五河ディザスター+ナイトメア (茶漉し)
しおりを挟む

時崎狂三、参戦

 運動部の大会の雰囲気とはこんなのだろうと、何となく十香は思った。

 来禅高校に通ってからと言うものの、これと言って部活動に所属せず、士道とご飯を食べたり、亜衣麻衣美衣と喋り合ったり折紙と喧嘩したりでそんな事には無頓着だったが会話や校庭を見て、何となくそこはかとない緊張感や高揚感は伝わっていた。

 そしてこの緊迫感を発している目の前の少女を見やる。

 長い髪を黒いリボンで二つに括った勝ち気そうな少女。士道の妹にしてラタトスクの指令・五河琴里である。

 彼女のいつも可愛らしいドングリ型の眼は全てを圧倒するかのような威圧感に満ちていた。

「いい。一つ余計なものが混じったけど、やる事は変わらないわ。寧ろ頑張った娘にはうれしいご褒美が待ってるわ。お互い手加減なしの全力で行くわよ!」

 琴里の鼓舞に十香と隣にいる四糸乃は戸惑ってしまう。

 幾ら士道を救うためとは言え、予想外の事態が起きたのだ。

 そんな事態に余裕綽々なのは四人。

「ふっ、序列争いは我ら八舞の独壇場。それは例えこの魅力勝負でどこぞの馬の骨が招き入れようと物の数ではない」

「確信。夕弦と耶俱矢に怖いものなし。士道のご褒美は貰ったも同然です」

「琴里の言う通り。大した事はない。士道は私が貰う」

「ふふ、ダーリンも良い趣向を思い付きましたねえ。おかげでやる気倍増ですよ」

 耶俱矢、夕弦、折紙、美九は琴里に意気込み満々のようだ。それとは対照的なのは自分達より少し離れている暗い目付きの少女。

「ホント自信満々ねえ。あんな相手に」

 七罪の覇気のない指摘に十香と四糸乃は頷くが、他は聞く耳持たない。

「士道を一日好きにできる褒美は魅力的。手に入れる価値がある」

「それに私、あの人には酷い目に遭わされましたから、ここでギャフンと言わせたいです。ふふふ、きっと可愛いですよ」

「アンタ達ならできるかもしんないけど、私はどうすればいいのよ」

 そう言って相手を憎々し気に見やる。

 向こうにある更衣室から出て来たのは背筋が凍るほど美しい少女だった。

 華奢で蒼白な肌だがその肢体は触ると押し返す柔らかさと滑らかさを持ち、それを赤いビキニで身を包んでいる。

「お待たせしましたわ。せっかく真夏の気分が味わえるレジャー施設にいるのですから、皆さんの艶姿で士道さんを弄りましょう」

 白々しい台詞を艶めかしい声で紡ぐ少女の名を七罪は憎々しげに吐き捨てる。

「時崎……狂三」

 七罪の憎々し気な名指しを狂三は男心をくすぐる微笑みで返したのだった。

 

 

 

 携帯電話を近くの機関員に預けた後、琴里は後ろに振り向く。

「皆、準備は良い?」

 琴里の台詞に十香、四糸乃、耶俱矢、夕弦、美九、七罪、折紙と士道が封印した精霊達は僅かに頷いて見せる。その目付きはこれから最前線突入する兵士のように気合いと覚悟を宿らせていた。

 そして彼女達に呼応するかのように耳元のインカムからも意気込みの強い返事が来る。

『こちらも準備万端です指令。イレギュラーではありますが、これは非常に重要度の高いミッションです。総員、気を引き締めてください』

『はっ!』

 すると、それに合わせるように、琴里がインカムの向こうにいる声の主に意図的にトーンを落とした声を送る。

「……神無月。わかってると思うけど、ふざけた選択はしないでよ? 前に私がいなかったときは、随分いろいろしてくれたって聞いてるわよ?」

 その後琴里は自律カメラを睨み付ける。しかし神無月はそんな刺々しい雰囲気に気づいていない調子なのがインカム越しでも伝わった。

『もっちろんです! お任せくださいっ! 不肖神無月恭平、必ずや士道くんを落としてみせます!』

「その言い方もなんか引っかかるわね……まあいいわ。とにかく、士道はここで止めるわよ」琴里の言葉にインカムから再びクルーの気合いが出てくる。

 事の始まりは今日。士道と皆との間に繋がった経路(パス)が狭窄して目詰まりを起こし、士道がその身に封印した霊力がオーバーヒートして周囲の物を破壊してしまうという事態が起きた。

 一刻も早く彼とキスをして狭窄した経路(パス)を拡げれば良いのだが、彼は暴走の影響で精神がおかしくなり、ハイになってしまったのだ。

その所為で士道は彼女達に「キスしたければ一二時までに俺をドキッ!とさせればしてあげる」と条件を出し、そのまま八舞の風の霊力で逃げてしまったのだ。

 既に夕方に迫ったため、行動を起こすには彼を誘い出し、一箇所で攻略する手段にしたのである。

 そのためにラタトスクが用意したこの施設である。

 滑り台や楕円形に一周する流れるプール、長方形のプール槽に傍らにはクリーム色のパラソル。所々に植えられた椰子の樹。液晶パネルの天井には夜だと言うのに燦々と照り輝く太陽が映し出された南国風のビーチ。ここで士道を攻略するのである。

「しかしさすがですな指令。この『ドキッ! 精霊だらけの水泳大会』作戦ならば、士道くんに間をおかずアプローチができるうえ、みんな水着姿でドキドキポイントもバッチリです」

「そうですね。冬に水着というミスマッチさも相まってインパクトも十分。これなら士道くんもイチコロでしょう」

 〈次元を超える者(ディメンションブレイカー)〉中津川と〈早過ぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉川越が称賛の声を送ってくる。事実トップの琴里は白のセパレート水着を初め、皆可愛らしい、或いはセクシーな水着を身に着けていた。年頃の少年ならばそれを目にしただけで昇天してしまいかねない夢のような光景である。

 しかし、琴里の反応は頬に汗を垂らして肩をすくめた。

「いえ、この作戦を発案者は私じゃなくて――」

「――不服を申し立てる」

 突如割り込んできたのは黒い水着を纏った折紙だった。

「私が提案したのはこの程度の作戦ではない。今からでも遅くない。方針の転換を」

「あなたねえ……ヌーディストビーチなんて無理に決まってるでしょう!?」

 当然とも言える反論にインカムから臨時指令室の咳き込みが聞こえた。

『……さ、最初はそんな案だったんですか……』

『なんというか……さすが鳶一折紙……』

 〈藁人形(ネイルノッカー)〉椎崎と〈社長(シャチョサン)〉幹本が額に汗を滲ませながら言う。事実プールの皆も頬を林檎みたいに真っ赤に染めていた。「だーりんの裸が混ざると考えても皆の裸体が拝めると思えば、良し覚悟を決めましょう」若干一名腹を括った娘がいたが。

だが折紙はけろっとした様子で言葉を続けた。

「なぜ」

「な、なぜって……」

「その方が確実に士道の意表を突ける。今は士道とキスをし、経路(パス)を広げることが最優先のはず」

「それは……そうかもしれないけど……」

 琴里が内腿を擦り合わせたまま現状維持を躊躇ってしまう。このままでは本当に大変なことになりかねない。

『……落ち着きたまえ、折紙。あくまでジャッジを下すのはシンだ。度を越えた露出は、シンを驚かせてしまうかもしれない』

「なるほど。つまり徐々に脱いでいった方がいいと」

『……いや、そういうわけではないのだが』

 令音はどう説得したものか頬をポリポリと掻いて思案してる時、屋内プールの入り口が突如開いた。同時に口論を中断させるように神無月が号令を出す。

『総員、攻略開始!』

 扉の影から最初に来禅高校の制服と思しき灰色のスラックスが出てくる。

「シドー……?」

「士道さん……?」

「だー……りん?」

 皆が士道を呼ぶ声が途中で止まってしまう。

「おお! 凄いなこれは。気候まで再現されてるのか」

 

 レジャー施設の感想を述べる士道は……太っていた。

 

 スラックスで包まれた下半身と顔は全く変わっていないのに上半身だけが幅広く太っており、影のような黒い布を赤いリボンで巻いて覆われてる。

 余りの変わりように皆が戸惑う中、士道の上半身は硬いブーツの足音を発てて降りる。

「まあ、真冬の東京でこんな南国気分が味わえるなんて、開放的で胸が高鳴りますわ」

「「「「「!」」」」」

 上半身の正体が分かった途端、精霊たちのみならず指令室のクルー達の全身が総毛立つ。

 漆黒の髪で顔を左半分を覆われても尚、人々を引き付けて病まない魔性の美貌を讃えた少女である。しかし、皆は彼女が何者か知ってるが故に緊張で施設内の南国地が一気に寒冷地に変わった。

「く、狂三!」

「ごきげんよう皆さん。とっても楽しそうですね」

「あなた、どうしてここに?」

 当然の疑問に答えたのは士道。

「琴里。ルールの変更、いや追加だ。狂三もこの攻略合戦に参加。そして俺をデレされた皆にはそれぞれランクを付けさせる。な」

「な! 何を言ってるのよ士道?」

「そうですわ。わたくしは面白いものが見れると聞いて強引に連れてこられたのですよ。参加するなんて聞いておりませんのよ」

 琴里はもちろん、狂三も士道の突然の追加に反論する。

 しかし、士道は狂三に意地悪働く子供の笑みを浮かべる。

「へえ。狂三がそんな事言うなんてなあ」

「……どういう意味ですの?」

 余りに含みのある台詞に狂三が目付きを剣呑に染めると士道は明後日の方向を見ながら独り言ちる。

「狂三は半年、そうちょうど半年前だ! あの頃狂三は、俺達の学校に転校してきて、積極的に押してきて囁かな手管のみで俺を振り回した」

「……そうですわね。確かに貴方に会いに来たのはちょうど半年前ですわ。ですが、それがなんなのです?」

「あの時と同じ手管で攻めれば俺を篭絡するのは容易いのに、それを断るなんて。……さては君、彼女達の中でも幼い方だろう」

「私が幼い……ですの?」

「ああ。あの時の手管がまだ身に付いてないから断ったんだろう?」

「……随分挑発してくれますわねえ。わたくしが幼いと」

 狂三が凄絶な笑みを浮かべて士道を舐めまわすように睨む。

 濡れ烏から覗く単眼で睨まれたら誰だろうと陶酔と麻痺、そして精緻さすら感じる少女に睨まれたら恐怖で動けなくなるものだが、士道はそれをシャワーを浴びる程度の感覚で両手を広げて狂三に返す。

「俺ってさあ、狂三の服装とても個性的だけど、似合っていたから言わなかったんだよ」

「ふふふ、ありがとうございます」

 しかし士道はふざけた様子で狂三の真似をする。

「でェ、もォ……【一二の弾(ユッドベート)】で五年前に飛ばされた俺は狂三が過去にファッションの趣向を変えていたの知ったからなあ」

 そう言い返す士道の視線は狂三の服装に移す。それに応じて琴里達も改めて狂三の服装を見やった。

 狂三の今着ている服装は影のような黒が下地だがバスローブみたいに右側左側に着込む形でボタンで留めるものではなく、腰元を覆う白のフリルの付いた大きな赤いリボンで留めていた。ドレスの裾も赤いフリルが施されたが袖口は幅広く、中に何か仕舞い込めそうな余裕があり、スカートはパニエが仕込んでるがその装いは洋服を無理やり着物に仕立て直した和風ゴシックドレス姿だったのである。彼女の私服はあまり目にしないが、基本モノトーンで統一されてるものの、フリルのついたゴシックドレス姿だった。今の服はそれと一見大差ないから気にしなかった、がどこかベクトルが違うように見える。

 狂三は確か実体がある分身を作る事ができるが、その内面は確か過去の狂三の再現体と本人は言った。目の前にいる1彼女は和風のゴシックドレスに趣向をしていた頃の狂三なのだろう。

「成程。それでわたくしが幼いと挑発するとは、随分調子に乗ってますわねえ」

「でも狂三がギブアンドテイクで動くのも知ってるぜ。だから頑張った暁にはこれをやろう」

 士道は右手を自身の顔の横にかざすと右手から頭部ほどの大きさの透明の球体が出て来た。

 見た目は大きなシャボン玉に近いが表面が夜色、青、赤、橙、紫、緑、白色の光の波が回って動いる。

 精霊達は見て直ぐに分かった。あれは自分達の霊力そのものだと。

「さっき俺は皆のやり方にランクを付けるといった。君がもし自分のランクより下に一人いたらこの霊力の二倍。二人いたら三倍。つまり俺を一番ドキッ! とさせられたらこれの九倍の量の霊力を君にあげるよ」

「な! 何考えてるのよ士道!」

 琴里は息を詰まらせた。

 狂三は士道。ひいては彼の身に封印した霊力を奪うために彼を狙う精霊である。彼女に霊力を与えて強力になったらどれほどの脅威になるか……。

「なるほど。確かに魅力的ですわね」

「それに結局ここまで来たんだ。手ぶらで彼女達のところに帰ったら、不味くないか?」

「そうですわね。確かにあなたの案は魅力的ですわ。対価が低ければ、ですけど」

「そう。これが手に入らない可能性。それは最下位だ。もし俺をドキッ!とさせるランクが最下位だったら……」

 士道は右手に霊力の球体を保持したまま器用に左手で携帯電話を取り出す。

「メアドを寄越してもらうぜ」

 最下位の罰にしては妙に軽いもので士道を除く皆少しフリーズしてしまう。その時インカムから補足が入った。

『……成程。それが目的か』

「どういう事、令音?」

『……時崎狂三はいまだに危険であり、不確定要素の塊。連絡手段だけでも設けて今後の攻略に繋げようという腹だろう』

「ふうん。一応考えなしに連れて来た訳ではないって事か」

 つまり攻略合戦に見せかけて狂三には意図的に最下位にして攻略の糸を設ける腹積もりと琴里は思ったのだが、令音はそんな展開を否定する。

『いや、ランキングを付けると言った時のシンの精神状態に乱れはなかった。つまり本気だ』

「?……令音、どういう――」

 十香の疑問に答えたのは士道だった。

「当然お前らも、張り切ってもらう為に罰ゲームを設けるぜ」

「罰ゲーム……ですか」

「ああ。もし皆の中で狂三より下のランクになっちまったら、例えば……」

 顎に手を添えると士道は最初に十香を指さし――

「十香は一週間きなこパン抜きとか――」

「なに!」

 それだけで十香の顔は青褪めてしまう。

 それを無視して指を四糸乃に代え――

「四糸乃はよしのんとしばらく別行動」

「そ、そんな! 士道さん!」

『うっひゃーーー! 士道くん随分鬼畜な事を思い付くねえ。それとも、四糸乃と二人っきりになって何しようっていうの?』

「そして琴里は――」

「……何よ?」

 士道はインカムを口元に向けて小言を発すると自分の口元を多い隠す。その後令音から『シンが二人だけで話たいそうだ』と耳打ちした。チャンネルを二人だけの会話にしたのだろう。

(最後におねしょしたのは――)

「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「ひゃっ! どうしたんですか琴里さん」

「ちょっと、いきなり何なのよ?」

「静粛。落ち着いてください。琴里」

「……はあ。弱みを持ち出されたのねえ」

 幾皆に聞こえないようにしたからと言って発せられると防ぎたくなる。事実琴里がどうして奇声を上げたのか皆分かってない様子だった。

 改めて士道を睨むが彼はそんな形相を気にも留めない。

「そういう訳だ。皆には張り切ってもらうよ」

「あ、あなたねえ……」

「なんだ琴里。ひょっとして狂三に勝つ自信がないのか?」

「な、なんですって!」

「お前半年前に俺達を狂三から助けてくれたじゃないか。まさか俺のかわいい妹さまが、狂三には色仕掛けで勝てないから参加させないって狭量な事言わないよな?」

「へえ、言ってくれるじゃない。いいわ。参加させてやるわよ。狂三をこの攻略合戦に」

 未だに弱みをチラつかせられた後遺症が残ってるのだろう。全身に悪寒が奔ったような小刻みな震えが返信を苦渋なものにさせている。

 しかし、復帰を示すように踏鞴踏んで士道を指さし返すと狂三を上回る眼の据わった凄絶な形相で宣言した。

「その代わり私! いえ、私達の内の誰かが一位になったらその娘は士道を一日自由にできる! それを了承しなさい」

「いいぜ。最初からそのつもりだしな。王様ゲームで折紙が出した王様の中の王様(キング・オブ・キングス)だ」

 その後士道は狂三に向き直り、右手にある霊力の球体を眼前に出す。

「さ、どうする?」

 狂三は勘弁したように肩をすくめると霊力球に手を伸ばす。

「了承ですわ。士道さんの挑発に乗ってあげましょう。その代わり、わたくしが一位になったら『士道さんを一日好きにできる』褒美も追加ですわよ」

「契約成立だな」

 まるでハイタッチするように霊力球を一瞬で吸収。いつの間にか球体の中に入ってた士道のインカムを受け取り、優雅な足取りで更衣室に向かう。

『それでは皆さん、士道さんを落とすためのお色直し、暫しお待ちを』

 白々しい台詞がインカム越しに皆の耳を打った。

 

 

 

 そして現在に至る。

「それで誰から行くのです? わたくし新参者ゆえ、先鋒は控えたいのですけど」

 着替え終わった狂三を置いて精霊達は円陣を組んでこの予想外を話すが、

「……で、どうするのよ?」

「何言ってるのよ? やる事は同じでしょ。皆全力で士道をドキッ! とさせる。一位を取るつもりでね。それで狂三を最下位に叩き落すわよ!」

 最悪の精霊相手に強気を通り越して物騒極まりない発言に数人たじろいでしまう。

「いや琴里。狂三は強敵だぞ! 一体どうやって?」

「十香、あの時とは事情が違うわよ。それにあいつは私が半年前に追い出したんだから。全員で袋叩きにすれば良いでしょ」

「で、でも狂三さんは、とても綺麗で、怖い人です。そんな人と、どうやって……」

『うーん確かにそうだね。狂三ちゃん、一度士道くんに責任取らせようと迫った事あるし』

「気にする事はない。私は気にしない。既成事実さえ設ければ形勢逆転」

「だからそれはダメって言ってるでしょう!」

「ホント自信満々ねえ。あんなの相手に」

「七罪。ここまで用意したんだから腹を決めなさい」

「全く。あのような生娘を何故恐れの退く必要がある?」

「安心。確かに耶俱矢は狂三の事を知ったかぶってますが、夕弦と掛かれば勝つのは容易い事です」

「ってちょっと、知らないって言ったら夕弦だってそうじゃん! 狂三の事全然知らない癖にアタシだけ馬鹿にしないで!」

「既知。夕弦は狂三の事は知ってます」

「じゃあ行ってみてよ!」

「説教。耶俱矢には勉強不足です」

「やっぱり知らないじゃない!」

「そっかぁ。二人、いや四糸乃さんもあの時私が操ってたから覚えてないんですね」

 美九が得心顔で頷く。

 それを聞いて思い出した。美九攻略で激怒した美九は四糸乃、耶俱矢、夕弦を始めとした大勢を操って士道を攻撃した事があった。

 そんな美九にDEMに誘拐された十香を救出すべく狂三の協力で再び彼女に赴いた事があり、その過程で美九と狂三は一戦交えた事があったが先の三人はその時の事は覚えてないのだ。

「そういえば、この中で狂三に会った事ないの七罪だけだっけ?」

「ええ。でも士道の会話に度々出て来たから『士道がまだ霊力を封印していない危険な精霊』って事は察しがついたわ」

 本人を横目で見ながら「あんなケバい奴とは思わなかったけど」ボソッと口にする。

「でもあんな息吸ってるだけで男が寄ってくるような誘蛾灯染みた奴にどう立ち向かえば良いのよ?」

「ひょっとして七罪、情報が欲しいの?」

「……まあ、一応」

 考えてみればここにいる全員が狂三の事を正確に把握してる訳ではない。琴里はこの際、情報共有をした方が良さそうだ。

「分かったわ。狂三の情報を教えてあげるわ」

「うむ。分かったぞ!」

 最初に言ったのは十香。

「七罪、狂三はな――」

「……うん」

「まるでわけがわからんかったぞ!」

「へ?」

「半年前、突然ブワアっと出て来て、あっという間に捕まってしまったのだ」

「え、ええと――」

 十香の擬音がかった説明では全く理解できない。

「あの、七罪さん」

「何四糸乃?」

「狂三さんは、士道さんにあの…その……」

「落ち着いて。幾らなんでも四糸乃が言いたくないならいいわ。それで四糸乃がつらい思いしたくないもの」

「あ、ありがとうございます。でも――」

 でも四糸乃は顔を赤らめ――

「狂三さんは、士道さんに、スカートを捲られて、責任取ってほしいと、言って――」

「な! な!」

 余りの内容に七罪も呆然としてしまう。幼くてもスカート捲られるのは恥ずかしいのだ。

「ふん。あんなカマトト大した事ないわよ。ちょっとか弱いフリしてるだけで。一度士道を襲ってるのよ。今じゃ通じないわよ。第一結婚なんて私が許さないわ」

 微妙に据わった目で一蹴する琴里に七罪は冷や汗を流す。

そこに躍り出てきたのは美九。

「もう怖いですね琴里さん。七罪さん、安心してくださいね。ワタシが狂三さんの事、手取り足取り教えますから」

「ならば美九よ、我の脇腹を弄るのは控えてくれんか?」

「不快。美九の挙動を鑑みても狂三の情報に繋がるとは思えません」

 そういう二人から赤みが指していた。美九が両脇に耶俱矢と夕弦に挟まれる形で円陣組んだからセクハラを受けてるのだろう。二人にしては手痛いミスである。尤も、七罪が美九を避けて組んだのも一因であるが。

「そんな事ないですよ。ちゃんと真面目に答えます。狂三の能力は――」

「う、うん」

「強いて言うならば――」

 …………ゴクリッ!

「天国です!」

「…………………………………………………………はっ?」 

「いきなり沢山出て来て、皆同じ顔ってのが少し味気ないですけど、美九にとっては天国そのものですっ。そういうのを酒池肉林っていうのですね」

「え、ええと……」

 頬を赤らめて滔々と語る美九に七罪は全く要領を得なかった。

 そんな時、向こうから士道と狂三が催促の声を出す。

「おーい。誰も来ないのか? だったらこのお色気勝負。狂三の一人勝ちにさせるぜ」

「まあ士道さん、器量の良い案、ありがとうございます」

「げ、どうするのよ」

「ふ、招かれざる客など、障害にすらならん。兵(つわもの)とは戦場に魁(さきが)ける者。ここは、我らが行かせてもらおうか」

「自負。夕弦と耶俱矢にお任せです」

 八舞姉妹の先行と同時に自然と円陣が解散となり、皆バラバラになってアプローチを見守る事になる。

「結局、ぶっつけ本番で、それであいつに勝つしかないって事?」

 アプローチのスタイルも分からないまま狂三に勝たねばならなかった。

 流れるプールの端で天井のディスプレイに移る太陽をバックに大きく伸びする狂三を恨めしく睨み、気付いた彼女はそれを朗らかな微笑で返すのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

変貌(チャーミング)

士道を攻略する事になった精霊達だが、その中で七罪は攻略の意図が掴めず焦っていた。
そんな中、攻略に順位を付ける元凶・狂三が七罪に話しかける。
狂三との会話で彼女が思い付いた攻略法とは?


ジャパニーズホラーの被害者の心境を七罪はこの身を以って実感していた。

「ん、んんんん………ん…ん、んんん!んん…、ん。んーーーーーーーー!」

『七罪ちゃん、返事してください! どうしたんですか七罪ちゃん?』

違いと言うより救いはインカム越しに〈藁人形(ネイルノッカー)〉椎崎が異変を察知して呼び掛けてる事だが七罪としては言ってばかりないで今直ぐ助けて欲しい。全く返事できないのだから。

声だけではない。

場所は薄暗い更衣室。ロッカーと色取り取りの水着が立て掛けられたハンガーの中、七罪は壁に磔にされていた。

蛍光灯が切られ、プールから漏れ出る薄明りしかない暗闇で七罪が磔にされた壁だけが一際濃密な黒さを発たせていた。

そこから青白い細腕が沢山伸びて七罪の口を、両腕を、両足を、胴体を蔦の様に幾重にも絡ませて拘束していたのだ。

「っふふ。動かないでくださいまし」

彼女の前に立つのは一人の少女。

七罪とは違う病弱な肌に華奢だが柔らかな脂ののった肢体。顔を左半分黒髪で覆った、これもまたジャパニーズホラーに出て来る幽霊のようだが綺麗な少女・時崎狂三だった。

尤も、身に纏ってるのは死に装束でなくセクシーな赤いビキニで、長い黒髪は後頭部で結い上げて時計の長針と短針を思わせる一対の簪を交差して刺してる等の違いがあるが。

七罪は考える。拘束してる千手の元凶・狂三は何故こんな事するのか。

確かに狂三は精霊の霊力を狙いそれを封印する事ができる士道に危害を加えてきた最悪の精霊である。士道の前に七罪を襲おうとするのは不思議ではない。

しかし、今はそんな思考を遮るかのように事態は最悪へと進んだ.

七罪の着ているオレンジのワンピース水着。そのスカートの下に壁の白い手が伸びた。

「ん!」

下腹部の冷たい感触に七罪が窄むのも構わず白い手は水着のショーツ部分を引き裂いた。

「!………」

恐怖に加えて陰部が晒されるという強い羞恥と不安が七罪に押し寄せる。

そんな彼女の反応を狂三は愉し気な微笑みで迫り、両手に持った黒いモノを見せつける。

「では……七罪さん」

「んギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

ダムの決壊!そう評されるほどの圧倒的な恐怖と羞恥が七罪を襲った。眼球の毛細血管が膨張して血走り、口は吐血する勢いで狂三の千手を振り解いて絶叫を迸らせ、全身を陸に打ち上げられた魚の様に壁面に跳ねらせる。

嗚呼、どうしてこんな事に…………

何故七罪は狂三に拘束され、こうしてこんな辱めを受けねばならないのか。

全ての始まりはおよそ十分前。

 

 

 

七罪はプールに設営されたイミテーションの岩に隠れながら、士道と八舞姉妹の様子を窺っていた。

見つからぬよう少し離れた場所にいたものの、インカムのチャンネルを合わせれば三人の会話を聞くができたため、どんなやり取りが交わされ、どんな結果を迎えたかは知ることができた。

どうやら二人は士道をドキッとさせることができたらしい。さすがは常に自信満々の耶俱矢と、隠れハイスペックの夕弦である。見事一番槍の役目を果たしていた。

とはいえ、別に七罪はそこまで驚きはしなかった。美人の姉妹二人があそこまで言い寄って袖にする男など存在しようがないからである。

それと同じように、他の精霊たちに関しても七罪は特に心配していなかった。我らが女神四糸乃は当然として、十香は無邪気で可愛くスタイルも抜群であるし、琴里は義妹という背徳感と強がりな性格が男心をくすぐる。少々素行に問題がある美九だってあの胸はもはや凶器だし、折紙だって……捕縛術に長けている。皆士道とキスすることができるだろう。

しかしそこで問題となってくるのが、他ならぬ七罪だった。

「ドキッとさせろって……何なのよその条件」

七罪は忌々し気に言うとぎゅうと拳を固めた。

透けて見える悪意。見目麗しい精霊たちの中、一人がっつり平均点を下げている問題児・七罪のことを狙い澄ましているとしか思えない条件である。

「おまけに狂三より上のランクでなければ罰ゲームって無理難題追加して」

皆が当然のごとく達成できるであろう条件を、一人だけクリアできないという焦燥。そして、それによって皆に迷惑がかかってしまうという恐怖。まるで決まってるかの様に一人罰ゲームを受けて晒し物にされる憂鬱と諦観。当事者にならなければ分かりづらいかもしれないが、それは存外大きいものなのだ。

「そんな所で見てても、攻略法は掴めませんのでしてよ」

突如後ろから声を掛けられ、振り返って見たら今回の誘惑合戦にランク付けをさせる元凶たる少女が七罪を見下ろしていた。

「時崎……狂三」

「ふふ、ごきげんよう。こうして会うのは初めてでしたわね。七罪さん」

七罪の剣呑な呟きにも朗らかな笑みで返す狂三は流れる動作で七罪の隣に腰を下ろす。

「……何よ?」

「ふふ。そんなに睨まないで下さいまし。お互い初対面なのですし、交友を深めようではりませんの」

白々しい。一見すると朗らかだがこういう手合いに限って内心相手を見下してるのだ。それに琴里の会話に危険な精霊として狂三の名前が挙げられるのが何度かあったのだから。

彼女が具体的にどんな危険性を秘めてるかは要領得なかったが、ことお色気合戦においてもかなり手強い相手なのは見ただけで分かる。

育ちの良さそうなお嬢さまの口調、細身だが七罪と違ってちゃんと柔らかな曲線を描いた肢体、その表面は今にも血管が浮き出そうな生白い肌だがちゃんと艶がのり、儚げな雰囲気を纏う姿は男子全員が憧れるクラスのマドンナである。うん、やっぱり七罪の嫌いなタイプだ。

それでいて唇の湿りを保つ舌使いは肉食獣のなめずりで、指で触る様は自ら慰めてるようで病弱な蒼白の頬は妙に紅潮して口調もどこかイントネーションが可愛い娘ぶりっ子と言うより艶めかしい。

(礼儀正しそうだけど、口調が何となくエロいのよ。何それ? 誘ってんの! 万年発情期なの?)

居るだけで腹が立ってきた。とっとと退散して欲しい。

「私となんかいないで、さっさと士道のところに行きなさいよ。あんたなら楽勝でしょ」

「うーん、そうしたいのは山々ですけど、一位を取ると考えると今は様子見かしら。皆さんの出方を見てからにしようかと。七罪さんは?」

「……そんなの、どうでも良いでしょ」

「自棄にならないで下さいまし。折角の可愛さが台無しですわよ」

「アンタに何が分かるのよ? こんなガリガリでカサカサでモサモサのブスが! そんな社交辞令何の慰めにもならないわよ。アンタより上の順位どころか一人だけドキッ!とさせろってどんだけふざけてんのよ! 私を晒し者にして皆で笑おうって魂胆なの! 吊し上げなの!」

「落ち着いて下さいまし」

「これが落ち着いてられるかあぁーーーーーーーーーーーーーー!」

「でしたらどうして変身せずに街中を歩いていたんですの?」

「え、それは……」

当然の指摘に七罪は癇癪にブレーキをかけてしまった。

それを機に畳み掛ける。

「貴女は変身能力を持つ精霊と聞きましたわ。それに士道さんに霊力を封印されてもある程度は使えるとも。それなのに先日街で見かけた時はそんな様子はありませんでしたわよ。どうしてですの?」

「……それは、あの時は四糸乃が一緒にいてくれたし…」

「貴女自身、身なりも小奇麗にしてましたわよ。それも四糸乃さんの計らいでして?」

「これは私が選んだもので、皆が選んだのは、その――」

「皆? 七罪さんは皆さんに御召し物を繕って貰いましたの?」

「……ええ。まず美九が肌をジェルで――」

怒りの矛を収めた七罪は狂三に自分が霊力を使わなくても綺麗になれる事を実際にやって見せた。

美九がカサカサの肌をツヤツヤに潤してくれた事。夕弦がボサボサの髪を綺麗に洗ってくれた事。耶俱矢が所々に出てた枝毛を切り取って整えてくれた事。その後皆がお洒落な服装を繕ってくれた事。士道(あの時は士織だったが)が化粧をしてくれた事。全てを打ち明けたのだ。

だが、

「成る程。それで御召し物を繕って頂いたという事ですけど、具体的には?」

「え? えっと、十香が可愛いワンピースを選んで、四糸乃が羽織る上着を――」

「それで?」

「夕弦が帽子を選んだんだけど、私が渋ると耶俱矢が鎖やベルト付けた黒服だったり美九がゴテゴテにフリルの付いたドレスにしたり――」

「他には、あしらった物はありませんの?」

何故だろう。狂三の声に曇りが混じる。

「え? これで全部だけど」

「そうですの。……駄目ですわね」

審査で不合格確定を決めた審査員の溜息だった。狂三は首を振りながら視線を下げる。

「そ、そうよね。私みたいボロクズみたいな奴が何期待してたんだろう? 皆がどれだけ可愛くて綺麗な服着てアクセサリー付けたってブスが相手じゃ何にもならないよね。イヤ、寧ろ服達に失礼よね。悪役成金が金銀付けたってドロドロに汚れてマイナスだよね。そんなの誰が見ても目が腐るだけよね。分かってた。分かってたのよ。自分がどれだけ着飾ったところでゴミクズがやっちゃ服やアクセサリーが穢れちゃうもんね。私何浮かれてたんだろう。皆優しいから『可愛い』『綺麗』って言ってくれただけなのよ。アハ、ハハハ、ハハハハ。アレ、私何笑ってんだろう? そっか、あまりに私が無様で滑稽だからそんな自分に笑ってるんだ。アハハ、そうよね。そうだよね。笑いなさいよ! 私が笑ってるんだから笑いなさいよ! アハッハッハッハ! アーーーハッハッハッハ!」

「落ち着けよ七罪。誰もお前を笑ったりしねえって」

いつの間にか士道が寄り添って頭を背中を撫でて落ち着かせる。

「うう、ありがと……」

「おお」

「それより士道、どうしてここに?」

「お前らって初対面だろ。だから打ち解けてて良いなって見てたんだけど、我慢できなくってな」

狂三を睨み付ける。霊力がオーバーロードしてる今の士道は自信過剰になってて余裕を持った笑みを浮かべてたが狂三に向けるものには強い剣呑が七罪にも感じ取れた。

「狂三、さっき会話で聞き捨てならない事を聞いたぜ。七罪のどこが駄目なんだ?」

「七罪さんが駄目なのではありませんわ。只変身が駄目なんですの」

「ほう。具体的には?」

「女の子が変身できる事を貴方達は七罪さんに証明させる。その方法は間違ったものではありません」

「なら――」

「でぇもぉ、貴方達の変身を聞くと、それには重要な要素が欠けてるんですの」

「重要な要素? 何だそれは?」

追及に狂三は士道に隠れてる七罪を一瞥。舐めずるような視線に怯える彼女を気にする事無く形の良い顎に手を寄せて思考のポーズを取る。

「折角のドキッと勝負なんですし。士道さんは他の娘たちのところに行って下さいまし。これは口頭より実践した方がよろしいので」

「気になってしょうがねえ。どれ位掛かる?」

「そうですわね。そんなに時間は掛かりませんもの」

「では七罪さん」と手を繋いでどこかへ連れてくと士道はその場で胡坐を取った。

 

 

 

『どうやら、シンは次の相手を七罪にする気らしい。そのまま動く事はないだろう。七罪の事が気になって他の娘に集中できないしね』

令音の推論に琴里は複雑な表情をする。

耶俱矢と夕弦による攻略が終わった後、次は誰がやるかで話し合う最中、七罪の癇癪を聞いてインカムのチャンネルで聞き耳立てたら何時の間にか士道が加わって結局タイミングを逃してしまったのである。本当は待ってる間に一人位攻略したいのに、狂三が言ってた変身における『重要な要素』が何なのかも気になる。

皆も同様で二人が消えた更衣室を眺めたりインカムで会話を覗こうと耳元を弄ると、

『――ちゃん! 七罪ちゃん、返事してください! どうしたんですか七罪ちゃん?』

『心拍数、血圧上昇! 恐怖の数値が上がってます!』

『自律カメラを起動! 更衣室に飛ばし、状況の確認を!』

『何言ってるんですか副指令! 女子更衣室にカメラを向けるなんて――』

『既に非常時でしょう! まさか時崎狂三が――』

「「「「「「「!」」」」」」」

クルーの慌ただしい叫び、緊急事態を告げるアラーム、絶え間なく叩かれるタッチパネルだけが耳に充満する。自分達の知らないところで何があった?

「どうしたのよ? 報告しなさい!」

『琴里、更衣室に入った七罪の精神状態が悪化している。これまでと違って恐怖の数値が跳ね上がっているんだ』

「恐怖? 確かに七罪はメンタル超弱いけど、それは人見知りと羞恥で――まさか狂三!」

七罪は狂三と一緒に更衣室に入った。

狂三が言った『重要な要素』はデマで七罪の霊力を肉体ごと食べるための名目だったのか?

 

「んギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 

硝子が割れんばかりの悲鳴が鼓膜を襲って立ってられず蹲ってしまう。耳を塞ごうにも悲鳴は更衣室からではなく、インカムを通じて直に耳に届くため耐えられないのだ。

鼓膜はおろか三半規管をも破壊しかねない絶叫で動けない。どう聞いても七罪に危険が迫ってのは明白だ。

「七、罪…今……助けに」

皆身体を奮い立たせようにもいまだに悲鳴と危険域のアラームが大音量で鼓膜を叩き付けてるため、思うように動かないのだ。

「このままでは……七罪!」

インカムからアラームのみになり、七罪の悲鳴が聞こえなくなった。

「まさか!」

耳を叩く音がアラームのみになって身体が幾分動けるようになったが、それは同時に七罪が既に狂三によって手遅れに。

「七罪! 今助けに――」

更衣室に狂三の影に引き摺られる光景が重なったところで二つの影が現す。

「……え?」

それはいつも通りの微笑を浮かべる狂三と、これまたいつもの様に猫背で俯いてる七罪の姿だった。

「何だ? 無事どころか全然平気じゃない」

「脱力。先程の悲鳴は何だったのですか? 随分人騒がせですね」

先を行く狂三に手を引かれて士道の下に連れてかれる七罪。彼女の身体に特には傷一つない。肌はカサカサで血色悪いが。

「あれ?」

「四糸乃、どうしたの?」

「七罪さん、やっぱり変です」

「……確かに、身体が震えてるではないか。寒いのか?」

『いや、違う』

『……どういう事?』

「令音?」

『七罪の恐怖と羞恥の値がさっきから下がってない。いつ暴走してもおかしくない』

「何ですって!」

遠くの七罪を見る。

「どうしたのだ? 七罪、さっきから震えが止まらぬぞ」

「狂三。一体何をしたのよ?」

『明らかにおかしい』

「分かってるわよ。狂三はもう離れたのに、一体――」

『そういう事ではないのだ』

「「「え?」」」

『思い返してみたまえ。七罪は精神状態の浮き沈みが激しいだろ。一度そうなると霊力を乱用する傾向にある』

七罪は自分自身に重大なコンプレックスを抱え、些細な事で落ち込むと霊力の逆流が引き起こし易いのだ。そしてそのコンプレックスを解消するために逆流した霊力で必ず変身するのだ。

しかし、今の彼女は、

「七罪の外見に変化はない。でも、挙動が少しおかしい」

「狂三に相当酷い事されたって事?」

「恐怖による挙動ではない。あれは寧ろ――」

「……ハァ、ハァ、何だか、妙に色っぽくなってませんか? ……じゅるり」

「み、美九?」

美九の発情はともかく、改めて七罪を凝らす。

赤く染まったうなじ。擦り合わせてる太もも。両の二の腕から覗く対の指先。

妙に胸騒ぎがするというか、七罪から匂いが立ち昇ってるというか、女染みてるというか、見てるこっちまで赤くなってきそうだ。

『とにかく今の七罪は普通じゃない。我々の見えない箇所が変化してるのか、あるいは――』

「……つまり、変身という逃避が今の七罪の思考には抜け落ちる程恐慌状態になってるって事?」

 

 

 

ドックン!ドックン!ドックン!ドックン!ドックン!ドックン!ドックン!ドックン!

(ど、どうしよう? 恥ずかし過ぎる。もう心臓の音すら駄々漏れてて穴に入りたい。死んでこの下品な心音を止めたい)

もういっぱいいっぱいだった。心はもう逃げたくてしょうがないのに心許なくて動けない。このまま士道に背中見せた途端恥ずかしさのあまり気絶してしまいそうだ。

とりあえず今は、

「ね、ねえ士道、となり…いい?」

「…あ、ああ…いいぞ」

精神がハイになってる士道すら流石に七罪の挙動を計りかねてるらしい。寧ろ七罪の抱える羞恥が伝染してるようだ。

(うう……やっぱり感ずかれてる。)

自分でも分かる。顔はもう水分が蒸発寸前だし全身だって震えて立ってるのが奇跡なのだ。

隣に座るのはもうこれ以上立ってられる自信がない意味でもあるが、

肩と彼の腕が触れ合った。

(!……………)

フリーズした! 彼の熱で余計に加熱したのだ。

(もう逃げたい……。)

だがもうここまで来た所為か身体が動かない。浸かった両足はプールに固定され意味がない。クールダウンの涼も全然足りない。

(もう、どうすれば良いの?)

もういっぱいいっぱいだった。

しかし、助け舟は冷酷にもインカムから来る選択肢。

①未熟なカラダを活かしての無邪気なアプローチにドキドキ。

②余裕溢れる大人のお姉さん的対応でギャップ勝負。

③老獪なロリババア的魅力で勝負。

(できるか嗚呼ああああああああああああああああああああああああああああああああ!)

内心絶叫する。①なんて七罪の身体の状態上不味い。②も駄目。①よりかはマシだがこの幼児体系じゃ駄目に決まってる。③も論外。そもそも老獪なロリババア的魅力って何?

もう背中が冷や汗でドロドロになってる中、死刑宣告とばかりに迫られたのは②。

「そ、そんなのって――」

『確かに、今の七罪はできる精神状態じゃない。体勢を立て直すか?』

「でも……」

『琴里に助けてもらおうか?』

「……うう」

逃げたい。でも士道が目の前にいるのだ。ここで逃げたらこの先もアプローチができない気がする。

顔、というか全身は熱で水蒸気爆発寸前。眼も涙で潤んで視界も効かない。息も上がってる。唯一の幸いは肩の寄せ合いで士道が隣にいる事。

それだけを胸に全身に残る一つまみ勇気で顔を上げた。

そして、

「う……う、ふーーん、(ハア)士道くん、そんなに……(ハア、ハア)ワタシが(ハア、ハア)いいの?(ハア、ハア)仕方のない……(ハア、ハア)子ねえ(ハアハア)」

もう無酸素状態とも言うべき上がった息の所為で覚束ない台詞で士道の肩を、胸元を指で登った。

しかし、

「………………………………………………………………………………………………………」

「(ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ)」

(あ、あれ? 完全に滑った!)

もう涙で士道の顔が見えない。代わりに後ろで状況を見守ってる精霊達のヒソヒソ声が聞こえる。無論、士道の声はない。だから七罪の心は余りに長い時間(実際には15秒にも満たない)沈黙と小言で限界に達した。

「ご、御免! もう無理! ぐぎゃっ!」

脱兎の如く逃げ出そうとして両足がプールに浸かってるのを忘れてた。

顔から地面に激突し、ワンピースがめくれて黒い紐が食い込んだだけのなめらかなお尻が露になる。

「痛た…え! ひゃっ!」

突然七罪の背中に生暖かくて粘性をもった液体が襲い掛かった。

 

 

 

「え! 何! 士道『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオサプライズアターーーーーーーーーーーーーーック! クリティカルヒットーーーーーーーーーーーーーーーーーー! 未成熟なバディーに、これまたブオオッ!『副指令! それは言っちゃいけません!』『早く押さえて!』『ちょっと中津川君!『いやーーーーーーーーーーーーー!血がーーーーーーーーーーーーー!『解析官!包帯を、輸血を「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!なっつみちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」「美、美九?」『いいから解析官! 止血して『何のこれしき――――――『川越さん!』『幹本さん! 何やってんで『いえ、これは『消してーーーーーーー! 動画消して――――――――!『そ、そんな? これも今後のデートに必要なブグオゥッ!『川越さんまで『グウウウ………我々は、屈しな――『箕輪さん、今から全員を呪縛に掛け『させるか嗚呼――――――!』

「ちょっと皆? 何をやって――「何やってんのよ美九! 酷い顔だよ!」「フウウ、フウウウ、七罪さん、七罪さん(ハア、ハア)」「どうしのだ美九?」「七罪さん、七罪さん(ハアハア)」「み、美九さん?「あっちゃーーーー美九ちゃん完全にケダモノになっちゃったよう。四糸乃、逃げちゃおう」「恐怖、こちらに気づきました」「げ、目付きヤバッ!」「み、皆さん、七罪さんは(ハアハア)何処ですかあ?」「し、知らない知らない!」「まあいいです。皆さんを堪能しながら七罪を探すとしましょう」「ひっ!」「これ以上止めるのだ美九!」「十香さん!いっただっきまああああああああああああっす!」「ひやああああああああああああ「うえええええええええええええええ『ひいいいいいいいいいいいい』「止めなさい! 誰か美九を止めなさい!」「できるか嗚呼ああああああああ!」「拒否。耶俱矢を食べても美味くありません」「頼むから静まれえええええええ」「誰か何とかひぎゃっ!」「フウウ、フウウウ、琴里さん、怖くないですよおお……」「こ、琴里!」「いっただきぎゃわっ!」コキリッ!「誘宵美九、拘束。誰か、縄か紐みたいなもの持ってきてくれない?」「でかしたわ折紙。浜木、ロープ持ってきて、縛るわ」「やーーーーーーーーん、緊縛プレイですか折紙さん? 確かに可愛い娘に虐められるも悪くありませんけど――「皆、士道のアプローチにおいて美九は最後にしてそれまで放置しましょう」「あーーーーーーん、放置プレイは寂しいですう」「指令、これを」「鎮静剤ね、助かるわ浦田」「琴里さん、美九さんは?」「もう大丈夫よ。折紙が関節極めてくれたから」「よくぞやった折紙よ。荒れ狂う獅子を鎮めたもうとは」「賛辞。流石ケダモノと成り果てた美九に恐怖せず果敢に立ち向かう姿。耶俱矢と夕弦も見習わなくては」「士道の貞操は渡さない」「いや、襲われそうになったのは七罪なんだけど…」「ん、そういえば七罪は何処へ行ったのだ?」「あ、あの、更衣室で狂三さんと一緒に…『いやあー酷い癇癪起こしちゃって、狂三ちゃんに宥めてるところ。でも、一体どうしてこうなったんだろっ?』

「……そうね。どうしてこうなった?」

道に迷った旅人の顔で琴里は能天気に青空を映す天井を仰いだ。

 

 

 

『落ち着いたかい、琴里?』

「……ええ。そっちは?」

『一段落したよ。それと良い知らせが』

「何?」

『七罪は無事シンをドキッ!とさせる事に成功したよ。これで後5人、いや狂三を含めて6人と言ったところか』

「え? ああ、そうだったわね」

士道の鼻血の所為で目的をすっかり忘れてた。今は七罪が士道の攻略をやったのが始まりだった。指令失格である。

「で、次は誰が行く?」

我ながら空気の読まない発言である。さっきまであんなパニックが起きたばかりで何でそうなったのか分からないのに。皆も同じ心境なのだろうが何時何処にでも例外はある。

『はいはーい、次は四糸乃がいかせてもらうよー』

マイペースな道化の不意打ちに一番戸惑ったのは相棒の四糸乃。

「……! よ、よしのん……?」

「……確かに。今は悠長に思う時間の余裕はないものね」

「い、いえ、私はまだ……」

『四糸乃―、ここは頑張りどきだよー? いつも助けてもらってる分、士道くんを助けてあげなくちゃ! そのために、さっき作戦会議もしたんじゃなーい?』

「……っ」

どうやら彼女なりに勝算を用意したのだろう。胸元に拳を作ると意を決した表情で士道の方に行った。今士道はプールの水面にプカプカと浮いている。

四糸乃が士道に声を掛けてる間に琴里がインカムを付ける。

「で、あのパニックは何なの?」

『うむ。皆最初から状況を整理しようか』

「うむ、まず狂三に連れられた七罪の様子がおかしかったな」

「ええ。悲鳴上げて何かあったと思ったら表面上は何事もなかったように見えたわ実際は霊力が暴発してもおかしくない恐慌状態だったのに」

「うむ。それでいて妖艶なる魔女の幻影を纏わずに妖しき薫香を漂わすとは、一体どういう呪術の類を行使したのか?」

「同調。耶俱矢と琴里より幼い体型なのに、後姿は淫婦の雰囲気でした」

「夕弦! あたしはそんなに貧乳じゃない!」

「……夕弦、後で裏に来なさい。話し合いましょう」

八舞姉妹の感想は尤もだった。七罪は心理状態とは裏腹に皆にも分かるほど色っぽい雰囲気を出してた。

身体を真っ赤に染め、下半身を震わせ、妙に恥じらいを見せて見てるこっちまで伝染するほどだった。特に士道と肩並べて選択肢をやった時の様子は凄まじかった。

頬は林檎みたいに上気し、潤んだ上目遣いで士道を見る様は期待してるようで、荒い息遣いは発情したケダモノが今にも舐めてきそうで直に呼気を肌に当てられるとくすぐったいようなむず痒いようで、士道の上半身を登る小さな手は今にも力の限りを掛けて押し倒してきそうに見えた。

折紙の肉食性と狂三の妖しさを混ぜた感じの危うさを七罪が発してて遠くで見守ってる琴里達すら羞恥心を想起させた。

「その後限界が来て、逃げようとして失敗したのよね」

「そしたら、士道の顔から…血が……」

「……うむ。我らが所有物たる士道の艶貌が生命の泉と成り果てる姿は、一種の感動を覚えたぞ」

「告発。耶俱矢は士道が突然鼻血を噴き出して、顔を青くして気絶しました」

「夕弦! それは言わない約束でしょっ!」

「憤慨。ケダモノと化した美九から耶俱矢抱えたのはどこの誰ですか?」

そうなのだ。士道は七罪の逃走が失敗した途端、盛大に鼻血を噴き出したのだ。

それに同調するかのように指令室の男性クルーと美九が暴徒と化した。

「ホント、何を見たのよ」

向ける視線の先には未だにロープで床に転がされてる美九が折紙の監視の下、四糸乃と士道のやり取りを見て息を上がらせていた。どうやら四糸乃が士道の腹に乗って日焼け止めを塗ってる姿に興奮してるようだ。もうアイドルの姿ではない。

「令音、指令室で何があったの?」

『ああ。神無月が七罪の艶姿に興奮してNGワードを言おうとしたので箕輪が止めたんだよ。他にも中津川が鼻血噴いたり、川越と幹本が私的に動画を持ち出そうとバックアップを取ろうとてんやわんやだったんだ』

「大の大人が何やってんのよ……」

それだけ七罪の艶姿がショックだったのだろう。しかし、士道と言い、美九と言い、どこに指令室と美九を興奮させる要素があったのだろう。

『時崎狂三の仕込みが余程ショックだったのだろう』

「でしょうね。で、その仕込みって?」

『なに、大した事ない。只七罪にマイクロビキニを穿かせただけだ』

「なんだそういう事…てっえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「どうしたのだ琴里! マイクロビキニとは一体何なのだ?」

マイクロビキニ。身体のプライベートゾーンを必要最低限覆う水着、と控えめに言ってるが実物は水着と言う名の紐である。全面積はハンカチかそれ以下。自分達の握り拳で余裕で隠せて日本に住む人間の尺度で測れば間違いなく水着なんて呼べる代物ではない。そんなので泳いだらいとも簡単に解けてそうどころか着るだけでも生理的に拒否反応起こしたくなる。勇気には色々あるがどんな理由があってもそれを着る勇気も度胸も決して出てこない。

「じゃ、じゃあ、あんなのを穿かされた状態で士道のとこに連れてかれたって言うの?」

『ああ。七罪が選んだオレンジのワンピースタイプのボトムを剥いで、その下にね』

聞いただけで眩暈がしてくる。もうアレルギー起こすんじゃないかってレベルの紐ビキニ着せられて異性の前に出ようものならあのけたたましいアラームも悲鳴も納得がいく。少なくとも琴里は着た途端に全身が羞恥と霊力暴走で煉獄化。そしてメルトダウンするだろう。

寧ろあの長い時間(実際には一分にも満たないが)羞恥で発狂寸前に苛まれながら妖艶極まりないお姉さんモードの誘惑をやってのけた七罪を褒めるべき。拍手喝采である。

「……それで限界がきた七罪の転倒で、その…士道が……見ちゃったって事ね」

『ああ。それで興奮値九〇超え(クリア)と同時に神無月と中津川も、絶頂(クリア)してしまったのさ。そっちでは美九がたまたま七罪のお尻が見える位置にいたのだろう』

それであのパニックが起きたとなるとやるせないが無論七罪に罪はない。彼女が一番つらいかったのだ。寧ろ責めるべきは、

「皆さん、七罪さんは医務室にお連れしましたわよ。尤も、課題はクリアできたのですから問題ありませんよね」

元凶が戻ってきて精霊達の眼尻に剣呑さを隠さない。

「狂三、なんてことしてくれたのよ」

「でも効果はありましたわ咎める権利があるのでして?」

「幾らなんでもリスク高過ぎでしょう! 貴女が同じに逢ったらどうするのよ」

「確かに、見られたくありませんわね。士道さん以外に、ですけど」

「…………そうだった。あんた士道が選んだ過激な下着を穿いて披露したのよねえ」

「え! 本当ですか? 狂三さん! 見せたんですか? だーりん! どんなの選んだんのですか? やっぱり七罪さんが着てたような隠しきれてなくてスケスケになってて! 色は狂三さんにイメージに合う黒! いや誘惑する雰囲気だから赤! もしかして天使のようにピンクブドゲォ!」

「ちょっちょっと美九!」

「災難。続いて美九まで鼻血なんて」

「……琴里、下着とはそんなに危険な下穿きだったのか? 知らなかったぞ」

「いや、危険なのはそれを見た人だから」

言って俯せで地面に鼻血を塗りたくる美九を指差す。折紙によって手足を背中に縛られそれでも背筋運動と腹筋を地面に着き、引っ込めたジャンプで皆の足元まで這って来る様は恐怖を覚えた。熱された鉄板の上で跳ねる海老が今にも噛みつこうと迫ってるみたいで一瞬美九には見えなかった。物凄い背筋と腹筋である。

七罪の臀部を見て興奮するとて鼻血出さなかったのに狂三の攻略秘話を想像してこれとはもう餓えたケダモノである。

「でも理に適ってる。見せるのではなく隠し、重要な場面で一部のみを見せる。七罪はそれに失敗したけど、基本は踏まえてる。私も考えてた案よ」

「……こっちにも大物がいたわね」

「時崎狂三、敵に塩を送るとは。余裕ね」

「そういう訳ではありませんわ。別に見せなくても、穿いているだけで、女の子は色々な勇気をくれるのですわ」

「……そうなのか?」

「ええ。ですので、七罪さんには友情と成功の証としてこれをあげましたわ」

「あげたって……ひゃっ!」

琴里を含め、全員が目を剥いた。

狂三が見せたのは黒くて布面積の少ないシースルー素材のきわどい下着だった。

「って! それランジェリーショップで士道が選んだものじゃない! そんなの着られるかあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

琴里の絶叫が皆の気持ちを代弁していた。

 

その後、DEM襲撃の迎撃後に行った四糸乃の秘策が七罪と同じものだったためにクリアしたが、序列は最下位なのは言うまでもない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天体観測(リバイバル)

士道攻略を続ける精霊達。
次は士道によって飛び入り参加した時崎狂三。
突如士道を暗闇に連れ込み、皆の届かないところで始める狂三のデートは天体観測だった。
ロマンチックなデートに士道と狂三は?


眼の奥が痒いとはこういう感覚の事なのだろうと琴里は思考の片隅で思っていた。

『そして、あちらがシリウス』

『ん、どれだ?』

『ペテルギウスとプロキオンの間に――』

『なんだよ狂三、こっち寄り過ぎだって』

『あら、こちらの方が星が見つけ易い、でしょう』

『まあな。じゃあどこにあるか教えてくれよ。シリウスは間だっけ?』

『ええ。そこから下に――』

甘ったるい会話が鼓膜を打つ度、嫉妬と言う名の羊水に浸かった脳味噌が声でむず痒く揺さぶられ、視神経と繋がってる眼球も揺さぶられる様は不快極まりない。頭蓋の奥を揺さぶられたら爪で引っ掻こうにも掻けない。琴里はいっそ再生の焔をフルに発揮して自身の頭蓋抉ってやれば生きたまま掻けるのではないかと思う程。一応『緊急時にとっておく』と言う令音の進言で踏み止まってるがそれも何時持つのか。

場所は真っ暗闇に天井の穴から申し訳程度に蛍火位の明りが降り注ぐのみ。

それでも二人の状況が分かるのは機関員に渡されたタブレットPCから自立カメラの映像が流れてるからだ。

カメラの映像は向こうも暗闇で暗視モードを示す暗緑色が主体だが、様子を見てると二人の周りだけ暖色系とピンクの靄を纏ってるのではないかと言う空気になってる。

霊力が暴走気味の士道と、飛び入り参加の時崎狂三は空を眺めてた。

それもなんとも仲睦まじい雰囲気で士道と狂三はソファーの上で体育座りになり、毛布一枚で互いの身体を包んで星空を仰ぐ姿は寒空の中に燻る恋の火である。うん。見てて面白いものではない。

歯噛みする。今まで士道が封印のためとはいえ、七人もの精霊とデートさせ、キスさせてきた。自分たちが焚き付け、自らも参加し、背中を押してきた。

なのに、どうしてこんなに胃がムカムカするのだろう。

暗視映像越しの二人は毛布一枚とマグカップに満ちたココアで暖を取り、夜空の星を語り合ってる。

只それだけの、これまで自分たちがやってきたアグレッシブなデートと違ってノーマル且つナイーブなデートにどうして心が苛立つのだろう。

事の始まりは――。

 

 

 

一見すると南国をコンセプトとしたレジャープールだが、微妙に点滅してる空が廃墟感をどことなく漂わせてる。

点滅してるのは燦々と降り注ぐ太陽の空を再現してる天井の液晶パネル。その中の数枚に巨大な大穴が空けられ、その周りの液晶が度々画像を明滅させてるのだ。無論、穴は黒々とした煙が発ちこめてる。

士道攻略作戦の内、四糸乃が成功した。これで後半分。

しかし、突如襲来したDEMに所為でラタトスク自慢のレジャー施設は物の見事に紛争地帯もかくやの悲惨な廃遊園地状態となった。なまじ大部分が無事なのに明かりが点滅してると老骨鞭打ってるようで悲しくなってくる。

だが、琴里は心配ない、というように首を振った。

「安心して。それについては用意があるわ。――さっきセカンドシークエンスを発動させたから、もう準備が――」

パァンッ!

「…………………」

「……琴里、セカンドシークエンスとは真っ暗闇になる事なのか?」

十香の言う通り、突然照明と天井の液晶、屋台の明かりその他諸々の蛍光灯の類が全機能を停止したのだ。唯一の例外は屋台で串焼き等を焼くコンロが青白い火を炊くのみ。

「これ、どう考えても停電ですよね」

「それはあり得ないわ! セカンドシークエンスどころかフルパワーでも余裕で1時間以上持つ筈よ! こんな簡単に――」

「この場合DEMの襲撃が怪しい。先程の攻撃で重要な導線が破損したと考ええるべき」

「それもあり得ないわ! 只の液晶パネルにそんなもの組み込んでる筈が……待てよ、天井の襲撃は囮?」

『――ザザッ…琴里、大丈夫か?』

「令音! こっちの状況分かってる?」

『その様子だとそっちも停電だな。どうも電力の供給がストップしたようなんだ』

「原因は……DEMが外部からの電源コードを切った?」

『それだけなら自家発電で直ぐに復旧する筈だ。これは電気系統に異常が起きたと考えた方が良い』

「……やっぱり、天井の襲撃は囮?」

『それは変電室に行けば分かるさ。中津川が私用の端末と無線LAN使って地下施設にアクセスした。川越と幹本がそこへ向かってるところさ。今インカムと自立カメラは中津川の私用端末で動かしてる。……ん、どうした?』

インカムから慌ただしい口論が続く。いやな予感がした。

『……すまない琴里。どうやら変電室が塞がれてるようだ』

「何ですって?」

『どうも何かで変電室のドアが内側から閉められてるようでね。今斧や散弾銃を用意してドアを破壊するが――』

「この状況を鑑みるに、天井の襲撃は囮と見て――」

『どうだろうね。DEMがバンダースナッチを囮にしてここに侵入したには、侵攻が遅すぎる。単に慎重を喫してるだけかも知れないが、それにしては……』

(この停電はDEMじゃない? じゃあ一体)

『おい、何時までこうしてるつもりなんだ?』

「士道、もう少し待ってて。今トラブルを解決してるところで――」

『そんなに慌てないで下さいまし。ところで…』

『なんだよ狂三、眼を塞いだままで何を聞こうって?』

何だろうか。妙に噛みあってないような。

『士道さんの霊力による身体強化。それは視力も強化できるんですの?』

『ああ。せいぜい、10キロ先のコインの柄すらはっきり見えるぜ。でもこうして塞がれてるとな。皆の力に透視能力はなかった気がしたんだが』

『それで充分ですわ。そろそろですし』

何がそろそろなのだろう。どこかで狂三と会話してるのは間違いないが、やけに聞こえ過ぎてる。まるで耳元に直接――。

「って、みんな! 士道と狂三はどこ?」

「え! シドー! どこだーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「だーりーんーー、いるなら返事してくださいーーーーーーーー」

大声で呼ぶが返事は天井に空いた穴から吹き荒ぶ乾燥した寒風のみ。声は直接耳元に聞こえて来るのに気配がまるでないのだ。

まるで既にここになく、声だけ耳に送られてるような。

「我ら八舞の所有物たる士道よ。宴はまだ幕を引いておらぬ。速やかにわらわの前に姿を現すがよい」

「児戯。更なる趣向のつもりなのかは知りませんが、悪ふざけは止めて下さい」

「し、士道さん、怖いです」

『士道くーーーーん、真っ暗闇にするなんて。ひょっとして、この機に乗じて皆の身体をやりたい放題って事?』

「よ、よしのん! 流石にそれは、士道に失礼って言うか、それどころか…その……こんな貧相で栄養失調気味の私の、その……お、おし、り、に興奮してくれただけでも感謝なのにさ、これ以上私の身体を弄んでも却って慰めにしかならないし…」

「な、七罪さん、それは……」

琴里達と同じフロアにいないのは明白。しかし、狂三と会話してる事から別室に移動したと考えるべき。

非常に不味い。今の士道は霊力暴走でハイになってるが、士道の霊力を狙う最悪の精霊・狂三だ。自信を持てる相手ではない。

「く! 令音、士道は狂三と一緒に別室にいるわ。何処だか特定できない?」

『出来ないな。指令室のシステムそのものが機能してないから。今、中津川の端末を介して自立カメラ等の遠隔操作端末を動かしてるところだが、シンと狂三の居所までは――』

「ここから西南西100メートル圏内にいる」

「ん、折紙、どうして分かったのだ?」

「……女の勧」

「なら何で携帯を素早く弄ってるのかしら?」

皆が士道の不在に慌てふためく中、真っ先に突貫する筈の折紙が黙々と携帯電話を操作してる辺り、彼女のストー、もとい用意周到っぷりが窺える。今この状況において助かったのが否めないが。

「指令、これを」

さっきまでアイスクリームの屋台にいた機関員が端末を手渡す。

「ありがとう葛西。既に中津川との同期済みか。流石ね」

端末のブルーライトが照らす機関員の微笑みを後にすると、全員が端末に集まる。

暗視機能が展開する暗緑色の景色の中、士道は狂三により後ろから両目を塞がれてた。

『では士道さん、どうぞご覧下さい』

『……おお、霊力で暗視性も上げられるが、これは中々』

眼の拘束を解かれた士道は上を見ながら感嘆の声を漏らす。

暗視モードに切り替えてるとはいえ、カメラが映す風景はモノクロで統一され殺風景なものだ。カウンターや丸テーブルと椅子、額縁が見えるが、光量が少なくて何の絵か判別できない。

『士道さん、こちらへ』

狂三に誘われたのは3,4人は座れそうなソファー。

そこに狂三は最初に現した和服ドレスに衣装を戻してブーツを脱ぎ、体育座りに座ってる。

士道も水着姿の変身を解いて制服姿になると隣に体育座りになった。

すると狂三は何時の間にか両手にマグカップを持ち、片方を士道に手渡すと、

バサッ!

梟が広い翼を広げるようにブランケットを展開し、自身と士道を頭部を除いて覆いつくしてしまう。まるで頭が二つあるてるてる坊主や人形が二つ顔を出した巾着袋みたいだ。

「ここは、休憩室?」

「琴里、そこってどんなところなのだ?」

代わりに答えたのは令音。

『機関員が休憩や昼食食べるときに利用するとこだけど、店とかはないな。自販機の軽食とジュースくらいだ。しかし二人が持ってるマグカップは狂三の私物だろう』

『お、ココアか。……うん、温かい』

『こういうのも、悪くないでしょう。出来れば外で楽しみたいところですけど、騒々しいのは風情がありませんから』

『ああ、ここでも良いぜ。お前と二人きりで十分だから』

どうやら狂三は休憩室でデートするつもりらしい。

しかし、何故停電させたのだろう。雪山遭難の吊り橋効果なのだろうか。そういえば士道の身体強化に視力強化を聞いていたが、

「狂三、一体シドーと何をするつもりなのだ。あんなにくっついて」

「この状態から察するに、ココアに盛られた催淫剤で更なる泥酔に陥らせ、そこからお互いの衣服を剥ぎ取り、二人が身に着けてるのは毛布一枚のみ。そこから先は――」

「ストーーーーーーーーーーップ!!!! 幾らなんでもそれはアウトよ。それ以上ヤッたら内の機関員が止めに――」

『すまないが琴里、それは無理のようだ』

「な、何ですって!」

『先程から変電室と休憩室に機関員を送ったのだが、連絡が来なくてね。椎崎が様子見に行ったら、入り口前で皆を気を失ってた』

「邪魔する人間が次々と意識消失。『時喰みの城』か」

時喰みの城。領域内の生物の時間、及び霊力を奪い取る広域結界。狂三の十八番だ。

『ああ。誰も『これからの事を邪魔するな』のメッセージだろう』

「我らの所有物たる士道を手籠めに掛けようとは余程死に急ぎたいようだな」

「憤慨。士道を手に掛けようとは夕弦達に宣戦布告と見なします」

「わたしは別に、その、…気にしない。と言うか、これって見ちゃいけないものじゃ――」

「ふざけんじゃないわよ! 私の見てる、もとい、カメラに映ってる以上ヤらせるものですか」

『では士道さん…』

「駄目――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!」

インカムに大絶叫をぶち込んだのに狂三は涼しい顔。インカムの電源を切ったな。

『まずは三つ横に並んでる星を探して下さいまし』

「星? 天井のシミ数えてる間に済まそうって!……星?」

『ああ。あれだな』

『ええ。後は両端の星の上下にも星があるでしょう。それらと線で繋いでみて下さい。天秤に見えますから』

「天秤に見える……狂三、何を言って――」

「ひょっとして、天体観測ですかぁ…」

 

「…………………………………………………………………………………………………へ?」

 

美九の推測に琴里の思考に急ブレーキがかかる。確かに天体観測もデートの一つに数えられる。只、それは雲一つない晴天で夜間帯と限られるため、今までやってこなかったから失念していた。

『ああ。その内右側がベラトリックス、左側がペテルギウスだろ』

『ええ。ペテルギウスから上に四つ星を繋げて棍棒を掲げるように。ベラトリックスからは右から鎌のように下に垂れ下がる感じで星を繋げて下さいまし。オリオンは左腕に尻尾の付いた毛皮を下げてますので、あの鎌はそれを表してるのですわ』

確かに天体観測だった。テラス付きの休憩室を真っ暗にして雲一つない星空を共に堪能する事。それが狂三のデートプランなのだろう。

「……全く、紛らわしい事を」

「誰よ、セクシュアルな展開だって言ったの?」

勿論、皆の視線は折紙に注がれるが、

「まだ油断できない。何しろ二人の身体は一枚のブランケットで包まれている。進行次第では身に着ける物はそれ一枚のみになる」

「いや、そうなる可能性あなただけだから」

しかし今の相手は最悪の精霊である。最重要警戒レベルに上げるのは正論だ。

もし緊急事態になったら限定霊装を展開してまで押し入ろう。士道に何か言われるかも知れないがそんなの些末な問題である。

それを一早く察知するために全員がタブレットにおしくらまんじゅうな窮屈極まる格好で注視する。一人「あーん、これ最っ高にすてきですぅ」若干恍惚とトリップしてる輩がいるが。

『ペテルギウスの真下にある星・大犬座のシリウスとそこから左、小犬座のプロキオンを繋げて冬の大三角になります』

『これが冬の大三角か。しかし、大犬座はちゃんと胴体に頭と手足に尻尾付いてるけど、小犬座は星二つに線繋げただけだぜ。無理して残す必要ないのに』

『ですが、オリオン共にするのがあんな大型犬では可愛くありませんわよ。殿方は大きい方が好みかもしれませんけど』

『随分不満だな。やっぱり狂三も女の子なんだな』

『士道さん、わたくしを何だと思ってるのですの?』

『悪い。可愛い顔をこんな至近距離で拝める機会なんてそうそうないからさ、ついからかっちまった』

『全く、お上手ですわね。お返しに――』

言葉より早く狂三が一舐め。士道の頬を舌でなぞった。

霊力でハイになった士道もこれには身を捩じらせたが直ぐに体勢を直すとブランケットが僅かに縮まったような気がした。更に身体を密着させたようだ。

それに応じるように狂三も更に二舐め、三舐めと頬に唾液を刷り込む。

くちゅくちゃくちゅっちゅちゃ。

端末とインカムからどこか動悸を乱すような水音が木霊してきた。顔に血液が登るのもはっきり感じる。

「………………………………………………………………………………………………………」

なんだろう。妙に面白くない。

士道にはこれまで8人もの精霊をデートさせてきた。これ以上の濡れ場になるよう背中を押してきたのも一度や二度ではない。

無論、その気になってきたら機関員を突入させて阻止させるが狂三が結界張ってる以上できない。

『あーっ、ごほっごほんっ!ちょっと、そのまま士道のメーター振り切るつもり? もう少し急げないかしら?』

「あら、せっかく盛り上がるところでしたのに、催促が来てしまいましたわ」

『ま、琴里もあれでかまってちゃんだからな。自分差し置いて楽しむのが気に入らないから突っかかってくんだよ。許してやってくれ』

『ふふっ、炎の精霊さんも人の子ならぬ、お子様だったという事でしょう』

「誰がお子様よ! 私は司令官としてこの場を仕切る責任があってね――」

『あーー悪いな狂三。お前もあいつに痛い目見られたから分らんでもないが、勘弁してくれ。こうして俺がこんな状況作って皆振り回してる訳だし』

『つまりこのデートに四苦八苦してるから許せと? まあ士道さんの頼みですしね。良いでしょう。では講義にもどりますわよ』

『よろしくお願いします、先生』

『うふっ』

再び天窓に向くと指だけ出して星座のルーツを語り始める。

士道も科学の授業で天文学の知識があるのか、時々狂三に星や星座に関して豆知識や意見を出してた。これだけ見ると共通の趣味を持った友人の会話である。

どうやら狂三は星座の講義をしながらボディランゲージを繰り返して攻める腹だったようだ。所謂「星々が綺麗だね」「君の方が綺麗だよ」と近づくパターンである。

しかし琴里達が密着のたびにそれにブーイングしてそれを霊力で強化された聴力で聞いた士道が宥める状況が繰り返され、どうも停滞気味である。

これなら狂三が上位にランクインする様子はないようだ。皆の誰かが罰ゲームに遭う事態は回避された。

琴里は着々と進まない状況に焦りより安堵の心象で端末を見て結論を出した時だった。

『なあ狂三、他にも星座あったような気がするんだが?』

『あら、わたくしとしたが。どれでしたか?』

『ほら、オリオン座の真下、大犬座の真横にある奴だよ。あれって確か……』

『……うさぎ座』

ボソッとした語調で返す狂三。しかし何だろうか。どことなく言葉に陰りが出て来たような。

『へえ、うさぎ座か。どんな構成何だっけ?』

『………オリオン座の真下に2等星のアルネブと3等星のニハルを中心に右側の星に線を引いて頭に。そこから真上にある二つの星を繋いでウサ耳に。…左側からは二つの星を三角形に結んで胴体を描きまして、……更に真横から尻尾。ニハルと胴体の星から真下の星に線を引いて足を描くのですわ』

妙に沈んだ声で星座構成を説明する狂三に士道も気付いたのだろう。只でさえ毛布でおしくらまんじゅうなのに顔を寄せて顔に覆い被さる。

「な! シドー! 狂三に何を?」

「な、何がどうしたのよ?」

「おおおおおおいいいいいいい士道! これは近づき過ぎでしょーーーーーー!」

「抗議。審査員自らが参加者にアプローチ掛けるのは明らかな謁見行為です。直ぐに狂三から離れなさい」

「し、士道さん、何を?」

『うっひゃーーーー士道くん! これは流石にいけないんじゃないの!?』

「だーーーーーーりーーーーーん! まさかこのまま狂三さんの唇奪うつもりじゃ、私も私も!」

「……やっぱり、か弱さアピールして誘惑するって事ね。あの女、やっぱり嫌い」

「どうする。フラッシュバンの音、大音量で流して気絶させる?」

多種多様な動揺を見せる中、士道は狂三の顔に重ねるが…

『大丈夫ですわ士道さん』

意外にも両手で士道を逆に押し返す。

しかし、男子を押し出した時露になった狂三の顔はどこか弱弱しい。

『そんな風には見えないぞ。うさぎ座の辺りから様子が変だぞ。なんだか気落ちしてるみたいだ』

霊力でハイになってる士道も狂三の様子に困惑気味のようだ。口調がどことなくいつもの様子に戻ってる。

『別に。只うさぎ座は好きになれないのですわ』

『……どうしてか、聞いていいか?』

尋ねる士道に狂三は今にも泣き出しそうな顔で天井・天窓の向こう側にあるうさぎ座を見つめながらポツリポツリと語りだす。士道の拳を支えに。

 

『ギリシャはエーゲ海南東部・ドデカネス諸島。その中にレロス島という島がありますわ。メディテレニアンスタイルの白亜の家が立ち並ぶ綺麗な島で観光名所として名高いですわ。島全体を見渡せる城が自慢でしてね。それは11世紀にたてられた東ローマ帝国のお城だそうですわよ。

最初、その島には野うさぎがいなかったのですわ。ですが、誰かが妊娠したうさぎを島に連れ込みましてね。島民はうさぎの珍しさからこぞってその子を増やしにかかったのですわ。

そしてうさぎは次第に島のどこにでも見るようになったのですわ。

でも、野うさぎ達は数を増やすとその子たちは島民の作物に口を出して、島民達を飢餓に追い込んだのですわ。

島民達は直ちに野うさぎ達を狩りつくし、作物の被害はなくなったのですわ。

これ以降島民達は戒めとして空高くにうさぎを捧げて星座とする事で忘れないようにしたのですわ』

 

『悲しい話だな』

士道は簡潔に感想を述べる。その表情に暴走時のハイな様子は見られない。

『ええ。そして、同時に身勝手でありますわ。自分の都合で可愛がって、かといって管理せずに放置して、自分達にとって害悪だからと手のひら返して殺して、それを忘れないようにその子を星にして自分勝手にも程があります』

『……だから人間が嫌いなのか?』

『ええ。自分の都合で育てて、育てた子達の繁栄が自分の予想と違うからと排除して、考えれば分る結末ですのに。それで、忘れないように誰もが見える夜空に墓標を立てましたけど、そもそも何を忘れないようにするんですの?』

『それは、うさぎの生じゃないのか?』

『そうとも言えませんわ。だって、自分にとって可愛いからってよく考えもせずに育てて、数が増えて作物を荒らしたからって狩りつくして。因果応報と言いますわね。当時の人々はうさぎに祟られるのを恐れて神々の住まう星空に奉っただけではありませんの? 何しろうさぎ達が増えたのは、人間の望みではありませんか。望みの果てが自分にとって害悪だと気付いて、更なる望みが絶滅とは。結局は自分のためではありませんの。うさぎ達は、人間の加害者ではなく、最後まで被害者なのですわ』

星空に視線を固定する狂三の口調。

その鈴鳴るソプラノには人への怒りとうさぎへの悲しみが含まれていた。

『君は、あのうさぎに共感してるのか?』

『……どうしてそう思いますの?』

『だって、数を増やせるって君たちも同じじゃないか』

狂三は陰りのある貌のままバネ仕掛けみたいに士道に振り向く。その右目は戸惑いと怒りが浮かんでた。

『狂三は実体と自我がある分身を作ることが出来る。そして君たちは狂三の言う事に逆らえず、身を捧げるしかない。そんな自分達とあのうさぎの境遇が似てると俺は思ったんだけど』

【八の弾(ヘット)】撃った対象の過去の姿を実体化させる刻々帝(ザフキエル)の力の一つ。

目の前にいる狂三も時崎狂三が自身に向けて放ち、実体化させた分身体だ。

しかし、実体化されたのは昔の狂三。だから自我もその過去の狂三のものを再現されており、本体とは個別の自我なのだ。

『なあ君、本当は狂三とは別に生きたいんじゃないのか?』

『何故そう思いますの?』

『だって、こうして俺とデートしてくれるからだよ』

狂三がどういう理由で士道や精霊達、他の人々の時間を吸い取り、力を蓄え、分身体を増やして戦力を整えてるかは分からない。

しかし、こうして出来た分身体は士道と会話し、誘惑合戦に付き合い、こうして自分なりに考えたアプローチを仕掛けてくる。狂三の行動に従順なら、士道とは関わりもせず逃げる筈だ。

『でも、わたくしがそうだからと言って、それで何か変わりますの?』

『俺と一緒に居よう』

余りにド直球な答えに狂三もモニター見てる皆もフリーズしてしまった。

「なっ何だと?!」

「なっ!」

「驚愕!」

「ふぇっえ?」

『うっひゃーーーーーーーーーーーここで告白?!』

「あらーーーーー」

「…………」

「やっぱり」

突然の爆弾発言に皆が動揺するのも構わず士道は続ける。

『俺のところに来るんだ。君はそっちに居続けるべきじゃない』

『わたくしを受け入れるつもりですの?』

僅かな、しかし即答を示す躊躇いの首肯を返すだけ。

だから狂三も余計に動揺する。

『考えなしにも程がありますわよ。『わたくし』は貴方方が求める「わたくし」ではありませんわ』

『皆や琴里にとってはそうでも、おれにとっては君なんだよ。だから来い』

『理解できませんわ。士道がどうしてそんな無駄な存在である『わたくし』に何故そんなに拘るのか』

『見ていられないからだよ。君たちが何度もその命を散らされるのを、それを狂三に呼び出されて生を得られたのに、目的のためだけにしか生きられないのを』

また士道の言葉に陰りが曇ってくる。

先月。学校の屋上で狂三と話し合ってた士道はそこを折紙に見られ、そして精霊化した折紙に狂三を目の前で殺された過去がある。

そして折紙が去った後、狂三は何事もなく現れたのだ。何時の間にか分身とすり替わり、自分は死なない様にしたのだ。分身体を犠牲に。

士道はそんな狂三の変わり身を非難したが、狂三はそれを気にした様子はなく、それどころか目の前で殺された分身体を再現してみせると豪語したのだ。

例え何人殺されようが自分がまた再現させると。

それでも士道は、目の前で殺されるのはとても許容できなかった。何しろ狂三の死には実妹である真那も一枚噛んでてそれに苦しんでるのだから。

それに彼女達も、本当に全員が本体に従順に従い、それには死による使い潰しを受け入れるとは思えないのである。

『もし君たちがそれすら許容してるって言うならあいつが、俺とのデートを楽しむ訳ねえよ』

『…………士道さん、七夕のあの娘の事を、まだ』

気付いた時には士道も狂三も同じ表情をしていた。

悔しいような、今にも泣き出しそうなそんな寂しさに耐えてるような見ていられない顔。

何時までそうしてたのか。

やがて狂三はそっと瞼を閉じると頭を振った。

『それは他の「わたくし」でも同じ事が言えますの? 「わたくし」達の中には色々な思考の持ち主がいますわ。人間に強い憎悪を持つお方や「わたくし」達でさえも心を開かず、只黙って従う方、今の在り方に許容と通り越して感情の出し所が破綻した方もいらっしゃいますわ。士道さんは、そんな「わたくし」達全員にも同じ台詞が言えますの?』

『ああ』

即答だった。これはもう躊躇いなく。ハイさが戻り始めた様に。

彼は理解してるのだろうか? 他の分身達全員を受け入れろと狂三が言ってる事を。

『どうしてそこまで…』

『だって楽しいからさ。こうして話し合って、一緒に何かやってデートするのが。君にも、あいつも、そしてまだ会ってない君たちも。そんな君たちが只使い潰されるなんて我慢できないんだ。だから皆、俺と一緒に居よう』

熱を取り戻した士道は狂三を抱き寄せる。それはもう、今にも消え入りそうな霧を抱く様に。

抱かれた狂三はそんな士道を押し返すと結露した瞳で見返す。

『あの娘がどうして「わたくし」に逆らって貴方とデートしたのか、分かりましたわ』

『じゃあ――』

『早とちりしないで下さいまし。士道さんと一緒に居るかどうかは、これから見て判断しまし。貴方と一緒に居る価値あるかどうか?』

士道はその答えで充分なのか笑顔で頷いてくれる。

『ただ……』

一声出すと、狂三は徐々に力抜ける様に士道の肩にしな垂れかかる。

『あの娘の相手が、貴方で良かった』

そう言って士道の肩に寄りかかりながら目を閉じてゆく。

それと同時に画面が急にホワイトアウトした。やたらと華美なファンファーレも

 

 

 

皆が突然の目晦ましから持ち直すと既に目の前には士道と狂三の二人がいた。

それだけではない。さっきまで真っ暗だった照明や天井の映像が灯ってる。

「よ。狂三の番は終わったぜ。次は誰だ?」

「……その様子だと終わったみたいね。ちょっと待ってて」

先程の閃光は変電室の機能が正常に戻って照明含めた施設が再起動したのだろう。

つまり変電室を占拠してた狂三の分身体がデート終了を察して出てったのだ。

施設の機能が戻った以上、やる事はセカンドシークエンスへの移行だ。

「令音、現在の進捗状況は?」

『それに関しては問題ないよ。正常に施設が作り替えられる筈だ。ただ…』

「どうしたの?」

『確か琴里、このデート合戦は誰が一番ドキッ!させられたかをランク付けして、トップはシンからご褒美が貰えて、最下位は罰ゲームを受けるんだったね』

「それが何って……」

その時琴里は気付いた。いや、思い出した。

施設が再起動した時、耳元にドキッ!させたと告げるファンファーレが流れた事を。それが先の四人よりやたら派手だった事に。

「ま、まさか!?」

『ああ。シンを一番ドキッ!させた事にしては現時点で、狂三が暫定一位だ』

「な!」

確かに不味い話である。

狂三は士道の霊力目当てにこのデート合戦に参加した飛び入りで、そんなぽっと出に後れを取った場合、士道は狂三より下の順位に入った精霊に罰ゲームをやらせるといった。

つまり先にやった八舞姉妹、七罪、四糸乃は罰ゲーム決定。残った琴里、美九、折紙、十香は狂三以上のアプローチで攻めなきゃ犠牲者になり、狂三はより強大な霊力を得る事になる。

正に追い詰められたのだ。

「何よそれ!? あれのどこに士道をドキッ!とさせる要因があったって言うのよ!」

『さあ。確かに天体観測はデートの定番であるが、そこから雲行きが怪しくなって、シンの方から狂三を口説き始めたからな。その時の会話に何かあるようだが』

結局当事者にしか分からない話をしてたという事か。

狂三のアプローチは天体観測という定番だが、彼女が避けた「うさぎ座」の話から彼女達分身体の話になってそれから士道が口説き始めたのだ。

「そ、そう言えば狂三さん、七夕の時のとか言ってましたけど」

「七夕? そう言えば、その日士道と狂三会ってたわね」

思えばあの時士道は妙に必死だった。狂三が引き下がってからはその場に残した物見た途端、商店街にある一際大きな竹に登って一番上に短冊を飾った。下手したら大怪我し兼ねない高さだと言うのに。

「うむ。決して戻らぬ郷愁に付け込むとは。流石は悪夢の名を冠する精霊。敵ながら天晴よ」

「憤慨。共有財産たる士道との思い出を利用するとは、最悪の精霊なだけあって狡猾ですね」

「全くズルいですう。七夕に一体何をやったっていうんですか? わたしも混ぜて欲しかったですう」

「恋は心って言うけど、ホント男って何よ? 身体がボッキュッボン!だってのに世の中にはタイミングだとか、シュチュレーションがどうとか、全く意味分かんないわよ! 一体どっちなのよコンチクショーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「な、七罪さん、落ち着いて」

「つまり、狂三が一位という事か」

「問題ない。私達が追い抜かせば罰ゲームは免れる」

「それはそうだけど、何だか、ねえ……」

一応の理解はしたようだが、まだみんなの心境は納得出来てない様子だった。

 

 

 

「ありがとよ。今はそれだけで充分だ」

「ありがとうございますわ。こんな拙いデートに満足して頂けて」

「そんな事ねえよ。合格を告げるファンファーレ。今までと違うだろ!?」

「ええ」

「一応のトップを得たんだ。これをプレゼントするよ」

そう言って士道は右手をかざすと、また霊力の塊が球状に形成される。

しかし、今度は左手もかざすと左手には手鏡が現れたのだ。

「士道さん、それは…」

「何、ちょっとしたプレゼントさ。要らないかもしれないけど、その時は吸い取ってくれ。でも多分、君たちには必要かもしれないからさ」

言い終わると手鏡の光を浴びた霊力はなくなり、代わりに士道の右手には一個の円盤が握られていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真のうさぎ座

突然霊力を暴走させた士道。
起こってしまった最悪の事態に、琴里は冷徹に被害を最小に抑える英断を下そうとする。
しかし、そんな彼女に時崎狂三は、言葉の矢で嬲り掛ける。


…………気持ち悪い。

鼻と口が呼吸を忘れて空いたまま、只気流の流れが何とか気道に酸素を送る状態だ。

そんな少量の酸素に肺は満足に活動出来ず、酸素を僅かな量を申し訳程度に運ぶだけ。

幸か不幸か、心臓は緩慢なリズムを打ち、血液も粘液みたいにドロドロになって濁流通り越して排水口を流れるみたいに覚束ない。

当然足も踏みしめてる感覚を失せて屋外の地面なのか砂利敷き詰めた砂粒なのかすら分からなくなってきた。

手も、殆ど熱も蒸発し、只指先が端末の存在を伝えてくれるだけ。

もう朧気になった立ってるのかさえ曖昧な意識の中、眼と耳は一点のみを固定し、決して離そうとしない。今自身を蝕む毒はそれが発してるというのに。

もう木立の音も、警報も、終末を告げる福音も、闇纏う木々も不要な情報として脳から排除され、毒の発生源たる黒と赤のドレスを和風に仕立て直した狂三は琴里に更なる毒を流し込む。

「炎の精霊――いえ琴里さん。貴女は士道さんを最初から殺したかったのですわ」

 

 

 

時間は少し遡る。

「さあ、最後は十香、あなたよ。準備はいい?」

「……うむ! 任せておけ!」

士道の攻略合戦も折紙はクリアした。残すは十香のみ。

士道が連れて来た一番の不安要素たる狂三も今は大人しくしている。自分らと同じ様に隅でソファーに座って優雅に紅茶飲んで決め込み、何もして来ない。

時間も充分ある。司令部に何の異常も報告されてない。順調だ。

肝心の十香は自分が着てるドレスを踏んで転び、それから士道の下には行かずにビュッフェの前に直行などと言う出だしから心配な様子だった。

しかし、十香はローストビーフをフォークに巻き付けると士道の口元に寄せた。

どうやら士道と一緒に美味しいものを食べさせ合う事で士道をドキッ!とさせると言う何とも十香らしい作戦のようだ。

十香は士道の隣に座ると早速差し出す。

「ほらシドー、『あーん』だ」

「おいおい、サービス満点だな。――じゃあ、お言葉に甘えるか」

士道は大きく口を開けてローストビーフをパクリと一口頬張る。リスみたいに頬を膨らませてモグモグと。

「どうだ! 美味しいか!?」

「ん……ああ、美味い。料理自体もさることながら、十香が食べさせてくれたことで美味しさ倍増だ」

「む、そ、そうか? なんだか照れるではないか」

十香は照れ笑いしながら、もう一度フォークを料理に刺しただがそこで、士道が十香の手を掴んで止める。

「ちょっと待った。今度は俺の番だぞ。ほら、あーん」

今度は士道がフォークにローストビーフを巻き、先程の十香と同じ様に差しだしてくる。

「おお! ではいただくぞ。あーん……」

十香は目を伏せ、大きく口を開けて士道のフォークを待ち構えた。

(行ける!)

十香による士道攻略が秒読みを切ったと琴里は確信した!

……だが。

士道が十香の口元にローストビーフを近づけてる時に静止した。

「…え?」

突然の静止に不意を突かれる間もなく士道は全体を全く明後日の方向に振り替えった。

その表情は驚愕に満ちて何かを凝視している。

琴里も遅れて士道の向いた方向、ほぼ斜め上の天井を見るが何もない。一体どうしたのだ?

何も無いから士道に視線を戻すと当の士道の表情に苦悶が混じる。

カンッ!

フォーク落とすも構わず両手で胸元を抑えながら少しずつ後退り、しかし顔は苦悶に歪めながらも目線は先程の天井を微動だにせず睨み付けている。

十香も士道の様子に気付いて慌てる。

「し、シドー! 大丈夫か! 一体どうしたのだ!」

「ぐ――ぁ、あ、ああぁぁああああああああああああっ!」

苦し気な声を上げたかとも思うと、身体が発光し――凄まじい衝撃波が発せられた。

「く……!?」

咄嗟のことに踏ん張りが利かず、軽々と吹き飛ばされてしまう。十香は数メートル後方にゴロゴロと転がったのち、テーブルにぶつかってようやく停止した。

「十香! 大丈夫!?」

「む……ああ、琴里か。私は大丈夫だ。それよりシドーは!」

痛む頭をさすりながら顔を上げる。

そこには濃密な霊力を纏いながら浮遊する、士道の姿が確認できた。その装いは、タキシードからもとの制服姿に戻ってる。多分、変身能力が解除されたのだろう。

「シドー!」

叫ぶも――返事がない。いまだに両手で胸元を抑えて身体を九の時に曲げ、しかし顔を上げたまま歯を食い縛った必死な形相で天井を睨み付けてる。

「琴里、シドーは一体どうしてしまったのだ!」

「わからないわ……! まだタイムリミットまで時間があるはずなのに!」

十香と琴里が悲鳴じみた声の応酬をしていると、前方に浮遊した士道に変化が現れた。

士道は頭を伏せると周囲に蟠った霊力の塊が身体に吸い込まれたかと思ったら、今度は背中の輝きが一層増したのだ。

その光と共に静かに産声上げて生れ出る。

「……何、これ? 世界樹の葉(ユグド・フォリウム)?」

生え出たのは、虹色の枯れ木だった。

様々な色に光る片方に枝分かれした細木が一対、天井を覆い尽さんばかりに拡がってゆく。

そして根本たる士道どころかあと4,5人は囲めそうなくらいになると今度は多様な色の葉とも羽毛ともいえる光の欠片が生え出て来る。

紺、青、赤、橙、紫、緑、白といったところか。バラバラで生えそろった箇所も並びもまるで出鱈目に虹色の枝に出て来ては十数枚かはゆっくりとホールの床に落ちて雪みたいに消える。

この羽根の内赤色の奴を見て琴里は、いや、精霊の何人かはそれぞれの色羽根を見て直観的に分かった。これは自分の霊力そのものだと。

しかし解釈の余裕はなかった。士道は呼気を荒くすると獣のような咆哮をあげる。

「う――、あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

士道は背中にある最早不格好な翼と成り果てた物とも空中でしゃがみ、いや胎児みたいに丸まって枝羽根に包まれると一気に霊力を発散させた。

 

 

 

――空に二つの剣閃が舞う。

一つはエレンが振るう高出力レーザーブレイド〈カレドヴルフ〉。そしてもう一つはそれと切り結ぶ真那の並走、〈ヴァナルガンド〉の〈ヴォルフテイル〉である。

上段、下段、横一文字。エレンは真那の放った攻撃を正確に受け止め、その合間を縫うようにして光の軌跡を描いてきた。幾度目とも知れぬ剣閃を紙一重でかわし、エレンに二撃目を放たせる前に、真那は反撃の刃を振るう。

真那とエレンは切り合いを繰り広げてた時、突然真下の施設が光の噴火を起こした。

「な!」

「ヒッ!」

注意が向いてなかった真下からの奔流に二人は後方に下がる事しか出来なかった。

しかしそれが助かった。

光の噴火の後、彗星みたいな光の塊が先程二人が切り結んでた場所を通過したのだ。このままさがらなかったら光は二人を弾き飛ばされてただろう。

そのまま光の塊は一度小さく縮まると一気に周囲に霊力の大爆発を起こした。

「くっ!」

爆発に同調して後方に下がると随意領域で幕を張り、全周囲にエレンが切り込んでも対応できるように構えた。自分を確実に切り落とせる隙でもあるから。

しかしエレンは来なかった。

真那が見たのは光の塊が光の帯を筒の様に束ねて収束させ、それを真那ともエレンとも違う全く別方向に向けた。

光の筒は強い明滅して一閃! 膨大な霊力の奔流を極太の光線にして放ち、遥か彼方へ撃ち放った。

空中艦の霊力砲にも劣らない一撃の余波に再び耐えると光の塊は虹色の翼を生え揃え、真那には目もくれず、先程撃ち放った先へ霊気の燐光を撒き散らしながらそこへ飛び去った。

「…………どうして?」

真那は一言呟く。

何故なら即席の霊力砲を放ち、飛び去った光の正体は自分の兄・士道だったのだ。

「兄様、一体?」

突然の事態に戦闘中だという事をすっかり失念してしまったが、エレンは切り込んで来なかった。代わりに来たのは癇に障る笑声だった。

「ふっふ。五河士道、どういう経緯かは知りませんが、随分と素敵な姿になったではありませんか。なるほど、これならばアイクが欲しがるのもうなずけます」

彼女の身内に向ける嬲るニュアンスを含めた感想に真那は気を害した。

「何人の身内に目移りしてんですか?!」

怒り心頭でエレンに切り込む。

真那も今すぐ士道に問い詰めたいが目の前のエレンを自分に釘付けせねば。こんな奴に士道を会わせる訳には行かない。

 

 

 

「けほっ……けほっ……だ、大丈夫、みんな!?」

凄まじい衝撃によって崩壊してしまったパーティホールで。フロアを満たす土煙に咳き込みながらも、琴里は声を張り上げた。

「うむ……大事ない。しかし、一体何がどうなってしまったのだ……?」

仰向けに倒れ込んだ十香が、身を起こしながらキョロキョロと辺りを見回す。それに合わせるようにして琴里も顔も上げた。

士道の突然の体当たりで天井には大きな穴が空いてたが、見る限り精霊達や〈ラタトスク〉の機関員は無事のようである。そして空いた大穴の向こうには――

「あれは……エレンと……真那!?」

天井の大穴の向こうではCR-ユニットを纏った二人が斬り合っていた。どうやら令音が言ってた保険とは彼女の事らしい。

「あの娘ったら……行方を眩ませたと思ったら令音には連絡してちゃんと検診受けてたって事? 私何にも聞いてないわよ」

しかし、そんな琴里の思考は突然停止された。インカムから今まで聞いた事もないアラームが鳴り響いたのだ。

それは、空間震の予兆や精霊の精神状態に異常が見られた時に鳴る通常のアラームとも違う全く聞き覚えの無い――………

「あ――」

聞いた途端、琴里は指先が小刻みに震え、足元の地に足が着いてる感覚が脳から消失した。

いや、このアラームは一度だけ聞いた事がある。

『そういう』種類の警報があるから覚えておけ。と。そして、『これ』を聞かずに済むようにするのが最善である、とテストで聞かされた一度だけ。

思い出した途端、息が詰まり、動悸が止まったような感覚が一瞬襲い掛かり、最早こうして立ってるのが奇跡だ。

御使いの吹く終焉の喇叭。決して聞いてはならないそれを耳にして琴里の意識は暗黒に落ちて行く。

「――里さん! 琴里さん! どうしたんですか! だーりん、外に出ちゃったんですよ! 早く追いかけないと!」

美九の言葉に意識が引き戻されたが、唇がまだ動かなかった。何故ならこれから出る言葉は、最低で最悪の決断を下す事と同義だからである。

だが、琴里は言わねばならなかった。

この国のために。

世界のために。

人類のために。

――そして何より士道のために。

それが〈ラタトスク〉司令官としての――五年前、士道に救われた者としての、責任に他ならなかった。

琴里は、どうにか唇の震えを抑えて発した。

「……みんなは、ここに待機しててちょうだい。――私が、何とかするわ」

琴里の発言に精霊達が驚いて二の足を踏んだ。

「待機だと? 我らにも何か手伝わせるがよい」

「首肯。琴里らしくありません」

精霊達が口々に言ってくる。だが無理もない。琴里も事情も知らずにそう告げられたなら皆と同じ反応を示したに違いなかった。

だが、彼女達を連れて行く訳にはいかない。琴里はすぅっと息を吸うと、努めて明るい声を作りながら続けた。

「――だから、士道を何とかするために、よ。私に任せてちょうだい。こういう事態に陥った時のために、〈ラタトスク〉はちゃんと手段を用意しているんだから」

精霊達はまだ不安が残るといった様子だったが、やがて琴里の声に従うようにこくりとうなづいた。

「じゃあ、お願いしますよー!」

「頑張って……ください……!」

「ええ」

琴里は短く答えると、精霊と〈ラタトスク〉機関員達をその場に残し、階段を上って地上へと出た。

暗い中、木々の風揺れのみが聞こえ、時々エレンと真那の斬り合いの衝撃や随意領域の衝突の余波が更に木々を揺らしていた。

琴里は小さく息を細く吐くと、ドレスの懐から、小さな端末を取り出す。

――絶対に使うまいと心に決めていた、破滅の鍵を。

「…………」

琴里は震える指で端末をON。漆黒に塗られたモニターが一瞬で白色に明滅し、中心に赤い点、その真下に「TARGET」と表示とマーキングされる。

マークの周囲は薄い黄緑に青や灰色の斑点が所々に表示されてたが、右から左へ移動して消えてゆく。おそらく沼や池、空き地だろう。

どうやら士道はかなりの高速で東南東に移動してるようだ。このままでは市街地に着いて移動の余波で甚大な被害が出るだろう。

それを防ぐため、琴里は端末の指紋認証と網膜認証、そしてパスワード認証を済ませ――ボタンに指をかけた。

士道をこうして補足し、狙いを定めてる衛星軌道兵器〈ダインスレイフ〉の軌道ボタンに。

「……ごめんなさいおにーちゃん」

呟くように、琴里は言葉をこぼした。

「こんな幕引きしかできない私を……許して」

だが――その瞬間。

左方から刺すような殺気を感じ取り、琴里は一瞬意識を乱された。

次いで、カチャリという音とともに、琴里のこめかみに冷たく堅い感触が生まれる。

琴里はすぐに気付いた。――銃口が自分に押し当てられていることに。

「……!」

目線だけを動かし、その方向を見やる。そこには、他の精霊達と地下に残ってるはずの折紙の姿があった。

剣呑な眼差しと、無骨な9㎜拳銃の銃口を向けながら、折紙は静かな、それでいて底冷えするような声を発してくる。

「その手のものは何? 一体士道に何をするつもり? 五河琴里、あなたは――」

しかし。折紙は途中で言葉を止めた。彼女にしては珍しく、ぴくりと眉の端を揺らす。

その理由は何となく知れた。きっと、琴里が折紙に向いた際、その顔を見てしまった。

――涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった見るに堪えない悲痛な表情を。

「……説明して。一体、どういう事なの?」

眉根を寄せながら、折紙が続けて来る。

頭のいい折紙の事だ。適当な事言っても誤魔化されてくれない。だがこのまま強行しようものなら、絶対妨害してくる。折紙は観念したように正直に口を開いた。

「……士道を殺すわ」

琴里の言葉に、折紙はもとより険しかった顔をさらに剣呑なものにした。

「どういう事? それも〈ラタトスク〉の命令なの?」

「……半分当たりで半分外れ」

琴里は自嘲気味に言った。

「……今の士道は、言うなれば時限爆弾よ。霊力の膨張を繰り返し、このまま放っておけば南関東大空災を超える爆発を引き起こすわ」

「……っ」

折紙が、ギリッっと奥歯を嚙みしめる。

「だから殺すと?」

「……そうよ。それが『失敗』してしまった私に課せられた最後の仕事。臨界前に士道を殺す事ができれば、爆発の規模は小さくて済む。

……千万単位の人名とともに士道が死ぬのを見守るか、士道一人を殺すのか、そう言われたら、私は後者を選ぶわ。――自分の所為で人がたくさん死ぬなんて、士道は悲しむに違いないから」

「…………」

折紙の指が微かに震える。琴里は視線を端末の画面に、正確には画面で士道を表示してる赤い点に戻した。

「このスイッチを押せば、衛星軌道上にある〈ダインスレイフ〉から魔力砲が発射されるわ」

「〈ダインスレイフ〉……?」

「……士道の身体を調べ尽して、士道を殺すためだけに作られた呪いの剣よ」

そう。それが〈ダインスレイフ〉。琴里はこれ以上に最悪な顕現装置の使い方を知らない。如何に琴里の再生能力を持った士道でも、体組織を破壊し尽されたら再生しようもない。

「……ふざけるな。それが〈ラタトスク〉のやり方?」

射殺すような視線で折紙は琴里に続ける。

「封印した霊力の均衡を保てなくなったら殺す? そもそも精霊の霊力を士道に封印させていたのは〈ラタトスク〉のはず。自分達の目的のために士道を利用しておいて、不都合になったら処理するというの? あなたはそれほど士道を思っているのに、なぜそんな命令に従おうと――」

「違うッ!」

折紙の言葉を琴里は必死に遮った。

「確かに、〈ラタトスク〉の目的と士道能力は奇跡的な合致をしていたわ。――でも、少なくともウッドマン卿はは士道のことを気にかけてくれていた。人間の身体に精霊を封印しようだなんて、万事上手くいくはずがない。もしリスクがあるようなら他の手段を探そうって。

でも……遅かったの。士道が〈ラタトスク〉に見出された時点で、士道の身体にはもう一体分の霊力が封印されていたのよ」

「既に……それって…」

「そう。――私よ」

震える声で、告げる。まるで過去の罪を告白するように。

それは避けえない矛盾であった。何しろ〈ラタトスク〉は、琴里の霊力を封印したという事実を以って、士道の存在を知ったのだから。

「士道は五年前のあの日から既に、この臨界状態にに陥ってしまう可能性を有してしまったの。しかも、霊力を私本人に戻そうとしても、一度繋がった経路は完全に消えることはなかった。……図らずも私は、士道にとんでもない爆弾を押し付けてしまっていたのよ」

「……、だとしても、その上さらに多くの霊力の封印する事で、臨界のリスクを増やすことにはならなかったの?」

「……仕方ないのよ。士道を完全に安定させる方法は……一つしかなかったの」

「それは、一体」

折紙は問うてくる。琴里は端末にマークされている士道に視線を戻して言った。

「――士道自身が、内にある霊力を、霊結晶として体外へ排出すること」

「……! それは――確かに、それならば。でも、そんな事が」

「……そう。私達が霊力を完全に震える状態になっても、そんな事は不可能。私も〈ラタトスク〉で何度も解析を受けたけれど、一度霊子レベルで結合した霊結晶を排出するには、信じられないくらいの霊力が必要だったのよ。それこそ――現在確認されている精霊全ての力を、士道の中に封印しなければいけないくらい」

折紙が、驚いたように目を見開く。

その反応を見るに、どうやら彼女は随分と〈ラタトスク〉への疑心を募らせてたようだった。

しかし、その思考は途中で終わった。

「下らない嘘八百はいい加減止していただけませんこと?」

気が付くと木立の前に狂三が立っていた。

なんだろうか。彼女の発言に、強い嘲りを感じ、琴里は眉を寄せる。

「……嘘、ですって」

 

「だって、あなたは最初から士道さんを殺すつもりではありませんの」

 

「何ですって!」

それだけは聞き捨てなかった。だってそれは今までの琴里の頑張りを無に帰す言葉だからだ。

「ふざけないで! あんたに何が分かるの?」

「だって、士道さんが均衡を保てなくなるのが先か、全ての精霊を封印するのが先か、言ったら、前者になるのは当然ではありませんの。持ち主たる精霊ですら一つの霊力を御するのに精一杯ですのに、人間一人に全て詰め込みましたら、壊れるのは当然ではありませんの。

それが成就しえない絵空事だって事、誰でも考え付きますわ」

「でも、このまま放っといたら精霊も士道も――」

「それだけはありませんわ。

炎の精霊さん、貴女は今の今までずっと士道さんを暴走させるように背中を押して来たではりませんの」

「何ですって?」

今直ぐ黙らせて一刻も早く終わらせたいのに、それができない。こいつだけは狂三の言葉は何故か聞き流せない。

「炎の精霊さん、わたくしは貴女に打ち負かされてから、どうやって貴女を排除すれば良いか考え、まずは情報収集に当たりましたの」

半年前、狂三が士道、十香、折紙、真那を拘束した時の事だ。

あの時士道たちを殺す前に意図的に空間震を起こし、時喰みの城で昏倒し、避難してない全校生徒達を纏めて殺そうとしたのだ。

しかし、琴里が霊力を完全顕現して空間震を消滅させ、その後圧倒的出力で狂三が追い出したのだ。そうでなければ士道たちはおろか、より多くの人命が失われていただろう。

「ですが、あの日以来貴女は決して霊力を行使しようとしませんでしたわ。街が人工衛星の危機に晒され、折紙さんの暴走には十香さんたちが駆け付けたのに、貴女は先の空中艦なんて無粋な人の兵器に乗っての指示のみで貴女は決して出て来ませんでしたわ。美九さんの件に至っては易々と洗脳されて士道さん牙を剥く始末。

貴女自身、霊装すら纏って現れませんでしたわ。強いて言うなら――

 

わたくしを追い出した後のプールでのデートの時」

それは琴里の霊力再封印。改変前の世界でデートの最後に士道に霊力を封印する前に武装した折紙が強襲してきて止む無く霊力行使して戦った時の事だ。

「その報告以外、情報がなかった。いや、あれだけ多くの危機がありながら人の兵器に頼っての行使してこなかった。それは何故か?」

「……それは、私が司令官だから、そう易々と――」

「違いますわ。貴女が度重なる危機にも関わらず出て来なかったのは霊力の制御が出来てないんでしょう。きひひひひひひひひ」

図星を指摘され、狂三の小馬鹿にした不気味な笑いに琴里は更に苛立たせる。

「……何がおかしいの? それの何が悪いの? 精霊は皆貴女みたいに霊力を完全に制御できる訳じゃない! だから士道に――」

「ですから、それが間違ってるのですわ。持ち主すら手に余る代物が、士道さんが制御できる訳ないでしょう。それなのに、武器はおろか何の防御手段も持たせないで精霊に会わせようだなんて、正気とは思えませんわ」

奇しくも真那と同じ台詞を投げ付けてくる狂三。どうも癇に障るイントネーションだが反論できる。

「それこそ問題でしょう! 武器を持った奴と話をしようだなんて、そんな奴と会話が成立する訳――」

「前提が間違ってますわよ炎の精霊さん。この世界の存在ではない精霊に、魔術師(ウィザード)と普通の人間の区別が付きまして? それができる精霊は皆魔術師を相手に余裕で立ち回れますわ。それこそ会話できるほどの余裕をね」

言われた途端、美九や七罪、目の前にいる狂三はASTに対して冷静に見定め、易々と対応できていた。

区別のできなかった四糸乃、八舞姉妹はどうだ。四糸乃は人見知りが激しく、静粛臨界の時は逃げて避けてばかりいて会話が成立しないように見えて初めて会った士道とはよしのんを通して邂逅して特に問題はなかった。八舞姉妹は規格外の移動速度の速さで誰も何処も接触すらできなかった。ASTの存在を知っていたかすら怪しい。

では十香はどうだ。彼女は度重なるASTとの戦闘で接触した人間と魔術師の区別が付かず、誰彼構わず攻撃していた。士道も最初は魔術師と見なして攻撃した位だ。

「むしろ、わたくしにとっては士道さんこそが近づいて欲しくない方ですわ。精霊でもない人間が霊力を封印できるなんて。

わたくしには極上の餌ですし、利用価値があったからこうして会いに来ましたが、できる事なら魔術師より彼の方が危険極まりないですわ。こんな得体の知れない異物なんて」

精霊にとっては自身を攻撃する魔術師より、霊力を封印する士道の方が質が悪い。むしろ今まで会話が成立してた方が奇跡なのだ。

「貴女の言う通りよ時崎狂三。理屈で言うならある意味士道は精霊の天敵。でも、それには封印される事を本人が受け入れなければできない事。彼は精霊にとっては敵ではないわ」

折紙が琴里を弁護するように封印を補足するが狂三には通じない。

「でぇもぉ、それが原因で士道さんは何度も危機に晒され、時には何度も死に至ったではありませんか。その度に何度も生き返りましたわ。炎の精霊さんすら手に余る、再生の力を用いてね」

狂三の台詞に、琴里も折紙も震えた。

気付いてしまったのだ。狂三が何を言わんとしてることを。

「そう、士道さんは精霊との対話で、死から生き返る度に、士道さんは霊力の均衡を失うつつあったのですわ。証明として、士道さんは十香さんの天使を顕現させ、それで身体を蝕まれ、でぇもぉ、それでも身体を圧して行使し続けた結果、身体に負担掛ける事無く七罪さんの霊力を行使してみせた」

「私が士道を放置したから、この結果を招いたって事?」

「ええ。炎の精霊さん、貴女は士道さんが暴走する危険性を孕んでいながら、渦中に身を投じさせた。何の準備も無く、紛争地帯の少年兵のように、鎧ではなく爆弾を持たせてね、それを暴発させるように何度も死に至らしめて」

「……ふざけないで。私は止めたわ。危険だから近寄るなって」

「うふふっ、おかしな事言いますね。精霊を封印しろと命令されて、それを承諾した方が、危険だと言われて士道さんが引く訳ないのは、貴女が一番よく知ってるではありませんか。ましては座して指示与えるだけの、『人間』の言う事なんて聞ける訳じゃありませんか」

妙に『人間』の部分を強調し、琴里を論破する。口角を吊り上げ、眼を歪め、嘲笑い。

「でぇもぉ、貴女はわたくしと相対した時以外、決して出て来て止めませんでしたわ。降りて直接行けば止まりましたのに、貴女は決して来ませんでした。自分の我が身可愛さに」

その台詞は聞きたくなかった。自分が今までやって来た事が、本当は何もして来なかった。やっての成否ではなく、やりすらしなかった事を意味したから。

「炎の精霊――いえ、『琴里さん』」

言い直し、初めて彼女の名前を呼ぶ。しかし、その発音は強い嘲笑と軽蔑を孕ませていた。

「貴女は自分さえ助かったなら他はどうでもよかった。精霊がどうなってもよかった。他の人命をどれだけ失ってもよかった。

 

―――――――――――――士道さんが大勢を殺して、死んでもよかったのですわ」

 

聞いた瞬間だけ琴里は意識を失った。

決して聞きたくない台詞。それを否定するためにここまで頑張って来た苦労の数々。それらが頭の中で再生され、しかし、そのどれもが彼女の台詞を否定する代物にならない。再生されては海馬に再び収まり、気道に運ばれない。

どれだけ検索を続けたのだろう。もう視界には、いや五感には嘲りの眼で琴里を目踏みする狂三の姿しか映らない。

それも途中で消えた。銀色の真一文字を光らせて。

「!……」

「大丈夫ですか? 琴里さん」

『琴里ちゃん! しっかりして! ガンバだよ』

気が付くと四糸乃が目の前に来てた。それだけではない。他の精霊たちも揃って狂三を睨み付ける。

正面には天使・屠殺公(サンダルフォン)を構えた十香が、落ち葉の様にゆっくり地面に足を降ろす狂三に身構えてる。

「狂三! 琴里に対するこれ以上の侮辱は許さんぞ!」

ドレスの上に限定霊装を纏って尋常じゃない怒気を屠殺公に宿して狂三を今にも斬りかからん勢いを発散させてる。

だが、狂三はそよ風を受けてるような感じで嘲りの表情を崩さない。

「きひひ。勘違いしないで下さいまし。寧ろ褒めてるのですのよ」

「何?」

「ええ。精霊の天敵たる士道さんをわたくし達を上回る災厄に昇華させるとは、とても優れた発想ですわ。最悪の精霊だとか〈ナイトメア〉とか言われたわたくしもまだまだですわね」

「シドーのあの姿が、琴里の望みだと言うのか!」

「ええ。でなければこうなると予想できていながら放置しないどころか予防策も練らず、災厄になるよう背中を押し続けるなんて変ですもの」

「おい! 狂三とやら、その発言は盟友たる琴里はおろか、我らが所有物たる士道への侮辱に他ならんぞ!」

「逆鱗。その台詞は琴里の行いを否定する発言です。今すぐ撤回しなさい」

八舞姉妹と天使こそ顕現せず、限定霊装で身構える。

しかし狂三はそれでも余裕のまま嘲る。

「ならばそうならなよう安全装置を掛ければ良いだけの話。それすらやらなかったのですから」

「安全装置、ですか?」

『そんな都合の良い物、あるの?』

「ええ。あるではりませんか。人間が精霊を排除するために用い、その気になれば多くの事柄に利用できる多芸多才な代物が」

「……顕現装置」

「正解ですわ七罪さん。それで士道さんの脳を弄って霊力の行使を妨げればよいですわ」

「ふざけないで! 士道の脳を思い通りにしろって言うの!?」

「だって、そんな便利な代物ですらわたくし達に苦労するんですもの。ならば直接脳を操って自由自在にすれば、例えば精霊を封印するために何の躊躇も迷いもない性格にしてしまえば、もっと円滑に事が運べましたわよ」

「ふざけないで。そんなの! 士道じゃなくて只の操り人形よ」

「そうですの? 皆士道さんを思い通りにしようと四苦八苦してた発言とは思えませんね」

「だって、だーりん独り占めにするにもそんなの使ったらつまらないじゃないですかぁ。興が冷めると言うものです」

皆が沸点超えかねない胸中の中、美九だけがマイペースに過程重視を掛ける。

「今まで回りをやりたい放題してきた美九さんが、丸くなりましたね。

でぇもぉ、士道さんの抱える霊力はそんな悠長な代物でないのは、琴里さんが一番御存知です。

本来なら精霊一人ごとに鎖で縛り付け、目覚めない様薬を投与し、コンクリート詰めにしなければならないのを、士道さん一人そうするだけで事が終わる筈でしたのよ。なのにそれをしなかった結果がこの災厄ですのよ」

「士道を人柱にすればよかったって言うの!」

「ええ。なのにしなかった結果がこの事態ですわ。

星空に描かれたうさぎはわたくしではなく、士道さんの方でしたわね」

人々に愛らしさからドレアデス諸島レロス島に放牧されたうさぎは、数を増やして作物を荒らしたから殲滅された。全ては人の思慮の浅さが原因で。

「そんな方の提案を保留にして正解でしたわ。管理する人間が人間の都合で間引かれるなんて」

そして狂三は思わぬものを右手に掲げる。

一見すれば全体が黒光りするありふれた携帯電話。しかし、琴里のみが気付いた。気付いてしまった。それは恩師に預けられ、この先決して使わずに済むよう肌身離さず抱えて来た破滅の鍵。

「!……それは?」

「ええ。琴里さんが言ってました、〈ダインスレイフ〉の起動端末ですわ」

平然とした返事に瞬時混乱する。琴里が持ってる筈の禁断の鍵が狂三の手中にあるのだから。

琴里と折紙は直ぐ目線を落として右手に有る筈の端末を見るが当然のように無くなってた。

「ない! 無いわ!! 狂三! 貴女何時の間に!」

「あの会話の最中に? 一体どうやって? いや、それより――」

「きひひ。油断大敵、ですわよ」

台詞とともに足元に這い出るは石膏のように血色の失せた不気味な細腕たち。それらが草や穂というより蛇のように琴里たちの動揺を嗤うように揺らめいてる。

これがタネ。狂三が琴里を暴論で動揺してる間に琴里の手からくすねたのだ。

本来なら抜き取られた時点で気付く筈なのに、それだけ狂三が突いた言葉が残酷だったのだ。

「狂三! それを返し、て、――」

言い切れなかった。

狂三は起動端末を軽く放り投げる。

届かないのに琴里は思わず手を伸ばす。今はそれが士道自身であるかのように。

しかし、

端末は燐光を僅かに振りまくと回転しながら落下速度を上げ、地面に落ちる。

落ちた端末は光を失い、中央に真っ暗な穴を空け、そこを中心に蜘蛛の巣を思わせるヒビが走ってた。

狂三の左手には天使の一部であり、攻撃にも使う短銃。

その銃口にはモクモクと硝煙が立ち昇っていた。

「これで大勢の人間が死ぬ。士道さんによって死ぬ。全ては貴女の我が身可愛さが――いえ、自分さえ助かれば、士道さんがどれだけ人間を殺しても関係ありませんわね」

「狂三! 貴女は!」

「だってわたくし、精霊ですのよ。人間に、世界に災厄を起こすのは当たり前ですもの。そのわたくしから言わせてもらえば――」

狂三は琴里を再度蔑むように目付け、さっき撃った〈ダインスレイフ〉の端末に視線を移す。

「貴女は今まで暴走を止める事を何一つして来なかった。考えすらもしなかった。あれは、その生き証人たる士道さんを口封じするためであって、これから死ぬ人間のためでなく、琴里さん自身の不祥事の揉み消しですわ」

それがトドメだった。琴里はもう立つ事すら保てず、膝から崩れ落ちる。

「さて、これではもうあなた方に付き合う必要なくなりましたね。それでは、ごきげんよう」

スカートの両端を摘まんで軽くターンして地面――正確には自身の影に沈んで消えていった。

しかし、琴里はもう追えなかった。頭の中が狂三の台詞で埋め尽くされ、琴里は脳内で反論しようにも記憶がそれを許さなかった。記憶が、心が、自分自身が、士道の行動が、それら全てを肯定していき琴里を蝕み――。

「何をしているのだ琴里! 早くシドーを追いかけるぞ!」

「追うの?」

「……当たり前じゃない。まあ、あれだけ言われて気持ちは分からなくもないけど」

「…あなた達に何が分かるのよ。私がこんな事態を起こして、士道は驚異的なスピードで到底追いつけない。唯一止めるための〈ダインスレイフ〉も起動できない。それでどうしよってのよ?」

正に八方塞がり。士道を止められず、只甚大な被害を見届けるしかない。

「ふざけないで下さい! わたしはいやですよ! このままだーりんを取られちゃうのは! 琴里さんは狂三さんにだーりんを取られて悔しくないのですかぁ?」

「…………狂三に、取られる?」

琴里自身でも以外だった。そんな予想外の台詞に耳を傾ける力が残ってたなんて。

「うむ。あの生娘の台詞。まるで盟友の誕生を祝福してるようでないか。我らが所有物たる士道を許可なく引き抜こう等とは、そうは問屋が卸さん」

「憤慨。士道とあんな派手なだけの小娘に渡すつもりはありません」

「……みんな、士道によって大勢死ぬとは思ってないの?」

「思わない」

即否定。

「だってわたし、今でも信じられないですよう。狂三さんがだーりんの命を狙う危険な精霊だなんて」

「美九、どうしてそう思うの? 確かに士道と仲良さげな感じで、バカップルにも見えて…なんかムカついてきたぞコンチクショーーーーーー!!!!」

「な、七罪さん、落ち着いて」

「だってわたしがみんなを操った時、だーりんの味方になったのって狂三さんじゃないですかぁ。そんな人が本当にこのままにすると思うんですか?」

その台詞にモヤモヤしてた琴里の思考が僅かに晴れた。

美九が天宮祭で祭りの皆、〈フラクシナス〉の機関員、スピーカーを通しての街全員、それだけ大勢の人間を操って士道を追い詰めた。

そんな中、狂三だけが士道の見方をし、美九の暴動阻止のサポートを行い、DEM日本支社での誘導などのサポートをした。裏にある利益があったとしても。

そしてそれに狂三の要領の良さから士道の手助けが必要だったとは思えない。

「わたしは悔しいですよ。狂三さんにあれだけ言われるなんて。自分は精霊だから多くの人を殺してるって、まるで皆がだーりんの敵になっても自分だけは味方になってあげるみたいじゃないですかぁ。わたし達を差し置いて」

「美九」

「それにもし、狂三さんがだーりんの命狙うなら、このままにするとは思えません。ひょっとして、だーりんを止める何か手があるんじゃないですか?」

確かに、狂三の性格を考えると無策は考えられない。

「皆さんは良いんですかぁ? 狂三さんにばかり良い恰好させて、狂三さんだけに助けさせて、悔しくないんですかぁ?」

言われて頭に浮かんだのは二人の光景。

自分らの知ってる顔、知らない顔が、寄って集って士道に物を投げつけ、罵倒し、避難し、凶器を手に追い立て、士道は足元覚束ない身体で走り続けるも、体力の限界尽きたのか倒れ込んでしまう。

しかし、追手は追いつかず、代わりに来たのは優しい微笑みで手を差し伸べる狂三。

士道は疲れ切った顔に笑みを浮かべ、その手を支えに立ち上がる。

そして士道と狂三は手を繋いで行ってしまう。自分らがどれだけ手を伸ばそうと。

そして、士道は決して自分たちの元には戻って来ない。

「確かに。このままでは士道は時崎狂三に取られる。どうやって止めるかまだ検討つかないけど、起動端末を破壊したのは止める手段に自身がある証左」

「琴里。私も士道を止めたい! 狂三に任せるのも、取られるのは嫌だ!」

「…………みんな」

まだ全快じゃない。

でも朧気な足元を、折紙の肩を、差し伸べられた十香の手を掴んで立ち上がる。

立つと前腕を顔に寄せ、ゴシゴシと乱暴に涙と鼻水を拭き取る。ドレスの裾が汚れようと既に士道が放った衝撃でボロボロなんだ。知った事か。

まだ顔は真っ赤っ赤。視界もぼやけてる。

しかし、胸中は、心臓は温かい血潮が流れ出した。

それは〈ラタトスク〉の司令官としての使命ではない。

これは士道を助けたい。それだけは誰にも譲りたくない。ずっと一緒に居たい。

そんな少女の誰もが持つ願いが、琴里を奮い立たせた。

「みんな、士道は東南東へ猛スピードで飛んでるわ。何とかあれに追いつかないと。そして追いついたら士道を止めて霊力の経路を再構築するわ。

そのためのプランは何も無し。強いて言うなら、狂三がやろうとしてる案に乗り、横取りするって事くらいね。でもそれすら何なのか不明。一寸先は闇ばかりの事態よ。それでもみんな、協力して。みんなで士道と帰るわよ」

「うむ!」

「は、はい」

『ひゃっはーーー! 士道くん救出作戦開始だよ!』

「うむ。一寸先は闇とは我らにとっては庭も同然ではないか。そこから士道を取り戻すのは容易い事」

「自信。耶俱矢と夕弦にかかれば、士道の奪還すら可能です。怖がり耶俱矢は、私が支えます」

「ちょっと夕弦! あたし怖がりじゃないし! 夜トイレに一人で行けるし!」

「わあぁ、だーりん救出作戦ですかぁ。だーりん――いや士織さん、眠り姫から囚われの姫にクラスアップですよぅ。いや、もしかしたら好きでもない方に無理矢理結婚させられる花嫁?」

「全く、どうやって遂行するかも考え無しの自爆特攻。ま、私らしい末路ね。それで士道が助けられるなら、そんな終わりも悪くないかも」

「いや、全員分の経路の再構築は必須である以上、一人でも欠けちゃ問題。七罪も生き残るべき」

「……折紙、あんた」

「それに時崎狂三には身の程を思い知らせる意味でも、士道の身体検査を――」

「皆行くわよ! 目指すは士道よ」

「「「「「「おーーーーーー!」」」」」」

「…………ち」

琴里たちは目指す。士道が向かったところへ。

全員生きて帰る願いを胸に。

 

 

街の灯りすら届かない暗い森。

森の木々の頂上を黒い影が横切り、頂上の枝を揺らす。

黒い影の正体は和服ドレスに身を包んだ狂三。

彼女は木々の頂上を足場に飛び移りながら士道の後を追っていた。

追いながら彼女はドレスの袖から携帯電話を取り出す。

アドレス開いて発信。

「ごきげんようわたくし」

『ごきげんようわたくし。残念ですが、このままでは士道さんを逃しますわ。何か良い案はなくって?』

「わたくしはわたくしの携帯にあるアプリでお互いの位置を把握してますわ。『わたくし』の差は約3kmほど。合流して士道さんの動きを止めてみますわ」

『それはそれは「わたくし」。何か良い手段が?』

「ええ。士道さんがくれた『あれ』なら」

士道を追ってる分身体と会話しながら狂三はもう片方の袖から出した物。

それは、狂三の掌に収まる懐中時計だった。

しかし、その懐中時計は文字盤を保護する蓋がなく、その所為か、文字盤は一部が割れて内部の歯車が露出していた。

「士道さん、早速試して戴きますわね」

言いながら時計を握る手に力が籠る。

時計は見た目より頑丈なのか、軋み一つ上げず、代わりに黒い靄が僅かに漏れ出ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

抱き起こし合う接吻

地獄の入り口は確かに実在する。

例えばトルクメニスタンの〈ダルバザガスクレーター〉。ソ連が天然ガス採掘調査中に落盤事故を起こし、直径100メートルになる巨大な穴を開いた。

出て来る有毒ガスを無害化するために点火したら、火は穴から出るガスを苗床に絶え間無く燃え続け、最早地獄の釜の様相を成している。

例えばトルコのプルトニウム。放射性元素の名称にもなった冥界の神の門を奉る寺院がパムッカレに在り、そこは二酸化炭素の放出で近づく者全てを中毒死に処す。

タンザニア北部の炎の湖。微生物によって赤く変色された湖は正に血の池地獄。その水は高いアルカリ性で忽ち生物を石化の毒に侵す。

このように自然、人工問わず、地獄の入り口が作れるのであれば、人ならざる精霊がこの光景を生み出せるのは当然であった。

「が、ぐ、が、あがあ、ギャあああああああああああああああああああ!!!」

けたたましい断末魔をあげて士道は激痛を訴える。

だが士道にできるのはそれ位だ。

今の士道は激痛から逃れようにもそれができない。

コールタールのようなどす黒い沼――いや、黒い底なし沼から抜け出そうとする度に四方八方から手足を撃ち抜かれ、そこから地獄の業火を思わせる青色の炎を噴き出しながら再び黒い沼に引き摺り込まれる。沼に潜む白い蛇のような細い腕で。

腕、膝の関節を、背骨回りを撃ち抜かれ、再生の炎による熱発で何度も発狂した囚人のような雄叫びを上げ、身体を陸に打ち上げられた魚の様にバタ突かせる事が、士道に唯一残された活動だった。

沼に――正確にはそこから生え出て来る細腕に引き摺られながらも士道は手足関節の再生が終わろうと青い炎が消えそうなところで沼に引き摺る白い細腕を振り解こうとしたところで、また手足が撃ち抜かれ、また再生たる青い炎が吹き荒れる。

「ギャ嗚呼ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

もう何度目かも分からない激痛に喉が潰れるのも厭わず獣声を上げて沼に顔を擦り着けて落ちる。勿論、細腕も士道の四肢に十重二十重に絡み付き、俯せながらもそれは小人による巨人の磔だ。

沼も餌が逃げ切れなくて喜んでるのか、暗さがより一層増したような気さえ感じた。

精霊たちはあまりの惨状に恐怖で足が動かない。目の前に霊力の均衡を失い、暴走した士道がいるのに。

身体が、心が、生物として本能が沼の中に踏み込むのを拒絶している。

「きひひ……」

恐怖と嫌悪、生理的な拒否感を引き起こす沼から逃れる様に視界を反らし、沼が生み出した元凶を見上げる。

「さあ、どうされます?」

当然、士道との経路を開く。

それなのに口から掠れ気味の吐息のみで言葉が出てこない。

そして元凶たる狂三も直視できない。

彼女は沼を囲むように、木々の暗闇から片目と半月の口を歪めて笑っていた。

「「「「きひひ、きーーーーーーひひひひひひひひひひひっひひひひひひひひひひひひひ」」」」

自分たち精霊の周りから笑い声が聞こえる。全方向から笑っている。

亡霊たちに包囲されてるホラー映画の登場人物の心境で思い返した。

「何…………これ?」

皆を纏めた琴里はこれまでの事を思い返した。

 

 

 

『何という事だ! 端末が!」

仄暗い会議室に響き渡ったのは嘆きの叫びだった。

しかし、その声の主は実際にここにはいない。部屋の中央に置かれた円卓。それを囲むように投影された立体映像の一つが絶叫を上げたのだ。

この場にいるのは五名。

実際に円卓に着いてる白髪の男――エリオット・ウッドマンと、その背後に控える様に立った眼鏡の女、カレン・メイザース。

他円卓には世界各地に点在する〈ラタトスク〉の支部から立体映像を介して参加している円卓会議の幹部三名。

ブルドッグを思わせる初老の男――ローランド・クライトン

痩身に片眼鏡を掛けたどこかネズミのような男――フレイザー・ダグラス

カートゥーンに出て来る意地の悪い猫のような雰囲気を持った男――ギリアン・オムステッド

立体映像の三名は血色失せた表情で円卓の頭上に投影された映像を見ていた。

この場にいない円卓会議最後の一人――五河琴里と今まで士道が封印した精霊7人。

そして彼女達の前方で捨てられた一見黒い携帯端末が拡大して映されてる。

士道が暴走した時に殺害する衛星軌道兵器〈ダインスレイフ〉の起動端末が、中央に蜘蛛の巣を彷彿とさせる弾痕を空けて煙を上げていた。

精霊の霊力を封印してきた少年・五河士道が突如霊力を暴走させ、凄まじい霊力の奔流と速度で東南東に移動し始めたのだ。

そんな最悪の事態に備えて衛星兵器〈ダインスレイフ〉を開発したのだが、起動端末を渡された琴里が起動に躊躇してる間にまだ封印を果たしてない精霊・時崎狂三が割り込み、端末を奪われ、破壊されてしまったのだ。

このままでは市街地に甚大な被害が出る事に三人は嘆いていたのだ。

『ウッドマン卿』

ダグラスが意見する。

『このままでは本当に大規模空間震が発生してしまう。〈ダインスレイフ〉の発動権限を五河指令のみに与えたのはなぜです?』

彼の意見に同調するようにオムステッドが首肯する。

『いくら優秀とは言え、彼女はまだジュニアハイの生徒、それに義理とはいえ兄を討つ等、出来ると思いかね?』

――だが君たちでは躊躇いなく撃つに違いないからだ。

ウッドマンは心中でその意見を吐き捨てた。

精霊を救うための組織〈ラタトスク〉。しかし心からその理念に則って行動しているのは、ウッドマンを中心とした派閥のみだった。他の面子は程度の差こそあれ、他に某かの旨味を見つけて参加しているに過ぎない。

だから〈ダインスレイフ〉の発動権限を安心して託せるのは琴里のみだった。

「落ち着きたまえ、諸君」

ウッドマンは円卓を睥睨するように見ながら静かに声を発した。

「確かに今起きてるのは最悪の事態だ。そして今責任の所在を追及する時かね?」

『そんな事は分かってる! 〈ダインスレイフ〉の起動端末は〈ナイトメア〉に壊された。この状況をどうしてくれる!?』

「そうだな。端末が破壊された以上、事は五河指令に任せるしかない」

『そんな悠長な事言ってる場合か! このままでは南関東大空災が再来するぞ!』

「ならば君たちはどうする? 応援を呼んで五河士道を始末するか? 場所によっては地球の裏側から遥々日本へ?」

ウッドマンの指摘に立体映像の三人は渋面を作る。今自分の動かせる支部は日本から遥か彼方の国に在るからだ。到底間に合わない。

これでいい。手が出せないなら琴里は立ち上がって士道を止めればよい。

〈ナイトメア〉時崎狂三が何を企んでるか見当も付かないが士道を止められるのならば、それに上手く便乗すれば事態は収束すると琴里達は読んだ。ならばウッドマンは事態を見守ればよい。円卓の三人は日本支部へは派閥はない筈。

ウッドマンは心中ほくそ笑むと映像の霊力値が瞬く間に上昇し、けたたましいアラームが鳴る。

『いや、もう駄目だ! 霊力の収束は最早不可能。ならば事前の策を打つのみ』

そう言ってクライトンは懐から端末を取り出すと手早く操作する。それは奇しくも黒く塗りつぶされていた。

「待てクライトン。それは、まさか!?」

『備えあれば憂い無し。あの国の諺でしたな。必死に探せば抜け穴はあるのですよ』

「やめろクライトン! それは――」

もう遅い。円卓の中央に高く現われた暗い画面に『Ratatoskr』と緑の雫とそこに隠れた綴りが出た後、直ぐに消えて『Dainsleif STANDBY』下の灰色の空欄が*で埋め尽くされる。

暗い画面は切り替わり、暗いままかと思いきや、金色の斑点で浮かんだ日本列島の輪郭が浮かび、その内一画が何度も拡大していく。ダインスレイヴから見た日本列島の夜間映像だ。

その一画、首都圏が拡大。

そこから更に関東甲信越、天宮市郊外、森へと拡大され、現在静止してる士道へ標準を――

(何? これは………花?)

ダインスレイヴは士道を抹殺させるための兵器だ。当然、士道の内に封印された微弱な霊波を感知して自動追尾する機能もある筈だ。

なのに何故これが、そもそも士道は何故翼型の天使もどきを顕現させて飛翔すると南東へ飛んで行ったのだろう?

それにダインスレイヴのカメラが映してるのは――

「「「「虹色の……花?」」」」

 

 

 

「…………悪かったわね。みっともない姿見せて」

琴里は気まずそうに顔をそらした。

「いつも偉そうに啖呵切ったのに馬鹿な事考えて、それを狂三になじられる始末。これじゃ司令官としても、妹としても失格ね」

「そんな事ない。あなたが士道の妹で良かった」

折紙が優しく琴里の頭を撫でる。

そのくすぐったさに少しは頬を緩める。

それが伝染したように他の精霊たちも顔を緩めた。

強いて例外は七罪だ。

「で、結局どうするの? 士道物凄い勢いで飛んじゃって、圧倒いう間よ。追い付けるの?」

「ふ、逃走なぞ、我らの八舞の手に掛かれば亀も同然! 容易く追い越してやるわ!」

「指摘。これは飛翔競争ではなく捕縛です。士道の先を行ってどうするのですか?」

「ち、違うし! 分かってるし! 只士道の速さに気圧されてるんじゃないし!」

「余裕。当然です。士道が夕弦達の霊力を顕現させてるかと言って、耶俱矢と夕弦に速さ比べで上を行く等、稚児の背伸びにしては無謀の極みです」

「そう! それを言ってたのよあたし!」

「………残念だけど、無理よ」

「何よ琴里! あたしらが信用ならないって事?」

「怪訝。士道の追跡に耶俱矢と夕弦では不満というのですか?」

「そう言う事じゃないのよ。仮に追い付けたとしてそれが出来るのはあんた達二人だけ。只でされ霊力が残り少ないのに、私達が後から合流するとして、それまで暴走状態の士道を押さえつけられるの?」

尤もな指摘に耶俱矢と夕弦は黙ってしまう。

これは暴走した士道の霊力鎮静化。そのステップは・士道の追跡⇒動きを拘束⇒精霊全員とキス⇒これで士道の霊力は鎮静する。

無論その場に精霊全員がいなければいけない。霊力を周囲に暴風雨の様に振り翳し、衝撃波を散らす士道に近づいてキスしなければならない。

霊力を微量且つ数分少々しか行使できない精霊が莫大な霊力を発露する士道にどう立ち向かうのか。仮に追い付いて拘束しても他が合流する前に士道は振り解くだろう。

七罪は最初から気付いてたのだろう。人間社会に馴染んでただけある。

「いっそこのまま放置ってなくない? あんなスピード出してまだ余力ありそうだよ。例の衛星砲、だいんすれいぶだっけ? ボタン壊れたんなら行き先予想して行けば――」

「そうは言っても、フラクシナスは修理中で転送装置は使えないのよ。進路を予想したところでそこまでどうやって移動するのよ」

「少しは元気になったようだな琴里。しかしシドーが苦しんでるのだ。四の五の言わずにやるしかない」

「八舞姉妹は先行して行けばよい。村雨先生からこんなモノを預かった」

折紙が見せたのはドッグタグみたいな金属片。しかし、虹色のメッキが鍍されてる。

「それは、大規模な転送用顕現装置(ビフレスト)。確かに、でもそれは座標を正確に指定しないと。だから八舞姉妹に先行させて――」

琴里の熟考中に突如インカムからけたたましいアラームが鼓膜を叩きつける。

「何!?」

『緊急事態です指令! 10km先に膨大な生成魔力を感知! すぐ近くです!』

『どういう事だ!? ここには何もないぞ!』

『……立体的に解析してくれ』

『解析完了。位置特定。付近の高度3万6千キロメートル! 衛星軌道上です!』

そんな魔力発生源なぞ一つしかない。

「ダインスレイヴが起動した!? まさか、狂三があれを打ち抜いて――」

「馬鹿言わないで! 起動直前だからって弾丸で反応する訳がないわ。それより士道は?」

『それが……魔力反応と同時に止まって――『光学映像、出ます』『これは……花?』

「何を言ってるのよ。状況を報告しなさい。士道は10キロ先で――」

情報把握は天の裁きで遮られた。重々しい曇天が中心に直線状の閃光で一石投じられた湖面のように晴れ上がり、遅れて凄まじい衝撃波が琴里達を、周囲の木立を襲う。

「「「「きゃーーーーーーーーーーーーーーーー」」」」

「「ぐぬぬぬうううううううううううううううう!!!!」」

「「ぎゃあああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」」

悲鳴を上げ、地面にしがみ付き、それができず木々に激突しても直線の閃光(ダインスレイヴ)は一向に照射が止まる気配がない。まるで希望をいまだに持ち続ける彼女たちを挫こうと見せつけるかのようだ。

「ぐ、う、う、…………し、ど、う………しどう……士道…士道!士道、士道!士道!士道!シドウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

必死の叫びに勘弁したのか、徐々に(ダインスレイヴ)の出力が弱まっていき、金色の昼空はやがて元の星一つない不吉の夜空に戻っていった。

夜の戸張が落ち、誰も言葉を発さない。何故ダインスレイヴが照射を止めた等、兵器そのものが壊れたかあるいは……

琴里はただ無言で照射された方向に手を伸ばす。

「…………嘘でしょ。……………………しど――」

最後まで言えなかった。突如吹き上がった閃光で遮られた。

 

 

 

『当魔力砲、砲身加熱量、危険域に達します。ダインスレイヴ一時冷却のために発射中断します』

ダインスレイヴのカメラから出てくるアナウンスが乾いた事情を告げると、白一色の映像が暗く、しかし肝心の現状を映してくれた。

『何!? 霊波が……消えてない!』

『何だあの花は!? イツカシドウの天使なのか?』

『このためのダインスレイヴを……塞ぎ切っただと!!!!』

映像には拡大された虹色の花弁。しかしそれは、所々欠損していたものの、輪郭を保っていた。

残った花弁は回転しながら逆立ち蕾の形に引き絞る。さながら砲身のように。

『霊力増大。ただちに回避行動に――』

映像が再び白い光一色に満たされた途端に暗転。『CONTROL LOST』と表示される。

『砲身及び受信アンテナ破損。再充填、発射不能。コントロール、不能』

ラタトスク本部のサポートAIが紡ぐ渇いたソプラノを円卓は受け入れられなかった。只目の前の砂嵐の映像に口を開けて呆気にとられてるだけだ。

『『『何だと!? ダインスレイヴを、破壊したというのか』』』

エリオットは内心安堵した。どうやら士道の命はこちらの采配に左右される事はない。

しかし、五河士道討滅兵器が通用しないのは流石に予想外だった。暴走状態の士道が真っ向から打ち破るとは」。

『何故だ!? ダインスレイヴ開発に当たってイツカシドウの潜在性能は解析した筈だ。それがどうしてこんな結果に!?』

クライトンの台詞が他三人の心情を代弁し皆の口を塞いだ。誰も士道の予想以上の反撃に狼狽えるばかり。

強いて理解したのは、

「単純に、イツカシドウに抗する殺傷力の前提を履き違えたから」

秘書カレン・N・メイザースの囁きに議長エリオットが眉を寄せる。

 

 

 

右手に罅割れが木霊する。

「つまり、士道さんを魔力砲で葬る事事体が間違ってるのですわ」

さらに罅割れが響く。

「そもそも人間は顕現装置を戦闘用に改造して精霊に挑んで、これまで何の成果も出せませんじゃありませんか。それがどうしてあの衛星兵器は士道さんを殺せるとお考えですの? 単に士道さんが霊力持ってるだけの人間だからではありませんのに」

言いながら狂三は正面上空に花弁の花を向けて防御態勢を敷く士道を余裕の笑みで眺める。左手に短銃を突き付けて。

「琴里さん言ってましたわ。士道さんと琴里さんを調べつくしてダインスレイヴを開発したと」

狂三は弓張月の笑みを口に歪ませるばかりで動いてない。

囁いたのは足元の影からだ。

「そう。ラタトスクが二人を回収した五年前に解析し、ダインスレイヴを開発しました。士道さんを殺すには十分な兵器ですわ」

「成程。つまり五年前と今では想定そのものが成り立たないと」

罅同士が繋がり橋を渡した。

「正解ですわ。満点ですわ。静止衛星軌道上という絶好の死角に隠された、炎の精霊さんの再生能力を上回る、大出力の魔力砲。且つての、五年前の士道さんを殺すための兵器であって、8人もの精霊の霊力を内包した現在の士道さんを殺すには、基本性能が心許ないのですわ」

「つまり、こうして士道さんが暴走して、実行しても失敗する公算が大きいって事でしたか。例えば、こうしてダインスレイヴを士道さんオリジナルの霊力砲〈瞬閃轟爆波〉で返り討ちするとか」

影から漏れ出る含み笑いと同時に罅割れが蜘蛛の巣を描く。

「ですが、こうして士道さんの気を逸らしてくれましたわ。そういう意味では、こちらの事情に貢献してくれて感謝ですわ」

銃声が鳴り響いた。狂三の短銃からではなく士道のいる空の真下から。

その所為か、士道が上空から虹色の翼を解いて落下した。

「士道さん、優秀賞、役に立ちましたわよ」

狂三は右手に握った物を見る。

それは、罅割れて蜘蛛の巣が張られ尽くした、歯車が露出した懐中時計だった。

 

 

 

「霊力の塊?」

休憩室で天体観測デートを終えた狂三は士道の左手に浮かぶ霊力の球体を見やる。

「ああ。最優秀賞としてこれをやるが、只やるんじゃ面白くないな」

にやけた顔で士道は空いた右手を掲げ、霊力の光を放つ。

光の消えた右手に残るは鏡。七罪の天使・贋造魔女(ハニエル)だ。

士道は鏡の光を左手の霊力塊に当てると、忽ち掌に収まるサイズの懐中時計に変化した。

「……それは、まさか!?」

「そう、刻々帝(ザフキエル)。模造品だけどな。狂三と君達の一番の違いは天使の有無だろっ。これをどうしようと君の勝手だ。狂三の霊力の足しにするも良し。でもこれなら回数制限有でも、使える筈だ」

そう言って狂三に懐中時計〈刻々帝(偽)〉を持たされた。

 

 

 

「士道さん、ありがたく使わせて頂きましたわ」

掌の〈刻々帝(偽)〉が、形作る霊力そのものを底尽きて粉々に砕け散り、虹色に光る砂粒大の欠片は地面に触れる直前で消え去った。

これを使って狂三はダインスレイヴの猛攻を花弁の盾で防御してる最中に士道に追いつき、霊力砲で迎撃した後から相手の動きを停止させる【七の弾(ザイン)】を撃ち、反射的に防御した士道を止め、その後で死角から分身体による一斉掃射で撃ち落とす。

どうやって追いつけばいいかが課題だったが、ラタトスクがやってくれたようだ。

「ではわたくし達、今宵の晩餐と、いえ、最後のデートを終わらせましょう」

〈刻々帝(偽)〉無き右手を地面に着けて軽い前傾姿勢をとると、足元の影が地面を一気に侵食し出し、狂三自身も地面スレスレを滑空する様に駆け抜ける。

木々を駆け抜けて狂三は地面に起き上がった士道を視界に捉えた。

対する士道は撃ち落とした元凶が眼前の狂三だと気付いて咆哮する。

それと同時に体内から森林一帯が更地になる程暴風雨の如き霊力の奔流を熾した。

 

 

 

銃声!? 耶俱矢、夕弦、折紙を連れて先行して! 一刻を争うわ!」

「合点承知!」

「受諾。マスター折紙も同伴ともなれば鬼に金棒です」

八舞姉妹は折紙を二人で挟むように抱えると対となる片翼の天使〈颶風騎士(ラファエル)〉を顕現させて士道が消えた先へ飛ぶ。

「私たちも急ぐわよ。狂三が危険な相手には違いないわ。どんな聖断を携えようと、あいつは自分の邪魔を奴には容赦ないわ。霊力が少ない中、交戦だって――」

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

大気を震わせるような断末魔に琴里は遮られた。

音量の壮絶さだけじゃない。音源は聞きなれた士道の悲鳴だ!

「何だ!?」「!!!!、何!?」「ひ!?」「ぎゃああああああ!」「な、何ですかーーーー!?」

断末魔に動揺してる間に残った精霊たちの身体が光る粒子に包まれる。

「!? 何だこれは?」

「ビフレストの転送予兆。もう?」

瞬く間に琴里たちは転送され、精霊全員がすぐに揃った。

「耶倶矢、夕弦、士道は?」

「それが……」

「戦慄。なんておぞましい光景でしょう」

「時崎狂三」

三人のすぐ先は既に人外魔境の様相だった。

いくら真夜中の暗闇でも星明りで地面の不規則な凹凸に小石や雑草、枯れ枝が見えていた。

しかし、まるで墨で塗りたくったように闇が光を吸収して落とし穴のように地面が一切見えていない。

そして真ん中で蹲ってる白い蛇壷は綺麗な青白い炎がはみ出た四肢を中心に燃え上がってる。

突然全方向から銃声が響き、前方から、左右から、後方から黒い糸の軌跡が蛇壷に群がった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■……」

黒糸が着弾した途端、蛇壷から士道の頭部が顔を出した。この蛇壷こそが士道だったのだ。

もう既に声になってなかった。喉の水分が枯れ切ったのか、そもとも自らの炎熱で焼き切れたのか、蛇壷は既に悲鳴の様相を呈してない只肺の空気が喉を通過する擦過音となり果ててる。

はみ出た四肢は再び琴里の再生の炎で燃え上がり、陸に打ち上げられた魚みたいに黒い沼にバタつかせるばかりだ。

それも目も口もない5つの髭持ちの白蛇に再び噛み付かれる。

「シドー!」

「士道さん!」『士道くん!』

「「「士道!」」」

駆けだそうとして黒い沼に足が入った。

「!…………」

虚脱感と圧迫感。一気に口の中の酸素が底を尽いたかのような眩暈に本能的に後退してしまった。

「これは、覚えがある。確か狂三が学校で皆を苦しめた……」

「時喰みの城」

「正解、意外と早かったですわね。あのままベッドで蹲ってるかと思いましたわ」

琴里達とは反対側の岸辺に狂三がいた。短銃を左手に中央の蛇壷と化した士道に標準を向けてる。

それだけではない。正面にいる和服フリルファッションの狂三の他に後と、左右に似たような気配が、赤い単眼と三日月に吊り上がった口元が木陰に浮かんでいた。

「何のつもりだ狂三!? これはどういう事だ!?」

「わたくしの目的はただ一つですわ。士道さんが孕んでる貴女方の霊力。それが思わぬ形で漏出しては勿体無いではありませんの。できれば拾い食いという野良犬染みた真似はしたくありませんが、ここまでお祭り騒ぎに昂じられますとついつい便乗したくなるのですわ」

「時崎狂三、これが貴女の秘策?」

「ええ。元は琴里さんを屠るための対策で考えたものですが、もう取るに足りませんから士道さんの霊力をいただく為に使わせましたの。どうでして?」

時喰みの城で霊力を吸い取る事で琴里の再生能力含めた精霊の力全部封じてから前後左右の狂三の分身体で再生の難しそうな四肢の関節を重点的に撃ち抜いて足止めし、対称に群がる白蛇の群れ、もとい影に潜んだ狂三の分身体が手を伸ばして相手の全身を拘束し続ける。

やがて相手の霊力が底尽いて捕食完了。

これが対イフリート攻略戦法。識別名に因んで壷帰り(オペレーションリターンポット)。

「ああ怖いでしょう。足が竦むでしょう。帰りたいでしょう。わたくし達もあなた達に食事の邪魔はおろか見られるのも好みませんの。そろそろお帰りになりません事?」

「ふざけるな! このまま士道を食われてたまるか! 今すぐ止めるのだ!」

「我ら八舞の共有財産を喰もうとは不遜極まりない。その対価、貴様の血肉で払わすぞ!」

「激怒。耶俱矢と夕弦のいる前で士道を貪るとは、貴女を自殺志願者と見做します」

「し、士道を、食べちゃ駄目です!」『狂三ちゃん、慈悲深さの四糸乃に寛容で定評なよしのんも怒り心頭だよ』

「い、今すぐ士道を返して!!!!」

精霊達が敵意剥き出しで狂三に啖呵切るが狂三は意に介さないどころか空いた右手で手招きした。

気付いてるのだ。狂三の時喰みの城は依然より強力で普通では自分らの生命力をあっと言う間に絞り尽くす事を。

「……成程、そう言う事ね。ホンットにムカつくわ」

琴里が俯いて拳を震わせていた。

「琴里?」

「思い出して。こうして追いついても士道は霊力の暴走でマトモに手が出せなかったのよ。それがこんなに無防備で――」

「無防備? つまり絶好のチャンスって事?」

「そうよ! 自分が足止めするから、その隙にケリ着けろって事よ!」

狂三が壷帰りで足止めしてその隙にキスして経穴を正常化させる。それが一番最良な手段。

彼女が一番の協力者であった。

「別にどう思おうと勝手ですけど、それならどうするつもりですの? わたくしはコレを解除する気はありませんし、貴女達はわたくしの影に入るのが怖いのでしょう。大事な大事な騎士様に任せればよろしいのでは? ああ、当の騎士様ですものねぇ。貴女達怖気づいて。もしかしたら声援を送れば――」

「その耳障りな口を閉じなさい! 燃えカスにするわよ!」

怒号と同時に中心に露出した肌が火傷するような熱波が噴き、渦巻く。

熱波の発生源は琴里だった。霊装を限定して顕現し、熱波を吹き荒らしてる。

しかし、目は涙を溜めながらも強い怒気を発散させ、歯を食いしばって酷く苦みに耐え忍んでた。

「わたし達が、いつまでも士道に甘えたがってる小娘共だと思うなーーーーーーーー!」

激昂を気合に変えて熱波を推進剤に士道目掛けて影の沼に飛翔した。ロケットみたいに。

「が……!」

突然の虚脱感に琴里は失速して顔から地面に落ち滑った。

――喉が熱い! 肌が冷たい! 瞼が重い…… 頭が揺れる……… 息が続かない………… ホントに泥の中みたい手足が動かない………… でも士道が……。

………あと少しで――「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!」

フラついてでも立って歩いて行く琴里の身体に青の炎が噴き、激痛でまた倒れた。

「不用意に射線上に立たないくれません事? こうして撃たれますわよ」

「狂三、貴様あああ!――」

「士、道、…あ……」

限定霊装が星粒と消えた。只でさえ経穴が狭く保有霊力が少ない状態で霊力を吸う結界に入ったら枯渇は当然だった。

――痛いよ、寒いよ、熱いよ、痒いよ、暗いよ、眩しいよ、苦しいよ、霞むよ、怠いよ。これが、士道に背負わせた罰、重み、苦しみ、寂しさ、酷さ。

わたしは、士道にこんな事を強いてきたのか? 優しいお兄ちゃんで在り続ける彼に付け込んで、災厄の元凶を、か弱き子羊達を唆して、彼の自己犠牲性を改めるつもりもなく、危険地帯に飛び込ませて……。でも――

「ぎゃあああああああ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」

這いずって、やっと士道の眼前。

しかし士道は獣性の形相で上半身を海老反らせ、右手に赤い小刀を振り上げてた。

見た途端琴里の胸部に小刀が突き刺された。突然の凶刃に激痛だらけの身体は痛みすら感じず、兄の凶行によるショックが大きかった。何度も喧嘩した事もあっても士道が自分に手を上げるなど。

胸部に刺さった小刀が煙に消えた。

「ぎゃあああああああ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」

士道と同じ悲鳴を上げ、全身がのたうち回り、手足が暴れて振り回す。

――痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーーーー!

あの刃、わたしの霊力だ!

右腕関節を撃ち抜く筈の狂三の銃弾は琴里が射線上に割り込んだ所為で当たらず、士道は自由になった右腕で背中の枝翼型の天使から残った霊力の葉を毟り取って、偶然なのか琴里の霊力葉を刃状にして刺したのだ。

琴里の身体は、枯渇し切ったところで突然霊力が触れて全身が霊力を求めて脈動する。

僅かな霊力を一滴残らず搾り取り、全身に浸透させた結果全身が、心臓が破裂するんじゃないかの如き激痛を迸らせた。

乱暴な霊力供給に手足が暴れ、指先は激痛しかない。

それでも両手を士道に噛み付かせて彼の顔に落下させるようにキスをした。顔面に頭突きしようとしたら口同士がぶつかり合ったような、擦れ合ったようなロマンの欠片のない無様なキス。

それでも経穴が戻り、琴里の全身をたま脈動の激痛が襲った。

――嗚呼、霊力って、こんなに苦しかったんだ。自分のですら、こんなに痛かったんだ。不味かったんだ。苦かったんだ。

こんなものを、いままで呑ませて来たんだ。

自分のエゴの為に、同胞を言い訳にして、只そばにいたかっただけなのに、甘え切って、どうしてこうなったんだろう? お兄ちゃん。答えてよ。謝るから……

いままで自分の為に頑張り、苦しんできた彼に届かない声で求めながら琴里の意識は沈殿した。

 

 

 

『琴里さーーん! 離れてくださぁーーーーーーーーーい!』

限定霊装を顕現した美九が独奏曲と輪舞曲で琴里に退却を迫るも反応がまるでない。僅かに身体が脈動するだけだ。

『美九、琴里との経穴が正常化した。だがもう美九の歌ですら動けないくらい衰弱しきってる。早く結界から出さないと』

インカムの令音から琴里の容態が告げられる。既に危険域のアラームも鼓膜に引っ切り無しに響いていた。

琴里を移動させたいのに、すぐにはできない。影の結界は一気に霊力を枯渇させる。莫大な霊力を内包してる士道ですら身動きが取れないのだ。

「なら、『琴里さあーーーーーーーーーーーーーーん! ごめんなさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!』

声の衝撃波で琴里を影の結界から無理矢理吹っ飛ばした。琴里は十回以上も転がり、結界から出たところで終えた。

『乱暴な手だが、結果オーライだ。しかし、この結界の濃度の中どうやって――』

令音の考察が美九に届いてない。

美九は士道に背を向けると振り返って士道の位置を確認。

見やると地面に向けて――

『あーーーーーーーーーーーーーーーっ!……………………』

声の衝撃波を出して自身を飛ばし、結界で霊力が枯渇し切っても慣性で到達させる。

士道に着ける為の力加減がぶっつけ本番だったが上手くいった。美九は霊装を霧散させ、糸が切れた人形の様に四肢を落としながらも士道の傍に墜落した。

四肢が碌に支えにならず背中を強打しながらも必死に上体を曲げて士道に迫った。

「だ、あ、……っ!」

先が言えない。喉が焼けるみたいな渇きが、声を音に、摩擦に変えた。

――また、声が出なくなっちゃった。

これでもう三度目だ。ファンのあらぬ嘲笑と視線に心が折れた時。DEM支社で士道を追い掛け、その過程で必死に霊力を熾して枯渇した時。

そして今回、士道を救うために命を蝕む結界に突貫した。

――酷いキスですね。愛を囁く事すらできないなんて。只の吐息しか与えられないなんて。わたしの為にファンになってくれたのに、歌を聴いてくれたのに、約束を守ってくれたのに、傍にいてくれたのに。そんなわたしに居てくれますか?

必死に身体を這って、僅かに触れただけの気付かないようなキスを、士道にしてから美九の意識は微睡みに墜ちていった。

 

 

 

「美九! 葉を食い縛れ!」

「謝罪。後で耶俱矢を一日愛でて差し上げます」

「ちょっ!? 止めてそれ! 流石に美九相手は止めて!」

掛け合いながら耶俱矢と夕弦が美九を突風で結界から追い出す。

それと同時に二人の霊装と天使が煙と消え、パーティ衣装に戻った。

「く、早々に消失とは、我ながら未熟さを悔いるばかりだ」

「辛酸。先に接吻された事もありますしね。耶俱矢と夕弦のファーストキスの相手に機に乗じて抜け駆けはご法度です」

二人の渋面に後ろから七罪が贋造魔女(ハニエル)を出す。

『千変万化鏡(カリドスクーペ)』

箒型の天使が光に包まれ、光の塊が分裂して二人に吸着。背中に『颶風騎士』が顕現した。

「身に余る検診に感謝だぞ七罪。後で貴様を我の眷属にしてやろうぞ」

「感激。地獄に仏とは正にこの事ですね。以前のグレた性格を鑑みて最早淤泥不染の徳!八舞、いえわたしたちにとっての蓮華、いえ菩薩です。崇め奉りましょう」

「い、いいから格好つけて難しい台詞言ってないでさっさと行ってよ!」

「良し! ではゆくぞ皆」

「進撃。では菩薩の七罪。一緒に士道を救いましょう」

「え? ちょっと――」

異議を唱える余裕無く、耶具矢と夕弦は七罪を身体でサンドウィッチして滑空する。

「が!……」

「「っ!……ぐおおおああああああたああああああああれれれれれれれ」」

影の結界で天使を霧散させて尚、削るように地面を滑って士道の前に三人に倒れ伏した。

それでも三人は腕で必死に地面を噛み付いて這いずり、七罪を士道の顔面に触れさせた。

――うっわ、酷いくらいに不細工だよ、士道。でも、それは…あたしもか……

皆あたしを綺麗にしてくれた。ありのままのあたしを認めてくれた。あたしを可愛いと言ってくれた。受け入れてくれた。

――でもまた、あたしの顔、不っ細工になっちゃった。霊力底を尽いて、地面に這いずって、泥臭くなって。でも士道も泣き喚いて、目も真っ赤で、ホッペも皮が剥がれかけてて、唇も罅割れて。

「ん……………………………………………………………………………………………!」

七罪も歯を火事場の馬鹿力出さん限り食い縛って全身し、顔を刺しこんで士道の渇いた唇にキスをした。

――うえ、へ、へ、へ、士道も、メッチャ醜男だよ。あんなにわんわん泣いちゃあねえ。

――だから士道、今度起きたら、またメイクしよう。そうでなきゃ一緒に……

七罪は僅かに口角を上げて士道に微笑んで目を閉じた。

 

 

 

――士道。あたしと夕弦を、耶俱矢と夕弦を邪魔した人間。

それだけじゃない。わたしたちの話を聞いた人間。わたしたち二人の関係割り込んだ人間。わたしたちの決闘に割り込んだ人間。わたしたちに必死になった人間。わたしたちと一緒に走った人間。わたしたちが迫った人間。わたしたちに文句を言った人間。

            わたしたちを選んでくれた人間

だから二人は士道をモノにした。初めてだったのだ。二人の世界に割り込んで、新しい世界に、二人を連れてくれた。

――だから、我らは士道を共有財産に、…永続。これからも耶具矢と夕弦と共に……

ここから先は、二人は言わなかった。否、既に彼に言い尽くした。だから後は、二人とも爪を深く沼に食いこませていつもより深く、誰が先か競うように迫って、二人の唇を擦った。

 

 

 

「七罪―――――――――――! 耶具矢―――――――――――――――――――! 夕弦―――――――――――――――――――――――!」

十香が岸辺で三人の名前を呼ぶが、既に何の反応もない。

代わりに耳元経穴正常化のアラームが鳴った。

だが結界内では衰弱死は免れない。

「私がやる」

折紙が限定霊装を顕現させると天使を飛ばし、三人の衣服に引っ掛けると遥か先まで牽引した。

「よし、これで後は――」

突如蛇壺が爆発した。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」

雄叫びを挙げて周囲に霊力の奔流を振りかざし、結界で見えなくなってた雑草や小石を、そして人型の影を吹き飛ばした。

「なんだ!?」

「こ、この人は?」

「時崎狂三?」

十香の足元に転がった狂三を見やる。

皆同じ顔立ちだが、服装は来禅の制服から分厚そうなコートにマフラーの着膨れ姿、美九の通う竜胆寺にはてはメイド服までという変わり種まであった。

「こやつらは……」

「これらが士道を影に潜んで拘束してた分身体。……まずい! 今士道は――」

「ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴっヴヴヴヴっヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……」

幽鬼のように、四肢を撃ち抜かれて、小鹿みたいな、安普請な人形みたいに、素人が作った案山子みたいな震えた足腰で士道は立ち上がってた。

歯が寒さで震えるみたいなガチガチと歯軋りしながら呻き、目は獣みたいに瞳孔が開き切っていた。

一歩踏み出そうとして四肢が青の業火で焼き尽されるがそれでも四肢を重く踏み鳴らし、微塵も堪えてない。

「止め切れてない」

「し、士道さんが――」『うひゃーーーー士道くん怒髪天だよ』

只でさえ衰弱死し兼ねない影の結界なのに鬼気迫る士道に迂闊に近づけない。間合いに入ろうものならものなら咬みつきかねない手負いの獣特有の怒気を撒き散らしていた。

「シドー……」

「士道さん」

物怖じする間に手で制した。

「私が行く」

折紙が出ると限定霊装のまま片手でハンドサインを複数形作ると上空に空高く飛び上がった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」

士道が折紙に咆哮したと同時に再び四肢が青く炎上する。折紙のハンドサインで狂三に跳躍したら斉射するよう指示した即席の連携。

折紙が自衛隊用のハンドサインに狂三が空いた手で了解のサインで応じたからこその成功だった。狂三は分身体を使ってあちこちに諜報活動してるなら言語や暗号も熟知してると読んでやってみたらまさかの成功。元自衛官として機密漏洩を憂うのと即席コンビの意思疎通を喜ぶのが僅かに強かった。

折紙は結界で霊装を消されながらも士道の許に落下し、絡みつくように士道諸共倒れ伏した。

――士道、あの時と立場逆だね。

五年前のあの時、一週目は目の前で両親亡くして、私は赤子みたいにわんわん泣いて、そんな私を抱き締めてくれて、二週目は両親を身を挺して庇ってくれて、

今度は私がそれをできて、本当に嬉しい。

手足の感覚が徐々に薄れてくのが分かる。必死にもがく彼を抑えないといけないのに組技が指先が熱と痺れでどうなってるのか分からない。

手足が、胴体が、火箸で刺し貫かれたような痛みが全身に走り、歯を食い縛る。

眼球を回すと狂三が憎らしい笑みを浮かべながら短銃を向けた。知らず知らずの内に射線上に入ってしまったようだ。身体のあちこちに弾痕が穿ってた。

それでも顎を使い、背筋を脈動させ、胸筋を這いずって士道の唇に触れた。

――士道、私は嬉しいよ。貴方、時折何考えてるか分からない時があるから。

だから、こうして感情を剥き出しにする様が嬉しかった。私みたいに心を表に出し難い顔より、物事を理路整然と纏めるより、正直に感情を露わにする方が良いと思うよ。

――だから、士道…せめて……私には何でも良いから、味方になるから、どんな事でも応じるから、こうして、………大声上げて、……………色んな顔、見せて………………。

 

 

 

「折紙―――――――――――――――――――!」

「お、折紙さああーーーーーーーーーーーーーーーーん! 目を覚ましてくださぁーーーーーーーーーい!」

『折紙ちゃあああああああああああああああああん! 士道くんを独り占めしちゃ、駄目―――――――――――――――――――――――――――――――――――――!』

アラームで折紙の経穴正常化は知ったが、折紙は士道にしがみ付いたまま動かず、士道は仰向けになった亀みたいに手足を振り回す。

『十香に四糸乃。シンは今折紙に寝技を組まれて動きを制限されてるが、それも時間の問題だ。今のうちに――』

「「な!」」

士道が自信にしがみ付いた折紙をそのままで枝翼を杖に立ち上がったのだ。

霊力も殆ど無いのに尋常じゃない膂力で人一人分の拘束のままで二人を圧倒する覇気を熾していた。

近くにいるだけで足元が震え、息が詰まり、歯が噛み合わず、冷や汗が肌に、衣服を貼り付ける。

歩くのではなく、靴底を引き摺るような牛歩の前進なのに心臓が破裂寸前で、今すぐに逃げ――

『四糸乃。最初に士道くんに会ったくれた時、士道くんは何してくれたの?』

「え?」

四糸乃は、左手に棲むよしのんを見やる。

『四糸乃が誰かと話しかけるなんて、よしのんと二人だけだったなら考えられない事だよ。

でも今は、士道くんだけじゃなくて、十香ちゃんや琴里ちゃん、耶具矢ちゃんと夕弦ちゃん、美九ちゃんに折紙ちゃんともよく話すようになったじゃない。よしのんとしては、いつか誰かと友達なって仲良くしたかったのが、よしのんの将来設計なんだけど、それが直ぐに叶ったちゃったじゃない? 四糸乃がここまでできたのって士道くんのためじゃない。士道くんが身体張って来てくれたから、四糸乃も士道くんに近づいたんだよね』

そうだ。士道は且つて、よしのんを失った四糸乃に再び合わせる為に、暴走した四糸乃に傷だらけになりながらも来てくれたんだ。

「士道さんが、わたしの、味方になってくれたから」

『でも、その時の士道くん、凄く苦労したよね。四糸乃が街に雪降らせて、周りに吹雪吹かせて、それでも士道くんはきてくれたんでしょ』

「うん。だから――」

『そうだよ四糸乃。どうするかは分かるよね?』

四糸乃は限定霊装を纏うと天使・氷結傀儡〈ザドキエル〉に跨り、士道に向けて咆哮する。

途端に士道はしがみ付いた折紙丸ごと頭部を除いて氷漬けになり、身動きとれなくなってしまった。

同時に氷結傀儡の開口部から伸びる士道の露出した頭部目掛けて伸びる氷の滑り台が掛かった。

「『四糸乃』」

四糸乃は滑り台と先の士道に目掛けて滑り台に駆け込んだ。

「い、いっけえええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

だが四糸乃が滑り台に降りた途端に滑り台に罅が走った。

「■■■■■■■■■■■■■■!」

士道が咆哮と同時に滑り台が粉々に砕け散った。

突然の崩壊に四糸乃が空中へ放り出される。

それでも四糸乃は両手を目一杯伸ばして士道を目指すが目の前をかすり、すれ違う。

四糸乃は地面に投げ出され、士道自身は氷の拘束と寝技掛けた折紙を解くも仰向けに倒れてしまった。

辛うじて顔を守った四糸乃は影の結界で霊力を吸われながらも必死に這いずって、倒れた士道にキスをした。

――士道さん、これで二度目ですね。

思えばずっとこうだった。初めて会った時からマトモに人に話す事すら出来ず、ずっとよしのんに頼りぱなしだった。

そんなわたしを、よしのんを受け入れてくれた、初めての、人間のお兄さん。

そんな彼を、今度は自分が同じ様にやるなんて。

つらい。ダルい。眠い。苦しい。見えない。寒い。ノロい。正直もうやめたい。

……でも、士道も身体を圧して四糸乃に来てくれた。

だから、今度はわたしが…やらなきゃ。

体内に霊力が戻る脈動を最後に四糸乃の意識は影の中に墜ちていった。

 

 

 

「良し、やったな四糸乃! 最後は私が――」

十香で最後になったが、そこで異変に気付く。

士道の背中に生えた枝翼と残った葉が少しずつ光量を増し、応じて立ち上がったのだ。

「ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴっ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」

また声にならない雄叫びを上げた途端、士道から何かが四散した。

十香は反射的に限定霊装と天使・鏖殺公〈サンダルフォン〉を捌いて身を守るが森のあちこちで断末魔が広がった。

木々から落ちたのは様々な衣装の少女達。髪型に差異が見受けられるが、全員が狂三と同じ顔をしていた。

皆胸元や手足に出血して呻いている。

向こうでは満身創痍になりながらも士道が立ち上がり、直角とも呼べる程の前傾姿勢になりながらも両手を背後に担いで枝翼を引き千切ると士道は両手で正眼を構える。同時に枝翼に残った紺色の葉が明滅し、持った枝翼が鏖殺公に変化した。

しかし、柄と鍔の拵えは鏖殺公そのものだが、刀身が鍔全体から生え出てそこから尖った扇状の大剣ではなく細身の直剣型。刺突に秀でた形状だ。

十香は察した。あの形状は霊力という巨大な鉄塊を削ぐ事なくあの細い刀身に濃縮した代物だと。自分の今の鏖殺公では触れただけで粉々に吹き飛ぶものだと。

士道の鏖殺公に怖気づいたところで、倒れ伏した狂三が起き上がった。

「あらあら、経穴が正常化した事で大分強化したようですわね。どうしましょう十香さん?」

狂三の言葉に挑発を思わせる侮蔑が混じり、無意識に引いた摺り足を止めた。

「士道さんは、霊力が枯渇し切っても、手足が潰れても全てを消すつもりですわ。誰彼構わず、自分の命も厭わず、目の前の全てが脅威と感じて。それでも十香さんは救うつもりですの?」

「救う、だと……?」

途端、十香は目の前の士道が変わり果てた。

士道が突然別の何かに変化したのではない。感じる雰囲気が変わったのだ。

全てを瓦礫の山に血と臓物の河に変える災厄の獣が、悲鳴を上げて誰も聞く耳を持たない、凶器を振り回す子供に見えた。

――それはまるで。

「十香さん!」

「!?」

掛け声に我に返って鏖殺公を無意識の内に捌いた。

突如鏖殺公が粉々に砕け散って全身を吹っ飛ばされ、木に激突して肺に満ちた酸素を余さず吐いて倒れた。

転がって止まると十香は再び士道を見やった。

士道は、声にならない呻きと血走った双眸を剥き出しにしながらも十香を追い込まず、ただ睨みつけてた。

――嗚呼、そうか今の士道は……且つてのわたしなんだ。

「まずいですわ。再び結界を張るとそれだけで敵対と見なし、斬りかかるようですけど?」

「いや、いい。私がやる」

十香は立ち上がると手で狂三を制し、呼吸を整えた。

「そうですの。実を言うとわたくし、さっきので堪えましたの。協力はここまでで」

「ああ。礼は言わんぞ。狂三、お前も士道が救うからな」

「あらあら、そうですの。では、ご武運を」

目の前の狂三。そして他に倒れ伏してる分身体たちが黒い影に沈んでゆく。

そして十香は両腕を左右に広げ、

「……シドー。今すぐ助けてやるからな」

柔らかく微笑んだ。

士道は鏖殺公を真横に構え、それに全体重掛けるように両手で抱えると地面が割れんばかりの震脚で踏み込み滑空。十香目掛けて突進した。

まともに受ければ致命傷はおろか上半身は吹き飛ぶ刺突に十香は残り僅かな霊力を熾した。

士道の鏖殺公が十香の霊装に触れる直前、霊力の奔流が上方に噴き荒れ、鏖殺公を遥か上に流した。

それに引き摺られて士道も鏖殺公諸共上へ飛ぼうとして十香に上体を掴まれ、十香と絡まる様に後方へ転がり続けた。

――シドー、お前はいつもこうして皆を、琴里を、わたしを救ってきたんだな。

ここに来て直ぐにASTに、人間に追われ、傷つけられ、撃たれ、斬られてきた。

だが、そんな自分に士道が来てくれた。美味しいものを食べさせてくれた。楽しい事を教えてくれた。自分の居場所を与えてくれた。

皆に、わたしに、お前は、自分達がされてきた仕打ち以上に苦しんできたんだな。

だから嬉しい。お前の気持ちが分かって。今度は自分達が救える事が。

何度も転がっても十香は指を絡めて士道を手放さなかった。力一杯、指先の感覚無くなるまで、背中と手足が小石や枝で刺されようとも。

必死にしがみ付いて士道によじ登り、唇に触れた。

――嗚呼、駄目だな。最初にキスされた時と比べれば全然味が違う。

硬さが違う。感触が干物みたいだ。破けてる。味みたいなのが無い。

おまけに身体中が熱い。体内に熱い粘液流されてるみたいで、耳の奥が酷く痛くて、腕の中がまだ脈動して、士道が今にも零れ落ちそうで、脈打つのが激しさを増して、胸から逃げ出しそうで、だから手の爪を食いこませて頭も自分の唇同士が密着したまま固定させて、ジタバタする全身を自らが合わせて――

「ぶふぁああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!っもう止めろって十香! もう正気だから! 元に戻ってるから! 身体大丈夫だから爪食い込ませるの止めてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「……シドー?」

「ああ。もう大丈夫だから……」

士道は商店街の時から続いた自身に溢れた余裕な笑みとも暴走した時の獣染みた必死な形相でもない、普段から見続けた優し気な微笑。もうずっと昔から見てなかったような気がした。

だから十香は指先を引き締めた。

「い痛ててて、だからもう大丈夫だから。離れろよ」

「駄目だシドー。もう離さない」

――お前の事が好きだから。

結局口にしない。

だが、いつもの士道の声、口調、態度、仕草、双眸、匂い、雰囲気。それを感じた途端身体が暖かくなったような、力が湧いたような、心臓がゆっくり収縮してるような感覚に耳を澄ませながら微睡みに流れていった。

「おい十香。もう十香ぁーーー……」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。