片思い的な僕ら。 (肩仮名)
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片思い的な僕ら。

 

 

 

 

 

「こんなの絶対おかしいですよ……間違ってますって、絶対」

「はあ」

「十歳の頃からの付き合いなんですよ、いや、ルーちゃんもそうですけどこっちはパートナーですよパートナー!一緒にお風呂に入って裸まで見た関係ですよ!?」

「はあ」

「ああいうのっていつの間にか周りから夫婦扱いされて事実婚ってなるんじゃないですか……?私、そんなにおかしいこと言ってますか……?」

「……どうだろうねえ」

 

 酒の減るペースは、僕が一本消費する毎にキャロが五本。今日ばかりはたっぷりと飲んでも罰は当たらないだろうと大量に箱で購入した缶の内、既に三分の二が中身を人体へと移していた。

 明日は休みだし、きっと問題ないと思ってキャロがハイペースで飲むのを見過ごしていたが、横に転がる空き缶の数を見て彼女が急性アルコール中毒にならないかが不安になる。彼女の小さい身体の中にどうしてこれだけの量が入るのかといった驚愕もあるが、それ以上に僕の自宅で急に吐くんじゃないだろうなといった心配もあった。

 

「ふぁっくふぁっきんさのばびっち」

「キャロ、キャロ。それはちょっと危ない。女の子が言っていい言葉じゃないって、多分」

「うえええ……私もう女の子なんて歳じゃありませんよーだ。もう二十ですよ、お酒だって飲める歳なんです。でもどうせ私はロリコン御用達くらいにしか思われてないのです。色気なんてクソ食らえですよ。無駄な脂肪ぶるんぶるん震わせてんじゃねーですっての」

「えーっと、何だ。その……」

「人間、下を見ると安心するって言いますけど、レズビアン疑惑コブ付き三十路手前の行き遅れを見ても全然安心なんかできません!うう、ああはなりたくないよぉ……仕事が恋人って言葉を言い訳に使いたくないよぉ……。エリオくぅん……」

「………………」

 

 どうしよう。

 この娘、僕の好きな娘なんだけどなあ……。

 いやホント、何でこの娘を好きになったのかわからなくなるような罵詈雑言の嵐の中でも、恋情の船はしっかりと僕の心に浮かんでいて、中々沈む気配を見せない。

 誰かをずっと好きでい続けるのは莫大なエネルギーが必要、だなんて言うけれど、好きな誰かを嫌うのにもまた、必要なエネルギーは生半可ではないということだろうか。子供の頃から続いている彼女への片思いは、彼女と僕が二十歳になった今でも、滞りなく現在進行形で継続されている。

 彼女の思い人の結婚式が挙げられた、今日でも。未だに。

 

 だからと言って僕に傷心中の彼女を慰められるだけの甲斐性もこれを好機として彼女を狙っていくだけの度胸もなく、ただただ、酒を飲んでは愚痴を聞くだけに留まっている。

 ……いや、うん。だからいつまで経っても片思いのままなんだろうなあ。

 

「情けない話だよなあ……」

 

自然と口から声が漏れた。酒も入っているからか、キャロの前での意思に反する内心の吐露という脊髄と舌の暴挙に、あまり驚きはなかった。そして、その言葉にキャロが声を荒げて反応する、

 

「情けない!情けないって何ですか!?情けないって言う方の情けがないからそんなことが言えってったって……?あれ、何だっけ。……そうです!エリオ君をルーちゃんから寝取れば」「ちょっぷ」「あいたぁ!?」

 

 何やら話が危ない方向へと進んでいきそうだったので、チョップにてせき止める。あまり強く力を入れたわけではないのに、キャロは叩かれた場所を手で押さえてうんうんと唸っていた。きっと当たり所が悪かったのだろうと軽く流して、時計を見る。そろそろ十二時を回りそうだ。

 さすがに朝帰りはマズい、ということでキャロに帰宅を促す。

 

「やです」

 

 端的な返事が返ってきた。

 

「だあって家に帰っても誰もいないんですよ?エリオ君のとこにも気軽に行けないっていうか行っても気まずいだけっていうか行った瞬間ルーちゃんの艶めかしい声が聞こえてきたのがトラウマになってるっていうか今日結婚式あったから絶対初夜ってるよねとか思ってみたり……。あ、フェイトさんのとこは普通に行きたくない。何かこの状態のままで行ったら喪女菌が感染しそうだし」

「……キャロ、今日何か特にフェイトさんに厳しいね?」

 

 数年前は「私の一番尊敬する人です!」とか目を輝かせて言っていた気がしたんだけど、あれはもしや影武者だったのだろうか。だとするならキャロ検定一級免許取得者(検定主催者・エリオ)の僕がキャロを見間違えるとは、僕もまだまだ研鑽が足りないなとか言ってみたり。

 

「エリオ君が先に結婚するのを聞いて焦ったけどまだ結婚してない私を見て安心するフェイトさんなんて、一生結婚できなけりゃいいんです」

「…………フェイトさんにも色々あるんだよ、うん。許してあげよう、だって彼女もう二十九なんだ」

 

 年の離れた弟、はたまた養子のような存在が自分よりも先に結婚したとなれば、内心穏やかではないだろう。しかも彼女、彼氏いない歴=年齢だというのだから笑えない。本人には笑ってもいいと言われたが、一緒に酒に付き合っていたエリオも顔を青くして目を逸らしていた。

 いやいや、ホント笑えないですって。

 

 悲しすぎるフェイトさんの事情を忘れるように缶のビールを一気に呷る。喉の奥へと抜けていくような苦みが鼻へと突き抜け、咽せた。

 そしてそんな僕をキャロは大笑いして、やたら近代的な構造のテーブルをバンバンと叩く。僕の部屋に家具というものが軒並み存在しないことからエリオが誕生日にプレゼントしてくれたものだ。それを今キャロが叩いていると考えると面白いものがある……のか?微妙なところだ。

 

「私だってね、パートナーって立場に胡座かいてるわけじゃなかったんですよ?恥ずかしいようなことだって言いましたし、誘惑だってたくさんしましたとも。時にはもう面倒だから襲っちゃおうかなとかも思いましたよ。ですけど……ね?私だって女の子……でしたもん。告白とか、されてみたかったんですよ」

 

 ぷはあ、と可愛らしい息を吐きながら、可愛らしくない音を缶ビールとテーブルの間で立てる。勢いに煽られた缶の中身が液体ながらに飛行という快挙を成し遂げ、重力に勝てないままテーブルに落下した。キャロはしばらく零れたビールを見つめていたが、何を思ったか、そっと指を漬けてそれを少し扇情的に舐めた。

 

「アピールも……ちゃんとしてたのに……やっぱりおっぱいですか、おっぱいが大きい方が良かったからなの?私の時は顔赤くして逃げるだけだったのに、ルーちゃんとはちゃんとヤることヤってるだなんて、エリオ君……いや、エロ君は……ああもう!ばーかばーかばああああああか!!」

 

 そして、エキセントリックに咆えた。前後のテンションに脈絡がないのが酔っ払いの特徴だ。

 

「えっちへんたいどすけべばーかばーか」

 

 拗ねるように唇を尖らせ、机に突っ伏したままつまみのナッツ類に手を伸ばし、わざとらしくボリボリと音を立てて乱暴に咀嚼する。「エリオ君なんて」ボリボリ「ルーちゃんとヤりすぎて」バリバリ「腹上死しちゃえばいいんだよ」我が好きな人ながら酷い絵面だ、と思う。きっとこういうのを『百年の恋も冷めそう』なんて言うんだろうけど、どうやら僕の恋は思いの外粘着質のようで、中々心の底に張った根を廃棄してくれそうにない。いっそ嫌いになれたら楽なんだけどなあ。 

 

 あー、アオミドロになりたい。アイツら、悩みとかなさそうだし。太陽の光を浴びて無意識でエネルギーを作るだけで生きていけるというのはきっとどんなに楽なのだろう。いやでも脳味噌ないから思考できないか。どうせ思考できないんなら無機物でもいいよなあ、捕食の心配もないし。

 最近は切っていなかったせいか、鬱陶しいほど伸びっぱなしになっている髪の毛をボリボリと掻き毟る。エリオの結婚式の前に切っときゃ良かったかなと思いつつも、最近は忙しくて叶わなかった。威厳もクソもないが、これでも一応隊長、責任ある立場なのだ。

 ……いやうん、だからなんだろうね。キャロの口調からいつまで経っても僕に対する敬語が取れないのは。変にフランクなよりは上司としてはずっとやりやすいんだけど、こう、何だ。複雑な気持ち。

 

 僕が苦い気持ちを噛みしめながら苦みのあるアルコール飲料を飲み干すと、キャロが苦虫を噛み潰した顔で新しいビールの缶に手を伸ばしながら、言う。

 

「フリードはエリオ君に寝取られるし、エリオ君はルーちゃんに寝取られるし……。飲まなきゃやってらんないっての」

「いや、飲むのはいいけどさ……ここ、男の家だからね?これっぽっちも意識してないかもしれないけど、一応男の家だからね?変な噂とか立つかもしれないし、そろそろ帰った方が……」

「やーでーすー!帰らない帰らないまだ飲む喪女(フェイトさん)はいやー!」

「全く関係ない話題でフェイトさんに流れ弾を狙い撃ちするのやめようよ……。やめよう?フェイトさんピンポイントで狙ってるのかもしれないけど、なのはさんとはやてさんにも誤射してるから」

 

 二十九歳、独身、処女。皆条件は同じだった。

 特になのはさんは少し気になっていた人が仕事のしすぎでストレスが溜まり、女装に目覚めて男に走ったというダブル役満。単純に男の人に縁がなかった方がまだマシかなと思える悲惨さである。その人の写真を一度見せて貰ったことがあるのだが、その辺の女の子より数倍は可愛かったのがなのはさんの乾いた笑いに虚しさを助長させていた。

 みんな結婚できなきゃいいんだおぇぇと吐き気を催しながらも呪詛を垂れ流すキャロに謎の執念を感じつつ、袋を持っていって背中をさする。

 

「飲み過ぎだよ。ほら、フェイトさんに連絡してあげるから、もう帰ろう?」

「何ですかおぇぇぇ……帰って欲しいんですか。ひょっとして女ですか。女連れ込むから私は邪魔になるとそう言いたいんですかおぇぇ気持ち悪い……」

 

 違うから、とキャロを宥め賺し、さりげなく彼女から酒を遠ざける。放っておくとまた自棄を起こして箱ごと酒を消費しかねない。

 

「私、そんなに魅力ないですかねえ……?確かに胸は小さいままだし、背だって全然伸びてませんけど、これでも二十の女なんですよ?私、そんなに魅力足りないですか……?」

 

 瞳を潤ませて、キャロが腕に体重を預けてきた。軽くて柔らかいその感触は、僕の心臓の鼓動を早めてくる。

 ここで「いや、キャロは十分魅力的だよ」なんて言えたら良いのだろうけど、突然の出来事に「いや……そんなことはない、と思う……けど」なんて曖昧な色の返答になってしまった。

 

「じゃあ、キスしてください」

「は、え?」

「してくださいよ、キス。ぶちゅーって」

「いや、ちょ、待っ……キ、キャロ。酔いすぎだって」

 

 酒の酔いからか羞恥からか顔を真っ赤にしてこちらを見つめるキャロに、どう反応をしていいかがわからず取り敢えず倒れてくる彼女の肩を掴む。焦点の定まらない眼球がこちらを見つめる。昔見た次元犯罪者がこんな目をしてたかなあ、と半ば現実逃避気味に想起した。

 

「ん…………」

 

 キャロが目を瞑った。

 何だこれ、チャンスなのか?いやしかし待てこういうのはどうなのだろうか傷心と酩酊に付け込むようで気が引けるというかでも一人暮らしの男の家に転がり込むのは脈ありと言えないだろうかほらキャロだって受け入れ体勢取ってるし!しかしついさっきまでエリオが好きだって公言してていきなり僕を好きになるなんて現実的じゃないしとか言ってやっぱりどこかに言い訳を探してて!

 

 自惚れてもいいんだろうか。自惚れるべきなんだろうか。

 自信とはまた違った感情が僕を後押しして背を蹴飛ばす。心の中に生息する悪魔っぽい、僕の顔をしたコスプレ男が僕の後頭部を殴りつけて顔面を彼女の唇に接近させる。

 

「………………」

 

 キャロの顔が映る。僕の好きな────本当に大好きな人の顔。

 そして僕には、その目の端に見えた涙の跡が酷く痛々しく見えて。

 

「……キャロ」

 

 そして、僕は言う。

 

「駄目だよ、好きでもない男に唇を許したら。女の子なんだから自分を安売りしないで、そんな台詞は君がエリオの代わりに好きになれる人に出会った時に取っておきなよ。大丈夫、君は十分魅力的な女の子なんだから、その時はきっと上手くいくさ」

 

 ああ、そうだ。

 僕は、別にこの娘に振り向いてほしくてこの娘を好きになったわけじゃないんだった。

 好きになった時からキャロの心の中にはエリオがいて────それはきっと、僕の入る隙間などないくらいには埋め尽くされていた。けれども、僕はそれで良かった。

 ただ、彼女の笑顔が眩しかったから。

 たったそれだけのことで、僕は彼女を好きになってしまった。我ながら、チョロいものだと思う。

 だから────

 

「いやそういう答えとか求めてませんから」

「!?」

 

 キャロはすごくいいことを言っていた気がする僕をスルーして、真顔でこちらを見上げた。彼女の肩を掴んでいた手を振り払われ、今度は逆に僕が彼女に肩を掴まれる。肩に入れられる力はキャロの方に向かって行き、咄嗟に対応できずバランスを崩しそうになるも、耐える。

 そうすると、

 

「じゃ、もういいです」

 

 という声と共にキャロの顔が近付いてきた。

 そしてそれは中途半端な所で減速することなく、僕の顔へと押し当てられる。正確に言うのなら、僕の唇と彼女の唇が重なっていた。

 キス、というやつだ。

 

 まず最初に来たのは、ふんわりとした甘い香り。次いで、酒臭さ。実のところ、キスすらも初めてだったものだから、何が起きたかがよくわからないままに思考は停止して、ただドクドクとうるさい心臓の音が彼女に聞こえてしまわないかを心配していた。

 だがその心配は杞憂だったかのように、鼓動を掻き消す水音が淫靡に響く。舌を入れられていると気付いたのは、その音が脳味噌を刺激したほんの後。茹だった頭で何とか抵抗しようと考え、考えが纏まる前に反射的行動で彼女の舌を何とか押し返そうと舌を動かす。しかし、互いの舌は絡まるばかりで落ち着きを見せることはなく、それに反応してキャロが悩ましげな声を上げた。

 可愛い。もっとこの声を聞いていたいという衝動が僕の内側から発生し、それを堪えるのに脳の容量を大幅に使用する。しかし、この状況で何を堪える必要があるのだろうか。疑問と欲望が湧きだしてきて、決意が薄れる。

 そして、僕も彼女の口内に舌を侵入させ────

 

 

 三秒後、僕はゲロ塗れになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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人と胃にはお優しく

 

 

 

 

 

 

「すいません、わざわざ……」

「うぅん、いいの。もうキャロも二十歳で、私がキャロにしてあげられることも少ないし……こんなことでも、私がまだキャロにしてあげられることがあるっていうのが嬉しいんだ」

 

 弾けるような金髪が照明の光を反射して目に眩しい。端正に整った顔が困ったように微笑み、キャロの桃色の頭をそっと撫でた。その姿は慈愛に溢れた母親のようであり、外見的には姉。年齢で言ったら……どうなのだろうか。まあ、姉だ姉。年齢差も十歳以内だし、うん。

 そういえば、彼女の母親も年齢に見合わない外見年齢の持ち主で、近代のアンチエイジングは魔法の域にまで達したかと驚いた記憶があった。だとすると、やはり遺伝なのかとハラオウン家のDNAに感嘆を覚えかけたが、よく考えたら彼女は養子であり、遺伝子の繋がりが皆無だったはずだ。じゃあこの異様な若々しさは一体……?

 

 僕が思考の湖に沈没しかけていると、キャロを迎えに来たフェイト・T・ハラオウンさん(29)がすんすんと可愛らしく鼻を鳴らし、顔を少ししかめる。

 

「この酸っぱい匂い……もしかして」

「まあ、荒れてましたしね」仕方ないですよ、と肩を竦める。

「うう……本当にごめんね?キャロもいっつもはああじゃないし……今回のエリオとルーテシアの結婚もむしろ祝福してたんだよ?ただ結婚って形で一区切りが付いて、今まで溜めてたものが出てきちゃったっていうか……」

 

 フェイトさんのフォローを、表面上はにこやかに笑って、ええ、と受け流す。

 キャロが無理してエリオやルーテシアの前では笑っていたのには、気付いていた。気付いた上で何も出来なかったし、何もしなかったのだ。そのくせに慰めるような形で家に連れ込み、あまつさえキスまでしてしまうとか、自分が救いがたい屑のように思えてくる。というか、実際その通りだ。

 罪悪感に胃壁を削りながら、砂漠化の進行著しい顔面から乾いた笑みを漏らした。自然保護隊の隊長という身分からすれば放ってはおけないものなのだろうが、今すぐにどうこうしようとは思えない、ぬるま湯にじわじわと浸食されているような虚無感が喉まで迫っている気がして、何もかもが億劫に思えてくる。

 

 正面に立つフェイトさんはそんな僕の様子を、微笑ましいものでも見るかのような目でにこやかに笑う。何かを勘違いしているのか僕の醜態を愉しんでいるのかは微妙なところだが、僕の知っている彼女の性格から前者に軍配が上がるだろう。

 だが、何を勘違いしているのかまでわかるほどエスパーに精通してはいなかったので、普通に尋ねる。

 

「何かおかしいところでも?」

「おかしい……うん、おかしいって言うか、ちょっと不思議だなって」

「不思議……ですか?」

「昔はどっちかって言うとキャロにお世話して貰ってたフィアが、今ではすっかりお世話する立場になってるのが、ちょっとね。十年、そうだよね。もうそんなに経ったんだよね……」

 

 寝ながらにして気分が悪いのか、顔を赤くしたり青くしたりと人間信号機に勤しんでいるキャロを抱えながらのフェイトさんの言葉に、僅かながら羞恥を感じて抗議をする。

 

「フィアは女っぽいからやめてくださいって言ってるじゃないですか……。もう十年経ったんですよ、僕ももう二十のいい大人なんですから、フィアはやめてくださいフィアは。呼ぶんなら、フィアッテかアリネールかのどっちかで」

「私から見たらフィアもキャロもエリオも、みんなまだまだ子供なんだから」

 

 言ってからフェイトさんは、今のすっごくおばさんっぽかった、と戦慄して頭を抱えた。やはり気にしているらしい。外見は二十前後で通じるし、スタイルは良くて性格も申し分なし。収入だって並の男を凌駕しているのに、何故世の男性は彼女を放っておくのか。やっぱりレズビアン疑惑のコブ付きってのが痛かったのだろうか。酒の余韻とフェイトさんの明るくない未来に脳味噌を揺さぶられる。局地的に重力が強いよ、ここ。

 

「……行き遅れぇ……」

「キャロ────────!?」

 

 そしてとどめを刺したのはキャロだった。フェイトさんの肩に被さって眠りこけているキャロは、何やらさっきとは打って変わって幸せそうな顔をしている。フェイトさんを虐めるのがそんなに楽しいかねこのピンクの悪魔が。

 

「うん、うん……。わかってたんだよ、もうすぐ三十だけど特別親しいと言える異性はエリオとフィアとお兄ちゃん……。ちゃんと自覚してた。でも、誰かから言われると特別ダメージ大きいなあ……」

「えーと、ほら。フェイトさん美人ですし、きっとすぐに彼氏できますって」

「本当に?」

 

 目を潤ませながら子供っぽい仕草でこちらを見つめてくるフェイトさん。基本的に運動かキャロ関係でしか鼓動を鼓膜に伝えない心臓が、不覚にも大音量を鳴らす。こういうのを見せたら大抵の男はコロっといってしまうと思うのだが、それを本人が自覚していないから結婚には中々遠いかもしれないと思う。

 

「本当ですってば」

「じゃあ私と付き合える?」

「そりゃあもう………………はいぃ?」

 

 おかしい。どうして僕は同じような内容の言葉を一日に二度も聞かされているのだろうか。モテ期と厄日の融合事故が起きたような現状に、丸くなった目が独立して転がり落ちそうだ。頭痛と胃痛は滞りなく、順調に神経を苛んで脳味噌に混濁を混入させた。

 フェイトさんは何も言わずにじっと、ただこちらを見ている。まさかここで「あなたが肩に乗せているその女の子が好きなので無理です」などと言えるわけがなく、緊張とストレスと酒で麻痺しかけている舌を懸命に動かして、冗談で流せるくらいの曖昧な返事をしようと努める。

 

「あー……いえ、それは何と言うか……」当然の如く、僕にそんなアドリブ能力は存在していない。

「……冗談なんだけど、そんなにリアルな反応されるとさすがに傷付く……。いや、うん、私ももうオバサンだし。でも、そこまで焦ってるように見られてるのかな……」

「…………………………………………………………いやアレですよ驚いただけですってむしろ結婚してほしいくらいですよ」

「ええっ!?そ、そんな急に……でも、え、ちょ、ちょっと待って!」

「冗談ですよぉ!?」

 

 自分から冗談言っておいて何で本気にしてるんだこの人は。

 紅潮を張り巡らせた顔に驚愕を貼り付けていたフェイトさんが、うーと唸ってキャロに押し潰されるようにへたり込む。金髪の間から覗ける汗はきらりと光っているようで、そのまま清涼剤としての役目も果たせるかもしれない。実際、彼女の汗を局で販売したら清涼剤の役割はなくとも一財産築けるかもしれないのが中々怖いところだ。

 

「……紛らわしいの、禁止」

 

 子供のようにふてくされて頬を膨らますフェイトさんに、先ほどのキャロと似たようなものを感じて、聞いてみる。

 

「もしかして、酔ってます?」

「酔ってないよ。ただちょっと数杯ひっかけてきただけ」

「酔ってるじゃないですか……」

 

 のー、とわざとらしい舌っ足らずな口調で否定を主張しながらも、その視線はあちらこちらに飛散して、その泳ぎようといったら、彼女の眼球を水につけたら物理学や生物学の壁を超越して魚に進化しそうなほどである。しかも、顔の紅潮は未だ引かず、むしろさっきよりも悪化してるように思えるから不思議だ。酔いが後から回ってくる質なのだろうか。

 ちょっと待っててください、と言い放ち、テーブルに置いてあったコップを持ち、水を注ぎに行く。僕自身も酔っているので、一杯飲んでしまったのだが、酒を飲んだ後の倦怠感は体中に蔓延しており、億劫になって同じコップでいいやとだるさに白旗を揚げた。まぁお互い間接キスだの、そんなことを気にする間柄でもないのでさして問題はないだろう。

 

「ありがとー」

 

 先ほどから幼児化の進行が著しい気がするフェイトさんにコップを手渡した。フェイトさんはまるで酒でも飲んでいるかのように一気にぐびぐびと水を呷り、ぷはーと一息。仕事帰りに酒を一杯みたいにしか見えないリアクションに、今し方フェイトさんに飲ませた液体がアルコール飲料じゃないことに少し自信がなくなってきた。

 水を飲んで少し素面に戻ったのか、視線と顔面の色を少し正常化させたフェイトさんが髪をかき上げる。それから、ふぅと小さな溜息を吐いて僕に移した視線を遠くに固定した。

 

「それにしても、そっか……エリオももう結婚か……。なんだか、感慨深いな……」

「結婚式で号泣してましたもんね、フェイトさん」

「ちょ、やだ!それは言わないでよ……」

 

 キャロは自分より先に結婚したエリオに深い悲しみを覚えているだの何だの、フェイトさんのことを割と好き勝手言っていたが、実際、フェイトさんがエリオの結婚を祝福してないわけがない。弟同然であり、息子同然にも育ててきた家族の幸せを、嬉しく思わないわけがないのだ。

 では、僕はどうだっただろうか。

 彼がキャロではなくルーテシアを選んだことに憤りを覚えていなかったか。キャロにあんな無理した笑顔をさせたことに理不尽な怒りを持っていなかったか。彼がキャロを選ばなかったことに安心してはいなかったか。式場で僕が彼に送った笑顔は偽物ではなかったか。

 探せば穴なんて、シロアリが囓った築百年の木造柱の方がまだ構造としてしっかりしてるくらいには見つかる。それと同時に、思ったよりずっと友人の幸せを祝福できていなかった自分に失望した。

 ……これでも結構、エリオのこと友達だと思ってたんだけどなあ。何とも恥ずかしい話だ。

 

「……それに引き替え私は何でいい雰囲気の人すらいないんだろう。ヴィヴィオも好きな人できたっていうのに……。さすがに(ヴィヴィオ)に先を越されるのは嫌だなあ……」

 

 僕のマイナス思考が伝染するように、フェイトさんの口調も暗くネガティブに落ち込む。これ以上重苦しい雰囲気の空間を作りたくはないと、わざと惚けた声で質問をした。

 

「あれ、ヴィヴィオちゃん、好きな人できたんですか?」

「あ、うん。私には恥ずかしがって教えてくれなかったけどね。ヴィヴィオの成長が嬉しかったりもするけど、やっぱり少し寂しい気もするかな……。何だか、ヴィヴィオが遠くに行っちゃうみたいで」

「子供の成長なんて案外そんなもんですよ。成長するにつれ、自立もする。自立ってことはつまり、誰かを頼らなくなるってことですからね。僕だって、最近はフェイトさんのお世話になることも少ないですし」

 

 知った風な口を利きつつも、ヴィヴィオちゃんに好きな人ができたという事実に内心驚く。

 僕にとってヴィヴィオちゃんは……妹分というか、何というか。正直、フェイトさんにあんなことを言っておいて何だが、僕もヴィヴィオちゃんのことをいつまでも子供だと思っていたのだ。

 そうだよな、ヴィヴィオちゃんももう十六なんだから、恋の一つや二つ、していてもおかしくはない。

 しかし、ううむ。

 知り合い、それも妹分に好きな人がいるなどというのは、中々に不思議な気分だ。どうも現実感がないというか、ヴィヴィオちゃんの人となりを知っているだけに彼女が誰かを好きになる様子を想像できないというか……。別にヴィヴィオちゃん自身が誰かを好きにならない性格をしているというわけではないのだけれど、身近な分想像力が働かないとでも言えばいいのか。なんだろうね、この複雑な気持ち。親心ってやつなのだろうか。

 

 仄かにフェイトさんの気持ちが欠片ほど理解できて、それとなく気恥ずかしくなった。照れ隠しの代わりに、熟睡しているキャロの頭をそっと撫でる。普段なら羞恥でできないことだが、酒の酔いと誤魔化しの精神に後押しされ自然に手が伸びた。

 ふわりとした柔らかい感触と、微かな甘い香り。そして、それを掻き消すほどの酒臭さが鼻腔に侵入してきて、頭が痛くなってきた。ぐごぉというイビキを漏らす口からは涎が垂れて少量フェイトさんの肩に流れ出ていたのを見ないようにして、手の動きを継続させる。キャロの寝顔を見る。幸せそう────かはともかく、ぐっすり。時折、にゅへへと笑ってみたりうぐごごごと苦しんでみたり、百面相に忙しそうだ。

 溜息を吐く。彼女の夢の中にきっと、エリオがいる気がして。手の動きに合わせるように、胃痛はちくりとしたものから鈍痛へと代わり、ストレスは緩やかに僕の寿命の縮小を進行させる。

 ……いやまあ、諦めてるわけじゃないんだけどなあ。

 無理って思ってるだけで。

 

「………………」

「………………」

 

 僕はやるせなさと諦観から、多分フェイトさんは感慨あたりから、無言になる。だが、そこに居心地の悪さはない。幼い頃から付き合いがあったおかげか、フェイトさんの前では『何かを話さなくてはならない』みたいな強迫観念は限りなく薄まる。もしくは、人を安心させる才能のようなものが彼女にはあるのだろう。もしそうだとしたら、本人の世話焼きな性格も一緒になって駄目人間の製造を始めそうだと、未だ見知らぬ彼女の未来の恋人に同情の念を送っておいた。

 ……できるのかな、未来の恋人。段々不安になってきたんだけど、できるよね?フェイトさん、器量良し性格良しの当たり物件だし、大丈夫。多分大丈夫。

 

「ヴィヴィオにここで何か上手いこと言ってあげれるのが母親なのかもしれないけど……私もそういう経験ないから、何も言えなくてね……」

 

 ははは、と面白みを感じさせない笑いを披露して、そしてしたり顔で一言。

 

「伊達に私の人生ヴァージンロードって呼ばれてないからね!」

「誰ですかそう呼んでるの」

「はやて」

「………………」

 

 彼女の人生も十分ヴァージンロードだろうに。というか、肩書きが重すぎる分フェイトさんよりも結婚の可能性が低いことをはやてさんは理解しているのだろうか。何だろうね、あの人は結婚について『したくなったらいつでもできるし』みたいに考えてそうなんだよなあ。だから他の二人より余裕があるけど、いざとなったら一番焦りそうで不安ではある。

 僕の人生が悪路走行なことを考えると若干は似てて共感が浮かぶかなと思ったが、いや、どうなんだろうね。うん。

 何食わぬ顔で目を据わらせて微笑む。言いたい放題な思考が顔面に影響しないように気を遣って、流言飛語の流出を防いだ。まあ、他人の人生を僕が勝手に予想してああだこうだ言うのはどう考えても間違っているだろうし、たんに戯言ってことでいいのかもしれないけど。

 

「いや、うん。私はいいけど、フィアは誰か気になる人とかいたりしないの?」

「あー……初恋もまだですからねえ。どうにも恋愛事には向いてないみたいで」

 

 緊張を感じることなどもなく、嘘八百を口から並べ立てる。慣れたものというか、幾度となくエリオやキャロに訊かれたことと同じなだけに、思考を脳内に介在させる余地なく脊髄反射的に嘘が漏れ出た。自分の歯や歯茎を使って舌が二枚に分裂していないか確かめる。

 

「恋人、じゃなくても好きな人の一人や二人、フィアには作ってほしいと思ってるんだけどね」

「はあ、それはどうしてまた」

 

 絶対あなたの方が作った方がいいですって。とか言いたくなった舌を噛んで堪える。痛い頭と胃に、痛くなった舌が仲間入りして綺麗に三重奏。鼓膜を震わすのはフェイトさんの声とキャロの寝息だけだ。

 僕の大して疑問も持っていない、ただ社交辞令じみた質問に「だってさ」とフェイトさんは前置いて、

 

「フィア、自分でも気付いてないかもしれないけど、最近凄く辛そうだよ?」

 

 息が止まりそうだ。一度意識し始めた呼吸は、少し呼吸量を多くしても息苦しさは抜けず、フェイトさんに息の音がバレないようにゆっくりと深呼吸をする。

 意識するのは、笑顔でも迫真の演技でもなく、いつも通りの自然さ。

 

「そんなわけないじゃないですか。仕事は順調ですし、エリオとかキャロとか、支えてくれる友達だっています。公私ともに充実してますって。そもそも何も」

「フィア」

 

 声帯を反射に明け渡して吐き出した嘘はフェイトさんの一言に中断させられ、価値を持たないまま落下する。いたわるような、どこか怒っているかのようなフェイトさんの顔に、頬の筋肉が吊り上げられて中途半端な笑顔のまま固定された。

 

「私には何でフィアがそんなに辛そうなのかはわからないけど────」

 

 それはフェイトさんがヴィヴィオちゃんやエリオに気をやる時に見せた母親の顔で。

 

「エリオやキャロもそうだけど、私はフィアのことも家族って思ってるんだから。もっと頼ってくれても、もっと迷惑かけてくれてもいいんだよ。だって家族って、そういうものでしょ?」

「────────────────」

 

 ああ、本当に。この人には敵わない。

 十年前からずっと、お世話になりっぱなしだ。

 涙が流れそうに鼻の奥がツンとなり、じわりと視神経あたりに何かが流れ込んでくる感覚。フェイトさんから目を外して口を押さえ、ふぅと大きく息を吐いた。それと同時に、さっきとは違い自然に口角が持ち上がる。滲むような心は血液に混じって体中を循環するように染み渡り、体内の暖かさと外気の寒さを感じさせた。飲み過ぎかなと内心で恥ずかしさを吹き飛ばすように小さく笑い、アルコールのせいか熱くなった頬を押さえた。

 

「…………ありがとうございます。幾分か、楽になりました」

「うん、いい顔。さっきよりもずっと格好良いよ」

 

 フェイトさんの視線と笑顔が物理的な攻撃力を備えて僕に刺さってきたために、耐えられなくなって顔を逸らす。主に精神に突き刺さるその矢印は、痛み、それでいて不快でない傷を作って呼吸を安定化させる。

自分でもチョロいものだとは思うけど、たったのあの一言だけで随分と救われてしまっている僕がいた。始めから見返りを求めてキャロを好きになったわけではなかったのに、いつの間にか辛いアピールでもしてしまっていたのかもしれない。つらいわーマジつらいわー、僕あの娘好きだけど報われなくて超つらいわー。うわ、うぜえ。

 

 好きならば辛そうであるべきでなかったのだ。

 好きであるというその事実だけで完結しているべきだったのだ。

 うむ、と多分フェイトさんの意図してなかった結論に勝手に納得して、今までよりもずっと息のしやすい世界におはようとか言ってみたい気分になった。アルコールが頭に侵入しているせいか気分も良く、フェイトさんも、そんな僕の様子を見て金箔みたいに薄く繊細な微笑みを浮かべた。

 出来損ないの有機体を吸い込むみたいに、色と香りの付いている気がする空気が、今は心地良い。

 

「行き遅れぇ……」

 

 そしてそれをぶち壊すキャロの寝言。

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 フェイトさんは泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.友人枠にトーマ君入ってないね
A.すまんな


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愛しさと虚しさと心許なさと

 

 

 

 

 

 

 特にやることもなく、手持ちぶさた。ついでに言えば二日酔いが頭蓋骨を内側からノックして頭痛が痛い。あと、気持ち悪い。

 体中の悪影響に目を瞑ったらベストコンディションと言えなくもない全身に日の光を一杯に浴び、眩しさと紫外線で身体が溶けたり灰になったりしそうな直射日光で焼かれる。僕がゾンビか吸血鬼だとしたら即死ものの現状に、体温調節用の汗を垂らして健康の維持を図った。つまり暑い。

 粘着質で肌に纏わり付くような不快な暑さは呼吸さえも妨害して、頭に突き刺さる太陽の熱さは頭皮を苛む。僕に光合成が出来たならばこの現状も喜ばしいものではあるのだろうけど、残念ながら両親の遺伝子に植物由来のものは含まれていない。含ませとけよ、と理不尽な悪態をつきながら、手の甲で頭を日光から守り、髪の熱さを均すようにべたりと自分の頭を撫でる。実際は何も好転してないけど、気持ち若干暑さが和らいだような気がして小さく息を吐いた。

 

 せめてバリアジャケットを纏わせてくれ、とは思うのだがどうにもお上は頭が硬くて適わない。ああ、今だけはバリアジャケットの装着が許可される我が職場が恋しい。例え書類仕事だとしても冷房がきちんと効いている職場が恋しい。でも仕事はしたくない。周りの奴が汗水垂らして働いたり勉強したりしてるド平日に休むのが有休というものだ。その信条に従い、僕は意地でも今日は働かない。

 

「ん」

 

 俯いたその先に何やら蠢く小動物畜生を発見。黒い毛皮に包まれて赤色の眼球をこちらに向け、ニャアとどうでもよさそうに鳴く生物は明らかに猫。黒猫という事実に多少の縁起の悪さを感じ取っても、あまり気にせずにしゃがんでゆっくりと手を伸ばしてみる。何を隠そう、僕は犬よりも猫派なのだ。「いつっ!引っ掻きやがったなこの野郎!」そして今からは犬派だ。

 

 憤りと勢いのままに黒い毛玉を持ち上げ、対象の都合を一切考慮せずに乱暴に毛並みを堪能した。猫もそれがあまり嫌ではないようで、ゴロゴロと喉を鳴らしたり嫌がって逃げ出す様子も見受けられない。人に慣れているのか見下しているのか、どちらかというと後者の割合が多そうな目付きで鼻をふんと鳴らす。

 

「……おや?」

 

 猫の様子が、とはやてさんから貸してもらったゲームを思い出しながら黒猫のお目々を凝視する。

 赤と緑のオッドアイ。

 

「…………ヴィヴィオちゃん、こんなんなっちゃって……」

「違いますよ!?」

「あ、ヴィヴィオちゃんとコロナちゃん。よっす」

「よ、よっす……です」

「フィアッテさん、ごきげんよう!」

 

 つい反射的に返してしまった挨拶が恥ずかしかったのかコロナちゃんが頬を染め控えめに手を挙げて、ヴィヴィオちゃんが元気よく金髪のサイドテールを揺らしながら挨拶をした。

 

「……って何で私が猫ってことになってるんですかー。あ、もしかして私が猫みたいに可愛いってことですか?いやあ、そこまで褒められるとちょっと照れちゃうっていうか……」

「はっはっは」

 

 少し顔を赤くしてしたり顔のまま顔を固定させるヴィヴィオちゃんを見つめて、灰色にならない程度に曖昧に笑う。空気中の水分を取り込むそうなほど乾いた僕の笑いはヴィヴィオちゃんにも感応したようで、ひび割れそうな笑顔のまま固まった。

 ヴィヴィオちゃんのカラフルな目が意思疎通を図れないように、それぞれ我が儘に勝手な方向へ動こうと試みる。しかし、視神経が邪魔になったのか独立宣言は果たせず、単に仲の悪いだけの二匹の飼い犬みたいな感じで住居を変えることはなかった。

 相変わらず眼球が忙しないヴィヴィオちゃんが沈黙に耐えかねたかのように言う。

 

「…………何か言ってくださいよ、私が痛い子みたいじゃないですか」

「お兄さんね、金髪で赤と緑のオッドアイ、DSAA優勝経験者で聖王オリヴィエのクローンって設定の娘を痛い子として見ないってのはちょっと厳しいものがあると思うの」

「痛くない!私痛くないよね、コロナ!」

「あ、うん、そ……そ……そう……?」

「疑問形っ!?もしかして私、痛い子って思われてるの!?」

 

 ずっと友達やってて一番のショックなんだけど!と明日とか太陽とかそんな感じのものに向かって吠えるヴィヴィオちゃんをコロナちゃんが「まあまあ」と適当に宥めようとして、ツインテールを蝶々結びにされていた。慌てるコロナちゃん、解かせてなるものかと食らい付くヴィヴィオちゃん。こう表現するとなんだか微笑ましいものだが、二人ともストライクアーツ有段者のため、何やらシュールなバトルアニメっぽい駆動をしている。

 

 ヴィヴィオちゃんの勝利に終わった戦いを終結させて、蝶々結びのままの髪型でコロナちゃんは僕を見る。そういえばコロナちゃんに会うのは結構久しぶりなのだが、はて、彼女はこんな目をしていたかなと首を傾げた。若干値踏みするような、観察するような。悪意はないだろうというのはわかっているけど、あまりいい気分にはならずたじろぐ。

 

「僕の顔に何か付いてる?」

「いえ、そういうわけじゃなくて……」少しヴィヴィオちゃんの方に目線をやって。「ただ、少し気になることがあったもので。でも、人の顔をじろじろ見るのはさすがに不躾でしたね。申し訳ありません」

 

 そう言って、気になることとやらを説明しないまま話を打ち切る。少々気になったが、あまり詮索しすぎるのも健全な友人関係だと言えないだろう。まあ、厄介事だったりしたら頼ってほしいというのが本音なんだけれど……彼女たちくらいの歳だと、頼ることを躊躇してしまうんだろうなあ、きっと。

 

「ま、いいけど。ヴィヴィオちゃんたちは、どうしたの?学校の方は、お休み?」

「はい。何か士官学校は上の方でゴタゴタがあったみたいで……あ、コロナの方は普通にお休みみたいですけどね。それで、一緒にスパーリングでもーと思って。アインハルトさんも今年でDSAA最後ですから、気合入れなきゃいけませんしね!」

「あー、アインハルトちゃんももう十九だっけ。いっつもヴィヴィオちゃんたちと一緒にいるから、あんま一つ下って意識なかったな」

 

 それに彼女、僕に対しては懐かない小動物みたいな言動をするのだから、余計に年下に見える。嫌われている……わけではない、と思いたい。一応友人関係としての付き合いは継続しているから、多分そう。きっとそう。

 僕の友人関係に一抹の不安を抱きながらも、特に目的地も決めてなかったのでヴィヴィオちゃんたちに付いていく。進行方向に教会と墓を見て、墓参りマニアとしての使命か何かに突き動かされそうになったが、ここ数年は部隊内での死亡者がゼロだったので捨て置いた。よく考えたら死んだ人の中にも、仲良かった人とかあんまりいないし。

 

「ところで、その猫は?」

「ん?ヴィヴィオちゃんの生まれ変わり」

「私まだ生きてますって!ほらほら!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねるヴィヴィオちゃんを尻目に、コロナちゃんの方に猫の顔を向かせる。

 

「あ、目の色がヴィヴィオと同じですね。かわいー」

「多分聖王教会に連れてったら何かお菓子でも貰えるんじゃないかと画策中」

「あのー?」

「わあ、フィアッテさん悪い顔してますよ?」

「ふふふ表情筋を全く使用してないのにその感想を言われるとは思わなかったぜ」

「おーい」

「普段からチョイ悪風の格好良い顔してるって言いたかったんですよ」

「コロナちゃん、物腰柔らかで見た目もお嬢様風だけど案外図太い神経してるよね」

「フィアッテさん、女の子に太いとか言っちゃだめですよ?モテませんよ?」

「モテても仕方ないからね。僕の心は常に平面の女性に向かっている……!」

「駄目じゃないですか、それ」

「…………………………………………おのれ、アインハルトさん」

 

 何故かヴィヴィオちゃんが、見当違いどころか接点さえ見当たらない恨みをアインハルトちゃんにぶつけ出した。アインハルトちゃんが何をしたというのだ。

 弄りもほどほどに、ヴィヴィオちゃんに猫畜生の顔を見せる。途端にアインハルトちゃんに飛び火する恨み顔から、少女漫画ばりに目がキラキラと巨大化した顔に変化させて、猫を僕の手から奪い取った。

 

「わぁ~、可愛い!目の色も私と同じだし、何か親近感。ね、ね、フィアッテさん。この子、私が貰っちゃだめですか?」

 

 僕から奪い取られたばかりの猫がまたこちらに差し出される。当の本人は面倒くさそうに目を細めて、左右に揺られる人生(猫生?)を意にも介さないようにミャアと鳴いた。

 呼び名がないのも面倒だと思い、猫に無断でオリヴィエと名付けて喉を撫でる。自分の子供に聖王の名前を付ける人もいるのだし、多分不敬には取られないだろう。オリヴィエが気持ちよさそうに喉を鳴らし、耳をぎゅるんぎゅるんと普通の猫ではできない動きで跳ね回らせた。さすが聖王猫である。

 

「首輪も付いてないしどっかの飼い猫とは思えないけど……取り敢えず、なのはさんに相談してみたら?」

「はーい!」

 

 世界返事選手権なるものがあったら入賞くらいは容易そうないいお返事。だが、それに内容が伴うかは不明だ。何しろ、ヴィヴィオちゃんには昔隠れてジークリンデを飼っていた前科がある。あれにはさすがの僕も驚いたものだ。人間って、長い間文明生活を捨ててると野生化するんだなぁ……。

 ヴィヴィオちゃんがセイクリッドハートに指示をして、なのはさんに繋げる。なのはさん今日休みだっけとか考えている内に、空中に浮いたモニターに見慣れた栗色の髪の女性が映った。

 

『はーい、ヴィヴィオ。どうしたの?』

 

 フェイトさん同様、年齢を感じさせない顔面を画面越しに披露する女性。管理局のエースオブエースにてヴィヴィオちゃんの母親、高町なのはちゃん(にじゅうきゅうさい)である。また、敬称に少々の不備があったことも追記しておく。

 

『あ、コロナちゃんとフィアッテも一緒なんだ。こんにちは』

「こんにちは、なのはさん」

「昨日ぶりですね。今日は、仕事は?」

『あはは、有休使えって怒られちゃって、丁度良い機会だから二連休というものに挑戦してみようかと』

「連休って挑戦するものでしたっけ」

 

 なのはさんは、気になっていた男性が女装と男に走ってから、更に仕事に打ち込むようになった。そりゃあもう、一時は心配したヴィヴィオちゃんがどうすればいいかの相談にくるくらい。その件はなんやかんやでヴィヴィオちゃんとフェイトさんが解決したのだが、無理しない程度のワーカホリックは今も緩やかに継続中だ。

 

『ん~……ほら、休んでると、仕事どうなってるかなとか、段々不安になってくるんだよね。今日だって、生体ロストロギアが逃げ出したみたいで』

「まさかはやてさんが事務仕事と高官相手のご機嫌取りに嫌気がさして逃亡を?」

『違う、そうじゃないの』

 

 骨を摘出したように、柔軟に手をぶんぶん振っての否定。まじめじゃない場面でならやりそう、とか思ってる顔も追加で、はやてさんの株安は止まるところを知らない。

 緊急時やシリアスな場面で頼りになるという評価は、そのままそうでない時はアレだという評価に繋がる。多分、部下に余計なプレッシャーを与えたくなかったり適度な手の抜き方を知っているというだけなのだろうけど、それを知っている身からしてもふざけてる時は普通にふざけてるようにしか見えないのだから恐ろしい。出会ったばかりの頃は狸のお面を付けているだけの女性が、今は四国を支配する大狸になったようなものである。ちなみに四国とは、なのはさんたちの故郷に存在する土地で、狸とうどんの楽園らしい。どんな場所だ。

 

『特定の珍しい遺伝子を回収して、内側に多数内包してるロストロギアなんだけど……』

「下手な扱いをするとその遺伝子を元にしたコピーが現実に発生するとか、そういうものですか?」

『んー、コロナちゃん、惜しい。もっと、もう少し、厄介なものかな』

 

 たらりと冷や汗を頬に流しながら、なのはさんが汗を拭うついでに頬を掻く。もうそれだけでわかった。有休使った日にまで仕事の話、しかも部署の違うもしかしたら僕も話の流れによっては動かなくちゃいけないような話なぞ聞きたくない。

 故に、話の途中のなのはさんの正面にヴィヴィオちゃんを置いて、強制的にぶつけた。なのはさんの話が止まる。困ったような笑顔が、にこにことした笑い顔に変化して固定された。

 

 

「ママ、ママ!私、この子飼いたいんだけど、いい!?」

 

 予想通り、質問を堪えきれなかったヴィヴィオちゃんがオリヴィエを画面に突きつけながら言う。

 

『…………………………それ』

「どう?」

 

 ドキドキ、ワクワク。ヴィヴィオちゃんの背景に擬音が浮かぶ。一方なのはさんの方はドドドドとかゴゴゴゴとか、威圧感を出してるよりは受けてるイメージの擬音を飛ばした。

 

『ロストロギア』

「────え?」

「い?」

「は?」

 

 オリヴィエがミャアと鳴いてヴィヴィオちゃんの腕の中から逃げ出し、猫の外見の名に恥じない俊足であっという間に路地裏に消えた。誰一人として動けないまま、沈黙だけが重く重力の代わりにのし掛かってくる。

 現状の把握が遅れた脳味噌が絶叫を上げながらニューロンの接続を急ぐ。危機感の発露がそのまま冷や汗となって額に襲来して、口角を一気に吊り上げた。

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

『……………………えっと、追いかけて。すぐに。こっちも連絡取るけど、きっと間に合わないと思うから』

 

 言葉にならない思いだけが外側に吹き出して、おおよそ五秒。なのはさんから言葉が飛んで、すぐさまヴィヴィオちゃんに指示を出す。

 

「ヴィヴィオちゃん、この中で一番機動力あるの君だから追いかけてくれ!サーチャー飛ばすから、方向とかの細かい指示は念話でする!コロナちゃんは待機!小さくて機動力重視、ケージか何かに変形可能なゴーレム作っといて!」

「了解!」

「はい!」

 

 僕の言葉の途中でもう走り出していたヴィヴィオちゃんの背中を見送りながら、サーチャーを量産して一気に別方向へと飛ばす。ロストロギアなんて多かれ少なかれ魔力を発してるものだと思っていたが、飛ばしたサーチャーに大きな魔力反応は引っかからない。一応、接触した際には体温を感知できたため、それを頼りに熱源を追う。

 熱の籠もった電灯。鳥。人。駐車違反の車。黒い紙。アルミホイル。犬。と飼い主。ヴィヴィオちゃん。鳥。犬……さっきのやつ。とその飼い主。電灯。子供。

 一定以上の熱源に対して反応するサーチャーから入ってくる情報を、マルチタスクで処理して地形を把握しながらヴィヴィオちゃんの現在地と照らし合わせる。

 

「フィアッテさん、やはり私も────」

「────いや、いい。大丈夫」

 

 ゴーレムを作り終えて、うずうずと自分が動いていないことに耐えきれなくなったようなコロナちゃんを片手で制した。

 

「見つけた。ここから北北東423メートル潰れた煙草屋の前!ゴーレム急行させて!」

「はい!」

『ヴィヴィオちゃん、そこから南東170メートルの潰れた煙草屋の前!三つ目の角を右に曲がった通路をまっすぐに行ったらそこにいるから!見つけても、一応ロストロギアだから足止めに徹してゴーレムが向かうまで待機で頼む!』

『わかりました!』

 

 

 サーチャーでオリヴィエの動きを確認しながら遠隔バインドでの捕獲も考えたが、ヴィヴィオちゃんとゴーレムの到着までに逃げられたら面倒なので、やめておく。こういう時に結界系の魔法が使えたら便利だと思うのだが、誘導弾極振りな僕のスタイルではそれも難しい。

 我ながら、一芸特化で出世してるなあ。

 総合で見るならエリオの方が優秀。それでも僕が彼の上司だというのだから、管理局はよくわからない。

 

「あ、コロナちゃん。そこの道通行止めになってるから塀登らせてくか迂回ね」

「わかりましたー」

『フィアッテさん、ロストロギア、発見しました!捕まえたら飼ってもいいですか!?』

 

 コロナちゃんに指示を出していると、ヴィヴィオちゃんがオリヴィエを捕捉して念話で話しかけてきた。

 テンションは高いように思えるが、芯は落ち着いているように聞こえる声。どうやら緊張はしていないようだ。士官教育が活きたのかもしれない。そう考えると、僕としても彼女を士官学校に入れるために東奔西走した甲斐があったというものだ。

 

『OK、まずはなのはさんを乗り越えようか』

 

 母親はエースオブエースと執務官。娘は聖王。ペットがロストロギア。明らかに戦力過多なご家庭を想像して身震いが身体を覆った。

 ……なのはさんが許可したらどうしよう。僕の責任になるのかな、こういうの。

 

『ヴィヴィオ、それ出来る気がしません!説得手伝ってください!』

『嫌だ』

 

 というか、是非とも失敗してくれ、説得。

 ヴィヴィオちゃんの周辺に何か変化が起きてそれが僕に起因するものだったりしたら、また聖王教会に睨まれるし。ただでさえ教会所属の人にはいい顔されてないんだから、これを機とばかりにシスターシャッハあたりが僕を殺しにかかりかねない。

 

 募る危機感に呼応するように、ロストロギア周辺の魔力反応が高まる。どうやら、ヴィヴィオちゃんが戦闘を始めたようだ。確認すると、オリヴィエの逃げ道を塞ぐような形で熱源反応が動いているのがわかる。

 

「コロナちゃん、ゴーレムは?」

「はい!今到着しました!すぐに確保にかかります!」

 

 返事をして数秒後、すぐに魔力反応と熱源反応が重なった。「捕獲完了です」とのコロナちゃんの言葉にそっと胸をなで下ろして、今更休日に仕事をしてしまったことを後悔する。局に申請したら危険手当とか貰えないだろうかと皮算用を巡らせるが、そこまでして金を得て欲しいものも思い浮かばない。

 本格的に働き損だろうか、これは。

 二日酔いでまだ痛みが続く頭に、徒労という言葉が重くのし掛かり追い打ちとなる。

 

『あー、うん。ヴィヴィオちゃんはあんまりロストロギアに近付かないようにしながら帰還ね』

『はーい。……あーあ、この子飼いたかったのになあ』

『普通になのはさんにペット飼いたいって相談してみたら?案外簡単に許してくれるかもよ』

『うーん……あの子、こう何か、ビビっと来たんだけど……ま、いっか。ヴィヴィオ、帰投しまーっす』

 

 念話を打ち切ると、疲れがどっと出たように肩にのし掛かる重力が強くなった。猫背気味な背骨をボキボキと伸ばして太陽が照る空を見上げた。眼球に優しくない日射しが目に降り注いできて、卵を使用しない目玉焼きを調理しようと必死になっているのを感じる。

 気が付いたら額に汗が滲んできていて、手のひらをタオルの代用とした。ふうと吐く溜息は夏の温度に消えていくようであり、逆に周囲の空気が全部僕の溜息で構成されている錯覚さえ覚えた。

 多分、最近、色んなことがありすぎたせいで疲れているんだろう。エリオのこと然り、キャロのこと然り、ロストロギア然りだ。

 

「あの」

 

 コロナちゃんが、さりげなく、を意識したような口調で話しかけてきた。子供にしては上手いものだが、まだまだ顔に出ているし、はやてさんと比べればまだまだだ。どの目線から言っているのかわからないような批評が頭をよぎったが、無視無視。

 

「ヴィヴィオとの馴れ初めとか、聞いていいですか?」

「馴れ初めって、多分それ誤用だと思うけど……ま、いいか。ヴィヴィオちゃんと出会ったのは、六課に僕が外部協力者っていうかレンタル局員されてた時期なんだけど、正直その時はあんまり接点なかったんだよね。仲良くなり始めたのは……ヴィヴィオちゃんが家にママが二人いるというご家庭の歪みに気付いた頃だったかな」

「うわぁ」

 

 笑顔で言い放つコロナちゃん。昔に比べると、コロナちゃんは多方面に対して遠慮がなくなってきているのをひしひしと感じる。これを、心を許せるようになったかグレたかと捉えるかは難しいところだ。

 

「それでその頃、ヴィヴィオちゃんがなのはさんたちの本当の子供じゃないこと気にしてて……それで、僕が、何だ。助言……うん、助言?っぽいものをして、それからかな」

 

 自分の知ってるより酷い家庭環境を提示して、『それと比べたらあなたたちはずっと家族やってますよ』って言うのが助言に入るかどうかは、僕には判断が付かないが。

 要は純粋な幼女に上を見るな下を見下せって言っただけだからね、僕。

 まだ微妙に僕にも純粋さがちょっとくらいあったりなかったりしたような時期の思い出に、涙や鱗とは違う、ニューロンの塊的な何かが目からぽろりと落ちそうだ。

 

「ま、今ではすっかり仲良しさ。おかげで聖王教会じゃ動く問題物扱いされてるけどね!士官についての話とかヴィヴィオちゃんの局と教会での扱いについてとか、提案したの僕だしね!」

 

 友達のためだし別段後悔はしてないけど、あの時ほど「やっちまったぜ」と思った時は他にないね!

 

 コロナちゃんは僕の話をくるくると目を回転させながら、吟味か咀嚼でもするように顔を上下に動かして、「ふぅん」と淡泊な反応。表情から感情を読み取る技術の熟練が足りない僕では、彼女の真意を推し量ることはできない。それでもコロナちゃんの表情筋を文字に翻訳しようと彼女の顔面を凝視していると、コロナちゃんがはっと気付いたように顔を赤くして、蝶々結びになったままの髪を解いた。そういえば、ヴィヴィオちゃんが結んでからそのままだったな。結構似合ってたから気付かなかったけど。

 照れ臭さを誤魔化すように、コロナちゃんが強制的に話を転換する。

 

「さ、さっきの話なんですけど」

「さっき?」

「あの、フィアッテさんって、本当に現実の女の子には興味ないんですか?」

「…………はいぃ?」

 

 えっと、いつの間に僕は生涯の独身と童貞が約束されてしまったのだろうか。いや、多分そうなるだろうとは自分でも思ってるけど、んなことコロナちゃんに言っただろうか。

 ……ああ、あれか。僕の心が常に平面の女性に向かっているという話の流れでの冗談を真に受けたのか。

 確かにキャロはどことは言わないが、発育のよろしいヴィヴィオちゃんやコロナちゃんと比較すると、ぶっちゃけ比較しなくても身体の一部分が平面というか平坦なのだから、あながち嘘を言ってるというわけでもないかもしれないけど。

 

「あー、いや、ただの冗談だよ。バリバリ興味ある。むしろ女体への興味のために生きてると言っても過言じゃないね」

「それは過言のような気がします」

「過言だからね」

 

 女体という言葉をキャロに置き換えてみたら結構当てはまってしまうのが怖いところだが。

 実際、僕の脳細胞は大部分がキャロで構成されている気がするし、彼女が何らかの要因で死んでしまったら後追い自殺をしない自信があまりない。というか、するだろう。キャロ以外との友好関係も割と紡いできたはずなのに、キャロがいなくなっただけでこうも簡単に現実への未練を捨てることができるのかと、今更ながら僕のアレさを再確認。駄目人間の烙印はすぐそこだ。

 

「それで、結局、きちんと女の子に興味はある、ということでいいですか?」

「うーん、まあ、ね。二十になって初恋もまだだし、女性の影も見当たらないけどね」

 

 もはや使い慣れた嘘を、けらけらと快活に笑いながら吐き出す。その嘘にコロナちゃんは、相変わらず焦点の定まらないぐるぐるお目々で何かを考えているご様子。前見た時は普通だったのに、不思議ちゃんへのキャラ付けに就職希望なのだろうか。

 もしそうなら黒歴史の量産の手伝いをせねばと、いらぬ義務感を量産させて頬肉が持ち上がるのを感じる。昨日飲み過ぎて今も二日酔いに苦しんでいるというのに、無性に酒が飲みたくなった。

 

 ふと、コロナちゃんの眼が落ち着きを取り戻す。観察、もしくは考察でもするような視線もなりを潜めて、いつも通りと言っても差し支えないおっとりとした柔らかな眼球に戻っていた。

 

「大丈夫ですよ」

 

 鼓膜を震わすにこやかな、さっきとは調子の違う声に思わず反応して顔を動かす。何やら、機嫌が良いと表情筋に書いてあるような笑顔のコロナちゃん。年頃の女の子はよくわからないと年齢を水増しした感想を抱くべきか、情緒不安定なのかと疑念を持ってみるべきか、悩むところだ。

 

「きっと、いい人が見つかりますって」

「……だと、いいけどね」

 

 本人にその気はないんだろうけど、反論を許さないほどの素敵な笑顔に、言葉が霧散して消える。照れ臭さと据わりの悪さを誤魔化すために、ぐしゃぐしゃと、掻き混ぜると表現できるほど乱暴にコロナちゃんの頭を撫でた。下から聞こえる抗議の声を頭に置く手で押さえ込む。

 

「…………いい人、か」

 

 僕の手の下で騒ぐコロナちゃんに聞こえないように、ぼそりと呟いた。

 思い浮かべた笑顔は僕の方に向いていなくても、それでも。

 夏の空気を思いっきり吸い込んで肺を焦がし、今ある幸せだけを噛みしめ、噛み砕き、笑う。

 ああ、きっと、僕は幸せな奴ってのなんだろうなあとか、思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 



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壊れかけの遺伝子

 

 

 

 

 

 

「こんにちはー。お土産持ってきましたー」

「わー、嬉しくないお土産ー。そっちの方で直接局に持って行ってくれても良かったのに」

「ははは何言ってるんですかなのはさん、そんなことしたら面倒だし、何より局員の僕が士官学校卒業もしてない見習いと完全な民間人をロストロギア捕獲に迷いなく巻き込んだなんて知れたら、懲戒免職か良くても減給ものですよ。しかも、片方聖王ですし」

「あ、ごめーん。もうフィアッテがロストロギア捕獲しましたって言っちゃった」

「何してくれてんですか」

「ふふふ、私は事実を伝えただけなのだよ、フィアッテ君。……あ、ヴィヴィオたちのことは言ってないから、安心してね」

 

 軽妙に軽快なやり取りが僕となのはさんの口の間を行き交い、エアコンで心地良く冷やされた空気を震わせる。伝達した冷たい空気は先ほどまで炎天下に焼かれていた気管を苛み、喉の奥に痰が絡んだように異物を形成した。

「ささ、座って座って」となのはさんに案内され、オリヴィエを置いたらすぐに帰るつもりだった僕の尻がソファの柔らかさとエアコンの魅力で拘束され、差し出されるがままにお茶菓子とかに手を出してしまう。

 もきゅもきゅ。むぐむぐ。

 なのはさんと共に、無言で一心不乱に口内の糖を舌の細部にまで行き渡ることに熱中する。すっきりとした甘さが、物の良し悪しがわからない貧乏舌に乗り込み、何だか勿体無い気分になってきた。熱いと温かいのちょうど中間のお茶を食道に侵入させ、無理矢理気分を誤魔化す。渋みと苦みが微かに喉を通りすぎるのを感じて、胃の中に入った液体の温度を転写した溜息をゆっくりと周囲の空気に混じらせる。

 

 一息ついて、ケージに変形したコロナちゃんお手製のゴーレムをなのはさんに近付けるように床を移動させる。

 

「あ、これ。オリヴィエ……あー、ロストロギアです」

「にゃはは、相変わらず聖王教会に喧嘩売ったパッション溢れる生き方してるね……」

 

 細められたなのはさんの目に呆れが混入しているのが見える。負けじと僕も眼球に疑問符を付着させて、なのはさんに聞く。

 

「あれ、娘に聖王の名前付けてる人とかもいるし、普通にセーフなのでは……?」

「いや、さすがに猫に付ける人はいないかなーって。ていうか、ないかなーって。イスラム教圏でペットにムハンマドと名付けるが如し。その内ホントにシスターシャッハに決闘申し込まれてもおかしくないよ……?」

「……そうですね。あの人、僕のことを親の敵のように見つつ目の敵にしてますから……うん、決闘じゃなくて通り魔されてもおかしくはない気が」

 

 最近は会う度に、にこにこした笑顔に合致しない、血管が浮き出るほど強く握られた拳を見せ付けながら模擬戦を申し込んでくるものだから、そろそろ真面目に命の危険を感じる。彼女に微笑まれた時に心臓がドキリと震えたあれは、きっと恋ではなく殺意。

 

「あはは、さすがにシスターシャッハもそれはしないよ。……しないよね?」

「それ、僕が聞きたいんですが」

 

 いざというときに備えて雑誌か、ヴィヴィオちゃんガードでも常備しておきたいところだ。効果的かどうかは微妙だけど。

 なのはさんがオリヴィエの入ったケージをそっと持ち上げ、宅配物でも扱うかのような気軽さで無造作にテーブルに置いた。子供の頃からロストロギアに関わってきたロストロギアのプロであるなのはさんとはいえ、その扱いは危険じゃないのか少し心配になって疑問を呈する。

 

「あの、それ、危険なやつじゃないんですか?」

「あー、言ってなかったっけ?そういえばロストロギアの特性を説明する前に通信打ち切っちゃったっけ。うーん、やっぱり指揮官は向かないかなあ……」

「ははは……」僕がヴィヴィオちゃんを話の生け贄に差し出したことに起因しているので、イエスノーによる返答を喉が拒否する。

 

 そんな僕の反応を気を遣ったのかと受け取ってくれたのか、なのはさんは微笑みで流して話を続けた。

 

「そのロストロギア────ミュッテケって名前なんだけどね」

「変な名前ですね」オリヴィエでいいや。

「うん、古代ベルカの蚊って言葉から取ったらしいんだけど────」

 

 なのはさんが視線を少し落として、ケージの中のオリヴィエを透視する。僕も釣られてケージに目をやるが、サイキックの熟練度が足りなかったようで土を捏ねて出来た置物にしか見えない。さらに、空気穴から覗くのも距離がありすぎて不可能だ。

 だが、今の世の中透視の一つもまともに使えないようなら非人間扱いをされてしまうので、僕にも中身が覗けたように知ったかぶりつつ、答える。

 

「猫ですね」

「猫だね」

 

 ひょっとしてあの猫は外見が猫だっただけで生物学的には蚊の仲間だったとか?

 うわ触っちゃったよばっちいな。

 

「まあ、発掘された時は乾いた蚊みたいな形状してて、それで使用用途もご丁寧に発掘場所に文献があったからわかったんだけど、どうもこれ、特定の貴重な遺伝子を回収して内部に保管、別所に注入するロストロギアだったんだよね。だから、働き自体は大分違うけど、外側から見たら似たようなものだし、だからミュッテケなんだろうね」

「別所に注入?」

 

 何故か引っかかりを覚えて、なのはさんの言葉を反復する。ぐじゅぐじゅりと喉から何かが迫り上がってくるような錯覚が吐き気にせき止められ、不快感として浮上する。注入って言葉に何かトラウマあったかなと、海馬を回転させて心当たりを捜索するが、そもそも存在しないのか発見が出来ないほど深くに埋まっているのかがわからないまま、疑問符を大きくした。

 

「うん。つまり、遺伝子の統合ってことになるのかな。専門的なことはよくわからないけど……どうやら注入された形質は本人じゃなくてその子に現れるらしいね」

「はあ……あ、それで厄介だと」

「そういうこと」

 

 つまりはご家庭クラッシャーであるわけだ。先祖を遡っても金髪の人物が見つからない両親から生まれてきた金髪の子供は、さぞ家庭の不和になることだろう。

 

「最初は乾いた蚊だったんだけど、水をかけたら戻って、目を離した隙に猫になって逃亡しちゃったみたいで……それが、猫になってる理由かな」

「すいません、理由が理由になってないんですが」

 

 何がどうして水をかけたんだ。インスタントモスキートのロストロギアが何で猫になってるんだ。というか、何でそう易々と逃がしちゃうんだ。

 色々と問題点が多すぎて、自分が所属してる組織への不安が増大する。いや、元からちょっとアレなところも多い組織だとは思っていたが、せめてロストロギアの扱いくらいはもうちょっと慎重にしてほしいものだ。

 

「まあ、額のところにトライフォース……三角形が四つくっついたようなマークが確認できてたから私もわかったんだけど、もし目印が何もなかったらと考えると、ぞっとするかな」

「普通に高町さん宅のペットになってたんじゃないですかね」

「うーん、普通にあり得そう……」なのはさんがうむむと唸り、想像力を働かせる。僕も空想の世界に架空のなのはさん一家を作り出し、そこにロストロギアを追加してみた。「…………」やっぱり、違和感ないよなあ。

 

 しかし、その場合なのはさんやフェイトさんに遺伝子を注入したとして、何か影響があるのだろうか。あってくれと切に願う気持ちと、なくてもいいんじゃないかなという心情が同居して……同居して……んん、注入?猫の状態で?

 

「……………………んぅえ?」

「んぅえ?」

 

 僕の発した間抜けな奇声に反応したなのはさんが、可愛らしく小首を傾げる。同じ音を発しているというのに僕となのはさんで修飾が違うのは、やっぱり外見かなと思考を切り離しながら考えた。

 

「すいません、なのはさん。ちょっと訊いてもいいですか」

「ん、何々?お姉さん……って言えるような歳でもないけど、何でも答えちゃうよ?」

「猫状態での遺伝子の注入って、どうやるんですか」

 

 楽観視と危機感が混ざり合い、危機感が競り勝って汗として体表に現れる。頭の中にあった都合の良い展開が焦燥と切迫に駆逐されるのを感じた。

 

「ん?そりゃあもう、引っ掻いたり噛み付いたりだと思うけど……え、ん?まさか……」

「……………………」

 

 にっこりと笑う。そんなわけないじゃないですか、と顔面で語っているように見えたのか、安堵を表現するなのはさん。

 すっとオリヴィエに引っかかれた右手の甲を見せる。なのはさんの笑顔にピシリと罅が入る。心なしか、肌もほんのりと土気色で、瞬間的に彼女の顔が焼き物になったことが予想できた。

 ころころと変わるなのはさんの表情を、面白いなあとか他人事のように現実逃避を促進させながら考える。

 

「……………………」

「……………………」

 

 空気が青色に着色され、振動しない鼓膜に耳鳴りがうるさい。

 ……ん、いや待てよ。よく考えてみたら僕は別に悲観する必要なくないか?どうせ誰とも結婚はできないだろうし、そうすると必然的に子供を作る機会もないわけで。

 いや、でも。

 

「……あの猫の目、聖王色してたんですが」

 

 自然にこぼれ落ちた声は下顎と声帯を同時に震わせる。内臓がふわふわと浮遊するように食道を浸食するようで、口内から胃袋を吐き出しそうだ。

 

「……………………」

「……………………」

 

 重苦しくて、逆に清々しいほどの沈黙が続く。

 数秒後、正気を取り戻したと言いたげななのはさんの瞳が数回瞬いて、

 

「フィアッテの結婚相手、カリムさんになるかもしれないね!」

「冗談でもやめてください!?」

 

 ていうか冗談じゃねえ。彼女のことは尊敬しているし、いい人だとは思っているけど、共同生活を送れるかと聞かれたら絶対に無理だ。一日目で互いにゲロ吐いて二日目で胃潰瘍になる自信が心の中で自己主張する。

 何というか、魂レベルで拒否反応が出てる。とにかく波長が合わないのだ。

 それはカリムさんの方も同様らしく、僕を嫌っているわけではないしむしろ人間としては好きなくらいだけど、その存在を不快には思っているという高度な言語を駆使した応対を見せ付けてくれた。でも、僕も似たようなものだし仕方がないとも思う。

 

「でも、真面目な話、この事態がバレたとしてフィアッテが現状、結婚できるのは────っていうか、バレたらほぼ強制的にカリムさんと結婚させられると思うよ。何せ、生まれてくるのは聖王の形質を持った子。ヴィヴィオの時はなんやかんやでお流れになったけど、聖王教会としてはこれ以上野良聖王を増やしたくないと思うし、きっちり確保してくるだろうね」

 

 野良聖王の言葉に、ヴィヴィオちゃんがジークリンデと一緒に「わんわんお!」と鳴いている様子を想像して、案外ハマってる言葉なのかもしれないと感心した。

 

「そこで、結婚相手────聖王の母に相応しいのは、聖王教会である程度の地位に就いていて、権力に振り回されない権力を持っていて、善良かつ聖王を政治の道具に利用しようとせず、自分の命令系統を持っていて、特定の偏った思想を持たない独身の女性……。多分カリムさんくらいしかいないと思うよ?」

「いやいやいや、絶対カリムさんも拒否しますって。今誰よりも頭の中に拒否という言葉が溢れてる僕が言うんだから間違いありません」

「でも責任感の強い人だし……うーん」

「バラさなかったら!バラさなかったら現状問題はないわけですよね!だとしたら大丈夫ですよ僕生涯現役童貞でいるつもりですから!!だからカリムさんと結婚だけはご勘弁!!」

「う~ん……ど~しよっかなー」

 

 僕の必死の懇願を知らんぷりして、なのはさんは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。この笑顔の対象がヴィヴィオちゃんかフェイトさんあたりだったら他人事の壁の向こうから対岸の火事を楽しむことができたのだが、いざ自分のこととなってみると楽しむ余裕なぞまるでない。

 最悪に近い精神状況が頭蓋骨の内側を蝕み、青虫の形になって脳味噌の表面を這い回る。あの人と結婚する可能性が欠片でもあるという事実が、精神衛生上この上なく悪影響だ。

 

 吐血と吐瀉を繰り返したくなる気分をぐっと堪えて、なのはさんの言葉を待つ。

 ……いや、なのはさんは僕が本気で嫌がることはしないだろうとはわかってはいるけれど、それでも針の筵に触れるか触れないかのところで宙吊りにされているような現状は許容しがたい。

 

「冗談冗談、誰にも言わないから。……あ、そうだ。ヴィヴィオと結婚したら子供産んでも聖王の形質は気にしなくてもいいけど、どう?」

 

 気軽にコーヒーでもどうだと聞くように、娘を本人の承知無く嫁にどうだと提案してきた。仄かに香ってきた無償の人身売買の匂いに苦笑いで対応し、お茶で反論を喉奥に流し込んだ。緩やかな笑顔で流してやるのが大人というものだろう。反応に困るとも言うかもしれないけど。「今なら可愛いお義母さんが二人も付いてきちゃうよ?」「ははは……」だからどう反応しろってんだこんなの。「更に年の割には若すぎるお義祖母ちゃんが二人……!」「ははははは」いかん、笑い声が乾燥をし出した。

 

「まあ、冗談はこのへんにしといて……。あ、結婚するなら歓迎するけどね」

「しませんが」

「にゃはは、そうなったら楽しいかなってだけだよ。ほら、もうなんか私は色々と望み薄だし……」

 

 最後の方は消え入るように、薄くなって空気に溶解する声。焦点を遠洋漁業に赴かせた視線からは悲哀以上の成果は確認できず、コバンザメのように諦観が引っ付いているだけのようだった。なのはさんの全身がどろりと溶け出してソファにへばり付く。

 

「ぅあー。ヴィヴィオとフェイトちゃんはいるし、職場には満足してるし、現状に不満はないんだけど、どうにもねー」

「誰か気になる人とか、食事に誘ってみたらどうですか?ほら、誰か……いません?」

「いません……」

 

 なのはさんはソファでぐねぐねと骨を消失させて、軟体動物ごっこに勤しんでいる。骨なしという言葉の意味を全身で体現しているさまに、僕も負けじと骨太の称号を勝ち取ろうとカルシウムの摂取を試みようと思ったが、手近なカルシウムが見当たらなかった。無念である。

 

「こういうときユーノ君がいてくれればって思うけど、ユーノ君はもうユーノちゃんになっちゃったし……。現実を直視したくなーい……」

「直視しなくてもいい現実って、あると思います」

「ありがと、フィアッテ。愚痴っぽくなっちゃってごめんね?うーん、結婚願望はそれほど強くないと思ってたんだけどね。やっぱりヴィヴィオに好きな人ができたって聞いたからかなあ……」

「なーんか、身近なだけにイメージ湧きませんよね。ヴィヴィオちゃんが誰か男の人を好きになるって。僕もフェイトさんから聞いて驚きましたし」

「んー、ほら、気にしてはいないけど、ヴィヴィオってちょっと立ち位置が特殊でしょ?だからヴィヴィオが人並みの幸せを手に入れてくれることは嬉しいんだけど、やっぱりフィアッテの言ったみたいに、イメージが湧かないのかなぁ……。エリオのことも、何だかんだ言ってキャロとくっつくものだと思ってたし、単に私が色恋に向いてないのかも…………ん、フィアッテ、どうかした?」

「いえ、何も」

 

 完全に油断していたところに、横側からスタングレネードでぶん殴られたような感じだった。揺さぶられる脳味噌になのはさんの言葉が反響する。

 うーむ、まだ拘ってる?やっぱり僕は、キャロにエリオと結ばれて欲しかったと思ってるんだなあと、自分一人では確認が困難だった内心をまざまざと見せ付けられて、何とも複雑だ。好きってどういうことなんだろうとか、中学生なことを考えてしまう。

 

 暴れながら悶える内心をにこやかな笑みで覆い隠し、のり付けされた表皮を接着剤で貼り付けた表情筋に上書きした。なんとも図工的に作られている僕の顔面を美術的に書き直し、自然さを強調した表情を全面に押し出す。どちらにせよ作り物めいてることは否定しないが、そもそもを言えば僕だって母親に作られた作品と言えなくもないから、何も問題はないという謎の理論で強制的に自分を納得させた。

 

「誰かいい人でもいれば、もうちょっとマシにはなるのかもしれないけど、焦って誰か捕まえようとも思えないから駄目なんだろうね」

 

 そう言ったなのはさんは、縁側に座っているお婆ちゃんを彷彿とさせる穏やかな顔で、お茶をゆっくり啜った。

 いい人、という言葉に先ほどのコロナちゃんの鼻の穴からミントが香りそうな清々しい笑顔を思い出して、同時に想起と共に心に空っ風を吹かせる。悪天候にも負けない強い作物を心臓に体毛として植えるべきだと、幻聴が忠言をしてきた。

 

「あれ、この前、なのはさん食事に誘われてませんでしたっけ。同僚の人に」

 

 不意に、一週間ほど前の情景を回顧して、赤い顔でなのはさんに必死に話しかけていた男性を思い出した。あの時はそれほど気にしていなかったけど、ひょっとすると……というか今考えるとほぼ、なのはさんに気があったのではないだろうか。

 これはひょっとすると、なのはさんにも春が到来しているのではないだろうか。

 

「え?ただの食事だったよ?した話も仕事の内容だけだったし、そんな色っぽいものじゃないって」

「え、でも何か、小洒落たレストランみたいなところだったんでしょう?こう、ちょっとお高めの」

「うん。普段はあんまり食べないけど、ああいうところもたまにはいいものだよね。でも、やっぱりちょっと高いかな。お財布の三分の一くらいは使っちゃったし……」

「……なのはさん、払ったんですか?そのレストランで」

「そりゃあ、払わなかったら食い逃げになっちゃうからね。誘ってくれた人は払ってくれるって言ってたんだけど、高かったから、それも悪いし……」

「……………………」

 

 春が到来していたのはなのはさんの頭の中身の方が先で、外殻は訪れた春を受け入れずに過ぎ去った冬を体感しているようだった。なのはさんの度を超した鈍感っぷりに戦慄を覚えつつも、相手の男性に妙なシンパシーを感じて、キャロも誘っての片思い連盟の発足を脳内で計画する。

 実現し得ない願望に身を費やす者たち、とか表現すると格好良いかもしれないけど、どろりとした想いが表層にまで表れる未練がましきものどもとも表現できるから、ミッド語は真に不思議である。あー、いや。両方格好悪いか?

 

「……何なら、僕が誰か男の人紹介しましょうか?」

 

 いくらなのはさんが恋愛に向いてないとはいえ、最初から男女だということを意識させていたらいけるのではないかと、好奇心から派生した日常生活に何ら不必要な対抗心を発露させてお節介を口から零した。

 

「うーん、気持ちは嬉しいけど……いいかな。やっぱりこういうのって出会いだと思うし……。もし出会いがなかったら、やっぱりそうなのかなーって諦めも付くしね」

 

 なのはさんはそう言って、和風に淡泊な味付けで薄く微笑んだ。包丁当てたら抵抗なく切れそうなほど柔らかい笑みに、押したら崩れないだろうかと思わず手を伸ばしかける。セクハラで訴えられる未来はすぐそこだ。

 

「…………」

 

 深く脳に皺を刻み込まないまま、赤錆色の脳細胞の表面に電気を元気よく走らせる。

 あー、何だろうな、これ。共感……とは少し違うか。何というか……ううむ。まあ、独身の先輩への敬意とでも思っておこうか。しかしながら、敬意というものは口先だけでは重みが薄れる。何らかの形を伴わせたいと思いつつも、それが可能なのは男性の紹介くらいしかできないのが現状。そして今、男性の紹介という手も潰れてしまった。

 ふうむ……。

 

「……あ、ヴェロッサさんとかは」「申し訳ないけどロリコンはNG」

 

 ありゃま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.結局こいつハーレム系鈍感主人公なの?
A.(フラグ立ってる人が一人しかいないのにハーレムはでき)ないです

Q.何でヴェロッサ君ロリコンになってしまうん?
A.許せサスケ……はやてに逃げ道を与えないためなのだ

Q.ロリコンにする必要あったん?
A.許せサスケ






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世界に一つだけの墓

 

 

 

 

 

「…………ご相談が、あります」

 

 目の前にちょこんと正座した少女が、緑がかった髪の毛を震わせながら意を決したように言う。二色に分かれた左右の目は、視線だけで僕の胴体を貫通する力強さを秘めており、思わず腹の中身を色々と零してしまいそうになる。

 

「…………………………そうかい」

 

 かれこれ七回目のその言葉に、固まった笑顔を数回崩しかけながらも、何とか取り繕って答えた。アインハルトちゃんは相談があるのだと深刻に言い放ちながらも、逡巡が脳内に住み着いたかのようにそれから言葉を発しない。しかし、その間視線だけはずっと僕に拘束されていて、迂闊にお茶さえも取りに行けないような居心地の悪さが僕の動きを阻害していた。

 記憶継承系覇王☆少女アインハルトちゃんが僕の部屋に居着いてから、既に三十分が経過していて、その間ずっとこの調子だ。そろそろ相談よりも嫌がらせの線が強くなってきたと、ストレスの蓄積を膀胱で考える。

 

 そろそろ飽きてきているという意思を遺憾の意と共に示すため、首元を掻く。僕の言外の意思はアインハルトちゃんの視神経あたりでシャットアウトされて頭脳まで届かなかったようで、ぴくりとも反応しないままこちらを睨みつけるように固まっていた。

 こうなるともう、先に動いた方が負けというゲームをやっていたのではないかという錯覚さえ動員してくる。防御力の下がりそうな眼光からは、彼女が深刻な相談をしに来たようにも、ただ単に僕に恨みがあるだけなようにも感じられ、真意を読み解くことが難しい。だが、「何でこんなやつに相談しなきゃならないんだ」みたいな不満の色が顔色にまで反映されているように思えるのは、僕の被害妄想だろうか。

 

「実は……」目線をあちこちに移動させて、長期戦の構え。

「実は……?」早く言えよ、と言葉で促す。

「………………………………」

「………………………………」おい、何か言えよ。

 

 もじもじ、そわそわ。

 はっきりとしない態度は頬の紅潮や手の動きなどに示されていて、ひょっとしてこれから告白でもするのかなと邪推が脳内に侵入してきたが、理性によって呼気と共に排出されて、きっと来るであろう恨み言の言葉を待つ。

 ごくりと唾を飲む音が鼓膜を揺らす。

 長い間刺激に飢えていた聴覚神経は、それだけでも歓喜したように耳鳴りを大音量で演奏して神経を苛んだ。

 

「……………………………………………………そ、その」

 

 長すぎる沈黙に喉が欠伸を通じて退屈を訴えてくるも、アインハルトちゃんがここまで言い淀むのだからさぞ言いにくい深刻な話に違いないと、無理に心を鼓舞して定住を求めてくる眠気に立ち退きを宣告する。

 

「…………その、ヴィヴィオさんと、あの……だ、男女の仲になるにはどうすれば良いのか……その相談に」

 

 アインハルトちゃんが絞り出すように発した言葉に、ロストロギアを介さずに時間が止まる。

 先ほどまで退去を渋っていた眠気が一気に帰国を果たして、がらんどうになった目の下を驚愕が支配した。

 …………何を言っているんだろうか。この娘は。

 

「……………………」考える。アインハルトちゃんの言語は難解すぎて、僕には解読が困難だ。「…………?」首を捻る。「…………????」わからない。

 アインハルトちゃんはそのキャロに喧嘩を売る胸部が示す通り、視覚での確認は未だ為っていないがXX染色体の持ち主なはずである。そして、ヴィヴィオちゃんもなのはさんの娘という肩書きを所持してる以上、息子を自称することは適わないはず……んん、男女の仲……?んんん……?

 頭上に大きな疑問符を付着させた僕の反応に、アインハルトちゃんも同様に首を傾げた。こっちが訊きたいのに、何故君が疑問を抱くのか。

 

「……えーと、まず、アインハルトちゃんかヴィヴィオちゃん。そのどっちかが男性にならないと難しいんじゃないかな。男女の仲は」

 

 軽量化に成功した言葉をやんわりと投げかけ、アインハルトちゃんの耳にふんわりと着地させる。彼女はその言葉に幾ばくか思考時間を消費した後、何かに気付いたようにはっとした。

 

「フィアッテさん。ご相談があります」

「あ、最初から仕切り直すんだ」

 

 言葉は礼儀正しいようだけど、態度がふてぶてしいというか何というか。

 特に僕に対しては、それが顕著だとは思う。

 敬語は使えど僕に対して全く以て敬意を感じられないアインハルトちゃんが姿勢を正し、表面上だけの改まった様子を見せる。その表情は真面目そのものと言っても過言ではなく、ここに至るまでの過程を無視したら僕も真剣に深刻な応対をしただろうにと少し惜しくなった。マネキンの頭でも投げてぶつけたら、首から上が入れ替わらないだろうかと半分くらい真面目に黙考していると、アインハルトちゃんが声帯を震わせる準備を見せた。

 

「実は…………」

「実は…………?」

 

 これももう一回やるのか、と辟易しながらも、一応付き合う。

 

「ヴィヴィオさんと異性の関係になるには、どうしたら」「全く変わってないじゃねえか。せめて恋人とか恋仲とかそう表現しようよ。自分の性別を直視しようぜ」

「大丈夫です。何一つ問題はないと、私の中の(クラウス)が言っています!」

「初等部から保健と生物学をやり直せこの脳味噌桃色覇王娘が」

 

 精神が肉体を凌駕するのは漫画の中だけだ。少なくとも、自身の女性という性別を超越して女性と異性になるのは、性転換をなし得ていない身体では不可能なはずである。

 アインハルトちゃんの妙な自信に自分の海馬の中身を少し疑ってみたくもなりながらも、わざとらしく溜息を吐き、足を崩した。今の今まで真面目な話かと思ってずっと正座をしていたものだから足が痺れて、足の裏に不可視の剣山を突き刺さる。生憎と僕にマゾの資質はないようで、その痛みを楽しむことができず、「あだだだだ」と足をさする。

 

「……で、今の話、どこまで本気?」

「全部ですが」

「ああうん、知ってた。聞いてみただけ」

「全部本気なんですよ」

 

 二回言わなくてもわかってるから。

 テーブルに肘をついて頭の重量を左腕に託し、気だるさを顔面で表現する。ついでに溜息も吐いて、しぶしぶ話を聞いているという姿勢も忘れない。多分、その方がアインハルトちゃんも話しやすいだろうし、多分そういう反応を求めて僕に相談したのだろう。

 引かれるのは嫌だけど、親身になられすぎても困るとか、そんな感じだ。

 

「……ヴィヴィオさんと恋人になるには、どうしたらいいですかね?」

 

 聞いている内容が内容じゃなければ素直に可愛らしいと言えるように小首を傾げて、アインハルトちゃんはじゃんけんの必勝法でも聞くかのような気軽さで言う。が、そんなことを聞かれても、片思い歴十年のプロフェッショナルとしてはアドバイスの仕様が思いつかない。

 

「…………………………………………………………諦めたら?」

 

 長考の振りの果てに出てきた言葉に、アインハルトちゃんが団栗眼を毬栗に進化させた。痺れる足の感覚がアインハルトちゃんの刺すような視線により全身に広げられて、思わず目を逸らす。文句を言いたげな空気がアインハルトちゃんを通して僕の肺に侵入し、内部から罪悪感やらを刺激しようと試みているが、さしたる効果はないようで、ただ彼女の雑な威圧に押されるようにして左右に揺れてみた。

 

 しばらく僕に威圧を浴びせて飽きたのかはたまた一段落ついたのか、軽い溜息をスイッチとしてアインハルトちゃんが肩の力を抜く。それに伴い、僕も糸の切れた操り人形と成り果てて、こてんと力なく倒れてみた。仄かに冷たさを肌に伝えてくる床が心地良い。冬には全く逆の感想が浮かびそうだと思いながら、ナメクジが蠢くような動作で床を転がる。心なしか、アインハルトちゃんの眼球にまた棘が生えてきた気がした。

 

「いやだって、何かヴィヴィオちゃん好きな人いるみたいだし。同性とは思いがたいから、正直望み薄だぜ?」

「大丈夫です。私は(クラウス)ですから」

「あっれー、っかしいなー。記憶継承の症状って年々薄くなってくんじゃなかったっけ。コイツ悪化してるぞオイ」

「より高みへと昇華されたんです……!」

 

 末期症状じゃねえか。口内だけで呟いて、呆れを口端に含ませる。ぐでりととろけるように身体を床と一体化させて、ままならない現実というものをひしひしと感じた。この娘、数年前はこんなんじゃなかったはずなんだけどなあ……。時間の暴威は何よりも残酷だということか。

 ガッツポーズを崩さないアインハルトちゃんは、その格好のまま顔だけを正常に戻して、

 

「……あれ、ヴィヴィオさん、好きな人いるんですか……?」

 

 デクレシェンドを顔面で表現してくれた。意気消沈が目元に宿って定住を希望しているのが目に見えて、流れ落ちないくらいの涙と共に溜まる。それでも、絵面としては失恋よりもギャグの方が勝ってしまうのは不思議である。

 

「うん、多分。なのはさんとフェイトさん両方が言ってたから、ほぼ間違いないと思うけど」

 

 言ってから、あれ、これ言ってもいやつだったっけと海馬を探る。口封じに該当する記憶が見当たらなかったことに微かな安堵を漏らして、体表の熱が移ってきた床を転がった。気だるさと心地よさが心の中に侵入してきて、中々立ち上がる気が起こらない。アインハルトちゃんの卑劣な策だ、と冤罪を擦りつけて、ミミズを身体に宿らせる。

 そして、今更ながらアインハルトちゃんのレズビアンカミングアウトに驚愕を示した。

 アインハルトちゃんの謎のキャラのぶっ飛び方に駆逐されていたが、よくよく考えてみれば女性が女性を好きになったということも、ある程度世間に散りばめられているとは言えど十分に驚愕に値する。しかも貴重な血統の一人娘がそれを言うのだから、関係者なら開いた口が塞がらないのではないだろうか。

 グッバイ覇王家。さよなら覇王家。君のことはきっと忘れない。

 

「…………フィアッテさん」

 

 落胆から少しだけ立ち直ったアインハルトちゃんが僕を、曇りのない真っ直ぐな目で見る。

 

「何だい?」

「八つ当たりします。付き合って貰っていいですか?」「よくない」「付き合って貰います」

 

 任意を装った強制を含む意見を却下すると、皮を剝がれた強制が顔を覗かせてきた。脳内の政府はテロには屈しない姿勢を見せているが、既に首根っこを掴まれた現状では実行は難しい。「うあー」引き摺られながら、床との摩擦を背中一杯に感じる。動くのも面倒だから掃除の併用でもしようかと思ったが、人間モップとしての使命を果たす前にアインハルトちゃんに背負われ、生暖かい人体の温度を感じて不快になった。

 

「暑い」

「私も暑いんですから我慢してください」

「だるい」

「私もだるいんですから我慢してください」

「柔っこい」

「硬いです」

 

 流れで僕も弾力性のある軟体動物の称号を獲得できるかと思ったが、筋肉と骨の硬度を理由に受賞は見送りとなった。カルシウムとタンパク質の過剰摂取を控えるべきかを検討しながら、アインハルトちゃんと接触する背中の熱を何とか逃がそうと打ち上げられた魚の物真似を試みる。

 暴れるな、と口ほどに雄弁なアインハルトちゃんの眼球が不快そうに訴えてくる。動いたことで掴まれている右腕が自然に極まり、ビキビキと嫌な痛みを発してきた。

 

「アインハルトちゃん、アインハルトちゃんや。腕が痛い」

「私も心が痛いのでおあいこのお揃いですね」

「この野郎いい笑顔しよってからに」

 

 そう言いながらも一応僕の意見を汲み取ってくれたのか、背負い投げのような勢いの付け方で僕を振り回し、ふわりと着地。今度は脚を引っ張って移動を始めた。今度は脚が痛くなった。

 だが、抗議も面倒なので大きな溜息で代用として、大人しく人間掃除機に甘んじる。

 

「……何処へ行こうというのかね」

 

 度重なるお荷物扱いに僕の方向感覚が狂っていなければ、アインハルトちゃんの進行方向の先には玄関があるはずである。

 

「ちょっと、お墓まで」

「何しに行くんだよ」墓参りマニアの僕でも、無意味に行ったりはしないぞ。

「ちょっとクラウスのお墓とドッジボールしに行きます。今私が抱えてる問題、過去に抱えた問題を思えばそれくらいは許されるはずです。でも許されなかった時のために付き合ってください」

「さては貴様説得が不得手だな?」

「さあ、行きましょう」

 

 ひょっとしたらアインハルトちゃんは、耳と脳の接続が一部切断されているのではないか。

 ふと頭に浮かんだ感想は、引き摺られる振動と回る視界に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この場所に来るのは一体何度目だろうかと、回想する。

 青々しい草の香りとほんの少しの煙臭さが鼻腔を擽って、口にまで溶け青色吐息となって排出される。眼下に広がる灰色は限りなく僕の心を平坦にし、過去を心の中に投影して上映を開始した。瞼をスクリーンの代用とした映画館では、ヴィヴィオちゃんに昔例示したろくでもない家庭、すなわち僕の家庭が細部に渡るまでセピア色で描かれていた。色彩感覚を忘れながら、架空の映画を網膜に貼り付けることに熱中する。

 

 その場所には、僕が母親と認識する人物はおらず、僕がキャリィと呼んでいた使用人が肉料理をコトリと僕の前に置いていた。そしてそこに、兄弟を一人確認する。兄も弟も何人いたのかわからないくらいだから、そいつが兄なのか弟なのかは、イマイチ判断が付かない。想像上のキャリィは僕と兄弟を見てにこりと笑い、僕はそれを見て、まるで母親みたいだと皮肉にも近い感想を抱いた。思い出補正が付着していてよくは思い出せないが、彼女の作る料理は美味しかった、気がする。料理センスは是非とも受け継ぎたかったが、その場合、謎すぎる食材選びのセンスも受け継がれてしまいそうで、中々どうして難しいところだ。

 だが、そんな彼女も、もう死んでしまった。

 父親、母親、兄弟は全滅して、親戚は以前から名乗り出る気配を見せない。血縁的にも心情的にも、アリネール家の一員を名乗れる人間は、おそらくもう僕だけだろう。

 

「えい」バウン。

 

 ゆっくりと墓石の上に座り込み、心地良い冷却感を感じながら想起した内容は、驚くほど僕の心を動かさなかった。まあ、当然だろう。何しろ十年以上前の話だ。当時はいくらか感傷が宿ったのかもしれないが、今更僕がどうしようというのだろうか。そんなことよりも、今はキャロが大事だ。

 数年毎に一度は訪れる第97管理外世界ブームにより、教会式の墓よりも多くなった墓石の数を眺める。現在、墓を新しく作ると言うとその大抵は第97管理外世界式のものだった。僕がフェイトさんに保護されてから作られたアリネール家の墓もその例外ではなく、大理石で作られた角張った形状の隣に、所狭しとアリネールの文字が羅列して刻まれていた。大体、兄弟のものである。

 

「えい」バウン。

 

 キャリィ・アリネール。

 そこに書いてあったその名前は、本名ではない。ただ、僕がそうであってほしかったと刻んだ、当時の感傷の名残のようなものだ。

 今ここに、日常的に通っているのも、結局は惰性なのだろう。

 単に習慣化しただけの祈りの動作は、何にも捧げられることなくすぐに終了する。神も聖王も信仰してない身の上としてはこの墓の下に家族が埋まっているとも思えないし、そもそも埋まるような死体さえ原形を留めてるものはない。じゃあ何のために通ってるんだよと聞かれると、理由が不明瞭で困るから、適当に僕は墓参りマニアを自称していた。

 

「えい」バウン。

 

 トラウマとか悲しい過去背負ってるとか、そんなのになりたいわけじゃないけれど。

 どうにも自分が昔と変わっていく感覚は、慣れない。

 心に吹いた僅かながらの風を溜息として排出して、墓雰囲気だけは涼しい墓地の蒸し暑さの中に溶け込ませる。ついでに、先ほどから眼球が視認を拒否していた光景が、聴覚を介して像を頭に浮かび上がらせてきた。溜息を追加する。

 

「………………………………………………………………アインハルトちゃん、何やってんの?」

 

 二回ほどこのまま帰ってしまおうか迷ったが、これも年上の務めだと寛容さと諦観を抱き合わせて尋ねた。仕方なく視線をアインハルトちゃんの方向に固定する。

 

「ドッジボールです。クラウスと」

「お兄さんまさかマジでやるとは思わなかったぜ。怒られないの?それ」

「嫌ですねその時のためにフィアッテさんがいるんじゃないですか」

「怒られないと思ってんじゃねえぞてめえ」

 

 教会式の墓に一心不乱にボールを命中させていたアインハルトちゃんが、喧嘩の叩き売りを開始した。今日は特売の日だったかなと訝しんでいると、左右で色の違う眼球がじっとこちらを見つめる。ガンを付けられている。遂にアインハルトちゃんも不良化して、この右手の教育的指導を振りかざす時が来たかと、密かに握り拳を固めた。

 アインハルトちゃんは僕をしばらくじっと見てから、アリネールの墓石をその網膜に写す。

 そして、目をぱちくり。

 

「あれ、フィアッテさん、いつの間にお亡くなりになったんですか?」

 

 幽霊でしたっけ、と真顔で失礼なことを聞いてくる彼女の視線が突き刺すものは、フィアッテ・アリネールの文字が刻まれた冷たい石。

 

「ああいや、それはただ単に僕の父親から名前を受け継いだだけだよ。二世とか二代目とか二号機とか、そんな感じ」

「へぇ。……フィアッテ・アリネール、クロマ・アリネール、スカニア・アリネール、アクシオム・アリネール、プレーリー・アリネール、ノマド・アリネール、トルネオ・アリネール……。あのすいません、少し多くありません?これ、位置的に全部お父さんのフィアッテさんよりも後にお亡くなりになった方々ですよね」

「それ、全部僕の兄弟だよ。自分でも何人いたかわからないから数は割と適当かもしれないけど」

「……複雑なご家庭なんですね」

「今はもう過去形だけどね」

 

 複雑な家庭も今は昔。今では立派に天涯孤独。子孫を残すことも望み薄なので、最近はもうなのはさんみたいに養子取ったらいいんじゃないかなとか思い始めている。

 もしキャロと万が一そういう関係になれたとしても子供は望めないし、ねぇ。

 

「……あれ、でも今さっきのが全員ご兄弟だとしたら、フィアッテさんのお母さんは?……あ、えと、すみません。踏み込みすぎでしたね」

 

 途中で言葉を尻すぼみにさせながらちらちらと僕の顔色を窺ってくる彼女が、先ほどのド失礼な人間と同一人物かを疑ったが、クローン説を推してくる視覚を瞬きで遮り、根は良い娘なんだ説を採用する。だが、以前は通り魔もしていた前科者予備軍の娘を良い娘と表現するのには若干の抵抗がないでもない。そのため、それぞれが相殺して取り敢えずは普通の娘としておくことにした。

 

「気にしないでいいよ。諸事情からいないだけだし。それに、僕もあの人を母親だとは思ってなかったし。ソリオ・アリネールってのがあの人の名前だったんだけど……」

 

 本来入るはずでなかったキャリィ・アリネールの文字が入ってるのが代わりになっているように、僕の母親の名前は刻まれていない。別に、死人に対して嫌がらせを決行しようというわけではないが、僕の当時の心情的にはこうなってしまうのも致し方なしだろう。

 気まずい空気を誤魔化すように顔の紅潮をポリポリと掻いて取り除こうとするアインハルトちゃんに、気にしなくてもいいと意識して軽めに声を掛ける。気にしていないのは本心だから意識してというのもおかしいが、やはりポーズは重要だ。

 それでも、尚も顔に曇天を含ませるアインハルトちゃん。フェイトさんから何らかの事情を聞いてるのかなと思いながら、独り言のように漏らす。

 

「……本当に、全く気にしてないんだけどねえ。正直、まだ小さい頃だったから印象薄いし」

 

 それに、僕があの家庭に誕生しなかったらフェイトさんに保護されることもなく、それは当然キャロとも出会えてなかったということであり。

 それを考えるとやっぱり僕はあの母親の子で良かったのだろう。例え僕が事実よりもずっと悲惨な目に合ってたとしても、キャロに会えたという事柄だけで一気にプラスに転ぶのだから、やっぱりこの慕情は病気に近いものなんだなあと、そろそろ医者にかかってみるかを真剣に検討した。

 

 おそらくは酸素不足でなく退屈や眠気からやって来る欠伸に呼応して、涙腺が壊れたかのごとく涙の生産が高速化される。だが、重量に耐えきれなくなり流れ落ちるほど貯蔵は十分でなく、視界の端に潤いを持たせる程度で表面張力により落下を阻まれている。

 

「…………フィアッテさん。ええと、何というか、その……」

「うん?」

「言いにくいんですが」

「うん」

「ヴィヴィオさんと恋人になる方法は……?」

「この空気の中で言うとは恐れ入ったぞ」

 

 まあきっと、わざとなのだろうけど。

 彼女の表情から内心を透視できるほどアインハルトちゃんに精通しているわけではないが、それでも、空気の読めない娘じゃないことは知っているし、僕に気を遣って言ったということは明白だ。

 本当に母親とかのことは割とどうでもいいと思っているのだが、アインハルトちゃんの気遣いをわざわざ無碍にすることもないだろうと、僕よりも低い位置にある彼女の頭を軽く撫でてみた。

 

「……子供扱い、ですか。それとも、セクハラですか」

 

 アインハルトちゃんが気にくわないように目を細める。

 

「そりゃあ、歳は一歳差とは言っても、ヴィヴィオちゃんたちと一纏めだったからね、君。僕から見りゃあ子供も子供よ。多分、五年後くらいも子供」

「いつになったら私は大人になれるんでしょうか……」

「きっと、僕の主観ではいつまでも子供のままだよ。まあ、先に生まれた者の特権とでも思って諦めてくれ」

 

 きっとフェイトさんもこんな気持ちだったのかなあと、適当に保護者の魂を捏造して胸に宿らせた。勿論、三歳よりも後に芽生えた魂は僕に定着せず、百歳まで長らえるまでもなく霧散する。

 

「…………ところで、驚いてないんですか?」

 

 しばらく考えるように停止していたアインハルトちゃんだが、再起動を完了してから脈絡という言葉を投げ捨てて話しかけてきた。「何が?」つい、面白みも捻りも付与されていない、素材の味を生かした返答を脊髄が打ち返す。

 

「ヴィヴィオさんのことです」

 

 とアインハルトちゃんが短く切って言う。

 忘却の彼方とまではいかないが若干脳内から閉め出していた情報に、眼球をぐるりと一回転させた。額に滲む汗は緊張でなく、容赦なく降り注ぐ真夏の日射しから浮き上がる。やっぱりこれ、僕に相談することと違うんじゃないかなと頬の片方が自然に持ち上がった。

 ……だけど、うん。まあ。

 

「驚いたっちゃあ驚いたけど……別段否定はしないし、いいと思うよ?人が人を好きになるのは自由だし、それを秘めるも出してみるも勝手だろうよ。……それがちゃんと受け取って貰えるかは別問題だけどさ」

「初恋もまだの人の言葉とは到底思えませんね」

「初恋もまだだからこそ、見えてくるものもあるのさ」

 

 大体、嘘だけど。

 内心のみで付け加えられた言葉をアインハルトちゃんがサイコメトリーしたのか、不機嫌そうに眉をひそめる。と思ったら、

 

「それ、嘘ですか?」

 

 と言ってくるものだから、脳内で適当に修飾した言語やアインハルトちゃんの洞察力もなかなか侮れない。実際にアインハルトちゃんがサイコメトリーのレアスキルを所持している可能性に備えて、心の閉ざし方を覚えておくべきだったかなと、引きこもり学の不勉強を嘆いた。

 額に滲む汗の主成分が焦りを含んだものへと変化する。表情が不自然になってないかを今すぐ鏡か何かで確認したいが、その他の用途では運動会をするくらいしか思いつかない墓場ではそれも望めそうにない。

 

「あー、バレたか。全部小説からの引用だよ。ちょっと格好良いこと言ってみたかっただけ」

「やっぱりですか。フィアッテさんは格好付けても格好悪いんですから、格好付けなくてもいいんですよ?」

 

 最大限好意的に捉えたら、自分の前では素でいてもいいと言うアインハルトちゃんに、にっこりと笑いかける。アインハルトちゃんも、そんな僕を見て、控えめながらも眩しさと若さの迸る笑顔を用意した。

 

「僕が怒らねえと思ってんじゃねえぞオラ」

「ひょ……!?やめてくださいセクハラで訴えますよ!勝ちますよ!」

「うるせえ頬千切るぞ」

「いひゃひゃひゃひゃ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.主人公の過去描写いる?
A.ぶっちゃけエイリアンもいらないかなって思った

Q.アインハルト……?
A.すまない……本当にすまない……

Q.ていうかキャラも……
A.本当にすまないと思っている……




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迎春アミーゴ

 

 

 

 

 

 キーボードを打ち込む度、体中の血液を一ミリリットルずつ抜き取られているかのような錯覚に襲われる。ゆっくりと遠くなる意識とは対照的に仕事の速度だけは高速化されて、将来機械系の物質に就職した時の予行体験をした。惜しむらくは、現時点で僕が生物として生存しているため将来機械になるつもりはないということか。

 カタカタという乾燥した音が薄暗い部屋に重なって重苦しい雰囲気を演出する。事務仕事からの逃避を込めた伸びを周囲の仕事状況の確認と共にすると、見慣れた赤色の頭の接近を感じ取った。

 

「フィアッテ、終わったよ」

「ん、ああ。じゃあ、そこらに置いといて。後で僕がチェックするから」

「はい」

 

 そう言って返事をするエリオを、穴が空くほど見つめる。

 そして、顎を指で挟み、肘を手に置いて考えるポーズ。

 

「どうしたのさ、変な顔して」

「いやさ、エリオって僕に対して敬語使わないよねって。非難とかじゃなく、キャロとは対照的だなあ、と」

 

 逆だったら良かったのに、とか思ったことも一度や二度ではない。

 まあ敬語を使うキャロも可愛いけど。とか多分色々と恋の病の末期症状のようなことも思い浮かべて、固まった身体をバキバキと鳴らしながら背中を掻く。鉛と合成されたような筋肉が痛覚で身体の不調を知らせてくるが、事務処理をしているとよくあることだ。気にせずに意識をエリオに集中させる。

 

「あはは、まあ、そうだね。立場上はフィアッテの方が偉いけど、今更敬語を使うってのもちょっとよそよそしい気がするし」

「六課成立当時からだから、かれこれ十年になったんだっけ?初対面から」

「十年間一度も喧嘩してないってのも、ちょっと自慢かな」

「考えも好みも全然違ってるんだけどねえ」

 

 条件だけ見てみれば、ある日突然僕がとち狂ってエリオに殴りかかってもおかしくはないはずなのだが、今のところその兆候は見られない。これもエリオの人徳なのだろうか。はたまた僕が平和主義の温厚な……いや、うん。どうだろうね。

 

「あ、そういえばこれ、新婚祝いの代わりだ。受け取ってくれ」

 

 差し出した右手には仕事の書類。キャロに関するささやかな復讐じみた書類の束は、にこやかな笑顔のエリオにはたき落とされて地面に落下した。バラバラと床に散乱する書類の量を見て、やる気が急速になくなっていくのを感じる。やる気なんて元から無いにも等しかったが、こういうのは気分の問題だ。

 

「新婚……あー、そういえば新婚生活はどうだよ。ルーテシアとか、はっちゃけてそうだけど」

「いいや、案外そうでもないよ。何というか……案外ちゃんと新婚生活してる、というか……こう、お風呂にしたりご飯にしたり」

「それとも私?」

「うん、それ」

 

 ……まさかマジでやってる奴がいるとは思わなかった。しかもやってる奴が僕の友人だった。

 戦慄と感心を交互に繰り返しながらエリオの惚気に小刻みな相槌を打つ。実際どうなんだそれ、とか考えて、キャロがエプロン付けてはにかみつつそれを言う様子を想像中。「………………………………んが」妄想だけで、頭の中がお花畑になって頭皮にも満開の花が突き抜けてきそうになった。破壊力は根となって脳細胞を駆逐するかのごとくである。

 

 エリオが疑問符を含んだ表情でこちらを見てくるが、そんな現実よりも絵空事の夢を見ていたいと眼球が反応を拒否したため、気にせず目を明後日の方向に飛ばす。

 

「フィアッテ隊長、書類終わりましたー。……あ、エリオ君、フィアッテさんと何話してたの?飲み会するんなら私も混ぜてね?」

 

 瞬時に現実への帰還を果たした。キャロと話している時点で夢見心地なので夢うつつの判断が難しい気がするが、キャロがエリオとも僕とも結ばれていないことを考えるに、僕の妄想ではなさそうだ。つまり、何一つ上手くいかない僕の愛しい現実である。涙が出てくらあ。

 

「ん、キャロ。いや、飲み会はしないけど……」

「でも、いいかもね、飲み会。何だったら、新婚のルーテシアも誘って……いや、どうせなら元六課の年少組全員誘ってみるか?」

「あ、いいかもしれませんね、元六課年少組同窓会!……ヴィータさんとリインさんは誘うべきなのかな」

「同窓会の趣旨を話さなければ誘ってもいいと思うけど」

「話したら絶対怒ると思うよ。特にヴィータさんとかは、自分がロリキャラをネタにするのはいいけど他人に言われるのは嫌だって公言してるし」

「それ、フィアッテが散々からかってたからなんじゃ……」

「若気の至りだ、許してやれ」

 

 現在進行形の過ちをさらっと流しながら、仕事をする部下を尻目に雑談を続ける。部下からの視線に多少の刃物が混じり始めた気がするが、こちとら奴らの三倍は仕事をしなくちゃならないのである。しかも、マルチタスクを全開にしても時間と手が増えるわけではないので、手間は正直あまり変わらない。敬えよこの野郎共とこの前部下に言ってみたら書類を投げつけられた。野郎共の中には女郎もいることを忘れるなという意味合いの抗議なのだろう。

 まあ、男女差別は僕の望むところではないし、異論はなかった。レディースデーとか女性割引とかも大嫌いだ。奴らはとにかく僕に安い値段で菓子を食べさせることを嫌う。局員かつ隊長格、さらに無趣味なので金には苦労していないが、出来る限り安い値段で物を買おうとするのは人間の本能だろう。

 

「……まあ、この前エリオとルーテシアの結婚式で集まったばっかだから、それほど新鮮味ないかもだけど」

「いえいえ、なのはさんたちがいないってのは結構大きいと思いますよ。嫌ってわけじゃないけど……こう、なのはさんやフェイトさんがいたらはっちゃけにくいですし」

「……ルーはどっちでも変わんないと思うけどね」

「ルーちゃんは毎日がエブリディだから」

 

 キャロが何を言っているかはわからなかったが、何を言いたいかは伝わってきた。

 ルーテシア。彼女は……うん、まあ、色々あった。具体的に言うと例えばヴィヴィオを士官学校に入れる際に色々協力して貰ったというか僕以上にやらかしてくれたというか。でも彼女は教会にさほど睨まれてないというのだから、世の中の理不尽を感じる。「仕事ぉしてくださいよぉー。隊長ぉたちだけ背筋伸ばして狡いですよぉー」世の理不尽を一身に背負ったような間延びした声が地の底から響いてきた。最近、脊椎後弯症を患っていることが発覚したという副隊長である。

 

 振り向いて雑な仕草で手を振る。長い付き合いである僕らに言葉はいらなかった。

 副隊長が天高く中指を突き立て、僕は親指を地面に向けた。

 

「……何やってんの?」

「パーフェクトコミュニケーション」

「いや……うん、完璧に意思疎通ができてるから正しいのかもしれないけどさ。仲が良いのか悪いのか……」

「僕は彼女にもっと仕事をしろと思っている。彼女も僕にもっと仕事をしろと思っている。心と心が重なっている僕と彼女は所謂親友では?」

「いえそれはどうでしょうね」

 

 キャロが半端に笑って僕の言葉を否定するが、その実そんなに仲良くはないし、だいたい合ってる。仕事を押しつけようとしたら断られるくらいの仲だ。無償の協力を前提とする友情にはほど遠い関係である。

 キャロの表情を見る。視線が若干エリオの方から遠ざかっていることを除けば、概ねいつも通りと表現できていた。挙動不審なのは目玉だけ。すいすい泳ぎ回る眼球にはそのうちヒレが付いて泳ぎ出さないかだけが心配だ。

 だがそんな忙しない眼球の動きも、結婚式の三日後の時点では顔自体がエリオを見ることを拒否していたことを鑑みるに、著しい進歩だとも思える。三歩戻って二歩進んだだけのようにも思えるけど、進歩は進歩だ。相手がキャロだということもあり、僕は素直に賞賛したかった。

 そして、渦中のエリオは台風の目も兼任しているようで、無風状態を維持しながら新婚の幸せオーラを放っていた。友人が幸せそうで喜ばしくもあるが、比較的独身の割合の多い自然保護隊内では目の毒となりうる光景だ。汚染状況によっては自然保護隊の一員として黙っていられないと、覚悟を拳に握り込んで毒物汚染の現状を見つめた。

 この前、昼に見かけたエリオの弁当の中身が犬も食わないほど糖分過多のバカップルに浸食されていたことを思い出す。急に熱が冷めるとも思えないし、しばらくは汚染が続きそうだった。

 ……思い出したら何だか苛ついてきたな。

 今度エリオのお茶の中にこっそり砂糖を混入させてリンディさん仕様に変えてやろう。

 

「あ、そういえばフィアッテはこう、気になる人とか、いない」「いないが」

 

 唐突に放たれたエリオからの大暴投に、食い気味に平坦な言葉を返した。この手の質問の返答を一身に背負う脊髄君が頑張ってくれたのは嬉しいが、些か気合が入りすぎだ。自然さよりも先に冷たさが強調されて、何かあったのかと思われてしまいそうだ。

 多分、結婚ってのはいいものだぜと言いたかったのであろうエリオは出鼻を挫かれたように数度目を彷徨わせると、キャロにその矛先を移した。

 

「あ、キャロはどうなの?誰か、いい人とかい」「いないよ」「あ、うん……」

 

 食い気味かつ冷淡な返答は伝染するのか、キャロも同様の返し。

 若干空気が重く淀むが、今のはさすがにないかなって思ったのでフォローも投げかけない。突っ込んでいくとボロが出そうだし、無自覚とはいえエリオも残酷なことをするものだと、他人事のように思うだけに留めた。

 僕の場合は……うん、もう慣れてるし。

 好きな人から恋愛相談を受けることも日常茶飯事だった。僕の演技力とキャロの鈍感力。どちらが優れていると見るべきだろうか。

 

「まあ、誰か好きな人がいたら人生充実するだろうけど、いなくても別に幸せじゃないってことにはなるわけでもなかろうよ。僕は恋人伴侶がいないと寂しい人という風潮に異議を申し立てたいと思います!」

「思います思います!」

 

 この前、行き遅れは嫌だと言っていたキャロが僕の言葉に同調を示した。

 その華麗な手のひら返しには、感嘆を漏らすばかりである。

 

「うーん、二人がそれでいいならいいと思うけど……。あ、二人が付き合うってのはどう?」

 

 溢れ出る幸せが頭の中まで浸食してしまったかのように、尚も諦めの悪いエリオ。冗談風味の口調を携えて、無自覚に僕への精神攻撃を開始した。いつから君はこんなに空気の読めない男になってしまったのだねとか似非紳士口調で返したくなるのをぐっと堪える。

 ……まあ、新婚で頭の中も幸せになってしまっているのだろう。多分しばらくしたら治る。

 

 キャロがエリオの言葉にしばしの停止を見せて、僕の方に顔を向けた。恐ろしいまでの無表情だ。何かを発しようとした僕の口がぱくぱくと虚しく空を触る。無音の唇から何かが伝わってくれたのか、キャロの表情が多少軟化して、きょとんとした表情になった。最初から男として意識されていなかったのような反応に地味に傷付きながらも、それを表に出さないように努める。ついでに、結婚式の夜のキャロの異常行動にも深い意味がないとわかって、安堵と落胆が入り混じった複雑な感情を抱いた。

 

「う~ん……どうだろう。あんまり意識したことなかったし……」

「僕も諸々の事情から生涯独身を貫く予定だしね。ほら、幸せな結婚生活繰り広げてる自分よりは酒飲んでフェイトさんの愚痴聞いてる自分の方が想像付くから」

「あ、フェイトさんも結婚できないことは確定なんだ」

 

 語った言葉に、特に嘘はない。僅かな望みもオリヴィエが打ち砕いてくれて、可能性がなくなり選択肢が確定したことを喜べばいいのか悲しめばいいのか。元々半分諦めていたようなものだし、変な期待を持たなくて済むようになったから良かったのだろうか。平行世界を垣間見るような目を持たない僕には判断が付かなかった。

 

「……私はさすがに……やっぱり一生独身っていうのはちょっと。三十歳になるまでくらいには結婚したいですね。……まあ、今はそういうの考えられないけど」

 

 僕の独身貴族宣言を聞いて、キャロはうーむと顎を摘みながら角度浅めに小首を傾げ、独り言と会話を合体させたように呟く。仄かに笑うような痛々しい表情を見て、目を逸らしたくなった。

 距離にして三メートルもないというのに、キャロが遠い。

 自分勝手に惚れて、勝手に内心を類推して、共感して、慮って。そのくせ、何もできていない。

 自分でも馬鹿じゃねーのかと言いたくなる自己分析の結果に、ここでこうして彼女と話している自分がとても恥ずかしいもののように感じて、逃げ出したくなる。

 しかしここは恥知らずの面目躍如。そんな恥など知ったことかとばかりに顔の表面にニスを塗りたくり、内心を外側に漏らさないようにしながら自然を装った。

 

「……さて、何の話してたんだっけ」

 

 若年性健忘症を隠れ蓑にして、話題の転換を図る。また、今回の案件とは別に、僕の記憶力は非常に貧弱である。半分くらい本気で医者に掛かることも検討しているくらいだ。

 

「えーっと……?あ、同窓会」

「隊長!私はお寿司が食べたいです!」

 

 ミッションコンプリートです、ボス。うむ、よくやったアリネールよ。ターゲットの表情から切なさのようなものが消えたぞ。

 脳内に潜む架空の上司からお褒めの言葉を賜り、床に散らばる仕事から目を逸らしながら一仕事が終わった後の一杯だとばかりにお茶を流し込んだ。新人が入れたお茶は、何だか変な味がした。新人だから慣れていないだけなのか、雑巾の絞り汁が混入しているからなのかは悩ましいところだが、できれば前者を真実に推したい。本当に嫌われてないよな……?

 深遠な命題に想いを馳せている内に、話題は転換する。

 

「でもこの間のヒヨコを頭に乗せた赤色の動物はちょっと怖かったかも」

「まあ、辺境の特定危険魔法生物の一種だしね。怖いというか危ないというか……。密猟者が何かしらのアクションを起こさない限り、今後関わることはそんなにないだろうから大丈夫だよ」

「でもあんなに強いのに密猟者が狙わない未来が見えないよ……。うう、最悪、あの生物の無人世界への運搬をウチが担当するんだろうなあ……」

 

 過程が飛んでいてどこから派生した話なのかがわからないが、どうやらこの前の仕事で遭遇したよくわからない魔法生物についての話のようだった。

 

「はあ、仕事したくない」

「僕もしたくない。エリオ、ちょっと仕事手伝ってくれ」

 

 肩を竦めて拒否を示すエリオ。

 キャロを見る。氷と鋼鉄の笑顔で躱された。

 誰か手伝えという念を視線に込めて辺りを見回す。副隊長が下手くそな口笛を吹き始めた。というか、副隊長の肩書き持ってるくせに一般隊員と仕事量変わらないのは何でなんだお前は。上から回される書類に僕が書かなくちゃいけないやつが多すぎるのは副隊長の仕業なのではないかと邪推が元気よく自己主張を始めた。いやだって何かやたら怪しい外見と口調してるし。

 

「僕が手伝っても三倍の量の書類が二・五倍になるだけだよ。フィアッテがやらないといけない書類ばっかりなんでしょ、それ」

「そうだけどさ、ほら、友情パワー的な何かでなんとかなるといいなと」

「カリムさんと同じことを……」

「ただでさえ頭痛いのに嫌な名前言わないでよ。気が滅入る」

「あ、それもこの前カリムさんにフィアッテの名前出した時の反応そのままだ。仲悪いように見えるけど、もしかして本当は案外相性良い?」

「ぶち殺がすぞ」

 

 眼球裏返して吐きながら悶死しそうだ。憤死でも可。

 相性悪すぎて一回転してるから見せかけの位置は重なってるように見えるだけだ。

 ていうか、友情パワー云々とかとち狂ったこと言ってたのか、カリムさん。やっぱり教会関連で迷惑かけ過ぎたかなと、ありもしない反省を掘り起こしそうになった。

 

「あ、やっぱり仲は悪いんですね」

「いや、外見は一応好みと言っても差し支えないんだよ?人格も尊敬できるし、特に目立った欠点もないとは思ってる。でも生理的に無理。向こうも似たようなこと言ってたし、仲良くはなれないさ」

 

 映画俳優の魂を憑依させ、オーバーリアクション気味に両手を広げて無理であることをアピールする。

 何せ、初対面で失礼なことをしまいと気を付けている状況での第一声が、互いに「うげ」である。こうなってくるともう、仲良くなろうと思うこと自体が相手への失礼に当たるのではないんじゃないだろうか。関わり合いにならなければいい人だねうふふで済むんだから、もうそれでいいだろうよ。

 ……とは言ってもお互い立場があるし責任もあるから、中々そうもいかないんだけど。

 目下解決する予定のない悩みを膨らませながら、散乱した書類を回収する。一瞬だけ、この書類を全部紙屑に変えてゴミ箱に捨てたらどうなるのかとか考えたけれど、そうすると僕の職まで捨ててしまうことになりかねないと思い直した。

 

 年を経るにつれて、色んなものにがんじがらめで、できないことが増えていく。

 昔は良かった、などと年配を気取るつもりは毛頭無いが、それでもしがらみがなかった昔は割と好き勝手動けてたよなあ、と懐古に耽る。具体的には、エリオを気にせずにキャロにアタックとかしてた。全く気付かれてなかったけど。昔も今も変わってないのはそんなところだけのような気もするから、何だか複雑な気持ちだ。

 

「────────」

 

 気だるさを隠さずに書類を整えていると、背中に視線を感じた。軽く頭を傾けて確認してみると、エリオが何かを言いたそうな目でこちらを見ていた。

 

「何かあるの?」

「いや、ちょっと……うん、これは余計かな。やっぱり、何でもない」

 

 おかしな奴だな、とは別に思わない。今のエリオは頭の中身が小春日和にハッピーな状態だから、どうせ余計なことでも言おうとして思い止まったのだろう。だが、思い止まったということはそろそろ春も終わりが近付いてるのかもしれない。口内から爽やかな南国の風を吹かせる常夏系エリオにならないことを切に願おう。

 

「何だよ、気になるな」

 

 会話に思考を介在させずに、完全に流れだけで切り返した。

 

「あー……?いや、よく考えたらここで言うことでもなかったかなとか。プライベートかつデリケートなことだし」

「ん、自分で言うのも何だけど僕って結構適当だし、僕が気にするような話題なんてほとんどないと思うんだけどな」

 

 キャロとカリムさんくらいだろうか。話だけで感情に直接アクセスしてくるようなものは。

 死んでもいいくらい好きな人と、死ぬほど合わない人。

 極端だよなあと頭を捻りながら、手首を上下に駆動させて気にしなくてもいいとジェスチャーで表現した。

 

「僕が気にするんだよ」

「…………おや」

 

 先ほどまで言葉のキャッチボールで危険球を連発していた色ボケ男の言葉とは思えない、気遣いと慈しみに溢れた言葉。これそんなに真面目な話題だったのかなとか思いながらも、エリオの瞳を凝視して視線の鍔迫り合いからの受け流しを試みる。当然、透過した視線に眼球を突き刺された。

 

「何さ、その気の抜けた声は。もしかして、僕が気を遣うのが意外だとか思ってる?」

「いや、桃色にボケてたエリオの脳細胞が急に元に戻りに出したんで、つい」

「色ボケしてたことは否定しないけどさ……」

「というかエリオ君、さっきまでは若干ウザキャラだったしね。こう……良く言えば幸せに満ち溢れてるというか、悪く言えば恋愛脳のスイーツというか」

「キャロまで!?」

 

 今までの鬱憤を晴らすかのようないい笑顔で、キャロが言い放つ。手は両方ともグッと握られ、音声をオフにすれば応援をしているのかと勘違いしてしまいそうだ。まさかキャロからも罵倒されるとは思ってなかったのだろう、孤立無援となったエリオは味方を探そうと目と首をしきりに動かしていた。

 そして、エリオの首がある一点で固定された。

 その目は静かに熱く燃え、ルーテシアに告白した日のエリオを思い出す様相となっている。話題が話題でなければ、思わずシリアスな雰囲気に飲まれてしまっていただろう。

 

「……副隊長!援護お願いします!」

 

 瞬間、室内の全員の視線が副隊長に向いた。不健康で脆そうな白い肌に数々の視線が突き刺さり、若干痛そうだ。あまりにも熱烈な視線が集まったものだから、彼女の顔面に日焼け止めクリームを塗りたくりたくなった。

 幽鬼みたいな形相でゆらりと副隊長が立ち上がり、曲がった背中を揺らしながらのそのそとエリオの隣まで歩いてくる。そしてしばらく風に揺れる柳のようにふらふら立ち尽くし、十分に注目が集まったところで副隊長が口を開いた。

 

「仕事ぉ、しろ」

 

 時刻は午前十一時二十三分。

 定時にはまだまだ遠いのだった。

 

 

 

 

 

 

 




Q.随分間隔が空いたけど?
A.一つ短編書こうとして断念したのと、あと普通に遅筆だから……

Q.エリオちょっとキャラ違くない?
A.ルーテシアが仕事帰りに週一くらいで裸エプロンで出迎えてくれたら浮かれる……浮かれない?






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逢いたくなかった君がここにいる

 

 

 

 

 

 ここのところ妙に右手が疼くと思ったら、腱鞘炎だった。

 二日目くらいまでは、僕も遂に僕の封印されし右手が云々とか言っている余裕があったが、三日目で焦り始め、四日目にてようやく危機感を抱いて病院に行ったら腱鞘炎だと診断された。僕の右腕に何らかの存在が封印されていなかったことに安堵の息を漏らしつつ、書類ばかり押しつけてくる管理局の仕業だと責任の所在を上部に放り投げる。

 幸いなことに、魔法の発展した現代医療のおかげで僕の腱鞘炎は数日で治るらしく、この数日間の仕事をしない言い訳ができて寧ろ嬉しいくらいだった。

 

 力を入れる気のない手をぷらんぷらんと揺らしつつ、太陽の光が分厚い雲に遮られて薄暗い病院の帰り道をふらふらと力なく進む。空を見れば、今にも灰色が黒色に変わりそうな曇天に湿気が加算されていた。傘を持ってくれば良かっただろうか。湿気で濡れた土の香りに気が滅入りそうになる。

 

 都会と田舎を行き来する景色。中途半端に開発が進んで停滞が町中に蔓延しているような空気が薄暗い天候と融合して、活気のあるゴーストタウンみたいなよくわからない感想が浮かび上がってきた。

 狭い道幅には人工物だけが幅を利かせているのに対して、自然の割合は極端に少ない。見える緑がせいぜいアスファルトを突き破ってモグラ叩きのモグラごっこに勤しんでいる雑草くらいのもので、宇宙船ミッド号の一員として思わず苦言を呈したくなりながら脚を動かす。

 人の影が見当たらない寂寥とした雰囲気の町並みの角から、人影が近付いてくるのが見えた。

 もしテロリストだったらどうしよう、とか考えることができるのも、治安の悪いミッドチルダだからこそできることだ。いいことかどうかは別にしてだが。

 

「あら」

「おや」

 

 サラサラとした長い金髪に、上品そうな顔つきが目に入る。パーツパーツを見ると好みの範疇なのだが、全体を総合してカリムさんというフィルターを通して見ると、その全てが生理的嫌悪を催すものに早変わりだ。

 カリムさん。

 そう、カリムさんである。

 顔を見た瞬間、心を瞬間冷凍して出会い頭に罵声を吐かないように気を付けた。同時に顔面も接着剤で塗り固めて、内側に蔓延る不快感を外に出さないよう苦心する。

 彼女の顔も僕に遭遇してからというもの、微動だにしていないところを見ると僕と同様なのだろう。その気持ちはよくわかる。現在進行形で僕も味わってるし。

 

「こんにちは」

「ええ、こんにちは」

 

 湿った空気中の水分を吸い取りそうなほど、表面だけの乾いた挨拶を交わした。

 言うだけ言って、足早に去ろうとする。互いに町中で偶然会っただけで世間話をするような間柄でもないし、話したとしても誰も幸せにならない。強いて言うなら頭痛薬や胃薬作ってる会社ぐらいだろうか、得するのは。

 腱鞘炎の痛みと今日の晩ご飯の内容に意識を向けて、カリムさんのことを頭の中から追い出そうと試みた。既にカリムさんは後方に過ぎ去っていったから、多分強制退去は容易だろうと踏んで脳味噌をぎゅるんぎゅるん回して思考を切り替える。

 

「────少し、お時間よろしいですか?」

 

 ……全力で、よろしくないとか言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カリムさんに連れられて入った喫茶店は、屋外の閑古鳥が合唱をしている様子に似つかず大盛況だった。満席をいいことに、店員さんに男女の二人組だからという理由だけであれよあれよとカップルシートに案内されかけたので、慌てて断った。吐きそう。

 普通の席に案内されてから、カリムさんは鋼と氷の微笑を顔面に浮かべたまま微動だにしていない。何とも格闘に弱そうだとふざけた感想を持てるくらいには、僕にも多少の心の余裕ができている。だが、気を抜けばすぐに酸っぱい液が食道を登ってきそうだから、安心はできない。

 

 注文を終えてから一言も喋っていない現状に不思議はなかった。誰だって、嫌なことはできるだけ後回しにしたい。さっさと飛び降りればすぐに終わるとわかっていてもいざバンジージャンプの台に立つと躊躇するのと一緒だ。僕はぶっちゃけ彼女と話したくない。きっと彼女もそう思っているのだろう。

 居心地の悪さと抑えきれない不快感を何とか誤魔化すべく、紅茶に砂糖を入れて胃に流し込む。カリムさんが誘ってきたのだから、料金は彼女持ちだ。人の金で飲む紅茶はいつも以上に美味しい気がしたが、現在顔を突き合わせている相手がカリムさんだということで相殺されていた。

 

「……何かご用でしょうか?」

 

 沈黙に飽きてきたと言うより、これ以上カリムさんと向き合って座っているのが耐え難くなって言葉を発した。

 

「あら、フィアッテさんが素敵でつい見入ってしまいました。話をするのを忘れるほど熱中してしまうなんて、いやですね」

「いえいえ。カリムさんも相変わらずお美しく、僕も危うく見蕩れてしまうところでしたから、お互い様でしょう」

「まあお上手」

 

 白々しく内心と舌先を乖離させて八百じゃ足りない嘘を吐き出す。人工的な笑顔を顔にべたべたと塗りたくり、なるべく建前だけで自身の表面を構成しようと試みた。カリムさんと話す時はいつもこうだが、本音を少しでも外に出すとそれに罵倒が付随しかねないから仕方のない措置だろう。僕だって無意味に波風を立てたいわけではないのだ。

 うふふあははと一通りピーマンのような談笑を披露した後、もういいだろさっさと本題に入れよと眼力で促した。だがカリムさんは僕の電波を受信できるほど感度良好ではなく、煽ってるのかと思うほどにこにこ口角を吊り上げる。

 

「フィアッテさんとこうして二人きりでお茶するなんて、初めてですね」

「ええ、何しろ僕のような身分では首長様にお目通りするなんて、とてもとても」

「首長様って私のことですか?いつの間にそんなに出世したんでしょう、私。でも、もしそうだとしたらフィアッテさんに気軽に会えないのは悲しいですね。首長の座を引退してシャッハにでも明け渡してしまいましょうか」

「いえいえ、そんなことをしたら全人類の損失です。カリムさんはどうぞ、終身名誉首長として風の噂だけで僕にそのご活躍を教えて下さい」

「それがいいですね。もし気軽に顔を合わせることができてしまったらきっとお互いの愛が溢れ出して仕事が手に付かなく……すみません、ちょっと吐き気が。風邪でしょうか」

 

 カリムさんが笑顔のまま表皮に土気色をまぶして、紅茶を流し込んだ。紅茶によって上下に移動する喉が少しだけ扇情的に見え、僕も胃液が逆流を開始しそうだ。

 けほけほと、わざとらしく咳き込んだカリムさんが角砂糖を紅茶を介せずに口に含んだ。その様子にリンディさんを思い出して、歳を取っても外見の変わらない秘訣は糖分の過剰摂取にあるのかと戦慄する。最近、過労か何かで肌に張りがなくなってきたと愚痴っていたはやてさんに教えてあげるべきか否か。

 

 一度話が途切れてしまうと、口を開きたくないという空気がお洒落な喫茶店の一角に蔓延する。僕たちとは無関係な、楽しげな雰囲気の会話だけが鼓膜に反響して紅茶が進む。その空気は、誰も発言をしなくなって停滞した会議の雰囲気にちょっと似ていた。

 

「……………………聞きましたよ。ミュッケテを捕獲したのは、フィアッテさんなんですね」

 

 数度、口を開こうか否か逡巡したように金魚の物真似を披露した後、一瞬だけ苦虫を咀嚼した顔になってから、カリムさんは話し始めた。

 

「ミュッケテ……?」記憶を検索中、該当が中々見当たらない。「…………あ、オリヴィエか」とか言いそうになったけど、ギリギリのところで踏み止まった。これ以上喧嘩を売って何になるというのだ。

 

「いえいえ、僕だけの成果ではありませんし、むしろ僕が手伝っただけのような形になりまして。報告は僕が捕まえたってことになってますけど、本当に働いたのは別の人ですからね」

「それでも管轄外の職務なのに多大な貢献をしたのですから、賞賛はされるべきですよ」

「僕のしたことなんてほんのちょっと、しかも誰でもできるようなことですから、過大評価を頂いても返却せざるを得ません」

「まあ、そう言わずに受け取ってくださいな。教会としても、今回の事態には大騒ぎだったんですから」

 

 危うく管理局とも喧嘩になるところだったんですよ。

 カリムさんはそう言って上機嫌そうに見えるように顔を作って笑い、唇に指を置く。動作だけは魅力的で、キャロがその動作をしたらと想像すると、顔と頭の中が茹だったように熱くなった。とはいえ、カリムさんが目の前にいるというのにいつまでも想像上のキャロにかまけてもいられない。いや、本音を言うといつまでもかまけていたいのだが、それをしていたら無意識下でカリムさんを罵倒しかねない。

 相変わらず、コントロールの効かない身体である。誰かが設計段階でリモートコントロール機能を付けてくれていればこんなことで悩まなくとも良かったのに、と責任転嫁を電波に乗せて遥か彼方に飛ばした。

 

「それで────」

 

 ふっと、雰囲気が変わる。

 今までの薄っぺらいだけの笑顔でなく、胡散臭さと敵意か警戒心かわからない何かが付随された薄っぺらい笑顔。ちなみに、厚みが変わらないのはデフォルトだ。きっと僕はこの人の心のこもった笑顔を生涯見ることがないだろうという確信があった。実際、今までもなかったし。

 

「ミュッケテを捕獲する際、何かありませんでしたか?」

 

 硬直しかけた身体と額に噴出した汗を誤魔化すべく、ぽりぽりと頭を掻く振りをする。

 もう痕が残っていないにも関わらず、右手の甲を左手で隠した。

 

「……何か、ですか。随分アバウトな質問ですね。そういえば、駐車違反の車を見つけましたが、緊急事態ということもあって見逃してましたっけ」

「いえ、そういうことでなく」カリムさんの吹けば飛ぶような薄っぺらい笑みが、彼女の顔面から離脱した。きっと空調の風が当たったのだろう。「誰かが、そのロストロギアに傷を負わされませんでしたか?」

 

「……………………」

 

 落ち着け。

 落ち着け落ち着け落ち着け。

 カリムさんとはここで偶然会った。呼び出されるわけでもなく、まったくの偶然だ。だから聖王教会の総意として行動してるわけじゃない。聖王教会としての意志なら、僕を拉致るか、呼び出すか。その二択のはずだ。それにカリムさんは自分の立場────聖王の遺伝子の所持者と結婚しかねない立場にいるということも、わかっているだろう。なら、大丈夫だ。彼女が僕と結婚する可能性を残しておくなど、世界が一周でもしなければありえない。もし一周しようとも、そうしないと世界が滅ぶ云々でもない限り、ないと言っていいだろう。

 だから、大丈夫。

 もし嘘がバレたとしても、きっとカリムさんなら見逃してくれるはず。

 

「……いえ、ざっと思い返してみましたけど、特に怪我をした人はいませんでしたね。ですが、僕が見つける前となるとわかりませんね。お役に立てなくて申し訳ないです」

 

 声が震えないように気を付けて、ゆっくりと発音を意識しながら言った。多少の演技臭さは抜けきらないかもしれないが、演技臭いのなんてカリムさんとの会話では今更のことだ。管理局や教会の重役たちと腹芸の最前線でご活躍なさってるカリムさんの演技と比べると劣るだろうけど、だからといってバレる道理もない。

 

「そうですか」

 

 と、あっさり引き下がるカリムさん。にこやかな笑い顔に隠しきれない安堵の色が浮かんでいるのを見るに、僕がオリヴィエによって負傷したかどうかは、彼女にとって多大なるストレスをかけ続けていただろうということが容易に予想できる。僕だって彼女の立場にいたとしたら、四六時中胃を痙攣させてマーライオン(第97管理外世界の吐瀉物を摸したモニュメント)の山を築いてもおかしくはない。

 

「それなら良かったです。万が一にも誰かが怪我をしていたら、それはもう大変なことに……」

 

 カリムさんが口を開いたまま、一時停止した。そして、筋肉を鉱物に変えたまま顔を青く変色させて、ブロンズ像の気分でも味わっているかのように体温を下降させる。きっと大変なことを具体的に想像してしまったのだろう。僕もちょっと気持ち悪くなってきた。

 

「……と、失礼」カリムさんが僕を手で制して、錠剤のようなものが入った小瓶を取り出した。瓶の中から錠剤を二粒手の上に移し、一気に胃の中に落とす。「大変失礼しました」

「いえ、お気になさらず。それは?」

「胃薬です。お一ついかがですか?」

「いただきます」

 

 カリムさんとの間に形成された見えない壁を手だけ通過させて、胃薬を貰う。間違っても手に触れないようにと気を付けて高所から落下した胃薬は、僕の手で一、二回バウンドしてからギリギリ掌に収まった。「ととと」と思ったら角度の影響で落ちた。根性の足りない胃薬だと思ったが、きっと若いから跳ねっ返りも強いのだろうと、年長者としての寛容さを見せ付けることにした。この胃薬の製造日は知らないが、まさか二十歳を超越する秘伝の薬ということもあるまい。

 落下した薬を拾って、口に放り込む。面白みのない味が口中に広がって、紅茶の味に染まった舌を塗りつぶした。こんなことなら紅茶を残しておけば良かったと思うが、カップの底の紅茶の残りからは時間を戻してやろうという気概が感じられない。これだから最近の若いもんはと自分の年齢を棚に上げながら悪態をつく。

 

「…………」

「…………」

 

 しかし、こう一度黙り込んでしまうと沈黙が中々解除されないのは何とかならないものか。

 話がもう終了したから黙ってるのか、ただ僕なんぞと喋りたくないから黙っているのかが判別しにくくて膠着状態に陥る。

 いたずらに時間だけが走り去っていく中、腱鞘炎の違和感と痛みだけが僕を現実に留まらせる。

 もういっそトイレに行く振りしてさっさと帰っちゃおうかなとか思ってたその時だった。

 

「お客様、申し訳ありませんが相席はよろしいでしょうか」

 

 僕らをやたらとカップルシートに案内したがったウェイトレスさんが、意識の外側から声を掛けてきた。このどうしようもない状況に颯爽と現れた救世主のご尊顔を一度でも拝謁してみたいと思って、焦点をカリムさんの後ろの壁から動かす。

 そして、目を見開いた。

 思わず顔に貼り付けた表情が崩れそうになる。理由はわからないが、特に意味のない汗が額を支配する。

 光を反射する金髪に、眼鏡の奥の穏やかな瞳。どこかで見たような見目麗しい、優しそうな顔が僕らを見て、ゆっくりと微笑む。歳は二十代前半といったところだろうか。誰とは言わないが、仕事に疲れた三十路間近の女性よりも、肌にハリがある。だからといって、リンディさん以下不老族特有の妙な威圧感も素顔の見えないような感じもない。見たままの年齢のようだ。  

 

 というかぶっちゃけ、カリムさんからリボンと嫌悪感を抜いて眼鏡を足したような人だった。

 入り口からほどほどに遠いこの席にわざわざ来た理由も、カリムさんの妹(もしくは親戚)だという理由ならば説明が付く。

 カリムさんっぽい外見をしていながらも、僕に嫌悪感を抱かせない存在というのは、驚愕の一言に尽きた。何故だか脳味噌がぐるぐる回転している気がする。

 

「お久しぶりです、カリムさん」

「ええ、お久しぶりですね」

 

 僕からでも安堵が目に見て取れていたカリムさんが表情をくるりと変えて、うふふと優雅に笑った。堂に入った変わり身の速さに、流石白い肌を持ちつつ腹の中を黒くするリバーシブルのプロだと感嘆の息を漏らす。

 

「えっとそっちの人は……ああ、フィアッテ・アリネール君かな。君のことはよく聞いてるよ」

 

 まるで最初からいて、ついさっきトイレから戻ってきたかのようなほど自然にカリムさんの隣に着席した。彼女の後ろでふわりと広がる金髪がカリムさんの髪と重なって、微妙にカリムさんの方が色素が薄いことが確認できる。注目したいわけではなかったが、大きな女性のシンボルが僕の視界に入ると同時に、脳内に潜むキャロを虐待し始めた。

 

「私はユーノ・スクライア。なのはがいつもお世話になってるね」

「いえいえ、なのはさんにはどちらかというといつも僕の方がお世話になってます……うう?」

 

 ユーノさんの柔らかい微笑みに対応して失敗する。顔を製造途中で崩したお好み焼きみたいに歪ませて、怪訝を隠さず顔面にぶちまけた。

 ユーノ。僕の知ってる上では男性名である。

 しかも、その名前を僕はなのはさんの口から聞いたことがあった。

 確か、気になっていた男性として。

 

「ん?どうかした……ああ、私の性別についてかな?」

「あんまりお綺麗なんで、つい驚いて見蕩れてしまっただけですよ」

 

 気の利いてなおかつ粋な言葉を思いつかなかったので、使い回しの褒め言葉を急遽代用品に採用した。だけど、僕の見てきた女性の中でもトップクラスに綺麗な容姿をしていたので、あながち嘘だらけってわけでもないかもしれない。男性なのに。

 

「ふふ、ありがとう。でも、そういうのはちゃんと女の子に言ってあげないとだよ?ほら、ちょうどそこにも女……の子とは言い難いかもしれないけど、綺麗な女の人が」

「ユーノさん?」カリムさんが僕に向けていた笑顔と同等のものをユーノさんに向ける。

「事実だし、無限書庫の仕事も教会から回ってくるものが多くなってるし、意趣返し代わりにこれくらいの冗談は許されるんじゃないでしょうか?」

「そんな綺麗な肌しといて寝不足とか言われても信じられませんから」

 

 カリムさんの言うとおり、おそらく同年代のなのはさんたちと比較してもその肌年齢は一目瞭然につるぴかほっこりと若年層を維持している。うむ、擬音が意味不明だ。

 

「これでもシミとかシワとか色々気を遣ってますからね。いざとなったら変身魔法の応用で誤魔化せるとはいえ、あんまり使いたくない手段ですし」

「……ああ、その胸、手術とかじゃなくて変身魔法なんですか」

「そ、昔なんかはフェレットになってた頃もあったしね。ちゃんと感覚も通ってるんだよ?……フィアッテ君、触ってみる?」

「大変心惹かれるお誘いですけど、家訓で誰かの胸を触る時にはお金を払わなきゃいけないことになっているので、無一文の僕には難しいですね」

「そっか、残念」

 

 くすくすと笑って、ユーノさんが店員にチョコレートパフェと紅茶を注文する。どうせカリムさんの奢りなんだし、せっかくだから僕も追加注文しておけばよかったと思いつつも、既に去った店員を呼ぶだけの情熱もない。無くなった紅茶のカップを見ながら、氷が明らかに過剰に入った水に口を付けた。

 

 そういえば、ここ、キャロが今度行ってみたいって言ってた喫茶店だっけ。どうせだから、今度連れてくるのも……うーん、僕にそんな度胸あるかなあ。いくら望みが絶ち消えたとはいっても、キャロを好きなことには変わりないし、どっちかというと三歩下がってストーカーするのが僕の性分に近い気がする。こんなのが管理局のそこそこの役職にいるのだから、もう管理局は駄目かもしれない。

 

「……そういえば、何でそんなことになってるんですか?今まではあえて聞かなかったんですけど」

「一身上の都合というか何といいますか……無限書庫の仕事のストレスで女装にハマったのがエスカレートした結果ですかね?」

 

 マジで駄目かもしれんな管理局。

 いや実際、公務員のくせにブラックすぎだし、重要物の管理は杜撰だし、管理局本部のあるミッドチルダの首都はテロ祭だし……。考えれば考えるほど、僕の所属している組織が詰みすぎて笑えてくる。JS事件からかなり無理がある組織なのはわかってたけど、今では若干敵視していたレジアスさんに敬意を抱いてしまいそうなほどアレな組織だ。給料貰えるしキャロがいるからどうでもいいけど。

 

「あと単純に、この姿が好きなんです。気持ち悪いって思われるかもしれないけど、好きなものを堂々と好きだといえない方が私にはもっと恥ずかしいですから」

 

 思わず、笑顔が乾きかけた。今まで様々なチャンスがあったにも関わらずキャロに気持ちを伝えられないまま可能性をゼロにまで引き下げた僕には、耳が痛い言葉だ。

 厄介……あー、厄介でいいのか?うまく心内を表現するのは困難極まるけれど、荒れ果てた心が焦燥と後悔と疑問あたりの何らかの成分を燃料に、キャンプファイヤーを始めた。そんな穏やかにはほど遠い内心を表皮に表さないよう気を付けつつ、目立たない受け答えをする。

 

「へぇ、そういうの、いいですね」

「そうですか?フィアッテさんはむしろ、秘匿を美徳とか考えてそうですけど」

 

 おおっとここでカリムさんのインターセプト。

 本人にその気があるかは知らないが、僕にとっては卑劣な嫌がらせである。

 

「やはり人間正直が一番ですよ」

 

 言ってはみたものの、説得力は皆無どころかマイナスに近い。日常的に嘘ばっかり吐いて顔面の筋肉が笑顔のまま凝り固まった人間だからこそできることなのだと、無意味に勝ち誇ってみた。でも、この理屈だとカリムさんにも当てはまりそうだから、上手く勝ち誇れるかだけが心配だ。

 

「……まあ、そうですよね。正直でいられるなら、好きなものを好きと言えるのなら、それが一番いいことでしょう。教義でも汝欺くことなかれ、とかありますからね」

 

 カリムさんが何故か不満げに、頬を掻きながら目を伏せた。ひょっとしたら彼女は僕のことを好きなのかな、とか冗談でも思うんじゃなかったと吐き気を堪えながらさっさと考えの破却に努める。今の思考を司った脳の一部分だけをハンマーで原形を残さなくなるまで磨り潰したい。

 

「ま、正直に表現した結果、全てうまくいくならそれでもいいんですけどねえ。そういう言葉は、イマイチ信用しきれませんね」

「教義はどうしたんですか?」出てきたパフェを、女の子っぽくちまちま食べながらユーノさんが尋ねる。

「今はプライベートですから」

 

 本当に困ったものですよ。

 そう呟くカリムさんは今までの鉄と血で作った工業物みたいな表情が乗っていない、まるで困った我が子を心配するような母親の顔のような顔をしていた。外見的には似合うけど、僕の視点からだと似合わない。その姿を物珍しげにぼんやりと眺めていると、「あなたのせいですからね。あー、もう。ホントふざけないで……」言ってから、顔を青くして急いで表情を取り繕った。

 僕の前で気が緩みすぎた結果だろう。理性でなく本能で嫌っているのだから、理不尽な罵倒だって理性でなく本能で出る。しかし、カリムさんがやらかすとは珍しいな。僕みたいな若造なんかよりもよぽど経験積んでる古狸だっていうのに。

 疑念と困惑を前面に出すと、カリムさんが真面目な顔で言葉を発した。

 

「女の子は大切に扱いましょう」

「……はいぃ?」

「復唱してください」

「…………お、女の子は大切に扱いましょう」

 

 あまりにも真面目な顔で何とも言えないような内容の言葉を発するのだから、一瞬だけ思考がその仕事を完全に放棄してしまった。そして、そんな僕の様子を知って知らずか、カリムさんは表情を変えずに続ける。

 

「自分の考えは素直に相手に伝えましょう」

「……自分の考えは素直に相手に伝えましょう」

「許容と妥協は同じものではありません」

「許容と妥協は同じものではありません。…………すみません、何の儀式っすか?これ」

 

 何だろうか。今更道徳の時間?……いやでも、そんなもの昔腐るほど受けたからなあ。身についたかどうかはともかくとしてだけど。

 僕の疑念と同様のものをユーノさんも抱いたのか、小さな顎を指で摘んで、じーっとカリムさんを見る。小首を傾げてぽくぽくと何かを考える仕草は女性よりも女性らしい気がして、……何かなのはさんに猛烈に同情の念を抱きたくなってきた。

 

「気休めにもならないおまじない程度のものですよ。まあ、ほとんど意味なんてないんでしょうけど、私の精神的に若干の差異はあります」

 

 やる気のない疲れた笑顔をうんうんと頷かせ、あからさまに僕を責めている雰囲気。経験を元に何が言いたいかを類推してみようにも、カリムさんがこんなに感情を表に出すなんて僕の前ではほぼ初めてと言っていいかもしれないので、予想ができない。何かを伝えようとしてなのか、つい出てしまったのかさえ区別が付かない。ホント僕にとってこの人は謎生命体で、この人との接触はいつも不快な未知との遭遇だ。

 悪い人じゃないのは、わかってるんだけどねえ。

 

 そろそろカリムさんと一緒にいる拒否反応としての頭痛と腱鞘炎による右手の違和感だけが目立ってきた。キャロのことを考えてなんとか精神衛生を正常に戻そうと苦心していると、ユーノさんが不意に、顎から手を外して目線を地面と平行にした。

 そして、一言。

 

「もしかして、カリムさん。フィアッテ君のこと好きなんですか?」

 

 唐突に投下された爆弾は不安定な僕の精神衛生をぐじゃりと嫌な音と共に崩して脳内に虫を這わせてでろでろと液体化した脳髄が鼻から垂れてきそうな感覚を伴って決壊した。

 

「ちょっと失礼しますね」

「少し失礼します」

 

 僕らは同時に立ち上がって、なるべく顔面の色を海底人から白色人種に戻しながら「あ、ちょっと、ごめん冗談冗談!」というユーノさんの制止を聞いてる暇などなく競歩のスピードで一直線。行き先は青い丸と逆三角形ぬ組み合わさった記号の付いた扉。カリムさんは赤い丸と三角形の扉だろう。時間の余裕など一切ない、緊急事態に痙攣する胃の中が捻れて回転してを繰り返すように暴れる。

 目的地に到達するなり、僕たちは他の人の迷惑とか考えてる間もなく勢いよく扉を開き、速やかに内部に侵入して扉を慣性の任せるままに閉じた。そして、白くて陶磁器のようにつるつるとした表面が僕を映し出す蓋をどけて、底の見える透明な水を見つめ────

 

 僕は吐いた。

 

 

 

 

 

 

 




Q.まーたゲロか
A.ゲロから始まったから、まあ多少はね?

Q.ユーノ君……?
A.ユーノちゃんです




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ここでしか咲けない花

 

 

 

 

 

『明日、アルトセイム自然公園にて待つ』

 

 教養が伺える厳格な文面と文字が昨日、僕の家のポストに入っていた。荒々しくも繊細に筆で書かれた文字は狭い紙の世界に収まりきらず、今にも外界へと羽ばたいていきそうな雰囲気を漂わせながら僕の前に立ちはだかる。宛先は書いていないし、氏名もなし。はっきり言って怪しいことこの上なかった。

 当然、僕はこれをラブレターだとか思うほどおめでたい頭をしていないし、この文面を書いてラブレターだと言い張るようなおめでたい頭をした奴がいるとも思えない。消印がなかったということは直接投函されたんだから……アインハルトちゃんの呼び出しか、シスターシャッハの果たし状あたりが妥当といったところだろうか。大穴で、思考能力を投げ捨て本能に身を任せたカリムさんが用意した暗殺用の手紙というのもあり得る。こんな頭の悪い思考を、ないと断じることができないのが恐ろしいところだ。

 

 

 改めて僕の手の上に乗っかる手紙を凝視してみても、内容が変わるわけではない。むしろ、力強く書かれた毛筆の文字はますます強く紙にへばり付いているような気さえしてくる。

 何だ。この魔法とデジタル全盛期のこの時代に毛筆の手紙とは古風で味な真似をするものだとか言ったらいいのか。情報媒体にはあまり興味を持たない僕としては、情緒よりも先に困惑が来てしまうのだが、どんな反応をするのが正解なんだろうか。

 何気なく電気に手紙を透かしてごろりと寝転がる。フローリングのひんやりとした硬質感が僕の熱を奪って、睡魔を活発化させる。僕を飲み込みそうな睡眠欲と格闘しながら、ごろりと横に転がった。

さて、約束の日は今日なんだけど……。

 

「今日のいつなんだか」

 

 今日だということは本文にでかでかと書いてあったが、細かい時刻は指定されていなかった。今の時刻は午前九時。今から行っても徒労になる可能性が高いのが目下の悩みだ。

 だからといって、特にやることもない。腱鞘炎のせいでパソコン弄ったりお持ち帰りの書類仕事は無理だし、本を読みたい気分でもない。

 仕方がないのでテレビのリモコンを無造作に引き寄せて、寝転がったまま電源を入れた。怠惰に飲まれて特に見たくもない番組を眺めていると、時間が僕の動きとは関係なく流れているように感じる。一日を無為に過ごしているような気がして、謎の焦燥感が湧いてくる。ふと壁に掛けているクラシックな時計を見ると、時刻は午前十時。時間が吹っ飛ばされたことを疑いたくなった。

 

 テレビでは変わらず、面白みがあるんだかないんだかわからないような、バラエティーとニュースの合成物を映し出している。その番組でなのはさんが『あの人は今』みたいな扱いを受けていて微妙な気分だ。最近はメディアへの露出も控え目だから仕方がないことなのかもしれないけど。

 

 そんな風に考えていると、デバイスが単調な音楽で着信を知らせてきた。インテリジェントデバイスだったらこういう時、喋って知らせてくれるのかなと思ったが、よく考えたらヴィヴィオちゃんのクリスは喋らないか。

いやまあ、僕にはストレージが合ってるんだけどさ。

 

「……げ。カリムさんからだ」

 

 着信先を確認すると、恐らくは一生使うことはないだろうと思っていた番号が表示されていた。まさか、大穴が正解だとは。

 

「………………はい。アリネールです」

『今何してるんですか?』

 

 間髪入れずに、カリムさんの声が耳に響く。ちなみに、徒らに不快感を刺激しないため、サウンドオンリーだ。空中に映し出されたディスプレイには黒色しか見えない。

 声質に若干苛つきが混じっているのは、僕なんぞに通信回線を割くからか、それとも。

 

「何って……自宅にいますけど」

『すぐにアルトセイム自然公園に来てください』

 

 言うだけ言ったら、すぐに通信は打ち切られた。

 

 ……まさかとは思うけど、マジで大穴?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルトセイム自然公園は、基本的にストライクアーツの非公式決闘場として知られている。

 そのため、土日はDSAAを目指す子供や、やたらガチな戦いを繰り広げる大人たちで溢れかえり、武術の心得のない僕には居づらい場所となっている。自然保護の観点から言ったら、正直どうなのかといったところだ。だが、今日に限っては人気が少ない。絶滅危惧種だったはずの木に蹴りを入れている少女はいないし、腕立て伏せをする男の上で腕立て伏せをするマッチョマンたちもいない。

 何があったのだろうかと首を傾げたが、アインハルトちゃんが近い内にストライクアーツの大会があると言っていたのを思い出した。きっとそれが今日だったのだろう。

 

 ……つまり人目に付かないということだ。絶好の暗殺日和である。逃げたい。超逃げたい。というか逃げるって選択肢もあったんだよな。何で逃げなかったんだ、僕。

 急下降するテンションの中で、唯一後悔だけが元気良く募り出す。しかし、ここまで来ておいて今更引き返すのも、若干疲労を感じ始めてきた脚は許さず、処刑場に行く死刑囚の気分で、上手く説得できないかなあと希望的観測を唱えた。

 

「フィアッテさん!こっちですよ、こっち!」

 

 戦々恐々としながら向かったその先には、揺れる金髪。しかしながら、カリムさんのストレートではなく、比較的見慣れたサイドポニー。

 

「……あれ、ヴィヴィオちゃん?」

「あれって何ですか、あれって。もう。遅いですよー、待ち合わせ時間は九時だったのに」

「……待ち合わせ時間?」

「はい?」

 

 もしかしてあの文面には何かしらの深淵な暗号が書かれていたのだろうか。少なくとも、僕の目に入るとこには待ち合わせ時間とかは書いてなかったはずだけど……。ていうか、あれ書いたのヴィヴィオちゃんかよ。見かけによらず、随分力強い書体だったな。

 

「えっと……待ち合わせ時間、書いてなかったんだけど」

 

 何かの手違いかと思い、そう言って鞄からごそごそと果たし状を取り出した。

 

「え、あれ?れれれ……?な、何でフィアッテさんがそれ持ってるんです?」

 

 ヴィヴィオちゃんは果たし状を二度見して、「ひゃへえ!?」と鳴き声を発しながら僕の手からひったくる。そして、顔の表面に汗を噴きださせ、赤く染めた。

 

「家に投函してあったんだけど……これは、ヴィヴィオちゃんが?」

「ううううううう……」

 

 僕の質問に答えることなくヴィヴィオちゃんは呻き声を漏らすが、もうそれが答えのようなものだった。湧き上がる黒歴史的な衝動を堪えられなくなったのか、ヴィヴィオちゃんはうがーと叫んで果たし状をびりびりと破き捨てようとして、途中で思い留まり破いた手紙をポケットにしまった。

 

「あのですね、これは間違いで……本当は、もっと違う手紙のつもりだったんですよ!?こんなアインハルトさんみたいに女子力かなぐり捨てた手紙じゃなくて……もっと可愛くてちゃんとしたの!用意して出したはずだったんですよ!?」

 

 さりげなくアインハルトちゃんをディスるヴィヴィオちゃんだが、それに気付くことなく頭を抱え、首を振る。

 

「こ、こんなはずでは……」

「まあ、何か一時間……」時計を見て。「半も待たせちゃったみたいだし、多分僕の方が悪いさ」

「そんなことありませんよ!私がちゃんと確認してれば……」

 

 ヴィヴィオちゃんが申し訳なさそうに俯く。へにゃりとしたサイドポニーが力なさげに揺れ、羞恥からか赤くなった頬をぺちりと叩いた。

 ここでもう一度「いやいや」と謙遜して責任の奪い合いごっこをしてもいいのだが、ヴィヴィオちゃんの一時間半を無為にしてしまったという負い目がこっちにはあるのだし、これ以上ヴィヴィオちゃんの時間を無駄にするのは気がひける。社交辞令遊びもほどほどにして、用件を尋ねた。

 

「あー……うん、はい。それは、ですね……」

 

 のだがどうも煮え切らない。にへらと社交辞令の文字が張り付いた笑顔を見せたかと思えば、頭をポリポリと掻いて眼球を魚類に進化させて泳がせ、口を開いては言い淀む。

 

「えーと、こう……そんな感じといいますか、何というか、いえ、その……あー、むむむ」むむむとか言いたいのはこっちだ。

 

 面と向かっては伝えにくいから手紙にしたんですけど……。とヴィヴィオちゃんが項垂れてどんよりとした空気を背負った。僕がやると演技過剰と捉えられるような仕草も、ヴィヴィオちゃんがやると自然に見えるから不思議である。いや、不思議じゃないのか?キャラクターとか音楽性とかの違いみたいな感じだろう。僕がやるとキモいと思うし、ヴィヴィオちゃんがやると可愛いととられる。

 いや、誰かが落ち込んでるのを見てそんな風に思うのも、どうかと思うんだけどね。

 

「そ、その~……」

「うん」

 

 いい加減座りたいなあとか思ってきたところで、ヴィヴィオちゃんが何かを決したように唾を飲み込み、口を開いた。そのままパクパクと口を開閉させて金魚の真似。目の泳ぎっぷりは、既に魚類を超越して宇宙遊泳の気分を味わっている。眼球初の宇宙飛行士が誕生しようという歴史的な瞬間に立ち会えたのを光栄に思うべきか、普通にまだ話さないのかと苛立ってみるべきか。

 

「フィ、フィアッテさん!!」

「はいほい、フィアッテです」

「私と、デートしませんか!?」

「しますします」と脊髄に身を任せて答えた後で。「…………んん?」

 

 ヴィヴィオちゃんはゆっくりと大きく深呼吸をした後で、もう一度言った。

 

「デート、しませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男女二人で出掛ければデートだと、僕の友人────というかぶっちゃけエリオがそんなことを言っていた気がする。言っちゃっていた気がする。

 その時は正直、流石モテ男さんの言うことは違いますねすげーッスパねえッスマジリスペクトッスとぐらいしか思わなかったのだが、今思うとあれは致し方ないことなのかもしれない。意識的にせよそうでないにせよ、女の子と出掛ける機会の多かったエリオが防衛本能を働かせた可能性が十分にある。

 右肘にヴィヴィオちゃんから当ててんのよ攻撃を受けて周囲の視線が皮膚に突き刺さるのをひしひしと感じながら、僕はそんなことを考えた。るんるんという音を発しながら上機嫌で歩くヴィヴィオちゃんの腕は僕の手を見た目よりもがっちりと、ストライクアーツ有段者の腕力で拘束している。取り敢えず、周りの視線に耐えかねて逃げ出すことはできなさそうだ。

 

「……あれですよ。ほら、デート……みたいなもの?ですし、ほら、こんなものなのかな〜……って……」

 

 僕の訝しげというか、居心地の悪そうな視線に気付いたのか、ヴィヴィオちゃんが少し頬を染めて弁明を試みた。

 それでも別にわざわざここまでガッチリ腕を組む必要はないのではないか。そんな旨をヴィヴィオちゃんに伝えても、曖昧な笑いに受け流されて「必要なことなので」と拒否される。それでもやはり少し恥ずかしいのか、密着している部分は胴体と指だけで、手のひらなどはほとんど触れずにぎゅうと指に力を込められていた。

 

 今回の目的はデート。っぽいもの、らしい。デート、しませんか?とはにかんだような照れが残っているような顔で僕に告げた後、ヴィヴィオちゃんはわたわたと身振り手振りを手話の熟練者のごとく言葉と共にまくしたてて、何でも、『後学のため』かつ『将来のため』で『今やらなきゃいけないこと』だと弁明を開始した。弁明時間は三分クッキングが六日分放送終了するほどだったが、その内容を要約すれば前述の三つの理由プラス「勘違いしないでよね!」とのことだった。多少の脚色があることは否めないけど。

 

 しかし、こんなところを知り合い────特にキャロに見られたらどう思われるだろうか。どうも思われないのが一番辛いが、変に誤解されてしまうのもそれはそれで嫌だ。既に可能性の芽は潰えたというのに、女々しいことだとわかっているがこればかりは止められない。

 

「フィアッテさんー?」

「んー?」

「この右手、どうしたんですか?こう……包帯でぐるぐる巻きですけど」

 

 そう言って、ヴィヴィオちゃんは恐る恐るといったように指先で包帯を優しく突いた。包帯が無駄に分厚く巻かれているせいか感覚が薄く、本当に突いているかは疑問なとこだが。

 

「ただの腱鞘炎だよ。数日以内には治るってさ」

「へぇ〜……」包帯を凝視しながら何度か頷いている。少し不気味だった。「……腱鞘炎、って、何ですか?」不気味さが綺麗さっぱり消え失せた。

「えっと……腱と腱鞘の間に起こる……炎症、だったか何とか。そんな感じのことを言われたけど」

「痛いんですか?」

「動かしたり強く触ったりするとね」

 

 そんな具合に、適当な雑談を交えながらヴィヴィオちゃんに連れられて歩いていると、見覚えのありたくなかった顔を発見してしまった。

 

「…………」

 

 真顔無言で凝視してくるシスターシャッハだ。この間のカリムさんといい教会には有休が多いのか、プライベートを主張してくるノースリーブの紫色が妙な色気を発している。感情の読み取れない瞳の真上には、地面と平行になって微動だにしない眉がこれまた地面と平行になっている前髪と共謀してこちらを圧迫しているような気がした。何だか、あらゆる生物の遺伝子に刻み込まれた根源的な恐怖的なものを感じる。

 僕はこれまでの人生で今以上に僕が盲目でないことを悔いたことはない。ていうか、こんなことを思うのは後にも先にも今ぐらいのものだろう。

 

「それでですね、フィアッテさん。今日はどこに行くんだと思いますか?ひょっとしたらフィアッテさんも知ってるかもしれませんけど、私、一度行ってみたかったとこがあるんです」

 

 僕の腕に張り付いて視野狭窄道を極めるべく修行中であるヴィヴィオちゃんは彼女に気付いた様子がなく、修行の成果が現れてきたことを目一杯表現していた。まあ、あんな道行く人が二度見して逃げ出すような、見るだけで正気度チェックの入りそうな顔を見ないで済むのはいいことだろう。

 

「…………」

 

 すれ違う。僕たちが前進していて、彼女も歩いているのだから当然だ。だが、急にシスターシャッハが野生か正気に返って襲いかかってこないかだけが不安だった。

 じわりと額に汗が滲んで髪の付け根を濡らす。すれ違っている最中もシスターシャッハはこちらを穴が空くほどというよりは穴を空けてやるといったように凝視してきて、首だけが常に僕の方を向くように滑らかに動いていて気味が悪い。

 何も言葉を発せなかったのは、シスターシャッハが怖いのが半分、シスターシャッハが恐ろしいのが半分で構成されていて、口を開いた瞬間に彼女が彼女の職業とはほど遠い邪神的な何かに変貌してくるのではないかといった、おおよそ論理の欠片も見当たらない空想が否定できなかったからだった。

シスターシャッハを通り過ぎる。そして首が百八十度回る。こいつホントに人間かと疑わしくなってきた。

 

 そんな人間離れした彼女に見つめられながらヴィヴィオちゃんを(端から見ると)侍らせているのもあってか、僕に視線が集中していた。肩で風を切って歩いているというよりは、肩を風に切り刻まれてるイメージで、肩身の狭い思いをしながら歩く。

 

「……行ったかな」

「何がですか?」

 

 ここまで注目されても気にも留めない鈍感っぷりはある意味羨ましいよなあ、と敬服の念を覚えた。

 

「いや、何でもないよ」

 

 できる限り早く忘れたいがために、そういうことにしておく。これは僕の精神衛生上必要な措置なのだ。

 

 ヴィヴィオちゃんに連れられてやって来たのは、この間、カリムさんと仲良く嘔吐を披露した喫茶店だった。相変わらず近くは閑古鳥が巣を作っているのにも関わらず、内部だけが大盛況という謎の構造になっている。

 

「ここです、ここ!フェイトママが行ったことあって、そのことを言ってたんで行ってみたかったんですよね」

「…………うん」

 

 フェイトさんが誰とここに来たかは、悲しくなってくるので考えないようにした。カップルに溢れる店内で一人でとかだったら、目も当てられない。

 

「いらっしゃいませー……せー……」

 

 店内に入ると、先日しきりにカップルシートを勧めてきやがってくれた店員さんが、こちらを見て固まっていた。笑顔の固定化により細められた目は僕をロックオンしていて、時折ヴィヴィオちゃんとの間を行ったり来たりと細かく動く。

 

「……お二人様ですか?」

「はい。……か、カップルシートでお願いします。デートなので!」

「…………二名様ご案内しまーす」

 

 二股男を見るような視線に耐えかねたため、不可抗力を装って困ったように笑いかけてみた。ナンパ男を見るような目で見られた。僕ほど一途な男になんたる風評被害だ、と自賛しながら憤ってみるも、それで僕の社会的ライフは回復しない。

 

「カップルシート。一度座ってみたかったんですよねー」

 

 案内されたカップルシートには、通常の席とは違って仕切りのようなものが付いていた。仕切りに埋め込まれた磨りガラスはハート型の様相をしていて、椅子は横並びで密着している。いざ座ってみると、本当に身体が密着しそうなほどの距離しか離れていない。でもどちらにせよ、ヴィヴィオちゃんの手は接着されたように僕の腕から離れないので同じことだった。

 それにしても、いつまでくっ付いてるんだろうこの娘、ちょっと恥ずかしくなってきた。

 

「では、ごゆっくりどうぞ」

 

 心の含有率が一割も含まれていなさそうな声で、建前をぶつけられる。営業スマイルはここまでの道のりの中で既に鳴りを潜めていて、特に何の感情も篭ってない眼球だけが彼女の顔で自己主張をしていた。なんか最近、こんな感じの目で見られてばっかだ。

 去っていく店員さんに適当に注文を告げる。二回目ともなれば勝手知ったるとは言い過ぎだが、何があるかぐらいは把握している。ヴィヴィオちゃんも食べたいものを事前に決めていたようで、十分ほど待ったらシックなチョコレートケーキと愉快な形状をしたパフェが一緒に運ばれてきた。

 

「美味しそうですねー!」

 

 とご機嫌なヴィヴィオちゃんだが、僕にはそのウナギとフジツボを合成してパフェ色に染めたような食物がどうしても美味しそうには見えない。メニューの中ではこの間ユーノさんが頼んでいたチョコレートパフェと同列に表記してあって確か値段も一回りほど高かったはずのパフェは、ただただ異様な存在感を発しながら「いっただっきまーす」とヴィヴィオちゃんの口に躊躇無く吸い込まれていった。

 するりとチョコレートケーキにフォークを入れ、口に運ぶ。流石に色物枠でないだけあって、値段相応に美味しい。

 

「そういえばヴィヴィオちゃん」

「はい?」

「今日のこと、カリムさんに話してたの?」

 

 今朝、カリムさんから電話が掛かってきたことが少しばかり気になって、聞いてみた。

 

「いえ、話してませんよ?あー、でもシャンテにこの日出掛けるんだー、とは言ったかも……。フィアッテさんと、とは言ってませんでしたけど」

「ああ、うん。そうかい。ありがとう」

 

 ……聖王教会、ひょっとしてヴィヴィオちゃんのストーカーでもしてるのか?

 今ここにも教会の目が光っているんじゃないかと思って、体勢を変えるついでのようにあたりをきょろきょろと見回す。だが、カップルシートの仕切りがあるため、監視者の姿は確認できなかった。尤も、監視者が見えたとしても僕にはそれを判別する手段がないのだが。

 僕がヴィヴィオちゃんのプライバシーについて一抹の不安を覚えたところで、怪しげな物体を嚥下したヴィヴィオちゃんが尋ねる。

 

「前々から思ってたんですけど、フィアッテさんとカリムさんって、やっぱり仲良いんですか?」

「そんなことは決して全然ないよ」

「いえでも、会った時はいっつもニコニコしてますし、そうかと思ったら口から出るのは褒め言葉ばかりですし……」

「大人の世界にはね、社交辞令って言葉があるんだ」

 

 というよりは、建前でガッチガチに言葉を固めていないとどんな言葉が飛び出すのかわかったもんじゃないからっていうのが本音だけど。

 

「……?えっと、じゃあ仲は悪いんですか?」

「ん……まあ、そうかな。仲は悪い。凄く悪い」

「むー……」

 

 先ほどまでクリームと謎の素材で膨れていたヴィヴィオちゃんの頬が、今度は空気を多量に含む。

 

「フィアッテさんもカリムさんも、どっちも私の大好きな人なんですから、大好きな人同士には仲良くしてほしいなーって。そう思っただけです」

 

 いえ、だからといって無理に仲良くしてほしいわけじゃないんですけど……。ヴィヴィオちゃんはそう言ってにゃははと誤魔化すように笑うが、テーブルの下では指をぐにぐにと絡ませて不満そうだ。

 

「フィアッテさん」

「うん?」

「フィアッテさんの……が……、好き、な食べ物って何ですか!?」

「んー……ヴィヴィオちゃんは?」

 

 今までの流れをぶった切り、突如として投げつけられた言葉のドッヂボールをピッチャー返ししてみた。あまりに突然だったため思考時間を要さず反射で返してしまったのだが、ひょっとしてこれは僕のコミュ力が足りないということではないのだろうか。少し不安になる。

 

「わ、私ですか!?……うーんと、ママの作ったキャラメルミルクとか、あ、卵料理とかも!たまに自分でも作ってみたりするんですよー」

 

 ヴィヴィオちゃんの顔が、感想を求めるように近付いてきた。少々鼻息が荒く、僅かに紅潮した頬と片方だけ上がった口角が自慢げにくっ付いたクリームを揺らす。

 

「あ、何でしたら……今度、うちに来てみてく、ください。私の手料理、ご馳走しますよ?」

 

 ひょっとすると好きな食べ物の話はただの話題逸らしだったのか、あっさりと他の話題にシフトした。そうだね今度行けたら行くよと本気と社交辞令のハーフを口から生み出して応対した。

 話している間も二人してもきゅもきゅと食べ進み、もはや液体と固体の中間の位置を陣取ったチョコレートやクリームの跡くらいしか残っていない。しかし特別席を立とうという気にもならず、なんとなくその場に留まる。

 

「あの、私、行きたいところがあるんですけど、いいですか?」

 

 今日の予定はヴィヴィオちゃんに任せているのだから一々僕に許可など求めなくてもいいと思うが、身を乗り出して膝に手を乗っけて真面目な顔をするヴィヴィオちゃんに気圧されてか、それを言うでもなく頷いた。

 

 男の意地で僕が会計を払って喫茶店を後にした後で向かったのは、僕がよく行く墓地だった。奥の方に覇王の墓があるということで一種の名所と化しているこの場所にも夏の昼間ということで人は少なく、ベルカ式と日本式の墓の入り混じった空間に騒音はない。

 直射日光と墓石からの照り返しが、肌をじりじりと焼いていた。額と首筋に滲む汗は不快を伴ってそれを拭う指を濡らし、指の表面を周囲の気温に馴染めない風で冷やしていく。

 僕にとっては見慣れたものだが、ヴィヴィオちゃんにとってはわざわざ来るほどのところでもないはずだ。特に、デートで行くのだとしたら比較的ヴィヴィオちゃんに甘い僕だとしても、センスの欠如を訴えざるを得ない。

 

「……お墓、磨いてもいいですか?」

「そりゃあ、誰に許可取ってやるもんでもないだろうさ。いやまあ、僕がよく来て磨いてたりするから意味があるかどうかは別だけどね」

「それでも、です」

 

 なのはさんたちに聞いたのか、慣れているとは言い難いが迷いのない手つきで墓石を磨いていく。

 

「フィアッテさん、覚えてますか?ほら、私が家出したときのこと」

「ん、そりゃあねえ」

 

 昔っからヴィヴィオちゃんは素直ないい子だったが、ある一時期、反抗期とも言える時期があった。ヴィヴィオちゃんが、自分の家と他のご家庭の相違点に気付いてショックを受けていた頃だ。

 幸運にも特殊な家庭環境からいじめを受けていたなどということはなかったが、それでも血の繋がった男女両方の親を持っている友達に囲まれながらそれを気にせず遊ぶというのは、当時の多感なヴィヴィオちゃんには難しかったようだった。ヴィヴィオちゃんはなのはさんたちの呼び方を『ママ』から『なのはさん』『フェイトさん』に変え、家出を決行。橋の下で丸くなっていたのを僕が発見したのだった。

 

「あの時、話してくれたじゃないですか。その……フィアッテさんの、ご家族の、こと」

「ああ、そんなに気を遣わなくていいよ。あの時も、もう気にしてないって言ったろう?」

 

 言いにくそうに顔を動かして言葉を詰まらせるヴィヴィオちゃん。だが僕の心の体積の大部分はキャロのことが占めており、その気遣いも特に意味を持たない。

 

「私あの時、すっごくフィアッテさんに感謝したんです。救われた気持ちでした」

「正直、僕が言わなくてもすぐに解決して、ヴィヴィオちゃんは今と同じように真っ直ぐ育ってたと思うけどね。なのはさんたちの愛が伝わらなかったとは思えないし、あのくらいのご家庭不幸自慢ならキャロやエリオ、フェイトさんやはやてさんだってできるんだ」

 

 僕がヴィヴィオちゃんに感謝される理由なんて、ただたまたまそこにいたという理由だけだったのだ。というか、僕なんかよりも他の人の方がヴィヴィオちゃんには良い影響を及ぼしたのではないかと睨んでいるほどだ。

 アリネールの墓に手を当てながら僕に揺れる金髪を見せるヴィヴィオちゃんを見ていると、そんな気がしてならない。

 

「それでも、私が助けられたのはフィアッテさんにですから」

「…………」

「あなたにとっては特別なことじゃなくても、私にとってはあなたしかいないんです。あの時の私を見つけてくれて、あの時の私を救ってくれたのはフィアッテさんしかいないんですから」

 

 ……どうにも、そう言われると弱い。

 正直、僕がキャロを好きになったのだって、たまたま僕が彼女の笑顔で他の何もかもがどうでもよくなるくらい救われたってだけの話だった。

 だからと言ってキャロに出会ってなければ救われてなかったかというとそんなことはなく、多分フェイトさんにでも「家族」というものがどんなものかを教わって救われていただろうことは想像に難くない。そしてその場合、きっと僕はフェイトさんに惚れていたことだろう。

 要するに、言い方はあれかもしれないが、僕の家族のことよりも脳内を占めて、優先順位を変えてくれるような存在なら誰でも良かったのだ。

 ……あ、やっぱり前言訂正。どうあろうとカリムさんだけは無理だわ。

 

 まあ、だからこそ、ヴィヴィオちゃんの言葉を否定することは僕のキャロへの恋心を否定するということと同義であり、謙遜という形さえ取れず押し黙った。

 じんわりと表皮に汗の浮かんだ首を爪で撫でる。指がマナーモードになっているのか、小刻みに震えていることに気付いた。

 どうにも、良くない流れだ。

 さっきから感じ取っていた不自然が形を成すように頭の中で組みあがる。

 

「実はここに来たかったのも、一つお礼を言いたかったからなんです」

 

 丁度、一つの名前が彫ってある所で、ヴィヴィオちゃんの手が止まった。

 キャリィ・アリネール。

 僕の、母親であって欲しかった名前。

 

「……それでも、お礼を言いたかった人の名前は書いてなかったんですけどね」

「書いてなかったって……それって」

「ソリオ・アリネールさんです」

「…………」

 

 意外な名前がヴィヴィオちゃんの口から出てきたことに驚いて、無言になる。ヴィヴィオちゃんも僕の反応を気にしてなのか、やっとこちらを振り向いたにも関わらず視線があちらこちらと彷徨っていた。さらりさらりと雪解け水みたいに流れていく沈黙は僕らの間を通り過ぎ、泥のような何かだけを残していく。

 

「……私があの時フィアッテさんに救われたのも、元を辿ったらフィアッテさんのお母さんがフィアッテさんに酷いことをしてたのが原因で────それで、その」

 

 一呼吸置いて、ヴィヴィオちゃんは泣きそうな顔で続けた。

 

「あはは、はは……。軽蔑しますよね、こんなの。フィアッテさんが酷いことされてたのが私にとって良い事だなんて言ってるんですから。でも、そのお陰でフィアッテさんと会えて、救ってもらって……」

 

 僕も何らかの言葉を生み出そうとしていたのだが、不定形の思いは舌の上で転がるばかりで空気中に放出されていこうとしない。

 引きこもりな言葉を何とかして外に引っ張り出そうと悪戦苦闘している内に、僕の耳に。

 

「そのお陰で、そのお陰であなたを────」

 

 決定的で致命的な言葉が。

 

「好きになれたんです」

 

 聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 





Q.遅かったね
A.ごめんなさい

Q.雰囲気もいつもと違くね?
A.残り一話だし……間空いてちょっと文体忘れたっていうか…

Q.すごく遅かったね
A.ごめんなさい


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片思い的な僕ら

一回エタったので実質初投稿の最終回です。


 

 

 

 

 

 多数の世界を管理していて、常に最新の技術が流入してくる第1管理世界、ミッドチルダでもさすがに夜の暗闇は未だ晴れていない。取り敢えず夜の暗闇を晴らした場合の人体への影響とかを抜きにしても、今現在のミッドチルダの技術では夜出歩くと視界は良好とは言えないのだ。

 クラナガンの中でも比較的田舎の方に位置するこの道では特に、地面から伸びる街灯の数は少なくなる。それ故に広がる暗闇は、僕が背負っている重荷から来る足元への不安を増大させた。

 

「……やっぱり、まだ酒の残ってる頭でキャロを背負うのは早まったかな……」

 

 背中には、僕が好意を寄せる女性。おそらくは、その事実だけで札束を渡されるよりも多量に幸福を含んでいる。しかし、意識を落とした人間一人を酔っ払った僕が運ぶのは困難だった。幸せの重さ、とか表現してもいいのだろうけど、その重量は僕には背負いきれないという比喩にも思えてくる。日常生活で含蓄を感じるのは、僕の脳味噌がもう末期だということを示しているのか。

 

「起こすのもかわいそうだからって、背負うって言い出したのはフィアッテでしょう?ほら、頑張りなさいな、男の子」

「男の子って歳でもないけどね……」

「あら、それなら私も女の子って歳でもないってことかしら」

 

 ルーテシア・アルピーノ改めルーテシア・モンディアルが振り向いた。エリオと結婚してからは軽く纏められている紫の髪が街灯の光を微かに反射する。

 

「そんなことないよ、ルー。ま、僕はルーが女の子って呼べない歳になっても変わらず愛し続けるけどね」

「もう、エリオったら」

 

 どんなパスからでも必ずゴールに入れてやるぜと意気込んだエリオがルーテシアとお手て繋いでバカップル。滅びろ。

 照れと泥酔により顔面をトマトより赤くした二人を、トマトみたいに握り潰したくなった。これだから酔っ払いは、と口内を出ない大きさで呟くが、そんな僕だって現在進行形で酔っ払いだ。

 今更ながらタクシーでも拾えば良かったかなと思い立ったが、背中に張り付く僅かながらの幸福を手放すのも惜しく感じて、何も言わずにふらつきながらも足を進める。

 

 飲み会は非常に盛り上がった。

 最初は近況報告に始まり、少し遅れた乾杯の後に思い出話に繋がった。談笑の声は止まず、上手い料理をつまみながら消費される酒の量は、一時には五分ごとに再注文するというハイペースなものだった。その割にはみんな落ち着いていて、愚痴が無秩序に飛び出すまで発展することはなかった。しかし、ティアナさんが全盛期のなのはさんの物真似をしたのを皮切りに、スバルさんが「二番、スバル・ナカジマ!増えます!」とノーヴェを拉致してきたり、モンディアル夫妻が二人王様ゲームを始めたりと全員のタガが外れ始めた。勿論僕やキャロも例外ではなく、詳細は省くが、少なくともノーヴェ含める今回の同窓会メンバーは、半年はあの店に赴く勇気はきっとないだろうと思われる。それほどまでにはしゃいでしまったのだ。ノーヴェはとばっちりである。

 

 積もる後悔だけは重くのしかかるが、だからといってやってしまったことは消えない。恥はいつだって雪ぐより上塗りする方が容易なのだ。背中の重量に押されるように溜息を吐き出した。

 

「そういえば」

 

 エリオが不意に振り向く。多少酔いのせいで顔が赤らんではいるが、先ほどまでいちゃいちゃチュッチュと、ルーテシアとの距離を限りなくゼロに近づけるのに忙しかった人物と同一人物だとは思えない顔だった。きっと新しい顔とか用意したに違いない。

 

「十年、だね」

 

 その言葉に主語は抜けていた。

 しかし、だからといって通じないわけではない。テレパシーを持たず、以心伝心にも程遠い僕らを結ぶか細い糸電話のようなもの。今回の飲み会だって、主題はそれと言っても過言ではなかったから、言われずともといった感じだ。

 

「十年だねえ」

「十年ね」

 

 エリオとルーテシアは多分僕とは別種の感慨を抱いているのだろう。僕もエリオもキャロも、それまで纏わり付いていた過去を振り切ったのが十年前。ルーテシアはあるべき未来を取り戻したのが十年前。そして、機動六課が設立されて、僕らが出会ったのだって十年前だ。

 そして僕にとって十年とは、僕の片思いの継続時間でもあった。長い時間を、さしたる目的もなく浪費してしまった感は否めない。せめてキャロに告白でもしてたらまだ言い訳のしようがあったんだけどねえ。

 そして十年経った今、ようやくというか、今更というか。

 特にドラマ性もなく片思いが永久に片思いという形で固定されることが確定した。諦めが付いた。必要に駆られてではあるけれど、区切りが付いたのだ。

 

「十年は……長いよなぁ」

「そうだね。……何しろ、子供が大人になるには十分だ。僕もあの頃は十歳だったって、今考えたらイマイチ信じられないよなー。……ていうか、案外全部夢だったりして」

 

 独り言に近い形で漏れた言葉に対し、エリオが返答した。冗談めいてはいるものの、想像の翼にジェットエンジンを付けて飛び立たせるまでには至ってはいない口調。

 ……ふーむ、これは。

 

「あー、幸せすぎて不安、って感じかな?」

「間違ってないぞ親友」

「大体合ってるわよ親友」

 

 ステレオでバカップルするな、と文句を言いながらも、何となく彼らの気持ちもわかる。

 少しばかり上手くいきすぎていた感があった。なまじ十年前までの何もかも上手くいかなかった時を知ってる分、JS事件後からあまりにも問題らしい問題がない日常が問題として浮上していた。

 現実的かどうかは経験則であり、それまでの現実に則していればそうだと認められる。それまでの現実がそうであったなら、例えどれほど世間一般で現実的であろうとも、疑念が浮かぶ。簡単に言ったら、ドラマティックな現実が急に日常系に活動の場を移した事に困惑しているだけだ。

 

「僕だって似たようなもんだからね。全盛期のアレさに比べたら今は随分穏やかなもんさ」

「全盛期って……」エリオが頬を掻く。「いや、その表現はちょっと……合ってるのかどうか」

「それもそうか。傍から見ると異常でも僕の主観じゃ普通だったから、全盛期ってのも違うかな」

「重い重い重い。反応に困るわよ」

「笑っていいのかわからないブラックジョーク持ち出されるこっちの身にもなってよ」

「人の過去をジョーク扱いとは。訴訟もやむなし」

 

 自分で気にしてないって言ってるくせに……という言葉を溜息と一緒に吐き出す二人。まあ、ジョークにしてもらった方が僕も気楽なところあるし。

 ……しかし。

 

「……あれから十年か」

「さっきも言ったじゃないそれ」

「最終回っぽくしてみたんだよ」

「最終回?」

 

 何それ、自殺宣言?とナチュラルに失礼なことを言われた。キャロと結ばれないことが確定してからというもの、常に緩やかに絶望してたりはするけど、別に積極的に死にに行くほど絶望してもないんだけどなあ。元々、望み薄だったっていうのもあるしね。

 

 何というか、僕の人生オール蛇足って感じなのだ。

 いや、オールってわけでもないか。ただ、十年も長々といらなかったってだけの話だ。十年前、キャロを庇って死んどきゃ綺麗に終われたのに。別にそんな場面なかったけど。

 

「違う違う。ただ、あれだよ。僕らの物語は十年前にとっくに終わってて、今はその後日談だってイメージかな」

 

 この場合、主役はエリオだろうか。いい感じに活躍して、いい感じに運命の人と出会って、結ばれた。なんとも王道だ。それを伝えると、彼は小さく笑った。

 

「主役は君の方が似合ってるんじゃない?波乱万丈さでは勝てる気がしないよ」

「そうかもしれんけど、僕主役向きの性格じゃないから」

 

 それに、一から十まで片思いの主人公ってのも格好付かないだろう。一途なのは美徳なのかもしれないけれど、ここまで行ったら粘着質。納豆を上回る粘っこさは嫌われるのも当然だ。……まあ、だから隠してたんだけど。

 しかしなあ。ああ、もう。

 隠してたというのを過去形にしてしまったのは、やっぱり間違いだっただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石質の灰色が目に刺さり、眼球の表面を撫でる。反射した太陽光は網膜を通過した後脳味噌まで貫通して、頭の中身を掻き回すようだった。いやに乾燥した空気が胃の中にまで入っているような気がして、吐き気が込み上げてくる。

 目の前の景色は、それでも変わってくれない。僕の眼前を支配する眩しいまでの黄金色は変わらず、赤と緑のしっかりとした視線を叩きつけていた。

 

 そういえば、誰かにはっきりと好きだと言われたのはキャリィ以来だったか。頭があまり回らなくて余計なことまで思い出してしまうのは問題ではあったが、それよりも目の前。返答の如何に脳味噌の容量を使うべきだろう。

 首から上が新種の林檎として認定されそうなほど顔を赤色に染めたヴィヴィオちゃんは、既に不安げな瞳に涙を滲ませ始めている。その眼差しを素直に見つめることが困難になり、自然と目を伏せた。目に入ってくるのは土色の地面。きっと僕の現在の顔色を真似ているのだろう。

 

「一応聞くけど、冗談とかじゃないんだよね?」

 

 ただ心の安寧と一時の安息、後は気まずい空気の中で発音を強制されたがだけの質問。こくりと頷くヴィヴィオちゃん。まあ、わかっていた。これまでのヴィヴィオちゃんの反応を見て冗談だなんて思わないし、何よりヴィヴィオちゃんはそんな面白くない冗談を言うような娘でもない。

 

「だよね」呟いた言葉は空気中に飛び出すことなく口内で霧散する。

 知っていた。

 知ってたんだけどなー、あー。いや、ヴィヴィオちゃんの好意を知ってたって意味じゃなく。それは知らなかった。

 

「……ヴィヴィオちゃん」

「はい」

 

 何を話すかも決まっていないのに呼び掛ける。何かを言いたいって気持ちだけが口から飛び出しそうで、言語化できず歯痒い。

 

「ごめんなさい」

 

 言うに困って最初に飛び出してきた言葉は、謝罪だった。

 もはやお断りの常套句と化したその言葉で僕の返答を察したらしく、潤んだヴィヴィオちゃんの目から頬へと水分が伝う。

 

 ヴィヴィオちゃんのことは嫌いではない。

 むしろ好きではあるし、好意を向けられることを嬉しく思ってさらに好意を返したくもなった。

 

「僕は、君の気持ちに応えられない」

 

 しかし、それはどうあってもキャロに対する好意を上回ることはない。

 

「好きな人がいるんだ」

 

 僕の中で、キャロとは絶対の基準値であるのと同時に、絶対性の象徴でもあった。今後、僕の基準で彼女を超えるものが一切ないということは既に決定されていた。それは僕にとって喜ばしいことでもあり、苦しいことでもある。

 

「告白をする勇気もないし、想いを伝えよう考えるって度胸すらないけど、それでも」

 

 もし仮にキャロと出会う前の僕が今の僕を見たら、僕のことを気持ちの悪い奴か不幸な奴だと思うだろう。

 でも、今更変えられないんだ。

 何にだって代えられないんだ。

 こんな、益も何もないような片思いを続けているというそれだけで、僕は満たされてしまう。それだけで僕は幸せだ。心臓を蝕んで身体中を循環する無駄な想いが、僕にとっては何よりも大切だった。

 

「好きなんだ」

 

 意図せず、絞り出したような声になる。十年間、どこにも排出されなかった想いが指向性を持って飛び出してしまった。身体に穴が開いたように空気みたいな何かが抜けていくのを感じる。錯覚かもしれなかったが、何故か僕にはそれが取るに足らない大切なもののように思えた。

 そして、言ってしまってから後悔する。墓まで持って行って母親の脳天にぶち当てるつもりだった本心を、今ここでぶちまけてしまったことが自分でも信じられなかった。何でこんなこと言ってしまったんだ。

 ヴィヴィオちゃんの気持ちに真摯に応えたいって気持ち?

 いや、どうだろう。多分そこまで僕の人間性は高くない。そりゃ、多少はそんな気持ちがないわけではないとは思うが、キャロが関わっている時点で僕は全ての判断基準を彼女に依存する。じゃあ、何故言ってしまったのか。

 イマイチ考えが纏まらないままに思考を重ねて、結局確固たる答えは出ない。

 

 ただ、もしかしたらではあるが、羨ましかったのかもしれない。

 好きな人に好きだと言える勇気が、ただただ純粋に、羨ましかったのかもしれない。

 

 ヴィヴィオちゃんを見る。カラフルな目から流れた透明な雫は地面を目指しているが、視線の先は真っ直ぐ僕に固定されたままだった。明確な拒絶をぶつけられても、彼女はしっかりと僕を見据えていた。

 ああ、僕ではきっとこうはいかないだろう。想いを伝えるどころか、知られてしまうだけでも逃げ出したくなってしまうに違いない。

 

「そう、ですか。……はは、すいません。ここで泣いたりなんかしたら、フィアッテさんが悪者みたいになっちゃいそうなのに」

「女の子泣かせてんだから悪者ってのも間違っちゃいないさ」

 

 言いながら、考える。

 僕が悪いのか?

 僕が悪いのだろう。何にも繋がらない自分だけの幸福を見つめて、他の誰かを傷付ける。実の付かない枝先ばかり伸ばして、まだ未来のある新芽を根こそぎにするような行為だ。

 大体僕にしても、叶わぬ恋に想いを馳せるよりは新しい恋に手を伸ばしてみた方がまだ健全だし、建設的かつその方が幸せになれるだろう。現状維持をしていて良いことなんて、一つもない。

 

 ……それでも。

 捨てられないからこうやって燻ってんだろうなあ。

 好きだから……ってのが一番簡易的で一番本質的な理由なんだろうけど、幸福を追求するための恋愛という行為のせいで幸福から遠ざかるのは、一種馬鹿らしくさえある。僕の幸せって、一体何なんだろうね。にんげんってふっしぎー。

 

 僕に気を遣わせないようにと笑いながら右手で涙を拭おうとするヴィヴィオちゃんにハンカチを渡す。ヴィヴィオちゃんがありがとうございますと感謝を述べながらハンカチを受け取る。ちーんと、鼻をかまれた。想定内だ。

 やってから、ヴィヴィオちゃんが慌ててハンカチを広げて、洗って返しますと謝る。表情をころころと変えて忙しない、いつものヴィヴィオちゃんだ。「……やっぱり、返さなくても大丈夫ですかね。せっかくフィアッテさんの物ですし、こう、思い出に」これは想定外。どうしたヴィヴィオちゃん、いつもの君らしくないぞ。

 

「もう言ってしまったので、怖いものなんて何もないんです!」

 

 僕の顔から疑問を察したヴィヴィオちゃんがにへへ、と笑いながら答えた。拭いてもすぐに瞼に蓄積する涙の粒は彼女の頬を伝って流れ落ち、何故だか、それは今の僕には妙に力強く見えた。

 

「私は、これからもフィアッテさんにこの気持ちを全力でぶつけていきます。私の気持ちがあなたの心に届くまで、何十回も、何百回も。フィアッテさんは好きな人に告白する気ないんですよね?なら私、諦めませんから」

 

 そう言って悪戯っ子のような表情を浮かべる。僕にはない輝きに、少し目を細めた。

 

「……なら、片想い連盟でも発足しようか?ほら、キャロとかアインハルトちゃんも誘ってさ」

「えっ!?アインハルトさんも片想い仲間だったんですか!?お相手は!?」

「ははは」君だよ、とか言えねえ。「キャロについては聴かないんだね」

「正直、バレバレでしたし」

「だよねえ」

「あ、そういえば」

「うん?」

 

 勝負は一瞬、とばかりに引っ張られた僕の右腕に釣られ、体勢までも前のめりへと傾く。ミイラのごとき手の上に重ねられたヴィヴィオちゃんの手を外そうとするも、痛みで力が入らない。そして。

 

「……ごちそうさまでしたっ!」

 

 一瞬で重なり、すぐに離れたその唇はまさに「奪われた」という感じで、僕の目を白黒させた。僕の目がモノクロツートンカラーになっている間に、ヴィヴィオちゃんは背を向けてたったったと走っていく。

 

「…………」

 

 ぽかんと間抜けに口を開けたまま放心する。まだ唇の先に残っている温かみは知らずのうちに頬へと温かさを移したようで、そのうち顔面全体へと広がりそうだ。呼吸を整える。ヴィヴィオちゃんのことを考えた。身体のリアクションとは相対的に心は意外にも平坦なままで、再びキャロのことを想う。

 それからもう一度ヴィヴィオちゃんのことを考えて。

 恋する乙女は強い、とかなのかもしれないけれど。

 

「僕が弱いって感じだよなあ」

 

 弱さは据え置き。後進の世代に追い越されていくばかり。

 なんとも情けない限りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「特にルーテシアは変わったよね。十年前の初対面から比べると誰だこいつって感じ」

「フィアッテも人のこと言えないだろうに。初めて会ったときは人形みたいだったじゃないか」

「なにおう。今も一人人形浄瑠璃としてご近所で好評を博しているというのに」

「なるほど。……なるほど?ごめんなさい、ちょっとよくわからないわ」

 

 わかるものでもあるまい。酔いが回っているため、僕も自分で何を言っているのかわかっていないのだ。

 

「でも私が変わったのは当然ね。背も伸びたし胸も膨らんだもの。キャロと違って!」

「キャロと違って?」

「キャロと違って」

「キャロと違って」

 

 キャロと違って。

 

「……やっぱり、足りないわね。いつもならここで『何おう!?』っていう声が飛んでくるのに……今は……!」

「これこれキャロまだ死んでないでしょうに。いや僕の背中でグロッキーだけどさ。ちゃんと生きてるから」

 

「ぐぺ」などとおおよそ乙女とは思えないような鳴き声を発しながら僕の背中に揺れるキャロ。まさか三人がかりで盛大にディスられているとは思ってもいないのだろう。

 

「まあとにかく、十年よ。人ひとり変わるにには十分な時間ね」

 

 ルーテシアはそう言いながら、外見的に十年前とさほど変化のないキャロの頭皮を指先で優しく押す。次いで、その上からエリオがルーテシアと手を重ねる。キャロとその下に存在する僕を媒介にして醸成されたバカップル式シェイクハンドは、実質的に僕とキャロの存在が不要だ。特に必要性もなく人の上でイチャつくのをやめなさい。

 

 僕の刺すような視線に気付いたのか、二人は少し照れ臭そうにはにかむと、離した手の矛先を僕の両腕に向けて来た。今度は、キャロを介さず僕だけを接続装置とした第二形態にシフトする。

 

「何だ……この、両刀二股恋人気分」

「相変わらず言葉選びが絶妙に微妙」

「うるさい。……で、どういった趣向なのさ。四体合体でもしようって?」

 

 右腕にルーテシア、左腕にエリオ、土台が僕で背中にはキャロ。絵面はともかく、字面だけで見るなら、それは昔ヴィヴィオちゃんが勧めてくれた特撮の巨大ロボみたいな感じだった。惜しむらくは、合体したところで特に強化とかされないところだろうか。

 

「べっつにー」

「ねー」

「そんなわけがあるか」

 

 二人を振り払い、しっしと手で払う擬音を口で撒き散らす。両手はキャロの太もも辺りで至福を味わっていた。

 

「いい加減、歩きにくい。アルコールも入ってるから暑苦しくて鬱陶しい」

 

 じろりと二人を睥睨したところで、二人はニヤニヤとニマニマの中間くらいの、形の定まらない笑みを浮かべるだけ。

 むしろ、何故か僕の方が変にばつが悪くなって彼らから目線を逸らしてしまった。マジで何なんだ。

 

「マジで何なんだ」

 

 思考をそのまま舌先に託す。というか、本当にこいつらが謎すぎる。今になって酔いが脳内にまで来ちゃったのだろうか。それとも結婚には脳を収縮させる副作用があるとかか。フェイトさんたちに知らせなければならない。

 僕が結婚という行為の危険性について考えていると、エリオがずずいと距離を詰めてきた。

 端正な顔立ちがすぐ目の前にあることに、顔面の筋肉を操って遺憾の意を示す。

 

「僕たちはフィアッテのことが大好きってことさ」

「……………………」

 

 距離が近い。

 何かシリアスなトーンでいいこと言ってる風でもホモ臭い。

 どうにかならんのか。

 

「何微妙そうな顔してるのよ、フィアッテ」

「超至近距離で既婚者の男から愛の告白を受けた身にもなってくれ。あと全然理由になってないし」

「そういうことじゃなくてー」

 

 間延びしたルーテシアの声に、じゃあどういうことなんだ、とか言う前に次の言葉をエリオが繋ぐ。

 

「フィアッテ、最近何か吹っ切れたでしょ?それで、ちょっと清々しい感じでさ。僕たちも、嬉しくなってきちゃって」

 

 少なからず、衝撃はあった。

 正直言うと、この色ボケクソ鈍感男が僕の心の些細な変化に気付くとは思っていなかったので、僕ってそんなにわかりやすいやつなのかと少し落ち込んだ。ひょっとしたら、僕のキャロへの気持ちも、僕が隠し通せてると思ってるだけで実は公然の秘密だったりするのかもしれないとも考えた。

 そして、少し嬉しかった。

 誰かに自分をわかってもらえるというのは、まあ、心地良い。それが親友相手なら尚更だ。

 

「貴様らに僕の何がわかるというのかね」

「何でもさ」

「何でもとは大きく出たなあ」

「親友だからね」

「友情に不可能はないのよ」

 

 そりゃいいや、と僕は笑う。

 最後まで愛は結局勝てなかったけど、いい感じに纏まって友情エンド。

 何にも知らないくせに、何でもわかってくれる。

 それが幸せとかそういう類のものではないんだろうけど、それは安らぎに近いものであって。

 

「…………」

「今、何か言ったかい?」

「いいや、何も」

 

 僕が何を言ったかは、僕以外には誰にもわからない。

 親友さえも知り得ない。

 それでも。

 その呟きは、紛れもない僕の本心だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モンディアル夫妻と別れた後、キャロを運搬するついでに星を数えてみた。大体17を過ぎた辺りで、大気の揺らめきに負けた星の光の明滅による妨害が厳しくなってきて、数えた星がどれかを忘れてしまった。

 数え直して13を過ぎた辺りで、僕は一体何をやっているのだろうと虚しくなってやめた。

 数えたところで、何にも繋がりやしない。僕の好意と一緒だ。

 そのくせ、持ってるだけで幸せになれる好意とは違って特に何も齎さないというのだから、尚タチが悪い。

 

 ふと、ヴィヴィオちゃんの言葉を思い出す。

 言ってしまったのだから、怖いものなんてないのだと。

 羨ましくもあり、僕には真似できないそのあり様は、素直に綺麗だと思えた。

 ヴィヴィオちゃんは元から根が真っ直ぐで、そんな子を真っ直ぐな人たちが育てたのだ。

 素敵な人になってくれて嬉しいと見当違いの親心を見せながらも、だからこそ僕みたいな奴のために彼女の人生の一部を無駄にさせてしまうことを心苦しく感じる。

 僕のキャロへの想いが薄れることなど、絶対に無いのだから。

 

 多分、気の迷いだったのだろう。

 友情のお陰で気が楽になっていたのかもしれない。

 アルコールで判断力が鈍っていたのもあるはずだ。

 

 ヴィヴィオちゃんの言葉が脳から鼓膜に逆流し、再び脳へと戻っていく。

 深く考えることはしない。ただ、言葉に表すことが困難な何かが、僕の口を動かした。

 

「……キャロ。キャロ・ル・ルシエさん」

 

 聞こえてしまうくらいの大きさで呟く。微弱に振動する声はこんな時でもないと本心を吐き出せない僕の臆病さを示しているようで、自分でもみっともないと感じる。

 キャロは眠ってるから、言っても何も変わりはしないのだから言いたいなら言えばいいと理性が背中を押し、言ったら僕の中で何かが変わってしまうと、理性がそれを押し留める。本能は背中のキャロの感触だけに夢中だ。

 

 だが、そのどちらに影響されるでもなく僕の口は自然と言葉を紡ぐ。

 それは理性とか、そういうのじゃなく。

 心ってやつの仕業なのかもしれなかった。

 

 

「僕は、あなたのことが好きです。愛しています」

 

 

 言った。

 遂に言ってしまった。

 終生、言うことはないだろうと思っていた言葉。それを口にしてしまったことへの後悔と、やっと言えたという感慨が、胸と鼻の合間に詰まって涙として溢れる。粘着質に溢れたその想いは眼球に引っかかって、中々落下しようとはしない。

 前方を見るのに邪魔なその気持ちを拭いたいと思っても、今は両腕がキャロに掛り切りだった。

 そんなとき、ふと。

 

「…………え」

 

 キャロの声がした。

 え。

 ではない。

 聞かれてしまったのか。

 キャロの自宅へと向かう足は止めないまま、されど首から上は全く動かず振り向くことを許さない。顔は生涯で一番と言えるほど熱くなって、心臓の音が鼓膜に張り付いたようにうるさい。力が抜けそうに震える腕で、キャロを落とさないようにしっかりと持ち直す。手汗が彼女の衣服に付着しないかが心配になった。

 

 人間の眼球にそこまでの稼働は許されていないと知りつつも、目の動きのみで後方を確認しようとする。目に走る微細な痛みを、心の痛みと錯覚しそうだ。

 

「……りお……くん……」

 

 むにゃむにゃと、ついでにむしゃむしゃと背後から聞こえてきたそれは、完全に寝言だった。

 夢を見ているようだった。

 僕の告白は彼女にまで到達せず、キャロは夢の中のエリオの声を聞いていた。いや、擬音が擬音なだけに、ひょっとしたらエリオを食べていたのかもしれない。

 ともかく、今の彼女の中に、僕はいなかった。

 

「脅かせ、ないでくれよ」

 

 未だ強く自己主張を続けている心臓を落ち着けるために、深呼吸をする。

 ああ、危ない。

 今考えると、僕がつい先刻、何であのようなことを言ってしまったのかがさっぱりわからない。恥ずかしい。

 

「えりお、くん」

 

 さっきよりもはっきりと、キャロがその名前を口にする。僕の『好き』という言葉からの連想で、夢に出てきたのかもしれない。

 

 かなわないよなあ、と思う。

 それがどんな意味で、何に対して思った言葉なのかは僕にさえわからなかった。

 

 結局のところ、僕はいつまでも片思いでしかない。

 それでも構わないし、これからもそれを続けていくけど。

 僕はきっとこれからも一生、限りなく不幸で、これ以上ないってくらいには幸福だ。

 この、側から見たらみっともないような片思いを継続していられる。それだけで、僕は満足なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、キャロ。家に着いたよ、起きて」

 

 とても残念なことに、僕はキャロの家の鍵を所持していない。

 彼女を家のベッドでぐっすりと寝かせてあげるには、その前に彼女の熟睡を妨げる必要があるのだ。

 

 ぺしぺしと、僕に背中を叩かれたキャロはゆったりした動きで僕から降りる。

 目付きは胡乱で顔も赤い。頭もひっきりなしにゆらゆら揺らして、エキゾチックな土産物みたいな様子だ。

 

「……えりおくん」

「フィアッテさんで悪かったね」

「ふぃあってさん……」

 

 酔いが回った人のお手本のような呂律の回っていない口調で、僕の名前を反復する。

 この子は一体どれくらい飲んだんだったかと思い返そうとするも、アルコールのせいか、キャロに関することにかけては優秀な僕の記憶も労働を放棄していた。

 

「鍵開けて入ってね」

「はい」

 

 いつまでもぼんやりふわふわと立ち尽くすのみで、三十半ばでまだミュージシャンになれると信じている無職よりも地に足が着いてない様子だったので、指示を出してみた。

 蒟蒻と同程度の硬度で返答を返したキャロは、蒟蒻よりもぷるぷると震える腕で鍵穴と格闘している。

 

「開きました」

「よしよし。じゃあ入って、その後はベッドで休んでね。あと、二日酔いにはトマトジュースとかがいいらしいから、覚えてたらコンビニにでも買いに行くと良いよ」

 

 じゃあね、と手を振って去ろうとしたところ、服を掴まれて引き止められた。

 

「まだ何かあった?」

 

 キャロのことなら一日中でも眺めていたいが、僕の睡眠欲はそれを許さないようでいい加減瞼が重い。優先順位でいうならキャロの方が上だが、明日の仕事もどうでもいいものというわけではない。なるべく早く家に帰って体を休めたかった。

 

 キャロは何かを話そうとしているのか、口の開閉を繰り返すだけで何の用なのかは要領を得ない。

 多分、声を出すのも億劫なほど酔いと眠気に頭を支配されているのだろうと結論付けて、ベッドまで運んでやろうと決めた。彼女をベッドに置いたらすぐ帰るし、送り狼の誹りは免れることができるはずだ。

 明日も仕事はあるし、目覚ましをかけてやってもいいかななんて考えて、そうしたら、

 

「ごめんなさい」

 

 唐突に、呂律は怪しいのには変わりないが、比較的明瞭な声で何に対するものか不明な謝罪を食らった。

「な」にが、と続ける前にキャロの顔が迫ってきて、僕の口を塞ぐ。

 

 甘い香りに、酒臭さ。

 極限まで近付いた成人してもまだ幼さを残す顔立ちが、一度見たことがある景色だと事実を示唆してくる。

 思考能力を奪うような幸福と驚愕に彩られた脳髄は、現状把握に一役すら買えない。

 何が、どうなっているのかすら。

 

「…………!」

 

 驚きのままに何かを喋ろうとすると、舌が絡み付き、より深く口内が結合する。

 そして。

 

 

 三秒後、僕は再びゲロ塗れになった。

 

 

 

 

 





最後のキャロの謝罪はひょっとしたら人間エチケット袋としての使用を申し訳なく思ったが故のものかもしれない。







※本編には関係ない間違いなく蛇足な裏設定



・フィアッテ・アリネール
初代フィアッテ・アリネールのプロジェクトF.A.T.Eクローン。ただし記憶転写は施されず、フィアッテ・アリネールとしての教育とフィアッテ・アリネールのDNAを持つ食物の摂取によって、より理想的なフィアッテ・アリネールとなることを目指された。
でもそんなことは本編には一切関係ないのだ。だってこれただの片思いの物語だし。

・ソリオ・アリネール
2代目フィアッテ・アリネールを製作した女性。フィアッテを作り育てていたはいいものの、管理局にバレて計画は失敗に終わった。製作目的は恋慕。いずれ結ばれるため、自分がフィアッテを作ったということは彼には隠していた。


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