月と薔薇 (夕音)
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1

 自分の命が失われていく感覚。

 感じているはずの痛みさえも消え、自分の意識が闇へと落ちていく感覚。

 きっとそれを知っている人間などこの世にはいないだろう。

 

 だが、私は知っていた。

 遠い過去のことのような、それでいてまるで昨日のことのように鮮明な記憶。

 猛スピードで迫り来るトラック、乱暴に突き飛ばされた痛みで膝をすりむいてしまったらしく、その痛さに泣いている幼い少女。

 誰かの命を助けるためには、代償として誰かの命が必要なのかもしれない。

 ランドセルを背負い黄色い帽子を被った少女が道路を渡っているところへとトラックがブレーキを踏む様子もなく迫っているのを見、慌てて走り寄った私が車道の真ん中に立っていたその少女を間一髪安全な歩道の方へと突き飛ばすと、既に逃げられないほど間近にまで迫っていたトラックの巨体が間もなく衝突し、鋼鉄の車体と比べればあまりに貧弱な私はそのまま空中へと吹き飛ばされた。

 全身に走った一瞬の痛みと、そして重力を無視して空中を浮遊させられる圧倒的な浮遊感。

 飛ばされた先でコンクリートの上に落下した身体が勢いを殺しきれずに錐揉み状に回転する中で、一瞬だけ名前も知らない少女の姿が見えたのを覚えている。

 彼女が泣いている様子を目にしたのが、その時の私の最後の記憶だ。

 全力で突き飛ばしてしまったことは悪かったと思うが、なにぶん切羽詰まっていて力を加減している余裕など無かったし、その時はむしろ罪悪感以上に彼女が轢かれずに済んだことへの安堵の方が大きかった。

 そして、コンクリートの上をサッカーボールか何かのように転がっている間中全身をくまなく走り抜けた後、突如として消え去った激痛。

 あれだけ痛かったのに何故だかもうどこも痛くないことに気付いた直後、私の意識は急速に薄くなっていき、同時にまるで水底に沈んでいくような感覚に包まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いよいよ今日はリリアン女学園の入学式の日である。

 トラックに轢かれて命を失ったかと思いきや、気がつくと赤ん坊として、何故だか以前生きていた時代から見て三十年以上も前の地球に生まれ直していた私は、中学まで両親の仕事の都合でイギリスで生活した後、十五歳になったのに合わせて日本へと戻ってきた。

 そして母のたっての希望でリリアン女学園という都内にある私立の女子校の入試を受けた私は無事に合格し、四月を迎えた今こうして入学式の日を迎えたのである。

 エスカレーター式の学校だけあって編入試験はそれなりに難易度が高かった(少なくとも普通の十五歳の少女が満点を取るのは難しいだろうと感じるくらいには)が、前世ではそれなりにきちんと勉強して大学を卒業していた私にはそう難しいものではなかった。

 お嬢様学校などとは縁が無かったので面接の時はさすがに緊張したが、そちらでも特に問題はなかったようで、無事に合格することができたのだった。

 ともあれ、普段よりも早めに起きて準備を済ませた私は、新品の自転車へと乗って家を出る。

 リリアンの生徒は電車かバスを使って通学することが多いと合格通知と共に送られてきたパンフレットには書いてあったが、家からそれほど離れている訳ではないので私は自転車で通うことに決めていた。

 本当は車かバイクに乗ることができれば一番なのだが、生憎とリリアンの校則では生徒が通学時に車やバイクを自分で運転することは禁じられている(別にプライベートで乗ることや、誰かに車で送ってもらうことは禁じられていないのが面白い)し、そもそも私はまだ十五歳なので免許を取ることができない。

 自転車通学に決めたのには、そうした事情もあった。

 

 やはり、ほとんどの生徒は電車かバスを使って通学しているのだろう。

 このために買ってもらった新品の自転車の軽いペダルを漕ぎながらリリアンへと向かう中で、今着ているものと同じ制服を身に付けた少女の姿を見かけることはかなり少なかった。

 学校のすぐ近くにまで来てようやく目につくことが多くなったくらいである。

 安全のために速度を落として進んだ私は、家を出てから二十分弱ほどで学園の前に辿り着き、そのまま大きな門を潜って敷地の中へと入った。

 ここまでの道程もそうだったが、入試の際にも一度訪れているので、校舎内ならばともかく外で道に迷うことはない。

 まっすぐに駐輪場の方に向かい、空いている場所に自転車を止める。

 自転車通学の生徒の数が少ないせいか、それなりに大きな駐輪場は閑散としており、自転車も疎らにしか止められていない。

 そのため、停車させる場所に困ることはなかった。

 

 鍵をかけた私は、入学式の行われる体育館へと向かうために駐輪場を出てそちらの方向に歩いていく。

 駐輪場は敷地のかなり外の部分にあるので、校舎までには自転車通学ではない生徒達と同じように歩いていかなければならないのだが、程なくすると並木道の中に遠目にも目立つ大きなマリア像が見えた。

 その前で立ち止まって、祈りを捧げている少女たち。

 非日常的であり予備知識なしで目にした者は驚いてしまうだろう風景であるが、しかしパンフレットによればカトリック系であるらしいこの学園に幼い頃から通っている生徒の大半は、こうしてマリア像に祈りを捧げることを習慣にしているらしい。

 とはいえ、それは校則で義務付けられていたりするものではなく、あくまで生徒の自主性によるものという位置付けのようだった。

 同様に、敷地内にある聖堂で毎週末やクリスマスに開かれているミサにも出席の義務は無いそうだ。

 その辺りは、去年まで通っていたイギリスの学校とほとんど変わらなかった。

 私自身は一度死を経験していることもあってそれなりに死生観について思うところがあるし、別に他人の信仰を否定する気は無いが義務ではないというのならば神に祈るつもりはない。

 面接の際にもシスターの方に対して信仰は持っていないと明言したが合格したので、学園側としても特に問題はないのだろう。

 少女たちを横目にマリア像の前を素通りしていくと、祈らない生徒が珍しいのか少しこちらに注目が集まる気配を感じたが、元々それほど目立つ容姿ではないし、何より初めて目にする新入生の姿など明日と言わず一時間後もすれば忘れているだろう。

 特に気にすることのないまま、体育館への歩みを続ける。

 

 体育館の中は既に設営が整えられていたが、しかしまだリリアン生の姿は無い。

 新入生はクラス分けの紙を見た後、上級生は普段通りに一度それぞれの教室に集まることになっており、彼女らが体育館を訪れるのはその後なのだ。

 では何故私がここにいるかというと、それは私が新入生代表として挨拶をすることになっているからである。

 両親に喜んでもらおうと入試で全力を出したところミスなく満点を取っていたようで、代表を任せるという連絡が一週間ほど前に届いていたのだ。

 私のように途中から転入する者もいるとはいえ、原則的にはエスカレーター式の学校であるため、中等部から進級した生徒が任されるものと思っていたのでそれを聞いた時には驚いたし戸惑ったが、しかし両親に報告したところ喜んでくれたので結果的によかったと思う。

 そのリハーサルや準備のために、新入生代表を務める生徒は事前に会場である体育館に待機しておくことになっているそうだった。

 

「ごきげんよう。外部入学の子ね? まだ入学式は始まっていないから、先に教室に行って頂戴」

 

 お嬢様学校という謳い文句に何の偽りもない広い屋内。

 持ってきた上履きに履き替えて中に入ると、前方にある舞台の方向から声が掛けられる。

 声の方を見ると、そこには遠目にも分かるような艶々しい黒髪を顎の辺りまでの長さで切り揃えた知的な顔立ちの女性が立っていた。

 大人びた顔立ちは美少女というよりも美女と表現したくなるようなものだが、彼女の身体には私が着ているのと同じリリアンの制服が纏われているので、彼女もここの生徒なのだろう。

 

「ごきげんよう。岸本綾と申します。新入生代表は先に体育館で待機しておくようにと伺ったのですが」

 

 前世でも現世でも、お嬢様学校というものにはおよそ縁のない人生を送ってきた私には全く馴染みがないが、この学校では生徒は「おはよう」や「さようなら」といった挨拶の代わりに「ごきげんよう」という言葉を用いるらしい。

 この時間にここにいるということはほぼ間違いなく少女が在校生であるということなので、私はぼろを出してしまわないように気をつけながら挨拶をする。

 

「そう、あなたが新入生代表の子だったのね。初めまして、水野蓉子よ」

 

 水野蓉子という名前には聞き覚えがあった。

 これもパンフレットで読んだ知識だが、何でもリリアンには同格の三人の生徒会長がいるらしく、それぞれ紅薔薇、白薔薇、黄薔薇と呼ばれているそうなのだ。

 そのうちの一人、紅薔薇を務めている生徒として、彼女の名前は以前に耳にしていた。

 

「あなたのことは、先生から聞いているわ。外部入学でリリアンに来ると初めは戸惑うでしょうけど、困ったことがあれば力になるわ」

「ありがとうございます、紅薔薇さま」

「あら、その呼び名を知っているのね。そろそろ白薔薇さまと黄薔薇さまも来ると思うのだけど……。ひとまず、席に案内するからそこで待っていてね」

 

 そう言うと、蓉子さまはこちらに背を向けて歩き始める。

 背筋がまっすぐに伸ばされた、美しい姿勢だ。

 その後に続いた私が既に椅子や机が並べられている会場の中を歩いていくと、少しして彼女が立ち止まった。

 

「ここが三薔薇が座る席よ。すぐにでも打ち合わせを始めたいのだけど、あとの二人がまだ来ていないから一緒にもう少し待っていてもらえないかしら。ごめんなさい」

「いえ、私も伺っていた時間より早く来ましたから」

 

 下級生である私は先輩方より早めに来ておくべきだろうと思ったので、学校からの連絡で指示されていた時間より早く登校してきていた。

 なので、まだ先生くらいしかいないだろうと思っていたため、むしろ蓉子さまが既に来ていたことに驚いたくらいだった。

 

「おはよう。その子は?」

 

 蓉子さまと話していると、ふと後ろから憂鬱そうな調子の声が聞こえる。

 そちらを振り向くと、そこには明るいベージュの髪色をセミロングに伸ばした美少女が私たちの方に近付いてきていた。

 非常に彫りの深い顔立ちは色素の薄い肌と相まって見るものにエキゾチックな印象を与え、そのどこか中性的な面影を纏わせた容貌に思わず目を奪われてしまう。

 蓉子さまも並外れた美しさの持ち主であるが、たとえ隣に並んだとしても彼女も全く引けを取らないだろう。

 

「おはよう、聖。この子は新入生代表でスピーチをしてもらう岸本綾さん。昨日説明したでしょう?」

「覚えてないわ」

「あなた……。まあいいわ。綾さん、彼女は佐藤聖。白薔薇さまよ」

 

 蓉子さまの言葉を耳にして、首を傾げる聖さま。

 そんな彼女の反応と、それに対する蓉子さまの言葉を聞いただけで、聖さまがどのような方なのかや二人がどのような関係であるのかがおよそ理解できる。

 一度呆れたような溜め息を吐いた後、こちらを向いた彼女は私へと紹介してくれた。

 やはりその名前にも聞き覚えがある。

 三薔薇さまの一人である白薔薇さまを務めている生徒として、名前がパンフレットに書かれていた。

 

「……よろしく」

「はい、よろしくお願いします、白薔薇さま」

 

 すぐ目の前まで歩み寄ると、聖さまは一瞬だけこちらを見ると、いかにも面倒そうな口調でそう口にする。

 彼女のような美少女に不機嫌さを露わにされ、かつて中身が今と同じ年齢だった頃の私ならば、きっと萎縮してしまっただろうシチュエーション。

 私は、寝起きが悪いのだろうかなどと少し失礼なことを考えつつも、彼女に笑顔で挨拶を返した。

 

「それで、黄薔薇さまは?」

「まだよ。あなたが最後じゃないなんて珍しいけど」

「それなら、もっとゆっくり来ればよかったかな」

 

 自分が最後ではないことに少し意外そうな表情を浮かべた後、蓉子さまの方に顔を向けてそう尋ねる彼女。

 それに対する返事を聞くと、聖さまは自分で目の前にあった机の傍らの椅子を引き、気だるそうにそこに腰を下ろす。

 

「ごきげんよう、紅薔薇さま、白薔薇さま」

 

 すると、再び入り口の方から声が聞こえた。

 そちらを向けば、そこにはリリアンの制服を纏った少女の姿。

 流れから言って、恐らく彼女が三薔薇の残る一人である黄薔薇さまなのだろう。

 

「ごきげんよう」

「ごきげんよう。珍しいわね、黄薔薇さまが最後だなんて」

「ごきげんよう、黄薔薇さま」

 

 挨拶の言葉を返す聖さまと蓉子さま。

 どうやら、予想通り今しがた入ってきた少女が黄薔薇さまであるようだ。

 聖さまが少し嫌そうな表情を浮かべたことに気付きつつ、二人に続いて私も彼女へと頭を下げる。

 

「あなたは?」

 

 近付くにつれてはっきりと容姿が見て取れるようになったが、黄薔薇さまは和風な顔立ちに浮かぶどこか物憂げな表情が印象的な美少女であった。

 ヘアバンドで前髪を留めて額を露わにさせた髪型をしており、そちらも印象に残る。

 やはりと言うべきか、この方も紅薔薇さまや白薔薇さまに全く劣らない容姿の持ち主だ。

 

「新入生代表としてスピーチをする岸本綾ちゃんよ」

「そう……。鳥居江利子よ、黄薔薇をしているわ」

「よろしくお願いします、黄薔薇さま」

 

 自己紹介をしようとした私だが、先に蓉子さまに紹介されてしまったので、江利子さまが名乗った後に再び頭を下げる。

 

「編入試験で満点を取った子が今年の新入生代表だと聞いていたけど、あなたがそうなのね」

「満点?」

 

 私が頭を上げると、興味深げな視線で江利子さまに見つめられる。

 すると、その言葉に反応して聖さまが驚きの声を上げた。

 

「先生も驚いていたわ。新入生代表は中等部の成績優秀者から選ばれるのが慣例だから、高等部からの外部入学の子が務めるのはかなり久々のことだそうよ」

「ふうん。頭がいいのね」

「それよりも、そろそろ打ち合わせを始めましょう。もうあまり時間が無いの」

 

 話題を切り上げるように蓉子さまが壁に掛けられている時計に目を向けると、もう予定の集合時間は過ぎていてあまり時間的な余裕は無くなっていた。

 やはりというべきか、会話を伺っていてなんとなく察することができたが、山百合会と呼ばれているらしい生徒会を引っ張っているのは蓉子さまのようだ。

 そして、おしゃべりはそこまでで終わり、持ってきた原稿の最終チェックなどをしてもらいながら打ち合わせと軽いリハーサルを行った私。

 こう言っては失礼だが相当癖のありそうなお二方を上手くまとめているだけあって紅薔薇さまのカリスマ性というか、リーダーシップは凄まじく、いくつか見つかった手違いやミスなども彼女によってあっという間に解決された。

 後からやってきた先生さえも、半ば蓉子さまの指示で動いていたほどだ。

 リハーサルを終えると、私は自分の席について開始を待つ。

 そうこうしているうちに体育館の中はリリアンの制服を纏った生徒たちで満ち、入学式が始まった。




オリジナルヒロインの二次創作です。
山百合会視点ではなく、薔薇の館の住人ではない生徒から見たリリアン女学園を書きたかったので書き始めました。
原作にある関係や絆を壊すくらいなら書かない方がましなので、ヒロインが他の原作キャラの代わりに誰かの妹になったりはしません。
私の技量が許す限り原作キャラの性格をなるべく忠実に書いているつもりですが、もしも違和感があったらごめんなさい。
原作の描写との矛盾が無いよう心がけていますが、もしも矛盾があればご指摘いただけたら嬉しいです。


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2

 入学式は、特筆に値するような変わったこともなく終了した。

 先生がたのお話を伺ったあとに私が新入生代表としてスピーチをし、蓉子さまが在校生代表として同じようにスピーチをすると、式は終わりを告げて生徒たちは皆教室へと向かっていく。

 座っていた席を立ち、私のクラスである一年菊組の列へと入る私。

 式が始まる直前まで打ち合わせやリハーサルをしていたこともあって、私は他の新入生とは違いまだ教室に行っていない。

 これから一年間級友となる少女たちと顔を合わせるのも、これが初めてだった。

 ごきげんよう、とこの学校の流儀に合わせて挨拶をし、共に教室へと歩いていく。

 私は外部からの転入という形でリリアンの一員となったが、家で読んだパンフレットによれば毎年外部入学の生徒は学年に数名程度しかいないらしい。

 つまりほとんどの生徒は中等部からのエスカレーターでここにいるのだが、その頃から仲がよかった関係の子たちも多いようで、既に騒がしくならない程度に歩きながら小声で話している少女たちの一部は、何人かで顔を寄せ合ったりしていた。

 もちろん外部入学であるどころか、そもそも最近まで日本にさえいなかった私にはこの国に同年代の顔見知りなど親戚などを除けばほぼ皆無であり、当然ながら級友にも知己の少女はいない。

 単に初対面であるというだけでなく、外部入学で入ってきたリリアンにとっての一種の異物である私が珍しいのだろう、列の中を歩いている私に彼女たちからの視線が集まってくるのを感じた。

 

 やはりこういったところもお嬢様学校らしく、公立の学校に慣れていると驚いてしまうくらいに広い教室につくと、皆が席に着いてすぐに担任の先生が教壇に立ち、自己紹介を促す。

 聡美という名前らしい先生が初めに名前と担当の教科を口にすると、教室の左前方の席の子から順番に自己紹介が始まった。

 内部進学であるほとんどの生徒は高等部でもこれまでと同じ部活を続けるようで、もちろん部活をしていない生徒もいるが、既に高等部の部活に参加しているという子も多いらしい。

 部活は何に入ろうか、などと思いながら彼女たちの声を聞いていると、すぐ前の席の生徒の名乗りが終わり、私の番になる。

 

「岸本綾です。趣味は料理とフェンシングです。まだ部活動は決めていません。右も左も分からない新参者ですが、よろしくお願いします」

 

 適当に自己紹介を済ませる私。

 前世ではとっくに成人していたし、当時の私はリリアンとは程遠い外の世界で育ったので、本当は他にも趣味をいくつか持っている。

 その中から、この学園で育ってきたお嬢様たちにも比較的理解されやすいだろうものを選び、趣味として宣言した。

 そして、教室中からの視線が集まるのを感じつつ、再び腰を下ろす。

 すると後ろの席の生徒が立ち上がって自己紹介を始め、私に向いていた視線が今度は彼女へと集められる。

 その後も、順番は続いていった。

 

 簡単なものであったために、すぐに最後の生徒まで終わりを告げる。

 入学式ということで今日は授業などは特になく、プリントを配られたり、学園に関しての説明などがされた程度で放課となった。

 先生がいなくなると、途端に騒がしくなる教室。

 ほとんどが幼稚舎から一貫してリリアンで育ってきた箱入りのお嬢様であるので公立の学校と比べればずっと淑やかで落ち着いた雰囲気であるが、だとしても十代の少女ばかりが集まっていたらある程度かしましくなるのは必然だった。

 この後はどうしようかと考えながらカバンにプリントを仕舞っていると、自己紹介の時と同じように視線が多くこちらに向けられているのを感じる。

 異物である私に興味はあるが、きっかけも無しに話しかけられるほどの積極性はないということなのだろう。

 逆に言えば、何かきっかけさえあれば打ち解けることも出来そうなのだが。

 

「ごきげんよう、綾さん」

 

 どうきっかけを作ろうかと考えていると、私の右隣の席の少女が声を掛けてきた。

 黒い髪を長い三つ編みに纏めた、儚げな印象を受ける美少女である。

 

「ごきげんよう、由乃さん」

 

 先ほどまでの自己紹介で島津由乃と名乗っていた彼女は、微笑みを浮かべてこちらを見ている。

 その表情は儚げな顔立ちによく似合っていて、まさに深窓のお嬢様といった風情だった。

 タイプこそ違うが、彼女もまた三薔薇さま方と同じくらいの美少女だと言えるだろう。

 山奥のサナトリウムで療養していそうな病弱な美少女、というと我ながらあまりに安直な表現だが、その姿からは守りたいと思うような庇護欲をかき立てられる。

 とはいえ、他の少女と違って自分から話しかけてくれたのだから、決して外見通りただおとなしい令嬢というだけではないのだろうけど。

 

「皆さんあなたに注目しているわよ」

「私は外部入学生ですからね。きっと珍しいんじゃないかな」

 

 教室を軽く見回して、そう口にする彼女。

 けれども、リリアンという特殊で隔絶された箱庭で幼少より育ってきた彼女らにとっては、突如外からやってきた私は完全な異物である。

 警戒と好奇心が混じった目線を向けられるのは、ある意味当然のことだった。

 

「それだけじゃないと思うけど……。綾さん、新入生代表で目立っていたじゃない。お姉さまに聞いたけど、編入試験で満点を取ったのでしょう?」

「ええ、満点だったと伺いました。それよりも、お姉さまというのは、スール制度の?」

 

 この学校には、スール制度という独特の制度が存在していると噂で聞いたことがある。

 学園側が公的に定めた制度ではないためにパンフレットには特に記されておらず、そのため詳しいことは分からなかったが、何でも母によれば上級生と下級生が互いを姉妹として呼び合う制度なのだとか。

 

「そうよ。リリアンでは、上級生が下級生にロザリオをかけて、妹として教え導く習慣があるの。綾さんには、きっと妹にしたいという上級生の方からの申し込みが殺到すると思うわ」

「そうでしょうか?」

 

 私に注目が集まっていることは分かるが、それは単に異物として浮いて目立っているせいであり、別に私に魅力があるからではない。

 時間と共に落ち着いていくだろうし、そのような申し込みが集まるとは思えなかった。

 

「誰の申し出を受けるかはちゃんと考えてから選んだ方がいいわよ。早い者勝ちじゃないんだから」

「まだスール制度がどんなものなのかよく分からないので……。由乃さんの姉はどんな方なのですか?」

 

 由乃さんの真剣な口調からするに、姉妹選びはその後の学校生活を左右するような重大事なのだろう。

 リリアンの生徒にとってスール制度がそれだけ大きな意味を持っていることは理解できたが、とはいえ無関係の世界で育ってきた私には、未だそれがどのようなものなのかがはっきりとは実感できていない。

 なので、そのことを由乃さんに尋ねてみる。

 

「私は従姉妹の黄薔薇の妹がお姉さまよ。支倉令さまって言って、剣道が凄く強いの。だけど、私のところは特殊だからあまり参考にならないんじゃないかしら。初日から誰かと姉妹になっているのは私くらいだと思うわ」

「そうなのですね。でも、少し姉妹とは何なのかが分かった気がします」

 

 従姉妹ということだから、恐らく由乃さんは入学前から姉妹になる約束を令さまという方と交わしていたのだろう。

 ほとんどの生徒はそうした相手がいないので、これから学園生活の中で姉となる少女、妹となる少女と巡り合うことになる。

 そう考えれば由乃さんの例は確かに姉選びの参考にはならないだろうが、だが姉妹というのが何か特別な絆で繋がった関係であることは姉のことを語る彼女の表情を見ていればよく分かった。

 

「ふふ、それならよかった。では、私はお姉さまとの約束があるからそろそろ失礼するわ。ごきげんよう」

「ええ、ごきげんよう、由乃さん」

 

 一緒に帰る約束でもしているのだろうか、ちらりと時計を見た彼女は、そう言って席を立つ。

 その拍子に、長いお下げがひょこひょこと揺れた。

 朝の挨拶であり、出会いの言葉であり、別れの言葉でもあるごきげんようという言葉。

 その言葉を交わすと、由乃さんは教室を後にする。

 

「あ、あの」

 

 今日は初日なのでまだ掃除は無い。

 残された私は、もう教室を後にする準備は整っていたので、適当に部活を見て回ろうかと思い立ち上がりかけるが、意を決したような表情の少女に話しかけられ途中で動きを止めることになる。

 きっと、由乃さんと話しているのを目にしたことで、異物である私に話しかける勇気が出たのだろう。

 まだ卒業後の進路までは決めていないが、少なくともこれから三年間はリリアンという世界で過ごすことになるのだから、もちろん彼女たちとは仲良くしたい。

 誰か一人が先陣を切れば、他の子たちも同じように続き、それからはあっという間である。

 少女たちに囲まれた私は、それからしばらくの間質問攻めに遭うことになったのだった。



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3

 ようやく少女たちの質問攻めから解放された私は、まだ時間がそう遅くないので部活の見学でもしようと教室を出て廊下を歩いていた。

 女子校であるリリアン女学園は、お嬢様学校ということもあってかどちらかというと運動部よりも文化部の方が盛んであり、男性がすることの多い野球部やサッカー部といった運動部は存在しない。

 球技で盛んなのは、バスケットやバレーボール、テニス辺りである。

 前者二つは室内競技であり、テニスは専用のコートで練習をしているので、つまりグラウンドを使用する部はあまり多くないのだ。

 パンフレットを家でひとしきり眺めた限りでは、使うのはラクロス部と陸上部、ソフトボール部くらいだろうか。

 その反面、体育館を使用する部は多い。

 先述の二つに加えて、卓球部、ハンドボール部、バトミントン部、体操部、新体操部、ダンス部、応援部など。

 また、剣道部や弓道部やフェンシング部や薙刀部、柔道部や合気道部や空手部などの武道系の部活は、それぞれ専用の武道場を使って練習をしている。

 他にも居合道部や杖術部、変わり種では柳生心眼流体術部など、名家の令嬢も多いリリアンではいざという時に護身に使える武道が奨励されていた時代が過去にあったらしく、今でも武道系の部活がやたらと多い。

 例えば剣道部と弓道部で同じ武道場を共用することは不可能なので、部活ごとに専用のものを用意しなければならず、学園の敷地内には武道場がいくつも存在していた。

 決して金銭的に軽くない負担だろうに、敷地内にそれぞれの武道場をきっちり建てている辺りはさすがリリアンである。

 基本的に、各武道場は近くに集めるように建てられている。

 今日は武道系の部を見学しようと思っている私は、そちらの方へと足を伸ばしていた。

 建物の並ぶ中を歩いていると、一つ明らかに他のところと比べてひときわ新入生で賑わっている部を見つける。

 どうやら、そこは剣道部らしい。

 由乃さんによれば、黄薔薇のつぼみである令さまが所属しているそうなので、彼女を目当てに新入生が集まっているのだろう。

 その近くを通り過ぎながら、私はフェンシング部の練習場へと入る。

 

「ごきげんよう。見学させていただいてもいいでしょうか?」

「ごきげんよう。もちろんよ。歓迎するわ、綾さん」

 

 剣道部の方に人を取られているためか、こちらの見学者は少ない。

 声を掛けると、一人の少女が微笑みながら私の言葉に頷いた。

 つい今朝スピーチをしたばかりだからだろう、彼女は私の名前を覚えていたらしい。

 

「綾さんは、フェンシングの経験はおあり?」

「リリアンに入学する少し前まではしていました。こちらに来てからは、入学準備などで忙しく剣を持てていませんでしたが」

 

 向こうでは、日本と比べてずっとフェンシングが盛んである。

 ずっとイギリス育ちだった私も、小さな頃からフェンシングを習っていた。

 

「本当? それなら、腕前を見せてもらおうかしら。フルーレでいい?」

「ええ。もちろんです」

「美優ちゃん、彼女と手合わせしてあげて」

「はい、明日香さま」

 

 日本ではフェンシングはメジャーとは言えないので、経験者はかなり少ない。

 貴重な経験者だということで、こちらの実力を見ようとしているのだろう。

 こちらに来てからは多忙や環境の不足などで一度も試合をできていなかったので、久々にフェンシングができることに胸を昂らせつつ、私はどうやら部長らしい彼女の言葉に頷く。

 すると、私の相手役として指名された美優と呼ばれた少女が、部長からの言葉に返事をすると手にしていたマスクを被った。

 

「審判は私がするわ。五点先取で勝ち。防具と剣はあちらにあるものを使って」

「ありがとうございます」

 

 さすがに家から使用する道具を持ってきてはいなかったので、部で用意されているものを使わせてもらう。

 壁際に近付くと、そこに収納されていた防具を手早く身につけていく。

 フェンシングの防具は構造がそれなりに複雑なので、いささか着るのが難しい。

 これをすんなりと身につける動きで、本当に経験者だということは分かってもらえただろう。

 

「よろしくね、綾さん」

「こちらこそ。よろしくお願いします、美優さま」

 

 剣を手にした私がピストの上に進み出ると、既に準備を終えていた彼女と言葉を交わす。

 そして、互いに剣を構えた。

 ふと周囲に目を向けると、いつの間にか見学の生徒の数がかなり増えている。

 どうやら剣道部の見学をしていた少女たちがこちらに集まってきているようだ。

 令さまの見せ場が終わったからなのか、あるいはフェンシングの試合が珍しいのだろうか。

 とはいえ、それはさして重要ではない。

 今重要なのは、美優さまとの手合わせだろう。

 明日香さまが、準備ができているかを私と美優さまに尋ねる。

 もちろん、準備は万端だ。

 私たちの返事を耳にして、彼女は試合の始まりを告げた。

 同時に動き出す私と美優さま。

 いくらこれが単なる手合わせであり、相手が先輩であるとはいえ、こうして実戦形式で向かい合った以上は手を抜くのは相手に失礼だろう。

 先に攻撃をしてきた彼女の剣を払うと、すかさず反撃に転じて脇腹のあたりを突く。

 こちらの得点だ。

 簡易的な手合わせということで先に五点を取った方の勝ちなので、あと四点。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました、美優さま」

「ありがとう、綾さん。本当に強いのね」

 

 試合を終えた私は、彼女と握手と言葉を交わす。

 久々のフェンシングは、かなり楽しかった。

 マスクを脱いで、汗で肌に貼りついた髪を後ろに払う。

 すると、見学の少女たちがこちらに歓声を送ってくれた。

 どうやら、始める前に見た時より更に数が増えているようだ。

 中には、眼鏡をかけ、首から下げたカメラを構えている少女などもいる。

 

「まさか、美優ちゃんが一点も取れないなんて……。この子はうちのエースなのよ」

「手を抜くのは失礼だと思いましたので、全力で挑ませていただきました」

 

 彼女がかなりの実力者であることは、実際に向かい合ったことでよく分かった。

 けれども、私とて十年以上本気で取り組んできたのだ。

 そう簡単に負けるつもりはなかった。

 

「あの、もしかして、綾さんは去年の全イギリス選手権のフルーレとエペでベスト4に入っていた岸本綾さん?」

「ええ、そうですよ」

 

 周りで手合わせを見ていた部員の少女の一人が、一歩進み出ると私に尋ねる。

 私はそれに肯定の言葉を返す。

 それと同時に、向こうにいた頃の私がただ一人どうしても勝てなかった相手の姿が思い浮かべていた。

 ベスト4という戦績で終わったのも、その相手に準決勝で敗れたからなのだ。

 

「ああ! そうよ、どこかで聞き覚えがあるって入学式の時から思っていたの。ごめんなさい、腕前を確かめるだなんて言ってしまって……」

「いえ。こちらに来てからは一度も剣を手にしていなかったので、久々に試合ができてとても楽しかったです」

「ありがとう。ぜひ入部してもらいたいのだけど、どうかしら」

「しばらく考えさせてください。一通りの部を見学させていただいてから決めたいので」

 

 部長から入部の誘いをいただくが、ひとまずそれを保留にする。

 リリアンには多彩な部活がある。

 このまま部活でフェンシングを続けるか、あるいは高校デビューということで全く違うことに挑戦するか、それはまだ決めていなかった。

 

「そう……。あなたが入部してくれるのを待っているわ。これから他の部も見に行くの?」

「はい。リリアンにはいろいろな部がありますからね」

「もし入部する気になったらいつでもいらしてね。歓迎するわ」

 

 微笑みながら言うと、明日香さまはかなり多くなった見学者の応対に回る。

 この中で、何人がフェンシングの魅力に触れて新しく始めてくれるのだろうか……と思いつつ、私は防具を脱いでいく。

 もしかするとフェンシング以外のことを始めるかもしれない私が言うことではないが、一人でも愛好家が増えてくれれば嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾さん、少しよろしいかしら」

「何でしょうか」

 

 それからしばらくして、いくつかの部を見学して回った私が薙刀部の武道場から出て少し歩いていた。

 既に経験のあったフェンシングとは違い、したことのない武道の部活ではまず一通りの基礎を教わるところから体験が始まる。

 なので、三つ四つほどの部活を見学して回っただけでもうかなり遅い時間になってしまっていた。

 ――由乃さんの姉、黄薔薇のつぼみがいるという剣道部にも興味があったのだが、見学するのは明日になるだろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと横合いから声をかけられる。

 そちらを振り向くと、そこには眼鏡をかけ、首から黒いカメラを提げた少女の姿があった。

 彼女を見て、先ほどフェンシング部で見学者たちに混じってカメラを構えていた少女であることを思い出す。

 

「私は写真部の武嶋蔦子というの。と言っても、少し早く入部した一年生だけどね」

「よろしくお願いします、蔦子さん」

「こちらこそ。それで、さっきフェンシングをなさっていた綾さんの写真を撮らせてもらったのだけど、いい写真になったから急いで現像させてもらったの」

 

 そう言って、彼女は何枚かの写真をこちらに差し出す。

 受け取ったそれを覗き込むと、そこには試合を終えてマスクを取った後の私の姿が写っていた。

 

「これからも撮らせていただくことが多くなるでしょうから、手土産に差し上げようと思うのだけど、どうかしら。もしお嫌ならネガごと処分するわ」

「いい写真ですね。ありがとうございます」

「気に入ってもらえて何よりだわ」

 

 蔦子さんはカメラマンとしてかなり腕がいいのだろう。

 渡された写真の中の私は、これが本当に自分なのかと一瞬戸惑ってしまうくらいだった。

 例えば私が何かを撮ったとして、蔦子さんの撮る写真のような出来栄えにはならないだろうと確信できる。

 

「では、ごきげんよう。まだ他の方の写真も撮らなければいけないから。綾さんとは、これからも何度もご一緒することになると思うわ」

「ごきげんよう。その時は、綺麗に撮ってくださいね」

 

 写真部の活動で忙しいようで、私に写真を手渡すと足早に立ち去っていく蔦子さん。

 三薔薇さまやつぼみの方々もそうだが、お嬢様学校のリリアンにも彼女のようなただ箱入りのお嬢様であるだけではない癖のある生徒はいるようだった。



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4

 翌朝、やはり自転車で登校した私は、相変わらずがら空きと言っていいような駐輪場に買ったばかりの愛車を停め、校舎の方へと向かう。

 三薔薇さまと入学式の打ち合わせをせねばならなかった昨日とは違い、今日は特にこれといった用事がある訳ではないので少しゆっくりと家を出た私は、昨日と同じようにマリア像の前を素通りし、けれども昨日とは違い菊組の教室に歩いていく。

 マリア像に祈りを捧げることなく通り過ぎる私はやはり異質であるようで、必然的に周囲の少女たちの視線が集まるのを感じる。

 それらとはまた異なる質の視線を感じたのでふと少し離れた茂みに目を向けると、そこには昨日声をかけられた眼鏡をかけた少女、蔦子さんの姿があった。

 カメラを構えている彼女は、どうやらここで祈りを捧げる少女たちの姿を撮影していたらしい。

 目が合うと、蔦子さんはシャッターを押して私のことも撮影していく。

 そんな少女たちの視線に見送られるようにして、私はその場を後にする。

 

 教室に着いた私が席について時計を見ると、あと数分ほどで本鈴が鳴る時間だった。

 既に、廊下にいる時に予鈴は聞いている。

 受験の時も含めてリリアンに来るのは今日が三度目である私は、まだそれに慣れていない。

 遅刻はしないだろうと思いゆっくり目に家を出たが、明日からはもう少し早く出る方がいいかもしれなかった。

 

「ごきげんよう、綾さん」

「ごきげんよう、由乃さん」

 

 私は、隣の席の由乃さんと挨拶を交わす。

 教室を見回せば、私以外の生徒は既に席についていた。

 予鈴の時点で既に席についているとは、こういったところも何ともお嬢様学校らしい。

 

「これから朝拝があるから、準備をしておいた方がいいわよ。聖書は持ってきている?」

「はい。向こうで使っていたものですが」

 

 私は神に対しての信仰心を持っていないが、キリスト教国であるイギリスに長くいたので聖書くらいは持っていた。

 ミッション校であるリリアンには、その名の通り朝の礼拝である朝拝や、シスターによる神学の授業がある。

 神学の授業の時には聖書を使うのだが、信じてもいない神のためにわざわざ新しく買うのも馬鹿らしかったので、向こうで使っていたものをそのまま持ってきていた。

 面接の時に質問してみたところ、面接を担当されていたシスターの方は構わないとおっしゃっていたし。

 鞄からそれを取り出すと、由乃さんに見せる。

 

「ええっと、これ、英語じゃないわよね。何語なのかしら」

「ラテン語ですよ。ラテン語版聖書、ヴルガータです」

 

 厚い表紙に金糸で綴られている文字を見て首を傾げた由乃さんの質問に答える。

 この歳までイギリスで教育を受けていた私だが、イギリスも含めたヨーロッパでは古典とはラテン語やギリシャ語のことを指す。

 日本では古典の授業の中で古文や漢文を学ぶが、それと同じ感覚で向こうではラテン語を学ぶのだ。

 例えばゴート語だとかアルメニア語だとか、ヨーロッパの諸言語ではその言語で初めて筆記された出版物は聖書であることがかなり多い。

 それらと違いラテン語の場合にはそれ以前にもローマの人々が書き残した書物が多くあるが、やはり聖書が有力な古典資料であることには変わりがない。

 他にも、それそのものがイギリス人にとっては馴染み深い内容だということもあり、ラテン語の授業の中でも聖書が資料の一つとして使われていたのだ。

 この聖書は、その時に使っていたものだった。

 

「綾さん、ラテン語なんて読めるの!?」

「ええ。日本に来るまで勉強していましたから」

 

 由乃さんの大声で、こちらに注目が集まったのを感じる。

 カエサルのガリア戦記だとかウェルギリウスのアエネーイスだとか、資料として聖書以外にも多くの古典を読むことができるラテン語の授業は個人的に好きな授業の一つだった。

 まだ日本に引っ越すことが決まる前の話だが、現代でラテン語の知識を最も活かせるのはやはりキリスト教関連の世界なので、ラテン語を担当されていた先生に神学科への進学を勧められたことがあったのを思い出す。

 そちらの世界に興味が無いので断ったけれど。

 

 由乃さんは興味津々といった様子だったが、ちょうどそのタイミングで本鈴のチャイムが鳴ったので、彼女は渋々といった感じで前を向く。

 その様子を見るに、昨日から何となく感じていた通り、由乃さんはやはり見た目通りのただ大人しいだけの少女という訳ではなかったらしい。

 そしてチャイムが鳴り終わると、続いて朝拝の放送が始まる。

 昨日は入学式の中で行ったが、通常時はこうして毎朝放送で行うらしい。

 流れている言葉に従い祈り始める少女たち。

 けれども、私はやはり祈ることなく、黙って前を向いて座る。

 日本と比べてキリスト教がずっと身近に根付いているイギリスでもこういった時間はあったが、その時にもやはり私は祈りには混ざらなかった。

 昨日の朝拝が行われた入学式の会場で、ふと近くの席にいた白薔薇である聖さまも祈っておられなかったのを思い出す。

 時間としては、そう長くはない間。

 程なくして朝拝が終わると、予鈴の時点から既に前の椅子に座っていた担任の聡美先生が立ち上がり、朝のホームルームが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾さん、どうして祈られなかったの?」

 

 ホームルームが終わり、一限目の授業まで束の間だが時間が空くと、由乃さんがそう尋ねてくる。

 とはいえその口調は別に責めているようなものではなく、むしろ好奇心の色が強く含まれているように感じられた。

 

「私は神を信じていませんから。信徒でもなく、信仰心がある訳でもない私が上辺だけで祈るのは、逆に失礼でしょう」

 

 私自身が転生などという不可思議な現象を体験しているのだから神の存在そのものを信じていない訳ではないが、神がいると思うことと、神を信仰することはまた別の問題だろう。

 存在は信じていても信仰はしていない私には神に祈る資格は無いだろうし、その気も無かった。

 おそらく、幼稚舎からリリアンで育ったほとんどの少女たちは、信徒と呼べるほど熱心ではないにしろ、ある程度神への信仰心を持っているのだろう。

 そういう意味では、リリアンは一般的な日本社会よりも、むしろ生活の隅々にまでキリスト教が根付いたヨーロッパに環境が近いのかもしれない。

 

「それだけなの?」

「はい。期待に添えなかったのなら、申し訳ありませんが」

 

 本当は一度死を経験したために死生観などが大きく変わったというのが一番大きな理由なのだが、これはわざわざ口に出して言うべきことではないだろう。

 それだけだと言うと、少し拍子抜けしたような表情の由乃さんは、それでもこちらに頷きを返す。

 彼女の儚げな顔立ちにこうしてそれなりの頻度で現れる、一見受ける印象とは対照的な活発さはとても魅力的に感じられた。

 

「私たちにとっては、習慣みたいなものだから、そんなことは考えたこともなかったわ」

「それでいいと思いますよ。イギリスでは、皆さんそんな感じでしたし」

「イギリス?」

 

 何気なく言った私だが、不思議そうな表情を浮かべて尋ねてくる由乃さん。

 ……ああ、そうか。

 一瞬その反応の理由が分からなかった私だが、すぐに理解する。

 

「そう言えば言っていませんでしたね。今年の三月まで、イギリスに住んでいたんです、私」

「それじゃ、帰国子女なんだ」

「そうなりますね。リリアンを受験する時に、初めて日本に来ました」

 

 とは言っても、かつて事故で命を落とすまでの私は普通に日本で暮らしていたのだけれど。

 当時は二〇十四年、今は一九九四年と何故か時間を逆行してしまったようなので、果たして逆行を時間経過として数えて構わないのかは分からないが、それを計算に入れれば都合二十年ぶりの日本になる。

 まだ前世の私が生まれていたかどうかの頃の日本には当たり前だが勝手が全く違うことも多々あり、未だに完全に馴染めているとは言いがたかった。

 何しろ、この時代はポケベルの全盛期であり、まだ携帯電話がほとんど普及していない代わりに、テレビではポケベルの宣伝が盛んにされているのだ。

 これだけを取っても、いかに勝手が違っているかが分かるだろう。

 

「ねえ、イギリスってどんなところなの?」

「そうですね……」

 

 まだインターネットがパソコン通信と呼ばれていたこの時代、それはあまり普及しておらず、つまり日本国内にいて得ることができる海外の情報は現代に比べずっと乏しい。

 イギリスがどんな国なのかが気になるようで、尋ねてきた由乃さんにどう答えようかと考えていると、そのタイミングで一限目の始まりを告げるチャイムが鳴る。

 

「あ、始まってしまいましたね。また後でお答えします」

「絶対ですからね」

 

 気になって仕方がないのだろう、チャイムを聞いて私がそう言うと、またもやその音のせいで会話を途切れさせることになった由乃さんが強い眼光をこちらに向けて念を押してくる。

 苦笑しながらも私が頷くと、彼女は渋々といった様子で前を向いたのだった。



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5

 入学から数日が過ぎ、積極的に話しかけてくれた由乃さんのおかげもあって、私は次第に級友たちと打ち解けることができるようになっていた。

 最初は遠巻きに見ているだけだった少女たちも、誰か一人が先陣を切ればそれに続いて次々と話しかけてくれるようになる。

 その役目を担ってくれた彼女にはとても感謝していた。

 

「ごきげんよう、綾さん」

 

 今しがた体育の授業を終えたばかりである私が由乃さんと話しながら教室に向かっていると、横合いから声をかけられる。

 振り向くと、そこにはいろいろな部を見学している私が、日舞部というお嬢様学校らしい部で活動を体験させていただいた時に言葉を交わした二年生の先輩の姿があった。

 確か、名前は莉絵さまだっただろうか。

 

「ごきげんよう、莉絵さま。何のご用でしょうか」

 

 挨拶を返すと、用件を尋ねる私。

 けれども、尋ねつつも私は、彼女がどのような用件なのかをおおよそ察していた。

 

「早速だけど、このロザリオを受け取ってもらえないかしら」

 

 莉絵さまが口にしたのは、予想した通りの言葉。

 姉妹の申し込みだった。

 彼女は、手にしたロザリオをこちらに差し出してくる。

 

「すみません。まだリリアンに来たばかりで、私はスール制度をきちんと理解できているとは言えません。そんな状態で、大切なロザリオを受け取る訳にはいきません」

「……そう。それは残念だわ」

 

 私は、彼女の申し出を拒絶する。

 スール制度が具体的にどのようなものかはまだよく分かっていないが、姉妹がリリアンの生徒にとって非常に大切なものであることだけは分かっている。

 だからこそ、まだそれについて詳しく理解できていない私が誰かと姉妹になるのは相手に失礼だろう。

 少なくともこの学校でもっと時を過ごし、きちんと姉妹とは何たるかが分かるようになるまでは、誰とも契りを結ぶつもりはなかった。

 その旨を伝えると、彼女は少し残念そうな表情を見せた後、この場を立ち去っていく。

 

「由乃さんが言っていた通りでしたね。まあ、入学式のスピーチで目立ってしまいましたから仕方ありませんが」

 

 入学式の日に由乃さんが言っていた通り、昨日辺りから廊下を歩く度に今のように姉妹の申し込みが訪れるようになっていた。

 新入生代表を務めたことで、目立ったのが原因だろう。

 どうやらリリアンにはまず姉妹の関係ありき、それから絆という考え方の少女も多いようで、そうした考えの先輩方にとっては知名度だけは高い私はロザリオを差し出すのにちょうどいい相手なのだと思う。

 もちろんその考え方が悪いとは思わないが、姉妹って何?というレベルの私にはいささか早急すぎるのは確か。

 相手に悪気がないとはいえ、こうも頻繁だと隠れたくなったりもするのだが、全校生徒の前に立ったので顔も覚えられているし、目立たないようにするということも出来ない。

 

「それなら、山百合会のお手伝いに来るのはどう? 実は、あなたをお手伝いに誘うように、昨日薔薇さま方からお願いされているの」

「それはつまり、山百合会の方々が私たちを妹にしようとしている素振りを見せることで、他の上級生の方々に姉妹の申し込みをすることを躊躇ってもらおうということね?」

 

 白薔薇である聖さまには未だに妹がおられないことは知っている。

 山百合会のシステム上、通常は九人いるはずの人員が六人しかいない現状はかなりの人手不足であることは分かるが、別にわざわざ私を名指しで手伝いに選ぶ必要はないし、そもそも人手が足りないならば一年からではなく二年から誰かを誘ってもいいはずだ。

 にもかかわらず私がわざわざ指名されたということは、つまりそうした意図があるのだろう。

 そう考えた私は、彼女にそれを確認する。

 

「ええ。薔薇さま方に気に入られているとなれば、ロザリオを差し出してくる方はかなり少なくなるはずよ」

「でしたらお受けするわ。と言っても、どれくらいお役に立てるかは分からないけれど」

 

 私は、考えるまでもなく由乃さんの誘いを快諾する。

 それで昨日辺りから続いている申し込み攻勢が終わるのならば、断る理由は全くなかった。

 

「ありがとう。では、放課後になったら一緒に薔薇の館に行きましょう」

「そうね。そうしましょうか」

 

 三薔薇さまとは入学式の前に話をさせていただいたが、三人ともとても素敵な方だったと思う。

 彼女らが私のために助け船を出してくださったことに感謝しつつ、早速今日の放課後に薔薇の館に伺うことを決めた。

 由乃さんと歩きながら話していると、やがて在籍する一年菊組の教室の前に到着する。

 いったん会話を止めた私たちは、入り口の扉を開いて着替えと次の授業の準備のために室内に入ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 掃除を終えた後、私と由乃さんはその足で薔薇の館へと向かった。

 古びた建物は威容を持って訪問者を迎え、しかし住人である由乃さんに導かれた私は躊躇することなく足を踏み入れる。

 一般生徒からすれば雲の上の人という扱いである三薔薇さまの過ごす場所ということもあり、古さがそのまま威容となっているこの館を訪れるのはきっと少女たちにはかなり敷居が高いのだろう、などと考えつつ軋む音を立てる扉を潜ると、イメージに違わない上品な造りの内部が見えた。

 どうやら薔薇さまやその妹が過ごしている部屋は二階らしく、階段を上り始めた由乃さんの背中に続いて私も上っていく。

 古いせいだろう、一段踏みしめる度に木が軋む音を立てる階段。

 いつか板が抜けてしまわないのだろうかと少し心配になるが、お嬢様学校なので万が一それで生徒が大怪我をしてしまったら大問題になりかねない。

 にもかかわらず予算は潤沢にあるはずのリリアンがそのままにしているということは、特に問題はないのだろう。

 そんなことを考えつつ上っていくと、二階に到着する。

 由乃さんは廊下の先にある茶色の扉の前で立ち止まると、そっとノックをした。

 

「岸本綾さんをお連れしました」

「ご苦労さま、入っていただいて」

「どうぞ」

 

 彼女が扉の向こうに声を掛けると、中から聞き覚えのある蓉子さまの返事が聞こえる。

 それに従って扉を開けた由乃さんに促されるままに、私は部屋へと足を踏み入れた。

 

「岸本綾です」

 

 室内にいたのは紅薔薇さまと黄薔薇さまだった。

 お二人が座っているテーブルの近くまで行くと、頭を下げて挨拶をする私。

 三薔薇さまといえばリリアンの一般生徒から見れば雲の上の存在であり、強い憧れを抱いている子がほとんどである。

 だが、外部生であるために薔薇さまという地位の凄さがまだあまり実感できていない私は、彼女たちを前にしてもあまり緊張などは感じない。

 頭を上げると、お二方は椅子から立ち上がって私たちを迎え入れた。

 

「お呼びだてして、ごめんなさいね」

 

 彼女たちはこちらに近付くと、座って頂戴、と椅子を引いて私を促す。

 逆らう理由も無いので腰を下ろすと、ちょうど元の席に戻ったお二方とテーブルを挟んで向かい合うような位置になった。

 室内には蓉子さまと江利子さまだけであり、他の住人は不在。

 まだ来ていないだけなのか、それとも初めから今日は来る予定が無いのか、果たしてどちらなのだろう。

 

「私たちの方も自己紹介が必要かしら。綾ちゃんには入学式の日にさせてもらったけれど」

「いえ、結構です」

 

 新入生代表だった私は、入学式の際に三薔薇さまと顔を合わせている。

 なので、改めて自己紹介をしてもらう必要は無かった。

 

「あ、紅茶を淹れますね。綾さんも紅茶でいい?」

「それなら私が淹れますよ。向こうにいる時は、本場なので毎日飲んでいましたし」

「向こう?」

「ええ。三月までは、イギリスで生活していたんです」

「それは面白そうね。では、本場仕込みの紅茶をお願いできるかしら」

 

 私の言葉に反応して尋ねてきた蓉子さまに、そう答えを返す。

 すると、それに反応して目を輝かせた江利子さまが話しかけてきた。

 

「ちょっと黄薔薇さま、綾さんはお客様なのに失礼でしょう」

「いいじゃない、本人が淹れると言ってくれているのだから。綾さんも、構わないわよね?」

「はい、もちろんです」

 

 江利子さまのことを蓉子さまが咎めるが、私は一年生であるし、そもそもが手伝いとして呼ばれているのだから、飲み物は私が淹れるのが筋だろう。

 そのことに否やは無かった。

 

「茶葉やカップは向こうにあるからお願いね。由乃ちゃん、手伝ってあげて」

「はい。綾さん、こっちよ」

 

 席を立った私は、由乃さんに案内されて部屋の隅にある流し場の方に向かう。

 そして彼女に手渡された紅茶の缶を開けると、それを淹れるための準備を整えていく。

 紅茶を美味しく淹れるためには、それ相応の準備と時間が必要である。

 私は水を注いだ小さな鍋を火にかけると、少しの間湯が沸くのを待つ。

 そして、沸き立つとその湯の一部を注いで器を温める。

 やがて由乃さんにも手伝ってもらい注ぎ終えると、私はお盆の上に人数分のカップを乗せて蓉子さまと江利子さまの待つテーブルの方に向かう。

 

「どうもありがとう、綾さん」

 

 私がお二方の前にカップを置くと、蓉子さまが労いの言葉をかけてくれる。

 そして由乃さんの席にも置くと、最後に自分の席に置いて私も座る。

 

「あら、確かに美味しいわね」

「本当。祥子が淹れてくれる紅茶に勝るとも劣らないわ」

 

 先にカップに口をつけた江利子さまが感想を言うと、少し遅れてカップを傾けた蓉子さまもそう褒めてくれる。

 祥子さまとは、確か入学式の時に蓉子さまが口にしておられた彼女の妹だったはずだ。

 その人物の紅茶を飲んだことはないが、けれどもそれが蓉子さまにとって褒め言葉であることはよく分かったので、私は少し嬉しくなる。

 

「それじゃ、綾さん。本題に入らせてもらうわ」

「はい」

 

 そしてカップを置いた蓉子さまが正面にいる私の方を向き、本題を切り出す。

 さすが薔薇さまのお一人というべきか、そうすると明らかに室内の空気が引き締まったものとなった。

 

「山百合会の手伝いを引き受けてもらいたいの」

「はい、おおよその事情は分かっています。薔薇さまがたのお心遣いも」

 

 本来は九人で運営される山百合会が、由乃さんが入学式当日に支倉令さまからロザリオを受け取るという嬉しい誤算があったとはいえ、それでも六人しかいない。

 そのため、六人では仕事を回しきれない分を、誰かに手伝ってもらう必要があること。

 そうした事情は分かっている。

 

「あら、何の話かしら?」

「助け船を出してくださりありがとうございます。おかげで、明日からは少しのびのびと過ごせそうです」

 

 微笑みを浮かべたままとぼけてみせる蓉子さまと、その隣の江利子さまへと私は頭を下げる。

 私のためにわざわざ助け船を出してくださったことへのお礼は、ぜひとも申し上げておかねばと思っていたのだ。

 

「綾さんは頭の回転が速いのね。頼もしいわ」

 

 何故だか楽しそうに笑って、江利子さまが私に言葉を返す。

 彼女の反応にどこか違和感を覚えつつも、やり取りは続いていく。

 

「では、綾さんはおおよその事情は理解しているようだから、詳しい説明は省いて、具体的な手伝いの内容だけ説明するわね」

「よろしくお願いします」

「知っての通り、山百合会は薔薇と呼ばれる三人の生徒が中心になって活動している生徒会なの。でも三人だけでは手が回らないから、私たちは自分たちの妹をアシスタントにしているわけ。そのことはご存じ?」

「つぼみ、ですね」

 

 まだ入学して一週間足らずの私だが、最も親しくなったクラスメイトである由乃さんがつぼみであるということもあって、そのことは既に知っていた。

 

「私にも黄薔薇さまにも、頼もしい妹がいるわ。しかし、残念なことに白薔薇さまだけは妹がいないの」

「妹がいないということは、孫ができる可能性も無いということですか」

 

 今さらそのことを説明し始めた蓉子さまの意図はよく分からなかったが、けれども何の意味もなく説明したりはしないだろう。

 私は、考えられる問題を言葉にする。

 

「もちろん、それも頭が痛い問題なんだけれど。例えば、これから新入生歓迎会があるでしょう?」

「はい」

「白薔薇さまにはアシストする生徒がいないから、このままでは誰かに手伝いを頼まなければならないの」

 

 クラスメイトに頼もうにも、これから三年生は進路のことで忙しくなるから、白薔薇さまの友人をあてにするのは難しいだろう、と薔薇さまたちは言葉を続ける。

 確かに、それは目の前のお二方にとっては頭の痛い問題だろう。

 

「そこで私、ですか」

「そうね。もちろん普段の書類仕事も手伝ってもらいたいのだけど、それと共に必要な時に白薔薇さまのアシストもしてもらいたいの」

「まだどこの部活に入るかは決めていませんが、部活をするつもりなので、毎日は来られないと思うのですが」

 

 フェンシングをしていたので分かるが、部活で練習に打ち込んでいては、どうしてもそちらに時間を取られてしまう。

 私としては、薔薇さま方が出してくれた助け船はありがたいし、ぜひ受けたいところなのだが、部活に打ち込む時間との兼ね合いが問題だった。

 

「あら、綾さんはフェンシング部に入るのではないの? エースの美優さんに勝ったと噂になっていたから、そうだと思っていたのだけど」

 

 私の質問の、意外な部分に食いついてくる蓉子さま。

 

「確かにイギリスではフェンシングをしていましたが、日本でもフェンシングを続けるか、この機に全く違うことを始めるかはまだ決めていません。ですが、部活自体はせっかくなのでしたいと思っています」

「そうなの。もちろん、部活動と重なった時はそちらを優先してくれて構わないわ。黄薔薇さまの妹の令さんも、剣道部に入っているもの」

「では、お引き受けします。期間は、いつまでになるのですか?」

 

 部活と掛け持ちしても構わないというのなら、何も問題は無い。

 普段の学園生活をゆっくりと過ごすためにも、引き受けることを決める。

 その上で、いつまでなのかを尋ねる。

 まさか、一年間ずっとということはないだろうし。

 

「そうね……。白薔薇さまか、私の妹の祥子に妹ができるまで。もしくは綾さんに姉ができるまで、というのはどうかしら」

「分かりました。それで構いません」

「ありがとう。では、今日は特に仕事が無いから、明日の放課後からここに来てもらえるかしら。もちろん、掃除が終わった後で構わないわよ」

「はい。明日からよろしくお願いします」

 

 今日は本当に私の面談のためだけにお二方はここに残っていたようで、話が決まると、それで解散になる。

 明日からお世話になる蓉子さまと江利子さまに頭を下げると、私は由乃さんも含めた彼女たちと共に部屋を後にしたのだった。



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6

 翌日。

 先生に資料運びの手伝いを頼まれた私は、それなりのサイズのダンボールを抱えて普段であればあまり通りかかることのない三年生の教室の近くを歩いていた。

 すると、前方からひどくアンニュイな表情を浮かべた江利子さまが歩いてくるのが見える。

 

「ごきげんよう、江利子さま」

「ごきげんよう。……ねえ、綾ちゃん」

「何でしょうか」

 

 挨拶をした私は、彼女に呼び止められる。

 休み時間はまだ残っているので、私はその場に立ち止まった。

 

「あなたは頭の回転がとても速いわ。でも、どんな天才でも必要な情報が足りなければ、決して真実には辿り着けないと思わないかしら」

「……どういった意味でしょう」

「ヒントはたくさんあるでしょうから、自分で考えなさい。私はもう行くわ」

 

 すると、さらりと不穏なことを口にする江利子さま。

 追及しようとするが、彼女が立ち去ってしまったことでその機を逸してしまう。

 仕方なく、そのまま元通り歩き始める私。

 江利子さまの言葉通り、必要な情報が足りないこともあって、その意味深な台詞の意味は分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 先生から日直の仕事を任された私と由乃さんは、それを終わらせた後に連れ立って昨日約束した通り薔薇の館へと向かう。

 そして階段を上り、例の茶色の扉の前に立つ私と由乃さん。

 ノックをした後扉を開けると、室内には既に五人の少女が揃っていた。

 今の三薔薇ファミリーは六人だそうなので、つまり由乃さんを除いた全員である。

 三薔薇さまと、そして面識のない少女が二人。

 

「ようこそ、薔薇の館へ。歓迎するわ、綾ちゃん」

「お招きいただきありがとうございます。岸本綾です。微力ですが、励ませていただきます」

 

 蓉子さまは、入ってきた私にそう告げる。

 恐らくは彼女らが、つぼみと呼ばれる薔薇さまの妹なのだろう。

 面識のない方が二人いるので、私は彼女らに向けて改めて自己紹介をした。

 

「ああ、外部入学生の綾ちゃんは二年生のことは知らないのね。祥子、令ちゃん、自己紹介をお願い」

「小笠原祥子です。どうぞよろしく」

「支倉令です。黄薔薇のつぼみで、由乃の姉をしています。あなたのことは由乃から聞いているわ。よろしくね、綾ちゃん」

 

 蓉子さまに促されて、名前を名乗るお二方。

 祥子さまのことは、イギリス暮らしが長かった私ですら知っているあの小笠原グループの令嬢だということで、噂としてであるが耳にしたことがあった。

 腰まで伸ばされた長く艶やかな黒髪に、芯の強さと凛々しさをはっきりと纏わせた美しい顔立ち。

 すらりと背が高くスタイルのいい彼女は、知らぬ者のいない名家の令嬢であることもあってか、一学年上である三薔薇さまにも負けないほどの華を既に身につけていて、物腰や口調にも気品が宿っている。

 これが初対面であるが、祥子さまからはまさに完全無欠なお嬢様という印象を受けた。

 

 そして、祥子さまに続いて自己紹介をしたのが令さまだった。

 女性としてはそれなりに背が高い方である祥子さまと比べても更に背が高く、身長は百七十六センチある私とほとんど変わらないだろう。

 顔立ちは整ってはいるがかなり男性的であり、もしもここがリリアンでなかったら、そしてリリアンの制服を着ていなかったならば、凛々しい美少年であると勘違いしてしまったかもしれない。

 まだリリアンに来て間もない私はこの方のことは知らなかったが、いつも由乃さんが誇らしげに語っている姉というのはこの方のことであるらしい。

 何でも、剣道場である実家の影響で幼い頃から剣道をしている彼女はまだ二年生であるが剣道部のエースであり、かなり強いのだとか。

 そんな彼女は、私を見ても特に表情を変えなかった祥子さまとは裏腹に、こちらに微笑みかけてくれた。

 

「では、空いている場所に座ってね。由乃ちゃん、綾ちゃんにお茶をお願い」

「はい、蓉子さま」

「あの、私が淹れますが」

「いいのよ、あなたはお客さんなのだから、座っていて」

 

 自己紹介が終わったのを見計らうと、蓉子さまが私に席に座るよう促し、そして由乃さんにお茶を入れるように言う。

 入学式前の打ち合わせの時にも感じたが、対等な三人の生徒会長という立場の三薔薇さまの中でも、やはり山百合会を実質的に指揮して動かしているのは彼女であるようだ。

 一年生であるのは同じなので昨日と同じように由乃さんを手伝おうとする私であるが、それは蓉子さまに止められてしまう。

 動くタイミングを失い、結局私は勧められるままに席に腰を下ろす。

 

「どうぞ」

「ありがとう、由乃さん」

 

 少しすると、由乃さんが淹れてくれた温かい紅茶の入ったカップが私の前に置かれる。

 私が彼女にお礼を言うと、彼女も席に着いた。

 

「綾ちゃんが来たから改めて詳しく説明するわね。山百合会は三薔薇とそのつぼみ、つぼみの妹で仕事をしているのだけど、新年度になったばかりのこの時期は仕事は多いけれどまだつぼみの妹があまりいない分、人手が足りずにとても多忙になってしまうの。だから、姉妹の申し込みが多くて大変そうな新入生を助けるためにも、毎年そうした子に手伝いをお願いしているのよ。もちろん毎日来なさいとは言わないし、部活に入るつもりならそちらを優先しても構わないわ。来られる時に手伝いに来てくれればいいの」

 

 全員が席に着くと、紅薔薇さまが私を呼んだ理由についての説明を始める。

 既に説明されている私に対してというより、その場にいなかった聖さまと祥子さまと令さまへの状況説明という意味合いの方が濃いのだろう。

 やはりというべきか、彼女の口から語られたのは私が当初予想していた通りの理由だった。

 とはいえ、昼間の江利子さまの言葉からするに私が呼ばれたのには他にも何か裏があるようなのだが。

 まさか面と向かって尋ねる訳にもいかないし、それを探り出すためにはまだ判断材料が圧倒的に不足している。

 

「まだ右も左も分からない私がどれくらいお役に立てるかは分かりませんが、頑張ります」

 

 とはいえ、こうして薔薇の館を訪れたからには、初めからそれに否やはない。

 私は蓉子さまの言葉に頷いた。

 

「ありがとう。では、あなたにしてほしいことを説明するわね」

 

 私の返事に微笑みを浮かべた蓉子さまは、そう言って仕事の内容の説明を始める。

 さすがというべきか、その説明はとても分かりやすく、部外者であり全く勝手が分からないにもかかわらず何をすべきかをすぐに理解することができた。

 山積みになった大量の書類が私も含めた七人にそれぞれ分配されていき、私はさっそく自分の分の書類を処理していく。

 こうして私は、山百合会の手伝いをすることとなった。



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7

「ごきげんよう、岸本綾さん」

「ごきげんよう」

 

 初めての山百合会の手伝いを終え、薔薇の館を後にした私。

 元々自転車通学の生徒はかなり少なく、山百合会のメンバーには手伝いである私しかいない。

 他の方は電車かバス利用ばかりだそうであり、彼女らと別れた私は自転車置き場へと向かう前に、机の横に残していた荷物を取りに菊組の教室に向かっていた。

 山百合会の手伝いを終えた後であるので時間的にもう帰宅している生徒も多いようで、日中とは裏腹にがらりと静かな廊下を歩いていると、ふと鋭い目つきと後ろで束ねたポニーテールが印象的な、手にペンとノートを持った少女に声を掛けられる。

 また姉妹の申し込みかと思い、少し身構えてしまう私は様子を伺いつつも、ひとまず彼女に挨拶を返す。

 

「私は新聞部部長の築山三奈子よ。今は時間はよろしいかしら」

「ええ。もう帰ろうかと思っていたところなので」

 

 新聞部の部長だと自己紹介をした三奈子さま。

 何気にこの学園は普通の学校ではまず見られないような珍しい部があったりするくらいに部活のバリエーションが多彩なのだが、新聞部も存在しているらしい。

 

「そう。では、今からインタビューさせていただいてもよろしくて?」

「別に構いませんが、ただの新入生の私にインタビューなどしても面白い記事にはならないと思いますよ」

 

 別にインタビューされるのは全く問題ないが、私などを記事にしたところで面白いものになるとは思えなかった。

 それこそ、三薔薇さまや祥子さま、令さまのように華がある方でなければ。

 

「難関さで有名な編入試験で満点を取り新入生代表を務めた頭脳と、フェンシング部のエースを完封する運動神経を兼ね備えた文武両道の才媛。それに薔薇の館に招かれてもいるあなたの記事が、魅力的でないはずがないわ」

 

 そう言うと、三奈子さまは私を招いて歩き始める。

 彼女の背に続いて歩いて行くと、三奈子さまは近くの空き教室の扉を開いた。

 

「落ち着いたところがいいのだけど、場所はこちらで構わないわよね?」

「勝手に使ってしまっても大丈夫なのですか?」

「ええ。話をするくらいならシスターの方々も見逃してくださるわ」

 

 室内に入った私たちは、並べられている机の適当な席に腰を下ろす。

 三奈子さまは手にしていたペンとノートを一度机上に置くと、制服のポケットに手を入れてテープレコーダーを取り出した。

 

「では、インタビューを始めさせていただくわ。あなたについての特集記事を組む予定だから、質問がかなり多くなるけど了解してね」

「分かりました」

「まず、綾さんがリリアンの編入試験を受けた理由と、その頃何をしていたかを教えてもらえる?」

 

 机上に設置したテープレコーダーのスイッチを入れると、再びペンとノートを手にした三奈子さまが私に尋ねる。

 その表情は真剣で、彼女が新聞作りに情熱を傾けていることがよく分かった。

 

「そうですね……。リリアンを受験したのは母の勧めです。今年から日本で暮らすことになったので、どこかの高校に入らなくてはなりませんでしたし。それまでは、イギリスで暮らしていました」

「イギリスに?」

「はい。物心ついた頃からイギリスに住んでいたので、日本に来たのは編入試験を受けた時が初めてでした」

 

 一応、岸本綾という人間のこれまでの経歴はこういったものになる。

 もっとも、前世で日本人として暮らしていた記憶を持っているので、日本での暮らしへの違和感などは全く無いのだが。

 考えてみればその辺りはかなり不思議だった。

 何しろ、私が少女を助けて命を失った年よりも、今の私が両親の子供として生まれた年の方がかなり早いのだ。

 例えば今年などは、カレンダー上では前世の私がまだ一歳か二歳だった頃である。

 時間の流れは一体どうなっているのだろう。

 

 他にも、何気なく通っているこの学園の存在もよく考えたら不思議の一つだ。

 リリアン女学園といえば国外でもかなり有名な学校であり、母が卒業生だということもあるが、そうでなくてもイギリスで暮らしていた私ですら度々名前を耳にすることがあったほどである。

 ところが、前世の私は日本で暮らしていたのにリリアン女学園などという名前の高校の名前を一度たりとも聞いたことがなかったのだ。

 それほど世情に敏感ではなかった私だが、それでも日本に住んでいてリリアンを知らないことはいくらなんでも考えられない。

 生まれ変わるまでこの学園を知らなかった理由が、自分でも全く分からなかった。

 

「帰国子女でいらしたのね。日本とイギリス、どちらが住みやすいの?」

「個人的には日本ですね。まだ暮らし始めたばかりですが、日本での生活はとても新鮮です」

 

 新鮮というか、正確には懐かしいというか。

 人それぞれなのだろうが、個人的には日本の方が住みやすかった。

 もちろん、記憶の中にある時代と比べて二十年も前ということでギャップに戸惑いを覚えることも多いけれど。

 

「綾さんの趣味を教えていただける?」

 

 私の回答を聞いて何かをメモしていた三奈子さまが、手を止めると目線を上げて、次の質問をされる。

 

「趣味は料理とフェンシングですね。イギリスでの暮らしが長かったので、和食はあまり作ったことがありませんが」

 

 イギリスで暮らしていると、和食に接する機会がかなり少ない。

 西洋料理ばかり口にしていたこともあり向こうでは食べる機会があまり無かったので、日本に来て米を食べて、少し感動したくらいだ。

 

「では、綾さんはどなたの妹になりたいと考えているかのかしら」

「まだどなたかと姉妹にならせていただくことは考えていません。リリアンに編入させていただいたばかりでまだ姉妹制度のことを理解できていないので、このような状態で申し入れをお受けするのは相手の方にも、既にどなたかと姉妹になられている全ての方々にも失礼だと思っています」

「でも、山百合会のお手伝いを引き受けたということは、どなたかの妹になりたいと思っているのでしょう?」

「……話が繋がっていないと思いますが」

 

 三奈子さまの問いかけの意図が分からず、私は戸惑いながら尋ね返す。

 

「ああ、そうか。ごめんなさい、外部からリリアンに来られた綾さんはご存知ないのね。薔薇さま方は、代々目ぼしい新入生をお手伝いに誘って、つぼみと引き合わせているのよ」

「なるほど。薔薇さま方にとっては一石二鳥ですね」

「ええ。あなたがお手伝いに誘われたのも、間違いなくそれが理由よ」

 

 三奈子さまの言葉を聞いて、江利子さまがおっしゃっていた言葉の意味が理解できた。

 日常生活を送る中で上級生と下級生の接点はかなり限られるが、手伝いを頼めば自然と二年生であるつぼみと新入生との間に接点が生まれる。

 接点があれば互いに惹かれ合う確率も高くなるし、山百合会が目を付けているのであればということになって途中で他の誰かと姉妹になってしまう可能性も減らせる。

 純粋に人手不足を一時的に補うという意味も含め、山百合会にとっては一石二鳥どころか更にいくつものメリットがあるということだ。

 江利子さまがおっしゃっていた意味深な言葉は、薔薇さま方が私を聖さまか祥子さまの妹にと考えておられるからだったのだろう。

 

「せっかくですから、私が今はまだどなたの妹にもならないということを先ほど申し上げた理由も含めて記事に書いておいていただけませんか? 多くの方にお声をかけていただいているのですが、その度にお断りするのが申し訳ないので」

「任せておいて。ちゃんと書いておくわ。それと、リリアンの姉妹について知りたいのなら、過去のかわら版を今度渡しましょうか? 時々姉妹特集をしているから、参考になると思うの」

「そんなものがあるのですね。ぜひお願いします」

 

 リリアン生がリリアン生に向けて書いた、姉妹制度に関しての文章。

 これならば、姉妹とはなんぞやという私の疑問も少しは氷解してくれるだろう。

 

「それにしても、綾さんにロザリオを受け取る気がないと知ったら、残念がる方は多いでしょうね。あなたが姉妹を申し込まれている現場を、うちの部員が何度か見かけているそうだけれど」

「単に新入生代表をして目立ったせいだと思っています。初めとても驚いたのですが、初対面でロザリオを渡そうとすることも全くあり得ないことではないようですし。リリアンの生徒にとって、姉妹がとても大事な存在であることだけはよく分かりましたが、そんな相手をよく知らないまま選んでしまってもいいのでしょうか」

「先代の白薔薇さまは、顔が好きだからと言って聖さまにロザリオの授受を申し込んだそうよ。姉妹になることが一番多いのは普段から顔を合わせてる部活動の先輩後輩だけど、互いのことをあまり知らないままに姉妹になることもそう珍しくはないわ」

「……そのようなものなのですね。ますます姉妹とは何かが分からなくなりました」

 

 山百合会の方ですらそのように妹を選んでいるとなると、やはりどんな人物かほとんど知らない相手にロザリオを渡すことは不自然なことではないのかもしれない。

 薔薇さま方とはまだ三度しか顔を合わせていないし、新学期早々なのでほとんどの級友にはまだ姉がいないしで、私にとっての参考例が特殊だからあまり参考にならないと本人が言っている由乃さんのところしかないので、一般的なリリアンの姉妹がどんな関係を築いているのかはよく分からなかった。

 

「確かに、リリアンに馴染みのない方には分かり辛いことかもしれないわね。次の質問をしてもいいかしら」

「はい。どうぞ」

 

 私は、三奈子さまに頷きを返す。

 

「部活動はフェンシングをなさるつもりなの?」

「いえ、まだはっきりとは決めていません。今はいろいろな部を見学させていただいているところです」

「そう。よかったら新聞部にも一度いらしてね。歓迎するわ」

「ええ。ご迷惑でなければ、ぜひ見学させていただきたいです」

 

 そんな調子で、それなりに和気藹々とインタビューは進んでいく。

 特集記事を組むというのは本当らしく、質問の項目は数十にも及ぶ。

 その分だけ時間も長引くこととなり、最後の質問が終わった頃には六時近い時間になっていた。

 

「インタビューはこれくらいかしら。長引いてしまってごめんなさいね」

 

 そう言って、ポケットに電源を切ったテープレコーダーを仕舞った三奈子さまがペンとノートを持って椅子から立ち上がる。

 私も立ち上がると、二人で空き教室を後にして、廊下へと出た。

 

「今日はありがとう。また何かあったらインタビューをお願いするけど、その時はまた受けてもらえるかしら」

「はい。先約が無ければお受けします」

「あなたのインタビュー、いい記事になるわ。それでは、ごきげんよう」

「ごきげんよう、三奈子さま」

 

 少し言葉を交わして、三奈子さまと別れる。

 時計を見ると、既に山百合会のお手伝いを終えた後だったこともあって、もう家で夕食を食べていてもおかしくないような時間になっていた。



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8

 三奈子さまのインタビューが終わり、教室から荷物を取った私は今度こそ駐輪場へと向かう。

 近場なので自転車通学が一番楽ではあるのだが、自転車で通学している生徒の数が少なすぎて、誰かと一緒に帰る機会がほとんど無いのが欠点だった。

 バス停は学園のすぐ前にあるし、最寄り駅は私の家とは逆の方向なので、それを利用している子たちとは通学路で一緒になることがないのだ。

 もう空はかなり暗くなっている。

 朝の時点でもただでさえ少なかった自転車は更に減っており、既に片手で数えられるくらいしか残っていない。

 私は、通学用に両親が買ってくれた自転車の傍らへと近付くと、かけていた鍵を外す。

 

「ごきげんよう。こんな時間に、自転車通学の子を見かけたのは初めてだわ」

「ごきげんよう。そうですね。お嬢様が多いからか、自転車通学の生徒は思っていた以上に少ない気がします」

 

 鍵を外し、鞄をかごに入れると、後ろから声が掛けられる。

 そちらを振り向くと、そこには自転車を手で押している一人の少女がいた。

 風が吹き、彼女の腰まで伸ばされた長い髪が靡く。

 その顔立ちは誰の目にも美少女という表現が適切であり、微笑みを浮かべた彼女からは清楚で物静かな印象を受けた。

 私は、少女へと言葉を返す。

 

「皆さん、電車かバス通学ですものね。ご一緒してもいいかしら?」

「もちろんです。自転車通学だと、一緒に帰れる友人もいないので」

 

 そんなこんなで、彼女と一緒に帰ることになる。

 自転車を手で押したまま並んで駐輪場の出入り口を通り、外へと出た。

 タイヤの回るからからという音が、二人の間に響く。

 誰かと一緒に帰るのは、リリアンに編入してからこれが初めてだった。

 

「一年菊組、岸本綾です」

「一年松組の結城鈴音よ。よろしくね、綾さん」

「こちらこそ、鈴音さん」

 

 自己紹介を交わすと、どうやら彼女は私と同じ新入生だったらしい。

 挨拶を返した私は鈴音さんと自転車を並べ、駅とは逆の方向に進んでいく。

 

「鈴音さんのお家もこちらなのですね」

「ええ。そのせいで、こうして誰かと帰ることがないと覚悟していたのよね」

 

 残念そうな表情で、そう呟く鈴音さん。

 やはり、彼女も私と同じ悩みを持っているようだ。

 自転車通学の生徒が少ないということは、リリアンの近くに住んでいる生徒が少ないということを意味する。

 リリアンがお嬢様学校である関係上、ほとんどの生徒は電車やバスを使ってそれなりに離れた場所から通ってきているので、自転車通学をやめれば解決する問題ではなかった。

 

「私も、他の方と一緒に下校するのはこれが初めてです。と言っても、まだ一週間足らずですが」

「そういえばそうね。部活動か委員会をしていたの?」

「いえ、どちらにもまだ入っていません。せっかくですから、何かしたいとは思っています」

 

 再び高校生活を送れるのだから部活動をしたいと思っているのだが、まだ何をするかは決めていなかった。

 他の新入生と同じようにあちこちの部を見学しているのだが、中学までイギリスのパブリックスクールで育った私の体力は令さまのような例外ももちろんあるが、幼少からリリアンで育ってきたお嬢様たちと比べて一般に高い。

 フェンシング部の時などに張り切りすぎてしまったせいか、そのことがすっかり有名になっていたようで運動部の見学に行くとその場で熱心に勧誘されることが多くなり、一通りの部を回るためにそれを保留にしてもらうのが大変だった。

 目立たないためにはわざと手を抜けばよかったのだろうし、実際にそうすることも考えなかった訳ではなかったが、それに真剣に打ち込んでいる方のことを考えれば、とても手を抜こうという気にはならなかった。

 

「ではもしかして、山百合会のお手伝いをしていたのかしら」

「どうしてお分かりになったのですか?」

 

 山百合会に手伝いを頼まれていることを言い当てられ、驚いてしまう私。

 昨日の顔合わせを含めても薔薇の館を訪れたこと自体まだ今日が二度目であるし、その噂が既に広まっているとはとても思えないのだが。

 だが、三奈子さまは既に知っていたようであるし、私の想像を超える速さで広まっているのかもしれない。

 

「やはりそうだったのね。同じクラスの子が、薔薇の館に入っていく綾さんを見かけたと話していたから」

「そうなのですね」

 

 肯定の意を示した私に、鈴音さまは納得したように頷く。

 誰かが見かけていたらしい。

 

「綾さんは、姉を作る気はあるの?」

「いえ、まだ完全に姉妹制度を理解していませんから。中途半端な気持ちでロザリオを受け取るのは相手の方に失礼だと思うので」

「そう。あなたが外部入学だからかしら。そんなことを言う子は珍しいわ。中等部の時から、みんな姉妹に憧れているのよ」

「クラスには、初対面の先輩からロザリオをいただいたという方もいて驚きました」

「早く妹を作りたくてそわそわしているのは、二年生の方も同じなのではないかしら」

「そのようですね」

 

 リリアンで育ってきた少女たちは、姉妹制度への憧れはとても強いらしい。

 初対面の先輩がいきなりロザリオを差し出されたという話を聞いたのには驚いたが、姉を作りたいという一年生の憧れはもちろん、二年生も妹を作りたいという憧れを持っているので、何かのきっかけで少し接点が生まれた後輩にその場でロザリオを手渡すことも全くないことではないようだった。

 まずは姉妹ありき、それから絆ということなのだろう。

 よく考えれば、部活か委員会を除けば学年の違う生徒同士の接点などほとんど無いし、それまで互いのことをほとんど知らなかった二人が姉妹になってから絆を紡いでいくのも、立派な姉妹制度の形なのかもしれない。

 少なくとも、私が所属する一年菊組にもその日初めて会った先輩と姉妹になったという子も何人かいた。

 

「鈴音さんは、何か部活をなさっているのですか?」

「ええ。私は中等部から引き続いて美術部とオーケストラ部に入っているわ」

「弦楽器と絵ですか。多才でいらっしゃるのですね」

 

 季節的にまだ空は明るいが、時間はもう六時に近くなっている。

 この時間に下校するということは、何か部活をしていたのだろうと思い尋ねてみると、彼女は美術部とオーケストラ部に所属しているそうだった。

 全く異なる二つのことをこなしている鈴音さんに、私は感心を覚える。

 

「どちらも、小さな頃から習い事でしていたの。いつの間にか趣味になっていたわ」

 

 そう言って、柔らかな微笑みを私に向けた鈴音さん。

 その後も、私たちは肩を並べながら会話を交わす。

 友人と一緒に下校することなどほとんど無いかもしれないと思っていたので、ゆっくりと話をしながら下校することができたのは、何気にこれが初めてだった。

 自転車を漕いでいないので家までには普段より長い時間を要したが、鈴音さんと会話をしているとその時間もあっという間に過ぎる。

 気がつくと、別れを言う時間が近付いていた。

 

「ここが私の家です。話にお付き合いくださってありがとうございました」

 

 どうやら、鈴音さんよりも私の方が学校の近くに住んでいるらしい。

 三月に引っ越してきたばかりの新居の前に到着した私は、立ち止まって彼女にお礼を言う。

 

「素敵なお家ね。私こそ、綾さんとお話できて楽しかったわ」

「また、駐輪場で会うことがあればご一緒していただけますか?」

「もちろんよ。ぜひまたお話したいもの」

「私も楽しみにしています。では、ごきげんよう。お気をつけください」

「ありがとう、綾さん。ごきげんよう」

 

 また一緒に下校することを約束した私たちは、そうして別れを告げる。

 少しの間彼女の背中を見送っていた私は、自転車を止めると鞄から鍵を取り出し、玄関の扉を開けた。




綾の卒業までプロットを作っていますが、オリキャラは綾を含めて3人しか登場しない予定です。
鈴音はそのうちの1人です。


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9

「綾さん、あなた、新聞部の取材を受けていたの?」

 

 翌日、次の授業がクッキーを作る調理実習である私は、調理室に向かうために由乃さんと一緒に廊下を歩いていた。

 すると、彼女はどこかで入手したらしいリリアンかわら版と書かれた紙を片手に、私に尋ねてくる。

 その表紙には、いつの間に撮ったものやら、夕日を背にした私の写真が大きく載せられていた。

 

「ええ。昨日築山三奈子さまがインタビューを申し込んで来られたので、お受けしましたよ」

「気をつけなきゃ駄目よ。私は詳しくは知らないけど、三奈子さまに山百合会が去年いろいろ手を焼かされたってお姉さまが言っていたから」

 

 インタビューの時に話した限りではさほどおかしな人物には見えなかったが、曲者揃いとはいえ才覚に関しては並外れている薔薇さま方、そして恐らくその姉に相応しい器量を持っていただろう先代の薔薇さま方の手を焼かせてみせるとは、一体何をやったのだろう。

 その話を聞いて、三奈子さまという人物に少し興味が湧く。

 

「由乃さんから見て、記事に何かおかしなところはありましたか?」

「いいえ、特に無かったけど……」

「読んでみても構いませんか?」

「どうぞ」

 

 彼女から新聞を受け取った私は、記事の文章に目を通していく。

 すると、それは自分のインタビューなのだが、まるで他人のそれを読んでいるような感覚ですらすらと読み進めることができた。

 と言っても、別に嘘が書いてある訳ではない。

 読ませる文章と言うのだろうか、要点のまとめ方や単語の選び方などが抜群に上手く、文章がかなり読みやすいのだ。

 もしこの方が小説を書いたら、相当面白いものになるのではないだろうか。

 

「面白いですね、これ。よく書けていると思いますよ。私などの記事をここまで面白くまとめるのはさすがです」

 

 ただの転入生でしかない私の記事を読み物としてここまで面白く仕上げるとは、さすが新聞部の部長としか言いようがない。

 正直、インタビューを受けながらも記事は面白げの無いものになるとしか思っていなかったのだ。

 特に興味が無かったので今まで新聞部の部室には見学に行っていなかったが、興味が湧いてきたし後で見学に行ってみようと思う。

 

「ありがとう」

 

 とりあえず自分のインタビュー記事を読み終えた私は、それを由乃さんに返す。

 そして私たちは、少し先を急ぎながら調理室の方に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 掃除を終えた私は、由乃さんに少し遅くなると伝えてから、新聞部の部室へと向かう。

 三奈子さまと話すためだ。

 けれども、まだ広い校舎の構造に疎い私は、いつの間にか迷ってしまっていた。

 ここはどこだろうか。

 あまり遅くなってしまうと薔薇さま方に怒られてしまうな、などと思いながら私が戸惑っていると、ふとどこからか歌声が聞こえてくる。

 思わず聴き惚れてしまうほどに美しい歌声だ。

 まるで船乗りがセイレーンの歌声に引き寄せられていくように、私は歌が聞こえる方に向けて歩き出していた。

 

 やがて、私が辿り着いた場所は音楽室。

 扉のガラスから中を覗くと、そこでは一人の少女が目を閉じて歌っていた。

 室内には、他の人影は無い。

 まるで彼女を除いては無人の室内が人が踏み入れることの許されない聖域であるように感じられ、もしかすると扉を開ける音で歌声を途絶えさせてしまうかもしれないと思うと、中に入ることはできなかった。

 遠くで聴いていても素晴らしかった旋律は、近くで耳にするとなお美しい。

 扉を開けることも、立ち去ることもできずに扉の前に立ち尽くした私は、黙って彼女の歌声に耳を傾けていた。

 目を閉じ、ただただ歌に集中する。

 そして、やがて曲が終わったらしく声が途絶え、辺りに静寂が取り戻された。

 

「ごきげんよう、編入生さん」

 

 感動の余韻で私がその場に立ち尽くしていると、中から声がかけられる。

 咄嗟にガラス越しに室内を覗くと、今しがたまで声楽曲を独唱していた少女が微笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 どうやら、私がここにいることには気付かれていたらしい。

 別に悪いことは何もしていないのだが、何故か少しやましい気分になった私は扉を開き、中に入る。

 

「ごきげんよう。立ち聞きする形になってしまい、申し訳ありません。扉を開けたら美しい歌声が途切れてしまうのではないかと思うと、恐ろしく思えてとても入室できませんでした」

「まあ、お上手ね」

 

 入室した私は、ばつの悪さを覚えながら彼女に謝罪する。

 間近で向かい合った彼女は、切れ長の目が涼しげな印象を与える美少女だ。

 凛と整った顔立ちやセミロングに切り揃えられた黒髪と合わせて、どこか鋭くクールな雰囲気を纏った少女は、たとえ山百合会の方々と並んでも全く見劣りがしないだろうほどの風格を漂わせていた。

 私の言葉を耳にした彼女は、悠然と笑みを浮かべて一言呟く。

 

「聴いているとまるで魂が揺さぶられるようでした。いつまでも聴いていたいと思わせるくらいに」

「ありがとう。それで、綾さんはこの部屋に何かご用だったの?」

 

 どうやら彼女は私のことを知っているらしい。

 まあ、入学式で全校生徒の前に立ったばかりである上に、つい今朝リリアンかわら版で大々的に特集記事が組まれたのだから、知られていても何もおかしくはないのだけど。

 

「いえ、恥ずかしながら道に迷ってしまいまして……。現在地がどこかよく分からなくなっているうちに、歌声が聞こえてきたので、ここまで歩いてきてしまいました」

「そうだったの。確かに、リリアンの校舎は少し広いから、新入生には大変かもしれないわね」

「あの……。お邪魔でしたか?」

 

 まさか、私が聴いていることに気付いたせいで彼女は歌うのをやめてしまったのだろうか。

 だとしたら、私は自分を責めなければならないだろう。

 あれほどに素晴らしい歌声を、自分のせいで途絶えさせてしまったとなれば。

 

「いいえ。歌は誰かに聴いてもらうためにあるのだもの。ちょうど休憩しようと思っていただけ」

「それなら、安心しました」

 

 そうではないと言っていただいて、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「綾さんは、どこに行こうとしていたの?」

「……そうでした。新聞部の部室なのですが」

 

 本音を言えば、休憩が終わるのを待ってまたこの方の歌を聴きたいと思っているが、けれどもこの後山百合会の手伝いがある以上、あまりゆっくりとしている訳にもいかない。

 私が目的地を告げると、彼女はそこまでの道順を丁寧に教えてくれた。

 

「ありがとうございます。無事に辿り着けそうです」

「そんな顔をしないの。また聴きたくなったらおいでなさい。大抵はここで歌っているから、予定さえ合えばいつでも聴かせてあげる」

 

 そして、未だ耳に鮮明に残っている旋律に未練を感じながらも、私は彼女にお礼を言って立ち去ろうとする。

 けれどそんな感情が顔に出てしまっていたのだろう。

 苦笑のような表情を浮かべた彼女は、私にそう言ってくれた。

 そして、彼女に見送られて、私は音楽室を後にする。

 ――私が名前を尋ね忘れていたことに気付いたのは、それから少ししてからのことだった。



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10

 それから彼女が教えてくれた道順通りに少し歩くと、私は無事に新聞部と書かれた扉の前に辿り着いていた。

 そのすぐ隣には、写真部の部室。

 そういえば、しっかりと話したことはないがもう二度ほど顔を合わせている蔦子さんが、写真部の部員であったことを思い出す。

 視線を戻した私は扉を何度か叩くと、それを横に開いて室内に入った。

 

「あら、綾さん。どうかしたの?」

 

 すると、一人で作業をしていたらしい三奈子さまが、こちらを振り向いて尋ねる。

 室内には他の部員の姿はなかった。

 

「かわら版を読ませていただいたので、感想をと思いまして」

「当事者の綾さんから見て、私の記事はどうだったかしら? あ、その辺りに座っていいわよ」

 

 私が用件を告げると、彼女は興味津々といった様子で尋ね返してくる。

 それだけ、三奈子さまが新聞作りに心血を注いでいるということだろう。

 

「いえ、この後すぐに薔薇の館に行きますので。私には新聞の良し悪しなどは分からないのでただの感想になってしまいますが、記事はとても面白かったですよ。文章が読みやすい上に要点も分かりやすく、すらすらと読めました。私のインタビューなどつまらないものにしかならないと思っていたので、正直かなり驚かされました」

 

 迷っていたり音楽室で歌を聴いていた分、予定よりもかなり遅くなってしまっているので、あまり長居をすることはできない。

 椅子を勧める言葉を断ると、私は彼女に率直な感想を告げていった。

 別に誇張したり、お世辞を言っている訳ではない。

 三奈子さまの本気が伝わってくるからこそ、こちらも本音で感想を言わなければ失礼だと思うし、どれもが私の正直な感想だった。

 

「ありがとう。そう言ってもらえたら新聞部冥利に尽きるわ。これからもインタビューをお願いすることがあるかもしれないけど、よろしくて?」

「私でよければ。そうそう、調理実習でクッキーを作ったのですが、よろしければいかがでしょう」

「薔薇さま方には差し上げなくていいの?」

「もちろんその分は残してありますが、それでも余ってしまったので」

 

 本当にかなりの量作った上に、山百合会の手伝いをすることになったせいか一緒に作っていた子たちが私にだけ多く取り分けてくれたので、かなり量が余ってしまっているのだ。

 薔薇さま方と三奈子さまへの分をそれぞれ分けたとしても、まだ十分に余裕がある。

 

「ではいただくわ。作業の息抜きに食べさせてもらおうかしら」

 

 そう言うと、私から受け取ったクッキーの包みを、彼女は近くの机の上に置く。

 動いた拍子に、頭の後ろで結ばれた長いポニーテールが揺れる。

 

「昨日言った姉妹特集の記事をあげるから、少し待っていてね」

 

 三奈子さまは壁際の棚の方に近付き、その中を物色し始める。

 分厚い青のファイルを取り出した彼女は、ページをめくっていくとその中から何枚か紙を抜き出す。

 そしてそれを、室内にある大きなコピー機にかけていった。

 恐らく、あのファイルは歴代の紙面の原版を保管したものなのだろう。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます、三奈子さま」

 

 コピーが終わると、こちらに近付いてきた彼女から何枚かのかわら版のバックナンバーを受け取る。

 きちんと目を通すのは時間のある時になるが、紙面には大きな文字で姉妹特集と書かれているのが目に入った。

 

「いいえ、インタビューのお礼だと思ってくれて構わないわよ」

「それでは、今日のところは失礼します。もう行かないといけませんので。また時間のある時に見学させていただけたら嬉しいです」

「わざわざありがとうね、綾さん。見学は大歓迎よ」

 

 忙しなくなってしまったが、思っていたより既に十分以上も遅くなっているので、そろそろ行かなくてはまずい。

 昨日より少し遅れていくことは由乃さんに伝えてあるし、時間的にも別に遅刻というほどではないので怒られはしないだろうが、それでも一番年下の私が最後に着くというのは、特別な事情でもない限り失礼だろう。

 用件を終えると、私は別れの挨拶を交わしてその場を後にする。

 本当は少し新聞部を見学していくつもりだったのだが、それはまた後日の楽しみになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薔薇の館に到着した私は、もう他の方々は来ているのだろうかと思いながら階段を上る。

 多分、この建物の造りの古さだと、階段が軋む音は室内にまで聞こえているだろう。

 私が来たことに気付いているに違いない。

 件の茶色の扉をノックしてから開くと、中には既に本来の山百合会のメンバーが全員揃っていた。

 音で私の入室に気がついた彼女たちの視線が、こちらに集まる。

 咎めるような視線を送ってくる蓉子さまだけではなく、私の姿を認めた祥子さまは、不愉快そうに眉を潜めていた。

 きっと、一番の新参者である私が最後に来たことが気に入らないのだろう。

 その感情は正しいので、私としては何も言えない。

 

「遅くなってしまい申し訳ありません」

 

 扉を閉めると、私はそのまま頭を下げる。

 

「遅刻という訳ではないけど、何をしていたのか聞かせてもらえる?」

「ここに来る前に新聞部の部室に立ち寄ろうとしていたのですが、途中で迷ってしまいました。……お恥ずかしい話ですが」

 

 蓉子さまからの問いかけに、正直に遅れた理由を話す。

 本当は数分で戻るつもりだったのが、大幅に予定をオーバーしてしまった。

 

「新聞部、ね」

 

 江利子さまが面白そうな表情を浮かべて呟く。

 新聞部と聞いて、心なしか部屋の空気が固くなったように思える。

 令さまはあからさまに驚きを露わにしていたし、聖さまは興味なさげというか話を聞いているのかいないのかもよく分からなかったが、蓉子さまの表情には警戒心のようなものが浮かんでいた。

 山百合会の方々が新聞部を警戒しているという話は由乃さんからちらりと聞いているが、一体三奈子さま達との間で何があったのだろう。

 少し興味が湧くが、かといって気軽に尋ねられるような雰囲気でもない。

 

「一体新聞部に何の用があったというの?」

 

 先ほどより更に不愉快そうな雰囲気を増した祥子さまに尋ねられる。

 まさか、私が新聞部のスパイか何かだと思われているのだろうか。

 

「今朝のかわら版を読んだので、その感想を三奈子さまにお伝えしようと思ったのですが……。まずかったでしょうか」

「いえ、構わないわ。けど綾さん、新聞部には気をつけなさい。あまり油断していると、足元を掬われるわよ」

 

 戸惑う私の説明に納得したらしく、警戒を解いた蓉子さまに忠告を受ける。

 ……本当、一体去年何があったというのだろう。

 

「今日は、綾さんが来たらそのことを伝えようと思っていたの。私たちも、今朝のかわら版には目を通したから」

「綾さん、姉を作る気が無いというのは本当なの?」

 

 蓉子さまの言葉に続けて、令さまが尋ねてくる。

 もしかすると、私が不在のうち、彼女たちの間では今朝のかわら版のことが話されていたのかもしれない。

 

「いえ、姉妹とは何なのかが分からないうちに、誰かのロザリオをいただく訳にはいかないというだけです。相手の方に失礼だと思いますから。薔薇さま方の助け船をいただいて私はここにいますが、三奈子さまにもかわら版でそのことを広めていただくようお願いさせていただきました」

「姉妹とは何、ね。改めて聞かれると、難しい問題だわ」

「そうね。私たちには当たり前のようなことだけど、外部入学の綾さんにとってはそうではないでしょうし」

「でも、この話は私や白薔薇さまよりも紅薔薇さまの方が分かるんではないの?」

「そう言われても、私も考えたことがある訳ではないから」

 

 蓉子さまと江利子さまが少し戸惑ったように会話を交わす。

 リリアンというそれが当たり前の環境で育ったがゆえに、逆に改めて尋ねられると答えをはっきり言葉にし辛いのかもしれない。

 その間も、もう一人の薔薇さまである聖さまは、相変わらず知らんふりをして小説か何かを読んでいた。

 

「ですから、皆さまのご好意でここに来させていただいている間、失礼ながら皆さまの姿も姉妹とは何かを考える参考にさせていただこうと思っています。薔薇の館で、探している答えを見つけられたらな、と」

「ええ、それは大歓迎よ。私たちが参考になるかは分からないけど」

 

 私が言葉を続けると、それまで困惑したような表情を浮かべていた蓉子さまが、一転して笑みを浮かべる。

 美しい顔立ちに浮かんだ悠然とした笑みに見つめられ、私は思わず見とれてしまいそうになっていた。

 

「ひとまず、座って構わないわよ。空いている席にどうぞ」

「はい」

 

 江利子さまに促されて、私は由乃さんの隣に腰を下ろす。

 すると、由乃さんに小声で詰め寄られる。

 

「ちょっと綾さん、新聞部の部室に行っていたってどういうこと? 聞いてないわよ」

「すみません、まさか迷うとは思っていなかったので」

「……むう」

 

 鋭い口調の彼女に、私は小声で謝罪する。

 少し遅れると言って別れたきり、いつまでも来ない私のことをきっと心配してくれていただろうから。

 すると、まだ納得していないという表情で唸る由乃さん。

 

「さあ、揃ったから始めるわよ、白薔薇さま」

「……はいはい」

 

 山百合会の中心と言ってもいい蓉子さまが声をかけると、聖さまは面倒そうに返事をして読んでいた本を鞄にしまう。

 そして、今日の分の書類が手渡される。

 私は、時折隣の由乃さんから睨まれながらも、それを片付けていった。



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11

 恥ずかしながら校舎内で道に迷ったりしてしまった翌日、土曜日である今日は午前だけだが授業があった。

 前世では今年まだ一歳だった私には土曜日の授業というものには馴染みが無いので初めは戸惑ったが、よく考えてみればこの時代にはまだ週休二日が一般的ではなかったのである。

 土曜日は休日であるものだという認識が当然のこととして染みついている私は、授業があることに少し億劫な気分になってしまいながらも登校し、いつものように授業を受けていた。

 

「由乃さん、今日の放課後は剣道部の練習がありますか?」

 

 そして、一限目が終わった後の休み時間、今しがたまでボールペンを使って記入していたノートを机の中へと入れた私は、由乃さんにそう尋ねる。

 姉が剣道部のエースである彼女ならば、ある程度練習のスケジュールを把握しているのではないかと思ったからだ。

 

「ええ、あるけど……。それがどうしたの?」

「剣道部の見学に行こうと思うので、黄薔薇のつぼみによろしくお伝えしておいていただきたいのですが」

 

 練習があるなら都合がいいので、私は由乃さんに用件を伝えて伝言を依頼する。

 西欧にフェンシングがあるならば、日本には剣道。

 同じ剣を使った競技であることだし、せっかくなので放課後に令さまがエースであるという剣道部を見学させてもらうつもりだったのだ。

 すると、何故だか教室がざわめきに包まれた気がして私は少し違和感を覚える。

 

「え、ええ、分かったわ」

 

 目の前では、戸惑った様子の由乃さんが私の言葉に頷く。

 するとそれを見計らったようにチャイムが鳴り、それまでざわめいていた教室はすぐに静寂に包まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後。

 掃除が終わった後、ミルクホールで昼食のパンを何個か買って食べた私は、剣道部の部活が始まるまで時間を潰そうと図書室に来ていた。

 何気に、図書室に来るのはこれが初めてである。

 天井近くまである巨大な棚がいくつも林立する室内はとても広かったけれど、土曜日の放課後ということもあってか人影は少ない。

 音を響かせてしまわないよう静かに扉を開けて入室した私は、そのまま適当に近くの棚に歩み寄る。

 元々特にこれといって読みたいものがあって来た訳ではないので、適当に棚を眺めて面白そうな本を見つけたら読もう、というくらいの気持ちだった。

 

「ごきげんよう。何かお探しかしら」

「……っ!」

 

 すると、図書委員の方だろうか、適当に並べられた本を眺めて歩いていた私に背後から声がかけられる。

 振り向くと、そこには昨日の放課後、音楽室で独唱をしておられた少女の姿。

 まさかの再会に、驚いた私は思わず目を見開く。

 

「ごきげんよう。時間潰しに来たので、特に読みたい本があった訳ではないのですが」

 

 相手の顔を前に絶句していては失礼というものだし、動揺をどうにか抑え込んだ私は、そう言葉を返す。

 とはいえ、私の驚愕は目の前のこの方にはお見通しだろう。

 彼女の表情には、音楽室でお会いした時と変わらぬ余裕の笑みが浮かび続けている。

 

「そう? それなら、私のおすすめの小説を紹介しましょうか」

「ぜひお願いします」

 

 私のような漠然とした目的の来訪者への対応にも慣れているのだろうか、そう言った少女の提案に私は頷く。

 時間を潰すというここを訪れた目的を考えれば、提案を断って適当にその辺りを見て回ってもいっこうに構わないのだが、それでも私が頷いたのは、きっと昨日聴かせていただいた歌声が鮮明に耳に残っているからだろう。

 あれほど美しい旋律を歌われるこの方のことをもっと知りたいという思いを自分が抱いていることに気付いていた。

 知る、と言うならばまだ名前すらも知らないのだが、彼女が纏う雰囲気を前にしていると、何故かここで尋ねるのは無粋なのではないかと思えてしまう。

 結果として、私は無粋ではない言葉を頭の中から探しながら彼女の背中について歩いていく。

 やがて、彼女はいくつか先の角を曲がったところで立ち止まる。

 

「どうぞ、綾さん」

 

 そう言って手渡されたのは、今から八十年ほど前に発表された有名な海外の作家の小説の日本語版だった。

 今年から数えて八十年前といえばちょうど大正時代、リリアンが誕生してそれほど間がない頃である。

 分厚く古めかしい黒の背表紙を眺めていると、この小説はリリアンと同じだけの歴史を刻んでいるのか、などという考えがふと浮かぶ。

 

「ありがとうございます」

「では、私はカウンターに戻るわね。貸し出し手続きはしておくわ」

 

 できればこのままずっと話していたいと感じたが、けれどもここが図書室であり、更には彼女には図書委員としての仕事がある以上、そういう訳にはいかない。

 彼女は本の見返しに挟んであった貸し出しカードをさっと取ると、そのまま元いただろうカウンターへと戻っていく。

 残された私は、近くにあるテーブルの方に向かうと椅子を引いてそこに座り、今しがた薦めていただいた本に目を通し始めた。

 ――時折、ついちらちらとカウンターに目が行ってしまい、その度に微笑みを浮かべたあの方と目線が重なって慌てて目を逸らすことになり、あまり読書に集中できたとは言いがたかったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、由乃さんから聞いた剣道部の活動が始まるという時間が近くなると、私はあの方に頭を下げてから図書室を出て、剣道場へと向かう。

 その時にひどく面白げな様子でかけられた、頑張ってねという言葉の意味はよく分からなかったけれど。

 剣道場は、先日も通りかかったがフェンシング部の練習場所の近くである。

 そこに近付くと、何故だか剣道場の周囲には見学と思しき生徒がかなりの数集まっていた。

 数えた訳ではないが、軽く百人はいるのではないだろうか。

 何故こんなに集まっているのかと首を傾げつつもそちらに近付くと、私の姿を認めた少女たちはまるで海が割れるように左右に避けて道を開けてくれる。

 心なしか妙な雰囲気を感じるし、一体これは何事なのだろうかと不思議に思いながらも、ひとまず私に注目している少女たちの間を通り剣道場へと入る。

 内部にも、見学と思わしき生徒の姿が多くあった。

 よく見ると、その中には黄薔薇さまの姿までもがある。

 

「ええと、見学に来たのですが」

 

 戸惑いつつ、私はまだ練習を始めずに集まっている部員の方に声をかける。

 すると、部員の少女たちは何故か警戒心のようなものをこちらに向けてきた。

 先ほどから、理解が追いつかないことだらけだ。

 何故だか、その中にいる令さまだけは困ったような表情を浮かべている。

 彼女と目が合ったのもつかの間、部員の方々のうちの一人がまっすぐにこちらに近付いてきた。

 

「見学? 由乃さんを巡って令さんに決闘を挑みに来たのではないの?」

「……はい?」

 

 警戒心を露わにしながら、私に尋ねてくるその方。

 けれども、私はその言葉の内容を耳にして、思わずリリアン生にあるまじき間の抜けた声を出してしまう。

 事態に全くついていけないし、いきなりこんなことを言われて戸惑わないはずがない。

 

「朝から噂になっているわよ。令さんの姉である黄薔薇さままで決闘を見届けにいらっしゃって」

「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそんな話に?」

「私に聞かれても……。それじゃ、あなたは令さんに決闘を挑むつもりは無いというの?」

「当然でしょう。私にはそんなことをしなければいけない動機はありませんし、そもそもただ見学させていただきに来ただけです」

 

 逆に、ただ剣道部を見学させていただくだけの話が何故そんな大事になっているのか、私が聞きたいくらいだった。

 どうやら、先ほど図書室であの方がおっしゃっていた言葉は、このことだったらしいことだけは分かったけれど。

 どうにか戸惑いを落ち着けようとしていると、視界の片隅で江利子さまが令さま達のいる方に近付いていくのが見える。

 彼女は、胴着を身につけた一人の少女と何かを話し始めた。

 

「そうだったの。どうしてそんな噂が流れたのかしら」

「私にもよく分かりませんが……。とにかく、見学させていただいても構わないでしょうか?」

「ええ、もちろん構わな……」

 

 どうにか見学の了承を取りかけたけれど、彼女の言葉は途中で中断させられることになる。

 何故なら、何か江利子さまと話していた少女がこちらに近付いてくると、私が話していた少女の肩に手をかけて入れ替わるように私の前に立ったからだ。

 

「岸本綾さん。どうしても決闘をしたいというのなら構わないわ。ただし、ここに来たからには剣道で立ち合ってもらいます。防具と竹刀は備品を貸すから、早く着替えなさい」

 

 この方が剣道部の部長なのだろうか。

 今しがたまでの会話は、周囲にまでは聞こえていない。

 なので未だ勘違いをしているらしい彼女は、決闘の準備をするように促してくる。

 競技は違えども同じく剣の道をたしなむ者として、彼女の言葉は正しいと思う。

 ……ただ一つ、私が決闘を挑みに来たのだという最も根本的な点を除けば。

 

「いえ、私は」

「問答無用! ここまで来たのだから、正々堂々と立ち合いなさい」

 

 勘違いを解こうとする私だが、彼女は私の言葉に聞く耳を持たない。

 向こうで楽しそうな表情を浮かべて私の方を見ている江利子さまは一体何を言って焚きつけたのか、こうなれば立ち合わなければ誤解を解くことは難しいだろう。

 

「……分かりました。道具はどこに?」

 

 仕方なく頷いた私は、彼女に案内されて備品の防具が置いてある場所に向かう。

 そして、私のサイズに合ったものを手渡された。

 とは言っても剣道の防具など着るのは初めてなので、一人では着方が分からない。

 少女に手伝われながらもどうにか身につけ終えた私は、竹刀を取ると表へと戻る。

 手伝ってくれた彼女は、今度は令さまの方に向かっていった。

 試合のための準備を整えた私を見て、見物の少女たちから歓声を上がる。

 

「……勝てる訳がないでしょう」

 

 一体何を言われたのか、困ったような表情を浮かべつつも面を被った令さまを見て、私は呟く。

 もしお互いの立場が逆であったら、と考えればいい。

 令さまは剣道部のエースであられるそうだが、フェンシングは初心者であるし、仮に私がフェンシングのルールで立ち合ったならば絶対に負けないと断言できる。

 そうであるからには、逆もまた然りだろう。

 いくらフェンシングの腕にはそれなりに自信があるとはいえ、剣道のルールで剣道をしている方と立ち合って勝てるとは思わない。

 そのことは、恐らく令さまも分かっているだろう。

 だが、だとしてもこうして剣を手にしたからには諦めたりせず全力で挑ませていただくつもりだ。

 覚悟を決めた私は、竹刀を手にした令さまと一定の距離を挟んで向かい合う。

 

「三本勝負で、二本先取した方が勝ち。……始め!」

 

 審判は、部長と思しき少女が務めるらしい。

 彼女が試合の開始を告げると、剣を中段に構えた令さまが放つ圧力が爆発的に膨れ上がる。

 どうやら、令さまも覚悟を決めたらしい。

 さすがは剣道部のエースというべきか、思わず圧倒させそうになるほど強烈な圧力が私を襲うが、けれど私もフェンシングの試合で相手からの圧力を味わってきている。

 この程度で怖気付いて引くわけにはいかない。

 剣道といえばまずイメージするのは面打ちでの一本だが、剣道の「斬る」動きを練習したことのない私がこれで勝ちを狙うのはまず不可能だろう。

 フェンシングといえばやはり突き。

 剣道では喉突きは認められているそうであるし、何年か後にはルールが改定されて禁止されているが、今年ならまだ胸突きも認められているはずだ。

 喉当てか胸当てのどちらかを竹刀の先で突く。

 剣道を知らない私が万が一にも勝利を得られるとしたら、まずそれしかない。

 こちらが突きを主体に挑むことは令さまも簡単に予測できているだろうが、構わなかった。

 私は、竹刀を下段に構えて圧力を放ち返す。

 すると、彼女の肩がぴくりと反応を見せた。

 

「行きます!」

 

 斬りと突きの双方が有効であり、なおかつ有効部位が身体の一部分に限られているという意味では剣道はサーブルに近いが、けれどもサーブルとは違い剣道には攻撃権という概念は無い。

 ――つまり、恐らく斬りを主軸に戦ってくるだろう令さまよりも、突きに専念した私の方がリーチの差で有利だということだ。

 防御を気にせずに攻めかかり、彼女の竹刀が私の肌に届くより先に突いてしまえばいい。

 私に唯一勝機があるとすれば、それしかない。

 自分の有利を最大限に生かすべく、私は令さまの動きを待つことなく足を踏み出した。

 そのまままっすぐに彼女の喉に突きかかる私だが、その動きはあらかじめ予測していたようで、竹刀を上から振り下ろすことで打ち落とされる。

 思わず竹刀から手を離してしまいそうになるほどの力。

 けれども、これもまた私にとっては予測の範囲内だ。

 竹刀を打たれた勢いのままに下に落ちていく腕を強引に持ち上げた私は、無理な動きに腕の筋肉が悲鳴を上げるのを感じながらもバックステップで令さまの二の剣をかわしつつ、素早く前に反転して竹刀を振るったばかりの無防備な喉元に突きを放つ。

 

「ち……ぃ!」

「なっ!?」

 

 腕も足もかなり無茶な動きをしているので、明日は筋肉痛間違いなしだろう。

 そう考えながらも、一本目の先取を確信していた私だが、舌打ちをした令さまは振り下ろしていた腕を竹刀同士が接触するような軌道で持ち上げる。

 当然だが、斬る動きと突く動きに込められる力の大きさは、前者の方が大きい。

 それによって、今にも彼女の喉当てに迫らんとしていた竹刀が、あっさりと跳ね除けられる。

 そして返す刀で、一度天高く跳ね上がった令さまの竹刀が私の面を打っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから十分ほど後。

 令さまとの試合で体力をかなり使ったために荒い息を吐きながら、私は胴着を外していた。

 結果は彼女の二本先取で、私のストレート負け。

 私の突きは、結局令さまには届かなかった。

 まあ、剣道初心者にしては彼女ほどの相手によくやれた方なのではないかと思うが、けれども負けは負けだ。

 

「ごめんなさいね、誤解をしてしまって」

 

 そして、試合が終わるとあっさりと誤解は解けた。

 やはり剣道部の部長であったらしい審判を務めていた少女が、謝罪をしながら防具を脱ぐのを手伝ってくれる。

 

「いえ、誤解が解けたのなら構いません」

「そう言ってもらえると助かるわ。令さんを呼んでくるから、少し待っていてね」

 

 私が防具を全て外すと、彼女は令さまを呼びに行くといって離れていく。

 少し待つと、向こうから令さまが近付いてきた。

 彼女は短く切られた髪が汗で肌に張りついており、その姿は普段以上に凛々しく麗しい。

 事実、先ほど令さまが面を脱いだ時に、見物していた少女たちから黄色い歓声が上がったほどだ。

 

「ごきげんよう、令さま。手も足も出ませんでした、完敗です」

「それは剣道ルールだったから……。私も、フェンシングでは綾ちゃんに勝てないよ」

 

 苦笑しながら私に言葉を返す令さま。

 いつの間にか、彼女の私の呼び方がちゃんに変わっていることに気付く。

 けれどもそれは決して不快ではなく、むしろずっとそうだったかのように自然なものとして受け入れられた。

 完敗だったとはいえ、剣を交えたことによって少しだがお互いのことを分かり合うことができたから。

 

「それでも、勝つと分かっている勝負に全力で戦ってくださってありがとうございました」

 

 勝ち負けのみで語るのならば、この方が勝つことなど立ち合う前から分かりきっていたことであるし、そもそも試合などするまでも無かっただろう。

 けれども、そんな勝負に令さまは全力で挑んでくださり、私は本気の彼女と戦うことができた。

 それが、競技は違えど同じ剣を遣う者として嬉しかった。

 

「手加減するのは綾ちゃんに失礼だと思ったから。それよりも、怪我は無い?」

「ええ。強いて言うなら、明日は間違いなく筋肉痛になりそうなことくらいですね」

 

 戦うことによって初めて分かることもある。

 そういう意味で打ち解けることができた令さまに、私は冗談を返す。

 

「それは私もだよ。でも、怪我が無くてよかった。ごめんね、迷惑をかけてしまって」

 

 私の冗談を聞いて快活に笑った彼女は、すぐに表情を引き締めてこちらに頭を下げる。

 由乃さんから直接話を聞いている令さまは、何故だか学園中に流れていたらしい噂が真実ではないことを初めから知っていたのだろう。

 

「いえ、そのおかげで、こうして令さまと立ち合えましたから」

 

 負けた悔しさはあるが、けれどもそれ以上に全力で戦えたという満足感の方がずっと大きい。

 次は相手より強くなっていよう、ではなく、もっと道を極めようと思わされるような悔しさ。

 すなわち、それだけいい試合ができたということである。

 的外れな噂には戸惑いしかなかったけれど、そのおかげで令さまと戦えたと考えれば怪我の功名というか、むしろよかったとさえ思えた。

 

「私も、綾ちゃんと立ち合えてよかったよ。もしよければ、剣道部に入らない? 綾ちゃんなら、今から始めれば来年の今頃にはエースになってると思う」

「まだ何をするか決めていないので。ですが、もし剣道をする時は、ぜひご指導をよろしくお願いします」

「もちろん。待ってるから、その時は歓迎するよ」

 

 剣道部へのお誘いに対して、まだ何をするかは決めていないので、その旨を伝える私。

 けれど、令さまと競い合いながら剣道に励むというのは、私にとって非常に魅力的な選択肢の一つとなっているのは確かだった。



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12

 翌日。

 リリアンに入学して最初の休日である今日、けれども私は朝から強烈な筋肉痛に襲われていた。

 理由は言うまでもないだろう、昨日の令さまとの立ち合いである。

 勝機が薄いなりにどうにか一本を取ろうと、普段フェンシングではしない動きを何度も繰り返した私の筋肉は悲鳴を上げていた。

 だが、だからと言って貴重な休日をベッドで横になって過ごすのはいささか勿体ない。

 手足に何枚も湿布を貼った私は、私服を着込んで街に出かけることにした。

 私服とは言っても、この身長なのでスカートが似合わない私は学校以外ではジーンズを履いていることが多い。

 ジーンズにシャツ、スニーカーという私の格好は、むしろ少女というより少年のそれに近いのではないだろうか。

 ここから一番近い繁華街といえば、最寄り駅から電車で一駅のK駅である。

 私はリリアン生が最も通学に利用するM駅にまで自転車に乗って向かうと、駅前の駐輪場に停めて、電車に乗り込む。

 その道中では、部活に行くらしいリリアン生の姿がちらほらと見受けられた。

 電車に揺られるとは言っても、一駅程度であればほんのわずかな時間である。

 あっという間にK駅に着いた私は、流れているアナウンスを聞きながらホームに降り、改札をくぐった。

 この時代、日本はヴィジュアル系ブームの真っただ中である。

 街頭にある巨大なディスプレイでは派手に化粧をして着飾ったバンドのプロモーションビデオが映され、曲が流れていた。

 特に予定がある訳でも、目的がある訳でもない。

 なんとなく買い物に出てきただけの私が、大音量で街中に流れている音楽を耳にしながらこれかはどうしようかなどと考えていると、ふと少し離れた場所でリリアンの制服を着た少女が誰かと揉めているのを見つける。

 よく見ると、それは髪を短く切り揃えた少女、白薔薇さまである聖さまだった。

 とりあえずそちらに近付いてみると、どうやら彼女は強引なナンパか何かに遭っているらしい。

 面倒そうにあしらっている聖さまだが、男二人組がしつこく纏わりついている。

 

「やめろ、彼女が困っているだろう」

 

 同じリリアンの先輩が困っているのを見ていられず、間に割り込んだ私は聖さまの肩を抱き寄せるようにして距離を取らせる。

 この手の人間には、女性らしい口調で何かを言っても逆効果だ。

 肩を抱き寄せた非礼は後で詫びるとして、初めから強い口調で相手を咎める。

 聖さまは突然のことで初めは戸惑ったようだが、どうやら割って入ったのが私であることに気付いたらしく、私の腕の中でじっとしていてくれる。

 

「ああ? 何だよあんたは」

「よく見たら君も可愛いじゃん。一緒に遊ぼうぜ」

 

 けれども、私の言葉が彼らに届くことはない。

 馴れ馴れしく肩に手をかけようとしてきたのを振り払った私は聖さまの前に出ると、そのまま近い側にいた男の両足の間を全力で蹴り上げる。

 昨日酷使したばかりの太ももの筋肉からの痛みが走るのを感じながらも蹴りを命中させた私は、そのまま足を一度戻すと、蹴られた場所を手で抑えて前かがみになっている相手の後頭部を両手で掴んで引き寄せながら膝を振り上げた。

 すると私の膝が顎に入り、それによって気絶したらしい男は私が頭から手を離すと支えを失って崩れ落ちる。

 

「あなたもこうなりたいの?」

 

 そして私がもう一人の男へと向けて尋ねると、ひどく怯えた様子の彼は仲間を置いて逃げ出していく。

 仲間を見捨てるとは、まったく薄情な人間だ。

 リリアンの制服を着ている少女に強引に声をかけていたということは、相手が穏やかで育ちのいいお嬢様であることを知っていて声をかけたということである。

 悪質にも程があるというもので極めて不快であるし、また懲りずに誰かに声をかけるかもしれない危険性を考えれば、これくらいの灸を据えておくことは必要だろう。

 

「勝手に抱き寄せてしまい、申し訳ありませんでした。非礼をどうかお許しください」

 

 そして私は、振り返ると聖さまに頭を下げる。

 非常時とはいえ、非礼をしてしまったことは謝らなければならない。

 

「いいよ。あいつら、しつこかったから。ありがとう」

 

 微笑みを浮かべた彼女は、私の行為を許してくれる。

 何気に、不機嫌でも憂鬱でもないこの方の表情を見るのはこれが初めてだ。

 聖さまの彫りが深い美しく整った顔立ちに浮かんだ笑みに、私は思わず見惚れてしまう。

 

「私こそ、お許しくださりありがとうございます。もし構わなければ、場所を変えませんか?」

 

 彼女の笑顔は誰もが目を奪われてしまうようなものだったが、あまり見惚れてばかりもいられない。

 今しがた男を叩きのめしたことで、人目が集まっている。

 私だけならともかく、聖さまをそれに晒してしまうのは申し訳ないので、場所を変えようと提案した。

 

「そうね。少し煩わしいわ」

 

 それは彼女にとっても不愉快なものであるようで、私の提案に同意が返される。

 そうして私たちは、連れ立ってその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私や令さまのように抜きん出て、という訳ではないが、聖さまもまたそれなりに女性としては背が高い方である。

 百七十センチには満たないだろうが、それに近いくらいの身長はあるのではないだろうか。

 なので並んで歩いていても、さほど違和感を覚えることがない。

 少し一緒に歩いた私たちは、おしゃれなカフェを見つけてそこに入る。

 窓際の席に通されると、それぞれ飲みたいものを注文した。

 私は紅茶、聖さまはエスプレッソ。

 イギリスなら私の年齢でも少量ならアルコールを注文できるため癖でついワインを頼みそうになり、ここが日本であることを思い出して慌てて思い留まった。

 ついでに、時間が昼下がりということもあり、お昼も兼ねて軽いものも注文する。

 ウエイトレスの女性が離れていくと、メニューを置いた私たちは顔を見合わせた。

 

「今日は何しに来たの?」

「特にすることも無かったので、家でゆっくりしているよりは外に出かけようかと。白薔薇さまは?」

「私は一年生歓迎式の打ち合わせでリリアンに行った帰り」

「一年生歓迎式ですか。私は白薔薇さまのアシスタントを頼むかもしれないと紅薔薇さまに言われているのですが」

 

 最初に薔薇の館に呼び出された時の、蓉子さまの言葉を思い出す私。

 何でも、リリアンには来月の半ばにマリア祭というイベントがあり、その時に山百合会主催の新入生歓迎会をするそうなのだ。

 

「それはあなたに山百合会を手伝わせるための方便じゃないの? あなたも新入生なんだから、本番で手伝いなんてさせられないでしょう。私は同級生に頼むつもり」

「そういえばそうですね」

 

 言われてみれば、確かに新入生の私が新入生歓迎会の運営を手伝うというのは何ともおかしな話だ。

 蓉子さまがおっしゃったのは、本当に単なる物の例えとしてだったのだろう。

 そして、普段不機嫌さや億劫さを隠そうともしない聖さまだが、既にしっかりと自らの友人に手伝いを頼む算段をつけている辺り、この方もやはり薔薇さまのお一人なのだということを実感する。

 

「あなたを引き込んだのは、蓉子らしい気配りだと思うけどね。けど、彼女の企みは無駄になるんじゃないかな」

「紅薔薇さまの企みというと、私をどなたかと姉妹にという」

「知ってたの?」

 

 私が三奈子さまに伺ったことを口にすると、聖さまは少し驚いたように尋ね返してくる。

 全く否定をしない辺り、それは正しかったらしい。

 

「三奈子さまのインタビューをお受けした時に伺いました。例年、薔薇さま方が目をつけた新入生は山百合会のお手伝いに誘われるのだとか」

「ええ。一昨年の蓉子と江利子も、去年の祥子もそうだったわ。祥子はその頃習い事で忙しすぎて手伝いを断ったらしいけど。でも、私はあなたとは友人にはなれると思うし、それは祥子とも同じなのではないかしら」

 

 友人にはなれる。

 それは裏を返せば、友人以上の関係、すなわち姉妹にはなれないだろうという意味だとはっきり分かった。

 婉曲に、この方は期待しないようにと私に告げているのだ。

 薔薇の館ではいつも気軽に話しかけられることを拒むような雰囲気を纏っておられたので、まさかこうして腹を割った話ができるとは思わなかった。

 

「姉妹とは何かと理解するところから始めなければならない私には、何も申し上げられません」

「姉妹、ね。妹のいない私には何もアドバイスできないわ。ごめんなさいね」

 

 何かを思い出したのか、一瞬遠い目をして切ない表情を浮かべた聖さまは、けれどもすぐに視線を私に戻すと、皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「いえ、私が自分で気付くべきことでしょうから」

 

 私がそう言葉を返すと、そのタイミングで頼んでいた料理が届けられる。

 聖さまは軽くトースト一枚。

 それに対して私は、ハンバーグ定食とライスだった。

 

「軽くって言ってたけど、よく食べるね」

「これくらいは食べないと身体がもたないので」

 

 ただでさえ背が高く、またフェンシングのために鍛えてきた身体は、これくらい食べなくては維持することが難しい。

 イギリスにいる時から周りにいる女友達より普段でもずっと多く食べていたし、ましてや試合があった日の夜などはお腹が空いているので運動部の男の子と変わらないくらいの量を食べることも珍しくなかった。

 きっと、私基準の「軽く」はリリアン生にとっては「かなり多く」になるのだろう。

 

「ふうん。ハンバーグ、一口いい?」

「はい、どうぞ」

 

 頷いた私は、トーストを頼んだ聖さまの方にはフォークが付いてきていないので、自分のフォークに一口分切ったハンバーグを刺し、肉汁が下に垂れないよう左手を下に添えつつそれを彼女へと差し出す。

 そして、聖さまは艶やかな唇をそっと開くと、そのままハンバーグを口にした。

 開かれた唇の奥に鮮やかに紅い色の舌が覗き、私はどきりとさせられる。

 

「ありがと」

 

 ハンバーグを飲み込んだ彼女は微笑んで私に言うと、トーストを一口齧った。

 美しい先輩を目の前にして密かに胸の高鳴りを感じていた私は、焼かれたパンの立てるさくさくという音で我に返ると、自らの分のメニューを食べ始める。

 時折飲み物を口に運びながら、互いの皿が空になるまで二人の時間は続いた。

 

 お互い食べ終えると、自ずと立ち上がって会計をすることになる。

 伝票を手に立ち上がった私だが、それはレジに着くまでの間に、さりげない手つきで聖さまに奪われてしまう。

 そして、彼女は鞄の中から財布を取り出す。

 

「あの」

「いいから。私が出すよ」

「いえ、それは申し訳ないので。せめて自分の分くらいは」

「綾には助けてもらった借りがあるから。それを返すってことでどう?」

「……分かりました」

 

 戸惑いながらも声をかけた私だが、けれどもそう言われてしまえば引き下がらざるを得ない。

 申し訳なさを感じつつも、私は大人しく引き下がる。

 

「私はもう帰るよ。今日はありがと」

「私こそ、白薔薇さまとゆっくりお話できて楽しかったです」

 

 クールだがある程度の気さくさも持っている蓉子さまや江利子さまと違い、これまではせいぜい挨拶くらいしか交わしたことが無かった聖さまと会話をすることができたのは、とても楽しかった。

 ――それに、この方の笑顔を見ることもできたし。

 私の自惚れでなければ、私たちは友人になれたのではないだろうかと思う。

 そして私たちは別れの言葉を伝え合い、その場を後にした。



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13

 聖さまと別れた後、私は本来の予定通り街中を歩いていた。

 何気に、日本に来てから街に出るのはこれが初めてである。

 加えてこの時代の日本の街中を歩いたことは前世でも一度も無いので、まさしく初体験と言ってよかった。

 まるで知らない場所に来たかのような感覚で、街中を眺める私。

 まだWindows95が出ていない時代なのでパソコンは企業向けか、一部のコアユーザー向けのものという扱いであり、電気屋でも小さなコーナーがある程度であまり大々的には売られていない。

 その代わりに、まるで虹のようにいろいろな色のポケベルが並べられ、売っているのは二十年後ではまず見られない光景だ。

 せっかくなので買ってみようかとも思ったが、リリアンでは育ちがいい生徒ばかりのためかポケベルを持っている子などまず見かけないし、かといってこの歳までイギリスで暮らしていた私には、リリアン以外で同年代の日本人の友人など皆無である。

 買ったところで使い所が無いと思われたので、諦めることにした。

 近くの電気屋から離れた私は、今度は本を見に行こうと思い立ち、そちらの方に向かう。

 駅から近い場所にある、三階建ての大きな書店。

 入り口の扉を開いて中に入ると、店内には山のような本棚がずらりと並んでいる。

 需要があるのか入り口の近くに並べられている雑誌の顔ぶれは、当然というべきか私がかつてよく見かけたものとは大きく異なっていた。

 初めて目にするタイトルのファッション雑誌らしきものを手に取りぱらぱらとめくっていくと、テレビでたまに見かけた女優が記憶の中と比べてずっと若い姿で掲載されていて、歳月の流れを実感させられる。

 とはいえ、時間によって変わるものがあれば変わらないものもある。

 例えば、図書館であの方から薦めていただいた本のように。

 適当に眺めた後雑誌を置いた私は、小説のコーナーへと進んでいった。

 この頃の小説といえば、何と言ってもデルフィニア戦記だろう。

 私は年齢的な理由でリアルタイムでは知らなかったけれど、現在大ヒットしているこの小説は平積みで並べられ、更には天井から広告のための大きな看板までもが吊るされていた。

 読んだことはある、というか愛読していたけれど、改めて読もうと思い私は一巻を手に取った。

 棚を見渡して他に目についたのは、コスモス文庫なる聞き覚えの無いレーベルの少女小説が大量に並んでいたことだ。

 何でも宮廷社という出版社のレーベルらしい。

 刊行数の多さを見るにかなりの規模のレーベルであるようだが、果たしてこんなレーベルが日本にあっただろうか。

 首を傾げる私だが、とはいえ、知らないレーベルであるということは、そこから出ている作品も読んだことの無いものばかりであるということ。

 新しい作品を読むことができると考えれば、むしろ嬉しかった。

 適当に本を抜き出してはあらすじを眺めてみて、面白そうだと思ったタイトルを何作か手に取る。

 

「どうされましたか?」

 

 すると、近くの棚の前で困ったような顔をしている少女の姿を見つけた私は、何か手伝えることはないかと声をかける。

 かなり小柄で、可愛らしい印象を受ける少女だ。

 私と並んだら、恐らく身長は三十センチ以上は違っているだろう。

 後ろ髪を、首筋の辺りで左右それぞれ結んだ髪型が印象的である。

 

「あ、綾さん。ごきげんよう」

「ごきげんよう。リリアン生でいらしたのですね」

 

 私が声をかけると、こちらの顔を知っていたらしい少女は、ごきげんようと挨拶を返してくる。

 私服なので分からなかったが、どうやら彼女はリリアンの生徒であるようだ。

 

「ええ。二年松組の鵜沢美冬よ」

「よろしくお願いします、美冬さま。それで、何か困っていらしたように見えたのですが」

「ええ、実は、棚の上にある本に手が届かなくて……」

 

 美冬さまは、困ったような表情を浮かべると、目の前にある棚を見上げる。

 確かに、この方の身長では最上段にある本を取るのは困難だろう。

 

「美冬さまが取りたい本というのは、どれでしょう」

「それなのだけど……」

「これで合っていますか?」

 

 棚の上に手を伸ばした私は、美冬さまが指し示した本に手を触れて確認する。

 その拍子に太ももと腕の筋肉に痛みが走るが、無用な心配をさせてしまわないよう、それを表に出さず抑え込む。

 そして、棚の中から本を取り出した。

 こちらは、私も知っているレーベルの少女小説だ。

 

「ええ、そうよ。そんなに簡単に届いてしまうなんて、綾さんは凄いのね」

「まあこの身長ですからね」

 

 簡単に本を取った私を見て感心したように言った美冬さまに、苦笑して言葉を返す。

 背が高くて得をすることもあれば、逆に損をすることもある。

 それは、別に私だけでなくこの方も同様だろう。

 少なくとも、美冬さまには私よりもずっとスカートが似合うはずだ。

 

「どうぞ」

「ありがとう、綾さん」

 

 そして私は、取った本を彼女に手渡した。

 微笑んでそれを受け取る美冬さま。

 

「綾さんは……少女小説がお好きなの?」

 

 私が手にした本の表紙を見て、彼女が尋ねてくる。

 少女小説がお好きなのだろう、その表情は嬉しそうだった。

 

「いえ、私はイギリス暮らしが長かったので、コスモス文庫という名前さえ存じませんでした。なので、この機に読んでみようと思い、気になった小説を手に取ってみたのです」

「それなら、明日私が家からおすすめを持ってきましょうか?」

「いいのですか?」

「ええ。この本を取ってくれたお礼に」

「ありがとうございます。でしたら、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 私は、彼女の好意に甘えることにする。

 図書館であの方に手渡された本もそうだけれど、明日からは本を読むことがかなり増えそうだった。

 それから、私たちはレジに並び、手にしている本を購入する。

 別に連れ立っている訳でもないのだが、先に会計を済ませた彼女は書店の入り口のところで私を待っていてくれた。

 

「せっかくだから、お昼を一緒に食べない?」

「はい。ご一緒します」

 

 まだ時間があるらしい美冬さまに、ランチに誘われる。

 せっかくいただいたお誘いを断るのは申し訳ないし、他に予定がある訳でもないので私はそれを承諾した。

 そして、二人で入ったのは駅前にあるハンバーガーチェーン。

 一九九四年でも二〇一四年でも変わらず存在しているものの一つ――そう、マクドナルドだ。

 

「リリアン生の方でもこうした場所に来られるのですね」

 

 リリアンとハンバーガーというのはイメージ的に遠いので、どうでもいいことに少し感心してしまう私。

 私は少し前にハンバーグ定食を食べたばかりであるが、あれは聖さまに申し上げた通り私にとっては本当に軽くくらいの量である。

 これからハンバーガーを何個か食べるくらいの余裕は十分にあった。

 由乃さん辺りが聞けばどれだけ食べるんだと呆れられそうだが、運動部の食事はこんなものだろう。

 私だけでなく、恐らく令さまなども家ではこれくらいの量を口にされるはずだ。

 あの方の実家は剣道場であり、ということは練習量に関してはイギリスでフェンシングに励んでいた頃の私より確実に多い。

 それだけの練習をこなす以上、相応の量を食べなくては鍛えた身体を維持することはまず不可能だろう。

 私は、イギリスにもあるこのチェーン店で一番好きなハンバーガーを二個とセットを一つ注文する。

 ちなみに、私の注文を聞いて隣で驚いたような表情を浮かべた美冬さまの注文は、ハンバーガーのセット一つのみだった。

 かなり小柄な方であるし、運動系の部活をなさっていないようなので、それも当然だろう。

 しばらくして注文していた分が出来上がると、私たちはトレーを手に空いている席に座る。

 

「本当に二つも食べられるの?」

「ええ。逆に、これくらい食べないと筋肉がどんどん落ちてしまって維持できないんです」

 

 腰を下ろすと、私のトレーの上に並んだハンバーガーの数を見て、美冬さまが尋ねてくる。

 そんな彼女に、私は理由を説明する。

 フェンシングは半月前に日本に来てからは、部活の見学で一度した時を除いて休止中だが、とはいえいつ再開しても、あるいは他の運動系の部活を始めても困らないように家での基礎トレそのものは続けていた。

 

「そう。私は、これ一個でお腹いっぱいになってしまうわ」

「女性であれば、それくらいが普通だと思いますよ。私が大食なだけです」

 

 ジュースの入った紙コップを手にし、ストローで中身を飲みながら私の答えを聞く美冬さま。

 先輩にこうした感想を抱くのは失礼だが、小柄な彼女がそうしている姿は、まるで小動物のようでとても可愛らしかった。

 そして、その感想は、美冬さまがハンバーガーを小さく頬張る姿を見ても同様である。

 

「どうしたの?」

「あ、いえ、美冬さまが可愛いのでつい見惚れてしまいました」

 

 じっと見つめていたことに気付いた彼女が、不思議そうに尋ねてくる。

 私は、小動物のようで可愛かったからなどと正直に言う訳にはいかないので、慌てて理由を取り繕った。

 ごまかすように包み紙を半分剥がして、自らの分のハンバーガーの一つを口にする。

 リリアンのお嬢様たちと違って味覚が庶民である私には、それはとても美味しく感じられた。

 

「か、かわ……」

「申し訳ありません。先輩に向かって可愛いなどとは失礼でした」

 

 すると、怒ってしまわれたのか、顔を真っ赤にした美冬さまが俯いてしまう。

 やはり、咄嗟にとはいえ先輩に可愛いと言ってしまったのはまずかっただろうかと思い、慌てて私は謝罪をした。

 

「い、いえ、可愛いだなんて言われたのは初めてだから戸惑っただけよ。気にしないで」

「お許しいただきありがとうございます」

 

 どうやら、怒っておられた訳ではないらしい。

 美冬さまの返事を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろす。

 それからは、彼女からリリアンのことをいろいろ伺いながら雑談を交わした私たち。

 トレーの上が空になっても、しばらくの間彼女との会話は続いた。




まだ食べるのかという感じですが、何故だか書き進めるにつれて綾の食生活がどんどん残念になっていきます。


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14

 翌日。

 日課の筋トレを昨日は軽めに済ませたこともあってもう筋肉痛が治った私は、登校のための準備を終えると自転車に乗ってリリアンへと向かう。

 休日が一日しかないことで、週休二日制に慣れ親しんだ私にとって億劫な気分にならないと言えば嘘になるが、まあ言っても仕方のないことだ。

 もう入学してから一週間になるので多少見慣れてきた景色の中を通って自転車置き場に着くと、自転車を駐めて前のカゴに入れていた鞄を持つ。

 土曜日にあの方から貸していただいた本が入っているので、私の鞄はいつもより重かった。

 その重みを感じながらも、教室の方へと向かう。

 するとその途中、マリア像から少し進んだ辺りで、私は見知った顔を認める。

 

「ごきげんよう、美冬さま」

「ごきげんよう、綾さん」

 

 並木道の傍らに立っていた美冬さまに近付き、私は声をかける。

 どうやら、ほとんどのリリアン生が登校の際に通るこの道で私を待っていてくれたようだった。

 恐らくは、昨日おっしゃっていた本をお貸しくださるためだろう。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません」

「いいのよ。はい、これ」

 

 私などのためにわざわざお待たせしてしまったことに対する謝罪を口にすると、彼女は穏やかに笑って、こちらにさほど大きくないサイズの紙袋を差し出す。

 受け取ってみると、予測していた通りその中には何冊かの文庫サイズの本が入っていた。

 

「わざわざありがとうございます。大切に読ませていただきますね」

「いいのよ。同じ小説が好きな子がいたら、私も嬉しいから」

 

 紙袋とは言っても、中身である文庫本に合わせたサイズなので、十分に鞄の中に入るくらいの大きさだ。

 鞄の蓋を開けてそれを中に収納すると、私は美冬さまにお礼を言う。

 すると、彼女はそう返してくれる。

 同じものが好きな相手とそれについて語り合うのは楽しいことであるし、私もそれには大いに同意するところだった。

 

「では、そろそろ行きましょうか。もうすぐチャイムが鳴ってしまうわ」

「そうですね」

 

 そうこうしているうちに、廊下を走らなくては間に合わないというほどではないものの、そろそろ教室に向かわなければチャイムが鳴ってしまうだろうくらいの時間になっていた。

 実際にしたことはないし、そんな光景を見かけたこともまだないので分からないが、お嬢様学校であるリリアンでは廊下を走ることは厳禁であり、走っているのを廊下を見回っているシスターに見つかるとお説教が待っているらしい。

 ミッション校に初めて通う私としては、お説教自体よりもむしろ校内にシスターがいることの方が違和感というか非日常的な感じがするのだけれど、リリアンで学生生活を送っていればシスターの姿は敷地内のそこかしこでよく見かけていた。

 それはともかく、もうそんな時間なので、いつまでもここで立って話している訳にもいかない。

 学年が違うので教室の場所も違うとはいえ、昇降口の場所は同じなので、私たちはそこへと向けて共に歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、美冬さまと別れた私が菊組の教室に入り、自分の席に着くと、程なくしてチャイムが鳴り朝拝が始まる。

 その後のホームルームも終わり、一限目の授業が始まるまでの時間が少し空くと、私は鞄の中から本を取り出して読み始めた。

 先ほど、美冬さまからお貸しいただいた少女小説のうちの一冊である。

 鞄の中にはあの方から図書室でお貸しいただいたハードカバーの本もあるのだが、そちらよりも少女小説の方を先に読んでいるのは、別に美冬さまの方を優先したという訳ではない。

 そもそも分厚いハードカバーと文庫サイズの本とではページ数からして違うし、前者はある程度時間をかけなければ読破できないのに対して、後者はそれなりに気軽に読み進めることができる。

 今のようなちょっとした空き時間に読むならば、文庫本の方が適しているのだ。

 その代わり、ある程度長い時間を確保できる昼休みや放課後にはあの方の本を読むつもりだった。

 

「綾さん、コスモス文庫を読むのね」

 

 初めて触れるシリーズなので、見開きの部分に書かれていたあらすじや最初にあるキャラ紹介のページに目を通していると、隣の席に座る由乃さんが話しかけてくる。

 カラフルな表紙をひょいと覗き込んだ彼女は、私が読んでいるのが少女小説であることを見て取ると、そう口にした。

 

「はい。イギリスにいる時はラテン語の古典文学くらいしか読んだことがありませんでしたし、せっかくなのでこういうものも読んでみようと思いまして」

 

 まあ、転生する前は少女小説の類もよく読んでいたので、今の言葉が完全に正確という訳ではないが、けれども向こうでは古典ばかり読んでいたのは確かだ。

 もちろんそれはそれで面白いから読んでいたのだけれど、せっかく日本に来たのだからこういった小説も読みたくなっていた。

 

「綾さんがそういうのを読むのは何だか意外だわ。何だかお姉さまみたい」

「令さまが?」

「そう。お姉さまも少女小説がすごく好きなのよ。けど一見そんな風には見えないから、少し綾さんと似てるなって思って」

 

 どうやら、令さまは少女小説がお好きらしい。

 確かにあの方のイメージからすると少し意外だけれど、幼少期以来の幼馴染だという由乃さんが言うのだから確かなのだろう。

 

「由乃さんは読まれないのですか?」

「ええ、私はそういうのは全然読まないわね。池波正太郎が好きなのよ」

「剣客小説が好きなのですね」

 

 そして、由乃さんは剣客小説がお好きなのだという。

 彼女とそれなりに親しく話している今なら納得できるが、これもまた親しくない人からすれば意外に思えるかもしれない。

 もしお二人の好みが逆ならば、イメージ通りなのだろうけど。

 

「と、チャイムが鳴ってしまいましたね」

「ごめんなさい、読書の邪魔をしてしまって」

「構いませんよ。由乃さんとお話するのは楽しいですから」

 

 得てして昼休み以外の休み時間の長さは短いものである。

 二人で話しているとあっという間にチャイムが鳴ってしまい、私は文庫本を片付けて机の中から教科書を取り出す。

 邪魔をしてしまったと思ったのか、申し訳なさそうな表情をした由乃さんがそう言うが、私は気にしないように伝える。

 他の山百合会の方々にも言えることであるが、彼女はとても魅力的な人物であるし、話していてとても楽しいのだ。

 剣客小説の類ならば前世の話なので大昔だが読んだことがない訳ではないので、また今度話を振ってみることにしよう。

 そう思っていると先生が入ってきて、週明けの一日が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 一日の授業が終わると、私は山百合会のお手伝いのために今日も薔薇の館を訪れていた。

 とは言うものの、祥子さまによれば、薔薇さま方三人は三年生の集まりか何かで少し遅れてこられるらしい。

 白薔薇ファミリーは今のところ聖さまお一人、祥子さまにもまだ妹がいらっしゃらないので、つまり室内には祥子さまと令さま、そして由乃さんと私の四人だった。

 人数的にも役割的にも、三薔薇さまがいらっしゃらなければとても仕事にならないので、彼女たちが来るまでの間私たちは思い思いに時間を潰すことになった。

 令さまと由乃さんは姉妹で会話を交わし、私と祥子さまは本を取り出してそれを読み始める。

 今度は、あの方からお借りしたハードカバーだ。

 

「あれ、今度は別の本を読んでるの?」

「ええ、あの本はもう読み終わりましたから」

 

 由乃さんが、そんな私に目を留めて話しかけてくる。

 きっと朝読んでいた少女小説のことを言っているのだと思うが、あの本は休み時間の間に少しずつ読み進め、既に読破していた。

 

「そうだ、お姉さま、綾さんもコスモス文庫を読んでいるそうよ」

「えっ、今は違う本を読んでるみたいだけど」

「教室にいた時はコスモス文庫の本を読んでいらしたわ。もう読み終わったそうだけど」

 

 由乃さんが、何やら姉である令さまと言葉を交わしている。

 令さまは少女小説がお好きであるそうなので、お互いに合う話題をという彼女の気遣いなのかもしれない。

 

「ふうん、綾ちゃんもコスモス文庫が好きなんだ」

「好きというか、最近までずっとイギリスにいたので、日本に来て初めてコスモス文庫というレーベルの存在を知りました。向こうでは読んだことがないジャンルなので、せっかくなら読んでみようかと思いまして」

「それなら、明日何かおすすめの本を持ってくるよ」

 

 いつの間にか、また読む本の量が増えていた。

 とはいえ、元々本を読むのは好きなのでむしろそのご好意は歓迎したいところであり、私は頷きを返す。

 お三方のおかげで、しばらくの間は退屈な時間を過ごさずに済みそうだった。

 

「ところで、今は何を読んでいるの?」

「昔のロシアの作家の小説です」

 

 そう言って、令さまに作家名を告げる。

 かなり有名で評価が高いので、たとえ読んだことがなくとも、名前くらいは知っていてもおかしくない作家だ。

 私も、読むのはこれが初めてだが、名前は知っていた。

 あの方におすすめいただいた時から既に読み始めているが、とはいえまだ四割くらいしか読み終わっていない。

 残り六割といえば半分ちょっとではあるが、元がかなり分厚い本なので、半分とは言ってもまだまだ相当な量が残っていた。

 

「綾さんは、そうした小説をよく読むのかしら」

 

 そう尋ねられて視線をそちらに向けると、その先では本から顔を上げた祥子さまが私を見つめていた。

 どうやら、作家名に反応したらしい。

 確かに、あの小笠原グループの令嬢である彼女ならば、当然このくらい読んだことがあるのだろう。

 

「いえ、むしろイギリスにいた時は古典の授業で習うラテン語の本に夢中でした。ですから、この作家の本を読むのも今が初めてです」

「ロシア文学もいいものよ、これをきっかけに読んでみたらどうかしら」

「そうですね、せっかくですから、この機に見聞を広めてみようと思います」

 

 西ヨーロッパではラテン語とギリシャ語で書かれた文献が日本でいう漢文のような扱いだったので、そういったものに授業で触れる機会もそれなりにあったけれど、とはいえロシア文学の場合は誰かに勧めてもらいでもしなければまず読む機会など無いのは確かだ。

 あの方に勧めていただいたのはせっかくの機会だと言えるし、この本を読み終えたら、他にもいろいろ読んでみることにする。

 原文で読むのならば、まずロシア語を覚えるところからスタートしなければならないのでそれなりの時間と負担がかかるけれど、和訳ないし英訳を読むならそれも省略できるのだし。

 ――と考えていてふと思ったが、もしかすると正真正銘の名家のお嬢様である祥子さまの場合、もしかしたら原語で読めるくらいの教養をお持ちなのかもしれない。

 

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

 

 そんな風に会話を交わしたりしながら私たちが時間を潰していると、待ち人である三薔薇さまが姿を現わす。

 先頭で入ってきたのは、山百合会のまとめ役とも言うべき蓉子さま。

 彼女らしいと言うべきか、まず遅れたことを詫びる言葉を口にすると、そのまま自分の席に着く。

 

「ごきげんよう、みんな」

 

 続いて入ってきたのは前髪をかき上げてヘアバンドで留め、額を露わにしたヘアスタイルが印象的な江利子さま。

 彼女は私たちに挨拶をすると、やはり自分の席に腰を下ろした。

 そして、最後に姿を見せたのが白薔薇さまである聖さま。

 いい意味でとても日本人とは思えないほどに彫りが深く美しい彼女は、無言のままに着席する。

 それぞれに頭脳明晰で成績優秀、容姿端麗な女性である三薔薇さまであるが、こういった何気ない部分にもそれぞれの性格が現れていて、観察していて面白いと思う。

 とはいえ、三年生の方々がいらしたのだ。

 先ほど私が来た時には、二年生の令さまと祥子さまの分の飲み物は先に来ていた由乃さんが既に淹れていたので、今度は私が淹れるのが道理だろう。

 立ち上がった私は流し台の方に向かい、手早く作業をしていく。

 一年生であり、しかも山百合会の正式メンバーではない私は一番の下っ端なので、当然飲み物を用意する機会も一番多いのだが、その中である程度彼女たちの好みも分かってきていた。

 例えば祥子さまであればダージリンのストレートで、令さまであればミルクティー。

 蓉子さまであればオレンジペコであり、聖さまであればブルーマウンテンのブラック、といった感じで、大体は把握できている。

 けれども、唯一未だに好みがよく分からないのが江利子さまである。

 当然相手のことを何も知らないうちから飲み物の好みが分かるはずもなく、それとなく飲みたいものを伺う中で好みを把握していく訳だが、彼女に限っては何が飲みたいかと尋ねる度に違うものの名前を挙げるのだ。

 なので未だに江利子さまの好みだけは把握できていないのだが、もしかするとこの方はこだわりが薄いというか、あまり好き嫌いの無い方なのかもしれない。

 とはいえ、何も言われなかったので、蓉子さまと聖さまにはそれぞれのお好きなものを、江利子さまには無難にダージリンを用意することにする。

 なるべくお待たせしないように急いで用意をすると、私は出来上がったものを机の方へと運んでいく。

 

「ありがとう、綾」

 

 聖さまの前にブラックコーヒーの入ったカップを置くと、彼女はお礼の言葉を言うと、カップを持ち上げて中身を口に含んでいく。

 

「あなたたち、いつの間に仲良くなったの?」

 

 そんな私たちのやり取りを耳にしてか、蓉子さまが尋ねてくる。

 私のうぬぼれでなければ、昨日のことがきっかけで少しは仲良くなれたのは確かだ。

 その辺りを見逃さないのは、さすが気配りと気遣いの人というべきか。

 

「昨日、街で変なのに絡まれてたのを綾に助けてもらったの。それだけ」

「そう。聖を助けてくれてありがとう、綾ちゃん」

 

 カップの中身を一口楽しんだ聖さまは、いつもと変わらないそっけない口調でそう説明する。

 それを聞いた蓉子さまは頷くと、こちらに微笑みを向けた。

 三奈子さまと聖さまの言葉を信じるなら、彼女は私を聖さまの妹にしようと考えているのだろうか。

 

「それから、綾は紅薔薇さまの企みを知ってるよ。新聞部の三奈子さんが教えたらしい」

「……そうなの」

 

 けれども、続く聖さまの言葉を耳にすると、蓉子さまは表情を少し難しいものに変える。

 あくまでも私がそう感じたというだけだが、どうも聖さまはそのことをあまりよくは思っていないようで、なのであえて私が知っているのだということを告げて、彼女の目論見をやめさせようとしているのかもしれない。

 そんな聖さまの思惑はともかくとして、別に雰囲気が悪いという訳ではないけれど、場の調整役と言うべき蓉子さまの表情が重くなれば、自然と空気も重くなってしまう。

 

「まあ、知ってしまったものは仕方ないでしょう。それよりも、ただでさえ遅くなっているんだから、そろそろ始めない?」

「そうね。始めましょうか」

 

 けれども、それを黙って眺めていた江利子さまが横から絶妙なタイミングで助け船を出してくれる。

 その言葉に頷くと、いつものような表情を取り戻した蓉子さまは、山百合会の仕事を始めることを宣言した。



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15

「綾さん、英語の課題のことなのだけど……見せてもらえないかしら」

 

 いつものように自転車通学をした私が席につくと、既に教室に到着していた由乃さんがそう話しかけてくる。

 そういえば、今日は英語の授業があったことを思い出す。

 

「忘れてきてしまわれたのですか?」

「いいえ、少し分からないところがあったの。いつもならお姉さまに聞くんだけど、お姉さまは昨日、剣道部で忙しくて聞けなくて……」

「でしたら、私でよければお教えしますよ」

 

 英語の授業は三限目であり、それまでにはまだ時間があるので、私はそう提案する。

 リリアンに入学するまでずっとイギリスに住んでいたため、家の中以外では十五年間英語ばかり話していたのだ。

 必然的に、英語は私の最も得意な科目となっていた。

 

「本当? ぜひお願いするわ」

 

 私の提案に、ほっとしたように微笑を浮かべさせる由乃さん。

 その表情たるやあまりに可憐で、間近で見せつけられた私は思わず見惚れてしまう。

 

「まだ時間はありますし、さっそく始めましょうか」

 

 あまりじっと見つめていると不審を覚えられてしまうだろうから、名残惜しさを感じつつもどうにか視線を彼女から剥がした私がちらりと時計に目を向けると、まだ本鈴まで十分ほど時間がある。

 これくらい時間があれば、軽く解説をすることは可能だろう。

 

「そうね。綾さんがいれば百人力よ」

 

 そう言うと、彼女は引き出しの中から英語の問題集を取り出す。

 そして課題として指定された該当のページが開かれる。

 彼女の言葉通り、ページに印刷された問題の大半は既に解かれていたけれど、何問か解かれていないものが残っていた。

 

「すみませんが、鉛筆を貸していただけませんか? 普段はペンを使っているので」

 

 私は普段のノートなどは全てペンで書いていて、鉛筆を使うのはテストがある時くらいだった。

 しかしながら、他人の問題集にペンという消せないもので書く訳にはいかないので、由乃さんに鉛筆を貸してくれるように依頼する。

 

「はい、どうぞ」

 

 そう言って彼女が差し出してくれた鉛筆を受け取る私は、それを使って問題文の周りに解説を書き込んでいく。

 こくこくと頷きながらそれに頷く由乃さんは、とても可愛かった。

 

「なるほど。とても分かりやすかったわ。ありがとう」

「いえ、由乃さんにはお世話になっていますから」

 

 いきなりそれまで縁もゆかりもなかった異国で暮らすことになり、必死に英語を覚えた時のことを思い出しながら、なるべく分かりやすくなるように心がけた解説を終えると、どうやら彼女の疑問を氷解させることができたようで、私はほっと安堵する。

 異物である私がリリアンに溶け込むことができたのは、初めに積極的に話しかけてくれた由乃さんのおかげである。

 そのことは、非常に大きな恩義だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後。

 由乃さんと一緒に教室を出た私は、いつものように薔薇の館に向かう。

 そして軋む階段を二人で上り、部屋の扉を開けると、室内には白薔薇さまである聖さまと、黄薔薇のつぼみである令さまの姿があった。

 なかなか珍しいというか、このお二人だけというのはこれまでに見たことのない組み合わせである。

 とはいえ、どちらも女性としてはかなり背が高く、なおかつ凛々しさを纏う中性的な容貌をしたお二人が共にいる姿は、思わず見惚れてしまうほどに美しい。

 

「ごきげんよう、綾。由乃ちゃん」

「ごきげんよう、由乃。綾ちゃん」

 

 扉の開く音か、もしくは階段の軋む音(筋肉がある分体重のある私が歩くと、それだけ立つ音も大きくなってしまうのだ)でこちらの接近に気付いていたらしいお二人は、それぞれこちらにそう声をかけてくる。

 聖さまはいつも通りの冷淡な口調と無表情で、令さまは爽やかな微笑みを浮かべて。

 全く違う表情は、それぞれ彼女たち自身にとてもよく似合っていた。

 

「ごきげんよう、白薔薇さま、黄薔薇のつぼみ」

 

 そう挨拶をした私は、荷物を机の上に置くと流し台の方へと向かう。

 お二人の前にはカップが置いていなかったので、何かお出ししなければならない。

 本来こういった雑用は一番の下っ端である私がすべきだと思うのだけれど、そう言っても負けず嫌いな由乃さんは引き下がらずにいつも競争のようになってしまうので、なるべく彼女より先に流し台の前に立つようにしているのだ。

 そしていつものように飲み物を淹れ終えた私は、テーブルの方へと戻るとカップを彼女たちの前に置き、最後に自分の分も置いて席へとつく。

 

「由乃の英語の課題を手伝ってくれたんだって? ありがとう、綾ちゃん」

 

 すると、令さまがそれを見計らったように話しかけてくる。

 恐らくは、由乃さん本人からそのことを聞いていたのだろう。

 

「いえ、英語は得意ですから」

 

 イギリスに長く住んでいたのだから、日本人が日本語を話せるのと同じで英語を話せるのは当然(話せなければ生きていけない)であるし、誇るようなことでもない。

 身近で英語に触れる機会など全くない日本で英語を学び、優れた成績を収めている山百合会の方々の方がよほど凄いだろう。

 とはいえ、そのことで友人の役に立てたならば、それはとても嬉しいことだった。

 

「いつもなら私が見てあげるんだけど、昨日は稽古で忙しくて」

 

 苦笑すると、そう口にする令さま。

 彼女は黄薔薇のつぼみとして山百合会の仕事をこなしている身であるが、それと同時に剣道部のエースでもある。

 自分の分の課題もこなさなければならないだろうし、時として多忙で由乃さんに勉強を教える暇が無い日もあるのだろう。

 

「両立されているのはとても立派だと思います」

 

 あのような形とはいえ実際に立ち合ったので分かるが、令さまの鍛え方は尋常なものではない。

 それゆえに彼女が相当な量の鍛錬を積んでいることは想像に難くないのであるが、山百合会の仕事をこなしつつ剣道にも打ち込んでいることはかなり凄いことだった。

 私はまだ何の部活をやるか決めていないし、山百合会の仕事も期限が決まっていないとはいえ一時的な手伝いに過ぎないが、令さまの場合はそれをずっと続けているのである。

 そのことを考えれば頭が下がるばかりだし、この方と共に剣道に励むのもいいかもしれないと魅力を感じ始めている私もいた。

 

「それにしても、こうして見ると三人ともとても凛々しいですね」

 

 そんなことを考えていると、ふと口を開いた由乃さんが言う。

 現在室内にいるのは私と聖さまと令さまと由乃さんなので、私も含めた彼女以外の三人のことを指しているらしい。

 

「凛々しい?」

「もちろん悪い意味じゃないんだけど、三人とも男の子みたいで格好いいと思うの」

 

 いきなりの由乃さんの言葉に、少し不思議な様子で尋ねる令さま。

 それに対して、彼女はそう説明をする。

 簡潔な説明だったけれど、その言わんとするところはおおよそ理解できた。

 男物の服を着れば並外れた美少年にしか見えないだろう令さまはもちろん、まるでギリシャ彫刻のように美しく整った顔立ちを持つ聖さまも、少女としてはやや高めの身長や他人を拒むような雰囲気もあって、男性的な凛々しさを持っている。

 容姿ではお二方に遠く及ばないだろう私も、背の高さという意味では令さまより更に高く、その点で明白に男性的であると言える。

 

「背が高いだけの私はともかく、確かに白薔薇さまも黄薔薇のつぼみもとても格好いいですよね」

 

 恐らくは、聖さまも男装をすれば非常によく似合うだろう。

 頭の中で男装して並んでいるお二方の姿を思い浮かべながら、私は由乃さんに賛同する。

 もちろん単なる想像でしかないのだけれど、頭の中の聖さまと令さまの姿は非常に格好良かった。

 

「綾さんって、自分の容姿に無頓着よね」

 

 何故だか、苦笑を浮かべた由乃さんがこちらに向かって告げる。

 この身長だと合う女物の服がほとんど無い(イギリスではあったが日本だとまず見つからない)し、そもそも背の高さのせいでスカートなどが似合わないので普段は男の子のような格好をしているのは確かだけれど。

 

「私より、綾の方が格好いいと思うわよ」

「そんな、私など白薔薇さまには到底及びません」

 

 そう言って、読んでいた本から顔を上げてこちらを見る聖さま。

 当たり前だけれど、男装していなくともその顔立ちは整っていてあまりに美しい。

 一度目が合うと、そのまま呆然と見蕩れてしまうくらいに。

 聖さまのように素敵な方にそうおっしゃっていただけるのはとても嬉しいことだが、私の身にはとても余る言葉である。

 私がこの方に勝てている点など、せいぜい身長の高さくらいだろう。

 そんな風な会話を交わしていると、扉の外から階段が軋む音が聞こえてくる。

 その音は来訪者の訪れを告げてくれるものであり、すなわち間もなく誰かがこの部屋に入ってくるということだ。

 

「ごきげんよう」

 

 数秒後に外側から開かれた扉の向こうから入ってきたのは、祥子さまだった。

 その麗しき姿を目にして、私は少し意外だけれどこの方も男装が似合いそうだなどと密かに考える。

 ……さすがにこのような邪な考えを本人に知られると怖いので、間違っても口にはしないけれど。

 

「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ。お茶を淹れますね」

 

 とりあえず、そう挨拶をして由乃さんより先に立ち上がる私。

 そして流し台の前に向かった私は、手早く祥子さまのお好きなダージリンのストレートを淹れるための準備を進めていく。

 

「そういえば、紅薔薇のつぼみも男装が似合いそうですよね」

「ちょ、ちょっと由乃」

「……男装?」

 

 うわ、由乃さん本当に言った。

 私と同じようなことを考えていたらしく、慌てたように由乃さんに声をかける令さまと、突然そのようなことを言われてそう問い返す祥子さま。

 流し台の方を向いているので確認はできないけれど、恐らく彼女が訝しげな表情を浮かべているだろうことは容易に想像できた。

 今しがたまで話していた話題の続きとはいえ、本当に本人に言うとは、由乃さんの勇気には恐れ入る。

 

「はい。白薔薇さまとお姉さまと綾さんって三人とも男装が似合いそうで凛々しくて格好いいなって話をしてたんですけど、紅薔薇のつぼみも背が高いから男装が似合いそうだなって」

 

 確かに、私や令さまのように頭一つか二つ分抜きん出ているという訳ではないが、聖さまと同じで祥子さまもこの年代の少女としてはかなり背が高い方である。

 ましてや顔立ちも相当整っているので、もし男装をしたら(男の子のように見えるかはともかく)さぞかし似合うのではないだろうか。

 もっとも、山百合会の方々はそのことごとくが並外れた美貌の持ち主なので、そういった意味では全員男装が似合うとも言えるのだけれど。

 

「確かに、令と綾さんが殿方のような服を着ていたら、勘違いする子も多いでしょうね。白薔薇さまにも似合うと思うわ」

 

 背中越しに椅子が引かれる音がかすかに聞こえ、あまり興味なさげにそう言った祥子さまが席に着いたことが分かる。

 彼女が怒らなかったことに密かに胸を撫で下ろしつつも、お湯が沸いたので私はお出しするための紅茶を温めておいたカップに淹れていく。

 紅茶の本場であるイギリスに住んでいたので、紅茶の淹れ方にはそれなりに自信があったりするのだけれど、それでもお嬢様の中のお嬢様であり良質な紅茶を飲み慣れて舌が肥えているだろう祥子さまに紅茶をお出しする時は、かなりの緊張を覚える。

 ましてや、この方がお好きなのはダージリンのストレートなので、小細工を施すような余地がなく、味わいの良し悪しはいかに茶葉を花開かせるかのみにかかっている。

 つまり、この場合は基本に忠実であることが最も大事(江利子さまならば多少奇をてらったものをお出ししても喜んでくださるのではないかと思うけれど)であり、私は慎重に丁寧に作業を進めていく。

 急げばその分味が落ちてしまうので、少しお待たせすることになってしまうけれど、そのことは祥子さまもよく分かっているので何もおっしゃられない。

 そして芳醇な香りを立てる紅茶を注ぎ終えた私は、それをトレイに乗せるとテーブルの方へと運んでいく。

 

「ありがとう」

 

 彼女の前にカップを置くと、こちらに告げてカップが持ち上げられる。

 美味しいと感じていただけるだろうか、と少しどきどきしながらも、トレイを片付けて席へと戻る私。

 カップを傾けて中身を飲む祥子さまの仕草は、それだけであるにもかかわらず非常に上品で優雅であり、さすがはお嬢様だと感慨を覚えた。

 

「美味しいわ、綾さん」

「そうおっしゃっていただけて光栄です」

 

 そしてカップを置いた彼女は、こちらに向けてそうおっしゃってくださる。

 その穏やかな笑みももちろんだけれど、祥子さまに褒めていただけるのはとても嬉しい。

 美しい笑顔に見つめられて少し胸が高鳴るのを感じながら、私は言葉を返したのだった。



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16

 リリアンの部活は相当に多彩である。

 かつて護身術が推奨されていた名残で武道系の部活がかなり多いことが印象的だが、それ以外の運動部も豊富に存在していた。

 女子校なので野球部やサッカー部こそ無いけれど、ソフトボールやバスケなどのメジャーなものから、ラクロスやスキー(さすがと言うべきか、リリアンはウィンタースポーツ系の部活のための山を持っているらしい)などの部活としてはマイナーなもの、更には馬術部やポロ部などのお嬢様学校ならではの部活までもがあるのだ。

 山百合会のお手伝いは毎日ある訳ではないので、その合間を縫っていろいろ部活を回ってみたけれど、これまでに経験したことのない様々なスポーツを体験させていただくのはとても楽しかった。

 もちろん、文化部の方もいろいろ回ったし、こちらも日本舞踊部や箏曲部などの他の学校ではまず見られないような部活がいろいろあって面白かったのだけれど。

 とはいえ、もう入学式から二週間ほどが過ぎているので、そろそろ何をするのか決めなければならない。

 そのために、私は入部申請のための用紙を手に敷地内を歩いていた。

 

「ちょっといいかしら、綾さん」

「はい。何でしょうか」

 

 すると、横合いから声をかけられて私はそちらを向く。

 声をかけてきた彼女には見覚えがあった。

 バスケ部を見学させていただいた時に、応対をしてくださった上級生の方だ。

 

「そろそろ返事を貰いたいのだけど……。あなたくらいの身体能力があれば、必ず素晴らしい選手になれるわ」

「申し訳ありません。フェンシング部に入ることにしたので、お断りします」

 

 お嬢様学校なので運動系の部活をする生徒が必ずしも多くないのか、体験させてもらったうちの大半の部でこのまま入らないかと勧誘されたのだが、一通り見て回ってから決めたかったのでそれを保留していた。

 バスケ部でもそうだったので、先輩は保留にしていた答えを聞きに来られたのだろう。

 それに対して、そう言って頭を下げる私。

 ちょっとしたレクリエーションでしたことはあっても、本格的に触れたことのなかったバスケットは面白かったし、そういう意味で魅力的に感じたのも確かだ。

 それはもちろん、他の部活に関しても同じである。

 けれど、それでもフェンシングを続けることにしたのは、大きな心残りが一つだけあったからだ。

 自分で言うのもなんだけれど、私は長年励んできたフェンシングに関してはそれなりの腕を持っていると自負している。

 なので、イギリスにいた頃には大会でそれなりに勝ったりしていたのだが、ただ一人どうしても勝てなかった相手がいるのだ。

 とりたてて仲が悪いという訳ではなく、むしろ頻繁に大会で顔を合わせたのをきっかけに仲良くなった彼女に対してはわだかまりなどは全く無いが、だからこそ共に切磋琢磨した相手に勝てないことは悔しいし、未練として私の中に残っている。

 きっと、もし向こうにいる時に一度でも彼女に勝てていたならば私は他の部に入っていただろう。

 だが、高校を機に新しい何かを始めることにも大きな魅力を感じていた私をフェンシングに引き止めたのは、彼女に勝ちたいという思いだった。

 フェンシング界で天才の呼び名をほしいままにしていた彼女はイギリス代表としてジュニア・カデの世界大会に出場して優勝したりもしているので、もし私が国内大会を勝ち上がって日本の代表として出場すれば、きっと再び剣を合わせることができる。

 未練が残っているということはフェンシングをやり尽くしていないということであるし、イギリスでただ一つやり残したことを片付けるため、昨夜そう決断していた。

 

「……そう、残念だわ。フェンシング、頑張って頂戴ね」

「ありがとうございます。ご足労、すみませんでした」

「構わないわ。それでは、これから練習があるから」

 

 わざわざご足労いただいたことを感謝すると、彼女は微笑みながらそう返し、そして立ち去っていく。

 入部用紙を片手に、私はそのままフェンシング部が使っている武道場へと向かう。

 武道系の部活は活動場所が近くにまとめられているので、この道を通っている方はそれなりに多い。

 広い敷地を歩いていると、いろいろな部活を体験した時に指導していただいたり、共に練習した方々の姿もよく見かけていた。

 外部入学生であり、しかも身長が周りの少女たちに比べて頭二つ分くらい高いためにかなり目立つ私には視線が集まっていて、面識のある方々に会釈をしていく。

 そうしてしばらく進むと、目的地である剣道場(果たしてフェンシングの場合も剣道場と言ってよいのだろうか)へとたどり着いた。

 閉まっていた入り口の扉を開けると、その物音でこちらへと視線が向けられる。

 

「失礼します。入部届けを出しに来たのですが」

 

 そんな彼女たちへと、私はそう告げる。

 すると、部長である明日香さまがこちらへと近付いてきた。

 

「ごきげんよう。うちに入部してくれる気になったのね。とても嬉しいわ」

「ありがとうございます。今日からお世話になります」

 

 目の前の彼女へと、手にしていた入部届けを渡す。

 入部することにした理由はどうしても勝ちたい相手がいたからなので、いささか不純だったりするのだけれど。

 

「それじゃ、入部の手続きをさせてもらうわね。その間、みんなに挨拶をしておいてもらえるかしら」

「はい。あの、薔薇さま方に入部したことをお伝えしなければならないので、ご挨拶や手続きなど今日中にしなくてはいけないことが終わったら、今日はそのまま失礼させていただきたいのですが」

 

 決めたのが昨夜なので、まだフェンシング部に入ったことはどなたにも伝えていない。

 そのため、今日は手続きが終わったら薔薇の館に行って入部したことを報告しなければならないのだ。

 自前の剣も防具も当然持っているが、今日はそうした理由で練習に参加できないことが分かっていたので、家から持ってきていなかった。

 

「もちろん構わないわ。――みんな、その辺りに集まって」

 

 私の申し出に頷くと、明日香さまは少し離れた場所を指して、他の部員の方々にそこに集まるように告げる。

 とは言っても、残念ながらフェンシングが日本ではかなりマイナーな競技であることに加え、マイナーながらもお嬢様向きな乗馬やポロなどと違ってあまりお嬢様に向いている競技でもないためか、部員の数はさほど多くはない。

 場内にいる私以外の生徒全員を合わせても、十人程度である。

 

「岸本綾です。山百合会のお手伝いをさせていただいているので毎日練習に参加するという訳にはいきませんが、よろしくお願いします」

「こちらこそ。綾さんのような子が入ってくれて、頼もしいわ」

 

 彼女たちの前に立つと私は自己紹介をし、礼をする。

 すると、微笑んだ美優さまがそう言葉を返してくださった。

 他の方も拍手をしてくださって、この部に馴染めそうであることにほっとする。

 

「そういえば、顧問の方はどこにいらっしゃるのですか? 姿をお見かけした記憶が無いのですが」

 

 ここはかなり潤沢な資金を持つリリアンであるから、部活でも指導者としてそれぞれその道のエキスパートが雇用されている。

 例えば剣道部ではどこかで道場を開いているという方が指導をされていたし、ラクロス部や馬術部でも日本代表に選ばれたこともある方が招かれていた。

 ということでフェンシング部でも元日本代表クラスの方が雇用されているはずなのだが、見学の時に一度、そして今とどちらもそれらしい方の姿を見た覚えが無いのである。

 

「ああ、顧問の方は去年まではいらしたのだけど、ご両親が病気になられて三月に実家に戻られてしまったの。先生方が新しい顧問の方を探してくださっているけれど、フェンシングはあまり人気のある武道ではないから、なかなか引き受けてくれる方が見つからなくて……」

「そうだったのですね」

 

 姿を見かけないと思ったら、そもそもいなかったらしい。

 確かに日本におけるフェンシングの競技人口は少ないので、指導者がなかなか見つからないのも仕方ないのだけれど。

 とはいえ、部員の方々にとっては困った事態だろう。

 私はいざとなれば国際電話なり手紙でイギリス時代に教わっていたコーチから練習メニューを貰うことができるが、彼女たちはそうもいかない。

 かといってリリアンの先生方に探せないものが日本に伝手も何もない私にどうにかできるはずもないし、このままでは部活ですることが無いという事態に陥ってしまう。

 確かに私は彼女に勝つという個人的な目的のためにフェンシングを続けることにしたが、とはいえ部活に入ったからにはそちらをないがしろにするつもりはない。

 だからこそ、練習が満足にできないという現状には困ってしまう。

 どうしたものだろうか。

 現在の私は日本に知り合いなど親戚とリリアン生の方々を除けば皆無であるし、こればかりは朗報を待つしかなかった。

 とはいえ、今はそんな問題に頭を悩ませている時間も無い。

 

「すみません、山百合会の方々に入部を報告したいので、今日は失礼させていただきます」

 

 決めたのが昨夜だったので、今日入部するということを薔薇さま方はまだ知らない。

 報告の必要があるというのはもちろんだが、それ以上に事前の連絡も無しに私が抜けては彼女たちに多大な迷惑をかけてしまうだろう。

 そのため、あまりゆっくりとしている訳にはいかなかった。

 

「ええ、もちろん構わないわ。明日から一緒に頑張りましょうね。あまりいい練習はできないかもしれないけれど……」

 

 そう返したのは、この部のエースであるという美優さま。

 指導者がいないとはいえ初めての練習となる明日を楽しみにしつつ、私は剣道場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェンシング部の活動場所も含めた武道場が集まっている辺りから見ると、薔薇の館は校舎を挟んでほぼ反対側、すなわちかなり遠い場所にある。

 校舎や敷地がかなり広いリリアンにおいてはなおさらであり、歩いて薔薇の館にたどり着くまでには十分以上の時間を要した。

 ――まだ遅刻という時間ではないけれど、これだけ遅くなると既に私以外の方々は既に揃われているかもしれない。

 その場合、また祥子さまからの咎めを受けることになるだろう。

 もちろん、事前に伝えていなかった私が悪いので、その叱責は甘んじて受け止めなければならない。

 きしむ階段を上っていくと、私はいつもの扉を開けた。

 

「遅れてしまい申し訳ありません、皆様」

 

 室内の様子を窺うと、既に六人全員が揃っていた。

 それを見て取ると、入室して扉を閉めた私はすぐに頭を下げる。

 すぐに謝罪の言葉を口にしたためか、私の姿を認めて眉を顰めさせた祥子さまは、けれど何もおっしゃらなかった。

 

「どこに行っていたの?」

「フェンシング部の方に。フェンシング部に入ることにしましたので、報告いたします」

 

 そう尋ねてきた蓉子さまへ、私はあらかじめ決めていた答えを返す。

 

「そう。少し調べたのだけど、綾ちゃんはイギリスでいい成績を残していたようね」

「そうなの?」

 

 彼女の言葉に、江利子さまが食いつく。

 まだインターネットが普及していないこの時代、他国のことを調べる手段は限られており、かなり難しい。

 私自身、イギリスにいる時は、現在の日本がどんな国なのかは(未来にいた頃の知識としては知っていたとはいえ)両親やたまに日本から来る留学生からの話でしか分からなかったのである。

 ましてやこの国ではマイナーであるフェンシングの海外の大会の情報など日本語で転がっているとは思えないし、調べるのは大変だったのではないだろうか。

 

「ええ。それがどれくらい難しいのかは分からないけど、上位入賞の常連だったそうよ。ぜひ試合を見てみたいわ」

「いつでもどうぞ。面白いという保証はできませんが」

「楽しみにしているわ。応援しているから頑張って頂戴ね」

「手伝いはどうするの? 部活をするなら、今までみたいにほとんど毎日来てもらう訳にはいかないでしょ」

 

 蓉子さまとの会話が一段落すると、私が入ってきた頃から本を読む手を止めていた聖さまが口を開く。

 確かに、それは薔薇さま方にお尋ねしなければならないと思っていた点だ。

 どれくらいのペースで部活と山百合会のお手伝いに時間を割り振るかは、私だけでは決められない。

 

「そうね、週に二度来てくれれば構わないわ。もし緊急で来てもらわなければならなくなった時は、由乃ちゃんに伝えてもらうから」

「分かりました。微力ですが、これからもよろしくお願いします」

「ええ。では、そろそろ始めるから座って頂戴」

 

 まだ週休二日制の無いこの時代、土曜日も学校があるため、登校するのは週に六日。

 要するに、三日に一度来てほしいということである。

 もちろん私としてもそれに異存は無い。

 私が頷くと、自然と話をまとめる蓉子さま。

 すると、室内の雰囲気が必然的に引き締まったものになる。

 何の不自然さもなく場をまとめ、引き締めてみせる辺り、この方の才覚には目を瞠るものがあった。

 そのまま私がいつもの席につくと、今日の会議が始まる。

 そろそろ各部活の新入生の数が確定する頃ということで、予算案を決めていかなければならない時期なのだ。

 もちろん進行役となるのは蓉子さま。

 彼女による進行の中で時折他の方の意見が述べられながら、話し合いは進んでいったのだった。



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17

 私がかつて学生だった頃にはもう週休二日が普通になっていたので、半日とはいえ土曜日に登校せねばならないのは少し億劫さを感じてしまう。

 そんな土曜日を乗り切って日曜日になると、私は一番近くにある繁華街であるK駅に向かうために電車に乗っていた。

 残念ながらまだ指導をしていただける方が見つかっていないということもあって、晴れて先日正式に入部したフェンシング部は今日は休部ということになっていたのだ。

 ――早く指導してくださる方が見つかればいいのだけれど、フェンシングというスポーツがマイナーな日本では指導できる人物を探すのも難しいのだろう。

 私の家の最寄り駅であるM駅はリリアン生が通学のために利用する駅でもある。

 男性に混じっても背が高い方に分類される私は、人混みの中でもそれなりに目立つ。

 改札を通りホームに立つと、我が校の制服を着た少女たちから明るい声でごきげんようという声をかけられ、私も同じように挨拶を返した。

 彼女らは、きっとこれからリリアンに向かい部活に勤しむのだろう。

 そして、少女たちとすれ違うようにいつものようにシャツとジーンズ姿の私は電車に乗り込む。

 それなりに乗客がいるとは言っても満員というほどではなく、私は空いている席に腰を下ろすことができた。

 とはいえ、電車でたった一駅であれば、揺られるのはわずか数分程度のことである。

 すぐにK駅に到着した私は、止まった車両からホームへと降りた。

 そして改札を抜けて外に出ると、日曜日ということもあって人波に溢れている街を眺めながら、私は駅名の書かれた壁を背に立つ。

 少し離れた場所に立っている時計を見ると、時刻はまだ九時五十分。

 若干早めに家を出たこともあって、待ち合わせの時間まではまだ少し余裕があった。

 リリアンというまた特別な世界にいるとあまり意識することが少ないけれど、目の前に広がっている街の様子は私の記憶にあるそれとはかなり違っている。

 私が生きていた時代とは大きく異なっている様子を眺めているのはまるで見知らぬ場所に来たようである意味新鮮で、全く退屈はしなかった。

 

「ごきげんよう、綾さん。待たせてしまったかしら」

「いえ……私もつい今しがた来たばかりですから」

 

 すると横合いから声をかけられ、返事をしながらそちらを向くとそこにはベージュのセーターとスカートに身を包んだかなり小柄な少女の姿。

 思わず見蕩れてしまうくらいに可憐で美しいその少女は、リリアンに入学してから仲良くなった友人の由乃さんだった。

 いつものように髪を三つ編みにした彼女は、けれども見慣れた制服とは異なった装いをしていることによって、普段とはまた違った雰囲気を纏っている。

 普段は教室で顔を合わせていることもあって私服姿の由乃さんを目にするのはこれが初めてだけれど、それはとてもよく似合っていた。

 視界に映った彼女の可憐さに目を奪われて、どきりと胸が高鳴った私は束の間言葉を紡げなくなってしまう。

 

「綾さん、そういう格好が似合うのね。凄く格好いいわ」

「こうも背が高いと、スカートが似合わないので……。由乃さんこそとても素敵で、思わず見蕩れてしまいました」

 

 けれど、やはり同じようにこちらの私服を見た由乃さんがそう口にしたことで、私は我に返る。

 プライベートで私のような格好をしている少女はリリアンでは珍しいのだろう、褒めてくれた彼女に私はそう言葉を返した。

 

「やめてよ、照れるじゃない」

 

 儚げで美少女である由乃さんの私服姿はあまりに可憐で、同性である私でさえ思わず見蕩れてしまうほどである。

 そのことを素直に口にすると、彼女は頬を染めて面映ゆそうに微笑んだ。

 

「それじゃ、行きましょ?」

「ええ。と言っても、この辺りの地理はよく分からないのですが」

「大丈夫よ、私が案内するから」

「ありがとうございます。でしたら、お任せします」

 

 せっかくの休日なのだし一緒に街で遊ぼうと昨日の休み時間に約束したのはいいけれど、私はこの時代のこの街には詳しくない。

 もちろん大きな看板が出ている書店だとか、ハンバーガーチェーンだとか、一目でそれと分かるような店ならば発見できるものの、例えば先日聖さまにご馳走していただいたカフェのような知る人ぞ知るような場所には全くと言って構わないくらい疎かった。

 私がそう不安を口にすると、いつものように儚げな笑みを纏わせた由乃さんが安心するようにと言ってくれる。

 確かに、土地勘の無い私と違ってずっとリリアンに通っている彼女ならばこの辺りをよく知っているだろう。

 身体が強くない由乃さんにエスコートを任せてしまうことに気が引けないと言えば嘘になるけれど、だとしても土地勘が皆無な私が無理に前に立って迷うようなことになってしまうよりはその方がずっといいはずだ。

 ということで、私は案内を彼女に任せる形で隣を歩くことにした。

 とは言っても、この年頃の少女の街での過ごし方は今も二十年後もそうは変わらない。

 人混みをかき分けるようにしながら一直線に少し駅から離れたファッションビルに入ると、エスカレーターに乗って三階に向かった私たちはそこでお互いにどんな服が似合うだろうかと語り合いながらも入居している店舗を見て回る。

 それぞれ相手に似合いそうな服を探し合ったりしているのだが、身長のせいでシャツとジーンズくらいしか似合わず可愛らしい服装とは全くと言っていいくらい縁がない私はともかくとしても、まさに絶世の美少女であり非常に可憐な由乃さんに似合う服を探すのはとても楽しかった。

 儚げな印象を強く纏いながらも花が咲いたように可愛らしい彼女に着られれば、きっと服にとってもこの上ない幸せなのではないだろうか。

 今、由乃さんは私が選んだ衣服を手に試着室に入っていて、彼女がカーテンの向こうから姿を見せるのを待っているところだった。

 

「どうかしら?」

 

 少しすると、カーテンが開く音と共に着替え終えた由乃さんが試着室から姿を見せる。

 彼女が今纏っているのは、先ほど私が似合うと思い選んだ、白地に音符の柄があちこちにプリントされたレースのチュニック。

 思っていた通りそれはとても似合っていて、一度視線を向ければ見蕩れてしまって目が離せなくなるくらいだった。

 

「とても似合っていますよ。素敵です」

「綾さんがそう言ってくれるなら、これを買うことにするわ」

 

 由乃さんに感想を尋ねられた私は、思っていた内容をそのまま言葉にする。

 すると、彼女は少し照れたように微笑んだ。

 どうやら由乃さん自身も気に入ったようで、それを購入すると言った彼女は再び試着室の中に引っ込むと、元のベージュのセーターに着替え直して今しがたのチュニックを手に出てくる。

 私としても、私が選んだ服を気に入ってくれたならばとても嬉しかった。

 

「先にレジの方に持っていっておきますね」

「ありがとう。私もすぐに追いつくから」

 

 まだ靴を履いている彼女にそう言うと、私はそれを受け取って先に選んでもらっていた私の分の服と一緒にレジへと持っていく。

 店内には他にもそれなりに客がいたもののちょうどレジの前には誰も並んでおらず、ショルダーバッグから財布を取り出した私は速やかに会計を済ませることができた。

 こうした店では買ったものを入れた袋を店の出口まで行って渡してくれるものだが、その途中で靴を履き終えた由乃さんが合流すると彼女はもう会計が終わっていたのが意外だったのか、少し驚いたような表情を見せる。

 

「あ、お会計」

「もう済ませておきましたよ。待たせてしまうのは申し訳ありませんでしたし。それよりも、そろそろお昼にしませんか?」

「え、ええ。そうしましょう」

 

 楽しい時間が過ぎるのは早いもので、二人であれこれと衣服を見て回っている間にもうお昼時になってしまったので、何か食べに行こうと提案する。

 もうそんな時間になっていることに戸惑ったのか、少し困惑したような表情を浮かべた彼女はそれに頷く。

 そして私が袋を受け取って店を後にすると、何か食べるべくビルから出ることにした。

 エスカレーターで一階に降りて入り口の自動ドアから外に出ると、四月のまだ涼やかな風が私たちの頬を撫でる。

 もうすぐ五月だけれどまだ暑くはなく、それでいて寒すぎもせず、肌に心地いい気温はずっと今日のような日和だったらいいのにと思ってしまうくらいに快適だった。

 風が吹いていることを含めれば、空調の効いた屋内よりも屋外の方が涼しいくらいかもしれない。

 今日が日曜日であることに加えて、そんな過ごしやすい気候の影響もあってか街並みには非常に人が多く、気を抜けばもみくちゃにされてしまいそうになる。

 私は別に構わないけれど、身体が強くない由乃さんをそのような目に遭わせる訳にはいかない。

 彼女の隣を歩きながら、一歩分だけ先を進むことで身体を使って由乃さんが歩くためのスペースを確保する。

 フェンシングのために鍛えているので物理的な意味での身体の強さには自信があるとはいえ、人波という不特定多数の力に抗うことはなかなか大変だったけれど、私でさえ大変だということは彼女にとってはもっと厳しいということであるので、ここで負けてしまう訳にはいかない。

 口頭で進む方向を尋ねながら由乃さんのための空間を確保してエスコートしていた私は、裏路地に入るとようやく一息つく。

 

「かばってくれてありがとう、綾さん」

「いえ、私がしたくてしたことですから」

 

 人気が無い訳ではないとはいえ、先ほどまでいた通りと比べればそれなりに静かであり、人波に圧されてしまう心配はない。

 そのため、私たちはそんな会話を交わしながら元通りに並んで歩いていく。

 

「ここよ。令ちゃんが前に連れてきてくれたのだけど、ケーキがとっても美味しいの」

 

 比較的静かな通りをしばらく進んでいくと、一軒の店の前で由乃さんは立ち止まる。

 ここが彼女のおすすめの店であるようだった。

 裏路地という立地もあって、もしも私一人であれば土地勘が無いので決してここまで辿りつくことはできないだろう。

 由乃さんが先に扉を開けて中に入ると、その内側に付けられているベルが揺れて鳴る音を耳にしながら私もそれに続いて店内に足を踏み入れる。

 私にはこのジャンルの知識が無いので曲名などは全く分からないけれど、妖艶な響きのあるジャズがBGMとして流れている店内は壁やテーブルなどが全て木材で統一されていて、とてもシックな印象をこちらに与えてきた。

 一言で感想を述べるならば、決して派手ではないけれど落ち着いていて穏やかな雰囲気であると言える。

 特に席に案内されることもないようで、立地的な理由もあってか日曜のこの時間帯でも比較的空いている店内へとそのまま進んだ彼女についていき、窓際のテーブル席に向かう合うように腰を下ろした。

 すると、すぐに店員の女性が近付いてきてメニューと氷水が入ったグラスをテーブルの上に置いてくれる。

 冊子状になったメニューを広げると、そこには幾種類かの紅茶を初めとした飲み物の名前とケーキの名前と、そして例えばスパゲッティやオムレツやシチューなどの洋食系の料理の名前がそれぞれページごとに並んでいた。

 どうやら、それなりにしっかりとした食事もできるカフェといった感じの店であるらしい。

 適当に文面を眺めて、私は何を注文するかを決める。

 

「由乃さんは何になさいますか?」

「私は生ハムと夏野菜のサラダ、アッサムのミルクティー、それから苺のタルトにするわ」

 

 私自身の分の注文を決めたので由乃さんにも何を頼むかを尋ねると、彼女はそう答える。

 それを聞いて、私は先ほどの店員の女性を呼ぶ。

 

「生ハムと夏野菜のサラダを一つ、牛ステーキ七百グラムとライスを大盛りで一つずつ、アッサムのミルクと苺のタルトを一つずつ、それからバイカルのアイスとレアチーズケーキを食後にお願いします」

 

 そして、私は自分の食べるものと由乃さんの分とを注文する。

 由乃さんの分はすぐに、私の分の紅茶とケーキは食後に持ってくるように頼むと、店員の方は注文を復唱して調理場の方へと戻っていった。

 

「七百グラムのステーキって……一人で食べられるの?」

「ええ。鍛錬をしながら武道に必要な身体を維持するには、これくらい食べないといけないので。きっと、黄薔薇のつぼみも普段はこれくらいの量を口にされるのでは?」

 

 私の注文を耳にして、少し呆れたように彼女が尋ねてきたのに対して、そう言葉を返す。

 ハードに自分を鍛えていればそれだけカロリーを消費するので、身体を維持するには消費した分と釣り合うだけのカロリーを毎日取らなければならず、逆にそうしなければカロリーが不足した分だけ練習するほど身体が弱っていく状態に陥ってしまう。

 昔(と言っても前世の話だけれど)テレビでシンクロの選手は体型の維持のために一日に六千キロカロリーを食事で摂取すると言っているのを見たことがあるけれど、まあそれと同じようなものである。

 一般に運動をすることによって筋肉を鍛えることができるとされるけれど、それはそのために消費するカロリーが足りていたらの話であって、もしも摂取カロリーが不足していたら筋肉が分解されてかえって弱くなって逆効果になってしまうのだ。

 

「そうね。令ちゃんも学校では普通の量しか食べないけれど、家ではそれくらいたくさん食べているわ」

 

 ずっと隣同士で実の姉妹のようにして育った由乃さんは、当然姉である令さまのプライベートな姿もよく知っているのだろう。

 家での令さまのことを思い出しているのか、私の言葉に彼女は苦笑を浮かべさせた。

 やはり、私が思っていた通りらしい。

 令さまのご実家は剣道場だと聞いたけれど、父娘で剣道をしているとなればそれに適した食事のノウハウもあるはずなので、ただ単に練習場所だとかコーチだとかという面だけでなく、栄養という観点で見ても武道をするのに適した環境であると言えるのではないだろうか。

 ――と、そんなことを話している間に先に由乃さんの分の注文が届けられる。

 私の場合は純然たる食事なので紅茶とケーキを後回しにしてもらったけれど、彼女のサラダの場合は紅茶にも合うので一緒に食べることのできるものだった。

 

「先にいただくわね」

「ええ」

 

 そう言って、彼女はフォークでサラダを食べ始める。

 夏野菜という言葉通り、生ハムの他にレタスとトマトとキュウリが盛りつけられたサラダはいかにも夏らしい清涼感のある見た目だった。

 

「ご一緒してもいいかしら、綾ちゃん」

 

 すると、不意に後ろから私の首の辺りを通って腕が回され、同時にそう耳元で囁かれる。

 いきなりのことで咄嗟に防衛的な意味で身体が反応し、胴に回された相手の手首を掴んでそのまま腕をひねり上げそうになったけれど、囁かれた声が聞き覚えのあるものだったので反射的に動きかけた身体をどうにか抑え込む。

 

「え、江利子さま!?」

 

 当然のことながら、私の背後に立っているということは私の正面の席に座っている由乃さんからはその姿が視認できるということである。

 驚いてそう口にした彼女の言葉通り、後ろから私の首筋に抱きつくような形になっているのはリリアンの先輩である黄薔薇さまこと鳥居江利子さまだった。

 

「はい、構いませんが……何故ここに?」

 

 とりあえず江利子さまの問いかけに頷いた私は、恐らく由乃さんも同じように思っているだろう疑問を尋ねる。

 すると、彼女は私の首に巻きつけていた腕を解くとテーブルの傍らへと回り込み、そのまま私の隣に腰を下ろした。

 

「あら、きっと綾ちゃんは令と一緒に来てここを知った由乃ちゃんの案内でこの店にいるのでしょうけど、その令にこの店を教えた私がここにいるのが不思議かしら?」

「なるほど、この店のことは前々からご存知だったのですね」

 

 私の質問に、どこか楽しそうな表情を普段は物憂げに染まっていることが多い美しい顔立ちの上に浮かべさせた江利子さまが答える。

 確かに、それならば駅から見ればいささか奥まった場所にあるこの店を知っているのは当然だろう。

 

「少し前に、あなたたちがそこの路地に入っていくのを見かけたものだから、きっとこの店にいるだろうと思って来てみたのよ。令もよく食べるけれど、あなたもやっぱりそれくらい食べるのね。見ているだけで胸焼けしてきそうだわ」

 

 そう言葉を続けると、彼女はちょうど私の分のステーキとライスを運んできた店員の方にアールグレイとキャラメルのマフィンを注文する。

 じゅうじゅうと油が跳ねる音をさせながら鉄板の上で湯気を立てているそれは、香ばしい匂いと相まってとても美味しそうだった。

 けれども、それを見て江利子さまはそんな感想を零す。

 確かに、優に五センチ以上の厚さがあるだろうステーキは十代の少女には(というか十代でなくても大半の女性には)いささか重厚すぎて思わず圧倒されてしまうような気分になるのはよく理解できるけれど。

 彼女の言葉に由乃さんも同意するような表情を浮かべていることに苦笑しながら、私はナイフとフォークを手に取ると塩胡椒がたっぷりとかかった肉を適当な大きさに切って口へと運ぶ。

 すると、分厚い肉に歯を立てたことによって口内に肉汁がじわりと溢れ出し、広がった味は胡椒の香りによって更に引き立てられていてとても美味しかった。

 口を閉ざすのがやっとなくらいの厚さであるにもかかわらずほとんど抵抗もなく噛み切ることができるくらいに柔らかいそれは口の中の熱だけで溶けてしまいそうなほどで、フォークで米を掬って口に運んだ私は共に咀嚼してからそれを飲み込む。

 いかんせん七百グラムもの重さがある塊なのでまるでブロックか何かのようなサイズがあって相当な量だけれど、私が大食であるということを差し引いてもこれほど美味しければ簡単に全て食べきることができるだろう。

 当然これほどの分厚さの肉に全て火を通しきることなど不可能なので、ナイフで肉を切った断面からは火が完全には通っていない鮮やかな紅色が覗き、その際に零れ出した肉汁は熱い鉄板の上に落ちると脂と混ざり合って更に音を立てる。

 きっと三薔薇さまや祥子さまならば的確に表現してみせるのだろうけれど、私のあまり優れていない日本語力ではこれ以上正確に言い表すのは難しいくらいに美味しいのだが、残念ながらあまりゆっくりと味わっている訳にもいかない。

 何故ならば、由乃さんの分の注文はもう既に全て来ているし、江利子さまもまだ届いていないとはいえマフィンと紅茶であれば食べ終えるのにさほどの時間はかからないだろう。

 あまり急ぎすぎて食べ方が下品になってしまう訳にもいかないとはいえ、注文したものの量が最も多いのは見れば一目瞭然だが私であるし、何しろこれを食べ終えた後に紅茶とケーキが来るので、ゆっくりと食べていては二人をずっと待たせてしまうことになるからだ。

 そのため、見苦しくならないように気をつけつつも、じっくりと味わうことは二の次にして少しでも短い時間で食べ終えられるようにナイフで切った肉を口に運んでいく。

 幸いにもと言うべきか、急いで食べていても柔らかな食感や肉汁の濃厚さなどの味わいの素晴らしさは健在であり、これほどの量があっても途中で飽きたりすることはなかった。

 肉が全体の七割ほど私の胃の中に収まり、由乃さんの苺タルトがほとんど無くなった頃、江利子さまが注文していたマフィンと紅茶が届く。

 

「ねえ、お肉を一口もらってもいい?」

「はい。もちろん」

 

 店員の方が厨房の方へと戻っていくと、それらに手をつける前に彼女がそう尋ねてくる。

 もちろん構わないので私が頷くと、こちらを向いた彼女はぷるんという擬音が聞こえてきそうなくらいに潤った小さな唇を開き、思わずぞくりと鳥肌を覚えるくらいに艶かしい紅色の舌を覗かせた。

 適当な大きさに肉を切った私はそれをフォークで刺すと、肉汁が服に垂れてしまわないように左手を添えながらも彼女の方に運び、差し出す。

 すると真っ白な歯がそっと肉に立てられ、私がフォークを引くとそれはあっさりと引き抜かれて彼女の口の中に残る。

 閉ざされた彼女の唇の向こう側で何度も咀嚼され、やがては飲み込まれた。

 

「ふふ、とても美味しいわ」

「美味しいですよね。――由乃さんも食べられますか?」

「……いえ、私はサラダとタルトでお腹がいっぱいだから」

 

 一切れの肉を食べ終えると、不思議と楽しそうに笑って美味しかったと感想を口にする江利子さま。

 それに同意した私は、何故だかまるで睨んでいるように錯覚するくらい真剣な目つきでこちらを見つめる由乃さんに気付くと、彼女も一口食べたいのだろうかと思い尋ねてみる。

 けれども、由乃さんはどこか不機嫌そうな口調でそれを固辞した。

 私や令さまと違って(と言ってしまうと令さまに怒られそうだけれど)、大半の少女はサラダとお菓子を食べればそれだけでも満腹になるものである。

 ステーキは美味しそうだけれどもうお腹いっぱいで食べる余裕が無いことを残念がっているのだろうとその反応を解釈した私は、まさか満腹だというのに無理に食べろと言う訳にはいかないので、次に一緒に食事をする機会があったらこちらから先に勧めてみようと決めた。

 ともあれ、まだチーズケーキもあるので残りの分もなるべく早く食べてしまうことにする。

 ジャズが流れる落ち着いた雰囲気の店内で生粋のリリアン育ちのお嬢様であるお二人が優雅に紅茶を楽しんでいる横でステーキを食べている私はいかにも場違いだな、などと少し自虐的なことを考えながらも全て食べ終えると、店員の方に言ってあらかじめ注文していた紅茶とチーズケーキを持ってきてもらう。

 空になったプレートと皿を下げる際に、私一人でほとんど全て食べたことを見て取ってか驚いた表情を浮かべつつも、彼女は残りの注文を運んできてくれた。

 

「私がここに来た本題なのだけれど、少しいいかしら、綾ちゃん」

「ええ、構いませんが」

 

 私の分の紅茶とケーキが出てきたことで話を切り出すのにちょうどいいタイミングだと判断したのだろう、ここまで先ほど二人で選んで買った服についてなどの特に当たり障りのない世間話しかしていなかった江利子さまが、ようやく本題を切り出す。

 それも令さまの妹、すなわち黄薔薇ファミリーの孫に当たる由乃さんにではなく山百合会の正式メンバーではない私に。

 一体何だろうと少し不思議に思いながらも、私は彼女の言葉に頷いた。

 

「この後、綾ちゃんの家に遊びに行かせてもらいたいのよ。どう?」

「今は由乃さんと遊んでいる最中なので……それが終わった夕方頃からでもいいのならば構いませんが」

 

 江利子さまの本題というのは、私の家に来たいというものらしい。

 もちろん来られて困るということなど無いのでそれ自体は何も問題ないどころか嬉しいのだけれど、いかんせん今は昨日から由乃さんと約束していた買い物の最中である。

 彼女と街を歩くこととて私にとってはとても楽しいことであるし、それを途中で切り上げるというのは明らかに筋が通らないので、私は由乃さんと別れた後でなら構わないと告げた。

 

「それなら、もし構わないのならこれから綾さんの家に一緒に行きたいのだけれど……。どうかしら?」

「私は大丈夫ですが、ここで買い物を切り上げてしまっても構わないのですか?」

「もう服は買ったし、綾さんのお家に遊びに行くのも楽しそうだから」

「でしたら、ここを出たら私の家に行きましょうか」

 

 すると、江利子さまに気を遣ったのか、会話を聞いていた由乃さんがそう提案する。

 私としてはそれでも何も問題は無いのだけれど、そちらは構わないのかと彼女に尋ねると、そんな答えが帰ってきた。

 二人が構わないのならば障害はない。

 そう口にすると、私は香りと味が豊かなアイスティーを飲んで口腔に残っていたステーキの脂を洗い流して味覚を切り替え、二又のフォークを手に取って冷たいチーズケーキへと手を伸ばした。

 側部で柔らかな手応えのそれをちょうどいい大きさに切断し、そしてそっと刺して持ち上げ、口へと運ぶ。

 

「先ほどのステーキもそうでしたが、こちらもとても美味しいですね」

 

 先ほどまでじゅうじゅうと脂の跳ねる音をさせる熱いステーキを口にしていた舌には一転して冷たさが広がり、それと同時にクリーム状になったチーズの濃厚な香りと甘みを覚える。

 もちろんただチーズ部分が美味しいばかりではなく、さくさくとある程度の食感がありながらもバターによるしっとりさを保っている生地がチーズの風味を脇役としてより盛り立てていた。

 一口含んですぐに分かったその美味しさに、飲み込んだ私は感嘆の言葉を口にする。

 

「そうね。ここのケーキはとても美味しくてお気に入りなの。あなたたちも気に入ったようだけど」

「はい。お二人ともありがとうございます」

 

 私の言葉に、江利子さまはそう言って私と由乃さんの方に微笑みを向ける。

 彼女のおっしゃる通り、料理もケーキも紅茶もとても美味しいこの店のことを、私はすっかり気に入っていた。

 

「あ、綾さん、よければ一口交換しましょう?」

「ええ。そちらも美味しそうですし」

 

 そして、どこか緊張したような面持ちの由乃さんがまだ手元に残っているタルトと私のチーズケーキを一口交換し合おうと提案する。

 カスタードの層に乗せられた赤い苺の上に透明なシロップがかかったタルトはとても美味しそうで、こちらとしてもぜひ一口いただきたいところだった。

 その申し出に頷いた私は今しがた口にした分よりも少し大きめに切ると、フォークの先端に刺したそれを左手を下に添えつつ彼女の方に差し出す。

 ケーキが由乃さんの口に含まれると、こちらも同じように差し出されていたタルトを口に含む。

 甘酸っぱい苺の風味、そしてそれに絡むさくさくとした土台の食感とカスタードとシロップの甘味。

 舌の上に広がったそれはまさに絶妙な味であると言うに相応しかった。

 由乃さんも同じ感想なのだろう、どこか嬉しそうな表情を見せている。

 三人で会話を楽しみながらもケーキと(お二人はケーキではなくてタルトとマフィンだけれど)紅茶を味わっていると、やがて皿とカップは空になっていた。

 

「それじゃ、そろそろ行きましょうか」

 

 全員が食べ終えたことを確認すると、江利子さまが口にする。

 立ち上がりながら伝票へと手を伸ばそうとした私だけれど、後から私の隣に座った江利子さまの方がテーブルの通路側に置かれていたそれへの距離が物理的に近く、ゆえに目と鼻の先で彼女に先に取られてしまう。

 思わず伝票の入った筒の方に向けていた顔を上げて江利子さまの方を見ると、彼女は悪戯げな笑みをこちらに返す。

 あまりに美しい笑みで見つめられて、私はどきりとして一瞬声を奪われてしまっていた。

 そのまま、伝票を手にした江利子さまはレジの方へと向かって歩いていく。

 

「あ、あの」

 

 数秒遅れて、後ろ姿に向かってようやく声をかけた私だけれど、振り返った彼女が浮かべていたのは今しがた向けられたものと同じ笑み。

 これが三薔薇さまのお一人としての貫禄というものだろうか、美しい表情はこちらに有無を言わせることを許さないようなもので、それ以上何も言えなくなった私の声に返事をすることなく再び前に向き直った江利子さまは鞄から財布を取り出すとレジの前に立った。

 

「……どうしたの?」

「いえ、何でもありません」

 

 突然目の前で立ち止まった私のことを訝しんでか、複雑そうな表情を浮かべて隣に立った由乃さんに訝しげな目を向けられる。

 江利子さまの美しさに見蕩れてしまっていたと正直に言うのも気恥ずかしかったので何でもないと言ってごまかすと、後で必ず支払いを済ませていただいたお礼を言おうと心に誓いつつ、由乃さんと共に先に店を出たのだった。



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18

 取り留めのない雑談をしながらも全員のケーキと紅茶が無くなると、私たちは店を後にする。

 比較的静かな裏路地を抜けるとまた大きな通りに戻ることになるのだが、そこは相変わらず多くの人で埋め尽くされていた。

 由乃さんのことは江利子さまがかばってくれるだろうから少し安心だけれど、とはいえこの凄まじい人波の中でお二人がもみくちゃにされてしまわないよう、私は行きと同じように少し前を進み身体を張って彼女たちが歩くためのスペースを作り出す。

 そしてどうにかK駅へと辿りつくと、やはり黄薔薇ファミリーの知名度はとても高いようで、同世代の少女から時折ごきげんようという声をかけられる。

 私服であるし、まだ私が顔を覚えているリリアン生の数は限られているので声をかけられるまでそうと気付かないことがほとんどだったけれど、当然というべきか日曜日であるのでこの街へと遊びに来ている方も多いようだった。

 ともあれ、それぞれ徒歩や自転車やバスで通学しているために三人とも定期など持っていない私たちは券売機で切符を購入し、改札を通る。

 ちょうど到着した電車に乗り込むと、車内はそれなりに空いていたので端に由乃さん、その次に私、私の左隣りに江利子さまの順で座席に腰を下ろした。

 

「綾ちゃんの家はどの辺りなの?」

「最寄りはM駅ですよ。リリアンからあまり離れていないので、いつもは自転車で登校しています」

 

 リリアンの校則の特徴として、生徒が自分で車やバイクを運転して登校することは禁止されているものの、登下校時に家の車で送り迎えしてもらうことへの規制は存在していない。

 かなりの大企業の令嬢などもリリアンには通っていて、娘を電車やバスなどの公共交通機関で登下校させることに両親が主に安全上の理由で難色を示す場合もあるので、恐らくはそのような保護者への配慮という意味もあるのだろうけれど。

 江利子さまは駐輪場がある正門ではなく裏門の方から下校しているそうで、ご家族に車で送り迎えされることも多いようなので、リリアンから少し離れた場所にご自宅があるのだろう。

 逆に、徒歩通学だという由乃さんのお宅(と、その隣にあるという令さまのお宅)は私の家から自転車でそう時間がかからない程度に近いのかもしれない。

 K駅とM駅の間は一駅なので、そうして会話を交わしているとすぐに電車が停まり扉が開く。

 走り出してしまわないうちにホームに下りると改札を出た私は、一度駅のすぐ隣にある駐輪場に向かって家からここまで乗ってきていたいつも通学に使っているのと同じ自転車を回収する。

 

「お待たせしました。こちらです」

 

 もちろんお二人は徒歩なので自転車には乗らず、手で押したまま彼女たちを案内していく。

 この辺りは基本的に住宅街なので、駅から少し離れればすぐに静けさに包まれる。

 まだ買ったばかりでとても軽い自転車のチェーンが回るからからという音を聞きながら、私たちは雑談を交わし歩いていた。

 所詮自転車で通える程度でありあまり距離があるという訳ではないので、ちょうどリリアンとは駅を挟んだ逆側にしばらくの間進んでいくと、十分ほどして私の自宅の前に到着する。

 

「立派なお家ね」

「ありがとうございます。私も初めて見た時は驚きました」

 

 私が現在生活しているのは、私がリリアンに合格することを見越して(何でも母曰く卒業生の血縁者は編入試験で優遇されるらしい)一年以上前から工事を始めて一月にようやく完成したというかなり大きな一軒家だ。

 家というよりも、大きさ的には屋敷と言った方が正確かもしれない。

 イギリスを後にするための準備を終えて日本に来た時、初めてこの屋敷を目にした時は大きさに驚いたことを覚えている。

 それを見て感想を口にした江利子さまだけれど、由乃さんもそうだが建物の大きさに驚いたような様子が全く無いのは、彼女たち自身が生粋のお嬢様だからなのだろう。

 まあイギリス暮らしがずっと続いていて引っ越してきてから二月も経っていないので、まだあまり慣れていないというか帰るべき場所だという感じがしないのだが、ともあれ私は鍵を差し込んでスライド式の門扉を開ける。

 お二人を促すと最後に私が敷地内に入ってまた元通りに門扉を閉めて鍵をかけ、そして門の脇に自転車を停めた。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 玄関の鍵を開けると、扉を開けて先に彼女たちに入ってもらう。

 そしてそれに続いて中に入り鍵を閉めると、履いていたスニーカーを脱いでお二人をリビングへと案内する。

 

「そちらのソファーにどうぞ。麦茶をお出ししますので」

 

 リビングには両親が買ったベッドとしても使えるような巨大なサイズのソファーが置いてあり、柔らかくて座り心地抜群なそこに腰を下ろしてもらうと私は冷蔵庫で冷えている麦茶をお出しするためにキッチンへと向かう。

 冷蔵庫を開けると麦茶で満たされた冷水筒を取り出して透明なガラスのコップへと中身を注ぎ、そしてトレイに載せてリビングへと戻る。

 

「ご両親は今日はお仕事でいらっしゃらないの?」

「いえ、リリアンの高等部への編入に合わせて、私だけ先に日本に引っ越してきたのです。両親は来年の春まではイギリスに留まることになっています」

 

 私が麦茶の入ったコップをお二人の前に置いていると、室内の様子を見回した江利子さまにそう尋ねられる。

 恐らくは、リビングに生活感があまり無いことと、日曜日であるにもかかわらず誰の出迎えもないことに違和感を覚えられたのだろう。

 あるいは、玄関に靴が私のもの数個しか置かれていないのを見て気付かれたのかもしれない。

 彼女に対して、私は現在は一人で暮らしているのだと説明する。

 両親はまだイギリスで仕事をしていて片付けなければならないことも多いのだが、それらが全て済むのを待っていてはリリアンへの編入に間に合わないので、とりあえず私一人だけ日本に来て生活することになったのだ。

 そこまでして(特に母が)私をリリアンに入学させようとする理由が分からずに当時は首を傾げたものだったけれど、実際に学園の雰囲気を味わった今はとてもいい場所だと思えている。

 

「それじゃ、綾さんはあと一年くらいは一人暮らしなのね」

「そういうことになりますね。これだけ広くても、一人だとキッチンと自分の部屋だけで大抵の用は足りてしまうのですが」

 

 由乃さんの言葉に、私は苦笑して言葉を返す。

 これだけ広い屋敷であっても、一人で暮らしていてはキッチンと自室とトレーニングルームと書庫、そしてせいぜいリビングだけで十分に生活できてしまうので、建物全体で見れば未だ入ったことさえ無い部屋の方が多いくらいだった。

 そのせいもあって、広さに比して物が極端に少なく、全体的に非常に生活感が薄くなってしまっているのだけど。

 何しろ、本来この大きさの屋敷であればメイドさんを雇って掃除などをしてもらわなければ維持など住人だけではとても不可能なのだが、住んでいるのが今のところ私一人なので使っている範囲が狭すぎてその必要すら無いくらいなのだ。

 きっと両親が帰ったらメイドさんを雇うことになるのだろうけれど、そうした理由もあって今のところ屋敷内で生活しているのは私だけだった。

 

「寂しくはないの?」

「こちらに来てからも国際電話で週に一度は両親と話していますし、冬になればまた一緒に暮らせるのが分かっていますからね。それに、由乃さんも江利子さまもそうですが、リリアンに登校すれば山百合会の皆さんやクラスメイトの皆さんが仲良くしてくださいますし」

 

 箱入りのお嬢様であるリリアン生の方々にとっては、一人暮らしというのは縁遠く想像が難しい話なのかもしれない。

 珍しく少し驚いたような表情を浮かべた江利子さまの隣で、由乃さんに寂しくはないのかと尋ねられる。

 確かに岸本綾になってからは一人で暮らすのはこれが初めてだけれど、かつてOLをしていた時は一人暮らしをしていたので慣れているというのもあるし、家族とは国際電話でイギリス時代の友人たちとは手紙で今でも連絡を取り合っている上に、それこそこの場にいるお二人のようにリリアン生の方々が仲良くしてくださっているので特に寂しいと感じたことはなかった。

 休日でありフェンシング部も休みの今日だって、こうして由乃さんや偶然だけれど江利子さまがいてくださっているのだし。

 

「さ、寂しくないのなら安心したわ」

「ご両親がいらっしゃったらご両親にお願いしようと思っていたのだけど、今晩泊めてもらえないかしら。父と喧嘩してしまって、今日は帰りたくないの」

 

 すると、寂しくないという答えが意外だったのかどこか動揺したような由乃さんの様子を微笑ましげに見つめ、それからこちらに視線を向けた江利子さまにそう依頼される。

 ご父君と喧嘩をされているために帰りたくないとのことだけれど、私と由乃さんがあのカフェに続く裏路地に入っていってから江利子さまが不意に私に抱きつくような形で声をかけてくるまでは少し時間的に間隔が開いていたし、恐らくご父君と一緒に外出され街を歩いている時に私たちの姿を見かけ、それから何らかの理由で喧嘩になって私たちのところに来られたのではないだろうか。

 それを聞いて、カフェでいきなり私の家に来たいとおっしゃられた理由が理解できた。

 私としてはもちろん泊まられること自体は構わないし、むしろ一人暮らしには広すぎる屋敷が賑やかになると思えば大歓迎なのだけれど、あの時ご父君が江利子さまのことを追いかけてこられる様子が無かった(面識がないのでもしかすると私がそうと気付かなかっただけかもしれないが)ということは人混みに紛れて彼女の姿を見失ってしまっている可能性が考えられるので、もしそうだとしたら今頃気が気ではないのではないだろうか。

 江利子さまがご無事でここにおられることと今晩泊まられることを伝えるためにも、ご実家への連絡はしなければならないと思う。

 

「もちろん泊まられるのは構いませんが、ご実家に連絡された方がいいのではないでしょうか」

「……大丈夫よ。別れ際に、父に友人の家に泊まると言ってきたもの」

 

 けれども、私がご実家のことに触れると彼女は少し不機嫌そうにそう口にされる。

 まあ、江利子さまがそうおっしゃるのならばこれ以上無理強いする訳にはいかないのだけれど、とはいえ一晩をここで過ごしていただくからにはご家族にその旨を私から伝えておく必要があるだろう。

 だがもちろん先方の電話番号など知らないし、彼女に尋ねても今の様子では答えてくださるとは思えないので、どうしたものかと表情から考えを悟られないように気をつけつつ思いを巡らせる。

 果たしてご存知かどうかは分からないけれど、後でこっそりと由乃さんに尋ねてみようか。

 

「そうおっしゃるなら……。明日登校すれば、とりあえずご無事であることははっきりするでしょうし」

 

 もしかすると後で江利子さまに怒られるかもしれないと思いつつ、私はそう答えを返しておくことにした。

 

「ありがとう。せっかくだから、あなたの部屋に行ってもいいかしら?」

「はい。案内しますよ」

 

 少し安心したように笑みを浮かべた彼女は、こちらにそう提案する。

 ふ、と笑った江利子さまはとても美しくて、思わず見蕩れてしまいそうになった。

 

「それなら、早く行きましょ」

 

 拒む理由は存在しないし構わないと答えると、ソファーから立ち上がった由乃さんが急かすようにそう口にされて、私は美しい表情から目線を離す。

 お二人とも、そんなに私の部屋が気になるのだろうか。

 別に大したものなど何も無い部屋なのできっと期待には添えないだろうけれど、ともあれ既に空になったカップをトレイの上に置いてキッチンへと持っていくと、リビングに戻った私は彼女たちを自室へと案内することにする。

 私の部屋は二階にあるので、リビングを出て玄関とは反対側にしばらく進んだ先にある階段を上り、二階へと向かう。

 余っている部屋の多さを考えれば別に二階を使う必要など無いのだけれど、トレーニングルームや書庫も一階にあるので一階の空き部屋を自室として利用するとせっかくの二階を使うことが全く無くなってしまうため、別に感覚がお嬢様のそれではない私的に何となく勿体ないように感じたのでそちらの部屋を使っているのだ。

 階段を上りきると、すぐ右手にある部屋の三つ先にある扉のドアノブに手をかけて開く。

 わざわざ遠い部屋まで運ぶのが面倒だったために階段の一番近くの部屋に引っ越しの際に運び込んだ家具などを押し込んで半ば物置のようにしているので、この部屋を私は居室として利用していた。

 

「綾ちゃんらしい部屋ね」

 

 先に入室した江利子さまが、室内を見回してそう感想を零す。

 家具である勉強机と箪笥とベッドとドレッサーと本棚を除けばラジカセと書籍の類くらいしか置いていない室内は我ながらいささか殺風景で、確かに私らしいといえばその通りかもしれない。

 ぬいぐるみもポスターも無いので、お二人のような年頃の少女には退屈な空間かもしれないけれど。

 およそ日本の女子高生とは縁遠い部屋に足を踏み入れた由乃さんはふかふかで柔らかなベッドの端に腰を下ろし、一方で江利子さまは何か興味が惹かれたのかまっすぐに本棚へと近付く。

 

「ラテン語の本が多いのね」

「そうですね。向こうにいる頃、古典の授業で触れてからそうしたものを読むのが好きになったので。江利子さまはお読みになれるのですか?」

「ええ。だって、ラテン語が読めるなんて何だか面白そうじゃない。それで以前勉強してみたことがあるのよ」

 

 自分が通っていた訳ではないので恐らくの話になってしまうけれど、私以外にラテン語の聖書を持っている人がいなかったことを考えても、リリアンの中等部にラテン語の授業など無いはずだった。

 私の場合は授業で教わっていたけれど、それを独学で身につけてしまわれるとはさすがは三薔薇さまのお一人だと感銘を覚える。

 そして、その理由が面白そうだからというのも何とも江利子さまらしい。

 

「読んでみてもいいかしら?」

「はい、もちろん」

 

 拒絶する理由など何も無かったので承諾すると、彼女は本棚の中から本を一冊取り出す。

 そして、由乃さんと同じように私のベッドへと腰かけた。

 ――フェンシングのために身体を鍛えていて筋肉質な私とは根本的に体重が違うためか、お二人とも心なしか私が同じように座った時と比べて沈み込み方が穏やかな気がする。

 

「ねえ、綾さん、あれってゲーム機?」

「ああ、それはメガドライブですね。もしよければ、何かゲームをされますか?」

 

 ベッドの縁に腰かけて足をぶらぶらと揺らしている由乃さんの姿はとても可愛らしく、眺めていて微笑ましい気分を覚える。

 ……もっとも、私がそんなことを思っていると知ったら怒られるかもしれないけれど。

 内心で私がそんなことを考えていると、ディスプレイを置いた棚にある機械を見つけた由乃さんがそう尋ねてくる。

 いかにも、それはメガドライブだった。

 X BOXやPS3などの(この時代から見て)未来のゲーム機を知っている私にとってはある種骨董品のような感覚というか、前世の私が生まれる前に発売されたものだったりするのだけれど、何しろセガサターンとプレイステーションが発売されるのが今年なのだ。

 もっとも、両機共に冬の発売なので今はまだ出回っていないのだけれど、そのことを考えると時代の流れというものを痛感することになる。

 この時代、日本では何年か前に発売されたスーパーファミコンが圧倒的な人気を博しているようだけれど、ヨーロッパではむしろメガドライブの方が人気があった。

 私もイギリスにいる時にそれを購入していて、たまに遊んでいたのである。

 

「ええ、ぜひしてみたいわ。どんなソフトがあるの?」

「そうですね、レースゲームはいかがでしょうか」

 

 ただでさえメガドライブは日本ではスーパーファミコンとPCエンジンの影に隠れるような形になっている上に、リリアン育ちで生粋のお嬢様である由乃さんには存在こそ知っていてもゲーム機とはあまり縁が無いのだろう。

 どんなゲームがあるのかと尋ねてきた彼女に対して、私はレースゲームを提案する。

 もしかするとテレビゲームをしたことがないかもしれない由乃さんにとってもルールが分かりやすいだろうし、何よりレースゲームならばRPGなどと違って複数人でのプレイが可能だからだ。

 幸いにしてマルチタップもあるので、5人まで同時にプレイすることができた。

 イギリスにいた頃は、向こうの友人たちとレースゲームや格闘ゲームで散々盛り上がったことを思い出す。

 

「やってみるわ。操作は教えてね?」

「もちろんです。――江利子さまはいかがなさいますか?」

 

 いずれにせよ、ただでさえ日本では影が薄いメガドライブのしかもヨーロッパの現地ベンダーが販売している英語版のソフトなど間違いなくプレイしたことが無いだろうし、初めてならば操作が分からないのは当然である。

 彼女の言葉に頷くと、私はベッドの上で分厚い本を広げて視線を落としている江利子さまに視線を向けて尋ねた。

 

「私は見ておくことにするわ。後で参加するかもしれないけど」

「分かりました。では準備しますね」

 

 江利子さまはまずは私と由乃さんのプレイを見学するとのことなので、私は本体の方に近付くと表示用のディスプレイの電源を入れ、カセットを差し込んで本体の電源も入れてコントローラーを用意する。

 ベッドの方に戻ると、二つ持っていたそれの片方を由乃さんに手渡した。

 そのまま彼女の隣に腰を下ろすと、ディスプレイには起動画面が映し出される。

 それから数秒後、スピーカーからBGMが流れ始めデモムービーが再生された。

 ボタンを押してそれを飛ばすとタイトル画面になり、私はメニューの中からマルチプレイを選択する。

 

「初めてなら左上の赤い車がおすすめです。衝撃には強くありませんが、スピードは一番出るので」

「えっと……これね」

 

 レースに使用する車を選択する画面になるが、このゲームではそれぞれの車は単に外見が違うだけではなく性能も異なっている。

 車体が軽い分スピードは出るけれど体当たりに弱い車、逆に車体が重いので重心は安定しているけれどスピードはそれほどでもない車、そのどちらにも優れていないけれどニトロを発動していられる時間が長い車など。

 初めてプレイされる方にはアクセルを踏んでいる時に出せる速度が最も速い赤のレーシングカーが一番適していると思うので、それを薦める。

 由乃さんが選択し終えると、私はスピードでは彼女が選んだものに比べて少し劣る車を選択した。

 続いてコース選択で一番難易度の低いコースを選ぶと画面は一瞬暗転し、ロード中を告げるものへと変化する。

 

「Aボタンがアクセル、Bボタンがブレーキ、Cボタンでニトロ発動、十字キーがハンドル操作です。由乃さんが操作に慣れるまでは私からはしませんが、相手の車に車体をぶつけて妨害することも可能ですよ。角度が悪いと逆に弾き返されてしまいますが、上手くぶつかると相手をコース外に弾き飛ばすことができます」

 

 ローディング画面が表示されている間に、私はゲームの操作法と概要を手早く由乃さんと、後で参加するかもしれないという江利子さまに説明していく。

 この時代の技術水準的な理由もあって、操作はさほど複雑なものではない。

 何度かプレイしていればすぐに慣れることができるだろう。

 少しするとコースと車両のグラフィックが表示され、レース開始を知らせる五秒のカウントダウンが始まる。

 私がAボタンを押すと、現実のものと比べるといささかシュールな趣きのエンジン音がスピーカーから響き渡った。

 カウントダウンがゼロになると、由乃さんと私の車が同時にスタートラインを切る。

 車体の性能に差があるので当然ながら、私よりも由乃さんの方が少しだけれど先を走る形になっていた。

 とはいえ、彼女がこのゲームを(もしかするとテレビゲーム自体を)プレイするのは初めてなので、操作技術では当然私の方が勝っている。

 カーブで壁にぶつかりそうになった由乃さんが慌ててブレーキボタンを押している隙に、私はあっさりと追い抜かす。

 

「あっ、そんな!」

 

 隣でコントローラーを操作している彼女が、思わずといった感じでそう小さく叫ぶ。

 私に少し遅れてカーブを曲がり終えた由乃さんは、エンジンを急加速させて後ろから猛然と追跡してきた。

 このコースは難易度が低いので、他のコースと比べてカーブが少なく直線がずっと多い。

 もちろん車体が並んだ瞬間にわざと体当りすれば弾き飛ばすこともできるのだけれど、まだそれはしないと決めていたので私はあっさりと抜き返されてしまう。

 その後も抜きつ抜かれつであまり引き離されないように気をつけながら後ろに続いていた私は、最後のカーブに差しかかる少し前にCボタンを押してニトロを発動させる。

 ニトロの発動時間は基本的に車種ごとに固定されているけれど、発動させた状態でブレーキを踏まず壁にもぶつからずにカーブを曲がりきった場合には少し時間が長くなるというシステムがある。

 それを利用すべく、私は瞬く間に数百キロもの速度へと達した車体をカーブへと突入させ、十字キーの右を目いっぱいに押して壁すれすれをぎりぎりで曲がりきった。

 私が操作する車がロケットのように後方へと火を噴射しながら猛スピードで迫ってくるのを見て、由乃さんも慌てて同じようにニトロを発動させる。

 この先にはもうカーブは無いので、つまり純粋にどちらが先にゴールへと到達できるかという勝負になるのだけれど。

 

「ど、どうして!?」

 

 どちらの車両もニトロを発動させた時の最高速度は変わらないので、元々の位置関係を反映してわずかに先を進んでいた由乃さんの車だったが、こちらよりも早くニトロの効果が終了したのを見て小さく悲鳴を上げる。

 元々普段の最高速が最も速い彼女の選んだ車はニトロの持続時間が他よりも短めに設定されている上に、カーブを曲がりきったために私の持続時間が通常以上に伸びていたので、後から発動させたにもかかわらずこちらより先に終わることになったのだ。

 当然、あまり距離が離れていない状態で片方だけがニトロを使っていない状態になれば、彼我の距離は瞬く間に離れることになる。

 追い抜いた私の車のニトロが切れる頃には、いくら由乃さんの車体の方が加速性能に優れているとはいえ既に逆転不能なくらいに距離が開いていた。

 私がゴールすると、五秒ほど遅れて由乃さんの車もゴールへと到達する。

 

「危ないところでした」

 

 初めてプレイするとなれば繰り返し壁に車をぶつけてしまってもおかしくはないけれど、由乃さんは三度目のカーブに差しかかる頃にはもう減速することなく曲がりきることができるようになっていた。

 体当たりを仕掛けないようにするというハンデがあったこともあって、もう少し余裕を持って走ることができるだろうと思っていた私は予想以上に危ない勝負になったことにそう呟く。

 

「綾さんはゲームも上手いのね」

「イギリスにいた頃はよく遊んでいましたから。――次はもう少し難しいコースを選んでも構いませんか?」

「ええ。次こそ勝つわ」

 

 ぎりぎりで追い抜かれたのが悔しかったのかもしれない、いつも通りの淑やかな笑顔を浮かべながらも、答えた彼女の瞳には熱いものが宿っていた。

 レースが終わると、再度車を選択し直すか車はそのままでコースのみを変えるかを選ぶことができる。

 後者を選ぶと、今度は今しがたのものよりもカーブの数が多いコースを選択したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さすがは黄薔薇のつぼみの妹(編入試験に合格した後に送られてきたパンフレットに振り仮名無しでこう書かれていた時にはどう読めばいいのか分からなかったのを思い出す)と言うべきか、由乃さんの上達は非常に早かった。

 コースの難易度を上げながら四度ほどレースを終えた頃にはもうこちらからは体当りしないようにするというハンデをつける必要が無くなっていたのである。

 もちろん、それを解禁した直後の勝負では車体をコース外に弾き飛ばすという直接的な攻撃に対応できずにこちらが圧勝したものの、それさえも次の周にはもう逆に彼女の側から攻撃してくるようになっていた。

 

「楽しそうね」

「きゃっ!?」

 

 由乃さんとの白熱したレースに熱中していた私は、突然後ろから抱きつかれ、同時に耳元に息を吹きかけられて思わず悲鳴を上げる。

 フェンシングをしているので普段なら他事をしていても他人の気配を察知することくらいできるけれど、今いるのが自分の部屋でしかも由乃さんと江利子さましかいないこともあって、そちらに全く注意を払っていなかったのだ。

 言うまでもないことだが、由乃さんが隣で私と競い合っている以上犯人は消去法で江利子さましかいない。

 注意が彼女へと逸れたことで私が操作していた車は壁へとぶつかり、そのまま大きく引き離されてしまう。

 

「どうなさいましたか?」

 

 抗議をしたいところだけれど、江利子さまを放置して夢中になっていた私にも非がある。

 コントローラーを膝の上に置いた私は、動揺を抑え込むと彼女へと尋ねた。

 

「代わってもらってもいい? 由乃ちゃんも随分上手くなったようだから」

「コントローラーならまだあるので用意します。五人まで同時にプレイ可能なので」

「いえ、由乃ちゃんと勝負してみたいの」

 

 マルチタップを利用すれば五人まで同時にプレイ可能であり、コントローラーも五個あるので江利子さまが混ざっても問題ない。

 私がそう答えると、それに対して彼女は由乃さんと勝負がしたいのだと答えた。

 

「構いませんが……江利子さまはこのゲームをしたことがおありですか?」

「いいえ。メガドライブ自体、実物を見たのは今日が初めてよ」

「今の由乃さんはかなり上達されているので、失礼ながらすぐには互角に走るのも難しいと思いますが」

「心配ないわ。二人のプレイは見ていたから」

 

 勝負をされたいということなら交代するのは構わないけれど、その前にこのゲームの経験について尋ねてみる。

 すると、全くの初めてだという江利子さま。

 他の三薔薇さまと同じく彼女もまたただ美しいだけでなく極めて才覚に優れたお方なのを知っているので、きっとすぐに上達されるだろうとは思っていたが、いくらなんでも初見で相当に上達している由乃さんと勝負をするのは難しいだろう。

 素直に無謀だと伝えた私だったが、それに対して江利子さまは問題ないとおっしゃられた。

 普通に考えれば彼女が勝つことはあり得ないのだけれど、自信に満ちたそのお姿を見ているともしかすると、と思えるのは黄薔薇さまとしての威風や気品ゆえだろうか。

 ともあれ、私からコントローラーを受け取った江利子さまは車両選択の画面を表示させる。

 

「綾ちゃん、一番重い車はどれ?」

「右下から四つ目の茶色の車ですが……それは扱いが」

「ありがとう。一番難易度が高いコースは?」

「Last Mountainですが、それも」

 

 一番重い車は車体をぶつけ合っての肉弾戦では当然無類の強さを発揮するけれど、その反面スピードがかなり遅い。

 工夫しなければ使いこなせないのでとても初心者向きとは言えないのだが、私の答えを聞くと彼女は迷うことなくそれを選択する。

 これまでの私との勝負の中で由乃さんは既に自分に適した車両を見つけていて、二人が選択し終えると画面はコース選択に変わった。

 同じように最も難しいコースはどれなのかと尋ねられたので答える私だが、やはり江利子さまはそれを選んだ。

 Last Mountainは文字通り山中に作られたコースという設定なのだが、ひたすらカーブの連続で直線など皆無に近く、しかもコースの外は崖なのでもしそこから落ちてしまったらペナルティとして十秒はコースに戻れないというステージである。

 崖を抜きにしてもかなり難しいコースなので、初見ではとても走り切れないのではないかと心配になってしまう。

 ロード中を告げる画面に変わると、江利子さまが口を開いた。

 

「由乃ちゃん、お世話になっているのだから、私たちが夕食を作るべきよね?」

「そうですね」

「え、江利子さ……んむ」

 

 ただでさえ昼食の支払いをさせてしまっているにもかかわらず、この上夕食までも作っていただくのは申し訳がない。

 慌てて異論を唱えようとした私だが、楽しげな笑みを浮かべた江利子さまの指が私の唇に押し当てられたことで言葉を封じられてしまう。

 

「このレースに勝った方が夕食を作るというのはどうかしら」

「いいんですか? 私が勝つと思いますけど」

「ええ。もしあなたが勝っても文句は言わないわ」

「分かりました。やります」

 

 抗議できない私の横で、お二人の間でどんどん話が進んでいく。

 既にかなり上達している由乃さんは自信があるようで、本当にいいのかと確認をしたが、江利子さまはやはり自信に満ちた様子で頷いた。

 由乃さんが賭けを受け入れると、ちょうどロードが終わり画面にはコースが映し出された。

 それを受けて江利子さまが指を離してコントローラーを握り直したために私はまた言葉を発せられるようになったものの、既にカウントダウンが始まっている以上このタイミングで口を開いて集中しているお二人の気を散らせてしまう訳にはいかない。

 私にはレースの行方を見守ることしかできなかった。

 そしてカウントがゼロになると、二人の操作する車が同時にスタートする。

 スタートが同時であると言っても、それぞれの加速性能にはかなりの差があるためにすぐに由乃さんの車が頭一つ分前に躍り出る形になった。

 

「えっ!?」

 

 だが、順当にリードしたはずの彼女の口から悲鳴が零れる。

 由乃さんが完全に前に出たことを確認した江利子さまがその瞬間にニトロを発動させ、後ろから相手の車へと思いきり衝突したのだ。

 江利子さまが操る車は速度に劣る代わりに肉弾戦では最強を誇るものであり、ぶつかれば果たしてどちらが勝つかは言うまでもない。

 勢いよく弾き飛ばされた由乃さんの車はそのまま崖から落下していき、十秒のペナルティが課される。

 ――何が起こったのか分からず呆然としている彼女と、楽しげな笑みを崩さない江利子さま。

 恐らく、江利子さまは初めからこの戦術を使う気だったのだろう。

 ある種の奇襲だけれど、極めて効果的なのは確かだった。

 極めて優位に立った彼女だが、そのままニトロを切ることなく全速を保ったまま目の前のカーブへと突っ込んでいく。

 プレイするのが初めてだということで、曲がりきれずにまっすぐ突き抜けて崖から落ちていく予想しか浮かばなかった私だが、次の瞬間には江利子さまが操作する車は一切速度を落とすことなく落下すれすれでカーブを曲がりきった。

 

「……凄い」

 

 このステージではカーブの先にあるのは更なるカーブである。

 けれども彼女は一度たりともブレーキを使うことなくそれらを次々と突破していく。

 本当に初見なのかと疑いたくなってしまうような、私などより遥かに素晴らしいテクニックを披露する江利子さまに、思わず感嘆の言葉が零れる。

 このゲームではニトロを使いながらカーブを曲がると少しニトロの発動時間が増えるけれど、それは一度きりではない。

 いくつものカーブを連続して突破しているということはその数だけ時間も伸びているということであり、ましてや彼女の使っている車は加速性能がかなり悪い分ニトロの持続時間は長めに設定されている。

 やがて由乃さんのペナルティが終わって再び操縦が可能になる頃には、両者の間にはとても追いつくのが困難なほどの距離が生まれていた。

 十秒もの間操作不能のまま相手がどんどん進んでいくのを見ていることしかできなかった彼女の表情からはスタート前にあった余裕はとうに消え去り、代わりに焦りの色がかなり濃く現れている。

 ここから逆転勝利を収めるには同じようにニトロの全速力で追いかけ、かつ江利子さまのミスを待つしかない。

 焦っていたのもあるし、初めてプレイしたという江利子さまにできるのなら自分にもできるかもしれないと賭ける気持ちもあるのだろう。

 スタート地点の直後から走行を再開させた由乃さんはその場でニトロを発動させると、目の前のカーブへと挑んでいく。

 一つ目をぎりぎりで通り抜けると勢いのままに二つ目、三つ目と突破していく彼女。

 だが、その度に美しい顔立ちには焦燥の色が浮かび上がっていく。

 

「ああっ!」

 

 そして六つ目のカーブも同じように突破しようとした由乃さんだったが、ぎりぎりで曲がりきることができずに崖から転落していった。

 すると、悔しさと清々しさが入り混じったような表情で彼女はコントローラーを置く。

 それから程なくして遂に余裕の色を崩さなかった江利子さまがゴールしてレースが終わり、勝負が決したのだった。




ストック分はここまでです。
今は19話を書いている最中なので、書き終わり次第更新します。

普段は個人サイトでオリジナルを中心に書いているので、遊びに来ていただけたら嬉しいです。
いろいろ書いているので、どれか一つでも気に入っていただけるものがあればいいな、と思います。

それはさておき、二年生になってからの話なのでまだ当分先のことなのですが、綾の孫に関しては菜々世代のキャラの絶対数が少なすぎるのでオリキャラにせざるを得ないのですが、綾の妹は綾より更に背が高い彼女にしようかなと考えています。
しかし、彼女は原作でもかなり登場頻度が高く人気もあるキャラなので、抵抗のある方もおられるのではないかなと思い、以前サイトでアンケートをしたことがあります。
そこで、こちらでも皆さまのご意見を伺いたいです。

もちろん、1話のあとがきでも書いたように原作にある少女たちの関係を歪めるつもりは一切無いので、原作のエピソードをそのことで改変したりはしません。
綾と姉妹になるとした場合、二人の関係が縮まり始めるのは原作であった紆余曲折が一段落した後になります。

感想欄では駄目だそうなので、ご意見をくださる方はお手数ですがメッセージ機能か個人サイト、またはTwitterからお願いします。


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19

「江利子さまは本当に初めてだったんですか? あんなに上手だなんて……」

 

 レースが終わり、江利子さまもコントローラーを置くと、彼女に対して由乃さんが尋ねる。

 ご本人は初見だとおっしゃっていたけれど、華麗にカーブを突破していった先ほどの凄まじいまでのテクニックを目にすれば、実はかなりの経験がおありなのではないかと思ってしまうのは無理もないことだった。

 

「本当よ。私の家にはPCエンジンしか置いていないもの。操作はあなたたちのプレイを見て覚えたわ」

 

 つまり、後ろから私たちの勝負を眺めていてあの奇襲にも似た作戦を思いつき、実行してみたくなったということだろうか。

 それなりにプレイ経験がある私でもニトロを起動させたままカーブに突入して同じことをしようと思えば何度も練習しなければ無理だろうし、それを全くの初見でやってのけた江利子さまはさすがとしか言いようがなかった。

 

「それよりも、夕食は私が作ることになった訳だけど、綾ちゃんは何か食べたいものはある?」

「……あの、昼食もご馳走になってしまったのにこの上夕食まで作っていただくのは」

「いいのよ。お世話になるのはこちらなのだから。あなたの食べたいものを作るわ」

 

 昼食の際にもそれなりの値がしたステーキの代金を払っていただいてしまっている(もし彼女が伝票を持っていかれることをあらかじめ分かっていたら決してステーキを注文しなかっただろう)し、その上に夕食までもを作っていただくとなると申し訳ない気分になってしまう。

 そう申し出たものの、笑みを浮かべた江利子さまの言葉によってそれは途中で封じられる。

 理詰めでこちらを納得させる蓉子さまや、さりげない振る舞いや言葉によって自然とこちらに意図を受け入れさせる聖さまとはまた違い、この方の笑顔にはこちらに反論を許さない何かがあった。

 

「……特に苦手なものなどはありません。江利子さまにお任せします」

 

 それに押し切られるような形で答えを返す私。

 肉料理はジューシーで美味しいけれど、美味しいから食べているというよりあくまでも身体を維持するのに必要なカロリーを確保するために食べている感じである。

 もちろん魚や野菜が嫌いだったり苦手という訳ではないし、食事へのこだわりはほとんど無いのでメニューはお任せすることにした。

 

「分かったわ。楽しみにしていなさい」

 

 私の答えを聞いてそう言うと、彼女は壁にかけられた時計に視線を向ける。

 釣られてこちらも同じように目を向けると、時刻は三時半頃を指していた。

 自覚は無かったけれど、久々のプレイだったこともあってそれなりに長い間ゲームに熱中していたらしい。

 

「何か飲み物を持ってこようと思いますが、麦茶でよろしいですか?」

「ええ、それで構わないわ」

 

 さすがに精神的な疲れを少し感じたので一度クールダウンしようと思い、私は飲み物を取りに行くことにする。

 先ほどと同じく麦茶でいいかと尋ねると、お二人はこくりと頷いた。

 一階に降りて台所に向かった私は、手早くカップを並べると冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出し、それを注いでいく。

 そして部屋に戻ると、彼女たちは先ほどとは別のゲームで遊ばれていた。

 メガドライブの周りでカセットを入れたケースを見つけたらしい。

 

「すみませんが、一時間ほど席を外しても構わないでしょうか。今のうちに今日の分のトレーニングを済ませておきたいので」

 

 そんなお二人の様子を見て、私はそう申し出る。

 客人を放置する形になってしまうのはいささか気が引けるけれど、身体を維持するためにも毎日の筋トレは絶対に欠かせない。

 ならば、ゲームをされている今が抜け出すには一番いいタイミングだろう。

 

「ええ。後で覗きに行ってもいい?」

「もちろんです。トレーニングルームは一階の奥の方にあるので、すぐにそれと分かると思います」

 

 画面から目を離すことなく許諾してくださった江利子さま。

 その隣で由乃さんも真剣な表情を浮かべていて、お二人の勝負を邪魔しないためにテーブルの上にカップを二つ置いた私はそのまま部屋を後にした。

 とはいえ、それより先にすべきことをしておくことにする。

 リビングに立ち寄った私は、固定電話の前に立つと以前伺ったことがある番号を入力した。

 少しの間呼び出し音が鳴り、そして電話が先方へと繋がる。

 

「もしもし。リリアン女学園高等部一年の岸本と申します。蓉子さまはご在宅しておいででしょうか」

 

 繋がったのを確認すると、私は電話の向こうにそう伝える。

 かけたのは、蓉子さまのお宅だった。

 何かあったらかけてきてもいいと、入学してすぐの頃に電話番号を伺っていたのだ。

 

『私よ。ごきげんよう、綾ちゃん』

「ごきげんよう、蓉子さま。少しお尋ねしたいことがあって電話させていただいたのですが、黄薔薇さまのご自宅の番号をお教え願えないでしょうか」

『黄薔薇さまの?』

 

 どうやら、出られたのは蓉子さまご本人だったらしい。

 いつも山百合会に顔を出させていただいていて聞き慣れた声が聞こえ、挨拶を済ませた私は彼女に江利子さまのご自宅の電話番号を尋ねる。

 言うまでもなく、それは江利子さまがここにおられることをお伝えするためだった。

 蓉子さまに尋ねたのは、同じ薔薇さまであらせられる彼女ならばきっと番号をご存知だろうと思ったためである。

 

「少し事情があって黄薔薇さまが私の家に今晩泊まっていかれることになったので、そのことをご家族にお伝えしておかなければいけないと思いまして」

『大体の事情は分かったわ。黄薔薇さまがご家族のどなたかと喧嘩して、その時に偶然綾ちゃんと会ってそのまま泊まりに行くことになったのでしょう』

「ええと……ご想像にお任せします。私から申し上げていいものか分からないので」

 

 ご家庭の事情を他者に知られたくはないだろうし、本人の承諾も無しに勝手に他言してしまってもいいことだとは思わないので、なるべく具体的な事情に関してはごまかすつもりでいた私だけれど、蓉子さまは実はあの場におられたのではないかと思ってしまうくらいに鮮明にそれを言い当てる。

 見事に言い当てられてさすがに動揺を隠せなかったが、はっきりと返事はせずに言葉を濁しておくことにした。

 もっとも、ここで否定をしないということは認めているのとほとんど同じであるのは確かだったけれど、こうも見事に言い当てられてしまっては仕方ない。

 仮にはっきり否定したとしても、それが嘘だと簡単に見破られてしまうだろう。

 

『そういうことなら、黄薔薇さまのご両親には私から連絡しておくわ』

「よろしいのですか?」

『ええ。私から伝えた方が安心されるでしょうから』

「手間を増やしてしまって申し訳ございません。では、お任せします」

 

 自分から鳥居家に連絡しておくとおっしゃる蓉子さま。

 手間をおかけしてしまうことになるので申し訳ない気持ちになったけれど、ご厚意に甘えておくことにした。

 

『江利子をよろしくね、綾ちゃん』

「はい。お任せください」

 

 普段、少なくとも私の前では絶対に黄薔薇さまという呼び方を崩さない蓉子さま(聖さまに対しても同様だ)だけれど、ふと名前へと呼び方を変える。

 恐らくは紅薔薇さまという立場としてではなく、一人の友人としての言葉ということなのだろう。

 もちろん、そうまで言われては信頼に応えない訳にはいかない。

 私はそれに頷くと、蓉子さまとの通話を終えた。

 受話器を置いた私はリビングを出て、部屋にいるお二人に言い残してきた通りトレーニングルームへと向かう。

 廊下を奥に進むと、私は目的のドアを開けて室内へと入った。

 まず私はシャツとジーンズを脱いで下着のみの姿になると部屋の片隅にそれを畳み、用意してあったホットパンツへと履き替える。

 言うまでもなく、外出用に纏っていたそれまでの服装では運動をし辛いからだ。

 上に関しては登校する時も含めて普段からスポーツブラを着けている(部活や体育の授業でリリアンでも運動をするので)し、下は下着の上にホットパンツを履いた格好でいつもトレーニングをしている。

 自分にとってのトレーニングウェアに着替えると、私はまずはベンチプレスへと向かった。

 

 

 それからしばらく筋トレで汗を流していた私は、部屋の入口の扉が開く音を耳にしてそちらへと視線を向ける。

 住人は私しかいないのだから、扉を開けたのは客人であるお二人のどちらかしかいない。

 私の視線の先には、まず江利子さまと、その後ろに続いて由乃さんの姿があった。

 バタフライマシンに座っていた私は、握っていたグリップを離して腕を下ろす。

 

「どうなさいましたか?」

「一通り遊んだから、綾ちゃんのところに行ってみようという話になったのよ」

 

 シートから立ち上がった私が尋ねると、江利子さまから答えが返ってくる。

 楽しげな表情を浮かべている彼女とは裏腹に、どことなく不機嫌そうな様子の由乃さん。

 どうやら、レース勝負は江利子さまが勝ち越したらしい、とお二人の様子から私は状況を察する。

 

「お疲れ様でした。見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ありません」

 

 トレーニングは日課であり慣れているとはいえ、ハードであることには変わりはなく、今の私は汗に濡れて髪は乱れ肌に貼りついているような状態である。

 とても客人の前で見せられるような姿ではないので、そのことをお二人に謝罪した。

 それに対して気にしなくていい、と言ってくださった江利子さまが、私の方に近付いてくる。

 

「ん……っ」

 

 目の前で立ち止まった彼女の白く細い指先が、おもむろに私の腹部に触れる。

 そのまま腹筋の上をつつ、と撫で上げられて、肌の上を這う感触に私の喉からは思わず声が零れ出した。

 

「令もそうだけれど、あなたも腹筋が割れているのね」

「あ、あのっ、黄薔薇さま」

 

 そう言いながら、江利子さまは私の腹筋の溝をなぞったり、指で押したりする。

 さすがに男性のように鮮明に六つに割れて浮いている訳ではないものの、縦割れとでも言えばいいだろうか、それがはっきり分かる程度には腹筋が浮き出ていた。

 お腹をつつかれるこそばゆさに、私は戸惑って声を上げる。

 触れるか触れないかの強さで這い回る指と、時折触れる伸びた爪の固い感触とに反応し、身体をびくりと震わせてしまう。

 

「胸は……令よりは大きいみたいね」

「ひゃっ、そ、そこは……っ」

 

 そして彼女のしなやかな指は私の肌を這い上がり、胸部に達する。

 どうやら薔薇さま方の制服越しにもはっきりと分かる豊かなそれには到底及ぶべくもない私の胸の大きさを確かめているようで、そのまま無遠慮につつく江利子さま。

 スポーツブラの布越しとはいえ膨らみに触れられて、思わず悲鳴を上げてしまう。

 とはいえ、同性同士であるのだし、先輩である彼女の手を振り払う訳にはいかないので、すぐ後ろに先ほどまで使っていたバタフライマシンがあり逃げ場が無いこともあって、じっとしていることしかできなかった。

 無論、そうして私の身体に触れているということは、触れられるほどに近い距離にいるということ。

 こちらの方が身長が頭一つ分くらい高いので見下ろす形にこそなるものの、だからこそ自然と上目遣いになった江利子さまのぞっとするほどに美しい顔立ちに至近距離で見つめられて、私はまるで唇の端を軽く吊り上げた彼女の獲物になったかのような錯覚を感じていた。

 フェンシングの試合の際に感じるような殺気とは全く性質の違う感覚に、矢に射抜かれたように身動きが取れなくなる。

 逃げ場が無い、と言ったけれど、仮に後ろに何も無かったとしても今の江利子さまから逃れることは難しかっただろう。

 どくり、どくりと、恐らく左胸に触れている彼女の指先にまで伝わっているだろうほどに荒々しく鼓動する心臓の高鳴りが、果たして恐怖によるものなのか、それとも別の何かによるものなのか、自分でもよく分からなかった。

 

「ちょ、ちょっと、何してるんですか!」

 

 すると、横から慌てた様子の由乃さんが割り込んで、彼女を止めてくれる。

 それによりようやく身動きの自由を取り戻し、かつ気恥ずかしさから解放された私は安堵にほっと胸を撫で下ろした。

 

「何って、見れば分かるでしょう? 気になったから確かめてみたけど、綾ちゃんの胸は令より少しだけ大きいようね」

「ど、どうして黄薔薇さまが令ちゃんの胸の大きさなんて知ってるんですか!?」

「ふふ、触ったことがあるからよ。そう、令は私に胸を揉まれたことを由乃ちゃんに話していなかったのね」

 

 江利子さまによれば、私の胸は彼女の妹である令さまより少し大きいらしい。

 まあ確かめようがないので本当かは分からないし、別に確かめようとも思わないのだが、江利子さまがそう言うとそれに対して激昂した由乃さんが噛みつく。

 幼馴染としてずっと一緒に育ってきた大切な姉のこととなれば黙ってはいられないのだろうと思うが、恐らくそんな彼女の反応の理由を理解している江利子さまは、にもかかわらず面白がるような表情を浮かべて更に煽るような言葉を口にする。

 当然、彼女に向けられる由乃さんの視線はそれによって鋭さを増す。

 全身の毛を逆立てて相手を威嚇している猫を思わせるような今の由乃さんに鋭い目つきを向けられていても全く動じる様子を見せず、笑みを崩すことがないのはさすがは薔薇さまといった印象だった。

 

「た、退屈でしたら他のゲームをなさいますか? 英語のものばかりですが、カセットはいろいろ持ってきているので」

 

 薔薇さまとしての器をお持ちの江利子さまにはとても勝てる気がしない。

 とはいえ、今しがた由乃さんに助けていただいたばかりであるし、彼女を見捨てるという選択肢など私には無いので、勇気を出してお二人の間に割って入ることにした。

 レースゲームで遊び終えて退屈であるがゆえに私や由乃さんで遊ばれているのであれば、他にもいろいろあるゲームを差し出せばそちらに気を移してもらえるかもしれないと考えた私は、そう提案する。

 向こうのベンダーが発売したものということで、当然ながら全文英語であるが、江利子さまや由乃さんの英語力なら問題は無いだろう。

 

「いいえ、せっかくだからあなたがトレーニングしているのを見ていることにするわ」

「別に構いませんが……」

 

 けれども、彼女はそれを断ると、私の筋トレを見てみたいという。

 私のトレーニング風景など見ても面白いとはとても思えないけれど、とはいえ由乃さんに助け舟を出すという当初の目的は果たせそうなので、あえて何も言わないことにした。

 

「由乃ちゃんも見てみたいでしょう?」

「えっ、は、はい、見てみたいです」

 

 江利子さまが、隣にいる由乃さんに話しかける。

 急に矛先が自分からそれたことで、煽られていた感情の向け場が無くなり拍子抜けしたようになっていた由乃さんだったが、またいきなり話を振られたことに少し驚いたような反応を見せながらもそれに頷いた。

 

「では、すみませんがお付き合いください」

 

 江利子さまのみならず由乃さんまでがそうおっしゃるのならば、私としてはそれ以上何かを言うこともない。

 トレーニングメニューはイギリス時代にフェンシングを教わっていたコーチから貰ったものであるし、こちらとしても今日の分のそれをきちんと消化しておきたかったので、お二人の言葉に甘えることにした。

 

 

 

 通常、トレーニングは他人に見せるためにするようなものではない。

 にもかかわらず彼女たちに見られていたことによって居心地の悪さというか、気恥ずかしさのようなものを少し感じながらも、無事に私はメニューを消化し終える。

 汗で濡れた身体をタオルで拭かなければならないし、動きやすいように薄着になっていたので着替えなければならない(薄着であることも気恥ずかしさの理由の一つだった)ということもあり、お二人には先にリビングの方へと行ってもらっていた。

 用意しておいたタオルで汗を拭き、服を着直す私。

 着替え終えた私がキッチンへと向かうと、そこには心なしか不機嫌そうな様子のお二人の姿があった。

 ――私が抜けている間に何かあったのだろうか。

 

「どうなさいましたか?」

「夕食の献立を考えるために冷蔵庫を開けてみたの。調味料が入っていそうな棚の中も見させてもらったわ」

「はい、それは構いませんが」

 

 恐る恐る用件を尋ねると、彼女はいささか棘のある口調で冷蔵庫と棚を開けたことを告げる。

 そして、別に構わないという私の返答を耳にすると、江利子さまはどうしてかにっこりと笑った。

 この方の笑みが思わず目を離せなくなってしまうくらいに美しいことは言うまでもないのだけれど、明らかに何かにお怒りになられていると分かるだけに、その笑顔が今は逆に恐ろしい。

 

「冷蔵庫の中にケーキやお菓子しか入っていないのはどういうことなのかしら? ごみ箱も覗いてみたけど、お肉のパックや野菜くずは入っていなかったわ。棚の中もサプリメントばかりで、調味料なんて入っていないわね」

「ああ、ケーキは糖分とカロリーの補給用です。必要な栄養はサプリとプロテインで取っていますし、それで身体は維持できるので」

「食事はどうしているの?」

「どなたかとご一緒させていただく時には何かしらの料理を食べますが、一人の時は甘いもので済ませています。栄養とカロリーをきちんと確保できればそれで構いませんし」

 

 彼女に言われて、冷蔵庫の中身がケーキやその他の甘いものばかりであったことを思い出す。

 私にとって食事とは純粋に料理の味を楽しむものというよりも、身体を維持するための糖分やタンパク質を摂取する役割の方がむしろメインと言っていい。

 効率的に糖分を摂取するには甘いものが手っ取り早いし、タンパク質はプロテインを飲めばいいし、それで不足するその他の栄養素はサプリメントを飲んでおけば補える。

 もちろん、イギリスで暮らしていた頃は両親と共に住んでいたので母の作ってくれる料理を毎日口にしていたけれど、元々食へのこだわりや好き嫌いが薄いこともあって、一ヶ月と少し前に日本に来て一人での生活を始めてからは程なく今のような食生活を送るようになっていた。

 料理をすることは好きであるし以前はよく作っていたけれど、食べさせる相手が自分しかいない日々の中ではつい効率を優先してしまい、工夫して美味しい料理を作ることがどんどん後回しになっていくのだ。

 改めて考えてみると、四月に入ってから一度も料理をしていなかったことに気付く。

 もちろん江利子さまにも由乃さんにもそのような食事をさせてしまう訳にはいかないので、泊まっていかれることや料理を作ってくださることをあらかじめ分かっていたならばそのためにまともな食材を買って用意しておいたのだが、いかんせんどちらも急に決まったことなのでどうにもならなかった。

 

「そんな食生活でいいと思っているの?」

「い、いえ、よくないという自覚はありますが……」

 

 にっこりと、まるで大輪の花が咲いているかのように美しい笑顔。

 けれども江利子さまの声は凍てつく吹雪のように冷たく、怒っているとはっきり分かる彼女の様子に私は気圧されて思わず後ずさった。

 いくら栄養の計算はきちんとしているとはいえ、お世辞にも褒められた食生活ではないことは自分自身でも理解している。

 そのことを咎められてしまえば、抗弁する余地などありはしなかった。

 

「黄薔薇さまの言う通りだわ。駄目よ、こんなの」

 

 思わず目をそらした私の視線の先、こちらに鋭い眼光を向けている由乃さんも彼女に同調する。

 私のことを思ってくださっての言葉であるし、お二人が全面的に正しいのでこちらとしては返す言葉も無い。

 

「ご両親にあなたの普段の食事を伝えたら、どう反応されるかしらね」

「そ、それはご勘弁を」

 

 ぐうの音も出ずに黙り込むことになった私に、麗しい顔立ちに浮かべている笑みの質を幾分か変化させた江利子さまがそう告げる。

 慌てて静止を試みる私。

 イギリスと日本というユーラシア大陸を隔てた真逆の場所で暮らしているのである。

 ただでさえ遥か遠く離れた地で一人で暮らしていることで両親を心配させてしまっているだろうし、それ以上余計な心配の種を増やさせてしまうことは避けたかった。

 

「なら、これからは最低限きちんとした食事を取ると約束できる?」

「お約束します」

 

 この場にいるお二人とて心配して言ってくださっているのであるし、これ以上の心配をおかけしてしまいたくはない。

 料理自体はむしろ好きであるし、明日からはまた自炊を再開してみようと決める。

 

「私と由乃ちゃんに貸し一つよ」

「はい。承知しました」

 

 すると、ようやく表情と雰囲気を軟化させた江利子さまが私にそう告げる。

 もちろん、非があるのはこちらなのだから私に否やはない。

 由乃さんはともかく、楽しいことがお好きな江利子さまにどのようなことを求められるか少し怖くないと言ったら嘘になるが……それも含めて甘んじて受けるべきだろう。

 

「それじゃ、材料を買いに行きましょうか。荷物を持ってもらえる?」

「もちろんです」

 

 当然ながら、近頃ろくに料理をしていなかった以上、肉や野菜のような食材などこの家には全く無い状態であり、料理をするにはまず食材を用意するところから始めなければならない。

 私は荷物持ちとして彼女が食材を見繕うのに同行することになった。

 この家は駅から徒歩十分程度の場所にあるので、その周囲にある商店街などへも歩いて気軽に行ける程度の距離である。

 そのため、こうして急遽買い物に行くことになっても困らないのが幸いだった。

 準備と言っても、三人とも元々数時間前まで外出していた身なので、ほとんど時間を要せずにすぐにでも出ることができる。

 家を後にした私たちは、少し前に通った道を今度は逆に辿って駅の方に向かったのだった。

 

 

 

 

 江利子さまは先輩であるし、病弱な由乃さんに重いものを持たせる訳にはいかない。

 今日の夕食と明日の朝食の分だけでなく、きちんと作って食べると約束したそれ以降の食事の分のことも考えて買ってくださった肉や野菜が大量に入った買い物袋を両手に提げた私は、商店街での買い物を終えて家に戻ってきていた。

 買ったものを冷蔵庫の中に詰め終えると、私たちはソファーに座り商店街まで歩いていったことで疲れた身体を休める。

 

「それじゃ、そろそろ夕食を作ってくるわ。エプロンを貸してもらえる?」

「少しお待ちください……どうぞ」

 

 壁の時計を見ると、時刻はもう五時半を過ぎている。

 買い物をしていたりしたこともあって、いつの間にか夕食を作り始めるのにちょうどいい時間になっていたらしい。

 冷たい麦茶を飲んで少しの間身体を休めた江利子さまは、ソファーから立ち上がるとエプロンを求める。

 最近使っていなかったので、確か棚の引き出しの中に入っていたはずだった。

 私がそれを取って差し出すと、彼女はすっかり宝の持ち腐れ状態になっていた私のエプロンを着け、夕食を作るためにキッチンに向かう。

 エプロンを着けた江利子さまという普段まず見ることのないだろうお姿(同じクラスの方なら調理実習の際に目にする機会もあるのだろうけど)に思わず見とれてしまいつつ、手伝いを申し出たものの待っているように言われた私は彼女を見送る。

 同時に、由乃さんは室内にある電話の方に向かう。

 夕食はここで食べていくのでいらないと、ご両親に伝えるためだ。

 手持ち無沙汰になった私は、今のうちにダイニングのテーブルの上を片付けておくことにした。

 

 その後、戻ってきた由乃さんと話しながら待っていると、しばらくしてキッチンから江利子さまが料理の完成をこちらに告げる。

 料理を運ぶために立ち上がった私はそちらへと向かう。

 やはり調理実習以外ではリリアン生が口にする機会などほぼ無いだろう彼女の手料理は、リビングにまで美味しそうな香りを運んでくる。

 大小それぞれの皿や器の中に目を向けると、どうやらメニューは肉じゃがとほうれん草の卵とじ、そして豆腐らしい。

 三人でそれらをテーブルの上に運ぶと、椅子に腰を下ろして席を囲む。

 リリアン生らしいと言うべきか、食事の前にお二人の唇から紡がれるのは祈りの言葉。

 それが終わり、私も手を合わせて箸を取ると、じゃがいもを口に運ぶ。

 まだとても熱いじゃがいもには恐らく醤油ベースだろう出汁が中まで染み込んでいて、歯を立てると熱気と共に風味が口の中に広がる。

 意外、と言ってしまっては失礼かもしれないけれど、珍しいものがお好きな江利子さまの料理の味は正統派なもので、非常に美味しかった。

 これは私事だが、外食以外できちんとした食事を取ったのは随分と久々のことなので、その意味でも感動が大きい。

 

「美味しいです。毎日でも食べたいくらいに」

「ありがとう。鍋の中にまだそれなりに入っているから、足りなければ注いできなさい」

 

 率直な感想を彼女に伝える私。

 これほど美味しければ、毎日食べたとしても飽きることはないだろう。

 江利子さまに手料理を振る舞っていただく機会に恵まれたのは幸運だった。

 きっと、今器に入っている分が無くなったら注ぎに行くことになるだろう。

 次にほうれん草の卵とじに箸を伸ばしてみると、こちらは肉じゃがとは違ってやや甘めの味付けで、やはりとても美味しい。

 隣では、由乃さんも目を少し見開いて驚きを露わにしている。

 誰かと食卓を囲みながら美味しい料理を食べる幸せを感じながら、私は夕食を口にしていった。

 

 食事を終えると、私は空になった皿や器をシンクへと運んでもう少ししたら洗うために水に浸けておく。

 客人である江利子さまに手料理を振る舞っていただいたのだ、せめて片付けや食器洗いくらいはしなければ申し訳がなかった。

 そしてリビングに移動した私たちが会話を楽しんでいると、門に取り付けられたチャイムが鳴る。

 来訪者は令さまだろう。

 病弱な由乃さんを、既に外が暗くなっているこの時間に一人で帰らせてしまう訳にはいかない。

 そのため、彼女をご自宅までお送りするつもりだったのだが、彼女は夕食前に電話で姉である令さまに迎えに来るように頼んでいたそうなのだ。

 お二人に断って玄関に向かった私は、靴を履いて外に出ると、令さまのお姿を確認して門を開ける。

 

「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ。このような時間にご足労願ってしまい申し訳ありません。どうぞお入りください」

「ごきげんよう。立派なお屋敷だね」

「ありがとうございます。これだけ広くても、実際に使うのはごく一部でしかないのですが」

 

 時間を問わず使うことができるのが、ごきげんようという挨拶の最大の長所である。

 本当であれば私がお送りせねばならないにもかかわらず、わざわざ足を運んでいただくことになってしまったことを謝罪すると、彼女を中に招き入れた。

 

「ごきげんよう、お姉さま、由乃」

「ごきげんよう、令」

 

 玄関には既にお二人の姿があり、顔を合わせた彼女たちは互いに挨拶を交わし合う。

 期せずして、この場には黄薔薇ファミリーが勢揃いすることとなっていた。

 しばらく姉妹水入らずで会話に花を咲かせる彼女たち。

 黄薔薇ファミリーでもない私が割って入るのも無粋だと思うので、一歩引いた場所から眺めることにする。

 

「そういえば、綾ちゃんの胸は令より少し大きかったわよ。令の胸と違ってしっかり触った訳じゃないけど」

「お、お姉さま」

「黄薔薇さまっ!」

 

 ふとこちらにちらりと目線を向けて意味深げに笑みを浮かべた江利子さまがそう口にすると、頬を染めて動揺を見せる令さまと、また猫が全身の毛を逆立てているような雰囲気で抗議をする由乃さん。

 もちろん、その言葉にはお二人ばかりでなく私も気恥ずかしさを覚えてしまう。

 そんな私たちの様子を楽しげに眺める江利子さま。

 とても敵う気がしないというか、たった一言でいとも簡単に私たちを手玉に取ってしまわれるのはさすがと言うほかなかった。

 

「ああ、令にはちゃんと許可を取ってから触ったわよ?」

「うぐ……っ、だ、大体、令ちゃんもいつの間にそんなことを!」

「よ、由乃、その」

 

 実に楽しそうに、由乃さんの剣幕を更に煽るようなことを言う江利子さま。

 それに呻くような声を零した由乃さんは、矛先を江利子さまから姉である令さまに移す。

 触った江利子さまよりも、それを承諾した令さまの方に怒りが向かったらしい。

 その剣幕にたじたじとなっている令さま。

 彼女が助けを求めるような目線を送られていたので、頃合いを見計らって助け舟を出そうと思っていた私だが、意外にもそれより先に助け舟を出したのは由乃さんを煽った張本人である江利子さまだった。

 

「それなら、由乃ちゃんも後で令に触らせてもらえばいいじゃない。あなたたちはいつでも一緒にお風呂に入れるでしょう?」

「……そうですね。令ちゃん、帰ったら一緒にお風呂に入ってもらうからね」

「え、ええ、分かったよ」

 

 ――もっとも、それは果たして本当に助け舟と言えるのかどうか分からなかったけれど。

 その提案を受け入れた由乃さんは、どこか据わった目つきで令さまに対して迫る。

 気圧されたような様子で令さまはそれに頷いた。

 剣を持って向かい合った時にはあれほど凛々しかった令さまが、妹のことになると一転して振り回されるような形になる。

 そんなギャップはこうして実際に目の当たりにしなければ分からなかったことだけれど、微笑ましいと表現してしまえば失礼かもしれないが、とても魅力的に感じられた。

 ともかく、江利子さまのお言葉のおかげで(令さまにとっては幸か不幸か)場が収まったので、由乃さんが帰宅する流れになる。

 靴を履いた彼女は、先を急ぐように令さまの腕を引っ張った。

 お二人の後を追うように、私も門を開けるためにまた外に出る。

 

「ごきげんよう、黄薔薇さま、綾さん。また明日ね」

「ちょ、ちょっと由乃。ごきげんよう、お姉さま、綾ちゃん」

「ごきげんよう。お二人とも、本日はありがとうございました」

 

 挨拶を交わすと、令さまは由乃さんに引っ張られるようにして門の外へと消えていく。

 彼女たちの姿をしばし見送り、姿が見えなくなると、私は門を閉めて屋内へと戻ったのだった。




更新が遅くなってしまいすみません。
当初は由乃さんとのデートから日曜日が終わるまでひっくるめて1話で書ききるくらいのつもりだったのですが、実際に書いてみると予想外に描写が膨れ上がったのでいくつかに分割することになりました。
書き進めるたびに何故だか綾の食生活がどんどん残念なことになっていきますw

サイトではこの話以外にマリみての短編を2つ載せているのですが、それらに加筆と校正をしてこちらにも載せました。
月と薔薇とは何の関係も無い三人称の短編です。
よければご覧ください。


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20

 翌朝、心地のいい眠りの世界へと意識を沈めていた私は、身じろぎの気配を感じて目を覚ます。

 瞼を開くと、視線の先には身体を起こしてベッドの縁に座っている江利子さまの背中。

 

「ごきげんよう、江利子さま」

「ごきげんよう。起こしてしまってごめんなさいね」

 

 果たしてこんな場面でもごきげんようを使うべきなのだろうか、と鈍った頭で考えながら、私は彼女に朝の挨拶をする。

 すると、まだカーテンが開けられておらず薄暗いために表情は窺い知れないものの、こちらを振り向いた江利子さまはそう言葉を返してくださった。

 

「いえ、お気に……」

 

 客人である彼女が既に目を覚まされているというのに、私だけ横になっている訳にはいかない。

 起き上がろうとした私だけれど、江利子さまの細い手が軽く私の肩を押し留めたことによってその動きは止められる。

 

「悪いけど、寝起きだから少しここにいてもらえる? 準備ができたら呼ぶわ」

「分かりました」

 

 寝起きのお姿を見られたくないということなのだろう。

 それに頷くと、立ち上がった彼女はそのままこの部屋を後にされ、私はいつものように室内に一人になる。

 客間の準備ができていないので、江利子さまにベッドを使っていただいて私はソファーか床で眠ろうと思っていたのだが、結局彼女に押し切られる形で一緒に眠ることになったのだ。

 とはいえ私が隣にいては狭いだろうから、眠りにつかれた頃合いを見計らってこっそり抜け出そうとしたものの、実は起きておられたのかちょうどそのタイミングで腕を抱き枕のように抱えられて機を失ってしまったのだが、ともあれ緊張した私はなかなか眠ることができず、そのせいかいつもと比べてずっと眠気が強かった。

 とりあえず、江利子さまの身だしなみを待っている間にこちらも準備を済ませておくことにし、ベッドから起き上がった私はまず窓際に向かってカーテンを開ける。

 遮るものを失った朝日が部屋へと差し込み、暗闇に慣れていた私の視界は少しの間光の奔流で埋め尽くされた。

 それによって色濃く残っていた眠気を吹き飛ばした私は、窓を開けて大きく伸びをすると、夜の暗闇に熱を奪われた冷たい空気を肺へと吸い込む。

 ひんやりと心地のよさを感じながら、腕を下ろした私は着替えるためにタンスの方へと向かった。

 

 

「綾ちゃん」

 

 着替え終えたりいろいろ他のことを今のうちに済ませていると、起きてから二十分ほどして一階から江利子さまの呼ぶ声が聞こえる。

 身だしなみを整えられたのだろう、こちらも部屋にいてできることはあらかた終えていたので、その声に従って私は部屋を出、階段を下りた。

 ひとまず洗面台に立ち寄って手早く顔を洗い、歯を磨くと、朝食を作るためにキッチンに向かう。

 ――すると、ガスコンロの前にはエプロンを着けた江利子さまのお姿があった。

 既にトレードマークとも言えるカチューシャも着けられており、少し前まで寝起きだったことなど微塵も感じさせない。

 

「もう少しで出来上がるから少し待っていてね」

 

 ドアが開く音で私が入ってきたのを察し、こちらを振り返った彼女はそう告げる。

 どうやら、私は昨夜夕食を作っていただくばかりではなく、朝食まで客人である江利子さまに作らせることになってしまったらしい。

 

「申し訳ありません、江利子さま。昨夜もご馳走になってしまったのに」

「そうね、もう一つ貸しにしておくわ」

「必ずお返しします」

 

 謝罪をすると、そう言って彼女はくすりと笑みを見せた。

 誰もが見惚れてしまうだろう美しい表情に思わずどきりと胸を高鳴らせた私は、けれども同時にその言葉にほっとする。

 昨夜の分に加えて借りが更に増えてしまったけれど、借りという形であればいつかしていただいた分をお返しできるので、していただいたきりになってしまわないことで少しだけながらも心の中にある罪悪感や申し訳なさが和らいだのだった。

 そんな私の様子を見てまたくすりと微笑むと、江利子さまは再び手にしたフライパンの方に向き直る。

 

「できたから運んでもらえる?」

「はい」

 

 そうこうしているうちに料理が完成したようで、火を止めてフライパンの中身を皿の上に移していた彼女が再びこちらを振り返った。

 近付くと、皿の上には塩こしょうがかかった目玉焼きとベーコン、そしてレタスとトマトのサラダが盛り付けられ、別の器には色合いからして恐らくじゃがいもだろう白いポタージュ。

 視覚的にとても美味しそうなのはもちろんのこと、焼けたベーコンの香りが私の食欲をくすぐる。

 空腹を煽られつつ、私はそれらをダイニングの方へと運んでいく。

 その間に江利子さまは、キッチンに備え付けになっている大きなオーブンの中から昨日食材を買いに行った際に商店街のパン屋で購入したクロワッサンを取り出して別の皿の上に置いていく。

 皿とスープを運び終えた私は、その間に冷蔵庫からやはり昨日買ったバターと苺のジャムを出し、食器棚からスプーンとフォークとバターナイフを二本ずつ取ってまたダイニングに戻る。

 すると、程なくしてこちらに来た彼女が両手に一つずつ持ったクロワッサンの乗った皿を互いの席へと置き、そして椅子に腰を下ろす。

 食欲を誘うベーコンの匂いに、焼けたパンの香ばしさが混じる。

 こうして全てのメニューが並んでいるのを見ると実に本格的な朝食で、昨夜の夕食が家の中で食べる久々のまともな夕食だったのと同様、これもまた随分久々に口にするまともな朝食だった。

 私が対面の席に座ると、江利子さまは手早く祈りの言葉を口にし、クロワッサンを千切る。

 手を合わせて同じように一口分千切った私は、まだ熱いそれにバターとジャムを塗って口に含ませた。

 さくさくとした食感と小麦の濃厚な香り、そして苺の甘みとが口の中に広がる。

 さすがは専門店というべきだろうか、今まではケーキ類とサプリだけで済ませるか、そうでなければ外食するかのどちらかだったので存在こそ知っていても足を運んだことがなかったけれど、これほど美味しいのならせっかく近くにあるのだから度々買いに行ってもいいかもしれない。

 こうした新たな発見をすることができたのも、江利子さまがいらしてくださったおかげだった。

 

 かなり本格的な朝食を取り終えると、私は使い終えた食器をシンクへと持っていく。

 昨夜に続いて今朝も食事を作っていただくことになってしまったのである、後片付けくらいするのは当然のことだろう。

 四月のまだ冷たい水がお湯になるのを待って洗い終えると、そんな私の様子を眺めていた江利子さまがこちらに近付いてくる。

 

「お弁当よ」

「本当に、なんとお礼を申し上げていいか」

「気にしなくていいわ、いつか返してもらうから」

 

 そう言って、恐らく弁当箱だろう、彼女はハンカチに包まれたそれをこちらへと差し出す。

 どうやら、料理だけではなく昼食のお弁当までも作っていただくことになってしまったと理解する私。

 本来は私が全てすべきことだったというのに、先輩である上に客人である江利子さまにしていただいてしまったのは非常に申し訳ないことであるのは言うまでもない。

 よもや朝食だけでなく既にお弁当まで完成しているとは思ってもいなかったが、驚きを抑え込んで慌てて感謝の言葉を口にした。

 例によって昼食も普段は購買でパンを買うかミルクホールで何か頼むかで、入学して以来お弁当を持参したことなど一度も無かったのである。

 当然、一緒にお昼を食べることが多かった由乃さんなどはそのことに気付いていただろうけど、江利子さまも彼女から聞いてご存知だったのかもしれない。

 私のろくでもない食生活のせいでこれほどまでにお気遣いいただくことになってしまったのだから、今日からはちゃんとしたものを作って食べようと食生活の改善を改めて心に誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間に余裕がかなりあったのでしばらく二人でリビングでくつろぎ、頃合いを見計らって制服を身につけて二人で家を出る。

 今日は朝のうちにしておかなければならないような山百合会の仕事も無いそうであるし、その方が楽に登校できるだろうから自転車をお貸ししようとも思ったのだけれど、ここからリリアンに向かうのは初めてで道がよく分からないということもあって、一緒に歩いて登校させていただくことになったのである。

 

「歩いて登校するのは初めてなのだけど、たまにはこういうのもいいわね」

「私も、どなたかとご一緒させていただくのは初めてなので新鮮です」

 

 まだ太陽に熱せられていない朝の涼やかな風を浴びながら住宅街の中を歩いていると、楽しげな笑みを浮かべた江利子さまがそう口にする。

 彼女は普段は車で登校されているそうなので、歩いて通うというのが新鮮なのだろう。

 リリアン生のかなりの部分は電車でM駅まで来てそこからバスでリリアンに向かわれていて(K駅からも循環バスが出ているそうなのでそちらを利用している方も多いらしい)、私のように近場から通う生徒は少なく、しかも自転車通学の生徒の数はかなり限られているので、こうして他の方と一緒に登校するというのは私にとっても新鮮なことだった。

 

「家族が過保護だから、電車通学させてもらえないのよ。幼稚舎の頃はバス通学だったのだけどね」

「ご家族に愛されておいでなのですね」

 

 そう苦笑される江利子さま。

 リリアンに通われているということはお嬢様であるということなのだし、車で送り迎えして大切な愛娘の安全を守りたいと考えている家があることは特に不自然とは思わなかった。

 勝手な推測になってしまうが、私の家に泊まっていかれるきっかけであったお父様との喧嘩というのも、その辺りのことでなのかもしれない。

 そんな風に会話をしていると、やがて駅の近くへと差し掛かる。

 まだ朝が早いとはいえ、通勤通学ラッシュの時間帯なので人波はかなり激しい。

 いつもは自転車ということもあって危ないので人の多いこの道を避けて他の道を使っているのだけれど、徒歩ならば駅の近くを通る方が近いのだ。

 昨日の昼にそうしたように、私は一歩前に出て人波をかき分け、電車通学をされたことがないがゆえにこのような喧騒に慣れていないだろう江利子さまのための通り道を作る。

 時々、人波の中にリリアンの制服を着た少女の姿もちらほらとあり、彼女たちからごきげんようとリリアン生ならではの声をかけられることもあった。

 もちろん、こちらも同じようにごきげんようと返しつつ歩を進めていく。

 

「大丈夫でしたか?」

「ええ。ありがとう」

 

 少なくとも平均的なリリアン生よりは物理的な意味での身体の頑強さに自信はある(果たして誇るべきことなのかは別だが)けれど、それでも不特定多数の人の流れに抗うのはなかなかに大変である。

 踏切を渡ったりしてようやく北口の付近にあるリリアン行きのバス停にまで辿りつくと、一度肩の力を抜いて後ろにいた江利子さまに尋ね、先に乗っていただくために場所を入れ替わった。

 最寄り駅であるとは言っても、単に一番近い場所に建っている駅がここであるというだけで、別に距離的にリリアンの近くにあるという訳ではない。

 自転車ならばともかく、徒歩だと少々大変な距離で時間もかかってしまうので他の多くの生徒たちと同じようにバスに乗らなければならないのだ。

 幼稚舎の頃はバス通学だったと少し前におっしゃっていたが、逆に言えば初等部に入学して以降は久しくバス通学をされていなかったのだろう。

 そんな江利子さまにとってはこの状況も新鮮なようで、その表情は楽しげに輝いていた。

 整った美貌をお持ちの彼女がきらめくような表情を浮かべている姿はあまりに麗しく、私ばかりでなく近くにいる他のリリアン生の方々も見とれているのが分かる。

 さすがは黄薔薇さまというべきか、周囲の少女たちから列を譲られ、ありがとうと言いながらもそれを断られる江利子さま。

 当然ながら、バスに乗るために並んでいる方の大半がリリアン生であり、途中で降りるのかあるいはリリアンより向こうに職場があるのか、列にまばらに混じっているスーツを着たサラリーマンと思しき男性たちはどことなく居心地が悪そうだった。

 あまりじっと見つめているのも失礼なので彼女から視線を離した私は、このような機会でもなければ目にすることがないだろう周囲の様子を興味深く観察する。

 初めてのシチュエーションなので特に何かしているわけではなくとも新鮮で楽しく、彼女のお気持ちがよく分かった。

 バス停に書かれている時刻表を見てみたりもしたが、通学ラッシュに重なるためかこの時間帯は本数がわりと多いらしい。

 そうこうしているとバスが着き、列が動き始める。

 車体の中央付近の入り口から乗り込んだ私たちは、空いていた席に並んで腰を下ろす。

 瞬く間に満員になる車内。

 やがて反対側の窓が乗客たちの身体で遮られて見えなくなると、扉が閉まる時の空気が抜けるような音が聞こえて車体が動き出す。

 普通なら窓の外の景色を眺めるのだけれど、今は車内の混雑もあって見えない状態なので、江利子さまは顔を少しこちら側に向けて背後の窓を眺められていた。

 釣られて私もそちらを見ると、ガラスの向こうにはまだ引っ越してきたばかりである上に普段通らないので初めて目にする景色が流れていく。

 時々、鏡のようにうっすらと映る彼女の麗しい容貌に意識が向いたりしつつも、私たちは小さな非日常を楽しんでいた。

 

 いくつかのバス停を経由し、十数分ほどしてバスはリリアンの近くに停車する。

 元々、乗客のほとんどがリリアン生だったこともあり、一気にがらりと閑散に包まれる車内。

 私たちも料金を払って前方の出口から降りると、周囲の流れに従って正門の方へと歩いていく。

 大きな門を潜ると、少し先にはいつも目にしているマリア像がある。

 そこに差し掛かると少女たちは立ち止まって祈りを捧げ、私はその邪魔にならないように少し後ろに下がって江利子さまを待つ。

 

「噂で聞いたことはあったけど、本当に祈らないのね。白薔薇さまと同じだわ」

「信仰心があるわけではありませんから」

「まあ、私も祈ったのは随分久々だけどね」

 

 再び肩を並べて校舎に向けて歩き始めると、彼女は面白そうに私のことを見つめる。

 聖さまと同じ、という言葉には探るような色が感じ取れた。

 一度死んでいるから、と本当の理由を口にしても信じてもらえないだろうから、嘘にならない程度に無難な答えで濁していくことにする。

 その答えに納得してくださったかは表情からは読み取れなかったが、そう口にした江利子さま。

 普段は車で送り迎えをされて裏口から登校しているそうなので、マリア像の前を通る機会そのものがあまり無いということなのだろう。

 ふと視線を感じて道の脇にある茂みの方に視線を向けると、そこには緑に紛れて分かりづらいけれど蔦子さんの姿があった。

 カメラのレンズに隠れていて表情は窺えなかったが、どうやらここで登校する生徒たちの姿を撮影していたらしい。

 私の視線を追って、隣を歩く江利子さまもそれに気付かれたようで、彼女はカメラの方に軽く笑みを向けた。

 

「昼休みが始まったらお弁当箱を持って薔薇の館に来なさい。お昼に来たことは一度も無かったでしょう?」

「ありがとうございます。由乃さんもお誘いしても?」

「もちろんよ」

 

 図書館の脇を通り抜けた先に高等部の校舎はある。

 黄薔薇さまである江利子さまと一緒に歩いているためか少女たちの視線が集まっているのを感じながらも図書館の前に差し掛かると、彼女が口を開く。

 それはお昼を一緒に食べようというお誘いだった。

 光栄なことなので頷いた私が普段ご一緒することの多い由乃さんを誘っても構わないかと尋ねると、江利子さまはそれを快諾される。

 以前由乃さんがちらりとおっしゃっていたことがあったが、山百合会の方々は薔薇の館で昼食を取られることも時々あるのだという。

 そこにご一緒させていただけるというのは、とても幸せなことだった。

 

「それじゃ、またお昼に会いましょう」

「はい。今朝はありがとうございました」

 

 昇降口の前に着くと、学年の違う私たちは別れの言葉を交わす。

 立ち並ぶ靴箱に遮られてお姿が見えなくなる直前、微笑んだ江利子さまはこちらに軽く手を振ってくださった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二限目が終わった休み時間、私は移動教室のために教科書やノートと筆箱を抱えて廊下を歩いていた。

 すると、向こうから長いポニーテールを揺らした少女がこちらに向かってくるのが見える。

 新聞部の部長をされている築山三奈子さまだ。

 

「ごきげんよう、綾さん。少しいいかしら」

「ごきげんよう。数分であれば」

 

 どうやら偶然すれ違ったというわけではないようで、彼女は私の前で立ち止まった。

 新聞部という三奈子さまの活動のことや、以前見せていただいたことのある過去のリリアンかわら版の内容を考慮すれば、用件が何であるかは容易に想像がつく。

 登校中も随分と注目を浴びていたし、しがない一年生である私が一体何故黄薔薇さまである江利子さまとご一緒していたのか、ということについてだろう。

 

「三年でも噂になっていたけど、今朝黄薔薇さまとご一緒に登校されたそうね」

「はい。昇降口までご一緒させていただきました」

「江利子さまが車で登下校されているのは有名だし、綾さんも自転車通学よね。どうして今日に限って二人でバスに乗っていたの?」

「自転車がパンクしてしまったので、今朝は徒歩で駅まで行ったのですが、そこで偶然黄薔薇さまのお姿を見かけてご一緒させていただきました。黄薔薇さまの事情はお聞きしていないので分かりません」

 

 普通であれば私と江利子さまの登校が一緒になることはあり得ないと気付かれたらしい。

 そう尋ねてくる三奈子さま。

 とはいえ、彼女には申し訳ないが、江利子さまのご家庭の問題なのだから私の一存で言ってしまうわけにはいかない。

 騙してしまう形になることは少し心苦しかったが、とっさに思いついてそれほど不自然ではないと判断した嘘の説明をする。

 

「……そう、それは凄い偶然ね」

「もう二度と無いことかもしれませんし、本当に幸運でした」

「まあいいわ、どんなことを話されたの?」

 

 あまり納得はされていなさそうなご様子だったが、皮肉めいた台詞に気付かないふりをして言葉を返す。

 すると、追求を諦めてくださったようで、今度は江利子さまと道中で交わした会話の内容を尋ねられる。

 

「特別なことは何も。お互い普段はバスで通学しませんから、たまには新鮮でいいですねと話していました」

「……ありがとう、呼び止めてしまってごめんなさいね」

「いえ、お気になさらず」

 

 これに関しては嘘ではない。

 道中で話したのはおおよそこういう会話だったからだ。

 我ながら読み物として面白くない答えだというのは分かっていたが、やはり三奈子さまとしても不満だったようで、少し難しそうな色を見せながらもインタビューを終えられる。

 手帳を眺めながら思索に耽っている彼女は、そのまま私とは逆の方向へと歩き去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わり、昼休みになると、私はお弁当箱を持って由乃さんと一緒に薔薇の館へと向かっていた。

 いつも購買でパンを買ったりミルクホールで何か注文したりしている私がそれを持っているのが物珍しいのか、彼女が私の手元をちらちらと見つめているのが分かる。

 

「珍しいですよね、今までお弁当を持ってきたことなんてありませんでしたし」

「え、ええ」

「実は、黄薔薇さまに作っていただいてしまいまして。お二人に心配をおかけしてしまいましたし、明日からは自分でお弁当も作って持ってくるつもりです」

 

 今までお弁当など作ったことがなかったのは確かなので不思議に思われても仕方ないし、私は苦笑してそう切り出す。

 もっとも、そうした我ながらひどい食生活のせいで心配させてしまうようなことになってしまったのであり、江利子さまに作っていただいた今日はともかくとして、明日からはきちんとお弁当も作ってくるつもりだった。

 今朝とて、本当なら朝食を作るついでに江利子さまと自分の分のお弁当も作ろうと思っていたのである。

 

「……黄薔薇さまが」

「どうかされましたか?」

「い、いえ、そういえば綾さんって自己紹介の時に料理が趣味って言ってたのを思い出して」

「信じていただけないかもしれませんが、これでもイギリスにいる時はよく料理を作ってたんですよ。一人暮らしを始めてからは食べさせる相手が自分しかいないので、どんどん手を抜くようになってしまいましたが」

 

 お弁当が黄薔薇さまが作ってくださったものだと聞くと、それをじっと見つめて何かを考えるような表情を見せた由乃さん。

 どうしたのだろうと尋ねてみると、入学式の日にした自己紹介のことを口にされる。

 あの食生活を知られてしまった後では恐らく信じてもらえないだろうと思うが、料理をするのが好きだというのは本当だった。

 

「そ、それじゃ、今度何か食べさせてもらってもいいかしら?」

「もちろんです。明日のお弁当は少し多めに作ってくることにします」

 

 昨夜買い物をした分で数日分の食材は大丈夫だろう。

 そんな会話をしながら中庭を少し歩くと、薔薇の館へと到着する。

 そろそろ見慣れてきた古びてはいるが威厳のある館の扉を開けると、木の軋む音がした。

 それなりに大きな音であり、仕事のお手伝いで何度もお邪魔させていただいているので知っているが、二階にいても扉が開く音で誰かが訪れたことが分かるのである。

 階段を上り始めると、軋む音はさらに大きく響く。

 学園側がそのままにしているのだから特に耐久性に問題は無いのだろうと理性では分かっているけれど、それでも一歩踏み出す度に耳に届く音は、板を踏み抜いてしまわないだろうかと不安になるには十分なものだった。

 上りきり、これまたもう見慣れてきている茶色い扉を開けると、その向こうには江利子さまと令さまのお姿。

 どうやら江利子さまは令さまのことも誘われていたようだった。

 

「ごきげんよう、黄薔薇さま、黄薔薇のつぼみ」

 

 お二人にそう挨拶をして、テーブルの上に弁当箱を置いた私はお茶を淹れるためにシンクの方に向かう。

 普段からしていることなので、そろそろ手際も身についてきている。

 手早くそれぞれの好みの銘柄を淹れ終えると(相変わらず江利子さまに関しては無難なものになってしまうけれど)、カップを運んでいく。

 全員の前に配り終えると、席についた私は包んでいるハンカチの結び目を解いて弁当箱を取り出す。

 中身は私も知らないのである、どんなお弁当を作ってくださったのか、蓋を開けるのを朝から少し楽しみにしていたのは確かだった。

 日本に来てすぐの頃に買ったはいいものの、結局今日まで一度も使ったことがなかった弁当箱。

 開けてみると、中には玉子焼き、じゃがいものベーコン巻き、汁が零れないようラップで包まれたほうれん草のお浸し、にんじんやりんごの入ったポテトサラダなど、実に色鮮やかで美味しそうなおかずの数々。

 

「こんな豪華なお弁当をありがとうございます、黄薔薇さま」

「いいのよ。私も腕の振るいがいがあったしね」

 

 私が感激していると、彼女たちは食事前の祈りの言葉を紡ぎ、そして箸を取る。

 手を合わせた私も箸を取って、まず玉子焼きを箸で一口分割って口に運ぶ。

 玉子焼きの味付けにもいろいろ種類があるけれど、これはやや甘めの味付けがされていて、舌に触れると度が過ぎない程度の甘みが広がった。

 甘みが強すぎないのでご飯にも合うし、飽きが来ないのでいくらでも食べられそうな味である。

 次に、じゃがいものベーコン焼きの箸を伸ばす。

 ベーコンがずれないように気をつけながら歯を立てた私は、思わず軽く目を見開く。

 どうやらじゃがいもは昨日の夕食の肉じゃがの残りを使っているようで、醤油ベースの出汁の味が深く染み込んでいたが、それが軽く火を通したベーコンと実に合っているのである。

 料理のレパートリーの中に追加して、自分でもこれを作って食べたいと思うくらいだった。

 

「令、そんなに綾ちゃんのお弁当が気になるの?」

「そ、その」

「私の分も中身は同じだから、食べたいなら分けてあげるわ。ほら、口を開けなさい」

 

 そんな風に江利子さまの手料理の味を楽しんでいると、やはり妹として姉の作った料理が気になられるのか、ちらちらと私の弁当箱に視線を向けられる令さま。

 その目線に気がついたらしく、隣に座る江利子さまがからかうように言うと、彼女は動揺を見せる。

 剣を持って向かい合った時の凛々しさとは似ても似つかない、姉である江利子さまや妹である由乃さんに対した時の令さまの少し頼りないご様子は、失礼ではあるけれどやはり私には可愛らしく感じられた。

 そんな彼女に追い打ちをかけるように、自分の弁当箱の中からじゃがいものベーコン巻きを取ると、江利子さまはそれを差し出しながら口を開けるように促す。

 やはり食べさせてもらうというのは羞恥を感じるのか、令さまは顔を真っ赤にしながらも観念したように目をつむって口を開け、それを口にする。

 お二人の様子をテーブルを挟んだ反対側の席から目にすることになった由乃さんが、鋭い目できっと江利子さまを睨んだのが気配で分かった。

 どうやら、令さまの反応だけでなく由乃さんの反応まであらかじめ予想していたようで、くすりと笑ってこちらに楽しげな表情を向けた江利子さま。

 さすがは黄薔薇さまというべきか、私たちでは江利子さまの手のひらの上から逃れることはできないようだった。

 




武蔵野や三鷹などあの方面には一度も行ったことがない(マリみてカフェの時に阿佐ヶ谷までは行きましたが)のですが、リリアン生が通学に使っているバスって、真ん中から乗って降りる時に前の出口でお金を払う方式でいいのでしょうか。
それとは逆に、乗る時に前の入り口で先にお金を払って真ん中の出口から降りるタイプのバスも普通にあるので、三鷹駅前から出ているバスはどちらなのだろう、と。
綾の存在や行動によって変わってくることや、原作に描写がなく独自設定での補完が必要な点などの最低限の部分以外は原作(または原作に描写が無い場合はそのモチーフとなったもの)に忠実にいきたいと思っているのですが、いかんせんあの辺りに行ったことがないので地理的なことがほぼ全面的に原作の本文中の記述とGoogle Map頼りになってしまっていて、気付かぬうちに描写がおかしなことになっていないかと不安です。
聖地巡礼というわけではありませんが、地理的な感覚を得るために、時間がある時に一度三鷹や吉祥寺に行って現地を実際に歩いてみた方がいいかもしれないなと思っています。


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