白の青年 (保泉)
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序章
序章


 一歩、足を前に出しただけだった。たったそれだけの動作で、彼女を取り巻く世界は急激に姿を変えてしまった。

 

 世界でも有数な四季があり、様々な風景が楽しめる国は、岩と砂に囲まれた常夏の国へ。

 シャープペンシルを持っていた割と白く華奢な手には、太陽の光を反射する無骨な刃を持つ。

 そして柔らかな女性として生まれたはずの体は、頑丈な男性の体となっていた。

 髪と眼の色も変わり、名前さえも失ってしまった彼女は、それでも彼として生きていた。

 

「世界が違おうが性別が違おうが、私は私に変わりがないだろ?」

 

 『彼』となった彼女は、自身に起きた出来事を些細なことだと笑う。

 このとき『彼』は強がっていたのは確実だ。

 彼女はそれなりに幸せな人生を送ってきたと自負をしており、家族や友人に会えないという事実は確実に彼女の心を抉ったはずだ。

 だが、それでも彼女は快活に笑い飛ばしてみせた。どこまでも広がる青い空を背景にして、澄んだ水のような薄い青の瞳を、楽しそうに細めながら。

 

 

 彼女だった『彼』は今日もこの世界で生きている。

 



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第一章
幕間:語り手 ヴァンの場合


  語り手 ヴァンの場合

 

 俺がセロに会ったのは、レックス―兄さんが亡くなってすぐだったと思う。ミゲロさんの目を盗んでギーザ草原に行ったときなんだけどさ、アイツ魔物がうろついてるってのに、寝転がって爆睡してたんだぜ? あ、信じてないだろ? ホントなんだからな!

 

 まあ、セロに近づいてから寝てるって分かったんだけどさ。最初は人が倒れてるって頭が真っ白になってた。アイツ、髪の色白いし、遠くから見ると銀髪に見えてさ。兄さんが死んだばかりだったから、きっと姿を重ねてたんだろうな。

 

 助けようって短剣持って駆け出したんだけど、近くに行く前に魔物に気づかれちゃって。囲まれてヤバいって思ったら、セロが突然起き上がったんだよ。

 

「犬畜生の分際で私の眠りを妨げるか。よしいい度胸だ、今夜の鍋の具材になりたいものから来い。安心しろ、私は腹が減っているから量が多くても構わん」

 

 こんな感じなこと言うんだぜ? それでさ、一匹仕留めた後にセロがニヤリって笑ったら、魔物たち怯えてスゲー速さで逃げてった。――だよな、やっぱ怖いよな!

 

 

 

 その後はパンネロも知ってるだろ。セロは行くあてがないとかで、俺たちの家族になってくれて終了。

 他にはないのって・・・パンネロはどうなんだよ? 俺は話したんだから、次はお前だからな!



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第一話 物語は動き出す

 乾季のギーザ草原を一人の青年が歩いていた。鼻歌を歌いながら機嫌よく歩く青年が通り過ぎると、乾季に強い草の藪や地面にあいた横穴からそろりとハイエナ達が頭を出す。

 とある事情により、ギーザ草原に住む彼らは通り過ぎた青年を苦手としており、彼の姿を見つけるとすぐに隠れてしまうのだった。

 

「お、ようやく見えてきた。いやいや、まさか一週間かかるとはね」

 

 そんなことは気にもせず、青年は遠くに霞む建物を見て明るい声を上げた。だが、声とは違って表情はなぜか引きつっている。

 青年は家族を大事にすることを信条としているのだが、大事な彼らはやたらと青年のことを心配する。初対面のときの、青年のあまりの世間知らずな印象を引きずっているのだろう。今回の、モブ退治の為に数日の間国を出ることさえ、猛反対されていた。

 三日で帰ると出立時に伝えたが、討伐に掛かった期間が一週間。以前、一日でさえ姿が見えないと心配されたというのに、今回は七倍の期間だ。

 

「あー、土産に何か買ってきたほうがよかっただろうか?いや、何でさっさと帰ってこないと逆に怒られるだけか」

 

 大事な弟や妹が真っ赤になって怒る姿は、とても可愛らしくて青年は割りと好んでいる。だが、同じ怒りでも泣き顔は苦手としていた。この後降りかかる小言の嵐を考え、青年は深い息を吐く。

 

「仕方がない、甘んじて受けるとしよう」

 

 小言は嫌だが、久しぶりに弟たちに会える嬉しさに青年の気持ちは容易に傾いた。少しだけ重くなっていた足取りは、今はスキップをしそうなほど軽やかだ。もちろん、青年はある程度の常識と羞恥を持ち合わせていると自負しているため、行動には起こさなかったが。

 

 乾いた砂混じりの風に純白の髪を靡かせる青年の名前は、セロ。彼がこの世界『イヴァリース』に来てから一年が経過していた。

 

 

  第一話 物語は動き出す

 

 

 一週間ぶりのラバナスタの街並みを見て、セロは少し雰囲気が変わったな、と直ぐに気がついた。

 最初に、帝国兵の雰囲気が違う。以前は横暴が目立つというよりも、どこのチンピラだと呆れんばかりの粗暴の悪い者が多かった。だがマーケットを見る限り、帝国兵が巡察していても、怯えた表情を浮かべる商人が少なくなっている。

 次に、ダルマスカ人の笑顔が増えた。壁に寄りかかって俯く人は少なく、顔を上げて前を見る表情に前ほどの影はない。

 切欠はおそらく、不在の間にあったはずの執政官の赴任だろう、とセロはあたりをつける。余程の好人物か、はたまた腹の黒い人物かは分からないが、唯一言えることはダルマスカの大半の民は、執政官を受け入れたということだった。

 

 セロは、自分を兄と慕ってくれる少年を想う。裏切り者の将軍に、そして仲間を信じなかった国に兄を殺されたのだと、悔しさに顔を顰めながら話してくれたのは、ほんの半年ほど前だった。彼が帝国から来た、しかも皇帝の三男坊の執政官の着任を冷静に受け入れられるとは、セロには到底思えない。

 

「帝国兵相手に何かやらかしてないといいんだが。とりあえずミゲロさんに不在中の様子を聞いてみるとするか」

 

 きっと今の時間なら、弟達は彼の店を手伝っていることだろう。目的地をミゲロの店と定め、セロは商業地へと歩き出した。

 

 ダルマスカ王国がアルケイディア帝国に敗北して、すでに二年の年月が経っている。王都ラバナスタに住んでいた大半の民は、地下にある町ダウンタウンへと住処を強制的に移らされた。一部の富豪と帝国への寄付を行える商人だけが、地上の街に住むことができる。

 セロが初めてこれを弟から聞いたときは、どこの世界にも賄賂をせがむ腐った役人はいるものだ、と呆れた。しかし、今回赴任した執政官の方針では、恐らく賄賂は受け取らない。どこからか情報が漏れた時点で、ラバナスタの民の好印象が間逆に転化してしまう。皇帝の三男坊がそんな馬鹿なことをする人物とは聞かない。

 

 噂の反乱軍にとって、厄介な人物が執政官についたみたいだな、とセロは嗤った。例の反乱軍とは、元ダルマスカ王国軍の兵士で構成された組織である。セロは、彼らがあまり好きではなかった。彼らが悪戯に帝国に牙をむく度、一般の民が帝国兵からの八つ当たりの対象になる。それに気づいていないのか、気づかない振りをしているのかはセロには分からなかったが、彼らが守ると言っているものはラバナスタの民ではなく、彼ら自身の誇りなのだと理解した。

 彼らの組織行動の情報を集めてみても、実にお粗末なもの。まるで義賊が貴族の屋敷を当て付けに襲うように、矢鱈滅多ら行動が派手だった。本来なら確実に目標を達成する為に、隠密性を高めるはずなのだが、本当に軍人なのかとセロが頭を抱えてしまったくらいだ。

 本当に帝国を倒すつもりがあるのか、と胸倉をつかんで問いただしたい、とダラン爺――ダウンタウンに住むやけに事情通な爺さんに愚痴ったのは五ヶ月ほど前だっただろうか。

 その後しばらく反乱軍が静かにしているのを聞いて、あの爺さん侮れん、とセロは戦慄した。

 

「あっ、セロ兄!」

「カイツか。店番中か?」

「うんそう……ってそうじゃないって! 全然帰ってこないから、すっげぇ俺たち心配したんだよ!」

 

 ミゲロの店に入ると、セロの姿に気づいた少年、カイツが駆け寄ってきた。現在ミゲロは不在で、なにやら慌てて出て行ったらしい。喚くカイツを宥めながら、セロは妙だとミゲロの行き先を思案する。

 仕入れの荷が遅れている位では、ミゲロは慌てて店を出るようなことはしない人物だ。店を離れるのは休憩と仕入れの交渉くらいで、それ以外は孤児達――弟達に依頼をする。

 そう、いつもなら弟がそれを受けているはずだった。彼はミゲロに恩を感じているし、頼みごとを引き受けないという選択肢すらないだろう。それに今の時間帯はカイツではなく、いつもは妹が店番をしているはずであった。

 ならば、彼の弟達は――ヴァンとパンネロはどこにいるのだろうか。

 

「カイツ、ヴァンとパンネロに今日は会ったか?」

「え? パンネロ姉ちゃんは今日は会ってないよ。ヴァン兄ならナルビナから帰ってきたみたい」

 

 セロはそうか、と頷く。そして間髪入れず、カイツの小さな頭を鷲掴みにし、店の奥の物陰に引きずり込んだ。

 

「ええと、セロ兄? なんで俺の頭掴むの?」

「今聞き捨てならない言葉を聞いた気がしてな。なに、私の勘違いならいいんだが」

 

 戸惑った声をあげるが、一見穏やかな笑みを浮かべるセロを見て、カイツは顔を強張らせる。いかにもしまった、と言わんばかりの少年の表情にセロは手に力を入れた。

 

「ではカイツ、別の質問をしよう。ヴァンはどこから帰ってきたんだ?」

「いてぇぇぇっ! ナ、ナルビナだよぉ! ヴァン兄、王宮に忍び込んだみたいなんだ!」

 

 痛みに目が潤むカイツを放し、セロは嫌な予想が当たったと右手で顔を覆った。

 

 ナルビナとは正確には『ナルビナ城塞』といい、犯罪を犯した者や帝国にとって都合が悪い人物を収容する牢獄のことである。王宮に忍び込んだのなら、『ナルビナ送り』になるのは当然のことだった。

 薄々、いつか彼がやりそうだと思ってはいた、だがまさかセロが不在のときに実行するとは。いや、むしろセロがいなかったからこそ歯止めが利かず、ヴァンは実行したのだろう。

 

「とりあえずミゲロさんに話を聞くか……カイツ、どこに行ったか予想つくか?」

「いてて。外に出て右のほうに走っていったくらいしかわかんないよ。ヴァン兄も探してるみたいだけど」

「ほう、それは一石二鳥だな。なら路地にいる奴に聞き込むしかない、か。では店番をがんばれよ、カイツ」

 

 カイツの頭を軽く叩き、セロはミゲロの店を出る。ヴァンにどのような説教をしてやろうかと薄く笑むセロを見て、通りすがりのバンガがびくりと肩を震わせた。

 

 

 

 聞き込みを開始して数分後、目撃証言によるとミゲロは砂海亭に入っていったようだった。必死に路地を疾走するミゲロの姿は、とても珍しかったと孤児の少年が楽しそうに笑うので、セロも思わず笑った。不謹慎だが、それは是非とも見てみたい光景だ。

 砂海亭に入り、セロはまず顔見知りを探す。店内を見回すと、こちらに気づいたのか一人の青年が駆け寄ってきた。

 

「セロじゃないか! 随分、討伐に時間が掛かったな。ヴァンやパンネロが心配していたぞ」

「トマジか。すまないな、ややこしい場所に討伐対象がいてな」

「まあ、無事に帰ってきてくれてよかったよ。ヴァン達にはまだ顔出してないんだろ? 今二階にいるぜ」

 

 トマジは顎で二階席を示す。セロがそちらに視線を動かすと、丁度誰かが階段を降りてきているところだった。見慣れない整った容貌のヒュムの男が二人とヴィエラの女性が一人、そして可愛い弟のヴァンだった。

 セロが彼らに近づくと、ヴァン以外の者達の視線がセロに突き刺さる。どうやら彼らに警戒をされているようだが、それはセロには関係がないことだった。

 

「え、セロ……?」

「ただいま、ヴァン。なんだ、私以外の誰に見えるのか聞いてもいいか?」

 

 パクパクと口を動かすが、言葉が出てこない様子のヴァンに、セロはニヤリと口元を吊り上げる。ヴァンはそれをどこか泣きそうな目で見た後、セロに駆け寄り胸元を掴んだ。

 

「お、遅いんだよ帰ってくるの! 俺やパンネロがどれだけ心配したと思ってんだ、この馬鹿兄!」

「ちょっと討伐対象を探すのに時間が掛かってな。遅くなったのは悪かった」

「……まあ、帰ってきたから別にいいよ」

 

 強く服を掴むヴァンの頭をセロは撫でる。しばらくそのままの状態が続いたが、セロが撫でる手を止めたとき、低い声で呟かれた言葉にヴァンは固まった。

 

「ところでヴァン。カイツから聞いたんだが、ナルビナ送りになったそうじゃないか」

 

 ビクリと肩を震わせるヴァンの米神に拳を添え、両サイドから力を混めて抉りこんだ。

 

「執政官就任日に王宮に潜り込むとは、お前は馬鹿か、いや馬鹿だな? 警備が厳しいに決まっているだろうに、感情に任せて実行するには問題がありすぎるとなぜ分からん。

 それにやるなら就任日から一週間後だろう、そのころが一番環境にも警備にもなれて気が緩む時期だ。今回はもう無理だが、次回はしくじるなよ」

「いだだだだ! わかった、わかりました! だから離せって!」

「断る。仕置きはキッチリ行うものだろう?」

 

 痛みに手を振り払おうと暴れるヴァンだが、モブ退治で鍛えているセロの手を振り払うことはできなかった。それを止めることができるのは第三者の声でしかない。

 

「おい、アンタ。ヴァンとじゃれるのはいいが、今は急ぎの用事があってね。後回しにしてくれ」

 

 少しイラつきを感じ取れる声に、セロはヴァンを離す。声の主は端正な顔立ちの細身の男のようで、形のよい眉を潜めてセロを見つめていた。

 

「セロ、パンネロが誘拐されたんだ! それでバルフレアが飛空挺を出してくれるから、ビュエルバまで行ってくる!」

「なんだと?」

「本当なんだよ、セロ。ああ、お前もよく帰ってきてくれた」

「ミゲロさん……犯人の要求はもう来ているのですか?」

 

 二階にいたのか、階段を降りてきたミゲロは、強張った表情を緩めてセロの背中を軽く叩く。緩んだといってもまだその表情は硬く、可愛い妹、パンネロの誘拐が事実なのだとセロは理解した。

 

「ああ、手紙があるんだよ。そこの空賊宛で、ビュエルバの魔石鉱に来いと」

「ミゲロさん宛ではなく?」

「ヴァンが帝国兵に捕まったとき、空賊たちも一緒でね。そのときに、その、誤解を受けたようなんだよ」

 

 言いにくそうに呟くミゲロに、セロは米神を揉み解した。つまり、パンネロは男前の空賊の、恋人と間違えられたのだろう。どういうシチュエーションかはセロには分からなかったが、周りからはそれなりに見えるような状況だったに違いない。セロは空賊と思わしき青年に向き直り、頭を下げた。

 

「そこの空賊の方々。私はヴァンやパンネロの保護者を自認している、セロという。恐らく、いや確実にヴァンが迷惑をかけて大変申し訳ない」

「……まあ、退屈しなかったのは確かだな」

「ふ、それだけではないだろうに。……貴方は、ヴァンをビュエルバまで送ってくれるとのこと。私も共に連れて行ってくれないだろうか」

 

 横で脹れているヴァンに気を使っているのか、空賊の青年は言葉を濁す。その様子にセロは苦笑を浮かべた。

 

「え、セロも行くのか?」

「……ヴァン、お前のここ最近の行動を、胸に手を置いてよく思い出せ」

「う」

 

 王宮に忍び込むは、投獄されるは、脱獄するはと、ここ最近のヴァンは行動的過ぎて予測ができない状態だった。セロには彼らに弟の保護者を任せるのは、あまりにも忍びない。

 ヴァンも自覚をしているのか、気まずそうに視線をそらし、懸命にも言葉をつぐんでいる。

 

「それで、どうだろうか」

「ハァ……一人ぐらい増えたって変わらないさ。好きにすればいい」

「感謝する」

 

 投げやりに言う青年に、セロは口元を緩める。綺麗な顔立ちであまり分からないが、恐らくこの青年は見た目よりも若いのかもしれない。セロには青年がヴァンに似ているように思えて、後姿を微笑ましく見つめていると、横に誰かが立ったことに気づいた。

 

「青年はわりと照れ屋なんだな」

「ええ。彼、見た目よりも可愛らしいのよ」

 

 素晴らしいプロポーションを持つヴィエラの女性は、成人を過ぎているだろう青年を可愛いと評価する。内心同意を返しながら、セロは空賊の青年にエールを送る。

 

「私はフラン、照れ屋の彼はバルフレア。そこの男性は後で紹介するわ」

 

 脹れるヴァンを宥めている金髪の男性に視線を向け、フランは砂海亭の出口へと歩き出した。

 それを目で追いながら、セロは胸に掛かったペンダントを左手で握り締めていた。

 

 



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第二話 空中都市ビュエルバ

 

「シュトラールだ。なかなかのもんだろう」

「すごいな……本当に空賊なんだ!」

「俺の首で船が買えるぜ」

 

 王都ラバナスタの西門にあるターミナルでは、毎日多くの人々が飛空挺を利用している。その中でも自前の飛空挺を持っている者は、飛空挺格納庫を借りることができる。もちろん、有料でそこそこの金額はするのだが。

 

 飛空挺、シュトラールを見てはしゃぐヴァンに気をよくしているのか、バルフレアの声は明るいものだ。機嫌よく機工士のモーグリ達に語りかける姿は、ヴァンと並んで兄弟のようだった。

 

「随分と懐いているもんだ」

「妬いてるの?」

「いや、微笑ましすぎて顔が崩れる」

 

 セロは緩んでいる自覚のある頬肉を摘む。ちらりとフランに視線を移すと、彼女も口元に弧を描いていた。どうやら、二人共考えることは同じのようだ。

 

「君はヴァンの兄なのか?」

 

 同じく二人を見つめていたもう一人の男性が、セロの後ろから声をかけた。

 

「血はつながってはないが、兄と慕ってもらっている」

「そうか」

「最近は母親にでもなった気分だけどな」

「お母さんは大変ね」

「おっ……まだ十九なんだが……息子が増えたりはしないだろうな?」

「さあ、どうかしら」

 

 男性との会話の最中にフランの茶々が入り、セロの気は緩みっぱなしだった。楽しそうなヴァンとバルフレアを放置して、セロ達はさっさと飛空挺に乗り込む。

 フランに操縦室に案内され、セロが座席についていると隣に金髪の男性が座った。

 

「もうここなら彼の名前を聞いてもいいか?」

「大丈夫よ」

 

 セロはフランに許可を伺い、座席に寄りかかりながら男性の席へ顔を向ける。

 

「それでは改めまして。ヴァンの保護者を自認する、セロだ。貴方は?」

「私は、バッシュ。バッシュ・フォン・ローゼンバーグという」

 

 どこかで聞いたことのある名前に、セロは首を傾げた。しばらく思案し、それがダルマスカ王を殺したと云われる将軍の名前と気づく。

 

「ああ、なるほど。それじゃあ市街地では不味いな」

「……それだけ、か?」

 

 記憶の底から引き出すことができて、すっきりした様子のセロに、バッシュは戸惑った表情を浮かべる。ラバナスタの市民ではなさそうなバルフレアやフランはまだしも、ヴァンのバッシュへの憤怒は凄まじいものだった。正直、バッシュにとって彼が信じてくれたということさえ驚いていた。

 

 ヴァンと親しいセロが、レックスのことを知らないはずはない、とバッシュは罵られる覚悟を決めていたのだが。

 

「すごく、不思議そうな顔だぞ。何を考えてるのか顔にわりと出るな、バッシュは」

 

 自分より十は上のバッシュの様子が楽しいのか、セロは年相応の笑顔を浮かべている。

 

「簡単に説明するとな、私はラバナスタ生まれではないから、元々アンタに対する恨みってものを持っていない。この国に来たのも一年前からだし、せいぜいヴァンの話を聞いたくらいだ」

「ならば、レックスの――彼の兄の話も聞いただろう」

「そりゃあな、聞いている。だが、あの子がアンタに懐いてるのも事実だろう。恨みを持ったまま誰かに懐けるほど、あの子は器用じゃないさ」

 

 違うか、というセロの言葉に、バッシュは首を横に振った。ヴァンの素直な性格は、道中共に過ごしているだけで直ぐに分かっていた。

 

「まあ、謀られたんだろうな、程度の理解でいいだろう」

「十分だ」

 

 不思議なものだ、とバッシュは彼らを見て思う。長年共に研鑽し合った戦友は彼を疑い、まだ一週間も共にいない彼らが、容易くバッシュを信じる。これも運命の皮肉か、とバッシュはそっと目を閉じた。

 

「素直なのはヴァンの美点なんだが、その分猪突猛進なんだよなぁ」

「でもそこが可愛いんでしょう?」

「まあね。今回は兄や姉や父が増えたから、多少は暴走しても大丈夫だろう」

「――父というのは、もしかして私か?」

「フランはどう見ても姉だろう?」

 

 くつくつと喉で笑うセロをバッシュがなんとも言えない表情で見つめる。それは途方にくれている、といったほうが正しいほど情けない顔で、操縦席に座りながら後ろの二人の様子を伺っていたフランは、笑いを耐えるのに苦労をしていた。

 

「フラン、航路を……ってどうした」

「ふふ、何でもないわ、お兄さん」

「は?」

 

 ようやく操縦室に来たバルフレアの怪訝な顔とヴァンの不思議そうな顔に、セロとバッシュは顔を見合わせて微笑んだ。

 

 

 

 

 

  第二話 空中都市ビュエルバ

  

 

 

 

 

 空中都市ビュエルバはその名のとおり宙に浮かんだ都市国家である。大小様々な島々を、繋ぐのは飛空挺のみで、観光と魔石鉱から産出する質の高い魔石を収入源としている。

 

「だめです、いません!」

「よく探せ!」

「はいっ!」

 

 観光客で賑わうターミナルに、何故か帝国兵が慌ただしく行き交っていた。

 

「誰を探しているのかは分からないが、用心はいつでも必要なものだな」

「まったくだ。あんたは死人だ、名前も出さないほうがいい」

「無論だ」

 

 走り去っていく帝国兵を横目で見ながら、薄い雑誌を開くセロの言葉に、バルフレアと前髪を降ろしたバッシュは同意を返す。

 

 バッシュの髪型を変えることは、シュトラールでビュエルバまで移動する際に、セロが提案したことだった。

 彼は将軍という地位に着いていたこともあり、あまりに顔が知られすぎている。かといって顔を隠すのでは、怪しめと言っているようなものだ。変装は追々考えていくとして、当座のつなぎにと髪を降ろすことに決定したのだった。

 

「で、何を読んでんだあんた」

「ん? パンフレット。どうせなら観光客に紛れたほうがいいだろう」

「……その赤いペンでチェックした店は?」

「行くに決まっている。パンネロが行きたがっていたからな」

 

 パンフレットに赤い印を付けていくセロを、バルフレアは呆れた表情で見つめる。楽しそうな彼の姿は、どこからどう見ても観光客にしか見えない。

 これが演技であれば見事だが、こいつは本気で楽しんでいるとバルフレアは確信していた。

 

「はぁ……まあ、目的を忘れんなよ。ルース魔石鉱はこの先だ。最近あそこの魔石は品薄らしいが」

「それで魔石の価格が上がっているのか。質はいいからな、ここのは」

 

 先ほどまでの機嫌のよさはどこに行ったのか、嫌そうにセロは顔を顰めている。どこか幼い表情に、そういえば彼はまだ十九歳だったな、とバッシュは思い出す。

 

「魔石関連で何かあったのか?」

「いや、仕事で必要なんだ。だが最近、質の低いものしか手に入らない……高くてな」

「セロー!」

 

 不貞腐れているセロに、機嫌よく声を掛けるヴァン。弟に気づいたセロは、とりあえず表情を戻してヴァンに向き直る。

 

「どうした」

「魔石鉱、こいつも連れて行っていいだろ?」

 

 後ろを振り向くヴァンの近くに、十代前半ほどの少年が立っていた。身なりもよく、まだ幼い顔に浮かべる表情は、年齢にそぐわないほど穏やかなものだった。

 

「すみません。あなた方が魔石鉱に行かれると聞こえまして。僕も同行させてくれませんか?奥に用事があるんです」

「……どういう用事だ」

 

 どう見ても育ちのよい少年に、バルフレアは目を細める。魔石鉱には大きい蝙蝠程度からアンデットまでの魔物が住み着いており、それなりの腕を持っていないと進むことさえあまりに厳しい。

 当然観光にも向かず、工夫達も魔物避けの装置を使用して採掘しているほどだ。

 

「――では、あなた方の用事は?」

 

 そんな魔石鉱に用事があるという少年はあからさまに怪しい。半ば睨んでいるバルフレアの視線に、少年は穏やかな笑みを浮かべるだけだ。

 

「いいだろう、ついてきな」

「助かります」

「俺たちの目の届くところにいろよ。その方が面倒が省ける」

「……お互いに」

 

 バルフレアは、下手に少年を探ればこちらがボロを出すと判断した。まだパンネロを迎えにいく前の今、余計な騒動は起こしたくはない。ため息をつく音に、セロはヴァンと親しげに話している少年からバルフレアに視線を移す。

 

「いいのか? 連れて行って」

「こちらの理由を言えない以上、断って別の面倒がくるよりはマシだろ」

「断ってもこっそり後を付いてくるだろうな、少年は。まあ、面倒はヴァンがみるだろう」

 

 二年前から孤児達のリーダー格だったヴァンは、子供っぽい言動からは意外なほど面倒見がよい。それはセロがヴァンに拾われた経緯からもよく分かるが、困っている者を放って置くことができないのだ。

 今もバルフレアに邪険にされた少年――ラモンと名乗った彼に、大丈夫だとフォローをしている。

 

「たぶん中でいろいろあるけど、心配ないよ。なあ、バッシュ」

 

 ――これさえなければな、セロは頭を抱えたい気分だった。

 先ほどの忠告をすっかり忘れた様子で、明るくバッシュに声を掛けたヴァンに、バルフレアとバッシュの表情は強張ったのは当然のことだった。

 

 

 

 

 

「あ、ヴァンさん。向こうで何かあるみたいですよ」

「え? 本当だ、何やってんだろ」

「はいはい、そこの二人。フラフラと違う道に逸れていくんじゃない」

 

 興味深いとばかりに広場に向かおうとするラモンに、便乗してついて行こうとするヴァン。セロはそんな二人の襟首を掴み、寄り道をすることを防いでいた。

 

 子守(ラモン)をヴァンに任せると言っていたセロが二人の傍にいるのは、ヴァンのあまりの迂闊さに大人組みが危機感を抱いた為だ。ヴァンの扱いに慣れており、わりと常識もある彼が役目を振られるのは当然だった。

 道も分からないのに突き進むヴァンと、彼に引っ張られながら楽しそうに付いていくラモン。そして何度も道を逸れる二人にイラつきはじめているのか、薄っすらと笑みを浮かべながら二人の頬を結構な力をこめて抓るセロ。

 

 ごめんなさいと謝る子供二人と、街中だというのに叱る保護者が一人。その様子を少し離れた場所から、バルフレア達は呆れた様子で見ていた。

 

「彼が一緒に来てくれてよかったわね」

 

 フランの言葉に沈黙を返すバッシュとバルフレア。もし砂海亭でセロが合流しなければ、彼の立ち位置には彼らのどちらかが居たであろうことは明白だった。

 

「――以上、説教終わり。ほら、迷惑になっているから早く行くぞ」

「……自分が説教しだしたくせに」

「ヴァン」

「はい、すいません!」

「ラモンもだ。ぼんやりしていると人にぶつかるだろう?」

「え?」

 

 頬を押さえて呆然としているラモンに、セロは左手を差し出す。示された意味が分からずにいるラモンの右手を、戸惑うこともなく繋いだ。

 

「ほら、行くぞ」

「は、はい」

 

 

「……見事に躾けられているな」

「ああ、さすが自称保護者だ」

 

 ヴァンの襟首を掴みながらラモンの手を引くセロに、バッシュとバルフレアは呆れと感嘆の混じった声をあげる。自分達よりは付き合いの長いヴァンはともかく、先ほど出会ったばかりのラモンですらされるがままに手を引かれている。

 

「君は、あの少年の正体に検討は付いているか?」

「さあな。確実なのは帝国民ってところくらいか」

 

 ダルマスカ王国との戦争が終了して二年、アルケイディア帝国とロザリア帝国間の緊張は、これ以上ないほどに高まっていた。

 いつ開戦しても可笑しくはない状態であり、侵攻の大義名分を両国とも探しているとの噂もあるほどである。

 そんな情勢では、ロザリア帝国民がアルケイディア帝国の南に位置するビュエルバへ観光で訪れることは難しい。

 

「あの坊ちゃんが唯の帝国貴族ならいいんだがな」

「それは――」

「お話はそこまでにしたら? お母さんが怒ってるわよ」

 

 突然のフランの声に二人が顔を上げると、少し離れた先でセロが笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 『さっさと来い』と表情に出さなくとも理解できることは、セロの隣で引きつった表情のヴァンとラモンを見る限り、気のせいなどではないのであろう。このままでいると、先ほどのヴァン達のように、バルフレア達も説教を受けることは確実だ。

 

「『お母さん』ねぇ……。似合いすぎだろ」

「そうね、『お兄さん』。『お父さん』も早く行ったほうがいいわ」

「ちょ、まて……何だそれは」

「どうしたの? 『お兄さん』」

 

 眉を潜めるバルフレアに、フランは楽しそうに言ってセロ達の方へ歩いていく。

 

「彼女は余程この呼称が気に入ったようだな」

「……アンタはもしかして『お父さん』か」

「ああ。そして彼女は『お姉さん』だそうだ」

 

 頭が痛いとばかりに額に手を当てるバルフレアの肩を軽く叩いて、フランに続くバッシュ。その行動の示す意味が『あきらめろ』と言っている事を理解でき、バルフレアはため息を抑えることができなかった。

 

 



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第三話 ルース魔石鉱①

 

 一行が目的地に着いたとき、工夫たちは作業を中断していた。彼らに理由を尋ねると、どうやら帝国兵が視察を行っているため、中止せざるを得なかったようだ。

 ここで引き返すのひとつの手だが、少年・ラモンの同行を許可している以上、帝国兵が視察をしているからといって中止にはできない。

 

「とりあえず入ってみるか」

 

 バルフレアの提案に全員が了承をし、坑道の入り口まで近づいてみることになった。

 

「で、ここってなんてところだっけ?」

「ルース魔石鉱だ。イヴァリース有数の鉱脈さ」

「なんか、立派じゃないか?」

「観光名所でもあるからな。中に入れば魔物がウジャウジャいるが、入らない分には問題ない」

 

 坑道にしては立派過ぎる柱が並ぶ入り口にヴァンが首を傾げる。それに苦笑を浮かべながらバルフレアが再度説明をする。

 

「ここの警備は帝国軍が?」

「いえ、ビュエルバ政府は特例を除いて、帝国軍の立ち入りを認めていません」

「つまり、今の視察は特例に当たるというわけだな?何を見ているのか……」

「僕にも、ちょっと」

 

 バッシュとセロの言葉にラモンはすらすらと淀みなく答える。聞きかじった知識ではなく、頭の中にきちんと整理されている情報なのだろう。

 その様子をバルフレアは視線の端で注意深く捕らえていた。

 

「――では、行きましょうか」

 

 ラモンと未だ手をつないだままのセロは、先立って魔石鉱内に入っていく。それに続くヴァン達だったが、歩き始めてすぐ立ち止まったセロを見て、同じく足を止めた。

 

「セロ?」

「静かに。……誰か来る」

 

 金属の擦れる音を拾ったのか、セロはラモンの手を引いて柱の陰に姿を隠した。

 

「奥から複数の足音が聞こえるわ」

「たいした耳だ」

 

 魔石鉱の奥から見えない位置に隠れながら、バルフレアはフランの言葉に感心した。ヴィエラのフランはともかく、ヒュムのセロがこれほどまでに感覚が鋭いことに驚いていた。

 

 全員が隠れてからしばらくすると、バルフレア達の耳にもガチャガチャと鎧の音が聞こえてきた。

 魔石鉱の奥から現れたのは数名の人物だった。帝国兵達と禍々しい鎧を纏った人物、そして初老の男がセロ達が隠れている柱の前を通り過ぎて階段を上っていく。

 

「念のため伺うが、純度の高い魔石は本国ではなく――」

「すべて秘密裏のヴェイン様のもとへ」

「ふっ……貴殿とは馬が合うようですな」

 

 不気味な鎧の男は、初老の男の声に軽く肩を揺らして笑う。

 

「それはけっこうですが」

 

 鎧の男の言葉に眉を潜め、初老の男は淡々とした声で告げた。

 

「手綱をつけられるつもりはございませんな」

「ふっ、ならば鞭をお望みか?」

 

 足を止め、鎧の男は振り返る。兜に隠れてはいるが、剣呑な視線が初老の男に注がれた。

 

「つまらぬ意地は貴殿のみならず、ビュエルバをも滅ぼすことになる」

 

 

 

 

 第三話 ルース魔石鉱①

 

 

 

 

 帝国兵達が魔石鉱から去っていくのをみて、セロ達は柱の影からこっそりと顔を出した。

 

「今の、誰?」

「ビュエルバの侯爵、ハルム・オンドール4世です」

 

 階段を眺めながら――いや、睨みつけながら呟くヴァンに、ラモンが隣に移動しながら答える。

 

「ダルマスカが降伏した時、中立の立場から戦後の調停をまとめた方です。帝国寄りってみられてますね」

「反乱軍に協力してるってウワサもあるがな」

「……あくまで、ウワサです」

 

 皮肉気に言うバルフレアに、ラモンは振り返ってむっとした顔を向ける。信用している知人を侮辱されて不愉快になった――そんな少年の様子に、やはり最低でも帝国貴族かとバルフレアは確信した。

 

「よく勉強してらっしゃる――どこのお坊ちゃんかな」

 

 一歩ラモンに向かって足を進めたバルフレアに、ラモンは思わず後ろに下がる。

 

「どうだっていいだろ。パンネロが待ってるんだぞ」

 

 追求のために再び口を開こうとしたバルフレアを止めたのは、不機嫌そうなヴァンの声だった。

 

「パンネロさんって?」

「友達――いや、家族。さらわれてここに捕まってる」

 

 話が逸れたことに安堵したのか、少し表情を緩めるラモンにヴァンは暗い表情で告げた。

 

「ご家族の方が……」

「うん。年下だけど、姉みたいな奴なんだ」

「いつも叱られているからな、ヴァンは」

 

 ヴァンが顔を上げると、いつの間にかセロが隣に立っていたことに気づく。彼は宥めるように弟の頭を撫で、再びラモンと手を繋いだ。

 

「あの……」

「さあ、行くぞ。パンネロはしっかりした子だが――泣き虫でもあるからな」

 

 手を引きながら歩き出すセロに、ラモンは戸惑った表情のまま連れて行かれる。それを面白くなさそうに見つめるのは、やはりバルフレアだった。

 

「過保護すぎじゃないか?」

「そうか? セロはラモンくらいの奴には、大抵あんな感じだぞ」

「坊ちゃんだって自分の身くらいは守れる力はあるだろうさ。根っからの保護者気質なのかねぇ」

「え? いや、あれはラモンをからかって遊んでるんだと思うけど」

「――遊んでる?」

「セロ、『青少年をからかうのが趣味だ』っていつも言ってる」

 

 小さな声で呟いた言葉に、反応を返したのはヴァンだったが、この反応にもバルフレアは眉をひそめた。

 

「意外、という訳ではないな」

「ええ、彼にとっての青少年は年上も含まれるみたいだけど」

 

 視線を向けられながらのバッシュとフランの言。揶揄されたバルフレアは、本日何度目かもわからないため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

「――しまった」

「どうかしましたか?」

 

 広いとはいえ、薄暗い魔石鉱の中を歩いているのは、気が滅入る。何か気を紛らわすものはないかと辺りを見回しながらセロが歩いていると、遠くから軽く且つ固いものがぶつかる音が耳に入った。

 突然立ち止ったセロと手をつないでいたラモンは不思議そうに彼を見上げ、先頭を歩いていたセロが立ち止ったことで、後続のヴァンたちも怪訝な顔で立ち止る。

 

「いや、ルース魔石鉱って私は初めて来たんだが、魔物の種類はやはりアンデット系か?」

「いまさら何を。暗くて湿度の高い坑道にアンデットはセオリーだろ」

「だよなぁ」

 

 呆れた表情のバルフレアに振り返りながら、空いている右手でガシガシと頭をかきセロは深いため息をついた。

 

「なんだよ、セロってアンデット苦手だったっけ?」

「いやー、苦手と言えば苦手なんだが。というか、あいつら得意な奴っているのか?」

「少なくとも、僕は聞いたことはないですね」

 

 嫌そうな顔をしているセロに、ヴァンは珍しいものを見たとばかりに目を輝かせ、ラモンは苦笑する。弟分のヴァンは、これほどまで負の表情を浮かべるセロは見たことがなかった。良くも悪くも、何事も笑い飛ばす癖のある兄貴分は、弟たちの前では悪くて苦笑程度しか浮かべない。

 

「何か都合が悪いことがあるなら先に言っておけ。そのほうが対処しやすい」

「都合が悪いというか、まあ、見ていればわかるだろう。皆は後から……そうだな、五メートルほど離れて付いてきてくれ」

 

 少し眉をひそめたバルフレアにそう返すと、セロはラモンとつないでいた手を離し、一人先に進み始めた。

 その後ろ姿を見つめながら、ヴァンたちも後に続く。

 

「どうしたんだろ、セロ」

「さあな」

 

 悩むそぶりを見せるヴァンに、バルフレアは肩をすくめる。

 アンデットに何があるのかは分からないが、自称保護者を名乗る以上、ヴァンやラモンに害が及ぶようなことならば、セロは自分たちに話しているだろう。

 

「ヴァン、セロの腕はどれくらいだ? 身のこなしを見る限りは、かなり場数は踏んでいるようだが」

「うーん、強いんじゃないか?」

 

 同じようなことを考えたのか、バッシュがヴァンの横に近づいて尋ねる。だが、ヴァンの反応は『よくわからない』と全面に表すものだった。

 

「曖昧だな」

「だって戦ってるところ、最近見てないし。俺がモブ退治についていこうとすると、いつも撒かれるんだぞ」

 

 セロだって、一人じゃ危ないのに。

 口を尖らせるヴァンの頭を宥めるようにバッシュが軽く叩く。

 

「前は見てたってのか?」

「うん。だってセロに剣の使い方教えたの、俺だから」

「何?」

 

 自分に視線が集まっていることに気付き、ヴァンは慌てて顔の前で手を横に振った。

 

「え、あ、教えたっていっても、すっぽ抜けない剣の握り方とか手入れの仕方くらいだけど。セロ、あと全部適当にしてるらしいし」

「そこじゃない、あー、セロに教え始めたのはいつの話だ」

「いつって……半年前だけど」

 

 厳しい表情のバルフレアに、ヴァンが思わず一歩後ろに下がったとき、前方から金属のぶつかり合う高い音が響いてきた。

 ヴァンたちよりも前を歩いているのはセロだけだが、いつの間にか距離が離れていたらしい。少し向こうで三体のスケルトンに囲まれたセロが剣を切り上げるのが見えた。

 バルフレアの舌打ちが聞こえたと同時に、バッシュが走り出す。少し遅れてヴァンが追いかけるのを見て、バルフレアは愛銃を構える。

 

「セロ!」

 

 ヴァンの叫ぶ声に一体のスケルトンを仕留めたセロが振り向くと、そこには今にも槍を突き出そうとするスカルアーマーの姿があった。

 どうにか軌道を逸らそうと剣を振り上げようとした瞬間、何かが破裂する音とともに目の前のスカルアーマーの頭蓋骨が吹き飛んだ。

 

「一旦退けセロ!」

「く、了解!」

 

 攻撃の主、バルフレアは銃弾を込め直し、頭蓋骨がないままセロへの攻撃を諦めていないスカルアーマーを狙い撃つ。二度目の攻撃が大腿骨に当たったスカルアーマーが大勢を崩した隙に、セロはバックステップでスケルトンたちの包囲網から抜け出した。

 

「アンデットが、しかもスケルトンが、こんなに早く動くなんて、聞いたことねぇよ!」

「俺もだ。しかも――」

「セロだけを狙っているようだな、ハァッ!」

 

 スケルトンたちは近くにいる追いついたバッシュ達ではなく、離脱したセロを執拗に狙い続ける。その動きは、脆い体を持つスケルトンとしては異常なほど素早いものだ。

 無防備に背中を見せたスケルトンをバッシュが一太刀で仕留め、ヴァンがセロに向かうもう一体を切りつけて妨害した。

 攻撃されたにも関わらず、尚もセロに向かうスケルトンに、フランが放った矢が降り注いだ。その攻撃でスケルトンの骨は砕け、骨と金属が地面に落ちる軽い音が坑道に響いた後は息を整えるセロの呼吸音のみ聞こえていた。

 

「ヴァン……バッシュ、フラン。悪い助かった」

「おいおい、俺には礼はないのか」

「バルフレアも。流石にあの量で来られると不味かった」

「どういたしまして」

 

 ひとつ深呼吸をして調子を戻したセロは、軽く頭を下げて礼を言う。見たところ、少し頬を切っている以外怪我はないようだ。スピードが異常だったとはいえ、三体のスケルトンに囲まれた程度で多少息がはずむのを見ると、体力はあまりないのだろう。ほぼ我流とはいえ剣の扱いはそれなりにできることを思えば、鍛えるといいところまでいけるかもしれない。

 

「――で、あれが理由か?」

「そうだ。一カ月くらい前に気がついたんだが、何故かアンデット系に全力で襲われるんだ、私は」

「全力……」

「確かに全力だな」

 

 そんなことをバッシュが考えていると、武器のチェックが終わったセロにバルフレアが問いかけると彼は嫌そうな表情でうなづいた。よほど嫌な目にあったのだと皆理解した表情を浮かべる。

 

「なんかアンデットに嫌われることしたんだろ、セロ。ハイエナのときみたいに」

「生憎と身に覚えがない。さあ、奥に進もう。私が先頭でかまわないな?」

「ああ、あの速さじゃ振り切ることもできないだろ」

 

 ヴァンのからかいを流したセロの提案に、バルフレア達は頷いた。あの人間と変わらないスピードで向かってくるなら、逃げるときもこちらが全力疾走しなくてはならないだろう。ならば、ヴァンはともかくラモンがいるこちらが不利だ。

 

「つまり?」

「全部ぶっ潰せ、ってことさ」

 

 囮のような扱いにはなるが、セロが前方にいてくれたほうが、フォローもしやすい。こうしてルース魔石鉱に居るアンデットたちは、例外なく叩きつぶされる運命となった。

 

 

 

 

 

 



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第四話 ルース魔石鉱②

 

 セロを先頭にして坑道を進む一行。幾度となく襲いかかってくるスケルトンたちの討伐数は、もはや三桁に到達しようとしていた。皆、あまり怪我は見当たらないとはいえ、流石に疲労の色が浮かびあがり始めている。

 

「しかしまあ――分かっていたとはいえ、多いな」

「セロはモブ退治をしていたんだろう? よく無事だったな」

 

 愛銃に弾を込めながら疲れを隠せない声で呟くバルフレア。剣の刃こぼれを確認しながらバッシュが尋ねると、セロは右肩を回しながら苦笑いを浮かべた。

 

「一人では行動していなかったからね。アンデット系が発生するような地域の依頼は受けなかったし」

「そりゃ懸命だ」

「だが、それでは依頼をえり好みすることにならないか?」

「そうだな、クランから注意を受けたことはある。だが、私としてはモブ退治は副業だからな。あくまで資金が苦しいときのみだ」

 

 モブというのは、いわゆるモンスターの中の賞金首のことだ。突然変異で亜種化や巨大化、もしくは凶暴化したものが多く、通常よりも討伐レベルが高く設定されている。

 

 討伐依頼を出すのは個々のモブによる被害を受けた民間人などだが、その依頼を束ねるのがクランという組織だ。低レベルのモブであればクランを経由せずとも依頼を受けることができるが、ランクが高いものはクランに加入しなくては受けられない。

 

 そのほかにも緊急性の高い依頼を、信用のあるメンバーにクランから依頼をすることもある。セロはメンバーとして登録をしてはいるが、突発的な依頼は断っているためクランメンバーからはあまり良く思われていない。クランのトップには話を通し、納得させているのだが。

 

「セロさん、これをどうぞ」

「これは……ハイポーション?」

「ええ。セロさんは常に囮役をされているので、怪我がひどいようですし」

 

 駆け寄ってきたラモンが差し出した瓶を、つい受け取るセロ。

 ラモンが渡してきたのはハイポーションといって、回復薬のポーションの上位にあたる。上位だけに値段も三倍になるが、その分回復する効果は高い。

 

「いや、いらないよ。こんな高価なもの。君が持っているといい」

「ですが」

「なに、心配はいらない。傷の回復はするさ――おーい、ちょっと集まってくれ」

 

 見上げてくるラモンの手をとり、その掌の中にハイポーションの瓶を握らせると、少し音量を上げた声でセロは周りに呼び掛けた。

 周りで防具の状態や地図を見て現在地を確認していたヴァンたちは、響く声に顔を彼へと向ける。

 

「どうしたんだよ、セロ」

「いや、まとめて回復させようと思ってね。――≪ケアルラ≫」

 

 一番最初に近づいてきたヴァンに笑いかけながら、ある程度の距離に仲間たちが集まったのを確認して、セロは発動状態にまで準備していた『魔法』の呪文を唱える。

 純白の光がそれぞれの胸元へと飛び、体を包んだ後には傷はすでに消えていた。

 

「これは……」

「複数回復魔法≪ケアルラ≫だと?」

 

 手に残った光の残骸を見ながら、バッシュとバルフレアが呟く。同じように光が消えていく様子を見つめていたフランが、セロに視線を移動させる。

 

「セロ、これをどこで手に入れたの?」

「ん?ああ、モブ退治の仕事料の代わりに依頼人に習得させてもらったんだ。地元じゃ、今魔法が品薄だからな」

 

 魔法は武器や防具と同じように、専門の店で購入することができる。正確に言うと、魔法を覚えることができるアイテムを購入する。これは一度買えば何度か使用することができ、品質によって使用できる回数が異なるものだ。

 

 その魔法を習得するための素養があると、魔法を覚えることができる。だが、そのレベルに達していないと覚えられずに、使用回数がひとつ少なくなってしまうのが注意点だ。

 強力な魔法になれば料金も高額でしかも手に入りにくいため、代金代わりにアイテムを使わせる依頼人もごく少数ではあるが、いる。

 

 帝国の占領を受けているラバナスタは、物資の流通がいまいち良くない状況が続いている。武器や防具はもちろん、魔法さえ基本的なものしか店先には並ばない。まあ、ラバナスタの周りの砂漠は、奥に入り込まなければそれほど強いモンスターがいるわけではないので、今のところ問題はないようだが。

 

「魔法使えたんだな、セロ」

「ああ、白魔法だけ覚えている。便利だろ? ラモン、だからハイポーションはいいよ」

「はい……」

 

 心なしか、落ち込んだ様子のラモンに、セロはニンマリと楽しそうに笑う。好意を無下にするつもりはなかったが、回復薬――しかもハイポーションは素直に未成年から受け取るには少々値段が高すぎる。ハイポーションひとつの値段で、初級回復魔法≪ケアル≫が買えてしまうのだ。

 

「てい」

「いたっ!?」

 

 俯くラモンのきれいな額に向かって、セロは力の限りデコピンを繰り出す。思いがけない衝撃と痛みに額を抑えて目を瞬かせるラモンに、セロは口元を釣り上げて左手を差し出した。

 

「セロさん?」

「お兄さんちょっと戦い続けて疲れちゃったなー。ラモン、手を引っ張ってくれないか?」

「え」

「あー、セロさぼる気かよー」

「少しはさぼらせろ。ラモン、よろしく」

「は、はい!」

 

 ラモンはセロの手をとり、先に歩き始めていたヴァンの横に並ぶ。わざとゆっくり歩くセロの右手をヴァンが握り、ラモンと一緒に引っ張っていく姿を、大人組みがそれぞれの表情で見つめていた。

 

 

 

 第四話 ルース魔石鉱②

 

 

 

 ルース魔石鉱の奥には、魔石の光による青色の空間が広がっていた。今までの空間は在り来たりな坑道だったが、魔石の採掘場は入り口に少し石畳が敷いてあるだけで、後は壁も天井も床も青い光を放つ鉱石で染められていた。

 

「これを見たかったんですよ」

 

 青の壁を見つめながら歩いていたラモンは、足元に埋まっている魔石を見るためにしゃがみこむ。ポケットから青く光る奇妙な物体を取り出し、魔石の光と見比べている。

 

「なんだ?」

「破魔石です――人造ですけどね」

「はませき?」

 

 覗き込んだヴァンの声に振り返らず、ラモンの目は魔石鉱の壁を観察し続ける。背を向けたままのラモンは、自身を鋭く見つめるバルフレアの視線に、気付かない。

 

「普通の魔石とは逆に、魔力を吸収するんです。人工的に合成する計画が進んでいて、これは――その試作品。ドラクロア研究所の技術によるものです」

 

 ピクリと眉を動かしたバルフレアの変化に気付いたのは、相棒であるフランと隣に居たセロだけ。窺うようなセロの視線も気にしないほどに、バルフレアはラモンの小さな背中を睨みつけていた。

 

「やはり、原料はここの魔石か――」

 

 ラモンの手にある物体――人造破魔石の光の色は、魔石鉱の色と全く同じだった。

 

 セロは無意識に首にかかるペンダントを握りしめる。

 最近品薄だったルース魔石鉱産の魔石。品薄の理由は帝国のジャッジとオンドール侯の会話の通り、良質の魔石が全て帝国へ密輸されているからであろう。

 そして、その魔石が人造破魔石の原料となり――それを指示しているのは、アルケイディア帝国第十一代皇帝の三男、帝位継承権第一位のヴェイン・ソリドールという事実。

 

 思わず、ため息をつくセロ。戦後二年を経過した今でも、きな臭い事が溢れているなんて、どうやらラバナスタに平穏はまだまだ訪れないらしい。

 

「用事は済んだらしいな」

 

 セロがため息をついてすぐ、バルフレアは壁を観察したままのラモンに向かってゆっくりと歩み寄り始めた。

 

「ありがとうございます。のちほどお礼を」

「いーや、今にしてくれ。お前の国までついていくつもりはないんでね」

 

 バルフレアの言葉に驚いたように振り向くラモン。視線の先には、バルフレアが無表情でにらみつける姿があった。

 

「破魔石なんてカビくさい伝説、誰から聞いた。なぜドラクロアの試作品を持ってる。あの秘密機関とどうやって接触した――」

 

 一歩バルフレアが前に進めば、ラモンが一歩後ずさる。それを繰り返せば元々壁の近くにいたラモンの背に、冷たい石の感触があたった。横に逃げようと体を動かした先を、バルフレアの長い腕が遮った。

 

「――お前、何者だ?」

 

 問い詰める低い声に、ラモンは視線をバルフレアに向ける。

 

「おい、バルフレア――」

「待ってたぜ、バルフレア!」

 

 異様な雰囲気に、ヴァンがバルフレアとラモンに駆け寄ったとき、坑道の奥から歓喜の色を湛えた濁声が響いてきた。一行が声の方に顔を向けると、奥から数人のバンガの男が武器を手に出てくる姿があった。

 

「――あいつか」

「そう」

 

 静かなセロの声に反応したのはフラン。彼の肩に手を置き、落ち着けと言いたげに力を込める。セロはフランに視線を向け、小さく頷いた。

 

「ナルビナではうまく逃げられたからな、会いたかったぜぇ? さっきのジャッジといい、そのガキといい――金になりそうな話じゃねえか。オレも一枚噛ませてくれよ」

 

 バンガの男――バッガモナンは顔を笑みに歪めながらも、その目はきつくバルフレアの姿を捉え続けている。

 セロがヴァンから聞いた話では、ナルビナ城塞の地下にまでバルフレア達を追いかけてきたバッガモナンを、機転とジャッジマスターの登場によって撒いたというもの。執拗に追いかける根性は見事だが、あっさり撒かれるあたり、あまり商売に向いているとはセロは思えない。

 

「頭使って金儲けってツラか。お前は腐った肉でも噛んでろよ」

「バールフレアァッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じことを考えたのか、呆れた顔で嫌味を言うバルフレアに、笑みを浮かべていたバッガモナンの表情が凶悪なものへと変わる。手元のスイッチを押し、速度を速めたチェーンソー型の武器からモーターの回る不気味な音がけたたましく鳴り響く。

 

「てめえの賞金の半分は、そのガキで穴埋めしてやらぁ!」

 

「この…… 」

「攫った子はどこにいる?」

 

 バッガモナンを睨みつけ、くってかかろうとしたヴァンの肩をつかみ、ぐいと後ろに引く。バランスが崩れたたらを踏むヴァンを支えながら、抑揚のない静かな声でセロは問いかけた。

 

「アァ? 餌はもう必要ないからな。途中で放してやったら、泣きながら飛ンで逃げてったぜ!」

 

 嘲笑いながら武器を構えるバッガモナン。――次の瞬間、その顔に目掛けてラモンが手元の物体――人造破魔石を投げつけた。コントロールが良いのか、顔の中心にぶつけられたそれは原料が魔石というのもあって、バッガモナンに相応のダメージを与えたようだ。

 

「おい!」

「ナイス、ラモン!」

「んなこと言っている場合か。」

 

 落ちた人造破魔石を拾い、ヴァンたちを振り切って走り出したラモンを、セロが心底楽しそうな笑みで讃える。バルフレアはセロの後頭部をはたくと、顔の痛みに呻くバッガモナンを押し倒してラモンを追いかけた。ヴァンたちも後を続くが、どさくさに紛れてセロに踏みつけられたバッガモナンが後ろで吼えている。

 

「逃がすかァ!」

 

 体の大きい種族であるバンガは、ヒュム族より遥かに力はあるが素早さという能力は低い。恰幅のよいシーク族ほどまではいかないが、重量のある武器を持っていることもあり、ヴァンたちに追いつくことは至難だろう。

 

「おい待てって!」

 

 ヴァンはもはやバッガモナンたちを気にしておらず、前を走るラモンを追いかけ続ける。しかし、華奢で小さな体躯のラモンは、軽やかに坑道を駆け抜けていく。

 

「いい走りっぷりだ。行きもスケルトンたちから走って逃げられたかもしれないな」

「お前が過保護にするからだ」

「子供は甘やかすもんだぞ。とくにラモンみたいな真面目な奴はな」

 

 感心しているセロに呟くバルフレア。もとの明るい表情に戻ったセロを後ろから見て、バッシュは小さく息を吐いた。

 先ほどバッガモナンと対峙していた彼は、いつもの穏やかな空気ではなく、切り裂くような冷たい雰囲気を纏っていた。攫われた少女が心配だったというのもあるだろうが、直前までのおどけた調子と間逆の彼の姿がバッシュにはどうも気にかかった。

 

「誰にでも、滅多に表に出ない一面はあるわ」

 

 考え込むバッシュに、隣を走るフランが視線を向けずに言う。

 

「彼は意外性が大きかっただけよ」

「……そうだな」

「心配なら、しっかり『お母さん』を見ていればいいの」

「『お父さん』としてか」

「ええ」

 

 微笑むフランにつられて、バッシュも笑みを浮かべる。ヴァンもセロも、彼の心を救った恩人だ。彼らが苦しむことがあるのなら、この身でよければ喜んで盾となろう。

 前を走るバルフレアに絡むセロを見て、バッシュは一人小さく決意した。

 

 

 * * *

 

 

「……追ってくる気配はないわ。振り切ったようね」

「バンガの足に追いつかれるようじゃ、空賊廃業さ」

 

 しばらく走ったあと、バッガモナンたちを振り切ったヴァンたちは、走るペースを少し緩めていた。魔石鉱の入口が近いこともあり、帝国兵がいることが予想されるためだ。子供を追いかける複数人の大人の姿は、どちらが犯罪かとても分かりやすい。

 

「セロ、大丈夫か?」

「だ……いじょうぶ……」

「には到底見えないぞ」

 

 もうひとつの理由は、セロの体力が枯渇したからだった。行きの連戦と魔石鉱の奥からのマラソンで、元々体力の少ないセロは荒い息を吐いていた。

 

「肩を貸して、どうなるレベルじゃないな」

「ああ。ヴァン、戦闘を頼んでいいか?」

「え? うん、まかせろ!」

 

 バルフレアが剣を奪い、バッシュがしゃがんでフランがその背にセロを乗せる。合って一週間とは思えないほど息の合った動作に、セロはされるがままバッシュに背負われていた。

 

「セロはゆっくりしてろよ。俺だって強くなったんだからな!」

「おー、期待してる」

 

 胸を叩いてヴァンがセロに笑顔を向けると、セロはへらりとした笑みを浮かべる。気合いの入った様子で近くのスティールに切りかかる姿を見て、安心したようにセロは瞼を閉じた。

 

 

 

 



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第五話 オンドール侯爵邸潜入①

 

「よく寝ているわね」

「図太い神経の持ち主だってことはわかっていたが、いい加減起きろ」

「……いたい」

 

 頭に軽くない衝撃を感じて、セロは目を開けた。彼の視界に入ったものは、近くにある金色と拳を握ったバルフレアの姿。恐らく彼の頭を殴ったのはバルフレアであろう、後ほど仕返しをすることを心に決め、セロはぼんやりとした頭で周りを見回した。そして、自分が手を置いているのはバッシュの肩であり、未だ彼に背負われたままだということに気が付いた。

 

「おはよう。そしてごめんなさい」

「気にすることはない。……立てるか?」

「ああ」

 

 バッシュは腰を屈め、セロを地面に下ろした。バッシュの背から手を離した途端、よろめいたセロの肩をバルフレアが咄嗟に支える。未だ体力が戻っていない彼の様子に、バルフレアは顔を曇らせた。

 

「アンタがそこまで体力がないとは思わなかった。――無理をさせて悪い」

「いや、同行を願い出たのは私だし、言わなかったのも私だ。こちらこそすまなかった……今はどうなっている? ヴァンはどうした?」

 

 頭を横に振り、今度はしっかりと地面に立つセロ。近くにヴァンの姿がない事に気付き、何故か微妙な表情を浮かべているバルフレアたちに疑問を覚えながらも尋ねる。

 じっと見つめてくるセロの視線から一度目を逸らして、バルフレアは今までの経緯を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 第五話 オンドール侯爵邸潜入①

 

 

 

 

 

 

 ヴァンたちがルース魔石鉱の入口に辿りついた時には、ラモンはすでに外に出ており、その小さな背の向こうには魔石鉱へ入るときにすれ違った、ジャッジマスターの姿が見えた。ヴァンたちは柱の陰に身を隠し、そっと日の当たる入口をのぞき見る。

 

「また、供の者もつけずに出歩かれたようですな。ラーサー様」

 

 歩いてくるラモン――いや、ラーサーに向き直り、咎めるような口調でジャッジマスターの男は声をかけた。ラーサーは何も答えずに、ジャッジマスターの横に居る金髪の少女――パンネロに視線を移す。

 

「ひとりで魔石鉱から出てまいりまして――よからぬ連中の仲間ではないかと」

「私は、さらわれてきた――」

「控えろ」

 

 ジャッジマスターの言葉に顔を上げたパンネロが不可抗力なことだったと訴えようとしたが、掛けられた冷たい声音に肩を震わせる。

 

「ひとりで出てくるのが疑わしいのなら――私も同罪でしょうか?」

 

 ラーサーは自分の体をジャッジマスターとパンネロの間に移動させ、穏やかな口調で厳めしい鎧兜を見上げた。ジャッジマスターが何も返せずにいると、ラーサーは今度はオンドール侯爵に向きなおる。

 

「ハルム卿、屋敷の客がひとり増えてもかまわないでしょうか」

「ははぁ……」

「ジャッジ・ギース。あなたの忠告に従い――これからは供を連れてゆくことにしましょう」

 

 オンドール侯爵は少し思案した後、ラーサーの意見を受け入れる。それに微笑みを浮かべ、ラーサーはパンネロの手をとって市街地の方へと歩き出した。

 

「――困ったものですな」

 

 気ままに行動するラーサーの後ろ姿を見つめて、ジャッジ・ギースは淡々と呟いた。

 

「よろしく、パンネロ」

「あっ、はい……」

 

 パンネロの手を引きながら、ラーサーはにこやかに声を掛ける。何がどうなっているのか、何故自分の名前を目の前の少年が知っているのかと、混乱気味のパンネロは曖昧な返事しか返せなかった。

 一方、階段を上っていく二人の後ろ姿を見つめていたヴァンだったが、戸惑った表情を浮かべて壁の背に隠れてしまった。

 

「なんでパンネロが――何考えてんだよ、ラモン」

 

 遠目ではあったが、パンネロはラモンに手を引かれて嫌がる様子もなかった。彼女が拒否をしなかったのは混乱していたからなのだが、それを鈍感なヴァンが思い至るはずもない。先ほどまで一緒にいた、知ったはずの少年と幼馴染の少女が一緒に居る姿は、とても自然だったことが何故か気に障る。

 

「ラモンじゃない。ラーサー・ファルナス・ソリドール。皇帝の四男坊――ヴェインの弟だ」

「あっ、――あいつ!」

「大丈夫。彼、女の子は大切にする」

「フランは男を見る目はあるぜ」

 

 俯くヴァンを黙って見ていたバルフレアだが、さらなる事実をヴァンに突き付ける。それにヴァンは慌てるが、フランが腰に手を当てて否定した。バルフレアが軽い口調でヴァンを安心させるように言うと、少年は落ち着きを取り戻した。

 

「行き先はオンドールの屋敷だな。問題は、どう接触するかだ」

「侯爵は反帝国組織に金を流してる――そっちの線だな」

 

 少し気の抜けた空気をバッシュが目的を言うことによって引き締める。帝国兵の姿が完全になくなることを確認して、ヴァンたちは魔石鉱入口の階段を上っていった。

 

 

 

 

「セロ、起きないな」

 

 階段を上る途中、バッシュに背負われたセロに視線を移し、ヴァンが小さな声で呟く。剣を武器(エモノ)としている割にはあまり筋肉のついてない細身の体は、背負っているのが元将軍のバッシュということもあり、ひどく頼りない印象を見る者に与える。

 

「よほど疲れていたのだろうな」

「疲れているだけだよな? ちゃんと、起きるよな?」

「ヴァン?」

「起きて、笑ってくれるよな……?」

 

 バッシュの相槌に力ない声で呟き続けるヴァンの表情は、どこか遠くを見ているかのように虚ろだ。『セロがもう起きないのではないか』という考えは、兄であるレックスに姿を重ねているのであろう。縋るようにセロの服を掴む手は、ヴァンにとってセロが少年を保つ重要な支えであることを示していた。

 

「当たり前だ。起きなきゃ俺が叩き起こすからな」

「バルフレア……」

「大丈夫だ、ヴァン。少し休めばすぐ目を覚ますだろう」

「……うん、そうだよな」

 

 軽い口調のバルフレアたちに、ヴァンの気分も浮上する。恐らく、家族の一人が保護されているとはいえ簡単に会えない場所に居ることと、何かとヴァンをフォローするセロがまるで死んだように眠っていることで不安定になっているのだろう。

 バッシュは後ろを歩くヴァンを意識しながら、ゆっくりと再び階段を上りだした。

 

「オンドール侯は二年前、私が処刑されたと発表した人物だ。私の生存が明るみに出れば、侯爵の立場は危うくなる」

「侯爵を金ズルにしてる反帝国組織にとっても、面白くない事態だろうな。『バッシュが生きてる』ってウワサを流せば、組織の奴が食いつくんじゃないか」

 

 階段を上りきったあたりで、バッシュは立ち止り振り返る。同意を返すバルフレアも同じく立ち止り、どのように噂を流すか思案しているとヴァンが元気よく提案した。

 

「だったら、オレが街じゅうで言いふらしてくるよ。こんな風にさ」

 

 ヴァンは一つ咳をすると、自らを指差し堂々と声を出した。

「オレがダルマスカの、バッシュ・フォン・ローゼンバーグ将軍だ!」

 

 周囲に居る住民が何事かと疑わしげにヴァンを見る。その視線に気づいているのかいないのか、ヴァンは自信満々にバルフレアたちに向き直った。

 

「どうだ?」

「……まあ、目立つのはたしかだな」

 

 実に脱力した声の返事だったが、ヴァンは気づかない様子で嬉しそうに拳を握る。

 

「よしヴァン、お嬢ちゃんを助けるためにもやれるだけやってこい。できるだけ人の多い場所でな。オンドール侯爵と接触できるかどうかはお前次第だ。オレたちはここにいる、何かあったら戻ってこい」

「了解! セロのこと頼むな!」

 

 バルフレアが街を指差し畳みかけるようなスピードで言うと、ヴァンは頷いて手を振りながら駈け出していった。その様子後ろ姿を眺めていたバルフレアとバッシュに、フランがぽつりと呟く。

 

「……恥ずかしかったのね?」

「ヴァンはすごいな……」

「できるかんなこと……」

 

 羞恥心に耐えられなかった大人たちは、体よく少年に役目を押し付けたのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 話を聞き終わったセロは、じっとりとした視線をバルフレアたちに向けた。

 

「――そんな目で見るな。拙い作戦なのはわかってるさ」

「しかし、他に方法も思い浮かばなかったのだ」

 

 苦い表情で口ぐちに言う二人を、眠りこけていたセロが非難する権利はない。寝起きのせいではない頭の痛みに米神を揉み解していると、フランが顔をあげて通りを見つめた。

 

「時間的に、そろそろじゃないかしら」

「ああ、どうやら……引っかかったようだしな」

 

 彼女の視線の先には様々な装束の男たちに囲まれ、連れて行かれるヴァンの姿があった。

 

「追いかけるぞ」

 

 バルフレアの小さな声に全員頷き、距離を取りながら後をつける。辿り着いた先はどの街にもある酒場だった。

 

「酒場ねぇ……王道だな」

「酒場か……ビュエルバ魂がほしいな」

「後にしろ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「あら、いい男」

「おいおい、俺らもいい男だろうがよ?」

「殴られて顔が腫れてなければねぇ」

「がははは、それ素顔じゃねえか!」

 

 酒場の中に入ると、カウンターの中に居た店員の女が、セロたちを見て目を丸くした。その理由をセロは後ろのメンバーの顔の良さと判断する。バルフレア然りバッシュ然り……なかなかお目にかかれない美形な上、フランも種族がビュエラともあり珍しい。

 酔っ払いをあしらう店員に困ったような笑みを見せ、セロはカウンターに近づいた。

 

「連れが悪戯やらかして酒場に連れて行かれたって聞いたんだが……銀髪の少年を見なかったか?」

「なんだアンタ、あの坊やの保護者?」

 

 浮かべていた笑みを呆れた表情に切り替え、店員は保護者(セロ)を見据える。

 

「しっかり見といて貰わなきゃ困るよ。あいつ等いつもピリピリしてるんだから」

「すまないな。今どこに居るかわかるか?」

「奥の部屋に居るよ。――ねえ、通してあげなよ」

 

 店員の視線の先には、扉の前に立ちふさがっているバンガの男がいた。男はセロたちを一瞥すると、軽く頷き扉の前から体を動かした。セロたちは観察するような男の視線を感じながら、少し薄暗い扉の奥へと入っていった。

 

 

 

 

 

「ケッ、やっぱり別人か。タチの悪いイタズラしやがって!」

 

 短い廊下を挟んだ先、酒場の物置となっている部屋とは異なり、重厚な扉を誂えた場所から苛立った声が聞こえる。

 

「ただのイタズラならいいが、そこらのガキがローゼンバーグ将軍を名乗るとは思えん」

 

 先ほどの声とはまた違う声音。内容からしてヴァンがいるのはこの部屋で正しいようだった。

 

「締め上げて背後関係を吐かせろ。最近、帝国の犬がかぎまわってるからな」

「あんたらの組織と侯爵の関係をかい?」

 

 不穏な台詞が聞こえた瞬間、バルフレアが扉を開けて部屋に入った。その素早さは同じく扉を開けようとしたセロが、ノブを掴もうとした手のまま呆気にとられたほど。彼に続いて扉をくぐったフランが一瞬微笑みを浮かべているのを見て、セロは弟分がかなり青年に気に入られていることに気付き、口端を釣り上げた。

 

「街のガイドを隠れミノに諜報活動か。酒場の奥がアジトとは、また古典的だねえ」

「なんだてめえら!」

「待て!」

 

照明用の魔石で照らされた部屋の中を見回し、バルフレアは中に居る人間の顔を頭に入れる。軽い口調の言葉に苛立ったのか、近くにいたバンガの男がバルフレアに掴みかかろうとする。バルフレアも構えようとしたとき、部屋の中央、椅子に座っている男が制止した。

 

「あんたは――」

 

 男はセロたちを凝視していた。正しくは、部屋に入ってきたバッシュの姿を見て、組んでいた腕を外し椅子から立ち上がりかける。

 

「本当に生きていたのか――!」

 

 ゆっくりと近づいてくるバッシュを見て、驚愕に固まっていた男は一つ息を吐いて落ち着きを取り戻した。浮いた腰を再び椅子に下ろし、楽しそうな笑みを浮かべ再び腕を組む。

 

「いかにも裏がありそうだったが、まさか本物のご登場とはな。このことを侯爵が知ったら――」

「さて、なんと言うかな。直接会って聞いてみたい」

 

 バッシュと男の視線がぶつかり、沈黙が部屋を満たす。先に視線を逸らしたのは、座った男のほうだった。

「――どうすんですかい、旦那」

「致し方あるまいな」

 

 男が視線を左に移し、声を掛ける。答えたのは奥に座っていた身なりの良い、レベ族の男。ゆっくりと立ち上がり、落ち着いた表情でバッシュを見つめた。

 

「侯爵閣下がお会いになる。のちほど屋敷に参られよ」

 レベの男はそれだけ言うと、部屋の外へと出て行った。

 

「ん? そこのお前……セロか?」

 

 その後ろ姿をセロが見送っていると、後ろから声を掛けられた。振り返った先に居たのは椅子に座っている男のみ。首を傾げてセロが男に近づくと、見知った顔だったことに気付く。

 

「あ、もしかしてハバーロか?」

「やはり、セロか! 何故お前がここに」

「いや、まあ」

 

 先ほどまでの不敵な表情がどこに行ったのか、立ち上がって目を丸くした男――ハバーロにセロは詰め寄られて一歩後ろに下がった。

 

「知り合いか?」

「モブ討伐の依頼主だ。会った場所はビュエルバじゃないけどな」

 

 セロの意外な交友の広さに、バルフレアが眉をひそめる。それを見てセロは苦い笑みを浮かべた。別に反帝国組織の一員と知って知り合ったわけではないことを暗に告げると、納得したのかバルフレアは少し表情を緩めた。

 それに気付いているハバーロだったが、親しげな笑みを浮かべてセロの肩を軽く叩く。セロも同じように肩をたたいた。

 

「驚いた。お前がここに居るのも、ローゼンバーグ将軍に同行しているのもな」

「まあ、事情があるんだよ」

「詳しくは聞かんよ。前に言っていた弟たちは元気か?」

「もちろん。ビュエルバ中を走り回っていただろう?」

 

 楽しげなセロの笑みにハバーロは一瞬思案するが、ゆっくりと傍らにいた少年――ヴァンに視線を移し何か言いたげな表情を浮かべた。

 

「……そいつが弟か」

「ああ」

「まあ、なんというか、少し想像と違うな」

「そうか?」

 

 言葉を選んでいる様子のハバーロに、不思議そうな顔をするセロ。その光景を見て。ハバーロの気持ちがよくわかったバルフレアは、ひとつため息をついてセロに声を掛けた。

 

「おい、いくぞセロ」

「――悪い、また会おう」

「お前が何に巻き込まれているのかはわからんが、気をつけてな」

「それはこちらの台詞だ」

「く、違いない」

 

 死んだはずの将軍と行動を共にしているセロと、反帝国組織の重要な位置にいるハバーロ。どちらともに物騒な事件に違いはなかった。

 お互いに苦笑を浮かべた後、セロは自分を呼ぶヴァンの元へと歩き出した。

 

 

 

 



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幕間:語り手 パンネロの場合

  語り手 パンネロの場合

 

 

 ええと、セロさんとヴァンと私は、血は繋がっていないんです。ご両親を病気で亡くしたヴァンとレックスさん――ヴァンのお兄さんを私の家族が気にかけていたのが最初です。

 

 それから、戦争になって。私の家族も、レックスさんもいなくなって……しばらくしたときに、ヴァンがセロさんを連れてきたんです。

 

 

 最初は、何でこの人がここに居るんだろうって思いました。

 

 まるで外に出たことがない子供みたいに、生活をする上で当たり前のことをセロさんは知りませんでした。男の人とは思えないくらい柔らかく笑う人でしたから、どこかの国の貴族様なんじゃないかって勝手に思ってました。

 

 ヴァンがセロさんを連れてきて、いつの間にか私も一緒に、まるで家族みたいに生活するようになって……戸惑ってばかりだったセロさんも、半年くらい経つと普通に生活できるようになっていました。

 

 その頃からです。セロさんは、ヴァンに剣を習うようになりました。

 

 

 最初はミゲロさん――あ、私たちがお世話になっている人です――その人と私は止めました。だいぶセロさんもラバナスタに慣れたとはいっても、最初の印象が強く残っていたんです。あんな柔らかい笑顔の人が、剣なんて使えるはずがないって思って。

 

 でも、セロさんは剣を習うのをやめませんでした。それどころか、こっそりモブ狩りすら始めていたんです。どうして危ない事をするのか、セロさんを問い詰めたこともあります。でも、困ったように笑うだけで、何も答えてくれませんでした。

 

 

 私は、セロさんに、大切な家族に危ない目に遭ってほしくないんです。

 

 ヴァンも、無茶ばかりするし……

 

 ――はい、ヴァンもセロさんも、私の大切な人です。ラーサー様。 

 

 

 



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第六話 オンドール侯爵邸潜入②

 

「なあ、何ですぐに行かないんだ?」

 

 酒場を後にしたセロたちだったが、屋敷に向かわずにビュエルバの武器屋に寄っていた。店に入ってからすでに数十分は経っており、ダガーや長剣が並ぶ棚を吟味するバルフレアとバッシュの後ろ姿を眺めながら、手持無沙汰になったヴァンは隣に立つセロに問いかける。

 

「会えないからだ。お偉いさんってのは準備に時間がかかるものだからな」

「ふーん」

「分かってないだろ」

 

 それほど興味がなかったのかヴァンは質問したにも関わらず、生返事を返しながら近くの棚に並んだロッドを見ている。その姿を見てセロは軽く肩を落としながら呟き、ヴァンを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 第六話 オンドール侯爵邸潜入②

 

 

 

 

 

「これが丁度良い、か」

「ああ、これならばそこまで戸惑いは少ないだろう」

 

 購入する品を決め、バルフレアは見本の武器の隣の壁にぶら下げられていた、値段が書かれた札を持ってカウンターへと近づく。会計をバルフレアに任せたバッシュは、振り返った先の光景に呆れた表情を浮かべた。

 

「……なにをしているんだ?」

「しつけ」

 

 バッシュの視線の先には、無表情でヴァンの頬をつねるセロと、つねる手を外そうともがいているヴァンの姿。会計を済ませ戻ってきたバルフレアは二人を見て一瞬歩みを止めたが、やめさせようとしないバッシュに理由を察し、流すことにした。

 

「それを買ったのか?」

「まあな。セロ、ちょっとお前の剣を貸せ」

「ああ、かまわないけど……ほら」

 

 バルフレアの手に握られた武器、『棒』に視線を向けるセロ。バルフレアは軽く頷き、棒を手に持ったままセロへと手を伸ばす。セロは腰のベルトから長剣を外し、バルフレアの手に乗せた。

 すると、受け取った剣をバルフレアは何故かヴァンに渡す。

 

「え?」

「ヴァンはこれからこの剣を使え。セロはこの棒だ」

「な、なんでそうなるんだ!」

 

 ヴァンはぽかんとした表情で受け取った剣を見つめる。バルフレアが渡そうとする棒を押しやって拒否しながら、セロは慌ててバルフレアにくってかかった。

 

「体力ないのに剣を使っている方が問題なんだよ」

「セロにはもっと軽い武器の方がいい。最初は戸惑うだろうが、使い方なら私が教えることもできる」

 

 しかし力のないセロが銃使いとはいえ荒事に慣れた――素手でもごろつき程度の武器持ちの相手を倒せる――バルフレアに敵う訳もなく、棒を押し付けられて嫌そうな表情を浮かべていた。その様子を面白そうに見ているバルフレアと、真摯に説得しようとするバッシュにセロは不貞腐れた顔を向けた。

 

 

「教えると言ってもな、そう簡単に武器は変えられないぞ」

「今のうちに変えておいた方がいい。この手を見れば、君がどれほど修練を重ねたかは分かる。――半年でよくぞあそこまでの腕を得たものだ」

 

 バッシュはセロの右手を取り、手のひらを上に向ける。男にしては白く滑らかな甲の皮膚とは違い、何度も肉刺が潰れたのだろうそこは、ひどく皮膚がひび割れ、硬質化していた。セロが回復呪文を使えることを考えると、通常であればよりひどい状態であったと予想できる。

 

「君には剣の才能があるのかもしれない。だが、このままでは体力がつく前に君は命を失うぞ」

「そんなことは――」

「分かっているのだろう? 君は致命的に体力がない、前衛には向かないということを」

 

 バッシュの真剣な眼差しを避けるように、セロは視線を床に向けた。確かに、セロがモブ狩りなどで足を運ぶ地域には、彼の腕よりも強いモンスターも多くいる。それほど強くない魔物だけのルース魔石鉱でも、彼はすぐに息を切らせてしまった。

 弟分のヴァンよりも貴族であるラーサーよりも、遥かに体力のないセロがこれからも前衛を続けるには、不安要素が強すぎた。

 

 

「ヴァンもそれなりの腕になっているしな。魔力も高いんだから、あんたは後ろで攻撃魔法でも使っていた方がいい」

「――使えないんだ」

「なに?」

 

 俯いてしまったセロを励ますように、バルフレアは声の調子を軽いものに変えて彼の肩を叩く。視線をバルフレアに向けたセロだったが、困った表情でポツリと呟いた。

 

「私は、攻撃魔法が使えないんだ。正確には、回復魔法以外全部使えないというか」

 

 気まずい表情で目を泳がせるセロを、妙なものを見る目を向ける一同。目の錯覚か、彼の額に光るものを見たバルフレアは、米神を揉み解すとセロに向かって手を差し出した。

 

「ちょっとライセンスボード見せろ」

 

 セロはポシェットから折りたたまれた薄い板を取り出し、バルフレアに渡した。これはライセンスボードといって持ち主の習得した技能を記したものだ。個人の何かしらの情報が登録できるらしく、習得が完了した技能は自動的に色がつくという代物だった。

 バルフレアはセロのライセンスボードを広げ、数秒じっくりと見た後にヴァンたちにも見えるように裏返した。

 

 装備品のエリアはともかく、技能エリアの左上の魔法欄は、白魔法以外――いや、『回復魔法』以外の魔法名が暗く潰れたままだった。

 白魔法のレベル1には『初級回復魔法≪ケアル≫』と『視力回復魔法≪プラナ≫』があるが、これは魔法を学び始めて一番初めに習得できる魔法になる。もちろん一番最初なので、魔法のアイテムを持っていれば、十歳を数えるころには誰でも習得することができる。

 ところがセロの場合、『初級回復魔法≪ケアル≫』は習得できているが『視力回復魔法≪プラナ≫』は文字が暗くなったままになっていた。

 

「これは、見事なくらいに魔法エリアが空欄だな」

「その人の性質によっては、習得できない技能は確かにあるけれど……それは上位の技能であって、下位の技能ができないというのは初めて聞いたわ」

 

 バッシュの言葉にフランは頷き、ライセンスボードの習得済みの魔法を指でなぞる。他に習得できているのは、複数回復魔法≪ケアルラ≫のみで、セロの使える魔法は現在二つだけだった。

 

「剣を選んだのは、これが原因か」

「武器の中では一番応用力があって攻撃力が高いからな。安いし」

「武器(エモノ)を値段で決めるな」

 

 ライセンスボードを折りたたむバルフレアの隣で、セロが手を差し出しながら頷く。たたまれたライセンスボードがセロの頭に直撃したのは言うまでもない。

 

「とにかく。セロの武器は今後は軽いものを選ぶ。つまり棒だ」

「私に決定権は?というか、ナイフも軽いぞ」

「ない。ナイフだと今と変わらないだろ、アホか」

「セロが使っていた剣……、大事につかうから!」

 

 バルフレアは頭をさすっているセロが落とした棒を拾い、反論は認めないとばかりに棒を彼に突き付ける。いまだしぶっていたセロだが、剣を抱えたヴァンの妙にきらきらとした視線を受けて、諦めたように肩を落として棒を受け取った。

 店の外に出ていくバルフレアとヴァンを見送ったあと、フランは落ち込んだ様子のセロの背中にそっと手を添える。セロが顔を上げると、わずかに口角を上げたフランの顔が目に入った。

 

「『息子たち』は心配なのよ、『お母さん』」

「……『娘』は心配してくれないのか?」

「もちろん、心配よ。『お父さん』もね」

「後で使い方を教えよう。なに、君ならすぐにできるようになるさ『お母さん』」

 

 楽しそうな表情に定着させようという二人の本気が見え、セロは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 

 武器屋を出たセロたちは、他にもアイテムや防具を揃え装備を整えたあとオンドール候の屋敷に向かった。荘厳な門の前に立つ兵がセロたちに気付き、一礼する。

「話は伺っております。オンドール閣下のもとへご案内いたしましょうか?」

「ああ。頼む」

「承知いたしました。閣下は日没まで公務がございますので、それまで邸内でお待ちいただきます。私についてきてください」

 

 バッシュが頷くのを確認して、兵士は門の内側に立つ同僚に目配せする。ゆっくりと重そうな響きを立てながら門が開き、声を掛けた兵士の先導にセロたちはついていった。

 

 

「日没って、まだ会えないのかよ」

「な、時間がかかるって言っただろう」

 

 通された一室で兵士が礼をして出て行くと、柔らかいソファーの感触に居心地悪げに座りながら、ヴァンは隣に座ったセロに拗ねたように言う。

 

「こうしている間にもパンネロが」

「四男坊自ら保護しているんだ。俺たちよりも丁寧に持て成されているはずさ」

 

 細かい刺繍がされたソファーに座り、兵士が用意していった紅茶に口をつけつつバルフレアは言う。

 

「大人しく待っているんだな。暇ならセロに話をせがめ」

「おい」

「そうだ! そういえば聞きそびれてたけど、今回のモブ退治はどうだったんだ? 随分、時間がかかっていたみたいだけど」

 

 落ち着かない様子のヴァンに呆れたのか、バルフレアがセロを指差し子供(ヴァン)の相手を押し付ける。ティーカップに手を掛けようとしていたセロに顔を向け、ヴァンは覗き込むようにして話を催促した。

 わくわくという擬音がよく似合いそうなヴァンの様子に、セロは苦笑を浮かべるとティーカップへ伸ばしていた手をひっこめた。

 

「まったく……ああ、私はサポートで討伐に着いていったのだが、そのモブが砂嵐が激しいときにしか出てこない奴でな。現場にたどり着いたはいいが、これでもかと天気がよくて……見つけた後は早かったんだがなあ」

「へー。サポートってことは今回は素材集めだったんだ?」

「素材集めとは?」

「仕事用のな。私のモブ討伐の大半はこれが目的だ」

 

 セロはポーチから石を取り出すと、見やすいように指でつまんだ。

 魔物を倒した後、はぎ取った素材や見つかったアイテムをおたからと呼ぶ。その中には魔力を帯びた石も含まれ、それぞれの属性のミストを発している。割合小さな魔力しかないものを「石」、それよりも多く魔力を含むものを「魔石」と呼ぶ。

 

「魔石、いや魔晶石か。売るんじゃないのか?」

「加工するんだ。私の本業は装飾職人でね」

 

 セロが持っているのは、砂漠で採れやすい風の石や風の魔石ではなく、それより上位の風の魔晶石だった。これは石に魔力が帯びたのではなく、魔力――ミストそのものが結晶化したものだ。

 どんなに小さなかけらの魔晶石でも最低価格160ギルでどの店も買い取ってくれるが、強力な魔物がミストに惹かれて集まり、すぐに飲み込んでしまうこともあって貴重かつ見つけにくい。そして倒した後にその魔物を解体しなければならないので、専用の道具が必要になる。

 

 彼の手の中にあるのは大きな飴玉ほどの大きさ。ここまでくると、富豪位の資産家でないとお目にかかれないほどの代物になる。

 

 セロは魔晶石をポーチに仕舞い、今度は別のポケットから装飾品を取り出した。テーブルに置かれたのは赤い火の魔石が埋め込まれた首飾りと、緑の風の魔石が埋め込まれた耳飾りだった。二つの装飾品は共に金属製ではなく、木材に細かく装飾が施された台に魔石が埋め込まれている。首飾りは細いチェーンではなく、細かく織られた紐で台座とつなげられている。

 

「これは……見事だな」

「はは、ありがとう」

 

 魔石以外に鉱物を一切使用しないそれは、物珍しさもあるが金属のそれよりも柔らかい印象を受ける。その出来栄えにバッシュが感嘆の声をあげると、セロは照れたように頬を掻いた。

 その様子をバルフレアはじっと見つめていたが、おもむろに手に取った耳飾りを窓から入ってくる光にかざし、埋め込まれた魔石の部分を覗き込んで息を呑んだ。

 

「――おいおい。セロ、あんた『オリバー・シモレット』かよ」

「オリバー、って誰だよ」

「ここ半年で急激に知名度が上がってる職人の名前だ。既存の効果にはない装飾品を作れるってことで、あちこちで商人が買いあさった結果、今では相当高値が付いている」

「うそっ!」

 

 楽しそうに耳飾りを眺めるバルフレアだったが、作った本人(セロ)の驚きの声に視線を耳飾りから彼に移した。

 

「なんであんたが一番驚いてんだ」

「元値が低いからだ。――後できっちりトマジと話す必要があるな……」

 

 自分の作品に高値が付いてることが本気で初耳だったようだった。恐らく知っていて黙っていただろう仲介役(トマジ)に、セロはとりあえず一発殴ることを心に決めた。

 

「でもよくわかったな、木彫りとはいえ特徴的な造形をしているわけでもないが」

「デザインはな。ただ、全ての作品で光を当てると、このマークが浮かぶようになっているんだ、分かる奴にはわかるさ」

 

 バルフレアが指差した部分を、ヴァンが覗き込む。

 

「あ、なんか削ってある」

「これは花か?」

「ああ、『ウメ』という」

 

 透き通った魔石の奥に丸い小さい円が一つと、それを囲むように配置された少し大きい円が五つ。確かに花に見えなくもないとヴァンは納得した表情を浮かべる。

 

「ウメねぇ……花にはある程度詳しいつもりだったが」

「クッ、なんか納得できるなぁ」

「なんで? バルフレア男だろ」

 

 きょとんとした表情のヴァンを複雑な表情で見つめる三人。小さい頃に両親をなくし、周りの協力を得ながらも兄と二人で生き延び、終戦後の二年間スラム暮らしをしたとは思えないほど、ヴァンはその手の話に疎い。

 

 純粋なのはいい、だがここまでくると世間知らずというよりも、男としてどうなんだとバルフレアは肩をすくめる。

 

「ヴァンにはまだ五年は早いかな」

「なんだよそれ」

 

 セロの生暖かい視線と、無言で肩を叩くバッシュに、なぜか怯んだヴァンだった。

 

 



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第七話 連行

 

 赤い太陽が地平線の向こうへ隠れてしまったあと、セロ達はオンドール候の執務室へと案内された。

 

「バッシュ・フォン・ローゼンバーグ卿。私は貴公が処刑されたと発表した立場なのだが?」

 

 全員が室内に入り重い扉が閉まったのを見届けた後、椅子に座ったままバッシュを見つめ、オンドール候は静かに口を開いた。

「だからこそ生かされておりました」

「つまり貴公は私の弱味か。ヴェインもおさおさ怠りない――で?」

 

 バッシュの言葉にオンドール候は疲れた表情を浮かべ、テーブルの上で手を組む。

「反乱軍を率いる者が帝国の手に落ちました。アマリアという女性です。――救出のため、閣下のお力を」

「貴公ほどの男が救出に乗り出すとは――よほどの要人か」

 

 オンドール探るような視線に、バッシュは一礼をすることで返答する。知らない人物の名前が出てきたことで、現状がさっぱり分からないセロは、ヴァンにこっそり尋ねた。

 

「アマリアって誰だ?」

「え? そうか、セロ知らなかったっけ。ガラムサイズ水路で会ったんだけど、一緒に捕まっちゃって。俺達とは別に連れて行かれみたいなんだ」

「ほう」

 

 そういえばバッシュがビュエルバまで一緒に来た理由を聞いていなかった、とセロは思案する。用事があるとは聞いていたが、反乱軍のリーダーを助けるためだとは。ダルマスカの騎士であった彼が選ぶ選択肢としては想像しやすいが、今の彼の立場では反乱軍に騒乱を招きかねないのではないだろうか。

 世間での彼は、国王を暗殺した裏切り者という認識なのだから。

 

「立場というものがあるのでな」

 

 遠まわしに協力できないと告げ、侯爵は椅子から立ち上がり奥の扉に向かって歩き出す。

 それを見て慌てたのか、ヴァンが駆け寄ってオンドール候に声を掛けたところを後ろから手で口をふさぎ、捕まえた状態でセロはこの屋敷にきた目的を告げる。

 

「ラーサーに会わ、むぐ」

「ラーサー様と一緒に金の髪の少女が一緒だったはずです。会うことはできませんか」

「……一足遅かったな。ラーサー殿のご一行はすでに帝国軍に合流された。今夜到着予定の艦隊に同行して、ラバナスタに向かわれる」

 

 オンドール候はセロの声に立ち止まり、振り返る。そのまま告げた内容は、今は会うことができないという宣告だった。

「むぉっ! ちょ、セロ放せっ、早くしないと!」

「落ち着けヴァン」

「パンネロは大丈夫だ。ラバナスタの市民が保護されているだけなんだから」

 

 焦るヴァンを宥め、バルフレアはいっそこのままラーサーに保護されていたほうが安全ではないかと考える。帝国の艦に忍び込んで脱出するよりも、帝国軍に守られたまま連れて行かれたほうが、危険性がかなり低い。

 自分達のような賞金首と関わっていると認識されるよりも、まっとうにこれからの人生を送れるに違いない。

 セロの顔を見ると、同じことを考えているのか、複雑そうな表情を浮かべている。

 

「ローゼンバーグ将軍。貴公は死中に活を見出して勇将であったと聞く。あえて敵陣に飛び込めば――貴公は本懐を遂げるはずだ」

 

 そうやって思考がずれていたからか、バルフレアはオンドール候の言葉への反応が遅れる結果となり。言葉の意味と息を呑む音に気づき、勢いよくバッシュがいる方向へ振り向くと、彼はゆっくりと顔を後ろにむけ、真剣な目で言い放った。

 

「――おい!」

「悪いな、巻き込むぞ」

「あーあ……」

「侵入者を捕らえよ!」

 

 剣を鞘から抜いたバッシュに、疲れた表情を浮かべるセロ。オンドール候の言葉に側近のレベ族の男が扉を開けると、部屋の前にいた兵達がすばやく突入してくる。それを見てバルフレアはあきらめたように肩を落とした。 

 

「ジャッジ・ギースに引き渡せ」

「放せよ! なにすんだよ!」

 

 まだ良く分かっていないのか、抵抗するヴァンを横目で見ながらセロは天井を見上げる。ヴァンだけがトラブルメーカーと思っていたが、バッシュも十分その役割を果たせるらしい。

 自覚がある分困った『お父さん』だ、と無抵抗のバッシュを見てセロは小さい声で呟いた。

 

 

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 

「帝都の老人どもに足止めされている間に、この復興ぶりだ。まったく――この国はたくましいな」

 

 ガラス越しにラバナスタの街並みを見下ろし、旧ダルマスカ王国執政官――ヴェインは楽しげに呟いた。彼の後ろに立っていた鎧姿の男――ジャッジ・ガブラスはヴェインの後ろ姿を見つめながら進言する。

 

「現在ラバナスタの反乱分子は孤立しておりますが――今後、外部勢力からの支援を受けると厄介です。特にビュエルバの反帝国組織は不自然なほど資源が豊富です。やはりオンドール侯が背後から糸を――」

 

 反帝国を掲げる組織は規模の違いはあれど相当な数に昇る。もっとも強力な組織が砂漠を越えた先のロザリア帝国であり、国家が主導しているだけあって規模も大きい。それに対してビュエルバの反帝国組織は規模こそ中程度に値するが、活動内容がもっとも充実している不可思議な点がある。

 豊富すぎる資金もそのひとつ。ビュエルバは無関係を装っているが、一般市民に知られるほどに噂が広まっている。

 

「オンドールを押さえるべきです」

 

 声色を強めたガブラスにヴェインは振り返って笑みを浮かべる。

 

「ところが彼から連絡があってな。檻から逃げた犬を捕らえて、ギースに引き渡したそうだ」

 

 胸元から紙の束を取り出し、机の上に放り投げる。それはオンドール卿からの手紙で、逃げた犬――バッシュ・フォン・ローゼンバーグ将軍を捕らえたという内容だった。

 ガブラスは机の上にある手紙をじっと見つめている。

 

「奴を殺すのは私です」

「――見上げた弟だ」

 

 絞りだすような低い声で呟いた男に、ヴェインは感情の読み取れない笑みを表情に浮かべた。

 

「ああ、ギースがラーサーを連れ帰る。明朝ビュエルバを発つそうだ。卿に本国まで送ってほしい。ドクター・シドが来るのでな、外してくれ」

 

 頷いたガブラスに退室を促すヴェイン。部屋から立ち去るガブラスと入れ替わりに、一人の男が独り言を言いながら部屋に入ってきた。

 

「現物を確認せねば話にならん。ナブディスの件もある。――ああ、偽装はしている。馬鹿どもには幻を追わせるさ。――そうだ、歴史を人間の手に取り戻すのだ。うむ……おう、ヴェイン。執政官職を楽しんでいるようだな」

 

 奇妙な独り言を呟いているのはシドルファス・デム・ブナンザ――通称、ドクター・シド。兵器開発研究所であるドラクロア研究所の所長であり、ヴェインとは年の離れた友人でもある。彼は立ち止まって笑みを浮かべ、親しげにヴェインに声を掛けた。それに一瞬足を止めるガブラスだったが、やがて部屋を後にした。

 

「二年も待たされたのでな。帝都はどうだ、元老院のお歴々は?」

「まめに励んどるよ、あんたの尻尾をつかもうとな」

「フッ――やらせておくさ」

 

 楽しげな笑みを向けるドクター・シドに微笑を返すヴェイン。

 

 アルケイディア帝国は帝政ではあるが、皇帝が絶対的権力者というわけではない。かつてアルケイディス共和国にて議会制を敷いていた時代から、元老院――政民と呼ばれる階級の名門の者で構成された組織――というものが存在する。

 

 皇帝のもとで元老院が国政を執るのだが、皇帝の選出や退任には元老院の賛同を得る必要がある。つまり、皇帝の任命権と退任を求めることができる大きな権限をもっていた。これは現皇帝のソリドール家が帝位に付く前、軍部が政治を私物化したことが原因であり、軍部の暴走を防ぐためであった。

 

 ソリドール家よりも立場は上であり、皇帝といえど元老院の意向を無視することができない。初期はソリドール家と元老院は協力関係にあったが、現在は悪化している状態だった。

 

 

「ところで、ラバナスタには彼がいることは知っているだろう」

「おお、そうだ。たしか一年前から住んでいると聞いている。後でこっそり会いに行ってみるつもりだよ」

「残念だが、今は留守らしい。直ぐに戻ってくるようだがね」

「そうか。いや、反応が楽しみだな」

 

 気分を変えるように軽い口調になったヴェインにドクター・シドも歯を見せて笑った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「ふぇっくし!」

 

 帝国軍の飛空挺内、独房の一室でセロがくしゃみをしていた。

 

「風邪引いたのか? やっぱコレ返すよ」

「いいから着てろ。見てるこっちが寒いから」

 

 ヴァンがセロに借りた上着を脱ごうとして、セロはそれを止めながら口元を拭った。独房内は隙間風などはないものの、夜になるとやはり冷える。ラバナスタでは問題なかったヴァンの格好もここでは随分と気候にあっていないため、見かねたセロが上着を強引に羽織らせたのだった。

 

「でも」

「大丈夫だから。パンネロとかミゲロさんとか、バルフレアとかが噂してるんだろ」

「あ、なるほど」

 

 それほど広さはない独房だが、この部屋にいるのはセロとヴァンだけだった。バルフレアとフラン、バッシュはそれぞれ個別に独房に入れられていた。セロとヴァンが一緒なのは、恐らく独房の数が足らなかったのだろう。

 

「さ、体力回復しないと明日がきついぞ。なにせ、うちのお嬢さんを奪還するんだからな」

「セロが一番体力ないだろ」

「……言うようになったなお前」

「いてっ」

 

 軽くじゃれあったあと、流石にもう眠らないと不味いと思った二人は横になって目を瞑った。ようやく静かになった、と隣の独房にいたバルフレアが深い息を吐いたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 次の日の朝、ヴァン達は帝国兵に拘束されたまま、飛空挺から戦艦リヴァイアサンに移送された。

 

「連行しました」

 

 メインコントロール室に連れて行かれたヴァン達。半透明の扉が開くと数名の帝国兵とジャッジ・ギース、そして一人の女性がいた。女性は入り口を振り返ると、ヴァン達を見て驚きの表情を浮かべる。恐らく彼女が「アマリア」なのだろうとセロはあたりをつける。

 アマリアはしばらく呆然とこちらを見ていたが、眉を吊り上げ険しい顔でバッシュに向かって歩き出した。

 

「殿下――」

 

 小さく呟くようにバッシュがアマリアを呼ぶ。その呼び方にセロは眉を潜め、横目でバルフレアを見るが今のは聞こえていなかったらしい。その隣のフランと目が合い、小さく頷かれてセロはため息を思いっきりつきたくなった。どうやら空耳ではなかったようだった。

 アマリアはバッシュの前に立つと、勢いよく頬を叩く。

「なぜ生きている、バッシュ! ――よくも私の前に!」

 

 厳しい視線でバッシュを睨むアマリア。そのあまりの剣幕に戸惑うヴァンを後ろから見つめて、セロはふいに笑い出したくなった。理由は、アマリアとヴァンの怒り方がそっくりだったからだ。

 ヴァンも彼女のように自分の感情をまず相手にぶつける。底から燃えるような怒りは、時間を置くか誰かの仲裁がなければけして鎮火しないのだが、彼女も同じだろうとセロは苦笑いを浮かべた。主にバッシュのこれからの大変さを思って。

 

「君たち、いささか頭が高いのではないかな。旧ダルマスカの王女――アーシェ・バナルガン・ダルマスカ殿下の

御前であるぞ?」

「こいつが!?」

「もっとも身分を証明するものはないのでね、今は反乱軍の一員にすぎない」

「解放軍です」

「執政官閣下はダルマスカ安定のため、旧王族の協力を望んでおられる。だが証拠もなく王家の名を掲げ、いたずらに治安と人心を乱す者には――例外なく処刑台があてがわれましょう」 

「誰がヴェインの手先になど!」

「亡きラミナス陛下から預かったものがある。万一の時には私からアーシェ殿下に渡せと命じられた。ダルマスカ王家の証 『黄昏の破片』――殿下の正統性を保障するものだ。私だけが在処を知っている」

「待て!父を殺しておきながらなぜ私を!生き恥をさらせというのか!」

「それが王家の義務であるなら」

 

 ヴァンに似ていると思ったからか、回りの会話も気にせず、セロは微笑ましいものを見るようにアマリア――アーシェ王女に視線を向けていた。激昂しているからこそ彼女は気づかなかったが、もし気づいていたら怒りの矛先はセロに移っていただろう。今のところ、楽しそうなセロに気づいているのはフランだけだった。

 ちなみに、現在とてもシリアスな雰囲気の場面であることは間違いない。フランは困ったお母さんねと口元だけをわずかに吊り上げた。

「いい加減にしろよ。お前と一緒に処刑なんてイヤだからな」

「黙れ!」

 

 セロのずれた思考も、ヴァンの声とヴァンから流れてくるミストによって現実に戻った。ヴァンを見ると彼はポケットから光る大きな石を取り出していた。自ら主張するかのように光るその石を、ヴァンは恐る恐る両手で持つ。

 

「ヴァン、それは!」

「王宮の、宝物庫で――」

「おいおい――」

「はぁ、でかい戦利品だ」

 

 驚いた声のバッシュに、気まずい顔でヴァンが答える。どうやらバッシュには盗みをしたことを言っていなかったらしい。セロはてっきりヴァンが帝国兵の鼻を明かす為に王宮に乗り込んだのかと思っていたが、どうやらちゃっかり獲物をとっていたようだ。盗んだ本人もまさか王位継承のための証とは思わなかったようだが。

 

「はっはっはっはっは!けっこう!もう用意してありましたか。手回しのよいことだ」

「やめなさい!」

 

 手を差し出したギースに、止めようとするアーシェ。判断がつかなかったのか、ヴァンは後ろを振り返る。バルフレアが顎で渡してしまえと示し、フランも頷く。最後にセロも頷いたのを見て、ギースに向かって一歩歩く。

 

「約束しろよ、処刑はなしだ」

「ジャッジは法の番人だ。連行しろ。アーシェ殿下だけは別の部屋へ」

 

 ギースは暁の断片を受け取ると約束するつもりはないと言外につげ、ヴァン達に背を向け部屋の奥へと歩き出した。帝国兵が一向を囲み、連行していくのも見ずにアーシェは肩を落としていた。

 

 メインコントロールルームに残ったギースは、暁の断片を見つめると、静かな声で呟いた。

 

「ヴェイン・ソリドール……なぜこんなもののために――」

 

 王家の証――確かに重要な品であることは確かだが、皇帝の三男であり帝位継承権第一位の男が望む品ではない。ギースは彼の執政官の考えていることが想像がつかなかった。

 

 



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第八話 リヴァイアサン脱出①

 

 

「きみが持っていたとはな」

 

 一行が帝国兵に囲まれ連行されている途中、バッシュが隣を歩くヴァンを見ながら静かな声で呟くように言う。

 

「これも縁だろう」

「俺を巻き込んだのも縁かよ」

 

 騒動に巻き込まれて不機嫌なバルフレアは、感慨深げなバッシュに悪態をつく。彼にとってパンネロを助けるだけのつもりが、帝国兵に捕まる事態になったのは大いに不本意だった。

 

 黙って歩け、と注意をする帝国兵を一瞥することなく、バッシュはまっすぐ正面を向いたまま言葉を返す。

 

「あの場では手はなかった。仕方あるまい」

「任務が優先か、さすが将軍閣下。それにしてもあれが王女とはねぇ……」

「貴様ら、さっきから静かにしろと――」

 

 皮肉を言うバルフレアに向かって、痺れをきらした帝国兵が槍を振り下ろす。しかし察していた――攻撃をするように誘導したバルフレアは左に避けると、帝国兵から槍を奪った。武器を引かれた勢いで前方に身体を傾ける帝国兵の背後から、バッシュは両手を拘束具ごと帝国兵の首元に思いっきり叩きつける。

 

 同僚の呻き声に前を歩いていた帝国兵が振り返るが、背中を見せた隙にフランが彼を長い足で蹴り飛ばした。倒れた帝国兵をセロが――非常に痛い急所を蹴って気絶させた。

 視界に映った容赦のない攻撃に、男性陣の表情が少し引きつる。

 

 残りの兵士は二人。しかし、敵に一番近いバルフレアとバッシュが背後の敵を振り返る前に、呻き声が聞こえてきた。彼らが振り返った先には同僚の首を掴み、吊り上げる帝国兵の姿があった。

 

 身体を弛緩させ気絶した兵を床に捨て、男はゆっくりと兜を取る。男の容貌を見たバッシュは、奪った槍で攻撃を仕掛けようとしていたバルフレアを制し、男に向かって近づいた。全く警戒をしていないバッシュの姿を見る限り、帝国兵の鎧の男は知り合いのようだった。

 

「侯爵の手引きか」

「初めて頭を下げた」

 

 懐から鍵を取り出し、男はバッシュの両手の拘束具をはずす。

 

「いいか、ダルマスカが落ちて二年。俺はひとりで殿下を隠し通してきた。敵か味方かわからん奴を、今まで信じられなかったのだ」

「苦労させたな、俺の分まで」

 

 開放された腕の動きを確認しながら、バッシュは幾分砕けた口調で言った。男は少し俯いたあと、真っ直ぐにバッシュを見つめる。

 

「助け出す。手を貸してくれ」

「ああ」

 

 意思を確認しあう二人を見ながら、バルフレアは手枷の外れた手でくるくると槍を弄んでいた。そこにセロの手枷もはずしたフランが近づく。

 

「彼は、解放軍の?」

「だろうな。王女様を迎えに来るってこたぁ、将軍か」

 

 殆どが戦死している旧ダルマスカ国軍の騎士の中で、生きている可能性がある将軍が一人いる。

 

『ウォースラ・ヨーク・アズラス将軍』

 

 バッシュと共にダルマスカ王国騎士団中心的存在だった騎士で、代々王家に仕えてきた名門アズラス家の出身。数々の戦場に出撃し、バッシュと共に死線を潜り抜け、挙げた武勲はバッシュにも劣らない。しかし二年前の調印式――ダルマスカ王、ラミナス・バナルガン・ダルマスカが暗殺され、バッシュが国王暗殺の汚名を着せられた夜から消息不明となっていた。

 

「俺、会ったことある。ダウンタウンにいたんだ」

「ダウンタウン? ――ああ、なるほどダラン爺のおつかいか」

 

 じっとバッシュと話す男、アズラス将軍を見つめるヴァン。隣に立つセロは、連想し出てきた名前に納得する。

 あの物知りな老人はラバナスタ市民の人望が厚い。相談を持ちかける者も多く、それは元騎士といえども同じ。

 

 セロの予想が正しければ、解放軍の者達も彼の老人に助言を願っていたのだろう。

 

「あの爺さんなら解放軍の主要人物と知り合いでも可笑しくないな」

「そうか?」

「よく言うだろう。『道に迷ったときはダラン爺に聞け』」

「あ、『彼はどんな道でも示してくれる』だろ? そっか、なんかすごいよく分かった気がする」

「おいおい、どんな爺さんだソイツは」

 

 話に上がる人物に興味が湧いたのか、バルフレアが呆れた表情ではあるが、目に楽しそうな光を浮かべて加わってきた。

 

「なんでも知ってる爺さんさ。ヴァン、大方お前の王宮への侵入経路もダラン爺に聞いたんだろう?」

「げ、バレた」

「……なるほど、この騒動の発端はその爺さんか」

 

 王宮への侵入方法を知っている時点で只者ではない。ダラン爺がヴァンに教えていなければ、今この場にヴァンもセロもバルフレアたちも――捕らわれていたバッシュもいない。

 実に奇妙な縁だ、とバルフレアは先のバッシュの言葉を思い出した。

 

「待たせたな、彼は解放軍の――」

「アズラス将軍だろう? 自己紹介もいいが、お姫様達を助けるほうが先だ」

「ああ、そうだな。行こう」

「ちょっと待て。出発の前に言っておくことがある」

 

 アズラス将軍をバッシュが紹介しようとしたのをセロが遮る。のんびりしている時間がないことを示し、それにバッシュが頷く。動き出そうとしたセロ達を止めたのは、片方の通路を指差したアズラス将軍だった。

 

「通路に赤いアミみたいなものが見えるだろう。あれは侵入者の探知装置だ。あれにふれると艦内に警報が発令され、帝国兵たちが集まってくる。

 時間がたてば警報は解除されるが、騒ぎなど起こらんに越したことはない。いいか、気をつけるんだぞ」

「気をつけろよヴァン」

「なんで俺に言うんだよ!」

 

 お前が一番うっかり触りそうだ、とアズラス将軍の話を聞いていたセロがからかうようにヴァンに言う。むっとするヴァンと、真面目な顔をしたバルフレアが走り出そうとしたセロを引き止めた。

 

「なんだ、二人とも」

「セロは後衛だ。後ろをついて来い」

「……私が何もできないじゃないか」

 

 攻撃魔法を使えず、武器も棒と近接用でしかないセロは、後衛にいると攻撃手段が全くない。

 

「何もするなって言ってんだ。ヴァン、見張っとけ」

「任せろ」

「過保護……」

「お母さんは無茶するもの」

 

 フランに宥められ、しぶしぶ進みだすセロをヴァンが追いかける。先頭を行くバッシュとアズラス将軍は後ろから聞こえてくる口論に片方は顔を顰め、片方は口元を緩めた。

 

「緊張感のない奴らだ」

「それが彼らの良いところだ。無闇に焦る気持ちを落ち着かせてくれる」

「ふん、物好きなことだ」

 

 

 

 

 

  *  *  *

 

 

 

 

「そろそろ、ですね」

 

 リヴァイアサンの一室、無骨ではなく相応の装飾を施された空間でラーサーとパンネロは会話を楽しんでいた。

 ラーサーは一言呟くと手に持っていたティーカップをソーサーに戻し、ソファーから腰を上げる。

 

「ラーサー様?」

「パンネロさん、貴方を彼らの元にご案内します」

「彼らって……ヴァンがここにいるんですか!」

 

 突然立ち上がったラーサーを不思議そうに見ていたパンネロだったが、つむがれた言葉に思わず彼女も立ち上がる。

 

「ジャッジ・ギースが言っていました。オンドール候から賊を引き受けたと……恐らく貴方を助けるために、オンドール候の手引きでリヴァイアサンに乗り込んだのだと思います」

「そんな……」

 

 自分のせいで幼馴染が危険を犯したと知ったパンネロは、顔を蒼白にする。

 

「彼らが乗り込んだのはもう一つ理由があると思います」

「理由、ですか?」

「ええ。貴方に関しては、必ず僕がラバナスタまでお連れします。彼らもそのことは気づいているでしょう。ですが、もう一人の彼女についてはそうはいきません。あの人を助けるためには、今しかない」

 

 あの人、とパンネロの口が動いたのを見て、ラーサーが頷く。

 

「複雑な立場の方です。僕もリヴァイアサンに乗るまで知らないほど、拘留されていることを隠されていました。そして、あの人を危険を承知で助けようとする人物がセロさん達の中にいます」

「あの人って、もしかして……」

 

 口に出そうとした言葉をラーサーはパンネロの唇に指をあてることで止めた。

 

「今は黙って。

 さあ、パンネロさん。僕達も準備をしましょう。貴方の家族に会うために」

 

 そう言って微笑むラーサーに、パンネロはこくりと頷きを返した。

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 

 最後まで残っていた帝国兵が倒れ、広い空間に鎧の金属がぶつかる音が響く。

 セロ達はすでにリヴァイアサン内部の端、営倉の近くまで到達していた。警備を担当していたらしい帝国兵を鎮め、指揮官と思わしき兵士の懐をアズラス将軍――ウォースラが漁ると、鍵とカードキーが見つかった。

 

「これは、システム制御のカードキーだな。この鍵はこの先の営倉のものか」

「ならば、殿下がこの先にいらっしゃるのだな」

 

 ウォースラは鍵を握り締め、奥の営倉へと歩を進める。営倉の一つ、鍵の掛かった扉の前で素早く施錠を外し飛び込むように部屋の中に入った。

 

 扉の開く音に顔を上げた女性、アーシェは驚いた表情で入ってきた男、ウォースラを迎えた。

 

「殿下、ご無事で……」

「ウォースラ」

 

 立ち上がり駆け寄るアーシェだったが、見知った者の存在に気が緩んだのか華奢な身体がよろけた。とっさに咄嗟にウォースラが彼女の腕を取り、支える。

 

「殿下」

「ありがとう、大丈夫です。私――」

 

 セロがはじめて聞く落ち着いた声音で言葉をつむぐアーシェ。しかし安堵し緩んだその表情も、近づいてきたバッシュに気づくと、彼女は息を呑み強張らせた。

 数秒、互いの視線が交差する。

 

「ぐずぐずするなよ、時間がないんだぞっ!パンネロが待ってるんだ」

「さっさとしてくれ、敵が来る」

「――話はのちほど」

 

 黙ったまま動かない彼らに痺れを切らせたヴァンが声を荒げた。入り口、扉の付近に立ち外の様子を伺っているバルフレアも行動を促す。

 ウォースラの言葉に頷くアーシェだったが、困惑した表情で俯いたままだった。

 

 

 営倉から出ると艦内に警報音が響き渡った。五月蝿そうに耳を押さえつつ、セロは辺りを一瞥する。倒れている兵士は五人、営倉に入る前に倒したのは六人。

 

「一人足らないな」

「ったく、仕事熱心なことで」

 

 気絶から目を覚ました兵士が応援を呼んだのだろう。急がなければ帝国兵がわらわらと集まってくるのは間違いなかった。

 

「殿下、我らが血路を開きます」

「私は、裏切り者の助けなど!」

「なんとしても必要です。自分が、そう判断しました。――引き返すぞ、艦載艇を奪って脱出する」

 

 バッシュの言葉にアーシェがくってかかる。ウォースラは彼女を宥めるというよりも、敬意は含んでいるが決定事項を告げるように次の目標を示した。

 

 互いに頷きあい、走り出したバルフレアたちを追いながら、セロは思考に潜り込む。

 

 解放軍のリーダーはアーシェだ。だが実際に方針を決定していたのはウォースラだろう。アーシェの意思を誘導することに慣れているように見える。

 ウォースラはアーシェが"戦うこと"を許していない。ダルマスカの王位継承権を持つのは彼女だけなのだから、時期王として人を率いることにも、意見を聞き物事を取捨することも経験させなくてはならない。

 

 しかし、見る限りアーシェがそれに慣れているようには思えない。恐らくウォースラは彼女を未だに深窓の姫君として扱っている。戦場に立たない、綺麗な神輿として在ることを求めている。

 

 アーシェにとってそれは耐え難いに違いない。彼女は守られることを良しとしない性質のようだから。

 

「生殺しはキツイだろうな」

「彼が気づいていないからなおさら、ね」

「……フランは聡いなぁ。的確な答えが返ってくることにびっくりするぞ」

 

 ただの独り言に返事を返すのは隣を走るフラン。珍しくにっこりと笑う彼女にセロは苦笑いを返すしかなかった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 カードキーを使い、セキュリティー端末で警報を解除しながら進む途中、十字路の横から人影が飛び出してきた。互いに足を止め警戒しながら姿なりを確認する。

 其処にいたのはラーサーとパンネロだった。

「ヴァン――!」

 

 パンネロはヴァンの姿を認めると、嬉しそうな表情でヴァンの胸に飛び込んだ。ヴァンは彼女を抱きとめ、安心させるように背中を撫でる。

 

「ごめん、もう大丈夫」

「うん――きゃっ」

 

 セロも二人に駆け寄り、ヴァンごとパンネロを抱きしめる。ヴァンが少し苦しそうに呻いたが、気にせずセロはきょとんとしたパンネロに笑みを向けた。

 

「元気そうでよかった、パンネロ……」

「セロさん……おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

「セロ苦しい」

「少しは我慢しろ」

 

 ラーサーは微笑ましい三人を見ていたいと思うが、まず伝えなくてはならないことがある。

 

「ギースが気づきました。早く脱出を」

 

 真っ直ぐアーシェに向かって告げるラーサー。アーシェは戸惑ったように視線を彷徨わせ、ウォースラを見る。

 

「アズラス将軍ですね。僕と来てください。先回りして飛空艇を押さえましょう」

「正体を知った上で逃がすのか」

 

 アーシェの視線をたどり、頭の中にある肖像画から目の前の人物を特定したラーサーは、ウォースラに同行を求めた。それをウォースラは苦味が走った表情で少年の姿を見つめ返す。

 

 リヴァイアサンの内部はウォースラよりもラーサーのほうが詳しい。必然的に先頭を行くのはラーサーになる。そうすると、この少年は背中を敵国の将軍にさらすことになる。それも、無防備に。

 なぜ自分達を逃がそうとするのか、利点が見当たらない。

 

「アーシェ殿下、あなたは存在してはならないはずの人です。あなたやローゼンバーグ将軍が死んだことにされていたのは――何かが歪んでいる証拠です。

 今後あなたがたが行動すれば――もっと大きな歪みが見えてくるように思えます。

 だから行ってください。隠れた歪みを明らかにしてください。

 私はその歪みを糾して、帝国を守ります」

「――わかりました」

 

 ラーサーはウォースラからアーシェに向き直る。真摯な視線に戸惑うアーシェだが、暫しのためらいの後に了承した。

 

「どうもな " ラモン "」

「――あの時はすみません」

 

 からかいの口調で掛けられた声にラーサーが振り向くと、笑みを浮かべたヴァンとパンネロ、そしてセロがいた。

 ラーサーは少し苦笑して謝罪の言葉をつむぐ。

 

「パンネロさん、これ、お守りがわりに」

 パンネロに駆け寄り、ラーサーは青い光を放つ物体――人造破魔石を彼女に渡す。彼女はまじまじと人造破魔石を見つめる。

 

「ラーサー」

「セロさん」

「妹を守ってくれてありがとう。これを」

 

 セロが差し出したのは木製の首飾り。オンドール卿の屋敷でヴァン達に見せた赤い火の魔石が埋め込まれたものではなく、白い光をわずかに放つ半透明の魔石が埋め込まれている。

 ラーサーはそれを受け取り、木の台座に埋め込まれた魔石の奥に刻まれた花を見つけ、驚いた顔でセロを見上げた。

 

「これ……セロさん、あなたは――」

「パンネロが貰ったお守りのかわりだ。お前は無茶をするようだから、身につけておけよ?」

 

 白い魔石は聖属性の魔力が秘められている。首飾りは身につけた者に「常時回復魔法≪リジェネ≫」の効果があるセロの最新作だった。

 ラーサーはそんな効果があることはまだ知らないが、この装飾品が「お守り」に十分該当する代物だと察した。

 

「ありがとうございます。――行きましょう将軍」

 飾り紐を首に通し、ラーサーは微笑む。セロも笑みを浮かべてラーサーの髪を軽く梳いた。擽ったそうな表情を浮かべ、離れていくセロの手を視線で追った後、彼は瞼を一度閉じる。しかしすぐにウォースラに視線を向けた。

 

 かけられた言葉にウォースラはバッシュに目配せをする。バッシュが頷いたのを見てから、少年と共に走り出した。

 

 徐々に小さくなっていく鎧の擦れる金属音。走り去った方向を不安そうな面持ちで見つめるアーシェを、バッシュが静かな視線を向けていた。

 セロは彼に呆れた視線を向ける。まったく、一言でも声を掛ければいいものを、とバッシュとウォースラに心の中で文句を言う。仕える主のフォローぐらいする時間はあっただろうに。

 

 かといって、ほかの人物も彼女に声を掛けるには少々まずいようにセロは思った。バルフレアとフランは空賊で賞金首という札付き、ヴァンは言葉を飾らないためか、今のところアーシェとの仲は良いとは見えない。パンネロは先ほど会ったばかり。

 どうやら間を取り成すのはセロしか該当しないようだった。そのセロとて彼女と言葉を交わしたことはない。だが他よりはマシだろう。

 

「王女さん」

「――なにか」

 

 佇む彼女に歩み寄りながら声を掛けると、少々強張った声音で返事をされる。バッシュに向けるものとは数段柔らかくはあるが、セロには彼女が相当気を張っているように見えた。

 アーシェから二メートル程の距離で足を止め、安心させるように子供向けの笑みをセロは浮かべる。

 

「将軍と別れて心細いのはわかるが、とりあえず進もう。

 戦闘はあいつらが全部やってくれるだろうから、おしゃべりしながらのんびり行こうか」

「おい」

 

 セロの言葉を聞きとがめたバルフレアが嫌そうな声を出す。反応をくれたバルフレアに楽しそうな顔を向けたセロを見て、彼は何を言い出す気だと顔を引きつらせそうになった。

 

「嫌なら私を前衛にしろ」

「だめよ」

 

 明るい声で名案だと言わんばかりのセロに、フランが静かな声で禁止する。

 セロはくるりとフランを振り返り、もの悲しそうな表情を浮かべて彼女を見つめた。

 

「だめ、よ」

「――だそうだ」

 

 しかしフランは意見を譲らない。バルフレアはフランに完敗しているセロを見て、自身の相棒に内心拍手をする。落ち込むセロの肩を叩いているバッシュの向こう側から、帝国兵が数人走ってくるのが見えた。

 ヴァン達も気づいたようで、手にはそれぞれの獲物を握っている。

 

「よしヴァン、お前のノルマはあの二人な」

「わかった――ってバルフレア達は? 残り二人しかいないけど」

「俺で一人、将軍閣下で一人で計四人だろ」

「えー!」

「ヴァン、私も手伝う」

「だめだ!」

「おー、男を見せなヴァン」

 

 賑やかに帝国兵達に向かっていくヴァン達を見て、アーシェは反応に戸惑っていた。ここは敵地だというのに、なぜ彼らはこれほど余裕なのかが分からない。

 ウォースラに教えられてきた戦場での在り方と全く違う彼らに、いらつきと自分自身への不甲斐なさで光景から目を逸らすように視線は下がっていく。

 

「まーた俯いているな」

 

 思ったよりも近くで聞こえた声に、アーシェは驚いて顔を上げる。いつのまにか、セロは彼女のすぐ近くに立っていた。アーシェが一歩踏み出せば、彼が差し出している手に届きそうなくらいの距離に。

 

「ほら、行こう」

 

 優しげに耳に響く声音に、アーシェは思わずセロの手に自身の手を載せていた。自分の行動に驚いている彼女に笑みを向け、セロは早く来いと急かす弟分の下へアーシェの手を引いて歩き出した。

 

 

 



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第九話 リヴァイアサン脱出②

 

 

 一行は追ってくる兵士を時折殴り倒しながら、発着ポートへの道のりを走っていた。といっても、倒しているのはヴァン・バルフレアとバッシュだけで、女性陣とセロは一切手を出していない。それどころか、セロはアーシェと手を繋いだままだ。

 一同のもの言いたげな視線と羨ましげな視線を綺麗に無視して、セロはアーシェをエスコートしていた。

 

「さてと、この先が発着ポートだったな?」

「ああ、待ち伏せはあるだろうけどな」

 

 やけに爽やかに笑顔を浮かべるセロに、バルフレアが諦めたように力が抜けた声で返す。

 

「あの」

「ん?」

「戦闘が予想されます。離していただけますか」

「ああ、了解」

 

 隣に立つセロの様子をじっと見つめていたアーシェだったが、戦闘をするには未だ繋がれたままの右手の自由を得なければならない。そう思ってセロに伝えると、彼はあっさりアーシェの手を離した。

 離れた温もりに、アーシェは少し眉をひそめる。何とも言い難い心情に、戦場で自分はなにを考えているのかとため息をついた。

 

「さーて、突入しますか」

「セロは後な!」

「……またか」

 

 意気揚々と扉をくぐろうとしたセロが、ヴァンに肩をつかまれて止められている。その状況を見つめるアーシェの姿を、バッシュが静かに見守っていた。

 

 

 

 一同が左翼発着ポートの中に入ると、ポート全体を見渡せる船橋の奥に、ジャッジ・ギースが佇んでいた。

 

「残念ですな」

 

 ギースはセロ達の姿を確認すると、呟くように言う。その表情は兜に遮られて確認はできないが、落胆したものだろう。

 船橋の奥から左手に対の武器を持ち、ギースはゆっくりと彼らに近づいてくる。

 

「ダルマスカの安定のために、協力していただけるものと信じておりましたが」

 

 ギースはジャッジマスターだ。彼の職務は帝国を騒がす輩を鎮圧すること。それは相手が亡国の王女でも変わらない、彼の者は国をいたずらに騒がせたのだから。

 

 国を治めるべき、民の安寧を護るべき王族。王女が本当に民を想うのであれば、帝国の手を取るのが一番正しいとギースは考えていた。

 

「まあ、王家の証はこちらにある。よく似た偽者でも仕立てればよいでしょう」

 

 よって騒ぎの元となる「不要なもの」に対する彼の対応は決まっていた。

 

「貴女には」

 

 静かに炎の魔力を手にまとわせる。

 

「――王家の資格も、価値もないッ!」

 

 殺意もなく、淡々と向けられた炎の魔力は、完全に不意打ちとなってセロ達に襲いかかる。

 

 避ける暇もなかった。思わずセロが弟分達を護ろうと動こうとしたとき、炎を象っていた魔力が揺らぎ、パンネロの元へ収束して消えていった。

 

「ん?」

「なんなの――!?」

 

 怪訝な声をあげるギースと、困惑して手元を見るパンネロ。その両手には青い光を放つ、ラーサーから貰った人工破魔石が握りしめられている。

 

「破魔石か」

 

 小さく呟いたバルフレアの言葉に、アーシェはこれが何か理解はしていなかった。

 だが、先ほどの攻撃は彼女ではなく「彼女が護るべき民」に向けられていた。この青く光る何かがなければ、また自分のせいで民が傷つくところだった。

 

 アーシェは皆を背に庇うように、前に飛び出す。その怒りが突き刺さる先は、目の前の鎧の男。

 

「ご立派ですな、殿下!名誉ある降伏を拒むとは。まったくダルマスカらしい!」

 

 嘲りを声に滲ませるギースの姿へ、今にも切りかかりそうになる自分を押さえながらアーシェは吼えた。

 

「貴様に何がわかる!」

 

「いいねぇ」

「なんだ惚れたか?」

 

 剣を構えるアーシェを見つめて、楽しそうに笑みを浮かべるセロに、銃で狙いを付けながらバルフレアが軽く返す。

 

「そうじゃない。やっぱ生き生きしている女性の方が、魅力的だってことだ」

「生き生きねぇ……確かにのびのびと戦っているな」

 

 烈火の如く怒りを湛えて戦うアーシェを、生き生きしているといえばそう見えるだろう。そこには独房からのどこか鬱屈した様子は全く感じられない。

 

「彼女は鳥かごに収まるような気性じゃないだろ。兄王子が存命なら、軍に入りかねないぞ」

「それには同意する」

「じゃあ俺はいってくるな」

「どさくさに紛れて前線に行こうとするなアホ」

 

 バルフレアが次の弾を込めている途中で、セロは今がチャンスとばかりに前に進む。しかし。

 

「行けば撃つ」

「銃口向けるなよ。冗談だって冗談」

 

 冷静に真顔で愛銃を構えるバルフレアにセロは白旗を降ることとなった。

 前衛に加わる素振りこそなくなったセロだったが、やはり不満なのか表情はしかめたままだ。帝国兵に銃弾を贈呈しながら、バルフレアはため息をつく。

 

「今のアンタは手に取ったばかりの武器で、到底人間の兵士相手はさせたくない。ここから出たら魔物相手だが存分に武器をふるわせてやるさ」

「ここが終わったらか。バルフレアもつき合ってくれるか?」

「しかたねーな」

 

 肩を竦めるバルフレアにセロは破顔する。本当にこの青年はお人好しだな、と当人が聞いたらいやな顔しかしないことをセロは内心考えつつ、弟分に回復魔法を準備した。

 

 

 

「う、グゥッ……」

 

 攻撃を受けて後ろの柱にぶつかった衝撃で、ギースは兜を落とした。厳つい兜の中には、初老の男性の姿。頭も打っていたのか、その表情はどこかぼんやりとしている。

 

 そして締め切られた扉が開き、ウォースラが駆け込んできた。一瞬でアーシェとバッシュ、そして未だ動けないギースを確認して手を招いた。

 

飛空挺(アトモス)を押さえた、来い!」

「アトモスぅ? トロい飛空艇(フネ)だな、主人公向きじゃないッ」

「まあ、バルフレアには似合わないな」

 

 もっと別のなかったのか、とグチグチ呟くバルフレアの肩を、セロが軽く叩いて隣を走る。

 

「オレが飛ばしてもいい?」

「また落ちたいの?」

 

 楽しげに言うヴァンだったが、フランに冷静にコメントされ落ち込む。別に本気じゃなかったのに、と呟く声が虚しかった。

 

 

 

 

 

 アトモスに乗り込んだあと、パンネロは不安な表情で操縦席のフランを急かしていた。

「早く早く! 全開!」

「だめ」

 

 静かなフランの声は、それだけでパンネロの頭を冷やさせた。彼女は落ち着いた声音で、頭を隠すように皆に指示を出す。

 通常の速度で進むアトモスは、艦艇群を抜ける際にいくつも一人乗り用の飛空挺とすれ違った。幾ばくかの時間が流れ、アーシェがそっと操縦席の背もたれから顔を出した。

 

「行ったわ」

「下手に急いだら気づかれるわ」

 

 冷静なフランの姿をキラキラとした目で見つめるパンネロ。セロは妹分の様子に笑みを浮かべつつ、フランの隣の操縦席に座るバルフレアに声をかける。

 

「あとはビュエルバに着くだけだな」

「帝国に見つからなければな」

「なに、君なら逃げ切れるだろう?『お兄さん』」

「任せな。アンタは休んでろよ『お母さん』」

 

 お決まりの会話を交わし、笑いあうセロとバルフレア。

操縦席から離れ床に座り込んだセロに、待ってましたとパンネロとヴァンが抱きついてきた。

 

「なんだ?この甘えんぼ共」

「セロさん、無理したでしょ!ヴァンに聞いたの!」

「え、あ、その……ヴァン!」

「俺しーらない」

 

 眉をひそめた妹分に、たじろぐセロ。告げ口をした弟分を睨むが、目を反らされる。どこみてるの、としかる体制になったパンネロに、セロはごめんなさいと小さくなるしかなかった。

 

 

 パンネロの説教から解放されて、セロはふらりと壁にもたれ掛かった。その顔はいつもの彼よりも血の気が失せており、目も少しぼんやりとしている。

 バッシュは彼の様子に気づき、声をかけた。

 

「顔色が悪いな、横になっていたほうがいい」

「そんなスペースないだろう、このままでいいさ」

「いいからセロさんは寝るの!」

 

 会話を聞きつけたパンネロが、強引にひざにセロの頭をのせる。突然の膝枕に狼狽えていたセロだったが、目眩がしているのか、ぎゅっと一度目を強くつむる。

 

「悪い、ちょっと限界みたいだ」

「安全運転で飛行してやるから、眠っとけ」

「ああ……」

 

 バルフレアの言葉に力無く開けていた目を閉じるセロ。しばらくすると、小さな寝息がアトモスのそれほど広くない艇内に聞こえていた。

 セロの寝顔を、隣に座るバッシュがのぞき込む。

 

「もう寝てしまったな」

「セロさんは、本当はとても身体が弱い人なんです。いつも、無理ばかりして……」

「多分、明日まで起きれないと思う」

 

 パンネロは寝入っているセロの髪をなでる。この兄はいつもヴァンや自分には無理をさせないくせに、自身は無理も無茶も厭わないのだ。

 セロの体力は、恐らくパンネロよりも無い。それは病弱というわけではなく、単に今までの生活で体力を使うことがなかったのだろう。砂漠を遊び場にしていたパンネロとは、違う生き方をしていたということは、当初のセロを見ていればヴァンにだって解ることだった。

 

 アーシェは彼らの様子を座ってじっと見ていたが、立ち上がってセロに近づいてきた。

 

「王女様?」

「どういたしました、殿下」

 

 パンネロの困惑した表情もウォースラの諫める声も無視して、そっと細い手がセロの長い前髪をかきあげる。

 

「――ラスラ」

 

 思わず、アーシェは呟く。長い前髪に隠れていたセロの寝顔は、亡くした夫にどこか似ていた。

 

「そんなに似ているか?王子様と」

「声はな。耳を疑うくらいに似ている」

「バッシュ」

 

 黙り込んだアーシェに、バルフレアが操縦したまま尋ねる。バルフレアにとって、セロがナブラディアの王子に似ているというのは、アーシェの態度から予想がついていた。

 いくら自国の民だからといって、アーシェのセロに対する態度はあまりにも柔らかかった。まるで、昔に会ったことがあるのではないかと邪推するほどに。

 答えないアーシェに変わって、バッシュが答えた。それに促されたのか、セロの髪から手を離してアーシェが続ける。

 

「顔はそっくりではありません。起きているととくに。

 でも、ナブラディア王に、良く似ています。ラスラは、王妃殿下に似ていましたから」

「ふーん?兄弟と疑うには十分、ってことか?」

 

 妙に不機嫌になったバルフレアにヴァンが首を傾げて彼を見上げる。しかし、視線が合うことはない。 

 

「しかし、彼の国にはラスラ殿下に年の近い王子はいなかったはずです」

「表向きはな。庶子の可能性がないわけじゃない」

 

 ウォースラの言葉を切って捨てるバルフレアを、切られた当人が睨みつける。どうやって収拾つけようかとバッシュが悩んでいると、銀髪の青年がうるせぇと呟いたことで気がそれた。

 

「セロは、セロだよ。俺の――兄さんだ」

「ヴァン」

「ちょっと似てるだけだろ。関係ないって」

 

 ヴァンにとって、彼は大事な家族だった。それ以外の彼の顔なんて、装飾品の職人というだけで十分だ。それに、彼らが話している内容は、セロがいなくなってしまう可能性があることだけはヴァンにも解っている。

 面倒なことに、自分が手が出せない政治的な理由で、大事な家族が巻き込まれること。それはヴァンが一番嫌うことだった。

 

 そんなヴァンの頭を、くしゃりとバッシュが撫でる。

 

「そうだな、セロは……彼は君の兄だ。それは間違いない」

「本当だよ。まったくさ、みんな俺の家族になに言ってるんだっての」

 

 しかし、いくら彼が自分の家族だと主張したところで、本当にセロがナブラディア王家の血を受け継いでいると解れば。きっと、彼らは離されてしまう。

 

 解放軍がアーシェと同等の、御輿を見つけて担がないわけはない。いや、血を受け継いでいるかどうかさえ、どうでもいいのかもしれない。セロの容姿は、見た目だけでナブラディア王との血縁関係を想起させる。

 

 そして解放軍のメンバーであるアーシェとウォースラがどう判断するのか、その判断にバッシュ自身は従うのかどうか。

 

 できることなら、平穏に暮らしていてほしい青年達を想って、バッシュはため息をついた。

 

 

 




一年唸って考えたのが、ノリで二日で書けた。
スタンド攻撃を受けたのか僕は……!?


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幕間:語り手 ラーサーの場合

 

 

 このペンダントですか?ビュエルバで会った方にいただきました。

 

 ええ、「オリバー・シモレット」です。ご本人にお会いできるなんて思っていませんでした。

 縁があって親しくさせて頂いて、これを譲り受けたのです。どちらかというと迷惑をかけていたのは僕のほうなのに、律儀な人ですよね。

 

 どんな方だったか、ですか。

 

 そうですね、一言でいうなら不思議な方でした。

 

 所作の振る舞いが綺麗だったので、貴族の方と思いましたが……彼の纏う雰囲気はとても柔らかいもので、貴族ではありえないと思います。

 かといって商人というには、こんな風にあっさりと僕に作品をプレゼントをしていますし……僕が出会ったことのない立場の方なのでしょうね。

 

 それに家族想いな方でした。妹さんが誘拐されてビュエルバまで来たそうなのですが、坑道を進んでいくときに、ヴァン……彼の弟さんをいつも気にかけているのがわかりました。

 僕は彼の隣にいましたが、平気そうな顔で進んで先頭を切っていましたけれど……あれはきっと、無理をしていたのだと思います。後で体調を崩されていないといいのですが。

 

 あと、少し人が悪いところがあるみたいで、僕や弟さんをからかって遊ぶところがありました。まったく、あそこまで子ども扱いをされたのは初めてです。同行していた彼より年上の方も、同じようにからかわれていましたね。

 

 いえ、彼の態度は本名を知っても変わりませんでした。

 

 嬉しそう、ですか? そうですね……はい、嬉しかったです。

 彼の態度は自分がひどく幼くなったような気分になりますけれど、安心するんです。

 

 あとは、そうですね。怒るとけっこう怖かったです。

 

 はい、怒られました。

 魔石坑への同行をさせていただく途中で、僕と彼の弟さんでふらふらと寄り道ばかりしていまして。

 真っ直ぐ歩けと頬を抓られましたよ、公衆の面前で。

 

 ええ、どこも人通りが多いところですね、ビュエルバは。

 

 

 ――もう、そこまで笑わなくてもいいでしょう。

 

 

 え、お知合いなんですか? 彼と? そんなそぶりは……

 

 ……ああ、なるほど名前を伏せているんですね。もしかして、変装もしていたんですか?

 

 それじゃあ彼も気づきませんよ。そんな格好では僕だって気づかないかもしれませんよ。もしかして、いつもそれで抜け出されているんですか?

 

 まったく……兄上も人が悪いです。

 

 

 わかっています。変装のことは秘密にしますから、今度方法を教えてくださいね。

 ……だって、僕もやってみたいじゃないですか。

 

 兄上だけずるいですよ。

 

 

 



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第十話 オンドール侯爵邸にて

幕間も更新しています。


「ヴァン、セロさん落とさないでね」

「だから大丈夫だって。何回言わせるんだよパンネロ」

 

 ビュエルバのエアポート内を、ヴァンがセロを背負いながら歩く。その横には不安そうにその姿を見るパンネロがいた。

 

「だって、ヴァン前にセロさん背負ったまま転んだじゃない。お酒の瓶踏んで」

「あれは酒場だったからだろ。エアポートでどうやって酒瓶踏むんだよ」

「そうだけど……」

 

 なおも顔を曇らせるパンネロに、ヴァンはむっとした表情を浮かべる。この幼なじみは、ヴァンを年齢よりもずっと下の扱いをする事をやめない。今回もセロを心配しているのは解るが、障害物が転がっていない場所で転ぶほど子供扱いされるのは困る。

 ただでさえ過保護な兄がいるというのに……と、ヴァンは内心でため息をつきたい気分だった。

 

 通路を抜け、ロビーにたどり着く。ヴァンの隣を歩いていたパンネロは、駆け足で前方を歩くバルフレアに声をかけた。

 

「あの、これ――洗っておきました」

「――光栄の至り」

 

 ハンカチを差し出すパンネロ。律儀に洗ってまで返す彼女にバルフレアは微笑み、おどけた様子で一礼する。

 

「俺もあーゆーの、できた方がいいのかな」

「やってみる?向いてないとは思うけれど」

「やっぱり?」

 

 ぼそりと呟いたヴァンの言葉を拾いクスクスと笑うフランに、ヴァンは肩を落とした。

 

 

「殿下、これからのことですが――侯爵の屋敷へ向かいましょう」

「オンドール侯に? でも、あの人は――」

 

 ヴァン達から少し離れた場所で、バッシュはアーシェに提案する。しかし、アーシェの反応は良くなかった。つい数時間前まで彼女にとってバッシュは父の敵であり、アーシェは容赦なく彼の頬を叩いたのだ。アトモスの艇内でバルフレア達から真相を聞かされはした。だがそれが真実と信じきれないほどには、アーシェの憎しみはこの二年の歳月で華奢な身体に収まりきれないほどに増幅されていた。

 オンドール候に対しても、アーシェの自害という誤報を公表された――頼るべき人物に裏切られた気持ちは、未だに彼女の心をくすぶらせている。

 バッシュはそんな彼女の心を察していたが、今はよりべを見つけるべき時と自身の意見を再度告げた。

 

「お会いになるべきです。表向き帝国に従っているように見えても、それは侯爵の本心ではありません。

 こうして殿下をお助けできたのも、侯爵の”助言”があればこそです。――少々、危険な手段ではありましたが」

「自分も同感です。これまで距離を置いてきましたが、もっと早く侯爵を頼っていれば――自分が愚かでした」

「ウォースラ――」

 

 バッシュはルース魔石鉱であったギースとオンドール候の会話を思い出していた。彼は「手綱をつけられるつもりはない」と言っていた――帝国に取り込まれぬように舵をとることが可能な施政者は、世界にどれほど存在するだろうか。

 ウォースラもバッシュの言葉に同意を返す。彼の言葉にアーシェは迷う表情を見せた。

 

「殿下、自分に時間を下さい。我々の力だけでは国を取り戻せません。別の道を探ります。

 自分が戻るまでは、バッシュが護衛をつとめます。まだ彼を疑っておいででしょうが――国を思う志は、自分と変わりません」

「あなたがそこまで言うなら――任せます」

 

 強い視線を向けるウォースラに、アーシェは迷いながらも頷いた。アーシェの了承を得たウォースラは、バッシュを振り返る。

 

「殿下を頼む。オンドール侯爵のもとで待っていてくれ。それと――あの青年のことも」

「ウォースラ、それは――」

「彼は鬼札になりかねん。騒動を防ぐ為にもだ」

 

 言いかけるバッシュを遮るように、ウォースラは続けた。解放軍がセロを確保しているなら、彼の扱いはどうにもできる。それは帝国に身柄があっても同じことだ。旧ナブラディア国民の心は帝国に寄るかもしれないが、王位継承権もないセロは大して民意を集めるとは思えない。

 最悪なのは、ロザリア帝国に浚われること。ナブラディア王族の保護を大義名分に、帝国との間にある国家すべてを巻き込んだ戦争になりかねない。

 ウォースラが危惧していることを理解したバッシュは、反論する事もなく黙り込む。ウォースラは再度頼む、とバッシュに声をかけ、エアポート出口へと歩き始めた。

 

「ヴァン、俺が良いと言うまでセロから離れるなよ」

「……おう」

 

 歩き去るウォースラを見届けながら、バルフレアは厳しい表情でヴァンに言った。

 

 

 オンドール侯爵邸に一行が近づいたとき、警備兵が彼らに気づき声をかけてきた。

 案内を指示されていた警備兵は交代の兵を待ってから、彼らを邸内に誘導していく。

 

「そちらの方に、部屋をご用意いたしましょうか」

「いや、結構」

 

 応接室への道すがら、ヴァンに背負われるセロを見て案内の兵が提案するが、バルフレアは即座に断った。そんな彼の様子を、バッシュがもの言いたげに見つめる。

 

「ヴァン、疲れてない?」

「平気。セロは軽いしな」

 

 応接室の中に入った後、扉が閉められたのを見計らってヴァンがソファーにセロの体を横たえさせた。首を回すヴァンをパンネロが気遣う。

 平気そうな顔をしているが、実際は疲れているのだろう。深々とソファーに座り込むヴァンを見て、バッシュはバルフレアに顔を向ける。

 

「バルフレア、君が危惧することも解るが……やはりちゃんと休ませた方がいいのではないか?」

「まだ交渉も済んでない場所で弱みを晒せってか?生憎、俺はアンタほど侯爵を信用しているわけじゃあないんでね」

「警戒しすぎるということはないわ。彼の容姿ならなおさら、よ」

 

 バッシュの言葉に鼻で笑うバルフレア。フランも同じように続けるのを聞いて、バッシュはようやく首を縦に振った。

 

 

 

 侯爵と面会が可能になったのは太陽が完全に落ちてからだった。オンドール侯爵の執務室にいるのは、アーシェを含めたセロ達一行と、オンドール侯爵のみ。人払いしているのだろう、扉の前にも兵士の姿は少なかった。

 ヴァンが椅子に眠るセロを座らせるのを確認してから、アーシェは口を開いた。

 

「オンドール候、この度はご助力頂き感謝いたします」

「ご無事でなによりです、殿下」

 

 アーシェが一礼すると少し顔を緩めてオンドール侯爵が返答する。小さい頃から彼女を知っている身として、怪我もなく無事だったということはオンドール侯爵にとっても喜ばしいことだった。

 

「まずは体を休めていただきたい――そう申し上げたいのですが、それよりも前に殿下について訊かねばならないことがあります」

「なぜ私が生きているか、ということですね」

 

 オンドール侯爵は、帝国からアーシェ王女が自殺したと報告を受けていた。バッシュについても然り、ただ正当な王女の死となると、そう簡単に虚偽をすることはできない。

「あの調停式の夜――父の死を知ったウォースラは、ラバナスタに戻って、私を脱出させました。

 ヴェインの手が伸びる前に、あなたに保護を求めようと」

「ところが、当の私があなたの自殺を発表――帝国に屈したように見えたでしょうな」

 

 アーシェは視線を伏せ、小さく頷いた。真っ直ぐに正面を見つめ続けていたオンドール侯爵は、そんな彼女に顔を向ける。

 

「あの発表はヴェインの提案でした。当時は向こうの意図をつかめぬまま、やむなく受け入れましたが――狙いは、我らの分断であったか」

「でも、もうそれも終わりです。私たちは真実を知りました……私に力を貸してください。ともにヴェインを!」

 

 帝国の分断の策は破れ、今こうしてアーシェはオンドール侯爵の前にいる。後は互いに手を取り合うだけだとアーシェは意気込んで訴える。

 侯爵は一つ息を吐いた後、ゆっくりと椅子から立ち上がった。静かな視線がアーシェを貫き、彼女も怯むことなくそれを受け止める。

 

「抱っこをせがんだ小さなアーシェは――もういないのだな。殿下は大人になられた」

「それでは、おじさま――」

 

 しみじみと、ただ少し嬉しそうに侯爵は呟く。その言葉にアーシェが喜色ばむが、侯爵は視線を逸らし執務机から離れて歩き出した。

 

「しかし仮にヴェインを倒せたとして、その後は? 王国を再興しようにも、王家の証は奪われました。あれがなければ、ブルオミシェイスの大僧正は殿下を王位継承者とは認めんでしょう」

 

 それは、アーシェをもう子供ではないと認識したからこその、保護者ではなく、一つの都市の指導者としての言葉だった。アーシェは侯爵の言葉に何も言い返せず、息を飲む。

 

「王家の証を持たない殿下に、今できることは何ひとつございません。しかるべき時まで、ビュエルバで保護いたします」

「そんな……できません!」

「では今の殿下に何ができると?」

「……おじさま――」

 

 何もせずただ待つだけなど、アーシェには耐えられない。人任せにしないというのは人としては美点だが、国を任された者としては物事の流れを見て、時期を待つことも必要だ。

 唯一残された王族の彼女が自身を省みず行動する――それは帝国はもとより、ロザリアまでも不用意に刺激することになるだろう。

 そしてその先に待ち受けているのは、近隣諸国すべてを巻き込んだ戦争だった。セロに起こる可能性は、そのままアーシェにも降り懸かる。

 

 言葉を失って俯くアーシェを見ていたバルフレアだが、それ以上言葉が続かないことを確認して侯爵に声をかけた。

 

「それはそうと、王女様を助けた謝礼はあんたに請求すりゃあいいのか?

 まずは食事だ、最高級のやつをな」

「用意させよう。少々時間がかかるが?」

「だったらそれまで風呂にでも入るさ。いくらか冷や汗かかされたからな。

 おう、あとは着替えもいるな」

 

 バルフレアとオンドール侯爵が話をしている横を、アーシェが俯きながら歩いていく。どこか思い詰めた様子にヴァンがその背を目で追う。

 

「ヴァン、行くぞ」

「あ、うん」

 

 話が終わったのか、バルフレアがヴァンの肩を叩いて促す。連れだって四人が部屋を出て行くのを見送って、一人残ったバッシュにオンドール侯爵は向き直る。

 

「ローゼンバーグ将軍。貴殿に尋ねたいことがあるのだが」

「――白い髪の青年のことでしょうか」

「察していたか」

 

 バッシュはオンドール侯爵の視線が時折セロに向けられていることに気づいていた。侯爵はどこか懐かしそうに、ヴァンに背負われて部屋を出ていった、セロの姿を思い浮かべる。

 

「彼は若き頃のナブラディア王に瓜二つ。貴殿が側にいるのもそのためだと思っていたが……違うようだな」

「ええ、彼はダルマスカの民です」

「ダルマスカの、か」

 

 実際にセロに問いたださない以上、真実は解らない。だがヴァンと出会ってから、セロは彼らの家族として生活していた。巻き込み、巻き込まれた関係ではあるが、バッシュはできる限りセロ達を政争に関わらせたくはなかった。

 

「今までアズラス将軍が彼に気づかなかったことは気にかかるが――貴殿がそう言うのならば私も触れるまい。必要ならば保護もしよう、部屋でゆっくり休ませるといい」

「――感謝を」

 

 

 

 *

 

 

 

 ヴァンが格納庫に足を運んだのは偶然だった。飛空挺が好きな彼は、パンネロにセロを任せて格納庫からシュトラールを眺めていた。

 そのうち中も見たくなり、こっそりと入り込んだヴァンの耳に届いたのは、なにやらカチャカチャという音。コクピットをのぞき込んでみれば、肩だけだが見覚えのある人影がある。

「何やってんだよ。これ、バルフレアの飛空艇(ふね)だぞ」

 

 声を掛けられたアーシェは肩を振るわせて操作をする手を止める。ちらりと振り向いた彼女の顔は、強ばっているが少しの罪悪感がヴァンには見て取れた。

 

「『暁の断片』を取りに行くの。もうひとつの王家の証……在り処は知ってるから。

 ――飛空艇は後で返すわ」

「なんだよソレ!」

「私はやらなきゃいけないのよ! 死んでいった者たちのためにも! なのに、隠れていろなんて!

 ――ひとりで戦う覚悟はあるわ」

「ひとりって――バッシュは!」

 

 アーシェの言葉にヴァンは声を荒げた。目の前の人間は、まだバッシュを信じていない。そう考えただけでヴァンの目の前は真っ赤になった。

 ひとりでどうにかなる問題ではないということは、政治に疎いヴァンも解っている。アーシェも焦っていることも理解している。だが、ヴァンは自分の手に負えない問題は、ミゲロやセロに相談していた。そうすることで、自分にはない視点で解決することができることを、セロに教わっていたからだ。

 それなのに、目の前の王女は頼った侯爵に相談もせずに自殺行為をしている。ヴァンは溢れそうになる怒りを拳を握りしめて押し止めた。

 

「だいたい人の飛空艇(ふね)を勝手に――王女のくせになんだよ、お前!」

「『お前』はやめて!」

「――それぐらいになさい、殿下」

 

 もはや互いに興奮状態に陥り、物理的にぶつかるのも時間の問題だったそのとき、オンドール候の静かな声が機内に響いた。

 驚いた二人が振り返ると、バルフレアがコクピットの入り口にもたれ掛かりながら立っていた。その手には今し方オンドール候の声を出したのだろう、変声機を持っている。

 

「――なんてな。驚いたろ?」

 

 バルフレアは二人から視線を外して、変声機を片手で操作している。

 

「仕事がらこういうのがあると何かと便利でね。――『お前』はやめて」

 

 アーシェの声を使って、セリフを真似するバルフレアは小さく笑みを浮かべる。しかし、その目は全く笑っておらず、ヴァンは彼が怒っていることに気づいた。

 

「侯爵に引き渡す」

「待ってください!」

「その方があんたのためだ」

 

 引き留めるアーシェの声に振り返りもせず、バルフレアはゆっくりとコクピットから出ていく。焦りの表情を浮かべたアーシェは、彼らを巻き込む言葉を発した。

 

「では――誘拐してください! あなた空賊なんでしょう!? 盗んでください! 私を、ここから!」

「オレに何の得がある」

「覇王の財宝……『暁の断片』があるのは、レイスウォール王の墓所なんです」

「あのレイスウォールか?」

 

 嫌そうに聞いていたバルフレアは、アーシェから出た言葉に振り返り口笛を吹いた。

 覇王レイスウォール。今から七百年ほど前の古代ガルテア時代末期において、イヴァリース全土を一代で統一した覇王がいた。その後四百年続くガルテア連邦を樹立した彼の覇王の墓と考えると、空賊であるバルフレアの興味を引くのに十分だった。

 

「そしてきみにかかる賞金も跳ね上がる。なにしろ王族の誘拐となれば重罪だ」

「煽った家来も同罪だろうなぁ」

 

 コクピットに入ってきたバッシュの言葉に悪態をつくバルフレア。バッシュはそのままアーシェの前まで歩いていく。二人の視線が交差する。

 

「ウォースラに代わり同行します」

 

 真っ直ぐアーシェを見つめるバッシュに、彼女は小さくだが頷いた。アーシェはまだ彼を信じられなかったが、今は何よりも戦力が必要と拒む言葉を飲み込んだ。

 

「ヴァンたちはどうするの? セロもいるし、ここに残る?」

「ちなみにセロを連れていくのは却下だ。行き先は砂漠でしかも墓所ときた。全員で自殺しに行くようなもんだ」

「セロのことは侯爵にも話している。ここに残っても――彼共々保護してくれるだろう」

 

 フランやバルフレア、バッシュの言葉に思案するヴァンだったが、しっかりとフランの目を見据えた。

 

「――行くよ。セロは気になるけど、俺も、行きたい」

 

 ヴァンなりに、王女につき合わされるバルフレア達が心配だった。それに、彼らには何度も助けて貰った恩がある。戦力くらいにはなるだろうと、彼はついていくことを決めた。

 

「じゃあ私も! ヴァンだけだと、心配」

「あのなぁ」

「セロさんなら、きっとヴァンと一緒に行けっていうもの」

 

 パンネロもヴァンの考えはわかっている。きっと彼はついていくだろうとも思っていた。恩を返したいのは彼女も同じで、無茶をしがちなヴァンが心配なのも本当だった。

 

「決まりね。侯爵に気づかれる前に発ちましょう――誘拐犯らしく、ね」

 

 フランの言葉に全員が頷き、出発の準備を始めていった。

 

 

 



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第十一話 離別の道

 

 アルケイディア帝国、帝都アルケイディスの中心である皇帝宮。その謁見の場で、ゴホゴホと咳き込む老人が一人いた。彼こそがこの国の象徴である第十一代皇帝、グラミス・ガンナ・ソリドール。しかしグラミスは死の病にその身を侵され、余命もそれほど残されていなかった。

 

 自らの寿命を悟るグラミスの懸念は、自らが死した後の帝国の行方についてだ。グラミスには現在二人の息子、ヴェインとラーサーがいる。ヴェインは既に軍事について頭角を現しており、グラミスから見て政治に対する才も併せ持っている。ラーサーもそんな兄を慕い、ヴェインを支えようと知識を貪欲に学んでいる。ヴェインも弟を慈しみ、何かと手を回してラーサーが健やかに育つようにと気を配っていた。

 

 実に仲の良い兄弟であり、互いを支えあうことを目標とする二人の息子は、政治の主導権を狙う元老院によってその関係に亀裂を入れられようとしている。

 

 グラミスは、先ほど報告に訪れたジャッジ・ガブラスを思い浮かべた。信頼の置けるガブラスにヴェインの監視を任せたこと、それが正しい判断なのかグラミスは分からなくなっている。

 ヴェインからの資金の援助が確認できた、ドクター・シドのドラクロア研究所とナブディスの壊滅の件。作戦を指揮したジャッジ・ゼクトが行方不明のために真相こそ不明だが、どちらもヴェインの息が掛かっているのは間違いがない。

 

 ヴェインは目的のためなら情すら切り捨てられる男だ。そうなる様に、グラミスが仕向けた。ヴェインは幼い頃はとても感情豊かな子供で、ラーサーのように誰もがつい気を許してしまうような、そんな穏やかさを持っていた。

 

 それが一転したのは、グラミスが彼にある命令を下した時。元老院に操られる駒と化し、争いを始めた長男と次男をソリドール家の為という名目で断罪を命じた――それ以来、ヴェインは率直に感情を表さなくなった。

 誰にも付け入る隙を与えぬように、全てを完璧にこなす様になった。

 

 兄を討つ命令を与えたことで、皇族として政治家としてヴェインは完璧となる。必要であれば犠牲を許容できる、上に立つものとして相応しい資質を手に入れた。それはグラミスさえも、息子の考えを読めぬほどに。

 

 だが、その有能さが元老院を恐れさせ、未だ幼いラーサーを皇帝につけようと動き出す切欠となる。

 

 外にばかり目を向け、戦火を拡大し内政を疎かにしていたグラミスの失策が、元老院の助長を呼び息子達を争わせ……今また同じことを繰り返そうとしている。

 

「――余は、あといくつ誤れば正しき道に気づくのだろうな。命尽きるまで、あと如何程か」

 

 呟くグラミスの後悔を滲ませた声に、答える声はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァン達一行は、旧ダルマスカ王国の西側に位置する西ダルマスカ砂漠にたどり着いていた。大砂海オグル・エンサとの境である西境界壁にシュトラールのアンカーを下ろし、整備士であるモーグリ達に留守番を頼んだ。

 砂漠を渡る全員が飛空艇から降りた後、バルフレアは艇の保護のシステムを起動させる。みるみるうちに周りの風景と一体化していくシュトラールに、パンネロが感嘆の声を上げた。

 

「これも仕事柄ですか」

「有名人のつらいところさ。こうでもしないと、すぐに見つかる」

 

 呆れた表情でバルフレアを見るアーシェ。その視線を不敵な笑みで受け流しながら、バルフレアは懐にリモコンをしまいこんだ。

 街にあるエアポートでは預けられた飛空艇に持ち主以外が近づけば、警備員が対処してくれる。だが、ここは誰が通ったかも分からない荒野、そんなところに泊めていれば盗もうとする輩の一人や二人は湧いてくるのが普通だ。

 一般に流通していない珍しい型番のシュトラールであれば尚更のこと、盗難防止に力を入れるのは当たり前だった。

 

「さて、飛空艇はここまでだ。この先は『ヤクト』だからな」

「砂の海を越えて、死者の谷に向かいます。めざすレイスウォール王墓は、その奥に」

 

 オグル・エンサに続く道を見据えるバルフレアとアーシェ。この先の道のりに思いを馳せていた二人の耳に、ヴァンの軽い調子の声が届く。

 

「『ヤクト』ってのはさ、飛空石が働かない土地のこと。だから飛空艇で飛んでいけないんだ」

「飛空艇のことだけは詳しいのね」

「まあね、そりゃ空賊めざしてるし――って、おい! 『だけ』は余計だろ!」

「えぇー、ほんとじゃない。この前のあれ、セロさんに言っちゃおうかなー」

「ちょ、それは言うなって約束しただろ!」

「ふふ、冗談」

 

 ゆっくりとバルフレアとアーシェが振り返ると、無邪気に笑いあうヴァンとパンネロの姿があった。大砂海を越えるということがどれほど困難な道のりかを知ってか知らずか、砂漠育ちの子供達は気負いなど全く感じられない。

 

「道中、退屈しそうにないな」

「はぁ……」

 

 砂漠越えの前だというのに、疲れたように息を吐くアーシェをフランが宥めるように肩を叩く。驚いて振り返ったアーシェに、フランは小さく笑みを浮かべた。

 

「気負わないほうがいいわ。あの子たちみたいに笑っているほうが上手くいくものよ」

「フランにしちゃあ、楽観的な言葉だな」

「お母さんに影響されたみたい。……そういえば、貴女のことヴァンと双子の姉弟みたいだと言っていたわ」

 

 含むような笑みでアーシェを流し見たフランは、そのまま騒いでいるヴァン達の元へ歩いていく。

 

「双子……?」

「あんま気にすんな。最近、相棒の中で流行っているようでね。大方、あんたは『双子のお姉さん』ってところか」

 

 未だブームの廃る兆しの無さに、バルフレアはフランの好きにさせようと完全に諦めていた。普段あまり表情を動かさない相棒が、楽しげに笑っている……女性の笑顔を曇らせてまで止めさせたいものでもない。

 

「もしかして、『お母さん』は……」

「まあ、セロのことだな」

 

 微妙な顔でヴァン達を見るアーシェの声に彼女の否定してほしい気持ちを察するも、あっさり返すバルフレアだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔に掛かる日差しによって、セロは目を覚ました。細やかな細工が施された天井が彼の視界に映り、何事かと驚いて飛び起きる。寝心地の良いベッドはスプリングも利いているのか、飛び起きた勢いで少し弾んでいる。

 視線を横に移せば、腰までの高さのチェストの上に、洗濯がされたのか丁寧に畳まれたセロの服と、水差しとコップが用意されていた。とりあえずセロはベッドの上から降り、糊付けまでされている自分の服に腕を通す。

 

 セロが寝ていた部屋にはベッドの他に、寝転がれそうな大きさのソファーが二対と、艶のある木製のローテーブル、そして簡単な作業用の机と椅子があった。ソファーに座り、ふと浮かんだ疑問にセロは首を傾げる。

 今回、セロにこの部屋まで移動した記憶がないということは、アトモスで眠った後も起きなかったということだ。控えめに表現しても気絶したと言える。そのような場合、セロが目を覚ました時にはヴァンとパンネロのどちらかが傍におり、すぐに彼への説教が始まるはずだった。

 しかし、二人の姿は見当たらない。既に日も高くなっているため、買い物にでも出かけているのだろうかとセロが悩んでいると、扉をノックする音が聞こえた。

 どうぞ、とセロが声を掛けるとゆっくり扉が開く。其処に立っていたのはセロが予想していた弟達や空賊達ではなく、ウォースラ一人だった。

 

「目を覚ましていたのか。一日眠っていたと聞いたが」

「一日ですか……まあ、短いほうです」

「……もう少し自分の身体に気を配ったらどうだ」

 

 問題ないと言わんばかりのセロの言葉に、ウォースラは呆れた視線を向ける。扉を閉めてゆっくりソファーへ近づいた彼は、セロの耳元で囁いた。

 

「このままここに居れば、侯爵に利用されるだけだぞ」

 

 ひそめたウォースラの声に、セロは苛立ちが含まれていることに気が付いた。

 

「貴方は、侯爵を信用していないのだな」

「政治感覚に優れているのは理解している。だが、それは全てビュエルバの為に費やされるものであって、ダルマスカに向けられるものではない。

 我らダルマスカの民は侯爵に歓迎はされるだろう……帝国と剣を交わす戦力としてな」

 

 ウォースラは侯爵が病を理由に、ビュエルバの領主を退こうとする動きを耳にしていた。解放軍の協力者からその知らせを受けた当初は、アーシェ王女を手元に置いたからの行動かと、侯爵の元に身を寄せることに同意した己を悔いていたのだが……急いで駆け付けてみればアーシェ王女どころか空賊達の姿も見えず、セロが部屋で眠っているという知らせのみ。

 

 侯爵が動いた理由がアーシェ王女ではなかったことに安堵するウォースラであったが、彼女らが抜け出すことを見逃した理由はこの青年の存在があったからだろうと、彼は気が付いていた。

 

「自身の容姿については気が付いているか」

「ああ、ダラン爺に忠告をされた。顔を隠せと」

 

 あの爺さん本当に何者だろうとしかめっ面をするセロに、俺もわからんとウォースラも眉をひそめていた。ダルマスカの将軍すら正体がわからない爺さんだとはセロも思わず、まじまじとウォースラを見つめてしまう。居心地悪そうに視線をそらすウォースラだったが、ごほんと誤魔化すように咳をした。

 

「それで――貴殿はロザリアには引き渡されることはないだろうが……担ぐのに十分な神輿になる」

「王女さんのように?」

「否定はしない」

 

 セロの皮肉を込めた言葉にも、ウォースラは動じない。セロはバッシュとウォースラの違いにようやく気が付いたような心地になった。バッシュは国の為にならばどこまでも己を削ることができるように、ウォースラはそれが国の為になるのであればどこまでも冷徹になれるのだろう。ダルマスカの為ならば王族さえ利用する――そう迷いなく口にできるウォースラに、セロは好感を持った。

 

「わかった……ここを出よう」

 

 だからこそ、セロはウォースラの誘いに頷きを返した。たとえ自身の身柄を預ける先が、ビュエルバから帝国に代わるだけと気づいていても、それがダルマスカの……弟達の為になるのならかまわなかった。

 

「ただ、私がこの屋敷から出ることができるのだろうか?」

「――それは問題ないぞ、セロ」

 

 次に考えるべきは屋敷からの脱出方法について。何か方法はないかとウォースラに尋ねようとしたセロだったが、聞こえた声にドアの方向を振り向く。そこにはいつの間に部屋の中に入っていたのか、後ろ手でドアを閉めているハバーロの姿があった。

 

「ハバーロ、なぜここに」

「お前の様子を見に来たつもりだったのだがな。聞き耳を立てていれば、随分と面倒なことに巻き込まれているようじゃないか」

「それは、この前も言われたよ」

「また別件、だろう?」

 

 死んだはずの将軍にくっついてきたと思えば、オンドール侯爵に利用されようとしている知人に、ハバーロは苦笑するしかない。彼は軽く手に持っていた袋を持ち上げて見せると、セロへと投げ渡した。

 

「これは」

「カツラと解放軍のメンバーが着ている服だ。その髪を隠してこの服でアズラス将軍の後ろを歩いていれば、勝手に解放軍だと勘違いするだろうさ」

 

 袋の中には、黒髪のカツラと普段着に見えるが、さりげない場所にマークがある上着が入っている。解放軍であるハバーロが、今から逃げる相手に渡していいものではない。

 

「いいのか」

「なーに、明日から違うデザインになるんでな。お前に処分を押し付けてるだけだぜ」

 

 ハバーロはビュエルバの解放軍のリーダーだ。実際のリーダーはオンドール候の為、表向きのという但し書きはつくとしても、セロを逃がすことが解放軍を不利にするのであれば、それは裏切り行為となる。

 彼も理性では友人とはいえセロに手を貸すことは、取ってはいけない選択肢だと理解している。だが、一般人として暮らしている民を巻き込む行為を、是としないだけの誇りは持っているつもりであった。

 

 セロはハバーロの気遣いに感謝し、素早く服を着込む。髪をまとめてカツラを被り、鏡で具合をチェックしていると、ふと笑い声がセロの口から洩れた。

 

「どうした」

「いや――懐かしいなと思っただけだ」

 

 鏡を見ながら自分の黒い髪をいじる……それは、一年前までは『彼女』が毎日のように行っていたことだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 オンドール候の屋敷を出て、セロとウォースラはエアターミナルへと歩いていた。無言で進むウォースラの後ろを、セロも沈黙を保ったままついていく。ターミナル内の格納庫の一つに二人が入ると、ウォースラはようやく立ち止まった。

 

「時間通りですな、アズラス将軍」

 

 小型の飛空艇から姿を現し、二人に向かって声を掛けたのは、ジャッジ・ギースだった。彼は鎧のこすれる音を響かせながら、ウォースラの前を通り過ぎ、セロに向かって一礼した。

 

「前にお会いした時は申し訳なくも気づきませんでしたが――オリバー・シモレット殿、ヴェイン様のご命令によりお迎えに参りました」

 

 戸惑いの表情を浮かべていたセロは、ギースの言葉に眉をひそめた。セロが『オリバー・シモレット』という名前で装飾品を作成していることは、ヴァン達と仲介役となってくれたミゲロ達、後は数少ない友人達のみ。敢えて吹聴するような人はいないとセロは考えている。

 

「何故、その名前を――それに、次期皇帝がどうして私を迎えに来させる」

「半年前のあの事件、捜査を担当したのが私なのですよ。ヴェイン様のお名前ではお分かりにならないのであれば、『エレン』という名ではいかがかな?」

 

 ジャッジ・ギースの声に、セロは表情を固まらせた。そして彼の脳裏に、友人である『エレン』の声が再生される。

 

『私の仕事か? ……そうだな、現場監督が近いか』

『はっはっは! エレンが現場監督か! ククッ……わしは機械整備士というところかな』

『エレンにルーファス……絶対ウソでしょう』

 

 あの日、朗らかに笑っていた『エレン』が、アルケイディア帝国次期皇帝候補『ヴェイン・カルダス・ソリドール』だとセロはようやく気がついた。随分上等な現場監督だなと痛む米神をセロが揉んでいると、はたともう一人の友人についても彼は疑問に思ってしまった。そう、『ルーファス』も帝国の上層部なのではないかと。

 

「まさか、ルーファスも」

「ああ、ドクター・シドのことだと伺っていますな」

 

 できれば否定の言葉を聞きたいセロだったが、無情にもジャッジ・ギースは正解をセロに告げた。自身の友人がドクター・シドという悪名高い科学者と知り、セロは余計に頭が痛くなった。

 

「ご気分がすぐれないのであれば、すぐに船室へご案内しましょう」

「そう、ですね。本当に……少し休みたいです」

 

 ジャッジ・ギースの気遣いにありがたくセロは頷き、先ほどからじっと様子を眺めてたウォースラに向き直った。

 

「貴方は、これからどうする」

「殿下の後を追う。チョコボを使えば今からでも追いつくだろう」

 

 途中まで送ってもらえるようだからな、と肩をすくめるウォースラにセロは苦笑いを浮かべた。帝国のジャッジマスターの前で今後の行動を言う――つまり、ウォースラと今の帝国は繋がっている。

 

 それはアーシェに対する裏切りで――ただ、彼はどこまでもダルマスカの為と自分の信念を貫いていた。

 

「きっと弟が殿下と一緒にいると思う。少しで良い、気にかけてやってくれないか」

「――一緒にいる空賊がどうにかすると思うがな」

「ああ、彼は随分とお人よしのようだからな……でも、頼む」

 

 これからきっと、セロは帝国の首都かヴェインの元へ連れて行かれる。そうなれば容易く外に出ることも難しくなり、ヴァン達に再会することもしばらくはできないと彼は考えていた。

 

 その間、弟達が無謀な侵入をしないように、誰かに見張っていてほしい。セロはそうウォースラに願っていた。

 ウォースラは黙って後ろを向き、少しで良ければ気にかけようと呟くと格納庫から出ていった。

 

「シモレット殿、リヴァイアサンの艦内をご案内いたしましょう。といっても貴殿はすでにご存じでしょうが」

「ああ、下手な新兵よりも知っていると思うな」

 

 ウォースラの去った方向を眺めていたセロだったが、ジャッジ・ギースの言葉に振り返り彼の後をついていった。

 

 



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第十二話 《過去》結ばれた縁

休みだーッ!……というテンションで書きました。テンションは重要。


 

 

 リヴァイアサンの艇内にある一室。豪奢な家具が配置された貴賓室のソファーで、セロは全身を弛緩させて寝転がっていた。

 彼の頭にあるのは、公的な正体が判明した友人たちのこと。二人の身分を思えば名を偽っていた理由も察することができる。だがそれで感情が納得できるかどうかは別物であった。

 セロは寝返りを打ち瞼を閉じる。友人たちとの付き合いはそれほど長い訳ではない。ただ、このイヴァリースに迷い込んだセロが過ごした一年間、その初期に出会ったのだからヴァンやパンネロ、ミゲロ達の次に長い知り合いではある。彼らが向けてくれた親愛が偽りだとはセロも思ってはいないが、どこか突き放されたような気分ではあった。

 目元に手の甲をあてる。ひんやりとした温度に、一瞬セロは自身の手かどうか疑った。瞼を開ければ、血の気が引き硬質化した掌の皮膚が目に入る。セロが友人に会ったのはこの手がまだ柔らかかった頃で、こんな手になった理由も彼らが関係していた。

 天井に向かって手をかざし、彼は出会った当時の記憶を甦らせていた。

 

 

 

 *

 

 

 

「あれ、ミゲロさん何探してるの」

「ん? おお、カイツか。セロを見なかったかね?」

 

 キョロキョロと辺りを見回しているバンガ――ミゲロにカイツは声を掛けた。ミゲロはひと月前にカイツの兄貴分であるヴァンが連れてきた青年を探していた。

 

「セロ姉――じゃなかった、セロ兄なら倉庫にいたよ」

「……。まだ定着していないのかい」

「しょうがないじゃん、ダイイチインショーが姉ちゃんだったんだもん」

 

 穏やかな笑顔で、柔らかな声で丁寧に話す青年のことを、カイツは最初女性だと思っていた。初めて「セロ姉」と呼んだときの周囲の空気の凍り具合を、カイツはひと月経った今でも鮮明に思い出せる。

 

 ミゲロは口をとがらせたカイツに礼を言うと、倉庫の場所へ足を進める。倉庫の扉の前には掃除道具の一式が置かれており、中からもガタゴトと物を動かす音が聞こえていた。

 

「セロ、いるかい? お前に頼みたいことがあるんだが」

 

 ミゲロが声を掛けると倉庫から聞こえていた音が止まり、一人の男が入り口からそうっと姿を現した。

 

「いかがなさいました、ミゲロ様」

 

 柔らかな声で首を傾げた青年――セロにミゲロは苦笑を浮かべ、カイツが間違うのも無理はないと納得した。成人した男の仕草とは到底言えない柔らかい雰囲気は、青年を中性的に見せるには十分だ。

 

「セロ……言葉遣いが戻っているよ」

「あっ、申し訳あ……すみません、ミゲロさ……ん」

 

 指摘され慌てているセロの姿に、ミゲロは微笑ましげに目を細めた。未だに丁寧な言葉遣いが抜けない青年は、その穏やかな印象のせいで破落戸に絡まれやすい。先日もヴァン達の手で絡まれているセロを救出したばかり。そのことを思い出して、ミゲロはお使いをセロに頼んで良いものかどうか悩み始めた。

 

「ミゲロさん? あの?」

「おー、いたいた。ミゲロさん例の件なんだ――って、どうしたんだこれ」

「トマジ様」

「おいおいセロ、様付けはやめてくれって言っただろう。トマジ、な。はい復唱」

「ト、トマジ……さん」

「……先は長いな」

 

 顔を覗かせたトマジにセロはつい慣れた口調で返してしまう。未だに一般的な話し方に慣れない彼の肩を、トマジは軽く叩いた。

 

「む? トマジお前さんいつの間に来ていたんだね?」

「さっきからいたぜミゲロさん。何かまずいことでもあったのか?」

 

 ようやく気付いたミゲロに、トマジは呆れた。もしかしてこれは仕事をキャンセルした自分へのあてつけだろうかとトマジは邪推するが、ミゲロはそういったことをするバンガではない。それならば何かトラブルが発生したのかとミゲロを促してみれば、なにやら彼はチラチラとセロを見ていた。そのわかりやすい様子にトマジは状況を察する。

 

「ミゲロさん、過保護はよくないぜ」

「いや、しかしなあ、ヴァンが何を言うか」

「一々アイツに了解を得るつもりかよ? 任せないといけないんだろ? 今回俺は行けないし、ミゲロさん困っていただろうに」

「――私でミゲロさ……んのお力になれるのなら、何なりと」

 

 こそこそと話す二人に首を傾げていたが、自分の手を欲されているのだと察して意気込むセロの様子に、ミゲロは苦笑を浮かべる。弟分というよりも親鳥のようにセロを構うヴァンには、後でどうにか説得することを覚悟し、彼に頼みごとをすることを決めた。

 

「セロや、ちょっと帝国までおつかいを頼まれてくれないかね」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ミゲロにおつかいを頼まれたセロは、アルケイディア帝国の帝都にあるエアポート内を歩いていた。ダルマスカとは違い、帝国はヒュム族以外を見下す傾向にある。商売においてもそれが影響し、バンガ族であるミゲロはいつもトマジに代理を頼んでいた。今回、トマジに急用が入り帝国へ向かうことができなくなったため、多少の不安はあるもののセロに代理を頼んだのであった。

 

 セロはさり気なく周囲を観察しながら、書類を抱えてロビーを進む。事前に聞いていた通り、ダルマスカと比べてエアポート内にヒュム族以外は殆ど見ない。一部荷運びに従事しているバンガが数名見かけるだけであった。

 セロが生まれた世界と異なり、この世界は言語を操る知能を持つ種族が複数存在する。セロの世界と同じくサルから進化したと思われるヒュム族、爬虫類から進化したようなバンガ族、豚から進化したシーク族、ウサギから進化したようなモーグリ族にヴィエラ族。他にも多種多様な種族があるが、イヴァリース住人歴ひと月のセロはまだ知らなかった。

 

 エアポートから出ると、そこはセロの予想以上に近代的な街並みが広がっていた。空飛ぶ車というものが実現しているアルケイディスの方が進んでいるともいえた。魔法というものが存在する世界ゆえの光景に、セロは楽しげに口元を緩めた。

 

 

 

 意気揚々と取引先の道具屋に足を運んだセロだが、書類を店員に渡し内容を確認するといきなり謝罪された。

 

「それでは、入荷が明日まで伸びるということでしょうか」

「はい、荷車のルートを封鎖していた魔物は討伐されたとのことですから、明日の午後には届く予定です」

 

 申し訳なさそうな表情の店員にまた明日来ることを伝え、セロは店を出た。元々、アルケイディスには一泊するつもりではあった為待つことに問題はないが、明日の午後まで予定が空いてしまい、どう暇を潰そうかとセロは悩み始める。今は丁度午後のお茶の時間帯、昼食をまだとっていなかったセロは、テラス席のあるカフェに入っていった。

 

 

 

 *

 

 

 

「申し訳ございませんお客様。店内が込み合っておりまして、相席をお願いできませんでしょうか」

 

 テラス席でセロがメニューを眺めていると、ウェイターが声を掛けてくる。とくに断る理由もない為セロが了承すると、しばらくした後ウェイターに案内されて男が席に近づいてきた。黒髪に白髪が混じり始めた初老の男で、セロは彼の好奇心に輝く目が強く印象に残った。

 

「すまんな、折角の一人のところ」

「いいえ、私も店に入ったばかりですので」

 

 メニューを片手に微笑むセロを、面白ものを見たと言わんばかりに笑顔で男は席に座った。ウェイターからメニューを受け取った男はセロがまだ注文をしていないことに気づく。

 

「わしを待つ必要はないぞ?」

「……実は帝都は初めてで。何を頼もうか迷っているのです」

「ほう、あんた帝国民だと思ったが。ではわしのおすすめを頼んでみんか? 味は保障するぞ」

「是非」

 

 ウェイターを呼んで注文する男をセロは空腹に眉を下げながら目線を向けていたが、男の背後に陽炎のように揺らぐ陰を見た。成人男性よりも大きなその影は、男に近い位置にいるウェイターや周囲の様子を見る限り、セロにしか見えていないようだった。

 自分も気づかないふりをした方がいいのか、迷いながら再び陰に目を移したセロは、「影と視線が合った」ことに動揺し肩を震わせる。

 

 次の瞬間、飄々とした雰囲気を纏っていた男が鋭い視線をセロに突き刺した。注文を受けたウェイターは男の変化に気づかず、一礼して店内へと戻っていく。十分に距離が離れたことを確認してから、男は低い声で囁いた。

 

「あんた、見えておるな? ――ああ、返事はいらん。態度で十分に答えておるよ。

 ただ、食後はわしと散歩に付き合ってもらおう」

 

 セロは己が面倒事に巻き込まれた事を悟り、目を泳がせながら心の中でミゲロに帰りが遅くなりそうなことを詫びた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 あまり味のわからない昼食の後、セロは男のあとに続いて細い路地を歩いていた。明らかに薄暗い方へと向かっていることにセロも気づいていたが、男の後ろにいた影がいまはセロの後ろにいるため、逃げることはできそうにない。

 男は小さめのドアの前で立ち止まると、懐から鍵を取り出したドアを開ける。セロを手招きしながら中に入っていく男に、戸惑いながらもセロは続いた。

 

 扉が完全に閉まると、モーター音がノブの辺りで鳴り、ドアを開けようにもロックされているようだった。オートロックとはまた近代的な、と興味深く思ったセロはペタペタとドアをいじってみる。

 

「いつまでも玄関におらんでこちらに来んか」

「あ……すみません」

 

 ついてこないセロに気づいた男が玄関に戻ってきた。若干呆れが混ざっているのは、オートロックに興味を寄せていたセロについて、影が男に教えたのだろう。少し恥ずかしそうに俯きながら、セロはドアノブから手を放した。

 

 

 座り心地のよいソファーと、一枚板の広い机の上には何かの設計図が無造作に置かれている。紅茶の香りが漂うリビングで、セロはただただ困っていた。

 このソファーに座ってから、男はずっとセロを観察している。時折小さく呟いているため、もしかしたら影と話しているのかもしれないとセロは考えていた。

 セロはちらりと部屋にある時計を確認する。置時計の時刻が正しいのであれば、時間はすでに夕暮れを指しており、そろそろ宿を取らなければ安い宿の部屋が無くなってしまう。

 

「あの、私そろそろ宿をとるためにお暇をしたいと」

「ん? 今日は泊まってゆけ。すまんがまだあんたを解放できん」

 

 意を決して声を掛けたセロは、あっさり泊まることを決められ口をぽかんと開けた。

 

 「まだ」セロを解放できない理由は何かと考えて、セロはミゲロから聞いた帝都の住人は情報を重視するということを思い出す。恐らく男はセロの素性について調べているのだろう。

 だが、それは不可能であるとセロは知っている。世界になれることが精一杯で、誰にも話すことができなかった過去。今ではこれ以上心配をかけたくなくて、話すつもりもない『昔』のこと。

 ――その気になったのは、超常の存在がそこにいるからだろうかと、セロはちらりと男の背後の影に視線を向けた。

 

「いくら調べられても、私の情報は出てまいりません」

「何?」

「私がこの地に参りましたのがひと月ほど前のこと。それ以前を知るのはこの世で私のみにございます。お知りになりたいことがございましたら、どうぞ私に直接お尋ねください」

「――ひと月。ふふ、道理で全く情報が見つからんわけだ」

 

 ソファーの背にもたれかかって、額に手を当てて男は小さく笑う。

 

「この地というのはこの大陸という括りではないな? あんたがラバナスタに住む以前が全く辿れんが」

「そうですね、この世界……星なのか次元なのかは見当がつきませんが、同じ空の下に存在しなかったのは事実です」

「ほう、そこまで違うか。――ヴェーネス?」

『嘘は言っていない』

 

 楽しげな男の声に応えるように、影が男の横で揺れた。その声音は性別を感じさせないが、どことなく女性のような響きをセロは感じた。

 

『纏うミストにイヴァリースとは違う異質なものを感じる』

「ふむ……オキューリアが見えるのもその為か、いやまだ断定するには材料が足らんな」

「オキューリア?」

 

 聞き返したセロの声に男は一瞬だけ眉を顰める。厄介ごとの気配を感じとり、セロはなんでもないと首を横に振った。男はじっとセロを見つめていたが、自己紹介がまだだったか、と唐突に口にした。

 

「わしはルーファス、こっちはヴェーネスという。で、あんたをなんて呼べばいい?」

「あ、え、セロと申します」

「セロか、よろしく」

「よろしくお願いいたします……え、ええと?」

 

 手を取られ握手をされ、にこやかな笑顔を向けられたセロは、ルーファスと名乗った男からの突然の友好的な態度におろおろと困惑する。戸惑うセロの姿を好奇心にあふれた目で見つめていたルーファスは、パンと手を叩き仕切り直すように立ち上がった。

 

「よしセロ、先ほども言ったが今日は泊まってゆけ。アルケイディアの名物を食わせてやろう。まだまだ聞きたいことはたんとあるのでな!」

「……お手柔らかにお願いします」

 

 ここまで言われれば、自分の存在がルーファスの好奇心を打ち抜いてしまったのだとセロも気づく。少年のような目に恩人であるヴァンの姿が少し重なり、セロはくすくすと笑った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「君がセロか。私はエレン、ルーファスの友人だ。彼に質問攻めにされたそうだが……災難だったな」

「ひどい言い草だ、そう思わんかセロ? わしはちゃんと許可を得ておるというのに」

「ええ、まあ、そうですが……」

 

 次の日の朝、夜更けまで起きていたことが原因の寝不足で、多少ふら付いたセロがリビングに姿を現すと、金色の髪の美丈夫がソファーで寛ぎながら彼に声を掛けてきた。その正面に座ったルーファスが同じように寛いでいることを見れば、彼がエレンという青年にセロのことを話したのだろう。かけられた労りの言葉にルーファスがわざと悲しそうな表情を作っているが、寝不足になるほど容赦がなかったのは事実であるため、セロはそっと目線をそらした。

 

「どうやら意見の食い違いがあるようだが……立ち話をすることもないだろう、君も座ると良い」

「うむ。ついでにそこの袋も取ってくれんか」

「これですか? ――はい、どうぞ」

 

 執務机の上に置かれた茶色い紙袋をルーファスに手渡し、セロはその隣に座る。ルーファスは袋からパンやサンドイッチを出す。どうやら朝食のつもりなのか、彼はセロにもサンドイッチを渡した。

 

「エレンのおすすめの店だ。フライのソースがなんとも言えんうまさだぞ」

「ありがとうございます。――まあ、美味しい」

 

 勧められるがままにサンドイッチに齧り付いたセロは、サクサクとしたフライとそのソースの旨味に顔を綻ばせる。

 

「気に入ったかね、エレンに買ってこさせた甲斐があったな」

「えッ」

「ああ、気にせずとも良い。用事があったついでのようなものだ」

 

 自分が泊まったせいで人を使い走りにさせたのかと、緩んでいた顔を青ざめさせたセロに、エレンは手を振って苦笑いで否定する。どうもこの青年は友人にとって良いからかい相手と目をつけられてしまったようだ。ほっとした表情のセロを見てニヤニヤ笑っているルーファス。素直そうな彼がひねくれないことをエレンは願った。

 

 

 食べ終わった片付けを手伝った後、ルーファスが入れたお茶を飲んでセロは一息をついた。眠気は流石に覚めてはいるが、疲労感が抜けることはない。ラバナスタよりも『元の環境』に近いとはいえ、見知らぬ景色というものに気疲れしているのだろう、とセロは考えた。

 そんな様子を見逃さなかったエレンは、視線でルーファスを咎める。だが、ルーファスは肩をすくめるだけでそこに反省は見られなかった。

 

「君は確か午後に用事があったのだったな」

「はい。元々昨日用事が済む予定だったのですが、それも午後には終わるようですので」

「つまりラバナスタに戻るということか……つまらんな」

 

 まだまだ聞くことがある、と眉間にしわを寄せてまで唸る彼に、セロは困ったように微笑むしかない。このままラバナスタに帰してもらえないのではないかと、セロだけでなくエレンまでも危惧していたとき、唐突にルーファスの表情が晴れた。

 

「セロ、あんたのその言葉遣いを矯正せねばならん」

「私の言葉遣い、ですか?」

「ああ。十八にもなる男がそんななよっとした口調でどうする。破落戸まで砕けろとは言わんが、エレン程度は必要だろう?

 ――そこでだ。わしとエレンがあんたの口調を矯正してやろう。なに、用事のついでにこの家に寄ればいい! なんなら宿屋替わりに食事もつくぞ!」

 

 両手を掴みまくしたてるように笑顔で言うルーファス。その勢いに思わず頷いてしまったセロと、嬉しそうに掴んだ手を上下に振っているルーファスを、呆れた顔でエレンは見ていた。

 

 

 イヴァリースに来て一月。セロは自分の出自を知る『友人』を手に入れた。

 

 

 

 

 



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第十三話 《過去》 陰り

 ミゲロのおつかいで帝国を訪れ、そこで出会った男達――ルーファスとエレン、そしてヴェーネスとなし崩しに友人となったセロ。彼はミゲロの店の前に置いてある木箱に腰掛け、小刀でなにやら木を削っていた。

 

「よう、セロ。なにやってんだ?」

「んん? ああ、なんだトマジか。装飾品を作っているのだよ」

 

 通りかかったトマジが声を掛けると、セロは顔を上げて作業の手を止めた。馬鹿丁寧だった「以前」とは違い、こちらを向いてからりと笑う彼の姿に成長を感じ、トマジの胸にしみじみとしたものが満ちる。帝国へお使いを任せてから三ヶ月、あれ以来トマジは仕事場である酒場――実は副業――が忙しくなったこともあり、帝国へ商品を納入しに行く役目はセロが専任となっている。不慣れな彼に任せきりになることをトマジは心苦しく思っていたが、その経験が良かったのかセロの口調は年相応と言うには落ち着きすぎているものの、破落戸には絡まれない程度には崩れるようになった。

 

「へぇ、木彫りのペンダントか。器用だな」

「ふふふ、最近はきちんと効果も出るようになったのだぞ。まだまだ実用にはほど遠いがな」

「……まて、そっちの意味の装飾品だと?」

 

 手元をのぞき込んできたトマジに、セロは嬉しそうに胸を張った。そんな彼の言葉に唖然とした表情をトマジは浮かべた。

 ただのペンダントと”装飾品の効果がある”ペンダント。この二つの差は非常に大きく、前者が素人でも――たとえどれほどペンダントとは見えなくても――作成できるのに対し、後者は「魔石の加工技術」を必要とする。属性の異なる魔石をパズルのように組み合わせ、魔力が流れる複雑極まりない回路を組み込み、任意の効果を作り出す――その作成難易度は効果が高く珍しいものほど、現代の技術では再現が不可能なほどである。

 実用可能ではないとはいえ、効果を実感できるほどの”装飾品”を作り出せるようになるには、センスと途方もない修行期間を必要とする、という認識が一般的だった。

 

「おま、どこで覚えてきたそんな技術」

「え? 帝国でできた友人が教えてくれたが」

 

 きょとんとした表情のセロを見て、トマジは内心でありえねぇ、と全力で彼を怒鳴りつけた。

 魔石加工の技術は装飾品職人達によって秘匿されている。魔石を加工して効果を生み出すこと自体は、飛空挺の例を挙げるように装飾品職人達以外でも可能だ。しかし、高い効果と魔石や魔力回路の縮小化の両立となると、装飾品職人でなければ知ることができない。

 それを、友人とは教えられたセロがどれほど幸運なのか、言うまでもないだろう。

 そして普通の常識と良識を持っているのならば、軽々しく友人とはいえ「他人」に教えることはない。秘匿技術の漏洩は装飾品職人達の地位の転落を意味するからだ。そこまで考えてトマジは天を仰ぐ。帝国の友人とやらの異質さは、彼にもその行動ひとつで十分に理解できた。一筋縄では行かないだろう存在に、世間ずれしたセロが巻き込まれないかと、最初の安堵が幻のように不安が沸き上がってくる。

 

「セロー、ミゲロさんが……って、トマジ」

「ヴァン。お前しっかりセロを見てろよ」

「え、あ、おう」

「……私が頼りないのは事実だが、いきなりなんだ」

 

 店の中から顔を出したヴァンの肩をがしりと掴み、真顔で忠告をするトマジ。そのあまりの真剣さに腰が引き気味のヴァンと、どうしてそういう発言に至ったのか理解していないセロを見て、トマジはミゲロにもしっかり伝えておこうと心に決めたのだった。

 

 トマジが肩から手を離したことで、ヴァンはほっと息を吐いた。なんだったのだろうか今のは、と疑問に思う彼だったが、聞けばまたあの妙な威圧感を向けられると思えば、尋ねるという選択肢は彼の中から早々に消えた。

 そうだセロ、とヴァンは店から出てきた用事を思いだし、手に持っていたものを彼に手渡した。

 

「ん、ピピオの実か。ミゲロさんに貰ったのかよ」

「うん。セロの分も貰ったから食べようと、おも……」

 

 ヴァンの手の中にあるいくつかの小さい実を見て、おやつ用かとトマジは納得した。だが言葉が途中で途切れさせたヴァンを不思議に思い、視線をあげれば顔色を青ざめさせたセロが顔を強ばらせているのが見える。

 

「そ、その果物は……」

「……やべ」

「おいおいどうしたセロ、腹なんかおさえて?」

 

 いや、と首を振るセロ。何か体調不良ではないようだが、未だその顔色は悪い。トマジはヴァンを指で呼び、何が原因だと耳元で尋ねた。

 

「いや、前にもミゲロさんがピピオの実を買ってきたことがあって」

「ああ、チョコボ用に捌けるからってよく仕入れてくるよな」

「それが相手側のミスで在庫が余っててさ、俺たちに好きなだけ食えって言ってて……でも飽きるだろ?」

「飽きるな」

「残って痛んできたのを別の篭に入れていたんだけど、セロそれ知らずに食べてさ」

「……それで腹を壊したと」

 

 トラウマになってるじゃねえか、とトマジは青い顔のセロが腹部に手を当てている理由が解った。そしてセロの「育ちの良さ」に苦笑いを浮かべるしかなかった。痛んだ果物なんざ、ラバナスタのそこら中の店で売っている。痛んでいるとはいえ煮込めばジャムとして食べられるため、安いからと痛んでいることが解って買う客もいる。痛んでいる果物かそうでないかの判断は、ラバナスタでは十にも満たない子供でもできることだった。

 できないのは一部の、痛んだ果物なんか見ることがない富裕層だけ。生まれて初めて食べてはいけないモノを理解したのならば、あれほど警戒するのは当然だとトマジは納得する。

 

「そんなに怖がらなくてもこれは大丈夫だぞ、ほらここの部分が青いだろ。これは丁度一番美味い時のちょっと手前だな、間違っても腹は壊さないから」

「と、トマジ」

「食え」

 

 トマジは強引にセロの手の中へピピオの実を押しつける。受け取ってしまったセロは、トマジに突き返すこともそれを食べることも、はたまた捨てることもできずに、手の中のピピルの実とトマジを交互に視線を向けていた。

 情けなくも眉尻を下げ、困りきった表情のセロを見かねたヴァンは、彼に向かって手を差し出す。

 

「無理して食わなくていいって。俺、ピピオの実好きだからさ」

「こらヴァン」

「ジャムなら食えるかもしれないだろ。そこからならせばいいよ」

 

 それでいいだろ、とトマジの顔を伺うヴァンに、彼は盛大にため息をつくことで返答した。了承を得たヴァンが、ほら、とピピオの実を手にしたままのセロに再度手を差し出す。その手をじっと見つめているセロ。

 

「あ」

「お、よくやったな」

 

 なにやら決意した表情で口にピピオの実を放り込んだセロに向かって、トマジがパチパチと手を叩く。ひきつった顔で租借していたセロが、ごくりと喉を動かした。

 にやりと笑いつつ、感想はどうだとトマジが問えば、何も味が解らなかったと返し、セロは空笑いをする。

 

「まー、次は味わえばいい。まだあるぞ」

「も、もう少しだけ休んでもいいかな?」

 

 一つ果物を食べるだけで随分と気力を消費してしまったセロは、追加を渡してこようとするトマジから一歩後ろに離れる。しかし、横からひょいと延びてきたヴァンの手から反射的に実を受け取ってしまい、情けない表情で弟分を見た。

 がんばれ、と真剣な顔で応援するヴァンに、負けたセロがピピオの実を口に入れるの光景に、トマジは喉で笑った。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

「ヴェ……おっといかん。エレン、セロが帝都にくるそうだ!」

「……ルーファス、とりあえず扉は蹴破らないでくれないか。君の家だとしても、だ」

 

 ルーファスの隠れ家、そのリビングでくつろいでいたエレンは、騒々しく現れた友人に苦笑いを浮かべる。右手に薄茶色の手紙を摘み、片足を前方につきだしたまま片目を瞑ってみせた彼は、堅いことを言うなと笑い飛ばした。

 

「それで、いつ来ると?」

「今日だ」

「……手紙が届いたのは?」

「一週間ほど前のようだ。いや、まさか書類の下敷きになっているとは思わんかった」

 

 肩を竦めるルーファスに、エレンは軽くこめかみを揉み解した。下手をすれば時間がとれずに、予め連絡をしてくれていたにも関わらず、遠出してきた友人と会えない羽目になっていたかもしれないのだから。奔放さは彼の魅力ではあるが、時折たしなめたくなるのは自身の心が狭いからではないだろう、とエレンは小さく笑った。

 

「手紙によると昼までにはここにくるそうだ、それから外に食べに行かんか?」

「そうだな、まだ彼を連れていったことがない店はどこだったか……」

「あれはどうだ、魚料理が美味いところの」

「この前も魚だったぞ、それより良い薫製をするところがある」

 

 年若い友人をどうもてなそうかと、二人は笑いながら話し合う。

 だが、昼を過ぎてもセロがルーファスの家のベルを鳴らすことはなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――少し時間は遡る。

 アルケイディアにたどり着き、空港を出たセロはまずはミゲロから頼まれた使いを先にすまそうと、道具屋を尋ねた。特に荷物の遅れなどもなく契約書の取り交わしを終え、買い付けた荷を配達業者に任せた後は彼の自由時間だ。抱えた荷物に視線を向け、今回も商品になればいいなとセロは口元をほころばせた。

 彼が抱えているのは、自ら作成した装飾品の新作である。ルーファスと出会ってから学んだ技術は、今ではどうにか売り物になる程度の習熟を得ていた。自分が世間ずれしていると自覚しているセロは、自らの技術で糧を得ることができるようになったことを、心から喜んでいた。

 セロがこの世界に迷い込んでからもう半年となる。最初は手洗いの方法すら解らなかった。訝しげにヴァンに見つめられつつ、羞恥に気を失いそうになりながらもどうにか方法を教わったことは、今でも彼のトラウマとなっている。

 元の世界で「彼女」はアルバイトをしたことがなく、働くことは生まれて初めて。ミゲロの店番一つでも、商品の内容すら見たこともないものばかりで、最初は全く戦力となるどころか、遙かに年下の子供たちに付きっきりで教わる始末。それでも拾ってくれた恩を少しでも返せるようにと、セロは必死でこちらの常識を覚えていった。孤児であるヴァンが、パンネロが、店主であるミゲロが、裕福ではないと知っていればなおさら。

 

 ようやく、ようやく。セロは目を細めて建物に区切られた青空を見た。

 

 持参してきた作品は、すべて良い値が付いた。売り手と買い手が共に笑顔で握手ができたくらいに。にやけそうになる表情を押さえながら、少し軽い足取りで友人の家へとさらなる一歩を踏み出す。

 

 細い横道の側を通り過ぎようとした時、彼は暗い道に引き吊り込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カチカチ、と時計の秒針が刻む音が妙に気に障る。ルーファスは苛立たしげに時計を見上げた。時刻は正午をとっくのとうに過ぎ、すでに短針が二つほど進んでしまっている。

 なにかあったな、とエレンが呟く声にルーファスは舌打ちをした。

 

「私たちの事情に巻き込んだ……というわけではないだろう」

「ああ、未だにこの秘密基地すら嗅ぎつかれておらん。となると、セロを狙う理由があるということだが……それによっては面倒なことになるぞ」

「まったくだ」

 

 そして二人は同時にため息をついた。友人であるセロにいはいくつかの秘密がある。そのなかでもっとも世間に漏れていけないことは、「ナブラディア王に瓜二つ」という容姿であること。これが発覚した途端、反乱軍からも帝国からも、大砂丘を越えたロザリアからも彼はその身を狙われる。

 そうならぬように、エレンが――ヴェインが手を回していたというのに。

 

「一度私は戻る。君は」

「ここで待機だな。わかっとるよ」

 

 片手で持った書類を振りながら、ルーファス――ドクター・シドはどっかりとソファーに腰を降ろした。これからは自分ではなくヴェインの領分だ。権力で彼が動かせない公的な集団など、ほとんど存在しないのだから。

 

「わしは彼にルーファスと呼ばれることが気に入っておる」

「私とて、そうさ」

 

 友の声援を背に受けて、ヴェインは微かに笑い――そして皇子としての顔で扉をくぐっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひやりとした平らな感触、それが頬に当たっていることを感じてセロは薄目を開けた。視界に映ったのはこちらをのぞき込んでいる茶色い髪の子供。セロと目が合うなり、跳び退いた少年に驚いて目を丸くしていると、少年は壁に背中を打ったのかいてっ、と小さく悲鳴を上げた。

 

「――大丈夫か?」

「へーきだ……たぶん」

 

 思わずセロが心配すれば、さすろうとしているのだろう、少年は背中に手を伸ばしていた。その手が動く度に、硬質な音が辺りに響く。原因は、少年の両手につけられた鎖付きの手枷であった。

 

 目を見張るセロの視線に気づいた少年は、お兄さんにもついているよと指で示した。それをたどってセロが視線を動かせば、目に入るのは少年よりも厳重に拘束された両手だった。

 

「一体……ここはどこなんだ」

「とある貴族様の屋敷だよ。窓もないし僕も気づいたらここにいたから正確にはわからないけど、地下牢ってところじゃないの」

 

 少年の言葉にセロが周囲を見回す。太い金属製の格子、布団代わりなのか畳まれ積み重なった毛布、そして牢の端には壷が置いてあった。セロは寝転がった体制から身体を起こす。妙に頭がくらくらとするのは、連れ浚われる際に薬剤でも使用されたのだろう。足もがっちりと拘束されていたため、這いずるようにして壁まで移動し、背を預けた。

 

「君も連れてこられたと言っていたが、どうしてここが貴族の家だとわかるんだい」

「そりゃあ、屋敷の主に会ったからだよ。僕は会いたくもなかったけどね」

 

 ふん、と鼻を鳴らす少年は、セロと向かい合う場所に移動し、腰を降ろした。

 

「お兄さんって、装飾品職人だろ」

「それは」

「ここに連れてこられる人は、大抵そうだからね。あのロクデナシに目を付けられるってことは、有望だってことだよ。おめでとう」

「……ありがとう、と言った方が?」

「皮肉をまともに受け取らないでくれる。言ったこっちが馬鹿みたいだから」

 

 徐々に言葉が辛辣になっていく少年を、セロはまじまじと見つめる。年の頃は十を少しばかり過ぎたくらいか、幼い顔には不似合いな、鋭い目をした少年だった。立ち振るまいは上流階級のというほどに洗練はされていないが、裕福な暮らしが伺えるほどには丁寧なもの。なぜこんな地下牢に少年が捕らわれているのか。

 

「どうして少年はここに、君も装飾品職人なのか」

「違うよ。まあ、兄はそうだけどね。僕がここにいる理由は簡単さ」

 

 じゃり、と少年の手枷から鳴る音が妙に響く。

 

「人質なんだよ」

 

 

 



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第十四話 《過去》信頼

第十四話 《過去》信頼

 

「ヴェイン様が?」

「はい。供も連れずにこちらへ向かわれていらっしゃるとのことです」

 

 書類を捲る手を止め、ジャッジ・ギースは秘書の言葉に顔を上げた。元老院──年齢の高さと持つ知識だけは上の方々──に多々横やりを入れられてはいるが、ヴェインは皇位継承第一位の身分に比べてフットワークが軽い。姿が見えないと思えば、いつの間にか自室でカップを片手に執務をしていたりする。皇子自身も非常に才のある武人でもあるため、ジャッジ『程度』なら余裕で巻いてしまうのが第三皇子付きの兵士達の悩みであった。

 

「これは、ヴェイン様。このような所まで足を運ばれるとは──お呼びくだされば参りましたのに」

「なに、ついでのようなものだ。私もたまには動かねば、身体が鈍ってしまうからな」

 

 公安総局、第十三局にあるジャッジ・マスターの執務室、応接用のソファーに座ったままヴェインはにこやかに言った。反対側に断りを入れてから腰を降ろしたジャッジ・ギースは、紅茶を持ってきた副官に目配せをする。副官は一礼した後、執務室を退出した。

 

「早速ですまないが……卿に訪ねたいことがあるのだ」

「なんなりと」

「装飾品に関わる事件など耳にしていまいか?」

「窃盗でしょうか?」

「そうではない、職人の行方がわからなくなった、ということはあるかな」

 

 扉が閉まる音の後、発せられたヴェインの問いかけに、ギースは顎を擦りながら思案する。

 表面上は穏やかに微笑んでいるジャッジ・ギースであったが、内心は驚愕していた。ヴェインが常に纏っている皇子の余裕が、今の彼から全く感じられなかったからだ。

 いや、誰もが気づく程ではない。一般兵や通常のジャッジから見れば、頼もしい次期皇帝陛下のままであろう。だがジャッジ・マスターたるギースからすれば、今のヴェインはひどく焦っていることは明白だった。

 

「そうですな──最近ですが、若手の装飾品職人の姿が見えないといくつかの申し入れがありました。当人だけでなく、身内の姿も消えているようです」

「そうか──」

「ですが、その消えた職人の作品は今でも市場に流れているのです。それも、新作が」

 

 消えた職人が片手で収まらなくなっているというのに、行方不明の発覚が遅れたのは新たな作品だけは出回っているからだった。

 

「生存はしている。だが──」

「自由はない。恐らく、監禁されているのでしょうな」

 

 引越をしたと楽観的に考えるには、いなくなった理由が不明にすぎる。

 

「職人の身内で、行方不明になる前に職人が帰らぬと近隣の住人にこぼしていた者もいるようです」

「人質か」

「営利目的等略取及び誘拐、利益恐喝、傷害罪も入りそうですな」

 

 すらすらと質問に答えるジャッジ・ギース。ここまで滑らかに回答出来るのは、件の犯人をすでに見つけているのだろう。数日後にはヴェインの介入がなくとも、捕らえる手はずにまでは準備が整っているはずだ。

 

 ヴェインは小さく息を吐く。今の彼には、その数日の時間が惜しかった。

 

「被害者の迅速な救出をお願いする」

「……珍しいですな、閣下がそのように対応されるのは。よほどの要人ですか」

「ドクター・シドの友人だが、非常にセンシティブな立場の者だ。──ロザリアあたりには知られたくない程には、な」

「……なるほど、それは要人です」

 

 外敵である軍事国家ロザリア帝国に見つけられてはいけない人物。知られてはいけない、しかし命が失われてもいけない。可能な限り心身に傷をつけることも避けたい人物。

 

 ダルマスカやビュエルバの解放軍でもなく、ロザリアにと指定される点を推測すれば──おそらくは、ナブラディア王家の者。彼の王家とロザリア帝国は盟約を結んでいたため、王家の血筋が生きていると知れば、必ず神輿として担ぐ。

 

「被害者は、我が国には隔意はあるのでしょうか」

「本人が自身の生まれを知らない故に、ない。少しばかり思うところはあるようだが、解放軍に身を任せることは確実にない。

 ──彼女に似て、優雅な暮らしよりも、民の安寧を心から喜ぶだろう」

 

 セロは知らない。エレンと名乗る友人が、初対面から彼の正体に気づいていたことを。親しかった人物と瓜二つの彼を、身分を利用してまで気遣う理由を。

 だがその理由ゆえに、必要に迫られない限り彼はエレンとしか名乗らない。

 

「後は任せる」

「──御意」

 

 斯くしてジャッジ・マスターは動き出す。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「人質……」

「あのアホ貴族はタダで装飾品が欲しいんだ。愛人に夢中な奥方に貢ぐためにね。でも職人って奴らは大抵かなりの頑固者でしょ。無理やり誘拐したのはいいものの、作ることを拒否する奴ばかり──だから脅すのさ」

 

 僕らを使ってね、と嘲る少年の声を、セロは呆然とした表情で受け止めた。少年の言葉は、彼にとって信じられるものではなかった。手ずから作成した装飾品を売ったのは、ここ数か月の間で、しかも片手の指で足りる程度。職人というには駆け出しにすぎる彼が、まさか有望などと言われて攫われる羽目になるとは、想定外だった。デザインもメイン素材に木を選択しているため、帝国貴族に目を付けられるような、彼らが好むような繊細な見た目とは程遠い。何故だろうかと彼自身の作品を思い浮かべてみると、一つだけ変わった作品を作ったことを思い出した。

 体力回復効果のあるネックレスではあるが、その効果を体全体に行き渡らせるのではなく、一部に留まらせられることはできないかと試行錯誤し完成した──肩こり治療効果のあるネックレス。

 

 いやまさか、と否定してみるものの、それ以外に思い当たる作品がない。他は一般的な呪文の効果のそこら辺に売っているものばかり、変わった効果で貴族男性に受けそうなモノに心当たりがない。シリアスな雰囲気の少年の隣で、どの世界でも机仕事に共通する悩みに気づいてしまい、遠い目をするセロ。牢屋にいるというのに、現在の彼の中から緊張感がすっかり失せていた。せめて美容関連の装飾品を作っていたのなら、多少は誘拐にも納得がいくというのに。

 

「お兄さん連れてこられたばかりだし、まだ身内は捕まっていないだろうけど──時間の問題だね」

「身内」

「親とか、兄弟とか、恋人とか。攫われた時点で普段の行動を把握されてる。家も特定済みだよ」

 

 少年は、きっぱりと言い切りながらも、セロの様子を窺うように目を細めた。先ほどからの情報提供といい、やや棘がある言葉選びではあるが、根は優しい少年なのだろう。セロは、こんな暗い牢屋の中での小さな気遣いに、微笑んだ。

 

「それは、きっと大丈夫だろう」

「……冗談じゃないんだけど?」

「君が嘘を言っているとは思っていない。ただ、私の身内と知り合いは、ちょっとばかり荒事が得意なんだ」

 

 きっと元気に返り討ちしていることだろう。セロの言葉に、怪訝な顔をしていた少年は、だといいけど、と顔を反らした。

 

 

 * * *

 

 

 

「よーし終わったぁー!」

 

 木箱を運び終えたヴァンが、歓声とともに大きく伸びをした。相方となっていたトマジも、ぐるぐると肩を回している。トマジからの恒例のおつかい仕事ではあるが、昼食の奢りを報酬に、ヴァンは酒場で使用する食材の荷運びを手伝っていた。

 

「手伝いありがとな、ヴァン」

「いいって。飯おごって貰ったし」

「じゃあ次の仕事なんだが……」

「まだあんのかよ!?」

 

 昼メシだけじゃ割に合わない、と憤るヴァンをなだめるトマジ。彼は笑いながらヴァンの後ろから両肩を押して、狭い路地を移動していく。

 

「なあ、押さなくてもわかったって!」

「いーや、ちゃんと手伝ってくれると聞くまで離さねぇ」

「手伝うから!」

「よしきた」

 

 パッと唐突に手を離され、ヴァンはくらりと体勢を崩す。恨めしげに睨めつける彼に、トマジはからからと笑った。夕食もおごってやるからと、背中を叩いて促せば、ブツクサと文句を垂れながらヴァンはのしのしと歩き出した。

 そんな人の良い彼に笑みを浮かべ、右手に伸びる路地に視線を向ける。潜んだ人影に向かってトマジが小さくつぶやけば、影は頷き、更に奥へと消えていった。

 

「トーマージー! なにしてんだよ、早く終わらせるぞ!」

「おっと、やる気満々だなぁ、ヴァン! 俺の分までいけるか?」

「ふざけんなー!」

 

 ゆっくり歩くトマジにじれたヴァンが、通りの向こうで手を招いている。それにカラカラと笑いながら、二人は酒場の裏口へ入っていった。

 

 すっかり太陽が地平に沈んだ数時間後、店の裏口から空になった木箱をトマジが通路に運び出していると、通路の影から一人のバンガが近づいてくる。

 

「──トマジ」

「終わったかい?」

「ああ。縛り上げて突き出してきた。連中、ご丁寧にホワイトリーフなんぞ持っていたからよ」

「はぁ、迂闊すぎないか?」

 

 トマジが呆れた声を出したのも無理はない。帝国一般市民の証明となるホワイトリーフは、金銭での取引もしくは情報の対価として手に入れることができる。一枚二万ギルもするため、周到にヴァン達を嗅ぎ回るならず者──ましてや他国のヒュムが持つようなものではない。想像ではあるが、ダルマスカだけでなく帝国の膝元でも被害が発生しているはずだ。それであるならば帝国占領下とはいえ法は法、袖の下を受け取る兵士が多いことは確かだが、子供の誘拐となれば真面目に対応してくれる兵士も少なくない。

 

「帝国民が、わざわざダルマスカのスラムの子供を狙う。解せんな」

「いーや、想定通りさ。狙いはセロだろうからな」

「ミゲロが保護した奴か、やんごとない出だと噂があったが……事実か?」

「さあね、何せダラン爺さんが口止めしてるんだ。詳しく追及する阿保はいねえよ……あの馬鹿の仕事関連だろ。いったい何に目をつけられたんだか」

 

 セロの仕事、装飾品の作成技術は今では商品になる品質まで向上している。先日、わくわくした顔でミゲロの手伝いのついでに、制作した装飾品を再び売ってみると話していた。その顔があまりにも幼く無邪気で、こいつ一人で他国に向かわせて本当に大丈夫なのかとトマジはあらためて心配になった。まあ、実際彼の予想通りだったのだが。

 

「いまごろ、あの馬鹿はとっつかまっているだろうな」

「帝都となると、俺たちが介入することは難しいぞ」

「必要ねえよ。アンタは、パンネロの方だけ頼む」

 

 ヴァンさえ守っていれば問題ない。パンネロには、今日はごろつきが多いから、店の中から出てこないように言い聞かせている。セロについては、自分達ダルマスカ人が手を出せないということもあるが、それ以上にアイツの変人たる『ご友人』が何もしないわけがない。

 

「まあ、帰ってきたら説教だがな」

 

 こう、コメカミのあたりをぐりっと握り拳で押してやろう。――だからちゃんと帰ってこいよな。トマジは頭を掻きながら店内へ戻った。

 

 

 * * *

 

 牢の先住である少年に、これ幸いと色々話を聞いていたセロと、少年のセロを見る目がひどく優しいものに変わってきたころ、ギィ、と錆びついた金属がこすれる音が聞こえてきた。

 続いて、ガシャガシャと音を立てながら階段を下りてくる様子に、少年が馬鹿貴族の手下じゃないよ、といぶかしげにつぶやいた。

 

「今まで、鎧を着てこんな狭い場所に来なかったんだ」

「貴族の手下にも兵士はいるだろう?」

「無理だよ、貴族個人が戦力を持ったら捕まるから」

 

 少年曰く、帝国貴族は護衛を一時的に雇うことはあっても、常時雇用することはない。アルケイディア帝国において兵力とは軍部と皇帝直属軍である親衛軍のみ。貴族の邸宅の護衛も軍部がまとめて務めているため、不要ということもある。しかし、貴族の手下ではないからと言って、味方であるとは限らない。セロと少年がひっそりと息をひそめていると、徐々に鎧の音は彼らがいる牢に近づいてきた。

 

「――いたぞ! 牢の鍵をこっちに」

 

 閉められたドアの小窓から覗いていたのは、少年の言う通り帝国兵の兜であった。

 

「オリバー・シモレット殿で間違いございませんか」

「はい、その名前は私の仕事名で間違いありません」

「ご無事でよかった。今、扉を開けますので少々お待ちください」

 

 鍵を開けているのか、ジャラジャラという音の後に、何かが外れるような音がして、ゆっくりと閉められていた扉が開いていった。

 

「お怪我はございませんか」

「私は何もされてはいませんが、少年が私より前に閉じ込められていて――」

「少年、ですか……他の牢にいるのでしょうか?」

「え……?」

 

 帝国兵の問いかけに、セロの表情がこわばる。他の牢にいるのかって、自分の後ろにいるあの子が見えるだろうと。冗談かとまじまじと帝国兵を見つめていたが、徐々に困惑した様子の彼に、セロはゆっくりと後ろを振り返った。そして、そこで少年を見た。諦めたように苦い笑いを浮かべる、壁の模様がうっすらと透けた姿を。

 少年は、セロよりもずっと前からこの牢にいたという。帝国兵の言葉を信じるなら、セロが入れられている牢以外にも、複数牢屋があるようだというのに、セロは少年と同じ牢に入れられていた。当初は牢の数が足りないのかと思っていた、だが、それが少年が“もういない”のであれば。

 

「見えてないよ。見えるはずがない。むしろ、お兄さんが変なんだよ──僕の身体は、とっくに朽ちてしまってる」

「そんなことって」

「お兄さん、一つだけそこの兵士に聞いてみてくれない?」

 

 儚い笑顔の少年の願いを受けて、セロは扉の先の帝国兵に、声が震えないように気を付けながら、少年の質問を告げる。

 

「あ、の……ひとつ、聞いても」

「はい、自分でわかることであれば」

「バルディという装飾職人は、無事ですか」

「バルディ……ああ、はい。シモレット殿はこちらに閉じ込められていましたが、他の装飾職人たちは個々の作業部屋に軟禁されていまして。全員無事です」

 

 お知合いですか、という声に、ええ、まあ、と返事をしながら、セロの目は少年から反らさずにいた。

 

「よかった。僕はここから動けなかったから、生きているか確認できなかったんだ」

「君は、ここに閉じ込められて……死んだのか」

「まあね。水すら寄こさなかったから当然じゃない」

 

 他の装飾職人の身内も、もう死んでるだろうね。その言葉に、セロは顔を覆い、暢気な思考をしていた自分を恥じた。自分は運がよかった。身内を守ってくれる人がいて、自身も助けてくれたであろう友人がいて。運よく、結果的に失わずに済んだだけのことだった。

 この世界では命が軽い。それは知っていたつもりだった。でも、知っていただけだった。セロにとって、自らの才能を手に入れるために、大事な人の命が狙われるなど考えもしなかった。自身の欲のために誰かの命を奪える存在を、理解していなかった。

 少年のような被害者は、この世界ではよくある話なのだろう。この子供は終始自身の処遇を嘆くことはなかった、運が悪かったとも言わんばかりにあっけらかんとしていた。それは彼の強さでもあるのだろうが、セロはそれを強いと認めたくなかった。

 

「ん、もう時間なさそう」

「姿が薄く……」

「未練がなくなったしね、やっと楽になれそう」

 

 徐々に薄くなる小柄な姿に、引き留めようと思ったのか、セロの手が延ばされる。その表情は歪み、今にも泣きだしそうな彼を見て、少年が困ったように笑った。泣き虫だね、とつぶやきながらポケットを確かめると、セロに向かって手を差し出した。

 そのまだ小さい手の平の上には、少し粗さは見えるものの、彫りの美しい黒ずんだ指輪があった。

 

「これあげるよ。兄さんが僕に作ってくれた、装飾品の指輪。僕には、もう使えないし」

 

 ん、と少年はそれをセロに受け取るように促した。差し出されるままの手の平から、震える手で指輪を積まんだ姿を確認して、満足そうにうなづいた。

 

「そうだ。ついでにさ、孫の顔見るまで死ぬなって言っといてくれない」

 

 ──そう言ったと思えば、セロが返事を返す前に、少年の姿は溶けて消えた。それきり、二度と彼の声は聞こえてこなかった。

 

「……名前、教えてくださらないと、君からいただいたと申し上げられないではありませんか……」

 

 本当に、言いたいことだけ言って消えてしまった少年に、セロはそっと瞼を閉じた。

 

 



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