仮面ライダードライブ with W (日吉舞)
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プロローグ

 世の中を騒がせる事件があり、それは物理的、電子的ネットワークを介して一気に拡散される。

 そして事件のあらましは、情報として世間一般の人々に共有される。

 が、誰もがその渦中に自分が叩き落とされることなど想像だにしない。

 何故なら、溢れ返る様々な情報の中に人間がいる現代では、一つ一つがもたらす印象がすぐに鮮烈さを失ってしまい、心の中に留まらないからだ。

 

 故に人々は、日常の中で優先すべき情報を記憶の表層に浮かび上がらせ、そうでないものはぼんやりとした知識としてしまい込む。

 日々の糧を得るため、仕事を持つ者たちが数字を常に気にかけるように。

 学びを務めとする若者が、習得の度合いに一喜一憂するように。

 そうやって、乾いた風が吹き荒ぶこの冬も、この世に生きる大半の者にとっては例年と同じように過ぎ行きつつあった。

 

「あー、やっとレポート地獄から解放された!な、これから単位落とさなかった記念で飲みに行こう!手伝ってくれた礼に、奢るからさ」

 

 色鮮やかなネオンに彩られた夜の繁華街の外れで、茶髪に分厚いコート姿の男子学生が解放感から大声を出す。

 彼と並んで歩いているもう一人の男子学生が、嬉しそうに頷いた。

 

「俺金欠だから助かるわ。じゃ、ゴチになりまーす!」

 

 笑顔で返した彼は、黒髪に銀縁の眼鏡という一見すると堅物そうな印象だが、如何にも軽そうな茶髪の学生とはうまが合うらしく口調は明るい。

 奢りを宣言した茶髪学生は、眼鏡が似合う友人の肩をばんばん叩きながら声を弾ませる。

 

「いやいやいや、助かったのは俺だってーの。マジで、持つべきものは友達だわ。ありがとな!」

「けど、新学期からはちゃんとやれよ。今回は手伝ったけど、それじゃお前のためにならないんだからな」

 

 やや痛そうにしながらも、眼鏡の学生は笑顔を崩さない。

 時期は二月の中旬と一年のうちでもっとも寒い頃だが、ハイテンションな若者たちには寒気もあまり気にならない。

 二人はこれから味わうレポート地獄から生還した祝いの酒の味を描きながら、賑やかに夜の街へと誘われていく。

 

「……友達が、そんなにいいか」

 

 そこへ、突如として低い声が割り込んだ。

 既にレポートの話からサークルの馬鹿話へシフトしていた二人の会話が、ぴたりと止まる。黒髪の眼鏡男子が、不審そうに辺りを見回した。

 

「お、おい……今お前、何か変なこと言った?」

「いや!俺じゃねえよ!」

 

 どこからともなく聞こえた不気味な声は、互いに全く聞き覚えがないらしく、茶髪学生も慌てて首を横に振った。二人が歩みを止めずにきょろきょろと周囲に視線を走らせると、怯えた顔同士を見合わせることとなる。

 

「うわ!」

 

 刹那、彼らの全身に奇妙な感覚が走り抜けた。

 変わらない調子で歩いていた筈の足は片方が宙に留まり、いつまでたっても地面に触れる感触がない。自然に振っていた腕も何かに絡め取られたような鈍さでしか動かせず、延々と視界に残り続けている。

 なのに、自らが上げた叫びは確かに聞こえていた。

 一方で、身体の細胞全ての重さが数倍に膨れ上がり、思った通りの場所に届かなかったのだ。

 例えるならば、濡れた砂の海を泳がされているというのが一番近いだろうか。限りなく鈍く、重くなった感覚では、一秒の経過すら気が遠くなる未来のように感じられる。

 

 まるで、時間の流れが極端に遅くなっていることをはっきりと感覚で捉えているかの如き現象ーー重加速、通称「どんより」。

 普通に生きていれば感じることはないであろう超常現象を表す単語が、二人の脳裏をよぎった。

 

--マジかよ!これって……

--まさか、どんより?

 

 茶髪の学生とその友人は、皮肉にも鮮明な思考のもとで凍りつくほどの恐怖を覚えていた。

 何故なら、この現象が起きる時は必ず、人ならぬ者が現れるからだ。

 人類を滅ぼさんとし、全世界の保安機構までが敵として認める存在。

 禍々しい機械の身体を人間に変身して巧みに隠し、様々な災厄をもたらす者。

 即ち、ロイミュード。

 

 鈍く赤っぽい金属光沢を放つ手足、硬質な外殻に包まれた胴体、歪な突起が幾つも突き出ているように見える頭。その全てが、人間とは異質であることを嫌でも思い知らせてくる。

 ネット上の噂にしか過ぎなかった機械とも生き物ともつかないモノが、二人の男子学生の目の前にその姿を晒していたのだ。

 

 夜の闇の中でネオンの光を纏い、ぬらぬらとした光を放つ長大な刀を構えて迫り来るロイミュードを避ける術が、二人の学生にある筈もない。

 小柄な者の背丈ほどもある刃をぎらりと光らせ、異形が一歩、また一歩と近寄ってくる。

 重加速が支配する世界で、彼らは視線を逸らすことすら許されない。

 ほどなく、ロイミュードは二人と並ぶほどにまで距離を詰めてきた。

 

--もう駄目だ!

 

 身体の自由が効かずとも思考は明晰という何とも皮肉な状況で、二人の若者は同時に絶望した。

 が、ロイミュードは彼らの脇をすり抜けただけであった。

 構えられた巨大な刀が振り下ろされた様子は微塵もなく、腕が動いた気配もない。

 勿論痛みもなければ、すれ違い様に何かされた様子もない。

 相反する外見を持った二人の男に、驚きが走り抜ける。

 

「ひゃっ!」

 

 瞬間、彼らは「どんより」の空間から放り出され、空気が抜けたような声を漏らしていた。

 一気に襲ってきた恐怖から脚は震え、腰砕けになって転倒しかけるが、そんなことに構ってはいられない。互いの無事を急いで確認すると、悲鳴に近い声を上げた。

 

「にっ、逃げ、逃げろ……!」

 

 背後に抜けたロイミュードの方を振り返ろうともせず、二人は脚をもつれさせながらも逃走を図る。

 が、それはたったの数歩で終わることとなった。

 彼らの胸は厚手のコートごと一文字に斬り裂かれ、ばっくりと開いた傷から鮮血が噴き出し、二人がほぼ同時に冷たい地面へと倒れ込んだからである。

 ぶっつりと途切れた悲鳴が産む静寂を埋めたのは、人間の胴体がアスファルトに叩きつけられる鈍い音であった。

 

「ふむ。まあまあか」

 

 立て続けに上がった衝撃音に、ロイミュードは満足げに頷いた。

 夜の街を賑々しく照らし続けるネオンの光を跳ね返す刃を確かめ、金属光沢を放つ手が刀を腰の鞘へ収める。

 

「二人仲良く、病院送りになるがいい。友人同士のお前たちにはそれが本望だろう」

 

 ゆっくりと去っていく異形の機械怪人がぼそりと残した言葉は、二人の青年に届いたかどうか定かではない。

 薄れ行く意識の中で倒れ伏した二人が感じていたのは、自らの胸から溢れた血が作り出した赤い水溜まりの異常な温かさだけであった。

 

 特殊状況下事件捜査課、通称「特状課」。

 警視庁の下に設けられたこの一部署は半年前のグローバルフリーズ以降、全世界に姿を現した増殖強化型アンドロイドーー通称ロイミュードが犯す犯罪を専門に取り扱う。

 課のメンバーは各所より選ばれた少数の精鋭たちによって構成され、最新のテクノロジーを携えて、日々ロイミュードたちとの戦いに挑んでいるのだ。その所在地も秘密とされ、襲撃の危険性を考慮して本庁からは隔絶された場所にあるという徹底ぶりである。

 

 ……と言えば聞こえは良い。

 実際は予算が乏しく郊外にある運転免許試験場の一室を間借りし、けったいなメカに囲まれ、単なる寄せ集めの者たちが詰め込まれているだけの島流し的な部署である、というのが、警視庁ないでの一般的な認識であった。

 しかしそれでも、ロイミュードが絡んだ事件の解決件数が日本でトップクラスであることに間違いはない。

 故に報われない哀しさがあるのだが、それでも課のメンバーたちは今日も持ち込まれた事件を解決するべく、久留間運転試験場のオフィスでミーティングを行っているのであった。

 

「連続無差別傷害事件か……」

 

 オフィスの奥に立つホワイトボードに書かれた事件概要と、びっしり貼られた現場の写真を見比べながら、若い刑事が立ったまま呟いた。

 一八〇センチを越える長身にすらりと引き締まった体躯だが、その割にどこか少年の面影を残した顔立ち。童顔に比例して黒い瞳に宿る光は熱っぽく、まっすぐな印象を見る者に与えてくる。

 彼、泊進ノ介が軽く組んでいた腕を組み直すと、赤のペンでホワイトボードにコメントを書き足していた制服姿の若い女性が頷いた。

 

「被害者は、これまでにざっと十六人。最初は二十代の若者が中心でしたが、最近はお年寄りや小中学生の被害者も出始めています。いずれのケースでも、襲われたときにはどんよりが発生していることが証言されていますし、全ての現場にその痕跡がありました」

 

 オフィスの各所に散っているメンバーの顔をぐるりと見渡す女性は、進ノ介のパートナーである詩島霧子だ。美しく整った顔立ちに細身の体格が紺色の制服と相まって、如何にも真面目そうな雰囲気を醸し出している。

 しかし霧子が一見すると華奢な女性に見えて実は射撃の名手であること、いざと言う時には男性顔負けの行動力を誇ることは、課の誰もが知ってることであった。

 

「犯人は、被害者が一人でいる時に問答無用で襲いかかってくるときもあれば、数人のグループを襲う際に何事かを言ってから襲撃する場合もある……と」

 

 霧子がペンに蓋をする傍らで、もう一人いたスーツ姿の男性が眉根を寄せる。

 ホワイトボードに書かれたのと同じ記述がある資料をわざわざ印刷して手に持っているのは、捜査一課から特状課へ派遣されてきている刑事、追田現八郎だ。

 進ノ介や霧子より一回り以上歳の離れた彼はベテランの風格を漂わせる刑事であり、現場や被害者の写真を睨む眼光は誰よりも鋭かった。

 

「被害者は全員刃物による傷を負わされているけど、今のところ死亡した人はいない。ただし、回を重ねる毎に被害の度合いは重くなってきているのが特徴だね」

 

 現八郎が手持ちの資料に再度目を落とすと、奥まったデスクに座している若い男が口を挟んでくる。グレーのぬいぐるみを片手で弄びながらも、彼は自分のパソコンのモニターから視線を離さない。

 黒縁の眼鏡に流行を無視したオタクファッションが特徴的な男は、西城究というハンドルネームを名乗る客員メンバーだ。警察官ではないが、情報収集と分析において仲間からの厚い信頼を誇っている。

 その究が発した言葉に、現八郎が改めて頷いた。

 

「そして被害者の中には、巨大な刀を持った怪人の姿を目撃してる人物もいる。どんよりと言い、その奇っ怪な怪人と言い、間違いねえ、これは鬼入道の仕業だ!」

「ロイミュード、ですってば……」

 

 すかさず、進ノ介がぼそりと突っ込みを入れる。

 最初の頃こそ特状課を格下と見、こき下ろしていた現八郎も今はすっかり馴染んでくれているが、惜しむらくは「ロイミュード」の一単語をいつまでたっても覚えようとしないところであろう。

 そんなことは慣れっことばかりに他の一同はスルーしており、別の切り口を白衣姿の女性が口にしてきた。

 

「それにしても、被害者にここまで統一性がないのは珍しいわね。何か見落としてること、あるんじゃないのかしら」

 

 初めて発言したこの女性がいるデスクには、作りかけと思しき機械の部品と細かいネジや電子パーツが散乱している。

 頬杖をつきながら少し気だるそうに喋る、おおよそ警察には不似合いなイメージがある彼女は沢上りんなだ。りんなも立場上は究と同じだが、いつも機械にしか興味を示さない彼女が事件内容に触れてくるのは珍しいことであった。

 りんなの指摘に、霧子が小首を傾げて腕組みする。

 

「被害者は性別、年代、住所、襲われた時間と場所も、本当に全てがばらばらですね。確かに共通性が無さすぎることに、疑問はあるんですが」

「うーん。通り魔的な犯行、ってことなのかな?」

 

 合わせて、究も宙を睨み考えを絞ろうとしていた。

 彼らがホワイトボードから目を離したの入れ違いに、進ノ介がびっちりと並べられた写真や文字へ注意を向ける。

 連続無差別傷害事件が最初に発生したのは年明けの一月四日で、被害者は会社帰りのサラリーマンだった。二十代半ばの彼は同僚と酒を飲んで深夜に一人で帰宅するところを襲われ、右腕を十針ほど縫う傷を刃物で負わされている。

 二件目はその十日後の一月十四日、三人連れの女子大生が夕方にキャンパスの外れで襲われ、三件目の被害者は一週間後に早朝にジョギング中の初老の紳士、四件目では六日後の夕刻に買い物帰りの主婦二人連れと、徐々にその間隔が狭まってきているのがわかる。

 

 しかしやはり気になるのは被害者の選び方で、殆ど手当たり次第に見えると言っても差し支えはなかった。

 通常、ロイミュードは憎しみや恨み、悲しみなどの強い負の感情を核として人間の姿をコピーする。故にその人物が抱いていた特定の場所や人物、出来事などに対して執着を見せることが多い。

 が、それに当てはまらないとなると、今度は「犯罪」という行為そのものに関心を持っている可能性が高いことになる。もし人間を刃物で傷つけるのが何にも勝る快楽だと感じているタイプなら、根が筋金入りの犯罪者に近いと考えるべきであろう。

 

 そしてその傾向は人間の一生の中で、数日のうちに突然表れる類いのものではない。何年も前から、兆候が認められる人物がロイミュードになったことは間違いないのだ。

 進ノ介はそこまで考えをまとめたが、先に現八郎が口にしていたことがふと引っ掛かっていた。

 

「そう言えば現さん、犯人はグループを襲う際に何か言ってたって、話してませんでした?」

「ああ。友達がどうとかって、複数の被害者が聞いているらしい。はっきりと聞いた訳じゃねえから、聞き間違いかも知れないってことだが」

「友達?でも、そのロイミュードと知り合いの被害者がいるわけじゃないんでしょう?」

 

 現八郎が進ノ介の問いに手元の資料をぱらぱらとめくって答えながらも、不審そうな表情を隠していない。

 誰かを傷つける前に「友達」などと発言する犯人など、聞いたことがなかった。

 考えようによっては重要な手がかりとなることではあろうが、今の段階ではまだ何とも言えない。

 

「今のところ、被害者の中に襲われる心当たりがある人物はいないとのことですが……もしかしたら、そこに鍵があるのかも知れませんね。被害者の人間関係について、もっと詳しく調べるべきじゃないでしょうか」

 

 進ノ介が現八郎と同じ考えに至り唸ろうとしたところで、霧子が提案を示す。

 それを合図として、今まで黙って皆のやり取りに耳を傾けていた課長の本願寺が口を開いた。

 

「まあ、何にしてもですねぇ。うちにこの事件が回されてきたからには、これ以上の被害を出すわけにはいきませんから。犯人のロイミュードが誰に化けているのか、それを探るのが手っ取り早いと思いますけど……」

 

 本願寺も立ち上がってホワイトボードの被害者の写真を睨みながら、指先を薄くなった髪に埋もれさせて言葉を切った。

 特状課をまとめる本願寺は警察での職務歴も長く、現八郎以上のベテランだ。警視という立場であり現場の捜査にあまり立ち入らず、基本的にはメンバーの主体性に任せるという方針を貫いている。

 

 もっともそれが行き過ぎてしまい、単なる放任主義であると陰口を叩かれることも少なくはない。しかしそれでも最後の一手はきちんと押さえているのが彼であり、皆からの信頼がある人物である。

 しかし一目置かれる上司としては引っ掛かるのが、暇さえあればガラケーの占いサイトを確認し、その日の行動の目安にすることであろう。

 その本願寺が占い云々と騒いでいないのを目の当たりにした現八郎が、不安そうに進ノ介の腕をつついて囁く。

 

「おい……珍しく課長、やる気でいるぞ」

「……朝飯に、何か変なものでも食べたんですかね?」

 

 進ノ介も戸惑いを隠せないようで、現八郎に答えつつ傍の霧子にも目配せした。

 霧子もまた不審そうな色を瞳に浮かべて本願寺を凝視しているが、そこには更に驚きの展開が待ち構えていた。

 

「現さんと泊ちゃんは被害者の人間関係の洗い出しと訊き込み、霧子ちゃんは証拠物品の詳細調査、究ちゃんはネットでの関連性が高いと思われる話がないかどうか、りんなちゃんはどんよりのデータからまだ何か出てこないかどうかを、それぞれ当たってくれます?」

 

 とりあえず新しい事件の担当となった今は、本願寺の占い趣味は出てこなかったようだ。

 珍しく具体的な指示を出してきた上司に、特状課のメンバーが緊張して応える。

 

「は、はいっ!」

「了……解しました!」

「うん、よし!今日の私の星座では、迅速な行動がラッキーってことですからねぇ。午後にどんな幸運が待ってるのか、楽しみですよぉ~」

 

 そこでうきうきと自分の二つ折り携帯を開いた本願寺は、やはり平常運転であった。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -1-

 コツコツと、乾いた靴音がアスファルトの地面を打つ。

 この辺りは大きな公園と住宅が隣接しており、夜になると静まり返ってしまうため、人通りも少なくなる場所だ。すぐ近くに繁華街はあるものの、裏道に入ってしまうとその喧騒も遠くに聞こえ、地域住民だけが利用する通りも数多くある。

 時折吹きつける強いからっ風は、口笛を思わせる高い音を立てながら抜けていき、冬の闇を一層寒々しい印象にしてくれていた。

 

「結局今日は収穫なし、か……」

 

 その細い夜道を歩くコート姿の霧子が、白い溜め息とともに小さな呟きを漏らす。

 彼女はロイミュードが犯人とされる連続傷害事件の証拠品を一人、退勤時間までずっと調べていたのだ。しかし、目と指先を酷使しても結局新たな発見はなく、初動は空振りとなってしまっていた。

 

 聞き込みに出ていた進ノ介と現八郎もさしたる収穫はなく、究やりんなのデータ分析はまだ時間がかかる見込みで、今回の事件の解決は手こずりそうだという頭の痛くなる予感までしてくる。

 が、捜査は積み重ねが何よりも大事であることは、経験則から皆が知る事実だ。

 珍しく早く帰れたのだから自宅でゆっくり休んで、また明日から気合いを入れ直そう。

 

 そう、霧子が気持ちを切り替えた時だった。

 不意に手足がずしりと重くなり、空気に絡め取られたかのように動けなくなる。

 それどころか、今まで風に煽られてざわついていた常緑樹の葉も、数ブロック先から聞こえてきていた道路で車が行き交う騒音も、全てがだらしなく引き伸ばされた音で籠り続けていた。

 全てのモノの時間経過が遅くなる現象、重加速である。

 

「きゃっ!」

 

 しかし唐突に、霧子の時間だけは動き出した。

 宙に浮いていた足を地面に落とす格好でたたらを踏んだ彼女のコートに、小さな味方であるシフトカーの一種、「ディメンションキャブ」が飛び込んできてくれたのだ。重加速が発生した際には自らの意思で駆けつけて現象から解放してくれる彼らは、ロイミュードと戦う上でかけがえのない仲間であった。

 

 鈍重な時間の呪縛から解き放たれた霧子の頭に最初に引っ掛かったのは、特状課に回されたばかりの連続傷害事件のことだった。重加速つまり「どんより」が発生したからには、ロイミュードが近くに現れたことは間違いないのだ。

 

--まさか、この近くにあのロイミュードが!

 慌てた霧子が辺りを見回すが、暗い道の端に立つ電柱や道路標識の陰、民家の暗がりにも、それらしい姿は見当たらない。自身が狙われたのではないことを確認した霧子は安堵したが、そうなれば次に気掛かりなのは一般市民のことだ。

 ロイミュードの標的にされているであろう誰かを探そうとして踏み出しかけた彼女の耳に、か細い悲鳴が響く。しかも最悪なことに、その主が幼い子どもであることが窺える声だった。

 

 反射的に霧子のローファーを履いた足が、叫びの方向へと走り出す。

 今は拳銃を装備していなかったが、それでも襲われている者を放っておくわけにはいかない。注意していなければ聞き逃していたかも知れないかすかな悲鳴の持ち主を求め、霧子は己が聴覚と勘を頼りに全力で疾走した。

 

 黒く豊かな髪を乱し、息を弾ませ、霧子は暗い公園へと駆け込んでいく。懸命に耳を澄ましながら遊具の間を駆け抜け、木の根を飛び越え、走りながら遊歩道の向こうを見渡した。

 急がねば手遅れになりかねないと言うのに自分の足が遅いように感じられ、霧子はもどかしさに歯噛みする。

 

「友達など……」

 

 彼女がそれでも警戒を解かず、弱々しい街灯が灯る広場に視線を走らせた刹那、先の悲鳴とは異質な低い声が聴覚に捉えられた。

 若き女性警察官が、自然と構えた姿勢で視線を巡らせる。するとベンチが点々と置かれ、枯れた芝生が踏み荒らされて剥き出しになった土が広がる広場の隅に、二つの人影が照らし出されているのがわかった。

 

 一つは、ナイロンのリュックを背負った男の子が倒れている姿だとすぐに判別できたが、もう一つは暗闇でもはっきりわかるほどに異常なシルエットであった。

 赤褐色の分厚い肌、額に幾つも突き出た角を思わせる突起、全身に堅固な鎧を纏ったように太く、ごつい体躯。それでいて両手に構えている刀は薄くかつ長大で、刀身が自ら異常な輝きを放っているという視覚効果さえ覚えさせる。

 まるで昔話に登場する悪鬼が武装したかの如き姿は、明らかに人間のものではなかった。

 

 だが、これまでに仮面ライダーたちとともに何体ものロイミュードを倒してきた霧子は怯まない。怖れる余裕があるのなら、目の前で斬られそうになっている弱者を助けるべく動くのが先決だった。

 

「待ちなさ……」

 

 霧子が声を張り上げたのと、ほぼ同時だったであろうか。

 腰を抜かした男の子にロイミュードが刃を振り上げた瞬間、彼らの後ろから鋭い風切り音を立てて何かが飛んできていた。

 

「ぐおっ!」

 

 後頭部にその直撃を喰らったロイミュードが、呻きながら前につんのめって体勢を崩す。

 構えられていた刀を落とすほどに強烈な打撃を与えた物体は、くるくる回りながら破裂して中身をぶちまけさせていた。それが二リットルペットボトルの水だったことが、驚いて立ち止まっていた霧子にはわかった。

 

「だ、誰だ!」

 

 すぐ側に女性警察官がいることに気づいていないらしいロイミュードが、声を荒げて辺りを見回す。まさに斬りかかろうとしていたところを不意討ちで邪魔された上にずぶ濡れにされ、相当な怒りを覚えているようだった。

 

「誰だっていいだろ!」

 

 ロイミュードと霧子が次に聞いたのは、張りのある若い声だった。が、今は「どんより」中であるのに他の誰かの声がする、という状況自体が異常だ。

 別のロイミュードがいるのかと、霧子が緊張を新たにする。

 

「はあっ!」

 

 霧子が今は派手に動かない方がいいと判断して傍らの大木に身を寄せたとき、また同じ声がした。

 今度は宙を切って跳ぶ人間の姿とともに、である。

 

「ぐがっ!」

 

 鋭い跳び蹴りの一撃を横合いからまともに喰らい、ロイミュードが数歩分ほど弾き飛ばされる。

 もんどりうって倒れたロイミュードと、恐怖の表情を凍りつかせたままで鈍重な時にいる子どもとの間に、鮮やかに降り立った人物がいた。

 

 着地から素早く立ち上がって身構えたその姿は、意外なことに霧子よりも若く見える細っそりとした女であった。

 やや上気した頬にかかる豊かな髪はポニーテールにまとめられており、冬の冷気に晒されている顔を幼く見せているのかも知れない。グレーのデニムに黒いレザーのライダースジャケットという飾らないいでたちではあるが、彼女の持つ空気が完全に戦う者としてのそれであることは、十メートルは離れた場所に佇む霧子にも伝わってくるほどであった。

 

 ただ、女が右手に下げた大きな白いビニール袋ががさりと音を立てるのが、何とも不似合いでおかしい。恐らく彼女がコンビニエンスストアで買ったミネラルウォーターのうちの一本を、咄嗟に投げつけたのであろう。

 未だ視線を逸らすこともできないでいる子どもを庇う位置に立った女を、頭を振ってから起き上がったロイミュードが睨みつける。

 

「おのれ……貴様、何者だ!」

「だーかーら、何者だっていいじゃん。どうせ名乗ったところで、手出ししない訳じゃないでしょ?」

 

 てらてらとした不気味な輝きを放つ刀を突きつけんばかりのロイミュードを目の前にしているのに、女は呆れそうなほどに落ち着いている。ふてぶてしい態度に場違いな軽い口調は、彼女が相当に場馴れしていることを物語っていた。

 そして跳び蹴りの際に乱れたジャケットの襟を片手で直すと、今度はロイミュードに敵意を孕んだ視線を叩きつけ返す。

 

「私も立場上見過ごせないってのはあるけど……あんたみたいに、てめえの勝手な理由で無関係な人たちを傷つける奴って、一番許せないんだよね」

 

 女が発した声の後半はトーンが低くなり、不快感を露にした口調になっている。

 途端に彼女の纏った気配が、事の行く末を見守っている霧子までもぞくりとさせる冷たさを帯び始めた。女が僅かに身体を沈ませて、本格的に格闘の準備に入っていることを感じ取ったのだろう。ロイミュードも、彼女に突きつけていた刀を構え直す。

 

 霧子がいる位置からは女の横顔しか確認できず、何か武器を持っているようにも見えない。しかも女は、周囲を押し潰さんばかりの威圧感を一体どこから発しているのかが不思議なほど、頼りなく見える華奢な身体つきだ。

 あそこまで不敵さをにじませているのだから、彼女も素人ではないのだろう。とは言っても、素手のしかも単身でロイミュードに立ち向かうなど無茶にもほどがある。ここは警察官である自分が何とかするべきだと、霧子は思い始めていた。

 一方、ロイミュードは女を小馬鹿にしたかのように嘲笑していた。

 

「ふん。ここで自由に動けるということは、貴様も同志ではないのか?関係ない奴は引っ込んでいろ!」

 

 言葉尻が冬の冷気に消えるとともに、ロイミュードが振り翳した刀が閃く。高く唸りを上げるその刃は、目にも留まらぬ早さで若き女のライダースジャケットに包まれた上半身を一文字に切り裂いた--

 かに見えたが、女は刀身が届くよりも早く半身を捌いて攻撃をかわしていた。斬り下ろされてきた剃刀の如き切れ味の刀は女に掠ることなく目標を見失い、再び振り上げられる。頼りなげな街灯の灯りの中でもはっきりとした光の軌跡を描く武器が、二度、三度と襲いかかるも、彼女はその度に見事な体捌きでかわし続けた。

 

 相手をひ弱そうな女と見て舐めていたらしいロイミュードの太刀筋に、狼狽の色を見て取ったのであろう。女が刃の引きに合わせて深く踏み込んで、上半身から繰り出す攻撃の範囲内に敵を捉えた。

 

「はっ!」

 

 肚に響く気合いの声と共に、低く沈んだ姿勢から掌底が突き上げられる。その途中にロイミュードの顎が巻き込まれて、鬼を思わせる恐ろしげな顔が仰け反っていた。

 

「がっ!」

 

 強かに顎を打たれ、濁った悲鳴がロイミュードの口から漏れる。

 敵があっさりと一撃を喰らわされた様子に、霧子は目を見張っていた。

 いくら急所に直撃したとは言っても、相手は人ならぬ機械生命体だ。その身は金属に近い物質で構成されているし、人間が素手で攻撃を加えれば肌や骨も無事では済まされない。まして、仮面ライダー並みのパワーがなければダメージなど皆無の筈だ。

 

 なのに目の前で格闘を演じている女性は、ロイミュードを攻撃した右手を特に気にした素振りもない。ということは、彼女はそれこそロイミュードと同程度のパワーの持ち主だということだ。

 にわかには信じがたい事実に霧子が目を見開くと、未だ休みなく続いている二人の格闘に新たな展開が見えていた。

 ロイミュードが、よろめきながらも見事な斬撃を女に返していた。攻撃を受けると同時に返す刀を振るったのは、戦うために作られた存在の本能とも言うべき反応だろう。ただし女は反撃を喰らう一瞬前に間合いから後退しており、またしても空振りに終わる結果となっていた。

 構えを取りながら間合いを測る女が、ふっくらとした唇を歪めていまいましげに吐き捨てる。

 

「残念だけど、私があんたの仲間なわけないよ。それもあんたみたいな三下と?お門違いも甚だしいったら!」

「減らず口を!」

 

 未だ幼ささえ残る女の明らかな挑発に、ロイミュードは完全に乗せられたようであった。

 敵のデニムに包まれた脚が軽やかな調子を刻んで細い身体が更に遠ざかろうとすると、ロイミュードが怒気を溢れさせた視線を向け、猛然と追い縋る。今度こそ生意気な人間に憤怒を込めた一撃を叩き込まんと、ロイミュードは水平に刀を薙いだ。その速さたるや、太刀筋の光が宙に残す軌跡を目で追ってみて、どう刃が動いたのかをやっと判別できるほどだ。

 

 しかし、女はそれ以上の動きを見せていた。

 相手が振るう武器の長さから間合いを測り、攻撃の角度と速度を完全に読んで、鬼の姿のロイミュードの背後に回り込んでいたのだ。

 

「とぉりゃ!」

 

 気合一閃し下へ向けて鋭く放った蹴りが、敵の膝を後ろから突き崩す。

 軸足に乗せていた体重が行き場を失い、驚きと苦痛とをない交ぜにした叫びを今一度、ロイミュードが迸らせた。

 

「うぐっ!」

 

 そのくぐもった声が響いたとき、女は既に倒れていた少年を軽々と両腕に抱え上げていた。彼女は体勢を崩したロイミュードを一瞥し、自分が攻撃範囲外にいることだけを確認すると、とっとと背を向けて走り出した。

 無論、白いビニールの買い物袋も腕に下げたまま、である。

 

「とりあえず、これぐらいで見逃したげるから。じゃね!」

 

 女が子どもを抱え、定番とも言える捨て台詞を吐いたのは、広場の端から広がる林にかかる場所からであった。見逃してやる、というのは敗者が悔し紛れに使う表現だが、これは負け惜しみでなく勝利宣言である。彼女は最初から被害者を助けることが目的で、ロイミュードとの戦闘の結果には興味がなかったのだ。

 

「何を……ま、待て!」

 

 若い女が軽口に乗せた言葉を聞き咎め、ロイミュードが再び戦いを挑もうと走り出す。

 だが、堅固な外殻に護られた足が数歩踏み出した時には、もう彼女と少年は林の中へと飛び込んでいた。ロイミュードが狂ったように林を見回すが、それも数秒のことであった。

 

「……くそっ!」 

 

 まんまと二人に逃げられたことを悟った鬼ロイミュードが、怨嗟の呻きとともに地面を蹴りつける。

 無数の足跡が残された土の地面の上に一人佇むこととなった異形は、興奮のせいで周囲に気を回すこともなかったらしい。物陰から全てを見ていた霧子へ一度たりとも注意を向けることもなく、かき消えるように姿を消した。

 すべての気配が消え、冬の夜の澄んだ静寂が戻った頃にようやく霧子は息をついた。

 巨木の陰から遊歩道へ戻り、今は暗闇だけが広がる空間を見つめる。

 

「今のは……」

 

 霧子が白い息とともに、改めて呆然とした一言を漏らす。

 刀を武器とする鬼ロイミュードは、間違いなく今世間を騒がせている連続傷害事件の犯人だろう。

 それよりも気になるのは、「どんより」の中で見事な戦いぶりを見せたあの女性であった。斬られそうになっていた子どもを救助したところを見ると、少なくとも悪人ではないのかもしれない。

 ただし、彼女が普通の人間でないことも確かなことだ。

 

 ロイミュードは、必ずしも人間に敵対する立場を取るわけではない。

 とは言っても、あの女性の素性は何もわからないのだから、今の段階で油断するべきではないだろう。彼女がロイミュードであり、再び姿を現す可能性が高い前提で捜査活動を進めていくべきだ。

 勤務時間外にも警察官の職務を忘れない霧子の凛とした横顔が、弱々しい街灯の灯りでくっきりと闇夜に浮かび上がる。

 彼女が視線を向ける先には、大人の賑わいに受かれる夜の街が広がっていた。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -2-

 身体の中を、ざらりとした粗い粒子が通り抜けていく感覚。

 重加速の中に身を投じた時と抜ける時、両方で何度も感じたことがある違和感だったが、抜けるとわかっている時にはほっとする。

 人気のない道路まで辿り着いた女は、安堵の色を瞳に浮かべて呟いた。

 

「ここなら、大丈夫かな」

 

 大きく息をつくと、腕に下げたコンビニエンスストアの袋ががさりと音を立て、中に入っているペットボトルの水が揺らぐのが感じられる。同時に、腕に抱えている少年が小さく呻く声も耳に入っていた。

 助け出した少年の無事を確認するために声をかけようとするが、リュックを背負った少年は固く目を閉ざしてぐったりと動かない。先にロイミュードに襲われたショックが強すぎたのだろう。

 

「ありゃ、気絶しちゃってたか。ええっと……」

 

 困ったように漏らした女は、辺りを見回した。

 今はロイミュードと交戦した公園の入口に当たる場所で、接している道路の幅は広い。都合がいいことに、すぐ側には雨避けとベンチのあるバス停があり、強めの明かりが住宅街でも煌々とした光を放っていた。

 急いで雨避けの下へ走り、少年をベンチに寝かせてバスの時刻表を確認すると、数分もしないうちに次の便が来ることがわかった。これなら、客の誰かか運転手が少年に気づいてくれるだろう。

 

「ごめんね。後はもう警察に任せるから」

 

 まだ意識が戻らない男の子の頭を軽く撫で、女は申し訳なさそうに謝ってから立ち上がった。もうこの場に用はないとばかりに、コンビニ袋を下げた女はバス停から小走りに離れようとする。

 ところが、百メートルも行かないうちに再び彼女は足を止める羽目となった。

 

「お姉さんってさぁ、善いロイミュード?」

「なっ……?」

 

 どこからともなく響いてきた若い男の声に、ライダースジャケットの女が緊張を走らせる。

 彼女が行く道は幅が狭くなってきており、川沿いの小路に通じていた。右手には先の公園の林が金網フェンス越しに広がり、左手は土手に面している。人の気配が皆無で、ただでさえ頼りない街灯もまばらなこの道は、若い女であれば夜は絶対に一人で通らない場所だと言えるだろう。

 劣悪な視界に舌打ちした彼女が声の出所を探ろうと身構えたとき、突如としてブーツを履いた足元が爆ぜた。

 

「うぉわっと!」

 

 一度切りではなく何度も小さな破裂を繰り返す地面に、女は間が抜けた叫びを上げて跳び退いた。

 アスファルトの地面から火花が上がり、きな臭さと薄い煙とが立ち込める。

 彼女は瞬時に何者かが飛び道具を放ったのだと理解しており、ガードレールの陰へ飛び込んでから姿の見えぬ誰かに向かって怒鳴り声を上げた。

 

「ちょっと、どこの誰なの!危ないでしょうが!」

 

 当然ながら、彼女の怒声に対する即時の返答はない。

 女が警戒を解かず身を低くして様子を窺っていると、ほどなく道路脇の背が高い草むらから若い男が進み出てきた。

 

「へえ……人間の姿のままなのに、よく全部避けられたな。その反射神経と運動能力からすると、お姉さん、相当手強いロイミュードだね?さっさと正体現しなよ。その方が、俺も本気でやれるからさ」

 

 どこか人を食った軽い口調が特徴の男は、夜目にもわかる白いジャケットに派手なロゴのシャツを纏い、変わった銃を構えていた。わざわざ身を隠していた場所から姿を現してぬけぬけと言い放つくらいなのだから、相当な自信があるのだろう。

 

 男--詩島剛は、まだガードレールの向こうに潜んでいる女から目を離さない。専用武器のゼンリンシュータの銃口も、勿論向けたままだ。

 彼は女が鬼ロイミュードと公園で一戦交えている時から尾行を続け、戦闘中の姿も愛用のデジタルカメラに納めていた。今まで手を出さずにいたのは、単に姉や罪もない子どもが側にいたからというだけだ。

 そうとも知らず、女は立ち上がってから剛をじろりと睨んで冷たく言った。

 

「……さっきから、何のこと?」

「とぼけんなよ。俺、あんたがどんよりの中で普通に動いてたの、見てたんだぜ」

 

 剛の声が僅かに低くなり、構えたゼンリンシュータに敵意が込められる。

 そう。この女は重加速の中でシフトカーの助けも借りず、平然と戦っていた。彼女が子どもを救ったとは言っても、ロイミュードである事実は覆らないのだ。

 ならば、仮面ライダーマッハである自分が倒さねばならない相手であることは必然であった。

 

 素直に手強いと思える強いロイミュードであっても、己の手で必ず引導を渡して見せるという強い意思が、自然と彼にグリップを握り直させる。

 どうあっても戦うつもりになっている剛の様子から、見た目は姉と同じかそれ以下の歳に見える女が一旦目を逸らし、すぐにまた視線を送ってきた。

 

「にしても……君、変わった銃を持ってるね。この日本で、いつから一般人がそんなものを持てるようになったの?返答によっちゃ、私も黙っていられなくなるんだけど」

「呆れた奴だな。そんなこと言える立場かよ」

 

 話をすり替え、ゼンリンシュータに注意を向けた女がまるで説教するかのような台詞を吐くと、剛が不快そうに唇を歪める。彼が完全に敵愾心しか持っていないことを察し、女が何かに気づいたように視線を宙に上げた。

 

「あ、言われてみればそうか……まぁ、いいや。それをもう撃たないってんなら、大目に見てあげるから」

 

 次には、剛以上にいけしゃあしゃあと大口を叩いて見せる。

 彼女は今でこそ人間の姿をしているが、仮面ライダーマッハたる剛はロイミュードから大目に見られる筋合いなどない。女の憎らしいほどに落ち着いた態度と図々しい一言は、若い剛の怒りに火をつけるだけだった。

 

 これ以上の言葉の応酬は無意味だと判断した剛の身体に熱い血が巡り始め、戦闘の準備を整え始める。とは言っても、最初から変身して挑むつもりはなかった。まず最初に素手での格闘で強さを計り、その際に女がもし本性を現せば、その後に仮面ライダーの姿になっても遅くはないだろう。

 暴れるだけのむかつきを一気に溜めた剛が、踵を浮かせてからゼンリンシュータを後ろの草むらに投げ捨てる。

 

「ちっ!こいつがお気に召さなきゃ、このままで相手してやるだけだ。女だからって、ロイミュードにゃ容赦しねえよ!」

 

 そして次の瞬間、たわめていた両足で地面を蹴って女へと向かっていった。両者の距離が一瞬にして詰まるが、女はガードレールの切れ目に進み出ただけで逃げようともしない。軽く膝を緩めて僅かに沈んだ体勢は、彼女が迎撃するつもりでいることを示している。

 上等だ、と勢い込んだ剛は得意の空手を基本とした拳を叩き込もうと腕を引いた。

 

「おりゃ!」

 

 肚から出た気合の声とともに、鋭い突きが連続で繰り出される。

 だが、女には一発も掠ることすらなかった。彼女が刻む軽いフットワークは胴を狙った攻撃を鮮やかなまでに空振りさせ、愛らしい顔に迫った拳も、ポニーテールに纏められた髪の毛一筋に触れることなく終わらせていた。

 女が素早く後ろへ下がり、両者の間に一瞬の間隙が生まれる。

 

 ならば、と咄嗟に判断した剛が再び間合いを詰め、今度は左右の蹴りを組み入れた攻撃方法に切り替えて挑み直した。上段と中段に突きの攻撃を集中させる一方で下段の急所を狙い、揺さぶりをかける戦法だ。

 戦い方を知っている人間であっても、剛が誇る運動能力の前には皆防御を崩し、隙を見せ、腹や顔に強烈な一撃を喰らって更に大きな隙を呼び込むことになる。

 筈が、やはり女にはただの一発も当てることは叶わなかった。まだ幼ささえ残している女は剛の突きを半身になってすり抜け、蹴りを捌き、有利な間合いを保ったまま、余裕さえ窺える表情で剛の攻撃を避け続けているのだ。

 

「くっ……こいつ!」

 

 既に数十回は続けている打撃攻撃がまるで通じていないことに、剛が歯噛みする。高速の連続技を浴びせて女を一気に追い詰めるつもりが、今や呼吸が乱れ始めているのは自分の方だった。

 それでも攻撃を続けてさえいれば、遠くないうちに女も集中力が切れて必ず隙が生まれるのは間違いなく、そこから畳み掛けることは可能な筈だ。今度はそれを狙って、体力の消耗が少ない軽めの攻撃に切り替えた方がいいだろう。

 

 剛が作戦変更に伴い思考を巡らせたとき、僅かに動きが鈍ったのを女は見逃していなかった。

 彼の荒い息遣いに、ひゅっと女が短く息を吸う音が混ざる。

 敵が反撃に転じてくることを察した剛は反射的に身を引こうとしたが、彼女の素早さは彼を遥かに上回っていた。剛が突いた腕が伸び切る一瞬を狙ってその手首を捕らえ、そのまま上腕に反対の腕を巻きつけてくる。

 

「どうせ私が何を言っても、聞く気はないんでしょ!」

 

 鋭く言い放った女が剛の腕を取ったまま背後に回り込み、手首を捻り上げてくる。途端、腕から上半身全体に響く激痛が剛を襲った。

 

「いててて!くそっ……離せよ、畜生!」

「動かないで!骨折したくなきゃ、抵抗するな!」

 

 右腕の関節を後ろに決められた格好になった剛がもがいて叫ぶが、女は恫喝とも取れる一言を発し、拘束を緩める様子はない。まるで警察官である姉が犯罪者を確保した時のような迫力ある声は、若き仮面ライダーたる男も思わず暴れるのを躊躇するほどであった。

 

 相手が大人しくなる兆しありと見た女は、それ以上腕を捻り上げようとしてこない。先の鬼ロイミュードと一戦交えた時と同じく、相手を倒すつもりがないことを感じさせる応じ方だ。

 自らの意思をよりはっきりと伝えようとしているのか、彼女は抑えた声で続けた。

 

「君、格闘技経験あるでしょ?なかなかいい動きしてるし、そこは誉めてあげる。だけど、これ以上は止めときな。いい加減にしないと、おねーさんも本気で怒るよ?」

「そいつはどうも……けどあんたも、油断は禁物だぜ!」

 

 痛みに歪められていた剛の唇の端が吊り上がる。と同時に彼は、固められている右腕にわざと体重を預けた。途端に関節から全身へと痛みが走り抜けるが、それもほんの一瞬であった。

 女が、彼の右手首をがっちりと拘束していた手を突然離したからだ。

 

 彼女が「本気で」と発言したことから、剛は相手が本当に腕を折ろうとしているのではないことを覚り、一見すると無謀と思われる行動に出たのだ。

 その甘さが命取りだと言わんばかりに、剛の口許に不敵な笑いが浮かぶ。

 腕関節の固め技から解放された若者は、地面に片手をついて腰を落とした不安定な体勢を立て直すと、お返しとばかりに女へ後ろ蹴りを見舞う。

 

「っと!」

 

 だが、彼女は腹を狙ってきた中段蹴りの軌道を片手で難なく逸らし、飛び退いて距離を取ろうとした。今度は剛がそれを許さず、詰め寄って上段攻撃を拳で叩き込まんとする。再び開始された若き戦士の猛攻を弾き、かわし、捌きながら、女は悪態をついた。

 

「口の利き方は五人前な癖に、レディに対する礼儀は半人前以下だね!」

「レディとか……自分で言うかよ!」

 

 減らず口に雑言で返し、剛が至近距離から女の顎目掛けて突きを繰り出す。彼女は膝を緩めて突きを空振りさせ、ジャケットの腕を肘で突き上げつつ隙間を空けずに襲ってきた膝蹴りを避け、剛の横へ擦り抜けた。

 相当腕に覚えがある物でなければ不可能な動きだ。女が発する殺気のせいなのか、その半身が白く輝く火花を纏ったかの如き像が剛の網膜に残された気さえする。

 

「ぎゃっ!」

 

 剛が悲鳴を上げたのは、その時である。首筋に強烈な痛みが走り、自分が苦鳴を漏らしたと思った瞬間にはもう、女を追おうとしていた脚が主の命令についていけずにもつれていた。

 首筋に走った痛みは、打撃によるそれではなかったのだ。

 女から攻撃されたのはわかる。だが、急所に喰らった場合の一瞬で気が遠くなる種類のダメージとは全く違っていた。両脚ばかりでなく、両腕にも全く力が入らなくなって、剛は四肢を引きずるような不様な姿勢で草むらの中へと倒れ込んでしまったのだ。

 

 一体どんな攻撃をしてきたのか、まるで訳がわからない。が、ロイミュードの特殊能力によるのだとしたら、汚い手を使われたものだ。

 格闘以外の手で容易く倒された剛は、罵声を浴びせようとうつ伏した顔を上げようとする。にもかかわらず、彼は舌までが痺れてろくに喋ることもできない有様だった。

 彼の頭の中は怒りと屈辱で沸騰しそうになっていたが、女が後ろから投げつけてきたのは辛辣極まりない言葉であった。

 

「私も、長時間遊んでられるほど暇じゃないの。あんたは暫くそこで寝てなさい。三十分もすりゃあ動けるだろうから、風邪はひかないでしょ」

 

 女の口調にはどちらかと言えばたしなめるような響きがあったが、剛は完全に見下されていると感じたに違いない。彼女の声の最後に、コンビニエンスストアの袋を拾い上げたがさりと言う音が重なったのも、余計に若い男のプライドを刺激していた。

 

「くっそ……こ、この……待てよ……!」

 

 何とか喉の奥から声を絞り出した剛だったが、未だ脱力感に支配されている手足ではうつ伏した姿勢を変えることもままならない。戦いの雑音から一転して静けさを取り戻した裏道とは裏腹に、若き戦士の心には憤怒が渦巻くばかりだ。

 段々と遠ざかっていく女の小さな足音に、彼は枯れた草を握りしめることしかできずにいた。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -3-

 冬の朝の弱々しい陽光は、建物に長く薄い影を落とさせて、足早に学校や職場へ向かう人々の姿を寒さの中に浮かび上がらせている。そこには忙しない人々の日常がいつものように在るだけで、その集団の中にいれば、変わった匂いは何もないように思えるだろう。

 

 しかし、新たに発生したロイミュードによる連続障害事件は、人々を恐怖と疑惑の渦へ落としていた。なのに、当たり前の光景は変わった姿をなかなか晒そうとしない。

 久留間運転試験場にある特状課は僅かな情報からその変化に迫り、事実を明らかにすることを使命とする。

 そのための新たな情報がオフィスに舞い込んできたのは、職員が出勤してくる直前のことであった。

 

「なに?例の連続傷害事件未遂?」

 

 現八郎がコートを壁際のロッカーにしまいつつ眉根を寄せると、既に出勤していた進ノ介が応えた。

 

「はい、昨日の夜二十時頃に。被害者に怪我はなかったそうですが、どんよりの発生と例のロイミュードの姿が確認されています」

「前の事件から、まだ三日と経ってないってのに……これは早く何とかしないと、被害者がどんどん増える可能性が高くなるな」

 

 進ノ介が新たに発生した事件の詳細を手元の書類で確認し、現八郎は昨日から追記されていないホワイトボードを睨む。二人の男が険しい表情になったのを受け、彼らの側に立っていた究も頷いた。

 

「僕は早速データを漁ってみて、ロイミュードが人間をコピーした形跡が残っていないかどうかを確認してみ……ぎゃ!」

 

 勢い込んでデスクに向かった究が、右足を何かに思い切りぶつけて悲鳴を上げた。ごん、と金属を蹴った衝撃が鈍い音となってオフィスに響く。

 

「いっててててて!もう、何だよこれ!」

「何だぁ、この机は?昨日までは、こんなところに無かったってえのに」

 

 痛みが走る右足を抱えて飛び跳ねる究を尻目に、現八郎が見慣れないオフィス用デスクをしげしげと見つめた。

 が、早目に出勤していた進ノ介がしれっと言った。

 

「ああ。今日から一人、外部研修に来る人がいるってことなんですよ。だから、置いておいたんです」

「外部研修?ここに?」

 

 まだ痛みの響く右足を宙に浮かせた究が口許をへの字に曲げると、若き刑事も彼の視線を追ってデスクを見やる。

 

「何でも、FBIから女性の特別捜査官が日本のロイミュード対策を調べに来るとかで」

「FBI……FBIって、あのFBIか!」

「らしいです」

 

 進ノ介が何でもないことのように続けた言葉ではあったが内容は驚くべきもので、現八郎が思わず単語を復唱する。

 FBI、つまりアメリカ連邦捜査局。

 犯罪捜査の技術もさることながら抱えた人材には各分野のエキスパートが揃い、人質救出部隊などの特殊部隊をも自前で持つ、世界一の犯罪捜査機構である。映画やテレビなどで誰もがその名を一度は聞いたことがある、有名な組織だ。

 

 そんなところからこの特状課に捜査官が、しかも女性が来るというのだ。現八郎のテンションは、嫌が上にでも高くなる。

 アメリカ人の特別捜査官までになる女性であれば、極めて優秀なキャリアウーマンに違いない。明晰な頭脳を持ち、射撃や武道の腕に優れ、見事な手腕で数々の事件を鮮やかに解決していた図が自然と頭の中に描かれる。

 

「FBI……アメリカ人とくれば……青い瞳に、金髪の美女!」

 

 そこに何故か非の打ち所のない容姿という要素がつけ加えられ、現八郎の妄想が典型的白人美女を形容する単語とともに外へとこぼれ出していた。

 

「で、格好は……」

 

 呼応して、傍らの究までもが呟く。

 彼もまた逞しい妄想力を駆使していたが、現八郎とは異なる方向性であった。

 女捜査官のファッションはきっと黒レザーのぴったりとしたジャンプスーツで、同じく黒のバイクのヘルメットを取ると、そこから流れる長い金色の髪が軽く音を立てて肩の上に落ちる。そして、日本では決して生まれることのない鮮やかな色の瞳で特状課の一同を眺め、華麗な笑顔で挨拶を寄越すのだ。

 

「うおおおおおおお!」

 

 勝手な想像を暴発させた二人の男が、揃って雄叫びを上げる。

 

「あのー、お二人とも何か勘違いしてません?」

 

 意味もなくハイタッチを交わす現八郎と究に、進ノ介はやや引き気味だ。

 

「泊さん、ちょっとお話が」

 

 男たちの醸す異様な空気に割り込んできたのは、コートを置いてきたばかりの霧子だった。

 進ノ介が未だ盛り上がり続ける現八郎と究を尻目に、声をかけてきた制服姿の女性警察官の方を振り返る。

 

「ん?どうかしたのか、霧子」

「ここじゃちょっと……」

 

 対する霧子は言い辛そうではあるが、はしゃぐ男二人の姿に圧されたわけではないようだ。

 察した進ノ介が、後でドライブピットに行くことを持ちかけようとした時である。特状課のきつい段差がある出入口が開き、コート姿のりんなが姿を見せた。

 

「おっはよー、みんな!あ、足元に気をつけてね」

「すみません、ありがとうございます」

 

 りんなの後ろで遠慮がちに言う女性の声が、元気な挨拶の終わりに重なる。コートを脱ぎながらロッカーに進むりんなに続き、その女性もオフィスの中へと入ってきた。

 四つに跨がって名前の貼られたロッカーのうちの一つを開けるりんなへ、やはり控え目に女が言う。

 

「あの……本願寺課長はいらっしゃいますでしょうか」

「あれ?先生、誰この子」

「ここに用があるっていうから、案内してきたんだけど」

 

 伴ってきた女性の存在に気づいた究が傍に来たためりんなが説明すると、後からやってきた現八郎も女性にちらりと視線を走らせた。

 

 紺色のコートの下に黒のパンツスーツというビジネススタイルの女性は、ストレートの豊かな髪をポニーテールにきっちり纏めているものの、黒目がちな大きな瞳にはまだ幼さが見て取れる印象だった。特状課において若手の進ノ介や霧子よりも更に若く見える娘は、恐らく仕事に必要な運転免許を取得するために初めて試験場を訪れたのであろう。

 

 一目で真実の姿を見破ったらしい現八郎が、首を何度も横に振りながら小柄な彼女の前に立ち塞がった。

 

「ああ、運転試験の会場はあっちだから。ここはねぇ、嬢ちゃんみたいな一般人は立入禁止なんだよ」

「いえあの、そうではなく。私は……」

 

 本願寺課長の名を口に出していた娘は困惑の色を顔に出して辺りを見回した末、コートの内ポケットに右手を突っ込んだ。しかし、足はまるで動かす気がないらしい様子に痺れを切らし、現八郎がその背をぐいぐい押していく。

 

「ほらほら!急がねぇと、最初の受付締め切りがもうすぐだから」

 

 しょうがねえなぁ、と顔に書いてある現八郎が容赦なく娘をオフィスの外へ送り出そうとする。細身の身体がドアの外に押しやられようとしたその時、娘はようやく内ポケットから取り出したカードケースを開き、現八郎の眼前に広げて見せていた。

 

「あの!……私、こういう者なんです。本日より暫くお世話になりますので、最初に一言ご挨拶をと思いまして」

「あー、FBIね。うち、そういうのは間に合ってるから」

 

 顔の正面に突きつけられた、顔写真入りの身分証に記されている大きなアルファベットをだけを復唱し、現八郎が溜め息を漏らす。

 

「ん……?F、B、I……」

 

 と、やはり身分証の目立つアルファベットと記章を目にした究が、鸚鵡返しに繰り返した。ただし彼は、ずれかけた眼鏡を無意識に直して息を飲んだ形である。

 その究の反応につられ、現八郎は面倒臭そうにもう一度身分証に視線をよこした。

 

「え……ふ、えふびーあい?」

 

 娘を押し出そうとした足をはたと止めて、つい間が抜けた声を上げて再度イントネーションもめちゃくちゃに、現八郎は一文字一文字を読み上げてしまう。

 FBI。ついさっき話題にしたばかりの、世界最高峰と言って差し支えのないアメリカの法執行機関である。

 金髪で青い瞳の、妖艶な美女。見事なボディラインを隠そうともしない堂々とした黒のレザーファッションに、大型のバイクを難なく乗りこなしてしまう迫力。

 

 現八郎は究と二人、B級映画で見かけるステレオタイプな女性捜査官を思い描いて騒いでた。なのに今目の前に立っているのは、流暢な日本語を操る東洋人--と言うよりも、日本人の大学生か就職したてくらいにしか見えない若い娘なのである。

 

「えぇえぇぇぇぇえええええ!」

 

 流石に度肝を抜かれた究と現八郎が驚愕の叫びを上げ、娘の前から飛び退いた。

 

「じじじじじじゃあ君が、いえ貴女様が、今日からここに派遣されたって言う、FBIの特別捜査官?」

「はい……どうも」

 

 一言返した女性捜査官が改めて頭を下げ、身分証をコートの内ポケットに戻す。盛大にどもった究に指をさされたことは特に気にせず、困ったような笑顔を浮かべているだけだ。現八郎と究の二人が脇へとよけ、オフィスの中がよく見えるようになったのが気になるのだろう。大きく黒い瞳が忙しなくあちこちへ飛んで、部屋の中をさりげなく観察しているようであった。

 

「あっ……!」

 

 そして、視界を遮るものがなくなったことで観察を始めたのは、女性捜査官だけではなかった。究と現八郎の陰に隠れていた彼女の顔をはっきりと見た霧子が思いがけず声を上げ、驚きの色を浮かべる。

 幼さを残した顔とポニーテールに結った茶色の長い髪、コートの裾から突き出している華奢な脚、抑えた調子で話していても伝わってくる声の張り。

 

 その全てに覚えがあった。女性捜査官の姿は、昨晩に霧子が公園で見たあの若い女性そのものだったのだ。

 彼女が連続無差別傷害事件の犯人と思しきロイミュードと演じていた格闘の光景が、まざまざと霧子の脳裏に蘇ってくる。どんより発生中に戦っていた女性捜査官も、ロイミュードである可能性が極めて高いのだ。それが特状課に潜り込んでくるなど、誰が想像したであろうか。

 

 万一今あんな力で暴れられたら、ここにいるメンバーだけではとても抑えられない。その上頼みの綱の進ノ介は、この場で仮面ライダーに変身することもできないのだ。

 ならば、とにかく今すぐ確保せねば!

 そう霧子が決意したとき、素っ頓狂な声が聞こえた。

 

「おっ、やってるねぇ!みんな、紹介するからこっちに注目!」

 

 特状課課長である本願寺が女性捜査官の背後に姿を見せたのと、霧子が手錠に指先を伸ばしたのはほぼ同時であった。自然と本願寺がオフィスの奥にある自分のデスクへ向かい、女性捜査官がその後に従う形となる。

 これでは、本願寺を盾にされる可能性があった。

 気が逸るものの迂闊なことはできないと、不本意ながらも霧子が手を引っ込める。

 

「いや~、みんなに話すのがちょっと遅れちゃって申し訳ない。彼女はねぇ……今日からこの特状課で研修する、FBIから派遣されてきた特別捜査官の間未来さん。主に、アメリカでのロイミュード対策に関して学ぶのが目的だから。色々と教えてあげちゃってくださいね」

 

 部下である霧子に短いが激しい葛藤があったことも知らず、本願寺は軽い口調で隣に立つ女性捜査官を紹介する。それを受け、彼女は軽く咳払いをしてから改まって口を開いた。

 

「アメリカ連邦捜査局より参りました。凶悪犯罪対応特殊機動分隊所属、特別捜査官の間未来です。ご紹介に預かりました通り、アメリカでのロイミュード犯罪の具体的な対応策を学ぶために、暫くご厄介になります。皆様の指導、ご鞭撻、何卒よろしくお願いします」

 

 間未来なる捜査官が、自己紹介ののちに畏まって深く頭を下げる。はっきりと、しかし低めに抑えられた声は落ち着いた感じで、童顔に相反して隙のない印象を与えてくる。ダークスーツの立ち姿は華奢な女の子にしか見えない一方、その大きな瞳には聡明さと鋭さを湛えていることもわかるほどだ。

 

 だが、彼女が皆ににっこりと微笑んで見せてくれたことで、肩書きに見合う取っつきにくさは取り払われた。

 未来は連邦捜査官なのだからアメリカ人であることに間違いはないのだろうが、どこから聞いても立派な日本語と日本人名は、純日本人であると言って差し支えはない。むしろ本当にFBIの特別捜査官なのかと疑いたくなるほどであった。

 

「……普通だ」

「ですね」

 

 唖然とした現八郎がこぼすと、究が同様に頷く。

 

『ハァイ!私、Americaから来たF.B.I.ソウサカーンデース!好きな食べモノはJapanese NudleとSoi Sorce、みなさま、ヨロシクおねがいしマース!』

 

 白人の金髪碧眼美女がこのように陽気な挨拶をしてくると二人して想像していたのだから、彼らとしては当然と言えば当然の反応であろう。

 

「は?」

 

 一方、彼らの様子にこれまた怪訝そうな反応を示したのは進ノ介である。

 

「んじゃ、一人一人自己紹介してね」

「はっ、はははははい!」

 

 しかしあくまでマイペースを貫く本願寺は、部下たちのリアクションを気にせず次の行動を促す。

 いきなりの指名に慌てた究の声が裏返るが、彼は慌ててぴしっと姿勢を正して新たな仲間の方へと向き直った。

 

「さ、西城究です!あ、いや、これはハンドルネームだから、本名を言った方がいいのかな……」

「はいはい究ちゃん、それ以上は後で!次は霧子ちゃん、お願いしますよ」

 

 しどろもどろになった究の自己紹介が長引きそうだと見るや、本願寺は霧子へと話を振る。

 

「詩島と申します。階級は巡査です。よろしくお願いします」

 

 霧子は未来へ敬礼し笑顔を返しつつも、目まで笑わせることができず硬くなるのは隠せない。なのに未来からはよろしくと屈託のない微笑みを返されて、まさに形ばかりの挨拶であることを見透かされている気すらした。

 

「追田現八郎です。何かわからないことがあったら何でも、この俺に聞いてくれて大丈夫ですから!」

 

 次いで現八郎が自らの胸をどんと叩く。まっすぐな心根を持つベテラン刑事の彼は、早くも未来のためにできることをしてやりたい、という使命感から来る熱さを感じさせる口調になっていた。

 

「沢上りんなです、下の名前で呼んじゃってね!他のみんなもそうだから」

 

 りんなは普段と何ら変わった様子は見せず、親しみを込めた挨拶を送っている。この科学者と言っていい女性の天才的な頭脳は、時として真実を最初から見抜くほどの明晰さを見せるが、今の時点でどんな計算を弾き出したかは誰にもわからない。

 

「泊進ノ介です。よろしく」

 

 最後に進ノ介が、軽く頭を下げて名乗る。彼もいつもと変わらない調子でいながら相手を細かく観察してしまうのは、刑事としての癖であろう。

 

「泊……進ノ介?」

 

 だが、未来は若き刑事の名を耳にして明らかな驚きを示していた。

 フルネームを反芻された進ノ介が思わず顔を上げると、未来と丁度視線を合わせる形となる。

 

「まさか……もしかして、進ちゃん?」

「え?」

 

 進ノ介は聞き慣れないあだ名で呼ばれたことに目を丸くする。

 進ちゃん、などとはついぞ呼ばれたことがない。あるとすれば遠い昔、それこそ十年以上は前の子どもの頃のことだ。

 

「進ちゃん?」

 

 特状課の皆も、初めて聞く進ノ介のニックネームに反応して異口同音に繰り返していた。

 色々な声で一気に呼ばれた気がする進ノ介は、幼いときにごく親しい友達からそう呼ばれていたことを思い起こしていた。

--けど、FBIの捜査官になるような女の子がいたっけ?

 進ノ介の頭の中は疑問符だらけで、この間未来なる人物が一体誰なのか全くわからない。人違いかと思ったらしい女性捜査官が、ふと不安そうな色を黒い瞳に横切らせた。

 

 しかしその危なっかしい雰囲気にこそ、進ノ介には覚えがあった。

 まだ十歳に届くか届かないかの頃、いつもひとりぼっちでいたおかっぱ頭の少女。

 クラスメイトからつま弾きにされていたのを庇ったときに見た、安心を探し続けているような、悲しみで揺れる瞳。

 

「はざま、みき……あ!」

 

 自然と目の前の女性の名を口にしたとき、記憶が進ノ介の中で繋がった。

 

「お前、ひょっとしてミッキー……ミッキーなのか!」

 

 そして彼が口にしたのもまた、小さかった彼女を呼ぶときの愛称であった。

 まさかあの虐められっ子が、泣く子も黙るFBI特別捜査官になっているとは!

 思いつくことすらなかった奇跡の再会、と言うべきであろう。

 進ノ介の表情が、驚きから懐かしさを湛えた笑顔へと変わる。

 

「……ミッキー?」

 

 その様子を見守っていた霧子が呟き、不審そうな色を浮かべたことに彼は気づくことができないでいた。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -4-

 久留間運転免許試験場の屋上に、二月にしては暖かな陽射しが降り注いでいる。

 冬の終わりと春の訪れを同時に感じさせる空気の中には、二人の若い男女が佇んでいた。

 

「久しぶりだねぇ。あんた、本当に刑事になってたんだね」

「おかげさまでな。何年ぶりだろうな?」

 

 錆が浮いた手摺りに冷たさも介せず手をかけた進ノ介が、隣に立つ未来へ明るく返した。

 二人の身長差は二十五センチはあるが、未来も気にすることなく進ノ介の顔を見上げてくる。

 

「私が四年生で転校して以来だから、ざっと十四年じゃない?やー、懐かしいわ。それにしても……でっかく育ったねぇ!」

 

 幼馴染みの爪先から頭のてっぺんまでを改めて眺め、心底から懐かしげに笑った未来の小さな手が、広い背中を叩く。途端、バーンと大きな衝突音が屋上全体に響いた。

 

「いでぇ!」

 

 背に強烈な一撃を受けた進ノ介が、悲鳴を漏らして思わず前につんのめる。冗談ではなく身体ごと屋上の外へ弾き出されそうになり、彼は慌てて手摺りを掴んだ。

 

「……お前、いつからそんな馬鹿力になったんだよ」

「あ、悪い悪い。つい本気で」

 

 手摺りにもたれて呻く進ノ介に謝る未来ではあったが、殆ど悪びれている様子はない。

 まだずきずきと痛む背中を庇いつつ、彼はポニーテールの髪をそよ風になびかせている女捜査官をもう一度見やった。

 進ノ介の知る小学生の頃の未来は痩せっぽちの内気な少女で、学校の休み時間には一人で飼育小屋で兎や鶏を眺めたり、本を読んだりしている姿が記憶に残っていた。

 

 それが今や誰にでもフレンドリーで、どんな状況でも臆することなく現場に突入し、犯罪者と戦う捜査官になっているなど、誰が予想できたであろうか。当時の面影は残ってはいるが、おどおどした暗い雰囲気は欠片もない。

 別人のような未来の現在に、進ノ介は思わず正直な感想を口にしていた。

 

「けどお前こそ、まさかFBIの捜査官になってるなんて。そっちの方が驚きだよ。昔のお前、警察とかそういうのに一番縁遠そうなタイプだったのに……今見たところだと」

「犯罪者に噛みつく警察犬みたいでしょ?たまに殺気がありすぎだって言われること、あるよ」

 

 幼馴染みの言葉を受けた未来の笑顔に、ほろ苦さが混ざる。

 僅かながら口調も落ちたのを感じた進ノ介は、慌ててフォローを入れようとした。

 

「い、いや……別にそんなことは」

「いいよ、本当のことなんだしね。あの後色々あって、こうなっちゃった感じなんだ」

「そう……みたいだな。お前が苛められる度に俺が割って入ってたけど、それが嘘みたいだよ」

 

 未来が久し振りに見る久留間の街並みに視線を流すと、進ノ介も自然とそれを追いかける形となる。

 家が近所だった二人は、未来が父親の仕事の都合で引っ越す十歳までずっと一緒に育ち、よく遊んだ仲だった。学校では大人しかった未来も進ノ介と一緒にいる時は口数が多くなり、街角を元気よく走り回っていたのを思い出す。彼等の眼下に広がる久留間の街並みは当時と変わっていたが、同じ思い出をそこに見つけることができるのだ。

 が、もう過去は吹っ切ったと言いたげな未来は、もう一度にっこりと笑って見せた。

 

「はは。あの頃の私は本ばっか読んでて暗かったし、ぼんやりしてることも多い、どんくさい子だったからね。自分の意見もちゃんと言えない、モヤシだったなって思うよ」

「まあな……」

 

 進ノ介が、噛みしめるように未来の声に短い返事を重ねる。

 人の思い出とは、美しいものばかりではない。

 恐らく未来にとっては忘れたいであろう辛い記憶も、二人の中には確かに刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 小学校三年生の時だった。

 誰かが教室を泥で汚すという事件が起こり、皆が自分がやったのではないと否定する中、内気な未来は自分の意見を何も言えないでいた。ために、周囲が彼女を犯人と決めつけて、その日から虐めの標的となったのだ。

 子どもの集団心理とは恐ろしいもので、雑巾をぶつけたり、靴に砂を入れたり、酷く陰湿な攻撃に発展するまで一月は要しなかった。

 

 更に厄介だったのがクラスの皆が結託し、教師には虐めの事実を徹底的に隠していたことであろう。未来も未来で親に心配をかけたくない、自分が我慢すればそのうち皆も飽きるからと、この状況に耐えていたことが事態の悪化に拍車をかけていた。

 そして放課後に校庭の隅で未来を集団で取り囲んで糾弾することが、日常茶飯事にまでなっていったのだ。

 

「おい、おめーがやったんだろ?何とか言ってみろよ!」

 

 惨事の発端となった事件のことを男子の一人が持ち出すが、未来は俯くだけだった。言い返せば余計に虐められることはわかっていたし、その勇気もなかったからだ。

 しかし彼女をバスケットゴールの陰に追い詰めていた四人の男子には、押し黙られたままでいることもまた格好の攻撃材料となっていた。

 

「こいつ口がねえんじゃねーの?」

「んだよ、こっち見てんなよキメェ!おめーなんか、学校に来てんじゃねえよ!」

「そうだよ。おめーがいない方が、みんな喜ぶんだよ。ウソつきは早くしね。しんじまえ!」

 

 子ども特有の憎たらしい顔で聞くに耐えない罵詈雑言を吐きながら、男子たちは盛り上がる。

 中でもリーダー格を気取っていた男子が、最後に未来の肩を片手で小突いた。

 

「……あ」

 

 突き飛ばされた格好となった未来がよろけ、持っていたトートバッグを地面に落とす。

 

「きったねええええ!こっちに飛ばすんじゃねーよ、こんなもん!」

 

 シンプルだが仕立てのいいブランド物のバッグを、リーダー格の男子が踏みつけようとした時である。

 

「おい、何やってんだよ!」

 

 後ろから響いた声が、その卑劣な行動を阻んだ。

 息を弾ませて走ってきたらしい進ノ介が、四人の男子を両腕で押し退けながら割り込んでくる。

 

「やめろよ、オマエら!ミッキーは何もしてないじゃんか!それにしねとか、言っていいことと悪いことがあるだろ!」

「何だよ泊、そんなキモイ奴庇うのか?」

 

 男子たちの前に立ち塞がる進ノ介に、男子の一人がむっとして食って掛かる。更に別の一人が、背後に未来を庇う格好となった進ノ介を指差して嘲った。

 

「あー、こいつとーちゃんがケーサツだからって真似してやがんの!」

「そんなんじゃない、弱い者イジメが嫌いだからだよ。一人をみんなで攻撃して、ヒキョーだと思わないのかよ!」

 

 悪意がたっぷり込められた幼い雑言は、進ノ介の怒りを掻き立てるだけだった。真っ当な正論で反撃してくるクラスメイトに、リーダー格の男子が派手に舌打ちする。

 

「ちっ……あーあー、格好つけにゃついていけねーよ!」

「はいはい、すーみーまーせーん!でしたぁ!」

「とーちゃんに言いつけんなよ!後でひでーぞ!」

「そうだよ、しらねえからな!」

 

 陣頭指揮を取る立場の男子が進ノ介と未来に背を向けると、他の三人も捨て台詞を残しつつその後を追って駆け出していく。

 四人の男子は、ものの数メートル程度で早々にこちらへの興味を失ったらしい。この後の遊び場について賑やかにさえずる姿が、どんどん遠ざかっていく。一団を睨み続けていた進ノ介は、その声が完全に聞こえなくなってからようやく肩の力を抜いた。

 

「ミッキー、平気か?」

「……うん」

 

 進ノ介が笑顔で振り返ると、後ろにいた未来がこっくりと頷いて見せる。泣くのを堪えているらしい顔は怯えてこわばり、地面に落ちたトートバッグを拾う余裕も無かったようだった。

 

「ほらこれ、ミッキーのだろ?……とりあえず、砂だけは落ちたみたいだから」

 

 それに気づいた進ノ介がさっと紺色のバッグを拾い上げ、砂を払ってから手渡そうとした。

 

「……ありがとう、進ちゃん」

 

 華奢な少女が幼馴染みに小さく礼を言う声には、安堵の色が滲み出ている。

 

「けど、たまにはやり返せよ。あいつら、ミッキーに殴られても仕方ないくらいのことはやってるんだから」

 

 進ノ介が励ましてやると、未来の差し出した手の震えが止まったような気がした。

 

 確かに、怯え切っていたあの頃の少女はもういない。ここまで変わるのに未来は相当な努力を重ねただろうし、自らを厳しく律し続けて来たのだろう。

 だが、進ノ介は彼女が放つ気配に違和感を感じていた。

 スーツのジャケットから覗くショルダーホルスターに収められたグロックのグリップも、落ち着いた態度の中に時折閃かせる鋭さと強さも、どこか無理があるような気がするのだ。

 

「そう言や、私をあだ名で呼んでくれてたのって進ちゃんだけだったよね」

「そりゃ、赤ん坊の頃から一緒だったからな。癖にもなるって」

 

 当の本人は進ノ介の思いに気づかず会話を続け、彼もまた敢えて口に出すことはしないでおく。

 

「お前はクラスで目立たなかったけど、頭は良かったじゃんか。いつもいつも、テストは全科目で満点でさ。それに、運動だって極端にできないってわけじゃなかっただろ。確か、水泳は学年トップじゃなかったっけ?一年生で百メートル以上泳げたのって、お前だけだったよな」

「やだなぁ、そんなことまだ覚えてるの?」

 

 思い出話を続ける進ノ介と未来の間に、やや強い風が吹きつけた。

 ひゅう、と高い音を伴って手摺りの間を抜ける寒風が、身震いを誘ってくる。自らの上半身を抱き締めて暖を取ろうとする未来が、照れたように笑っていた。

 

「勉強しか取り柄がなかったし、スポーツはねぇ……目立つのが嫌で、水泳以外はかなり手ぇ抜いてたから。それにそんなの、小学校の話じゃん?それ以降はさっぱりだったっての」

「けど今は特別捜査官なんだろ?相当できなきゃ、アメリカでそんな仕事には就けないはずなんじゃ……」

「んー、その辺は色々とね。けど、今の私は変わったんだよ。この手で逮捕した犯罪者は、もう両手じゃ数えられないくらいなんだから。ま、捜査官としては本当にぺーぺーの新人なんだけど。正式な辞令が下りたのも、実はまだ半年くらい前のことでさ」

 

 矛盾を突いてきた進ノ介に、未来が話の終わりを濁す。さりげなく話題をすり替えるのは、ここまで自分を変えてしまったことにあまり触れて欲しくない、という意思表示なのだろう。

 彼女は眼差しを上げて柔らかいの日差しに目を細めると、一旦切った言葉を繋げた。

 

「けど、進ちゃんが助けてくれたことは感謝してる。じゃなかったら私、自殺してここにはいなかったかも知れないから」

「自殺って……!」

 

 進ノ介が慌てたことは気に留めず、未来が小さく笑って息をつく。

 

「子供心に、本当に辛くてさ……結局、転校して逃げちゃったんだけどね」

 

 冬の澄んだ空気にはっきりと浮かぶ街に遠い視線を巡らせ、ぽつりとこぼした声には自嘲の響きが混ざっていた。

 子どものやったことが原因で、子どもが死ぬ。

 現代社会では最早珍しくもないことであったが、進ノ介が担当した事件の中に虐めによる自殺がまだないのは、幸いと言えるだろう。そんな悲惨な事件など、出来れば一生目の当たりにしたくはなかった。

 

 子どもは人の痛みを知らないが故に残酷で、純粋な醜さがある。

 透き通った闇はあっと言う間に標的とした相手をぼろぼろにし、心を蝕んでいく。人間に潜んだ猛毒に侵された幼い被害者の精神は、今という地獄から逃げようとしても叶わず、人を信じることができず、遂には明日に希望を見つけることもできなくなってしまうのだ。

 見失った未来を探してさ迷うより、虐められ続けるより、命を断った方がましだと思ってしまう子どもが後を絶たないほどに、その絶望は深い。

 

 虐めで心に負わされた傷の痛みは、同じ目に遭った者にしかわからないだろう。

 だからこそ彼らに寄り添ってやることが大事だし、加害者には自分のやったことの意味を必ずわからせねばならない。

 --今の進ノ介なら、そうやって考えることができる。

 しかし、自殺を考えるほど追い詰められた人物がごく身近にいたことは衝撃であった。

 自殺は最後の逃避手段であると同時に、究極の自己否定でもある。

 当時の進ノ介は被害者である未来を無条件に庇っていたが、果たして彼女のことをちゃんと思いやっていたと言えるのか。

 

 自分もまた虐められたことがなく、未来が味わっていた苦しみを本当に知っているとは言えないからだ。

 自らの存在を消そうとまでしていた少女の心を、無意識のうちに踏みにじってしまったことはなかっただろうか?

 遠い昔の記憶に、答えが見つかる筈もない。

 だから彼は、ただ頷くことしかできなかった。

 

「そうか……けど、お前が皆の前で泣いたのは一度きりだっただろ。それだけ芯は強かったってことじゃないのか」

「あの頃は……負けたくなかったんだよね。正直、あんたの優しさは堪えてたよ」

「え?」

 

 声の調子を落とした未来の言葉に、進ノ介の表情が曇る。

 

「ま、今のはあんま気にしないでね」

 

 場都が悪そうに、未来は幼馴染みの二の句を笑顔で封じておいた。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -5-

 人気がない久留間運転免許試験場の屋上で二人の男女が交わす言葉は、さほど大きく響いてくるわけではない。

 だから給水タンクの後ろに隠れた特状課の面々は、会話の詳細まで把握することはできずにいた。しかしそれでも進ノ介と未来が時折笑い合い、肩が触れるほど近い距離にいることはわかる。彼らが本当に古くからの友人であることは、その様子からも明らかであった。

 

「……まさか、あの二人が知り合い同士だったとはなぁ」

「幼馴染みの二人が、十数年の時を経て再会。嘗ての少年は刑事となり、嘗ての少女はFBI特別捜査官。恋愛フラグキタコレな展開で、これって何てラノベの世界なんですか?ぐぬぬ、泊くん……何てうらやまけしからん!」

 

 感心したように呟く現八郎の横で、究がこちらは何故か悔しそうに歯噛みしている。

 

「でも彼女、泊くんに久し振りに会ったのに、自然と馴染んでるわねぇ。流石にアメリカ仕込みね」

 

 大きな給水タンクに張りついて進ノ介たちの挙動を観察している男二人の後ろから、りんなもまた興味津々で覗き込んでいた。

 

「いやぁ、だからですかねぇ?あんなに気軽にボディタッチしてるのは」

「お互いに軽口叩いて、笑い合って、昔を懐かしんで……ぐぬぬ、やっぱり何てうらやまけしからん事態なんだ!」

 

 現八郎と究が身を乗り出させようとする側から、未来が笑顔で進ノ介の肩を軽く叩いている。実は先からその度に進ノ介が前のめりになって咳き込んでいるのだが、やや過剰な反応とも言えるだろう。

 

「泊さんの、幼馴染み……」

 

 出歯亀の三人の更に後ろに佇んでいる霧子は、複雑な面持ちを隠せない。

 霧子は未来の背中が子どもを守り、「どんより」発生中に平然と戦っていたことを知っている。

 あの女捜査官が、ロイミュードである可能性を知っている。

 

 しかし、十年以上の空白を持ちながらも友人と再開した喜びに、水を差すような真似はしたくない。それに、未来のロイミュードとしての姿を確認したわけではないのだから、今は黙っているべきなのであろう。

 霧子はすぐにでも進ノ介の下へ走り、警告したい衝動をぐっと飲み込んだ。

 

「って……あ、きっ、きききききき霧子ちゃん!その、ごめん!」

「え?何で私が、西城さんに謝られなきゃならないんです?」

 

 背後にいきなり現れた透明な塊の圧力のようなものを感じたのであろう。振り返った究が、あたふたとしてどもる。

 対する霧子は、怪訝そうに首をかしげるばかりだった。

 

「いや……まったく、気が利かなかったって言うか……」

 

 頭を掻きつつ、究が再会を喜ぶ一組の男女と制服姿の婦人警官とを見比べる。明らかに目を泳がせて言い淀んでいる同僚に、霧子は鋭く突っ込んだ。

 

「いえ、ですから何のことなんです?」

 

 ストレート過ぎる霧子の踏み込みに、追田とりんなも気がついて注意を向けてくる。困ったように視線を逸らしている究と彼に詰め寄らんばかりでいる霧子が纏う雰囲気は、どう見ても穏やかなものではない。

 両者の間に生まれた不穏さ拭うべく、追田が割って入ってきた。

 

「おう、そうだ!この後で捜査会議があるから、もう戻らねえと。なっ!」

「ちょ……ちょっと追田さん!」

 

 捜査会議が控えているというのは本当のことで、メンバーとなっている追田と霧子はその準備に取りかからざるを得ない。

 しかしそれは進ノ介と未来も同じなのに、どうして彼らにも声をかけないのか。

 霧子が背中をぐいぐい押してくる追田に抗議しようとしたが、彼女が声を上げる前に、四人の男女は屋内へと通ずる階段へと吸い込まれていくこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 特状課に籍を置く皆がこっそりとオフィスに戻ってからほどなくして、進ノ介と未来も屋内へ引き返していた。

 この後の捜査会議に参加するための資料をタブレット端末に揃えてきた未来を、進ノ介が案内がてら試験場の中を連れ歩いている。彼が霧子やりんな以外の若い女性を従えていることは滅多にないため、行く先々で職員たちに珍しがられることとなっていた。

 

「で、進ちゃんとこは……」

 

 一通りの施設案内を終えてオフィスに戻る途中も、進ノ介に対する未来の口調は親しげだ。

 しかしそれでは、何とも緊張感に欠ける。遊んでいたときの愛称は、なるべく控えて欲しいところである。

 

「昔のあだ名で呼ぶのはやめてくれよ。しまりがないだろ」

 

 進ノ介が率直な意見を述べると、ダークスーツ姿の幼馴染みは一瞬きょとんとしてからすぐに頷き返した。

 

「それもそうだね。じゃあMr.Tomari」

 

 ならばと未来が口にした呼び名は、アクセントと日本人が苦手とするrの巻き舌発音までもが見事に自然な、英語のそれであった。これでは彼女の周囲だけが「何か間違ったアメリカ圏」で、自分までそこに巻き込まれたかのような錯覚が引き起こされてしまう。

 考えてみればベルトも似たような印象なのに、肉声で呼ばれるとこうも羞恥心が煽られるのは何故だろう。

 たまらず、進ノ介は一瞬の間を置かずに突っ込んだ。

 

「そのネイティブ丸出しの発音もやめてくれ。恥ずかしいから!」

「じゃあ、どう呼べっての?」

 

 むっとした未来が、歩きながら口を尖らせる。

 子どもの頃よりも遥かに豊かな表情を見せるようになった幼馴染みに、進ノ介はやれやれと言いたげに返す。

 

「普通に泊刑事でいいじゃんか」

「あ、そっか。忘れてたわ、あはは」

「お前なぁ……しまいにゃ俺も、お前のことミッキーって呼び続けるぞ」

 

 久留間試験場の白い廊下を並んで歩く二人の間に流れる空気は和やかだが、先に言葉に詰まったのは未来であった。

 

「そ、それはちょっとやだな。子どもの頃は気にならなかったけど、それって世界中で有名な某ネズミじゃん……」

「だろ?お互い様だって」

「センスのなさは、私が負けてるけどねー」

 

 未来が軽く込めた皮肉が進ノ介の胸に刺さり、今度は彼が詰まる。

 ネーミングセンスの悪さは日頃からベルトにも指摘されているものの、まさかそれを旧友までが言ってくるとは思っていなかった。確かに未来を「ミッキー」と呼んでいたのは自分だけだが、彼女が気に入ってくれていると信じて疑っていなかったのだ。

 痛いところを突かれた若き刑事は、話の矛先を変えることにした。

 

「そ……そう言や、お前はアメリカのロイミュード犯罪対策のために来たって話だったよな。これまではどうやって対応してたんだ」

 

「それは捜査会議で、私からみんなに話すから。プレゼン用の資料もちゃんと作ってきてるしね。あーあ、アメリカでも日本みたいな専門家がいればいいのに」

 指先で軽くタブレット端末をつついた未来が、廊下の先を見つめながら小さな溜め息を漏らす。

 

「専門家?」

「仮面ライダー」

 

 進ノ介の言葉を意外すぎる単語で遮り、未来がちらりと視線をよこしてきた。

 彼女の黒い瞳は探るようで、それでいて真意を奥に隠したまま、本心を決して晒そうとはしてくれない。むしろ目を合わせると逆に問いかけられるような、相手の言葉を誘い出す雰囲気がある。

 

 何故、警察の人間に仮面ライダーのことなど話そうとするのか?

 進ノ介には全く読めなかった。

 驚きのあまり咄嗟に反応できなくなっている幼馴染みを尻目に、未来は落ち着いた口調で続けてくる。

 

「そういうヒーローが、日本にはいるじゃない。あんただって、ちょっとは知ってんでしょ?特状課の事件解決件数が半端ないのも、仮面ライダーのお陰だって聞いてるし」

 

 そのロイミュードと戦う仮面ライダー、つまり仮面ライダードライブの正体は、紛れもない泊進ノ介その人だ。

 FBI捜査官が何の前触れもなく持ち出してきた話題は動揺を誘うのに十分だったが、それでも我に返った進ノ介は努めて平静を装った。

 

「そ……んな都市伝説レベルのもん、まさかFBIが当てにしてるのか?」

「上が当てにしてるかどうかは知らないけどさ。本当に、そういう助っ人がいればいいのにとは思ってるよ」

 

 未来の抑えた声が、廊下にコツコツと響く二人分の靴音に低く重なる。

 そこに僅かな苦悩の色を見つけ出した進ノ介には、彼女の瞳から相手の情報を引き出そうとする気配が消えていることにも気がついていた。

 

 それ切り、二人はどちらからともなく口を開かなくなってしまう。

 ほどなくして特状課オフィスに到着したため、沈黙はさほど続いたわけではない。しかし、ついさっきまで軽口を叩き合っていたのが嘘のような緊張を伴う静けさは、どうにも息苦しいものであった。

 

 続く捜査会議も、普通であればぴりぴりとした空気の中で行われるものであろう。ただしこの特状課においてはメンバーの人柄もあり、胃の痛くなるストレスを感じさせるものではなかった。今回は未来が初めて参加する会議ということもあり、究やりんなも加えた全員が会議用のデスクに揃っている。

 会議とは言いつつも、実際はオフィスに据えられた広い机にメンバーが集合するだけであるため、一人増員しただけでもかなり狭苦しかった。 

 

「えと……間、捜査官?会議の前に、ちょっと質問してもいいかな?」

「名前で呼んで頂いていいですよ、Mr.……西城さん」

 

 自席についたばかりの未来に、究がおずおずと話しかけてくる。

 タブレットを開きながら未来がにっこり笑うと、その人懐っこさに安心した彼はほっとした顔を見せた。

 

「え……じ、じゃあ、僕のことも究でいいから。それでその、FBIって……やっぱり、未確認飛行物体とか、謎の生物とか、超常現象のこととかを専門に捜査したりしてるもんなのかな?」

「……はい?」

 

 好奇心が抑えられないと表情で語る究の問いに、微笑み続けていたいた未来の表情とタブレットのディスプレイを滑っていた指先が固まる。

 

「そうそう!UFOとか、宇宙人とか、UMAについてとか。そういう変わった事件があったら、こちらも詳しくお話を聞かせて頂きたいんですよ。不可解な事件に対して、本場アメリカでは一体どういう捜査をやっているのか、非常に興味がありますからなあ」

 

 究に刺激され、現八郎も身を乗り出して期待に目を輝かせている。彼らがハリウッド映画やテレビドラマの題材となる事件の話を想像していることは、誰の目にも明らかだった。

 

 怒号と銃弾が飛び交う、未知の生物との対決。

 炸裂するマズルフラッシュの炎と爆発音。

 FBI特殊部隊の活躍は壮大なゴシップとなって全米を駆け巡り、民間人が星条旗を振りながらその成果を讃えるも当局は沈黙を貫き、事件はやがてアメリカ社会の闇の底へと飲み込まれていく--

 そんな話を鼻息も荒く、二人の男たちが待ち構えている。

 

「えと、あの……何か誤解があるようですけど、FBIは司法省の下にある捜査機関ですから……基本的には国家公務員であるわけで、やっていることは警察とあまり変わりませんよ。確かに、地方警察では手に負えない事件が回されてくることも多いのは事実ですが」

「……え」

 

 しかし彼らを両手で制しながら困り顔になっている未来が語ったのは、意外にも地味な現実であった。想像とあまりにも違う話を持ってこられた現八郎と究も、思わず顔を見合わせてしまう。

 先を続ける未来が、むしろ申し訳なさそうになっていたほどだ。

 

「我々の捜査対象となる事件は、連邦法に触れているかどうかがその境界線になるんです。同一犯による事件が州を越え、連続で発生した場合は勿論ですが……例えば単純な銀行強盗などでも、その銀行が連邦保険に加入している場合は、我々FBIの管轄となるんです」

「えっと……するってぇと、アメリカでは鬼入道が複数の州で現れてるってことなんですかね?」

 

 説明の後半は軽く流した現八郎が問い返すと、未来は再びタブレットの画面に指先を滑らせながら返した。彼女もまた、現八郎が「ロイミュード」という単語をきちんと発していないことは流している。

 

「はい。ただ、私が所属しているのはもともとテロや大規模組織犯罪、ロボット犯罪に特化した部隊なんです。故に機械生命体であるロイミュード犯罪にも、主戦力として対応しています。無論、防犯対策も急ぐ必要がありまして」

「ロイミュードがアメリカで現れた場合は、全米の各地へ急行しなきゃならないってこと?大変なのねぇ」

「もう慣れました。それに、これまでに民間人や警察関係者にも大勢の死者が出ているんです。これ以上の犠牲を出さないためにも、必ずこの研修で成果を上げて帰らなければ……」

 

 嘗てアメリカで学生時代を過ごしていたりんなには、活動範囲が全米に渡る大変さがわかるのだろう。彼女がしみじみと情感を込めて同調すると、未来もまた深く頷き返していた。

 タブレットの準備が終わったらしい若きFBI捜査官が顔を上げたところで、彼女の返事に聞き流すことのできない内容を見つけていた進ノ介が言葉を挟んでくる。

 

「アメリカのロイミュードは、そんなに簡単に人を殺すのか?」

「ロイミュードは人間の姿形だけじゃなく、内面もコピーするでしょう?アメリカには、他の国では考えられないような酷い殺人事件も多くて。そんな危険な凶悪犯を一度ロイミュードがコピーしたら、大変なことになってしまうんです」

 

 未来はその場にいる皆も顔に視線を巡らせて、進ノ介個人にというよりは全体に対して話を進めていく。警察関係者に何人もの死者が出ているという想像より悲惨な状況に、オフィスの空気が深刻さを増した。

 空間を沈黙が支配しかけるが、重苦しい空白が続くのを阻止したのは、今まで口を閉ざしていた本願寺課長であった。

 

「アメリカでは、国民が武装することが許されていますからね。人間に化けたロイミュードが武器を手にしたら、日本よりも酷いことになるのはおかしくありませんよ」

「……仰る通りです。しかも現在のアメリカには、ロイミュードの息の根を完全に止める手段がない。何度彼らを破壊しても、すぐまた同じ姿で社会に出て同じ犯罪を繰り返すんです。ほんの数人のロイミュードのために、社会全体が被る損害は計り知れません」

 

 タブレットに展開している資料の一覧を見つめ、未来が机の上で組んだ手にぎゅっと力を込める。

 恐らく彼女と知り合いの警察関係者も、ロイミュードと戦った末に殉職した者がいるのであろう。堪えるように唇を噛み締めている未来を気遣わしげに見やる本願寺の視線は、父親のそれを思わせた。

 

「未来ちゃんは、ロイミュードと直接戦ったことはあるの?」

「ええ。私が持っていたカメラで市街戦の様子を収めた動画がありますから、ご覧に入れますよ」

 

 未来ちゃん、とりんなが呼んだことで、僅かながら気持ちがほぐれたのであろう。それまで瞳に滲ませていた悔しさを薄くし、未来がタブレットの画面が全員に見えるよう机の端に立てて置いた。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -6-

 全画面モードで再生された動画の冒頭に映し出されたのは、陽光が溢れる緑豊かな住宅街の一角であった。日本とは違いカラフルな外観の平屋が木々の間に建ち並び、木の塀や生け垣が一戸一戸を隔てている。

 カメラはその奥、レモンイエローの壁の家の庭を中心に据えているようだった。よく見ると画面の端には拳銃ではない、ライフルらしき黒いバレルが映り込んでいる。それが撮影者、即ち未来が武装した状態でいることを示していた。

 

 画面にはロイミュードの姿はなく、庭の奥の木立を捉えたまま動ほぼかない。恐らく、双眼鏡か何かでしか確認できない位置に隠れているのを監視し続けているのだろう。

 音声には、時折通信らしき英語が紛れ込んできている。雑音混じりのそれはりんな以外だと「Stand by」「Target」「Move」くらいしか聞き取れないものであったが、その度に画面のバレルが動くところを見ると、射撃のタイミングの指示なのであろう。画面には映っていないものの、付近に大勢の警官や保安官が潜み、ロイミュードを取り囲んでいるに違いない。

 

 そうこうしているうちに、バレルが画面の中央にぴたりと固定されて動かなくなる。未来が狙撃の構えに入り、どこかで息をひそめているロイミュードに狙いを定めたのだ。

 動画を特状課の一同が固唾を飲んで見守る中、一際大きな号令が響いた。

 

「Fire!」

 

 低く鋭い声が終わるか終わらないかのうちにドン、と肚に響く重低音を伴った狙撃ライフルの発射音が空気を叩き、マズルフラッシュの炎が画面の中央を舐めた。更に続けざまに二度、同じ音が轟いて空間に存在する粒子の全てを揺るがす。

 銃口から吐き出される煙にバレルが薄く煙ったとき、突如として画面奥の木立ちが赤く輝いて破裂し、派手な爆発音を伴って芝生と木々が燃え上がった。

 未来からライフルの弾丸を三度叩き込まれ、身を隠しているロイミュードの身体が爆発したのだ。

 

 何の前触れもなく起こった荒い火炎が閑静な昼の住宅街を不気味に照らし、手入れされた庭の花を薙ぎ倒し、黒煙を辺りに撒き散らす。

 しかし荒れ狂う炎の中から、不吉な光を纏った何かが宙へと飛び出した。不規則に輝くそれは辺りの家々の屋根を見下ろす位置でぴたりと止まり、物理法則を無視した遅さで空中を水平に移動し出す。

 吹き飛ばされた破片が飛び散るよりもゆっくりと空を漂う光、つまりロイミュードの破壊を免れたコアは、まるで辺りに大勢いるであろう警察関係者を嘲笑っているかのようだ。

 

「Oh,god!」

 

 途端、通信に悲嘆にくれた一言が乗せられ、周囲からも嘆きを含んだざわめきが広がってくる。

 カメラが未だ追い続けているコアは、その忌まわしい輝きが画面中央に捉えられた刹那、木立の中へと飛び込んで一瞬のうちに見えなくなってしまった。

 この日本で進ノ介や霧子も幾度となく目にした、ロイミュードの心臓部の逃走だ。しかし警察関係者の反応からすると、もう何度もコアを逃しては体を破壊することを繰り返しているのだろう。

 

 その度に多数の犠牲者を出しているのだとしたら、彼らの怒りと悔しさは察するに有り余る。

 特状課の皆が同じ思いで言葉を発せられずにいると、未来が動画の再生を止めて重く口を開いた。

 

「以上が、アメリカでの戦闘です。ご覧の通り、敵は何度倒されても、同じ姿で復活してきてしまいます。それに私共も、あの時間が遅くなるFu……コホン、忌むべき現象のために、どうしても遅れを取ってしまうのが重大な問題です」

 

 途中に咳払いを挟んだ彼女の言う「忌むべき現象」とは重加速、日本でのどんよりのことだ。

 この動画では発生していなかったが、日本の警察でも一番手を焼いているのがどんよりであり、アメリカではそれに加えてロイミュードの完全な駆逐が不可能であることも重なっている。一般市民から警察やFBIに向けられる視線も、さぞかし冷たいであろう。

 事情を察した進ノ介が机の上で手をきつく組み、止まっている動画再生画面を睨んだ。

 

「アメリカで暴れてるのは、一体だけなのか?」

「いいえ。他にも複数いますが……最も凶悪なのが、先日破壊したこのアルファというロイミュードです。人間形態はこれです」

 

 未来が一度タブレットを手元に引き寄せ、画面を数度タップしてから再び机の端に戻す。

 一同の視線を再度集めたそこには、スキンヘッドで筋骨隆々な男の全身と上半身の画像、簡単な犯罪歴が英語で書かれたメモが表示されていた。

 収監時に刑務所で撮影された画像なのだろう。身長を表すための目盛りの前に立ち、オレンジ色の囚人服を着せられた白人の大男は、青い瞳にふてぶてしさを浮かべているのに加え、口の端をつり上げて笑っているかのようだ。

 

「名前はエディー・ブライアン・ポーター。アルファというのは、我々の部隊内でのコードネームです。生憎、ロイミュードとしての姿は鮮明な画像がありませんが」

 

 ロイミュード態がの資料がなければナンバーも確認できないが、日本でアルファなるロイミュードが現れる可能性は限りなく低いため、あまり問題ではない。しかし気になるのはこれまでにアルファがどんな手段で人を殺し、どのような特殊能力を持っていたかということだ。ロイミュードの能力には個体によって様々であるため、対策を立てる場合に必ず必要となる情報のはずだ。

 進ノ介がアルファと呼ばれているロイミュードの詳細に引っ掛かっている一方で、未来は話を更に進めていた。

 

「エディーは元アメリカ陸軍の兵士で、軍を除籍になった後に武器の不法所持で指名手配されました。その逃亡中に連続殺人事件を起こし、凶悪犯となった元死刑囚なんです。彼に殺された被害者は、全部で十八人。間違いなく死刑が執行された後に現れて再び殺人を犯し、何度射殺しても死なないことから、マスコミが勝手にゾンビ・マーダラーと呼んでいます」

 

 彼女が再度画面をタップすると、今度はアルファらしき姿が小さく写った画像がスライドされてくる。

 警官隊と銃撃戦の最中に望遠カメラで撮影されたと思しきその画像では、黒っぽい大きな人影がオレンジ色に輝いているように見えた。攻撃を喰らわされて全身が爆発する直前にシャッターが切られたのであろう。

 

「元の人間の知識を利用しているために銃器の扱いに長けていて、現在連邦政府が最も手を焼いているのがこのアルファになります。銃撃戦の度に、警察関係者も何人もやられました。これ以上の死傷者が出る前に、何としても倒さねばならないんです」

 

 そこで資料は終わりらしく、未来はタブレットに伸ばしていた白い指先を離して小さく息をついた。

 語り口は淡々としていても、その裏に深い苦悩を感じさせる。きっとアルファに殺された被害者やこれまでに死んだ同僚たち、そしてその遺族たちの無念さを一身に背負って来日したのであろう。

 決意を新たにするように顔を上げ、彼女は特状課の一同の顔を見渡した。

 

「この特状課では、ロイミュードが起こした事件の痕跡を辿る技術や、ネットワークの解析に優れていると聞いています。是非、私たちにもご指南を頂きたいんです」

 

 若き女性FBI捜査官の黒い瞳には、後悔や悲しみを凌ぐ強い意思が秘められていることが見て取れる。

 自国の市民を守るために遠く離れたアメリカから訪れた人物の願いを、誰が撥ねつけることができよう。進ノ介を初めとする特状課の面々は、未来の言葉に応えて力強く頷いて見せた。

 

「わかりました。泊ちゃん、現さん、それに霧子ちゃんも。現在うちで担当している連続傷害事件の捜査メンバーに、間捜査官を入れてください。現場に行くことがあったら、可能な限り彼女を同行するようにお願いしますよ。究ちゃんとりんなさんは、待機中にオフィスでできることを教えてあげて下さい」

「ありがとうございます。皆さん、よろしくお願いします!」

 

 皆からの声なき答えと本願寺課長からの具体的な指示に、未来はぱっと表情を明るくして頭を下げた。その勢いたるや、額を机に打ちつけんばかりであるが、彼女の素直さが表れている行動は却って清々しい。

 

「じゃあ私、これからお偉いさんの接待に行ってきますよ。時間はまだ早いですけど、海外からのお客様にはくれぐれも失礼がないよう、言っておかなきゃなりませんからねぇ」

 

 そして、捜査会議はお開きとばかりにいそいそと立ち上がった課長の言動も、いっそ清々しく感じられるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?ミッキー……じゃなくて、間捜査官がロイミュード?」

 

 捜査会議終了後、霧子に有無を言わさず連れ込まれたドライブピットで進ノ介が耳にしたのは、思わず反芻してしまう話であった。

 霧子は今日が未来と初対面の筈なのに、何を根拠にしてそんなことが言えるのか。

 驚きで目を丸くしている進ノ介が訊き返す前に、霧子はきっぱりと言い放っていた。

 

「はい。どんより発生中、彼女がシフトカーがない状態で戦っていたのを見たんです」

「見たって、いつの話だよ?」

「昨日の晩です。帰宅中に公園を通った時……」

 

 ドライブピットのデスク前で、霧子が昨晩遭遇した現場のことを詳しく語り出す。制服姿の同僚女性は、パートナーである進ノ介に口を挟ませない迫力に満ちていた。

 

「それに私が見た限り、動きが普通の人間とは思えませんでした。人間の姿をしたロイミュードが戦っていたんだとしか考えられません」

 

 ひとしきり話してから霧子は結んだ。しかし具体的な話を聞いてなお、進ノ介は未だ腑に落ちない。

 彼は、考え込みながら腕組みしている霧子に疑問点をぶつけた。

 

「あいつはFBIの捜査官なんだぞ?そう簡単に、ロイミュードが入れ替われるわけも……それにあの公園は夜になるとかなり暗くなるし、霧子だって顔を近くから確認できたわけじゃないんだろ。人違いじゃないのか?」

「ですが……!」

 

 次から次へと矛盾と思われるところに突っ込みを入れてきた進ノ介に、霧子が反論しようとした時であった。

 

「いや、間違いないね。証拠だってあるよ、兄さん」

 

 二人の聴覚に、聞き慣れた若い男の声が届けられる。

 いつの間にかドライブピットに来ていた霧子の弟、剛であった。彼はドライブピットの壁面に設けられたロフトから身軽に飛び降りてくると、進ノ介に大きな封筒を手渡した。

 霧子に視線で促されるまま中を探ると、写真の束が掴み出されてくる。進ノ介は三十枚はあろうかという写真を、逸る気持ちを抑えつつ順番に確かめていった。

 

 写真の全てに、人間の若い女性が刀を構えたロイミュードと格闘を演じる様が収められていた。そこに表情まではっきりと写った女性が、今日再会したばかりの幼馴染みである未来であることは疑いようがなかった。

 

「これは……」

 

 まさか剛までが霧子と同じことを話し、証拠となる写真まで持っているとは思っていなかったのだろう。進ノ介が呆然とこぼすと、剛は写真から視線を外して言った。

 

「その写真を撮った後、俺はその女と戦ったんだ。変身しない状態じゃ、あいつを倒すことはできなかった」

 

 低く呟いた剛は悔しそうな顔を見せつつ怒りも覚えているらしく、マッハに変身さえしていれば負けなかった、と暗に語っている。

 

「あいつはロイミュードに間違いない。あんなの、普通の人間の女にできる芸当じゃないからな。戦った俺にはよくわかるんだ。もしかすると、内部から仮面ライダーの情報を探ろうとしてるんじゃないのか?」

 

 そして剛は、背が高い進ノ介の顔を覗き込むように続ける。その目には進ノ介に対する疑惑を浮かばせていた。

 

「いや、そんなわけないって!第一あいつは、俺がドライブだってことも……」

 

 写真の束をばさばさと振りながら進ノ介が否定するが、その脳裏にふと捜査会議前に交わした会話が横切った。

 今の剛のように進ノ介の顔を見上げ、表情で語りかけてくる幼馴染みの女。

 仮面ライダーのことは知ってるよね?

 あんたは詳しい情報を知らないの?

 相手の腹の中を探って言葉を誘い出そうとする態度の中に、彼女の知らない一面を見た気がしていたのは確かだ。

 その事実に気づかされた若き刑事は一瞬言葉に詰まったが、すぐに異なる視点からの話を続けた。

 

「けど、あいつは子どもを助けるためにこのロイミュードと戦ったんじゃないか。少なくとも、悪い奴じゃない筈だ。霧子だって、それはわかるだろ?」

「それは……」

 

 進ノ介に指摘され、痛いところを突かれた霧子が口ごもる。

 霧子は魔進チェイサーや072ロイミュードに接するうち、ロイミュードは必ずしも人類に敵対するものではないとの認識を持つようになってきているのだ。彼女と同じ考えの進ノ介は、説得を試みるように口調を和らげていた。

 

「それに、ロイミュードとしての姿はまだ確認されていない。今の段階で決めつけるのは、いささか気が早いと思うけど」

「じゃあ聞くけど、何であの女はシフトカーの助けもなしでどんよりの中を動けるんだよ?それが何よりの証拠じゃんか」

 

 姉の助け船を出す形で、剛が再び割って入ってくる。

 

「兄さん、あの女とは十年以上会ってなかったんだろ?あれが果たして本物なのかどうか、確かめる方法はないよな」

 

 進ノ介から掠め取るように手にした写真の束を封筒にしまう霧子の弟は、姉が進ノ介の意見に飲まれそうになっていることに明らかな不満そうな顔を見せていた。

 

「そのことについてなんだが、私もハーレー博士から連絡を受けている。FBIの関係者が来日して、協力を仰いでくる筈だと」

 

 そこで初めて皆の会話に加わってきたのは、クリム・スタインベルトだ。

 朗々とした特徴のある声に一同が振り返る。

 ターンテーブルの上に停められているトライドロンの傍らには、据え付けられたクレイドルがある。そこに収まったドライブドライバーの前面に、デフォルメした顔を思わせる表示が赤く光っているのがわかった。

 

 ドライブドライバーに移植された故人クリムの意思が言及したのは、ドライブシステムの産みの親であり友人でもあるハーレー博士のことであった。

 

「ええ?ベルトさん、そんな大事なこと何で今まで黙ってたんだよ?」

「う、うむ……実は、話があったのが昨日の深夜でね。君たちに話す時間がなかったということと、その人物がどのような形で接触してくるかもはっきりしなかった、という事情が重なったのだ」

 

 進ノ介から呆れとともに返されて、ベルトが済まなさそうに眉尻を下げた困り顔の表示を浮かべる。彼の感情を端的に示す表示はそのままで、ベルトの声はやや言い訳じみた色を帯びてきている。

 

「君たちも知っての通り、ハーレー博士はああいう方だ。その上こちらから連絡を取ることもできないから、詳細を確かめることもできない」

「じゃあ、FBIから人が来るのが本当だったとしても、あの女が博士の言ってた人物かどうかはやっぱり怪しいってことか」

 

 くだんのFBI捜査官の身元がはっきりしたものでないことが、自分の推測を裏付けていると確信できたのだろう。剛が納得したように頷く。

 

「間捜査官がロイミュードか否か、今は断定できないわけですね。しかし、警戒するに越したことはないと思います」

 

 進ノ介に同調しそうになっていた霧子の軌道が、ベルトと弟の話に再度修正される。

 

「霧子の言う通りだ。もしあの捜査官が本当にロイミュードだった場合、警察組織内では私たちの動きは限定されてしまって打つ手がない。勿論そうでないことを祈りたいが、最悪のケースを想定して備えておくべきだろう」

「進兄さんは、あの女に単独行動を取らせないように常に見張るべきだよ。外では俺もなるべく目を光らせるようにするけど、警察内部では兄さんが頼りなんだからさ」

 

 ベルトが畳み掛けると、すっかり同調した剛が頼りにしてるよ、と言わんばかりに進ノ介を見やった。三対一となった進ノ介は今や完全に言い返す空気をなくしており、彼が何か言おうとするのに先んじて剛がまた口を開いた。

 

「外部であいつがぼろを出したら、その時は俺が速攻で倒す。昨日の借りを返さなきゃ、気が済まないからな」

「私も、なるべく彼女の傍にいるようにします。女性同士の方が怪しまれない場合もありますし」

 

 霧子が任せてくれ、と自らの胸を軽く叩く。

 しかしこれは、流石に進ノ介も黙っているわけにはいかなかった。仮面ライダーではなくましてや女性の身である霧子に、ロイミュードの疑いがある人物の見張りをさせるにはあまりにも危険だ。

 

「いや、見張りには危険が伴う。霧子は俺のフォローに徹して……」

「私がやりますから!」

 

 言いかけた進ノ介を遮って譲らない意思を見せる霧子は、いつになく迫力に満ちている。

 彼女の熱っぽい、それでいてどこか拗ねたような色を見せる視線に、進ノ介は目の前の信号が赤に変わったかのような錯覚を覚えていた。

 

「……はい」

 

 そして前に踏み出しかけていた足を、強引に引っ込めざるを得なくなっていたのであった。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -7-

「うーん……美味しい!やっぱ、焼き魚は日本料理に限るよねぇ」

 

 とろけそうな笑顔で溜め息をついた未来が、目の前の白身魚の塩焼きに再び箸をつける。

 彼女は添え物の大根おろしや切り干し大根の煮物、赤出汁の味噌汁やご飯を一通り味わい、また少しずつ食べて味を堪能する、ということを繰り返していた。

 何の偏徹もない焼き魚定食をあまりにも美味そうに食べる様子に、進ノ介は呆れ気味だ。

 

「日本料理って……」

 

 未来と同じテーブルでもそもそとカレーを食べる彼には、未来の食べている定食がどう見ても安っぽい、味は値段なりの日替わり定食にしか見えない。

 

「ここ……ただの試験場併設の食堂なんですけれど」

 

 それは進ノ介の隣に座り、オムライスをスプーンでつついている霧子も同じ意見のようだ。ぼそりとこぼした彼女はあまり感情表現が豊かな方ではないが、それでも今は呆気に取られつつ驚くという器用な真似ができているようだった。

 

 午前中は特状課オフィス内で捜査についてのミーティングを継続していた三人は、昼食を久留間運転免許試験場内の食堂で摂っていた。ここは全国の公共施設によくある、値段は高くないが味も圧して知るべし、なレベルであり、感動するほど美味な料理が出てきたことなどただの一度もない。

 であるのに、未来は進ノ介と霧子の反応を真っ向から否定した。

 

「いやいや!こんな味、アメリカではまず食べられないから。大都市に行っても気取った店か、なんちゃって和食しかないしさ。そういうところでも如何にもって大味か、不味いかのどっちかなんだから……よし、ご飯とお味噌汁はもう一杯もらってこようかな」

「まだ食うのかよ?」

 

 未来はまだ時間に余裕があることを、ごついダイバースウオッチで確認してから席を立とうとする。そこへ進ノ介が更なる呆れを重ねて突っ込んでいた。

 

「そりゃあもう!こっちに帰ってきたら食べようと思ってたもの、いっぱいあるしね。牛丼とか、カレーとか、ラーメンにうどんに蕎麦に、餃子とかコロッケとか焼き鳥とか……あ、あとメンチカツも捨てがたいなぁ」

「安いもんばっかだな……」

「日本のB級グルメは馬鹿にできないんだからね?後で、この辺りのお勧めのお店も教えてよ」

 

 嬉々として庶民的な惣菜の数々を挙げる未来は、嘗ての幼馴染みの反応など意にも介さない。さっさと茶碗と椀を手にすると、注文カウンターの方へと足取りも軽やかに歩いていった。

 

「おばちゃーん、ご飯とお味噌汁お代わり。それと、納豆追加お願いします」

 

 珍しい、加えて元気のいい若い娘の追加注文の声に、厨房から恰幅のいい年配の女性がひょいと顔を出した。

 

「あら、女の子なのにいい食べっぷりだねぇ。今時、あんたみたいな娘は珍しいよ」

「身体使う仕事ですから、お腹減るんですよ。それにすごく美味しいから」

 

 追加を申し出てきたのが若い娘だと知ったエプロン姿に三角斤の女性は、気を良くしたらしい。彼女は丸い顔に皺を寄せてにこにこ笑うと、頼まれていない小鉢までカウンターに出してきた。

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。じゃあ、はい!煮物はサービスしとくよ」

「わあ、ありがとうございます!これ、頼もうかどうか迷ってたんです」

 

 おまけしてもらった肉じゃがの小皿も嬉しそうに受け取り、未来が目を輝かせる。

 まるで学食堂のおばちゃんと学生そのままのやりとりを見て、進ノ介が聞くとはなしに霧子に訊いた。

 

「……なあ、あいつ本当にロイミュードなのかな?そもそも、ロイミュードって飯食うんだっけ?」

「私も……ちょっと自信がなくなってきました」

 

 機械生命体であるロイミュードに食物による栄養補給が必要などという話は、霧子も聞いたことがない。進ノ介の前で疑わしき存在は一緒に見張ると豪語したものの、彼女は早くもその意思をぐらつかせていた。

 

「けど、午後の捜査では現場に行くんです。そこでまた新たな事実がわかるかも知れません」

 

 ロイミュードが食事をしないと決まったわけではないが、未来がロイミュードではないと決めつけるのはまだ早い。少なくとも、今日一日様子を見てから判断するべきであろう。

 午後に控えたロイミュード襲撃事件現場の現場検証に向けて気持ちを切り替えるために、霧子は皿に残っていたオムライスを猛然と食べ出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 進ノ介と霧子、現八郎は未来をメンバーに加え、午後一番に傷害未遂事件のあった公園へと出向いていた。

 寒気のせいで枯れた芝生が目立つ広場の周囲には立入禁止を示す黄色いテープが張り巡らされ、その内側ではお揃いの制服姿の鑑識スタッフや警官たちが、忙しげに動き回っている。警察に勤務し捜査活動を行う職員にとっては、ごくありふれた光景である。

 

 しかし通常と異なるのは、その中の数人が大きな機械を背中に背負い、色とりどりのランプが取りつけられたヘルメットを被り、前時代的な度の強い、不格好な眼鏡にしか見えないグラス型センサーを身につけてうろついていることであった。

 そんなけったいな機械を装着して捜査に当たっているのは、特状課から来た進ノ介ら三名だけだ。が、未来は彼らの様子を興味深そうに見守っていた。

 

「これは?」

「どんよりの痕跡を見つけるピコピコです。うちの沢上先生が作ってくれた逸品なんですよ!」

 

 興味津々になっている未来に、現八郎が胸を張って答える。

 

「ピコピコ?」

「正確には、重加速粒子測定器です。これの反応を見て、ロイミュードが現場にいたかどうかを判断します」

 

 すると、横合いから霧子が律儀に正式名称と用途とをつけ足してきた。未来は感心したように頷いて、資料用の画像を手元の一眼レフで撮影しながら感想を口にする。

 

「へえ、クールだね。こんなのがうちの部隊にもあればいいのに」

「クールって……お前、アメリカにいてセンスまで変になっただろ」

 

 ギャグマンガにでも登場しそうなこの機械のデザインを本気でいいと思っているらしい未来に、進ノ介もまた正直な感想を抱いていた。しかし、本当なら嘗ての捜査一課の者たちのように、指を差されて笑われなかっただけでも感謝するべきなのであろう。

 

「重加速の痕跡が認められますね。ロイミュードが現れたことは間違いありません」

「やっぱりか。それにしても……子どもを狙うなんざ、許せねえ奴だ。必ず捕まえるぞ」

 

 そしてそんな姿で真剣に警察官同士の会話が行われているのだから、これも何ともおかしい。

 そこへまた制服姿の警官が畏まって敬礼する姿が混ざると、奇妙さは倍増した。

 

「追田警部、昨日の被害者の方です」

「わざわざご足労、ありがとうございます……こんにちは」

 

 緊張している若い警官に返礼した霧子が、制服姿の後ろに立っている二人連れに声をかけた。

 警官に連れられてきたのは、小学生くらいの男の子とその母親らしき女性だった。親子は怯えたように無言で、母親だけが霧子と現八郎に小さく会釈を返してくる。男の子に至っては、周囲の異常な雰囲気にすっかり飲まれてしまっているらしく、母親の後ろに隠れたままだ。

 

 この男の子がロイミュードに襲われた被害者だということを、特状課の一同は午前中のミーティングで把握済みであった。

 

「坊主、昨日は大変だったなあ。怪我がなくて何よりだ。もし良かったら、おじさんたちにここであったことを話してもらえないかな?」

 

 現八郎がしゃがみ込み、男の子と視線の高さを合わせながら優しく促す。彼は密かに子供好きであることが囁かれていたが、その気遣いの姿勢にも噂の基が裏付けられていた。現八郎の後ろに立っていた霧子も、努めて柔和な笑顔を心がけつつ男の子に言った。

 

「お姉さんたち、そうしてくれるとすごく助かるの。お願いできる?」

 

 が、やはり硬さと不自然さが拭い切れていなかったらしい。

 男の子はびくっと身体を震わせ、べそをかきながら母親にしがみついていた。

 

 重加速粒子測定器のグラスやヘルメットもつけたままでいたせいか、本来なら頼もしく見える筈の婦人警官のいでたちは、余計に恐怖心を煽る羽目になってしまったようだった。

 

「おっとっと……そうだ!確か、気がついた時はあっちのバス停にあるベンチで寝てたんだよな?先に、そっちに行ってみようか。かっこいいパトカーとか、いっぱいいるぞ?なっ!」

 

 被害者の男の子が泣き出しそうになっていることを察した現八郎が、慌てて公園の出入口の方を指し示す。男の子がパトカーに反応し表情が変わったところで、すかさず彼は親子の背を押してもう一つの現場へと向かっていった。

 広場に取り残されて皆を見送るだけの格好となった霧子が、小さく溜め息をついてヘルメットとグラスを外す。

 

「どうかしたのか?」

 

 パートナーが一人、ぽつんと佇んでいるのを見咎めた進ノ介が戻ってきた。

 既に雑木林へと親子と現八郎、彼らに加わった未来が姿を消しつつある様子を見守り、霧子が呟く。

 

「……どうも、怖がらせちゃったみたいで。子どもの扱いって、難しいですね」

「仕方ないさ。あの子のことは、現さんに任せておこう」

 

 未だうまく笑顔を作れない彼女にフォローを入れ、今度は一緒に捜査に当たるべく重加速測定器をつけ直そうとする。

 その刹那のことであった。

 身体の筋肉と神経が強張り、自由に動かせなくなる。

 枯れた芝生を踏む足も、巡らそうとしていた視線も、全てが自分の言うことをきかなくなっていた。

 ただし全く動けなくなっているのに思考だけははっきりしていて、自分が認識できる全てが数十倍にも引き伸ばされているのだ。

 重加速現象の発生であり、この付近にロイミュードが現れた証であった。

 

 まずい、と進ノ介と霧子が危機感に煽られたと同時に、急に鈍重な感覚から解放される。

 まるで空間そのものに絡め取られていた中から蹴り出されるように、五感がすっと軽くなった。

 

「うおっ!」

 

 思わず呻いた進ノ介と、よろめいた足を踏みしめた霧子の下には、シフトカーたちがすぐさま駆けつけてくれていた。彼らのおかげで、重加速に巻き込まれたのはほんの数秒で済んだのだ。

 

 言葉を持たない仲間たちに心の中で感謝しつつ、二人は慌てて周囲を見渡した。現場にいる捜査員たちは全員が凍りついたように動かなくなっており、風の音さえしない不気味な静けさに包まれている。

やはり、ロイミュードが起こした「どんより」がこの付近を掴んだままでいるのだ。

 

「まさか、またあのロイミュードが?」

 

 昨晩ここで目撃した光景を閃かせた霧子が、拳銃を構えて辺りを警戒する。同じロイミュードが出現したのだとしたら、狙いが母親に連れられてきたあの男の子である可能性を考えるのが自然だった。

 

「もしかしたら、またあの子を狙ってるのかも知れない。行くぞ、霧子!」

「はい!」

 

 同じ考えに至った進ノ介が、現八郎たちに連れられた少年がいるであろう雑木林へと走り出す。

 途端、二人の足元が穿たれ、乾いた土片が飛び散った。何かが連続で地面に撃ち込まれたのだ。

 

「きゃあ!」

「霧子!」

 

 咄嗟に身をかわして弾丸らしき何かの直撃は避けられたものの、衝撃に驚いた霧子が悲鳴を漏らす。進ノ介は我が身を楯として彼女の前に立つと、片手でその細い半身を抱くようにして更に後退した。

 

「大丈夫か?」

「はい……泊さん、あそこです!」

 

 二人は倒れ込むようにして地面に伏す形となっていたが、互いの無事を確認してから霧子が目ざとく凶弾を放ってきた相手を見つけ出していた。

 若き女性警察官の指し示す先には、奇妙の一言では言い表せない人影があった。

 立入禁止区域に忽然と現れたのは、全身から大小のバレルが生えた厳つい鉛色の怪人、と言ったところだろう。脚部や腕には無数の銃口が口を開けており、拳銃などの小火器からロケット砲の砲弾を思わせるほどの大きさのそれが窺える。

 顔は機械式のゴーグルを被ったような形で、明確な目はどこにあるかわからない。明らかに、生物ではないと判断できる外見であった。

 

 この歪な人影が、進化態となったロイミュードであることは間違いない。しかし霧子が昨晩ここで目撃した、刀を携えた個体とは全く違う。彼女はそのことに少なからず動揺を覚えたが、なるべくそれを表に出さぬよう呼吸を落ち着けてから事実を口にした。

 

「あれは……昨日私が見たロイミュードと違います。連続傷害事件の犯人ではありません。恐らく、新手です!」

「何だって?」

 

 二人のロイミュードが時を同じくして現れるという事態に、進ノ介の表情が険しさを増す。

 撃ってきたロイミュードーーファイアアームズ・ロイミュードは、次に攻撃する対象を決めかねるように辺りを見回している。重加速下の今、狙い放題の標的を前にして嬉々としているのがその動きからも伝わってくるようだった。

 

 こうなってしまった以上、もう一体が現れる前に追い払うことが先決と判断し、彼はシフトカーを素早く取り出した。

 

「とにかく、あいつに好きなようにさせるわけにはいかない。行くぞ!」

 

 進ノ介がドライブドライバーを腰に巻きつけてイグニッションキーを捻ると、シフトブレスがレバーモードにチェンジする。その隙間にシフトスピードのシフトカーを滑り込ませ、全身を緊張させた若者は叫んだ。

 

「変身!」

「OK! Start your engine!」

 

 シフトブレスのレバーを引き雄叫びを上げた進ノ介に応えて、ベルトが変身モードを始動させた。

 進ノ介の装着するシフトブレスの信号に反応したドライバーとトライドロンがコア・ドライビアに連動し、進ノ介を超人へと変化させるシステムが動き出す。科学技術の粋を集めたドライバーから溢れ出したエネルギーが光となって変身者を包み込み、その一瞬後には実体化した装甲が細身の身体を覆い尽くしていく。

 

 そして駐車されていたトライドロンからはタイヤが閃光と共に放たれ、赤と黒に彩られた異形の半身へと一直線に飛んだ。光の輪は彼を護るように、右肩から左胸にかけての鎧へと変化して硬化を瞬時に終える。

 

「Drive,Type Speed!」

 

 変身の挙動が収束すると同時に、ベルトの声が高らかな仮面ライダーの変身した姿の名乗りを上げた。ロイミュードと戦う戦士、仮面ライダードライブの基本フォームであるタイプ・スピードが現れた瞬間である。

 

「霧子はここにいてくれ!」

 

 ドライブはパートナーに一言言い残すと、装甲に包まれた脚で土の地面を蹴り、まっすぐにロイミュードへと向かっていった。対するロイミュードは、大勢いる警察関係者の中から鑑識スタッフの一団に狙いを定め、片腕を差し向けている。重加速の中、反撃してくる者がいるとは思っていないのだろう。

 隙だらけのところへ、ドライブは気勢を上げて突っ込んだ。

 

「はあっ!」



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FBI捜査官はロイミュードなのか-8-

「Oh!」

 

 唸りを上げる拳の一撃をまともに顔に喰らって、ロイミュードが驚きとも苦痛からともつかない叫び声を漏らす。しかし逆にドライブを驚かせたのは、次の蹴りを片腕で弾きながらロイミュードが放った一言であった。

 

「What?You cop,too?」

「何だ……こいつ、日本のロイミュードじゃないのか!」

 

 外国人のロイミュードも、これまでに存在しなかった訳ではない。それでも人ならぬ異形が英語を話すのは、ハリウッド映画のモンスターを相手にしているような、奇妙な感覚に襲われる。

 相手の問いには答えるつもりのないドライブが、蹴りの次に再び拳を繰り出そうとした時である。ファイアアーム・ロイミュードが右手を真っ直ぐに突き出したかと思うと、手首に装着されていた黒光りする三本のバレルが火を吹いた。

 重なった射撃音が冬の空気を叩き、吐き出された弾丸がドライブに撃ち込まれる。

 

「うわあっ!」

 

 至近距離で銃弾を浴びたドライブが苦鳴を上げてよろめくと、ロイミュードは素早く後ずさりながら発砲を続けた。鉛色の怪人は一秒にも満たない間隔で三発ずつの弾を同時に撃ち出しており、ドライブの装甲で全て防ぐのにはダメージが大きすぎる。

 やむなく、ドライブは射程距離外まで後退する羽目となった。

 

「くっ、これじゃあ近寄れない!」

 

 タイプスピードのドライブが悪態をついた時、またしても彼の胸元の最も厚い装甲から火花が散った。同時に、猛スピードで走ってきた車が衝突してきたかと思うほどの凄まじい衝撃が襲い、堅固な鎧に包まれた全身が吹っ飛ばされる。

 

「ぐあっ!」

「泊さん!」

 

 思わず叫びを上げたドライブがもんどりうって数メートル後ろに弾き飛ばされると、心配した霧子が駆け寄ってくる。

 

「だ、大丈夫だ!」

「進ノ介、あれを見ろ」

 

 助け起こそうとしてきた霧子に、乾いた芝生の上に倒れ込んだドライブが頷いて無事を伝えた。その薄い煙を上げる身体の正面で、ベルトがファイアアーム・ロイミュードに注意を向ける。

 仁王立ちしてこちらを向いている灰色の異形は、先まで発砲に使っていた腕を下ろしている。その代わりに、膝から生えたより銃口の大きなバレルが薄い煙を上げていた。もしろくに照準を合わせずに当てたのだとしたら、神業に等しい腕前と言って差し支えはない。

 

「あいつ……脚から撃ったのに、こんな距離の正確な射撃ができるってのか!」

「奴は、ベースになっている人間がかなり武器の扱いに慣れているようだ」

 

 驚愕しつつも立ち上がるドライブに、ベルトが緊張した声で警告を促す。

 

「くそっ!こっちだって、やられっぱなしでいられるか!」

 

 射撃ダメージの回復を感じたドライブが、次に出る反撃の手段を考えつつ身構える。しかし彼が再び格闘戦を挑もうと走り出したその刹那、敵ロイミュードの胸甲から派手に火花が散った。

 完全に不意を突かれたらしいロイミュードが、叫び声を上げて前屈みになる。

 

「Ah!」

「目には目を、だよ。兄さん!」

 

 体勢を崩した鉛色の巨体の向こうに、何者かの姿がある。

 大型バイクに跨がって白いパーカーを纏い、奇妙な形の銃を構えた若い男の姿--ロイミュードを背後から狙い撃ちにして得意気に笑う彼は、詩島剛であった。

 仮面ライダーの一人である剛は「どんより」の発生を察知し、この公園に愛馬を駆って駆けつけていたのだ。

 

 彼は一旦専用銃であるゼンリンシューターをバイクのシートに置くと、シグナルマッハを取り出した。同時に青く輝くバックルを腹に当てると、金属を思わせる光の帯が伸びてマッハドライバー炎となる。

 彼はドライバーの右側を叩き、現れたパネルにシグナルマッハを素早く装填した。

 

「Rider!Mach!」

 

 涼やかなメタリックブルーのバックルから跳ね上げられたパネルにシグナルマッハが収められると、仮面ライダーマッハの変身メカニズムが流れ出す。

 

「変身!」

 

 にやりと不敵な笑みを浮かべた剛が、溢れる自信を身に纏うとともに自らを鼓舞する一言を放った。

 シフトカーと同じく--ただし基本性能はドライブのそれを上回る、ネクストシステムを搭載しているが--コアを内蔵したシグナルマッハとドライバーが連動し、科学技術の粋を集めた白き閃光が若者の身体を覆った。

 全身を駆け抜ける心地好いエネルギーの波が腕を、脚を、強固な装甲で固めていき、同時に誰よりも速く駆け抜けるためのパワーを授けていく。

 僅か数秒の時間も要せず、冬の乾いた土の上に新たな戦士のシルエットが降り立った。

 

「追跡--撲滅!いずれもマッハ!」

 

 自らの信じる正義を貫く戦士へと姿を変えた剛が、意気揚々と名乗りを上げる。

 

「仮面ライダーマッハ!」

 

 そして一瞬だけ深く膝を折った姿勢を取ると、仮面ライダーマッハはすかさずゼンリンシュータを掴み上げた。

 

「喰らえ!」

 

 派手に新手が現れたことに驚いたのであろう。咄嗟に反応を返すことができなかったロイミュードの厚い胸板を、マッハの放ったエネルギー弾が直撃した。独特なフォルムの銃から続けざまに吐き出される形なき弾丸が、びっしり並んだバレルで埋め尽くされた敵の身体を捉えて火花を散らし続ける。

 

「Ohh!」

 

 立て続けに銃撃を食らったファイアアームズ・ロイミュードは、誰が耳にしても苦鳴とわかる声を上げて後ずさった。

 

「進ノ介、我々も銃で反撃だ!」

「よし。来い、ドア銃!」

 

 マッハが駆けつけた隙に態勢を立て直したドライブがベルトに促され、宙に手を伸ばして武器を召喚する。

 すると黒い装甲に覆われた手の中に、金属の塊が空を切って飛来した。赤と黒のツートンカラーに彩られたそれは、丁度車のドアを思わせる形をした銃である。

 進ノ介の「酷い」センスにより名づけられた、その名も「ドア銃」を構え、ドライブがトリガーに指を置く。

 

 その時であった。

 ドン、という轟音が周囲の空気を叩いた。

 「どんより」で鈍重になっている万物を震わせるほどの音が響き、軽い衝撃波すら広がってくるのがドライブの身体にはっきりと伝わってくる。

 

「Ahhhhh!」

 

 そしてファイアアームズ・ロイミュードが側面から襲ってきた銃弾の直撃を受け、苦痛の絶叫を上げたのも同時であった。ただしこれは、ドライブが発砲する一瞬前のことである。

 敵は確かに、いずこかから叩き込まれた銃撃を食らった。

 だがそのダメージは、ドライブとマッハによるものではなかったのだ。

 

「な、何だ?俺、まだ撃ってないぞ!」

「明らかに実弾のようだ。しかもこの発砲音は、警官の使う三八口径ではない。もっと殺傷力の高い……恐らくは五〇口径だろう」

 

 驚いてドア銃を下げたドライブをよそに、雷鳴の如き銃声を分析したベルトが特徴を伝えてくる。

 それを聞かされたドライブは、更に大きな驚きで声を上げざるを得なかった。五〇口径など、日本国内の一般的な警官向けの銃を遥かに上回る大口径だ。軍隊でも、拳銃クラスでそこまで大きな火器は使用していないだろう。

 

「五〇?そんな化け物みたいな銃、霧子……じゃないよな」

 

 一瞬バディである婦人警官に意識を向けたドライブであったが、いくら彼女でも通常の銃以外は所持していないはずだ。もっとも、最近りんなが霧子にと作った対ロイミュード用弾丸の威力は凄まじく、大口径の拳銃と比肩し得るくらいではあったが。

 

「誰だ!」

 

 そして不意を突かれたのは、やはりゼンリンシューターで追加ダメージを狙っていたマッハも同じだったらしい。驚きとチャンスを掠め取られた不快感をない混ぜにし、辺りを警戒する。

 ファイアアームズ・ロイミュードの身体が不規則な光に包まれたのは、二人のヒーローの意識が逸れたその時である。

 

 不気味な輝きが失われると、ロイミュードのシルエットはこれまでと全く異なるものになっていた。無数に生えていたバレルは影も形もなく、生物と機械の造形が混ざった暗色のボディと白っぽい頭に変わり、胸には鉄板のプレートが現れている。

 

「Uh...?...Fuck around!」

 

 思いがけず、進化前の姿である基本型に戻ってしまったことに立腹したのであろう。ロイミュードが表情のない顔に怒りを浮かべる変わりに、口汚く英語で吐き捨てる。気分を害されたことを態度で表しているロイミュードは、あらぬ方から攻撃してきた相手を求め、狂ったように辺りを見回していた。

 

「何だ、あのナンバーは?」

 

 隙の見えなくなったロイミュードのプレートを目にしたマッハが、不審そうな呟きを漏らす。

 ロイミュードは、進化前の基本型が三つに分かれている。飛行能力を持つバット型、口から粘着性の糸を吐くスパイダー型、格闘に優れるコブラ型があり、胸に刻まれたナンバーが確認できるのはこの時だけだ。

 バット型のボディに取りつけられたプレートのナンバーは「00A」で、これまで倒してきたロイミュードとは違い、三桁全てが数字ではなかった。

 無論マッハと共に戦ってきたドライブも、初めて目にするタイプのナンバーだ。ロイミュードに関しては関係者の中で一番の知識を誇るベルトすら、動揺して咄嗟に言葉が出てこない。

 

「Why...why here!」

 

 そこへ横合いから英語の、それも女性の怒鳴り声が割り込んできた。「どんより」の中で動けるのはロイミュードと仮面ライダーを除けば霧子だけの筈であるが、声は全く違うし、何より霧子はドライブの後方に控えている。

 では誰が、と一同が声のした広場の一角を注視する。

 

 そこでは黒のパンツスーツ姿の女が枯れた芝生を踏みしめ、黒光りする大型の銃を片手に構えていた。

 ポニーテールにまとめた茶色の艶やかな髪、小柄な身体と華奢な手足、幼さの残る顔に不似合いな鋭い眼光と、戦う者としての厳しい気配ーー彼女はまさに昨晩霧子が目撃した女性であり、FBI特別捜査官である間未来その人であった。

 未来の携える銃が、ハンド・キャノンという異名を持つ五十口径拳銃のデザートイーグルであることは、進ノ介や霧子には一目見て判別がついた。ロイミュードを一発で基本型に戻した先の強烈な銃撃は、未来によるものだったのだ。

 

 彼女はデザートイーグルを右手だけで構えているが、成人男性でも振り回されるほど反動が強烈な銃を片手で撃つ芸当は、明らかに人間業ではない。

 しかしその姿を目の当たりにしても、ロイミュードに浮き足立った様子はない。むしろ攻撃の主に覚えがあるようで、英語を理解しない者にも蔑んでいるのがはっきりとわかる調子で言い放った。

 

『ああ?誰かと思えば、FBIのメスゴリラじゃねえか。性懲りもなく、こんな辺鄙なところまで俺を追ってきたのか?それに、何で動けるようになってるんだ』

『そんなの、答える必要はないね』

 

 類人猿呼ばわりされたことには敢えて触れず、未来が言葉を切る。

 

『それに、懲りてないのはあんたの方だろ。わざわざ日本にまで来て、また誰かを殺すつもりでいるのか!』

『黄色いサルどもに、一泡噴かせてやるのも面白いからな。だが、俺はそのためだけに日本に来たんじゃねえ』

 

 僅かに、未来が片方の眉を吊り上げる。一度はセットした安全装置を外しつつ、彼女は基本型に戻ったロイミュードの雑言を聞き咎めた。

 

『じゃあ何のために来た?今すぐ白状しないと、また痛い目見るよ。このスクラップ野郎』

『はっ!お前らFBIや警察は、数を頼みにしなけりゃ何もできやしねえ、ゴミどもの集まりじゃねえか。メスガキは、大人しくそこら辺のサルどもと遊んでるのがお似合いだ!』

『そのメスガキに何度もやられてんのは、何処の腐れカスだよ?てめえなんざ、ビスの一本までバラバラにしてゴミ捨て場にぶちまけてやるよ!』

 

 英語の罵声には罵声で返すが早いか、未来が走り出した。

 鋭く踏み出すと同時にデザートイーグルの銃口をロイミュードに向け、.五〇アクション・エクスプレス弾を叩き込まんとトリガーを引く。全身を空気の塊で叩くかのような射撃音が、再びその場にいる一同を揺さぶった。

 だが、女捜査官の一撃を予測していたらしいロイミュードは宙に飛び上がって銃撃をかわすと、滑空しつつ彼女を嘲笑った。

 

『面白え。サル一匹でどれだけ悪あがきできるのか、試してやろうじゃねえか!』

 

 未来が立ち止まって敵を墜落させようと翼へ狙いを定めたところへ、ロイミュードが空中で指先を向けて爪の先から続けざまに弾丸を発射した。硬質な金属の礫が束になって空を切り、恐るべき速度で地上へと飛来する。

 しかし未来は強く地面を蹴ると進路をジグザグに取り、不規則な速度と角度によるフェイントを混ぜながら全弾を避け切っていた。その瞬発力たるや、一流の兵士以上だ言っていいだろう。特筆すべきは全ての弾道を見切る反射神経もさることながら、野性動物並みの全身の反応と、助走なしのスタートダッシュで人間離れした速度を出せる脚力だった。

 

 生身の人間に命中すればただの一発ですら命取りになりかねない弾も、彼女の動きの速さにはまるで追いついていない。更に彼女は回避行動に専念するだけでなく、空中にいる敵を常に視界に捉えながらデザートイーグルを撃ち続けていた。

 昨夜生身のマッハと格闘戦を演じて彼を叩き伏せたという話も、この身のこなしを見れば納得が行く。未来は幾多もの犯罪者に引導を渡してきたFBIの捜査官というだけでなく、兵士が戦場で戦うのための訓練を受けていることがはっきりと伝わってくるのだ。

 

 彼女の持つ大型拳銃が発する雷鳴の如き発砲音と、敵が放った弾丸の着弾音が入り乱れる隙間に、英語の怒鳴り声が織り混ざる。機械生命体と女捜査官の放つ声には強い感情が感じられ、牽制ついでに相手を罵っているであろうことは、英語を理解しない者にも伝わってくるほどであった。

 

 両者の撃ち合いには他者の入り込む隙が窺えず、ドライブの側まで後退してきたマッハが呟いた。

 

「うわー……あいつ、すげえこと言ってんなあ」

 

 明らかに引いている様子のマッハの方へ、驚いたドライブが振り返る。

 

「剛、あれがわかるのか?」

「あのロイミュードと間捜査官、何て言ってるの?」

「いや……姉ちゃんも進兄さんも、知らない方がいいよ。ものすごく下品なスラングだと思っといてくれ」

 

 マッハの姉である霧子も訳を求めてきたが、彼は言葉を濁らせて答えようとしない。

 法執行機関は男社会のため、下品な言い回しや汚い喩えが多いのは世の常だ。殊にアメリカでは顕著な傾向にあることを、同国に暫し訓練で滞在していたマッハは知っているのだろう。

 

「うむ。アレをわざわざ理解する必要はないだろう」

 

 英語に堪能なベルトも同感らしく、呆れ顔の表示をディスプレイに浮かべさせる。

 しかし今は、そんな悠長なことを言っている時ではなかった。うっかり唖然とさせられてしまったマッハが、はっと我に返ってドライブの肩を掴む。

 

「って、細かいことは後にしねーと。とにかく、全員であいつを攻撃して追っ払おうよ」

「そうだな。今はそれが先決だ」

 

 弟分であるマッハに促され、ドライブがドア銃を握る右手を上げた。

 

「じゃあ同時に行くぜ、兄さん!」

 

 ヒーローたちが息を合わせ、同時にドア銃とゼンリンシュータのトリガーを引く。

 二つの銃口から連続で放たれたエネルギー弾は、空中のロイミュードをまっすぐに捉えた。

 かのように見えたが、形なき弾丸は敵の翼を掠めたのみで、ごく僅かなダメージを与えただけに過ぎなかった。ドライブとマッハはバット型であるロイミュードを地に落とさんと、未来と同じように連続で引き金を絞り続ける。

 

『ちっ!おい、メスガキ。今日はこの辺で勘弁しといてやる。だが今度会ったら、必ずブチのめしてやるからな!』

 

 対峙しているFBI捜査官とは別の者からも飛び道具で攻撃され、流石に分が悪いと踏んだのであろう。旋回し続けながら英語で捨て台詞を吐いたロイミュードは、そのまま蝙蝠の翼で空を切って飛翔する方向を変え、逃走を図った。

 

『減らず口を!今日こそ、地獄に叩き込んでやる!』

 

 当然、未来には憎き相手を逃すつもりなどない。彼女は低く叫んでデザートイーグルのマガジンを素早く交換して撃鉄を下ろすが、上空高くを飛び去りつつあるロイミュードは既に射程距離外であった。

 今更発砲を重ねても弾の無駄と覚り、彼女は銃身を下ろして幼さの残る顔に悔しさを滲ませた。

 

「くっそ!また逃がしたか……」

 

 あっという間に小さくなったロイミュードの姿を睨みながら、未来はデザートイーグルの安全装置をかけた。周囲への警戒はまだ怠らずに銃身からマガジンを取り外し、コートの下に隠したレッグホルスターに銃身を収める。一連の所作に全く淀みがないのは、恐らく無意識下での習慣になっているためであろう。

 

 彼女が右の太股に装着しているのは黒い樹脂製のホルスターで、これはアメリカ軍の特殊部隊に所属する兵士が好んで身につけるものであることを、マッハは知っていた。デザートイーグルのように大口径の拳銃は、ショルダーホルスターに差し入れて持ち歩くのには適さないのだから、当然と言えばそうだろう。

 

 しかしいくらFBI捜査官とは言っても、戦場で使用するような銃を持ち歩くのは普通ではない。

 マッハが緊張を強めて未来から離れたままでいる一方、ドライブはやや硬いながらも普段と変わらない調子で彼女に声をかけていた。

 

「ミッキー」

「その声、進ちゃんだよね?……それにそっちは、昨日のあの子か」

 

 軽く息をついてから、未来が仮面ライダーたちへと視線を向ける。

 恐らく初めてであろう仮面ライダーの姿を目の当たりにしても、彼女はあまり驚いた素振りを見せていない。加えて、戦闘で聞こえてきた声から仮面ライダー誰であるのか、既に見当をつけているようだった。

 

「待て、進ノ介。タイプテクニックで、彼女の身体をスキャンしてみよう」

「あ、ああ」

 

 未来に近寄ろうとしていたのをベルトに抑えられ、ドライブがシフトテクニックを取り出す。

 彼は装甲に覆われた手で左手首のブレスレットからシフトスピードのシフトカーを外し、シフトテクニックと入れ替えてレバーを引いた。

 

「Drive,Type Technic!」

 

 瞬間にベルトの声が響き、腰のドライバーとトライドロンへとシグナルが送られる。ドライバーから光となって溢れ出したエネルギーとトライドロンから放たれたタイヤが合わさってドライブの身体を包み込み、赤と黒に彩られていた戦士の身体が全く異なるフォームへと変貌した。

 

「わっ、何それ!」

 

 今度はさしもの未来も驚いて、思わず声を上げる。

 仮面ライダードライブは、シフトブレスに装填するシフトカーを換装することでフォームチェンジが可能だ。シフトテクニックを使用したタイプテクニックもその一つで、明るいグリーンのボディと胸に埋め込まれたタイヤ状の装甲が大きな特徴となっている。

 

 しかしごつい外見に反した分析力と精密な行動が取れるのが、このフォーム最大の特徴でもある。ベルトはその機能を使い、未来が本物のFBI捜査官か否かを、即ちロイミュードかどうかをまず明らかにしようとしたのだ。

 ドライブが対象のスキャンを開始するとヘルメットの内部スクリーンに詳細な解析図が表示され、それが視界を共有するベルトにもデータとして展開されてくる。浮かび上がる様々な数字と技術的な英単語を読み取り、クリム・スタインベルトが結果を声に反映していった。

 

「心拍、体温は標準的な人間と同じ。体組成は有機物が約四〇パーセント、金属、強化プラスチックその他が六〇パーセント。それに、これは……コア・ドライビアの反応が!」

 

 最初は無機的に読み上げていたベルトの声が、最後に驚きと緊張を帯びたそれになる。

 コア・ドライビア。

 仮面ライダーやシフトカー、ロイミュードのボディに内蔵された超駆動機関である。重加速現象が発生するのも、あるいはその中で影響を受けないようにするのも、全てはこれがあってこそだ。そしてこの技術の結晶は生前のベルトが作り出したものであり、今やベルトの仲間でもごく限られた者しか作れないはずであった。

 

 ロイミュードたちが保有しているものを除いては。

 このコアは機械であるが故、人間の肉体に反応が現れることはまずないと言っていい。

 

「何だって?」

「じゃあ、やっぱりあいつは!」

 

 それを決定打とし、驚くドライブの後ろに色めき立ったマッハの声が重なる。

 しかし突き刺さるような敵意を孕んだ視線をマッハから向けられても、当の未来は悠然としたものだった。銃をカイデックス製レッグホルスターに収めた後は、ドライブとマッハに近寄りながら普段と変わらない口調で話しかけてくる。

 

「まさか、あんたたちがあの仮面ライダーだったなんてね。思っても見なかったよ」

 

 警戒もせずに歩んでくる未来の余裕ある態度が、よほどふてぶてしく見えたのであろう。マッハが一度は下ろしていたゼンリンシュータを再び構え、警告の一言を発した。

 

「おい、それ以上近寄るんじゃねえよ!」

 

 マッハは嫌悪感も露に声を張り上げる。

 だが、彼の隣に立つドライブは、幼馴染みがロイミュードだとはにわかに信じられなかった。それに先のベルトの分析結果では、未来の身体は全てが金属ではなく、有機物も四割程度含まれているということなのだ。機械生命体のロイミュードのボディに、そこまで高い割合の有機物が使われているものなのだろうか?

 それに何より、彼女はFBIの特別捜査官だ。

 そうもあっさりとロイミュードとの入れ替わりを許してしまうとも思えない。

 

「……進ノ介?お、おい、待つんだ!」

 

 ドア銃を構えもせずに未来の方へと踏み出したドライブを、ベルトが慌てて制しようとする。

 焦るベルトの声は敢えて流し、ドライブはいきなり確信に迫る話を切り出した。

 

「お前まさか、ロイミュード……」

「ん?……あ、そっか。まだ……って、え?」

 

 変身した幼馴染みに小首を傾げて見せた未来の言葉が、冷たい金属音とともに途切れる。

 

「えぇー?!」

 

 両手に違和感を感じたらしいFBI女性捜査官は、顔の前に両手を上げて素っ頓狂な叫びを漏らした。黒いコートから除く彼女の白い手首には、黒光りする手錠ががっちりと嵌められていたのだ。

 

「貴女の身柄は、私たちが確保させてもらいます」

 

 いつの間にか未来の背後に忍び寄っていた霧子が、拘束された華奢な腕を取ってそのまま連行しようとする。霧子より背が低い未来は、まるで後ろ向きに引きずられるような格好で歩かされ始めた。

 

「詳しい話は署で聞きます。泊さん、剛も。行きましょう」

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってよ!私、ロイミュードじゃないって!」

 

 霧子の有無を言わさぬ口調に、未来が思わず抗議の声を上げる。

 

「貴女、昨日もどんより発生中に動いてましたよね?誤魔化しても無駄です!」

「誤魔化すってそんな、人聞きの悪い!私、そんなつもりは!」

「特別捜査官の貴女ならご存じでしょうが、貴女には黙秘権があります。今は不利になることは喋らない方が、ご自身の為になりますよ」

 

 誤解だ、と言いたげな未来に先んじて、霧子が強く牽制する。ロイミュードの正体見たりと顔に書いてある霧子の行動力が、いかんなく発揮された瞬間である。女性警官が小柄なコート姿の女に手錠をかけて強引に引っ張っていく様子を、ドライブとマッハは呆気に取られて見守るしかなかった。

 たっぷり数秒は数えた後、はっと我に返ったドライブが慌てて二人の女性を追い、マッハもその後に続く。

 

「お、おい霧子!待てって!」

 

 確かに未来は「どんより」発生中に平然と戦い続け、超人的な戦闘力を見せつけた。

 加えて、体内にコア・ドライビアがあることも確認された。

 その一方で、彼女は一度もロイミュードの姿になっていない。

 今の段階で幹をロイミュードと決めつけるのは、やはり早い気がする--

 

 霧子を追いかけるドライブは話したいことを頭の中で整理しつつも、どうも解せないことが一つだけあった。

 何故霧子は剛以上に、未来をロイミュードだと決めてかかっているのか。

 その答えが出る前に、ロイミュードが去った付近一帯は「どんより」から脱しようとしていた。



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FBI捜査官はロイミュードなのか -9-

 久留間運転試験場の地下には、人知れず地下空間がぽっかりと広がっている。トンネル状のそこは片方が地上へと繋がり、もう片方に当たる最深部には現代科学・工学の粋が詰まった機械的なスペースが広がっていた。

 様々な唸りを上げる精密機械と色とりどりのLEDが散らす光に囲まれたターンテーブルには、仮面ライダードライブが操る車であるトライドロンが置かれ、静かに出動の時を待っている。

 

 一見すると機械だけが支配している「ドライブピット」だが、部屋の隅に生活感が見えるのが、ここに人が頻繁に出入りしていることを匂わせた。ロフトを備え付けた出入口の側には作業用の机と椅子、各種分析に使う端末が設置され、そこで人が快適に過ごせるだけのクッションや小物もセッティングされている。

 通常であれば普段あまり人気のないこのドライブピットに、今はロイミュードに立ち向かう若い男女の姿があった。

 

「まだ博士とは連絡が取れないんですか?」

「うむ、全然ダメだ。全く反応がない」

 

 停車しているトライドロンの側に据えられたクレイドルの上で、ベルトが特徴のある声に困り顔をディスプレイさせる。彼にハーレー博士との連絡を依頼した霧子がやはり困った顔で溜め息をつくと、変身を解除して普段着に戻っている剛も呆れて言った。

 

「やれやれ。相変わらずだよな、あの爺さんは」

 

 霧子と剛、ベルトたちが額を突き合わせている一方で、端末が据えられたデスクではりんなとスーツ姿に戻った進ノ介がディスプレイを流れるデータ表示を睨んでいる。

 連続傷害事件の捜査中にロイミュードに襲われながらも撃退した進ノ介たちは、「どんより」解消後に捜査を終えてからドライブピットに集合していた。

 霧子が昨晩目撃した個体とは別のロイミュードが現れたことや、研修に来ているFBI捜査官がコア・ドライビアを体内に持っていることもあり、基地であるドライブピットに戻ってからも空気は落ち着いていない。

 

 霧子たちが何とかコンタクトを取ろうとしているハーレー博士はベルトの生前からの友人であり、最も頼れる協力者の一人だ。剛にとって父親代わりの人物であると言っても差し支えがないほど、信頼も厚い。ただし唯一にして最大の欠点は放浪癖で、必要な時に連絡が取れないことであった。

 今回特状課にFBI捜査官が派遣される話がベルトに伝えられたのも、ハーレー博士からだ。故に該当する捜査官の素性は彼が一番詳しいだろうし、直接確認が取れればそれが一番手っ取り早い。だが、そうは問屋が卸さないのが現実だった。

 

 そうなると、件の捜査官については身体を分析してロイミュードか否かを判断するしかない。

 ピット内でりんなと進ノ介が見つめているモニターには、先にタイプテクニックで得た判断材料となるデータが展開されていた。

 

「どう、りんなさん?」

「うーん……ロイミュードとは全然違うわね。かと言って、これは人間とも違う。私は医者じゃないからあまり詳しくは言えないけど、身体を構成してる物質が人間にも、ロイミュードにも当てはまらないの。ただ、コア・ドライビアを持ってるってことは間違いないわね」

 

 隣に座る進ノ介から明確な答えを求められているりんなは、困惑した表情を浮かべている。

 天才的な頭脳を持つりんなも、ディスプレイに表示される分析結果は初めて見るタイプのものらしく、即答はできかねるのであろう。

 進ノ介はボールペンを指先でくるくる回しているりんなの方に身を乗り出させ、畳みかけた。

 

「けど、誰もロイミュードになった姿を見ていないんですよ?どんよりも発生していませんし」

「そこなのよねぇ、わからないのは」

 

 どうしてもこれはロイミュードではないという結論を引き出したい進ノ介をはぐらかし、りんなはまだデータを忙しく目で追いながら考えに耽っている。

 

「いいえ。彼女がいた場所には、別のロイミュードもいたんです。重加速反応が重なって、うまく検出できていないだけかも知れません」

 

 二人の会話を聞きつけた霧子が、ターンテーブルの側から進ノ介たちの方に歩きながら言葉を挟んでくる。彼女は進ノ介と逆に、このデータにロイミュードと言えるだけの根拠があると言いたげだ。彼女の後に続く形で輪に加わってきた剛も、強く頷いている。

 

「あのぉ……」

 

 霧子と剛を加えた四名が議論に入ろうとしたとき、若い女性の声が遠慮がちにかけられた。

 進ノ介が答えようとするのを遮り、霧子がばっと振り返って短く、鋭く言葉を返す。

 

「何ですか?」

「せめて、こっちの話を聞いてくれない?」

 

 女性警察官の針の如き視線を感じているのか、女性の声はかなり下手に出ている印象の響きだ。

 やや低く落ち着きがある話し声の持ち主、つまり問題のFBI捜査官の未来は、霧子から手錠を嵌められた状態でジャスティスハンターのシフトカーが作り出した檻に閉じ込められていた。ロイミュードの動きすら封じる狭い空間であぐらをかいている女の側に、剛がつかつかと歩み寄る。

 

「進兄ちゃんの友達の偽者で、しかもロイミュードかも知れない奴の言うことなんか、信用できるわけねーだろ。そこで大人しくしてろ」

 

 看守を思わせる上から目線の剛であったが、未来はむっとした顔を隠そうともせずに真っ向から反論した。

 

「私の身元を調べたいなら、アメリカ大使館でもどこでも問い合わせてよ。何なら、本願寺課長からFBIの長官に直接聞いてくれてもいいし」

「大した自信だな。そんなのが通用すると思うのかよ」

「だーかーらぁ、私はロイミュードじゃないんだってば!私の身体、今そこで分析したばっかりなんでしょ?身体の構造がロイミュードとは違うってこと、ちゃんと科学的に証明されてるじゃない。あんたが信用してるかどうかなんて、個人レベルの問題でしょ!」

 

 ロイミュードへの負の感情も露な剛に対し、未来は理屈を並べて対抗する。端から見ると、口の立つ女子と血の気が多い男子がクラスメイト同士で喧嘩している姿にも重なるのが不思議だ。

 

「けど貴女は、人間とも違いますよね?」

「そのことについて、私に全然説明させてくれないんだから。一方的に決めつけられる方の身にもなってよね」

 

 険悪な二人の間にクラス委員然とした霧子が割り込むと、未来ふてくされたようにそっぽを向いた。

 進ノ介が彼女の横顔に昔の面影を見つけ出したのは、その時であった。

 他所へ向けた黒い瞳にほんの僅かに滲むやり切れなさと悔しさ、寂しさ。嘗て未来がクラスメイトからよってたかって苛められていた頃と、同じ匂いがした気がした。

 

 まだあどけない少女だった幼馴染は、自分の意見を口にすることを許されずに他者から責められる理不尽さを、それこそ死にたくなるほど味わっていた筈だ。そして進ノ介は傍にいながらも未来を支え切り、助けてやることができなかった。だから彼女は、転校してその場から逃げるしかなかったのだ。

 

 警察官になった今でこそわかったことだったが、進ノ介はそのことがずっと心に引っかかっていた。理不尽な苛めで傷つき、苦しんでいた幼馴染を救えなかったことを悔いていたのだ。

 幼い頃に人間の醜さを知った現在の未来が口にした「一方的に決めつける」という一言は、進ノ介の心に重く影を落としていた。

 

 今、未来はまた同じように自分の言葉で反論することを咎められ、他人から追い詰められようとしている。

 そんなことは、許されていい筈がなかった。

 

「ロイミュードかも知れない奴の話なんて、誰が……」

 

 剛が檻の中で座る未来を見下ろして突っ撥ねようとしたところへ、進ノ介が割って入る。

 

「落ち着けよ。話くらい聞いてもいいだろ?それに、もしここでロイミュードの姿になって暴れられたとしても、俺と剛がいるんだ。また抑えることぐらいできるだろう」

「お、さっすが進ちゃん!」

 

 剛の前に立ち塞がった進ノ介に、未来がおどけて見せる。

 流石に自分たち姉弟が感情的になりすぎている自覚があったのだろう。霧子が相棒である進ノ介の意見に無表情に頷いてから、未来をちらりと視界に入れた。

 

「……まあ、話を聞くくらいならいいでしょう。その代わり、少しでもおかしなことをすれば……」

「じゃあ、これ預けるから」

 

 霧子が最後まで話すのを待たず、未来が檻の隙間に何かを挿し込んだ。彼女が差し出してきたモノが完全に檻の外側へ落ちるのを待ち、一番手近に立っていた進ノ介が拾い上げる。

 

 彼が手にしたのは、黒い革のケースに入ったFBI特別捜査官の身分証明書だった。これは未来の現在を確かにしてくれる、人生を左右するほどに重要な持ち物であることは言うまでもない。

 隣に来た霧子に身分証を手渡した進ノ介は、他人が触れることすら許されないものをあっさりと差し出した未来に、驚愕の色を浮かべた目を向けた。

 

「捜査官の命とも言える身分証が手元にないなら、少しは安心でしょう?それと、聞きたいことがあれば質問してもらえれば答えるよ」

 

 しかし進ノ介には特に動じた様子も見せない未来は、けろりとして詩島姉弟の顔にも視線を巡らせた。これにはさしもの霧子も驚いたようで、進ノ介から手渡された身分証を確認することすら一瞬忘れかけているようだった。

 ここまで大胆な真似ができるのも、進ノ介や霧子、剛たちに信頼を置いている姿勢を見せる目的からなのだろう。

 

 早くも心理戦において未来に一歩先を行かれた気がする一同は、短い沈黙を作り出してしまっていた。

 その隙に狙い澄ました未来の語り口調がするりと差し込まれ、彼女の話に耳を傾けざるを得ない空気が生まれたのも事実であった。

 

「まず、私は本物のFBI特別捜査官。主に誓って、ロイミュードじゃないよ」

「それは判ってるよ」

 

 主に誓って、という言い回しが如何にもアメリカ人らしい。

 進ノ介が頷いて見せると、未来は軽く息を吸ってから次の句を継いだ。

 

「私の身体が人間でもロイミュードでもないのは……私が、元軍事用の改造人間だから」

「え?」

 

 一瞬、ドライブピットの空気が止まる。

 未来はしれっと、とんでもないことを言葉にしたのだ。

 

「か……改造人間?」

 

 普段感情をあまり表さない霧子が、大きな瞳をしばたかせながら反芻する。

 

「改造人間って……漫画とか小説なんかでよく出てくるアレ、だよな」

 

 進ノ介も似たような反応で、未来の言ったことが咄嗟に飲み込めずに自らに確認しようとする有様だ。

 改造人間とは今進ノ介が呟いたように、生身の肉体に手を加え、目的に合った身体に作り変えられた人間のことである。

 

 が、そんなものはあくまで空想上の存在に過ぎないのだ。健康な人間の身体に実験紛いの目的でメスを入れるなど重大な犯罪行為に当たるし、まず人道上でそんな行為が許されるわけもない。

 剛が進ノ介と同じ意見なのは言うまでもなく、彼は突拍子もないことを言い出した未来に食ってかかろうとした。

 

「おい。あんまりしょうもない嘘つくと、自分の首絞めるだけだぞ」

「いや、事実だから。私が普通の人間じゃないの、そこで見たばっかりでしょ。それに改造人間なんて信じられないってんなら、仮面ライダーだって似たようなもんじゃない?」

 

 未来にそう返されると、一同はぐうの音も出なくなる。

 確かに仮面ライダーも人間を変身させて超人にする夢の技術であり、常識の外側にいる存在なのだ。同じ科学の結果である仮面ライダーを認めて改造人間を認めない、というのは滑稽であり、感情論の世界になってしまうだろう。

 進ノ介たちが反論してくる空気でなくなったことを読み、未来は檻越しに皆の顔を見直してから続けた。

 

「とりあえず、最後まで説明させて。みんなも知っての通り、子どもの頃は進ちゃんの近くに住んでて、十歳まではずっと一緒に育ってきた。進ちゃんもその頃のことを覚えてるんだし、そこはいいよね?」

「ああ」

「ロイミュードは記憶をコピーできるんだ。信用できないね」

 

 未来の確認に進ノ介は同意するが、剛は一度敵と認めた女の言葉の端々が気に食わないようで、むっとしながら否定する。

 あくまで最初と同じ姿勢を貫こうとする若者を制して話の先を促したのは、未来の話に興味を持ち始めた霧子であった。

 

「それから?」

「けど大人になってから交通事故に遭って、死ぬ手前まで行ってね。助かるためには、使い物にならなくなった骨や内臓を人工のと交換するしかなかったの。当時、軍事用として極秘開発されていたパーツを使ってね。それが、今から四年前の話」

「ふむ……君は人工的に作られたアンドロイドではなく、あくまで人間として生まれた生命体をベースとした個体ということだな。確かにそれなら、人間でもロイミュードでもないその身体について説明がつく」

 

 そこまで話が進んでから、今まで沈黙を守っていたベルトが初めて会話に入ってきた。

 本体が収まっているクレイドールを動かして檻の傍まで来る様子を好奇心に溢れた瞳で見守りながら、未来が改めてベルトに挨拶を送る。

 

「その通りです。ベルトさん、でしたっけ?改めて、初めまして。貴方は進ちゃ……泊刑事を仮面ライダーに変身させる力があるみたいだけど、人工知能か何か?」

「それは後で説明する。まずは君の話を続けてくれ」

 

 彼女は喋るベルトに興味深々ではあるようだが特に驚いてはおらず、意外なほどにあっさりとその存在を受け入れている。ベルトも素直な未来へ特別説明はせずに流すと、彼女は先を続けた。

 

「んじゃ、お言葉に甘えて。私は軍事用だったわけだから、当然兵士としての戦い方を仕込まれてた。でも、ある時に軍事用から保安用に運用が変わることになって。日本で新しく設立されるある組織に、私が加わることが決まったの」

「ということは……もしかして貴女、将来的には警察に?」

 

 保安用、という単語を耳にした霧子が質問を返す。未来は困ったように檻の天井を見上げ、手錠が嵌まったままの両手を持ち上げて頬を掻いた。

 

「うーん。どういう位置付けになるかは、私も詳しく知らないから。警察に近い組織であることは間違いないと思うけど」

「でも、そうだといいな。俺たちの未来の同僚ってことじゃないか」

 

 未来が同じ警察関係者となることに明るさを見出した進ノ介から、笑顔がこぼれた。

 彼の好意的な反応が気に食わない剛は、変わらず胡散臭そうに檻の中にいる捜査官をじろりと横目で見ながら質問を続ける。

 

「で?何であんたはFBIなんかにいるんだよ」

「犯罪捜査の技術を学ぶための研修目的で、日本政府からの命令なの。FBIでは、クワンティコのアカデミーで特別捜査官の教育を受けたよ。ヴァージニア州で捜査官になってからは、特殊部隊に当たる今の部隊に配属されて……暫くしてから、グローバルフリーズが起きた」



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FBI捜査官はロイミュードなのか-10-

 グローバルフリーズという固有名詞を耳にした一同の顔色が変わる。

 世界各地で同時に重加速現象が発生し、ロイミュードが一斉蜂起した日。

 進ノ介が嘗ての相棒である早瀬刑事に重傷を負わせてしまい、霧子が笑顔を失ったあの日。

 この世に生きる多くの人々に身体と心の傷を背負わせたグローバルフリーズのことを、皆は生涯忘れることができないだろう。

 

 そして特別捜査官である未来が、グローバルフリーズが引き起こされた日に何をしていたのか。

 進ノ介は意識せずに幼馴染みへ答えを求めていた。

 

「じゃあ、あの時はお前も……」

 

 静かに頷いて、未来が噛み締めるように話を続ける。

 

「アメリカでも大勢の犠牲者が出て、私たちの部隊が中心になって必死に戦ったよ。うちの部隊にはもう一人、アメリカ人の改造人間がいてさ。ロイミュードとまともにやり合えるのは、軍を除けば私たちだけだったから。けど……」

「君たちは、ロイミュードのコアを破壊できる手段を持っていなかったんだね?」

 

 ベルトが話の先を口にすると、未来は頷き返した。

 

「そう。私たちはロイミュードの息の根を止めることがどうしてもできなくて、何度も復活してくる奴等に手こずってた」

 

 言葉を繋げた未来は、目を伏せがちにしている。

 FBIは強い権限を持ってはいるが警察と同等の組織であり、犯罪から市民を守る役目は変わらない。

 にもかかわらず、ロイミュードに太刀打ちできない醜態を晒してしまったのだ。やむを得ない理由があるとは言え、民衆からのバッシングは耐え難いものがあったのだろう。

 

 同時に、剛がばつが悪そうに未来から視線を逸らしていた。

 剛はアメリカでドライブシステムの後継であるネクストシステムの被験者となっており、ネクストシステムを組み込んだ仮面ライダーマッハ自体、アメリカ本土で開発されたと言っていい。警察や軍隊ではロイミュードに歯が立たなかったことは、当然彼も知っていた。

 

 ただ、開発者であるハーレー博士は、アメリカの政府中枢部にまでロイミュードが入り込んでいるという推測を立てていた。故に彼は警察やFBI、軍を信用せず一切の協力を拒んでいたのだ。

 アメリカ社会に大混乱が起きており、その渦中にいながらも放置しなくてはならなかったのだから、当然剛とていい気分ではなかった。

 未来と剛、それぞれの事情を察したらしい霧子が、話を進めようと静かに先を促してくる。

 

「それで、アメリカでは今も同じロイミュードたちが?」

「地方警察だけじゃ、まるで歯が立たなくて。要請があれば、テロや組織的な凶悪犯罪に特化した私たちの部隊が出動して戦ってたの。そうそう州兵や軍を動員するわけにもいかないみたいだから」

 

 恐らく剛の表情の裏も読んだのであろう、未来は淡々と答えるだけだった。

 

「ロイミュードが現れているのは、この日本だけではない。殊にアメリカは国土が広大な上に、国民の武装も許可されている。彼らにとっても住み心地がいい国だろう」

「アメリカは犯罪捜査の技術も世界一だってのに、とんだ皮肉だな」

 

 ベルトに続き、進ノ介も辛辣な口調で吐き捨てる。無言の頷きで同意を未来が示した後、彼女はいよいよ話の核心へと触れていった。

 

「……そんな時だったの。うちの部隊の捜査官の一人が、ハーレー博士の情報を運良く掴んできたのは」

 

 見知った人物の名前を女性捜査官が口にすると、その場にいる四人の男女が無意識に檻の中へと視線を集中させた。

 

「博士は渋ってたみたいだけど、何とかコア・ドライビアのサンプルをFBIが二つ譲り受けられて。この技術を応用すればロイミュードを倒せることと、ライダーシステムのことを聞いたのも、その時なんだ」

「ちょっと待てよ。アメリカでは、ライダーシステムを進化させたネクストシステムが研究されてるんだぞ?俺は元被験者なんだ。博士はネクストシステムについて、何も言ってなかったってのかよ」

 

 恩師でもあるハーレー博士がFBIに協力したことをこの瞬間に初めて知った剛が、未来に食ってかかる。

 何故博士は、FBIに協力していることを自分に教えてくれなかったのか。

 もし予め情報が掴めていれば、この女捜査官風情に格闘を挑んで返り討ちに遭うという醜態を晒すこともなく、ひいてはアメリカ社会の混乱を少しでも小さくできたのに--!

「残念ながら、私はライダーシステムについて人伝に聞いただけなの。博士は信用できる人にしか、直接会わなかったから」

 

 剛が若者らしい熱さを全身から迸らせているのに対し、あくまで未来は冷静だった。

 眉を吊り上げて睨んでくる男にはやはり感情を窺わせない声を返しただけで、彼女は重要な話題の先を展開させていく。

 

「ロイミュード対策の鍵になるコア・ドライビアは手に入ったけど、事態は一刻を争ってた。対ロイミュード用武器の開発は急いでやらなきゃいけないし、かと言って具体的な対策も怠ってはいられない。そこでコア・ドライビアの一つはFBIの研究所で分析と開発に利用して、もう片方を私の身体に移植したってわけ。こうすれば、少なくとも私だけは重加速の影響を受けないから」

 

 未来は白く華奢な手を自分の右胸に当て、言葉を一度切った。そこはまさしく、彼女の肉体でコア・ドライビアの反応を検出した場所であった。

 

「お前、それでコアを身体に……」

「新たな武器を開発するよりも、コアを移植する方が確かに時間を取らない。君が改造人間である利点を、最大限に活用したということだな」

 

 幼馴染みで、まだ子供っぽさを残す女性が機械の身体を持ち、体内にロイミュードと同じコアを持つ理由。そこには全て筋の通る説明はあったものの、未だ信じられない気持ちが勝っている進ノ介は茫然とした顔を隠さない。

 彼とは逆に、ベルトは納得したと言わんばかりの落ち着いた普段の口調である。

 

「けど、コアは他の物に加工して持ち歩く手もあったでしょう?改造人間とは言っても、身体にどんな影響があるかわからないのに、移植なんて乱暴な……」

 

 進ノ介とベルトの横合いから、りんなが開発者然とした意見を口にした。

 

「貴重なコアを壊されたり、奪われたりするわけにはいかないんです。それに重加速下で私が動けなければ、意味がありませんし。もし私が日本でロイミュードに襲われて死んだら、国際問題になりかねません」

 

 りんなが身体を気遣ってくれていることが意外だったのか、未来は口許にほろ苦い笑みを浮かべている。

 

「なるほど。FBIはコアを最も有効活用ができて、尚且つ一番守りやすい方法を取ったと言うことなのね。う~ん、そっかぁ……考えてみれば、それが一番安全なのかも知れないわね。貴女の身体能力も、仮面ライダー並みのようだから」

「ええ。戦闘時に動けなくなって、仮面ライダーの足を引っ張ることもありません。それに私のもう一つの任務は仮面ライダーを何とか見つけ出して、強固な協力体制を敷くことだったんです。そのために、色々と手伝えればと思ってますから」

 

 頷いたり首を傾げたりと忙しいりんなだが、最終的には腑に落ちたようで、未来の顔を見ながら彼女の能力を認める発言で締め括っていた。彼女から肯定の言葉を受けた未来も、やや棘が落ちた態度で応えてから改めて皆の顔を見上げてくる。

 

「ってのが、今私がここにいる理由なの。どう、まだ信用できない?」

「そうだな……」

 

 進ノ介はすぐ返答せずに霧子と剛、りんなに目配せした。彼の意図を察したらしい皆が各々で頷くと、若き刑事は幼馴染みへ済まなそうに断りを入れた。

 

「ちょっと待ってくれるか?」

「あ、聞かれたくない話なら、耳栓やっとくよ。私の聴力、普通の人の五百倍はあるから」

 

 何気ない返しに自らの能力をさらりと挟み、未来は手首をがっちり手錠に拘束されたまま、器用に両耳を指で塞いで見せる。

 呆れるほど素直な未来の態度だが、これも進ノ介たちを信用していることを示すための先手の一つなのであろう。刑事となった進ノ介は、気弱な苛められっ子だった幼馴染みが持つ今のしたたかさを見せつけられ、正直複雑な気持ちだ。

 

 彼は最初に仲間と相談することを発案したはずが、未来の姿を見ていたため最後に一同の背中を追うことになってしまった。慌ててクレイドルのベルトをひっ掴み、ドライブピットを後にする。

 出入口の自動ドアをくぐるなり、進ノ介は待っていた仲間たちへ問いかけた。

 

「どうだ?みんなはまだ、あいつがロイミュードだと思うか?」

「どう思うも何も、そもそもの身体がロイミュードと違うんだから。ロイミュードと同じコアはあるけど、未来ちゃんは改造された人間ってことよね。そこは間違いないわ」

 

 最初に答えたのはりんなで、自らが確認した根拠を基にした論理的な意見が実に彼女らしい。

 

「そうですね……彼女の話に不自然な点はありませんし、預かったこの身分証も本物。疑うべき点は、もう何もないと思います」

 

 続いた霧子も、未来のFBIの身分証が偽造されたものでないのを確認したことで疑念が晴れたのであろう。が、彼女の美しい面持ちには困惑の影がまだちらついているようであった。理屈ではわかっていても、感情がついてこないのだろう。

 

「身元は本国に問い合わせればすぐに確認できるし、彼女が受けたという改造手術についても、詳しく調査すれば裏が取れるだろう。その時の設計図を入手して、彼女のスキャン結果と照合することもできるが……私は、そこまでやる必要はないと思っている」

「みんな、あいつを信用するのかよ?」

 

 進ノ介の両手の上から発言したベルトは確信を持って結論づけたようだが、剛が彼に噛みついた。

 皆の中で特にロイミュードを毛嫌いしている剛なら無理もない反応だが、未来はコアを移植されている人間をベースとした生命体であり、ロイミュードではない。あの女性捜査官は他のロイミュードのように人ならぬ真の姿を持っていないし、幼かった頃の過去もある進ノ介の幼馴染みだ。

 

 とは言っても、そんな違いがますます気に食わないのが剛の正直なところなのだろう。

 穏やかに、進ノ介が傍らの若者に問いを投げかける。

 

「剛はどこが怪しい思う?」

「そりゃあ……スキャン結果は偽装されてるのかも知れないし、もしアメリカでもうロイミュードと入れ替わってたんだとしたら、本国に問い合わせてもおかしな点は出ないかも知れない。進兄さんと幼なじみってのも、コピーされた記憶ってだけなのかも知れないし……」

 

 剛は無意識のうちに文句を指折り数えながら、宙を睨んでいた。

 彼の口からあれこれと理由がよく出てくるのは、むしろ感心するくらいである。一方で、そのいずれも今一つ根拠には欠けると言えた。

 進ノ介は、弟分でもある剛をやんわりと諭すように言葉を被せた。

 

「けど、疑えば疑うほどきりがないだろ。逆に、これだけ安心できる材料が揃ってる。それに今だって、あいつが人間の五百倍の聴力があるってことを教えてくれたんだ。もしあいつがロイミュードだとして、わざわざ自分の能力を晒すような馬鹿な真似をするかな」

「それだって、俺たちを信用させるための罠かも知れないじゃんか!」

 

 気遣いを見せる進ノ介にも剛は口調を荒げたが、今度は後ろから霧子が彼の肩にそっと手を置いてくる。

 

「剛……貴方の気持ちもわからなくはないけど、少なくとも今彼女に怪しいところはないの。このまま疑心暗鬼になってるんじゃ、貴方にとっても良くないでしょう?」

 

 しかし、穏やかに宥めようとしてきた姉の手を振り払った剛が吐き捨てた。

 

「じゃあ、あいつを信頼して背中を預けろってのか?ロイミュードと同じコアを持ってる奴に……俺はごめんだね。どんなきっかけで本性を現すか、わからないんだからな」

 

 最早ロイミュードアレルギーと言っても差し支えがないほどの剛には、恐らく自らが仕掛けた格闘で未来に敗北した悔しさも手伝っているのだろう。これ以上の説得は却って逆効果だと、見切りをつけるべきであった。

 小さく息をついて、進ノ介が方向性の違う提案を示して見せる。

 

「なら、少しでも未来におかしいところがあるとわかった場合は、徹底的に調査することにしよう。裏が取れれば剛も安心だろう?俺たちが表立って行動するわけにいかないし、違和感を感じてから対処を始めるのでも遅くはないと思うんだ」

「折衷案ってわけね。そういうことなら、私も協力しやすいかも。あの子の身体は半分以上が機械だから、何かあったときは私が見ることになるだろうし。私もあの子、ちょっと詳しく見てみたいのよねぇ」

 

 剛からは敵と見なされている未来の肩を持ちすぎるわけでなく、あくまで主導権が自分たちにあると思わせる進ノ介の考えに、まずりんなが乗った。もっとも彼女は意味深な笑顔を浮かべており、改造人間である未来を興味の対象として見る目になってはいたが。

 

「そうですね。それが今現在の、最大限可能な譲歩だと思います」

 

 破綻のない同僚たちの意見に、霧子も納得して同意する。

 四人中三人の仲間が意見を合わせる中で、自分一人が反対するわけには行かない。自分の我儘を通すわけにはいかないことを覚った剛は、不承不承ながらも皆に従う意思を表した。

 

「……ちぇ、わかったよ」



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FBI捜査官はロイミュードなのか-11-

 見事に不貞腐れた剛を最後にして、進ノ介たちはドライブピットへと再び足を踏み入れていく。

 彼らが檻の側まで来た気配を察し、未来が顔を上げてから耳を塞いでいた指を離した。

 

「あ、終わった?」

 

 一同の表情から、悪い結論が出たのではないと判断したのだろう。女捜査官の声は明るい。

 

「ああ。ミッ……間捜査官、改めてよろしくな」

「私は武器とかも作ってるし、未来ちゃんの身体もある程度は見られると思うの。何かあったら、いつでも言ってね」

 

 檻越しに進ノ介が挨拶を送ると、りんなが笑いかけた。

 

「はい!誤解が解けて何よりです。あ、このことは他の人達には秘密でお願いしますね。それと……そろそろ、自由になってもいいかな」

 

 未来が立ち上がって答え、檻の中をぐるりと見渡す。彼女はまだジャスティスハンターの作った檻に閉じ込められたままで、留置場にいる誤認逮捕された真面目な市民さながらだ。

 言われてみて初めて意識した進ノ介が、はっと気づき急いで謝った。

 

「あ、悪い悪い!ちょっと待ってな。霧子、手錠の鍵貸してくれ」

「大丈夫だよ。自分でやるから」

 

 慌てて制服のポケットを探る霧子と申し訳なさそうな進ノ介を尻目に、未来は胸の前で手錠の嵌まった両手首を引っ張った。

 

「ほっ!」

 

 軽い掛け声とともに、手首を繋いでいた鎖があっさりと弾け飛ぶ。警察で使う手錠の鎖は鋼鉄で作られており、力自慢の成人男性であっても引きちぎる芸当など不可能だ。が、未来は更に手首にしつこく残っている手錠を二本の指で押し広げ、ひしゃげて広がった隙間から難なく手を引き抜いている。

 手首に嵌める部品はアルミ製のため工具を使えば破壊も可能ではあるが、これも素手、しかも指で開いて無理矢理広げるなど前代未聞である。

 

 そして唖然としている一同の目の前で、未来は檻を掴んで外側へ引っ張った。対して力を込めたようにも見えないのにかかかわらず、檻を作っている金属棒が彼女の腕力に負けて隙間が一気に広げられる。

 いとも簡単に手錠を壊し、まるで引き戸を開けるかのようにして檻から出てきた未来に、進ノ介が思わずこぼした。

 

「素手……」

 

 手錠つきで冷たい床にじっと座っていたのが流石に疲れたのか、未来は両手首を軽く振ってうーんと伸びをしている。途中、進ノ介たちの視線に気づいたらしく、小首を傾げて見せた。

 

「ん?」

「い、いや……こんなのに閉じ込めて悪かったな」

 

 破壊された檻を確認した進ノ介の笑顔が引きつっている。

 黒いパンツスーツ姿の幼馴染みは、外見こそ小柄な女性だが中身は戦闘用の改造人間なのだ。彼女を決してつまらないことで怒らせるような真似はするまいと、彼はひっそりと心に誓っていた。

 

「あー……いいよ。私がロイミュードかどうかはっきりしなかったんだから、当然かと思うしね。改めて、よろしくね」

 

 進ノ介の視線が檻の残骸に向いていることに気づいた未来は、今更彼らが何に驚いているのかを悟ったらしい。困った笑顔を浮かべながらも、右手を皆に差し出してくる。

 進ノ介とりんなは笑顔で、霧子が礼儀を守って握手に応えた後に、未来は小さな手を剛にも向けた。

 

「剛くんも、よろしく」

「気安く剛くんとか、呼んでんじゃねえよ」

 

 やはりと言うべきであろうか、フレンドリーな未来の挨拶に剛は応えない。彼は未来を一睨みしてから、パーカーのポケットに突っ込んだ手を出そうともしないで背を向けた。

 

「剛!」

 

 失礼極まりない弟の態度を霧子がたしなめようとするが、その尖った背にわざと皮肉っぽい口調に乗せた言葉を未来が投げつける。

 

「あーそう……んじゃあ、詩島」

「って、呼び捨てかよ!それもムカつくな」

「あんただって、私のことロイミュード呼ばわりしたでしょ。だから、おあいこじゃないの?」

 

 流石にかちんときた剛が不快そうに振り返ると、憎たらしく見える笑顔をわざわざ作った未来が煽り立てる。

 

「んだと!言っとくけどな、俺は身体にコアを埋め込んでる奴なんか信用しちゃいねえよ。あくまで、姉ちゃんと進兄さんの顔を立ててのことだ!」

「別に私は気にしないよ。詩島が私をどう思おうが、ロイミュードの対策を調査しにきた捜査官っていう私の立場は変わらないんだからね。組織の中で一人や二人、ソリが合わない奴が出てくるのも仕方ないことだしさ。ま、ほどほどによろしく。し・じ・ま」

 

 にやにや笑っているFBI女性捜査官の大人とも思えない憎まれ口には、相手の本音を引き出す意図がある。無視するよりも反応を示した方が、彼女のペースに巻き込まれてしまう流れを作るのだ。

 剛はすぐそのことに気づきはしたものの、姉や兄貴分の進ノ介の手前、あからさまにこの女を無視するわけにはいかなかった。彼女はコアこそ持っているが、仮面ライダー並みの戦闘能力を持つ味方であり、法を守る立場にいる。

 

 だからこそ、剛には面白くなかったのだ。

 この人物は人間でも、ロイミュードでもない。

 その曖昧さが彼の感情を乱し、平常心でいられなくさせられる。

 

 彼は持て余している感情の波を自覚しており、飲まれてしまうほどに子供ではない。ために、未来に対してこれ以上余計な言葉を返すことなく収めるしかなかった。

 

「……ふん!」

 

 気にくわない者に対して漫画のように典型的な、鼻息も荒くそっぽを向くという態度を取った剛を見ながら、進ノ介がぼやいた。

 

「何か、高校のクラスで仲が悪い男子と女子みたいだな」

「それは言い得て妙だね」

 

 進ノ介が手にしたベルトも、呆れ顔をディスプレイに表示させて同調する。

 一方、波乱しか予感させない弟の様子に、数歩離れた場所に佇んでいた姉の霧子はすっきりしない気分であった。ロイミュードを極端に敵視している剛の気持ちも察せないわけではないものの、いささか感情的過ぎるのではと言う気がしてならないのだ。

 

 とにかく今は誤解が何とか解けたのだから、後は時間が解決してくれるのを待つ他にないのであろう。

 霧子はやや強引に自身を納得させると、先の捜査で気になっていたことを口にした。

 

「ところで、今日現れたロイミュードは?貴女のことを知ってるみたいでしたけど」

 

 未だからかうような笑みを浮かべていた未来の持つ空気が、女性警察官の質問で瞬時に変わった気がした。瞬く間に仕事の顔に戻った未来が緊張を帯びた視線を上げ、新たな仲間たちを見回しながら話を始める。

 

「あいつは……今朝の捜査会議で話したロイミュードの、コードネーム・アルファ。アメリカ全土で指名手配されてるし、射殺許可も出てる。何だって、日本になんか来たんだか」

 

 先の戦闘を思い出した未来は、言葉の最後にはっきりとした苛立ちを滲ませていた。

 コードネーム・アルファ、つまりファイアアームズ・ロイミュードは、アメリカの元死刑囚だった殺人鬼をコピーしたロイミュードだったはずだ。未来たちFBIや警察、果ては軍までもが手を焼いている敵であり、ハートやブレン、チェイスのような幹部ロイミュード並みに手強いと思って差し支えはないのかも知れない。

 

 それにしても、ロイミュードが海を越えて別の国に移動するのは極めて珍しいと言える。

 敵の行動に興味を持った霧子が、質問を重ねた。

 

「間捜査官を追って日本に来たんじゃないんですか?」

「多分違うかな。むしろあいつは全米の保安機構が探し回ってる凶悪犯なんだから、逃げてきたのかも知れないけど。それに、私が日本に来てることは一部の関係者しか知らないはずだし」

 

 しかし相手がどこにいようと倒すまでだ、と未来は表情で語っている。

 皆が彼女とともにミーティングの資料で確認したのは、スキンヘッドに囚人服という凄味がある姿である。典型的な悪役面の人間態を描きつつ、進ノ介も自らの見解を出して見せた。

 

「日本に知り合いがいたりするんじゃないのか?在日米軍の基地だってあるんだし。あいつ、元軍人なんだろ?」

「でもあのFu……野郎が退役してから何年も経ってるし、知り合いだからって基地にそう易々と入れるわけでもないから」

「とにかく、アルファ?あいつが日本に来た目的はわからないってことなんだろ。ま、俺たちがぶっ潰すことには変わらないけどな」

 

 剛が自信たっぷりにロイミュード打倒を宣言したところで、霧子はふと戦闘中のアルファに気がかりな特徴があったことを思い出した。

 

「そう言えば……あのアルファというロイミュード、見たことのないナンバーでしたね」

「そうだ。末尾が数字じゃなくて、アルファベットのAになってたな。あれは何なんだ?」

「え、ロイミュードって全部がそうなんじゃないの?今アメリカにいるってわかってるのは全部、末尾が全部アルファベットだよ」

 

 未来に驚かれ、今度は彼女以外の仲間が顔を見合わせることになる。

 

「何だって?」

 

 思わずこぼした進ノ介の頭に浮かんだのは、これまでに戦ってきたロイミュードたちのナンバーだった。

 幹部であるハートたちは、基本形態に戻った姿を見たことがないためわからないが、通常のロイミュードは全て三桁の数字で表されるナンバーを胸のプレートに刻んでいる。どこか一桁がアルファベットになっているなど、見たことも聞いたこともない。それはベルトも同じらしく、彼も言葉を発しようとはしていなかった。

 

 ロイミュードの亜種とも言うべき敵が存在していたことに驚愕し、次いで焦りにも似た危機感を覚えた一同の中で、真っ先に更なる情報を求めたのは霧子であった。

 

「他は、どんなのがいるんですか?」

「他にはBのブラヴォー、Cのチャーリー、Dのデルタが確認されてる。他にもまだいるかも知れないけど……」

 

 背が高い霧子に詰め寄られた未来が、困惑して半歩後ろに下がる。

 未来自身も、アメリカと日本のロイミュードの明らかな違いを知って混乱していたのであった。

 

 

「ああ、そりゃ十六進数だね」

「十六進数?」

 

 特上課のオフィスで、進ノ介たちの話を耳に挟んでいた究がパソコン越しにしらっと言ってのけた。

 皆が鸚鵡返しに繰り返したところで、りんながホワイトボードのペンを取り上げる。

 

「プログラミング言語ではよく出てくるわよ。例えばね……」

 

 特徴ある白衣姿の女性は、すらすらと三桁の英数字の列をボードの半分ほどに書き連ねていった。

 009の次は00A、00B、00Cと続き、00Fの次が010となっている。そして019の次が01A、01B、01Cとなっており、彼女は020番台まで書いたところで進ノ介たちの方を振り向いた。

 

「普通の整数だとこう、桁上がりになる9から10の間には何も数字がないでしょう?だけど十六進数の概念だと、その間にAからFの数が存在するの。例えば9から10の間にはA、B、C……Fまであって、Fの次が10になるのよ。一六個の数字でひとつの区切りって考えれば、わかりやすいかしらね」

 

 彼女はホワイトボードの三桁英数字を指しながら噛み砕いて説明してくれている。

 進ノ介たちは、未来の正体が明らかになり彼女をドライブピットに迎え入れた後、全員でオフィスに戻ってきていた。課長は既に接待へ、現八郎は本庁からの呼び出しで外出した後であり、オフィスには客員の究しか残っていない状態だったのだ。

 

 彼は進ノ介たちが話すロイミュードのナンバーの話を聞くとはなしに聞いて助言し、話の輪に入ってきたのである。

 究の一言を補足したりんなの説明内容を何となくではあるが掴んだ進ノ介が、早々と現実的な結論を持ってきた。

 

「ええと……それはともかくとして、俺たちが今まで知らなかったナンバーのロイミュードが、まだ大勢いるってことだよな?」

 

 顎に指を当てながらホワイトボードを熱心に見つめている相棒男性を尻目に、こちらは説明を正確に理解した霧子が素早く計算した。

 

「そうですね。今までに現れたロイミュードのナンバー全ての間に十六進数のナンバーがあるとしたら、単純計算で六十体のロイミュードがいるということになります」

「そ……そんなにいるのか!」

 

 普段使っている手帳に整った字でメモを取る霧子が落ち着いている一方で、具体的な数字を聞かされた進ノ介は新たな敵勢力の数がずっしりと肩にのしかかってくる思いだった。

 

 ロイミュードのナンバーが108までしかないことは、ベルトに直接聞かされた話のため間違いはない筈だった。しかしこのようなイレギュラーな存在を含めたら、一体どれだけのロイミュードが存在するのか。見当もつかないというのが、正直に感じるところだ。

 

「う~ん……日本では、そんなのが出てきたことはなかったからなあ。何らかの理由があって、今まで出てこられなかっただけなのかも知れないよ。例えば、バグがあって起動が極端に遅かったとかで」

「あいつらは機械生命体だ。ありえない話じゃないよな」

 

 「マーマーマンション」のぬいぐるみを片手にした究の推測を耳にした剛が、指先を顎に当てながら真剣な表情で頷く。警察のオフィスで繰り広げられる何ともシュールな光景の中で、進ノ介は今現在の特状課が追っているロイミュードの正体に思い至った。

 

「バグのあるロイミュード……言いづらいから、バグミュードでいいか。もしかすると霧子が見た連続傷害事件の犯人も、バグミュードなのかも知れないぞ」

「そうですね……ナンバーを見た訳ではありませんから断言はできませんが、可能性はあると思います」

 

 霧子も進ノ介の指摘を受けて、深く頷く。

 未来がアメリカで追っているアルファという個体について話を簡単に聞いたところでは、能力の差もなければ進化態における大きな外見の差もなく、違いは今のところナンバーしかないようだった。故に、基本形態を確認できない状態では可能性を排除すべきではないだろう。

 

「ナンバー以外に見分けが全くつかないんだから、困ったものよねえ。あ、そう言えば……最近久留間や府中以外にも現れてるロイミュードも、もしかしたらバグミュードかも知れないわね」

 

 りんなも眉間に皺を寄せて厳しい表情を作ったが、彼女の話の後半は驚くべき内容であった。

 

「え?」

「別の街にもロイミュードが?」

 

 特状課には管轄内で起こったロイミュード絡みと思われる事件がほぼ全て回されてくるが、それ以外の場所でも同じような事件があったことは仲間たちも初耳だった。まして警察の正規職員でないりんなだけがそんな情報を掴んでいたことなど、通常ならばありえない。

 

「そうなのよぉ。あ、私も小耳に挟んだだけだから、何とも言えないんだけどね」

 

 まずいことを口走ってしまった自覚はあるのだろう。が、りんなの口調は乱れていない一方で、彼女の話が噂レベルでしかないことを皆に強調しているような節はある。

 

「よし!調べてみよう」

 

 俄然興味が出てきたらしい究が自席の個人端末に向かい、キーボードを叩き始めた。

 もう一人の客員の視線が自分から離れたのを合図にして、りんなが進ノ介たちドライブチームに目配せする。やはり先の「別の街」云々は、あまり細かく詮索されると面倒な話だったのだろう。

 

「これだ!」

 

 一同がりんなのサインに黙って頷いてからほどなくして、究の高らかな勝利宣言がエンターキーを弾いた音と共にオフィスに響いた。あれから三十秒も経過していないのに、流石にその情報収集能力を買われて警察に来ただけのことはある。驚きを瞳に浮かべた一同がデスクについている究の後ろに集まると、大きめの液晶ディスプレイに地方紙サイトの一記事が表示されていることがわかった。

 

 「風力発電がメインのエコの街で、十四年前の失踪事件が発覚!被害者は当時四十代男性か」という週刊誌風のチープな見出しの下には、男性の顔写真とともに詳細記事が掲載されている。

 

「被害者と思われる男性はおよそ十四年前に失踪したものと思われるが、最近この男性を名乗る人物が現れて金銭詐欺を繰り返す事件が発生。警察は以前よりこの街で発生している怪現象に関係しているという見方を強めており、独自の捜査を……」



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FBI捜査官はロイミュードなのか -12-

「あれ?これって……」

 

 究がドヤ顔で記事を読み上げている途中で、未来の素っ頓狂な声が割り込んだ。

 と同時にオフィスのドアが開き、コート姿の現八郎が床を騒々しく踏み鳴らして入室してくる。

 

「先生!」

「あらぁ、現さん。お帰りなさい」

 

 慌ただしく捜査から戻ってきたらしい現八郎はりんなを探していたようだったが、本人にのんびりと迎えられ慌てて返礼する。

 

「た、ただいま戻りました!……で、先生にお客さんがいるんですよ。あ、警視。こちらです」

 

 勢いでりんなに敬礼したベテラン刑事は恐縮しながら脇に避け、後に続いている人物を先にオフィスへ通していた。

 現八郎の背後から姿を現したのは、背が高く細身の男性だった。

 

 見るからに俊敏そうな身体は紅いレザージャケットと揃いの革パンツに包まれており、警察施設内のオフィスには随分とミスマッチだ。それに彼が警視という職位に不似合なほど若いことが手伝い、一層特異な空気を醸し出している。が、どう見ても二十代後半くらいにしか見えない顔には若さゆえの甘さを感じさせるところはなく、鋭い光を閃かせていることが一目でわかるほどであった。

 

 この若き警視が特状課オフィスに足を踏み入れた途端に空気が一変したことは、進ノ介にも感じられる。ただ者ではないと見える紅きレザーファッションの男を、進ノ介は緊張した面持ちで見つめていた。

 

「おうお前ら、紹介するぜ。この方は、風都署の……」

 

 風都署、と現八郎が言いかけたところで、まだ究の後ろでモニターを睨み続けていた未来ががばっと顔を上げた。

 

「!」

 

 彼女が驚きではっきり息を飲んだのが、傍にいた一同全員に伝わってくる。

 霧子が何事かと声をかける前に、未来は大きな黒い瞳を更に見開いて言った。

 

「て……照井警視!」

「お前……間か!」

 

 思いがけない方向から名前を耳にした男ーー照井竜が、相手の名前を口に出す。彼は未来ほどではないもののやはり驚きを隠せない様子で声のトーンを上げ、しかしすぐにまた落ち着いた口調に戻った。

 

「驚いたな。いつFBIから戻ってきたんだ?」

「何日か前にね。暫く、ここにお世話になることになったの」

 

 歳が近い二人は、恐らく親交が深かったのであろう。互いに敬語を使うことなく言葉を交わしている姿に誰より衝撃を受けているのは、特状課でも妙齢の男女であった。

 

「って、お二人は知り合いだったの?」

「え……ええぇぇええぇえ!ほほほ、本当ですか!」

 

 りんなと現八郎が若い捜査官たちの顔を交互に見やるさまはよく似ており、知らない者が見れば夫婦かと思うほどだ。

 しかし究のデスクを挟んで話を続けている照井と未来の間には、どこかよそよそしい色がある。そのことに早くも勘づいた進ノ介は、小柄な未来の頭上から小声で話しかける形となった。

 

「ミッキー、お前……」

「詳しくは後でね」

 

 幼馴染みが一瞬だけ返してきた視線と短い返事の中に、今は余計な口を挟むなという無言のメッセージが込められている。

 未来の声に出さない圧力で、進ノ介は口を閉ざしていた方が身のためだと何故か思い知らされた気がした。彼女がつい先刻、手錠とジャスティスハンターの檻を素手で破壊したせいではないと思いたかったが、決して否定はできない自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 ドライブピットの自動ドアが開くなり、りんなの大仰な声が広い空間に響いた。

 

「じゃじゃーん!ここが、仮面ライダードライブの秘密基地、ドライブピットよ!」

「……まさか地下にこんな設備があるとは。万全の体制なんですね」

 

 彼女に招かれてこの地下要塞に足を踏み入れた照井は、中央のターンテーブルで静かに出動の時を待つトライドロンや整備用の機器、ベルトが据えられたクレイドールを一通り見渡してからこぼした。

 

「ちょちょちょ、ちょっとりんなさん!」

 

 彼らの後ろから走ってきた進ノ介と霧子、剛が慌ててりんなを照井から引き離し、ドライブピットの奥へと連れて行く。三人の若き男女は、さっさと照井をこの秘密スペースに案内したりんなにやっと追いついたところであった。

 

「ん?何?」

「何って、あの照井警視は完全に部外者じゃないですか!いくら、りんなさんのお客さんだからって……」

 

 怪訝そうな顔をするりんなに、進ノ介が声を潜めながら強い口調でたしなめる器用な真似をやってのける。

 

「そうだよ!何考えてんだよ!」

「どうするんですか……ここまで見られてしまったら、もう今更隠せませんよ!」

 

 進ノ介に同調した霧子と剛も、囁きに近い声でりんなに必死に状況のまずさを訴えた。

 事実上仮面ライダードライブの要であるドライブピットは、いくら警察内の人間とは言っても、会ったばかりで素性の知れない人物に明かす道理はない。それに内部には、ロイミュードではないが特状課を快く思わない者たち、言わば敵対者がいることはこれまでにも判明している。

 

 だからこそ、内情を晒す行為を安易に行うべきでは断じてない。聡明で信頼も厚いりんなのやらかしであるからこそ、皆が率直に意見しているのだ。

 

「みんな、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。彼は……」

「お前にゃ聞いてねえよ、黙ってろ!」

 

 この状況で照井の傍に佇んでのんびり話そうとした未来の声に、神経を逆撫でされた剛が怒鳴る。自分なりに説明しようとしたのを頭から否定されたことで、流石にむっときたのだろう。未来はすかさず怒声を張り上げ返していた。

 

「詩島こそ聞けっての!彼はねえ……」

「俺は仮面ライダーだ」

 

 低い調子で、しかしあっさりと照井が言い放つ。

 意外な、あまりにも意外な発言に、周囲の一同が一様に声を出せず行動までもが固まってしまった。

 

「……え?」

「システムは違うが、俺もこのドライバーとアクセルのガイアメモリを使って変身できる。俺は、仮面ライダーアクセルだ」

 

 強烈な驚きの中でようやくこぼした進ノ介に、照井がドライバーとガイアメモリを取り出して見せる。

 彼が掲げたアクセルドライバーと「アクセル」のガイアメモリは、未来以外の者は初めて目にするものであった。アクセルドライバーは丁度バイクのハンドル部分を小型化したようなつくりになっており、スロットルまでついているのが見て取れる。大きさも、「ベルトさん」やマッハドライバーに近い。

 

 対するガイアメモリは市販のUSBメモリと似たものだったが、大きさは一回りは大きくて色も半透明の赤で、よく見るとドライバーにこのメモリを差し込むスロットがあるのがわかった。

 

「俺のことは、てっきり沢上さんから聞いているものだと思っていた。驚かせてしまったようで、済まない」

 

 皆の注目を受け止めている照井は、悠然とした姿勢を崩さずに話を続けている。しかし、彼は隣に立つ未来までもが驚きの視線を向けてきていることに違和感を感じたようだった。

 

「何だ?」

「いや……そんなにあっさり『仮面ライダーだ』って、教えていいもんなのかなってさ」

「お前も、自分が改造人間だと教えているんだろう?」

 

 照井に痛いところを突かれた未来がぐっと詰まる。見透かされていると思っていなかったのか、若きFBI特別捜査官はばつが悪そうな顔になっていた。

 

「……何でわかったの?」

「そうでなければ、お前がこの基地にいる理由がないからな。それに、そもそも存在が国家機密のお前にとやかく言われる話ではないと思うが」

「そ、そりゃまあ……」

 

 もっともな理屈で淡々と畳み掛けられ、未来は照井に返す言葉もない。

 未来がドライブ以外の仮面ライダーと過去に接触があったのは勿論だが、その仮面ライダーが未来の正体を知っているのもまた、驚愕の事実であった。

 

 しかし進ノ介にとっては新たな仮面ライダー、それも経験も職位も上を行く言わば先輩仮面ライダーの存在が一番の衝撃だった。そしてこのことは驚きでもあり、等しく喜ばしいことでもあった。

 

「か、仮面ライダーって……警察に、俺以外にいたってのか!」

「ええ、そうよ。私が彼……照井くんに頼まれて、シフトカーを貸してたのよ。彼のいる風都に現れたロイミュードを倒すためにね」

 

 半ば感激しているかのような進ノ介に、りんなが頷きながら告げる。

 彼らの反応を見てもう大丈夫だと思ったのであろう、照井と未来がドライブピットの入口付近から皆のいる作業スペースまで入ってきた。

 

「これはお返ししておこう。協力、感謝する」

「じゃあ、風都での事件は解決したのね!良かった、お役に立てて」

 

 笑顔のりんなが照井から受け取ったそれは、二台のシフトカーだった。

 

「ベガス!それに、シャドーもか」

「最近見ないと思ってたら、出張してたんですね……」

 

 進ノ介と霧子が小さな仲間たちのことを話題に出すと、りんなの掌で彼らは得意気にクラクションを鳴らして小さく跳ねて見せた。

 ロイミュードのコアを破壊するには、ドライブシステムを搭載した何らかの手段を用いる必要がある。いくら照井が仮面ライダーだとは言っても、素の状態ではロイミュードを完全に倒すことができなかったのだろう。同じ組織に属しているりんながその弱点を補う形で陰から援助していたのなら、シフトカーたちが照井のもとにいたことも辻褄が合った。

 

「照井警視のそういう硬い雰囲気、変わってないねぇ。翔太郎たちは元気にしてる?」

「相変わらずだ。お前こそ、全く変わってないな」

 

 笑顔のりんなに礼を言われても全く表情を変えない照井に未来が突っ込むが、すかさず突っ込み返された彼女は子供っぽく口を尖らせた。

 

「……それ、誉めてないでしょ」

「当たり前だ」

 

 不満げな未来に、照井のぶっきらぼうな口調は変わらない。

 オフィスにいた時こそ硬い雰囲気の二人だったが、今はすっかり遠慮がなくなっている印象だ。流石に幼馴染みの進ノ介と同列とは行かないまでも、単なる知り合いというレベルではないことが自然と伝わってくる。

 

「それで、お二人はどういう関係なの?そこ、重要よ」

 

 今度は旧知の仲である男女の親しげなやりとりに置いてけぼりを食ったりんなが、仏頂面で会話に割り込んだ。

 一瞬顔を見合わせた後に、未来がドライブピットの白い壁面へと視線を滑らせてから説明を始めた。

 

「ええと。照井警視の管轄の風都で起こった、ある事件で一緒に戦った仲間……だよね。私がまだFBIの捜査官になる前の話だけど」

「簡潔に言えばそんなところだ。あれからまだ一年は経ってないが、全て話すと長くなる」

 

 未来の短い解説に概ね同意した照井の揺らがない表情を認め、りんながほっと安心した様子を見せた。

 

「なぁるほど。じゃあ別に昔の恋人だったとか、そういうんじゃないわけね」

「まさか!」

 

 異口同音に、しかし激しく照井と未来が否定する。仲間としては良いが彼氏彼女の間柄などありえない、と二人ともが表情で語っていた。

 

 ここまで必死になるということは、以前の彼らは今の剛と未来のように仲が悪かったのだろうかと、進ノ介の頭に余計な推測が走りそうになってしまう。それを知ってか知らずか、未来は過剰なほどに普通の調子で照井へ尋ねていた。

 

「あ、恋人って言えばさ。あきちゃんは元気?」

「まあ、普通だ」

「ふーん。じゃあ、変わらず円満ってことなんだね」

 

 恋人、というキーワードに顕著な反応を示したのはりんなである。

 白衣の美人科学者は照井と未来の間に割って入ると、交互に二人の顔を見ながら問題をぶつけた。

 

「あきちゃん?誰?誰なの!」

 

 質問というより問い詰めていると言った方が近いりんなに、照井がやや上半身を引き気味にして答えた。

 

「俺の……妻だが」

「つ、ま……ツマ、妻って!えぇーーーーーーーー!」

 

 自分より遥かに年下の男が既婚者であることにショックを受けたりんなの悲痛な叫びが、ドライブピットにこれでもかというほど響き渡った。

 

「結婚……してたんですか」

「そんなぁ……指輪、してなかったじゃないのぉ……」

 

 見るからに堅物そうな照井が妻帯者という事実に、霧子までもが驚かされているらしい。感心とも呆然としているとも取れる呟きに重なった、がっくりと膝をついたりんなの声が悲壮感を煽る。

 

「無くすと大変なので。仕事の時は外しています」

 

 流石に申し訳なさそうになった照井であったが、表情は困惑に彩られていた。

 彼が落ち込んで座り込んでしまったりんなに手を貸さないのは、ここで助け起こせばますます彼女が惨めになると気を遣っているからなのか、はたまた妻以外の女性の扱いに慣れていないからなのか。

 同情と呆れが半々の顔でりんなを見守っていた進ノ介と剛の向かいで、未来がぼそりと言った。

 

「りんなさん、照井警視のこと……?それにしても、守備範囲広いなぁ」

「……未来ちゃん……それ、地味にダメージ大きいから止めて……」

 

 まさか、無意識の一言が届いていると思わなかったのであろう。顔を上げずに抗議してきたりんなの低い声に、未来は驚いてぴょこんと飛び上がったほどであった。

 

「え?あ、あ……す、すいません!」

 

 未来はあたふたしつつ不用意な発言に頭を下げて、未だ立ち直れないでいるりんなに必死で謝った。しかしそれでもなお、白衣の妙齢女性が浮上してくる気配は乏しい。

 

 お通夜ムードとも言えそうなドライブピットの空気が隅まで及びそうになったところで、ベルトが抑え目の声で発言した。

 

「照井警視。とにかく、話を聞かせてもらえないか?他の街にロイミュードが現れているというのは、私も初耳なんだが」

「そ、そうです!俺も聞きたいです。是非、お願いします」

 

 ここでおかしな流れを一気に変えるべく、進ノ介がベルトに便乗して照井の方へと歩み寄って行った。

 

「君は?」

 

 クレイドルに乗ったベルトが喋りながら近づいても驚かない照井が、ようやく顔を上げようとしているりんなから興奮気味に話しかけてきた進ノ介に興味を移す。

 照井から数歩離れた位置で立ち止まり、進ノ介は背筋を伸ばして敬礼した。

 

「申し遅れました。本官、泊進ノ介巡査です。俺も仮面ライダー……俺、仮面ライダードライブなんです」

 

 改めて名乗り自らの本分を明らかにした進ノ介は、緊張しているらしく口調も動作も硬い。

 警官としても、仮面ライダーとしても先輩に当たる照井に向ける彼の瞳は、少年のように輝いて見える。そこにあるのが純粋な敬意と憧れであることが、この場にいる者全てに伝わってくるほどだ。

 

「俺は詩島剛。ちなみに俺も仮面ライダーなんだ。仮面ライダーマッハ。ま、よろしく。あ、こっちがねーちゃんの詩島霧子」

 

 対するマッハは進ノ介の後ろからちらりと顔を覗かせて手を軽く挙げたのみで、物理的な顔見せ程度の挨拶だけだった。まだ敬礼の姿勢を崩さない進ノ介とは対照的な剛だが、照井は全く気にしない様子で等しく挨拶を返した。

 

「そうか。二人とも、よろしく頼む」

「剛……し、詩島巡査です。よろしくお願いします」

 

 霧子は誰に対しても奔放ぶりを見せつける弟をたしなめようとしたが、照井が特に気分を害した訳ではない故にあまり強く言うこともできない。結果として自己紹介を返すのみになってしまい、姉としては居心地の悪さを残すことになってしまった。

 

 しかし剛は霧子が気を揉んでいることなど意にも介さず、早速照井へ親しげに話を振っている。

 

「んじゃさ、面子も揃ったことだし。風都って街にロイミュードが出た事件、詳しく聞かせてよ」

「無論だ」

 

 照井は、表情を変えずに風都署での事件について語り始めた。

 彼は傍らの未来が瞳に複雑な感情を宿らせていることに気づいていたが、敢えてそれに触れようとはしなかった。



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招かれざるR -1-

 二月という月は、日本で最も気温が下がる時期に当たる。

 誰もがコートに身を包み、マフラーの隙間から顔を出し、背中を丸めながら歩いて寒さを凌ぐ。

 しかしここ風都では、強く吹き荒れる乾いた風も、街のシンボルである風車を動かして恵みを与えてくれる存在であった。あちこちにある巨大なそれは今や完全に街の一部であり、住民たちの心象風景にも織り込まれるほどに自然なものだ。

 

 故に街の人々は「風」そのものに愛着を持ち、時期の違いを全身で感じ取る。

 冬の冷たい風は殊に身を冷やしてくれるものだが、だからと言って嫌いにはなり切れない。

 風都の片隅に建つ古びたビリヤード場の一角に探偵事務所を構えている男も、そんな住民の一人であった。

 「鳴海探偵事務所」の看板を継いで、何度目かの冬。

 私立探偵である左翔太郎は師匠である鳴海荘吉と同じく、風都で移ろう季節をここで過ごし、その全てに感慨を持っていた。

 

--寒風吹きすさぶ冬。どんよりと曇った午後の空の下、事務所で一人コーヒーを相棒にタイプライターを打つ。これこそがハードボイルドだぜ……

 

 時折吹きつける空っ風がデスクの側の窓をガタガタと揺らすが、タイプライターを打つやかましい音と奏でる独特なハーモニーを楽しむのも悪くない。

 市松模様のタイルとくすんだ緑色の壁、アーリーアメリカン調の家具に囲まれた中で仕事に打ち込む時間が、翔太郎は何よりも好きだった。自らが目標として掲げる「ハードボイルドな」男は、どんな状況でもその空気を楽しむ余裕を持ち、小さなことにはこだわらない器の大きさを必要とする。

 だからたとえ隙間風に震えようが、建物の古さの割に高い家賃に悲鳴を上げようが、さして気にはしていなかった--

 

「いてっ!」

 

 もっともそれは、都合がいいハードボイルドの雰囲気に浸る自分を邪魔する何かがなければ、の話であるが。

 荘吉の代から使い続けているデスクの下に伸ばした足へと突っ込んできた正体不明のお騒がせ虫は、たちどころに彼の機嫌を損ねた。

 くるぶしの辺りに勢いよくぶつかったそれを、仏頂面の翔太郎が拾い上げる。

 

「……って、何だこりゃ」

 

 持ち上げたものが予想外のモノだったことに、彼は眉根を寄せた。

 捲り上げたワイシャツから突き出た細めの手が掴んでいたのは、車のラジコンだった。大きさは大人の掌ほどしかない小型の製品だが、少なくとも昨日までこんなものは事務所になかった筈だ。

 裏返される格好になっているラジコンは、動けないことを抗議するかのように手の中でモーターを唸らせ続けている。

 

「翔太郎、そんな雑な持ち方をしないでくれたまえ!」

 

 そこへ、不意に別の声が割り込んできた。

 ブーツを履いた足が床を少し怒った調子で踏み鳴らし、声の主が翔太郎の視界に入ってくる。ラジコンのコントローラーを片手にしたその人物は、ひょろりと細い身体に裾の長いパーカーを纏い、癖のある黒髪を幾つも跳ねさせた、顔にまだ幼さの残る青年であった。

 彼は翔太郎からラジコンを掠め取るように奪い返すと、本体に異常がないか入念なチェックを始めた。

 

「自動車の部品というのは、存外にデリケートなものなんだ。ボディを乱暴に掴み上げるなんて、どうかしてるよ」

「そのラジコンはお前のか、フィリップ!」

 

 いつの間にかオフィススペースに出てきていたフィリップがラジコンをこと細かく確認する様子に、翔太郎が呆れ顔になった。

 フィリップは、この鳴海探偵事務所を預かる翔太郎の相棒だ。そして天涯孤独の身でもあり、翔太郎が家族も同然の存在だった。

 

 外に出ることを好まず人とのコミュニケーションも苦手なフィリップであるが、彼の天才的な頭脳に翔太郎はいつも助けられている。故に、多少の問題行動があっても許すべきなのであろう。

 ただしそれも金銭的、物理的損害を伴わず、この風都に吹く風と同じように気まぐれに振り回されないことが前提条件であった。

 

「性懲りもなく、また変なオモチャにハマっちまって……まったく」

「変なオモチャとは失敬な。見たまえ!この小さなボディには、自動車の基礎とも言うべき技術が詰まっている。あんな大きなものを小さくするだけでなく、ここまで操作性を高めて子供にも簡単に操縦できるようにしているんだ。素晴らしい技だと思わないか?」

 

 おおかた、ネットショッピングで手に入れたのであろう。手にした小さなラジコンカーをほれぼれと眺め、その良さに熱弁を振るうフィリップは、文字通り新しいオモチャを前にした子供と同じであった。

 

 しかし翔太郎は、フィリップがある周期で興味の対象をころころと変えることを知っている。どうせこのラジコンも、自分が組み上げられるだけの知識を得たら、たちまち放り出してしまうのだろう。それまでの辛抱であることを心に留めながら、私立探偵の青年は適当な返事を返した。

 

「そりゃあ、昔からあるオモチャなんだからな。時代とともに進歩もするだろうさ」

「そう!ラジコンは今やドローンが主流となりつつあるが、やはり基本は車なんだ。そしてその車も、これまで動力はガソリンが主なものだったが、今やエネルギー源はそれに留まらない。このラジコンと同じように電気で走ったり、太陽光で動くものですらある。翔太郎、君はその違いを知ってるか?」

「あーもう、わかったわかった!わかったから、俺の仕事が一段落してからにしてくれ。なっ?」

 

 一気に捲し立てられて多少は面食らいつつも、翔太郎はタイミングを測ってフィリップを宥めた。そしてそのまま、半引きこもりの相棒が自室としているガレージへと向かってぐいぐい背中を押していく。

 途中、フィリップがはたと足を止めて怪訝そうな顔をした。

 

「……そう言えば、どうしてうちの事務所には車がないんだい?」

「あ?どうしてって……」

 

 相棒が口にした疑問を一瞬理解しかねた翔太郎が、逆に質問で回答しそうになる。あまりにも当たり前な問いに呆然としかけながら、彼は至極もっともな答えを返した。

 

「そりゃあお前、俺たちは仮面ライダーなんだぞ。車なんて乗ってたら、仮面ライダーじゃなくて仮面ドライバーになっちまうだろ」

 

 そう。

 翔太郎とフィリップはこの風都を守るヒーローであり、「二人で一人の」仮面ライダーWだ。

 探偵業の中でもメインの依頼となっているのが、人間を超人に変える魔のアイテム「ガイアメモリ」が悪用された事件である。今日という日まで、警察に頼っても全く事態の進展が見込めない子羊たちが、幾人もこのオフィスのドアを叩いてきた。

 

 彼らを救ってきたのが二人の変身するWであり、「仮面ライダー」であるからにはバイクに乗っているのが必然なのである。

 文字通り「灯台もと暗し」の状態だったことに今気づいたらしいフィリップが、二度三度と目を大きくしばたかせ、納得したように大きく頷いた。

 

「なるほど、そうか!」

 

 かと思うと、天才青年は次の瞬間にはすぐに深く考え込む表情になって呟いた。

 

「しかし、仮面ドライバーか……興味深い」

「おっと!」

 

 彼が腕組みして白い指を顎に当てたところで、もう興味を失ってしまったらしいラジコンが腕から落ちる。それが床に激突する寸前に翔太郎が本体を受け止め、小さな車を事故から救っていた。

 百歩譲ってフィリップの目まぐるしく変わる趣味は許すとしても、興味がなくなったモノを粗末に扱うのは勘弁して欲しいところだ。

 

「やれやれ……ん?」

 

 溜め息をつき改めて手にしたラジコンを見た翔太郎が、ふと気づいたことがあった。

 今手の中にあるラジコンのボディーは、ドイツ車であるフォルクス・ワーゲン社のニュービートルという、丸っこいフォルムが特徴の車種だ。

 

 翔太郎は、これと同じシルバーの車を愛車としていた女を知っている。

 ともに戦う仲間でもあった彼女は、ある日突然別れも告げずにアメリカへと去った。彼女と過ごした日々は未だ翔太郎の心に強く焼きつけられ、デスクに飾られた写真のはにかんだ笑顔を見る度、胸の奥がちくりと痛む気さえする。

 

--あいつ、今頃どうしてるんだろう。元気でやってるといいが……

 

 今は思い出の中だけにいる、大切な人物。

 心の片隅を横切った小さなつむじ風にさらわれかけた半熟探偵の表情が、僅かに曇った。

 その時である。

 何の前触れもなく乾いた衝撃音がオフィスに響き渡り、同時に横合いから翔太郎の頭を衝撃が襲ってきた。

 

「あたっ!」

 

 思わず反射的な呻きを漏らし、半熟探偵は現実に引き戻される。

 

「何ボンヤリしてんねん。仕事よ仕事!」

 

 彼に緑色のスリッパで突っ込みを入れた主が、これまた元気な言葉で追撃する。

 いつの間にかデスクの横に来ていたのは、中学生くらいの少女ーーと言われてもおかしくないほどに若い、小柄な女性であった。寒い中でもポニーテールに結った髪と短めのホットパンツというファッションが、更なる躍動感を与えている。鳴海探偵事務所の所長だと本人の口から説明されても納得できないレベルのこの女性が、書類上の責任者でもあった。

 

 結婚したために今は照井亜樹子の氏名だが、彼女は初代オーナーである鳴海荘吉の娘であり、正式な土地家屋の持ち主でもある。

 しかし年齢に見合わない荒っぽい言動が絶えないのは、亜樹子が結婚してからも同じだ。

 無論翔太郎とて、いつ何時でもお構いなしのスリッパの一撃に常に甘んじているわけではない。

 

「くぉら!亜樹……」

「さ、どうぞどうぞ!」

「……子」

 

 が、怒鳴ろうとした翔太郎の声が途切れたのは、亜樹子のすぐ後ろに別の人物が控えていたからであった。亜樹子が連れてきたらしいその女性は、思わず腕を振り上げかけている翔太郎に対して頭を下げる格好となる。

 

「あの……は、初めまして」

「今回の依頼人の狩谷美幸さん。うちの事務所を探して迷ってたところに、偶然会えたの。だから私が案内してきたってわけ。まあ、所長は私なんだしね!」

 

 えっへんと胸を張った亜樹子が、ぽかんとした間抜け面の翔太郎を上目遣いで覗き込む。

 亜樹子が悪戯娘もかくやという表情なのは置いておき、翔太郎は依頼人の美幸という女性を素早く観察した。

 

 彼女は翔太郎よりも少しだけ大人っぽい雰囲気のある一方、どこか危うげな雰囲気がある人物のようだった。裾広がりになっているファーつきの黒いコートを纏った姿は華奢で、誰かが支えていなえれば風都の風に巻かれてしまいそうな儚さもあり、不安に曇らせている顔すら素直に美しいと思えてしまう。

 

 荘吉のダンディズムが濃いオフィスに突如として現れた可憐な一輪の花に、翔太郎は軽く咳払いをしてから挨拶の言葉を口にした。

 

「初めまして。俺がこの事務所の探偵の、左翔太郎です。あらゆるトラブルはこの俺が、ハードボイルドに解決して見せます。どうぞご安心ください」

「は……あ、はい」

 

 フィリップや亜樹子とのやりとりをどこまで見ていたかは不明だが、美幸は明らかに態度の違う若い探偵に面食らっていた。

 翔太郎がまだ戸惑いを隠せない依頼人を応接スペースへと案内しながら、亜樹子に命じる。

 

「亜樹子、応接室にコーヒーだ」

「へっ?」

 

 まるで自分がここで一番権限があるかのような言い種に、今度は亜樹子が面食らう番であった。

 彼女がはっと我に返った頃にはもう、翔太郎はネクタイを直しながら応接室のソファーに腰を下ろしている。その立ち振舞いから滲み出ているのがどう見ても「残念なハードボイルド」感であることに、恐らく本人は気づいていないのだろう。

 

「はぁ、切り換え早っ!」

 

 毒づいた亜樹子が、憮然としつつも来客用のコーヒーカップを取り上げる。

 

「いつものことながら、感心するね」

 

 その感想は、ぷりぷりと怒りながら依頼人に気を使うことを忘れない所長を手伝おうと傍に来たフィリップも同じであった。



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招かれざるR -2-

作者体調不良にて、更新が遅れてしまいました。すみません。。。


 あらゆるトラブルの解決を掲げている鳴海探偵事務所には、実に様々な依頼が舞い込んでくる。

 人探しや素行調査、遺失物の捜索の割合が高いが、他で匙を投げられた末に辿り着いてくるガイアメモリ絡みのトラブルが紛れ込むことは、勿論多かった。

 

 依頼方法も多岐に渡っており、インターネットや電話による手段も明示してある。にもかかわらず目立って多いのは、やはり依頼人が直接事務所に駆け込んでくるケースだ。今回の依頼人である狩谷美幸も、八方塞がりとなって困り果て、途方に暮れて、最後に鳴海探偵事務所のドアを叩いたのであった。

 

「人探し……行方不明のお父さんを、ですか?」

「はい。もう十四年前のことなんですが……父は風都に単身赴任してました。でも、突然連絡が取れなくなって。会社に聞いても父が無断欠勤してて、困ってるのはこっちだって言われてしまったんです。すぐに様子を見に行ったんですけど、父のいたマンションはそのままでした。父の部屋は大量のごみで埋もれてて、片付けるのがすごく大変でしたけど……でも、部屋にあったレシートなんかから、確かに直前まで生活してたのはわかっているんです。なのに、突然消えるようにいなくなってしまって」

 

 翔太郎がメモを取りながら依頼内容を反芻すると、美幸は伏し目がちに語っていた美幸は一旦そこで乾いた唇を温かいコーヒーで潤した。

 

「それから十四年の間、お父さんをずっと探してらしたんですか?」

「警察に捜索願も出しましたし、父の会社にも何度も掛け合いました。でも、全く手がかりが掴めなないんです」

 

 亜樹子が不可解そうに投げた質問に答える美幸の顔は、どこか疲れている。

 きっともう考えつく限りの手を尽くしてからここへ辿り着いたものの、気力が尽きかけているのだろうとも考えられたが、それでも納得のできない疑問を今度は翔太郎が口にした。

 

「それが今になって、何故うちに依頼をかけようと思ったんですか?」

「それは……つい三日ほど前に、父を名乗る男の人からうちに電話があって」

「電話?」

 

 依頼人の意外な返答に、矛盾を突いた翔太郎の万年筆がぴたりと止まる。

 彼が顔を美幸の顔へ視線を合わせたのと同時に、亜樹子が素っ頓狂な声を上げた。

 

「えっ、お父さんが自分から電話してきたってこと?そ、それじゃあ何でうちに……」

「私にはあれが父だって、どうしても思えなかったんです!」

 

 鳴海探偵事務所女所長の言葉を遮り、美幸は強い口調で言った。

 大人しそうな依頼人のはっきりとした態度に亜樹子が二の句を継がずにいると、隣に座している翔太郎が代わりに突っ込む。

 

「ふむ……それは、どんな理由で?」

 

 一瞬だけ口ごもってから、美幸は言いにくそうに続けた。

 

「電話は……お金の無心をする電話だったんです。それに声は父だったけれど、話し方が私の知ってる父じゃありませんでした。真面目で、仕事熱心で、いつも私には優しかった父なのに……まるで別人みたいに乱暴で、お金のことしか話さなかったんです」

 

 一気に話してから、依頼人はまたそこで言葉を途切れさせた。

 恐らく他で相談したとき、彼女の主観が大半を占めているこの話を聞いて断られてしまったことが多かったのだろう。現に目の前にいる探偵とその上司も、話には真剣に耳を傾けているがすぐには反応を返してこないのだ。

 美幸は古びたコーヒーテーブル越しに二人を不安そうに見やると、遠慮がちに問いかけた。

 

「あの……依頼、引き受けてくれますよね?」

「勿論です。もっと詳しく話を聞かせてください」

 

 翔太郎が再びメモを取り始め、亜樹子が無言でうんうんと頷く。

 

「良かった。ありがとうございます……」

 

 美幸は安心が滲む笑顔を浮かべ、小さく礼を言いながら頭を下げた。

 

「電話は、風都からかけてるって言ってました。連絡してきたのが本当に父なのか、それを確かめたいんです。もし本当に父なら、どうして帰って来てくれないのかも……」

 

 そして続いた彼女の言葉は、家族としての純粋な愛を感じさせる素直さに溢れていた。その震えた声にも、今にもこぼれそうな涙を湛えた瞳にも、嘘は見当たらない。

 翔太郎が探偵として依頼人を助けたいと心から思うのは、彼らの想いが真実のものであると確信する、こんな時であった。

 

 

 

 

 フィリップが「地球の本棚」に入るときは肉体が完全に無防備な状態となるため、注意を払う必要があった。

 地球の知識の全てを詰め込んだ本棚には相応の能力を持つ者しか入ることができず、精神と肉体とがほぼ解離した状態となる。それでいて外部からの干渉を非常に受けやすいのだから、余計に神経を使う。

 

 ために、外敵から攻撃を受けず信頼できる者しかいない場所をと考えると、自ずとその候補は限られてくるのであった。

 フィリップと翔太郎、亜樹子の探偵事務所メンバーは、オフィス奥の扉から通じているガレージに集まっていた。正確には、スチールの階段を下ったガレージの最新部にフィリップが立ち、残る二人はその上にあるホワイトボードの側で彼を見守っている。

 フィリップは古びた革表紙の本を片手に、パーカーの長い裾を揺らして呟いた。

 

「十四年前に失踪した父親からの接触があったが、すっかり人格が変わった呈だった。特に珍しくもない話じゃないか。今回は、ドーパントの線は薄そうだね」

「かも知れねえ……だが、何となく嫌な予感がする。念のためにだ」

 

 階下から見上げてきたフィリップを尻目に、翔太郎が依頼人の美幸から託された一枚の写真に意識を戻す。十五年ほど前に撮影されたというその写真には、まだ少女の美幸とその両親が揃って写っていた。季節は真冬らしく皆コートやダウンジャケットを纏っているが、寒そうにはしていても家族の笑顔が幸せそうな印象を与えてくる。

 

 中でも目を引くのが父親である誠一郎のマフラーだった。中間色を上品に組み合わせたマフラーは、当時小学生の美幸が編んだものである。

 

『このマフラー、私が編んでクリスマスにプレゼントしたんです。父はすごく喜んでくれて……冬にこっちへ帰ってくるときは、いつもこれをしててくれました』

 

 手がかりとして写真を手渡してきた美幸の様子が、翔太郎の頭の中に再現される。父との思い出をぽつりとこぼした彼女は淋しそうで、その願いが心の底からのものであることが痛いほど伝わってきた。

 しかし翔太郎には、どこかで何かが引っ掛かる。根拠はなく勘に近いものだが、今までこの嫌な予感に助けられてきたことは何度もあった。

 

 だから今回も、まずは入念な調査から入った方が賢明だ。足で情報を集める前にフィリップの協力を得る方がいいと判断したのは、直感を最優先した結果だったのだ。

 情報を整理する翔太郎の心中を見透かしたかのような一言をフィリップが投げつけたのは、癖のある茶色の髪に翔太郎が指先を突っ込んだ時であった。

 

「翔太郎の動物的とも言える予感は、何故か的中する率が意外と高い。だから検索することには賛成するよ」

「動物的、は余計だ!」

 

 遠慮のない相棒のずけずけとした言い種にかっとなり、翔太郎が怒鳴る。

 が、すぐ頭に血が上るのも半熟探偵であるが故のため、フィリップもさして気には留めない。

 

「検索を始めよう」

 

 相棒の怒声をさらりと流し、フィリップは肩の力を抜いて目を閉じた。

 彼が男にしては細く白い手を軽く伸ばすと、ごく淡い光がすうっとその全身を包み込む。

 途端、フィリップの意識は空間を超越し、現実とは異なる世界に自身の肉体と精神を仮想的に再構築した。確かな五感が掴めたことを意識したフィリップが瞳をゆっくりと開くと、真っ白な世界が視界を支配しようとする。ここには白い色以外の何物も存在せず、音も、匂いも、空気の流れさえも感じない。

 常人であれば五分で気が狂ってしまいそうな白き空間を見回し、フィリップは落ち着いた声を響かせた。

 

「キーワードは行方不明、狩谷徹、森下製作所だ」

 

 青年の声が音の波となって白い世界に広がったその瞬間、遥か彼方の地平から何かが殺到してきた。

 整然と、しかし雪崩を打つような勢いで迫ってくるのは、夥しい数の本棚である。フィリップの前方から怒濤の如く押し寄せる本棚は、一つがフィリップの身長を優に越える大きさであることが遠目でもわかるほどで、衝突すればひとたまりもない。

 

 なのに当人は全く取り乱すこともなく、むしろ両手を広げて本棚の波を歓迎するかのような素振りを見せていた。

 そしてその振る舞い通り、本棚の群れは見事に彼を列の隙間に入り込ませ、決して直接触れさせようとはしてこなかった。更に本棚たちは縦横無尽に素早く動き、キーワードの全てを含んだ目的の一冊をフィリップに差し出そうとする。この「地球の本棚」で情報を探るときはいつもそうであるように、大地の知識を全て詰め込んだ本を選び出す過程が繰り返されていくのだ。

 

 が、今回はフィリップの前には本どころか、本棚の一つさえ出てくることがなかった。全ての書棚が彼を避ける列を作り、求める本がないことを示しただけだったのである。

 

「だめだ。該当する本が見当たらないようだ」

「本当に情報がどこにもないの?ほんなら、いきなり手詰まりやん!」

 

 フィリップが困ったように呟くと、状況を嘆く亜樹子の声がどこからともなく響いてくる。外界で彼女が発した声が聴覚に拾われ、異空間の肉体にも伝わってきたのだ。

 

「いや、キーワードを変えてくれ。キーワードは森下製作所、狩谷徹だ。彼女が知らない情報があるかも知れねえ」

「会社での狩谷徹の素性をまず探ろうということだね?よし、もう一度やってみよう」

 

 続いて聞こえてきた翔太郎の声に、フィリップは頷いた。

 

「キーワードは狩谷徹、そして森下製作所」

 

 再びフィリップが検索のための単語を音声に乗せると、また本棚たちが活発な動きを見せて彼の前後左右を行き交った。そして今度は一つの書棚が導き出され、手の届かない高さに収められていた一冊が落ちてくると、見えない閲覧台に固定されたかのように空中に留まった。

 

 自然に開いた紺色の表紙の一冊に、フィリップが好奇心に輝く瞳を向ける。すると、何も書いていなかった空白のページに文字が浮かび上がり、瞬く間にびっしりと埋め尽くした。

 

「彼の会社の記録があった。狩谷徹は森下製作所の風都工場に十年前まで勤務、同年に懲戒解雇扱いとなっているようだね」

 

 本を捲りながらフィリップが内容を口にすると、ガレージの上階に控えている翔太郎が訝しげに言った。

 

「懲戒解雇?……何か引っ掛かるな」

「何で?無断欠勤が続いてたんなら、懲戒解雇になってもおかしくないんじゃない?」

 

 美幸から聞いた狩谷徹の当時を思い出し、亜樹子が首を傾げる。

 彼女の疑問には、異空間の肉体を維持したままでいるフィリップが答えた。

 

「いや。普通の解雇ならともかく、懲戒となるとまた話が違うんだ。従業員を懲戒解雇とするなら、会社から本人への意思通達が行われる。そしてそれは裁判所を経由し官報に掲示されることで、行方不明となっている当人への意思表示があったものと見なされるんだ。この話は、一般的な認知度が低い。だから泣き寝入りする人が多いのも事実なんだ」

「そう。ま、裁判所云々はまともな会社であれば、の話だけどな」

 

 探偵という職業柄、法律に関しても多少は詳しい翔太郎も頷いて見せる。

 珍しくまともな知識があることを翔太郎に示された亜樹子が、戸惑いながらも感心する素振りを見せた。

 

「へ、へえ……」

「どうやら、ぼんやりと見えてきたな。さっき会社名と父親の名前、行方不明で調べても何も出なかったってことは、公けの記録が残っていない……つまり、裁判所への届けや手続きが踏まれていないってことだ」

 

 これまで「地球の本棚」で調べた結果を頭の中で軽くまとめた半熟探偵が呟いた。

 もし狩谷徹に対して懲戒解雇の処分が本当に下されていたのであれば、何かしらの公式記録が検索で必ず引っ掛かる筈なのだ。それがないということは、本当は懲戒解雇などではなかった可能性が高い。つまり、家族にも真実を告げず秘密裏に処分を下した疑いがあるとも取れるのだ。

 翔太郎と同じ考えに至ったらしい亜樹子が、ぽんと手を叩く。

 

「あ……そっか!つまり会社的には、公式な記録を残したくないから闇に葬った、ったこと?」

「それでもわざわざ懲戒扱いにしてるってことは、あくまで会社を辞めた本人に原因があると示したいからだ。どうやら、裏がありそうだな」

 

 皆と考えを共有できた亜樹子が興奮気味になるが、翔太郎は更にもう一歩踏み込もうとしている。

 

「よし。今度は会社の就業規則の詳細と、内情について調査してみよう」

 

 そして真っ白な空間に再び視線を巡らせたフィリップも、勿論それに応えるつもりでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 森下製作所を訪れた翔太郎と亜樹子を出迎え、そして同時に送り出したのは、予想通りの常套句であった。

 

「個人情報になりますので、お話することはできません」

「それに私は上司の立場とは言っても後任ですので、当時のことはわかりかねます。お引き取りください」

 

 老眼鏡をかけた如何にも堅物そうなダークスーツの中年男性は、それだけを繰り返してソファーから立つこととなった。探偵とその事務所所長には見えない女性は、そのまま殺風景な応接室に捨て置かれることとなったのである。

 翔太郎たちは、ターゲットである狩谷徹の会社の話も一度は聞こうとアポを取った。だが、やはり一切の情報開示を拒否される結果にしかならなかったのだ。

 

 フィリップが「地球の本棚」で森下製作所全般について調べたところ、自然退職の規定があったことが判明していた。それに対し、狩谷徹の退職についての原因調査の痕跡はなく、家族もある日突然解雇を告げられていたことがわかったところで手詰まりとなった。

 無論、まともな会社の懲戒解雇としては処理上で考えられないことである。

 企業として従業員の身柄に起きた事件をあくまで黙殺しようとするなら、翔太郎たちも正攻法ではなく奇策で攻めるまでだった。公の立場に近い団体が悪事を働いている疑いがあるとわかった以上、遠慮は無用なのだ。

 

 幸いなことに、風都で生まれ育った翔太郎がいる鳴海探偵事務所は情報を提供してくれる人脈に事欠かない。

 その中で最も優秀なのが街の美女ブログ執筆に熱心な男、通称「ウオッチャマン」である。彼は風都に新しくできた若い女性好みのお洒落スポットを亜樹子から紹介されると、それと引き換えにこう語ってくれた。

 

「狩谷徹って男について、知り合いの飲み屋の女の子が当時の噂を聞いたことがあるって言っててさぁ……ここだけの話、どうもお気に入りの子を愛人にして囲ってたらしいんだよね。でも別居してる奥さんが家計に厳しい人だったのに、貢ぎっぷりが凄くて。お金をどうやって工面してたのかは全くの謎。かなり汚いお金だったんじゃないかと、今も言われてるくらいなんだってさ」

 

 持ち前の豊富な情報網と手持ちの携帯でツールを駆使しつつ、ウオッチャマンはその能力を発揮してくれた。

 同じ頃、翔太郎はもう一人の有能な情報屋を求めて風都を駆け回っていた--が、その人物は目立つ容姿のため、見つけるのにさほど手間はかからなかったと言えよう。季節を問わずサンタクロースの扮装にサングラスをかけ、子どもたちに「プレゼント」と言う名のガラクタを贈る男、通称サンタちゃんがその男である。

 

「森下製作所ねぇ。あの会社、色々黒い噂が絶えないみたいだよ?十年くらい前にかなり大きな損失を出して株主から袋叩きに遭ったのに、結局ろくな説明もなかったとかで。その原因ってのが、どうやら社員の誰かが資金を横領してたからだって話なんだよねぇ……」

 

 海の側にある広場で子どもに囲まれている彼を捕まえて翔太郎が聞き出したのは、やはり森下製作所の暗黒面である。

 ペットショップの店長と言う現在の職業をほっぽり出してまで子どもたちにプレゼントを配るサンタちゃんが何故、そこまで街の裏側について詳しいのかは謎だ。が、有用と思われる情報を手にした亜樹子と翔太郎は、一旦状況を整理するべく事務所で落ち合うことにした。



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招かれざるR -3-

「う~ん……何か、どっちもどっちって感じよね」

「ああ。どうも父親は会社だとトラブルメーカーだったみたいだしな。会社は会社で、彼の起こしたトラブルを隠したがっているようだが」

 

 亜樹子がカウンターで、翔太郎はデスクで温かいコーヒーを片手に情報を分析する。

 過去に森下製作所が巨額の損失を出し、その原因が刈谷徹の横領にあったことはどうやら間違いなさそうではある。通常なら会社が刈谷徹を告発しても良さそうなものだが、表立ったトラブルを嫌う社風であれば、全てを闇に葬り去ろうとする方向に動いてもおかしくない。

 

「典型的な隠蔽体質だね。一部の人間しか情報を把握していないのなら、これ以上のことを会社から探るのは難しいのかも知れない」

 

 翔太郎が細い顎に指を当てながらまとめたところで、フィリップも頷きながら自らの見解を重ねた。

 

「刈谷徹の目的が純粋に金なんだと考えたとしよう。普通なら、最も取りやすいところから集めようと思う筈だ。それなら、法律に違反した形で懲戒解雇を行った会社をゆすろうとするだろう。なのにそうしないのは、それなりの理由があるはずなんだ」

 

 自身も亜樹子の隣でコーヒーをすすりながら、フィリップが更に一歩踏み込んだところまで考えを及ばせる。

 森下製作所が企業としての汚点を徹底的に隠すのであれば、従業員の管理不行届の結果として最悪な横領事件などの公表はもってのほかに間違いない。そこを突けば大量の金を手に入れられることは容易に考え付くのにその気配がないということは、恐らく刈谷徹自身が表沙汰にすることのデメリットがあると感じているからなのであろう。

 ならば、これ以上森下製作所からターゲットの情報を得られる可能性は低くなる。

 

「そうだな。もう会社とは切り離して考えなきゃならないのかも知れねえ」

「今回徹さんが戻ってきたことと、森下製作所とは直接関係がないってこと?」

 

 フィリップの推理に同調した翔太郎が手元の万年筆を弄びながら呟くと、亜樹子が自分の言葉で反芻する。

 

「ああ。彼の動きを見ると、どうも会社は無関係のように思える。あるいは……森下製作所に手を出せば、自分も過去の横領が明るみに出る可能性も大いにあることを知っていて、敢えて目立つ行動を起こさないようにしているのかも知れない」

 

 亜樹子が首を傾げたところでフィリップが言葉を補うが、翔太郎がふと浮かんだ疑問を口にした。

 

「けどなぁ。たかが女に貢ぐために横領した奴が、そこまで考えるもんか?」

「まあ、翔太郎くらいの単細胞なら考えないかも知れないね。しかし、刈谷徹は負債の額が膨らむまで会社に気づかせないくらいの手腕を持っていたんだ。少なくとも、計算高い人物と見るべきだと思うよ」

「誰が単細胞だ!」

 

 それをフィリップにあっさり否定された挙げ句に自身を皮肉の種にまでされ、翔太郎が声を荒げる。

 頭に血が上りやすい翔太郎と生意気で余裕のある笑顔のフィリップが、口喧嘩のゴングをオフィスに響かせた合図だ。

 

 もっとも、二人が口先でじゃれ合うのは亜樹子にとって既に日常の一部と化している。ために、彼女は若者たちのやかましい声を気にすることなくコーヒーを楽しみ続け、自らの考えを巡らせることが可能であった。

 

「それにしても、徹さんって美幸さんから聞いたお父さんのイメージと大分違う気がするのよねぇ。確か真面目で、仕事熱心で、優しかったって……う~ん」

「いや、内と外とで全く違う顔を持ってるってことはあり得る。悪い意味でな」

 

 マグカップを中途半端に持ち上げたまま呟いた亜樹子の独り言を先に拾ったのは、翔太郎である。例えフィリップとの喧嘩中であっても周囲に注意を払えるのだから、そこは流石と言うべきなのであろう。

 

「ふーん、こういう時は男とは、とかって言わないのね。そこが翔太郎くんのいいところかな」

「当たり前だ。家族を裏切るような真似してる奴なんて、擁護できるわけねえよ」

 

 純粋に感心した亜樹子がコーヒーで喉を潤したところで、翔太郎が顔をしかめた。

 翔太郎が目指す「ハードボイルド」は冷酷非情であることが鉄則であるのに、彼はどうしても優しさ故の甘さが抜けず、目標から逸れた方向に走りがちなところがある。

 

 だが、情に厚い性格こそ翔太郎の最大の長所でもあり、皆はその人柄に惹かれて彼に力を貸す。普段は「半熟くん」「ハーフボイルド」と茶化すフィリップ、亜樹子自身もそこは認めている点なのだ。そして亜樹子は正直、父の荘吉とはまた違う良さを持つ探偵であって欲しいと、本気で思うことすらある。

 

 亜樹子の翔太郎を見る目は、こんな風に時折探偵事務所を俯瞰した位置からのものとなる。しかし当の本人は彼女の見守るような視線を余所に、事件をまた異なる視点から見直していた。

 

「しかしわからねえのは、どうして十四年も経ってから風都にまた現れたのか、ってところだ。会社とは繋がりが切れているし、当時のマンションはとっくに引き払われていて、住む当てもない」

 

 亜樹子の横槍があったおかげでフィリップとの喧嘩を放り出した翔太郎の言葉に、亜樹子も疑問を見出す。

 

「そう言えば、普通なら家族のとこに戻りそうなもんよね。もしかしたら何か戻れない事情があるのかも」

「あるいは、戻りたくない……かも知れないね」

 

 空になったマグカップをカウンターの上に置いた亜樹子の後ろに、やはり喧嘩を続ける気を無くしたフィリップも言葉を重ねた。会話がぴたりと止んだ鳴海探偵事務所内に、一瞬の沈黙が生まれる。

 

「十分な分析をするには、やはりまだ情報が足りない。依頼人以外の家族からも話を聞いた方がいいんじゃないだろうか」

 

 天才青年の提案に、翔太郎と亜樹子が揃って頷いた。

 フィリップにとっての「家族」である二人には、次の行動を起こすために必要な言葉はそれだけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 狩谷美幸の母、狩谷紗江子は年齢よりも随分と若作り、というよりは派手な印象の女性であった。

 肩に届く髪は栗色でメイクもはっきりと整った顔を強調し、身体のラインを見せる細身のコートやぴったりとしたブーツという装いも、美幸のように大きな娘がいるとはとても思えない。

 洒落たカフェを待ち合わせ場所に指定したこともあり、彼女を呼び出した翔太郎と亜樹子がなかなか見つけられなかったほどだ。

 

 紗江子は若い外見に見合う多忙な人物のようで、彼女は翔太郎たちが確保した席に着くなりコーヒーを注文し、あまり時間がないことを告げてから話に入ることとなった。

 

「主人から連絡があったそうですが、何で今ごろになって戻ってきたのかわかりません。もう死んだものと思ってましたから」

 

 夫である狩谷徹の人となりについて翔太郎が訪ねると、紗江子は無表情の裏に不快さを隠して言い捨てた。

 失踪していた夫から連絡があった旨を伝えてアポを取ったのは翔太郎だったが、その時も彼女のできるならそんなことに時間を割きたくない、という意識が電話越しでも伝わってきたことが思い出される。ある程度予想はしていたものの、夫のことをここまで煙たい存在に貶めている紗江子をいざ目の前にすると、流石に皮肉の一つでも返してやりたくなる。

 

「へっ?で、でも娘さんは、わざわざうちに依頼してきたんですよ?」

「あの子が?もう……そんなことに無駄遣いしないで、お金は大切にしなさいと教えてきた筈なのに」

 

 あまりに冷たい台詞に純粋に驚いたらしい亜樹子が返すと、紗江子は呆れたように呟いてシガレットケースとライターをバッグから取り出した。

 

「ご主人が失踪して、十四年ですよね?失礼ですが、経済的にお困りになったことはなかったんですか?」

「全く。主人は稼ぎがいいだけの、冴えない人でしたから。家に全く帰って来なくなってしまって、家計を管理するのが大変でしたけどね。いきなり音信不通になって、こっちがどれだけ迷惑かけられたかわかりません。娘の進学もあったし、お金がかかる時期だったのに」

 

 細い煙草に火がつけられるまで待ってから翔太郎が次の質問を投げると、やはり嫌悪混じりの答えが返ってくる。紗江子はシンプルなネイルが施された指先に挟んだ煙草を、かなり早いペースで吸っているようだった。

 薄い煙を吐き出しながら、彼女は苦々しげに言葉を続けてくる。

 

「あの人、手元にお金があればあるだけ使っちゃう人でして。家族にだけは不自由させるなと言い聞かせて、向こうには生活費だけを残すようにさせてたんです。その頃のお金を大切に貯金してたから、今があるんですよ」

 

 決して自分の方には向けられていない煙であったが、それでも表情を歪めそうになるのを堪えた亜樹子が愛想笑いを作った。

 

「あの……本当に失礼なんですが、徹さんとはまだご結婚されてるんですよね?」

「いいえ、もうとっくに離婚してます。もう十年くらいは経つかと思いますけど。ある日突然離婚届が送られてきて、私ももうどうでもよくなったんですよ。あの人が単身赴任したとき、万一の時のためにお互い持っていようと交換したものでしたけど……まさか本当にあれを送ってくるなんて」

「あ……そ、そうでしたか……」

 

 低い声で周囲のざわめきに紛れ込んだが、若者が多い昼下がりのカフェには似合わない会話であった。情報を得るのに必要なこととはいえ、気まずい空気を作り出してしまったという自覚がある亜樹子が肩をすくめる。

 しかし「女子中学生」所長は、依頼人である美幸の心情を慮った問いを続けた。

 

「娘の美幸さんは、お父さんの徹さんのことを心配してるんです。どうして家に帰ってきてくれないのかを知りたいって」

「まあ、あの子ならそう言うでしょうね。私たち夫婦の仲のことは、離婚するまでずっと隠してましたから。あの子の前でだけは普通の家族でいようとして……むしろ、それが苦痛で離婚したようなものですけど」

 

 夫婦のことは、娘であっても決して全てがわかるわけではない。

 言葉ではなく、他人が口を差し挟む隙間がないことを態度で示し、紗江子は夫と別れるに至った理由をはっきりと語った。

 

「離婚の理由については、美幸さんに伝えてるんですか?」

「いいえ。父親の金遣いが荒いことや、夫婦関係が破綻していたことを年頃の娘に伝えるのは、教育上良くないと思っていましたから。ただ、あの人の仕事が忙しすぎてもう一緒には暮らせないことと、お金の心配だけはしなくていいことだけを言いました。あの子が優しい娘に育ってくれたのが、唯一の救いですよ」

 

 今度は翔太郎が感情を感じさせない事務的な口調で質問すると、これまで夫への不満を感情と共に噴出させていた紗江子もつられて淡々とした調子へと戻った。

 落ち着きを取り戻すためなのであろう、紗江子が煙草を深く吸ってゆっくりと煙を吐き出す。

 

「徹さんが欠勤を理由に解雇になったのと、離婚されたのは重なりますか?」

「確か、離婚届が送られてきたのが先です。私が一人で提出しに行って、その直後に会社から連絡が来たんだと思います。主人とはもう他人だから関係ないと、電話で言った覚えもありますし。荷物の引き取りに、マンションにだけは行きましたけどね。でも実際見てみたら、部屋の中はガラクタだらけで足の踏み場もないくらいでした。もともと物を捨てられない人ではありましたけど、あそこまで酷いとは思ってませんでした。娘と二人で、片付けるのに苦労しましたよ」

 

 更に投げかけられてきた半熟探偵の質問に答えてから、紗江子はラインストーンに彩られたネイルの目立つ白い指で灰皿を手元に引き寄せ、タバコを揉み消した。

 

「そろそろ宜しいですか?私、これから予定がありますので」

 

 そして、もう話すことはないと言わんばかりにソファーから立ち上がる。彼女は返事も聞かないうちにコートの袖に腕を通し、シガレットケースとライターを掴み上げてハンドバッグに放り込んだ。

 

「……お忙しいところ、お時間を取らせて申し訳ありません。ご協力、ありがとうございました」

 

 帰り支度をさっさと進めている彼女を止めても、もうこれ以上収穫はないだろう。

 紗江子の動きとこちらを再び視界に入れようともしない態度からそう読み取った翔太郎は、彼女を止めようとしなかった。

 未亡人の可能性がある女性は半熟探偵と彼の上司を残し、若い喧騒に満ちているカフェから足早に去っていった。

 

 

 

 

 

「もう!あの奥さんじゃあ、旦那さんが帰って来たくなくなるのもわかるわ。冷たすぎるでしょ!今も探してるのが、娘の美幸さんだけだなんて……」

 

 三人分のコーヒー代を払ってカフェを出るなり、亜樹子が悪態をつく。その口調の荒さとアスファルトの地面をいまいましげに蹴って歩く乱暴さたるや、これから誰かに喧嘩を売り行くのかと思わせんばかりだ。

 

 妻から邪険にされていた徹に同情し本気で怒るのは、いかにも情に厚い亜樹子らしい。

 が、彼女は視線を宙に浮かせると、不意に怒りを引っ込めて呟いた。

 

「あ、う~ん……でも、もしかしたらあの奥さん、旦那さんが外で何してるのかを知ってて、あんな風にしかできなかったのかなあ。それなら、同情の余地はあるんやけど」

「娘には優しくても、他はやりたい放題だったのかもな。妻はそれを知っていたが、家庭を維持するためにそれを隠していた。そして父親は、冷たくしてくる妻がいる家に帰らないという悪循環に陥った……」

 

 隣を歩く翔太郎が、亜樹子の考えに具体性を補う。

 あの夫婦が離婚に至るまでの筋書きは、これでほぼ間違いないだろう。

 夫の徹は金遣いが荒かっただけではなく、愛人に貢いで囲っていたというのだから、妻からの愛情も尽きて当然というものだ。しかも彼が湯水のように使っていたであろう大金は、どうやら勤め先である森下製作所の資金を横領したものである可能性も高い。

 

 会社が傾くほどの横領を一社員が働いていたなど、企業としては一大スキャンダルだ。

 だから森下製作所は何とか理由をつけ、横領の犯人である狩谷徹を会社から追放したのだ。会社から彼個人に対して損害賠償を起こさなかったのは、古い企業体質で極度に体面を気にするためか、余程後ろめたいことがあるかだろう。

 

 が、不可解な点はまだあった。

 何故徹は再び会社から金を取ろうと思わず、娘に頼ろうとしたのだろうか?

 横領の味を占めていたのなら、実際の再犯段階までは行かないまでも、どこからか悪企みの情報が出てきてもおかしくない。その気配すらないというのが、どうも心の奥底で引っ掛かる。

 腕組みしながらこれまでの情報をまとめていた翔太郎が、眉間に皺を寄せて首をひねった。

 

「しかし……やっぱり今になって娘に金の無心をしてきた理由は、はっきりとわからねえな」

「それは、奥さんを頼れないからじゃないの?翔太郎くんだって今、言ってたじゃない」

 

 推理に耽っているため歩みが遅くなってる翔太郎に歩調を合わせ、亜樹子が突っ込んでくる。

 昼下がりの風都は二月にしては暖かい陽光が満ちており、吹き抜けていく空気の冷たさをあまり感じさせない。

 空っ風に煽られた愛用の中折れ帽を片手で押さえ、翔太郎は亜樹子に突っ込み返した。

 

「娘をあれだけ溺愛してたんなら、娘にだけは迷惑かけまいとするのが普通だろ。そこに矛盾があるんだよ」

「あ、せやなぁ……」

 

 一般的な人の心の動きを説明する半熟探偵に、亜樹子が唸ってから口を閉ざす。

 翔太郎の愛馬であるハードボイルダーが停めてある駐車場の手前まで無言になってしまった二人であったが、そこへ事務所で留守を預かっているフィリップからの電話がかかってきた。

 

『翔太郎!』

 

 コートのポケットからスタッグフォンを取り出して通話ボタンを押すなり、まだ離れている翔太郎の耳に酷く慌てたフィリップの大声が飛び込んできた。

 普段は物静かなフィリップが悲鳴に近い甲高さの声を上げている後ろでは、複数の人間がやかましく喚き立てているようで、相変わらずまだスタッグフォン本体から耳を離しているのに聞こえてくるレベルの雑音が響いてきている。

 

 今日、来客の予定は特にない筈だ。

 不審に思った翔太郎が、怪訝そうにスタッグフォンを耳に押し当てる。

 

「どうした、フィリップ?何だか随分騒がしいみたいだが」

『どうしたもこうしたも、すぐ戻って来てくれ!事務所が大変なんだ!』

 

 明らかに、フィリップはパニックを起こしている。

 もともと人見知りでコミュニケーション能力が乏しいフィリップが、ピンチに陥っているのだ。

 翔太郎と、彼の様子から事務所で何事かが起きていることを察した亜樹子とが、一瞬だけ顔を見合わせてから走り出した。

 

 二人はヘルメットを被るのももどかしげにハードボイルダーへ飛び乗り、そのツートンに彩られた大型バイクを急いで発車させていた。



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招かれざるR -4-

 鳴海探偵事務所が入る「かもめビリヤード」ビルの前にある駐車場にハードボイルダーが滑り込み、ヘルメットを脱いだ翔太郎と亜樹子が急いで入口へと駆け込んでいく。

 半熟探偵が薄暗い廊下の途中にある事務所のドアを勢い良く開けるなり、フィリップの悲痛な声が耳を打った。

 

「翔太郎!」

 

 転がり出るように奥から走ってきたフィリップが、翔太郎の姿を認めてすがりついてくる。

 

「フィリップ?」

 

 帰りを待ちかねていたらしいフィリップの様子に、翔太郎が驚いて脱力しかかっている半身を支えてやった。フィリップは疲労困憊の状態で、顔がげっそりしているようにすら見える。

 

「あ!あんたが!ここの探偵さん?」

 

 が、相棒のこの体たらくに翔太郎が驚く隙も与えず、別の声が事務所の中から飛んできた。

 壁にもたせかけたフィリップの肩越しに、依頼人らしき年配女性の姿が見える。彼女は来客用のコーヒーカップを片手にしたまま、鼻息も荒くずんずんとこちらに歩み寄ってきていた。

 

「え、ええ……探偵の左翔太郎ですが」

 

 女性、と言うよりはおばちゃんと形容すべき容姿を持つ迫力の人物像に圧されながらも、翔太郎が名乗る。つけ睫ばっちりの派手な化粧に清楚OL風のファッション、しかし顔とスタイルは八百屋で威勢のいい声を張り上げているのが似合いそう、というちぐはぐな印象の彼女は、翔太郎の眼前まで迫り切ってからようやく足を止めた。

 

「ちょっと、助けてよ!私、へそくり全部持ってかれちゃったのよ!警察がまるで当てにならないんだから……」

「は、はあ。では伺いますが」

 

 八百屋の女将風の女が鼻息も荒く身を乗り出して依頼内容を口にし、翔太郎が面食らいながらも話を聞く態勢を繕う。

 すると、女が突然翔太郎の視界で横にずれて別の人物へと入れ替わった。

 正確には、最初の女性が事務所の奥から早足で近寄ってきたもう一人の女性に横へと押し退けられたのである。

 

「ちょっと待ち。うちがここに一番最初に来てたんやで?探偵はん、うちなんかねぇ……なけなしの全財産!騙されて、持ち逃げされてしもたんや……」

 

 次に翔太郎の前に陣取ったのは落ち着いた色合いの訪問着を纏った、これまた白髪混じりでそこそこ年配と見える女性である。髪を纏めて和服を着こなし、あくまで自分のペースを崩さずに関西弁を操るこの女性も、押しが強そうという点では先の八百屋の女将風女性と同じ印象だ。

 しかしこの和服女性も、つい数十秒前の自身と同じように後ろから突進してきた何者かにぐいと脇へ押しやられた。

 

「そんなら、おらの方が重大だ!おら、手持つのブランドも株も全部売って……んだべ、あんの男どぎだら!おらもう……悔じぐで!」

 

 更にもう一人姿を現したのは、無理をした若者カジュアルファッションに身を包んだ化粧っ気が全くない、恰幅のいい女性だ。年代は他の二人と同じく四、五十台であろうが、きつい訛りのために何を話しているかが瞬時には翔太郎の頭に入ってこない。肉付きのいい頬の間に見える口が手にしたハンカチを千切らんばかりに噛んでいるが、下手をすればこの口に自分が食われるのではないかと思えるくらいの迫力がある。

 やや圧され気味になっていた翔太郎が、とにかく全員を落ち着かせようとして口を開こうとする。

 

「額の問題ちゃうわ!うちなんか、孫に残してやるお金もないんやで!」

「そんなの、騙されるアンタが悪いわ!とにかく私を先にしなさいよ!」

「おらだって、老後の蓄えがなんもなくなっちまっただ!」

 

 だがそれよりも早く和服の女性が口を挟み、八百屋女将風の女も参戦してきた。勿論、訛りのきつい女も負けじと相手の先制攻撃を受けて立つ。

 見事な「おばちゃん」たち三人の凄絶な舌戦の火蓋が切って落とされた、その瞬間である。彼女らの戦いの後にはペンペン草も生えない一面の焼け野原が広がるであろうことは、想像に難くない。

 

「ちょちょちょちょ、ちょっと皆さん!落ち着いて。落ち着いてください!とにかく順番に、お話を伺いますから!」

 

 「女子中学生」所長の亜樹子は、同性であるからこそすぐそこの危機を予見できたのであろう。何とか惨事を回避しようと声を張り上げて、年配女性三人の罵声の渦へと飛び込んでいく。

 その隙に、翔太郎はまだぐったりと壁にもたれているフィリップに気を回していた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 細くは見えても意外とがっしりしたフィリップの肩を軽く叩くと、放心状態になっていた青年は長いパーカーの裾を揺らして呻いた。

 

「はぁ……もう、勘弁して欲しいよ。あの依頼人たち、何度責任者不在だと言っても帰ろうとしないんだ」

「……確かに、あの依頼人はお前にとって大分酷だな」

 

 伏し目がちになって眉をしかめているフィリップの精神力がゼロに近いことを察し、翔太郎はちらりとおばちゃんたちへ視線を向けた。

 それぞれタイプの違う年配女性たちは未だ舌戦を続けており、我こそが最初に依頼するべきと主張して誰も譲ろうとしない。標準語と関西弁、東北訛りの怒鳴り声が入り交じる中で、業を煮やした八百屋の女将風女性がフリルで飾られたハンドバッグから何かを取り出した。

 

「とにかく!この男を早く探して欲しいのよ!」

 

 他の女二人を押し退けて亜樹子の前に出た彼女が、皺の寄った指に挟んだ写真を真っ直ぐ突きつける。

 

「あぁー!」

 

 途端、三人の女が同時に驚きの声を漏らしていた。

 そのうちの一際甲高く響いたそれは亜樹子のものだが、残る二つは年配女性二人のものだった。 

 

「ごいづだ!おらがらお金を取るだけ取っどいで、行方不明ぬなっだ男は!」

 

 と、瞬間的に何が写っているかを見分けたらしい東北訛りの女性が写真を引ったくる。

 亜樹子がはっきりと見た写真には、観光地らしい夏の浜辺をバックにして年配の男女二人が写っていた。一人はやはり若作りした、白っぽいキャミワンピにサングラスというセレブ気取りの八百屋女将風年配女。もう一人は派手なアロハシャツにハーフパンツ姿の狩谷徹だった。

 

 仲睦まじげに肩を寄せ合い、笑顔で写っている熟年夫婦。

 どう見ても他人にはそんな印象しか与えてこない一枚の写真は、女たちに更なる火種をばら撒くだけであった。何せ三名の熟女全員が全員、徹と結ばれる近い将来を同じように夢見ていたのである。それを裏切られたのだから、数十年ぶりに乙女に戻っていた彼女たちのプライドは一瞬にしてズタボロにされた筈であった。

 

「何やて?アンタ!何、人の男に手ぇだしてはるん!許さへん、訴えたるで!」

 

 が、そこで泣き出したり絶望したりしないのが「おばちゃん」たる人種、いや女の強さであろう。

 写真を両手にして喚く東北訛りの女を「泥棒猫」と見なした和服女性が、怒り心頭の表情で詰め寄っていった。

 

「ちょっと、人の彼氏に手出ししてんのはあんたたちじゃないのよ!」

 

 着物に合わせた髪型も手伝いまさしく般若の相に見える和服女性であったが、八百屋女将も勢いは負けていない。

 愛の言葉を巧みに囁き、自分を騙して金を奪った男。

 それが三人とも同じであったことが判明したのだから、どんなに酷い修羅場に発展してもおかしくない。彼女たちは互いの顔を睨み合って一呼吸の間のみ沈黙すると、次の瞬間には怒声を上げて掴み合いへとなだれ込んでいった。

 

「あぁあぁぁぁぁあ、待って待って待って!皆さん、落ち着いて下さいってばぁ!」

 

 事務所を入ってすぐの場所で繰り広げられる修羅場に、亜樹子が悲鳴を上げる。

 それでも何とか場を収めようとし熟女三人の乱闘へ果敢に飛び込んでいく亜樹子のタフさは、呆然と見守るしかない男二人にはとても真似できるものではなかった。

 

 亜樹子が乱入した女四人の戦いに古い壁紙が震え、隙間風が運んできた埃が飛ぶ。

 その中に、この大惨事の元凶とも言える写真が紛れ込んだ。女たちが奪い合いを演じたにもかかわらず、最終的には存在を忘れられて全員の手から離れ、ひらりと床の上に舞い落ちてきた。

 四人がどたどたと床を蹴り散らしている現場で踏まれそうになっている哀れな写真を、翔太郎が何気なく拾い上げる。

 

「!……おい!これ……」

 

 裏向きになっていた写真を表に返すなり、翔太郎が息を飲んで傍らのフィリップの肩を叩いた。

 相棒のただならぬ様子に、フィリップが眼前に差し出された写真に視線を移す。

 

「これは……!」

 

 刹那、翔太郎と同じことに気づいた天才青年の瞳が大きく見開かれた。

 二人の男は、美幸から借りた写真と全く同じ顔で微笑んでいる狩谷徹のそれに、暫し釘付けの状態となった。

 

 この日最後の依頼人である和服姿の年配女性が満足してソファーから立ち上がった頃には、既に午後八時を過ぎていた。

 

「はい!それでは、確認したらこちらからきちんと連絡しますので。ではっ!」

 

 最後まで彼女の話にうんうんと相槌を打ってやっていた亜樹子が、事務所のドアを開けて依頼人を送り出しつつ頭を下げる。

 

「ほな、よろしゅう……」

 

 まだ話し足りないと見える女性は後ろ髪を引かれる思いらしかったが、一度振り返っただけでビルの外廊下へと消えていった。その後ろ姿が完全に視界から消えてから、亜樹子がドアを静かに閉めて鍵をかける。

 

「はぁぁ……」

 

 途端、いつも元気な彼女は大きな溜め息をつきながら背中をドアにもたせかけ、ずるずると座り込んでしまった。普段の事務所の終了時間はとっくに過ぎており、流石の亜樹子も気力を使い果たして疲れ切っているのだ。

 

「全員で四時間以上はかかったな。一人ずつ話してる時間が長えもんだから……」

 

 見送りのため依頼人が座していたソファーの側にまだ立っていた翔太郎も、肩を叩きながら腕時計で時間を確認している。

 一度に押し掛けてきた三人の依頼人女性たちは、一通り騒いで落ち着いた後にくじ引きで順番を決め、気が済むまで話をさせてからそれぞれの仕事を引き受ける次第となった。特急での解決による割増料金と引き換えに、鳴海探偵事務所のスタッフ三名の精神力が限界近くまで削られる羽目にはなっていたが。

 

「もー、おかげでコーヒーのストックが殆どなくなっちゃったわよ。あのおばちゃんたち、タダだと思って何杯飲んだかわからへんわ」

「それに全員が全員、結婚詐欺だってのがなあ……あんな肝が座ったおばちゃんを騙すんだ、相当手強いぞ」

 

 大仰そうに立ち上がった亜樹子がカウンターテーブルまで行き、すっかり空っぽになったドリップコーヒーの缶を振るのを尻目に、翔太郎が改めて手元のメモ帳を読み返す。

 

 三人の依頼人たちの話す内容は、大筋において同じであった。

 依頼そのものは「交際相手の男性に大金を貸した直後に一方的にこちらからの接触を拒否され、聞いていた連絡先は全て嘘だった。彼を探し出して金を取り戻して欲しい」というものである。金額に多少の差はあるものの、三名が三名とも資産家の未亡人や独身者で、結婚をちらつかされていたことも一致していた。

 

 交際相手の男は甘い言葉を巧みに操って彼女らに金品を出させ、少なくとも二名は同時進行で付き合っていたことも判明している。

 

「しかもそれが、狩谷徹だとはね」

 

 他の二人と同じく疲れた様子のフィリップが、カウンターのスツールで何枚かの写真を見ながら呟いた。

 パーカーのフードを目深に被った青年がテーブルに並べ、見比べている写真は四枚だ。うち一枚は狩谷美幸から預かったものだが、残りの三枚はそれぞれ依頼人からの借り物である。

 その全てに、狩谷徹の姿が写っていた。どれも優しく微笑み、一緒にいる女性や家族との時を楽しんでいるように見えるのは、事情を知る者に皮肉な印象を与えてくる。

 

 亜樹子は勿論、翔太郎やフィリップさえこの展開は予想していなかった。

 十四年前に消息を絶った狩谷美幸の父親が複数の女性を相手に結婚詐欺を働いた挙げ句、娘にまで金を無心する。一体どこの世界にそんな親がいるのかと疑いたくなるほどだが、天才少年と探偵の二人は既に「あること」に気づいていた。

 

「だが、これではっきりしたな。こいつは普通の事件じゃねえ。これは恐らくガイアメモリが絡んでいる」

「ああ。翔太郎の読み通りだろう。ただ、僕たちで具体的な行動を起こす前に、もっと確固たる情報が欲しいところだね」

 

 カウンターの側まで来た翔太郎が口火を切ると、フィリップも写真を見つめたまま頷いた。二人の男が示し合わせたかのように入った会話の内容に、亜樹子が目を丸くする。

 

「えっ……えええっ!ふ、二人とも、何でわかるの?」

「あきちゃん。この依頼人から預かった三枚の写真と、美幸さんのものとをよく見比べてごらん。すぐにわかるはずだよ」

 

 コーヒーの缶を置いて二人の顔を交互に見やる亜樹子へ、フィリップがカウンターに並んだ写真を指した。

 四枚の写真は全てカラーで、フィルムから現像されたものもあれば、家庭用のプリンタで印刷されたらしいものもある。しかし一緒に写っている相手こそ違うものの、狩谷徹の顔は全て同じに見え、何か違いがあるようにはとても思えない。確かに写真の所有者は全て違うが、そんなものは着眼点としてそもそも間違いなのであろう。

 

「ん?あ……あぁ、そっか!そうよね、うん!」

 

 写真の違いがわからない亜樹子は、素直に自分の鈍さを認めるのが悔しい。故に、わざとらしさを煽るレベルの激しさで頷いて見せるしかなかった。

 

「お前、本当にわかったのか?」

「へっ?そそそ、そりゃあ勿論よ!」

 

 まだ目を皿のようにして写真を睨んでいた「女子中学生」所長に、翔太郎が不審そうな目を向ける。

 やはり彼女がわかったふりをしていることは、誰から見てもはっきりとわかるほどであった。

 家族に等しい二人の漫才じみたやり取りを視界の端に留めていたフィリップが、四枚のうち一枚の写真を取り上げて言った。

 

「ところで僕たちはもう一人、調査していない人物がいる。まずは、その人物についても調べてみよう」

「へっ?誰?」

 

 含みのある笑顔を浮かべるフィリップの発言は、亜樹子にとって唐突なものだった。

 もっともそう感じたのは当人のみであったらしく、翔太郎が力強く頷いてから軽くカウンターを叩き、足早に出口の方へと向かっていく。

 

「女だ。行くぞ、亜樹子」

 

 早くしろ、と言わんばかりにドアにかかった愛用の中折れ帽を取り上げた半熟探偵が振り返った。

 

「女ぁ?あ、ちょっと待ってよ、翔太郎くん!」

 

 もう夜も遅いのに外出するということは、情報屋であるウオッチャマンのところへ交渉しに行くに違いない。素っ頓狂な声を上げた亜樹子はあたふたと翔太郎の後を追いながら、これから待ち構えているであろう情報料のことが早くも頭を横切っていた。

 目的を察するよりも早く金銭的なことが浮かぶのは、所長業たるが所以であった。

 

 

 

 

 

 情報屋のウオッチャマンは、夜は風都に出現する美女たちを携帯カメラに収めるために繁華街をあてもなくさまよっている。彼をようやく翔太郎たちが捕まえたのは、もう日付が変わろうかという頃であった。

 依頼人の母の棘がある言葉に精神を削られ、おばちゃん軍団の喋りの渦に叩き込まれて疲弊した二人にとって、睡魔も強力な敵だった。が、それでも何とか交渉し、必要な情報を引き出すことには成功した。

 

 ただし、必死に眠気と戦う二人へいいように吹っ掛けてきたウオッチャマンには、覚えてろと三流の捨て台詞を吐かざるを得なかったが。

 流石に疲労のピークに達していた翔太郎と亜樹子は、事務所の開始を昼にずらしてからハードボイルダーに跨がっていた。向かった先は、ウオッチャマンから買った住所である。

 

 そこは狩谷徹が熱を上げ、囲っていた愛人である柴田麗奈が住んでいたマンションだった。キャバクラで働いていたその麗奈は評判の美人だったようで、ウオッチャマンがどんな手を使ったのか定かでないが、ばっちり素性を押さえていたのも頷ける。

 狩谷徹が失踪する直前まで一緒にいた女であれば、必ず何かしらの情報が掴める翔太郎やフィリップはと踏んだのだ。

 

 だが、意気揚々と小綺麗なマンションに入っていった二人はそれが勇み足であったことを思い知らされた。

 

「えっ、亡くなった?」

 

 エントランス横の管理人室に通じている小窓越しにスマートフォンの画像を提示した亜樹子が、思わず反芻する。

 

「ええ。もう十年以上前に……私は遺品を整理するのに部屋を開けたんですが、ご家族のいない方で、結局業者に全部引き取ってもらったんです。ですから、よく覚えてますよ。私は三十年ここの管理人をやってますが、あんなことは初めてでしたから」

 

 液晶画面に表示された派手なドレス姿の麗奈を覗き込んで、温厚そうな初老の男性が老眼鏡を指で押し上げた。

 捜索対象の最も近かった人物がもういないということは、折角の大きな手がかりが失われたことに等しい。肩を落としかける亜樹子の隣で、まだ諦めていない翔太郎が管理人の方へと身を乗り出した。

 

「亡くなったというのは、病気か何かで?」

「いえ。知り合いの車に乗っていたら、運悪く事故に巻き込まれたそうですよ。確か、運転されていた方共々即死だったって聞いてます。ただ車は盗難車だったし、運転手は身分を証明するものを何も持っていなかったそうで。運転してたのがどこの誰か、最後までわからなかったと聞いていますが」

「……え?」

 

 詳細な話を受けた翔太郎と亜樹子が揃って声を上げ、顔を見合わせた。

 麗奈を不憫に思っていたのか、気の毒そうな顔をした男性管理人の話はまだ続く。 

 

「ただねぇ。その知り合いってのが……どうも妻も子どももある男だったらしいって、このアパートでは噂になってましたよ。当時彼女の隣に住んでいた女性が仲が良かったんですけど、酒を飲んで帰ってきては、彼がなかなか奥さんと別れてくれないと愚痴っていたそうですから」

 

 失望から驚きへと変わっていた亜樹子の表情が、みるみるうちに確信へと変わる。

 狩谷徹の愛人である麗奈が事故死、それも一緒に死亡した人物がいる。何者かわからないその人物が妻子ある男性だったとなれば、導き出される結論はただ一つだ。

 同じ推測に至っていた翔太郎が、なるべく落ち着き払った声を意識しながら管理人に促した。

 

「事故が発生した日の、正確な日付はわかりますか?」



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招かれざるR -5-

「検索を始めよう。キーワードは柴田麗奈、交通事故、死亡だ」

 

 真っ白で何もない空間に、フィリップの声が響いた。

 依頼を解決するために数え切れないほど頻繁に来ている、天才青年にとっての日常的な場所。現実とは切り離された、他人にとっては非日常的な場所である。

 呼び掛けに答え、雪崩を打って宙を飛び交う本たちの様子もまた見慣れたものだ。そして、ここで既にこの世にいない人間のことを調べるのにも慣れている。

 

 検索対象の人間の素性など、以前のフィリップにとっては興味の対象外だった。が、ふと膨大な情報のごくごく一部でしかない他人の人生に思いを馳せることが、最近はある。

 その人物が何を考え、感じ、一生の間に何をしようとしていたのか。そこから広がった発想が事件を解決に導くこともあり、対象についての深い洞察も不可欠であるという認識が、フィリップの中にも確実に芽生えてきているのである。

 

 ただし今回の検索ではあっけなく目的の本がフィリップの前に弾き出され、そこまでの思慮は要しなかった。交通事故の事実関係だけを調べるのが目的なのだから当たり前と言えばそうだが、フィリップに拍子抜けする残念な感触は残った。

 

「該当する事故の新聞記事を見つけたよ。日付は十四年前の六月十日、狩谷徹が失踪する直前だ。被害者は柴田麗奈と、身元不明の男性とある」

「そうか。やっぱりな……」

 

 目的の情報を見つけ出したフィリップの言葉は、仮想空間にリンクした自身の実体に連動し、肉声としてガレージにいる翔太郎にも伝えられた。

 麗奈が住んでいたマンションの管理人から得た情報を持ち帰り、それを基にフィリップが「地球の本棚」で調査したところ、予想通りの結果が得られたのだ。

 

 ガレージの隅に佇み、フィリップに応えた翔太郎の指先には、狩谷美幸から借りた写真が挟まれている。

 父と母、娘の三人が並ぶ冬の光景を写した、十五年は昔の写真。ここに写っている父親の狩谷徹は、十四年前に愛人の柴田麗奈とともに事故の被害者として死亡した可能性が極めて高い。

 フィリップが今調べた事件の身元不明の男性というのが、一体誰なのか。鍵はそこにあった。

 

「翔太郎くん!例の事故の記録、あったって!」

 

 翔太郎が眉根に皺を寄せて写真を睨んだところへ、慌ただしく割り込んできた声があった。ガレージのドアを開くなり、息を弾ませて飛び込んできた亜樹子である。彼女の後ろには夫である風都署の刑事、照井竜が控えていた。

 

 事故の詳細を確認するために、亜樹子は照井に資料一式の閲覧を許可するよう働きかけていた。恐らく未だ身元が判明していないであろう被害者の特定に助力を請う形で、照井は事務所まで資料を持ってきてくれたのである。

 やや強引ではあるが、依頼人を助けたいと願う妻の気持ちを照井は無下にできなかったのだ。

 

「事故の記録はこれだ。死亡した二人のうち一人は、未だ身元が特定されていない」

 

 深紅の革ジャケットに揃いの革パンツといういでたちの照井は、表情を感じさせない声で説明しながら翔太郎に分厚い封筒を手渡した。逸る心を抑え、封筒を受け取った翔太郎が中身を改めていく。

 資料は事故の報告書や状況を検分した詳細な道路の図に加え、フレームまで大きく曲がった事故車両や被害者の遺品の写真など、かなりの量があった。

 

 被害者が即死するほど酷い事故であった故、遺体の写真はあまりあてにならない。

 翔太郎は生々しいそれらを飛ばして先に遺品の写真へ目を通し始めたが、十数枚も数えないところで資料をめくる手が止まった。

 中間色を組み合わせた、微妙な色合いのマフラーがブルーシートの上に広げられている写真。持ち主は死亡時に身につけていなかったのだろう、血痕や傷みは見当たらない。

 翔太郎だけでなく亜樹子、「地球の本棚」から戻り資料を横から覗き込んでいたフィリップにも、そのマフラーに見覚えがあった。

 

「あ!こ、これって……!」

 

 亜樹子が息を飲み、フィリップが静かに頷く。

 

「間違いない。美幸さんの手編みのマフラーだ」

「……決まりだな」

 

 資料と美幸から借りた写真とを並べ、見比べていた翔太郎も呟いた。

 二枚の写真に写っているマフラーが全く同じものであることは、一目で判別がついた。身元不明のまま死亡している被害者男性が狩谷徹であることは、これで断定できる。

 そして、今現在の風都で結婚詐欺を働いている男が狩谷徹ではないことをも裏付けていた。

 

「ちょちょちょ、ちょっと翔太郎くん!何落ち着いてんの?死んだ筈の刈谷徹さんが、結婚詐欺なんてしてるのよ!」

 

 が、亜樹子一人が混乱した様子で翔太郎の肩を激しく揺さぶってくる。

 ガクガクと頭を振られた若き探偵は、上半身と同じく揺れる声を抑えて亜樹子の肩に両手を置き返した。

 

「おおおおお、落ち着けよ!まあ、そりゃ普通じゃないのはもうわかってる。亜樹子こそ、何をそんなに慌ててるんだよ」

「何をって……これってお化けよ、お化け!幽霊の仕業ってことじゃないの!」

 

 確かに三人のおばちゃんたちを騙して大金を巻き上げているのは、死んだ筈の狩谷徹である。が、この街ならではの肝心なポイントから全く外れた場所へ行き着いている亜樹子に、翔太郎は呆れ顔だった。

 

「あ?んな訳ねえだろ、ドーパントに決まって……っておい、どこ行くんだ?」

 

 彼はとにかく「女子中学生」所長を落ち着かせようとしたが、当人は肩を押さえていた手を振り払ってガレージのドアへと突進していく。

 

「神社とお寺!除霊グッズ、色々買って来なきゃ!」

「あっ、おい!」

 

 説明も聞かずに言い残してドアを突破していった亜樹子を止める術を、この場にいる三人の男たちは誰一人として持ち合わせていなかった。残された一同は暫しぽかんとした顔をしていたが、真っ先に我に返った翔太郎が癖っ毛の髪に指先を突っ込んで言った。

 

「……っちゃー……なあ照井、亜樹子って家でもあんな調子なのか?」

「概ね、そうだな」

 

 ただ一人、彼女を思い止まらせることができそうだった夫の照井が、翔太郎へ無表情に答える。

 生来の行動力を発揮して怪しげな品々を求める仲間を、今更追いかけたところでどうにもできないことは最初からわかっていた。ならば気の済むようにさせて、いざという時だけおかしな方へ行かなければ良い。

 それが男性陣の亜樹子に対する共通認識である。次の話題へと移るまで、さしたる時間は要しなかった。

 

「ところで翔太郎、美幸さんには伝えなくていいのかい?」

「……今はまだ、な。全て綺麗にして、その後に話せばいい」

「森下製作所の告発は?」

 

 フィリップの次の問いに、翔太郎は答えない。

 

「翔太郎のことだ。全てを明らかにするつもりはないんだろう?彼女が、優しい父親の思い出だけを持ち続けられるように……」

 

 相棒の答えは予想済みだったのであろう、フィリップが低く呟いた。

 美幸のから依頼は、「連絡してきたのが本当に父の徹なのか確かめること」と「本当に父ならば、何故家族の前に姿を現さないのか明らかにすること」の二点だ。現在の時点で、美幸に連絡してきた徹が真っ赤な偽者である可能性が高い。故に、依頼内容の後者は果たさなくても良いことにはなる。

 

 が、翔太郎は美幸に彼女の知らなかった父親の姿を知らせたくないが故に、本当のことを告げずに終わらせるつもりでいることは間違いない。森下製作所を告発すれば父親の不正と裏の顔を必ず晒さねばならなくなることから、この半熟探偵はそれも控えるのだろう。

 翔太郎は依頼人を不必要に傷つけたくないと願い、そのための努力を惜しまない男なのだ。

 口許に微笑みを浮かべ、フィリップはぼそりと続けた。

 

「まったく……ハーフボイルド、だね」

「うるせーよ!」

 

 天才青年の一言に悪意がないことを読み取った翔太郎は、荒っぽく言い返して見せるのみだ。

 この探偵が今のスタンスを貫いている限り、後味の悪い結果にはなるまい。

 確かな予感を持ったフィリップは、事件の核心に迫るべくまた新たな側面から話を切り出し始めた。

 

「この依頼は普通の失踪事件ではない。十四年前に行方不明となった、狩谷美幸の父親の狩谷徹。彼は交通事故に遭い、当時の愛人とともに死亡していることがわかった。なのに彼は、現在の風都に姿を現して娘に金の無心をし、更には三人の女性を相手に結婚詐欺まで働いている」

 

 これまでの事件の経緯をまとめつつ、フィリップはガレージにあるホワイトボードへ歩み寄ってペンを取り上げた。そして人物相関図を癖のある字で書きながら、翔太郎や照井に示して見せる。

 

「亜樹子は幽霊だと騒いでいるが、勿論そんなことはねえ。明らかに、ガイアメモリとドーパントが絡んでいる」

「そう。現在の狩谷徹が偽者であることは、誰が見ても明らかだ」

 

 亜樹子はわからなかったみたいだがな、と翔太郎が小声で言葉を継いだが、人物相関図に詳細を書き込んでいるフィリップの耳には入ってこない。

 フィリップは狩谷徹の名を大きな円で囲むと、その中に「ドーパント?」と加えてから他の男二人を振り返った。

 

「狩谷徹になりすましている何者かの様子から判断すると……ガイアメモリの能力は、他人への擬態だろう。それも外見だけでなく、記憶も全てコピーできる精度の高い擬態だ」

 

 フィリップの説明に、翔太郎と照井が無言で頷く。

 ガイアメモリがもたらす能力の一つである擬態は、実はさして珍しいものではない。しかし癖のある特徴であることには違いなく、その場合は戦闘時にトリッキーな戦術を繰り出してくることがままある。故に、油断は禁物であった。

 

「そして奴は、手強そうな女性三人を煙に巻くだけの狡猾さも持っている。問題は、僕たちがどうすれば接触できるかだ」

「ああ。下手に動いて刺激したら、途端に逃げられちまうだろう。慎重にやる必要がありそうだな」

 

 フィリップが淡々と述べたのを受け、翔太郎はそう口に出しはしたものの、石橋を叩いて渡るような行動は正直苦手だった。自分と比較すれば警察官である照井のほうが適任な気も手伝い、彼は隣に立つレザーファッションの男に話を振った。

 

「照井の方は、何か情報はないのか?詐欺の被害届けは出てるんだろ?」

「詐欺事件の立証には時間がかかる。被害者はいずれも口約束で大金を渡しているようで、証拠にも乏しい。だからこちらとしても、迂闊に動くわけには行かなくてな」

 

 表情こそ動かさないものの、照井の口調にはわずかながらに困った響きが混ざっている。封筒に再びまとめられている資料を脇に挟み直した若き刑事に、フィリップも小さな溜め息をついた。

 

「こちらも結婚詐欺絡みの依頼人から、狩谷徹の連絡先は聞いているけど……全ての携帯番号が不通になっていたよ」

「恐らく、奴が気兼ねなく連絡できるのは娘の美幸に対してくらいなんだろう。しかし、彼女は詐欺事件の被害者ではない。俺が介入するのは難しいな」

 

 いくらドーパントが絡んでいる事件とは言えど、具体的な被害が出ていない美幸の自宅で徹からの連絡が来るのを待ち構えたり、逆探知機を仕掛けるわけにはいかない。

 薄暗いガレージで立ち尽くす男たちが次の手を考えるべく沈黙しかけたところで、ふと翔太郎がこぼした。

 

「ん?待てよ……」

 

 何か引っ掛かるところがあったのだろう。彼はワイシャツから覗く引き締まった腕を組み、宙を睨んで考えを巡らせている。彼の視線がガレージの雑然としたインテリアを何度か巡った後、唐突に結論が出された。

 

「よし。こっちから種をバラ蒔いてやるか」

「どうするつもりなんだい?相手は詐欺師なんだ。もし失敗したら……」

 

 じっとしているのが嫌いな翔太郎らしく先手を打つ手段に出ることがわかると、フィリップが諫めるように反論する。が、翔太郎は譲る気がないらしく、力を込めた話し方で自らの考えを仲間たちに伝えた。

 

「俺に考えがある。狩谷徹は、唯一娘の美幸さんにだけは甘かった。そこを利用する」

「左、まさか依頼人を巻き込むつもりじゃないだろうな?」

 

 照井の眼光が疑いを孕んで鋭くなっても、翔太郎にはまだ余裕がある。軽く片手を挙げて傍らの刑事を制すると、落ち着き払った表情を向けて見せた。

 

「いや、彼女は決して危険な目に遭うことはない。信用してくれ」

 

 片方の唇を吊り上げてにやりと笑った翔太郎は、不敵とも言えるほどの自信に満ち溢れている。

 確かに、依頼人に戦いの心得があったり、自らが望んで敵と対峙する場合を除いて、若き探偵は積極的に依頼人を危機的状況に連れ込むことはない。この点は、フィリップや照井が翔太郎を最も信頼する長所の一つでもあった。

 

 二人の仲間の沈黙が同意であると受け止め、探偵がポケットから携帯電話を取り出す。

 メモリーから呼び出した番号に連絡を取る翔太郎を、フィリップと照井は静かに見守ることに決めていた。

 

「もしもし……美幸さん?ちょっと頼みたいことが……」

『左さん?もしかして、もう父が見つかったんですか!』

 

 翔太郎が用向きを告げる前に電話口の美幸が弾んだ声を響かせ、彼は出鼻を挫かれる格好となった。

 

「いえ……申し訳ないんですが、まだ情報がさっぱり集まっていなくて……」

『そうですか……』

 

 嘘だ。

 美幸の父である徹らしき人物が過去に何をし、今現在どうなっているかは大筋で掴めているし、彼女に電話をしてきた何者かが本当の徹でない可能性が高いこともわかっている。

 だが、敢えてそんなことを今伝える必要はない。

 探偵の青年が自らに言い聞かせ改めて用件を口にしようとしたが、また美幸に先んじられた。

 

『でも、私の母にも会ったんですよね?』

 

 確かに美幸と母親の紗江子は一緒に住んでおり、呼び出されたことに関して特に口止めもしていなかった。迂闊だった、と半熟探偵が苦虫を噛み潰した顔になった時、ぽつりと美幸がこぼした。

 

『母から、余計なことに首を突っ込むなって言われたんです。だから何となくわかりました』

「……そうですか」

 

 翔太郎の返す言葉は少ない。

 それでも辛い胸の裡を明かしたいのか、美幸の淋しげな口調はまだ続いてくる。

 

『私、知ってました。父と母の仲が良くなかったこと……』

「えっ?」

 

 予想していなかった話の展開に翔太郎が驚いた様子を見せても、依頼人女性の話は止まらない。

 

『確かに、両親の仲は冷えていたと思います。でも、私には本当にいい父でした。私に寂しい思いをさせてるからって、帰ってきた時はずっと遊んでくれたし、色々な所に連れて行ってくれたりもしました。誰よりも優しい、本当の父の姿を知ってるのは……私だけなんです。だから、私……』

 

 堰を切ったように言葉を連ねていた美幸の声が、ふと途切れる。

 彼女が涙を堪えていることは、直前の言葉が震えていたことで想像がついた。

 

「大丈夫ですよ、美幸さん。必ず解決して見せますから」

 

 そして翔太郎は、すかさず力強く応えてやることしかできなかった。

 自分だけが、本当の父の姿を知っている。

 いや。美幸は恐らく、父が優しさに満ち溢れた人物だったのだと、信じていたいのだろう。

 たくさんの愛を与えてくれた肉親の真実を知らせる方が、彼女にとって残酷であることは間違いない。いざ本人の声を実際に聞くと、それが確信できるほどだ。

 

 そして事実を告げる選択を除外する翔太郎は、誰かの泣き顔など見ないに越したことはないと心の底から考える、甘い男だ。

 が、だからこそフィリップが背中を預け、照井が認め、亜樹子が信頼を寄せてくれる。

 彼は自らの信念を貫き、依頼人の心情を最大限に慮る策を展開するために、努めて落ち着いた話し方を全面に押し出した。

 

「そのためのご協力を、是非ともお願いします。もし、また父親と思しき男から連絡があったら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯電話の液晶が光って本体が震え、着信を告げた。

 迷わずやや大きめのごついそれを取り、通話ボタンを押す。

 

「はい」

『俺だ』

 

 繋がるなり相手はぶっきらぼうに、名も名乗らずに言ってくる。

 

「お父さん、美幸だよ」

 

 途端、相手の男の声は猫撫で声と言えるほどに優しくなった。

 

『美幸……このお前の携帯なら、気兼ねせずに話せるんだな?良かった』

「うん」

 

 こちらが返す返事は短い。が、父親は話し方を変えず一方的に喋ってくる。

 

『お父さんは今、困ったことになっているんだ。お前なら、お父さんの言うことを聞いてくれるな?』

「うん」

 

 すかさずあった答えに、彼は気を良くしたらしい。相手はもう二十代半ばの娘であることを忘れて、まるで幼い子どもに話しかけるような口調で続けた。

 

『よし。じゃあ、これから言うことをよく聞いて。しっかりメモを取るんだぞ』

「うん」

 

 娘ならきっと自分の頼みを聞いてくれる。そう信じている男はゆっくりと、五十万円を工面すること、それを人目のない町外れに広がるヤード(廃車置き場)の一角に持って来ること、そして待ち合わせの日時とを次々と口にした。

 

『……わかったな?じゃあ、約束の時間にまた』

「うん」

 

 こちらからは終始ごく短く、しかも具体的な話の内容に触れないしか反応していない。

 そのことに対して何の警戒もしていないらしい父親は、上機嫌なままで電話を切っていた。



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招かれざるR -6-

 二月の荒れ地には強い風が吹きすさび、建ち並ぶ無機質な鉄塊の間では高い音が頻繁に響いてくる。体感温度も、街中にいるより遥かに低いだろう。月が美しいよく晴れた夜に大気は一層冷たさを増し、翌朝に満ちてくる冬の太陽の光では、寒さを完全に和らげることはままならない。

 普段から人気の少ない郊外のヤードでは、冬にもっとも空気が荒むのではないかと錯覚する。

 

 なのに、そこに真っ昼間からうろついている一人の男がいた。

 浅い皺が刻まれた顔から歳は四十代と思えるが、服装は革ジャケットに細身のジーンズと、不相応に若い。彼は山と積まれた瓦礫や半壊した車体の間を落ち着きなく歩き回っており、誰かを探しているかのように視線があちこちをさまよっている。

 

 数分のうちに業を煮やしたのか、男は苦い表情で軽く舌打ちしてから携帯電話を取り出してある番号を呼び出した。今日ここで待ち合わせしている、娘の携帯電話の番号だ。彼女が持参してきてくれているであろう現金を何よりも求めている彼は、苛立ちを押さえながら携帯電話を耳に押し当て、呼び出し音の機械的な音を聞いていた。

 

「やはり現れたな。狩谷徹……いや、偽者だからこう呼ぶのはおかしいか」

 

 彼が背にしている廃車の陰からかけられてきた声。

 ただしそれは期待していた娘のものではなく、若い男のそれであった。

 いや、コート姿にソフト帽という風貌の若造と一緒に、姿を現した若い女がいるにはいた。背が低く幼い顔の彼女は額にお札を手拭いで巻き、幾つものお守りを首から下げ、玉櫛と巨大な数珠を握りしめるという奇妙ないでたちで、記憶の中の娘とは全く合致していなかったのだ。

 

 そしてこの二人連れには、全く覚えがない。

 それに、狩谷徹の偽者呼ばわりされる謂れもない。

 何故なら自分はベースとなる人間の外見は勿論のこと、記憶も、体臭も、細かな癖まで完全に再現することができるからだ。故に、不審者を見る怪訝な顔を作って悠然と問い返すことができていた。

 

「偽者?君こそ誰だ。私は娘に会いに来ただけだが?美幸は……娘はどこだ?」

「み……美幸さんは、ここに来てないわよ!さっさと成仏しいや!悪・霊・退・散!きぃえぇぇええー!」

 

 ソフト帽の男を盾にできる位置にいた若い女が、奇声を上げて両手の数珠と玉櫛を突き出してくる。彼女の恐怖と戦っているいかにも必死そうな表情は、幽霊か何かを相手にしていると本気で思っていることを感じさせるほどだった。

 だが、傍らの帽子の男は仲間らしい女の振る舞いは殆ど気に留めていない。

 彼女は好きにさせておき、若い男は揺るぎのない視線とともに言い放った。

 

「もちろん、金もな。あんたに渡す金はビタ一文ねえ」

「何?」

 

 金のことまで直球で言われ、つい反応してしまう。

 今日ここで現金を受け渡すことを知っているのは、狩谷徹である自分とその娘、美幸だけの筈だ。自分が連絡し具体的なことを伝えたのは、美幸の携帯電話だったのは間違いない。なのに何故、この若造がそんなことまで知っているのか?

 相手の考えを見透かして、若い男ーー鳴海探偵事務所の左翔太郎が皮肉そうに唇を歪めた。

 

「娘の携帯だと思って油断したな。あんたが連絡したのは、俺の番号だよ」

 

 翔太郎が右掌を差し出すと、その上に飛び乗ってきた小さな影があった。

 樹脂と金属を組み合わせてギジメモリを組み込み、蛙をかたどったメモリガジェットの一つ。音声の録音と再生機能を持つフロッグポットは、翔太郎の手の上で跳び跳ねながらある人物の声を振り撒いていた。

 そこから「はい」「うん」「お父さん」「美幸だよ」と繰り返される美幸の声は、予め録音してあった声を再生しているだけである。

 

 美幸に連絡した翔太郎は、次に徹らしき人物から連絡があったら翔太郎の番号を彼女の携帯番号として伝えるよう指示し、合間に彼女の声のサンプルをフロッグポットに収録した。そしてまんまと騙された徹から翔太郎の携帯電話に着信が入ったところで、フロッグポットに録音した美幸の声で無難に会話をやり過ごし、最終的な接触に成功したのである。

 

 単純な手ではあったが、娘の美幸に頼る他のない徹の心理を突いた作戦が当たった結果となった。

 自らが相手の策にはめられたことを覚ったのであろう、徹の表情が驚きから嘲笑へと変わる。ただしそれは決して自嘲ではなく、十歩ばかり離れて立つ若者たちに向けたものであった。

 だが彼はどうも腑に落ちないと言いたげに、疑問を唇に上らせた。

 

「……何故、俺のことがわかった?」

「簡単だ。あんた、徹さんが死んだ時の姿そのままだ。十四年も経ってるのに、外見が全く同じな訳がねえだろ?少なくとも、普通の人間だったらな」

 

 徹そっくりの何者かが効かせてくる睨みを跳ね返し、翔太郎が答えを投げつける。

 彼の姿は美幸から託された十五年は前の写真と、つい最近詐欺被害者が撮影した写真に写る姿が全く変わっていない。

 

 そのことに、亜樹子を除く鳴海探偵事務所のメンバーはとっくに気がついていた。どんなに若く見えて印象が変わらない者がいるとは言っても、必ず加齢に伴う変化は少なからずある筈なのだ。

 勿論普通の人間であれば、の話ではあるが。

 今や徹本人と呼べなくなった男は意外そうに目を見開いたがそれも一瞬のことで、不敵な笑みを横切らせていた。

 

「……ふん。老いないことがことが不自然だとは、人間は不便なものだな」

 

 まるで自身が人間以外の存在であるかのように、彼はいまいましげに言い放つ。

 この男が本当の美幸の父ではないことが判明した今、もう遠慮する必要はない。が、まずは不必要な戦闘を避けるべく、翔太郎は先手を打つことにした。

 

「その人間を利用してるお前も、人間だろうが。痛い目に遭いたくなけりゃ、さっさとガイアメモリを渡すんだな」

「そそそそそ、そうよ。今のうちに、さっさと騙し取ったお金を返して、あの世に行った方が身のためよ。翔太郎くん、すっごく強いんだから!」

 

 風に煽られた帽子の縁を指で押し上げながら相手を睨む翔太郎の背後から、亜樹子もやや的がずれた説得を試みていた。

 死んだ人間が再び現れるという怪現象は、風都で今までなかったわけではない。しかしいずれのケースも幽霊が本当に確認されたことはなく、擬態か模倣の能力を持つドーパントが絡む事件であった。

 

 故に今回も同様で、翔太郎の判断は当然と言えるであろう。ドーパントは仮面ライダーにメモリブレイクされれば人間に戻るが、その際に基礎となった人間が被るダメージは深刻で、下手をすれば廃人になりかねない。可能であれば、無要な戦闘はしないに限る。

 だが、徹そっくりの男は鼻で笑うだけだった。

 

「俺が、人間?……ふん」

 

 一言こぼしてから、男は翔太郎に一瞥をくれる。

 

「それに、その青二才が俺より強いだと?」

「そ、そうよ!そりゃあちょっと情けないとこはあるし、女好きだし、かっこつけで何よりも半熟だけど……」

「おい、言い過ぎだろ!」

 

 男の蔑みと亜樹子のあんまりと言えばあんまりな表現に、かちんと来た翔太郎が思わず声を荒げた。

 同時に、翔太郎は自然と臨戦態勢に入っていた。相手が説得に応じる気なしと見るや、膝を緩めて僅かに身体を沈ませ、浮かせた踵に余計な力が入らないようにする。

 

「面白い。なら、腕試しをさせてもらおうか。もし死んだとしても、それは弱かったお前が悪いことになるからな!」

 

 更に重ねられた男の笑いは、明らかに目の前の若者たちを見下すそれであった。

 あらゆる他者を凌駕し、自分が絶対であると信じて疑わない自信。

 彼の尊大な態度の礎は、物理的な変化を伴って翔太郎たちに晒されることとなった。

 

 無機質な金属の塊が乱立する冬のヤードに響く哄笑から一瞬遅れ、男の身体を不気味な光が包み込む。機械的な臭いを感じさせる硬質な光は男の内側から膨らみ、頭から爪先の全てを覆った。

 そして不吉さしか予感させない光が去った後には、美幸の父親を模した姿の男はもういなかった。

 

 腕や脚、胴体に至っても、壊れた車のドアの一部やタイヤ、切れた電線が集まってその体を成している。頭は辛うじてそれらしい形と目鼻らしいパーツの位置を保っており、人ならぬ者の頭部と判別はできるが、逆に頭以外の全てがゴミとしか言えない屑鉄の寄せ集めになっていた。

 まるで、壊れて朽ちかけたロボットの骨組みが立ち上がってきたかと錯覚する姿。

 ほんの数秒で、人間がガラクタを固めたような怪物に変貌を遂げたのだ。

 

「わぁぁあ!ガガガガガ、ガイアメモリがないのに変身したぁ!」

「おかしい……こいつ、変身のしかたがドーパントとは全く違う!」

 

 徹の偽者から変身した怪人に出現に、流石に相手が幽霊ではないことを覚った亜樹子が絶叫を上げ、翔太郎が驚愕に目を見開いた。

 翔太郎が変身した仮面ライダーWは、ガイアメモリを使用した人間であるドーパントを数多く相手取ってきた。だが、ガイアメモリを使わずに変身できる者など今までに遭遇したことがない。ということは、この怪人はドーパントではない可能性が極めて高い。

 

 嫌な予感が背筋を駆け抜け、翔太郎が無意識のうちに半歩下がろうとする。吹きつけてきた一陣の強風が砂塵と枯れ草を舞い上げ、緊張が嫌が応にも高まった。

 その時、足が不意に固まった。

 いや、動かせなくなったのは足だけではなかった。全身の筋肉全てが一度に強張り、全く言うことを聞かなくなったのだ。

 

「うおっ!」

「きゃ!」

 

 これまでの人生で感じたことのない異様な感覚に、翔太郎が思わず声を上げる。

 隣の亜樹子も同じ強烈な違和感に襲われたようだったが、視線すら動かすこともままならない身では、彼女を気遣うことができなかった。

 

 そして、全てが空間に絡め取られているのは自分たちだけではないことに気づかされた。

 視界で舞っていた砂埃も、枯れた草も、細かいゴミも、物理的に存在するあらゆるものの時が重さを増し、鈍重な流れの中にいた。まともな状態なら一瞬にしか感じられないであろう時間が何十倍にも引き伸ばされ、意識だけが鮮明なまま置いていかれたのだ。

 

 --なな、何なのコレ!

 --身体が……動かねえ!

 驚愕したまま表情筋の一つも自由にできない亜樹子と翔太郎は、僅かな時間の流れに永遠に取り残されるかのような恐怖を感じていた。彼らのすぐ眼前にまで、ガラクタの身体を持つ怪人が平然と歩み寄ってきたのだから、至極当然の感覚と言えるであろう。

 

 自分たちは動けないのに何故なのか?

 やはりこの現象は、このドーパントではない何者かが引き起こしたと言うのか!

 翔太郎の中に幾つもの疑問が浮かぶが、「どんより」の最中にある彼はどれ一つとして唇に上らせることもできないでいた。

 

「大口を叩いていた割に無様だな。まあ、重加速の中では何もできんだろうが」

 

 がしゃがしゃと金属がぶつかる音を立てつつ近寄ってきた怪人が、表情の動かない機械の顔に愉悦の色を乗せて嘲った。

 しかし視線だけを必死に巡らせようとする翔太郎と亜樹子の頭は、嘲りなど一片も入ってこない。彼らの視界には、怪人の右手にあるチェーンソーの刃と鉄片を組み合わせた歪な灰色の剣が捉えられており、そこから意識を逸らすことができなかったのだ。

 

「お前もこの男のように、強い怨みを残して死ぬがいい。そうすれば、我々の仲間がお前の遺志を引き継ぐだろうからな!」

 

 その不吉な武器が、予想通り敵の勝利宣言とともに掲げられる。

 これが振り下ろされれば、翔太郎と亜樹子が積み上げてきた人生があっけなく終わる。

 勿論二人にそんなつもりなど毛頭なく、今この瞬間でさえ何とか逃れようとして全身に力を込めていたが、皮肉なことに筋の一つも生きようとする意思に応えてはくれないのだ。

 

 --くそっ!

 しかし翔太郎は頭鈍い輝きを放つ剣が迫り来ても諦めず、心で力一杯の咆哮を上げた。

 その時であった。

 凍りついていた時が唐突に流れ出し、若き探偵を懐から解放したのは。

 

「うおっ?」

 

 宙に浮いていた足が乱暴に地面に落ちた衝撃で体勢を崩しながらも、辛うじて転倒を免れた翔太郎が敵の正面から逃れていく。

 

「ちいっ!貴様、何故動ける!」

 

 たたらを踏んで逃げた男をいまいましげに睨んだ怪人が吐き捨て、怒りを孕んだ刃を握り直す。

 その声に小さなクラクションのような音が紛れたのを、翔太郎は聞き逃さなかった。しかしごく小さな音がベストのポケットから届いていたのは、流石に驚かされた。

 

 敵から離れながら慌ててポケットを探ってみると、一台のミニカーが引っ張り出されてくる。

 こんなものを入れておいた覚えはない。

 驚きと怪訝さをない交ぜにした翔太郎が握ったミニカーに意識を向けると、再度クラクションが響いてくる。その調子は、どことなく得意気に感じられた。

 

「こいつは……」

 

 このポケットにどこからともなく飛び込んでいた小さな車は、明らかに自律型で高機能なマシンだ。

 まさか、これが自分を助けてくれたと言うのだろうか?

「おのれ!」

 

 翔太郎が再度勝手にポケットへ滑り込んだ小さな味方らしきミニカーを確認しつつ距離を取ると、ガラクタの怪人が怒声を上げた。絶妙のタイミングで危機から脱した男を消さなければ気が済まないのか、亜樹子には完全に背を向けている。

 都合がいいことに、目標は完全に翔太郎一人に絞られたのだ。

 

「こいつ、ドーパントじゃねえってのか!」

 

 慎重に敵との距離を保ち続ける翔太郎が悪態をついて、ダブルドライバーを取り出した。

 身体が自由に動くのなら、もう後は戦う道しか残されていない。

 彼は腹に当てたドライバーから伸びた光の束が腰に巻きつき、ドライバー自体が腰にが装着されたのを感じながら、その場にいない相棒へと呼びかけた。

 

「何にしても、このままじゃまずい。フィリップ、行くぞ!」

『わかったよ、翔太郎』

 

 赤く輝くダブルドライバーを通し、事務所で待機していたフィリップがすぐさま応えてくれたことが伝わってくる。そして天才青年が離れた場所で叩いたガイアメモリの起動音までが、はっきりと聞こえてきた。

 

『CYCRON(サイクロン)!』

『JOKER(ジョーカー)!』

 

 すかさず翔太郎が「切り札」の力を秘めた黒きガイアメモリを起動し、二人が同じタイミングでメモリを振り翳して叫ぶ。

 

「変身!」

 

 刹那、翔太郎のドライバーの右スロットに緑色に輝く「疾風」を象徴するサイクロンメモリが転送されてくる。すかさず彼はジョーカーメモリを左スロットへと装填し、両腕を交差させてダブルドライバーを左右へと倒した。 

 

『CYCRON(サイクロン)!』

『JOKER(ジョーカー)!』

 

 人間を超人へと変身させるダブルドライバーが吼え、地球の力が溢れ出す。

 強い流れとなったガイアエネルギーが翔太郎を中心にして渦を巻き、彼の肉体を護る鎧となってその身を覆った。二人の青年が一人の超人、仮面ライダーWへと変貌した瞬間である。

 

「貴様……まさか、仮面ライダーか!この街にまでいたとは……」

 

 ガラクタの怪人が、表情のない顔から驚愕に揺れる声を発して身体ごと向き直ってくる。

 硬質な外殻を晒した右半身が陽光に輝くメタリックグリーン、左半身が漆黒という、一見すると奇妙な姿を持つ左右非対称の仮面ライダーW。

 それは左翔太郎とフィリップとが身体を二人で共有する、「二人で一人」のヒーローであった。

 

「お前が風都のドーパントでないことはわかった。けど、そんなことは大した問題じゃない」

「ああ。街を泣かせる奴は、誰であろうと容赦しねえ」

 

 銀色のマフラーをなびかせる一人の超人の中でフィリップが、翔太郎が、各々の言葉を整理しつつ軽く拳を握る。

 そして徐に黒い腕を上げて目の前の敵を指し、声を揃えて言い放った。

 

「さあ--お前の罪を数えろ!」



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招かれざるR -7-

「それはこの人間に言え!」

 

 律儀に敵の言葉に怒鳴り返してから、ガラクタの怪人が剣を振り翳した。

 変身直後の軽い高揚感が残る四肢から余計な力を抜き、呼吸を整え、仮面ライダーWが大地を蹴って走り出す。二人の異形の中間で黒い拳と鉄塊のボディとがぶつかり、鈍い衝撃音が冷えた空気に響いた。

 

「はあっ!」

 

 Wは突きと蹴りを織り混ぜた連続攻撃を浴びせかけ、対するガラクタ怪人はその全てを受け、耐えては細かい部品をばらばらと撒き散らす。一見するとラッシュを食らいっぱなしでいる怪人から欠片が飛び散っているように見え、Wが一方的に圧している印象である。

 

 しかし、W本人たちにはその実感が全くと言っていいほどない。

 むしろ主に腕で攻撃を流すガラクタ怪人の動きが鈍るわけでも、反撃してくる勢いが衰えるわけでもないことに、不気味ささえ感じるくらいだ。が、とにかく今は油断せずに攻撃を続ける以外にない。

 弾かれるようにして間合いを離したWは、再び手足に力を込めて敵へと向かっていった。

 

「ひゃあ!」

 

 その時、彼らから十歩ばかり離れた位置で凍りついていた亜樹子も自由を取り戻していた。

 先の翔太郎と同じように空中でたたらを踏んでから、慌てて近くの半壊した車の陰へと飛び込む。

 もっとも、突然解き放たれたことに驚いて奇声を上げた彼女は、コートのポケットに紫色のミニカーが飛び込んできたことには全く気づいていなかったが。

 

「な、何なのよアレ……私、聞いてない!」

 

 最早邪魔にしかならないと判明した玉櫛や巨大な数珠を放り出し、お札を額からむしり取った亜樹子が愕然と呟く。まだ動転している彼女は、周りの砂埃が宙に浮いたまま止まっており、自分たちだけが動ける異常な状況にまだ気づいていない。

 

 やっと幽霊ではない怪人の正体を晒した刈谷徹の偽物とサイクロン・ジョーカーフォームのWは、亜樹子が見守る先で格闘戦を未だ繰り広げていた。

 自動車の部品や鉄屑の人形である敵の攻撃は一撃ずつが重く、拳や蹴りを喰らう度にずしりとしたダメージがWの身に響いてくる。一方手数の多さではWに分があるのは確実で、素早いその攻撃を防御する怪人の腕は見る間に細くなっていき、あわや骨組みになろうかという寸前であった。

 

「いいぞ、あと少しで奴の片腕は完全に破壊できる!」

「よっしゃ、このまま行くぞ!」

 

 勢いづいたWの中でフィリップが攻撃の継続を促し、翔太郎が同調して構え直す。

 両者の間合いが離れ何度目かの空白が生じようとしたその時である。ガラクタ怪人が不意に後ずさり、手近なスクラップの山の陰へと飛び込んだ。

 

「くそ、逃がすか!」

 

 それをダメージ故の敗走と取った翔太郎が舌打ちして後を追うが、敵の目的が攻撃から逃れるためではないことを瞬時に思い知らされることとなる。山積した鉄塊の後ろへ回り込んだWが目にしたのは、敵が自動車部品の山に半壊した腕を突っ込んでいる異様な光景であった。

 

「ふん!」

 

 そしてガラクタ怪人が意識を集中させると、自動車の細かなパーツがばらばらと飛んできて、頼りない錆びた鉄棒と成り果てた腕にくっついてくる。直後に腕全体が青白い輝きを放ち、そのまま怪人の新たな片腕となった鉄塊が、先とは明らかに異なるフォルムを晒していた。

 

「何だと!」

「再生した……奴は周囲の物質を身体に取り込んで、身体を自在に再構成する能力があるのか!」

 

 この怪人が持つ能力そのものにも驚かされたが、これまでに与えたダメージが一瞬でゼロに戻されたことに、翔太郎とフィリップは少なからず衝撃を受けていた。

 

「その通り。貴様の攻撃など、俺には効く筈もないということだ!」

 

 逃げると見せかけて傷をすっかり回復させたガラクタ怪人が、再生した右腕を誇示するようにWを指差して嘲った。すかさず左手に持っていた剣を右手に持ち替え、鋭い踏み込みとともに斬りつけてくる。

 

「うおっ!」

 

 見ればその剣も、先とは異なり鋭いガラスの欠片を無数に刃に纏っている。間合いを読み損なったWは辛うじて直撃は避けたものの、左肩にごく浅い一撃を受ける羽目となった。

 

「こいつ……!フィリップ、こいつは一体何者なんだ!」

『過去の検索データに、あんな現象を引き起こす奴なんて見当たらない!』

 

 刃が掠めた肩を庇いつつ後退した翔太郎がフィリップに怒鳴るが、天才青年はデータが無ければお手上げとばかりに叫び返してくる。

 

『今わかるのは、少なくともドーパントではないということぐらいだ。そうなると、Wの技さえ効くかどうかが定かではない』

「くそっ、ならどう戦えばいいってんだよ!」

 

 だめ押しで続いた言葉に翔太郎が悪態をついたところで、再びガラクタ怪人の剣が襲いかかってきた。鉄製のパーツを芯にしてガラスの刃を持つ奇妙な刀身が振り下ろされる度、反射された冬の陽光がスクラップの山々に不規則な模様を投げかける。

 

 その中でWは敵の斬撃をかわし、すり抜け、時には長さで勝つ自身の脚が放つ蹴りで反撃を試みた。だが踏み込みが足りないために、どうしても重さを欠いた攻撃にしかならない。

 その上、敵は攻撃を受ける度に身体を作っている鉄塊が飛び散るものの、すぐに再生してしまいきりがなかった。いつまで経っても決定打となるダメージが与えられないことに、翔太郎が苛立ちを募らせていく。

 

『とにかく、物理的な攻撃を続けてダメージを蓄積させよう。そうすれば相手がどんな奴であれ、ある程度弱らせることができる筈だ。例え奴が再生し続けるとしても、その能力には必ず限界がある』

「とは言っても、このままじゃ俺たちが消耗する一方か……」

 

 相棒の焦燥感を読んだフィリップが具体的なアドバイスをしたところで、翔太郎が呟きながらガラクタ怪人の突きを避けて側面に回り込んだ。

 

「なら、これだ!」

 

 相手に獲物があるなら、こちらも距離が取れて相手の弱点を突きやすい手段を取るべきだ。

 決断した翔太郎が取り出して素早く換装させたのは、「灼熱」の記憶を封じたヒートメモリと「闘士」の記憶を秘めたメタルメモリである。

 彼が入れ替えで新たなメモリをセットしたドライバーを勢いをつけて開くと、地球の力が使用者に超人の力を授けんとして咆哮する。

 

『HEAT(ヒート)!』

『METAL(メタル)!』

 

 Wのボディの中心から噴き出した二つの力が各々の半身に雪崩れ込み、その象徴たるに相応しい姿へと再構成させていく。ガラクタ怪人が攻撃を回避したWに向き直る僅かな間に、その姿は右半分がメタルレッド、左半身がシルバーという全く異なる色へと変わっていた。

 更にWの左手には、金属の輝きを放つ棍「メタルシャフト」が携えられていた。

 

 翔太郎がメタルサイドの背中から取り外したこの武器は、両端を伸ばせば小柄な者の背丈ほどにもなる長さの棒状となり、相手と距離を取りつつ打撃を与えるのに最適な武装となる。更にソウルサイドにヒートメモリを装着することにより、メタルシャフトには熱の追加属性が与えられ、機械様の敵には極めて有効な攻撃手段となってくれるのだ。

 

「おりゃ!」

 

 ガラクタ怪人が振り返ろうとしたところへ、炎を纏ったメタルシャフトの一撃が斜めから打ち込まれる。Wが素手であると思い込んで間合いを狭めていた敵は完全に不意を突かれ、悲鳴を上げて飛びすさるのがやっとだった。

 

 しかしWは相手が攻撃範囲から逃げることを許さず、メタルシャフトによる打撃の洗礼を容赦なく叩き込んでいく。ガラクタ怪人の胴を打ち据え、肩に突き込み、足払いをかけてよろけたところを打ち下ろし、着実なダメージを連続で与えていった。

 

 ガラクタ怪人はガラスの剣で応戦しようとするものの、所詮は急場を凌ぐための一時的な武器に過ぎない。強靭さとしなやかさを備えたメタルシャフトにたちまち刃は折られ、再生する隙も与えられず柄の部分だけの短い棍棒と化していた。

 そしてその身が削られていくのは、武器だけではない。メタルシャフトの強烈な攻撃はガラクタ怪人自身のボディを成す鉄屑を一撃ずつ引き剥がしていき、脆弱な骨組みが見えんばかりのところまでのダメージを与えていた。

 

『いいぞ翔太郎、あともう一息だ!』

「ああ。このまま決めるぜ!」

 

 やはりフォームチェンジが正解だったと言わんばかりに声を弾ませたフィリップに、呼吸を整えている翔太郎が応える。このまま敵の身体をバラバラにして骨組みを叩き折ってしまえば、如何に強い再生力を持っている敵だとしても、数秒で復活してくることはないだろう。

 

 一方的に攻撃を喰らわされていたガラクタ怪人からほんの一瞬間を取っていたWが、一気に畳み掛けようと構えたまま距離を詰めてくる。

 防御力と打撃力の双方でヒートメタルフォームのWに劣ることを悟ったガラクタ怪人は、低い呻きを漏らした。

 

「おのれ……!」

 

 いくらダメージを回復させる手段があり致命傷は負わされないとわかっていても、敵を倒せないのは意味がない。

 そこまで判断した敵が次に取った行動は、正攻法ではなく奇策に頼るとことであった。

 ガラクタ怪人が傍らに山と積まれている車のドアへ意識を向ける。

 正確には、その後ろに隠れている未成年にしか見えない女を睨んでいた。 

 次の瞬間に半壊した身体で踵を返してきた敵を目の当たりにし、亜樹子が悲鳴を上げる。

 

「きゃあ!」

 

 敵は自分を盾にするつもりだ!

 これまでの戦いで人質にされたことが何度もある彼女は、慌てて瓦礫の陰から走り出した。が、いかにダメージを追わされているとは言っても、相手は怪人だ。あっという間に追いつかれ、悪意を剥き出しにした気配が真後ろまで迫る。

 

『あきちゃん!』

 

 とても二人には追いつけないと判断したフィリップが、Wの中で叫んだ時だった。

 鉄屑の山の中から、叢の陰から、放置されている重機の隙間から、何かが一斉に飛び出した。大人の掌ほどの大きさがある小さなシルエットたちは、まっすぐにガラクタ怪人に襲いかかっていく。

 その小さな金属製のボディを唯一の武器として体当たりを繰り返し、彼らは懸命にガラクタ怪人の行く手を阻んだ。

 

「くっ……くそっ!」

 

 フィリップの叫びに応じたメモリガジェットたちが衝突してくる度、ガラクタ怪人の身体に小さな衝撃が響いてくる。ダメージは全くないと言っても過言ではないが、鬱陶しいことこの上ない。急降下してきたスタッグフォンを叩き落とし、滑空するバットショットを振り払ったところで、亜樹子はWの背後へ走り去る様子が視界の隅に捉えられた。

 

 しかし人質を盾にして立場を逆転させる手段は失われたものの、まだ負けたわけではない。むしろ瓦礫の山の手近に来られたのだから、この隙は好機だ。

 ガラクタ怪人はすかさず発想を切り替えると、傷ついた身体を再生させる鉄塊を全身に余すところなく吸いつけた。敵が女を庇う間に、少しでも装甲を厚くするべくありったけの瓦礫で手足を再構成させる。

 

「よくも、やってくれたな!」

 

 気力までも回復させて叫んだ怪人が、新たな得物を手にしてWを睨んで叫ぶ。

 先まで倒れそうな印象だったガラクタ怪人は手足の太さが一回り以上太くなり、身の丈もWを遥かに越えるほどになっていた。構えているのはこれも新たに作ったのであろう、鋭く削られた鉄片を固めた刃を携えた槍で、ここまでの戦いで踏まえたリーチの短さを補う武器になっている。

 

「うっそ、大きくなっちゃった!」

 

 より手強そうな姿へ変貌した敵に、Wの後ろにいる亜樹子が目を見開く。

 

『どうやら敵が正確に状況を読み、柔軟な思考でその場に対処する能力が高いのは間違いないようだ。思ったより厄介な相手だね』

「やっぱりこれじゃ、埒が飽かねえ。イチかバチかだが、行くぞ!」

 

 戦いを長引かせるのは不利になるばかりか、亜樹子にも危害が及ぶ可能性が高くなる。

 翔太郎がドライバーからメタルメモリを外し、素早くメタルシャフトのマキシマムスロットに滑り込ませる。

 

『確証がないことはやりたくないけど、仕方ないね。ここは君に従うよ』

 

 フィリップはWの中でやれやれと相棒の行動に溜め息をついた体であったが、特に反対する素振りは見せていない。頭の隅で天才青年の全面的ではない同調を感じながら、翔太郎がマキシマムスロットをセットした。

 

『METAL MAXIMUM DRIVE(メタル・マキシマム・ドライブ)!』

 

 地球が積み重ねてきた記憶を受け止めた武器が吠え、同時にドライバーのソウルサイドに装填されているヒートメモリの力が注がれる。そのパワーは紅き炎となってメタルシャフトの両端から噴き出し、敵の能力源を破壊するためのエネルギーを溢れさせた。

 今にも暴れ出しそうなガイアパワーを感じつつ、翔太郎が警告する。

 

「亜樹子、下がってろ!」

 

 Wの後ろに庇われていた亜樹子は、コートを着ていても熱波を感じたのであろう。素直に頷いてから、傍らに停まっている重機の陰に身を潜めた。

 仲間の安全を確認したWが両手に構えたメタルシャフトを頭上に掲げ、勢いをつけて振り回す。解放された底知れぬ地球の力は、灼熱の炎の姿となり二人で一人の戦士へその力を託した。冬の陽に煌めくメタルシャフトは使用者の闘志と共に高まるパワーを纏い、空を切る度に互いの攻撃力を引き出していく。

 メタルシャフトの動きと二つのガイアエネルギーの波、フィリップと翔太郎の呼吸が完全に合った時、二人の若者の咆哮が冷えた空気を揺るがした。

 

「メタル・ブランディング!」

 

 爆発した地球の力はWのボディに凄まじいばかりの推進力を与え、輝きとなって現れたエネルギーの嵐を作り出す。槍を構えて突進してきたガラクタ怪人は、Wを中心にして荒れ狂っている熱と衝撃波の中へ文字通り巻き込まれた。

 

「ぐわああああっ!」

 

 痛みを感じぬ機械の身に見える敵も、全身に襲い来るガイアエネルギーの波に断末魔とも思える絶叫を迸らせた。しかしそれもメタル・ブランディングが起こした爆発が呑み込んで、短く、あっけなく終わった。

 怪人つまりドーパントとなり果てた人間から、メモリだけを吐き出させて破壊するメモリブレイク。ドーパントを倒すための必殺技であり、強大な「地球の力」に対抗し得るメモリブレイクは、生き物ならばまともに喰らうとひとたまりもない。

 ガラクタ怪人が如何に頑健と言っても、この破壊力の前に地に倒れ伏す--

 

「く……畜生!」

 

 筈が、爆発の名残である煙と炎の中に、ガラクタ怪人が怨嗟の呻きを篭らせていた。



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招かれざるR -8-

 しかも、怪人の姿はメモリブレイクを喰らう前と全く違う姿に変貌を遂げている。

 白い頭部には目と口らしきものがあり生物モチーフとわかるが、ボディはそれに反して機械を思わせる鉛色に鈍く輝いている。そして何よりも目につくのは、「00F」の三桁が刻まれた胸のプレートであった。

 

「何だ、あの姿は?」

『それに、あの胸のプレートは……あの並びに、何か意味はあるのか?』

 

 未だ燻るメモリブレイクの余韻から姿を変えて立ち上がってきた敵に、翔太郎とフィリップが驚愕して言葉を漏らす。数瞬前まで戦っていたのとは全く別物の外見になったこともさることながら、特筆すべきはメモリブレイクの威力に耐え抜いた防御力の高さであろう。

 

「なかなかの破壊力だが、この程度か……」

 

 薄笑いを滲ませていると見える敵は、更に驚くべきことにまだ余裕を残しているようだった。

 鉄片や機械部品の寄せ集めだったボディの時に比べると、今は全身そのものに傷らしい傷は見当たらず、足元もややふらつきはあるもののしっかりとして見える。確かに、脆弱さが目立っていた先の姿に比べれば遥かに手強そうな印象なのだ。

 

『やはりドーパントではない存在には、Wの技そのものが効かないのか!』

 

 フィリップがもどかしげに言いながら怪人を睨む。

 彼はこの結果をある程度予想していた一方で、打倒できる可能性を関税には否定していなかったのだろう。その望みが砕かれた落胆は、肉体を共有している翔太郎にも伝わってくる。

 

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。

 メモリブレイクが敵にとっての致命傷でないことは明らかになったが、それでもある程度のダメージが与えられ、突きや蹴りの直接打撃よりは有効なことは、少なからず確認できた。ならば、相手が倒れるまで攻撃し続けるしか手はない。

 僅かな時間で決断した翔太郎は、メタルシャフトのマキシマムスロットを一旦解放してから今一度構え直した。

 

「それでも、ある程度手応えがあったことは間違いねえ。もう一度だ!」

『そんなのは無謀だ!』

 

 再度マキシマムドライブを発動させようとしている相棒の左手の動きを、フィリップが慌てて止めようとする。ために、構えからメタルシャフトが外れて落下し、固い音を立てて地面に転がった。

 

「何すんだよ、これしか方法はねえんだぞ!」

『駄目だ!確実ではないとわかった攻撃を繰り返すなんて、僕たちが余計不利になる可能性が高いんだ!』

 

 メタルレッドに輝く右手は、銀の左手がメタルシャフトに伸ばされるのを強引に上から押さえつけようと懸命だ。その様子は、身体の左右で異なる人格が宿っていると知らない者には滑稽にすら見えだろう。

 

 二人の若者が一つの肉体で繰り広げている争いが激しくなろうとした時である。

 先に翔太郎のベストに飛び込んできた白っぽいミニカーが地面を滑り、傍らのメタルシャフトで口を空けたままになっているマキシマムスロットに飛び込んだ。そしてまだ口論を続けようとしているWに呼び掛けるようにクラクションを鳴らし、自らの存在をアピールする。

 

「ん?何だ?」

 

 小さな車の健気な素振りに気づいた翔太郎が、メタルシャフトに意識を向けた。

 同時にフィリップも奇妙なミニカーの行動に意味を見つけ、思ったままを口にする。

 

『どうも、マキシマムドライブを使えと言っているようだね?』

「こいつは敵じゃないようだし、やってみる価値はありそうだな」

 

 翔太郎の意思で銀色の左手がメタルシャフトを拾い上げるのを、今のフィリップは止めようとしない。

 先に発生した時間の流れが極端に遅くなる現象が解消されたのが、このミニカーによるものであることは確かな事実だ。力を貸してくれると言うのなら、少なくとも翔太郎の下した決断より期待ができると瞬時に判断できたのである。

 

『偶然や運に戦いの行く末を委ねるのは本意ではないけど、仕方ないね』

 

 フィリップはそれでも油断せず、Wの腕が構え直すメタルシャフトから注意を逸らさない。

 

「何をごちゃごちゃと!」

 

 胸に三桁のナンバーが刻まれた姿の元ガラクタ怪人が、苛立った言葉と共に口から何かを吹き出して攻撃を仕掛けてくる。空中で蜘蛛の巣状に広がったそれは、まっすぐWへと飛んできた。

 

「っとぉ!」

 

 すんでのところで回避したWの後ろにあったタイヤの山が、怪人の攻撃に絡め取られる。半透明の糸で編んだ巨大な蜘蛛の巣には強力な粘着性があることは、一瞬で真っ白にされたタイヤの山から容易に見て取れた。

 怪人は一人漫才を演じていた敵のふざけた態度がよほど気にくわなかったのか、連続で攻撃してくる構えを見せていた。

 

「来るぞ!フィリップ、俺に合わせろ!」

 

 怪人が前のめりの姿勢になったところで翔太郎が鋭く叫び、白いミニカーが装填されたマキシマムドライブを発動させる。

 

『VEGAS MAXIMUM DRIVE(ベガス・マキシマム・ドライブ)!』

 

 瞬間、通常のマキシマムドライブとは異なるエネルギー波が広がるのが感じられた。メタルメモリの荒々しさはない、しかし計算された冷静な闘志と心の昂りを誘う明快さがある波動だ。

 そして同時に、メタルシャフトに物理的な振動が加わったのが手に伝わってくる。

 驚いたことに、メタルシャフトの中央にカジノにあるマシンとそっくりなスロットが出現して回転し、目まぐるしく三つの小窓の絵柄を変えている。

 

 だが、それが何に揃うかまでを見届けている余裕はない。怪人は蜘蛛の糸を立て続けに吐き出し続け、Wを捕らえようと躍起になっているのだ。このメタルシャフトの変化は右に左に攻撃を避け続ける間にちらりと見ただけである。

 

「この……!」

 

 逃げてばかりでは話にならないが、どんな技が発動するかもわからないまま突っ込む訳にはいかない。翔太郎とフィリップの二人が珍しく意見を一致させて大きく後退した時、メタルシャフトが甲高いチャイムの音を響かせた。

 戦いの場に全く不似合いで素っ頓狂な音に、Wが思わずメタルシャフトに現れたスロットを覗き込む。

 スロットは、赤い「7」が三つ揃い、ファンファーレー鳴り響いていた。

 

「おおっ?」

『スリーセブンだ……』

 

 場違いな短い旋律に翔太郎が声を上げ、フィリップが呟いたその時だった。

 メタルシャフトの先端から小さな金属が飛び出し、ちゃりんと音を立てて地面に転がった。

 

「あ?」

『これは……コイン?』

 

 黒い手に拾い上げられた円盤状の小さな金属が陽光を反射してきらりと光るが、ただそれだけだ。

 金色に輝くたった一枚のコインを出すのみという技に、翔太郎が嘆く。

 

「おいおい!こんなんで……」

 

 あの身体が重くなる訳のわからない現象から救ってくれたミニカーが助けてくれるのだから、きっと状況を逆転させる技を出すに違いないと勝手に期待していただけに、裏切られた失望は大きい。翔太郎が思わず摘まみ上げていたコインを放り出すと、それは悲しげな輝きを発しながら宙を舞い、砂利の地面にまた孤独に打ちつけられるだけであった--

 

 筈が、そうではなかった。

 Wが右手に持っていたメタルシャフトの先から大量のコインが噴き出し、低い黄金の滝を作り出したのだ。その勢いたるや、Wの足元をふらつかせるほどだ。

 

「うおおおおお!何だこりゃ!」

 

 じゃらん、じゃらんと重い響きを轟かせるコインの雪崩に、翔太郎が慌ててメタルシャフトを両手で握り直して踏ん張った。きらびやかなコインの噴射はとどまることを知らず、むしろ勢いを増して、十メートルは先まで届かんばかりである。

 物理法則を完全に無視したこの現象がマキシマムスロットに潜り込んだミニカーの力によるものだと気づいたフィリップが、反射的に叫んだ。

 

「翔太郎、メタルシャフトをあいつに向けるんだ!」

「お、おう!」

 

 言われるがまま、翔太郎が一旦間合いを離していた蜘蛛の糸を放つ怪人へとメタルシャフトの先端を差し向けた。まるで、光り輝く金属の爆発を叩きつけんばかりである。

 一つ一つはごく軽いが、数万枚に及ぶと思われるコインの濁流が作る圧倒的質量に拐われ、怪人は黄金色の流れに呑まれた。

 同時に発生しているガイアエネルギーとは異なる力の渦に巻かれ、ボディを構成する物質そのものを押し潰された怪人が悲鳴を上げる。

 

「ぎゃああっ!」

 

 短い断末魔が甲高い金属音に混ざったかと思うと、金色の滝の中から派手な爆音がし炎と煙とが撒き散らされた。怪人の身体が破壊され、爆発したのだ。

 

「やったか!」

 

 怪人の最期と同時にコインの波が去り、爆発の余韻である不気味な黒煙が広がる空間を睨んだ翔太郎が叫ぶ。

 そこに何かの気配を感じたフィリップが、紅い右手をメタルシャフトから離して煙の中を指し示した。

 

「いや。まだだ!翔太郎、あれを!」

 

 フィリップが警告を発した時だった。未だ広がる黒い靄から、不規則な光を纏った何かがふわりと漂い出てきていた。ふらふらと宙をさ迷う光をよく見ると、「00F」が象られているのが判別できる。その三桁の文字は、攻撃を受けて姿が変わった怪人の胸に刻まれていたそれと全く同じであった。

 文字の形をした光が身震いするように震え、怨みと悔しさを感じさせる声を漏らす。

 

『……メモリさえ、あれば……!』

 

 一言を残すのがやっとだったのであろう。掠れた前半は辛うじて聞き取れた程度で、光のナンバーとなった怪人にそれ以上は許されなかった。

 三桁の数字は力尽きたようにがくりと角度を落とし、地面に墜落する前に小さな爆発を起こした。

 

『ナンバーが……砕けた!』

 

 何度攻撃しても回復してくる生への貪欲さを見せつけてきた敵の思ってもみなかった最期に、フィリップが息を飲んだ。

 

「……今度は、復活してこねえみたいだな」

 

 警戒してまだメタルシャフトを構えていた翔太郎が、数秒の経過ののちにやっと肩から力を抜く。

 爆散した光り輝くナンバーは、敵の核を成すエネルギー体のようなものだったのだろう。明らかにドーパントとは異なる個体だったが、結局のところ正体は不明のままだ。

 

「それにしても、あのコインと言い……ありゃ一体何だったんだ」

『敵に関しては僕にもわからない。けど、勝てたのはこの小さな車の技のおかげだ。僕たちに力を貸してくれたんだよ』

 

 不吉な黒煙が徐々に風都の風に払われていくのを眺めていた翔太郎の呟きに、フィリップが応える。

 自分のことが話題に上がっているとわかったのだろう。マキシマムスロットからバックで走り出てきた白いミニカーが、メタルシャフトの先端でクラクションを鳴らして跳び跳ねている。

 

「そうだな……ありがとな」

 

 小さな味方の自慢げな様子に、Wの中の翔太郎が微笑みを横切らせた。

 フィリップも戦いが終わった安堵感からミニカーを柔らかい視線で見ていたが、気になるのは敵のナンバーが砕ける直前にこぼしていた言葉だった。

 

 メモリとは、恐らくガイアメモリのことに間違いないだろう。人間以外の存在がガイアメモリを使った事例は、飼い猫だったミックを除いてほぼ無いに等しい。それに風都の外から来た者が、どうやってガイアメモリの情報を掴んだと言うのであろうか。

 

『しかしあの怪物、倒される間際にメモリのことを口にしていたようだ。気になるね』

「ああ。あいつは、ガイアメモリを狙って風都へ来たってことだよな」

『もしかすると、まだああやってメモリを狙ってきている存在があるのかも知れない。人間以外にガイアメモリが使われたらどうなるのか、正直僕にも予想がつかないが……』

「仮にそうだとしたら、俺たちが止めるしかない。この風都を守れるのは、俺たち仮面ライダーなんだからな」

 

 一抹の不安を抱いているのは翔太郎も同じだったらしい。

 頷いてからメタルシャフトを下ろした黒い左手に、無意識のうちに力が込められている。

 風都を脅かす新たな敵への構えが表れている証拠だった。来るなら来い、愛する街を泣かせる者は誰であろうと許さない、というのが二人の青年の共通認識なのだ。

 

 彼らは爆煙が晴れてから安全を確かめるために改めて周囲を見回したが、視界の隅で亜樹子が地面に這いつくばっているのがわかった。彼女は何かを拾ってはバッグに放り込んでいるようで、すっかり夢中になっているらしい。

 つい先刻危険な目に遭ったばかりとは思えない「女子中学生」所長に、Wの中の翔太郎が声をかけた。

 

「おい亜樹子、何してんだ?」

「何って、コイン集めてとるんや!これ、換金できるかも知れへんし!これがもし金だとして、警察に届けたとしても一割は……これだけあれば、何ヵ月かの家賃になるやんかぁ!」

 

 彼女は、怪人を倒した際に散らばったコインを必死に探してかき集めていた。安全とわかった途端にこの調子なのは感心すればいいのか、はたまた呆れるべきか、判断に迷うところである。

 

 ところが、翔太郎とフィリップが次の行動を決めるまでの間に状況が変わったらしい。

 亜樹子が急に不審そうな顔になり、コインを詰め込んでいたバッグを掴んでひっくり返した。大きめのハンドバッグはだらしなく口を開けていたが、どんなに上下に振っても何も出てこない。

 

「あ……あれっ?」

 

 しこたま溜め込んだ筈のコインの重さが、一瞬でなくなったことに驚いたのであろう。彼女はそれでも諦め切れないのか、今度はバッグの口を目一杯広げて中を覗き込んだ。

 

「あ……あぁー?全部消えてもた!」

 

 自分の目で見て初めて現実を認識し、亜樹子は嘆きの声を上げた。

 ここまで金に目がない大阪人、というよりは財布の紐が堅いしっかり者と表現するべきなのであろう。とにかく常時金銭のことを重んじる亜樹子には、翔太郎もフィリップも舌を巻く。

 

「やれやれ」

 

 平常運転に早くも戻っている女上司の姿に、二人はため息をつきつつも苦笑いをこぼしていた。

 敵の気配が絶たれたことを掴んだWが変身を解こうとした時である。

 二人の背後から、完全に不意を打った人物がいた。

 

「間に合ってくれたようだな」

 

 声がすると同時に、メタルシャフトの上で待機していた白いミニカーがひょいと地面に下りて滑っていく。その後ろに紫色のそれも続いて走り、新たに現れた何者かの掌へと飛び込んでいった。

 

「照井!」

 

 廃車の影から現れた細身の若い男に驚いた翔太郎が、その名を口にする。

 赤い革ジャケットに揃いの革パンツ、ライダースブーツという派手ないでたちの男は、とてもそうは見えなくともれっきとした風都署の刑事だ。そして、亜樹子の夫たる人物でもある。仕事中の彼は結婚指輪を外していることもあったが、妻に対する愛情の深さは翔太郎もフィリップもよく知るところであった。

 

『ということは……それは君が?』

 

 主人に手柄を自慢する仔犬のように掌の上で跳びはねるミニカーたちを見やる照井へ、フィリップが怪訝そうに事実を確認する。

 

「ああ。『どんより』の発生と同時に、彼らがが飛んでいってくれた。片がついて何よりだ」

「どんより?」

『この車は一体?それに、あのドーパントではない怪人は何者だ?照井竜、君は何を知っている?』

 

 照井が頷くと、二台のミニカーたちはジャケットのポケットへと滑り込んでいった。こともなげに初めて聞く単語を口にする彼に対して翔太郎は訝しげに、フィリップは興味津々で矢継ぎ早に、問いをぶつけようとする。

 しかし照井は、一番落ち着いていないであろう人物へと注意を向けていた。

 

「それは所長が落ち着いてから、まとめて伝える。まずは後始末だ」

 

 亜樹子は未だ地面を這いつくばり、懸命にコインを探しているようだった。

 女の細腕で探偵事務所を切り盛りしている身であるが故に、一攫千金のチャンスを簡単には諦め切れないのであろう。あのコインが金貨なのかは怪しいところだし、仮にそうだとしても換金できる可能性は果てしなく低い。

 そうは思っていても言葉に出すことを憚った翔太郎は、曖昧に返事をして頷いておくだけにした。

 

「あ……あー、まあ、そうだな」



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招かれざるR -9-

 狩谷徹の失踪事件。

 それは、被害届が出されていた結婚詐欺事件とも部分的に繋がっていた。

 「部分的に」というのは、狩谷徹一人だけが関わった事件ではなかったためである。

 彼は十四年前に行方不明となったが、その時に愛人の柴田麗奈と交通事故に遭って死亡し、身元不明のままとなっていた。

 その姿形をそっくり真似たのが今回の結婚詐欺事件の犯人であり、「ジャンク・ロイミュード」たる怪人である。このロイミュードという存在は、機械生命体だ。人間を征服する目的を持つ彼らは人間をコピーする能力を持ち、コピー後は元の人間の性格や欲望がより色濃く表れる。

 父親探しの依頼を受けた事件の裏は、依頼人の知らない父が愛人を囲って会社の金を横領した挙げ句に事故死し、その姿にロイミュードが擬態して悪事を働いていたというのが真相だったのだ。

 

「狩谷徹に化けたロイミュードという機械生命体……コピー元の人物が金と女に強い執着を持っていたが故に結婚詐欺を働き、ものを捨てられない性格だったから、あんなガラクタを寄せ集めたような姿になっていたのかも知れないね」

 

 照井から提供された詳細な情報を把握したフィリップが、自分の中の分析結果に深く頷いて見せた。

 天才青年の反応を受け、同じテーブルについている照井が呟くように自らの推測を重ねる。

 

「美幸さんに金を無心したのも、恐らく娘だけが生前の心の拠り所で、無意識のうちに支えとしていたせいなんだろう」

「死ぬ直前、内心は相当追い詰められてたってことなのかもな。勿論、そんなことで擁護はできないが」

 

 補ったのは翔太郎である。

 風都郊外のヤードに姿を現したジャンク・ロイミュードが、照井の下から駆けつけてきてくれたシフトカー「ベガス」に敗れた翌日のことだ。鳴海探偵事務所を訪れた照井竜によって、翔太郎たちが知らなかった風都の事情が明かされていた。

 

 彼は、この一月くらいの間にドーパント以外の怪人が風都に出現しているという情報を掴んでいた。その対抗手段を密かに警視庁内で調査したところ、やがてその怪人の特徴が久留間市や府中市にも出没しているロイミュードと酷似していることが判明し、更には彼らとの戦闘において実績がある一派が存在することまでを突き止めた。

 その一派が開発したのがシフトカーであり、あの時間経過が極端に遅くなる重加速現象「どんより」に極めて有効なツールであった。

 

 照井は開発者の一人に極秘で接触を図り、無理を承知で協力を依頼したところ、実にあっさりとシフトカーの貸与と情報提供を申し出てくれたのだという。「ベガス」と「シャドー」のシフトカーがなければ、如何に対ドーパント戦に強い仮面ライダーWと言えど危なかったかも知れなかったのだ。

 ただ、騒ぎの中心にいた怪人は倒せても、依頼人への対処自体はまだ片付いていない。探偵本来の仕事に着眼点を戻した亜樹子が、首を傾げて呟いた。

 

「けど……美幸さんのお父さんって、本当に事故死だったの?うち、そこが気になるんやけど」

「それは、調べてみなければはっきりしないけど……」

 

 コーヒーカウンターに肘をついて立つフィリップが、自分のマグカップを持ってデスクへ戻っていく翔太郎に視線を送る。

 

「美幸さんに連絡をしてきた狩谷徹は、真っ赤な偽者。そして家族の下に戻ってこないのは、本人ではなかったからだ。これがわかった時点で、俺たちの目的は果たされた。それ以上のことを依頼人に教える必要はねえよ」

 

 相棒の目に気づきながらも敢えて流し、翔太郎は自らの考えを貫く姿勢を言葉に出した。

 強き男を目指す彼よりも余程「ハードボイルド」を体現している刑事が、あまり感情を感じさせない口調で半熟探偵に同調する素振りを見せる。

 

「森下製作所が隠蔽を図ったことで、結局は娘の心が守られたというわけか。皮肉だな」

 

 とは言っていても、恐らく照井自身が同じ立場にあったら、翔太郎と同じ選択をしていたであろうことは想像に難くない。

 翔太郎たちと出会ったばかりの頃とは違い、厳しさの中に優しさを垣間見せるようになった彼は、変わったと言っていいだろう。生死の危機を共に乗り越えてきた仲間たちとの時間は、彼に良い方向の変化をもたらしていた。

 もっともそれは、照井の「警察」という立場と職務が絡まなければ、の話ではあるが。

 

「偽狩谷徹が森下製作所をゆすらなかったのも、今回は事件がスムーズに解決する結果に繋がった。結果としては良かったのかも知れないね」

「結婚詐欺事件被害者たちの金も、現金で貸金庫から発見された。犯人を逮捕はできなかったが、満足しなければならないのかも知れないな」

 

 フィリップが一連の事件が大きな騒動に発展しなかったことへの安堵を見せると、照井が頷いて自分のコーヒーに口をつける。若き刑事の言った通り、徹が集めていた金は銀行の貸金庫でまとめて発見され、じきに被害者に返されることになっていた。

 

「色々あったが、取り敢えずは落ち着いたってことか……」

 

 デスクについた翔太郎がタイプライターに手を伸ばしつつ、ふと疑問を頭の隅に横切らせた。

 事件としては一通り片がついた形となったが、それでも徹の死について不可解な点は残っていた。

 彼は事故死していたが、もしかして会社に殺されたのではないか、という疑いは晴れていない。

 徹は愛人だった柴田麗奈に貢ぐために資金を横領し、大きな損失を出してしまった森下製作所は、株主総会でも袋叩きに遭った。が、会社としては一社員による使い込みが原因とは公表していないし、警察に起訴した事実もない。恐らく古い会社特有の、スキャンダルを毛嫌いする体質によって公にできなかったのだろう。

 

 だからこの不祥事の犯人である徹を会社が事故に見せかけて殺し、横領の事実ごと闇に葬り去ったとしてもおかしくはない。彼を殺した後、無断欠勤が続くという理由をつけて何食わぬ顔で懲戒解雇にした、という可能性は排除できなかった。

 遺された家族のことを考えると、人間一人を裏で消した森下製作所を徹底的に調べ上げ、告発し、罪を認めさせるのが筋なのであろう。

 

 しかし、と翔太郎はそこで踏みとどまっていた。

 森下製作所を告発したらしたで、横領した金を返せと逆に訴えられる危険がつきまとうことになる。そして、徹の悪事は必ず白日の下に晒されるのは必然だ。

 思案を巡らせる翔太郎の心に、美幸の声が響いてくる。

 

『私には本当にいい父でした。私に寂しい思いをさせてるからって、帰ってきた時はずっと遊んでくれたし、色々な所に連れて行ってくれたりもしました。誰よりも優しい、本当の父の姿を知ってるのは……私だけなんです。だから、私……』

 

 必死に涙を堪えていた、純粋に父を愛する娘の姿。

 父の真実を伝えるのは、彼女の思い出を壊すことになる。それが正しいことか否かは--

 半熟探偵がタイプライターの上に置いた指が、玄関ドアを叩く音で反射的にぴくりと動く。

 

「あ、はーい!」

「俺が出る」

 

 事前のアポがあり誰が来るかわかっていたため、亜樹子が比較的落ち着いた声で応えて立ち上がろうとするが、デスクから離れた翔太郎が彼女を追い越した。来訪者を出迎える役目を横取りされた亜樹子が文句を言いたそうに口を開きかけたところへ、フィリップの声が割って入ってきた。

 

「翔太郎に任せよう。きっと、自分が依頼人に説明したいんだろう」

 

 相棒の心情を察していた天才青年の顔を一瞬見つめ返した亜樹子が、無言で頷いて見せた照井の顔に視線を移してから自らも頷き返し、スツールへ戻ってくる。

 彼らの後ろでは、事務所を訪れた美幸が翔太郎に応接スペースへと案内されていた。

 彼女は、出迎えた探偵の表情から喜ばしくない結末を敏感に感じ取っていたらしく、自分から話そうとはしない。

 だが、嘘をついたり何も教えず帰すわけにもいかない。

 翔太郎は、努めて普段と変わらない口調で切り出した。

 

「今回の依頼についてですが……」

 

 彼は資料を片手に、感情を交えず事実だけを口にしていく。

 美幸の父親、徹は交通事故で帰らぬ人となっていること。

 事故当時は身元不明であったため、会社からは蒸発したと判断されてしまったこと。

 最近連絡を取ってきた男は徹の名を騙る詐欺師で、美幸の家から金を掠め取ろうとしたが失敗し、現在は警察がその後処理に回っていること、他にも類似した詐欺事件の被害者がいること。

 淡々とした翔太郎の説明を、美幸は黙って聞いていた。

 そして一通りの話が終わってからも暫し沈黙を守り続けていた彼女は、顔を俯かせて声を絞り出した。

 

「……そうですか。本当の父は、もう……」

「はい。残念な結果になってしまいましたが……もう二度と、こんなことは起こらないと思います。そこはご安心ください」

 

 翔太郎との間を隔てているソファーテーブルを見つめる美幸の視線は動ない一方で、淡いピンクのニットに包まれた小さな肩が揺れている。

 愛する父の死を知った女の嘆きには敢えて触れず、翔太郎は自らの座すソファーに置いてあった紙袋を差し出した。

 

「それと……これは、お父さんが亡くなった時に持っていたものです。お返ししておきます」

 

 そっとテーブルを滑らされてきた紙袋に、顔を上げた美幸がおずおずと手を伸ばしてから中身を取り出す。瞳の端に涙を湛えていた女の見開かれた目は、ビニールに包まれているそれを確認した驚きが悲しみを一瞬だけ上書いていた。

 中間色を組み合わせた独特の色合いで、一般に流通しているものより出来が見劣りし、手編みであることが一目でわかる防寒具。美幸がまだ少女だった頃、父へプレゼントするために心を込めて編んだマフラーだった。

 慌ててビニール袋を破ってマフラーを取り出した美幸が、無言で粗い編み目のそれを握りしめる。

 その白い手に、涙の粒が落ちた。

 

「……ありがとう、ございます……」

 

 苦しげな息の下でやっとそれだけ呟くと彼女は声を押し殺し、それでも堪え切れずに嗚咽を漏らした。

 このマフラーは、十四年前の六月に事故車の後部座席にあったバッグの中で発見されたものだ。

 六月という時期に冬用のマフラーが何故あったのか。恐らく狩谷徹が、娘からのプレゼントをいつも大切に持ち歩いていたからに違いないだろう。それだけ娘を大事に思い、愛情を注いでいたことは事実なのだ。

 

 自分を愛してくれた、父親の死。

 事実を深い悲しみと共に受け入れようとする娘。

 そんな女へ、隠された真相という余計な情報が果たしてどの程度の意味を持つと言うのだろうか?

 翔太郎は、ただただ黙って静かに涙を流す美幸を見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 依頼人である美幸が落ち着きを取り戻して鳴海探偵事務所を後にしたのは、一時間程度経ってからであった。

 今回の事件は一応の解決は見たものの、後味の悪さは翔太郎の胸に残っている。

 それでも依頼人の心を守ることはできたのだから、満足すべき結果だと言えるだろう。

 

「みんな予想はしてたけど、狩谷美幸には真実を伝えなかったんだね」

「それが彼女のためだ。いつも本当のことを知ればいいってもんじゃねえ」

 

 昼下がりのコーヒーブレイクタイムにフィリップがカウンターから突っ込むと、デスクに向かっている翔太郎がぶっきらぼうに応えた。

 

「ハーフボイルド……よねー」

 

 続く亜樹子の言い方は嫌味ではなく、茶化すような響きがあった。半熟であるが故の優しさが依頼人を救い、仲間を救ってきた事実は覆せないのだ。

 

「うるせーよ」

 

 上司が発した誉め言葉半分の口調に軽く返し、翔太郎がタイプライターへと向き直った。

 何事も形から入る彼は、古びた木製のデスクに据えられた古めかしい機械を叩き始める。途端、がちゃがちゃと賑やかな音が事務所に響いていった。

 

『今回の事件は、これまで扱った中で最も後味の悪いものの一つとなった。それに、これがドーパントによるものではなかったことが驚きだ。Wの技も効かず、照井の密かな協力がなければ、俺たちもどうなっていたかわからない。

 そしてこの風都に、ドーパント以外の脅威が忍び寄っていたことが何よりも大きな衝撃だ。街を愛し、守るための存在である俺たちが、それに気づかなかったなど、恥ずべき事態だと言わざるを得ない。

 照井の話によれば、美幸さんの父親に化けていたのはロイミュードという怪人で、主に久留間や府中に現れるという。もしこいつらが風都にまでその食指を伸ばしてきたのなら、俺たちも見過ごすわけにはいかない。

 だから、照井から来ている協力の要請を受けることにした。

 俺たちが別の街で戦うことは滅多にないが、それが風都のためになるのであればやるべきだ。

 街を守る手が薄くなっている間、何事もないことを祈るばかりだ--』



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仲間とは何なのか -1-

 ドライブピットで照井が風都でのロイミュード事件を全て語り終えてから、未来がぽつりと呟いた。

 

「風都でそんなことが……あったんだ」

「ロイミュードが久留間や府中以外に出ても、別におかしな話じゃないからな。それに風都に出たロイミュードも、ナンバーにアルファベットが混ざってたんだよな?FBIが追ってるのと同じタイプってことか」

 

 進ノ介がフォローを入れるものの、未来は半ば心ここにあらず、の状態で考えに耽っている。

 照井の説明には皆からの質問を交えながら一時間程度は要しており、一同は立ち話から作業スペースに腰を落ち着けて会話するミーティング方式に移っていた。

 

 進ノ介が言う通り、久留間以外の場所にロイミュードが出現しても不自然ではない。ロイミュードの一斉蜂起であるグローバルフリーズは世界中で発生し、現にアメリカでも未来たちFBIが対処に当たった事実もある。

 しかし、通常のナンバー以外の識別番号が振られているロイミュードが海を越えたのは初の事例だ。

 

 もし彼等がもっと強力な個体であるハート、ブレン、魔進チェイサーやメディックたちに接触したらどうなるのだろうか。

 未来や照井たちは幹部ロイミュードの存在を知らないが、これから控えているであろう戦いに向けて知識を持ってもらうには、いい機会だと言えるだろう。

 

「ふむ……もし彼等がメディックと接触したなら、バグミュードも完全な個体となる可能性も否定はできない。彼女はロイミュードを癒す能力を持つが、プログラムそのものを書き換えることもできる。デバッグ程度なら簡単にやってのけるだろう」

 

 今まで沈黙を守っていたベルトが、クレイドルから発言した。

 まるで自分の思考を読んでいたかのような的を射た内容に進ノ介が驚く傍らで、未来も驚愕の声を洩らす。

 

「そんな能力があるロイミュードまでいるんですか!」

「彼女……いや、メディックらと行動を共にしている数名のロイミュードは、ナンバーが一桁台の最も強力な個体だ。あのグローバルフリーズも、彼等が数多のロイミュードたちを率いて起こしたものだ」

 

 返すベルトの口調が、やや緊張を帯びたものとなる。

 ベルトの姿となる前、人間だった頃のクリム・スタインベルトを殺害した張本人こそ、今彼が口にした一桁台ナンバーのロイミュードであるハート・ロイミュードだ。ベルトがその時恐怖を何とか克服したのもつい最近のことであり、ハートのことを話題に出すだけでも未だ心理的な負担があるのであろう。

 

 そのハートは、目下のところドライブにとっても最大の敵だ。ロイミュードの仲間を増やして人間の支配を目論むハートが今回の騒ぎに気がつけば、必ずまた戦うこととなる。

 ハート自らが好敵手として認めた仮面ライダードライブである進ノ介もまた、気づかないうちに厳しい表情になっていた。

 

「俺たちが風都で戦った怪人のドーパントも、金色のガイアメモリで能力の高い個体に変身する者たちがいた。ロイミュードにも彼等のような幹部がいるということか」

 

 そして、自分の守った街のことに言及した照井もまた同じであった。

 この先に待ち受けている戦闘に意識が向いている戦士たちの間で、りんなが細い顎を撫でて宙を睨む。

 

「バグのあるロイミュード、通称バグミュード。普通のロイミュードとどんな違いがあるかは未知数だから、もっとよく調べてみなきゃ」

「各署で、もっと情報の連携を図る必要がありますね」

 

 霧子も同調して、車座となって各々の椅子に座っている一同の顔を見渡す。

 

「それにしても、同じタイミングで同じタイプのロイミュードが日本にも現れるなんて……」

 

 しかしまだ何か思うところがあるらしい未来は、まだ自らの思考に沈んでいた。

 

「裏で何かあるのかもな。一応調べてみるか」

「うん……」

 

 と、独り言に真後ろから応えた男の声に、彼女が何気なく同調した時であった。

 未来は一呼吸も置かずにはっと我に返り、ぎょっとして後ろを振り向いた。

 あまりにも自然な相槌が上がったその場所には、つい今しがたまで誰もいなかった筈なのだ!

 

「……って、うわぁ!」

 

 素っ頓狂な声を上げて黒いスーツ姿の小柄な身体が跳ね上がったかと思うと、床を踏み抜かんばかりの勢いで立ち上がる。

 未来が転がるように離れていった椅子の後ろに進ノ介と霧子、剛やりんなの全く知らない若い男が佇んでいた。

 

 歳は二十歳台半ば程度に見える男はカラーシャツにベストとネクタイ、細身のデニムという洒落っ気溢れるカジュアルなファッションに身を包んでおり、無理をしたハードボイルド気取りという印象であった。端正な顔で外跳ねの明るい髪に中折れ帽を合わせているのもまた、彼の伊達男っぷりを強調している。しかしながら、すらりとした体躯には活力が溢れており、俊敏な身のこなしを連想させた。

 誰にも気取られることなくドライブピットに忍び込んできた男が、軽く右手を挙げて未来へ挨拶を送ってくる。

 

「よっ未来、久しぶりだな。あんまり変わってなくて安心したぜ」

「ななななななな、何であんたがここに、久留間にいるわけ!」

 

 ロイミュードの襲撃にすら呼吸の乱れも全く見せなかった未来が、動揺の極みもいいところの口調の乱れを皆に見せる。どもりまくりつつ男を指差す彼女は、すっかり素に戻ってしまっているらしい。自らが酷く狼狽していることを気にする余裕もないようだった。

 

「お前……誰だ!」

「いつの間に……!」

 

 そして驚いたのは、進ノ介と霧子もまた同じだ。

 二人は未来が取り乱している姿を意外に思ったが、極秘の場所へやすやすと侵入してきた不審者には更に驚愕させられていた。刑事と婦人警官が発した声は、警戒と相手への威圧を込めたそれである。

 

 男が未来へ気安く話しかけたところを見るとどうやら二人は知り合いらしいが、だからと言って無条件に信用できるわけがない。とにかく確保するのが先決であろう。

 進ノ介と霧子はどちらからともなく目配せし、同じ考えに至ったことを確かめて頷き合う。

 が、椅子から腰を浮かせていた男女は悠然とした声に引き留められた。

 

「風都からの捜査協力者として俺が呼んだ。彼がさっきの話でも出た、私立探偵の……」

 

 あくまで落ち着き払った態度を崩さない照井が、伊達男を指し示す。

 

「左翔太郎だ。俺は……あらゆる事件をハードボイルドに解決へと導いて見せるぜ」

 

 途中で自ら名乗り、続けられた自己紹介らしき文句の内容に一同が静まり返る。

 驚きの声のひとつすら誰の口からも漏れない空間というのは、却って寒々しい。

 気取って帽子の縁に指先を滑らせる仕草が一層の寒さを誘っていることに、果たして彼は気づいているのだろうか。

 

「……私立探偵、の……左翔太郎……さん?」

 

 たっぷり十秒は数え、改めて椅子に腰をどんと下ろしてから、進ノ介が不法侵入者にしか見えない男の名を反芻する。

 先まで平常心を失っていた未来ですら呆れている一方、照井は慣れっこになっているのだろうか。「失敗ハードボイルド」男の作った微妙な空気を華麗に流しているだけだ。

 

 ただ、巧妙に隠されている筈の警察設備にまんまと忍び込む伊達男の手腕は、見事だと認めざるを得ない。

 今のところわかっているのは、この左翔太郎という人物が仮面ライダーということだけだ。他にどんな人物と繋がりがあるか定かでなく、はっきりとした素性も知れない。警視である照井と懇意にしている人物だからという理由だけで、警戒を解くわけにはいかなかった。

 と、進ノ介が呆気に取られた間抜け面を引き締めた時、隣に座っている霧子が言いにくそうに口を開いた。

 

「あの……失礼ですが、捜査に直接民間人の方を巻き込む訳には……」

「何言ってんだよ、ねーちゃん。そんなら俺はどうなるんだっての」

 

 もっともな理由で怪しい私立探偵を退散させようとしたらしい姉に、弟の剛が突っ込みを入れた。

 剛はと言うと、興味津々な目で翔太郎を観察している。

 もともとあまり細かいことにこだわらない彼は、直感で翔太郎が悪い人間でないことを見抜いたのであろう。未来のように大仰な肩書きを持たず単身で乗り込んでくる度胸や、自分を偽りなく出すある意味馬鹿正直なストレートさも、剛にとって好感が持てる点となっているのだ。

 

「貴方は私の弟だし、その……特別な許可が出てるから」

 

 弟に比べてしっかり者、言い換えれば頑固で頭が硬い姉が主張しようとしたところで、またも翔太郎が割り込んでくる。

 

「ああ、あんたたち二人も仮面ライダーなんだろ?照井から話は聞いてる。俺も照井と同じ仮面ライダーで、このガイアメモリを使って変身できるんだ。ま、仲良くやっていこうぜ」

 

 翔太郎は警戒し続けている進ノ介と旺盛な好奇心を隠し切れていない剛とを交互に見やり、平然と言ってのけた。

 加えてこちらを信用させるためなのか、ベストの裏を探っていた指には緑と黒、二本のメモリが挟まれている。確かにそれは照井が先に見せてくれた「アクセル」のメモリと瓜二つで、照井本人も特に伊達男の言動を咎めたりしていない。

 

「おっ!んなら、話は早えじゃん。俺は詩島剛、仮面ライダーマッハだ。よろしく!」

 

 新たな仲間が増えたことが嬉しいのだろう、剛が笑顔で右手を差し出す。翔太郎も軽い笑顔とともにその手を握り返すと、流れで隣にいる進ノ介にも握手を求めてきた。

 

「……泊進ノ介巡査です」

 

 進ノ介が一瞬だけ躊躇ったのちに握手に応じ、翔太郎の顔を見返す。

 

 --こいつが照井さんと一緒に戦っていた、仮面ライダーWか。

 

 決して唇には上らせない呟きとともに、進ノ介の視線がもう一度翔太郎の全身に飛ぶ。剛よりやや高い位置にある顔を見下ろす位置関係となったところで、翔太郎が小さく息をついて軽く進ノ介の腕に触れた。

 

「そんな顔すんなよ。まあ……信用しろって言ってもすぐには無理だってことは、俺もわかってるがな」

「え?い、いえ!そんなことは……」

 

 胸の裡をそっくり読まれて慌てた進ノ介が慌てて弁解しようとするが、翔太郎は特に気にした様子を見せずに今度は女性陣へ挨拶に回っている。

 どうやらこの私立探偵の腕が悪くないことを、進ノ介は身を以て知らされる羽目となったのだ。

 故に余計に警戒心を煽られた進ノ介の視線の先には、霧子やりんなと握手を終えた翔太郎の姿がある。彼は、勿論未来にも手を差し出していた。

 

「未来も、改めてよろしくな」

 

 未来は何も言わずにただ頷いて、翔太郎の手を握り返すのみだ。

 更に彼女はどこか硬さを感じさせる翔太郎の微笑みから目を逸らしており、両者の間にはよそよそしい空気が漂っている。一方で、この二人がただの友人同士ではなかったという過去を匂わせる結果にもなっていた。

 

「お二人は知り合いなんですか?」

 

 気まずそうな翔太郎と未来の雰囲気を和らげようとしたのか、それとも探りを入れるつもりなのか、霧子が二人の顔を見比べつつ言葉をかける。

 

「まあな。去年の春くらいに……」

「風都で一緒に戦ったの。その時の仲間だよ」

 

 翔太郎に先んじて未来が言葉を被せた。

 若きFBI女性捜査官の大きな黒い瞳には、微妙に険しさが増している。まるで、翔太郎に余計なことを言わせまいとしているかのようだ。

 これまでの行動では常にプロフェッショナルとしての顔を守り続けていた未来が、ここまで動揺を見せているのだ。余程、触れて欲しくない何かがあるのだろう。それが一年ほど前の戦いにあったであろうことはぼんやりと伝わってくるが、今ここで追及すべきことではない。

 

「……そうか」

 

 二人の男女の間にある過去からは注意を意識的に逸らし、進ノ介は一言だけ言って頷いた。

 

「じゃあ早速だけど、これからの捜査方針について意識合わせをしなきゃね。お互いに持ってる情報も出し合わなきゃならないし」

 

 幼馴染みの無難な態度を合図として、未来が一同の顔をぐるりと見渡してから具体的な話題を持ち出してきた。

 ここに集まった本来の目的を思い出し、皆の顔が目に見えて引き締まる。

 

「お前が仕切んなよ!日本のロイミュード犯罪の担当は、あくまで進兄さんやねーちゃんたち、特状課なんだからな」

 

 しかし剛だけは急に仕事の話題に変えた未来の事務的な態度が癪に障ったらしく、姉よりも小柄な彼女に食ってかかった。

 一番の若輩者である剛が未来に対してだけ刺々しいことに、翔太郎が眉をひそめる。一言言いたそうにしている帽子の探偵を尻目に、未来は幼馴染みの刑事へと話の続きを振った。

 

「それは私も心得てる。じゃあ進ちゃ……泊刑事、ここから先は頼むよ」

「あ、ああ。ええと……それじゃあまず、今現在捜査が進んでる連続傷害事件についてだけど……」

 

 話の中心にポジションを変えさせられた進ノ介が、新しい顔が増えた仲間全員に対して事件を振り返るための言葉を口にする。

 照井には現在の捜査情報を漏らさず伝えるべきだろうが、警察関係者ではない左翔太郎に対して全てが筒抜けになることは問題にならないのだろうか?

 進ノ介は心に燻っている疑問と警戒を払えないまま、言葉を選んで説明していくしかなかった。

 

 ドライブピットでの非公式な捜査会議が終わったのは、夜も十時半を過ぎた頃であった。

 まだ素性の読めない相手に対しての話をしなければならなかったこともあり、メインで話をしていた進ノ介の疲労は特に濃い。しかし、徹夜の張り込みが何日も続くことがあったグローバルフリーズ以前にいた現場よりは遥かにましだった。

 

「……今日としてはこんなところだな」

「そうですね。もう遅いことですし、今日は解散しましょう。皆さん、お疲れ様でした」

 

 彼の隣でサポートを続けていた霧子が、流石に少し疲れを滲ませた声で皆を労う。

 

「俺は風都署に一度戻る。所長には伝えておいてくれ」

 

 パイプ椅子から立ち上がった照井が翔太郎に言付けを頼むと、半熟探偵は感心と呆れがない交ぜになった顔で言った。

 

「わかった。しかし、お前は相変わらず仕事熱心だな。俺も事務所に戻るとするか」

「あんたはあそこに住んでるんでしょ」

 

 すかさず、しかし素っ気ない口調で未来が突っ込みを入れる。

 見るからに重たげな空気を漂わせていたのに絡みに行った未来が一同にとっては意外であったが、ただ一人そんなことには興味を持っていない剛が大あくびをしながら伸びをした。

 

「ふわあ……俺、先に帰ってもう寝るわ」

 

 ただ座って話をするだけの場は、行動的な彼にとってかなり退屈だったのだろう。剛は眠そうな目を擦りつつ、さっさとドライブピットを後にしてしまった。

 マイペースを崩さない剛の背中を見送ってから、未来が一同を振り返る。

 

「じゃあ……私もまだ荷物が片付いてないから、申し訳ないけどお先に失礼するね。お疲れ様」

「ああ。また明日な」

 

 パイプ椅子を片付けているメンバーがいる中で、皆を代表し進ノ介が頷いた。

 未来の日本滞在中の住まいは久留間運転試験場近隣のウィークリーマンションで、警察の独身寮とは全く別方向だ。実家に一時帰宅しないのは、万一の場合に家族の安全を配慮した上でのことなのだろう。

 そしてコートを抱えた小さな背が小さないそいそとドライブピットの外へ消えたのを追いかけるように、翔太郎がその後へと続いていく。

 

 そう言えばあの左翔太郎は、りんなや霧子たち他の女性らに挨拶をしたときも、妙に馴れ馴れしかった覚えがある。それに今も、この場に残って事件のことを話し合うより女の尻を追いかけることに重きを置いたようにしか見えない。

 二人の様子を怪訝そうに見送っていた進ノ介の不信感は、椅子を片付け終わった照井へと向くことになった。

 

「あの、照井さん」

 

 他人から質問されることを嫌う照井であったが、進ノ介が何を言いたいのか察したのだろう。彼は黙ったまま後輩へと視線を送り、言葉を待った。

 

「あの探偵の左さんって、本当に信用が置けるんですか?いくら仮面ライダーだからと言っても、あまり……その、警察関係者以外の人間をここへ入れるわけには……」

 

 不満をありありと浮かべている進ノ介が思った通りのことを言ってきたなと言いたげに、照井が頷く。若き警視は、穏やかな光を瞳に浮かべて軽く微笑んだ。

 

「左は、俺の所轄で既に協力者として数多くの実績を挙げている。それに風都でロイミュードを最初に倒したのは、間違いなく彼だ。探偵としては半人前だが、戦力としては一人前以上であることは俺が保証しよう」

「……そうですか。わかりました」

 

 警察組織の中である程度の地位を築いている照井が、あの胡散臭い私立探偵にお墨付きをくれている。驚くべきことではあるものの、やはりそれだけではまだモヤモヤとしたわだかまりは拭い切れない。

 進ノ介は言いたい言葉を飲み込んで、説明のため特状課オフィスから持ち出してきた書類に手を伸ばした。

 

「へっくし!」

 

 同じ頃、翔太郎が久留間運転試験場の駐車場で盛大なくしゃみに襲われていた。

 二月の深夜近くになった屋外は恐ろしいほどに寒く、通して冷たい空気がコートを通して肌を刺してくるのがわかるほどだ。

 

「風邪?もうとっとと帰って寝た方がいいよ。それじゃあね」

 

 自分の後方を歩いていた翔太郎に素っ気なく一瞥をくれ、未来は日本滞在中の足となるレンタカーの白いプリウスを探し出そうとする。

 

「未来、待てよ!」

 

 白い息を散らして今にもこの場を立ち去りそうになっている未来の名を、翔太郎がやや強く呼んだ。

 

「……何?もう業務は終わりなんだから、明日にしてもらえる?」

「いや、どうしてもお前に言いたいことがある」

 

 やれやれと言った体で彼女が視線を向け直すが、半熟探偵の顔は暗い街灯の下でも真剣さが伝わってくるそれだ。

 久し振りに顔を合わせた男のまっすぐな姿勢に驚かされ、未来の口調がやや硬くなる。

 

「どうしても?今じゃないとだめなわけ?」

「ああ」

 

 警戒する未来に対し、翔太郎の返事は短い。

 彼女が改めて振り返ったところで、半熟探偵は不意に緊張を帯びていた表情を和らげる。

 口許に温かみのある微笑みを浮かべ、彼は低く声を響かせた。

 

「未来……お帰り」

 

 翔太郎が未来に伝えたかった一言。

 互いの背中を守り、風都が彼女にとっても大切な場所となった、十ヶ月前のあの戦い。

 二人は間違いなく、かけがえのない仲間同士だったはずだ。

 なのに翔太郎へ別れの言葉すら残すことなく、未来はアメリカへと去ってしまった。

 故にドライブピットで再会したときは気まずいことこの上なく、口をきくことさえ憚られた。

 

 --何を話せばいいのかわからない。

 

 照井から予め未来が来日していることを知っていた翔太郎がそう思ったのだから、未来は突然の再会にその数倍は驚き、戸惑ったに違いない。

 だから翔太郎は敢えて皆の前では軽く振る舞い、彼女と二人だけになった時に正直な想いを伝えたのだ。

 未来が、大切な人が戻ってきたのが、純粋に嬉しい。

 また共に在る時間が確かに流れ行くことを、何よりも大事にしたい。

 その気持ちの全てを短い言葉に、彼は詰め込んでいた。

 ひゅう、と冬の夜風が枯れた木々を揺らし、乾いた口笛を思わせる高い音を立てて通り過ぎる。

 

「……うん」

 

 俯き加減の未来がぽつりと呟き、視線を下へ向けたままで翔太郎の側へと歩み寄ってくる。

 そして帽子とコートを纏った姿の隣に並ぶなり、彼の引き締まった腹へ小さな拳を軽く当てた。

 

「ただいま!」

 

 十センチ以上は上に在る顔を見上げた未来から笑顔が弾け、心地よい響きの声が翔太郎の耳に届いた。

 渡米前に皆で撮った写真ーー事務所に飾られた、鳴海探偵事務所の面々と写った写真の中にいるはにかんだ微笑みとは、また違う。芯の強さと優しさ、その裏に知性の閃きを感じさせる笑顔。

 翔太郎の知る、いつも未来が見せていた素顔を見つけられた気がした。

 ポニーテールにまとめられた髪がふわりと揺れ、小さな背中が翔太郎の背後へとすり抜けていく。その向こう側に自分のレンタカーを見つけていた未来が、不意にまた立ち止まった。

 

「明日……」

 

 言いかけたところで、改めて振り返る。

 

「明日、午前中に捜査会議があるんだ。結果は後で伝えるから」

「ああ。また明日な」

 

 もう戸惑いが見えず、明るさを取り戻している女性捜査官の口ぶりに、翔太郎もいつもと変わらない調子で挨拶を返す。頷いた未来は足早に白いプリウスに乗り込むと、そのまま久留間運転試験場を後にした。

 心なしか、彼女の運転する車まで角が取れているような気がする。軽く息をついて肩の力を抜き、プリウスを見送っていた翔太郎がこぼした。

 

「……何だ、これで良かったんじゃねえか」

「痩せ我慢だね、翔太郎」

 

 何の前触れもなく後ろから上がった声に、半熟探偵は十センチは飛び上がるくらいに驚いた。

 いつの間にか、フィリップと亜樹子がにやにやとした笑いを湛えながらすぐ後ろに控えていたのだ。

 

「な……何だお前ら、来てたのかよ!」

「暫く仕事を一緒にする人が増えるんだ。僕としても興味深くてね」

 

 思いがけず翔太郎は大声を上げていたが、フィリップは特に未来とのことをいじってくる様子はない。どうやら、先の「第三者の立場から見ると、恥ずかし過ぎる青春ドラマのような茶番劇」はぎりぎりのところで目撃されずに済んでいたらしい。

 翔太郎が人知れず内心で胸を撫で下ろしたところで、亜樹子が好奇心いっぱいの笑顔を浮かべた。

 

「まあ、未来さんと無事にまた合流できたわけだし!竜くんたちも、まだ中にいるんでしょ?是非、挨拶してこなきゃ!」

「僕も、ドライブピットとやらを是非見ておきたい」

 

 早くも久留間試験場内へと続く廊下へ爪先を向けている亜樹子の後を、フィリップが嬉しそうに追っていく。

 

「あっ、おい!ちょっと待てよ!」

 

 足取りも軽やかに駆け出した二人を追いかける翔太郎の声は、いつになく明るい響きがあった。

 冬の寒い夜はもう深くなってきていたが、鳴海探偵事務所一同の活動時間はまだまだこれからであった。

 



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仲間とは何なのか -2-

 目の前で、切れ切れの息を白く散らした若い女二人が腰を抜かしている。

 住宅街の闇が濃い一角、冬の寒気に晒されたアスファルトに、顔面蒼白でへたり込む人間たち。恐怖でろくに声も出せなくなっている彼らを何度見てきたか、もう数えるのも面倒になってきている。

 しかし自分がコピーした人間の鬱々とした気持ちのせいで、毎回似たようなことを問いかけられずにはいられなかった。

 

「さあ、どっちが先に死にたい?それとも、友達同士……仲良く斬られたいか?」

 

 意識しなくても低音で闇に響く声は、女たちをますます震え上がらせることになった。

 彼女らは人気のない路地で自分たちと全く姿の異なる者--赤銅色の隆々とした身体に角の突き出た人ならぬ顔の造形、全身に纏った禍々しい気配--に怯え切り、何より新月の夜にあっても自ら輝きを放つかに見える長大な刀に、動く気力をまず殺がれていた。

 ぬらぬらと不気味に光る刀身と異形の顔を交互に見つつ、髪が長い派手なメイクの女が隣の女を指差す。

 

「ここここ、この女を先に殺して?お願い!」

「ちょっ、アンタ……!親友に対して、よくもそんなこと!」

 

 相手の方を見ようともせず自分だけが永らえようとする友人に、指を差された女が思わず金切り声を上げた。黒髪でショートカットの女は派手な女より数段地味で、化粧っ気の全くない顔に眼鏡、体型を隠す太めのパンツというやぼったい服装だ。

 

「うるさい!アンタなんか、友達なワケないじゃない!」

 

 派手な女が、負けじと怒鳴り返す。

 自分の命が優先されて当然という態度を露にした女は、これまで心のなかに溜め込んでいたであろう本音を一気に爆発させていた。

 

「アンタみたいなブス、今まで一緒にいてやっただけでも感謝しろってのよ!私のお陰で、散々美味しい思いだってできたでしょうが!」

「なっ……じゃあ、私はアンタの引き立て役だったってわけ?それ、今言うことなの?私、アンタみたいに嫌な女でも我慢して付き合ってあげてたのに!」

 

 自分以外を先に殺せと言えるのも大したものだが、土壇場になって本性を顕した派手な親友に対して黒髪の女も黒い感情を引き出させてくる。

 響き渡る雑言に、派手な女は明らかに鼻白んでいた。

 付け睫と太いアイラインに囲まれた目で短髪の女を睨みつけ、グロスを塗りたくった唇を歪ませる。

 

「何、今気づいたの?アンタなんかそこまで鈍くて救いようがないせいで、モテないんでしょ!」

 

 短髪の女が傷ついたような顔を見せて一瞬、言葉に詰まる。

 が、彼女はすぐに眼鏡の奥の小さな目に怒りに染め、更なる感情を爆発させた。

 

「……信じらんない。アンタの方が先に死ねよ!」

「ちょっと、何すんのよ!」

 

 喚きながら掴みかかってきた元親友の手を払い除けながら、派手な女が甲高い声を張り上げる。女たちが互いに髪を引っ張り合って格闘する様は、二人ともがまるで目の前のロイミュードという脅威を忘れてしまったかのようだった。

 生死を分けるかに思えるこの状況で繰り広げられる醜い争いを、鬼ロイミュードは醒めた目で見下ろしていた。

 

 ほんの少し前まで笑い合いながら歩いていた、女の友人同士。タイプは違えども仲は良さそうに見えた二人だが、所詮友情などというものはこんな程度だろう。

 もっとも、この女たちがどんな回答をしても、あるいは襲撃する前に別れて一人になっていたとしても、斬るつもりに変わりはなかった。これまでに白々しい友情ごっこを見せつけてきた人間たちは、彼らが別れた直後に斬ったことも一度ではないのだ。

 

 人間は、自分のこと以外どうでもいいと思っている生き物だ。

 なのに表面上ばかりを取り繕うのはこの上なく醜悪だし、それを認めようともせず相手を庇おうとする者はなお、見苦しい。自らの本能とも言うべき生存本能を否定してまで他人を救おうとするなど、偽善もいいところだ。

 

 鬼ロイミュードの自分は人間の自己中心的な姿も、誰かを助けようとする姿勢も、何故か全てが憎らしい。理屈ではない何かが自分を駆り立て、「友」という存在を匂わせる者全てに怒りを向けずにいられなくなるのだ。

 そして今度も衝動を抑え切れなくなり、鬼ロイミュードは刀の切っ先を女たちに突きつけた。

 

「ふん、やはりそんなものか……良かろう。あの世では醜い喧嘩をしなくて済むよう、同時に殺してやる」

 

 こんなにも自分を苛立たせる人間など、一人残らず地上から死に絶えてしまえばいい。

 今まで斬ってきた人間たちは辛うじて永らえていたが、今回もそうである保証はない。

 怨念渦巻く刃がぎらりと煌めき、女たちの視界を白く塗りつぶそうとする。

 

「ひいぃぃぃぃいいっ!」

 

 二人一緒に殺される!

 同時に覚った女たちが上げる引きつった悲鳴は、皮肉にも全く同じタイミングであった。

 互いの半身に必死でしがみつくのは、最期の瞬間になってようやく芽生えた良心なのか、はたまた一人では死ぬまいと相手を道連れにする勝手さなのか。

 

 そのどちらでも関係ない!

 鬼ロイミュードが長大な刃をゆっくりと振りかぶり、空を滑らせるだけでこの女たちの全ては終わる--

 

「むっ!」

 

 筈であったが、小さな何かが鬼ロイミュードと女たちの間を鋭く裂いた。

 いずこからか飛来したそれはアスファルトの道路を穿ち、金属音を響かせて空中へばらばらに跳ね返っていく。鬼ロイミュードからも、女たちからも一歩離れた場所を狙ったその弾丸は、明らかに挑発の意図で撃ち込まれたものだと判断できた。

 

「何奴だ!」

 

 刀を握り直した鬼ロイミュードが怒声を上げ、周囲を見回す。

 始末しようとした女どもは白目を剥いて気絶しているようだったが、ゴミにも劣る人間のことなど今はどうでもいい。目先の目的達成を邪魔されたことが、この上なく腹立たしかった。

 

 ロイミュードに対して銃撃を仕掛けてくるなど、この日本では警察以外にないだろう。しかし、相手が誰でも邪魔者は切り捨てるのみだ。

 が、応戦するつもりで構えていた鬼ロイミュードの感覚を刺激してきたのは、意外な存在であった。

 

「同志よ、そう腹を立てんなよ。そんな屑人間を斬ったら、自慢のカタナに汚ねえ錆がつくぜ」

 

 数メートル離れた路地の暗がりから低い声を響かせ、街灯の白っぽい光の下へ進み出てきた人影。

 それは自身と同じく、人ならぬ異形であった。

 無数のバレルが突き出している鉛色の身体が仄暗い明かりに照らされて浮かび上がり、まるで全身が銃で覆われているかのような姿。そのうち、腕に取り付けられている細い数本の銃口から薄い煙が上がっているのが見て取れる。恐らくここからろくに狙いも定めずに撃ってきたのであろう。

 

 互いに外見は異なれども一目でロイミュードとわかる身ではあったが、だからと言って味方とは限らない。

 その上撃ってきたファイアアームズ・ロイミュードは、一方的に英語で話しかけてきていた。もしこちらが英語を理解できない下等な頭だったらどうするつもりだったのかと、つい人間のような思考が鬼ロイミュードの頭の隅をよぎる。

 

 相手が意識して友好的な雰囲気を作っているのは空気からわかったが、それでも鬼ロイミュードは構えを解かずに詰問調でもっともな問いを投げた。

 

「……何だ、お前は。何故俺の邪魔をした?」

 

「俺はあんたの仲間だ。最近人間を斬りまくって日本を騒がせてんのは、あんたなんだろう?」

 

 「仲間」と言われたことで、鬼ロイミュードの刃がかすかに揺らいだ。

 

「仲間、だと?」

「ああ。俺もバグがあるせいで、まともに起動できるようになったのはつい最近のことだ」

 

 鬼ロイミュードの内面が微妙に揺れたのを察したのであろう。ファイアアームズ・ロイミュードは余計な力を抜いて非戦闘態勢、即ちコピー元の人間を模した姿へとその身を変えて見せた。

 

 だが、スキンヘッドに二メートルを越す筋骨隆々とした肉体は、進化態の時とさして変わらないと言っても過言ではない。ジーンズに薄手のブルゾンというありふれた身なりで隠し切れない体格は、むしろ日本では却って目立ちそうな印象だ。顔立ちについても、元々が金髪だったようでほとんど眉毛がないように見えるのと、冷たい光を纏う青い瞳がより、この男の凶悪さを煽っているように見える。

 

 英語の発音から相手の出時に気づいた鬼ロイミュードが、わずかに背が低くなっただけに見える男へ皮肉たっぷりの返事を返した。

 

「お前、アメリカ人なのか?わざわざ日本まで来るとは、ご苦労なことだ」

「それだけの理由があるからな。こんな田舎にも、そこそこの価値はあるってもんよ」

 

 首をボキボキと鳴らしながら大仰そうに頭を振った白人の大男は、鬼ロイミュードの態度など意にも介さず自らの言葉を続けていく。

 

「この日本じゃ、強えロイミュードたちが一戦おっ始める準備を進めるのに潜伏していると聞いた。だからあまり目立つ行動を取ってると、そいつらの仲間に消されるって噂もある。あんた、何か情報を知ってるか?」

「知らん。俺は基本的に一人だ」

 

 素っ気なく切り捨てた鬼ロイミュードに、今度はファイアアームズ・ロイミュードが口許を歪めて嫌味に笑った。

 

「一匹狼って奴か?長生きできねえぞ」

「……自分以外を信用できるか」

 

 ほんの少しだけ考えてから吐き捨てて、鬼ロイミュードが剣先を先を下げる。

 相手が戦闘態勢を解きつつあることに内心ほくそ笑みながら、ファイアアームズ・ロイミュードは更に踏み込んでいった。

 

「信用する、しないはともかくとしてだ。俺と組まないか?」

「何?」

 

 突然の申し出に、鬼ロイミュードが思わず白人の大男の顔を見やった。

 自分は先刻も一人でいると言ったはずなのに、こいつは頭がおかしいのかと言いたげなのが嫌でも伝わってくる空気になる。

 先まで皮肉そうだった笑みから黒さを消して、ファイアアームズ・ロイミュードは説明を始めた。

 

「さっきも言ったが、一人より二人の方が格段に生存率が高くなると思わねえか?二人で行動するのは、軍でも基本なんだ。それに今みたいに好き勝手に暴れてたら、それこそ粛清されちまってもおかしくはねえだろ?」

 

 早口の英語でまくし立ててくる白人の大男はいちいち身振り手振りが大袈裟で、如何にもオーバーアクションなアメリカ人らしい。

 そういうしつこいところが鼻にはつくが、言っていることは概ね正しく理論的ではある。

 鬼ロイミュードが多少の苛立ちを覚えながらも黙ったままでいることに、先を促されたと感じたのだろう。人間態のファイアアームズ・ロイミュードは、大きく頷いてからまた白い息を吐き散らした。

 

「お前はカタナを持ってるところを見ると、格闘戦専門か?俺の武器は銃で遠距離戦が得意だが、逆に懐に飛び込まれたら弱え。俺たちが組めば、弱点を補い合えると思うが」

「仮に組めば、の話だろう」

 

 ノリで赤の他人と組めるほど、話は単純ではない。

 さりげなく肩を叩いてこようとした大きな手をかわし、鬼ロイミュードはやはりその気がなさそうに言い捨てた。

 

「それに、お前も果たしたい目的があるから今ここにいるんじゃあないのか?邪魔者全員ブッ殺してでも、手に入れたい物があるんだろ?」

 

 しかしやはりアメリカ人の大男は相手の反応をさして気に留めず、言いたいことを並べ立てていく。

 彼は一旦言葉を切ると、視線を自らの握りしめた拳へと移した。

 

「俺の目的は、くそ忌々しい警察やFBIへの復讐だ。奴等、俺を何度破壊したかわからねえ。徹底的に奴等を追い詰めてやらなきゃ、気が済まねえんだ。あの痛み、あいつらを皆殺しにしたって許せねえ!」

 

 英語の恨み節をこぼした男の表情は、先と違って歯軋りが聞こえてきそうなほどに奥歯を噛み締め、暴れ出したい激情を押さえつけているかのようだ。彼がアメリカの法執行機関に幾度となく肉体を壊されていることや、復讐したい感情は本物なのであろう。

 

 対する鬼ロイミュード本人には、そこまではっきりとした衝動はない。

 今の姿の基となった人間の記憶に従えば、関係者を前にすると破壊衝動を抑えられなくなるかも知れないが、今自分を突き動かしているのは漠然とした感情だけだ。

 

 友を持つ者も、友を蔑ろにする者も許せない。

 そんな矛盾した思いが電子回路に宿っているのも不可解だが、その根本には確かな事実があった。

 取り戻せば、身体に溜まっているぼんやりとした靄が晴れるかもしれないモノ。

 

「俺は……奪われたものを、取り返したいだけだ。嘗ての友……いや、今は友と口にすることさえ忌まわしいがな」

 

 自然と、白人の大男への返答となる文句がこぼれ出ていた。

 答えるつもりなど全くなかったのに、何故かはわからない。

 ただ言えるのは、英語しか話せないこの男にはまだ何も許すつもりがないということだけだ。

 

「それが何かは、まあ聞かねえよ。だが、お互いの目的のために協力するのは、悪い話じゃねえだろ?その上でより強い奴の下につけば、もっとやりやすくなる」

 

 相手の独り言に近い言葉を聞き逃さず、大男が畳み掛けてくる。

 その必死さは嘲笑に値するものかも知れないが、仮面ライダーというロイミュードの天敵と渡り合うには、単独より複数でいる方が有利なのは確かだ。この大男にあまり当てにされるのも困るが、遠距離からの攻撃が苦手な自分の弱点を補うには都合がいいのも事実だった。

 

「俺は俺の目的のためだけに動く。だが、生き残りやすくなるのは歓迎だ」

「ちっ、いちいち回りくどい奴だな。とにかく今は、考えて行動することが必要だ。この国のどこかにいる、強力な同志を見つけるまではな」

 

 自分のペースを崩そうとしない鬼ロイミュードに大男は軽い舌打ちを漏らしたが、どうやら同意を得られたと見てこの先のことをさりげなく織り込んでくる。が、当然そうなるまで行動を共にするかどうかは不透明だ。

 信用したと勘違いされないよう釘を刺す意味で、鬼ロイミュードが下げていた切っ先を再び上げる。

 

「……いいだろう。だが、少しでもおかしな真似をしてみろ。その時は……」

「ああ、遠慮なく斬るがいいさ。ま、裏切るような理由もないがな」

 

 おどけてはいても相手の挙動に意識を集中させている白人男は、鬼ロイミュードが長大な刀を鞘に納めるまでその手の動きから視線を逸らさないでいた。

 

 --人間態を見せないとは、思ったよりも用心深い奴だ。

 

 人間の姿が白人の大男であるロイミュードつまりアルファは、先に外へ漏らした舌打ちよりも更に大きなそれを心の中で響かせていた。

 英語もろくに通じない外国で行動するには、その国に詳しい者を仲間にするのが一番手っ取り早い。

 幸いここ日本なる国は何よりも「和」を重んじ、一人よりも複数であることを選ぶのが常識だとされる節さえある。

 その点で鬼ロイミュードはうってつけの相手だったが、扱いにくそうなのは予想外だった。大抵の日本人なら白人に対して簡単に尻尾を振るし、逆らうなど考えもしないと思っていたのだ。

 

 だが、この気難しい同族が仲間を渇望していることは、アルファには手に取るように伝わってきていた。

 突然の申し出に警戒はしても突っぱねず、最終的にはこちらの要求を飲んだのは、彼が本心では孤独を嫌っている何よりの証拠だ。近距離戦に強い能力は戦力として申し分ないのだから、暫くの間は利用するのが一番だろう。

 

 それに鬼ロイミュードが期待していたより役に立たないと判明したり、裏切ったりした場合は、早々に始末してしまえばいいだけの話だ。仲間になる、というのは永続的な関係を約束するのでなく、あくまで今のところは協力関係にあるということだけで、勘違いされても困る。

 

 とは言え、相手の名がわからないのは用があるときに何とも不便だ。

 アルファは、未だに沈黙を守り言葉を待っているらしい鬼ロイミュードを慕うように言った。

 

「ところで、あんたのことは何て呼べばいい?俺はナンバーがAで、警察やFBIからはアルファと呼ばれていた。人間の名で呼ぶのは何かとやばいからな、あんたが呼んで欲しい名前を教えろよ」

「それなら、エコーとでも呼べ」

 

 エコーということは、末尾がEのナンバーであることを示している。

 アルファは人間名を明かしていないが、エコーもまた明かそうという気にはなっていない。

 互いの呼び方は、今のロイミュード二人の関係を端的に表してもいた。

 

 

 

 

 

 

 郊外に打ち捨てられた、とうの昔に人間の気配が絶えた廃ビル。

 人々の姿があった頃は手入れがされていただろう窓は割れ、壁が崩れ、明かりもろくに灯らない部屋には廃材が散らかり、埃だらけだ。何かの温度を感じさせることのない無機物たちは、何年にも渡って放り出されていることに、無言の抗議を続けていくしかない。

 

 一方で、この冷たい廃墟には動く無機物たちがその影を蠢かせていた。

 彼らはどんな環境にあっても病を発することはなく、栄養も睡眠も必要ない。

 故にその身に纏う衣は季節に合った変化を見せず、住む場所もさしたる手入れを必要としない。

 極めて機能的な身体を持つ彼らではあったが、それでも美を愛でることに対しての静かな楽しみ、周囲に対する一定の嗜好は持ち合わせている。

 

 まだ使えるソファーやテーブルにドレープを寄せた布をかけ、ぼんやりとしか照らせなくなったランプを間接照明代わりにし、彼ら好みの退廃的な空間となった一角。そこに低く、誰の耳にも心地よい男の声が響いた。

 

「見慣れないナンバーの者?それは確かなのか、ブレン」

 

 ソファーに浅く、けだるそうに座した紅い革コート姿の男が、長めの前髪をかき上げながら視線を横へ向けた。

 その先に控えているブレンとと呼ばれた眼鏡の男が、きびきびと答えて見せる。

 

「ええ。最後の一桁がアルファベットのロイミュード……恐らく十六進数だろうと。通常決して生まれることのない存在の筈ですが、プログラムにバグが発生した末、誕生した個体の可能性が高い。不完全な故、起動に今までかかっていたものと思われます」

「不完全か。しかし、我々の友であることに変わりはないな」

 

 コートの男が微笑みをよぎらせたが、ブレンは全く逆の反応を示していた。

 

「とんでもないですよ、ハート!現在確認されている二体だけでも、既に不特定多数の人間を襲って世間を騒がせています。これ以上目立つ真似をする前に、即刻粛清すべきです!」

「しかしそんな行動を取るのにも、彼等なりの理由が何かあるのかも知れない。一方的に決めつける前に、話は聞いておくべきじゃないか」

「いいえ!どんな理由があろうと、不特定要素を持つ個体を近寄らせるわけにはいきません。バグがあるということは、安定した活動ができない。つまり戦闘力も不完全、精神活動も不安定ということです。そんな火種を敢えて抱える必要はどこにもありませんよ」

 

 速攻で抹殺論を唱えたブレンはその口ぶりも激しく、たとえリーダーであるハートの意見であっても異論は認めないという強い意思が読み取れるものだ。

 この廃墟を根城としている機械生命体、即ちロイミュードは人間の男女を模した姿のそれで四体いる。そのうち一番若いナンバーである002を胸に刻んでいるのがハートであり、最も高い戦闘力を持つ彼は、自然と一団を率いるようになっていた。

 

 ハートはロイミュードとしての能力が高いだけではなく、仲間に対しての情が非常に厚く、懐の深い男でもある。その魅力に惹かれて後の三名も彼を慕い、付き従っているようなものだ。

 しかし秩序を重んじるブレンはハートの豪胆であるが故の奔放さが心配でもあり、悩みの種でもある。件の「不完全な固体」すら仲間に引き入れようとするハートの心情は理解できても、受け入れることは到底できなかったのだ。

 まだ反対理由を並べ足りなそうなブレンへ、ハートが宥めるように言った。

 

「その精神活動のぶれこそが、我々に足りないものかも知れないじゃないか。完全な存在など、人間にはありえないのだからな」

 

 あくまで「ロイミュード」という存在全体を友と考えるハートには、ブレンの細かさこそが余計なものに見えるのであろう。ハートの前髪の間から覗く黒い瞳には、目の前の仲間を気遣う色が浮かんでいる。

 

「しかし、ハート……!」

「私は、ハート様にのみ従いますわ。どうぞ、お心のままに」

 

 再び口を開こうとしたブレンに先んじて、若い女の声がその姿とともにハートの感覚へと割り込んできた。

 ソファーに背を預けるハートと憮然としたブレンの間にすっと入ってきたのは、ゴシック調のワンピースに黒のナースキャップを身につけた、小悪魔を彷彿とさせる印象のロイミュード--メディックであった。

 

 ハートに従うロイミュードのうち唯一の女性型ではあるが、柔和な口調と笑顔の裏に隠された顔を見誤れば、味方であってもどんな目に遭わされるかわからない恐ろしさは、ブレンなど足元にも及ばないであろう。

 メディックが「ハートにのみ」従うとわざわざ言葉に出したのは、ブレンがハートに行動を改めるうよう促したとしても、自分はハートの意思だけを尊重すると示すためだ。つまり、ブレンがどれだけ吠えたとしても無駄だと態度で表して見せたのである。

 

 可憐な少女のように見えるメディックは微笑みを浮かべてはいたが、その瞳には完全にブレンを見下す、冷え冷えとした傲慢さがちらついている。

 勿論、あからさまに小馬鹿にされたブレンにそのまま黙っている気はない。彼はこの場で最も冷静で理にかなった思考でいるのは自分だと表情で語り、メディックを睨みつけた。

 

「貴女には聞いていませんよ!私は、あくまで度の過ぎる行動を取るロイミュードは、我々の手で攻撃して肉体を奪っておくべきだと……」

「ロイミュードを傷つけようとするな」

 

 不意に、背後から伸びた手がブレンの肩を乱暴に掴んだ。ぶっきらぼう、と言うよりは抑揚がない無表情な一言はブレンをぎょっとさせ、思わず乱れてもいない眼鏡をかけ直させる。

 ブレンの半身を後ろへ軽く引っ張った紫色のジャケットに包まれている腕の持ち主は、一言発した声の通りに表情をあまり動かしていなかった。

 

 何を考えているのか窺い知れないその男、チェイス。無機質な印象が強い声とは裏腹に童顔で、一見すると邪気が見えない姿は「ロイミュードは悪」の図式が当てはまらないようにも思える。が、彼は同胞たちから「死神」として恐れられる冷徹さとハートと比肩し得る強さを秘める存在として、仲間からも一目置かれていた。

 

「俺は……ロイミュードを、守る」

 

 そのチェイスに顔を真正面から捉えられて宣言されたブレンが、一瞬たじろいでからわずらわしげに肩の手を払いのけた。

 

「ブレン。俺はお前のことを、軽んじているわけでは決してない。仲間が増える可能性を大切にしていきたいだけだ。友を大事にしたいと願う俺の気持ちを、お前にもわかって欲しい」

「……あくまで、私は反対です。ただ、ハートのことは尊重します」

 

 目の前で繰り広げられた仲間の小競り合いが大喧嘩に発展しなかったことに頷いてから、ハートが再びブレンを宥めにくる。敬愛するハートの意思が固いことを改めて思い知らされたブレンは、無意識に胸のポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭ってから小さく返していた。

 

「恩に着るよ、ブレン」

 

 眼鏡の男へ満足げな笑顔を向け、ハートがソファーへ背を預け直す。

 ロイミュードである以上、どんな者でも最初から見捨てず平等に接しようとする。

 ハートが持つ大きな志と懐は大きな魅力である一方、余計なトラブルの元となることも多い。その度に気苦労が絶えないブレンだが、逆にその際の対処は傍若無人なメディックや、不器用が服を着て歩いているようなチェイスには不可能だ。

 だから奔走させられるブレンは、溜め息をつきながらもハートを受け入れるしかないのであった。

 

「まったく……向こう見ずで、情に厚すぎで、世話を焼かせる人だ」

 



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仲間とは何なのか -3-

 久留間運転試験場の警察関係車両駐車場に、朝からとてもパトカーとは思えない車が停まっていた。

 流線型を意識したのフォルムのボディは、赤を基調に白のラインを要所に入れた塗装が何よりも目立つ。加えて空気抵抗を減らすために程よくローダウンさせた車高、一般車両ではまず見ない形のウイング、ツーシーターの座席には四点ベルトと、レーシングカーさながらの派手さだ。

 

 その運転席に座っているのは、スーツ姿に浮かない顔の泊進ノ介であった。

 かと言って特に体調が悪いわけではなく、寝不足でもない。なのに彼は、若い身体を軽やかにシートから持ち上げて車から降りる、という次の行動へいつまで経っても移ろうとしなかった。

 

「どうした、進ノ介?まだ事務所へ行かないのか?」

 

 独身寮から仮面ライダードライブの専用車であるトライドロンで出勤してきた進ノ介の動きが鈍いことに、心配したのだろう。ハンドルの左側に据えられているベルトが彼を気遣う言葉をかけてくる。

 ぼんやりした視線をフロントガラス越しにある運転試験場の出入口へ向けながら、進ノ介はモヤモヤとした心情を唇に上らせた。

 

「うん……なあベルトさん、あの左って奴……ベルトさんはどう思った?」

「ん?まだ彼のことを気にしているのか」

 

 パートナーでもある進ノ介の懸念は意外だったのか、ベルトの電子音声が少しだけ高くなる。ハンドルに両肘を乗せる格好で上半身を預け、進ノ介は先を続けた。

 

「そうなんだ。照井さんはああ言ってるけど、いまいち信用できないんだよなあ」

 

 進ノ介の頭の中には、昨晩遅くになし崩し的に開かれた非公式捜査会議の様子が再現されている。

 あの場にただ一人いた、これまでロイミュードとの関わりが極めて薄かった人物である、左翔太郎。彼はドライブとは異なる仕組みで変身する、仮面ライダーWであるという。

 

 そこはまだ許容できるとしても、私立探偵だというのが胡散臭い。探偵など金さえあればどんな人物からの依頼でも受けるであろうし、これまでに何か不正に関わった過去もあるかも知れない。

 加えてやたらと格好つけな立ち振舞いや、女性に弱いのも鼻につく。それに未来とも過去に何かあったようだが、あの真面目な幼馴染みへお調子者に見える彼が一体何をしでかしたのか、考えると癪に障るのだ。

 

 進ノ介自身も多少は調子に乗ることがあるという自覚はあるが、仮面ライダーになって以来、これまでになく真剣に仕事に取り組むようになっている。だからこそ、軽薄さが見える翔太郎が気に食わないのだ。

 

「仲間の仲間を容易く信じるべきではない、というのは私も賛成だ。しかし今回に限って言えば、大丈夫だろう」

「どうしてそう言い切れるんだ?」

 

 相手の心情をまずは認めたベルトが自身の考えを述べると、進ノ介がディスプレイに赤く表示されたベルトの顔に視線を移す。

 

「左翔太郎はこれまでも非公式ながら警察組織に協力し、実績を挙げてきたことは、照井警視の話からも明らかだ。それに彼は、国家機密でもある未来の正体を我々よりも早く知り、共に戦ったことがある。つまり、彼女が信頼して背中を預けたことがある人物だと言い換えることもできる。彼が警察組織の外にいるのにもかかわらず、だ」

 

 進ノ介は不審そうな表情のままでいるが、ベルトは更に続けた。

 

「照井警視や未来が、疑わしい相手に素性を晒すとは到底思えない。それにここからは私の個人的な意見だが、少なくとも左翔太郎は悪人には見えなかった。むしろ善良さにつけ込まれて、損な役回りを演じる人物に思える。進ノ介、君自身にも心当たりはあるだろう」

 

 最後に自身のことに言い及ばれ、進ノ介は虚を突かれた。

 思わず憮然として言い返す。

 

「それって、ひょっとして俺がお人好しのバカだってこと?」

「まあ、そうとも言う」

「おいおい、ひどい言い種だなあ」

 

 単刀直入なベルトの返答に、若い刑事が顔に横切らせたのは苦笑いであった。

 自分にも、翔太郎の根っ子は馬鹿がつきそうなほど素直な人間であることは何となく感じられたのだ。もしかすると、彼に対するモヤモヤの正体は同族嫌悪なのかと思ってしまうほどだ。

 

「しかし信用するか否かというのは、結局のところ個人の主観によるものが大きい。剛が未来の正体を知ってもすぐには認められないように、理屈で理解はできる一方で感情が許さないこともあるだろう。故にチームワークには難しさがあるが、時には仕事として理性で割り切る必要があるのが大人というものだ」

 

 進ノ介から毒気が抜けたことを察したのか、ベルトの口調は穏やかなまま変わらない。年上の上司が部下を諭すような、ベルトの温かい人柄が表れた話し方は、進ノ介のささくれていた心を落ち着かせてくれていた。

 

「そうだな……俺は好き嫌いの感情だけで人を判断したくはないし、暫く様子を見るしかないか。ありがとう、ベルトさん」

 

 口に出した通り、進ノ介は私情で仕事に粗を出すほど子供でいたくはないと、常々思ってはいる。実際まだ若い彼にはこれがなかなか難しいが、逆にいい機会だと思うべきなのであろう。ベルトが言う通り、理性でもっと自分を律することを覚えねばならないのだ。

 

 完全に気持ちを切り替えることができた進ノ介は、ハンドルから上半身を離して迷いのない笑顔を見せ、そのままトライドロンから降りていった。

 

「進ノ介、君は戦いを経て確実に成長してきている。それを実感できるのが、私には何よりも嬉しいよ」

 

 ドアをロックしてから小走りに消えていく広い背中へ、ベルトが独り言を投げかける。

 しみじみとした言葉は、息子がどんどん頼もしくなっていくのを見守る父親さながらあった。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます!」

 

 特状課オフィスのドアをくぐった進ノ介が発した挨拶の言葉を聞いていた者がいるかどうか、定かではない。

 警察事務所によくあることだが、場立ちの如き慌ただしさが狭い部屋に満ち溢れ、先にそこにいた全員がばたばたと対応に追われていた。普段ならのほほんと傍観を決め込んでいる課長や、自作の捜査機器を眺めて悦に入っているりんなまでが電話を取り、デスクの間をすり抜けて走っているのだ。

 

「って、何かあったのか……?」

 

 進ノ介が呆気に取られて呟くと、一番手近で立ち話をしていた照井と未来が振り返った。

 

「あ、進ちゃ……泊刑事!待ってたよ」

「来たか」

 

 タブレットの画面を操作していた未来は待ちかねたように、照井は無愛想に口を開く。彼らは早々に話を中断すると、状況を把握しかねている進ノ介の側へ来た。

 

「昨日の深夜から今朝にかけてなんだけど……」 

「泊さん!」

 

 未来がタブレット画面に資料を出そうとした時、自分のデスクでの電話対応を終えた霧子が進ノ介の正面に進み出てきた。未来との間に割り込む形となった婦人警官は、すかさず早口に説明し始める。

 

「ロイミュード二人による傷害事件が発生しました。詳しいことは途中で説明しますから、まずは一番近所の現場へ行きましょう」

「お、おい霧子?ちょっと待てよ、待てって!」

 

 更に彼女は強引に進ノ介の腕を取り、今入ってきたばかりの出入口へと引きずっていく。後ろ向きに引っ張られる格好になった進ノ介は、お陰でひっくり返りそうになる有様であった。

 進ノ介のバディーたる女性の力押しに圧倒された未来と照井は、彼らを見送るしかない。鞄やコートを下ろす暇もなかった進ノ介が外へと引き返しさせられてから、照井が怪訝そうな顔を見せた。

 

「彼女、どうかしたのか?」

「さあ?私にもさっぱり」

 

 照井は、少なくとも進ノ介よりは落ち着いた人物に見えた霧子の行動が解せない。彼から問われた若きFBI捜査官も、当然首を傾げるだけだ。もっとも、自分の恋愛感情にすら疎いこの二人が霧子と付き合いが長かったとしても、その秘められた想いに気づいた可能性は低いと言えよう。

 仕事に関しては真面目な照井と未来は、個人についての疑問はすぐに優先度を下げて次の行動へと移ったようだった。

 

「俺は最初の現場へ現場へ行く。間はあの二人のフォローと、左たちへの連絡を頼む」

「ん、了解」

 

 照井とは友人としての付き合い自体がそこそこある未来は、頷いて短く答えておく。

 

「じゃあ行くぞ……い、いえ!失礼しました警視!途中まで、ご同行させて頂きます!」

 

 だが、自分のデスクへ電話をしに行った未来と入れ替わりで側に来た現八郎はそうはいかない。自分より歳がずっと若くとも階級が上である照井に対し、わざわざびしっと敬礼して言い直さねばならなかった。上下関係が民間企業よりうるさいためであるが、当の照井はさほど気にしていない。

 

「お願いします」

「い、いいいいえそんな!どどど、どうか顔をお上げください!」

 

 むしろ照井は現場では先輩に当たる現八郎に、丁寧な姿勢を崩さず軽く頭を下げてくる。

 現八郎は余計に恐縮して慌てつつも、彼がこの若すぎる警視に少なからず好感をいだいていることは周囲にも伝わってきていた。

 現八郎と照井は別々の現場に途中まで一緒に行く手筈になっており、先に出発した進ノ介や霧子とはまた違った場所である。複数箇所で立て続けに発生した事件であるため、特状課オフィスの混乱は大変なものになっていたが、それでも皆が現場へ急行する頃にはある程度の落ち着きは取り戻している方だったのだ。

 

 実働を担う特状課メンバー五人中の三人がまだオフィスで準備に奔走していた頃、進ノ介と霧子は既に課のバンに乗り込み、タイヤを軋ませながら駐車場を飛び出していた。

 

「二人のロイミュード……アメリカ本土から来たアルファと、私が見た刀を持つロイミュードが二人同時に現れて、人を襲ったんです。幸い死者は出ませんでしたが、被害者の十名はいずれも重体です」

「十名?二人のロイミュードが組んで、人間の集団を襲ったってのか」

「いえ。昨晩から今日の昼にかけて、連続で三件。被害者の総数が十名なんです」

「何だって!」

 

 現場へ向かう銀色のバンを運転しながら、霧子がきびきびとした口調で助手席の進ノ介へ事件のあらましを伝えていく。進ノ介は新たなロイミュードが現れた昨日の今日でこの有り様なのかと、この時ばかりは驚愕するばかりだった。

 霧子はもう散々驚いたばかりなのであろう、新たな被害者を出した悔しさを滲ませながら続ける。

 

「この動きは予想外でした。ですから早く何とかしないと……」

 

 相棒の女性警察官のまっすぐな視線に、進ノ介が頷いた。

 

「被害状況をもう少し詳しく教えてくれるか?」

 

 



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仲間とは何なのか -4-

「連続傷害事件は、昨晩から今朝の間に三件。最初は一六日の二三時半頃に男女四人連れが、一七日の一時に男性三人が、同日五時に同じく男性三人が襲われました。被害者はいずれも刀傷か銃創のどちらかが認められ、二人の怪物に襲われたんだと証言したそうです。ただしほぼ全員が重傷のため、詳細は回復を待ってからしか聞けないものと思われます」

 

 疾走するバンの中で運転手の霧子から手短な報告を聞きながら、進ノ介はその全てを頭の中に叩き込んでいく。が、その整理も許されないまま捜査に雪崩れ込む羽目となった。

 さほどの間を置かず、二人は最後に男性三人が襲われた現場に到着していた。

 久留間運転試験場からほど近いその場所は閑静な住宅街の一角に当たる路上だが、立入禁止を示す黄色いテープで囲われた数十メートル四方の内側は物々しい空気の中にある。怯えた近隣住民は遠巻きに現場を見守る一方で、何も考えていない者がスマートフォンで現場を撮影しようとして警官に追い払われ、日常の雰囲気はすっかり奪われてしまっていた。

 被害者が襲われた場所には生々しい血痕もかなり大量に残っていたが、それが一般市民の目に触れる位置にないのは幸いであろう。

 

 シルバーのワンボックスから下りた進ノ介と霧子は早速、りんなの自信作である重加速測定器ーー通称「ピコピコ」を身に纏い、立入禁止区域へと入っていく。無数の派手なランプが煌めくヘルメットに一昔前を思わせる黒縁の丸い眼鏡、背中にはレトロ感漂う箱形の装置の二人は、紺色の作業着を着た鑑識スタッフや制服警官の集団に溶け込めず、浮いて見えることこの上ない。

 

 しかしこの光景も見慣れたのか、はたまた滑稽ななりに吹き出しそうになるのを堪えているのか、現場の警察スタッフたちは二人の邪魔をすることなく、各々の職務を黙々とこなしていた。

 ピコピコの反応を真剣な表情で確認していた霧子が顔を上げ、すぐ近くの道路標識の陰を確認していた進ノ介に結果を伝える。

 

「重加速反応を検出しました。間違いありません」

「こっちもだ」

 

 進ノ介も確かな反応を確認し、範囲を絞るため今度は民家の塀にまでセンサーを当てていった。

 彼らが重加速の残滓を見つけたのは、被害者が襲われた三叉路から数メートル離れた一軒家の前である。新築の小綺麗な一戸建てや小規模マンションが並ぶ街で繰り広げられている捜査の風景は、一般犯罪のそれともまた違う独特さがあった。

 

「何で俺まで……」

 

 至って真面目な二人の側でぼやいたのは、翔太郎である。

 彼は遅れて現場に着くなりトレードマークのソフト帽を未来に奪われ、有無を言わさずピコピコを装着させられていたのだ。

 ハードボイルドな仕事と真逆のギャグにしか見えない作業をさせられている彼は、文句を口にしながらも一応はきちんと重加速反応の検出に当たっている。

 

「仕方ないでしょ。りんなさんが張り切って予備の分も出してくれたんだから」

 

 捜査風景を一眼レフで撮影しながらタブレットに記録を取っている未来が、ぶつくさ言っている翔太郎をたしなめた。が、特状課のメンバーでピコピコを装着していないのが彼女だけというのが、半熟探偵の気に障ったらしい。

 むっとした表情を隠そうともせず、翔太郎は未来に不満をぶつけた。

 

「何でお前はやらねえんだよ」

「私はこの場で、普通の人が気づかない証拠を拾うことのほうが重要なんだから。しょうがないじゃない」

 

 好戦的とも取れる仲間に、女性捜査官がきっぱりと言い返す。あくまで彼女は自分の仕事にピコピコが適さないと言いたいようであったが、それでも翔太郎の苛立ちは解消されない。ライトが目まぐるしく光るヘルメットを脱ぎ捨てんばかりに、彼はまだ食ってかかっていく。

 

「こんな面白メカ、ハードボイルドな俺には合わねえんだよ。他の奴にやらせろってんだ!」

「面白いのは認めてるんだ。いいじゃん、似合ってるよ」

「似合う似合わないの問題じゃねー!」

「どうせなら、似合う貴重な人材ににやってもらった方がいいんだっての。大丈夫だって、そのうち自分以外の誰も気にしなくなるからさ」

 

 吠える翔太郎を、未来はむしろ楽しげにいなした。どう見ても軽口を楽しんでいるとしか思えない未来に、翔太郎は更なる返しで挑んでいこうとする。

 周囲の捜査員たちから投げかけられる呆れた視線もものともせず、二人は子どもっぽいやり取りを暫し続けていた。

 

「あの二人、昨日あの後何かあったのか?」

 

 その中には、進ノ介のそれも含まれている。

 昨晩の非公開会議時はあれだけ気まずそうだったのに、たった一晩で何が変わったというのであろうか?

 怪訝そうに眉間に皺を寄せる進ノ介であったが、彼よりも更に少し離れた場所に立っている霧子は特に表情を変えずに様子を一瞥しただけだった。

 

「わかりませんが、捜査を円滑に進めるのにチームメンバーの不和は困ります。それがなくなりそうなら、喜ばしいことです」

 

 職務を黙々とこなす機械のような物言いは今に始まったことではないにしても、相変わらずにこりともしない霧子に、進ノ介は軽く溜め息を漏らした。

 

「霧子は相変わらず堅いな……ん?」

 

 その時ようやく、彼はジャケットの内ポケットに入れていた携帯電話が着信を告げて震えているのに気づかされた。慌てて本体を引っ張り出し、相手が誰なのかも確認せず応じることとなる。

 一組の男女から携帯電話へと注意を逸らした同僚を、ピコピコ姿の霧子は押し黙って見つめていた。

 霧子が大人になるまでの進ノ介を知らないのと同じように、進ノ介は幼馴染みである未来の十四年に渡る空白について知らない。だからきっと、彼は未来が自分の知らない誰かになってしまったように感じているのだろう。

 

 しかし、と霧子はそこで思う。

 進ノ介と未来の間には、子ども時代に築いた十年もの時間がある。

 つまり、彼女は霧子よりも進ノ介という人間の根っこを知っていると言えるのだ。

 自分の知らない進ノ介がいて、なのに未来という女性は進ノ介の記憶に確かに存在し、ともに成長してきている。

 そのことを考えると、何故だか胸の奥にずきりと鈍い痛みが走るかのような気がしていた。

 勿論霧子はそんなことをおくびにも出す気はなく、進ノ介も生来の鈍さ故に気づくことはないであろう。それが証拠に、彼は霧子からの複雑な想いが秘められた視線を意識することなく電話を終えていた。

 

「……そうですか。了解しました」

 

 硬い表情で携帯電話を内ポケットに突っ込んだ進ノ介が、普段と変わらない口調で霧子に告げる。

 

「現さんからだ。最初の現場でも重加速反応が出たらしい」

「今、照井警視から連絡があったよ。二番目の現場でも反応が出たって」

 

 そこへ、やや緊張した面持ちの未来が歩み寄ってきた。

 彼女はまだピコピコを装着したままの翔太郎を伴っていたが、両者の違うところは、ハーフボイルド探偵が笑いを隠し切れないにやけ顔でいるところであろう。

 

「照井からか……」

 

 それでも爆笑しそうなところを堪えているらしい翔太郎に未来が不審そうな目を向ける。

 

「何笑ってんの?」

「いや……あの照井がピコピコをつけてるかと思うと……」

「て言うか、あんただって同じじゃん」

 

 未来からの鋭い突っ込みにも、翔太郎の笑いの沸点は下がらない。

 

「……ぶっ!」

 

 ところが、派手に噴き出したのは翔太郎ではなかった。

 思いがけず背後から上がった笑い声にぎょっとした進ノ介が振り返る。

 

「誰だ……って、剛!お前か!」

 

 すると、いつの間にか来ていた剛が肩を震わせて大爆笑を必死に抑え込んでいる姿が視界に入った。一同が捜査に当たっている一角は立入禁止になっているのに、いつもながら抜け目のない若者だ。

 勝手に現場に入り込み、しかも進ノ介の上司に当たる照井をネタにして笑うなど、もし本人に知れたら叱責ものだ。

 剛は驚く進ノ介を尻目に、にやけ顔を隠そうとする気配もない。

 

「いやー。照井さんがあの仏頂面でピコピコしょって、真面目にやってるとこを思うとさ……」

「おまっ……いくら本人がいないからって、不謹慎だぞ!左さんも、真面目にやる気があるならもっと捜査に集中してくださいよ!」

 

 剛をたしなめるつもりで小走りに近寄った進ノ介は却って慌てさせられる羽目となり、最も手近にいた翔太郎も咄嗟に注意してしまった。

 しかし進ノ介の反射的な行動は、翔太郎に対して何の効果も及ぼしていなかった。帽子の探偵は剛に傍で爆笑されることで、むしろ抑えがきかなくなってきているようなのだ。

 

「そ、そうだよな……あの照井が……」

「変だよなぁ?やっぱ俺、あんたとは気が合いそうだよ」

 

 案の定と言うべきか、自称ハードボイルド探偵は剛の笑い転げる様子に同同調していた。剛ももはや遠慮する様子は見せておらず、二人の若い男は捜査現場に何とも似合わない空気を作っている。

 もう呆れるしかなくなった進ノ介は、恐らくこの場を納められるであろう人物に助けを求めた。

 

「おいミッキー、あいつと仲いいんだろ?お前からも何か言ってくれよ……あれ?」

 

 肝心の未来本人が翔太郎の傍らに控えていないことにそこで気づき、進ノ介は辺りを見回した。

 いつそこへ移動したのか、未来は十数メートルほど離れている被害者が襲われた三叉路に佇んでいた。血痕や遺留品が散らばっていた場所を示す番号札や、集塵機を片手に凍てついたアスファルに這いつくばっている鑑識スタッフたちへ時折視線を巡らせながら、じっと考え込んでいるようだった。

 移動の邪魔になるピコピコを外してから、進ノ介はコート姿の女性捜査官に近づいた。

 

 

「どうかしたのか、ミッキー」

「……ちょっとね。あいつらの動きに、どうも不自然なところがあるように思えてさ」

 

 幼馴染みに話しかけられても、心ここに在らずの未来は低い声で答えつつも視線を動かさない。

 二人が話し出したことに気づいた剛も走り寄ってきていたが、彼は鼻息も荒く未来の独り言に近い言葉に返していた。

 

「不自然?んなの、どうだっていい。ロイミュードは全部、ブチのめすだけだ」

「結果としてそうすればいいのは賛成。なんだけど……」

 

 剛の逸った発言を敢えて否定しない未来は、言いながらも腑に落ちなさそうに言葉尻をぼかしている。彼女の超能力と言っても過言ではない感覚のことを思い出し、進ノ介が緊張を声に出した。

 

「何かあるのか?ロイミュードの動く音がするとか」

「今のところ、私センサーに引っかかるような微細な証拠はないみたい。ただ……」

「ただ、何です?」

 

 皆が一ヶ所に集まっているのを目にして進ノ介から数歩程度後ろまで近寄ってきていた霧子が、感情を感じさせない声で先を促す。

 未来はそこでぐるりと周囲を見渡し、短い沈黙の後に一同へと向き直った。

 

「アルファは、元軍人の殺人鬼をコピーしたロイミュードだって説明したよね。奴はこれまでずっと単独で行動して無差別に人を殺してたんだけど、例の刀で武装してるロイミュードは、襲う相手を選んでたんでしょ?ということは、二人はタイプが全く違うってことなんだよ。それがどうして一緒に行動するようになったのかなって。この現場を見てみて、はっきりとわかったんだ。これまでの犯行とは全く違うって」

 

 仲間たち全員の顔をまんべんなく見ながら、FBIの女性特別捜査官は自らの考えを述べた。そのまま、交わした言葉の密度が最も低い霧子の目を見て話を振る。

 

「刀ロイミュードも、今までとは違う犯行パターンなんだよね?」

「ええ……あの刀ロイミュードは友達がどうとかと、斬りつける前にいつも言っていたようです。だから被害者は複数か、もしくは誰かと別れた直後のタイミングで被害に遭っていることまではわかっています」

「うーん」

 

 突然発言を求められたにしては、うまく答えられた方であろう。が、霧子には未来が何を思い感じているかまでは掴みかねていた。

 状況分析を続けようとしている未来は唸ってまた沈黙したが、すぐに胸の中で燻っている煙を吐き出すべく言った。

 

「お互い、自分と行動の趣旨が全く違う相手をすぐ信用して組むわけもないだろうし。ただ人間を効率良く襲うこととは、また別の目的があるように思えるんだよ」

「けど……言われてみれば、確かにそうだな」

 

 進ノ介も、話を聞くうちに同じモヤモヤを感じ出していた。

 同一のロイミュードが起こす連続した事件では、そもそもの目的や動機が最初ははっきりしていないことが多い。しかし、途中から全く想定されていなかったパターンの事件を起こすことは極めて稀だと言える。「何故」というキーワードは、一連の傷害事件において時間の経過とともに確実に増えてきているのだ。

 

 犯人のロイミュードは何故、被害者を襲う前に「友達」云々と口にしていたのか?

 何故、全く共通点もなさそうな別の個体同士が組んでいるのか?

 被害者たちは何故、襲われなければならなかったのか?

 一同が考えに沈みそうになった時、剛が軽い皮肉を込めた視線を未来へと投げた。

 

「ふん。行動分析はFBIのお得意ってわけか」

「即時の行動が、一番効果的じゃない時もあるからね」

「俺はロイミュードが何を考えてるかなんて、知りたくもねえな」

 

 この場で最も若い男は吐き捨てたが、彼の言ったことはまたしても、気に入らない女が肯定も否定もしたわけではない。面白くなさそうに唇を歪め、剛は未来へもっともな疑問をぶつけた。

 

「じゃあ聞くけどさ、その『別の目的』って何なんだ?」

「さあ?それがわかれば、苦労はしないんだけど」

 

 寒さのため白くなった息とともにしれっと返された拍子抜けする答えに、剛は舌打ちを漏らす。

 

「結局わかんねえのかよ!」

「でも大切なのは、犯人をよく知ることだとは言えるんじゃない?この場合、ロイミュードのコピー元になった人間がどんな人物だったのか、ってことが鍵になってくるんじゃないかな。詩島巡査、貴女が見た刀ロイミュードについての情報は何かない?」

「え、いえ……まだ誰をコピーしているのかがはっきりしないので」

 

 また未来から話を振られた霧子であったが、彼女の持っている情報はもう全て特状課に渡してしまっており、新たに思い出したこともない。

 だがそれは想定内だったようで、未来は軽く頷いてから皆の意思を確かめるかのように一人一人と視線を合わせながら提案した。

 

「なら、今回新しく出た被害者の中に何か共通点がないか、最優先で調べるのがいいかもね。アルファと関係がある人物が被害者の中にいないかどうかは、私が調べるから」

 

 FBIの女性捜査官が示した案に、まずは進ノ介が素直に納得した。

 

「そうか!そこから犯人に共通する情報が拾えれば、コピー元の人物を割り出せる可能性は高い」

「確かに……泊さんの言う通りかも知れません。犯行のパターンが変わったこともありますし、そちらを優先的に当たるのも手ではありますね」

 

 次に霧子が、あくまでバディーの男に対して同調したことを示してから賛成して見せる。

 勢いづいた若き刑事は、早速どう行動するかを頭に描きながら呟いた。

 

「そうすれば次に誰が襲われるかの予想もつくし、未然に犯行を防ぐことにもなるな。勿論、通常の捜査と平行して調べる必要はあるけど」

「そういうことなら、俺に任せてくれ。調査にうってつけの奴がいる。泊刑事、今の時点でわかっている被害者の情報を回してくれるか?」

 

 ここは自分の活躍のしどころだと言わんばかりに口を挟んできたのは、今まで黙らざるを得ずにいた翔太郎だった。ロイミュードのことにも特状課のことにも明るくなかった彼は、ようやく訪れた好機を逃したくないのだろう。

 いつの間にかピコピコを外した探偵は、気取ってすら見える仕種で自分のことを指していた。

 

「えっ……」

 

 この申し出に一瞬詰まってしまったのは進ノ介だ。

 いかにも「かっこつけ」な翔太郎が考えそうなことで、この出しゃばり別に意外ではない。だが、果たして彼に捜査上の重要情報を教えていいものかという咄嗟の迷いが、進ノ介の思考を短時間とはいえ停止させてしまった。

 何より自分が翔太郎を信用していないという事実が、一番強く足を引っ張っているのだ。

 その時ふと、口うるさい相棒の一人の朗々とした声が聞こえた気がした。

 

『チームワークには難しさがあるが、時には仕事として理性で割り切る必要があるのが大人というものだ』

 

 今朝、目の前に立つ半熟男のことをベルトに話した時のこと言葉である。

 客観的な実績を見れば、探偵は信用するに足る人物であることの判断はつく。

 仕事に私情を挟むべきではない、と自身に言い聞かせた進ノ介は必要以上に強く頷いた。

 

「……わかりました。情報は、慎重に扱ってください」

「ああ、わかってる」

 

 対する翔太郎は軽く片手を挙げ、得意気に指を帽子の縁へ滑らせて見せた。

 その気取った仕種が癪に障るのだが、進ノ介を代弁するかのように未来がにやりとして突っ込んだ。

 

「んなこと言って、実際に調べるのはフィリップくんなんじゃない」

「フィリップくんって……昨日いた、髪にクリップつけてる変な髪型の?」

 

 変わった名前を耳にした進ノ介が、昨晩の非公式会議が終わった頃に顔を出してきた人物の姿を思い浮かべた。

 フィリップなる青年は、確か翔太郎がいる鳴海探偵事務所のメンバーで、彼の片腕とも言うべき人物だと紹介されていた。確か整った顔立ちに繊細さが感じられる、どこか謎めいた雰囲気を持っていたことを覚えている。どう見ても外国人には見えなかった彼の名である「フィリップ」は、愛称なのだろう。

 成人はしているようであったが、髪型の他に印象として残っているのは、積極的に他人と関わろうとしない極端な姿勢ぐらいであった。

 

「そうそう。でもあの子、凄いんだよ。何せ……」

 

 未来がフィリップの人となりを進ノ介に説明しようとした時、再び進ノ介の携帯電話が着信を告げて振動した。話を続けようとした幼馴染みへ軽く手を挙げて断り、現八郎からの着信であることを確かめてから彼は通話を始めた。

 

「はい……何ですって?……はい、はい……わかりました。すぐ向かいます」

 

 通話自体は十数秒で終わったが、進ノ介の顔と声に緊張が走ったのは一目ででわかるほどだった。

 すっかり進ノ介の空気を変えた一報が気安いものでないことを察し、未来も声を低くしてくる。

 

「どうかしたの?」

「ロイミュードにまた人が襲われたらしい。この現場からは近いようだから、俺が行く。霧子、未来も。後は任せていいか」

 

 現八郎から直接指示されたのであろう。

 進ノ介は自身と関わりの深い二人の警察仲間である女性の顔を、交互に見やって言った。

 

「了解」

「気をつけてくださいね」

 

 未来と霧子がしっかりと頷いたのを確認してから、進ノ介がコートの前をかき合わせながら走り出す。

 --同じ日に、こうまで事件が頻発するなんて!

 最早警察と仮面ライダーへの挑戦と言っていいくらいの連続ぶりに、進ノ介は悔しさを滲ませて歯噛みした。無抵抗の市民を、それも強力な殺傷力を持つ武器で無差別に傷つけるなど、許し難い犯罪なのだ。

 早く現場へ辿り着かねば、という焦りが若き刑事の走る速さを必要以上に加速させる。

 

「まだ敵は近くにいるかも知れねえ。油断するなよ」

 

 熱い怒りと正義感で突き動かされて駆け抜けていく進ノ介の背へ、翔太郎が忠告とも取れる一言を投げ掛ける。

 

「言われなくてもわかってますよ!」

 

 修羅場をくぐってきた先輩としての言葉だったのだろうが、生憎と今の進ノ介には響かない。

 彼はトレードマークの帽子を被り直している探偵を一度も振り返らずに、警察車両の群れへと全力疾走していった。



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仲間とは何なのか -5-

 特状課メンバー一同が再び久留間試験場のオフィスに顔を揃えたのは、その日の午後十時を回った頃であった。試験場そのものはとっくに業務を終えて静まり返っていたが、特状課オフィスには煌々と明かりが灯り、狭い室内には様々な年齢の男女が詰まっていた。

 

「やれやれ、今日は参ったよなあ。傷害事件が連続して四件、被害者は合計で十二名か。それも犯人らしいバケモンの一人は、アメリカから来た例のアルファってのに間違いなさそうじゃねえか」

 

 現八郎が調書の束をデスクにばさりと置くと、その近くにいた亜樹子が横目でちらちらと内容を読もうとしてくる。ベテラン刑事と「女子中学生」探偵事務所所長は、お互い数歩程度しか離れていない距離に佇んでいた。

 一時的に人が増えたことで手狭になったオフィスは、人いきれで季節外れの暑さすら感じるほどになっている。臨時で特状課預かりになっている未来のデスクがあるだけでも圧迫感は増している上に、メンバーは更に四人も増えたのだ。

 

 警察官ではあるが他部署の照井や、客員扱いの翔太郎とフィリップに霧子の弟である剛は、ミーティング用の会議机に腰を落ち着けている。亜樹子は少しでも情報収集をしたいのか、会議机とオフィススペースの真ん中という中途半端な位置から動かずにオフィスの中を眺め回していた。

 

「亜樹子、あんまりキョロキョロするなよ。不審者に見えるだろ」

「別にいいじゃない。風都署以外の警察署なんて、初めて来るんだもの」

 

 落ち着きのない亜樹子を翔太郎が小声でたしなめても、当の本人は悪びれた様子もなく口を尖らせるだけだ。確かに彼女は、夫である照井へ差し入れや着替えを届けに風都署まではよく行っているが、他の署には全く入ったことがないのだ。

 

「まあ、部署自体が運転試験場にあるのは風変わりだね」

 

 物珍しいのはフィリップも同じようで、時折周囲に視線を巡らせては、抑え切れない好奇心を隠すのに苦労しているらしかった。彼は翔太郎の隣で缶コーヒーに口をつけながら、今度は特状課レギュラーメンバーたちが集まっている机の方を眺めている。

 

「俺たちの部門も人数は少ないが、ここまでではなかったな……」

 

 同じく会議机に座している照井は、特状課メンバーの捜査ミーティングが自然と始まりそうになっている空気を察しているらしい。若き警視も安っぽい缶コーヒーを飲みつつ、耳だけは神経を集中させているようだった。

 その時、自分の机でアメリカから持参したノートパソコンを使い、情報を確認していた未来が現八郎に応える形で発言した。

 

「先程クワンティコから画像を受け取って、目撃証言と照らし合わせてみましたが……ロイミュードの一人は、アルファにほぼ間違いないと思われます」

「しかし、複数人のロイミュードが組んで行動するとは……なかなか、厄介なことになりましたねぇ」

 

 彼女の言葉に自分のデスクで当日分の捜査情報を整理していた一同が顔を上げるとともに、本願寺課長も眉根を寄せて資料から視線を上げてくる。

 

「それにしても、ロイミュードの目的は何なのかしらね?私には、手当たり次第に人を襲ってるようにしか見えないんだけど」

 

 捜査で使ったピコピコを点検していたりんながふと疑問を口にすると、それを受けた究も大きく伸びをしながら呟いた。

 

「今のところ、被害者に共通点があるようには見えないな。もっと細かく調べれば、何か出てくるのかも知れないけどさぁ……」

 

 眼鏡を外して目をこすりつつ、究は椅子の背もたれに体重を預けた。顎を上向かせて疲れ目を休めている情報調査のスペシャリストは、今の今まで有用な情報がないか調べていたのであろう。究だけでなくメンバー一同疲労の色が濃くなっていたが、霧子はまだきびきびとした口調を保っていた。

 

「ただ、これまで同じ日に犯行が連続したことはありません。間捜査官の指摘通り、二人のロイミュードが共に行動するようになって、明らかに行動のパターンが変わってきています」

「このままじゃあ、被害者は増える一方だ。やっぱり奴等の行動を予測して、先回りしていかねえとな」

 

 現八郎が渋い顔をすると、霧子が困ったように返した。

 

「ですが、今回のこの四件の捜査も平行して進めていかないと……」

 

 ベテラン刑事が言うことはもっともであったが、今日起きた四件の傷害事件の捜査を進め、得られた情報を分析し、犯人の姿を確実に暴いていかなければ、先回りのしようもない。ただし今の混乱した状況では、まだ具体的にどうこう言えるほどの見通しが立てられないのだ。

 霧子を始めとした特状課メンバーが同じことを考えたところで、現八郎が力強く頷いた。

 

「よし。じゃあ、二手に別れて進めていこうじゃねえか。半分は奴等の動きを見て、次に狙われそうな奴の周辺で張り込み。もう半分は今日出た被害者の人間関係を洗って、刀を持ってる鬼入道のコピー元が誰なのかを調べる」

「そうですねぇ。効率的に進めていくには、それがいいかと思いますよ。お互いの状況については、連絡を密に取って常に把握するようにしていれば大丈夫でしょう」

 

 複雑化してきた捜査状況に却って燃えたらしい現八郎に、本願寺も同調する。責任者である本願寺は基本部下任せで、悪く言えば放任主義の上司なのだが、こういう時は現場が好きにやれるのが有り難い。

 

 瞬時の反応として「鬼入道ではなくロイミュード」と全員が心で突っ込みを入れたが、実際には反対の声が上がらなかったことを皆の同意と判断し、進ノ介が皆の顔をぐるりと見渡す。

 

「じゃあ、どう分けますか?」

 

 若き刑事は、イレギュラーなメンバーが布陣している会議スペースにまで視線を通していた。

 それを目ざとく察した者の元気な声が、蒸し暑さを感じるオフィスに響く。

 

「はいはいはい!被害者の人間関係の洗い出しに関しては、私たちがやります!その辺りは、鳴海探偵事務所にお任せよ!」

「そうしてもらえるとありがたい。多分俺たちの方が小回りは利くだろうからな。それに、この街のことを知るにはいい機会だ。何と言っても、まずは自分の足を使わねえとな」

 

 勇んで挙手した亜樹子に続いたのは翔太郎だった。

 確かに彼の言う通り、地道な調査は探偵の最も得意とするところなのだろう。加えて、今後のために久留間での確かな足掛かりも築いておく心積もりでいるのかも知れない。

 

「俺は左からの情報を受けて、整理してからこちらへ回すようにしよう。全体へ情報を回す前に精査する必要があるし、俺たち警察と常に連携が取れていれば便利なこともあるしな」

「私は翔太郎くんと一緒に行くことにするから。一人じゃ心配だしね」

 

 亜樹子と翔太郎に同意した照井が提案に沿う形で自らの立ち位置を確定させ、もう一度亜樹子が続ける。

 ここで笑顔の亜樹子が夫である照井との別行動に出たのは、未来を除く特状課のメンバーにとっては意外であった。一見すると夫にべったりの彼女であるが、鳴海探偵事務所を預かる所長として、実はちゃんと自分の行動を弁えているのだ。

 ただしそれでも、夫婦の間に漂う「ラブラブ」な色はしっかりと周囲に染み渡ってはいたが。

 

「あ……そうですか。じゃあ、お願いします」

 

 特状課の総意を代表し、進ノ介が半ば空気に飲まれる形で返答する。

 

「そんなら、俺も行くよ。あんたらが話を聞いてる時、相手の顔写真なんかをバッチリ押さえられるからな」

 

 そんな亜樹子のキャラクターを掴むのが早いのか、剛が鳴海探偵事務所のメンバーへの協力を申し出た。彼は鳴海探偵事務所の面々とともにパイプ椅子に座っていたが、浅く腰かけるて背もたれに体重を預ける姿勢は、今時のノリが軽い大学生そのものであった。

 

「ま、俺たちはさながら遊撃部隊ってとこだよな?よろしく頼むよ、翔さん」

「何だよ、その変な呼び方は。翔太郎さんか、せめて左さんと言え!」

 

 初対面の時から翔太郎に対してやたらと馴れ馴れしかった剛に笑顔で言われ、流石にむっときたのであろう。恐らく自らのポリシーに反していると思われる妙なあだ名に、帽子の探偵は突っ込みを返していた。

 

 だが、ペースを崩す気などまったくない剛は、あくまで自分の気持ちにしか従おうとしない。彼はやれやれと言いたげに立ち上がってからわざわざ翔太郎の横まで行き、カラーシャツに包まれた肩に手を置いた。

 

「いいじゃん、短い方が呼びやすくてさ。進兄さんだってそうだし」

「俺の方が年上なんだぞ!ちったあ敬意を払えってんだ」

 

 翔太郎が振り返って剛を睨んだ拍子に肩の手が外れるが、当の剛は全く気にした素振りは見せていない。

 

「硬いなぁ。ま、俺は翔さんって呼ぶからさ。仲良くしようよ」

「お前なぁ……」

 

 もはや敬語すら使うつもりのない若者に、翔太郎が脱力する。

 ところが、この二人のやりとりに大きく頷いて会話に割り込んでくる人物がいた。

 

「別にいいじゃない、呼び方くらい。えっと……詩島剛さん、よね?改めて、よろしく!」

「うん、俺もよろしく頼むよ」

 

 亜樹子にまで元気に言われて剛が同調してしまうと、翔太郎はもう言い返すことができなくなってしまう。今度は翔太郎がやれやれという体で溜め息をつくと、自分のデスクから彼らの様子を窺っていた未来が控え目に述べた。

 

「私は被害者の情報を洗って、何か共通点がなかったかどうか分析します。FBIのデータベースからアルファの捜査資料も取ってきて、データとして提供しましょう」

 

 まだあまり馴染まない現場故に後方支援に徹しようと思ったのだろうか、FBI捜査官が選んだのは目立たない役目であった。

 

「え、本当?じゃあ、もし未来さんから情報を回して貰えるんなら、分析は僕も一緒にやろう。元々それが専門なんだしね」

 

 未来がデスクワークに回ることを聞いた究が、嬉々として共同作業を希望する。FBIの生の情報など、普通なら日本国内ではお目にかかれない。情報分析のスペシャリストとして、見逃せない好機なのだ。

 

「あっ、私も!未来ちゃんから提供してもらったデータを見て何かわからないか、色々やってみるわね」

「ありがとうございます。助かります」

 

 究に続きりんなも手を挙げたところで、未来が笑顔で感謝の意を示して見せる。

 

「僕もそちらを手伝うよ」

 

 最後に自分の立ち位置を決めていなかったフィリップが、ぼそりと呟いた。

 

「ほんと?フィリップくんも手伝ってくれるんなら、鬼に金棒だよ」

 

 人見知りが激しい青年の一言を聞き漏らさなかった未来が、会議テーブルについている本人に視線を送ってくる。フィリップはまだこの賑やかな空間にいることの違和感が拭えないらしく、黙って頷くだけだった。

 

「こりゃ、見事にチーム分けされたなあ」

 

 特状課メンバー、鳴海探偵事務所メンバー各々の役割を反芻して確認した進ノ介が、感心して感想を口にする。

 仲間たちは早くもそれぞれのチームになり、課題を検討する小さなミーティング状態に入ろうとしていた。狭いオフィススペースが、夜遅くの時間帯に不似合いな活気をにわかに帯びて熱くなろうとする。

 

「そうと決まれば、話は早え。俺と進ノ介、嬢ちゃんは聞き込みを進めながら、次に狙われそうな人間の目星がつき次第そいつの護衛だ。それに奴等が最終的に何を目的にしてるのか、そのことも常に頭に置いてな。行くぜみんな!」

「はい!」

 

 追田警部補が上げた一声に、一同が力強く応えて見せた。

 

「追田さん、何だか妙に生き生きしてるような気がしますね……」

「現さんも、若い人たちの指導に当たれるのが嬉しいんですよ。もともと昔ながらの熱血キャラですから」

 

 その中になし崩し的に巻き込まれた霧子が、珍しく一つとなった特状課の盛り上がりに驚きの表情を見せていた。

 彼女の呟きを聞くとはなしに聞いていた本願寺課長は特に意外ではないらしく、むしろ嬉しそうにうんうんと頷いている。

 

「う~ん、占いの予想通りになってきましたねぇ……いい感じですよ」

 

 そして笑顔の課長がおもむろに内ポケットから取り出したガラケーの液晶画面には、『管理職の方は、部下の行動には敢えて口を出さずに見守りましょう。期待以上の成果が待っています』という星占いが表示されているのであった。



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仲間とは何なのか -6-

 特状課が時間の遅い自発的なミーティングで盛り上がっていた頃、深夜帯の気温は急速に下がりつつあった。乾いた空気が音を立てて冷え込み、僅かな水分さえも凍りつかせていくかのようだ。

 一年のうちで最も人を拒む時期の闇には、わざわざ紛れようとする者は少ない。

 容赦ない寒風が強く吹きつけるビルの屋上に佇む二つの人影は、その一部であった。

 

 そのうちの片方に当たるスキンヘッドの大柄な白人男は、薄手のブルゾンにジーンズを纏い、開いた胸元からはドッグ・タグと金色の胸毛を覗かせている。もう一人は白人男と対照的な細身の日本人で、かっちりと着込んだスーツ姿は帰宅途中のサラリーマンだと言われれば納得する、言ってみれば印象に残らないタイプの男であった。

 ちぐはぐな組み合わせの男二人に共通するのは、コートもマフラーも身につけていないのに、身震い一つ起こしていないところだろう。

 

 が、彼らには外見に決して表れることのない共通点がもう一つあった。

 造形こそ人間そのもののではあるが、姿も記憶もコピーされた別人格の「誰か」もので、暑さ寒さのような環境に左右される脆弱さを持たず、生き物であれば決して存在しない筈である機械仕掛けの核ーーつまりコア・ドライビアがある。

 

 白人男の連続殺人鬼を模したファイアアームズ・ロイミュード、地味で神経質そうな日本人をコピーしたカタナ・ロイミュードの二人は、揃ってビルの階下に広がる久留間の街を眺めていた。

 

「日本の能なし警察が、やっと本腰を入れ出したみてえだな」

「アルファ、奴等をあまり甘く見るな。これまでに、何件ものロイミュード犯罪を解決してきた連中だぞ」

 

 アルファと呼んだ白人男をたしなめようとしたのか、スーツ姿の男が素っ気ない口調で返す。

 この二人のロイミュードにはもう一つ、基幹プログラムにバグがある不完全な状態で覚醒したという共通点があった。故にナンバーも十六進数の桁が混ざっており、そのアルファベットを取った「アルファ」「エコー」という渾名で名を呼び合っていた。

 

 感情を極力見せようとしないエコーはアルファに意識を向けながらも、静かに煌めく冬の夜景をじっと見据えたまま視線を動かさない。そこに彼の頑なさを見つけたアルファは、全く正反対の意見を吐いた。

 

「しかしそれも、あの仮面ライダーって奴の助けがあっての話じゃねえか。なら、恐れるに足りるようなもんじゃねえよ。軍隊並みの武装で追い回してくるFBIより弱えんだからな」

「俺たちは日本警察の貧相な武器でも、ダメージを受ければ進化体でいられなくなるかも知れないんだぞ。慎重に行動して損はない」

「やれやれ。日本男児ってヤツぁ、どいつもこいつもお前みたいに頭が硬ぇのばっかりなのかよ?」

 

 一向に同意してこない仲間に、アルファはやれやれとスキンヘッドの頭を振った。

 

「仲間だからこその意見だ。聞いておけ」

「へいへい」

 

 逆に真面目に聞こうとしないアルファの方へ、エコーが初めて顔を向けたが、今度はアルファの方がエコーから気を逸らしている。

 彼はスーツ姿の男から離れると、手近な手摺に腰を乗せた。

 錆びだらけの古びた鉄が、ロイミュードの重量に僅かな軋みを上げる。

 

「だがよ。お前も、気に入らなかったかった奴をブチのめしたかったんだろ?渡りに船って奴だな」

「奴等は別に急がなくとも、そのうち俺が斬ることに変わりはなかった。それとこれとは関係ない」

 

 話題を変えてきた白人の大男に、エコーが変わらず抑揚のない声を返す。

 しかしアルファは、そこに密やかな動揺が滲んだことに気づいていた。わざとあげつらうような笑顔を作り、無感情を貫こうとしている仲間を煽っていく。

 

「最初は偶然だったぽいけどな。獲物の中に必ず一人はお前の刀を見てブルってる奴がいたが、それも関係ねえってか?」

 

 二人で組んで襲った人間の中で明らかにエコーの持つ刀を知っていた者がいたことを、アルファは指摘した。

 エコーが襲う相手を選び始めたのはそれからだが、彼はその理由を未だ口にしようとしないのだ。

 

「俺も、最初はただの偶然だと思っていた……今は余計な詮索をするな。時期が来れば話す。俺とて、まだ全てを思い出したわけではない」

「俺たちに特有の、記憶の混乱か。まあ、特にお前は最近起きたばっかりらしいからな。ま、そうカリカリしなくたって問題ねえだろ」

 

 あっさりと追求を止め、アルファがエコーの視線を追う。

 神経質そうな日本人男性の姿をした仲間の黒い瞳は、未だ久留間の夜の姿を映し続けている。精神の弱さが透けて見えるこのタイプは、アルファにとって与しやすい相手だ。揺さぶりをかけ続けるだけですぐに依存してくるパターンが手に取るようにわかり、使いやすいと言えるであろう。

 

 自分たちのバグは進化体の姿と能力が不安定であることが一番の特徴だが、コピーした人間の記憶や一般的な知識が不完全になっているのも、つい最近わかったことだった。バグミュードが仲間同士にならなければ、気づかないままだったかも知れない。

 アルファにとって、コピー元の人間の昔や常識などどうでもいい。

 ただやりたいように、突き上げてくる衝動に従うのが快いだけだ。

 

 その一方、エコーは自らの過去にどうしてもこだわるらしい。

 恐らく進化体の姿がコピーした人間に強く影響されたせいもあるのだろうが、それなら気の済むまでやらせてやるのがいいだろう。どうせ人間相手に暴れられるのは変わらないのだから。

 

 アルファがそこまで考えを巡らせたところで、ひゅう、と寒風が高い音を立てながら吹き抜けていった。無意識に髪がない頭に手をやって見えない帽子を押さえる仕種を見せたアルファに、エコーがふと疑問を投げかける。

 

「だが、こんなことをやってるだけで本当に仲間を見つけられるのか?」

「ああ。こっちに着いてすぐ、弱っちいのを締め上げて吐かせた情報だ、間違いねえよ。こうやって派手に暴れてりゃあ、そのうちあっちから……」

 

 アルファが鼻で笑って見せた時であった。

 不意に、二人の男たちの背後から抑えた声が発せられた。

 

「成程。こちらとしては、貴殿方の思惑通りに動くつもりはなかったのだが……結果としてそうなってしまった、というわけか」

 

 警戒して振り返ったアルファとエコーの視線の先に、浮かび上がっている複数の人影がある。

 頼りなげな屋上灯の光に照らされている彼らは、一見すると四人の若い男女であった。そのうちの一人、金髪に眼鏡をかけて緑色のジャケットを着込んだ男が、一旦口をつぐんで鋭い眼光を投げかけてくる。

 

 男の傍には紅い革コートの背が高い男と、紫色のライダースジャケットを纏った男が佇み、黒っぽいノースリーブドレス姿の女も控えていた。この四名の装いには季節感が全くない上に白い息を吐き散らすこともなく、強烈な風を受けても身じろぐ様子はない。

 しかしアルファは、そんなことに気づく前に本能的な感覚でこの男女の正体を掴み取っていた。

 

「おっ……?」

 

 一言と同時に愉しげな笑いが漏れる。

 白人の大男は、ブルゾンの襟を整えながら四人を眺め回していた。

 

「早速お出ましか。話が早くて助かるぜ」

「君たちが最近この街に来たという、バグのあるロイミュード……バグミュードか。何にしても、俺は君たちを友人として歓迎しよう」

 

 挑発的とも取れるアルファの挨拶に悠然と返した紅い革コートの男、ハートも口許に笑みを浮かべている。アルファとは違い、彼は本心から新たな同胞たちの存在を喜んでいる印象がある。一目見て好戦的とわかる相手の前に進み出てきたハートは隙だらけで、逆に毒気を抜かれてしまう気さえした。

 この男が心底からバグミュードたちを仲間と思っているのだとしたら、愚鈍で純粋か途方もない大物か、そのどちらかであろう。

 

「ふん……てめえらが、この国のトップってわけか」

 

 アルファはあくまで相手を値踏みする姿勢を崩さず、煽り口調を続ける。僅かな間の立ち振舞いや気配からハートが中心的な位置にいると目星をつけ、わざと下卑た態度で一戦を吹っ掛けた。

 

「なあ。てめえらの中で一番強えのはどいつだ?俺は手応えのない腰抜けとお友達ごっこをする気も、従う気もないんでな。お前たちが強いとわかったら、仲間になってやるよ」

「噂に違わぬ無法者だな。こっぴどく痛い目を見て貰わねば……」

 

 人間社会の中でも低い地位にある者たち特有の品性がない物言いに、ブレンが眉間に皺を寄せながら半歩前に出ようとする。

 だが、嫌悪感をストレートに表情に出したブレンをハートが片手で制した。

 

「面白い、新しい友人たちの強さを量るには丁度いい機会だ。本来ならチェイス、お前の出番だが……生憎、俺も少しばかり楽しみたい」

 

 大人しくしばかりていては身体が鈍ってしまって仕方がないと、ハートの表情が語っている。ロイミュード全体の中心的存在であるハートが宿敵と認めるのは仮面ライダードライブだが、いつも同じ相手ばかりでは流石に飽きるのだろう。

 

 戦闘という刺激を愛するハートらしい考え方と言えるが、ブレンにとってのハートはかけがえのない存在であり、もっと大きく構え、些末なことは仲間たちに任せてくれるくらいの信頼を抱いて欲しい相手だ。

 故にブレンは、簡単に退くつもりはない。

 

 「いいえ、ハート。こんな礼儀知らずで、無謀で、腹立たしい奴の相手を貴方がする必要はありませんよ。ここは……」

「では、ここは私に任せて頂きますわ」

 

 ハートの腕を押し退けようとしたブレンの更に前へ進み出た、黒いドレスの人影があった。

 横合いからするりと割り込んできたのは、幹部の中で唯一の女性型ロイミュードたるメディックであった。

 

「メディック?何を勝手な--」

「彼らは基幹プログラムにバグのある存在。ならば、戦いながら相手の身体を効率良く分析できるこの私が最も適任ですのよ?」

 

 当然ブレンは猛然と彼女に食って掛かったが、妖しい微笑を湛えて淀みなく返すメディックに勢いを逸らされてしまう。

 一方で、この少女の言うことが最も理にかなっていることは認めざるを得なかった。

 

 確かにバグミュードは根幹にバグという自己治癒不可能な欠陥を抱えた存在であり、治癒の特異能力を有するメディックだけが、戦いを通して彼らの特性を分析できるのだ。ここで彼女がバグミュードたちの弱点を掴んでしまえば、今後有利に事を運べる可能性は高くなる。

 理屈で考えたブレンが咄嗟に反論できずにいると、ハートが最終的な判断を下した。

 

「わかった。では頼むぞ、メディック」

「はい。ハート様のために……」

 

 ハートからの寵愛を奪い合うメディックとブレンの間の戦いで、今回はメディックに軍配が上がったらしい。彼女は嬉しそうに頷くと、改めてバグミュードたちへと向き直った。

 ハートやメディックの後ろで、敗者となったブレンは悔しさに歯噛みするしかない。彼は愚痴をこぼす代わりに、無言で佇んでいるもう一人の仲間へと目配せした。

 

「チェイス。癪に障るが、メディックが危なくなったら支援を」

「心得ている」

 

 胸ポケットから出したチェック柄のハンカチで顔を拭っているブレンの方は見ず、機械的とも言える口調でチェイスが言葉を返す。

 以前は目に余る行動を繰り返すロイミュードの肉体を破壊する「死神」と恐れられた魔神チェイサーことチェイスであったが、今は「ロイミュードを守る」命令にひたすら忠実な個体だ。これもメディックが本来の自分を取り戻しそうになっていたチェイスのプログラムを改竄した結果で、その実績がある故、彼女にこの場を任せる理由にもなっている。ロイミュード同士が戦う今回の戦闘においてチェイスがどう判断するのか、ある意味見物と言える。

 

 が、恐らく問題など最初から存在しないのかも知れない。

 メディックならば当然そんなケースも想定して自分たちを、いや、ハートと自分を優先するよう細工していることは目に見えている。

 進み出ていくメディックと構えるバグミュードたちを腕組みしつつじっと見つめるチェイスは、ブレンの胸の裡など意に介さない鉄面皮を保ったままだった。

 

 そして、一枚岩でない幹部ロイミュードたちのことなど察しないのはバグミュードたちとて同じであった。黒いハイヒールの音を響かせて歩いてきた少女型ロイミュードをあからさまに小馬鹿にし、アルファが鼻白んで見せる。

 

「ふうん、こんな娘っ子が相手とはな。俺たちも舐められたもんだ。おいエコー、やるぞ」

 

 侮蔑の笑みを浮かべたアルファの巨体が不規則な光に包まれ、人間の姿から無数の砲身を生やした進化態のシルエットへと変貌を遂げた。

 

「言われなくてもわかっている」

 

 薄い唇を歪めながらも答えたエコーも、スーツを纏った人間の青年から本来の姿である刀を携えたロイミュードへと戻った。



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仲間とは何なのか -7-

「どうぞ、かかっていらっしゃい。お二人とも、まとめてお相手して差し上げましょう」

 

 最後にメディックが、余裕の窺える態度を崩さずに黒ドレスの乙女から異形へと姿を変えた。

 ロイミュードとしての彼女はナンバー009で、進化態となった後も女性型であることが判別できる極端なプロポーションだ。白い顔に細くくびれた腰、全体的に曲線を強調したフォルムなど、細部に至る箇所まで優雅ささえ感じさせる。

 

 だが、その見た目に騙される者は馬鹿だということが、対峙しているアルファとエコーには伝わってくる。幹部ロイミュードであるだけに、ただ者ではない気配が圧迫感として神経を刺激してくるのだ。

 

--その方が、むしろ倒し甲斐があって面白い!

 先に仕掛けたのは好戦的なアルファで、彼は半歩前に踏み出しながら右腕を突き出した。

 

「小娘が、調子乗こいてんじゃねえぞ!」

 

 嘲笑するが早いか、アルファの右腕に仕込まれたガトリング砲が火を吹いた。高速回転するバレルから弾丸が連なり、線となって殺到する。

 

「はっ!」

 

 標的となっていたメディックはしかし、その場から動かずに黒き触手で難なく弾を弾いていた。走り出したアルファが位置を変えながら砲撃を断続的に続けるが、女ロイミュードは全ての弾丸を触手で払い切り、ただの一発も当てさせない。

 アルファの攻撃の合間に、見かねたらしいエコーが刀を構えてアルファを追い抜こうとする。熱を帯びた砲身を冷やすための間隙だが、まだ無数の砲撃手段を持っているアルファが不満そうに吼えた。

 

「お前は少し下がれ。接近戦は俺がやる。援護しろ」

「おい!邪魔するんじゃ……」

 

 メディックの隙を狙うエコーの背に投げかけた怒鳴り声が途切れる。何の前触れもなしにアルファの身体を内側から沸き上がる光が取り巻き、瞬時のうちに彼は進化前であるバット型の汎用ボディーに戻ってしまったからだ。

 

「……畜生!」

 

 まるでこの事態を予見していたかのようなエコーと自分自身の不便な身体に、アルファが吐き捨てる。

 通常なら進化態になったロイミュードは、深刻なダメージを受けない限り基本型に姿が戻ることはない。この不安定さこそがバグミュードに共通する最大の弱点であり、アルファもこれを引き金に何度下手を打ったかわからなかった。

 

「代わりに、俺が戻ったらお前が進化態で懐に飛び込め」

 

 やはりそのことを心得ているエコーは短く言うだけだったが、今は無駄に口論している場合ではない。

 いまいましげに呻いたアルファが、それでも空中へと飛び上がる。バット型の基本態は衝撃弾を撃つことができるため、コピーした人間が得意としていた射撃の腕を活かせる余地はあるのだ。

 

 背後の仲間が夜の闇へと駆け上がって援護の体勢に入ったことは、刀を構えているエコーにも伝わってきていた。都会の夜の人工的な光を纏った長大な刃をぎらりと輝かせ、メディックに向かって斜めに振り下ろす。

 刀身の長さと重さを利用した斬撃はしかし、メディックの身体にすんでのところで届かなかった。素早く身を引いた女ロイミュードを追いかけて、二度、三度とエコーの刀が襲いかかる。

 そこへ、上空から無数の弾が降り注いだ。アルファが仲間を援護すべく放った衝撃弾が巧みにエコーだけを避け、倒すべき敵へと落ちかかる。

 

 幹部ロイミュードであるメディックも、二方向から繰り出される異なった攻撃を笑み混じりでいなす余裕はなかった。黒き触手を操って頭上の弾丸を遮り、鋭く空気を裂く刃をかわして、反撃に転じる機会を窺う。

 三人のロイミュードが演じる戦いの空間が、宙を斬る悲鳴と、地を穿つ鈍重な破壊音と、互いの武器がぶつかる金属音に満ちていく。

 己の腕を見せつけるために繰り広げられている戦闘を見守るハートが目を細め、愉しげに呟いた。

 

「ほう。あの二人、なかなかいい動きをしてるじゃないか。連携の取り方も心得ているようだな」

「しかし、彼等は進化態を長くは保てないのですね。致命的な弱点と言えるでしょう」

 

 紅いレザーコートを纏った男の隣に立つブレンが眼鏡を直しつつ冷たく言い添える。が、ハートは口許に笑みすら浮かべていた。

 

「逆にそこが何とかできれば、期待はできるだろう。実に面白い」

 

 小さく頷きながら、彼はバグミュードたちの小さな挙動も見逃すまいと見入ったままだ。

 仲間は多ければ、多いほどいい。

 今こうして刃を交えている者たちも、根は同じロイミュードというひとつの種族だ。多少気が合わない相手同士だったとしても、必ず理解し合える筈なのだ。そして皆が力を合わせさえすれば、この世界をロイミュードのためのものに変えられる。

 

 純粋にハートはそう信じ、共に戦う仲間のことを心から大切にしていきたいと願っていた。人間のような俗っぽい雑念や欲を伴わない分、彼は無垢な願望の持ち主とすら言えよう。

 彼の熱がこもった視線の先では、再び地上に降り立ったアルファとエコー、彼らと相対するメディックが近接格闘戦に突入していた。

 

「はっ!」

 

 気合いを一閃し、エコーが中段で突きを繰り出す。

 

「このアマ!」

 

 ほぼ同時に、横からアルファが腹を狙った拳を放ち、メディックを倒さんとして蹴りへと続く連続攻撃を仕掛けていく。しかしメディックは触手を閃かせてエコーの突きを防ぎ、アルファの拳と蹴りを受け流すという巧みさだ。

 彼女は今のところあまり積極的な攻撃をしてこないが、毛ほどの傷も負わせられないことを考えても、やはり手強い相手と言えるであろう。

 

 同じことを考えたらしいアルファとエコーは、どちらからともなくメディックとの間合いを少しだけ離し、僅かに攻撃範囲から外れた。幾度となく生じていた攻撃の隙間に、三者の鋭い視線が音を立てんばかりにぶつかり合う。

 その一瞬の間を挟み、またもロイミュードたちの刃が、弾丸が、触手が衝突した。

 

「お二人とも、ここは私に負けなさい」

 

 そこへ、予期していなかった音が紛れ込んだ。走り込んできたメディックの声であった。彼女の言葉は小さく、離れているハートたちには聞こえていないだろう。

 

「何?」

 

 僅かな動揺を滲ませたエコーの刃が鈍り、メディックの触手に逸らされる。その際にバランスを崩したエコーの上半身に明らかな隙ができたが、彼女はそれ以上の反撃を重ねてはこなかった。

 

「私、貴殿方のバグを直すことができますのよ?」

 

 再びメディックの小声がバグミュードたちに、手加減した触手の打撃と共に届けられる。

 並んで立つアルファとエコーの側面を打とうとした触手を各々が弾きながら、彼等は一旦離した間合いを詰めるように走り込んでいった。

 

「……その話、本当だな」

「ええ。私の言うことに従えば、完全な個体にして差し上げますわ」

 

 懐まで飛び込まれて拳を連続で浴びせられても全て防ぎ切ったメディックに、アルファが低く言った。重さと圧力がある連続殺人鬼の言葉にも彼女は動じず、返答には笑みが含まれているかのようにも思えてしまう。

 

「約束するか」

「はい。必ず」

 

 続けて下段に構えた姿勢から斬り上げたエコーも問うが、メディックの態度は変わらない。

 恐らくこの女は自分たちバグミュードを歓迎しておらず、デバッグという餌で釣り上げて利用するつもりでいるのだろう。いかにも小娘が考えそうな浅知恵だ。

 

 が、日本国内に何体のバグミュードが潜んでいるかは定かでないし、強い者の仲間でいられれば、デメリットよりもメリットの方が大きくなる。何より幹部ロイミュードたちの動向を掴んでおかねば、自分たちがやりにくくなることは目に見えているのだ。

 アルファとエコーが互いの共通認識として考えていたことは、完全に一致していた。

 

「ちぃっ!」

 

 二人はどちらからともなく弾かれたようにメディックの眼前から大きく後退し、アルファが大袈裟に舌打ちを漏らして見せた。

 

「くそっ!女め、思った以上にやるな」

 

 そして対峙する姿勢に戻ったところで敵意を込めた視線でメディックを睨み、腹立たしげに叫ぶ。不自然さが見えないよう、エコーがアルファに倣って頷きながら刀を構え直した。

 間合いが離れたことで屋上全体の緊張感が薄れ、丁度いいとばかりにメディックがハートへと意識を向けた。

 

「これ以上戦えば、お互い無事では済まないでしょう。ハート様、一旦休戦とさせて頂けますか」

「いや、もう充分だ。君たちが一定以上の強さであることはよくわかった」

 

 信頼を置く仲間であるメディックの言葉を受け、ハートがバグミュードたちへ穏やかに言った。相手を見下したり、小馬鹿にするような悪意は微塵も感じられない、懐の深さを感じさせる声であった。

 

 自分よりも若い人間の姿をコピーしている外見にもかかわらず嫌味でない態度は、余程の大物なの単に純粋な馬鹿者なのか。いずれにしても、誰かを簡単に信用してしまうハートは与し易い相手であろう。

 アルファは人間のボディーである大柄な白人男性へと姿を戻し、余裕のある表情を見せつけた。

 

「こっちもだ。こんな女を従えるくらいだ、あんたも相当なもんだってことは、俺にもわかる。ハートか……気に入ったぜ」

 

 高身長のハートを更に上回る目線からロイミュード一同の顔を見回し、アルファが片方の口の端を吊り上げてにやりと笑う。

 

「ハートを呼び捨てにするとは……!口を慎め!」

 

 途端、ブレンは眉を吊り上げて叱りつける。

 ハートがバグミュードたちを受け入れる姿勢を崩さない今、彼も今ここでの反対を唱えはしないが、無礼な態度は許せないのだ。

 

「堅苦しいよりはいいじゃないか、ブレン。アルファ、それにエコー。君たちを改めて歓迎する」

 

 マナーを知らない後輩たちにぷりぷり怒っている部下を宥めるように諭してから、ハートが両手を広げて自分の意思を示して見せた。アルファとエコーが頷いて見せると、彼は紅いコートの広がった裾を翻し、戦いの場に残っていた硬い空気を散らしていく。

 

「俺たちの家へ案内しよう。一緒に来るといい」

 

 その広い背中には、ロイミュードたち全ての「これから」を背負わんとする気概と熱さ、誇りがあった。

 

--だからメディックやブレンはハートに従い、彼のために生命を張るのだろう。

 

 新たな仲間の一番後ろを影のように歩き、友を持つ人間を憎むエコーですら、直接の感覚でその事実を捉えられるほどであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハートたちが一時的な居住地としている廃ビル。

 同じ建物内で比較的状態のいい一室が、アルファとエコーにあてがわれた。ある程度の調度品が整っており、埃が多少あっても、ソファーやベッドに身体を落ち着かせてくつろぐことはできる。

 が、全てが暗色のゴシック調で統一されているのは、恐らくメディックの趣味なのであろう。至るところに薔薇柄が散りばめられているのは、違和感を禁じ得ない。

 

 エコーは少なからぬ居心地の悪さを感じていたが、アルファは些細なことなど気にならないようで、筋骨隆々とした全身を投げ出す格好で三人掛けのソファーを占領していた。

 

「ここがこれから俺たちの塒か。悪くねえな」

 

 ひび割れた窓を覆う厚いカーテンの隙間から外の様子を窺っているエコーと対照的に、アルファは自分が気にならない点については特に不満を覚えない質らしかった。

 一事が万事、殊にロイミュード同士の関係においては多々ストレスすら感じてしまう自分とは、まさに正反対だ。本当にうまくやっていけるのかと、不安を覚えてしまう。

 

「しかしあのハートって奴、お人好しにも程がある。見ず知らずの俺たちをロイミュードってだけで諸手を挙げて歓迎した挙げ句、この扱いだ。あの野郎に近い奴等は苦労してるんだろう」

 

 黙っているのは性に合わないのか、アルファの喋りは止まらない。彼は頭を反らせてソファーの背もたれに体重を預けると、天井を覆う陰鬱なブルーの布が作るドレープを見上げた。

 

「まあそれでも、奴に惹かれるのは何となくわかる気がするがな。特にあの女、ハートのためだと言えば自爆でも何でもしそうな気がするぜ」

 

 幾重もの布が作る隙間にアルファの嘲笑が吸い込まれた時、ふとエコーが気になったことを口にした。

 

「……おい、本当にあの女の言いなりになるつもりじゃないだろうな」

「ああ?」

 

 メディックのことを聞き咎められ、アルファがぞんざいな返事を寄越す。

 人間の姿でいると筋肉と脳髄が直結していそうに見えるアルファは、のろのろと姿勢を戻してソファーに深く座り直した。舌打ちしたい気分にさせられつつも、エコーは警告の言葉を発しておく。

 

「あのメディックとか言う女、何を考えているかまるでわからん。お前も気をつけたほうがいい」

「ほう?お前は自分のこと以外関心がないと思ってたんだがな。わざわざ忠告してくるとは」

「忠告のつもりはない」

 

 嫌味たらしく返してきたアルファに、一秒の間も置かずエコーが吐き捨てた。

 デバッグを餌にされて延々とメディックの命に従うなど、どう転んでもリスクが高すぎるとしか思えない。

 あの女ロイミュードは堂々と仲間に嘘をつき、欺こうとしているのだ。そんな人物など到底信用する気になれないし、第一エコーの個人的な感情としても許し難い。友を裏切るような真似をするなど、言語道断だ。

 

 もっとも、自分が仲間や友を持つ者を憎む反面で裏切り行為に対して感じる異常な怒りは、自分でもよくわからない。

 エコーがそれ以上何も言わず窓の外を眺めたままでいると、アルファは口許を歪めて声を低くした。

 

「あの女がやばいのは、俺も感じてる。大人しくしてたほうが得だともな」

 

 口調を変えたアルファはエコーの問いに答える形ではいたが、視線は正面に向けたままで態度は独り言のそれだ。大柄な白人男は間接照明が壁を覆う重厚な布に作る巨大で、歪な影に見入った。

 

「奴等の言うことを聞いてやるのは、バグが直るまでの話だ。あんな女狐になんざ、いつまでも従えるか。ロイミュードの先頭に立つのはこの俺だ」

 

 呟く言葉の端々に強力な自己顕示欲と闘争心を見せつつ、アルファは続ける。

 

「ハートめ、せいぜい最後の支配者気分を味わっているがいいさ。だが、恐らく奴は勘が鋭い。まずは奴に取り入って、完全に信頼させるこったな……」

 

 アルファが計画の具体案を口に出そうとした時だった。

 エコーの表情に緊張感が走り、鋭く手を振ってアルファの発言を抑えようとする。ただならぬ様子に、アルファも素早くソファーから腰を浮かせて中腰の体勢を取っていた。

 

「何だ?」

「何か聞こえる」

 

 刀をたしなむ者の常であるのか、エコーは兵士よりも研ぎ澄まされた感覚で音の刺激を捉えていた。彼はそのままアルファに動かないよう手で合図を送ると、ドアが外れた部屋の入口に忍び寄っていく。息を潜めて聞き耳を立て始めたエコーの横へアルファも慎重に足を進めると、聞き覚えがある声が僅かに響いてきた。

 

「……ですから博士、彼らは一体何なんです?あのような者たちが存在するなど、一言も聞いてませんよ!」

 

 漏れ聞こえてくるのはブレンの声だったが、内容からすると誰かと話しているようだ。

 アルファとエコーは一瞬だけ視線を交わし合い、どちらからともなく埃の積もった暗い廊下へと出ていく。コンクリートの打ちっぱなしの床は足音を抑えるのも一苦労だが、幸いにしてブレンに気取られてはいなかった。

 

 ブレンの声がしたのは二つ隣の部屋で、やはりドアがない出入口から薄明かりが廊下に投げ掛けられている。アルファとエコーは慎重に戸口の脇へ身を寄せると、暗がりになっている廊下から部屋の中の様子を窺った。

 

『落ち着かないか、ブレン。私とてまだ全てを教えているわけではないし、忘れていたということもある』

 

 その時、知らない男の声がブレンの問いに答えた。

 見たところ、ブレンは自室になっているらしい部屋の隅にある木製デスクの前に一人佇んでおり、他に誰かがいる気配はない。

 アルファとエコーが怪訝そうな表情を浮かべたところへ、また同じ声が聞こえてきた。

 

『それに彼らは、あのままであればロイミュードに直接害をなす存在というわけではない。対処は、問題が起きてからでも遅くはない筈だ』

「ですから、事が起きてからでは遅いと……!」

 

 男の声に対して文句を連ね始めたブレンだが、やはり周囲には誰もいない。

 エコーたちに背を向ける体勢になっている眼鏡の男を注意深く観察すると、彼はハンカチで顔を拭いつつ片手のタブレットに向かっていることがわかった。ブレンはタブレットの画面を介し、この場にいない誰かと話をしているのだ。

 

「ブレンの野郎、一体誰と喋ってやがるんだ?」

「あのタブレットか」

 

 アルファがぼそりと呟き、エコーが頷く。

 話の内容からすると、ブレンは自分たちバグミュードのことをハートやメディック、チェイス以外の何者かに喋っているのだ。まだ他に連絡が取れる幹部がいたことも驚きだが、それ以前に聞き捨てならぬ話であることは間違いない。

 

--俺たちを始末するための話をこんな場所でするなんざ、いい度胸じゃねえか。

 

 喉元まで言葉を出して部屋に踏み込みかけたアルファを、エコーが肘で制する。

 アルファは二人がかりでならブレンにも勝てると踏んでいるようだが、余計な危険を冒さないに越したことはない。彼は元兵士の殺人鬼という人物をコピーしただけにトラブルに首を突っ込みたがる質のようだが、ここで行動を起こすのはどう考えても得策ではないのだ。ブレンはむしろ喜んでこちらを攻撃するだろうし、今の段階ではハートもブレンを信じるだろう。

 

 エコーに睨まれてその意図を読み取ったアルファは、舌打ちをお漏らしてその足を引っ込めるしかなかった。

 

「とにかくもう一度、ハートと話をしてきます。彼らを仲間にするべきではないということを、わかってもらわねば……」

 

 二人が辛うじて戸口に留まった時、ブレンがタブレットをデスクに置いて言い残し、別の出口から部屋の外へと消えていった。彼の荒い足音には憤慨しているのが表れており、この後すぐにハートへ食って掛かるのが目に見えるようだ。

 



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仲間とは何なのか -8-

 ブレンの気配が完全に消えてから、二人のバグミュードはブレンの部屋へ足を踏み入れた。

 自分たちに割り当てられた部屋とは違い、古い書籍の詰まった本棚がいくつも置かれた書斎風の空間になっているそれは、いかにもブレン好みという印象である。

 

「行ったようだな」

 

 エコーは軽く部屋の中を確認して呟いたが、アルファはデスクへ一直線に向かい乱暴にタブレットを掴み上げた。画面はまだ暗くなっておらず、オンライン状態を維持しているように見える。

 

「おい、誰かいるんだろ。即答しねえと、こいつを叩っ壊すぞ」

 

 アルファが画面に向かって凄むが、何も操作していない状態で通話できる訳がない。

 考えなしの行動に呆れたエコーがアルファを止めようとしたとき、不意の返答がタブレットの中から聞こえてきた。

 

『乱暴な真似は止せ』

 

 同時に、粗いポリゴン状の人の顔がタブレットの画面に浮かび上がってくる。とは言っても、遺跡にある石像を思わせるその顔は単なるアバターらしく、通話相手の顔を映したものでないことは明らかだ

 正体を隠そうとしている相手を鼻で笑い、アルファが詰問調で言った。

 

「てめえは何なんだ?」

『私は、君たちの産みの親のようなものだ』

 

 予想だにしていなかった答えに、今度はエコーが鼻白む。

 

「産みの親?何をまた……お前もロイミュードなんだろう。隠すと為にならんぞ」

『違うな。私は人間であって、ロイミュードではない。彼らも、そして君たちも私が作った。彼らのせいでこんな姿になってしまったことは皮肉だがな』

 

 更に続いた言葉とともに、タブレット画面の顔がやや表情を曇らせた。恐らく声の主は自らが単なる通話相手でなく、この平たい精密機器に存在を封じられていると言いたいのであろう。

 無論、そんな突拍子もない話は到底信じることなどできない。

 エコーは低く、圧力を込めて画面の顔に問うた。

 

「お前は何だ。ハートたちの仲間のロイミュードではないのか」

『私は、ある人間の魂を電子化した存在のようなものと言っておこう。このタブレットが今の私の住み処であり、生命線だ』

「ある人間……誰なのかは聞くな、ということか?」

 

 エコーが言葉を選びながら、会話を繋げようとする。画面の顔が本当に電子化された人間か否かはさておき、自分が誰であるのかを明かすつもりがない相手なのだ。

 神経質そうな顔が険しさを増し、くすんだ壁に落ちた濃い影がゆらりと揺れる。

 明らかに疑ってかかってきているエコー一人にではなく、画面の顔は目の前の二人に向かって話を続けた。

 

『訳あって今はこんな姿をしているが、ロイミュードのことなら何だって知っている。君たちの基幹プログラムに問題があって、進化態の身体を長く保てないことも』

「何?」

 

 嘲笑を浮かべていたアルファが片方の眉をぴくりと上げたが、何とか表面上の平静は保つ。

 タブレットの顔は再びバグミュード二人を画面の中から交互に見て、落ち着いた声を埃っぽい廃墟に響かせた。

 

『君たちは若いナンバーの個体だ。こんな不安定な状態でなければ、ブレンやメディック……ハートにも劣らない能力を発揮できるのだが』

「ちっ!いちいちむかつく奴だな。んなこたぁ、とっくにわかってるってのによ。それに俺たちのことも、ブレンの野郎から聞いた受け売りなんだろうが」

 

『私がこんな不自由な状態でわざわざ君たちの弱点を突いて、不快にさせるような真似をすると思うかね?このタブレットを破壊されれば、私は消滅してしまうと言うのに』

 

 アルファが不愉快そうに吐き捨てても、タブレットの声は平然と言い返してくる。

 この声の主がロイミュードの創造主という確たる証拠がないのにここまで堂々とされると、彼の言葉が重みを増してくるのもまた確かであった。自身があっさり破壊される危険を冒しながらもタブーに触れる話を続けていることは、紛れもない事実なのだ。

 バグミュードの二人が話に信憑性を見つけたとき、自信を感じさせる声があることを申し出た。

 

『私なら、力になれると思う。少なくとも、君たちのデバッグを行うための方法については幾つか選択枝を示せる』

 

 アルファもエコーも、瞬時には反応しない。

 あまりにもタイミングがよすぎる話に、エコーがすかさず横槍を入れた。

 

「『幾つか』と言ったな?その中に、メディックの力を使う以外の手段もあるのか」

『無論だ』

「お前はハートたちの仲間だろう。信用できるか」

 

 しかし、一蹴しようとした日本人の青年へ声は語り続けてくる。

 

『私は基本的にはロイミュードの味方であり、彼等の平穏を願っている。人間が言うところの平穏とはまた、多少意味が違うがな。ハートたちは、ロイミュードの中でも強力な個体だ。彼等による一方的な支配は好ましくないと、私は思っている。同じくらいか、それ以上の能力を持つ者が複数いた方が、最終的に事態はいい方へと向かうだろう』

 

 タブレットの声が示した方向性に、エコーとアルファは思わず目配せをし合っていた。

 つまりメディックの力に頼らない方法でデバッグを密かに行い、ハートたちに対抗できるだけのロイミュード勢力を作り上げろと暗に言っているのだ。

 単刀直入に言えばロイミュード同士の潰し合いをけしかけてきている声に対し、アルファとエコーの目は強い警戒の色を浮かべた。

 

「てめえ……」

「どういうことだ?」

 

 アルファがタブレットを持つ手に力を入れるが、画面から発せられる声は淡々としていてぶれがない。

 

『君たちには、その可能性が秘められていると言っておこう。バグを持つ者であればこそ、の処理が行えるのだから』

 

 逆に二人の男が廃墟の壁に落とす影を大きく揺らめかせ、畳み掛けてくる声に先んじられる。

 

『風都という街に、人間の強い感情と地球そのものの力を結びつける、ガイアメモリという物があるらしい。君たちがそれを取り込むことができれば、デバッグ……いや、それどころか超進化態の更に上を行く、何者かになれるかも知れない。人間の感情を起点として進化を遂げるプログラムがロイミュードには組まれているが、デバッグの際に強力なアップデートがかかる可能性は否定できないからな』

「風都?」

 

 具体的な地名をエコーが反芻し、アルファが鼻で笑って見せた。

 

「うまい話だな。だが、そんな胡散臭え話に誰が乗るかよ」

『ああ、うまい話に聞こえるだろう。ガイアメモリは強力であるが故、デバッグ時に予期しない処理が走って暴走を招く可能性が高い。が、それは飛躍的に君たちの能力を高めてくれる筈だ。そしてその処理は、バグを持つ個体である君たちにしか起こり得ない変化でもある』

 

 簡単には信じようとしないのは当然だと言わんばかりに、画面の声は僅かな動揺も窺えなかった。

 ハートと自分さえ良ければ他はどうでも良い、と態度で言い切っているメディックに頼らずデバッグが可能で、彼らよりも優れた個体になる方法。そんなものが存在すること自体信じ難いが、ロイミュードの産みの親を自称するこの人物ならば、知っていてもおかしくはない情報だ。

 

 もしそれが事実であれば、ハートらに知られることなく動かねばならないだろう。そうなると、迂闊な真似はできない。表向きはハートやメディックに従順な駒となり、裏をかこうとしていることは決して覚られてはならなかった。

 心の隅でこれからを考え始めた二人の思考に、タブレットの声は念押しとも取れる言葉を割り込ませてくる。

 

『ハートと私のどちらを信じるかは、君たちの自由だ。ただしいずれの道を取ったとしても、私はこの助言のみで今後一切君たちとは関わらない。ブレンは、私が君たちに接触したことを良くは思わないだろう』

「てめえの身の安全が第一ってことか。欲望に正直な奴だぜ、ったく」

 

 呆れたようにアルファが皮肉るが、青く冷たい殺人鬼の瞳の裏に抑え切れない好奇心が溢れている。ガイアメモリのことを一刻も早く知りたくて、身体が疼いているのだろう。心なしか、雑言の口調に弾みが出ているのがその証拠であった。

 

『しかし、もし君たちがハートたちを凌ぐ力を手に入れたなら、必ずまた力になる。約束しよう』

「ああ、覚えていたらな」

 

 対して、エコーは素っ気ない。

 

--親しげに近寄ってくる者こそ、最大限に用心しなければならない。

 

 本能に近い部分で感じられる警告に、彼は抗うことができないでいた。

 他者から向けられた好意を真っ直ぐに受け止められない自分への疑問が、何と結びつくのか。

 ロイミュードであるエコーは戸惑いを覚えることしかできないが、それもよくある記憶の混濁だと切り捨てて忘れることにしていた。

 

 しかしおかしなことに、頭の中を覆う靄が今は一行に晴れる気配がない。

 思考までも妨げかねない嫌な感触を頭を軽く振って振り払おうとすると、ますます視界が霞んでくる気すらしてくる。

 直後、不快な電気信号が人工の脳に走り、痛みと同じ感覚が首から上に重くのしかかってきた。

 

「くっ……」

 

 不意に襲ってきた頭痛に思わず顔をしかめ、エコーが足をふらつかせる。あっという間に痛みの質は変わり、万力で締め上げてくるような激痛が頭蓋全体を支配していた。頭が割れんばかりの苦痛はぎりぎりと金属的な音を幻聴としてもたらし、彼をその濁流へと突き落とそうとしてくる。

 その渦は今や五感全てに感じられるものとなり、エコーを取り巻く全てを黴臭い廃墟から運び去っていた。

 

 

 

 

 

 突然切り替わった世界は真っ黒で、自分はむちゃくちゃに手足をばたつかせてもがいていた。

 冷たい水が全てを絡め取っていて呼吸できず、どこが上かもわからない中で、出口とおぼしきドアを必死に掻きむしる。無我夢中な指先の皮は破れ、爪が剥がれて血が吹き出し、水を赤く濁らせていただろう。

 

 しかしその痛みは息が詰まる苦しさに上書きされ、感じることができないでいた。

 酸欠に喘ぐ脳が腫れ上がり、救いを求める叫びが喉の奥から溢れ出る。

 

『死ぬ……死ぬ!誰か、誰か助けてくれ!』

 

 肺を容赦なく侵す水のせいで断末魔の絶叫は声にならず、口から僅かな泡が出ていくだけだ。そしてその水を追い出すために咳き込むことすら、最早許されていない。

 頭が膨れ上がり破裂しそうな苦しみの雪崩に押し流され、意識を失いそうになった一瞬前のことだった。

 

 ふと、ある男の顔が鮮明に閃いていた。

 恐らくこのまま命を落とすであろう自分が、最後に会っていた人物。

 自分よりも歳上で、その人生の厚みと幅に惹かれ、親友と思っていた男。

 自分があの男に嵌められてこんな目に遭わされたことは、疑いようもなかった。

 

『あの野郎!絶対に、絶対に許さん。殺してやる!俺が死んでも、絶対に殺してやる!』

 

 次の瞬間、魂の底から何かが膨れ上がって破裂する感触が全身を襲い、全てがぶっつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 唐突に、エコーは現実へと突き戻されていた。

 身体は元のブレンの部屋にあり、擦り切れた絨毯に膝を落とした姿勢でうずくまっている。手が無意識のうちに胸を押さえていて、ぜいぜいと苦しげな荒い呼吸が周囲の空気を震わせていた。

 

「……何だ、これは……」

 

 スーツ姿のエコーは、汗ばんだ額に指先を当てて呻いた。

 たった今感じた苦痛はあまりにも生々しく、とても幻覚の一言で片付けられるものではない。明らかに自分の身に起こったことの追体験なのであろう。

 

 恐らくは、コピー元となった人間の最後の記憶だ。

 閉ざされた真っ暗な空間で一人溺死し、自分を殺した人物への凄まじい怒りだけが残った残骸。

 信頼していた人物に裏切られ、叶わない復讐を誓ったのだ。

 

「あ?どうかしたか?」

 

 そして今の唯一の仲間であるはずのアルファは、すぐ傍で突然倒れたエコーに一言言って怪訝そうにするだけであった。助け起こそうと手を貸す素振りも、心配そうな表情の欠片も見せていない。

 

「お前もようやく、データの整理ができてきたようだな。心配ねえよ、コピー元の記憶が完全に戻れば楽になるからな。ブレンに気づかれると厄介だ、そろそろ戻るぞ」

 

 薄い笑いを浮かべ、アメリカ人の大男は出入口に向かい踵を返した。

 ハートたちに決して知られてはならない情報を共有する「友」を重んじない行動に、以前のエコーなら失望していたであろう。

 しかし今のエコーは、ゆっくりと立ち上がりながら何もない虚空に視線を走らせ、短く漏らしただけであった。

 

「俺は……!」

 

 薄い唇からこぼれた声は低く、空気を絡め取る重さに満ちている。

 その黒い瞳にも、同じ光がちらつき始めていた。

 



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仲間とは何なのか -9-

「じゃ、キーワードは以上。始めてみて」

 

 まだ暖かさの足りない午前中、特状課オフィスの一角に立つ未来がタブレットから顔を上げる。

 

「よし!じゃあ早速いくぞ!」

「僕も、検索を始めよう」

 

 それを合図と見た究が鼻息も荒く自作パソコンのキーボードを叩き出し、その隣に佇んでいたフィリップが静かに頷いた。天才青年が軽く目を閉じ、彼以外の何者も立ち入れない世界に入っていく。

 

「二人とも、頑張ってー!」

 

 端から見ると瞑想に耽っているようにしか見えない若い顔を、白熱している究の隣に座っているりんなが興味津々に眺めつつ応援する。フィリップが長いパーカーの裾を僅かに揺らし、得意気に呟くまでものの数十秒もかからなかった。

 

「該当する本を見つけたよ。また、僕の勝ちだね」

 

 何度目かの勝利宣言を口にしたフィリップから、まだ幼さを残した笑顔がこぼれる。

 無邪気に勝ちを誇っているフィリップを横目で見つつ、しかしすぐに「検索一本勝負」負けを覚った究が悔しそうに天井を仰いだ。

 

「あーくそ!また負けたか……どうも、早さだけじゃ『地球の本棚』には勝てないみたいだな」

「すごいのねぇ。フィリップくんは、何でもその『地球の本棚』でわかっちゃうの?」

 

 ITの専門家で著書まで出版し、その世界ではカリスマ的人物である究を簡単に撃ち破った人物。それが進ノ介より更に若く、端正に整った顔の「イケメン」であることにも注目したりんなが感心しながらフィリップの全身をしげしげと眺めた。

 

「いや、そんなことはない。例えば個人の感情については何も情報が得られないし、本のページが破損していたりする場合もある。それに何より、キーワードを的確に絞れなければ、たった一冊の本を選び出すことは不可能に近くなるんだ」

 

 既に特状課の中ですっかり究とりんなに馴染んだらしいフィリップは、すらすらと述べる。

 もともと技術寄りの客員であるりんなたちは、恐らくフィリップと根っこは似ているのであろう。同じ目的を持った今では、仲が深まるのにさほどの時間は要しなかったのだ。

 

 人見知りで内気なフィリップが、慣れない場所で楽しそうに話している。初対面時にろくに挨拶すらされなかった未来にとってこの状況は意外だったが、この天才青年が自らの力を発揮できる場を新たに得られたことは喜ばしい。

 姉のような気分でフィリップの姿を見守る未来の胸の裡には気づかず、三人の会話は弾んだままであった。

 

「ふうん……じゃあ、究くんがキーワードをある程度まで絞って、フィリップくんが検索すればいいんじゃない?きっとそれが最強よ!」

「ぐぬぬ……言われてみれば、確かにそうかも知れない。あー!自分から認めるって、何て悔しいんだ!」

 

 いいことを思いついたとばかりに手を叩いたりんなの顔にぱっと花が咲き、究は彼女の発言を認めるしかない。

 ここでむきになって自分の能力に固執するのではなく、素直に認めるのが究の長所であろう。

 特状課オフィスは若い人間が一気に増えたこともあって、普段の数倍は賑やかになっていた。

 

「……何やってんだ?」

 

 その声が廊下にまで漏れていたらしい。

 つい今しがた調査から戻ってきた翔太郎が、コートを片手にオフィスのドアをくぐるなり目にした光景に、怪訝そうな顔をしていた。

 

「あ、お帰り。フィリップくんと究さんに調べものを頼んでたら、二人が張り切ってタイムトライアルを始めちゃってね」

 

 まだ盛り上がっている三人を眺めていた未来は、タブレットに結果を打ち込んでから応えた。

 フィリップが早くも他人と打ち解けかけてきたのにやはり驚いて、翔太郎が未来の隣まで足を進めた。

 

「へえ。フィリップに対抗できる人間がいるとは驚きだな」

「うん、二人とも結構楽しいみたいだよ」

 

 半熟探偵が帽子を取ったところであることに気づき、未来が辺りを見回した。

 

「あれ、あきちゃんと剛くんは?一緒戻ったんじゃなかったの?」

「二人でもうちょっと調べてみるってよ。剛と二人だし、まあ大丈夫だろ」

「そっか。彼女もそういうとこ、前と変わってないんだね」

 

 恐らく亜樹子個人で気になることがあり、調べるまで帰らないとでも言ったのであろう。それに顔を合わせたばかりの剛とも難なく協力し合える彼女のキャラクターは、相変わらずと言えそうであった。

 

「あ、左さんたちはもう戻ってたんですね」

 

 そこへ戻ってきた進ノ介と霧子、現八郎がやなりコートを脱ぎながらオフィスの奥へと入ってくる。

 寒い屋外から戻ったばかりで頬が上気している皆に、内勤に徹していた未来が労いの声をかけた。

 

「お疲れ。どうだった?」

「ああ。ばっちりだった。究さんはいつものことだけど、FBIの情報と分析力は流石だな。感謝するよ」

 

 コートを置いた進ノ介が頷き未来に笑顔で礼を言うと、翔太郎が気取って割り込んでくる。

 

「おっと。情報の半分は俺たち、鳴海探偵事務所からの提供だ。忘れてもらっちゃ困るぜ」

「それはもちろんだよ。情報量がものすごくて、まとめる私が大変だったんだもん」

 

 何故かむきになって自分たちの働きを主張してくる翔太郎に進ノ介が微妙な顔を見せたが、未来がすかさずフォローを入れていた。

 

「おかげで助かりましたよ、ご協力に感謝しています」

 

 反射的に、進ノ介は翔太郎にごく無難な反応を返しておく。

 彼の事務的とも言える返答に重ねるようにして、今度は霧子が三人の会話に入ってきた。

 

「早く皆と情報を共有しましょう。ロイミュードがいつまた動き出すともわかりません」

 

 威圧感に満ちた言葉が殊に未来へ向いてしまったと、霧子は言ってから気がついていた。

 来たばかりの環境で難なく皆に馴染み、持ち前の能力と知識で仕事を手際よく片付けて、その身の上は存在自体が国家機密レベルの改造人間という女性である未来。その彼女が更に進ノ介とお幼馴染みというのだから、正直霧子の胸中は穏やかではない。

 張り合う気持ちを表に出すな、と言うのは無理な注文だろう。

 

 しかし当の未来は優位に立っているのを自覚しているのか、それとも敢えてわかったふりをして受け流す大人であるのか、はたまた鈍感で霧子の感情に気づいていないのか、特に態度を変える様子はなかった。

 

「それもそうだね。じゃあ資料をちょっとまとめるから、十分後にここで。翔太郎は照井警視、泊刑事は現さんに声かけてもらってもいい?」

 

 傍らに立つ二人の男へそれぞれに依頼してから、未来は霧子を含めた全員に対して言った。

 

「フィリップくんに究さん、りんなさんは三人のうちの誰かが任意参加。ここにいない剛くんとあきちゃんは、必要な情報をフィードバックするってことでいいかな」

「あ……は、はい」

 

 彼女があっという間にまとめ上げ、すらすらと並べた現実的な確認事項に、霧子は頷くしかない。

 

「じゃあ、本願寺課長にも言ってくるから。議事録は私が取っとくよ」

 

 他の男二人からも特に反応がなかったことを同意と受け取り、未来はとっとと本願寺のデスクへと踵を返す。

 彼女がごく自然に話しかけて緊急会議を開く旨を口にし、比較的スムーズな進捗を話すのを聞いている本願寺も、ほぼ流れに任せる気になっているようだった。

 

「あいつ……何か、すげーな」

「ああ。あんな仕切りができるって、驚きだ」

 

 翔太郎が呟くと、進ノ介が頷いて応える形となる。

 自然と会話が成立していたことに驚いた二人がぎょっとしてお互いを見やり、目が合ったところで視線を慌てて明後日の方向へと逸らす。

 

 彼らだけは微妙な空気を抱えたまま、オフィス全体で捜査会議が始められた。

 部屋の奥にあるホワイトボードに被害者や現場の写真を留め、基本的な情報を書き込んでから現八郎が開始の音頭を取る。

 

「んじゃ、捜査会議を始めるぞ。まずは各チームが持ってる情報を出し合うことにする。まずは調査班……もとい!間捜査官のところから」

 

「はい」

 

 現八郎が場所を空けたホワイトボードのすぐ横に、タブレットを抱えた未来が進み出る。びっしりと出力されている英語の情報にちらちらと目を走らせつつ、彼女は説明を始めた。

 

「私たちは主に、これまでの被害者の人間関係を中心に調べていました。一六日以前の被害者たちに、これと言った共通点は見られません。アルファのデータも調べられるだけ調べましたが、彼には日本人の知人はおらず、こちらは被害者と全くの無関係であると判断しました」

 

 貼り出されている被害者たちの顔写真をぐるりと見渡してから、未来は更に情報をつけ加える。

 

「アルファがアメリカで起こした事件は全件で明確な殺意があったとされ、全て殺人か殺人未遂です。ですが、全てで動機が曖昧で、被害者が死亡していない今回は違うようですね。そこもアメリカでの事件とは大きく異なります」

 

 熱心に彼女の話に耳を傾けていた霧子が、日付によってグループ分けされている被害者たちの情報を確認しながら質問を挟んだ。

 

「一六日以降の被害者についての詳細はどうでしょうか?」

「それについては僕から話そう」

 

 その時、特状課に来てから初めてフィリップが自発的に解説を買って出た。

 パイプ椅子から立ち上がってホワイトボードの横へ来た天才青年のために、今度は未来が場所を空けてやる。

 

「被害者の一部が、ある社会人サークルに所属していたことがわかった」

 

 FBI女性捜査官の気遣いに全く気づく素振りすら見せず、フィリップはペンを取り上げてホワイトボードにごちゃごちゃと書き込みを始めた。

 

「一六日の最初の被害者グループの斎藤真を皮切りに、人数は四名。サークルは古美術品……主に刀や槍のような、武器類に関するものだったらしい」

 

 フィリップがホワイトボードの写真から四人分を選んで引っぺがし、他の写真を脇へ乱暴に寄せて適当に字を消してから留め直す。折角書いておいた情報が遠慮の欠片もなく削除されるのを見た現八郎が何か言いたそうにしていたが、青年は気づかずに書き込みを継続していた。

 

「サークル名は『錆び柄』、メンバーは一八人。活動内容は美術館とアンティークショップ巡り、それとメンバー所蔵品を持ち寄っての交流会だ。ただ、ここ半年程度の活動はないようだった。ホームページの更新も止まっているし、各種SNSでの発言も見られない。彼らが興味を示していた時代は主に鎌倉時代からと幅広いようだが、剣以外の武器に関しては……」

 

 フィリップは皆に向けての説明と言うよりも自分の中の情報を整理するように、声がだんだん小さくなっていき口調も尻すぼみになっていく。最後は完全にぶつぶつ言いながらホワイトボードに細かい文字を書くだけになった彼の代わりに、自席にいた究が継ぎ足した。

 

「僕らはこのメンバーの素性を割り出して、左さんたちに共有したんだ。で、被害者の詳細を探ってフィードバックしてもらって、僕が更に細かいところまでを探ったんだ……よね?」

 

 眼鏡を直してからキーボードを軽く叩き、究が翔太郎の発言を促す。

 

「じゃあ、次に俺たちだな」

 

 いつもの調子を崩さなくなってきたフィリップの前に立ち、翔太郎が咳払いをする。

 伊達男風のファッションでオフィスの中に一人異彩を放つ探偵が、自作の資料を取り出してプレゼンを開始した。

 

「俺たちは被害者たちの情報を受けて、話ができる状態の二人から事情聴取を行った。二人ともロイミュードたちを見たことがないし、誰かから恨まれるようなこともなかったと言うのは同じだ。第一、片方のロイミュードは英語で叫んでいたから、何を言っていたか殆どわからなかったようだが」

 

「刀を持っていたロイミュードは、これまでと同じことを言ってなかったんですか?友達がどうとかって」

 

 突っ込んできた進ノ介へ、翔太郎が首を横に振る。

 

「いや。それが皆、いきなり無言で襲われたらしい。一応この二人以外にも話は聞いたが、全員突然撃たれたり、斬られたりしたのは一緒だ。だが、主治医によれば全ての傷は急所から外れていて、致命傷ではない。これも被害者全員に共通することだ……ただし話を聞いた二人は、刀ロイミュードについて何か隠してると思う」

 

 翔太郎の意外な発言に、一同が驚いて顔を見合わせる。すかさず、霧子が根拠を求めて鋭く言った。

 

「どうしてそう思ったんですか?」

「あのロイミュードの写真を見せた時、二人とも刀を食い入るように見つめていた。二人とも、武器については何か知ってるのかも知れないと思ったんだよ」

 

 翔太郎は、被害者から情報収集をする際にも相手の様子に注意を払い、僅かな変化も見逃していなかったのだ。

 自称探偵の伊達男からまだ不信感が抜けていない進ノ介だが、やはりこういった点は感心せざるを得ない。なかなかやるな、と頷いた青年刑事の隣で、未来も同じ反応を示していた。

 

「そうか。刀剣のサークルってことは、二人は武器に関して詳しいとも言えるわけだし……」

「ふうん……その刀については、もっと調べる必要がありそうだね」

 

 言いながら、究が早速キーボードを叩き始めた。事前に共有された資料ファイルから刀ロイミュードの画像をピックアップし、解析ソフトを起動させて更に詳しい分析に取りかかる。作業に早くも没頭しかかる究と入れ替わりに、耳だけ会議に参加させ続けていたフィリップがふと翔太郎に問いかけた。

 

「君はその刀について、彼らに質問をしなかったのか?」

「二人とも、一瞬だが怯えているように見えた。解決の手がかりになるんなら、その場で俺に言ったっていいだろう?そうじゃねえってことは、彼らは多分何も話してはくれないだろうと思ったんだよ」

 

 もっともな翔太郎の答えを受け、進ノ介が配られていた紙の資料を睨みつつ呟いた。

 

「その刀ロイミュードがそのサークルの関係者を襲っていて、アルファが一緒にいるのはついでってことなのか?」

「どうも、その線が濃いみてえだな。そもそも何であのバケモンたちが一緒に人を襲ってるのか、その理由はわからねえが」

 

 現八郎もホワイトボードは見ず、手元の資料に視線を落として渋い顔を隠さない。最早ホワイトボードはフィリップの個人的なメモで埋め尽くされており、現八郎が会議前にまとめていた情報は一割も残っていなかった。

 一同は未だロイミュードたちの動機を掴みかねていることに共通のモヤモヤを抱いていたが、手持ちの情報を全て出した翔太郎が進ノ介に新たな視点を求めた。

 

「泊刑事たちにはサークルメンバーのリストも回したが、何かわかったことはあるか?」

「残念ながら、まだ残りのメンバーの足取りをちゃんとは掴めていません。住所が変わっている者も多くて、調べるのに時間がかかりそうで」

 

 進ノ介がポケットを探り、取り出したメモを見ながら事務的に答えた。

 メモには究がメールで伝えてきてくれたサークルメンバーリストを基に、それまでの捜査状況が走り書きされている。リスト頭の三人分までを当たったところ、家庭の事情で姓が変わった者、転居した者、消息不明の者と続き、その時点で一度整理しにオフィスへと戻った方が良いと判断したのだ。

 

「未だ被害が確認できていないのは、このリストでは十四人か。手分けすれば、全員分を調べ上げるのにもさして時間はかからない筈だな」

 

 現八郎が進ノ介の横からメモを覗き込んだ後に顔を上げ、オフィスにいる一同の顔を見回す。最後にベテラン刑事の視線を受けた究は、それを受け渡すようにして特定メンバーに話を振った。

 

「それじゃあ……僕とフィリップくん、それにりんなさんはここでみんなからの情報をまとめるよ。それでいいよね?」

 

 引き続きこれまでと同じ作業を続けることに、フィリップとりんなに不満はないようであった。

 

「それで問題ないと思う」

「いーわよ。こっちは私たちに任せてもらっちゃうから」

 

 性格に多少の難はあるが頭脳は明晰なメンバーに分析を任せれば、何も心配はいらないだろう。

 ならばと、進ノ介は動けるメンバーたちに以降の行動について案を示した。

 

「残りでもっと細かくグループ分けといくか。それなら……俺は現さんと、霧子は剛と。照井さんは亜樹子さん。左さんにミッキー……間捜査官ってことでどうだろう」

「まあ、いいんじゃない?警察メンバーを上手くばらけさせとけば、問題はないでしょ」

 

 青年刑事の提案にいち早く頷いたのは、調査から現場捜査へと行動の場を移された未来であった。

 進ノ介のメンバー分けは、一見「警察関係者と一般協力者」であるかに見える。しかし実際は「仮面ライダーに変身できる者とそうでない者」とで組んでいることになり、咄嗟の采配としてはなかなかに見事なものだと言えよう。

 若輩者である進ノ介と行動することになった現八郎の刑事心に火がついたらしく、彼は勢い込んでメンバー全員を巻き込んだ。

 

「よし!早速、残りのメンバーを追うぞ。判明した情報は全てここへ回して、分析は究とフィリ坊、先生たちに任せる。俺たちは、徹底的に自分たちの足で調べなきゃならねえ。やるぞ!」

「はいっ!」

 

 先陣を切るのは自分とばかりに拳を突き上げたベテラン刑事に、若い面々が力強く応えた。

 

「……誰がフィリ坊、だって?」

 

 それはただ一人、気に入らない新しい呼び名をつけられたフィリップを除いて、のことであったが。



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仲間とは何なのか -10-

「……で、組分けは仕方がないとしてもさ」

 

 

 仏頂面の未来の視線の先には翔太郎の愛馬である大型バイク、ハードボイルダーが停めてある。久留間運転試験場の職員用駐輪場に佇むツートンに彩られたバイクの横で、翔太郎が未来にヘルメットを手渡しながら眉根を寄せた。

 

 

「何だよ?」

 

「何で私が、あんたとタンデムしなきゃなんないわけ」

 

 

 FBI女性捜査官は、ヘルメットを受け取りながらも不満げな顔を隠そうとしない。

 

 進ノ介による組分けで、各メンバーはオフィスから担当の捜査現場へと散っている。そして進ノ介と現八郎はトライドロン、霧子と剛は特状課のバンにバイク、亜樹子と照井は二人で照井のバイク、という足を確保していた。

 

 

 そんな中、数少ないパトカーがパトロールなどで全て出払ってしまっており、未来は翔太郎のハードボイルダーに同乗せねばならない状況に至っていた。未来が日本滞在中に借りているレンタカーを捜査に使うわけにもいかず仕方ないことではあったが、わかってはいても文句を言わねば気が済まないのだ。

 

 

「しょうがねえだろ、パトカーが足りてねえんだから。文句なら特状課に言えってんだ!」

 

 

 言い返す翔太郎は不機嫌と言うより、むしろ諦め気味に見える。

 

 予算がもともと少ない特状課ではこういうところに皺寄せが来るのだろうが、これなら風都でドーパント犯罪の取り締まりに当たっている照井たちの方が、まだましだと言えた。

 

 

「別に、私がハードボイルダーを運転したっていいのにさ。あんたがどうしても譲らないから」

 

「当たり前だ。大型バイクの免許も持ってねえんだろ」

 

 

 ヘルメットを被りつつまだ運転する気でいた未来へ翔太郎が、ぴしゃりと言い放つ。

 

 しかしそれは、このじゃじゃ馬を黙らせる決定打とはならなかったらしかった。

 

 

「残念ながら持ってるし、国際免許の手続きもしてるよ。捜査官は何でもできなきゃいけないから、アメリカで取らされたの。今は大型トレーラーでもモーターボートでも、何でも来いだって」

 

「ハードボイルドなこの俺が、女の腹にしがみつけるか!それにお前の運転じゃ、命がいくつあっても足りねえよ!」

 

 

 未来の発言に男のプライドとちょっとした恐怖心をくすぐられた翔太郎は、ついむきになってヘルメットの下から本音の一端を漏らしてしまっていた。

 

 

 風都でドーパントに追われていた未来を仮面ライダーWが助け、偶然の出会いを果たしたのは昨年晩春の話である。

 

 紆余曲折の末に彼女が軍事用改造人間であることを知り、互いの背中を守って戦う同志となったが、その時にこの女戦士の荒っぽいやり方は、嫌と言うほど見せつけられてきたのだ。今こそFBI捜査官として規律を守り、理論で攻める方法にはなっているものの、人間の根本がたかが一年未満で変わるとはどうしても思えなかった。

 

 

 が、未来には翔太郎が愛馬をどうしても他人に運転させたくないという意地を張っているようにしか見えないらしい。彼女は軽く鼻を鳴らすと、煽るかのように半熟探偵を一瞥した。

 

 

「そこまで言うんなら、ちょっとでも停止線踏んだり、一時停止しなかったりしたら交通課にチクってやるんだからね。あんたの腕前、見せてもらおうじゃん」

 

「お前こそ、ナビ間違えんなよ。間違えたら、今日の昼飯はお前の奢りだからな」

 

 

 ハードボイルダーはあくまで仮面ライダーである自分が乗るべきという翔太郎と、一度は運転がしたい未来は互いに譲らない。翔太郎が突き出してきた条件も、彼女は受けて立ってやると言わんばかりである。

 

 

「ふふん、GPS積んだ私が間違えるわけないでしょ」

 

 

 最新科学の粋を集めた自分に負ける要因はどこにもないと自負しているのであろう、未来は余裕綽々だ。だが一方の翔太郎は、最悪未来に愛馬を壊されるかも知れない危険を回避できたことで、内心ほっと胸を撫で下ろしたのが正直なところである。

 

 

 勿論大人の男たるハードボイルドは、そんな器の小ささを匂わせることは不可能だ。故に探偵は率先してバイクのシートに跨がり、未来を無言で手招きするに留めておいた。

 

 低いエンジン音を響かせて久留間運転試験場を後にしたハードボイルダーは、若い二人の男女を背に冷たいアスファルトの道路へと滑り出していく。彼らには四か所の調査が割り当てられていたが、その最初の目的地は拍子抜けするほど近くかった。十分程度のタンデムは殆どが二車線以上ある広い道路で、各種標識が気になるのは最後の数十秒のみだったのである。

 

 

 ただし翔太郎としては、時折視覚を刺激してくる色鮮やかな交通標識より集中が乱される要因があったことが、意外な伏兵となっていた。追い風になるとふわりと漂ってくる未来の髪のほのかな甘い香り、背中に感じる二つの柔らかい感触は、冷静な思考を一瞬でかっ拐おうとしてくる危険因子なのだ。

 

 

 そんな中で、取り締まり中の警官以外は見落としそうな僅かな違反も犯さなかった自分を褒めてやりたい気分だった。

 

 

「……勝負は引き分けだな」

 

 

「まだまだ。最初の一件の運が良かっただけかも知れないからね」

 

 エンジンを停めたハードボイルダーに跨がったままヘルメットを外し、翔太郎が息をつく。先にタンデムシートから降りていた未来は、まだ気は抜かないと強気の笑顔で語りながら外したヘルメットを彼に手渡した。

 

 

 二人が辿り着いたのは幹線道路から逸れた枝道に入り、閑静な住宅街の入口となっている公園の側にある小さな駐車場だ。住所は久留間の隣の市に当たるが、ここまで近いとは意外であった。

 

 翔太郎がハードボイルダーのキーをロックしてから駐車場の区割り番号を確かめ、FBI特別捜査官の友人に問う。

 

 

「で?こっから先はどうするんだ」

 

「五分くらい歩きだよ。この後は道が狭いし一方通行だから、目的地をこの駐車場にしといたんだ」

 

 

 早速タブレットでルートを確認した未来は、古いアパートと小綺麗な一戸建てが混ざる街の中へと視線を滑らせていた。道案内は彼女の役目になっているため、翔太郎はきびきびと歩き出した彼女に小走りで追いついていく。

 

 

「やれやれ。これなら剛とバイクで一緒にやってた方が気楽だったかもな」

 

「ああ。あんたたちなら似た者同士っぽいし、気が合うだろうからね」

 

 タブレットをバッグにしまった未来がようやく顔を上げ、肩を並べて歩いている翔太郎の顔を見上げた。その大きな黒い瞳に、ほんの少しだけ寂しそうな色があったことを探偵は見逃さない。

 

 

「そう言えば、お前と剛はそうじゃねえみたいだが。あいつと何かあったのか?」

 

 

 敢えて、翔太郎は正面から斬り込んだ。

 

 これまでの剛と未来の間柄を見ていると、どうしても剛が一方的に未来を憎み、喰ってかかっているようにしか見えない。まだ剛と未来は顔を合わせてから日が浅いのにそこまで嫌われるなど、彼女をよく知る翔太郎には腑に落ちなかったのだ。

 

 

「うーん……多分私にロイミュードと同じコアがあるから、存在そのものが受け付けられないんじゃない?生理的嫌悪感って奴だよ、きっと」

 

 

 初対面の際に自分をロイミュードと勘違いし、襲いかかってきた剛を返り討ちにしたことは伏せることにして、未来は心当たりを示した。

 

 

「あいつ、そこまでロイミュードを憎んでるのか」

 

「理由は知らないけどね。人間、一つや二つはそういうのがあるもんだとは思ってるよ。まして、ロイミュードは人類共通の敵なんだから。私が武装した姿なんか見たら、知らない人はロイミュードと間違いかねないし」

 

 

 小綺麗な一戸建てや小規模マンションの間を縫う狭い道を進みながら、半熟探偵とFBI捜査官の話は続く。

 

 未来に武装した自身のことに触れられ、翔太郎は風都での戦いを思い出していた。

 

 十ヶ月前、ふとしたことから未来はドーパント事件に巻き込まれ、当時の部下だった若者一人を永遠に失うという悲しい結果に終わっていた。

 

 

 その時の未来は専用のパワードスーツに身を固め、改造人間最大の長所たる強靭な肉体と人間を遥かに越えた戦闘能力を活かすための大型重火器を手に、仮面ライダーたちと共に戦ったのだ。確かに武装した彼女は皮膚が一切見えない科学の鎧に護られており、知らない者にはロボットとの見分けが全くつかないであろう。

 

 

 だが、未来は軍事プロジェクトの参加者であるが故の改造人間だ。確かパワードスーツは一人で着用するのが難しく、武器も厳重な管理下にあると彼女の口から聞いたことがある。

 

 ただ一人しかいない着用者がアメリカに長期滞在している今、あの蒼く輝くパワードスーツはどうなっているのだろうか。疑問に思った翔太郎が、さりげなく周囲を警戒している未来へ異なる話題として話を振り直した。

 

 

「そう言や、今回はお前一人だけで来日してるんだろ。あのスーツまで持って来てるのか?」

 

「私自身では持って来てないけど、一通りの装備は国内の研究所にまだ予備のが残ってるし、その気になればいつでも使えるようにはしてあるよ。そんなことがないよう、祈るしかないけど」

 

 

 心なしか、未来の声が少し低くなる。

 

 元々は軍事用として誕生した改造人間の彼女は存在自体が世間から隠されており、にもかかわらず出動が望まれる時があるとすれば、よほどの有事が起きた場合に限られる。今の状況からあり得るとするならば、ロイミュードが集団で街を襲った時くらいだろう。

 

 

 無論、そんなことは起きないに越したことはない。

 

 見た目は女子大生くらいにしか見えない女性捜査官は、軽く溜め息をついてコートの襟を直した。

 

 

「まあ、剛くんがそこまでロイミュードが嫌いなら、私のことも仕方ないかなって思ってるよ。悪魔の証明って奴かな」

 

「悪魔の証明?」

 

 

 剛との関係に話題を戻した未来に、翔太郎が怪訝そうな顔で返す。

 

 

「コアを持ってて人間じゃない私がロイミュードだって断言するのは簡単だけど、そうじゃないことを証明するのはものすごく大変だってこと。私……やり方は知らないけど、多分この姿で重加速を起こすことができるんだよね。そういうのが、受け入れられないんじゃないかな」

 

 

 最後の一言と共に、未来が自身に移植されたコア・ドライビアの真上に当たる右胸に手を当てる。言い方自体はあっけらかんとしていて、特に気負った感じではないのが逆に翔太郎の気になるところだった。

 

 

 通常重加速、つまり「どんより」はロイミュードが出現する時しか発生しない。

 

 特状課の客員であるりんなが作成したスマホアプリ「どんより警報マップ」も、市民が重加速を体験した場所を反映するものであるし、世間的にも重加速とロイミュードはほぼイコールで結ばれていると言っていいだろう。

 

 

 しかし重加速という現象自体、コア・ドライビアを有する者であれば誰でも起こせるのが実態だ。ロイミュードと同じシステムを使っている仮面ライダーたちも、知識さえあればどんよりを発生させられる。

 

 無論剛とて同じことで、過去には彼がどんよりを発生させて戦っていたこともある。それでも感情とは厄介なもので、理屈ではわかっていても心が追い付かないのだろう。

 

 

 だが、元が人間である未来は、断じてロイミュードと同じではない。

 

 改造された肉体を持つ彼女は、確かにもう純粋な人間とは言えないかもしれなかった。

 

 それでもなお、翔太郎が知る未来は誰よりも人間らしいと断言できる。戦いに苦悩し、仲間を思って涙を落とし、誰かの心を思いやることができる彼女の魂は、確かにその身体に宿っているのだ。

 

 嘗ての未来の姿を記憶に呼び起こした翔太郎は、不意に口調から軽さを消していた。

 

 

「お前は人間だろ。そんなこと、俺がいつだって証明してやる。それに今のお前は俺たちと同じ、人を守る戦士なんだからな」

 

 

 至って真面目に言ってきた翔太郎に、未来が驚いて一瞬目を丸くする。

 

 だが、自分のことを真剣に考えてくれている彼の優しさはまっすぐに伝わったのだろう。未来は茶化すことなく、照れたように笑った。

 

 

「……ありがと、翔太郎」

 

 

 はにかんだ未来がふっと笑顔に横切らせた儚げな色は、彼女のFBI特別捜査官でも、戦士でもない少女のような愛らしさを感じさせる。

 

 仲間が見せる普段と違った顔に、胸の奥に痛みと似た感触を覚えた翔太郎は、目的地であるアパートの一室に向けている足を早めた。

 

 

「さあて、夕方までに行けるだけ行くとするか」

 

「うん。疲れたら言ってね、お茶くらいだったら奢るからさ」

 

 

 半熟探偵が黒いフェルト帽を押さえつつ歩くのを、未来が小走りに追いかけていく。

 

 聴覚の感度を上げていない彼女に、翔太郎の早まった鼓動は届いていなかった。



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