戦車開発で事例のあった物なので。改造に合わせて照準器のレティクルも調整しておきました」

「ありがたい改造です…早乙女さん」

「どういたしまして!」

 会話を交わす神無月しおりと早乙女光の傍らで、ソミュアS35のクルーの久留間舞子とその仲間達は泣いて喜んでいた。どうやら少しでもチームの力となれるのが嬉しいのであろう。そんなソミュアの砲塔には、勇ましげに一つのキルマークが描いてあった。

 

 前回、聖・バーラム学院との試合で撃破した重戦車TOG・MK1の物である。彼女達にとってはとても誉れ高い思い出であろう。当の試合では最終的に撃破されたものの、彼女らの喜びようは半端では無かった。

「それじゃぁ最後に新しいお仲間の紹介だよーん。個性的なクルーが追加されまーす」

 双葉葵の言葉に少女達は小さくざわめいた。今度の仲間達はどんな少女なのだろうと。シャールB1terの車長である東郷百合も個性的な少女であったが、悪い少女では無かった。

 

性格や見た目は軽薄であったが、訓練や試合では大変真面目であったから。初戦の試合後も彼女は熱心に練習に打ち込んでおり、既に仲間達と打ち解けていた。

「先ずはパンターの方からね。こっちおいでー」

 呼び掛ける声が倉庫の外へと投げかけられ、人影が扉から現れる。先頭を歩く少女の肌は白く、地中海の様に鮮やかな青い瞳に、高身長で綺麗な金髪をゆったりと伸ばした、明らかに異国の血の流れる少女であった。頭にはバッチを外した質素な将校帽を被っていたが、酷く似合っていた。

 

「バウムガルト・桜だ。フロイライン諸君、宜しく頼む。気軽にフラウや桜とでも呼んでおくれ」

「戦車道やってたお母さんがドイツ人で、こっちで結婚したんだってさー。彼女は前から勧誘しててねぇ、今回漸く首を縦に振ってくれたんだよー」

「戦車ゲーム程度の実績しかない私が参加するのは力不足だと遠慮していたんだがね。会長殿の説得に折れてしまったのと、隊長殿の活躍に興味が湧いたものだからね。こんな私でも上手く使ってくれるんじゃないか、と」

 そう言うと桜は辺りを見渡し、目的の人物を見出すと「見つけた」と呟いた。スラリとした長い足で滑らかに歩み寄ると、彼女は神無月しおりの前で恭しく跪いた。宛ら騎士の様に。

 

「貴女が、コマンダンテの神無月しおりだね。私の事を剣として、盾として、存分に使って欲しい。バウムガルト家は代々そうやって生きてきた。宜しく頼む…我が主、我が魔女よ」

 仰々しくもそう述べると、バウムガルト・桜は神無月しおりの手に小さなキスを落とした。その様子をぼんやりと見つめながら神無月しおりは僅かに考え込み、「宜しくお願いします」と小さく呟いた。

「まるで御伽噺の中の騎士みたいな子だねぇ」

 クスクスと苦笑しながら北村カレラが周りの少女を代表するかの様に呟いた。バウムガルト・桜のその見目麗しい容姿も、そして立ち振る舞いさえも、確かに騎士を思わせる物であった。

 

「実際そうだったのだ。遠い昔、私の一族は騎士として名を馳せていた。そして今も、誇り高い騎士の心を忘れまいとしているだけだよ。可笑しいかね?」

「いいや、ナイト様には是非とも期待しよう。パンターに騎士…お似合いじゃないか。シュバルツリッターと呼ばれた戦車兵が居たらしい、と聞いた事があるからね」

「かの人か。私の憧れの人でもある。あの人の様に粘り強く、そして勇ましく戦える物ならば、そうしたい」

「仲良く成れそうでよかったね? 桜ちゃーん。んじゃま、新しいT69E3のクルーも呼んじゃおう。入っておいでー」

 

 手を叩きながら、双葉葵は再び扉の向こうへと投げかけられ、少女達が現れた。手を繋いで先頭を歩くのは、双子の少女。長いサイドテールを左右互い違いに結んだ少女であった。

「四葉アカリと言います」

「妹のヒカリと言います。姉妹共々、宜しくお願いします」

「ウチの親戚筋の子だよー。仲良くして頂戴ねー。良い子だからさぁ」

「双葉姐さんにどうにか手伝ってと拝み倒されました」

「ちょっと強引な親戚の姐ですが、今後ともどうぞ宜しく」

「ひどっ!? ウチはそんなに強引じゃないし! 凄くお願いするだけだし!」

 

 親戚同士の歯に衣着せぬやり取りに少女達はクスクスと笑った。神無月しおりもまた、賑やかな人だと独り思う。倉庫に笑い声が溢れた時、双葉葵は場の空気を改めさせた。

「さて、顔合わせは程々にして次のお話行くよー? 次の試合が決まったよ皆ー。再来週の週末にメロヴィング女子大学付属高校との戦いがある。確り練習に励んで欲しい。相手は中々のツワモノだと聞いたよ」

 双葉葵の率直な言葉に少女達はざわめいた。ツワモノと呼ばれる様な相手からの挑戦が飛んでくるとは。神無月しおりも小さく眉を潜めた。どの様に戦えば良いか、彼女は直ぐに考えていた。

 

「どんな学校なんです? そのメロヴィングって言う舌を咬みそうな学校は」

少女の一人が双葉葵に質問をぶつけ、彼女は頷き返して、資料を田宮恵理子から受け取ると話した。

「フランス系の学校らしい。騎士道を重んじるとかどうとかと聞いているね。フランス系の学校といえばマジノ女学園や、BC自由学園なんかが有名だけども…この二つの学校とメロヴィングは明らかに違うらしいよ。戦力を確りと揃えている上に、縦横無尽にフィールドを駆け回る事を良しとしている機動戦重視の学校だ。その昔のナポレオンがやったって言う集団突撃さながらの電撃戦モドキを敢行してくる事もあるらしい。

 

 戦力はわかっているだけでもB1ter! そしてソミュアS35の対戦車自走砲型。これは90mm砲を積んでるみたいで、威力はティーガー1の88mm砲とほぼトントン。おっかないねぇ…残りは残念ながらよく分らない。フランス系戦車ってデータ中々出ないんよねー」

 ごめんね、と双葉葵は少女達に謝った。彼女としては出来るだけ情報をかき集めたのであろうと、神無月しおりは分析する。主力はほぼB1terと考えて良い。ソミュア対戦車自走砲は恐らく火消しの役割だろう。

 

 他の戦車に側面を守ってもらいながら、その火力を行使して敵戦車を撃破するのが目的か。他にどんな車両が紛れ込んでいるか分らないのが不安要素であるし、戦うのが大変かもしれない。しかし…戦えない事は無い。決して。

「良い表情だ。我が主。既に仲間と共に勝利する方法を考えている」

 バウムガルト・桜の言葉を受けて神無月しおりは小さくハッとした。そうだ。自分は勝つ事を考えている。皆と一緒に。喜びと栄光を掴む為に。そんな風に物事を考えているだなんて、自分では思ってもいなかったが。

 

「…皆とする戦車道は…楽しいから」

「楽しいか。それは良い事だ。我々の行っている事は『道』だ。それは勝利だけが全てではない。勝利だけに目が眩んだ人間は悲惨だ。堕ち行く先は地獄しかない。しかし…喜びや楽しみ、その他の何かを見出す者は決してそうは成らない。誇っても良い。貴女は良い道を歩んでいるよ。紛れも無く」

「…そう、かな」

「そうとも…それで、我が主よ! どうするかね? 皆、今か今かと貴女の号令を待っている!」

 

 芝居がかった、しかし、何故か嫌味に思えないバウムガルト・桜の言葉を聞いて神無月しおりは辺りを見渡す。其処には士気に溢れた、少女達の顔があった。皆が待っていた。如何すべきかと。神無月しおりの言葉を待っていた。

「…皆さん。聞いてください」

静かに深呼吸を繰り返し、しおりは言葉を発した。

「次の相手との戦いも、きっと大変な物になるでしょう。相手は恐らく、B1terを主力とした重戦車部隊による電撃戦を仕掛けてくる筈です。私達のペースを掻き乱して、ソミュア対戦車自走砲による高火力で決着をつける。その様な戦法を取ってくるのではないかと、私は予測します。

 

 ソミュア対戦車自走砲は装甲こそ強固な物ではありませんが、火力は高く私達を簡単に撃破、ないしは行動不能に陥らせるかもしれません。しかし、勝機はあります。B1terも、ソミュア対戦車自走砲も、高火力の戦車砲は車体に取り付けられており、自由が利きません。

 乱戦に持ち込めば、旋回砲塔に高火力の戦車砲を搭載している私達に分があります。また、相手が電撃戦を仕掛けてくると言うのであれば、相応の対応も取れます。

 

 パンツァーカイルは確かに強い戦闘陣形ですが、側面から切り崩してしまえばどうと言う事はありません。落ち着いて対処する事が勝利に繋がるでしょう。此れより本日の訓練に入ります。既に修練が熟している私達6両は待ち伏せ射撃の訓練を。新しく入ったバウムガルトさん、四葉さん達の3両は基本訓練を行って下さい。戦車にある程度慣熟しましたら、私達の訓練に合流して貰います。総員乗車! これより行動を開始して下さい!」

 

 神無月しおりの号令と共に少女達は「はい」と力強く答え、そして各々の戦車へと向かっていった。

「お見事だったよ。力強い言葉だった。出来るだけ早く、貴女の力になって見せよう」

 バウムガルト・桜はそう言うと神無月しおりの肩を優しく叩き、敬礼するとパンターの元へと歩いていった。神無月しおりは小さくホッと溜息を付いた。どうやら彼女を失望させる事は無かったらしい。

「神無月さん。本当に見事だったわ。訓練頑張ってね」

 一部始終を静かに見届けていた早乙女光が声をかけてきた。神無月しおりは小さく会釈する。

 

「早乙女さーん。例のアレの件、どうなってますー? 上手く行きそう?」

何時の間にか、缶珈琲を腕に抱きながら双葉葵は声をかけてきた。「どうぞ」と声をかけて彼女はひんやりと冷えている缶を早乙女光に手渡した。はて、例のアレとはなんであろうか? と神無月しおりは小さく首を傾げる。

「件の重戦車の事ね。時間は掛かるかも知れないけれど。なんとか使い物になる様に仕立てるつもりよ! 安心してくれて構わないわ。既に会社の方でも色々と動いているから」

「そっかー。そりゃありがたいねー。しおりちゃん。聞いての通り、ウチも重戦車を持つ事になるんだよー」

「…そうなんですか…でも、上手く使えるかな…」

 

 重戦車は戦力として確かに魅力的である。装甲も厚く、同時に火力も高い。しかし、扱いに慣れないと自滅する事が多いのも歴史が示した通りである。それは戦車道にも同じ事が言えた。

「大丈夫大丈夫! なんとかなるって。とりあえず今は目先の訓練に励もうじゃないの」

「…そうですね。行きましょうか」

「頑張って下さいね。何時も応援していますから」

 早乙女光の言葉に神無月しおりと双葉葵は頷き、そして戦車へと乗り込んでいった。緑化公園区域へと向かい、訓練を始める。待ち伏せ射撃の訓練は兎角シンプルである。どれだけ相手に見つからないように戦車を草陰や物陰に隠蔽し、そして移動する目標を確実に射撃するか。

 

 神無月しおりは丁寧にレクチャーし、戦車の隠蔽の仕方などを少女達に教え、射撃訓練に移った。一両ずつ交代しながらの訓練である。ペイント弾を用いた待ち伏せ射撃を受けた車両は塗料で見事に汚れ、何処に被弾したのかをありありと見せてくれた。

 しかし、同時に分りやすくもあった。どんな箇所を狙われるのか。同時にどんな箇所を狙えば良いのか。神無月しおりは撃破出来なくとも履帯や駆動輪、誘導輪を狙うのが効果的だと説明し、少女達に射撃させた。

 

 暫くして、幾らかの慣熟訓練を終えたパンターと2両のT69E3を迎え入れて、複数の車両が突撃してくる状況を想定しての訓練となった。日が暮れる頃には、どの車両もペイント弾の塗料塗れになったが、最後に彼女らは戦車を丁寧に洗車した。鋼鉄の仲間を労う様に。斯くして少女達の一日は過ぎてゆく。疲労の対価に、確かな技量を受け取って。

 

 

 

 …あくる日の夜。神無月しおりは中々寝付けなかった。普段は特にそんな事は無い。ぼんやりとしていれば、知らず知らずの内に眠りの海に沈んでいた。しかし、その日の彼女は眠れずに居た。

「…ふぅ」

 溜息を一つつき、テーブルに置いていた水筒からコップへとお茶を注ぎ、一口飲んだ。時刻は12時を幾らか回った程。神無月しおりは暫し考え込み、パジャマを脱ぐと普段着のジャケットとパンツに着替えた。

 

 玄関に何時も吊るしている鍵を取り、彼女は静かにアパートを出る。夜の世界は静かな様で、不思議な物音に包まれている。空気も冷えているからか、遠く海の何処かからの音も風に乗って聞こえて来た。出来るだけ物音を立てないように、静かに階段を下りていく。自分の足音が恐ろしく大きく聞こえたが、昼間程の大きな物音が無いからであろう。

 

 アパートのすぐ傍にある駐輪場へと歩き、神無月しおりはシートが被せられた物体に近付いた。布の擦れる音を聞きながらゆっくりと剥ぎ取る。其処には銀色のメッキが施された、洒落たオートバイがあった。勇ましいV型2気筒のエンジンの、ヨーロッパ生れのバイク。屋根のある駐輪場から愛車のオートバイを引っ張り出し、ヘルメットを被り、愛用のゴーグルをセットすると神無月しおりはキックスタータを力強く蹴った。

 

 エンジンは軽快に始動し、静かな夜にV型2気筒のドコドコと言う独特のエンジン音を響かせた。ギアをニュートラルから一速へと入れてクラッチミート。オートバイは軽やかに夜の学園艦を走り出した。神無月しおりはオートバイに乗るのを気に入っていた。風に吹かれながら何処かへと走っていると、嫌な事や苦手な事を思い浮かべずに済むから。そして、ゴーグル越しに流れていく世界を見るのが、面白かった。知らない景色を見るのは楽しかった。

 

 大きな回り道をしながら、神無月しおりは学園艦の艦尾に向かった。直ぐ近くには飛行場があったが、真夜中の離着陸は行われておらず、とても静かである。艦尾の海を眺める公園は、数組のカップルが夜の海を眺めている。離れている所では、アコースティックギターを爪弾いている人が居た。

 

 近くの駐車場に愛車のオートバイを止めた時、一風変わった車が神無月しおりの目に留まった。流線型のコロコロとしたデザインのセダン。タトラT603であった。

「わぁ…タトラだ…懐かしい」

 神無月しおりはそう呟きながらタトラT603に近付いていった。中学生の頃まで身を寄せていた学校、甲斐女学園でも何度か見かけた事がある。その少し独特の、しかし愛嬌のある丸いフォルムが神無月しおりは気に入っていた。

 

「あたしのヨーツンヘイムに、何か用か」

 不意に神無月しおりの背中に言葉が浴びせ掛けられ、彼女は驚いた。そして振り返る。其処には、何時もアンニュイ気な掴み所のない表情を浮かべている霧島蓉子が缶飲料を片手に立っていた。

「…なんだ。神無月か」

「ぁ…霧島、さん…」

「どうしたんだ。こんな夜中に…こんな場所で。眠らなくていいのか」

「ちょっと…眠れなかったから…ドライブに」

「そうか」

「霧島さんは…どうして此処に…?」

「ん…?ああ、学園艦の船舶科への、夜食の宅配の帰りでな…ここの自販機にしか置いてない紅茶を飲みに来たんだ」

 

 そう言うと彼女は手に持っていた缶飲料を見せてくれた。神無月しおりはそれをしげしげと眺めた。

「…こうしてここで会ったのも何かの縁だ。飲み物を奢ろう」

「ぁ…ご馳走に、なります…」

 海を眺める公園のベンチに腰掛けて二人はゆっくりと其々の飲み物を飲んだ。神無月しおりは悩んだ末にオレンジジュースを買ったが、「意外と可愛い所があるのだな」と霧島に言われた。

 

「神無月を見ていると、色々と不安に思う所がある」

 唐突に霧島蓉子が話を切り出したので、神無月しおりは静かに耳を傾けた。

「…何故、あんなにオドオドとしているのか。何故、そんなにも浮世離れしているのか。何故…戦車道をしている時だけは、まるで人が変わったかの様に超人然としているのか…疑問が尽きない」

「…それは…」

「言わなくても多少は推測出来る。その様にずっと生活をしてきたからなんだろう…戦車道ありきの生活が身体に染み付いているんだな」

 

 そう呟き、霧島蓉子は一口、お気に入りの紅茶を飲み、ほぅ…と溜息を潮風に溶かした。

「戦車道の腕に関しては買っている。だが、それだけでは…私が神無月を信頼するには少し足りない。神無月…お前は、戦車が好きか?」

「…え?」

 神無月しおりは、思っても居なかった質問を霧島蓉子に問われた。

「好きな物を、他人に悪く言われる権利は無い。好きなら好きと言えば良いと…戦車会社の早乙女さんに話していただろう。あの言葉がずっと引っ掛かっていた。

 あんな言葉を言い切るのだから、神無月は戦車が好きなのだろうと…だが同時にずっと疑問に思っていた。どうして時々戦車道で苦々しい表情をしているのか。表情を暗くしているのか…と」

「……」

 

 神無月しおりは隣の少女の言葉を聞きながら、小さくオレンジジュースを飲んだ。甘味が消えたような気がした。

「神無月…お前は戦車が嫌いか?」

「違うっ…!」

 霧島蓉子の率直な言葉に、神無月しおりは珍しく、言葉を荒げた。その普段の姿との変わりぶりに霧島蓉子は軽く驚いたが、しかし楽しそうに僅かに口角を釣り上げた。

 

「戦車が…嫌いなんて…無い…私は、ただ…」

「ただ、なんだ…?」

「……戦車道が…嫌なだけ…辛かった戦車道、が……」

「辛かった、戦車道…」

「…私は…何時も…戦車道、してたから…物覚えが付いた頃から…他の皆が…遊んでる横で…ずっと、ずっと…戦車道してて…戦車道をしないと、叱られて…

 負けた時は、もっと叱られて…だから、辛かった…お母様も、上のお姉ちゃんも…戦車道は、勝つのが当然って考えだったから…辛くて、しょうがなかった…でも、戦車だけは…違うから」

「…ほう? 戦車だけは、違う?」

 

 神無月しおりの言葉に、霧島蓉子は鸚鵡返しの様に聞き返した。

「…戦車は、何時だって私の味方だったから…何も、文句は言わなくて…うぅん。違う…酷い扱い方をしたら、当然戦車も扱う人を嫌がるけど…そうじゃなくって…

 頑張って、戦った時…戦車は何時でも、私に応えてくれるから…それに…負けたって、私を責めたりしない…ボロボロになっても、まるで私に頑張ったって…何時も言ってくれるみたいな気がして…そんな戦車の気持ちに応えたいって思えて…戦車は、私の理解者な気がして…だから、好きなの…」

 

 神無月しおりは、手に持った缶を見つめながらぽつぽつと、たどたどしく心の中で思っていた事を話した。上手く伝えられたか、自信の無かった彼女は「ごめんなさい、上手く話せなくて」と霧島蓉子に謝った。

 少女の間に、静かな時間が流れた。潮風の音。学園艦が海を走る細波の音。そして、遠くで爪弾かれるアコースティックギターの音が、少女達を優しく包んだ。時折、遠くから自動車か何かの音が聞こえた。

 

「…神無月の言いたい事は判った」

 ぽつりと霧島蓉子が呟き。飲み干した缶をゴミ箱へと投げ入れた。空き缶は放物線を描いて見事にゴミ箱に収まる。

「本心が聞けて良かった。勝利だけの戦車道は嫌いでも、戦車を愛している事はよく判った。漸く安心して、運転に専念出来る。戦車が嫌いな奴の指示で、あたしは戦いたくなかった」

「…霧島さん…」

「神無月…答えて無かった事がある。先日、何故戦車道を履修したのか、と言う話があったろう」

「…うん」

 

「あたしは、車が好きだ。車に乗っていると、何処までも走って行けそうな気がする。世界の果てまでも。ある意味在り難い事に小さい頃から、あたしはずっとハンドルを握ってきた。今も変わらず、ハンドルを握って走り続けている。双葉会長に誘われた時、あたしはただ面白そうだと思った。

 戦車と言う車は、あたしにどんな感動を、どんな世界を見せてくれるのかと思った。思う存分振り回してやるのが、大好きだから。車の性能の限界の、更に一歩先まで搾り出して、車と一体化して走るのがあたしは好きだ。

 そうやって走る時、幸せな感情で心が一杯になる。そうやって戦車で走った時、きっと普通の車とは違う何かが見えるんじゃないかって思った。だから、誘いに乗った」

 霧島蓉子は両手を翼のように大きく広げ、数歩歩き、神無月しおりへと振り返った。

 

「だからあたしは、全力を出したい。戦車は一人で乗る物じゃない。皆で乗る乗り物だ。だから戦車が嫌いな奴とはやりたくなかった。皆で全力で、戦車を振り回したいんだ。世界の向こう側を見たいから」

「…うん」

「…話が聞けて良かった。改めて宜しく。神無月…いや、しおり」

 霧島蓉子がそっと手を差し出してきた。神無月しおりは、それに応える。力強い握手を、霧島蓉子はした。

「お前が戦車を好きで居る限り、何処までも走ってやる。何処へでも連れて行ってやる。例え地獄の果てまでも」

「…ありがとう、霧島さん…」

 

 海を眺める公園に備え付けられた時計が、時間を告げる柔らかな鐘の音を鳴らした。少女達ははたと、話し込んでしまった事に気が付く。霧島蓉子は腕時計を見やり時間を確認した。

「…話し込んでしまった。そろそろお開きにしよう。また明日、しおり」

「うん…霧島さん…また明日」

 二人は駐車場へと歩いていき、それぞれの愛車に近付く。神無月しおりは勇気を振り絞って声を出した。

「あの…!」

「うん…?」

 少女の言葉に霧島蓉子は気が付き、目線を絡ませた。

「…また、お話したい、な…」

 おずおずと気持ちを打ち明けた神無月しおりに、霧島蓉子はクスリと笑った。

 

「夜更かしは身体に悪いぞ。それでも良いなら、幾らでも付き合おう」

「…! …ありがとう」

 少女のあどけない微笑みに、霧島蓉子は思う。人並みに笑う事が出来るんだな。と

「おやすみ、しおり」

「おやすみなさい…霧島さん」

 タトラT603とオートバイはエンジンを始動させ、それぞれの帰るべき場所へと帰っていった。それぞれのオーナーの、掛け替えの無い思い出を静かに載せて。心を通わせると言う、貴重な体験を載せて。

 

 

 

 

 時が流れ行くのは瞬く間の物であり、メロヴィング女子大学付属高校との非正規戦車道の試合の日がやってきた。今回の試合会場は森林山岳地帯であり、戦車の輸送にもやや時間が掛かった為、播磨女学園の戦車道チームは

 夜も開け切らぬ内からD50型蒸気機関車に牽かれた輸送列車に揺られて会場入りを果たした。三度目の鉄道輸送ともなれば、石炭の臭いも慣れた物で、輸送列車の客車の中で朝を迎えた少女達は車窓から見える世界を眺めながら朝食を食べた。

 この様な食事も、良い意味での慣れを感じつつある。ちょっとした遠足の様でもあった。楽しげな少女達の語らいが、神無月しおりには心地良い。

 

 他愛の無い会話も無く、ただ試合の遂行と勝敗のみを語っていた嘗ての学園での戦車道は、ただただ空気が重苦しかった。しかし、今は違う。皆と一緒に仮眠用のベッドに横になり、朝日と共に目覚め、仲間達と笑いながら食事を楽しむ。

 些細な…たったのそれだけであるが、神無月しおりには換え難い愛おしさが其処にあった。

 会場の最寄り駅に少女らを載せた臨時の輸送列車が止まり、戦車を輸送用貨車から下す。鉄道職員の協力も勿論あるが、少女達は自発的に行動した。

 

 任せきりになど、誰が出来ようか。この何トンもの重量のある、生きた鋼鉄の塊は紛れも無く、少女達の仲間なのだから。試合の運行委員会の指示に従い、待機地点へと車両を走らせ、一端の一息を付く。

 試合直前の最後の整備点検と、燃料弾薬の搭載を行い、白旗判定装置のチェックを受けて漸く準備を終えた。

 その頃にはもう朝日も高く登りだしており、じんわりと汗ばむ陽気が少女達を照らしていた。天気は晴れやか。今日も良い戦車道日和である。

 

 相変わらず、会場の周囲には出店が立ち並び見学客で賑わっていた。遠くの場所や学園艦から足を運ぶ人々は飛行機をチャーターし、会場近くの空港に降りると、送迎バスを使ってここまで辿り着くのだと言う。

 お陰で、空港の駐機場には各地から飛んできた様々な飛行機で面白い展覧会みたいな事になるのだと中嶋奏は話していた。

 一部のヘリや飛行船は会場のすぐ近くにまで飛ぶ事が出来るらしく、そちらもまた面白いらしい。

 待機時間の間に、今回も顔を見せてくれたモスカウ文化高校のサーシャと、聖・バーラム学院のローズマリーの二人に神無月しおりは顔が緩く綻んだ。

 

 彼女らの「友人なのだから、こうやって観戦に来るのは当然の事よ」と言う言葉にしおりは心が温かくなるのを感じた。些細な事。しかしそれがとても愛おしい。

「今日の試合も、楽しんでらっしゃい。今日の対戦相手は正統派の戦いを仕掛けてくるわよ」

 サーシャの簡単な助言に、神無月しおりはそっと頷いた。

 スピーカーから放送が流れ、各校の隊長の顔合わせに神無月しおりは呼び出された。従うがままに顔合わせの舞台に神無月しおりは歩き、そして対戦相手の長と顔を合わせた。

 

 彼女の直ぐ傍には、本人は勤まらないと何時も謙遜していたが、名目上の副隊長として双葉葵が寄り添っていた。

 軍服を元にデザインしたのであろう、目にも鮮やかな明るめの青いパンツァージャケットを身に纏い、黄色い髪をツインテールに纏めた、グレーの瞳を持つ小柄な少女が胸を張って現れた。

 傍らには副隊長であろう、ブロンドの髪をボブカットにして、ブラウンの瞳を持つ背がスラリとした少女が立っていた。

 

「御機嫌ようですわ。播磨女学園の皆様。あたくしはメロヴィング女子大学付属高校の戦車道チームの長。エリザベド・ガリマールと申しましてよ。こちらはあたくしの腹心のクロエ・アンペール。どうぞ宜しく?」

 スカートの裾を小さく持ち上げながら挨拶するエリザベド・ガリマールの立ち振る舞いは酷く堂に入っていた。

「…播磨女学園、戦車道チームの隊長、神無月しおりです。宜しく」

「副隊長をやらせて貰ってる、双葉葵だよー。宜しく」

 

 神無月しおりの一礼と、名乗りを聞き、エリザベド・ガリマールは楽しそうに目を細めた。

「貴女が、噂に聞く播磨の魔女なのですね…噂通りの、綺麗な人…」

「悪いけど、あげないよー? うちの大事な隊長さんだもの」

 冗談めかして双葉葵が言うと、エリザベドはケラケラと笑った。

「貰いたいだなんて。そんな失礼な事は思いませんわ! 貴女は、仲間であるより好敵手として存在する方があたくしにとって面白そうな人物ですもの。本日の試合。全力でぶつからせて頂きますわ。我々の騎士道。とくとご覧あれ」

 

 言い終えたエリザベドは手を差し伸べ、神無月しおりと握手を交わす。二人はそこでそれぞれの陣へと向かうべく別れようとしたが…

「ああ、そうでしたわ!」

 何かを思い出したのか、エリザベドはせかせかと神無月しおりの元に戻ると、白いシルクのハンケチを彼女に突き出した。神無月しおりはなんであろうかと理解が及ばず、キョトンと小首を傾げる。

「形だけとは言え、これは決闘よ。貴女とあたくしの。勿論、受けて下さいますわね?」

 

 鼻息も荒く、しかし堂々とした表情のエリザベドに気圧されながらも神無月しおりは彼女のハンケチを受け取った。

「宜しくてよ! では、御機嫌よう。そのムショワールは記念にあげますわ。Au revoir!(またね!)」

 立ち去ってゆくエリザベドの小柄な背中を見送って、神無月しおりはぼんやりとした。

「やぁー。元気な人だねぇ? なんて言うか…自信満々?」

「えぇ…ちょっと、変わった人…でも…」

 神無月しおりはぼんやりと受け取ったハンケチを見つめた。可愛らしいレースの刺繍が施されており、とても品のいいアイテムであった。見るからに、値段も相応に高そうであるが…

「…悪い人では、無さそう」

 薄っすらとハンケチに掛けられた香水の香りは、優しさに満ちていた。

 

 

 

「淑女諸君。準備は出来ていらして?」

 エリザベドは自らが率いる軍勢の前へと立ち、少女達に確認の言葉を投げかけた。

「Tout va bien. 全て問題ありません! 我らが団長様」

「結構。今度の戦いも、其々が持つ力を存分に発揮する事を願いますわ。総員搭乗! 戦闘配置!」

「Oui, general!(了解しました!)」

 ゾロゾロと受け持ちの車両へと乗り込んでゆく少女達を前にし、エリザベトは微笑んでいたが、そんな彼女の直ぐ傍らに立っていた少女、副隊長のクロエ・アンペールは小さく耳打ちした。

 

「エリザベド。笑顔が少し引き攣っていますが…」

「ああ、分りまして? 貴女も見たでしょう?あの娘の瞳を…」

 隊長の言葉にクロエもゆっくりと頷き返した。

「ええ。凄い瞳の色をしていました。まるで魔女の鍋の底のよう…」

「戦車道の世界選手でさえも、あんな瞳をしている人はそうは居ないわ。幾つもの死線を潜り抜けてきた化け物にしか出来ない瞳…

 魔女と言う渾名も、彼女の評価としては強ち偽言では無さそうね…?」

「そして貴女は、そんな彼女と戦う事に喜びを感じている」

「えぇ。これを悦ばずに何を悦べと言うの?」

 

 エリザベドは打ち震えていた。あれ程の『何か』を抱え込んだ戦車道乙女はそうは居ない。彼女には見えていた。世間一般でオーラと呼ばれるソレを。神無月しおりからは滲み出る何かがハッキリと見えた。それを知りたい。それを暴きたくて仕方が無い。そんな彼女を打ち倒したい。エリザベドの心はその思い一色で染まり切っていた。

「少し、嫉妬してしまいます。貴女の心をそんなにも惹き付ける彼女が」

「貴女のそう言う正直な所。あたくしは大好きでしてよ? じゃぁ。行きましょう? 私のクロエ」

「イエス。マイロード」

 

 12両の戦車がエンジンを目覚めさせ、唸り声を上げる。地響きを轟かせながら、所定のポイントへと走り出した。幾つもの轍を地面に残して。道中にて、部下の一人の少女がエリザベドに問い掛けた。

《エリザベド様。この度の戦い、どの様に戦いましょう?》

 エリザベドは僅かな間小さく悩み、そして即決した。

「相手に時間を与えては成りません。恐らく相手は何らかの手を打って、此方に損害を与えて来る筈。試合が開始次第、全軍パンツァーカイルにて突撃。魔女を蹂躙するわよ」

《了解しました!》

 

 やがて、示し合わされた待機地点にまで車両が到着すると暫しの静寂があった。エリザベドは今か今かと開始を知らせる花火が打ち上げられやしないかと空を見上げ続けていた。やがて、待ち草臥れてきたと彼女が思う頃、空高くに花火が打ち上げられ、パン…とくぐもった音が響き渡った。

「全車、前へ! パンツァーカイル!」

《Oui, general!》

 

 少女の号令の下、隊長車と副隊長車を鏃の中心とし、その左右にメロヴィングのB1terが広がり、鏃の中央に二両の90mm砲を搭載したソミュアCA対戦車自走砲が連なった。

 正面装甲こそ、約55mmの物を持っているが、側面は僅かに35mm程度しかないソミュアCA対戦車自走砲を守る為の苦肉の策でもあった。幾ら強力な主砲を持ち合わせていても、一撃でもクリーンヒットを貰えば一溜まりも無い。それを防ぐ為のパンツァーカイルでもあった。

 

 

 

「あ…見えてきおった! こちら久留間どす。敵さんの戦車、ゾロゾロと並んで進行しとります。パンツァーカイルの陣を敷いてますわぁ」

《了解です。戦車の情報が手に入ったら、直ぐにコチラの方へと引いて下さい》

 偵察に出されていたソミュアの車長、久留間舞子は携帯電話を片手に連絡を飛ばした。

「舞ちゃん。先頭を走ってるの、全然見たことない戦車だね」

 

 ソミュアの無線手をしている少女、有井姫子がデジタルカメラを構えながら応えた。パシャリ、パシャリとシャッターを切る音が響く。撮影した写真は直ぐにフラッグ車の無線手、中嶋奏に送られる。何分、今回の敵情を把握出来ずに居た結果編み出された彼女らの方法であった。

「砲塔がズングリしとって、うちらの三/四号にちょっち似てますなぁ?」

「そうかなぁ? それより、早く逃げるよ!」

「分ってますよぉ」

 

 少女らは傍らに隠しておいたソミュアS35に乗り込む。その寸前に、予め背負わせておいた木々の束を地面に投げ下ろした。ロープに繋がれたそれがソミュアS35によって引きずられると、もくもくと砂埃を上げた。

「これで上手いこと食い付いてくれたら、困る事ありまへんけど」

 久留間舞子は少し自信無くつぶやくのであった。

 

 

 

「神無月さん! 久留間さん達から情報来ましたよ! メロヴィングのチーム。ある意味凄い戦車使ってます!」

 タブレット端末に転送されてきた、デジタルカメラの映像を中嶋奏はキューポラから外を伺っていた神無月しおりに見せた。そこに映っていた車両の姿に、彼女も小さく息を飲む。

 

「BDR/G1に、ルノーG1…!」

「それも、BDR/G1は90mm砲を搭載。ルノーG1は105mm榴弾砲ですよ。改良型砲塔を搭載していて、どっちも強いです!どうしましょう?ルノーG1は砲塔装甲は全周60mmと分厚いし、BDR/G1に至っては砲塔の装甲が正面80mm、後面で漸く60mmの強固な物です」

「…車体狙いで行きましょう。砲塔のクリンヒットを狙うよりも、面積、体積の大きい車体を攻撃した方が撃破出来る可能性が高くなるはずです。

 フランス系戦車は履帯構造がちょっと独特だから、実際の装甲よりも色々な物が装甲の変わりになって分厚くなったりするけれども…それでも、当らないより当る弾の方が良い事に変わりありません」

「はいっ!」

 

「中嶋さん。各車両に敵隊長車並びに副隊長車の装甲厚と性能、車体狙いの攻撃を行う事を知らせて下さい」

「了解しました!こちらフラッグ車通信手、各車両聞いてください……」

 神無月しおりは小さく嘆息した。90mm砲に、105mm榴弾砲かと。どちらも高い威力を持っている。仮に直撃を貰わずに撃破されなくとも、砲塔旋回装置や履帯等の損傷は免れないだろうと。今回もきっとギリギリの戦いとなる。しかし…始まってしまった物は仕方が無い。全力で挑むだけだ。

 

《ソミュアの久留間どす。砂埃がこっちを追いかけてきますわぁ!》

斥候兼、囮役のソミュアから連絡が入る。神無月しおりは意識を切り替えた。

「久留間さん、お疲れ様です。粗朶の束を捨てて、相手から視認出きる位の距離で此方へと逃げて下さい」

《了解しましたどすえ》

「これよりサンドイッチ作戦ツヴァイ改め、カスクート作戦を開始します! 全車両、落ち着いて行動してください。キルゾーンに敵車両が入り次第、攻撃を開始! 車体側面や履帯を狙った攻撃をお願いします!」

《心得ました!》

《了解ー》

《仰せのままに!》

《久留間どす。そろそろそちらに合流しよりますー!》

 

 

 

《団長様。敵チームのソミュアを発見! かなりの快速です》

「斥候かしら…追撃しますわよ! …ふふ。嬉しいですわね。フランス戦車をあんなに使い込んで貰えて」

 時折ソミュアからの砲撃が届く。見た目以上に、その砲弾は低伸した弾道を見せた。貫通力は他校のソミュアと代わり映えしないが、鋭く、真っ直ぐに此方に飛んでくると言うのは心理的に中々の脅威である。

 

 ソミュアは全速力で丘へと上がる坂を上っていく。恐らくは、そう言う狙いなのであろう。

「全車両、警戒なさい。そろそろ敵の攻撃が来ますわよ」

《この先に待ち受けていると思いますか? エリザベド》

「恐らくはね。踏み潰しますわよ。クロエ」

 副官からの呼びかけにエリザベドは車内で不適に笑った。どんな相手だろうと、威風堂々と踏み潰し突破してみせるのが彼女の美学であったから。

 

 BDR/G1とルノーG1を先頭に、そして両翼に展開したB1terと鏃の中央に位置したソミュア対戦車自走砲が丘を登る。開けた平地は事も無げに静かで、静寂を保っていた。

「…? 妙ですわね。仕掛けてくると思っていましたのだけども…全車、警戒を厳にして下さいまし!」

 平地を進んでゆく、メロヴィング女子大付属高校のチーム。襲撃も、何も無く丘を進んでゆく彼女らは警戒心がどんどん薄れていった…。例え引き締めようにも、敵の存在感の軽薄さが心を鈍らせる。

 

「襲撃地はここではないと言うのかしら…?」

 ハンカチで額に流れる汗を拭った瞬間。茂みの奥から僅かに煌くものがあった。

「……!? 拙いですわ! 全車両前進全速! 即急にこのフィールドを離脱しますわよ!」

 エリザベドが叫んだ次の瞬間。左右の森の茂みから次々に砲撃が飛び込んできた。

 

 

「見事な陽動ね。エリザベドは寸前になるまで気が付かなかったみたい」

 観客席でテーブルを広げ、お茶会を楽しんでいたのはモスカウ文化高校のサーシャと、聖・バーラムのローズマリーであった。傍らには、彼女らに付き従う少女達も、ゆったりとお茶を飲みながら観戦を楽しんでいる。

「釣り野伏せ、と言ったかしら? あの戦い方に似ているわね。ソミュアを囮に敵を引きつけ、キルゾーンのギリギリまで寄せた所を左右に伏していた部隊で攻撃する。皮肉にも踏み潰すクセを上手い事取られてしまった訳だわ。エリザベドは」

 クッキーを摘みながらクスクスと笑うサーシャに、ローズマリーは静かに頷いてみせる。

「本当に貴女は楽しそうね。しおりさんが活躍するのが」

「勿論。だってシオリチカに…彼女に最初に魅せられたのは私自身なのだから」

「ちょっと嫉妬してしまうわ。あら…エリザベドが早速動いたわね。あの子の立ち直りの速さは一流だから」

 

 

 

「クッソ…! B1terって思った以上に敵に回ると堅いな…!」

 砲手の北村カレラが苦言を零す。強化され、傾斜を持った70mmの側面装甲が嫌らしい程に砲弾を弾いていく。履帯を狙おうにも、菱形戦車の様な形状のソレを装甲化しているB1ter相手では、中々クリンヒットが見込めない。

 次々に砲弾を撃ち込んでいく播磨女学園のチームであったが、いざ攻撃開始と号令を下す瞬間、相手が増速した事により狙いを外された。徹底的な偽装工作でこちらのアンブッシュは殆ど気付かれなかったが

 どうやら僅かに藪から姿を見せていたペリスコープか何かが光に反射したのであろう。戦車道に絶対は無い事を神無月しおりは改めて痛感した。

「よし…貰った!」

 北村カレラが吼え、三/四号の75mm対戦車砲が咆哮する。撃ち出された砲弾は緩い放物線を描きながら、ソミュアCA対戦車自走砲の側面へと食らいついた。白旗が上がる。

「ソミュア対戦車自走砲を撃破しました!」

 

《いよっしゃぁ!》

《先ずは一両!》

《幸先良いねー》

「皆さん聞いて下さい。敵は建て直しを計ってきます。直ぐに陣地を移動。機動戦闘に入って下さい」

《ヤボール!》

《はいよー》

《もうちょっと撃っていたいのに!》

最後の一撃とばかりに放たれる砲弾の一発、75mm砲を積んだT69E3の砲弾がもう一両のソミュア対戦車自走砲の履帯へと直撃した。

 

《隊長さんー。自走砲の撃破はならずも、履帯の破壊に成功しましたよ》

「ありがとう御座います。すぐに離脱を! 敵が追ってきます」

 四葉アカリからの報告を聞き入れながら、神無月しおりは冷静に行動を促した。

 

 

 

「よくも遣ってくれましたわね…! 淑女諸君! シャールの具合は!?」

《こちら一号車以下、被弾すれどもB1terは問題なし!》

《ソミュア自走砲一号が撃破! 二号は履帯を遣られましたがまだ遣れます!》

《こちらクロエ。ルノーG1は問題ありません》

「了解! クロエ達は左翼のパンターを追いかけて下さいまし! 事前情報だと播磨女学園にパンターが配備されたなんて聞いてなくってよ!?」

《今回が初陣の新戦力なのでしょう。エリザベドもお気をつけて》

 

「健闘を祈りますわ! 右翼チーム。あたくしに付いていらっしゃい」

 素早く車両を展開し、メロヴィング女子大付属高校のチームは車両を二分すると、再び小さなパンツァーカイルを瞬く間に組み終え、藪や茂みに潜伏する播磨女学園のチームへと突撃していった。砲が次々に吼え、彼女らを隠蔽していた藪や茂みが吹き飛ばさていく。

「先ずは見事なアンブッシュだったと褒めて差し上げますわ。しかし! この程度で負けるあたくし達ではありませんわよ!Vive la france!」

《Vive la france!》

 

 追撃を敢行するメロヴィング女子大付属高校のチームであったが、エリザベドの勝気な顔は徐々に曇っていった。

「…!? フラッグが沢山…!? まさか、そこまでして偽装を!?」

 追いかける車両の、それら全てにフラッグ車を示す青い旗がはためいていた。これではどの車両が本当のフラッグ車なのか

 皆目見当もつかない。全てを撃破する必要が出てきた。

《エリザベド、聞こえますか?こちら、フラッグ車が多数。偽装をしています》

「クロエ。そっちにはパンターが居ましたわね? 最大戦力のパンターを積極的に狙いなさい! パンターか三/四号が恐らくはフラッグ車の筈でしてよ! 全く、小ざかしいったらありませんわ! 嫌いではありませんけれども!」

 

 

 

「まぁ…全車両をフラッグ車に偽装。よく考え付いたものね…」

「これでほぼ事実上の、相手にとっては殲滅戦。こちらにとってはフラッグ戦と言う戦況を構築した訳ね」

 流石、考える事が鋭いわとローズマリーは感心する。

「それでも、フラッグ車の可能性を絞り込めば、当りは自ずと出てくるわ。

 私が自分の立場でやるのであれば、最も錬度の高い車両か、最も戦力としてバランスが取れている車両を推すわね」

「私もよ。此処で意外性を出すのは悪手よ。もしも偶然、フラッグ車が相手チームに討たれてしまった場合はそれで試合が終了してしまうもの。それにフラッグ車を守ろうとする行動が、自ずと塗り固めた嘘を暴いてしまうわ」

 

「ともすれば、導き出される答えは…三/四号かパンターがフラッグ車よね」

「そうなるわね…サーシャ?貴女はどう思うかしら?」

「私なら、しおりの乗っている三/四号がフラッグだと目星をつけるわよ。マリー」

 少女達の茶会は続く。この試合が続く限り。果たしてどの様な終りが待っているのか…

 

 

 

「よぉし…食らい付いてきたな…!」

山岳地の細い一本道で、先頭を走るパンターの車上にてバウムガルドは一人呟いた。その後方にはクロムウェル、二両の75mm砲搭載のT69E3、そしてソミュアだ。

「事前の打ち合わせ通り、行動するぞ!アリカ。後続の車両に連絡を!」

「了解だよ桜!全車、打ち合わせ通り、煙幕展開して下さい!」

《煙幕了解ですー》

最後尾を走っていったソミュアとT69E3が煙幕を展開し、彼女らを追うメロヴィング女子大付属高校のルノーG1、そしてB1terの視界を塞いでいく。

 

「小癪ね…榴弾を装填!撃って煙幕を晴らしなさい」

 ルノーG1の105mm榴弾砲が装填され、これを発砲。炸薬を大量に詰め込んだ砲弾がソミュアに直撃し、これを撃破なるも、続けて煙幕を展開し続けるT69E3によって阻まれ、視界の見通しが悪い。

「続けて撃つわ。次弾を装填!」

 

 …そうして、追走劇を繰り広げている最中、道を逸れた場所にある茂みに、煙幕に乗じてパンターは身を隠していた。

「…よし!敵は行ったな!追撃を開始する!」

あえて先頭に立ち、敵車両からの意識を少しでも反らしながら、隠密に後方に回り込む。そうすれば後は随時敵を背後から撃破していけば良い。

「行くぞ諸君、パンツァーフォー! ……どうした。何故動かない?」

 

 バウムガルド・桜は眉を潜めて車内の友人に問い掛けるが、芳しくない言葉が返ってきた。

「ごめん桜! エンジンスターターの調子が悪くて…この! くそっ…あ、掛かった!」

 息を潜めていたマイバッハのV型12気筒エンジンが再び咆哮し、茂みの中から車体を現す。この僅かな時間の遅れが仲間の命取りに成らなければ良いが、とバウムガルド・桜は小さく不安になった。

「急げ! 身を挺して私達の存在を隠した戦友の為にも! 走れパンター!」

 

 

「ああ、くっそ! 次々撃ち込んで来る! アタックが鋭い!」

 煙幕を展開しながら逃げ続けていたクロムウェルと二両のT69E3は徐々に押されていた。山岳地であるが故、上下左右に振られる山道では狙いが定まらず、後ろを追いかけ続けるルノーG1に有効打が中々入らずに居た。

 それに対して、彼方側の105mm榴弾砲は至近距離に砲弾が飛び込むだけでもダメージを与えられる。形成はやや不利であった。そしてまた一発、T69E3に至近弾が命中した。

《あわわわわぁ!?》

 履帯が吹き飛ばされ、悲鳴と共にスピンし落伍するT69E3、すかさず横腹を見せた車両に向けて、ルノーG1とB1terが砲撃を叩き込みこれを撃破。残るは二両。そして実質、後方に向かって砲撃出来るのはクロムウェル一両のみとなった。

 

「ナムサン、ここまでか…!」

クロムウェルの車中にて柿原セリカが苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた途端、自らの視線の先。つまりはメロヴィング女子大付属高校の後方から爆発音が轟いた。

《すまない、遅くなった!》

「待ったぞ、黒騎士!」

 

「そんな…挟み撃ち!? 何時の間にパンターが…!」

 ルノーG1の後ろを追従していたB1terが次々にパンターの75mm KwK 42対戦車砲によって食い破られてゆく。既に三両が食われ、今にも最後の一両も食われようとしていた。

「挟み撃ちとは…!しかし!」

 ルノーG1がその機動力を持ってして小さく旋回、B1terとすれ違いパンターへと砲撃を送り込むも、旋回のブレにて照準が定まらずに命中ならず。咄嗟に減速し姿勢を整えたパンターは落ち着いて発砲。ルノーG1を征した。

 

「よっしゃぁ!」

しかし喜ぶ暇も無く、B1terがT69E3へ向けて砲撃。これを撃破する。状況を理解したクロムウェルが先頭の位置から回頭し、T69E3を避けてB1terを撃破。5対2と言う撃破レートを叩き出し。辛くも勝利と言った按配になってしまった。

「やはりT69E3で逃げながらの戦法は辛かったか…」

 と、一人バウムガルト・桜が愚痴を零したその瞬間、側面より砲撃が飛来。クロムウェルの装甲に着弾した。

 

「何が起きた!?」

 バウムガルドは咄嗟に頭を下げてキューポラへと収まる。無線が飛び込んできた。

《クロムウェルのセリカだ! 麓の方から砲撃があったぞ!》

 叫ばれ、麓の方へと視線をやらば、先ほど履帯を切った筈のソミュア対戦車自走砲が此方に砲身を向けていた。

 

「砲塔、左旋回急げ! ソミュアの自走砲に狙われている!」

 間も無く、ソミュア対戦車自走砲が発砲。パンターの左履帯に着弾。足元を崩される。

 パンターも応戦するも初弾を外してしまう。装填手が必死になって次弾を装填する。リロードの速度が勝負の分かれ目となったこの戦いにおいて、勝者は…どちらでも無かった。

 

 最初に発砲し、直ぐ様再装填を行ったソミュア対戦車自走砲であったが、90mmもの直径を持ち重く、長く、大きな砲弾を込めるのには時間が掛かる。何より自走砲は狙いの修正を入れるのが構造上困難であった。大して75mm砲を搭載するパンターは装填速度に置いて、狭い車内ではあったが僅かにソミュア対戦車自走砲に勝り、遅れを相殺した。

 

 射撃はほぼ同時。ソミュアはその本来ならば開放されている戦闘室を覆っていた装甲に着弾し白旗を上げた。対するパンターは砲塔リング根元に被弾。撃破判定となり白旗。通称、黒騎士小隊と播磨女学園側は呼称していた分隊は、メロヴィング女子大学付属高校との分隊との相打ちと成った。勝敗の分かれ目は、パンターのエンジンが再始動に手間取り、愚図っていた事に影響を及ぼしたであろう。

 

 

 時を僅かに遡り…

 

 

「さぁ、覚悟なさい! 播磨の魔女とやら! 勝負ですわ!」

 森林地帯の平地を駆け抜ける三/四号以下、魔女小隊はBDR/G1とB1terの追撃を受けていた。

次々に主砲が立て続けに吼え、播磨女学園のチームを追い込んでゆく。このまま逃げ続ければ、敗北は間違いないであろう。

《しおりちゃーん。逃げ続けても勝ち目薄いよ?》

 

 76mm長砲身砲を持ったT69E3の車長、双葉葵からの無線に神無月しおりは一人頷いた。

「分っています。合図と同時に左右に展開。敵を包み込みます! 一つずつ、確実に減らしていきましょう!」

 回避行動を取りながら逃げ続ける神無月しおりの視界の向こうに、大きな岩が見えた。あそこを基点としようと決意する。

「全車、左右に大きく展開! 遊撃に入って下さい!」

大岩をすり抜けざまに、播磨女学園の戦車4両は左右に分かれた。右翼へはT69E3とT-34改、左翼へは三/四号とB1terが展開し、メロヴィング女子大学付属高校の戦車を包囲しようとする。

 

「全車、撃て!」

 神無月しおりの号令と共に砲撃。側面を取られたB1ter二両が食い破られ落伍するも、BDR/G1の砲撃で播磨女学園側のB1terも撃破される。この流れに乗じ、メロヴィング女子大学付属高校は左翼に展開する、戦力を失った三/四号へと戦力を集中させようとする。

「そうは行かないよっと!」

 

 T69E3とT-34改の砲撃がBDR/G1とB1Terの動きを阻害する。これに対し、三/四号へと向かうのを止めて急旋回したBDR/G1は再装填を終え、T69E3へと発砲。クリンヒットを与え、撃破した。その間にも三/四号並びにT-34改は砲弾を再装填。

 足を止めて残ったB1terへと砲撃を行い、これを撃破。しかしBDR/G1は尚諦める事無く、T-34改へと吶喊。体当たりを敢行し砲身を折る事に成功。

 

 その間に再装填を終え、90mm砲を至近距離にて発砲。T-34改を撃破。

 三/四号はT-34改の影に隠れているBDR/G1に手出しが出来ずに旋回。回り込もうとするもBDR/G1もいち早くこれを察知。直ぐ様T-34改の傍らから離脱すると、見通しの悪い森林地域を突っ切って逃走した。

 それに三/四号も追従する。そして無線が飛び込んできた。

《こちらバウムガルト! 敵戦車を撃破なるも黒騎士小隊は全滅! 申し訳ないコマンダンテ》

「こちら神無月です。皆さん怪我は!?」

《Gut .(大丈夫)問題は無い。申し訳ないが頑張ってくれ》

 

 そして、森林の立ち並ぶ区域から開けた場所へと三/四号が躍り出た時、神無月しおりの目の前に飛び込んできたのは、こちらを待ち受けていたBDR/G1と、ハッチから身を乗り出しているエリザベドの姿であった。

 無線機を片手に、何か話しているのが分る。恐らくは、相手側も撃破された旨を伝えてきたのであろう。すると彼女は意を決したかの様に表情を改め、腰に挿していたサーベルを抜く。

「遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそはメロヴィング女子大学付属高校、戦車道チームは女騎士のエリザベド・ガリマールでございますわ! 今一度! いざ、尋常に勝負!」

 

 エリザベドの名乗りに僅かにキョトンとしたが、神無月しおりは改めて一度深呼吸をすると彼女に応えた。

「この勝負、お受けします!……霧島さん。私の指示で動いて貰って良いですか?」

「ああ…幾らでも注文してくれ。何処までも走ってやる。約束したからな」

「三/四号を振り回します。恐らくはゼロ距離格闘戦になると思います。皆さん…覚悟をお願いします」

「さぁ…! 行きますわよ! Char, a terme!(戦車前へ)」

「はい! パンツァーフォー!」

 

 三/四号が、そしてBDR/G1が、地面を蹴り上げて鋭く加速した。砂や砂利を大きく撒き上げて。最初の一撃。互いに接近した所で砲撃を行うも命中ならず。そして交差。三/四号は右旋回。BDR/G1は左旋回を行う。再びすれ違い、履帯が擦れあう程の至近距離を戦車が駆け抜けていく。

「左ハーフターン、クイック!」

 

 神無月しおりの言葉を受けて三/四号はすれ違い様に鋭く180度旋回。レンジファインダーにBDR/G1を収め、発砲するもBDR/G1はこれを左旋回で回避。BDR/G1はターンをしながら砲塔を左に旋回させ、三/四号を狙うが、砲弾はキュッと鋭く加速した三/四号のエンジングリルを掠めていくだけで有効打にならず。

 

 互いに大きく旋回しながら、三度目の交差。ハッチから頭を出すエリザベドと神無月しおりの視線が深く絡まる。BDR/G1は交差後、鋭く180度旋回。三/四号を執拗に狙う。

「霧島さん、ブレーキ!」

 

 BDR/G1を見つめて、呼吸を呼んでいた神無月しおりの咄嗟の指示。砲弾が三/四号の車体前面装甲を霞め抜けていく。再加速する四号ハーフは右に緩く旋回しながら、砲塔を右に向けてこれに応戦。しかしBDR/G1の砲塔装甲正面を掠めるも有効打に成らず弾く。四度、互いに正対しあった時に数十メートルの距離よりBDR/G1の発砲。神無月しおり、これを「左へ避けて」の指示を出し回避。

 

「右ハーフターン、クイック! 回り込んで!」

「左旋回180度! 急いで!」

 結果的に、左のフェイントからの鋭く大きな旋回を繰り出した三/四号と、履帯が切断するのも厭わないBDR/G1のクイックターンが相成り、互いに向かい合う。

 激しい旋回の横Gに揉まれながらも大島明海は己の本分を全うし、鋭くも正確に75mm戦車砲砲弾を装填し終え、北村カレラはほんの一時も瞬きする事無く、勝機は何処かとばかりにジッとレンジファインダーを睨み続け、砲塔操縦ハンドルを強く握り締めていた。

 

「撃て!」

「Tirer!(撃てぇ!)」

 号令が下され、互いに砲撃。爆炎が三/四号とBDR/G1の間に立ちこめ、音が山々に木霊する…煙が晴れ渡った時BDR/G1からは白旗が上がっていた。かの車両の正面装甲にはくっきりと着弾した痕跡が残っていた。対して三/四号の砲塔防盾にも、被弾の痕跡が強く残っているが、紙一重にて砲弾を弾いた。薄氷の攻防が今、終った。

《播磨女学園の、勝利!》

 三度目の勝利を知らせる無線が流れ込んでくる。大島明海は大いに喜んだ。

 

「やったよしおりん! 今度も勝ったよ! …しおりん? しおりん!? 大丈夫?」

 振り向き、車長席に座っている友人に彼女が振り向いた時、少女は腕を押さえながら身を縮めて蹲っていた。苦しそうな呼気が耳に届く。

「ぅ…ぁ…っ…!」

「しおりん、大丈夫!? 腕が痛むの!?」

「…っ…は、ぁ…大丈、夫…水…取って…」

 神無月しおりに乞われるがままに、大島明海は急いで水筒を取り出すとコップに水を注ぎ、彼女に手渡した

 。傍らの北村カレラは脂汗を流して震える友人の背中をそっと摩ってやった。少女は震える手でコップを受け取ると、錠剤の入ったケースから痛み止めを取り出すと、それをどうにか飲み込んだ。

 

「嫌な事、思い出しちゃった…? しおりん、本当に大丈夫…?」

 ぜいぜいと、肩を上下させる荒い呼吸を繰り返す友人がただただ不安で、だらんと投げ出されじっとりと汗に塗れた手を優しく握りながら問い掛けた。数分が経過する頃、神無月しおりの呼吸は漸く安定した。

「…ごめん…防盾に、砲弾が当ったのが…怖くて…思い出して…」

 キューポラのスリットから、その一部始終を眺めていた神無月しおりにとってそれは、過去の苦々しい思い出をフラッシュバックさせるに容易い出来事であった。

 

 目の前の情景。そして襲い掛かる衝撃。幻肢痛を引き起こすトリガーには充分過ぎた。そして現に今、義手の繋がれた腕には痛みが走っている。

「しおり。大会運営の救護室にまで走らなくて大丈夫か。三/四号は動けるぞ」

「…んっ…ぁ…はぁ…大丈夫、霧島さん…痛み、だいぶ引いてきたから…」

青ざめた表情の神無月しおりを乗せて、戦車は試合会場を撤収した。戦車から降りて尚、青い顔をしている神無月しおりを見て友人らは口々に大丈夫か。怪我でもしたのか、と安否を問う声を掛けてくれた。

 

「しおりんは大丈夫だから。ちょっと昔の傷が疼いただけだから」

 大島明海は神無月しおりの変わりに少女らに説明して回った。その間に、双葉葵はそっと神無月しおりに近付き、声を掛けた。

「しおりちゃん、本当に大丈夫?後の事は任せてくれて良いから。なんなら横になってて良いかんね」

「…ありがとうございます…双葉さん…」

「悔しくも、清清しいまでに負けてしまいましたわ!」

 その時、神無月しおりの耳を聞きなれない声が擽った。エリザベド・ガリマールその人であった。

 

「…あら、随分と青い顔をしていらっしゃるけども、大丈夫なの? 神無月しおりさん」

「…えぇ。少し…昔の傷が疼いてしまって」

「まぁ! それは大変。戦車道は生傷の絶えない武芸ですものね…どうかご自愛なさって? 今日の試合。真に楽しかったわ。久々にあんなに戦車を振り回せたんだもの。身勝手な振る舞いかもしれませんけれども、試合を通じて私達は友達になれたと思いますわ。良ければ、またあたくし達と遊んで頂戴。よろしくて?」

 差し出された握手に、神無月しおりは震える右手でどうにか応じた。

「えぇ…エリザベド、さん…」

「気軽にエリーと、そう呼んで頂戴な。やっぱり貴女は、噂に聞いた通り神無月でありながら、神無月流では無いのですね。

 実際に戦って分ったわ。貴女は貴女と言う戦車道を、もう持っている。見事な戦いぶりでしたわ」

「…どう致しまして」

 

「それではまたお会いしましょう。Au revoir!(ごきげんよう!)」

 立ち去っていこうとするエリザベドであったが、その横を通り抜け、神無月しおりに近付こうとするメロヴィング女子大学付属高校の生徒が一人居た。

「…団長様…神無月、と言いましたか…?」

「うん? えぇ。彼女は神無月の家の者らしいわよ」

「…あいつが…」

 呟くや否や、少女は肩で風を切りながら神無月しおりに近付いていった。

「お前、神無月の家の者か!」

「…ぁ…? …はい。そうですが…」

 

次の瞬間、手が振り上げられ、指先が神無月しおりの頬を叩いていった。

「痛っ…!」

「ちょ…!? 何やってんのあんた!?」

「五月蝿い! 外野は黙ってろ! 何が播磨の魔女だ、お前なんか、悪魔だ!」

 余りにも酷い罵りの言葉を受けて、少女達は一瞬絶句した。

「お前の、お前の家の流派の所為で! 私の元居た学校は、私のチームはぁあ!!」

 止める暇さえもなく、メロヴィング女子大学付属高校の少女は神無月しおりに殴りかかろうとした。

 

 次の瞬間。

 

 パンッ! パンッ! パンッ!

 

 耳をつんざく、何かが爆ぜる様な軽快な音が鋭く響き、メロヴィング女子大学付属高校の少女は倒れこんだ。

 目の前の状況が飲み込めず混乱する神無月しおりのすぐ横で、音を奏でた本人が立っていた。

「悪いけど、うちのしおりちゃんに怪我をさせる訳には行かないんよ…安心しなよ。護身用の麻痺弾だから」

 

 音を奏でたのは、双葉葵であった。恐ろしい程に酷く褪めきった冷たい瞳で、護身用の拳銃…4インチの銃身を持った、チアッパ・ライノ・リボルバーを抜いていた。軽快な音はリボルバーの銃声だったのだ。

「…ぁっ…ごめんなさいまし!まさか、あたくしの部下がこんな身勝手な振る舞いをするなんて!メロヴィング女子大学付属高校、戦車道チームの恥ですわ! 真に、真にごめんなさいまし! しおりさん、頬は大丈夫? 腫れてなくて?」

 

 慌てた表情でエリザベド・ガリマールは必死になって頭を下げ、頬を軽く叩かれた神無月しおりを心底心配していた。

「取りあえず、解散しよう。このままじゃ衆目を集めすぎる…」

 双葉葵の言葉を受けて、エリザベド・ガリマールは頷く。暴走した少女は他の生徒に抱き抱えられ、引きずられていった。突然の波乱に両校の生徒達の間には言い現せられぬ蟠りが漂ったが、それでも粛々と撤収が進められた。

 

 

 

試合当日の夜。ぼんやりと戦車道の事後処理を行っていた双葉葵の元に一本の電話がやってきた。

「はいはい、こちら播磨女学園生徒会の双葉葵だけどー?」

《ああ、双葉葵さんですわね? エリザベド・ガリマールですの。お時間、今はよろしくて?》

「ああ、エリザベドかぁ。何の用なのよ」

《試合の後、イザコザがありましたでしょう? その事についてのご報告を少々…》

 

「……謹んで聞きましょうか。それで?」

 双葉葵はテーブルの傍らに置いてあった麦茶のグラスを傾けた。

《えぇ。改めて…今回は本当に、申し訳ありませんわ。今度、播磨女学園の皆様には改めて、この度の非礼を詫びさせて頂きたいと思いますの。

 それに今後一切、この様な事が無いように気をつけますわ。件の彼女には悪いと思いますが、暫く身を引いて貰う事に決めましたの。

 怒りや恨みを孕んだ侭の戦車道なんて、ゾッとしませんもの…それで、その生徒なのですけれども…話を伺ったら、何でも神無月流に恨みがあるとか…》

 

「恨み…? 嫌な話だねぇ。何があったのよ。聞き出せたの?」

 双葉葵は眉を潜めた。会話の裏でまた一つ、神無月流についての不明瞭だったパズルのピースが嵌る様な気がした。

《彼女、中学生の頃に嘗て神無月の流派の戦車道をしているチームと戦ったんですって…

 それで何でも、滅法手酷く倒された…いえ、潰されたと言った方が正しいそうで…お陰で彼女のチームは戦車の修理に大変時間が掛かり、暫くの間は戦車道の活動が出来ず終い。参加したかった大会にも出られなかったとか》

「…うへぇ…そりゃまた嫌な話…」

 

《双葉葵さんは、神無月流のそう言う、良くない話しはご存知?》

「ぁー…まぁ多少はね。しおりちゃんを戦車道で使う以上、どうしてもその流派は気になるから…

 エリザベドは何か他にも神無月について知ってるん? その口ぶりだと…」

《……噂話程度にしか、あたくしは知りませんけれども、それでも良いのであればお話ししても構わなくてよ?》

 小さな間の後に、エリザベトはおずおずと切り出した。

「構わない。聞けるものなら何でも聞きたいから」

 

《では……双葉葵さん、貴女様は戦車道のそもそものルーツを、御存知かしら?》

 唐突な問い掛けに双葉葵はキョトンとしたが、持っていたペンで額を小突きながら自分の記憶をひっくり返した。

「あー、馬上薙刀術がどうのこうのとは聞いたねぇ。あと、女性騎兵隊に戦車が与えられたからとか」

《えぇ、真にその通り…その上で、神無月流の礎となったのは…実際に戦車と共に戦場に赴いたと言う…とある女性の戦車兵から始まった、と言う噂がありましてよ》

 

「そんな馬鹿な!? 世界大戦に出兵した日本の女性の兵士? 有り得ないよ、ソ連じゃないんだから」

 エリザベド・ガリマールから語られる話に双葉葵は仰天した。とてもではないが、ありえない。

 女性が戦車に乗った事はあっても、実際に砲弾の飛び交う戦場に出たと言う話は国内で聞いた試しが無いのだから。

《えぇ…普通なら『有り得ない』んですのよ。ですが真しやかに囁かれ続けてる噂なんですのよ。これが他の戦車道流派の違いの一つ…そしてもう一つは…》

「…もう一つは…?」

 

 双葉葵は正直、その先の話を聞きたくないとさえ思っていた。

 だが、神無月しおりと言う少女とこれからも付き合う以上、毒を食らわば皿まで食らわねばなるまい。意を決して、問い掛けた。

《…命のやり取りをしてきた者の教えを、脈々と受け継いでいるとか。

 飽くまで武芸の筈の戦車道に、殺人術の技術を汲んで応用していると…そう噂に聞きましたの。

 鬼火を纏った神無月の戦車には気を付けろ。睨む瞳は魔眼の瞳、食らい付かれれば無事では済まない…なんて言われたとかどうとか…》

「…出来の悪いお伽噺の様だなぁ」

 双葉葵は大きな溜息をつきながら天井を仰いだ。

 本当に碌でも無い話だと心底思う。殺人術? なんだそれは。

 

 鬼火を纏った戦車? ありえない。しかし…魔眼の瞳、と言う言葉には何故か納得出来る節があった。神無月しおりの、時折見せる酷く物悲しい瞳。眼力を秘めたあの赤い眼が脳裏を過ぎっていく。

《そう…これはお伽噺。果たして何時生まれたのかも解らない、戦車道の歴史の闇から這い寄ってきた…薄暗くて性質の悪いお伽噺なんですわ》

「…今時三流のゴシップ雑誌だってそんな話は書かないんじゃないのー?」

《えぇ…でも、双葉葵さん。心して聞いて頂戴?この御伽噺は、紛れも無く…

 古くから戦車道乙女の間で言い伝えられてきた薄暗い闇の御伽噺。これを聞いたのはあたくしのOGにあたる、お母様からなのよ…そしてそのお母様は、お母様のOGから…気を付けて下さいましね?今回の様な事…また無いとは、言い切れないでしょうから》

 

「……ご忠告、痛み入るよ。胃袋が痛くなってきたよ」

《まぁ、それは大変! 胃痛によく効く丸薬を送って差し上げましょうか?》

「いや、気持ちだけでいいよ。今夜はありがとう。おやすみエリザベド」

《えぇ…おやすみなさいませ。Bonne nuit. 》

 電話の通話を切り、双葉葵は大きく椅子に凭れ掛かった。酷い話だ。

 どれだけ古くから言い伝えられてきた御伽噺なのであろうか。

 薄ら暗いにも程がある。…殺人術? まさか。戦車道はあくまで武芸だ。人を殺す行為ではない。

 

 …だが、思い寄る事がある。神無月しおりの半生。彼女はずっと、物心付いた頃から戦車道漬けである。

 個人的な理由でそれとなく大島明海に、神無月しおりがどんな人生を歩んだのか聞いた所では、何でも娯楽を楽しむ事も無く、毎日を戦車道で過ごしていたと言うではないか。

 それはまるで、小説や御伽噺の世界の中の、徹底して殺人術を教え込む剣客とその弟子、まるでその物である。なんと性質の悪い冗談であろうか。

 

 しかし…幾ら他の考えを巡らせ様にも覚束無い。この事は頭の片隅に覚えておく程度に留めておくのが一番の妥当であろうと、

 麦茶の入ったグラスを傾け、夜の海を眺めながら双葉葵は思った。

 

 

「しおりん…大丈夫? 身体、まだ震えてるよ」

 戦車道を終え、学園艦のアパートへと帰ってきた大島明海は、未だに腕を押さえている友人の姿を気遣った。

 時間が経つと言うのに、鈍い幻肢痛が止まらないで居る。

 理由は分らない。確かに、戦車道の最後の鍔迫り合いは怖かった。

 だがそれも時間が経てば自然と消えるものだと神無月しおりは思っていた。

 しかし現に、痛みは消えずに居る。

「…明海さん…しんどい…」

「無理しなくて良いからね? 大丈夫? 明日、もしも痛いままだったら病院に行って体を見て貰おうか?」

「…うん…」

 何故、腕の痛みが消えないのか。何故、こうもジクジクと身体の芯から痛むのか。そして、言葉に苛まされる。

『お前なんか、悪魔だ!』

 見知らぬ少女からの罵りの言葉が、心に刺さる。

 …やはり自分は、戦車道をしなければ良かったのではないかと。

 

 …それでも。それでもと思う。

 震える右手で小さく空を掴む。

 …アレクサンドラ・楠も、ローズマリー・レンフィールドも、そして…

 エリザベド・ガリマールも、楽しかったと言ってくれた。友人になれたと、言ってくれた。

 その言葉だけが、神無月しおりを支えていた。

 彼女が漸く眠りに付いたのは、海に浮かぶ月が大きく傾いた頃であった……。

 

 

 

 

 

 

 

登場戦車一覧

・播磨所学園側 新車種。

 

・パンターG型・改

リサイクル処分される所だったパンターをかき集めて継ぎ接ぎし製造した物。砲塔防盾はアゴ付きの物を採用し、足回りはパンター2の簡易千鳥配置の転輪を採用している。若干キメラめいた戦車。

 

・T69E3・75mm砲搭載型

欠品、または壊れていた部品を取替え戦線に復帰したT69E3である。本来の主砲である76mm対戦車砲の入手が間に合わなかった為、M4シャーマン初期型の75mm砲を搭載しているので若干砲身が短く、見た目の迫力に欠ける。しかし皮肉にもM4シャーマンで使用されていたジャイロスタビライザーを搭載出来た為、走行中の射撃能力は悪くない。

 

 

・メロヴィング女子大学付属高校

 

・BDR/G1・90mm対戦車砲搭載型

正しくは『BDR/G1 B』戦車。シャールG1戦車計画としてフランスで開発研究されていた物の1つ。Baudet-Donon-Rousell社による開発プロジェクトの為、名前に頭文字の『B』が付いている。史実ではドイツの侵略によって完成しなかった。メロヴィング女子大付属高校の車両は改良型の大型砲塔を備え、そこに90mm対戦車砲を装備している。主砲や装甲等の性能がドイツの四号戦車に近しいが、BDR/G1 Bの方がややズングリとしている。

 

・ルノーG1

シャールG1戦車計画としてフランスで研究開発されていた物の1つ。ルノー社によって手がけられた為、ルノーG1と言う名称を持つ。試作車両が1両作られたものの、ドイツの侵攻作戦によってフランスが敗戦した為に日の目を見る事は無かった。メロヴィング女子大付属高校の車両は改良型の大型砲塔を備え、強力な105mm榴弾砲を搭載している。大型の砲塔に更に重量の嵩張る榴弾砲を搭載している為、砲塔旋回速度がやや遅いのが玉に瑕である。

 

・S35 CAソミュア対戦車自走砲

ソミュアの車体をベースに、開放型の戦闘室を設け、強力な対戦車砲を搭載した駆逐戦車の一種。防盾周りがコミカルな見た目をしている他、原型のソミュアS35にくらべかなりズングリとした印象を持つ。1945年にAMX社が計画を立てた物の、史実上では実際には製造されなかった車両である。強力な主砲を持つ物の、装甲性能が貧弱な為、アンブッシュを有効活用しなければ使用が難しい車両であろう。メロヴィング女子大付属高校の車両は90mm対戦車砲を搭載している。

 

・B1ter

ルノーB1Bisの更なる改良型。メロヴィング女子大付属高校ではエンジンをより高出力なV型12気筒エンジンに交換したり、ギアボックスを強化している。お陰で装甲強化によって重量が増している割に機動性が高い。他は至って普通のB1terである。

 

オマケ

・砲身長の延長改造について。

VK30.02(後のパンターである)用として1941年に発注されていた60口径砲、後の7.5 cm KwK 42対戦車砲が、貫通力を強化する為に砲身長を10口径程延長し完成させたと言う史実を元に認可されている。当世界では気軽な威力強化としてそれなりに採用されている改造例である。また軽戦車や中戦車でも、弾道の低伸化や、命中精度の向上等を目論んで施される事が多い。播磨女学園では後者の理由として採用。

 

 

 

 

 



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ep.4

・一時の安らぎ。他愛も無い戯れ。戯れであるからこそ、人は魅了される。



 

 

 

 三度目の戦車戦。フランス戦車を有するメロヴィング女子大学付属高校との戦いは

 神無月しおりと播磨女学園の少女達に大きな波紋を作りつつも…時が過ぎ行く内に悪くない思い出へと化した。

 ただ独り、少女の過去に疑問と不信感を抱え続けている双葉葵を除いて。

 

 

 さりとて噂の膨らみは静まる所を見せはしない。個性的な戦車を従えて、名うての戦車道チームとの戦いを

 繰り広げる播磨の魔女の話を聞きつけて、他校との合同練習を見学に来る人々も現われ出した程。

 然し、見学者の多くは理解に至らなかったであろう。魔女の実力を。少女の実態を。

 

 

 全てを知るには戦場にて相見え、そして砲火を交えねばならないのだ。

 故にそう…今はまだ、少女に注がれる視線は僅かな限りであった…

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 

 第四話:Breath und Breather

 

 

 播磨女学園とメロヴィング女子大学付属高校との戦車競技はその終りに、神無月の流派が生み出した遺恨故の突然のハプニングによって両者の間に新たな遺恨を残してしまいそうになった物の、メロヴィング側のチーム隊長…エリザベド・ガリマールの尽力により関係は無事に修復された。

 

 

 少女は純粋に非礼を詫びた。来る日も来る日も、播磨女学園戦車隊の少女達に頭を下げ、そして何よりも、神無月しおりに頭を下げていた。そして彼女の本心からなる行動は無事に実を結んだ。今となっては、学園交流の名の元に両校の学園艦を繋ぐ飛行機の定期便が飛び立つ程度には。

 

 

 穏かにして爽やかな初夏のある日の事…この日、各校の少女達は聖・バーラム学院のお茶会に招かれる事となった。幾らかの戦車を伴い、少女達は古きよきイングランドを思わせる学園艦へと降り立った。この様にして招待されるのは何度目だろうか。しかし、飽きる事は無い。何度訪れても、素敵な学園艦である事に変わりは無いのだから。

 

 

 小高い丘の上。戦車道の練習スペースの傍らに設けられた茶会の場での一時。丘の上からは練習スペースが一望出来る立地も相成り、練習中の戦車のエンジン音や砲声が潮風に乗ってよく聞こえた。茶菓子を持ち寄り、談話が弾む。ある者は楽器を奏で、ある者はフェンシングに興じ、またある者は戦車に興じる。普段乗らない戦車に乗る事はよい経験にもなったし、お互いの得意とする戦い方や、戦略を語り合うのはよい経験となった。

 

 

 そんなある時、双葉葵はぽつりと言葉を零した。

「いやぁしかし、もっと資金が潤沢に在ればねぇ」

 お代わりに淹れて貰ったミルクティーをティースプーンで緩やかにかき混ぜながら、彼女は純粋に「お小遣いが足りない」と言わんばかりに呟いた。

「あら…資金繰りにお困りなの?」

 スコーンにクランベリーのジャムを優しく塗りながら、ローズマリー・レンフィールドは愚痴を零した彼女に問い掛けた。

 

 

「いやまぁ…困ってないって言えば嘘になるねぇ。スポンサーがついてくれて、戦車模型だとか、試合のビデオとかでお金稼いだり、メーカーからの試供品の戦車パーツでデータを取ってみたりとか色々しているけれども、

 ウチのチームはふんだんにお金があるって訳じゃないし。しおりちゃんに助言して貰ったり、懇意にしてる会社さんのお陰で上手いこと消耗品のパーツの遣り繰りはしてるけれども。この前の試合でT-34の57ミリ長砲身をへし折られたのも痛かったなぁ…や。試合だから壊れるのは仕方ないんだけどさ」

「57ミリは意外と需要がありますからね。貫通力に秀でますから」

 

 

 ベリータルトを口に放り込みながら、アレクサンドラ・楠は答えた。へし折られたZiS-4・57mm対戦車砲はモスカウ文化高校からのツテを使い、安く、即急に買い直す事で播磨女学園のT-34は再び戦線に復帰出来たが、

やはり主砲の砲身ともなると出費が大きい。例としてパンターの70口径75mm砲が通常徹甲弾でおおよそ2000発程の砲身命数を持っている事を思えば、ZiS-4・57mm対戦車砲が高々一試合の射撃回数で壊れてしまったのは充分に手痛い出費と言える。

 

 

 無論、消耗部品たる砲身は履帯や転輪、サスペンションやエンジンパーツと並んで需要が高い。だが圧倒的に値段が張るのだ。パーツ会社からの部品供給は決して悪くないのだが…

「戦力増強とかもしたい身としては、ガガーッとお金を稼ぎたいよねぇ…」

「その気持ち、判りますわ! 我が校でも新規戦力の導入の為にどれだけ苦労したやら…ワインやブドウジュースを作ったり、美味しいお菓子を作っては販売してみたり。ああ…他には映画撮影のお手伝いなんてのもしましたわね!」

 

 

 やれやれとばかりにエリザベド・ガリマールが身の上話を語った。他校の少女達も思う所があるのか、ウンウンと同調するように頷いてみせる。どれだけバックアップがあろうとも、どれだけスポンサーが付こうとも、そして部品供給が安定化し、コストが下がろうとも戦車道をするのは大変なのだ。その時ふと、エリザベド・ガリマールの言葉を聞いてアレクサンドラ・楠が何かを思い出したかの様な表情を浮かべた。

「映画撮影と言えば…! 先日、こんなお話が舞い込んできたのだけども」

 

 

 折り畳まれた紙切れを懐から取り出し、少女はテーブルの上にソレを広げた。はてさて何事だろうかと少女達は紙切れを覗き込むと、ソレは広告チラシの一つであった。

「ヒストリカルゲーム…?」

 聞きなれない言葉に、双葉葵は首を傾げた。チラシその物は、戦車や歩兵の格好をした人々が凛々しく描かれていた。恐らくは、戦車絡みの事である事は理解出来たが…

「早い話が戦争ごっこ。と言う事ね。ペイント弾や模擬弾を使った物よ。類似のイベントにリエナクメントと呼ばれる物があるけど、其方は史実の戦争をなぞったりする事が目的の物なのよ」

 

 

 ヴィレル・ボカージュの戦いの再現なんて…心苦しいばかりなのよね…等とローズマリー・レンフィールドは苦笑交じりに呟いた。

 エリザベド・ガリマールやアレクサンドラ・楠も同じく、フランス、ソビエト共にドイツ第三帝国陸軍の戦車機甲師団に踏み潰された苦々しい歴史がある故に、その様なイベントに参加した事があるのだろう。僅かばかりだが、お茶会に重々しい空気が流れた。

「ああでも、このヒストリカルゲームはリエナクメントの様に緻密な規定を定めた物ではなくって、所謂戦争ごっこを気軽に楽しみましょうと言うイベントね。参加者は随時募集。戦車の持ち込みは大歓迎ですって。ゲームの様子をビデオ撮影して販売したりするらしいのだけども…売り上げに貢献してくれた場合は決して少なくない報酬も出してくれるのよ。それに、戦車が派手に壊れたりもしないし」

 

 

「それは…メロヴィング女学校としても興味深い話だわ。フランス戦車は人気が他と比べて控えめだから、どうしてもコストが掛かるんだもの」

 アレクサンドラ・楠の言葉に、エリザベド・ガリマールが楽しげに食いついた。ローズマリー・レンフィールドも史実に拘らずに楽しく遊べるイベントであると分かっている為か、嬉しそうに微笑みを浮かべていた。

「余り大きく目立つ事の無い大英帝国が堂々と勝利の旗を掲げる事があっても良いのよね…ユニオンジャックが靡くのを想像するだけで…嗚呼! 何だか興奮してしまうわ」

「二人とも乗り気みたいね! じゃぁアオイ? 貴女はどうするのかしら」

 

 

 楽しげに笑うアレクサンドラ・楠の顔に、双葉葵もゆっくりと頷き返した。何処か得意げに。

「遊んでお金貰えるって言うなら、やらない手はないよねぇ? その話、乗った!」

 斯くして、学園艦四校からの戦車供与と言う大規模なヒストリカルゲームの火蓋が気って落とされようとしていた。…そして同時に双葉葵は暗躍する。播磨女学園の戦車道チームのスポンサー企業に声をかけて回ったのだ。このイベントに一枚噛まないかと。麗しい少女達が戦う写真は、戦車道人気も相成って良い値で売れる事を双葉葵は知っていた。

 

 

 そして映像を撮るならばより大々的にしてしまえと、播磨女学園の戦車道の試合を撮影しフィルムを販売してくれているブリッツワークス社に声をかけたのだ。その他にも「イベントの為に戦車の外見装備を改めたり整えれば、模型好きの人々からも収入が得られるだろう」と言う助言を述べながら、模型会社の大帝国技研も賛同してくれたと言う。

 後日…生徒会会計の青島寧々は語る。珍しく双葉葵が楽しげに算盤を弾いていた、と。

 

 

 

 

 

 

 

 程なくして、少女達に告知が為された。ヒストリカルゲームに参加する事を。一部の少女達は首を傾げ、一部の少女達は喜びに声を上げた。言わばお遊びだ。それも大々的な。それを知る者に取って喜ばない理由が一つもない。だがしかし、同時に懸念の声も上がった。

「銃の扱いなんて、した事ないよぉ」

 装填手の大島明海は愚痴を零した。尤もである。いや、銃以上の巨大な銃火器をチームとしては扱ってはいるが、彼女は正真正銘「小銃火器」を扱った事は無い。砲手並びに機関銃手ではない少女達は不安げな声を零した。ヒストリカルゲームともなれば、装填手や無線手とて銃を握るのは当然の事だからである。そして車長も。

 

 

 この悩みに対し、北村カレラ率いる、ミリタリー知識に聡いサバイバルゲーム部の少女達の徹底的なレクチュアが始まった。当然の事である。例えゲームと言えど、使うのは銃器だ。一歩間違えれば模擬弾、ペイント弾と言えど大怪我は必須。厳しくも慈愛に満ちた事前講義に少女達は確りと耳を傾ける事となった。

 その渦中の最中…恐らくは双葉葵が一番気にしているであろう少女、神無月しおりは何時もの様に平然としていた。北村カレラ率いる播磨女学園サバイバルゲーム部の用意した安全講習も難なく突破し、射撃部が利用しているシューティングレンジに彼女は愛銃を持って立っていた。

 

 

 無骨で、しかし頼もしい大型拳銃。黒くブルーイングの為されたモーゼルM712を慣れた手つきで扱い、淡々と射撃訓練に勤しんでいた。

「しおり君は本当に意外性の塊だ。よもやそんな物を持ってるだなんて、思いもしなかった」

 北村カレラは普段から愛用していると言う、ゲヴェーア43を肩に抱えながら彼女に言った。

「…お母様から持たされたの。小さい頃から。…護身用にって。普段は重いし嵩張るから、使っていないのだけども…」

「ふぅん…? 心配して貰えてるんだね。お母さんからは」

 その言葉に、しおりは小さく頭を振った。

 

 

「…戦車乗りは…いいえ、戦車道ではつまらない諍いが耐えない事が多いから…多分それが理由。戦車乗りは自分で自分の身を守りなさいと…渡された時に言われたもの。…この前だって、諍いがあった訳だし…」

 そう呟く神無月しおりの脳裏に思い浮かぶのは、前回の試合の終わり。自分の頬を張っ倒した少女へと護身用ゴム弾を容赦なく撃ち込む双葉葵のその姿であった。あの時、このモーゼルを腰にぶら下げていれば、彼女にあんな役目をさせずに済んだだろうか。それとも自分は咄嗟にモーゼルを抜く事が出来ただろうか。…分からない。分からない事だらけだ。分からない事だらけの中で分かるのは、モーゼルのずっしりとした重みとグリップが、生体義手の利き手に妙に馴染むと言う事だけだった…。

 

 

 

 

 

 あくる日の事である。ゆっくりと学業をこなしていた神無月しおりの元に呼び出しが掛かった。

『神無月しおりさん。神無月しおりさん。保護者の方がお見えになっています。至急面会室へどうぞ』

 しかし、少女の顔は晴れやかでは無かった。重く苦しげな表情を…表情の希薄で淡い彼女にしては珍しく浮かべていた。

「しおりん、大丈夫? 付き添おうか?」

 大島明海の提案を聞き、僅かに悩んだ彼女は首肯した後に、そっと手を繋いだ。

「…明海さん、お願い。付いてきて…」

「うん!」

 

 

 トボトボと歩いていく神無月しおりの横を大島明海が着いていく。目的の場所、面会室は生徒会室のすぐ近くであった。其処には見慣れた人物が、一人の女性の相手をしていた。

「ああ、しおりちゃん。待ってたよー。ココに来るまでちょっと立ち話させて貰ってただけだから」

「…葵さん」

「何はともあれ、ごゆっくりねぇ。ほんじゃま。ウチらは外で待ってるから」

 そう言うと双葉葵は立ち話をしていた女性の邪魔に成らない位置へと移動した。和服の似合う、美人であった。柔らかい微笑みを絶やさず、その瞳は神無月しおりに対する慈愛に満ちていた。

 …静かな面会室にお茶が運ばれて、茶葉の香りが鼻先を擽った。

 

 

「お久しぶりです。お嬢様。お加減は如何でしょうか?」

「…問題、無いわ…友達も出来たし…仲良く、して貰ってる、から…」

 盗み聞きをする訳でも無いがしかし、大島明海のよく聞こえる耳には、彼女達の会話はとてもとても物静かな物だった。正直に言ってそれは俗に言う「保護者と保護される側」の会話とは思えない程に。何時も以上にぽつりぽつりとしか言葉を発しない神無月しおりの様子に、大島明海は何処と無く嫌な予感がした。

「お話をお伺いしましたの。此方の生徒会長さんからも…そして新聞や小さな雑誌でも…また、戦車道を始められたのですね。わたくし、内心ホッとしていました。またお嬢様が戦車道に戻られて…戦車を嫌いに成らなくて」

「……」

 

 

 神無月しおりは、応えなかった。温かいほうじ茶をゆっくりと啜り、彼女の言葉に耳を傾けていた。

「…あの。それでですね…奥様が、こう仰って居ました。もしも戦車道を続けるのであれば、また此方に戻っては…」

「…Nein!(嫌だ!)」

 不意に、神無月しおりが声を荒げた。普段の彼女とはとても思えない、大きくて、切羽詰った声であった。双葉葵と大島明海、そして彼女に相対していた女性はそれに驚いた。

「Milady!?(お嬢様…!?)」

「nicht! Ich will nicht gehen!(嫌だ! 私は帰りたくない!)」

「Bitte beruhige dich. Milady! (落ち着いてくださいませ、お嬢様!)」

「Zu mir ... Es gibt keinen Platz, zu mir zurückzukehren! Hier bin ich!(私には…帰る場所なんてない! ここが私の居場所だ!)」

「Bitte warte Milady! Warte! (お待ち下さいお嬢様! 待って…!)」

 

 

「しおりん…!?」

 女性が制止するのも振り切って、大島明海の呼び声さえも置き去りに、神無月しおりは面会室を飛び出して廊下を駆け出した。偶然にも廊下で出くわした見知らぬ少女達は、険しい表情でスカートが翻るのも厭わずに廊下を全力で走り抜ける神無月しおりに驚く有様だった。

「…あー…えーっと。話、聞かせて貰ってもえぇですか? 一応彼女の先輩なんで、ねぇ。八島七瀬さん」

「あの、私もっ! 友人として心配だから! …あんなしおりん、初めて見たもん…」

 和服の女性…八島七瀬は申し訳なさそうに先ずは一礼を二人にした。

「どうも、当家の神無月しおりお嬢様がご迷惑をお掛けしてしまってすみません。ご存知かと思いますが…当家は色々と複雑ですので…」

 

 

 三人は神無月しおりが飛び出していった談話室へと場所を改め、静かに話を伺った。

「先ず改めて…ご存知かとは思いますが、神無月家はかの有名な西住流や島田流程の知名度では無いにしろ、独自の流派を持つ家で御座いまして。

 それはもう、流派を守る為にと、女児は幼い頃から戦車漬けの毎日で御座います。寝ても覚めても戦車、戦車…全ては戦車道で食べていく為。

 戦車道で生きていく為。英才教育とは名ばかりの、スパルタな日々をお嬢様は送っていました。物心が付いた頃にはもう豆戦車を乗るように言い渡され、

 小学校の上級生になる頃には車長、砲手、操縦手、無線手と様々な役職をこなせる様に戦車の勉強に次ぐ勉強の毎日…

 わたくしはお嬢様の世話係を命じられて居ましたので、せめて少しでも…年頃の女の子らしい生活を送らせてあげたかったのですが…」

「それ、殆ど虐待に片足突っ込んでるじゃん…!」

 

 

 大島明海の歯に衣着せぬ言い方に、八島七瀬はゆっくりと頷いた。

「えぇ…だけども、そうでもしなくては当家の様な小さな家は生きていけないのです。先祖代々、その様にして

『己の身を一本の刀の様に研ぎ澄ませて、戦いの中に身を置く事しか出来ない』と…お嬢様のお母様、もとい現ご当主の神無月いおり様はそう仰って居ました。

 そして上手くいってしまっているのです。しおりお嬢様以外の姉妹に対して、その様な教育が。

 常在戦場。大胆不敵。見敵必殺。それが神無月流でございますので…」

「成る程…しおりちゃんの時々見せる妙な眼光の鋭さは『ソレ』か…」

 

 

「ご当主様は…もしもまた戦車道を続けるのであれば、自分の手の届く場所に居た方がしおりお嬢様にとっても悪い事ではないだろうとお考えで、

 以前まで在籍していた学園艦に戻って着てはどうかと言うお話をさせて貰ったのですが…幸か不幸か…お話を切り出したら飛び出されてしまいましたね…」

 八島七瀬の苦笑交じりのその言葉は、しかしその苦笑に反して何処か少しだけホッとしているかの様な、何か安心感を感じているかの様な雰囲気を纏っていた。

「ここが私の居場所だ、と…あんなお言葉を聞けるなんて…戦車漬けの毎日で、子供らしい心が余り育たなかったしおりお嬢様が…良いご友人に恵まれたみたいで…不肖、八島七瀬、ホッと致しました」

「ふと思ったんだけどさぁ…しおりちゃん、何人か姉妹が居るんでしょ? 他の子達はどーなのよ。そのスパルタ教育」

 

 

 不意に双葉葵が口にした質問に、そう言えば。と言葉を重ねる大島明海の二人に対して、八島七瀬は困ったような表情で目を細めるのであった。

「えぇ…それが問題の1つでもあります…先ほども言いましたが『酷く上手くいってしまった』のです。スパルタ教育が。

 神無月の血脈の為せる業なのか…それとも『宿業』とでも言うべきか…しおりお嬢様は…姉妹の中では唯一の落ち零れ、

 と言う扱いを受けていました。それが彼女をより一層除者にさせる要因となって、家族の間での確執を広げる事に一役買ってしまいました…」

「それで、姉妹に追い付く為に更に更にと勉強漬けの毎日、ねぇ…?」

 

 

 双葉葵は意味深そうに独り呟き、そして記憶を巡らせた。神無月しおりの行動を。

 具体的にはそう、戦車戦を行う時の彼女の戦略を思考する姿を。まるで頭の中に叩き込んだデータをブツブツと呟きながらアウトプットするコンピュータの様であったから。

 それは一見すれば、戦車道に対して真面目に取り組んでいる熟練者の様にも見る。

 だがしかし、恐らくはこうだ。彼女は『不出来な自分が取る事の出来る最良の作戦や行動を、今までの戦車漬けの人生で頭に叩き込んできた経験と言う名のデータベースから必死に弾き出そうとしていた』のだと。

 

 

誰にも迷惑をかけない為に。かつては、自分の『家』に。そして今は…『私達』の為に。

 溜息が出る。なんともいじらしい。そして同時に哀れだ。双葉葵はそう感じた。改めて彼女を己の思惑に巻き込んでしまった事を申し訳なく思う。

 だがしかし、走り出してしまった事柄はもう止め様がないのだ。行き着く所に辿り着くまで。泳ぐのをやめれば死んでしまう鮫の様な有様だ。

 彼女がそんな事をぼんやりと考えていた時、ポケットの中の携帯電話が小さく震えた。自分と同じく生徒会に所属する副会長の田宮恵理子からだった。

 

 

「ちょっと失礼…。はいもしもし、どったのえりりん」

『あ、会長! 今しがた神無月さんが泣き腫らした顔で廊下を走り抜けていって…先程の呼び出しもありましたし、一体何が起きたのかと』

 尤もな事だ。黒髪の似合う美少女が涙目で廊下を走れば嫌でも目に付く事だろう。ましてや彼女は、我が戦車道チームのリーダーだ。既に一般生徒からの知名度は高く、それ故に、下手にメンタルを崩されては堪った物ではない。

「あー…ちょっち訳ありでね。悪いけど暫く放っといてあげてくれないかなぁ。

 多分やけどもウチの考えだと…しおりちゃんは今、一人で居たいハズだろうから」

 

 

『分かりました。ではその様に』

「あーい、宜しくー…ふぅ」

「お嬢様のこと、よく見て下さっているのですね」

 八島七瀬はホッとするような、感心する様な風にそっと呟いた。そんな彼女の言葉に小さく苦笑しながら、双葉葵は言葉を紡いだ。

「いやいや、ウチがしおりちゃんを面倒ごとに巻き込んじゃった側やから。だから少しでもあの子の負担になる様な事しないようにーって気を使ってるだけなんでぇ」

「どの様な事があったかは存じませんが、この八島七瀬、お嬢様のお世話係として頼れるご友人が出来た事をとても嬉しく思います。

 本当に…有難うございます。お嬢様の事をこれからもどうぞ宜しく…」

 

 

「いやいや、お世話になってるのは寧ろこっちの方だから…」

 …等という、生徒会長とお世話係の間で交わされる感謝合戦のさなか、大島明海は一人心の中で考えていた。

(しおりん…何処に行っちゃったんだろう…)

あの時、咄嗟に追いかけていけば良かっただろうか? それとも今、こうして放っといて良かったのだろうか。何方の判断が正しかったのかも分からず、大島明海はほうじ茶をぐいっと飲んだ。

 

 

 

 

 

 …――学園内の敷地。その中でも静かな一角にて――…

 

 東郷百合は昼食を終えて昼寝をするべく学園内の敷地を歩いていた。潮風を強く浴びたりせず、それなりに光が差し込み、穏やかな場所を求めて。それは概ね、学園内の裏庭にある茂みと芝生のエリアだった。

 するとどうだろうか。珍しく先客が居るではないか。黒く艶やかな髪を長く伸ばした少女が、膝を抱え込んで、茂みの合間に隠れるようにひっそりと蹲っている。

「もしかして…隊長のしおりちゃんじゃない? どうしたのこんな所で」

 東郷百合は珍しく、彼女にとっては声を控え目にしながら呼びかけた。その途端、びくりと神無月しおりは体を震わせた。

 伏せられていた顔は涙に濡れて、何処か困惑している有様だった。

 

 

 どうしたら良いのか分からないと言わんばかりに、彼女はオロオロするばかりだ。

「あ、やっぱりしおりちゃんだ。えーっと…あたし、お昼寝するつもりでココにブラブラ~っとやってきただけなんだけども、お邪魔してもいーい…?」

「……どうぞ」

 か細い声で返事を返す神無月しおりの隣に、東郷百合はそっと座り込んだ。

 芝生は青々としていて心地がいい。穏やかな風が頬を撫でていって、清々しい。だが、隣に蹲る少女は全く相反する有様だった。

「…んー。何かあったの? しおりちゃん」

 漠然と声を掛けてみた東郷百合はしかし、答えを期待して居なかった。彼女に無理に喋らせるつもりは毛頭無かったからだ。

 

 

「まぁ泣き顔晒してて『何でもありませーん』なんてこたぁ無いよねー…こっちおいで」

「きゃっ…」

 そう言うや否や、藤堂百合は神無月しおりの肩を抱き寄せ、そして自分の肩に寄りかからせた。

「何があったかなんて無理に聞かない。無理に聞く気も無い。辛くてしょうがないなら、それが収まるのを待つしかないよね。寝ちゃいなよ。ひと眠りでもしたら、嫌な事なんて少しは薄れるから」

 とんとん、と優しく背中を、肩を撫でながら彼女はゆっくりと神無月しおりに語り掛けた。それは普段の聊か軽薄な性格の彼女とは裏腹にとても優しく、そして温かい空気を伴っていた。

 

 

「…ダンケシェン…」

「うん? なんて?」

 聞きなれないドイツ語にはて? と小首を傾げる暇もなく、神無月しおりは東郷百合に体重を預けた。そしてまるで、緊張の糸がプツリと切れたかの様にすぅすぅと静かな寝息を立て始めた。

 まるで怯えた小動物が、漸く安らぎの場所を見つけたと言わんばかりのその行動に東郷百合はただただ呆気に取られるだけだった。

 特に理由もなく、彼女はそっと、烏の濡れ衣の様なしおりの黒髪を静かに撫でた。その時不意に、指先が何かに触れた。不思議に思った彼女は何度も優しく、頭を撫でる。

 

 

 そして分かった事は…指に触れたのは、古傷の痕の小さな膨らみだと言う事だった。それに気づいた彼女はギョッとした。首筋を見やると、制服の僅かな隙間から、打撲の傷跡がちらりと見えた。

 放り出されている左手を見やれば、少女らしかぬレバーを握りしめる事で出来るタコの痕が見えたし、スカートから転び出ている足にも、よくよく観察すると火傷や打撲の痣がチラホラと見えていた。

 東郷百合は察した。これは、戦車道で出来た傷跡だ、と。自身もまた、ミニバイクによるレース活動を行っていて多少の怪我を負った事はあった。

 故に戦車道もまた、多少の怪我は当然の物と理解していた。だが眼前の少女はどう言う事だろう。言い例えるならば、まるで傷塗れの古強者の武者だ。

 

 

 謎の不安感や、末恐ろしい何かを感じながらも、同時にあどけなく眠る神無月しおりのチグハグさに、東郷百合は庇護欲に近い何かを感じ、ただただ優しく彼女を見守ってやるのであった。

 

 

 ――さて、噂とは皮肉にも、いやらしくも伝播していく物である――

 

 

 神無月しおりが、失恋でもしたのか大粒の涙を涙を流していたとか、誰かに苛められて泣いていたのだ、

 いいやあれは生徒会長に何か無茶振りを押し付けられて泣きながら逃げ出した等などと、

 少女達の噂話とは本当に性質が悪い事この上ない。だが然し、全てにおいて共通していたのは「悲惨な顔で泣いていた」と言う事。それを耳にしたある少女は…

 

 

「何ッ、我が隊長が泣いていただと?」

「それも歯を食いしばっての大泣きっぽかったらしいよぉ?」

 アリカ・三日月は聞き込みした噂話の内容を纏め上げた手帳をやれやれとばかりに読み上げた。

「ぬん…こうしては居られんな。メルツェデスとアルピーナ、ジルヴィアに連絡は?」

 パンターの乗務員。それも気心の知れたドイツ系帰国子女達の仲間達の名前をバウムガルト・桜は読み上げた。

「えーっと…メルツェデスちゃんはパンターの整備に付きっ切りで、アルピーナちゃんは同軸機銃を使った射撃訓練の最中。ジルヴィアちゃんは無線機の練習会。時間が空いてるのは私達二人って所かなぁ…」

 

 

「ふむ…ちと戦力が物足りなく感じる所だが…致し方あるまい。あの手を使うか」

やれやれとばかりに携帯電話を取り出すバウムガルト・桜にアリカ・三日月はハテ? と首を傾げた。

「まぁ見ていろ。生徒会長殿か? 噂は聞いた。そこでだが、私とアリカに早退の許可を願いたい。別に悪い事をする訳じゃないんだ。彼女の心を少しでも癒してやりたいと思っての事だ。うん、うん…ダンケシェン。それじゃまた」

「えー…何する気なの? 桜ちゃん」

 意外とこう見えて、やる! と決めた事はやり遂げる強情な感情の持ち主のバウムガルト・桜にアリカ・三日月は心配そうな声を上げた。

 

 

「なぁに。ちょっと私のMietshaus に我らが隊長をお招きするだけだよ。さぁ手伝えアリカ。戦力は我々二人きり。猶予の時刻は夕餉の時間まで!」

「キューマル屋のクレープ食べに行きたかったのにぃ~…」

 愚痴を零す友人の背中をぽふぽふと押し出しながらバウムガルト・桜は急かした。

「今度奢ってやる!だからSchnel! Schnel!(早く早く)」

「やぼ~る…」

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方。潮風が冷え込んできた頃、何処へでもなくフラフラとしていた神無月しおりの携帯電話にメールが届いた。

『我が敬愛する隊長殿へ。本日の夕餉に貴女をお招きしたい。ご友人も誘って来られたし。場所は×××。あんまり遅いと美味しい料理が冷めてしまうぞ。Ich warte auf Sie,Shiori.(待ってるぞ。しおり)』

 予想だにしなかった連絡にキョトンとしつつ、神無月しおりはどうしようかと少し悩んだ。余り足を運ぶ元気が無いな…でも無下にするのも失礼になるし…と。

「あっ!しおりん漸く見つけたぁ!!」

 するとどうだろうか。聞きなれた、親しみのある暖かい声が背中から聞こえた。大島明海の声だった。

 

 

「もー、あっちへフラフラ、こっちへフラフラって学校の中を歩き回って探すの大変だったんだよ? 幽霊みたいにフラフラ歩き回ってる美少女が居るーって言う学校の掲示板見ながらどれだけ探し回ったか」

「明海、さん…」

「心配したんだからねー。嗚呼もう…泣き腫らしちゃって…どんだけ泣いてたの? ほら、冷やしたハンカチ。そんなんじゃバウムガルトさんにもっと心配されちゃうよぉ?」

「んぅ…」

 冷たい水で濡らされたハンカチをそっと目元に当てられる。ひんやりとして心地よかった。

 

 

「おぉ。居た居た。捕まえられなかったらどうした物かと思ったよ」

 北村カレラが、霧島蓉子と中嶋奏を引き連れて現れた。

「流石に歩き疲れた…ふぅ」

「霧島さんは車に乗ってる方が多いぐらいですもんねー」

「悪かったな。アクセルとブレーキとクラッチ踏むのに神経使うからあたしの両足は繊細なんだよ」

 何時ものメンバーが、クスクスと談笑を繰り広げる。その様子に神無月しおりは何か暖かい物を感じた。

「それで、どうするかい? ご飯、お呼ばれに行くかい?」

「…行く」

 

 

 飾り気の無い、黒一色の携帯電話を取り出して神無月しおりは返事を返した。

「Darf ich Sie kurz stoeren.(お邪魔しても良いですか?)」

 メールを送信するや否や、瞬く間に返信が帰ってきた。神無月しおりは少しだけ吃驚してワタワタと携帯電話を落しそうになった。

「Natürlich will ich! (勿論だとも!)」

 その返事を見ながら、霧島蓉子は己の腕時計を見た。時刻はそれなりに遅い。水平線の向こうにあった夕日も沈みかけていた

「時間も遅いな…私のタトラでも出すか」

「えぇっ!? 自動車通学してるんですか!?」

 突然の霧島蓉子の言葉に中嶋奏は心底驚いた様な声を漏らした

 

 

「夜中、甲板下の船舶科の所に夜食弁当を運んでてな。明朝はそのまま学校に駐車して、仮眠室を借りてる」

「はえ~…それでよく睡眠時間足りてますねぇ」

 中嶋奏は感心するような、何処かちょっと心配する様な声を漏らした。

「何。眠い時は昼寝してるし…生徒会長の許可も貰ってる」

「人生色々。学生生活も色々、だな」

 北村カレラの言葉でこの話題はストンと閉じられた。

 

 

 

 

 走る事暫し。霧島蓉子のタトラはフカフカのシートで乗り心地が良かった。指定されたアパートまでの道程はとても緩やかで、彼女のドライビングテクニックの高さを感じさせた。曰く「荒っぽい運転だと弁当が崩れる」だそうだ。

 さて、タトラがバウムガルト・桜の住むアパートに到着するや否や、アパートの一室が勢い良く開けられた。

「お待ちしていたぞ!我らがKommandant ! さぁさぁ、ご友人らも我がMietshausに入った、入った!」

 

 

 余りの威勢の良さにポカーンとしながら、一言も言葉を発する暇も無く、5人はポイポイとアパートメントの中に放り込まれた。其処にはとても良い香りが漂っていた。神無月しおりにとっては、酷く懐かしい香りであった。

「いらっしゃ~い。準備出来てるわよぉ」

 アリカ・三日月はエプロンを付けながら、カチカチとトングを鳴らしてキャラメルブラウンの髪を揺らしていた。

「アリカちゃん! もしかして…手伝わされた?」

「そうなのよぉ。キューマル屋のクレープ食べに行きたかったのに、戦時召集だーって言わんばかりに」

 

 

「失礼な! ちゃんとこれが終ったら奢ると対価を提示したではないか! それはさておき…さぁ。Kommandant. こちらに」

 己の酷い言われ様にぷんすかと怒りながらも、バウムガルト・桜は紳士的に神無月しおりを上座へと招いた。

「えっと…バウムガルトさん…もしかして」

「うむ! 泣いていた理由が何なのか全く分からんが、少しでも我らがKommandantを慰めようと思って、これでもかとばかりに我が故郷のドイツ料理を作ってみた!」

 

 

 どうだとばかりにフンスと鼻息を鳴らすバウムガルト・桜の言うとおり、テーブルのそこ彼処に並ぶのは様々な料理だった。王道のアイスバイン。付け合せのザワークラウト。マウルタッシェにケーゼシュペッツレ。アウフラウフや各種のヴルストにチーズや温かいライ麦パン。正にドイツ料理のフルコースと言わんばかりであった。

「にしても凄い料理の量。って言うかオーブンとか無いと無理だよね、此れ!?」

 大島明海の素直な指摘にバウムガルト・桜はうんうんと頷いた。

 

 

「うむ。ドイツ料理を自炊すると入学届けを出した際に会長殿から快く貸して頂いた。少し割高の家賃は他のドイツ系の友人に料理を配って小銭を稼いでいるんだ。…まぁ内緒だがな。さぁ、冷えない内に頂こう。Mahlzeit!(頂きます!)」

「…Mahlzeit.(頂きます)」

 頂きますの合唱。少女達の食事は賑やかであった。ただ一人を除いて。それは黙々と静かに食べる神無月しおりだった。

「…Kommandant.口に合わなかっただろうか」

 

 

 恐る恐るとばかりにバウムガルト・桜は神無月しおりに問いかけた。彼女は小さくふるふると横に首を振った。

「違う…美味しくて…懐かしくて…だけども、寂しくて…」

ほろり、と涙が溢れ出す。もう今日の涙は枯れた物だと神無月しおりは思っていた。

「Ist es ein altes Ereignis? (昔の事かい?)」

「ja(えぇ…)」

神無月しおりは、そっとハンカチで涙を拭った。

「…私…前の学校で…こんな風に誰かに招いて貰って…食事をしてなんて…全く無かった。毎日が戦車漬けで…

 練習が終ったらシャワーを浴びて…晩御飯を胃の中に詰め込んで…そんな生活ばかり…それが悲しくて…でも、今が嬉しくて…私、分からない…今が、嬉しいはずなのに…涙が止まらない…」

 

 

そっと、横の席に座っていたバウムガルト・桜が神無月しおりの頬を流れる涙を拭った。

「Kommandant.それは貴女が『ただの少女』としての日常を強く理解したからだ。何もおかしい事は無い。人は、心が暖かいと感じた時にも涙を流す。貴女は今、暖かさに触れているんだ。優しい暖かさに」

 そしてバウムガルト・桜は優しく神無月しおりをハグした。

「恐れることは無い。今を楽しもう。過ぎた昨日を笑って、明日へと夢を見よう」

「…っ…うん…」

 

 

 二人の少女のやり取りを見て、大島明海はそっと微笑んだ。しおりん、良い友達が増えていって良かったね。と…然し反面、小さな悔しさを感じていた。ズルい!泣いてるしおりんをハグして慰めてるバウムガルトさんが羨ましい!と。

 そんな少女達の小さな宴は、夜遅くまでゆっくりと続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――時は流れて―――

 

 

 

 やがて梅雨前線が日本列島を覆い始める頃。少女達は普段と違う雰囲気にウキウキともドキドキともつかない心持で特別列車に揺られていた。普段の煌びやかなパンツァージャケットとは違う、使い古されたやぼったい戦闘服に身を包んで…そして、既に撮影カメラのフィルムは回っていた。

 少女たちはヒストリカルゲームの為に用意されたチョコレートバーやクッキーを齧り、風味と言うよりは癖の強いフレーバーの利いた紅茶や苦みの強い珈琲に粉末乳を混ぜて飲んで、目的地へと到着するのを待った。

 

 

 雨の降りしきる中、蒸気機関車が目的地の駅に到着する。少女達はそれぞれの作業を分担して、貨車の荷物や、積載された戦車を下ろしていった。コートを叩く雨粒は大きく、肌寒い。やもすれば吐息がやんわりと白く煙る様に感じられた。

 地面は雨で濡れてグズつき、歩くのも一苦労だ。人間がそうであるならば、例え不整地に強い戦車と言えども同じであろう。履帯は大地に深々と沈み込み、泥を掻いては中々真っすぐと前には進まない。

 

 湿度のお蔭でキャブレターも咳き込む様に不調を露にする。ターレットリングやクラッペの隙間から車内に零れ漏れる雨水が戦車の床に落ちる度に聞こえるピタ…ピタ…と言う音が妙に耳に付いた。

 やがて、泥に塗れた少女達の歩兵戦闘隊と戦車隊は、設営地に到着した。其処には既にメロヴィング大学付属高校の少女達と戦車が待っていた。神無月しおりが己の部隊に号令を出す。

 

 

「一時休息を取ります。それと装備と戦車の状況確認を。この泥と雨です。抜かりないように。歩兵隊の隊長は私と共に指令所のテントへ」

 播磨女学園サバイバルゲーム部の部長と共に、神無月しおりはテントへ向けて歩きづらい泥の中を物ともしない様に歩いて行った。彼女のその姿は酷く様になっていた。カメラを回していた撮影班が痛く興奮したと、後に供述する程に。曰く、戦場に現れた麗しい戦乙女その物だ、と。

「状況は?」

 

 

 テントを掻い潜った中では、見知った顔ぶれがテーブルを前にして眉を潜めていた。エリザベド・ガリマールと彼女の副官、クロエ・アンペールだ。エリザベドは不機嫌そうに、パイプの吸い口を小さく齧っていた。

「状況? 見ての通り膠着状態だ。我々はこの丘の上のかつての工場町を占領せよ。との命令を受けたが。既に相手側は防衛の陣地を張り終え、我々はこの泥と泥濘の中を泳ぐようにノタノタと姿を晒しながら前に進むしかないんだ。オクトーバー(神無月)、質問は?」

「敵の規模と布陣は…?」

 

 

「正面の丘に戦車を利用したトーチカと機関銃陣地。裏手側はやや急斜面で手透きらしいけれども、機関銃陣地が敷かれていて歩兵は前に出せない。戦車はマチルダ2とヴァリアント。T-34の75ミリがトーチカをやってる。歩兵の話ではエクセルシオールも見たとか…」

「敵の詳しい布陣は分かる?」

 オクトーバー…神無月しおりの質問にエリザベドは首を横に振った。残念ながら、と言う顔で。

「この雨だ。視界が酷く悪い。オマケに奴ら、夜になる度に陣地転換をする始末だ。マッピングしたいがどうしようもない。お手上げだよ」

 

 

 エリザベドの言葉を聞いて、神無月しおりは地図を見た。正面の丘はエリザベド・ガリマールの言う通り傾斜が緩やかだ。所々地面の段差があって、アンブッシュに適しているのも良く分かる。丘の裏側は割と急斜面だが、登れる事は無い筈だ。ぬかるみに気をつけさえすれば、だが…

「先ず私が威力偵察の為の攻撃隊を正面の丘へ出します。少しでも情報が得られれば撤退します。宜しいですか?」

 エリザベドは暫し考え込む様な素振りを見せて…そして頷いた。

 

 

「我が隊の戦車は整備中だ。君達をあてにさせて貰おう。健闘を。オクトーバー」

 互いに敬礼を交し合い、神無月しおりと播磨女学園サバイバルゲーム部の部長はテントを出て、雨の降りしきる外界へと戻っていった。

 「クノッヘン中隊。集合!」普段の神無月しおりとは思えない程、よく通る声で播磨女学園の少女達を呼び出した。泥に塗れながら少女達は整列する。

「我々はこれより敵陣への威力偵察を行う。戦車隊、並びに歩兵部隊との連携は密に取るように。履帯で仲間を踏み潰すなんて言う詰まらない事故は絶対に許さない。分かったか?」

「Jawohl! Kommandant!」

 

 

「gut.(宜しい)戦車クルーは戦車に搭乗!歩兵隊は歩兵中隊長の指示で持って動け! 作戦開始!」

 三/四号戦車に乗り込んだ神無月しおりは一息をついた。車内カメラを一旦切り、大きく溜息を付く。

「…慣れないな…ヒストリカルゲーム…」

「凄かったよしおりん!まるで本当の軍人さんみたいだった!」

  大島明海は凄い凄いと彼女を褒め称えたが、対して北村カレラは神無月しおりに対して同情的だった。

「役を演じなければいけないんだ。しおり君のメンタルを考えれば苦痛な事この上ないだろう」

「…しんどかった」

 ぽつりと呟く神無月しおりに、大島明海は「ぁっ」と小さく声を零した。

 

 

「ごめんねしおりん、あんまりにもしおりんが凄かったから、私ついつい魅入っちゃって…」

「…無理も無い。あれ程ハキハキと指示を出されたら誰だって美少女のしおりに魅了される…」

 宛ら戦車隊を率いる魔女かワルキューレだからな…と霧島蓉子はクックッと笑った。

「でもでも、どうするんです? こんなにぬかるんでるのに威力偵察だなんて」

 中嶋奏が心配そうに問いかけた。確かにこのぬかるみは脅威である。だが不可能では無い。心の落ち着いた神無月しおりは車内のカメラのスイッチを入れた。

 

 

「無線手。各戦車に連絡を。履帯幅の広いB1 TerとT-34を先頭に轍を作らせて途中まで進軍。丘の麓にまで到着したら分散して敵に対して『昼時の角度』で砲撃を行います。Panzer vor! (戦車前進!)」

『Jawohl! Panzer vor!』

 各車両からの返答を得て、戦車隊はバチャバチャとぬかるんだ地面を進んでいく。神無月しおりは車内でもう一つの無線を取った。

「歩兵中隊長殿へ。敵陣には戦車からの機関銃による攻撃が予想されます。気をつけて行動して下さい」

『了解した。戦車を盾にしたい所だが…』

 

 

「残念ながらひき殺しかねません。これが真っ直ぐ進撃する様な状況ならば、それも可能でしょうが…」

『無いもの強請りをしても意味が無い。我々は戦車隊とは間合いをとって地面に這い蹲る。良いか?』

「Gut,それで問題ないと思います。無線終了。…中嶋さん。各車に通達。歩兵が戦車を盾にしようとしたら気をつけるようにと連絡して下さい。隊内でのつまらない事故は御免です」

 

 

「Jawohl!今回は無線手も色々と忙しくなりそうです」分厚い紙で出来た地図を片手に、中嶋奏は少し楽しげに現在の状況を書き込んでいた。

普段の戦車競技で使っている便利なタッチパッド端末なんて物は使えないのだから。

「しかし、こうもぬかるんでいると…まるで犬かきだな」

 右へ左へと履帯が滑る地面を必死になって操縦する霧島蓉子は小さくボヤいた。

「オマケに視界も悪い。全く…雨は嫌いだ…モノを運転する時の雨はな…」

 やがて戦車隊は丘の麓へと到達した。そして直ぐ様に砲撃の雨が飛んでくる。幸いなのは、この雨風のお陰でろくな照準が出来ていないと言う事だろうか。

 

 

「全車、『昼時の角度』!そのままゆっくりと進みます!」

 神無月しおりの指示の元、斜めに構えた戦車たちはずりずりと滑りながらもゆっくりと丘を登っていった。視界に写ったのは…ハルダウンを行っているバリアントとT-34の75ミリ。そしてマチルダ2だった。

 エクセルシオールの姿は…見えない。頂上に陣取っているのかも知れない。戦車意外にも据え付けられたのであろう機関銃陣地から、パタタタタとこちらの歩兵部隊目掛けて攻撃を行っていた。その時、不意に無線が走った。

『こちらパンター!履帯をやられた!後退の補助を求む! オーバー』

「会ちょ…んんっ。葵さん、四葉アカリさんと共同してパンターを回収してください。

 四葉ヒカリさんはパンターの回収の援護をお願いします。オーバー」

 

 

『こちらアカリ、了解』

『ヒカリも了解しました』

『ベルゲパンターが欲しいねぇ。こちら葵、りょーかい。中隊長』

 やれやれとばかりにしおいは小さく溜息をついた。小口径、低威力の主砲を持った戦車でも、狙い澄まして砲弾を放てば履帯の一つや二つ、吹き飛ばす事が出来るのだから。…尤も、このヒストリカルゲームで使われる砲弾は安全に配慮したペイント弾である。恐らくパンターの履帯には、びっちゃりと塗料がこびり付いているのだろう。損傷判定装置が恐らく履帯の破損を伝えたハズだ。戦車道での白旗判定装置の様に。

 

 

「戦力が低下しました。後退します。このまま攻撃を続けても無駄な損害を増やすだけです。全車撤退。中嶋さん、歩兵部隊にも撤退命令を出してください」

「Jawohl! にしても敵は嫌らしい配置で戦車を配置してますねぇ…」

 車長殿。これをどうぞ。と手渡された地図には丘の傾斜に合わせて満遍なく敵の車両が配置されていた。

「側面は装甲の硬いマチルダ2とバリアント。概ね正面には傾斜装甲を持ったT-34が布陣してます。

 それと一発だけですが大きな砲声が雨の中で聞こえました。見事に外れましたけど、エクセルシオールの可能性があります」

 

 

 鉛筆で大雑把に書き込まれた陣地図を見て、神無月しおりは思考した。正面突破は無謀が過ぎると。

「何はともあれ、我々は一時撤退します。パンターの修理、燃料弾薬の補充、兵士の休養を取らなくてはなりません。無謀にも戦い続ける事は敗北を意味します。戦士には…休息が必要なのだから」

 そう言い終えた神無月しおりは車内カメラのスイッチを切った。大島明海はそっと背中を撫でてやり、霧島蓉子はややぶっきらぼうに「お疲れさん」と労った。

 

 

「まるで本物の女優だな。しおり君は。願わくば変ってあげたいよ。とても疲れるだろう?」

「…うん…凄い疲れる…何度か隊長役をやったけど…本当に慣れない…」

 彼女が抜擢されたのも無理は無かった。見栄えする容姿。そして播磨女学園の戦車隊の隊長。この二つが組み合わさった存在を、フィルム会社が逃す訳が無い。

そして副官役にはもう一人の絵に描いたような美少女、金髪碧眼で高身長のバウムガルド・桜女史が割り当てられた。

 

 

ぬかるみの中を、歩兵と戦車がノタノタと進んで行く。設営地へと向かって進んでいく。簡易テントが張られ、歩兵部隊はそこで食事を取った。配給されたスープとパン、そして携行食糧のクラッカーやチョコレートバーを齧って。

「皆っ、ご飯貰ってきたよ」

「わぁ、助かります!

 ブーツの泥を落としながら、飯ごうの様な入れ物とパンの入った紙袋を片手に大島明海は外から戻ってきた。そんな彼女の献身的な活動に、三/四号のキャブレターの調整をしていた中嶋奏は酷く喜んだ。

 

 

「狭いが、ぬかるみの中で食事するよりはマシだからね」

 ふぅ…と撮影用の煙草を燻らせながら北村カレラはそうボヤいた。煙が出るだけで全く美味しくないなぁ…と心中で思いながら。

 戦車の操縦と言う一仕事を終えた霧島蓉子は椅子に寄りかかって転寝をしていたが、スープの香りを感じ取ると、目を擦りながら睡眠から覚醒した。そして神無月しおりはと言うと…

「……」

 じっと、地図を見ていた。中嶋奏が雨が滴るクラッペから必死に得た情報を、

 

 

自分がキューポラから見た情報と統合し、修正する。頑強な防衛陣地だ。とてもじゃないが、現状戦力では突破は難しいだろう。否、仮に突破出来たとしても、生き残る戦車は僅かに数両のハズ。

 それでは丘の上で待ち伏せている戦車と太刀打ちが出来ない。やはりこの場合、取るべき戦法は…

「しおりん、ご飯!」

 ぽん、と地図の上に野菜のスープとパンが置かれた。顔を上げると大島明海が少しむくれた様な表情で神無月しおりを見つめていた。はて、なんだろう…? と神無月しおりはキョトンと小首を傾げる。

 

 

「今はもう、ご飯の時間! 作戦考えるのは後、後! 食べなきゃ頭、回んないよ? ただでさえしおりんは今日、役者さんをやって疲れてるんだから! ほら、あーん」

「…あーん」

 携行食糧の中にあったクラッカーとジャムを取り出して、大島明海は神無月しおりに食べさせてあげた。

 

 

 その様子はさながら親鳥が雛鳥に対して食事を与える様でもあったし、人が動物に対して餌付けを行っている様にも北村カレラは見えた。

「よしよし。いい子いい子。しおりんは、自分で食べられるよね?」

「…ん」

 もぐもぐとクラッカーを咀嚼しながら神無月しおりは頷いた。…やっぱり、大島明海さんは優しい人だなと。そう思いながら同時に思う。…――自分には、勿体無いぐらいの人だ――…と。『獣』の様な自分には…

 

 

 

 

 

 

 

 作戦、二日目。相変わらずの雨。履帯をやられたパンターは損傷箇所…ペイント弾の付着した部位…を交換して復帰し、エリザベドの戦車隊も整備から復帰した。

「エリザベド隊長。提案があります」

「なんだ? オクトーバー」

テントの中でパンツァージャケットに着替えようとしていたエリザベドはその手を休めた。体躯は小さいが、意外と胸元には膨らみがあった。着痩せする人なのだな。と神無月しおりは思った。

 

 

「先日の威力偵察で概ねの敵の布陣が分かりました。丘の正面の両側面は装甲の硬い戦車が。中央部には避弾経始に優れるT-34…

 そして恐らくですが、丘の傾斜の頂上部に、エクセルシオール。彼らは毎日、微妙にアンブッシュの場所を変えて、エリザベド隊長の戦車隊を苦しめたのでしょう。その布陣は正に頑強です。そこで…」

 神無月しおりは地図を広げた。正面の丘には、昨日調べた内容が既に書き込んである。

 

 

「エリザベド隊長率いる戦車隊には極力安全な距離からB1Terによる間接射撃を実施して貰い、我々は敵の背後を突きます」

「それは構わんが…敵もその作戦の事を考えている筈だ」

 パイプを咥え、吸い口を小さくかじりながらエリザベド・ガリマールは堪えた。

「承知の上です。このままでは消耗戦で此方が削り負けます。削り負ける前にやるしかないんです」

「覚悟の上で…か。分かった。君のプランを採用しよう。オクトーバー。健闘を」

 

 

「エリザベド隊長も」

 二度目の敬礼を交し合い、二人はその場を後にした。

「聞け、諸君! 我々フィギエ中隊は敵陣に対して間接射撃攻撃を行う!

 砲弾を使いすぎるな! 補給があると言っても限度がある! 全車、前へ! Panzer vor!」

 ずるずると、ぬかるみの中を這い回るように、犬かきをするかの様に、B1Terの部隊が進撃していく。

「こちらも作戦行動を開始します。Panzer vor!」

 

 

 そして神無月しおりの部隊も動き出した。彼女らは道中で別れ、主力たる神無月しおりの部隊は大きく迂回しながら小高い丘の裏手に出た。

 その間にも、正面側ではドン…ドン…と砲声が轟いている。恐らくは今、砲撃の応酬を繰り広げている筈だ。

「全車、エンジン停止」

 藪に隠した戦車のキューポラから、神無月しおりは状況を確認する。成る程確かに敵は此方側にも戦力を割いている様だが、

 それでも正面に比べれば圧倒的に少ない。彼女は行けると踏んだ。

「各車、攻勢に出ます。敵の戦力を出来るだけ削ぎます。Panzer vor!」

 

 

 ぬかるんだ地面を、無限軌道がかき進む。エンジン音に気付いたのか、相手も動き出した。

「パンター並びにクロムウェルとT69E3、そしてT-34の長砲身車両は敵車両との間合いを取って砲撃を。短砲身の各車は履帯や砲身を狙って行動不能へと追いやって下さい。留めは威力の在る我々がやります」

『Jawohl! Kommandant!』

 無線機からの威勢の良い返事に小さくため息を零しながら喉頭マイクを僅かに緩める。これはゲームだと分かっていたとしても、神無月しおりにとっては戦車道の実戦宛らの緊張感があった。

 

 

「敵戦車、来ます! T-34短砲身とヴァリアント!それから…KV-1初期型!」

「また硬いのばっかりゾロゾロと…!」

「葵さん、T-34を任せます。バウムガルトさんと五十鈴佳奈さんはヴァリアントを。セリカさんと私は足の遅いKV-1を挟撃します」

『Jawohl!仰せのままに!』

「地面がかなりぬかるんでいます。ブレーキもアクセルも気をつけて」

 神無月しおりの言うとおり、地面はとてもぬかるんでいた。

 下手をすればスタックしかねない程に。それは敵にも言えた事で、ずるずると丘を降りてくる様は「降りてきた」と言うよりも「滑り落ちてきた」と言うのが正しい様に思えた。

 

 

ソミュアとB1Terによる支援砲撃で足を止めさせられた敵戦車を、長砲身の各車両が撃破していく。鈍重だが、装甲の分厚いKV-1に対しては、三/四号戦車が正面より敵の注意をひき付け、

 ぬかるんだ地面を逆手に取り泥沼の中でドリフトをしてみせた軽量なクロムウェルが背後を取ってこれを撃破。然し、それでも敵は進撃をやめない。

「戦力の逐次投入だと? なんて愚作な!」

 バウムガルト・桜は憤慨した。しかし無線が入ってくる。

『違うと思うわ。きっとコレ、一気に攻勢に出たくてもぬかるんでて禄に丘を下れないのよ』

 

 

見れば車体を斜めにしながらズルズルと降りてくる車両ばかりだ。平地に降りてから漸く立て直して索敵を行い、こちらへと砲撃を行ってきている。成る程確かに、五十鈴佳奈の言う通りであった。

『鴨撃ちよ! 出来るだけ倒しちゃいましょ!』

『違いないわね!』

  そう言うや否やT-34の57mm長砲身砲が吼え、続いてクロムウェルの75mm砲が吼えた。チラチラと見える機関銃陣地のマズルフラッシュに対しては、何発かの榴弾を撃ち込んで沈黙させた。

 雨が降りしきる中、砲撃の音が木霊し、マズルフラッシュが僅かにきらめく。どれ程の時間が経っただろうか。

 

 

神無月しおりは僅かにキューポラから顔を出し、空を見上げた。空は既に暗く、そして突如として雨が強まった。視界は殆ど無いに等しい。このままでは危険だ。

「各車両、聞いて下さい。夜も近く、雨が強まってきました。この状況下で砲撃するのは危険ですし、有効打を与えるのが難しいと思われます。直ぐに撤退を。敵の戦力は十二分に削ぐ事が出来ました」

 神無月しおりの指揮する戦車隊は、大きな損傷も無く撤退していった。丘の下に多くの屍と化した戦車を残して。

 

 

 野営地にで、エリザベド・ガリマールの指揮する戦車隊は数両の車両が撃破されていた。

「丘の上のエクセルシオールだ」

 苦々しく彼女は神無月しおりにそう答えた。

「殆どトップアタックだよ。まぐれ当りかも知れないが砲塔を撃たれた奴も居た。どうしようもない…」

 みれば、べったりと撃破判定の塗料がB1Terの砲塔や上面にこびり付いていた。

「こちらは生きているのは7両。そちらは?」

「幸いにも損害は無いわ。9両全て可動状態」

「残念な知らせだが、燃料も弾薬も、補給がもう心許無い。全力出撃が出来るのは明日で最後だ」

 

 

「明日で、最後…」

「これで決められなければ我々の敗北と言う事だよ、オクトーバー」

 果たして司令部になんて言われるやら。等と演技ぶってエリザベド・ガリマールは答えた。

「でしたら、全力攻勢を仕掛けましょう」

「…オクトーバー…?」

 神無月しおりの言葉に、エリザベド・ガリマールはキョトンとした。

「幸い、裏手の戦力は削ぎました。何時、如何なる時、如何なる戦でも二正面作戦で勝てた例はほんの僅かです。

 

 

 敵の相手側の残存兵力がどれだけ残っているかは分かりませんが、攻め込めば必ず慌てる筈です」

「然しどうする? 裏手の斜面は急だぞ?」

 喫煙パイプの吸い口を僅かに噛みながら、エリザベド・ガリマールは問いかけた。

「心配ありません。既に策は練ってあります」

 

 

 

 

 ―――戦車内にて―――

 

「はーもう疲れたぁ…装填に次ぐ装填だったから、腕がぱんぱん、押し込む拳がギッシギシ」

 腕を揉み、装填用グローブに包まれていた手を優しくマッサージしながら大島明海はボヤいた。明日は拳にバンテージでもしていようかな、等と考えながら。

「でも、明海さんの装填のお陰で沢山攻撃出来ましたよ! リローダーのエースです!」

「そうかな…? そう言われると嬉しいな。えへへへ…所でさ、しおりん?」

 

 

 ぱり、ぱり、とやや硬いクラッカーを食べていた神無月しおりは「うん…?」と反応した。

「北村さん居ないけど、何処行っちゃったの?」

「彼女なら今、作戦行動中…」

 その時の神無月しおりの表情は、微かではあったが、珍しく、してやったり…と言う様な、表情であった。

 同時刻…丘の裏手…北村カレラは歩兵部隊と行動を共にしていた。愛銃のゲヴェーア43を抱いて。

「隊長様のご命令だ。歩兵隊諸君、しっかりやってくれ。」

「Ja、カレラ殿」

「歩哨はあたしと他の連中に任せろ。しっかり狙い打ってやる」

 

 

 そう言うや否や、北村カレラ以下数名の狙撃班はスコープを覗き込んだ。夜間でもよく見える明るいスコープに、サプレッサーを銃口に取り付けて。

「先ず私がやる。次に順番通りに撃て。頭は狙うな。立ち止まった所を足か腹を撃て」

 北村カレラの指示に、少女達は小さく頷いた。一人の歩哨が、丘の上の城壁の裂け目にやってきた。ありがたい事によく目立つ煙草まで吸ってくれている。北村カレラは呼吸を整え、そして静かにトリガーを引いた。

 

 

 パシュンッ! と銃声の和らいだ音が聞こえたが、其れさえも雨音にかき消されそうだった。ゲーム用の模擬弾はコリオリの法則に従いながら、少女の腹に着弾した。ビチャッと言う音と共に、着弾の衝撃で体を折り曲げる。衛生兵ー…! と叫ぶ声が聞こえた。衛生兵が現れ、負傷した少女を引きずっていく。北村カレラはアレは撃つなよ。絶対撃つなよ。と声をかけた。

歩哨が居なくなったその瞬間を狙って、歩兵部隊が丘を登っていく。そして同時に、ぬかるみをスコップでかき出していった。二人目の歩哨が現れた。今度はランタンを片手に持って。

 

 

「2番手、歩哨を狙え、3番手、ランタンの火を消せ。燃えたら危ない」

北村カレラの指示を受けた少女達は、言われるが儘にオーダーをクリアした。二人目の歩哨は足を撃たれ、落としたランタンは模擬弾で打ち壊され、雨に濡れて火が消えた。衛生兵ー! と二度目の声が響く。

「さて、早々何度も許してはくれない頃だろうが…」

 その時、突如としてドカァン!と言う音がした。それは正面の丘の方から聞こえてきた。

「上手く行ってるみたいだな。よしよし…」

 バタバタと、銃撃戦の繰り広げられる音が響く。その間に、裏手の歩兵達は作業を続けた。丘の上に何かを設置し、ぬかるみをかき捨て続ける。全ては明日のために。そして…朝が近付いてきた。

 

 

 夜も明けるかと言う薄暗い時間の事。動けるだけの戦車全てがエンジンを目覚めさせた。朝食も手短に、神無月しおりは三/四号戦車より指示を出した。

「戦車隊各員に通達。我々はこれより最後の攻勢に打って出る。我々には次の補給が来るまで戦車に与えるべきオットーもハーマンももう無い。そしてオットーもハーマンも切らした我々は死んだも同然だ。各員に幸運を。出撃!」

 

 

 

 

 

―――その頃、城壁内部では…―――

 

「ローズマリー様、敵が動き出したそうです。恐らく、最後の攻勢かと」

 ローズマリーの腹心、カトリーナ・スチュアートが窓から外を見ながら呟いた。

「威力偵察、こちらの戦力の消耗、最後に一大攻勢。まるで教本の様ね」

「どうするおつもり?」

 アレクサンドラ・楠は紅茶を啜りながら問いかけた。

「勿論、決まっているわ」

 バサリとパンツァージャケットを翻しながら、袖に腕を通す。

「あの子と楽しく遊ぶだけよ。迎え入れなさい」

 

 

 丘の裏側を手に入れた神無月しおりは、小さく満足そうに息を吐いた。地面の泥はかき出され、頂上のすぐ傍には2本のウィンチが並べられている。そして地面には所々に滑り止めの木の杭が撃ちこまれていた。

「各車、聞いて下さい、装甲の厚いパンターを先頭に丘を登ります。その間、我々はパンターの援護をします。間違ってもウィンチに誤射はしない様に。行動開始!」

 歩兵による作業で戦車にウィンチがつながれ、そしてぐいぐいと丘を登っていく。先ずはパンター、続いて三/四号戦車。と言った順番で丘の上を上り詰めていった。

 軽量なソミュアに至ってはウィンチを必要とせずともスイスイと登っていった。

 

 

「フィギエ中隊、聞こえますか! 我らクノッヘン中隊は無事に丘の裏を突破!旧市街地に侵入した! どうぞ」

『こちらフィギエ中隊、無事に聞こえる。お前さん達が突っ込んだお陰で正面側も大騒ぎだ。どうぞ』

「これより歩兵と共に市街地での戦闘へ突入! 占領作戦に入ります! オーバー!」

『こんな狭い市街地で戦車戦をしろって言うの? アンブッシュが怖いじゃないの』

 五十鈴佳奈の愚痴に「問題ありません」と神無月しおりは答えた。

 

 

「既に昨夜、作戦は練ってあります。五十鈴さん、柿原さん、久留間さん。快速を誇る三両はこの路地を走り抜けて下さい。我々はその少し後ろをついて走ります。釣り上げた戦車は我々が撃破。残りの戦車は歩兵の援護をしながら市街地中央部へと進撃してください。それでこの戦いも終ります」

『了解、隊長!』

雨に濡れた石畳は、恐ろしいぐらいによく滑る。曲がり角を曲がるだけで自然とドリフトしてしまう程だ。

それで居て視界が悪い。走る側も、そして狩る側も一苦労だ。

 

 

一瞬で目の前を走り抜けていく戦車の影を見るのだから。とてもじゃないが即応出来ない。ホイルスピンならぬクローラースピンを起こしながら戦車を発進させ、曲がり角を曲がろうとした途端に、砲撃を受ける。

 はたまた、曲がり角を曲がった途端にエンジンルームを打ち抜かれる。撃破された戦車から脱出しようとする少女達を、歩兵がサブマシンガンで止めをさしたり、スティックグレネード…勿論模擬弾だ…を線車内に投げ込んで戦車の乗務員を黙らせた。

 

 

…何度見ても、まるで大昔の戦争。そう、これはショーとしての戦争。では其処に、戦車道とヒストリカルゲームの違いはどれ程あるのだろうか…? 模擬弾と実弾の違い…特殊なカーボン装甲と、ペイント弾…安全に極力配慮されたルール…神無月しおりはそんな事を考えていた。その時だった。

『こちら歩兵部隊! 市街地中央部に到着! だけどなんだ、あのデカブツは!?』

『此方ソミュアの久留間どす! エクセルシオールと…きゃあ!』

 

 

 無線機に飛び込んできた二つの情報に神無月しおりは現実に引き戻された。

「久留間さん? 久留間さん! 応答して!」

「駄目です! 久留間車のソミュア、応答ありません! 完全に撃破されたものかと!」

 中嶋奏が困った様に報告する。これは早々に対処しなくてはならない。それに気に成る単語もあった。デカブツと言うキーワードだった。何が其処に居る…?聖・バーラム学院のTOGMk-2か…?ともあれ、急がなくては成らない。

 

 

「葵さん、アカリさん、アカネさん、聞こえますか。命令を変更。市街地の残存する戦車が居ないか捜索と撃破を。残りの部隊は市街地中央部へ急行。謎の敵勢力を撃破します」

「飛ばすから捕まってて。売れない芸人並みにかなり滑るぞ」

 言うや否や霧島蓉子はクラッチを蹴飛ばしギアチェンジを行い、フルスロットルを叩き込んだ。中嶋奏が調整してくれたキャブレターのお陰でエンジンはゲホゲホと咳き込む事も無く、市街地を滑りぬけていった。

 キューポラから見える世界はまるでジェットコースターの様であった。神無月しおりは一度たりともジェットコースターに乗った事は無かったが。

 尤も似ているモノと言えば、バイクでコーナーを駆け抜けているその瞬間とそっくりだと言う事か。

 

 

「道が開けた。止まるから掴まってて」

そう言うや否や、絶妙なブレーキコントロールで、履帯から火花を散らしながら三/四号戦車は建物の影に停車した。

「しおりの事だ。直接偵察に出たいんだろ…?」

 フッ、とニヒルな笑みを浮かべて霧島蓉子は神無月しおりに振り返った。まるで見事に見透かされた気分に浸りながら、彼女は戦車から滑る様に降車し、街角から様子を伺った。其処には歩兵部隊も居た。

「状況はどうなってますか」

「悪いとしか言いようが無いねぇ…コレを見てくんな」

 

 

 そう言うと歩兵部隊の一人が、小さな鏡を銃剣の先にチューイングガムで貼り付けた、即席のコーナーミラーを手渡してくれた。其処に写っていたのは…

「エクセルシオールが二台に、インデペンデント重戦車!? それにT-35重戦車まで!」

「やっこさんのお陰で歩兵部隊は頭を抑えられててどうしようもない、戦車部隊、どうにかならないか?」

「どうにかしてみせるのが、私達の仕事です…歩兵の皆さんは無理をしないように」

「了解。戦車隊の隊長殿」

 

 

 神無月しおりはカツカツと音を立てながら三/四号戦車を登り、砲塔に滑り込んだ。

「各車、聞いて下さい。敵の最終戦力はエクセルシオールが2両、そしてインデペンデント重戦車並びにT-35重戦車です。久留間さんのソミュアは恐らくですがエクセルシオールからの攻撃を受けて撃破された模様。歩兵部隊も多砲塔戦車からの弾幕を受けて頭が出せません」

『どうするんだ、この状況! 道は分断されてて、裏側に回りこむ事も出来ないぞ!』

 

 

クロムウェルの柿原セリカは憤慨する様に無線に叫んだ。確かに回り込めない。本物の榴弾が使えない以上、きっとわざと戦車を建物にぶつけて道をふさいだハズ。しかし、そんな事を何度も繰り返せば戦車が壊れてしまう。同じ手法で迂回路を作るのは困難だ。ではどうするか…?」

 

 

 

 

『流石のあの子も、困惑しているでしょうね』

「良いじゃない。学園祭や地元のパレードかこう言うゲームでも無いと引っ張り出せないんだから。お互い様でしょ?それに使ってあげないと戦車も可哀想だわ。戦う為に産れてきたのだから。仮にそれがショーとしての戦争だったとしても、ね」

 狭い車内の中で紅茶を楽しんでいたローズマリー・レンフィールドはアレクサンドラ・楠の無線にそう答えた。

『分かってるわよ。そんな事。この子の主砲や機銃を撃たせてあげられるのはこう言う時位な物だもの。所であの子、どう動いてくると思う? 意地悪な布陣を敷いちゃったけど』

 

 

 そう。路地の出口を見張るのは二両のエクセルシオール。至近距離ならば、神無月しおりの率いる戦車の殆どを撃破可能だ。この時のために残しておいたAPCR弾設定のペイント弾もまだ残っている。さぁ、どう来るか…?

 雨音の中、身構えていると不意にエンジン音が高らかに聞こえてきた。それも複数の箇所から。

 まるで獣の咆哮の様だと、アレクサンドラ・楠は思った。戦車のエンジンはこんなにも高鳴らせる事が出来るのか、と。次の瞬間だった。

 路地から何かが飛び出してくる。それも複数同時に。対応しきれない二両のエクセルシオールは遅れて砲撃するも、大量のペイント弾で真っ黒に成り果てた。

 

 

 それは撃破された戦車に大量にくくり付けたペイント弾と模擬爆薬を貼り付けた撃破済みの戦車であった。更にダメ押しと言わんばかりの砲撃を、神無月しおりの戦車隊はエクセルシオールに叩き込む。斯くして、残ったインデペンデント重戦車とT-35重戦車はゆっくりと白旗を掲げた。

 此処に三日間にわたる攻防が漸く終った。長い戦いだった。泥にぬかるみに雨に、そして最後は路地に悩まされた戦いだった。不意に、雨の降りしきる空からゴォォォ…と言う轟音が響いた。神無月しおりはまさか、と思った。

 

 

「御機嫌よう、隊長さん。お気付きに成られた様ね」

「総員退避! 早く此処から脱出して!」

「そう。初めから此処はね」

 ガコン、と扉が開かれる。塗料の詰まったペイント爆弾とでも言うべきモノが其処にはあった

「貴女達を誘い込む為の囮なのよ! ぉほほほほほ!!」

 矢鱈と堂に入った悪役らしい演技を見せながら、ローズマリー・レンフィールドは見事な高笑いをしてみせた。

 

 

 頭上のランカスターが、爆撃コースに入る。そしてたっぷりの塗料が詰まった爆弾を投下。少女達の頭上で大量の塗料がぶちまけられる。鐘楼の鐘に当たったのか、リンゴン…リンゴン…と鐘の音が聞こえる。それはまるで鎮魂の鐘の音の様でもあったし、神無月しおり達を嘲笑うかの様な音にも聞こえた。

 少女は、見上げる。一発のペイント爆弾が落ちてくる。そして、空中で炸裂。雨の中で、黒い雨が降り注いだ。

 

 

 

 

 斯くして少女達のショーとしての戦争は終わり、それぞれの日常へと帰ってゆくのである。

 ある者は楽しかったと言い、ある者はもうこりごりだと言い、ある者は珍しい体験が出来たと言う。

 そんな最中、戦闘服を脱いで制服に着替えた神無月しおりは思う。

 最後のアレは卑怯と取るべきか、それともショーとしてのクライマックスと取るべきか。

 

 

 戦車道ならば、ありえない。航空機を使う事は禁止されているから。

 だけどもアレは、ヒストリカルゲーム。戦車道とは違うのだ。危険な事意外なら、何をやってもいい。

 ……何をやっても……?

 蟠りが、心に残る。

 ……危険でなければ、何をしても良いのか……? 例え、戦車道でも。

 

 

 右腕の接合部が、痛む。それはきっと、雨が理由じゃない。

 震える右手を誰にも悟られない様にするだけで、やっとだ。

「どうしたの、しおりん。難しい顔して」

 銀色のカップを両手に、大島明海がやってきた。

「はい。ココア。暖まろう?」

「…ダンケ…」

「ねぇねぇ知ってる? 今回の撮影、凄いバッチリだったから、会長さんが皆に食堂の食券15食分のチケット、ただでくれるって!

 太っ腹だよねー! あ、でも物理的にはスレンダーだよね。なーんて」

 ケタケタと笑う友人に、神無月しおりは小さく笑った。そして、彼女の肩に寄りかかる。

 

 

「しおりん…?」

「…少し、こうさせて…明海さん…あったかい…」

「…! うん、いいよ!もっと寄りかかっても良いんだからね!」

 雨が降りしきる天気の下、走る列車の中で少女達はお互いの温もりを共有する。

 心の寒さを打ち消すかの様に。

 心の暖かさを与えるかの様に。

 今はただ…何も考えずに…。

 少女の腕の痛みは、ゆっくりと和らいでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 登場戦車一覧

 

・エクセルシオール重突撃戦車(又はエクセルシアー)

 Excelsiorとはラテン語で「気品がある」「優れている」と言う意味を持つ。

 クロムウェル巡航戦車の車体を元に作られた経緯を持つが

 その外見は何処と無くTOG MK-2を思わせる。

 なお、私心ではあるが何故足回りの熟成度が高いA型が現存せず

 足回りの未熟性なB型が現存しないのかが不思議である。劇中に登場したのもB型である。

 武装はオードナンス製QF 75mm砲を搭載。

 

 

・A1E1 インディペンデント重戦車

 ヴィッカース社によって1925年に製造された大型の多砲塔戦車。

 全長7.6m、重量33tの重戦車の名に違わぬ大きさと重さである。

 なお、当車両の設計はソビエトのT-35重戦車に多大な影響を及ぼした模様である。

 武装は主砲にオードナンスQF 3ポンド砲(砲弾直径47 mm)

 副武装に7.7 mm ヴィッカース機関銃4挺を備える。

 

 

・T-35重戦車

 ソビエト版インディペンデント重戦車と言った塩梅である。

 より大きく、より重たい。全長9.72m、重量45tの巨漢である。

 また、装甲や武装もインディペンデント重戦車よりも強化されているが

 その巨体を動かす為のエンジン出力が足りていないのも受け継いでしまっている。

 その他にも多砲等戦車の中では最大の生産数を誇ると言われている。

 主砲に16.5口径76.2 mm戦車砲1門

 副武装に42口径45 mm戦車砲2門並びに7.62 mm機関銃6門

 

 

 

 



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ep.5

・代償の果てに得られる物は。真実の果てに暴かれる物は。


 

 

 

 

 

 梅雨の中、執り行われたヒストリカルゲーム。役者としての振る舞いを要求された神無月しおりは酷く疲れきっていた。

 三日間にも及ぶお祭り騒ぎの後の事、神無月しおりは思いを巡らせる。戦車道のあり方を。自分のあり方を。

 答えはまだ出ない。いや、出せないで居る。ズキズキと痛む右腕の幻肢痛が、まるでそれを訴えかけるかの様に。

 

 

 汽車は走る。少女達を乗せて。汽車は走る。戦車を載せて。暫くもすれば、梅雨は終わり、初夏になるだろう。

 時の移ろいは少女の心の移ろいでもあった。しかしそれを知る者は誰も居ない。

 神無月しおりは今暫くの間だけ、友人の温もりに甘えていた。何が来るとも知らずに。

 

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 第五話:ヴィジテッド…シェル・リロード

 

 

 

 

 

 

 

 

 あくる日の事だった。学園艦が久しぶりに本拠地の播磨へと寄港する事となった。久しぶりの播磨への寄港と相成って少女達が交わす会話は楽しげに盛り上がっていた。

曰く、実家に顔を見せたいだの。近くの街で買い物がしたいだの、会いたい人が居るだのと、それこそ話題の枚挙に暇が無い。転校生の神無月しおりにとっては、「そうなのか」程度の出来事であったが。

 

 

 そして夕方。茜色にその船体を染めながら播磨女学園はゆっくりと接岸した。するとどうだろうか。播磨の学園艦寄港ポートの一角に、既に先客と思しき学園艦が居るではないか。その艦影は嘗ての戦争で使われたと言う、ガトー級潜水艦に酷似していた。夕日の最中、それをジッと見つめていた中嶋奏は少女らに説明した。

 

 

「あれは艦番からして、カーチスライト学園ですね。アメリカ系の学園艦の中では小さい部類ですが、学園艦ごとの個性が強いらしいですよ? 史実のガトー級宜しくいっぱい作られた学園艦ですからねぇ。あと他の学園艦と比べて比較的小さいから色んな港にも入港しやすいんだとかー」

 彼女の説明に、少女達は感心するようにへぇー…と漏らした。

「奏っち、船の番号も覚えてるの? すごいねー」

「いやぁ、それほどでもないですよぉ。艦番の隣に校章のマークも描かれてましたし」

 大島明海による賞賛の言葉に、彼女は照れ臭そうに答えた。

 

 

 

 

 

 少女達が接岸してからの日程にワイワイと喜ぶ最中、播磨女学園の戦車隊はと言うと、街の振興パレードとして駆り出される事となった。

「いやぁー。折角の本拠地やしねー。それに地元の人達にこんなに頑張ってまーすってアピールしたり、地元の部品メーカーとか企業とかにも

 ウチらが使ってる戦車に対する良いコマーシャルになるからさー。搭乗体験会とかもやって、未来の戦車乗りを育てようって画策もあるわけー。あとお祭りみたいなもんやから、屋台も出せて学園艦にとっては一石二鳥、ならぬ三鳥! なんつってー」

 双葉葵の正直な言葉に少女達はくすくすと笑った。ブイ。とばかりにVサインを少女らに向ける中、神無月しおりはぼんやりとしていた。

 

 

 パレードか…そう言えば前にも一度した事があったっけ…あの時はドライバーだったけれども…と。今回は間違いなく、先頭に立たされるのだろうな…と考える。先日のヒストリカルゲームがそうであった様に。

 

 

 

 

 

 やがて夕日も海の向こう側へと沈んでいき、夜の帳が降りる頃。ぼんやりとラジオを聴きながら本を読んでいた神無月しおりの携帯電話にメールが入った。送信者は…双葉葵だった。

『こんな時間に悪いけど、ちょっち戦車の格納庫にまで来てくれない? 正門はあけてあるから』

 神無月しおりは『わかりました』とメールを返信すると、いそいそとアパートを抜け出し、愛用のバイクに跨る。既に暗くなった播磨女学園の門は確かに開いていた。傍らには風紀委員がパイプ椅子に腰掛けながらタブレットPCを弄っている。

 

 

「待ってたわ。早く生徒会長との用件を終らせて頂戴」

「すみません。お邪魔して…」

「別に良いわよ。食券って言う報酬を貰ってるから」

 手をヒラヒラとさせる風紀委員を他所に、神無月しおりは校内へと入っていった。そしてグラウンドの傍らに存在する、戦車の格納庫までバイクを走らせ、エンジンを止めた。静寂が、辺りを包み込む。僅かな光が戦車の格納庫の扉から漏れ出ていた。

「失礼します…神無月です」

「ああ、待ってたよーしおりちゃん」

 双葉葵は三/四号戦車の砲塔の背中に寄りかかっていた。

 

 

「しおりちゃんにはとても感謝してるよ。一杯迷惑もかけちゃったけど、ね。だけど…どうしても話しておきたい事があったんよね」

「…話しておきたい、事…?」

 双葉葵はそう呟きながら、三/四号戦車の砲塔を小さく撫でた。まるで慈しむ様に。同時に何かを懐かしむかの様に。

「そう。知って欲しいのは『前任者』の事」

「『前任者』…」

 神無月しおりはふと思い出した。それはこの学園艦で戦車道を始める時の事、久留間舞子が述べていた事を。『うちの学校には戦車道の隊長はんが居てはったと聞いてたんどすけども』と…

「…確か、久留間さんがそんな事を話してましたよね…?」

 

 

「そうそう。久留間ちゃんのあの言葉には正直言ってビクーッてなったねぇ。あれ、すっごい薮蛇だったからさー」

 たははとばかりに苦笑を零す双葉葵に、この人は何時も苦笑を零しているな…と神無月しおりは思った。

「『前任者』って言うんはね…名前を『羽黒しずく』って言う女の子だったんだ。本来は、この三/四戦車に乗って、指揮を執る筈やった子なんだ。去年入学してきた、一年生だった。華奢で小さな体で、戦車隊を引っ張ってたんだ。勝ったり負けたり、色々あったけどね…だけど…」

 双葉葵は一度、言葉を区切り、天井を見上げた。白熱灯の照明の光が少し眩しかった。

 

 

「彼女、生まれつき体が弱かったんよね。凄い儚げな少女だった。しおりちゃんもそうだけど、彼女…しずくはもっと、まるでそう…指先が触れるだけで壊れそうなぐらい、線が細くて…とてもか弱い女の子だった。戦車道をする度に体は弱っていって、その容態は悪化の一歩を辿ってたんだ。だけども彼女は戦車に乗りたがった。戦車だけが私の生きがいだからって言って。最後には、寝たきりになっちゃってさ…」

 双葉葵はふぅ…と溜息を付いて、再びゆっくりと三/四号の砲塔を撫でた。

 

 

「そして死んじゃったんよね…新学期の夜。入学式の夜。ひっそりと心臓麻痺で…」

「…死んだ…」

 まるで現実味が無い。友人を病死で亡くしたと言う事が。それも戦車道をやり続けた果てに。だけども…神無月しおりには、双葉葵が酷く寂しげなのがよく分かった。きっと彼女にとって、大切な友人か、それに類する存在だったのだろう、と…

 たはは…と少女は苦笑する。まただ。貴女はそうやって、辛い事を我慢してる。神無月しおりはそう思った。「安らかな顔だったよ」と双葉葵は何処か寂しげに言う。そして…

 

 

「あたしはさぁ、今改めて思うんよね…あの夜、しずくが逝っちゃったのは、しおりちゃんに全てを託して逝っちゃったんじゃないかって」

 嗚呼、これで播磨の戦車道は安泰だ。ってきっと何か精神的な物で分かったんじゃないかな。って…

「…私に、託す…?」

「まぁ、あたしの勝手な憶測だけどねん」

 こんな与太話につき合わせてごめんねぇ。と言葉を発する双葉葵に、神無月しおりは俯いた。

「しおりちゃん…?」

 俯く後輩の姿に、双葉葵はどうしたの? とばかりに名前を呼ぶが…

 

 

「…もし、託されたのだとしたら…それは…託す相手を間違えてると…思います」

 神無月しおりの発する言葉は、震えていた。涙声だと言っても良い程だった。

「だって…だって、私は化け物だから。ただのケダモノだから…!」

 小さく、小さく声を荒げて、神無月しおりは涙をぽろりと零した。

「ちょっ…しおりちゃん!? 待って!」

「Gute Nacht …おやすみなさい…っ!」

 そう答えると神無月しおりは倉庫の外へと走り出していった。直後、バイクのエンジン音が響き、遠のいていく…

 

 

 葵は思考する。彼女の言葉の意味を。彼女の真意を。だけども、意味が分からない。

「化け物…? ケダモノ…? どゆこと…?」

 以前には、居場所が欲しいと言われ、今度はまるで突き放す様に自分はケダモノだと言う。全くもって正反対の言葉と行動に葵は困惑した。しかし、双葉葵はふと気が付ついた。

 

 

 神無月の流派。常在戦場、大胆不敵、見敵必殺。悪評さえ噂に聞くその戦いぶり。しおりのマシ-ンの様な思考。徐々に双葉葵の頭の中で、神無月流を、神無月しおりを構成するピ-スがはまってゆく。

 何故、神無月しおりはあんなにも戦車道を最初は嫌がって居たのか。何故「私が指揮を執っても恨まないで」と言ったのか。最後のピ-スの存在と、意味さえ分かれば、答えは出るはずだ。だがそれは同時に末恐ろしい何かを見いだしてしまうのでは無いかと、双葉葵は不安になった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の事。学園艦から現れた戦車隊によるパレードは功を奏した。隊列を組み、広場では空砲さえも撃った。その迫力に一般市民は興奮し、歓声を上げた。

 詰め掛ける多くの人々に、キューポラから体を出していた神無月しおりはそっと手を振って回った。大島明海による、事前の入れ知恵である。

「無理に笑わなくて良いから、観客の人達に手を振ってあげてね? しおりんは顔が良いから、きっと大丈夫」

 

 

 事実、民衆は口々に言った。なんて凛々しい少女だろう。なんて美しい少女だろう。何処かのお嬢様か? と。その熱狂振りに、神無月しおりは少し押され気味だったのは、言うまでもない。

「しおり君は今や播磨のアイドルと言っても良いからね」

 三/四号の砲塔の射手ハッチから身を乗り出していた北村カレラにそう言われ、キョトンとする。

「ああ…つまりは、人気者って意味さ」

 人気者…こんな私が…? と心の中で神無月しおりは首をかしげた。

 

 

 戦車しかとりえのない私が何故人気なのか、さっぱり分からなかった。

 上手く笑う事も出来ない。体は傷塗れ。他人が容易く出来る事も出来ない。常識も所々欠けている。愚図で、播磨の学園艦に着てからは泣いてばかりの自分が何故、人気者なのだろうかと。

 その後、予定外のインタビューが突然入ってきた。曰く戦車道雑誌の者だと言う。双葉葵はボヤいた。

「お兄さーん。アポイントメントって言う言葉知ってるー? 一言インタビューしたいんですけどって言ってくれたら、ウチの隊長だって迷惑がかからずに済んだんだからさぁ。ウチの隊長、口下手の恥かしがり屋さんなんよ」

 

 

「いやぁすみません。生の言葉を取材したかった物で。お名前は神無月しおりさんで、お間違いなくって?」

 インタビュワーの言葉に、神無月しおりはこくりと頷いた。こんなインタビューを受けるのは、何時も自分の姉達だったな。と思いながら…

「まず最初に、貴女達の勝利の秘訣とはなんでしょうか!?」

 最初の質問からして、神無月しおりは言葉に困った。勝利の秘訣…? なんだろうか、それは。

「ほらしおりん、何時もやってる奴…!」

 ひそひそと、大島明海が助け舟を出してくれた。そして嗚呼、と神無月しおりは気が付く。

 

 

「日々欠かさない練習と、同時に休養。そして仲間達との確かな連帯です」

「成る程! 正に播磨の魔女と呼ばれる事はある! しかし、休養とは…?」

「訓練に次ぐ訓練では、体が疲れきってしまうから。疲れきった体では、得られる物も得られません」

「成る程、成る程、では最後に、ズバリ、神無月さんは休日は何をしているのでしょうか!」

 この質問には酷く困った。なんて答えれば良いのか神無月しおりの頭では答えが出て来ない。

 その時不意に、つんつんと腕をつつく感覚があった。それは肘でつついてきた北村カレラだった。彼女は小さくウィンクする。ああ、そうか。

 

 

「友人達と、ゆっくり過ごしています。ご飯を食べに行ったり…映画を見たり…アパートに招かれたり…」

「何とも美しい学生生活ですなぁ! どうも、有難う御座いました!」

 そう言って、インタビュワーの男性は去っていった。

「やれやれだねー…全く。嗚呼言うのには困らされるよ」

 双葉葵の言葉に大島明海と北村カレラはうんうんと頷いた。

「正直に言って、どんな歪曲な表現に取られるか分かったもんじゃないからな。あの手のインタビューは」

「見なきゃいいのよ! そうしたら嫌な思いもする必要ないもん! ね、しおりん」

「ん…うん」

 

 

 斯くして、神無月しおりがインタビューを受けている間の事、霧島蓉子と中嶋奏は何をしていたかと言うと戦車の搭乗体験会に借り出されていた。

 霧島蓉子はボヤく、非正規戦車道の為にチューニングされた戦車で優しく運転するのはとても難しかったと。

 中嶋奏はと言うと、砲塔の後ろに設けられた体験搭乗の為の乗り場の上で解説に勤しんでいたと言う。子供達や興味のある大人たちからの質問攻めにそれはもう疲れたそうな。

 

 

 振興パレードを含めた一連のイベントは大きな問題が起きることもなく、万事が上手くいった。そして夕方。水平線の間際に太陽が沈みゆこうとする頃、少女達は疲れ果てた表情を必死に隠しながら、学園艦へと戻っていった。

 特に戦車隊としては播磨の戦車道チームとしての小さなプライドがあったからである。無様な姿は晒したくない。と言う…ほんのささやかなプライドが。

 

 

 

 

 

 

 翌日の事である。戦車の日常整備を行っている最中に突如、見慣れない戦車が学園艦へとやってきた。それもたったの一両で。

 それは嘗て戦ってきた学園艦の校章を付けておらず、鷹が日本刀を握り締めた様な厳ついイメージを思わせる校章であった。

「なんだなんだ、道場破りか?」

「道場破りって、普通は道場に行ってやるものちゃうんどすか?」

「いやまぁ、学園艦の一番上手な奴と戦って回るーって話も無くはないらしいけど…」

 少女達がやいのやいのと話し合っている中、校内放送が入った。

 

 

『神無月しおりさん。神無月しおりさん。お客様がお出でです。至急、グラウンドの戦車前までどうぞ。』

 この呼び出しに対して神無月しおりは薄々嫌な予感がしていた。爽やかな初夏の風が吹き抜けていく。だが、彼女の心はそれに反してどんよりと曇っていた。そして嫌な予感は確信へと変る。

 グラウンドに現れた戦車はかつて、見覚えのある車両だったから。それは38tNAだった。改良型の砲塔と5センチ砲を備えた強化型タイプである。

 

 

 砲塔のハッチから、少女が体を乗り出して、そして叫んだ。

「見つけた…漸く見つけた! しおり!」

「…鹿取舞さん…」

 少女、鹿取舞は嘗ての同級生であった。同時に、何度も同じ戦車に乗った事もあった。

「どうして、私達を放って行ってしまったんだ! 何の相談もなく!」

 少女は叫ぶ。きっと置いていかれたと思ったのだろう。心配する気持ちもあったのだろう。しかし…

「…相談って、一体何を…?」

 しおりの言葉に少女はぎょっとした。

 

 

「それは、戦車道の事とか…」

 言葉を詰まらせる鹿取舞に対して、神無月しおりは言葉を連ねていく。

「私は、分からなかった。相談するって言う言葉の意味も、行為も。あの時、あの学園で過ごす意味も、あの学園に居続ける意味も。そして、あの時は、大嫌いな、勝つ事しか考えてない戦車道を辞めたくて仕方なかった」

 神無月しおりの最後の言葉に、鹿取舞はピクリと反応した。まるで燃え盛る石炭の様に顔を赤くして。

 

 

「じゃあ、何故今、戦車道をやっている!」

 彼女の指摘に、神無月しおりはゆっくりと答えた。言葉を違えない様に、一字一句、ゆっくりと。

「友達が、出来たから。私の、居場所が出来たから。ここが、私の帰る場所だから。皆と楽しい戦車道が、出来るから…」

「私は、友達じゃなかったって事か!? 甲斐女学園は、お前の居場所では無かったと!?」

 鹿島舞のその言葉に、神無月しおりはゆっくりと首を横に振りながら、ただ静かに溜息をついた。それは疲れた溜息でもあったし、悲しみを含んだ溜息でもあった。

 

 

「甲斐学園の貴女達は、皆戦士だった。何時だって、戦車、戦車、戦車で…友達とは呼べない…息苦しくて、仕方が無かった。私は…ちょっと戦車が好きな位の、普通の女の子? になりたかった…」

「うぐ、ぅ…」

 事実を指摘され、神無月しおりの本音を語られ、鹿取舞が呻くのをよそ目に、神無月しおりは言葉を続けた。この学園であった事を。

 

 

「…貴女達は、皆でご飯を食べに行ったりした…? アパートに招かれたり、食事会に招かれたりは…? 私が泣いている時、何も言わずに肩を貸してくれた? 私が幻視痛で苦しんでるとき、助けてくれた…?」

「それ、は…」

 そう。出来なかった。否、『しなかった』事なのだ。全て。いや、しようと思えば出来た物を、甲斐女学園の彼女らはしなかったのだ。神無月しおりに手を差し伸べると言う事を。何も。

 

 

「…皆、私の為にしてくれた。こんな不器用な私の為に…こんな、こんな出来損ないの化け物みたいな私に!」

 神無月しおりは叫んだ。心からの叫びだった。涙声でさえあった。その叫び言葉を聞いて…否、叫び声が聞こえた双葉葵は眉を顰めた。

 まただ。彼女は言った。自分の事を『化け物』と呼んだ。何故そこまで自分を卑下するのか。傍らに立っていた仲間たちもざわつく。あの神無月しおりが、自分の事を『化け物』と呼んだ事に驚きを隠せずに。

 

 

 

「だったら…だったらお前のお友達とやらを呼んでみろ! 高々数ヶ月、戦車に乗った程度に過ぎないお友達を!」

 鹿取舞は意地になって、本心でもない事を口にした。それが災いを呼ぶとも知らずに…。

「…私でも、分かる。私の友達を…馬鹿にしたね…?」

 神無月しおりの頭の中で何かがブツリと切れた音がした。ルビーの様に美しいハズの瞳が、まるで地獄の業火の様にさえ感じられた。ぞっとするぐらい、怒りに満ち溢れた目で神無月しおりは嘗ての同級生、鹿取舞を見つめたのだった。

 

 

「会長さん…戦車、借ります…三/四号を。悪いけど皆、付き合って貰って良いかな…?」

「えっと、しおりん…どうするつもり…?」

 大島明海の言葉に神無月しおりは淡々と、だがハッキリとした意思で答えた。

「一対一で戦います。そして、私の過去を清算する…」

「過去を清算する、って…」

 大島明海はまるで神無月しおりらしくもない言葉に、自分の言葉を詰まらせた。

「あの子は嘗ては私の戦友ではあったけど、今はそうじゃない。私の居場所は此処であって、私の友達は…此処にいるから。それに…友達を侮辱されて許せる訳が無い…」

 

 

 

「…仕方無い。離縁状を叩きつけるのを手伝うかぁ」

 北村カレラはやれやれとばかりに答えた。そして言葉を連ねる。

「ま、それに私達の事を馬鹿にされたって言うのも癪だしね」

「あたしも乗る。三/四号の試運転だ。実戦を兼ねた方が都合が良い」

 霧島蓉子が滑らかな動きでドライバーズシートに乗りこみ、エンジンを始動させた。工業科と学園艦の機械屋が手掛けてくれたマイバッハV型12気筒エンジンの心地良い音が響き渡る。

「えーっと…38tNAの貴重なデータを直接見るチャンスですから!」

 中嶋奏は無理やりにでも理由をつけて、無線手席へと潜り込んだ。

「…明海さんはどうする…? 私の私闘に付き合う必要は…」

 大島明海は僅かに考え込み、そしてくわっと目を見開いた。

 

 

「いいや、ある! しおりんが友達を馬鹿にされて怒ったように、私もしおりんを馬鹿にされて許せる訳がないよっ!  絶対、けちょんけちょんにしてやるんだから!」

 ふんす、と鼻息も荒く装填手席へと潜り込んでいく大島明海の姿に、神無月しおりは小さく笑った。

 

 

 

 

 

 三/四号戦車と38tNAが練習エリアへと場所を移す。その間にも、戦車道に興味のある一般の生徒や、そして播磨女学園の戦車道メンバーが観覧席へと足を運んだ。

 そんな中、双葉葵は生徒会長としてこの私闘を見守る為に戦いの合図を知らせる為のシグナル拳銃を握っていた。手が震えている。何故だ。しおりちゃん達の技術なら早々負けるハズは無いのに。『恐ろしく嫌な予感が』する。

 

 

 …対して、三/四号戦車の中は冷え切っていた。物理的にではない。だが、背筋がぞっとするぐらい寒かった。その寒さの原因はひとえに神無月しおりの冷え切った怒りが満ち溢れていたからに他ならない。

 戦車に乗る前は、ただ怒っていただけだと思っていた仲間達だったが、それに気が付いた瞬間、神無月しおりからオーラの様な物を感じ取っていた。

 

 

「明海さん。初弾、榴弾。次発も榴弾」 予想だにしない指示に、明海は驚いた。

「中嶋さんは車載機銃で相手ドライバーのペリスコープを狙ってください。ドライバーの邪魔が出来ます。カレラさん。相手は斜めに動いてくると思いますが一発でしとめて。

 砲塔のペリスコープの間。車長らの視界を奪います。霧島さん、全力で突っ込んで。すれ違う寸前に180度ターン。方向は任せます。ブレーキを思い切りかけて、戦車を前屈さるぐらい確り減速させてください。

 戦車をターンさせた後、カレラさんは敵の履帯を破壊。三発目、明海さんは徹甲弾を装填。足を止めた所で主砲をへし折ります。最後の四発目、徹甲弾でケリをつけます」

 

 

 淡々とした指示だった。だが逆らいようの無い何かを感じさせた。まるでそう、少女達の体が神無月しおりの意志に取り込まれたかの様に。それは彼女の、神無月しおりの暗黒面とも言える所業であった。

「それじゃぁ、始めるよー」

 試合を知らせるシグナルフレアが空に放たれ、ポンッと間の抜けた花火の様な音が響く。

「パンツァーフォー。指示通りに動いて。敵、左に移動、砲塔左旋回、射撃用意…撃て。中嶋さん、指示通りに」

 

 

 合図と共に三/四号戦車は全速力で駆け出した。対して軽量な車体を生かして加速しようとする38tNAは速攻で出鼻を挫かれる事と成った。

 三/四号戦車の左側面に回り込むつもりが相手の車体機銃でドライバーの視界を邪魔され、その隙に的確な射撃で砲塔のペリスコープにヒビを入れられた。歪んだ視界では状況が把握できない。

「左旋回! 急いで!」

 

 

 鹿島舞がそう叫ぶが、既にもう遅い。180度ターンを終えて前屈する程にブレーキをかけた三/四号戦車の目の前には38tNAの履帯があった。狙いを殆ど修正する必要も無いぐらいに。

 神無月しおりの指示に北村カレラはゾッとした。そしてトリガーを引く。榴弾が放たれ、38tNAの履帯と車輪がやられた。少女にはまるで神無月しおりが預言者か何かの様にさえ思えた。

「相手の足は潰しました。次、徹甲弾。敵の砲塔側面に出て主砲を折ります」

 

 

「…あのさ、しおりん…やりすぎじゃ…ヒッ…!」

 大島明海は小さく悲鳴を零した。そこに居たのは神無月しおり等ではなく…本物の魔女であったから。怒りと同時に冷静さを兼ね備えた、恐ろしいオーラを放つ少女であったから。

「攻撃手段が残る以上、此方が負ける可能性はありますから…」

 観客が見守る瞬間、バキィンッ! と甲高い金属音が響いた。それは戦車の砲身が砲弾によってへし折られた事を意味した。

 ゴロンゴロン、と歪にひん曲がった砲身が地面に転がっていく。三/四号戦車の無線機に声が響いた。

 

 

『こんの…! 鬼! 悪魔! 人でなし!』

 鹿島舞の容赦の無い罵声に対して、神無月しおりは淡々と答えた。

「貴女が私の友達を侮辱するなら、私は喜んで悪魔になる。私は…ケダモノだから」

 その声を聞いた誰しもが恐ろしいと感じる程の冷たい声で神無月しおりは言い捨てる。そして…終演の砲声が轟いた。

 ドォンッ!と砲声が鳴り響く。側面からの無修正距離射撃が放たれるや否や、38tNAはドンガラガッシャン!! と派手に横転した。

 

 

 

 

 

 試合とも呼べぬ戦いが終った後、三/四号戦車に仲間達が近付いてきた。しかし、それは神無月しおりの勝利を祝い喜ぶ為の物ではなかった。皆、表情が何処か曇っていたり、険しかった。

「あのさぁ…えっと、私達の事を侮辱されて怒ったのは分かるけど…ちょっとやりすぎなんじゃない?」

 柿原セリカが恐る恐る、そう言って見せた。その言葉に東郷百合も続く。

「なんだか隊長ちゃんの戦い方、見てて怖かったよ。なんて言うか…そう! 悪い意味で全力だった」

 そしてバウムガルト・桜もまた、言葉を連ねた。

 

 

「一体全体、どうしたと言うのだ。何時もの心優しく、凛々しい隊長らしくもない…嫌に怖い、オーラを出してまで…」

「あ! 私も見た! まるで鬼火みたいな青いオーラ!」

「うちも見たで。なんかえらい怖いオーラを…」

 戦車道チームの皆が、口々に揃えて言う。青いオーラを見た。まるで鬼火の様だった、と…。それに対して神無月しおりは俯き、言葉を小さく発した。

「…ごめんなさい…ごめんなさい…私は…どうしても…皆を馬鹿にされたのが許せなくって…だから…ごめんなさい…」

 

 

 神無月しおりの言葉に、仲間達は黙りこくった。それ程までに、この少女は私達の為に怒り狂ったのか、と。たとえ相手を徹底的に捻じ伏せる程に、怒り狂っていたのかと。

 その間の事…

 …試合の最初から最後までの間、神無月しおりの容赦ない戦いぶりを見学しながら、無線を傍受していた双葉葵は身震いした。

 ついに見つけた。ついに見つけてしまった。見つけたくなかった最後のピースを。

 

 

 これが、神無月流か。これが常在戦場、大胆不敵、見敵必殺をモットーとする神無月流の真実か…!

  八島七瀬の言葉を思い出す。『己の身を一本の刀の様に研ぎ澄ませて、戦いの中に身を置く事しか出来ない』と。

 エリザベド・ガリマールの言葉を思い出す。『鬼火を纏った神無月の戦車には気を付けろ。睨む瞳は魔眼の瞳、食らい付かれれば無事では済まない』と…

 全ての言葉が、符合する。いや、符合してしまったと言わざるを得ない。

 

 

 神無月しおりが度々自分の事を化け物であるとか、ケダモノであると言った理由がこれかと、双葉葵は恐怖のあまり身震いした。

 神無月流…なんて恐ろしい流派だ。正真正銘、相手を捻じ伏せる戦い方を教え込まれた、戦車道の化け物を作り上げる流派か !と…

 

 

 

 

 その後、横転した38tNAの中から這い出してくる鹿取舞に対して、神無月しおりは今なお、ジッと冷たい目線で見つめていた。鹿取舞は申し訳なさそうな表情で、言葉を紡いだ。

「…悪かったわよ…貴女の友達、侮辱したりして…神無月流の事を差し引いても、貴女達は立派に強かったわ」

 悔しくも正直に謝罪と感想を述べた香取舞に対して、神無月しおりの怒りのオーラはすっと消えた。

「なら、良いの。…頭、怪我してる…」

 あれ程怒り狂っていた神無月しおりはそう言うと、香取舞の手を取り、戦車の中から助け出してやると、ハンカチで流血を拭いてあげた。

 

 

その様子を見て、鹿取舞は少し唖然としながらも、小さく笑った。

「本当、変ったのね貴女。もう昔の貴女じゃぁないわ」

「…そうかな…?」

「そうよ。昔の貴女だったら、自分のハンカチなんて使わなかった。味気の無い医療キットで済ませてた。

 まぁ…医療的には後者の方が正しいんでしょうけど。それでも貴女は変ったと言わざるを得ないわね…良かったわね。普通の女の子に近付く事が出来て」

 嫌味のない、優しい言葉だった。同時に、少し寂しげでもあった。

 

 

 

 ズタボロに破壊された38tNAを回収車のトラックに乗せて、少女達は学園艦を立ち去っていく。なんとも準備が良い。

 それとも鹿取舞は、少なからずやられる事を見越していたのだろうか?彼女は去り際に、神無月しおりと三/四号戦車のクルー達に可愛げのある捨て台詞を投げていった。

「今度会うときは、あなたの友人、全員連れて来なさいよ。待ってるから。私達のチームで全力でお相手してあげる」

「…勿論…その時が、来たら」

 神無月しおりがそう言うと、鹿取舞はクスリと笑い「出して頂戴」と言うと、回収車のトラックを走らせた。

 

 

 

 

 

 騒乱に塗れた午前は終わり、午後になった頃…その日の午後、各戦車の車長を担当する少女達は使われていない教室にヒッソリと集まっていた。

 朝の出来事に対して語り合う為に。神無月しおりの行動に対して語り合う為に。

「朝にも言いましたけど、隊長はん。幾らなんでもアレはやり過ぎやったと思うて…なぁ? オマケに自分の事、バケモノ言うてましたし…」

 久留間舞子が何処か困った様な、苦々しい表情で呟いた。

「私達を馬鹿にされて怒る気持ちは分かりますけれども…バケモノって言えば、あの戦いぶりは鬼気迫る戦いぶりでした」

 

 

 五十鈴佳奈も同様に、困った様に呟いた。とてもではないが、普段の神無月しおりとは思えなかった。

「最早殺戮だ。あれでは武道ではない。道を外れてしまっている。まるでオーガだ…アレではな」

 バウムガルト・桜は憤慨する様に呟いた。確かに自分達を思っての行動だと理解は出来たのだが。

「あんまりにも、あんまりだよねぇ…特に最後なんて、鬼畜の所業だったじゃん?」

 

 

 東郷百合が心配そうに呟いた。神無月しおりの行いは、レース活動で言えば他のライバルを物理的に容赦なく蹴落としたに等しい。横転した38tNAを見て、ミニバイクでレースを行っていた東郷百合にはそう感じられた。

「それともう一つ」

 柿原セリカが手を上げて少女らの視線を集める。

 

 

「改めて言うが、何か…フィクションで言う所の、鬼火の様な物が三/四号から見えて無かったか?」

「あ! 私も!」

「私も見た! ゆらゆら~って漂ってるの!」

 東郷百合と五十鈴佳奈も同意した。

「鬼火と言うか、オーラと言うべきか…」

 バウムガルト・桜は考え込むように呟いた。

「あの鬼火、何かしおりさんと関係ある気がするんですよね…」

 

 

 五十鈴佳奈は自信なさそうに、そう呟いた。

「容赦の無い戦い方と?」

「多分…」

 バウムガルト・桜の問いかけに五十鈴佳奈は根拠のない返事を零した。結局の所、少女達の考察は、推測の域を出なかった。ただ分かる事は「何時もの神無月しおりでは無かった」と言う事。

 不慣れな『普通の少女』としての生活におどおどとしていて、まるで何処かのお姫様かと思わせる容姿でありながら、一度戦車に乗るとハキハキと指示を出す、あの凛々しくも何処か抜けていて可愛げのある少女では無かった。と言う事であった。

 

 

 

 

 

 

 波乱と困惑に満ちた一日を終えたその翌日。神無月しおりと大島明海は街へと出かけていた。大島明海は理由は語らずに友人をショッピングへと誘ったが、彼女が少しでも普通の女の子に近付いてくれれば良いなと思っての事だった。

 …そう。今思い出しても背筋に悪寒が走る。ぞっとするぐらい怖かったのだ。神無月しおりの出す冷たいオーラが。

 

 

 きっと、あの時一緒に三/四号戦車に搭乗した皆もそう思っているハズである。まるでそれは、神無月しおりを含めて搭乗員全員が機械の、戦車の一部にされてしまったかの様な、異様な支配力があった。

 そんな事が、普通の女の子にあって良い訳がない。そして忘れさせてあげたいと大島明海は思ったのだ。ショッピングモールを渡り歩き、ウィンドウショッピングを楽しむ大島明海と、彼女に手を引かれる神無月しおり。

 

 

 服飾店に入り、店員と大島明海によって服装をコーディネートされれば、どんな服もよく似合った。一足早い夏のワンピース服も、ゴシック服も、ふんわりとしたジャンパースカートに、ジーンズにジャケットと言うラフな格好もよく似合った。

「あーもー、しおりん素材が良いから何着ても似合うー! どれにしよぉ!?」

「ふぇ…もう、疲れた…」

 

 

 着せ替え人形の如く、とっかえひっかえ衣服を着替えさせられ、神無月しおりは疲れ果てた。

「よし! これもいってみよー! フェミニンな感じの奴!」

「もうやだ…助けて…」

「だーめー! これも『女の子のお洒落道』、だよ!」

「うぅ…」

 普通の女の子とはこんなにも苦労する物なのか、と神無月しおりは心の中で少しゲッソリとした。

 

 大島明海の事は好いているが、北村カレラや霧島蓉子の様な、気を使わなくて良い相手の方が楽だとしみじみと思った。

 そして神無月しおりは思いもしなかっただろう。服装を決め終わったら今度はアクセサリーを決める時間が待っていた、と。

 

 

 

 結局の所、神無月しおりのヒラヒラしたスカートやレースの付いた豪奢な服には抵抗感と恥かしさが有った為、無難なツーピースの服装や、ゆったりとしたワンピースに決まった。

 それだけでも十分に何処かのお嬢様の様に見えた。そして恥かしいと思う神無月しおりの感情はある意味少女らしくもあったが、同時に戦う事しか出来ない彼女に対して僅かな悲しさを大島明海に感じさせた。

 

 

 買い物の最中、お手洗いをしたいと言う事で、神無月しおりは大島明海と別れた。個室で一息の休息を取る。普通の女の子になるのは、とても大変な事なのだなぁ…等と何処か達観めいた事を考えていた。

 お手洗いから戻ってきた神無月しおりだったが、はて、近くに居た筈の大島明海の姿が無い。何処へ行ったのだろうかと辺りを見渡すと、少し離れた所で大島明海が見知らぬ二人の少女に絡まれているのを見つけた。

 

 

「だから、嫌だってば! 一緒に遊びに来た子が居るんです!」

「良いじゃん良いじゃん。その子も誘ってアタイらと遊ぼうよ」

「きっと楽しい時間になるよぉ。ケヒヒッ」

「嫌だって言ってるじゃない!」

 見るからに不良少女だと神無月しおりは理解した。そして駆け出す。すいすいと道行く人をすり抜けて。

 

 

「しおりん!」

「おっ! すげぇベッピンじゃん! うわっ!?」

 神無月しおりは咄嗟に大島明海の手を掴んでいない相手に足払いを仕掛けた。そして驚いた隙に大島明海の手を離したもう一人の不良少女に対して一本背負いで投げ飛ばした。神無月しおりの素早い行動に周囲は騒然となる。不良少女達は呻きながら立ち上がってきた。

 

 

「痛てて…こんの、クソアマがぁ!」

「調子に乗って付け上がりやがって!」

 まさに絵に描いた様な不良だと言わんばかりに、二人の少女はバリソンナイフを取り出し、神無月しおりと応戦しようとした。

 だが、それよりも早く、神無月しおりは腰に吊るしていたホルスターからモーゼルM712を抜きかけた。しかし彼女がモーゼルM712を抜くのを途中で辞めたのは、不良少女を咎める、よくとおる良い声が聞こえてきたからである。

 

 

「こらぁー!! あんた達ー!」

「げっ。『委員長さま』だ、逃げろ逃げろ」

「へっ! 命拾いしたな! お前ら! あばよっ」

 まるで絵に描いた様な捨て台詞を吐きながら、二人の不良少女は立ち去って行った。

 突然の出来事にポカンとしながらも、金髪をポニーテールに纏めて、そばかすが可愛らしい少女が走って駆け寄る。

 

 

「危ない所だったわねぇ。そしてごめんなさい! ウチの航空科はヤクザな子が多くって…本当にゴメン!」

 頭を下げながら謝る少女に困惑しながらも、神無月しおりはモーゼルM712のグリップを手放せないでいた。それは警戒が解けないからではなく、一度握ってしまったが故に、危険と言うシグナルから来る緊張が解れないのだ。それに気が付いた少女は努めて優しく言葉をかけた。

 

 

「ああ、だめだめ! そんな危ない物しまって! 幾ら自衛の為だからって、発砲したら警察が飛んできちゃうわ! ね? はい、ゆーっくり、ゆーっくり。もう大丈夫だから。悪い不良はお姉さんが追い払ったから。ね…?」

 優しい説得の言葉に、神無月しおりはゆっくりとモーゼルM712のグリップから手を離し、ホルスターに収めた。

 

 その様子を見て、大島明海と見知らぬ少女はホッと胸を撫でおろした。

「て言うかしおりん、なーんかごっつい皮で出来た小さなバックをベルトに通してるなーって思ったら、護身用拳銃持ってきてたの?! びっくりしたー」

「そうそう。こんな市街地で発砲したら大騒ぎ間違いなしよ? それにしても良かった。貴女がいい人で。丁度お昼時よね? 迷惑かけちゃったお詫びにお昼を奢るわ。そこのハンバーガー屋で良い? 美味しいわよ」

 

 

「あっ…すいません。ご馳走になります」

「…なります」

 ぺこりと会釈する大島明海に神無月しおりはそれに倣った。

「ふふっ。お嬢様の方は口下手なのかしら? 可愛いけど。ささ。レッツゴー!」

 

 

 

 

 

 そして二人は少女に促されるままにハンバーガー屋へと入っていった。学園艦の中に入っているハンバーガー屋とは雰囲気が全然違うのだなぁ…と神無月しおりは思った。

 学園艦の中のハンバーガー屋は落ち着いた雰囲気の店だったが、この店は俗に言うアメリカンな雰囲気の溢れる場所であった。神無月しおりの言葉を借りれば、ワイルドな店、であろう。

 

 

「先ず、改めてごめんなさい! 後であの子達はコッテリと叱っておくから。そりゃもう嫌って言うぐらいお仕置きしとくから! 本当に貴女達に怪我が無くてよかったわぁ。あと連れて行かれなかったのも。ウチの学園の性質の悪い子なんて、人の居ない所に連れ込んではそりゃもう言葉に出来ない事をするんだから…」

 

 

 やれやれ、とばかりに少女は語る。学園艦によってその風紀は様々なんだ。と大島明海はしみじみと思った。そうこうして居る内に、ハンバーガーとポテトとジュースのセットがやってきた。値段の割にビッグなサイズに神無月しおりは少し驚いた。

「ほらほら。熱々のウチに召し上がれ♪ 此処、ウチの学園艦が出資してるお店なのよ。気に入って貰えると嬉しいのだけど」

 

 

「はぁい。頂きます」

「Mahlzeit.(頂きます)」

「あら、ドイツ語? ますますお嬢様みたいね! 可愛い」

「何このハンバーガー、美味しいっ! そういえばしおりん、時々ドイツ語使うよねー。前に居てた学校の影響? ってあぁ、ほっぺたにケチャップ付いてる。んもう、ドジっ子さんだなぁしおりんったら」

 そう言いながら大島明海は神無月しおりの頬についたケチャップを紙ナプキンで拭いてあげた。

 

 

「…Lecker (美味しい)」

「はい? レッカー? レッカーってレッカー車の事?」

「…違う。美味しいって意味」

「ほえー。なるほどー。ドイツ語ってこう、難しい! ってイメージあるけど、簡単な単語もあるのねぇ」

 等と、二人のほのぼのとしたやりとりを眺めていて、ウンウンと幸せそうにポテトを摘まんでいた少女はふとした事に気が付いた。

「ああそうだ! 名前、名乗ってなかったわよね。ジェーン・フォードよ。気軽に呼んでね」

 

 

「大島明海! 宜しくねジェーン」

「……神無月しおり。宜しく」

 その名前を聞いた途端、目の前の少女はガタッと椅子から立ち上がり、驚いた表情で神無月しおりを見つめた。

「貴女が、あの播磨の魔女の!? 噂は聞いてるわ! 色んな学校と戦って、勝ち続けてるって! 会えて嬉しい! ね、ね。握手しましょ、握手!」

「え、あ、ぅ…えっと、はい…」

「きゃぁああ! もう今日は何かしら。女神様の思し召しかしらね!?」

 

 

 握手を交わすとジェーン・フォードは嬉しさのあまりブンブンと手を振った。そのパワフルな行動に神無月しおりはタジタジであった。

 「戦車道新聞とか、雑誌で何度も見かけたけど、やっぱり写真よりも何倍も可愛いわね貴女! 今日はおめかしして、そちらの彼女とデート? いいわねぇ…青春してて」

 ジェーン・フォードはほっこりと呟く。同時に、羨ましいなぁとばかりに。「私にも素敵な彼女が居たらなぁ…」とボヤいて。

 

 

「そうだ! こうして出会ったのも何かの縁だから、戦車戦しない? ウチの学園艦も戦車を持ってるの! 日取りは貴女の所の会長さんと調整するから! ね? ね?」

 ジェーン・フォードの言葉に、神無月しおりは暫くの間、うーんと悩んだ。人当たりも良いし、見るからに優しい人だ。大島明海と何処か似た様な空気を感じる。それにガラの悪い不良も追い払ってくれた。変な戦いを仕掛けてきたりはしないだろうと思い、そして…

「…ウチの会長がイエスと言うなら」

 

 

 神無月しおりは、ジェーン・フォードからの提案を飲んだ。その言葉を聞いて彼女は感涙、とばかりに目を潤ませ、喜びを露にする。

「サンキュー! 本当にありがとう!」

 ジェーン・フォードは立ち上がるとテーブル越しに神無月しおりを思い切りハグした。大島明海はジェーン・フォードの服が汚れないようにと咄嗟にハンバーガー達をテーブルの横に逃がした。神無月しおりは顔に当たる柔らかな食感に既視感を覚える。…嗚呼、この感覚は東郷百合に出会ったその日にハグされた時だ、と彼女は思い出した。

 

 

 

 

 

 やがて、港町が夕日に染まる頃、神無月しおりと大島明海は、ジェーン・フォードと別れた。それぞれの学園艦へと帰る為に。

「良い子だったね。ジェーンさん」

「うん…明美さんみたいだった」

「えーっ。私あんなにアグレッシブでパワフルじゃないよぉ?」

「…ふふっ」

 大島明海の言葉に神無月しおりは小さく笑った。

 

 

 彼女の頭の中では言葉で上手く説明出来ないが、似た者同士はお互いの似ている所を理解できないのだ、と言う事にくすくすと笑った。

「もー。しおりんったら笑っちゃって…ま。それはさておき。それじゃあ帰ろっか。私達の学園艦に」

「うん…帰ろう。私達の学園艦(帰る場所)に」

 二人は夕暮れの港町を歩いていく。ゆっくりと、その日一日の出来事をかみしめる様に。新たな出会いに対して小さな高揚感を感じながら。遠くて近くに見える、大きな学園艦を目指して。

 

 

 

 

 

 

 日々は流れ、初夏の風の心地いい日々がすっかりと鬱陶しい梅雨の雨の記憶を忘れさせてくれる頃。カーチスライト学園との非正規戦車道の試合が無事に組まれた。そしてその日の戦車道の訓練を終えて帰宅した神無月しおりはパソコンを起動させた。

 最低限の使い方は知っていた物の、取り扱いが不安だった彼女はメカに詳しい中島奏にレクチャーを頼んだ。神無月しおりは目的のソフトウェアを起動させる。それはメッセンジャーソフトであった。

 

 

 しおり:『カーチスライト学園を誰かご存知ですか』

 神無月しおりはカタカタとキーボードを打ち込む。何処となく映画で見たタイプライタを彷彿とさせて、小気味が良かった。暫くして画面を見てみると返信が帰ってきていた。

 サーシャ:『カーチスライト? 聞いたことないわね』

 エリザベド:『残念ながらあたくしも。マリー? 貴女は聞いた事がありまして?』

 

 

 神無月しおりは考える。それ程までにマイナーな学園なのだろうかと。もしかしたら、あの色んな意味で巨大な事で有名なサンダース大学付属高校が有名すぎるだけなのだろうかと。そして再び返信が帰ってきた。

 マリー:『噂に少しだけ。面白い戦車を集めてるんですって』

 エリザベド:『アメリカの主力戦車ってよくも悪くもM4ばかりでしょう? 何を出してくるやら…』

 

 

 エリザベド・ガリマールの言葉も尤もだ。量産型戦車としてはあまりにも生産性と性能のバランスが取れており、また多数の派生戦車を生み出して、改良に次ぐ改良の結果、他国の様に様々な戦車を開発する事が無かったぐらいの名戦車、M4シャーマン。勿論、決してシャーマンだけで嘗てのアメリカは戦争に勝とうと思った訳では無い。幾つもの試作戦車や、より強力なパーシングと言った存在もあるのだから。神無月しおりは暫し悩んだが、戦ってみるまでどうにもならない。と結論づけた。

 

 

 しおり:『皆さん、情報提供ありがとうございます』

 サーシャ:『今度の試合、皆で見に行きますからね。ご健闘を』

 エリザベド:『貴女の戦い、楽しみに待っていてよ!』

 マリー:『エリザベド? 興奮して紅茶を零さないでね?』

 エリザベド:『なっ…! それは秘密にして下さいましと言ったでしょう?』

 少女達の他愛もないやりとりに、神無月しおりはくすりと笑った。そして最後の文章を打ち込む。

 

 

しおり:『それでは、おやすみなさい…Gute Nacht 』

マリー:『グッナイ。良い夜を』

エリザベド:『Bonne nuit!』

サーシャ:『Спокойной ночи (おやすみなさい)』

 そして少女達は眠りに就いた。これからの未来に起きる出来事に小さくドキドキしながら。

 

 

 

 

 やがて、試合の予定日がやってきた。何時もの様に列車に戦車を載せて、何時もの様に少女達は特別編成の汽車に揺られる。仮眠を経て、窓から朝日を浴び、朝食を摂ってはパンツァージャケットに着替える。最早日常の一部と化した行動だった。

 戦車を列車から下ろし、会場までの道をゆっくりと走る。神無月しおりは知らず知らずの内に、この会場までゆっくりと走る時間が好きになっていた。すれ違う人々に、小さく手を振って。それは心境の変化なのかもしれない。

 

 

 そして試合会場の運営本部拠点に到着した。

「全車両、一列横隊にて駐車。駐車完了後、各車両は戦車の最終確認をお願いします。整備担当の方々に任せきりにならないように」

 9両の戦車達が、微塵の乱れもなく整列する。観客は物珍しさや楽しさでカメラで撮影したり、写真を撮ったりしていた。そんな最中、近付いてくる人影があった。

「シオリー! 会いたかったわー!」

「ひゃっ!? …その声は、もしかして…ジェーンさん?」

 

 

 突然の背中からのハグに驚きながらも、神無月しおりは聞き覚えのある声に応えた。

「大正解ー! えへへー今日の試合、楽しみにしてたわよ」

「それは、どうも…」

「あれ? もしかして乗り気じゃない? それともお姉さん迷惑だった…?」

「いえ、あの、違うくて…」

「ジェーンさんジェーンさん! しおりん口下手なの! ゆっくり話してあげて!」

 

 

 砲弾の最終確認を行っていた大島明海は三/四号戦車からそう叫んだ。そしてジェーン・フォードは頷き返す。

「それで、どうだった?」

 彼女は優しく、短く、ゆっくりと神無月しおりに語り掛けた。まるで聖母の如く。

「…楽しみに、してました。面白い戦車を…持ってるって聞いて…」

「そっか! そう言って貰えて何よりだわ! 戦車のチェックが終わったら、私達のパドックに着て頂戴な。軽食とドリンク、振舞ってあげるから!」

 

 

 そう言って、ジェーン・フォードが立ち去ろうとするや否や、ギョッとした表情でとある戦車を見つめた。

「T69E3!? 何でこんなレア物駆逐戦車がある訳!? それも三両も!! キャーッ!!」

 最終整備を行っていた整備員と戦車クルーは抱き着いてくるジェーン・フォードにとても吃驚した。双葉葵は彼女の行動にタハハ…と苦笑する。よもやこのマイナーで良く分からない駆逐戦車をこんなにも愛してやまない人物が居るとは、と。

 

 

「えーっと、喜んでる所悪いんやけどジェーンちゃん? いちおー最終整備してる最中やからさー…危ないよ?」

 双葉葵の言葉にジェーン・フォードはハッとなってオリーブドラブ色の装甲に頬擦りするのを止めた。

「ごめんなさい! つい、ね? つい中々見かけない戦車だったから興奮しちゃって。嗚呼…欲しい位だわ…」

 熱の篭った視線でT69E3を見つめる視線に、双葉葵の苦笑は止まらない。

 

 

「悪いけど、こー見えてもウチの主力の一角を担う大事な戦車やからね~。それにトレードしようって言われても困るし。あたしもこの戦車に愛着持っちゃってるんでねぇ」

 そう言いながら、双葉葵はとんとん、と戦車の装甲を撫でた。もう既に何度も一緒になって死線を潜り抜けてきたのだ。今更手放すなんて、出来やしないのだ。この戦車は大切な『戦友』なのだから。

 

 

「良いの良いの! 見れただけで幸せだから! 本当サンクス! 今日の試合を組んでくれて! それじゃぁまた後でね!」

「はいよぉー」

 斯くして両校の隊長、副隊長は相まみえた。しかし、その裏で…

 

 

 

 

 

 

「コマンダンテ。一つ話があるのだが…」

 神無月しおりの元に、バウムガルト・桜がやってきた。はて、何事だろうと小さく首を傾げる。

「先日の事だ。あの恐ろしい戦いぶり…あれのお蔭で皆が不信がっている。コマンダンテが『道』を外れたのでは無いかと…」

 そう語るバウムガルト・桜は何処か心苦しそうでもあったし、同時に心配そうでもあった。そして答えを待った。

「…私は、あんな戦いを、しないよ…」

 

 

 俯き、神無月しおりはそう答えた。

「『アレ』は私の『道』じゃない…アレは『神無月流』の『道』だから…でも、あの時はどうしても許せなくて…」

 震えた声で語る神無月しおり。それは恐怖している様でもあった。

「あんな戦い方…! したくなった…! だけど、だけど…! 私の血がそうさせた…! 神無月の教えが『叩き潰せ』と私の体に命じた…! 嫌で嫌で仕方が無いのに…! 逃げられたと思ってたのに、逃げられない…!」

「コマンダンテ…」

 

 

 ボロボロと涙を零す神無月しおりを、バウムガルト・桜はそっと抱きしめた。

「つまり、本意では無いのだな…?」

 神無月しおりは、静かに頷いた。抱きしめられた腕の中で。

「もっと教えておくれ。コマンダンテ。『アレ』は如何して起きてしまったんだ…?」

 優しく、バウムガルト・桜は問いかけた。そっと神無月しおりの背中を撫でながら。

「…怒りに、心が染まった時…戦えと脅迫された時…『アレ』は起きる…」

「…そうか…よく分かった…」

 

 

 バウムガルト・桜は神無月しおりを抱きしめていた腕を、そっと開放した。そして微笑む。

「やはりコマンダンテはコマンダンテだ。優しいお人だ。優しさの余り、オーガになってしまう位に、な…」

「…オーガ…」

「話は付いた。私から皆に語っておこう。あの暴虐は不本意であったと。神無月の教えがそうさせたのだと」

「だったら、尚更…私が…」

 不意に、神無月しおりは涙の滲む目尻をハンカチで拭かれた。

「貴女は口下手だろう。コマンダンテ。それに、貴女は我らが播磨女学園の戦車道チームの隊長だ。パドックに呼ばれて居ただろう? 行ってきたまえ」

 

 

「Ja…(はい)」

「宜しい」

 そしてバウムガルト・桜は神無月しおりを送り出していった…その後、少しして…

「聞いていただろう。お前達」

 ガサガサと茂みをかき分ける音が聞こえ、のそのそと4人の戦車長たちが現れた。

「全く、盗み聞きとはふしだらな。私が話を聞いてくると言ったではないか」

「でーもぉー! やっぱ気に成るじゃーん!」

 東郷百合がぶーぶーと不満の声を上げた。それに久留間舞子が続く。

 

 

「しおりはんの事、どないしても気に成ったさかい。ねぇ…?」

「にしても、神無月の教えねぇ…神無月流ってそんなにおっかない流派なワケ?」

 柿原セリカが頭をボリボリとかきながら疑問を口にした。それに五十鈴佳奈が答える。

「おっかないらしいですよ。軽く調べましたけども。正に先日、しおりさんがやらかした『アレ』みたいに」

「だが、彼女はソレを嫌がった。彼女はそれを否定したがっていた。逃げ出したいとまで言っていた」

 

 

 バウムガルト・桜が全員に言い聞かせる様に、ゆっくりと、しかしハッキリと言った。

「我らがコマンダンテはロクデナシの破壊神では無いと言う事だ。だが怒りに我を忘れた時、彼女は豹変する。だがそれは彼女の大切な『道』を違わせる事だ。それだけは決して在っては成らない。彼女が望む『道』が『我々と歩む道』である限り、私は彼女を守りたいと思う」

「最初から神無月と付き合いのあるあたし達三人はよぉく知ってるよ。神無月の『戦車道』はとても優しくて、だけども毅然とした、綺麗な戦車道だって」

 

 

「えぇ。本当。練習の内容だって、確りとした理由を立てて、実践してみせて、私達を此処まで導いてくれました」

「そうどすなぁ。しおりはん、ほんまに優しかったわぁ…」

「とどのつまりだ」

 バウムガルト・桜は言葉を締めようとする。

「我々のコマンダンテは、信用に値すると言う訳だ。そして私は願う。優しい彼女の『道』を、他の誰にも決して違えさせないと」

 

 

「そしてアレだろ? 怒りに我を忘れそうになった時、手を差し伸べてやる」

 柿原セリカが照れ臭そうに言った。

「優しいあの子を守ってやらんとねぇ。ねぇ? 五十鈴はん」

「えぇ。私達は彼女に此処まで導いて貰った。そして私達にも『道』を見出させてくれた。楽しい『戦車道』を」

「つーまーりー。隊長ちゃんの事を信じて背中預けて暴れてくれば良いってワケだ! あ、勿論隊長ちゃんの指示通りにね?」

 東郷百合の雑な発言に、皆はワハハと笑った。

 

 

「さて…そろそろ行こうか。我々もパドックに」

「喉渇いたー」

「小腹も空いたねぇ…」

「サンドイッチでもあるとええどすなぁ」

「あたし、フライドポテト食べたい」

「あんまり食べ過ぎて吐かないで下さいよ? クロムウェルは足が速いんですから」

「うっせぇ! 自分の胃袋ぐらいちゃんと管理出来るってーの!」

「うふふふ…」

「舞子、その含み笑い止めろよー。もう」

 少女達は談話を交わしながら、パドックへと歩いていった。

 

 

 

 

 一方その頃、パドックでは…一足先に着いた三/四号戦車のクルーと、双葉葵が辺りを見て回っていた。播磨女学園の女生徒達が出店を開く様に、カーチスライト学園の少女達もまた、出店を開いていた。

 出来立てを売りにするポップコーン。果汁100%のジュースや炭酸飲料。ホクホクのフライドポテトに、物珍しい物ではステーキを売りに出していた。

 

 

 それもワニ肉を使ったステーキを。物珍しさと意外と美味しいとの事で、列が出来る程だった。

 そして駐車場スペースには6両の戦車が並べられていた。中嶋奏にとってはこちらの方が目を引く存在だったであろう。何故なら全てが個性的であったから。それもそのハズ。6両の戦車はM4シャーマンでありながら、一つたりとて同じでは無かったから。

 

 

「わぁ! 鋳造車体! それに前面機銃の付いた試作型の車体まで! 溶接車体は勿論の事、初期型サスペンションのVVSSから

 改良型のHVSSサスペンション! それに…トーションバーサスペンションの試作品! もうシャーマン展示会ですね! 

 …でもなんで、てんでバラバラなんでしょう? それに全部105mm榴弾砲装備ですねぇ…」

「それはね! M4の拡張性と私達なりの個性を出したかったからよ!」

「ひゃわっ!」

 

 

 突然後ろから話しかけられた中嶋奏は驚いたが、声の主、ジェーン・フォードは至って楽しげだった。

「M4って色々と種類があるけれども、皆それぞれ普通のままじゃない? だから面白みに欠けるなーって思って、M4の拡張性を生かして改造してみた訳! 実際個性的で面白いでしょ? それにしても貴女、凄いメカ知識ね! ウチの学校に見学に来ない?」

「あはは…それ程でも無いですよぅ」

 

 

 中嶋奏に負けない程のジェーン・フォードの語りぶりに少女はたじたじに成りながらも、カーチスライト学園を見学するのも少し面白そうだなぁ…と考えていた。

「あのう…実は私、フィアット500に乗ってまして」

「チンクエチェント! 可愛い車よね! で…それがどうかしたの?」

 はてさてどうかしたのか? とばかりにジェーン・フォードは首を傾げた

 

 

「実はボディとシャーシの一部が錆びて腐っちゃって…私の学校の工業科の皆さんや工場を経営してるおじ様達は私達の戦車の整備に手を割いてくれていて、正直な所、修理をお願いするのが申し訳ないと言うか何と言うか…それにボディがボロボロのフィアットが可哀想で…」

 中嶋奏は正直に自分の愛車の状況を説明した。そのいじらしさと愛車を思う気持ちにジェーン・フォードはOh…と声を漏らした。そして彼女は中嶋奏の手を強く握る。

 

 

「是非ウチの学園艦にお邪魔して頂戴! 貴女のフィアット、ピッカピカの新車同然に仕上げてあげるから! 勿論ちょっぴりお金は貰うけど、ローン組んで良いし、金利なんて取らないわよ!」

「わぁ! 本当ですか!? 有難う御座います!」

「もっちろん! ウチの学園艦は車が大好きな子、一杯居るからね!」

 友人と、対戦校の隊長の微笑ましいそんなやり取りを眺めながら

 神無月しおりは無料で提供されたオレンジジュースを片手に、クラブハウスサンドイッチをゆっくりと咀嚼していた。

 

 

 色んな具が挟まれていて、表面を炙られていて美味しい。と少女は思った。サンドイッチを好んで作る神無月しおりは「こう言うサンドイッチもあるのか」と少し感心していた。

「しおりん、美味しい?」

同じくクラブハウスサンドイッチを食べながら微炭酸飲料を飲んでいた大島明海は少女に問いかけた。

「うん…美味しい…自分でも、作ってみたい」

「そっか、そっか!」

 

 

 神無月しおりの好印象に対して、大島明海はただただ嬉しそうだった。時を同じくして、クラブハウスサンドイッチをペロリとたいらげ、辺りを見学していた北村カレラの背中に声をかける存在があった。

「カレラ? カレラじゃない!」

 自らの名前を呼ぶ声に、北村カレラは驚きの表情で振り返った。

「エレノア! エレノア・クライスラーじゃないか! まさかこんな所で再会するなんて!」

「それはこっちの台詞よ! 元気にしてた? 随分と貴女、背が伸びたのね?」

「そう言う君は随分と可愛らしくなったじゃないか」

 

 

「もう! そうやって人を口説く癖は相変わらずなんだから」

 憤慨するような、しかし何処か懐かしむ様な声でエレノア・クライスラーは小さく笑った。

「北村さん、その子はどちら様?」

 大島明海は何やら楽しげに談笑する友人に素直に問いかけた。神無月しおりは相変わらずゆっくりとクラブハウスサンドイッチを咀嚼していた。

「ああ。中学生の頃の友人兼ライバルって奴でね。射撃大会で競い合った仲だよ。お互いに勝った負けたの繰り返しでね。良い思い出さ…」

 

 

「最後は貴女が勝利をもぎ取っていったじゃないの! あれには凄く悔しかったわ!」

「殆ど僅差だったろう? 私だって凄くハラハラしたんだから」

「それでも、勝利は勝利だわ。今日の戦車戦、必ず勝ってみせるんだから。楽しみにしててね!」

 にしし、とばかりに笑って「バァイ!」と去っていく少女に、北村カレラは手を振って見送った。

 

 

「やー…射撃部の特待生だって聞いてたけど、北村さんにこんな過去があったなんてねぇ…意外だわぁ」

「まぁ。色々あったのさ。色々と、ね…彼女に付き合ってくれと告白した事もあった」

「えぇっ!?」

 北村カレラの爆弾発言に大島明海は大変驚いた。少女同士が告白したからではなく、中学生と言う身空でありながら告白したと言う事に驚いたのだ。

 神無月しおりはキョトンとしながらジュースを啜っていた。

 

 

「まぁ、フラれちゃったけどね。『とても嬉しいけれど、貴女の気持ちには応えられない』って言われて」

「はぁ~…人生って何があるか分からないわぁ」

大島明海の言葉に、北村カレラはアハハと苦笑を零した。そうこうしている内に、播磨女学園のチームメイトも揃い、カーチスライト学園のパドックでは楽しげな歓談が行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 フィールドは、のどかな平原だった。所々に大きな藪と、古い建物が点在する場所だった。神無月しおりは昔見たヴィレル・ボカージュの様だな…と思っていた。藪からの不意打ちに気をつけたいと思いながら、改めて戦略を頭の中で修正し、練り直す。

 そうしている内に、間の抜けた花火の様なポンッと言う音が響き、白い煙が上がった。試合開始の合図である。今日の試合は殲滅戦であった。

 

 

「皆さん聞いてください。ソミュア、T-34、クロムウェルの三両を使って三方向に向けて偵察に出て貰います。相手の戦力はM4シャーマンの105mmが6両。

 残りの3両は未知数です。皆さん気をつけて行動して下さい。シャーマンファイアフライや76mmの長砲身シャーマンが出てくる可能性もあります。

 本隊は二列縦隊にて左右を警戒しながら前進。それでは、パンツァーフォー」

『了解!』

 

 

 元気の良い、何時もの返事が無線機に響く。神無月しおりは内心ホッとした。自分の思いが無事に皆に伝わった様で。…自分が嫌われたりしていない様で。

 播磨女学園戦車隊の本隊がゆっくりと前進する中、ソミュア、T-34、クロムウェルは藪やデコボコ道を抜けて偵察に回っていた。時折停車し、双眼鏡を使い周囲を見渡す。しかしどうして中々、敵の姿が見当たらない。どうした物だろうか。

 

 

「こちら、ソミュアの久留間どす。困った事に敵はんの姿は見えまへんなあ…いや、いてはった! 壊れかけた教会の中に3両! 種類は…暗おしてちょいとわかりまへんなあ…堪忍ねぇ」

『こちらT-34の五十鈴。此方も同じくね。敵影は無いわ』

 偵察班からの知らせに神無月しおりは眉を顰めた。

 

 

敵は一体何処に隠れているのか? 隠れている車両の正体とは? そしてまだ、柿原セリカからの連絡が無い。一番の快速を誇るクロムウェルに期待する他無いのだろうかと、少女が不安に駆られた瞬間、無線機が鳴った。

『此方クロムウェルの柿原! 本隊ヤバイぞ! 早く何かに隠れろ!』

 切羽詰った声が聞こえた。果たして彼女が見た物とは…?

 

 

 

 

 ……時間は僅かに巻き戻り、場所を移して……

 クロムウェルはその快速と小柄な車体を生かして藪の影に隠れながら全速力で突っ走っていた。エンジンは快調。柿原セリカはキューポラから身を乗り出して周囲を警戒しながら索敵行動を取っていた。装填手の串良漣は心配そうに呟く。

「セリカちゃん。真面目に索敵するのも良いけど、戦車から振り落とされたり怪我しないでよ? 前みたいに頭ぶつけて流血騒ぎなんてゴメンだからね?」

 

 

「心配するなって。だからこうしてちゃんとベルトフックで体を支えてるだろ?」

「それで逆に大怪我されたら堪った物じゃ無いけど…ふぅ」

 串良漣がやれやれとばかりに呟いた瞬間、柿原セリカは叫んだ。

「居たぞ! 左10時の方向! エンジン停止! あたしが見てくる。小型無線機貸して!」

「はいはーい。気をつけてね」

 

 

 柿原セリカは藪に隠れながらそっと相手の様子を伺った。数は6両。間違いない。パドックで見かけたM4シャーマンだ。だけど違う点も見受けられた。それは砲塔上部に設けられた箱型の物体で…M4シャーマンは砲塔を旋回させるとその野太い砲身を高々と掲げた。柿原セリカは直感で理解する。そしてその場を脱しながら無線機に叫んだ。

「此方クロムウェルの柿原! 本隊ヤバイぞ! 早く何かに隠れろ!」

 そしてその直後、柿原セリカの悪い予感は的中した。耳を劈く砲声の音と、次々に放たれる、強烈なロケット花火にも似た噴射音を。

 

 

 

 

 

「全車! 散開して前方の家屋の影に隠れて下さい! 何かが来ます!」

 エンジンが唸りをあげて戦車は加速する。危険を承知で神無月しおりは僅かにキューポラから頭を覗かせて空を見上げた。

「ロケットランチャー!? なんでそんな物が…! パドックに居た時は何も付けてなかったのに」

「多分、フィールドの中に隠していたんじゃないか? 小道具や仕掛けを用意しても良いのは正規の戦車道と同じだしな」

 

 

 霧島蓉子は淡々と語りながら、家屋の側面に三/四号戦車を滑り込ませた。遂にはヒュルルル…と飛翔物の落下してくる音が響いてきた。

「敵弾、来ます! 全車衝撃に備えて!」

 言うや否や、砲弾とロケット弾の雨が殆ど正確に降り注いできた。こんな攻撃は流石の神無月しおりでも初めての経験である。地面と戦車が揺さぶられ、まるで皆と見た映画の火山の噴火の様だとさえ思った。今はただ、耐えるしかない。

「しおりさん! 相手の情報が分かりました! 柿原さんが送ってきてくれた写真、T40ロケットランチャーです!」

 

 

「あんなに大きいのを、6両分も!?」

 道理でこの弾幕の雨が降り続けるのも納得であった。

『こちら柿原! 砲撃に紛れてM4シャーマンを2両食った! だけども発見されたから一旦逃げるぞ!』

「ありがとう御座います! この隙に体勢を立て直します!」

『了解! ああくそっ! 105mm砲怖えぇ!!』

 危険を顧みずに攻撃してくれた柿原セリカに神無月しおりはただただ感謝の気持ちで一杯だった。これで敵からの砲撃は暫く止む筈だ。

 

 だが、良い情報だけが飛び込んでくる訳も無く…

『こちらB1・Terの東郷! 隊長ちゃん、フロントスプロケットに直撃弾! 履帯破損!』

『こちらT69E3の三号車の四葉ヒカリ! エンジンルームに直撃! 攻撃が止み次第消火作業に入ります!』

 神無月しおりは理解する。恐らくT69E3の三号車は白旗が上がっているハズだと。B1・Terは履帯損傷。果たして動けるかどうか。

『隊長ちゃん、聞こえる!? あたし、諦めないから!!』

 

 

 すると威勢の良い声が無線機に響いた。東郷百合の声は、まだ闘志を失っていなかった。

「絶対に無理だけはしないで下さい! 怪我だけは絶対に!」

『分かってるって! 交信終わり!』

 その直後、東郷百合は砲撃が収まったのを静かに確認した。今がチャンスとばかりに、B1・Terの道具箱をガサゴソと漁り始める。

「一体何をする気なの、百合ちゃん!」

 B1・Terのドライバー、五月雨綾子は心配そうに応えた。

 

 

「修理するに決まってるでしょ!」

「でもどうやって? フロントスプロケット、グチャグチャだよ?」

 彼女は彼女はニヤリと笑いながら愛用の道具を手にした。

「戦車道のルールでも、使っちゃいけない修理道具に規定は無かったっしょ?」

 

 

 

 

 

 

 その頃…

「シオリは吃驚してくれているかしら? 戦いは前後左右だけじゃなくって、上からも来るって事」

 くすくすとジェーン・フォードは笑っていた。大きな戦車の上で。半壊した教会の中にその身を隠しながら。

 

 

 

 

 

 ロケットランチャーによる攻撃は弾切れを迎えて終わり、その代りに断続的に降り続ける砲弾の雨の中、神無月しおりは思った。おかしい。こんなに正確に間接射撃による攻撃が出来る訳が無い。何かが見ている筈だ。観測員が居ると。空を見上げてもバルーンの類は無かった。だとすれば…

「全車! この砲弾の雨の中を振り切って移動してください! 敵の偵察車両を探します!」

 

 

『偵察車両ったって…戦車はもう既に9両確認済みだぞ!? その内の2両は柿原が撃破してくれた。残りは7両だ』

「あります! ルールブックの片隅にも明言されている一つの方法が!」

すると無線が入った。

『こちらT-34の五十鈴! 小さなバイクを発見しました! 追跡中!』

「やっぱり、ウェルバイク…! 五十鈴さん! バイクの運転手に当てない様に機銃を撃って! 撃破判定になります!」

 

 

『こちら五十鈴、了解です!』 

 指示されるや否や、小さなバイクに対してT-34は大きく狙いを反らして機銃を放った。そしてゆっくりとウェルバイクは白旗を上げながら減速した。その横をT-34がズドドド…と音を立てて通り過ぎてゆく。

「よもや、こんなちっちゃなバイクが偵察に出てただなんて…」

「まるで信じられないわよね。反則に思えるくらいだわ」

 

 

 大淀歩美はやれやれとばかりにひき殺さないように注意しながら運転した。

『こちらT-34の五十鈴。小さなバイクを一両撃破。本当に居たわ、偵察車両』

「了解しました。それでは各車両へ通達します! 敵の偵察用ウェルバイクを殲滅します!」

 

 

 それは時間の掛かるちまちまとした作業だった。周囲を駆けずり回り、小さなバイクを探さなくては成らないのだから。ウェルバイクはとても小さく、藪の影に隠れては見失いそうになるのを必死に追いかけまわる破目になったのだから。

 

 

「にしても、こんな作戦ってありなの!? バイク持ち込んでくるなんて!」

大島明海のボヤキに対して中嶋奏が非正規戦車道のルールブックを片手に読み上げた。

「戦車の中に収容可能な小型バイクに限り、持ち込みは可能ってルールブックの片隅にありますよ! あと、直接バイクの搭乗者に攻撃しない事も。

 まぁ危険ですからねぇ… さておき、シャーマンは車内も広いし、ウェルバイクは小さいですから、こんな作戦が取れたんでしょうね。まぁ…小さすぎるタイヤは大きいのに変えてあるでしょうけど」

 

 

「にしてもしおり君はよくこんなルールを知っていた物だ」

「それ程でも、ない…結果論として、何かが居るって分かっただけだから」

 やがて大きな苦労の果てに、恐らくは全てのウェルバイクを駆逐し終えた時、丘の向こうからゴゴゴゴ…と言う地響きが鳴り響いた。それは妙に重厚感に溢れた音だった。

 

 

『こちらセリカ! 五十鈴と共同して105mmシャーマンの大半を撃破! だけど一匹逃げたぞ! 気をつけてくれ!』

 無線機に飛び込んできた知らせに、神無月しおりは「ありがとうございます。助かりました」と返事を返した。

「親玉とその家臣、到来か…」

 何時でも狙い打てるようにレンジファインダーを覗いていた柿原セリカに対して、クラッペ越しにじぃ…と見つめていた中嶋奏は驚いた表情を見せた。

 

 

「…いえ、あれはシャーマンじゃないです! あれは…M6重戦車にT23中戦車? 何てマニアックな!」

 神無月しおりは不味いと思った。M6重戦車はその図体の大きさの割りによく動くし、弱い側面はT23中戦車に守られている。シンプルながらも見事な布陣だった。

「気をつけて! あの3両は主砲が強力だから! シャーマンの76mm長砲身と同じ主砲です! 

 バウムガルドさん! 昼時の角度でM6を攻撃! パンターの主砲なら徹甲弾で正面装甲でも貫通出来る筈です! 残りは左右に散開! T23の注意を引きつつ、側面や後部を狙います!」

 

 

 

 こう来る事は分かっていたのか、ジェーン・フォード率いる敵は手ごわかった。交戦距離ギリギリを保ちつつ、互いに決定打に欠ける砲戦を繰り返す。押し勝つか? いや、押し負ける可能性だってある。

 ソミュアとクロムウェル、そしてT-34は今此処に居ない。B1・Terは行動不能、T69E3の三号車はやられてしまった。

 

 現状では事実上の3対4。正面装甲の厚いパンターを囮に突っ込むべきか? それとも無理にでも側面へと回り込むか?神無月しおりは悩んでいた。その瞬間の事である。

 藪の中から105mmシャーマンが顔を出した。三/四号戦車のすぐ近くの藪からだった。

「不味い! 霧島さん、後退して!」

 

 

 前進すれば敵の餌食だ。しかし同時に思う、今逃げ出せば側面の戦車にも攻撃が当たってしまうのではないかと。神無月しおりが僅かな時間の間、逡巡した時である。

『でやぁああああ!!』

 雄叫びを上げながら、ギャリギャリと悲鳴を上げる履帯でB1・Terが105mmシャーマンに体当たりを敢行した

 

 

「B1・Ter! でもどうやって!?」

『説明は後!セリカちゃん! 止めを!』

『了解!』

 東郷百合は如何にしてB1・Terを走らせる事に至ったか? それは愛用の工具、グラインダーを使って邪魔な欠損部位を切り落としたのだ。そして履帯を繋ぎ、無理矢理走らせたのである。正に荒業と言えよう。そして不意打ちを逃した105mmシャーマンにクロムウェルの75mm砲が吼えた。砲弾は易々と装甲に突き刺さり、M4シャーマンは白旗を上げる。

 

 

『後は頼んだぞ! 五十鈴!』

『任せて頂戴!』

 クロムウェルがシャーマン退治を行っている間に全速力で大きく回りこんだT-34は、M6重戦車の背後を取り、エンジンルーム目掛けて57mm砲を放った。鋭く、低伸弾道を描く砲弾は見事にM6重戦車のエンジンルームを食い破って見せた。

残りは僅かに二両のT23中戦車ばかり。その時の事だった。不意に無線機にノイズが走る。此方の無線に相手が乗ってきたのだ。

 

 

『こっちの勝ち目はもう薄い。だったらカレラ、久しぶりにやろうよ。ウェスタンゲーム』

「何そのゲーム」

 聞きなれない言葉に大島明海は北村カレラへと問うた。

「映画の西部劇に習ってね、互いに背中合わせになって、合図に合わせて振り向いてズドンってゲーム。戦車道の場合は、ぴったりとお尻をくっつけてからの零距離戦闘。エレノア。受けて立つよ…いいよね? しおり君」

「…私は別に構わない」

 

 

 

 

 戦車道では異端の、物珍しいゲームが始まろうとしていた。ゆっくりとバックし、互いに背中合わせになる戦車。少女達は今か今かと見守る。そして…スタートの号令が鳴った。

 二台の戦車は互いに旋回した。ガツンとぶつかり合い、その反作用で逆方向へと滑る。霧島蓉子はぶつかった反動を利用し、車体を即座に反転させてスピン。

 

 

T23中戦車との間合いを取る。北村カレラは砲塔を旋回させ、照準を付ける。がしかし、車体をぶつけられて狙いが逸れた。それは同時に相手にも言えた。ぶつかり合うマズルブレーキと車体、爆ぜるマズルフラッシュ。幾度と無く繰り返される戦車同士の鍔迫り合いの最中、少女は勝利を確信した。

 

 

「貰った!」

 北村カレラが叫ぶ。「ぁ…」砲声が鳴る。小さな声を掻き消すように。何かが潰れる音を掻き消す様に。

 ウェスタンゲームの勝敗は、見事にカレラの勝利に終った。T23中戦車のターレットリングに突き刺さった砲弾が見事に相手の白旗を立てさせた。車内は勝利に沸き立った。…だが、ポタポタと何かが滴る音が響く。

 

 

「勝ったよ! しおり…しおりん!?」

 車長席に蹲る神無月しおりは左目を抑えていた。右目からはぼろぼろと涙を。左目からは痛々しい血を流して。

「あわわ…!」

 余りの惨状に、思考が停止する中嶋奏を霧島蓉子は叱責した。

「馬鹿! 中嶋! 運営本部の救護班を無線で呼べ!」

 

 

「は…はい! 此方播磨女学園三/四号戦車! 重傷者発生! 直ちに救護の要請を願います! 繰り返します! 三/四号戦車に重傷者発生!」

 騒然となった車内で、少女はぽつり、ぽつりと呟く。「痛い…いたい、よ…」と…

「しっかりして、しおりん! 大丈夫だから!」

「あ、ぁ…そん、な…! こんな事って…!」

 

 

 絶句し、顔面が蒼白になった北村カレラに大島明海は檄を飛ばした。

「北村さん! 呆けてないでしおりんの体を支えてあげて! 戦車から出さないと! ああもう! シュルツェンが邪魔!!」

 装填手ハッチを空けて、大島明海は渾身のキックをシュルツェンに何度も叩き込み、蹴り破った。そして神無月しおりをそっと戦車の中から運び出した。やがてすっ飛んで来た救急車のストレッチャーに乗せられ、少女は直ぐ様病院へと運ばれていった。

 

 

「大島明海さん!」

「あ…アレクサンドラさん! それに皆も!」

 観客席から駆けつけた少女達に、大島明海はどう答えた物かと思い悩んだ。

「シオリチカ、目を押さえていたけれど…」

「……うん……どうなってるのか、分からない。正直、不安でしょうがない、よ…」

 大島明海は、自分の体を抱きしめた。今になって恐怖が襲ってくる。神無月しおりは、大丈夫なのだろうかと。

 

 

「あの…大島明海さん、だったわよね…?」

 ジェーン・フォードが恐る恐る尋ねて来る。

「本当にごめんなさい! ウチのチームメイトが、あんな過激なゲームをやったりしなければ…!」

「そんな…! ……だって…戦車道に、危険は付き物だか、ら…」

 ふと思い出す。神無月しおりの言葉を。『戦車って結構しんどいし…怪我だってするかも…』

 

 

 怪我…あれが、怪我…? いいや、あれはもう怪我の範疇じゃない。あれは最早重傷だ。怪我と言うのは、そう…もっと浅いもので……

「…しおりん、あの子、一体如何して…!」

 思い浮かぶのは傷塗れの彼女の体。大小様々な痛ましい傷跡が大島明海の脳裏を過ぎる。

「…取りあえず、今はこの場を撤収するしかなくってよ」

 エリザベド・ガリマールの言葉に各々は頷いた。如何しようも無い不安に駆られながら…

 

 

 

 

 

  神無月しおりは集中治療室での治療が行われた。集中治療室での数日が過ぎて…更に一週間後。漸く面会が許される事となった。チームメイトと、各校の戦車長たちは押しかけた。神無月しおりの安否についてただただ心配であったから。

 …そして、白い病室の中、白いパジャマを着て窓の向こうを見やる神無月しおりは、酷く現実味が無かった。

 

 

「しおりん!」

 今にも泣き出しそうな声で、明海がベッドの傍まで駆け寄った。誰も彼女を止めない。彼女が一番、神無月しおりを心配していたのは明白だったから…

「もう、体は大丈夫なの…? 左目は…?」

 その問い掛けに、神無月しおりはゆっくりと頷き、付けられていた眼帯をゆっくりと外した。己の無事を示そうとして。

「…まだちょっと、眩しい、な…」

「…っ!」

 

 

 全員が、絶句した。そこにはもう、あのルビーの様な美しい紅い瞳は無く、まるで煮えたマグマの様な、黒い赤色が浮かんでいたからだ。再生治療の限界であった。彼女の瞳はとても特殊な発色をしていて、再現が難しかったと言う。

「生体義眼があって良かった。目が見えなくなったら…皆と戦車道、出来ないから…」

 神無月しおりの何処か的外れな言葉に、少女達は毒気を抜かれた。危うく左目を失いかけたこの子は何処までも、皆と戦車道をしたがるのだな、と。

 

 

「…北村さんは…?」

 キョロキョロと辺りを見渡し、神無月しおりの問い掛けに、大島明海は口ごもる

「すぐ其処に居るけど、会わせる顔がないって言ってごねてる」

 その言葉を聞くや否や、神無月しおりは行動に出た。

「…明海さん、体、貸して?」

 言われるが儘に、大島明海は体を貸してやった。神無月しおりの体は、恐ろしく軽かった。覚束ない足取りで、病室の外に出る。そして扉のすぐ傍で、床に蹲る北村カレラの姿があった。

 

 

この世の全ての絶望を見てしまったと言わんばかりに。傍らには霧島蓉子が暇そうに立っていた。そして、廊下に出てきた神無月しおりを見て一言述べた。

「無事で何よりだ。…私はこの馬鹿が逃げ出さないか見張ってた」

 霧島蓉子がそう言うや否や、北村カレラは震えた声を絞り出した。

「…すまない。私が、私があんなゲームに乗らなければ…! しおり君は…こんな怪我をせずに済んだと言うのに…!」

 

 

 北村カレラは今にも握り締めた手を自分で潰してしまいそうなぐらい力をこめていた。そんな彼女に対して、神無月しおりは彼女の手に優しく触れる。痛い程握り締められてた手を。

「手を、解いて?」

「…っ、だけど…!」

「…お願い…手を、解いて」

 優しくも、しかし、力のある言葉で彼女は懇願した。そして震えながら、北村カレラは手を解いた。

 

 爪痕が、今にも手を血で滲ませそうな位、深々とついている。そんな手を、彼女は優しく撫でた。慈しむように、そっと頬ずりをした。

 「…この手は、一杯…私を助けてくれた…私を守ってもくれた…貴女との出会いも、この手が始まりだった…貴女が悪いんじゃない…私が汗で濡れたグリップから、手を滑らせただけだから」

「…でもっ…!」

「…なら、死にたい…? それとも、一緒に死ぬ…?」

 

 

 普段はまるで良い所のお嬢様の様な神無月しおりが、恐ろしい言葉を口にした。死にたいのか。それとも一緒に死ねば貴女は気分が晴れるのか。そう口にする様はまるで死神の様に北村カレラは感じられた。

「違うっ! そんな事…!」

「だったら、生きて。生きて私と戦車道を、して欲しい。」

 無言になる北村カレラに、神無月しおりはそっと囁いた。

「今更、傷の一つや二つ…私には、関係ない…知ってるでしょ…?」

「…あぁ…でも…」

 

 

 風呂場で見た神無月しおりの体を思い出す。凄惨な傷跡の数々を。それでも、北村カレラは自分が許せないで居た。

「これは、戦車道だからこそ、着いて回る事故…だから、北村さんは悪くない…」

「…どうしても…私を許そうって言うのかい…?」

 偶発的にとは言え、己が為してしまった事に対する責任感で押し潰されそうな北村カレラに、神無月しおりはそっと答えた。

 

 

「…貴女は、大切な、二番目に出来た友達だから…」

「っ……! 馬鹿野郎! この、大馬鹿野郎…!!」

 神無月しおりの言葉に北村カレラは泣きながら彼女を抱きしめた。恥もへったくれも無く、泣いた。泣き止んだカレラの頬を撫でて、そして病室へと神無月しおりは戻っていった。北村カレラに抱きかかえられて。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドに戻った彼女は…一呼吸を置いてから、大島明海を呼んだ。

「…明海さん…私の服、脱がせて」

「ちょっ、しおりん!?」

 突然の言葉に、神無月しおりを除く三/四号戦車のクルー全員がギョッとした。

「いいの。隠す理由なんてない…話すなら、今がいい機会だから…」

「……分かった」

 

 

 一体何のことだろう、と言う少女達の声とは裏腹に、明海は手馴れた手つきで、しおりのパジャマを脱がせた。そこには、体中に刻み込まれた戦車道の傷跡が残っていた。凄惨な傷跡がありありと残っていた。少女達は、ただ絶句する事しか出来なかった。

「これが、神無月流の1つの真実…怪我を厭わない戦術に戦闘…打ち身と打撲なんて、数え切れないほど…

 これは無線機がひっくり返って出来た傷…これはギアボックスのオイルで出来た火傷…この傷は…なんだっけ…

 嗚呼、トーションバーサスペンションが折れて暴れた時の怪我だったかな…皆、みんな覚えてる…」

 

 

 体中に刻まれた傷跡をゆっくりと指し示しながら、神無月しおりは答えた。大島明海たち4人は思い出す。

 「傷を消さないのは忘れない為だから」と言う、神無月しおりの言葉を。だが、彼女は傷跡を残していた真実を語った。

「…私は…忘れたくない…こんな仕打ちをしてくれた…楽しくない戦車道を押し付けた、私の家を…神無月流を…! 

 ずっと、ずっと憎んでた。勝利だけを追い求めた神無月の戦車道を…! 私を、戦うだけのケダモノに仕立て上げた神無月を…!! だけど…」

 

 

 神無月しおりの言葉は、怒りも悲しみも交じり合っていた。そして彼女は言葉を一旦区切った。まるで思い返すかの様に、病室に集った少女達を見つめて。

「…皆との戦車道は、本当に楽しかった…凄くドキドキして、ハラハラして…興奮が、止まらなかった」

 それは神無月しおりの本心からの言葉だった。赤色のオッドアイにはじんわりと涙が浮かぶ。神無月しおりは静かに、パジャマを羽織った。そして、勇気を振り絞るかの様に、言葉を発する。

 

 

「……こんな、化け物みたいな…ケダモノみたいな私でも…友達で居てくれますか……?」

 自嘲めいた言葉を発する神無月しおりに、我先にと言わんばかりに、サーシャが手を取り、キスをした。

「勿論ですよ。愛しい魔女。希望を持たず生きる事は、生きるのを止める事と同じ。私は貴女の希望の一つになりましょう」

「抜け駆けなんてずるいわ! 戦う貴女は、とても美しくってよ? しおり。このあたくしが言うんだから、間違いないわ」

 そしてエリザベドが手を取り、キスをする。

 

 

「三番手は私ね。魔女と言い出したのは私が一番目なのだけども…」

 ローズマリーが静かに手を取り、キスをした。

「生きる事は考える事。そして貴女は考え抜いて私達に告白した。どうしてそれを笑わなければないのかしら?」

 くすりと、ローズマリーが笑った。

「えーっと…シオリとは出会って間もないし、今回の事で正直言って何だか申し訳なさでいっぱいだけど…あのね? 困った事があったら何時でも駆け付けるから! レディ(お嬢さん)」

 そういうと照れ臭そうにジェーンも手にキスをした。

 

 

 それぞれの学校の隊長が、静かに後ろに下がった。そして、播磨女学園の8人の車長が前に立った。

「まぁ、なんていうか。なぁ?」セリカが切り出す

「この前の甲斐女学園の生徒とのバトルで正直、不信感はあったけどもさ」

「隊長はん、全部正直に話してくれたし…今更戦車道を辞める言うんも、困るねぇ」

「実はあたし、隊長ちゃんが傷塗れっぽいのは知ってた。理由は今知ったけどね」

「私は傷如きで隊長の良し悪しを決める程愚かではないぞ。そりゃ、この前のは驚いたが」

 

 

「今まで私達を率いてくれたのは紛れもないですし」

「誰にだって隠したい事の1つや2はあります。ねぇアカリ」

「そうね。アカネ。葵姉さんなんて隠し事ばっかり」

 少女達が次々に言葉を連ねていく。

「そりゃないよアカネちゃん!」

 オチを持って来られた双葉葵が皆にクスクスと笑われ、葵が場の空気を正すかの様にオホン、と咳を出した。

 そして、最後に…

 

 

「ケダモノかどうかなんて、あたしにゃー関係ないよ。しおりちゃんはあたしの、大切な可愛い後輩なんやからさ」

 葵がそういって彼女を抱きしめた。少女達の心遣いが、慈愛が、しおりを泣かせた。ほろほろと。まるで真珠の様な涙を零した。そして、必死になって、彼女は言葉を紡ぐ。

「私は…此処に居ても…良いんだよね…?」

「そうだよ。しおりちゃんの、大切な居場所だよ。此処は…」

 

 

 嗚咽を漏らしながら泣く少女。喜びの涙は、何度目の涙だろうか。播磨女学園に着てからの泣き虫の少女、神無月しおりの涙は、喜びと悲しみの混ざり合った涙だった。しかし…今はただ、喜びの涙を流して咽び泣いた。

 

 

 

 

 

 

 数日後、神無月しおりは学園生活に復帰した。何処かのお嬢様か何かだと比喩される美少女の、突然のオッドアイについては何かと噂が飛び交ったが、それもすぐに収まった。曰く、生徒会が動いてくれたらしい。彼女は目を怪我した為、無駄な噂話を禁止する。と

 

 

 学園生活に復帰した翌日の事、神無月しおりは久留間舞子に呼び出された。お茶をいかが? と。彼女にとっては断る理由もなく、呼ばれた場所に行くと、そこは和室の一室だった。其処には久留間舞子だけでなく、五十鈴佳奈や柿原セリカが待っていた。

 

 

「えっと…私、呼ばれたのは良いけれど…茶道の作法とか…全然知らなくて…」

言葉を詰まらせながら搾り出した神無月しおりの言葉に久留間舞子はそっと笑った。

「美味しゅうお茶を飲んでくれたら、大丈夫どす。それと、これが本題なんどすけども…お茶のついでに、お互いの身の上話でもしまひょか。ってなりましてねぇ」

 

 

「神無月隊長だけが、自分の過去を話すのは何だか不公平だろう?」

 柿原はニヤリと笑った

「誰しも隠したい過去はある。だがより親しくなりたい場合は、時として残酷な過去を晒さなきゃならないもんさ」

 隊長があの時、語ったみたいに。と柿原セリカは述べた。

 

 

「ほなぁ、まずはうちからどすなぁ。うちん家はもう、茶道に花道、書道に香道と兎に角習い事でいっぱいで

 子供らしゅう遊ぶ暇も無おして、そらもうしんどかったんですわぁ。それで習い事をなんもかも放り出して

 過ごして居たら親から勘当を受けましてねぇ…せやけど同時に嬉しかったんどす。これでもう家から離れられる、って…せやけども」

 

 

 久留間舞子は丁寧にお茶をたてた。神無月しおりはただただキョトンとした。習い事で一杯…それはどんな事なのだろうかと思って。

 だけども…何処か、神無月しおりは彼女と自分は似ているな、と思った。

「お茶の先生だけは好きでしたわぁ。優しい先生で。お茶は楽しめたらそれで一番なのよって教えてくれて」

 …楽しめたら…甲斐女学園での戦車道では、そんな事は無かった。でも…今なら、彼女の言葉が分かるかも知れない。

 

 

「じゃぁ次はあたしだな。隊長はゆっくりお茶を飲んでおきな。あ、全部飲んじゃだめだからな」

 茶道のしきたりを少しばかり知っている柿原セリカはそう言うと懐かしむ様に天井を見上げた。神無月しおりは久留間舞子から差し出された茶碗を受け取り、そっと飲んだ。

「…ぁ…美味しい」

 

 

「だろう? 久留間のお茶って美味いんだよ。そんでもってさぁあたし、実は元不良なんだ。

 両親が最低のクズでね。毎日毎日ケンカばっかり。親戚の叔母さんに頼み込んで小学校のある学園艦の寄宿舎に逃げ込んだって訳。

 でも両親にはとんと愛されなかった。叔母さんと叔父さんだけが味方だった。

 ケンカに煙草、深夜徘徊。補導も何度か受けたけど、叔母さんと叔父さんの前でだけは正直な自分でいられたよ」

 

 

 柿原セリカの言葉に、悲しいやら、少し羨ましいやら、よく分からない感情が神無月しおりの中に渦巻いた。何故、親から愛されない子供が居るのだろう。何故、子供を産んだのだろう。だけども不意に、家政婦の八島七瀬の事が思い浮かんだ。何時も心配してくれた事に。夜食に紛れてお菓子を差し入れてくれた彼女に。自分は、彼女に素直になれただろうか。この前は余り良くない事を言ってしまった気がする。

 

 

「そんな折だ。中学に入って久留間と出会った。なんかぽやぽやした奴だなぁって思った」

「照れますわぁ。」

 柿原セリカの話は続いていた。神無月しおりは隣に座る柿原セリカに茶碗を手渡した。

 

 

「うん。相変わらず美味いお茶だわ。それで、なんだな。毒気が一気に抜かれた訳。コイツ、意外と押しが強くてね。そりゃもーしつこくお茶に誘われて、あたしが折れたって訳。それで茶道だ。びっくりしたよ。何処のお嬢様だ? って思ってね」

 

 

「柿原はん、寂しそな目ぇしてましたさかい、放っとけんでねぇ」

「てな具合よ」

 ケタケタと笑いながら、柿原セリカは五十鈴佳奈に茶碗を手渡した。

「じゃぁ、最後に私かしら。あ、その箱の中にお菓子が入ってますよ。一人一つずつですからね。」

 

 

 言われるが儘に、そっと箱を開ける。中に入っていたのは苺大福だった。小豆餡の、苺大福。まるで大福に苺が食べられてるみたい。と思いながら神無月しおりは苺大福を口にした。甘酸っぱい苺と、餡子と大福の皮が合わさって、美味しい。

 

 

「私は小さい頃から、所謂真面目ちゃんの委員長って感じでした。それのお陰かして全然お友達が出来なくってですね。

 寂しい学生生活を送っていたんですけれども、播磨の中学校に入学して少し経ったある日、二人に誘われたんですよ。

『おい! そこの背中が寂しいお前さん! 一緒にジャンボパフェ食いに行こうぜ!』って、柿原さんに言われたんですよ」

「あはははは! 似てる似てる! あの時の台詞と声真似そっくりじゃん!」

 

 

 柿原セリカが自分の膝をバシバシと叩きながら笑った。神無月しおりは、『意外と、友達の居ない人って少なくないんだ』と感じていた。だけども、そう…素敵なお節介さんが居るから…友達が出来る事もあるんだ、と。

「でね。それはもう吃驚しちゃって。三人でロクイチ亭のジャンボパフェを食べに行った時は学生ってこんな事してるんだって、

 考えると、なんだかとても楽しかった。お陰で二人ともお友達になれましたし、それから知り合いも増えました」

 

 

「あの時のジャンボパフェ、すっげぇ美味しかったなぁ。食べ終わる頃にはお腹がパンパンだったけど」

「あら、そうでした? 私はケーキをもう1つ2つ食べれそうでしたけど」

「こんの、大食漢め! …いや、女の子だから大食女か? うーん…」

 柿原セリカが他愛も無い事で悩む傍らでクスクスと笑いながら、久留間舞子は問いかけた。

 

 

 

 

「これで、うちらの身の上話はお終い。隊長はん、お茶とお菓子、美味しかったどすか?」

 その問い掛けに、しおりは素直に頷いた。お茶もお菓子も、とても美味しかったから。

「まぁ、なんだ。皆色々苦い物抱えて生きてるんだ。だからさ…ちょっとばかり変な所が有ったって自分の事、ケダモノって言うなよ。

 あんたは紛れもないただの一人の女の子で、美少女で、あたしらの大切な、戦車道に強い隊長さんって訳なんだから」

柿原セリカの言葉に、二人の少女も首肯する。

 

 

「そうどす」

「今まで楽しく戦車道が出来たのは、全部隊長さんが私達に丁寧に教えてくれたお陰なんですから」

「それと、他のクルーも皆、隊長に着いて行くってよ」

「地獄の果てまでご一緒どすなぁ」

「別に悪い事してる訳じゃないんだから。きっと行き着く先は天国よ」

「違いない! アハハハハ!!」

 

 

 最初は三人の過去の話を聞いて、ただ沈黙を貫く事しか出来なかった。だけども、最後の言葉に、しおりは心が震えた。嗚咽をあげながら泣いた。しおりを含めて始まりの五人の中、それも三人の車長からの言葉が、とても優しかったから。柿原が優しくハンカチで涙を拭いてやった。

「そいじゃ行こうぜ。久しぶりにジャンボパフェ!」

「いまの時期やと、桃やらはいってるんでっしゃろか。」

「桃、美味しいわよねぇ」

「…あのっ」

 

 

 神無月しおりが声を上げる。三人は優しくどうしたの? って顔をした。そして、彼女が言葉を発するのを待った。

 「…上手く、言えないけど、ありがとう」

 その言葉を聞いて、柿原はしおりのカバンを勝手に抱えて。五十鈴は優しくしおりの手を引き、久留間はその横をゆっくり歩いた。

 ただの戦車道のクルー(仲間)じゃない。新しい友達を得てしおりは歩く。

播磨に来て、良かったと。

こんなに沢山の、得られなかった物が得られたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…会長。件の用件、出来ました」

「そーぉ? あんがと」

 青島寧々の言葉に、双葉葵は淡々と答えた。

「最初っからさぁ。こうしてれば良かったんよね。柿原ちゃんが頭を怪我した最初の時から。戦車道は武道。怪我する事もある。知ってた事なのに、皆、打ち身ぐらいで済んでたからすっかり忘れてた。戦車道は大怪我をしかねない武道だって」

 

 

 双葉葵の後悔の入り混じった言葉に、青島寧々は答えた。

「盆から零れ落ちた水は戻りません。しかし、新たに注ぐ事は出来ます」

「その零れ落ちた水が何よりも変えがたい物やったとしたら? …私は、どうやって責任を取れば良いんやろうね…しおりちゃんの目の事…」

「自分の目を抉る、なんてスプラッタな事はしないで下さい。それはただのエゴです。反吐が出ます」

 

 

 青島寧々の歯に衣着せない言葉に、双葉葵は小さく苦笑した。

「青島のそう言う所、あたしは好きだよぉ。そんでもって、首尾の程は?」

「はい。グリップの滑り止めや無線機のより強固な固定。頭や体をぶつけそうな部位全てにクッションを取り付けました。これで以前よりはもっと安全に戦車道を行えるでしょう」

「うん。あんがと…それと、もう一つの事なんやけど」

 

 

「…神無月流の事ですか」

 青島寧々は少し眉を顰めながら呟いた。

「そう。ソレ。今までの対戦相手の隊長達に見せてどうだったよ」

 播磨女学園の練習スペースにはカメラが設置してあり、よく練習に用いられた。神無月しおりが主に「何故こうなったのか。この場合はどう対処すべきか」と言った講義に用いる物だが…

「恐ろしい事ですが…『見えた』そうですよ。テレビカメラ越しだと言うのに、青い鬼火が」

 

 

「…やっぱりかー。分かる人には分かるんだ…」

「エリザベド・ガリマールに至っては顔面蒼白でした。『噂は本当だったんですの…』と呟きながら」

 彼女が顔を青ざめるのもよく分かる。何せ神無月流の恐ろしい噂を知っていたのだから。

「鬼火を纏った神無月の戦車には気を付けろ。睨む瞳は魔眼の瞳、食らい付かれれば無事では済まない…か」

 

 

 全てが合致する。鬼火を放った三/四号戦車も。三/四号戦車の搭乗員が述べた、神無月しおりの尋常ではない目の色を。

そしてズタボロになるまで叩き潰された38tNAの有様を。

「どうするのですか。また何れ、彼女は『神無月流』を行うかも知れませんよ」

 青島寧々の懸念に、双葉葵はトントンと指で机を小突いた。

 

 

「その時は止めるしかないんよ。何をしてでも。あの子には『神無月流』をやらせはしない。しおりちゃんは、しおりちゃんの『道』を歩めば良いんよ。友達と笑いあって、普通の女の子になって、勝った負けたで泣いたり笑ったりして。それで良いんよ。いいや。そうじゃないといけないんだ」

 双葉葵は静かに、だが強い言葉で言い放った。

 

 

「本物の『魔女』になる必要は無い。ただの戦車道にちょっと強い、『播磨の魔女』で居ればそれで良いんだ」

 そう呟く双葉葵の手には、一組のロザリオが握られていた。一つにはサファイアが。そしてもう一つにはルビーの埋め込まれたロザリオが。

「その為には、私は『怪物』になったって良い。しおりちゃんを守る『怪物』に」

 双葉葵の確固たる意思の込められた言葉を聞いて、青島寧々は小さく溜息を付いた。

 

 

「ご無理だけは、なさらないで下さいね」

「無茶は承知の上だよ。それに、無茶って奴は意地と道理でこじ開けるものやからさ」

 生徒会室の展望窓から見える海は暗く、窓硝子はまるで鏡の様に見えた。双葉葵は思う。

 

この硝子の向こうに居る自分こそが、本物の自分なのでは無いかと。

 

こちら側に居る自分は、嘘と虚栄で塗り固めた偽物の自分なのでは無いかと。

 

 

 ……真実は、誰にも分からない。鏡の世界に入ることは出来ないのだから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登場戦車一覧と装備品

 

・M4シャーマン:鋳造車体

初期型のシャーマンである。ヌメリとした車体形状が大変特徴的である。

 

・M4シャーマン:前面機銃搭載試作型 

所謂M4A1試作型と呼ばれる物である。ヌメリとした車体形状に

車体前面に固定式の機関銃が二挺搭載されているのが特徴である。

 

・M4シャーマン:溶接車体

車体を構成する装甲板を溶接によって組み上げた物

第二次世界大戦後も利用された為、M4シャーマンと言えば

こちらのモデルを思い浮かべる人も多いかもしれず。

 

・M4シャーマン:トーションバーサスペンション試作車

機動性の向上とサスペンションの性能向上を狙って試作された車両

トーションバーサスペンションは確かに性能は優秀であったが

整備性が悪かった為にM4シャーマンには正式採用されなかった。

 

・M6重戦車

古くは1920年代から長い時間を掛けて開発、研究が為された戦車。

M4シャーマンを巨大化させた様な見た目だが

車高の高さや主砲火力の問題、駆動系の信頼性等の理由により

正式採用から外されてしまった車両である。その後は重戦車の研究開発に用いられたり

デモンストレーション等に使われたりと平穏な余生を送った。

 

・T23中戦車

M4シャーマンを置き換えるべく設計、開発された戦車である。

この計画では複数の試作車両があり、当車両はそのバリエーションの1つである。

駆動系に電気式変速機を搭載すると言った冒険を為した故か

その結果信頼性に欠ける破目となってしまった。

他にも採用されなかった理由にM4シャーマンと比べて火力不足が理由にあげられる。

 

・VVSSサスペンション

垂直渦巻きスプリング式サスペンションと言う意味。

初期型のM4シャーマンに用いられたサスペンション

整備性や拡張性に優れており、M3戦車の頃から使われていた

 

・HVSSサスペンション

水平渦巻きスプリングサスペンションと言う意味。

使用する履帯の幅は従来のM4シャーマンから2倍近くにまで広げてあり

また転輪の数を増やした事で履帯の接地圧を低く抑える事に成功した。

(この事により、履帯が泥や泥濘に沈み難くなる利点がある」

 

・105mm榴弾砲

野戦砲を戦車砲へと転換させた物。

火力支援に用いられた大型の榴弾砲であり、図太い砲身が特徴的。

世界大戦後、自衛隊でも使われた装備である。

 

・T40ロケットランチャー

72inch長ロケット弾を装填した箱形ランチャーを砲塔上部に搭載した物。

T34 Calliopeと言う装備に似ている。本来は75mm戦車砲のM4シャーマンで運用する装備だが

カーチスライト学園は105mm榴弾砲を発射可能な様に改造を施している



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ep.6

※当作品は昔ながらの文庫スタイルで書かれています。
縦書きPDFか、行間を広めてお読みください
(微修正版)



・互いに高め合い、互いに笑い合い、互いに生きてゆく。





 ここは甲斐市。神無月家の邸宅。その邸宅の風情は煉瓦造りの荘厳な、ヴィクトリア朝時代を思わせる西洋建築であった。誰しもが「おぉ…」と感嘆の声を零す様な佇まいであり、庭の片隅には飾りとしてか。1号戦車が飾られていた。しかしそれは今にも走り出せそうな程、キチンと手入れが行き届いている。

 神無月流家元、神無月いおりは5人姉妹の下の双子の姉、神無月かおりを家に呼び出していた。部屋の造りも西洋建築に違わぬ、アールデコ調の部屋であった。

 神無月かおりの、その容姿は神無月しおりと酷く似ていたが、勝気な雰囲気と表情が、可憐さを思わせる神無月しおりとは対照的だった。神無月いおりは率直に自分の娘に問うた。

「見たのでしょう? あの子の戦いぶりを」

 問われた神無月かおりはクスクスと笑いながら答えた。

「えぇ。見ましたとも。煌々と輝いていましたよ。眩しいぐらいに、ね…」

 嬉しそうに語る神無月かおりに対して、神無月いおりは顔を曇らせながら深く溜息をついた。困った物だと言わんばかりに。

「…皮肉ね…本当に皮肉だわ…戦車道の才能は全く無いのに、誰よりも色濃く神無月の血を受け継いでしまうだなんて…」

 逆であれば、只の戦車乗りとして生きていけたでしょうに…と憐憫の籠った声で呟いたその時、神無月いおりはふと気が付いた。神無月かおりがずっと笑みを浮かべている事に。

「かおり、何故貴女はそんなに笑っているの」

「お母さま。それは当然の事ですよ」

 かおりは心底楽しそうに答えた。

「あの子と戦えるからです」

 神無月いおりの背筋がぞっとする位、恐ろしい程にニッコリと笑いながら神無月かおりは答えた。まるで最高の獲物を見つけたケダモノの様に。

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 第六話:カウンターアタック…ヒット

 

 その頃、播磨女学園では…神無月しおりが八島七瀬を呼び出していた。呼び出された彼女は意外にも、嬉しそうに足を運んだ。理由は只一つ。神無月しおりが「八島とお話したい」と電話で伝えたからである。

 斯くして八島七瀬は、神無月しおりとの待ち合わせ場所に指定された喫茶店に入店した。其処には既に店の奥の椅子に腰掛けていた神無月しおりの姿があった。

「お嬢様、この八島に何用でしょうか?」

 優しく、優しく八島七瀬は問いかけた。言葉はゆっくりと。声色は柔らかく。彼女は問いかけた。

「八島に話したい事が出来た、から…それとこの前…飛び出していった事…謝ってなかった、から…ごめん、なさい」

 ぽつりぽつりと、だが必死に神無月しおりは言葉を紡いだ。頭の中に入っている言葉を思い出すかの様に。

「まぁ…! そんな、謝らなくて良いんですのよ? 正直な所、お嬢様がご実家の事を好いていないのはこの八島、存じ上げて居ましたから」

「…でも…八島に、きつい言葉、言っちゃったから…」

「お嬢様…」

 なんと健気であろう。そしてどれだけ短期間の間に、この子は人間らしさを手に入れたのだろう。八島はそれを思うと感動で涙が溢れそうになった。

「…それと…いっぱい、あった。戦車道で友達が、出来たり…アパートに招いてもらったり…一緒にご飯、食べたり…友達と、喫茶店に行ったり…」

「まぁ…! 素敵な事ばかりですわね!」

「…それと…」

 神無月しおりは、何度か呼吸を繰り返し、意を決して、言葉を出した。

「…傷跡の事…話した」

「…っ…!」

 八島七瀬は仰天した。それは神無月流の、否、神無月家の戦車道に対するあり方を露わにする行為に等しい。下手に露呈すれば、戦車道をしている少女達から距離を置かれかねない。もしくは忌み嫌われてしまうかもしれない。しかし…

「…でも…皆…友達で、居てくれるって…言った」

「…お嬢様…!」

「…八島…私、嬉しい…いっぱい色んな事が出来て…友達が出来て…」

「えぇ…えぇ…! この八島、お嬢様のお話を聞けて、本当に嬉しく御座います」

 その後もポツポツと語る神無月しおりの言葉に、八島七瀬は嬉しそうに頷いた。神無月の家に産れてしまったが故に、人生のその多くを戦車道に費やされた少女と、そのお世話係の会談はやがて緩やかに、穏やかに終わった。

 神無月しおりはこの後、ちょっと生徒会と戦車の事について話し合いがあるから、と八島七瀬と別れた。彼女はそっと少女の後ろ姿を見送っていった。そして…

「いらっしゃいますのでしょう? お嬢様のご友人がた」

 隠れていた少女達はビクリ、と肩を震わせたが、恐る恐る物陰からゾロゾロと出てきた。正にたじたじである。しかし八島七瀬は、微笑むのを止めない。

「こう見えて、神無月家は武芸のお家。そんな家のお世話係たる私も、多少は武芸の心得がありますので」

 彼女の言葉に戦車道のクルーである少女達はなんとも言えなかった。しかし…

「しおりお嬢様を思っての事、ですね?」

 その言葉に、戦車道のクルー達は皆、ゆっくりと頷いた。心配だったのだ。神無月しおりがまた泣きながら飛び出して行かないかと。涙を流して走る彼女の姿はとてもとても痛ましい姿だったから。

 そして、八島七瀬は言った。

「では、これからも末永く宜しくお願いします。しおりお嬢様の事を」

 そう述べると八島七瀬はしずしずと学園艦から立ち去って行った。

 

 神無月しおりと、八島七瀬が歓談を行っていた、同じ時間帯の事…

 

 青島寧々は戦車道のせの字も無い、とある学園艦に来ていた。そして喫茶店で何食わぬ顔で珈琲を啜っていた。すると彼女の対面に少女が腰掛ける。

「あの…貴方が青島寧々さんで間違いないですか…?」

「えぇそうよ。貴女、甲斐学園の神威さんでお間違いなくって…?」

 鈴の音の様な、可憐な声で青島寧々は聞き返した。前髪を切り揃え、背中に延ばされた艶やかな黒髪は彼女にとても似合っていたし、その容姿もまた神無月しおりに負けず劣らずの美貌の持ち主であった。しかし、神無月しおりが抱きしめたら壊れてしまいそうな儚げな雰囲気なのに対して、彼女には確りとした芯の強さがあった。

「率直に問うわ。貴女、『晩夏の大流血』についてご存知…?」

 その言葉に少女は酷くギョッとした。青島寧々の発言に一瞬辺りを見渡してしまう程に。そして小声で青島寧々に聞き返す。

「な…何故それを知っているんですか…!?」

「問いかけているのは此方の方よ。それで、知っているの? 知らないの?」

 青島寧々は言葉の砲弾を幾つも撃ち出していく。しかし少女は口籠った。

「あの…その…あれは…」

 進展の無い様子に青島寧々はふぅ、と小さな溜息を呟き、カバンから札束を取り出し、机の上に置いた。少女はとても驚いた。

「悪いけれど、調べさせて貰ったの。貴女が学費で困窮している事を。これは交換条件よ。お金を得て話すか。それともこのまま何も見なかった事にして帰るか」

 すると少女は辺りを気にする様に、恐る恐る語りだした。

「…『晩夏の大流血』は…あの事件の当事者は…神無月しおりさんです…」

「当事者…」

 青島寧々は、半分そうであって欲しくない様な、半分は関わりがあるのだろうなと言う思いで少女の言葉を聞いていた。

「彼女はあの時、初めて隊長車を勤める事になりました…でも…相手チームの待ち伏せを受けて…彼女の乗っていたパンターは容赦なく滅多打ちにされました。大口径の榴弾砲で。それで…その、主砲の駐退機が壊れて…暴れまわった駐退機のパーツは彼女の脇腹と右腕を食いちぎって行きました…それで…」

「充分よ。ありがとう。もう良いわ」

 ぶるぶると震えていた少女を見て青島は額を抑えながら言った。彼女の震える手を優しく撫でてやり、少女を落ち着かせてやる。恐らくは彼女もその惨状を見届けたのか、それとも血塗れの戦車の車内を掃除する事を命じられたのだろう。錆臭い血の臭いに怯えながら。

「あの…お礼に…神無月さんの事…もう少しお話します…」

「えぇ。聞かせて頂戴」

 少女たちの会話は続く。カチコチと時計の奏でる無機質な物音さえも耳に入らぬ程。時計は回る。まるで駆動輪と誘導輪の様に。

 

 神無月しおりが、八島七瀬との歓談を終えてから翌日の事。少女は双葉葵に呼び出された。

「しおりちゃん。態々呼び出してごめんねぇ」

 申し訳なさそうに笑う少女に、神無月しおりは小さく首を振った。

「いえ…それで、その…何の用でしょう…?」

 幼気な少女からの問い掛けに、双葉葵はそっと彼女の手を取った。

「それはね。行ったら分かるよ。逆に言えば、行かなきゃ分からない。そしてしおりちゃんはその場所を知らない。だから生徒会室に一度呼んだわけ」

 神無月しおりは双葉葵に手を引かれて歩いて行った。そこは学園艦の庭園の一角であり、ひと気が無かった。存在するのは、白い礼拝堂…

「ここの周りの人払いは済ませてあるから、安心してええからね」

「…はぁ」

 何のことやら、と言った具合で首を傾げる神無月しおりだったが、礼拝堂の中の厳かな空気に少し感心する。外と中とではこんなに気配が違うのか。と…

 神無月しおりと、双葉葵は礼拝堂の奥へと進んだ。最奥には…色鮮やかなステンドグラスと女神像。そして…四葉アカリと四葉アカネが立っていた。

「私達は立会人です」

「ですので、どうぞ。」

 すると双葉葵は改めてオホン、とわざとらしく咳をした。

「…しおりちゃん。ウチね、考えに考えたんよ。どうしたらしおりちゃんの事を守ってあげられるかなって。そしてウチは一つの結論に達した。ソレイラの誓約を結ぶことを」

「…ソレイラ…?」

「そう。ソレイラ。昔々、元々この播磨女学園にあった制度。今でもぽつぽつ見かける程度に、風化しちゃった制度だけれどもね…これはね。上級生が下級生を指導し、導く為の制度。そして上級生が下級生を導くと言う事は、下級生を守る事も含まれてる。ウチはね…守るって決めた。しおりちゃんを守る責任があるんだって気が付いた。しおりちゃんがあんなに忌避してた戦車道にまた引きずり込んだ挙句、大怪我までさせてしまった責任を、ねぇ…」

 どうする? 拒否権はしおりちゃんにあるけれども。と優しく双葉葵は問いかけてみた所…

「…えっと…お受けします」

 神無月しおりは意外な程にすんなりと受け入れた。だが…

「…その…明海さんが…私の家族になるって…恋人になるって…言ってくれて…それで…会長さんとも…義理の姉妹になって…問題に…なりませんか…?」

「大丈夫。大丈夫だからさ。別にしおりちゃんを明海ちゃんから奪おうって訳じゃない」

 そう、例えるならば頼れる家族が増える様な物だから。だから決して、二人の関係を邪魔するつもりはないと、葵は言った。

 もしも仮に、神無月しおりと大島明海の仲を邪魔してしまうのならば、ひっそりと見守らせて貰うだけでも良い、と双葉葵は言った。

 彼女の確りとした説明を受けて、改めて神無月しおりはゆっくりと頷いた。少女達は女神像の前で向かい合う。四葉アカリと四葉アカネが言葉を発した。

「では、ロザリオの交換を」

「はい、これ。しおりちゃんの分。本当はそれぞれが用意しておく物なんだけどね。急な誓約だし、しおりちゃんはこんな事知らないから」

 神無月しおりはルビーの宝石の嵌められたロザリオを渡された。彼女はまるで自分の目の様な色をしているな。と思った。

 そして、ロザリオが交換される。ルビーのロザリオを双葉葵に。鮮やかなサファイアの嵌ったロザリオを神無月しおりに。

 再び、四葉アカリと四葉アカネが誓約の言葉を連ねる。

「健やかなる時も、病める時も、死が2人を分かつまで、貴女は姉妹と共に在り続ける事を誓いますか」

「誓います」

「…誓います」

「双葉葵。貴女は神無月しおりを導き、慈しみ、これを守りますか」

「誓います」

「神無月しおり。貴女は双葉葵から寵愛を受け、学び、これを守りますか」

「…誓います」

「今、誓約は為されました。これより二人は正式にソレイラとなります」

 胸元に揺れる、小さなサファイアの付いたロザリオを見つめながら、果たしてこれからどうなるのだろう…と神無月しおりは思った。

 こうしてソレイラの契りを交わした事で、何が変わるのだろうか。だが、悪い気はしなかった。

 双葉葵の、優しい言葉…『どうしたらしおりちゃんの事を守ってあげられるかな』…それが頭の中で小さく繰り返される。

 …守って貰える…その言葉が酷く温かく、感じた。

「…お姉様…」

「うん? 何か言った?」

 小さく、小さく呟いた神無月しおりの言葉に、双葉葵は聞き返した。

「いえ…なんでも…」

「あんまり気負わなくても良いよぉ」

 双葉葵はそっと神無月しおりを抱きしめた。

「出来る限り、しおりちゃんの事、ウチが守るから」

 ステンドグラスから差し込む幻惑的な光の中、二人の少女は義理の姉妹となった。

 これから何が起こるとも知らずに。

 

 …その日の夕方の事である。大島明海は双葉葵から呼び出しを受けた。生徒会室に。

 静まり返った生徒会室。他の生徒は一切居ない。田宮恵理子と長谷川凛、そして大島明海を呼び出した張本人である、双葉葵を除いて。

 双葉葵は海を一望出来る強化ガラスを背中に、椅子に腰掛けていた。まるでどうしたものかと悩んだ末、彼女はテーブルに肘を突いて話を切り出した。大島明海はソワソワとしながら、話が切り出されるのを待った。

「重要な話があるんだ、明美ちゃん」

「何ですか…? 葵センパイ」

 双葉葵は一息おいて、そして大島明海に言った。

「今日、しおりちゃんとソレイラの契りを結んだ。ソレイラの制度とかは知ってるよね? 賢い明海ちゃんなら」

「ソレイラって…あの義理の姉妹の関係の!? …そんな!? しおりんは渡しませんからね!! たとえ葵センパイでも!」

 彼女、大島明海の取り乱しぶりに(しおりちゃんは愛されてるなぁ~…)等と心の中で思いながら、双葉葵は続けた。

「あー。違う違う。勘違いしないで。確かにソレイラの契りを結んだ子達はよくラブラブになるけども、ウチは別件で契りを結んだの。純粋に上級生として、下級生を見守る権利を得る為に、なんよぉ」

 双葉葵はそう説明して見せる物の、大島明海は心底疑いながら双葉葵を見つめ返した。

「…本当に、ですか?」

「播磨の学園艦におわします女神様に誓って。……まぁほっぺにキスぐらいはするかも知れないけど。しおりちゃん可愛いし」

「もう!」

 茶化した言葉にやれやれとばかりの言葉を漏らして大島明海はあきれた。

「まぁそれに、聞いちゃったしね…」

 双葉葵は、言葉を区切った。神妙そうな顔で。

「しおりちゃんからさ。言ってくれたんだよね。明海さんは家族になってくれるって。恋人になってくれるって。本人の口から」

「しおりんが…!?」

 普段は口数も少ない彼女が、その様な事を他人に言うのは本当に珍しい事だ。それも、一等級の秘密に等しい内容を。

「それだけ、しおりちゃん自身が心配だったんだと思うよ。明海ちゃんとの関係が崩れるのを」

「…しおりん…」

 双葉葵に対して不信感を抱いてしまった自分に小さな嫌悪感を感じながら、大島明海は小さく俯いた。

「ま、そーゆー訳で。しおりちゃんと明海ちゃん、君達二人の問題はウチの問題である事と同じ。何か困った事があったら言ってええよ。力になってあげるから」

「あ…はい」

「ほんじゃま、これにて用件はおしまーい。帰ってしおりちゃんにご飯作ってあげて」

「…はーい」

 生徒会室を後にする大島明海の背中を見つめながらに双葉葵は思う。この告白が少しでも大島明海の役に立てば幸いだが…と。

 ソレイラの歴史と契りは重い。中途解消は余程の事が出来ない程。それだけ、かつては上級生が下級生の指導に熱心だったぐらいだ。…葵はそれを逆手にとって、なんとしてでもしおりを守ろうと画策したのだった。生徒会会長の枠組みさえも利用して。

 メロヴィング女子大学付属高校と戦った時の様な『あんな事』がもう起きない様に、と。…もう二度と、神無月しおりに悲しい思いをさせまいと、心の中で強く思いながら。

 

 …数日後の事。神無月しおりが他の少女達と一緒に戦車道の訓練の打ち合わせをしている最中の出来事であった。不意に、神無月しおりにとっては聞きなれた音が響いてきた。それは、サイドカーを取り外したBMW-R75だった。黒く、タイトなデザインの服を着た少女が、跨っていた。

 少女はゴーグルを上げて、そしてニヤリと笑いながら話しかけてきた。その少女は酷く神無月しおりに似ていた。

「久しぶりだねぇ…元気にしてたかい。しおり」

「…!? かおり、姉さん…!? どうして…」

 神無月しおりは酷く狼狽した。何故、此処に自分の姉が居るのかと。来客の放送の類は一切無かった。と言う事は勝手に入り込んだと言う事か。しかし肝心の神無月かおりは特に悪びれる様子もなく、神無月しおりに近づいていった。

「どうしてだって? 可愛い妹の顔を見に来たに決まっているじゃあないか」

「やだ…! 来ないで!」

 尋常じゃないしおりの声に少女達は困惑し、同時に硬直する。あのしおりが、明らかに来るなと否定したのだ。

「酷いじゃないか…折角の姉妹の再会だと言うのに」

「おい、やめないか! コマンダンテが嫌がっているだろう!」

 バウムガルト・桜が意を決して横合いから彼女を制止したが、それさえも気にせず、神無月かおりは羽虫を追い払うように彼女の手を払った。

「悪いけど、部外者の君達には関係のない話だ。本当に会いたかったよ。しおり」

「いや!…いやぁ!…んむ、ぅ…!?」

 しかし神無月かおりは、そんな嫌がる神無月しおりの言葉も気にせず、しおりの手を取り、頬を支え固めてキスをした。それは見るからに破廉恥なディープキスだった。舌を絡めあう程のキスで、周りの少女達を驚かせるほどの物だった。絡み合う二人から離れていてもなお、舌と舌がぬめり合う音が響くほどに…

 あまりの出来事に、少女達の思考が止まる。体を動かす事が出来ない。まるで魔法でも掛けられたかの様に。

 どれ程の間、ディープキスを交わしていただろうか。ほんの10秒程度だったかも知れないし、1分もの時間をかけていた様にも思えた。

 そして神無月しおりは、それこそ必死になって姉の神無月かおりを突き放し、振り解いた。今までにないぐらいの力を込めて。

「どうしたんだい、しおり。小さい頃はあんなに遊んであげたのに」

 その様子に心底残念だ、と言わんばかりに神無月かおりは眉をひそめた。だが…

「やめて! 私は…私は、貴女の玩具じゃない!」

 ハッキリとした拒絶の言葉に対しても、神無月かおりは余裕の表情を見せていた…次の瞬間。パパパパン! と連続した破裂音が響いた。音が響くと同時に、神無月かおりの足元で砂埃が舞い上がった。それは銃弾が作った砂埃だった。

 銃声は357マグナムの音色。その射手はツカツカと速足で少女達に近付いて行った。

「それ以上ウチのしおりちゃんに手を出してみろ。心臓に麻痺弾を全部叩き込んでやる…!」

 空薬莢をカラカラとばら撒き、チアッパ・ライノ・リボルバーへとクイックリローダーで空になったシリンダーに素早く弾を込めながら双葉葵は怒りを露にした。

「葵お姉様…!」

「ごめんしおりちゃん、駆けつけるのが遅くなった」

 しおりの「お姉様」と言う言葉に周囲はざわめいた。そりゃそうだ。実の姉妹でも無いのに神無月しおりが双葉葵の事を「お姉様」と呼んだのだ。少女の誰かがポソポソと口にする。ソレイラを契ったんだ。あの義理姉妹の? なんで会長と隊長がそんな事を? やだもう。もしかしてラブラブに?

 然し、そんな渦中に居ながら神無月かおりは心底楽しげに笑った。

「アハハハハ! これは面白い! 実の姉を差し置いて『お姉様』と来たか! こりゃ傑作だ!」

 神無月しおりとそっくりの顔付で、邪悪にも笑う神無月かおりに播磨の少女達は酷い不気味さを覚えた。

「面白くなった。本当に面白く育ったんだなしおり。そうだ。今日はしおりにぴったりな花束を持ってきたんだ。また会う日を待ってるよ。そこの『お姉様』とやらもな!」

 まるで芝居がかったような言葉を口にして、神無月かおりは花束を神無月しおりの代わりに、双葉葵へと投げ渡し、BMW-R75に乗ると走り去って行った。その間にもガタガタと体を震わせる神無月しおりに少女達は駆け寄った。その顔は酷く青ざめていた。

 双葉葵は空気を入れ替えるかの様に、パンパンと手を叩いて指示を飛ばした。

「今日の戦車道の訓練の打ち合わせは桜ちゃんに引継ぎをお願いする。いいね? 明海ちゃん、悪いけどしおりちゃんをアパートに連れて帰って、面倒を見てあげて。そんなんじゃとてもじゃないけど戦車に乗るなんて出来ないから」

「あの、会長はどうするんですか?」

 五十鈴佳奈は恐る恐る問いかけた。

「悪いね。ちょっと義理の妹を苛めた大悪党に関する調べ物」

 そう言うと双葉葵は怒り半分、冷静さ半分と言った足取りで生徒会室へ向かって行った。件の小さな花束をぎゅぅと握りしめて。

「田宮、青島は?」

 生徒会室に入るや否や、双葉葵は田宮恵理子に問いかけた。小さな花束を机の上に投げ捨てて。

「まだ戻ってきてません。何か彼女に用でも?」

 田宮恵理子はキョトンとしながら聞き返す。とんでもない言葉が返ってくるとも知らずに。

「神無月かおりについて。さっき、普段は大人しいのに、凄まじく拒絶して滅法嫌がってたしおりちゃんにとんでもない狼藉を働いた。公衆の面前でフレンチキスなんかかましやがった」

 双葉葵のその言葉を聞いて、田宮恵理子は絶句した。なんて酷い行為だろうと。

「それは…!? なんて酷い…確か、神無月かおりはしおりさんと実の姉妹では…?」

「そうだよ、だから知りたいんよ。何故あんなにも異様な空気を纏っているんか。異常な姉妹愛はさておくとして、だ…」

 やれやれとばかりに、何もない空間に物を動かす様なジェスチャーを交えて双葉葵は言った。

「たしか、凛ちゃんが作った報告書が…あった!」

 長谷川凛が作った神無月家についての情報が纏められた大きなバインダーに収められたスクラップブックを田宮恵理子は棚から取り出した。双葉葵は田宮恵理子からそれを受け取ると神無月かおりに関するページを探し出し、そして読んだ。熟読した。

 ……神無月かおり。神無月家の第三女にして双子の姉。年齢は神無月しおりより1つ年上。彼女は幼少期から頭角を表していた。タンカスロンや小学生戦車道など、小さな大会から中学生戦車道に至るまで度重なる勝利に次ぐ勝利で瞬く間に戦車隊の隊長を任される。インタビュー曰く愛車は高校生からティーガー改・長砲身。通常のティーガーよりも砲身がやや延長され、炸薬量も増やされているとの事である……

「しおりちゃんは度々自分の事を化け物だーって言うけれど、コイツこそ本物の化け物じゃないか…?」

 スクラップブックを読み終わった双葉葵は呟いた。事実上の常勝無敗。優勝カップを取った回数は数知れず。正に戦車乗りのエースであった。だが同時に残虐だった。

 分かる写真だけでも、彼女と戦った相手の戦車は見るも無残に破壊尽くされている物ばかりだ。宛ら、以前の怒り狂った時の神無月しおりの様に。

 溜息が出る。何なんだ神無月家は。何故こうまでして化け物を量産しようとする…? 双葉葵は苦悩した。

 その時である。コンコンコン、と扉をノックする音が聞こえた。双葉葵が「入っていいよー」と答えた。

「ただいま戻りました。青島です」

「おー。お帰りぃ。帰ってくるの待ってたよ。で、首尾はどうだった?」

「予想以上の情報が得られました。若しかしたら…会長が絶句する程の事が」

 その言葉を聞き、はぁ…とため息を零しながら、二人して完全防音の施された個室へと向かった。

 

「…先ず、『晩夏の大流血』の事ですが…真相が分かりました。神無月しおり。彼女が事件の当事者です」

「当事者って…ちょっと、ちょっと待ってぇよ。前々から変な言葉だとは思ってたけどマジで何が起きた訳!? 戦車道は基本的に安全に配慮されてるっしょ!?」

「落ち着いて下さい。状況を説明しますので…彼女、神無月しおりはその日が初めての、戦車隊の隊長を任された日でした。彼女の乗車していたパンターは待ち伏せに遭い、大口径の榴弾砲で滅多打ちに遭ったそうです。そして主砲の駐退機が破損。暴れまわった部品は彼女の体の一部と右腕を食いちぎって行きました」

 双葉葵は思った。だからか。だから神無月しおりの右腕は生体義手だったのかと。そして何故彼女が震える右手を抑え込んだり、腕をさする様な動きをしてみせたのか。右腕を失った時の幻肢痛に苛まされているからに他ならない。だが、何よりも…

「冗談じゃない!」

 双葉葵は立ち上がり、怒りを込めて力強く机をバン! と叩いた。エリザベド・ガリマールの言葉ではないが、恨み、妬みの籠った戦車道なんて戦車道とは呼べない。

 私怨の籠った、ただの殺し合いではないか! そんな理由を作ったのは恐らくただ一つ。相手を徹底的に叩き潰す事をモットーとする、評判の悪い神無月流の所為だ。そしてそれに恨みを持った戦車道チームの、つまらない感情に幼気な神無月しおりは巻き込まれたのだと。

「更にですが…」

 青島寧々は語り続けた。聞いた内容を記したメモ帳を見つめながら。

「彼女、神無月しおりは甲斐女学園での戦車道では落ちこぼれの扱いを受けていた様です。件の女学園の少女曰く、彼女の戦い方は優しすぎたとか…。また、神無月流でありながら勝利を得る事が度々無かった事から嫌味を込めて『無冠の姫』と呼ばれたそうです。重要な戦車の車長を務めても勝利を投げ打って僚車を庇ったり、破損した車両の為に囮となった結果、負けに負け続け、漸く勝利を掴みだしたのが中学生から。そして初めて、戦車隊の隊長を務めた矢先に起こった事件が『大流血』です」

「…えぐい。えぐいよ…」

 葵は愚痴を零す。なんて言う不幸だ。なんて言う間の悪さだ。冗談じゃない。彼女の初の隊長戦で起きた出来事がそれか。と

「……ふと思った。戦車道連盟は何をやってたのさ。これ程の大怪我が発生したんにも関わらず、ほんの僅かなゴシップにしかなってないじゃないか!」

「恐らくは、戦車道の人気を損ないたくなかったからでしょう。徹底的な隠蔽工作がなされ…思うに、だからこそ神無月しおりの経歴にも戦車道に関する事が揉み消された物かと」

「冗談がキッツイなぁ…」

 双葉葵はもう散々だ、とばかりに呟いた。戦車道連盟の気持ちも分からなくはない。だが実態はどうだ。事件を揉み消すだけ揉み消して、たった一人の女の子の心のケアもしていないじゃないか。双葉葵は心底戦車道連盟を嫌悪した。

「彼女のあの性格、そして戦闘中の優しさ。これで全て説明が付きましたね」

 青島寧々がそう呟くが、双葉葵は首を横に振った。

「いや、まだ問題が残ってる」

 葵は言う。コイツは大問題だとばかりに。

「神無月かおりだ。物凄く、きな臭い。いいや、きな臭いってレベルじゃない。気の狂ったケダモノに思えて仕方が無い。嫌がる妹に…公衆の面前でフレンチキスをかましたんだぞ?」

 葵は頭を抱えながら正直に青島寧々に自分の無力さを零した。

「しおりちゃんを守るって言った矢先にこれだ。私は彼女のお姉様失格だ」

「そんな事はありません。先程、此方に来る途中で長谷川から聞きました。駆けつけて直ぐに追い払ったと」

 青島寧々は率直に双葉葵の行動を評価した。まるで落ち込む彼女とは対照的の様に。

「だけど、事実は変えられない。覆水盆に帰らずだ…」

「以前にも言いましたが、零れた水はまた注げば良い。双葉葵。貴女にはまだチャンスがあるのですから」

「…いっつもありがと。青島。こんな弱っちいウチの背中を支えてくれて」

「生徒会役員の義務ですし、大切な友人の事ですから」

「本当…青島は確りしとって強い子やなぁ…」

 双葉葵の感心するような言葉に、青島寧々は首を横に振った。

「私はただ、気丈に振る舞っているだけに過ぎません。悩みながらも前に進む貴女の方が余程強いですよ…葵」

 凛とした表情から、そっと微笑みを浮かべて青島寧々は友人を評価した。

 双葉葵は「ほんま、おおきに…」と零しながらも、嫌な予感を感じずには居られなかった。神無月かおり、アイツとは必ず何処かでやり合う事になるだろうと。その為にも、出来るだけの事はしないといけないなと、双葉葵は決心した。

 その時である。完全防音の部屋にピーと柔らかい音のブザーが鳴った。誰かが双葉葵と青島寧々を呼んでいるのだ。双葉葵はガコン、と扉を開けた。

「はいはーい。なんですかぁ」

「あっ、会長! 先ほど、花束を机に投げていきましたでしょう?」

 田宮恵理子がタブレットPCを片手に困った様な表情で言葉を発した。

「おーぅ。 あの憎ったらしい神無月かおりからの、ねぇ」

 苦虫を噛み潰したかの様な表情で答えて「それで?」と彼女は問いかけた。

「気になって調べてみたんです…アネモネとヒヤシンスだけの花束なんて、妙な感じねって思って…」

「で~、何が分かったん?」

「…アネモネとヒヤシンスの花言葉は…あえて、悪く捉えるとしたら…『見捨てられた』『見放された』『ごめんなさい』『許してください』となります…」

 その言葉を聞いた瞬間、双葉葵の頭の中で何かがブチリと千切れる音がした。これの何処が『しおりにぴったりな花束』だぁ…?

「あんのクソアマぁああああああ!!!!」

 双葉葵の渾身の怒りの叫びが生徒会室に轟いた。

 

 …その日の夜の事であった。

 神無月しおりはまだ、怯えていた。体を震わせていた。拭い切れない恐怖に。実の姉の暴挙に…

「しおりん…大丈夫…?」

 大島明海の優しい言葉にも、神無月しおりは力無く首を横に振るだけであった。

 大島明海は、小さく決心した。聞かねば成らない。何があったのかを。でなければ彼女を慰める事が、癒す事が出来ないと思ったから。

「…聞いても、良い? 何があったの? 小さい頃に」

 その問い掛けに神無月しおりはビクリと一瞬、体を大きく震わせた。そして彼女は…意を決してぽつりぽつりと語りだした。

「…私は…小さい頃から…かおり姐さんに弄ばれてた…その頃は全く…何をされているのか、全く…分からなかったけど…でも…私が…そう言う行為が…イケナイ事だって…理解した瞬間…かおり姐さんの…してきた事は…激しくなった…」

 大島明海は絶句した。姉妹愛に対しては何の文句も言わない。そう言う関係もあるとしばしば聞くから。だが、幼い妹を、僅か一歳年下の幼い妹に性的な行為を行う姉がこの世の何処に居るのだ。それもレイプ紛いの暴挙を。

「……怖かった……かおり姉さんの目が……私を見る目が…まるで…獲物を見つけた…狼みたいで…」

 神無月しおりが語り終えたその時、大島明海は優しく彼女を抱きしめた。ふんわりと、慈愛の籠ったハグを。

「大丈夫。大丈夫だからね、しおりん。私が、居るから」

「…明海、さん…」

「大丈夫…今度アイツがしおりんに嫌な事しようとしたら、絶対に守るから」

 大島明海の決意は熱く、そして同時に神無月しおりをホッとさせた。体の震えが、少し収まった様な気がする。そして大島明海は思った。今しか、チャンスは無いと。

「ねぇ、しおりん、こっち向いて?」

「……?」

 キョトンとした表情で、視線を合わせる神無月しおりに、大島明海は優しく、優しく、額にキスをした。

「…ぁ…」

 ぽつりと、声が零れる。それは嫌悪の物ではなく…

「しおりんは…こんなキスは、嫌い…?」

 大島明海の優しい問いに、神無月しおりは小さく首を横に振った。

「…暖かかった…明海さんに…抱きしめられてるみたい…だった…」

「…もう一回…する…?」

 再びの問いかけに、少女は小さく頷いた。

 優しい雨が降る。キスと言う名の、優しい雨が。何度も、何度も。

 大島明海は、そっと静かに指を絡めた。神無月しおりの震えは、もう殆どない。

「ちゅっ…」と唇と唇が触れ合った。

「これも…イヤ…?」

「…いやじゃ、ない…その…よく、分からないけど…明海さん…あったかい…」

 もじもじと照れる神無月しおりのしおらしい姿に大島明海は生唾をごくりと飲んだ。お嬢様やお姫様と形容されるような美少女が、自分のキスで気持ちいいと言ってくれたのだ。例えその言葉が、少女にとっては上手く表現出来なかったとしても。気持ちが高揚して堪らない。だけども、必死で逸る心を抑える。

「これはね、しおりん…気持ちいいって、言うんだよ…?」

「…きもち、いい…」

 神無月しおりは、初めて口にする言葉をゆっくりと呟いた。大島明海は頷いて見せる。

「気持ちいいこと、もっと…する…?」

「…ん…明海さんと…暖かくて、気持ちいい事…したい…かも…」

 恐る恐る言葉を口にする神無月しおりを、大島明海はそっと抱きしめた。独り、心の中で呟く。良かった。壁の一つは突破出来た。と…

 ちゅ、ちゅ、とキスの雨を降らせながら、大島明海は神無月しおりのパジャマをそっと脱がせた。線が細くて儚さを思わせつつも、多くの傷跡が残る体にそっとキスをする。

「しおりんの体、本当に綺麗だよ…」

「…そんな事…ない…」

 困った様な、照れるような表情で神無月しおりは答えた。だが大島明海はううん。と首を横に振った。

「私が一番、知ってるもん。しおりんの体が綺麗な形をしているの」

 そう言いながら、大島明海はするすると自分のパジャマを脱ぎ捨てた。肉付きの良い、バランスのとれたスポーツマン的な体だった。

「私が、教えてあげるから…あんな強姦じゃなくて…『愛の一つ』を…」

「…明海、さん…?」

 言葉の意味が分からず、キョトンとする神無月しおりに、大島明海は優しく撫でる頬にキスをした。

「少しでも怖かったり、嫌だったら言ってね…? 私、しおりんの嫌がる事、したくないから」

「…うん…」

 そして少女達は体を重ね合った。唇を触れさせ合う。甘い甘い口づけを。最後の分水嶺を越える。下着をそっと脱がせて、少女達は己自身を曝け出した。

 体が、熱くなる。まるで逆上せるかの様に。ガソリンが燃え上がるかの様に。石炭が煌々と赤く燃え滾るかの様に。

「っ…ぁ…あっ…」

「ひぁっ…ぁ…あぁっ…!」

 甘い、甘い悲鳴が、アパートの一室に木霊する。幾重にも幾重にも重なって。少女の嬌声が響く。十重に二十重に重なり合う波の様に。

 

 神無月しおりはこの日、『愛の一つ』を知った。そして『愛し合った』。何度となく、甘い甘い『愛』をゆっくりと貪った。

 

 その翌日…

 神無月しおりを心配する少女達が、戦車の倉庫の前に集まっていた。まだ恐怖が抜けきって居ないだろうかと心配して。しかし…

 その心配は幸いにも無駄に終わった。神無月しおりは何時もの、何処か少しおっとりとした落ち着いた雰囲気を纏っていた。だが…

 神無月しおりと、大島明海の肌が妙にツヤツヤとしていた事に、とある少女は気が付いた。

「隊長と明海さん、一線を越えちゃったの!?」

「馬鹿ッ! そんな事は気付いても聞くんじゃない!!」

「でもでも、未成年だよ!?」

「黙らっしゃい! 隊長と大島さんに迷惑だろうが!」

 わーわーきゃーきゃーと騒ぎ、喚く少女達を前にして、神無月しおりは自分の感情を上手く表現出来なかったが、顔を赤らめながらそっと大島明海の背中に隠れた。

 

 あくる日の事、初夏ももう終わろうかと言う頃。播磨女学園に打電が届いた。

 打電主はローズマリー・レンフィールドだった。『しおりさん、お茶会をするからメロヴィング女子大学付属高校にいらっしゃいな』と。

 その打電を受けて、双葉葵は「行ってらっしゃーい。楽しんできてね~」と言って神無月しおりを送り出した。少女はお菓子を持たされてユンカースG24へと乗り込む。液冷V型水冷12気筒エンジンが調子よく唸りながら空を飛んだ。空の旅をする事暫し。メロヴィング女子大学付属高校の学園艦が見えてきた。空から見る学園艦は確かに遠い遠い昔、かつての世界大戦や戦後に作られた空母によく似ていた。しかし一番の違いは、その甲板であろう。何故なら人々が住む街と、学園があるのだから。

 ユンカースG24は緩やかに滑走路へと着陸する。神無月しおりが飛行機から降りるとお待ちしていましたとばかりに一人の少女が恭しくお辞儀をした。

「神無月しおり様ですね? お待ちしていました。他校の方々も既にお揃いです。どうぞ此方に。お茶会の会場までご案内致します」

 優雅な校舎。可憐な学生服に身を包む少女達。所々の庭に植えられている薔薇の数々に、神無月しおりは聖・バーラム学院とはまた雰囲気が違うな…と感じた。

 そうこうしている内に、どうやら目的地にたどり着いたらしく、薔薇の茂みに囲まれた半球状の屋根を持った、ガゼボがそこに在った。お使いの生徒が「神無月しおり様をお連れしました」と答えた。

「通して差し上げて頂戴」

 エリザベド・ガリマールの何処か勝気な、だけども嫌味ではない声が中から聞こえた。

「それではどうぞ、中へ」

 言われるが儘に、神無月しおりは小さな迷路の様な薔薇の茂みの間を通ってガゼボへと辿り着いた。其処には愛おしいメンバーがお茶の準備をしていた。

「いらっしゃい。シオリチカ。左目の具合はどう…?」

 アレクサンドラ・楠が少女達を代表するかの様にそっと問いかけた。

「ん…大丈夫。視力も問題ないから」

 そう答えると少女達はホッとした。特にジェーン・フォードは一番ホッとした事だろう。

 斯くして、戦車道少女達の他愛もないお茶会が始まった。それぞれが持ち寄ったお菓子を摘まみながら。しかしジェーン・フォードだけは少し困った様な顔をしていた。

「えっと…うちってアメリカ系の学園艦でしょう? 文化もアメリカ系だから、あんまり可愛いお菓子って無くって…だからこれで勘弁して頂戴!」

 そう言って差し出されたのは、小振りに作られたミートパイだった。逆に、とてもアメリカらしいと言う事で、少女達には好評であった。食べやすい小振りなサイズに作られたそれは、スパイスが効いていて、冷えていても美味しかった。

「そういえば、ポップコーンもあるのではなくって?」

 エリザベド・ガリマールはフィナンシェを摘まみながらジェーン・フォードに問いかけた。

「あ~…えっとね、そう思って作ろうかなって思ったんだけど…時間が経つと油っぽいし、真空パックしとかないと湿気ちゃうしで、ね…?」

 ジェーン・フォードは「たはは…」とばかりに苦笑した。中々どうして、それぞれの文化の違いがあって面白いな…と神無月しおりは思った。

「その点で言うと、しおりの学校はズルいわ!」

 神無月しおりの持ち込んだパリブレストを前にしてエリザベド・ガリマールはそう言った。…ズルい…? はて。どう言う意味だろう。と神無月しおりは首を傾げた。

「イギリス、フランス、ドイツって三ヵ国を網羅している上にとても美味しいんだもの!」

「やはり、播磨の近くにはお菓子に強い神戸があるからかしら?」

「羨ましいわよねぇ。色々食べられて。それにコレ、確か料理人を目指してる調理科の子達が作ってるのよね?」

 確かに、これは調理科の子達が丹精込めて作ったお菓子だ。態々学内で販売している程度には、気合が入っている。神無月しおりは小さくコクコクと頷いた。

「今度、プリャーニクでも注文してみようかしら」

 クスクスと笑うアレクサンドラ・楠に対して「意地悪はお辞めなさい?」とローズマリー・エンフィールドがやんわりとたしなめた。

「そうだわ! すっかり忘れてましてよ!」

 ガタッと椅子を揺らしながら立ち上がるエリザベド・ガリマールに神無月しおりは再びキョトンとする。

「タンカスロン、しませんこと? このメンツで」

 エリザベド・ガリマールのその言葉に少女達は乗り気だった。

「良いわね。タンカスロン。軽戦車を振り回すのって楽しいし」

「Good! たまには小さい戦車も使ってあげないと泣いちゃうわ」

「それで、エリー? ルールはどの様に?」

「チームそれぞれ2両ずつ。誰が勝っても負けても恨みっこなし! それで如何かしら」

 そして少女達は楽し気に言う。「乗った!」と。……ただ一人、神無月しおりを除いて。彼女は少しオロオロとしていた。

「あら、どうかしたの? シオリ」

 ジェーン・フォードの問いかけに神無月しおりはおずおずと答えた。

「私の学校…軽戦車持ってない…」

 その言葉を聞いて、少女達は「おうふ…」と表現し難い声を漏らした。

「ウチからレンドリースしましょうか?」

「でも、不慣れな戦車は不利になるのではなくって?」

「かと言って購入するにもタンカスロンの人気のお蔭で最近は軽戦車も値上がりしているし…戦車道でも偵察役として引っ張りだこだし」

「悩ましい問題ね…」

 少女達のああだこうだと言うやり取りの中、神無月しおりはふと思いついた。

「あの…お電話、良いですか…?」

 恐る恐る、神無月しおりは少女達…特に恐らくは、主催者のエリザベド・ガリマールに問いかけた。

「えぇ。問題なくってよ?」

 許しを得た神無月しおりはそっと携帯電話を取り出し、短縮アドレスをプッシュした。コールする事暫し…そして繋がった。

『はいはーい。どしたのしおりちゃーん。お茶会してるんやなかったっけー?』

「あの、おねえさ…んっ…葵さん、軽戦車を2両、どうにか手配出来ませんか?」

 つい、お姉様と言いかけてしまうのを我慢しながら神無月しおりは言葉を続けた。

『軽戦車? なんでまた? 何するの?』

「友達の皆で、タンカスロンをしようってなって…」

『ははーん成る程成る程。オッケーオッケー。お姉様に任せておきなさい。それじゃねー』

「宜しくお願いします」

 電話を終えて、小さくふぅ…と吐息を吐いた神無月しおりに、ローズマリー・レンフィールドが楽しそうに食いついた。

「ねぇしおりさん? 先程、お姉様って言いかけなかったかしら?」

 ローズマリー・レンフィールドの鋭い指摘に、神無月しおりは頬を染めた。何故だか分からないが、顔が熱い。

「まぁ、可愛らしい反応だこと。ソロルの契りを結んだ訳ね。恐らくは、生徒会長さんと」

 その時エリザベド・ガリマールは「はて?」と反応した。

「ソロル…? スペイン語で姉妹ですわよね…? 我が校でも選択科目に存在しますけれども…それとしおりと葵に何の関係があるのかしら?」

「義理の姉妹の事よ。私の学校はミッション系の学校だから、シスターと言うと修道女の『シスター』と被ってしまうの。それで、混同してしまうのを避ける為にスペイン語を使った訳。上級生と下級生を姉妹に見立てた制度なの。古くからある制度だけれど、まさか播磨にもあっただなんてね」

 ローズマリー・レンフィールドの説明を受けて、エリザベド・ガリマールは成る程! とばかりに納得した。

「我が校にもありましてよ! まぁ、義理の姉妹と言うか、姉弟子、妹弟子と言った感じですけれども」

「それでしたら、私の学校にも。ジェーンのところには…?」

 アレクサンドラ・楠の言葉にジェーンは悩んだ。

「うーん…そう言う耽美な制度は無いけどもー、すっごい仲良しでペアリングとか付けてる子なら見かけるわね!」

 神無月しおりは思った。他愛も無い談話が心地いい。平和で、暖かくて、今にもほぅ…と心地いい溜息が出てしまいそうになる。

 少女達の、平和なひと時。緩やかな時間。きっと心に刻まれる、思い出の一コマに。

 

 ほぼ同時刻…

 

 双葉葵は短縮アドレスをプッシュした。暫くの呼び出し音の後、通話が繋がる。

『双葉さん? 一体どうしたのかしら。注文の品はまだもうちょっと掛かる所よ?』

 電話に出たのは戦車会社の早乙女光だった。電話口の向こうからは少し忙しそうな雑音が聞こえる。

「急なお電話すいません。実はしおりちゃんがタンカスロンやる事になって。小型戦車をレンタル出来ないかなー思ったんよぉ」

 要件を手短に伝えると早乙女光は成る程! とばかりに自分のデスクで頷いた。

『それだったら丁度いいのがあるわよ! ウチの会社の試作品! カリッカリにチューニングしてあるから、腕のいい子にしか扱えないけど』

「それやったら問題ないと思いますわぁ。ウチの子達、しおりちゃんのお蔭でグングン成長してるから」

『それじゃぁ直ぐにでもそっちに輸送するわね! 合流地点の航路座標、あとで算出しといて頂戴』

「はいはーい」

 電話が切られと、早乙女光はちょっと休憩するから。と同僚に一声かけて、タンブラーにカフェオレを注ぐと戦車の工廠へと足を運んだ。

 そこには大小様々な戦車が立ち並び、クレーンには主砲や砲塔と言った重量物が吊るされていた。ゴン…ゴン…と鈍いハンマーの音がして、バチバチと溶接する音が響き、何かを掘削するドリルの音が聞こえ、グラインダーの強力な回転音が響く。早乙女光はその中でも二両の戦車に目を向けた。

「貴方達が暴れまわる姿を想像すると、とっても楽しみだわ♪」

 タンブラーからカフェオレを飲みながら、早乙女光は(しおりちゃんが今度やるって言うタンカスロン、有給取って見に行っちゃいましょうか)等と考える彼女に対して、その軽戦車は静かに…鈍い光を発するのであった。

 

 

 数日後…約束の日。アレクサンドラ・楠はT60軽戦車に乗って現れた。その表情は何処か勇ましげであった。ローズマリー・レンフィールドは何事も優雅にと言わんばかりにハリー・ホプキンス軽戦車に乗ってきた。エリザベド・ガリマールは威風堂々と言う風にオチキスH35に乗って現れ、ジェーン・フォードは楽し気な表情を浮かべてあれこれと改造したM2A4軽戦車に乗って現れた。

「ねぇジェーン? M2A4軽戦車ってちょっと重すぎなくって? 貴女それで大丈夫ですの?」

「イエス! だからちゃんと10トン以内に収まる様に改造してきたのよ。具体的にはちょっと軽い履帯に交換したり、使わない機関銃を下ろしたりね」

「履帯ってかなり重いものね…戦車道をやってて一番辛いのって履帯の修理なんじゃないかしらって思うぐらい。

「ところでシオリチカはまだなのかしら…?」

 そろそろ約束の時間なのだけども…と懐中時計を取り出しながらアレクサンドラ・楠は心配そうに呟いた。その時である。

 マイバッハの直列6気筒エンジンの音が響いてきたのである。それもかなり独特な音を奏でて。そして林の向こうから現れたのは…二号戦車ルクスであった。少女達はギョッとした。二号戦車ルクスは殆ど軽量な中戦車ではないかと。しかも30mm機関砲まで搭載している。神無月しおりとバウムガルト・桜は二号戦車ルクスから降りてきた。そして少女達は叫ぶ「ズルーい!!」と。

 神無月しおりはキョトンとした。お茶会でも「ズルい」と言われたが、その言葉の意味する所はなんだろうか? と。その様子を見てバウムガルト・桜は「やはりな…」と苦笑しながら言葉を零した。

「コマンダンテ。彼女らの言葉の意味が分かるかい?」

 神無月しおりはふるふると首を横にふった。相変わらずキョトンとして、幼気な彼女の振る舞いに幾ばくかの心のトキメキを感じつつもバウムガルト・桜は言葉を続けた。

「とどのつまりだ。彼女らは我々の事を卑怯だと言いたいのだ」

「卑怯…卑怯な事をズルいって言うの…?」

「そうとも。何故なら考えてみたまえ。我々の戦車の性能を。軽い中戦車に片足を突っ込みかけている。元々の重量は幾らだったかね?」

「…確か、13トンぐらい。燃料とか含めて」

「そうとも。それでもって、我々の戦車はこのタンカスロンに参加する為に転輪を大幅に軽量化したり、燃料タンクの容積を減らしたり、フェンダーや道具箱を取っ払ったりした訳だ。それでいて尚且つこの30mm機関砲は貫通力に大変秀でている。至近距離なら90mmぐらい貫通させる事が可能なのはコマンダンテもご存知だろう? そしてエンジンはよりパワフルに改造されている訳だ」

 バウムガルト・桜の言葉を聞いて、神無月しおりはコクリと頷いた。

「更に言えば、だ。タンカスロンの定番の戦法は何かね?コマンダンテ」

「…数があるなら包囲網を敷いての物量作戦。そうでないのであれば物陰を利用した奇襲作戦。足が速いのであれば速度を生かした高速戦闘や奇襲を兼ねた突貫」

「うむ。流石はコマンダンテだ。タンカスロンでの戦法をよく知っている。故に、彼女らは卑怯だと言ったのだ。ご理解頂けたかね?」

バウムガルト・桜の説明にゆっくりと神無月しおりは頷いた。だが既にその瞳は勝負に燃えていた。

「…卑怯でも…ちゃんと戦車は仕立てて来た。勝負を挑まれたからには…勝ちたいな…」

「うむ。楽しんで勝とう。それが我々の『道』だ。さてコマンダンテ。どう戦うかね?確かに我々の戦車は他の戦車に比べて俊足かつ火力に優れるが、装甲は平均的と来た。ハリー・ホプキンス軽戦車は我々程では無いが足が速く、装甲は我々より若干固い。オチキスは重装甲だが足は鈍重。M2A4軽戦車は割と主砲が強力だが側面と背後が弱い。T60の主砲は脅威だが、砲塔が狭く指示が難しい。装甲も強力だが、M2A4軽戦車と同じく後部や側面が弱点だ」

「…少し時間を貰う」

「しおりちゃーん!」

 その時であった。神無月しおりの名前を呼ぶ、優しい声が聞こえてきた。

「あ…早乙女光さん…」

 声の主は、戦車会社の早乙女光であった。普段の仕事着のスーツではなく、今日はジーンズにジャケットと言うラフな格好であったが、その姿も大変よく似合っていた。

「えへへ。しおりちゃんがタンカスロンやるって聞いて見学に来ちゃった。悔しい事に試合の方は中々見に行けるチャンスが無かったけれども。うちの会社が総力をあげて弄ったルクス、派手に振り回して頂戴ね。多少壊れたって問題ないから!」

「はい…存分に、使わせて貰います」

「それじゃ! 私は安全な所で見学させて貰うから! ばいばい♪」

 早乙女光とのやり取りを見ていたバウムガルト・桜はしみじみと思った。

「コマンダンテは中々どうして愛されているなぁ」

「…?」

「皆から慕われていると言う事だよ。それもまた、愛の一つの形なのだ」

「…そっか。うん…ちょっとだけ、理解できた…」

「シオリチカー!」

 アレクサンドラ・楠が神無月しおりを呼ぶ声が聞こえてきた。

「ちょっとこっちに来て頂戴ー」

 

 斯くして戦いは始まろうとしていた。とは言え、神無月しおりとバウムガルト・桜の駆る二号戦車ルクスとの性能差を考えて他の少女らは陣を組んだ。

 正面にホプキンスとT2がそれぞれ2両ずつ並び、左翼にオチキスが2両。 右翼にT60が2両 。そしてこの三角形のオチキスとT60が繋ぐ辺のやや後方に、ルクスは配置された。

「これでは事実上の包囲網だな…それでどうするかね? コマンダンテ」

「…定石を使いつつ、定石を破ります。説明するのでタブレットPCを見て下さい」

 

「それでは皆、準備は良いかしら?」

 ローズマリー・レンフィールドが皆を代表して無線機に問いかける。

『こちらサーシャ。問題ないわ』

『エリーよ。此方も問題なくってよ!』

『こちらジェーン。準備OK!』

『…神無月です。問題ありません』

「それじゃぁ、スタート!」

 ローズマリー・レンフィールドがキューポラの隙間から信号拳銃を撃った。ポンッと間抜けた音が響く。

 その途端、二号戦車ルクス2台は派手に発煙筒を発火。煙幕を散布した。それも二号戦車ルクスが全く見えない程に。

「いきなり煙幕!?」

 ジェーン・フォードは驚く。途方にも無い濃い煙幕だと。

『しおりさんは煙幕を使うのが好きなのよ。各車警戒!』

 するとどうだろうか。エンジン音を高らかに鳴り響かせながら、折角の煙幕の中から二台の二号戦車ルクスが飛び出してくる。

「どう言う事ですの!?」

『何はともあれ、狙わせて貰うわ、シオリチカ!』

 キリキリと砲塔を旋回させ、狙いを定めようとしたT60とオチキスH35は二号戦車ルクスの未来予測位置へと砲を向ける。

「貰った!」

 エリザベド・ガリマールがそう叫ぶや否や、二号戦車ルクスは急ブレーキをかけて、素早い勢いで後退した。見事な程に、T60とオチキスH35の射線上の少し手前に。神無月しおりは互いを誤射させた。

「ちょっと! 危ないじゃないの!」

『それはこっちの台詞ですわ! ルクスは何処へ!?』

 その間にも、煙幕の中を突き抜け、二号戦車ルクスは素早くドリフトターンを行った。後進運転から前進運転へと転進する。誤射によってもたついて居るオチキスH35とT60のエンジンルームへと行進間射撃にて30mm機関砲を斉射、神無月しおりとバウムガルト・桜は一両ずつを撃破した。

「二人とも、落ち着きなさい! 数の上ではまだ私達が有利よ!」

『シオリの運転、派手ったらないわね! まるでタンク・ラリーみたい!』

 ローズマリー・レンフィールドが少女達に指示を出し、ジェーン・フォードが気持ちを落ち着かせようと軽口を叩く。そうしている間にも、二号戦車ルクスはまだ生きているオチキスH35とT60をカーブの中心点にしつつ互いにクロスするような機動を取りながら再び煙幕へと突入する。

「好機よ! 包囲網を敷きなさい!」

 各車両は煙幕を取り囲む様に展開するが、突然二号戦車ルクスが煙幕から飛び出し、側面に回り込もうとしていたT60とオチキスの真横やや後ろへと横付けする。履帯と履帯がぶつかり合い、火花を散らした。ハリー・ホプキンス軽戦車とM2A4軽戦車は誤射の可能性が非常に高く、発砲する事が出来ずに居た。斯くしてT60とオチキスH35を盾にした二号戦車ルクスはハリー・ホプキンス軽戦車とM2A4軽戦車を一両ずつ撃破する。

『まだよ! まだ終わった訳ではないわ!』

『シオリったら、すばしっこ過ぎぃ!』

 再加速するルクスは再び煙幕を展開。少女達の視界を奪いながら高速で移動した。

「まずい! このままだと誤射の可能性が…!」

 アレクサンドラ・楠が叫ぶや否や、エンジンルームにガンガンガン!!と強い衝撃を受ける。車内の白旗判定装置の白旗を知らせるランプが点灯する。こんな煙幕の中でどうやって…? 疑問が止まないでいると、通信が入ってきた。

『嗚呼っ! もう! やられましたわ!』

 エリザベド・ガリマールの悔しさに満ち溢れた悲鳴にも程近い無線が響く。

「ジェーン!円周防御!ホプキンスの後ろに戦車を付けて!」

『オーケィ! このままやられっぱなしじゃ悔しいものね!』

 然し、少女達の奮闘も空しく、突如左右から現れた二号戦車ルクスに反応が遅れて、最後に残ったハリー・ホプキンス軽戦車とM2A4軽戦車は見事に撃破された。煙幕が晴れる頃には、白旗を上げる戦車が8両の戦車と、ピンピンしている二号戦車ルクスがあった。

 タンカスロンを見ていた観客たちは言う。一体煙幕の中で何があったんだ? ルクスは煙幕を出たり入ったり何をしていたのだ? と。

 斯くして、二号戦車ルクスを仕留めた後にバトルロワイアルを繰り広げる気満々であった少女達は、見事に神無月しおりにしてやられたのであった。

「それでしおりさん? 一体どんな魔法を使ったの?」

「イエス! あんなにモコモコとスモークを焚いて、どうやってチームメイトとぶつからずに済んだ訳?」

 少女達の問いに神無月しおりはもぞもぞと、とあるアイテムを取り出した。

「これ…タブレットPCと高性能GPS…あと目視…」

「えぇぇぇーーーッ!?」

 少女達の悲鳴が木霊する。神無月しおりはビクッと体を震わせつつも説明を続けた。

「圧倒的数の不利を覆すにはこれしか無かった。勿論、事前にどんな走行機動を取るのか、ブリーフィングしたけど」

「…してやられましたわ。ルール無用のタンカスロンで…」

「まさか、文明の利器に負けるとはね…」

「Oh…Shit…」

「これはもうアレね。しおりさんには何か奢ってもらうのは如何かしら? 日本のゴルフのホール・イン・ワン文化の如く」

「74アイスのアイスクリームなんてどうかしら?」

「賛成! 汗かいちゃったし、喉もカラカラだわ」

「良いわよね? しおりさん?」

 少女達のやり取りにオロオロしながらも、神無月しおりは自分のサイフの中を覗き込んだ。そして…

「…バウムガルトさん。助けて…後でお金、ちゃんと返すから…」

 どうしよう…と言う表情で神無月しおりは友人に助けを求めた。

「ハハハハハ…コマンダンテの願いとあらば、仕方ないだろう。安心したまえ」

 バウムガルト・桜は苦笑しつつも優しくしおりの頭を撫でるのであった。

「決まりね! エンジンルームもカーボン仕様だから、皆自走できる状態だし。それぞれの戦車で行きましょ」

 アレクサンドラ・楠がそう言って音頭を取った。少女達は頷く。

「誰か最寄の74アイスの場所、知ってまして?」

「イエス! あたし知ってるわ! 先導するから付いてきてー」

「ちょっとしたパレードですわね」

「最後尾が優勝者ってのも変ってるがな」

「ホントそれ!」

 バウムガルトの言葉に各校の少女が口を揃えてそう言った。神無月しおりは思う。どうして最後尾なのだろう。と

「しおりちゃーん! 煙幕の中の戦い、凄かったわよー!」

 ふいに、早乙女光の賞賛の声が聞こえた。神無月しおりは、自然と、微笑みながら手を振る事が出来た。

 74アイスクリームに到着した戦車少女達は和気藹々と、何を食べるかできゃっきゃと騒いだ。しおりは微笑む。何時までもこんな時間が続けば良いのにと。口に含んだバニラのアイスは、とても甘かった。

「なぁにシオリ。バニラだけ頼んだの? チョコミントも良いわよ?」

「ふえっ…?」

 不意にジェーン・フォードがチョコミントを神無月しおりのカップに分けてきた。少女はキョトンとする。

「あら。ラズベリーも中々の物よ?」

「えっと、あぅ…」

 次にはエリザベド・ガリマールが食べていたアイスを分けてきた。

「キャラメルだって素敵だわ」

「では私からはラムレーズンを」

「あわわ…」

 気が付けば少女達の善意によって、神無月しおりのアイスのカップは、お裾分けのアイスクリームでこんもりと盛り上がってしまった。彼女は困惑する。こんなに沢山のアイスクリームを食べきれるのだろうかと。

 ……前言撤回。何事も楽しい事は程々で無いと苦労するのだとしおりは思うのであった。お腹を壊したらどうしようか。と同時に思いながら。

 その傍らで、少女達と神無月しおりのやり取りを見て、バウムガルト・桜は思う。

 コマンダンテに友人が出来て本当によかったと。何故ならば、彼女の表情が前よりも豊かになって居たから。

 少女は確かに、一歩ずつ、普通の女の子への道を踏み出していた。たとえそれが、緩やかな歩みだったとしても。

 

 …時間は少し遡り…

 

「見たか、三之菱。あんな戦法を取る戦車乗りはそうそう居ないぞ」

 少女は楽し気にタンカスロンを見学していた

「是非ともお手合せを願いたいですね。川崎様」

「ああ! 楽しみで楽しみで堪らないな! それでは帰るとするか。三之菱」

「えぇ。川崎様。所で帰りしなにキューマル屋のクレープを頂いて帰るのは如何でしょう?」

「それは良い提案だ! 糖分は頭を回すのに大切な物だ。それでいて美味なら言う事はない!」

 二両のチハは、空冷ディーゼルエンジンの音を響かせながら、タンカスロンの会場を去っていった…

 

 

 

 

登場戦車一覧

 

T60軽戦車

ソ連製の軽戦車。長い経緯を経て設計、生産された車両である。

主な武装としてTNSh20mm機関砲を有する。しかし史実ではその華奢ぶりにあまり有用に使われなかった。

 

ハリー・ホプキンス軽戦車

イギリス製の軽戦車。テトラーク軽戦車を代替する為に生産された。かなり独特な駆動形式を有している。

主な武装としてオードナンスQF 2ポンド砲を有する。一見するとテトラークの亜種にしか見えない。

 

オチキスH35

フランス製の軽戦車。車体各部を鋳造し、繋ぎ合わせると言う独特の生産方法で作られた。

主な武装として21口径37mmピュトーSA18砲を有する。見た目は丸みを帯びて可愛いが、品質には色々と問題があったらしい。

若干の重量オーバーの為、履帯の軽量化が図られている

 

M2A4軽戦車

アメリカ製の軽戦車。多種多様なバリエーションを誇る。外見はM3スチュアート軽戦車にも似ている。

主な武装としてM5 37mm戦車砲を有する。皮肉な事にイギリスに送られた本車両の愛称もまた「スチュアート」であった。

見た目の割りに重い為、この車両もまた軽量化が図られている

 

二号戦車ルクス

ドイツ製の軽戦車。二号戦車の系列車両である。快速を誇る戦車である。また軽戦車には珍しく、乗員が4名である。

主な武装として55口径2cm機関砲KwK38を有する。当車両は偵察目的に作られたが生産を打ち切られた経緯を持つ。

タンカスロン参加に当たり、フェンダーを大胆に切除、履帯を軽量な物に交換、転輪の穴開け軽量化、燃料タンクの削減。さらには武装をより強力な3 cm M.K. 103機関砲へと交換する等の魔改造が施されている。

 

 

 



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ep.7

※当作品は昔ながらの文庫スタイルで書かれています。
縦書きPDFか、行間を広めてお読みください



・歩み行く者。這い寄りくる物





 

 

 

 他愛もない日常を破壊する物が『人間』だとするのであれば

 他愛もない日常を取り戻す物もまた『人間』である。

 

 神無月かおりの暴挙によって過去のトラウマの一つを抉り出された神無月しおりは大島明海の献身的な『愛』によってその束縛から解き放たれた。

 神無月しおりはまだ気付いていないだろう。『愛の力』を。『愛の為せる事』を。しかし今はそれで良い。少女には時間が必要なのだから。

 

 …あくる日、エリザベド・ガリマールの提案によって少女達はタンカスロンを行う事となった。斯くして試合当日の事である。続々と集まる少女達だが

 神無月しおりは驚異的なまでに改造された二号戦車ルクスを投入してきた。その性能差に少女達からはブーイングを受ける。そして…

 五校同時によるタンカスロンは、圧倒的な数の不利と言う状況下でありながらも神無月しおりの機転によって彼女の勝利に終わった。

 

 勝負に負けた少女達は勝利者である神無月しおりからの施しを要求した。しかしそれはただの理由作りにしか成らない。

 まるで例えるのであれば一人ぼっちの神無月しおりを取り囲む様に、少女達は自らが注文したアイスクリームを彼女に分け与えた。

 それは話題の切っ掛け作りの為に。少女達は口々に優しく問いかける。「美味しい?」と。

 少女らの問いかけに神無月しおりは必死に頭の中に詰め込まれた語彙を引っ張り出して答えた。それが少女らにはいじらしく見えた。

 少女達は教えてあげた。少女らしさを。普通の少女らしさを。神無月しおりの求める、戦車道が好きな普通の少女の有様を。

 その様子を一人、バウムガルト・桜は静かに見守っていた。『愛される』事もまた『愛』である、と。

 

 初夏ももう、終わりに近づきつつあった。

 …はしゃぐ少女達は何も知らなかった…

 …直ぐそこに一つの終焉が迫りつつある事を…

 

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 第七話:ディフェンス…リロード・モア

 

 

 そろそろ地上では蒸し暑くなろうかと言う季節の頃。学園艦は潮風を浴びて涼しい夏の始まりを謳歌していた。新しい始まりを謳歌しているのは季節だけではない。戦車道少女達もまた、新たな出会いに涌いていた。

 運び込まれてきたのは重戦車。それも二両である。方や、実戦配備型の増加装甲を施されたポルシェティーガー一型に、VK45.02の名を持つポルシェティーガー二型であった。

「凄い! 本物の重戦車だわ!」

 T34の装填手の大淀歩美が感嘆の声を上げる。それは他の少女達も一緒だった。神無月しおりもその一人だった。

「…こんな凄いの…よく手に入ったな…扱いは難しいって聞くけれど…」

 神無月しおりの言葉に二両の戦車を仕立てて来た早乙女光はえっへんと胸を張った。

「元々この二両はこの播磨女学園の倉庫にあった物なのよ。すっごいボロボロでスクラップ寸前だったけどね。しおりちゃん覚えてる? 使えそうな戦車の復旧をして欲しい。って言ってたの。だから復旧した訳。それにこの二両はバッチリなんだから! 一型の方は実戦配備型と同じ増加装甲を施して、弱点の側面ハッチも閉鎖したし、さらに二両ともにエンジンを熱に弱い空冷エンジンから液冷エンジンに取り換えた上で、パワーアップは勿論の事、発電機を小型かつ高出力で耐熱性に優れる物に交換! 当然動力モーターはヒートシンクを取り付け、パワフルかつ発電機にマッチする物へと入れ替え。最終変速装置も大きなトルクが掛かっても大丈夫な様にばっちり改造済みなんだから! オマケで使った後は整備が必須だけど、スクランブルブーストも掛けられるわよ! 回数は出力によるけどね」

 早乙女光の改良結果の解説を聞きながらも、中嶋奏は不思議そうにポルシェティーガー一型を眺めていた。

「でもこの子、ずいぶんとチグハグですねぇ…車体の増加装甲は別として、砲塔の構成が無茶苦茶ですよ? 普通のティーガーの初期型砲塔なのに、ポルシェティーガーのプロトタイプみたいな天板とトサカが付いてますし、ベンチレーターの追加は嬉しい事ですけども、キューポラもクラッペの大きな中期型。さらに言えば砲盾は後期型ですし…」

 中嶋奏の鋭い指摘に早乙女光は言葉を濁らせた。

「あー…それはねぇ…」

「…早乙女さん…何かあった…?」

 キョトンと、神無月しおりの無垢な視線に耐え切れずに早乙女光は正直に暴露した。両手の人差し指を互いに突っついて。

「えーっとぉ…色んな伝手を頼って集めたティーガーの砲塔の部品の中で使えそうな物をね? 切った貼った、切った貼ったを繰り返したら~…チグハグになっちゃった。みたいな? てへぺろ」

 照れくさそうに呟く社会人に少女達はズッコケた。修理のそれの何が悪いのだろうかと疑問を持たなかった神無月しおりを除いて。

「所で会長? 二台のティーガーの乗員はどうすんだ?」

 柿原セリカの問いかけに双葉葵はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりにフフーンと鼻を鳴らした。

「ばーっちり揃えてあるよぉ。皆、カモーン」

 そう言うや否や、ゾロゾロと少女達が現れた。

「工業科の南雲よ。皆の戦車の改造やメンテをしているね。私の事は覚えてるでしょ? この戦車達、ちょっと癖が強いって言うからウチの子達を連れてきた訳。ドライバーの有栖川。砲手の島村。装填手の山本よ。車長は私がやるから」

 少女達はそれぞれに宜しくお願いします。と言った。しかし、一人は不承不承と言った感じで。

「はーい。次はウチの友達を紹介しまーっす!」

 そう言うや否や、東郷百合が楽し気に手を挙げながら新たな仲間を紹介する。

「車長の黒澤ちゃんにー、ドライバーの服部ちゃん。砲手の伊藤ちゃんに、装填手の織戸ちゃん! みーんな私のバイクレースとか、カーレース仲間なんだよー。戦車に興味なーい? ってもー必死になって声をかけて回ったんだから」

 東郷百合はふーやれやれ、と言う風に少しオーバーなボディランゲージをしてみせた。しかし…紹介された少女達は追い打ちをかけた。

「百合ちゃん、本当必死だったもんねぇ」

「場合によったらお菓子で買収しようとしたり」

「まぁそんな様子が可愛かったんだけど」

「酷っ! 私の苦労を笑うなんてー!」

 レーサー少女達は楽しげにアハハハと笑ったが、改めて全員がビシッと背筋を伸ばして挨拶をした。

「改めて、よろしくお願いします!」

「勝利のチェッカー目指して奮闘します!」

「私達も幾らか整備の知識はありますから、どうぞ役立てて下さい!」

「…とまぁ。皆真面目だよー。おちゃらけてる時は空気を読んだ上でおちゃらけてるから」

 東郷百合からの説明を受けて、少女達はパチパチと拍手を送った。

「それじゃぁ今日も練習始めよっかー」

 双葉葵がそう言った瞬間の時、「待った!」と言う声が響いた。

「悪いけど、件の隊長に会わせてくれる? 私は相手の実力を見ないと信じられない性質でねぇ」

「ちょっと、止めなよ五十子」

 南雲紫の制止も聞かずに山本五十子はキョロキョロと辺りを見渡した。そして神無月しおりを見つける。

「へぇ…アンタかい? 随分とまぁ、百合の花みたいな華奢な子だこと。こんな子が隊長を務めてられたって本当?」

「ちょっと! しおりんの事馬鹿にしないでよね! この子、根はすっごい強いんだから!」

 そうだそうだ! と周りの少女達の声が上がる。しかし神無月しおりは手を挙げて彼女らの声を制した」

「…実力って、なんでもいいの…?」

「おう、戦車以外ならな」

「…じゃぁ。掛かってきて」

 言うや否や神無月しおりの気配が変わった。それは戦車に乗る時のそれに近い物があった。彼女は身構えた。何が来ても良いように。少女達はハラハラしながら二人のケンカを見守った。それはその場に居た早乙女光にも言えた事だった。

「うおぉぉ!」

 山本五十子が掴みかかろうと駆けだした瞬間、パンッ! と一発の銃声が鳴り響いた。空薬莢が地面に転がる。神無月しおりのモーゼルM712の早撃ちであった。自衛用の麻痺弾は山本五十子の腹部に見事に当たり、彼女を痺れさせた。

「ぐへっ…!? くっそ…! まだまだぁ!!」

 それでも尚突進してくる山本五十子の様子にやれやれとばかりに神無月しおりは小さな溜息を付いた。そして怒りに我を忘れた少女の服を掴むと見事な一本背負いで彼女を地面に投げ転がした。

「がはっ…!」

 地面に転がる山本五十子に、神無月しおりは改めてモーゼルM712の銃口を眉間に突き付けた。

「これで満足した?」

「ごほっ…ごほっ… あんた、ほんと強いな…わりぃ。疑ったりして」

「…そう…」

 山本五十子の謝罪の言葉を受けて、神無月しおりはモーゼルM712をホルスターに収めた。同時にピリピリとした気配も消えた。神無月しおりは手を伸ばして彼女が立ち上がるのを手伝った。

「…ごめんなさい…お腹、痛かった…?」

「良いんだよ。元はと言えば私が先にケンカを吹っ掛けたんだ。酷い目に遭わされるのは覚悟の上さ…いちち…」

 神無月しおりの優しい言葉に、気にするなと言わんばかりに山本五十子は彼女の頭を撫でた。

「それじゃー改めて、練習開始と行こっかー。あ、しおりちゃんはちょっと相談に乗ってくれる?」

「…? えぇ」

「それじゃぁしおりん、また後でねー」

「うん…また後で…」

「しおりちゃん、あの戦車たち、上手く使ってあげてね」

「はい…早乙女さん…ありがとうございます」

 ぞろぞろと戦車に乗り込んでいく少女達と、キューベルワーゲンに乗って去っていく早乙女光を見送って、神無月しおりはすぐ近くに置かれていたテーブルの椅子に腰掛けた。

 テーブルの上にはしっかりと冷えたアイスティーが置かれていた。神無月しおりは素直にアイスティーに手を伸ばし、飲んだ。

「ウチさぁ。もう随分と戦車増えたじゃん? えーっと…何両だっけ?」

「最初に5両。追加でパンターとB1terの2両。それとT69E3が2両追加。今回のポルシェティーガーで2両です」

「えーっとつまり…5+4+2で11両かぁ…そろそろ通信するのに苦労しない? コードネームって言うか、愛称みたいなのをうちは付けた方が良いと思うんよー」

 双葉葵の言葉に成る程。と神無月しおりは納得した。コードネームを付けるのは確かに分かりやすい。だが…

「…困りました。私、あんまり言葉を知らないです」

 戦車道ばかりの人生を送ってきた神無月しおりは語彙力が極端に低かった。播磨女学園に入学したての頃と比べれば、最近は少女達との交流と娯楽のお蔭で随分と増えた方だが…

「そう思って、辞書持ってきたよー。焦らず考えてちょーだい」

「ん…」

 そう言って差し出された辞書を、神無月しおりはパラパラと読んだ。そして…

「ソミュアとB1terをシャルル1,2と名付けます。三両のT69E3は葵お姉様と四葉さんの名前に因んでクローバー1,2,3,パンターにはとある戦車乗りに肖ってブラックナイト。ポルシェティーガーにはそれぞれライガー1,2,クロムウェルとT34には…ポーカー1,2と名付けます」

「へぇー。面白いじゃん。…所でなんでクロムウェルとT34はポーカー?」

「…駆け引き勝負の強い車両なので…トランプで言う切り札にもなり得ますから」

 神無月しおりは一人思いを巡らせる。友人らに教えて貰ったトランプ遊びの一つがポーカーだった事に。そして切り札と言う言葉の意味も教えて貰った事を。

「あ、ところでさ。三/四号戦車はどーすんの? まだ聞いてないけども」

 その言葉を聞いて、神無月しおりは頷いた

「…三/四号は、『播磨の魔女』の名前にそって『ウィッチ』で行きたいと思います」

「…ははー…そう来たかぁ」

 双葉葵はタハハと苦笑した。この子はどうやら本気で他の戦車乗りの少女達が言い出した『播磨の魔女』に成り切るつもりなのだと。どんな事を考えているのかは分からないにしろ。

「とりあえず、りょーかい。美術部に分かりやすいアイコンを作る様に言っとくから、これにて相談はおしまーい。それじゃぁ訓練場所に行きますかぁ」

「えぇ…」

 双葉葵と神無月しおりは待機していた2台のサイドカーに乗り込み、その場を去っていった。

 

 その翌日の事。その日もまたせっせと戦車道の練習に励んでいる時の事だった。双葉葵はT69E3の車内で時計を見た。

「そろそろやねぇ…。あー、あー、クローバー1より各車へ。練習は一時中断。戦車を倉庫前に駐車して、待機してるバスに乗る様に」

『こちらウィッチ、了解しました。…何か用事でも?』

 皆を代表するかの様に、双葉葵の通信に神無月しおりは答え、そして問うた。

「それは滑走路に着いてからのお楽しみ~♪ そう言う訳で皆、戦車の倉庫前に集合ー」

 ぞろぞろと隊列を組んで戦車は倉庫の前へと駐車した。傍らには以前にも使ったシトロエンC6型のボンネットバスが待機していた。

 少女達は促されるがままにバスへと乗り込んでいく。ある者はタオルで汗を拭き、ある者は水分を補給し、ある者はお菓子をつまんだりと、各々が自由に車内で過ごしていた。双葉葵はその様子を見て、(うんうん。女子高生らしい。女子高生らしい)と見ていて喜んだ。その渦中に、義理の妹の神無月しおりが居たから。

「しおりん、汗かいてるよ? 汗疹になるから拭いとこ?」

「あ…うん」

「隊長ー。これこの前出た新作のスポドリー。水分補給ついでにさ。美味しいよ?」

「えっと…ありがとう」

「ねぇねぇ折角だしお菓子食べよ? ポテチが良い? チョコプレッツェルが良い? クッキーもあるよー」

「それじゃ…クッキーを」

(愛されてる。愛されてるなぁ…)と神無月しおりの様子を見て、義理の姉、双葉葵は幸せそうに一人頷くのであった。

 ボンネットバスが走る事暫し。学園艦の艦尾の一角に設けられた滑走路兼、学園艦の空の出入り口たる小さな空港が其処にはあった。双葉葵は検問ゲートの少女に学生証を見せて語る。

「生徒会会長の双葉葵やけどー、出迎えたい飛行機があるんで通して貰うね? 隅っこで待ってるだけで、無断搭乗とかはしないから」

「はっ! お疲れ様です!」

「そっちこそ、ご苦労様~無理しない様にねぇ」

 そして、シトロエンのボンネットバスは検問ゲートをゆっくりと通って行った。神無月しおりは以前、早乙女光が持ち込んできたB1戦車のシャーシを受け取りにきた事を思い出した。あの時もこんな感じだったな、と…

 滑走路の傍らで待つ事暫し、遠くに機影が見えてきた。

「あ、何か来ましたよ?」

 B1terのドライバー、五月雨綾子が言うと、少女達は艦尾の方へと視線を向けた。其処には確かに、機影が見える。徐々に機影は大きくなってきて…機種の判別がかなう程になった。

「YC130輸送機! すっごいマニアックな! しかも二重反転プロペラですよぉ!? 凄い改造ですねぇっ」

 機械に聡い中嶋奏が瞬く間に食いついた。少女達はほぇー…と声を漏らし、工業科の生徒達は

「ターボプロップか。あまり弄った事は無いなぁ」

「二重反転プロペラの整備ってギア周りが大変そうですねぇ」

「その代わりカウンタートルクが無くなったり推力が増えたりするからなぁ」等と工業科らしい知見を見せていた。

 緩やかにYC130は滑走路へと着陸した。その機首にはカーチスライト学園のV型エンジンをモチーフにした学園艦マークが描かれていた。タラップから降りてくる少女には、見覚えがあった。ジェーン・フォードである。にこやかに「ハァイ!」と挨拶の声を播磨女学園の少女達に投げかけた。

「アオイ! お待たせしちゃってごめんなさいね?」

「いやいや全然。皆でのんびり来るのを待ってたし。ねぇ?」

 双葉葵の言葉に戦車道履修者の少女達はうんうんとそれぞれが頷いた。実際、草原の上でお菓子を広げたりお茶を飲んではまったりとしていたのだから。

「とりあえず…約束通り、お詫びの品を色々持ってきたわ! …シオリにはこの前、すっごい迷惑かけちゃったからね…」

 言葉の後ろではとても申し訳なさそうに、ジェーン・フォードはそう喋った。当の神無月しおりは「痛かった事以外、別段気にしてないのに…」と言う風であったが。

「じゃぁ紹介するわね! T69E3用に76mm戦車砲に90mm戦車砲と、砲身に合わせた砲盾の改造キット。あと予備砲身、それでもってそれぞれの訓練砲弾と各種砲弾。最後に予備エンジンのフォード製V8エンジンも持ってきたわよ!」

 少女達はぎょっとした。最早お詫びと言うレベルを超えていた。大盤振る舞いと言っても良い。それ程までに、このジェーン・フォードと言う少女は義理人情に厚いのだと言う事が分かった。…勿論、神無月しおりの左目を潰してしまったと言う罪悪感あっての事だろうが。

「いやぁ本当ごめんねぇ…こんなに色々貰っちゃって」

 双葉葵は本当に申し訳なさそうに呟いた。神無月しおりもその隣に移動し、こくこくと頷いた。

「別に良いの! うちの学園艦、他所と比べたら小さいけどもシャーマン系の製造工場を持ってるから! それに…」

 言葉を一旦区切ると、ジェーン・フォードはとても申し訳なさそうに、すぐ近くに居た神無月しおりを優しく抱きしめた。

「うちの戦車道チームを代表して、改めて言うわ。本当にごめんなさい…凄く痛かったでしょうに」

 ジェーン・フォードの言葉を聞いて、神無月しおりは優しく彼女の背中をぽんぽん、と撫でた。何時ぞやの泣きじゃくる大島明海にしてみせた様に。

「…大丈夫…もう、終わった事だから」

「でもシオリ! 結果的にはその目を怪我させたのは過激なゲームを吹っ掛けた私達なのよ!?」

「…分かってる…でも、戦車道に怪我は付き物だから…それに…」

 神無月しおりは右目を瞑って、黒く濁ったガーネットの様な左目で少女を見つめた。

「…この左目は…ちゃんと、貴女を…貴女達を見る事が出来るから…」

 その言葉を聞いて、ジェーン・フォードは今にも泣きだしそうになった。

「馬鹿…! シオリの馬鹿…! どうして貴女は、そんなに優しいのよ…!」

「…これからも…貴女達と…気持ちよく…楽しい戦車道をしたいから…」

 それは神無月しおりの、純粋な気持ちであった。彼女にとっては片目が潰れた所でなんであろうか。今の時代にはとても便利な生体義眼があると云うのに。だったら、何も問題は無い。そう。ただ痛かった事を除けば。

「まぁ…そう言う訳で。しおりちゃんは気にしてないってさ」

 双葉葵も横合いから、ジェーン・フォードの背中を撫でてやる。彼女は自分のハンカチで涙を拭うと、そっとしおりに「ありがとう…」と呟いた。その様子を眺めていた少女達は口々に呟く。ウチの隊長は慈愛の女神か何かか? いや、天使かも知れないぞ。それにしてもちょっと優しすぎない? 等などと。

「ところでさジェーン? コレの事知ってる?」

 滑走路の片隅に駐機しているYC130から部品や砲弾の詰め込まれたケースが搬出される中、場の空気と話題を変えるべく双葉葵は紙切れを取り出した。そこには「果し状」と達筆で書かれていた。

「あぁ! それの事ね! うちの学園艦にも届いていたわ!」

 改めて少女達は果し状の内容を読んだ。「播磨女学園並びにカーチスライト学園の両校の方々へ。我が藤重学園との非正規戦車道の戦いを申し込みたいと思います。また、使用出来る戦車の数を返信して頂きたい所存です。かしこ」

「この…とうじゅう? って何て読むのやろうねぇ?」

 久留間舞子の疑問に長谷川凛が答えた

「調べた所によりますと、『ふじじゅう』と読むそうです」

「はぁ~ふじじゅう。…なんか不自由と勘違いしそうな名前だなぁ」

「こらっ、相手の学園に失礼でしょ!」

 柿原セリカの馬鹿正直な言葉に五十鈴佳奈は肘で突っついて注意を促した。二人のやり取りに少女達はクスクスと笑い合う。

「それで、アオイー? この試合、如何する? 受ける?」

 双葉葵はフフンと笑って、どうどうと答えた。

「受けない理由は無いねぇ。乗った! たーだーし…」

 意味深な言葉を発して、双葉葵は少女らの気を引いた。

「返事は偵察を終えてから、ね」

 彼女はニシシと笑った。

 

 …数日後の事。青島寧々は日本人が羨む様なその黒髪美人の容貌を活かして藤重学園へと見学の名目で潜入した。

「いやぁ、我が校に興味を持って頂けるとは、感謝の限りですねぇ。しかも貴女の様な美人に!」

「多くの学園を見てから転入を決めたいと思いましたので…」

 青島寧々を案内する見学係りのおべっかにも気にせず、彼女は淡々と、しかし愛想よく答えた。

「我が校の特色はなんと言っても様々な芸能を行っている事でしょう。茶道華道は勿論の事、香道に忍道、弓道や剣道等もやっております」

「本当に、沢山の芸能を取り扱っているのですね。中々これ程の芸能を行っている学校はそうは無いでしょうに」

 青島寧々の素直な答えに案内係の少女はとても気を良くした。

「それではどうでしょう。弓道の一つでも体験してみませんか?」

 少女の提案に、青島寧々は困惑した。

「申し訳ないのだけども、私は弓道の作法を知らないわ」

「ご心配なく! 我が校の弓道履修者が丁寧に教えてくれます!」

 そして案内されるが儘に、彼女は弓道場へと連れて行かれ、弓道履修者に囲まれた。

「諸君! 彼女は見学者の青島様だ! 無礼の内容に! 運が良ければ、我が校に転入して頂けるかも知れないぞ!」

 案内係の言葉に弓道の少女らは沸き上がった。当然であろう。芯の強そうな、凛とした美少女が転入してくるかも知れないのだ。

「不束者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」

 歓待された青島寧々は深々と頭を下げて、丁寧に弓の射方を教わった。弦の引き方を何度か試した後に、彼女は矢をつがえた。

 じっと的を見つめる。己の目の中に砲のレティクルが浮かび上がる。青島寧々は砲手の勘を頼りに、矢を放った。パンッと弦が戻る良い音が弓道場に響いた。

 弓矢は緩い弧を描きながら、見事に的に命中した。その結果に、弓道を履修している少女達は「おぉ!」と感嘆の声を上げた。

「とても難しい物かと思っていたけれど、意外と気持ちよく飛ぶのね」

 否。それは青島寧々の砲手としての勘が見事に働いただけである。神無月しおりによって鍛えられた、砲手としての勘が。

 青島寧々は弓道履修者の少女達に「どうも有難う御座いました」と深々と頭を下げながら感謝の言葉を述べて、弓道場を後にした。

「あ…」

 その時ふと、思い出したと言わんばかりの声を青島寧々は漏らした。

「おや、どうかされましたかな?」

「いえ、大した事ではありません…此方の学校では、戦車道にも力を入れていると知人から聞いた物ですから」

「おぉ! そうでした! 我が校は他の学校にも負けぬ勢いで戦車道に力を入れて居ます! どうでしょう。見学されますか?」

「えぇ。折角ですから」

 青島寧々は微笑む表情を変えずに心中にて思った。これで漸く情報が手に入れられる、と。

 案内されたグラウンドでは、確かに戦車が元気よく走り回っていた。そこにはチハやテケ車、そして三式中戦車等が居た。青島寧々は思う。他の日本戦車にこだわりのある学校よりも、この藤重学園では火力が充実していると。

「小さくて可愛らしい戦車より、大きくて勇ましい戦車が多いのですね」

 ボカした表現で、青島寧々は三式中戦車の事を言って見せた。

「我が校の基本的な主力でありますから! もっと大きな戦車もありますが、見学されますか?」

「えぇ。中々ない経験ですから。私はあまり戦車には聡くないのですけれども」

 青島寧々はそっと嘘を付いた。既にどれがどんな戦車であるかは神無月しおりの手によって勉強済みである。そして彼女は戦車を収めている倉庫に案内された。そこには三式中戦車よりも大きな戦車が確かに存在した。それも複数両も。

「先程の戦車に負けず劣らず、とても勇ましいですね…」

 感心する様に青島寧々は呟いた。長砲身を携えたそれは実際の所、確かに勇ましい姿をしていた。

「四式中戦車と申します! 我が校の切込み役ですな」

 えっへんとばかりに胸を張る案内係にバレる事の無いよう、青島寧々はチラと短く、倉庫の片隅を見つめた。其処には布の掛けられた大きな物体が幾つもあった。彼女は心中にて思う。この学校、一見すると普通に戦車を充実させている様に見えるけれども、とても怪しいわね。と…

 斯くして、藤重学園の見学を終えた青島寧々は播磨女学園へと帰還の途に就く。…幾つもの学園艦を経由しながら。理由は只一つ。藤重学園からの尾行を避ける為である。その為にも各学園艦には播磨女学園の所有する飛行機を待機させていた。飛行機の機種もてんでバラバラで。彼女は飛行中の機中にて何度も変装を繰り返した。

 後に青島寧々は語る。「流石に疲れたわ…今度は忍道を履修している子に頼みましょう」と。

 

 こうして、大胆不敵な偵察を終えてきた青島寧々は少女達を招集し、情報を開示した。

「藤重学園はその他の日本戦車に拘りのある学校と比べ、チハ中戦車やテケ車と言った小型かつ火力の控えめな車両は少なく、三式中戦車や四式中戦車が主力であると言う事が分かりました。四式中戦車に至っては57mm砲ではなく、長砲身の75mm砲を搭載した後期型です。交戦距離と当たり所によっては、我々の戦車も撃破される可能性があります。もっとも…この事を一番理解しているのは神無月隊長でしょうが」

「随分とヘビィな学校なのねぇ。火力的な意味で」

 ジェーン・フォードは説明を聞きながら正直な感想を漏らした。真空パックで持ち込んだポップコーンを摘まみながら。

「そう言えばアオイ? ウチからは戦車を四両出すだけで良いの?」

 ふと思い出したと言わんばかりにジェーン・フォードは双葉葵に問いかけた。

「良いよ、良いよー。丁度15対15で切りが良いっしょ? 相手側も了承してくれたし。あと単純に戦車戦って、するだけでお金掛かるからねー」

「本当にねぇー」

 タハハ、と二人の少女は笑う。互いに戦車道チームのサイフのヒモを握っているからこその会話であった。

「会長、説明を続けても宜しいでしょうか? これは個人的に重要だと思う情報なのですが」

 青島寧々は少女達に説明を続けた。

「布を被せられた、巨大な物が存在しました。恐らくは戦車か何かかと思われるのですが」

「んー…写真がある訳でも無し…それに布を被せられてたんじゃねぇ…相当特徴的な戦車でも無いと分からないんじゃないのー?」

 例えばシュトゥルムティーガーとかさー。とポテトチップスをパリパリと食べながら双葉葵は青島寧々の情報にどうした物かと悩んだ。

「しおりちゃーん、どう思う?」

 ずばり、播磨女学園の事実上の戦車道顧問と成った神無月しおりに双葉葵は問いかけた。

「……態々布を被せていると言う事は、相当重要な物だと思います。もし仮に、私が布を被せてまで隠したい日本戦車があるとしたら…88mmを搭載した五式中戦車・チリでしょうか」

 少女達は小さくざわめいた。日本戦車で88mm!? と

「落ち着いて下さい。これはあくまで私が隠すなら、と言う話に過ぎません。若しかしたら何か、突飛な戦車が出てくる可能性もありえます」

「こればっかりは実際に戦ってみないと分からないわなー…あ、そーだ。青島ー。アレもう来てるよね?」

「はい。今回の戦闘フィールドの地図が届きました」

 青島寧々がプロジェクターで地図を投影する。

「我々は北側に配置。藤重学園は南側に配置される事となりました。フィールドの中央よりやや南には川が流れており、事前情報によりますと、戦車が簡単に水没する程の深さを持っているそうです。川にそって東と西にそれぞれ橋が掛けられており、深い川を越える手段となっています。 なお、今回はこの橋を両方とも落としたチームが敗北と言う扱いを受けています。戦車の重量超過による崩落を除いて。…当然ですね。川が渡れないのですから、勝負になりません。川の北側にはダックインに適した丘があります。また、周囲の森林は緑が深く、機動戦には向いていないかと」

「しおりちゃーん?」

 双葉葵に言われるまでもなく、神無月しおりは熟考していた。どうやって戦おうかと。

「ねぇシオリ? 藤重の戦車を丘に誘い出して、うちのシャーマンの間接射撃で攻撃するのはどうかしら? 効果ありそうだけども」

 ジェーン・フォードの提案を聞くが、神無月しおりは暫し考えこんだ。

「すいませんが青島さん。この地図の森林部分、拡大出来ますか?」

「えぇ。詳細な地図を頂いていますので」

 プロジェクターによって拡大された森林地帯は、鬱蒼と生い茂った枝葉で碌に地上も見えなかった。

「ジェーンさんのプランは魅力的ですが、危険です。以前私達と試合をした時に使ったロケットランチャーや105mm砲の砲弾が太い枝葉に接触して誤爆する危険性があります。最悪の場合、ロケットランチャーの炎で森林火災になって、試合どころではなくなる可能性もありえます」

「Oh…それは不味いわね…じゃぁいつもの間接射撃攻撃は止め止め! 危ないのダーメ!」

 ジェーン・フォード以外のカーチスライト学園の少女達もうんうん。と頷いていた。当然である。森林火災が起きたら大ごとなのだから。

「ですが…」

 と、神無月しおりは言葉を連ねた。

「誘い出す。と言う作戦は良いかもしれません。橋の片方を破壊し、一方向からしか進行出来なくした上で、丘の方へと誘い込みます。囮役と橋を落とす係りが行動している間に、我々はダックインを行い、丘の上でアンブッシュを仕掛けます。東、北、西の方向に向けて」

「南には注意を向けなくていいのー?」

 クロムウェルの装填手、串良漣が質問をした。

「南側の斜面はすぐ近くに件の川がありますから、もしも地盤が緩かったら下手をすると水没しかねませんので…安全を配慮してもあまり此方側は進行されないかと」

「それもそっか」

「でも、串良さんの疑問は良い物です。…警戒しておくに越した事は無いでしょう」

「あ、どーも」

 串良漣はぺこりと頭を下げた。彼女にとっては以前、どんな些細な疑問や提案でも出して見ましょう。と言う神無月しおりのレクチャーを思い出しただけなのだが。

「では、改めて端的に作戦を説明します。片方の橋を落として、生きた橋に誘き寄せます。その間に私達は丘を占拠。アンブッシュにてこれを迎え撃ちます。とりあえずは、この作戦で。戦車道は何が起こるか分からないのが定番ですから」

 少女達のはーい。りょうかーい、イエスマム! おっしゃぁ! 等と言う元気の良い返事を聞いて、神無月しおりはふぅ…と少し疲れた溜息を零した。

「あ、まっずーい! ねぇアオイ! ちょっと直ぐ行って帰ってくるから、学園艦の航路のポイント教えて頂戴!」

「…? 良いけども、どしたのー? そんなに慌てて」

 双葉葵のキョトンとした言葉にジェーン・フォードはあたふたと答えた。

「ウチの子達、105mm砲を使ってばっかりで、高速低進する大砲に慣れてないのよ!」

 ああ、そりゃ拙い。と播磨女学園の少女達は思った。弧を描くように飛ぶ105mm砲よりも真っ直ぐ飛んでいく76mm砲の方が攻撃するのが安易だ。何より相手は三式中戦車や四式中戦車が主力と来た。榴弾砲でも撃破は出来るだろうが、貫通力の高い76mm砲の確実性を選んだ方が良い。

「ねぇカレラ、ウチのエレノアと協力して砲手達にお勉強させて頂戴! この通り!」

「構いませんよ。スパルタ気味になるかも知れませんが」

 苦笑を零す北村カレラにジェーン・フォードはタハハ…と笑った。

 こうして、カーチスライト学園の少女達はバタバタと播磨女学園の空港を飛び立っていき…文字通り、翌日には行って帰ってきた。凄い早業である。曰く、「ストックしておいた砲塔にパパッと76mm砲を取り付けて105mm砲を取り付けた砲塔と交換したのよ」…との事らしい。それでもジェーン・フォードの顔には少しばかり疲れた顔が見て取れた。

 何はともあれ、播磨女学園随一のエース砲手、北村カレラと、彼女のライバルであったエレノア・クライスラーによるシャーマン戦車のクルー達への特訓が始まった。

「砲手! どんな時でも落ち着いて狙え! 撃たれてもビビるな!」

「リローダー! 砲手と息を合わせて! 落ち着いて装填しなさい! 指を怪我したら洒落に成らないわよ!」

「大体でも良い! 兎に角相手との交戦距離を頭の中で計算しろ! じゃないと話にならない!」

「ドライバー! 走行中からの停車には十分気を付けて! ブレーキの掛け方で車体の揺れ方は全然違うのよ!」

 …と、観測塔から無線機越しに指示を飛ばす北村カレラとエレノア・クライスラーであった。なお、播磨女学園の少女達はと言うと、移動目標に対する砲撃訓練。と言う名目で何発もの訓練砲弾をシャーマンに撃ち込んでいた。出来る限り、砲塔やシャーシ狙いで。言わずもがな、履帯を壊したらいちいち修理をするのが面倒だからである。

 神無月しおりはと言うと、砲撃に不慣れなライガー1と2の砲手、島村素子と伊藤恵に指示を出していた。

「最初は少し上気味に狙って下さい。砲弾が飛ぶにつれて、どれ位落ちていくのかを把握出来たら、シャーマンを直接狙って撃ってください。上手く当たらないと感じたら、シャーマンの未来予測位置を探して撃ってみて下さい。具体的に言うと、シャーマンが動く先の位置です。ライガー1と2の主砲のアハト・アハト…ぁ、えっと、88mm砲は性能が良い反面、砲弾も重くて大きいから、装填手の方とも連携をしっかりと取って射撃して下さい。装填手の方を焦らせてはいけません。最悪の場合、大きな怪我をさせてしまいます。砲手と装填手は互いに息を合わせてこそ、活躍出来ます。それでは…お二人がよい砲手になる事を期待しています」

 神無月しおりの懇切丁寧な、だけども最後にプレッシャーが伸し掛かる指示を聞いて、二人は必死になってこの練習に打ち込んだと言う。ただし、プレッシャーだけが彼女らを動かした理由では無かった。

「隊長の指示、最初は難しいって感じるかも知れないけど実は基本から初めてくれんだよ。だから安心しな」と柿原セリカは言い

「隊長はんは信じるに値する人どす。安心しとぉくれやす」と久留間舞子が述べて

「目下、役に立たなかった訓練はありませんでした。行進間射撃も、静止した状態での精密射撃も、運転訓練や履帯の修理作業も」と五十鈴佳奈は言った。

 島村素子と伊藤恵の二人は、このチームの初期を支えた三人の言葉を信じて、練習に励んだのである。そして…神無月しおりの説明と指示は確かに合っていた。

 88mm砲の高速低進性を把握し、直接狙って撃ってもあまり当たらない事を悟り、未来予測位置を頭の中で割り出す事で確かに砲弾はシャーマンへと当たった。二人の少女はまるで神無月しおりの指示が、未来を予測して見せたのでは無いのかとさえ思った。そして少女達は掛け声を掛け合った。

「装填よし!」

「オーケー!」

 そう。たったのこれだけで良いのだ。簡単な言葉で良い。その方が分かりやすいから。お互いに焦らせてはいけない。信頼し合う気持ちが大事なのだ。装填手が焦ってもいけないし、砲手が焦ってもいけない。片や装填を失敗すれば大怪我を負いかねる事になり、片や装填はまだか、まだかと焦ると砲撃を失敗しかねない。お互いに冷静に、互いを支え合わなければならないのだ。

 

 …数日後、神無月しおりは射撃部の利用しているシューティングレンジに立っていた。あの日を境に再び持ち歩く事になったモーゼルM712をゆっくりとパンッ! パンッ! と撃っていく。シューティングシートには通常の円を描いた的ではなく、戦車の描かれた物であった。

 そんな折に、北村カレラが現れた。愛銃のゲヴェーア43を携えて。

「おや…珍しいね。しおり君がシューティングレンジに立っているだなんて…何をしていたんだい? …変わったシューティングシートを使っているけれど」

 神無月しおりはモーゼルM712のマガジンを抜き、ボルトを引いて薬室の中に何も入っていない事を確認してから、北村カレラに答えた。

「……これは、砲手の気持ちを忘れない為、だから…頭の中でシュトリヒを…考えて数える練習…みたいな物…」

「ははぁー…成る程ねぇ…だから真正面の戦車とか、真横の戦車とか描かれてる訳だ」

「うん…」

 シューティングシートを眺めながら、北村カレラは思った。中々悪くないヒット率じゃないか、と。勿論、拳銃と戦車砲では勝手が違うが、神無月しおりは弱点部位と呼ばれる個所を極力狙って撃っていた。

「…そうだ。しおり君」

「…?」

 ふいに自分の名前を呼ばれ、神無月しおりはキョトンとした。

「以前、どうして私が戦車道に参加したか、話しただろう?」

「…えぇ。確か…刺激が欲しいとか…大砲を撃ちたい、とか…」

 神無月しおりは思い出す。中嶋奏のアパートに招かれた時の事を。確か、そんな話をしていた筈だ。

「そこからもっと踏み込んだ話をしようと思ってね…それに…こんな私に対して君は『生きて』と言ってくれた。…しおり君、君一人だけに自分の過去を話させるのは忍びない」

 そう言うや否や、北村カレラはシガレットチョコを取り出した。…恐らくは禁煙のシューティングレンジで口寂しさを紛らわせる為にだろう。

「何処から話そうか…そうだね。何故射撃部に入ったのか。その『原因』を語ろうか…」

 北村カレラはカリッとシガレットチョコを僅かに噛んだ。

「空虚だったんだ。自分の心が、人生が。幼いころ、私はまだ陸に住んでいた時の事さ。両親にライブコンサートに連れて行って貰ったんだ。コンサートその物はとても楽しかったさ。だけどね…沢山の人間が集まってたんだ。子供の頃の自分にとっては何人居るのかもさえ分からないぐらい。その時、こう感じたんだ。山も、木々も、雑草の一つ一つも、そしてこんなに沢山居る人間も、『私自身』さえも、地球を構成する為のほんの些細な、塵芥の一粒に過ぎないんじゃないか。って」

 北村カレラはそう言ってから、くふふ…と苦笑を零した。

「子供って奴は本当、時々とんでもない真理を見つける物だね。心の純粋さ故に、かな? ともあれ、ただの塵芥の一粒でしかないんだ、と思ってしまった私は…まぁ実際の所、確かにこの地球の膨大な生態系を作る存在の一粒な訳だが…当時の私は空しくて仕方が無かったんだ。怖くて仕方が無かったんだ。だから、中学生になって、学園艦に入学した私は刺激を求めて射撃部に入ったんだ。しおり君ならわかるだろう? 銃を撃った時に感じる、あの反動、あの衝撃を」

 神無月しおりは素直に頷いた。自分のモーゼルM712を撃つ時の反動、衝撃は、中々忘れられない。

「ソレが私にとってツボにはまったんだ。…あー…しおり君に分かりやすく言うとだね、気に入ったんだ。体を痺れさせてくれる存在が、とても気持ち良かった。虚しさなんて、遠い何処かに吹き飛ばしてくれるみたいに。私はどんどん深みに嵌っていったよ。スチールチャレンジに、早撃ち競技。クレー射撃に狙撃。出来る物はなんでもやった。どれも違って、どれも楽しかった。そしてエレノアみたいな、可愛くて、強くて、魅力的な友人兼、ライバルとも出会えた」

 北村カレラは再び、カリッとシガレットチョコを噛んだ。

「しおり君。これは私の迷惑で、かつ身勝手な推測なんだがね。…君も、人生に、戦車道に虚しさや虚無感を抱いていたんじゃないかな?」

 神無月しおりは…ゆっくりと頷いた。そうだ。幼い頃からずっと、私の人生は、私の戦車道は、虚しさでいっぱいだった。

「やっぱりね…でも、安心していい。そんな虚無感は、些細な切欠で払拭出来るから。始まりはどうであれ、現に今の君は、戦車道が、人生が楽しいだろう?」

 そう言われて、神無月しおりは確かに納得した。切っ掛けは、正に些細な事だった。大島明海に戦車道をしていた事を打ち明けた事。そしてそれを聞いた双葉葵が戦車道をして欲しいとお願いしてきた事。自分の楽しい戦車道は…其処から始まったんだと。

「さて。これにて昔話はおしまい。すまないねしおり君。君の時間を浪費させて」

 神無月しおりが首を横に振ろうとした瞬間だった。不意に停電が起こる。しかしそれは僅かな間で、チカチカと明滅を繰り返し、電気は復旧された。

「何だったんだろうね? この播磨はそんなに艦齢の古い、ポンコツな学園艦じゃない筈なのに」

「…わからない…」

 彼女らがどうしたのだろうと話していると、スピーカーから放送が流れた。

『学園艦に住まう皆様と生徒の皆さんにお知らせ致します。ただ今の停電は配電盤の不調による一時的な物です。ご安心ください』

「…だとさ。配電盤が不調だったらそりゃ仕方がない。知ってるかい? しおり君。とある学園艦ではゴキブリの所為で停電した事もあったんだよ」

「…ゴキブリ…ちょっとやだ…」

「アハハハハハ! 私だって嫌だよ!」

 そんな他愛もないやり取りの最中…

 

「はぁっ…! はぁっ…! はぁっ…! んぁっ…!」

 双葉葵は走っていた。全速力で走っていた。息が上がるほどに走っていた。階段を駆け下り、隔壁を越えて、この学園艦の心臓部、機関室へと。そして辿り着いた。

「大丈夫か?! 船舶科管理長!」

 双葉葵は手摺を握りしめて叫んだ。其処にはリアクターの周囲で作業を行っていた少女達の姿が見て取れた。船舶科管理長は言う。

「ご安心ください! 部品交換の為に一瞬だけリアクターを停止させただけです!」

 しかし、彼女は残酷な現実の言葉を続けた。

「だけども、もう流石に限界が近づいてます! 他の部品にだって負荷が掛かって大変な事になりますよ!?」

「なんとかする! なんとかして見せる! 生徒会長として! だから、だましだましで良い! リアクターを動かし続けろ!」

 双葉葵の言葉に船舶科管理長は悲鳴に近い返事を上げた。

「サブリアクターだっていっぱいいっぱいなんですよ!?」

「承知の上だ!」

 双葉葵は歯噛みをした。早く、なんとか、なんとかしなければ、と彼女は悩む。だがしかし、まだ解決に至らない。どうすれば良いのか。彼女は悩んだ。

 

 …停電騒ぎの起こったその日の夕方。神無月しおりは生徒会室に訪れていた。

「あの…田宮さん…いらっしゃいますか…?」

「あら、神無月さん。田宮さんですね。すぐお呼びします。恵理ちゃーん? 神無月さんが呼んでるよー?」

 名前も知らない生徒会役員の一人の少女が、田宮恵理子の名前を呼んだ。

「はーい。今行きまーす」

 そう言うや否や、生徒会副会長の田宮恵理子が仕切りの向こうから現れた。何か作業をしていたのだろう。

「神無月さん、何か御用ですか?」

 田宮恵理子はボブカットの髪を揺らして、優しく問いかけた。

「…お願いが、あるんです…小さな、魔女の帽子が…欲しいなって…」

「あら…それはどうして…?」

 確かに、彼女は播磨の魔女と呼ばれているのは知っているが、何故唐突に、今になって帽子を欲しがるのだろうか?

 神無月しおりは、ゆっくりと呼吸を繰り返してから、言葉を発した。

「…私は、本当の…『播磨の魔女』になりたいから…気持ちだけでも…播磨に、勝利と笑顔を届ける『魔女』になりたいから…葵お姉様が…皆が、喜んでくれるだろうから…」

 田宮恵理子は神無月しおりの発した言葉に息を飲んだ。が、少しの間の後…

「じゃぁ、すぐに作っておくわね」…と彼女は笑顔を取り繕った。

 …田宮恵理子は、双葉葵から聞いていた。神無月しおりを『魔女』にはさせないと。悲しみを振りまく『神無月流』をさせはしないと。楽しい戦車道を続けさせる為に。

 しかし神無月しおりは言った。『魔女』になりたいと。播磨に勝利と笑顔を届ける『魔女』になりたいと。

 互いの言葉の意味は違えど、なんと言う皮肉だろうか。

 それはお互いに『相手を守りたい、笑顔にしたい』と願ったが故の言葉だったから…

 

 試合当日。少女達は特別編成の列車に揺られていた。この様にして移動するのは、もう何度目だろうか。半ば日常と化している様な気分に成る。それは悪い意味では無く、良い意味として。

 駅に到着すれば、少女達は慣れた手つきで戦車を列車から丁寧に降ろしていく。そして大型の輸送トラックへと積み変えて、駅から遠い会場まで走った。自走する事も出来るが、やはり長距離を走ればそれだけで戦車への負担になってしまう。これは偏に、戦友たる戦車を労わっての事であった。

 やがて会場に到着した。戦車を輸送トラックから下ろし、待機場へと移動。播磨女学園並びにカーチスライト学園の合同チーム、合計15両全部が複横陣に並ぶ姿は正に圧巻であった。

 戦車の最終確認をする。白旗判定装置、履帯の具合、砲弾の数、燃料並びに各部品のグリスアップや油量等など。些細な事で、戦車は戦えなく、そして動かなくなってしまうから。

 そうしている内に、位置の低かった太陽は高々と上り、少女達に汗をかかせた。無理も無い。此処は陸地。学園艦の心地いい潮風など期待出来る訳もない。

 さて…準備を終えた少女達は藤重学園のパドックへと散歩に出掛けた。青島寧々を除いて。彼女は一人、戦車の車内に持ち込んだ保冷剤や扇風機と冷たい飲み物で車内の暑さに耐えていた。潜入工作を行ったのだ。顔はとっくにバレて居る。無論、非正規戦車道においても相手チームへの事前偵察は認可されている。それでもなお、少女は耐える事を選んだ。不意にコンコンとハッチを叩く音が響いた。青島寧々はそっとハッチを開く

「寧々ちゃんお疲れ様。はい。キンッキンに冷えたドリンクと追加の保冷剤」

 ハッチを叩いたのは恵理子であった。青島寧々を労わる為の物が詰まったビニール袋を彼女へと手渡す。

「ありがとう。恵理子」

「うぅん。私達が無理を言って偵察なんかお願いしちゃったから。これが終わったら寧々ちゃんの我が儘、いっぱい聞いてあげるからね!」

「じゃぁ、デートして頂戴な。恵理子。貴女の一日を頂戴。お金は会長持ちで」

 その発言に田宮恵理子はタハハ…と苦笑した。

「寧々ちゃんったら、容赦ないんだから…」

「戦車の中に居る事は随分慣れたけれども、暑い物は暑いんだから…」

 

 そんな二人の少女のやり取りの最中…

 

 藤重学園のパドックに来た少女達はおぉ…と声を上げた。そこにあった屋台はなんとも古風な、昔ながらの縁日の様であったから。態々提灯を其処かしこに連ねて、何処か古ぼったくも懐かしいフォントで書かれた看板の数々。今やめったに見かけないスマートボールや、定番の射的まで、様々であった。何処かからか祭囃子の音さえも聞こえてくる。

「いやぁ、どうですかな。我々のパドックは。楽しんで貰えれば幸いなのですが」

 とある少女が見学をしていた播磨女学園とカーチスライト学園の少女達へと声を掛けてきた。

「Good! 以前写真で見た事のある日本のお祭りその物ね! …所で、貴女は?」

 ジェーン・フォードの問い掛けに少女は「これは済まなかった」と一言謝った。

「改めまして、藤重学園戦車隊の川崎蘭子です。こちらは私の補佐役にして副官の三之菱響です」

「ご紹介に預かりました、三之菱です」

「…神無月しおりです…えっと…宜しくお願いします…」

「今回の副隊長役のジェーン・フォードよ! 宜しくね、お二人さん」

 互いに握手を交わし合い、川崎蘭子は言う。

「この度は試合を受けて下さって感謝の極み! いやしかし、本当に可憐なお方だ! 播磨の魔女の実力、とくと我々に見せて下さい!」

「…出来る限りの事は、したいと思います…」

「ハハハハ! 可憐な上に口数も少ないとは、まさに深窓のご令嬢の様だ! あ、いや。嫌味などでは無く。純粋な意味で。お美しいものですから」

 川崎蘭子は思った事を素直に口にしたが、ハッとなって嫌味でない事を伝えた。神無月しおりは正直な人だな…と一人思っていた。

「いやしかし、播磨女学園の戦車も、カーチスライト学園の戦車も、どちらも個性的で面白い。どうにも己の学園艦に籠っていると、己の文化にばかり深く染まってしまう。停滞とは何れ緩やかな死を迎えかねませんからなぁ。故に、改めて…今回の試合を受けて下さりありがとう御座います。それに、異文化交流は楽しい物ですからな」

 そっと笑いながら、キャッキャと播磨女学園とカーチスライト学園の出している出店ではしゃぐ藤重学園の少女達を見て、川崎蘭子は呟いた。

「しかし…その帽子。以前は見かけませんでしたな?」

 川崎蘭子は神無月しおりの付けている小さな魔女の帽子を指摘した。

「…他の人達の言う…『播磨の魔女』の呼び名にあやかって…みました」

「成る程、成る程。 とてもお似合いだと思います。さておき。長々と立ち話もあれですな。我々のパドック、是非とも見学して行ってください」

 

 汗ばむ気温の中、少女達は屋台を楽しんでいた。かき氷にさっぱりとしたアイスクリン。意外な所では冷やしぶっかけうどん等も出していた。暑さ故だろうか。そんな中、神無月しおりはつるるんとしていた冷や麦に興味を惹かれた。

「えっと…一つ下さい」

「はい! …ってもしや貴女、神無月しおり様では!?」

 冷や麦の屋台をやっていた少女は酷くびっくりした。神無月しおりもその驚き様にびっくりして、キョトンと硬直した。

「私、貴女のファンなのです! この度の試合、是非とも良い戦いを! それと、冷や麦は奢らせてください! 態々この屋台を選んで下さったのだから!」

 少女の言葉に神無月しおりは困惑した。言葉の意味は分かる。だが何故それが奢ってもらう事に繋がるのかが分からなかった。

「えっと…駄目です…お金、ちゃんと払わないと…」

「嗚呼! なんていじらしい! ではせめて、半額で! どうか!」

 少女の押しに負けて、おずおずと神無月しおりは半額を支払い、冷や麦を手に入れた。こんな事をして貰って良いのだろうかと思いながら、冷や麦を啜る。つるつるとして美味しかった。出汁もとても美味しい。添えられた薬味が、冷や麦を食べていて飽きさせない。美味しいなぁ…と少女は思った。何より、この暑さの中で清涼感が心地よかった。

 その時の事であった。疲れ切った声で「しおりちゃぁーんっ!」と己の名前を呼ぶ声が聞こえた。疲れ切った声ではあったが、それは紛れもなく聞き覚えのある声で…

「早乙女さん…? 何で此処に…?」

 キョトンとする神無月しおりに対し、早乙女光はぜーぜーはーはーと息を切らして肩を上下させながら呼吸をしていた。その姿は私服ではなく、彼女と出会う時によく見るスーツ姿であった。

「こっちのっ、方でっ、仕事がっ、あったからっ……はぁ、はぁっ…ちょっぱやで、終わらせてきたわっ…試合、見たかったものっ…ふぅっ…」

 彼女のそんな有様に神無月しおりは恐る恐る問いかけた。

「あの…えっと…大丈夫ですか…?」

 少女の問い掛けに、早乙女光は荒い呼吸のまま、首肯しつつサムズアップした。そんな彼女の様子を見て、残った冷や麦をちゅるちゅると瞬く間に食べ終わると、神無月しおりは早乙女光の手を取り、優しく引っ張っていった。

「あら、シオリチカ。一体どうしたの? 此処に来て。そちらのお方は?」

 アレクサンドラ・楠他、何時もの戦車道によって得る事の出来た友人たちの観客席に、神無月しおりは早乙女光を連れてきた。

「この人の…面倒を見て欲しい…私の学校の…大切な人だから」

 神無月しおりの「大切な人」と言う言葉に、少女達は頷き返した。

「承りましたわ。ささ、其処の御仁? どうぞ此方へ」

「少しぬるいお茶を淹れましょう。この暑さと言えど、いきなり冷たい物を飲んではお腹を壊してしまうわ」

「そう言う訳だから、いってらっしゃい。シオリチカ」

「…ありがとうございます」

 神無月しおりはぺこりと頭を下げた。そんな彼女に、早乙女光は声を投げかける。

「しおりちゃん、試合、頑張ってねぇ」

 疲れ果てて、とても弱弱しい声だったが、神無月しおりにはとても暖かい声援に聞こえた。

 

 各々の陣地に戦車が配置され、試合開始の時間が、訪れた。空高く、ポンッと何処か間の抜けた音が響くシグナル弾が撃ち上げられる。

「試合開始です。各車、健闘を祈ります。シャーマン3とシャーマン4はそれぞれの受け持ちの橋へと急行。片側の橋を落として通路を塞いでください。生きている橋の方は敵を誘い込んで下さい。最悪の場合、撃破されても私は責めません。誘い込むのは難しいですから」

『了解です!』

『イエスマム!』

「残りの車両は事前の取り決めの通り、丘を占拠、何らかの強襲を受けた場合に備えて控えめなダックインを行い、敵を迎え撃ちます」

『ラジャー!』

『あいよー』

「それでは皆さん。パンツァーフォー!」

 神無月しおりの号令の下、戦車は動き始めた。2両のシャーマンがそれぞれ南西、南東に位置する橋へと全速力で駆け抜ける。その間に、神無月しおり率いる本隊は丘の上を目指した。

 暫くして、無線が入った。

『こちらシャーマン3、南西の橋に到着しました』

「了解しました。シャーマン4、そちらはどうですか?」

『あと数分掛かります! すみません』

「問題ありません。 シャーマン3、南西の橋を落として下さい。その後は茂みに隠れて様子を伺って下さい。

『シャーマン3、了解しました!』

 シャーマン3の車長の少女は、最初は神無月しおりのおどおどとした性格に「この子大丈夫なの? と言うか、こんな自信も無い様な子に私達は負けたの?」と正直不安に思っていたが、一度戦車の事となればまるでキリキリと正確に時間を刻む時計の様に動くさまに、態度を改めた。成る程、これが私達を打ち破ったチームのリーダーの本性か、と。

「リローダー! 榴弾を装填! ガンナー! 落ち着いて狙って! 敵はまだ来てない!」

「了解! 榴弾装填完了!」

「コマンダー、撃ちます!」

 ドンッ! と体がしびれるような音が響き渡る。そして橋が爆発した。普段使っている105mm砲や、歩兵支援に優れ、炸薬量の多い75mm砲と比べれば、その威力は控えめと言わざるを得ないが、それでも橋にダメージは与える事が出来た。だが、まだ崩落には至らない。

「仕方ない。徹甲弾で物理的に撃ち崩そう! リローダー! 次、徹甲弾!」

「了解!」

 そして次弾が放たれ、橋へと着弾。物理的に橋を支える桁を破壊され、見事に橋は崩落した。

「こちらシャーマン3! 橋の破壊を完了!」

『ありがとうございます。茂みに隠れて対岸を伺ってて下さい』

「イエスマム! …確かに重要よね、見張りも。ドライバー、ガンナー。貴女達もスコープ越しに確り見張ってて。リローダーは少し休憩を」

 少女の指示に、彼女らは確りと従った。

 

 その頃…神無月しおり率いる本隊は丘の上を制圧していた。車体を左右へと揺さぶり、じゃりじゃりと地面を掘る。こうする事で人の手で土を掘る必要も無く、軽いダックインを行えるのだ。元より人間の手で戦車の塹壕を掘っている暇はない。これは神無月しおりなりの、妥協案でもあった。

「どう…なるかな」

 神無月しおりはぽつりと呟いた。この作戦、上手く行くだろうか、と。

 

 一方、観客席では…

「シオリチカ、堅い陣を張ったわね」

 アレクサンドラ・楠が率直に呟く。

「敵を待ち受ける作戦ね。エリザベドもやられたわよね? アンブッシュだったけど」

「あの時のしおりには参りましたわ。本っ当に見事な隠蔽だったもの。スコープの光の反射に気付かなければ分からなかった位ですわ!」

 少女達の歓談の傍らで、早乙女光はじぃ、と実況画面を見つめていた。

「でも、どんな堅牢な鎧にも弱点はあるわ」

 早乙女光の言葉に少女達は視線を向ける。

「利点は欠点でもある。その逆もまた然り。藤重学園が秘匿していた数両の戦車。私はソレがこの戦いのキーポイントになると思うわ」

「それは早乙女流戦車道の勘ですか?」

 介抱をしている間に聞いた、早乙女光の自己紹介からアレクサンドラ・楠の問い掛けに彼…もとい彼女は首を振った。

「いいえ。いち、一人の戦車乗りとしての勘よ。この試合、すんなりとは終わらないわ」

 早乙女光の目は、ただの社会人の目ではなく、紛れも無い戦車乗りの目をしていた。

 

 シャーマン3に遅れる事数分、シャーマン4も無事に橋へと到着した。そして茂みへと身を隠す。

「遅れちゃってごめん」

 シャーマン4のドライバーが車長へと謝った。

「良いの。地面が意外とグネグネ曲がってたんだからしょうがないわ」

「この作戦、上手く行くかなぁ?」

 シャーマン4のリローダーが心配そうに徹甲弾を抱えていた。

「分からないわ。分からないからこそ、あの伝説の第63回戦車道全国高校生大会では番狂わせが起きたのよ」

 そして勝ち上がってきた。伝説となった少女達も。そして播磨の少女達も。圧倒的に経験が薄いはずでありながら、彼女らは見事に戦い抜いてきた。一人の少女の存在によって。

「信じるしかないわ。私達を打ち破った、シオリって言うあの子を」

 そう呟いた時だった。橋を挟んで対岸に一両の三式中戦車が現れた。

「リローダー! 焦らず装填して! ガンナー! しっかり引き付けてから撃って!」

「イエスマム!」

「こちらシャーマン4! タイプ3戦車を視認! これを撃破、ないし誘導します!」

『了解しました。無理はしないで下さい』

「コマンダー! 十分射程距離に入った!」

「射撃よし!」

「ファイア!」

 76mm対戦車砲が、鋭い機動を描いて三式中戦車へと命中する。まともに被弾した三式中戦車は行動を停止、白旗を上げた。

「こちらシャーマン4よりチームリーダー。タイプ3戦車を一両撃破」

『了解です。後続の戦車は確認出来ますか?』

 神無月しおりの問い掛けにシャーマン4の車長はスコープで外を睨みつけた。

「…現在の所、後続の戦車は発見出来ません。オーバー」

「妙じゃない?タイプ3がたったの一両だけだよ?」

 リローダーが心配そうに呟く。確かに妙だ。攻勢を仕掛けるのであれば戦力は一斉投入するに限る。

「シャーマン3、そっちの様子は?」

 嫌な予感がしたシャーマン4の車長は友人へと無線で呼びかけた。

『怖いくらい静かよ。そっちの状況も無線で聞いたわ』

「チームリーダー! 何かが妙です! 気を付けて!」

 

シャーマン4の車長が無線に叫んだ頃…

『チームリーダー! 何かが妙です! 気を付けて!』

「報告ありがとうございます」

 当の神無月しおりも妙に思っていた。静かすぎる。圧倒的に。何故敵は攻めてこない? 何故敵は三式中戦車を一両だけ、橋に寄こしたのか? 陽動か? それにしては数が少なすぎる。橋を崩されたのを確認出来たならば、一斉に攻め入るべきだ。例えアンブッシュが待ち構えていたとしても、押し通す事が出来るのに。

「…嫌な予感がする」

 少女は呟き、喉頭マイクをしっかりと押し当て、指示を出す。

「シャルル1、南の斜面の偵察をお願いします。各車両、不測の事態に備えて身構えてて下さい!」

『了解どす』

『あいよー』

『ラジャー!』

 シャルル1こと久留間舞子は神無月しおりの指示通りにソミュアS35を走らせ、そしてスコープ越しにとんでもない物を見て、すぐさまソミュアS35を後退させた。

「しおりはん! 敵が登ってきてはります! すぐ其処まで!」

 久留間舞子の見た光景は正に驚愕の一言であった。三式中戦車と四式中戦車がゾロゾロと登って来ていたのだから。

「全車へ通達!すぐに逃げ出して下さい! 転換する猶予はありません! 真っ直ぐ丘を降りて下さい!」

『一体どんなマジックを使ったんだ!?』

『ジーザス!』

『なんだって言うのよ、もう!』

 少女達の悲鳴にも程近い声が無線機の間で飛び交う。だが文句を言っている暇はない。戦車の後部と言う物は得てして装甲が薄い物である。速急に逃げ出さなければならない。

「霧島さん! フルスロットル!」

「言われなくてもとっくにやってる! 確り捕まれ!」

 霧島蓉子は神無月しおりの号令を待たずに直ぐにギアを入れてアクセルをめいっぱい踏んでいた。重力に引かれて酷くガタゴトと揺れながら丘の斜面を下ってゆく。

「やぁだもぉ! 砲弾が暴れるぅ!」

「これで照準器のレティクルが狂ったら洒落にならないぞ!」

「ひぃーっ! 無線機、壊れませんよね!?」

「丘の上で負けない為の代償と思え!」

 大島明海、北村カレラ、中嶋奏の三人の悲鳴に対して霧島蓉子が叱責した。その様子に神無月しおりは苦笑しつつも、みごとにしてやられた、と思わざるを得なかった。

「シャーマン4、聞こえますか? 橋を渡って対岸から丘の南側を偵察して下さい! きっと其処に何かがあるはずです!」

『イエスマム!』

「シャーマン3は我々と合流してください。作戦を立て直します!」

『ラジャー!』

 

「にしても、敵は何をやらかしたんだ? 本隊があんなに滅茶苦茶になるような事を」

 そろりそろりとシャーマンは茂みの中を進んでいた。この対岸側に敵がまだ残っているかも知れないからだ。その時、僅かに茂みが開いた。丁度丘の南側に位置する場所だった。シャーマン4の車長はジッとスコープを見つめる。……川の中に何かがあった。

「…なんだあれ!?」

 車長の少女は叫ぶ。そしてハッチから乗り出し、ジッと双眼鏡を使って見つめた。そこにあったのは…

「ぺったんこのカチ車ぁ!?」

少女はただただ驚愕した。

 

 …観客席にて…

「こんなのってアリなんですの!? 武装をすべて取り払って、架橋戦車の代わりにするだなんて!」

エリザベド・ガリマールの言葉に早乙女光が答えた。

「ルール上、どんな改造を施しても良いのが非正規戦車道と言う物よ。軽戦車をより軽くし、偵察車両にする為に武装を下ろしたり、砲塔を下ろしたりするなんて言う改造は日常茶飯事だわ」

「にしても、なんて定石を無視した攻勢かしら…驚く他無いわね」

 アレクサンドラ・楠は唸る他無いと言わんばかりに言う。

「橋が無いなら架ければいい。確かにそれは一種の『答え』だわ」

 パンが無いならブリオッシュを食べれば良い…と言う訳ではないけれど。とローズマリー・レンフィールドは呟いた。

「さてしおりちゃん…逆転されちゃった貴女はどう動くのかしら」

 早乙女光は期待に胸を膨らませながら、実況画面を見つめるのであった。

 

「…ふぅ。まさかカチ車を踏み台にして川を渡ってくるだなんて」

 シャーマン4からの情報を得て、神無月しおりは溜息をこぼした。

『どうするの? シオリ。逆に私達が不利になっちゃったけど』

「…数の上では、こちらが有利です。敵は既に3両を消費して居ます。カチ車を2両、三式中戦車を1両、相手は既に消費しています」

『それでもまだ12両が陣取ってるんだよねぇ。これがさー』

 双葉葵の言葉に、神無月しおりは一人頷いた。そう、『まだ』12両も居るのだ。敵のフラッグ車を燻り出すにはこの状況をどうにかしなければ成らない。

 敵の車両を撃破出来るのは実質の所、14両。残念ながらソミュアS35では後部を至近距離から狙い撃つぐらいしか撃破の見込みがない。しかし決して使えない訳ではない。

『敵は丘の上だ。誘き出すにしても、相手は有利な立地から動こうとはしないぞ』

 バウムガルト・桜の言葉も尤もだ。故に神無月しおりは必死に考えた。相手を誘き出す事は出来なくとも、どうにかして丘の上から追い出せないか。またはこちらへと引きずりこむ事が出来ないかと。

その時ふと、とある人物の顔が彼女の脳裏に浮かび上がった。早乙女光である。態々仕事を恐ろしく手早く終わらせて、観戦に来てくれた彼女を。そして神無月しおりの頭の中に一つの作戦が思い浮かんだ。

「ジェーンさん、そちらの戦車の中で加速装置を積んだ車両はありますか?」

『んー? ナイトロとか、水エタノール噴射装置とか、スクランブルブーストの事?』

「はい。それらに類する物です」

『一応全部のシャーマンには付いてるけど、一等級に激しい奴はエレノアの乗ってるシャーマンジャンボね』

「ありがとうございます。それでは改めて作戦を説明します。各自、しっかりと聞いて下さい!」

 

「あっはっは!快なり。快なり。さぞ神無月さんも驚いた事だろう!」

 四式中戦車のキューポラから体を出して川崎蘭子はとても愉快だと幸せに浸っていた。

「しかし川崎様。相手はあの『播磨の魔女』です。どんな手段を使ってくるやら」

 三之菱響は努々油断しないように、とばかりに川崎蘭子に話しかけた。

「うむ。だが私は同時に楽しみでもあるのだよ。相手がどんな風に反撃して来るのか、ね」

「川崎様ったら…ちょっと妬いてしまいますわ」

『川崎様!』

 二人が喋っていると、三式中戦車に乗っている一人の少女が叫んだ。

『相手側に動きがあります!』

「状況は!?」

 川崎蘭子はすぐさま車内へと戻り、無線機で問いかける。

『何やら榴弾を用いて、木々をなぎ倒している様です』

「…木々?」

 神無月しおりは何をする気だ…? 態々この鬱蒼と生い茂る森の中で。川崎蘭子は首を傾げたが、きっと何かをしてくれるのだろうと言う興味もあった。

『三方向から、木々をなぎ倒しているのを確認!』

『彼女らは森林伐採の仕事でも始める気でしょうか』

 三之菱響の言葉に川崎蘭子は応える。いいや違う。と

「各車、警戒せよ! これは何かの予兆だ!」

『川崎様、何かが来ます!』

 

「これより、アローヘッド作戦を開始します! 各車、準備は良いですか?」

『ライガー1、いつでもオーケー』

『ライガー2、問題なし!』

『シャーマン2、何時でも行けるわ』

 無線機から帰ってくる少女達の返事に、神無月しおりは頷いた。

「それではカウント始めます!5、4、3、2、1、0!」

 神無月しおりの号令の下、ポルシェティーガー一型と二型、そしてシャーマンジャンボの三両の戦車が邪魔な木々をなぎ倒した森の中から加速し、飛び出してきた。そして丘を駆け登ろうとする。

「小癪な!」

 頭上を取っている藤重学園の戦車が狙いを付けようとしたその時

「かっとべ、ライガー!」

「スクランブルブースト!」

「ナイトロ、ON! GO BABY!」

 三両の戦車は驚異的な加速を見せながら丘を登る。それこそ、照準を付ける暇さえなく。無論それは、激しくガタガタと丘を登る此方側にも言えた事だが、問題は其処ではない。三両の戦車は瞬く間に丘を登りきり、勢いと馬力を生かしたドリフトターンによる180度旋回を行い、互いの背中を守り合うと装填済みの徹甲弾で背中を見せている三式中戦車や四式中戦車に容赦なく発砲した。

「よもや重戦車級をこんな風に突っ込ませてくるとは! 全車、退却!」

『川崎様!』

 三式中戦車に乗っていた少女が悲鳴を零す。

「一体どうした!」

『カチ車がソミュアによって退かされて居ます!』

 神無月しおりのプランはこうだ。三両の重装甲の戦車を高速で突撃。仮に被弾しても重装甲にてこれを弾く。そして丘の上をひっかき回している間に、川辺にソミュアS35を走らせ、架橋戦車となったカチ車を退かす。又は榴弾でひっくり転がす。と言う内容であった。

「何ぃ!? くそ…生きている橋を使う! 改めて陣を組みなおすぞ! ふふ…ハハハ! 面白い。面白いなぁ神無月くん! アッハッハ!」

『笑っている場合ではございません、川崎様。森の中には敵戦車のアンブッシュ射撃で包囲されています』

 三之菱響の言う通り、播磨・カーチスライト合同チームは茂みの中から射撃を行っていた。しかし当たれども有効打に成らなかったり、外れてばかりだ。

「恐らく、我々が攻勢に出た時に激しく丘を下ったお蔭で調子が狂ったのだろう。好機だ! 今の内に逃げ出せ!」

 言うや否や、藤重学園の戦車隊は尻尾を巻いて逃げて行った。だんだんと離れていくにつれて砲撃は収まっていき、ついには静かになった。

「生き残った車両は何両だ?」

『9両です。川崎様』

「ふんむ。まだ戦えない数字ではないな! さぁ諸君。頭を切り替えていこう!」

 藤重学園の戦車隊は見事な隊列で一路、生きている橋へと向かって行った。川崎蘭子はどうやって戦うべきかを、キューポラのスコープから外部を覗き見ながら考えていた。気が付けばもう橋のすぐ近くまで来ている。こちらに囮として出していた三式中戦車に心の中で敬礼しながら横を通り過ぎてゆく。

 そして橋を渡っている最中だった。突然の轟音。突然の衝撃。

「一体なんだ!?」

 川崎蘭子は叫ぶ。そして車内の白旗判定装置の作動を知らせるランプが光った。

「アンブッシュを受けました! 川崎様!」

 川崎蘭子は唖然とした。播磨・カーチスライト合同チームの射撃の悪さは調子が狂った訳では無かった。あの砲弾は我々を追い立てる役に過ぎなかったのだ。本命はただ一つ。この橋を渡ろうとする川崎蘭子の乗るフラッグ車への一撃。

「してやられたな…陣を立て直す積りが、犬追物にされるとは…ハハハハ! 神無月さん、天晴だ!」

 

「グッジョブ! 対岸に残してたシャーマンを使った良い戦法だったわしおりちゃん!」

 早乙女光は興奮し、神無月しおりの奮闘を称えた。

「弱ったと見せかけて相手を誘き出し、誘導する。見事だったわ。シオリチカ」

「それにしてもあの三両の戦車、凄い加速でしたわ!」

「比較的軽量な38トンのシャーマンジャンボは兎も角、特に60トン近いあの二両、悪評名高いポルシェティーガーとは思えない運動性能だったわ」

 ローズマリー・レンフィールドの言葉に、早乙女光はふふーん♪ と気分を良くした。

「うちの戦車工房なら、じゃじゃ馬なポルシェティーガーだって一級品の戦車に仕立てて見せるわ」

「…先程名刺を頂きましたけれど、あなたの会社がしたてたんですの? あのポルシェティーガー」

「まぁ、非正規戦車道専用ですけどね。エンジン弄ったり取り換えちゃったりしてるから」

「…葵さんが懇意にするのもよく分かるわ」

 観客席もまた、神無月しおりとその仲間たちの連携を称えた。

 

 試合を終えて、両校の少女達はパドックへと戻ってきた。川崎凛子は負けたにも関わらずとても楽しげな表情だった。

「いやぁー楽しい試合でしたなぁ! 重戦車があんな勢いでグイグイと登ってくるとは! いやはや恐れ入った。やはり世界は広いなぁ」

「こちらも…吃驚しました…カチ車を架橋戦車にしてしまうって言う発想が…」

「神無月さんにそう言って貰えるとは、恐悦至極ですな! まぁ正直な所、練習したとは言え、上手く渡れるかは運頼みでしたがなぁ」

 川崎蘭子はそう言いながらワハハと笑った。この人は本当に笑顔の絶えない人だな…と神無月しおりは思った。

「願わくば、また試合をしたい物ですなぁ」

「…今度、私の友達も、紹介してあげる…私達みたいに戦車道、やってる友達を…」

「おぉ! それは真にですか! 大変嬉しい限りだ! いやはや。しかし…」

 川崎蘭子は不意に、寂しげな言葉を発した。先ほどまでの向日葵の様な笑顔も気力も消え去った。

「…我々は、あと何年戦車道が出来るのでありましょうな」

「…?」

 彼女の発した言葉の意味を理解できず、神無月しおりはキョトンとした。

「我々はまだ学生であるが故に、その間は自由気ままに戦車道が出来ましょう。しかし…ひとたび学生と言う枠から外れてしまったら、戦車道は遠のいてしまう…」

 川崎蘭子は寂しげに、自嘲するかの様に呟いた。しかし

「そんな事、ない」

 神無月しおりは珍しく、少し強い語気で言葉を発した。

「戦車道は、うぅん、戦車と戦車道を思い続ければ、いつだって、いつまでも出来る。ずっと、ずっと。きっと出来る。戦車を、戦車道を好きだって思っていれば」

 神無月しおりの拙いながらも真っ直ぐで真摯な言葉に、川崎蘭子は呆気にとられた。そして再び、アハハハ! と気持ちよく笑った。

「これは一本取られましたな。嗚呼、確かに私はつまらない感傷に浸っていた様ですな。貴女の言う通りだ。ありがとう。播磨の魔女。機会がありましたら是非とも。貴女のご友人がたとも楽しく戦車道をしたいものですな!」

「…えっと…ありがとう」

 神無月しおりは、必死になってこう言う時にはどう気持ちを伝えれば良いのかを思い出し、言葉を絞り出した。

 

 少女達は握手を交わし合い、そして撤収した。

 学園艦との連絡船へ向かう汽車に揺られて、少女達はひと時の眠りにつく。暑く、疲れもするのだ。眠るのも無理は無い。

 そんな中、神無月しおりはぼんやりと一人、客車から窓の外を眺めていた。彼女の胸の中には、自分が発した言葉が繰り返されていた。

『戦車を、戦車道を好きだって思っていれば』

 自分でも不思議だった。あんな気持ちが、あんな言葉が出てきた事が。何故だか分からない。ただ、悲しそうな川崎蘭子を見ていたら、自然と言葉が出たのだ。

 …自分は、少しは人間らしくなれたのだろうかと、思い悩む。

 正直に言えば、神無月しおりは怖かった。自分はまだ、バケモノなのか。それとも人間に成れたのだろうか、と。

 …戦車道を戦い抜く為だけに『作られた』バケモノ。そんなバケモノが、本当に人間になれるのだろうか?

 友人らと一緒に見た、怪物が人間になる映画を見たが、果たして映画の様に、本当に人間になれるのだろうか…

 疑問が、疑念が止まらない。本当に…? 本当に…? 鏡の様に反射する窓ガラスの自分に、問いかける。

『私は人間に成れますか…?』

 …答えは当然、帰ってこない。当然だ。そこに居るのは自分の虚像なのだから…

「しーおりん」

 不意に、自分を呼ぶ暖かい声が聞こえた。振り向けば大島明海が2つのカップを持って立っていた。甘い香りがする。

「はいこれ。しおりんの分。しおりんは隊長さんやってて一番疲れてるんだから、糖分補給しよ?」

 差し出されたカップにはココアが入っていた。心地よい暖かさのココアから、砂糖とカカオの甘くて香ばしい香りが漂ってくる。

「…ありがとう…明海さん」

 神無月しおりはココアの入ったカップを受け取りながら、小さく微笑んだ。

「今回も色々とハラハラしたねー」

「…うん…びっくりした」

「ローズマリーさんと戦った時のTOGにもビックリさせられたけどね~」

「…私も、あんなの出てくるなんて思わなかった」

「戦車道って、色々とビックリする事多いよね。楽しかったり、ちょっと怖かったり」

「うん…」

 他愛もない会話が、心地いい。

 他愛もない会話と共に飲むココアも、心地いい。

 …今は忘れよう。自分がバケモノなのか、人間なのかを問うのは。

 …今は多分…自分は女の子だと思うから…

 

 

 …少女達は汽車に揺られる。戦車と共に…

 …じわりじわりと這い寄る闇が待ち受けているとも知らずに…

 …少女達は汽車に揺られる。戦車と共に…

 …悲しみが口を開けて待ち構えているとも知らずに…

 

 

登場戦車一覧

・播磨所学園側 追加戦車

 

・ポルシェティーガー(プロトタイプ改・実戦配備型)

 試作戦車のポルシェティーガーを実戦配備型に改修した物。正面装甲に追加の装甲が取り付けられた他、車体側面の搭乗員乗り込み口が封じられている。

 …なのだが、ありあわせの部品で拵えた砲塔を使用しているので、シャーシから上が凄まじいキメラ戦車となった。本作では一型と呼称している。

 

・ポルシェティーガー(VK45.02)

 正式名称は不明。キングポルシェティーガーとも呼ばれなくは無い。本作ではポルシェティーガー二型と呼称している。

 キングティーガーのポルシェ砲塔を持つモデルであり、パンターやキングティーガーの様な傾斜装甲でシャーシが構成されている。

 

 

・藤重学園 登場戦車(主要戦車に限る)

 

・三式中戦車(チヌ)

 日本陸軍が初めて対戦車戦闘を念頭に入れて開発した戦車であり、シャーマンとも渡り合えると言われた戦車である。

 しかしシャーシやエンジンが一式中戦車と同等な為、装甲と馬力が心許ない。史実では本土決戦に向けて温存された。

 

・四式中戦車(チト)

 軽量な戦車が主体だった日本陸軍が開発した戦車の中でも珍しい前面装甲が75mmもある重戦車である。その為重量も30トンと重い。

 主砲も長大かつ強力な75mm戦車砲を積んでいる。なお、三式中戦車の主砲も同じ75mmの戦車砲だが、両車は全くの別物である。

 

・カチ車こと特三式内火艇

 日本陸軍が開発した水陸両用戦車である。車体は溶接構造であり、また水深100mに耐えられる程の耐圧構造を有している。

 藤重学園の秘密兵器。車体上部の構造物を全て取り払い、まっ平らにする事で架橋戦車として利用された。戦力としての能力はない。

 

 

 



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ep.8

※当作品は昔ながらの文庫スタイルで書かれています。
縦書きPDFか、行間を広めてお読みください


 

 

 血を流し、涙を流し

 

 

 

 夏の始まり。藤重学園との試合の終わり際、川崎蘭子の発した『私達は何時まで戦車道が出来るのだろうか』と言う寂しげな彼女の言葉に対して、神無月しおりは…彼女にしては珍しく…強い声で言葉を返した。

 そんな事はない。戦車を、戦車道を好きで居れば、何時でも、何時だって出来る、と。神無月しおりのその言葉に川崎蘭子は笑顔を取り戻した。文字通り向日葵の様な明るい笑顔を。

 …試合の帰り道。ガタゴトと揺れる客車にて神無月しおりは思う。…自分は、少しは人間に成れただろうかと。其れとも未だ、化け物の儘なのではないかと。寂しげな神崎蘭子に対して、何故あんなにも感情を発露させる事をするとは自分自身が思いもしなかった。故に彼女は問うた。暗い夜のガラスに映る自分に対して。『私は人間に成れますか…?』と。

 虚像の中の神無月しおりは答えない。だが…ぽつりぽつりと友人達と他愛もない事を話せる様になった事を、彼女は独り、小さく喜んだ。他愛ない青春の一コマ。それは何事にも代えがたい眩しく輝く玉虫色の思い出と言う名の宝物。それは正に、少女にとっての宝物。

 

 

 新たな友を得て。新たな仲間を得て。互いを知り、少女は歩む。

 歩む先に待つのは光か、闇か。

 少女達は足掻く。危機を回避しようと。されども現実は残酷である。

 彼女らに残された時間は、幾ばくであろうか。

 海鳥達でさえ、船の行方は分からない…。

 

 

 

 …――それは遂に訪れた――……

 

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 第七話:フォアシュピール

 

 

 

 今日も学園艦は海を航る。潮風を浴びながら、水面を切り裂きながら。…その筈だった。

 不意に、学園艦全体に響き渡る、鈍いゴォーンと言う音と振動。それから暫くの間に渡って起きた、短い停電。何事かと誰彼がヒソヒソと声を漏らす最中、学園艦の各所に据え付けられたスピーカーから声が発せられた。

『こちらは播磨女学園の生徒会長、双葉葵だ。学園艦に住まう生徒並びに居住者の皆様に告げる』

 生徒会役員室の中の放送室のマイクの前で、双葉葵は一度唾を飲み込み、気持ちを整えて言葉を発した。

『現在、我が学園艦のリアクターはその能力を失ってしまった。我々は不名誉な漂流よりも、【接岸】と言う英断を選びたいと思う。この事態に対して、対応し切れなかった事を、生徒会会長として悔やむ限りだ。連絡は以上である』

 双葉葵の学園艦へ向けて発した言葉の後、生徒会役員室の前には多数の生徒が押し掛けていた。

「私達はどうなるんですか!?」

「この学園艦、潰れちゃうんですか!? 一家で住んでるのに!」

「私達だけじゃないです。大人の人達だって…!」

 がやがやと色んな言葉が、色んな声が扉の前で聞こえてきて、双葉葵は「ふぅー…」と酷く疲れ切った溜息を零しながら、両手で顔を覆っていた。

 覚悟はしていたが、改めてこの事態に対して直面した事が、ショックで仕方が無かったのだ。

 そんな双葉葵の耳に、言葉が入ってくる。

「戦車道チームの皆様、お通しします!」

 木製の扉が開かれて、ぞろぞろと数十名の少女達が生徒会役員室へと入ってきた。

「どういう事なんだよ会長! リアクターが壊れたって!」

 柿原セリカの言葉に双葉葵は小さく首を振った。

「言葉通りの意味だよ。この学園艦のメインリアクターは、今年の四月の始まりに突然大きな不具合を出した」

「直せなかったんですか? ずっと…ずっとこの事を隠してたんですか!?」

 五十鈴佳奈の言葉に、双葉葵は今度は頷いて見せた。

「そうだよ。隠してた。皆が怯えて学園生活を送るよりも、この件に関して秘匿していた方が穏便に済むと思ったから。これは学園艦の商工会の偉い人達からの賛同も得た。勿論、直そうとしたさ。どうにかして、リアクターを修理する為の手段を探していたんだ。

 学園艦運行委員会に必死になって説得したけれど、今は新造艦を作るのに手一杯で、新しくリアクターを用意する事も修理する事も難しいって言われて…だから、自分達で修理する為に、修理する為のお金を貯金する為に必死になって戦車道のスポンサーに頭を下げて回って、お金を稼ぐ為の戦車道やるのにも、兎に角お金を切り詰めに切り詰めて…」

 双葉葵の言葉に、久留間舞子がハッとなって思い出した様に呟く。

「もしかして…戦車道を始める時に学園艦の名前を売りたいから…って言ってはりましたのは…」

「そう。そーゆー事。非正規戦車道は観客からのギャンブリングで沢山お金が入ってくるから、それで修理費を稼ごうとした訳。実際、試合の稼ぎの何割かは、今まで壊れかけてたリアクターを動かし続ける為のお金になったよ…」

 やれやれとばかりに、双葉葵は学園艦が抱えていた爆弾の事のあらましを述べた。

「私達は…私達、戦車道のチームはこれからどうなるんですか!?」

 パンターの無線手、アリカ・三日月が悲しげに問うた。双葉葵は、投げかけられた問い掛けに再び答える。

「…今はまだ、播磨女学園の生徒として生活出来る。一般人の方々もだ。だけど…このままリアクターが修理されないままで次の春が来る時には、この学園艦は正式に廃校と見なされる。残念ながら皆には、他の学園艦に転校して貰うしかない…」

 そんな…! こんな事って…! 信じられない…! 口々に言葉を紡ぐ少女達の中で一言、不気味なまでに良く通る声が一言、聞こえた。

「嫌だ…」

 少女の一声に、少女達のざわめきがスッと消える。声の主は…神無月しおりだった。

「しおりちゃん…?」

 双葉葵は小さく、少女の名を呼んだ。彼女は、肩を震わせて言葉を発した。

「嫌だ…嫌だ…! 折角、折角皆と仲良く成れたのに…! やっと、楽しい戦車道が出来るように成ったって思ったのに…! 皆と離れ離れになるなんて…嫌だ!」

 神無月しおりは、叫んだ。ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、魂の慟哭を発した。言葉を吐き出すのを終えるや否や、彼女は生徒会室を、皆の群れの中を後にした。生徒会役員室の扉の前の人込みを駆け抜けて。

 少女達は茫然としていた。だが然し、彼女の来歴を知っている少女達は彼女の言葉が痛く心に響いた。残された少女達が神無月しおりの残した空気の中で身動きが取れない中、霧島蓉子はハッとした。

「拙いな…今の彼女の精神状況だと自殺しかねない。会長。悪いが彼女を探してくる」

 こと、車に対する情熱においてはロマンチストだがロジックにおいてはリアリストである霧島蓉子は双葉葵に向けて言葉を発した。

「ごめん、頼むよ」

 双葉葵の疲れが滲み出た言葉を受けて、霧島蓉子はその場に居る少女達に言った。

「ここに来てない戦車道のクルーも集めろ。学園中の中で隠れられそうな場所、若しくはしおりが行きそうな場所を探せと伝えろ」

「霧島さんはどうするんですか!?」

 中嶋奏の率直な問い掛けに霧島蓉子は淡々と応えた。

「中嶋、北村、大島はあたしと一緒に来い。タトラを出す。あたしは一つだけしおりが行きそうな場所に心当たりがあるんだ」

 霧島蓉子の指示の元、神無月しおり捜索隊が組まれると、少女達は彼女を探し出し始め、霧島蓉子はその間にも三/四号戦車のクルーを引き連れて、愛車タトラ603を出した。

「皆、それっぽい所には居ないって言ってる!」

 霧島蓉子が心当たりがあると言う場所へ向けてタトラ603を運転する最中、三人の少女は携帯電話を片手に他の少女達とやり取りをしていた。

「戦車の中も探して見てみたそうですが、居ないみたいです!」

「…いや、一つだけ情報があった! 学校の外に飛び出したって!」

 北村カレラがそう発すると何か合点がいったらしい霧島蓉子は小さく頷いた。

「…一度しおりのアパートに寄るぞ」

 ハンドルを切り、学園艦の市街地を駆け抜けていく。そう時間も掛からずに、タトラ603は神無月しおりと大島明海の住むアパートに着いた。そして…

「やっぱりな。しおりのバイクが無い」

「本当だ! しおりんの銀色のバイクが無い!」

 雑多に剥ぎ取られたバイクのカバーシートが駐輪場に寂しげに残され、主の帰りを待っていた。

「これで確定したな。行くぞ」

「何処に行くんだい?」

 北村カレラの問い掛けに、ギアを1速に入れて素早くクラッチミートしながら霧島蓉子は答えた。

「学園艦の艦尾、飛行場横の海の見える公園だ」

 タトラがホイルスピンギリギリの加速をしながら、少女はそう答えた。

 

 時ほぼ同じくして…

 

 早乙女光はキューベルワーゲンを学園へと向けて走らせていた。それは戦車の消耗品の事やレストア中の戦車の事、細々とした内容について生徒会長の双葉葵と話す為に。然し、今この学園艦で起こっている事の重大さを何も知らずに居た。

 その時だ。ヘルメットも被らずに速い速度で突っ走る古めかしい、銀メッキのタンクを持ったバイクが対面に現れた。そしてすれ違い、早乙女光はギョッとした。バイクを走らせていたのは、神無月しおりで、彼女は酷く悲しそうな顔をしていたのだから。

 彼女は直ぐに自分が走らせているキューベルワーゲンの前後をチェックする。車が他に居ない事を確認すれば、ドンッとクラッチとブレーキのペダルを踏みこみ、ハンドルを切りながらサイドブレーキを引いて180度ターンをした。ギア、シフトダウン。アクセルオン。クラッチミート。キューベルワーゲンは浮き輪の様な丸いバルーンタイヤをキュキュキュとホイルスピンさせながら加速していった。

 

 神無月しおりは、バイクを乱雑に海の見える公園の駐車場に止めて、まるで身を投げる勢いで欄干にもたれ掛かる。ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら、涙で濡れた頬は風で冷たく、然し溢れる涙はずっと止まらずに居た。

「しおりちゃん!」

 聞き慣れた声が、背中に掛かってきた。神無月しおりはまるでゾンビの様にのったりとした動きで振り返った。その先には、早乙女光が居た。

「どうしちゃったの、しおりちゃん。そんなに泣いて…一体、何があったって言うの…?」

 彼女の言葉を受けた神無月しおりは、縋る様に抱き着き、嗚咽を漏らした。早乙女光は彼女のこの様な姿を始めて見て、酷く狼狽したが、然し、自分が落ち着きを取り戻すと、彼女の背中を優しく撫でた。

「…良いのよ。しおりちゃん。泣きたい時は、うんと泣いちゃえば良い。誰も涙を流す貴女を咎める権利なんて無いのだから」

 そう呟きながら、早乙女光は神無月しおりを優しく見守った。そうしている内に、霧島蓉子らを乗せたタトラ603が海の見える公園に到着した。

「行ってこい、大島。後は任せる。私はタトラの中で待ってるから」

 その言葉を受けて、大島明海率いる三人は神無月しおりと早乙女光の元へと駆け寄った。

「早乙女さん!」

「明海ちゃん! それに他の子達も…やっぱり、何かあったのね…?」

「えぇ…色々と…ねぇ、しおりん…」

 そっと、大島明海が言葉と手を伸ばした時である。ビクッと震えた神無月しおりは、震えた声で答えた。

「来ない、でっ…」

 彼女には珍しい拒絶の言葉を大島明海は投げ付けられた。

「…今、は…明海さんに、酷い事…言うかも…しれない、から…」

 必死にぽつりぽつりと呟く神無月しおりに対して…それでも、大島明海は彼女に近付いて行き、早乙女光と変わる様に、神無月しおりをぎゅぅ…と強く抱きしめた。強く抱きしめた彼女の体は、何時も以上に細く小さく、儚げに感じられた。今にも手折ってしまいそうな程に。

 だからこそ、優しく、話しかけた。

「…根拠なんてない。証拠だってない。だけども…だけども、きっと、大丈夫だよ…。それに今までだって、上手くやってこれた。まだ半年以上、猶予はあるんだよ」

 大島明海は続けて短く区切りながら、然し真っすぐに言った。

「まだ、みんなと一緒で居られるから。今すぐ離れ離れに成る訳じゃ無いから。未来の事なんて、起きてから考えれば良いよ」

 そう。今起きてる出来事はなんて事は無いとばかりに大島明海は言って見せた。

「…っ…明海、さん…!」

 大島明海のただただ優しい、論も証拠もない言葉にしおりは泣き崩れ、そして眠るかの様に意識を手放した。

「…取りあえずはひと段落、か…」

 ジッポライターで紙巻煙草に火を付けながら、北村カレラはそう呟いた。

「…北村さん。事のあらまし、教えて貰えるかしら。学校まで送るから。私のキューベルワーゲンで」

「喜んで。奏君も一緒に来たまえ。会長とゆっくり話をしないと…蓉子君。君はしおり君達をアパートまで送って行ってあげてくれ」

「元からそのつもりだ。そっちは任せた」

 斯くして、波乱の一日目はゆっくりと収束していった。

 

 

 二日目、神無月しおりを無事に保護したとの知らせを受けた他の戦車道少女達は、改めて生徒会長の双葉葵を含めて顔を合わせていた。今後の振る舞いについて。

「これからどうする?」

 率直に柿原セリカが皆の顔を見ながら問い掛けた。

「しおりはんの言う通り、離れ離れになるんはえらい悲しいどすなぁ…」

 しみじみと久留間舞子がそう呟いた

「何より、私達を導き、引っ張ってきてくれたのは彼女だ。彼女の魂からの願いを無下にはしたくない」

 バウムガルト・桜の言葉に、皆は他の言葉を発せずに居た。誰がこの現状を打開出来ようか?

「…そう言えば、会長。何故、神無月さんに無理をさせてまで戦車道を?」

 五十鈴佳奈が問い掛けたその時の事だった。生徒会役員室の木製の扉を開け放ってぞろぞろと少女達が現れた。それは今まで試合を通じて交流を深めた戦車道乙女達であった。

「お聞きしました! 学園艦の危機だと!」

「もうリアクターが限界なんですって?」

「どうしてもっと早く相談してくれませんでしたの!」

「何か打つ手はないの!?」

「貴女達の、そしてしおりさんの戦車道が失われるのはとても悲しい!」

 アレクサンドラ・橘、ローズマリー・レンフィールド、エリザベド・ガリマール、ジェーン・フォード、川崎蘭子と言った各校の戦車道のチームリーダーが、この播磨女学園の危機と知って現れ、次々に言葉を発した。

 溢れんばかりの言葉の洪水を発する少女達を前に、生徒会長の双葉葵は彼女らの言葉を制する様に改めてゆっくりと両手を挙げた。

「一つずつ、答えていこう。これからどうするのか。我々は、戦車道を続ける。いや、続ける他無いんだ。何故ならまだチャンスは残っているのだから。非正規戦車道を続けていけば、少しでも良い話が転がり込んでくるかもしれない。

 そしてしおりちゃんの願いは叶えたい。これからもずっと、この播磨女学園で皆と戦車道を続けたいと言う思いを。これは推測の話に過ぎないのだけれども…ウチの予想やと転校の振り分けが行われた際、恐らくだが彼女は再び甲斐女学園に連れ戻される可能性が高い。

 過去在籍していた事もあるし、今となっては彼女の戦車道における能力を知られてしまったからだ。そんな事があったらそれこそ、今の彼女にとっては自殺しかねない勢いの問題だ。若しくは、このまま高校を中退、路頭に迷うつもりだって考えられる。

 次の質問。しおりちゃんに無理をさせてまで戦車道を始めたのは、前任者の隊長であった少女が、亡くなってしまったからだ。リアクターが大きな故障を起こした同じ日の事だよ。真夜中に前任者は眠る様に亡くなってしまった。だから新しい隊長の役割を戦車道経験者のしおりちゃんに頼るほか…いや、縋るほか無かったんだ。

 ウチは正直、知る由も無かったんだ。しおりちゃんがあんなにも…最初は戦車道を嫌っていた事を。そして、彼女の過去を調べていく内にウチは後悔したよ。彼女を戦車道に勧誘した事を。だからせめて少しでも、彼女を守るって決めた。神無月に纏わるマイナスのイメージから、あの子を。自分から戦車道の隊長になる事をしおりちゃんにお願いしておいて、自分勝手でおこがましいけどね」

 一度、説明を終えた会長はお茶を一口飲んだ。ふぅ…と重々しい溜息を吐き出す。

「サーシャ達の質問に答えよう。ご存知の通り、リアクターはもう限界だ。そして何故相談出来なかったのか。交換するべき部品があまりにも高額だった為だよ。粒子加速装置のクアンタム・ハーモナイザーと整流装置のフォトニック・レゾナンスチャンバーが壊れた。この二つは学園艦を動かす規模の大型リアクターを運用する上で大変重要な事は…まぁ、知ってる人は知ってるだろうね。機械に聡いフォードちゃんとか」

 その言葉にフォードは「ジーザス…!!」と天を仰いだ。彼女には事の重大さが酷く伝わったらしい。

「そして、打つ手は探してきた。学園艦運行委員会に相談したり、知名度が上がってから、非正規戦車道の運営会長に頭を下げにいったり。今まで度々の番狂わせを、ジャイアントキリングを行ってきた、殆ど無名に近かった戦車道チームがのし上がってきた事を理由に。

 だけどそれでも駄目だった。いや、無理だったんだ。新品の重戦車50両分にも相当する金額を、誰がポンと出してくれる? ウチは必死にお金を切り詰めて、屋台を出して稼いで、そして戦車道で得た賞金や売り上げを貯金した。

 はっきり言おう。ウチは…うちの学園は中古の重戦車が5両を買えるぐらいまで貯金出来た。だけど…所詮はそこまでだった。他の学園艦の友人諸君、諸君らにこの話をしなかった理由がそれだ。寄付を募った所で、目標のお金は届かない。

 いや、身を削ってまでお金を用意して貰ったとしよう。だけどもそんな事、しおりちゃんが喜ぶ訳がない。何故なら一番手軽に大きなお金を得られるのは、戦車を売る事だ。皆との戦車道を楽しんできたしおりちゃんが、諸君らが大切にしてる戦車を売って身を削ってまで用意したお金を喜ぶ訳が無い」

 少女達は、沈黙した。そして会長は、ひどく悲しげに言葉を発した。

「…最後の手段だが…」

 双葉葵の重々しい言葉に少女達は息を飲んだ。

「…膨大な貯金を有する学園艦に勝負を挑み、博打を仕掛ける他ない。…尤も、そんな事をすれば最悪の場合はしおりちゃんの腕を見込んでの転校。次点でしおりちゃんとうちの学園の皆が修理して買い集めてくれた戦車の没収と成りえる…これだけは、絶対したくないんだけど、ね…」

 双葉葵の重い言葉に、少女達はただ押し黙る他無かった。

「…あの、もしも、このまま廃校になったら、私達の戦車は…」

 少女の問い掛けに、会長は冷酷な事実を告げる

「最悪の場合、文科省に預かられる事になる。そして転売。次点で戦車道連盟が預かり、他の学校へと寄贈。運が良ければ、戦車とその乗組員単位で他校への転入、転校になるだろう…本当、運が良ければね…世の中、何があるか分からないから」

「酷い! 余りにも横暴だ!」

 川崎蘭子の言葉に双葉葵は頷いた。

「勿論、そんな事は断じてさせない。……サーシャ、それに他校の皆。最悪の場合、戦車を紛失した事にして、分散して君たちに預ける。良いかな…?」

 他校の少女達は、勿論と答えた。

「…先ずは最寄りの岬に接岸だ。海を航る時の気持ちの良い船の潮風とも…暫くお預けか…」

 双葉葵の言葉に、唯々誰しもが黙る他無かった。

 

 

 学園艦が最寄りの岬の港へと入港、接岸して数日が経った。最初こそは戸惑いを隠せずに居た少女達ではあったものの、それでも少しずつ、海を走らない学園艦での生活に慣れつつあった。そんなとある一日の事。大島明海は神無月しおりの小さな手を握って生徒会役員室へと現れた。

「どうしたの。連絡も無く直接こっちに来るなんて」

 事前の連絡もない大島明海達の突然の来訪に長期間の接岸についての湧いて出てきた書類仕事を片付けていた双葉葵は小さく驚きながらも大島明海へと問い掛けた。

「時間を貰いに来ました」

 端的な大島明海の言葉にふむ。と頷き返す。その実の所を彼女に問い返した。

「成程。それで?」

「しおりちゃんと一緒に、私の実家に少し戻ります」

 その言葉を聞いて、双葉葵は彼女の思惑の全てを察した。

「…今回の件もあって、明海ちゃんも、覚悟を決めたんだね」

「はいっ」

 短く、然し意志の込められた返事を大島明海は返した。彼女の言葉に、神無月しおりは小さく手を震わせた。

「いいよ。もとより戦車道履修者は何かしらの理由がある場合はかなり自由な行動を認めているからね」

「ありがとうございます。…それじゃぁいこ? しおりん」

「…うん」

 まだ何処となく虚ろな目をしている、生気もなく顔が青白いままの少女を引き連れて、大島明海は生徒会室を立ち去った。

「会長。先程の言葉の意味は?」

 すぐ近くに居た長谷川凛は少女らのやり取りの意味を双葉葵に問うた。

「…明海ちゃんは実家に行って、改めてしおちゃんとの交際をする旨の報告。そして…結婚する意志を伝える筈だよ」

 あっさりと正直に双葉葵はそう長谷川凛に伝え、その言葉に彼女は驚いた。

「…あの子、明海ちゃんは…しおりちゃんの家族になるって言ってた。だから法的にも家族になる気なんだ」

「何故、そこまでして…」

 驚きを隠せないで居る長谷川凛に双葉葵は淡々と語る。

「…あの子が、しおりちゃんが余りにも可哀想だったからじゃないかな。楽しくない戦車道の毎日。強制される戦車道の毎日。勝たなくては叱責されての繰り返し。少女らしさも無い。少女らしさを求めたくても求め方が分からない。

 神無月流をしろと、ひと度しろと言われれば修羅にならざるを得ない日々。

そして体中のあの傷跡。凡そ人の送る人生じゃない。明海ちゃんは優しい子だから、だからこそしおりちゃんを、一人の『人間』にしてあげたいんだ」

「…そう言う理由が、大島明海にはあったのですね」

「そう言う事。長谷川。二人の外出許可書を出してあげて。遅延許可も添えて」

「分かりました」

 少女は話を聞くや否や、書類仕事へと戻っていった。双葉葵は椅子を回して窓の方へと振り返る。海の見えない生徒会役員室からの眺めを、唯々ぼんやりと眺めていた。

 

 

 翌日、ユンカースG42 は学園艦の飛行場から飛び立ち、神無月しおりと大島明海は機中の人となり、空を飛んでいた。

 神無月しおりはぼんやりと窓の外を見ていたが、徐に大島明海の方へとゆっくりと振り向き、問うた。

「…明海さん…何処に行くの…?」

 その問い掛けに大島明海は優しく微笑みながら答えた。彼女の手を優しく握って。

「私の実家だよ」

「…明海さんの、実家…」

「そう。しおりんをね。私の家族に紹介したいから」

 家族への紹介、と言葉を耳にして、神無月しおりは小さく体を強張らせた。そんな彼女を見て、大島明海は優しく背中を撫でた。

「大丈夫! 私の家族は本当に仲良しなんだから! それでもしおりんは、心配? 怖い?」

「…怖いって言うか…よく、分からない…」

「…そっか。うん。無理しなくて、良いからね?」

 そんな他愛もないやり取りをしている内にも、ユンカースG42は飛んでいく。そして神戸空港へと滑らかに着陸した。

 二人は予め予約していたタクシーのスカイライン2000GT-Bへと乗り込んだ。直列六気筒の滑らかなエンジンの回転が、路面のギャップを柔らかく吸収するサスペンションが、ゆるく少女達を揺らす。

 神無月しおりが何となく窓の外を眺めていると、立派な家が立ち並ぶ、俗に言う高級住宅地の路地を今タクシーが走っている事が分かった。不意にふと、彼女は射手の北村カレラの言葉を思い出していた。

 「育ちの良さが香ってくる」と。今までに得た経験から、神無月しおりは思った。嗚呼、これが北村カレラの言う「育ちの良さ」の理由なのか、と。

 やがて目的地に到着したのか、タクシーは止まり、少女達は料金を支払って柔らかなシートから降りた。目の前に建つ家へ通じる小さな道と階段を歩いて大島明海はドアを開き、そして言葉を発した。

「ただいまー。明海、帰ったよー」

 玄関いっぱいに、大島明海の朗らかな声が響く。ほんの少し後に家の奥から二人の人物が現れた。一人は人が好さそうな男性で片手にパイプを持ち、もう一人は大島明海によく似た女性であった。

「おかえり明海。そしていらっしゃいお嬢さん」

「おかえりなさい明海ちゃん。そしてそっちが、話に聞いてるしおりちゃんね?」

 大島明海の母親は優しい目つきで神無月しおりを見て、そう問いかける。神無月しおりはゆっくりと頷いた。

「さぁ、家に上がって。長旅で疲れただろう」

「ほらほらしおりん。あがってあがって」

 大島明海とその両親に促されるがままに、神無月しおりは大島家へとお邪魔した。

 応接間でのとても他愛もない軽いやり取りを終えてから、大島明海は神無月しおりを一人部屋に残して、家の奥へと消えていく。

「ちょっと大事な話をしてきますね」

 …と、大島明海の母親が言い残した。ぽつんと一人残された神無月しおりは所在なく、小さなカバンに入れていた文庫本に手を伸ばした。ぱらり、ぱらり…と何ページか読みふけっていると、彼女は不意に視線を感じた。

 

 …その頃、大島家のリビングにて…

 

 大島明海の父親は少し困っていた。ゆっくりと言葉を選びながら、互いに傷付く事の無いように話を進めた。 

「父さんは、何の問題も無いと思うよ。彼女との交際も悪いとは思わないし、結婚したいと言う明海の気持ちもよく分かるが、ちょっと急いているんじゃないかい?」

 もしかしたら、そのう…相手さんの心変わりとかが何かあるかもしれないし…とやや歯切れ悪く言う大島明海の父親だったが、それに対して大島明海は力強く、そして鋭く反応した。

「とてもじゃないけど、放っておけないの!」

「明海ちゃん…」

 大島明海の母親は彼女の言葉に込められた力に驚いた。

「あの子は何時も涙を流してた! 自分がどうして涙を流すのかの理由も全然分からずに! 学校が始まってからずっと、あの子の姿を見てきたから分かるの! 声にする事も儘ならない痛みにただ体を震わせて、たった独りで必死に耐えて! 私はそんなあの子を癒してあげたい!

 あの子の人生は、あの子にとっては普通かもしれないけれど、私にとっては、ううん、私だけじゃない。あの子の友達の皆にとっても全然違ってた! 全然普通じゃなかった! だから、あの子に自分の気持ちを伝える事を教えてあげたい! 押し殺した気持ちなんかじゃなくて、ありのままの心を!」

 大島明海の思いが熱く滾った言葉に父親はやれやれだなぁと思った。真っすぐで、それ故に頑固だな、と。また同時に思うのであった。彼女の母親。即ち自分の嫁からも己の学生時代、熱いアタックを受けた物だった、と。

 その時だった。大島明海の母親が、二人を静かに呼んだ。

「明海ちゃん。あなた。こっちに来て」

 ヒソヒソとした大島明海の母親の言葉に二人はなんだなんだ? とばかりに彼女の後をついて行き、そっと三人は応接間の様子を伺った。

 其処には、大島明海を少し小さくした様な少女と、神無月しおりが会話をしていた。

「お姉ちゃん、戦車道やってるんでしょ? 雑誌で読んだよ」

「うん…戦車道、やってるよ」

 少女の問い掛けに、神無月しおりはゆっくりと答える。

「やっぱり! 戦車道って楽しい?」

「…辛い事もあるけど、楽しいよ…良い友達に、出会えたら」

 少女の目を優しく見つめながら、神無月しおりは正直に答えた。

 その様子に、大島明海の父親は酷く驚いた。人見知りの激しい、大島明海の妹、大島七海が短時間であんなに懐くなんて、と。

「これはもう、お父さんの負けね。七海がすぐに懐くなんて」

 大島明海の母親の言葉に、父親はやれやれだとばかりに頬をかいた。 

「こりゃまた、娘の晴れ姿を早く見ることになりそうだし、オマケに美人さんの娘が増えると来た」

「んもう、お父さんったら!」

 大島家は朗らかな空気に包まれていた。今日は泊っていくんでしょう? お料理の準備をしなくちゃ。お父さんはどうしようかなぁ。食後のお茶菓子でも何か見繕おうかなぁ。私、七海としおりんの傍に居てるね。等々…

 冬の季節、暖かな暖炉の様な、優しい空気が、そこにはあった。

 

 …そんな穏やかな空気に反して、生徒会長の双葉葵はとある学園艦に招かれていた。

 

 招かれ先は…甲斐女学園だった。学園の中を行き交う少女は表情も何処か硬く、タクシーのBMW・1500から見た街並みもまるで寒々とした北欧の街並みの様であった。なんて生気の無い学園艦だろうと双葉葵は思う。勝利主義者の神無月流の戦車道を履修して居なくても、この学園艦の様子では生活しているだけで表情が硬くなってしまいそうだと。

 ややあって、双葉葵はとある建物の一室へと通された。その部屋の扉には【学園艦商工会・学園長】の名が刻まれていた。文字通り、商工会を取りまとめる大人達にとっての学園艦の長である。

 恰幅の良い、表情だけで言えば、人が好さそうな人物がスーツを身に纏って少女を待っていた。

「お待ちしておりましたよ。双葉葵さん」

「どういたしまして。甲斐女学園の学園長さん。正直な話、ウチはどないして此処に呼ばれたのかさっぱりなんだけども」

 双葉葵にとって方言が方々に滲み出るのは和んでいるか焦っているかの何方かである。今この状況においては後者であった。何か禄でもない事を考えて居るのではいやしないかと。

「いやはや、何…播磨の学園艦でリアクターが壊れたと言う噂を耳にしたのでねぇ…」

「…ッ!」

 その話、何処で聞いた! と叫びたかったのを必死になって双葉葵は抑え込んだ。下唇を噛みしめて。外様向けには学園艦のメンテナンス、と言う体裁を取っていたと言うのに。

「まぁ。前置きはそれで結構でしょう。どうです? ウチの学園艦と戦車道の試合をしてみて、貴女達が勝利したならば、リアクターの修理費を出しましょう」

「…そう簡単に、はい分かりました。…とは応えられないねぇ。見返りは何なん? 財布の紐を握る人は見返りの無い事はせんよねぇ? 試合にウチらが負けた場合の代償は。聞かせて貰いましょうか」

「何、代償と言う程の物を求めては居ませんよ」

 手をパタパタと横に振る様子は気さくな風でもあったし、双葉葵にはわざとらしい仕草にも見えた。

「こちらの学園艦からそちらへ転校した少女が居ますでしょう。神無月しおりさん。彼女の戦いぶりを見る事が出来ればそれで構いません」

 学園長からの言葉に双葉葵は全身の毛が逆立つ様な不気味さを感じた。確実に彼女を狙っているのだと悟る。

 既に用意されていた書類が学園長の秘書から差し出され、少女は身震いするのを必死に抑え込みながら、書類の内容を読んだ。

 約束を反故にする様な文章が書かれたり、炙り出しの文字が無いか等と必死に調べて、彼女はたっぷりと時間を掛けて漸く書類にサインとハンコを押した。

 ……果たしてこの先に何が待ち受けているのか、只々その先の見えない有様に恐怖しながら……

 

 やがて、神無月しおりと大島明海、そして双葉葵が播磨女学園の学園艦へと戻ってきた。戦車道を履修している少女達全員が学園内に居る事を確認した双葉葵は彼女達を招集する。全てを知らせる為に。

「…全員、集まったみたいやね? 今から重要な話をするから、よく聞いて。…甲斐女学園。昔、しおりちゃんが在籍していた学園艦との試合が決まった。学園艦のリアクターの修理費を賭けての。

 だけどウチはこの物事についてこう考えてる…これは言わば決闘だ。しおりちゃんと、あのクソアマの神無月かおりとの。あちらの学園長が此方に要求した代償はしおりちゃんの戦いぶりを見せろとの事だ。あいつら、十中八九しおりちゃんの戦車道の腕を狙ってる」

 双葉葵の言葉に少女達はざわついた。そんな少女達に対して、双葉葵は手を叩いて騒めきを収めた。

「期日は来週の週末。我々はただ淡々と…今までの様な楽しい試合ではなく、ただ戦う為に学園艦を出発する。屋台を率いる事も無く、ね…」

「期日までの練習はどうしましょうか、葵姉さん」

 四葉アカリの言葉に双子の妹のヒカリも頷き、双葉葵は静かに神無月しおりへと視線を向けた。他の少女達も、そっと彼女へと視線をやる。

 そこには…オーラを纏っている少女が立っていた。然し…何時ぞやの様に、殺気立ったオーラでは無い。静かな闘志のオーラを身に纏った神無月しおりが、其処には居た。

 そして彼女は言葉を発した。

「…皆さんに、訓練の内容を発表します」

 何時も以上に真剣な声の神無月しおりに、少女達は息を飲んだ。

「…私の、かつて居た甲斐女学園の取っている戦略は…とても凶悪です。戦車の装甲の分厚さ、そして主砲の火力の高さを生かした戦い方を主眼とします。宛ら黒森峰の様に。…故に…私は…皆さんの自主性に任せたいと思います」

 今まで様々な訓練を選び、少女達を導いてきた神無月しおりの言葉とは思えないソレに少女達はザワついた。

「正直に言います。私達はきっと正攻法では勝てません。故に、各々の個性を生かして、戦って下さい。相手は強固です。頑強なまでに。だからこそ、正攻法から外れた戦い方をする。

 それが相手に付け入る事が出来る、私達の戦法だと思います。……これが、私が、かつて甲斐女学園に居た『私』が言う事の出来る、最大限の皆への助言です……こんな助言しか言えなくて…ごめんなさい…」

「そんな事ねえだろ!」

 柿原セリカが、強く言葉を発した。

「隊長! お前何度も言ったじゃねえか! 戦車道に明確な答えはないって! 絶対なんかありゃしないって!」

 少女達は頷いた。そうだ。今まで戦ってきた相手も、そしてそんな相手達に勝ってきた自分達も、【明確な答え】も【絶対】なんて事も無かった。

「何かあったら、何時だって私達に任せてくれたじゃねえか! 今更水臭い事言うなよ!」

「モスカウ学園との闘いだって、聖バーラムとの闘いだって、メロヴィングも、カーチスライトも、藤重の時だって!」

「明確な指示以外は、どないすんかはずっと自由行動やったやないどすか!」

「私達は信じるよ! 隊長の言葉!」

 少女達が次々に発する言葉に、しおりは涙ぐんだ。自分は、こんなにも慕われているのだと、理解して、こんなにも、思われているだなんて知らなくて。そして…ぐっと息を飲み込み、神無月しおりは言葉を発した。

「それでは皆さん、くれぐれも怪我の無い様に! 練習開始!」

「はいっ!」

 少女達が元気よく返事を返す。各々がそれぞれの戦車へと足を運ぶ中、神無月しおりはバウムガルト・桜へと声を掛けた。

「今回の練習に、付き合ってほしい」

「ふむ…コマンダンテ。何か考え事があっての事だね?」

 バウムガルト・桜の言葉に神無月しおりは頷く。

「私の姉さんの乗る戦車はティーガーだから。今このチームの中で一番ティーガーに近いスペックを持ってるのは、パンター改だから」

「成る程。ヤボールコマンダンテ。クルーにも話しておこう。では、練習場へ」

「はい。お願いします」

 ぞろぞろと戦車を格納している倉庫から、戦車が出庫していく。

 各々が思うが儘に、己の戦い方を考え、そして術を捻り出す。何度も何度も繰り返して。時には術を変えてみて。

 そしてそれは、三/四号戦車のチームにも言えた事であった。

 何度となく、繰り返される背後を取る攻撃。フェイントを繰り出してみたり、煙幕を用いてみたりと思い付く限りの術を繰り出してはティーガーを想定したパンター改へと攻撃を繰り返す。

 そんな練習を繰り返した初日の事、神無月しおりは双葉葵と共に生徒会役員室へと足を運んだ。早乙女光と連絡を取る為に。

『要件って何かしら、しおりちゃん』

 映像通話越しに話しかけてくる早乙女光に神無月しおりは小さく頷き、そして言葉を発した。

「私達の持つ戦車の転輪と履帯を今よりも軽量化して貰うのと、ソミュアS35とルノーB1terの主砲のマグナム化と其れに伴う中退機の強化に、マズルブレーキの装備をお願いします。履帯は最悪の場合、一試合だけ持てば構いません」

 予想もしなかった注文に早乙女光は吃驚しながら聞き返した。

『履帯の、そんなピーキーなセッティングで大丈夫なの? 主砲の方は何とでもなるけれど…履帯の方はどんな動きをしたら切れるか分からないのに…』

「そうでもしないと、勝てる見込みが少ない相手なんです。戦う相手は…神無月流の中で飛び切り狂暴な相手だから」

 少女の切実な言葉に、早乙女光はゆっくりと頷いて見せた。

『…分かったわ。直ぐに準備させて、部品を届けるから。それとこっちからも作業員を送るから。新しいパーツを付けて練習をするにも出来るだけ早い方が良いでしょう?』

「ありがとうございます」

『私がしてあげられるのはこれ位の事だけだから。頑張ってね』

 映像通話が切れると、神無月しおりは双葉葵へと振り返ってこう言った。

「すみません、お姉様…今は少しでも出費を減らさないといけないのに…無駄に使っちゃって…」

「いいや、無駄なんかじゃない。」

 力強く、双葉葵は言った。

「勝つ為の出費だから。だからこれは決して、無駄な出費なんかじゃない」

 

 練習を繰り返す日々が過ぎて、約束の日が遂に来た。

 

 学園艦からの出発に僅かな見送りを背中に受けて、少女達は特別編成の輸送列車に戦車を乗せていく。

 輸送列車が、ガタンゴトン…ガタンゴトン…とレールの繋ぎ目に揺さぶられる。

 やがて夜が明けた。普段は明るい会話の飛び交う車内が、沈黙に満ちている。ただ黙々と、戦いに備える様に食事も摂った。

 静かな車内。何時までもこの儘かと誰もが思った中、一人が歌いだした。神無月しおりの、パンツァーリートだった。

「Ob's sturmt oder schneit, Ob die Sonne uns lacht,Der Tag gluhend heiss (雪の降る嵐も、暑い一日も)

 Oder eiskalt die Nacht. Bestaubt sind die Gesichter (凍るような夜も、顔が埃に汚れても)

 Doch froh ist unser Sinn, Ist unser Sinn (陽気な心こそが、私の心意気)

 Es braust unser Panzer Im Sturmwind dahin (邁進する我らが戦車。暴風の真っただ中を)」

 傷塗れの戦乙女。傷塗れの戦車乗り。神無月しおりが歌う。パンツァーリートを。戦車兵の歌を。

 少女達がそれに呼応して、一人、また一人と歌いだした。

 やがて、客車いっぱいの中に響く、少女達のパンツァーリートの大合唱。

 何度も、何度も繰り返し歌い、そして、合唱は静かに終わる…。そして誰かが、呟いた。

「隊長。決して躊躇わないで。だから、今まで私達を導いてくれた事を…ううん、そうじゃない。自分自身を信じたら良いと思うの。例え今日負けたって。私達には、明日は明日の風が吹くのだから」

 少女の言葉に、神無月しおりは、強く頷いた。

 やがて汽車が、辿り着くべき駅へと到着した。駅前に駐機されていたトラックへと戦車を載せ替えて、少女達と戦車は行く。

 暫くの間、トラックに揺られて…目的地…甲斐女学園の艦外練習場へと到着する。何の歓待も無い、寂しい場所であった。

 そんな真っただ中に、ティーガー中期型を背中に控えた神無月かおりが待ち構えていた。

 三/四号戦車から降り立った神無月しおりに、彼女は近付いて行く。

「今日の日を今か今かと待ち侘びていたよ、しおり。さぁ、遊ぼうじゃないか」

 神無月しおりの姉妹とは思えない程の、いやらしい笑みを浮かべて一歩一歩近付いてくる神無月かおりに少女達は背筋がぞっとした。

 だが…それを制する銃声があった。神無月かおりの足下で弾ける麻痺弾だった。両手でしっかりとブローニングM1910を構えた大島明海の放つ銃弾である。

「しおりんはもう、貴女の玩具なんかじゃない! 私の大事な家族よ!」

 強い意志と、僅かな怒りを込めてそう叫ぶ大島明海に呼応するかの様に、双葉葵もチアッパ・ライノを向けた。

「右に同じくだよ。もう二度とウチの大切な義理の妹には手を出させんから」

 双葉葵が神無月かおりへと銃を向けながらそう言うや否や、銃口が三度神無月かおりへと向けられた。重くて、大きな拳銃。神無月しおりの、モーゼルM712だった。

「…姉さん。私はもう、貴女の玩具に、言いなりになんて、ならない」

 誰よりも毅然として、しおりは答えた。鋭く赤い瞳でジッと睨み付けて。

 そんな少女達の様子を見て、神無月かおりは心底面白いとばかりに腹を抱えて笑った。

「実の姉妹を、実の家族を差し置いてか! 楽しいよ、しおり! 本当に君は変わったねぇ!」

 嗚呼、笑った笑ったとばかりに腹をさすると、其れ迄の様子とは一転、猛獣の様な眼光で神無月かおりは少女達を、神無月しおりを見つめた。

「それじゃぁ戦おうか、しおり。一対一でだ」

 その言葉に神無月しおりは困惑した。彼女はフラッグ戦を想定していたのだから。

「尚、学園長からの言付けだが、この戦いを降りれば学園艦の修理の話は無しになるそうだ」

 殆ど脅迫紛いの言葉に、神無月しおり達は渋々了承した。

 ドロドロと重い音を響かせながらティーガー中期型と三/四号戦車は川を渡る橋を通る。通り過ぎるや否や、橋が上がり、道が封じられた。

 どこまでも一対一で戦いたいらしいと言うあちら側の思惑が滲み出てくる。

「さて…」

 神無月かおりは咽喉マイクに手を添えてスイッチを入れる。

「お前達は暇をしているお客人と遊んでいろ」

 神無月かおりがそう言うや否や、少女達の右側、開けた大地を挟んだ林の中から五両の戦車が現れた。

「舐めやがって! …って、なんだあれ!?」

 柿原セリカが疑問を飛ばす。それは三両のパンターの傍らに居た、見たことも無い恐ろしく平べったい、長砲身の戦車砲を装備した妙な形の駆逐戦車であった。

 その戦車を視認するとバウムガルト・桜が悲鳴にも近い声を上げた。

「ガスタービン駆逐戦車、オリオールだと!?」

 驚愕の声で叫ぶや否や、ガスタービンの甲高く耳に煩い音が甲斐女学園の全車両から響く。

「まさか…! あのパンターもガスタービン!?」

「冗談じゃないわよ! 大出力のガスタービンエンジンだなんて! どんな動きするか分かったもんじゃない!」

「くそったれが! 長っ鼻でペチャンコなだけの戦車の癖に!」

「待て、皆!」

 バウムガルド・桜を除く各車両が、駆逐戦車オリオールに向けて発砲した。然し、駆逐戦車オリオールはその平べったく頼り無さそうな見た目に反して、砲弾の悉くを見事に弾いてみせた。

「何て硬さなの!?」

「ライガー2のアハトアハトでも抜けないなんて!?」

 少女の悲鳴の一つに、バウムガルト・桜は言葉を発する。

「よく聞け! あいつの正面装甲は200mmかつ68度の傾斜装甲だ! 実質500mmを越える装甲を持っている! 高火力のAPFSDSでも無ければ貫通出来ん! 主砲のアハトアハトはキングティーガーに匹敵するから気を付けろ! だが側面は僅かに30mmの紙切れだ! そして所詮は足の速いだけの頭でっかちだ! 諸君、押し潰せ!」

 バウムガルト・桜の指示の元、少女達が戦車を走らせた。彼我の距離を詰める。例え相手側が圧倒的に有利な火力を持っていても、乱戦に持ち込まねば播磨の少女達に勝機は無いのだから。

 ガキン! ガキン! と心臓がぞわっとする様な砲弾がかすめていく音を何度も聞きながら、少女達は突貫した。

「ペチャンコなの潰すにしても、先ずは相手の手数を減らさなきゃ、おちおち側面も取れやしない…! 舞子ちゃん、パンターから潰しに行くよ!」

『いきますえ!』

 東郷百合の言葉に久留間舞子は言葉と共に頷き返し、猛スピードで左右から弧を描くように二両は突っ込んでいく。耳を劈く様な音を響かせる砲弾をガリガリと受け流しながらソミュアS35とB1terは正面やや左右から同時に、ガッシャーン!!  と激しいダブルタックルを噛まして三両の内一両のガスタービンパンターの動きを止めた。

「なんて無茶な!?」

 ガスタービンパンターの車長の少女がそう呟く間に、ギリギリと二つの砲塔がこちらの方へと向いてくる。例えそれが小口径短砲身の戦車砲であっても背筋がぞっとする物だっだ。そしてソミュアS35とB1terの狙いは…

「不味い、ショットトラップ!? 全速後退!」

 車長の少女がそう指示を下す間に、ドドン! と二発の砲声が轟きパターの砲塔根本へと突き刺さった。シュパッと白旗がガスタービンパンターから上がる。

『やったでぇ! きゃぁっ!?』

「舞子ちゃん!? くっそぉ!」

 タックルを仕掛けたガスタービンパンターから脱する間際にソミュアS35は駆逐戦車オリオールに側面を食い破られた。着弾の衝撃でソミュアS35は横転し、エンジンルームから黒煙を吹かした。

「何よあの戦車砲! キングティーガーレベルの火力所じゃないんじゃないの!? まるでふざけてる!」

 飛び交う砲弾を避けながら東郷百合はヒステリック気味に砲塔の中で叫んだ。その間にも戦いは刻一刻と続いていた。

「佳奈! 打合せ通りこっちもコンビネーションで行くぞ!」

『分かったわセリカちゃん! やっちゃいましょう! 高速二重奏のメリーゴーランド!』

 T-34とクロムウェルがもう一両のガスタービンパンターを包囲する。左右別々、別回転から繰り出される砲撃に晒されガスタービンパンターの車長、射手並びにドライバーは混乱。雨晒しならぬ砲弾晒しに遭い、こてんぱんに叩きのめしてこれを撃破なるも、B1terを追いかけまわしていた駆逐戦車オリオールの長砲身88mm砲によってT-34はエンジンルームに被弾。白旗を上げる事となった。

『きゃぁあッ』

「佳奈ぁ!!」

『行って、セリカちゃん! 私達を気にしないで!』

「くっそぉ…!」

『セリカちゃん! 今はあのペチャンコから逃げなきゃ!』

 B1terの東郷百合が無線機で話しかけながら柿原セリカの乗るクロムウェルに合流、少女はキューポラから身を出して叫ぶ。柿原セリカは悔しさで爪が食いこみそうな程手を握り締めた。

「ぜってぇぶっ潰してやる! このゴキブリ戦車が!」

 今この瞬間に思い浮かぶこれでもかとばかりの罵声を駆逐戦車オリオールに投げ付けて、クロムウェルはB1terと共に逃走、回避に入った。

 その間にも、クローバー1、2、3こと双葉葵並びに四葉アカリ、ヒカリの乗るT69E3は三両目のガスタービンパンターを相手に縦横無尽に回避行動を取っていた。

『側面を取りたくても砲塔の旋回制限で狙いが付けられない…!』

『正面からの撃ち合いは互いにチキンレース…葵姉さん、どうしますか!?』

 双子の従姉妹からの言葉に必死になって双葉葵は考えを巡らせる。現状は数で有利、無線機から飛び込んでくる様子から他の戦車の力を借りるのは難しそう。そうとなれば…

「アカリちゃん、ヒカリちゃん、よく聞いて! ヒカリちゃんの言う通り、チキンレースを相手に仕掛ける!」

『そんな無茶な!』

『勝算はあるんですか!?』

「ある! 相手のカードは一枚。こっちは三枚だ! 単縦陣に並んでパンターに突撃! 砲弾を回避しながら突っ込むよ!」

『嗚呼もう! 葵姉さんってば!』

 三両のT69E3がジャリジャリと地面を滑りながらクイックにターンを行うと、車間をとって一列になってパンターへと突っ込んでいく。この戦法はかつて神無月しおりが自分の目の前でやって見せてくれた物だ。今度は自分がそれをする側になるとは思いもしなかったが、彼女にとってこれが唯一の最善策であった。

「自殺志願者か? ガンナー、随時撃て!」

「ヤボール!」

 ドォン! とガスタービンパンターの75mm戦車砲が火を噴く。高速低伸する徹甲弾が吸い込まれるかの様にクローバー2のT69E3の車体と砲塔の境目へと着弾する。

「きゃうぅっ」

『アカリ姉さん!』

『ヒカリ! 今は前を見るんや!』

 双葉葵の声に四葉ヒカリは改めてペリスコープを覗き見る。正面のパンターとの距離は、残り700メートルと言った所か。

「せめてあと200メートルは距離を縮めないと…! 回避に専念して! 砲塔、こっち向いたら4つ数えるから!」

 キュィー…とガスタービンパンターの砲塔がモーター音を響かせながら此方へと狙いをつける。砲口の死の黒点が此方へと指向される。

「1、2、3、回避!」

 T69E3のドライバーが双葉ヒカリの指示の元、操縦ハンドルを切る。その直後、ガスタービンパンターが発砲した。やや横滑りしながら、車体側面を砲弾で削られつつも四葉ヒカリの乗るT69E3は回避に成功。四葉ヒカリは小さく手を握り、やった。と自分を鼓舞した。

「次行くよ! …1、2、3、かいひっあいたぁ…!!」

 動きを先読みされてしまったか、それとも戦術その物を読まれたか。クローバー3のT69E3は車体正面下部のギアボックスカバーを削られながらドライブスプロケット回りを破壊され行動不能に陥った。互いのカードは残り一枚。ショータイム!

「残ったシャーマンもどきを平らげなさい」

 クスクスとガスタービンパンターの車長がそう指示を告げた途端、目の前が真っ白に成った。

「何事!?」

「分かりません! まるで霧か煙幕みたいで…まさか煙幕弾!?」

「くそ、こんな下らない戦法で…! これじゃ敵の姿が…!」

「こっちからは丸見えだよ、と! ぶち噛ませ! 青島!」

 言われる迄もなく、青島寧々は神無月しおりと北村カレラによって鍛え上げられたその技術で、モクモクと此方が撃ち込んだ煙幕弾で白煙を噴いているガスタービンパンター目掛けて砲撃を放つ。緩やかな弧を描きながら、90mm戦車砲の砲弾がガスタービンパンターの砲塔装甲に直撃した。此れで彼我の撃破数は3:4.残すは二両の駆逐戦車オリオールだが…

「くぅ…!」

 バウムガルト・桜が乗るパンター改は必死になって駆逐戦車オリオールを追いかけ続ける物の、あと一歩手が届かず確保撃破に至らずに居た。

『バウムガルトさん! こっちから追い詰めるから、撃破は宜しく!』

 ポルシェティーガー一型ことライガー1の車長を務める南雲紫の言葉にバウムガルト・桜は直ぐに応じた。

「かたじけない、助かる! アルピーナ、確り狙え、絶対外すな!」

「ヤボールっと」

 パンター改の射手、アルピーナ・藤井はマイペースに、然し何時でも撃てるように確りと照準を定めていた。後は必殺の瞬間を待つばかりである。

 そしてその時は遂に来た。滑り込むようにライガー1が駆逐戦車オリオールの進路へと割って入り、そのすさまじい程の快速を60トン近い重量で無理やり押し留めた。

「ガスタービンの弱点ってのはねぇ! 馬力が高くってもトルクが細いし、回転数の変化に弱いって事よ!」

 南雲紫の叫びと同時にアルピーナ・藤井は今だ! とばかりにトリガーを引いた。

 パンター改の75mm戦車砲から砲弾が飛び出し、駆逐戦車オリオールのエンジンルームを食い破り、見事に爆散させた。

「やったぞカメラーデン! …なっ!?」

 喜ぶ暇もなく、目の前で駆逐戦車オリオールの足止めをしてくれていたライガー1が、B1terとクロムウェルを追いかけまわしていた最後の一両の駆逐戦車オリオールの長砲身88mm戦車砲によって食われ、撃破。白旗を上げる。

「我らは五両、相手は一両、だが然し…!」

 バウムガルト・桜がそう言葉を漏らす内にも、駆逐戦車オリオールはその豊潤な出力を使って播磨女学園の戦車を追い抜くとパワースライドを行い急旋回。B1terの側面装甲を長砲身88mm戦車砲で食い破って見せた。

『くそぉぉお!!』

 タッグを組んでいた久留間舞子の仇を討つ余裕も無く撃破された東郷百合の悔しみに満ちた叫び声が無線機越しに響く。

『おい、あの最後に残った長っ鼻をなんとかしねえと皆揃って食い殺されるぞ!』

 柿原セリカの言葉にバウムガルト・桜は分かっている。分かっているのだと理解しつつも策が思い浮かばない。

 正面装甲は絶対の硬さを誇り、火力はキングティーガーの其れに程近く、ひと度スピードが乗れば尋常ではない機動性を持つ。重量に富むポルシェティーガーだからこそ、あの勢いを止める事が出来たが二度は同じ手は通じまい。だとするならば…相手の不意を突く他手段はない。こんな時、コマンダンテならばどうする…!? と彼女は頭を必死になって働かせた。その時だった。

『此方ライガー2。あたし達に妙案があるんだけど、乗ってくれるかな?』

 不意に無線機から聞こえてきたライガー2の車長の黒澤香子の言葉にバウムガルト・桜は少し驚きつつも無線機のスイッチを入れる。

「どんなプランでも聞き入れよう。我々を見下した非道に一泡吹かせてやる事が出来るなら! セリカ君、今の話は聞こえたかね?」

『ばっちり! 幾らでもやってみせるさ!』

 そして少女達の最後のアタックが始まった。駆逐戦車オリオールと正対したパンター改とクロムウェルは次々に榴弾を発砲。相手に着弾させていく。然し例え着弾した所で実質500mmの装甲の分厚さの前では榴弾もただの煩い花火と変わらない。そうしている内にクロムウェルが駆逐戦車オリオールの88mm戦車砲によって撃破され、次いで放たれた砲弾はパンター改の車体角に着弾。エンジンストールを起こし、一時行動不能に陥る。

 残るはポルシェティーガーティーガー二型だけだと言わんばかりに駆逐戦車オリオールの車長は周囲を見渡す。すると…

「隠れていたのか!」

 ずい、とばかりにパンターの背後からライガー2が顔を見せる。側面を取られては堪らないとばかりに車長は旋回する事を指示するが、駆逐戦車オリオールの車長の想像とは違いライガー2はオリオールの横を目にも止まらぬ勢いで走り抜けていく。

「スクランブルブースト! かーらーの!」

 ジャリジャリと地面を蹴りながら背中を取られまいとする駆逐戦車オリオールに対して、レーサー少女の集まりのライガー2は予想だにしていない技を繰り出して見せた。

「師匠直伝、必殺! 神岡ターン!!」

 通常の鋭くきついコーナリングよりも更にクイックかつ奥行きの深い高速なターンをもってして見事に背後を取って見せたライガー2は容赦なく駆逐戦車オリオールのエンジンルーム目掛けて88mm戦車砲を発砲。通常のティーガーの88mm戦車砲よりもより大量の炸薬で加速されたその重い砲弾は見事にガスタービンエンジンを破壊。白旗を上げさせる。

 此処に彼我の撃破数を語ろう。播磨女学園は10両中8両が撃破され、甲斐女学園の強力な5両の戦車は全て倒された。数の優位性はあった物の、戦力並びに戦車道の経験においては圧倒的優位を持っていた甲斐女学園との戦いにおいて、これは快挙と呼べる戦いでは無いだろうか。屍累々となった舞台にてパンター改の車長、バウムガルト・桜は思う。

 

「さぁ。我々の戦いは終えた。我々のこの勝敗に学園艦の存亡に対する意味が無くとも、我々は勝ってみせたよ、コマンダンテ。貴女が私達をこうして導いてくれたから。後は…貴女達だけだ」

 

 

 少女達が熾烈な戦いをしている最中、神無月かおりが乗るティーガー中期型に導かれるままに道を進む。やがて二両はコンクリート造りの廃墟に到達した。エンジン音がくぐもって響く中、ティーガー中期型はゆっくりと三/四号戦車へと対峙した。

 そして神無月かおりはこう言った。心底嬉しそうに。

「さぁ、愛し合おうじゃないか、しおり!」

 寂しげな、然し熾烈な戦いが始まった。遠くからその様子を見学塔で見る、たった一人だけの観客を有して。

「しおりお嬢様…」

 八島七瀬の漏らす言葉は心底心配そうな声色であった。

 

「霧島さん、全速で突っ込んで。明海さん、徹甲弾を装填!」

「おうさ」

「分かったよ!」

 神無月しおりの指示で素早く動き始める三/四号戦車に神無月かおりのティーガー中期型も全速力でスタート。両者、擦れ違い様に発砲。互いにすれ違う砲弾を、三/四号戦車は霧島蓉子のテクニックにて寸前でこれを回避する。装甲の角で砲弾を弾くギリギリと耳を劈く様な音にも少女達はめげない。だが三/四号戦車の放った砲弾もまた、ティーガー中期型のエンジングリルを掠めるだけに終わった。

「このまま全力で曲がり角まで走って、角を曲がったらそこで急旋回! ティーガーを待ち構えます!」

 神無月しおりの指示の元、三/四号戦車は砲弾を右へ左へ避けながらティーガー中期型に勝る速度で必死に逃走。ギャリギャリと履帯を滑らせながら急旋回し、曲がり角で斜めに構えて相手が来るのを今か今かと待ち構える。

 その時不意にしおりはハッとした。危ないと。

「全力後退!」

 マイバッハHL157P改V型12気筒エンジンが咆哮し、約25トンの車体をまるで首筋を引っ張られた猫の様に後ろへと下がらせる。その次の瞬間、三/四号戦車の居た空間に廃墟を突き破って砲弾が走った。

「読まれてた…!」

 神無月しおりは悔しそうに、苦しそうにぼやく。

「後退しながら応戦! タイミングを見たら反転して逃げます!」

「くっそぉ…! 狙いを付けても付けても避けられる!」

「しおり、後ろが見えない、無茶な注文だが後ろの視点は任せた」

 右に左にフラフラと踊る様に回避行動を取るも、ティーガー中期型は追う事を止めない。見事に正面装甲に命中弾を与えても、その装甲の厚みで受け止められてしまう。ティーガー中期型も応じるかの様に88mm戦車砲を発砲し、車体側面のシュルツェンを吹き飛ばされる。それだけでも大きな振動が少女達を揺さぶった。

「反転!全力で逃げて!」

 神無月しおりの指示の元、霧島蓉子は後進したまま180度旋回し、前進へと移行。再び加速する。その間にもティーガー中期型からの砲撃は止まず、砲塔や車体の角を掠めていくそれは寧ろ、まるで弄ぶかの様な砲撃だった。

「くっそ、こんなに88ミリを受けてたらその内故障するぞ!」

 北村カレラが戦々恐々としながら砲塔の射撃装置の問題が無いか調べながらに叫ぶ。

「相手は明らかにこっちを弄んでるぞ…こんなの、面白くないな!」

 霧島蓉子が苛々する様に言葉を吐いた。

「霧島さん、もう一度広場まで逃げて下さい」

「おうさ!」

「カレラさんはそのままティーガーに応戦!」

「分かった」

 路地を曲がり、広場へと逃げるべく舵を切る三/四号戦車に対し、ティーガー中期型は廃墟を撃って瓦礫の雨を降らせ、その道の邪魔をする。宛ら何時ぞや、自分達が聖・バーラム学院のカベナンターを追い掛け回したかの様に。

(…こっちが広場に行こうとしてる事さえ見抜いてる…)

 度重なる妨害で咄嗟に回避せざるを得ず、三/四号戦車は中々中央広場へと辿り着けずに居た。然しそれでも如何にかして、最早這う這うの体でと言う表現が似合うほど、瓦礫の砂ぼこりや砲撃の掠り傷塗れで漸く如何にか辿り着いた。

 「霧島さん、広場をグルっと大回りしてティーガーが出てくるタイミングを見計らって下さい。カレラさんも同じく、ティーガーが広間に出て来たら合図で砲撃を!」

 神無月しおりはキューポラのペリスコープ越しにティーガーの速度ならばこのタイミングで来るハズ …と必死に睨み、耳に音を傾けながら意識を集中させる。やがてマイバッハHL230 P45・V型12気筒エンジンの音が大きく聞こえてきた。今だ…!

「ここ!」

 神無月しおりがそう叫んだ瞬間、履帯の滑る金属音が聞こえてくる。次の瞬間にはドリフトしながら此方へと砲塔を指向させて現れるティーガー中期型の姿があった。

「また読まれた!?」

 二度も攻撃を読まれた事に神無月しおりは動揺した。何故。如何して…? その間にも霧島蓉子の咄嗟の判断による操縦でティーガー中期型の放った砲弾はキューポラを掠めるだけで済んだ。

 そんな最中、神無月かおりはティーガー中期型の車内にて楽し気にしていた。

「分からないかなぁ、しおり。きっと分からないだろうね。姉さん達は君に全く興味が無かった様だけど、私は違うよしおり。ただ弄んできただけじゃ無い。ずっと見てきた。君の思考も、行動も。だから手に取る様に分かる。可愛いなぁしおり! 本当に可愛いよ! 必死にもがき、足掻こうとするその様が、なんともいじらしい!」

 少女は興奮していた。精神的にも、そして性的にも。興奮のあまり、今にも鼻血が出てしまいそうなぐらいだった。

「次、行きます! 背後を取って、至近距離から砲撃します!」

 ボロボロの三/四号戦車は必死になってエンジンをゴゥ! と響かせて加速する。それを見計らったかの様にティーガー中期型も加速する。いざ回り込もうとした瞬間に、車体の角を88mm戦車砲で撃たれ、三/四号戦車は滑りながら吹き飛ばされた。

「…ッ! これも、読まれた…!」

 三度、己の戦略を読み取られ、神無月しおりは歯噛みする。やはり、自分では勝てないのか。『今のままの』自分では勝てないのか。大きな存在である姉に対して足掻こうとした。

 だが三度も行動を読み取られた現実を突き付けられた事が心を揺さぶって来る。『アレ』を使わざるを得ないのか。神無月の教えを。三/四号戦車はもう満身創痍も寸前だ。あと何度アハトアハトを受けて壊れずに済むか分からない。

 震える思いで、キッと目を鋭く開いた瞬間だった。

 

 暖かい物が手に触れてくる。

 

 神無月しおりはハッとした。

 

 それは大島明海の優しい手だった。

 

「大丈夫だから」

 大島明海の言葉に続いて北村カレラも神無月しおりの手を握った。

「無理はしなくて良いんだ。私達はしおり君を信じてる」

 運転席からも、霧島蓉子が背中を反らしながら神無月しおりへと答えた。

「前にも言ったろう。戦車が好きで居る限り、お前となら地獄の果てまで行ってやる。だから安心しろ」

 中嶋奏もまた、同じように応える。

「戦車道が始まったあの日から私達は、何時だって、一緒です!」

 只々暖かい皆の言葉に神無月しおりは目が潤んだ。嬉しさから溢れ出た涙を袖で拭い、改めて決意の視線を向ける。

「然し、どうする? 側面もまともに狙わせてくれない。後ろに至ってはもっての他だぞ?」

「本当にそれ! 昔大洗と黒森峰が夏の大会でやったみたいに、弱点のお尻を叩こうとしても全然させてくれないもん!」

 北村カレラと大島明海の言葉に、神無月しおりはハッとなって何かを閃き、そして答えた。

「あります。側面でも後ろでもない、ティーガーの数少ない弱点が!」

 そして神無月しおりは明確に、かつ分かりやすくティーガーの貴重な弱点を説明した。斯くして指示を出す。 

「霧島さん、お願いします。発進したらスクランブルブースト、最大出力で」

 戦車に無理をさせるのをあまり良しとしない神無月しおりとは思えないオーダーに霧島蓉子は答え返した。しかも今となっては何時白旗が上がってもおかしくない程、三/四号戦車はボロボロと来ている。

「正気か?」

「少しでも、相手の意表を突かなきゃ。難しい運転ですが、お願いします。直進した後、左に行くと見せかけてのフェイントモーション、切り返して右に回り込んで。その後もう一度クイックに滑らせてティーガーの側面方向に車体を向けて下さい。明美さん、最初に榴弾を装填して。カレラさん。無理の無い範囲で砲塔の根本を狙って下さい」

「榴弾でかい?」

 北村カレラの問いに、神無月しおりはゆっくりと頷いた。

「ちょっとで良いんです。不意を突くのと、砲塔が少しでも故障して、回るのが遅く成れば」

「なるほど、合点だ!」

「それから中嶋さん。雑で良いので相手の右側の履帯に目一杯機関銃を撃って下さい。銃弾が少しでも履帯の間に挟まったら動きが鈍る筈だから。明海さんは榴弾の次には徹甲弾を装填して下さい。とても揺れるけれど落ち着いて、だけども出来るだけ怪我せず確実に」

「分かりました!」

「分かったよ、しおりん!」

「三/四号戦車もボロボロだから…これがきっと、ラストチャンスです! 私も…自分を、皆を信じます! 行きます! パンツァーフォー!」

 神無月しおりが号令を下し、三/四号は走り出す。その様子を見ていた神無月かおりは、眉を顰めた。不意に三/四号から溢れ出したオーラは、それまで一度も神無月しおりが見せた事も無い、温かみに溢れる物だったから。

「……なんだ、そのオーラは。その見た事も無いオーラは。何を考えている、しおり!?」

 神無月かおりは砲塔の中で叫んだ。妹が、神無月しおりが何かを企てていると。自分の知れない何かをしようとしていると。思考が読めない。一体何を考えて居る…!? その間にも三/四号戦車はティーガー中期型に対して直進した後に大きく左に回り込もうとした。

 中嶋奏はオーダーの通り機関銃で履帯を射撃し続ける。機関銃の銃弾はその大半をバチバチと火花を散らしながら弾かれたが、神無月しおりの思惑通り、何発かの銃弾は見事に履帯の隙間にねじ込まれた。北村カレラも同じくオーダーの通り榴弾を発砲。75mm戦車砲の砲弾を見事に砲塔根本付近に着弾させ、これもまた神無月しおりの思惑通りにティーガー中期型のターレットリングに歪みを生じさせた。

「ターレットの何処かが損傷!」

「動きが悪い…履帯に何かが挟まりました!」

「ちっ…!」

 舌打ちするかおり。だがまだ慌てるほどじゃない。この程度はまだ想定の範囲内だ。例え思考が読めなくとも88mm戦車砲の砲弾を直撃させてしまえば良い。そうしてティーガー中期型が発砲しようとした刹那、履帯で地面をガリガリと削りながらティーガー中期型から見て右から左へと鋭く切り返す三/四号の姿が見えた。ティーガー中期型の88mm戦車砲がの砲弾が空を切った。

「次弾装填!例え回り込んだ所で…!」

 ギギギギ、と動きの鈍くなった砲塔であれど、進地旋回をすればいいだけの事。だが然し、スコープから外を覗き見る神無月かおりは驚いた、三/四号戦車が後ろを狙っていない事に気が付く。側面でも、後部でもない、絶妙に謎な位置を取った三/四号戦車にかおりは背筋がぞっとした。

「何だ…何なんだしおり!? 何を考えて居るんだ!?」

 10年近くもの間、弄び続け、その思考を読み切った自分が読めないで居る。その恐怖の真っ只中に神無月かおりは居た。刹那、強い衝撃がティーガー中期型を襲う。白旗判定装置が作動し、シュパッと白旗が上がった。

 神無月しおりが狙ったのは、ティーガー中期型の砲塔の左斜め後ろにあるピストルポートだった。どれだけ分厚かろうが、どれだけ頑強なリベットで留めていようが、弱い事に変わりはない。最後の最後で、自分を、仲間を信じた神無月しおりの勝利だった。

 

 刹那、ボンッ! と三/四号戦車のエンジンルームから火の手が上がった。

 

「自動消火装置、作動不良!」

 中嶋奏の悲鳴に神無月しおりは直ぐに行動する。

「明美さん、消化器取って! 皆は逃げて!」

「何言ってるの!? しおりん一人でほっとけないよ!」

「このっ、この! くそっ!」

 中嶋奏が必死になって消火装置を手動で起動させるレバーを引こうとするも、度重なるダメージでか、手動で消火装置を作動させるワイヤーが殆ど動かないでいた。

「中嶋!お前も死ぬ気か!」

「死ぬ気じゃないです! 守りたいんです! 一緒に戦ってきた、私達の三/四号を!」

 中嶋奏の真っすぐな言葉に霧島蓉子は、全くこの機械好きめ…と優しい悪態を心の中で呟いた。

「非常用マニュアルに書いてあった。この配電盤の中だ。赤のケーブルを千切って無理やり通電させろ!」

「はい!」

 その間も神無月しおりは砲塔から抜け出し、果敢にも消火器で燃えるエンジンルームの炎上を止めようとしていた。

「しおり!」

 真っすぐ叫ぶ声。声の主は神無月かおりだった。片手に消火器を持っている。

「姉さん!」

「一人じゃ危ないぞ! お前の友達は!?」

「逃げてって言った!」

 その間にも大島明海はオロオロとしていた。逃げてと言われても神無月しおりを放っては置けず、エンジンルームに面した装甲の特殊カーボンが高熱で変質し、ドロリと融解し始める

「明美君! しおり君の言う通り、もう逃げよう! これ以上此処に居るのは危険だ!」

 大島明海は、北村カレラの言葉を聞き、苦渋の思いで戦車の外に逃げ出した。

 そうこうしている内に神無月しおりと神無月かおりの使っていた消化器の消火剤が切れる。だがまだエンジンルームの奥底に炎がメラメラとチラついているのが見えた。その時である。

「こんのぉぉ!」

 中嶋奏が、配電盤のパネルをドライバーで開き、頑丈なケーブルを必死になって千切ると、配電盤の中の自動消火装置を作動させる回路に通電させ、見事に消火装置を作動させた。

 大量の消火剤がまるで火山の噴火の様にエンジンルームから噴き出して三/四号戦車は、寸前の所で炎を消化し終えた。 

 然し、結果としてエンジンルーム周りの装甲は炎上の際の高熱で歪み、特殊カーボンは劣化し変質溶解、エンジン周りはボロボロと大破したと言わざるを得ない状態になった。

 そんな騒動の後、神無月しおりは恐る恐る、自分達の戦車を助けてくれた実の姉に問い掛けた。

「…姉さん、どうして消化するのを手伝ってくれたの?」

「…戦車道を行う者として、私は必要最低限の礼節を守ったつもりなだけだよ。それに…燃えて壊れる戦車を見るのは忍びない…」

 寂し気に呟いた後、神無月かおりはそっと笑った。そして今度は彼女から妹へと問いかける。

「…しおり。最後のアレは読めなかった。あれは何だい?」

 神無月かおりの問い掛けに神無月しおりは言葉を選んで、ゆっくりと応えた。

「…無理、しなくても良いんだって…神無月流に頼らなくて良いんだって…皆に、教えて貰ったから…自分を信じたら良いんだって、教えて貰ったから」

「…そうか。あのオーラは『神無月流』のオーラではなく、『しおり自身のオーラ』だったんだな…」

 神無月かおりはそう、感慨深そうに呟いた。弄んでいた頃と比ぶべくもない。自分の妹は知らぬ間に大きく成長したのだと。嬉しくもあり、楽しかった玩具を失ってしまった現実に人としては余りにも無礼極まりないが小さな悲しみも感じていた。

 

 ティーガー中期型に牽引されて凱旋する少女達とボロボロの三/四号戦車。ティーガー中期型が砲塔から掲げる白旗に播磨女学園の少女達は歓喜の声を上げた。

 然し…それを見て、現実を受け入れられないでいた、甲斐女学園の少女が一人居た。

「隊長が…負けた…? そんな…あり得ない…あり得る筈が無い…ッ!」

 一人砲塔の中で呆けていた少女が、一人この現実から逃避するべく、ガスタービンパンターの砲塔旋回装置に手を伸ばした。砲塔を旋回させるモーターが音を唸らせ、旋回させる。丁度そのガスタービンパンターのすぐ傍に居た少女が砲塔が動いている事に気が付き、異常を察した。

「何をする気だ。やめろ! 止めないか! 戦車乗りとしての誇りを捨てる気か!」

 少女はガスタービンパンターに飛び乗り、キューポラに潜り込むと正気を失った少女の背中を強く蹴り飛ばした。

「止めるな! これは、かおり様に泥を塗った天罰だ!」

「馬鹿野郎! 止めろ! 人を殺す気か!!」

 少女がそう叫んだ瞬間、ガスタービンパンターの75mm戦車砲が火を噴いた。神無月しおりが砲塔から降りようとした瞬間に。

 飛び散る砲塔のシュルツエン。それは刃物にも等しくて。少女の体を切り裂くのは余りにも容易で。

 神無月しおりはバランスを崩し、転げ落ちる。

 

『切り落とされた自分の片足』と同時に。

 

 正気を失った少女は一人ゲラゲラと狂い笑った。その様子を止める事が出来なかった少女は怒りに任せて目の前の少女の頭を蹴り飛ばした。

「この、大馬鹿野郎! 戦車乗りの面汚しが!」

 やがてこの恐ろしい事態の犯罪者と被害者に気が付いた少女達は直ぐ様行動を始めた。

「しおり君! 確りしろ! しおり君!」

「しおりん! 誰か、止血剤を! あるだけ持ってきて!」

「カメラーデン諸君! 布だ! 包帯でも良い! 傷口を保護しろ!

「…っ…は…ぁっ? …はっ…はぁっ…」

 突然の出来事と、あるべき物が失われた感覚に、神無月しおりは痙攣しパニックに陥る。当然だ。自分の目の前に自分の足が転がっていて、ある筈の足の感覚が無いのだから。

 その間にもガスタービンパンターの砲塔で凶行を行った少女は引き摺り降ろされ、神無月かおりの前に突き出された。

「彼女に救急措置を。そしてヘリを直ぐに用意しろ。近くの救急病院に搬送する」

 神無月かおりは冷静に指示を出しながら、狂った少女に近付く。少女はフヘヘ…と何処かとぼけた笑い声を零しながら虚ろな目で神無月かおりを見つめ返した。

 神無月かおりは淡々と腰のホルスターからモーゼルM712を引き抜き、マガジンを入れ替えると彼女は正気を失った少女を撃った。『実弾』を。容赦なく。狂った少女の片足に。それも数発も。

「あがぁっ!?」

 正気を失った少女は痛みの余りに地面に転がる、更に神無月かおりは血の流れる足の傷口目掛けて容赦なく思い切り踏みつけた。

「この程度の仕打ちで済んだ事を感謝するが良い。貴様は甲斐女学園から退学だ。消え失せろ」

 神無月かおりは猛獣の様な眼光で淡々と言い捨てる。そして振り向くと大島明海の渾身のビンタが待ち構えていた。パンッ。と人間を叩く音が小さく響く。

「貴女の所の生徒、どんな教育してるのよ!? 馬鹿じゃないの!? 頭おかしいんじゃないの!?」

 大島明海の罵声に神無月かおりの先程までの猛獣の様な眼光は消え失せ、一人の少女の目付きへと戻っていった。 

「…すまないと思っている。ウチの生徒が…よもやあんな暴挙に出るとは」

「しおりんに…しおりんに、あんな大怪我させるなんて! どう責任を取るつもりなのよ!? 指を切ったなんてレベルじゃないんだから!!」

 大島明海の怒りは止まらない。大切な人。大切な少女。そんな存在である神無月しおりをあんな目に遭わされたのだから。

「…今はまだ、思い浮かばない。だが精いっぱいの努力はしようと思う」

 そうしている内に甲斐女学園の所有するヘリコプター・カモフが到着し、神無月かおりは担架に乗せられて収容され、大島明海、双葉葵、神無月かおりの3人は付き添いとしてヘリに同乗した。

ヘリコプターのエンジン音と、神無月しおりの「ヒュゥー…ヒュゥー…」とした呼吸が聞こえた。大島明海は移動している間も神無月しおりの手を握って「大丈夫。大丈夫だから」と声を掛け続けた。

 

 

 やがて最寄りの救急病院に到着し、神無月しおりが手術室に運ばれていくのを見届けてから、神無月かおりは徐に言葉を紡いだ。

「…さて、後は医者に任せる他ないな…所で君達、ひとつ昔話をしようじゃないか…君達はしおりの事を、何処まで知ってる…?」

「すっごい酷い人生を送ってきたって事」

「『晩夏の大流血』の当事者って事」

「…成る程、だいぶん聞いて回って、調べたみたいだ」

 二人の直球な言葉を聞いて神無月かおりは改めて言った。

「…しおりが落ちこぼれの扱いを受けているのは知っているか?」

 双葉葵は言葉に対して頷く。それに反して大島明海は、首を振った。

「そうか…じゃぁ改めて言おう。しおりは甲斐女学園と実家…つまりは神無月の家からも【出来損ない】の扱いを受けていた。戦車乗りとして。戦車道をやる者として」

 大切な恋人の神無月しおりがこれでもかとばかりに貶されていると感じた大島明海は力を籠めすぎて震えるぐらい手を握り締めた。双葉葵はそんな大島明海の様子を見て、握り締められた手を優しく撫でてあげた。

「だけどあの子には一つだけ才能があった。神無月の【血】だ。戦車乗りとしては落ちこぼれだが、神無月の【血の濃さ】においては私達姉妹の中でも断トツだった。私のお母様が恐れる程に、あの子の【血】は濃い…」

「…何なのさ。その【神無月の血】って」

 双葉葵はただただストレートに聞き返した。

「…戦場を支配する力。戦車を己が物にしてしまう力。暴虐を振りまく力の事だよ。それがひと度振るわれたなら、戦いの場は戦車の躯に溢れかえる。ぺんぺん草一本生えやしない荒地と化すんだ」

「そんな…! …でも…」

 大島明海が言い淀んだのを見て、神無月かおりはゆっくりと言葉を紡いだ。

「知っているんじゃないか? しおりがその力を振るった事を」

 大島明海と双葉葵は押し黙る他無かった。何故ならそれは事実だから。

「だけど、【神無月の血】と戦車乗りの才能は等しく得られるとは成らない。お母様はしおりの【血の濃さ】に気づいていた。そして私も。私の上の姉二人は全く気付かず、私の双子の妹は一切興味を示さなかった。彼女らはしおりを【ただの一人の戦車乗り】としか見てなかった。

 彼女らには【神無月の血】が受け継がれなかったんだ。だからしおりの【血の濃さ】の恐ろしさに気が付けなかった。あの子がひと度本気で【神無月の血】の力を振るったら……それはもう恐ろしい事になるだろうね……」

 神無月かおりが語り終えた話に、二人はただただ沈黙を守るしか無かった。

「…ひとつ、質問」

 その沈黙を破るかの様に、双葉葵が手を挙げた。

「しおりちゃん、【落ちこぼれ】って言われてるけど、ウチらの事、此処まで率いてくれたよ」

 双葉葵のその言葉に神無月かおりは、悲しげに溜息を零した。

「それはだね…彼女が負け続けたお陰さ。沢山の【負けた】と言うデータを蓄積に蓄積して、頭の中で何度となくシミュレートを繰り返して、漸く辿り着いた訳だ。【勝つ方法】をね。だけどもそれはしおりにとって、良い出来事じゃ無かった。【勝つ事を強要された】からに他ならない。あの子にとってはとても不愉快だったろうね…何故勝つ事ばかりを求めるのか。って…」

「そうだよ! なんでそんなに勝つ事に拘るのよ!」

 大島明海が問い、神無月かおりが淡々と答えた。

「種として、家として生き残る為さ。常在戦場。大胆不敵。見敵必殺。全てはお家断絶を防ぐ為。西住流や島田流程の知名度も無い。その力が及ぶのは精々が学園艦一つにその流派を根付かせる程度。門下生もその学園艦に在籍する少女と、僅かなOGだけ。相手を徹底的に叩き潰すのも、神無月の名前を知らしめる為に他ならない…尤も、怒りを買う事も多いがね…」

「そうだよ! それでしおりん、ビンタされたんだから!」

 明海は憤慨した。メロヴィング女学校との試合の後、過去に起きた遺恨によって相手側の少女に神無月しおりが叩かれた記憶は今でも鮮明に記憶に残っている。

「その為にも、うちの家の者は護身術を叩きこまれている。見た事があるんじゃないか? 普段はおどおどしているしおりが、時々鋭い目つきになって体術を振るうのを。拳銃の早撃ちをして見せるのを」

 双葉葵と大島明海は、押し黙る他無かった。全ては事実だから。もう何度、こうやって事実を突き付けられて黙る他無いのだろう。

「…恐らくだが…しおりが受けたビンタに反応出来なかったのは、良い意味で体が忘れていたのだろう。戦車道から離れている間に、自分の身を守らなくても良いんだと、ね」

「そんなのって、無いよ…」

 大島明海が、悲し気に呟いた。つまり、戦車道を再開した事で、また神無月家の教えを取り戻していった…? そんなのは、決して女の子らしく無い。まるでスイッチを入れられた兵器(マシーン)だ…。

「…家の為に…生き残る為に…ただ戦う為だけの殺戮マシンを作り続ける…なぁ神無月かおり、あんたら、頭おかしいんと違う?」

 語気を荒くして、双葉葵は言った。一人の幼気な少女を、文字通りの戦車破壊マシーンとして作り上げるそんな家訓に対して。そんな家族関係に対して。

「…それこそ戦車道を…いや、戦車に乗った時からの我が一族の生き様さ…悲しい事にね。戦場から生きて帰る為に、血眼になって神無月の始祖は戦った。それ故か、私達の瞳は血の様に、ルビーの様に赤い。正に『血眼』って訳だ」

 パンッ、と物を叩く音が響いた。今度は双葉葵が、神無月かおりを叩いた。

「冗談を言っとる場合か!? しおりちゃんの体が一大事やって言うのに!」

「…流石にこんなにぶたれたのは人生で初めてだよ」

「なんなら殴ろうか? あぁ?」

 双葉葵の怒りに満ち満ちた言葉に神無月かおりは勘弁してくれ。と言った。そんなやり取りをしている間にも、時計の針は、ゆっくりと、だが然し正確に時を刻んでいった。

 

 

 …一週間と半分が経った頃だろうか。神無月しおりは、播磨女学園の学園艦の病院に移送された。

 大島明海、双葉葵、そして八島七瀬が神無月しおりの元へ、面会に来た。

 ベッドに寝そべる少女の姿は、痛ましかった。生体義足の取り付けられた左足は、同じく生体義手を取り付けられた腕と同じく、不自然に肌が白かった。

 神無月しおりが、ゆっくりと顔を動かして大島明海達、面会者の方を見た。覇気も気力も無く。

「しおりん、大丈夫?」

 大島明海の言葉に、神無月しおりは無言でぽろぽろと涙を零した。

「しおりお嬢様…!?」

 突然の光景に八島七瀬は酷く驚いた。殆ど無表情で、ぽろぽろと大粒の涙を零す、少女の姿を見て。

「…私…わたし、勝った、よ…? 試合、勝ったよ…? 勝ったのに…なんで、おしおき、されなきゃいけないの…? わからない…わからないよ…どうして…? わたし、悪い事、したの…?」

 茫然自失と言わんばかりの死んだ目で、少女はポツポツと言葉を紡ぐ。その様子に耐え切れず、大島明海は神無月しおりを抱きしめた。

「…やだ…やだよ…勝ったのに…おしおきなんて…痛いの、やだよ…勝ったのに、おしおき、されるなんて…戦車に、乗りたくない…」

「しおりん…」

 その場に居た誰もが、言葉が掛けられずにいた。

「…でも」

 少女はぽつりと、言葉を発する。

「私、は…私、から…戦車を、取ったら、何が、残るの…? 戦車しか、取り柄、無いのに…」

「そんな事ない! しおりんは、普通の女の子になれるんだよ!」

 大島明海は咄嗟にそう叫ぶ。神無月しおりは、普通の女の子だと反論する為に。だが…

「…普通って…なに…? わからない、わからないよ、明海さん…」

「今まで、いっぱいしてきたじゃない! 皆と、友達とご飯食べに行ったり、遊んだり、買い物したり! それが普通なんだよ!?」

「…わからないよ…だって…私は…戦車にずっと、乗るのが…日常だったから…それが、私にとっての…普通だったから…」

 少女の痛々しい言葉に、大島明海は言葉を紡ぐ。

「…辛いなら、もう戦車に…」

 乗らなくて良いよ、と言おうとした時だった。

「…私、乗るよ、戦車」

 その場に居た三人はぎょっとした。

「…だって…だって…私には、戦車しか、無いんだもの…戦車を通じてしか、友達が、出来ないんだもの」

 そう言う彼女の目尻からは、血の涙がぽろぽろと零れていた。黒く濁ったガーネットの様な色をしていた左目の義眼が、見る見る内に鮮やかなルビーの色へと戻っていく。

 なんたる皮肉。まさしく、あのルビーの様な鮮やかな赤色は、【血眼】だったのだ。

「私はきっと…死ぬまで…戦車から…離れられない…だろうから…」

 しおりはとてもとても悲しい言葉を発しながら笑った。あはは…あはは…と少女の虚ろな笑い声が、白い病室に僅かに響いた。

 

 

 夏の季節。少女は再び多くの血を流した。

 

 

 

 登場戦車一覧

 

 甲斐女学園所有車両

 ・ティーガー重戦車中期型

 伝説の重戦車と名高いティーガーである。

 劇中に登場した、神無月かおりが搭乗するティーガー中期型は

 エンジン、足回り、駆動系、と言ったバランスの良い改良が為されている他、砲弾発射火薬のマグナム化と10口径ばかりの砲身延長が為されている。

 

 ・ガスタービンパンター戦車

 よりコンパクトで高出力かつ、どんなに質が悪い燃料でも動かす事が出来るガスタービンエンジンを開発、搭載する計画が為されて試作されたエンジン並びにそのエンジンを搭載予定であったパンター戦車である。

 幾つかのプランとガスタービンエンジンが試作され、納入予定だった物のドイツ第三帝国の戦局の悪化、敗戦により芽吹く事なく終わった

 

 ・駆逐戦車オリオール

 下記にして記載

 

 

 『架空戦車コラム』

 

 Schnell Jagdpanzer SchK II AUREOLE

 高速駆逐戦車 オリオール

 スペック

 全長9.6m

 全幅2.9m

 全高1.7m

 重量37t

 武装88mm PaK 43 L100

 装甲厚

 車体

 前面200mm/68°

 前面下部80mm/-55°

 側面30mm/40°

 側面下部25mm/0°

 後面25mm/40°

 後面下部30mm/-60°

 

 Schnell Jagdpanzer SchK II AUREOLE・高速駆逐戦車 オリオールとはドイツ陸軍が開発した駆逐戦車の1つである。設計手はマリカ・ゼイシュナー博士。名前から察する通り女性の戦車設計技師である。

 彼女の設計は奇抜その物であった。開発は難航したが1943年には少数の量産計画が取られた。

 当車両の大きな特徴は3つ。

 一つ、全面装甲200mmを有する恐ろしく平べったい車体。

 二つ、異常なまでに長い砲身を持つ強力な88mm戦車砲。

 三つ、第二次世界大戦中でも稀なガスタービンエンジンを搭載。

 

 それぞれをゆっくりと説明していこう

 ・車体について。

 正面装甲は68°と言う強い傾斜角を持ち、装甲厚200mmと相成り実質の装甲は500mmにも相当する凄まじい堅牢さを誇っている。然しそれに反して側面装甲は30~25mmと非常に頼りない。

 車体重量の低減を目的とした物であるのか、駆逐戦車と言う敵戦車と正面から殴り合う状況を想定した設計だからか。真実の程は定かでは無い。

 また件の強靭な前面装甲による重量配分の悪さが圧倒的にフロントヘビーである事から、第一転輪から第三転輪にかけてのサスペンションの機械的疲労が多かったと言う。

 そしてその恐ろしく平べったい車体からして搭乗員からの居住性の評判は悪く、また同時に火砲についても問題を生じさせた。その事は次項で述べよう。

 

 ・火砲について。

 武装は88mm PaK 43 L100と言う、キングティーガーと同等の砲弾を100口径の砲身から放つと言う途方にも無い代物であった。一説にはキングティーガーよりも高初速なのでは無いかとも言われている。

 しかし、大型の火砲と砲弾はただでさえ狭い駆逐戦車オリオールの車内空間を圧迫した。

 100口径の砲身に開発が難航したのか、初期型は75mm短砲身戦車砲を与えられたが、1943年当時に75mm短砲身戦車砲の火力では既に心もとなく、当戦車を配備された戦車兵からは酷いブーイングが巻き起こったと言う噂がある。

 この75mm短砲身戦車砲の時点で、砲弾と発射装置で圧迫された酷く狭苦しい車内が、大型の88mm戦車砲に取って変わった事で居住性は更に悪化。背の高い戦車兵では身動きを取るのも難しかったと言う。

 その為か、設計者のマリカ博士は政府高官に頼み込み女性で構成された戦車クルーを用意した程である。しかしそれでも尚車内空間は狭く、操縦が難しい事から文句を零した女性の戦車クルーに向かってマリカ博士は堂々と

「狭いのならば足を切ればいい。切った足は私の戦車が変わりになる」と豪語したと言う。

 幸いな事に公式記録では一人も足を切断した女性戦車クルーは居なかったそうだ。

 

 ・主機のガスタービンエンジンについて。

 ジェットエンジンの開発さえも満了しきっていないと言うのに関わらず大出力のガスタービンエンジンを開発しろとのお達しはエンジン開発メーカーに多いな驚きを与えた事であろう。

 研究開発にはメッサーシュミットMe262のジェットエンジン開発に貢献したユンカース社の他、排気タービンの研究や船舶の蒸気タービンエンジンの開発等に関わった数社による共同開発が為された。

 タービンシャフトの異常加熱やタービンブレードの耐久性、高熱に晒されるボールベアリングの潤滑の問題等、様々な技術的難関が露呈した物の、一応の完成を見る。

 当車両は小型のガスタービンエンジンをエンジンルームに二基並列に搭載し、排気炎は車体後部から排出し、コンバータを介して動力を一極化させて車体前方のギアボックスへと動力を送り届けている。

 同時に当車両専用と言ってもいい、ガスタービンの大出力に耐えうるこのギアボックス関係の開発にも苦労が伺えた。

 狭い車内スペースに割り当てられるギアボックスのサイズは決して小さな物ではなく、同時に最大出力を発揮した際の最高時速60km超と言う恐ろしい速力を弾き出すには強力で頑丈なギアボックスが必要となるのであった。

 結果として、中型戦車程の重量でありながら当車量のギアボックスの大きさ、並びに重量は重戦車並みの構造強度を有する事になった。このギアボックスがまたしても車内空間を圧迫し、戦車兵からの不平不満を買うのであった。

 

 駄々を捏ねる硝子の心臓のガスタービンエンジンに不良は始まり、急加速と急制動でサスペンションとブレーキは安易に破壊され、あまりの高速運転に履帯は易々と千切れ飛散し

 駆動系は少しでも扱いを間違えれば粉々に砕け散る有様であった。お陰でオリオール専門の整備中隊が組まれる程であり、部隊からはじゃじゃ馬、壊れ物、役立たず、の悪評の三拍子が揃った厄介な代物だったのである。

 機関部並びに駆動系の改良が進み、長砲身88mm戦車砲の配備が始まった事で駆逐戦車オリオールの活躍はその強さを見せつけ始めたが時既に遅し。

 大戦末期には部品供給も禄に得る事が出来ず、分解整備の間隔の短いガスタービンエンジンを利用し続ける事は容易い事では無く、末期ドイツ第三帝国の生き残った戦車の末路とほぼ同じ最期を遂げた。

 

 

(※当文章は非実在の車両オリオールを実在の戦車の様に扱った筆者の空想である)

 

 



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ep.9

※当作品は昔ながらの文庫スタイルで書かれています。
縦書きPDFか、行間を広めてお読みください


 

・手を取り、立ち上がり…

 

 

 

 嗜虐的な戦いをする神無月かおりとの戦いに、知恵と勇気を振り絞り辛くも勝利した神無月しおり達だったが、しかしその勝利の代償は余りにも大きかった。

 神無月しおりは錯乱した少女の凶行により心身共に満身創痍。

 更に言えば三/四号戦車もまた廃車寸前と言わんばかりのボロボロ。

 車体を構成する装甲板はエンジンルームの炎上で大きく歪み

 少女達を安全に守る特殊カーボンのコーティングは高熱で融解変質。その能力を失った。

 更に言えば神無月かおりのティーガーに嬲り弄ばれたお陰で車体の各所はガタガタのヘトヘト。

 エンジンも焼けて大破。不調を来していない部品を探すのが困難な程だ。

 三/四号戦車の復旧には新車を仕立てるにも程近い時間と資金を有する事となり

 精神的支柱である隊長車を失った隊員達は不安の声を漏らすが

 双葉葵は一人、不安を見せることなく、短く、しかし力強く少女達に言った。

 

 

──「戦力の当てはある」と──

 

 

 

【Girls-und-Panzer】

 砲声のカデンツァ

 第九話:シンフォニア

 

 

 

 その間にも、疲弊しきった神無月しおりのメンタルケアのプランが生徒会と、今まで砲を交えてきた他の学園艦の友人達の間で練られた。

 結果、全行程15日ばかりの各学校への短期入学が決まり、神無月しおりの付き添い人にバウムガルト・桜が選ばれた。

 この事に関して神無月しおりの恋人である大島明海が「自分がしおりを補佐する」と買って出て言うが、バウムガルト・桜に

「君はひととき彼女と離れたまえ。君は強い人だが、同時に余りにも優しすぎる。

 彼女の抱えている大きな苦しみや悲しみを分かち合おうとして

 自らマグマの様な地獄の沼に身を投じようとしているに等しい。

 だから離れるんだ。彼女の為にも、君の為にも。今暫くは。互いに間を置くこともまた、1つの愛なのだ」

 と諭され、大島明海は彼女の言葉に大人しく従った。これについては双葉葵も同意した。

 少々ばかりの時間、少女達には気持ちを整理する時間が必要であると。

 

 

 一校につき、凡そ三日ばかりの短期入学。学園艦を転々とし、ゆるりと過ごしては

 痛く傷心し凍り付いた神無月しおりの心も僅かずつだが確かに柔らかく溶けていった。

 バウムガルト・桜の愛車、メタルポリッシュされた銀色のポルシェ356カルマンが今まで出会ってきた学園艦の路を行く。

 モスカウ文化高校でオペラとバレェを観覧し、絵筆を取って芸術に触れて

 聖・バーラム学園にて優雅なティータイムを味わい、淑女の嗜みだとクレー射撃に勤しみ

 メロヴィング女子大学付属高校では剣技を習い、ワインやジュースを作る為の葡萄を摘み取って

 カーチスライト学園ではバスケットやアメフトの試合を眺めたり、飛び込みでオートバイのレースに参加したり

 藤重学園ではしっとりとした和食や和菓子に舌鼓を打ち、技術継承として行われている宮大工や刀鍛冶の見学をさせて貰った。

 其れ等は神無月しおりにとってとても有意義な物で在った。今までの人生で触れたことの無い物ばかりで

 大変興味深く、また色んな人々からお土産を貰った。短いが、実に充実した短期入学だった。

 その間にもバウムガルト・桜は丁寧に神無月しおりの補佐をし

 夜には学園艦の双葉葵に電話を掛けて戦車道の練習メニューを調整し、組んでいた。

 その様子を偶然見掛けた神無月しおりはメニューを考えるのに自分も手伝う、と声を掛けるがバウムガルト・桜は彼女を優しく制した。

「今の貴女は戦車道をしていない【ただの少女】だ。だから無理に戦車に関わる必要は無いんだよ」と。

 少女は優しく諭した。この言葉に神無月しおりは素直に従った。

 

 

 神無月しおりが短期入学をしているその間、ある日の夜の事。一本の電話が双葉葵の元に掛かってきた。

 相手は神無月しおりの姉、甲斐女学園の神無月かおりからだった。

「君に時間は取らせない。人払いを済ませてきたから話せる事だが、悪い知らせだ。此方の学園長の首がすげ変わった。

 お陰で件の貴女と前任の学園長との間で交わされたリアクターの修理費云々のやり取りも反故にされた」

 予想だにしない報せに双葉葵は立ち上がり、その勢いで椅子をすっ転ばせた。

 椅子のバタンと倒れる音に生徒会室に居た他の少女達数人が驚く。

「何やてぇ!?」

「この事については私もお母様と共に、対応が余りにも大人気ないと抗議をしたが、結果はなしのつぶてに終わってしまった。

 …仮に、の話ではあるが、今回の学園側の対応にお冠に成られたお母様は

【しおりを甲斐女学園へ再び招き入れる転入手続きの書類には絶対に判を押さない】と断言された。

 …残念な事だが…この事件について私とお母様が出来る事は此処までの様だ。本当に済まないと思っている…」

 電話越しにも分かる程、神無月かおりの声は真摯であり、また申し訳なさが滲み出ていた。

 双葉葵は電話越しに聞かされた言葉を少しずつ咀嚼し、頭の中でゆっくりと返事を組み立てた。

「…いや、構へんよ。少なからず今回の甲斐女学園の裏切りについて、あんたとしおりちゃんのお母ちゃんはウチらの為に動いてくれたんや。その事については素直に感謝する」

「寛大な配慮、感謝する。詫びと言う程ではないが、後日其方に細やかなプレゼントを贈りたいと思う」

「プレゼントぉ?」

 神無月かおりの口から放たれた思いもしない言葉に双葉葵は鸚鵡返しに聞き返しながら眉を潜めた。

「悪い物では無いと必ず断言しよう。それでは、グーテナハト」

「…あいよ。お休みぃ」

 努めて冷静に別れの言葉を告げた双葉葵であったが

 電話を切ると力強くテーブルに拳を叩き付けた。どん! と鈍い音が響く。

「くそったれが! 細くて頼りない、藁にも縋りたい人の気持ちを、それも思春期の幼気な女の子の心を散々弄んで、この仕打ちか!」

 砕けそうな程にギリギリと歯を食いしばりながら、双葉葵は吼えた。

 怒りと虚しさが腹の底から熱いマグマの様に込み上げて仕方が無い。

 何の為に我々は戦ったのか。悪い大人は斯くも子供に対して残酷に成れるのか。

 何の為に神無月しおりは片足を失い、心に大きな傷を負ったのか。

 机に突っ伏し、頭を抱える。哀れな小さい少女を守るどころか、学園艦の命運に関わる問題に巻き込んでからと言う物、延々と残る大きな傷を負わせてばかりだ。

 港にヒュウヒュウと流れる寂しげな風の音が、窓越しに嫌なほど双葉葵の耳に響いた。

 

 

 短期入学から帰還した神無月しおりとバウムガルト・桜の二人を出迎えて、双葉葵は戦車乙女の少女らを

 格納庫に集めると悲しい知らせを伝えた。甲斐女学園の大人達に約束を反故にされた事を。

 その言葉を聞いて誰よりも強く悲しく、大島明海は皆の気持ちを代弁するかの様に吼えた。

「何の為にしおりはこんな大怪我を負ったのか」と。

 彼女の言葉を皮切りに、口を噤んで我慢を重ねていた少女達の怒りに満ちあふれたブーイングが飛んだ。

 そうだそうだ! と。ウチの隊長があんな酷い目に遭わされたのに謝罪も無しか! と。

 少女達から不満の声が上がるのも無理も無い。それを抑える様に、両腕を、両手を広げて双葉葵は言う。

「あの神無月かおりが、この件について動いてくれた。彼女も今回の大人達のえげつない裏切り行為に責任を感じたんやと思う。

 せやから彼女はウチらに細やかなプレゼントを贈ると言うてくれたよ。ソレが何かは分からんけども」

 その言葉を聞いて少女達は不満の全てを解消した訳では無いが、ほんの僅かに溜飲を下げた。

 あの神無月かおりが送り付けてくるプレゼントとやらに些か不信感を抱きながらも。

 双葉葵の言葉をぼんやりと聞いていた神無月しおりは不意に、何かを思い出したかの様にぽつりと呟いた。

「…鹿取さん、居なかったな…」と。

 思い出される彼女の言葉は「今度会うときは、あなたの友人、全員連れて来なさいよ」

 と言う、腹の中に抱えていた毒気が抜けて晴れやかになった威勢の良い言葉。

 その筈だったのに、甲斐女学園との試合では彼女の姿は見受けられなかった。何故だろうか。

 神無月しおりがぼんやりと考えていたその時だった。

 マイバッハのエンジン音がドロドロと響きながら格納庫の入り口に近付いてきた。

「お邪魔しても良いかしら?」

 ハッとなって少女達が声の聞こえた方へと振り向くと、其処にはパンターF型の砲塔を装備したVK3002(D)に乗った、播磨女学園の制服に身を包んだ鹿取舞の姿があった。

「鹿取さん、どうして…?」

 神無月しおりの困惑する言葉に鹿取舞は戦車からスルリと地面へと降り立って少女達に己に何が在ったのかを説明した。

「貴女達と試合して、あれから学校に戻ってチームメイトに談判をしたのだけれども、大半の人達からバッシングを受けてね…

 そんな事を言うチームメイトは要らないって言われて放校されちゃった訳。尤もその代わり…」

 彼女は愛おしげにVK3002(D)の僅かに青みがかったジャーマングレーの装甲を撫でた。

「試合で余り使われてなかったこの子と、砲弾と消耗品を貰ってきたわ。今回のドサクサに紛れて。

 かおりさんの傍に付いてる、甲斐女学園の穏健派のチームメイトと、私の友人達の助力のお陰で。この子は貴女達を助けるチャンスになるって」

 そして説明を終えた鹿取舞と、彼女と共に付いてきた少女達は深々と頭を下げた。

「我が校、甲斐女学園との間に交わされた約束に対する理不尽な反故並びに、私達の突然の転入に驚かれたかもしれませんが

 どうか宜しくお願い致します。誠心誠意、全力をもって此れからの試合で皆さんのサポートをしますので」

 鹿取舞と、共に転入してきた少女達のその言葉を聞いて、皆が「むぅ…」と言葉を詰まらせ

 如何したものかとばかりに考え込んだ後、柿原セリカが唐突に指をパチンと弾いて声を上げた。

「よっし! あーだこーだ悩んでるよか、拳ぶつけた方が話が早い! 戦車乙女なら戦車で話し合えば良いだろ!

 そうと決まれば皆、表に戦車を回せ! アンタもそれで良いな、鹿取?」

「…! はいっ」

 柿原セリカの言葉を効いてそれもそうだ、悩むより余程良い、と同意した少女達は

 やいのやいのとゾロゾロと戦車に乗り込み、練習場へと戦車を出して行く。

 そして準備を整えたならば、順番に力強くぶつかり合う戦車と戦車。

 砲を放ち火花を散らして、心と思いを交わし合う。

 

 

 やがて陽が傾く頃には汗だくのヘトヘトになって戦車を降りて

 少女達はワイワイと騒ぎながらバスを仕立てて喫茶店のキューマル屋へと赴いた。

 皆してみっちりと店に入り、入りきらなかった子達は椅子とテーブルを店の外に並べて

 喫茶店の店主は苦笑いしながらも彼女らを優しく出迎え、テーブルに着いた少女達は問う。

 嘗ての神無月しおりとはどんな生活を送っていたのか。

 嘗ての彼女はどうだったのか、第三者からの視点から話を聞いた。

 鹿取舞はよく焼かれた白いティーカップをそっと両手で包みながらしみじみと思い出す様に語った。

 鮮やかな赤味を帯びた琥珀色の水面を眺めて、自らも神無月しおりの様に小学生の頃から戦車道をしていた事を。

 そして神無月流の流派の中で独り、怯えた様で居ながら、人の心の底をザワつかせる少女が居た事を。それが神無月しおりであった事を。

  【常在戦場】 【大胆不敵】 【見敵必殺】

 教え込まされる鉄の掟。勝利至上主義と言われるその姿勢は確かに、歩んできた物達の後に勝利があった。

 可愛げも大人げも無い【道】と呼べるモノも無い戦い方の果てに。

 しかしそんな中で彼女だけは、神無月しおりは違った。

 何度上級生やOGから叱責されようとも、何度同じ戦車に乗るクルーに

 作戦や行動への異議を唱えられても、弱者、敗者に優しかった。

 周りと歩を合わせられない神無月しおりは自然と戦車道のクラスの中でも瞬く間に隅へ隅へと追い遣られていった。

 同時に神無月家の流派の者としても、隅に追われた。

 そう長くない時間を経て、神無月しおりはチームメイトの間で面倒臭い腫れ物の様に扱われる様になった。

 上級生に噛み付く事の多かった鹿取舞もそんな風に隅へと追い遣られた1人だった。

 不器用な面子ばかりが集まるチームは多くの敗北を重ね、しかし…

 中学生へと昇級したある時を境に、神無月しおりが勝利へと歩み寄る事を始めた。

 勝利を一つ一つ積み重ねる毎に、上級生からは褒められたが、不器用な少女達を取り纏める立場になっていた神無月しおりは苦々しい表情を浮かべていた。

 何故ならそれは彼女にとって不本意な戦車道であるからに他ならない。

 神無月の流派の噂通りに勝利の土台には味方の犠牲を一切厭わない骸が多く転がっていたのだから。

 そうして月日が流れ、試合の度に心と体に幾つもの傷を作ってきた神無月しおりに【あの日】が訪れた。

 彼女の腕が千切れ、血に染まったのを鹿取舞も間近で見たと言う。

 戦車から運び出された真っ赤な彼女を見て言葉が発せなかったと鹿取舞は吐露する。

 播磨の少女達は無理も無いと思った。無惨にも片腕が千切りもげたのだから。

 その後、彼女が病院へと入ってからと言う物、一時でも戦車から離れた神無月しおりは自然と周囲に対して疎遠になっていった。

 神無月しおりは、今までの神無月流の戦車道とそれによる憎しみを発端とした事故、そして悲しみと苦しみから深く深く塞ぎ込み

 例え部屋に誰かが…共に戦車に乗った少女達が訪れたとしても部屋から出てくるのが恐ろしく減ったのだと言う。

 そして、冬を迎えると誰にも別れの言葉を告げる事無く、人知れず甲斐女学園を発ったという。

「正直に言って…悲しかったわ。何も言ってくれなかったのが。

 でも、貴女達を見て、そしてこの前此処に来て、あの子が言った事にとても納得したの。

 強引だったとしても、私達はもっと、彼女に手を差し伸べるべきだった。

 そして同時にそんな考えも気持ちも思い付かない程、神無月流の戦車道に

 普通の女の子だった筈の私達は【染まり過ぎて】いた。

 あの子を抱きしめる事も、傍に佇む事も、こうしてお茶をしながら他愛も無く言葉を交わす事も無かった。

 知らない間に私達はあの子と一緒に【ただ戦う事しか】考えられなくなっていた」

 鹿取舞は温くなった紅茶を静かに飲み、そして言った。

「知ってた? あの子の炊事能力、戦車道の練習の最中に覚えさせられたのよ。食事休憩の時間の時に。

 家庭科の調理実習でも無ければ、自宅や友人の家に招かれて

 一緒に台所に立った訳でもない。効率よくエネルギーを得る為の野外炊飯ばかり。

 本当、人生の何もかもが戦車漬け。楽しくない戦車絡みばかりの人生…私と、はみ出し者の仲間達が

 こっそり持ち込んだお菓子をしおりに何度か分けてあげたくらいだった。

 甲斐女学園の、戦車尽くしの生活の中で出来た女の子らしい事は…」

 そう語った鹿取舞に播磨の少女達は小さく同情した。

 彼女達もまた、神無月流に【少女らしさ】を殺された者達の一部なのだと。

 親や姉妹、親戚の後押しと言う名の監視の下、余程のことが無ければ辞める事の出来ない、甲斐女学園の神無月流の戦車道に、少女達はその心を蝕まれて

 戦車をもってして戦車を征する為の狂った戦士として染め上げられていったのだ。

 自分の目の前に居る、傷付いた少女に手を差し伸べると言う事が思い付かない程に。

「今からでも遅うはあらしまへん」

 鹿取舞が語り終えて少しして、久留間舞子がゆっくりと、然しハッキリとした言葉を発した。

「しおりはんと一緒に、そしてうちらと一緒に楽しゅう戦車道をしたらええんどす。

 そないしたら、鹿取はんらも、きっと女の子らしゅうなれる。播磨に来たしおりはんがそうやった様に」

 久留間舞子の言葉に播磨女学園のクルーは肯き、言葉に背を押された鹿取舞は目尻に涙を浮かべ、親指で拭った。

「…こんな私達でも、しおりの様に生まれ変われるかしら

 五十鈴佳奈は優しく言った。

「成れますよ。そうありたいと願い続ければ。しおりさんの様に。

 あの子は確かに、紛れもなく、楽しい戦車道が好きな普通の女の子になっていっているのだから」

「おうよ。遅くはねえ。現に今、あんた達は普通の年頃の女の子の道を歩んでるじゃねえか」

 …そうだ。今までこんな風に喫茶店に皆でわいわいとお喋りした事なんて無かった。

 見渡せば、鹿取舞と共に転入してきた少女達も、播磨の少女達と交流を深めている。

 嗚呼、そうか。コレが神無月しおりを変えた【暖かさ】なのだと、鹿取舞は染み入る様に理解した。

 

 

 斯くして少女達が喫茶店で他愛も無い会話を繰り広げている間、双葉葵と神無月しおり達は生徒会室に集まっていた。

「しおりちゃん、単刀直入に言おう。彼女は、鹿取舞は信頼に足る人物なんか?」

 会長のその刺々しい言葉と表情、そして何より剃刀の様に鋭い目付きに大島明海らは僅かにたじろいだ。

「ハッキリ言って今、ウチらが置かれている状況は非常~に芳しくない。

 しおりちゃん達が乗り慣れてた三/四号戦車は全損と言って良い程大破してもうた。

 重戦車と比べたらサイズもコストもコンパクトに纏まった中戦車の三/四号戦車と言えども

 あんなボロボロの産業廃棄物みたいな状態から元の状態に復旧させるんにはお金と時間がとても掛かる。

 そんな状態でこれからの試合の最中に、甲斐女学園からやってきたあの鹿取に…

 得体も知れない彼女らに仮にやけど試合中に背中をズドンッて撃たれたりしたら堪ったもんやないし

 足を引っ張る様なチンケな腕前やと、悪いけど二軍として練習して貰わなアカン。

 ハッキリとキツい言い方すっけど、今のウチらにはお荷物で足引っ張りの役立たずは要らへんの」

 双葉葵の歯に衣着せぬ刺々しい言葉に大島明海らは神無月しおりをそっと伺った。そして…

「鹿取さんは、大丈夫」

 彼女は小さく肯き、シンプルに、答えた。

「私と、甲斐女学園で一緒にずっと戦車道、やってきたから。

 あの人とは、私と一緒に何度も試合、してきたから。

 だから、大丈夫。悪い人じゃ、ないから。近くで見てきた私が、一番知ってる」

 一言一言紡がれる神無月しおりのその言葉を聞いて双葉葵は質問を重ねた

「戦車道の腕前は?」

「悪く無い…指示も、サポートも、出来る。

 一緒に来た、砲手の子も、カレラさん程じゃ無いけど、腕も悪くないし。

 ドライバーの子も、戦車を上手く走らせる事が出来るから…」

「…あの子ら、信頼して、良いんやね?」

 双葉葵のシンプルな最後の問いに、神無月しおりは頷いた。

「…出来る」

 少女のその言葉を聞いて双葉葵は椅子の背もたれに、ギシィと苦しげな音を立てさせながらもたれ掛かり、ふーぅ…と深い深い、重い溜息を吐いた。

「ぁー…これで何とか安心出来る。やれやれ…胃袋がキリキリするのは堪忍して欲しいわぁ」

 肩に乗っている重い荷物が1つ降りたと言わんばかりに苦笑しながら、双葉葵はテーブルの上の麦茶を飲んだ。

「そーだ、明日一つ大事な案件があっから、格納庫前に集合ね」

 その言葉を聞くと、生徒会室に呼ばれた三/四号の少女達は解散した。

 

 

 翌日。少女達は何時もの様に戦車を仕舞っている格納庫に呼び出された。

 戦車の改造や交換部品の面倒を見てくれる早乙女光の姿もあった。

 故に恐らくは戦車絡みなのだろうと少女らは思った。

 はてさて一体何事かとガヤガヤしている内に双葉葵が現れると

 真鍮製の古典的なメガホンを片手に何時もの様に台の上に立った。

「あー、あー、淑女諸君、先日の戦いは非常ぉ~に無念に終わってもうけども、ウチらにはまだ希望が残っている。

 今からそれをお披露目したい思うわ。ほんなら! 刮目したまえ!」

 言うや否や、扉の開く重々しい音と共に見たことも無い重戦車がゆっくりと早乙女の指示の元、少女達の目の前に現れた。

 ヴルルン、ヴルルン、とマイバッハの重厚かつパワフルなエンジン音が格納庫に響き渡る。

「何あれ! 強そう!」

「見たことも無い戦車だけども」

「強いて言うなら、キングタイガーに似てるか? 車体左右のスポンソン無いけど」

 戦車乙女達がわいわいと騒ぐ中、神無月しおりだけが静かに驚き、その戦車の名前を呼ぶ。

「VK6600、E79…? 何でこんな、珍しい重戦車が此処に…?」

 ただただ首を傾げる神無月しおり。

 その傍らでバウムガルト・桜はE79を見ながらポツリと零す。

「重戦車が三台、バランスの取れた駆逐戦車が三台、中戦車が四台…

 強豪校と比べれば僅かに十台とは言え、元々我が校が保有していた戦力は中々高かった訳だ」

 彼女の言葉に少女達は、播磨女学園に籍を置いていた戦車達と先人の少女達が過ごしたであろう過去に思いを馳せる。

「始まりがあって、落ち込んだりもしたけれど、またこうしてピカピカになって、新しい仲間も増えて…

 この子達も、私達の先輩達も…きっと喜んでくれてますよね」

 五十鈴佳奈の言葉に少女達は僅かに頷いた。

「所で、この重戦車に乗るのってさぁ?」

 柿原セリカの疑問の言葉に応じるように双葉葵は頷いた。

「しおりちゃん達に、任せる。三/四号戦車がお釈迦になっちゃった以上、戦力として復帰したこっちのE79に乗って貰う他無い」

 その言葉に少女らは異議無し。の言葉を口々に発した。そして少女らは日課のトレーニングを行い

 神無月しおり達、E79のメンバーは早乙女光とそのメカニック達と共に戦車のセッティングを煮詰めた。

 

 

 某県某所、山道を走る戦車があった。霧島蓉子の駆るE79である。

 今日は本格的な試運転の日だ。各々がハッチから頭を出して、走る風を感じていた。

 射撃手ハッチの無い北村カレラだけは、神無月しおりを抱き締めてキューポラから頭を出していた。

 E79は軽快に走っていく。履帯を僅かに滑らせ、小さな火花を上げながら。

「三/四号とは違って少しクセはあるが、悪くない戦車だ。

 マイバッハのパワーと太いトルクも良いな。重い車体をグイグイと加速させてくれる」

 と、霧島蓉子はアクセルを踏み、シフトレバーを操作し、ハンドルを捌きながら楽しげに言った。

「日差しは眩しいけど風が気持ちいいねぇ」

 長閑な天気に大島明海はそう呟き、神無月しおりも同じく頷いた。

 緩やかな山道の横Gに右へ左へと揺さぶられて暫し、E79は見晴らしの良い頂上の駐車エリアに着いた。

 其処にはチラホラと戦車やスポーツカーにバイクが停まっていた。

 少女達はいそいそと戦車の上で弁当を広げ、頂きますと言葉にする。

 その時だった。力強く、良い音のするエンジン音を響かせるクルマの気配があった。

「これは…V型エンジンですねぇ」

 おにぎりに手を伸ばしながら中嶋奏が呟き、霧島蓉子がサンドイッチを囓りながら相槌を打つ。

「V型12気筒だ。3リッター」

 普段から愛車のタトラ603を転がし、暇な時には友人達とストリートレースをしている霧島蓉子が的確に言う。

 ややして、スキール音を響かせながら駐車エリアに鮮やかな青いスポーツカー…

 フェラーリ250GTOが現れると、正確なコントロールで空いている駐車スペースにタイヤを滑らせて停車した。

 四点式シートベルトを外してドアを開いてウェーブの掛かった長髪の少女がそっとクルマの中から抜け出す。

「いやー、やっぱり峠は良いなあ。心躍るコーナーの連続! 操縦する喜び!

 ピタリと狙ったラインを通せた時の人車一体感! 恍惚だねぇ…」

 うんうん、と一人頷く少女はふと近くの戦車…神無月しおり達とE79に気がついた。

「Buon giorno! 見た所君達は戦車乙女かい? 今日はさしずめドライブって所かな?

 …ほうほう。運転手は中々に良い腕をしているみたいだね。履帯が変に摩耗してない」

 カラッと晴れた太陽の様に快活に挨拶をしつつ、しげしげとE79の履帯を観察しながら見知らぬ少女は神無月しおり達に近付いてきた。

「あの、貴女は…?」

 大島明海の質問に、これは失礼とばかりに少女は恭しく腕を掲げると胸に手を当て、挨拶した。

「私はアフォンダトーレ学園のヴァネッサ・マルケッティ。親しい人からは《コンテッサ》と呼んでもらっているよ。ではご婦人方? お名前を聞かせて貰えるかな?」

「播磨女学園の大島明海です」

「同じく、北村カレラ」

「中嶋奏です!」

「ドライバーの霧島蓉子だ」

 少女達が口々に自己紹介をし、そして最後に、呑気にフライドポテトを咀嚼し終えた神無月しおりが口を開いて…

「…戦車隊隊長の神無月しおりです」

 そう告げた時、ヴァネッサ・マルケッティは目を見開いて「おぉ…」と驚いた。

「これは驚いたな。時の人の乙女達と出会えるとは…!

 これも何かの縁だ。私の学園艦のジェラートを食べていってくれたまえ!」

 彼女はそう言うとフェラーリ250GTOのトランクから保冷ケースを取り出すと、中には色鮮やかなジェラートが其処にはあった。

 ヴァネッサ・マルケッティは神無月しおり達に慣れた手付きでジェラートを配った。

「前から貴女達には興味があったんだ。だが中々出会うチャンスが無くてね。学園艦の寄港地が遠かったりしてさ。

 しかしこうして出会えたのも、きっとマリア様や戦車の女神の導きがあったからなのだろうね。さて淑女諸君。ジェラートの味は如何かな?」

「…レッカー」

 ヴァネッサ・マルケッティの微笑みと共に出て来た問い掛けに神無月しおりは黙々とスプーンを口に運び、ポソリと呟いた。

「うん? 聞き慣れないが…察するにドイツ語辺りかい?」

「あ、美味しいって言ってます。この子ポロポロとドイツ語話すから」

 大島明海が神無月しおりの呟いた短い言葉を補足すると、ヴァネッサ・マルケッティは成る程とばかりに頷いた。

「ハハン。つまり学校の授業の第二言語がドイツ語の学園艦に居たのだね?

 例えば黒森峰の様な…ま、無粋な詮索は止そうか。

 こんなに良い天気なのに過去を探るだなんて勿体ない上に粋じゃ無い!」

 ヴァネッサ・マルケッティは神無月しおりの見せた僅かな機微…

 ほんの僅かに止まったスプーンを握る手に気付き、話題を切った。

「さて、此処に戦車隊を仕切っている戦車乙女の隊長が二人居る訳だが…どうだい?

 一つPartita(試合)とでも行こうじゃないか。お嬢さん達の良い返事を期待しているよ。チャオ!」

 そう言うとヴァネッサ・マルケッティはフェラーリ250GTOに乗り込むと良い音を響かせながら帰って行った。

「復帰試合、か」

 淡々と霧島蓉子は呟き、E79の車体の装甲を撫でた。

「しおり君、メンタルはもう大丈夫なのかい?」

 北村カレラからの問い掛けを聞きながら神無月しおりはゆっくりと手付かずの弁当の肉団子を咀嚼し、飲み込んだ。

「…多分、皆が居てくれれば、大丈夫…」

 そう呟く神無月しおりの手を、大島明海は優しく重ねた。

「大丈夫だよ、きっと。もしも試合の最中に急に苦しくなっても、相手の人も理解してくれると思うから」

「見るからにカラッとした良い人でしたからね」

「知略家の匂いがするがな」

 ランチを終えた少女達は戦車に再び乗り込むと、峠を下りて学園艦へと帰っていった。

 

 

 数日後。戦車隊を取りまとめる隊長の戦車乙女達はメロヴィング女子大学付属高校の学園艦へとお茶会に集まっていた。

「アフォンダトーレ学園のヴァネッサ・マルケッティですって?」

 レモンティーを飲んでいたサーシャは鸚鵡返しに聞き返した。

 神無月しおりは小さく頷きながらラングドシャを摘む。

「強くってよ。彼女。イタリア系の戦車隊だからと言って侮らない事ね」

「そんなに強いので? かのコンテッサと呼ばれる少女は」

 エリザベド・ガリマールの淡々と、しかし強い言葉に川崎蘭子は優雅にコーヒーを啜りながら問い掛けた。

「近年メキメキと力を伸ばしているチームですわ。

 代々の隊長が残した遺産をやり繰りして鍛え上げた戦車隊をもってして」

「実はカーチスライトとアフォンダトーレとは学園艦の出資者がアメリカ系イタリア人が多いから姉妹校の関係を結んでいるのだけども

 ウチの子達があっちに遊びに行ってはクルマと戦車が凄い凄いって言ってたわね。

 走りも、エンジンも。私は自分の所の戦車隊の面倒見たりで中々遊びに行く機会に恵まれなかったけど」

 ジンジャーエールのボトルを傾けながらジェーン・フォードはそう答えた。

「主な主力はM15/42戦車にセモベンテM41。そしてP40と偵察車にFiat3000。

 このFiatがかなり曲者だって戦車乙女の間ではよく話題に上がるわね…随分すばしっこいらしいわ。

 隊長車はP43Bisの90mm戦車砲。嘗めて掛かってきたティーガーやパンターを何両も返り討ちにしてきた猛者よ。

 さながら猛獣を相手に戦う凄腕のグラディエーターと言った所ね…」

 ローズマリー・レンフィールドはロイヤルミルクティーを一口飲みながら、ビターチョコの練り込まれたクッキーを口にする。

「…随分と戦力や試合の情報が出てる…」

 神無月しおりの言葉に川崎蘭子も頷いた。まるで手の内を態と晒しているかの様だ。

「売られた試合には堂々と勝負に挑むし、何度も非正規戦専門の戦車道雑誌の取材も受けてるからね。

 見た人を魅了する戦いを見せてくれる彼女はイタリア系戦車乙女の云わばアイドルだし」

「アイドルと言えば、貴女もあたくし達のアイドルですわよ。しおり♪」

 そう言いながらエリザベド・ガリマールは神無月しおりの腕に自分の腕を絡めて満足げな表情を浮かべた。

 それを見てやいのやいのと少女達は言葉を漏らす。狡いだの、抜け駆けだの、独り占めは駄目だだのと。

 小さな魔女はそんなやり取りをみてクスリと笑った。

「所で、戦車は何両出すのかしら?」

 サーシャの言葉を聞いて神無月しおりはゆっくりと、ひのふのみのよと、指折り指折り数えた。

「えっと…相手は20両出すから援軍に8両出しても良いって」

「フム、8両」

 少女達は悩む。この助太刀、誰が出ようか。

 妥当なのは各校から2両ずつ出すことだが。それでは一校足が出てしまう。その時だった。

「私は今回は観戦に回らさて貰うわ。前回の蘭子ちゃんとの試合でシオリと遊ばせて貰ったからね。皆で分けあって頂戴」

 ジェーン・フォードは気軽にそう言うと再びジンジャーエールの瓶を傾けた。

 サーシャ、ローズマリー・レンフィールド、エリザベド・ガリマール、川崎蘭子の4人の少女は彼女の申し出に素直に感謝し、頷いた。

「では、援軍代表として私が彼方に連絡を入れさせて貰うわ」

 ローズマリー・レンフィールドがそう言うとサーシャが言葉を連ねた。

「魔女の騎士連合軍ね」

「私は騎士と言うよりは武士なのですが」

 川崎蘭子の言葉にやれやれとばかりにエリザベド・ガリマールが答える。

「細かい事気にしては人生楽しめなくてよ?」

 そんな他愛も無い遣り取りが、神無月しおりには本当に心地よかった。

 ゆっくりと空を見上げる。そこに在るのは、もう夏の色をしていた空だった。

 

 

 夜汽車が港から出発する。播磨女学園の学園艦が着岸している大きな港から。

 その機関車は大きく、優美で、力強かった。

 流線型の炭水車をボイラーの前後に挟んだガーラット式の蒸気機関車だ。

 2両の機関車が列車の先頭に繋がれていた。

 2メートルにも達する巨大な動輪を、4気筒の蒸気ピストンが力強く回す。

 前後2つの走行装置、合わせて8気筒の蒸気エンジンが重い戦車を乗せた貨車と少女達を乗せた客車を引く。

 戦後、戦車道が広まった事で鉄道の規格の限界が広げられた線路を

 ガーラット式蒸気機関車は悠々と走り抜けた。乙女達と鋼の獣を乗せて。

 聳える高い山を越え、暗く深い谷に沿い、遠く長いトンネルを抜けて、水面輝く川を跨ぐ橋を渡る。

 暗い夜に浮かぶ星々と月は緩やかに空を飛んで、西の空の果てへと消えていった。

 やがて空が白みだしたならば誰からともなく、少女達は目を覚ます。

 そして客車の中に珈琲やお茶、スープや食事の香りが満ちてくる。

 少女達は食事を摂りながらやいのやいのと会話した。

 今日の朝食も美味しいだの、地図を開けば今回の試合のキモは何所だろうかと、走りやすい地面だと嬉しいだのと。

 やがて駅が近付いてきた。服を着替え、試合のユニフォームを身に付ける。

 列車がプラットホームへと到着すると少女達は客車から降りてテキパキと行動に移る。

 駅員の指示の元、安全に貨車から戦車を下ろしていく。

 熱心なファンは既に駅の出口で播磨女学園の少女達と戦車が出て来るのを今か今かとカメラを構えて待ち続けていた。

 燃料、弾薬運搬車を従えて少女達は試合会場へと続く道を進軍する。

 ゾロゾロと隊列を組んだ戦車隊を見ようと街道で彼女らを見守る人々も多く居た。

 神無月しおりは思った。随分自分達も有名になった物だと。

 隊列の指揮を執りながら、以前大島明海に言われた様に観客に向けて軽く手を振った。

 そうすると観客からの声援も強く帰ってきた。

 神無月しおりは胸の奥が暖かくなる気持ちだった。夜明けの涼しい風が心地良い。

 試合会場に辿り着くと、神無月しおりは少女達に指示を与えた。

 戦車を整列させ駐車、燃料の補充と弾薬の積み込み、試合前点検をする様に伝え

 一連の作業を終えたなら自由行動を取って良いと何時もの様に言うと

 自分は試合運営本部へとバウムガルト・桜と共に赴いた。

 運営本部の実行委員や審判の人達に挨拶し、戦車隊が到着し、現在整備点検中である事を伝えた。

 少しすると、サーシャにエリザベド・ガリマール、ローズマリー・レンフィールドに川崎蘭子も現れた。

 彼女らも同じく、挨拶をして到着と点検中の旨を伝え、実行委員の人々はチェックリストにチェックのペンを走らせていった。

 報告が無事に終われば、少女達は試合の観戦コーナーに立ち入り

 既に開いている屋台へと足を運ぶ。ちょっとしたデートだ。

 

 

「皆ー、待ってたわよ!」

 ジェーン・フォードが美味しそうにカンノーリを摘まみながら少女達を待っていた。

 腕にはカフェ・ラッテの入ったタンブラーを抱いて。

「すんごいわね。気合い入ってるわアフォンダトーレ。何て言うか此処だけイタリアの観光地みたい」

「色んな料理が目白押しね…あら、鞄やポーチみたいな革製品も売ってるわ」

「いやはや。圧巻の一言。これだけの行動力があるんですなぁアフォンダトーレは」

 少女達は口々に感想を述べる。その時力強いエンジン音を響かせて数機の紅い水上飛行機が駆け抜けていった。

「マッキMC72!? あんなのまで持ってるの!?」

「速いですこと…」

「世界最速のレーサー水上飛行機なのよ! 最高時速はびっくり、709km/h! 世界記録なんだから」

 やや呆然とするエリザベド・ガリマールに対し、興奮する様にジェーン・フォードは紅い水上機の事を説明する。

 遠くでは複葉機の曲芸飛行も行われていた。ヒラリヒラリと飛ぶ姿はまるでダンスの様だった。

「出店も凄い、パフォーマンスも凄い、試合も強いとなれば、人気が高いのも当然か」

 羊の串焼きを買い、空飛ぶ飛行機達を眺めながらバウムガルト・桜は感想を述べた。

 彼女から串焼きを分けて貰った神無月しおりも同じく頷いた。その時だった。

「Ciao! Grazie!  Grazie, fanciulle!(こんにちは! どうもありがとう乙女達よ!)

 今日という日を楽しみに待っていたよ、戦車乙女諸君!」

 人影から現れたヴァネッサ・マルケッティが笑みを浮かべて少女達へと声を掛けてきた。

 神無月しおり達は落ち着いて彼女へと振り向く。

「よもや小さな魔女と砲を交えたお歴々の乙女達とも一緒に試合が出来るとは夢にも思わなかった!

 こんなに嬉しい事は無い! 戦車の女神とマリア様に感謝しないといけないね。

 そしてジェーン・フォード、貴女とも何時か試合をしたい物だね!」

「貴女は他の女の子からの《ご指名》が多そうだけど、私の戦車隊は何時でも挑戦を待ってるわよ!」

「嬉しいねぇ! その時が待ち遠しい! では、本日の主役の小さな魔女さん。試合の前に私からのプレゼントを…」

 そう言うとヴァネッサ・マルケッティは恭しく神無月しおりの前で跪き、傷塗れの小さな白い手にそっと金細工を手渡した。

 六本の薔薇が遇われた可憐なブローチだった。紅い宝石が薔薇の花びらを成していた。

「それでは淑女諸君、後ほどColosseoでお待ちしているよ! それまでは今暫く私達の屋台とサーカスを楽しんでいってくれたまえ! チャオ!」

 笑顔で立ち去っていくヴァネッサ・マルケッティを前に、神無月しおりはそっと小さく手を振りながら見送った。

 そんな最中、エリザベド・ガリマールはじぃっと金細工の薔薇のブローチを眺めていた。

「…随分と惚れ込んでますわね、あのコンテッサ《女伯》。6本の薔薇の花言葉の意味は【貴女に夢中】【互いに敬い、愛し、分かち合いましょう】ですわ。告白も良い所じゃないの」

「あんなに甘い言葉をばら撒いておいて、よくナイフで刺されないわね、あの子」

 淡々とローズマリー・レンフィールドは呟き、その傍らで川崎蘭子は神無月しおりと共にブローチを物珍しげにしげしげと眺めていた。

「【ダンス】がお上手なんでしょ、きっと。女の子達に分け隔てない様に」

 やれやれと言う様にサーシャはジェーン・フォードから受け取ったサンペレグリノの瓶を傾けていた。

 オレンジの味わいと炭酸の弾ける飲み心地がジワジワと照る太陽の暑さを和らげてくれた。

「しおりちゃーん!」

 ヴァネッサ・マルケッティと別れ、再びデートの最中、人の流れの中から軽やかに少女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

 それは神無月しおりにはとても聞き覚えのある声だった。

「早乙女さん…」

「こんにちは! お友達の皆も! 今日はお仕事として観戦しに来たのよ。

 どれだけ詳細な資料が在っても、やっぱり自分の目で試合を見ないと

 貴女達に良い物をフィードバック出来ないからね」

 和やかにそう言いながら近付いてきた早乙女光の背後からヒョコッと悪戯っぽい笑顔で鹿島ケイが現れた。

「おいっすー戦車ガールズ。今日も楽しく派手に大暴れしてくれるのを期待してるゾ☆」

「こっち、私の同僚のケイちゃん。彼女も戦車乗り回してたわよ」

「試合よりも戦車ラリーとか戦車バイアスロンとかばっかりだったけどねー。

 撃ち合うより走る方にウェイト置いてたんだっ」

 そんな彼女の自己紹介に少女達はふむふむと聞き入った。

「さて。君達の戦車を駆るドライバーは今此処に居ないけども、走る事に命賭けてた先人のお姉さんから有り難~い助言をプレゼントしよう!」

 そう言うとえへん、と咳払いをしてから鹿島ケイは落ち着いた声で話した。

「戦車の性能を信じる事。戦車の声なき声を聞く事、絶対に無茶をしない事、させない事。

 さすれば戦車は必ず貴女達の思いに応えてくれるだろう。戦車は鋼の生き物。

 言葉を交わす事は叶わずとも、【心を交わす】事は必ず出来るから。

 それを痛く理解してるヴァネッサちゃんとその仲間達は強いからね。心して掛かるよーに!」

『はいっ』

「よーし! 良い返事だ! 怪我無く皆、頑張れ~☆」

「それじゃ、私達は観客席の方に行ってくるから」

 またね、と言葉を残してその場を立ち去る早乙女光と鹿島ケイだった。

「…にしても珍しいわね。ケイちゃんがあんな風に年下の子に助言するなんて」

 そう言われた鹿島ケイはジャガイモのフリコを摘まみながら言葉を返した。

「だってあれくらいの助言あげなきゃ今回の試合、かなり悲惨な事になるもん」

「…どう言う事?」

 友人の焦臭い言葉に早乙女光は眉を潜めたた。

「まーまー、その質問の答えは試合が始まってから言うから。今話したって理解が及ばないよ」

 そう言いながら鹿島ケイと早乙女光は屋台であれやこれやと食べ物を買い漁ると観客席へと向かっていった。

 

 

 太陽が穏やかに空へと上がり、遂に試合前の挨拶の時間が来た。

 神無月しおりとヴァネッサ・マルケッティは互いに副官を引き連れて舞台の上に立った。

「これより播磨女学園連合チームと、アフォンダトーレ学園の試合を始めます。一堂、礼!」

『宜しくお願いします』

 少女達が言葉を交わし、試合が封切られた。

 少女達は各々の戦車に乗り込み、指定された待機地点へと無限軌道を回す。

「隊長の神無月です。移動しながらの全体ブリーフィングで申し訳ありません。

 事前の情報により、アフォンダトーレ学園の戦闘力は戦車のスペック以上にとても高い事が判明しています。

 周知の事かも知れませんが改めて説明を。イタリア製の戦車は全体的に装甲がやや薄めですが

 《昼時の時間》の姿勢を取られると充分に侮りがたい存在です。

 またその軽さを活かした機動力で此方の動きを撹乱、ないし封じ込めてくる可能性もあります。

 不意の攻撃や突撃、回り込みなどに注意の程を。

 そして私達の先輩から有り難い言葉を頂きました。

 改めて私から皆さんにお伝えします。戦車を信じる事、戦車の声なき声を聞く事

 戦車と心を交わす事。さすれば戦車は私達の思いに応えてくれると。

 最後に、皆さんくれぐれも無茶をして怪我を負う事無く試合の終了を迎えられる様に願います」

 神無月しおりがそう言い終えマイクのスイッチを切ると、無線機に通信が入って来た。

『我らが播磨の魔女の復帰戦よ。皆、心して試合に挑みましょう。我らが愛しい少女の為に!』

 サーシャの鼓舞する通信に各々の戦車から力強く「応!」と鬨の声が上がった。

 神無月しおりはその無線を聞いて一瞬キョトンとしたが、僅かに頬を赤らめて小さく俯いた。

「皆優しいね、しおりん」

 大島明海の言葉におずおずと神無月しおりは肯き、北村カレラは振り向いて微笑んだ。

「肩肘張らずに楽しもうじゃ無いか。しおり君には心強い仲間が沢山居るのだから」

 二人の言葉を聞いて、神無月しおりはゆっくりと、然し確りと頷いた。

 そう、自分には、こんなにも心強い、優しい友達が居るのだから、と。

 

 

 試合開始の合図である間の抜けた花火が空にパン、パンパンと打ち上がり、戦車隊は隊列を組んで前進した。

 路面状況は確りとした固い地面。砂利や砂が多少浮いている以外は特に気にする事もない。走り回るのに適した地盤だ。

 国際色豊かな針魔女学園連合チームの戦車隊はゾロゾロと大地を進軍し続ける。砂埃を立てながら。

「しおりさん、あと距離50㎞でフィールド中央の市街地エリアに接近します」

 中嶋奏がそう言いながら無線で各車に市街地に接近中の旨を伝えながら霧島蓉子は呟く。

「先手を取った方が有利だな。彼方さんの戦車はコンパクトだからな。

 市街地が狭いとE79や他の大きな戦車は少し不利かも知れないぞ」

 果たして先手を取る事が出来るだろうか。神無月しおりは背筋に何かゾワリとした感覚が走った。何かが来るかも知れない、と。

 神無月しおりはスッとしゃがみ込み、キューポラに収まるとペリスコープ越し外を見ながらマイクのスイッチを入れた。

「こちら隊長車。各車に通達、何かが来るかも知れません。厳重警戒を…」

 そう言った時だった。朦々と砂煙を上げる何かが目に入った。

 次の瞬間、砂埃の中から光が見えた。発砲炎!

「Angriff !!(襲撃!) Alarrrrm!!」

 神無月しおりが叫んだ次の瞬間、ヒュンッ! と鋭い風切り音を立てながら砲弾が地面に着弾すると爆ぜた。

 数は…3。そして砲弾はそれだけで止むこと無く、散発的にだが次々に撃ち込まれてきた。

 ややして、砂埃の中から現れたのは…Fiat3000だった。だがそのスピードは恐ろしく速度が速い。

「常識外れすぎる…どれだけ速いの…?」

 神無月しおりは理解の範疇外の軽戦車に眉を潜めた。

 

 

 一方、観客席では…

「何あれ、何なのよあの馬鹿っ速いFiat! 頭可笑しいんじゃないの?!」

 早乙女光の言葉に鹿島ケイはケラケラと笑った。こうなる事は予期出来たと言わんばかりに。

 そのFiat3000は、シャーシを延長され、エンジンルームから三組の排気管を伸ばし

 エンジンボンネットに大きなドラム缶型の燃料タンクを背負っていた。

「実はあれさ、昔あーしが学生だった頃に乗ってた愛車。1350馬力のネイピア・ライオン乗せて魔改造したFiat3000な訳。

 アレで色んなラリーレースとか参加して暴れ回ったわぁ。まー、あーしが学校を卒業してから追加で2両も量産されてるとは思わなかったけどねぇ」

「アンリミテッドクラスならではのトンチキな魔改造…この業界に入ってソコソコ経つけども…

 あんなの見るの初めてよ。ちょっとケイちゃん、あのFiatのパワーウェイトレシオ幾つなのよ…?」

「かなり軽いんじゃない? 弄くって少し重くなってるから多分4.5kg/psか4.6kg位。

 まぁその代わりエンジンは燃料をドカ食いするからあんな風に燃料タンクを増設しなきゃいけないし

 パンターみたいにエンジンにガソリンを多めに飲ませて冷却するセッティングだから、不完全燃焼した排気ガスでアフターファイヤがやたらパンパン喧しいし

 燃料タンク追加しても航続距離が150㎞あれば良い方だし、スピードが乗ってる状態で舵を切ったら常時ドリフト状態だし

 過剰なパワーとスピードでフラフラしてる上に燃料タンクの所為で重心点高いから尚更安定性に欠けるし、下手すると簡単にすっ転ぶから扱いが難しいんだけどねー、まぁ」

 一度その暴れん坊を手懐けられる事が出来たらただの暴れん坊が一気に狼に化けるんだけどさ、と鹿島ケイは懐かしむ様に呟いた。

 

 

『このまま懐に入り込まれて撹乱されては敵の思う壺だ、コマンダンテ! 最悪後ろを取られて撃破されるぞ』

 既に少女達は応戦対応に入り、各車任意射撃を執っているが、バウムガルト・桜はチームを代表する様に冷静に指示を仰いだ。

 小さく、恐ろしくすばしっこいFiat3000は砂埃を立てながらスイスイと此方が放つ砲弾を避けていく。

 その時だった。無線機に通信のノイズが入った。

『チャオチャオー。そっちのチームに百合ちん居るっしょー。ルノーB1に乗ってる東郷百合ちん』

 いやはや、試合中とは思えない気軽な通信に播磨女学園連合チームの面子は拍子抜けしそうになった。渦中の人、東郷百合ただ一人を除いて。

「まさか…その声ベルタっち!?」

『はーい。蒼き稲妻のベルタ・カルジーニ様だぞー。

 百合ちん戦車道に転向してるたぁ思いもよらなんだー?

 まぁコレも何かの運命って事で1つ。走り屋同士勝負と行かにゃ乙女が廃るっしょ』

 思いも寄らない、友人との再会と勝負の申し込みに東郷百合の心はハイオクガソリンの様に燃え上がった。

「その勝負、マジ燃えるじゃん! 綾子ぴょん、運転代わって! 隊長ちゃん、此処はあたしに任せて、先に行って!」

 Fiat3000と比べれば圧倒的に車体は重いが、数々の改修のお陰で運動性能が向上したB1terと

 ポケバイレーサーの東郷百合の腕前ならばこの場を任せても問題ないだろうと神無月しおりは判断し、無線を飛ばす。後は彼女の援護に…

『お任せします! くれぐれも怪我は…』

「怪我はしないように! わーってるから! ばっちしあの子を打っ千切って勝ってみせるかんね! テンション上げてて待ってて!」

 東郷百合が隊列を離れるべくB1terのハンドルを切った時だった。

 彼女の無線に割り込んでくる声があった。声の主はクロムウェルに乗る柿原セリカだった。

『おい百合! あんなすばしっこい奴らと一人でやり合うなんて水くせえ事言わねえだろうな?

 佳奈! お前のT-34も持ってこい! 久留間は隊長達の事頼んだぜ』

『んもう、セリカちゃんったら強引なんだから。

 まぁ私も同じ事言おうとしてたけれどね。舞子ちゃん。後の事は宜しく』

『わかったでぇ。こっちはうちにまかせとぉくれやす。ソミュアは足遅おすさかいねぇ』

 クロムウェルとT-34が揃って隊列を離れ、そしてB1terと隊列を組み直す。

 対してFiat3000もまた、素早く隊列を組み直すと彼女らに相対した。

『良いクルマに乗ってんじゃん。バイブス上がるねぇ』

「そっちだってカリッカリに仕上げてる癖に。

 エキゾースト聞いてるだけでマジでテンションアゲアゲなんだけどー??」

『言いたい事は山ほどあるけど、何はともあれ、尋常に!』

「勝負と行こうじゃん!! チェケラ!!」

 ガバッ! と少女達は力強くアクセルを踏んだ。

 丁寧に整備されたエンジン達が力強く咆哮し

 履帯が地面を掴むと鋼鉄で出来た体を鋭く加速させる。

 速度に軍配が上がるのは圧倒的にFiat3000の方だ。だが全体的な性能を鑑みれば

 播磨側の戦車にも十二分に勝機はある。全ては知恵とテクニックと勇気次第。

 両者は一塊となって急接近し、発砲。そして即座に回避行動を取る。Fiat3000の砲塔に搭載されたQF1ポンポン砲が

 連続して砲弾を放ち、その悉くは逸れたが、砲塔や車体を掠めた物は炸裂し、戦車の中の少女を揺さぶるのに充分だった。

『あいつら、機関砲載せてやがる! 明らかに発射レートが高い! さっきまであんまり撃って来なかったって事は、三味線弾いてやがったな!』

『音や衝撃の感じからして榴弾だったわ。砲弾が小さくても主砲の根元や足回り狙われたら拙いわよ!』

「狼狽えない! 播磨の戦車乙女は狼狽えない! あたし達はあの小さな魔女と一緒に戦場を打っ千切ってきた戦乙女だ!

 二人共、1両ずつ倒していくよ! 先鋒はセリカっち任せた! 後ろはあたしと佳奈ぴょんに任せて!」

『オーケィ! 一番槍貰ったぁ!』

 クロムウェルのミーティアエンジンが一際甲高く咆哮し、すばしっこいFiat3000に鋭く猛追する。

 ズザザザ! と音を立てながら右へ左へとヒラヒラと危なっかしく舞うFiat3000は逃げようと試みるものの

 播磨女学園戦車隊一の韋駄天であるクロムウェルを引き剥がす事は叶わず、じっくりと砲手に狙いを定められ

 ドライバーと呼吸を合わせたその瞬間、スコープに大きく映ったFiat3000に向けて、引き金に掛けられた指は滑らかにソレを引いた。

 音速を優に超えて砲口から飛び出した砲弾は鋭く飛翔し、Fiat3000のエンジンルームへと吸い込まれ、

 薄い装甲板を容易く突き破り、激しくエネルギーを生み出していたエンジンをグチャグチャに引き裂いた。

 その直後、Fiat3000は派手にエンジンルームを爆発させた。白旗が上がる。

 その最中、当然他のFiat3000も黙っては居ない。播磨女学園の戦車の背後につけば容赦なくQF1ポンポン砲を放ってきた。

「それ位マジ卍のお見通しってばね!」

 東郷百合は素早くハンドルを捌き、スパスパとステップを刻むように

 アクセルにブレーキ、クラッチを踏みながら腕を鞭の様に撓らせてシフトチェンジする。

 するとB1terは踊り子の様にヒラリヒラリと回転し、軽快にくるりと舞うと側面の傾斜装甲でQF1ポンポン砲の砲弾の悉くを弾いた。

 勿論ただFiat3000の攻撃を受けるだけじゃない。盾役を引き受けたB1terの代わりに

 T-34が素早くリバースフリックターンを決めると57mm戦車砲を放った。

 Fiat3000は素早くこれを交わし、徹甲榴弾は虚しく空を切り地面へと着弾したが、T-34の攻撃は相手の姿勢を崩す事に成功した。

「先ずは1つ、っと!」

 丁寧にハンドルを捌きアクセルを踏み込んでB1terの体勢を整える。

 さぁ、次はどう攻めるか? そう思っていた矢先の事だった。

 Fiat3000は突然急加速し、B1terとT-34の横を脇目も振らずに通り過ぎると先頭を走るクロムウェルに猛追した。

「来るぞ!」

 柿原セリカがペリスコープ越しに叫び、ドライバーはそれに呼応してフルブレーキを掛けた。だが相手は一枚上手だった。

 ブレーキを掛けて左右からの挟撃を回避しようとしたクロムウェルに対し、Fiat3000はより過激なブレーキングを敢行。

 まるでオートバイのジャックナイフの様に前につんのめりながら減速し、ドスン! と車体を接地させながら

 射撃ポジョンに着くとQF1ポンポン砲の砲弾をクロムウェルへと容赦なく叩き込んだ。

 多数の榴弾で足回りやエンジングリルを滅多打ちにされたクロムウェルは

 バラバラと壊れた部品を地面に撒き散らし、白煙を噴きながらながら擱座し、白旗を上げる。

「そんなのってありかよ!?」

 Fiat3000のまるでサーカスの様な曲芸めいた動きに

 ただただ驚愕しながら柿原セリカはキューポラの中でボヤく他無かった。

「イーブンに戻されちゃったけど気張っていくよ!」

 闘志は冷めやらない。否、寧ろどんどん燃え上がる勢いだ。

 東郷百合は五十鈴佳奈と共に目の前をひた走るFiat3000に必死になって追いすがった。

「佳奈ちん、コンビネーション行くよ! 片方に威嚇射撃で炙り出して、息を合わせて一二の三でブチ込んじゃって!」

『了解!』

 B1terとT-34はドン! ドドン! と1両のFiat3000に撃ち込む。

 ヒラヒラと威嚇射撃を浮けた1両が横へと逃げ出したのを見ると其方に進路を取りながら

 東郷百合は車長の席に着いている五月雨綾子に逐一状況を聞いた。

 青い雷のマークが描かれたFiat3000は遠くに離れて間合いを取ったと。

 何を考えているのかは分からないが仲間と分断できたのは有り難い。やるなら今しかない。

 東郷百合は砲塔砲手を兼ねる車長席に座る五月雨綾子と小さな遣り取りを経た後、無線機に喋った。

「行くよ佳奈ちん! 一、二の、三!」

 かけ声と共に、B1terとT-34の主砲が吠え、Fiat3000の姿勢を狂わせた。

 ソレを見計らって、B1terの車体砲が火を噴き、Fiat3000の車体後部に直撃。

 M4シャーマン相当の威力を持った砲弾がギアボックスやエンジンを

 無茶苦茶に破壊すると、二人目の韋駄天は小さな爆発を伴い、火を噴いて白旗を上げた。

 その次の瞬間だった。播磨の少女達は喜びを上げる暇も無く

 小回りを利かせたコーナーリングで急速に間合いを詰めてきたFiat3000が

 T-34の側面を機関砲で食い破り、突撃してきたその勢いのまま、ウィリーの様な姿勢を取りつつ

 大きな前輪を活かしてT-34の車体後部に乗り上げると文字通り飛び越えていった。

「マジぃ!?」

『わはは、コレで一騎打ちだね百合ちん。悪いけど仲間には囮になって貰ったよ。ベルタ様は最初からコレを狙ってたのだ』

 ドシン、ドシン! と荒っぽく地面に着地するとFiat3000は姿勢を整えて緩い弧を描きながらB1terと間合いを取った。

 東郷百合は悩んだ。あれ程の韋駄天を相手にどう勝負を挑めば良いのか。

 僅かに考え込み、そして…彼女は決断した。悩む暇なんて無い。攻めねば、負けると!

 東郷百合はハンドルをグイと切り、視界内に出来るだけFiat3000を捉えた。

 相手は速度と回避性能に勝り、此方は安定性と防御、火力に勝る。

 そして、己の運転技術と戦車を整備、改造してくれた人々の技術力によって仕上げられたエンジンと足回りがあれば

 B1terは重量を感じさせない機敏なステップを刻む様なターンも出来る。

 この局面において、強気に出なければ勝機は無いのだ。

 受け身をとり続けて居ればその内、相手のQF1ポンポン砲の榴弾で足回りをやられて動く事が出来なくされてしまう。

「綾子ぴょん、無理なくガンガン撃ち込んで攻めていって! あたしは必死こいて追い上げるから!」

「何か算段はあるの?」

「無いと言えばない! 有ると言えば有る! 相手がこっちの考えに乗ってくれればね!」

「了解!」

 ドン! ドドンッ!! とB1terの主砲と車体砲が吠えてFiat3000目掛けて砲弾が飛んでいく。

 それはするりと交わされ…同時に進路を妨害する形になった。

 そんな遣り取りが幾度か繰り返された時、Fiat3000は派手にドリフトしながらB1terへと進路を向けた。

 東郷百合はチャンスだと思った。元より、友人のベルタ・カルジーニはコソコソ逃げ回る様なタイプの人間では無い。

 恐らくは自分と同じくどう戦うべきか思案する為に暫く逃げ回っていたに過ぎないのだ。

 そんな彼女が真っ直ぐこっちに向かってくる。東郷百合にとっては戦わねば損であった!

 まるで飛ぶように加速するFiat3000。どっしりと地面を踏んで走るB1ter。

 互いの彼我の距離が詰められ、砲撃戦が始まる。

 吠える砲と砲。煌めく発砲炎。空気を切る音。爆ぜて跳ねる砲弾。

 Fiat3000とB1terは踊る様に何度も斬り結ぶように接近しては離れ、砲弾を交わして見せた。

 そして間合いを取りながら互いに向き合った次の瞬間、東郷百合は吠えた。

「煙幕弾!」

 車体砲からボンッ! と撃ち出されたそれは緩い弧を描いて地面に着弾すると派手に白煙を撒き散らした。

「目眩まし?!」

 ベルタ・カルジーニは突然の事に驚く。そして次にやってきたのは、煙幕越しに飛んできた機関銃の弾丸だった。

 果たしてソレが何を意味するのか。横転しない為に減速しながらハンドルを切ったベルタ・カルジーニは次の瞬間に答えを理解する。

 ───煙幕を突っ切って、履帯を滑らせながら全力で此方へと突っ込んでくるB1terの姿を見て。

 回避したつもりだった。だが違った。煙幕越しに飛んできた機関銃の弾。

 あれは自分が左右の何方かに舵を切ったか知る為の物だったのだ。

 ガッシャン!! と金属の塊道士がぶつかり合う派手な音が響き、その後に続いてガッチャンガッチャンとFiat3000が派手に横転する音が響いた。

 此れにて前哨戦は終わり、播磨女学園側の小チームの勝利に終わった。

 

 

「しおりさん! 東郷さん達が勝ちました! 被害はクロムウェルとT-34の2両!」

「…噂通り、手強かったな。今回は東郷さんとの勝負を優先してくれて助かったけど…」

「アレを追いかけ回すとなると一苦労だからな」

 中嶋奏の報告に神無月しおりは肯き、霧島蓉子が丁寧にハンドルを操作しながら答える。

 そうこうしている内に市街地エリアにだいぶ近付いてきた。

『コマンダンテ! 前方!』

 バウムガルト・桜からの無線が届き、神無月しおりは双眼鏡を取ると市街地を見た。

 其処にはP43bisの砲塔に仁王立ちするヴァネッサ・マルケッティの姿が見えた。

 彼女はオペラグラスで神無月しおりが此方を見ているのを把握すると、恭しく礼をし、そして砲塔に入るとP43bisを市街地へと入れた。

『難しい戦いになってきたわね。どう攻める? シオリチカ』

 サーシャの問いに神無月しおりは僅かに考え、そして指示を下した。

「包囲網を敷きます。市街地各所の入り口からじわじわと攻め込みます。

 逃げ道を塞いでいけば自然と相手のチームは奥へ奥へと押し込まれていきます。

 焦らず攻めましょう。援軍の無い籠城戦に勝機は僅かしかありません。

 サーシャさんとローズマリーさんで分隊の1つを、エリザベドさんと蘭子さんで分隊を組んで下さい。

 ブラックナイト1、シャルル1は私に続いて下さい。

 クローバー1はクローバー2、3の指揮を。

 ライガー1と2の指揮はブラックナイト2、鹿取さんにお願いします」

『了解!』

『任されたわ』

『腕の見せ所ですな!』

『派手に暴れてみせますわよ』

 少女達が口々にやる気に満ちた声を出す中、鹿取舞は緊張の面持ちで無線機のスイッチを入れた。

「ライガー1、2の皆様、恐れながら宜しくお願いします! 誠心誠意、指揮を執らせて貰います!」

『鹿取ちゃんはウチでの戦いは初めてなんだから肩の力抜いて行ってよ』

『ウチは隊長の意向で自立精神や逞しさが信条だからねー』

「はいっ」

 そして播磨女学園連合チームの戦車隊は狼が潜む市街地へと歩を進めた。

 エンジン音と履帯の音が石造りの町の壁と地面に反響する。

「…思った以上に道幅が広い…本道も横道も…これだと速度を出して走り回れるから簡単に回り込まれちゃう…

 各車に伝達! 側面や背後からの奇襲に気を付けて下さい!」

『宛ら魔物の棲まうラヴィリンソスと言ったところか…』

『しおりはん、ウチは後ろの方警戒してまうなぁ』

 ギャリギャリと石畳を引っ掻きながらソミュアS35は前後を入れ替えると後進しながら、先頭を進むE79とパンター改に続いた。

 その無線の遣り取りを聞いていた他の分隊も1両を後方に向けて背後を守りながらの進軍となった。

 一歩一歩踏みしめるような進撃だった。何所から相手が顔を出すか全く分からない。緊張がピリピリと走り続ける。

 そんな時だった。ギャリギャリと石畳と金属の削れる音を響かせながらP40が顔を見せた。

 発砲! ガツン、と鋭い砲撃がE79の正面装甲にぶつかり、弾かれれば明後日の方向に砲弾が跳ねていく。

「全車両に通達! 敵チームと遭遇! 警戒を厳に…!」

『クローバー1、こっちも襲撃、相手はP40ー』

『ブラックナイト2、同じく正面にP40!』

『此方サーシャ、P40が進行方向を妨害中』

『エリザベドですわ。大きなピザが一枚。他は見えず』

 次々に上がってくる報告。中嶋奏は無線の遣り取りをガリガリと地図に書き込んで、現在の状況を視覚的に神無月しおりに伝えた。

「バラバラに市街地に進入したのにまるで示し合わせたみたいに封じてきた…一体どうやって…」

『コマンダンテ! 右手の空を見ろ、塔だ!』

 ハッチから身を乗り出していたバウムガルト・桜の言葉を聞いてハッとなった神無月しおりは

 双眼鏡を手に取ると聳え立つ幾つかの高い塔の先を見る。

 古ぼけた大きな鐘の隣に無線機を背負った少女が、双眼鏡を片手に市街地を見回しているのが見えた。

 レンズがキラリと光を反射した。そして少女と神無月しおりの視線がレンズ越しに絡まった。

「バウムガルトさん、砲塔機銃で塔へ向けて威嚇射撃! 絶対に当てないように!」

『ヤボール、コマンダンテ!』

 パンターの砲塔が動き、主砲同軸機銃がパタタタタ! と曳光弾で光の軌跡を描きながら高い塔へと銃撃する。

 硬い石を積み上げて作られた塔に機関銃の銃弾が着弾し、歪な円形の弾痕を幾つも作り上げると

 塔の天辺で偵察していた少女は慌てずに直ぐに逃げ出した。

「円周防御! 陣形を密にして側面と後方の警戒を強めて下さい! 此方の位置は相手に完全にバレています!

 第一の矢が放たれた今、第二、第三の矢が放たれるのは時間の問題です!」

『しおりはん、後ろからM15/42戦車が来たで!』

 神無月しおりはキューポラから体を出して振り返る。

 路地の壁ギリギリにM15/42戦車が顔を見せ、砲塔を此方に向け、発砲。

 斜に構えたソミュアS35の装甲に砲弾は弾かれた物の

 M15/42戦車は臆する事無く、前後に足踏みをして狙いを付けさせない様にしながら攻撃を続ける。

「前後を塞がれたと成れば後は側面だけ…!」

『横道から攻撃! セモベンテだ神無月さん!』

 川崎蘭子からの無線が届いたその時、横道からニュッと主砲が長砲身に改造されたセモベンテM41が顔を出して此方へと砲撃した。

「砲塔を回せ! 目標、セモベンテ!」

 バウムガルト・桜が指示を下し、砲塔がセモベンテM41へと指向する頃には、彼の戦車はスタコラと横道から立ち去っていた。

「くそっ、この路地を用いたヒット&アウェー戦法か!」

『此方クローバー1だけどしおりちゃん、これ拙いんやないのー? 前後挟まれててどっちかに移動しよう物なら押さえ込まれるし、横から突っ突かれるしさあ?』

 神無月しおりは暫し黙り込んだ。まるで自分達は仕掛けに追い込まれた魚の様だと。

 後は好きな様に釣り上げてしまえば此方からは何も手出しは出来ない。

 この状況を打開するには相手の裏をかかなくては成らない。相手を騙すような…

「行動可能な車両に伝達します! 疑似餌を出して!」

 

 

 播磨女学園連合チームの小隊の頭を押さえ込んでいるP40の車長は慎重に様子を伺っていた。

 用心深い相手だ。此方の行動を読んだのか直ぐに後退すると円周防御を取った。

「Capitano、如何しますか?」

 ハンドルを握るドライバーが指示を仰いできた。彼女は前に出て再び1発撃ち込むか問うて来たのだ。

「いや、此処はじっくり出方を伺おう。相手が鼻先を見せた時にゴツンと撃ち込んでやれば良い。

 我々は飽くまで時間稼ぎの砦だ。側面から我々の狼が彼女らを噛み殺すのを待てば良い」

 その時だった。相手に動きがあった。不意にモクモクと煙幕が張られ、ややすると

 ズズズ…と動く陰が路地の向こうから煙幕越しに見えた。車長は指示を下す。

「Tiratrice、落ち着いて撃て」

 本来車長が兼任する仕事である砲手を、あえて装填手に鞍替えする事で落ち着いた射撃を生み出す。我らがコンテッサの生み出した戦い方だ。

 そして何も車長が他の職に就くのは別段可笑しい話でも無い。ソビエトではドライバーが車長を兼ねた事もあった程だ。

 砲手が丁寧に操作ハンドルを操り、正面のソレに狙いを定める。

「Pronti… Fuoco! (用意…撃て!)

 号令に合わせ、砲手はスッとトリガーを引いた。

 75mm戦車砲から砲弾が勢いよく飛び出し、低伸しながら目標へと飛んでいく。

 そして…当たったと思った瞬間ら目標は爆ぜた。宛ら風船の様に。

「Esca !?(囮だと!?)直ぐに戦車を引け!」

 言うや否や、E79は獲物を逃がすまいとその大きな体を鋭く加速させ砲をP40へと指向させる。

 そして此方に飛び込んでくる強い煌めきをペリスコープ越しにP40の車長は見た。

 

 

「全車両、囲みを突破! 遊撃に入って下さい!」

 今回の試合にあたり、神無月しおりは1つ事前に策を打っていた。

 早乙女光に依頼し、バルーンで作られたよく出来たデコイを用意したのだ。

 コンプレッサで膨らませ、煙幕を展開し時間を稼いでいる内に車体前面に取り付け

 微速前進で相手を釣り出す。相手が『疑似餌』に食らい付いてきたなら、鋭く前に出てカウンターを撃ち込む。

 至極単純だが、単純故に掛かった時の効果は抜群である。

 前後左右、何方からか攻撃してきた相手を打ちのめせば、後は開いた突破口から脱してしまえば良い。

『此方ブラックナイト2、側面方向の敵戦車の掃討に専念します! ライガー1、2は此方の逆方向から! 曲がり角からの砲撃によく注意して下さい!』

『了解、不意打ちに注意するわね』

『履帯を滑らせて曲がれば良いんだよ。素早く【昼時の姿勢】が取れるんだからさ』

『隊長達は前進して下さい。後ろは任せて!』

 そう言って通信を終えた鹿取舞の耳に通信が入って来た。

『新入りさん? 一人で美味しい役目を取るのはズルく無いかしら』

 それはサーシャからの無線に始まり…

『狼を狩るのに狩人の数は多ければ多いほど良いでしょ?』

 ローズマリー・レンフィールドが楽しげに無線での遣り取りに続き…

『やられっぱなしは趣味じゃありませんわ!』

『神無月さんはこの狼の群れの長に向かう事に注力して頂ければ幸いです! 背中は我らにお任せあれ!』

 エリザベド・ガリマールと川崎蘭子が言葉を締める。

 連合チームの隊長達がコンテッサの配下に牙を剥いた。鹿取舞の言葉を反撃の狼煙として。

「先ずは1両!」

 サーシャとナイナ・アルダーノフの駆るKW-1 753(r)とKV85が背中を見せて逃げるM15/42の車体後部へ砲撃。

 次には側面からセモベンテM41の砲撃を受けるもこれを弾き、追撃を再開する。

 カトリーナ・スチュアートの指揮するバリアントがその分厚い装甲を活かして曲がり角を警戒しながら様子を伺い

 反撃してくるセモベンテM41の砲撃を弾くと、ローズマリー・レンフィールドの指揮するTOG2が

 バリアントの砲塔越しに17ポンド砲を放ち、セモベンテM41を撃破、着弾の勢いで横転させた。

 エリザベド・ガリマールとクロエ・アンペールが駆るBDR/G1とルノーG1が路地を逃げるP40とM15/42を追い立て

 その隙に四式戦車と三式戦車に乗る川崎蘭子と三之菱響が機動力を活かして路地を先回りし、挟撃しこれを撃破。

 鹿取舞の指揮するVK3002(D)もまた路地を縦横無尽に駆け回るP40を発見すると攻撃を開始。

 嘗ての試合で神無月しおりがやって見せた様に建物に榴弾を撃ち込み、瓦礫の雨を戦車に降らせ

 行動が鈍った所を本命の砲弾を撃ち込み、P40はエンジンルームを炎上させて大破。

 路地の曲がり角でM15/42戦車とかち合ったライガー1は重量を活かしたタックルで相手を吸っ転ばせ

 通りの真ん中で破れかぶれの様に砲撃してきたセモベンテM41の砲弾を弾くと

 ドッシリと構えたライガー2は88mm戦車砲をお返しにと叩き込んでこれを撃破した。

 勢いに乗った少女達はどんどんスコアを上げていく。まるで魔法でも掛けられたかの様に。

 

 

 次々にアフォンダトーレ学園の戦車から白旗が上がる。

 仲間からの無線の悲痛な声を淡々と聞きながらヴァネッサ・マルケッティは顎を擦った。

「逆転に持ち込まれたか。流石は魔女のお嬢さんだね。包囲網でジワジワ削り取るつもりだったが逆に押し込まれてしまった。

 先遣隊で時間を稼いでいる間に我々が地の利を得たと思ったが中々難しいもんだ。今後の課題だなぁコレは」

「コンテッサ。悠長に構えてる時じゃありません。相手チームはどんどん此方の戦力を削いでいるのですよ」

 ヴァネッサ・マルケッティお抱えの副隊長、ルーチェ・ブガッティがボヤいた。

「馬鹿言っちゃいけないよ。大将ってのはこう言う時ほどドッシリ構えてないと示しが付かないんだからさ。

 美人を口説くのも勝負も最後の肝はビビった方が負けなんだから。

 ダンスを申し込むのに尻込みしてちゃ美人のレディがカボチャの馬車に乗って逃げてしまうんだぞ」

「貴女は本当に美人を口説くのが好きですね」

「イタリア女に生まれたんだ。美人を口説かなくて何を口説けと?

 キャベツに愛を投げ掛けてもサラダかスープにしか成ってくれないじゃないか。

 オマケに抱擁もキスも返してくれない」

 ルーチェ・ブガッティは溜め息を零した。この人は本気で頭がこうなのだ。

 校内、校外を問わず何人口説いたかは分からず終い。

 それでいて背中から刺されないのだから不思議な物だ。

「ま、それはさておきそろそろ魔女のお嬢さんを出迎えなきゃね。

 主催者たるホストの対応がしょっぱいんじゃあ、招かれたご婦人にとても失礼になる」

 ヴァネッサ・マルケッティがそう言ってからややして、ゴゴゴ…と重低音を響かせながら

 正面装甲に幾つかの掠り傷を付けたE79とパンター改が現れ、遅れてその後ろにソミュアS35が現れた。

 場所は市街地の中央部…コロシアムだった。

 ヴァネッサ・マルケッティはP43Bisの砲塔の上に立ち

 ルーチェ・ブガッティも同じくP40/43の砲塔の上に仁王立ちで立っていた。

 ヴァネッサ・マルケッティはするすると戦車から降りると来賓が来たとばかりに神無月しおり達を出迎えた。

「やあやあ魔女のお嬢さん! 噂に違わぬ実に見事な戦いぶり! そしてご友人達との友情!

 何とも胸が熱くなる! それではここで一つ、私からの提案と言う名の我が侭を聞いて頂けないだろうか?」

「…提案?」

「そうとも! このColosseoで決闘といこうじゃないか!

 大将と副将、それぞれ1両ずつ! 戦車乙女としての誉れを賭けて古のGladiatorの様に!」

 芝居がかって、しかし嫌味に感じさせない爽やかさでそう言ってのけたヴァネッサ・マルケッティを前に

 神無月しおりは横にやってきたパンター改のキューポラから体を出しているバウムガルト・桜へと視線を向けた。

「私は構わないよコマンダンテ。騎士の末裔として決闘とあればこの戦い、謹んでお受けしよう」

「決まりだな。では副将、前へ!」

 ヴァネッサ・マルケッティが短いマントを翻して腕を掲げた。

 パンター改とP40/43がゆっくりと闘技場の中央へと近付き、そしてゆっくりと停車する。

 ルーチェ・ブガッティは静かにバウムガルト・桜を見つめ、ライトグリーンの髪を軽くかき上げた。

「試合の挨拶ぶりね。…改めて、アフォンダトーレ戦車隊の副将、ルーチェ・ブガッティよ。宜しく」

「播磨女学園戦車隊の副隊長、バウムガルト・桜だ。宜しく頼む」

 バウムガルト・桜の名乗りを聞いて、ルーチェ・ブガッティは小さく首を傾げた。

「…貴女、ドイツ系ね?」

「ああ、そうだが。それが何か」

「奇遇ね。私にも一人ドイツ人の友人が居たわ」

 ルーチェ・ブガッティはそう言いながら、ゆっくりとキューポラに体を沈めた。

「その子はね、キザでカッコつけでその癖誰にでも優しくて、甘い顔で砂糖菓子みたいな心がとろける言葉を投げつけて来たの。

 なのに、その子ったら親の都合だからって言って、急に海外に引っ越してしまったのよ。私の心をしっちゃかめっちゃかにしたまま!

 あの子への、この気持ちを整理する暇もなく! この悔しさ、あの子に変わって貴女にぶつけてあげるわ! 犬に噛まれたとでも思って覚悟なさい!」

「…いやはやなんとも」

 ルーチェ・ブガッティの言葉を聞き終えたバウムガルト・桜は帽子を被り直し、静かにキューポラの中に体を沈めた。

「その私情、徹底的にへし折らせて貰おう。貴女とその彼女にどんな関係があったかは計り知れないが

 そんな事で我がバウムガルト家の誇りに傷を付けることも、私が敬愛するコマンダンテの戦いに傷が付くのも御免被る。故に」

 ヴォォオオン!! とパンターのマイバッハが力強く咆哮し、マフラーからパンパンパン! と甲高いアフターファイヤをかき鳴らした。

「全力で、叩き潰す!」

「それでこそ!」

 パンター改の雄叫びに呼応する様にP40/43のFiat A.22エンジンが咆哮し、戦いの火蓋が切って落とされた。

『良い部下を持っているじゃないか。お嬢さん』

 少女らのやり取りを見ていたヴァネッサ・マルケッティが無線機で気軽に声を掛けてきた。

「…私には勿体無いぐらいの人」

『それだけ貴女に魅力があると言う事だよ。古来より、人々に慕われた人物は

 良きにせよ悪しきにせよ、強く心を惹き付ける魅力があった。貴女もだよ、魔女のお嬢さん。

 その体から揺らめくオーラは一体何なんだい? 私の背筋をゾクゾクさせてくれる、砲を交えて

 心を交わしたくなるこの気持ちは何なんだ? 私の人生で此処まで心をかき乱してくれたのは貴女が初めてだ…!!』

「…私には、私を語る言葉を持ち合わせていません…でも」

 チラリと、神無月しおりは闘技場の円にそってぐるりぐるりと旋回し砲を放つ間合いを計っているバウムガルト・桜を見て

「…今こうして私の歩んできた道が、私の傍に居てくれる人達が、私を語る全てだと、そう思います」

『そうかい…それはとても、重厚で素敵な物語だね』

 優しくヴァネッサ・マルケッティは神無月しおりに返事を返した。ドン! ズドン! と砲声が少女達の体を揺さぶった。

 互いの75mm戦車砲が煌めき、音よりも早く砲弾を放つ。

 闘技場の広さを考えれば彼我の距離は僅かに目と鼻の先レベルだ。

 ギャリギャリと砂利の撒かれた地面を履帯が砂埃を巻き上げながら力強く蹴っていく。

 砲火が一つ二つと交わされる毎に少女達の戦いはヒートアップしていく。

「右旋回! 鋭く回り込め!」

「Svolta a Sinister !(左旋回!)側面を狙って!」

 外れた砲弾が鋭く闘技場の壁に突き刺さり、砕けた石材の破片を散らす。装甲を掠めた砲弾が

 甲高い悲鳴を泣き叫びながら火花を散らして明後日の方向へと飛んでいく。

 果たして短い時間の間に何手の砲火が交わされただろうか。

 戦車乙女の間では、タイマン勝負は数分で決着が付くのが常識だ。

 それ以上の時間の戦いともなれば、それは強者同士の命の削り合いである。

 僅かに一秒毎に精神も、体力も、どんどん疲弊していくから。

 状況を切り崩したのは、バウムガルト・桜の駆るパンター改だった。

「煙幕弾!」

 彼女の号令の元、P40/43に向けられた砲身が煙幕弾を放った。

 見事、ひしゃげて変形しながら車体に張り付き刺さった煙幕弾が濛々と白い煙を吐き出しルーチェ・ブガッティのP40/43の視界を遮る。

「虚仮脅しよ! 慌てないで!」

 少女が叫んだ次の瞬間、煙幕の陰からパンター改の後部が鋭く突き出てきた。

 パンター改の中戦車と呼ぶには些か重い車体重量45トンの鉄の塊が、30トンのP40/43の車体を強くすっ飛ばす。

 姿勢を崩され壁際まで押しやられたP40/43だったが

 それでもルーチェ・ブガッティは必死にペリスコープから外の様子を見ていた。

 パンター改が砲身を此方に向けているのがチラリと見えた。

 死神の黒点…砲口が見えるまでもう少し。ルーチェ・ブガッティは吠える。

「迎撃急いで!」

 刹那、二つの75mm戦車砲が吠えた。パンター改の砲弾はP40/43の砲塔に激しく火花を散らしながら深々と突き刺さり

 P40/43の砲弾はパンターの転輪を二つ三つばかり殴り飛ばし、車体下部に傷を付けた。

 スパッ、とP40/43から白旗が上がる。

 戦いを見守っていたヴァネッサ・マルケッティは勝者へパチパチと拍手を贈った。

 神無月しおりもそれに倣うように勇敢な戦士に拍手を贈った。

「それでは本日一番熱い演目へ!Ora Arriva L'evento Principale Della Giornata!

(さあ、今日のメインイベントの始まりだ!)お嬢さん、私と一曲ダンスを踊ろうじゃないか」

 恭しく礼をするヴァネッサ・マルケッティに対し、神無月しおりは少し考え込んでから

 小さくカーテシーを返してからスルリとキューポラの中へと収まった。

 戦いを終えたパンター改とP40/43は闘技場の端へと移動し、ゴゴゴ…と低い音を立てながらE79とP43Bisが前に出た。

「…宜しく、パイワケット」

 とある魔女の猫の使い魔、パイワケット。

 神無月しおりはその名前を、E79に授けた。

 ペットネームの無いE79へと。自分の使い魔とする為に。

「Assalto !!(突撃 !!)」

「前進、左前へ。間合いを取りながら右旋回。砲塔右へ指向。

 P43は此方より軽くて加速が良いから回り込まれない様に気をつけて」

 ジャリジャリと砂埃を巻き上げながら二台の鋼の猛獣が走り出した。

 P43Bisに対して右側を取りながらE79は回り込んでいく。対してP43Bisはよりクイックに旋回した。

「シャッセ、ステップステップ。ライト、ホイスク」

「チッ…すばしっこい!」

 ヴァネッサ・マルケッティがダンスの指示を出す様に号令を下し、それに従いワルツを踊るように

 P43BisはE79の側面を取ろうとする。それを見た霧島蓉子は苦々しくボヤく。

「任せてくれ。パンチ力ならこっちのアハトアハトが有利だ」

 北村カレラがそう言い、88mm戦車砲の照準をP43Bisの砲塔へと合わせる。

 貰った。そう思って引き金を引いた時だった。然し彼女の予想に反して

 素早く加速したP43Bisは僅かに砲塔に砲弾を掠めながら避けてみせた。

「速い…!」

「安心して! 装填は任せて!」

 撃ち終えた空薬莢が吐き出されれば、大島明海は抱えていた徹甲弾を素早く装填し、安全装置を押した。

 …地味に手強い。神無月しおりは一人心中にて呟いた。

 P43Bisの90mm戦車砲が此方の車体の隅に当たり弾けていく。

 派手さは無いが手堅い。故に強い。淡々と此方を削ってくる戦い方だ。故に神無月しおりは…

「すぅぅー…はぁぁー…すぅぅー…はぁぁー…」

 ゆっくりと、深く深く呼吸を繰り返し、キッと前を向いた。

「蓉子さん。ギリギリ一杯までハンドルを鋭く切り込んでいって。

 滑る砂を味方に付けて。カレラさん。相手は素早いです。必中とは言いません。

 先ずは当てる事で相手を揺さぶって、ダメージを与えて。パイワケットの装甲と火力なら簡単には押し負けません。

 明海さん、落ち着いて装填して。私が急に指示を出すかもしれません。

 奏さん、車体機銃の範囲内に入ったら相手に機銃で目眩ましをお願いします」

「おうさ」

「了解!」

「わかったよしおりん!」

「任されました!」

 此方を起点として円形闘技場をぐるぐると走り回るE79の動きに

 変化があった事を感じ取ったヴァネッサ・マルケッティはほくそ笑んだ。

 乙女の本気を垣間見る事が出来ると思って。

「Mostraci Chi Sei Veramente. Ragazza Strega !!(貴女の本当の姿を見せておくれ、魔女のお嬢さん!)」

 E79はより強く、鋭く旋回しP43Bisの側面や砲塔の弱点を狙ってきた。

 P43Bisはドライバーのその優れた腕前でこれを交わしていくが

 徐々に88mm戦車砲の砲弾が掠めていく面積が増えていくのが、体を揺さぶる衝撃で理解出来た。

 砲手も先程まで与えられていた手応えがどんどん薄まるのを感じていく。

 中身が変わった様な…そんな感覚を砲手は感じていた。

 そして何よりも、ジワジワと溢れ出すオーラがスコープ越しに見えたのだ。E79の影から。

 ヴァネッサ・マルケッティは身震いした。これか。これが神無月神無月しおりと言う少女か。

 これが戦う者を魅了する魔女と呼ばれる少女の片鱗か。

 これ程の相手に出会えた事を、彼女は聖母マリアと戦車の女神に感謝した。

 動いたのはE79だった。神無月しおりが指示を下す。

「榴弾! 地面へ!」

 ズドン! と撃ち出された88mmの榴弾が派手な爆発を起こし、地面を刳りながら派手な砂埃を立てる。

 まるで熱砂のギブリの様に視界を奪う。

 そして次の瞬間、E79に取り付けられた発煙筒がパンパンパン! と放たれて円形闘技場を包み隠すように煙幕を展開した。

 不意打ちからの一瞬でP43Bisは目の前の視界を奪われていく。

「くそッ…来るぞ! コントラチェック! リバース! 砲塔回せ!」

 果たしてヴァネッサ・マルケッティの読みは当たった。

 ズザザザ、と履帯を滑らせながら背後を取ろうとドリフトターンを行ってきたE79が主砲を此方に向けている。

 ドン、ドン!! と大きな砲声が連なって響き、巻き上がっていた砂埃と白煙が吹き飛ばされた。

 素早く砲口から飛び出した徹甲弾が装甲にぶつかり、着弾の煙を立ち登らせる。

 黒煙が晴れたその時、スパッと白旗がP43Bisから上がった。そして、遅れてE79からも。

 P43Bisの90mm戦車砲の砲弾が、E79の極々薄い車体と砲塔の隙間に挟まっていた。

『この試合、僅差ながら播磨女学園連合チームの勝利とする!』

 審判の指示が下され、会場は湧き上がった。

 神無月しおりは車長席にてふぅぅ…と深くため息をついた。

「お疲れ様、しおりん」

 大島明海から手渡される水筒に、神無月しおりは感謝を述べながら口を付けた。

 嗚呼、強い相手だった。流れ込んでくる冷たい水が、体が火照っているのを理解させてくれた。

 一息つくと、神無月しおりはE79の砲塔から抜け出し、外へと出た。

 E79の目の前には既にヴァネッサ・マルケッティが笑みを浮かべながら自分が現れるのを今か今かと待っていた。

「お疲れ様、魔女のお嬢さん。楽しい戦いだった」

「…此方こそ。貴女は、強かった」

「とても有り難い言葉だ。戦車乙女冥利に尽きるね。さて…?」

 ヴァネッサ・マルケッティは懐から洒落た懐中時計を取り出した。

 時間は、遅い昼時と言った具合だろうか。

「さぁ! 無事に試合も終わったのだ。遅いランチと洒落こもうじゃないか、お嬢さん!」

「ひゃっ…!?」

 ヴァネッサ・マルケッティにひょいっ、とその細くて軽い体を持ち上げられ、お姫様抱っこで抱えられた神無月しおりは心底驚いた。

「こら! 我々の隊長に何を狼藉を働くか!」

 試合を見守っていたバウムガルト・桜がいち早くヴァネッサ・マルケッティの行為に気づき、近付いては彼女に異議を申し立てた。

「コレくらい約得という物だろう? こんな美人を相手に何もしないなんてイタリア女として失礼だ」

 そう言うとヴァネッサ・マルケッティは腕の中の神無月しおりの頬に向けて小さくキスをした。

 目の前でそんな物を見せつけられたバウムガルト・桜としては溜まったものではない。

「貴様と言う奴は!」

「諦めなさい。アレがウチの隊長なのよ」

 火山の様に怒るバウムガルト・桜の肩をぽんぽんと叩きながら、ルーチェ・ブガッティは同情するように呟いた。

 その後すぐ、E79から抜け出てきた大島明海によって神無月しおりはヴァネッサ・マルケッティから無事に助け出された。

 

 

 少女達は食事の席に付き、互いの戦いを讃えあい、遅い昼食に舌鼓を打った。

 ヴァネッサ・マルケッティが神無月しおりを抱き締めキスをした事は

 瞬く間に連合チームの少女達に知れ渡る事になり、彼女は「この女誑し!」と罵られるのだが

 本人は至って気にする様子も見せずに笑ってみせた。逆に少女達を口説いてまわろうとした程だった。

 少女達は呆れたが、アフォンダトーレ学園のチームメイトから

「ウチの隊長は見ての通りの生粋の女誑しだから」と口を揃えて説明され

 呆れながら彼女の振る舞いを見なかった物とし、小さく諦めた。

 食事会は恙無く進行し、解散の時間を迎えた。

「食事会かお茶会の招待状を出すから是非とも我が校に遊びに来てくれ給え」と

 ヴァネッサ・マルケッティは少女達に言うと恭しく礼をしてサーカスと共に去っていった。

 

 

 忙しなく暑い一日だった。女誑しだが、爽やかで悪い人じゃなかったと神無月しおりはしみじみ思った。

 金細工の薔薇のブローチは今も襟元に輝いていた。

「…パイワケット、今日は、楽しかった…?」

 E79の大きな体をそっと撫でる。くるるる…と唸り声が聞こえた気がした。満足げな、嬉しそうな、そんな声が。

「…そっか。それなら、良かった」

「隊長ー! そろそろ出発しますよー!」

 チームメイトに声を掛けられて、神無月しおりはそっとE79から離れた。

 蒸気機関車は既に蒸気の圧力を確りと高めており、戦車達も落ちることなく貨車に載せられている。帰り支度は済んだ。

「また後でね…パイワケット」

 少女達は家路につく。列車に揺られて。

 夏の一コマ。魔女と魔女の騎士団と女伯の物語。

 セミが鳴き、鈴虫が音楽を奏でる季節。

 一筋の夏風は少女達の心に確りとした思い出を紡いだ。

 

 

 登場メカ

・ガーラット式蒸気機関車

 モデルはフランス製 2-3-1 1-3-2BT型蒸気機関車。

 オリジナルよりも高圧のボイラーや多気筒エンジン等が搭載されている他、バルブ装置は整備の安易なワルシャート式に改められている。

 

 

 

 登場戦車一覧

・播磨女学園側 新車種

・VK3002(D)

 パンター戦車の開発にあたりダイムラー社が提案した設計案の戦車である。避弾経始に優れるT-34に類似したデザインを持つ。

 パンターFの砲塔と75mm70口径戦車砲を備える。パンターの系列と言う事でブラックナイト2のコードネームを神無月しおりから頂いた。

 

 

 

・アフォンダトーレ学園側 登場車両

・Fiat3000

 アフォンダトーレ学園の隠し玉。車体を延長し、1350馬力のW型12気筒エンジンのネイピア・ライオンを搭載している。

 主砲には機関砲のQF1ポンポン砲を狭い砲塔にねじ込んでいる他、燃焼ガスを抜く為のベンチレーターも付いている。

 車体の隙間にはギッシリとQF1ポンポン砲の砲弾が詰まっている。主に高速を活かした偵察や撹乱等の任務に付く。

 

 

・M15/42戦車

 イタリア製中戦車。アフォンダトーレ学園の主力その1。

 機動性を高めるべく足回りやエンジン等が強化されている。

 

 

・セモベンテM41

 イタリア製自走砲。75mm砲の威力向上と命中制度の向上を図るべく主砲の強化と砲身の延長が図られている。アンブッシュや側面からの攻撃を主に担当している。

 

 

・P40

 イタリア製中戦車。75mm戦車砲を持ち、装甲や火力等のバランスが取れている。アフォンダトーレ学園の主力その2。

 オリジナルでは主に馬力不足だったエンジンを高出力な物に変えている。

 

 

・P40/43

 P40にP43の砲塔を組み合わせた物。アフォンダトーレ学園の副隊長の車両。P40の75mm戦車砲よりも強力なSkoda製の75mm戦車砲を備える他、高出力のFiat製A.22エンジンを搭載し改良した。

 

 

・P43Bis

 アフォンダトーレ学園戦車隊の隊長車。90mm戦車砲を搭載し、エンジンもP40/43と同じくより高出力の物に載せ替えている。総合性能を高く纏め上げ、足回りはクイックに回り込める様にチューニングしてある。

 

 

 

 架空戦車コラム

 

 VK6600(h) PanzerKampfwagen E79

 

・スペック

 全長10.04m

 全幅3.71m

 全高2.34m

 重量61t

 武装88 mm PaK 43 L71

 

・装甲厚

 ターレット

 前面(防盾)200mm/15°

 側面100mm/38°

 後面80mm/57°

 車体

 前面180mm/58°

 側面80mm/-14°

 後面80mm/-32°

 

 VK6600(h) PanzerKampfwagen E79重戦車はドイツにて開発された重戦車である。

 製造は重戦車開発の経験が深いヘンシェル社。

 事の発端は1943年に始動した E計画(Entwicklungstypen=開発タイプ)の一環として計画された車両の一つであり

 タイガーIIに連なる、重戦車開発計画であったE75プロジェクトの5番目のプランとして、その設計が開始された物だ。

 

 

 車体は分厚い装甲を切り出し、避弾経始に優れる傾斜装甲になる様、溶接で組み上げた構成となっており、

 車体形状はほぼタイガーIIやパンターと言った車両に順ずるものであるが

 車体左右、履帯の上に位置するスポンソン(張り出し)を廃する事で

 生産性の向上と、消費する資源の低減、そして軽量化を図った物が本車両のデザインである。

 

 

 しかし、スポンソンを廃する事で車内スペースが減り、砲弾や燃料、ギアボックス等の部品を積み込むスペースが足りなくなるのでは無いかと言う懸念を持たれた。

 事実、同格の88mm戦車砲を搭載するタイガーやタイガーIIと比べ携行する砲弾数は明らかに少なくなってしまった事は否めない。

 だがこの軽量化の恩恵は大きく、タイガーIIとほぼ同様の防御能力を持ちながら

 9トンの軽量化を成した結果、燃費の向上やエンジン、足回りや駆動系への負担を減らす事に貢献した。

 車体の軽量化により達成された燃費の向上で懸念された燃料タンクの容量不足は幾らか解消される事となった。

 それでも短くなった行動距離と少なくなった携行弾薬数はシンプルに補給回数を増やすで解決した。

 

 

 足回りの設計はE75と同様の物で在り、当初はE75の輸送用履帯を用いる事を予定していたが

 細い輸送用履帯が戦闘行動に耐えられる訳も無く(高い接地圧は軟弱な地盤にも弱い事から)幅広の通常履帯を用いる事になる。

 ドライブスプロケット並びに誘導輪もE75系列の物を使用し

 設計、開発時間の削減と、工場側の負担を減らす事に勤めた。

 この様な工夫は車体各所に見受けられ、砲塔後部のエスケープハッチや

 キューポラと言った部品の多くはE75と同様の物が多数使用されている。

 

 

 エンジンは700~800馬力のマイバッハ製HL230・V型12気筒ガソリンエンジンの改良型を搭載する事になるが

 計画の初期段階では燃費や動力系の諸問題を解決するべく

 ソ連製V型12気筒ディーゼルエンジンとそのギアボックスを鹵獲し使用する等と言う

 妄言めいた話が存在したが、整備性、生産性の観点から瞬く間に却下される物となる。

 しかし、ソ連製戦車で見受けられた後輪駆動方式のギアボックス配置は

 嵩張って長いドライブシャフトを車内に走らせる必要が無く、車内空間の確保や

 生産にあたり使用する物資の低減にも繋がる事から採用され

 後輪駆動が研究される事となり、元より車体側面のスポンソンを省いた事で車内スペースが少ない本車両には

 うってつけの設計であった。エンジンは現代戦車のミッションパックの様に

 ギアボックスと一体化した設計を為され、整備交換の面でも役立つ予定であったと言う。

 

 

 砲塔は基本デザインをタイガーIIから踏襲した。

 砲身根元に存在する防盾は避弾経始に優れる鋳造のザウコップ式を採用。

 主砲の車体への固定方法はヤークトパンター等でも採用された

 装甲カラーを用いたボルト締め方式を採用した。

 主砲はタイガーIIでも使用された88mm PaK 43 L71戦車砲を搭載。当初はパワーアップ案(E79 Bisと呼称される予定であったらしい)として128mm PaK 44 L55戦車砲を

 カルダン砲架で搭載する事も考案されたが、128mm戦車砲の反動を

 当車のターレットリングが受け止めるには疲労が大きく

 また大型の128mm戦車砲を狭い旋回砲塔に搭載するにはスペース的にも苦しく

 携行可能な弾薬数が当初の88mm戦車砲よりも更に少なくなる上に

 更には装填作業が煩わしい大型の分離式砲弾を装填しなくてはならない事も合わさり

 この計画は白紙の物となった。

 照準装置はE75と同様のステレオ式レンジファインダーを搭載。

 また戦闘中に破損した際の予備として既存のスコープ式照準器も搭載された。

 

 

 斯くして完成したE計画の申し子、E79であったが

 戦局は既にドイツの敗北に大きく傾いており、多くが量産される事もなく

 重戦車大隊等の補充車両として少数が納入された限りであり、戦局に与えた影響は皆無と言ってもいい。

 だが、腕の良い戦車兵が搭乗し、確りと整備の行き届いたE79は正に鬼神の如き活躍を戦場で見せつけ

 当時ドイツと戦っていたソビエトと連合国軍を恐怖のどん底に叩き落したのは紛れも無い事実であろう。

(※当文章は非実在の車両E79を実在の戦車の様に扱った筆者の空想である)

 

 

 

 




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