“まがいもの”の第四真祖 (矢野優斗)
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prologue

なろうの息抜きに書きました。あまり更新頻度はたかくないと思うので悪しからず。


 現実世界と時間の流れから切り離された空間に、一人の少年と少女がいた。

 

「ぐっ、くあっ……」

 

 胸に突き立てられた氷槍を、少年は苦悶に満ちた表情で見下ろす。止めどなく流れ込んでくる第四真祖の“血の記憶”に呑まれまいと必死に抗っているのだ。

 

 だが、長い時に渡り蓄積された第四真祖の“血の記憶”は、十二の少年が受け止めるにはあまりにも膨大がすぎた。それ以前に、既に肉体的な死を迎え魂レベルでボロボロの少年が真祖を喰らうなど、無茶無謀を通り越して不可能であったのだ。

 

『やはり、只人の身で我の記憶を喰らうのは、無理であったか──』

 

 厳かな声が響いた。

 

 声の主は少年に槍を突き立てた張本人にしてこの空間の支配者。逆巻く炎のような髪と焔光に輝く瞳を携えた少女だ。

 

 落胆しているようにも、悲しんでいるようにも取れる表情を浮かべて、少女は少年を見下ろす。

 

 限りなく無力な人間の身でありながら、真祖だけが制御可能な無限の“負の生命力”を、少年は取り込もうとしている。常人ならば一瞬の内に気が狂うのが当然であろうに、少年は歯を食いしばりひたすら耐えていた。それだけでも十二分、賞賛に値することだろう。

 

 だが、それもここまで。徐々にではあるが、少年の魂は真祖の“血の記憶”に侵食されつつあった。それを少年も理解していた。

 

 しかし、少年は決して諦めない。諦められない。

 

 まだやることが残っている。護らなければならない存在がいる。こんな所で死ぬわけにはいかない。

 

 だがどう足掻いたところで少年には現状を覆す手立てがなかった。魂が喰われていく、意識が遠退いていく最中、

 

 ──なにか、何かないのかよ……!?

 

 藁にも縋る思いで少年は叫んだ。

 

 その叫びに応える者がいた。

 

 少年と少女の間に割り込むように一つの影が現れる。まるで最初からそこにいたかのように、滲み出てきた。

 

 影の正体は何処にでもいそうな男だった。顔立ちがどことなく少年に似ているようにも見えなくないが、こちらは明らかに成人している男性だ。

 

 だが、纏う雰囲気が異常だった。男はその身から怖気がする程の何かを放っている。それは焔光の少女から送り込まれてくる“負の生命力”に非常に似通っていた。

 

『馬鹿な。この空間に侵入することは何人たりとも出来はしない。何者だ、貴様──?』

 

 驚愕の相を浮かべて、少女が問う。男は困ったように頭を掻きつつ、口を開いた。

 

「────」

 

 男が何かを喋っている。だが少年にはその内容が聞こえなかった。まるでノイズが走ったかのように、男の言葉が聞き取れなかったのだ。

 

 しかし少女のほうはきちんと聞き取れたらしい。その端正な顔を驚愕に染めて男を見つめていた。

 

『土壇場で覚醒した、そういうことか──』

 

「────」

 

 少女と男が言葉を交わす。少年には依然として男の言葉が聞き取れなかったが、それでも漠然と目の前の男が自分の味方であることは理解できた。

 

 そして同時に、この男になら託せるとも思えた。会った覚えのない男に、何よりも大切なものを任せることができると思えた。

 

 どうしてそう思えたのか、少年は自分の思考に混乱したが、男の横顔を見て理解した。

 

 この男は少年自身だ。だから、不安なく安心して託すことができる。

 

 ──あとは、頼んだぜ……。

 

 少年の声が届いたのだろう。少女と会話していた男が振り向き、驚愕に目を見開く。

 

「────!?」

 

 男が何かしら叫びながら少年に手を伸ばす。だがその手が少年に届くことはなかった。

 

 本来の主人公である少年──暁古城。しかし彼は真祖が持つ悠久の記憶を喰らうこと叶わず、第四真祖の“血の記憶”に呑まれて消えた。

 

 そして代わりに、古城から託された男が“まがいもの”の主人公として誕生したのだった。

 

 

 ▼

 

 

 ゴーンゴーンと鐘の音が響いている。今はもう壊れてしまった時計塔の鐘の音だ。

 

 炎の海に囲まれ、紅い月が見下ろす中、積み重なる瓦礫の上に二人の人間が立っていた。

 

 一人は少年。色素の薄い髪を靡かせる高校生くらいの少年。名前は暁古城。

 もう一人は少女。燃え盛る炎のような髪を揺らし、その手に金属製のクロスボウを握る少女。

 

 二人は互いの息がかかる程の距離で見つめ合っていた。

 

 不意に古城が自嘲するように笑う。

 

 俺に寄越せ、と古城が告げる。その口元は自嘲げに歪められている。

 

 少女が緩やかに首を横に振る。その瞳は慈愛に満ち、目の前の少年を優しく見つめていた。

 

 少女は手に持つクロスボウの矢先を自らの胸に向ける。クロスボウには銀色の聖槍が番えられていた。

 

 違う、そうじゃない、やめるんだ。古城が動揺を露わに叫んだ。

 

 だが少女が古城の言葉に耳を傾けることはなかった。

 

 時計塔の鐘の音が鳴っている。その音に混じって、一人の少年の慟哭が世界に響き渡った。

 

 

 ▼

 

 

 第四真祖という吸血鬼の噂話をご存知だろうか。

 

 不死にして不滅、一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する。世界の理から外れた冷酷非情な吸血鬼なのだと。過去に多くの都市を滅ぼした化け物だそうさ。

 

 ──へえ、そうなのか。知ってた。

 

 黒いパーカー姿の少年は別段驚くこともなく聞き流した。

 

 ここは絃神島。太平洋上に浮かぶ、カーボンファイバーと樹脂と金属、そして魔術によって造られたファンタジー要素満載の人工島だ。

 

 絃神島の住民にとって、吸血鬼の十や百、特別珍しいものでもない。たとえそれが世界最強の吸血鬼であったとしても。

 

 



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聖者の右腕
聖者の右腕Ⅰ


なろうよりもこっちが進む件について。


 暁古城は第四真祖である。

 つい三ヶ月程前にとある事件を切っ掛けに、厄災そのものともいえる眷獣を身に宿すはめになった。しかし当の本人はその事件の一切を忘れている。そのため古城からしてみればわけも分からないうちに吸血鬼になり、あまつさえ伝説やお伽話の類とされていた世界最強の吸血鬼“第四真祖”に仕立て上げられていたのだ。

 普通ならここで世の理不尽さを嘆き、自分に全てを押し付けた先代の第四真祖、アヴローラを呪うところだろう。しかし古城はそんなことはしなかった。彼は知っていたのだ。三ヶ月前に己の身に何が起きたのか。それどころか三年前の事件の真相も、これから降りかかるであろう火の粉も全て。

 暁古城は第四真祖である。そして、転生者でもあった。

 転生、といっても意識が芽生えたのは三年前。テンプレ的に神様に出会って転生したなんてことはなく、気づいたら当時十二歳の古城少年に成り代わっていた。意識が芽生えた経緯などが“焔光の宴”の影響でごっそり抜けていたため、彼自身はイマイチ状況が掴めていなかったが、やがてこの世界が生前愛読していたライトノベルの世界だと気づいた。

 古城に成り代わった存在は生前、幾つものライトノベルを愛読していた。故に自分の名前や住んでいる人工島の名前から、この世界が『ストライク・ザ・ブラッド』の世界だと察するのは難しい話ではなかった。

 しかし、とある問題が浮上した。

 彼が古城に成り代わった時点で、既に古城の肉体は吸血鬼の血の従者となっていた。つまり、そこからどう足掻こうと原作通りの展開からは逃げようがなかった。むしろ逃げたらそれこそジ・エンドの状況だった。

 きっと自分はとんでもなく苦悩したのだと彼は思う。生憎今の彼はその当時の記憶が根こそぎ奪われているため、原作知識から推測することしかできないが、原作古城の葛藤や苦悩を思えば自分もそれと同等の念を抱いていたのは想像に難くない。

 事件から三ヶ月が経った今でさえ、彼は罪悪感に苦しんでいた。

 なまじ原作知識という形で何があったか知っているため、今こうして自分が生きている代わりに犠牲になった少女のことや周囲を騙し続けていることが頭から離れないのだ。

 一人苦しみ悔い続けながら、しかしそれを表に出すことはない。ただ自らを“まがいもの”と蔑み、いつか本物の暁古城が戻ってくると信じ、今日も彼は平穏な日常を過ごしていた。

 

 

 ▼

 

 

 八月も終盤、夏休みもあと四日で終わりを迎えるという今日この頃。特区警備隊(アイランド・ガード)の訓練施設の一つに暁古城の姿はあった。

 精神統一をするように冷たい床の上に胡座で座り込み目を閉じている古城。その右腕には虚空から伸びる銀の鎖が巻きついていた。

 銀の鎖の持ち主は黒い髪の、一見すると幼い少女。フリルをあしらった豪奢な黒いドレスを着こなし、室内であるのにも関わらずこれまた黒い日傘を携える様はまるでビスクドールのようだ。

 南宮那月。古城が通う彩海学園の英語教師であり、国家攻魔官である自称二十六歳の女性だ。

 国家攻魔官としての実力は折り紙つきで、その可憐な容姿とは裏腹に欧州では“空隙の魔女”と呼ばれ恐れられていた過去を持つ傑物だ。

 古城が徐に口を開く。

 

「準備はいいかな、那月先生(、、)?」

 

「ふん、好きにするがいい」

 

 傲岸な那月の物言いに古城は苦笑する。しかしすぐに口元を引き締め、己の内側へと意識を沈めていく。

 暗い深海へと沈むように意識の下層に潜っていく。やがて、暗闇だけの世界に眩い光が差し込んだ。同時に世界が激しい雷光に白く染められ、古城の前に雷を纏った獅子が現れた。

 “獅子の黄金(レグルス・アウルム)”。第四真祖の五番目の眷獣だ。

 その雷撃はありとあらゆるものを薙ぎ払い、破壊し尽くす。第四真祖の眷獣に見合うだけの力を有する怪物だ。

 古城は“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”の正面に立ち、まるで仲の良い友人に話しかけるような気軽さで片手を上げた。

 

「一週間ぶりだな、元気にしてたか?」

 

 古城の呼びかけに“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”は答えない。ただじっと古城を見つめているだけだ。

 無視されているわけではない、というのは何となく分かる。だが応答しようとしない。まだ古城を己の宿主として認めていないのだ。

 

「ダメか……。やっぱ血を吸わないと認めてくれないのか?」

 

 古城の問いかけに“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”が頷く気配がした。

 参ったな、と暗闇を仰いで古城は頭を悩ます。

 第四真祖の眷獣はどいつもこいつもじゃじゃ馬だ。宿主である古城に身の危険が及べば勝手に出てきて、その度第四真祖の眷獣の名に恥じぬ厄災を振り撒いてくれる。正当防衛で平然と都市一つ壊しかねない存在なのだ。

 そんな眷獣を御すために必要なのが、質の良い霊媒からの吸血行為だ。

 しかし古城に吸血の経験はない。三ヶ月前に吸血鬼になったばかりであり、身近に眷獣を手懐けられる程の霊媒として素養を持つ人間が少ないため、そして何より古城自身が吸血行為に漠然とした苦手意識を持っているためだ。

 よく吸血鬼の吸血行為は食事や嗜好として描かれることがあるが、この世界の吸血鬼にとっての吸血行為は生きるために必ず必要なものではない。

 この世界の吸血鬼にとって吸血衝動を引き起こす原因は性的興奮。つまるところ性欲、欲情することだ。

 誰かのことを想い、我を忘れる程の渇きと衝動に襲われて、吸血鬼は人にその牙を突き立てる。あるものは衝動の赴くままに数多くの人を襲い、またあるものは愛する誰かをその手にかけた。それが吸血鬼の吸血行為である。

 古城はその吸血行為を苦手としていた。吸血行為に及ぶというのはつまり、誰かに欲情するということと同義なのだ。

 精神が三十路前の古城が年若い少女にその牙を突き立てる。

 無茶を言うな、と古城は頭を抱える。一歩間違えなくても歴とした犯罪だ。お巡りさんのお世話になること待ったなしである。

 己の内に宿る暴れ馬を制御するには霊媒の血が必要不可欠。しかし古城の心情としては吸血行為は避けたい。二つの相反する事情に板挟まれ、古城が出した結論は一つ。まずは何事も対話から入ることだった。

 原作古城は第四真祖の力と向き合わず逃げている節があった。第四真祖になった経緯を憶えていない状況では仕方ないと言えるが、ここにいる古城は記憶こそないが第四真祖になった当時のことを原作知識で知っている。原作と違い自身が軍隊や災害扱いされている自覚もあるし、第四真祖の力を忌避するなんてこともない。

 だからこそ、この古城は対話という選択をしたのだ。

 眷獣との対話は困難を極めた。一つ間違えれば暴走し、周囲に天変地異並みの災害を撒き散らすのだ。それなりに仕事の営業や上司とのコミュニケーションで対話能力はあると自負していた古城であっても、さすがに相手が悪い。

 もしも暴走した時のために事情を知る那月に監督を頼み込み、一週間に一度のペースで眷獣との対話を続けた。那月には対価として攻魔官の仕事や教師の雑事を手伝わされるはめになったが、眷獣を制御することができるようになるのであれば安いものだ。

 結果だけ言えば、古城の目論見は失敗とも成功とも言えなかった。

 

「それじゃあいつものやつ、いくぞ」

 

 真剣な面持ちで、古城は己の右腕を“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”に突き出す。ゴロゴロと雷鳴のような唸り声を上げて、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”が古城に飛びかかった。

 瞬間、意識が飛びそうになる程の激痛に身を打たれて古城が絶叫する。痛みを紛らわすように叫び声を上げつつ、古城は雷光を引き連れて意識を現実の肉体に引き戻す。

 

「ちっ、来たか……!」

 

 雷を身に纏い始めた己の教え子を見下ろして、那月はいつでも新たな鎖を打ち出せるように準備をする。

 

「うぐっ、あ、ああ……!」

 

 じっと胡座で座っていた古城が目を剥き、吸血鬼特有の長い牙を口元から覗かせる。瞳は紅い輝きを湛え、銀鎖が巻きついた右腕から漏れ出るように稲妻が迸る。

 右腕から放たれる雷撃は床や壁、天井までもを容赦なく砕く。このまま無差別に雷撃が放出され続けたら、特区警備隊(アイランド・ガード)の訓練施設は見るも無残な瓦礫の山へと変わるだろう。

 だが、そうはさせまいと古城が右腕を掲げる。

 右腕から間欠泉の如く噴き出す雷の矛先が、自らの宿主である古城へと変わる。都市一つ消し飛ばしかねない雷撃の濁流が古城の右腕に集中し、馬鹿みたいな高電圧となって蓄積する。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)!“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 右腕を砲身に見立てて古城は拳を突き出す。拳が向けられているのは鬱陶しげな表情をした那月だ。

 次の瞬間、轟音と共に溜め込まれた雷光が指向性を持って放たれた。

 人一人程度余裕で呑み込める程の雷光の奔流は、床を抉りながら那月に迫る。不完全とはいえ神話生物と同等の扱いを受ける第四真祖の眷獣の一撃、常人ならばこの時点で失神してもおかしくない状況だ。

 しかし空隙の魔女の異名を持つ那月にとって、この程度の雷撃は脅威足り得ない。

 

「まったく、世話のかかる教え子だ」

 

 那月は鬱陶しげに手に持っていた日傘を一閃した。それだけで破壊の奔流は一瞬にして消滅してしまい、全ては幻であったかのような静寂が部屋を支配する。

 

「毎度のことだけど、やっぱ無茶苦茶だよな。那月先生」

 

 破壊の痕跡残る部屋を見回して古城は呆然と呻く。その右腕は炭化一歩手前まで傷んでおり、那月が前もって巻きつかせた鎖によって原型を留めているような状態だった。

 しかしそれも第四真祖の驚異的な再生能力によって回復していく。まるで動画の巻き戻しのようで、再生する光景は耐性がないものが見れば吐き気すら催すだろう。

 那月はそんな古城の右腕を無表情で見下ろして、

 

「今日はこれで終わりだ」

 

 冷ややかに終わりを告げた。

 

 

 ▼

 

 

「おまえは何をそう生き急いでいる?」

 

 愛用の黒いフード付きのパーカーに着替え、真夏のきつい日差しに顔を顰めていたところで、どこからともなく現れた那月が問うた。

 この三ヶ月で古城は目覚ましい成果を上げた。暴走し無差別に破壊を撒き散らすしか能がない第四真祖の眷獣を、霊媒の血を捧げることもなく対話だけである程度言うことを聞かせられるようになっているのだ。それだけで十二分に賞賛に値する。古城本人はまだまだ納得していないが。

 だが、その代償もまた大きい。

 古城は外へ向かっていく力のベクトルを内に向けさせ、そこから力に指向性を持たせて放つという荒技をやっている。それは第四真祖の眷獣の力を一身に受けているということ。並みの精神性ではその苦痛に耐えられず廃人となってもおかしくない。

 しかし古城は気が狂いそうになる程の激痛にも耐え、己の内に宿る眷獣と直向きに向き合い続けた。その真っ直ぐな姿勢は教師として素直に褒められるものであったが、同時に危うさも感じられた。

 何故そこまでして力を求めるのか。那月には古城が何を生き急いでいるのかが、分からなかった。

 那月に問われて古城は困ったように頭を掻く。どうにも古城は頭を掻く癖があるらしい。

 

「護りたかったものを、護れるようになりたいから。ですかね」

 

 しばしの黙考ののちに、古城はそう答えた。

 古城の奇妙な言い回しに那月は眉根を寄せる。

 護りたいもの、ではなく、護りたかったもの。明らかにニュアンスに大きな違いがある。どうにも要領を得ない。那月は古城がわざとはぐらかそうとしているのかとも思ったが、どうにもそうではなさそうだ。

 先の対話での疲労で気怠げな表情をしているが、その瞳に湛える光は真剣そのもの。とても嘘を言っているようには見えなかった。

 

「ふん、まあいい。何にせよ、あまり無茶をしてくれるなよ。おまえが暴れるだけで余計な仕事が増えるのだからな」

 

 偉そうな口調だがその内容は古城の身を案じたものだった。それが古城にも分かったからこそ、彼は疲労を滲ませながら苦笑いを浮かべる。

 

「分かってるよ、那月()()()

 

 攻魔官ではなく教師である那月に対する呼び方に替えて、古城は即座に右手を掲げる。そこへ那月の黒レースの扇子の振り下ろしがヒットした。もはや慣れ親しんだやり取りに古城は反射的に対応したのだ。

 

「ちっ、教師をちゃんづけで呼ぶなと言っているだろう」

 

 忌々しげに吐き捨てながらも、那月がそれ以上攻撃を加えることはなかった。

 しかし代わりに、

 

「そういえばどこかの馬鹿が英語の追試を食らっていたな」

 

「ぎくっ」

 

「今回の追試は夏休みの課題を範囲としていたが、その馬鹿のためにも二学期の予習を兼ねて範囲を増やすべきだな。我ながら良い考えだと思うのだが、どう思う?」

 

「エエ、イインジャナイデスカネー」

 

 英語の追試を食らった馬鹿は片言ながらにそう返す。那月はその返答に満足したのか楽しげな笑みで頷いた。

 

「せいぜい頑張ることだな、暁古城」

 

「へいへい、やりますよやればいいんでしょ……」

 

 英語の追試は明後日。今日帰ってからと明日丸一日でどれだけ詰め込めるか。いや、明日は浅葱に矢瀬共々勉強を見てもらう予定だった。丁度良いのでその時に英語を教えてもらおう。

 意地悪教師め、と胸中でだけ呟いて古城は足早に家路についた。

 遠ざかっていく教え子の背を那月は見つめる。高校一年にしては妙に大人びた雰囲気を背負うその背は、しかし真夏の陽炎の中に儚く消えていった。

 

 

 

 



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聖者の右腕Ⅱ

 絃神島、またの名を魔族特区。

 太平洋に浮かぶ人工の孤島。公的には東京都に属する区分ではあるが、その実体は殆ど独立した政治体系を有する特別行政区だ。

 海流の流れと熱帯に位置することから絃神島は基本的に暑い。真冬ですら平均気温二十度を超える、いわゆる常夏の島なのだ。

 そして、様々な理由によって絶滅の危機に瀕する魔族の存在が公認され、保護と研究が行われている。

 中身が魔法も奇跡もなかった世界出身の古城にとってはなかなかにファンタジーな島であるが、さすがに三年も暮らしていれば新鮮味も薄れて慣れる。そもそも古城自身が世界最強の吸血鬼、第四真祖であるのだ。それ以上に驚くべき事柄などそうそうあるはずもないし、あってほしくもない。

 

「あー……眠い、暑い。覚悟はしていたけど、本当に辛いんだな……」

 

 吸血鬼の肉体は基本的に夜が活動時間だ。日差しを浴びたら灰になるなんてことこそないが、それでも紫外線を不快に感じる。絃神島は吸血鬼が普通の人間と同様の日常を送るには厳しい環境だ。

 強烈な西陽をもろに受ける窓際の席でテーブルに突っ伏して、古城は目の前に積み重なる英語の教科書を忌々しげに睨む。

 

「那月ちゃんも人が悪いよな。範囲増やすとか言っておきながら、どこまで増やすか教えてくれもしないんだからさ」

 

 愚痴を零す古城に、向かいの席に座る友人二人が呆れたような笑み浮かべる。

 

「古城が悪いんでしょ。あんたが那月ちゃん那月ちゃんって呼ぶから」

 

 自業自得だと言い切ったのは髪を金に染めた華やかな少女、藍羽浅葱だ。

 今どきの女子高生らしく、化粧と着崩しで自らを飾る浅葱は、しかし元が良いのかけばけばしい印象はない。むしろとても魅力的ですらある。

 浅葱の至極真っ当な指摘に古城はぐっと言葉を詰まらせる。

 

「や、でもさぁ。あの見た目で教師ってのはちょっと……むしろ中等部の制服着てても違和感ないだろ」

 

「まあ確かに、古城の言い分も分からなくはねえけどな。それを本人に言おうとはぜってー思わないぜ」

 

 古城の意見にやや肯定的な立場を取ったのは矢瀬基樹。茶色の短髪をワックスで逆立て、首にヘッドホンをかけた軽薄そうな少年だ。

 今日、このファミレスに三人が集まった理由は明日と明後日に控えるそれぞれの追試と課題を終わらせるためだ。主に教えるのは浅葱で、教わるのは男子陣である。

 古城の成績は基本的には悪くない。既に前世で習ったことである以上、完璧とは言えなくともある程度は授業を真面目に聞いていれば理解できる。英語を除いて。

 古城にとって英語は前世からの鬼門であった。何故英語を勉強しなければいけないのかと愚痴を零しては、その度に那月から有り難い説教を受けている。それ程までに古城は英語を苦手としていた。

 

「英語なんて勉強するだけ無駄だって。そのうち優秀な翻訳機が一人一台とかの時代が来るんだから」

 

「最近の翻訳機の機能は結構凄いけど、決してあんたが楽をするために発展しているわけじゃないのよ。あとそこ、前置詞抜けてる」

 

「ぐぬぬ、英語なんて滅びてしまえばいい……」

 

 ぶつくさ文句を零しつつ古城は指摘された箇所を埋める。しかしそれも間違っていたようで、再度浅葱に訂正されてしまう。

 間違いを指摘され、直して、また訂正される。そんなやり取りを何度も繰り返していると、不意に浅葱がファミレスの時計を見て声を上げる。

 

「あー……やっば。そろそろバイトの時間だからあたし抜けるね」

 

 浅葱のバイトの内容は端的に言えばコンピューターのプログラミングである。ただし人工島(ギガフロート)管理公社の中の保安部のコンピューターの、と頭につくが。今どきの女子高生がするバイトの範疇を思いっきり飛び越えている。

 傍に置いてあったジュースを一気に飲み干し、荷物を手に浅葱は席を立つ。そのまま駆け出そうとする彼女を、古城は呼び止める。

 

「浅葱、勉強教えてくれてありがとな」

 

「へ?あ、うん。あ、あたしが教えたんだからきっちり受かって来なさいよね!」

 

 不意打ち気味の感謝の言葉に面食らって間抜けな声を漏らすも、すぐにいつもの通りの表情を取り繕い古城に激励を飛ばして店を出て行った。

 ダッシュで去っていく浅葱の後ろ姿を見ていると、矢瀬が意味深な笑みを古城に向ける。

 

「さすがは古城、口説き文句にも余念がないですなー」

 

「そんなんじゃない。ただ教えてもらったんだからちゃんとお礼は言うべきだろ」

 

「ま、そりゃそうなんだけどさ。そういうマメな所がモテる要素なのかねえ」

 

「彼女持ちがなに言ってんだか」

 

 やたらからかってくる矢瀬を適当にあしらいつつ、古城は広げられた教科書類を畳んでいく。

 

「帰るのか?」

 

「そうだな。どうせ俺一人じゃ英語なんて進まないし」

 

 と言いつつ古城は店の外に視線を流す。

 道路を挟んだファミレスの向かい側。建物の陰に隠れる小柄な少女の姿を発見して、古城は少し複雑な笑みを浮かべる。

 しかし矢瀬がそれに気づくことはなかった。

 

「それもそうか。浅葱がいないんじゃ、こんな所で勉強しても意味ねえしな」

 

 手早く参考書と筆記具を仕舞い、矢瀬はテーブルの端に置かれた伝票を手に取る。

 伝票の内容を上から読んでいく矢瀬。その表情は読み進めるにつれて引きつっていく。古城も矢瀬の表情から伝票の惨状を悟って苦笑いを浮かべる。

 浅葱は運動部の男子も顔負けな大食らいだ。どうしてあの細身に何人前もの料理が入るのか、古城と矢瀬は不思議で仕方なかった。そして今、浅葱の大食いが古城と矢瀬に牙を剥く。

 

「古城……ここはジャンケンで勝った方が三人分のドリンクバー。負けた方がそれ以外ってことでどうよ?」

 

「普通に割り勘の選択肢はないのかよ!?」

 

 古城の悲鳴が午後のファミレス店内に木霊した。

 

 

 ▼

 

 

「ファミレスで五千円超えるって、浅葱はどんだけ食べたんだか……」

 

 一気に軽くなった財布を虚しく思いながら、古城はドリンクバーから取ってきたコーラを啜る。弾ける炭酸が乾いた喉を潤し、気持ちが爽やかになった。

 古城の姿は未だにファミレス店内にあった。矢瀬と共に割り勘で会計をしたのち、古城は手洗いに行くと言って先に矢瀬を帰らした。そして自分は店員に一声かけ、新たにドリンクバーを注文して同じ席で悠々と寛いでいる。

 店員から若干怪訝な目を向けられるも、そこはにこやかに微笑んで対応した。自身の行動がおかしいことは自覚していたが、それでも古城はファミレスに居座る選択をした。

 グラスのコーラを飲み干して底に溜まっていた氷を噛み砕きながら、古城は何気ない仕草で店の外を見やる。

 交差点の向こう側、古城と目が合いそうになると建物の陰に引っ込む影がある。ギターケースを背負い、古城が通う彩海学園の中等部の夏服を着た少女だ。

 少女は古城の動向を見張っているのか、しきりに建物の陰から顔を覗かせては引っ込め、覗かせては引っ込めを繰り返している。きっと本人は気づかれていないと思っているのだろう。実際はバレバレで、古城としてはさっさと出てきてくれないかと待っている状態だ。

 しかし少女は未だ出てこない。仕方なく、古城は自らアクションを起こすことにした。

 少女に向けて古城が手を振る。少女は最初、誰か別の人間に手を振っているのだと周囲を見回すが、該当する人物が見当たらず首を傾げる。しかし古城が根気強く手を振り続けると、さすがに自分に向けて手が振られているのだと思い至り、驚きに目を丸くした。

 驚愕する少女に古城は呆れ笑いを浮かべながら、こっちにこいと手招く。すると少女は警戒しつつ店内へと入ってきた。

 入店して一直線に古城のいる席に向かってくる少女。その足運びや姿勢はぶれることなく、この場で何かしらの有事が起きようと即座に対処できそうだ。

 目の前まで少女が来たところで古城は、

 

「はじめまして、だよな。俺に何か用か?」

 

 何も知らない素振りを装って、少女──姫柊雪菜に話しかけた。

 

 

 ▼

 

 

 姫柊雪菜は獅子王機関の養成所で育てられた剣巫、正確には剣巫見習いだった。

 彼女の剣巫としての修行はとある事情により四ヶ月程繰り上げて終了した。代わりに獅子王機関の三聖から言い渡されたのはとんでもない任務。日本は絃神島に現れた伝説の吸血鬼、第四真祖の監視と危険と判断した場合の抹殺だ。常識的に考えてまだ十五にも届かない少女には荷が重すぎる任務内容である。

 だが選ばれたのは経験豊富なベテランではなく、まだまだ未熟な見習い剣巫だ。その理由は第四真祖の少年と歳が近いからと、獅子王機関の秘奥兵器である七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)に適合したからだ。

 七式突撃降魔機槍、銘を“雪霞狼”という。対魔族戦においてその真価を発揮する、この世に三つとない非常に強力な武器だ。

 真祖をも倒し得るという武器を託され、第四真祖の監視といざという時の抹殺を命じられた雪菜は、不安を抱えながらもたった一人でこの魔族特区・絃神島にやってきたのだ。

 そして、今、監視対象である第四真祖に監視していることを気づかれ、雪菜は第四真祖の対面に居心地悪く座っていた。

 空が茜色に染まりつつある頃合い、そろそろ夕飯を食べにくる客で賑わい始めるだろう。店の迷惑を考慮して、緊張と警戒でガチガチの雪菜に代わって古城が話を切り出す。

 

「それで、中等部の生徒が俺に何の用だ?凪沙の知り合いか?」

 

「わ、わたしは獅子王機関から派遣された剣巫の姫柊雪菜です。獅子王機関三聖の命により、第四真祖であるあなたの監視の任を帯びてここに来ました」

 

 生真面目な表情を取り繕って雪菜が馬鹿正直に任務内容を話す。正直、監視対象に監視していますと宣言するのは如何だろうと古城は思うが、敢えて指摘することもしない。

 ただ、古城はどこか達観したように一言。

 

「ああ、そう。じゃあ、よろしく?でいいのか」

 

「えっ……」

 

 予想していたのとは違う古城の反応に、雪菜が呆気を取られたように硬直する。

 

「それだけですか?監視されるんですよ?」

 

「そんなこと言われてもなぁ。逆に訊くが、監視するなって俺が言ったらどうすんだよ」

 

「そ、それは……」

 

 返答に窮して雪菜が古城から目を背ける。

 そんな雪菜に古城は少し意地悪げに笑いかけた。

 

「ごめん、意地の悪いこと言った」

 

「いえ、そんなことは……」

 

「まあ、お互い気にしないようにすればいいさ。監視といっても最低限のプライバシーくらいは守ってくれるんだろ?」

 

「はい、そこはお約束します」

 

「なら、いいわけじゃないけど、とりあえずは納得しておくよ」

 

 古城は軽く戯けるように肩を竦め、手元にあったコップに手を伸ばす。だがコップの中身は既に空っぽであり、仕方なくドリンクバーへと向かおうとして対面の雪菜を見やった。

 

「ああ、悪い。姫柊もドリンクバーでいいか?」

 

「そんな、わたしのことはお気遣いなく」

 

「いいから素直に奢られてくれ。先輩の甲斐性みたいなもんだからさ。それに飲み物があったほうが話も進むだろ」

 

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 押し切られる形で雪菜が渋々頷く。古城は近くにいた店員にドリンクバーの追加を頼み、そのままドリンクバーへと足を運んだ。

 幾つかのジュースの中から無難にオレンジを選び、ストローを一つ取り、両手に一つずつグラスを持って席に戻る。

 

「ほい、オレンジ。あとストローな」

 

「ありがとうございます」

 

 古城からグラスとストローを受け取り、雪菜は少し気後れしながらもストローでオレンジを啜る。するとこれまでずっと固かった顔が少しだが緩み、歳相応の女の子らしい柔らかさが表に出てきた。

 古城は雪菜の様子に満足げに頷き、しかしそれを悟られないようにしながら再び雪菜の向かいに座った。

 しばし二人は無言で各々のジュースを啜るが、やがて意を決したような表情をした雪菜が口を開く。

 

「暁先輩、単刀直入にお聞きします。先輩がこの魔族特区を訪れた目的はなんですか?」

 

「世界征服、その足がかりにまずはこの魔族特区を手中に収めて、って冗談だよ。そんな怖い顔しないでくれ」

 

「ふざけないでください!」

 

 ばん!と雪菜が拳をテーブルに叩きつける。その音に周囲の客や店員からすわ痴話喧嘩かと好奇入り混じる視線が向けられるが、当の雪菜は気づいていない。

 冗談も通じない生真面目な後輩に古城は頭を掻きつつ、昨日も似たようなことを尋ねられたなと、ふと思い出していた。

 古城は僅かに逡巡しながらも、結局那月に言ったのと同じ答えをそのまま述べた。

 

「護りたかったものを、護れるようになりたい。当面の目的、というか目標はそれかな」

 

「護りたかったもの──」

 

「さて、そろそろ俺は帰るわ。明日は英語の追試だし、勉強しないとまた那月ちゃんに怒られるからな。会計は済ませとくから、姫柊はもう少し休んで行けよ。この暑い中、外で立ちっぱなしだったんだろ?水分補給はきちんとしておくんだ」

 

 次から次へと立て板に水の勢いで捲し立てる古城に、雪菜ははっきりとした拒絶の意思を感じ取った。古城にとって先の護りたかったもの云々はあまり触れられたくない事情があるのだろう。

 拒絶されては無理に問い詰めることもできない。雪菜は抱いた疑問を飲み込み、伝票を片手に去っていく古城の後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 



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聖者の右腕Ⅲ

英語の課題が、終わらない……。


 カーテンの隙間から差し込む朝日に瞼を焼かれるような感覚を味わいながら、古城は鬱屈にベッドから身を起こした。

 枕元でアナログ式の目覚まし時計が鳴っている。古城は手探りで目覚ましを止めると、鈍い頭痛を堪えながらベッドを抜け出した。

 吸血鬼にとって朝、午前中は非常に辛い時間帯だ。なにせ吸血鬼は基本的に夜が活動時間であり、本来なら朝は寝ている時間帯なのだ。しかし一般的な高校生の生活習慣は朝に起きて夜に寝る。吸血鬼の生活習慣とは真逆といってもいいだろう。

 それを押して普通の人間と同じ生活を送ろうとするのだから、睡眠不足に悩まされるのは必定。他にも食欲不振と頭痛、思いつく限りの体調不良に襲われている。原作古城が遅刻やサボりの常習犯であった理由がよく分かった。

 だが中身が成人した社会人であるこの古城は染みついた社畜根性とでもいうのか、どれだけ辛く憂鬱であっても朝は起きる。遅刻もサボりも余程のことがない限りしない。そのため追試や補習も元から苦手な英語以外はなく、教師陣から目の敵にされるなんてこともない普通の学生生活を送っている。

 寝ぼけ眼は半開き、頭は寝癖だらけ。寝起きを体現したような姿で古城がリビングに出ると、台所から賑やかな声が飛んできた。

 

「あ、おはよう、古城くん。いつものことだけど、ホントに眠そうだね。コーヒー淹れとくから、先に顔洗ってきなよ」

 

 エプロン姿で台所に立っていたのは暁凪沙。古城の妹だ。

 円らな瞳が印象的で、ころころと表情の変わる少女だ。

 顔立ちや体つきはやや幼さを残しているが、十二分に美少女の枠に当て嵌まるだろう。事実、その裏表のない性格も相まって男子からの受けは良いと、古城は友人から聞き及んでいた。

 古城は気の抜けた声を返し、洗面所で顔を洗う。冷たい水が眠気を飛ばしてくれるが、やはり頭が覚醒しない。タオルで水気を取りながらリビングに戻ると、コーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。

 

「はい、古城くん。熱いから気をつけてね。あと、朝ご飯作ってあるから食べてね」

 

「おう……」

 

 凪沙からコーヒーを受け取り、古城はすぐにカップに口をつける。

 火傷しそうな程に熱いコーヒーを一口。それでやっと頭のほうも回り始めた。

 古城はほっと一息ついて、どことなく楽しげな顔で自分を見る凪沙に気づいた。

 

「なんだ?顔になんかついてるのか?」

 

「ううん。ただ、古城くんがこんなにも朝が弱い人だって知ったら、学校のみんな驚くだろうなって。あの“彩海学園の紳士”が、寝癖だらけでコーヒー啜ってるなんて。あ、でも、むしろ需要があるかも」

 

「あのってなんだよ、あのって。そんな有名人になった覚えないぞ」

 

 呆れたように言う古城。時折見知らぬ生徒から視線を向けられたり指を指されたりしていたが、まさかそれが原因なのだろうか。

 妙な居心地の悪さを感じつつ古城が食卓についたところで、そういえば、と凪沙が声を上げた。

 

「ねえねえ、古城くん。夏休み明けからうちのクラスに転校生が来るんだけど、知ってる?」

 

「転校生……」

 

「うん、女の子。昨日、部活で学校に行った時に先生が紹介してくれたんだあ。転校前の手続きとかで来てたらしくて、すっごく可愛い子だったんだよ」

 

「ほーん、そうか」

 

 興奮して語る凪沙の話は所々脈絡が繋がってなかったりするが、それでもなにが言いたいかは分かる。つまり彩海学園の中等部、それも凪沙と同じクラスに可愛い女の子が転校してくるということだろう。

 古城は凪沙の話に素っ気なく返しつつ、脳裏ではファミレスで昨日会った雪菜の姿を思い浮かべていた。凪沙の言う転校生とはもろに雪菜のことである。古城の監視のため、同じ彩海学園の中等部に転校してきたのだ。

 

「すっごく興味なさそうだけど、古城くんにも関係あるんだよ?その子、どうしてか古城くんのこと知ってたし。あたしが自己紹介したら、お兄さんはいるのかって、どんな人なのかって、訊かれたんだよ?」

 

「それで、おまえはなんて答えたんだ?」

 

「色々お話したよ。古城くんの学園での評価とか、英語がすっごく嫌いなこととか、他にも色々。でも、安心して。朝が弱いことは話してないから!」

 

「ぜんぜん安心できないからな」

 

 声を弾ませる凪沙に苦笑いで一応突っ込みを入れる古城。朝が弱いことに関してはそのうちしっかりバレることになるのだが、まあいいか、と古城は投げやりに納得した。

 

「でも、どうして転校生ちゃんが古城くんのこと知ってるのかな。いくら彩海学園の紳士で有名でも、さすがに島の外まで知られてるなんてことはないだろうし」

 

「なあ、その恥ずかしいあだ名はどこまで広がってるんだ?学園内だけだよな?」

 

 軽く不安を抱きながら古城が尋ねるも凪沙は答えない。そんなことよりも、と転校生の話を続ける。

 

「古城くん、実は転校生ちゃんのこと知ってるんじゃないの?さっきからあんまり驚いてないし」

 

 疑惑の目を向けてくる凪沙に、どう答えたものかと古城は頭を掻く。

 凪沙の指摘通り、古城は転校生こと雪菜を知っている。それは原作知識であり、そして昨日直で会って話したからだ。故に凪沙の問いに対する答えはイエス。

 しかし古城はそれをそのまま答えていいものか悩む。あまり余計なことを話して凪沙を第四真祖絡みの厄介事には巻き込みたくない。それに古城と雪菜に妙な関係があると疑われて、凪沙と雪菜の関係が悪くなるというのも面白くない。

 うーんとコーヒーを啜る古城。そんな様子を凝視する凪沙。

 仕方ないな、と古城は当たり障りないように答えた。

 

「昨日、たまたま会ってな。その時に少し話した程度だよ」

 

「それだけ?」

 

「まあ、慣れない新天地ってこともあって色々混乱してたんだろ。悪い子じゃなさそうだったし、仲良くしてやってくれよ」

 

「古城くんに言われなくても分かってるよ」

 

 ふふん、と楽しげに笑う凪沙。微妙に話がずらされてることに気づいてない。

 そんな凪沙の姿を眺めて古城は、胸の内をチクリと刺す痛みに目を細めた。

 自分はこの少女をずっと騙している。もう三年近くもだ。その事実が常日頃から古城の心に重くのしかかっていた。

 もし、今目の前にいるのが本当の兄ではないと知ったら、凪沙はどうするだろうか。そんなことを考えつつ、古城は凪沙が用意した朝食に手を伸ばすのだった。

 

 

 ▼

 

 

 南宮那月は国家攻魔官であり、そして彩海学園英語教師でもある。

 例の如くレースアップした黒のワンピース。襟元や袖口はフリルがあしらわれ、腰回りはコルセットで締めている。

 幼い容姿には見合わぬ威厳とカリスマを漂わせていて、それも手伝って教師としての能力は高く、生徒から舐められることもなくむしろ好評を集めている。

 真夏の殺人的な紫外線が降り注ぐ窓際を少し離れた教室中央の席から古城は、英語追試の解答用紙を採点する那月の姿を眺めていた。

 

「いつも思うけど、暑くないんですかね。那月ちゃん?」

 

「教師をちゃんづけで呼ぶなと言ってるだろう」

 

「おっと」

 

 那月が手に持つ黒レースの扇子を構えるのを見て、古城が右手を額の前に翳す。いつもならばこれで那月の一撃を防げただろう。しかし、人は学習する生き物だ。

 にやりと那月が口角を上げて扇子を横に一閃。次の瞬間、後頭部に強い衝撃を受けて古城が顔面から机に突っ伏した。

 

「ま、魔術の無駄使いを見た……」

 

「言っても聞かない生徒に灸を据えただけだ」

 

 ふふんと得意げに笑う那月。叩かれた後頭部をさすりながら、次は後ろも守らねば、と古城は懲りずに考える。ちゃんづけを止める気は毛頭ないらしい。

 

「それで、結果はどうですか?」

 

「正答率六割、まあ合格ラインだ。普段の定期テストでもこれくらい取ってみせろ、馬鹿者」

 

「無理ですよ。英語なんて、見たくもないんだから」

 

「それを英語教師の前で言うとは、いい度胸だな」

 

 滑らかに扇子を構える那月に、さすがの古城も分が悪いと感じて即座に頭を下げる。

 

「冗談だよ、冗談。生徒のお茶目なジョークだって」

 

「ジョークを言う暇があるなら勉強しろ」

 

「ラジャー」

 

 ぞんざいな返事をして古城はふと思い出したとばかりに口を開く。

 

「そういえば、獅子王機関とかいうところから俺に監視役がつくことになったよ」

 

「──なに?」

 

 獅子王機関という単語を出したところで那月の機嫌が目に見えて悪くなる。眉根を寄せ、滲み出る嫌悪感を隠そうともしない。予想していた反応なだけに古城は苦笑いだ。

 国家攻魔官である那月と獅子王機関はあまり仲がよろしくない。両者とも攻魔師であることは同じであるが、互いに取り扱う管轄が違ったり微妙に被ったりするところがあるためだ。端的に言えば、警察と公安という関係である。

 そのため、那月はあまり獅子王機関に対して良い感情を持っていない。

 

「そんなことをわざわざ、何故私に言った?」

 

「那月先生(、、)にはいつも世話になってるし、一応報告はしておこうかなって」

 

 わざわざ先生呼びにして言う古城。世話になっているというのは国家攻魔官である那月に対して、ということだろう。勿論、教師である那月にも世話はかけているのだが。

 そんな古城を那月はしばし睨んで、やがて諦めたように苦々しい溜め息を吐いた。

 

「まあいい。せいぜい気をつけるのだな。連中は真祖が相手でも本気で殺しにくる。やつらはそのために造られたんだからな」

 

「みたいだな。昨日早速、危険なら抹殺する宣言されたところだよ」

 

 那月の警告に、古城は曖昧な笑みを以って返した。そんな古城に、那月は採点を終えた答案を放り投げて立ち去っていった。

 

 

 ▼

 

 

 唯一くらった英語の追試を無事終えた古城は、特に予定もなかったので丸々空いた午後をどう過ごすか考えていた。原作では雪菜の財布を届けに行くイベントがあったが、今回はそんなこともない。今頃雪菜は中等部で残りの転校手続きか何かを恙無く進めていることだろう。

 することもなく暇を持て余した古城が校門を潜ろうとしたところで、

 

「あ、お兄さん」

 

 透き通った声に呼びかけられて足を止めた。

 古城は聞き覚えのある声に振り返り、そこに一人の女子生徒を認めた。

 銀色の世界を連想させる髪と氷河の碧さを思わせる瞳を併せ持つ少女は、“中等部の聖女”と呼ばれる叶瀨夏音その人だ。

 この常夏の絃神島においていつもハイネックの長袖シャツを着込んでいるが、身に纏う涼しげな雰囲気からか、どこぞの英語教師と違って暑苦しさは感じない。

 夏音は凪沙の友人であり、また古城の後輩にもあたる。そして古城とはとある秘密を共有する間柄だ。

 

「お久しぶりでした。今日は、どうしてここに?」

 

「あーいや、ちょっと……追試がな」

 

 英語の追試をくらったのが気恥ずかしくて、答える古城の声は酷く小さかった。

 夏音はしばしばと瞬きをして、くすりと慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

 

「意外でした。お兄さんでも、追試を受けるんですね」

 

「そりゃまあな。俺はなんでもできる完璧超人ってわけじゃないし」

 

 首を横に振って、古城は夏音が手に持つ荷物に気づく。

 手提げ袋から覗く市販のキャットフードの袋とその他子猫用おもちゃなど。猫を飼っている人間ならば持っていてもおかしくない代物であるが、夏音の場合は事情が違う。

 

「今から修道院に行くのか」

 

「はい、丁度向かっているところでした」

 

「なら、俺も行こうかな。丁度暇してたところだし」

 

「いいんですか?」

 

「おう。人手があったほうが、叶瀨もいいだろ」

 

「はい、助かります」

 

 穏やかな微笑を湛えて答える夏音に、古城も柔らかな笑みを返す。校門前で二人が無意識に張る固有結界を、遠巻きに生徒らが見ていることには、二人とも気づいていなかった。

 

「じゃあ、行くか」

 

 言って古城はすっと手を差し出す。その手を夏音は首を傾げて見つめ、ややあってから自分の手を重ねた。

 その行動に驚いたのは古城だった。古城としては夏音が抱える荷物を持ってあげようというつもりで差し出した手であったのだが、まさかこんな認識の齟齬が生じるとは思いもしなかったのだ。しかし今さらそれを指摘するのも気まずい。

 古城が対応に困っていると、どうかしたのかと夏音が見上げてきた。軽く天然が入っている夏音は古城の困惑にこそ気づけど、その理由にまでは思い至らないらしい。

 まあいいか、と古城は頭を掻きながら、もう片方の手で夏音から手提げを受け取り、そのまま二人一緒に修道院へと向かうのだった。

 

 

 ▼

 

 

 学校の裏手にある丘の上、深い緑に覆われた公園の奥に古城と夏音の目的地である修道院はあった。

 建物自体は昔に起きた事故によって酷く損壊しており、ほぼ廃墟となっている。辛うじて屋根や内装が残っている部分もあるが、人が住むには無理がある状態だ。

 そんな場所に何があるのかといえば、

 

「おーおー、相変わらずたくさんいるな。この前来た時よりも増えてないか?」

 

 修道院の床に溢れ返らんばかりにいる子猫の数々を見て、古城が驚きに軽く目を見開く。

 

「はい、また拾ってきてしまいました。すいませんでした」

 

「や、いいんだけどさ。俺も嫌いじゃないし」

 

 申し訳なさげに言う夏音に気にするなと古城は手を振る。

 夏音には捨て猫を拾ってくる癖があった。どうにも見つけてしまうと放っておけなくなるそうだ。夏音としては引き取り手を見つけるまで預かっているだけのつもりだったらしいが、なかなか里親が見つからず預かる猫が増える一方だった。

 古城はそれを原作知識で知っていた。しかし今こうして共に猫の世話をしているのは本当に偶然だ。たまたま夏音が捨て猫を拾う場面に出くわし、成り行きで時折猫の世話を手伝うことになったのである。

 古城は持っていた手提げの中身を手早く広げ始める。夏音は寄ってくる子猫の相手をしつつ、古城がキャットフードを用意する姿を見つめていた。

 

「うし、エサの用意完了。ほーらこっちこいこい、エサの時間だぞ」

 

 キャットフードをこんもりと盛ったエサ皿を床に置いて、古城は子猫たちを手招きする。が、みんな夏音のほうへと行ってしまい一匹たりとも古城には寄ってこない。

 

「団子より花、ってか。ショックだわ……」

 

 がっくりと古城が肩を落とす。“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”もそうだが、やはり動物は野郎よりも可愛い女の子のほうがいいのだろうか。夏音に抱かれる子猫たちを見て古城は思うのだった。

 待っていても寄ってこないならば仕方ない。古城は自らエサ皿を持って夏音に近づこうとして、不意に修道院の入り口から人の気配を感じた。

 気配のしたあたりに目を向けると、姿こそ見えないが日差しによって人の影が地面に伸びていた。

 古城はなんとなくデジャヴを感じて、若干呆れながら隠れている人物に声をかけた。

 

「姫柊か?」

 

 ぴくりと影が動いた。隠れている人物は雪菜で間違いないようだ。

 きっと生真面目に古城の監視をしているのだろう。しかし子猫の群れに思わず反応してしまったというところか。古城に気配を読まれてしまったのだ。

 

「そんなところで隠れてないで、姫柊もこっち来いよ。可愛いぞー」

 

 エサ皿を置いて古城は雪菜を呼ぶ。しかし雪菜は影を揺らすだけで姿を現そうとしない。

 ふむ、と古城は頷いて、

 

「ああ、可愛いなぁ。こんなに一杯猫がいる光景なんてそうそう見られないだろうな。ほら、好きなだけ遊び放題だ。しかも女の子相手ならすりすりと寄ってきてくれるサービスつきだ」

 

「あの、お兄さん?」

 

 ペラペラと饒舌に喋る古城に夏音が困惑の視線を向ける。古城は悪戯っぽく笑い返し、雪菜の反応を窺う。

 日差しによって作り出されている雪菜の影はさっきからしきりに跳ねている。古城の言葉に心が揺れ動いているのだろう。きっと今頃、内心では激しい葛藤に襲われているに違いない。

 そんな雪菜の背を後押しするように古城は一言付け加える。

 

「どうせ監視するなら、より近くでのほうがいいんじゃないのか」

 

 その一言で城壁は陥落した。

 おずおずと扉の陰から姿を現わすギターケースを背負った雪菜。その表情は分かりやすく不機嫌に膨れていて、ちょっとからかいすぎたかと古城は少しばかり反省した。

 

「紹介するよ。こいつは姫柊雪菜。夏休み明けから中等部に転校してくる子だ。仲良くしてやってくれ、叶瀨」

 

「はじめまして、姫柊雪菜です。よろしくお願いします」

 

 丁寧にお辞儀する雪菜に、夏音は展開についていけてないのか困り顔で首を傾げる。ただ古城の言葉の中に気になるワードを見つけて、それを口にした。

 

「あの、監視ってなんですか?」

 

 はっ!と雪菜が目に見えて動揺する。一般人と見られる夏音に自分が第四真祖の監視役であり、あまつさえその第四真祖が夏音の隣にいる人物だとばれたら拙いと考えたのだ。

 しかしそこは古城が適当にフォローを入れる。

 

「ちょっとしたゲームをしててな。姫柊はそのゲームで監視役なんだよ」

 

「そうでしたか」

 

 純粋な夏音は人を疑うことを知らない。古城の口から出まかせも夏音はそのまま鵜呑みにしてしまう。ある意味信頼の裏返しとも取れるが、古城は少しばかり夏音の行く末に不安を感じた。

 

「叶瀨夏音です。えっと、触りますか?」

 

 夏音は胸に抱いていた子猫を差し出す。

 

「いいんですか?」

 

「はい、どうぞでした」

 

 瞳を歳相応の女の子らしく輝かせて、雪菜は子猫を受け取る。

 ふさふさふわふわの黒い子猫を抱き上げて、雪菜は心底幸せそうに笑う。その表情に夏音も少しずつだが心を開き、二人は仲良く子猫と戯れながらガールズトークへと突入していった。

 可愛い女の子たちが仲良くお喋りする光景を微笑ましいものを見るように眺める古城。その姿は休日に子供が遊ぶ姿を見守る父母のようであった。

 そんな古城の目線が雪菜と夏音から修道院の奥へと向けられる。視線の先にあるのは壁に埋め込まれた、一枚の浮き彫り(レリーフ)だ。

 古城はその彫刻を無感動な瞳で見つめて、ややあってから再び少女たちへと視線を戻した。



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聖者の右腕Ⅳ

日間ランキングに入っていて吃驚な今日この頃。


 絃神島南地区、通称アイランド・サウスは住宅が多く集まる地区だ。暁古城が住むマンションもまた、アイランド・サウスに建つ比較的背の高い住宅の一つであった。

 本日は夏休み最後の一日。英語以外に追試も補習もない古城は一日フリーだ。そのため昼過ぎくらいまで惰眠を貪ってもよかったのだが、今日は隣の七〇五号室に雪菜が越してくる日であった。それを昨日のうちにさりげなく聞き出しておいた古城は引越しの荷物運びを手伝うため、平日と変わらぬ時間帯に起床していた。

 いつもの如く鈍い頭痛に襲われながらリビングに出ると、なにやら凪沙が慌ただしい様子で支度をしていた。

 

「あ、古城くん、起きたんだ。いつもなら休みの日は昼まで寝てるのに、珍しいね」

 

「ああ、姫柊が隣に越してくるそうだから、荷物運びを手伝う約束しててな」

 

「あれ、古城くんも知ってたんだ。なあんだ、内緒にしておこうと思ってたのに。つまんないの」

 

 凪沙がぶーと唇を尖らせる。そんな妹に、はしたないぞ、と古城は欠伸混じりに言う。

 しかし凪沙は古城の小言を華麗にスルーして、

 

「そっか、じゃあお夕飯のお買い物頼んでいいかな。今日は雪菜ちゃんの歓迎会するから。お品書きは寄せ鍋で、具材は古城くんに任せるね。じゃあ、凪沙は部活だから行くね。あ、あと朝ご飯、時間がないから自分で用意してね」

 

 口を挟む余裕もない程のマシンガントークをかまして、凪沙は突風の如く出かけていった。

 嵐のように去っていった凪沙に圧倒されていた古城だが、すぐに再起動して自分も支度をする。テキパキと身支度を済ませ、古城は財布だけ持って家を出た。

 エレベーターで一階に降りて正面玄関から外に出ると、古城を迎えてくれたのは朝日と熱気であった。

 

「ぐっ、朝なのにこの暑さって。昼間はどうなるんだか……」

 

 お陰で眠気は吹き飛んだが、やはり辛いものは辛い。

 古城は憂鬱にパーカーのフードを被り、首を巡らせる。そして正面玄関の柱の一つに寄りかかる、彩海学園中等部の制服を着たギターケースを背負う少女の姿を発見した。

 

「おはようさん、姫柊」

 

「おはようございます、暁先輩」

 

「荷物はまだ届いてないみたいだな」

 

「はい。もうそろそろだと思いますけど」

 

 言って雪菜が敷地の外に目を向けると丁度一台の小型トラックが入ってきた。

 トラックは古城たちのいる玄関前に停車した。そして中から降りてきたのは運送会社の制服を着た配達員が二人。元気よく挨拶をする配達員に古城は荷物を運ぶ旨を伝え、荷物受け取りのサインをする雪菜に一声かけてから七階へと戻る。

 たった三つだけの段ボール箱を七〇五号室の玄関横に置いて雪菜が上がってくるのを待つ。少しして、エレベーターから雪菜が出てきた。

 

「お待たせしました」

 

「いや、ぜんぜん。とりあえず鍵開けてくれるか」

 

「はい」

 

 玄関の施錠を解いて部屋に入っていく雪菜のあとに続いて、段ボール箱を一つ抱えて古城も入っていく。

 雪菜が住む七〇五号室は隣の暁家と造りは同じ、3LDKの部屋だった。引っ越したてで家具の一つもないのが酷く殺風景に感じられる。

 カーテンを開く雪菜に、古城は段ボール箱を置きながら尋ねる。

 

「なにもないけど、荷物はあれだけか?」

 

「はい、そうですよ。高神の杜では学生寮に入っていたので、あまり私物がないんです」

 

「ベッドもなにもないけど、日用品とか大丈夫か?」

 

「問題ありません。わたしならどこにでも寝られますし、段ボールもありますから」

 

 平然と言う雪菜に古城は頭痛を堪えるように頭を抱える。

 隣に住む女の子が家を持ちながらまさか段ボールで寝ると言い出すとは、正直信じられなかった。これは由々しき事態であると古城は少しばかり真剣な表情を取り繕う。

 

「姫柊、支度金とかは出てるのか」

 

「出てますよ、一千万ほど」

 

「……まあ、核爆弾の監視みたいなもんだしな。それくらい出してくれてもおかしくないか」

 

 古城は自虐的に言って支度金の金額に納得して続ける。

 

「じゃあ今から家具とか日用品を買いに行くか。俺も今日は暇だから手伝ってやれるし」

 

「いいんですか?」

 

「構わないよ。そのかわり、夕飯の買い出しにも付き合ってくれよ。凪沙が姫柊の歓迎会をするんだー、って張り切ってたからさ」

 

「そんな、悪いですよ」

 

「遠慮するなって。引越ししたばっかで色々忙しいだろうし、凪沙も言い出したら止まらないからさ」

 

「……分かりました。お邪魔させていただきます」

 

「おう」

 

 古城が残りの段ボール箱を運び込み終えてから、二人は家具と日用品を揃えるために街へと繰り出すのだった。

 

 

 ▼

 

 

 午前の丸々を家具を見繕うのに費やし、昼休憩を挟んで午後からはホームセンターで日用品を買い揃えた古城と雪菜。二人は夕飯の買い出しのためにスーパーへと訪れていた。

 

「まさか姫柊があそこまで世間知らずだとは……」

 

 カートを押しながら呟く古城の表情は憔悴している。原因は物珍しさに雪菜が彼を意図せずして引きずり回したからだ。

 古城の隣に並ぶ雪菜が恥ずかしげに目を伏せる。

 

「す、すいません。つい気になってしまって……」

 

「いや、気にしなくていいよ。予想はしてたから」

 

 気にするなと優しく笑う古城。そんな彼の横顔を見つめて、前々から気になっていたことを雪菜は少し表情を固くしながら訊いた。

 

「あの、先輩は凪沙ちゃんに第四真祖であることを隠してますよね」

 

「そうだな。凪沙には、いや、一人を除いて俺は(、、)誰にも言ってないよ」

 

 古城の妙なアクセントの入りに雪菜は細首を傾げるも話を続けた。

 

「前にもお聞きしましたが、先輩はなんの目的があってこの魔族特区に居るんですか?以前、先輩が仰っていた理由は、別にこの島に住まなくとも為せると思うんです」

 

 真剣な顔で雪菜が問うてくる。

 雪菜の疑問は至極真っ当である。護りたかった云々は置いておくとして、護りたいものがあるならば魔族特区に移り住む必要性はない。むしろ本土よりも魔族特区のほうが危険は多いだろう。護りたいものがここにあったのならば話は別だが。

 古城はとりあえず、自分と雪菜の間にある認識の齟齬を指摘することにした。

 

「そうだな、まず凪沙に関してだけど。あいつ、実は重度の魔族恐怖症なんだ。だから、凪沙には俺の正体を話してない。話して危険に巻き込みたくもないしな」

 

「そうなんですか……」

 

 雪菜が驚いたように目を丸くする。魔族特区の住人が魔族に恐怖を抱いているというのは、少々おかしな話である。だが実際、凪沙は魔族を前にすると酷く怯えてパニックに陥ってしまう。原因は過去に起きた事件なのだが、その時の記憶を失っている古城がそれを言うわけにはいかない。

 

「それと、姫柊は勘違いしてる。俺は第四真祖であったから絃神島に来たんじゃない。ここに移り住んでから第四真祖になったんだ」

 

「え……そんな、ばかな……」

 

 驚愕に歩みを止めて雪菜は呆然と古城を見つめる。その顔には、信じられないと書いてあった。

 

「冗談ですよね、暁先輩?」

 

「残念ながら、事実だよ」

 

「そんな、ありえません。人間が後天的に真祖になるだなんて、それこそ今は亡き神々の秘呪で不死の呪いを受けない限り不可能です!」

 

「いや、神様に知り合いはいないよ……多分」

 

 自信なさげに呟いたのは確証がなかったから。第四真祖になった理由こそ神様なんて関係ないが、彼が暁古城に成り代わったのにはもしかしたら何処ぞの神様が関連しているかもしれない。そんな思いがあったから、古城は弱々しく付け足したのだ。

 しかし古城の呟きは興奮している雪菜には届いていない。

 

「だったら、他にどうやって──」

 

 そこまで言って雪菜ははたと気づく。失われた秘呪を受ける以外の真祖に至る手段に。

 顔を青ざめさせて雪菜が恐る恐る訊く。

 

「まさか、真祖を喰らったんですか、先輩?」

 

 同族喰らい。新しい真祖として誕生するのではなく、既に存在する真祖を喰らうことでその能力と命を奪い、真祖として成り代わる方法である。古城はその同族喰いを先代の第四真祖相手にやってのけたのだ。

 しかし、魔力の劣るただの人間が、神々から呪われた真祖の力を喰らうだなんて常識的に考えて不可能だし、まず試みようとも思わない。けれど目の前の少年はその常識を覆し、第四真祖に至ったという。

 途端に雪菜の古城を見る目に畏怖と強い警戒が浮かぶ。そのことに古城は一抹の寂しさを抱いた。

 

「まあ、俺が喰らったというよりは、譲り受けた感じだったんだと思う」

 

「思う?」

 

「実を言うと、俺はその時のことを憶えてないんだ。記憶が根こそぎ奪われてるというか、思い出そうとすると頭が痛くなる。だから正直、俺も気がついたら吸血鬼になっていた、って感じなんだ」

 

「それは……」

 

 記憶喪失という古城にどんな反応を返せばいいか分からず、雪菜は困惑の相を浮かべる。ただ、古城の記憶喪失に関して疑いの念は抱いていないようにみえる。

 

「疑わないのか?」

 

「いえ、嘘をついてるようには見えませんし、無理に思い出そうとして倒れられても困りますから」

 

 雪菜なりに気を遣ったのだろう。古城は彼女の気遣いに感謝して、再びカートを押して歩き出した。

 

「でも、いったいどうして……」

 

 それでも気掛かりなのか、雪菜は買い物中ずっと心ここに在らずといった様子で頭を悩ませていた。

 そんな雪菜に古城はチクリと罪悪感を感じつつ、寄せ鍋の材料をカゴに放り込んでいった。

 

 

 ▼

 

 

 買い物を終えた古城と雪菜は一杯の荷物を抱えて夕暮れに染まる家路を急いでいた。

 

「ちょっと長居しすぎたな……凪沙のやつ、怒ってないよなぁ……」

 

 憂鬱に言う古城の両手には雪菜の日用品と大量の食材。普通に考えて一人で持つには大きすぎる荷物を、しかし古城は吸血鬼の腕力で抱えて小走りしている。そんな古城の隣を比較的軽い荷物を持って雪菜が並走していた。

 駆け足でモノレール乗り場に辿り着き、今まさに出発しようとしていたモノレールに二人して駆け込む。

 

「ギリギリセーフだな」

 

「そうですね」

 

 若干息を切らしながら雪菜が頷いた。

 古城もまた、切れ切れの息を整えようとして、

 

「あれ?古城?」

 

 背後から聞こえた声に振り返った。

 そこにいたのは古城のクラスメイトであり、今日も今日とて華やかに決めている浅葱だった。

 浅葱は古城の持つとんでもない量の荷物に目を丸くし、次いで隣にいた雪菜を視界に収めると表情を固くした。

 

「えっと、これはどういう状況?それに、その子、誰?」

 

「ああ、ちょっと買い物帰りでな。こいつは姫柊。家の隣に引っ越してきた子で、夏休み明けから凪沙のクラスメイトになるんだ」

 

「姫柊雪菜です。藍羽浅葱先輩ですよね。どうぞよろしくお願いします」

 

「あ、うん。あたしのこと、知ってるの?」

 

「はい、暁先輩の調査しりょ──あいたっ!?」

 

「俺が話したんだよ。仲の良い友達がいるって」

 

 盛大に墓穴を掘ろうとした雪菜を小突いて、古城が前に出た。

 二人の奇妙なやりとりに浅葱は僅かに顔を顰めるもそれ以上は突いてこなかった。一応古城の転校生という話には筋が通っていると判断したのだろう。だが、理性で理解できても感情はなかなか納得ができないらしい。浅葱は雪菜に対してどことなく警戒心を抱いているようだ。

 ふむ、と古城は顎に手をやって、

 

「そうだ、これから姫柊の歓迎会を家でやるんだけど、浅葱も参加しないか?」

 

「え、あたしも?でも、いいの?邪魔じゃない?」

 

 古城のお誘いに浅葱は雪菜のほうを見やる。浅葱の視線を受けて雪菜は小さく頷いた。

 

「わたしは構いません」

 

「だってさ。それに人は多いほうが盛り上がるだろうし、浅葱なら凪沙も喜ぶさ。食材も足り……買い足せば問題ないだろ」

 

「ちょっと古城、今どうして言い換えたのかしら」

 

「一昨日のファミレスでの一件を俺は忘れていない」

 

「あれは、ちょっと食べすぎたというか、その……」

 

「ま、別にいいさ。沢山食べることはなにも悪いことじゃないし」

 

 口ごもる浅葱に気にするなと古城は笑う。

 

「で、どうする?」

 

「えっと、じゃあお邪魔させてもらおうかしら」

 

 幾分か機嫌を良くして浅葱は歓迎会への参加を決めた。

 一行に浅葱を加えて、三人は歓迎会会場である暁家へと向かった。

 

 

 ▼

 

 

 姫柊雪菜歓迎会は恙無く終了した。

 浅葱の参加が決定したあと改めて食材を買い足した結果、寄せ鍋は軽く十人前を超えた。しかしそこは古城含める四人、特に浅葱が旺盛な食欲を発揮してしっかり完食した。初めて浅葱の食べる姿を見た雪菜は若干引いていたが。

 雪菜と浅葱の関係は古城の目論見通り、仲の良い学校の先輩後輩といった具合に落ち着いた。緩衝材として凪沙も一役買ってくれたし、面倒見の悪くない浅葱と素直な性格である雪菜の相性は悪くなかった。同じ鍋を囲んだというのも大きいだろう。

 友人と隣人の関係が険悪なものにならなくて良かった、と古城はほっと安堵に息を吐いた。

 既に浅葱も雪菜も家に帰っている。浅葱には送っていこうかと古城が提案したのだが、本人に断られてしまったためあえなく片付けに従事することに。凪沙と共同して片付けためそこまで労力はかからなかったが、凪沙のほうは満腹で動けなさそうだ。

 薄っぺらいキャミソールという格好でソファに寝転がる凪沙。よほど雪菜と浅葱との鍋パーティーが楽しかったのか、その表情は緩みまくっている。

 

「食べてすぐ寝ると体に悪いぞ」

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。凪沙は強いから」

 

「どの口が言うか」

 

 凪沙は何度か体調不良で入退院を繰り返していた時期がある。そんな凪沙の言葉に説得力など欠片もなかった。

 ぐうたらな凪沙を呆れ混じりの眼差しで見つつ、古城は愛用の黒いパーカーを羽織る。

 

「あれ、出かけるの?」

 

「少し経ったらな」

 

「じゃあ、アイス買ってきてよ、アイス。バニラがいいなあ。あ、でも、面白そうなのがあったらそれでもいいよ」

 

「兄を顎で使うとは……」

 

「お願い!古城くん」

 

「はいはい」

 

 ぞんざいに了承して、それから十分程経ってから古城は家を出た。

 うだるような熱帯夜の熱風を浴びて古城が嘆息を漏らすと、隣の部屋の扉ががちゃりと音を立てて開く。

 中から出てきたのは制服にギターケースを背負った雪菜だった。古城の外出する気配に気づいて出てきたのだろう。微妙に髪が濡れていたり頬が上気しているのを見る限り、恐らく風呂上がりからそう時間は経っていない。

 

「こんな時間に、どちらへお出かけですか」

 

 どこか警戒混じりに尋ねる雪菜に、古城は苦笑いで答えた。

 

「凪沙に使いを頼まれてな。コンビニまでアイスを買いに行くんだよ。姫柊こそ、風呂上がりに外へ出たら湯冷めするぞ」

 

「な、なんで風呂上がりだって分かったんですか?」

 

「そんな分かりやすく風呂上がりな顔してたら誰でも分かるわ」

 

 髪と頬を指差して古城が言う。

 雪菜は指摘されて恥ずかしくなったのか更に頬を赤く染め、くしくしと髪の毛を弄り始めた。

 

「わ、わたしは監視役ですから。先輩が出かける以上、わたしもついていきます」

 

 動揺しながらもそう言う雪菜。雪菜が言うのだからまだいいが、これが見知らぬ他人からであったら古城は即座に回れ右をして逃げているだろう。

 仕方ないと古城は一度家に戻る。自分の部屋に入り、クローゼットから軽く羽織る物がないか探す。そして少し奥のあたりにあった新品同様の白いパーカーを見つけて、古城は少し躊躇いながらもそれを手に取った。

 白いパーカーを片手に古城が家を出ると、そこにはやはり生真面目な表情で見張っている雪菜の姿があった。

 

「ほら、これでも着とけ。いくら外が暑くてもよくないだろ」

 

「……ありがとうございます」

 

 おずおずと古城からパーカーを受け取り着込む雪菜。

 古城の羽織る黒いパーカーと雪菜が着る白いパーカー。どちらもメーカーは同じだが色だけ違う。白と黒で対照的な印象を感じられる。

 

「行くか」

 

「はい」

 

 雪菜を連れ立って古城は夜の絃神島へと繰り出した。

 古城と雪菜宅があるアイランド・サウスは住宅密集地区である。そのため夜間帯は人通りが少なくなるのだが、駅前まで行くとその限りではない。

 深夜営業のファミレスやファーストフード店。漫画喫茶にゲームセンターと──

 

「あ……」

 

 ゲームセンターを通り過ぎようとした所で雪菜が声を上げた。その視線はゲームセンター前に置かれた四角の筐体、クレーンゲームの景品へと固定されている。

 古城は雪菜の視線の先にある物を見て、あぁあれか、と微苦笑を浮かべた。

 

「ネコマたん……」

 

 雪菜が凝視しているのは二頭身の猫のマスコット。尻尾の先が二股になっていて、招き猫をふかふかにしたような姿はどことなく愛嬌がある。

 

「そういえば、猫が好きだったよな」

 

 古城の脳裏に浮かぶのは修道院での光景。子猫たちと無邪気にじゃれ合う雪菜の姿を思い出して、古城は優しげな眼差しになる。

 

「やってみるか」

 

「え、でも。どうやって……」

 

「ま、見てろって」

 

 クレーンゲームをイマイチ理解してない雪菜を置いて、古城は百円玉を取り出して筐体に投入した。

 コミカルな電子音が流れ出して、古城はボタンを操作してクレーンを動かしていく。取り出しやすい位置にあったネコマたんの上でボタンを離し、あとは神頼み。

 ゆっくりと降りていったクレーンは狙い違わず人形を掴み、そのまま上昇し取り出し口へと向かっていく。そしてあと少しというところで──

 

「──そこの彩海学園生徒ども。こんな時間に何をしている?」

 

 背後から投げかられた若干舌足らずな声に雪菜が彫像のように硬直した。

 古城は筐体のガラスに映る黒いワンピース姿の英語教師を見て苦笑いを浮かべる。ついでにその教師がさぞ愉しげに笑っているのもよく見えていた。

 恐らく生徒指導の見回りの最中だったのだろう。古城と雪菜は運悪く那月に見つかってしまったらしい。

 

「そこの男。如何にも英語の追試を食らってそうなおまえだ。フードを脱いでこっちに顔を見せてもらおうか」

 

 ふふっと笑み混じりに言う那月。どうやら古城をじわじわと甚振って弄ぼうという魂胆のようだ。

 まったくこの人は……、と古城が呆れる一方、真面目な優等生として育ってきた雪菜はこの状況に顔を青ざめさせていた。

 仕方ないな、と古城は落ち着かせるように雪菜の肩を叩きつつ振り返ろうとして──

 

 ──ズシン……!

 

 鈍い衝撃が絃神島を襲い、続いて耳を劈く爆発音が響き渡った。

 

「──那月先生(、、)!」

 

「言われなくとも分かっている」

 

 フードを脱ぎ捨てて古城が叫び、那月が爆発音の発生源へと目を向ける。雪菜もまた、異常事態の発生に気を引き締め直す。

 爆発音は未だに止むことなく続いている。その正体が何かを悟り、那月と雪菜が表情を固くする。古城は原作知識で知っていたため驚きこそ少ないが、その瞳は真剣そのものだ。

 直後、人工島(ギガフロート)上空に巨大な火球が出現し、地上へ落下する。遅れて再び爆音が鳴り響き、熱風が人工の大地を吹き抜けていく。

 

「眷獣か……」

 

 夜の空に浮かび上がった燃え盛る炎の眷獣。姿は鳥に似ているそれは、魔力の塊が意志と形を持った存在だ。

 魔力の質と規模からして眷獣を操っている吸血鬼はかなりの大物。長老(ワイズマン)貴族(ノーブルズ)レベルとはいかないが、間違いなく“旧き世代”の使い魔だろう。

 そんな輩と戦闘をしている者がいる。島を揺るがす程の力を持つ吸血鬼と、未だに交戦を続けているのだ。相手もまた只者ではないだろう。

 

「ちっ、暁古城、おまえたちは──」

 

「近辺に市民がいないかの確認と避難誘導でいいな?」

 

 帰らせようとする那月を遮って、古城は隣にいた雪菜の手を掴んで既に動きだしていた。

 

「待て、暁古城!余計なマネは──」

 

 那月が何事か叫んでいるが、それも断続的に響く爆音に掻き消された。

 古城は雪菜の手を引いて現場へと急行した。

 

 

 

 



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聖者の右腕Ⅴ

日間ランキング七位……(震え)


「待ってください、先輩!」

 

 手を引かれていた雪菜が声を上げ、古城の手を半ば叩くように自分の手を引き抜く。

 

「ああ、悪い。いきなり手を掴んだりして。痛かったか?」

 

「違います、そうじゃありません」

 

 即座に否定する雪菜の頬は僅かに朱色が差している。息が上がっているわけではないので紅潮の原因は手を握られていたこと自体だろう。

 しかし今の古城にそれを察する余裕はない。一刻も早く現場へ急行しなければと焦っているからだ。でなければ人死にが出かねない。

 

「先輩は現場へ向かうつもりですか?」

 

「そうだけど、別に戦うつもりはない。那月先生にも言ったように、一般市民の逃げ遅れがないかの確認と避難誘導をするだけだ」

 

「なら、先輩も避難してください。表向きはあなたも一般市民なんですから」

 

 生真面目な口調で言って、雪菜は背負っていたギターケースから銀色のなにかを抜き放つ。

 雪菜が取り出したのは銀色の槍。ギターケースに収まっていた銀色の槍の持ち手が伸び、格納されていた主刃と副刃が一瞬で開かれる。その穂先はまるで戦闘機のように流麗なシルエットであった。

 “雪霞狼”。真祖をも打倒し得る対魔族特化の兵器だ。

 銀の槍を手にした雪菜はそのまま現場に向かおうとするが、その手を古城が掴んで止める。

 

「待てよ、姫柊。どこに行くつもりだ」

 

「わたしは安全を確認しに行きます。すぐに戻ってきますから、先輩は先に帰っていてください」

 

「姫柊一人行かせて俺は帰れってか。冗談じゃない、俺も行くぞ」

 

「ダメです。あそこで戦っているのは吸血鬼なんですよ。第四真祖である先輩が下手に手出ししたら、それこそ外交問題に発展しかねないんです」

 

 理路整然と古城を説き伏せようとする雪菜。

 しかし古城は、

 

「それがどうした。隣人が危険に飛び込もうとしてるのを見過ごせる程、俺は薄情な人間じゃないんだよ。外交問題なんて知ったことか」

 

 吐き捨てるように言って雪菜の手を強く掴む。一人では行かせないと、雪菜の目を真正面から見据えて。

 古城の強引な態度に狼狽えたのは雪菜だ。古城は時々意地悪をしてきたりするが、それでも理性的な人だと思っていた。しかし今の古城は雪菜の説得にも聞く耳を持たない。

 強行突破するべきか、と雪菜が槍を握る手に力を込めたところで、

 

「それにさ、俺はなにも戦闘に介入しようなんてつもりはないんだよ。ただ逃げ遅れた人がいないか確認するだけだ。絶対に戦ったりしない」

 

 いつもと変わらぬ笑みで古城がそう言った。

 そんな古城に雪菜は気勢を削がれ、これ以上時間を食われるわけにもいかないと考えて渋々古城の同行を認めた。

 

「いいですか、先輩。絶対に手を出してはいけませんよ」

 

「分かってる。姫柊も、無茶するなよ」

 

「勿論です」

 

 即答する雪菜に古城は一抹の不安を抱く。しかし雪菜は目の前の戦闘しか目にないのか、古城の向ける不安げな視線に気づいていない。

 

「頼むから、余計なことはしないでくれよ……」

 

 口の中だけで呟いて、古城は赤く照らされる空を仰いだ。

 

 

 ▼

 

 

 戦闘が繰り広げられているのは絃神島東地区、アイランド・イーストだった。

 アイランド・イーストは元々人口の少ない地区であり、加えて戦闘が起きているのは住宅地ではなく倉庫街であった。そのため巻き込まれた市民や近くにいた倉庫街管理の人間の数も少なく、古城と雪菜による避難誘導はそう難儀せず終わった。

 

「こんなところか……」

 

 人気のなくなった周囲一帯を見回して古城は頷く。

 

「しかし、まだ戦闘が終わっていません」

 

 雪菜が深刻な表情で戦闘音の響いてくるほうを見る。

 上空では闇色の妖鳥が優に十メートルは超える翼を広げ、地上へ容赦のない爆撃を繰り返している。その度に鈍い振動が島全体を揺らしていた。

 今もまた、直径十数メートルを超える馬鹿でかい火球が地面に向けて放たれようとしている。

 

「おいおい、あれはいくらなんでもやばいぞ……!」

 

 額に冷や汗を流して古城が言う。正直、余裕で島一つ沈められる眷獣を持つ古城が言えることではないのだが、それを突っ込んでくれそうな人間はいなかった。

 古城が焦燥を募らせる中、火球が放たれようとした瞬間、地上から物凄い速さで虹色の巨腕が伸びた。

 虹色の腕は夜の闇を裂く勢いで妖鳥のもとまで伸びると、今まさに放たれようとしていた火球を握り潰した。いや、正確には抉り取ったというべきか。

 まるで獣の顎の如く掌を開き、妖鳥に襲いかかる腕。その手に掴まれた途端、妖鳥はその形を保てなくなって魔力の塊へと戻り、その魔力も全て虹色の手によって喰らい尽くされてしまった。

 

「先輩、やっぱりわたし様子を見てきます。いくらなんでもこれは異常です」

 

「あ、ちょっと待て姫柊!」

 

 吸血鬼の眷獣が喰われるという非常識な光景にさすがの雪菜もじっとしていられず、制止する古城を振り切って現場へと駆け出してしまう。

 

「無茶はするなって言っただろうに……!」

 

 舌打ちして古城もすぐに雪菜のあとを追って走り出す。幸い時間帯は夜であり吸血鬼の肉体はベストコンディション。鍛えている雪菜相手でもすぐに追いつけるだろう。

 しかし、事態は古城が追いつくまでの間に大分進んでしまっていた。

 古城が追いついた時、雪菜は背に瀕死の吸血鬼を庇いながら法衣姿の男と交戦していた。

 戦斧を構える、背丈が二メートルに届きそうな大男だ。装甲強化服の上に法衣を纏い、左目に金属製の片眼鏡を嵌めている。

 男が振るう戦斧は大気を抉り抜き、アスファルトの地面を余裕で割る程の威力を秘めている。しかし雪菜は、自分より二回りも大きな巨漢相手でも怯まず、持ち前の霊視と槍捌きで立ち向かう。

 雪菜が男の相手をしている間に、古城は瀕死の吸血鬼に駆け寄った。

 倒れていた男は背広姿の三十歳前後といったところであったが、先の眷獣の強力さからして見た目の数倍は生きているだろう。その吸血鬼が瀕死に追いやられる程の強敵。

 

「くそっ、とりあえず安全な場所に……!」

 

 激しく火花を散らす雪菜たちを一瞥してから、古城は吸血鬼を抱えてその場から離脱した。

 古城はおよそ三百メートル程離れた所まで来て、比較的安全と思われるコンテナの陰に吸血鬼を寝かせる。かなり顔色が悪いが、吸血鬼は早々死ぬことのない種族だ。少しの間なら放置しておいても問題ないだろう。

 吸血鬼の安全を確保したところで、古城はすぐさま踵を返して雪菜のもとへと駆ける。そして再び古城が現場に辿り着いた時、雪菜は大男ではなく後ろに控えていた藍色の髪の少女と戦っていた。

 薄手のケープコートだけを羽織った、左右対称の顔を持つ人間味の薄い藍色の髪の少女。その正体は人工的に作り出された生命、人工生命体(ホムンクルス)だ。

 眷獣というものは非常に強力であると同時に、恐ろしく燃費の激しい存在だ。そのため眷獣を扱えるのは無限の“負の生命力”を有する吸血鬼だけ。故に吸血鬼は魔族の王とも呼ばれている。

 しかし藍色の少女は人工生命体(ホムンクルス)の身でありながら、虹色の眷獣を宿している。薬の試験や医療の臨床試験に利用される人工生命体(ホムンクルス)は酷く薄命であるはずなのにだ。

 雪菜と少女の趨勢は、雪菜が劣勢だった。雪菜は藍色の髪の少女が操る虹色の眷獣の攻撃を防ぐので手一杯のようだ。

 

「──くっ、雪霞狼!」

 

 銀の槍を突き出す雪菜。

 

「やりなさい、アスタルテ!」

 

命令受諾(アクセプト)執行する(エクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 

 法衣の男の指示に従い、虹色に輝く眷獣の腕を伸ばす少女。

 二人の少女の攻撃は、凄まじい衝撃を伴って激突した。

 激しい魔力と呪力の鬩ぎ合いに大気が軋む。のたうち回るような力の奔流に古城は迂闊に近づけず、二人の戦いの行く末を見守ることしかできない。それが悔しくて、古城はぎりっと奥歯を噛み締めた。

 やがて雪菜と少女の激突に決着がつく。軍配が上がったのは雪菜だった。

 雪菜の呪力を増幅させ、あらゆる結界障壁を貫く銀の槍が、少女の眷獣の腕を引き裂いていく。

 

「あ、ぐ……!」

 

 少女が苦痛に呻き、自らの体を抱きしめる。眷獣に与えられたダメージが宿主にフィードバックしているのだ。

 少女が苦悶する様子を見て、このままでは拙いと古城が叫ぶ。

 

「下がれ、姫柊!?」

 

「──え?」

 

 古城の叫びに雪菜は困惑する。どうみても押しているのは自分であり、このまま眷獣を無効化すれば勝負が決する状況で何故引かなければならないのか。雪菜にはそれが理解できなかった。

 藍色の髪の少女が絶叫したのは、その直後だった。

 

「ああああああ──っ!」

 

 悲鳴にも似た叫び声と同時、少女の背を食い破るように二本目の腕が出現した。

 少女の背中から生える左右一対のまるで翼のような半透明の腕。その腕が容赦なく雪菜に襲いかかる。

 人間でいうところの右腕を止めている雪菜に、もう一本の左腕を防ぐ術はない。スローモーションのようにゆっくり迫る巨大な拳を、雪菜はただ呆然と見つめることしかできなかった。

 

「させるかァ──!?」

 

 必死な古城の雄叫びが雪菜の耳に届く。

 濃密な魔力を拳に纏い、怒号を上げながら雪菜の前に飛び込む古城。彼は目前まで迫る眷獣の左腕を、我武者羅に振り抜いた拳で迎撃した。

 ズドン!と重い音が響いて弾き飛ばされたのは虹色の眷獣だった。

 第四真祖の桁外れな魔力を込められた拳は、それこそ猛スピードで突っ込むダンプカー並みの威力を秘めている。如何に相手のほうが大きさで勝ろうと、世界最強の吸血鬼が力負けするなんてことはそうそうあり得ない。

 とてつもない衝撃に晒されて少女は眷獣に引きずられるように大きく後退する。そのショックで雪菜が相手していた右腕はふっと消失した。

 

「下がるぞ、姫柊!」

 

「はい!」

 

 今度ばかりは雪菜も素直に従い、少女から距離を取る。

 虹色の眷獣の腕が届かない位置に立ち、古城と雪菜は奇妙な二人組を見据える。

 

「色々と言いたいことはあるけど、とりあえず無事か?」

 

「わたしは大丈夫です。それよりも、先輩は下がってください。彼らは危険です。今ここで止めないと」

 

「おまえこそなに言ってんだ。無茶するなって言ったのに、思いっきり無茶してるじゃないか」

 

「それは……」

 

 咎めるような古城の視線に雪菜が口ごもる。瀕死の吸血鬼を守っていたのは理解できたが、それ以降の戦闘続行は必要性のないものだ。雪菜は古城が吸血鬼を避難させた時点で離脱するべきだったのだ。

 しかし雪菜にも言い分はある。彼らは危険なのだ。今ここで止めなければ必ず災厄を招く。剣巫の直感がそう訴えかけていた。だが一から説明している余裕はない。

 

「この魔力、貴族(ノーブルズ)と同等かそれ以上。なるほど、第四真祖の噂は真実でしたか」

 

 鎧の一部が砕け、戦斧も失った法衣の男が前に出た。古城は応じるように身構えて男を睨む。

 

「そう言うあんたはどこぞの僧侶ってところか」

 

「ロタリンギアの殲教師だそうです」

 

 雪菜が律儀に補足する。

 

「それはまた、ヨーロッパから遠路遥々よく来たな。で、その殲教師がこんな島国に女の子連れ回して何の用だ」

 

「我に答える義務なし。目撃された以上、貴方がたにはここで消えてもらいましょう──と、言いたいところですが、今はまだ(、、、、)、真祖と戦う時期ではありません」

 

 意味深に言って殲教師は藍色の髪の少女を下がらせる。しかしそれに待ったをかける人間が一人。

 

「待ちなさ──」

 

「はいはい姫柊は静かになー」

 

「な、なにをするんですか!?」

 

 今にも飛び出さんとする雪菜を古城が後ろから羽交い締めにする。雪菜はバタバタと暴れて振り解こうとするが、さすがに第四真祖の腕力には敵わない。

 

「なんのつもりです」

 

 殲教師が怪訝に眉を顰める。古城は雪菜を抑えたまま見据え、

 

「これ以上ここで暴れられるのは困るからな。それにこっちは怪我人もいるんだ。あんたらには早いとこお暇してもらったほうが都合がいい。ついでにこの島からも出て行ってくれたらなお嬉しいな」

 

 どこか戯けた調子で言った。

 張り詰めた戦場の空気に水を差す古城の態度に、殲教師も毒気を抜かれたような表情になる。

 

「まあいいでしょう。行きますよ、アスタルテ」

 

命令受諾(アクセプト)

 

 抑揚のない声音で少女が応えて二人組は闇の中へと消えていった。

 古城は彼らが去る姿をじっと見届けていたが、やがて完全に気配が消えたのを確認してほっと安堵の息を吐いた。

 

 

 ▼

 

 

 瀕死の吸血鬼を病院に運び込み、その他警察機関への通報を終えた古城と雪菜がアイランド・サウスに戻ってきたのは午前三時を回った頃合いだった。

 二人とも突然の戦闘にかなり疲弊していた。夏休みも終わりで明日、いや今日から学校も再開する。この疲労を持ち越して授業に臨むことになるのを思うと、古城は柄にもなく出席を拒否したくなった。それでもきちんと登校するのだが。

 気怠げな表情で歩く古城に対して、隣を歩く雪菜は見るからに不機嫌な様子だった。理由は明快、古城がロタリンギア殲教師たちを見逃すようなマネをしたからだ。

 

「どうして彼らを見逃したんですか」

 

 雪菜が不満も露わに訊く。怒ってますと顔に書いてある雪菜に古城は頭を掻く。

 

「あれ以上の戦闘続行は危険だった。それに吸血鬼を病院に運ぶのも急がないといけなかっただろ」

 

「それは先輩一人でもできました。あの場はわたしに任せてくださればよかったんです」

 

 聞き分けのない子供のようなことを言う雪菜に、古城は呆れたようにこめかみを抑える。

 

「それじゃあ本末転倒だろ。姫柊の任務は何だったんだ?」

 

「勿論、先輩の監視です」

 

「その監視対象を単独行動させてどうする。しかも戦闘区域の近くで」

 

「うっ、ですが……」

 

「結局姫柊は無茶して、俺も手を出さざるを得なくなった。その時点でこっちの負けだったんだよ」

 

「うー……」

 

 古城の至極真っ当な指摘に返す言葉が見つからず、結果雪菜は駄々を捏ねる子供のように唸った。

 そんな反応が妙に子供っぽくて、古城は改めて目の前の少女がまだまだ若い女の子であることを実感した。

 

「なんにせよ。姫柊が無事でよかったよ」

 

 心底安心したとばかりに古城が表情を緩める。雪菜も無茶をした自覚があったため、それ以上言い募ることはない。

 

「……助けてくれて、ありがとうございます」

 

 少しそっぽを向いて言う雪菜。そんな雪菜の頭に軽く掌を載せて古城は優しげに目を細めたのだった。

 

 



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聖者の右腕Ⅵ

お気に入り1000件超え……


 九月一日、夏休み明け初日である。

 彩海学園は二学期制なので面倒な始業式の類もなく、休み前と同じように通常授業が再開される。今までと変わらぬごく普通の日常が再び始まるのだ。ごく一部を除いて。

 通勤ラッシュで混み合うモノレールの中で、暁古城は目元に濃いくまを作って吊革に掴まっていた。

 時折眉根を寄せ目元を揉む仕草はまるで夜勤明けのサラリーマン。事実、近くにいた会社員と動きがシンクロしていた。よほど寝不足と疲労が辛いのだろう。

 疲れ切った社会人のようになっている古城を、雪菜は座席に座りながら見上げて申し訳なさげに眉を下げる。

 

「あの、先輩。やっぱり代わりましょうか。今にも倒れそうな顔してますよ?」

 

「いや、大丈夫。いつものことだから。それに姫柊を立たせるのも悪い」

 

 全く大丈夫に見えない顔色で首を振る古城。女の子を立たせて自分が座るなんてのは男として許容できなかった。たとえ一睡もできず寝不足と心身の疲労がダブルパンチであっても、精神年齢が大人の古城は譲れなかった。

 対して雪菜は一見すると普段と変わらない。古城とは鍛え方が違うのだろう。または若さか。肉体的な年齢はそう大差ないが、精神年齢の違いはやはり大きい。

 俺も歳か……、などと呟いて古城はモノレール内を見渡す。車内は学生や通勤の会社員たちで溢れている。普段ならもう少し空いているのだが、昨日の戦闘の余波でモノレールの一部が損壊、ダイヤが乱れた結果混雑しているのだ。

 “旧き世代”とロタリンギア殲教師たちが齎した被害は推定二十億円。近くを通っていたモノレールのシステムがダウンし、周辺の倉庫が爆撃によって十棟以上倒壊。倉庫街は戦闘区域一帯が戦場跡地のようになってしまっていた。

 一般市民からしてみれば非常に迷惑な話であるが、古城としてはこの程度で済んでよかったと胸を撫で下ろす気持ちだった。

 なにせ原作では古城の眷獣が大暴れしてアイランド・イーストは天災並みの落雷に見舞われ、停電にシステム被害、データの損失など間接的な被害を合わせればその被害総額は五百億円を超えていた。それと比べれば二十億円程度、可愛いものだ。被害に遭った者たちにとっては知ったことではない話だが。

 ともかく、古城としてはこの程度で収まって満足していた。

 しかし原作を知らない雪菜にとっては十二分に深刻な被害だったらしい。

 

「昨夜の影響、かなり大きいようですね」

 

 モノレールの車窓から見えるアイランド・イーストの被害状況に雪菜が不甲斐なさげに言う。正義感が強くドが付く程の生真面目な性格故、お門違いとも言える責任を感じているのだろう。

 

「まあ、そうだな」

 

 被害を齎したのは吸血鬼と殲教師たちであって古城ではない。そのためか古城の応答は素っ気なかった。

 

「なんだか他人事みたいですね」

 

「俺がやったわけじゃないしな。死傷者も出なかったし」

 

 古城と雪菜が病院に運び込んだ“旧き世代”も一命を取り留めた。被害も最低限に収められ、古城としては概ね文句のない結果だ。

 だが雪菜は、やはり納得できていないらしい。

 

「でも、二度目があるかもしれません。いえ、十中八九あるでしょう。オイスタッハ殲教師もそのようなことを言っていました」

 

「だろうな。あいつらはきっと、またなにかやらかす」

 

「だったら……いえ、なんでもありません」

 

 あくまで雪菜の任務は第四真祖、暁古城の監視だ。今回の殲教師による吸血鬼狩りは直接的には任務と関係がない。よってこれ以上雪菜が深入りするのは見当違いな話である。

 スカートの裾を握り締め、雪菜は己の内に湧く義憤を押し殺した。

 

「まあ、心配するなよ。いざとなったら、俺がどうにかする」

 

「どうにかするって──」

 

 無責任なことを言う古城を見上げて、雪菜は唖然とした。

 目の前に立つ古城はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。だが、その目に灯る光はどこか仄暗く、雪菜とは何処か違う世界を見ているようだった。

 

「大丈夫さ、絶対に」

 

 念押しするような古城の物言いに、雪菜は言い知れぬ不安を覚えたのだった。

 

 

 ▼

 

 

「おはよ、古城。って、うわなにその顔。ひっどいくまよ」

 

 古城が自分の席についたと同時に声をかけてきた浅葱は、彼の酷い顔色に驚きの声を上げた。

 古城は無理くり微笑を取り繕って、

 

「ああ、ちょっと眠れなくてな。浅葱はいつも通りみたいだな」

 

「まあね。ちょっと夜にゴタゴタがあったけど、それも今日やれば十分終わりそうな感じだったからさ」

 

「そうか」

 

 いつもと変わらぬ華やかさを纏う浅葱に、古城は安心したとばかりに目尻を下げる。原作では古城がやらかした大破壊の尻拭いで寝不足に陥っていたが、ここではそんなこともなく無事に安眠できたようだ。

 古城が一人安堵に胸を撫で下ろしていると、教室の隅で小さなどよめきが起こった。教室の隅っこで、数名の男子が屯してなにやら騒いでいる。

 

「あれは……」

 

 なんだったか、と古城が原作知識から思い出そうとしていると、浅葱が近くを通りかかったクラスメイトに尋ねた。

 

「ねえねえ、お倫。あれ、なんの騒ぎ?」

 

 お倫と呼ばれた女子生徒の名前は築島倫。このクラスの学級委員であり、長身かつスタイルがいい大人びた雰囲気を纏う生徒だ。あまり愛想を振り撒くタイプではなく、言動もきつめであるが、友人想いの性格で受けはいい。

 一部男子からはその冷ややかな目がいいだとか、男子主催の踏まれたい女子ランキング一位をもぎ取ったとか。本人はその事実に陰で地味にショックを受けていたらしい。

 ちなみに余談だが、ランキングを開催した男子たちは漏れなく古城による説教を受けた。さすがに度が過ぎたな、と古城がやんわり叱ったのだ。

 倫は隅に固まる男子たちを冷ややかに見て、

 

「中等部に女の子の転校生が来たらしくて、その子が可愛いだとかなんだとかで騒いでるらしいよ」

 

「中等部の転校生って……」

 

「あの子のことよね?」

 

 脳裏に同じ人物を思い浮かべ、古城と浅葱は顔を見合わせた。

 

「あら、知ってるの?」

 

「うん、まあね。確かに可愛い子だったと思うわ」

 

 まるで会ってきたかのように褒める浅葱に、倫が驚いたように目を瞬かせる。

 そんな三人のやり取りを耳聡く拾った男子たちが古城の席に押し寄せた。

 

「なになに、古城と浅葱は転校生ちゃんのこと知ってんの?」

 

「じゃあ紹介してくれよ。頼むからさ」

 

「古城なら、凪沙ちゃん経由でなんとかできるっしょ」

 

 わらわらと大挙して集まってくる男子に古城は露骨に顔を顰める。ただでさえ寝ていない状態で、耳周りで騒がれるのは堪ったものではない。

 勘弁してくれ、と内心で古城がぼやいていると──

 

「──暁古城はいるか」

 

 幼げな声が響き、生徒たちの視線が教室の前の出入り口に向く。

 白いゴスロリ風のドレスを見に纏う少女が戸口の近くに立っていた。いつもと服装の色が違うため一瞬生徒たちは首を傾げたが、すぐにその少女が南宮那月その人であると気づく。

 

「どうしたんだろ、那月ちゃん」

 

 本人には聞こえない程度の声で倫が呟く。

 呼ばれる覚えがある古城はのそのそと手を挙げて、

 

「ここにいるよ、那月ちゃん」

 

「昼休みに生徒指導室に来い。話がある」

 

 古城のちゃんづけに視線を険しくさせるもさすがに生徒の目があると思い留まり、那月は構えかけた扇子を下ろす。代わりにいつかと同じように悪戯っぽい笑みを浮かべると教室に爆弾を落としていく。

 

「中等部の転校生も一緒に連れて来い。昨夜のこと、きっちり話してもらうぞ」

 

 ふふん、と愉しげに鼻を鳴らして那月は背を向けて去っていった。

 なかなかに意地の悪い那月の所業に古城はこめかみを抑え、ついで面倒くさげに顔を上げる。興味津々と目を輝かせるクラスメイトと、どこか不安げな眼差しをする浅葱が古城を見ていた。全員、理由は違えど古城と転校生の関係が気になるのだろう。

 どうしたもんか、と古城は頭を掻いていつものようにはぐらかすことにした。

 

「昨日の夜にちょっと事件に巻き込まれてな。その時の事情聴取みたいなもんだろ」

 

「え……事件って……」

 

 昨夜起きた事件の内容をある程度把握していた浅葱が愕然と目を見開く。他のクラスメイトもニュースかなにかで事件の存在くらいは知っていたのだろう、一様に同情的な視線を古城に向ける。

 

「大丈夫だったの、古城?」

 

「大丈夫じゃなきゃ、ここにはいないだろ。心配するなって、ちょっと寝不足なだけで怪我もなにもないから」

 

 ほら、と少し大袈裟に両腕を広げて無事をアピールする古城。その様子にクラスメイトたちは安心したようだ。浅葱は未だ不安げな表情で古城を見ていたが。

 だがそれも、始業を告げるチャイムが鳴ったことでなくなった。

 

 

 ▼

 

 

 授業が終わるとすぐ、古城は教室を出て生徒指導室へと足を向けた。クラスメイトたちからは何故か頑張れとエールを受けたが、一体なにを頑張ればいいのやら。とりあえず、今日こそ扇子の一撃を防ぐことに集中しようか。

 職員室前で同じく呼び出しを受けていた雪菜と合流。那月からの呼び出しでかなり緊張している雪菜を伴って、古城は生徒指導室に辿り着いた。

 

「さてと……」

 

「あの、なにをしてるんですか?」

 

 扉の前でなにやら準備運動を始める古城に、雪菜は怪訝な視線を向ける。

 

「うん、まあ見てれば分かる」

 

 仕上げに手首をしっかり解したところで、古城は扉をノックしてから生徒指導室内に足を踏み込む。

 瞬間、古城の顔面目掛けて一冊の本が飛来した。しかしそれを予測していた古城は難なく本を叩き落とす。

 だがそこで終わりではない。続いて来るだろう衝撃に古城は額と後頭部を腕で防御する。そして古城の予想通り、そして少し予想を外れて両腕に鋭い打撃が叩き込まれた。

 

「うしっ!全部防ぎ切ったぜ!」

 

 軽くガッツポーズを決める古城に、一連の始終を側から見ていた雪菜は唖然としていた。

 

「ちっ、無駄な努力をする暇があるならさっさと入って来い」

 

 腹立たしげに舌打ちをしてソファに座っている那月が扇子を下ろす。教室でのちゃん呼びに対する仕置きを敢行したつもりがあえなく防がれてしまい、かなり頭にきているらしい。

 古城は緩めていた表情を引き締め、那月の前に立つ。雪菜も古城のすぐ後ろに控えるように立った。

 そんな雪菜の姿を視界に収めると那月は口角を吊り上げる。

 

「おまえが岬のクラスの転校生か」

 

「はい……中等部三年の姫柊雪菜です」

 

 人形のような那月の容姿に一瞬呆気を取られるも、雪菜は若干気圧されながら答える。那月の放つカリスマめいた威圧に少し呑まれているらしい。

 那月は萎縮する雪菜から視線を切ると、教師ではなく国家攻魔官の顔で口を開いた。

 

「さて、深夜徘徊やら教師に対するナメくさった態度への説教と色々言いたいことはあるが、一先ず置いておこう。昨夜なにがあったか、説明してもらおうか」

 

「了解、那月先生」

 

 真剣な態度で応じて、古城は昨夜のあらましを那月に説明した。避難誘導から殲教師たちとの交戦。大雑把であるが、大まかなところは洗いざらい話す。

 古城が話を終えると那月は静かに瞑目していた。恐らく頭の中で情報の整理をしているのだろう。しかしそれも長くは続かない。

 

「ロタリンギアの殲教師と人工生命体(ホムンクルス)か。これでだいぶ捜索範囲を絞れるな」

 

 徐に呟いて那月はどこからともなく分厚い資料の束をテーブルの上に放り投げた。

 その資料はどうやら警察の捜査資料のコピーらしく、何人かの人間の顔写真があった。その写真の中に三人程見覚えのある顔を見つけて、古城は思わず目を見開いた。

 一人は昨夜の“旧き世代”の吸血鬼。こちらは別段驚きの対象ではなかった。問題は他の二人。

 軽薄そうな金髪の吸血鬼と乱暴そうな獣人の男。この二人は原作で雪菜をナンパしようと絡んだ挙句、返り討ちにあった情けない男たちだ。しかしこの世界ではそもそも出会ってすらいないはずである。確認のため雪菜の反応を窺うも、やはり知らないのか特別驚いた様子はない。

 修正力みたいなものか、と内心で呟いて古城は那月に尋ねる。

 

「那月先生、この資料は……」

 

「ここ二ヶ月で発生した魔族狩りの捜査資料だ」

 

「え……?」

 

 驚きの声を上げたのは雪菜だった。まさか殲教師たちがそんな前から魔族狩りをしていたとは思いもしなかったのだろう。

 

「やっぱり止めるべきだった……」

 

 指先が白くなる程に拳を握り締める雪菜。那月はそんな雪菜を冷ややかに見て、

 

「余計な手出しはするなよ、転校生。おまえが無茶をすればもれなくそこの核爆弾が爆発しかねないのだからな」

 

「自分の生徒を核爆弾扱いは酷くないですかね」

 

「むしろ核爆弾よりもタチが悪いな。まともに眷獣も制御できない吸血鬼なんて、常に導火線に火のついた爆弾のようなものだ」

 

「……どういうことですか?」

 

 那月と古城のやり取りに不穏なものを感じたのだろう。若干顔を青ざめさせながら雪菜が尋ねる。

 

「なんだ、知らないのか。そこの馬鹿はまともに眷獣を制御できていない。下手に戦えば暴走しかねない危険な存在だ」

 

「容赦ないなぁ……」

 

 グサグサと言われて古城が傷ついたような顔になる。しかし雪菜は途轍もないショックを受けたような表情で古城に詰め寄った。

 

「先輩、今の話は本当ですか?」

 

「そうだよ。だから昨日も戦闘を避けたんだ。あれ以上戦って、暴走の危険に自ら突っ込むのは避けたかったからな」

 

「そんな……第四真祖の眷獣が、制御不可なんて……」

 

 呆然と呟く雪菜に、古城は少し悪いことをしたなと頭を掻く。今の今まで眷獣のことを黙っていたのは単純に話すタイミングがなかったから。そして眷獣を制御できない理由を知られたくなかったからだ。

 だが話してもらえなかった雪菜からしてみれば、色々な意味でショックだろう。捉え方によっては、信用されていなかったようなものなのだから。

 古城がなんて弁解しようか考えていると、那月が馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻を鳴らす。

 

「痴話喧嘩なら他所でやれ。それよりも暁古城、それと転校生もだ。私が言いたいことは分かっているな」

 

「俺もそいつらに狙われる可能性があるから、せいぜい気をつけろ、だろ。生徒思いな那月ちゃんには頭が上がらないよ」

 

「暁古城……」

 

 ぎろりと威圧混じりで言う那月に古城は軽く肩を竦める。

 

「分かってる、気をつけるさ。忠告ありがとな」

 

 ぞんざいに手を振って古城は生徒指導室から立ち去ろうとする。そのあとを雪菜が若干暗い面持ちでついていくが、

 

「ああ、そうだ。ちょっと待て、そこの転校生」

 

 不意に那月が呼び止め、胸元から小さな何かを取り出すとそれを放り投げた。

 雪菜は飛んできた何かを掴み取ると、反射的に口を開いてしまう。

 

「……ネコマたん……」

 

 呟いて雪菜は、はっとして顔を上げる。そこにはニヤリと笑う那月と呆れ笑いを浮かべる古城がいた、

 

「忘れ物だ。おまえのだろう」

 

 弧を描く口元を扇子で隠して那月が言う。

 嵌められた雪菜は羞恥に頬を赤く染め、

 

「どうして先輩まで笑うんですか!?」

 

「俺は関係ないだろ!?」

 

 八つ当たり気味に古城を小突いたのだった。

 

 

 ▼

 

 

「以前から、魔族狩りは起きていたんですね」

 

 階段の踊り場で立ち止まり雪菜が深刻そうな表情で言った。その手には那月から渡された人形が大切そうに握られている。

 

「みたいだな」

 

 階段の中腹で足を止め、古城は手すりに凭れかかる。

 古城の脳裏に浮かぶのは顔写真の二人。原作とは違う流れを辿り二人とは接点がなかったはずなのに、彼らは原作と同様に魔族狩りの被害者になっていた。それが古城に少なからずショックと驚きを与えていた。

 重々しく目を閉じる古城に、なにを勘違いしたのか雪菜が気遣わしげに声をかける。

 

「あまり自分を責めないでください。あの場では事件のことは知りませんでしたし、先輩の眷獣事情を考えれば、戦闘を避けたのも仕方がありません」

 

「うん?……まあ、そうだな」

 

 なにやら微妙に勘違いが発生しているような気もしたが、あえて突っ込むことはせず流した。

 

「でもまあ、那月先生にも情報は話した。殲教師たちが捕まるのも時間の問題だろ」

 

「そうですね……」

 

 古城の言葉に頷く雪菜だが、その表情は不服げだ。

 連続魔族狩りはロタリンギア正教の殲教師が首謀者であった。つまり今回の事件は立派な国際魔導犯罪であり、雪菜が所属する獅子王機関の管轄である。それなのに警察へ泣きつくような形になったことが非常に不満らしい。

 そんな雪菜を一瞥して、古城は階段を下りていく。

 

「あの、先輩。どちらへ行かれるんですか。先輩の教室はこの階では?」

 

 ずんずんと下りていく古城を雪菜が呼び止める。

 古城は一度だけ足を止めると肩越しに振り返り、

 

「言っただろ。いざとなったら、俺がどうにかするって」

 

 常と変わらぬ笑みでそう言った。

 



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聖者の右腕Ⅶ

 基本的に遅刻やサボりをしないよう心がけている古城。しかし今、古城の姿は学校ではなくアイランド・ノース、絃神島北地区の研究所街にあった。

 幾つも立ち並ぶ企業の研究所は絃神島内でも比較的未来的な印象が強い。そんな幾つもある研究所の中から古城は迷うことなく一つの建物に辿り着いた。

 アイランド・ノースの第二層B区画にある、研究所跡地だ。建物の形状は直方体に近く、高さは四階建て程度のビルと同等。窓の類がなく、稼働しているか閉鎖しているかもイマイチ判然としない。

 しかし古城は躊躇うことなく建物の裏手、通用口のほうへと回っていく。そんな古城を、今まで黙ってついてきた雪菜が呼び止める。

 

「待ってください。本当にここに彼らがいるんですか?」

 

「ああ、多分な」

 

「その根拠はなんです?」

 

 雪菜が懐疑的な目を向けてくる。ここに来るまでに何度も同じ質問をしたが、その度に適当にはぐらかされたのだ。さすがの雪菜も訝しむ。

 古城は通用口を探しながら答える。

 

「まず、注目すべきはロタリンギア人でも殲教師であることでもない。アスタルテって呼ばれてた子が人工生命体(ホムンクルス)であることだ。しかもかなり特殊な」

 

「そうですね。人工生命体(ホムンクルス)でありながら、眷獣を宿していましたし」

 

「そうだ。そうなると絶対的に必要になるのが、人工生命体(ホムンクルス)の調整施設だ」

 

 そこまで言われて雪菜は理解した。

 

「つまり彼らが拠点にしているのはどこかの研究所……」

 

「その通り」

 

 よく分かりました、と出来の良い生徒を褒めるように古城が言う。だが雪菜はあまり嬉しそうではない。古城が思い至ったことに、自分が気づけなかったことが情けなかったのだ。

 

「姫柊……」

 

「続きをお願いします」

 

 雪菜の内心を察して古城がフォローしようとするが、当人から話の先を促されて結局タイミングを失ってしまう。

 

「……人工生命体(ホムンクルス)の調整施設がある研究所、それに加えてロタリンギア国籍の企業を調べてみれば潜伏場所はかなり絞れた」

 

 言って古城は目の前の建物を見上げる。

 

「スヘルデ製薬。本社はロタリンギアで主な研究内容は人工生命体(ホムンクルス)を利用した新薬実験。二年前に研究所は閉鎖されたけど、建物自体は差し押さえられて残ったままだ」

 

「オイスタッハ殲教師が隠れるには丁度いい、そういうことですね」

 

 得心がいったとばかりに頷いて、しかし雪菜はその双眸を怪訝に細める。

 

「でも、どうやって調べたんですか」

 

 その問いは来るだろうと予期していた古城は前々から考えていた台詞をそのまま口にする。

 

「うちの母親が研究関連の仕事でな。その伝で調べた」

 

 原作で古城がこの場所を知ったのは浅葱に調べてもらったからだった。しかしこの古城は原作知識でそれを知っており、わざわざ浅葱に骨を折ってもらう必要性がなかった。故に古城は母親である暁深森を利用した、ということにした。

 暁深森はMARという企業の医療部門に所属する研究員だ。その伝を使ったといえば、辻褄は合っているだろう。

 

「先輩のお母様……」

 

「ちょっと……かなり変な人だけど、研究員としての腕は確かだ。お、あれか」

 

 丁度正面玄関とは反対側に通用口らしき扉を見つけて、古城は足早に駆け寄る。

 研究所は閉鎖されているだけあってどこも鍵やら鎖やらで固く閉ざされている。この扉も同様に太い鎖と南京錠で封鎖されているように見える(、、、)

 しかし古城は隣に並び立つ雪菜へ、

 

「姫柊、頼めるか」

 

「幻術ですね。任せてください」

 

 雪菜は背負っていたギターケースから雪霞狼を引き抜き、その穂先を扉に突き立てた。

 キィン!と冷ややかな音が響き扉にかけられていた鎖と南京錠が消失、加えて人の出入りの痕跡が浮かび上がってきた。

 さて行くか、と意気込んで建物の中に踏み込もうとする古城の行く手に雪菜の手が差し出される。

 

「先輩は外で待っていてください。ここから先はわたし一人で──」

 

「暗いなぁ、明かりは……吸血鬼だから夜目が利いたわ」

 

「ちょっと、待ってください先輩!」

 

 雪菜の制止など知らぬと研究所内に足を踏み込む古城。まさか完全に無視されるとは思いもしなかった雪菜は慌てて追いかけ、今度は古城の前に立ちはだかる。

 

「分かってるんですか。この先には殲教師たちがいて、確実に戦闘になります。そんな状況で眷獣も制御できない先輩に、なにができるんです?」

 

「姫柊の援護くらいならできるだろ。昨日みたいに」

 

「それは……」

 

 昨日のことを持ち出されて雪菜は言葉に詰まる。

 あの時、古城が助けに入らなければ雪菜は死んでいたかもしれなかった。それが分かっていて、なお一人でオイスタッハ殲教師たちに勝てると宣える程、雪菜は愚かではなかった。

 己の力不足に俯く雪菜。そんな彼女のか細い両肩に手を載せ、古城は真正面から雪菜の目を見据える。

 

「べつに一人で背負う必要なんてないんだ。俺は武術とかができるわけじゃないし、眷獣も制御できやしない危険人物だけど、一緒に背負うくらいはできる」

 

「先輩……」

 

「あんまり気負いすぎるな。俺は姫柊を頼りにしてるんだ。だから、姫柊も俺を頼りにしてくれ」

 

「……はい、分かりました。先輩を頼らせてもらいます」

 

 今までの固い表情を緩めて雪菜は古城を見上げる。

 古城は満足げに頷き、雪菜と至近距離で見つめ合っていたことに思い至り、少しドギマギしながら手を離した。

 

「それじゃあ、行くぞ」

 

「はい!」

 

 薄暗い研究所の廊下の奥を見据え、二人は建物内に踏み込んだ。

 

 

 ▼

 

 

 閉鎖されているだけあって研究所内は暗く、吸血鬼の夜目が利いていなければまともに歩き回ることすら困難を極めた。しかし雪菜は素で吸血鬼並みに夜目が利くのか、ずんずん奥へと進んでいく古城に苦もなくついていく。

 しばらく歩いていると広い部屋に出た。実験室らしく、天井の高い部屋だ。

 琥珀色の液体に満たされた円筒形の水槽が規則正しくずらりと並んでいる。どうやら人工生命体(ホムンクルス)の調整槽らしい。内部には子犬程の大きさの奇妙な生き物が浮いていた。

 

「先輩、これは……」

 

 水槽内の生き物を見て雪菜は首を傾げる。しかし古城は生き物の正体を知っているためその表情は恐ろしいまでに無表情だ。

 水槽の前で立ち止まる雪菜を置いて、古城は足を進める。その進行方向から、ぺたぺたと水気を含んだ足音が聞こえてきた。

 

「先輩……!」

 

 すかさず雪菜が古城の前に躍り出る。古城もまた、歩みを止めて音の発信源を見やる。

 二人の視線の先、一つの調整槽の陰から藍色の髪の少女──アスタルテが姿を現した。その格好は素肌の上に手術着のような薄布を纏い、全身びしょ濡れの状態で、殆ど裸と変わりない。恐らくたった今、調整槽を出たところなのだろう。

 

「だ、ダメです。先輩は見ないでください!」

 

 アスタルテの格好に雪菜が咄嗟に古城の視界を妨げるように手を上げる。

 だが、古城はずぶ濡れで裸同然のアスタルテを見ても無反応。ただその無機質なまでに無感動な瞳を向けるだけだ。

 

「アスタルテ、だったか……」

 

 古城が人工生命体(ホムンクルス)の少女の名を呼ぶ。しかし少女は無反応。雫が滴る髪の隙間から瞳を覗かせ、

 

警告します(ウォーニン)、ただちにここから退去してください。この島は、間もなく沈みます。その前に逃げてください。なるべく……遠くへ……」

 

「島が、沈む……!?」

 

 アスタルテの警告内容に雪菜が驚きの声を洩らす。荒唐無稽な話ではあるが、機械的な口調で事実だけを伝えるアスタルテの姿に嘘を言っている気配はない。

 背筋を嫌な汗が伝っていくのを感じながら、雪菜は槍を構え直す。いつ何が起きても先制できるよう、戦闘態勢を整えた。

 しかしアスタルテは依然として無防備な姿のまま、

 

「“この島は、龍脈の交叉する南海に浮かぶ儚き仮初めの大地。要を失えば滅びるのみ”……」

 

「そんな……!?」

 

 アスタルテの言わんとすることを悟り雪菜が呻く。しかしその背後に佇む古城は無言のまま、ずっとアスタルテの瞳を見つめている。

 そして、アスタルテの背後にゆらりと大柄な影が立った。

 荘厳な法衣と、以前破壊されたのとは違う新たな装甲強化服を着込んだ大男。戦斧も一新したロタリンギア殲教師ルードルフ・オイスタッハがアスタルテを見下ろすように現れた。

 彼はアスタルテの言葉を引き継いで語る。

 

「──然様。我らの望みは、魔族におもねる背徳者たちにより奪われた不朽の至宝の奪還。そして今や、悲願を叶えるに必要な力を得ました。獅子王機関の剣巫よ、貴方のおかげです」

 

「どういうことですか」

 

 槍を殲教師に向け構えて雪菜が問う。

 その答えは、意外なことにも殲教師の口ではなく雪菜の背後に立つ古城の口から語られた。

 

「大方、姫柊の持つ槍の術式を解析した、ってところだろ。そしてその術式を、その子に植え付けた眷獣に書き込んだ」

 

「うそ……そんなことが……」

 

 茫然と呟く雪菜。古城の言が正しければ、それは自分のせいで獅子王機関が秘奥兵器の術式を漏らしてしまったも同然なのだ。そのショックは大きいだろう。

 蒼白になる雪菜を一瞥してから殲教師は古城に目を向ける。

 

「その通りです。これまで数々の魔族から魔力を喰らうことでアスタルテの寿命を延ばし、術式の構築を急いでいましたが、剣巫との戦闘データが非常に役立ってくれましたよ。ついさっき、調整を終えたところです」

 

 己の功績を語るが如く得意げに殲教師が言う。

 

「しかし、なかなか頭が回るようですね。だが、そこまで分かっていながら、貴方はなぜここへ来たのです」

 

「俺としては、その子の調整が終わる前に殴り込みをかけたかったんだけどな。まあ、いいさ。どの道やることは変わらない」

 

 言って古城は、肩を震わせる雪菜の前に進み出た。

 

「人を道具みたいに扱ういかれ殲教師は、俺がここで止めてやる」

 

「ほう、獅子王機関の剣巫を連れる貴方がそれを言いますか、第四真祖」

 

 殲教師が愉快げに頬を歪める。その瞳が捉えるのは未だショックから立ち直れていない雪菜だ。

 

「知っていますか。そこの剣巫は獅子王機関の手によって幼い頃に金で買われ、ただひたすらに魔族に対抗するための技術を仕込まれた」

 

「や、やめてください……」

 

 震える声で雪菜が止めようとするが、殲教師は平然と続ける。

 

「育て上げた子供は戦場へと送り込む。まるで使い捨ての道具のように」

 

「やめてください──!」

 

 懇願にも似た悲鳴を上げる雪菜。それでも殲教師は口を噤まない。弱り果てた少女に止めを刺すように、

 

「道具として作り出したものを道具として使う私と、神の祝福を受けて生まれた人間を道具に貶める貴方たち。より罪深きは、どちらでしょうか?」

 

「もう……やめて……」

 

 がっくりと膝を折って項垂れてしまう雪菜。ただでさえ責任を感じていた心が、殲教師の言葉によって折れかかっていた。それ程までにオイスタッハの言葉は雪菜の心を抉ったのだ。

 虚ろな瞳で床を見つめる雪菜。そんな彼女の頭上から、温かくも頼もしい声が降りかかった。

 

「姫柊にとって、この数日間は楽しかったか?」

 

「え?」

 

「凪沙や浅葱と話して、叶瀬と一緒に子猫を可愛がる。その時間は、楽しかったか?」

 

「……はい、楽しかったです」

 

 その答えに古城が微笑む気配があった。

 

「だったら、姫柊は道具なんかじゃないさ。確かに、ここに来るまでに歩んできた道は自分で決められたわけじゃないし、道の数も少なかったと思う。でも、今ここにいる姫柊は自分の意志で笑って生きてるじゃないか。そんな姫柊が道具なわけあるか?」

 

 問いかけるような古城の言葉に、雪菜はしばし呆然と古城を見上げた。

 古城は慈しみに満ちた眼差しを雪菜へと向けたあと、その瞳を藍色の髪の少女へと向けた。

 

「アスタルテ、おまえはこれでいいのか?このままただ命令に従っているだけで、いいのか?」

 

「わた、しは……」

 

 なにかを言いかけようとして、しかし背後に立つオイスタッハからの無言の威圧にアスタルテは口を閉ざす。その瞳が激しく揺れていた。

 

「道具を甘言で唆すつもりですか。貴方も遣り手のようで」

 

「黙ってろ、殲教師。その子は立派な一つの生命(いのち)だ。それなのにあんたは意図的に選択肢をなくして、その子に道具であるように強いてる。よっぽどあんたのほうが罪深いだろうが」

 

 吐き捨てるように言う古城。その瞳が感情の揺れに応じて真紅の輝きを灯す。

 口元から長い牙が覗き、とてつもない魔力を纏う。あまりにも桁外れな魔力が古城を中心に放出され、周囲一帯に物理的な圧力を振り撒いた。

 

「先輩……!?」

 

「ぬぅう、これ程までとは……!?しかし、獅子王機関の切り札、あらゆる結界を切り裂く“神格振動波駆動術式(DOE)”の前では、第四真祖といえど恐るるに足りません。──アスタルテ!」

 

 殲教師の命令に、僅かな逡巡ののち人工生命体(ホムンクルス)の少女が前に出る。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)!“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

「……命令受託(アクセプト)執行する(エクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 

 古城とアスタルテが、それぞれの眷獣を呼び出した。

 

 

 ▼

 

 

 暁古城は第四真祖である。しかし、その眷獣たちは古城を宿主とは認めていなかった。理由は単純明快、古城が未だに吸血行為をしたことがないからだ。故に眷獣たちは古城を宿主と認めていない。

 だが、まったくもって言うことを聞かないというわけでもなかった。

 古城の文字通り血の滲む対話の積み重ねにより、一部の眷獣たちは呼べば応じてくれるし、完全に顕現はしなくとも力の一部を貸してくれるようになった。その代わり、自らの肉体を傷つけるような無茶をしなければならないが。

 

「ぐあっ、あがぁ……!」

 

 開戦一撃目からダメージを受けたのは古城だ。しかも自身が放つ眷獣の雷撃をその身に受けて、という自爆行為で。

 その場にいた全員が古城の奇行に少なからず驚きを見せる。自らの眷獣で自分を傷つける行動の意図が読めないのだ。

 全員が立ち尽くす最中、古城は己を内側から焼き尽くさんとする雷撃に必死に耐えていた。

 第四真祖の規格外な身体能力と再生能力を以ってしても、痛みまでは誤魔化せない。内臓を焼かれ、全身を貫く雷の熱量に意識が遠のきそうになる。それでも古城は歯を食いしばり、その並外れた精神力で意識を繋ぎ止めた。

 やがて激痛に慣れると古城がオイスタッハ目掛けて腕を翳した。

 瞬間、古城の右腕から漏電するように、幾条にも枝分かれしながら稲妻が走る。

 閃光を伴う雷の槍は、床や調整槽などの見当外れな的を壊しながらも殲教師に襲いかかった。

 

「ぬぅ、アスタルテ!」

 

 古城の狙いが自分であると悟った殲教師は人工生命体(ホムンクルス)の少女を呼ぶ。

 呼ばれたアスタルテは自身の眷獣である顔のない虹色のゴーレムの内部に取り込まれた姿で、殲教師を庇うように雷撃の槍を受け止めた。

 虹色のゴーレムの表面を覆うのは、雪菜が持つ雪霞狼と同じ、あらゆる結界障壁を切り裂き真祖を打倒し得る術式だ。それが古城の雷撃の尽くを防ぎ切った。

 その様子に雪菜は絶望にも似た思いを抱く。第四真祖の眷獣の攻撃を防ぐ程の障壁を破る術が、雪菜には考えつかなかったからだ。

 だが、古城は欠片も諦めていない。

 

「ちっ、だったら……」

 

 継続的に襲い来る雷の激痛に耐えながら、古城は走り出す。どうにかしてアスタルテの背後に回り、その背に隠れている殲教師を狙い撃ちするためだ。

 しかしアスタルテも馬鹿ではない。古城の思惑をすぐに察し、背後を取られないように立ち回る。

 一向に相手の背後に回れない展開に古城はすぐに痺れを切らし、狙いを変える。

 

「逃げろ、姫柊──!」

 

 右腕に電気を蓄積させ、その右腕を床に叩き付ける。

 古城が齎した破壊によって実験施設に残っていた多くの調整槽が壊れ、その中身をぶちまけていた。床は調整槽を満たしていた液体で濡れている。その状況で雷にも匹敵する超高電圧を流せばどうなるかは、推して測るべし。

 古城の警告に従ってまだ濡れていない床の上へ避難していた雪菜は問題ない。だがオイスタッハとアスタルテは違う。彼らの足元の床には琥珀色の水溜りが広がっていた。つまり古城の雷撃をもろに受ける羽目になる。

 流された電気によって液体が一瞬で分解され更に凄まじい熱で蒸発する。古城は立ち上る蒸気の中にいるであろうオイスタッハたちの動向を注意深く窺う。

 これで決まったのなら御の字。ダメだったならば、その時は他の眷獣を使う(、、、、、、、)までだ。

 蒸気に覆われる古城の視界の中で巨大な影が動いた。そして次の瞬間、古城の眼前に虹色の拳が現れた。

 

「しまっ──!?」

 

 咄嗟に腕で防御するがその程度で受け切れるはずもなく、古城の体が紙切れの如く吹っ飛ぶ。そして数メートル程の所で床に墜落し、何度か跳ねたあと動かなくなった。

 

「先輩!?」

 

 立ち込める蒸気を銀の槍で切り裂いて雪菜が駆け寄ろうとする。しかしその行く手を無傷のオイスタッハが阻んだ。

 

「少しヒヤリとさせられましたが、貴方のおかげで助かりましたよ。貴方との戦闘データがなければ術式は完成していませんでしたからね」

 

「そんな……わたしのせいで……」

 

 古城の狙いはいい線を突いていた。だがそれも神格振動波の前に無力化され、痛い反撃を食らってしまった。

 そう、神格振動波さえなければ古城の攻撃は通っていたのだ。

 雪菜は戦意を喪失しかけるが、倒れ伏す古城を見て槍を構え直す。ここで折れれば古城までもが殺されかねない。そんなことは許されない。古城が死ねば悲しむ人がいるのだ。だから、護らなければならない──

 敢然と銀の槍を構える雪菜に、オイスタッハが僅かに驚いたように声を洩らす。

 

「まだ戦う意志がありますか、剣巫よ」

 

「先輩に手出しはさせません。たとえここで死ぬことになっても──」

 

「成る程、決死の覚悟ということですか。いいでしょう、ならば貴方にはこの私自ら慈悲を与えましょう!」

 

 オイスタッハが咆哮を上げる。それに呼応するように彼の全身から凄まじい呪力が噴き出し、視界を焼く程の黄金の光が漏れ出る。法衣の下に纏っていた装甲強化服がその真髄を発揮しようとしているのだ。

 

「ロタリンギアの技術によって造られし聖戦装備“要塞の衣(アルカサバ)”──この光を以って貴方を完膚なきまでに倒して差し上げます!」

 

「雪霞狼!」

 

 視界を黄金の光に焼かれながらも、雪菜は槍を手に猛然と駆け出す。たとえ視覚を失おうと剣巫としての直感で大体の位置は分かる。

 雪菜は巧みに槍を操り、その穂先をオイスタッハに向けて突き出す。しかしその鋭い突きは、オイスタッハの戦斧によって難なく受け止められてしまう。

 

「その程度ですか、獅子王機関の娘よ!」

 

「うぐっ!?」

 

 鎧によって強化された腕力に負けて、雪菜の手から雪霞狼が弾き飛ばされた。

 武器を失った雪菜がその場に膝をつく。雪霞狼があった状態でも敵わなかった相手に素手で歯が立つはずもない。鎧によって強化されたオイスタッハはそれ程までの強敵なのだ。

 

「まだまだ若いながらも、貴方はよくやりました。誇りなさい。そしてせめてもの慈悲に、人である我が手で死になさい」

 

 オイスタッハがその長大な戦斧を掲げる。雪菜にはその刃が己の命を刈り取る死神の鎌にも見えた。

 雪菜が襲いくるだろう痛みに歯を食いしばり、オイスタッハが戦斧を振り下ろすのは同時だった。

 ざしゅ、と生々しい肉を断つ音が聞こえ、雪菜の全身に生温かい血が飛びかかった。しかし、覚悟していたような衝撃や痛みはない。

 恐る恐る顔を上げた雪菜の視界に飛び込んできたのは、左肩から左脇腹にかけてをごっそり失った古城の姿だった。

 

「え……?」

 

 展開に頭が追いつけず、雪菜が間の抜けた声を洩らす。

 状況からして古城が雪菜を庇ったのだろう。雪菜を突き飛ばし、代わりに戦斧の一撃を受けた。結果として古城は左上半身を戦斧によって抉り砕かれてしまったのだ。

 戦斧を食らったショックでか古城の瞳は死人のように虚ろだ。事実、肉体は八割方死んでいる。恐らく意識も殆ど残っていないのだろう。

 ふらりと左上半身を喪った古城が一歩下がる。

 

「先輩!」

 

 今にも倒れそうな古城の体を雪菜が慌てて抱きとめる。その重さがあまりにも軽くて、雪菜は表情を青ざめさせた。

 吸血鬼は不老不死と言われている。だがそれも、能力の根源である心臓を失っては、生き返ることもできない。

 

「先輩……どうして……わたしなんか……」

 

 悲痛に顔を歪めて雪菜が古城の体を抱きしめる。流れ落ちる血が、雪菜の制服を赤く染めていた。

 オイスタッハはその光景をしばし無表情に見下ろしていたが、やがてゆっくりと戦斧を掲げる。

 既に雪菜の心は折れている以上、わざわざ止めを刺す必要性はない。だが、このまま悲愴に暮れさせるのも酷だろう。そんな慈悲の心から殲教師は戦斧を振り下ろそうとして、気づく。左上半身を喪った古城の口元が弧を描いていることに。

 まずい、と直感的に悟ってオイスタッハが己の人工生命体(ホムンクルス)を呼ぼうとするが遅い。

 

「──姫柊を、護れ……!」

 

 絞り出すような声に応じて、古城の右腕を食い破るように雷光が弾け出した。

 

 

 



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聖者の右腕Ⅷ

 その日の放課後、藍羽浅葱は制服姿のままアルバイト先であるキーストーンゲートに訪れていた。

 キーストーンゲート地下十二階。人工島管理公社の保安部であり、絃神島の中枢ともいえる重要な区画であるのだが、浅葱にとっては単なるアルバイト先でしかない。一般的な女子高生がするアルバイトの範疇は超えているが、当の本人にその自覚はない。

 

『よお、お嬢。なんだ、えらく暗い顔してんな。折角の別嬪さんが台無しだぜ』

 

 席について端末にログインした浅葱に補助人工知能(AI)が馴れ馴れしく話しかける。

 浅葱がモグワイと名付けたこの人工知能は、絃神島全土を掌握する五基あるスーパーコンピューターの現身(アバター)だ。その演算能力の高さは世界最高水準であるのだが、如何せんクセがあり扱いづらいらしい。しかしどうしてか浅葱とは不思議と気が合ったらしく、こうやって馴れ馴れしく話を投げかけるのだ。

 浅葱は画面上の不細工なヌイグルミを一瞥して、小さく溜め息を吐く。いつもなら軽口の一つや二つ返すのだが、今日の浅葱はどことなく元気がなかった。

 

「ちょっとね……」

 

『なんだかほんとに元気がねーな。察するに恋のお悩みってところか?天才プログラマーちゃんも、恋愛方程式までは解けないってやつか』

 

「うっさいわよ……はあ」

 

 溜め息を吐いて浅葱は黙々と作業を開始する。

 今日のアルバイトの内容は、昨夜の倉庫街で起きた爆発によってダウンしたモノレールのシステム再構築。それに加えて災害用のメインフレームやらその他諸々の見直しだ。これに関しては以前から問題視されていたが、今回の事件を切っ掛けに上が浅葱に改めて依頼したのだ。

 優秀なプログラマーを数十人単位で掻き集めても数ヶ月はかかる作業を、しかし浅葱はたった一人で楽々とこなしていく。このペースならば三日とかからず終わるだろう。浅葱の規格外さがよく窺える。

 しかし、今日はいつもに比べてキーを打つペースが遅かった。原因は分かりきっている。古城のことだ。

 那月の呼び出し以降、古城は教室に戻ってこなかった。それどころか学校にもおらず、基本的に真面目な古城が珍しく授業もすっぽかした。

 クラスメイトも教師もこれには驚きを隠せなかった。休みや早退するにしても連絡を忘れない古城が無断で授業をサボったのだ。みんなその理由が気になるし心配もする。

 その中で浅葱は、言葉には表せない漠然とした不安を抱いていた。

 古城が昼休みに呼び出された理由は昨夜の倉庫街での事件に巻き込まれたから、その時の事情聴取のようなものだと言っていた。それはきっと事実だろう。雪菜も一緒に呼ばれていたのは謎だったが。

 事件の事情聴取を受けたあと忽然と姿を消した古城。そう考えると、古城が危険なことに首を突っ込んでいる気がしてならなかった。だが、確実にそうとも言い切れない。

 結局のところ、古城の行方も現状もさっぱりなのだ。何度か連絡を取ろうともしたが、どうにも繋がらない。浅葱が能力をフルに活用し街中のカメラをハックして探せば見つからないこともないのだろうが、さすがにそこまでするのは気が引けた。そもそも浅葱はストーカーではない。

 憂鬱に吐息を洩らしながらもキーを打つ手は止まらない。しかしこう何度も溜め息を吐かれてはモグワイも気になって仕方ない。

 

『こりゃ重症だな……』

 

 人工知能の呟きも浅葱には届いていなかった。

 もともと古城という人間は妙に落ち着いた雰囲気があったり、かと思えば高校生らしい一面もある少し変わった少年だった。

 基本的に真面目で容姿も悪くなく、気遣いもできる。男子からも女子からも受けは良く、“彩海学園の紳士”などというあだ名を付けられているくらいだ。当の本人はつい最近まで知らなかったが。

 どうして古城がそんなあだ名を付けられているのか。それは古城が単純に紳士的だから、というわけではない。それもあるにはあるのだが、その本当の理由は彼が時折纏う雰囲気が原因だ。

 ふとした拍子に、古城はどこか遠くを見るかのような目をすることがある。その時の古城は妙に大人びていて、同時に少し近寄りがたい空気を背負っていた。そんなところを含めての紳士だ。

 だが浅葱はそんな古城を三年間見てきた。だからこそ言える。そういう時の古城はとても儚げで、ふと目を離すと消えてしまいそうな感じがして不安で堪らなかった。

 古城は浅葱にとって大切な友人で、そして想い人でもある。ただその素直になれない性格故に未だ想いを告げられず、加えて古城に好意を寄せる女性の多さに少し尻込みしてしまっているが。

 だから、浅葱は不安で堪らない。このまま古城がいなくなってしまうのではないか、そんな不安がどうしても拭えなかった。

 

「やっぱりちょっと調べてみようかしら……」

 

 とうとう浅葱がストーカー一歩手前の所業に手を染めようか迷いだした直後、鈍い衝撃が部屋を揺らした。

 

「なに、地震……なわけないか。なにがあったの、モグワイ」

 

『今のはキーストーンゲートを支える支柱の一本がへし折れた余韻みてーだ。どうやら上の階でドンパチやってるらしい』

 

「へし折れた……ドンパチって……嘘でしょ?」

 

 人工知能から伝えられた情報に顔色を変える浅葱。

 ここは人工島の中枢を担う建物でありその強度は数千トンにも耐えられるよう設計されている。その支柱をへし折るなんて爆弾を用いても難しい。そしてなにより、そんな建物に攻め込もうとする輩の気が知れなかった。

 

「相手は誰?テロ組織?それとも夜の帝国(ドミニオン)の軍隊が襲ってきたの?」

 

『いんや、違う。そうじゃねえ……』

 

 魔族かそれに準ずる者たちが集団で攻め込んできていると思っている浅葱に、モグワイは妙に人間臭い口調で告げた。

 

『侵入者はたった二人だけ。ただの人間と、人工生命体(ホムンクルス)の二人組だ』

 

 

 ▼

 

 

 耳に届く波のさざめきに、暁古城は意識の深い所を泳いでいるような気分だった。

 微かに漂う磯の香りに鼻腔を擽られ、自分が海の近くにいることは分かった。ついで後頭部にある温かくも柔らかな感触に内心で首を傾げる。まるで上等な枕のような質感で、このままずっと頭を預けていたい欲求が湧き出す。

 

「いい加減目を覚ましてください、先輩」

 

 どこか不機嫌さを滲ませた声音で呼びかけられる。

 染み付いた社会人の性か、起きろと言われると自分の意思とは無関係に目が覚めてしまう。

 古城は重たい瞼をゆっくりと上げ、至近距離で顔を覗き込んでいた雪菜に驚き、目を瞬かせた。

 

「姫柊……?」

 

「はい、おはようございます。随分と気持ち良さげに眠っていましたね」

 

 多分に皮肉を織り交ぜまた雪菜の物言いに、古城は首を傾げてなにが起きたか記憶を遡る。そして思い出した。

 

「そうか……俺は、死んだのか」

 

「はい」

 

 その時の光景を思い出したのか、赤く腫らした目元を拭って雪菜が言う。

 

「先輩は死ぬ直前に眷獣を放って、そのあと直ぐに死んだんです」

 

「そうか……殲教師たちは?」

 

「逃げられました。破損した戦斧が打ち捨てられていたので無傷ではないとおもいますが……」

 

「命懸けの特攻で戦斧一つって、割に合わないなぁ……」

 

 冗談めかした口調で呟く古城を、キッと雪菜が鋭く睨む。

 

「生き返るなら生き返ると、前以て言ってから死んでください。わたしがどれだけ心配したと思うんですか……!」

 

 今にも泣き出しそうな顔で古城の胸をポカポカ叩く雪菜。

 古城は困ったように笑って、

 

「悪かったよ。言い忘れてたんだ。一応死んでも生き返るのは知ってたけど、実際に生き返ったのは初めてだったしさ……」

 

 己の左半身を見て古城が言う。

 オイスタッハによって喪失した左上半身は何事もなかったかのように元通りになっている。さすがに服までは再生しておらず、制服のシャツは左半分がなくなってしまったままだが。ちょっと最先端をいくファッションということで誤魔化そう、と古城は内心で呟いた。

 

「初めて……」

 

 雪菜の瞳に怒りにも似た炎が宿る。

 

「そんな確実に生き返るかも分からない状態で、なんて無茶をするんですか。一つ間違えればそのまま生き返らずに死んでいたのかもしれないんですよ!?」

 

「そんな怒るなよ。結果的に見れば生き返ったんだからいいじゃないか」

 

「それは結果論です。もしもこれで先輩が死んでたら、悲しむ人が沢山いるんですよ……」

 

 ぼそぼそと尻すぼみになっていく雪菜。肩を震わせ、力なく俯く姿は酷く弱々しく見えた。

 

「わたしなんて、庇わなくてよかったんです。お忘れですか。わたしがここに来た理由は先輩の監視なんですよ」

 

 虚ろな瞳で古城を見下ろして、

 

「あの殲教師が言っていたことも全部本当です。わたしは幼い頃に両親に金で売られて、魔族と戦う道具として育てられてきたんです……だから、わたしが死んでも、誰も悲しまない。でも、先輩は違う。凪沙ちゃんや藍羽先輩、ご家族だっているじゃないですか……!」

 

 子供の癇癪のように雪菜が言う。

 まるで自分なんか構わず見捨ててくれと言わんばかりの発言に、古城は顔を顰める。

 雪菜の言っていることは事実であるが、それが全てではない。彼女は勘違いしている。彼女が死んでも誰も悲しまないなんてことはあり得ないのだ。何故なら──

 

「姫柊」

 

 雪菜に膝枕されていた体勢から起き上がり、古城は彼女の真ん前に座り込んだ。

 雪菜は俯いたまま視線を合わせようとしない。まるで古城から逃げようとしているような、そんな感じだった。

 だが、そうはいかない。ここで逃げたら雪菜は一生後悔する。そんなことはさせない、と古城は意気込んで口を開く。

 

「なあ、姫柊。さっきも言ったけど、姫柊は道具じゃない。それは分かってるだろ?」

 

「…………」

 

 雪菜は依然として目を伏せたままだ。だがこの程度で折れる程、古城は弱くない。

 

「姫柊が死んで悲しむ人がいないなんてのも間違ってる。思い返してみろ。高神の杜とかいう学校に通っていた時に、友人になった子はいないのか?寮でルームメイトになったやつとか、姫柊に剣巫としての修行をつけてくれた人とか。そいつらは姫柊がいなくなったら、悲しまないのか?」

 

「ルームメイト……師家様……」

 

 ぼそりと呟いて雪菜の瞳に少しずつ生気が戻ってくる。

 きっと雪菜の脳裏には過保護で姉のような存在であるルームメイトと魔術の類を教えてくれた師匠にあたる人の姿が浮かんでいるのだろう。彼女らは確かに、雪菜のことを大切にしていた。雪菜がいなくなればきっと悲しむはずだ。

 持ち直してきた雪菜に、古城は更に言葉を重ねる。自分がルームメイトのことやらを知っているような口振りであったことを突っ込まれないためにもだ。

 

「この島にだっている。凪沙は姫柊のこと気に入ってるし、浅葱だってなんだかんだ気にしてる。叶瀬だってまた一緒に子猫の世話をしたいと思ってるはずだ。それに、俺だって……」

 

「先輩……」

 

「自分で思っている以上に、姫柊のことを大切に思っている人は沢山いるんだよ。それを忘れちゃダメだ」

 

 優しく子供をあやすように古城は雪菜の頭を撫でた。

 まるで我が子を慈しむような古城の手つきに、雪菜は温かな心地よさを覚えた。それはもう二度と触れることがなかっただろう親の愛情に似た何か。このままされるがままでいたいと思ってしまえる程に、優しい掌だった。

 雪菜が顔を上げる。頰には赤みが戻り、目もきちんと焦点を結んでいる。今の雪菜なら、もう自分を卑下するようなこともないだろう。

 安心した古城はそっと手を離す。一瞬、雪菜が名残惜しげな顔をしたようにも見えたが、気のせいだろうと古城は流した。

 

「さて……そろそろ行こうか」

 

「はい」

 

 古城が立ち上がると、雪菜もその両足でしっかりと立ち上がった。

 

「それで、ここはどこだ?」

 

「スヘルデ製薬研究所の裏手にあった公園です。先輩の眷獣が暴れたせいで、研究所が倒壊したのでわたしが運び出しました」

 

「……マジ?」

 

 嘘だと言ってくれとばかりに顔を引きつらせて古城は研究所の跡地(、、)を見る。そこには瓦礫の山と化したほぼ全壊に近い建物の成れの果てがあった。

 思わずその場に両手両膝をついて項垂れる古城。折角アイランド・イーストでは暴れずに済んだのに、まさかここでやらかしてしまうとは。幸い被害はスヘルデ製薬研究所だけらしく、周囲の建物は無傷だ。それが唯一の救いだろう。

 

「そんなに落ち込まないでください。今回に限っては、恐らく正当防衛が適用されますから……」

 

 雪菜がそっと寄り添いフォローする。それで少しは気が軽くなったのか、完全とはいかないが古城は気を持ち直した。

 

「そうだな……それより今は、殲教師たちのほうが先だな」

 

「すいません、わたしも先輩を運ぶので手一杯で彼らの行方は分かりません」

 

「いや、大丈夫だ。要だとか島を沈めるだとか言ってたんだから、行き先も見当がつく」

 

 言って古城は島の中心部のほうへと目をやる。

 絃神島の中心部である建物、キーストーンゲート。島の中枢部ともいえるその建物は今、なにやら黒煙を立ち昇らせている。それだけでなにかしらの有事が起きていることが分かる。

 

「あそこだな」

 

 古城は迷うことなくキーストーンゲートへ向けて足を進めようとして、懐で振動した携帯に出鼻を挫かれた。

 誰だろうか、と携帯電話を取り出して目を見開く。

 携帯の画面に表示されているのは着信の知らせとその相手の名前。クラスメイトである藍羽浅葱の名前だった。

 

 

 ▼

 

 

 藍羽浅葱の目の前には惨憺たる光景が広がっていた。

 侵入者を阻む隔壁は無残に砕かれ、数十人に上る警備員たちもその大半が重傷。比較的軽傷の者も戦闘続行は不可能で、動けない仲間の手当てに当たっている。

 通路には濃密な血臭が立ち込め、硝煙の臭いが漂っている。そんな通路の隅で、浅葱は何度も何度も自分の想い人に電話をかけていた。

 浅葱は不幸にも侵入者たちと出くわしてしまった。しかし幸いにも侵入者たちは浅葱のことなど気にも留めず奥へと進んでいったので彼女自身は無事だ。

 だが、侵入者たちの姿を一目見た浅葱はとてつもない不安に襲われた。

 警備員を容赦なく無力化していった侵入者たち。もしも彼らと古城が接触していたらと考えてしまったのだ。

 

「お願い……お願いだから、出てよ……古城!」

 

 浅葱の懇願が届いたのか、十数回目のコールでやっと通話が繋がった。

 

『もしもし、浅葱か?』

 

「古城!?無事なのね、古城!?」

 

『ああ、なんとかな……』

 

 浅葱の剣幕に通話口から戸惑いの声が洩れるが、浅葱は気づかない。古城が無事だったことで安堵のあまりその場に座り込んでしまう。

 

「よかった……もう、こっちがどれだけ心配したと思ってるの!なにも言わずに学校サボって……」

 

『悪かった。こっちも色々あったんだ』

 

「色々って……なにさ?」

 

『軽く死にかけた』

 

「え?」

 

 あっさりと言いのける古城に浅葱が愕然と声を洩らす。

 

「死にかけたって、どういうことよ?」

 

『キーストーンゲートを襲撃してる二人組に襲われてな。ちょっと三途の河を見てきた』

 

 ははっ、と軽い口調で言う古城。しかし浅葱にとっては笑い事ではない。

 

「ふざけないでよ!なんでそんな他人事みたいに言うのよ!」

 

『悪い悪い。とりあえず、こっちはもう大丈夫だ。それより、浅葱は早くそこから逃げろ。まだキーストーンゲート内にいるんだろ?』

 

「そうだけど、でも……」

 

 逃げてどうするのか。浅葱はその疑問を口にしようとして、しかし電話口から聞こえる声に遮られた。

 

『大丈夫だ、なんとかなるさ。絃神島の攻魔師は無能じゃない。那月先生だっているんだ』

 

 古城の言う通り、絃神島には多くの攻魔師がいる。特区警備隊(アイランド・ガード)だって既に動き出しているはずだ。だから、放っておいても侵入者たちはいずれ鎮圧されるはず。

 だが、実際に殲教師たちの暴虐ぶりを目の当たりにした浅葱はそう楽観視できなかった。

 雪菜の剣巫としての直感とは違う、天才プログラマーとしての勘か。攻魔師や特区警備隊(アイランド・ガード)が動いてからでは手遅れになる。そんな漠然とした嫌な予感を覚えたのだ。

 そして、古城もそれを理解している気がした。理解したうえで、古城は大丈夫と言っている。明確な根拠はないが、三年の付き合いだ。多少であるがその声音や口調からなにを考えているか読むことくらいできる。

 浅葱は噛みしめるように瞑目したのち、

 

「分かった。こっちも避難する」

 

『気をつけて避難しろよ』

 

「うん、分かってる。だから──」

 

 携帯を握り締め、万感の想いを込めて浅葱は言った。

 

「──ちゃんと、帰ってきてよね、古城」

 

 

 ▼

 

 

 プツリと通話が切れて画面の表示が変わる。

 古城は、通話が切れたあともしばらく耳に携帯を当てたまま硬直していた。その表情は驚愕やら焦燥やらで染められている。

 

「まさか……ばれた……?」

 

 ぼそりと呟いて携帯を持つ手を力なく下ろす。

 通話が切れる直前に浅葱が放った言葉。暗に古城が危険に飛び込むのを察したうえでの心配にも取れるその言葉に、古城は酷く驚かされた。

 今まで自分が吸血鬼、第四真祖であることを匂わせたことはなかった。そこだけは原作古城よりも注意してきたはずだ。しかし先の浅葱の感じは、まるで古城の秘密を知っているかのような口振りに聞こえた。

 これがただの古城の考えすぎならいい。だが、浅葱の場合あり得ないと断じれないから怖い。なにせ彼女は“電子の女帝”と謳われる程の天才プログラマーだ。その持ち前の能力をフルに活用すれば古城の秘密を探り当てるくらいわけないだろう。

 浅葱に正体を知られて困ることがあるかと言えば、実はあまりない。先の話ではあるが、いずれ浅葱にはバレるのだ。それが早いか遅いかの話なだけ。だから、大丈夫。もしバレていたとしても、あとできっちり口止めしておけば万事問題ない。そう言い聞かせ、古城は無理やり自分を落ち着かせた。

 

「ふぅ……さっさと終わらすか」

 

 今度こそキーストーンゲートに向けて走り出そうとする古城。しかしその行く手を阻む者がいた。

 

「オイスタッハ殲教師と戦うつもりなんですね」

 

 真剣な表情で古城の前に立つ雪菜。

 古城は焦る気持ちを抑えながら頷き返す。

 

「ああ。でないとあいつらはなんらかの手段で絃神島を沈める気だ。そんなことさせるわけにはいかない」

 

「それは勿論です。でも、勝てるんですか。彼らに」

 

「それは……」

 

 改めて問われて古城は返答に窮する。実際に戦って勝てなかったのだ。また再戦に臨んでも古城に勝ち目はほぼないだろう。だからと言って、このまま指を咥えてオイスタッハの思惑通りにさせるわけにもいかない。

 

「…………」

 

 古城は悔しげに歯噛みする。

 手立てがないわけではない。でなければ原作古城はオイスタッハを打倒できていないのだから。だが、その手立ては──

 

「一つ訊いてもよろしいですか」

 

「……なんだ?」

 

 なんとなく先が読めて古城は苦々しげに顔を歪める。

 雪菜は真っ直ぐな面差しで、

 

「──どうして眷獣を制御できないのですか」

 

 古城が今まで先送りにしようとしていた問題を提起した。

 

 

 



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聖者の右腕Ⅸ

 暁古城の前世の話をしよう。と言っても、別段特殊な生い立ちがあるわけではない。どこにでもいる平々凡々な一般人だ。

 生まれた家は特別金持ちでも貧乏でもない一般家庭。これといった病気も怪我もない、良くも悪くも山も谷もない人生を送り、最期は不幸にも交通事故でその生涯を閉じた。

 勿論、住んでいた世界も普通。吸血鬼やら獣人やらと魔族が溢れ、魔術などという奇跡が当然のように存在することもない。至って平和な世界であった。

 故に、暁古城は今の世界と元の世界のギャップに苦悩した。お伽話や物語の世界が現実になり、あまつさえ自分自身がそのファンタジーの主人公になってしまったのだ。その困惑は筆舌に尽くし難かっただろう。

 それでも古城は原作知識を活用して上手く立ち回ろうとした。第四真祖の力と向き合い、慕ってくれる妹でさえ騙しながら、逃げようとしなかった。

 だが、そんな古城にもどうしても踏み越えたくない一線があった。それこそが、吸血行為だ。

 古城には普通の世界に生きた平凡な人間の一生がある。そのため、自分が人間でなく吸血鬼であると突きつけられる吸血行為に忌避にも等しい苦手意識を抱いていた。

 朝起きるのが辛くなり、日差しを苦手とするようになって、加えて天変地異の化身ともいえる眷獣をその身に宿しているが、それらはまだ体質が変わったとか力を与えられたとかで納得できる。まだ自分が人間であるという自覚を保つことができた。

 しかし吸血行為は人間であることを否定してしまう。それが古城には恐ろしかった。自分は人ならざる化け物であると認めてしまうことが、途方もなく恐ろしかった。

 だが、いつまでも目を背け続けるわけにはいかない。いつかは必ず向き合わなければならなかったのだ。

 それが第四真祖、暁古城の逃れられない運命なのだから。

 

 

 ▼

 

 

「俺は吸血鬼になってから一度も吸血行為をしたことがないんだ。だから、眷獣たちは俺を主と認めてくれていない」

 

「血を吸ったことがない……」

 

 ぽつりと吐露された事実に雪菜は驚愕した。吸血鬼が、それも第四真祖が吸血未経験だなんて思いもしなかったのだ。

 驚く雪菜に古城はいつもより弱々しく笑いかける。

 

「驚くことでもないだろ。俺が第四真祖になったのは三ヶ月前なんだからさ」

 

「それは……そうですけど……でも」

 

 戸惑いを隠せない雪菜。どんな言葉を返せばいいのかイマイチ分からず困惑しているようだった。

 

「まあでも、血を吸ったことがない理由はそれだけじゃないんだけどさ……」

 

「それは……?」

 

「単純な話、他人の血を吸うってのが怖くてさ。それに吸血鬼の吸血衝動が引き起こされるのは性的興奮を得た時。要するに欲情しなきゃならないんだ」

 

「よく、じょう……」

 

 古城の言葉に雪菜が頬を赤く染める。純粋培養の雪菜には少し刺激が強い話だったらしい。初心な反応を見せる雪菜を古城は微苦笑で見て、ついで項垂れるように俯いた。

 

「無茶を言うなって話だよ。俺はちょっと前まで人間だったんだ。それがいきなり吸血鬼って、洒落にならないよな」

 

「先輩……」

 

 自棄くそ気味にどすっ、とその場に座り込み古城は空を仰いだ。

 

「端的に言えば、俺がまだ腹を括れてないだけなんだ……。あとは眷獣を手懐けられるだけの霊媒としての素養を持つ人が身近にいなかったからな」

 

 正確に言えば、いないわけではない。例として挙げるなら叶瀬や恐れ多いが那月も、十二分に霊媒としての素養がある。だが彼女たちに手を出すつもりなど古城には微塵もなかった。

 

「霊媒としての素養、ですか」

 

 噛み締めるように口にして、雪菜はしばし考え込む。そして熟考の末、意を決したように言った。

 

「霊媒としての素養を持つ人間ならここにいます。わたしの血を吸えば、眷獣を制御することも不可能ではないはずです」

 

「確かにそうかもしれない。でも、俺は……」

 

「先輩が吸血鬼であることを認めるのが怖いなら、わたしが支えます。覚悟ができないなら、わたしの覚悟を受け取ってください。だから──」

 

 座り込む古城の前にしゃがみ込んで、雪菜は強い意志の宿る瞳で彼を見つめた。

 

「──わたしの血を、吸ってください」

 

 静かな決意の込められた声音で雪菜が言った。

 古城は曇りのない瞳に見据えられ、やがて観念するように肩をすくめる。

 

「年下の女の子が覚悟を決めたのに、先輩がいつまでも尻込みしてるわけにはいかないよなぁ……」

 

 はあ、と息を吐いて古城は雪菜の頤に手を添える。

 

「いいんだな?」

 

 最後の確認とばかりに古城が真剣な表情で問う。

 雪菜は迷うことなく頷き、

 

「わたしの覚悟を、血を受け取ってください……」

 

 そっと古城に身を預けた。

 凭れかかる雪菜の肢体を古城は優しく抱きしめる。両腕にすっぽりと収まってしまう程に華奢な体だ。こんな小さな背中に世界最強の吸血鬼の監視任務なんて大役を背負い込んでいただなんて、雪菜はどれ程の不安を抱えていたのか。思わず雪菜を抱きしめる手に力がこもってしまう。

 

「は、ぁ……せん、ぱい……」

 

 古城の腕に抱きしめられた圧力で雪菜が小さく呻く。

 悪い、と古城は呟きながらその白磁のようなうなじに顔を埋める。鼻腔を通り抜ける雪菜の匂いに理性が外れる感覚があった。

 犬歯が尖り、牙が疼く。今すぐにでも血を吸いたいという衝動に襲われ、我を忘れそうになる。だが、雪菜の肌に牙を埋めようとした直前に、古城を猛烈な恐怖と罪悪感が襲った。

 この少女に牙を突き立ててしまって、本当にいいのか。“まがいもの”の分際で雪菜をその毒牙にかけていいのか。そう訴えかける自分がいた。

 あと一歩のところで心の内から湧き上がる罪悪感が古城を躊躇わせた。

 古城が罪悪感に吸血衝動を失いかけたその時、

 

「だい、じょうぶです……暁先輩」

 

 雪菜が耳元で囁く。まるで耳朶を擽るような、少し強張った声音の囁きに今度こそ古城の鋼の理性が外れた。

 瞳を真紅に輝かせて、獣の如く古城が雪菜の首筋に牙を埋めた。

 

「あ……っ、せん……ぱい」

 

 痛みを堪えるように身を強張らせ、雪菜は古城の腰に腕を回す。力強く抱きしめ返して、やがて腰が砕けたように脱力する。古城はそんな雪菜の首筋を貪るように血を吸い続けた。

 二人のシルエットが、ゆっくりと地面に横たわる。紅い月が照らす公園の中で、二人の影は一つになった。

 

 

 ▼

 

 

 絃神島は四基の人工島(ギガフロート)をその地下深くで繋げ、連結させている人工の島だ。四基の人工島(ギガフロート)を連結する役目を担っているのはキーストーンゲートの最下層。円錐形の外壁に守られた水深二百二十メートルの部屋にある、馬鹿太いワイヤーケーブルを制御する巨大な巻き上げ機(ウインチ)だ。

 そして計四本の太いワイヤーケーブルの終端、丁度部屋の中央に位置する台座のような土台の上に、一本の柱があった。

 絃神島の全てを支える柱であり要石。それは半透明の結晶のようなもので、内部には傷だらけの人間の腕が閉じ込められていた。

 それはかつて、西欧教会の“神”に仕えた聖人の遺体。自らの信仰のために苦難を受け、その命を失った殉教者の遺体だ。

 強い神聖を帯びたその遺体は決して腐ることも朽ちることもない。そして様々な奇跡を引き起こすとも言われている。

 ルードルフ・オイスタッハはその腕を目にして、胸に詰まらせた思いを吐き出すように声を震わせた。

 

「おお……おおお!ようやく、ようやくこの時が来ました!ロタリンギアの聖堂より簒奪されし不朽体を、今こそ我ら信徒の手に取り戻すことができる!さあ、アスタルテ!あの忌まわしき楔を引き抜き、退廃の島に裁きを下しなさい!」

 

 高らかに謳い上げるようにオイスタッハが人工生命体(ホムンクルス)の少女に命じる。しかしアスタルテは、

 

命令認識(リシーブド)。前提条件に誤りがあります。故に命令の再選択を要求します」

 

「なに?」

 

 眉を顰めてオイスタッハは頭上を見上げる。そして気づいた。

 要石が支えるアンカーブロックの上に、二つの影があった。

 一つは少年。左肩が破れた制服を着る、どこか自棄くそ気味な表情をした少年だ。

 もう一つは少女。銀の槍を携えて、少年に寄り添うように立つ少女だ。

 少年──暁古城は部屋の中央に鎮座する要石を一瞥し、己を見上げる殲教師を見下ろした。

 

「悪いが、今の命令は取り消し(キャンセル)だ。殲教師」

 

 獰猛に牙を剥いて古城が言った。

 

 

 ▼

 

 

「供犠建材ですか……」

 

 要石の正体に思い至って雪菜が嫌悪感を滲ませながら呟く。

 供犠建材とは読んで字の通り、生きた人間を生贄に捧げるという邪法だ。現在では国際条約で禁止されているが、この絃神島が設計されたのは四十年以上も前である。まだ法的に供犠建材の使用が罰せられることのなかった時代だ。故に絃神島設計者の絃神千羅はその邪法に手を染めた。

 島一つ支える程の強度を持つ要石ともなると、並大抵の物質では役目を務められない。そのため絃神千羅が目をつけたのは神の奇跡をも引き起こすと言われる聖人の遺体、聖遺物を供犠建材の対象として選んだ。

 結果として絃神島は無事完成した。しかし奪われた遺体は今もこうして島を支える柱として地下に眠り続けている。殲教師はその聖遺物を取り返しにきたのだ。ただ己の信仰の対象である聖人の遺体を元ある場所に取り戻すために。

 それはきっと正しいことだろう。しかしその結果、絃神島に住む多くの人々が死ぬはめになる。それを古城は許容できない。この島を、この島に住む人々を、護らなければならないのだ。

 だから古城は要石について言及しようとしない。したところで平行線になるのは分かりきっているからだ。

 雪菜が少なからずショックを受けているのを横目に、古城はアンカーブロックの上から下へと飛び降りる。

 

「さっきぶりだな、殲教師。よくもまあ人の体をぶった切ってくれたわけだが、なにかコメントはあるか?」

 

「まさかあの状態から復活するとは思いませんでしたよ、第四真祖。真祖という生き物はつくづく、常識外れな存在なのですね」

 

 傷一つない古城の肉体を見てオイスタッハが呆れとも取れる声を洩らす。古城もそこに関しては同意できるので、まったくだとばかりに肩を竦める。

 

「しかし、相手が不死不滅であろうと関係ありません。我らの道を阻む者は何人たりとも許しません。行きなさい、アスタルテ!」

 

 再度の指示を待っていたアスタルテが古城の前に立ちはだかる。その顔は、どうして来てしまったのか、と書いてあるように悲しげだった。

 古城はそんな人工生命体(ホムンクルス)の少女を見上げて、

 

「あんたに譲れないものがあるように、俺にも譲れないものがあるんでな。こっちも手加減なしだ。最初からクライマックスでいくぞ!」

 

 右腕を突きつけて古城が高らかに宣言する。

 

「ここから先は、まがいもの(オレ)戦争(ケンカ)だ」

 

 それは本来の暁古城の決め台詞。しかしこの古城の決め台詞には多分に己を卑下し戒める意味合いが込められている。しかしそれを知る者はいない。

 ただ、その隣に降り立ち彼を支える少女の思いに変わりはない。

 

「いいえ、先輩。わたしたちの(、、、、、、)聖戦(ケンカ)、です──」

 

 

 ▼

 

 

 宣言通り、開幕初撃から古城は全力の一撃を放つ構えを取った。

 

「“焰光の夜伯(カレイドブラッド)”の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ──!」

 

 古城の右腕が鮮血を噴き散らす。それは血の中に眠る第四真祖の眷獣を呼び出す魔力を濃密に圧縮した呼び水。

 鮮血が雷光へと変わる。破壊の権化である眷獣の雷だ。しかしそれは研究所の時のように古城へ向かうことはなく、秩序を持って一体の獅子の姿を型作った。

 

疾く在れ(きやがれ)、五番目の眷獣“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”──!」

 

 現れたのは雷光の獅子。雄々しく雷鳴の咆哮を上げる獣だ。

 凝縮された雷の獣が古城の傍らに歩み寄る。

 

「女の子の血でこうも素直になられると、俺の頑張りはなんだったんだってことになるんだけどなぁ……」

 

 まるでじゃれつくように寄ってくる自らの眷獣に古城は微苦笑しつつその毛並みを撫でる。

 全身を雷で構成された獣に触れればどうなるかは言わずと知れている。しかし“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”は古城の眷獣だ。しかも以前と違い完全に制御できている。ならば、触れようとその雷が主である古城を傷つけることはあり得ない。

 

「これが第四真祖の真の力ですか。なるほど、確かに強力です。しかし、どれ程強かろうとロドダクテュロスの前には無力!アスタルテ!貴方は第四真祖の相手をなさい!」

 

命令受諾(アクセプト)

 

 アスタルテが自らの眷獣を身に纏って古城に襲いかかる。だが、

 

「あなたの相手はわたしです!」

 

 軽やかに身を翻して雪菜が行く手を阻んだ。

 前もって、古城と雪菜はここに辿り着くまでにいくらか打ち合わせをしていた。そう複雑なことではない。どちらが誰を相手するのか決めておいたのだ。

 聖戦装備“要塞の衣(アルカサバ)”のブーストを受けたオイスタッハの力は強力だ。たとえ戦斧を失っていようと彼に近接戦を挑むのはリスクが伴う。よってこちらは古城が眷獣で相手する。

 必然的に魔力無効化の力を持つ眷獣を操るアスタルテの相手は雪菜となる。こちらは武器の能力だけを見れば五分五分だが、武器が眷獣であるアスタルテと違い雪菜は槍だ。その分の不利を加味すると雪菜が単独でアスタルテを撃破するのは不可能に近い。

 だから、雪菜がするのはあくまで時間稼ぎ。相性的に古城が不利になるアスタルテを抑えれば、あとは主人であるオイスタッハを古城が速攻で倒す。そういう作戦だった。

 そして古城は、相手が人の身であろうと容赦するつもりなどない。オイスタッハは強力な装甲鎧を身に纏っているのだ。古城の眷獣の攻撃であろうと、一発程度なら耐えられるはずである。

 

「歯を食いしばれよ、殲教師。今度は加減するつもりがないんでな!」

 

「くっ、させるものか!?」

 

 自らを守護する人工生命体(ホムンクルス)を足止めされて、オイスタッハは焦燥に駆られる。如何に堅牢な装甲鎧であっても第四真祖の眷獣の一撃を受けて立っていられる代物ではない。まともに受ければその時点で敗北が決定する。

 オイスタッハは僅かな可能性に賭けて、古城へ突撃を敢行する。逃げ回ったところで勝ち目はない。戦斧もないが強化された肉体から放たれる打撃は岩をも砕く威力を秘めている。殺すまではいかなくとも気絶させるくらいは十二分にできるはずだ。

 猛烈な勢いで迫ってくる殲教師に、しかし古城は焦ることなく冷静に対処する。

 

「いけ、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 古城の指示に従って雷光の獅子が疾駆する。

 獅子は雷の如く目にも留まらぬ速さで殲教師に接近し、その前足を容赦なく振り下ろした。

 

「ごはぁ!?」

 

 雷霆の振り下ろしを受けた殲教師はゴムボールもかくやの勢いで吹き飛び、部屋の壁にその身を強かに打ちつけた。

 どすっ、と壁から床に落ちる。殲教師が纏う鎧は衝撃と莫大な熱量によって駆動限界に達し、煙を噴いている。その様子から彼にこれ以上戦う術はないと断じる古城だが、

 

「まだです……我々は、負けられないのですよ……!」

 

 ボロボロの巨体を起こし、殲教師が立ち上がった。瞳は不退転の執念に燃えており、その意志は未だ折れていない。それ程までにオイスタッハはあの腕を取り返すことに全てを懸けているのだ。

 古城は雪菜とアスタルテの戦闘を一瞥する。少女たちの戦いは、やはりアスタルテが押しているように見えた。眷獣と槍ではリーチも力も違いすぎるのだ。

 しかし、たとえ押されていようと雪菜は自らの役目を果たすために奮戦している。巧みな槍術と体術で攻撃を捌き、アスタルテがオイスタッハへ注意を逸らそうものなら猛攻をしかけてこれを妨害。しっかりとアスタルテを釘付けにしていた。

 その様子にオイスタッハは苦々しげに顔を歪める。あれではアスタルテの援護を望めない。アスタルテの眷獣なしに古城の眷獣を防ぐのは不可能だ。つまり、オイスタッハは実質詰み同然なのだ。

 だがしかし、殲教師に敗北の二文字は許されない。たとえ勝ち目がなくとも、諦めるわけにはいかないのだ。

 

「おおおおおお──!」

 

 雄叫びを上げてオイスタッハが駆け出す。小細工もなにもない、純粋な身体能力での肉弾戦をしかけてきたのだ。

 対する古城も拳を握りしめてこれに応戦する。さすがに今のオイスタッハに眷獣を嗾けたら死にかねないと判断したからだ。

 

「第四真祖──!」

 

「殲教師──!」

 

 男たちの吠え声が轟き、二つの拳が交差した。

 軍配が上がったのは古城だった。

 オイスタッハの死力を尽くした拳は虚しくも空を殴るだけに終わり、古城のクロスカウンター気味のきつい一撃が殲教師の顔を確かに捉えた。

 殲教師が床に倒れ伏す。彼は意識が途絶えるその瞬間まで要石に手を伸ばし続けて、やがて気を失った。

 オイスタッハが完全に沈黙したのを見届けてから古城は未だ戦闘を続けている二人に叫ぶ。

 

「二人とも、もうやめろ。戦いは終わった!」

 

 古城の言葉に、二人の動きがピタリと止まった。

 雪菜は槍を構えた姿勢を維持しつつもその表情は安堵に緩んでいる。アスタルテの足止めは想像以上に難しい話だったらしく、体中に細かな傷を負っていた。

 対して眷獣に身を守られていたアスタルテは無傷。しかし……、

 

「…………っ」

 

「アスタルテ!?」

 

「アスタルテさん!?」

 

 次の瞬間、アスタルテを取り込んでた眷獣が跡形もなく消え去り、彼女の体が落下する。

 

「くっ……」

 

 少女の体が硬い床に叩きつけられることは、ギリギリで雪菜が受け止めたことで防がれた。

 ぐったりとする人工生命体(ホムンクルス)の少女を抱き起こして、雪菜はその軽さに顔を強張らせる。古城の物理的に軽くなったのとは違う、もはや生きる力が殆ど残されておらず軽く感じたのだ。

 このままでは遠からず、この少女は死ぬ。それが分かって雪菜は悲痛に顔を歪めた。道具として扱われていた少女に、自分の境遇を重ねてしまったのだろう。どうにかして救いたいと思って、

 

「先輩……」

 

 すぐ側に佇んでいる古城に一縷の望みを懸けて視線を送る。

 古城は少し苦い表情になり、苦悩するように頭を抱えた。

 このまま眷獣を寄生させていればアスタルテは確実に死ぬ。だが、それを救う方法を古城は知っている。知っているが、それを行動に移すのはかなり抵抗があった。しかし目の前の少女を見捨てるわけにもいかない。

 ぬおぉ……、と唸りながらも古城は腹を括り、失礼を承知の上でアスタルテを救う手段を打ち明ける。

 

「その子に寄生している眷獣を俺の支配下に置く。そうすれば眷獣はその子の寿命じゃなく、俺の寿命を食うようになる」

 

「なら、すぐにそれをやりましょう」

 

「いや、うん……。そうしたいのは山々なんだけどさ。それをするにはその子の血を吸わなきゃならないわけで……」

 

 尻すぼみになっていく古城に、雪菜もなにを言いたいのか察して複雑な表情になる。

 吸血鬼が吸血衝動を起こすのに必要なものは性欲、性的興奮である。しかし弱り切ったアスタルテに性的興奮を覚えて、挙句その首筋に牙を突き立てるのはいくらなんでも無理があった。

 微妙な空気がキーストーンゲート最下層を漂う。しかしその空気も雪菜の深々とした溜め息によって霧散した。

 

「わたしでよければ、代わりになりますよ」

 

「……いいのか」

 

「当て馬みたいでいやですけど、人命救助です」

 

 仕方ないと割り切る雪菜。その表情は若干不機嫌ではあるが、アスタルテを救いたいという思いに偽りはない。

 雪菜が了承した以上、あとは古城次第だ。

 渋い顔をしていた古城は、しかし迷いを払うように頭を振り、そっと雪菜の体を抱きしめた。

 雪菜の汗と漂う甘い血臭を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。そして強張る雪菜の耳元に唇を寄せて、

 

「キーストーンゲートのケーキバイキング」

 

「は、え?」

 

「お詫びに奢るよ」

 

 物で釣るようであまり好きではないが、せめてものお詫びに古城は誠意を示した。女の子に甘い物が嫌いな子はいないという、妹からの有り難いお言葉を参考にしたものだ。

 雪菜はきょとんとしていたが、やがてふっと表情を緩ませた。

 

「楽しみにしてます」

 

「ああ、待っていてくれ」

 

 言って古城は雪菜から身を離し、床に横たわるアスタルテの首筋に顔を寄せる。

 酷くほっそりとしたアスタルテの首筋に、遠慮がちに古城は牙を突き立てた。そして彼女の体内を流れる体液を吸い上げ、眷獣を自分の支配下に置く。

 

「これでよし」

 

 静かな寝息を立てるアスタルテを見下ろして、古城と雪菜は揃って微笑みを浮かべるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 夜の帳が下りる絃神島南地区。その一画に建つ九階建てマンションのベランダに少女が佇んでいた。

 長い髪を腰まで届かせた十代前半の少女。その瞳は常の彼女の色とは違う、紅い光を湛えている。身に纏う雰囲気も威厳めいたものが漂っていて、今の少女の姿を友人が見たのなら驚くことだろう。

 暁凪沙はじっと闇の中を見据えている。その瞳に映るのは月明かりに照らされる逆ピラミッド型の建造物、キーストーンゲート。島内で最も高い建物であり、絃神島の心臓部とも言えよう。

 その建物の地下深くから、慣れ親しんだ魔力の高まりを感じて、暁凪沙は微笑した。

 

「“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”……ようやくお目覚めか……」

 

 懐かしむような口調で言って、彼女は瞳を固く閉ざす。

 次に彼女が瞼を開いた時、その瞳には澄み切った夏空のような色が浮かんでいた。

 

「…………」

 

 彼女は無言で自らの小さな掌を見つめる。そして慈しむように目を細めて、静かに部屋に戻った。

 自分の部屋のベッドに潜り込み、静かに寝息を立て始めた姿は普段の彼女と変わらない。無邪気であどけない寝顔で、暁凪沙は何事もなかったかのように眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 



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聖者の右腕X

これで聖者の右腕は終わりです。


 オイスタッハ殲教師による聖遺物奪還は古城たちによって阻止された。しかし彼の行動はまったくの無意味に終わったわけではない。彼が引き起こした事件によって絃神島の歪みが世間の表沙汰になったのだ。

 聖遺物の奇跡によって絃神島を支える。そのような施策を世間は強く批判し、西欧教会を始めありとあらゆる組織や国家から非難が殺到した。オイスタッハに対する減刑嘆願も巻き起こり、日本政府はてんやわんやになりながらも対応に追われた。

 最終的に絃神市は二年以内に要石の返却を約束し、オイスタッハは国外追放処分。そして人工生命体(ホムンクルス)のアスタルテは主人の命令に従っていただけであるとして保護観察という処分に落ち着いた。

 事件から三日経った今では世間も落ち着きを見せ始め、絃神市民は何事もなかったかのように平和な日常を送り始めている。

 暁古城もまた、命懸けの戦いを終えたあととは思えぬ程に普段と変わりない姿で翌日には登校していた。クラスメイトや教師からは心配され、英語教師からは罰として雑事を押し付けられていたが、穏やかな日常に戻ろうとしている。

 そして雪菜は──

 

 

 ▼

 

 

 姫柊雪菜は、そよ風が吹き込むリビングに一人きりで座っていた。

 一人暮らしには広い、暁古城を監視するために用意された部屋。古城のお節介でいくらか家具が見当たるが、それでも年頃な女の子の部屋にしては物が少ない印象が強い。殺風景とも言える。

 部屋の中をぐるりと見渡して、雪菜は少し寂しげに目を細めた。

 この部屋とももうしばらくしたらお別れだろう。なにせ雪菜は第四真祖の監視役でありながら幾つもの失態を犯した。

 獅子王機関の秘奥兵器、神格振動波の術式を漏らした。

 監視対象である第四真祖を、危うく目の前で殺されかけた。

 おまけに彼が眷獣を制御できるよう、自分自身の血を与えてしまった。

 どれ一つとっても監視者としてあるまじき振る舞いだ。監視役失格として呼び戻されるのは確実。処罰も免れないだろう。

 それでも、雪菜の心に後悔はなかった。強いて挙げれば、この絃神島を離れなくてはならないことだろうか。

 この島で出会った人たちともう会えなくなる。それは、とても寂しく感じられた。

 ふと、脳裏に浮かぶのは一人の少年の姿。監視対象の第四真祖であり、どこか大人びた雰囲気を持つ高校生。隣の部屋に住む暁古城だ。

 彼とも会えなくなる。そう考えた途端、チクリと胸を刺す痛みに襲われた。気を緩めればほろりと涙が溢れそうになって、雪菜は堪えるように目元を抑えようとして、

 

「なにをそんな泣きそうな顔になってるんだ」

 

 聞き覚えのある声がして、慌てて顔を上げた。

 リビングの入り口のドアに凭れかかるように古城が佇んでいた。その表情は気まずげで、意図せず雪菜の泣き顔を見てしまったことを後ろめたく感じているようだった。

 雪菜は目を見開いて、

 

「ど、どうして先輩が……」

 

「いや、何度もインターホンを鳴らしたけど反応がなくてさ。凪沙から帰ってるって話は聞いてたから、気になってドアノブに手をかけたら鍵開いてて、それで上がった」

 

 すまん、と勝手に上がったことを謝る古城。雪菜は気にするなと手を振って笑う。

 

「それで、なにか用事でもありましたか?」

 

「うん、まあそれなんだけどさ。とりあえず、これ」

 

 手に持っていた一つの封筒を古城が差し出す。シンプルな茶封筒で、何かの書類が入ってるらしい。

 雪菜は首を傾げながら封筒を受け取り、差出人が獅子王機関であることに表情を強張らせた。

 

「ドアの隙間に挟んであったぞ。多分、いくらインターホン鳴らしても出ないから置いていったんだろ」

 

「そうですか……」

 

 どこか暗い面持ちで封筒を手に持つ雪菜。このタイミングで送られてくる書類として可能性が高いのは、やはり罷免書だろう。それか処罰の内容が書かれた書類か。どちらにしても雪菜の運命を左右する代物であることに変わりない。

 悲壮な表情で封筒を開けようとする雪菜を見て、古城が微苦笑を洩らす。

 

「そんな悲惨な顔をしなくてもいいだろ」

 

「でも……」

 

「いいから」

 

 古城に急かされる形で雪菜は封筒を開き、中に入っていた書類に目を通していく。そして読み進めていくうちにその表情を困惑と驚愕に変えた。

 書類の内容は雪菜の予想通り、此度の失態に対する処罰について書かれていた。その処罰の内容は──

 

「第四真祖の監視続行って……」

 

 実質、処罰なんてないようなものだった。

 身構えていた雪菜は肩透かしを食らったかのように惚ける。そんな雪菜に悪戯が成功した子供のような笑みを向けて、古城は言う。

 

「さて、俺の監視役の姫柊さんや。これからキーストーンゲートのケーキバイキングに行くつもりなんだが、ご一緒にどうだ?ちなみに二人程おまけもついてくるが……」

 

 どことなく煤けた空気を背負って古城は部屋の外を親指でさす。すると廊下のほうから賑やかな声が聞こえてきた。

 

「雪菜ちゃ〜ん、一緒にケーキバイキング行こうよ。古城くんが奢ってくれるんだって。だから行こ!」

 

「こらー古城!あんた、女の子の家に断りなく入るとかどんな神経してんの!?」

 

 ドタバタと上がってきたのは凪沙と浅葱。

 凪沙は雪菜の姿を視界に収めると朗らかに笑い、浅葱は古城の背中に強烈な肘鉄を叩き込む。そして不意打ちの一撃に古城が小さく呻いて沈んだ。

 一瞬で賑やかしくなった部屋に雪菜はしばし呆然としていたが、少しして控えめに苦笑する。

 この日常に自分も交じることができる。それがどうしようもなく嬉しくて、雪菜は心からの笑顔を浮かべた。

 風が吹き込むマンションの一室に、少年少女の楽しげな笑い声が響いた。

 

 

 ▼

 

 

 不気味さ漂う夜の彩海学園校舎。昼間の喧騒はなく、代わりに支配するのは耳が痛い程の静寂だ。

 生徒も教師もいない、人気のないはずの教室の窓際に一人の少年が立っていた。

 

「結局のところ、全部あんたらの思惑通りに終わったってことかい?」

 

 ヘッドホンを首からぶら下げ、短い髪を逆立てた男子生徒。彼は窓辺に留まる一羽の鴉に気安く話しかけている。

 

「かくして血の伴侶を得た暁古城は眷獣を一体掌握。また一歩、完全なる第四真祖に近づいた、というわけだ。しっかし分からんな。うっかり島を沈ませかねない化け物を、どうしてわざわざ目覚めさせようとしてんのか……」

 

 少年は黙りの鴉に疑問を投げかける。しかし鴉は沈黙。生物にあるべき生気を著しく欠けさせているせいか、少年が置物に独り言を吐いているようにも見えてくるが、少年は構わず言葉を紡ぐ。

 

「どうせあんたらのことだ。ロタリンギアもなにもかも承知の上であの子を送ってきたんだろ?」

 

 咎めるような口調で少年が言う。

 

「最初からあの子の血を古城に吸わせる気満々だっただろ。可哀想に、まさか自分が第四真祖の愛人として送り込まれただなんて知ったらなんて言うか」

 

『世の中、知らないでいたほうが良いこともある』

 

 不意に鴉が口を開く。どこか愉しげな、悪戯が成功して喜んでいるような声音だ。

 

『それに、あの娘が哀れなだけとは限らんさ。帝王の伴侶とはすなわち王妃ということだ』

 

「そうかもしれんが……俺としては複雑だな……」

 

 言って少年は教室中央の席を見やる。そこは彼の幼馴染の席だ。暁古城の真の監視者(、、、、、、、、、)たる彼が、こんな報告をしていると知ったら、恐らく彼女は烈火の如く怒るだろう。その姿を想像して少年は背筋を震わせた。

 

『さて、歴史の転換期に現れるという第四真祖。果たして今代の第四真祖はなにを齎すのか。せいぜいこの国にとって吉と出ることを祈るとするか』

 

「祈る気なんてないだろ。むしろ利用する気しかないくせに、よく言うぜ」

 

 吐き捨てるように言う少年。その表情がどこか挑発めいたものに変わる。

 

「だが、気をつけたほうがいいぜ。あいつはあんたらの思惑通りに動いてくれるようなタマじゃねえ。油断してると痛い目見るぞ」

 

『ふむ、気に留めておこう』

 

 ぞんざいに答えて、鴉の姿が解ける。ただの一枚の紙となり、ふわりと舞い上がっていく。

 夜の闇に消えていく紙を見届けてから、少年は一つの席に視線を流す。

 そこは暁古城の席。少年の監視対象であり、世界最強の吸血鬼、そして友人だ。

 彼との付き合いは三年になる。三年間、監視していたから分かる。暁古城という人間はどこか普通と違う。第四真祖だとか吸血鬼だとか以前の問題だ。根源的にどこかズレている。

 そのズレの正体は、未だ理解できていない。

 

「謎多き親友を持つと苦労するぜ、ほんと……」

 

 自分のことは盛大に棚上げして、少年は重々しく溜め息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 




ここで一度止めます。余裕を見ながら書き溜めて、できたらまた投稿しますのでよろしくお願いします。


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戦王の使者
戦王の使者Ⅰ


ちょっとぶりです。幾らか書けたので投稿します。感想でのご指摘を踏まえ、変えられるところは変えていきますので、よろしくお願いします。


 月光が照らす深夜の絃神島を、一つの人影が疾走していた。

 暗闇に紛れる黒い毛並みの豹頭の獣人。L種と呼ばれる、獣人族の中でも身軽さと敏捷性に優れた種だ。

 男はある組織のメンバーであり、今夜は同志と共に武器の取引が行われるはずだった。しかしどこからか情報が漏れていたらしく、取引は特区警備隊(アイランド・ガード)の突入により中止。彼以外の仲間は全員無力化され、彼自身も銃撃を受けて手傷を負ってしまった。

 前もって仕掛けてあった爆弾を使って辛くもその場からは逃走できたものの、取引は潰され、同志を失った。取り返しがつかない程の失態ではないが、組織内での立場は確実に悪くなるだろう。

 

「くそっ、くそっ!許さん、許さんぞ、やつらめ……」

 

 炎に包まれる倉庫を睨みつけ、男は痛みに呻く。

 

「ぐっ……まだだ、まだ終わらんぞ……!」

 

 夜の帳が下りた絃神島に憎悪のこもった眼差しを向ける。

 太平洋上に浮かぶ巨大な人工島。人類と魔族が共存する“魔族特区”だ。

 豹頭の男が所属する組織は過激なテロ組織。差別的な獣人優位主義を謳い、聖域条約の完全破棄と戦王領域の支配権を第一真祖から奪うことを目的とする。それが彼の所属するテロ組織、黒死皇派だ。

 つまり、彼にとって“魔族特区”は忌まわしき存在であり、憎悪の対象なのである。叶うならば今すぐにでも滅ぼしてしまいたい。

 しかし、今はまだその時ではない。故に男はまず、今回の取引を台無しにしてくれた特区警備隊(アイランド・ガード)への報復を優先した。

 男の手には爆弾の起爆装置があった。倉庫を爆発させたのとは違う、港湾地区の地下通路に仕掛けたものだ。

 一つ目の爆弾で負傷者を生み出し、その負傷者の救助に向かう増援を二つ目の爆弾で始末する。戦場では使い古された手である。

 

「同志の仇だ。思い知れ──」

 

 頬まで裂けた唇を醜悪に吊り上げ、男がリモコンのボタンを押そうと手に力を入れた。

 しかし、返ってくるはずの手応えはなく、男の行動はただ自分の手を握り締めるだけに終わった。

 跡形もなく消えたリモコンに男が目を剥いていると、

 

「ほんと人使い荒いよなぁ、那月先生は……」

 

 随分と若い少年の声が響いた。

 

「誰だ!?」

 

 突如として正面に現れた気配に男が身構える。

 男の前に雲霞のように現れたのは、夜に溶け込む黒いパーカーを羽織りフードを目深に被った、どこにでもいそうな少年だった。

 

「貴様、攻魔師か」

 

 男が警戒も露わに問う。少年がどこか面倒くさげに手を振った。

 

「違う違う。俺は攻魔師じゃなくてただの一般市民、って言ったら信じてくれるか?」

 

「馬鹿にするなよ、小僧が。ただの一般市民が、どうやって俺の感覚をすり抜けてここまで接近できるというのだ!」

 

 獣人の感覚器官は人間の数百倍の精度を有する。相手の心臓の鼓動、息遣い、体温、匂いまでもを獣人は感知することができるのだ。そんな獣人に気づかれず接近できる人間がただの一般市民なわけがない。

 だが少年は、それこそさっきよりも強く否定する。

 

「いや、そこに関しては俺の力じゃないから。それは全部、あっちの人の仕業だからな」

 

 言って少年は隣のビルの給水塔あたりを指差す。

 少年の指差す先。これまた若い女が給水塔の上に優雅に佇んでいた。

 幼い子供のように小柄な体躯。無駄に装飾の多いゴスロリ風の黒いドレスを着こなし、真夜中にも関わらず日傘を差している。精緻な人形のように整った顔立ちはとても愛らしい。

 そして少女の手には、先程男が起爆させようとした爆弾のリモコンが握られていた。

 

「馬鹿な……いつの間に!?」

 

 驚愕の声を上げる男。少年に続いて少女までもが、己の感覚に引っかかることなくリモコンを奪い取っていた。その事実が男に大きなショックを与えた。

 この二人は只者ではない。直感的に判断して男は即座に臨戦態勢を取る。計画の障害になりうる存在はこの場で排除しなければならない。

 まず潰すべきは目の前の少年だろう。立ち姿や振る舞いから武術の類とは無縁であることが分かる。距離的な問題も加味すれば少女よりも遥かに与し易い相手だ。

 

「死ね、小僧──!」

 

 ダン!と地を蹴って男が飛びかかる。その姿はまるで獲物に襲いかかるチーターのようだ。

 一瞬で彼我の距離を詰めた男は、その鋭利な爪で少年の喉笛を搔っ切らんと振り下ろそうとして、

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”」

 

「なっ、これは!?」

 

 少年を中心に放出された雷光が男の攻撃を阻む。

 溢れ出した雷撃が少年の意に従い、破壊を撒き散らすこともなく、真っ直ぐ獣人の男に向かっていく。

 如何に感覚器官に優れる獣人でも、接近した近距離から放たれる稲妻を避けることは不可能。男は雷撃をもろに食らい、ピクピクと痙攣しながら倒れた。

 

「一丁上がりと。これでいいかな、那月先生?」

 

「おまえにしては上出来だ、暁古城」

 

 少年──暁古城の隣に音もなく少女が出現した。空間制御の魔術。古城を男の前に転移させたのも、リモコンを気づかれずに奪い取ったのもこの魔術によるものだ。

 黒いドレスの少女こと南宮那月は倒れ伏す獣人を一瞥する。男はまだ意識が残っていた。古城が手加減したのもあるが、獣人特有の打たれ強さで耐えたのだろう。

 那月は掌の上でリモコンを弄びながら、わざと男に聞こえるように話し始める。

 

「しかしこのご時勢に暗号化処理もされていないアナログ無線式起爆装置とは。これを用意したヤツはよほどの金欠だったか、あるいは無能だったのだろうな」

 

 あからさまな挑発に男がビクッと体を跳ねさせる。だが、雷撃によって筋肉が痙攣しているためそれ以上はなにもできない。

 

「哀れだな。あのクリストフ・ガルドシュも、おまえのことなど、使い捨ての下っ端程度にしか見てないだろう」

 

 容赦なく責め立てる那月に、隣に立つ古城は戦慄する。まともに話すこともできない相手を精神的に追い詰めるとは。これが本場の尋問のやり方なのか、と古城は少しだけちゃん呼びを控えようかなと思った。

 

「まあいいさ。あとの尋問は特区警備隊(アイランド・ガード)の連中に任せるとしよう」

 

 今までのは尋問じゃなかったのか、と内心で突っ込む古城。口には出さない。出せば扇子の一撃が来るのが分かっているからだ。

 動けない男を手早く鎖で拘束し、適当な高台に引っ掛けると那月は一仕事終えたように息を吐いた。

 

「で、那月先生。生徒をこんな夜遅くに呼び出して、あまつさえテロリストの相手させた理由はなんですか」

 

 ぷらぷらと宙で揺れる獣人を一瞥して、古城が那月に尋ねる。普段の穏やかな微笑みも今日はない。真剣な表情に僅かばかりの不機嫌さを滲ませて那月を見つめていた。

 今日ここに来るにあたって古城は、まず監視役である雪菜に気づかれないように動かなければならなかった。それは非常に難しい話である。なにせ雪菜は隣の部屋にいながらも古城の外出の気配を察知できるのだ。そんな相手に気づかれずに家を抜け出すのは容易なことではない。

 なので古城はみんなが寝静まったのを見計らい、素人なりに気配を消しながら家を出てきたのだ。その時の緊張は筆舌に尽くしがたい。

 そうやって気苦労を重ねながらも家を出た古城を待っていたのが血塗れの獣人という。さすがの古城もこれには物申したくなったのだ。

 那月はつまらなげに鼻を鳴らし、

 

「察せ」

 

「鬼か、あんたは……」

 

 思わず突っ込むが、実のところ古城は那月の思惑を八割方は理解していた。

 まず一つとして、古城に眷獣を扱う機会を与えて制御をより確実にさせること。これはここ最近忙しくて眷獣との対話の機会を作れていないからその分の埋め合わせとして計らってくれたのだろう。

 二つ目に、今この島を襲おうとしている存在がいるということを教えること。これは那月なりの警告の仕方なのだろう。黒死皇派という過激テロリストが蠢いている。だからせいぜい気をつけろ。那月はそう言っているのだ。

 傲岸不遜な態度と偉そうな物言いで誤解しそうだが、那月は生徒を大切にする教師だ。性格故に捻くれたやり方になってしまうことは多々あるが、その言動には確かに古城を慮る気持ちが込められている。古城はそれをよく理解していた。

 

「いつも助かるよ、那月ちゃん」

 

「教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

「おっと、危な──」

 

 いつもの要領で頭を庇おうとした古城だったが、予想外にも衝撃は腹部、しかもいつもの倍以上の威力だった。

 想定外の威力に古城は情けない声を洩らし、その場に蹲る。

 

「ちょっ、学校じゃないからっていつもより強くありませんかね……」

 

「嫌なら普通に呼ぶんだな」

 

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らして、那月は海上へと目を向ける。

 水平線の先に船の灯が見えた。まだまだ遠いがかなり大きい船だろう。そして行く先はここ、絃神島だ。

 那月はしばしその船を眺めていたが、やがて興味を失ったように視線を切る。

 

「そろそろ帰るぞ。私も明日の授業の支度をしなければならないからな」

 

「ん、ああ……了解」

 

 生返事をして古城は那月のあとについていく。その瞳が、那月と同じく洋上の船を捉えていたことには、彼女も気づかなかった。

 

 

 ▼

 

 

 絃神島“魔族特区”を終着地に定めて航行する船があった。

 大型のクルーザーを、豪華客船以上に絢爛に飾り立てた美しい船だ。その威容はまさしく洋上の宮殿。なかなかお目にかかれる代物ではない。

 船名は“オシアナス・グレイヴ”。洋上の墓場という、船に付けるにしては悪趣味な名前だ。そんな船の持ち主、船主(オーナー)はたった一人。

 アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。“戦王領域”の貴族が一人だ。

 貴族(ノーブルズ)、つまり彼は吸血鬼の中でも破格の力を有する“旧き世代”。その権能は単独で大都市を壊滅させることも不可能ではない程で、彼自身が既に軍隊と同等の扱いを受けている。要するに、彼は真祖に届かずとも劣らぬ存在なのだ。

 ヴァトラーは愛船のデッキで優雅にカシス酒を煽りながら、徐々に近づいてくる島影に微笑みを浮かべる。

 金色を溶かし込んだかのような金の御髪と碧い瞳。一見すると好青年にも見える容姿であるが、その内には狂気にも似た昂りが秘められていた。

 デッキの手すりに背を預ける青年の傍に、一人の少女が近づいていく。

 すらりとした高身長のモデル体型。可愛いや愛らしいではない、華やかさと優美さを兼ね備えた顔立ち。色白で、色素の薄い長髪を上で束ねている。どこか咲き誇る桜花を連想させる少女だ。

 彼女の服装は関西地区にある名門女子高の制服だ。そしてその手にはキーボードケースと一通の書状。

 

「お待たせしました、閣下。日本政府からの回答書をお持ちいたしました」

 

 恭しく礼を取りながら、少女が書状を差し出す。

 青年貴族は書状を受け取ると早速目を通し、その内容に満足がいったのか愉しげに頷く。

 

「ボクを“戦王領域”からの外交特使と扱い、絃神島“魔族特区”の訪問を承認。うん、まあ妥当なところかな。来るなと言われてもこっちは勝手に上がり込むつもりだったけどサ」

 

 ふはっ、と無邪気に笑う青年貴族。

 そんな彼に水を差すように、少女が補足する。

 

「ただし条件が一つ。日本政府が派遣した監視者の帯同を受け入れていただき、その勧告に従ってもらいます」

 

「へぇ。それで、その監視者は誰なのかな?」

 

「僭越ながら、私がその役目を務めさせていただきます」

 

 慇懃無礼とも取れる静かな挑発を込めて少女が言った。

 青年はスッとその双眸を細めると瞳を妖しく光らせる。

 

「そう、キミが。確かに、実力としては申し分なさそうだね」

 

 監視者、それはただヴァトラーの動向を見張るだけが仕事ではない。もしもヴァトラーが日本政府の脅威と見なされたならば、その身を以ってして彼を抹殺しなければならないのだ。

 少女には、“旧き世代”の吸血鬼を滅ぼすだけの力がある。故に彼女は青年の監視者を任されたのだ

 獅子王機関の育てた上げた舞威媛が一人、煌坂紗矢華。六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)の所有を許可された攻魔師だ。

 ヴァトラーは己の監視者である少女を一瞥し、次いでその視線を輪郭をぼやかせる絃神島に向けた。

 

「それで、ボクのもう一つのお願いはどうなったのかなァ?」

 

「お願いごと……ですか」

 

 ゾッとするような怖気を放つヴァトラーに、紗矢華が表情を強張らせる。

 しかし彼はそんなこと気にも留めず、口元から牙を剥き出して笑う。

 

「キミたちが匿う、あの世界最強の吸血鬼(、、、、、、、、)のことだよ。ぜひ紹介してもらいたいね」

 

「第四真祖のことでしたら、匿っているわけではありません。そもそも、私たちに彼を庇う理由などありませんから」

 

 そう言って紗矢華は一枚の写真を取り出す。

 写真にはクラスメイトに囲まれる暁古城の姿が映っていた。人の中心に立って、いつもと同じ穏やかな微笑みを浮かべている。

 

「第四真祖・暁古城は私たちの敵ですから──」

 

 忌々しげに呟いて、紗矢華が手の中の写真を握り締めた。

 水平線から太陽が顔を覗かせていた。朝焼けの波に呑まれて、絃神島が目覚める。

 

 

 ▼

 

 

 九月中旬の水曜日。時刻にして六時を少し回った頃。

 珍しいことに、暁古城は目覚まし時計が鳴り出す前に目覚めた。

 昨夜は那月に振り回されて眠るのが遅くなったが、それでも早起きができたのには理由がある。隣の部屋から聞こえてくる賑やかな少女たちの話し声だ。それが目覚ましの代わりになったらしい。

 ぼんやりとした顔で身を起こし、ベッドから抜け出す。例によって鈍い痛みが頭に走っているが、いつものことなので気にしないようにしながらリビングに出る。

 リビングには誰もいなかった。代わりに食卓には三人分の朝食が用意されている。古城と凪沙、そしてもう一人は──

 

「そうか、今朝だったな……」

 

 昨晩、古城が狸寝入りする前に凪沙が捲し立てていた。明日の朝、雪菜が家にチアリーダーの衣装のサイズを合わせに来るから、よろしくと。寝起きで半ば忘れかけていたが、なんとか思い出せた。

 今は部屋で着替えてるか、と寝ぼけた頭で考えつつ古城は眠気覚ましのコーヒーを淹れる。いつもならコーヒーを飲む前に顔を洗うが、今日はなんとなく先にコーヒーが飲みたい気分だった。

 濃い目に淹れたコーヒーを古城が飲んでいると、がちゃりと音がしてリビングのドアが開いた。

 

「凪沙か?」

 

 てっきり妹の凪沙が顔を出したのかと思って見やれば、そこにいたのはきょとんとした表情の雪菜だった。

 

「姫柊か」

 

「はい、先輩。起きていらっしゃったんですね」

 

「ああ、ついさっきな。そっちはまだ服の採寸の途中か?」

 

「いえ、今終わりました。凪沙ちゃんもすぐに……」

 

 雪菜が言い終える前にリビングへと飛び込んでくる小柄な少女。朝から元気一杯にポニーテールを揺らしているのは古城の妹、凪沙だ。

 

「おっはよー、古城くん。今日も今日とて凄い寝癖だね」

 

 開口一番に古城の寝癖を面白おかしく指差す凪沙。その指先に釣られて雪菜も古城の頭を見て、クスリと可愛らしく噴き出す。

 妹と隣人に朝から笑われるとはこれ如何に……、と古城はコーヒーを飲みつつ、

 

「終わったなら、二人とも席に着きなよ。飲み物は俺が用意するから」

 

「うん、分かった。雪菜ちゃん、先に座っとこ。あ、凪沙は牛乳ね」

 

「はいはい。姫柊はなにがいい?といっても、牛乳と野菜ジュース、それとコーヒーしかないけどな」

 

 いつもよりも気の抜けた笑みを浮かべて古城が訊く。そんな顔がおかしかったのか、雪菜は笑いを堪えながら凪沙と同じく牛乳を注文した。

 二人分の牛乳を用意しながら古城は何気ない仕草で雪菜を窺う。凪沙の隣の席できちっと背筋を立てて待つ姿はいつもと変わりない。昨夜古城が抜け出したことにも気づいていないようだ。

 監視役としてそれはどうなのかと思わなくないが、雪菜も人間であり学生の身だ。毎晩毎晩古城が目を覚ますのに反応していてはいくら鍛えていようと保たない。だから彼女を責めるのは酷である。

 食卓に二人の牛乳を運び古城も席に着く。

 

「いただきます」

 

 声を揃えて合掌し、三人は朝食にありついた。

 メニューは凪沙特製のベーグルサンドとイタリアンサラダ。いつもより少しばかり手が込んでいるのは雪菜がいるからだろう。

 黙々と食べながら一段落ついたところで古城はコーヒーを飲み干す。

 

「それで、衣装の大きさは合ってたのか」

 

「うん、ばっちし。あたしも雪菜ちゃんもぴったりだったよ。それに、雪菜ちゃん凄く似合ってて可愛かったんだ。クラスの男子たち、涙を流して喜ぶんじゃないかなあ」

 

 まるで自分のことのように得意げに語る凪沙。その隣では少し複雑そうな表情をする雪菜がいた。

 彩海学園では近くに球技大会が開催される。その際に、凪沙と雪菜は応援としてチアリーダーをやることになった。いや、正確には彼女たちのクラスの男子全員が土下座して頼み込んだそうだ。

 別段、球技大会は女子が仮装して応援しなければならない規定はない。現役チア部の凪沙に関しては自主的に応援するのはおかしくないが、部活に入ってない雪菜が応援に駆り出されるのは少し妙な話ではある。だが、さすがに男子全員から土下座して頼まれては雪菜も無下にできなかったのだ。

 

「わたしはそんな似合ってないと思うんですけど……」

 

 謙遜気味に雪菜は言う。しかし隣の凪沙が即座に否定した。

 

「もう、恥ずかしがっちゃって。とっても似合ってるのに。ねえねえ、どうせならチア部入らない?雪菜ちゃんなら歓迎するよ」

 

「いえ、わたしは……」

 

 ぐいぐい押してくる凪沙に困ったような表情を浮かべ、雪菜が古城に視線で助けを求める。

 古城は苦笑いしつつ凪沙を諌めた。

 

「そのへんにしとけ。姫柊が困ってるぞ」

 

「そうだね、無理に入部させるのも悪いもんね。でも気が向いたら言ってね」

 

「はい、分かりました」

 

 生真面目に答える雪菜に、凪沙は特に気を悪くした様子もなく朗らかに笑う。二人のやり取りに問題なさそうだと判断して古城が気を抜くと、

 

「あ、そうだ。古城くんはなんの種目に出るの?やっぱりバスケ?それとも他の競技?」

 

「俺か?俺はまだ決めてないけど……」

 

 凪沙に問われて古城は少し悩む。

 原作古城は子供の頃からバスケに打ち込んでいた。中学でもその運動神経を活かし、バスケに熱意を燃やしていた。しかしある時、部活内で孤立してしまいそれ以降はバスケを辞め、加えて第四真祖になったことで尚更バスケから遠ざかっていた。

 しかしこの古城はそもそもバスケにそこまで熱中していない。一応原作をなぞる意味合いでバスケ部には所属していたが、それだけだ。別段バスケに特別な感情を抱いているわけでもない。そのためか、当時は凪沙にどうしたのかと少し心配されたこともあったが、今では特に突っ込まれることもなく普通に過ごしている。

 なので、古城としてはどの競技に出ても構わなかった。経験者としてバスケに駆り出されてもいいし、原作通りバドミントンでも良かった。

 

「まあ、人数足りない所に入ろうかな」

 

 結局、古城は無難な返答をした。

 古城の答えに凪沙は少し不満げな表情をするが、ふと良いことを思いついたとばかりに顔を綻ばせた。

 

「じゃあ今度の球技大会で、古城くんのこと応援してあげよっか。雪菜ちゃんも一緒に」

 

「えっ、わたしもですか……」

 

 蚊帳の外にいたと思ったら話に巻き込まれて、驚きに雪菜が硬直する。

 雪菜にとってチアガールの衣装で応援するのはそれだけでかなりハードルが高い。そこへまさかの古城の応援を付け加えられては、如何な雪菜も羞恥心というものが頭を擡げる。

 そんな雪菜の内心を察して、古城は穏やかに笑いながら、

 

「嫌なら俺の応援なんかしなくていいさ。無理しなくていい」

 

「いえ、その……嫌ではなくて、ちょっと恥ずかしくて……」

 

「じゃあ、気が向いたらでいいよ。凪沙も、強引に連れて来るなよ」

 

「分かってるって〜」

 

「どうだか……」

 

 呆れ混じりの溜め息を吐いて古城は雪菜を見る。

 雪菜はやはり古城にチアガール姿を見せるのが恥ずかしいのか、眉間に皺を寄せつつ悩んでいる。頬が若干赤くなっているのは羞恥のせいだろう。

 キッパリ断ったほうが良かったかな、と思いつつ古城は二人の食事が終わるのを静かに待った。

 

 

 

 



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戦王の使者Ⅱ

 絃神島は太平洋上に浮かぶ常夏の島だ。暦では秋に当たる時期だが、ここ絃神島は今日も今日とて真夏日である。吸血鬼の古城にとっては日差しが鬱陶しいことこの上ない。

 きつい日差しにうんざりしながら普段と変わらぬ学校に登校した古城は、靴箱で馴染みの顔を見つけた。

 華やかに化粧をした金髪の少女、藍羽浅葱だ。なにやら今日はバッグ一杯に手荷物を持っていて、その歩き方は少し覚束ない。段差にでも躓いたら盛大に転んでしまいそうだった。

 

「おーい、浅葱。おはようさん」

 

「ん、古城か。おはよ」

 

 ぱっと振り返って挨拶を返してくる浅葱に歩み寄り、古城は手を差し出す。

 

「持とうか、その荷物」

 

「いいの?結構重いけど……」

 

「生憎、荷物持ちぐらいしか取り柄がないんでな」

 

「それって嫌味?」

 

 ふふっと笑う浅葱。古城の軽い自虐がそれなりに受けたようだ。

 古城は浅葱から荷物を受け取る。中身は使い古したバドミントンのラケットが何本か、それとシャトルコックが数個。

 

「バドミントンのラケットか。わざわざ持ってきてくれたんだな。さすがは浅葱、気配りのできる美人女子高生様だな」

 

「ちょっとやめてよ。恥ずかしいでしょ」

 

 ほんのりと頬を朱色にしながら浅葱は古城を小突く。

 

「それで、古城はなんに出るのよ。球技大会」

 

 誤魔化すように浅葱が話を変える。古城は少し悩む素振りを見せながら、

 

「さあな、築島にはなんでもいいって言ったけど。案外、バドミントンだったりしてな」

 

 意味深げに笑みを浮かべて古城は手に持つ浅葱のバッグを掲げる。

 

「でも古城、元バスケ部よね?」

 

「元バスケ部だからってそれ以外に出てはいけないなんて規定ないだろ」

 

「それもそうね」

 

 古城と浅葱は球技大会の種目について話しながら教室に辿り着く。すると、教室内が俄かにざわついた。

 クラスメイトの視線が一斉に集中して浅葱が戸惑い、古城は黒板に書かれている内容を見て微苦笑する。

 

「よお、お二人さん。朝から仲睦まじく登校とは、それもきちっと道具も持って。これはやる気満々ってことでいいんだよな」

 

 黒板前にいた男子生徒がからかい混じりに声をかけてきた。短髪をワックスでツンツンに逆立てた軽薄そうな男子、矢瀬基樹だ。

 

「やる気?どういうことよ?」

 

 矢瀬の台詞に首を傾げる浅葱。そんな彼女の肩を叩き、古城が黒板を指差す。

 黒板には誰がどの種目に参加するか書かれていた。古城と浅葱が来る前にもう発表したらしい。勿論、古城と浅葱の参加種目も書かれている。

 浅葱は自分の名前を黒板の中から探し出して読み上げる。

 

「バドミントンの混合(ミックス)ダブルス……って、しかも古城とペア!?」

 

 浅葱は驚愕のあまり目を見開く。古城の何気ない発言が的中し、あまつさえ自分がそのペアになっていることに驚きを隠せなかった。

 ただ、あまりにも大袈裟な反応だったため、隣にいた古城は嫌なのかと軽く勘違いしてしまう。今朝の雪菜とのやり取りも少しあとを引いているのだろう。

 

「嫌だったら変えてもらおうか、浅葱」

 

「い、嫌じゃない!ちょっと驚いただけだから!」

 

「お、おぉう。分かった、分かったから落ち着こうか」

 

 物凄い剣幕で言われて古城も少したじろぐ。

 一方浅葱はムキになったとはいえクラスメイトの前で大胆なことを言ってしまったと、羞恥に顔を耳まで赤くしながら下手人であろう幼馴染を睨む。

 睨まれた幼馴染こと矢瀬はニヤリと笑みを作ってサムズアップしている。その隣では倫も頑張りなさいとばかりに手を振っていた。

 

「もう、やめてよね……」

 

 クラスメイトたちから向けられる生温かい目に、限界に達した浅葱は両手で顔を覆うのだった。

 

 

 ▼

 

 

 授業が終わり迎えた放課後。

 参加種目がバドミントンになった古城はその練習のために体育館へ訪れていた。

 さて、このバドミントンの混合(ミックス)ダブルスであるが、出場するペアの殆どはカップルである。つまり何が言いたいかというと、体育館の彼方此方でカップルだけが持つ固有結界が展開されているのだ。

 あるカップルは仲睦まじく支柱を立て、そしてあるカップルは楽しげにラリーを交わし、またあるカップルはサーブの練習をしながら時折見つめ合っている。

 固有結界の強度はそれぞれで違うが、どこも独り身の古城が砕くには無理のある空間だ。ただし嫉妬の類が湧くかと言えばそんなこともなく、古城は子の成長を見守る親のような眼差しで彼らを眺めている。精神年齢大人の古城だけができる態度だ。

 壁際で体育館内の様子を古城が眺めながら、古城は思索に耽る。

 古城は浅葱が着替え終わるのを待っているわけだが、原作ではこの体育館の甘ったるい空気に耐えられず古城は外をふらつく。その際にある人物からの襲撃を受けることになっていた。

 しかし古城としては襲われるなんてのはごめんだ。下手して怪我を負ってしまい眷獣が暴走、学校が吹っ飛んでしまいましたなんて展開にでもなったら目も当てられない。故に古城としては若者たちの仲睦まじい姿を眺めながら穏やかに浅葱を待っていたい。

 だが、そうなると問題が発生する。

 古城を襲撃したのは式神であった。そしてその式神は古城宛の招待状を渡す役目を負っている。渡すついでに襲いかかってくるのだが。

 ともかく、このまま体育館内にいれば襲われることはない。しかしそうなると招待状が受け取れない。招待状が受け取れないとある人物とコンタクトが取れないので困った展開になる。

 さてどうするか、と原作知識を思い返しているとある閃きが湧いた。

 

「あるな、穏便に招待状を受け取る方法が……」

 

 思い立ったが吉日。古城は同じクラスの内田と棚原のペアに少し席を外す旨を伝えて体育館を出た。

 体育館内もそうだったが外は輪をかけて蒸し暑かった。時間帯的に夕暮れ時なのにこの暑さ。やはり絃神島は吸血鬼に優しくない。

 練習のために体操着になっていた古城は、西陽にじりじりと肌を焦がされるのを嫌って日陰を探す。そして見つけたベストプレイスが非常階段の踊り場。

 古城は日陰になっている非常階段の中腹に腰を下ろし、通り抜けていく涼風にその身を晒す。しばらくそうやって涼んでいると誰かが階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

 

「先輩?」

 

 足音の正体は制服姿の雪菜だった。階段に座り込んで涼む古城の姿を見て、雪菜はぱちくりと目を瞬かせる。

 

「こんなところでなにをやってるんです?」

 

「見ての通り、涼んでる。バトミントンの練習を始めようと思ったけど、浅葱が着替えに手間取ってるらしくてな。それで涼しい場所を求めた結果がここさ」

 

「そうですか……バドミントンにしたんですね」

 

 暗にバスケではないんですね、と訊かれている気がして古城は軽く肩を竦める。

 

「したというか、決められたんだけどな」

 

「バドミントン……相方は女子ですか?」

 

「そうだな。というか、浅葱だよ」

 

「藍羽先輩ですか……」

 

 古城のペアが浅葱だと聞くと雪菜は安堵と微かな嫉妬を滲ませた表情になる。

 

「それで、姫柊はどうしてこんな所にいるんだ?」

 

「わたしは高等部のチアリーディング部を探していて……」

 

「迷ったと?」

 

「はい……」

 

 高等部のチアリーディング部の部室がある場所は地味に入り組んでいる。転校してきた姫柊に迷わず辿り着くことは難しいだろう。

 

「なら、俺が案内しようか?」

 

「いいんですか?」

 

「いいよ。ただ、ちょっと頼みがある」

 

 言って古城は真剣な表情を取り繕う。雪菜も古城の顔から真面目な話だと察し静かに耳を傾ける。

 

「さっきから妙な視線を感じててな。敵意というか殺気というか。とにかく誰かに見られてる気がするんだわ」

 

「ほんとですか?」

 

「ああ。それで、どうにかそいつを誘き出したいんだが、いざ襲われると眷獣が暴走しかねないから、姫柊も一緒にいてくれないか」

 

「そういうことなら、分かりました。すぐに雪霞狼を取ってくるので、ここで待っていてください」

 

 そう言って雪菜は颯爽と駆け出した。

 足速いなぁ、などと遠ざかっていく雪菜の背を唖然としながら見つめる古城。古城にもあれくらいの速度は出せなくないが、やはりしなやかさが違う。古城がバイクなら雪菜は女豹のようだ。

 俺ももう少し鍛えるべきか……、などと考えつつ待つこと数分。戻ってきた雪菜は雪霞狼入りの黒いギターケースを背負っていた。

 

「お待たせしました。では、行きましょう」

 

「おう。とりあえず、適当にぶらついてみるか」

 

 階段から立ち上がり、古城は雪菜と共に敷地内をうろつき回る。中庭から渡り廊下、途中自販機コーナーに寄ったりしつつ歩き回ること十五分。自販機近くのベンチを通りかかった所で、それは現れた。

 古城と雪菜の前方。鈍色の体を持つ獣が二人をじっと見つめていた。

 

「先輩、下がってください」

 

「分かってる」

 

 言われるがまま古城は少し後ろに下がり、雪菜が槍をいつでも引き抜けるよう身構える。

 鈍色の獣は雪菜が前に出ると、それを待っていたかのように歩き出す。まるで敵意の欠片も感じない、無防備な歩き姿だ。

 そんな相手の様子に雪菜は少し肩透かしを食らった気分になる。それでも構えは解かないが。

 雪菜と鈍色の獣の距離がおよそ十歩程になったところで、雪菜は目の前の獣の正体を看破する。

 

「これは、式神?それにこの術式は……」

 

 呟く雪菜の目の前で鈍色の獣の体が解けていく。風にはためくカーテンのようにひらひらと舞い上がり、そのままどこかへと飛んで行ってしまう。後に残されたのは首を傾げる雪菜と、式神が消えた地面を見つめる古城だけだった。

 

「なんだったんだ、あれは」

 

「今のは式神です。術式からして遠方に書状を送り届けたりするタイプのものでしたが」

 

「なるほど。それじゃあ、こいつは俺宛か」

 

 地面の上に無造作に置かれた一通の手紙を拾い上げる古城。金色の箔押しが施され、銀の封蝋がされている。

 手紙に刻まれた印璽を目にして、雪菜が顔色を変えた。

 

「その刻印は……まさか」

 

「貴族か……また厄介なことになりそうだな」

 

 動揺する雪菜を他所に、中身を知っている古城は平然とその場で封を開けようとする。だがそれも、不意に誰かから名前を呼ばれて中断せざるを得なくなった。

 

「こんな所でなにしてんのさ、古城?」

 

 ヒラヒラの短いスコートに、丈の短いノースリーブのポロシャツという格好の浅葱が、古城と雪菜の前に現れた。

 浅葱は古城を見て、それからその隣に立つ雪菜を視界に収める。そして最後に古城の手にある妙に豪奢な手紙を認識して状況を察した。

 

「あ……もしかして、邪魔しちゃった?」

 

 酷く不安げな表情で言う浅葱。恐らく古城の持つ手紙をラブレターの類と勘違いしたのだろう。青春の甘酸っぱい一ページに水を差してしまったという罪悪感と、正体不明の胸の痛みに襲われて浅葱は思わずその場から逃げ出そうとするが、

 

「違う違う。これはラブレターとかじゃないからな。むしろ、ラブレターのほうがどれだけマシだったか……」

 

 疲れを滲ませた表情で手紙を見下ろす古城に、浅葱は逃げ出そうとした足を踏み止めた。

 

「どういうことよ?」

 

「さあな、まだ読んでないから分からない。まあ、碌なものじゃないだろうから、またあとでいいさ」

 

 言って古城はポケットに仕舞う振りをして雪菜に手紙を預ける。

 

「またあとで、な」

 

「はい……」

 

 雪菜にだけ聞こえるように呟いて、古城は浅葱に向き直る。

 

「それより、勝手に出歩いて悪かったな。俺を探してたんだろ?」

 

「そうよ、それよ!あんな桃色空間に一人で待たせるなんて拷問じゃない!?」

 

「俺も最初はそこで待たされていたわけだが?」

 

「うっ……それは……」

 

 至極真っ当な事実を指摘されて浅葱が言葉に詰まる。自分が実際に体験しただけに、あの空間が独り身にとってどれだけ辛いかは身に染みて分かっている。そこへ最初に待たせたのが浅葱である以上、古城を強く非難はできない。古城本人はあの空間を特別苦にしていたわけでもないのだが。

 

「まあ、これでおあいこってことでいいんじゃないか」

 

「……そうね」

 

 古城の言葉に一応の納得をして、浅葱は怒りの矛を収める。そして代わりに古城の隣に立つ雪菜へ目を向けた。

 

「でも、どうして姫柊さんが高等部にいるの?」

 

「それは……」

 

 まさか古城を護衛するために張り付いていた、なんてことは言えない。どう答えるべきか迷う雪菜の代わりに口を開いたのは古城だ。

 

「高等部のチア部の部室に呼ばれているらしくてな。でもあそこらへん、入り組んでるから迷ったんだとさ」

 

「そっか。確かにあそこらへんは転校生の姫柊さんじゃ迷うかもね」

 

 うんうんと浅葱は頷く。迷子扱いされた雪菜は少し不服げだが、事実迷っていたことは間違いないので口を噤む。

 

「だから、俺は姫柊を部室まで案内しようとおもうんだが」

 

「なら、あたしも行くわよ。体育館で待つのは懲り懲りだし」

 

「姫柊はそれでいいか?」

 

「はい、助かります」

 

 折り目正しく頭を下げる雪菜に、古城も浅葱も気にするなと手を振る。後輩が困っていたら助けるのは、学園の紳士と気遣いのできる美人女子高生にとって当然の話だ。

 そのあと、雪菜を部室まで送り届けてから、古城と浅葱はバドミントンの練習に体育館に戻ったのだった。

 

 

 ▼

 

 

 東の空が群青色に侵食されつつある日没の時間帯。

 古城と雪菜は買い物袋を手に提げて家路についていた。部活で遅くなる凪沙の代わりに夕飯用の食材を買って帰るのが最近の古城たちの日課であった。今は買い物を終えたあとである。

 

「差出人は、アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。戦王領域の貴族か……」

 

 雪菜から手紙を返してもらい、封を開けて中身を読み進める古城。内容は今夜開催される船上パーティーへの招待状だった。絃神港に停泊中のクルーズ船で開催されるパーティーだ。

 

「お知り合いですか?」

 

 隣を歩く雪菜が何気なく尋ねる。古城は首を横に振った。

 

「俺は一応ただの学生なんだ。東欧の夜の帝国(ドミニオン)の貴族と繋がりなんてないさ」

 

 アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。戦王領域を構成する自治領の一つ、アルデアル公国の君主だ。そんな生粋の貴族様と古城に交流があるはずなどない。

 

「なら、やっぱりアルデアル公は先輩が第四真祖と知った上で招待状を出したのですね」

 

「だろうな。相手も吸血鬼なわけだし、むしろそれ以外には考えられないな。まったく、俺も人気者になったもんだよ……」

 

 欠片も喜色のない笑みを浮かべて古城は嘆息を洩らす。そんな彼を気遣って雪菜が声をかける。

 

「いきなり戦闘になったりとかはないと思いますから、大丈夫だと思いますよ。招待状も、第四真祖である先輩に挨拶をするためのものだと思いますし」

 

「どうだろうな……まあ、どの道応じる他ないだろうな」

 

 諦めたように息を吐きつつ、古城は手紙のある一文に目を留めた。

 

「パートナー同伴か……俺、独り身なんだけどなぁ……」

 

「パートナーですか。確か、欧米のパーティーでは夫婦や恋人を同伴するのが基本なんですよね」

 

「ここは日本ってことで、一人で参加するのはありだろうか」

 

「それはちょっと……この場合、知り合いに代役を頼むのではないでしょうか」

 

 そう言って雪菜は隣の古城を見上げる。なんとなく期待を込められた眼差しを向けられて、古城は苦笑いを浮かべた。

 

「俺が第四真祖であることを知っていて、年齢も近くて、有事の時に対処できる人材だしな。頼めるか、姫柊?」

 

「はい。わたしの任務は先輩の監視ですから、むしろ好都合です」

 

 少し嬉しそうに雪菜が頷いた。古城に頼られたことが素直に嬉しいらしい。だが、なにか重要なことに思い至ったのか不意に顔を曇らす。

 

「でもわたし、パーティーに着ていく服がありません……」

 

 しゅんと肩を落とす雪菜に古城は優しく笑いかける。

 

「別に気にしなくていいんじゃないか。急に招待してきたのはあっちだし、最悪こっちはブレザーでいいと思うぞ」

 

 一応、学生の身分である古城たちはブレザーや制服が礼服として認められる。問題ないというわけではないが、余計な突っ掛かりは受けないだろう。

 古城のフォローに雪菜も納得し、パートナー代役は雪菜が務めることに落ち着いた。

 パーティーが始まる時間まであと三時間程度。古城と雪菜は少し足を早めて帰宅を急ぐ。やがて二人はマンションに辿り着き、

 

「ん?この荷物は?」

 

 今朝はなかった郵便受けの伝票に気づいて、古城は荷物の内容を読む。差出人は獅子王機関、内容物は衣服と記載されていた。

 そうか、と古城は荷物の中身を思い出してロッカーから平たい長方形の段ボールを取り出す。そしてそれをそのまま雪菜に差し出した。

 

「姫柊、確認してみてくれ」

 

「分かりました」

 

 緊張感を滲ませて荷物を受け取り、雪菜が段ボール箱を慎重な手つきで開封する。獅子王機関からの荷物、それも古城宛ということで無駄に気を尖らせているようだ。中身を知っている古城からすれば無用な警戒であるのだが、それを指摘することもしない。

 そっと段ボールの蓋が開かれると、中には光沢のある薄い布地が、丁寧に折り畳まれて詰められていた。見た目だけでも高級な生地であることが分かる。

 雪菜は少し首を傾げつつ箱の隅に明細書を見つけて事務的に読み上げる。

 

「オーダーメイドのパーティードレス一式。身長百五十六センチ、B七六・W五五ーー」

 

「待て、姫柊!読むな!?」

 

 古城が慌てて止めるがもう遅い。雪菜は羅列する数字に妙な既視感を覚えながらも最後まで読み上げてしまう。

 

「H七八、C六〇……姫柊雪菜様……は?え?これって……」

 

 あちゃー、と古城が天を仰ぐ。こうならないようにするために雪菜に荷物を開けさせたのに、まさか当の本人が自爆するとは考えもしなかった。だがこればかりは予想できないだろう。

 数字の意味を理解し、自分が猛烈な暴露をしてしまったことに気づいた雪菜は顔真っ赤。心なしか頭から湯気が出ているようにすら見える。

 明細書を握り締め雪菜がゆっくりと振り返る。彼女の背後には居た堪れない表情をした古城が頭を抱えていた。

 

「き、聞きましたか……?」

 

「あーうん……ごめん」

 

 弁解することもなく古城は大人しく頭を下げた。不可抗力とはいえ聞いてしまったことに変わりはない。ここはあれこれ言い訳を並べ立てるより、誠実に向き合うほうが得策だと考えたのだ。

 雪菜は羞恥とやりようのない怒りに身を震わせていたが、さすがに古城に当たることはなかった。今回ばかりは古城に非がないことを理解していたからこそだ。その分、やり場のない感情の処理に唸っているのだが。

 

「し、失礼します……!」

 

 感情を持て余した雪菜は、段ボール箱を抱え上げると物凄い勢いで自分の部屋へ消えていった。

 

「あ、姫柊。それ、中にまだ俺の服も入って……」

 

 バタン!と閉じられたドアに手を伸ばす古城だが、その声は雪菜に届いていないだろう。

 参ったなぁ、と古城は頭を掻きながら、

 

「またあとで謝ろう……」

 

 とりあえず目の前の自宅に上がるのだった。

 

 

 

 

 



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戦王の使者Ⅲ

 アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーのクルーズ船は、港湾地区(アイランド・イースト)に停泊する豪華客船にも負けず劣らずのメガヨットだ。

 船上パーティーの開始時刻は午後十時。古城たちは少し余裕を持って港に訪れていた。二人とも獅子王機関から送られてきた正装を身に纏っている。

 招待客がタラップを上って、船の中へと乗り込んでいく姿が見える。

 

洋上の墓場(オシアナス・グレイヴ)……か。趣味が悪いんだか良いんだか」

 

 船体に刻まれた船名を呟いて、古城は呆れたように溜め息を吐く。

 古城の格好はスリーピースのタキシードだ。一般的な高校生が着るには上等すぎる代物ではあるが、古城が着ると妙な風格のようなものが感じられる。服に着られることなく、着こなしているのだ。

 

「なんだか、先輩はあまり緊張してないみたいですね」

 

 古城の立ち居姿から漂う風格めいたものに気後れしながら雪菜が言う。

 そんな雪菜の格好は、白地に紺色のパーティードレス。胸元の露出こそ控えめだが、その分肩から背中にかけては大胆に晒している。薄い布地と華やかなフリルがまるで妖精のように雪菜を飾り立てていた。

 ただ、雪菜的には露出が多いのが気になるらしく、ここに来るまでも随分と落ち着きがなかった。今も、もじもじと短いスカートやら開けた背中を気にしている。

 

「あの、この格好、変じゃないですか?」

 

 上目遣いで雪菜が尋ねてくる。古城は頭の頂点から爪先まで見下ろして、

 

「そんなことないと思うぞ。姫柊の魅力がちゃんと引き立てられてるし、よく似合ってるよ」

 

「そ、そうですか……」

 

 古城の偽りない褒め言葉に雪菜は面食らってしまう。マンションでの一件のことも相まって、古城の顔を見ることができない。

 そんな雪菜に微笑しながら、古城は彼女の髪飾りがずれていることに気づく。

 

「姫柊、髪飾りがずれてるぞ」

 

「えっ……あ、本当です」

 

 慌てて髪飾りを直す雪菜。十字架を模した銀色のヘアクリップ。私物を持たない雪菜にしては珍しい、数少ない雪菜所有のアクセサリだ。

 古城がじっと見つめていることに気づいて、雪菜が少しはにかみながら口を開く。

 

「高神の杜にいた頃のルームメイトから貰ったんです」

 

「へえ、その子も剣巫なのか?」

 

「いえ、違いますが、紗矢華さんも獅子王機関の攻魔師です」

 

 少し得意げに雪菜が語る。彼女にとってそのルームメイトは大切な人なのだろう。

 

「仲が良かったんだな」

 

「そうですね。本当の姉のように慕っていました。美人で可愛くて、性格も良くて、優しい、自慢のルームメイトです」

 

「そうか。なら俺も一度挨拶してみたいな」

 

「それは……」

 

 古城の何気ない発言に雪菜が少し表情を翳らせる。髪飾りに手を触れて、少し悩む素振り見せてから雪菜はぼそりと呟く。

 

「先輩なら、大丈夫かもしれませんけど……会わないほうがいいかもしれません」

 

 風に乗って微かに聞こえてきた呟きに古城は苦笑いを浮かべ、すっと目の前の船を見上げる。甲板の上で人影が動いたように見えた。

 

 

 ▼

 

 

 今回の船上パーティーに招待された客の殆どが大物政治家や経済界の重鎮ばかり。中にはテレビで見かけた顔ぶれなども揃っていた。

 そんな中に平然と交じることができる古城は相当な胆力の持ち主だろう。

 古城は豪華に飾り付けられた船内を見回して、

 

「さて、主催者はどこにいるのやら……」

 

 と言いつつ、古城は彼の居場所が既に分かっていた。それは原作知識であり、そして吸血鬼の血の昂りが教えてくれた。

 

「上です。アルデアル公は恐らく外のアッパーデッキにいます」

 

 雪菜もまた、持ち前の霊視能力によってディミトリエ・ヴァトラーの居場所を感知していた。

 

「アッパーデッキか。階段は……あそこか」

 

 会場となっている広間の隅に階段見つけ、古城は真っ直ぐ歩き出す。そのあとを雪菜も付かず離れずの距離で追う。

 だが如何せん客が多く、どうしても逸れそうになってしまう。仕方なく雪菜が古城に密着するようについていこうと近づいて、

 

「私の雪菜から離れなさい!」

 

 次の瞬間、古城を鋭い銀閃が襲った。

 

「ちょっ、なんでここで!?」

 

 珍しく動揺を露わにしながら古城が咄嗟に身を引く。銀閃は古城の鼻先を紙一重で通過していった。

 銀閃の正体はフォーク。本来食事に用いられるはずの食器が、古城に向けて振り下ろされたのだ。そして古城に襲いかかったのは若い女だった。

 チャイナドレス風の装いをしたすらりと背の高い少女。年の頃は古城とそう大差なさそうだ。

 非常に優美で人目を惹きつける顔立ちをしているのだが、しかしその表情は今、古城に対する殺意で歪んでいる。折角の美人も台無しだ。

 

「失礼。つい、手が滑ってしまったわ」

 

 特に悪びれた様子もなく少女が言った。古城は呆れ返って、

 

「どこをどう滑らせたら人に向けてフォークを振り下ろすんだ……というか、どうして襲われたんだよ俺は……」

 

 姫柊の手を握ろうとしたわけでもないのに、と内心で呟く古城。原作では古城が雪菜の伸ばす手を掴もうとして襲われたが、今回はなにもしていなかったはずである。それなのにどうして襲われたのかが古城には理解不能であった。

 事実は雪菜から接近したのだが、如何に古城といえど背中に目が付いているわけではないので真相は分からず終いだ。

 眉間に皺を寄せて頭を悩ませる古城の背後にいた雪菜は、襲いかかってきた少女の姿を一目見ると唖然と目を見開く。

 

「──紗矢華さん!?」

 

「雪菜!」

 

 名前を呼ばれた瞬間、少女の纏う雰囲気が一変する。それまでの殺気や殺意は引っ込み、代わりに溢れ出したのは優しい愛情の気配。

 紗矢華と呼ばれた少女は勢いよく雪菜に飛びつくと、思う存分むしゃぶりつくように抱きしめた。その光景は長年会えなかった仲の良い姉妹の再会のようで、古城は蚊帳の外から眺めていることしかできなかった。

 

「久しぶりね、雪菜。元気だった?変なことされてない?」

 

「は、はい。一応……」

 

 吸血されたことが変なことに当たるか微妙で、雪菜は少し目を逸らして答えた。しかし運のいいことに抱きついていた紗矢華はそれに気づかない。雪菜が拒絶しないのをいいことに頬ずりしたりと好き放題している。

 

「ああ、私の雪菜。私がいない間に、第四真祖の監視だなんて危険な任務を押し付けられて、可哀想に!でも、大丈夫。この危険人物は私がきっちり抹殺してあげるから!」

 

 恐ろしいことを宣う紗矢華に、身の危険を感じた古城はさり気なく距離を取る。紗矢華の手には銀のフォークが握られたままだ。

 

「あの、紗矢華さん……それはちょっと……やりすぎ……あっ、待ってくださ……」

 

 なにやら紗矢華の手つきが怪しくなり、さすがの雪菜も押し返そうとする。しかし体格差のせいかなかなか退けられない。どうしようもなくて古城に助けを求めようとして視線を彷徨わせるが、

 

「あれ……先輩?」

 

 ついさっきまで近くにいたはずの古城の姿はどこにもなかった。

 

 

 ▼

 

 

 雪菜と紗矢華が感動の再会を果たしている間に、古城はその場を抜け出し一人で上を目指していた。少女たちの再会の場面に水を差すのも悪いし、二人を危険に巻き込みたくない一心での単独行動だ。

 大勢いるパーティー参加客の間を縫うように移動して階段まで辿り着き、古城はアッパーデッキへと上がっていく。

 一段一段階段を上るにつれて、息が詰まるような重圧に襲われる。上にいる強大な存在がとてつもないプレッシャーを放っているのだ。

 古城は意識を切り替える。いつ何時、どこから襲われても対処できるように神経を尖らせ、内側で眷獣を即座に呼び出せるようにしておく。

 緊張感を滲ませて古城は船の上甲板に出る。

 月明かりに煌めく闇色の海と星空を背にして一人の青年が立っていた。

 純白のコートに身を包んだ金髪碧眼の青年だ。背丈は高いが華奢で、とても“旧き世代”の吸血鬼とは思えない。

 海風に金髪を靡かせながら青年が振り返る。好青年然とした美しい微笑みが浮かんでいた。相対する古城も同質の笑みだ。

 次の瞬間、古城と青年の体をそれぞれ雷光と灼光が包んだ。

 呼び出されたのは吸血鬼の眷獣。どちらも都市一つ滅ぼしかねない力を内包する化け物だ。

 灼熱の蛇の眷獣と雷光の獅子が広いデッキの上で激しく衝突する。巨大な魔力と魔力の激突に伴う衝撃波が船を揺らし、漆黒の海を波立たせた。

 だがそれも一瞬、二体の眷獣はまるで示し合わせたかのように霞の如く霧散した。あとに残るのは船内から聞こえてくる喧騒と古城と青年が放つ痛い程の沈黙だけだ。

 睨み合うかのように互いを見据える両者。先に沈黙を破ったのは古城だ。

 

「随分と手厚い歓迎だな、アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー」

 

 皮肉をたっぷり込めて古城が言う。眷獣を嗾ける程の手荒い歓迎を手厚いと言うあたり、古城もなかなかに肝が据わっている。

 古城の応答に青年は愉快げに笑みを深める。

 

「喜んでもらえたのなら、次は今回を上回るご挨拶を用意しようかな」

 

「悪いが、俺は慎ましやかな挨拶が好きなんでな。次回はもっと穏やかに頼む」

 

「それは残念」

 

 少し不満げに青年が唇を尖らせる。無邪気な子供同然の仕草なのに、この青年がするとそれさえも絵になるから不思議だ。

 先の眷獣衝突などなかったかのように会話を始めた古城とヴァトラー。そんな彼らのもとに船内から慌ただしく二人の少女が飛び出してきた。

 

「先輩!?」

 

「アルデアル公!?」

 

 船を揺らす程の衝撃と莫大な魔力の衝突を感知して上甲板に出た雪菜と紗矢華。二人が目にしたのは焼け焦げ所々が捲れ上がった甲板と、熱せられた空気を物ともせず会話を交わす男たちの姿だった。

 

「御身の武威を検するが如き非礼、心よりお詫びいたします。我が名はディミトリエ・ヴァトラー。第一真祖・“忘却の戦王(ロストウォーロード)”よりアルデアル公を賜りし者。今宵は御身の参上をいただき恐悦の極み──」

 

 見事なヴァトラーの口上。気品めいたものを漂わせる今の彼は紛うことなき貴族だ。

 そんな青年貴族に対して、古城は微苦笑を湛えて応じた。

 

「暁古城。一応第四真祖をやってる。今宵は船上パーティーにお招きいただきありがとう、と言っておこうか」

 

 平然と自己紹介を交わす男たちに、雪菜と紗矢華は思わず互いの顔を見合わせた。

 

 

 ▼

 

 

 男たちの穏便とは言えない挨拶が終わったあと、古城は一度応接室に通され、ヴァトラーは招待客たちの対応に向かった。主催者なだけにそのあたりの対応はきちんとしているようだ。

 ヴァトラーが戻ってくるまでの間、手持ち無沙汰になった古城は豪華なソファでゆったりと寛いでいる、なんてことはない。あとから駆けつけた雪菜に事の次第の説明をして、そして現在はソファではなく絨毯の上に正座をして説教を受けている真っ只中であった。

 

「分かってるんですか。先輩がどれだけ危険な存在で、一つ間違えれば船の一つや二つ簡単に沈められるということを。それなのにどうして一人でアルデアル公のもとに行ったりしたんですか?」

 

「いや、折角の感動の再会を邪魔するのも悪いと思って……ルームメイトなんだろ?」

 

「そうですけど……それとこれとは話が別です」

 

 キッパリ言い切って雪菜が見下ろしてくる。

 確かに、今回の非は古城とヴァトラーの二人にある。一つ間違えれば船が沈んでいたのも事実。もしも二人の眷獣の破壊がパーティー会場に及んでいたら、それだけで多くの要人や著名人が危険に曝されていたのだ。古城もヴァトラーもさすがに手加減はしていたが、それを言ったところで雪菜の怒りの矛先が収まることはないだろう。

 今回ばかりは分が悪いと判断して古城は大人しくその場に平伏した。

 

「すいませんでした。以降、気をつけます」

 

「反省してくださいよ」

 

「はい、反省します」

 

 中学生に土下座して謝る高校生の図。傍目に見るとかなり情けない構図であるはずだが、古城と雪菜だとあまり違和感がなく見えてしまう。

 古城にきちんと反省の色を確認して、雪菜はとりあえず今回の軽率な行動に関しての説教は終わりにした。

 

「そういえば、ルームメイトの子はどこに行ったんだ?」

 

 絨毯の上から柔らかいソファの上に座って古城が尋ねる。

 

「紗矢華さんはアルデアル公の監視役ですから。今頃一緒にパーティー会場にいると思いますよ」

 

「つまり、俺にとっての姫柊みたいなもんか」

 

「そんなところですね」

 

 説明しつつ雪菜は古城の後ろに回ろうとする。どうやらソファに座るつもりはないようだ。きちんと自分の身分を弁えているというか、別にそれぐらい気にしなくともいいだろうにと古城は思うが、生真面目な雪菜は譲らないだろう。

 女の子を立たせて自分だけ座るのも悪いと考えて古城が立ち上がろうとしたところで、間の悪いことにヴァトラーが戻ってきた。その背後には監視役らしく紗矢華が控えている。

 

「やあやあ、待たせたね。ちょっと監視役からこっ酷くお説教を食らってしまってね」

 

「奇遇だな、こっちもだよ」

 

 互いに微苦笑を交わして、ヴァトラーが古城の向かい側のソファに身を沈める。そして雪菜同様、紗矢華はその後ろに立つ。

 

「さて、なにから語らおうか。ボクとしては、第四真祖との邂逅を祝福したいところだね」

 

 妙に芝居がかった口調で言ってヴァトラーが指を鳴らす。するとグラスを二つとワインボトルを盆に載せた執事風の男が部屋に入ってくる。

 頬に大きな傷を残した強面の老人。威圧感すら纏う執事はグラスにワインを注ぎ、ヴァトラーと古城に手渡してくる。

 古城は執事の男を無表情で見つめながらワイングラスを受け取り、

 

「愛しき第四真祖との再会に、乾杯」

 

「生憎、俺に男色の趣味はないが、乾杯」

 

 二人揃ってワイングラスを掲げ、当然のように一口呷る。

 

「って、先輩!?未成年ですよ!?」

 

 あまりにも自然な流れで飲んでいたため、雪菜の突っ込みが遅れた。しかし古城は背後からの叱咤を聞き流してグラスを弄ぶ。妙に飲み慣れている仕草だ。

 

「随分と年代物だな。こんな代物、普通は子供に飲ませないだろ」

 

「へえ、なかなかに話が通じるじゃないか、古城」

 

「先輩!」

 

 普通に無視されて雪菜が怒る。そんな雪菜を振り返って古城は、

 

「大丈夫、大丈夫。治外法権だから」

 

「その通り、この船の中なら問題ないよ」

 

 古城の言い訳をヴァトラーが補足する。

 確かに、ヴァトラー所有の船内ならば外交的要因で治外法権が適応される。だが古城もヴァトラーも治外法権を自分に都合良く解釈しすぎである。しかしそれを突っ込むには相手が悪い。古城だけならまだしも、ヴァトラーまでもが擁護に回っては止めようがなかった。

 帰ったら覚悟してください、と背後からの呟きが聞こえて古城は少し遠い目をする。ちょっと悪ふざけの度が過ぎたらしい。しかし古城少年に転生してもう三年。その間、一度も酒を飲むことができなかったのだ。今日くらいいいじゃないの、とちょっと我慢ができなかった古城くんであった。

 

「それで、あんたが絃神島(ここ)に来た目的はなんだ?」

 

「一つに、第四真祖であるキミと縁を結ぶため。ぜひとも、古城とは良好な関係を築きたいね」

 

「そっちはいいだろ。また暇な時にでも絃神島を案内でもしてやるよ」

 

「古城自ら案内してくれるだなんて、嬉しいね」

 

 にこやかに笑うヴァトラーに古城も微笑みを以って応える。

 非常に和やかな会話であるが、しかし二人が浮かべる表情はどこか作りものめいている。どちらもこの会話をただの社交辞令としか考えていないのだ。そのためか二人を取り巻く空気はどこか空々しい。

 

「それよりも、“戦王領域”の貴族がわざわざこんな島まで来訪した魂胆を話せ」

 

 すっと双眸を細めて古城が問い質す。いつもの穏やかな雰囲気ではない、刺々しさすら感じる態度に背後の雪菜が微かに驚きをみせる。

 ヴァトラーは軽く肩を竦めて口を開く。

 

「ちょっとした根回しだよ。ここ絃神島・魔族特区が第四真祖の領地だというのなら、先に挨拶をしておこうと思ってね。もしかしたら迷惑をかけることになるかもしれないからサ」

 

「へえ、迷惑ね。そいつは今頃現在進行形で暴れてる戦王領域のテロリストと関係があるのか?」

 

「驚いたな。黒死皇派のことを知っていたのか」

 

 感心したようにヴァトラーが言う。古城は戯けるように肩を竦めると、

 

「素直じゃないけど生徒思いな先生がいてな。その人が教えてくれたんだよ」

 

 勿論、那月のことである。本人が聞けば容赦なく扇子を振り下ろすだろうが。

 

「じゃあ、クリストフ・ガルドシュという名に聞き覚えはあるかな」

 

「あるにはある。確か、欧州ではそれなりに有名なテロリストじゃなかったか」

 

「その通り。元軍人であり現在テロリストの彼はこれまでに幾つものテロを行ってきた。そして今、彼は黒死皇派の一員としてこの島に乗り込んでいる」

 

「そいつはまた、ご苦労なことで」

 

 そう言いつつ古城はワイングラスを傾ける。芳醇な香りが鼻腔を通り抜けてとても心地が良い。

 

「それで、あんたはそのガルドシュを抹殺するために遠路遥々船に乗ってやってきたわけか?」

 

「まさか。そんな面倒なことはしないさ。ただ──」

 

 怖気が走る程に酷薄な笑みと魔力を僅かに放出してヴァトラーは言う。

 

「──あっちからちょっかいを出してきたのなら、応じないわけにはいかないよねェ」

 

 ふふっ、とさぞ愉しげに笑うヴァトラー。無意識か意図的かは知れないが彼の放つ威圧は物理的な重圧すら伴って部屋を支配している。

 その重みに古城と同じく対面に立っていた雪菜は酷い息苦しさを覚えるが、古城が対抗するように魔力を放出し始めたことですぐに楽になった。

 

「そんなこと言われて、はいそうですかって認めると思うか。ここは俺のシマだ。余所者はすっこんでろ」

 

「なかなか言うじゃないか。でも、そうなるとガルドシュは誰が相手するのかな」

 

「俺がやる」

 

 臆面もなく古城が宣言する。その様子にヴァトラーはますます笑みを深め、そして雪菜が慌てて待ったをかけた。

 

「なにを言っているんですか、先輩。あなたが下手に戦えばどれだけの被害が出るか、分かってますよね?さっき反省すると言ったのは嘘ですか!?」

 

「そうだねェ。第四真祖の眷獣よりもボクの眷獣のほうがまだ大人しいだろうし、ここはボクに任せてしまったほうがいいんじゃないかな」

 

「馬鹿言うな。眷獣が大人しくても宿主が自重皆無の戦闘狂じゃ意味がないだろ。それに、俺の眷獣たちはあんたが言う程我儘じゃないんでな」

 

「確かに先の眷獣の扱いはよくできていた。余程霊媒の血が良かったのかな?」

 

 顎に手をやってヴァトラーは視線を古城の後ろに立つ雪菜に向ける。視線を向けられた雪菜は身に覚えがありすぎてあからさまに目を逸らす。その頰が若干朱色に染まっていた。

 

「そんな……私の雪菜が……穢された……」

 

 ヴァトラーの背後ではこの世の終わりとばかりに紗矢華が真っ白になっている。

 唐突に訪れた混沌な空気に古城は頭を抱える。しかしこれでは話が進まない。古城は一度咳払いして気を取り直す。

 

「ともかく。そのテロリスト共の相手は俺がする。あんたは余計な手出しをするな。少なくとも、俺がくたばるまではな」

 

「ふむ、この島が第四真祖の領地である以上、ボクが出しゃばるのはお門違いか。いいだろう、直接的な被害が出ない限りボクは手を出さないと誓おう」

 

直接的な被害(、、、、、、)、ね……」

 

「あァ、そうサ」

 

 意味深に呟き合い古城とヴァトラーは互いに笑みを深める。明らかに友好的なものではない、威嚇的な意味合いが込められた笑いだ。

 そんな二人のやり取りに雪菜は言い知れぬ不安と恐怖を覚えたのだった。

 

 



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戦王の使者Ⅳ

ちょっと強引かもしれない……


「ああ、そうだ。煌坂さんだったか、少し話をしたいんだけど、いいかな」

 

 古城とヴァトラーによる一種の対談が終わりを迎え、時間もいい頃合いになり学生陣が帰ろうとしたところで、古城がそう切り出した。

 名指しされた紗矢華は露骨に警戒した目つきで古城を睨みつける。だがさすがにヴァトラーと雪菜の目があり、襲いかかってまではこなかった。

 

「ふゥん?ボクは構わないよ。なんなら席も外そうか」

 

「そうしてくれると助かる。姫柊も、少し外してくれるか?」

 

「え……でも……」

 

 雪菜は不安げに古城と紗矢華の間で視線を彷徨わせる。先のフォークでの襲撃と紗矢華の抱える個人的な事情を考えると、二人きりにするのはあまりに不安が大きい。なにより、さっきから古城に除け者にされているような気がして嫌だった。

 しかし古城は、そんな雪菜の心情を知ってか知らずかいつもと変わらぬ穏やかな笑みで言った。

 

「心配するな、本当に話をするだけだから。それに話をしている間、ヴァトラーの監視がいなくなるのは不味いだろ?代わりに姫柊が付いていてくれ」

 

「なら、ボクは彼女のエスコートを請け負おう。古城の血の伴侶候補となるのなら、ボクの立派な恋敵だからね」

 

「こ、恋敵……」

 

 予想外の相手からの不意打ちを受けて雪菜が動揺を見せる。その反応を見て紗矢華がまた殺気立つ。非常に嬉しくない循環だ。

 

「では、ボクたちは行こうか。同じ吸血鬼(ヒト)を愛する者同士で語らおうじゃないか」

 

「え、あ……でも……分かりました」

 

 雪菜が背を押されて応接室を出て行く。この場に留まりたくともヴァトラーに強く逆らうわけにもいかない。それに古城が言う通り、彼を一人にするのも問題だ。結局、済し崩し的に雪菜は席を外すことになった。

 静かにドアが閉じられ、応接室は古城と紗矢華の二人きりになる。するとくわっと紗矢華が古城に向き直り、

 

「どういうつもり。私と二人きりになるだなんて、そんなに暗殺してほしいのかしら?」

 

「悪いけど、殺される気はないよ。まあ、殺せるなら殺してみてほしいけどさ」

 

 第四真祖の不死性はそこいらの吸血鬼とは格が違う。心臓を潰されようが時間の巻き戻しのように復活してしまう。それはオイスタッハ殲教師の一件でも証明された。そんな古城を殺すなど、並大抵の人間では為し得ない。

 しかし獅子王機関が舞威媛こと煌坂紗矢華にとってその発言は挑発でしかなかった。

 

「大した自信ね。でも、あまり私を舐めないでくれる」

 

 そう言って肩に担いでいた楽器ケースに手をかけようとする紗矢華。しかし彼女が武器を抜く前に古城が両手を上げる。

 

「待て待て、俺は戦いたいわけじゃないんだ。ただ話がしたいだけだ」

 

「私にはあなたと話をする義理も筋合いもないんだけど」

 

「話の内容は姫柊のことなんだが」

 

 雪菜が引き合いに出された瞬間、紗矢華は片眉を僅かに吊り上げた。やはり大切な雪菜のこととなると勝手が違うようだ。

 

「とりあえず、座ってくれ。立ちっぱなしも話辛いし」

 

 未だ立ち続けていた紗矢華に、古城は向かいのソファに座るよう促す。

 紗矢華はあからさまに眉を顰めながらもソファに座った。一応は古城と話をしてくれるらしい。そのことに一先ず安堵して古城は少女を真っ向から見据える。

 

「それで、話の内容はなに?」

 

 一切の前置きはいらぬと紗矢華が単刀直入に訊いてくる。古城は真摯な表情で相対する。

 

「九月の始めに起きた殲教師の聖遺物奪還未遂事件。そこでなにが起きたか、掻い摘んで説明する。きっと文句やら手やら出したくなると思うけど、最後まで聞いてくれ」

 

「…………」

 

 紗矢華から返事はない。ただ無言の眼差しで話せと命じてくる。それに古城は頷いて口を開く。

 事件の仔細を全て話していては時間が足りない。よって古城が語ったのは事件そのものよりも、事件の中で自身と雪菜の身に起きたことに焦点を合わせた。

 倉庫街での戦闘から始まり、研究所での敗北。そこで互いに覚悟を改め、キーストーンゲートの決戦。

 特に雪菜がオイスタッハの言葉によって非常に不安定になっていたこと、そして自分が眷獣の制御ができていなかったことに関しては詳しく説明した。

 十五分程かけて古城の説明は終わった。

 話を聞いている間、紗矢華は黙って耳を傾けていた。オイスタッハによる容赦ない言葉や吸血に至った件の時には、拳を握り締めたり手を楽器ケースに伸ばしていたが、それでも最後まで暴れることはなかった。

 紗矢華は瞼を固く閉ざして眉間に皺を寄せる。古城の話を吟味しよく考えているのだろう。今の彼女の内心では一体どんな葛藤が飛び交っているのか、古城には分からなかった。

 一分か二分か経った頃合いで、紗矢華に動きがあった。これまで溜め込んだ感情を全て吐き出すように深々と溜め息を漏らし、その双眸をゆっくり開く。

 

「一応の事情は理解したわ。でも、だからなに?自分は悪くないって言いたいわけ?」

 

 ぎろりと紗矢華が睨んでくる。どうやら今の古城の話を責任逃れと捉えたようだ。心なしか視線の温度が先よりも下がっているように感じられる。

 激しい怒りから冷静な怒りへとシフトした紗矢華に、古城はゆっくりと首を横に振った。

 

「この話をした理由の一つは、姫柊が姉同然に慕っていて、姫柊を実の妹のように大切に思っている煌坂さんには知っていて欲しかったから。あの事件で姫柊がどんな覚悟を決めて、今を生きているのか。それを理解して欲しかった」

 

 道具としてではなく、自分の意志を持った一人の人間として雪菜は今を生きている。それを紗矢華には知っていて欲しかった。それが一つの理由。

 そしてもう一つの理由は、

 

「二つ目の理由は、煌坂さんには俺を糾弾する権利があるから。事情をきちんと知っておくべきだと考えたからだ」

 

「は?」

 

 古城の言葉がイマイチ飲み込めず、紗矢華は顔をきょとんとさせる。

 

「どんな理由や事情があったとしても、煌坂さんにとって大切な存在である姫柊を傷つけたことに変わりはない。吸血したことを後悔しているわけではないけど、それでも通すべき筋はあると思った」

 

 一瞬たりとも目を逸らすことなく見据えて、古城は滔々と続ける。

 

「姫柊にとって最も近しい人だろう煌坂さんから糾弾を受けること。それも通すべき筋の一つだと、俺は思っている。身勝手な自己満足でしかないかもしれないけど、俺は不義理な人間にだけはなりたくないんだ」

 

 だから、と言って古城はソファから立ち上がり目の前の少女に頭を下げた。

 

「姫柊を傷つけたこと、本当にすまなかった」

 

「…………」

 

 目の前で頭を下げる少年を呆然と見つめて、紗矢華は内心で激しく当惑していた。

 目の前の少年は世界最強の吸血鬼と謳われる第四真祖だ。その危険度は先のヴァトラーとの衝突からもよく窺い知れる。そんな危険人物が、まるで普通の人間のように自らの咎を認め、あまつさえ他人からの糾弾を甘んじて受けようとしているのだ。混乱するのも無理はない。

 それ以上に、目の前の男は今まで出会ってきたどんな男とも違う。それが紗矢華の心を激しく揺さぶっていた。

 紗矢華は極端なまでに男を毛嫌いしている。だがその実態は、嫌いなのではなく苦手。幼少期に父親から受けた虐待の恐怖の裏返しだ。

 雪菜はそれを知っていたから、古城と紗矢華を二人きりにするのを避けたかった。古城に限って万が一はないと思うが、それでも心配せずにはいられなかったのだ。

 紗矢華にとって男なんてどいつもこいつも同じ。自分勝手で暴力的で粗暴。だから心底嫌いで、それ以上に怖かった。

 だが目の前の男はどうだろうか。自分勝手な面はあるだろう。しかしその筋を通そうとする誠実さは評価に値する。この男なら、きっと雪菜を悪いようには扱わない。それだけは確信できた。

 今一度頭を下げる古城を見やって、紗矢華は少し語気を弱めて言った。

 

「私はあなたを許さないわ、暁古城……でも、あなたの行いを否定はしない」

 

 紗矢華の思わぬ言葉に古城が顔を上げる。その表情は分かりやすく驚きに染まっていた。

 それに紗矢華は少しだけ気分を良くして続ける。

 

「あなたの行いを否定したら、それは雪菜の覚悟も否定しちゃうもの。私があの子の覚悟を否定なんてできるわけないじゃない」

 

「そうか……」

 

 小さく噛みしめるように呟いて、古城は心の底から安心したように微笑を洩らした。

 

「ありがとう」

 

「別にあなたを許したわけじゃないから、勘違いしないでよね」

 

「分かってるさ。姫柊に、煌坂さんみたいな優しい友人がいてよかったよ」

 

「……煌坂でいいわよ。歳は変わらないし、無理にさんを付けられるのは返って気持ち悪いから」

 

「バレてたか……」

 

 ふっと疲れたような笑みを浮かべて古城はソファに身を沈めた。古城なりに色々と緊張していたのか、顔色には疲労が滲んでいる。

 穏やかな沈黙が流れる。紗矢華からは最初の頃に放たれていた殺意や殺気もない。和やかとまでは言えないが、初期の張り詰めたピアノ線のような空気はもうなくなっていた。

 

「なあ、煌坂。今回の滞在中、もし暇があったら姫柊の家に行ってやってくれよ。きっと喜ぶからさ」

 

「あなたに言われなくても、行くわよ。私はあの子の親友なんだから」

 

 古城と紗矢華は互いに顔を見合わせると、二人揃って穏やかな笑みを浮かべた。

 もう紗矢華に古城を殺す気はないだろう。第四真祖の監視といざという時の抹殺は彼女ではなく雪菜の任務だ。それを邪魔するのは、紗矢華の望むところではない。

 まあ、抹殺する日が訪れるかは不明であるが。

 

「さて、そろそろ戻るか。あんまり待たせると姫柊が臍を曲げかねないからな」

 

「ああ、そうだった!今、雪菜はアルデアル公と二人きりじゃない!早く戻らないと」

 

 慌てて立ち上がって部屋を飛び出ようとする紗矢華。しかしそんな彼女を古城が呼び止めた。

 

「待った、煌坂。一つ頼みがあるんだ」

 

「なによ、私は早く雪菜のもとへ行くんだから手短に……」

 

 ドアノブに手を掛けたまま振り返った紗矢華は途中で言葉を切る。自分を見る古城の顔が真剣そのものだったからだ。

 ドアノブに掛けた手を離し、紗矢華は古城に向き直る。

 

「なにかしら、頼みって」

 

 紗矢華に問われて、古城は静かに口を開く。

 

「実は──」

 

 

 ▼

 

 

 古城たちがアルデアル公主催のパーティーに招かれていたその頃、藍羽浅葱は自宅のベッドの上でごろごろと寝転びながら、幼馴染の少年と電話をしていた。

 少年の名前は矢瀬基樹。付き合いが長いせいで恋愛感情は欠片もないが、腹を割って話せる数少ない男子だ。今日は教室で痴態を晒したことへの八つ当たりをするために電話をかけたのだが、いつの間にやら会話の内容は色恋に変わっていた。勿論、彼が意図的に逸らしたのは言うまでもない。

 

『ほーん、それでその手紙はラブレターでもなんでもなかったのか』

 

「古城が言ってたし、姫柊さんも違うって否定してたしね」

 

 電話口から聞こえてくる不満げな声に浅葱はきっぱりと断じた。

 古城が持っていた手紙の正体は分からずじまいだった。だが雪菜からのラブレターでないことだけは確かだ。当の本人が否定したというのも大きいが、よくよく思い返してみるとラブレターにしては手紙自体があまりにも豪奢過ぎた。それこそラブレターというよりも、夜会やパーティーの招待状と言われたほうがしっくりくる。

 しかし、浅葱が知る限り古城は普通の高校生だ。パーティーに招待されるような人間ではない。結局、古城の手紙の正体は謎に包まれたままだった。

 

『そうかそうか……それで、バドミントンの練習は楽しめましたかな?』

 

 茶化すような口調で矢瀬が言う。浅葱は少し気恥ずかしさを覚えながらも答える。

 

「そ、そうね。案外、楽しめたわ。古城も思ったより上手かったし」

 

『それだけ?もっとこう、なんかないのかね?ハプニング的な展開とかさあ』

 

「あるわけないでしょ。古城なんだから」

 

『や、まあそうだけどよ。そこはもう少し積極的に押して押しつけて押し倒して』

 

「あんたはなに言ってんのよ!?」

 

 思わず電話口に怒鳴ってしまう浅葱。矢瀬のからかいが頭にきたのか、それとも恥ずかしかったのかその顔は耳まで真っ赤だ。

 浅葱の叫びに耳をやられたのか呻き声が聞こえてくる。しかしそれもパタリと止み、打って変わって少し真面目な声が飛んでくる。

 

『でもな、浅葱。このままだとあの姫柊って子に古城を取られかねないんだぜ。そこんとこ、分かってんのか?』

 

「それは……」

 

 矢瀬の指摘に思い当たる節があって、浅葱は言葉を詰まらす。

 姫柊雪菜。彼女との出会いは偶然といえば偶然だ。暁家の隣に引っ越してきた関係で古城から紹介され、歓迎会という名の鍋パーティでそれなりに親睦を深めた仲である。少し人見知りのきらいはあったが、これで案外面倒見の良い浅葱との相性は悪くなかった。

 浅葱にとって雪菜は仲の良い後輩だ。時折古城とこそこそ何かをしているのが気にはなるが、それでも浅葱にとって雪菜は友人の一人なのだ。

 浅葱は恋する乙女の勘か、雪菜が恐らく古城のことを憎からず思っているのを察していた。この短い期間でそこまで親密になれる古城にも驚きだが、浅葱にとって重要なことはそこではない。

 これまでに、古城に告白やラブレターを渡す女子というのはいなかったわけではない。しかし古城は頑なに恋人関係になることを避けた。告白もラブレターも丁寧に一人ずつ断っていたのだ。その理由を以前浅葱が尋ねると、今はそんな余裕がない、と古城は答えた。

 確かに、中学の頃の古城は今とは少し違った。紳士的なのは同じであったが、今よりもどこか切羽詰まった感じがした。

 当時の浅葱はその答えを聞いて落ち込んだものだ。今では苦い思い出として彼女の胸の中に仕舞ってあるが。ちなみに矢瀬はその時の浅葱の落ち込みぶりを知っていたりする。

 だからこそ、幼馴染である少年はお節介を焼く。

 

『一歩、踏み込んでみたらどうだ?たとえば寝ている古城の布団に潜り込んで起こすとか』

 

「それのどこが一歩よ!完全に踏み外しちゃってるじゃない」

 

『大丈夫だって。古城のことだから、笑って流してくれるさ』

 

「それはそれで傷つくんだけど……」

 

 実際、そういう状況に陥ったとしても古城はいつものように苦笑いで流しそうだから笑えない。それが古城クオリティ、“彩海学園の紳士”の名は伊達ではない。

 はあ、と溜め息を吐いて浅葱は枕に頬を押し付ける。

 

『まあ、色々と悩む気持ちも分からんでもないが、たまには後先考えず突っ走るのも悪くないと思うぜ。俺たちまだまだ若いんだからよ』

 

「後先考えず……か」

 

 確かに、自分はあれこれ悩んでは尻込みしてしまうことが多かった。だから、たまには体当たりしてみるのもいいかもしれない。

 

「うん、そうね。たまにはぶつかってみるのも、ありよね……」

 

 もしこの場に古城がいたのなら、全力で否定しただろう。突っ走るのと体当たりは違うと声を大にして指摘したはずだ。しかしここに古城はおらず、代わりにいるのは悪ノリには定評のある矢瀬基樹。

 矢瀬はむしろ嬉々として浅葱にゴーサインを出す。

 

『よし、だったら後で耳寄りの情報を送ってやるよ。じゃあ、俺はそろそろ切るわ。このあとは緋稲さんと電話する時間だからよ』

 

 緋稲さんとは矢瀬の年上の彼女だ。あの矢瀬が熱烈なアタックを繰り返した末に、夏休み前から付き合い始めた相手だ。

 

「彼女持ちはいいご身分よね」

 

『羨ましかったらきっちり古城を落としてこいよ』

 

 そう激励を送って矢瀬は通話を切った。

 浅葱は通話の切れたスマホをベッドに放り投げ、ごろごろと転がり始める。

 矢瀬はなにやら耳寄りの情報を送ると言っていた。どうせ碌でもない代物だとは思うが、受け取っておくに越したことはない。なにせ相手はあの古城なのだ。中途半端なアタックでは苦笑いで流されてしまう。そうなったら浅葱は一週間引き篭もる自信がある。

 しかし、矢瀬はしばらく彼女との電話で時間を取られるだろう。その間、浅葱は手持ち無沙汰になる。

 仕方ないので浅葱は以前に受けたバイトの依頼を終わらせようと机に向かう。

 浅葱の部屋は一般的な女の子らしく可愛いらしい人形や雑貨が置かれていたりする。だがその中でも机周りだけは女の子らしさの欠片もない、大量のディスプレイとコンピュータで埋め尽くされていた。

 ちょっとしたIT企業並みのコンピュータの数々は浅葱の仕事道具。彼女の特技はコンピュータープログラミングで、その腕は他の追随を許さないレベルだ。そんな彼女に仕事を依頼する企業や組織は少なくない。

 適当に終わらせていこうとコンピュータを立ち上げて、浅葱は新着メールの存在に気づいた。

 発信者のアドレスはカノウ・アルケミカル・インダストリー社。浅葱も何度か依頼を引き受けたことのある絃神島の大手企業である。

 また新しい依頼かとメールを開いて浅葱は首を傾げる。どうにも仕事の依頼とは違うらしい。メッセージの内容は一言だけで、データが一つ添付されていた。

 

『解読希望──』

 

「なにかしら、これ?スパムってわけじゃなさそうだし……」

 

 イマイチ意図が読めないまま、浅葱は添付されていたデータを展開する。

 データの内容は見たこともない奇怪な文字の羅列だった。異常なまでに複雑な言語体系(システム)。まるで秩序のない論理配列(アレンジ)。地球上に存在するどの言語とも毛色を異なる。しかし魔術や呪術で用いられる呪言とも違う。どれほどの言語学者や魔術師を集めても、これを解読するのは不可能に近いだろう。

 だがここにいるのは天才プログラマー藍羽浅葱。その能力は卓越しており、“電子の女帝”などという異名を持つハッカーなのだ。それがプログラムである限り、彼女に解析できぬ道理はない。

 

「パズルかしら。まあ、暇潰しには丁度いいわね」

 

 暇潰し感覚で目の前の超難解プログラムを解析する浅葱。全く意味の分からない文字の羅列が解体され、並べ替えられ、翻訳されていく。そして浮かび上がってくる意味をなす文字の数々。

 その中の一つに目を留めて浅葱が何気なく呟いた。

 

「“ナラクヴェーラ”……?」

 

 

 

 




古城と紗矢華のやり取りが夫婦喧嘩に見えてきた自分はもうダメかもしれない……


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戦王の使者Ⅴ

ちょっと短くなってしまいました。


 暁古城の目覚めは基本的に目覚まし時計のアラームか瞼を焼く朝日のどちらかだ。たまに凪沙の手を煩わせることもあるが、それは前日に遅くまで起きていたなどの理由がある時だけだ。

 しかしその朝はいずれにも当てはまらない起床と相成った。

 

「もう、古城ったら。早く起きないと寝坊しちゃうゾ!」

 

 いつものサバサバした口調とは違う気味が悪い程甘ったるい声音と違和感しかない笑顔。無理をしているのが丸分かりな態度で、藍羽浅葱が古城の頬を指で突いてくる。

 目が覚めたら眼前にクラスメイトの女の子の顔があるなどという突拍子のない状況に、さすがの古城も思考に空白が生まれる。起き抜けの頭ではまともに考えを纏めることもできやしない。要するに内心では軽くパニックになっていた。

 落ち着け、まだ慌てる時間ではない、素数を数えろ。そう言い聞かせて古城は脳裏で素数を数えつつ、表面上は平静を取り繕って浅葱に訊く。

 

「なにをしてるんだ、浅葱……?」

 

「なにって、決まってるじゃない。古城が寝坊しないように起こしてあげてるのよ」

 

 うふふ、と常には絶対に浮かべない愛想笑いを交えて浅葱が言った。だが慣れないことをしているせいか、その表情はぎこちない事この上ない。

 そんな違和感バリバリの浅葱の姿を見て、ようやく頭が回り始めた古城は事の次第を察した。というか、原作でもこの展開はあった。ただし思いっきり忘れていたが。

 ぎこちない笑みを浮かべて見下ろしてくる浅葱に、古城はいつもより若干力なく苦笑いする。

 

「矢瀬あたりになんか吹き込まれたのか?」

 

「な、なんのことかしら?」

 

「言っとくけど、こういうのを喜ぶ男は一部だけだからな」

 

「うっ……やっぱりそうよね。古城相手に媚びても意味ないわよね……」

 

 がっくりと肩を落とす浅葱。彼女のかなり捨て身な体当たりは古城を幾らか驚かせるだけに終わった。無念である。

 軽く気落ちしながら浅葱は古城から離れようとした浅葱。その手が不意に古城によって掴まれた。

 え、と浅葱は戸惑いに声を洩らして古城を見やる。どこか悪戯っぽく目を細めた古城が浅葱を見上げていた。

 

「なあ、浅葱。矢瀬に妙な入れ知恵をされたのは分かるけど、それでも男のベッドに上がり込むのはおいたが過ぎるんじゃないのか?」

 

「まあ、ちょっとダメかなとは思ったけど……」

 

 古城の笑みに言い知れぬ不安を覚えて浅葱は逃げようとする。しかし古城にがっしりと手を掴まれていて離脱できない。それどころかもう片方の手が浅葱の耳元に伸びてくる。

 

「ちょ……古城、やめっ……」

 

 耳裏を撫ぜられるように触られて浅葱が身を強張らす。いつもの紳士的な古城からは考えられない行動に浅葱は混乱してしまう。まるで目の前の少年が別人に変わってしまったみたいだ。

 

「あんまり軽々しく男のベッドに上がるのは止めろよ。でないと──」

 

 混乱する浅葱をそっと引き寄せて、薄い藍色のピアスが輝く耳元に唇を近づけると、

 

「──食われちまうぞ」

 

 蠱惑的な声音で囁いた。

 

「へ、あ、うぁ……」

 

 浅葱は何か言葉を発しようとするものの、唇から洩れ出るのは意味を成さない声だけ。それどころかボン!と音がしそうな勢いで浅葱の顔が真っ赤に染まり、ぐるぐると目を回し始めた。

 予想外の反撃に脳内処理容量を超えてオーバーフローしてしまった浅葱は、くらくらと逆上せたように古城に倒れ込んでくる。

 

「おっと」

 

 古城はちゃっかりベッドから抜け出して浅葱を躱す。避けられた浅葱は憐れ、古城の温もり残るベッドに突っ伏す形になった。いや、もしかしたら僥倖かもしれないが。

 枕に顔を埋めてなにやら悶絶し始めた浅葱を呆れ混じりに一瞥して、古城はさっさと自分の着替えを始める。すぐ側に浅葱がいるとは言え、当人は暫く再起動に時間がかかりそうなのでその間に着替えを済ませてしまう。

 制服に着替え、いつもの黒いパーカーに腕を通したところで部屋のドアがノックもなしに開けられる。

 

「浅葱ちゃん、古城くんは起きた?あたしそろそろ、チア部の朝練行かなくちゃだから、って……どうしたの、浅葱ちゃん?」

 

 部屋のドアを開けて中に入った凪沙が見たのは、ベッドの上で頭から湯気を上げる浅葱と既に着替え終えた古城の姿だった。

 カオスな部屋の状況に立ち尽くす妹を見て、古城はふっと笑みを洩らす。

 

「無茶苦茶な起こし方をしようとしたから、ちょっとお仕置きをした」

 

「お仕置きって……浅葱ちゃん、悶えてるんだけど。一体なにをしたの、古城くん」

 

 ベッドに突っ伏して悶え転がっている浅葱の姿に凪沙は軽く引く。当の悶えている本人は未だ再起動に時間がかかるらしく、理解不能な謎言語を発しては頭を抱えている。

 そんな浅葱を一瞥して、古城は少し悪戯が過ぎたかと思う。だが、これくらいしておかなければ二度目が起きかねない。そうなった時、困るのは古城だ。

 吸血鬼にとって、吸血衝動が引き起こされる原因は端的に言えば性的興奮だ。要するに他人に欲情することである。

 これが非常に厄介で、吸血衝動というのは理性で御せる程に易いものではない。その衝動は容易く理性を奪い去り、ただ血を貪るだけの怪物へと変貌させる。たとえ精神年齢が高く鋼の理性を持つ古城でも、一度完全に呑まれてしまえば我を失ってしまう。

 平時であればそもそも余程のことがない限り周囲の人間に欲情するなんてことはない。だが先のように寝起きなどの状況では古城自身、どうなるか分からない。だからこそ、二度目がないようにと釘を刺したのだが。

 

「うあ〜〜……」

 

 古城の枕で顔を隠しつつごろごろベッドの上で転がる浅葱を見ると、ちょっと釘の刺し所を間違えたかと思わなくもない。

 古城は困ったように頭を掻きながら、

 

「ともかく、凪沙は早く朝練に行け。遅れるぞ」

 

「あ、うん。でも、浅葱ちゃんは……」

 

「その内再起動するから心配するな。それと、凪沙も勝手に人の部屋に他人を入れるなよ」

 

「うっ、じゃあ凪沙は行ってきまーす」

 

 バツが悪くなったと見るや凪沙はさっさと逃げ出す。ドタドタと騒がしく去っていく妹に古城が苦笑していると、入れ替わりで新たな影が現れた。

 

「先輩、なにかあったんです……か?」

 

 部屋の入り口に新たに現れたのはギターケースを背負った雪菜だった。

 雪菜は部屋の惨状を見て、凪沙と同じように目を丸くする。

 

「あの、先輩。藍羽先輩は一体どうしたんですか……?」

 

「うん……まあ、気にするな。その内復活するから」

 

 言って古城は雪菜の肩を叩きつつリビングへと出る。テーブルの上には一人分の朝食が置かれていた。どうやら準備が終わっていないのは古城一人だけのようだ。

 さっさと食事を終わらせるか、と古城が席に座ると部屋のほうから浅葱の珍妙な叫び声と騒々しい足音、そして玄関のドアが閉まる音が響いてきた。

 朝から元気だなー、とコーヒーを啜りながら古城が他人事のように考えていると、摩訶不思議なものを見たような顔をした雪菜がリビングに戻ってくる。

 

「本当になにをしたんですか、先輩。藍羽先輩、物凄い勢いで飛び出してしまいましたよ?」

 

「あー、そうだな。ちょっとした意趣返しだよ。予想以上に効果抜群だったらしいけど」

 

 男のベッドの上には危機感なく乗り込んできたくせに、ちょっと耳元で囁いたくらいであそこまで過剰反応するものなのか。自分でやったことながら古城は少し浅葱の反応が理解できていなかった。

 雪菜はイマイチ納得できなかったが、とりあえず浅葱のことは横に置いておくことにしたらしい。トーストを頬張る古城の対面に座ると真剣な顔つきになり、雪菜は昨夜の話を持ち出してきた。

 

「昨日のアルデアル公との対談、先輩は前々から黒死皇派の動向をご存知だったそうですね」

 

「ああ、まあな。もう分かってると思うけど、情報源は那月先生だからな」

 

 絶妙な焼き加減のトーストをコーヒーで飲み下しつつ古城が答えた。雪菜もそれは理解していたので、特に突っ込むこともなく流す。

 

「なら、どうしてわたしに黙っていたんですか」

 

 少しだけ頬を膨らませて雪菜が問うてくる。やはり古城に隠し事をされていたことが不満らしい。

 

「俺もつい最近教えてもらったばっかりだったんだ。まさかヴァトラーとの話で出てくるとは思わなくてさ」

 

 確かにその通りではあるが、その真意は違う。本当は夜中に抜け出していたことを雪菜に悟られたくないから話せなかっただけだ。さすがに監視役である雪菜を置いてテロリストと戦っていたなんて知れたら、説教どころでは済まない。きっと雪菜は烈火の如く怒るだろう。

 昨晩の時点で飲酒と勝手な行動とでこっ酷く説教されたのだ。これ以上の説教はもう懲り懲りであった。

 素知らぬ顔でコーヒーを啜る古城に、雪菜もこれ以上の追及は意味がないと悟って薄く溜め息を吐く。ここ最近、古城に気苦労を増やされる監視役であった。

 

「それで、黒死皇派のことはどうするんですか」

 

「止めないのか?」

 

「止めても無駄なのは監視役になってから身に染みて実感しましたから」

 

 疲れたようにこめかみを抑える雪菜に、古城はちょっぴり罪悪感を抱かされる。苦労をかけている自覚があるだけに今度何かしらの形で労ってあげないとなと思ってしまう。苦労を減らす方向性に行かないのがある意味古城らしい。

 

「それよりも、情報の一切ない現状でどう動くつもりですか」

 

「確かに、殲教師の時と違って今回は人相もなにも分かりやしない」

 

 そう言った古城の双眸が一瞬だけ鋭く細められる。しかし雪菜は特別気には留めなかった。

 

「だから、まずは情報を持っている人の元へ行く」

 

「情報を持っている人……」

 

 小さく呟いて雪菜がはっと顔を上げる。古城はコーヒーに口をつけながらニヤリと口角を釣り上げた。

 

「さて、とりあえずは授業に遅れないように登校するとしようか」

 

 古城の言葉に雪菜が頷いた。

 

 

 



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戦王の使者Ⅵ

 現在、絃神島でテロ行為を働いている黒死皇派とそれを扇動するクリストフ・ガルドシュ。彼らは今、絃神島の攻魔官によって追われている。となれば現状で彼らの情報を最も持っているのも必然的に攻魔官ということになる。

 そして古城たちにとって最も身近な攻魔官が誰かと言えば──

 

 

 ▼

 

 

 彩海学園高等部の職員室棟校舎。学園長室よりも上、建物の最上階にあたる位置に南宮那月の執務室はあった。

 学園施設の扉にしては重厚過ぎる目の前のドアを前に、古城はいつかのように準備運動をすることもなくノブに手を掛けた。

 

「那月先生。ちょっと教えてもらいたいことがあるんだけど……」

 

 ドアを押し開いた先に広がっていたのはどこの王宮かと突っ込みたくなる程に豪奢な部屋だった。床は足首まで埋まりそうな分厚い絨毯で覆われ、カーテンは上質な天鵞絨製。調度品の大半が年代物のアンティークであり、何故かベッドは天蓋付き。明らかに執務室の度を超えた飾り付けである。

 しかし古城は特に驚くこともなくふかふかの絨毯の上を踏み歩く。既に何度か訪れた経験があるので今更驚かないのだ。だが初めての雪菜は部屋の様相に目を見開いていた。

 

「ノックもせずに何の用だ、暁古城。それと転校生」

 

 高そうなアンティークチェアに座り、何故か扇子を構えていた那月。恐らく古城がちゃん付けで呼んでいたならば容赦なく振り下ろしていたのだろう。残念ながら今日の古城は国家攻魔官である南宮那月と話に来たため、ちゃんではなく先生呼びであったが。

 少しつまらなげに鼻を鳴らして、那月は顎で座るように促す。なかなかに傲慢な態度ではあるが、彼女がすると妙なカリスマめいたものを感じてしまうため気分を害すことはない。

 古城は遠慮なく部屋の中央に置かれた二つのソファの一つに腰を下ろす。その隣に雪菜も少し驚きつつ座る。

 オシアナス・グレイヴのソファにも負けず劣らずの座り心地だ。少し体重を掛ければ体が沈んでいってしまう。比較的感性が庶民的な古城にとっては最初こそ慣れない感覚であったが、何度かここを訪れるうちにそれも薄れた。薄れる程にこの執務室に入り浸っているのもおかしな話だが。

 

「それで、何が聞きたい。ちなみに情報の内容によっておまえの働く時間が変わるぞ」

 

「可愛い教え子が困ってるんだから、そこは無償で教えてくれよ……」

 

「おまえ程に可愛げのない生徒を、私は知らないな」

 

「酷いなぁ……」

 

 傷ついたとばかりにわざとらしく胸を押さえる古城。そんな古城を冷ややかに睨みつけて那月は早く話せと無言で命令してくる。

 

「クリストフ・ガルドシュ。黒死皇派を操っている男の情報が欲しい」

 

「ほう、私はそこまで教えた覚えはないが、どこでその名前を知った?」

 

「ディミトリエ・ヴァトラー。今、絃神港に停泊している船の持ち主だよ」

 

「ちっ、あの蛇遣いか。また面倒な輩に目を付けられたな、暁古城」

 

 忌々しげに吐き捨てる那月に古城は重々しく頷く。ヴァトラーがある意味単純で、そして非常に厄介な性質(タチ)の吸血鬼であることはよく理解していた。

 

「ヤツは自分よりも格上の吸血鬼を既に二人も喰っている。最も真祖に近い存在だと言われている化け物だ」

 

「同族の吸血鬼を……喰らった……」

 

 古城の隣で雪菜が慄然と呟く。

 吸血鬼というのは基本的に真祖の血筋に近く、長い時を生きている者程強い。血の中に蓄えられる魔力の量が莫大だからだ。故に真祖の血筋から離れ、若い吸血鬼というのは比較的弱い。

 しかし、真祖の直系でなくまだまだ若い吸血鬼の全てが弱いかと言えばそうではない。彼らにも、強大な力を得る手段がある。それが“同族喰らい”。他の吸血鬼の“血”を喰らうことだ。

 だが同族喰らいというのは口で言う程に簡単なものではない。

 普通、己より力の強い者を喰らおうとすると、逆に相手に自分自身を喰われてしまうと言われている。故に常識的に考えて若い世代の吸血鬼が格上の吸血鬼を喰らうことは不可能だ。

 しかし那月曰く、ヴァトラーは己よりも格上の吸血鬼を喰ったという。それも二人。通常では考えられないことだ。

 ヴァトラーの底知れなさに雪菜が肩を震わせる。

 そんな雪菜を興味なさげに一瞥し、那月は古城の目を見据える。

 

「ヤツにとって、今のおまえは鴨が葱を背負っているようなものだ。せいぜい、喰われんように気をつけることだな」

 

「肝に銘じとくよ。それより、今はガルドシュのことを教えてくれ」

 

「教えてやってもいいが……知っておまえはどうする気だ?」

 

 軽く威圧混じりに問われて古城は少し戯けた口調で答える。

 

「特別なにかをするつもりはないよ。どうせ俺が動くまでもなく、特区警備隊(アイランド・ガード)と那月先生が捕まえるだろうからさ」

 

「え……」

 

 昨日とは間逆のことを言う古城に、隣に座る雪菜が思わず戸惑いの声を上げた。古城は今にも問い詰めてきそうな雪菜を手で制しつつ続ける。

 

「昨日はヴァトラーへの牽制を兼ねて啖呵を切るようなことは言ったけど、正直那月先生たちの手にかかれば今日か明日にでも片がつくはずだ」

 

「よく分かっているな、暁古城。その通りだ」

 

 得意げに胸を張って那月が答える。“空隙の魔女”とまで呼ばれ恐れられていた攻魔官の手にかかれば、テロリストの残党程度取るに足らないのだろう。それ程までに目の前の少女は規格外の存在なのだ。

 だからこそ、謎が残る。

 

「ガルドシュは欧州で有名なテロリストだ。そんなヤツが、この島に那月先生がいることを知らないはずがない。それなのに連中は絃神島にわざわざ来た。下手すれば全滅しかねないのにだ」

 

 かつて欧州で猛威を奮っていた南宮那月がいると分かっているこの絃神島に、何故ガルドシュ率いる黒死皇派は訪れたのか。魔族特区が標的ならば絃神島以外にもある。だからわざわざ極東の人工島にまで乗り込む意味はないはずだ。

 黒死皇派が多大なリスクを犯してまでこの島に来たのには必ず理由がある。古城はそれを懸念しているのだ。

 那月は察しの悪い人間ではない。古城の言動から言いたいことを先読みして、そして古城の懸念する何かに心当たりがあった。

 

「……“ナラクヴェーラ”か」

 

「ナラクヴェーラ?」

 

 聞き慣れない単語に雪菜が首を傾げる。那月は少し面倒くさげな顔をしながらも口を開いた。

 

「南アジア、第九メヘルガル遺跡から出土した先史文明の遺産だ。かつて存在した無数の都市や文明を滅ぼしたと言われる、神々の兵器だよ」

 

「それが連中の狙いか」

 

「恐らくな。だがそれも無用の心配だ。九千年も前のガラクタ、たとえ動かせても黒死皇派にはそれを制御する手立てがない。連中にとってはただの馬鹿でかい荷物でしかないんだよ」

 

 そう言い終えると那月は横合いから差し出されたカップを受け取り口をつける。古城と雪菜の前にも丁寧にカップが二つ置かれた。

 

「おう、ありがとなアスタルテ」

 

「ありがとうございます、アス……タルテ、さん……?」

 

 古城に続いてお茶を用意してくれた相手に礼を言おうとして、メイド服姿で盆を抱える見覚えのあり過ぎる藍色の髪の少女に雪菜が唖然とする。

 

「ど、どうしてアスタルテさんがここに……!?」

 

 人工生命体アスタルテ。彼女はオイスタッハ殲教師によって生み出された眷獣を身に宿す世にも珍しい人工生命体(ホムンクルス)だ。

 アスタルテは現在、三年の保護観察処分を受けている。そしてその身元引き受け人として選ばれたのが国家攻魔官として腕の立つ那月だった。

 那月はアスタルテを引き取るや自身の忠実なメイドになるよう命令。きちんと一人の人間として扱っているし、アスタルテ本人も満更でもなさそうなので古城も文句は言わない。ただ、時折眷獣の様子がどうか確認をするために既にアスタルテとも何度か会っている。

 なので古城はアスタルテの登場にも驚かない。それが雪菜の気にかかった。

 

「先輩は知ってたんですね」

 

「うん、まあな。眷獣がちゃんと大人しくしてるか気になって、経過観察がてら時々会ってたからな」

 

 少し前に経過を見た時と変わらぬアスタルテの姿に古城は満足げに頷く。少し眷獣が活発化しているが、それは恐らくここ数日で眷獣の召喚をしたからだろう。時期的に考えて戦闘の相手は黒死皇派と見て間違いない。

 

「一体いつの間に……」

 

 監視役である自分を差し置いてあっちこっちへ行動する古城を、雪菜が少し拗ねたように見上げる。別に古城としては雪菜の目を盗んでアスタルテに会っていたつもりはないのだが、そこは本人の感情的問題だろう。

 隣で若干不機嫌になっている監視役に首を傾げながら古城は少し顔を険しくして尋ねる。

 

「だけど、連中はその兵器を制御する手段を求めてこの島に来たんじゃないのか」

 

「確かにそうだが、ナラクヴェーラを制御する方法は石板に刻まれた呪文だか術式だかを解読しなければならない。世界中の言語学者たちが匙を投げた代物を、テロリストの残党風情がどうこうできるはずもない。昨日捕まえたカノウ・アルケミカル・インダストリー社の研究員も殆ど解析できていなかったからな」

 

 優雅に紅茶を啜りながら余裕の体を崩さない那月。黒死皇派には逆立ちしても制御コマンドの解析は不可能だと確信しているからこその余裕だろう。

 だがしかし、対面に座る古城の顔つきは険しいままだ。

 

「忘れてないか、那月先生。そういう暗号の類を暇潰しにパズル感覚で解いちまう存在が身近にいることを」

 

「……藍羽浅葱か」

 

 古城のクラスメイトであり那月にとっては教え子の一人、藍羽浅葱は世界最高レベルのプログラマーだ。本人に自覚は薄いが、彼女の腕は世界中の人間が認めている。それはつまり、裏の人間にも知られているということ。

 黒死皇派の狙いがナラクヴェーラの制御コマンドの解析であるのならば、浅葱に仕事を依頼する可能性は非常に高い。いや、むしろ連中の狙いは最初から浅葱に石板を解析させることだったのかもしれない。もしそうであるのならば、浅葱は現在進行形で黒死皇派に狙われているということになる。

 

「もしかしたらもう既に黒死皇派からなんらかの接触があったかもしれない。浅葱のほうは俺がそれとなく聞いてみるよ」

 

「仕方ないか。藍羽浅葱はおまえに任せる。だがくれぐれも無茶をするなよ。ここでおまえが暴れたら学園が消し飛びかねん」

 

「了解。那月先生も、気をつけてな」

 

「私を誰だと思っている」

 

 不敵な笑みを浮かべる那月に古城も気楽に笑う。目の前の少女が遅れを取るような相手などそうそういない。というか、那月を正面切って打ち倒すことができる敵など想像できない。だから古城も那月の心配は殆どしていない。

 アスタルテが淹れてくれた紅茶を飲み干して古城はソファを立つ。それに合わせて雪菜も立ち上がる。

 

「じゃあ、俺は教室に戻るよ」

 

「この借りは高くつくぞ、暁古城」

 

「頼むから、この前みたいなのは勘弁してくれよ……」

 

 この前というのは勿論、テロリストの相手をさせられたことだ。古城としては眷獣の制御の練習になるので嫌ではないのだが、如何せん雪菜の目を掻い潜るのが辛い。後々バレた時の反応も怖いし。

 しかし那月は古城の事情など知ったことかと取り合うこともなく、さっさと豪華な執務机に戻ってしまう。

 手厳しい担任教師に少しげんなりとしながら、古城は雪菜を伴って那月の執務室を後にした。

 

 

 ▼

 

 

「じゃあ、俺は今から浅葱に訊いてくるから。姫柊も教室に戻れ」

 

 那月の部屋を出てすぐにそう言って、古城は足早に教室へ向かおうする。しかしその手を雪菜が掴んだ。

 

「待ってください。わたしも一緒に行きます」

 

「いやでも、もうすぐ授業始まるぞ」

 

 今からダッシュで教室に向かったとしても時間は授業開始直前。いくら雪菜でもそこから走ったとしても授業には間に合わない。

 しかし雪菜は頑として手を離そうとしない。

 

「どうせまたわたしに内緒で勝手に動くおつもりでしょう?」

 

「そ、そんなことはないさ」

 

 と言いつつ古城は明後日のほうへと目を逸らす。雪菜の指摘通り、思いっきり単独行動する気満々だったのだ。まさかそれを予想されるとは思いもしなかったが。

 雪菜は手が掛かると言わんばかりに溜め息を吐くと、

 

「別になにかしらの行動を起こすことは構いません。でも、わたしの手が届かない所に一人で行くのはやめてください。もしも先輩が暴走した時、誰が止めるんですか」

 

 ぎゅっと古城の手を強く握りしめて雪菜は言った。その表情は置いてけぼりを食らった子供のように不安げだった。

 決して離さないとばかりに手を掴まれてしまっている以上、古城に雪菜を振り払う選択肢はない。少し困ったように頭を掻きながら、

 

「分かった。一緒についてきてくれるか?」

 

「勿論です。わたしは先輩の監視役ですから」

 

 ふっと柔らかに微笑んで雪菜は手を離した。

 意見が纏まったところで古城と雪菜は教室へと向かう。雪菜とのやり取りで少し時間を食ったせいか、二人が教室に辿り着いたのは授業開始の予鈴が鳴る直前だった。

 古城と雪菜は二人揃って教室に飛び込むと、これまた仲良く口を揃えて浅葱の名前を呼ぶ。

 

「浅葱はいるか?」

 

「藍羽先輩はいらっしゃいますか?」

 

 入ってくるや否や浅葱を呼び出す古城と雪菜に教室内は一瞬水を打ったかのように静かになるが、やがて騒然として呼ばれたクラスメイトに視線を集中させる。

 

「え、あたし……?」

 

 朝の一件で古城とどう顔を合わせればいいか悩んでいた浅葱は、突然の展開に目を白黒させていた。これがもしも古城だけだったならまた朝のことを言われるのかとも思えたが、隣には雪菜の姿もある。朝のやり取りは雪菜には知られていないはずだから、必然的に朝とは別件ということになる。

 古城と雪菜の二人に呼ばれる用事なんてあったか、と浅葱が頭を悩ませていると件の二人が浅葱の席に近づいてくる。

 

「悪い、浅葱。ちょっと話がある」

 

「ご同行願えますか、藍羽先輩」

 

「え、え?ちょっと、どいうことなのよ!?」

 

 古城と雪菜に両脇を抱えられて教室から連れ出される浅葱。その様子がまるで刑事に連行される容疑者のようで、残されたクラスメイトたちは笑えばいいのか反応に困った。

 その中の一人、矢瀬は他人事のように呟く。

 

「仲良いなー、あの三人」

 

 今の一連の一部始終を見てその感想はどうなのか。いや、確かに仲が悪いことはないだろうが。あれこれ入れ知恵した割に反応が素っ気ない矢瀬であった。

 一方、浅葱は古城と雪菜の手によって人気のない非常階段の踊り場へと連れてこられていた。

 

「悪いな、いきなり連れ出して」

 

「ほんとよ、もう……話って一体なんなのよ?」

 

 むすっとふて腐れながら浅葱が訊いてくる。微妙に古城と目を合わせようとしないのは今朝のことを引きずっているからだろう。

 古城は雪菜に目配せをすると、

 

「ナラクヴェーラ、カノウ・アルケミカル・インダストリー社。この二つに聞き覚えはあるか?」

 

「はあ?いきなりなんでそんなこと……」

 

「答えてくれ、浅葱」

 

 ずいっと真剣な表情で古城が迫る。その勢いに浅葱は少し気圧されながら首を縦に振った。

 

「えっと、昨日変なパズルみたいなのが送られてきて……それを……」

 

「解いたのか?」

 

「う、うん。ちょっとした暇潰しに丁度いいかな、なんて思って……」

 

「そんな……」

 

 浅葱の告白に雪菜が顔を青ざめさせる。恐れていた事態が起こってしまった。これでは神々の兵器と謳われるナラクヴェーラが起動されてしまう。そうなれば絃神島はただでは済まないだろう。

 深刻な表情をする雪菜に浅葱は猛烈な不安を覚えて古城を見上げる。

 

「ねえ、古城。あたしなんか不味いことしちゃったの?」

 

 問われた古城は答えようか答えまいか少し迷って、やがて意を決して口を開いた。

 

「浅葱が解読したのはある古代兵器を制御するために必要なコマンドだ。そしてそれが解析されてしまった以上、その兵器が動き出す」

 

「嘘……兵器って、冗談でしょ?」

 

 懇願するように見つめてくる浅葱に、しかし古城は無情にも首を横に振る。ここで嘘を吐いたところでいずれバレてしまうことだ。ならここで知っておいたほうがダメージが少なく済むだろう。

 

「そんな……あたしのせいで」

 

「藍羽先輩……」

 

 その場に崩れ落ちそうになる浅葱を雪菜が優しく支える。古城も浅葱の肩に優しく手を載せ、大丈夫だ、と呼びかける。

 

「浅葱は悪くない。自分を責めるな。悪いのは全部、黒死皇派の連中だ」

 

「黒死皇派……?」

 

「今、絃神島でテロ活動をしているテロリストだよ。でも連中もじきに捕まるさ」

 

 安心させるように古城が言うが浅葱の不安は拭えない。

 

「でも、その兵器のせいで危ないんじゃないの……?」

 

「それは分からない。俺たちも実物を見たことがあるわけじゃないんだ。だから、浅葱に頼みがある」

 

 非常階段の踊り場に座り込む浅葱に目線を合わせ、古城は頼み込む。

 

「カノウ・アルケミカル・インダストリー社に残っているだろうナラクヴェーラのデータを調べて欲しい」

 

「それは、どうして?」

 

「少しでも情報があれば、もしもナラクヴェーラが起動されても対抗できるからだ」

 

「対抗って、古城、あんたまさか戦うつもりなの!?」

 

 浅葱が物凄い勢いで顔を上げる。古城はあり得ないと首を横に振り、

 

「那月先生に情報を流すんだ。あの人ならきっとどうにかしてくれる」

 

「そっか、そうよね……」

 

 ほっと安堵に胸を撫で下ろす浅葱。そんな彼女に古城と雪菜は少し罪悪感を刺激されるが、それを表情に出すことはない。

 

「それで、やってくれるか?」

 

「……分かった、あたしに任せなさい!名誉挽回してやるわよ!」

 

 勢いよく立ち上がって浅葱は胸を張る。

 もう自分を責めている様子はなく、むしろ挽回してやるとばかりに意気込んでいる。今の浅葱程に頼もしい人間もいないだろう。

 

「そうと決まればさっさとやるわよ。今の時間帯で空いてるのは……生徒会室ね」

 

 言って浅葱はずんずん階段を上がっていく。

 完全にいつもの調子を取り戻した浅葱に、古城と雪菜は顔を見合わせるとほっと息を洩らした。

 

「二人も早く来て!」

 

「分かった分かった」

 

「すぐ行きます」

 

 階段の上から浅葱に急かされて、古城と雪菜もすぐに後を追った。

 

 



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戦王の使者Ⅶ

色々捏造設定と強化フラグ入ります。


 カノウ・アルケミカル・インダストリー社のデータベースに侵入するためにはネットワークに繋がったコンピュータが必要だった。しかし今は授業中で教室には戻れない。よって浅葱が目を付けたのは生徒会室のパソコンだ。

 生徒会室には学校サイトの運営や事務作業に使われているパソコンが何台かあった。浅葱はそれを利用しようというのだ。

 電子ロックされている生徒会室のドアを鼻歌混じりにハックして解錠すると、浅葱は躊躇いなく室内に踏み込んでいく。その後に続いて古城と雪菜も侵入する。

 

「確かナラクヴェーラのデータだったわよね」

 

「ああ、そうだ。できそうか?」

 

「当然」

 

 部屋の一番奥に位置するパソコンを起動させると、浅葱は手早く作業に入る。目にも留まらぬ速さでタイピングし、画面上を流れていく無数の数字を読み取っていく。古城にも雪菜にも、浅葱が何をしているのかはさっぱり分からなかった。

 数十秒程が経った頃合いで画面上に幾つかの画像ファイルが表示される。

 

「これがナラクヴェーラよ」

 

「こいつが……」

 

「ナラクヴェーラ、ですか……」

 

 ディスプレイ上に映し出されたのは、ずんぐりとした卵型の石の塊だった。例えるなら身体を丸めた昆虫の姿に似ている。見方によっては分厚い装甲を曲線状にした戦車にも見えなくはない。

 

「二十世紀末に休眠状態で発掘された出土品……データによると、一種の無機生命体。生物兵器ね」

 

「生物兵器?」

 

 雪菜が疑問の声を上げた。浅葱はデータに残された解析データを探して読み上げる。

 

「現代風に言うところの無人戦闘機って感じかしらね。多数の武装と飛行能力を持っていたとか推定されてるらしいわ」

 

「武装に飛行能力まで……」

 

 雪菜が暗い面持ちで呟く。神々の兵器とまで言われるナラクヴェーラの武装。そこいらの近代兵器などとは比べものにならない代物であるのは間違いないだろう。果たしてそんな古代兵器を止められるのか。

 雪菜に当てられてか、浅葱も先程までの勢いを少し萎ませていく。どことなく重苦しい空気が漂い始める中、

 

「浅葱、少しどいてくれるか」

 

 パソコンの前を陣取っていた浅葱を軽く押し退けて、古城は表示される画像とデータを食い入るように見ていく。

 無機生命体だとか無人機だとか浅葱は色々言っていたが、要するに兵器であることに変わりない。攻撃を学習して対策を取ってきたり、元素変換で破損を修復したりと尋常の兵器の領域を超えてはいるが、それでもナラクヴェーラは兵器なのだ。

 兵器である以上、壊れたら不味い部位というのは確実にある。人間で言うところの脳や心臓のように、破壊されたら即死に至る部分が。

 それさえ見つけられればあとは簡単だ。攻撃を学習される前に一撃で壊す。恐ろしく単純で上手くいくかどうかも分かりやしないが、可能性があるのなら試す価値はある。まあ、試すにしてもまずはその弱点を見つけなければ始まらないが。

 目を皿のようにしてデータに目を通していく古城。やはり実際に稼働させることができていないため、データの内容は推察や考察が多い。だがその中に有益な情報がないかと言えばそうではない。例えば──

 

「嘘だろ……」

 

 覚えのない兵装の存在に古城は愕然と目を剥く。原作でのナラクヴェーラの武装は“火を噴く槍”と爆発する戦輪。あとはその高度な学習能力とそれに伴う進化。これだけでも十二分に厄介な事この上ないというのに、今古城が見つけたデータにはそれ以外の武装の存在が仄めかされていた。

 元々ナラクヴェーラというのはインド神話の“天翔る戦車(プシュパカ・ラタ)”や、道教で崇められている人造神“哪吒(ナタ)太子(たいし)”のモデルになったと考えられている兵器だ。原作で登場した武装や見た目もその伝承に類似したものとなっている。

 だからこそ、原作で登場した以外の武装の存在も考えられて当然。火輪が出てきたのだから他の斬妖剣・砍妖刀・縛妖索・降妖杵・綉毬の元となった武装があっても、それは何らおかしな話ではないのだ。

 ぎりっ、と古城が苦々しげに歯噛みする。ここにあるデータはあくまで推察や考察であるが、それでも研究者たちは実物を見た上で判断しているのだ。原作通りの武装しかないと古城に断じることはできない。

 弱点を探そうとしてその逆を見つけてしまうなんて、運が悪いのか良いのか。いや、知らぬままに戦闘になっていたより遥かにマシだろう。心理的負担は倍増したが。

 憂鬱に古城が溜め息を吐く。すると今まで蚊帳の外から見守っていた雪菜と浅葱が、古城の左右に立つ。

 

「なにか分かりましたか?」

 

「すっごく嫌なものを見たって顔してるけど……」

 

 不安げに訊いてくる二人に、さてどうしたものかと古城は頭を悩ませる。ある実験データのファイルを見つけたのはその時だ。

 

「微弱な電磁波反応……?」

 

 そのデータファイルは休眠状態のナラクヴェーラを制御コマンド以外の方法で稼働させることができないか試みた実験の結果だった。手段は多岐に渡る。純粋な外からの衝撃、外部からの電子的ハッキング、そして超音波によるアクセスなど。

 どれもナラクヴェーラを起動させるには至らなかったが、その中の一つの試行で微かな反応が返ってきた。その反応が発された部位というのが、丁度卵型の中心部。恐らくここがナラクヴェーラにとっての脳神経にあたる部分なのだろう。

 つまり、ナラクヴェーラを一撃で壊すならばここを再起不能なレベルで破壊すればいいのだ。

 

「やっと見つけたぞ……!」

 

 口角を吊り上げて古城は笑う。不確定要素は増えたがそれに見合うだけの成果は上がった。これ以上この場で得られる情報もないだろう。

 用が済んだのならば早いとこ生徒会室を出よう。そう両隣の雪菜と浅葱に言おうとした瞬間、生徒会室のドアからガチャリという音が響いた。

 

「やべっ──」

 

 瞬間、古城はパソコンの電源を落として雪菜と浅葱の肩を掴むと、

 

「隠れろ……!」

 

「えっ、ちょっと──」

 

「待ってくだ──」

 

 なにやら抗議しようとする二人を机の下のスペースに押し込み、自身は隣の机の下に飛び込んだ。

 その直後、生徒会室に何者かの気配が侵入してきた。気配の主は恐らく教師。紙を捲る音が聞こえてくるので書類の整理にでも来たのだろう。

 何度か紙が擦れる音がすると、やがて作業が終わったのか気配が遠ざかっていく。

 ドアが閉まる音が聞こえてきて、そこでようやく古城は緊張を解いて机の下から出た。

 

「危なかった……」

 

 本来なら授業を受けているこの時間帯に生徒会室に忍び込んでいたなんて知れたらただでは済まない。心の底から見つからなくて良かったと古城は安堵に息を吐く。

 ふう、と古城が冷や汗を拭うと、

 

「こ〜じょう〜……!」

 

「せんぱい……!」

 

 地獄の底から響く怨嗟のような声が聞こえてきた。次いで逃がさんとばかりに両肩に手が置かれる。右が浅葱で左が雪菜の手だった。

 古城は言い知れぬ恐怖を覚えて恐る恐る首を後ろに回す。背後にいたのは揃って顔を真っ赤にした少女たちだった。二人ともどうしてか物凄く怒っているらしい。

 

「え、あの、どうかいたしましたか、お嬢さん方?」

 

 思わず下手に出る古城。今の二人には逆らってはいけないと、本能的に察したからだ。

 問われた二人は互いの顔を見合わせると茹だったかのように耳まで赤くし、何故か口元を手で隠した。

 

「何があったかなんて!」

 

「言えるわけないでしょ!」

 

「あ、うん分かった。なにがあったかは分からないけど、俺が悪いのはよく分かった」

 

 即座に古城は頭を下げる。理由はさっぱり分からないが、先の一瞬でなにか古城には言いたくないようなことが起きたことだけは理解できた。そしてそのなにかが引き起こされた原因が自分にあることも。

 非があるのならば謝罪するのは当然。古城は心から二人に謝った。しかし二人の怒りは謝罪だけでは収まらない。というか、二人とも酷くパニックになっているらしく、古城の謝罪も届いていないように見える。

 

「ああ、もうほんと……!」

 

「う〜……!」

 

 どうして怒っているのか話せないため、二人は己の内から湧き上がる感情を持て余す。ぶつけようにもぶつけられないのだ。

 

「もういい。行きましょ、姫柊さん」

 

 やがてこの場にいることに耐えられなくなった浅葱が、未だうーうー唸っていた雪菜の手を掴んで駆け出す。そのまま脱兎の如く生徒会室を飛び出してしまった。

 

「一体なにがあったんだ……?」

 

 一人ぽつねんと生徒会室に残されて古城は呆然と呟いた。

 

 

 ▼

 

 

 一人置いてけぼりを食らった古城は得た情報を那月に流そうと彼女の執務室を訪れたのだが。間の悪いことに那月は不在、どうやら黒死皇派の潜伏先が判明したらしく、制圧に出てしまったそうだ。と残っていたアスタルテが教えてくれた。

 

「間に合わなかったか……」

 

「教官からの指示で、有事の際は最優先で藍羽浅葱を守るようにと受けています」

 

「そうか、じゃあ俺からも追加注文だ。もし浅葱に獣人が近づくようなら構わず眷獣を使え」

 

命令受諾(アクセプト)。第四真祖からの新たな命令を承認。優先順位を第二に置きます」

 

 機械的な口調でアスタルテが応える。これでいざという時アスタルテも浅葱の護衛に回ってくれるだろう。

 古城に折り目正しく一礼して廊下の先に消えていくアスタルテ。恐らく浅葱の元へ向かったのだろう。今現在どこにいるかは分からないが。

 

「それじゃあ行きますか」

 

 浅葱が雪菜を連れて行ってしまったため図らずとも一人になれた古城。おかげで単独行動し放題である。

 恐らく雪菜は冷静になっても古城を探しには来ない。むしろ黒死皇派から浅葱を守るために動くはずだ。そして今、アスタルテも浅葱を守るために動いている。浅葱の護衛は二人で十分。残りの古城がすべきは敵の迎撃だろう。

 階段を上がって学園校舎の屋上に出る。勿論授業中の今、屋上に古城以外の人影はない。

 誰もいない屋上の一角に備え付けられたベンチに座り、背凭れに体重を預ける。やはりというか真夏並みの日差しが降り注ぎ、古城は顔を顰めながら黒いフードを頭に被った。

 のんびりとベンチでだらけていると、

 

「──随分と暇そうね、サボり真祖」

 

 背後から顔の右横に銀色の剣が突きつけられた。

 顔の真横で鈍い光を放つ剣に古城は一瞬顔を引きつらせるも、声から相手が誰であるか悟って肩の力を抜く。

 

「もう少し普通に話しかけることはできないのか、煌坂」

 

「振り下ろさなかっただけありがたく思いなさい。雪菜にあんなことさせておいて……」

 

「見てたのかよ。だったら、あの時なにがあったか教えて──」

 

「教えられるわけないでしょ!?」

 

「おまえもかよ……」

 

 背後で怒鳴り散らして銀の剣身を震わせる煌坂紗矢華に古城は軽くビビる。さすがに顔の真横に凶器がある状況というのは心臓に悪い。

 

「とりあえず、一旦落ち着け」

 

「あとで雪菜にちゃんと謝りなさいよね」

 

 そう言うと紗矢華は銀色の剣を背負っていた楽器ケースに収納した。

 紗矢華は古城から距離を取ってベンチに座る。服装は昨日と違ってプリーツスカートにサマーベストと、如何にもな学生らしい格好だ。

 微妙に開けた距離に古城は苦笑しつつも詰めるようなことはしない。紗矢華が男を苦手としているのを知っているからだ。

 

「それで、煌坂がここにいるってことは……」

 

「ええ、あなたの言った通り、一時間程前に動き出したわ」

 

「やっぱりか……」

 

 紗矢華からの情報に古城は眉根を寄せる。ここまで順調に事が運ぶとなにか盛大な失敗が起きそうで、古城は逆に不安になってしまう。

 叶うならば、このまま思惑通りに事が終わることを祈って、古城はベンチから重い腰を上げた。

 

「さて、これから招かれざるお客さんを出迎えようと思うんだが、手伝ってくれないか?」

 

 古城の呼びかけに、紗矢華は得意げに頷いた。

 その数分後、彩海学園内に火事を報せる警報が鳴り響いた。

 

 

 ▼

 

 

 突然の火災報知器の起動に彩海学園内は一時騒然となる。実際に火事が発生しているかの確認は取れていないが、授業を受けていた生徒たちは教師たちの手によって体育館へと避難しようとしていた。

 常とは違い浮き足立った状態の学園。そこに付け込んで校内に侵入を試みようとする者たちがいた。

 学園の裏門付近に車を停め、彼らは常人から掛け離れた身体能力で校内に踏み込む。全員獣人であり、ある程度鍛えられている故にその動きに乱れはない。目標がいるであろう教室へと真っ直ぐ向かう。

 しかしそんな彼らの行く手を阻む影があった。

 裏門から高等部校舎へと続く道を塞ぐように佇んでいたのは制服の上から黒いパーカーを羽織った学生だった。

 学生は目深に被ったフードを親指で上げると、薄く笑みを作る。

 

「獣人を二人も引き連れて、学生の通う園に一体何の用だ?執事さん、いや、クリストフ・ガルドシュ」

 

 両脇に獣人化形態の男を二人侍らせる、頬に大きな傷を負った強面の老人紳士に暁古城は挑発的に言った。

 軍服姿の老人は知的さ漂う顔を笑みに歪める。獣人の秀でた感覚から古城が待ち構えていたのは察知していた。しかし老人は迂回することも退くこともせず、真っ向から古城の前に姿を現した。それは余裕の表れか、それとも……。

 

「よくぞ私の正体を見破ったな、第四真祖。普通の学生とは思えない聡明さだ」

 

 ガルドシュは己の正体を誤魔化すことはなく、それどころか賞賛するように拍手を鳴らす。

 

「しかし如何にして我々が黒死皇派であると見破ったのかね?」

 

「最初から妙だとは思ってたんだよ。“オシアナス・グレイヴ”の乗組員たち、どいつもこいつも堅気らしからぬ雰囲気を纏っているし。特に給仕が酷かった。働かせるならもっと仕込んでから表に出せ」

 

 “オシアナス・グレイヴ”の乗組員たち。その大半は黒死皇派の生き残りだ。彼らは杜撰な乗組員のチェックに目を付けて船のクルーとして乗り込んで来たのだ。

 乗組員たちは船内においてはクルーとして振る舞っていた。勿論、パーティーの時には給仕として働く者も数多くいた。その姿を見て、古城は違和感を感じとったのだ。

 仮にも貴族が主催するパーティーの給仕が、あろうことか素人であるなんてことはあり得ない。しかも動きの端々から軍人の雰囲気を滲ませているなんて論外だ。

 故に古城は彼らが堅気の人間ではないと判断し、その中でも一際纏う雰囲気が異常な老人執事に目を付けた。その目というのが紗矢華のことである。

 昨晩、古城は紗矢華に一つの頼み事をした。その内容は乗組員と執事の動向に注意し、船から降りるようなことがあればこっちに伝えてくれというものだ。紗矢華も何とは無しに違和感を覚えていたのか、古城の頼みを断ることはなかった。

 結果、執事たちは古城の予想通りに行動を起こし始め、紗矢華がそれを伝えに学園へ訪れたのだ。

 あとは単純だ。黒死皇派の狙いが浅葱であると分かっている以上、古城はわざと彼らが侵入しやすいように火災報知器を鳴らし、誘い込んだのだ。

 

「なるほど、その時点で疑われていたのか。我々は君を侮っていたようだな」

 

 感心したようにガルドシュは頷く。古城に見破られていことにはあまり驚いた様子がない。むしろ愉快げに笑っている。

 

「だが、どれほどに頭が切れても所詮は素人の子供だ。現に──」

 

 ガルドシュは何気ない仕草で胸元に手を伸ばすと、次の瞬間、目にも留まらぬ速度で拳銃を抜き撃った。

 放たれた弾丸は六発。大口径の弾丸は無防備な古城の心臓を的確に撃ち抜く。古城の身体は銃撃の衝撃に吹き飛び、大量の鮮血を撒き散らしながら地面へと倒れ込んだ。

 

「あまりにも立ち居姿が無防備すぎる。それでは撃ってくれと言っているようなものだ」

 

 そう言ってガルドシュは銃を下ろす。獣人の優れた感覚で倒れる少年の息の根が完全に止まったのを確認したからだ。

 

「急ぐぞ。グリゴーレは下駄箱からアイバ・アサギの靴を取ってこい。確認のために必要になる。それから……」

 

 もう一人の獣人に指示出そうとして、唐突に噴き上がった魔力の波動にガルドシュは表情を凍りつかせた。

 眩い雷光が迸ったのはその直後だった。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)!“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 仰向けに倒れたままの体勢から右腕を天に向けて掲げた古城から、まるで地を這うように稲妻が放たれる。出来る限り威力を絞られた雷撃は細い鞭のようにしなりながらガルドシュ一行に襲いかかった。

 

「──不味い!?」

 

 咄嗟に反応できたガルドシュはその場から大きく飛び退る。しかし完全に油断していた二人の獣人は雷撃の餌食になり、その場に痙攣しながら倒れ伏した。

 一瞬の内に獣人を二人も無力化した古城は少しふらつきながらも立ち上がる。その胸元では現在進行形で六発の銃創が再生されている真っ只中だった。

 ガルドシュはその様子に目を見開く。

 

「馬鹿な。いくら真祖と言えど、ここまでの短時間で再生するなどできるはずがない」

 

 ガルドシュも古城が銃撃程度で死ぬとは考えていなかった。ただ浅葱を誘拐するまでの時間くらいは稼げると見込んでいた。だが現実はどうだ。復活に掛かった時間は一分もない。最早吸血鬼の常識すら超えている。

 驚愕するガルドシュに、古城は得意げな笑みを浮かべる。

 

「確かに、本当に無防備な状況での不意打ちだったなら復活にもっと時間が掛かっただろうな。でも、死ぬことが分かっていてすぐに復活できるように身構えていたなら話は別だ」

 

 吸血鬼は怪我を負った時、その部位に魔力を集中させれば再生を早まらせることができる。つまり死に至るような傷も、その部位に魔力を集中させておけば復活を早くすることが可能なのだ。

 古城は別になんの考えもなしにガルドシュ達の前に立ちはだかったわけではない。最初から一度殺される覚悟で彼らの行く手を阻んだのだ。

 

「あんたの言う通り、俺はちょっと頭の回る程度の賢しいガキだ。戦争を知っているわけでもないど素人さ。だから俺は、不意打ちだろうと何だろうと使う。大切なものを護るためならな」

 

 静かに戦意を滾らせる古城。その瞳には死すら怖れぬ強い覚悟の光が灯っている。ある意味死兵と同じような精神状態なのだろう。ただし古城の場合は復活するが。

 学生とは思えぬ気迫を放つ古城に、今まで余裕の体を保っていたガルドシュの顔つきが変わる。油断の一切ない老獪な軍人の表情だ。

 

「どうやら、我々はきみの評価を更に一段階、いやそれ以上に引き上げなければならないようだ。これからはきみを学生などとは思わない、一人の敵として見ることを約束しよう」

 

「そんな約束、嬉しくもなんともないな」

 

「そう言わないでくれたまえ、第四真祖。私は久しくきみとの戦争に滾っているのだ」

 

 くはははっ!と哄笑を上げる老将校。その声音には隠しきれない喜悦が滲み出ている。

 

「さて、きみがどんな手を使ってでも私を止めにくる以上、こちらも出し惜しみはできない。民間人を巻き込むのであまり使いたくはなかったが、致し方あるまいな」

 

「なに……?」

 

 ガルドシュの物言いに不穏なものを感じ取り古城が身構える。

 ガルドシュは手に持っていた拳銃を懐にしまうと代わりに何かのスイッチのような物を取り出す。黒い筒状の持ち手の先に赤いボタンが付いた、如何にも爆弾の起爆装置ですと言わんばかりの代物だ。

 

「実はだね、第四真祖。我々は昨夜の内にこの学園の一部に爆弾を仕掛けて置いたのだよ」

 

「なんだと……!?」

 

 予想だにしない展開に古城が驚きの声を上げる。原作では学園に爆弾なんて仕掛けられていなかったはず。しかしガルドシュはその手に爆弾の起爆装置を握っている。真実かハッタリか、現状の古城には判断ができなかった。

 

「関係ない人間を巻き込む気か!?」

 

「忌まわしい魔族特区に住む人間が何十何百死のうと、我々の罪にはなるまい。そもそも我々はテロリストだということを忘れてはいないかな、第四真祖よ」

 

「くっ……」

 

 悔しげに古城は歯噛みする。ナラクヴェーラの件で全てが原作通りではないと分かっていたはずなのにこの体たらくだ。己の見通しの甘さに古城はどうしようもなく腹が立った。

 それと同時に、古城は心の底から安堵していた。

 一人でなんでもかんでもやろうとしていたら、この時点で古城は詰んでいた。だが今の古城は一人ではない。心強い仲間がいる。

 故に古城は不敵に笑って見せた。

 

「何がおかしいのかね、第四真祖?」

 

「いや、持つべきものは友人だと思ってな」

 

「なに……?」

 

 訝しげに眉を顰めるガルドシュ。この期に及んで古城が世迷い事を宣う意味が理解できなかったのだ。

 だが次の瞬間、彼の持つ爆弾の起爆装置が飛来した銀の矢によって無残にも砕け散った。

 

「なっ、狙撃だと!?一体どこから……!?」

 

 即座に矢の射手をガルドシュは探す。掌に収まる程度の起爆装置を正確無比に撃ち抜いた狙撃手は、案外すぐに見つかった。

 学園校舎の屋上。転落防止用の金網を背に屋上の一角に佇む少女がいた。その手には銀色の金属製の洋弓が握られている。

 狙撃手の正体にガルドシュは覚えがあった。ヴァトラーの監視役として付いていた獅子王機関の舞威媛だ。しかし何故あの娘があそこにいるのか。

 ガルドシュの疑問に答えたのは古城だった。

 

「あんたらが動きだしたことを伝えてくれたのが、他ならぬ煌坂だよ」

 

「道理で我々の侵入を予期できたわけだ」

 

 冷静にガルドシュが呟く。さすがの彼も古城を賞賛する余裕はなくなってきたらしい。まるで詰将棋のように徐々に追い詰められていくこの状況に、危機感を抱いているのだ。

 だがそれと同時に、久しく忘れていた軍人としての疼きも覚えていた。この状況がガルドシュは愉しくて堪らない。

 

「さあ、どうするよ、テロリスト。ここらで大人しくお縄につく気はないか?」

 

「馬鹿を言ってくれるな、第四真祖。これ程までに心躍る戦争の気配を前にして、今更退けるわけがない。きっちり最期まで付き合ってもらうぞ!」

 

 背中に差していた大振りのナイフを引き抜くと、ガルドシュは自らも獣人化をする。

 老人の骨格が軋みを上げ、筋骨隆々の獣人の姿へと変貌する。身体能力だけならば、今のガルドシュは第四真祖である古城を上回るだろう。近接戦に持ち込まれれば古城と言えど勝ち目はない。

 古城とガルドシュの彼我の間合いはおよそ十メートル。獣人の脚力ならば一足飛びで詰められる距離だ。一瞬でも気を抜けば、次の瞬間には間合いがゼロになっているだろう。

 古城は全神経を尖らせて身構える。最悪相討ちでも構わない以上、古城が取るべき選択肢は“黄金の獅子(レグルス・アウルム)”の電気を身に纏いガルドシュの攻撃を受けること。それで全てが万事上手くいくはずだ。

 だが、古城の目論見は思わぬ邪魔者の乱入によって木っ端微塵に打ち砕かれた。

 古城とガルドシュが動き出そうとしたその時、横合いから怖気が走る程の魔力が爆発した。

 

「──暁古城!?」

 

 屋上から状況を俯瞰していた紗矢華はいち早くそれに気づき、古城の名前を叫ぶ。

 だが時既に遅し。紗矢華の声が届いた時には、視界はホワイトアウトしたように白く染まり、凄まじい熱量と爆発に古城の体はトラックに撥ねられたかのような勢いで吹き飛んでいた。

 

 




まさかのナラクヴェーラ強化フラグ……(白眼。


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戦王の使者Ⅷ

 暁古城とクリストフ・ガルドシュが激突せんとしたまさにその時、二人の丁度中間に途轍もなく強大な横槍が入った。

 それは真祖にも負けず劣らずの魔力を有する灼熱の蛇の眷獣。アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーが有する眷獣の一体だった。

 二人の勝負に水を差した蛇はとんでもない爆発を巻き起こし、古城とガルドシュを襲った。完全に不意を突かれた古城はその爆撃を諸に受けて吹き飛んでしまう。

 そんな古城にどこからともなく現れたヴァトラーが軽い口調で謝る。

 

「ああ、すまないね古城。つい力が入って狙いがズレてしまったよ」

 

 眷獣の一撃により吹き飛んだ周囲一帯を、別段気にも留めようとしないヴァトラー。超高温の灼熱によって融解したコンクリートが蒸発し、溶岩のように赤熱している状況も彼にとっては取るに足らない。学園がどうなろうと興味がないのだろう。

 盛大に吹き飛ばされた古城は倒れたまま動かない。いや、正確には立ち上がれない。己の内側で暴れる眷獣を抑えるために必死なのだ。

 第四真祖の眷獣は非常に強力だが、癖は強いし血を吸わなければ古城を宿主として認めてくれないじゃじゃ馬だ。古城の尽力により力をセーブした上でならある程度力を貸してくれる眷獣もいるが、基本的には好き勝手に暴れてくれる傍迷惑な存在である。

 その自然災害にも匹敵する力を有する眷獣の一体が、ヴァトラーの眷獣に触発されて出てこようとしている。古城の身が危険に曝されたと判断してのことだろう。だが今ここで飛び出されるのは非常に拙い。故に古城は必死に力のベクトルを制御しようとしているのだ。

 

「ああっ、があぁああっ!?」

 

 体の内側で荒れ狂う衝撃波に内臓を破壊され、古城は盛大に吐血する。並みの吸血鬼ならばこの時点で死に至っているだろう。しかし古城は慣れから内臓が潰れると同時に再生に魔力を回してどうにか堪えていた。

 今のところいつもの要領で力の向きを外ではなく内側に留められている。あとはこのまま周囲への被害が少ない上空へ放出すればいい。

 だがそこへ、屋上から援護していた紗矢華が駆けつけてしまう。

 

「どうしたのよ、暁古城!?一体なにが……」

 

「来るな、煌坂!今すぐ離れろ!?」

 

 血塊を吐き出しながら古城が叫ぶ。その必死な様に紗矢華は思わず後退りする。

 ふらふらとやっとのことで立ち上がり、古城は激痛に絶叫しながら天を仰ぐ。そして目一杯息を吸い込み、吐き出すと同時に内側に溜め込んだ衝撃波の砲弾を上空へと向けて放った。

 耳を劈く轟音が響き渡り、大気を伝わった振動波が学園中の窓ガラスを割るないしは罅を生じさせる。限界にまで眷獣の力を抑えたものの、やはり天災並みの猛威を完全に逃すことはできなかった。暴れた眷獣の性質的にも無理があったのだ。

 莫大なエネルギーの全てを吐き出した古城は一歩二歩と蹌踉めくと、

 

「ごふっ……」

 

 再び吐血しながらその場に膝から崩れ落ちた。

 

「暁古城……!?」

 

 完全に沈黙したと見るや紗矢華が慌てて駆け寄る。

 男が苦手であることを緊急を要するとして理性で堪えて、即座に古城の体を触診する。獅子王機関の舞威媛は呪詛と暗殺のプロ。人体構造に関してはそこいらの医者よりも熟知していた。

 だからこそ、古城の容態に紗矢華は顔を蒼白にさせた。

 内臓の大半が破裂。骨も殆どが折れるか砕けているという常人ならば即死して当然の惨状だった。幸いか第四真祖の身体能力により肉体の原型は留められ、そして現在進行形で凄まじいまでの再生が始まっているのでじきに蘇りはするが。それでも受けた苦痛は計り知れない。

 一体どうしてこんな状態にと紗矢華が疑問を抱くと、倒れ伏す古城を興味深げに見下ろしていたヴァトラーが口を開いた。

 

「ふむ、どうやら暴走しようとした眷獣を強引に抑えつけたようだね。なかなかに無茶なやり方だ。下手をすれば肉体が四散してもおかしくなかっただろうに」

 

「どういうことですか、アルデアル公」

 

 ヴァトラーから古城を庇うように位置取りしながら、紗矢華が問う。今現在、紗矢華にとって最も危険な人物は目の前の青年貴族だ。いつ何時襲いかかられても対応できるように身構える。

 ヴァトラーはそんな紗矢華の態度など気にも留めずに続けた。

 

「簡単に言えば、この学園を守るために古城は自らの内側で爆弾を爆発させたのサ。まあ第四真祖の眷獣を爆弾と同列に見れるかは甚だ疑問だけれどね」

 

「そんな……」

 

 第四真祖の眷獣は神話に登場する怪物と肩を並べる化け物と謳われている。そんな化け物の力をその身で受けるだなんて、たとえ不死不滅の吸血鬼でも精神が保たない。一歩間違えれば廃人と化してもおかしくないだろう。

 苦悶の表情で荒い息を吐く古城を痛ましげに見てから、紗矢華は乱入者の青年貴族を睨み据える。

 

「どういうおつもりですか、アルデアル公。何故、第四真祖に危害を加えるような真似をなさったのですか」

 

「心外だなァ。ボクはただガルドシュを仕留めようとしただけサ。ちょっとばかり手元が狂ってしまったけどね」

 

「そんな屁理屈が……」

 

「ボクが嘘を吐いているとでも言うのかい?」

 

 威圧混じりの笑みで問うてくるヴァトラーに紗矢華は悔しげに閉口する。

 ヴァトラーは仮にも戦王領域の貴族だ。いくら監視役とはいえあまり角を立たせるようなことをすれば外交問題に発展しかねない。さすがの紗矢華も今回は分が悪かった。

 苦々しげに紗矢華がヴァトラーを睨みつけていると、学園校舎のほうからこちらに向かって走ってくる影があった。

 

「紗矢華さん!」

 

 尋常ならざる魔力の高まりと古城の眷獣の暴走を感じ取った雪菜が、お馴染みの銀の槍を携えてこの場に馳せ参じた。

 雪菜は破壊された周辺の環境に絶句し、次いで紗矢華の側で地に倒れるボロボロの古城を見て悲鳴にも近い声を上げた。

 

「先輩!?一体なにが起きたんですか!?」

 

 血相を変えて古城の傍にしゃがみ込む雪菜。紗矢華は手短かにこの場で起きた事の顛末を説明する。

 

「アルデアル公の眷獣の攻撃を食らったのよ。そのせいで第四真祖の眷獣が暴走したらしいわ」

 

「眷獣の暴走……さっきの衝撃波はやっぱり先輩の眷獣だったんですか」

 

 窓ガラスが割れた学園校舎を見て雪菜が呟く。幸い生徒たちは古城が鳴らした火災警報によって体育館に避難していたため怪我人はいない。その代わり体育館は今頃パニックに陥っているだろうが。

 

「何故、この場にアルデアル公がいらっしゃるんですか?」

 

 言外に、おまえがいなければこんなややこしいことにはなっていなかった、という意味を込めて雪菜が言う。ヴァトラーはさも困ったように眉根を寄せて肩を竦めた。

 

「いやはや実はね、ボクが寝ている間に“オシアナス・グレイヴ”が黒死皇派に乗っ取られてしまったのだよ」

 

「乗っ取られた……?」

 

「その通り。ボク自身は命からがら脱出したわけさ。そして偶然にもボクの船を乗っ取った親玉を見つけて、思わずやってしまったのサ。まさか古城を巻き込んでしまうとは思わなかったけどねェ」

 

 嘆かわしいと大仰に首を振るヴァトラー。あまりにも言っていることが胡散臭すぎて雪菜も紗矢華も視線の温度が氷点下一歩手前まで落ち込んでいる。

 それもそうだろう。ヴァトラーの手にかかれば船の一つや二つ沈めるなど容易いし、奪い返すことだってできたはずなのだ。だが彼はそれをしようとしなかった。それどころか船をそのままテロリストに明け渡してしまう始末だ。

 古城を巻き込んだのも故意だろう。どんな狙いがあるかは知れないが、傍迷惑にも程がある。

 迷惑の権化とも言えるヴァトラーを冷ややかに睨む少女たち。一触即発とまではいかないがかなり険悪な空気が流れ始める。

 

「おやおや、随分と嫌われてしまったね。まあいいや。ボクはガルドシュを追うから、古城が目覚めたら謝っておいてくれるかい」

 

 そう一方的に言い残してヴァトラーは金色の霧へと姿を変え、その場から消え去った。

 気の赴くままに暴れて去っていく、まるで嵐のような所業に雪菜と紗矢華は揃って溜め息を吐く。

 その直後、今まで苦痛に呻いていた古城が意識を取り戻した。

 

「やってくれたな、ヴァトラー……」

 

 未だ完全回復には程遠い体に鞭を打って古城が立ち上がろうとする。だがやはりまだ無理があったらしく、膝立ちの体勢に持っていくのが限界だった。

 

「まだ動いちゃダメよ!自分の体がどうなってるのか分かってるでしょ!?」

 

 無理に動こうとする古城を紗矢華が叱りつける。その剣幕から見た目以上に古城がボロボロであることを悟る雪菜。

 古城の体は外見的にはあまり酷い怪我を負っているようには見えない。しかしその内側は生命活動を維持するだけで一杯一杯な程に損傷している。現に今も気を抜けば意識が飛んでしまいそうな激痛に襲われていた。

 それでも古城は止まらない。紗矢華の制止を跳ね除け、浮かない顔の雪菜の肩を叩きながら根性で立ち上がった古城は、破壊の爪痕残る己の周囲を見回す。

 

「ガルドシュには逃げられたか」

 

 あの爆撃の最中、古城はガルドシュが逃走していく姿をその目で捉えていた。あちらも無傷ではないだろうが、それでも逃げられてしまったことに変わりない。

 後一歩で全てが丸く収まっていたというのに、それも全てヴァトラーによって台無し。さすがの古城も舌打ちの一つや二つしたくなる。だが今はそれよりも優先すべきことがある。

 浅葱の誘拐に失敗したガルドシュはまず間違いなくナラクヴェーラを起動させる。既に浅葱によって起動コマンド“始まりの言葉”は解析されてしまっているので起動するだけなら可能なのだ。

 命令のない状態でのナラクヴェーラは自身の脅威と認識したものを片っ端から破壊し尽くしていく。そこからガルドシュがどう動くかは分からない。もしかしたら絃神島の安全を盾に浅葱を脅迫してくるかもしれないし、制御不可の状態で暴れるかもしない。

 どちらにせよ、このまま放っておくわけにはいかない。早くガルドシュの元へ行かなければ、ナラクヴェーラによってどれ程の被害が齎されるか分かったものではない。

 急いでガルドシュを追うべく駆け出そうとする古城。だがその行く手を紗矢華が阻んだ。

 

「待ちなさい。そんな状態で行くつもりなの?いくらなんでも無茶よ」

 

「無茶だろうと行かなきゃならないんだ。それに、今から急げばナラクヴェーラを起動される前に追いつけるかもしれない」

 

 その可能性は殆どないだろうが、紗矢華を説得する材料には使えると思った。だが紗矢華は古城の言葉に頷こうとはしない。

 

「絶対にダメよ。吸血鬼の再生能力を加味してもあと二十分は安静にしないと万全には動けないわ。今は回復に専念しなさい」

 

「いやでも……」

 

 子供のように聞き分けなく、なおも言い募ろうとする古城を見かねて雪菜が動く。

 

「先輩、失礼します」

 

「──へっ?」

 

 古城の背後に音もなく忍び寄った雪菜は鮮やかな膝カックンを決め、そのままパーカーの襟を掴んで古城を引き倒す。未だ中身がボロボロの古城は踏ん張ることもできず、なす術もなく硬い地面に背中から落下する。が、古城が背中を打ちつける直前に雪菜が絶妙な加減で体を支えたことで衝撃は免れた。

 一瞬の鮮やかな手並みに古城も側から見ていた紗矢華もしばし何が起きたか理解できなかった。しかし後頭部に当たる柔らかな感触と紗矢華の嫉妬の叫び、そして物凄く不機嫌な表情で雪菜が顔を覗き込んできたところで自分の置かれた体勢を悟る。

 それはいつかの焼き直しのような、膝枕だった。今回は古城も吃驚するくらいに強引な手口であったが。

 

「先輩は以前、護りたいものがあるから戦うとおっしゃっていましたね」

 

「あ、ああ。言ったな」

 

 唐突な話の展開に目を白黒させながら古城は頷く。あれは確か最初に出会った時だったか。微妙にニュアンスが違ったりもしたが、概ね雪菜の言う通りで間違っていない。だが何故今その話になるのか。

 

「こんな状態で護ることができるんですか?わたしにちょっと引っ張られたくらいで倒れてしまう程ボロボロなのに」

 

「…………」

 

 雪菜の冷静な指摘に古城は返す言葉が見つからず黙り込む。

 雪菜の言う通り、こんなボロボロな体で戦場に出たとして自分に何ができただろうか。冷静に考えてみれば分かる。何も護ることもできず、ただの足手纏いにしかならなかっただろう。

 きっと古城は焦っていたのだ。ナラクヴェーラの武装やガルドシュの爆弾、極めつけはヴァトラーによる横槍と。原作にはない展開の連続に自分でも気づかぬ内に焦燥が募っていたのだ。

 雪菜は古城が冷静さを失っていることに気づき、やや強引なやり口ではあるが落ち着きを取り戻させようとしたのだろう。おかげで古城は平静さを取り戻すことができた。もう無茶を言うこともない。

 

「ありがとう、姫柊。おかげで頭が冷えた。煌坂も、心配かけて悪かったよ」

 

「落ち着かれたならいいです」

 

「別に私はあなたの心配したわけじゃないし……」

 

 ずっと険しく強張らせていた表情を緩め、古城はいつもと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべる。雪菜も安心したように不機嫌だった顔を優しげな笑みに変えた。約一名は微妙に機嫌が悪くなってそっぽを向いているが。

 雪菜の柔らかな太腿に頭を預け、古城は体の回復に集中する。全身余す所なく損傷しているので完全回復には紗矢華の見込み通り二十分はかかるだろう。その間、ずっと黙って時間を無駄にするのも勿体ない。故に古城はこの時間を使って雪菜と紗矢華にナラクヴェーラの情報を話すことに決めた。

 

「二人とも、よく聞いてくれ。ナラクヴェーラのことだが──」

 

 神妙な面持ちで語り始めた古城に、雪菜も紗矢華も真剣な表情で耳を傾けた。

 

 

 

 




明日は更新きついかもしれません……。


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戦王の使者Ⅸ

更新遅れてすいません。リアルで模試が近くて忙しくて……。多分連日投稿は難しくなると思います。申し訳ありません。


 雪菜の膝枕という世の男どもが聞けば血涙を流すであろう体勢でキッカリ二十分。吸血鬼の再生能力によって古城は完全復活を果たした。

 ガルドシュと戦う前よりも気力に満ち溢れる肉体。焦燥に支配されていた精神は平時と変わらぬ穏やかさを保っている。今ならばナラクヴェーラが相手でも負ける気がしない。

 

「よし、行くか」

 

「はい。でも、どうやってガルドシュの元へ向かうんですか?」

 

 やる気に満ち溢れる古城に雪菜が訊く。

 ガルドシュの居場所は十中八九ヴァトラーから奪われた“オシアナス・グレイヴ”だろう。元々連中は浅葱を誘拐して船で作業をさせるつもりだったのだから、船までの逃走経路を確保していてもおかしくない。一度態勢を整えるためにも指揮官であるガルドシュが帰還するのは当然と言えよう。

 そうなると困るのは古城たち。彼らには洋上に浮かぶ“オシアナス・グレイヴ”に乗り込む手立てがない。つまり手出しができないのだ。

 まあ、やろうと思えば港から眷獣をぶっ放して沈めることも不可能ではないのだが、さすがの古城もそれは自重する。本心では制御コマンド解析用のスーパーコンピュータやナラクヴェーラの女王機が積まれている船など、後顧の憂いを断つためにも沈めたいところであった。もしも許しがあったならば、古城はヴァトラーへの意趣返しを含めて清々しい笑顔で船を轟沈させただろう。

 都合良くヘリもなく、吸血鬼お得意の霧化もできない古城に海上の船に乗り込む手段はない。ならば選ぶことのできる選択肢は自ずと限られてくる。

 

「こっちから行くことができない以上、あっちから上陸してくるのを待つしかないだろうさ」

 

「それはそうですけど。来るんでしょうか?藍羽先輩の誘拐に失敗したんですから、一度態勢を整えるためにも退くのでは……」

 

「連中は必ず打って出てくる」

 

 迷いなく古城が断言する。

 

「俺たちに“オシアナス・グレイヴ”を乗っ取ったことがバレた時点でガルドシュに逃げる選択肢はないんだよ。それに、背を向けようものならあいつが容赦なく沈めるさ」

 

「あいつ……?」

 

 古城の言うあいつという人物が誰か分からず雪菜と紗矢華が揃えて首を傾げる。

 あいつとは、ヴァトラーのことである。黒死皇派を船員として招き込んだり、古城を襲ったりと、まるで意図の読めない行動をする青年貴族。彼の目的はただ一つ、永遠の無聊の慰め。端的に言えば退屈凌ぎがしたいだけである。

 吸血鬼というのはその永遠とも言える寿命から酷く退屈を嫌う。ただ己の無聊を満たすがために好き勝手振る舞う吸血鬼の存在はそう珍しい話ではない。ヴァトラーはその最たるだろう。

 彼は自他共に認める戦闘狂(バトルマニア)で心の底から強者との死闘を望んでいる。戦いのためならば己を殺せしめんとするテロリストでさえも懐に招き入れ、活動の手助けをする。狂気としか言いようがない。

 黒死皇派に船を明け渡し、古城とガルドシュの戦いに横槍を入れたのも。全ては真祖を殺し得ると言われる神々の兵器、ナラクヴェーラとの死闘を欲するがためだ。

 恐ろしく単純でとんでもなく厄介な性質(タチ)の吸血鬼。それがアルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーだ。

 ヴァトラーは、黒死皇派が期待外れな行動に出たら証拠隠滅のためにも容赦なく潰すはずだ。ガルドシュもそれをよく理解している。故にガルドシュに撤退の選択肢はなく、たとえ制御ができなくともナラクヴェーラを起動させて戦わなければならない。

 そしてその決戦の地は──

 ズドォン!と彼方で何かの爆発音が響く。古城たちは反射的に音のした方角へ目を向けた。

 学園より遠く離れた上空、ヘリらしき飛行物体が爆炎に包まれて落下しようとしていた。墜落すると予測される場所は恐らく現在拡張工事中の増設人工島(サブフロート)のあたりだろう。

 黒煙を噴いて落下していくヘリを雪菜と紗矢華が唖然とした表情で見つめ、古城は僅かに顔を顰める。

 

「多分、黒死皇派のヘリだろうな。撃ち落としたのは特区警備隊(アイランド・ガード)か。どうやら休んでる間に大分事態は進んでるみたいだな」

 

 懐から徐に携帯を取り出して古城は警察へと通報する。増設人工島(サブフロート)へ向かうにしてもこの場と無力化したガルドシュの部下二人を放置していくわけにはいかない。幸か不幸かガルドシュの部下二人はヴァトラーの眷獣による一撃の余波でしばらくはまともに動ける状態ではなかったので、後の処理は警察の手でも十二分に負えよう。

 匿名で学園に怪しい獣人が二人倒れている旨を伝えて一方的に通話を切り、古城は後ろに控える雪菜と紗矢華に目配せをする。視線を合わせた二人は分かっていると言わんばかりに頷く。その様子に古城はこれ以上にない頼もしさを感じた。

 

「さて、それじゃあ盛大に殴り込みかけようか」

 

 獰猛に牙を剥いて古城はそう宣言した。

 

 

 ▼

 

 

 絃神島は四基の超大型浮体式構造物(ギガフロート)によって構成された人口の島である。だがその四基の浮島以外にも、島の周囲には細々とした後付け拡張ユニットが多数存在する。

 黒死皇派の残党と特区警備隊(アイランド・ガード)が銃撃戦を繰り広げる増設人工島(サブフロート)もまたその一つ。絃神島十三号増設人工島(サブフロート)、建設中のゴミ埋め立て施設だった。

 

「悪いけどお客さん。これ以上は道が封鎖されてて近づけないよ」

 

 タクシーの運転手が進行方向を指差して言う。車の十数メートル先、メインフロートとサブフロートを繋ぐ橋が黄色と黒のバリケードによって封鎖されていた。周辺には赤色灯を光らせるパトカーと警官の姿もある。

 助手席に座っていた古城と、後部座でそれぞれの武器が収納された楽器ケースを抱える雪菜と紗矢華は車内からでも聞こえてくる銃撃の音に表情を険しくさせる。予想していたとはいえ、実際に戦場の気配を身近に感じて三人ともが気を引き締め直した。

 

「分かりました。ここで降ります」

 

「あいよ。八百九十円ね」

 

 運賃の請求に古城は千円札を出す。そして釣り銭を受けっとている時間すらもどかしくて古城はそのまま車を降りる。運転手が少し困ったように呼び止めてくるが、古城は結構ですといつもの笑みを返した。

 雪菜と紗矢華も続いて降りてくる。それを確認した運転手は厄介ごとに巻き込まれまいとさっさと引き返していった。

 古城は目の前に広がる光景を改めて見やる。

 橋を封鎖しているバリケードの奥では銃撃戦によって白煙が立ち込め、絶えることなく銃声が鳴り響いている。少し目を凝らせば先ほど撃墜されたらしいヘリの残骸が炎上している姿も見えた。

 どうやら黒死皇派は建設途中の増設人工島(サブフロート)に建っていた監視塔に立て篭り、特区警備隊(アイランド・ガード)と交戦しているしい。五階建てのビル程もある円筒形の建物を中心に銃のマズルフラッシュがひっきりなしに炸裂しているのが分かる。

 遠目からではイマイチ分からないが、戦況は膠着しているように見える。双方怪我人は多数出ているし、このまま交戦が続けば泥沼の消耗戦に陥るのは素人の古城でも理解できた。

 

「ナラクヴェーラが現れた気配はありませんね」

 

「みたいだな。でもそれも時間の問題だ。早いとこ那月先生あたりに特区警備隊(アイランド・ガード)の撤退を頼まないと不味い」

 

 那月の性格からして雑魚相手に自ら出張るような真似はしないだろう。特区警備隊(アイランド・ガード)にも花を持たせてやらねばな、とか考えて高みの見物をしている姿が容易に想像できる。

 何にせよ、急ぎ増設人工島(サブフロート)に乗り込まなければ話にならない。悠長にしている間にナラクヴェーラが起動されて特区警備隊(アイランド・ガード)が一網打尽になんてなったら笑えない。

 だが唯一の連絡橋はバリケードにより封鎖されてしまっていて正攻法で増設人工島(サブフロート)に乗り込むのは無理。力づくで押し通るのも憚れる。

 仕方ない、と古城は後ろで強行突破しますかなどと物騒なことを宣う二人を手招きした。

 

「今からあっち側に飛び移ろうと思うわけだが」

 

「飛ぶんですか、でも……」

 

「いくら私たちでもこの距離はちょっと無理があるわよ」

 

 古城たちのいる絃神島本体と増設人工島(サブフロート)との間を隔てる距離は目測でも八メートル以上ある。オリンピックの走り幅跳びの選手ならば飛び移れなくもないだろうが、雪菜と紗矢華には少し厳しい。だが古城は違う。

 

「俺が一人ずつ抱えて飛べばいけるだろ」

 

 第四真祖の肉体を持つ古城にとって八メートル程度の距離など一足飛びに越えることができる。人一人抱えたとしても増設人工島(サブフロート)に飛び移ることは十二分に可能だろう。

 

「わたしは構いませんが……」

 

 そう言って雪菜は気遣うように隣の紗矢華を見上げる。

 紗矢華は大の男嫌いであり同時に男に対して強い恐怖心を抱いている。いくら古城が相手とはいえ男に抱えられるというのは紗矢華にとって抵抗があるはずだ。雪菜はそれを心配しているのだ。

 雪菜の視線を受けて紗矢華は気丈に振る舞う。

 

「大丈夫よ、雪菜。あいつがなにか変なことしてきたら即抹殺するから」

 

「しないから、恐ろしいことを言うのはやめてくれ」

 

 物騒な宣言をする紗矢華から古城が数歩距離を取る。まあどちらも本気に受け取っている様子ではなく、あくまで場の空気を和ませる冗談のつもりらしい。だが雪菜は紗矢華の手が微かに震えていたのを見逃さなかった。

 

「心配しないで。ほら、先に行って」

 

 ボロが出るのを避けるため紗矢華がやや強引に雪菜の背を押す。

 

「いいこと、暁古城。私の雪菜に変な真似したらその時は私が呪い殺してやるんだからね」

 

「だからしないって……」

 

 疲れたように薄く溜め息を吐きながら古城は雪菜に歩み寄る。

 

「あの、先輩。抱えるってどうやって」

 

「さすがに女の子を荷物みたいには抱えられないからな。ちょっと失礼するぞ」

 

 一言断って古城は雪菜の膝裏と背中に手を回してそのまま抱え上げた。

 

「せ、先輩!?この格好は──」

 

「悪いけど、文句はなしだ。お姫さま」

 

 抗議しようとする雪菜を無視し、背後から聞こえる嫉妬の声も右から左へ流して、古城は自らの唇を浅く噛み切った。

 口腔内に血の味が広がり、吸血鬼の肉体が活性化する。そのまま強化された脚力で数歩の助走、そして力の限り硬いコンクリートの地面を踏み切った。

 人間を辞めた古城の身体能力にかかれば八メートル程度の跳躍、雪菜を抱えていようと造作もない。危なげなく対岸に着地して古城は雪菜を丁重に下ろした。

 

「いきなりなにをするんですか!?」

 

 己の両足で地に立った雪菜が顔を赤くして詰め寄ってくる。古城は落ち着くように手で制しつつ、

 

「でも肩に担がれたりとか嫌だろ?」

 

「それは嫌ですけど……不意打ちなんて卑怯です」

 

 膝カックンして有無を言わせず膝枕させた人の言葉とは思えないが、古城はあえて突っ込むことはしない。時間も勿体無いし、無闇に藪を突く趣味もないのだ。

 

「じゃあ煌坂もこっちに連れてくるわ」

 

「あ、待ってください先輩。紗矢華さんは……」

 

「大丈夫だよ、姫柊。分かってるから」

 

 呼び止めてくる雪菜に古城は心配ないと笑ってみせ、今度は一人で楽々と絃神島本体へと飛び移った。

 

「よっと。お待たせしました、お嬢さま」

 

「馬鹿言ってないでさっさと運びなさいよ」

 

 微妙に機嫌を悪くしながら紗矢華が言う。運ぶ前からご機嫌斜めなお嬢さまに古城も苦笑を隠せない。

 

「はいはい。ところで煌坂はどういう抱え方がいい?」

 

「なんでもいいんだから、早くしなさいよね」

 

 早くしろと急かす紗矢華に古城は仕方ないと一歩近づく。すると一瞬、紗矢華の体が緊張したかのように強張った。それを見て古城は歩みを止める。

 

「な、なによ。いいから早く運んでよ」

 

「…………」

 

 言われて古城は再び一歩踏み出す。だがそこで紗矢華が無意識の内か古城から離れるように後退りしてしまい距離が生まれてしまう。

 

「あ、ちがっ、どうして……」

 

 自身の行動に戸惑い目を白黒させる紗矢華。ここまで過剰反応してしまう自分に、紗矢華自身も混乱しているようだ。

 今日に至るまで、別に紗矢華は一切男と話したり近づいたりしたことがなかったわけではない。それは任務のため仕方なかったり、上司との付き合いだったりと避けられない道だった。紗矢華はその全ての男に対して基本的に拒絶的な対応を取ることで必要以上に懐に踏み込まれないようにしてきた。

 だが前にも感じたように、目の前の少年は今まで出会ってきた男とは違う。だから強く拒絶することができなかった。

 そして今、かつてない程に自身の内側に踏み込まれて紗矢華は反射的に恐怖してしまっている。それは幼少時代に父親から受けた虐待が原因だ。幼少期に刻み込まれた男に対する恐怖が紗矢華を苛んでいるのだ。

 暗闇に怯える子供のように震える紗矢華を古城は真剣な眼差しで見守っている。決して強引に踏み込もうとはしない。トラウマというのは厄介なものであり、下手に刺激すれば紗矢華が精神的に不安定になりかねないからだ。

 だから古城は踏み出さず、ただ己の手を差し出した。

 

「暁、古城……」

 

「大丈夫だ、俺はおまえを傷つけたりしない。絶対にな。だから、怖がらなくていい」

 

「怖がってなんかないわよ!私は……」

 

 否定の言葉を重ねようとして、しかし今の自分の態度を思い出して紗矢華は口を噤む。誰がどう見ても怯えているのは一目瞭然なのだ。当人が気づいていないはずかない。

 竦然と立ち尽くす紗矢華に、古城は優しく諭すように言う。

 

「怖いなら怖いでいいんだ、煌坂。誰にだって怖いものの一つや二つあるんだから。恐れることは悪いことじゃないさ」

 

 でも、と古城は続ける。

 

「その恐怖を否定して逃げるのはダメだ。それじゃあいつまで経っても、前に進めない。怖くていいから、今はありのままの自分を認めるんだ」

 

「ありのままの自分……」

 

 今までは男への恐怖を嫌悪で覆い隠してきた。だがそれは、ある意味逃げと変わらない。自分自身から目を背けているにすぎなかった。

 紗矢華は自分の震える手を見つめる。そして次に差し出される古城の手に視線を落とした。

 古城は待っている。急かすこともなく、紗矢華が恐れながらも一歩踏み出すことを。

 そんな古城の手の指先を、紗矢華は震えながらも恐る恐る掴む。いや、掴むというより摘むという感じだが。それでも紗矢華は自らの意思で男の手に触れた。小さいながらも彼女は確かな一歩を踏み出したのだ。

 怯えながらも一歩踏み出した紗矢華に古城が優しく微笑みかける。

 

「いけそうか?」

 

「……ええ、もう大丈夫」

 

 今度こそ紗矢華は古城の手をしっかりと掴み、彼の空色の瞳を真っ直ぐ見返した。

 古城は一つ満足げに頷くとそっと歩み寄り、雪菜と同様に紗矢華をお姫さま抱っこで抱え上げる。

 僅かに体を強張らせはしたものの紗矢華はパニックになることもなく、落ちないように古城の首にしっかりと腕を回す。古城も落とさないようにしっかりと抱き抱える。

 

「行くぞ……!」

 

 軽く助走をつけて古城は雪菜と同じ要領で増設人口島(サブフロート)へと跳躍した。だがここで一つの誤算が生じる。雪菜と紗矢華の体格差、詰まる所体重差を忘れていた。

 小柄な雪菜に対して背も高い紗矢華では体格差も大きい。つまり紗矢華を雪菜の時と同じ勢いで抱えて飛べばどうなるかと言えば、

 

「あ、まずっ!」

 

「ちょっと暁古城!?」

 

 崖っぷちギリギリに着地する古城。だがそこへ間の悪いことに海風が吹き込み、煽られた古城の体がゆっくりと傾いでいく。

 不味いと思った時には、古城は既に煌坂を突き飛ばすように下ろしていた。代わりに自分自身は反動で海へ真っ逆さま、になることはなかった。

 間一髪、先に渡っていた雪菜と紗矢華が落下していく古城の手を片方ずつ掴んでくれたおかげで、古城は海への落下を免れた。

 

「本当に危なっかしいんですから」

 

 呆れたように雪菜が手を掴みながら言う。その隣では紗矢華も呆れを多分に混えた表情で見下ろしている。

 

「いや、すまん。ちょっと加減をミスってさ」

 

 あははっ、と古城は乾いた笑みを浮かべる。発案者のくせに海に落ちかけたというのが地味に恥ずかしくて非常にバツが悪かった。

 情けないながらも雪菜と紗矢華に引き上げられる。紆余曲折ありながらも、ようやく無事三人は増設人口島(サブフロート)に渡ることができたのだった。

 

 

 

 



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戦王の使者X

模試がお亡くなりになった……。


  増設人工島(サブフロート)に無事渡り終えた古城一行が次にすべきは那月との接触だ。国家攻魔官であり特区警備隊(アイランド・ガード)にも顔が利く那月ならば、事情を話せば特区警備隊(アイランド・ガード)を撤退させてくれるだろう。

 基本的に那月は強者であり、たかがテロリストの残党相手に出しゃばるような性格ではない。よって今もなお激しい銃撃戦が繰り広げられている監視塔付近にはいないだろう。

 それなりに那月と付き合いのある古城は彼女が高い位置を好む傾向があるのを知っていた。那月が傍観に徹しているのならば、きっと今日も高い所にいるはずだ。

 古城は視点を上に向ける。増設人工島(サブフロート)において高い物といえば建設用のクレーンや鉄塔ぐらいだった。

 その幾つかの一つ、鉄塔の先端に古城は見慣れた黒ゴスロリの少女を発見した。というかバッチリ目が合った。

 黒ゴスロリの少女こと南宮那月は古城を認識するとあからさまなまでに顔を顰める。那月の中では古城=厄病神という方程式でも成り立っているのだろうか。

 嫌われているのかなぁ、と少し肩を落としながら古城が那月を呼ぼうと手を上げかけて、

 

「随分と古典的な手段で乗り込んできた連中がいると思ったら、おまえたちか」

 

 次の瞬間には背後に立たれていた。

 

「気づいてたなら出向いてくれてもよかったじゃないですか、那月先生」

 

「何故、私がわざわざおまえを出迎えないとならないんだ。いや、それよりも」

 

 どこからともなく扇子を手に取ると那月はそれを容赦なく振り下ろす。さすがの古城も身構える暇もなく、那月のきつい一撃を額に受けて悶絶する。

 

「学園で眷獣を暴走させたな、この馬鹿者。こっちにまで魔力の波動が伝わってきていたぞ」

 

「うぐっ、俺だって好きで暴走したわけじゃないって」

 

 鈍い痛みを発する額を抑える古城。そんな古城を冷ややかに見下ろして、那月は呆れ混じりの溜め息を吐いた。

 

「それで、学園で何があった?」

 

「クリストフ・ガルドシュが学園に侵入してきたんだよ。狙いはやっぱり浅葱だったらしい」

 

「ガルドシュはそっちへ行ったか。藍羽浅葱はどうしている?」

 

「今はアスタルテさんが護衛についているはずです」

 

 控えていた雪菜が浅葱の現状を述べる。

 那月は当然の如くいる雪菜を一瞥して、その隣に見覚えのない少女を認めると眉根を寄せる。

 

「おまえは……そうか、獅子王機関の舞威媛か。またおまえも酔狂なヤツだな、暁古城。そんなに命を狙われたいか」

 

「頼むからその言い方はやめてくれ。どっかの傍迷惑貴族を思い出すから……」

 

 心底嫌そうな顔をして古城が言う。客観的な視点で見れば、古城とヴァトラーを取り巻く周囲はどちらも自身の命を狙う者に囲まれている。だが雪菜も紗矢華も積極的に古城の命を狙うことはないし、まして神々の兵器を起動させることもない。そもそも古城は望んで命を狙われているわけでない以上、戦闘狂(ヴァトラー)とは違う。

 そして古来より、噂をすれば影というように、こういう時に限って噂の主は現れるものだ。

 

「やあ、古城。思ったより遅かったじゃないか」

 

「ヴァトラー……!」

 

 近くの二階建て程の建物の上に金色の霧が集い、一つの影を形作る。霧の中より現れ出でたのは純白の三揃えを着こなした傍若無人の権化とも言えるディミトリエ・ヴァトラーその人だった。

 ヴァトラーの登場に古城含める学生陣は俄かに気色ばむ。特に古城は一度殺されたようなものなのでその目つきはかなり険しい。

 那月もこの場にそぐわぬ人間の登場に不機嫌そうに眉を顰める。

 

「こんな所に何の用だ、蛇遣い」

 

「ボクはただガルドシュを追ってきただけさ。残念ながらヘリで船に逃げられてしまったけどね」

 

「船だと?そうか、黒死皇派を手引きしたのはおまえというわけか……」

 

「さて、何のことやら。ボクも寝耳に水な状況だったからね。気づいた時には“オシアナス・グレイヴ”は連中の手に落ちていたのサ」

 

「白々しい」

 

 あくまで被害者を演じるヴァトラーに那月が忌々しげに舌打ちをする。

 そんな二人のやり取りに、古城が慌てた様子で割り込む。

 

「そんなことよりも、今すぐ特区警備隊(アイランド・ガード)を撤退させてくれ、那月先生!ガルドシュはナラクヴェーラを起動させるつもりだ!」

 

「何だと?連中は制御コマンドを解析できたのか……!?」

 

 告げられた驚愕の事実に那月が目を見開く。まさか黒死皇派が石板を解析できるとは思ってもみなかったのだろう。事実は浅葱が暇潰し感覚で解いてしまったものなのだが、今はそれどころではない。

 那月は即座に特区警備隊(アイランド・ガード)を撤退させるために動こうとする。だがそれも一足遅かった。

 

「──来たね」

 

 ヴァトラーがその美貌を凄絶な笑みに歪めた。

 その直後、白煙に包まれていた監視塔を内部から赤い閃光が切り裂いた。同時に途轍もなく禍々しい魔力が監視塔を中心に噴き上がり、これまで鳴り続いていた銃声がパタリと止む。

 ガラガラと音を立てて監視塔が崩れ落ちる。崩壊する建物の中から、まるで巣穴から這い出す蟻のように巨大な兵器が出てきた。

 分厚い装甲に覆われた昆虫のような六脚と楕円形の頭部。装甲車を二回りは上回る機体はそれだけで相対するものを圧倒する。

 神々の兵器とは名ばかりの禍々しい威容に特区警備隊(アイランド・ガード)の隊員たちは思わず動きを止めてしまう。それを見逃す程、ナラクヴェーラは甘くない。

 頭部から突き出た触角らしきセンサーが銃を構える特区警備隊(アイランド・ガード)を敵として認識し、監視塔を破壊した閃光を放たんと頭部に光を収束させる。だが赤い閃光が解き放たれる前に、古城が動いた。

 

「させるかァ──!」

 

 怒号を上げて古城が雷の鞭を放つ。全力には程遠い細い雷撃はナラクヴェーラの硬い装甲を叩くだけに終わる。恐らくナラクヴェーラにとっては小突かれた程度の認識でしかないだろう。だがそれでも目の前に立ち尽くす人間よりは古城のほうが脅威と判断したのか、機体ごと古城に向き直った。

 

「今のうちに那月先生は特区警備隊(アイランド・ガード)の撤退を!」

 

「言われなくとも分かってる」

 

 古城の言葉を最後まで聞き届ける前に、那月は既に虚空に飲まれて消えていた。那月の言葉ならば特区警備隊(アイランド・ガード)も大人しく退くだろう。いや、那月が言うまでもなく隊員たちは撤退を始めているようだ。さすがに神々の兵器に特攻かける馬鹿はいないらしい。

 逃げ惑う特区警備隊(アイランド・ガード)には目もくれず一直線に古城たちへとナラクヴェーラが向かってくる。その妙に生物めいた脚で鋼の大地を抉り抜き、暴走列車もかくやの勢いで迫ってくる古代兵器。その尋常ならざる威圧感にさすがの古城も気圧されかける。

 だがそこは持ち前の精神力で踏み止まり、後ろで立ち竦んでいる二人に活を入れる。

 

「姫柊!煌坂!ぼうっとするな!」

 

「っ!?はい!」

 

「もう冗談じゃないんだけど!?」

 

 二人とも若干破れかぶれ気味ではあるが自身の武器を構える。槍と剣。神代の古代兵器に挑むにはあまりにも心許なく感じるが、どちらも獅子王機関が誂えた兵器だ。どこまで通用するかは分からないが、歯も立たないということはないだろう。

 

「ボクも手を貸そうかい、古城?」

 

 うずうずとお楽しみを待つ子供のようにヴァトラーが告げる。古城はキッと睨み返して、

 

「まんまと船を奪われた間抜け貴族は引っ込んでろ」

 

「ははっ、まさにその通りだね。仕方ない、さっきのこともあるしここは古城に従おうか。ああ、そうだ……」

 

 聞き分けよく引き下がるヴァトラーだが、その瞳が妖しく光る。

 

「さっきのお詫びに、キミが憂いなく戦えるようにしてあげよう──“摩那斯(マナシ)”!“優鉢羅(ウハツラ)”!」

 

 ヴァトラーの召喚に応じて全長数十メートルは超える蛇が二体現れた。恐ろしい、ともすればナラクヴェーラ以上の魔力の波動を撒き散らす二体の眷獣は空中で絡み合い、やがて一体の巨大な龍へとその姿を変える。

 

「二体の眷獣を合体させた!?これがアルデアル公の能力──!?」

 

 雪菜が驚愕に声を上げる。

 以前那月が言っていた。ヴァトラーは自身よりも格上の吸血鬼を二人も喰らった真祖に最も近い存在であると。その強さの秘訣が恐らくこの眷獣合成なのだろう。確かに目の前にその姿を晒す巨龍から感じられる魔力は古城の眷獣にも匹敵している。

 ヴァトラーは正真正銘の強者だということを改めて思い知り緊張に身を強張らせる雪菜と紗矢華。彼の眷獣の矛先が何処に向けられるか不安で仕方ない。

 そんな獅子王機関の少女たちを他所にヴァトラーは指揮者のように軽く腕を振るう。その動きに応じて群青色の巨龍がその身を急降下させた。

 巨大な龍体は絃神島本島と増設人工島(サブフロート)を繋ぐ連絡橋を木っ端微塵に破壊した。本島から切り離された浮島は波に攫われ沖合へと漂い始める。

 

「これで後ろを気にせず存分に戦えるだろう」

 

「そうだな。今ので思いっきり本島のほうにも被害出てるけど」

 

 仕事をやり終えたと言わんばかりに清々しい顔のヴァトラーを古城がジト目で睨む。ヴァトラーのおかげで背後の心配をせずに戦えるのは確かだが、その際に本島のほうにも破壊の余波が飛んでいた。それだけに限らず、増設人工島(サブフロート)にはまだ撤退できていない特区警備隊(アイランド・ガード)が残っているのだ。正直、ヴァトラーの配慮はありがた迷惑でしかなかった。

 だが、これで心置きなく戦えるのもまた事実。特区警備隊(アイランド・ガード)は最悪那月が空間転移で運んでくれるだろうと信じ、古城は目前の兵器と相対した。

 

「二人とも、作戦通りにいくぞ」

 

「はい、分かりました」

 

「あなたに言われなくても分かってるわよ」

 

 古城の左右に雪菜と紗矢華が並び立った。

 古城は横目で二人をちらと確認すると、戦いの火蓋を切る雄叫びを上げた。

 

「行くぞ──ッ!」

 

 第四真祖と獅子王機関の剣巫と舞威媛が、神々の兵器ナラクヴェーラに立ち向かった。

 

 

 ▼

 

 

 雪菜に膝枕で休まされている間、古城はただ柔らかな膝の感触に身を任せていたわけではなかった。動けないなら動けないなりにやれることはある。

 古城は休息を取りながら雪菜と紗矢華にナラクヴェーラについて得られた情報を余すことなく伝えた。その内容は基本的に生徒会室で得たデータとそこからの推測と考察。そして原作での知識をそれとなく交えたものだ。

 原作で登場した武装はまず間違いなくある。“火を噴く槍”。これは端的に言えば大口径のレーザー砲だ。その威力は監視塔はおろか装甲車さえも飴細工のように溶かし焼き切ってしまう威力を秘めている。一発でも受ければ人の身など一瞬で蒸発してしまうだろう。

 続いて爆発する戦輪。これは読んで字の如く、着弾と同時に大爆発を引き起こす火輪だ。この武装に関しては女王機のみに搭載されていたが、果たしてそれも当てになるか。注意するに越したことはないだろう。

 これだけでも厄介な事この上ないのだが、これ以上にナラクヴェーラを神々の兵器たらしめる理由はその高度な学習能力と吸血鬼にも負けず劣らずの再生能力だ。

 連中は一度受けた攻撃を分析して対策を取ってくる。そして機体が破損すれば瓦礫からでも甦る。決して朽ちることのない兵器だ。

 加えてこれに原作では登場しなかった兵装もあるかもしれないとなれば、古城としては本当に破壊できるか不安だった。

 だがそれでも、やらねばやられるのだ。腹を括った古城は前もって打ち合わせた通り、速攻で倒すため全速力で走り出す。

 ナラクヴェーラは今、ヴァトラーの眷獣を脅威として認識し直したのか古城のことは眼中になかった。その隙を突いて古城は一気に接近する。

 駆ける古城の右腕が紫電を纏い始めた。“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”の力の一部を引き出しているのだ。ただし先のか細い一撃とは違い、その右腕に蓄えられた電撃は落雷にも匹敵する威力を秘めている。

 自分自身が稲妻になりながら古城はナラクヴェーラまで数メートルという位置まで来た。ここまで来れば弱点部位である頭部まで一足飛びで辿り着ける。

 だがさすがにそこまで近づけばナラクヴェーラも気づく。ヴァトラーの眷獣から紫電を纏う古城に注意を戻し、迎撃するべくナラクヴェーラがその脚を振り上げる。その脚は分厚い鋼板すら容易く穿つ。

 古城は今まさに振り下ろされんとしている鋭い脚を睨み据えながら、しかし決して退くことはない。死んでも復活するからという特攻思考ではない。あの一撃が届くことはないと確信しているから、仲間を信頼しているから古城は迷わず踏み込む。

 間合いに踏み込んできた古城目掛けて、ナラクヴェーラがその脚を振り下ろす。だがその凶刃は古城に届く前に鋭い銀閃によって阻まれた。

 

「先輩!」

 

「任せろ!」

 

 雪霞狼で古城を援護したのは雪菜だ。振り下ろされるナラクヴェーラの脚を横から突いて的確に逸らすという離れ業をやってのけたのだ。しかも神格振動波を使わず、剣巫としての技量だけで。理由は学習され対策を取られないためだが、それでも無茶にも程がある。一人で突っ込む古城には言えないが。

 攻撃を逸らされたナラクヴェーラの機体が若干蹌踉めく。その隙を古城はすかさず突く。

 

「うおらぁ!」

 

 激しく閃光を散らす右腕を勢いそのままに、ナラクヴェーラの楕円形の頭部に叩き込む。

 限界まで蓄えられた雷撃を纏う右腕は目論見通りナラクヴェーラの装甲を穿ち、古城の右腕は肩口まで内部に埋まる。手の感覚から内部は空洞、恐らく腕が突き刺さった位置は本来ならばコクピットに当たる部分なのだろう。だが制御ができない以上、内部には誰もいない。人がいないならば遠慮する必要はない。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)!“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 古城の命を受け、雷光の獅子がその猛威を振るう。

 突き込まれた右腕を基点に雷が爆発した。解放された雷光がナラクヴェーラを内側から焼き尽くし、硬い装甲を食い破って洩れ出る。側から見ればまるで雷の華が咲いたかのようにも見えるだろう。

 溢れ出す眩い閃光は留まるところを知らず、見境なく周囲一帯に破壊を撒き散らす。

 

「ちょっと暁古城!やりすぎよ!?」

 

 とばっちりを受けそうになった紗矢華が抗議の悲鳴を上げる。その声に古城は我に返り迸る雷撃を止めた。

 内側から天災並みの雷に焼かれたナラクヴェーラの状態は酷いものだった。卵型ののっぺりした頭部は見る影もなく、甲殻のような装甲は半ば融解している。いくら神々の兵器といえ、同じく神話生物と肩を並べる第四真祖の雷撃を内部から浴びれば一溜まりもないのだろう。

 ナラクヴェーラだった物から離れて古城は再起動しないか確認する。

 十秒、二十秒と経っても一向に動く気配がないことを確かめて古城はほっと安堵の息を吐く。

 カノウ・アルケミカル・インダストリー社に残っていたデータの通りに頭を吹き飛ばしたが、どうやら目論見通りナラクヴェーラを再起不能にできたらしい。これで古城たちにもナラクヴェーラを破壊することが可能だとも証明された。

 安堵と希望にほんの僅かに古城が気を緩めた瞬間、赤い閃光が古城を襲った。

 

「“煌華麟”!」

 

 一瞬先の未来を霊視した紗矢華が銀の剣を掲げて古城の前に躍り出た。

 獅子王機関より紗矢華が賜った武器“煌華麟”には二つの特殊能力が備わっている。その一つが空間と空間を断ち切る擬似空間切断能力。

 切断された空間は断層を生み出し、あらゆる攻撃を遮断する堅牢な障壁となる。如何に早く超高温の熱線であったとしても、空間を超えて相手にダメージを与えることはできない。

 紗矢華によって生み出された空間断層に赤い閃光が衝突し、激しく火花を散らして消えていく。ナラクヴェーラの槍が紗矢華の剣を貫くことはなかった。

 

「感謝しなさいよね、暁古城。私がいなかったら今頃消し炭よ」

 

「ああ、悪い。助かった。でも一体どこから……」

 

 新たなナラクヴェーラが上陸した気配はなかった。ならばどこにいるのかと探してみれば、増設人工島(サブフロート)から一キロメートル程離れた海上に浮かぶクルーザーの甲板に起動状態のナラクヴェーラがいた。

 

「あそこから狙ったのか……!」

 

 古城は驚愕に呻く。

 一キロメートル以上も離れた場所からの精密狙撃。もしも紗矢華が助けてくれなかったら、古城は何が起こったかも分からぬうちに消し炭になっていただろう。それを想像して古城はゾッとする。

 そもそもがどうしてあのナラクヴェーラは古城を狙ったのか。今のナラクヴェーラは自身の脅威となりうる存在を殲滅するしか能がないはずである。だが現実には遠く離れた古城を狙い撃ってきた。

 考えられる可能性としてはやはり……、

 

「こいつか……」

 

 既に物言わぬナラクヴェーラを見下ろして古城は小さく舌打ちをした。

 恐らく古城に破壊し尽くされる前に、他の起動された個体に独自のネットワークを用いて情報を流したのだろう。それによってあの個体は起動されて間もないのに限らず古城を排除すべき敵と認識している。

 いや、どうやら起動したのは一基だけではなかったようだ。

 わらわらと船の中や海中からその威容を表すナラクヴェーラたち。その数は五体。たった今古城が倒したのと全て同型のナラクヴェーラだ。

 

「うそでしょ……まだあんなにいるの?」

 

 ナラクヴェーラの群れに紗矢華が絶望にも似た呟きを洩らす。さすがの舞威媛もあの数は想定外だったらしい。近くにいた雪菜も似たような表情をしている。

 だが古城は違う。原作で知っているから驚きこそ少ないが、代わりに全神経を研ぎ澄ませて周囲への警戒を払っていた。その理由はただ一つ。

 

「女王が、いない……?」

 

 あそこにいる五体とは別に、ナラクヴェーラの指揮官機とも言える女王個体が存在するはずだ。だがその巨影はどこにも見当たらない。それが不気味で古城は言いようのない胸騒ぎに襲われた。

 そして古城の予感は、嬉しくないことに当たった。

 

「きゃあっ!?」

 

「今度はなによ!?」

 

 突如、古城たちの立つ人工の大地が激しい揺れに襲われた。まるで浮島に巨大な物体が衝突したかのような衝撃。その正体に思い至った古城は顔を引き攣らせる。

 そして次の瞬間、浮島のすぐ近くの海面が泡立ったかと思えば、爆音と共に天を衝く勢いで巨大な水柱が立ち上った。

 

「出てくるぞ!」

 

 水柱の中に巨大な機影を認めて古城が叫ぶ。雪菜と紗矢華も水柱内の存在に気づいて身構える。

 降り注ぐ瀑布の中から女王ナラクヴェーラが出てくる。

 古城が倒したナラクヴェーラと装甲は同じだが、サイズが桁違いに大きい。八つの脚と三つの頭。阿修羅を思わせる特徴であるが胴体は女王アリのように膨らんでいる。

 奇妙かつ異様な雰囲気を纏ったナラクヴェーラの女王は海中から十三号増設人工島(サブフロート)に乗り込んだのだった。

 女王ナラクヴェーラは脇目も振らず脅威と認識した古城を見つけるとその胴体に搭載されたハッチを開口する。開かれたハッチから覗くのは円環。それらがフリスビーのように幾つも射出された。

 放たれた戦輪は着弾すると同時にミサイル並みの爆発を巻き起こす兵装だ。それを知っている古城は即座に眷獣で迎撃する。

 

「“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 今までは学習されることを避けるために力をセーブしていたが、それも攻撃ではなく防御に使うならば話は別。古城は躊躇いなく雷光の獅子を顕現させた。

 召喚に応じた全身を雷で構成された獅子が稲妻を振り撒きながら宙を疾駆する。射出された無数の戦輪は枝分かれして網状に張られた雷の障壁に阻まれ、古城たちに届く前にその尽くを撃ち落とされた。

 爆発の爆風と舞い上がる塵煙に視界が悪くなるが、それもすぐさま晴れていく。上空から降下してきた五体のナラクヴェーラが噴出する気流のせいだ。どうやら古城が迎撃している隙に堂々と宙を飛んで上陸してきたらしい。

 降り立ったナラクヴェーラたちはまるで統率の欠片もない動きで古城へと向かってくる。その絶望的な光景に雪菜と紗矢華が顔を青ざめさせた。

 だがそんな中でも古城は獰猛に牙を剥いて笑った。

 

「上等だ、まとめてガラクタに変えてやるよ!」

 

 盛大に啖呵を切って古城は絶望に真っ向から喧嘩を売った。

 

 

 




まだナラクヴェーラ戦は続きます。


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戦王の使者XI

 餌に群がる虫のようにナラクヴェーラが迫ってくる光景は悪夢以外のなにものでもない。一般的な感性を持つ人間ならば腰を抜かすか逃走するだろう。だがこの場にいるのは良くも悪くも常人の感性を捨てた者たちだ。多少気圧されながらも古城たちは背を向けることなく絶望へと挑みかかった。

 

「俺が囮になって戦う。二人はその間に連中を背後から叩いてくれ」

 

「そんな、無茶です!」

 

「馬鹿じゃないの!?死にたいの!?」

 

 無茶な提案を二人がすぐさま却下するが、古城は耳を貸さない。二人の制止も無視してナラクヴェーラの群れに駆け出していた。

 装甲車以上の巨体を有するナラクヴェーラの群れへの突貫行為。誰が聞いても見ても無謀だと、無茶だと断じるだろう。だが古城としては無茶であっても無謀だとは思っていなかった。

 ナラクヴェーラにとって現状最も脅威と認識しているのは古城だ。それは海上から狙い撃ちしたことからも分かる。逆に言えば、雪菜と紗矢華はそこまでマークされていないということ。雪菜も紗矢華もナラクヴェーラに対して直接的な攻撃を殆どしていないから、脅威度が低く見られているのだろう。

 古城のマークがきつい分、二人はかなり自由に動けるはずだ。古城がそこで更に大立ち回りをすればなおのこと。制御なき殲滅兵器の後ろを取ることも容易になるだろう。

 そして紗矢華には煌華麟がある。絶対無敵な擬似空間切断能力はそのまま攻撃に転じることが可能だ。対策されない限り彼女の剣舞を止めることは古代兵器であろうと不可能である。

 理屈的には理解できなくはない古城の作戦。だがそれは感情を抜きにした理論だ。それがどれだけ効率的だとしても、常識的に考えてナラクヴェーラの群れに単身突っ込んでいくなんて思考はできない。

 だが古城はできてしまう。死んでも復活するというのもあるが、それ以上に古城の異常な精神性がそれを可能としてしまう。

 恐怖を押し殺し、冷静かつ苛烈な精神状態で古城は雷を放つ。稲妻がナラクヴェーラの装甲を激しく叩いた。だが最初よりも雷に対する耐性がついたのか、ナラクヴェーラたちは雷光を物ともせず突っ込んでくる。

 

「こっちだ!」

 

 雷光を突き破ってくる兵器群を引き連れて、古城は増設人工島(サブフロート)を駆け回る。

 吸血鬼の身体能力をフルに発揮して走る古城は残像が後を引く程に早い。瓦礫や建物の残骸に隠れたりして撹乱し、時折雷撃を飛ばして注意を引く。ナラクヴェーラの意識は完全に古城一人に釘付けにされていた。

 古城の思惑通り。あとは雪菜と紗矢華が一体でも多く数を減らしてくれれば万事上手くいく。だがそこで任せきりにするつもりなどないのがこの古城だ。

 背後から飛んでくるレーザーの乱射と戦輪の応酬から逃れるように建物の陰に転がり込み、そこで古城は一度息を整える。そして陰から顔だけ覗かせて、ナラクヴェーラの一体がその頭部をバラバラに刻まれる光景を目にした。

 どうやら紗矢華がナラクヴェーラの背後を取って仕掛けたらしい。予想外の攻撃にそのナラクヴェーラは反応することもできぬまま頭を切り刻まれ、地へと沈んだ。恐らくあのナラクヴェーラが戦線復帰することはもうないだろう。ただし今回の攻撃で紗矢華の煌華麟も学習されてしまっただろうが。

 自らの装甲を容易く切り裂くほどの力を持つ紗矢華を、ナラクヴェーラが改めて脅威として認識した。今まで脇目も振らず古城目掛けて突っ込んできていた古代兵器たちが紗矢華を排除せんと動き出す。

 全ナラクヴェーラの注意が紗矢華に向いた瞬間、古城はその好機を逃さんと建物の陰を飛び出した。

 一番近くにいたナラクヴェーラへ一気に詰め寄り、先と同様に右腕に紫電を纏わせる。だが先と全く同じではダメだ。既にある程度の雷耐性をつけられている以上、ごり押しで穴を開けられる程に今の装甲は柔くない。

 故に古城は脳裏にある物を思い描く。獅子王機関より派遣され自身の監視任務に就いている雪菜が持つ、ありとあらゆる結界障壁を切り裂く破魔の銀槍。雪霞狼の尖鋭なフォルム、それを自身が纏う雷に投影する。

 眩い雷光を散らす右腕が古城の意思を反映して形を持つ。その形はまさしく槍そのもの。古城の右手に落雷そのものを凝縮した最凶の槍が生まれた。

 

「おおおおおお──ッ!」

 

 雄叫びを引き連れてナラクヴェーラの背後から古城が飛びかかる。

 鋭い雷の矛先が甲殻にも似た外装に触れた。瞬間、雷槍と装甲が激烈な閃光を散らして拮抗する。

 

「ぐっ、くそっ……!」

 

 想定していた以上に硬い。雷への耐性だけでなく純粋な物理強度も強化されているようだ。一度目のようにやすやすと穴を開けることはできなかった。

 だが、貫けないわけではない。現に徐々にではあるが古城の槍がナラクヴェーラの装甲を、その尖った穂先を以ってして切り裂き始めている。

 ジリジリと装甲内部へ腕が沈んでいく感覚に、古城は焦燥を募らせる。

 こうしている間にも古城を排除せんと他の個体が迫っている。悠長にしていれば手痛いしっぺ返しを受ける羽目になるだろう。

 早く……!と内心で叫んでいるとようやく右腕の肘関節あたりまでが装甲内部に侵入した。それだけ腕が潜れば十分。あとは“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”を全力解放すればいいだけだ。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)!“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 右腕を砲身に見立て、今度は爆発ではなく放射。ナラクヴェーラが放つ“火を噴く槍”を意識した雷光の大奔流が、ナラクヴェーラの中枢部分を一瞬で焼き尽くした。

 中枢を完膚なきまでに消し炭にされたナラクヴェーラが糸の切れた人形のように崩れ落ちる。古城は余韻に浸る間もなく即座にその場から離脱した。

 その直後、破壊されたナラクヴェーラの機体がまるで居合切りをされたかのように綺麗に両断された。

 そして古城の体も、袈裟懸けに斬りつけられていた。

 

「は、あ……?」

 

 鮮血を噴き散らす傷を見下ろして古城は間抜けな声を洩らす。

 何が起きたのか、古城には全く理解できなかった。ただ気がついたら破壊したナラクヴェーラの機体が真っ二つになっており、自身の体に太刀傷のような裂傷が刻まれていた。

 混乱の坩堝に陥る中、それでも古城は攻撃の正体を探ろうと顔を上げる。

 真っ二つに割れたナラクヴェーラの先。重心を後ろに下げて四脚立ちしている古代兵器の姿があった。その大地から離れた前二脚はまるで血のように赤い魔力を纏っている。

 

「まさか……!」

 

 攻撃の正体に思い至り、古城は呻く。

 ナラクヴェーラの機体を両断し、古城を袈裟斬りにした攻撃の正体。それは魔力を帯びた飛ぶ斬撃だった。

 剣の達人でもない兵器が斬撃を飛ばす。ただでさえ厄介なナラクヴェーラが更に反則チート認定された瞬間だった。

 どくどくと血が流れ出す傷口を手で押さえながら古城は苦痛に表情を歪める。傷自体はそこまで深くない。間にナラクヴェーラが入ったことで斬撃の威力が減衰されていたからだ。もし威力そのままだったならば、今頃古城の体は真っ二つになっていたはずである。

 だが、たとえ深刻な傷でなくとも手傷は手傷。傷が再生するまで動きが鈍くなるのは避けられない。そしてその隙をナラクヴェーラが見逃すわけもない。

 深紅の光と戦輪、加えて魔力の斬撃が古城一人に殺到する。傷に意識を奪われていた古城にそれらを防ぐ手立てはなかった。

 

「はあっ!」

 

 束ねた茶髪を揺らして紗矢華が古城の前に飛び込み、煌華麟の能力で攻撃から古城を守る。空間断層の前では飛ぶ斬撃だろうとなんだろうと意味をなさない。虚しく魔力の残滓に解けて消えていった。

 

「大丈夫!?暁古城!?」

 

 最初の頃の余裕をかなぐり捨てて紗矢華が訊いてくる。

 古城は血塗れではない左手を挙げて答える。

 

「なん、とかな。一応、傷は治るから問題ない。それより、そっちはどうだ?」

 

「最悪よ。一基は落とせたけど、二基目には煌華麟が効かなかったわ。多分、斥力場の結界で弾かれたんだと思う」

 

「結界……そうだ、姫柊なら!」

 

 雪菜の持つ雪霞狼ならば如何なる結界障壁であろうと切り裂ける。結界さえなければ紗矢華の煌華麟はまだ通用するはずだ。

 紗矢華もその可能性に思い至り雪菜の姿を探す。

 

「雪菜!?」

 

 雪菜は一人でナラクヴェーラを一体相手取っていた。恐らく少しでも古城たちから注意を引き剥がそうと奮闘しているのだろうが、火力に乏しい槍で挑むのは無理がある。

 

「待ってて、今すぐ助けに──」

 

「待て、煌坂。迂闊に動くと……」

 

 現段階で、ナラクヴェーラが脅威と認識しているのは古城と紗矢華だ。雪菜を全く眼中に入れていないわけではないが、自身を滅ぼし得る古城と紗矢華のほうが脅威度が上であるのは間違いない。

 そして今、その脅威度上位の二人が一ヶ所に固まっている。それ即ちナラクヴェーラにとって絶好のチャンスということで──

 

「なんだ、あれ……?」

 

 女王ナラクヴェーラから射出された物体を視界の端に捉えて、古城は訝しげに天を仰ぐ。

 今まで戦輪が発射されていたハッチとは違う、別の射出口から撃ち出されたそれは、輪ではなく円盤。中心部分が大きく膨らんだ円盤は、地上ではなく上空遥か高くへと飛んでいく。

 見当外れな方向へと飛んでいく円盤に、古城は途轍もなく嫌な予感を覚えた。

 そしてその予感はやはり的中した。

 古城たちの頭上高くを通り過ぎようとした瞬間、円盤が弾けて中から拳大の球体が大量に撒き散らされた。

 上空から落下してくる大量の球体を見て、古城と紗矢華は揃って表情を凍りつかせる。

 ──集束爆弾。俗に言うクラスター爆弾だ。

 容器内に詰め込まれた大量の小型爆弾を上空から拡散させ、広範囲に多大な被害を齎す兵器。そのあまりにも酷い非人道的な殺傷能力から条約で禁止される程に、その威力は絶大だ。だが古代兵器が条約など知る由もなく、殺戮兵器が古城と紗矢華に降り注ぐ。

 

「ちっ!撃ち落とせ、“獅子の黄(レグルス・アウ)──」

 

 降り注ぐ大量の小型爆弾を撃ち落そうと構えた古城の右肩が、真紅の閃光によって抉り取られた。

 

「あぐぁ!?」

 

「暁古城!?」

 

 激痛に古城が膝を折る。そこへ情け容赦ないレーザーの一斉斉射が襲いかかった。しかしそれらは全て紗矢華が防ぐことで事なきを得た。

 

「くっ、こいつらしつこいんだけど……!」

 

 絶え間なく放たれるレーザー砲を紗矢華は辟易しながら剣を振るう。

 どうしたことか、ナラクヴェーラたちはここぞとばかりに古城と紗矢華を攻め立ててくる。おかげで紗矢華はレーザーへの対処で手一杯。古城に至っては負傷でまともに動くこともできない。

 そこへ追い打ちとばかりに落下する爆弾の雨あられ。古城と紗矢華に、それらを防ぐ手立てはなかった。

 次の瞬間、古城と紗矢華の姿は爆弾の嵐に呑まれて消えた。

 

 

 ▼

 

 

「先輩!?紗矢華さん!?」

 

 爆音と共に巻き上がる粉塵に呑まれて消えた二人に、雪菜は血相を変える。相手していたナラクヴェーラを強引に振り切り、形振り構わず爆心地へ走り出す。

 爆撃を受けた場所に辿り着いた雪菜は、目の前に広がる惨状に言葉を失った。

 人口の大地に直径三十メートルは下らない大穴が穿たれていた。

 これまでの激しい戦闘によって増設人工島(サブフロート)には尋常ではない負荷が掛かっていた。それに加えてこの島は中空構造であったため、ナラクヴェーラの爆撃に耐え切れず表層が崩壊。最下層まで直結する大穴が開いてしまったのだ。

 正確な深さは知れないが、人間が落ちて無事に済む高さでないことは確かだろう。いや、下手をすれば命を落としてもおかしくない。

 血の海に横たわる古城と紗矢華を思わず想像してしまい、雪菜が表情を蒼白にさせる。

 

「早く助けに……」

 

「待て、転校生」

 

 今にも穴の中へと飛び込まんとしていた雪菜を、少し舌足らずな声が止めた。

 雪菜のすぐ隣。なにもない虚空を揺らして黒いドレス姿の少女が歩み出る。特区警備隊(アイランド・ガード)の避難に当たっていた南宮那月が戻ってきたのだ。

 那月はぽっかりと開いた大穴を一瞥すると僅かに顔を顰める。

 

特区警備隊(アイランド・ガード)の避難を終わらせて来てみれば、今度は奈落の底へ真っ逆さまか。あいつもつくづく運がない」

 

「そんなことを言ってる場合ではありません。早く助けにいかないと二人が……」

 

「落ち着け、姫柊雪菜。あいつがそう簡単にくたばるわけがない。舞威媛のほうも、どうせあの馬鹿が庇っているだろうさ。自分の身を呈してでも」

 

 そう言う那月の表情は形容し難い複雑な感情を浮かべていた。だがそれもすぐに引っ込み、いつもの傲岸な態度が表に出てくる。

 

「連中はその内自力で這い上がってくる。それよりも、私たちはガラクタどもの相手だ」

 

 那月の目が捉えるのはナラクヴェーラたち。最も脅威度の高い二人をロストした殲滅兵器は、次の目標を探さんと触角のようなセンサーを頻りに動かしている。このまま放置していれば古代兵器の目標が絃神島にされるのも時間の問題だ。

 それは非常に不味い。なんの関係もない市民を巻き込むことだけは避けなければならない。

 雪菜は古城と紗矢華を助けたいという思いを堪えて、自らの銀槍を構える。そこへまるで散歩でもしているかのような気軽さで青年貴族が現れた。

 

「ふむ、あれの相手をするというのならボクも混ぜてもらおうかな。古城もいないことだしね」

 

「アルデアル公!?」

 

 古城がいなくなった途端に嬉々として舞台へ上がってきたのは戦闘狂(バトルマニア)ディミトリエ・ヴァトラーだった。

 ヴァトラーはまるで最高の料理を前にしたかのように艶やかに舌舐めずりをする。そんな青年貴族を冷ややかに睨みつけて、しかしやがて嘆息を洩らす。

 

「勝手にしろ。だが、本島のほうには一切手を出すな」

 

「南宮先生!?」

 

 まさか許可を出すとは思ってもみなかった雪菜が驚愕の声を上げる。那月は心底忌々しげに片眉を吊り上げると、

 

「どうせ言ったところでこいつは勝手に暴れるに決まってる。なら目の届く範囲に置いておいたほうがマシだ」

 

「よく分かっているじゃないカ」

 

 くふふっ、と邪悪に笑うヴァトラー。彼にとっては絃神島も市民も二の次三の次。強者との死闘こそが彼にとっての至高だ。

 そんなヴァトラーの異常さに軽く戦慄を覚えながらも、雪菜はナラクヴェーラと対峙する。

 

「私があのデカブツを相手する」

 

「ならボクはあそこで固まっている二つをもらおうかな」

 

「わたしはあそこの一基を止めます」

 

 それぞれが己の敵を見繕い、戦意を滾らせる。

 扇子を構える那月。魔力を漲らせるヴァトラー。そして雪霞狼に呪力を流し込む雪菜。異色とも言える組み合わせの三人が、若干目的は違えどナラクヴェーラを敵と認めて今ここに立った。

 アクシデントで舞台から落ちた主役(古城)の代わりに、代役にしてはあまりにも強すぎる助っ人が参戦するのだった。

 

 

 

 




“空隙の魔女”参戦。
“傍迷惑貴族”参戦。
ナラク「無理ゲー」
絃神島「沈むって」

原作屈指の実力者二人が参戦したら、正直その時点で終わりだと思います。ただ那月は立場やらで本気出せないのでそこまでですが。ヴァトラー?お察しください笑。


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戦王の使者XII

 霊的能力を有する子供というのは、幼い頃よりしばしば実の両親から疎まれ虐待の憂き目をみることがある。それは別段珍しい話ではなく、事実獅子王機関の攻魔師にも数多くそういった過去を持つ者がいる。

 煌坂紗矢華もまた、その多くの一人だった。

 紗矢華の唯一の肉親である父親は、彼女を頻繁に虐待していた。その父親は紗矢華が小学生になる前に死亡し、彼女自身は獅子王機関に引き取られた。

 父親から恒常的に暴力を振るわれていた紗矢華。しかし最初から暴力を振るわれていたわけではなかったはずだ。紗矢華も、確かに望まれてこの世に生を授かったはずなのだから。

 産んでくれた母親がいた。まだ優しかった父親がいた。霊能力の存在を知られていなかった時はまだ愛されていたはずだ。しかしそれはあまりにも幼く物心つく前だったため、紗矢華はその頃のことを殆ど覚えていない。

 だが記憶になくとも心が覚えている。あの優しく温かい声音を、温もりを。心の奥深くに染み込んだ親の情愛を、彼女の心は忘れることができなかった。

 

 

 ▼

 

 

 ゆさゆさと揺られる感覚と柔らかな温もりに煌坂紗矢華の意識はゆっくりと浮上を始める。あまり馴染みがない感覚であり、意識が茫洋としているのもあって紗矢華は自分が誰かに背負われていることに気づくのが遅れた。

 一体誰が、と薄く瞼を開くと飛び込んできたのは男の横顔。ここ最近で見慣れた雪菜の監視対象である第四真祖、暁古城が紗矢華を背負って歩いていた。

 男に背負われているという事実を認識した途端、一瞬恐怖に支配されかけるが体は特に強張ることもなく、それどころかこのままずっと背負われていたいという欲求が湧き上がる。この大きく広い背中に身を預けていたいと思ってしまった。

 そんな思考をしている自分に紗矢華は大いに驚き、動揺する。今までなら問答無用で突き飛ばし、有無を言わさず斬りかかっていたことだろう。だが今の紗矢華にそんな気は微塵もなかった。

 どうしてそんな思いを抱くのか。紗矢華は自分自身がよく分からなくなった。ただ、今はこのまま背負われていたい。そう思ったのだった。

 だがその思いも、改めて古城の横顔を見直したことで吹き飛んだ。

 死人のように白い顔色。瞳は焦点を結んでおらず、光すら灯っていない。呼吸は荒く、よく見れば足取りも酷く覚束ない。紗矢華を背負っていることを加味したとしてもあまりにも不安定が過ぎる。

 明らかに正常な状態を逸した古城に、紗矢華が悲鳴にも近い声を上げた。

 

「どうしたの!?暁古城!?」

 

「ん、ああ。目が覚めたのか、煌坂……」

 

 耳元で叫ばれたというのに古城の反応は薄い。まるで遥か彼方から聞こえてきた声に応えるような鈍さだ。

 古城は弱々しげな笑みを浮かべながら、少し申し訳なさそうに言う。

 

「悪いな、煌坂。緊急事態とはいえ勝手に背負ったりして」

 

「そんなことどうでもいいわよ。それより、何よその顔は?今にも死にそうなんだけど!?」

 

「ああ、これか……」

 

 問われた古城は少し言い辛そうに顔を背けながら口を開く。

 

「どうやら少し無茶をしすぎたらしい。いくら死んでも蘇るって言っても、こうも短時間に三回も死んだのはまずかったみたいだ」

 

「三回……?」

 

 古城の死亡回数に紗矢華は首を傾げる。彼女の記憶している限りでは、古城が死んだのは学園での二回だけ。ガルドシュに胸を撃たれた時と、ヴァトラーの横槍で眷獣が暴走した時の二回だ。それ以外で古城が命を落とす要因など──

 

「あ、まさか……」

 

 あった。もう一つ、古城が死ぬ要因に紗矢華は非常に心当たりがあった。

 女王ナラクヴェーラからの爆撃を受けた時、紗矢華は小型ナラクヴェーラのレーザーやら斬撃を防ぐことで手一杯だった。そのため襲い来る爆発や爆風から身を守ることができなかったはずだ。

 しかし紗矢華の肉体は五体満足、多少打撲やら擦り傷がある程度だ。それは偏に、古城が彼女を庇ったがためである。

 爆弾が爆発した瞬間、古城は紗矢華を覆い被さるように庇っていた。そのおかげで紗矢華は直接的な爆発を受けることなく済んだ。更に言えば落下の衝撃も古城が下敷きになることで防がれた。今紗矢華がほぼ無傷でいられるのは全て古城が身を呈して守ったからなのだ。

 その代償として、古城は本日三度目の死を味わった。そしていつものように復活を遂げたわけだが、その状態が芳しくなかった。

 意識は定まらず、常に体が怠さを訴えてくる。気を抜けば膝から崩れてしまいそうな程の精神的な疲労。肉体も一応活動はできているが、完全回復に至る程の余裕がないのか太刀傷や肩の傷は未だ完治していない。

 満身創痍を体現したような状態で、しかし古城は休むこともなく歩みを進めている。まるでなにかに取り憑かれたかのように、死に体の体に鞭を打ちただただ上を目指して。

 ──異常。

 古城の精神状態を表すのにこれ以上の言葉はないだろう。普通の精神性ならば折れていて然るべきであろうに、古城はその両足を以ってして瓦礫を踏み越え、只管に地上へと続く道を歩んでいる。普通の学生には到底真似できないことだ。

 理解できない。何がそこまで古城を駆り立てるのか、紗矢華には全く分からなかった。だから、思わず口に出して訊いてしまう。

 

「どうして……そんなボロボロになってまで戦うのよ……」

 

「…………」

 

 無言で古城が徐に歩みを止め、視線だけで紗矢華の表情を窺う。紗矢華は痛ましげな表情で古城をじっと見つめていた。男と息がかかる程の距離にいるというのに、彼女に恐怖の類はない。

 古城はゆっくりと天井を振り仰ぎ、儚げな笑みを湛えて答える。

 

「護らないといけないんだ。何一つ失うことなく、その時が来るまで。俺は折れることも逃げることも許されない」

 

 紗矢華への答えであるはずなのに、その言葉はまるで自身に向けられた独白のようだった。

 ぼんやりと灰色の天井を見上げる古城に、紗矢華は言い知れぬ不安を覚えた。

 ふとした拍子に、この男は消えてしまいそうな儚さがある。この背中も、温もりも、全てが夢だったと、自分たちの前から居なくなってしまいそうな気がしてならなかった。

 根拠もなにもないが、強ち的外れではないと紗矢華は確信していた。だからこそ、彼女はより古城と密着するように腕に力を込める。

 

「ダメよ、そんなの絶対ダメだから」

 

「煌坂……?」

 

 紗矢華の行動に古城は少し驚いたように目を瞬かせる。男嫌いの彼女が自分から密着してきたことに驚いているのだ。

 

「あなたが居なくなったら、雪菜が悲しむわ。そんなの絶対に許さないんだからね!」

 

「別にいなくなるなんて言ってないんだけどなぁ……」

 

 そう呟く古城だが、内心では驚愕していた。

 確かに居なくなる的なニュアンスを含んだ言い回しであったかもしれないが、ここまで的確に指摘されたのは初めてだった。故に笑みの下に隠していた本音が出そうになってしまった。

 そこへまるで狙ったかのような囁きが聞こえてくる。

 

「──私も、あなたがいなくなるのは、嫌よ……」

 

 紗矢華本人としては無意識の呟きだったのだろう。しかし耳元でそんなことを言われた古城としては堪ったものではない。

 今までずっと笑顔でひた隠し押し殺してきた本音が洩れそうになる。

 誰にも話せず、一人罪悪感に耐えていた心が緩みそうになる。

 違う、と古城は自身に言い聞かせる。紗矢華の言葉は暁古城に向けられたものであって、“まがいもの”に向けられたものではない。

 勘違いするな。己が“まがいもの”であることを忘れるな。古城は自身に何度も言い聞かせた。そうしなければ気が狂ってしまいそうだったから。

 だが、一度崩れかけた楼閣は容易く崩壊してしまうものだ。

 ほろりと、虚ろな古城の瞳から一粒の雫が零れ落ちた。

 

「──え?」

 

 声を洩らしたのはどちらだったのか。次の瞬間には、古城は膝から崩れ落ちて冷たい床の上に倒れ伏していた。背負われていた紗矢華も一緒に倒れ込む形となったが、そんなことよりも彼女にとっては古城の心配が先だった。

 

「ちょっと、どうしたのよ?なにがあったの?暁古城!」

 

 必死に呼び掛ける紗矢華の声に、しかし古城からの返事はない。完全に意識を失っているようだ。それも致し方ないだろう。

 本来ならば落下した場所から一歩も動けない状態であった。ここまで歩いて来れたのは偏にその異常な精神性が意識を繋ぎ留めていたからだ。しかしその精神に綻びが生じてしまった。

 生まれた綻びは古城の意識を手放す要因となってしまった。図らずして、紗矢華は古城の心を軽く折ってしまったのだ。

 だが紗矢華にはそんなこと分かるはずもなく、彼女は古城の体に異常がないか触診する。

 

「体の至る所がボロボロ。内臓も、幾つか潰れてる。多分落ちた時ね。どうしてこんな状態で歩けたのよ……」

 

 呆れと驚愕を交えた相を浮かべる紗矢華。こんなボロボロな状態で背負われていたと思うと、途端に申し訳なくなる。

 

「こんな場所じゃ治療なんてできないし、鍼でもこれじゃ手の施しようがない……」

 

 獅子王機関の舞威媛は呪詛と暗殺を生業としている。故に人体構造には非常に精通しており、そこから派生して鍼による治療などもできるのだが、さすがに内臓の再生はでき得ない。

 そもそもがどうして再生しないのか。学園では一分と置かず蘇っていたはずだ。眷獣が暴走した時も、多少時間は要したが尋常ならざる速度で回復していた。

 だがしかし、今の古城からは再生する気配がない。文字通りの瀕死体だ。

 可能性としては古城自身が述べていた。短時間に死にすぎたこと。恐らくこれが原因だろう。

 第四真祖は不死の呪いを受けている。死にたくとも死ねない体なのだ。

 だがそれにも限度はある。死ねば精神的なダメージは残るし、復活の際には魔力を消費する。連続で死ねば復活に掛かる時間も増加するだろう。

 不死の呪いはあくまで不死であって即復活の能力ではないのだ。

 古城の再生が始まらないのは一時的な魔力枯渇が原因だ。ならば、外部から魔力を得ることができれば問題ない。普通の人間にはそんなこと不可能だが、吸血鬼である古城には外部から魔力を得る方法がある。

 吸血行為による魔力補給。吸血鬼は他人の血に蓄えられた魔力を己のものにすることができる。つまり吸血して魔力を回復させることができるのだ。

 だがそれには問題が二つある。一つは吸血する相手。これに関しては、緊急事態ということで紗矢華が務める他ないだろう。

 問題は二つ目。古城に意識がないことだ。

 古城に意識がないのでは吸血行為に及べない。魔力の回復も肉体の再生も不可能だ。だからどうにか古城に意識を取り戻してもらわないと困るのだが、心身ともにズタボロの古城が目を覚ます気配は一向にない。

 他に手段はないのかと紗矢華は模索して、ふと思い出す。

 吸血鬼の吸血衝動というのは性欲、性的興奮が引き金(トリガー)となって引き起こされるものだというのを耳にしたことがあった。ならば、外部から強引にでも刺激を与えれば意識がなくとも血を求める本能が目覚めるのではないのか。

 確証はないが、今は時間が惜しい。現に古城が倒れてから上のほうから伝わってくる振動が大きくなっている。恐らくいなくなった古城と紗矢華の代わりに誰かが戦っているのだ。加減も配慮も知らんとばかりに勝手気儘に。

 そんなことをする人物に、紗矢華は一人しか心当たりがない。間違いなく、今ナラクヴェーラと戦っているのはヴァトラーだ。古城が消えたのを良いことに好き勝手暴れているのだろう。

 このままヴァトラーを野放しにしていればいずれこの増設人工島(サブフロート)は沈む。いや、それだけに留まらず本島のほうにも危害が及びかねない。そしてなにより、雪菜の身が危険だ。

 一刻も早く戦線に復帰しなければならない以上、可能性があるならば賭けるしかない。紗矢華は着ていたサマーベストを少し躊躇いながらも脱ぎ捨てる。

 ブラウスのボタンを幾つか外し、襟元から胸元まで見えるようにする。すると白磁のように白くきめ細かい柔肌と健康的な鎖骨から豊かな膨らみまでが露わになった。

 古城に意識があったならこんな大胆な行動はできなかっただろう。だが今は急を要するため、紗矢華の中で色々と感覚が狂っていた。俗に言う勢いというやつだ。

 しかしいくら勢いがあっても紗矢華は生娘。どうすれば吸血鬼の本能を呼び醒ませるかなど、知る由もない。

 

「こ、ここからどうすれば……」

 

 とりあえず、うつ伏せに倒れ伏す古城の体を仰向けにする。顔色はよくない、表情も苦痛に襲われているかのように苦しげだ。

 胴体には肩から腰にかけてまでの太刀傷。右肩はレーザーによって抉られている。出血こそ止まっているが、どちらの傷も未だ濃い血臭を漂わせていた。

 

「血……そうか、血!」

 

 紗矢華は持ち前の剣で人差し指に軽く切り傷を作る。ぷくっと血が流れ出し、指先に紅い宝石のような雫が生じた。

 紗矢華は血が流れる指先を躊躇しながらも古城の口腔に突き入れる。

 生温かい感触に背筋がぞわぞわする。古城の様子を窺ってみるが反応はない。どうやら与える血液量と刺激が足りていないようだ。

 

「うっ……仕方ない、仕方ないのよ!これは人工呼吸だから、救命措置なんだからね!?」

 

 誰かに言い訳するように喚きつつ紗矢華は愛剣で自らの手首を浅く斬り、溢れ出す血を口に含む。一定量の血液を口に蓄えたところで簡易的な呪術で傷口を止血。そのまま横たわる古城にそっと覆い被さった。

 今までずっと怖れていた男。だが不思議と目の前の少年からは恐怖を感じない。弱り果てているからか、守ってくれたからか。それともまた別の感情があるのか。自分のことでありながら紗矢華はイマイチ理解できていなかった。

 それでもただ一つ、確かな想いがある。

 傷つきながら大切なものを守ろうとするこの一匹狼のような少年を、少しでもいいから助けたい。支えることはきっと自分にはできないだろう。その役目は大切な妹分のものだから。自分はせいぜい、手助けするくらいだ。

 それでいい、それで十分だ。紗矢華はそう思う。そう思うことにした。だから──

 

「──ごめんね、雪菜」

 

 ここにはいない実の妹同然の少女に謝ってから、紗矢華は古城の唇に己の唇を重ねた。

 

 

 ▼

 

 自身の何倍もある兵器相手に、銀の槍一本で雪菜はよく戦っていた。

 持ち前の霊視能力で攻撃を先読みして躱し、避けられないものは雪霞狼で防ぐ。苛烈な古代兵器の攻めにも怯まず、雪菜は果敢に食らいついていた。

 だが如何に雪菜といえど相手が悪い。既にナラクヴェーラは雪菜の槍技を学習し、対応し始めている。じきに雪菜の技も通用しなくなるだろう。その時が雪菜の敗北の時だ。

 雪菜も自身の不利を十二分に理解している。だが退くわけにはいかない。雪菜が退けば背に庇う絃神島に被害が及んでしまう。それだけは避けなければならない。

 しかし状況はあまりにも不利極まる。

 那月は女王ナラクヴェーラの火輪と爆弾を撃ち落とすのに掛かりきり。ヴァトラーに至っては開戦数十秒で一機をスクラップにして、それ以降は残った一機で遊んでいる始末だ。助力を願うのは、前者は無理で後者は余計に被害を拡大させかねないので期待できない。

 徐々に追い詰められ余裕を失くしていく雪菜。獅子王機関の剣巫といえど雪菜はまだまだ未熟。一人で神々の兵器を相手取るのは荷が重すぎた。

 敗北の気配が色濃くなり雪菜が焦燥を募らせ始めた時、馬の嘶きにも似た咆哮と爆発的な魔力の波動が増設人工島(サブフロート)地下から伝わってきた。

 

「なっ!?これは……!?」

 

 覚えのある魔力の気配に雪菜は驚愕に動きを止めてしまう。致命的な隙を晒す雪菜だが、しかしナラクヴェーラからの追撃はない。ナラクヴェーラもまた、雪菜と同様に動きを止めて備えているのだ。自身に害をなす外敵の登場に。

 ズンッ!と突き上げるような衝撃が浮き島を襲う。体重の軽い雪菜はその衝撃に立っていられずその場にへたり込んでしまう。だが衝撃は止むことなく、まるで怪物の胎動の如く何度も何度続くも。その度に人工の島の至る所が軋み悲鳴を上げる。

 徐々に衝撃の発生源が地上に近づいているのか、揺れが大きくなっていく。もはや人工島の揺れは人が立っていられる限界を超えていた。

 しかしその激しい揺れが、唐突にピタリと止んだ。

 耳が痛い程の静寂が戦場を支配する。那月もヴァトラーも、生き残っているナラクヴェーラでさえも攻撃の手を止めて彼の者の登場を静かに待つ。

 十秒か二十秒か、ややあってから再び魔力の波動が巻き起こった。発生源は雪菜が相手していたナラクヴェーラ直下だった。

 次の瞬間、間欠泉の如く噴き上げた衝撃波の一撃がナラクヴェーラの機体を冗談のように打ち上げた。

 

「……は?」

 

 パチンコ玉のように吹っ飛んでいくナラクヴェーラにさすがの雪菜も驚きを隠せない。ポカーンと口を半開きにして上を見上げる様は少しばかり間抜けだった。

 その表情も、立ち昇る粉塵の中に揺らめき立った二つの人影を認めた途端に安堵と歓喜に打って変わる。

 

「……あぁ、最悪だ。あり得ない、いくら意識がないからってあれはない。情けないことこの上ない」

 

 ぶつくさと聞き慣れた声が聞こえてくる。なにやら妙に覇気がないというか、物凄く気落ちしている感のある声音だが。確かに生気の籠った少年の声だ。

 

「……さっきまで死にかけていたっていうのに頭はスッキリしているし。身体はビックリするくらい魔力が漲っていて、今ならナラクヴェーラぐらいサクッと倒せそうだ。体の傷も跡形もなく治ったし、しかも新たな眷獣まで制御できてる始末。つまり──」

 

 一帯を覆っていた塵煙が凄まじい爆圧によって彼方まで散らされ、地下から這い上ってきた二人の少年少女の姿が照りつける日差しの下に晒された。

 殆ど布切れ同然の制服のシャツを引っ掛けた少年──暁古城が、どこか皮肉混じりの笑みで言う。

 

「──ベストコンディションだ」

 

 呆れ顔の紗矢華を伴って、舞台から落ちた主役(古城)が若干妙なテンションで地上に這い上がってきたのだった。

 

 




古城くん気絶の経緯を簡潔に説明。
フルマラソンを走っていてあと1キロというところで、「もういいよ、よく頑張ったよ」と恋人に囁かれたようなものです。フルマラソンとかしたことないし彼女もいませんが、そんな感じですよ、多分ね笑。


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戦王の使者XIII

更新遅くなりました。いやはや模試に漢検と忙しくて、すいませんでした。それでは今話もどうぞ、温かい目で見守ってください。


「悪い、待たせたな。姫柊」

 

「お待たせ、雪菜」

 

「暁先輩……紗矢華さん……」

 

 無事とは言い難いが、元気そうな姿で戻ってきた古城と紗矢華に、雪菜が心底安心したとばかりに吐息を洩らす。那月は心配ないと言っていたが、それでもやはり不安は拭えなかったのだ。

 目尻を微かに濡らしながら二人の帰還を喜ぶ雪菜。しかし対照的に古城と紗矢華の表情は複雑だ。なにせ致し方ないとはいえ雪菜が必死に戦っている間に、自分たちは吸血行為に及んでいたのだから、合わせる顔がないのだ。

 そんな二人の内心を察したのか、雪菜は僅かに肩を落としながらも微苦笑を浮かべる。

 

「仕方がない人たちですね、本当に……」

 

 少し俯きながら雪菜は呟く。

 表情を曇らせる雪菜に紗矢華は途轍もなく胸が痛くなった。今すぐこの場で言い訳やら説明やらをしたい。だがそうはナラクヴェーラが許してくれない。

 古城に撥ね飛ばされたナラクヴェーラが機体の損傷を修復して猛スピードで向かってくる。ダンプカーもかくやの勢いで迫るナラクヴェーラに三人は即座に臨戦態勢を取った。

 

「色々話したいことはあるけど、今はこっちが先だ。姫柊と煌坂はあいつを頼む。二人で力を合わせればなんとかなるはずだ」

 

「任せて」

 

「分かりました」

 

 頼もしく頷き返す雪菜と紗矢華にその場を任せ、古城が向かうのは那月が相手している女王。この戦場において最も巨大で強大な古代兵器だ。

 女王ナラクヴェーラと那月は丁度島の中央あたりで戦っていた。女王が大量の火輪と爆弾を吐き出し、那月がそれを銀鎖と時折虚空から出現する黄金の巨腕を駆使して応戦している。那月は積極的に攻める気はないらしく、どちらかというと島を守るように立ち回っているようだ。

 那月は古城に気づくと皮肉げに頬を吊り上げる。

 

「随分とのんびりしていたようだな、暁古城。私たちが戦っている間に一体ナニをしていたのやら」

 

「分かってて言ってるでしょうが……」

 

 ナラクヴェーラを片手間に茶化してくる那月に、呆れやら感心やらを覚えながら古城は女王ナラクヴェーラと相対する。

 途切れることなく兵装をばら撒く女王ナラクヴェーラ周辺は常に激しい爆撃に見舞われている。吸血鬼の肉体であろうとさすがに爆発の嵐を突破し、あまつさえ女王ナラクヴェーラを破壊するというのは不可能だ。どうにかしてナラクヴェーラの動きを止めなければならないわけだが、生憎古城は火力特化。そう器用な真似はできない。

 なので適材適所、餅は餅屋ということで、

 

「那月先生、頼んだ!」

 

「教師を便利屋か何かと勘違いしてないか」

 

 片眉を吊り上げて文句を零しながらも、那月は愛用の扇子を横に一閃する。すると次の瞬間、虚空から大量の銀鎖が吐き出され女王ナラクヴェーラに巻きつき、雁字搦めにしてその動きの一切を封じた。

 完全に動きを止められた女王ナラクヴェーラ。銀鎖によって火輪を吐き出すハッチも縛められているため攻撃もできない。まさに手も足も出ない状況だ。それでも鎖を振り解こうとしているが、如何せん相手が悪かった。

 

「曲がりなりにも神々が鍛えた“戒めの鎖(レージング)”。如何な神々の兵器であるナラクヴェーラといえど、容易には断ち切れないだろう」

 

 そしてナラクヴェーラが動けない隙に、古城は己の右腕を高々と掲げた。

 

「“焰光の夜泊(カレイドブラッド)”の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ──!」

 

 ほぼ意識がない状態、魔力供給のために行われた吸血行為。それは古城を回復するだけに留まらず、新たな眷獣を掌握する霊媒ともなった。

 

疾く在れ(きやがれ)、九番目の眷獣、“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”──!」

 

 圧縮された魔力が一気に噴き出し、ゆらゆらと陽炎を生じさせる。やがて陽炎は緋色の双角馬を形作り、第四真相の新たな眷獣を顕現させた。

 現れたのは緋色の鬣を靡かせる雄々しい双角馬。肉体を衝撃波で構成されており、常に周囲へと騒音を撒き散らす傍迷惑な眷獣だ。

 双角馬を顕現させたのも束の間、古城は更にもう一体の眷獣を呼び出す。

 

疾く在れ(きやがれ)、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 続いて飛び出したのは雷光の獅子。雷をあちこちへと落とす姿はまさに雷雲の如し。

 厄災の権化とも言われる第四真相の眷獣が二体は、一瞬互いの視線を交錯させるとまるで示し合わせたかのように上空へと駈け出す。その様子はじゃれ合いのようにも見えるが、第四真相の眷獣が本当にじゃれ合ったりなどしたら天変地異と同等の災害が起こりかねない。下手をすれば島が沈む。

 だがそこはこの古城、文字通り血の滲む対話の末、そこそこ眷獣たちは命令に従ってくれる。制御も受け入れてくれる。故に古城が下手を打たない限り、島が沈むなんて未来は訪れないだろう。

 

「これで終わらせてやる。喰らいやがれ!」

 

 高らかに宣言して古城が右腕を勢いよく振り下ろす。するとその動きに合わせて宙を駆け回っていた二体の眷獣が、女王ナラクヴェーラ目掛けて物凄い勢いで急降下する。

 衝撃波の塊と雷撃の塊二つがナラクヴェーラに衝突した。瞬間、周辺一帯が雷光に白く染められ、耳を劈く爆音が彼方まで響き渡る。

 散らされた稲妻が女王ナラクヴェーラの足下の大地を破壊し、超高周波振動が木端微塵に粉砕する。常軌を逸した負荷を加えられた増設人工島(サブフロート)のフレームが軋みを上げ、人口の大地は容易く陥没し、女王ナラクヴェーラは地下へと沈んでいく。

 だが、まだ足りない。手応えからしてナラクヴェーラの装甲を貫けていないのが古城には分かった。

 

「圧し潰せ!」

 

 元々耐性を付けられていた雷よりも衝撃波のほうが有効的と判断して、古城は全神経を“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”に集中させる。

 ありったけの魔力を注がれた緋色の双角馬が、その神髄を遺憾なく発揮する。

 甲高く双角馬が嘶き、その音叉のような双角から手加減なしの衝撃波を放つ。衝撃波の弾丸は狙い違わずナラクヴェーラの頭部に直撃し、その硬い装甲を盛大に凹ませた。

 ──いける!

 確かな手応えに古城は拳を握り込み、己の眷獣に追撃の命令を出す。

 宿主の意志を汲み取った緋色の双角馬は嬉々として女王ナラクヴェーラへ畳み掛ける。

 衝撃波が雨嵐と降り注ぐ。その尽くがナラクヴェーラに的中し、その巨体をへし折り引き裂き圧し潰す。上から落ちてくる凄まじい衝撃にナラクヴェーラは徐々に地下深くへと押し沈められる。それだけに留まらず、衝撃の余波が増設人工島(サブフロート)にもしっかりダメージを与えていく。

 ミシミシと人工島全体が悲鳴を上げる。その音でようやく事態の深刻さを悟った古城は頬を引き攣らせて即座に眷獣を制止させるが、時既に遅し。増設人工島(サブフロート)中央には特大のクレーターが形成されていた。

 まずい、やりすぎた……、と古城が内心で冷や汗を垂らしていると、その背後に音もなく険しい目つきの那月が立った。

 

「暁古城……」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ那月先生。確かにやり過ぎた自覚はあるけど、こうでもしないとナラクヴェーラは──」

 

「違う、いいから前を見ろ」

 

 那月が扇子でクレーター中央を指す。古城は扇子の先を目で追い、そして絶句した。

 衝撃波の雨霰によって形成されたクレーターの中心点。装甲のあちこちが拉げ、骨格が折れ曲がっているのか姿形はボコボコの凹みだらけのまま、女王ナラクヴェーラが破損を修復せんと再稼働を始めていた。

 

「そんな馬鹿な……。加減なんかしてない本気の攻撃だったはずだぞ」

 

「恐らく蛇遣いのせいだろうな」

 

「ヴァトラー?」

 

 思わぬ人物の名が出てきたことに古城は眉を顰める。那月は忌々しげに顔を歪めながら己の見解を述べる。

 

「ヤツが必要以上にナラクヴェーラを痛めつけたせいで装甲が強化されていたのだろうな」

 

「あの傍迷惑貴族は、ほんっとに碌なことしないな……!」

 

 ギリィ!と歯軋りして古城はヴァトラーを睨みつける。当人ことヴァトラーは古城の視線に優雅な微笑みを返す。その足下にはバラバラの残骸と成り果てたナラクヴェーラがあった。ちゃっかり自分の獲物は片付け終えていたようだ。

 苦々しげな表情を浮かべながら古城は、雪菜と紗矢華の戦況を見やる。

 二人は長いこと一緒に暮らしていただけあって連携は完璧。ナラクヴェーラを着実に追い詰めていた。この分ならばあちらのナラクヴェーラが潰れるのも時間の問題だろう。

 そうなると残るのは……、

 

「あのデカブツだけか……」

 

 瓦礫の山を元素変換することで損壊した機体を修復している女王ナラクヴェーラを見下ろして、どうしたものかと古城は頭を悩ませる。

 新たな眷獣を掌握して現状発揮できる最大の火力をぶつけた。だがその結果は目の前のナラクヴェーラには一歩及ばず、そしてもう二度と通用することはないだろう。

 だが破壊する手段がないわけではない。古城の頭の中には三つ、女王ナラクヴェーラを確実に壊す方策が浮かんでいた。

 一つ目は、本当に遺憾ながらヴァトラーと力を合わせてナラクヴェーラの装甲強度を上回る火力で以ってして正面から叩き潰すこと。だがこれは実行すれば確実に増設人工島(サブフロート)が沈む。それどころか本島のほうにも被害が出かねないので却下だ。

 二つ目は、紗矢華の“煌華麟”。しかしこちらも正直確実性に欠ける。なにせ相手は学習する神々の兵器。斥力場の結界が使えないとなれば、今度は空間の連結に細工をして対策されかねない。もし対応されてしまったらその時点で詰んでしまう。

 となると三つ目、古城にとってはこれが一番確実性が高いと考えていた。ただし外せばその時点で詰み、成功しても雪菜あたりからの説教は免れないだろう。

 ここずっと怒られてばかりだなぁ、と思わず古城は苦笑する。ある意味それは古城のことをよく見てくれている裏返しでもあるのだが、古城がそこに気づくことはなかった。

 

「那月先生、あとのことは頼む」

 

「…………」

 

 古城の頼みに那月は僅かに渋面を作る。それなりに付き合いがあり古城の性格を把握しているからこそ、那月は古城が何をする気なのか容易に察しがついた。そしてそれがあまりにも無茶で愚かであることも。

 だが那月はそれを指摘しない。教師としては止めるべきなのだろうが、那月には目の前の少年を止められる気がしなかった。故に那月は被害を最小限に抑えるべく動く。

 

「仕掛ける時に合図しろ。せめてバラバラにならないようにはしてやろう」

 

「那月ちゃん……」

 

「教師をちゃん付けで呼ぶな!」

 

 キッ!と眦を吊り上げる那月。古城はそんな英語教師をしばしぼうっと見つめ、やがてふっと頬を緩める。

 

「行ってくるよ」

 

 一言残して古城は未だ身動きの取れない女王ナラクヴェーラに向かっていく。その後ろ姿には、死を覚悟した兵士のような雰囲気が漂っていた。

 

 

 ▼

 

 

 雪菜と紗矢華はナラクヴェーラの激しい攻撃を凌ぎつつ、攻め入る隙を虎視眈々と窺っていた。

 既に雪菜の戦い方を学習したナラクヴェーラに、二人は持ち前の霊視と幼い頃から付き合ってきた結果培われた阿吽の呼吸で立ち向かう。

 そうして熾烈な争いを繰り広げることしばし。突如として発生した特大の揺れに二人は足を止めざるを得なくなった。

 

「くっ……!」

 

「ちょっと、あの馬鹿……!」

 

 致命的な隙こそ曝さなかったが動きを止める二人。そしてこの場にいるもう一機、ナラクヴェーラもまた揺れの影響を盛大に受けていた。

 連続で叩きつけられる衝撃に増設人工島(サブフロート)全体が激しく揺れ、人工島を支えるメインフレームに尋常ではない負荷が掛かる。結果、雪菜たちには運の良いことにナラクヴェーラの足下の鋼の大地が音を立てて崩れ落ちた。

 完全に陥没したわけではない。ただ六脚のうち前二脚が穴に嵌り、ナラクヴェーラの体勢が大きく崩れた。その好機を雪菜と紗矢華が的確に突く。

 一瞬で間合いを詰めた紗矢華がわざとらしく煌華麟を高々と掲げる。まるでこれからこの剣で攻撃しますよ、と宣言しているかのようだ。

 既に煌華麟の危険性を理解しているナラクヴェーラは即座に斥力場の結界で対応する。

 ナラクヴェーラの機体表面に奇怪な魔術文様が浮かび上がり、淡い魔力の輝きに包まれた。この状態では紗矢華の剣は結界に跳ね返されて無効化されてしまう。しかし紗矢華は余裕の笑みを崩さない。

 紗矢華の脇を目にも留まらぬ速さで銀の閃きが駆け抜けた。

 

「“雪霞狼”!」

 

 あらゆる結界障壁を切り裂く破魔の銀槍が、斥力場の結界を完膚なきまでに引き裂く。雪菜の手腕によってナラクヴェーラは斥力場の結界を失い、丸裸も同然になってしまう。

 そこへすかさず紗矢華が剣を振り下ろす。

 煌華麟の能力によって生み出された擬似空間切断が、ナラクヴェーラの頭部を唐竹割りにする。完全に中枢を真っ二つにされたナラクヴェーラは前脚が穴に嵌った間抜けな体勢のまま沈黙した。

 本日二体目となるナラクヴェーラを破壊して、雪菜と紗矢華はほっと安堵の息を吐く。そして二人揃って顔を見合わせて微笑み合った。

 今倒したので小型のナラクヴェーラは最後だ。ヴァトラーが相手していた二機もとうの昔に破壊し尽くされている。つまり残っているのは古城が戦っている女王機のみ──

 そう考えた時、風に乗って微かな声が雪菜の耳に届いた。

 

「喰らい尽くせ、“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”」

 

 次の瞬間、増設人工島(サブフロート)中心部から異様な気配が立ち上った。それに続いて響き渡る龍の咆哮。

 ナラクヴェーラとは違う感じたことのない気配に、すわ新手の乱入かと雪菜と紗矢華が反射的に身構える。だがその気配は数秒と経たずして霧散して消えてしまう。

 

「今のは……」

 

「一体なんだったのかしら……」

 

 何が起きたのか状況が理解できない二人。だがややあって、雪菜が異様な気配の中から感じ取った慣れ親しんだ魔力の波動の正体に思い至り、慌てて駆け出す。その後を紗矢華も若干戸惑いながらついていく。

 異様な気配が生まれて消えた島の中央には巨大なクレーターが形成されていた。恐らく先の一際激しい揺れの時に生まれたのだろう。下手人は確実に古城だと、雪菜と紗矢華は確信した。

 クレーターの縁に立って雪菜は古城の姿を探す。が、古城よりも先に雪菜はクレーターの中心部に立つ何かに目を奪われた。

 

「あれは、ナラクヴェーラ……?」

 

 思わず首を捻りながら呟く雪菜。それも仕方ないだろう。

 クレーターの真ん中に鎮座する下半分だけ(、、、、、)となった女王ナラクヴェーラ。見るものを威圧する威容も、怖気が走る程の禍々しい気もない。ただの物言わぬガラクタと成り下がったそれをあのナラクヴェーラと判断するのは些か無理があった。

 

「なにをどうしたらあんな風にできるのよ……」

 

 紗矢華が唖然とした表情で眼下のナラクヴェーラを見下ろす。雪菜もまたナラクヴェーラだった物から目を離せない。いや、正確にはナラクヴェーラの周辺を隈なく探っているのだ。この惨状を作り上げたであろう人間の姿を。

 忙しなく目を走らせる雪菜。そんな彼女に声をかける人物がいた。

 

「そこに暁古城はいないぞ、転校生」

 

 例によっていつもの如く空間転移で現れる那月。高等魔術にカテゴライズされる空間転移を気軽に扱うその腕には毎度驚かされるが、今の雪菜にそれを気にする余裕はない。

 

「暁先輩はどこにいるんですか?」

 

 切羽詰まった表情で雪菜は那月に詰め寄る。

 那月は寄ってくる雪菜を一瞥すると、無言のまま扇子で近くの瓦礫の山を指し示す。

 激しい戦闘の末倒壊した建物の瓦礫を背凭れに、暁古城が座り込んでいた。全身血塗れの姿で。

 

「きゃあああっ!?」

 

 悲鳴を上げたのは紗矢華だった。顔色は白を通り越して土気色になっている。

 これまで任務として血塗れの人間の姿など何度も見てきているだろうに、しかし紗矢華はまるで普通の女子供のようにショックを受けて悲鳴を上げた。それ程までに今の古城の状態が酷かったのだ。

 まるで鋭利な爪か牙で抉られたかのような激しい損傷。腕や足は一部千切れかけ、胴も直視を憚れる程の大怪我を負っている。

 傷口からは止めどなく赤黒い血が流れ出し、背凭れの瓦礫と地面を赤黒く染めている。まず間違いなく、息の根は止まっているだろう。

 一体全体何がどうしてこうなったのか、紗矢華には皆目見当もつかなかった。だが雪菜は漠然とではあるがこの惨状の原因を悟っていた。

 まだ掌握していない眷獣の行使。それに伴う力の逆流、つまりは反動。古城がここまでズタボロになったのはそれが原因だ。

 少なくとも、雪菜はこれに類似する現象を二回見たことがあった。一度はオイスタッハ殲教師との戦闘の時。自らの雷に焼かれながら戦う姿を見ている。二度目はその場に居合わせたわけではないが、ヴァトラーに襲われ時の暴走だ。

 どちらも宿主である古城を眷獣たちが著しく傷つけていた。そしてこの惨状もまた、古城の眷獣が齎したものであるのは間違いないだろう。

 

「なによ、これ。普通の傷と全然違うんだけど……!?」

 

 震えながらも古城の容態を診た紗矢華が愕然として言う。

 古城の肉体に刻まれた傷は一見すると恐ろしく太い爪や牙に引き裂かれたかのように見える。だがその実態は全く異なる。これは斬られたものでも裂かれたものでもない。それは──

 

「──次元喰い(ディメンジョン・イーター)。古城は肉体を空間ごと喰われたのサ」

 

「アルデアル公!」

 

 金の御髪を揺らして現れたディミトリエ・ヴァトラーに雪菜と紗矢華は一瞬身を強張らせる。だがそれも彼から戦闘の意志がないことを悟るとすぐさま緩めた。

 ヴァトラーは血塗れの古城をさぞ愉快げに見下ろして、

 

「こうなることを知りながらも自ら死地へと踏み込むその鋼の精神。いやはや、実に愉しませてもらったよ、古城。キミの闘いぶりに、ボクも思わず見惚れてしまった」

 

 くふふっ、と口角を吊り上げて笑う。子供のように無邪気に残酷に。

 その笑みを見た雪菜と紗矢華は背筋に冷たいものを感じ、同時に無意識の内に古城を庇うように立ち位置を変える。その様子に更に笑みを深めるヴァトラー。

 両者とも敵意はないが友好的とは程遠い沈黙が続く。だがそれも、彼らの頭上を数機のヘリが通過していったことで霧散した。

 

特区警備隊(アイランド・ガード)のヘリだ。じきにガルドシュも捕縛されるだろうな」

 

 そう言って那月はパシンと音を立てて扇子を閉じた。

 那月の言葉の意味するところを理解して、ヴァトラーはふむと小さく頷く。

 

「なる程、船を盗まれたボクも事情聴取を受けなければならないわけか」

 

「此の期に及んでまだ被害者気取りか。まあ、好きにしろ。どうせお前のことだ。のらりくらりと誤魔化すのだろう」

 

「さて、なんのことやら」

 

 笑って肩を竦めるヴァトラーに、那月は盛大に眉根を寄せながらもそれ以上は何も言わない。言っても無駄だと分かっているからだ。

 

「それじゃあ、ボクはもう行くよ。ああ、この島の被害や学園のほうはボクが責任を取るから心配しなくていいよ。そう古城に伝えてくれるかい」

 

「なんのおつもりですか?」

 

 険しい声音で雪菜が問う。ヴァトラーは人を魅了するような飛びっきりの笑顔を浮かべると、

 

「なァに、ボクの退屈を晴らしてくれた古城への細やかな報酬だよ」

 

 さも当然のように言ってその場から離れていった。

 その場に残された雪菜と紗矢華はしばし呆気を取られていたが、不意に古城の再生が始まったことで我に返る。

 流れ出た血が逆流し、抉れた傷口が塞がっていく。その様子はまるでビデオの逆再生のようで、初めてこの光景を目の当たりにした紗矢華は思わず口を手で覆った。

 古城の再生はほんの数分で終わった。服は元通りにはならなかったが、傷は一つとして見当たらない。肉体的には完全復活だ。

 だが、何故か意識が戻らない。不安を覚えた雪菜が古城の胸に手を当てる。

 掌越しに伝わってくる古城の体温と心臓の鼓動。確かに生命活動は維持されている。なら何故目が覚めないのか。

 雪菜と紗矢華は揃って首を傾げ、まさかと思いつつ古城の顔に耳を寄せる。すると聞こえてきたのは規則正しい寝息だった。

 

「先輩……」

 

「呆れたわ、ほんと……」

 

 心配するだけ無駄だったと、二人はその場に脱力してへたり込む。ここまでずっと張っていた緊張の糸が切れたのだ。しばらくは動けないだろう。

 そんな少年少女たちを見下ろして、那月はふっと微かに笑みを浮かべた。慈愛に満ちた、成長していく子を見守るような温かな眼差しだ。だがそれに気づいたものは誰一人としていなかった。

 澄み切った晴空の下、増設人工島(サブフロート)を舞台にした戦いはこうして幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 



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戦王の使者XIV

 暗い暗い意識の最下層。己以外は何人たりとも侵入し得ない精神の不可侵領域(パーソナルスペース)。暁古城は深海にも似たその空間を揺蕩っていた。

 眷獣との対話の時と似たような感覚。しかしここはあそこと違って居心地の良さが段違いだ。まるでぬるま湯のようで、無意識の内に古城はずっとここに居たいという欲求に呑まれかける。

 

 ──いつまで寝てるんだ?

 

 不意に響いた少年の声。心の奥底まで響く温かくも慣れ親しんだ声音で、古城は非常に聞き覚えがあった。だが誰の声か、霞がかかったように思い出せない。

 しばらく悩んだのち、古城は思考を放棄して諦めた。古城は再び心地よい微睡みに身を任せようとする。

 

 ──みんな心配してるぞ。

 

 告げられた言葉に古城は手放しかけた意識を繋ぎ留める。茫洋としていた瞳は確と焦点を結び、光の射さぬどこまでも続く闇を見上げていた。

 みんなとは誰か。雪菜か紗矢華か、それとも浅葱か凪沙か、大穴で那月かもしれない。誰にせよ、いつまでもここで惰眠を貪っているわけにはいかなくなった。

 纏わり付いてくるぬるま湯を振り払い、古城は上を目指す。その先にあるのが決して救いのない現実と知りながら。

 精神世界から現実へと還っていく古城。その背を、空色の瞳が静かに見送っていた。

 

 

 ▼

 

 

 耳元で響く声に浮上しかけていた古城の意識は強制的に叩き起こされた。深く永い夢を見ていたかのような体の怠さを覚えつつ、古城は重たい瞼をゆっくりと上げる。

 すると飛び込んできたのは目尻一杯に涙を溜めた妹とクラスメイトの少女のどアップだった。さすがの古城も、状況が読めず目を白黒させる。

 

「よかった、古城くんやっと目を覚ました。もうこのままずっと目を覚まさないんじゃないかって、凪沙すっごく心配したんだよ!」

 

「ほんとよ。あんたがテロリストに襲われたって聞いた時は心臓止まるかと思ったわよ」

 

 起き抜けの頭に少女たちの捲し立てる声が響く。目が覚めたばかりで状況が全く把握できていなかった古城はさり気なく周囲に視線を走らせる。

 場所は恐らく彩海学園高等部の保健室。備え付けられているベッドの一つに古城は寝かされているらしい。

 記憶が途切れる前までは増設人工島(サブフロート)でナラクヴェーラと死闘を繰り広げていたはずなのに、どういう経緯で高等部の保健室にいるのか、古城には皆目見当がつかなかった。

 古城が人知れず混乱していると入り口のドアがからりと開く。入ってきたのは少し疲労の色を滲ませた顔色の雪菜だった。

 雪菜は、凪沙と浅葱に囲まれた古城を見ると、ふっと安堵したように微笑む。

 

「目が覚めたんですね、暁先輩」

 

「姫柊、俺は……」

 

「先輩は学園に侵入したテロリストに運悪く鉢合わせて襲われたんです。覚えていらっしゃらないかもしれませんが」

 

 そう言って雪菜は人差し指を立ててすっと自身の唇に沿える。要するに凪沙と浅葱には秘密にしろ、ということらしい。

 古城は雪菜の意図を察して話を合わせる。

 

「ああ、そうか。そうだったな。ちょっと記憶が飛んでて混乱してるみたいだ」

 

「大丈夫?頭でも打ったのかな。やっぱり病院に行ったほうがいいよ。あ、そうだ、深森ちゃんに診てもらおうよ。深森ちゃんなら安心できるしね、古城くん」

 

 いつもの三割増しの勢いで喋る凪沙。彼女なりに大切な兄を気遣っているのだろうが、空回りしている感が否めない。

 ぐいぐい深森を推してくる凪沙に苦笑していると、ふとベッドから距離を取った浅葱が目につく。

 浅葱は不意に目を伏せると、肩を震わせ始めた。

 

「ごめん。ごめん、古城。あたしのせいだ。古城がこんな目に遭ったのも全部、あたしがあんなパズルを解かなければ……」

 

「藍羽先輩……」

 

「浅葱ちゃん……」

 

 自身の罪を告白するように、ボロボロと泣きながら浅葱が言う。聡明な浅葱はテロリストたちの狙いが自分であったことにすぐ気づいた。故に自分のせいで古城が死にかけたと思い込んでいるのだ。

 事実は古城自ら侵入者である黒死皇派に特攻を仕掛けたのだが、それを話すわけにはいかない。

 泣き崩れそうになって雪菜と凪沙に支えられる浅葱。古城が考えている以上に浅葱はショックを受けているようだ。古城は、そんな浅葱を責める気など毛頭なかった。むしろ彼女に感謝すらしている。

 

「泣くなよ、浅葱。別におまえは何も悪くないんだからさ」

 

「でも、古城が……」

 

「俺は大丈夫だったろ。ほら」

 

 無事だと言わんばかりに古城は腕を広げてみせる。まだ気だるさは残っているが傷一つない体だ。今日一日で四度も死んで生き返ったなどとは思うまい。

 問題ないアピールをする古城に、僅かではあるが気が軽くなったのか浅葱は表情を緩ませる。だがそれでも完全に罪悪感は拭えないらしい。

 ならばもう一押し、と古城は穏やかな口調で言う。

 

「それに、浅葱が見つけてくれたデータで助かった人もいるんだ。だからあんまり自分を責めるな」

 

「ほんと……?」

 

 涙に潤んだ上目遣いで問うてくる浅葱。古城は真正面からその瞳を見据え、真剣な面持ちで頷いた。

 自分が見つけ出した情報が誰かの役に立った。その事実は浅葱を苛む重苦しい罪悪感を大分軽くしてくれたようだ。未だ目尻には涙が滲んでいるが、それでもその表情は最初とは比べものにならない程に晴れやかだった。

 

「ありがと、古城」

 

 少しはにかみながら浅葱が礼を言う。いつもと変わらぬ浅葱に戻ったことに古城は内心で安堵し、こちらも常と変わらぬ優しげな笑みを浮かべるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 日が暮れて西陽が保健室の白い壁を茜色に染め上げる。時刻で言えば午後六時を過ぎた頃合い。今、保健室には古城と雪菜の二人しかいなかった。

 無事だったとはいえあまり長居するのは古城の負担になるだろうと気を遣った浅葱は早々に切り上げ、凪沙に関しては腕によりをかけるよと意気込んで夕飯の買い出しに出て行ってしまった。

 結果、意図せずして古城は雪菜と二人きりになったわけだが、その雪菜の機嫌が妙に悪い。パイプ椅子に背筋を伸ばして座る姿はいつもと変わりないのだが、纏っている雰囲気が刺々しいのだ。

 

「あの、姫柊さん?もしかしなくとも怒っていらっしゃいますか?」

 

「はい、怒ってます。とても」

 

 恐る恐る尋ねた古城に、雪菜が無表情で、しかし声音にしっかりと怒気を込めて頷いた。

 怒っている。それはもう今までにないくらい、背後に修羅を幻視してしまう程に怒っている。

 一体何が雪菜の逆鱗に触れたのか、古城は己の脳味噌をフルに回転させて理由を探る。そして脳裏に思い浮かんだのはたった一つだけ。

 

「もしかして煌坂とのことか?それなら悪いのは俺で……」

 

「それに関しては先輩が寝ている間に紗矢華さんから事情を聞きましたから。怒ってないとは言いませんが、状況からして仕方ないことだと判断します。でも……」

 

 すっと咎めるように雪菜が目を細める。

 

「そもそも先輩が自力で回復できなくなるような状況になるまで無茶しなければ、こんなことにはならなかったんじゃないですか?」

 

「うっ、それは……」

 

 正鵠を射た雪菜の指摘に古城は言葉を詰まらせる。

 

「紗矢華さんから聞きました。わたしの知らないところでもずいぶんと無茶をしたそうですね。ガルドシュ相手に単独特攻なさったとか」

 

「いや、それは煌坂もいたから単独では……」

 

「それはわざわざ銃弾を受けて死ぬ必要があることなんですか」

 

「…………」

 

 涙目で睨まれたら古城も黙る他ない。

 あの時はあれがベストだと考えていた。最善ではないが確実かつ自分が取れる最良手だと信じていた。だが目の前で涙を湛えながらこちらを睨む雪菜を見ると、本当に正しかったのかと古城の頭を疑念が擡げる。

 そこへ追い打ちをかけるように雪菜が言葉を投げかける。

 

「先輩が眠っている間、わたしたちがどれだけ心配したか分かりますか?凪沙ちゃんが、藍羽先輩が、どんな顔であなたが目覚めるのを待っていたか、分かっているんですか!」

 

 声を荒げて怒鳴る雪菜に古城は呆気を取られた。今まで散々小言やらを言われてきたが、ここまでストレートに感情を露わにして叱られたことなど、古城になって以来なかったのだ。

 雪菜は一度深呼吸をして昂った心を落ち着けると改めて古城の瞳を真っ直ぐ見据えた。

 

「お願いですから、もうこんな無茶をしないでください。なんでもかんでも一人で抱えようとしないでください……」

 

 懇願するように雪菜が言う。しかし古城はそれに頷かない、頷けない。もしもまた、同じような状況に陥ったとしたら古城は迷うことなく自身を傷つける手段を選ぶ。雪菜や紗矢華たち大切なものが傷つくぐらいならば、躊躇いなく死地へ踏み込む。だから古城は雪菜の言葉に応えられなかった。

 雪菜も予想はしていたのか然して落ち込むような様子はない。むしろ想像通りだったのか、手のかかる子供を見るような目で古城を見て、そして決心したかのように一つ頷く。

 

「本当は先輩がここで素直に言うことを聞いてくれたら良かったんですけど、反省はしてくれなさそうですし。ですから、わたしも強硬手段に出ます」

 

「強硬手段って……」

 

「先輩の監視を強化します」

 

「は?いや、ちょっと待て、それはおかしくないか」

 

「どこがです?一人になればこれ幸いと単独行動して、自ら危険に飛び込んでいく人ですよ。四六時中見張っていなければいつどこで無茶をするか分かったものじゃありません」

 

 平然と言う雪菜の目は怖いくらい本気だった。さすがの古城も雪菜の眼力に怯んでしまう。

 それに、雪菜の言うことも的を射ている。目を離せば勝手に危険に飛び込んでしまうのならば、目を離さなければいい。当然の理屈だ。

 だが今だって監視されているというのに、これ以上どう監視を強化するのか。古城はそれが恐ろしくて尋ねたくとも尋ねることができなかった。

 

「安心してください。今まで通り最低限のプライベートは守ります。最低限は」

 

 逆に言えば、家を一歩出れば常に隣にいるということか。いや、もしかしたら家の中でも手洗いや風呂以外なら監視されることになるかもしれない。そうなるともう古城に心休まる時間はなくなってしまう。

 

「先輩が悪いんですよ。先輩が無茶をしなければ、わたしだってここまでするつもりはなかったんです。でも、こうなった以上、わたしも遠慮はしませんから」

 

「ぐぅ、でも……」

 

「でもも何もありません。もう決定事項です」

 

 きっぱりと言い切る雪菜に、非が自分にあると自覚している古城は言い返すことができない。これも全部、身から出た錆だ。

 

「それともう一つ」

 

「ま、まだあるのか……」

 

 これ以上どんな無茶ぶりがくるのかと戦々恐々する古城。雪菜はそんな古城に今までと打って変わって穏やかな表情で告げる。

 

「これからはもっと他人を頼ってください。わたしでは頼りなかったり、力不足かもしれませんが。そんな時は南宮先生でもいいですし、いる時なら紗矢華さんでも構いません。まずはそのなんでもかんでも全て一人で抱え込む癖を治してもらいます」

 

「それは……」

 

 難しい話だ。古城とて雪菜たちを頼りにしてないわけではない。むしろ力は借りるし、それなりに信頼もしている。だがどうしても彼女たちを危険に晒したくないという念が出てしまい、一人で抱え込む方向性に走ってしまう。こればかりはどうしようもない。

 

「少しずつでいいんです。いきなり意識を変えるのは難しいと思いますから」

 

 慈しみに満ちた微笑みで雪菜が言った。

 

「わたしたちは待ってますから」

 

「……ありがとう」

 

 そう答えるのが、今の古城の精一杯だった。

 

 

 ▼

 

 

 今回の黒死皇派によるテロ事件についての重要参考人としての取り調べを終えたディミトリエ・ヴァトラーは、絃神島の中でも有数の高級ホテルにいた。

 シャンデリアが輝き柔らかな絨毯が広がるホテルロビーの一角、備え付けのソファに身を沈めながらヴァトラーは行き交う宿泊客を眺めている。

 そんな彼の背後のソファに小柄な女性が腰を下ろす。彩海学園高等部の夏服を着込んだ眼鏡をした少女だ。

 

「おや、キミが出向いてくれるなんて驚いたよ“静寂破り(ペーパーノイズ)”。いや、獅子王機関・三聖の長と言ったほうがいいのかな」

 

「どちらでも、ご随意に」

 

 ヴァトラーの独り言のような言葉に短く答えた少女は、手に持っていた茶封筒を背を向けたまま手渡す。受け取ったヴァトラーは中身を確認するまでもなく、書類の内容を知っているため開くことはない。ただその顔に好戦的な笑みを貼り付けて訊ね返した。

 

「ところで、わざわざキミが出向いてくれた理由はなにカナ?もしかしてボクと殺し合いでもしてくれるのかい?」

 

「残念ながら、それはまたの機会に。それよりも一つ、お尋ねしたいのですが」

 

「何かな?」

 

 少女は僅かに逡巡するように間を置いて訊く。

 

「此度の事件、あの御方(、、、、)の差し金なのですか?」

 

 若干強張った声音で問われて、ヴァトラーは珍しく熟考したのち慎重に口を開いた。

 

「今回の騒ぎは暇を持て余した貴族が起こしたこと。そういうことにしておきなよ。大丈夫、まだ時間はあるサ」

 

「そうですか」

 

 口調を元に戻した少女は短く頷いた。重苦しく張り詰めた空気は霧散し、代わりにヴァトラーが少し悪戯っぽく笑う。

 

「そう言えば、賭けはキミたちの勝ちということでいいのかな?」

 

「おや、気づかれていらしたんですか」

 

「まァね。ボクとしてはダメかなって思ったんだけど、彼女のほうから迫ったそうじゃない。驚いたよ。結構な男嫌いだって聞いてたのに、どんな心境の変化があったのやら」

 

 くつくつと楽しげに笑うヴァトラー。少女も口元を皮肉げに緩める。

 

「しかし、わたくしたちの目的を知りながら、何故協力を?」

 

「なァに。美味いもの喰おうとするなら多少の手間はかけないとね。でも古城はいい意味で期待以上だったよ。あの躊躇いなく死地へと踏み込む精神性。到底ただの学生とは思えないね」

 

「やはり、危険だと思われますか」

 

 今までとは打って変わって深刻そうな声音で少女が尋ねる。それに対してヴァトラーは僅かに目を細めて答えた。

 

「危険。そうだね、彼は危険だ。理性的な顔をしながらその下に誰にも理解できえない狂気をひた隠しした孤狼とでも言うべきかな。下手に手を出せばその手ごと喰い千切られかねないね」

 

 でも、とヴァトラーは恍惚に染まった表情で続ける。

 

「そこがいい。それでこそ我が愛しの第四真祖というものサ」

 

 憐れ暁古城。真性の戦闘狂(バトルマニア)に色んな意味で目をつけられた瞬間であった。

 背後で彼の言葉に耳を傾けていた少女はしばしの瞑目ののち、

 

「そうですか、参考にさせていただきます。では……」

 

 微かに剣呑な雰囲気を纏いながら席を立った。

 ホテルのロビーに残されたヴァトラー。彼は手渡された封筒を徐ろに開くと中身を確認する。

 内容はアルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーを戦王領域からの外交特使と認定し、絃神島での滞在を認める旨が記載された書類であった。

 

「ふふっ、これでこれからも愉しめそうだよ、古城──」

 

 遠ざかっていく少女の気配を背中越しに感じながら、ヴァトラーは一人静かに口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 




これで一応戦王の使者は終わりです。次回ですが、期末が迫っているので期間が開くと思います。毎度読んで頂いている読者様には申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。


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天使炎上
天使炎上Ⅰ


長らくお待たせしました、天使炎上篇投稿です。それではどうぞ。


 深夜の絃神島西地区上空。禍々しい輝きに包まれた二位の天使が、虚空を切り裂くように飛び回っていた。

 どちらも小柄な少女。血管が浮き立つ醜悪な翼を広げ、着衣は四肢が剥き出しの薄衣。顔はのっぺりとした奇怪な面に隠されている。天使と呼ぶには些か以上に不気味かもしれない。

 しかし、纏う気配は神聖そのもの。天使たちから発せられる気配に、魔力や呪力の類は一切ない。眩い光を散らして飛ぶ様はまさしく天使だ。

 両者は絃神島の闇を照らしながら、お互いを削り合うように衝突を繰り返す。その余波で近くの高層ビルが幾つか破壊され、道路は爆撃に曝されたかのように陥没した。

 尋常ならざる超常同士の戦い。まるで神話の一ページを切り抜いたかのような激しい戦闘は、やがて終わりを告げる。

 天使の一位がもう一方の天使を撃ち落とした。

 負傷した天使が余波で倒壊したビルの中へと消える。それを追ってもう一体の天使も粉塵立ち込めるビル内部へと突入した。

 ついさっきまでの激戦が嘘のような静寂が訪れる。二位の天使がどうなったのか、ビル内部で一体どんな遣り取りが繰り広げられているのか。傍からでは窺い知れない。

 耳が痛くなる程の静寂が数分。立ち込める塵煙を突き破って一位の天使が現れた。

 どういうわけか、その天使は体の至る所に血が付着していた。特に仮面に隠された口元からは今もなお鮮血が滴っている。少女自身は傷一つ負ってないというのにだ。

 宙空に佇む禍々しき天使は甲高い絶叫を上げると、目にも留まらぬ速さで戦闘空域から離脱した。月光に煌めく銀の御髪を靡かせて。

 その一部始終を醒めた目で見届ける者がいた。

 絃神島南地区に建つマンションの一つ。そのベランダに一人の少年が立っていた。

 恐ろしく無表情な少年の瞳は、真っ直ぐ銀髪の天使を捉えて離さない。そこに秘められた感情は複雑怪奇。少年自身ですらその内訳を把握できていない程に混沌としている。

 

「…………」

 

 無言のまま、少年は手摺に掛けていた手を握り締める。固く瞼を閉ざし、今にも溢れ出てしまいそうな感情の波をぐっと押し留め、吞み込む。

 天使が消えてからも少年はしばらく立ち尽くしていた。だが聞こえてきたサイレンの音で我に返り、部屋の中へと引っ込んだ。

 

 

 ▼

 

 

 藍羽浅葱の暁古城との出会いは中学にまで遡る。それ以前に顔を合わせることがなかったというわけではなかったが、古城という存在を確かに認識したのはその時だった。

 その日、浅葱は病院の薄暗い待合室で一人涙を流していた。大切な家族である母親が不幸にも病死したのだ。そのショックは計り知れない。

 時間的に誰にも見られる心配がないからと高を括っていた。まさか自分以外に人がいるとは微塵も考えていなかった。

 コツコツとリノリウムの床を蹴る音が森閑とした院内に響く。浅葱は膝の上に広げたノートPCから顔を上げ、音の発生源へと目をやる。

 浅葱と同じ彩海学園の男子制服の上から黒いパーカーを羽織った少年が、浅葱のいる待合室前を横切ろうとしていた。

 その少年に浅葱は見覚えがあった。というか、つい二ヶ月程前に転入してきた生徒、暁古城その人だったのだ。

 この時点で、浅葱の古城に対する認識は妙な新入り程度だった。

 中学生にしては柔らかな物腰と紳士的な態度。顔立ちも悪くなく、運動神経も良い。転校生という肩書きも相まって僅か二ヶ月という短い期間で、暁古城はクラスを超えて軽く学園の注目の的になっていた。

 だが浅葱はあまり興味を持っていなかった。所詮転校生、その内注目も薄れて馴染んでいくだろう程度に考えていたのだ。

 しかしその考えは、過ぎ去ろうとした古城の横顔を目にした途端に吹き飛んだ。

 

 ──死んでいた。

 

 顔の造形が変わったわけでも、歪めていたわけでもない。むしろ表情自体は皆無。それなのに浅葱は古城の横顔に計り知れない程の絶望と苦悩を感じ取った。

 クラスメイトたちに穏やかな微笑みを振り撒く昼間の姿とはかけ離れている。あまりにも雰囲気が違いすぎて同じ顔の別人かと思ってしまう程に、目の前の暁古城は酷い顔をしていた。

 俯いていたのもあってか古城のほうが浅葱に気づくことはない。色濃い負の雰囲気を背に背負って過ぎ去ろうとしている。

 

「ちょっと……」

 

 浅葱はその背中を見て、自分のことは棚に上げて思わず声をかけてしまった。

 古城が歩みを止める。そして待合室のベンチに座る浅葱を認めて、本当にたった今気づいたとばかりに微かに目を瞠った。余程周囲を気にしている余裕がなかったのだろうか。

 

「おまえは……」

 

 声の主たる黒髪の少女(、、、、、)を凝視して古城は僅かに首を傾げる。その反応に、まさか覚えてないのか、と浅葱は一瞬吊り上がりそうになる眉を意思の力で抑えつけた。

 

「あんた、この前きた新入りよね。こんな時間に病院になんの用?」

 

 真っ直ぐと瞳を見据えて浅葱が問うた。古城はしばしの沈黙ののち口を開く。

 

「妹がずっと入院しているんだ」

 

「妹さん?」

 

 暁古城に妹がいるとは初耳だった。絶賛学園の注目の的となっている古城に妹がいるならば話題に上がってもおかしくないだろうに。いや、今の古城の言葉通りならばその妹は引っ越してきたその日から入院しているのかもしれない。それならば話題に出ないのも不自然ではない。

 妹が入院している。その事実は浅葱の中である種のシンパシーを生んだ。既に母は亡き人となってしまっているが、病院の世話になっているのは変わらない。故に浅葱は古城に対する警戒を少しだが緩めた。

 逆に古城は唐突に態度が和らいだ浅葱を不審に感じているのか、その瞳には困惑の色が浮かんでいた。

 

「それで、俺に何か用か?」

 

「あぁ、うん、ちょっとね。物凄く酷い顔をしてたから、思わず声かけちゃって」

 

「酷い顔?」

 

「昼間のあんたと全然違うから、気になってね」

 

 浅葱の指摘に古城は自身の顔に手を触れる。だが別段表情が動いているわけではない。浅葱が指摘したのは物理的な変化ではなく内面的な変化だ。だからぺたぺたと頰や眉間を触る古城の姿が、どこか滑稽に感じられて浅葱は小さく噴出した。

 

「違う違う、そういう意味じゃなくて雰囲気とか空気がってこと」

 

「紛らわしいな……」

 

 怪訝な表情を浮かべながら古城は手を下す。そしてどういう風の吹き回しか浅葱の座るベンチの端へと腰を下ろした。

 おっ?と浅葱は内心で驚く。あのまま無視されて帰られるかと思ったが、どうやら古城の気を引けたらしい。

 しかしベンチに座る古城が話しかけてくる気配はない。ただ膝に肘を置いて背を丸めているだけだ。苦悩するように、静かに沈痛に。

 古城なりに何か悩んでいるのだと察して浅葱から話しかけることはなかった。薄暗い待合室に差し込む唯一の光である非常口の緑光に照らされる横顔をじっと見つめるだけ。

 一分か二分か、続いた無言の空気はふっと吐息を漏らした古城によって破られた。

 

「そんなに酷い顔で、俺は妹の見舞いに行っていたのか。そりゃ心配されるよな」

 

 どこか自嘲気に笑う古城。どうやらついさっきまで見舞いで妹と会っていたようだ。その際に何かしら言われたのだろう。

 

「教えてくれて助かったよ。今度からは心配させないよう、ちゃんと(、、、、)しないとな」

 

「え、ああ、うん……」

 

 古城の言い回しに妙な違和感を覚えつつも、浅葱は頷き返した。

 

「そうだ名前、教えてくれないか。色々と忙しくてまだ全員分覚えてないんだ」

 

「やっぱり知らなかったのね……」

 

 最初の反応でそんな気はしていたが、面と向かって言われると少しムッとなる。確かに見た目は地味だが浅葱は幼い時から絃神島に住む謂わば古株。新入りと言えど知られていないというのは少し腹が立つことだった。

 だから、浅葱は若干唇を尖らせながら古城に名乗った。

 

「藍羽浅葱よ。きちんと覚えておきなさいよ」

 

「──藍羽、浅葱……」

 

「ん?どうかした?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 そう言って古城は顔を俯かせる。その口元には儚くとも歪とも取れる笑みが貼り付いていた。

 

「そうか、今日だったのか。ほんと、物語なんだな……」

 

「なんか言った?」

 

「ただの独り言だよ」

 

 口の中で転がされた呟きが浅葱に届くことはなかった。

 

「藍羽、いや浅葱でいいか?」

 

「好きに呼んだら。別に名前どうこうとか言うつもりないし」

 

 元がサバサバした性格なだけに、男子から名前で呼ばれようと然して気にしないのが浅葱だ。そのおかげか異性であることを気にせず気楽に話すことができるとクラスの男子たちからは評されている。そのせいか浮いた話もないが。

 古城は今までの酷い顔や歪んだ笑みとは違う、昼間ですら見せたことのない優しさに満ち溢れた微笑みを浮かべる。

 

「浅葱、これからよろしくな」

 

「……うん、よろしく」

 

 少し素っ気なく浅葱は返す。しかしその内心では出し抜けの古城の微笑みに一瞬見惚れ、動揺していた。どうして目の前の少年の微笑みにこんなにも安心させられるのだろうか。殆ど面識もないというのに。

 その答えは、案外簡単に思い浮かんだ。

 

 ──ああ、こいつの顔。お母さんみたいなんだ。

 

 親が子を慈しむ愛情に満ちた笑み。古城が湛える微笑みはそれと同じだった。

 何故殆ど赤の他人である古城からそんな感情を向けられるのか、浅葱にはてんで想像がつかなかった。だが、分からなくていい。今は、傷ついた心が癒えるのを待てばいい。

 この日を境に、浅葱の中で古城の位置付けはただの転校生から気になる転校生へと格上げされた。そして古城と触れ合っていくうちにいつの間にか彼に惹かれ、恋をしていた。

 古城の周りには数多くのライバルがいる。クラスメイトだけではない、学園規模で古城は慕われている。だがそんなものは中学の時からの話だ。今更焦る理由にはならない。

 だがその古城の周囲が、色んな意味で慌しくなっている。その事実は浅葱の心を大きく揺さぶった。

 このままでは古城が取られてしまう。それは、嫌だった。

 故に、浅葱は決心する。今日に至るまで性格が災いして空回りしがちであったが、それも終わりだ。これからはもっと積極的にアタックをかけよう。具体的には……まず、相手をよく知ることから。

 何かと秘密を抱えている節がある古城。その隠された秘密に触れれば、何かが変わるかもしれない。そう信じて浅葱は決意を固めた。

 ここに、自重を投げ捨てたあらゆる電子機器を意のままに操る性質の悪いストーカーが生まれたのだった。

 

 

 ▼

 

 

 十月に入り、全国的に秋の気配が色濃くなってくる時期。しかし太平洋のど真ん中に浮かぶ絃神島は常夏の島。今日も今日とて空には秋の気配を微塵も寄せ付けない太陽が燦々と輝き、教室には殺人的な紫外線が差し込んでいる。

 窓からの熱線にも似たきつい陽射しに、古城が顔を顰めた。帰りのHRが終わり、めいめいが教室から散っていく中で、古城は一人憂い顔で窓の外を眺める。

 心ここに在らずといった感じの古城に、こっそりと様子を窺っていた浅葱は小首を傾げる。

 ここ数日、古城の様子がおかしい。学校生活の様子だけ見て取ってもその異常は歴然。本人的には誤魔化せているつもりなのかもしれないが、比較的古城の近くにいる人間たちにはバレバレである。

 

「はあ……」

 

 頬杖を突いて憂いに満ちた溜め息を洩らす古城。その様子は傍から見ると恋に悩む思春期の少年の図に見えなくもない。

 まさか、と浅葱は頭を振る。ここ最近ずっと古城の様子を窺っていたが、特定の女子に対して特別反応を示すようなことはなかった。何故かいつも近くにいる雪菜に対する態度も、以前と何ら変わりはない。

 逆に雪菜のほうから古城に近づく頻度が増えているのは気のせいではないだろう。時期的に言えば二週間前、丁度黒死皇派による大規模なテロ事件が発生した頃を境にだ。

 浅葱の中で雪菜の位置付けは非常に微妙なものである。一先輩としては嫌いではない、むしろ一人の人間としては好ましい少女だ。しかしこと古城を巡る恋愛になると話が違う。

 夏休み明けからこの絃神島に引っ越し彩海学園中等部に転入してきた転校生。でありながらこの短期間に古城との距離を急激に縮めた猛者だ。中学からの付き合いというアドバンテージはあれど、雪菜の快進撃に浅葱も危機感を抱かざるを得ない。

 浅葱が内から湧き上がる焦燥に頭を悩ませていると、窓の外から視線を切った古城がバッグを片手に教室を出ていく。

 あ、と声を洩らしてその後ろ姿を見送る浅葱。ここまでならいつもと変わらぬ、見た目ビッチの純情娘だ。しかして今日の浅葱は一味違う。

 机の横に掛けてあったバッグを肩に掛け、愛用のスマホを起動させ、勝手に人様の電子端末内に居座る人工知能に呼びかける。

 

「ミッションよ、モグワイ。校内の監視カメラにハッキングかけて古城の居場所を常に把握できるようにして」

 

「嬢ちゃん。とりあえず、その辺に自重っていう大切なものを落っことしてないか確認してくれや」

 

 常ならばからかい混じりに便乗する補助人工知能(AI)。だがさすがに恋の暴走列車に飛び乗る度胸はなかった模様だった。

 全くもって役に立たない、と歯噛みして仕方なく浅葱は自らの足で古城を追いかける。古城を追って教室を飛び出ていく浅葱を、残っていたクラスメイトたちが微笑ましげに見守っていたのを当人は知らない。

 

「古城のやつ、どこいったのかしら……」

 

 モグワイとの遣り取りに僅かばかり時間を取られたせいで、教室を飛び出した浅葱は古城の背を見失った。

 古城が寄り道せずに帰るならば真っ直ぐ下駄箱に向かうべきだろう。しかしここ数日の古城は真っ直ぐ帰宅することなく、あちらこちらに寄り道しては時間を潰していた。

 一昨日は中等部の凪沙のクラス。そこへ妹である凪沙ではなく、叶瀬夏音という少女を訪ね、間の悪いことに既に帰宅しており擦れ違い。

 昨日は呼び出しを受けたのか何故か校長室より高い彩海学園最上階に位置する那月の執務室を訪問していた。その際、中でどんな会話がなされたかは定かでないが、途中血相を変えた雪菜が部屋に飛び込んでいったのは印象に残っている。余程慌てていたのか、柱の陰に身を潜めていた浅葱に気づくことすらなかった。

 二日と続けて寄り道をしている古城。二度あることは三度あるというし、今日の古城が自宅へ直帰するとは考え辛い。となると古城が寄りそうな場所の候補地はどこだろうか、と浅葱は考えて視界の隅に見覚えのある黒髪の少女二人を捉えた。

 

「凪沙ちゃんに、姫柊さん……?」

 

 何やら柱の陰でコソコソしている知り合いの少女たちの名前を浅葱は思わず呟く。

 浅葱と凪沙たちとの距離は結構離れている。そのため普通ならば浅葱の呟きが二人に届くわけがないのだが、獅子王機関で育てられた剣巫の雪菜は持ち前の直感と聴力で反応してしまった。

 

「「あ……」」

 

 バッチリと目が合い揃って硬直する浅葱と雪菜。まさかこのタイミングで出会すとは、お互い思ってもみなかったのだ。

 しばし微動たりとせず見つめ合う二人。睨み合いではないがお互いどんな反応をすればいいか分からず困惑しているといった様子だ。

 二人を取り巻く妙な空気は、雪菜の隣にいた凪沙が浅葱の存在に気づいたことで霧散した。

 

「あ、浅葱ちゃん。奇遇だね、こんな所で。なになにどうしたの?雪菜ちゃんと見つめ合っちゃって」

 

 と言って浅葱に手を振る凪沙。頭の上でポニーテールを揺らす姿は常となんら変わりなく見える。しかしその表情が微妙に引き攣っているため怪しく感じられてしまう。

 浅葱はどことなく胡散臭さを感じながら二人に歩み寄る。

 

「凪沙ちゃんたちこそどうしたの。ここ、高等部の校舎だけど」

 

「うっ、それは……」

 

 痛いところを突かれたとばかりに呻く凪沙。愛らしい円らな瞳が水泳選手もビックリな速度で泳いでいる。何やら後ろめたいものがあるらしい。

 一体何を企んでいるのやら、と少し呆れながら浅葱は何気なく凪沙たちが見ていたほうに視線を向ける。

 見覚えがありすぎる黒いパーカーの少年が、丁度保健室に入っていく姿が見えた。

 浅葱はしばし呆然としたが、すぐに我に帰ると凪沙たちの事情を大まかにだが察した。つまるところ、目的は浅葱と同じである。

 

「二人とも……」

 

「ち、違うんだよ浅葱ちゃん。凪沙はちょっと古城くんが心配で、それでね。ほら、なんだかここ最近難しい顔ばっかりだし、ピリピリしてるみたいでおかしかったから、それで気になって……」

 

 つい魔が差してしまった。凪沙は己の罪を悔いるように浅葱に告白した。その内容は恋の暴走列車こと浅葱とはまるで違う、心から古城のことを心配した故のものだ。勿論浅葱の行動目的にも一応古城が心配というのはあるが、目の前の兄思いな少女と比べてはいけない。

 胸の前で手を組み合わせて俯く凪沙に、浅葱は心が洗われる気分だった。ちなみに凪沙の隣に添い立つ雪菜は表向き凪沙と一緒に古城の尾行。裏では当然のように式神を通して古城の様子を監視していた。さすが国家公認ストーカー。宣言通り監視に余念がない。

 

「そっか……全く、あのバカは妹を心配させて何をしてるのよ」

 

 自身の暴走は棚に上げて浅葱が言う。その隣で雪菜も深々と頷く。浅葱のバッグの中で、お前たちが言うなとばかりにピンクのスマホが震えた。しかし誰一人と気づくことはない。

 

「ほら、行くわよ二人とも。あいつが保健室で何してるのか、暴いてやろうじゃない」

 

 ノリノリで保健室へと歩みを進める浅葱。凪沙と雪菜は互いに顔を見合わせたあと、結局好奇心と心配には勝てず浅葱のあとについていったのだった。

 

 

 

 

 

 



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天使炎上Ⅱ

 放課後の保健室。本来ならば体調不良者や怪我人が訪れる場所に、しかし古城は至って健康体でありながら訪れていた。

 保健室には古城の他にメイド服の上から白衣という倒錯的な格好の少女がいた。

 左右対称の顔立ちに藍色の髪。人工生命体(ホムンクルス)でありながらその身に強大な眷獣を宿す少女、アスタルテだ。

 アスタルテは普段、作られた際にインプットされた医療知識を活かして彩海学園の保健医の真似事をしている。生徒たちからは保健室の妖精などと呼ばれ親しまれている。

 

「じゃあ、体調のほうは問題ないんだな?」

 

「肯定。眷獣行使による生命力の減少はありません」

 

 機械的な声音でアスタルテが答える。古城は安堵したように一つ頷きを返した。

 アスタルテの体には、本来無限にも等しい負の生命力を有する吸血鬼にだけ飼い慣らすことができる眷獣が寄生している。そのためアスタルテは一時期寿命を食い潰されそうになっていたのたが、古城が手を施したことで延命。今では日常生活が送れるようになっている。

 アスタルテの命を救った古城であるが、彼はちょくちょくアスタルテのもとへ経過観察を目的に訪ねていた。何か不都合が起きては困るという、アスタルテを心配しての行動だ。

 今日の訪問もまた、いつもの経過観察が理由だ。しかしもう一つ、古城には訊きたいことがあった。

 

「なあ、アスタルテ。ここ最近の騒ぎのことで那月ちゃんから何か話を聞いてないか?」

 

 ここ二週間で発生している市街地上空での激しい戦闘。古城はその事件についての情報を求めていた。しかし、

 

「肯定。しかし南宮教官(マスター)より第四真祖への情報提供を一切禁じられています」

 

「……予想はしてたけど、やっぱり手を回すよな」

 

 機械的な口調で告げられ、古城は参ったように頭を抱えた。

 深夜の市街地上空で連続している未登録魔族による交戦。古城はこの一件について、昨日那月のもとを訪ねた。那月から何かしらの情報を得て、あわよくばいつもの雑用を押し付けられるノリで首を突っ込む魂胆だったのだ。

 しかし古城の目論見は頓挫した。那月本人から関わるなと釘を刺されてしまったのだ。

 これに驚いたのは古城だ。原作ではヴァトラーへの嫌がらせと危険物は手元に置いておくほうがいいと言って、古城の社会的地位を脅かす形で協力させていたというのに。

 だが現実はどうだ。理由は不明だが那月は古城をこの一件から遠ざけようとしている。それどころかまともに取り合おうとせず、監視として付いている式神を叩き落として雪菜を強引に召喚し、有耶無耶にする始末。

 原作にもない那月の態度に古城は混乱の坩堝に落ちた。加えて古城は今、どういうことか夏音からさえも避けられている。つまり八方塞がり。現状で動くのはあまりにも不審がすぎるのだ。

 なまじ原作知識がある分、動けないのがもどかしい。せめて少しでも情報を得ることができれば、その時点で行動に移すことができるのに。

 悔しげに歯嚙みしたい気持ちを抑え、古城はアスタルテに軽く頭を下げた。

 

「悪いな、邪魔して。体に異常があったら教えてくれ」

 

「承知しました」

 

 控えめに会釈するアスタルテ。古城は若干気落ちしながらも保健室を後にした。

 

 

 ▼

 

 

 会話が終わり古城が保健室を出ようとする気配を察知して、聞き耳を立てていた浅葱たちは大慌てで近くの柱の陰に飛び込む。

 数瞬後、人っ子一人いない廊下に古城が現れる。その纏う空気は教室にいた時よりも暗い。

 何があったのか、浅葱と凪沙は小首を傾げる。保健室内での会話を盗み聞きしていたのではないかと思うだろうが、実のところ彼女たちは会話の詳しい内容までは聞き取れていなかった。原因としては古城とアスタルテの声が小さかったこと。そして何より一緒に聞き耳を立てていた雪菜が、不都合になりそうな単語が出そうになると簡易的な呪術で妨害していたからだ。

 そのため浅葱と凪沙は途切れ途切れの会話から事情を察する他なかった。

 

「古城のヤツ、妙にアスタルテって子の体の調子を気にしてたわね」

 

「古城くんがアスタルテちゃんに怪我でもさせちゃったのかな?」

 

「体に異常……経過観察……まさか……」

 

 一体どんな想像に行き着いたのか、愕然と浅葱が目を見開く。その様子に雪菜はなんとなく勘違いしてるだろうなと感じた。

 

「もしかして古城のヤツ、あんな幼気な子に手を……手を出したんじゃ……!?」

 

 雪菜の勘は的中していた。話が飛躍どころか飛翔している。日頃の古城の行いを思えばあり得ない話だとすぐ分かるはずだろうに。さすがの雪菜も呆れ顔だ。

 しかし古城の妹である凪沙はまともに受け取ってしまったらしい。

 

「古城くんが、そんな……」

 

 酷くショックを受けたように項垂れる凪沙。誰よりも近くで見てきたからこそ、受けた衝撃は一入だろう。まさか自身の兄がそんな不義理を働くだなんて。

 顔色を青褪めさせる凪沙に、そっと雪菜が寄り添う。

 

「大丈夫ですよ、凪沙ちゃん。暁先輩はそんなことをする人ではありません。それは凪沙ちゃんが一番よく分かってるでしょう?」

 

「そう、だね。うん、そうだね。あの古城くんだもんね」

 

 妙な納得の仕方で凪沙が落ち着きを取り戻した。

 

「藍羽先輩も、根拠のない邪推をするのはやめましょう」

 

「そ、そうね。ごめんね、凪沙ちゃん」

 

「大丈夫だよ。でも、そうなると古城くんはアスタルテちゃんとなんの話してたんだろ?」

 

 一周回って結局疑問の種はそこに行き着く。式神で保健室内の会話を盗聴していた雪菜は大体の事情を把握しているが、浅葱と凪沙は違う。謎の残る古城の行動を二人は訝しまずにはいられない、

 

「やっぱり直接聞くしかないか……」

 

 最終手段、というか最初からそうすれば良かったのではないかと突っ込みたくなる雪菜。しかしたとえ真正面から古城に尋ねたとして、果たして正直に答えてくれるだろうか。いや、古城のことだ。なんだかんだ言ってはぐらかすに決まっている。それが分かっていたから浅葱も凪沙もこんな回りくどい手に出たのだ。

 凪沙もこれ以上ストーカーの真似事を続けるのは良心の呵責が辛いのか浅葱の提案に頷く。ちなみに隣で澄ました顔している雪菜は本人に公言したうえで、今も堂々とストーカーをしている。

 故に気づいた。本来ならばいるはずのない人物が学園に侵入し、あまつさえ古城に接触を計ったことに。

 

「そんな、どうしてあの方がここに……!?」

 

「どうかしたの、雪菜ちゃん。なんだか顔色が悪いけど」

 

 あからさまに狼狽える雪菜に凪沙が声を掛けた。だがその声も届いていないのか、雪菜は呆然と虚空を見つめている。式神を通して古城の様子を窺っているのだ。

 

「なんだか騒がしくない?」

 

 異変に気づいたのは浅葱だった。

 校門方面が妙に騒がしい。悲鳴ではないが、歓声にも似た女子の声が聞こえてくる。例えるならお忍びのアイドルに出会ったファンたちの騒ぎのような感じだ。

 有名人でも来ているのだろうかと浅葱が疑問を抱いていると、呆然と立ち尽くしていた雪菜がハッと我に返り、校門へと駆け出した。

 

「え、ちょっと、姫柊さん!?」

 

「どうしちゃったの、雪菜ちゃん!?」

 

 猛スピードで離れていく雪菜の背に、浅葱と凪沙も遅れて走り出す。

 校門付近はてんやわんやの騒ぎになっていた。何処から現れたのか大勢の女生徒が校門の端を囲んでいる。男子生徒も遠巻きながらその様子につられて集まってきていた。

 

「うわっ、何よこれ。なんの騒ぎ?」

 

 すわ何事かと声を上げ、浅葱は集まった生徒たちに視線を走らせる。そして生徒たちの群れの中に見慣れた幼馴染を見つけた。

 

「ちょっと基樹、これなんの騒ぎよ?」

 

 首にヘッドフォンを掛けた軽薄そうな男子生徒、矢瀬基樹は幼馴染の登場に露骨に口角を引き攣らせた。嫌そうというか、面倒なことになったと言わんばかりの顔だ。

 

「基樹?」

 

 その反応に浅葱はにっこり笑顔を浮かべつつ逃さないようにがっしと肩を掴む。掴まれた矢瀬の肩からミシミシと不穏な音が発せられる。言い逃れは許さないと顔に書いてあった。

 

「ちょっ、タンマタンマ浅葱。隠さねえから、ちゃんと話すから止めてくれって」

 

 降参とばかりに両手を上げ、矢瀬は顎で群衆の中心を指し示す。

 

「戦王領域の貴族様が校門まで来てるんだよ。誰かを待っているらしいんだが、その相手が……」

 

「相手が、誰よ?」

 

 そこで言い辛そうに口籠る矢瀬。浅葱は妙に歯切れの悪い幼馴染に眉を顰める。

 矢瀬と浅葱が話している間、一人置いてけぼりを食らった凪沙は小柄な体で精一杯背伸びをして群衆の中心を見ようとする。しかし背伸び程度では中心の様子を窺えない。仕方なく凪沙はスカートの裾に気を払いながらぴょんと飛び跳ねた。

 結果として凪沙は人垣の向こう側を望むことができた。

 日差しに映える純白のコートを着こなした金髪碧眼の青年が、校門のすぐ側に立っていた。

 穏やかな微笑みを浮かべて佇む姿はまさに好青年。所作や雰囲気からは気品めいたオーラが漂っており、さながら物語の王子様のようだ。事実、集まった女生徒の大半が彼の美貌と雰囲気に当てられている。

 アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。テレビなどにも時折出てくる有名人だ。そして強力な魔族、吸血鬼でもある。

 そんな彼の待ち人らしき人物は貴族様でもお嬢様でもない。凪沙と同じく彩海学園の生徒であり、そして毎日顔を合わせる家族──

 

「古城くん……?」

 

 唯一無二の兄がそこにいるのを認めて、凪沙は愕然と立ち尽くすのだった。

 

 

 ▼

 

 

 保健室を後にし、手詰まりになった古城は僅かな可能性に賭けて修道院に向かおうとした。あそこには夏音が拾い集めた子猫たちがいる。心優しい夏音ならば、きっと面倒を見るために訪れているはずだ。

 淡い期待を抱きつつ下駄箱を出る古城。すると校門のあたりが俄かに騒がしいことに気づく。

 

「有名人でも来てるのか?」

 

 きゃーきゃーと耳に響く黄色い歓声から物理的に距離を取りつつ、校門を出ようとする。だが人垣の隙間から垣間見えた覚えのある金髪に、古城は歩みを止めざるを得なくなった。

 

「ヴァトラー?なんであいつが学園にいるんだ……」

 

 古城にとっては厄病神も同然。命懸けの死闘に悦を見出す生粋の戦闘狂ディミトリエ・ヴァトラーが、校門前で女生徒たちの衆目を集めていた。

 アルデアル公爵ディミトリエ・ヴァトラーと言えばテレビなどにも出る有名人だ。故に女生徒たちから黄色い歓声を浴びるこの状況は別段不自然なものではない。まあここにいること自体が不自然ではあるのだが、それは置いておいて。

 ディミトリエ・ヴァトラーの中身を知っている古城にとって、この母校にアイドルが訪れたような空気は違和感しか抱けない。二週間前のテロ事件の際には手元が狂ったなどというふざけた理由で一度殺されてもいるのだ。好感情などあるはずもない。

 叶うならば関わり合いになりたくない相手。しかしあのヴァトラーが自ら学園に出向く理由など、想像に難くない。まず間違いなく古城絡みだろう。

 そうなるとこのまま素通りするのは不味い、というかさせてくれないだろう。現に古城の姿を視界に捉えた戦闘狂がアイドルもかくやと言った微笑みを浮かべてこちらに手を振っている。その動きにつられて野次馬の視線も集まってしまう。

 もう逃げることはできないと悟り、古城は遠い目になりながらヴァトラーのもとへと赴く。

 古城の歩みに合わせて野次馬がまるでモーゼのように割れる。衆人の好奇の視線に辟易としながら、ヴァトラーの目の前まで歩み出た古城は微笑みを浮かべつつ、目の温度は氷点下で問う。

 

「お久しぶりですね、アルデアル公。本日は学園に何かご用でも?」

 

 口調自体は丁寧だが刺々しい声音。常の紳士然とした古城を知る者たちからすれば、彼が怒りを堪えていることがすぐに分かるだろう。事実、古城は非常に苛立っていた。

 古城の滲み出る怒気に対して、青年貴族は気を悪くすることもなく飄々と答える。

 

「やあやあ、我が愛しの古城。久しぶりだね、会いたかったよ」

 

 まるで離れ離れになった恋人同士の再会のように手を広げて喜ぶヴァトラー。その態度に観衆の、それもごく一部の貴腐人が色めき立つ。

 古城は引き攣りそうになる表情筋を鋼の理性で押さえ込み、変わらぬ笑みで丁寧かつ他人行儀に応対する。

 

「その節はどうも。それより、本日の用向きはなんでしょうか?」

 

「固いなァ。そんな他人行儀にならなくてもいいじゃないか。ボクと古城の仲だろう?」

 

 万人を魅了する笑みを浮かべるヴァトラー。そのスマイルに野次馬の女子の大半がハートを撃ち抜かれる。ただしその微笑みを直接向けられている古城は苦虫を噛み潰したかのような顔だ。

 古城としては有名人であるヴァトラーとの関係を学園の生徒たちに怪しまれたくはない。何せヴァトラーと古城の関係は戦王領域の吸血鬼と第四真祖だ。露呈すれば一大事である。

 故に古城は必死に他人行儀な間柄を取り繕う。しかし古城の事情など知ったことかと言わんばかりにヴァトラーは馴れ馴れしく話しかけてくる。

 

「今日は古城に用があってね。ほら、いつかの約束。アレを果たしてもらおうと思ってサ」

 

「約束?」

 

「この島を案内してくれるんだろう?」

 

 ただの社交辞令に決まってるだろ、と古城は声を大にして叫びたかった。だが一度口にしてしまった言葉は戻せない。古城は内心で盛大に溜め息を吐く。

 

「畏まりました。それで、日時は?」

 

「勿論、今からサ。車も用意してある」

 

 そう言ってヴァトラーは校門前に停まる一台の白いリムジンを示した。

 人垣で隠されていたその豪華な車体。常識的に考えてこんな車で学園まで乗り付け、剰え人工島ドライブに洒落込むなどあり得ない。だが目の前の青年はこれでも貴族。思考回路が庶民のソレを逸脱しているのは当然だろう。

 あれこれ悩むだけ馬鹿らしく思えてきた古城。最早他人を装うのも面倒臭くなってくる。

 半ば諦めの境地に至って古城はヴァトラーの誘いに乗ることにした。

 

「ああ、そうだ。折角のボクと古城の二人きりのドライブ。水を差されるのは嫌だなァ」

 

 ニヤリと口角を上げてヴァトラーが人混みの一角を見やる。

 彼の視線の先には緊張の面持ちで古城たちのやり取りを見守る雪菜がいた。式神で状況を察知したのか、どうやら騒ぎになった時点で駆けつけていたらしい。

 遠回しに監視をするなと釘を刺され、雪菜は苦々しげに表情を歪める。相手はあれでも戦王領域の貴族。要らぬいざこざを起こして外交問題にでも発展しては堪ったものではない。

 雪菜にヴァトラーを止める手立てはなかった。

 不安げな眼差しを向けてくる雪菜に、仕方ないなぁ、と苦笑混じりに古城は歩み寄る。

 

「姫柊、ちょっと行ってくる」

 

「でも……」

 

 食い下がりたい雪菜であるが、ヴァトラー自ら同行を拒否されてしまってはどうしようもない。

 不満げに見上げてくる雪菜の頭に古城はそっと掌を載せる。

 

「大丈夫だ。ヴァトラーだって俺に危害を加える気はないさ。それでも心配なら式神を通して監視すればいい。今もしてるんだろ?」

 

「勿論です」

 

「そ、そうか……」

 

 最早悪びれもしない雪菜の将来が少し不安になる古城。国家公認とはいえ、もうちょっと罪悪感のようなものを感じて貰いたい。言うだけ無駄なのは目に見えているが。

 

「それに、姫柊には浅葱と凪沙のフォローもして欲しいからな」

 

「気づいていたんですか?」

 

「むしろ、バレてないと思っていたほうがビックリだよ」

 

 驚愕する雪菜に古城は呆れる。さすがに保健室の外であれだけ騒いでいれば古城とて気づく。加えて常日頃から雪菜に監視されていることで他人の視線に敏感になったのも要因の一つだ。

 

「凪沙には俺もあとで説明するから、とりあえず今は頼む」

 

 言って古城は優しい手つきで雪菜の頭を撫でた。

 子供扱いのようで雪菜は少しムッとするが、手を跳ね除けはしない。しばらく古城の手を堪能したのち、周囲の生暖かい視線に気づいてそそくさと離れた。

 

「……気をつけてくださいね、先輩」

 

「了解」

 

 努めて気楽に返して、古城はヴァトラーの待つリムジンへと向かった。

 

 



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天使炎上Ⅲ

 ヴァトラーに促されて乗り込んだリムジンの内装は豪華絢爛と形容するに相応しいものだった。

 白を基調としたデザインと様々な意匠が凝らされた空間。座席は全て高級感漂う革張り。庶民には一生かかってもお目にかかれない世界が広がっていた。

 古城は前世含めて初のリムジンに内心で緊張しつつ、適当な位置に腰を下ろす。その対面に優雅な所作でヴァトラーが座った。

 

「出してくれ」

 

「畏まりました」

 

 ヴァトラーの命令に従い、運転手が車を走らせる。窓を流れていく見慣れた学園の風景に古城は憂鬱に溜め息を吐いた。

 

「それで、なんの用だ?」

 

 余人がいない状況となり、古城の口調から遠慮がなくなる。ヴァトラーは愉快気に笑いながら、傍らのドリンクボックスからワインボトルを取り出す。

 

「まあまあ、そう急く必要もないだろ。ゆっくりドライブを楽しみながら話そうじゃないか」

 

「真昼間から飲む気か……」

 

 グラスにワインを注ぐ青年貴族に、古城は呆れる。

 

「古城もどうだい?」

 

「悪いが遠慮しておく。うちの可愛い監視役が怒るからな」

 

 ふふっと意地悪気に笑う古城。式神越しに監視している雪菜はこの場に直接の手出しができない。つまり古城が何を言おうと雪菜は見ていることしかできないのだ。四六時中監視されることへの細やかな意趣返しである。

 ヴァトラーもまた、古城の意図を正しく理解して笑みを深める。

 

「随分と尻に敷かれてるようだね。成る程、これが日本で言うところのかかあ天下というヤツカナ」

 

「尻に敷かれてるのは否定できないが、それはちょっと違うだろ。姫柊の場合、一途な年下妻ってところか」

 

「おや、今の発言はつまり、あの娘を第一夫人として認めるということかい?」

 

「ただのたとえだよ。なんでもかんでも邪推をするな」

 

「いやいや、すまないね。同じ吸血鬼(ヒト)を愛する者同士。恋敵の近況を把握しておきたかったのサ」

 

()かせ。俺に男色の気はない」

 

「フフッ……」「ハハッ……」

 

 リムジン内に吸血鬼二人の妖しげな笑い声が響いた。

 奇妙な団結力を発揮した二人を乗せるリムジンは、絃神島市街地へと進んでいく。

 

「さて、戯れはこのあたりで終わりにしようか」

 

 血のように紅いワインを一口呷り、ヴァトラーは向かいに座る古城を見据える。古城も豹変した雰囲気に居住いを正した。

 

「ここ最近、小煩い蝿が飛び回っているみたいだね」

 

「……蝿じゃないだろ。ニュースでは未登録魔族と報道されてたろ」

 

「おや? 気を悪くしたかい?」

 

「……いや、続けてくれ」

 

 ふぅ、と湧き上がりかけた激情を吐き出し、古城は続きを促す。ヴァトラーは気にとめた様子もなく続ける。

 

「昨夜を含めてこの二週間で五件。未登録魔族による激しい戦闘によって市街地に被害が出ている。報道されている内容はこんなところカナ」

 

「概ねその通りだ」

 

 朝の情報番組の内容を思い返しながら古城が頷く。二週間に五回ものペースで謎の魔族が暴れ、被害まで出れば、民間の情報番組にも取り上げられる。ニュースのチェックを怠らなかった古城がそれを見逃すはずもない。

 ヴァトラーは含み笑いを浮かべ、流れ過ぎていく絃神島の街並みに視点を移す。

 

「だがしかし、何事にも公表できない事実というものがあるンだよ。古城のことだから、幾らか察しがついてるんじゃないかい?」

 

「暴れたのは魔族じゃない、ってことか」

 

 古城が答えると、期待通りだとばかりにヴァトラーが拍手を打つ。その表情は心底愉し気だ。

 

「さすがだよ古城。ちなみに、どうして魔族じゃないと分かったんだい?」

 

「魔族だったなら、魔力の波動やらで気づけるはずだ。だが気付けなかった。つまり相手さんは少なくとも魔族ではないんだろうな、と思っただけさ」

 

 加えて、古城は昨夜の戦闘を遠巻きながらに見ていた。その際に天使たちが魔力ではない、別次元の力を以ってして戦っているのをその目で確認している。

 古城の回答に、ヴァトラーは更に笑みを深める。

 

「満点だヨ、古城。君の推測通り、ここ数日暴れてる連中は魔族ではない。だったらなんなのかと言われると、そうだね、ここは便宜上“仮面憑き”とでも呼ぼうか」

 

 ワインで喉を潤し、ヴァトラーは饒舌に拍車を掛けて話す。

 

「少し前に公社に出向いてね。その時に撃ち落とされた“仮面憑き”の様子を見たんだけど、中々興味深いものだったよ」

 

 不謹慎なことを平然と宣いながらヴァトラーは前もって用意していたのだろう、簡素な茶封筒を差し出す。古城は訝しみつつもそれを受け取り中身を確認した。

 封入されていたのは資料が数枚と写真が一枚。内容は昨夜を含めた市街地戦闘の捜査資料。そして写真には手足を枷で拘束されて眠る少女の姿が写っていた。

 

「これは……」

 

 資料と写真を交互に見て古城が目を瞠る。

 資料も写真も一般人には公開されていない、してはいけない持ち出し禁止の類の代物だ。特に写真のほうは不味いだろう。

 写真に写る少女は全身包帯まみれ。その包帯も一部が赤く染まっていて痛々しいことこの上ない。誰が見ても重傷者だと判断するだろう。

 一見すると事故にでも巻き込まれた幼気な少女にしか見えない。だがその正体は市街地で激しい戦闘を繰り広げた“仮面憑き”の片割れだ。

 こんなにも弱々しい少女が、深夜の市街地上空で激しく暴れ、剰えビルやら何やらを破壊した。しかも資料を見る限り多少の魔術的改造の痕跡があるだけで、肉体自体はただの人間と変わりないというのだ。俄かには信じ難い話である。

 そして何より気になるのがこれまで負傷して公社に確保された少女たち全員に共通すること。

 

「全員、著しく内臓を欠損してるな。しかも同じ箇所を」

 

 欠損箇所は横隔膜と腎臓の周辺、いわゆる腹腔神経叢(マニプーラ・チャクラ)と呼ばれる部位。その部位を少女たちは一様に食い千切られている。

 物理的な欠損という意味では重傷に変わりはない。だが別の視点、霊的な損傷から見るとまた変わる。少女たちは人体における霊的中枢、霊体そのものを喰われていた。それが意味するのは何か?

 

「吸血鬼の“同族喰らい”みたいなものか」

 

「当たらずとも遠からず、と言ったところカナ。相手を喰らって力を増すという点に関しては概ね正しい」

 

 満足げにヴァトラーが頷く。古城は手元の資料を読み進めつつ、胸に湧き上がる疑惑をぶつける。

 

「どうしてこんな物を俺に見せる? 明らかに犯罪一歩手前、いや踏み込んでるぞ。ただの一般人に人工島管理公社のデータを見せるだなんて」

 

 至極当然の疑問。これらの情報は古城にとって望外の代物であったわけだが、情報源があまりにも疑わしすぎる。この男が自発的に動く時は大抵碌でもない企みがあるのは、既に証明されているのだ。

 問われたヴァトラーは芝居掛かった仕草で顎を撫で、今一度窓の外に目を向ける。彼の視線の先に、半壊したビルがあった。恐らく五回の戦闘の何れかの際に破壊された建物だろう。

 

「本当はね、古城。ボクは今回の一件に君を関わらせるかどうか迷っていたンだ。今回の相手は、世界最強と謳われる第四真祖にも荷が重い。だからわざわざ“空隙の魔女”に釘も刺しておいた」

 

 “空隙の魔女”というのは、ご存知南宮那月のことだ。どうやらヴァトラーはご丁寧にも那月に手を回し、今回の一件から古城を遠ざけようと画策していたらしい。それで那月は古城への情報提供の一切を止めたのだろう。

 ヴァトラーの言葉を真に受けた那月に驚きを禁じえないが、それよりも珍しいヴァトラーの控えめな発言に、古城は目を見開く。まさかあの戦闘狂が、あろうことか古城の心配をするなど。だが原作でも、この話に関してはヴァトラーは古城を巻き込むなと言っていた。故にヴァトラーの態度は間違っていないのかもしれない。

 しかしそれも原作。ここにいる古城は“まがいもの”で、原作も何もあったものではない。そしてそんな彼に触発された戦闘狂も、原作通りに動くと思ったら大間違いだ。

 

「でもボクは思ったンだ。古城程の吸血鬼(ヒト)なら、これくらいの逆境跳ね除けてくれる。またボクを楽しませてくれるとね」

 

「嬉しくない評価だ……」

 

 げんなりと古城は肩を落とす。そんな古城を愉しげに見下ろしてヴァトラーは車を停めさせる。

 ヴァトラーの指示に従い、リムジンが微塵の振動も感じさせない手際で停車させられた。走行中の揺れが極端なまでに少なかったことからも、この運転手は相当なドライブテクの持ち主らしい。

 

「少し外に出ようか、古城」

 

 薄ら笑いで下車を提案するヴァトラーに、古城は眉根を寄せながらも頷いた。

 

 

 ▼

 

 

「酷いな……」

 

 リムジンから下りた古城の目に映ったのは、まるで地震にでも見舞われたかのような惨状を曝す絃神島市街地だった。

 路上には崩れたビルの瓦礫が堆く積み上げられ、路面には小型のクレーターが無数に穿たれている。

 周囲に林立するビルの幾つかはミサイルの爆撃に曝されたかのように損壊しており、深夜の戦闘の苛烈さが窺い知れた。

 ぐるりと被害状況を見回して、古城は嘆息を洩らした。

 

「どうだい古城。この惨状を見て、君はどう思う?」

 

 悠然と歩み寄る青年貴族は、この惨状を前にしてもその飄々とした態度を崩さない。ニヤニヤと古城の反応を愉しんでいるようだ。

 その態度にどうしようもなく腹が立つ。だが古城は改めて周囲の惨憺たる有様を確認して、苛立ち紛れに頭を掻きむしりつつ客観的な意見を述べる。

 

「見た限り魔力の痕跡はない。だからこの惨状を作り出した存在は魔力の一切を使わず、兵器並みの被害を齎したことになる」

 

「そう、その通り。彼女たちは魔力とは別次元の力を使う。その力は強大にして絶大。如何な第四真祖と言えど、一筋縄にはいかない相手サ」

 

 顔を喜悦に染め、舞台役者が如く腕を広げる。その姿に、彼の放つ異様な空気に、古城は一瞬呑まれかけた。

 

「だがそれでも、君は自ら立ち向かうのだろう?」

 

「…………」

 

 無言で顔を背ける古城。ヴァトラーの指摘通り、相手が己の天敵であろうと古城は背を向ける気などなかった。

 舞い散る火の粉が暁古城の“護りたかったもの”に害を為すのならば、この男はまた死地へと踏み込む。それが“まがいもの”である己に課された宿命なのだから。

 

「フフッ、いいね、実にいい。それでこそ我が愛しの第四真祖だ。君ならきっと戦うと、信じていたよ」

 

「随分と愉しそうだな」

 

 非難めいた目を向ける古城。

 ヴァトラーはそんな視線も柳に風とばかりに受け流し、手近な瓦礫の山に足をかける。そしてあたかも舞台に立つ役者が如く大仰に腕を広げてみせた。

 

「ああ、愉しいとも。唯一にして至上の悦びだ。戦いだけがボクの無聊を慰めてくれる。ナラクヴェーラのように、今回も君の活躍に期待してるよ、古城」

 

 極上の獲物を前にした肉食獣のようにヴァトラーは唇を舐めた。古城は悪寒と嫌悪を抱きつつ、目の前の戦闘狂を冷ややかに睨めつける。

 古城を出汁にして自分は高みから悠々と戦いの様子を愉しむ。なんと歪んだ精神性なのか。いくら吸血鬼の永遠に近い寿命に退屈したとはいえ、その飽くなき戦闘欲は常軌を逸している。

 恐らく、ディミトリエ・ヴァトラーという存在は根源的に戦闘を求める人間だったのだろう。でなければここまで飛び抜けていかれるはずがない。

 故に、彼はこの先も命を懸けた戦いを求め続けるだろう。

 

「一体おまえは、どこまでいけば満足するんだろうな……」

 

 ふと、ぽつりと古城が呟いた。

 風に乗って届いた微かな囁き。吸血鬼の五感で確かに聞き取ったヴァトラーは、その美しい(かんばせ)をほんの僅かに歪め、

 

「世界が真っ二つに割れる戦争が起きた時、カナ」

 

 そう口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 







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天使炎上Ⅳ

 青白い月が静かに見下ろす絃神島。昨夜起きた市街地での戦闘が嘘だったかのような静寂に包まれる街並みはいつもとなんら変わりない。良くも悪くも魔族特区の人間は荒事に対する感覚が麻痺しているのだ。故に人々は常と同じように眠りにつく。

 淡い月光が照らす廃墟と化した修道院に一人の少女がいた。

 見目美しい銀髪の少女──叶瀬夏音だ。壊れた壁の隙間から降り注ぐ月明かりに照らし出されるその姿は幻想的で、しかしそれ以上に触れれば消えてしまいそうな儚さがあった。

 夏音は慈愛に満ちた眼差しで己の腕を見下ろす。彼女の腕には可愛らしい子猫が抱かれていた。周囲には他にも数匹の子猫が寝転がっている。

 全て飼い主に捨てられ寄る辺を失った子猫だ。夏音はそんな子猫たちを新しい飼い主を見つけるまでの繋ぎとして面倒を見ていた。しかし夏音の気質故、猫の数は減るどころか増える一方。修道院は一種の猫パークのようになってしまっていた。

 これでもここ二週間程で減った方だ。友人やクラスメイトを頼って何匹か引き取ってもらった。それでもまだまだ大勢残っているのだが。

 もうじきここにも来れなくなる。夏音はそれを悟って無理を言う形で修道院に訪れた。せめて最後に子猫たちにお別れを告げたかったからだ。

 腕に抱える子猫を優しく抱き竦め、夏音は改めて修道院を見渡す。

 この修道院が不幸な事故によって閉鎖されてから五年。当時ここに預けられていた夏音にとって、この修道院は実家も同然だった。拾い集めた子猫をここに集めたのはそういった理由が大きい。

 だがこの修道院とも、子猫たちとも今日でお別れだ。子猫たちをまた路頭に迷わせてしまうような結果になるのは非常に心苦しいが、夏音はそこまで心配していなかった。自分に代わって子猫たちの面倒を見てくれそうな人に心当たりがあったからだ。

 同じ学園の高等部に在学する先輩に当たる人物。ひょんなことから子猫の世話を手伝ってくれるようになった、夏音にとっては優しく紳士的な少年だ。

 暁古城。“彩海学園の紳士”とまで言われる有名人。

 ここ数日、夏音は古城のことを避けていた。彼にだけはこの秘密(、、)を知られたくない。もし知られてしまったら、嫌われ軽蔑されてしまうかもしれないから。古城に限ってそれはあり得ないのだが。

 それ以上に、古城を巻き込みたくなかった。彼は本当に心優しい人だから、事情を知ればまず間違いなく首を突っ込む。それは夏音の望むところではない。

 古城を避けて逃げたのも全ては彼を自分の事情に巻き込まないため。お別れの挨拶もできずに終わるのは少し悲しかったが、これでいい。

 これから夏音は養父である叶瀬賢生の元へ赴く。彼から与えられる救いを享受するため。その救いの内容を夏音は朧げにしか覚えていない。

 救いとは縁遠い醜い争い。沢山の人を傷つけ、喰らい続ける。あまりにも現実味に欠ける、断片的に残った記憶に刻まれたそれらの光景。夏音の認識は夢のようなものであった。

 賢生の考える救いが、夏音にとっての救いと同義かは知れない。だが例え食い違っていたとしても、夏音に拒絶する選択肢はなかった。彼女には授けられる救いを受け入れるしかないのだから。

 最後に胸の子猫をぎゅっと抱き締め、名残惜しい思いを振り払うように夏音はすくっと立ち上がる。縋るような眼差しで見上げてくる子猫たちに優しく微笑みを残して、監視役として同行する人たちの元へと向おうとした。だが、

 

 ──カシュッ! カシュッ!

 

 空気が抜けるような音の連発に、夏音はその歩みを止めた。

 夏音は銃火器の類に造詣がないため理解できなかったが、今の音は紛れもない銃声だ。サプレッサー付きの小型小銃を連発したのだろう。それはつまり、外では銃を発砲するような事態が起きているということだ。

 夏音はその場で立ち竦み、外の音に耳を澄ませる。聞こえてくるのは複数の怒声と激しい物音。どうやら外では揉め事が勃発しているらしい。

 外での争いの気配を察知したのか、子猫たちが足元に擦り寄ってくる。夏音は子猫たちが不安にならないように抱き寄せ、嵐が過ぎ去るのを静かに待った。

 一分か二分か続いた喧騒は次第に収まり、やがて元の静寂が戻る。争いの気配も完全になくなった。

 何が起きたのか把握できない夏音は、外に出るか迷っていた。だが彼女が出るまでもなく事態は動く。

 ぎぎぃ……と古びた蝶番が錆び付いた音を奏でて建物の扉が開く。監視の人間かと夏音は身を強張らせるが、月明かりに浮かび上がる二つのシルエットに奇妙な既視感を抱いた。

 月光を背負った二つのシルエットの片方が徐に修道院内に踏み込む。距離が近づくごとにその人と(ナリ)が明瞭になってくる。

 黒を基調としたパーカーを着込み、フードを目深に被った年若い少年だ。顔はフードの陰になって夏音からは見えないが、それでもトレードマークとも言える黒いパーカーを見ればその正体は容易に想像がつく。

 だがそれはあり得ない。あり得てはならない。彼はここにいてはならない存在なのだ。

 しかし現にその人影はフードの端に手を掛け、夏音がよく見知った顔を曝け出してしまった。

 狼のように色素の薄い髪と優しげな微笑を湛える相貌。常と変わらぬ慈しみに満ちた柔らかな眼差しに、どうしようもなく安心させられてしまう。

 

「久しぶりだな、叶瀬」

 

 微笑み混じりに名を呼ばれて、心が満たされる。

 今日までずっと意図的に遠ざけていた相手との邂逅。本来ならば嘆き悲しむべき失態であるというのに、しかし心の底では喜んでいる。

 わざわざ彼が自分のためにここまで来てくれた。その事実を想うと、もう夏音には堪える術などなかった。

 

「こんばんは、でした。お兄さん」

 

 今にも溢れ出してしまいそうな感情を必死に堰き止めて、夏音は悲喜交々の笑みを浮かべた。

 

 

 ▼

 

 

 深夜近くの暁宅。明かりの一つも点けず、窓から差し込む月光を頭に被りながら古城はソファに浅く掛けていた。

 ヴァトラーから与えられた“仮面憑き”についての情報。資料や写真に関してはもう手元にはないが内容はきちんと頭に入っている。見た限り、原作と大幅に異なるような点は見受けられなかった。

 だからと言って楽観は出来ない。今度の相手はヴァトラーの言う通り、真祖ですら殺されかねない天使だ。今の(、、)古城には、殺すことは出来ても倒すことは非常に難しい相手である。

 

「どうしたもんか………」

 

 原作通りに進むならばそれで良かった。だが現実は古城の意思とは関係なく原作を乖離している。那月は古城を事件に関わらせようとせず、夏音に至っては避けられる始末。幸いヴァトラーから情報を得て首を突っ込む用意は出来たものの、行動方針が纏まらない。

 さっさと今回の事件を終わらせるならば夏音への接触を後回しにして、諸悪の根源たるメイガスクラフトに殴り込みを掛けて悪事の全てを白日の下に晒してしまえばいい。

 叶瀬夏音の養父である叶瀬賢生が勤める企業、メイガスクラフト。表向きは掃除ロボットの製造を主としているが、その実態は黒い。

 経営悪化から抜け出すため掃除ロボットと称して軍事用機械人形(オートマタ)の開発、製造販売。おまけに非人道的な非合法の魔術儀式。不正の数は挙げれば枚挙に暇がない。叩けば埃が出るとはまさにこのこと。

 リスクは多大で下手をしなくとも犯罪ものだが、それ以上にメイガスクラフトが犯している罪は大きい。スマートではない、決して褒められたやり方ではないが、それが古城の考え得る最善であった。

 だがそれでは夏音が救われない。

 古城と夏音の関係は学園の先輩後輩であり、時折拾い集めた子猫の世話を見る間柄だ。それなり以上に仲は良いと古城自身考えているし、困ったことがあれば相談くらいされる程度には親密だと自負している。

 故に夏音に避けられたというのは地味にショックだった。理由はそれとなく察しがつくが、それでも相談の一つや二つしてくれてもと思わざるを得ない。

 

「自惚れか……」

 

 ソファに凭れ掛かり自嘲げに笑う。

 この身は暁古城であるが中身は“まがいもの”。夏音の抱く印象が原作古城と同じとは限らない。もしかしたら夏音は古城のことをどうでもいい先輩程度にしか考えていないのかもしれない。

 うだうだと思い悩み、ふと古城は窓の外に意識を向けた。

 ここ二週間で続く深夜の激しい戦闘。しかしどうやら今日は静かな夜らしく、戦闘の気配は一切感じられない。

 原作では明日あたりに絃神島での最後の儀式(たたかい)が行われた。そこで古城と雪菜は“仮面憑き”の正体を知ることとなる。だから古城はまだ“仮面憑き”の正体が叶瀬夏音だと知らない(、、、、、、、、、、)

 故に戦闘している最中に割り込むならまだしも、知らないはずである現状で夏音に直接的な介入するのは不自然が過ぎる。

 こんなところで躓くことになるとは、やはり原作を知っているというのは全てが全てが吉になるとは限らないらしい。

 古城が深々と溜め息を吐くと、カチャリと後方で物音が響いた。反射的に首を回せばリビングの入り口の扉から覗く凪沙と目が合う。

 あ……、と声を洩らして罰が悪そうな顔をする凪沙。覗きがバレて咎められるとでも思ったのだろう。別段一人でいるところを覗かれようと怒る気は古城にないのだが。強いて言えば遅くまで起きていることを叱るくらいだ。

 古城はふっと微苦笑を浮かべて手招きする。

 

「そんな所に突っ立ってないで入っておいで。ついでになんか飲むか?」

 

「あ……じゃあホットミルク」

 

「了解」

 

 おずおずとリビングに入り、古城と入れ替わりにソファに座る。妙に口数の少ない妹を違和感を抱きつつ、古城はキッチンで二人分のホットミルクの用意を始めた。

 

「眠れないのか?」

 

「うん、ちょっと気になることがあってなかなか寝れなかったんだ。それであったかいものでも飲もうとしたら、古城くんがいたから」

 

「悩みか? まさか好きな人が出来たとかだったりしてな」

 

「ち、違うよ。そういうんじゃないからね」

 

「冗談だよ」

 

 悪戯の成功した子供のように古城が笑う。凪沙は拗ねたように頬を膨らませて、

 

「古城くんの意地悪」

 

「悪い悪い」

 

 古城はおざなりに謝罪し、加熱を終えたマグカップを二つ手に持ってリビングに向かう。

 

「ほいっと、熱いから気をつけろよ」

 

「うん、ありがと古城くん」

 

 両手でマグカップを受け取り、凪沙はふぅふぅと口を窄めて冷ます。小動物染みた愛嬌のある仕草で、そんな妹を見て古城は心を和ませつつその隣に腰を下ろした。

 

「それで、悩みの内容は俺が聞いても差し支えのないものか?」

 

 妹の凪沙が悩みを抱えて眠れていないのならば、兄として当然相談に乗る。内容によっては拒絶されてしまう可能性もあるが、マグカップを受け取りこの場に居るということは古城に聞いてほしいのだろう。

 しばしぼんやりとマグカップに立つ湯気を見つめていた凪沙だが、やがて面を上げると不安げな表情で古城を見据える。背丈の問題で自然と上目遣いになってしまうのは仕方ないだろう。

 

「最近の古城くん、なんか変だよ。すっごく難しい顔しててさ……。凪沙が入院してた時と同じ顔してるよ、今」

 

「そうか……」

 

 凪沙の指摘に古城は特別顔色を変えることはなかった。自覚はあったのだ。

 ここ最近凪沙が不安げにこちらを見ていることにも気づいていた。今日も雪菜と何故か浅葱も一緒に保健室の外にまで張り付いていたし。

 それだけ凪沙は兄を心配しているのだ。酷い頃の古城をよく知っているから。それ以上に唯一無二の大切な兄だ。心配するのは当然である。

 凪沙の悩みは古城が悩んでいること。つまり解決方法は古城が悩みを解消すること以外にない。

 だが古城の悩みはデリケートを通り越して理解不可、明かしてしまえば全てが崩れかねない超ド級の爆弾。凪沙に打ち明かすわけにはいかない。

 故に古城は慎重に言葉を選びながら、喫緊の問題についてだけ打ち明けることにした。

 

「俺の知り合いがさ、どうやら困っているらしいんだ。でもそいつは誰にも相談しようとしなくてさ。どうすればいいか、分からないんだ」

 

 告白したのは少しぼやかした古城の現状。助けたいが、求めてもらえず動けない状況をどうすればいいのかという悩みだ。

 兄の心情の吐露に凪沙は考え込むように瞼を閉じる。普段の騒がしい様子とは打って変わって真剣に考えている仕草だ。

 

「古城くんは、どうしたいの?」

 

「俺が?」

 

「その子が困っているのは分かってるんだよね。だったら古城くんはその子にどうしてあげたいの?」

 

「俺は……」

 

 助けたいに決まっている。夏音は大切な後輩で、何より暁古城の“護りたかったもの”だ。見捨てるなどという選択肢は毛頭ない。

 古城の表情から確かな力強さを感じ取り、凪沙は穏やかに微笑む。

 

「誰にも相談しないのはきっとその子がとても優しい人だからだよ。自分の事情に誰かを巻き込みたくない、それが自分にとって大切な人であればある程」

 

 まるで古城が助けたいと思っている相手が誰か理解しているかのように的確な指摘。というかこれは……、

 

「古城くんの悩みの相手って、夏音ちゃんのことでしょ?」

 

 図星を射抜かれて古城は驚愕する。そんな兄の反応がおかしくて凪沙が少し楽しげに笑った。

 

「気づかないと思ったのかな? あからさますぎだよ、古城くん。前にわざわざうちのクラスまで来てたし」

 

 成る程、と古城は思わず納得する。確かに古城は夏音を探して凪沙のクラスまで訪れた。それを考えれば悩みの対象が夏音であることは容易に推測できるだろう。

 そんなことにすら気が回らないだなんて、自分はどれだけ周りが見えていなかったのだろうか。古城は己の情けなさに思わず溜め息を洩らした。

 

「夏音ちゃんね、ここ最近ずっと元気なかったんだ。声を掛けてもはぐらかされちゃって。でもきっと、心の底では助けを求めてると思うんだ。だから──」

 

 真っ直ぐ兄を見据え、凪沙は懇願するように言った。

 

「──夏音ちゃんを助けてあげて」

 

 凪沙からのお願い。それは今まで躊躇わせていた古城の背を押すに十分なものであった。

 今まで思い悩み固く皺が刻まれていた眉間が緩み、いつもの穏やかな微笑が戻る。古城は温くなったホットミルクを一息で飲み干し、そのまま立ち上がった。

 

「心配掛けたな、もう大丈夫だ。凪沙はもう寝ておけ。明日も学校があるんだからな」

 

「古城くん……」

 

 見上げてくる凪沙の頭を優しく撫で回して、古城はマグカップを流しに置いてリビングを出る。

 自室で愛用の黒いパーカーを着込み家を出ると、隣の部屋からも人が出る気配があった。

 黒いギターケースを背負った小柄な少女。もはや悪びれることもなく古城の監視(ストーカー)をする獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜だ。

 こんな夜遅くだというのに古城が出かけようとすれば出てくるあたり、今日も今日とて監視に精を出していたらしい。そして呆れたような苦笑を浮かべているあたり、古城を止めるつもりはないようだ。

 

「行くんですね、先輩」

 

 言っても無駄だと分かりきっているからか、投げかける言葉に力はない。一度決めたら梃子でも引かないことを雪菜はよくよく理解していた。

 

「ああ、ちょっくら夜の散歩にな」

 

 答える古城は憑き物が落ちたように清々しい顔だった。

 

 



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天使炎上Ⅴ

長らくお待たせしました、およそ一ヶ月ぶりです。いやほんとすいません。受験生忙しくて……。
多分これからも結構な間が空いてしまうと思いますが、今後とも気長かつ暖かな目で見守って頂けると嬉しいです。
では、本文の方どうぞ──


 夏音は古城との接触を避けるために放課後は即帰宅、修道院にも寄らないようにしていた。しかし元来心優しい彼女に拾い集めた子猫を放棄することは出来ない。故に絶対に古城と出会さない時間帯に修道院を訪れるはずだ。

 古城の読みは的確であり、予想に違わず夏音はいた。ただし護衛兼監視の人間が二人ほどついていたが。

 監視二人は銃口を向けてきた時点で敵と認定。古城と雪菜の息が合った連携で大した抵抗も出来ずに沈黙した。

 そしてようやく、古城は夏音と顔を合わせることができたのだった。

 

「久しぶりだな、叶瀬」

 

 と言っても一週間程度。そう大して長い期間とは言えないが、殊にこの一週間は別だ。古城にとっては長く、そして焦燥を募らせる日々だったのだから。

 

「こんばんは、でした。お兄さん」

 

 答える夏音の表情はあまりにも複雑で、喜んでいるようにも悲しんでいるようにも見えた。夏音自身、感情の整理が上手く出来ていないのだろう。

 

「姫柊」

 

「分かりました。夏音ちゃんのこと、お願いします」

 

 古城からの目配せを受けた雪菜はそう言い残し、修道院の外へ警戒に出る。監視は無力化したが、それ以外にも誰か来るやもしれないので、そちらの対応を雪菜が引き受けたのだ。

 雪菜が離れたことで二人きりになった古城は、子猫を抱き寄せる夏音に微笑みかける。

 

「やっぱり来てたんだな」

 

「……はい。ここずっと忙しくて、お世話が出来ませんでした」

 

「そっか……」

 

 夏音に身を寄せる子猫たちの一匹に歩み寄ってそっと頭を撫でる。

 可愛らしい鳴き声を発してじゃれついてくる黒い子猫を撫で回しながら、古城は静かな声音で夏音に尋ねた。

 

「凪沙から聞いたけど、何か悩み事でもあるのか?」

 

「…………」

 

 古城の問いに夏音は曖昧な笑みを浮かべるだけで答えようとしない。ただじっと痛みを堪えるように目を伏せ、誤魔化すように子猫たちの背を撫でるだけだ。

 だが古城は引かない。多少強引であっても夏音の心に踏み込む。

 

「困ったことがあるなら、話してくれないか。何かしら力になれるかもしれない」

 

 そう言うと、夏音の子猫をあやす手がピタリと止まった。

 夏音はゆっくりと顔を上げると静かに首を横に振る。

 

「何もありませんよ」

 

「いや、でも……!」

 

 食い下がろうとした古城は、しかし瞳から涙を零す夏音に口を噤んだ。

 

「何も、ないですよ。なければ、ダメなんです……」

 

「叶瀬……」

 

 ポロポロと零れ落ちる感情の雫を拭いながら言う夏音。もう既に限界が近かったのだ。それでも夏音は真実をひた隠そうとする。

 大切な友人を、先輩を危険に晒したくない。何より醜い己の姿を見られたくなかった。

 だから、例え心が悲鳴を上げようと涙が溢れ出ようと、聖女は一人で全てを抱え込む。

 だが、それを許さない紳士がここにいる。傷つき涙を流す少女を見て見ぬ振りなど古城に出来るはずがない。

 聖女に涙は似合わぬ。何より、全てを背負うのは古城であって夏音の役目ではない。

 

「叶瀬」

 

 徐に夏音の目の前に膝をつき、古城はその白磁のような白い手に己の手を重ねる。

 

「俺は叶瀬の力になりたい。俺たちを巻き込みたくないって気持ちは痛い程分かる。でもな……」

 

 頬を走る涙の軌跡を優しく撫ぜて、古城は真正面から夏音の瞳を見据える。

 

「大切な後輩が泣いてるのを放っておける程、俺は薄情な人間じゃないんだ」

 

「うぁ……」

 

「そんなに泣くな。折角の可愛い顔が台無しだぞ」

 

 平然と口説き文句を吐きながら古城は子供をあやすように頭を軽く叩く。

 親から与えられる愛情にも似た温もりに、必死に堪えていた夏音の防壁は脆くも崩壊。ふらりと眩暈に襲われたかのように体が揺れる。

 

「おっと……」

 

 地面に手を突こうかというところで古城が受け止めた。

 

「……もう、限界でした」

 

 胸に顔を埋めるような姿勢で、夏音がポツリと零す。

 

「誰も巻き込みたくない、もう傷つけたくない……」

 

「ああ、分かってる。分かってるさ」

 

 弱々しく震える夏音の体を古城は優しく抱き竦める。

 

「もう大丈夫だ。悪い夢はもう直ぐ終わる。だから今は休んでくれ」

 

「お兄さん……」

 

 涙でくしゃくしゃになった顔を上げれば、優しく見下ろしてくれる眼差し。その慈愛に満ちた面差しに夏音は久方ぶりの心からの安堵を覚え、気づけば古城の腕に身を任せて瞼を閉じていた。

 今日までに積み重なった精神的疲労のためか目を閉じてすぐ寝息を立て始めてしまった夏音に、古城は着ていたパーカーを掛ける。そしてそのまま優しく抱き上げた。

 このままここで寝かせるわけにはいかない。かと言って自宅に帰すなど論外。必然的に採れる選択肢は限られてくる。

 古城は夏音を腕に抱えて修道院の外に出る。

 入り口には雪菜が警戒に立っていた。無力化した二人組が目を覚まさないよう見張っているようだ。

 雪菜は古城と夏音の姿を認めると一瞬複雑な表情を浮かべるが、すぐにいつもの生真面目な顔になる。

 

「先輩、夏音ちゃんは……」

 

「寝てるよ。相当抱え込んでたんだろうな」

 

「そうですか……」

 

 拳を握り締め静かな怒りに身を震わせる雪菜。雪菜にとって夏音は数少ない友人。その中でも絃神島に訪れて古城が最初に紹介してくれた友達だ。そんな夏音がここまで追い詰められていたのに何も出来なかったことが、どうしようもなく不甲斐なかった。

 古城もまた、雪菜と同じ心だった。だが今は憤るよりも他にやるべきことがある。差し当たってはまず夏音を落ち着かせられる場所が必要だ。

 

「頼みがあるんだけど、叶瀬を姫柊の部屋に泊めてくれないか?」

 

「はい、構いません。さすがに先輩のお宅に連れ込むのは問題でしょうから」

 

「連れ込むとかやめてくれ。そんなんじゃないから」

 

「分かってますよ。先輩はそういう人ですから」

 

 ふっと雪菜は微苦笑を浮かべる。何とも言い難い信頼ではあるが、突っ込むまい。

 月明かりに照らされる修道院に見送られて、古城たちはその場を後にした。

 

 

 ▼

 

 

 夏音を奪取し雪菜の部屋まで運んだ古城は、とりあえず今日は休もうと提案し雪菜と別れた。

 現時刻は深夜一時を回ったところ。良い子はみんな寝ている時間であり、常識的に考えて電話やメールの類をするには憚れる時間帯だ。しかし非常識であろうと電話を掛けてくる人物はいるわけで──

 その時、古城のスマホが着信を告げんとバイブする。この時間帯に電話が掛かってくると事前に知っていた古城がサイレントに設定していたため音はない。

 古城はスマホを手に取ると通話相手を確認すらせず応答する。

 

「もしもし、こちら暁古城ですが」

 

『もっ、もしもし!? 暁古城よね!? 私だけど!?』

 

「はいはい煌坂だな。ちゃんと聞こえてるからもう少し音量下げてくれよ」

 

『わ、分かってるわよ、あなたに言われなくても』

 

 電話口から聞こえてくる相変わらず元気な紗矢華の声に古城は苦笑う。

 獅子王機関所属の舞威姫であり、つい二週間程前に起きた黒死皇派が引き起こしたテロ事件以降、頻繁に電話を掛けてきてはやれ雪菜は元気かまた無茶してないかと訊いてくる少女だ。

 古城は何とはなしにベランダに出て、今回の電話の理由を尋ねる。

 

「それで、今日は一体なんのようだ?」

 

『えっ、あっと……それは……そう、そうよ! 今絃神島でなんだか物騒な事件が起きてるでしょ。それにまたぞろあなたが雪菜を巻き込んで首を突っ込んでないか心配して電話したのよ!』

 

 取って付けたように理由を述べる紗矢華。一方古城は首を突っ込む気満々だったため思いっきり顔を引き攣らせている。顔が見えない電話なのでバレないが。

 古城は悟られぬよう心を落ち着かせてから答える。

 

「今のところこっちに直接被害もないから手出しはしてないさ。それよりも今は他にやることがあって構ってられないし」

 

『他にやること?』

 

「ああ。後輩が色々と悩みを抱えてるらしくてな。そっちの解決に奔走することになりそうだ」

 

『ふぅん、そうなの』

 

 あまり興味がなさそうな反応だ。実際紗矢華にしてみれば古城の後輩は他人でしかない。あまり深入りするのもプライベートの侵害にあたるので掘り下げるつもりはないのだろう。

 だが古城はあえて話を続ける。そうすれば十中八九紗矢華が食いついてくると確信を持って。

 

「叶瀬夏音って言うんだけどさ。姫柊とも仲良くしてる子なんだ」

 

『叶瀬……夏音……』

 

 案の定と言うべきか紗矢華は電話越しでも分かるくらいに動揺してみせた。それも致し方ないだろう。何せ今の紗矢華の任務内容に大きく関与する人物なのだから。

 

『ねえ、暁古城。ちょっと込み入った話があるんだけど、いい?』

 

「俺は構わないよ。それに、どうやら叶瀬絡みみたいだしな」

 

『ええ、まさにその通り』

 

 古城の言を肯定して紗矢華は己が帯びている任務内容について語りだす。

 

『色々と守秘義務があって話せないけど、私は今アルディギア王国の要人の護衛の任に就いてるの』

 

「また遠路遥々よくいらっしゃるな」

 

 アルディギア王国はバルト海に面する北欧の小国だ。美しい自然と高度な工業力で知られ、魔導産業の分野では他の追随を許さない技術力を有している。確かヴァトラーが治める領土と程近かったはずだ。

 

『でもちょっとトラブルがあって、要人とは合流できてないのよ』

 

「そいつは穏やかじゃないな」

 

『そうね、そっちも捜索中なのだけど、私が話したいのは別のこと。要人が今回絃神島を訪問する理由よ』

 

 そこで一度言葉を区切ると紗矢華は殊更に声のトーンを落として話す。

 

『要人の目的はある人物に会うこと。その人物の名前は──叶瀬夏音』

 

「……そいつは驚いたな」

 

 幾らか間を空けて答える古城だが、その実驚いてなどいない。元より古城は紗矢華の任務内容も何もかも知っているのだ。故にこの展開も思惑通りの展開でしかない。

 

「差し詰め叶瀬はアルディギアの王族の関係者ってところか?」

 

『なっ……どうして分かったの?』

 

「反応が分かりやすすぎだ」

 

『鎌をかけたの!?』

 

 嵌められたと悟って紗矢華が憤慨する。古城は落ち着けと宥めつつ不自然さがないように言葉を補う。

 

「煌坂の態度もあるけど、それよりももっと分かりやすい要因があるんだよ。お前は会ったことないから知らないかもしれないけど、叶瀬の髪は銀髪なんだ」

 

『ああ、そういうことね……』

 

 納得とばかりに紗矢華が吐息を漏らす。

 アルディギア王国の王族、特に女系はどういうことか揃いも揃って美人であり、そして美しい銀髪を有している。その証拠にメディアにも露出する第一王女ラ・フォリア・リハヴァインは美の女神の再来と謳われる程の美姫で、かつ目を惹く銀髪の持ち主だ。

 絃神島では珍しい地毛が銀髪の少女とアルディギア王国の要人。この二つが並べば直感的に王族絡みだと察するのは可笑しな話ではない。

 

『ならもう隠す必要もないわね、どうせあなたのことだから察しているのだろうし』

 

「その要人は諸にアルディギアの王族ってか」

 

『ええ、その通りよ……』

 

 紗矢華は疲れたように溜め息を漏らす。

 

『アルディギアの王族が絃神島に向かっている途中で行方不明。とんでもない大事件よ。今血眼になって捜索してるけど、正直手掛かりが少なくて』

 

「それは大変だな」

 

『ほんとよ……』

 

 声音に色濃い疲労を滲ませる紗矢華に古城は心底同情した。しかもこの先の展開を把握している古城は、紗矢華の心労がまだまだ嵩むことを知っている。本当に頭が下がる思いだ。

 

『それで、叶瀬夏音の抱える問題ってなんなの?』

 

 さすがに任務内容に深く関わる人物の話となれば捨て置けない。紗矢華は躊躇いなく夏音の悩みについて言及した。

 それに対して古城は現状をありのまま伝える。

 

「詳しいことは知らないんだ。ただ多分家庭の問題だと思う」

 

 夏音の学校生活には何ら問題はないはずだ。虐めもないし学業面は知らないが極端に悪いという話も聞かない。友人関係も男は寄り付かない、というか妙な協定が結ばれていて寄り付けないが女友達はそれなりにいるはずだ。よって可能性は家庭内の事情に絞られる。

 

『他人の家庭事情に口を出すのね』

 

 そう言う紗矢華の声色に非難の色はない。ただ純粋な呆れとどこか少し喜色が滲んでいた。

 

「まあ俺もお節介だとは思うけど、さすがにあんな姿を見たらな……」

 

 そう言って脳裏に浮かぶのは涙を堪え続けた夏音の顔。今にも決壊してしまいそうで、それでも必死に耐え一人身を震わせる夏音の姿だ。

 ずっと一人で背負い続けた聖女にこれ以上背負わせはしない。夏音は救われなければならないのだ。

 古城は拳を握り締め、改めて己の意志を強固にした。

 

『そう。なら一つ提案があるんだけど』

 

 少し戯けたような紗矢華の口調に、古城はやっとかと内心で呟く。

 古城の狙いは紗矢華からこの提案を引き出すことだった。これがあるかないかで今後の展開が大幅に変容する。故に古城は紗矢華から申し出がくるのを待っていた──

 

『明日、叶瀬賢生との面会をメイガスクラフトに申し込んでるのだけど、一緒に来てくれない?』

 

 ──敵陣本部に堂々と乗り込める提案を。

 

 紗矢華の申し出に古城は一も二もなく了承の返事をした。その表情に微かな笑みを湛えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




沙矢華のメイガスクラフト訪問ですが、話の都合上一日早めました。多分そこまで大筋に影響はないと思います。


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天使炎上Ⅵ

またもや長い間を開けてしまいました。受験生って忙しい……。
そして訪れる定期テスト……。嫌だなぁ……、本読みたい笑。


 月が沈み、只人にとっては一日の始まりを告げる朝陽が、吸血鬼にとっては鬱陶しいことこの上ない太陽が水平線から顔を見せる早朝。

 父親は別居で母親は研究室篭り、兄が朝に激弱の暁家では基本的に部活の朝練がある凪沙が一番の早起きだ。朝食の用意も専ら彼女の仕事である。

 だからその日、いつものように目覚まし時計を止めて起床した凪沙は驚いた。遅刻をするほど酷くはないものの普段から時間が許す限りベッドを出ない古城が、リビングのソファでその身に朝陽を浴びながらコーヒーを啜っていたのだから。

 

「あれ、珍しいね古城くん。凪沙よりも早起きだなんて。何かあったの?」

 

 不思議に首を傾げる凪沙。何かあったのだとしたらそれは間違いなく昨夜の一件に纏わることだろう。

 しかし古城の返答は弱々しい否であった。

 

「ちょっと体調が悪くてな。昨日もよく寝付けなかったんだ」

 

「え、そうなの? でも言われてみればちょっと顔色が悪いかも。もしかして風邪でも引いちゃった? 身体とか大丈夫? 病院行った方がいいんじゃないかな?」

 

「ああ、心配しなくていい。怠いし身体は重いけど熱はないから」

 

 朝陽に照らされる古城の横顔は確かに優れない。振る舞いこそ常と変わらなく見えるが、全体的に気怠げな空気が漂っている。体調不良という言に嘘はないだろう。

 

「ただ念の為に今日は一日休もうと思う」

 

「そっか、それがいいよ。ここずっと色々思い詰めてたみたいだし、きっと疲れが出ちゃったんだよ。ゆっくり休んで体調を万全にしてよね、古城くん」

 

「分かってるさ……ごめん」

 

「ん? なんか言った?」

 

「いや、なんでもない。それより早く支度したほうがいいんじゃないか?」

 

「そうだった!」

 

 古城に言われて時計を見やり、慌てて朝練の支度を始める凪沙。朝っぱらから騒がしく賑やかしいことこの上ないが、凪沙らしいといえば凪沙らしい。

 忙しなくリビングや部屋を行き来する凪沙の姿を優しく見守りつつ、古城は一瞬罪悪感に表情を歪めた。

 また騙した。暁古城を慕う唯一無二の妹である凪沙に嘘を吐いてしまった。

 体調が悪いのは事実だ。何せ紗矢華との電話以降一睡もしてない上、吸血鬼にとっては害悪と変わらない朝陽を目一杯浴びてるのだから。体調を崩すのも必然、顔色だって悪くなろう。

 そうすることで古城は凪沙に妙な疑いを持たれることなく、公然と学校を休むことができる。あとは学校に連絡を入れるだけだ。

 大切な妹である凪沙を巻き込まないため。そう己に言い訳して今日に至るまで幾度となく嘘を重ねてきた。そこにまた一つ嘘が積み重なっただけ。その度に気を病んでいては切りがない。

 分かってる。そんなこと、古城は当の昔に理解している。それでも、自分を暁古城と信じて疑わない凪沙から純粋な気持ちを向けられる度に、どうしようもなく胸が痛んだ。

 

「じゃあ行ってくるね。ちゃんと休まなきゃダメだよ?」

 

「分かってる。気をつけてな」

 

 快活な笑顔で家を出る凪沙の背を、古城は見送る。心が訴える痛みから目を逸らし、来るべき日が一日でも早く訪れることを願って。

 

「……さて、あとは学校への連絡か」

 

 コーヒーを飲み干して古城は電話の子機を手に取り、慣れた手つきで学校へと電話を掛ける。

 

「はいもしもし、こちら彩海学園高等部ですが」

 

「すいません、一年の暁ですが──」

 

 数回のコールの後に電話は繋がった。電話の相手は都合のいいことに古城の学年主任であり、休みの連絡は恙無く進む。元より素行良好で通っている古城がまさか仮病などしまいと相手が思い込んでいるのも幸いしただろう。

 このままいけば堂々と学校を休める。そのあと一歩というところで古城は電話口から聞こえてきた覚えのある声に思わず歯噛みした。

 

「ああ、丁度いいところに南宮先生がいらしたから代わるよ」

 

「……はい、お願いします」

 

 苦虫を噛み潰したような表情になる古城。それなり以上に付き合いのある那月のことだ。古城の仮病など容易く看破してしまうはず。故に出来る限り那月との接触は避けたかった。

 だがその淡い希望も電話口から聞こえてくる傲岸不遜な声音に儚く砕け散った。

 

「どこぞの阿呆が体調不良だと聞いたが、まさかおまえだとはな。暁古城」

 

「あーうん、まあはい。俺です」

 

 開口一番から不機嫌さを隠そうともしない那月に然しもの古城も歯切れが悪くなる。そんな態度に受話器越しでも分かるほどに那月の機嫌が下降した。

 

「それで、何を企んでる。まさか世界最強の第四真祖が風邪を引いたなんて言わないだろうな」

 

 威圧混じりに問うてくる那月。その圧力に実際に相対しているわけでもないのに古城は額から冷や汗を流す。流石は“空隙の魔女”。欧州で恐れられるだけあってその気迫は空間の隔たりすら歯牙にも掛けないというわけか。

 だが古城もその空気ともう長いこと付き合っている。一瞬呑まれはしたもののすぐに持ち直し、毅然とした態度で言い返す。

 

「別に何を企んでるってわけじゃないよ。どっかの誰かさんが情報規制をするもんだからまともに動けないし。無茶しようにもできないさ」

 

「…………」

 

 突き刺さるような無言。恐らく那月は古城の言葉を額面通りには受け取っていない。話半分どころか八割がた嘘だと断じていてもおかしくないだろう。それだけの前科があるのだ。

 ここにきて急激に旗色が悪くなってきた古城。ただでさえ那月は今回の一件に古城が首を突っ込むのを良しとしていないのだ。ここで咎められてしまえば古城の目論見は水泡に帰してしまう。

 如何にしてこの場を凌ぐかない知恵を振り絞って古城が言い訳を考えていると、不意に電話口から盛大な溜め息が洩れ出た。

 

「もういい、おまえのことだ。何を言っても聞かんのだろう」

 

「……悪い、那月先生」

 

「悪いと思うなら私を煩わせるな、馬鹿者」

 

「すんません」

 

 散々迷惑を掛け、煩わせてきた自覚がある古城は平謝りする他ない。申し訳なさに頭が下がってしまう。

 那月はいつもの調子で鼻を鳴らすと、

 

「せいぜい気をつけるんだな。今回の相手は下手をすれば真祖すらも屠り得るやもしれん」

 

「分かった。本当にありがとう」

 

 そう言って古城は通話を切った。

 うんともすんとも言わなくなった子機を下ろして古城は頭を掻く。その脳裏を先の那月の言葉がリフレインしている。

 

「真祖を屠り得るね……そんなの、これから先バカスカ出てくるだろうに」

 

 全く笑えてない笑みで古城は遠い目をするのだった。

 

 

 ▼

 

 

 学校に休みの連絡を入れて身支度を整えた古城の姿はすぐお隣の雪菜宅の前にあった。

 時刻にして九時を少し回った頃合い。もうそろそろ起きて身形を整え終えているだろうと考えて古城はインターホンを鳴らす。

 ピンポンと軽快なチャイム音が響く。暁宅と変わらぬ耳に馴染み深い音だ。

 ややあって鍵が解錠されて扉が開く。防犯対策に掛けられたドアチェーンで狭められたドアの隙間から覗くのは煌めく銀髪と透き通る碧眼。古城と雪菜の手によって修道院から連れ出された叶瀬夏音その人だった。

 夏音は訪問者が古城だと認めると僅かに驚くも、すぐに柔らかな微笑みを浮かべる。

 

「おはようございます、お兄さん」

 

「おはよう。よく眠れたか?」

 

「はい。昨日はその……ご迷惑をおかけしました」

 

「迷惑なんかじゃないさ。後輩が困ってたら助けるのは当然のことだろ」

 

 ハッキリと言い切る古城に、夏音は心底嬉しそうに笑った。その顔に昨夜の悲愴的な色は見受けられない。

 

「それで、姫柊はどうしてる?」

 

「あ、それは……」

 

 姫柊の話になった途端に夏音は口籠る。何か言いにくいことでもあるのか、少し困ったように眉を下げた。

 夏音の態度に古城が首を傾げると、ドアの隙間から姫柊とそしてもう一つ非常に覚えのある声が洩れ聞こえてきた。その声音が誰のものか悟り、古城は苦笑を零す。

 

「とりあえず、上がっていいか?」

 

「はい、どうぞです」

 

 ガチャリとドアチェーンが外され、部屋に招き入れられる。そうして上がった雪菜宅のリビングで、古城は予想通りの光景を目の当たりにした。

 

「あぁん、もう。どうして雪菜の部屋はこんなに殺風景なの? 遠慮なんかしないで家具とかインテリアとか買っていいのよ? ちゃんと支度金も出てるんだから」

 

「で、ですがわたしには先輩を監視する任務が」

 

「それとこれとは話が別。仕事は仕事、プライベートはプライベート。何もかも全部あいつの監視につぎ込む必要なんてないんだから、もっとお洒落とかしていいの!」

 

「で、ですがぁ……」

 

 以前にお邪魔した時と一切変わらない、女の子の部屋にしては殺風景すぎるリビングの真ん中で言い争う女子二人。いや、片方が相手の勢いに飲まれてる時点で言い争いではないのかもしれないが。

 この家の家主である雪菜を物凄い剣幕でたじたじにする少女。その正体は昨夜の古城の電話相手であり、雪菜の姉のような存在である煌坂紗矢華であった。

 紗矢華は周囲が軽く引くほどに雪菜を溺愛している。それはもう現在の様子からしても察せられるだろう。きっと脳内は雪菜が一人暮らしする家を訪問できた喜びで染め上げられているに違いない。

 原作でもなんだかんだ雪菜の家に中々訪れることが叶わなかった紗矢華のフライング訪問。それには古城の思惑が多分に含まれているのだが、今はとりあえず夏音の問題が先だ。

 

「そこまでにしとけよお二人さん。叶瀬が困ってるだろ」

 

「先輩、助けてください!」

 

「暁古城、あなたからも言ってよ!」

 

「だから落ち着けって……」

 

 助けを求める雪菜と賛同を求める紗矢華に詰め寄られてさすがの古城もたじろぐ。予想はしていたがまさかここまで紗矢華が暴走するとは思ってもみなかった。

 内容自体は妹の一人暮らしを憂慮する姉の一幕でしかないのでどうにも止め辛い。それに古城的にも雪菜の部屋の有り様には物申したい思いがあり、助太刀をするのなら紗矢華側であった。ただそれは雪菜から向けられる懇願の視線に憚れる。

 板挟みにされた古城の出した結論は、

 

「とりあえずその話は後にしよう。今は優先すべきことがあるだろ?」

 

「そ、そうです。今はわたしのことより叶瀬さんのお話ですよ」

 

 問題の先送りであった。

 これに飛びついたのは勿論、雪菜である。夏音を身代わりにするようで気は引けたが、これ以上部屋や普段の暮らしぶりを紗矢華に突っ込まれては敵わない。ただでさえ最近は監視の度合いがストーカー一歩手前まで踏み込んでいるのだから。

 雪菜ラブの紗矢華も仕事に関連する話となれば引かざるを得ない。表情はこれ以上になく不服げだが、獅子王機関の舞威媛として一旦私情を飲み込んだ。

 

「仕方ないわね。この話はまた後にするわ」

 

 それでも話をなかったことにしないあたり、雪菜をどれだけ大切に思っているかが窺い知れる。当の本人はがっくりと肩を落としているが。

 そんな血の繋がりはなくとも立派な姉妹をやっている二人を、古城は和やかな微笑みを以って見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使炎上Ⅶ

テスト週間終わり。でも土曜に模試……ウボァ。


「じゃあ早速だけど、改めて話を聞かせてもらえるか?」

 

 家具やインテリアに乏しい雪菜宅のリビング。フローリングに直で座る古城たちは紗矢華を交え、夏音から事情を聞こうとしていた。

 

「はい、分かりました……」

 

 促されて頷く夏音。だがその口は躊躇うように閉ざされ、目には微かな不安の色が浮かぶ。その視線が向けられているのは紗矢華であった。

 

「ああ、そうだよな。煌坂とは面識ないもんな」

 

 先の雪菜とのやり取りで怪しい人間でないことは察せられるだろうが、それでも紗矢華と夏音は初対面に変わりない。紗矢華が一方的に夏音の素性を知っていようと、夏音にとっては顔も知らない部外者でしかないのだ。そんな無関係な人物がいる中で易々と自分の秘密を明かせるわけもない。

 

「一応紹介からしとこうか。煌坂紗矢華、姫柊の姉みたいなやつだよ」

 

「雪菜ちゃんのお姉さん……」

 

 雪菜のお姉さんという言葉に紗矢華がピクリと反応する。

 

「ええ、そうよ。雪菜の姉(・・・・)である煌坂紗矢華よ。よろしくね、叶瀬さん」

 

 にっこり笑顔を浮かべる紗矢華。その表情は喜色満面。余程雪菜のお姉さん扱いがお気に召したらしい。今頃紗矢華の中では夏音の株が鰻登りしているに違いない。

 そんな紗矢華の内心を知ってか知らずか、夏音は警戒を緩めて無垢な笑顔で応じる。

 

「よろしくお願いします、お姉さん」

 

「…………」

 

「……おい、煌坂?」

 

 唐突に顔を背けて肩を震わせ始めた紗矢華に古城が声を掛ける。しかし紗矢華はそれに応じることなく、小声で頻りに何かを呟いている。

 

「お姉さん、お姉さんだって。雪菜の姉を自称してきたけど、お姉さん呼びがこんなにいいものだったなんて。ああ、やっぱり雪菜にもお姉ちゃんって呼ぶように言い含めておけばよかった。いいえ、今からでも遅くないわ。お願いすれば雪菜ならきっと……」

 

「よし、自己紹介は終わりにして本題に移ろうか」

 

 煌坂紗矢華(ポンコツ)などいなかったとばかりに真面目な顔を取り繕う古城に、雪菜と夏音はきょとんと首を傾げる。良くも悪くも紗矢華の呟きを聞き取れなかった二人は状況をイマイチ理解できていなかった。古城としては理解してほしくないのでこのまま話を推し進める次第だ。

 原作ではここまでポンコツではなかったはずなのになぁ……、と内心で遠い目をする古城。そんな哀愁漂う古城の様子から触れないほうが吉と判断した雪菜が代わりに話を促す。

 

「話せるところからでいいので、話してもらえますか? 夏音ちゃん」

 

「はい……」

 

 弱々しくも頷いた夏音は己の半生から今日に至るまでを訥々と語り出した。

 

 

 ▼

 

 

 物心ついた時から叶瀬夏音は例の修道院に身を置いていた。

 本当の両親の顔は憶えていない。当時の夏音にとっては修道院の大人や子供たちが家族同然であった。故に寂しい思いをすることもなく、平穏無事で幸せな日々を享受していた。

 だがそれも、ある事故によって全て失われた。

 詳細は不明、ただその事故によって夏音は家族と寄る辺を失くした。そこへ夏音を養女として迎えようと名乗りを上げたのが現在の養父、叶瀬賢生だ。

 魔導技師として卓越した能力を有する賢生。何故彼のような人物が後見人に名乗り出たかは知れなかったが、行く当てのない夏音はこれを承諾。晴れて賢生の養女となった。

 だがそこで待ち受けていたのは幸せな家庭ではなく、夏音の理解を超えた魔導実験の数々だった。

 肢体に魔術刻印を施され、様々な魔術的アプローチを受ける日々。明らかに非人道的な実験であることを理解しながら、しかし夏音は拒絶しなかった。いや、正確には拒否する選択が取れなかったのだ。

 夏音は未成年者で庇護する者が必要不可欠。故に養父である賢生には逆らえなかった。そして何より、彼から向けられる愛情に気づいていたからだ。たとえその愛情の注ぎ方が歪んでいようとも。

 そんな歪んだ親子関係が長らく続いたが、ここ一週間でついに破綻を迎えた。

 実験の最中の記憶は霞がかかったように曖昧で夢のようだが、それでも体が憶えている。

 誰かと激しく争い、誰かを傷つけ、誰かを喰らった。

 到底信じられない記憶であったが、ニュースや被害にあった絃神島の惨状を目の当たりにして全てが現実であると悟り、夏音は途端に怖くなった。

 元来が心優しい夏音。意識がなかったとはいえ誰かを傷つけたことに対する罪悪感、己の理解を超える域で変遷していく肉体への恐怖。それらに苛まれた夏音は、しかし誰に助けを求めることもできないまま一人苦しみ続けたのだった。

 

 

 ▼

 

 

 絃神島は“魔族特区”であると同時に学究都市だ。故に島には数多くの研究機関や大企業が入り乱れている。中でも絃神島北地区(アイランド・ノース)は企業や有名大学などの研究施設の数が計り知れない。

 その北地区第二層の研究所街の一画。鏡面加工されたガラス張りのどこか排他的な雰囲気を纏うオフィスビルの前に、暁古城と煌坂紗矢華両名は立っていた。

 

「ここがメイガスクラフトの研究所ね……」

 

 ここまでの道程を記したメモ書きを仕舞い、紗矢華は眼前に聳え立つやけに無機質な印象を与えるビルを見上げる。陽光を反射する鏡面ガラスがまるで外敵を退けるように煌めいた。

 その輝きに目を細めて、紗矢華は隣に並び立つ古城に目を向けた。

 古城は男物にしては色合いが鮮やかなスマホを耳に当てて通話していた。その相手は夏音の護衛として家に残された雪菜だ。

 

「ああ、こっちは着いた。これから乗り込む。通話状態にしとくから何かあったら構わず教えてくれ」

 

 そう言って古城は通話を切ることなくスマホをポケットに仕舞い込む。ちなみにそのスマホは古城のものではなく紗矢華のものだ。古城のはスマホを持たない雪菜に預けられている。

 夏音の口から語られた歪で苦痛に塗れた半生を聞いた古城一行の決断は現状を見れば火を見るより明らか。元より夏音を見捨てるつもりなど欠片もない古城と雪菜は言うに及ばず、現在行方不明真っ只中の王女が面会を求めた少女が人道に悖る人体実験を受けているとなれば紗矢華も捨て置けなかった。

 それに夏音の話からして、メイガスクラフトはどうにもキナ臭い。王女が行方不明になった件についても一枚噛んでいる可能性が高いと、紗矢華は睨んでいる。

 何せ今回の王女来訪はメディアにも知らされていないお忍び。であるのにその王女を乗せた飛空艇がロストしたのだ。前もって来訪を知っていなければ襲撃などできまい。

 そしてその来訪を知る数少ない人間の中には叶瀬賢生の名前がある。王女の目的が夏音である以上、養父である彼が事前に知っているのは当然だ。

 それぞれに思惑があるものの目的を同じにした古城たちが事態解決のため行動するのは当然の帰結であった。

 

「さてと、敵陣に乗り込むわけだが。相手さんに俺のことは何て言うつもりだ?」

 

「そうね、どうしようかしら?」

 

「俺としては、突撃! 後輩の家庭訪問! ってな感じでもいいんじゃないかと」

 

「あなたバカ?」

 

「ただの冗談だって」

 

 心底呆れたような紗矢華の眼差しに古城は戯けるように肩を竦めた。

 

「まあ妥当なところとしては、煌坂の助手とかサポートかな。さすがに剣巫見習いとか口が裂けても言えないし」

 

「当然よ。そもそもあなた男でしょ……」

 

 一応表向きは一般人の古城が嘘でも獅子王機関の名を騙るのは現役舞威媛として認められない。そもそも男が剣巫とかない。絶対、あり得ない。

 軽い冗談の言い合いで余計な力を抜いた二人は至って自然体でメイガスクラフト本社へと足を踏み入れた。

 建物内は不気味なほどの静寂に支配されていた。昼間であるのにも関わらず人の気配が感じられない。いくら研究を主としているとはいえこの人気のなさは異常だろう。

 異質な社内の雰囲気に警戒を引き上げる紗矢華。その肩を古城が軽く叩く。

 

「あそこが受付みたいだぞ」

 

「みたいね」

 

 古城が指し示す先。受付係らしき人影が立つカウンターを認めて紗矢華が頷く。それはあちらも同様であったらしく、限りなく人の声に近い電子音が響いた。

 

「──いらっしゃいませ。用件をお伺いします」

 

「叶瀬賢生氏に面会を申し込んだ獅子王機関の煌坂です」

 

「承っております。あちらで少々お待ちください」

 

 受付係の女性、一見すると女性に見えるがその実ロボット──機械人形(オートマタ )である相手の機械的対応に紗矢華は眉を顰める。古城は我関せずと訝しまれない程度に社内の様子を見回していた。

 古城と紗矢華は早々に受付係との会話を切り上げて来客用スペースのソファに腰を下ろす。ソファの座り心地自体は那月の執務室のそれにも負けず劣らずの代物であったが、社内に漂う異質な空気のせいか居心地は良くない。

 

「なんというか不気味ね」

 

「そうだな。いくらなんでも人がいなさすぎる。時間的に見ても人の出入りがあっておかしくないはずなんだけどな」

 

 時間的にはお昼を少し過ぎた頃合い。一般的な企業であればもう少し賑わいがあって然るべきだろうに、しかしロビーには古城と紗矢華以外に人影は見受けられない。機械人形(オートマタ)は例外であるが。

 まるで機械の絡繰内部に迷い込んだような心持ちで待たされること十五分。ロビー奥のエレベーターから金髪の女性が降りてきた。

 遠目に見ても大柄な女性だ。紗矢華も女性としては背丈が高くスタイルも良い部類に入るが、相手はそれに加えて大人の色香とも言えるものを漂わせている。これが大人の貫禄というものだろうか。

 女性は来客スペースに古城と紗矢華を認めると微笑みを湛えながら歩み寄ってくる。その女性の腕に嵌められた幅五センチほどの輪に気づき、紗矢華はぽつりと呟く。

 

「登録魔族ね」

 

 登録魔族とは人工島管理公社から支給された魔族登録証を装着した魔族のことである。彼らは腕輪によって監視され能力の発動を制限されることを引き換えに市民権を得た存在だ。魔族登録証がある限り、彼らの人権は保証され普通の人間と同様の生活を送ることができる。

 ただ“魔族特区”に暮らす絃神市民にとって魔族なんてものは珍しいものではなく、古城も別段気にする素振りもない。そもそも古城に関してはぶっちゃけてしまえば未登録魔族である。そんな古城が普通の人間と同様の生活を送れているのは偏に那月のおかげだ。散々迷惑ばかり掛けているが。

 今も教壇にて教鞭を振るっているだろう恩師兼恩人に古城が内心で感謝の念を送っていると、金髪の女性が二人の前に立ち止まる。合わせて紗矢華と古城もソファから立ち上がった。

 

「ごめんなさい。お待たせしてしまったかしら?」

 

「いえ、それより貴女は?」

 

「開発部のベアトリス・バスラーです。叶瀬賢生の秘書のようなものだと思ってください。それで本日の賢生との面会なのですが、生憎当人は不在でして……」

 

「不在? 私は確かに今日この時間に面会を申し込んで受理して頂いたはずですけど」

 

 少し不愉快そうに紗矢華が眉根を寄せる。きちんとアポイントを取った上で訪れたのにすっぽかされたとあれば不機嫌にもなるだろう。

 ベアトリスは申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「はい、こちらでも把握しております。ただ今執り行っている実験に想定外のアクシデントが起きてしまい、賢生は島外の研究施設から離れられなくなってしまっているのです」

 

 想定外のアクシデントというワードにほんの僅かに紗矢華が反応する。

 恐らく、というか十中八九そのアクシデントの原因は古城たちにある。なにせ彼らにとっての被験体である夏音を掻っ攫ったのだ。アクシデントどころではない、大問題だろう。もしかしたら裏では夏音を回収するべく血眼になって島内を探しているのかもしれない。

 不機嫌な紗矢華に代わって間が空かないよう古城が尋ねる。

 

「じゃあ叶瀬さんに面会することはできないんですか」

 

「ええと、あなたは……」

 

「暁古城です。煌坂の助手みたいなものをしています」

 

 折り目正しく名乗る古城。そんな古城を一瞥したのちベアトリスは答える。

 

「そうですね。でしたら直接研究施設に出向いて頂ければ面会可能かと。幸い研究施設には一日に往復で二本、連絡用の軽飛行機を飛ばしてますから、そちらに同乗していただければ。丁度今から飛ぶところですので」

 

「研究施設、ね……」

 

 顎に手を当て思案顔を浮かべる紗矢華。その視線が古城の視線と交錯する。

 二人は数瞬アイコンタクトを交わし合い、言葉を交わすことなく頷き合った。

 

「分かりました。お手数ですがその飛行機の手配をお願いできますか?」

 

「勿論です。それではご案内しますのでこちらへ──」

 

「あっと、その前にお手洗い貸してもらってもいいですか?」

 

 先導して案内しようとしたベアトリスを遮り、古城が気恥ずかしげに声を上げた。

 ベアトリスは一瞬キョトンとしたのち、クスリと笑みを零した。

 

「構いませんよ。お手洗いはロビーの奥にありますからどうぞ」

 

「じゃあ少し失礼します」

 

 軽く会釈をして古城はお手洗いへと向かう。別れ際さりげなく紗矢華とのアイコンタクトも忘れない。

 二人と別れた古城は迷うことなくトイレに入ると他に人がないことを確認。そしてポケットからスマホを取り出し耳に当てがった。

 

「てなわけで、叶瀬賢生がいる研究施設に向かうことになったんたが」

 

「──十中八九罠に決まっています!! どうしてそんな話に乗ったんですか!?」

 

「うおっ、ちょっと静かに静かに。誰か来たらどうするんだ」

 

 通話口からの絶叫にスマホを取り落としそうになりながらも古城が注意する。だがその程度で雪菜の怒りが収まるはずもなく、多少声のトーンを落としながらも文句が続く。

 

「先輩も紗矢華さんも何を考えているんですか。どう見ても相手の思う壺ですよ?」

 

「分かってるよ。俺も煌坂も重々承知してる」

 

「だったら……!」

 

「でもこのまま引き下がるわけにもいかないだろ。時間を掛けすぎて叶瀬が見つかったりでもしたら一巻の終わりだ」

 

「それは……」

 

 電話越しに雪菜が言葉を詰まらせる気配が伝わってくる。雪菜も古城の指摘した危険性を理解しているのだ。

 それに何より、

 

「煌坂は王女のこともあるんだ。だから罠であろうと相手の誘いに乗ったんだよ」

 

 メイガスクラフトが関与している確証はないが、限りなく黒に近いグレーであるのは確か。王女の身が彼らに囚われている可能性もないとは言い切れない。であれば罠であろうと煌坂は相手の誘いに乗る他選択はなかった。

 

「ですが、やはり危険です。もしお二人に何かあったら……」

 

 最初の勢いこそないが本気で心配している声音。雪菜にとって大切な人である古城と紗矢華が危険に飛び込もうとしているのだから、心中は穏やかではないだろう。

 そんな雪菜の心情を察して古城は安心させるように言う。

 

「大丈夫だよ、姫柊。俺も煌坂もそうそうくたばるようなたまじゃない。罠なんか踏み砕いてきちんと帰ってくるから安心しろ」

 

「……絶対ですよ」

 

「ああ、約束だ。俺たちは必ず帰ってくる。だから心配するな」

 

「……はい、分かりました。待ってますから」

 

 その言葉に僅かな沈黙ののちに雪菜から了承の声が返ってくる。古城はおう、と気負いなく答え、念のため万が一の事態の対応を軽く打ち合わせてから通話を切った。

 

「ここからが踏ん張りどころだな……」

 

 ぽつりと呟いて古城は紗矢華たちの元へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使炎上Ⅷ

十五巻読みました。ヴァトラーさんが楽しそうで僕は満足です(笑)
そして読んだ勢いでまた下らぬ作品を書いてしまった……。まだまだまがいものが途中なのに、何やってんだろ。


 太平洋真っ只中に位置する絃神島の島外との交通手段は基本的に航空機と船舶の二択だ。特に前者は後者と比べて要する時間が短縮されることからも絃神市民にとっては非常に便利な交通手段とされ重宝されている。

 その割に島内にあるまともな空港は中央の一つだけ。残りは民間の規模が小さい飛行場である。古城たちが案内されたのは民間飛行場の一つであった。

 古城たちがたどり着いた飛行場には先客がいた。オンボロと形容する他ない旧式のプロペラ機に凭れかかる、長身痩躯で軽薄な空気を漂わせる男性だ。

 男は古城たちを認めるとどこか胡散臭げな笑みを浮かべて迎えた。

 

「おう、ようこそお客様方。今回のフライトを担当するロウ・キリシマだ。ベアトリスの使いっ走りみたいなもんだ。まあよろしく頼むわ」

 

「ああ、こちらこそ。よろしく頼む」

 

 キリシマが差し出した手を笑顔で握り返す。男嫌いな紗矢華を気遣った上の行動だろう。ただ浮かべている笑顔は古城に近しい人間なら即座に愛想笑いだと分かるほどに人工物めいていたが。

 握手を解く二人。二人の視線の先はそれぞれで微妙に違う。キリシマは古城と紗矢華の形と、その紗矢華が大切そうに抱えているギターケースに。古城はキリシマの手首に嵌められた魔族登録証に注目している。

 

「なるほどな。どうやらただの学生ってわけでもなさそうだな。まあ事情は聞かんよ。そんじゃまあさっさと乗り込んでくれ」

 

 操縦席に乗り込むキリシマに続いて古城と紗矢華も後部座席に乗り込む。それを確認してキリシマが飛行機のエンジンを吹かせ始めた。

 ガタガタと非常に不安を煽られる駆動音と共に期待が滑走路を加速し始める。勢いをつけた機体はやがて風に舞い上げられるかのように大地を離れた。

 古城たちを乗せた飛行機はぐんぐん速度を上げ、絃神島から離れていく。機内の空気は妙にピリついていた。というのも色々と警戒をしている紗矢華が常在戦場状態だからだ。

 そのため無言の空気に耐えかねたキリシマが古城に水を向けるのは当然の帰結であった。

 

「ところでお二人さんはどういった関係なんだ? あれか、実はできてたりするのか?」

 

「──なっ!?」

 

 何の前触れもなく放り込まれた爆弾に紗矢華の張り詰めた空気が霧散する。図らずして重苦しい空気を破れたキリシマはニヤリと意地悪げな笑みを浮かべた。

 

「おっ、その反応からして図星かァ? ったく最近の若いもんはませてんな、おい。それでどこまで進んでのよ彼氏さん?」

 

「ちょっと、勝手に何言ってるのよ!?」

 

 ここぞとばかりに揶揄ってくる。キリシマとしてはこのまま紗矢華を丸め込んで場の主導権を握る魂胆だった。事実紗矢華は冷静さの欠片もなく顔を真っ赤にしている。

 しかしキリシマに流れかけた空気は、窓から外を眺めていた古城の参戦によって変わる。

 

「あ、そう見えるか? だとしたら光栄だな。こんなに魅力的な女性の彼氏と間違われるだなんて」

 

「なっ……!」

 

「おう、なんだ違うのか。こんなに可愛いお嬢ちゃん侍らしといてくっついてないたあ贅沢な野郎だ」

 

「ちょっ……!」

 

「残念ながら、煌坂は俺には勿体無さすぎるくらいに良い女だからな。俺じゃ吊り合えないよ」

 

「……ッ!」

 

 HAHAHA! と呑気に笑い合う男性陣の傍ら怒りと羞恥に震える紗矢華。その様子は今にも噴火しそうな活火山の如し。下手に触れれば火傷では済まないだろう。

 だがその火山活動も横合いから差し出された紗矢華のスマホの画面を見て呆気なく収まった。

 キリシマに悟られぬように手渡されたスマホはメモ帳機能が呼び出されており、そこには古城から紗矢華宛への短いメッセージが綴られていた。

 

『落ち着け。相手のペースに流されるな』

 

 短くも的確な指摘に紗矢華は己の短絡さに恥じ入る。不意打ちであったとはいえああも冷静さを欠いたのは紗矢華の失態だ。剰えそれを古城にフォローされてしまったのは獅子王機関の舞威媛として痛恨の極みだろう。

 ただある意味原因の一端が古城にあるのを思うと、紗矢華は少し納得がいかず不服げな目を隣に向ける。向けられた当人も自覚はあったのか一瞬だけ申し訳なさげな笑みを見せた。

 古城と紗矢華が無言のやり取りを交わした直後、機体が激しい揺れを伴いながら降下を始める。

 

「さぁて、目的地周辺だ。当機は間も無く着陸するので二人とも揺れに気をつけろよ」

 

 言った直後飛行機はぐんと急激に降下し、目的地である半月形の島へと真っ直ぐ降りていく。

 古城と紗矢華は言われるがまま揺れに備える。機体は数回の旋回ののち、お世辞にも滑走路とは呼べない空き地同然の草原に突っ込んでいく。

 凄まじい衝撃と揺れに機体が襲われる。まともに整備もされていない地面にランディングすればそうなるだろう。古城たちも予想以上の揺れに若干顔色が青い。

 ガタガタと不穏な騒音を響かせながらも、飛行機は辛うじて崖っ淵手前で停止した。

 

「無事到着だ。さっさと降りな、お二人さん。こっちはまだまだ予定が仰山詰まってんだからよ」

 

 先に降りたキリシマがわざわざ外からドアを開け、さっさと降りろと顎をしゃくる。

 紗矢華は文句を言う気力もないのかギターケース片手にさっさと飛行機を降りる。古城もその後を追って機体から確かな地面に降り立った。

 

「こんなところに本当に叶瀬賢生がいるのかしら」

 

 鬱蒼と茂る森と白い浜辺を眺めて、怪訝な表情で紗矢華が零す。上空から見た限りこの島は無人。研究施設らしき建物の影も見当たらなかった。

 そんな紗矢華の疑問に答えることなく、キリシマはニヤリとほくそ笑みながら一人飛行機に乗り込もうとして──

 

「──まあ待てよ。せめて研究施設の場所くらいまでは案内してくれてもいいんじゃないか」

 

 まるで先回りするように機体のドアに寄りかかっていた古城に行動を邪魔された。

 

「い、いやでも俺もフライトの予定が詰まっててだな……」

 

 思わず出かけた舌打ちを内心に留め、さもそれらしい言い訳を並べ立てる。しかしそこへ紗矢華からも追い打ちが掛かった。

 

「そうね。島自体そんなに広くもないんだから、道案内くらいしてくれてもいいんじゃない。それとも、道案内できない理由でもあるのかしら」

 

「ぐっ……」

 

 紗矢華からの疑念を孕んだ冷ややかな視線にキリシマは言葉を詰まらせる。

 道案内できないも何も、そもそもこの島には研究施設どころか人っ子一人いないのだ。案内のしようもない。だがそれを馬鹿正直に白状するわけにもいかない。

 必然的にキリシマが取れる手段は力に訴える他なかった。

 ダン! と硬い地面を蹴って飛び掛かる。狙いはか弱い女である紗矢華。彼女を人質にこの場を切り抜ける目論見なのだろう。

 だがその企みは相手が紗矢華であった時点で頓挫した。

 

塡星(ちんしょう)/歳破(さいは)!」

 

 無手からの人体の急所への鋭い一撃。とてもか弱い女の身から放たれたとは思えない痛烈な打撃に、キリシマは苦悶の表情で後ずさりする。

 

「今ので気絶させるつもりだったんだけど……そういえばあなた魔族だったわね。道理で手応えが重いわけ」

 

「ぐっ、くそっ……!」

 

 襲う相手を間違えた。獅子王機関の舞威媛だなんだと言われようと所詮は小娘と侮っていた。その結果が手痛い反撃。キリシマは痙攣する横隔膜を獣人の身体能力をもってして強引に抑え込んだ。

 そして懲りずに再び襲いかかる。ただし今度は完全獣人化状態に加えて狙いは余裕をかましている古城だ。紗矢華が手練れである以上、もう古城以外人質に取れそうになかった。

 だがその選択は紗矢華に挑むより無謀であることをキリシマは知らない。目の前の少年は都市伝説とされる世界最強の吸血鬼である第四真祖。そんな吸血鬼に高が獣人程度が敵うはずなどなく、

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”」

 

「ぐああああっ!?」

 

 古城から放たれた雷撃に撃たれ、哀れにも真っ黒焦げになって大地に倒れ伏すのだった。

 

 

 ▼

 

 

「案の定罠だったわけね」

 

 気絶したキリシマに呪術的拘束を施した紗矢華が、少しばかり憂鬱げに呟く。予想していた上、相手の企みを見事潰したこともあってそこまで悲観的ではないが、それでも無駄足を踏まされたことからその声色は少し暗い。

 

「まあこれでメイガスクラフトが黒だとはっきりしたんだ。一応の収穫ではあるだろ」

 

「でもこれじゃあ絃神島に戻れないじゃない……」

 

「そうだなあ……」

 

 古城も紗矢華も飛行機の運転なんてできない。まして泳いで戻るなど途中で溺れるのが関の山。二人とも水泳は苦手なのだ。

 目を覚ましたキリシマに運転させるのも無理。脅したとしても安全な運転など保証されないし、途中で墜落などされようものなら二人仲良くお陀仏だ。よって古城と紗矢華に現状を打破する術はなかった。

 

「とりあえず、水とか食料の確保ね。最低でも一日はサバイバル生活をしないといけないのだから」

 

「それもいいけど、その前にちょっと散歩でもしないか?」

 

「はあ? あなた何言ってるの。そんな悠長なことしてる暇なんてないわよ」

 

 此の期に及んでピクニック気分である相方に紗矢華は軽く苛立ちを覚える。しかし発言した古城の顔は真面目そのもので、茶化しているような空気はなかった。

 

「着陸する少し前に、反対側の海辺に妙な影を見つけた。そいつの確認がしたいんだ」

 

「そう言うことなら先に言いなさいよ。なら早いとこ行きましょ。暗くなってからじゃ面倒なことになるかもしれないし」

 

 万が一古城のいう妙な影が敵であった場合、この島での安全に支障が出る。それは出来うる限り避けたい。特に視界の利かない夜などは奇襲に持ってこいなのだから、それまでには対処したいところだ。

 ギターケースから“煌華麟”を引き抜き武装状態となった紗矢華は善は急げとばかりに森に突っ込んでいく。古城はその様子に苦笑いを浮かべながら、しばらくは目覚めそうにないキリシマを一瞥したのち後を追った。

 

 

 ▼

 

 

 反対側の海辺までの道のりはそう長くなかった。その代わり途中森の中を歩かされたため相応の労力は払う羽目になったが。

 たどり着いた島の西側に位置する砂浜は至って何の変哲もない海辺であった。ただ一点、岸辺に打ち上げられた黄金に輝く卵形のポッドを除いて。

 

「嘘……あれってまさか!?」

 

 浜辺に打ち上げられたポッド、正確にはそれに刻まれた紋章を見て紗矢華は驚愕に目を見開く。

 見覚えがあるどころではない。大剣を持つ戦乙女を基調とした紋章、それが示すのはアルディギア王家であること。つまりこのポッドはアルディギア王家所有の物であり、そんな代物があるということは必然──

 

「おや? どちら様かと思いましたが、もしかして紗矢華ではありませんか」

 

「あ、貴女は!?」

 

 近場の茂みから姿を現した女性に紗矢華が目を剥く。

 長く美しい銀髪と、澄んだ碧い瞳。人体の黄金比を体現したかのような完成された肢体を軍隊を思わせる儀礼服に包む少女。

 北欧アルディギア王家が長女ラ・フォリア・リハヴァインその人が茶目っ気溢れる笑みと共に古城と紗矢華の前に歩み出てきた。

 

「お、王女! ご無事だったんですね!?」

 

 本来護衛対象である王女の生存に安堵し、次いで物凄い剣幕で詰め寄る紗矢華。そんな彼女をやんわり突っ撥ねてラ・フォリアはこの場に於ける唯一の男である古城に目を向ける。

 

「そちらの殿方は──」

 

「若輩ながら第四真祖の名を僭称する、暁古城と申します。お目に掛かれて光栄ですよ、ラ・フォリア王女殿下」

 

 水を向けられた古城は完璧なまでの対応をしてみせる。そのやけに堂に入った態度に紗矢華は唖然、ラ・フォリアは何が面白いのかニコニコと笑顔。中々にカオスな光景が生まれていた。

 

「ふふっ、紳士な男性は好ましく思います。ですが、今この場において必要以上に畏る必要はありません。もっとフランクに、そう和風に、フォリりんとでも呼んでください」

 

「ちょおっ!? 何を仰るんですか王女──」

 

「分かったよフォリりん」

 

「暁古城も乗るなー!! それとそれ全然和風じゃありませんからね!?」

 

 古城の悪乗りとラ・フォリアのボケに紗矢華が全力でツッコミを入れる。その様子が愉快だったのか、元凶二人は互いに顔を見合わせてニヤリ。その笑みに紗矢華はそこはかとなく嫌な予感を感じた。

 

「ともかく! 今は王女から事情を聞くのが先よ。巫山戯るのはまた後にしてよね!」

 

「ふむ、仕方がありませんね」

 

「話が終わった後が本番だな」

 

「もう何なのよこの二人はぁ!?」

 

 獅子王機関が舞威媛。無駄に息ぴったりの第四真祖と王女殿下に翻弄されて涙目で叫ぶのであった。

 

 

 

 

 

 



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天使炎上Ⅸ

長らくお待たせしました、約三ヶ月ぶりです。もう受験生ってやだ、テスト多い。おかしいよ、十月の土日全部模試って絶対おかしいよ(震え。
多分またしばらく更新無理です。すみません。


 偶然という名の必然のもと巡り合った絶賛行方不明であったラ・フォリアを加え、一行は一先ず救命ポッドに入って情報交換に勤しんでいた。

 

「絃神島へ向かう飛行船が襲撃されるなんて……本当に無事で良かったですよ、王女」

 

「ええ、しかし乗組員はわたくしを逃がすために犠牲となってしまいました……」

 

 王女を守るために囮として最後まで勇ましく戦ったであろう部下たちを思い、ラ・フォリアは横顔に愁いを落とす。

 ラ・フォリアを乗せた絃神島行きの飛行船はある者たちの襲撃によって撃墜された。その相手こそ言わずと知れたメイガスクラフト。彼らは絃神島へ来訪しようとした王女の身柄を狙ってきたのだ。

 襲撃自体は今ここにラ・フォリアがいることから分かる通り失敗に終わった。今頃は失踪した王女の身柄を血眼になって探していることだろう。

 それを警戒してラ・フォリアは救難信号を出せずにいたのだが、紗矢華と古城というこの上なく頼もしい護衛を得たことでつい先程SOSを発信した。あとは信号を受信した絃神島からの救援を待つだけだ。ただしメイガスクラフト側が先に乗り込んでくる可能性もあるが。

 いや、この場にいる三人は十中八九メイガスクラフトが先に乗り込んでくると確信している。特に古城と紗矢華はキリシマが帰還しないことから既に疑われているものだと考えていた。

 だがそれも今すぐにという話ではない。故に今は冷静に状況を把握し、情報の擦り合わせが必要だった。

 一行はこの島に至るまでの経緯を語った。

 ラ・フォリアは絃神島来訪の理由。叶瀬夏音がアルディギア王家の血縁であり、ラ・フォリアにとって他ならぬ叔母にあたること。夏音を訪ねようとしたその道中、メイガスクラフトの襲撃を受けたこと。連中の目的が霊媒として優秀なアルディギア王家の女性を狙ったものであるだろうと推測を述べた。

 古城と紗矢華は夏音が養父たる賢生から非人道的な実験を施されていたこと。自分たちがメイガスクラフトの隙を突いて夏音を保護し、連中の悪事を暴くために敢えて罠に乗り、その結果この島に行き着いたことを端的に説明した。

 

「そうですか、夏音はそちらで保護されているのですね。感謝します、暁古城」

 

「礼なんていらないさ。俺はただ困ってる後輩を助けたかっただけなんだから」

 

 頭を下げようとしたラ・フォリアを古城はやんわりと遮る。それよりも、と古城は事情に詳しいだろうラ・フォリアに尋ねた。

 

「ラ・フォリアと夏音が霊媒として素養が高いから狙われたのは分かった。でもメイガスクラフトは何をしようと企んだんだ?」

 

「そうですね、夏音に施された実験の内容からして恐らく模造天使(エンジェル・フォウ)でしょう」

 

模造天使(エンジェル・フォウ)?」

 

 聞き慣れない単語に疑問の声を上げたのは紗矢華だ。

 ラ・フォリアはその美しい柳眉を微かに潜めてその魔術儀式について説明する。

 

「賢生が研究していた魔術儀式です。意図的な霊的進化を引き起こし、人間をより高次の存在へと生まれ変わらせる。日本でいうところの蠱毒に似た儀式ですよ」

 

「蠱毒って、それを人間でやるなんて……」

 

 舞威媛たる紗矢華は呪術にも精通しているため蠱毒の内容も知っている。壺の中に無数の毒虫を閉じ込め、互いに喰らい合わせ、最後に残った蟲を媒体に対象を呪う呪術。そのえげつない儀式内容に今では好んで行うものは少ないが、それをあろうことか人間に当て嵌めて実行するなど正気の沙汰ではない。

 

「叶瀬賢生はアルディギア王家に仕えていた宮廷魔導技師です。その頃、彼は模造天使(エンジェル・フォウ)についての研究を進めていました。しかしその危険性と非人道的な内容から宮廷魔導技師の地位を剥奪。その後の行方は知れませんでしたが、まさか夏音に狙いをつけるとは」

 

 後悔を滲ませてラ・フォリアは目を伏せる。

 もっと早くに夏音がアルディギア王家の血縁であることが知れたならば、こんなことにはならなかったかもしれない。そういった思いがあるのだろう。

 だがそれも仕方のない話だ。何せ夏音はラ・フォリアの祖父、十五年前に当時国王であった祖父がアルディギアに在住していた日本人女性との間に作った娘。端的に言って不倫の末に生まれた娘なのだ。

 当然この事実は秘匿され、夏音の母親は迷惑を掛けまいと日本に帰国。結果、十五年もの間夏音が先代国王の娘であることは秘匿されたままだった。

 それも先日、祖父の腹心だった重臣の遺言によって発覚。王宮は怒り狂った祖母によって大混乱。致し方なく歳も近いラ・フォリアが祖父の名代として絃神島にお忍びで来訪しようとしたのだ。

 それもメイガスクラフトの襲撃によって頓挫してしまったが。

 重苦しい空気が救命ポット内を支配する。只でさえ狭い空間でその雰囲気に耐えかねたのか紗矢華が殊更明るい声を上げた。

 

「大丈夫ですよ、王女。叶瀬夏音には護衛が付いていますし、メイガスクラフトもそう簡単に居所の特定はできないはずですから。心配ありません」

 

 紗矢華なりに必死のフォローをラ・フォリアは微笑みで受け取る。次いでその微笑みに悪戯っぽいものが混じった。

 

「ええ、そうですね。頼りになります。さすがは第四真祖の愛人」

 

「なっ、何を仰ってくれてるんですか!?」

 

 唐突にぶん投げられた爆弾発言に瞬間湯沸かし器もかくやの勢いで顔を赤くする紗矢華。真剣な話の流れから突如として路線が切り替えられたことに、気づけたのは古城だけだった。

 

「おや、違いましたか。それとも第一夫人、本妻の地位を狙っているとか。そのあたりの後宮事情はどうなのですか、古城?」

 

「生憎と俺みたいな碌でなしに煌坂みたいに魅力的な女性は分不相応に過ぎるな。高嶺の花ってやつだよ」

 

「ちょっ、またあなたはそうやって適当なことを言って!?」

 

 飛行機でのやり取りの再来に紗矢華は是が非でも阻止しようとするが、相手が悪い。しかもこの二人、中々に性格が合うのか紗矢華が間に割り込む隙がない。これでは手の出しようがなかった。

 

 それから小一時間近く、紗矢華は傍らで行われる己を揶揄う会話を聞かされ続け、某ボクシング選手もかくやの具合に真っ白な灰となった。ちなみに主犯二人はこれを切っ掛けにより強固な絆で結ばれたとかないとか。

 

 

 ▼

 

 

 それは黄昏時。相手の顔が見え辛くなる時間帯に、彼らは現れた。

 

「──来たな」

 

 いち早く気づいたのは古城だ。夜が近づき、吸血鬼としての能力が表層化し始めたことで強化された聴覚が鈍い駆動音と不自然な波のさざめきを拾った。

 古城の態度から紗矢華とラ・フォリアも状況を察し、各々に武器を取る。ラ・フォリアは呪式銃、紗矢華は何時でも取り出せるよう楽器ケースを手に持った。

 

「メイガスクラフトね。どこから来る?」

 

「ここの反対側の浜だな。とりあえず急いであっちに行こう。折角の人質を奪い返されたら勿体無い」

 

 人質とは言うまでもなくキリシマのことだ。今頃は飛行機の近くで動けないまま転がされているだろう。それを敵側に取られる前にこちらの手で確保する。

 

「俺が先行してキリシマを押さえとく。二人は後からついてきてくれ」

 

 吸血鬼の身体能力を引き出せている今の古城の足ならキリシマの元まで数分と掛からない。メイガスクラフトの手に落ちるより先に古城が確実に確保できるはずだ。

 だがそれに異を唱える者が一名。

 

「ダメよ、あなたを一人で先行させたりなんかしたら何が起こるか分かったものじゃないわ」

 

 これ幸いに独断専行に走ろうとしていた古城の行く手を紗矢華が阻む。出鼻を挫かれた古城は苦い顔をしつつも一人で先行する理由を論理立てて話す。

 

「だが悠長にしてたらあの男を取られる。その前に確保するべきだろう」

 

「なら私たちも一緒に行動するべきでしょ」

 

「急がないといけないんだ。煌坂ならまだしも、王女様に俺たちと同じ速度で走らせるのは無理があるだろ」

 

「あら、でしたら解決策がありますよ」

 

 理屈で押し通ろうとした古城を遮って、ラ・フォリアが王女然とした、それでいて艶やかさを感じさせる笑みを携えて古城に歩み寄る。流れるような動作で細腕を古城の首に巻きつけ、そのまま軽く跳ね飛ぶ。

 のしかかってくるラ・フォリアに古城は驚きつつ、反射的にその肢体を抱き抱えた。その体勢を客観的に言えば、いわゆるお姫様抱っこというやつである。

 

「古城がわたくしを抱えて走ってくだされば、何も問題はありませんね。違いますか?」

 

「いやまあ、間違ってないけどな……」

 

 ──してやられた。

 古城と紗矢華が二人揃ってそんな顔をした。ただし両者の意味合いはまるで異なる。二人の内心は語るまでもないだろう。

 反射的とはいえ抱えてしまった以上下ろすわけにもいかない。古城は憂鬱に溜め息を吐きつつ、ラ・フォリアの提案に乗った。約一名、口元を引き攣らせている者もいたが。

 

「時間が惜しい、早く行こう」

 

 一行は島の反対側へと急ぐ。夜目の利く古城と紗矢華は躊躇うことなく暗い森を突っ切り、数分程で飛行機が着陸した場所に辿り着いた。

 

「どうやら間に合ったみたいだな」

 

 軽飛行機の側に転がる獣人の人影とたった今浜辺に乗り上げた揚陸艇を見やり、一先ず安堵の息を洩らす。ゆっくりとラ・フォリアを下ろすと古城は紗矢華に言う。

 

「俺が前に出る。煌坂はキリシマを押さえといてくれ」

 

「分かったわ。ただし、無茶をしないようにしなさいよ」

 

「分かってるって」

 

 おざなりに返して古城は浜辺へと踏み込む。その隣に真剣な表情のラ・フォリアがついてきた。

 

「少しばかり叶瀬賢生と話したいことがあります。いいですね?」

 

 真っ直ぐと見上げる瞳の真摯さに、古城は否とは言えなかった。

 

「了解。でも連中の狙いにはラ・フォリアの身柄もあるんだ。いざという時はすぐに離脱してくれ」

 

「分かりました」

 

 素直に頷いてラ・フォリアは堂々と古城の隣に並び立つ。古城もそれとなく自分が盾になれるように意識を切り替えた。

 浜辺に停泊した揚陸艇から人が降りてくる。片方は見覚えのある大柄な女、ベアトリス・バスラーだ。昼間の格好と違い、真紅のボディスーツに身を包んだ挑発的な風体だった。

 彼女に続いて降りてきたのは聖職者を思わせる黒服を纏った眼鏡の男。その男を一目見てラ・フォリアが「叶瀬賢生……」と呟いた。

 暗闇の中に古城たちの姿を認めたベアトリスが昼間のイメージとは百八十度違う退廃的な笑みを浮かべた。

 

「はぁい、獅子王機関の小娘の助手と王女サマ。元気にしてたかしら?」

 

「おかげさまでな。おたくの粋な計らいで現代生活からサバイバル生活にシフトチェンジされるところだったよ」

 

 気怠げなベアトリスの皮肉に古城は不敵に言葉を返した。

 

 

 

 



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天使炎上 Ⅹ

長らくお待たせしました。というか多分これが年内最後、生存報告兼ねての投稿です。まあ衝動的にストブラ最新刊読んじゃったのもあるんですけどね(笑)。
いやぁ……もう勉強いやだぁ。



 時は少し遡って雪菜宅──

 

 居残り組である雪菜と夏音は一日部屋に篭っていた。言うまでもなく学校は休み。夏音は欠席の連絡を入れるのも足がつく可能性があることから無断欠席だ。

 二人とも家からは一歩も出ていない。古城たちと携帯でやり取りしていたのもあるが、外を彷徨いてメイガスクラフトに見つかる事態を避けるため。雪菜と夏音は完全篭城の態勢を取っていた。

 そんな二人の心情はあまり穏やかなるものではなかった。

 古城と紗矢華がメイガスクラフトの思惑に乗って音沙汰が途絶えてから半日以上。島外に居るために携帯が繋がらないのは理解しているも、感情の部分では不安で不安で堪らなかった。

 家具の少ない飾り気がないリビングで雪菜は古城のスマホを握り、夏音は思い詰めたような表情でフローリングの上に座り込んでいる。二人とも一様に背負う空気が重い。

 今の二人にできることはない。いや、何もせず大人しくしていることが最善なのだ。最悪なのは夏音の身柄がメイガスクラフトの手に落ちること。それだけは避けなければならない。

 故に夏音は雪菜の家に留まり、雪菜がその護衛をするのは非常に合理的な判断だ。だが感情では納得できない。

 今こうしている間にも古城と紗矢華はメイガスクラフトの企みと真っ向から対峙している。それなのに自分は助力できない歯痒さが雪菜は辛い。

 夏音に至っては自分の事情に巻き込んでしまった挙句古城たちと連絡がつかなくなってしまった現状に途轍もない自責の念を抱いていた。なまじ心根が優しいだけに良心の呵責が凄まじい。

 お通夜もかくやの空気の中、それでも何かできることはないのかと雪菜が思索に暮れていた時だった。不意に握り締めた掌のスマホが電子音と共に振動する。

 

「もしかして……!」

 

 古城と紗矢華からの電話かもしれない。そう思った雪菜は慌てて明滅する画面の表示を見やり、あからさまに落胆する。

 スマホの鳴動は着信を報せるものではなくアラームだった。どうやら前もってこの時間に鳴るよう設定されていたらしい。余りにも間が悪いというか、紛らわしいにもほどがある。

 深々と溜め息を吐きつつ未だ鳴り続けるアラームを止めようとして、ふと雪菜はラベルに表示される文字の羅列に目を留めた。

 

 ──メモの三番を開け。

 

「メモの三番? これって先輩からのメッセージなんでしょうか……」

 

 不思議に首を傾げながらも雪菜はアラームを止め、ラベルの指示にあった通りにメモ帳のアプリを呼び出す。幸いというか古城にスマホを預けられた際に使い方を一通りレクチャーしてもらっていたので問題なく操作できた。

  メモ帳内には妙なことに一つだけノートがあった。タイトルは三番。一つしかないのに三番が付けられているノートに引っ掛かりを覚えながらもメモをタップする。

 開かれたノートにはもしもの時に雪菜と夏音が取るべき行動が幾つか書き留められていた。

 古城と紗矢華がメイガスクラフトと直接的な戦闘に入った場合や連絡が取れなくなった状況、その他不測の展開に際して取るべき行動が事細かに記されている。その内容に雪菜は安堵よりも心底驚愕した。

 備えあれば憂いなしとは言うが、逆にここまで不測の事態を想定して用意周到にするのは過剰と言っても過言ではない。それこそ見えない何かに怯え、その恐怖から逃れようとしているかのようだ。

 

「先輩……」

 

 ふとした拍子に気にかかってしまう。暁古城は致命的なまでに何かが欠けていて歪だ。近くにいるからこそその異常性が際立つ。彼の世界の見方は普通から掛け離れている。人間から第四真祖になったとかそれ以前の問題なのだ。

 より近づいてみても分からない。それは肉親たる凪沙も例外ではなく、彼の歪みの根源を知ることはなんぴとたりとも叶わない。何故なら理解できる話ではないからだ。

 だがそれで引き下がるような諦めの良さを雪菜は持ち合わせていない。今は無理でも少しずつでいいから、いつか本音を明かしてくれる日が訪れることを信じて努力するのだ。それが第四真祖であり優しい先輩に対する雪菜なりの覚悟だ。

 メモの内容を上から下まで流し読み、雪菜は現状に最も近いであろう状況に対する行動指示を見つける。というか殆どこの状況まんまを予想したものがあった。

 指示内容は対して難しいものではない。いや、ある意味では難易度ルナティックかもしれない。何故なら──

 

「南宮先生に協力を申し込む……」

 

 古城の担任教師である南宮那月は絃神島において屈指の実力者だ。欧州で“空隙の魔女”とまで恐れられる彼女の庇護下に入ればまず夏音の安全はより確実なものとなるだろう。加えて那月は特区警備隊(アイランド・ガード)にも顔が利くときた。味方につけてこれ以上になく頼もしい相手はいない。

 理屈では至極正しいことは分かる。だが雪菜の内心は複雑だ。よりにもよって他の女性に助けを求めろというのは心情的に許容し難い。そも古城と那月は何故こうも親密そうな関係なのか、雪菜は常々疑問に感じていた。

 まさか教師と生徒の道ならぬ関係……などと密かに戦慄しているとそんな雪菜を訝しんだ夏音が側まで接近してきた。

 

「あの、どうかしましたか雪菜ちゃん」

 

「え!? あ、いえなんでもありません。はい、本当に何でもありませんから」

 

 脳内に湧きかけた妄想を振り払って雪菜は努めて明るく笑ってみせた。

 今は私情を持ち込んでいる場合ではない。雪菜にとって大切な友人の一人である夏音を救うため、最善の選択をしなければならないのだ。だから今は文句を飲み込む。その代わり無事に戻ってきた暁にはこの消化不良な感情を思う存分ぶつけよう。

 そう誓って雪菜は那月と連絡を取ろうとして気づく。メモの指示に那月の電話番号が電話帳に登録されている云々の記載。開いてみれば確かに電話帳に南宮那月の名前がある。

 

 ──何でしょうか、この言いようのない敗北感は……。

 

 釈然としない想いを抱きながら雪菜は自分用のスマホを購入しようと誓ったのだった。

 

 

 ▼

 

 

「何時まで経っても帰ってこないもんだから、まさかとは思ってたけど。こんなガキ共にやられてたなんて情けない」

 

 紗矢華の呪術によって拘束されて身動きの取れないキリシマを一瞥し、ベアトリスが悪態を吐く。当初の予定が大幅に狂わされたことに苛立っているようだ。

 

「まあいいわ。王女サマの居場所はわかったことだし、大人しくついてきな。そうしたらとっても気持ちいいことしてあげる」

 

「そう言われて、はいそうですかって引き渡すとでも思うか?」

 

「なに? たかが獅子王機関の、それも助手風情が出しゃばるわけ」

 

 見下す態度のベアトリスと真っ向から睨み合う古城。両者ともにいつ破裂しても可笑しくない一触即発の雰囲気だ。

 一方でラ・フォリアと賢生の二人は二人で張り詰めた空気を醸し出していた。

 

「久しぶりですね、叶瀬賢生。貴方が宮廷魔導技師を辞めてから七年でしたか。なおも我々の血族を供物に儀式を執り行おうとしていたとは思いもよりませんでした」

 

「その口振りですとやはり夏音はそちらの手の内にありますか。困りますね。まだ儀式の途中であるというのに連れ出されるのは」

 

「夏音は貴方にとって実の娘も同然であるのに、彼女を人外に仕立て上げる所業。正気を疑います。血迷いましたか賢生」

 

 夏音の母親は賢生と兄妹の間柄だった。賢生は生まれ落ちた赤子である夏音を抱き上げたことすらある。

 叶瀬夏音は養女として引き取られ、賢生は養父となった。しかしそれ以前に二人の間には叔父と姪という関係性があったのだ。

 実の娘同然の少女を悍ましい魔術儀式の実験台にする。到底正気の沙汰とは思えない行いだ。許されるはずもない。真に愛しているのならばこんな真似はしないだろう。

 しかし賢生は一点の曇りもない瞳で王女を見つめて答える。

 

「血迷う? いいえ、違いますとも。私は今でも変わらず夏音を実の娘として愛している。一度たりとも哀れな儀式の供物として見たことはない」

 

「では何故このような行いに手を染めたのですか」

 

「夏音のためだ。模造天使(エンジェル・フォウ)がなった暁には夏音は人間以上の存在へと進化する。そうなれば夏音を傷つけるものは万に一つとない。もう苦しむこともない世界へと至れるのだ。これを幸福と呼ばず、何という」

 

 幼い頃から修道院暮らし。親の顔は終ぞ知れず、修道院は事故で崩れ落ち居場所を失う。端的に言って不幸な生い立ちだ。さぞ苦しんだことだろう。そんな夏音から、賢生は苦悩の一切を取り除いてやろうとしているのだ。たとえそれがどれほどに人道を外れた外法であったとしても。

 それは確かにある種の救いであるのかもしれない。娘を想う賢生の心にも偽りはない。だが──

 

「それは本当に夏音にとっての救済になると思っているのですか?」

 

「無論だ。親として、娘の幸福を第一に願うのは当然のこと」

 

「そうですか」

 

 淡々と己の心情を語る賢生をラ・フォリアは憐れみを込めた眼差しで見返す。

 

「でしたらはっきり言わせていただきます。親が願う幸福と子供が思い描く幸福は必ずしも一致するとは限りません。話を聞いた限り、夏音は儀式を望んでなどいない。故に貴方のそれは一方的な押し付けに過ぎないのです。それを理解しなさい、賢生」

 

 ラ・フォリアも王女だけあって自分の思い描く幸福と父親たる国王が願う幸福で食い違いが生じることは一度や二度ではない。むしろ一般家庭よりもその手の諍いはスケールも回数も多いことだろう。

 親が子供の幸せを願うのは至極真っ当なことだ。それを否定することはない。だからといって一方的に押し付ける幸福にどれほどの価値があるのか。まして自分の望むものとはまるで異なる代物、享受などできようもない。

 だが目の前の男にその正論は通用しない。既に自己の中で完結してしまっているのだ。天使へと昇華し天界へと誘われることこそが夏音にとっての至福だと。どれほど理屈を並べ立てようともう止められはしなかった。

 完全に決裂したと見るやベアトリスが一歩前に出る。瞳は怪しい光を湛えており既に臨戦態勢だ。

 

「長々と育児方針について語ってもらったとこ悪いけど、正直どうでもいいのよ。メイガスクラフト(うち)としては天使ちゃんがきちんと兵器として使えれば文句ないわけだから。だからさっさと話を進めるわ。こっちはどっかの誰かさんたちのせいでスケジュールがカツカツなのよ」

 

 ギロリと赤い双眸が古城たちを睨み据える。しかし古城もラ・フォリアも一切怯むことはなく、毅然とした態度で睨み返した。

 

「悪いがそっちの事情なんて知ったことか。こっちはあんたらの目論見全部台無しにするつもりできてるんだ。予定通りいくと思ったら大間違いだぞ」

 

「言ってくれるじゃない。その余裕がいつまで続くか見ものだわ──賢生、やっちまいな」

 

 ベアトリスの指示に従って賢生が懐のリモコンを操作する。すると彼らの揚陸艇の甲板で無数の人影が蠢いた。

 ライトを背に甲板に現れ出でたのは全身を黒い鎧に包んだ兵士たちだ。手には大型のライフルが握られており、それら全ての銃口が古城たちに向けて固定されている。

 

「毎分七百二十五発のライフル二十挺。獅子王機関の舞威媛だか何だか知らないけど足手纏い守りながら凌げる代物じゃない。ましてや半人前の助手なんて論外。格好良く啖呵切ってくれたとこ悪いんだけどさ、大人しく諦めてくんない? こっちも貴重な実験材料を傷つけるような真似はしたくないんだよ」

 

 己の優勢を欠片も疑わない上からの物言い。驕りとも慢心とも言えるが、第三者から見て圧倒的に不利なのは古城たちである。何せ相手は複数、おまけに凶悪なライフル装備ときた。如何に紗矢華が腕の立つ攻魔師であったとしても降り注ぐ弾丸の雨を防ぎながら吸血鬼であるベアトリスを相手取るのは無理な話だ。

 そう、戦う面子が紗矢華だけならば。

 

「一つ教えてやるよ。俺はあんたたちに嘘を吐いた。俺は獅子王機関の人間じゃない」

 

「なんだって?」

 

 古城の唐突な告白にベアトリスは怪訝に眉を顰め、不意に滲み出した負の魔力に赤い双眸を目一杯見開いた。

 砂浜に立つ古城の総身から怖気が走るほどの魔力が溢れ出る。吸血鬼には馴染み深い負の膨大な魔力だ。だがその密度と量がおかしい。明らかにそこらにいる吸血鬼を超越している。これではまるで──

 

「“旧き世代”……いや、こいつはそれ以上の……!?」

 

 意図的に放出される魔力はある種の圧力となってベアトリスたちを襲う。息が詰まりそうなほどの重圧に呻きながらもベアトリスは目の前の怪物に問うた。

 

「てめぇ、何者だ!?」

 

 真祖にも匹敵する魔力量と考えれば自ずと答えは出るものだが、古城は律儀に名乗り直す。

 

「──第四真祖、暁古城。お前たちの下らない企みを粉砕する男の名だ」

 

 古城の真の肩書きにベアトリスと賢生は柄にもなく呆然と間抜けな面を晒した。

 

 

 

 



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天使炎上 XI

あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
今年初の投稿です。というか明日から学校始まるんで、そしてセンターも近いので入試前最後の投稿です。
ちょっと難易度ベリーハードになっちゃいましたが、どうぞ。


「くそっ、やれ! とにかく撃てッ!」

 

 自棄気味にベアトリスが指示を飛ばす。相手が世界最強の吸血鬼とあっては油断も慢心もしていられない。古城が動き出す前に終わらせなければその時点で詰みだ。

 二十の銃口が古城に集中し発砲。暗闇にマズルフラッシュを閃かせて大量の銃弾が古城一人を襲う。

 常人であれば蜂の巣にされて然るべき鉄の嵐。しかし古城は第四真祖。たかが銃弾の雨霰程度でどうこうできる存在ではない。

 古城の身体から溢れ出る眩い雷光が弾丸の悉くを叩き落とす。弾の一発足りとも古城には届き得ない。眷獣の部分展開で災害並みの稲妻を放出するのだから、完全召喚をされたらそれこそベアトリスたちの勝ちの目は一切潰える。

 故にこそベアトリスが虎の子の一手を切るのは当然の帰結であり──

 

「させるかよ!」

 

 兵士たちを操作するリモコンとは別の端末を取り出したベアトリスを止めんと突貫を仕掛けようとするも、兵士たちの銃口がラ・フォリアに向けられたことで足を止める。呪式銃を持っているラ・フォリアであるがそれで無数の銃弾を封殺できるわけではない。よって古城はラ・フォリアを守るためにその場から動けなかった。

 代わりに飛び出したのはキリシマを見張っていた紗矢華。相手の意図は読めないが止めなければ不味いことになると直感し、古城とほぼ同時に駆け出していた。

 だが立ち位置が悪かった、ベアトリスたちにキリシマを解放されまいと離れた位置に待機していたがためにリモコンの起動に間に合わない。

 

「第四真祖だか何だか知らないけど、これで終わりだよ」

 

 向かってくる紗矢華に対する牽制として紅槍を顕現させ、ベアトリスは再び勝ち誇ったように笑う。

 音に聞こえし第四真祖、その力の程は歴史が物語っている。天変地異の化身とまで謳われる世界最強の吸血鬼を下すなど、“旧き世代”ですらないベアトリスには天地が引っ繰り返ろうと不可能だ。

 だからこそベアトリスは喚んだ。世界最強の第四真祖よりも更に上の次元に立つ超越者(天使)の成り損ないを。

 それは音速を遥かに超えた超音速で砂浜を睥睨する上空に飛来した。歪な翼を広げ、禍々しくも神々しい気配を醸し出す天使、その数()()

 

「三人、だと……」

 

 予想を上回る天使の人数に古城は愕然と顎を落とす。

 原作では一人、三度の儀式を終え六つの霊的中枢を手にした夏音が登場した。しかし現実に現れたのは三位の“仮面憑き”、大いに原作の状況と掛け離れている。

 

「そうか、叶瀬を保護したから一人残っていたのか……」

 

 原作乖離の原因は他ならぬ古城自身にあった。三回目の儀式を未然に防いだがために宙ぶらりんとなった“仮面憑き”の一人が今、ツケを払えと言わんばかりに古城に牙を剥いたのだ。

 またもや己の行動で自分の首を絞めてしまった。だが古城に後悔はない。あそこで夏音を救わないなどという選択肢はなかったのだ。たとえ今ここで絶体絶命のピンチに陥っていようとも。

 

「二人とも、どうにかしてベアトリスからリモコンを奪ってくれ。時間は俺が稼ぐ」

 

 逡巡も躊躇う暇もない、一方的に指示だけ出して古城は雷を全力解放する。

 幾条にも枝分かれた紫電が天使と兵士たちを襲う。雷撃は蛇の如く畝り的確に標的を穿つ。

 だが仕留められたのは兵士たちのみ。人間には有り得ない機械の破片とオイルを撒き散らしながら砕ける機械人形(オートマタ)と違い、稲妻に貫かれても天使たちは平然としている。まるで攻撃が擦り抜けたかのようだ。

 

「無駄だ。如何に強力な眷獣を従える第四真祖と言えど、不完全ながら高次元に足を踏み入れる彼女らに干渉することは叶わない」

 

 律儀に淡々と説明する賢生。一切の攻撃が通用しない敵手に紗矢華が顔を青ざめさせた。

 

「そんなのどうやって倒せばいいのよ……」

 

「倒す必要なんてないだろ。あの女が持ってるリモコンで活動を停止すればそれで終わりだ」

 

 逆に言えば、それ以外に勝機がないとも言える。だがそんなことは相手も重々承知。みすみすリモコンを奪われるような下手は打たないだろう。

 その証左に古城、ラ・フォリア、紗矢華の前に一人ずつ“仮面憑き”が舞い降りる。ベアトリスがそうするように操作したのだ。

 一人に対して一位。古城はともかくラ・フォリアと紗矢華に“仮面憑き”を倒せるだけの力量はない。戦闘となればまずラ・フォリアが脱落し、続いて紗矢華が落ちるだろうことは目に見えていた。

 考え得る限り最悪の状況と言っても過言ではない。絶望的なまでの劣勢にさすがのラ・フォリアと紗矢華も顔色が悪い。しかしそんな状況下でも古城が諦めることはない。

 古城を中心に大気が揺らぐ。意図的に放出される第四真祖の力の根源たる莫大な“負”の生命力が、世界を震わせているのだ。

 

「お前たちの相手は俺だ。余所見なんてさせるか!」

 

 曲がりなりにも“仮面憑き”は天の御遣い。神に呪われ不死の力を得た吸血鬼は天敵そのもの。それも真祖が目と鼻の先で魔力を垂れ流しにしていれば、必然彼女らの目は古城に釘付けになる。

 制御機構からの命令を振り切り、条件反射的に成り損ないの天使たちが古城に襲いかかった。

 

「こいつら、勝手なことしやがって……!」

 

 新たにリモコンで命令を送るも全て無視され苛立ちに舌を打つベアトリス。そんな彼女の前に“煌華麟”を構えた紗矢華が立つ。ラ・フォリアは余計な横槍を入れられないようにと賢生を抑えている。

 

「そのリモコンを渡してもらうわよ」

 

「はいどうぞ、って渡すとでも思ったかい。悪いけどこっちは予定が狂いまくって虫の居所が悪いのよ。手加減なんてしてやれないから覚悟しな」

 

 怒りと焦りに顔を歪ませながらベアトリスが真紅の槍を構えた。

 三位の天使と第四真祖が争う戦場の傍、紗矢華とベアトリスの戦いもまた幕を開けた。

 

 

 ▼

 

 

 当初の予定では“仮面憑き”と対峙するつもりはなかった。

 まず最初に夏音と接触し、さり気ない風を装って悩みを聞き出す。そこから“仮面憑き”の正体を那月に報せ、共にメイガスクラフトへ乗り込んで何もかも始まる前に終わらせる。その後、行方不明となったラ・フォリアを発見して大団円。これが最も穏便な結末だった。

 だが夏音と那月の予想外の行動に全てが狂った。加えて夏音の心を救いたいと欲を出したがために三人の“仮面憑き”と戦う羽目になっている。

 馬鹿だった、何故この展開を予想しなかったのか。原作でも天使に至った夏音に続いて二体の“仮面憑き”が登場していたではないか。今更ながら己の間抜け加減に笑いが洩れてくる。

 だが古城に慚愧の念はない。涙を流す夏音を救ったことが間違いだなんて思えない。だってそうだろう。古城なら──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 全身に魔術紋様を浮かび上がらせた成り損ないの天使が甲高い絶叫を上げる。黒板を爪で引っ掻くような、誰もが不快に感じる声が共鳴。まがいものでありながら神性を帯びた音の衝撃が眼下の古城を容赦なく押し潰す。

 

「──ぐ、ああッ!?」

 

 禍々しい神気の波動に身を蝕まれながらも古城は眷獣を喚び出す。血の中に眠る吸血鬼だけが使役することが許される意思を持った魔力の塊。それが宿主の声に応じて現界する。

 

疾く在れ(きやがれ)、九番目の眷獣、“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”!」

 

 音には音をぶつけて相殺すればいい。召喚された眷獣は衝撃波そのもの、そこに在るだけで近所迷惑となる双角の馬だった。

 衝撃波の化身たる緋色の馬が嘶く。たったそれだけで浜辺の砂が引っ繰り返ったかのように舞い上がり、夜の海が激しく波打つ。さすがは天災と称される第四真祖の眷獣である。

 だが地形すら変えてせしめる眷獣の衝撃波でも神気を乗せた音波には敵わない。ほんの僅かな拮抗の後、変わらず古城を頭上から圧殺した。

 

「があぁああ──ッ!!」

 

 魔族にとって毒そのものである神気を大量に浴びせられて絶叫が溢れる。今まで受けてきた眷獣の攻撃や物理的な苦痛とは違う痛みにさすがの古城も膝が折れかけた。

 雪菜が獅子王機関より下賜された秘奥兵器“七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)”は真祖すら滅ぼすと謳われる破魔の槍。神格振動波駆動術式(DOE)によってあらゆる結界や魔術を切り裂くそれは人工的に生み出した神気を利用している。故に真祖ですら殺し得るのだ。

 ならば不完全ながらも神気を纏い操る“仮面憑き”は古城にとって絶望的なまでに相性最悪の敵である。ヴァトラーと那月が今回の一件から古城を遠ざけようとするのも当然だ。これはあまりにも相手が悪すぎる。まあヴァトラーに至ってはそれでもなお古城を死地へ送り出す切っ掛けを与えたのだが。

 現状の古城では成り損ないであっても“仮面憑き”には勝ち得ない。雷撃と衝撃波だけでは次元の壁は超えられない。唯一可能性があるとすればそれは次元喰い(ディメンジョン・イーター)だけだが──

 

「くそっ……」

 

 凄まじい重圧に呻きながら古城は彼女らを見上げる。

 メイガスクラフトの非道な人体実験によって生み出された魔術儀式の素体。他の実験体の体細胞から創り上げられたクローンである彼女たちは今、顔に装着された仮面によってただの人形同然の状態となっている。

 元々自意識が存在するかも分からない。仮に仮面の支配から解かれたとして、人としての自我があるかも知れない少女たち。帰るべき場所すらもない彼女らを、しかし古城は傷つけることができなかった。

 これが明確に敵対するベアトリスや賢生ならば躊躇うことなく叩きのめせる。しかし彼女らは他人による支配によって望まぬ戦いを強いられている被害者だ。加えて唯一の攻撃手段が下手をすれば相手を殺しかねないものとあれば、躊躇するのも無理はない。

 だがこのままでは遠からず古城が滅ぼされてしまう。現に身動きが取れない古城に狙いを定め、光剣を撃たんと身構えている。何かしらの対策を講じなければ古城の命は此処で潰えるだろう。

 それは駄目だ。こんな所で死に絶えるなど許されない。この身は来るべき時が訪れるまで滅ぼすわけにはいかないのだ。

 それが古城(まがいもの)に課せられた運命なのだから。

 都合三つの光剣が古城目掛けて放たれる。神気の重圧下でまともに動けない古城にそれらを躱す術などありはしない。しかし、

 

「八つ裂け──ッ!!」

 

 裂帛の気合いと共に振り翳した古城の右腕に触れた途端、神の天敵たる吸血鬼を貫かんとした光の剣がバラバラに裂かれた。

 文字どおり存在する次元が違う光剣が第四真祖の手によって切り裂かれた。目を疑う光景にラ・フォリアと対峙していた賢生が目を剥く。

 

「馬鹿な、高次元からの攻撃を防ぐなどそれこそ同じ神気をぶつけでもしない限り不可能だ。それをどうして……」

 

 古城がやったことは言葉にすれば単純なもの。普段から雷だけを呼び出していたように眷獣の力の一部だけを表層に出したのだ。自分に制御できるギリギリの範疇で。

 その力の正体は言うまでもなく次元喰い(ディメジョン・イーター)。紗矢華の持つ“煌華麟”のように腕を振るった次元空間だけを喰い千切ったのだ。結果として高次元からの攻撃は古城に届く前に八つ裂きとなって霧散した。

 だが忘れてはならない。古城が支配下に置いた眷獣は二体のみ。そこに“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”は含まれない。つまり古城は未だ手懐けていない眷獣を行使したのだ。それ即ち、

 

「ぅ、がはっ……」

 

「古城!」

 

 吐き出される大量の血塊を見てラ・フォリアが血相を変えた。掌握していない眷獣の行使による宿主への反動が古城を襲ったのだ。

 “獅子の黄金(レグルス・アウルム)”の時は全身を雷に焼かれた。“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”は体内を衝撃波に蹂躙された。ならば“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”は──?

 全身が激痛に苛まれる。愛用の黒いパーカーが滲み出た血を吸ってよりどす黒い色へと変色し、肉体に刻まれた傷跡の形を浮かび上がらせた。

 それは斜めに走る三筋の裂傷。獣の鉤爪に切り裂かれたような、或いは龍蛇の顎に食い千切られたような傷。服を取っ払えばそこには見るのも痛ましい損傷があるだろう。

 致命とまでは至らずともたった一度の眷獣行使で痛烈な負傷。とてもではないが連発できる技ではない。あと二回も使えたならば御の字だろう。

 だが天より降り注ぐ光剣の数はとても二度の行使で消滅できるものではなく、

 

「ぎぃ、がぁ……!!」

 

 容赦の欠片もない光剣による爆撃の全てを、四度の眷獣行使を以ってして掻き消す。一撃に一撃返ってくる激烈な反動に血反吐を吐きながら、しかし古城は膝を屈しない。全身を襲う想像を絶する激痛を鋼の精神力で堪え、奥歯が砕け散りそうになるほど歯を食い縛って立ち続ける。

 肉体を八つ裂かれる痛みは尋常なものではなく、到底堪えられるような代物ではない。だがそこはこの古城、拷問と言っても過言ではない苦行を乗り越えてきただけあって気合いと根性で捻じ伏せる。

 とは言え度を過ぎた無茶をしているのも事実。限界を超え続ければ遠からず精神が壊れるのは確実。

 

「負けられない……俺は──!!」

 

 滅びることは認められず、殺すことは許せない。古城に残された選択肢は唯一つ。仲間(紗矢華)がベアトリスからリモコンを奪い取り彼女らを停止させること。それ以外に道はない。

 絶え間なく降り注ぐ剣群。殺意と神気の嵐を食い千切り、その身を削りながらも古城は耐える。堪える。

 白い砂浜を血色に染めながら古城は只管に耐え続けた。

 

 

 ▼

 

 

 時間がない。早期に決着をつけなければ古城(馬鹿)がまた無茶をするのは目に見えていた。故に様子見などなく紗矢華は一気呵成の勢いで挑みかかる。

 

「ちっ、怠いったらありゃしない。どいつもこいつもふざけてんじゃねーよ! “蛇紅羅”!」

 

 ベアトリスの呼び掛けに応じて紅の槍が震える。槍全体がまるで蛇のようにしなり、接近する紗矢華に有り得ない角度から襲いかかった。

 ベアトリスの呼び出した槍は意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)。武器の形をした眷獣だった。その能力は槍の形を自在に変えて敵を襲うという、古城の眷獣と比べると火力に欠けるものの対人戦においては非常に強力な性能を発揮する代物だ。

 予想外の奇襲に一瞬瞠目するも紗矢華は襲い来る槍の穂先を紙一重で躱し、足を止めることなく駆け抜ける。時間がないがための無茶な突撃。紗矢華も古城のことをとやかくは言えないだろう。

 だが無茶をした甲斐はあり、変幻自在かつ複雑な軌道の刺突や薙ぎ払いを掻い潜り、多少傷を負いながらも紗矢華は剣の間合いにベアトリスを取り込んだ。

 紗矢華が剣を振り上げる。分かりやすい上段からの斬撃であるが、その分振り下ろされる威力は大きい。無論、ベアトリスとて黙って食らうつもりはない。形状の変わった槍を元に戻し振り下ろされる剣の一撃に身構えた。

 刹那、紗矢華の口元が微かに笑む。それに気づく間もなく槍で防御しようと構えていたベアトリスの脇腹に強烈な衝撃が走った。

 

「な……剣じゃ、ないだって……」

 

 脇腹から全身に広がる痛烈な衝撃に大柄なベアトリスの身体がふらつく。そこへすかさず追い打ちの打撃。腹部と鳩尾の二箇所に掌底を叩き込まれさしもの吸血鬼も立っていられなかった。

 膝から崩れ落ちるベアトリスに殊更勝ち誇ることもなく紗矢華は淡々と告げる。

 

「獅子王機関の舞威媛は呪詛と暗殺を生業としてるの。眷獣頼りの戦い方しかできない吸血鬼に遅れをとるような柔な鍛えられ方してないんだけど」

 

 元より紗矢華の実力は一般的な攻魔師、ましてや女子供の括りを超えている。実戦経験も積み多彩な呪術を使い熟す紗矢華は純粋に強い。雪菜ですら五回に一回勝ちを掴めたら御の字なのだ。

 詰まる所、所詮は女子供だと侮っていた時点でベアトリスの敗北は必定。始まる前から勝敗の見えた戦闘であったのだ。

 

「さあ、リモコンを渡してもらうわよ」

 

 長剣の切っ先を突き付け操作端末を要求する。完全に負かされ眷獣の召喚も解除されたベアトリスに抵抗する術はない。しかし、

 

「あーくそが、何もかもケチがつきやがって。ふざけんじゃないわよ──こんなもの!」

 

「ちょっとぉ!?」

 

 昨今の技術革新についていけず会社の経営は傾くわ、一発挽回狙った戦争用の機械人形(オートマタ)は売れず開発費用ばかり嵩むわ、挙句最終手段の人口天使にすら邪魔が入る始末。端的に言ってベアトリスは自暴自棄に陥っていた。ちょっとばかり追い詰め過ぎたとも言える。

 ヤケクソになったベアトリスは懐から取り出した“仮面憑き”の制御端末を、あろうことか力の限りぶん投げたのだ。これまで積もりに積もったストレスを発散するかの如く。

 吸血鬼の膂力で投げられた掌サイズのリモコンは、月光に煌めく漆黒の海に虚しい音を立てて着水。そのままゆっくりと沈んでいった。

 “仮面憑き”を止められる唯一の手段が失われ顔面蒼白となる紗矢華。一部始終を見ていたラ・フォリアは口元を覆い、賢生までもが軽率な行動にこめかみを抑えていた。

 

「ど、どうしよう……」

 

 割と本気で切羽詰まっている状況に獅子王機関の舞威媛は情けない声を洩らす他なかった。

 

 

 

 

 

 

 




“仮面憑き”三人と覚醒直前夏音、何方がより難易度高いのか……


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天使炎上 XII

いろんな意味でセンターオワッタ……
え、なにあれ現文ムズイよ。あと内容が(笑)……いや笑えませんわ。
傷心のまま投稿。もうAで頑張るしかない(ガチ


 異変は唐突に起きた。古城目掛けて只管光剣を射出していた“仮面憑き”が、突然攻撃の手をパッタリと止めたのだ。

 痛覚すら麻痺し夥しい量の血を流しながらも眷獣を行使し続けた古城は最初、紗矢華が目論見通りリモコンを奪取し彼女らの動きを止めたのだと思った。だが現実は残酷であり、一時の停滞は更なる嵐の前触れに過ぎない。

 停止は僅か数秒。凍りついた時が流れ出したかのように成り損ないの天使たちは動き出す。先よりも苛烈に、見境なく、まるで狂気に呑まれたかの如く。仮面の穴から覗く瞳からは既に正気の色が消え失せていた。

 狂ったように甲高い絶叫を迸らせ、際限なく剣やら槍やらを降らせる。しかしその殆どが天敵たる古城を外れ何もない砂浜に着弾し、意味もなく地形を変えるだけ。もはや彼女らの目に敵も味方も何も映ってはいない。あるのは唯一つ、仮面越しに送られてくる異常を来した指令のみ。

 

「なんだ、何が起きた……」

 

 ただでさえ予想外の展開に更なるイレギュラーが重なり叫び出したいところだったが、声を上げる余力も惜しい。無差別の爆撃を掻い潜りどうにか紗矢華たちのもとへ辿り着いた古城は弱々しい声で尋ねた。

 

「それが……」

 

 満身創痍を通り越して死相すら浮かぶ古城に驚く暇もなく、紗矢華は中東の戦場もかくやの爆撃を横目に説明する。

 制御端末が海に沈んだ。正直信じ難い、受け入れたくない現実にさすがの古城も頭を抱える。これでは本格的に為す術がない。

 意味がないと分かっていながらも紗矢華の手で呪術拘束を施されたベアトリスを睨み、古城はガリガリと頭を掻く。

 

「あの暴走の原因は何なんだ。投げ捨てる前に何か命令でも送ったのか?」

 

「分からないわ。見てた限り操作してる余裕はなかったはずだけど」

 

 “仮面憑き”の暴走の原因は意外な所から示された。

 

思考拘束具(ブリンカー)が故障したのだろう。海水に浸かったのが原因だと思うが、制御機構に致命的な問題が発生し指令系統が狂っているのだ」

 

「叶瀬賢生……」

 

 ラ・フォリアに拳銃を突きつけられながらも宮廷魔導技師らしく見解を述べる賢生。作り上げた本人だからこそ正確に把握しているのだろう。あれは素体そのものが異常を来したのではなく制御装置に問題が発生したのだ、と。

 彼女らが装着している仮面は言わば命令を受診するアンテナであり、思考を拘束する枷でもある。指令を出す大元たる制御端末がバグを起こせば受信側が狂うのは必然。止めるにはバグを正すかアンテナを壊すしかもう手立てはない。

 だがバグを直そうにも制御端末は海の底。サルベージしようにも揚陸艇の照明だけが頼りの現状では探索は不可能。アンテナたる仮面の破壊に至ってはまず攻撃が当たらないという、実質詰みの状況だ。

 暴走の余波が届かない位置から狂い啼き叫ぶ“仮面憑き”の様子を見やり、苦々しい表情を古城は浮かべる。

 

「暴走を止める手立ては?」

 

「仮面の破壊か新たに制御端末を作り活動を停止させる。だが後者は機材もなければ時間もない。現実的な案ではないだろう」

 

「くそっ、打つ手なしか……」

 

「何故だ、仮面を破壊すればいいだろう。どんな絡繰かは知れないが神気を打ち消す能力があるのなら、仮面を壊すことなど容易いはずだ」

 

 純粋に疑問を抱いた賢生が尋ねる。問われた古城は自嘲混じりに答えた。

 

「生憎とあれは細かい制御ができないんだ。顔に装着した仮面を狙って振るえばよくて損傷、最悪頭が消失する」

 

 ただでさえ掌握していない眷獣を無理やり行使しているのだ。顔の表面に着けられた仮面一枚だけを消し飛ばすなんて芸当、とてもではないができない。

 ならば原作で古城がやったように相手を高次元から引き摺り落とし、その後仮面を破壊すればいいのだが、それも結局は眷獣の制御ができないためリスクが高すぎる。たとえ吸血行為に及んで眷獣を制御したとしても雪菜がいない現状では仮面を壊しても止められない。

 雪菜が到着するのを待つ? 否、何時来るかも定かではない雪菜に賭けるのは博打が過ぎる。それにあまり時間を掛けて同士討ちでも始められてしまったら目も当てられない。

 

「どうすれば──」

 

 完全に行き詰まった展開に古城は頭を掻き毟り、ふと不安げな眼差しの紗矢華に目を留める。厳密には彼女の手にある銀色の剣、“煌華麟”に。

 

「そうか……そうだ、その手があった!」

 

「何か打開策があったの?」

 

 閃いたと言わんばかりの古城に紗矢華が詰め寄る。もうこの際何でもいいから状況を変える一手が欲しかったのだ。なまじ自分の詰めの甘さが招いた事態であることも紗矢華を逸らせる一因となっている。

 

「ああ、煌坂の“煌華麟”があれば何とか──」

 

 できる、そう続けようとした古城は不意に表情を強張らせると不自然なくらい動揺を露わにした。気づいてしまったのだ。この先の内容が現状の古城には知り得ない情報であることに。

 口走りかけて咄嗟に言葉を飲み込むも時既に遅し。己の武器たる“煌華麟”の名を出されて紗矢華は訝しげに首を傾げる。

 

「“煌華麟”でどうするのよ。確かにこれは空間を切断できるけどそれもあくまで呪術的な再現。さすがに高次元の存在を斬るのは無理よ」

 

 紗矢華の持つ獅子王機関の兵器である“煌華麟”の疑似空間切断能力は確かに強力だ。空間断層は何ものを阻む最硬の盾となり、それは転じて最強の刃ともなる。だがそれでも次元の違う“仮面憑き”相手には無用の長物に成り下がる。

 しかし獅子王機関が技術の粋を集めて作り上げた“煌華麟”にはもう一つ、疑似空間切断よりも強力な能力を備えられている。それと古城の眷獣を以ってすれば“仮面憑き”を止めることも不可能ではない。

 ただ、今の古城はその能力を知らない。否、原作知識としては勿論頭に入っているが、現時点で古城が一度も見たことも聞いたこともない“煌華麟”の真の能力を知っているのは不自然なのだ。

 言えば不信を抱かれ、言わねば事態を打開できない。二つの事情に板挟みにされて煮え切らない態度の古城に、早々に紗矢華が痺れを切らす。

 

「私はあなたを信じてる。だから何か手立てがあるのなら言って。力が必要なら頼りなさいよ」

 

 殆ど掴みかかるような体勢で紗矢華は言った。古城は紗矢華の剣幕に、言葉に目を見開くほどに驚いた。

 オイスタッハ殲教師襲撃事件から黒死皇派によるテロリズム、そして今回の模造天使(エンジェル・フォウ)の一件。全てにおいて古城は辻褄合わせだけは慎重に行ってきた。周囲の者たちから疑念を抱かれないよう、疑心を向けられないように。

 疑われることを恐れ内心で怯えていた古城。その迷いを断ち切るのに紗矢華の言葉は十二分な威力を秘めていた。

 ふっと自嘲げな笑みを洩らす。諦観と呆れと幾許かの喜色が滲んだ表情を浮かべ、古城は半ばやけっぱちな心境で初めて矛盾を晒す。

 

六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)の能力を解放してくれ。眷獣を掌握して、魔弓の力を合わせれば彼女たちを止められる」

 

六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)の能力……それってもしかして……」

 

 反射的にスカートの上から太腿に巻き付けられたホルダーに触れる。そこには“煌華麟”の真価を発揮するのに必要な弾丸が収められている。

 だがおかしい。自分はこの能力を未だ古城の前で披露したことはないし、教えた覚えもない。“煌華麟”の真の能力を古城が知っているのはおかしいのだ。

 湧き上がる疑念を、しかし紗矢華は飲み下して穏やかに微笑む。

 

「分かったわ。どんと任せなさい」

 

「いいのか? その、俺は……」

 

「言ったでしょ、信じてるって。今はそれでいいから」

 

 隠し事をされていることを承知の上で紗矢華は、それでも構わないと言う。偏に古城という男を信じているから。どんな秘密を抱えているかは知れなくとも古城という男の心根が信頼に値すると判断した。ただそれだけのこと。

 それに──

 

「──その秘密に踏み込む役目は私のものじゃないもの」

 

 古城が抱える問題に踏み込むのは自分ではなく、もっと彼の近くに立つ人の役回りだ。結局のところ近くも遠くもない紗矢華が触れられる事情ではない。

 だから今はいい。疑念は疑念のまま流し、目の前の壁を越えるために協力しよう。それが己に果たせる責務だから。

 

「煌坂……」

 

「そんなことより、さっき眷獣の掌握って言ったわよね。つまりまたぞろ霊媒の血が必要ってこと?」

 

「え、あっはい」

 

 仄かに頬を朱に染めた紗矢華に古城は反射的に返事をする。

 

「それって……その、やっぱり血を吸うのよね」

 

「そうなるな。それも今度のはちょっと面倒で……」

 

「なに? 他にも問題があるの?」

 

 そこはかとなく居た堪れない様子で古城は顔を背ける。紗矢華の胡乱げな視線が突き刺さった。

 古城は何度か口を開いては閉じたりを繰り返すが、やがて観念したように告白する。

 

「“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”は双頭の龍なんだ。だから今までの二体と違って霊媒に必要な血の量が一人分じゃ足りない」

 

「ちょっと、それって私の“煌華麟”以前の問題じゃない!? どうするのよ!」

 

 第四真祖の眷獣を手懐けるのに必要な質の良い霊媒の血を提供できるのは、以前吸血された経験のある紗矢華のみ。どう考えても人数が足りない。

 

「いいえ、霊媒の血であればここにもありますよ」

 

 アルディギア王家が王女たるラ・フォリアが穏やかな微笑を浮かべて名乗りを挙げた。

 ラ・フォリアがメイガスクラフトにその身を狙われたのは比類なき霊媒としての素質を有していたからだ。霊媒としての格付けをすればラ・フォリアは最高品質の霊媒体質である。第四真祖の眷獣に捧げる霊媒の血としてこれ以上になく適していると言えるだろう。

 だが相手は紛うことなく本物の王族である。未婚の王女から吸血するのは倫理云々よりもまず国際的な問題に発展しかねない。たとえ緊急を有する事態であってもだ。

 王女という身分に頼み辛い雰囲気の古城と立場的に推奨できない紗矢華。そんな二人にラ・フォリアは殊更に笑顔で言う。

 

「後のことを憂いているようですが、心配はありません。わたくしに考えがあります」

 

「その考えって?」

 

「簡単なことです」

 

 王女は軽やかな足取りで古城に歩み寄るとその腕を手に取る。丁度古城に抱きつくような格好だ。

 

「わたくしと古城が婚姻してしまえば血を吸われようとなにをされようと問題はありません。違いますか?」

 

「何を言ってるんですか王女! 問題大有りなんですけど!?」

 

 思わず全力でツッコミを入れ、慌てて古城とラ・フォリアを引き剥がしに掛かる。因みに忘れてはならない。少し離れた場所では未だに“仮面憑き”が暴走している。そんな状況下で常と変わらずツッコミを入れられる紗矢華は殊の外肝が据わってるのかもしれない。

 しかし腕を取られた古城は拒絶せず苦笑いを浮かべた。

 

「男冥利に尽きるお誘いだけど、結婚は勘弁してくれ。妥協して俺と、第四真祖との個人的な縁を結ぶで許してくれないか」

 

 世間一般では眉唾的な存在とされている第四真祖であるが、政治や裏の世界でのネームバリューは計り知れない。個人的に世界最強の吸血鬼と繋がりがあるという事実はこれからのラ・フォリアにとって決して悪くない話だ。

 ふむ、とラ・フォリアは顎に手を当てる。中々に腹黒い性格の少女だ、今頃脳内では古城たちには想像もつかない損得勘定が繰り広げられているのだろう。

 

「なるほど、つまりわたくしは第四真祖の愛人ということですか。外聞的にあまりよろしくはありませんが、悪くない話でもありますね。いいでしょう、その話に乗せられましょうか」

 

「どうしてそうなるんですか!?」

 

 一国の王女が愛人などと、由々しき事態である。王女の護衛として是が非でも止めなければと意気込んで紗矢華が踏み出して、その両手を左右から掴まれる。

 

「何もそこまで真に受けずとも、冗談ですよ、紗矢華」

 

「え?」

 

「ただ揶揄われていただけだよ。昼間に散々茶化されたのに、どうして気づけないんだ」

 

「へ?」

 

 左右からステレオで明かされる事実に紗矢華は困惑の声を上げる。しかしすぐに自分がおちょくられていたのだと悟り、この緊急事態に巫山戯るのは止めろと声を上げようとして両手をぐいっと引かれて体勢を崩す。

 

「さて、先の懸念は全てが無事に終わった後です。それよりも今は現状の打破が最優先。急ぎ、古城の眷獣を掌握してしまいましょう」

 

「そうだな。取り敢えず場所を変えよう。時間もないし、走るか」

 

「場所はどうしましょうか。野外というのも悪くありませんが、生憎とわたくしは初心者ですので少々不安が先立ちますし。それに若干ながら恐怖もあります」

 

「大丈夫だ、痛いのは最初だけだから。身を委ねてくれ。場所は贅沢を言える状況でもないから近くの林の陰で我慢してくれ」

 

「仕方ありませんね、今回は妥協しましょう。ですが次はもっと環境もムードも整ったシチュエーションを望みますよ」

 

「善処するよ」

 

「さっきから何の話をしてるのよぉ!?」

 

 何も事情を知らない第三者が聞けば誤解待ったなしの会話を繰り広げる二人に、顔を真っ赤にして紗矢華が割り込む。だが両手を取られ引っ張られているため全くもって迫力に欠ける。滑稽さすら漂っていた。

 切迫した状況であるはずなのに締まらない空気である。しかし現実問題、眷獣の掌握を急がなければ本当に取り返しのつかない事態になりかねないのだ。巫山戯ているようでいて古城もラ・フォリアも真剣そのものである。

 

「え、ちょっと待って。本気でこのまま始めるつもりなの? 嘘でしょ!?」

 

「覚悟を決めてください、紗矢華。時は金なりと、日本では言うのでしょう?」

 

「そうですけど……って、王女!? 何で胸を触るんですか!?」

 

「女の子二人で盛り上がられても困るんだけどな」

 

「ちょっ、暁古城まで何をしてるのよ!? ……あ、待って待ってほんとにちょっと待って、待ちなさいよおぉぉ──!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




哀れ、紗矢華。古城とラ・フォリアの包囲からは逃げられない。


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天使炎上 XIII

無事合格し、卒業式を間近に控えた今日この頃。お待たせいたしました、更新です。ちょっと最後の纏めが雑になってしまったような気がしなくもないですが、これにて天使炎上は終了です。


 海に沈み故障した制御端末から発される異常を来した指令に狂う三位の天使。成り損ないでありながら振り翳す力は紛うことなき神の力。あらゆる次元において最も高位に位置する超越者の力は天災の如く、メイガスクラフトが所有する小島を蹂躙する。

 浜辺が、森が、小山が、神々しい光の剣に貫かれる度に冗談のように抉れ吹き飛ぶ。その破壊の有り様は奇しくも災厄の化身と謳われる第四真祖の眷獣と類似していた。

 神話の一節にも等しい光景。常人には割り込む気すら起こさせない地獄絵図に、三人の役者が足を踏み込む。

 この悪夢にも似た天使たちの狂宴に終止符を打つ。いい加減天使が炎上する様を見るのは飽きたのだ。だから今すぐ終わらせよう。まがいものの天使という枷から、今すぐ解き放とう。

 

「後味の悪い結末なんて要らない。きっちり大団円で終わらせてやる。行くぞ二人とも、準備はいいか?」

 

 古城の呼び掛けに紗矢華とラ・フォリアが気負いなく頷く。頼もしい彼女たちの存在が今の古城にとって何よりも心強い支えだ。

 古城は天を仰ぐ。島の上空では無差別に破壊を撒き散らす神の御遣いがいる。仮面のせいで表情は読み取れないが、古城には彼女たちが苦しんでいるように思えた。甲高い絶叫が苦悶の叫びに聞こえた。それはきっと間違っていないはずだ。

 

「すぐに止めてやるからな」

 

 名も知れぬ誰か。お節介かもしれないが大人しく救われてくれ。何故なら、暁古城ならばそうするから。まがいものである古城が彼女らを救うのは当然の帰結だ。

 

「“焰光の夜泊(カレイドブラッド)”の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ──!」

 

 天にて踊り狂う天使たち目掛けて右手を伸ばす。その右腕から鮮血と共に魔力が噴き出した。

 

疾く在れ(きやがれ)、三番目の眷獣“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”!」

 

 噴き出した魔力が幻想の双龍を形作る。古城を喰らいつつ力の一部を貸してきた次元喰らい(ディメンジョン・イーター)が、ついにその真の姿を現した。

 物語に語り継がれる伝説の龍。その威容は見る者を圧倒し、傲慢にも神すら屠ってみせるだろう。事実、顕現した双頭の龍に天使たちがあからさまに反応してみせた。龍が自分たちにとって致命的なまでに危険な存在であると悟ったからだろう。

 異常な指令を受信しながらも双頭の龍を明確な天敵と認め、一斉に襲いかかってくる。無数の光剣が飛来し龍に雨霰と降り注いだ。

 

「喰らい尽くせ──!」

 

 宿主の命に従い双頭の龍が兇悪な顎を開き、深淵よりも底知れぬ闇へと片っ端から光剣を呑み込み、空間ごと跡形もなく消失させる。次元喰らいの名は伊達ではない。

 神気そのものとも言える光の剣を喰い尽くされさしもの“仮面憑き”にも動揺が走る。その僅かな隙に双頭の龍が喰らい付いた。

 

「今そこから引き摺り落としてやる!」

 

 全ての次元を喰らう二つの顎が歪な天使の翼を喰い千切る。一人、二人、三人とこの場にいる“仮面憑き”全員の高次元防護膜が失われた。今の彼女たちには古城の眷獣は勿論、物理的な攻撃も届く。

 だがまだ終わっていない。彼女たちを守る防護膜こそ剥がれたが、未だ流れ込む神気は止まっていないのだ。現に狂った命令電波に惑わされ今にも暴れ出そうとしている。

 

「煌坂!」

 

「まかせて!」

 

 そこへ“煌華麟”を洋弓に変形させた紗矢華が躍り出た。

 太腿に巻いたホルダーから矢を抜き取り、流れるような手つきで弓に番える。

 

「──獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る」

 

 キリキリと弦を引き絞り、呪矢に魔力を注ぎ込む。狙いは天使たちの頭上。六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)の真価が今ここに解き放たれる。

 

「極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焰をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり──!」

 

 撃ち放たれた呪矢が大気を切り裂いて天へと昇る。

 呪矢の正体は鳴鏑矢。人間には発することのできない音を矢を以って再現し失われた秘呪を詠唱する。鳴り響く慟哭にも似た音は島全体を覆うほどの巨大な魔法陣を描き出した。

 天に広がる巨大な魔法陣から膨大な瘴気が噴き出す。それらを諸に浴びた“仮面憑き”たちはふらふらと揺れ、その高度を徐々に下げ始める。溢れ出す高濃度の瘴気が彼女たちの身体を麻痺させ深い眠りへと誘っているのだ。

 

「今のうちに仮面を取るぞ!」

 

 殆ど意識のない天使たちにそれぞれが駆け寄り、暴走の原因たる仮面を剥ぎ取る。高次元空間から引き摺り落とし、剰え紗矢華の呪詛を浴びた彼女たちから仮面を剥ぐのはそう難しいことではなかった。

 電波を受信するアンテナであり思考能力を奪う拘束具から解放された天使たちは、一様に力を失ったように崩れ落ち、三人がそれぞれで受け止めた。

 非道な魔術儀式の供物として用立てられた彼女たちの肢体は細枝のようにか細く、少し力を込めてしまえば砕けてしまいそうなほどに儚かった。だがそこには確かな生の鼓動がある。確立した一つの命が息吹いている。

 古城たちの胸中を安堵が埋め尽くした。互いに顔を見合わせ、誰からともなく微笑みを洩らす。

 東の空が暁に染まり始める。全ての命を祝福する朝焼けの煌めきを一身に浴びて、古城は長い戦いの終わりを実感した。

 今回の一件も先のテロに負けず劣らず予想外(イレギュラー)多数であったが何一つ失うことなく乗り越えられた。

 地平線に浮かぶ船の影を認めて、古城は血塗れになりながらも常と変わらぬ微笑みを浮かべたのだった。

 

 

 ▼

 

 

 那月が手配した沿岸警備隊(コースト・ガード)所属の巡視船が迎えとして訪れたのは夜明けから一時間ほどが経ってからだ。

 

「先輩! 紗矢華さん!」

 

 船が浜辺に着くか否や甲板から飛び降りた雪菜はボロボロの格好で出迎えた二人の元へ駆けつけた。

 

「雪菜!」

 

 そんな雪菜へ喜び勇んで抱きつくのはご存知紗矢華。浜辺に舞い降りた天使目掛け、ここに至るまで古城とラ・フォリアに弄られた鬱憤を晴らさんばかりに雪菜の体を抱き締める。

 

「ああ雪菜雪菜、私の雪菜。迎えに来てくれてありがと! 本当に、本当に助かったわ!」

 

「そ、それは良かったです。あの、紗矢華さんちょっと近い……」

 

 那月やら古城やらその他多数の人の目も憚らずの抱擁。古城の生温かい視線とラ・フォリアが愉しげに眺めているのに気づいて雪菜はどうにか紗矢華を引っ剥がし、監視対象へと駆け寄る。

 紗矢華とのやり取りを授業参観に訪れた父親のような眼差しで見守っていた古城に、雪菜はあからさまに不機嫌な様子で言う。

 

「遅くなりましたけど、ちゃんと迎えに来ましたよ。先輩の、指示した、通りに」

 

「あ、ああ。ありがとう、助かった……あの、姫柊さん? 何か怒っていらっしゃいますか?」

 

「いいえ。別に監視役なのにまた置いていかれて完全に蚊帳の外にされたことなんてぜんッぜん、気にしてませんから。それと……」

 

 すっと視線をずらして古城の隣に立つラ・フォリアを見やる。白磁のような美しい頸のあたりに虫刺されのような二つの傷跡を見つけ、雪菜は一瞬複雑そうに眉尻を下げた。

 だがすぐに獅子王機関の剣巫として気を引き締め向き合う。

 

「あなたがラ・フォリア・リハヴァイン王女殿下であらせられますね。わたしは第四真祖の監視役を務める姫柊雪菜です。巡視船に本国から派遣された護衛の方々が同船されてますので、できればそちらへ顔を出して頂けるとありがたいのですが」

 

「分かりました。手間を掛けさせましたね雪菜。では古城、しばしの別れです。今度会うときには例のお話、色好い返事が貰えることを期待していますよ」

 

 そう言って去り際にお茶目にもウインクを残し颯爽と巡視船へと向かうラ・フォリア。その背中を見送り、雪菜は改めて古城と向かい合う。

 古城の格好は端的に言って痛ましい。全身砂だらけに加えて黒いパーカーは明らかに本来の色以上に黒ずんでいる。まず間違いなく服の下は満身創痍の傷だらけであろう。人前に出るのが憚れる度合いだ。

 

「言いたいことは山ほどありますけど、まずは服を着替えましょう。その格好を夏音ちゃんが見たらショックを受けて倒れてしまいます」

 

「叶瀬って、まさかついてきてるのか?」

 

「はい。どうしても叶瀬賢生と話がしたいと聞かなくて……」

 

「あいつと話がしたいって……」

 

 首を巡らして賢生の姿を探すと、沿岸警備隊(コースト・ガード)の隊員に両脇を固められ巡視船へと乗せられる所だった。

 特に反抗もなく船に乗り込む賢生の前に、微かに怯えながらも夏音が現れる。

 夏音は逃げることなく真正面から向き合うと、決然とした表情で一言二言告げる。古城と雪菜のいる位置では距離や波の音で何を喋ったかは聞き取れなかったが、賢生の表情が驚きからどこか穏やかなものに変わったことで大体の事情は察せられた。

 短いやり取りを終えた夏音は浜辺に立ち尽くす古城と雪菜を認め駆け足で船を降りてくる。

 

「あ、やばい服が」

 

「着替えは船の中なんですが」

 

「まじかぁ……」

 

 こちらへ向かってくる夏音に頭を抱えると、不意に古城の視界が布状の何かで覆い隠される。驚いて掴み取ればそれは着慣れた古城のパーカーだった。

 

「これ俺の……」

 

「惚けてないでさっさと羽織れ。小娘が倒れたら面倒だ」

 

「那月ちゃん!?」

 

 背後から響いた声に振り返ればそこには常と変わらぬゴスロリファッションの英語教師が立っていた。

 那月は古城のちゃん付けに扇子を構えかけたが、もうすぐそこまで夏音が来ているのを見て手を下げる。代わりにさっさと服を羽織れと促す。

 那月に急かされる形で古城はすぐさまパーカーを着込む。パーカーの上からパーカーという若干着膨れを感じざるを得ない組み合わせだが贅沢は言えない。

 僅かに息を切らせながらやって来た夏音を古城は何食わぬ顔を迎えた。

 

「お兄さん! ……無事でしたか?」

 

「そんなに慌ててどうしたんだよ叶瀬。俺ならこの通り無事だよ」

 

 手を広げて問題ないとアピールする古城。両脇からどの口が言うのかとばかりのジト目が突き刺さるが勤めて流す。後々にあれこれ文句を言われるかもしれないが夏音に余計な心配をさせるよりはマシだ。

 そんな古城の一見元気そうな姿に夏音は安堵の息を洩らした。

 

「良かったです、ご無事で何よりでした。お兄さんとお姉さんが帰ってこなかった時は胸が張り裂けそうで、雪菜ちゃんも落ち着きがなくて心配してました」

 

「ちょっ、夏音ちゃん!?」

 

「そうか、それは悪かったな。でも大丈夫だ。煌坂もあの通り無事だからさ」

 

 少し離れた位置で沿岸警備隊(コースト・ガード)と何やら話し込んでいる紗矢華を指し示す。どうやらキリシマやベアトリス、それと儀式の供物にされかけた女の子たちの処遇について話し合っているらしい。

 煌坂も無事であると分かり胸を撫で下ろす。夏音は改めて居住まいを正すと古城の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「お兄さん。助けてくれて本当にありがとうございました」

 

 深々と頭を下げて夏音は古城に感謝の念を告げた。

 本来無関係で助ける義理なんてなかった自分に踏み込み、命の危険に曝されながらも救ってくれた。到底言葉だけでは感謝しきれない。

 

「気にしなくていいよ。俺がやりたくてやったことなんだからさ」

 

 むしろ夏音を助けたのは古城の都合だ。暁古城が守りたかったものを守るためという目的に従い行動したまでのこと。無論、後輩であり共に猫の世話をした友人を助けたいという想いが大部分を占めているのは間違いないが。

 その後、夏音は律儀にも今回の一件に関わった雪菜や紗矢華、那月にも一人ずつ礼を言って回った。夏音らしいと言えばらしい行動に、古城と雪菜は顔を見合わせてどちらからともなく笑みを交わした。

 

 

 

 




さあ、次は遂にあれですね。ちなみに自分は次巻とその次あたりを書くのが楽しみでした。とにかく古城くんを暴そ……暴れさせられますから。
ではまた、次回の更新まで。


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蒼き魔女の迷宮
蒼き魔女の迷宮Ⅰ


大学入学が近くなっている今日この頃、やっと更新でございます。お待たせ致しました。


 電気も点けず月明かりが微かに照らす自室で暁古城は自分のベッドに腰掛け、少しばかり日に焼けた装丁のアルバムをぼんやりと眺めていた。

 いつもの紳士さに満ちた微笑みはない。どこか無感動で空虚とも取れる表情で古城はアルバムのページ捲る。その度に無機質さが増しているのは気のせいではないだろう。

 数分と経たずして古城は目を通し終えたアルバムを傍に置く。そして懊悩するように項垂れた。

 

「やっぱり駄目か……」

 

 弱々しく古城が呟く。その手にはアルバムから抜き取った一枚の写真が握られている。古城がまだ“暁古城”であった頃の写真だ。

 バスケ部のユニフォームを着てチームメイトたちと肩を並べて撮った集合写真。まだ小学六年生というだけあってみんな無邪気に笑っている。古城もまた心底楽しそうに、隣で笑う日焼けした小学生と肩を組んで笑っていた。

 その写真を何度も何度も見直しては溜め息を洩らす。がしがしと頭を掻き、諦観に満ちた顔色で天井を振り仰いだ。

 

「やっぱり思い出せない。いや、そもそも思い出す記憶が俺にはないのか……」

 

 自嘲するように笑いベッドに倒れ込む。手から解放された写真がヒラヒラと宙空を舞って床に落ちた。

 天井を見上げたまま古城は頭を悩ます。直近には波朧院フェスタが控えている。絃神島において最も盛り上がる一大行事。ハロウィンをモデルとするお祭りだ。

 十月最後の週末に開催され、その間は島外からの観光客や訪問客でごった返すイベント。大半の人間が楽しみにして止まない絃神島が一際沸き立つ祭典が、今は古城に苦悩を強いていた。

 もはや言うまでもなくこの波朧院フェスタでも、第四真祖である暁古城は事件に巻き込まれる。それも国際犯罪者がわんさか溢れ出る規模の大事件だ。これまでを比較するわけではないが、凶悪な犯罪者たちが解き放たれる此度の事件は下手を打てば絃神島に甚大な被害を齎しかねない。

 無論、島の危機とあっては古城も黙ってはいない。今回も出来る限り上手く立ち回って可能な限り被害を小規模に抑える腹積りだ。だがそれに当たって古城には避けられない障害があった。

 

 ──仙都木優麻。

 

 今回引き起こされる一連の事件に大きく関わる重要人物であり、そして古城が“まがいもの”になる前の暁古城を知っている数少ない人物だ。

 今回の事件をどう収束させるにせよ優麻との接触は避けられない。既に彼女から波朧院フェスタの際にこちらへ赴く旨の連絡が来ている。ご丁寧に凪沙にも話が通っている始末だ。

 顔を合わせないのは不可能だろう。何せ優麻自身が古城との再会を望んでいる。そこに様々な思惑があるとしても、彼女は暁古城に会うことを心から願っているのだ。

 だが……、

 

「リスクが高すぎる……」

 

 実の妹である凪沙にバレていないのですら奇跡に等しいというのに、全く記憶にない少女を相手に演技が通用するかどうか。所詮は小学生時代の記憶だからとは安心できない。仙都木優麻にとって暁古城という人物はそれこそ誰よりも重要な存在であるのだ。拭い切れない違和感があれば秘密の露呈は免れない。

 古城の中身が暁古城ではない“まがいもの”であることを知る人間はいない。それは今後も隠し通さねばならない事実である。全てが終わるその日までは──

 ベッドに寝転がる古城の視界の端に仄かな点滅を繰り返すスマホが入る。どうやらメールが来ているらしい。

 気怠げな仕草でスマホに手を伸ばし、送信者の名前を見て目を瞠った。ついでメールの文面に目を通して壊れ物めいた笑みを浮かべる。

 

「ああ、そう来たか。これは責任重大だな」

 

 読み終えたかつてないほどに長いメールを削除してスマホをベッドに放り、古城は立ち上がる。既に事態は古城の覚悟が決まらずとも動いていた。いつまでも悩み込んでいる時間はない。

 窓から差し込む月光が古城の横顔を照らす。歪で儚げな笑みを浮かべる孤狼の表情を──

 

 ──狂宴の夜は近い。

 

 

 ▼

 

 

 十月も終わりが近くなり暦で言えば秋の今日この頃。しかし絃神島は太平洋のど真ん中に浮かぶ常夏の島。今日も今日とて太陽は燦々と輝き人工島の大地をジリジリと焦がす。

 そんな照りつく朝日に辟易としながら古城はパーカーのフードで顔を守る。別段朝日を浴びたからと言って灰になるわけではないが、不快であることに変わりない。紫外線を嫌う女性のようなものだ。

 そんな古城の様子を隣から見上げて、第四真祖の監視役である雪菜は気遣わしげに言う。

 

「やっぱりモノレールに乗ったほうが良かったですか?」

 

「いや、それはない。この時期のモノレールは殺人的に混むからな。鮨詰になるくらいならまだ早起きして歩いた方がマシだよ」

 

 頭上を通り過ぎていくモノレールを仰ぎ、古城は心底嫌そうに顔を歪める。波朧院フェスタが間近に迫るとモノレールは恐ろしいほどに混む。それを経験と知識で予め知っていた古城は辛いのも我慢して早起きし、学園までの長い道のりを歩いているのだ。

 

「波朧院フェスタですか。確かモチーフはハロウィンですよね」

 

「そうだな。魔族特区にはお誂え向きのイベントだよ」

 

 昨今はコスプレやお菓子のやり取りが前面的に出てしまい忘れられがちであるが、ハロウィンの起源は魔除けである。多種多様な魔族が住む魔族特区絃神島には打ってつけの催しだ。

 そして同時に、ハロウィンの時期は異界やら魔物やらとの邂逅率が著しく高くもある。絃神島において不安定な魔力源筆頭の古城にとってはあまり嬉しくない事実であるが。

 しかしそれは第四真祖である古城の事情。妹である暁凪沙は旧来の友人との再会も重なって波朧院フェスタを心底楽しみにしている。彩海学園の生徒たちも数少ない大行事とあって色めき立っており、古城も先日にはクラスメイトたちからイベントへの参加を求められたものだ。

 勧誘に関しては丁重に断った。古城には祭り当日にやらなければならないことが沢山あるからだ。友人の案内しかり、相も変わらず事件に巻き込まれることしかり。

 毎度のこととはいえ事件に巻き込まれすぎだろうと思わなくもない。古城の肩書き的に仕方ないとはいえ、頭が痛い思いである。

 己の境遇に割と本気で苦悩する古城の傍ら、雪菜は初めての大行事に少しばかり落ち着きがない様子であった。

 

「わたしは初めてなので知らないのですが、具体的にはどんなイベントがあるんですか?」

 

「まあ世間一般のハロウィンと同じでコスプレだろ。オープンカフェとか色んな露店に、ミスコンとかビーチバレーとか夜は花火大会や仮装パレードがあったり……」

 

「す、凄いですね。わたしの知るハロウィンとはまるで違います……」

 

 指折りしながら去年の波朧院フェスタの内容を挙げる古城に、雪菜はやや気後れする。古城も気持ちは分からなくなかった。

 先にも挙げた通り一般的なハロウィンはコスプレしてお菓子をやり取りする程度のイベントとなっている。しかし波朧院フェスタに関して言えばその限りではない。

 元より人工島である絃神島には伝統的な民族行事はない。だからこそ人々は娯楽や経済活動の刺激に非日常的なイベントを求める。そこで人工島管理公社が制定した祭典が波朧院フェスタだ。

 日頃の鬱憤を晴らさんが如く詰め込められたイベントの数は知れず。中にはハロウィン全く関係ないだろというものもあり、祭りの期間中に全てのイベントを網羅するのは至難を極める。

 

「まあ姫柊には凪沙がいるから、いざとなればあいつと回れば心配ないと思うぞ」

 

 その凪沙が張り切って雪菜や他の面々の分のコスプレ衣装を用意していることは黙っておく古城。生真面目な雪菜のことだから前もって知っていれば逃げかねないからだ。着せ替え人形役はもう懲り懲りである。

 

「先輩は何かイベントに参加したりしますか?」

 

「今年は先約があってな。幼馴染に案内を頼まれてるんだ」

 

「あの、初めて聞いたんですが。幼馴染というのは島外の方で?」

 

 若干不機嫌になりながら雪菜が訊く。

 

「ああ、絃神島に越してくる前の友人だよ。何でも親戚の伝手でフェスタの招待チケットを貰ったんだってさ。で、明日こっちに来るから久しぶりに俺と凪沙に会いたいって言うからな」

 

「そうなんですか……」

 

 幼馴染の話も案内の予定も全くの初耳だった雪菜。別段その幼馴染の案内云々に文句を付けるつもりなどないが、初めての祭りを古城と一緒に回れるのではないかという淡い期待は儚くも砕け散った。

 妙に気落ちする雪菜に対して、古城は追い打ちの如く伝える。

 

「そうそう、今日だけど。うちで叶瀬の退院パーティーするから是非に来てくれ」

 

「あ、はい。凪沙ちゃんと夏音ちゃんにも誘われたのでお邪魔させていただきます」

 

「助かる。凪沙がまた張り切ってばかすか料理を作ったら、俺一人じゃ食べきれないからな」

 

 つい先日の一件で模造とはいえ天使にされかけた夏音は最近まで検査入院として学校を休んでいた。凪沙は複雑な事情など一切知らないが友人の退院とあっては黙っていない。当人よりも喜び勇んで退院パーティーを企画立案し、今日に漕ぎ着けたのだ。

 気合い一杯の凪沙が調子に乗って料理を作り過ぎればそれは全て古城に回ってくる。食べ盛りの男子高校生とはいえ数人前の料理を平らげるのは無理がある。

 

「まあもしかしたら他にも参加者は増えるかもしれないけどな」

 

 賑やかなクラスメイトたちの顔を思い描き苦笑を浮かべる。賑やか好きな彼女たちのことだ、目敏く気づいて参加してくる可能性も無きにしも非ずだ。

 それはそれで構わない。原作でも似たような流れであったから原作乖離でもないからだ。ただ可能ならば浅葱たちには幼馴染のことは隠しておきたい。

 理由は単純で根掘り葉掘り問われたらボロが出かねないから。ここに来て瑣末なことで足元を掬われたくはない。

 小さく溜め息を吐いて、古城は祭りを前に浮かれ気分の学園を目指して歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼き魔女の迷宮 Ⅱ

長らくお待たせしました。


 古城の予想した通り、想い人関連には恐ろしく目敏い藍羽浅葱と冷やかし大好き矢瀬基樹、そして知的好奇心を理由に築島倫が夏音の退院祝いパーティーに参加を表明した。

 と言うのも、律儀で純粋の究極系と言っても過言ではない夏音がわざわざ高等部にまで出向いて古城に確認を取りにきたからだ。おかげで古城は“中等部の聖女”との関係を根掘り葉掘り問い質される羽目になった。まあそこはこの古城、その展開を予期していたこともあって詰問してくるクラスメイトたちを恙なくやり過ごしたのだが。

 それでも気になってしまうのが恋する乙女の(さが)。雪菜に及ばずともストーカー予備軍と化している浅葱は普段の無駄な奥手は何処へやら、茶化そうとしていた幼馴染の首根っこを掴んでパーティーに乗り込んできた。ちなみに言っておくと夏音と浅葱との間に交流関係は全くもってない。

 無論、パーティーの趣旨を理解している三人はそれぞれ食材を持ち寄り、退院祝いパーティーの盛り上がりにもきちんと貢献した。古城もメンバーが年下の女子ばかりだったのが、気心知れたクラスメイトたちの加入で多少気が楽になったのも事実である。結果的に見れば浅葱たちの参加は悪くないものだった。

 浅葱が持ち前の健啖ぶりを発揮して凪沙を喜ばせ、トランプや人生ゲームの類に興じ、楽しくも賑やかな時間が過ぎていく。

 宴もたけなわといった具合の頃合いで、みんなの興味がゲームから別のものへと移った。切っ掛けは凪沙が持ち出した古城の中学時代のアルバムだ。

 といっても中学時代なんて少し前のこと。興味を示したのは主に雪菜と夏音くらいなもの。それ以外のクラスメイトたちは特別気にも留めていなかった。

 だが中等部のアルバムを畳んだ凪沙の何気ない発言に古城は凍りつく。

 

「そう言えば古城くん、小学校のアルバムはどうしたの? いつも置いてある場所になかったから気になったんだけど、もしかしてしまっちゃった?」

 

 悪気のない純粋な疑問。普段あるべき場所にあるべき物がなかったから気になり、凪沙は尋ねた。それが古城にとって訊かれたくないことだとは露知らず。

 

「ああ、あれか。汚れると嫌だから仕舞ったんだよ。失くしたりはしてないから心配しなくていい」

 

 内心の動揺を押し殺して答える。

 古城の小学生時代という興味を駆り立てられるワード。ここに集う殆どの人間がその魔性のアイテムに食いつき、じぃっと無数の視線が古城に集中する。言葉にせずとも期待がひしひしと伝わってきた。

 この流れは拙い。しかし断ろうにも既に無言の包囲網が形成されつつある。矢瀬や築島なんてこっそり古城の部屋へと足を向けている始末だ。

 アルバムの公開は避けられないと悟り、古城は深々と溜め息を吐く。こうならないために前もってアルバムを隠したのだが致し方ない。凪沙には後でデコピンをするとして、腹を括ってアルバムを取りに席を立った。

 本棚に仕舞っておいては築島に漁られると危惧し、クローゼットの奥に隠したアルバムを持ち出す。

 リビングに戻ると全員がまだかまだかと待ち構えており、古城は若干気圧されながらもお待ちかねの品を差し出した。

 

「これが小学生の暁先輩……」

 

「なんだか思ってたより生意気そうというか、結構雰囲気違わない?」

 

「まだ小学生だからな。そんなもんだろ……」

 

 写真の中で笑う活発で腕白そうな印象の小学生古城。今の穏やかな紳士気質とはあまり結びつかない、ある意味子供らしい子供だ。

 雪菜や浅葱が食い入るようにアルバムを眺め、少し離れた位置から控えめに夏音が見る。他の面々も今の古城とは雰囲気の違う幼い古城に釘付けだ。

 パラパラとアルバムが捲られていく様子を古城は固唾を飲んで見守る。叶うことならばあまり話題を振られたくない。だが残念ながら世の中そうそう思い通りにはならないもので。

 

「お、この肩組んでる子誰だ? 随分と仲よさそうじゃね」

 

 何気なく矢瀬が指差した小学生の姿に古城は内心の動揺を隠して答える。

 

「ああ、その子は一緒にバスケやってた部活メイトだよ。まあ幼馴染だな」

 

 原作での会話を脳裏に浮かべながら当たり障りない言葉を選ぶ。下手に喋ってボロを出すわけにはいかない。

 代わりとばかりにお喋り好きの凪沙が身を乗り出した。

 

「ユウちゃんはこの頃から女の子にとっても人気でね、それはもうみんなからモテモテだったんだよ」

 

「まるで今の古城みたいだな」

 

 ニヤニヤと笑みを貼り付けながら矢瀬が揶揄う。本人にあまり自覚はないが、“彩海学園の紳士”などという二つ名を付けられている古城はやはり相応にモテている。現にこの場には憎からず古城を思う少女たちが集っている。

 しかし、古城の小学生時代をよく知る凪沙は、はてと小首を傾げた。

 

「うーん、どうだったかな。その頃の古城くんはもっと落ち着きがなくて、何ていうか腕白小僧って感じだったから……むしろ女の子からの人気度ならユウちゃんの方が上だった気がする」

 

「先輩が腕白小僧……なんだかちょっと想像がつかないですね」

 

「あはははっ……そんなことないと思うけどな」

 

 雪菜の素直な感想に、古城は乾いた笑いを上げた。

 小学生時代の古城と今の古城の性格が結び付かないのも当然だ。何せ文字通り中身が別人である。雪菜が違和感を覚えるのも無理はないだろう。

 銘々に古城のアルバムを囲んでいると、凪沙がふと思い出したとばかりに顔を上げた。

 

「そう言えば古城くん、さっきユウちゃんから連絡あったよ。明日、九時くらいに空港に着くんだって」

 

「は?」

 

 矢瀬が驚いたように古城を見る。他の面々も似たような表情で蚊帳の外で見守る少年を見やった。

 

「絃神島に来るのか、こいつ?」

 

「え、何それ初耳なんだけど」

 

「この方が先輩が案内する幼馴染……」

 

 雪菜以外の面々は寝耳に水であるが、ややあって浅葱たちクラスメイトは納得の表情。古城が方々からの誘いを断っていた理由だと察したのだ。

 小麦色に焼けた健康的な肌と小学生にしては凛々しい顔立ち。凪沙の言が正しければ性格は今の古城と似て紳士的とあらば、女の子からの人気はさぞや高かったのだろう。

 そして何より凪沙に次いで古城の小学生時代をよく知る人物。浅葱たちが食指を動かさないはずがない。

 周囲から突き刺さる熱烈な眼差し。もはや言葉にするまでもなく分かる訴え。もう幼馴染の存在を知られてしまった以上、古城は原作の流れを踏襲してもいいかと半ば諦めていた。変に隠し立てて怪しまれるよりはマシだろう。

 仕方ないと苦笑しながら古城は頭を掻いた。

 

「凪沙、優麻に出迎えの数が増えること伝えておいてくれ」

 

「お、いいのか?」

 

「どうせ勝手についてくるだろ」

 

 言ったところでついてくるのは原作が証明している。ならば変装とも言えない仮装をした友人二人を引き連れるより普通に出迎えたほうが良いに決まっていた。

 案の定、矢瀬は悪びれた様子もなく肯定した。

 

「まあな。古城の親友ポジを脅かすほどの相手を確認せずにはいられないって」

 

「何言ってんだか」

 

 矢瀬の心配は全くの杞憂であるのだが、古城は敢えて指摘しなかった。どうせ明日の朝になれば嫌でも知ることになる。せいぜい盛大に驚いてくれと内心でほくそ笑んだ。

 

 

 ▼

 

 

 夏音の退院祝いパーティーは滞りなく終了し、明日の朝に空港に集合の段取りをつけたのちにお開きとなった。

 浅葱たちは帰宅し、雪菜と夏音はお泊まり会。現状、暁宅においてただ一人の男となった古城は、みんなが寝静まった頃になってもリビングで寛いでいた。

 コーヒーを片手にソファに腰掛け、台所の電気と月明かりが照らす薄暗いリビングで時計を確認する。時刻は深夜を少し過ぎた頃合い。吸血鬼の活動時間真っ只中だ。

 古城の意思に関係なく発揮される夜目が動く影を捉えるのと、リビングの扉が遠慮がちに開かれるのは同時だった。

 暗がりの中でなお映える銀の御髪と涼しげな氷河の瞳。可愛らしいパジャマ姿の夏音がおずおずとリビングの様子を覗く。きょろきょろ彷徨う視線がソファに座る古城で留まった。

 コーヒーカップを軽く掲げて古城が笑いかける。

 

「こんな夜更けにどうしたんだ叶瀬。もうみんな寝てるだろ?」

 

 さも偶然であるかのように装う。本当は夏音が部屋に訪ねてくるのを知っていたから場所を変えていたのだ。妹の同級生相手に欲情するなどという愚を犯さないために。

 

「実はお兄さんにお話しがありました」

 

「俺に話? とりあえず座りなよ。何か飲み物はいるか?」

 

 夏音にソファを勧め、カップをテーブルに置いて台所へ立とうとする古城。その腕をほっそりとした手が控えめに掴んだ。

 

「叶瀬……?」

 

 夏音の行動に首を傾げるも、見つめる真摯な眼差しに押され浮かしかけた腰を下ろす。すぐ隣に夏音は楚々と腰を落とした。

 真夜中に薄暗い部屋で寄り添うような距離でソファに並ぶ。ベッドに引き込むような展開を避けるためにリビングで待ち構えていたのに、肩が触れ合いそうなほどに近い距離感に古城は胸中で混乱している。むしろシチュエーション的には原作よりも妙に雰囲気が出ている気さえした。

 微妙に居心地の悪い沈黙がしばらく流れ、夏音が静かに切り出した。

 

「この前はありがとうございました。お兄さんのおかげで、私は助かりました」

 

 ぺこりと頭を下げる夏音。気にするなと古城は肩に手を載せ、ゆっくりと顔を上げさせる。お礼を言われるのは素直に嬉しいが頭を下げられるのはどうにも具合が悪い。

 

「俺はただ、困っていた後輩を助けただけだよ」

 

「それでも、とても嬉しかったです。修道院にお兄さんが来てくれた時は、とてもかっこよくて、本当にヒーローみたいでした」

 

「ヒーローだなんて大袈裟な……」

 

 面映ゆい思いを誤魔化すように頭を掻く古城。

 ヒーロー扱いされるほどに大層なことをした覚えなどないし、古城の行動原理はもっと異質な代物だ。誰もが憧れる漫画や小説の主人公とは違う。己を“まがいもの”と卑下し、使命感と義務感から護りたかったものを護らんとする在り方は歪だ。

 鬱々とした心を微笑みで覆い隠す古城の手に小さな掌が重ねられる。女の子らしい繊細な手から仄かな温かみが伝わってきた。

 

「大袈裟ではありませんでした。苦しい時、辛い時に、手を差し伸べてくれたお兄さんは私のヒーローです。だから──今度は私の番です」

 

「叶瀬……?」

 

 今までにない真摯な眼差しの夏音に古城は戸惑う。構わず夏音は言葉を重ねる。

 

「お兄さんが苦しい時、辛い時に、今度は私が力になります。非力な私でも、できることがきっとあると思いました。だから、その時は遠慮せずに頼ってほしいです」

 

 頼ってほしい、それに似た言葉はここ最近よく聞いてきた。雪菜然り、紗矢華然り。しかし、その言葉がこの段階で夏音から出てくるとは思っていなかった古城はただただ驚きに硬直する。

 夏音の態度からして古城が抱える事情なんて何一つ分かっていない。第四真祖であることも、まして“まがいもの”であることだって知るはずがない。だから彼女の発言を無責任な戯言と切って捨てるのは簡単だ。

 だが、できない。目の前にいる少女の揺るぎない覚悟を見てしまったから。事情を知らない上で、荒事に向かないと重々理解した上で、夏音は力になると言い切ったのだ。そこには古城への多大な恩と思慕の念がある。

 

「……強いな、夏音は」

 

「え?」

 

 思わず零れた声に夏音が反応するも、何でもないと古城は首を横に振った。

 強い、叶瀬夏音は強い少女だ。それは古城の周囲にいる人達の大半に言えるが、非力でありながらもその言葉を口にすることができる夏音の心の強さは凄まじいものだろう。伊達に“中等部の聖女”とは呼ばれていない。

 自分にもそんな心の強さがあったのなら、こんな不器用な生き方をすることなんてなかったかもしれない。そんな意味のない無い物強請りに内心で自嘲を零し、古城は改めて夏音と向き合う。

 

「ありがとう、叶瀬。もしもその時が来たら、頼らせてもらうよ」

 

 その時が来ない方が一番ではある。夏音に頼らざるを得ないほどに追い詰められた状況になんてしてはならない。それを為すだけの知識はあるはずなのだ。

 胸中でまた一人で抱えてしまう悪い癖を発露してしまう古城。夏音におやすみと一言告げ、コーヒーカップを流し台に置いて部屋へと戻っていく。その大きくも痛ましい背中を夏音は苦しげに胸を押さえながら見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼き魔女の迷宮 Ⅲ

お久しぶりです。生存報告がてら投稿です。色々と浮気していたらもうこんなに時間が経ってしまいました。ほんと、すみません……。


 波朧院フェスタの前夜祭が行われる金曜日。絃神島中央空港は島外からの観光客でごった返していた。

 昨夜、吸血衝動に襲われるようなこともなかった古城はきちんと目覚まし時計で起床。凪沙達が着ていく服で議論を交わしている傍ら、優雅に朝食を済ませ予定よりも早めに出発の準備を整えていた。

 家を出てから浅葱と矢瀬とも合流し、空港の人混みを掻き分けながらも到着ロビーに辿り着いたのは待ち合わせ時間の十分前である。

 

「うわぁ、ぴったり十分前だよ。モノレールもどこもかしこも混んでたのに、さすが古城君だね」

 

 電光掲示板の時計を見上げて凪沙が感心したように言う。何とも反応に困る褒め言葉に古城はやや落ち着きなさげに答えた。

 

「まあ混雑とか踏まえて行動したからな」

 

 社会人としての経験と知識がある以上、時間にルーズなはずもない。去年や一昨年の混雑具合から考えた上で家を出るようにした古城に隙はなかった。

 そんな古城であるが、凪沙を除くその場の面々が写真の幼馴染の到来を今か今かと待つ一方、不自然にならない程度に頭上を気にしていた。その仕草を目敏く捉えたのは常日頃から古城の監視を行っている雪菜である。

 

「どうかしましたか、先輩?」

 

「いや、何でもな──」

 

 古城がゆるりと首を振ろうとした直後、頭上からよく響くアルトボイスが降ってきた。

 

「──古城!」

 

 ふわりと階段の手すりを飛び越えた人影が一つ。お喋りに興じていた凪沙達が驚いて顔を上げ、雪菜が予想外の展開に目を剥く。ただ一人、古城だけは自分に向かってゆっくり降りてくる人物をじっと見つめていた。

 快活そうな雰囲気の少女だ。毛先の跳ねた短い髪と凛々しい顔立ち。服装はスポーツブランドのチェニックとホットパンツといったボーイッシュなもの。かと言って少女らしい可愛らしさは損なわれていない。

 誰もが愕然として硬直する中、古城だけは冷静に降ってくる少女を受け止める体勢を整えた。

 落下してくる少女に合わせて両手を広げてしっかりと受け止める。これが鍛えてもいない一般人であれば受け止めきれずに少女の下敷きになるところだろうが、古城はこれでも世界最強の吸血鬼。僅かにふらつきはしたものの、転倒することもなくその場に踏み止まった。

 

「いきなり上から降ってくるとか無茶苦茶してくれるな、優麻」

 

「そう言いながら、ちゃんと受け止めてくれたじゃないか。古城」

 

 殆ど古城に抱きつくような体勢で少女──仙都木優麻は嬉しそうにはにかんだ。

 まるでドラマか映画のワンシーンのようなやり取りに到着ロビーに居合わせた人々は一様に唖然とする。そんな中、一番に再起動したのは古城の妹たる凪沙だった。

 

「ユウちゃん! 久しぶり、元気にしてた? わぁ、すっごく美人さんになったね!」

 

「凪沙ちゃんこそ一段と美人に成長したね。見違えたよ」

 

 優麻は古城の腕から抜け出すと、凪沙のマシンガントークに慣れた様子で応対した。古城の幼馴染だけあって凪沙の相手も手馴れているのが窺える。

 優麻と凪沙が旧来の友人の如く会話に花を咲かせる一方、古城は混乱気味な浅葱と雪菜の二人に状況の説明を求められていた。

 

「ちょ、ちょっと古城。あの人誰? というかどういうことなのよ?」

 

 混乱する面子を代表して浅葱が訊く。古城は口の端に笑みを滲ませて答える。

 

「誰って俺の幼馴染だろ」

 

「え、は? あの子が古城の幼馴染? で、でも……」

 

「女の子、ですよね……」

 

 納得がいかないといった具合の浅葱と雪菜。写真に写っていた古城の幼馴染は凛々しく、凪沙も女の子から人気があったと言っていた。それらの情報を統合すれば誰だって古城の幼馴染は男の子だと思うだろう。

 しかし浅葱と雪菜の二人に比べて冷静であった矢瀬は昨日の古城の言葉を思い返し、ついで困惑している自分たちを悪戯が成功した子供のような表情で眺めている親友を見て事情を察した。

 

「そう言えば古城は幼馴染が男だなんて一言も言ってなかったな」

 

「そう言うこと。良かったな矢瀬、俺の親友ポジを脅かされなくて」

 

「まあ俺は大丈夫だけどな? 女性陣の方は堪ったもんじゃないだろ」

 

 一目見た瞬間に分かる、仙都木優麻は図抜けた美少女だ。その上、幼馴染という美味しいポジション。古城に想いを寄せる少女たちからすれば強敵以外の何物でもない。

 最悪血を見るはめになるのではと矢瀬は内心で戦慄するが、しかし現実は矢瀬の想像とはまるで違うものとなる。

 優麻は簡単な自己紹介を済ませると凪沙と久しぶりの再会を一頻り喜び、そこからこの場にいる女性陣と卒なく交流を深めていく。持ち前の人懐こさと嫌味にならない気障っぷりで、警戒気味であった雪菜と浅葱とも恙無く距離を縮めていってしまう。

 予想を嬉しい意味で裏切ってくれた古城の幼馴染に矢瀬は目を見開く。

 

「うわっ、あのお嬢ちゃんすげぇな。あれで男だったらとんでもない天然ジゴロの誕生だぞ」

 

「だろうな」

 

「……何だか素っ気ないな古城。幼馴染なんだろ? 話とかしにいかないのか?」

 

 最初の接触以降距離を取って近づこうとしない親友に怪訝な目を向ける。古城は少しわざとらしく肩を竦めて、

 

「何も今ここでしか話せないわけじゃないだろ。急ぎの話でもなし、昔話なら帰ってからゆっくりすればいいしな。それに、優麻も女の子たちと仲を深めたいみたいだし」

 

 そう言う古城の視線の先ではすっかり女性陣と意気投合している優麻の姿があった。優麻の容姿がボーイッシュなのもあって側から見ると可愛い女の子を大勢侍らせているように見えなくもない。

 そんな幼馴染を見る古城の瞳に浮かぶのは複雑な色。凪沙が心から優麻との再会を喜んでいるのに対して、古城の胸中に再会の喜びといった感傷は殆どない。何せこの古城は優麻と初対面同然であるからだ。

 再会の喜びはなく、古城の胸中を埋め尽くすのは微かな不安と義務感。この少女もまた“暁古城”が守りたかったものの一人。必ずこの手で守り抜かなければならない。

 古城が歪な覚悟を胸に秘める中、そんな古城の様子を賑やかな少女達の輪の中から優麻は静かに見つめていた。

 

 

 ▼

 

 

 すっかり女性陣の輪に打ち解けた優麻を加え、一行が最初に向かったのは絃神島の中心であり市内で最も高いビルことキーストーンゲートであった。

 キーストーンゲートは人工島全域の管理を司る中枢を担う建造物であるが、同時に高級ブランドショップや魔族特区博物館、土産売り場などが多数併設された観光施設としても有名だ。

 波朧院フェスタ仕様となったキーストーンゲートの各種施設を優麻に案内し、時に自分たちも楽しみながら回っていく。お昼には矢瀬一押しのカフェテリアで昼食を取り、途中で矢瀬と浅葱が急用で抜けた後もキーストーンゲート内をぶらつき、古城たちは絃神島全域を見渡せる展望台に訪れた。

 文字通り絃神島全域を見渡せる展望台は波朧院フェスタということもあって観光客で賑わっている。そんな賑わいに負けない騒がしさを発揮して凪沙は雪菜と夏音の手を引いていく。

 ガラス張りの床に雪菜が若干表情を強張らせていたが、それも目前に広がる絃神島の街並みを前にすれば吹き飛んだらしい。仲良し三人組で姦しく望遠鏡を交互に覗いてはああでもないこうでもないと笑い合う。

 実に平和的な光景だ。入場料金で一人当たり千円を支払うことになったのは少しばかり痛かったものの、彼女たちの笑顔を見ることができたと思えば安いものだ。

 休日に子供を連れて出掛ける父親のような心持ちで古城が凪沙たちを見守っていると、いつの間にか隣に並んでいた優麻に脇を小突かれる。

 

「随分と可愛らしい子たちに慕われてるようだね、古城。それで本命は誰なんだい?」

 

 ニヤニヤと笑いながら訊いてくる優麻に、古城は苦笑を零して首を横に振る。

 

「本命も何もないからな。姫柊と叶瀬は凪沙のクラスメイトで俺の後輩だ。親しいのは認めるけど、優麻の期待するような関係じゃない」

 

 厳密に言えば雪菜は第四真祖である古城の監視役で、夏音は二週間ほど前に起きた事件もあって到底世に言う後輩の枠組みに収まる関係ではないのだが、それはそれ。今は話す必要のないことだ。

 

「ふぅん? まあ古城らしいと言えば古城らしいけど……」

 

 古城の態度に何となしに優麻は小首を傾げる。勘付かれたかと危惧して古城は何気無い風を装って話題を変える。

 

「それよりどうだ。ここから見える景色は悪くないだろ?」

 

「そうだね。島全体がテーマパークみたいで面白いよ。さすがは“魔族特区”といったところかな」

 

 眼下で犇めくビル群とその先に広がる青い海を眺め、優麻は感嘆の息を零す。古城も同じような感想であった。

 

「賑やかなのは祭りの前だからなんだけどな。でもまあ、偶には()から見る景色も悪くないと思う」

 

 絃神島島上空を飛行する宣伝用の飛行船をぼんやりと見つめる。普段はあんな代物が上空を飛行することもなく、平穏とは言い難いがもっと地味な様相だ。

 だが今は波朧院フェスタ前。絃神島はお祭り一色に染まり、これから始まる祭り本番に向けて島全体が浮き足立っている。

 去年までであれば古城も素直にお祭りを楽しみにできただろう。しかし第四真祖となってからこの方、この手の行事は鬼門、事ある毎に厄介事に巻き込まれる危険性が跳ね上がってしまったために心から喜ぶことはできない。

 古城が内心で小さく溜め息を吐くとパーカーのポケットに仕舞っていた携帯電話が鳴り始めた。

 

「悪い優麻、ちょっと離れるわ」

 

 電話の相手が誰かを確認するまでもなく知っている古城は、隣で絃神島の景色を眺めていた優麻に断ってその場を離れる。比較的人気の少ない柱の付近で立ち止まり通話に応じた。

 

「もしもし、こちら暁古城ですが」

 

『うふふふ、わたくしです古城』

 

 通話口から聞こえてきた茶目っ気を含む気品漂う笑声に古城は思わず苦笑を零す。

 

「ラ・フォリアか。おかしいな、俺の記憶が正しければこの番号は煌坂のものだったはずなんだが?」

 

 番号どころか液晶すらも見ずに着信に応じながらも、古城はいけしゃあしゃあと言ってのける。事実、古城の携帯に電話を掛けてきたのは紗矢華のスマホで相違ないが。

 古城の問いにラ・フォリアは電話口で悪戯っぽく、それでいて上品な笑いを零す。

 

『それがですね、紗矢華のアドレス帳の“お気に入り”に見覚えのある名前を見かけたものでして、いったい何処の殿方に繋がるのかと掛けてみました』

 

「それで俺に繋がったと。ここは喜ぶべきところかな、煌坂?」

 

『ち、違うんだけど!? これはその、何かの間違い! 登録する時に間違えただけ、だから忘れなさい。さもないともれなく不幸になるように呪うわよ!?』

 

「分かった、忘れるよ。だから冗談でも呪うのはやめてくれ」

 

 紗矢華は獅子王機関の舞威媛、呪詛と暗殺の専門家(エキスパート)である。冗談でも彼女の口から呪うなどと言われたら恐ろしい事この上ない。ただでさえ古城は既に第四真祖になったことで不死の呪いに付き纏われているのだから。

 しかしここで嬉々として茶々を入れる腹黒王女が約一名。一瞬の隙を突いて通話をスピーカーモードにすると紗矢華へ追い打ちをかける。

 

『おや、それはいけません古城。それでは紗矢華が恋の呪いの類も使えなくなってしまいます』

 

『だああああ!? もう勘弁してください王女! 話が一向に進みませんからぁ!?』

 

 スピーカーモードが解除されてラ・フォリアと紗矢華のやり取りが遠くなる。しばし二人の姦しい言葉の投げ合いが続くが、このまま微笑ましい漫才で時間を食うわけにもいかないと古城は口を挟んだ。

 

「おーい、仲が良いのは構わないけど帰りの飛行機はいいのか? もう離陸している頃だろ」

 

 展望ホールから見える絃神島中央空港から何機もの飛行機が離着陸をしている。本来であればアルディギア王家の王女であるラ・フォリアはチャーターした特別機に搭乗している時間帯のはずだ。しかし今こうして電話を掛けてきているということは帰りの飛行機には乗っていない、あるいは乗れなかったのだろう。

 古城の疑問にラ・フォリアとのやり取りを一区切りつけた紗矢華が真面目な声音を取り繕って答える。

 

『それが、ちょっととんでもないことになって飛行機に乗れなかったの』

 

「とんでもないことね……それはもしかして飛行機に乗り込もうとしたら覚えのない空間転移に巻き込まれて何処かへ飛ばされたとか、そんなことだったりするか?」

 

『どうしてそれを……』

 

 電話越しにも紗矢華が息を呑む気配が伝わってくる。古城の言葉が正に紗矢華とラ・フォリアが直面している状況を言い当てていたからだ。

 紗矢華たちが置かれている状況を知っていたのは勿論原作知識である。だが今回に限って言えば原作知識に加えてとある人物から前もって情報を与えられていたことも大きい。

 言葉を失う紗矢華に古城は周囲へ気を配りつつ続けた。

 

「先に訊かせてもらうけど、二人は何処に飛ばされた?」

 

『十三号増設人工島(サブフロート)よ。ナラクヴェーラと戦った場所って言えば分かりやすい?』

 

「言われなくても分かるさ。それにしても見事に空港から島の反対に飛ばされたな」

 

『ええ、正直何が起きたのかさっぱり分からないんだけど、あなたは何か知ってるみたいね』

 

 紗矢華が鋭く切り込む。古城としては別に隠すつもりもないので勿体ぶることなく情報を明かす。

 

「俺の知っている情報に間違いがなければ、今、絃神島には大規模な空間の異常が発生しているらしい。煌坂とラ・フォリアはその空間異常に巻き込まれて空間転移させられたんだと思う」

 

『絃神島全域に空間の異常? ちょっと、それって結構シャレにならないことじゃない!』

 

 空間の異常は現在進行形で絃神島全域に広がっている。紗矢華たちと同じように空間転移させられた人間は他にもいるだろう。その中に無関係の民間人が含まれていてもおかしくない。

 波朧院フェスタによる混乱と人工島管理局による情報統制によって表沙汰にこそなっていないが、空間異常による空間転移に巻き込まれた人間は多数いる。矢瀬と浅葱が途中で抜けたのもこの一件の対応のためだ。

 

『原因は理解したわ。でも、どうしてそれをあなたが知っているわけ?』

 

 疑念を孕んだ紗矢華の声音が耳朶を叩く。紗矢華たちを取り巻く異常を把握し、更にその異常の原因も知っているような口振りをすれば怪しまれるのも無理はない。

 

「ああ、それは──」

 

 紗矢華の問いに答えようとして、展望ホール内が俄かに騒がしくなる。騒ぎの中心はエレベーターの出入り口付近。そこに不自然な程に人が集まっていた。

 まるで有名人でも現れたかのように集る野次馬。その人垣の隙間に見覚えのあるメイド服姿の少女を見つけ、古城は紗矢華に一言断りを入れる。

 

「悪い煌坂。ちょっとこっちも立て込んでてな。続きはまた後で連絡する。空間異常はまだ続くから、迂闊に動きすぎるなよ?」

 

『ちょっと待っ──』

 

 まだ何か言い募っていた紗矢華の声が途中で切れる。通話を強制終了させた古城は携帯電話を仕舞い、野次馬を作り出している少女の元へ足を向けた。少女も古城の元へと真っ直ぐ向かってくる。

 

「先輩、この騒ぎはいったい?」

 

 騒ぎに気づいた雪菜が古城の隣に並ぶ。微妙に何か聞きたげな目をしているのは式神越しに電話のやり取りを盗聴していたからだろう。自業自得とは言え、もはや古城には安息の時間はないのかもしれない。

 頭一個分下から突き刺さる視線を努めて気にしないようにして古城は、左右に割れた野次馬の先から歩いてくる藍色の髪の少女に手を掲げた。

 

「こっちだ、アスタルテ」

 

 藍色の髪の少女──アスタルテは周囲から向けられる好奇の視線を物ともせず、手を掲げる古城の目の前まで来た。

 人工生命体(ホムンクルス)であるアスタルテは古城を見上げると抑揚のない口調で呟く。

 

「捜索対象を目視にて確認。教官からの指示に従い第四……」

 

 第四真祖と言いかけるも古城が人差し指を立てて口元に当てたことで口を噤む。この場には大勢の野次馬と凪沙や優麻がいる。そこで第四真祖なんて肩書きを出せば騒ぎが拡大どころでは済まない。

 周囲を見回し改めてアスタルテは口を開いた。

 

「暁古城と接触。本日午前九時の定期連絡をもって教官との連絡が途絶えたことを報告します」

 

「南宮先生が失踪したということですか?」

 

 信じられないといった表情で雪菜が訊き返す。アスタルテは淡々と頷きを返した。

 

「肯定。発信機、及び呪符の反応も消失(ロスト)

 

「そんな……」

 

 驚愕のあまり雪菜が口元を手で覆った。

 古城の担任教師である南宮那月は凄腕の攻魔師だ。その実力は折り紙つきで、欧州では“空隙の魔女”と呼ばれ恐れられている。第四真祖である古城ですら現状では太刀打ちできるかどうか定かではない相手だ。

 そんな那月が行方不明になった。到底信じられる話ではないが、アスタルテが嘘を言うとも思えない。つまり那月は何らかの理由があって姿を眩ました、または姿を見せられない状態に陥っているということになる。

 

 動揺を隠せない雪菜。情報を伝えにきたアスタルテはここまで静観の態度を崩さない古城に目を向ける。表情こそ変わらないが、その瞳は微かに不安に揺れていた。

 そんなアスタルテを安心させるように古城は常と変わらぬ微笑みを浮かべた。

 

「那月ちゃんのことは分かった。アスタルテは指示に従って叶瀬を頼む。那月ちゃんはこっちで何とかする」

 

「了解。事前に教官から伝えられていた指示通り、これより叶瀬夏音を優先保護対象に設定……教官をお願いします」

 

「任せてくれ。アスタルテも叶瀬を頼む」

 

 丁寧にお辞儀をして野次馬の中に紛れていた夏音と凪沙の元へ行くアスタルテ。その背を見送っていると雪菜にパーカーの袖を引かれた。

 

「どういうことか、説明していただけますか?」

 

 先の電話の件も相まって雪菜の眼差しは険しい。またぞろ自分の知らないところで古城が何か企んでいると疑っているのだろう。実際に企んでいるのが古城の性質(タチ)の悪いところだったりする。

 しかし今回に限っては、古城は雪菜にも紗矢華にも隠し立てするつもりはない。何しろ波朧院フェスタに纏わる一件はどう足掻いても古城一人の手には負えない。雪菜たちの協力なくして今回の一件を乗り越えることはできないだろう。

 だが今ここで雪菜の問いに答えることはできない。何故なら──

 

「どうかしたのかい、古城?」

 

 野次馬から抜け出た優麻が訊いてくる。古城は雪菜に目配せをしてから優麻に答えた。

 

「いや、何でもない。それより絃神島の眺めは楽しめたか? そろそろ別の場所を回ろうかと思うんだが」

 

 まだまだ絃神島の観光案内は序盤。次の予定はキーストーンゲートを出て市街地を巡るつもりだ。

 

「いいね。次は何処を案内してくれるんだい、古城?」

 

 期待に満ちた眼差しを向けてくる優麻。古城は軽く肩を竦めながら島内を案内するべく凪沙たちに声を掛け、まだ何か言いたげな雪菜にアイコンタクトで詳しいことはまた後で話すと伝え、展望ホールを後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼き魔女の迷宮 Ⅳ

うちの近くの本屋に限って新巻が売り切れで、ちょっと遠出してやっとゲットしました。そして読んでみて思ったのが、幾つかフラグをパキッと折っちゃってるなぁ……。まあ今の所、愚者のところまでしか考えてないので先のことを考え過ぎてもあれなんですが……どうしたものか。


 優麻に絃神島を案内して古城たちが帰宅したのは日没前。早めに切り上げた理由としては祭り本番は明日からなので体力を温存するためと、何より那月の失踪が懸念されたのもある。

 夏音とアスタルテの泊まる部屋について協議が発生したものの、諸々の事情から二人は雪菜の部屋に泊まることになった。久しぶりに再会した幼馴染との水入らずの時間を邪魔するのが憚れると夏音が遠慮したのと、護衛の都合上、一緒の部屋では優麻を巻き込みかねないと危惧したからだ。

 よって暁宅では今、古城と凪沙に優麻を加えた三人が夕食後の余暇をのんびりと過ごしていた。

 四年ぶりの再会。雪菜たち余人を交えず古城たちは小学生時代の思い出話に花を咲かせる。と言っても口を動かしているのは専ら凪沙ばかり。優麻は凪沙のマシンガントークに合わせて相槌を打ちつつ内容を掘り下げ、古城はと言えば「そんなこともあったな」などとコーヒーを飲みつつ会話に参加しているのかしていないのか曖昧な立ち位置を取っていた。

 この古城には小学生時代、厳密には小学校を卒業してすぐの三月以前の記憶がない。何故ならこの古城は“暁古城”ではなくまがいものであるから。凪沙と優麻の楽しげな思い出話に加わることは叶わない。

 だからと言ってそれを理由にこの和やかな場を離脱するわけにはいかない。そんなことをすれば凪沙に要らぬ心配をかけるし、優麻に怪しまれかねない。最悪の展開としては古城が“暁古城”ではないまがいものであることが露呈する可能性もあり得る。

 古城にできるのは凪沙のトークの内容からその場面を想像し、小学生時代の暁古城ならばどんな対応をしたのか思索、慎重に言葉を選びつつ不自然にならない程度に会話に参加することだけ。

 幸い今日まで凪沙を相手に兄として振る舞ってきた経験もあってその手の対応には慣れていた。決して褒められるような慣れではないが。

 傍目から見れば小学生時代の思い出をネタに団欒する古城たち。その実、いつ秘密が露呈するかも知れぬ状況に内心で神経を磨り減らす時間が続いた。

 延々続くかと思われたマシンガントークが止まったのは時計の短針が午後九時を指し示した頃合いだった。

 

「あ、もうこんな時間だ。そろそろお風呂入ったほうがいいよね。どうする古城君、先に入る? あたしはユウちゃんと一緒に入る約束してるけど」

 

「いいよ、二人が先に入ってくれ。俺は後で軽くシャワーだけ浴びるよ」

 

 特に一番風呂だとかに拘りもない古城は二人に先を譲る。このまま思い出話を続けてボロが出るようなことがあっては目も当てられないし、何よりこの後には予定が詰まっている。古城としては二人に見咎められることなく家を出る機会が欲しかったところだ。

 着替えを手にきゃいきゃいはしゃぎながら脱衣所へ入っていく凪沙と優麻。二人の背中が扉で遮られるのを見届けて、古城は我知らず吐息を洩らした。

 古城の胸に去来するのは隠し通せたかという不安と罪悪感。いつものことであるが今回は凪沙に加えて優麻もいた。古城が強いられた心理的負担は計り知れない。

 重くのしかかる罪悪感に慣れることはない。否、慣れてはならないと当人たる古城が己を戒め続ける限り、解放されることはないだろう。果たしてそんな日が訪れるのかは不明であるが。

 手元のコーヒーカップを空にして古城はソファを立つ。少女たちの楽しげな声が響く脱衣所の前を通り過ぎ、外に出るべく玄関のドアノブに手を掛ける。そのまま出掛けようとしたところで──

 

「あれ、何処に行くんだい古城?」

 

 脱衣所から顔だけ覗かした優麻の声に動きを止めた。

 まるで狙ったかのようなタイミングで声を掛けられて古城は目を剥くも、すぐに平静を取り繕って幼馴染を振り返る。

 

「ちょっと散歩がてらコンビニでも行こうかと思ってな。せっかく優麻がいるんだし、デザートの一つでもあったほうが話も弾むだろ?」

 

 咄嗟にしては悪くない言い訳だ。優麻も特に食い下がることもなく、そうかいと納得して引き下がった。その後ろで凪沙が「あ、古城君。凪沙はケーキがいいです、宜しく!」とちゃっかりお強請りしてくるものだから、古城は思わず苦笑を洩らしてしまう。

 

「はいはい、分かったよ。優麻は何かリクエストとかあるか?」

 

「ボクは何でもいいけど……そうだね、古城に任せようかな。楽しみにしてるよ」

 

 悪戯っぽい笑みを残して優麻は脱衣所へと首を引っ込めた。古城は一番厄介な注文に頭を抱える。

 明確に何かを注文するのではなく古城に一任する。これが趣味嗜好をそれなりに把握している凪沙ならば二つ返事で引き受けられるものだが、相手が優麻となると途端に難易度が跳ね上がる。何せこの古城は優麻のことを殆ど知らない。ここで下手な選択をしようものならそれは疑念の種になり得るだろう。

 言い訳に失敗したなと自嘲しながら今度こそ部屋を出る。生温い夜気に頬を撫でられるのと同時、隣室の扉も当然のように開いた。扉の隙間から顔を見せるのは言うまでもなく監視役たる雪菜だ。

 

「こんな時間にお出掛けですか、暁先輩」

 

 微妙に刺々しい声音で雪菜が言う。昼間の電話の件といい、隙あらば単独行動をしたがる古城へのせめてもの抗議なのだろう。向けられる視線もジトリとしている。

 そんな雪菜に古城は僅かに肩を竦めた。

 

「ちょっと電話がしたくてな。長くなりそうだし、凪沙たちに聞かせたくない内容だから外に出ただけさ。ところで姫柊、今少し出れるか?」

 

「今ですか? そうですね……少し待っていてください」

 

 そう言って部屋に引っ込む雪菜。廊下の手摺に身を預けて古城が待つこと数分、再び扉が開くと“雪霞狼”入りのギターケースを背負った雪菜が出てきた。

 

「お待たせしました。夏音ちゃんとアスタルテさんにしばらく出掛けることを伝えてきたので問題ありません。ただ、南宮先生のこともあるのでなるべく早く戻ったほうがいいかと」

 

 絃神島において五指に入ると言っても過言ではない実力者の那月の失踪。そんな彼女が前もってアスタルテに夏音の護衛を命じていた以上、夏音からあまり目を離すのは得策ではない。古城もそのあたりは承知の上だ。

 

「分かってるよ。とりあえず、行こうか。姫柊も昼間の電話の続きが気になってるんだろ?」

 

 む、と雪菜が小さく唸る。結局尋ねる機会がなくて有耶無耶になってしまっていたが、古城の方から明かしてくれるのならば聞かないという選択肢はない。もう一つ言えば姉のように慕う紗矢華の置かれている状況が知りたい思いもあった。

 古城と雪菜はマンションを出ると前夜祭で盛り上がる街へと繰り出す。と言っても二人の目的は祭に参加することではないので、なるべく祭の喧騒から離れた人気の少ない公園で足を止める。

 自宅から離れ過ぎずかつコンビニも側にある小さな公園。古城と雪菜は街灯に照らされるベンチに目を付けて、人一人分も空けず腰掛けた。

 再度古城は公園内に人の影がないか確認し、雪菜に頼んで簡易的な防音の結界を張ったところで紗矢華に電話を掛ける。スピーカーモードにした携帯電話から数回のコール音が鳴った後、紗矢華との通話が繋がった。

 

『ちょっと、暁古城!? また後で連絡するとか言ったくせに遅すぎるんだけど!?』

 

 開口一番に紗矢華の不満たっぷりの怒声が響いてきた。古城は苦笑いを浮かべ、声音に精一杯謝罪の念を込めて応じる。

 

「悪い、こっちも色々と事情があってな。やっと時間が取れたんだ。それより、そっちの状況はどうなってる?」

 

『どうなってるも何も、あの後も行く先々で空間転移させられて、今は……』

 

 今何処に居るか、その先を口にしようとした紗矢華の声が途切れる。電話越しで顔こそ見えないものの古城と雪菜には紗矢華が口籠る様子が手に取るように分かった。

 

「あの、どうかしたんですか紗矢華さん。何か問題でも?」

 

『ゆ、雪菜? 雪菜もそこに居るの?』

 

「はい、先輩の監視役ですから。それより、大丈夫ですか紗矢華さん? もしや現在地の分からないような場所にでも飛ばされてしまったとか……」

 

 心配になった雪菜が尋ねる。溺愛する雪菜の登場に紗矢華は面白いくらいに動揺すると、妹分の不安を打ち消さんがために立て板に水の如く話し出す。

 

『大丈夫、心配要らないわ雪菜。私も王女も無事だから。今は空間転移で行き着いたラ……ホテルの一室を間借りしているわ』

 

『ええ、わたくしたちは今の所落ち着いています。それにしてもこの部屋は面白いですね。ベッドは広くて照明はピンク色でお風呂がガラス張りなんて、これが噂に聞く日本の温泉文化というやつでしょうか』

 

 彼方も話を円滑に進めるためにスピーカーモードにしていたのだろう。紗矢華の声に続いてラ・フォリアの愉しげな声が聞こえてくる。何処となく声音が弾んでいるのはそのホテルの仕様に興味を唆られているからなのだろうが、部屋の特徴を聞いた雪菜の表情は微妙に引き攣り、古城はあちゃーと言わんばかりに天を仰いだ。

 

「あの、紗矢華さん。そのホテルは、その……」

 

『え? あ、いや違うから! いや違わないんだけど、他意はないのよ!? ただ私たちも疲れてて、携帯の充電器もあったから仕方なくなの! あと王女、決してこれは日本の温泉文化とかではないので勘違いなさらないでくださいね!?』

 

 回線の向こうで必死に日本の温泉文化の名誉を守ろうとする紗矢華。王女の狙っているのか今一つ分からない天然に振り回される紗矢華の苦労を思うと、古城は少しばかり涙が零れそうだった。古城もまた紗矢華を振り回す人間の一人であるのは棚上げしている。

 紗矢華の懸命な説明の甲斐あって日本独自の温泉文化に対する不名誉な誤解が解消されたところで話は変わる。元より電話を掛けた理由は中途半端に終わってしまった絃神島を取り巻く空間異常とそれに伴う空間転移の話だった。

 

『それで、話してくれるんでしょうね、暁古城。どうしてあなたは空間異常について知っているわけ?』

 

 紗矢華からの疑念を含んだ問いかけ、隣から見上げてくる訝しむような眼差しを受けて古城は飄々と答える。

 

「ああ、話すさ。と言っても勿体ぶるような話でもなくてな。ぶっちゃけると、俺も教えてもらった口なんだ。いや、厳密には釘を刺されたと言うべきか」

 

『釘を刺された? 誰に?』

 

「南宮那月、“空隙の魔女”って言えば分かりやすいか?」

 

 え、と雪菜の口から困惑の声が洩れ出た。行方不明となっている那月当人から忠告を受けていたなんて話は知らない。雪菜の知らぬうちに接触していたということか。もしもそうであれば古城は雪菜の式神による監視と盗聴を搔い潜ったということになる。

 実際のところは直接接触したわけではなく、メールによる伝達であったのだが、古城はあえて黙っておく。雪菜の手が及ばない数少ない連絡手段である電子メールまで監視されてしまえばいよいよもって古城は身動きが取れなくなってしまうからだ。

 雪菜が若干不機嫌そうに口を尖らせる一方、紗矢華とラ・フォリアはなるほどと納得していた。

 

『南宮那月ならこの空間異常の原因を把握していてもおかしくないわね』

 

「ああ。ただ、那月先生に空間異常の収拾を期待しているようなら諦めたほうがいい」

 

『どうしてよ? 彼女ほどの高位魔女ならこんな空間異常くらいすぐに原因を突き止めて止めるぐらいわけないでしょ?』

 

 事情を知らない紗矢華からすれば当然の疑問。那月が失踪したことを知っている古城と雪菜は表情を曇らせる。

 

「那月先生は今、行方不明だ。連絡も取れない」

 

『はい? ちょっと待って、それはおかしいでしょ。だったらあなたは何時、南宮那月から空間異常の情報を伝えられたわけ?』

 

 古城の言に偽りがないのならば、何時何処で那月から情報を与えられたのかという謎が浮上する。少なくとも今日でないことは確かだ。優麻に絃神島を案内していた古城に那月と接触する暇があったとは思えない。

 古城は少しの間を置いて三人の疑問に答えた。

 

「俺が那月先生から情報を与えられたのは波朧院フェスタが始まるよりも前だ。那月先生は空間異常が発生する前からこうなる可能性を予見していたんだよ」

 

「そんな……それじゃあ、南宮先生はご自身の意思で行方を眩ましたということですか?」

 

「そういうことになるな」

 

 雪菜の言葉を肯定し、古城は那月から伝えられた情報を語る。

 

「どんな手段かは知らないけど、那月先生は波朧院フェスタの際に絃神島で大規模な空間異常が発生するだろうと予感していた。その下手人が誰かも、目的も読んでいて、その上で俺に『余計な真似をするなよ』って忠告してきたんだ」

 

 忠告なんてしたところで古城が素直に従うはずがないことは理解しているだろうに。情報なんて与えればむしろ水を得た魚のように動くのが古城だ。

 担任として、攻魔官として古城を見てきた那月はそれを承知の上で古城に柄にもなくメールで情報を伝えた。文面は例によっていつもの如く傲岸不遜な言い回しで、最後には首を突っ込むなと意味もない忠告を書き添えて。

 本当に古城を関わらせたくないのならば一切の情報開示を断てばいい。それをせずに敢えて古城に情報を与えたのは“仮面憑き”の一件で意味がないと悟ったからか、はたまた別の思惑があるからか。古城には那月の意図するところは分からない。

 ただ何となく、自惚れでなければ那月は古城の力を当てにしているのではないか、そんな気がした。

 

『あなたが情報を得た経緯については納得したわ。それで、下手人とその目的はなんなの?』

 

 那月がどのような手立てで絃神島が空間異常に見舞われると予見したのかは定かではないが、今は問題にするべき点ではない。重要なのは現在進行形で絃神島全域に拡大している空間異常を止めることだ。

 紗矢華の問いに古城は重々しい口調で告げる。

 

「下手人はLCO、目的は──監獄結界だ」

 

 古城の口から出た首謀者の正体と狙いに、少女達は一様に険しい表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 



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蒼き魔女の迷宮 Ⅴ

前回更新からかなり月日が空いてしまいました……ほんと、すみません。話の内容弄ったりしたらくちゃくちゃになったり、試験が始まったりモンハンやったりSAOFBやってたらいつの間にやらこんな時期に……。ごめんなさい、後半は完全に作者が悪いですね(笑)


 紗矢華達との電話を終え近場のコンビニでデザートを見繕い、古城が帰宅したのは十一時少し前だった。

 首謀者とその狙いが判明したことで紗矢華とラ・フォリアは闇雲に動く必要がなくなった。今頃は人工島管理公社と聖環騎士団と密に連絡を取り、対策を講じていることだろう。腹黒王女の相手をさせられる自分の影の監視役兼親友の少年の苦労を思うと、古城は同情を禁じ得ない。

 

「ただいま」

 

 明かりの付いているリビングに入った古城を迎えたのはスウェット姿の優麻一人。賑やかな妹の姿は見当たらなかった。

 

「遅かったね古城。何処まで買い物に行ってたんだい?」

 

 ソファに腰掛けながら優麻が不思議そうに訊いてくる。

 

「悪い、出先でクラスの奴と出会してさ。立ち話してたらすっかり遅くなった」

 

 前もって考えていた言い訳を淀みなく伝え、古城は手に持っていた買い物袋をテーブルに置く。

 

「凪沙はどうした?」

 

「さっきまで起きてたんだけどね。待ち草臥れて寝ちゃったよ。ケーキは冷蔵庫に入れて置いてだってさ」

 

「そいつは悪いことしたな」

 

 一日中絃神島を練り歩き、帰ってきてからも優麻と古城相手に喋り倒せば疲れもしよう。加えて古城が出掛けている間にコスプレの衣装合わせもしていたらしい。リビングのあちこちに吸血鬼やらバニーガールやらの衣装が散乱していた。

 

「どうする、優麻? 今から食べるか?」

 

「いや、いいよ。凪沙ちゃんに悪いしね。それより古城、少し話さない?」

 

 ソファの隣を軽く叩きながら優麻が誘ってくる。古城は一瞬迷ったものの、ここで断るのも不自然だと思い頷いた。

 勧められるがまま優麻の隣に腰を下ろす。奇しくも昨日の夏音との会話を彷彿とさせる構図だ。緊張の度合いで言えば比べ物にならないが。

 古城の心境など構わず優麻は昔を懐かしむようにぽつぽつと語り始めた。

 

「古城と二人きりになるのも懐かしいね。凪沙ちゃんのお喋りに付き合うのも悪くないけど、古城ともこうしてゆっくり話してみたかったんだ」

 

「さっきはずっと凪沙が喋りっぱなしだったからな」

 

「うん。相変わらず元気そうで何よりだよ」

 

 微笑ましげに目を細める優麻。彼女の記憶の中にある凪沙と今の凪沙には大した違いがなかったらしい。今も昔もお喋りで天真爛漫な古城の妹だ。

 

「その点、古城は少し変わったかな」

 

 出し抜けに優麻が放った言葉に心臓の鼓動が止まりそうになる。嫌な汗が背筋を伝い、焦燥が表層に出そうになってしまう。だがこの展開を予想していた古城は何とか動揺を押し留め、どうにか言葉を捻り出した。

 

「まあ、俺ももう高校生だからな。環境も変わって、昔とはちょっと違うかもしれないな」

 

 あえて否定はしない。無理に否定しようとすれば逆に怪しまれる。故にやんわりとした肯定を返した。

 優麻も古城の言葉に頷き、女性らしく成長した体を見下ろして茶目っ気混じり笑う。

 

「ふふっ、そうだね。ボクも古城もこんなに大きくなっちゃった。もう昔みたいに一緒に着替えたりとかはできないかな」

 

「やめてくれ、心臓に悪いぞ。まったく」

 

 古城は呆れ交じりに首を振った。その態度に優麻は微かに目を細め、少し考えるような素振りを挟んで思い出話を振る。

 

「そう言えば、古城は覚えてるかな。部活の時にさ──」

 

 そこから優麻は古城との思い出話を始める。さっきは凪沙が居たため話の内容は三人共通の話題ばかりであったが、この場に凪沙はいない。必然的に話題は古城と優麻しか知らないものばかりとなる。

 ここで困るのは古城だ。もう幾度となく語っているが、今この場に在る暁古城はまがいものである。“暁古城”と仙都木優麻の思い出話を持ち出されても分かるはずがない。

 古城にできるのはただ相槌を打ち、違和感を抱かれそうになったらそれとなく誤魔化すことだけ。要領は凪沙が居た時と大して差はないはずだった。

 だが駄目だった。優麻が原作には描写されていなかった小学生時代の思い出を語る度、心の内で罪悪感に苛まれながら嘘を重ねる毎に、反比例のように鍍金が剥がれていく。ここに至って古城は昔の思い出を忘れてしまっていてもむくれながら許してくれていた凪沙の有り難みを痛感した。

 さっきは凪沙が居たから何とか凌げた。優麻も凪沙の手前、必要以上に突っ込むような真似はしなかったのだろう。だがこの場にお喋りながらも優しい妹は居なかった。

 どれだけの時間、肩を並べて語ったのだろうか。古城との繋がりを確かめるように思い出の一つ一つを語っていた優麻が、不意に黙り込んでしまった。

 話の種がなくなったわけではないはずだ。語りたい思い出は山ほどあるに決まってる。だが優麻の口は固く閉ざされ、懊悩するように瞑目していた。

 ややあって開かれた優麻の瞳には色濃い寂寥の色が浮かんでいた。

 

「ごめん、古城。いつ切り出そうか迷ってたんだけど、実を言うと君が出掛けている間に友人から連絡があったんだ。驚いたことにその友人は今、絃神島(ここ)に来ているらしい」

 

「優麻……」

 

 早口で捲し立てるように言う優麻。古城が止める間も無くソファを立つと、するりとパジャマ代わりのスウェットを脱ぎ落とす。スウェットの下は予め着込んでいたらしい、優麻によく似合うやや大胆な魔女のコスプレ衣装であった。

 

「その友人がどうしても会いたいと言うからね。無下にするわけにもいかなくて、これからちょっと顔を見せに行ってくる。身勝手を言ってごめんよ。凪沙ちゃんにも謝っておいてほしい」

 

「…………」

 

 止めることはできない。優麻の瞳が明確な拒絶の意思を訴えていた。痛々しいほどの失望と諦観が伝わってくる。

 何も言葉を返せず項垂れる古城から未練を断ち切るように視線を切り、優麻は静かにリビングを出ていく。眠っている凪沙を気遣うように、音もなく優麻は暁宅を後にした。

 痛々しい静寂がリビングを支配する。ソファに腰を沈め項垂れる古城は微動たりとしない。下から覗き込めば普段の彼からは想像がつかない、虚ろな表情が見えるはずだ。

 

「何を間違えた……」

 

 今日一日、古城は可能な限りボロを出さないように努めた。怪しまれないように自然と優麻を女性陣に引き合わせ、話の矛先を向けられないようにした。それが拙かったのか?

 それともやはり先ほどの思い出話か。相槌ばかり打って曖昧に答えるだけの態度に致命的な違和感を持たれてしまった。これは間違いないだろう。

 だが、それだけではない気がする。具体的に何が、とは言えない。ただ、優麻はもっと根本的な部分で古城を古城と受け入れられなかった。そんな気がするのだ。

 分からない。分からないが、このまま悩み込んでいるわけにはいかない。

 優麻の動きが完全に原作とは乖離してしまったため、今後の展開が読めなくなった。第四真祖の肉体は奪われずここにある以上、LCOは確実にその手を絃神市民に向ける。そうなれば罪のない人々が大勢犠牲になる。

 無論、古城がLCOの凶行を看過するはずもない。既に紗矢華達が裏で動き、連中の本陣に乗り込むべく準備をしている。古城と雪菜がフリーになる早朝に合わせ、決着を付ける手筈だ。

 だから今は明日に向けて体調を万全に整えておくことこそが古城の仕事だ。想定される最悪の展開の場合、古城はかつてない強敵と矛を交えざるを得なくなる。故に十分な休息こそが現時点における最優先事項であった。

 頭ではそれを理解しているのに古城は腰を上げない。苦悩するように両手で頭を抱え、そのまま彫像のように固まってしまった。胸中を埋め尽くすのは自責の念だ。

 

 何を間違えた、何が足りなかった、俺はどうすればよかった──?

 

 古城が己を責め立てるような自問自答を繰り返していると、静寂を破るように小さなノック音が響いた。のそりと顔を上げて、あぁと古城は声を洩らす。

 気だるげに立ち上がって玄関へ向かう。確認もせずドアノブに手を掛け、そのまま扉を押し開く。玄関先には真剣な表情をした雪菜が立っていた。

 

「あ、先輩。先ほど優麻さんが出ていかれましたけど、やっばり彼女は仙都木阿夜の──」

 

 そこまで言って、雪菜は言葉を失った。扉の隙間から覗く死人のように色のない古城の顔を見たからだ。

 驚愕の表情で固まる雪菜を見下ろし、古城は酷く緩慢な動作で口を開く。

 

「悪い、姫柊。優麻にそのことは聞けなかった。だから確証はない。ただ、優麻の背後に妙な気配を感じた。多分だけど、那月ちゃんと同じタイプだ」

 

 すらすらと言葉を並べ立てる古城。そこに普段の優しい声色や抑揚はない。恐ろしく平坦な声だった。

 

「せ、先輩……」

 

「優麻のことは俺から煌坂達にも伝えておく。心配かけて悪かったな。もう遅いから、姫柊も今日は休め」

 

「待っ──」

 

 一方的に言うだけ言って古城は扉を閉める。直前に雪菜が止めようとしたものの、今の古城には雪菜の相手をする気力すらなかった。下手をすれば雪菜にまで要らない疑念を抱かれてしまうような気がしてならなかったのだ。

 扉を一枚挟んだ通路に立ち尽くす雪菜の気配を感じながら、古城は壁に背中を預けてずるずると座り込む。そして再び頭を抱えてしまった。

 

「俺は、やっぱり……」

 

 自嘲げに歪められた唇から掠れた呟きが零れ落ちる。

 

「──まがいものだ」

 

 

 ▼

 

 

 ──昏く深い底へと堕ちていく。

 古城以外の誰にも侵すことのできない、侵されてはならない深層領域。深海よりも昏く、現実にはない居心地の良さを与えてくれる場所。暁古城に転生してから最も落ち着けるだろう空間だった。

 現実とは切り離された此処なら何も惑うことはない。苦しむことも、誰かを騙す必要もない。だからこのまま此処に居れば──

 不意に真っ暗闇の世界に光が差し込んだ。光は七色に輝くオーロラのように空間を染め上げ、まるでスクリーンのように広がっていく。そこに幾つもの映像が投影される。

 そこには幼い暁古城と仙都木優麻が映っていた。

 二人とも小学生であり、見た目も相応に幼い。古城は腕白な子供らしくどの映像でも笑顔が絶えず、楽しそうにはしゃぎまわっていた。そんな古城と一緒に居る優麻は心の底から楽しそうで、誰が見ても幸せそうであった。

 昏い世界を塗り替えるように広がる()()()()()()に、古城は混乱を隠せない。本来存在し得ないものが次から次へと流れ込んでくる。だがしかし、異物感や嫌悪感は不思議と感じなかった。

 何気なく古城は目の前の記憶(映像)に触れた。瞬間、古城は見覚えのない風景の中に立っていた。

 驚く古城の眼前では三人の少年少女が居た。

 協力し合って崖下へ落ちた小さな帽子を拾い上げようと四苦八苦している暁古城と優麻、その様子を涙目で見守る幼い凪沙。この光景を古城は原作知識として知っていた。

 仙都木優麻という少女にとって大切な思い出の一つ。LCOの企てに利用されて終わる運命だった少女が願いを抱く切っ掛けとなった原風景だ。

 崖下から古城と優麻が這い上がってくる。古城少年の手には小さな帽子があり、隣に並ぶ優麻は達成感に満ちた表情で帽子を受け取る凪沙を見ている。

 

「サンキュ、助かったぜ。おまえ、意外に力あるな。えーっと……」

 

 古城少年が明るく話しかける。その雰囲気につられたように、優麻も微笑を零して答える。

 

「──優麻だよ。仙都木優麻」

 

「よろしくな──ユウマ」

 

 笑い合って手を打ち鳴らす古城少年と優麻。その一連のやり取りを見届けて古城は、何が足りなかったのか、何を間違えたのかを悟った。

 

「は、はは……そりゃそうだよな、全く俺は──」

 

 ──馬鹿だ。

 

 まがいものであることの露呈を怖れて、怯えて、逃げてしまった。ただ隠すことにばかり躍起になって、優麻を見ようとしなかった。怖いものから目を逸らして、優麻がどんな顔で部屋を出ていったかすら見もしなかった。

 自分のことばかり考えて、目の前の少女を見ようとしなかった。何て愚かなことをしたのだろうか。

 きっと優麻は深く傷ついただろう。暁古城が護りたかったもの護り抜くなんて吐かしておいてこのザマだ。情けないにもほどがある。

 だが、今は自己嫌悪している場合ではない。時間が巻き戻らない以上、古城が為すべきことは一つだ。

 

「──今度こそ、護る」

 

 護れ、できるはずだ。目を逸らさず、きちんと真っ向から向き合えば優麻を救える。だってこの心はまがいものであっても、この身は正真正銘暁古城のものだから。何より足りなかった記憶(もの)も補えた。

 くるりと踵を返してまがいものは記憶に背を向けた。虚ろだった顔には確かな覚悟が宿り、瞳には揺るぎない意志の光が灯っている。

 熖光のスクリーンに投影された記憶(映像)を一つ一つ、己の心に焼き付けながら現実(地上)を目指す。目覚めればまた、まがいものにとって救いのない世界が待っていることは知っている。それでも、そこには護らなければならない人がいる。成し遂げなければならない使命がある。

 ならば、暁古城(まがいもの)が逃げることなどあり得なかった。

 傷だらけになりながらも歩みを止めないだろうまがいもの。その決然とした背中を、記憶(映像)の中から空色の瞳が優しげに見送っていた。

 

 

 

 



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蒼き魔女の迷宮 Ⅵ

ただ一言、ごめんなさいm(._.)m
大変お待たせいたしました。


 ──こ……ょ……くん。

 

 微睡む意識の中、耳に馴染んだ声が耳朶を叩く。声は次第に明瞭となり、身体を揺すられ始めたところで古城の意識は覚醒した。

 目を覚まして最初に飛び込んできたのは心配そうに覗き込む凪沙の顔だった。

 

「あ、やっと起きた。いくら声かけても起きないし、こんな所で寝てたらまた風邪引いちゃうよ、古城くん?」

 

「凪沙……?」

 

 半ば寝ぼけた頭で古城は自分が玄関先に座り込んでいることを認識し、今一度目の前の妹の顔を見上げて理解した。

 

「そうか、凪沙のおかげで……」

 

「古城くん? 大丈夫? さっきからぶつぶつ喋ってるけど、まだ寝ぼけてるのかな。コーヒーでも淹れよっか?」

 

「いや、いい。それよりも……」

 

 冷たい床から腰を上げて古城は携帯電話で時刻を確認する。ディスプレイに表示される数字は五時過ぎを示しており、優麻が出ていった時刻からして四時間近くを玄関で寝過ごしたことを表していた。

 のんびりし過ぎたと古城が苦い顔で頭を掻いていると、凪沙が困惑の相を浮かべて見上げてきた。

 

「ねね、古城くん。朝起きて気付いたんだけどね、ユウちゃんが何処にも居ないんだ。古城くん、何か知ってたりする?」

 

「……ああ、昨夜のうちに出かけたよ。何でも絃神島(ここ)に知り合いが来てたらしくてな。そっちに挨拶してくるんだそうだ」

 

 優麻の言葉をそのまま借りて古城は伝えた。不在の理由が判明したからか凪沙は安心したとばかりに表情を緩めた。

 

「そっか、よかった。何だか昨日の古城くん、ユウちゃんに余所余所しい感じがしてたから気になってたんだ。てっきり二人が喧嘩でもしたんじゃないかって心配してたんだよ?」

 

「そうか……まったく、情けないにも程があるな」

 

 古城なりに隠し通していたつもりだったのだが妹の凪沙からしてもバレバレだったらしい。優麻が失望して離れていったのも無理からぬことだ。

 自嘲げに口端を歪めかけて古城はぐっと口元を引き結ぶ。ここでうだうだと自責の念に駆られているわけにはいかない。己の間違いによって無駄にした時間を取り戻さなければならないのだ。

 頭を振って気持ちを切り替え、要らぬ心配をかけてしまった凪沙の頭に手を置く。

 

「悪かったな、色々と心配かけて。優麻のことは俺が探しておくから大丈夫だ。ちゃんと合流できるようにするからな」

 

「……うん!」

 

 快活な笑顔で凪沙は頷いた。

 その後、母親に着替えを持ってきてくれと頼まれていた凪沙は支度のために部屋に戻っていった。妹の変わりない背中を見送り、古城は凪沙とは別に心配をかけた少女に向き合うべく玄関扉を開いた。

 案の定、そこには年下の監視役が不安げな表情で立ち尽くしていた。

 

「あ、暁先輩。昨夜はその……」

 

 気遣うように恐る恐るといった様子の雪菜。昨夜の古城の焦燥具合を心配してのことだろう。よく見れば目元に薄らと隈もできている。古城が目を覚まして然程間を置かず玄関先に立っていたことから、ずっと古城が起きるのを待っていたのかもしれない。よもや古城と同じく玄関先で寝ていたなどということはないだろうが。

 

 精神年齢的に圧倒的年下の少女にここまでの心労をかけてしまった。古城は申し訳ない気持ちで一杯になりながら精一杯の微笑を浮かべる。

 

「姫柊、昨夜は酷い態度をとって悪かった。余計な心配をかけたな」

 

「いえ、わたしのほうこそ。先輩の気持ちを察せず、無遠慮な物言いでした。すみません」

 

 丁寧に雪菜が頭を下げる。

 

「いや、気にしてないから。頭を上げてくれ。むしろ頭を下げるのは俺のほうだ」

 

 誠心誠意込めて頭を下げる古城に、自分のほうこそと謝る雪菜。二人の自分が悪い合戦は暫く続いて、どちらからともなく破顔した。

 

「では、お互い様ということにしましょう」

 

「姫柊は悪くないけどな」

 

「先輩……」

 

 じとーっとした目で雪菜が古城を見る。しかしそれはすぐに古城を憐れむようなものに変わった。

 

「ところで暁先輩。紗矢華さんたちに連絡はしましたか?」

 

「……あ」

 

 指摘されて今気付いたと言わんばかりに間抜けな声が洩れる。慌てて携帯電話のロックを解除すれば十件近い不在着信と大量のメール着信。古城の顔色が面白いくらいに青ざめていく。

 

「一応、わたしのほうにも電話がきたので事情は説明しておきましたけど、紗矢華さん怒ってました」

 

 模造天使の一件を機に自身の携帯電話を持つに至った雪菜が言う。古城はと言えば、大量に溜まっているメールを一つずつ読み進め、更に顔色を紙のようにしていた。

 

「大丈夫ですか、先輩? 呪詛でも浴びたみたいな顔色になってますけど」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ、問題ない」

 

「何故でしょう。全然安心できないんですが……」

 

「と、とりあえず連絡したほうがいいな。こっちの状況も伝えないと話が進まな──」

 

 空元気に振舞っていた古城の手の中で、計ったかのようなタイミングで携帯電話が着信を告げる音を鳴らし始めた。

 石化したかのように硬直する古城。雪菜の気の毒そうな眼差しが痛い。

 

「暁先輩、お覚悟を」

 

「……そうだな、うん。悪いのは俺だ、ちゃんと謝らないとな」

 

 雪菜に促され、意を決して古城は着信に応じた。

 

「もしもし、こちら暁古城の電話でございます。はい……はい、その節は私の身勝手な言動で多大なご迷惑をおかけしてしまい、心からお詫び申し上げます。はい……はい、このようなことが二度と起きないように心がけますので、あのようなメールを送りつけるのは控えて頂きたいなと……」

 

 同年代の紗矢華相手にしては頭が低すぎる古城の態度に目が点になる雪菜。というか、古城の謝罪が本気過ぎて一体どんなメールが送られてきたのかが気になった。

 しばらく電話越しに謝り倒していた古城だが、不意に言葉を途切らせた。

 今までの流れるような謝罪が嘘のように黙り込んで、側から見ても分かる程に顔を苦い色に染める。口調も馬鹿丁寧なものから普段通り戻るも、声色は非常に渋いものであった。

 

「あぁ、分かった。こっちも応援が到着次第、合流する。そっちも人工島管理公社との交渉を急いでくれ」

 

「先輩……?」

 

 苦々しい顔で通話を終えた古城に、雪菜が目で問いかける。

 

「ついさっき、聖環騎士団から報告があったそうだ」

 

 険しい顔つきで古城は答える。

 

「──ヴァトラーが行方を眩ました」

 

 その一言で雪菜も状況の深刻さを理解した。

 この絃神島において“第四真祖”である古城に勝るとも劣らない強大な吸血鬼であり、自他共に認める無類の戦闘狂。古城に並んで絃神島の現状を悪化させかねない可能性を持つ存在である。

 優麻率いるLCOの狙いは監獄結界。そこに収監されている“書記(ノタリア)の魔女”仙都木阿夜の解放だ。

 しかし監獄結界は絃神島付近の異空間に隠されており、尋常な手立てでは姿を見ることすら叶わない。監獄結界の解放に必要な手順は二つ。高等な空間制御魔術による空間探査と監獄結界と現実空間を隔てる結界の破壊だ。

 二つの手順において必要となるのは莫大な魔力と結界を破壊するに足る力。その条件を両方とも満たしているのは“第四真祖”である古城と、“真祖に最も近い存在”とすら謳われるディミトリエ・ヴァトラーくらいである。

 予めLCOの狙いを把握していた古城達はヴァトラーに対して監視をつけていた。古城とヴァトラーを抑えてさえいれば、余程のイレギュラーがない限り監獄結界は破られない。

 だがヴァトラーは聖環騎士団の監視を掻い潜り行方を眩ました。命がけの殺し合いのためならばテロリストすら懐に招き入れるヴァトラーが、もしもLCOの目的を知ったならば間違いなく厄介なことになる。

 

「騎士団の監視を逃れてそう時間は経ってないけど悠長にしている暇はない。早いところ煌坂達と合流したほうがいいんだが……」

 

「夏音ちゃんを放ってはおけません」

 

 古城と雪菜が紗矢華達と合流できないわけはここにあった。

 模造天使の一件で那月が保護者となった夏音は、現状身柄を預けられる相手がいない。一応、姿こそ見せないがラ・フォリアの手の者が身辺警護をしているとはいえ、一人で放り出すわけにはいかない。アスタルテも途中で“特区警備隊(アイランド・ガード)”の応援に呼ばれてしまうため任せ切ることはできない。

 必然的に、訳ありの夏音を預けられる信頼できる人物が必要不可欠だった。

 夏音を任せる人物に心当たりはある。既に昨日の段階で連絡を取り、了承の返事もあった。今はその応援を待っているのだが……。

 募る焦燥に携帯電話を握り締めた時、エレベーターが開く音が聞こえてきた。古城と雪菜が二人して目を向けると、丁度女性が一人降りてくるところだった。

 赤い髪をお団子と三つ編みで纏め、チャイナドレス風のシャツとミニスカート、更にスパッツを着用という格好。立ち居姿はしっかりとしており、見る者が見れば相当な遣い手であると察せられるだろう。

 古城と雪菜は女性の素性を知っていた。何故なら彼女は彩海学園中等部の体育教師であり、凪沙や雪菜の担任教師である。そして何より、国家資格を持つ暦とした攻魔官だ。

 女性は廊下に立つ古城と雪菜を見つけると、一切姿勢を崩すことなく赤い髪を揺らして歩いてくる。そしてテンションの高い声で話しかけてきた。

 

「おはよう、二人とも。もしかして私待ちだったりした?」

 

 古城が応援として呼んだ女性──笹崎岬は生徒二人に溌剌とした笑みを向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっといつもより短い出来になってしまいました。リア友にせっつかれ、一年更新のない拙作に感想を下さった人のおかげでようやく書く気になるほどに不精でした……。再度ごめんなさい……。


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蒼の魔女の迷宮 Ⅶ

 “魔族特区”の中心に位置するキーストーンゲート・ビルの屋上。波朧院フェスタの賑わいを見下ろすことができるその場所は、LCO所属の魔女であるメイヤー姉妹によって占拠されていた。

 世界各地に存在する魔導書を集め、管理し、利用する組織であるLCO──“図書館”。己が欲望や好奇を満たすためならば如何なる危険な魔術儀式であろうと敢行する魔女達によって構成される組織である。

 そんな危険極まりない組織が絃神島に乗り込んだ目的はただ一つ。LCOの“総記(ジェネラル)”である仙都木阿夜の開放、より厳密には彼女が所持する闇誓書の回収だ。そのためにメイヤー姉妹はわざわざキーストーンゲート・ビル屋上を占拠し、魔導書によって“魔族特区”全域に空間異常を起こして監獄結界を探しているのである。

 メイヤー姉妹によって占拠され魔術儀式場へと様変わりさせられた屋上。しかしその場に居るのは彼女達だけではない。魔女風の黒いドレスを身に纏った少女と純白の三揃えを着た金髪碧眼の青年、優麻とヴァトラーだ。

 優麻は絃神島の空間に干渉する魔導書の制御に集中していた。監獄結界の封印を破るためだけに設計(つく)られた優麻は、空間制御を必要技能として非常に高いレベルで使いこなすことができる。魔導書一つ程度の制御であれば大した負担にはならない。

 それでも今の彼女に余裕はない。それもこれも優麻が制御する魔導書に加減なしで魔力を注ぎ込んでいるヴァトラーの存在があるからだ。

 元々のLCOの計画では絃神島の住民を十万人近く生贄に捧げ儀式を行う予定であった。しかし優麻の友人であった暁古城が第四真祖となったことで一部計画を変更、古城の肉体を乗っ取り儀式を進めるという手筈になった。

 しかし優麻が計画の要である“第四真祖”の肉体の確保に失敗したことで計画は再び変更。当初の予定通り住民を生贄に利用する流れとなるはずだったのだが、そこに優麻が待ったをかけた。

 優麻は絃神島の住民を生贄にするのではなく、古城とは別の魔力源足りうる存在に接触を試みようと提案したのだ。

 この提案にメイヤー姉妹は最初こそ反対した。既に一度失敗した優麻の意見を聞き入れるつもりなどなく、何よりも自分達で手綱を握ることのできない化け物を仲間に引き入れることなどできない。それに彼女達の性格的にも住民を生贄にするほうが性に合っていた。

 だがそれも、当人たるヴァトラーが気紛れで儀式場へ踏み込んで来てしまった時点で瓦解。全てが台無しにされる前に優麻が命がけで交渉にあたり、どうにか味方に引き込むことに成功したのである。その代わりにメイヤー姉妹は触らぬ神に祟りなしとばかりにヴァトラーの相手を優麻に放り投げ、自分達は時折ちょっかいを出してくる特区警備隊(アイランド・ガード)で遊び始めてしまったが。

 魔導書が燃え尽きてしまわないように必死で制御する優麻。そんな彼女の横顔をヴァトラーが薄笑いを浮かべながら観察している。

 

「ふふっ、それにしてもよく堪えるじゃないか。割と容赦なく魔力を注いでいるつもりなんだけどねェ」

 

「これでも仙都木阿夜の娘ですので。我が母のためとあらば、如何なる辛苦であろうと堪えられますよ」

 

 弱みを見せまいと優麻は気丈に振る舞う。下手に隙を見せればこの男は容赦なく牙を剥くと分かっているからだ。

 そんな少女にヴァトラーは更に笑みを深める。まるで興味深い玩具を見つけた子供のような表情だ。

 

「イイネ、流石は古城の幼馴染というワケか。これからの宴が楽しみだよ」

 

 古城の幼馴染。その言葉に一瞬だけ反応しかけるも優麻は魔導書の制御に集中した。そうすることで意識の外に追いやったのだ。

 そんな少女の葛藤すらも愉しんでいるのか、くつくつと喉を鳴らして笑い、ヴァトラーは更に注ぎ込む魔力の量を増やした。

 濁流の如き勢いで注ぎ込まれる魔力を優麻は必死に制御し、魔導書による空間探査の網を凄まじい速度で広げていく。ヴァトラーの無茶振りは優麻に多大な負担を強いる代わりに、儀式に要する時間を大幅に短縮している。おかげでもう間もなく監獄結界の位置を割り出すことができそうであった。

 邪魔さえ入らなければ監獄結界に手が届く──はずだった。

 屋上の一角に魔力の波動が発生する。血で描かれた魔法陣を上書きするように別の魔法陣が浮かび上がり、点と点を繋ぐゲートが開かれた。

 空間制御は非常に高等な魔術に分類される。魔女である那月や優麻ならいざ知らず、普通の人間がおいそれと使い熟せるものではない。少なくとも、特区警備隊の面々に空間制御を扱えるレベルの攻魔師は居なかった筈だ。

 ならば誰が乗り込んできたのか。答えは自ずとゲートから出てきた。

 やや色素の薄い髪と空色の瞳が特徴的な少年。昨夜までは優麻にとって唯一無二の存在であったはずの幼馴染が、三人の少女と魔導技師風の男を伴って現れる。

 暁古城──彼は優麻とヴァトラーが共に居るのを認めると一瞬だけ苦い顔を浮かべた。しかしすぐに真剣な面持ちで優麻と真正面から向き合う。

 その顔に昨夜のように後ろ向きな雰囲気は一切ない。時間にして半日程の間に何があったのか、古城の目は真っ直ぐ優麻の目を見据えている。()()()()()()()()()()()

 きっと彼はこの短い間で己の過ちに気付き、向き合おうとしているのだろう。それは人として正しいこと。けれど優麻にとってはむしろ決定打になってしまった。

 

 ──ああ、やっぱりボクの古城はもういないんだね。

 

 母親を脱獄させるためだけに生み出された魔女である彼女にとって、自分の意思で得ることができた唯一の存在であったはずの“暁古城”はもういない。故に彼女は覚悟を決めた。

 

「やあ、早かったね」

 

 今にも壊れそうな笑みを浮かべる優麻。魔導書の制御に意識を向けつつ、侵入者である古城達を迎え入れる。儀式を妨害する敵として。そこに大切な幼馴染を求める少女の姿はなかった。

 

 

 

 ▼

 

 

 夏音を岬に預けた古城達は即座に紗矢華達と合流しようとした。

 しかし今の絃神島は空間が歪みに歪んでおり、強い魔力や霊力を有する者を彼方此方へ無差別に転移させてしまう厄介な状態である。下手に動けば何処へ飛ばされるかも分からない。

 故に古城達はラ・フォリアと人工島管理公社の交渉結果を待った。その交渉次第で次の一手が決まるのだから。

 交渉は古城の想定よりも難航した。原作よりも早くから交渉を持ち掛けたためか、管理公社側がラ・フォリアからの支援を中々受け入れようとしなかったためである。ラ・フォリア側からの要求に割と無茶なものがあったのも要因かもしれない。

 ラ・フォリアの要求は二つ。市街地での戦闘に待機中の聖環騎士団を参加させることと、現在管理公社がその身柄を確保している叶瀬賢生の引き渡しだ。

 法的に考えて両条件とも認められるものではなく、可能であれば自分達で事の収拾をつけたい管理公社側はこの要求に対して渋い対応であった。しかし時間が経つにつれて絃神島への被害と“特区警備隊”の損耗が大きくなり、事態が逼迫したことでようやく色好い返事が返ってきたのである。

 絃神島での交戦許可と空間転移を可能とする優秀な魔道技師である叶瀬賢生を確保した古城達。当初の予定よりも時間は要したものの、絃神島に暗雲を齎す元凶を止めるべく儀式場へと乗り込むに至った。

 儀式場へ空間転移した古城達を待ち受けていたのは優麻を始めとする首謀者たるLCOの面々とアルデアル公爵ディミトリエ・ヴァトラーだった。

 監視の目を欺いて行方を眩ました時点で覚悟はしていたものの、この場にヴァトラーが居ることに古城は思わず舌打ちしてしまいそうになった。しかし居るものは仕方ない。悪い予想の一つが当たっただけで対処は不可能ではないと言い聞かせて平静を保つ。

 ヴァトラーのことよりも古城にはもっと重要なことがあった。

 

「やあ、早かったね」

 

 壊れ物めいた微笑みを向けてくる優麻。今までは目を逸らしてしまっていたから気づけなかった。だが今なら分かる。彼女がどれ程までに“暁古城”の存在を求めていたのかが。

 そして向き合うと覚悟したからこそ分かってしまう。今の優麻はもう諦めてしまっている。暁古城(希望)を失った時点で彼女に残されたものは刻み込まれた母親を脱獄させるという運命(プログラム)のみ。それを成し遂げるまでは止まらない、それさえ成し遂げてしまえばもうどうでもいい。そんな心が透けて見えた。

 自分のせいでここまで優麻を追い込んでしまった。己の不甲斐なさに腹が立つが、ぐっと堪え真正面から優麻と向き合う。もう目を逸らしはしない。

 

「優麻、話があるんだ。聞いてくれないか?」

 

「話ね……悪いけど、見ての通り手が離せないんだ。また今度にしてくれるかな」

 

 一歩踏み込もうとした古城に対して優麻は素気無くあしらう。手が離せないのは事実であるが、今の優麻には古城と会話をしようという意思が欠如している。

 だがこのまま優麻に儀式を継続させるわけにはいかない。相手に向き合う気がなくとも古城は諦めずに言葉を続けた。

 

「止めるんだ、優麻。今ならまだ戻れる。凪沙もお前のことを心配してるんだ。だから……!」

 

「そっか、凪沙ちゃんか……優しいね、彼女は」

 

 僅かに表情を緩めるも、しかし優麻は魔導書に翳す手を下すことはない。

 

「凪沙ちゃんには悪いことをしたね。折角のお祭りなのにこんなことになって……でも、もう誰にも止められないんだよ。もし、止められたとしたなら、それは……」

 

 言葉尻を窄ませながら優麻は寂しげに古城を見やる。その視線の意味が古城には理解できた。

 仙都木優麻を止められた唯一の人物。それはまがいものではない、本当の“暁古城”。だが彼は今、此処には居ない。居るのはまがいものだけ。だから彼女を止めることは誰にもできない──などと、諦めるつもりは毛頭ない。

 決めたのだ。この心はまがいものであっても、優麻を守りたいという想いに嘘偽りはない。故に迷うことなどあるはずもなく、何度拒絶されようと古城は手を伸ばす。

 古城に力強い眼差しを返され僅かに動揺する優麻。昨夜とは違うと感じていたが、それにしては変化が大きすぎる。男子、三日会わざれば刮目して見よなどと言うが、それにしても限度があるだろう。

 何より優麻の心を揺さぶったのは、見つめ返してくる古城の瞳に一瞬だけ自分の求めた大切な人の影を感じてしまったこと。そんなはずはないと分かっていても、違和感は拭えなかった。

 だが、もう遅い。既に儀式は大部分が終わっている。そしてたった今、監獄結界の位置も判明した。

 凄まじい魔力の奔流が絃神島を吹き荒れる。発生源は絃神島北端の海上。そこに、見覚えのない島影が浮上していた。

 

 ──“監獄結界”。

 

 “魔族特区”を流れる竜脈を利用して造り出された人工的な異世界。それは岩山の一部を切り取ったかのようなゴツゴツとした小島で、大部分が人工的に造られた聖堂のようになっていた。

 監獄結界が現出してしまい流石の古城も焦りを見せる。今はまだ姿が浮かび上がっているだけであるが、あそこに強力な眷獣の一撃でも叩き込んでしまえばその時点で封印が解かれてしまう。非常に危険な状態だ。

 

「っ……ぎりぎり役目を果たせたみたいだね」

 

 優麻の手の中で魔導書が激しく燃え上がった。ヴァトラーの無茶苦茶な魔力供給に魔導書本体が限界を迎えたのだ。

 貴重な魔導書の損失に今まで露払いに徹していた魔女姉妹が悲痛に満ちた声を上げた。しかし優麻は一顧だにせず魔導書を捨て、玩具を前にした子供のように笑うヴァトラーへ目を向ける。

 

「アルデアル公。此処から先は手筈通りにお願い致します」

 

「アァ、分かっているサ。キミも、くれぐれもヨロシク頼むよ?」

 

「勿論です」

 

 短いやり取りを終えると今まで一言も口を挟まなかったヴァトラーが古城達の前に立ち塞がる。今最も警戒すべき人物との対峙に自然と古城達は身構えた。

 

「やあ、古城。会えて嬉しいよ」

 

「俺はこれっぽっちも嬉しくないけどな」

 

 気安い口調に対して古城の対応は辛辣だ。それも当然だろう。この男が優麻達に協力しなければここまで儀式が進行することはなかったのだから。

 しかしヴァトラーはまるで悪びれた様子もなく、むしろ開き直ったかのように言う。

 

「フフッ、そう怒らないでくれよ。ボクはこの島の人間が犠牲になるのを未然に防ぐために、仕方なく協力していただけサ」

 

「だったらもう手を貸す必要はないだろ。これ以上、監獄結界に手を出すな……!」

 

 強い語調に伴って古城の身体から魔力が嵐のように吹き荒れる。

 意志の弱い者ならば膝を屈してしまいかねない程の圧力であるが、しかし真正面から受けるヴァトラーは平然としている。むしろ嬉々として古城の魔力を受け止めた。

 

「残念ながらそうも言っていられないんだ。ボクの船、正確にはオシアナス・グレイヴⅡが人質に取られてしまってね。乗員がボクの身内だけなら良かったんだが、生憎と今回は他国のお姫様なんかが乗ってるから下手なことは出来ないんだよ」

 

 従わざるを得ない事情を語るヴァトラーであるが、しかし古城達から向けられる目は冷ややかだ。特にラ・フォリアを除く三人の思考は完全に一致していた。即ち「またそれか……」である。

 

「で、本音は?」

 

「世界各国から集められた国際魔導犯罪者達と殺し合えるこの機会、みすみす逃すわけないじゃないか」

 

「お前ほんといい加減にしろよ!」

 

 分かっていたことでも叫ばずにはいられなかった。

 額に青筋を浮かべる古城とそんな反応が可笑しいのかくつくつと笑うヴァトラー。

 逼迫した状況であるはずなのに気が抜けそうなやり取りを繰り広げる二人に、いつもなら怒るだろう雪菜や紗矢華は沈黙を貫いている。否、割り込むことができなかったのだ。

 気安いやり取りを交わす最中でも両者の目は互いの一挙一動を警戒しており、些細な切っ掛け一つで爆発しかねない緊張感が漂っている。誰一人として迂闊に動くことはできなかった。

 

「それに、彼女はボクと古城が戦う機会を用意するとまで言ってくれたんだ。こいつに乗らない手はないだろう?」

 

「やっぱりか……」

 

 儀式場に乗り込む前から予想はしていた。だがそれでも、優麻がヴァトラーとの交渉でまがいものとはいえ“暁古城”を売ったという事実は古城にショックを与えた。裏切られたという意味ではなく、それ程までに優麻を追い詰めてしまっていたことにだ。

 横目に優麻の方を伺えば目線を合わせないように顔を逸らされる。自分に非があるとはいえ、堪えるものがあった。

 だが、今は目の前の男に集中しなければならない。

 

「それじゃあ、頼むよ仙都木優麻」

 

「はい、ご武運を」

 

 優麻が徐に手を掲げる。すると古城とヴァトラー、二人の足元に魔術式が浮かび上がった。

 一瞬で組み上げられた魔術式は空間制御の魔術。空間転移に特化した優麻にとって二人の人間を指定した場所に飛ばすことなど造作もない。

 転移の対象にされた古城に狼狽はない。この状況も考え得る可能性の一つであったからだ。

 儀式場に乗り込む前に可能な限りの打ち合わせは済ませてある。魔女姉妹の能力についてもあくまで考察という形で紗矢華とラ・フォリアに伝えた。雪菜にはかなり負担を強いる役回りを頼むことになってしまったが。

 魔術式が放つ淡い光に照らされながら古城は後ろを振り返る。そこには不安を隠せず表情を強張らせた雪菜がいた。

 

「先輩……必ず、戻ってきてください」

 

「勿論だよ。姫柊も、気をつけて」

 

 心配性な後輩を安心させるように笑いかけ、後ろの二人にも視線を送る。二人とも気負いなく任せろとばかりに頷いてくれた。

 後は一人、改めて古城は優麻に向き直った。

 真っ直ぐな古城の瞳に見据えられて優麻は微かに身動ぎする。何故か分からないが、今の古城は昨夜とは何かが違う。その何かがどうしようもなく優麻の心を揺さぶるのだ。

 

「必ず話をしに行く。だから、待っててくれ──ユウマ」

 

「──っ」

 

 優麻が驚愕に目を見開くのと同時に古城とヴァトラーの姿が屋上から消えた。

 

 

 

 

 



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蒼の魔女の迷宮 Ⅷ

最近、他人の小説を読むばかりでモチベーションが上がらない……。
ちなみに古城くんの原作知識は真祖大戦までにする予定です。


 ──絃神島十三号増設人工島(サブフロート)。優麻による空間転移によって送り出された場所は、破壊の爪痕が残る人工島であった。

 無数の瓦礫に覆われ、未だ破壊の爪痕が消えない増設人工島(サブフロート)にて、古城とヴァトラーは改めて向かい合っていた。

 

「どこで戦うのかと思ったけど、よりにもよってここか……」

 

 ナラクヴェーラとの死闘を嫌でも彷彿とさせる戦場に古城は顔を顰めた。

 

「フフッ、誰の横槍も入らず二人きりで雌雄を決するに相応しい戦場じゃないか。ナァニ、増設人工島(サブフロート)の心配は要らないサ。これは既にボクの所有物だからね。沈もうが壊れようが気にしなくていい」

 

「そういう問題じゃないだろ」

 

 苦り切った顔で言う古城。

 黒死皇派のテロ以降、損壊が激しく建造が中止されてしまった増設人工島(サブフロート)はヴァトラーが人工島管理公社から購入し、今では立派な私有地と化している。ヴァトラーなりの人工島管理公社への配慮と、古城が引き起こした破壊に対するフォローだ。その結果、修繕もされず放置された挙句に古城とヴァトラーの決戦場にされてしまうのだから気の毒にも程がある。

 とてもではないが乗り気でない様子の古城に対して、ヴァトラーは今か今かと笑みを深めて身の毛も弥立つ程の魔力を放ち始める。そうなれば古城も腹を括らざるを得ない。

 轟! と荒々しい魔力の暴風が吹き荒れる。それだけで二人を取り巻く大気が軋み、戦場に散らばる瓦礫の山が震え始めた。

 

「嬉しいよ古城。こうして君と殺し合える日を楽しみにしていたンだ……!」

 

 喜悦を滲ませた声音でヴァトラーは心の底から嬉しそうに言う。相対する古城は沈黙。片時たりとも目の前の男から目を離すまいと全神経を集中させている。

 

「さあ、心ゆくまで楽しもうじゃないカ。我が愛しい吸血鬼(ヒト)よ!」

 

 ボルテージが最高潮まで高まった瞬間、魔力の嵐が呼水となって眷獣を呼び起こす。

 轟々と燃え盛る灼熱の大蛇。ただ存在するだけで大気を焦がし、コンクリートを溶かし尽くす災厄が鎌首を擡げる。

 相対するは眩い雷光の金獅子。落雷そのものと言っても過言ではない肉体から稲妻を散らし、己が主人の敵を滅ぼさんと雄々しく吼える。

 激突は一瞬、いつかの船上での焼き直しのように灼光と雷光が衝突する。凄まじい衝撃の余波が増設人工島(サブフロート)を揺らし、振動は大気を伝わって絃神島本島まで響いた。

 たった一度の衝突で天災並の破壊が齎される。しかし構わず二人は続けざまに己の眷獣を召喚した。

 

「──“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”!」

 

「──“跋難蛇(バッナンダ)”!」

 

 緋色の双角獣(バイコーン)が放つ衝撃波が人工の大地ごとヴァトラーを引き裂かんとする。そうはさせまいと無数の剣の鱗を持つ蛇が主人を守り抜く。

 災害級の衝撃波を浴びせられながらも耐え抜いた剣の大蛇が一転して攻性に移る。鋭い刃に覆われた蛇体を畝らせ、古城の肉体を細切れにせんと降下する。

 迫り来る剣の蛇体に対し古城は臆することなく己の手札を切った。

 

「喰らい尽くせ──“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”!」

 

 横合いから巨大な双頭の龍が剣の大蛇に喰らい付く。次元喰い(ディメンジョン・イーター)の顎門に喰い千切られた大蛇は断末魔を上げ、忽ち濃密な魔力へと霧散した。

 大蛇を喰らった龍は喰い足りぬとばかりにヴァトラー目掛けて襲い掛かる。深淵よりもなお昏い闇を湛えた顎門をもって、青年貴族を次元ごと喰らい尽くさんと羽ばたいて──

 

「“摩那斯(マナシ)”! “娑伽羅(シャカラ)”──!」

 

 新たに呼び出された二体の眷獣が左右から双頭の龍を挟み込んだ。

 三体の眷獣は怪獣映画もさながらの激突を繰り広げた後、互いに力尽きたように物言わぬ魔力へと還った。

 苛烈な攻防が唐突に止み、静寂が場を支配する。両者ともに大したダメージもなく、一見すれば互角の戦いにも見えただろう。

 しかし実際の所は違う。十全に扱える手札(眷獣)を切り尽くした古城に対し、ヴァトラーにはまだ伏せた手札(眷獣)が残っているのだ。その差は大きい。

 だが、そんなことは古城とて百も承知の上だ。

 元より吸血鬼として重ねた年季が違う。如何に第四真祖という仰々しい肩書きを持っていたところで、吸血鬼としては中途半端な知識を持つだけの素人と変わりない。

 それでもなお、古城は諦めない。守らなければならないものがあるから。何より、暁古城ならば決して退かず、如何なる逆境をも切り抜けてみせるはずだ。

 

 ならば──“まがいもの”に敗北など許されはしない。

 

 ミシリと古城を取り巻く大気が軋みを上げる。代償なしで行使できる眷獣は見せ尽くした。ここから先は札の数や強さではない、()()()での勝負だ。

 

「まだまだ、此処からだろう? ボクを魅せてくれ、古城!」

 

 ヴァトラーは古城の考える所を理解しているのか、期待に満ち満ちた表情で古城の出方を待っている。

 戦闘卿の期待に応えるのは業腹だが、文句を言っていられる状況でもない。古城は己の脚を人工の大地に叩きつけた。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)──!」

 

 瞬間、古城たちが立つ大地が凄まじい突き上げを受けたかのように揺れ動き、彼方此方で間欠泉の如く衝撃波が噴き上がった。無数の瓦礫と夥しい塵煙が宙空へと舞い上がり、数秒もせず雨霰と降り注ぐ。

 古城もヴァトラーも並大抵の吸血鬼ではない。たかが瓦礫の雨に降られようと対処など容易なことだ。現にヴァトラーは己の眷獣をもって落ちてくる瓦礫と視界を覆う塵煙を一瞬で消し飛ばした。

 だがその一瞬、塵煙により視界が切れ瓦礫の対処に僅かな注意を向けた。その一瞬だけを古城は求めた。

 

 ──稲妻が瓦礫を突き破って駆け抜けた。

 

 それは右腕に尋常ではない量の雷を蓄えた古城だった。

 双角の深緋(アルナスル・ミニウム)の衝撃波で己自身を砲弾に見立てて飛ばし、ヴァトラーですら反応できない速度で間合いを詰めたのだ。相当な無茶であり、速度の制御も姿勢の固定も儘ならない突撃である。

 だが無茶をした甲斐はあった。

 身体ごと雷を帯びた右腕をヴァトラーに叩き込む。然しものヴァトラーも避けること叶わず、古城諸共凄まじい勢いで瓦礫の山に突っ込んだ。

 砲弾の役目を果たした古城は全身を打ち付けながら墜落、激痛を発する右腕を庇いながら立ち上がる。叩き込んだ右腕は不自然な方向に曲がっていた。

 まともに人間砲弾を受けたヴァトラーと言えば、自身を埋もれさせる瓦礫を力ずくで吹き飛ばし、血濡れた顔に満面の笑みを浮かべていた。

 

「やってくれたじゃないカ、古城……! 」

 

 言葉面だけ取れば怒っているようにも聞こえるが、実際はその逆。声音には隠し切れぬ喜悦が滲み、口元は裂けんばかりに弧を描いている。

 

「でも、まだまだこんなものじゃ満足できない。さあ、心置きなく続けよう──!」

 

 雷撃によって至る所を焦げさせながら哄笑を上げるヴァトラー。瞳に満たせぬ渇きと狂気を湛え、嬉々として古城に襲い掛かる。古城もまた、折れた腕を庇いながら青年貴族を迎え撃った。

 

 

 ▼

 

 

 古城がヴァトラーとの決闘に臨む一方、残された面々もまたそれぞれの戦いを展開していた。

 紗矢華とラ・フォリアは巨大な触手群を操るメイヤー姉妹と、キーストーンゲート・ビルの屋上にて交戦。今もなお、魔女の守護者を打ち破らんと奮闘している。

 紗矢華たちの戦闘が長引くことはないだろう。何せ古城が前もってメイヤー姉妹の守護者の正体を、那月の考察という形で伝えておいたのだ。彼女たち自身の目で考察に確信が持てたなら即座に勝敗は決する。

 問題は雪菜と優麻の戦いだった。

 雪菜たちは監獄結界が現出した絃神島北端の錆びた橋付近で対峙していた。空間転移で移動した優麻を雪菜が賢生の力を借りて追跡したのだ。

 

「少し意外だったかな」

 

 銀色の槍を携え油断なく見据えてくる雪菜に、優麻が首を傾げる。

 

「てっきり古城を追いかけるものだと思ってたんだけど、どうしてこっちに来たんだい?」

 

「わたしも、本心では暁先輩の助けに向かいたいです。ですが、頼まれてしまいましたから。“俺が行くまで優麻を止めてくれ”と」

 

 遠く離れた増設人工島(サブフロート)から響いてくる音に心が乱されそうになるのを我慢し、雪菜は古城の幼馴染たる優麻をひたと見据える。槍のように鋭い目付きに優麻は僅かに気圧された。

 

「……頼まれたから、か。姫柊さんは健気だね。でも、いいのかい? 下手をすれば古城はアルデアル公に喰い殺されてしまう可能性だってあるんだ。同族喰いされてしまえば最後、古城とは二度と会えない。本当に、此処に居ていいのかな?」

 

 雪菜の心を揺さぶるように優麻が言葉を重ねる。

 優麻の指摘は事実である。ヴァトラーはかつて己よりも格上の吸血鬼を文字通り喰らい、強大な力を手に入れていた。未熟で不完全ではあるが第四真祖である古城も標的にならないという保証はない。

 雪菜も重々理解していた。理解しているからこそ今にも身体は古城の助太刀に駆け出しそうなっているし、押し寄せる不安を完全に留めることはできない。

 不安に表情を強張らせながら、しかし雪菜が優麻に背を向けることはなかった。

 

「確かに、アルデアル公は強大で危険な方です。今の暁先輩では、勝ち目は薄いでしょう。それでも──」

 

 込み上げる不安を断ち切るように槍を構え、決然とした態度で雪菜は言い放った。

 

「──信じていますから、暁先輩を」

 

 心の底から信頼しているからこその行動。無茶や無謀を繰り返しながら、それでも乗り越えてきた古城ならばきっと大丈夫だ。その度に著しく傷つく道を選ぶ悪癖は矯正すべきだと思っているが。

 

「きみは強いな。それ程までに古城のことを信頼しているんだね。それとも、古城にたぶらかされて絆されてしまったのかな?」

 

「た、たぶらかされてなんていません! これはあくまで合理的に状況を判断したまでです! それに、今の優麻さんを一人にするのは危険だと、わたしも思いましたから」

 

 監獄結界を背にして佇む優麻に、雪菜は険しい視線を送る。

 

「監獄結界の封印を解くには莫大な魔力が必要だと先輩は言っていました。だからアルデアル公を止める必要があるとも。ですが、改めて対峙して確信しました」

 

 優麻さん、と雪菜は問い質す。

 

「あなたは監獄結界を破る手段を持っていますね?」

 

「…………」

 

 雪菜の問いに優麻は答えない。ただ薄く笑みを返すだけだ。

 答えは期待していなかった。返答がなくとも剣巫としての直感が教えてくれている。故に雪菜は何が何でも優麻を止めなければならない。

 

「獅子王機関の剣巫として、あなたを止めます。仙都木優麻さん」

 

「ボクにも止まれない理由があるんだ。邪魔をするなら力ずくで押し通すよ」

 

 監獄結界を背景に剣巫と魔女が激しく火花を散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼の魔女の迷宮 Ⅸ

大変長らくお待たせしました……


 暁古城は第四真祖である。

 不死にして不滅、一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する。世界の理から外れた冷酷非情な吸血鬼と噂されている。

 確かに、第四真祖は世界最強と称されるに足る力を持つだろう。しかし今代の第四真祖が噂と同等の力を振るえるかと言われれば、首を横に振らざるを得ない。

 暁古城が先代アヴローラから第四真祖の力を譲り受けたのは今年の半ば頃。言わば古城は成り立ての吸血鬼なのだ。

 眷獣たちは大半が古城を宿主と認めておらず、中には欠落して手元に居ない眷獣もいる。暁古城は第四真祖として不完全な状態なのだ。

 そんな状態で真祖に最も近いとまで謳われるヴァトラーに勝てるのか。“暁古城”ですら数多くの眷獣と雪菜の助力があって辛くも勝利をもぎ取ったというのに、“まがいもの”が一人で打ち倒すことなどできるものなのか。

 無理だ、不可能だと誰もが首を振るだろう。雪菜と紗矢華にも無茶だと猛反対されたのだ。何より、古城自身が理解している。

 吹き荒れる禍々しい魔力の嵐。叩きつけられる災害級の眷獣たち。手加減された上でなお、自身の牙は届かず、致命傷を凌ぐだけでやっとの状態。まるで勝てる気がしない。

 それでも、ここでヴァトラーを退けなければ優麻の前に立つことすら叶わない。仮にヴァトラーから逃げたところで、監獄結界を破られてしまったのでは意味がないのだ。

 仙都木優麻を救うには、彼女に与えられた運命(プログラム)を阻止しなければならない。故に逃亡は認められず、どれほど絶望的な実力差が立ちはだかろうと“まがいもの”は挑み続ける。

 眷獣が繰り出す暴力の数々。荒れ狂う火炎が、凄絶な波濤が、無数の剣刃が襲い来る。

 押し寄せる災害の嵐に古城は身一つで立ち向かう。同等の力をぶつけるのではなく、次元喰い(ディメンジョン・イーター)の能力を限定的に行使し、空間ごと抉り裂いて身を守る。紗矢華が扱う“煌華麟”の能力、擬似空間切断から着想を得た戦法だ。

 

「器用な戦い方をするじゃないか、古城」

 

 死に物狂いで抗っている古城とは対照的に、ヴァトラーは楽しくてたまらないと言わんばかりに哄笑を上げる。

 

「イイネ……趣向を凝らし、ボクを打ち倒そうとする気概。ゾクゾクするよ……!」

 

「──っ、言ってろ!」

 

 ともすれば人工の大地ごと吹き飛ばされかねない嵐を切り裂き、隙を見て電撃と衝撃波を撃ち込む。そのどれもが容易くいなされ、何倍にもなって返ってくる。

 幾度となく大地に叩きつけられ、気力を振り絞って立ち上がる。膝を屈しそうになっても、鋼の意思で奮い立つ。何度打ち倒されようとも果敢に挑み続ける古城の姿は、まさしく偉業に臨む英雄のようであった。

 そんな古城にヴァトラーは喜色満面の笑顔をもって応じていたが、不意に名残惜しげな表情になると攻撃の手を止めた。

 

「素晴らしいよ、古城。今までにもボクを打ち倒そうと立ち上がった者は数多くいたけれど、此処まで絶望的な差がありながらも折れず、立ち向かい続けてくれたのは君が初めてだ」

 

「お前に、褒められても、これっぽっちも、嬉しくないんだよ……」

 

 嫌味かと思えるほどの称賛に息も絶え絶えに返す。攻撃の手が止んだこの僅かな時間で何処まで息を整えられるか、古城の頭の中にはそれしかなかった。

 

 ──だからヴァトラーの変節に気づくのが遅れた。

 

「アァ、だからこそ残念でならないよ。本当なら時間が許す限り、心ゆくまで君の相手をしてあげたかった。でもね、ボクも予定が詰まっているンだ。悪いね、古城──」

 

 次瞬、ヴァトラーを禍々しい魔力が取り巻き始めた。

 遊び目的の単発的な眷獣の召喚ではない、この戦いに決着をつけるだろう一撃が放たれる。何を召喚するつもりかは知れないが、まともに受ければ敗北は必至。故に古城は下手に迎え撃つのではなく回避の一手を打とうとして──

 

「──避けていいのカナ?」

 

 楽しげに放たれた言葉に、古城はハッとして振り返った。

 古城の背後には絃神島の街並みが広がっていた。古城が回避すれば、波朧院フェスタで賑わう本島を眷獣の容赦ない暴力が襲うことになる。そんな事態になろうものならば、罪のない市民や観光客にどれほどの被害が齎されるか分かったものではない。

 

「止めろ、ヴァトラァァァア!!」

 

 血相を変えて古城が怒号を挙げた。しかしヴァトラーは笑みを深めるだけだ。

 

「ハハッ、大丈夫さ。君が持てる全力で迎え撃てば、ギリギリ止められるはずだよ──多分ネ」

 

「──ッ!」

 

 ヴァトラーは本気だ。たとえ古城があらゆる手を尽くして妨害しようとしても、眷獣の召喚を止めることはないだろう。

 古城に残された道はただ一つ、全霊を持ってして迎え撃つだけだ。

 

「クソっ! 疾く在れ(きやがれ)、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”──! “双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”──!」

 

 古城の切れる手札のうち真っ向勝負が可能だろう二体の眷獣。一体でも都市一つを余裕で滅ぼすことができるだろう怪物を二体も呼び出したが、しかし古城にはこれでは足りないという漠然とした予感があった。

 古城の予感は的中していた。ヴァトラーが呼び出した眷獣は三体。その三体の眷獣は螺旋を描きながら複雑に絡み合い、瞬く間に一体の眷獣へと姿を変える。

 凶悪な三つの顎を携え、漆黒の翼と巨大な体躯を有する神話の怪物。悪龍(ドラゴン)が古城の眼前に立ちはだかった。

 ヴァトラーの合成眷獣を見たのはこれが初めてではない。黒死黒皇派のテロ事件の際にも実際に見ており、何なら原作知識として予め知っていた。

 だが、所詮は知識だけで知っていたつもりでいたのだと、古城は眼前の悪龍を前にして理解させられた。

 

 ──勝てない。

 

 第四真祖の眷獣は強力無比であり、神話生物や天災にも比肩する力を有している。しかし、古城にはどう足掻いても目の前の悪龍を倒せるビジョンが想像できなかった。

 雷光の獅子と緋色の双角獣が束になったところで、悪龍の息吹を止められはしない。背に守る絃神島を守り切れるかどうかすら分からない。だからといって、正面衝突させる以外の策も思い浮かばない。

 万策尽き果て、万事休す。古城に出来ることは、ヴァトラーが絃神島に被害が出ないように手加減することを祈り、己の眷獣をぶつけることだけだ。

 

「諦めるの、か。俺は……」

 

 ぽつりと古城が呟く。桁違いの悪龍(絶望)を前にして折れかけた心に、弱々しくも問いかけた。

 古城の脳裏を過ぎるのは無数の記憶だ。それらは全て、“暁古城”が積み重ねてきたものであり、記憶の中には優麻が笑顔でいる。諦観に彩られた笑みではない、心からの笑顔を振りまく幼い優麻がいる。

 優麻から笑顔を奪ってしまったのは“まがいもの”である己の過ちだ。ならば、“まがいもの”に諦めることなど許されるはずがないだろう。

 

「まだだ……! まだ、諦めるわけにはいかないんだ……!」

 

 屈しかけていた精神に火が灯る。まだ諦めるわけにはいかないのだと、絶叫する。

 折れかけた心は完全に持ち直した。だがしかし、根性論で打開できる状況ではない。雷光の獅子と緋色の双角獣では悪龍に太刀打ちできない事実は変わらない。

 故に古城は助力を求めた。

 

「頼む、お前たちの力を貸してくれ……!」

 

 血の滲むような思いで教えを請うた相手は他でもない、古城に呼び出された眷獣たちだ。

 吸血鬼の真祖が恐れられているのは何故か。莫大な負の魔力を有し、不死の呪いをその身に宿し、強力な眷獣を使役することが可能だから。

 なるほど、確かにその通りだ。しかし、それだけではない。

 真に吸血鬼の真祖が畏怖される所以は彼らが保有する桁外れの“血の記憶”だ。それはあらゆる経験の記憶であり、その中には純粋な戦闘経験も含まれる。

 経験において古城は逆立ちしてもヴァトラーには敵わない。しかし、第四真祖の眷獣である彼女たちは違う。彼女たちは悠久の時を生きる意思を持つ眷獣であり、保有する経験量はヴァトラーですら太刀打ちできるものではない。

 宿主の求めに、獅子と双角獣が待ちくたびれたと言わんばかりに咆哮を上げた。

 眷獣たちが保有する莫大な血の記憶が、絶望的な状況を打開する方策を教えてくれる。古城一人では到底掴み取ることができなかっただろう可能性を示してくれる。

 

「ありがとう、二人とも──」

 

 心からの感謝を込めて眷獣たちを見返し、古城は彼女たちに命じた。

 雷光の獅子が吼える。緋色の双角獣が嘶く。主人の命に従って二体の眷獣は力強く大地を蹴ると、互いの体躯を(じゃ)れ合わせながら(ソラ)を目指して駆け出した。

 

「あれは……まさか──」

 

 ヴァトラーが驚愕に目を剥く。古城が眷獣に何を命じたのか、ヴァトラーには理解できてしまった。

 見上げるほど遙か高く、一際大きな咆哮が響き渡る。それはまるで怪物の産声のようであった。

 耳を劈く雷鳴が轟く。先ほどまでは雲一つなかった空が漆黒の雷雲に覆われ、急激な気圧の変動に周囲一帯を荒れ狂う暴風が支配する。

 天変地異の如き異常な気候変動に絃神島本島の人々が天を仰ぐ。雷鳴轟く黒雲の中、稲光が閃く度に何かの姿が浮かび上がった。

 獅子の胴体と馬の四肢を有し、全身に夥しい雷を纏い、頭部に聳え立つ双角からは眩い雷光が溢れている。

 その偉容を言葉に表すのならば、伝説の世界に生きる幻の獣──麒麟。

 天候すら変化させてしまうほどの力を秘めた幻獣が、絃神島上空に姿を現した。

 神々しさすら感じさせる幻獣の正体は、獅子の黄金と双角の深緋が融合した合成眷獣だ。眷獣たちが古城に示した打開策はヴァトラーのお株を奪うものだったのである。

 できるかどうかは分からなかった。だが、古城は己に力を貸してくれた眷獣たちの声を信じた。その信頼に眷獣たちは応え、掟破りの融合を果たしたのだ。

 

「は、はは、ハハハハッ──!」

 

 己を睥睨する幻獣を仰ぎ見ていたヴァトラーが、狂ったように甲高い哄笑を上げ始めた。その瞳に宿るのは狂気に染まった歓喜だ。

 

「最高だよ、古城。君ならいずれはと思っていたけれど、尽くボクの予測を上回ってくれる。それでこそ、ボクが見込んだ吸血鬼(ヒト)だ──!!」

 

 溢れ出る喜びの全てを叩きつけるように、ヴァトラーが己の眷獣に命ずる。対する古城は落ち着き払った声音で、己が眷獣に命じた。

 主人の命令を受けた二体の眷獣が秘めたる魔力を解き放つ。

 悪龍が無制限に周囲の大気を吸い込み、その巨躯を更に巨大なものへと膨らませていく。

 麒麟が空を覆う黒雲から雷を取り込み、その双角に常軌を逸した破壊を溜め込んでいく。

 解放は一瞬。二人の吸血鬼が見届ける中、二つの天災が激突した。

 

 ──瞬間、世界から音が消えた。

 

 限界まで圧縮された台風が、破壊を齎す衝雷が、正面から鬩ぎ合う。それだけで凄まじい余波が増設人工島を粉砕し、離れた絃神島本島にも少なからず影響を及ぼす。

 大気は悲鳴を超えて絶叫し、大海は滅びの前触れに荒れ狂う。もはやこの衝突は神話の一幕そのもの。何人たりとも邪魔立てすること能わず、二体の怪物が生き絶えるその時まで終わることはない。

 しかしその拮抗も長くは続かない。徐々にではあるが、麒麟が悪龍を押し始めた。己に牙を剥いた不遜な輩を滅ぼし尽くさんと更なる圧力をかける。

 空そのものが落ちてくるような圧力を留め切れず、辛うじて保たれていた拮抗が儚く崩壊する。絶大な破壊の奔流が悪龍と主人であるヴァトラーを襲う。

 

「────」

 

 声を発する間もなく、天罰の如く降り注いだ稲妻と衝撃がヴァトラーを飲み込んだ。

 

 

 

 

 




ちなみにこの古城君の原作知識は真祖大戦で止まっています。後々に暁古城が合成眷獣を使うことは知りませんでした。


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蒼の魔女の迷宮 Ⅹ

ちなみに作者の知識は原作16巻で止まってます。吸血王とかさっぱりです……


 黒死皇派のテロによって打ち棄てられていた増設人工島(サブフロート)が、眷獣たちの衝突により完全に崩壊し、昏い海の底へと沈み始めていた。

 刻一刻と沈みゆく人工島の上、瓦礫の山の上に古城は立っていた。視線の先には満身創痍のヴァトラーが倒れている。

 

「これで、お前の企みも終わりだ。諦めろ、ヴァトラー」

 

「加減していたとはいえ、ボクが敗けるとはネ。流石だよ、古城」

 

 大きな血塊を吐き出しながらもヴァトラーは満足げに微笑む。そんな青年貴族を古城は油断なく見据える。

 

「言っとくが、手下の吸血鬼を当てにしてるなら無駄だぞ。今頃はアルディギアの聖環騎士団があんたの船を監視してるからな」

 

 原作においてヴァトラーはオシアナス・グレイヴⅡの船内に複数の吸血鬼を乗せていた。中には監獄結界の封印をぶち破るくらいわけない実力者もいる。

 今日まで散々、原作との乖離で痛い目を見てきたからこそ、古城は考え得る可能性を潰すために働きかけた。その結果、ラ・フォリアに更なる借りを作ることになってしまったが致し方ない。

 古城の言葉にヴァトラーは虚を突かれたように目を丸くすると、堰を切ったように笑い始めた。

 

「なるほど、今回は君が一枚上手だったということカ。完敗だよ」

 

 敗北を認めながら、しかしヴァトラーに気落ちしたような素振りは微塵もない。むしろ喜んでいるようにすらみえる。

 そんなヴァトラーに溜め息と呆れを禁じ得なかった古城であるが、いつまでも油を売っているわけにもいかない。早々に踵を返そうとして──

 

 ──凄まじい魔力の爆発が絃神島を揺るがした。

 

「なんだ!?」

 

 突然の魔力爆発に狼狽える古城。

 何が起きたのか、古城は即座に把握することができなかった。だが足元に転がるヴァトラーは、直感的に状況を理解した。

 

「ククッ、そういうことか。中々に面白い娘だと思っていたけど、やってくれたじゃないか……」

 

 堪え切れないと笑みを噛み締め、ヴァトラーは獰猛に口角を吊り上げる。

 

「娘? まさか、優麻が……!?」

 

「そうだろうね。今の爆発は仙都木阿夜の娘が起こした。監獄結界の封印を破る、魔女の執念の一撃といったところカナ」

 

「馬鹿な、優麻に封印を破るほどの力があるなんて……!?」

 

 あり得ない、と首を振りかけて硬直する。

 原作の優麻は第四真祖の力を利用するため、自分自身と古城の肉体神経を空間制御魔術で繋げるという荒技をやってのけた。

 しかし人間が有する無数の神経一つ一つを繋ぎ合わせ、剰え維持し続けるのは至難の業である。空間接続だけで魔力の大半を消費せざるを得ず、雪菜との戦闘でも優麻は十全な戦闘能力を発揮することなく、“七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)”に貫かれて終わった。

 だが今の優麻は空間接続に魔力の大半を割かれることなく、万全の状態である。原作では語られることのなかった真の実力を発揮でき、古城が知らない強力な力を振るえたとしてもおかしくない。

 

「また、俺は間違えたのか……!」

 

 血が滲むほどに古城は拳を握り締めた。

 次から次へと後悔や自責の念が湧いてくるが、今は立ち止まっている時間も惜しい。急がなければ優麻は監獄結界の最後の鍵である那月に辿り着き、母親である仙都木阿夜を含め多数の国際魔導犯罪者たちを解放してしまうだろう。

 動揺も露わに古城は踵を返し、監獄結界へ向かおうとして──

 

 ──血塗れの腕が古城の胸を突き破った。

 

「──かっは……!?」

 

 迫り上がる大量の血塊に悲鳴を上げることすら儘ならず、意識が吹き飛びそうなほどの激痛に苛まれながら、古城は己の背後に目を向ける。

 そこには血塗れの姿で凄絶に笑うヴァトラーが、己の腕で古城を串刺しにしていた。

 

「つれないじゃないか、古城。ボクを置いていこうだなんてサ……!」

 

「お、まえ……!?」

 

 この期に及んでなおも行手を阻み続けるヴァトラーに、古城は激痛と湧き上がる憤怒で視界が真っ赤に染まる。

 鬼も裸足で逃げ出しかねない形相の睨みも何のその、ヴァトラーは涼しげに流して不敵に笑みを零す。

 

「ようやく君の素顔の一端を見れた気がするよ。怒った顔も素敵じゃないカ」

 

 まるで恋人の新たな一面を知ったかのように、ヴァトラーは心底嬉しそうに笑う。古城を貫く腕はそのままに、絞り出せる魔力の全てを持ってして眷獣を召喚した。

 ヴァトラーの背後、古城を見下ろす位置に巨大な燃え盛る蛇の眷獣が姿を現す。たった一体であるが、限界間近の古城を沈みかけの増設人工島ごと潰す程度は容易いだろう。

 

「ぐっ、ああぁぁぁ……!」

 

 有らん限りの力を振り絞り、古城はヴァトラーの腕から逃れようともがく。しかし胸を貫かれた体勢では碌な抵抗など出来ず、ならば腕を圧し折ってやろうと手に力を込める。

 ミシミシと嫌な音が鳴り、僅かな間もなく骨の折れる鈍い音が身体を通して伝わる。確実に腕は折れた。だがヴァトラーは表情を苦痛に歪めることすらなく、変わらぬ笑みのまま眷獣を操った。

 大蛇が鎌首を擡げて眼下でもがき苦しむ獲物を見据えると、触れるだけで全てを灼き尽くす巨躯を畝らせる。

 

「──暁古城。ボクは、君を、何処へも行かせやしない……!」

 

「────!」

 

 普段の軽薄なものとは違う、空恐ろしいほどに感情の込められた言葉を叩きつけられる。

 驚きに目を瞠る古城。生まれた意識の間隙を突いて、古城をヴァトラー諸共に炎蛇の突進が襲う。

 炎蛇の一撃が決定打となり、増設人工島があっという間に沈む。古城とヴァトラーの二人も、瓦礫の崩壊に巻き込まれて海中へと消えていった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 ──時は少し遡る。

 

 監獄結界の目と鼻の先、破魔の銀槍を操る少女と蒼い騎士を従えた魔女が戦闘を繰り広げていた。

 銀槍遣い──雪菜は四方八方から叩きつけられる火球を切り抜け、槍の切っ先を届かせんと奮闘している。しかしあと一歩のところまで迫ったとしても、空間転移(テレポート)によって仕切り直されてしまう。

 一向に決着をつけられない戦況に歯噛みし、雪菜は頭上の敵手を見上げた。

 見下ろす魔女──優麻は悠然と虚空に立ち、己の“守護者”である蒼い騎士を牽制のように控えさせている。その顔色は雪菜と違って余裕が感じられた。

 

「無駄だよ。君がどれほどに槍の扱いに長けていて、強力な槍を手にしていたとしても、届かなければ意味がない」

 

 優麻の言葉に雪菜は苦々しげに表情を歪めた。

 獅子王機関の剣巫である雪菜の戦闘能力は非常に高い。並の魔族なら素手でも鎮圧でき、あらゆる魔力を無効化する“七式降魔突撃機槍(シュネーヴァルツァー)”を手にすれば吸血鬼の真祖すら殺すことすら不可能ではない。

 しかし研鑽した技術も秘奥兵器も相手に届かなければ無用の長物と化す。

 対して優麻は直接戦闘能力は然程でもないが、彼女には高度な魔術と空間制御、そして魔女の“守護者”がいる。

 “守護者”は悪魔の眷属であり、悪魔と契約を交わした女性たちに強力な力を授ける。人間の身でありながら高位魔族に匹敵する魔力を操れるようになり、魔術の技量は最高位の魔術師すらも凌駕するだろう。

 雪菜を相手に負けない立ち回りをするくらい、今の優麻にとっては容易いことだ。逆に雪菜は優麻の無力化が目的であり、そのためにも積極的な攻勢を見せなければならない。

 微かに息を弾ませながらも槍を構える雪菜に、優麻は呆れを滲ませた吐息を零した。

 

「君も存外しつこいね、姫柊さん。此処で時間を無駄にするくらいなら、古城の加勢をして上げたほうが賢明だと思うよ」

 

「そうかも知れません。ですが、優麻さんを一人にするわけにもいきませんから」

 

 剣巫の直感で優麻が監獄結界を破る手段を持っていると判断した以上、彼女を自由にさせるわけにはいかない。たとえ優麻の思惑通りに時間を稼がれてしまっているとしても、雪菜の戦いには確かな意味がある。

 それに、何も雪菜は優麻の掌でただ踊っていたわけでもない。

 宙空の優麻に向けて雪菜が式神を放つ。鳥の姿をした式が三羽、力強く羽ばたいて一直線に優麻を襲う。

 優麻は巨大な火球を生み出し、鳥の式を無造作に撃ち落とす。火球の爆炎に呑まれて二羽が焼失するが、難を逃れた一羽が優麻に肉薄する。

 しかしその一羽も“守護者”である蒼い騎士に一刀のもとに斬り捨てられた。

 

「何度繰り返したって同じだよ」

 

「──いいえ、違います」

 

 火球の爆発によって生じた黒煙を斬り裂き、銀槍を携えた雪菜が躍り出た。黒煙に紛れさせて放った式神を足場にして跳躍したのだ。

 大気を斬り裂きながら繰り出される槍の切っ先が、優麻を貫かんと迫る。

 

「“(ル・ブルー)”!」

 

 驚愕に襲われながらも咄嗟に“守護者”へ防御を命じる。蒼い騎士が長剣で槍の切っ先を防ごうとするが、雪菜はその防御ごと騎士を貫いた。

 魔女の“守護者”は魔力で実体を保っている。優麻に悪魔の力を授ける“守護者”は強力である反面、雪菜が持つ破魔の銀槍とは致命的なまでに相性が悪かった。それもあって接近戦にならないように間合いを取っていたのだ。

 

「くっ……!」

 

 蒼騎士の頑強な鎧が紙細工の如く斬り裂かれ、輝く銀槍の切っ先が迫る最中、優麻は間一髪のタイミングで空間転移を成功させた。

 大袈裟なほどに距離を開けた位置に転移し、優麻は荒くなった息を落ち着けるように胸を抑えた。気を抜いていたわけではなかった。それでも判断が一瞬遅れれば手痛い一撃を貰うことになっていただろう。

 空高くから猫のような身のこなしで雪菜が地上に舞い降りる。鋭い眼光は離れた位置の優麻を射抜き、油断なく構えられた槍の切っ先が真っ直ぐ向けられた。

 

「感覚は掴めました。次は届かせます」

 

 淡々と告げられ、優麻の背筋を冷たい汗が伝った。

 雪菜は何も優麻に翻弄され続けていたわけではない。優麻の挙動を具に観察し、癖や魔術のタイムラグを測り、如何にして槍を届かせるか試行錯誤を繰り返していたのだ。

 末恐ろしい才覚だ、と優麻は雪菜に戦慄にも似た感情を抱いた。吸血鬼の真祖とも渡り合えるとまで謳われる剣巫、その真髄を見せつけられた心境だ。

 届かせると宣言した以上、雪菜は次の攻防で確実に有言実行するだろう。優麻が取れる手段は幾つかあるが、何れも対応されてしまう可能性がある。確実に安全なのは古城とヴァトラーの決着がつくまで雲隠れしてしまうことだが、どうしてか嫌な予感が拭えない。

 雪菜の頑なに古城を信じる姿勢がそう思わせるのか、優麻の中でヴァトラーの絶対的勝利が揺らいでいた。第四真祖と雖も不完全な状態の古城が、歴戦のヴァトラーに敵う道理はない。ないはずなのに、雪菜の真っ直ぐな眼差しを見ていると、どうしようもなく心が掻き乱される。

 

「どうして、姫柊さんはそこまで信じられるんだい?」

 

 弱々しく喘ぐように、優麻は疑問を投げかけた。声音は不安に揺れていた。

 問われた雪菜は直と優麻の目を見据え、記憶を掘り返すように答える。

 

「暁先輩は、やると決めたら必ずやり遂げる人です。絃神島を守るために、大切な後輩の涙を拭うために。ズタボロになって、何度死ぬことになったとしても、戦い続けてきました」

 

 語る雪菜の声音に熱が篭る。槍を握る手にはいつの間にか力が入り、表情には少なくない悔しさが滲んでいた。

 

「いつだってそうです。先輩は誰かが傷つくくらいなら、自分が傷つけばいいとばかりにボロボロになって。いつも一人で抱えようとして、潰れそうなほど苦しいはずなのに……」

 

 古城が傷つく姿を、死の淵から立ち上がる様を何度も見てきた。その度に己の不甲斐なさに歯噛みして、彼の負担を軽くできないかと考えてきた。

 しかし当人は周りの人間の気持ちなど露知らず、たった一人で茨の道を突き進もうとする。止めようとしても構わず、隣にすら並ばせてくれない。最近では多少の改善が見られ始めたものの、それでも根っこの部分では何も変わっていない。

 まるで罰を求める罪人のように、自分自身を傷つけながら困難に向かっていくのだ。

 

「本当はもっとわたしを……他人を頼って欲しい。でも、それはきっと先輩にとって難しいことなんだと思います。だから、せめて信じさせてほしいんです」

 

 言葉を区切り、雪菜は改めて目の前の優麻に対峙する。その目に迷いや逡巡の類はなく、確かな覚悟が宿っていた。

 

「今のわたしにできることは、先輩を信じることです。不安も心配も沢山ありますが、それら全てを引っ括めた上で信じ抜きます。勿論、無茶をしたら怒りますが」

 

「……強いな、姫柊さんは」

 

 お世辞ではない、心からの正直な感想だった。自分と大して年齢に差のない少女が、一人の少年のことをここまで想っている。普段なら茶化して可愛らしい反応を楽しんでいたかもしれないが、今の優麻は雪菜の強さに羨望を抱いていた。

 

「優麻さんは違うんですか? あなたにとって、暁先輩は大切な幼馴染だったんじゃないですか?」

 

 今度は此方の番だと雪菜が訊く。

 

「幼馴染か……そうだね、古城はボクが唯一、自分の意思で手にした関係だったと思うよ」

 

「今は違うんですか?」

 

「……どうだろう、分からないや」

 

 昨夜までの古城なら、優麻は躊躇いなく違うと断言していただろう。だが、キーストーンゲートで垣間見た古城は、あの頃の彼と同じように自分を真っ直ぐに見ていた。故に優麻の中に僅かな迷いが生じていた。

 

「でもね、ボクにとって仙都木阿夜の娘であることは揺るがない事実なんだ。今更、不確かなものに足を止めるわけにはいかない……!」

 

 試験管の中で生まれ、監獄結界に収監された仙都木阿夜を脱獄させるためだけに設計されて、悪魔との契約で運命までもを決定付けられた。優麻の手にあるのはただそれだけ、与えられた目的の達成だけが彼女の存在意義だから。

 お互いに言葉では止まらないと再認し、雪菜は槍を構え、優麻が本格的な一時撤退も視野に入れ始めた時──遙か空の彼方に神獣が降臨した。

 

「な……!?」

 

「これは、いったい……!?」

 

 尋常ならざる魔力の波動を感じ、二人は反射的に空を見上げる。

 ついさっきまでは晴れ渡っていた空があっという間に雷雲に覆われ、黒雲の中心に神々しさすら感じる怪物が坐していた。

 遠目からでも分かる吸血鬼の眷獣にしても規格外な魔力の波動に、雪菜は知らず知らずのうちに槍を握る手を震わせていた。優麻もまた、イレギュラーにもほどがある化け物の登場に混乱していた。

 

「なんて魔力だ。アルデアル公の眷獣? いや、まさか……」

 

 動揺を露わに優麻が雪菜を見やる。天に坐す怪物が第四真祖の眷獣であれば、監視役である雪菜なら知っている筈だ。

 しかし雪菜は向けられる視線にも気付かず、厳しい顔付きで雷獣を見据えていた。

 見たことのない眷獣だ。ヴァトラーの従える眷獣の一体かと考えたが、それにしては妙だった。見覚えがないのに、感じる魔力の波動に覚えがある。間近で何度も感じてきた代物だ、間違えようがない。

 しかし、あの雷獣から感じ取れる魔力の波動は二種類あった。一体の眷獣から二種類の魔力の波動。考えられる可能性は一つしかない。

 

「まさか、合成眷獣……!?」

 

 ヴァトラーの十八番である眷獣同士の合成という掟破りを古城が成し遂げた。あの雷獣はその果てに生まれたものだと理解し、雪菜は驚愕を禁じ得ない。

 ただそこに在るだけで天変地異を齎す怪物が地上へ向けて攻撃を放つ。同時に地上からも迎撃の一撃が放たれ、二つの災害が激突する。

 

 ──瞬間、世界から音が消えた。

 

「きゃあ……!?」

 

「くぅ……!?」

 

 増設人工島(サブフロート)から離れた場所にいる雪菜たちだったが、衝突の余波は衰えることなく二人を襲う。吹き飛ばされるほどではないが、台風並みの暴風と衝撃が絃神島を揺らした。

 凄まじい天災の衝突はそう長くは続かなかった。上空の雷獣が更なる圧力を掛けたことで地上側が押し潰されたのだ。その際にもとんでもない地震が絃神島を襲い、雪菜は後々のことを考えて少し憂鬱になった。

 

「お二人の戦闘は終わりました。暁先輩の勝ちです。もう終わりにしましょう、優麻さん」

 

 待機させていた監視用の式神で古城の勝利を確認し、淡々と雪菜が終わりを告げる。一方の優麻は古城の勝利を信じられず、呆然と立ち尽くしていた。

 やがて現実を理解した優麻は俯き、空虚な笑いを響かせる。

 

「やってくれたね、古城。おかげで計画も何もかも滅茶苦茶だよ……」

 

 でもね、と優麻は顔を上げる。死を目前にする兵士のような覚悟を滲ませた、鬼気迫る表情だった。

 

「──ボクには、この運命(プログラム)しかないんだよ……!」

 

 雪菜が止める間も無く、優麻の身体から禍々しい魔力が噴き出した。

 怖気すら発する闇色の業火が優麻の身体を包み込み、あっという間に姿が見えなくなる。微かに視認できるのは赤く輝く双眸と表情だけ。それ以外の肢体は闇の衣にも似た焔によって覆い隠されてしまった。

 

「その力は、堕魂(ロスト)!? 自分の魂を悪魔に喰わせたんですか!?」

 

 契約した悪魔に己の魂を売り渡す。魔女の最終形態であり、肉体を本物の悪魔に昇華させる禁忌の業だ。完全に肉体が悪魔化してしまえば最後、もう二度と元に戻ることはない。

 

「その通りだよ。でも、心配は要らない。契約が完遂されるまで、ボクの自我が塗り潰されることはないからね」

 

「それはっ……!」

 

 契約の内容である刑務所破りが達成されてしまえば、優麻の自我は問答無用で食い潰されてしまう。魔女にとって堕魂の恐ろしさは周知の事実であるはずなのに、優麻は然も当然のように言ってのけた。

 雪菜の想像以上に優麻は追い詰められていた。当初の計画が破綻してしまったのもあるが、古城の存在が優麻の不安定さに拍車を掛けてしまったのだ。

 

「そして、今のボクにかかれば多少の無茶も無理も押し通せる……!」

 

 一瞬で雪菜の手が届かない上空に、丁度監獄結界の真上に空間転移して高々と手を掲げる。優麻の手を中心に空間が大きく歪み始め、亀裂が入り始めた。

 拙い、と剣巫としての直感が最大の警報を鳴らしていた。雪菜は己の直感に従い、即座に優麻の行動を止めようと式神の足場を飛ばすが──

 

「──邪魔はさせないよ。今この瞬間だけは、誰にも邪魔なんてさせやしない!」

 

 優麻の叫びに呼応するように空間の亀裂から無数の衝撃波と雷が迸る。無差別に溢れ出す衝撃波はあらゆる障害を寄せ付けず、幾条にも走る稲妻は足場用に放たれた式神を全て叩き落としてしまった。

 式神の全てを撃墜された雪菜は、亀裂から溢れ出す力に驚愕する。見覚えがあるどころではない、その衝雷はついさっき古城が見せた合成眷獣の力そのものだ。

 

「古城とアルデアル公が戦っていた空間。その過去と今を繋げたのさ。殆ど制御なんてできないけれど、監獄結界の封印を破るには十分すぎる力だよ」

 

 天変地異すら齎す眷獣の力が空間から溢れ出す。言葉通り制御できていない眷獣の力に襲われながらも、優麻は眼下の監獄結界に手を振り下ろした。

 ヴァトラーの合成眷獣すらも容易く捻じ伏せた暴力の一端が、容赦なく洋上の監獄に叩きつけられる。空を飛ぶ術を持たない雪菜は手も足も出ず、一連の始終を見届けることしかできなかった。

 一部とはいえ第四真祖の眷獣、それも合成眷獣の一撃は監獄結界を覆う蜃気楼のような封印を悠々と貫き、異界に隠されていた監獄を現実へ引き摺り出す。それだけに飽き足らず、有り余った破壊力は監獄である聖堂に多大なダメージを与えた。

 浮かび上がるのは巨大な人工島(ギガフロート)。凄まじい破壊に晒された聖堂は彼方此方から火の手が上がり、至る所が崩壊して内部空間を覗かしている。

 内部に広がるのはただの空洞だ。聖堂の中身は完全に空であり、そこに在るのはただの“空隙”だけだった──

 

 

 

 

 



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蒼の魔女の迷宮 Ⅺ

 一瞬の浮遊感の後、雪菜は崩壊しかけの聖堂内部に転移させられていた。

 埃塗れの硬い床の上に放り出されながら、雪菜は素早く体勢を整えて状況把握に集中する。不意打ち気味に空間転移させられたものの、未だに戦闘中であったことを忘れてはいない。

 聖堂内部は非常に古めかしく、薄暗い空間が広がっている。篝火などもなく、何処か陰鬱とした空気が漂っていた。

 そんな中、変わらず瘴気にも似た闇色の業火を纏った優麻が立っていた。一足では詰められない間合いを保っているあたり、雪菜に対する強い警戒が窺える。

 

「驚いたかい? 此処は監獄結界の内部。厳密には表層部分で、未だに監獄が解放されたわけじゃないんだけどね」

 

 雪菜に背を向けて優麻は聖堂の奥へと歩みを進める。足取りが若干覚束なく見えるのは無茶な魔術行使の影響だろうか。

 油断なく槍を構えたまま、雪菜は優麻の背を追いかける。無防備な背中こそ見せられているが、仕掛けるには遠い絶妙な距離感が保たれていた。

 

「姫柊さんは監獄結界について、どの程度まで理解しているのかな?」

 

「多数の国際魔導犯罪者を収監する監獄であり、南宮先生がその管理をされているとは伺いました」

 

「へえ、“空隙の魔女”はそこまで明かしたのか」

 

「厳密には、暁先輩からの又聞きですが……」

 

 複雑な表情で雪菜が答えると、優麻の動きが一瞬だけ止まった。

 

「彼は随分と彼女から信頼されていたみたいだね。道理で上手くいかないわけだよ」

 

 LCOが当初立てていた計画では、優麻が幼馴染であり第四真祖である暁古城に接触、その肉体の支配権を奪って莫大な魔力と強力な眷獣を利用する手筈であった。しかし古城が強い警戒心を持っていたことで計画は一歩目から頓挫してしまい、仕方なくヴァトラーの力を借りることになった。

 その時点で計画も何も滅茶苦茶であったが、ヴァトラーが古城に敗れたことでいよいよもってどうしようもなくなった。進退窮まった末に優麻がリスクを承知で奥の手を使うことで此処まで辿り着いたのだ。

 

「流石は“空隙の魔女”と言うべきかな。先手を取られていたわけだからね」

 

 ふと優麻が足を止め、忌々しげな目を向ける。視線の先には豪奢な肘掛け椅子が一脚だけ置かれており、一人の女性が眠るように座っていた。

 常夏の島には似つかわしくない、レースアップされたフリルまみれのドレス。人形のように整った顔立ちと指先一つ動かす様子がないこともあり、本当に人形なのではないかと疑いたくなる。

 しかし雪菜はその女性が人形ではなく、生ある女性であることを知っていた。

 

「南宮先生……!」

 

 古城の担任教師であり、行方不明になっていた南宮那月がそこにいた。

 優麻が齎らした眷獣の一撃の影響か、椅子に座る那月の身体には点々と赤い染みができている。

 

「南宮那月は監獄結界の看守であり、門番であり、扉であり、そして鍵だ。そもそも監獄結界という名称自体が、凶悪な魔導犯罪者を封印するための魔術の名前──その唯一の遣い手が彼女だ」

 

 “空隙の魔女”と恐れられる那月は、優麻と同じく悪魔と契約した魔女だ。悪魔との契約には代償の支払いが必要で、優麻の場合は監獄結界の解放という絶対命令(プログラム)刷り込み(インストール)。那月の場合は、監獄結界を死ぬまで此処で死守し続けること。

 普段、古城たちが見る那月の姿は彼女自身が作り出した幻影だ。那月ほどの魔女ともなれば、実体を持つ幻影を生み出すくらいわけない。

 本体である彼女自身はこの聖堂で眠り続けていた。十年前からずっと──

 

「監獄結界の囚人は彼女の夢の中に囚われている。彼女を破壊(ころ)せば、囚人たちは解放される。お母様も解放されるんだ」

 

 そして、優麻も己の運命から解放される──

 

「させると思いますか?」

 

 優麻の言葉に耳を傾けていた雪菜が槍を構える。彼女の狙いが眠り続ける那月だと判明した以上、雪菜は何がなんでも優麻から彼女を守り抜く。

 

「君一人で止められるのかな?」

 

 燃え盛る闇の焔を纏う優麻は微かに笑みを零し、無数の魔術式を展開させる。堕魂(ロスト)前とは比べ物にならないほどの規模と量に、然しもの雪菜も目を見開いた。

 構築された魔術式から火球、稲妻、氷槍が放たれる。何れも魔術としては初歩的な代物だが、秘めたる威力は強靭な肉体を持つ魔族ですら容易く屠るだろう。

 迫りくる魔術の脅威に対して、雪菜は回避ではなく突撃の一手を選択した。常ならば避けたであろうが、優麻の魔術の矛先は眠る那月にも向けられている。彼女を守るためにも雪菜は魔術の嵐に突っ込む他なかった。

 

「“雪霞狼”!」

 

 槍に霊力を流し込み、神格振動波の力で魔術を無効化する。無数の魔術が那月を襲う寸前で、雪菜は全ての魔術を叩き落とすことに成功した。

 

「獅子王機関の秘奥兵器。あらゆる魔力を打ち消す恐ろしい槍だけど、これはどうかな」

 

 見当違いな方向に巨大な火球が撃ち出される。火球の向かう先は那月ではなく聖堂の天井。優麻の狙いを悟った雪菜は表情を凍り付かせた。

 聖堂を震わせる火球の爆発が天井部分を破壊する。壊された天井は瓦礫となって那月に降り注ぐ。魔術や魔力に起因するものであれば絶対的有利を誇る“雪霞狼”も、何の力もないただの瓦礫には無力だ。

 人間など容易く潰して余りある質量の石塊が轟音と共に落下し、真下にあった椅子を飲み込んだ。

 瓦礫の落下で巻き上げられた粉塵が聖堂内部を覆う。視界を著しく閉ざされながらも優麻は真っ直ぐと塵煙の向こう側を見据えている。

 

「間一髪で間に合ったみたいだね。獅子王機関の剣巫は未来視ができるという話だけど、その恩恵かな」

 

 舞い上がった砂埃が落ち着くと、堆く積み重なった瓦礫の側に雪菜と那月の姿があった。寸前で優麻の狙いを察知した雪菜が、死に物狂いで那月を椅子から抱えて離脱したのだ。

 優麻が那月の殺害(はかい)に固執していると事前に把握できていたからこそ間に合った。しかし状況は未だに雪菜が不利であることに変わりない。むしろ悪化したとも言える。

 如何な雪菜であっても、全く動く気配のない人一人を抱えて優麻と渡り合えるとは思わない。堕魂の影響で魔力量も格段に跳ね上がり、第四真祖に勝るとも劣らない代物だ。

 絶望的な状況に立たされてなお雪菜は気丈に立ち向かう。古城に頼まれたから。絃神島を守るため。何より、優麻のためにも退くことはできない。

 擦り傷塗れのまま力強く見返す雪菜。言葉にせずともその顔が雄弁に不退転の意思を物語っている。

 

「諦めが悪いね。お荷物を抱えた状況でボクを止められると思っているのかい?」

 

 意思は折れなくとも限界はある。雪菜がどれほど足掻こうとも、優麻から那月を守りながら戦うのには無理がある。

 

「それでも、諦める理由にはなりません」

 

 毅然とした態度で雪菜は返した。

 頑な姿勢を崩さない雪菜に、優麻は焦れたように語調を僅かに荒げる。

 

「無駄な足掻きだよ。いくら君が強くたって、一人では──」

 

「──誰が一人だなんて言ったのかしら?」

 

 凛とした声が聖堂内に響いた。

 雪菜と優麻が反射的に声の発生源に目を向ける。そこには“雪霞狼”に似た銀の長剣を携えた少女──紗矢華が立っていた。

 

「──紗矢華さん!」

 

 頼もしい助っ人の登場に雪菜はぱっと表情を明るくした。

 

「遅くなってごめんね、雪菜。もう大丈夫、私が来たわ」

 

 大好きな雪菜の期待の眼差しを受けて紗矢華は得意げに胸を張る。若干息が上がっているように見えるのは、メイヤー姉妹との戦闘からそのまま駆け付けたからだろう。それでも今の雪菜にとってはこれ以上にない援軍だった。

 一方の優麻は新手の登場に苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「時間を掛け過ぎたか……」

 

 古城とヴァトラーの戦闘の決着を待っていたために時間を食ってしまったのは事実だ。だが紗矢華がこの場に間に合ったのは他にも要因がある。

 メイヤー姉妹が殆ど相手にならなかったのだ。

 かつて北海帝国領アッシュダウンにて危険な魔術儀式を敢行し、州都一つを丸ごと消失させた国際魔道犯罪者。LCOの尖兵としてこの絃神島に乗り込んだメイヤー姉妹であったが、古城がそれとなく彼女たちの悪魔の正体を紗矢華とラ・フォリアに伝えていたがために、その実力の真価を発揮することなく打破されてしまったのである。

 おかげで紗矢華はアルティギアの使者にラ・フォリアを預けた上で、今この場に間に合うことができた。ある意味で古城のファインプレーだ。

 雪菜と紗矢華は無言で視線を交わして互いの意思を伝え合う。長くルームメイトとして生活してきた二人にはそれだけで十分だった。

 未だなお目覚めない那月を守るように紗矢華が立ち、雪菜は迷いない足取りで優麻に対峙する。

 

「もう終わりにしましょう、優麻さん」

 

「終わらないよ。監獄結界を破ってお母様を解放するまで、ボクは終われないんだ……!」

 

 立場が逆転してしまったとしても優麻に諦める意思はない。今にも肉体ごと精神を喰らい尽くしかねない業火を昂らせ、限界まで魔術式を展開する。

 聖堂を埋め尽くしかねない規模の魔術式を前にしても雪菜に焦りはない。変わらず泰然とした態度のまま言葉を紡ぐ。

 

「いいえ、終わりです。こんな茶番は此処で終わらせます」

 

「茶番だって?」

 

 見え透いた挑発だと、理解していたが優麻は表情をささくれ立たせた。自分の存在意義そのものを茶番呼ばわりされれば誰だって怒るだろう。

 しかし雪菜は優麻の視線を受け流し、躊躇なく言葉の刃を差し込む。

 

「はい、茶番です。だって優麻さんは、監獄結界を破るつもりなんてないんですから」

 

「なにを、言って……」

 

 雪菜の発言に優麻は動揺を隠せない。声を大にして反論しなければならないのに続く言葉は出てこない。

 そんな優麻に雪菜は容赦なく切り込み続ける。

 

「優麻さんが本気で監獄結界を破るつもりだったのなら、もうとっくに監獄は破られています。それだけの力をあなたは持っているはずですから」

 

 雪菜の指摘は何も間違っていない。堕魂というリスクを背負うことに変わりはないが、古城とヴァトラーの決着を待たずに監獄結界を通常空間に引き摺り出すことはできたはずだ。

 舞台を聖堂内部に移してからも同じだ。優麻は雪菜も一緒に聖堂へと空間転移させたが、そんな必要は微塵もなかった。一人で転移して無防備な那月を葬ればそれで良かったはずなのだ。

 それをしなかったのは一重に優麻の中で監獄破りの優先順位が一番でなかったからとしか考えられない。

 鋭い指摘に優麻は二の句を継げなかった。自分自身ですら目を逸らそうとしていた本心。しかし雪菜は目を逸らすことを許さない。彼女が心の底に押し込めようとしている本音を引き出すために言葉を繋ぐ。

 

「あなたは待っていたんです。止められるのを期待していたんです」

 

「違う……」

 

「はい、違います」

 

 間髪入れない返しに優麻はポカンと口を開く。よもやこのタイミングで否定されるとは思っていなかったのだ。

 だからだろう。生まれた意識の間隙に致命の一撃が叩き込まれた。

 

「──優麻さんが待っていたのは、暁先輩です」

 

 反論を差し込む余地もないほどの力強い断言に、優麻は露骨に顔色を悪くさせた。雪菜の言葉を否定しなければならないのに、唇が震えて声が出ない。

 悪魔との契約で優麻は監獄破りを意識の深層レベルで刷り込まれている。常に監獄結界を破らなければならないという強迫観念に襲われ続け、焦燥は今この時も高まり続けていた。

 優麻が契約の呪縛から解放されるには監獄結界を破る他ない。余計な感傷に浸っている余裕などありはしないのだ。それでも──

 

『待っててくれ──ユウマ』

 

 大切な幼馴染の面影がどうしても脳裏を過ぎってしまうのだ。

 人生の全てを生まれた時から決定付けされていた。その中で唯一、自分の意思で選んで手にした何よりも大切な繋がりが、優麻の行動にブレーキをかけている。

 

「違う。ボクは、お母様を解放するためだけに、設計(つく)られた……道具なんだ!」

 

 自分に言い聞かせるように優麻が絶叫した。呼応するように闇色の業火が爆発するように広がり、聖堂内部が火の海と化す。

 聖堂そのものを燃やし尽くさんと燃え盛る焔。その激しく揺らめく様は優麻の心をそのまま表しているようだった。

 

「優麻さんは道具なんかじゃないです。監獄結界を破るための道具になんてさせません──!」

 

 火の海の只中に立たされながらも雪菜に焦りはない。行手を塞ぐ業火も飛来する無数の魔術も全て斬り裂き、一条の銀閃となって疾走する。

 

「──獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 粛々と雪菜の唇が祝詞を紡ぐ。勝利を祈願する巫女のように、あるいは祈りを捧げる聖女のように。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 有らん限りの霊力を注ぎ込まれた銀槍が眩いばかりの閃光を放つ。あらゆる魔を祓う槍の一閃は、容赦なく優麻を覆う業火を斬り裂いた。

 茫然と立ち尽くす優麻。その足元からじりじりと焔が噴き出そうしている。契約した悪魔が優麻の魂を逃さまいと、地獄から手を伸ばそうとしていた。

 

「──優麻さん!」

 

 槍を手放して雪菜は手を伸ばす。忘我していた優麻は雪菜の必死な様子に思わず差し伸べられた手を取っていた。

 あとは手を引くだけ。雪菜は力を振り絞って、再燃しようとしていた業火から優麻を引き摺り出した。

 勢い余った雪菜と優麻の二人が縺れ合うように床に転がる。同時に聖堂内部を覆っていた闇色の業火が名残惜しげに消えた。後に残ったのは耳に痛いほどの静寂だけだ。

 

「無茶をするね。下手をすれば君も飲まれていたかもしれないのに」

 

 硬く冷たい床に仰向けで転がりながら優麻が呟いた。

 

「それでも、見捨てる選択肢はありませんから」

 

「どうして……?」

 

 知り合ってたった一日の人間のために、どうしてそこまでできるのか。古城の幼馴染で、彼に頼まれたからなのか。それとも──

 軽くスカートの汚れを払いながら立ち上がった雪菜は、はにかむように微笑を零しながら答える。

 

「優麻さんがいなくなったら、寂しいと思ったからです。知り合ってからの時間は短いものですが、昨日一日だけでも優麻さんとみんなで過ごす時間はとても楽しいものでした。だから──」

 

 仰向けのままの優麻に手を伸ばして、

 

「──自分を道具だなんて卑下するのは辞めてください」

 

 心からの悲しみを滲ませて雪菜はそう言った。

 かつてオイスタッハ殲教師に道具と卑下され、古城の言葉で立ち直ったことのある雪菜は、自分を道具に貶めることの悲しみを知っていた。だからこそ雪菜の言葉には確かな重みがあって、優麻の心にストンと落ちた。

 再び差し出された少女の手を見つめ、ややあって優麻はその手をもう一度取り直す。

 

「完敗だ。姫柊さんの諦めの悪さと天然ジゴロには敵いそうにないや」

 

「なっ、それはどういうことですか!?」

 

 聞き捨てならないと顔を赤くする雪菜と、そんな反応を見て楽しげに笑みを溢す優麻。ついさっきまで凄まじい焦燥に駆られていたとは思えないくらい、その表情は憑物が落ちたように晴れやかだった。

 

「万事解決ってことでいいのかしら?」

 

 全て丸く収まったと見て、紗矢華が雪菜と優麻の元へ歩み寄ってくる。その隣にはいつの間に目を覚したのか、自分の両足で立つ那月の姿もあった。

 

「南宮先生! あの、ご無事ですか……?」

 

「今の私が無事に見えるのなら、医者に掛かることを勧めるな」

 

 いつもの舌足らずながらカリスマに溢れた口調で言う那月だが、その声音には隠しきれない疲労とダメージが滲んでいた。封印を破る際の一撃で多大なダメージを受けていたのだ。今の今まで眠っていたのもそれが原因だろう。

 

「全く、派手に暴れてくれたものだな」

 

 聖堂内の酷い惨状に嘆息しながら、那月は下手人である優麻に目を向けた。

 

「それで、仙都木阿夜の娘。まだ続けるか?」

 

「……いいや、やめておくよ。どうやらボクには、監獄結界をどうこうできない理由ができてしまったみたいだからね」

 

 そう言って優麻はちらと雪菜を見やった。唐突に目を向けられた雪菜は首を傾げるだけだが、側にいた紗矢華には視線の意味が理解できたらしい。この子は私の妹よ! とばかりに雪菜を目一杯に抱きしめる。

 そんな少女たちのやり取りに那月は呆れたように溜め息を零す。

 

「それで、あの不良真祖は何処へ行った? 恩師に手を上げておいて顔も見せないとは、いい度胸だな」

 

「あ、いえ、違うんです。説明するとややこしいんですが……」

 

 那月の怒りの矛先が古城に向きそうになるのを修正しようと雪菜は口を開いて、ふと優麻の様子が可笑しいことに気付く。

 ついさっきまで見せていた笑顔が鳴りを潜め、足元から這い上がる冷気に震えるように身を抱きしめている。ここまでの戦闘の無理が祟ったのかと思ったが、違う。これは──

 

「どうして、これは……」

 

「優麻さん?」

 

 ふらふらと一歩二歩、雪菜たちの輪から離れるように優麻は後退していく。同時に彼女の背後の風景が陽炎のように揺らめき、蒼い騎士が滲み出すように姿を現す。魔女の守護者だった。

 既に決着はついた。今この場で守護者を呼び出す必要性はない。しかし優麻の背後に現れた蒼い騎士はカタカタと耳障りな音を立てながら、腰に帯びた剣に手を伸ばそうとしている。

 

「止めるんだ、“(ル・ブルー)”!」

 

 自分の意思に反して動き出そうとする守護者を抑えようとする優麻。しかし騎士は主人の命令には耳を傾けず、すらりと抜き放った剣身を引き絞るように構えた。切っ先は優麻を真っ直ぐに据えている。

 呆然と優麻は己の胸に向けられた剣を見ることしかできない。雪菜たちは予想だにしない騎士の反逆に対応が遅れて間に合わないだろう。

 

「お母様。そこまでして、あなたは……」

 

 絶望に暮れながら優麻は迫り来る長剣の切っ先に対して目を閉ざした。

 ざしゅ、と肉を貫く生々しい音が聞こえ、聖堂の床に赤黒い血が飛び散る。しかしいつまで経っても優麻の身体を剣が貫いた痛みが襲うことはなかった。

 何が起きたのか、確認しようと恐る恐る目を開くと──自分を庇うように立つ少年の背中がそこにあった。

 

「……え?」

 

 間の抜けた声が優麻の唇から零れ落ちる。理解が追いつかない状況にただ呆けていることしかできない。騎士に対処しようと動き出していた雪菜と紗矢華も、凄まじい勢いで飛び込んできた少年に言葉を失っていた。

 少年──暁古城がゆっくりと首を巡らし、呆然と立ち尽くす優麻にぎこちなく笑いかける。

 

「──ごめん……遅く、なった……」

 

 途切れ途切れに話す古城。その口元から少なくない量の血が吐き出される。優麻を庇って騎士の剣をその身に受けたのだ。

 

「先輩!?」

 

「暁古城!?」

 

 慌てて雪菜と紗矢華が駆け寄ろうとして、後ろにいた那月の息遣いが苦しげなものに変わっていることに気付く。振り返れば、何処からか転移させられた剣の切っ先に那月が貫かれていた。

 

「やってくれたな、阿夜……!」

 

「南宮先生、そんな……!?」

 

 古城を貫いた騎士の剣は空間転移によって那月をも串刺しにした。常ならばこの程度の目眩しに騙される那月ではないが、眷獣によるダメージと僅かな気の緩み、そして眼前で古城が貫かれたことで生じた動揺を突かれてしまったのだ。

 カタカタと笑うように鎧を鳴らしていた騎士が剣を引き抜く。その場に縫い止められていた古城と那月の身体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。床への落下はそれぞれ優麻と雪菜が受け止めることで阻止された。

 

「どうして、ボクを庇って……」

 

 ──君はボクの知る古城じゃないのに。

 

 頭上から降り掛かる呟きに、最後の力を振り絞って古城は答える。

 

「“ユウマ”が……助けを求める顔を、してたから、な……」

 

 血に濡れた手が優麻の頬に触れ、そのまま力なく床に落ちる。心臓を一突きされ、完全に息の根が止まったのだ。

 

「──ぁ」

 

 優麻の喉から堪え切れない嗚咽が洩れ出る。我慢の限界だった。何より、文字通り命を賭して駆け付けた目の前の少年に、大切な幼馴染の面影をはっきりと認めてしまったのだ。

 

「ああ、あああああああ──っ!」

 

 魔女の慟哭が薄暗い聖堂に響き渡った。

 

 

 

 

 

 




メイヤー姉妹は犠牲となったのだ、作者のモチベ維持の犠牲にな……


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蒼の魔女の迷宮 Ⅻ

短いエピローグみたいなものです。


 かつては絃神島本島と増設人工島(サブフロート)を行き来するための手段であった連絡橋。黒死皇派によるテロ事件の際にヴァトラーの手で破壊され、今回の古城とヴァトラーの決闘の余波で完全に崩壊してしまっている。

 元より人が寄り付く要素もなく、天災にも匹敵する眷獣の衝突によって人影一つないそこに、一塊の影が海から這い出てきた。

 影の正体は二人の少女と少年だった。

 ぐったりと身動ぎ一つしない少年を、小柄な少女が殆ど引き摺るような形で海から引き上げようとしている。

 少女は珍妙な格好をしていた。黒一色のワンピースとニーソックスはやや大胆なものであるが珍しくはない。しかし頭頂部で存在感を主張する獣耳カチューシャと肉球付きブーツが、果てしない違和感を醸し出している。

 恐らくは仮装用の衣装なのだろう。波朧院フェスタでお祭り騒ぎの絃神島において、その格好は別段おかしなものではない。

 ある程度波打ち際から離れた場所まで辿り着くと、少女は引き摺り上げた少年を丁重に下ろした。

 ここまで運ばれた少年は仰向けのまま動かない。胸が上下しているので息はあるはずだが、目覚める気配は感じられなかった。

 手加減されていたとはいえ、現時点で届くはずのない格上との激闘。不意打ちで胸に風穴を開けられた上での自爆。極め付けに海への落下で限界まで体力を奪われたとなれば、しばらくは起き上がれなくとも不思議ではない。

 このまま何も処置を施さなければ少年は自然に体力が回復するまで目覚めないだろう。まず間違いなく、今日中には立ち上がることすら儘ならないはずだ。そうなれば、少年は誓いを果たせず後悔することになる──

 眠り続ける少年を見下ろしていた少女が、少年の傍らに膝を突く。横たわる少年の身体を抱え起こし、少女は自身の唇を浅く噛んだ。

 ある程度の血が咥内に溜まったところで、少女は僅かな逡巡の後にそっと唇を重ねた。

 口移しでの吸血行為。体力を限界まで失った状態であっても、吸血鬼は吸血を行うことによって多少なりとも体力や魔力を回復することができる。不死不滅と謳われる第四真祖であれば尚のことだ。

 血を摂取したことで心なしか少年の表情が和らいだ。少女は安堵したように吐息を零し、役目は終えたとばかりに立ち上がる。そのまま踵を返そうとしたところで、少年の手が引き留めるように少女の足首を掴んだ。

 

「待って、くれ……」

 

 驚いて振り返る少女に、うつ伏せになった少年がずるずると這い寄ろうとする。まだ体力が戻っておらず、立ち上がることすらできない状態で、それでも少年は縋るようにもう一方の手を伸ばした。

 

「そこに、いるんだろ……暁、古城……!」

 

 蚊の鳴くような声でありながら、溢れ出る想いを押し込めた絶叫が響いた。

 

「お前を……待っている人が、いるんだ……」

 

 倒れ伏したままの少年の言葉に、少女は何も返さない。構わず少年は吐き出すように続ける。

 

「“まがいもの(おれ)”には、救えないんだ。本当の意味で、ユウマを救えるのは、“暁古城(おまえ)”だけなんだよ……!」

 

 だから、と続けようとする少年。しかしそこで言葉は途切れる。ほんの僅かに回復した体力を使い果たしたのだ。少女の足首を掴んでいた手も力なく剥がれ落ちている。

 力尽きて完全に意識を失った少年を、少女は真紅に輝く瞳で見つめる。

 ふと瞳の色が揺らぐ。妖しげな紅い輝きが水面のように揺れ、滲み出るように透き通った空色が浮かび上がった。

 少女が慈しむような手つきで少年の頭に手を置く。見下ろす眼差しは物言いたげで、しかし想いを口にすることはない。記憶を失っている少年に対して、“約束”を持ち出すのは余計な負担が掛かるだけだからだ。

 できることは切っ掛けを与えることだけ。少年には本来あるはずのない思い出の欠片を譲り渡すことで、少年の覚悟を後押しすることだけだ。

 しばらく無言で少年の頭に手を置いていた少女だったが、妙な気配と音が近づきつつあることに気付いて手を離す。音の鳴る方を見遣れば灰色を基調とした有脚戦車(ロボットタンク)が猛スピードで接近しつつあった。

 有脚戦車は薄闇が広がりつつある海面を照明で照らしつつ、何かを必死で探すように凄まじい速度で走行していた。少女の見立てが間違いでなければ、探し物は足元に横たわる少年だろう。

 少女は有脚戦車と鉢合わせする前に、名残惜しむように少年を一瞥してからその場を立ち去った。

 少女が立ち去って間もなく、有脚戦車が地面に横たわる少年を発見した。少年の傍らにドリフトしながら停車すると、ハッチが開いて中から華やかな雰囲気の少女が真っ青な顔で飛び出す。

 戦車から転げ落ちるように降りて、少女は涙を零しながら少年の名を叫ぶ。耳元で幾度となく名を呼ばれ、身体を激しく揺さぶられたことで少年は意識を取り戻した。

 少女は感極まったように力の限り少年を抱きしめた。生きていて良かった、と嗚咽を洩らしながら涙する。

 突然抱きしめられたり、号泣されたりと理解が追いつかない少年はしばし目を白黒させていたが、やがて悟ったような諦観の表情を浮かべると、少女を泣き止ませようと優しく抱きしめ返した。

 そんな様子を黒猫の仮装をした少女は遠目から見届け、安堵したように胸を撫で下ろすと、視線を絃神島北部の海上へ向けた。そこには魔女が齎らした執念の一撃によって通常空間に引き摺り出された監獄結界がある。

 剥き出しの岩山の上に建てられた聖堂を険しい眼差しで見据え、少女は薄闇の中へと姿を消した。

 

 




今後の展開をちょっと迷い中で、次の更新が遅れるかもしれません。またお待たせすることになったら、ごめんなさい……


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観測者たちの宴
観測者たちの宴 Ⅰ


迷った末に方針を決めましたが、行き当たりばったり感が拭えなくて不安……
因みに今話は殆ど話が進みません。


 絃神島のほぼ中央に位置するキーストーンゲート、その地下十二階には人工島管理公社の保安部が設置されている。

 バイトの関係で急遽呼び出しを受けて古城たちとの観光を途中で切り上げる羽目になった藍羽浅葱は、無数のコンピューターに囲まれた部屋で憂鬱な顔を隠そうともせず仕事に打ち込んでいた。

 仕事の内容は人工島内におけるネットワーク障害の解消。波朧院フェスタ初日の昼頃から発生した大規模なネットワーク障害によって、絃神島の交通網は大混乱に陥っていた。

 幸いにも祭りで企業の多くが休業しているため経済的な損失は今のところ軽微であるが、寄せられる苦情の数は知れず。問題の解決が遅れればいつ大事故が発生してもおかしくない状況だった。

 原因不明の大規模ネットワーク障害。すわ外部からの電脳攻撃かと危惧されたが、浅葱が持ち前の電子能力と機転を利かせ、原因がネットワークではなく絃神島の空間そのものにあると見抜いたことで解決は早かった。

 浅葱は捻じ曲がった空間の歪みを逆算する七面倒なプログラムを一晩で書き上げ、絃神島を襲う空間異常を対症療法ではあるが解消してみせた。代わりに祭りの貴重な一日を割に合わないバイトで潰され、キーストーンゲートの屋上をメイヤー姉妹なる魔女が占拠しているせいで外にも出られないでいるが。

 

「あーもう、やってらんない。何が悲しくて祭り(フェスタ)の日までこんなとこに篭ってなきゃなんないのよ……」

 

 憂鬱な想いを吐き出すように溜め息を溢す浅葱に、ディスプレイの一つに写っていた不細工な人形が皮肉っぽい声を発する。

 

『いやいや、今回ばかりはマジで助かったぜ。嬢ちゃんがいなけりゃ、今頃どうなってたことやら』

 

 普段の揶揄いは鳴りを潜め本当に感謝しているようだった。事実、浅葱の力がなければ絃神島の混乱は波朧院フェスタ中には解決できなかっただろう。

 しかしAIに感謝されたところで浅葱の機嫌が直るはずもない。浅葱の頭の中にあるのは想い人である古城のことばかり。

 今頃、美人な幼馴染と一緒に祭りを回っているのだろうか。対して浅葱は無数の機械に囲まれて仕事、仕事、仕事……。本当は浴衣でも着て古城と祭りを楽しんでみたかった、と浅葱は力なくキーボードに突っ伏した。

 

「はぁ、いいなぁ……」

 

 浅葱がボソリと羨望の滲んだ呟きを零す。割と普段から皮肉ったり揶揄ったりするモグワイも同情を禁じ得なかったのか、気遣うような慰めるような口調で言う。

 

『そう気落ちするなよ、嬢ちゃん。祭りの本番は今日だぜ。目玉の花火大会まで時間もあるし、それまでには上の騒ぎも収まるだろうよ。意中の相手を誘って花火見物に洒落込むの乙なもんだぜ?』

 

「そうね……」

 

 古城と一緒に花火見物、悪くない計画だ。古城と二人きりになれるかは分からないが、夜空に咲く花火を並んで見上げるというシチュエーションは非常に魅力的である。

 浅葱の瞳に活力が戻ってくる。徹夜の疲労は重く伸し掛かっているが、古城と花火見物(ご褒美)を思えばなんてことはない。そうでも思わないと疲れのあまり寝落ちしてしまいそうだった。

 

「よし、そうと決まればちゃっちゃか残りの作業も終わらせるわよ」

 

 無駄にした一日を取り返すべく、脳内で本日の予定を組み直しながら残りの作業を常人離れした速度で進めていく。大枠のシステム構築は終わっていたが、まだまだ細々としたタスクが残っているのだ。それもモチベーションが回復した浅葱の手に掛かれば大した時間も要さずに終わるだろうが。

 不意に浅葱を取り囲む無数のディスプレイの幾つかが赤く染まり、耳障りな警告音が鳴り始める。ついで微かな揺れが浅葱のいる部屋を揺らした。

 

「なに? 上の魔女が見境なく暴れ始めたの?」

 

 警告表示(アラート)が映し出されるディスプレイを苛立たしげに睨み付ける浅葱。メイヤー姉妹がキーストーンゲート屋上を占拠している限り浅葱は外に出られない。浅葱としては悪足掻きなどせずさっさと鎮圧されてくれというのが本音である。

 しかし揺れの原因はメイヤー姉妹ではなく、規模も浅葱の想定を超えるものだった。

 浅葱を取り囲む無数のディスプレイの画面が次から次へと警告表示に埋め尽くされていく。明らかな異常事態に浅葱も只事ではないと理解し、真剣な顔付きでコンピューターに向き直る。

 

「ちょっと、いったい何が起きてるわけ?」

 

『外で魔族同士がどんぱちやってるみてぇだな』

 

「それだけ? 魔族の暴徒化なんて珍しいことじゃないでしょ。迷惑なことに変わりはないけど」

 

 “魔族特区”である絃神島において魔族絡みの事件は枚挙にいとまがない。今の絃神島は空間異常により交通網にも混乱が起きており、苛立った魔族同士が衝突したとしてもおかしくない。

 

『いんや、暴徒化なんて生優しいもんじゃないな』

 

 モグワイが浅葱の目の前のディスプレイに各種計測器が観測した数値を映し出す。その異常な数値に浅葱は目を剥いた。

 

「なによこれ、“旧き世代”の吸血鬼でも暴れてるの? ただでさえ空間が捻じ曲がりまくってる時に、何処のどいつよ!?」

 

 怒りを露わにして浅葱は凄まじいスピードでキーボードを叩き始める。

 絃神島を襲う空間異常を悪化させかねない危険分子の正体を暴いてやろうと、計測器から送られてくる情報を元に居所の特定と近場の監視カメラのハックを敢行していた。

 この時の浅葱は冷静ではなかった。割に合わないバイトで貴重な祭りの時間を潰され、必死こいて組み上げたプログラムを台無しにされそうになったことで、相棒のモグワイが止めようとする声も耳に届かないほど頭に血が上ってしまっていたのだ。

 だから浅葱は何の身構えもなく衝撃の光景を目の当たりにすることになる。

 

「場所は……十三号増設人工島(サブフロート)? 何だってあんなところで暴れてるのか知らないけど、こっちとしてはいい迷惑よ」

 

 多少の疑問を抱きながら浅葱はカメラのハック作業に移っていた。流れるような作業速度にモグワイが介入する余地もない。

 

『待て、嬢ちゃん。それ以上は──』

 

 モグワイの制止も虚しく、浅葱は増設人工島の様子を窺える監視カメラのハックを終えてしまった。

 ディスプレイの一つが監視カメラの映像に切り替わる。増設人工島に設置されていたカメラは黒死皇派のテロ事件の際に尽く破壊されてしまっていたため、ハックしたのは本島側に設置された監視カメラだ。そのため映像は遠目のものになってしまったが、浅葱の手に掛かればズームも画像解析もお手の物だ。

 

「さぁて、何処の馬鹿が無茶苦茶してくれてんのかしら……え?」

 

 意気揚々とキーボードをタイピングしていた指がピタリと止まる。ついさっきまで苛立たしげに眇められていた目は驚愕に見開かれ、信じ難い光景にわなわなと唇が震えて上手く言葉が出ない。

 

「なんで、あんたがそこに居るのよ……古城?」

 

 やっとの思いで絞り出せた声は不安に震えていた。

 映像の中で古城は激しい戦闘を繰り広げていた。相手は浅葱でも知っているほどに有名な吸血鬼。メディアにも度々露出することがある戦王領域の貴族、アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーだ。

 古城は全身に傷を負いながらも、背を向けることなく果敢にヴァトラーに挑み続ける。何度吹き飛ばされようとも立ち上がり、血塗れになろうとも構わず戦う。その姿は正しく英雄のようであったが、浅葱にとっては関係ない。

 

「いや……! 逃げて、古城!」

 

 古城が眷獣の暴力に曝される度、届くはずがないと分かっていても浅葱は叫ばずにはいられない。

 何故、古城があんな場所で命懸けの戦闘を繰り広げているのかは分からない。そもそも戦闘が成り立っているのもおかしい。古城は浅葱と同じ、普通の人間ではなかったのか──?

 次から次へと疑念や謎が浮かび上がるが、今はそれどころではない。素人の浅葱から見ても、二人の戦いは古城が圧倒的に押されているように見えた。このまま戦い続ければ遠からず古城が敗北し、殺されてしまうかもしれない。

 

「そんなの、いやよ……!」

 

 古城が居なくなってしまう。想像しただけで胸が張り裂けそうになり、浅葱はいてもたっても居られなくなった。

 

「モグワイ! 今すぐ“特区警備隊(アイランド・ガード)”の戦闘用有脚戦車(ロボットタンク)を用意して!」

 

『止めとけ、嬢ちゃん。そんなもんで突っ込んだところでスクラップになるのが関の山だぜ』

 

「じゃあこのまま古城を見殺しにしろって言うの!?」

 

 浅葱が乱暴にテーブルを殴り付けた。古城が殺されかねない状況に焦燥と恐怖が湧き上がり、冷静に戦況を観察することもできないでいる。

 

『落ち着けって言ってるんだ。考えなしに突っ込むなんて、嬢ちゃんらしくないぜ?』

 

 皮肉っぽい口調でモグワイは浅葱を窘めた。

 頭に血を上らせていた浅葱は、相棒の冷静な指摘に一度気持ちを落ち着かせる。冷静な思考を取り戻し、改めて画面の中で戦い続ける古城の姿を観察した。

 ヴァトラーを相手に喰らい付く古城の顔は不利な戦況に屈することなく、瞳は虎視眈々と逆転の隙を窺っている。目の前の敵手に全神経を集中しているようで、仮に浅葱が有脚戦車で介入したとしても邪魔にしかならないだろう。

 

「…………っ」

 

 モグワイの言う通りだ。冷静さを欠いたままあの戦場に乱入しようものなら、辛うじて保たれている均衡が一瞬で瓦解する。そもそも浅葱は魔族でも攻魔師でもない一般人だ。電子能力は他の追随を許さないが、直接戦闘において何ができるわけでもない。

 古城のピンチに何もできない無力さに歯噛みして、浅葱は逡巡を振り払うように目尻に浮かんだ滴を拭った。

 

「モグワイ。()()()()()のタンクの申請を通しといて」

 

『おう。嬢ちゃんはどうする?』

 

「あたしは馬鹿な野次馬が戦場に近づかないようにするわ」

 

 あの場において浅葱にできることはない。目に見える形で古城の力にはなれない。だがしかし、間接的に古城の手助けをすることはできる。浅葱の戦場は彼方ではなく此処なのだ。

 いつもの調子を取り戻した相棒にモグワイがケラケラと笑う。癇に障る笑い声を発する不細工な人形を一睨みし、浅葱は無数のディスプレイに向き直りキーボードと格闘を始めた。

 空間の歪みによって絃神島は非常に不安定な状態になっている。浅葱は交通網の混乱を解消するため、秒単位で空間の歪みを解析して位置情報の補正を行う無茶苦茶なプログラムを徹夜で組み立てた。

 そのプログラムの一部をマニュアルに変え、交通管制システムを浅葱の手に掌握する。今、絃神島の交通ネットワークは浅葱の思うがままに操られていた。

 信号や道路標識、その他諸々の交通システムを利用して古城とヴァトラーが戦う戦場へ部外者が侵入できないように規制を敷く。一部で渋滞や長い信号待ちが発生するだろうが、戦争の余波に巻き込まれるよりかはマシだろう。

 

「死なないでよ、古城……!」

 

 手放しで古城の勝利を信じられるわけではない。だから浅葱は古城の生存を願い、陰ながら彼のサポートに徹し続けた。

 どれだけの時間、コンピューターと格闘し続けただろうか。昨夜から一睡もしていなかった影響と極度の緊張から意識が朦朧とし始めたところで、敗色濃厚の戦況を天変地異を齎して古城が引っ繰り返した。最後の激突で絃神島にも馬鹿にならない影響が出ているが、それでも古城が勝利を掴み取ったのだ。

 今にも沈みそうな瓦礫の浮島に立つ古城を眺め、浅葱は心の底から安堵の吐息を洩らした。

 

「終わった。心臓止まるかと思ったわよ……」

 

『ケケッ、まさか勝っちまうとはな』

 

 感心したようにモグワイが笑う。対して浅葱は古城の生存を喜ぶ一方、戦王領域の貴族を下すほどの力を持つ彼は何者なのかという疑念が頭を擡げ、素直に喜べず複雑な心境だった。

 浅葱のハッキング能力を以ってすれば古城の正体を明らかにするのは簡単だ。あれほどの力、ただの人間ではない。何かしらの痕跡が絃神島の情報書庫(バンク)に残っているはずである。

 しかし浅葱は古城の正体を探ろうとはしなかった。

 

「こんだけ心配掛けたんだから、隠してたこと全部訊いてやるんだから覚悟しときなさいよ……」

 

 恨みがましく呟いて映像の中の古城を睨み付けて浅葱は呟いた。

 変なところで奥手で雪菜(後発)に遅れを取りつつある浅葱だが、裏でこそこそとするくらいなら腹を括って真正面からぶつかるタイプである。時に暴走列車と化してしまうが、そういったサバサバとした人柄が慕われる要因なのだろう。ただし男子たちからはその性格が災いして恋愛対象外にされてしまっているが。

 緊張の糸を解いて浅葱が椅子に凭れようとして、突然の魔力爆発が絃神島を揺らした。

 

「今度は何よ!?」

 

 流石の浅葱も畳み掛けるように発生する異常事態に憤慨し、監視カメラの映像から目を離す。すぐさま調べてみれば、謎の魔力爆発は絃神島の北端で発生していた。

 次から次へと巻き起こる騒ぎに辟易しながら、さてどうするべきかと浅葱は思案する。

 ふと、浅葱は監視カメラの映像に目を向けた。恐らく古城も今の魔力爆発を感知したはずだ。プログラマーとしての直感であるが、一連の異変は別々の事件ではなく何かしらの形で繋がっている気がした。故に古城がどう動くか確認しようとしたのだ。

 

 ──血塗れの腕が古城を貫いていた。

 

「え……?」

 

 監視カメラに映る光景が信じられなくて、浅葱は間の抜けた声を洩らした。

 血塗れのヴァトラーが古城を背後からその腕で串刺しにしている。理解し難い光景に呆然としている浅葱が見守る中、ヴァトラーの背後に炎蛇の眷獣が姿を現した。

 次の展開を予想できた浅葱が顔を真っ青にしてディスプレイに手を伸ばすのと、眷獣が主人諸共に古城を襲ったのは同時だった。

 

「──古城!?」

 

 凄まじい爆発に監視カメラの映像が白く染まる。映像が真っ白に染まるほどの爆発が収まった後には二人の姿はなく、映っていたのは急激に沈み始めた人工島だけだった。

 茫然自失の状態で立ち尽くしていたのは何秒だったか。浅葱の意識を現実に呼び戻したのは画面の中の相棒の声だった。

 

『──嬢ちゃん!』

 

「──ッ! モグワイ、タンクの用意は!?」

 

『申請は通しといたぜ。急げよ、嬢ちゃん。潮に流されちまったら拾い上げることは無理だ』

 

「分かってんのよ、そんなことくらい!」

 

 最低限必要な物だけを引っ掴んで浅葱は部屋を飛び出す。到底生きているとは思えない状況であったが、それを理由に此処で泣き崩れているわけにはいかない。僅かにでも生存の可能性があるなら意地でも拾い上げてみせる。

 用意されていた災害救助用のシンプルな有脚戦車に飛び込み、浅葱は増設人工島(サブフロート)へ急行した。

 

 

 



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観測者たちの宴 Ⅱ

ここからの展開が一番迷いました。めちゃ批判を受けるの覚悟ですが、決めてしまったのでこのままいきます。


 轟音と共に古めかしくも荘厳な聖堂が崩れていく。魔術を維持していた術者が無視できないダメージを受けたことで、幻影の(ヴェール)が剥がれ落ちたのだ。

 代わりに出現するのは要塞のように頑強で分厚い鋼の壁に囲われた監獄。幾多もの国際魔導犯罪者を閉じ込めていた禍々しい監獄が、絃神島北端の海上にその威容を曝す。

 何者も寄せ付けない威圧的な監獄の入り口である巨大な門の前。殆ど剥き出しの岩肌の地面に放り出されるように雪菜は空間転移させられた。近くには紗矢華や優麻の気配も感じられる。聖堂の崩壊から逃れるために優麻が魔術を行使したのだろう。

 即座に体勢を立て直した紗矢華が、見上げるほど高く息苦しさすら感じる監獄に息を呑んだ。

 

「これが、監獄結界の真の姿……?」

 

 聖堂の崩壊に巻き込まれかけたと思えば視界が突然切り替わり、目の前に要塞にも似た監獄が現れれば驚きも一入だろう。雪菜も混乱で頭が一杯であったが、それよりも気にすべき重要なことが二つあった。

 

「先輩と南宮先生は何処ですか!?」

 

 蒼の騎士に貫かれた古城と那月の姿が見当たらない。転移の際に逸れてしまったのか、周囲を見渡してみるも二人の姿はなかった。

 その代わりに、優麻の両腕に小さな人影が抱かれている。十歳前後の中学生にも満たないだろう子供だ。その顔立ちは雪菜たちがよく知る青年に似ていて──

 

「古城……?」

 

 半信半疑に優麻が名を呟く。顔立ちを見て反射的に呟いたものであったが、優麻にはこの子供が古城その人であるという確信があった。何せ優麻はこれくらいの年頃の古城と同じ時間を過ごしていたのだ。間違えるはずもない。

 

「暁、先輩? どうして若返って……」

 

 優麻の腕の中で無防備に眠る子供が古城であると理解し、あり得ない現象に直面したように雪菜は呆然と立ち尽くす。監獄結界の威容に呑まれていた紗矢華も事態の深刻さを察した。

 為す術もない事態を前に固まる少女たちを混乱から引き戻したのは、頭上から降り掛かる嘲るような女性の笑い声だった。

 

「無様な格好……だ。もはや脅威にもならぬな」

 

 弾かれたように少女たちは顔を上げる。監獄結界の入り口である巨大な門の上に、雪菜たちを見下ろすように一人の女性が立っていた。

 足元まで届く長い髪と薄闇に妖しく浮かぶ火眼が特徴的な女だ。衣装は平安時代の女貴族のような十二単だが、彩色が白と黒のみであり、華やかさなどは微塵も感じられない。醸し出す雰囲気は死神や悪魔と形容したほうが合っているだろう。

 

「あなたは──」

 

 女の顔立ちを見上げて雪菜は強烈な既視感に襲われた。その理由は同じく女性を見上げていた優麻の横顔にある。似ているのだ。

 髪の長さや瞳の色の違いなどはあれ、顔の造りが似通っている。誰が見ても一目で血縁だろうと分かるほどに優麻と女性の顔立ちは酷似していた。

 

「お母……様……?」

 

「そう……だ、我が娘よ。那月の無力化と監獄破り、加えて第四真祖も行動不能。(ワタシ)複製(コピー)とはいえ、よくやってくれた」

 

 優麻の母親──仙都木阿夜は己の(コピー)に対して大義であったとばかりに言葉をかける。しかしその声音は冷え切っており、優麻への気遣いなど微塵も感じられなかった。

 悠然と見下ろす阿夜に対して雪菜が槍を携えて声を上げた。

 

「南宮先生と暁先輩に何をしたんですか!?」

 

 先の口振りから那月が忽然と姿を消したのも、古城の肉体が若返ってしまったのも阿夜が原因だと推測したのだろう。鋭い目付きで雪菜が問いを投げる。

 

「何をした、か。見れば分かるだろう? 二人の積み重ねた時間そのものを奪ったのだ」

 

 阿夜が虚空に手を翳すと一冊の本が現れる。魔導に関わる知識や呪文を蓄積し、それ自体が強力な魔性を帯びるようになった本である魔導書だ。読み手に人智を超えた力を与え、その代償に大いなる災いを招くという魔導器ともされる。

 

固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作……と言っても理解できぬか。端的に言えば、我が魔導書の力で那月と第四真祖は積み重ねてきた歳月そのものを奪われたのだ。那月には逃げられたようだが、それも無駄な時間稼ぎにしかなるまい……」

 

「そんな……」

 

 雪菜は酷くショックを受けたように後退り、今もなお目を覚さない古城を見遣る。阿夜の言葉が真実であれば、古城と那月は積み重ねた時間そのものを奪われたことになるのだ。それはつまり、二人とも非力なただの子供になってしまっているということ。

 茫然自失状態の雪菜から視線を切り、阿夜は再び己の娘を見遣る。

 

(オマエ)のおかげ……だ、優麻」

 

「ボクの、おかげ……?」

 

「那月の無力化だけでなく、目障りな第四真祖の固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪えたのは(オマエ)の差配の結果……だ」

 

 右手に携えた魔導書を愛おしげに撫でながら阿夜は満足げに微笑む。

 

「本来であれば、吸血鬼の真祖にこの手の魔導書の効果は効き目が薄い。だが、極限まで疲弊して抵抗力を失っていれば、限定的ではあるが効力を発揮する。そこまで追い込んだのは(オマエ)の功績……だ」

 

「そんな……じゃあ、ボクのせいで、古城は……!」

 

 ヴァトラーに協力を要請し、古城と戦わせたのは優麻の差配によるものだ。古城が圧倒的な格上との激闘の末に激しく消耗し、魔導書の餌食になってしまったのは、一重に優麻が原因とも言えなくはない。

 

「あ、あぁ……ボクが古城を……!」

 

「落ち着いて下さい、優麻さん! あなたのせいなんかじゃないです!」

 

 今にも心が散り散りになってしまいそうな優麻を、ショックから立ち直った雪菜が宥めようと声をかける。

 しかし雪菜の声は届いておらず、昏い絶望に優麻の心が完全に覆われてしまいそうになって──か細い声が優麻の両腕から発せられた。

 

「“ユウマ”……?」

 

 ここまでの遣り取りで目を覚ましたらしい、若返ってしまった古城が混乱と困惑を綯い交ぜにした表情で優麻を見上げている。彼の主観からすれば、見覚えのない場所で知らない少女たちに囲まれ、妙に大人びた幼馴染に抱きしめられていたのだ。戸惑うのも無理はない。

 自身を取り巻く状況はさっぱり分からない。ただ一つだけ、大切な幼馴染が今にも泣き出しそうな顔をしていることだけは分かった。

 

「なんで、泣いてんだ……? 誰かに、泣かされたのか……?」

 

「古城……ボクは、ボクのせいで君を……!」

 

 溢れ出す激しい悔恨の念が詰まって言葉が出ず、代わりに嗚咽を零す優麻。全くもって状況が読めない古城は困惑顔だが、それでも幼馴染の涙を止めなければと言葉を紡ぐ。

 

「よく分からないけどさ、泣かないでくれよ。ユウマに泣かれると、困るんだよ……」

 

「古城……」

 

「ユウマを泣かせる奴がいるなら、俺が文句言ってやる。ユウマが悪いことしたなら、俺も一緒に謝ってやる。だからさ、泣かないでくれ……」

 

 少し気恥ずかしげに微笑しながら、相手が相手なら赤面しかねないような台詞を平然と言ってのけた。優麻は面食らったように目を丸くして、泣きながら器用に笑顔を零す。

 

「そういうところは、変わってないんだな……本当に、罪作りなやつだよ」

 

 零れ落ちる涙を拭い、もう心配は要らないといつもの凛々しい顔で笑って見せた。

 幼馴染の涙を止められて余裕ができたのか、古城は改めて周囲を見回す。やはり見覚えのない風景だ。近くにいる雪菜と紗矢華にも覚えはないし、頭上から見下ろしてくる優麻に似た女性も知らない。目を覚ます前後の記憶も曖昧で、今更ながら不安が押し寄せてくる。

 

「大丈夫だよ、古城。今度はボクが君を守るから」

 

 不安に襲われていた古城の身体を、優麻がしっかりと抱きしめた。優麻に他意はないはずだが、記憶にある幼馴染よりも色々と成長している今の優麻に抱きしめられると、色々と当たってしまって古城はあたふたと顔を赤くしてしまう。

 そんな慌てふためく古城に雪菜と紗矢華の微妙な目が突き刺さるが、流石に今の古城を責めるのは酷だ。彼女たちもそれを理解しているから、気を取り直して頭上の阿夜と対峙する。

 門の上から古城と優麻の遣り取りを眺めていた阿夜は、下らないと言わんばかりに目を眇めた。

 

「守る、か。(オマエ)の役目は既に果たされた。(ワタシ)が貸し与えた力も、もう必要ないはず……だ」

 

 無造作に阿夜が腕を差し伸ばす。何かしらの攻撃がくると身構えた雪菜と紗矢華だったが、その予測は外れた。古城を抱えた優麻が苦痛に満ちた悲鳴を上げたのだ。

 

「うぐ、ああああああっ──!?」

 

 血を吐くような絶叫を上げる優麻。その背後にゆらりと顔のない青銅の騎士が浮かび上がり、カタカタと耳障りな音を立てて震え始める。阿夜が莫大な魔力と血の繋がりという強靭な絆を利用して、優麻から魔女の“守護者”を無理矢理に奪い取ろうとしているのだ。

 魔女にとって“守護者”とは単なる使い魔や武器ではない。悪魔に差し出した魂の代価であり、肉体の一部といっても過言ではないのだ。そんなものを力づくで剥奪されればどうなるか、想像に難くない。

 

「ユウマ!? どうしたんだよ、ユウマ!?」

 

 突然苦しみ出した幼馴染に動転する古城。そばにいた雪菜と紗矢華も即座に対処しようとするが、無理に干渉を断ち切ろうものなら凄まじい反動(ノックバック)が優麻を襲ってしまう。

 ただ指を咥えて優麻が“守護者”を奪い取られる光景を見ていることしかできない。己の無力さに雪菜と紗矢華が唇を噛んだその時、

 

「……お前か」

 

 古城の瞳が頭上にいる阿夜を捕捉した。

 状況の変化も優麻が苦しんでいる理由も分からない。しかし頭上の女が優麻を苦しめている原因であることには間違いないと、分からないなりに古城は察してしまった。

 

「お前が、ユウマを苦しめてるのか!」

 

 空色の瞳が激しい怒りの感情に塗り潰されて真紅に輝く。口元からは吸血鬼特有の牙が覗き、制御の効かない負の魔力が噴き出す。宿主の怒気に呼応して眷獣が表に出てこようとしていた。

 

「駄目です、今眷獣なんて召喚したら優麻さんが!」

 

 雪菜の必死な叫びも古城には届かない。

 そもそも、今の古城には第四真祖であるという自覚がない。災害の化身ともいえる十二の眷獣が己の内に眠っていることも知らず、ただ幼馴染を傷つける輩に対する激情を吐き出そうとしているだけなのだ。

 これに驚いたのは雪菜だけではない。“守護者”を奪い取ろうとしていた阿夜も、古城の暴走に焦りを見せていた。

 

「くっ、正気か小僧……!」

 

 無理に干渉を断ち切られた際の反動は優麻だけではなく阿夜も襲う。その程度の反動で戦闘不能に陥ることはないが、それでも躊躇せざるを得ない。

 宿主の感情の発露に応じて眷獣が異界から現れようとして、

 

「落ち着いて、古城……ボクは、大丈夫、だから……」

 

 激痛に絶叫していた優麻が宥めるように古城を抱き竦めた。眷獣の召喚に対して阿夜が身構えたことで干渉を振り払うことができたのだ。

 荒れ狂う風のように噴き出していた禍々しい魔力が霧散する。魔導書の呪いすら弾けないほどに消耗した状態で、無理矢理に魔力を放出したことで気を失ったのだ。これでしばらくは暴走の危険性はなくなった。

 激痛の余韻に息を切らせながら、優麻は決然とした表情で母親を見上げた。

 

「ごめんなさい、お母様。あなたから賜ったこの力、返すわけにはいかなくなりました。もしも、無理矢理取り上げるのなら、今度は全力で抵抗します」

 

「道具風情が、大きく出たな……」

 

 忌々しげに表情を歪める阿夜。魔女として圧倒的に格上であったとしても、優麻に死ぬ気で抵抗されてしまえば要らぬリスクと労力を背負うことになる。業腹ではあるが、娘から“守護者”を奪うのは断念せざるを得ないだろう。

 

「だが、(オマエ)がいくら抗おうと無駄……だ。強制解除されたとはいえ堕魂(ロスト)の反動でまともに戦うことも儘ならぬ。挙句に第四真祖はただのお荷物だ。極め付けに──」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべて阿夜が己の背後を振り返る。

 物々しい監獄結界の上に六つの人影が立っていた。いつからそこに居たのか、彼らは阿夜と優麻たちの遣り取りを白けた目で眺めている。しかし纏う空気は突き刺すような殺気に満ちており、睨み下ろされているだけで身が震えそうだった。

 服装や年齢に統一性はなく、見た目だけならば一般人と見分けがつかない。唯一の共通項は左腕に嵌め込まれた鈍色の手枷くらいだろう。監獄結界に収監された囚人の証である手枷だ──

 

(オマエ)たちの相手は(ワタシ)だけではない。この状況でなお、抗うというのか?」

 

 悠然と眼下を見下ろし、阿夜は引っ繰り返ることのない劣勢を突き付けた。

 少女たちは旗色の悪さに一様に顔色を悪くする。

 相手は阿夜を含めて七人、それも尋常の監獄では無力化することができなかった凶悪な国際魔導犯罪者だ。

 対する少女たちは、戦闘が可能な者は雪菜と紗矢華だけ。優麻は堕魂の反動と先の空間転移で殆ど力を使い果たして戦うことはできない。何より最悪なのは、今の古城が戦力どころから足手纏いにしかならないということ。

 獅子王機関の剣巫と舞威媛といえど、動けない人間を二人も守りながらこの状況を切り抜けることはできない。

 覆しようのない劣勢に雪菜たちが絶望を覚えていると、脱獄した囚人の一人が不服げに声を上げた。

 

「おい、なに勝手に進めてくれてんだァ?」

 

 口を挟んだのは比較的若い男だった。

 短く編み込んだドレッドヘアと流行遅れのストリートファッションを着こなす男は、苛立たしげに阿夜を睨め付ける。チンピラそのものの態度であるが、視線には凄絶な殺気が込められている。

 

「いつから俺たちは仲良しこよしやることになってんだァ。こちとら、テメェのおままごとに付き合ってやるほど暇じゃねぇんだよ」

 

「ふむ、それもそうだな」

 

 あっさりと男の言を認める阿夜。元より彼ら彼女らに仲間意識などというものはない。ただ同じ監獄に収容されていただけの囚人。それ以上の繋がりや関係性があるはずもなく、間違っても手を取り合うことなんてないのだ。

 むしろ互いの目的の妨げとなるのならば容赦なく轢殺する。現にドレッドヘアの男は阿夜を叩き潰そうと殺気を練り上げていた。

 心胆を寒からしめる殺気を叩き付けられて、しかし阿夜は微風のように受け流して口を開く。

 

「そう逸るな、山猿。今ここで(ワタシ)を排斥すれば、(オマエ)たちの目的は遠ざかるだけだ」

 

「アァ? どういうことだ?」

 

 片目を眇めて問う男に阿夜は己の左腕を見せる。そこには他の囚人同様、鉛色の手枷が鈍く光っていた。

 

(オマエ)(ワタシ)も未だ監獄結界の呪縛からは解放されていない。完全な解放には術者である那月を殺す他ないであろうな」

 

 阿夜の手で手傷を負わされ呪いまでかけられた那月であるが、未だその命の灯火は消えていない。那月が生きている以上、監獄結界はまだ機能している。囚人たちは著しく体力や魔力を消耗すれば監獄内部へと強制的に収容されるようになっているのだ。

 故に此処にいる脱獄囚たちは本当の意味で解放されたわけではない。まだ、であるが。

 

「あれは抜け目のない女だが、我が魔導書の呪いによって無力な幼子になっている。ここまで言えば、理解できるな?」

 

「ハッハァ、そいつは良いことを聞いたぜ。“空隙の魔女”もガキになっちまえば楽に始末できるってわけだ」

 

 阿夜に向けていた殺気を霧散させ男は獰猛に歯を向いて笑った。

 那月の恐ろしさは重い契約の果てに手にした魔女としての力だけではない。彼女が今日まで“空隙の魔女”として蓄積してきた経験全てが脅威なのだ。

 しかし今の那月は己の強さの根源である時間そのものを失っている。非力な幼子と化した那月を始末するくらい、脱獄囚たちにとってはわけない。

 

「ふむ、では“空隙の魔女”を始末するまでは、互いに邪魔をしないということで宜しいかな?」

 

 今まで傍観に徹していたシルクハットを被った紳士が纏める。他の脱獄囚たちは紳士の提案に頷きこそしなかったが、那月の殺害が確認されるまでは争い合うことはないだろう。ドレッドヘアの男は不愉快そうに舌打ちしていたが。

 今にも那月を探しに飛び出しかねない囚人たちの顔を見回し、阿夜は改めて眼下の少女たちを見下ろす。

 

「さて、此方の話は纏まったようであるが(オマエ)たちはどうする? 那月を庇うというのであれば、此奴らが喜んで相手してくれるぞ。何せどいつもこいつも那月には痛い目を見せられているからな」

 

 阿夜の背後から殺意に満ちた視線が降り注ぐ。監獄結界に収監されて今の今まで囚人生活を送っていた囚人たちは、那月に対して並々ならぬ憎悪を抱いている。そんな彼らの前で那月を庇うような真似をすればどうなるかは分かり切っていた。

 

「くっ、どうすれば……」

 

 脱獄囚たちは危険極まりない存在で、彼らの行動をこのまま看過するわけにはいかない。しかし今ここで雪菜たちが彼らと正面から相対したところで屍が増えるだけだ。

 この場の最善手は態勢を整えるための速やかな撤退だ。雪菜と紗矢華が同じ結論に辿り着き、すぐさま撤退の構えを見せようとして、

 

「何処に行こうってんだァ!」

 

 弾かれたように飛び出したドレッドヘアの男が襲いかかってきた。

 男は高々と腕を掲げると勢いそのままに振り下ろす。殆ど魔力も込められておらず、大して脅威を感じられない挙動だ。しかし剣巫としての霊視で先読みした雪菜は即座に槍を閃かせた。

 

「“雪霞狼”!」

 

 あらゆる魔力を打ち消す破魔の槍が不可視の一撃を防ぎ止める。しかし男が放った不可視の一撃は凄まじい爆風と衝撃を齎らし、ただ一度防いだだけで雪菜は膝を突いてしまった。

 “雪霞狼”をもってしても完全に防ぐことができない。雪菜は眼前の男の脅威を改めて認識して表情を強張らせるが、男は男で己の一撃を防がれて酷く動揺していた。

 そんなドレッドヘアの男の真横を巨大な火球が過ぎ去り、隕石の如く雪菜を目掛けて落下する。シルクハットの紳士が放った魔術だが、その威力は優麻が操る初歩的な魔術とは比べ物にならない。

 迫り来る隕石の如き火球に体勢が崩れた雪菜は対応できない。代わりに飛び出したのは長大な剣を携えた紗矢華だった。

 

「私の雪菜になにやってんのよ、このエセ紳士──!」

 

 凄まじい剣幕で振るわれた剣が擬似的な空間断層を生み出し、火球の脅威から雪菜を完全に守る。擬似空間断層に阻まれた火球は凄まじい爆発と熱を放ち、紗矢華と雪菜の立つ岩肌を飴細工の如く溶かした。

 火球が秘めていた威力に紗矢華は顔を痙攣らせる。防ぐことができたからいいものの、生身で今のを受けていれば灰も残らず死んでいただろう。

 

「私の魔術を凌ぐとは驚いた。しかし、今ので底も知れたものだ」

 

 ドレッドヘアの男の隣に紳士が降り立つ。どうやら共闘の形を取るらしい。相方のドレッドヘアは凄まじく嫌そうな顔をしているが。

 並び立つ二人に対して雪菜と紗矢華の表情は険しい。今は二対二の様相となっているが、その実は後ろの四人がいつ動き出すか知れたものではなく、目の前の二人だけに集中することができない。何よりも彼らが挙って後方の優麻と古城を狙い始めたら守り切ることは不可能だった。

 雪菜と紗矢華が決断に至るのは早かった。

 

「優麻さん。暁先輩を連れて此処から逃げてください。彼らは此処で食い止めます」

 

「何を言って……」

 

 決然とした態度で無謀にもほどがあることを宣う雪菜に優麻は反論しようとするが、この場を切り抜ける方法が他に思い浮かばず尻すぼみになってしまう。

 

「大丈夫です。こんな所で無駄死にするつもりはありませんから」

 

「当たり前でしょ。私が居るんだから、雪菜に指一本でも触れさせたりしないんだから」

 

 強がりだ。雪菜と紗矢華が揃って並び立つ姿は頼もしいけれど、二人とも武器を握る手が微かに震えている。気丈に振る舞っていても二人はまだ年若い少女で、明確な死を意識すれば恐怖してしまうのも当然だ。

 それでも立ち向かおうとするのは二人に守りたいものがあるから。雪菜は大切な先輩と友人を守るため、紗矢華は妹同然の雪菜とついでに何時も一人で何でも抱え込もうとする阿呆を守るため。二人とも恐怖を飲み込んで立っている。

 無謀であるが勇敢な二人の姿に対して、優麻は己の不甲斐なさに項垂れる。足手纏いにしかならず、逃げることしかできない自分が情けなかった。

 こんな時、古城ならどうするだろうか。

 優麻の知る古城なら、雪菜と紗矢華を残して逃げるなんてことしないだろう。お人好しで無鉄砲だった古城は目の前に破滅が待ち構えていようと構わず、大切な人のためなら立ち向かってしまう人だった。

 

「君たちを犠牲になんてできないよ。そんなことしたら、古城に合わせる顔がないじゃないか……」

 

 動くのも億劫な身体に鞭打って優麻が立ち上がる。瞳に決死の覚悟を宿した彼女は、残された魔力の全てを振り絞ってこの場にいる雪菜たちを空間転移させようとする。

 

「優麻さん、いったい何を……!?」

 

「ボクの全てを賭して君たちを離脱させる。大丈夫、命を賭ければもう一回ぐらいは転移できるさ……!」

 

「駄目です! あなたが犠牲になったら、暁先輩や凪沙ちゃんが悲しむんですよ!?」

 

「それは君たちが犠牲になっても同じことだよ。だったら数が多いほうを取るべきだ。後のことを考えても、ボク一人が犠牲になったほうがいいに決まってる」

 

 お互いに譲れない論争で白熱してしまう。感情的な雪菜と冷静に後々のことまで考える優麻とでは後者に軍配が上がりそうなものだが、この場には二人の意見を擁護する者がいない。

 そんな言い争いを続けようとした雪菜たちに痺れを切らした囚人たちが攻勢に出た。

 

「下らねェ口喧嘩はあの世でやっとけや、ガキどもがよ!」

 

「油断大敵だ、お嬢さんがた」

 

 ドレッドヘアの男が腕を振り下ろし、魔術師の紳士が複数の魔術を行使する。

 一瞬とはいえ気を取られた雪菜たちは彼らの攻撃に反応が遅れた。即座に対処しようと各々の武器を構えるも、完全に防ぎ切るには間に合わない。

 絶望的な攻撃の嵐に雪菜たちが身構えた時──視界が分厚い氷壁に覆われた。

 

「これは……!?」

 

 一瞬で出現した半径数百メートルにも及ぶ巨大な氷壁を前にして、雪菜たちは一様に目を丸くする。脱獄囚たちの攻撃を受けても小揺るぎもしない強度を持つ氷の壁が突如として現れれば、呆気に取られてしまうのも無理はないだろう。

 

「いったい誰が……?」

 

 困惑しながら雪菜は可能性として高い古城を見やる。古城の中に眠る眷獣が宿主の危機に対して権能を行使したと考えたのだ。しかし当の古城は未だに気を失っているままで、眷獣が勝手に飛び出した様子もない。

 では誰が雪菜たちを守ったのか──

 

「──契約に従い、汝らに加勢しよう」

 

 静かな冷気を伴い、一人の少女が姿を現す。

 この場にはそぐわない黒猫風の仮装に身を包んだ黒髪の少女だ。顔立ちは年齢の割には幼く、相対する人に人懐こい印象を与えるだろう。しかし今は人懐こさとは真逆の雰囲気を纏っていた。

 つぶらな瞳は虹彩が開き切り、口元には酷薄な笑みが湛えられている。常日頃の爛漫な少女とはかけ離れた、どこか超然とした雰囲気だ。

 突如として現れた少女を見て、雪菜と優麻が信じられないものを見たように目を瞠る。

 

「凪沙ちゃん……!?」

 

 雪菜が呻くように少女の名を呼んだ。

 闖入者である少女──暁凪沙は口元の薄笑みをそのまま、分厚い氷壁越しに敵対者たちを静かに睨み据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




古城くん大暴れルート
古城くん弱体化ルート←

後々の展開を考えて、下を選びました。ちなみに吸血鬼は呪詛に対する抵抗が高いですが、作中でも限定的な状況なら影響を受けるので全く効かないことはないはずです。


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観測者たちの宴 Ⅲ

 周辺一帯の大気が急激に冷やされ、空気中の水分が凍り付いて氷の結晶が舞い散る。禍々しい監獄が氷の結晶に彩られて幻想的な景色が創り上げられるが、この場に呑気に風景観賞をするような人間はいない。

 

「次から次へとガキがしゃしゃり出てきやがって。どうなってやがる!」

 

「魔術にしては規模が桁違い……彼女はいったい何者だ……?」

 

 またもや己の攻撃を妨げられて憤慨するドレッドヘアの男と、突如として現れた謎の少女に対して警戒を募らせる魔術師の紳士。しかし彼らは凪沙の介入に驚きはせよ、大して脅威には感じていなかった。

 所詮は女子供が一人増えただけ。先の氷壁を一瞬で生成した能力こそ目を瞠るものがあるが、それだけの話。氷の壁程度、砕くか溶かし尽くしてしまえばいいだけの話だ。

 ドレッドヘアの男と魔術師の紳士が再び攻撃態勢に入る。氷の壁越しにその様子を見ていた凪沙らしき少女は無造作に右手を振り翳した。

 それに気付けたのは一重に運が良かったのだろう。いつの間にか自身の足元まで滞留していた冷気の奇妙な動きに、ドレッドヘアの男は咄嗟に隣の紳士を引き寄せて盾にした。

 次瞬、冷気の中から生えた無数の氷槍が脱獄囚たちを襲った。

 

「がふっ!? シュトラ・D、貴様ァ……!」

 

「恨むんなら鈍間なテメェを恨むんだな!」

 

 鋭利な氷の槍に全身を串刺しにされ、魔術師の紳士が怨嗟に満ちた声を上げる。平然と他人を身代わりにしたドレッドヘアは悪びれもせず、即座に冷気の範囲外へと離脱した。

 鋭い氷の槍に貫かれて出血と急激な体温低下に見舞われた紳士を取り巻く空間が、水滴を垂らされた水面のように揺れる。次の瞬間、虚空から吐き出された大量の鎖が紳士を縛り上げた。辛うじて機能している監獄結界が弱った囚人を連れ戻そうとしているのだ。

 

「おのれぇ、この程度で私がああああああ──!」

 

 必死に逃れようとする紳士だが、極低温まで冷やされた身体では碌な抵抗もできない。間もなく魔術師の紳士は虚空へと引き摺り込まれ姿を消した。

 脱獄囚の一人が早くも脱落したことで他の脱獄囚たちに動揺が走る、などということはなかった。高みの見物をしていた面々は小娘一人に倒された紳士の無様を冷ややかに笑っており、身代わりにした当人に至っては邪魔が減ったとばかりに嬉々としている。

 彼らには仲間意識など欠片もない。目の前で殺されようと微動たりとしないだろう。

 

「一人だけか。まあいい……」

 

 脱獄囚の一人を瞬殺してみせた凪沙は、用は済んだとばかりに踵を返すと元来た道を戻り始めた。

 

「待って下さい、あなたは……!?」

 

 まるで嵐のように訪れそのまま去ろうとする凪沙の姿をした誰かを、雪菜が咄嗟に呼び止める。背中越しの呼び掛けに少女は歩みを止め、肩越しに雪菜たちを振り返った。

 

「潮時だ。退き際を見誤れば死ぬぞ、剣巫の娘」

 

「──ッ、撤退します!」

 

 決断は早かった。

 凪沙の介入によって脱獄囚たちは動きが鈍り、追撃しようにも巨大な氷壁が邪魔をしてできない。撤退するなら今この時しかなかった。

 雪菜の即断に紗矢華と優麻も追従してこの場からの離脱を始める。

 

「待てやコラ、逃すとでも思ってんのかァ!!」

 

 ズドン! と大砲のような音が響いて氷壁に罅が入る。ドレッドヘアの力任せな攻撃に早くも氷壁が悲鳴を上げていた。防壁が崩れるのも時間の問題だろう。

 氷壁が破られてしまえばあっという間に追いつかれてしまう。雪菜たちは焦燥に表情を歪めるが、凪沙だけは悠然と笑みを零していた。

 

「案ずるな。加勢は我だけではない……」

 

 凪沙が意味深に呟くと雪菜たちを眩い照明が照らす。光の先を目で辿ると、監獄結界と絃神島を繋ぐ桟橋の先に見慣れない多脚型の戦車のような乗り物が停車していた。

 その戦車の上部、開閉ハッチから身を乗り出して上半身だけの人影が存在を主張するように手を振っている。

 

「全員、早くこっちに来て!」

 

「藍羽先輩!? どうしてここに……!?」

 

 桟橋を渡り切った先で待っていた人影の正体は雪菜の先輩であり、古城の同級生でもある藍羽浅葱だった。

 凪沙に続いて浅葱までもがこの場に居合わせる状況に思わず足を止めそうになる雪菜。そんな雪菜を叱咤するように浅葱が切羽詰まった声を張り上げる。

 

「いいから、乗って! 今すぐ逃げないと追いつかれちゃうでしょ!?」

 

「乗ってと言われても、何処に乗れば……」

 

 有脚戦車(ロボットタンク)を見上げて雪菜は困惑の声を上げる。

 目の前に停まっている戦車らしき乗り物は装甲が流線型で、足や手を掛けるような場所がない。鍛えている雪菜と紗矢華であればバランスを取れるだろうが、他の面々には難しいだろう。

 

「あー、じゃあ手狭だけど操縦室(コックピット)にも乗り込んで! 元気な人は上で振り落とされないように頑張って!」

 

 早口で捲し立てて浅葱は操縦室に引っ込む。他の面々も即座に戦車へ乗り込んだ。

 雪菜と紗矢華が上に乗り、古城を抱えた優麻が中に乗る。凪沙は優麻に続いて音もなく操縦室内へと滑り込んだ。

 

「ちょっと待って。なんで凪沙ちゃんもいるの? え、その子、だれ? 古城? 嘘でしょ!? 何がどうなってんのよ、もう!」

 

 操縦室内から浅葱のテンパった叫びが聞こえてくる。同級生だった少年が縮んだ姿で現れれば誰だって驚く。雪菜だって驚く、というか既に驚いた後である。

 

「全員乗った? 乗ったわね!? かっ飛ばすから上の人たちは落っこちないように気をつけてよ!」

 

 浅葱の警告の声に雪菜と紗矢華が身構えると同時、エンジン全開で戦車が走り出した。戦車は物凄い速度で監獄結界から離れていく。さしもの脱獄囚たちも足で戦車の速度には追いつけないだろう。

 雪菜たちを乗せた戦車はそのまま夜の絃神島市内へと消えていった。

 

 

 ▼

 

 

 監獄結界からある程度の距離を取り、追手の気配もないと確認できたところで戦車は人気のない路肩に停車した。

 雪菜と紗矢華が軽い身のこなしで降りると、操縦室のハッチが勢いよく開いて浅葱が顔を出す。その顔には色濃い疲弊が貼り付いており、彼女の精神状態を端的に表していた。

 

「いくらなんでも操縦室に四人は無理があったわ……」

 

 這いずるように外へ出て車体を滑り降りる浅葱。そのまま車体に凭れて地べたに座り込んでしまう。一人乗りを想定して設計された操縦室に四人で乗り込めば相当に窮屈だっただろう。加えて雪菜たちと違い修羅場に慣れていない浅葱にとって、殺し殺されかねない戦場の空気も堪えたらしい。

 長い沈黙が流れる。この場において最も問い質したいことがあるだろう浅葱は口を閉ざしたまま、紗矢華は念のために周囲の警戒に気を張っており、誰も口を開かない微妙に重苦しい空気が漂う。

 静寂を破ったのは痺れを切らした雪菜だった。

 

「何も訊かないんですか?」

 

 沈黙に堪えかねて切り出した雪菜に、浅葱はやや険の篭った目を向ける。

 

「なに? 訊いたら答えてくれるの?」

 

「それは……」

 

 向けられた厳しい眼差しにたじろぐ雪菜。

 浅葱は雪菜や古城とは違う、完全無欠な一般市民である。巻き込んでしまったとはいえ、雪菜の一存で教えられることには限りがある。特に古城を取り巻く事情に関してはデリケートを超えて爆弾級であり、下手に知ってしまえば浅葱の今後が危ぶまれる。何より、当人である古城に断りもなく話すわけにはいかない。

 返答に窮して目を伏せてしまう雪菜をしばし見つめ、浅葱は罰が悪そうに視線を逸らした。

 

「ごめん、意地悪言った。色々と立て込んでて、あたしも気が立ってるみたい」

 

 乱れた感情を落ち着けるように吐息を零し、落ち着きを取り戻した上で浅葱は雪菜と向き合う。

 

「そりゃあ、訊きたいことは山ほどあるわよ。この島に何が起こってるのか。どうして古城が戦王領域の貴族と戦ってたのか。そもそも古城は何者なのか。あなたたちと古城はどんな関係なのか。洗いざらい、全部話してもらいたいさ。でも……」

 

 背凭れにしていた戦車を振り返る浅葱。その視線は操縦室内で未だに目を覚さない古城に向けられていた。

 

「後で全部話すって約束したから、今はいいわ」

 

 きっぱりと割り切ってみせた浅葱。この状況で割り切ることができる浅葱の強かさに雪菜は少なからず感心させられた。

 

「それに、ここで悠長にお喋りしてる時間もないんでしょ? 状況はさっぱりだけど、絃神島に良くないことが起きてるのは分かる。何ができるのかは分からないけど、何かしなきゃいけないんじゃない?」

 

 少ない情報を冷静に分析した上で浅葱は異変の解決を見据えている。私情よりも優先すべきことがあると理解しているのだ。

 浅葱の指摘通り、雪菜たちには絃神島を守るために優先すべきことがある。またも行方知れずになった那月を捜索し、脱獄囚たちの魔の手から守らなければならない。加えて仙都木阿夜に奪われた時間を取り戻し、那月と古城を元の姿に戻す必要もある。浅葱に事の始まりから最後までを説明している時間はなかった。

 

「今、何が起きているのか。何をすべきなのか。これだけでいいから教えなさいよ」

 

「ですが、藍羽先輩は……」

 

「無関係なんて言わないわよね?」

 

 キッと睨み付けられて雪菜は小さく呻いた。

 監獄結界から離脱するために危険を顧みずに協力してくれた浅葱を、無関係の部外者だからと突き放すのは無理があった。

 しかし、浅葱は雪菜たちのように身を守る術を持たない、ごく普通の高校生なのだ。凶悪な犯罪者たちに関わらせるのはあまりにも危険である。

 雪菜の葛藤を察して、浅葱が気遣わしげに微笑む。

 

「何となく、姫柊さんがあたしのことを考えて悩んでるのは分かった。でもね、あたしだって伊達に“魔族特区”育ちじゃないのよ」

 

 微笑みを勝ち気な笑みに変え、雪菜の懸念を吹き飛ばすように浅葱は言う。

 

「今更、テロだなんだでビビるほど柔な性格してないのさ。分かったら大人しく先輩を頼りなさい」

 

 先輩風まで吹かせ始めた浅葱に雪菜はしばらく悩んでいたが、やがて折れたのか肩を落としながらポツポツと話し始める。

 説明するのは監獄結界が破られ、凶悪な国際魔導犯罪者たちが脱獄したこと。彼らが完全なる解放のために古城と同様に幼児化した那月を狙っており、彼らより先に那月を保護しなければならないことを端的に話した。また、古城と那月を元の姿に戻すため、仙都木阿夜の打倒も必要だと付け加える。

 その他の因果関係などに関しては伏せた。話せば長くなるし、浅葱が必要ないと割り切った以上、無理に聞かせることもない。

 雪菜の話に耳を傾けていた浅葱は、しばしの吟味のあと納得したのか口を開いた。

 

「色々と気になることはあるけど、やるべきことは分かったわ。監獄結界の囚人とか明らかにヤバイけど、とりあえずの方針は那月ちゃんの保護ね」

 

「はい。ですが、居場所が分からないことには……」

 

 那月は最後の力を振り絞ってあの場から姿を消した。行方は知れず、今何処で何をしているのかも分からない。捜索は難航するだろう。

 しかし忘れてはならない。雪菜の目の前にいる少女は絃神島のネットワークを軽々と支配し、当然のようにカメラをハックできるとんでも少女だ。絃神島内を彷徨う幼児化した那月を探すくらい朝飯前である。

 

「那月ちゃんの居場所はあたしが探すわ。それより、あなたたちはどうやって囚人の手から那月ちゃんを守るのかを考えて──」

 

「──話の途中にごめん、二人とも」

 

 浅葱の言葉を遮って操縦室のハッチから優麻が顔を見せる。その表情は焦燥に満ちており、何か問題が起きたことを示していた。

 

「凪沙ちゃんの様子がおかしいんだ……!」

 

 優麻の言に雪菜と浅葱は互いに顔を見合わせ、息を合わせたように凪沙の様子を確認に動き出す。異変を察した紗矢華も駆け寄ってきた。

 狭い操縦室内から優麻の手で外に出され、そっと地面に横たえられた凪沙の表情が苦しげに歪む。

 

「どうしたのよ、その子。さっきまで元気に動いてたと思ったのだけど?」

 

「分からない。古城の様子を見てたら、いつの間にかこうなってたんだ……」

 

 自分を慕ってくれていた少女の急変に動揺が隠せないようで、優麻は不安げな顔をしていた。

 凪沙の傍らに膝を突いた雪菜は、苦しげな呼吸を繰り返す凪沙の手を取る。死人のように冷たい感触に雪菜は驚愕した。

 

「これは、まさかそんな……」

 

 先の神憑りのような様子から予想はしていたが、直接触れたことで雪菜は凪沙の身を苦しめる原因を直感的に把握してしまった。偏に雪菜が剣巫──巫女の系統だったからだ。

 古城と凪沙の間には秘匿された繋がりがある。恐らくは当人たちも知らない。雪菜だからこそ気づけた。

 

「紗矢華さん」

 

 同じく獅子王機関所属で舞威媛の紗矢華を、同意を求めるように見上げる。触診で凪沙を診ていた紗矢華も概ね同じ結論に至ったらしく、重々しい頷きを返す。

 

「雪菜の見立てで間違いないわ。極度の霊力欠乏症ね。すぐに命がどうこうとまではいかないでしょうけど、早いところ専門の医療機関に連れていったほうがいいわ」

 

「霊力欠乏症? どうして凪沙ちゃんがそんなことに……」

 

「それは……分からないわ」

 

 一瞬だけ雪菜と目配せを交わし、紗矢華は答えを濁した。そのやり取りを怪訝に思い、雪菜と紗矢華をじぃっと見つめる浅葱。

 

「……まあ、いいわ。今は凪沙ちゃんが優先だし、診てもらえる医療機関を探さないと──」

 

「──その必要はなかったりするんだよね」

 

 焦燥に支配されていた一行の空気を打ち壊す、底抜けに明るい女性の声が響いた。

 反射的に雪菜たちは声の発生源に対して身構える。すわ脱獄囚に追いつかれたのかと思ったのだ。

 雪菜たちの危惧は、しかし不要のものだった。

 歩道を照らす街灯に背中を預け、雪菜たちを品定めするような視線を向けてくる女性がいた。

 背格好は高からず低からず、しかして胸部の主張はかなり激しい。よれよれの白衣がだらしない雰囲気を醸し出している。伸ばされた髪がぼさぼさだったり、やや眠たげな目付きもだらしなさに拍車を掛けているだろう。

 見覚えのない女性の存在に警戒を強める雪菜たち。監獄結界の囚人ではないようだが、こんな人気のない場所で接触してきたことから、ただの通りすがりとは考えづらい。自然と身構えてしまうのも仕方ないだろう。

 そんな雪菜たちの態度など気にも留めず、女性は鼻歌交じりに近づいてくる。歩みは真っ直ぐ、苦しげに横たわる凪沙を向いていた。

 すっと雪菜が凪沙を庇うように立ち位置を変える。

 

「待ってください。あなたは何者ですか?」

 

「んー、私? ふふっ、私はね──」

 

 悪戯を思い付いた子供のように笑って歩みを止める女性。その場で無駄にくるりと一回転して、恥ずかしげもなくキャピルンとポーズまで決めて、女性は高らかに名乗りを上げる。

 

「──暁深森。凪沙ちゃんと古城くんのお母さんでした!」

 

 白衣の女性──暁深森は場違いなほどのハイテンションで己の正体を明かした。

 警戒していた中で明かされた女性の正体に雪菜たちは石像のように硬直。ややあって理解が追い付き、口を揃えて叫んだ。

 

「──お、お母様!?」

 

 少女たちの驚愕に満ちた絶叫に、満足げに深森は笑みを浮かべた。

 

 

 ▼

 

 

 MAR──マグナ・アタラクシア・リサーチ社は東アジアを代表する巨大企業であり、世界有数の魔導産業複合体だ。絃神島にも巨大な研究所を有しており、雪菜たちはその敷地内に設立されたゲストハウスの一室に案内されていた。

 案内人はゲストハウスの一室を私物化し、週の大半をそこで過ごしている深森だ。深森はMAR医療部門の主任研究員であり、多少の無茶なら通せる立場にある。

 最初、雪菜たちは深森に対してどう接すればいいか分からず戸惑った。一度も会ったことのなかった古城と凪沙の母親ということもあったが、息子と娘が方向性は違えど大変な状態に陥っており、何と説明すればいいのか分からなかったのだ。

 しかし深森は雪菜たちの懸念など知らぬとスルーし、苦しむ凪沙を見ても動揺せず、縮んだ古城を見た時は「あらぁ、随分と可愛くなっちゃって。後で写真撮っておかないとね!」などと呑気な反応のみ。平静過ぎる態度に雪菜たちのほうが困惑させられた。

 

「じゃ、私は凪沙ちゃんを研究所に運んでくるわ。あなたたちはてきとーに寛いでいていいわよ。あ、お腹減ってたら冷蔵庫のピザとか食べていいからね。あと、寝てる古城くんに悪戯とかしちゃダメよ? 勿論、フリだけど」

 

 嵐のようなマシンガントークをかまし、凪沙を抱えて部屋を出ていってしまう深森。残された面々は暫くの間、深森の色々と凄まじい勢いに圧倒されていた。

 深森が私物化している部屋はゲストハウスの中でもかなり上等な部屋らしく、雪菜たちが腰を落ち着けて話をするだけの広さは十二分にある。干しかけの洗濯物や郵便物、怪しげな医療器具などが散乱していて本当に落ち着けるかどうかは微妙であるが。

 雪菜たちは部屋の中で比較的片付いていたテーブルを囲み、改めて話の続きを始めた。

 

「凪沙ちゃんのことはお母様にお任せして、今後の方針を確認しましょう。優先事項としては南宮先生の捜索と保護ですけど、捜索は藍羽先輩にお願いしても大丈夫ですか?」

 

「いいけど……」

 

 先ほどまでの自信に満ちた態度から打って変わり、浅葱は何か突っ掛かりを覚えたのか怪訝な顔で考え込む。

 雪菜たちの見守る中、暫く難しい顔で唸っていた浅葱がハッと顔を上げた。

 

「そうよ、おかしいじゃない。固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書で記憶を奪ったのなら、わざわざ那月ちゃんを追いかけ回す必要なんてないはず。つまり、これは陽動(フェイク)で本命は別に……」

 

「あの、藍羽先輩。一人で納得されても困るのですが……」

 

「え? ああ、ごめん。ちゃんと説明するわ」

 

 雪菜の声で我に返り、浅葱はこの場の面々に己の考えを語り始めた。

 雪菜から簡単に状況を説明された時点で浅葱は引っ掛かりを覚えていた。

 脱獄した仙都木阿夜は固有堆積時間操作の魔導書で那月と古城の記憶を奪った。奪い取った記憶は阿夜の手元にあるのだろう。ならばその記憶の中には、脱獄囚たちを縛める監獄結界の“鍵”──解除プログラムがあるはずだ。

 しかし現実は、脱獄囚たちは血眼になって那月を探しており、彼女を殺せば自由になれると信じている。そう仕向けたのは他でもない阿夜だ。

 明確に指示したわけではないが、那月の弱体化を脱獄囚たちに仄めかした阿夜はその実、那月を殺さずとも自由になる手段を持っていた。その鍵の存在を脱獄囚たちに秘匿し、敢えて那月を狙うように誘導した目的は何か──

 浅葱の意見に雪菜たちは険しい表情で黙考する。腕利きのハッカーでプログラマーの浅葱だからこそ気づけた違和感。筋は通っているし、納得もいく。しかし、そうなると阿夜の目的が分からない。

 

「もしかして、お母様は……」

 

 思い当たる節があったのか、優麻が小さな呟きを零す。

 憶測だけど、と前置いてから優麻は話し始めた。

 

「お母様は十年前、絃神島でとある魔術儀式を敢行しようとして、南宮那月に敗れ監獄結界に送られた。世間一般には“闇誓書事件”と呼ばれてるはずだよ」

 

 十年前に仙都木阿夜が絃神島で引き起こした“闇誓書事件”。儀式によって大規模な魔力消失現象が引き起こされ、魔術によってその大部分を支えている人工島である絃神島は少なくない被害を被った。

 絃神島での日が浅い雪菜と紗矢華は“闇誓書事件”と聞いてもピンと来なかったようだが、唯一浅葱だけが目に見えて顔色を変えた。今回の事件がLCOの魔女が発端であり、十年前にも似たような空間異常があったということで色々と調べていた浅葱は優麻の言わんとすることを理解したのだ。

 浅葱は私物のノートパソコンを広げ、鬼気迫る様子で何やら調べ始める。そんな浅葱を横目に優麻は続けた。

 

「魔術儀式は南宮那月の介入によって失敗に終わった。もしも、お母様があの日の続きを諦めていなかったとしたら、再び“闇聖書”を利用して儀式を実行しようとしているかもしれない」

 

 確かな根拠があるわけではないが、優麻の推測はそれなりに説得力があった。

 阿夜があの日の儀式の再演を目論んでいるとすれば、脱獄囚たちを解き放ったのも陽動の一環だと納得できる。脱獄囚たちから那月を守らせることで、自分は誰に邪魔されることもなく儀式の準備ができるのだから。

 耳を傾けていた雪菜と紗矢華も、可能性としては十二分にあり得ると肯く。丁度そのタイミングで、ノートパソコンと睨めっこしていた浅葱が声を上げた。

 

「ビンゴ! 彩海学園を中心に謎の結界が発生してる。今は狭い範囲だけど、このペースだと今夜中には絃神島全域を覆う規模になるわ」

 

 優麻の推測を裏付ける情報が浅葱によって齎され、いよいよもって事態は混迷を極め始めた。

 阿夜の真の目的が判明したことで状況が好転したかと言えば、そんなことはない。むしろ対処しなければならない事柄が増えただけだ。

 脱獄囚たちの完全解放を防ぐために那月の保護に注力すれば、闇誓書によって絃神島のありとあらゆる魔力が消失してしまい、魔術で造り上げられた絃神島は海の底へ沈む。だからといって那月の保護を後回しにしてしまえば、最悪の場合は監獄結界が破られ絃神島を凶悪な魔導犯罪者たちが闊歩しかねない。

 戦力となる人間は雪菜と紗矢華のみ。たった二人で両方に対処するのは無理があり、彼方を立てれば此方が立たない状況だ。

 那月の保護と阿夜の打倒。何方を優先すべきか、或いは戦力を分散して対処するか。雪菜たちも即座に決められないでいた。

 せめて古城が万全とは言わずとも弱体化しないでいたら、と雪菜はリビングのソファに寝かされた古城を見遣る。消耗が激しかったのか、監獄結界で一度目を覚まして以降は起きる気配がなく、今も比較的穏やかな寝息を立てている。

 人手が足りないという思いはこの場にいる全員が共有しており、浅葱も縋るように眠りこける古城に視線を向けていた。

 

「緊急事態だっていうのに、気持ち良さそうに眠りこけちゃって。こいつめ」

 

 うりうりと浅葱が眠る古城の頬を突く。思索に煮詰まった末の現実逃避のようなものだったが、あどけない寝顔をむず痒げに顰める古城の反応に、浅葱は言い知れぬ興奮を覚えていた。

 普段は高校生とは思えないほどにしっかりとした好青年である同級生の幼く無防備な寝姿。深森からも悪戯していいよ的なお言葉を頂いている。ちょっとくらいならいいのでは、と浅葱がごくりと生唾を呑む。

 しかし忘れてはいけない。今この場にいるのは浅葱だけではない。

 

「藍羽先輩……」

 

 無表情で呆れた空気を醸し出すという器用な真似をする雪菜が、冷ややかな眼差しで音もなく背後に立っていた。見れば紗矢華と優麻もテーブルを離れて古城を囲む立ち位置に移動している。

 

「違うのよ、これは決してそんな邪な想いがあったわけじゃなくて」

 

「じゃあ、なんで顔を近づけようとしていたんですか?」

 

「……キスしたら目が覚めたりしないかなぁ、って」

 

「立場が逆だと思うんですけど」

 

 もはや言い訳にすらなっていない浅葱の発言を雪菜はバッサリと切って捨てた。

 

「藍羽浅葱、あなたねぇ……」

 

「あはは、本当に古城の周りは面白い子が沢山いるんだね」

 

 呆れて物も言えないとばかりの紗矢華と楽しげに展開を見守る優麻。自分だけが暴走していた状況に浅葱は顔を真っ赤にする。

 

「だって仕方ないじゃない。こんなあどけない顔で寝てたら、ちょっと悪戯してみたくもなるでしょ!?」

 

 いっそ清々しいまでの逆ギレであるが、浅葱の言にも一理あった。

 ソファで眠る古城の寝顔はあどけなくて普段とのギャップが著しい。加えて今は見た目も幼くなっており、庇護欲やら何やらを非常に掻き立てられる。それでも寝ている相手の唇を奪うのはどうかと思うが。

 まじまじと少年の寝顔を覗き込む少女が四人。側から見たら事案かと疑われかねない絵面である。

 四対の視線に曝されたことが切欠なのか、不意に小さな唸り声を上げて古城少年の目蓋が開く。寝ぼけ眼を何度か瞬かせて、見覚えのない少女たちに囲まれている体勢に目を点にした。

 

「うおわっ!?」

 

 あ、と声を上げたのは誰だったか。完全に目を覚ました古城少年はやたらと見目の麗しい少女たちに囲まれていることに驚き、慌てて距離を取ろうとしてソファから転げ落ちた。

 

「あの、大丈夫ですか……先輩?」

 

 頭を打って悶絶する古城少年を気遣う雪菜。驚かせてしまったことを申し訳なく思いつつ手を差し伸べる。

 しかし古城少年は差し伸べられた手を取らず、不審者を見るような目を返した。

 

「先輩? 誰だよ、あんたたち。なんか知らない奴も増えてるし」

 

 目覚めてすぐに目が醒めるような美少女たちに囲まれていたと思えば、面識のない年上の少女から親しげに先輩呼びされ、古城少年は訳が分からず困惑と警戒の入り混じった顔をした。

 古城少年の余所余所しい態度に、優麻以外の三人が衝撃を受けた。

 

「そうでした。今の先輩はわたしたちを知らない……」

 

 悪気のない古城の初対面の反応が、雪菜たちに少なくないダメージを与えた。

 ズーンと落ち込む雪菜たちを見兼ねて、この場で唯一コミュニケーションを取れるだろう優麻が進み出る。

 

「大丈夫だよ、古城。この人たちは怪しい人じゃないから」

 

「ユウマ、だよな?」

 

 記憶にある姿よりも背丈やら身体つきやらが成長している幼馴染に戸惑いを隠せない古城。まるで自分だけが時間の流れに置いてけぼりを喰らったような疎外感が拭えない

 

「古城、今から話すことを落ち着いて聞いて欲しい」

 

 不安に揺れる古城の瞳を真っ直ぐ見据え、優麻はゆっくりと幼子に言い聞かせるように事情を説明する。

 変に誤魔化すよりかは自身の置かれた状況を伝え、理解させたほうが良いと考えたのだ。この頃の古城ならば、驚き混乱はすれど事態を呑み込むのに大した時間は要さないと判断したのである。

 しかし優麻の見込みは外れてしまった。

 

「魔導書で記憶喪失? なに言ってんだよ、そんな御伽話みたいなことが……っ!」

 

「どうしたんだい、古城!?」

 

 魔導書やら何やら非現実的な単語が出たあたりで胡乱な顔付きになっていた古城が、唐突に頭痛を堪えるように頭を抱えて蹲る。慌てて優麻が駆け寄ると、ぶつぶつと虚な呟きが聞こえてきた。

 

「なんだ? 俺は、()は? 古城……暁古城? 訳が、分からない。俺は誰なんだ……?」

 

 顔色を真っ青にして頭を抱え、今にも錯乱して発狂しそうな勢いで身体を震わせる古城。記憶が混乱しているのか、自分自身が誰なのかすら判別がついていない。

 尋常な精神状態ではなく、このまま放置すれば自我が崩壊しかねない。危険な状態だと判断して、呪術に長けた紗矢華が催眠暗示で落ち着かせようと動きだした時、カチャリと音を立ててリビングのドアが開いた。

 

「やあやー、たっだいま。私が居ない間に色々と楽しめたかしら……って、あら?」

 

 凪沙を研究室に送り届けて戻ってきた深森は、室内の騒然とした様相に目を丸くする。次いで少女たちから少しばかり距離を取った位置で頭を抱える古城少年を認め、なるほどと口の中で小さく呟く。

 

「ふんふー、目が覚めたら可愛い女の子たちに囲まれててビックリしちゃったのかしら。私だったら選り取り見取りだーって舞い上がっちゃうけどなー」

 

「違うんです、深森さん。古城は……」

 

 錯乱の原因を説明しようとする優麻を手で制し、深森は少女たちの間を擦り抜けて蹲る古城少年の目の前に蹲み込んだ。

 新たな人の気配を感じて古城少年が顔を上げる。

 

「あなたは……?」

 

「酷いなぁ、ちょっと会わないうちにお母さんを忘れちゃったの?」

 

「母、さん……?」

 

 まじまじと目の前の女性を見やる古城。必死に思い出そうとして表情を歪め、その度に襲いくる頭痛に頭を抱えてしまう。

 深森はそんな少年を壊物を扱うように優しく抱き寄せ、落ち着かせるように背を撫でながら耳元で語り掛ける。

 

「そう、私はあなたのお母さん。()()()の母親である暁深森。怖がらなくて大丈夫よ」

 

 深森は迷い子を導く聖母のように、古城少年が落ち着くまで抱きしめ続けた。

 やがて古城少年の震えが収まり、頭痛からも解放されたのか顔色が良くなる。そして自分を見つめる四つの生温かい眼差しに気がつき、ジタバタと暴れ始めた。

 

「ちょっ!? もう落ち着いたから離してくれ!?」

 

「えー? どうしよっかなー」

 

 ふんふ、とご機嫌に鼻歌を歌いながら思う存分古城を抱きしめ続けた深森だが、当人が全力で抵抗を始めたことで泣く泣く手を離すことに。解放された古城少年はばっと深森から距離を取った。

 羞恥から顔を赤くする古城少年。記憶の混乱は完全に落ち着いたらしい。おちゃらけた態度を取っていても母親の力は偉大であると、雪菜たちは深森に尊敬の眼差しを送る。ただ一人だけ、今のやり取りに若干の違和感を抱いていたが。

 

「さてと、では……」

 

 すくっと立ち上がった深森が徐に懐から取り出したるはハンディサイズのデジカメ。何をするつもりなのか、なんとなく察しがついた古城少年は顔を引き攣らせ、雪菜たちは静かに黙祷を捧げた。

 

「──写真撮影の時間だよ、古城くん!」

 

「──止めろおおおおおお!?」

 

 

 




(ユウマに纏わる記憶+
ごちゃ混ぜになった意味記憶+
???)=小城くん
記憶関連で残ってるものはこれくらいです。


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観測者たちの宴 Ⅳ

 幼い古城の姿を思う存分写真に収めご満悦となった深森は、やたらとツヤツヤした様子で仕事へ戻っていった。後に残されたのは気力やら生気を削がれて真っ白に燃え尽きた古城少年だけだった。

 嵐に巻き込まれまいと傍観に徹していた少女たち。ぐったりとソファに座り込んで灰になってしまった古城少年に声を掛けようか迷っていると、くぅと小さな音が響く。発生源は古城少年であり、気恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしている。

 ヴァトラーとの激闘を繰り広げ、死に体なってもなお走り続けた古城。古城の肉体は朝方から何も飲まず食わずの状態であり、腹が空くのも無理はない。それはこの場にいる少女たちも同様であり、古城に釣られて少女たちの中からも空腹を訴える音が鳴った。

 そんな経緯で彼ら彼女らはテーブルを囲み、深森の主食として用意されていた大量の冷凍ピザを食べるに至る。

 

「つまり、この人たちは記憶を失う前の俺の後輩だったり同級生ってことでいいのか?」

 

「そうだね。取り分け君と親密な関係を築いていた人たちのはずだよ」

 

「親密な関係……」

 

 じぃっと穴が開きそうになるほど雪菜と紗矢華、浅葱を凝視する古城少年。少しでも思い出せることがあればと考えていたが、いくら顔を見つめても記憶が戻る気配はなく、力なく嘆息を洩らす。

 肩を落とす古城を励ますように、雪菜が優しく微笑みかける。

 

「無理に思い出さなくても大丈夫です。わたしたちに気を遣う必要もないですから」

 

 記憶と経験した時間を奪われて不安だろう古城を慮っての言葉だった。古城も少し気が楽になったのか、固い表情をふっと緩めて小声で「ありがとう」と返す。

 

「……ところで、そっちの人は俺とどういう繋がりだったんだ?」

 

 純粋な疑問を紗矢華に投げ掛ける。雪菜と浅葱は同じ学園の後輩と同級生ということで納得できたが、紗矢華は彩海学園の生徒ではない。制服も違うもので、関係性がさっぱり浮かばないのだ。

 

「ふぁい?」

 

 話の矛先を向けられると思ってもみなかった紗矢華が、ピザを頬張っている格好で硬直する。

 

「そういえば、どたばたしてたからスルーしてたけど、あなた誰?」

 

 浅葱も古城と同様の疑念を抱いたらしく、ピザを片手に持ちながら胡乱げな眼差しを紗矢華に向けた。ちなみに浅葱は誰よりも早いペースでピザを平らげながら、空いている手で愛用のノートパソコンを操り那月の捜索に注力している。

 唐突に疑わしげな目を二人から向けられ、紗矢華は慌てて口に含んでいたピザを飲み込んだ。そして何と答えるべきか頭を悩ませる。

 古城と紗矢華の関係を端的に説明するならば、第四真祖と第四真祖を監視する獅子王機関に属する舞威媛である。監視の任務を帯びているのは雪菜であり、古城と紗矢華が繋がりを築いたのは黒死皇派のテロ事件の時だが。

 しかし関係性をそのまま説明するわけにはいかない。古城少年は記憶を失い第四真祖としての自覚がなく、浅葱は古城の正体を知らないのだ。下手なことを言えば折角落ち着いた古城少年はまた混乱し、浅葱に妙な疑心を抱かれてしまうだろう。

 悩んだ末に紗矢華は不安げに話の流れを見守っていた雪菜を見やり、半ばやけっぱち気味に答える。

 

「私は、雪菜のお姉ちゃんよ!」

 

「お、おぅ……」

 

 凄まじい気迫で高らかに雪菜の姉宣言をする紗矢華。あまりの勢いに古城少年は気圧され、浅葱も軽く引き気味になった。

 しかし二人の反応など構わず、紗矢華は何故か雪菜に対する有り余る想いを語り始める。

 

「雪菜はね、私の天使なのよ。見てみなさい、こんなに可愛いくて愛らしくて綺麗な子はいないわ。分かる?」

 

 紗矢華が己のスマホを取り出し、見せつけるようにその場の面々に突き付けた。

 画面に表示されていたのは、幼い少女が寄り添う姿だった。少女たちは雪菜と紗矢華らしく、顔立ちには今の二人の面影がある。

 雪菜も紗矢華も年相応に愛らしく、古城少年と浅葱は思わず感嘆の声を洩らす。幼い時分の写真を公開された雪菜は耳まで赤くして顔を両手で覆い、優麻にフォローされていた。

 

「そんな雪菜が、私の天使が! 一人でこんな島に引っ越すだなんて心配するに決まってるでしょ!? 一人暮らしは寂しくないか、ご近所さんとは上手く付き合えているのか、学校ではちゃんと友達がいるか、心配で不安で夜も眠れなかったわ」

 

 本当に不安だったのだろう。当時のことを思い出しているのか、紗矢華は憂鬱げに目を伏せる。その表情は正しく大切な妹を案じる姉のものだった。

 

「姫柊さんのことを大切にしてるんだな」

 

 自然と古城少年は口にしていた。記憶を奪われて幼くなっているが、古城も凪沙という妹を持つ兄なのである。紗矢華の想いに共感できる節があったのだろう。

 

「当たり前でしょ? 私たちは本当の家族よりもずっと一緒にいるんだもの。だからね、雪菜が此処でちゃんと笑ってるのを見て安心したのよ」

 

 伏せていた顔を上げて、紗矢華は今までにないくらい優しい微笑みを浮かべた。

 

「雪菜が笑えているのはきっとあなたのおかげ。色々と言ってやりたいことはあるけど、本当に感謝してるわ」

 

 ありがとう、と万感の想いを込めて紗矢華は言葉を切った。

 面と向かって感謝されてしまった古城少年は面映さから挙動不審に陥っていた。

 身に覚えのないことではあれど、紗矢華の想いに嘘偽りはない。誰かをここまで大切に思える人間ならば信用も置ける。関係性も雪菜を通じてのものと分かり、古城少年の疑念は綺麗さっぱり晴れた。

 代わりに多大な精神的ダメージを受けたのは雪菜だ。優麻のフォローで何とか気を持ち直し、暴走列車こと紗矢華を止めんとする。

 

「あの、紗矢華さん。それくらいに……」

 

「大丈夫よ、雪菜。私の秘蔵フォルダの思い出はまだまだあるから。一晩中だって語り続けられるわ」

 

「お願いですから、もう許してください!?」

 

 これ以上の公開処刑は耐えられないと、雪菜が絶叫しながら紗矢華からスマホを取り上げようとする。しかし悲しいかな、雪菜と紗矢華では体格的に後者に軍配が上がる。むしろ飛び付いてきた雪菜を紗矢華が嬉々として抱きしめた。

 全てを悟った表情でされるがままになる雪菜。至福の表情で雪菜を抱きしめる紗矢華。中々に混沌とした流れに呆れ返っていた浅葱の視線が、ノートパソコンに吸い寄せられる。そこに映った映像を見て目を見開いた。

 

「ねえ、ちょっとこれ見てくれない」

 

 浅葱が差し出したノートパソコンの画面に全員の注目が集まる。画面には波朧院フェスタで賑わうメインストリートが映し出されている。絃神島市内の監視カメラの映像の一つだ。

 

「少し巻き戻すわよ」

 

 浅葱がキーボードを叩くと映像が巻き戻っていく。十数秒ほど巻き戻したところで、浅葱は映像の中心に映る少女を指差す。

 

「ここ! この子、似てると思わない?」

 

 巻き戻しが解除された映像の中にいる一人の少女を見て、雪菜たちは小さく呻いた。

 少女はやけに豪奢なフリル付きのドレスを着て、そこはかとなく不安げな表情で人波を右往左往している。

 年の頃は今の古城少年と同じくらい、十歳前後だろう。人形のように整った顔立ちや、何処となく漂う威厳めいた雰囲気。南宮那月を若返らせたらこうなるだろうという(なり)だ。

 彼方此方に仮装している人間がいるため服装で目立つことはないが、少し観察すれば迷子ではないかと察せられる動きをしている。現に映像の中で道行く人に声を掛けられていた。

 しかし少女は声を掛けられても取り合わず、逃げるようにその場を去ってしまう。まるで見えない何かに怯えているように。

 映像に映った少女の特徴、服装は概ね那月のものと合致する。まず間違いなく、映像の少女は那月だろうと雪菜たちは意見を一致させた。

 

「藍羽先輩、この映像は何処の監視カメラのものですか?」

 

「ちょっと待って……出た、キーストーンゲート近くの大通りのカメラね。丁度、ナイトパレードをやってるとこよ」

 

「キーストーンゲートですか?」

 

 怪訝な表情で雪菜が呟く。監獄結界からキーストーンゲートまではかなりの距離がある。最後の力を振り絞ってキーストーンゲート付近まで空間転移したのだとしても、何故そこに移動したのかが分からない。

 疑問に対する答えは浅葱から齎された。

 

「キーストーンゲートには特区警備隊(アイランド・ガード)の本部があるのよ。それに、あそこのセキュリティは絃神島の中でも最高クラスだから、那月ちゃんが逃走先に選ぶのもおかしくない」

 

「でも、本部に直接転移するだけの力は残っていなかったみたいね。結果として、記憶を失い若返った状態で放り出されてしまったと」

 

 キーストーンゲート内部ではなく外を彷徨う那月の現状から紗矢華がそう結論付けた。

 特区警備隊による庇護を当てにして転移した那月であったが、その途中で魔導書の呪いによって記憶と魔力を失い、訳も分からない状態で放り出されてしまった。今の那月は完全無欠に行く宛を見失った迷子と変わらない。挙句に凶悪な脱獄囚たちに命を付け狙われている。早急な保護が必要だろう。

 那月の居所は判明した。あとは脱獄囚よりも先に接触し、保護するだけだ。問題があるとすれば仙都木阿夜の対処だ。

 

「南宮先生の保護を優先しましょう」

 

 決然とした表情で雪菜が言う。阿夜の企みを阻止することも重要であるが、見えない脅威に怯える少女を放っておくわけにはいかない。それに、那月が魔力さえ取り戻すことができれば監獄結界の機能を回復させ、脱獄囚たちを監獄に戻せるという打算もある。

 他の面々も異論はないらしく、銘々に動き出せるように支度を始めようとする。しかしそこで雪菜がストップを掛けた。

 

「藍羽先輩と優麻さんは残ってください。あと、そこでこそこそしてる暁先輩も留守番です」

 

 名指しで居残りを命じられた三人があからさまに不服そうな顔をする。この期に及んで蚊帳の外に置かれるのは我慢ならないと顔に書いてあった。しかし雪菜は毅然とした態度で反論を封じる。

 

「今から向かうのは激しい戦闘になりかねない危険地帯なんです。訓練を受けていない藍羽先輩や、完全に回復できていない優麻さんを連れてはいけません。暁先輩なんて以ての外です。絶対、に駄目です」

 

「そうね、古城は留守番だわ」

 

「当然よ。今の暁古城を連れ出すなんて、正気の沙汰じゃないと思うんだけど」

 

「ボクも古城には待っていてほしいかな」

 

「何だって俺だけそんな本気で否定するんだよ……」

 

 その場にいる少女たち全員に真剣な顔付きで同行を拒否され、少なからず落ち込む古城少年。

 だが古城が止められるのも無理はない。今の古城少年は安全装置の外れた核爆弾と同じなのだ。脱獄囚との戦闘に巻き込まれて眷獣が暴走したら、最悪絃神島が沈みかねない。

 古城の留守場に関しては満場一致で決定された。古城の事情を知らない浅葱も、子供になってしまった同級生を戦場に連れて行くわけにはいかないと頷いたのだ。

 留守番が決定してしまい不貞腐れてソファに転がり始めた古城を横目に、尚も浅葱は雪菜の方針に食ってかかる。

 

「あたしが居ないと有脚戦車(タンク)を動かせないわけだけど、足なしでどうやって那月ちゃんを保護するつもり?」

 

「確かに不便ですけど、相手も徒歩での移動ですから不可欠ではないです。それよりも、藍羽先輩にはわたしたちのサポートをお願いしたいんです」

 

「サポート?」

 

 疑問顔で浅葱が小首を傾げる。雪菜は小さく頷いて真剣な表情で言う。

 

「南宮先生を保護する際に脱獄囚たちの襲撃は避けられないと思います。その時、一般市民を巻き込まない逃走ルートの指示や安全地帯への誘導をお願いしたいんです。わたしたちよりも絃神島に詳しい藍羽先輩にしかできないことかと」

 

「なるほどね。なんだか上手く安全な場所に誘導されてるような気はするけど、引き受けてあげるわ」

 

「ありがとうございます」

 

 折り目正しく頭を下げる雪菜に、ひらひらと手を振って浅葱は返した。

 

「でも、サポートするにしてもキーストーンゲートのメインコンピューターを利用したほうがいいから、あたしもキーストーンゲートまでは同行するわよ? というか、あなたたちを送ってくから」

 

「分かりました。むしろ、お願いします」

 

 雪菜との話し合いで一応は納得したのだろう、浅葱はいそいそと出発の準備を再開する。そんな中、同行を拒否された優麻が代わるように声を上げた。

 

「待ってほしい、ボクも一緒に行くよ」

 

「いいえ、優麻さんは残ってください。完全な堕魂(ロスト)ではなかったですが、消耗の度合いは凄まじいものだったはずです。その状態で、まともに戦うことができますか?」

 

「それは……」

 

 雪菜の厳しい指摘に何も反論できず、優麻は苦々しげに唇を噛んだ。

 不完全な堕魂と第四真祖の融合眷獣による反動。見た目以上に優麻の肉体はダメージを負っている。いざ脱獄囚との戦闘と相成った時、まともに戦うことはできないだろう。

 悔しさから拳を震えるほどに握り締める優麻に、雪菜はそっと近づいて耳打ちする。

 

「暁先輩をお願いします。今の先輩にとって、最も信頼できるのは優麻さんだけですから」

 

 ハッと優麻は顔を上げる。そこには少し寂しげな顔でソファに不貞腐れる古城少年を見遣る雪菜がいた。

 第四真祖の監視役である雪菜にとって、古城の側を離れる決断は簡単にできるものではない。記憶を失い不安定な状態となれば尚のことである。その上で、雪菜は優麻に託そうとしているのだ。

 直接的に力になることができない歯痒さはある。逆らえない運命(プログラム)であったとしても、囚人たちを脱獄させてしまった責任感も捨てられない。それでも、雪菜たっての頼みを断ることはできなかった。

 何より、今の古城少年を一人にしておくのは危険が過ぎる。普段から単独行動のきらいがある古城を放置すれば、水を得た魚の如く動き出す可能性は否定できない。誰かが古城少年の面倒を見ていなければならないのだ。

 

「分かったよ。くれぐれも気を付けて」

 

「はい、必ず南宮先生を保護して戻ってきます」

 

 安心させるように力強く、雪菜は頷きを返した。

 その後、支度を整えた雪菜たちは不服げな古城少年と優麻に見送られ、那月の保護へと祭りで賑わう絃神島市内へ出発した。

 少女たちの背中を見送ることしかできなかった古城少年は、悔しさと情けなさから唇を噛んだ。

 

 

 ▼

 

 

 少女は当てもなく祭りに賑わう街を彷徨っていた。フリル付きの可愛らしいドレスを揺らしながら歩く姿は、まるで本の中から迷い出たお姫様のようである。

 煌びやかな衣装を纏ったダンサーが大通りで踊り、仮装に扮した人々が白熱して歓声を上げる。日常とは掛け離れた非日常の空気に当てられ、街全体が大賑わいの様相を呈していた。

 そんな熱狂の渦中に少女は訳も分からないまま放り込まれた。前後の記憶は不確かで、朧げに残っているのは僅かな記憶と漠然とした危機感。何かから逃げなければならないと本能が訴えている。

 しかし何処へ逃げればいいのか、何を頼りにしていいのかが分からない。時折心配して声を掛けてくれる人もいたが、見知らぬ人間に対して恐怖が先立って手を振り払ってしまう。加えて無関係な人間を巻き込んではいけないと無意識的に考えており、助けの手を差し伸べられても掴むことができないでいた。

 少女はただただ活気に満ちた島を彷徨う。拠り所も見つからぬまま、目に見えない恐怖から逃げるように人気のない裏通りへ歩みを進める。

 パレードに注目が集まっているため裏通りに人の影は殆ど見当たらない。表通りの騒がしさとは打って変わる静寂に身体が強張る。夜風の冷たさに震えたのかと思ったが、違う。

 路地裏の暗がりから姿を現した禿頭の老人。凄まじい殺気を帯びた眼光が少女を竦ませた原因だった。

 

「見つけたぞ、“空隙の魔女”……!」

 

 少女を睨み付ける禿頭の老人。年齢は恐らく六十代、体格はかなり大柄な部類だ。粗末な襤褸と骨張った身体つきが相まって何処ぞの修行僧のようにも見えるが、纏う殺気は相対するだけで少女を立ち竦ませるものだ。

 獲物を見つけた肉食獣の如く口角を釣り上げ、老人は殺意と憎悪に塗れた目を向けてくる。記憶を失っている少女には恨まれる心当たりなどないが、本能が訴える危機感の正体が目の前の人物だとは理解できた。

 じり、と少女は警鐘を鳴らす本能に従って後退る。今にも逃げ出しそうな少女の姿に老人は嘲笑を浮かべ、全身を赤く染め上げる。怒りで肌が紅潮したのではない、肉体そのものが高熱を帯びた金属のように発熱しているのだ。

 老人の正体は精霊遣いだ。高次元空間に存在するエネルギー体である精霊をその身に降ろし、人知を超えた力を振るう者である。

 精霊は非常に不安定な存在で安定的に利用するには戦艦クラスの設備が必要になる。しかし例外はあり、アルディギア王家の姫御子は自らの体内に高位の精霊を召喚し、自在に操ることができる。精霊の格は落ちるだろうが、老人もまた己の肉体に精霊を呼び出すことができる例外なのだろう。

 

「投獄された屈辱、ここで晴らしてくれる!」

 

 凄まじい熱風が吹き荒れて少女を襲う。十メートル以上は離れているのに叩きつけられる熱気は喉や眼球を焼きかねないものであり、少女は堪らず背中を向けて逃走を始めた。

 

「待て、小娘──!」

 

 嗄れた叫び声を上げて老人が追跡を始めた。

 老人の足はそれほど早くなかった。必死で走る少女よりもやや遅い。上手く障害物や路地を利用すれば撒けるかもしれないと少女は考えた。だがその考えは甘かったと思い知らされる。

 追ってくる老人は看板だろうが植垣だろうが構わず焼き尽くし、最短距離で真っ直ぐ迫ってくる。むしろ無駄に障害物を利用しようとした分だけ距離が縮まってしまった。

 下手な逃げ方では追い付かれてしまう。されど観光客で溢れ返る表通りには逃げ込めない。自分の命の危機でありながら、無関係の市民を巻き込んではいけないと無意識のうちに理解していたのだ。

 

「逃さんぞ……!」

 

 中々縮まらない間合いに業を煮やした老人が、爆発的に火力を高めて激しい熱波を放つ。背中に容赦ない熱波を浴びせられた少女は踏ん張ること叶わず、小柄な身体を固い地面に転がした。

 

「うぁ……」

 

「終わりだ、“空隙の魔女”……!」

 

 コンクリートの地面に叩きつけられて小さく呻く少女に、全身を赤熱させた老人が近づいてくる。ただそれだけで少女の身体はジリジリと焦され、呼吸も儘ならなくなってしまう。

 高熱と呼吸困難によって視界が霞み始める。魔力も回復していない状態では反撃はおろか逃走すらできない。万事休すかと少女が諦めかけた時──

 

「“雪霞狼”!」

 

「“煌華麟”!」

 

 玲瓏な音を響かせて銀の槍と剣が熱波を切り裂いた。

 身を焦がす熱が遮られ、少女は顔を上げる。迫り来る老人の脅威から庇うように二人の少女が立っていた。

 槍と剣を携えて老人と相対する少女たちの瞳には強い意志の光が灯っている。その横顔に既視感を覚えて少女は思わず呟く。

 

「あなたは、だれ?」

 

 小さな誰何の声に槍の少女──雪菜が振り返り、安心させるように優しく微笑んだ。

 

「わたしはあなたの味方ですよ、南宮先生」

 

「せん、せい……?」

 

「あぁ、えっと……那月ちゃん、とお呼びしたほうがいいのでしょうか?」

 

 監視対象である少年がよく口にする呼称を咄嗟に出してしまう雪菜。少女は口の中で転がすように名前を呟くと、すとんと失っていたピースの一つが埋まったような感覚があった。

 

「うん、ナツキ。わたしの名前」

 

 霧がかかっていた記憶の一部が晴れ渡り、少女──那月は表情を綻ばせる。こんな時でなければ素直に可愛らしいという感想が抱けたのだろうが、今の雪菜にそんな余裕はない。

 

「ごめん、雪菜。そろそろ限界……!」

 

 長大な剣を振るい、絶え間なく襲いくる熱波を斬り裂いている少女──紗矢華が冷や汗を流しながら言った。

 雪菜と那月が会話をしている間、距離を詰めてくる老人を相手に剣を振るい続け、殺人的な高熱を疑似空間切断で防ぎ続けているのだ。しかし接近されてしまえば周囲一帯が熱せられてしまい、熱波は防げても純粋な熱で参ってしまう。

 

「分かりました──浅葱先輩、逃走ルートの指示をお願いします」

 

『任せて。安全なルートでキーストーンゲートまでナビゲーションするから』

 

 雪菜と紗矢華の耳に装着されたインカムから自信に満ちた声が返ってくる。サポートするためにと浅葱が用意したものだ。肝心の浅葱はキーストーンゲートのメインコンピューターを利用して雪菜たちをリアルタイムでモニタリングし、全力でサポートする態勢を整えている。

 

「那月ちゃん、着いてきてくれますか?」

 

「……うん、お願いします」

 

 雪菜が差し伸べた手を那月は素直に取った。記憶に残っているわけではないが、無意識のうちに雪菜を味方と判断しているようだ。

 

「紗矢華さん!」

 

「背中は任せて。雪菜に傷一つだって付けさせやしないんだから!」

 

 “煌華麟”を構えて紗矢華が凄まじい気迫でもって答えた。

 自分よりも幾分か歳下になってしまった那月の手をしっかりと握り、雪菜は浅葱の指示に従って夜の絃神島を走り出した。

 

 

 

 



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観測者たちの宴 Ⅴ

 暁古城は世界最強の吸血鬼だ。半年前、先代第四真祖より規格外な魔族の肉体と神話級の眷獣を受け継いだ、正真正銘の怪物である。

 保有する戦力は軍隊を一人で凌駕し、存在そのものが核爆弾と同義と言っても過言ではない。故に獅子王機関より雪菜が監視役として派遣されてきたのだ。

 しかし現在、核爆弾(第四真祖)は記憶を奪われ安全装置を失ってしまった。“まがいもの”が血の滲む対話と鋼の意思で制御していた眷獣が、手綱を手放された状態になっているのだ。激しい戦闘になりかねないような場所へ連れていけない判断も当然だろう。

 だがそれは事情を理解していれば納得できる話。よもや自身の肉体が魔族の、それも世界最強の吸血鬼に成っているなどと知らぬ古城少年は、蚊帳の外に置かれて不満を募らせていた。

 ソファに浅く腰を沈め落ち着きなくそわそわとしている古城少年。同じく留守番となった優麻は隣に座り、どうにか落ち着かせられないかと思案していた。

 

「少し落ち着いたほうがいいよ、古城。気持ちは分かるけど、ボクらにできるのは待つことだけなんだ」

 

 優麻とて身体の調子さえ戻っていたのなら雪菜たちと共に行動したかった。だが同行したところで碌に戦えないのも事実。優麻にできるのは精神的に不安定な古城少年が暴走してしまわないように見ていることだけである。

 

「分かってるさ。俺が居ても邪魔なことくらい、分かってるんだ……」

 

 第四真祖の自覚がない古城少年は、己が無力な少年だと思い込んでいる。戦う力を持たない子供が戦場に踏み込んだところで邪魔にしかならない。それでも、自分だけ安全地帯で指を咥えて待ってなどいられなかった。

 

「古城……」

 

 指先が真っ白になるほど拳を握り締め無力さに歯噛みする少年を、優麻はただ見ていることしかできない。

 

「古城がそこまで思い詰める必要なんてない。誰も君を責めたりなんてしないし、君は何も悪くないんだ。だから──」

 

「──違うんだ、ユウマ」

 

 自身を宥めようとする言葉を遮り、古城少年は焦燥に満ちた顔で言う。

 

「声がさ、聞こえるんだ」

 

「声?」

 

 ぽつりと呟くような古城少年の告白に優麻が首を傾げる。

 部屋の中には優麻と古城少年以外は誰も居らず、隣室から声が洩れ聞こえてくるようなこともなかった。

 ならば誰の声なのかと優麻が目線で尋ねると、古城少年は痛みを堪えるように胸を押さえながら答える。

 

「誰かは、分からない。でも、さっきからずっと叫んでるんだ──護り抜けって」

 

 心の底から湧き上がる衝動を抑えるように古城少年は歯を食い縛った。

 記憶を失い、経験してきた時間すらも奪われてなお、少年に訴えかける声なき声。それは無意識の領域に押し込められた“まがいもの”の衝動、あるいは焼き付けられた焦燥だ。

 “まがいもの”が常日頃から己に戒めていた妄執(おもい)が記憶を奪われても残り、強烈な情動となって少年を苛んでいた。

 

「そんなにも、君は自分を追い詰めていたのか……」

 

 呆然と呟く優麻。もはや精神疾患と変わりがないレベルの強迫観念に囚われている幼馴染にかける言葉が見つからない。それほどまでに記憶を奪われる前の古城が追い詰められ、思い詰めていたことに衝撃が隠せなかった。

 不意に優麻は苦しむ古城から玄関の方へと顔を向けた。何かが優麻の魔女としての知覚に干渉している。まるで誘うように、呼ぶように──

 古城少年は気付いていない。内から響く声に気を取られ、向けられる魔力の波動にまで注意が及んでいないようだ。

 如何するべきか優麻は悩む。今の古城少年を一人にするのは不安が残る。雪菜からも託された以上、この場を離れるのは得策ではない。

 だが、このまま向けられる魔力の波動を無視し続けるわけにもいかない。仮定の話だが、魔力の持ち主がこの場に乗り込んできた場合、最悪第四真祖の眷獣が暴走する事態になりかねない。

 

「ユウマ……?」

 

 怪訝な顔で古城少年が見上げてくる。優麻は何度か逡巡しながらも、外の気配の正体を確認する意思を固めた。

 

「ごめん、古城。ちょっと外に出てくる」

 

「なっ……待てよ、ユウマ。お前まで……!」

 

「大丈夫、すぐに戻ってくるよ」

 

 慌てて止めようとする古城少年に微笑みを残し、優麻はリビングを後にする。念のため、優麻は部屋に侵入者があれば感知できるように簡易的な結界を施して。

 部屋の中から不満げな、それでいて不安に満ちた古城の気配がするが、優麻は意識を切り替えて玄関から外に出た。

 玄関近くに人の気配はない。優麻を呼び出した存在はゲストハウスの外にいるらしい。気を引き締めて優麻は謎の気配の元へ向かう。

 ゲストハウスを出てしばらく研究所の敷地内を歩いていると、所員の休憩施設だろうこじんまりとした庭園に辿り着く。噴水と幾つかベンチが設けられ、申し訳程度に花壇が整備されている。

 時間帯が時間帯なのと波朧院フェスタで所員の大半が休暇中のため人気はない。ただ、噴水の側に一つの人影が静かに佇んでいた。

 警戒しつつも優麻はゆっくりと人影に歩み寄る。近づくにつれて人影の風貌が月明かりの中にはっきりと浮かんでくる。

 薄闇に浮かぶシルエットは小柄な少女のもの。背を向けられているため顔は見えないが、黒猫風の仮装に身を包んでいることが分かる。

 

「凪沙ちゃん……?」

 

 見覚えのある後ろ姿に思わず呟く。目の前に立つ人影はついさっき暁深森の手で運ばれていった凪沙だった。だが、何故こんな所にいるのだろうか。

 優麻の声に反応して凪沙がゆらりと振り返る。優麻を見る少女の顔には何処となく気怠げな微笑が浮かんでいた。

 

「凪沙ちゃん、じゃない……君は、まさか……!?」

 

 知っている、その気怠げな笑い方を。

 

 知っている、その懐かしい仕草を。

 

 知っている、その澄んだ空色の瞳を。

 

 忘れるはずがない。ずっと探し求めていたのだ。優麻が己の手で選び取り、作り上げた何よりも大切なものだったから。

 感極まって言葉すら出ない優麻に、少女(しょうねん)は屈託なく笑いかけた。

 

「久しぶりだな、ユウマ──」

 

 その時、魔女の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

 

 

 ▼

 

 

 人気のない絃神島の裏通りを疾走する雪菜たち。インカムを通した浅葱からの指示に従い、キーストーンゲートまでの安全なルートを只管に走っている。非常に強固なセキュリティと大勢の攻魔師に守られるキーストーンゲート内部に逃げ込んでしまえば、那月の身を守るのも容易と考えてのことだ。

 後方には凄まじい熱を放ちながら追いかけてくる精霊遣いの老人がいる。老人は隙あらば火炎や熱波を放ち、その対処に紗矢華が走りながら奮闘していた。

 

『──そのお爺ちゃんの名前はキリガ・ギリカ。中近東カブリスタンのゲリラ部隊出身の兵士で、自分の体内に炎精霊(イフリート)を植え付ける術式を仕込んだ化け物よ。六年前に、絃神島でテロを起こそうとしたところを逮捕されて、監獄結界に送られてたみたいね』

 

「精霊遣いですか。わたしとは相性が悪いですね……」

 

 ナビゲーションの片手間に浅葱が調べ上げた囚人の情報に、雪菜は苦々しげな表情を浮かべた。

 雪菜が持つ“雪霞狼”は対魔族戦闘を想定した兵器である。魔力や魔術を扱う敵手に対しては有利を取れるが、霊力や物理エネルギーを無効化することはできない。精霊は桁外れの霊力を有するエネルギー体であり、“雪霞狼”を以ってしても対処できないものだ。

 故にしつこく追いかけてくるキリガ・ギリカの攻撃を防げるのは“煌華麟”だけであり、ひっきりなしに放たれる火炎や熱波を紗矢華が一人で対処せざるを得ないのである。

 

『大丈夫。このペースなら十分も掛からずにキーストーンゲートに辿り着ける。もう少し頑張って!』

 

 浅葱の鼓舞を受けながら雪菜たちは走り続ける。

 浅葱がリアルタイムで逃走経路を指示してくれているおかげで今のところは順調である。キリガ・ギリカも何とか紗矢華が抑えており、那月も多少息が上がり始めているがまだ走れそうだ。邪魔さえ入らなければ間もなくキーストーンゲートに辿り着けるだろう。

 だが、そう易々と事が運ぶはずもなく、インカム越しに浅葱の驚愕の声が響いた。

 

『はあ? ちょっ、何でそんな所に屯してんのよ!?』

 

「どうしたんです、藍羽先輩?」

 

 那月の手を引きながら雪菜は問いかける。

 

『キーストーンゲートに続く通りが大勢の人で塞がれちゃってんのよ。パレードがあるわけでもないのに、何してんのさこの人たちは!?』

 

 インカムを通して浅葱の切羽詰まった叫びが聞こえてくる。予想外の障害に苛立っているらしい。

 

『あぁもう、仕方ない。少し遠回りになるけどルートを変えるわ。次の角を右に曲がって──』

 

 人混みに塞がれた通りを迂回する逃走ルートを即座に再計算して、浅葱はナビゲーションを続けた。

 島中の監視カメラを掌中に置く浅葱に掛かれば、人混みを避けてキーストーンゲートまで到達するルートを割り出すくらいわけない。だがしかし、十分以上走り続けても雪菜たちは未だに目的地に辿り着けないでいた。

 

『キーストーンゲートに通じる道の殆どが市民で埋め尽くされてるなんて、おかしいわよ……』

 

 呆然と浅葱が呟く。まるで雪菜たちの行手を阻むように何処からともなく湧いてくる人々に、然しもの浅葱も迂回経路を見つけられないでいた。

 観光客や市民の大半はメインストリートで行われているナイトパレードに釘付けとなっており、裏通りや路地裏などはほぼ無人の状況になっているはずだった。しかし今、キーストーンゲートに続く通りや路地には何処から迷い込んで来たのか大勢の人が集まっており、雪菜たちの行手を阻んでいる。

 

「多分ですけど、その人たちは精神支配を受けているんだと思います」

 

『精神支配? 操られてるってこと?』

 

「はい。誰が操っているかまでは分かりませんけど、間違いないかと」

 

 逃走劇を繰り広げながら雪菜は道を塞ぐ人々の様子を観察していた。彼らは一様に虚ろな目をしており、正常な精神状態には見えなかった。恐らくは脱獄囚の誰かが雪菜たちの逃走を妨害するために、適当な市民や観光客を操っているのだろう。

 悔しげに浅葱が呻く。島中の監視カメラをハックできる浅葱も、操られた人々を退かして道を開けさせるなんてことはできない。それはつまり、雪菜たちをキーストーンゲートまで誘導できないことと同義だった。

 

『いいわよ、やってやろうじゃない……!』

 

「藍羽先輩?」

 

『ルート変更よ。後ろのお爺ちゃんを監獄に叩き戻してあげるわ』

 

 並々ならぬ気迫を漲らせ、浅葱は別ルートへと案内を始めた。

 雪菜たちは浅葱の指示に従って通りを走り抜け、地下街へ続く階段を駆け下りる。踊り場に現れたのは水道管や地下送電線をメンテナンスするための、作業用トンネルの入り口だ。

 ロックは浅葱の手で解除されており、雪菜たちは転がり込むように薄暗い地下共同溝へ侵入した。トンネル自体は直径二メートルほどの造りであり、先は暗くて見えない程度には長い。

 雪菜たちを追ってキリガ・ギリカも共同溝へ入ってくる。同時に遠隔操作で入り口のロックが掛けられた。これで精神支配された市民が入る余地はない。

 

『まだまだ、ここからよ!』

 

 待っていましたとばかりに浅葱は用意していた罠を発動させた。

 キリガ・ギリカを閉じ込めるように天井から分厚いシャッターが降りてくる。火災や洪水、魔族の襲撃から人工島を守るために用意された非常用隔壁だ。

 分厚く、魔力付与によって強度を上げられた特殊鋼材の隔壁は、吸血鬼の眷獣による攻撃にだって耐えられる。並大抵な力では突破することも儘ならないだろう。

 だがしかし、例外もある。

 雪菜たちの目の前で隔壁がオレンジ色に発光し始める。キリガ・ギリカが超高温の炎で鋼材を溶かしているのだ。

 魔力付与によって魔術や眷獣の攻撃に対しては滅法強く設計されてはいるが、純粋な熱強度に関しては通常の鋼材と大差がない。故に炎精霊(イフリート)が齎す単純な熱量のごり押しには耐えられなかったらしい。

 だが、時間は稼げる。隔壁は一枚だけではなく複数ある。焼き落とすのにも多少は時間を要するはずだ。キリガ・ギリカとの距離をある程度離すくらいはできるだろう。

 

『時間稼ぎだけで終わらせるつもりはないのよ』

 

 獰猛に言い放って浅葱は次の一手を打った。

 ガコン! と音を立てて地下トンネルの側壁が開き、轟音と共に大量の水が噴き出す。水は鉄砲水と化してキリガ・ギリカを横殴りに襲い、声を上げる間もなく吹き飛ばした。

 

「ぐおおおおおっ!?」

 

 超高温の老人に触れた水流は一瞬で沸点を超え、水蒸気爆発を引き起こす。衝撃はキリガ・ギリカを襲い、絶えることなく流れ込む激流と共に元来た道へと押し戻した。

 隔壁越しに聞こえてくる激流の音と爆発音に雪菜と紗矢華は困惑する。壁越しの音で何となく情景は思い浮かぶが、何をどうしたらそうなるのかが理解できなかった。

 

『放水路を逆流させたのさ──』

 

 得意げに浅葱が種明かしをする。

 人工島の内部には放水路が網目状に張り巡らされている。普段は排水ポンプや電磁弁によって海水の逆流を防いでいるが、浅葱はそれを利用して海水を取り込み、わざと地下共同溝を水没させたのだ。

 

「藍羽浅葱、あなた一体何者なの……?」

 

 壁一枚隔てた先を水没させた浅葱の所業に、紗矢華は感心よりも規格外さへの警戒を抱いた。

 簡単なことのように非常用隔壁を操作し、放水路の制御すらも乗っ取ることができる。ただの女子高生というには無理がある話だ。

 しかし浅葱は紗矢華の疑念を一蹴する。

 

『お生憎さま。あたしはハッキングが出来るだけの普通の女子高生よ。それより、早くその場から脱出して。三つ先にある梯子を登ればキーストーンゲート前のマンホールに出れるわ』

 

「紗矢華さん、急ぎましょう」

 

 今は浅葱の能力について議論している場合ではない。そう視線で訴えかけてくる雪菜に、紗矢華も渋々頷いた。

 点検用の梯子を登り、マンホールを抉じ開けて一行は地上に脱出した。

 浅葱の言葉通り、目的地であるキーストーンゲートは目と鼻の先だ。地下共同溝を通ったことで精神支配の術者の目も掻い潜れたらしく、真っ直ぐ走れば何事もなく到着できるだろう。

 安堵に緩みかけた雪菜と紗矢華の表情が強張る。目の前の道路が異音と共に赤熱し、異臭を放ちながら融け落ちたからだ。

 融解して開いたアスファルトの穴からキリガ・ギリカが這い出てくる。肌には幾つもの黒点が浮かび、炎の勢いは目に見えて落ちていた。浅葱の作戦が相当に刺さったらしい。

 

『あれで海まで流されてくれればと思ったけど、そう上手くはいかないか……』

 

 忌々しげに浅葱が呟いた。

 炎の勢いは衰えても変わらぬ眼光で老人は少女たちを睨み上げる。

 

「やってくれたな、小娘ども……! 貴様らは儂が手ずから焼き尽くしてくれる!」

 

「悪いんだけど、いつまでもあなたと鬼ごっこしてる暇はないのよ」

 

 雪菜と那月の前に一歩出て、紗矢華が己の愛剣を構えた。

 浅葱の策略によって著しく弱っているキリガ・ギリカ程度であれば、紗矢華一人で監獄に叩き戻すくらいはできる。ここで一人、脱獄囚を削れば後々の負担も軽減できるだろう。

 

「粋がるなよ、小娘風情がぁ──ッ!?」

 

 憎悪と憤怒を昂らせ、殺人的な火炎が爆発しようとした、その時だった。

 

「──キサマのデバンはオわりだ、キリガ・ギリカ」

 

 ザシュ、と生々しい音と共にキリガ・ギリカの身体が袈裟懸けに斬り裂かれる。余りにもショッキングな光景に雪菜は咄嗟に那月の目を覆い、紗矢華は新たな敵の気配に身構えた。

 

「き、さまぁ……!? よくも……!」

 

 夥しい量の血を噴き出しながら、老人は背後に立つ甲冑の男へ向けて全力の火炎を放つ。しかし苦し紛れの一撃は男が手にする巨剣の一振りで薙ぎ払われ、夜闇を彩る火花と消えた。

 最後の悪足掻きをあしらわれ、老人は為す術もなく倒れ伏す。生命維持に支障を来たすほどの負傷により腕輪の効力が発動し、虚空から飛び出した銀鎖が老人を監獄へと引き摺り込んだ。

 後に残ったのは老人を斬り捨てた甲冑の男だけだった。

 巨大な剣を手にした、黒色の甲冑に身を包む男だ。姿形は人と変わらないが肌の色は鋼色で、纏う濃密な殺気が否応なしに雪菜たちを萎縮させる。

 甲冑の男は槍と剣を構えた雪菜と紗矢華たちを一瞥し、ついで二人の少女に庇われる黒髪の少女を見据えた。

 

「ミつけたぞ、“クウゲキのマジョ”……」

 

 錆び付いた金属のような声音で呟き、男が真っ直ぐ向かってくる。

 先の老人以上に強烈な殺意と圧力を放つ男を前にして、那月が不安げな表情で雪菜と紗矢華を見上げた。

 刃を交えなくとも甲冑の男の力量が並外れたものであると察した雪菜と紗矢華は、揃って険しい顔付きでそれぞれの武器を構える。相手が誰であろうと二人に那月を見捨てる選択はなかった。

 大気が軋むほどの闘気がぶつかり合い、激しい戦闘の幕が開けられた。



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観測者たちの宴 Ⅵ

 一人残された古城少年は止め処なく押し寄せる衝動の波に苦悩していた。

 漠然とした焦燥、気が狂いそうになるほどの衝動。耳を塞ぐことも、目を逸らすこともできない。

 記憶を失い経験した時間を奪われても、無意識に焼き付いた衝動までは消えなかった

 

 ──今度は、護り抜け。

 

 一体何を護り抜けばいいのか、どうして護らなければいけないのか、今度とはどういう意味なのか。何一つとして分からず、疑問符ばかりが浮かんでくる。

 だが、心の内から響く切実な絶叫は止まない。むしろ時間を経るごとにより激しく、より悲痛なものになっていく。

 後悔している。罪悪感に苛まれている。自己嫌悪に塗れている。ありとあらゆる負の感情が己自身に向けられていた。

 ここまで自分に対して悪感情を抱けるものなのかと思う。同時に、何となく記憶を失くす前の自分が思い詰めていた理由を察する。

 

 ──あぁ、護れなかったのか。

 

 記憶を奪われているため根拠はない。だが、確信に近いものはあった。

 “まがいもの(暁古城)”は大切な何かを護れなかった。その失敗が、記憶とは違う無意識の領域に烙印の如く焼き付けられている。呪いによって記憶を奪われたことで、今まで押し込められていたそれが表出したのだ。

 一人になったことでより内なる叫びに意識が持っていかれる。古城少年が自制の限界に達するまで、そう時間はかからなかった。

 蹴飛ばさん勢いでソファから立ち上がり、急かされるように早足で廊下を進む。玄関のドアノブに手をかけ、外に出ようとしたところでドアが外側から開かれた。

 行手を塞ぐように立っていたのは、微かに目元を赤くした優麻だ。彼女は悪戯がばれて慌てる子供のような顔をする古城少年を見下ろし、クスリと笑みを零す。

 

「何処へ行こうとしたのかな? すぐに戻るって言ったじゃないか」

 

「ユウマ、俺は……!?」

 

 止められるだろうと思い、どうにか説得しようと試みる古城少年。しかしかつてないほどに真剣な眼差しで見つめられ、出鼻を挫かれたように黙り込んだ。

 やや縮んだ古城少年の目線に合わせて屈み、優麻は焦燥に満ちた瞳を覗き込む。まるで心の奥底まで見透かすように──

 

「君は、姫柊さんたちを助けに行きたい?」

 

「……ああ、そうだよ。大して力にもなれない、足手纏いにしかならないのも分かってる。それでも、あの人たちに放り投げてじっとなんかしてられないんだ!」

 

 血を吐くように古城少年は想いを吐露した。

 少年の心の叫びを聞き届けた優麻は、しばし考え込む素振りをみせる。ややあって何かを決心したのか、決然とした表情で古城少年の瞳を見据えた。

 

「いいよ、一緒に行こうか」

 

「いいのか……?」

 

 思ったよりもあっさりと許しが出て、古城少年は困惑したように眉根を寄せた。もっと説得に難航する、あるいは止められると考えていただけに肩透かし感が拭えない。

 優麻が真剣な顔で頷き、ただし、と付け加える。

 

「今からボクが話すことを聞いた上で、それでも答えが変わらないならね」

 

「話?」

 

 疑問符を浮かべて首を傾げる古城少年。一刻も早く行動に移したい古城少年としては、悠長に話を聞いている時間すら惜しい。だが、此処で優麻を押し退けて外に出ようとは思えなかった。

 静かに話を聞く姿勢を整えた少年に、優麻は幼子に言い聞かせるような口調で語り始める。

 

「いいかい、今の君は──」

 

 そこから優麻が語ったのは、古城少年が第四真祖という世界最強の吸血鬼であること。記憶を奪われたことで自覚を失っていた少年に、己がどれほど危険な存在であるかを突き付けた。

 自身が人間ではなく魔族、それも世界最強の吸血鬼であるなどと告げられた古城少年は酷く混乱した。自我の崩壊や錯乱などはしないが、湧き上がる混乱と困惑は筆舌に尽くし難い。

 今一つ話を飲み込めていない少年に、優麻は極めて平坦な声音で言葉を続ける。

 

「実感は湧かないかもしれないけど、今の君はとても強大な力を持っている。でも、記憶を失った君は力の制御ができない。都市を容易く滅ぼせてしまうような力が暴走したら、どうなるかは分かるよね?」

 

 問い掛けられて、ようやく古城少年は優麻の意図を察した。

 今の古城少年は安全装置の外れた核爆弾と変わらない。制御の効かない強力無比な力は、下手を打てば護るべきものを傷つける。雪菜たちを助けるどころではなく、全てを己自身の手で台無しにしてしまう危険性があるのだ。

 護るべきものを、自分自身の手で傷つけてしまうかもしれない。それでも行くのか、と優麻は少年に問い掛けているのだ。

 

「俺は……」

 

 少年は徐に自身の両手を見下ろす。自覚も実感もないが、この手には容易く都市を滅ぼせるような力が握られている。冷静に考えてみれば、それがどれだけ危険なことなのか理解できる。

 雪菜たちがやたらと強く古城少年の同行を否定したのも納得した。自覚もない、制御もできない歩く爆弾を連れ歩くことなどできるはずがない。

 客観的に見て考えて、古城少年が雪菜たちの救援に動くのは悪手以外の何ものでもない。ただでさえややこしい状況を、更に悪化させてしまうだろう。最悪の場合、全てが台無しになる。

 訳の分からない力に晒されて傷付く雪菜たちの姿を想像してしまい、己自身に対する恐怖が身体を震わす。今の自分に、大切なものを護ることが本当にできるのか。

 決意が迷いに侵され揺らぎかけた時、その声は聞こえた。

 

 ──全く、世話のかかる男だ。

 

 呆れを多分に含んだ声が脳裏を過った。記憶にない、何処となく威厳めいたものを秘めた少女の声だ。己を責め苛む心の叫びではない。

 不意に意識が引かれるような感覚に襲われた。力尽くで引き摺るようなものではない、優しく微睡みへ誘なうように深層意識の昏闇へと誘われる。

 光の届かぬ深海のように真っ暗闇の世界だ。しかし恐怖や不安はなく、何故だか居心地がよく感じられた。

 ふと気付けば目の前に同じ顔立ちをした金髪の少女たちがいた。

 妖精めいた美貌を持つ、年若い少女たちだ。手足は子供のように細く、壊れ物めいた儚さを感じさせる。だが儚い雰囲気とは掛け離れた有無を言わさぬ圧力が、少女たちが尋常の存在ではないと訴えていた。

 顔を背けていたり、背を向けている少女もいるが、全員が古城少年に意識を向けていた。その中の一人、不敵な笑みを浮かべる少女が一歩前に出る。

 見る者を圧倒する圧力と傲岸不遜な笑みを携えた少女は、しかし態度とは裏腹に穏やかな声音で語りかけた。

 

 ──たとえ記憶を喪失しようとも、我らは汝と共に在る。忘れるな。

 

 言葉と共にほっそりとした手が差し出された。

 古城少年には目の前の少女の名前も、正体も分からない。ただ、悪意や害意の類は感じられなかった。故に差し伸べられた手をおっかなびっくり掴んだ。

 少女が満足そうに微笑む。同時に今まで知覚できなかった莫大な力が流れ込み、意識が現実世界へと浮上する。

 目の前には金髪の少女たちではなく、驚いたように目を瞬く優麻の姿があった。

 

「これは、驚いたな。この短期間で制御する術を覚えたのか……」

 

 優麻が何やら呟いているが、古城少年は気付かない。白昼夢のような感覚から覚めたと思えば、身体の奥底から湧き上がる無尽蔵の魔力に対する驚愕が抑えられなかったのだ。

 なるほど、確かにこれほどの力ならば危険視されるのも納得できる。誇張抜きに今の古城少年の手にかかれば都市の一つや二つ、呆気なく滅ぼされてしまうだろう。だがしかし、先のように強大な力に対する恐怖はなかった。

 少年の脳裏に笑みを零す少女の姿が過ぎる。何となく、彼女たちが力を貸してくれているような気がした。だから、恐れる必要はない。

 

「ユウマの言う通り、この力は簡単に誰かを傷つけられる危ないものなんだと思う。でも、それだけじゃない……」

 

 両の手を握り締め、決意に満ちた眼差しで優麻を見返す。少年の覚悟に呼応したのか、瞳は真紅に染まり、口許からは吸血鬼特有の牙が覗く。しかし、監獄結界の時のような暴走の気配はない。

 

「傷つけること以外にも、護ることだってできるはずだ。だから、俺は行く。この力で、護り抜いてみせる!」

 

 一切の迷いを振り払い、力強く少年は己の覚悟を宣言した。

 少年の覚悟を見届けた優麻は、横顔に微かな寂寥を滲ませながら小さく頷く。

 

「今の君ならきっと護れるよ。さてと、じゃあ──」

 

 優麻は着ていた衣装の肩紐に手をかけ、するりと解くようにずらした。引っ掛かりを失った魔女風の仮装ドレスが重力に引っ張られ、ただでさえ露出が激しかった衣装が胸元近くまで肌蹴て、非常に煽情的な格好になる。

 

「は、はあっ!? 何してんだよ、ユウマ!?」

 

 突然の優麻の行動に古城少年は面白いくらい狼狽し、顔を真っ赤にして後退る。思い出の中にいる優麻よりも色々と成長しているせいか、今の古城少年には刺激が強すぎる姿だった。

 初心な反応に優麻は苦笑を零しながら、離れようとする少年ににじり寄る。

 

「逃げちゃダメだよ。これは必要なことなんだ」

 

「必要なことって、ユウマが脱ぐことがか?」

 

 胡散臭そうな顔をする古城少年に、優麻は恥じらいに頬を赤くしながら答える。

 

「厳密には、ボクの血を吸うことだよ。自覚はないかもしれないけど、今の君は限界まで消耗している状態なんだ。ボク一人の血でどれだけ回復できるかは分からないけど、吸わないよりはマシなはずさ……まあ、目的はそれだけじゃないけど」

 

 古城少年には聞こえないように、優麻は口の中で小さく呟いた。

 一方の古城少年は、優麻の言葉で自分が吸血鬼であることを思い出し、戸惑いに満ちた表情で立ち尽くす。

 

「血を吸うって、どうやって……?」

 

 記憶を失った古城少年は吸血の仕方が分からない。何より、吸血行為に対する漠然とした抵抗もある。上手く吸血行為に及べるか、自信がなかった。

 

「大丈夫、ちゃんとリードしてあげるから……」

 

 不安に強張る少年の身体を抱き寄せる優麻。抱き締められた古城少年の眼前には無防備な首筋が曝け出されており、どうしてか目を離すことができなかった。

 柔らかな肢体の感触、微かに香る甘やかな匂い、男の劣情を煽る格好。それら全てが激しい情欲を掻き立て、か細い首筋に対する猛烈な衝動を沸き起こす。

 幼馴染の少女相手に何を考えているんだ、と少年は凄まじい自己嫌悪に襲われる。堪え難い牙の疼きに抗おうと唇を噛んで、震える少年の耳元で優麻が擽るように囁いた。

 

「我慢しなくていいよ。衝動に身を任せるんだ……」

 

「……っ!」

 

 優麻の言葉に背中を押され、古城少年は躊躇いがちに眼前の白い首筋に牙を突き立てた。

 

「ぁ……んぅ……」

 

 小さくも鋭い牙を突き立てられ、そこから血を吸われる初めての感覚に優麻は思わず声を洩らす。しかし古城少年は構わず、貪るように血を吸い続ける。

 自身の首筋に顔を埋める少年の横顔を見遣り、淡い微笑みを零す。吸血に夢中になっている少年の耳をそっと塞ぎ、優麻は小さくか細い声で呟いた。

 

「ありがとう。ボクの大切な幼馴染を助けてくれて──」

 

 

 ▼

 

 

 激しい剣戟の音が鳴り響く。剣と槍がぶつかり合う度に眩い火花が散り咲き、雪菜と紗矢華の険しい表情を浮かび上がらせる。

 戦いの趨勢は雪菜たちの劣勢で進んでいた。

 数的有利と浅葱から齎される情報的アドバンテージが雪菜たちにはあった。しかしいざ戦端が開かれ、刃を交え始めるとその有利性も圧倒的な地力の差で覆されてしまった。

 甲冑の男──ブルード・ダンブルグラフは龍殺しの末裔だ。西欧教会の暗部に雇われた異端の祓魔師であり、龍との戦闘に無関係の都市を数多く巻き込んで滅した大罪人だ。

 その肉体は龍の血を浴びたことで鋼となり、生半な攻撃では傷つけることすら能わず。西欧教会の暗部にて研鑽された剣の技量は底が知れない。ただただ純粋に、男は強かった。

 雪菜と紗矢華は決して弱いわけではない。獅子王機関にて厳しい訓練を積み、ルームメイトとして一緒に過ごしてきたことから連携も目を瞠るものがある。並大抵の相手ならば難なく鎮圧できるだけの力を持っている。

 だが、相手が悪い。

 ブルードの力は魔術などに頼ったものではない純粋な剣技と鋼の肉体によって支えられており、“雪霞狼”では相性的な特攻を突くことができない。鋼すらも両断できるであろう“煌華麟”の擬似空間切断は、そもそも剣の技量に大きな隔たりがあるために届かない。

 数少ない活路は連携で翻弄し、隙を突くことだが──

 

「──ヌルいな」

 

 唸りを上げて巨大な剣が振るわれる。掠るだけでも身体ごと持っていきかねない圧力を伴った斬撃が雪菜を襲う。

 

「くっ……!」

 

 下手に受け止めれば小柄な雪菜では吹き飛ばされる。大気ごと両断せんと迫る刃を間一髪で躱し、雪菜は果敢に攻めかかった。

 しかし銀色の穂先は空を突くだけに終わった。最低限の体捌きでブルードが躱したのだ。そのまま雪菜を両断せんと大上段に構えるように見せかけ、大きく踏み込んで巨剣を横薙ぎに振り回した。

 激烈な音を響かせて巨剣が空間の裂け目と衝突する。紗矢華が一瞬の隙を突いて背後から斬りかかったのだ。

 

「ミえているぞ、コムスメ……」

 

「こいつ、背中に目でも付いてるわけ!?」

 

 奇襲が失敗したと見て紗矢華は即座に後退した。あの場に留まれば返す刀で斬り捨てられるのが目に見えていたからだ。

 肩を並べて立つ雪菜と紗矢華の表情は変わらず険しい。今のような遣り取りをもう何度も繰り返している。攻め方などは変化をつけているものの、二人の刃は一度も届いていなかった。

 

「トるにタらないな。オトナしく、“クウゲキのマジョ”をヨコせ」

 

 もはや雪菜たちを脅威とも思っていないのか、ブルードの意識は那月を殺すことだけに向いている。

 

『ちょっと、このままじゃジリ貧でしょ。なんかこう、一発逆転の秘策とかないの?』

 

 もどかしげに浅葱が訊いてくる。

 

「ないわけじゃないですけど……」

 

「隙が無くて使えないのよ。無理に撃っても無駄撃ちになるだけ」

 

 鋼の肉体を貫く手立てがないわけではない。しかしそれは雪菜の身体に著しく負担を強いるものであり、紗矢華に間違いなく止められてしまう。

 その紗矢華も、甲冑の男を仕留める手を持ってはいる。だがその技は準備に多少の時間が必要であり、那月の守りに注力している間は使えない。

 せめて那月だけでもキーストーンゲート内に避難させることができれば話は違うのだが、目の前の男がそれを許してくれるはずもなかった。

 

『だったら、あたしが那月ちゃんを迎えにいくわ。そうすればもう少し戦いやすいんじゃない?』

 

「駄目です、危険過ぎます。それに、守る対象が増えたら本当に手の施しようがなくなります」

 

『じゃあ、どうすんのさ……!』

 

 歯軋り交じりの声で浅葱が呟いた。

 目と鼻の先で勃発している戦闘に何の手助けもできない。キーストーンゲート内部に詰めている“特区警備隊(アイランド・ガード)”に応援を要請しようとも考えたが、未だ所在の知れない精神支配の術者に利用されかねないと止められ、浅葱自身が有脚戦車(ロボットタンク)で参戦するのも却下された。

 ただ画面越しに雪菜と紗矢華が追い詰められていく様子を見ているしかできない現状が悔しくて、とにかく浅葱の気は立っていた。

 だが焦っているのは浅葱だけではない。雪菜と紗矢華も、どうにかして現状を打破しなければならないと焦りを募らせていた。

 

「ナニやらタクラもうとしているようだが、ムイミだ」

 

 ブルードが巨大な剣を高々と掲げた。大上段からの振り下ろしを宣言するような構えに、雪菜たちは迎え撃つべく身構える。

 しかしブルードの目には既に雪菜と紗矢華の姿はなく、殺意入り混じる眼光が向けられているのは那月ただ一人。一足で間合いを詰め、処刑人の如く巨剣を振り下ろす。

 

「させません!」

 

「はあっ!」

 

 那月を両断せんと迫る刃を、左右から差し込まれた槍と剣が受け止める。二人がかりならば止められる、そんな二人の考えを嘲笑うようにブルードは巨剣を巧みに操り、切返しの一撃を雪菜へ放った。

 

「くっ、ああっ!?」

 

 間髪入れずの二撃目を辛うじて防いだ雪菜だが、真正面から男の人外染みた馬鹿力を受け止め切ることはできず、大きく吹き飛ばされてしまった。

 戦線から強制離脱させられた雪菜を案じる暇もなく、踏み止まった紗矢華を叩き潰さんと巨剣が振るわれる。

 

「“煌華麟”!」

 

 擬似空間切断の壁で叩き付けられる斬撃を防ぐ紗矢華。しかし数合と斬り合いが重なるにつれ、剣の技量の差が浮き彫りになっていく。やがて紗矢華は巨剣の圧力を抑えきれなくなり、膝を突いた。

 

「くっ、重すぎなんだけど、こいつ……!」

 

 鍔迫り合いの体勢から力だけで捻じ伏せられ、押し返すことができず呻く紗矢華。不意に上から伸し掛かる圧力が消失し、何事かと視線を上に上げたところで、強烈な衝撃が腹部に叩き込まれた。ブルードががら空きの横腹に蹴りを入れたのだ。

 

「かっは……!?」

 

「紗矢華さん!」

 

 鋼の蹴りを無防備な横腹に受けて頽れる紗矢華を、体勢を立て直した雪菜が助けようと駆け出す。だが、間に合わない。ブルードは既に邪魔立てする紗矢華を始末せんと巨剣を振り翳している。

 絶望が雪菜を襲った時、倒れ伏す紗矢華を庇うように男の前に那月が立った。紗矢華を守ろうとしているのか、小さな腕を精一杯広げている。

 

「ふん、クダらぬ。フタリマトめてキる」

 

 那月が庇おうと関係ない。むしろ好都合だとばかりにブルードは少女たちに巨剣を振り下ろす。

 己の命を刈り取る刃が迫っている状況で、しかし那月の表情に恐怖や怯えはなかった。ただ一言、背後に庇う紗矢華と自分に言い聞かせるように囁く。

 

「大丈夫、心配ないよ──」

 

 巨大な剣が二人の少女を両断する、まさにその瞬間、砲弾の如き勢いで何かが甲冑の男を襲った。

 

「ぐおっ!?」

 

 横合からの完全な不意打ちを受け、ブルードが面白いくらいに吹き飛ぶ。つい先ほどまで手も足も出なかった相手が吹っ飛ぶ光景に、雪菜は唖然とした表情で立ち尽くし、乱入者の姿を見て目を見開いた。

 ブルードと立ち代るように現れ、月明かりにその姿を浮かび上がらせたのは十歳前後の少年だった。

 少年は驚愕に見舞われている雪菜を見て罰が悪そうに顔を逸らし、苦痛に呻く紗矢華を見て表情を険しくする。次いで紗矢華を庇うように立つ那月に、安心させるように笑いかけた。

 

「遅くなったな。誰かはよく知らないけど、助けにきた」

 

 雪菜たちの窮地を救うべく、古城少年が戦場に現れた。

 

 



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観測者たちの宴 Ⅶ

 那月と紗矢華の窮地を救ったのは留守を言い付けていた古城少年だった。

 甲冑の男を素手で吹き飛ばした古城少年は、油断なく男の挙動を見据えている。

 何故来てしまったのか、雪菜は今すぐにでも古城少年を叱り付けて叩き返したい思いだった。しかし紗矢華はダメージを受けてしばらくは戦線復帰が望めそうになく、雪菜一人で那月を守り抜くことはできない。他の応援も望めない以上、不安は残るものの古城少年と共に戦う以外に選択肢はなかった。

 大きな溜め息を零しながら、雪菜は手近な路地に視線を向ける。すると申し訳なさそうな表情をした優麻が、観念したように姿を現した。

 

「今すぐ帰れとは言いませんけど、後でお話しを聞かせてもらいますからね、優麻さん。その首筋の傷痕についても、きっちりと」

 

「あははっ、お手柔らかに頼むよ」

 

 すっと首筋の傷痕を手で隠すも遅い。雪菜からの物言いたげな眼差しに気不味くなり、優麻は明後日の方向に目を逸らした。

 気を抜くと溢れそうになる溜め息を飲み込み、雪菜は古城少年の隣に並び立つ。言い付けを破ってこの場に駆け付けたことが気不味いのか、古城少年が決まり悪そうに雪菜にちらちらと視線を寄越してくる。

 これではお互いに気が散ってしまう。仕方ない、と雪菜は呆れ混じりに嘆息して言う。

 

「勝手に出てきたことに関しては後で怒りますけど、今は彼方が優先です。戦場に出てきちゃった以上は気を抜かないでください、先輩」

 

「分かった、気を付ける」

 

 力強く頷いて古城少年は意識を切り替えた。

 

「そう言う訳なので、藍羽先輩は大人しく待っていてください。お願いですから」

 

『はいはい、どうせ邪魔にしかならないのは分かってるわよ……』

 

 古城少年の乱入にインカム越しで騒いでいた浅葱だが、結局は雪菜たちの無事を祈ることしかできない。『後で覚えときなさいよ、古城……』と呟いて、それ以降は文句を言うこともなくなった。

 殴り飛ばされた甲冑の男が立ち上がる。結構な勢いで吹き飛ばされた割に目立った外傷は見当たらない。だが、全くダメージが入っていないわけでもないようで、微かに眉を顰めていた。

 

「気を付けてください。あの男は全身が鋼に覆われていて、普通の攻撃ではダメージが与えられないんです」

 

「鋼って、どうりで痛いわけだ……」

 

 痛みを払うように古城少年が右手を振る。男を殴り飛ばした拳は痛々しく赤黒く変色しており、鋼の肉体の硬さを物語っていた。

 しかし古城少年は痛みに震えたり及び腰になるようなことはなく、真っ直ぐ甲冑の男を睨み据えている。気迫は十分、度胸もそれなり以上に備わっているようだ。

 

「マドウショのノロいをウけてなお、これほどのチカラをフるうか。だが、ショセンはジギにスぎない」

 

「だったらもう一発食らわせてやるよ、おっさん!」

 

 威勢よく吠えて古城少年が飛び出す。魔導書の呪いで記憶は奪われたが、その肉体は変わらず第四真祖のものだ。身体能力はズバ抜けており、あっという間に間合いを詰めて殴り掛かった。

 

「タタカいをシらぬコドモが、ナめられたものだ」

 

 疾風の如き速度で迫る少年を、甲冑の男は微塵も狼狽えることなく巨剣で迎え撃つ。身体能力こそ図抜けているが、記憶を失いただの一般人に成り下がった少年に戦いの心得はない。

 真正面からの戦闘で古城少年が有利に立ち回ることはほぼ不可能。振り翳した拳は容易くいなされ、巨大な剣に肉体を真っ二つにされる。ただし、それは古城少年が一人であったのならば。

 

「させません!」

 

 間一髪で銀色の槍が巨剣の軌道を逸らした。やや遅れた雪菜が割り入り、フォローしたのだ。

 雪菜の的確なカバーで生まれた男の隙を見て、古城少年は迷いなく渾身の力で拳を叩き付ける。魔力も上乗せした少年の殴打はダンプカーの衝突と同等の力を持っており、鋼の肉体を以ってしても踏み留まれるものではないはずだった。

 

「センジョウをシらぬコドモフゼイにオクれはトらぬ」

 

 あろうことかブルードは片手で古城少年の手首を掴み取って止めていた。ほんの少しの隙でも飛び込んでくると予想し、わざと体勢を崩して身構えていたのだ。

 渾身の一撃を容易く防がれた古城少年は、しかし不敵に笑ってみせた。

 

「そんなことくらい、言われなくても分かってる。だから、教えてもらってるんだよ」

 

 古城少年の瞳が爛々と紅く輝く。次瞬、凄まじい破壊力を秘めた衝撃波が拳から放たれ、甲冑の男を吹き飛ばした。

 

「ぐおおおぉぉぉ!?」

 

 両脚を地面に減り込ませて力尽くで踏み留まる甲冑の男。限定的な眷獣の権能とはいえ、耐え切った男のタフネス加減は凄まじいものだ。だが、受けたダメージは無視できる代物ではなかったらしい。ここに来て甲冑の男の呼吸が乱れ始めた。

 

「ワがハガネのニクタイをツラヌくか。オモシロい……!」

 

 甲冑の男が口端を愉しげに歪める。今までの退屈そうな態度とは打って変わり、滲み出る圧力に殺し合いに対する昂揚と歓喜が混じっていた。

 その凄絶な圧力に気圧されかけた古城少年を、隣に並び立つ雪菜が叱咤する。

 

「しっかりしてください、先輩!」

 

「……! 悪い、呑まれた!」

 

 両手で頬を叩き、気合いを入れ直して古城少年は甲冑の男と対峙した。

 作業のように淡々とあしらっていた甲冑の男は、一転して凄まじい攻勢に移った。眼中にあるのは唯一鋼の肉体を傷つけることができた古城少年のみ。獣の如く猛迫し、勢いそのままに巨剣を振り下ろす。

 速すぎる動きに反応が遅れた古城少年は、あわや真っ二つになる寸前に横合から雪菜に突き飛ばされて難を逃れる。即座に体勢を立て直し、古城は反撃の一撃を叩き込む。

 しかし甲冑の男も古城少年の力を脅威と認めており、受け止めることなく見切った上で回避した。鋼を砕く衝撃波も当たらなければ意味がない。

 間髪入れずに巨剣の二撃目が少年を襲う。空振って体勢が崩れている古城少年には躱せない。代わりにフォローしたのは、やはり雪菜だ。

 激しい攻防となると不利になる古城少年の拙い部分を、攻撃力は低いが霊視の先読みと巧みな槍捌きで雪菜がカバーする。連携というよりは補い合いだが、二人の戦い方は絶妙に噛み合っていた。

 対する甲冑の男は苛烈でありながら剣筋にブレはなく、古城少年を叩き斬らんと猛烈に攻めてくる。雪菜の存在を煩わしく感じているようだが、自身を傷つけること能わないと高を括っているらしく、殆ど眼中に入れていない。彼の目には果敢に応戦する少年の姿しか映っていなかった。

 何度目の衝突か、雪菜がギリギリの攻防を繰り広げている最中、古城少年が強引に勝負を仕掛けた。

 

「抉り喰らえ!」

 

 引き裂くように振り翳した腕の軌道上、丁度ブルードが踏み込もうとしていた地面がごっそりと抉り取られた。足場を失くしたブルードの体勢が大きく崩れる。

 千載一遇の好機に畳み掛けたのは雪菜だ。

 

「──(ゆらぎ)よ!」

 

 槍から手を離し、甲冑の男の懐に飛び込んだ雪菜が掌打を放つ。鋼の肉体を過信していた男はそれを受け、身体の内側を呪力の衝撃に蹂躙された。

 雪菜は間髪入れずに顎先への掌底、くるりと回転しての肘撃を叩き込む。いずれも呪力を乗せた一撃であり、鋼の肉体を素通りして内部に衝撃を与えた。

 

「な、んだと……!?」

 

 予想だにしないダメージに蹌踉めくブルード。掌打を放った雪菜は醒めた瞳で標的を見据え、淡々と告げる。

 

「あなたはわたしを取るに足らないと思っていたみたいですけど、あまり獅子王機関の剣巫を舐めないでください」

 

 純粋に対魔族戦闘だけに特化した専門家(エキスパート)である雪菜だが、そこで培われた技術を対人に活用することは十分に可能だ。むしろ強靭な肉体を持つ魔族を打ち倒す格闘技は、対人に活用するには加減が必要なほど強力な代物である。

 しかし、鋼の肉体を有するブルードを倒すには至らなかった。仮にも龍と真正面から殺し合い、勝利を捥ぎ取るような男だ。多少のダメージでは決定打にはならない。

 だからこそ、決着を着けることができるのはただ一人。

 眩い閃光が絃神島の夜空を照らす。古城少年の拳に莫大な量の雷が蓄えられ、解き放たれる時を今か今かと待ち望んでいた。

 

「終わりだ、おっさん!」

 

 拙い、と甲冑の男は全力で回避に注力しようとする。しかし雪菜の顎先への一撃が脳震盪を引き起こしており、思うように動くことができずに終わる。鋼の肉体に覆われていようと、内部構造までは変わらないはずと考えた雪菜の読みが刺さったのだ。

 せめてもの防御に大剣を盾にして身を守ろうとするブルード。構わず古城少年は防御の上から容赦なく拳を叩き込んだ。

 限界まで雷を溜め込んだ一撃は、大剣の盾を易々と吹き飛ばし、鋼の肉体に炸裂した。

 たがが外れたように溢れ出す雷撃が甲冑の男を焼き尽くす。完全召喚でこそないが第四真祖の眷獣の攻撃だ。鋼の肉体程度で耐え切れるものではない。

 更に雷撃だけではなく衝撃波の追い打ちも加わる。雷撃と衝撃波の合わせ技。さしもの龍殺しも、堪らず断末魔にも似た絶叫を上げ、大地に膝をついた。

 強靭な魔族であっても五体満足ではいられないだろう一撃だった。手応えも十二分に感じられた。しかし古城少年と雪菜の表情は変わらず険しく、油断なく敵手を見据えている。

 

「ぐ、おぉ……まだ、だ」

 

 愛剣を支えに甲冑の男が立ち上がる。既に限界が近いだろうに、瞳に宿る闘志は依然として燃え盛っている。

 

「まだ動けるのかよ、こいつ。不死身なのか?」

 

「先輩にだけは言われたくないと思いますよ」

 

 何故か雪菜にお前が言うなとばかりの目を向けられて困惑する古城少年。何にせよ、倒し切れなかった事実は古城少年に焦燥感を募らせた。

 今の古城が制御できる限界に等しい出力だった。それでもなお、甲冑の男を倒すには至らない。

 かくなる上は眷獣の完全顕現によって完膚なきまでに叩き潰すしかない。だが、古城少年には召喚した眷獣を完全に制御できる自信がなかった。周辺一帯への被害は抑えられないだろうし、雪菜たちを傷つけてしまう可能性もある。それは許容できなかった。

 葛藤に苛まれる古城少年。そんな少年とは対照的に、並び立つ雪菜は勝利を確信した笑みを零した。

 

「大丈夫ですよ、先輩。わたしたちの勝ちです」

 

 雪菜の勝利宣言と同時、夜空を切り裂く銀の矢が地上から放たれた。撃ち上げたのはダメージから回復した紗矢華だ。

 大気を引き裂く飛翔音が悲鳴にも似た遠鳴りへと変わっていく。人間の声帯や肺活量では発することのできない音を奏でる鳴鏑矢が、失われた秘呪をここに再現する。

 夜空を覆わんばかりに巨大な魔法陣が展開される。身の毛が弥立つほどの呪力を蓄えた魔法陣は、標的である甲冑の男目掛けて無数の極光を降らせた。

 満身創痍のブルードに避ける術はなく、声を上げる暇もなく極光の雨霰に飲まれた。

 やがて呪力を使い果たした魔法陣が役目を終え、極光の嵐がパタリと止む。後に残るのはクレーターの中心で倒れ伏す甲冑の男だけだ。

 著しく消耗したことで監獄結界の機能が発動し、虚空から吐き出された鎖が甲冑の男を監獄へと引き摺り戻す。抵抗する気力も残っていない男はそのまま虚空へと消えた。

 

 

 ▼

 

 

 激しい戦闘に決着がつき、耳が痛いほどの静寂が訪れる。

 

「勝った、のか……?」

 

 実感が湧かないのか、呆然と呟いて古城少年は襲いくる疲労に膝を折った。雪菜の援護で守られていたとはいえ、ぶっつけ本番同然の実戦に心身を磨り減らしていたのだ。膝を突くのも無理はない。

 疲労困憊の古城少年に、雪菜が柔らかに微笑みかけた。

 

「お疲れ様です、先輩。なんとか切り抜けられましたね」

 

「姫柊さんと煌坂さんのおかげだよ。俺一人じゃ、ろくに戦えやしなかった」

 

 力なく地べたに座り込んで古城少年は安堵の息を零した。

 今の未熟な自分にどこまでできるかは分からなかったが、何とか誰一人失うことなく守り抜くことができた。古城少年一人の功績というわけではないが、彼が駆け付けていなければ脱落者が出ていたのは間違いない。

 だが、それと留守番の言い付けを破ったことは別の話だ。

 

「ですが、どうして勝手に飛び出してきちゃったんですか。一つ間違えれば、共倒れになってもおかしくなかったんですよ?」

 

「それは……」

 

 非難のこもった眼差しを向けられ、たじろぐ古城少年。しかしどれだけ責められようと、これだけは譲れないと即座に見返した。

 

「それでも、姫柊さんたちに全部任せてじっとなんかしてられない。追い返そうったって、絶対についていくぞ」

 

「……本当に、仕方ない人ですね」

 

 記憶を失っても変わらない頑固さに、くすりと雪菜は微苦笑を零した。

 

『のんびりとしてるとこ悪いけど、早く入っちゃいなさいよ。またおっかない囚人に襲われるわよ?』

 

 やや不機嫌な浅葱の声がインカム越しに響く。目と鼻の先で勃発した戦闘に、一切助力できなかったことを拗ねているらしい。

 古城少年と雪菜は互いに顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。悠長にしていて新手に襲われては敵わない。一行は目と鼻の先に聳え立つキーストーンゲート内部へと足を進めた。

 

 



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観測者たちの宴 Ⅷ

新作を書いて執筆意欲が湧きましたので、戻って参りました。
モチベが高いうちに最低でも観測者までは終わらせたいなぁ……

あと、もしよかったら新作も覗いてもらえると嬉しいです。


 絃神島市民の大半が波朧院フェスタに熱狂している最中、喧騒から離れた彩海学園に仙都木阿夜の姿はあった。

 

 那月の手によって潰された儀式の完遂のため、かつての学舎を儀式場にして悲願の成就を為す。邪魔立てする者はLCOの構成員であっても躊躇いなく始末した。外から送り込まれる特区警備隊(アイランド・ガード)も魔力喪失現象の前に道半ばで倒れている。

 

 懸念事項である那月と第四真祖は弱体化し、脱獄囚に追いかけ回されている。優麻(むすめ)を始末できなかったのは失態ではあるが、堕魂(ロスト)で疲弊した状態で何ができるわけもない。

 

 頭の回る脱獄囚の一人が阿夜の思惑に気付いて訪問こそすれど、特に何をするでもなく自力で手枷を外して何処ぞへと消え失せた。

 

 もはや阿夜の悲願を妨げるものは一つとしてない。今度こそ、儀式は完遂される──

 

 世界を塗り替える結界が絃神島全土を飲み込まんと拡がっていく。彩海学園の屋上にて、阿夜は儀式の進捗状況を感情の伺えない眼差しで眺めていた。

 

 順調だ。万難を排して臨んだ儀式に不確定要素はない。あとはゆるりと結界が絃神島を飲み込むのを待つだけだ。

 

 ある種、余裕ができたからだろう。ここまで儀式の完遂にのみ意識を向けていた阿夜は、己の手にある魔導書に視線を落とした。

 

 那月の時間を奪い取った魔導書。そこにはかつてこの学舎で共に学んだ頃の思い出も含まれている。野望を挫かれ敗北を味わったあの日の記憶もある。

 

 阿夜が魔導書に向ける想いは愛憎入り混じる複雑怪奇なものだった。

 

 ふと、阿夜は行き掛けの駄賃に奪い取った第四真祖の時間の存在を思い出した。

 

 脱獄のために用意した複製(むすめ)の働きによって期せずして奪取することができた第四真祖の時間。本来であれば吸血鬼の真祖にこの手の呪詛は効かないのだが、極限まで消耗した状態であったために奪うことができた。

 

 世界の異端児とも呼ばれる第四真祖を弱体化させられたのは僥倖だった。だがそれ以上に、第四真祖の時間(きおく)を確保できたのが大きい。

 

 阿夜が闇誓書を利用して為そうとしているのは魔族や魔女の存在証明だ。魔術や魔女といった異端の存在を疑問視し、闇誓書の世界改変をもってこの世界の歪みを浮き彫りにする。それが阿夜の野望である。

 

 その野望を成就するにあたり、世界最強の吸血鬼であり、悠久の時を生きる第四真祖の記憶はこの上なく興味関心を惹かれるものだ。あわよくば世界の真理を解き明かす一端に手が届く可能性もある。

 

 無論、第四真祖が積み重ねた悠久の時間を奪えたわけではない。だが、暁古城が第四真祖に至った経緯だけでも知ることができれば、この世界の歪みの一端に触れることができるかもしれない。

 

 ならば、魔女である阿夜に躊躇いはなかった。

 

 魔導書の能力を利用して奪い取った記憶を閲覧する。幼児化した古城の背格好からして収められた時間は十年分もないだろう。読み解くのに時間は大して掛からないはずだ。

 

 だがしかし──

 

「これは、どういうことだ……?」

 

 閲覧しようと触れた古城の時間の重みが、明らかに十年どころでは済まない代物だった。加えて比較的表層にある記憶は継ぎ接ぎだらけで、まるで後から重要な箇所だけ切り貼りしたような有様である。しかも内容は複製(ユウマ)に関する内容ばかりだ。

 

 固有堆積時間(パーソナルヒストリー)とは連綿と続き繋がるスクロールのようなものだ。当人が忘れていようと、思い出せなくなっていたとしても関係なく、積み重ねられた時間そのものが欠落するなんてことは本来有り得ない。

 その有り得ない事象こそが第四真祖の秘密に関係している。

 

 人知れず息を飲みながら、阿夜は更に深層の記憶に手を伸ばそうとして──吹き荒れる漆黒の魔力に弾き飛ばされた。

 

「馬鹿、な……!?」

 

 予想だにしない衝撃に吹き飛んだ阿夜は即座に体勢を立て直し、吹き荒ぶ漆黒の魔力の中心を睨み据えた。

 

 所有者である阿夜に牙を剥いた魔導書は独りでに浮き上がり、漆黒の渦の中でページを破らん勢いで捲り続けている。何が起きているのかは阿夜にすら理解できなかった。

 

 不意に、漆黒の渦の中に一対の紅い光が浮かび上がった。

 

 それはまるで深淵から覗く怪物の瞳のようで、阿夜は思わず身を強張らせて立ち尽くす。その様はまさしく蛇に睨まれた蛙そのものである。

 

 紅い双眸は硬直する阿夜を睨み据え、やがて前触れなく消失する。同時に吹き荒れていた魔力の奔流も治まり、宙空に留まっていた魔導書が力なく落下した。

 

「──っはあ……はあ……!?」

 

 魔導書から放たれていた凄まじい圧力から解放され、阿夜は喘ぐように呼吸を繰り返す。

 

 ただ一睨みされただけ。たったそれだけで阿夜は生きた心地がしなかった。

 

 ──あれは何だ? 何故あのような存在が潜んでいる? 第四真祖とは何者なのだ? 

 

 次から次へと疑問が浮上してくる。しかし阿夜にもう一度古城の記憶を覗こうという意思はない。悲願成就の前に余計な不確定要素を増やしたくなかったからだ。

 

 ただ、思わずにはいられなかった。

 

「あの小僧は、記憶の中にナニを飼っているんだ……?」

 

 戦慄混じりに呟かれた言葉は夜の闇に溶けて消えた。

 

 

 ▼

 

 

 キーストーンゲート商業エリアの一画、スイーツ好きな女性に人気なケーキバイキングの店内に古城たちの姿はあった。

 

 監獄結界の脱獄囚を退け、やっとの思いでキーストーンゲートに辿り着いた古城たち。那月の身柄を“特区警備隊(アイランド・ガード)”に預けた一行は、何処かに腰を落ち着けて状況を整理しようという流れになった。

 

 そこで白羽の矢が立ったのがケーキバイキング。外で巻き起こる騒ぎとメインイベントであるナイトパレードに注目が集まり、運良く空いていた店内の一角を、古城たちはこれ幸いにと陣取ったのである。

 

 古城たちは奥まったボックス席を陣取っている。席位置は雪菜と紗矢華、古城と優麻が隣同士だ。

 

「──しっかり反省してください。いいですか?」

 

「はい、すみませんでした」

 

 店内で少ないながらも人目があるのにも関わらず、古城少年は対面の雪菜に正座で頭を下げた。気の毒そうな紗矢華と優麻の視線が突き刺さるが、身から出た錆である以上は仕方ない。

 

 入店して一段落ついたところで始まった説教。古城少年の行動が如何に軽率で危険な行いだったかを懇切丁寧に論理立てて説教され、さしもの古城少年も反省せざるを得なかった。まあ、全く同じ状況に直面したら同じように動いてしまうだろうが、反省する姿勢というのは大切だ。

 

 普段の古城よりは圧倒的に聞き分けの良い態度に雪菜も早い段階で説教を終わらせる。常日頃からのことも思えば言いたいことはまだまだあるが、今は他に優先するべき事柄があった、

 

「南宮先生の安全は確保できました。記憶は取り戻せていませんが、此処に居れば脱獄囚に狙われる心配もないと思います」

 

 記憶を失い非力な幼子になってしまった那月の身柄は“特区警備隊”に預けられている。キーストーンゲートは島内でも最高レベルのセキュリティによって守られており、監獄結界の脱獄囚であろうと手出しはでき得ない。

 

 第一目標である那月の保護は達せられた。であれば一行の次なる目標は仙都木阿夜の企みを挫くことである。

 

「藍羽先輩。“闇誓書”による結界の状況はどうなっていますか?」

 

『順調に、ってのはおかしいけど。変わらないペースで範囲を拡大してるわね』

 

 テーブルの上に置かれた雪菜のスマホから浅葱の声が響く。情報収集のため浅葱はキーストーンゲートのメインコンピュータルームに残っており、この場には音声だけでの参加となった。

 

『“特区警備隊”が調査に踏み込んだけど音沙汰なし。結界内部に踏み込んだ時点で魔力も何もかも無力化されちゃうから、ろくに戦うこともできないみたいね……これ、ほんとに止められるの?』

 

 “特区警備隊”が入手した情報を横流しする浅葱だが、阿夜の企みを止められるのか声音には不安が滲んでいた。

 

 結界内部では七年前と同様に魔力喪失現象が発生している。魔力に起因する装備の類はガラクタと化し、魔族は魔族でいられなくなる。

 

「結界内では、お母様以外の人間はあらゆる異能を喪失する。まともに戦って勝つことはできないよ」

 

 魔力だけではない。術者である阿夜を除く、全ての異能の類が無効化される極悪な結界。闇誓書とはいわば世界を己の思うがままに書き換える魔導書なのだ。

 

「それじゃあ、止めようなんかないんだけど? 南宮那月はどうやって仙都木阿夜を止めたのよ」

 

 霊力まで喪失させられてしまうのであれば、雪菜と紗矢華の二人も太刀打ちができない。“雪霞狼”と“煌華麟”も霊力なくしてはただの槍と剣でしかなくなってしまうのだ。

 

 勝ち筋の見えない状況に雪菜と紗矢華が表情を固くする。今こうしている時も結界は範囲を拡大させ、絃神島は魔力喪失現象の危機に晒されている。

 

 島の大部分を魔力的な要因で維持している絃神島は、魔力を失えば島の体裁を維持できなくなってしまう。そうなれば待っているのは崩壊と海の底への沈没だ。

 

 波朧院フェスタで賑わう今の絃神島が崩壊しようものなら、犠牲者はとんでもない数になる。何がなんでも阿夜の企みを阻止しなければならなかった。

 

「止める手立てならある」

 

 打開策を齎したのは優麻だった。

 

「“闇誓書”の結界内部ではあらゆる異能が力を失う。でも一人だけ、例外がある。術者本人であるお母様だ」

 

『言われてみれば、そうよね。自分まで対象にしてたら、魔導書の制御も何もできないし』

 

 優麻の言葉に得心がいったとばかりに浅葱が頷く気配がする。

 

「そしてボクはお母様を元に生み出された複製(コピー)だ。この身に流れる魔力も、血も、全てお母様と同じもの。つまり、結界内でも支障なく魔術を扱うことができる」

 

 阿夜をベースにして設計された故に優麻もまた“闇誓書”の除外対象に含まれる。結界内部であろうと問題なく魔術、魔女の守護者を操ることができるだろう。

 

 そして──

 

「ボクの血を吸った古城も、第四真祖の能力を行使できるはずだよ」

 

「俺も……?」

 

 唐突に話の矛先を向けられて古城少年は目を丸くする。雪菜と紗矢華は話の流れを理解して、少しばかり不満そうな表情を浮かべた。

 

「“闇誓書”に対抗するための吸血だったんですね」

 

「うん。魔力補給のためでもあったけど、一番の理由はそこだった……ごめんね」

 

「いえ、必要なことなのは理解したので、今はいいです」

 

 と言いつつも雪菜の表情には不満の色が滲んでいる。理解はできても感情の納得ができていないのだろう。隣の紗矢華も似たような顔をしていた。この場に居ないが浅葱も同じ心情である。

 

 微妙に居心地の悪い空気に古城少年が肩身の狭い気分を味わっていると、時間を無駄にはできないと雪菜が話の流れを切り替えた。

 

「優麻さんと暁先輩が対抗できることは理解しました。ですが、お二人で……いえ、暁先輩だけで仙都木阿夜を止めることができるとは思えません」

 

 優麻は堕魂の影響で戦力足り得ない。必然的に戦力となるのは古城少年のみとなってしまう。

 

「そうね。記憶を失う前なら……まあ、無理やりにでもなんとかしそうだけど、今の暁古城には無理じゃない?」

 

 記憶を失う前の古城であれば、四肢が千切れようとも戦い抜き、圧倒的な実力差があろうと覆して勝利を掴み取っただろう。

 

 しかし目の前の古城少年は記憶を失い、如何なる障害だろうと乗り越えんとする鋼の意志を喪失してしまっている。記憶喪失前と変わらない能力を有していたとしても、今の古城少年に仙都木阿夜を打ち倒せるとは到底思えなかった。

 

『そもそも、今の古城にあんな戦い方させるのは却下よ却下……元に戻ってもしてほしくないけどね』

 

 古城とヴァトラーの死闘を映像越しに見守っていた浅葱は、文字通り子供になってしまった古城少年に命を投げ捨てるような戦闘をしてほしくなかった。その想いは雪菜と紗矢華も同じであり、言葉なく頷く。

 

「でも、俺以外のみんなは戦えないんだろ? だったら俺がやるしかないだろ」

 

 あまりにも否定的な意見ばかりをぶつけられ、あからさまに不機嫌な様子で古城少年が指摘する。

 

 話の流れからしてまともに戦えるのは自分しか居ない。にも関わらず、女性陣は戦うなと言わんばかりの態度だ。見た目相応に精神も幼くなっている古城少年は不服そうに眉を顰めた。

 

 雪菜たちも頭では理解している。阿夜に対抗できるのは優麻の血を取り込んだ古城少年しかいない。

 

 しかし今の古城少年は見た目も中身も中学生にも満たない子供なのだ。世界最強の吸血鬼であったとしても、戦わせたくないと思うのは当然の帰結だ。

 

 それに、感情を抜きにしたとしても、古城少年が一人で阿夜を打倒できるとは思えなかった。

 

 阿夜は“書記(ノタリア)の魔女”という異名を持つ国際魔導犯罪者だ。その実力は折り紙付きであり、心身共に未熟な今の古城が単独で撃破できるほど甘い相手ではない。

 

 代案を出せず難しい顔で黙り込んでしまう雪菜たち。古城少年が戦う以外の選択肢はないのか模索していると、不意に店先から賑やかな声が聞こえてきた。

 

 何事かと少女たちは騒ぎの中心に目を向けて──驚愕のあまり目を剥いて硬直する。

 

 黄金のように眩い髪と貴公子然とした端正な顔立ち。絵本の中から飛び出した王子様のような容貌の男──ディミトリエ・ヴァトラーが年若い女性たちの黄色い声を浴びながら入店してきたのだ。

 

 ヴァトラーは店内をぐるりと見回し、古城一行の姿を認めるや笑みを深める。細められた碧い瞳は獲物を見つけた蛇の如く、幼くなってしまった古城少年を捉えていた。

 

 ばっ! と雪菜と紗矢華が立ち上がり古城少年をヴァトラーから隠すように立ち塞がる。優麻はぼけっとしていた古城少年を庇うように抱き寄せた。

 

 突然の展開と抱擁に目を白黒させる古城少年を置き去りに、ヴァトラーが道を塞ぐ雪菜と紗矢華の前に立つ。二人とも武器こそ手にしていないが、いつなんどき襲い掛かられたとしても対応できるように身構えている。優麻に至っては何かあれば全員を連れて離脱できるように空間転移の準備まで進めていた。

 

「やあ、古城。さっきぶりだね。随分と可愛らしい姿になっているじゃないカ」

 

 一触即発の空気を物ともせず、ヴァトラーはわざとらしく唇を舐めて美貌を歪める。背筋が凍り付きそうな悪寒を感じた古城は、優麻に抱き締められる羞恥以上の恐怖に身を震わせた。

 

「ご無事だったんですね、アルデアル公」

 

 一歩前に踏み出して雪菜が言葉を投げる。ヴァトラーの身を案じていたような台詞であるが、纏う空気は刺々しく心配する心など皆無であったことが伺えた。

 

 それもそうだろう。ヴァトラーは古城が記憶を失う原因を作った張本人といっても過言ではない。とてもではないが友好的な態度で接することはできないだろう。

 

「丁度よく魔力補給のアテが彷徨いてくれていたからね。おかげでここまで回復できたのサ」

 

「魔力補給のアテ……まさか」

 

 今の絃神島においてヴァトラーが襲ってもこれといって咎められることのない相手。雪菜たちの脳裏を監獄結界の脱獄囚たちの姿が過った。

 

 雪菜たちが退けた脱獄囚は二人。しかし監獄結界から脱獄した囚人は他にもいた。ヴァトラーはその他の脱獄囚に襲撃を仕掛け、吸血行為によって魔力を強奪したのだろう。

 

 古城との死闘で相当な消耗をしていたはずだろうに、よくもまあやるものだと雪菜たちは思う。下手を打てば返り討ちにあってもおかしくなかっただろうに。

 

「それよりも──」

 

 ヴァトラーは優麻に庇われる古城少年をひたと見据える。

 

「仙都木阿夜を倒すための作戦会議をしていたんだろう? ボクも可能な限り力を貸そうじゃないか」

 

「なんのおつもりですか?」

 

 自他共に認める戦闘狂いであるヴァトラーとは思えない発言に、雪菜は疑いの目を隠すことなく問う。

 

「なに、古城のおかげで退屈は紛れたからね。これはちょっとしたお礼(サービス)のつもりだよ。他意なんて、ないサ」

 

『信じられるわけないでしょ、そんな言葉……』

 

 ぼそっと浅葱が全員の想いを呟いた。

 

 永遠の無聊を慰めるため、自らテロリストまで懐に招き入れるような刹那主義者。挙句に今回は嬉々として古城の前に立ちはだかり、古城弱体化の原因まで作った男だ。おいそれと信用できるはずもない。

 

 ヴァトラーもそのあたりは弁えているのだろう。弁えた上で微塵も配慮するつもりがないのだが。

 

「信じられないのも仕方ない。でも、イイのかな? このまま手を拱いていれば絃神島は海の底に沈むことになる。それは困るんじゃないカ?」

 

「────っ」

 

 図星を突かれて雪菜たちは悔しげに歯噛みする。

 

 阿夜の企みを止めなければ絃神島は一夜にして海の底へと沈むことになる。そうなれば被害は尋常ならざるものになり、何十万人もの人々が犠牲になってしまう。

 

 戦うことができるのは古城少年一人。しかしその古城少年も心身共に未熟な状態であり、阿夜を相手に勝機があるとは言えない。縋れるならば藁にも縋りたい気持ちであるのは事実だった。

 

「……だとしても、アルデアル公に何ができるのですか?」

 

「そうだねェ。ボクも君の血を吸って、古城と肩を並べて戦うのも悪くないけど……」

 

 じろりとヴァトラーの碧眼に見据えられ、優麻は反射的に身体を強張らせた。そんな幼馴染を庇うように今度は古城少年が優麻を抱き締め返し、威嚇するようにヴァトラーを睨んだ。

 

「うん、それはやめておこう。古城に嫌われたくないし、趣味じゃないからネ」

 

 もう十二分に嫌われているだろ、と少女たちの心中でツッコミが炸裂した。当人は素知らぬ態度で言葉を続ける。

 

「差し当たっては、未熟な古城に()()()()()()()()()()教授(レクチャー)するというのは、どうカナ?」

 

 愉しげに笑みを深めて、ヴァトラーは幼い古城とその保護者たちに一つの提案をするのだった。

 




書き方を変えました。多分、こっちのが読みやすいんじゃないかなぁと思いまして。


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観測者たちの宴 Ⅸ

モチベが上がった理由? そこにfgofesがあったじゃろ?


 絃神島の中心に位置するキーストーンゲートの屋上。つい先ほどまではメイヤー姉妹によって占拠されていた場所にて、古城少年とヴァトラーは対峙していた。

 

 ヴァトラーの要請という名のごり押しによって屋上直下に位置する展望台には人っ子一人いない。屋上への立ち入りも封鎖されており、関係者以外の人間が踏み込むことはできないようになっている。

 

 また、古城少年とヴァトラーの後方にはそれぞれ雪菜と紗矢華が己の得物を手にして待機している。二人の役目は戦闘の余波が絃神島に降り注がないようにすること、そしていざという時にヴァトラーから古城少年を守ることだ。

 

 優麻も邪魔にならない程度に離れた位置で古城少年を見守っている。身を守る術のない浅葱はこの場にいないが。

 

 つまりは──古城少年とヴァトラーが多少暴れても問題はないということ。

 

「嬉しいよ、古城。一日二度も君と戦うことができるなんてネ」

 

「俺はこれっぽっちも嬉しくない……」

 

 喜色満面の笑みを浮かべるヴァトラーに古城少年はげんなりと肩を落とす。

 

 雪菜たちから掻い摘んでヴァトラーという男との因縁については聞き及んでいる。自身が記憶を失う原因となった男、超が付くほどの戦闘狂で退屈凌ぎのためならば犯罪者の監獄破りにすら手を貸す狂人。

 

 とてもではないが教えを請う相手として適しているとは言えない。だがしかし、古城少年は雪菜たちの反対を押し切ってヴァトラーの提案を受け入れた。

 

 絃神島を仙都木阿夜の魔の手から守ることができるのは古城少年のみ。しかし今の未熟なままの自分では阿夜を相手に勝ち得ないと、雪菜たちからの反対を受けた。

 

 ならば、未熟でなくなれば問題はないだろう。

 

 そんな短絡的な発想によってヴァトラーによる古城少年の教導は成立した。

 

 もちろん、雪菜たちは猛反発した。特に古城が胸を貫かれるシーンを目の当たりにしてしまった浅葱など、コンピュータールームを飛び出しかねない剣幕で反対意見を並べ立てたほどである。

 

 だがそうは言っても、他に阿夜に対抗する手立てがないのも事実。最終的には雪菜と紗矢華が古城少年の安全を守ることを条件に、ヴァトラーの提案が採用されたのだった。

 

「さて、あまり時間もないことだし、早速始めようか」

 

 じわりと禍々しい魔力がヴァトラーを中心に滲み出る。悍ましい魔力の波動に飲まれかけながら、古城少年も対抗するように魔力を発露させた。

 

 みしみしと魔力が鬩ぎ合い、張り詰めたピアノ線のような緊張感が満ちる。そんな中であってもヴァトラーは軽い口調で会話を続ける。

 

「と言っても、ボクから古城に教えるべきことは一つしかないんだけどね」

 

 勿体ぶった言い回しでヴァトラーは古城少年──“まがいもの”が抱える問題点を指摘する。

 

「──強者の自覚を持て。世界最強の吸血鬼、第四真祖(カイブツ)であることを認めるんだ」

 

「強者の、自覚……?」

 

 ヴァトラーの言葉に古城少年は思わず首を傾げた。

 

 己が都市一つ容易く滅ぼしかねない力を秘めていることは古城少年とて自覚している。一つ間違えれば守るべき人たちを傷つけてしまいかねないことも理解している。自分自身が危険極まりない存在であることは重々承知していた。

 

 故に強者の自覚を持て、と言われても今一つ飲み込むことができなかった。

 

 疑問符を浮かべる古城少年に対して、ヴァトラーは実践したほうが早いだろうと右腕を掲げる。

 

 振り翳したヴァトラーの右腕が目を灼く輝きと超高温に包まれる。ヴァトラーがその身に宿す眷獣の権能、その一端のみを現実へと引き出しているのだ。

 

「とりあえず、防いでごらん」

 

 天に掲げられていた右腕が振り下ろされると同時、灼熱の極光が古城少年を襲う。

 

 コンクリートを一瞬で融解させながら迫る視界を灼く極光の奔流。まともに受ければ一瞬で蒸発すること請け合いの暴力に、古城少年は微かに湧き出た恐怖諸共腕を振るう。

 

 振るわれた腕には“次元喰らい”の権能が秘められており、古城少年の眼前の空間を抉り喰らう。空間の繋がりが喪失したことで生じた断層はあらゆる脅威を隔てる最硬の盾となる。

 

 空間断層に阻まれた極光が幻の如く霧散する。後に残るのはヴァトラーから古城少年の元へ一直線に伸びる破壊の痕跡のみだ。

 

 額を伝う冷や汗を拭う古城少年。対してヴァトラーは調子を確かめるように右腕を触り、ややあってから小さく肩を竦める。

 

「眷獣の限定召喚による権能の一部行使。手加減にはいいかもしれないけど、ボクの性には合わないかな」

 

 さて、とヴァトラーは真紅に染まった双眸を古城少年に向ける。

 

「今のが古城の戦い方サ。行使する力は必要最小限に留め、無用な暴力は振るわない。敵の攻撃をいなし、隙を伺い、虎視眈々と勝利を狙う。個人的にはスリルを感じさせてくれて楽しいけれど、それは吸血鬼(ボクら)の戦い方じゃない」

 

 ヴァトラーを中心に再び禍々しい魔力が湧き上がり、薄らと巨大な炎蛇の影が浮き上がる。まだ顕現していないにも関わらず炎蛇の撒き散らす超高熱が大気を焦がし、古城少年は息苦しさに顔を顰めた。

 

「古城の戦い方は人間(弱者)のソレだ。戦い方そのものを否定するつもりはないけど、吸血鬼の戦い方ではないよネ」

 

「それは……」

 

 ヴァトラーの指摘に古城少年は苦虫を噛み潰したような表情になる。

 

 先の甲冑の男との戦闘でも古城少年は一度も眷獣の完全召喚を行わなかった。眷獣の秘めたる能力の一端のみを引き出し、人間同士の規格(スケール)で戦っていたのだ。

 

 記憶を失う前の“まがいもの”もそのきらいがあった。眷獣の制御の問題、相性の問題などはあれども、古城は不必要なまでに力を抑制している場面が多々ある。

 

 強力無比な機関砲を手に持っているのに、わざわざ剣に持ち替えて戦っているのだ。

 

「ボクたちは怪物(強者)だ。その中でも古城は世界最強と謳われる第四真祖なんだ。怪物は怪物らしく、あるがまま、思うがままに蹂躙すればいいのサ」

 

 吸血鬼である、怪物であることを突き付けられ古城少年は表情を曇らせる。理解はしていても、心の何処かで受け入れ切れていなかったのだ。記憶を失う前の“まがいもの”も、自覚はしていなかっただろう。

 

 陽炎の如く揺らめいていた炎蛇が実体を結ぶ。顕現するは灼熱の具現。先の限定的な権能行使とは脅威度が段違いの怪物が、迷い躊躇う少年を睥睨した。

 

「断言しよう。仙都木阿夜は弱者だ。魔女として優れていようと、世界を改変する能力を手にしようと、第四真祖たる御身には到底及ばない。君が第四真祖の力を十全に振るえば、軽く一撫でするだけで終わるんだよ」

 

 ヴァトラーの命を受けて巨大な炎蛇が古城少年に牙を剥く。

 

「さあ、受け入れるんだ。怪物が怪物たる所以を示すといい……!」

 

「────ッ」

 

 灼熱に燃え盛る蛇体を激しく畝らせ、森羅万象全てを灼き尽くさん勢いで迫り来る炎蛇。古城少年は先と同じように空間断層を生み出そうとするが、蛇体ごと押し寄せる超高熱の暴力は断層一枚では防ぎ切れないと直感する。

 

 空間断層の盾は如何なる脅威をも阻む最強の盾であるが、一方向からの攻撃にしか対処できない。波打つように迫り来る炎蛇を完全に防ぐのは不可能だった。

 

 即座に回避の一手を打つべく身構える古城少年。しかしその動きはヴァトラーに読み切られていた。

 

 いつの間にか召喚されていた剣刃の鱗を纏う大蛇が、退路を塞ぐように塒を巻いていた。下手に下がろうものならば肉体をズタズタに切り裂かれてしまうだろう。

 

 前後を挟まれ逃げ場を失った古城少年。ヴァトラーの言葉によって揺さぶられ、迷い惑う少年は迎撃もままならないままに押し寄せる暴虐に晒され──

 

「──“雪霞狼”!」

 

 玲瓏な声音と共に飛び込んだ銀閃が、ヴァトラーの眷獣を紙細工の如く切り裂いた。

 

「ご無事ですか、先輩?」

 

「姫、柊……さん。俺は……」

 

 火の粉を払いながら凛然と立つ雪菜を、へたり込んでしまった古城少年は情けない表情で見上げる。

 

 雪菜たちの反対を押し切って威勢よく挑んだ癖にこのザマである。情けない上に、怪物であることすら受け入れられない半端さに弱々しく俯いてしまう。

 

 記憶を失う以前の“まがいもの”ならば、乗り越えることができただろう。あるいは守るためならば怪物に身を窶すことすら構わないと、躊躇なく一線を踏み越えていたかもしれない。

 

 しかし今この場にいるのは記憶を失い心身共に不安定な少年である。怪物であることを受け止めるには、覚悟も何もかも足りていなかった。

 

 進むべき道を見失った幼子のような様相の古城少年。そんな少年の前に膝をつき、雪菜は不安に震える身体を両腕で抱き締める。

 

「先輩は怪物なんかじゃありません。怪物になんて、ならなくていいんです」

 

「でも、俺は吸血鬼で……第四真祖だから……」

 

 仙都木阿夜を止められるのは第四真祖(カイブツ)である古城少年だけ。その双肩には絃神島に生きる数十万の命が重くのし掛かっている。

 

 怪物(強者)であることを受け入れなければ太刀打ちできないのであれば、身も心も怪物であることを認めなければならない。認めないまま、否定したままでは守ることもできないのだから。

 

 悲壮な覚悟を決めようとする古城少年に、雪菜は静かに首を横に振った。

 

「先輩が一人で背負う必要なんてありません。わたしが、わたしたちが一緒にいます」

 

 雪菜の言葉に応じるように古城少年の両隣に紗矢華と優麻が並ぶ。二人は安心させるように柔らかく微笑み、鬼気を放つヴァトラーから古城少年を庇うように構える。

 

「たとえその身が世界最強の吸血鬼であったとしても、心まで怪物になってしまう必要なんてないんですよ」

 

「姫柊さん……」

 

 直に触れ合い伝わる温かな鼓動と、優しさに満ち溢れた言葉が滲み入る。怪物であることを無理やりに受け入れようとしていた恐怖が、みるみるうちに氷解していくのが分かった。

 

 古城少年の震えが治ったのを感じ取り、雪菜は抱擁を解き柔らかに微笑む。少し年上の少女が浮かべたとは思えないほど慈愛に満ちた微笑に、古城少年は顔が赤くなるのを抑えられない。

 

 古城少年が初心な反応を見せているとは露知らず、雪菜は紗矢華たちと並んでヴァトラーに対峙した。

 

「アルデアル公。申し訳ありませんが、これ以上の教導は中止させて頂きます」

 

「いいのかい? 今のままじゃ、仙都木阿夜を止められないと思うケド?」

 

「教導に託けて、暁先輩の心を怪物に堕とそうとするような方に、先輩を任せることはできません」

 

「手厳しいねェ」

 

 くつくつと含み笑いを零すヴァトラー。記憶を失っている今であれば、古城を自分好みの怪物へと仕立て上げられると考えていたが、目論見は外されてしまったようだ。

 

「仙都木阿夜はわたしたちが止めます。たとえ呪力を失ったとしても、人間(弱者)人間(弱者)の戦い方で守ってみせます」

 

 雪菜の啖呵にヴァトラーはきょとんと目を丸くする。次いで目尻に涙を浮かべるほどの哄笑を上げた。

 

「イイね、最高だよ本当に。それでこそ第四真祖の血の伴侶に相応しいじゃないカ」

 

「べっ、別にそういう意図は……」

 

「イイとも。でもね、実際問題力を失った状態では仙都木阿夜に太刀打ちすることはできないヨ。想い一つ、覚悟一つで乗り越えられるほど現実は甘くない」

 

「……そうですね」

 

 雪菜も重々承知している。今のままでは仙都木阿夜を止められないことを、古城少年に頼らざるをえない状況を理解している。

 

 その上で、古城少年が怪物に堕ちることを許容はできない。故に──

 

「──いざとなれば、わたしがなんとかします」

 

 決然と言い放つ雪菜に、ヴァトラーは怪訝そうに片眉を上げた。

 

「……へぇ、なんとかする手立てがあるのかい。でも、あまり切ってほしくない手札みたいだね」

 

 雪菜の隣に立つ紗矢華の苦々しい表情から、雪菜の手が相応にリスクの高いものだと察するヴァトラー。対する雪菜は一瞬の瞑目ののち、微かな迷いを断ち切るように前を見据えた。

 

「それでも、大切な人(せんぱい)が怪物に堕ちてしまうよりはマシですから」

 

 瞳に揺るぎない決意の光を灯し、雪菜は躊躇うことなく断言した。

 

 古城のためならばどんなリスクがあろうと構わないと宣言する雪菜に、ヴァトラーは心の底から愉しげな笑みを浮かべる。叩き付けられるような覚悟の波動がどうしようもなく心地良かった。

 

「素晴らしい。君たちもまたボクを飽きさせないでくれる、愛しい、愛しい好敵手(こいがたき)だヨ」

 

 

 ああ、だからこそ──いつまでへたり込んでいるつもりだい、古城? 

 

 

 ヴァトラーが問い掛けると、雪菜たちの背後でゆらりと濃密な魔力の気配が立ち昇る。反射的に振り返った雪菜たちの視界に飛び込んだのは、身体の端々から銀の粒子を靡かせながら立ち上がる古城少年の姿だった。

 

「先……輩……?」

 

 見たこともない姿と能力に驚愕しながら雪菜が名を呼ぶ。その声に応じるように古城少年は顔を上げ──

 

 

 ▼

 

 

 ──いざとなれば、わたしがなんとかします。

 

 雪菜の覚悟に満ちた言葉を聞いて最初に抱いたのは、途方もない安堵の心だった。

 

 巨大な人工島を沈めようとする魔女に立ち向かえるのは自分一人しかいない。自分が戦わなければ、数十万の命が海の藻屑と消え去る。

 

 幼い少年が背負うにはあまりある重責だ。挙句に怪物であることを認められなければ何一つとして守ることはできないと突き付けられ、鋼の意志を支える記憶()を失った脆い心は打ちのめされてしまっていた。

 

 そこへ雪菜が共に戦ってくれるとなれば、安堵にほっとしてしまうのも無理からぬ話ではあった。

 

 だが、話を聞くにつれて安堵は不安へと変わる。雪菜の考える手立ては、何かしらのリスクを伴うものだと理解したからだ。それも雪菜を妹と言って憚らない紗矢華が苦悩に顔を歪めるほどの。

 

 雪菜の秘する手段がどんな代物かは知れない。しかし、それを使わせてはならないと“まがいもの(誰か)”が叫んでいた。無意識に焼き付いた焦燥が、衝動が、後悔が護り抜けと絶叫していた。

 

 ──だったら、どうすればいいんだよ……!? 

 

 怪物(強者)の自覚なき古城少年一人では勝ち目がなく、雪菜に奥の手を使わせてはならない。その上で絃神島を守る術など、どこにあるというのか。

 

 懊悩に頭を抱える古城少年の意識が、不意に何かに引かれた。水底へと誘う妖精のような、それでいて傲岸不遜な声が脳裏に響く。

 

 ──忘れるなと、伝えたはずだ。我らは汝と共に在る、と。

 

 視界の端を白昼夢のように焔光の髪が靡くのと同時、一つの答えが浮かび上がった。

 

 吸血鬼とは生死の境界を超越せし者。実体(カラダ)姿形(カタチ)に意味はなく、実在と非在の狭間に棲まう不死者だ。

 

 此処に在って、無い。存在しないものに、世界の法則(ルール)を適用することなどできえない。ならば、崩してしまえばいい。

 

 深層意識の底から響く導きの声に古城少年はゆらりと立ち上がる。振り返り驚愕に目を見開く雪菜たちを見据えながら、古城少年は眠れる眷獣を喚び起こす。

 

焔光の夜伯(カレイドブラッド)の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ──」

 

 立ち上がった古城少年の肉体が銀色の霧へと変じ、肉体の輪郭が崩れていく。身体だけではない。古城少年を中心として霧化現象は拡大、凄まじい勢いでその範囲を拡げていく。

 

疾く在れ(きやがれ)、四番目の眷獣“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”──!」

 

 そして喚び出されたのは森羅万象の輪郭を崩し、原初の混沌へと還す霧の眷獣。亡霊の如き銀霧の甲殻獣がこの場に顕現した。

 

 “甲殻の銀霧”が巻き起こした霧化現象は絃神島に住まう人々を、島そのものを霧へと変じさせた。霧と化したものは既存の物理法則から外れる。それは世界改変を齎す“闇誓書”の力も例外ではない。

 

「これは……!?」

 

 古城少年が呼び出した眷獣の能力によって肉体を霧化された雪菜は、しかして霧散することなくその場に留まる己の肉体に驚く。軽く身体を動かしてみるが、これといって支障なく動くことができる。恐らくは戦闘行動も可能だろう。

 

「概念レベルの霧化。実在と非在の境界を崩し、総てを原初の混沌へと還す御業。これなら、彼女たちも力を失うことなく仙都木阿夜と戦える、か……」

 

 島一つ丸ごと霧化させるという非常識な現象をヴァトラーは冷静に分析し、口元を愉しげに歪める。

 

 霧化によって雪菜たちは既存の法則に縛られることはなくなった。それは“闇誓書”が強いる異能喪失の法則からも逃れられるということ。つまりは古城一人で戦うことも、雪菜がリスクを取って奥の手を切る必要もないということだ。

 

 否、それだけではない──

 

「今や絃神島は第四真祖の霧に呑まれた。物理法則の楔から解放された島は、崩れることも沈むこともない」

 

 それが意味することは一つ。“闇誓書”の結界が絃神島全土を飲み込んだとしても、阿夜の目論見が達せられることはなくなったということだ。

 

 喉を鳴らすような哄笑を上げ、ヴァトラーは頭上を振り仰いだ。

 

「愉快だねェ。弱体化して脅威とも見ていなかった古城に、全てを台無しにされた気分はどんなものだい──“書記(ノタリア)の魔女”?」

 

 キーストンゲート屋上の上空。十二単を纏う火眼の魔女──仙都木阿夜が凄まじい怒気を纏って古城少年たちを睥睨していた。

 

 取るに足らないと捨て置いた子供に全てをご破産にされ、阿夜は端正な顔を怒りに歪めている。相対するもの全てを威圧する憤怒を纏い、眼下の邪魔者どもを睨み据えた。

 

「やってくれたな、餓鬼どもが……!」

 

 目論見を挫かれ怒りを激らせる魔女が、野望の邪魔となる存在を排除するべく姿を現した。

 

 

 

 



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観測者たちの宴 Ⅹ

主人公弱体化ルートにしたのは、こいつを出したかったがため。


 古びた魔導書を携え、結界の中心たる彩海学園より姿を現した阿夜。

 

 最大の障害たる仇敵であり無二の友である那月を無力化させ、異分子(イレギュラー)である第四真祖も弱体化させた。もはや己が野望を阻むものは何一つとしてなく、背徳の都市“魔族特区”が海の底に沈む様を見届けて全てが終わるはずだった。

 

 それがどうしたことか。島を丸ごと霧化させるなどという無茶苦茶なパワープレイによって絃神島の崩壊は食い止められ、十年の歳月を賭した計画は今まさに頓挫しようとしている。

 

 たかが十数年しか生きていない子供に野望を挫かれる。これ以上の屈辱はないだろう。

 

 だが、まだ計画が完全に水泡に帰したわけではない。絃神島を霧化させた根元たる第四真祖、暁古城を葬れば“闇誓書”の効力は再び絃神島を蝕む。阿夜の野望はまだ終わってはいないのだ。

 

「小童風情……が! (ワタシ)の野望を阻んだことを、後悔させてやろう」

 

 常人ならば萎縮して身動き一つできないほどの怒気を纏い、阿夜は凄絶な殺気を古城少年に差し向けた。

 

 対峙する古城少年は恐れることなく敵手を睨み返す。臆することはない。何故ならば、少年はこの場において一人ではないからだ。

 

「それはこっちの台詞だ。これ以上、好き勝手できると思うなよ!」

 

 轟! と凄まじい魔力の波動が吹き荒れる。古城少年の激情に呼応して、第四真祖の莫大な負の魔力が大気を軋ませた。

 

馳せ参ぜよ(ぶちかませ)、“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 古城少年が振り翳した腕から、莫大な雷の奔流が解き放たれる。放たれた雷撃は幾条にも枝分かれし、目にも留まらない速度で阿夜に襲いかかった。

 

 掠るだけでも行動不能に陥れるだろう雷撃に対して、阿夜は鬱陶しげに片目を眇めて魔術式を刻む。既にこの場は“闇誓書”の結界内部に取り込まれている。結界内において阿夜は思うがままに世界を改変することが可能だ。

 

 淡い黄金の輝きを放つ古代魔法文字が織りなすはあらゆる脅威を跳ね除ける障壁。生み出された障壁は、雷撃を完全に無効化せしめた。

 

「下らん、その程度で我に届くものか」

 

 オーケストラの指揮者が如く、阿夜の指先が無数の魔法文字を中空に刻む。先のお返しとばかりに造り上げられたのは雷鳴轟く巨大な黒雲。忽然と姿を現した雷雲から、無数の稲妻がキーストーンゲート屋上に降り注いだ。

 

 逃げ場すらありはしない落雷の雨霰。雷自体は魔術の産物でもない自然現象そのものであるため、雪菜の“雪霞狼”でも防ぎ切ることはできない。対処できるとすれば第四真祖の眷獣か、あるいは──

 

 容赦なく降り注ぐ落雷の雨が止む。屋上は落雷の影響で何処もかしこも焼け焦げ穴だらけ。砕け舞い上がったコンクリートの塵が屋上全体を覆っている。

 

 不意に塵煙が内側から膨れ上がり視界が晴れ渡る。塵煙の中から姿を現したのは無傷の古城少年と紗矢華。それぞれが眷獣と“煌華麟”の能力を駆使し、降り注ぐ落雷の雨を凌ぎ切ったのだ。

 

「ちっ……やはり、“闇誓書”の影響から逃れている……か」

 

 堪えた様子のない少年たちを見て阿夜は忌々しげに眉を顰め、ふと人数が足りないことに気付く。落雷が降る前まで固まっていたはずの雪菜と優麻の姿が何処にもなかった。

 

 唐突に頭上で湧いた人間の気配に、阿夜は反射的に魔法文字の障壁を展開する。第四真祖の雷撃を容易く防いだ障壁は並大抵の攻撃では破れない。しかし──

 

「──“雪霞狼”!」

 

 優麻と共に空間転移によって阿夜の頭上を取った雪菜は、己が得物である銀槍を閃かせる。

 

 ありとあらゆる結界障壁を打ち破り、真祖すらも弑逆せしめる破魔の槍──“七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)”。その眩い銀の輝きは、“闇誓書”によって造り出された障壁であろうと障子紙の如く容易く切り裂く。

 

「おのれ……! ならば!」

 

 阿夜の指先が虚空に黄金の魔法文字を描くと、雪菜たちの眼前に分厚い結晶の壁が出現した。

 

 ギィン! と鈍くも甲高い金属音が響き、銀槍の穂先が大きく弾かれる。結界障壁の類に対しては無類の性能を発揮する“雪霞狼”も、ただの水晶壁を貫くことはできない。

 

 雪菜たちの目論見を潰して阿夜は得意げに笑み、愚かにも懐に飛び込んできた少女たちを縊り殺さんとして──

 

「──足元がお留守だぜ?」

 

 間欠泉の如く噴き上がった魔力を帯びる衝撃波に、強制的に攻撃の手を遮られた。

 

「ぐ、あ……!?」

 

 雪菜たちの奇襲に気を取られて足元への注意が疎かになっていた。その隙を突いた強烈な一撃を受け、阿夜は地上へと墜落する。雪菜に関しては優麻の空間転移によって既に離脱済みだ。

 

 地に落ちた阿夜は痛みに顔を歪めながら古城少年たちを睨む。合流した四人は油断なく阿夜の一挙手一投足に注意を払っている。どのような攻撃を繰り出されようと対処してみせるという気概が感じられた。

 

「多勢に無勢……か。だが、この程度……!」

 

 立ち上がった阿夜が一瞬で無数の魔法文字を描き上げる。淡い金色の粒子を放つ魔法陣から、無数の人影か滲み出た。それらの姿に古城少年たちはどうしようもない既視感に襲われる。

 

「こいつら、監獄結界の……!?」

 

 魔法陣から出現した人影の中に見覚えのある姿──監獄結界の脱獄囚を認めて古城少年は苦々しげに呻く。

 

 阿夜が創り出したのは監獄結界に投獄された極悪な国際魔道犯罪者たちだ。記憶の中にある魔道犯罪者たちを、“闇誓書”の力をもってして再現したのである。

 

 見覚えのある脱獄囚以外にも、大勢の囚人たちが一斉に襲い掛かってくる。数的有利を一瞬で覆す無茶苦茶な物量作戦に古城少年は怯みかけ、その肩を雪菜が力強く叩いた。

 

「大丈夫です。あれは所詮幻、実体があろうと魂のない幻影と変わりません」

 

「幻影……そうか、だったら!」

 

 幻影相手に加減など必要はない。古城少年の瞳が真紅に輝き、掲げた右腕から鮮血が迸る。

 

 第四真祖の濃密な魔力を秘める鮮血が呼び水となり、災害級の眷獣がこの場に喚び出される。現れたるは緋色の鬣と鋭い双角を有する雄馬。衝撃波の化身が外敵の一切を蹴散らすがために現界した。

 

「蹴散らせ、“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”!」

 

 甲高い嘶きと共に凄まじい衝撃波を撒き散らし、緋色の双角馬が押し寄せる軍勢に突っ込む。

 

 災害級の衝撃波を発する双角馬の突撃は嵐そのもの。監獄結界に投獄されるほどの国際魔道犯罪者であろうと、第四真祖の従える眷獣の暴虐に太刀打ちできる者などいない。

 

 まして阿夜が創り出したのは魂のない操り人形と変わらない。性能は本物と変わらない代物であろうと、脅威度という面では大きく格が落ちる。

 

 生み出した影法師共が一蹴される光景に歯噛みしながら、阿夜は忙しなく指先を動かし続ける。囚人たちによる物量は継続しつつ、飽和攻撃を仕掛けて押し潰す。それができるだけの力が、今の阿夜にはあるのだ。

 

 噴き上がる溶岩が、降り注ぐ岩石が、全方位から放たれる高位魔術の嵐が古城少年たちを襲う。そこに囚人たちも引っ切り無しに畳み掛け、キーストーンゲート屋上に局地的な戦場が現出した。

 

 普通ならば為すすべなく蹂躙されるだろう状況に、しかして古城少年たちは怯むことなく立ち向かう。

 

 物量は古城少年が眷獣の力で鎧袖一触し、眷獣を封じ込めようとする障壁の類は雪菜が無力化する。その雪菜を抑えようと物理的な封印を仕掛けようとすれば、紗矢華が斬り伏せ優麻がフォローする。

 

 言葉すらなく流れるような連携を繰り広げ、“闇誓書”が齎す馬鹿みたいな物量を完璧に捌き切り、古城少年たちは着実に阿夜を一手ずつ追い詰めていく。

 

 打つ手の尽くを凌駕され、やがて阿夜は八方塞がりに陥る。“闇誓書”による法則の規制は意味を為さず、創造物による物量作戦はそれを上回る暴力と連携によって捩じ伏せられた。

 

「順当な終わりかな。ちょっと面白味に欠けるけど、まあよく足掻いたほうじゃないカナ」

 

 蚊帳の外で眺めるヴァトラーの呟きに、阿夜は憤怒と屈辱から奥歯を噛む。

 

 もはや勝ちの目のない、覆しようのない戦況。古城少年が四番目の眷獣を喚び起こしてしまった時点で、阿夜の野望は頓挫していたのだ。

 

「まだ……諦める、ものか……!」

 

 圧倒的に不利な状況にあってなお阿夜の心は折れていなかった。

 

 生まれながらにして悪魔に魂を奪われ、魔女として人々に蔑まれ、利用されてきた過去が。かつて盟友として学生時代を共に過ごした那月を監獄結界に縛り付ける所業が許せなかった。

 

 忌まわしい世界が許せなかった。呪われた運命を受け入れたくなかった。故に壊す。たとえ世界そのものを塗り替え、破壊することになるとしても──

 

 阿夜を衝き動かす激情が尽きることはなく、勝機を探る瞳がその手に握られた古びた魔導書に向けられた。

 

 那月と古城の固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪い著しく弱体化させた強力な魔導書。この本には今、奪い取った那月と古城の時間(きおく)そのものが収められている。

 

 古びた魔導書を見下ろして阿夜はしばし逡巡するが、今にも物量の波濤を乗り越えかねない古城少年たちの姿に躊躇いを捨てる。魔導書の(ページ)を開いて必要な情報を抜き取り、この場に世界最強を顕現させるべく魔法文字を繰る。

 

 黄金の魔法文字が組み合わさり一つの魔法陣を組み上げる。監獄結界の囚人を無数に生み出す魔法陣とは明らかに毛色が違う。何故ならば創り出そうとしているのは魂のない幻影ではない、圧倒的不利を覆す最強の存在だからだ。

 

 尋常ならざる気配を感じ取り古城少年たちが阻止するべく動くが遅い。魔法陣は既に完成してしまっている。

 

「来るがいい、第四真祖! 我が走狗となりて、餓鬼共を蹴散らすがいい!」

 

 阿夜の呼び声に応じて魔法陣から人影が歩み出る。無数に舞い散る黄金の魔法文字を纏いながら姿を現したのは、雪菜たちもよく知る少年だった。

 

 狼の毛並みのように色素の薄い髪と微かに気怠さを感じさせる目付き。もはやトレードマークとなっている黒白のパーカー。そして、吸血鬼の証左である真紅の瞳と口元から覗く鋭い犬歯。

 

 間違えようがない──“暁古城”その人が、古城少年たちの前に立ちはだかった。

 

「そんな……!?」

 

 信じられない光景を前に雪菜は驚愕を露わにする。

 

 “闇誓書”は結界内部であれば自由に世界を改変できる魔導書だ。それは人間の創造すらも可能としている。ただし生み出されるのは魂のない幻影に過ぎないが。

 

 そう、所詮は幻に過ぎない。脅威度では本物に格段に劣るまがいものでしかない。しかしその性能(スペック)自体は本物と遜色ない。つまりは、都市一つ容易く滅ぼす力を有する第四真祖がこの場に二人集ってしまったということになる。

 

「だからってなんだ。こいつも囚人たちと変わらない、幻だろうが!」

 

 記憶と時間を奪われる前の自分自身と対峙する衝撃から回復した古城少年が、躊躇うことなく眷獣を差し向ける。

 

 解き放たれたのは眩い雷光を纏う黄金の獅子。雷鳴の如き咆哮を上げ、獅子が“暁古城”へと襲い掛かった。

 

 迫る脅威に対して召喚された“暁古城”は茫洋とした様子で顔を上げると、まるで羽虫を払うかの如く腕を横薙ぐ。瞬間、漆黒の魔力嵐が吹き荒れ黄金の獅子を跡形もなく消し飛ばした。

 

「……は、ぁ?」

 

 眷獣を喚び出して迎え撃つのでもなく、純粋な魔力のみで“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”が消滅させられた。到底信じ難い光景を目の当たりにして、古城少年は愕然と立ち尽くしてしまう。

 

 雪菜たちも古城少年同様に驚愕している。第四真祖の眷獣は一体だけでも天災並みの被害を齎す力を秘めている。それを、軽く火の粉を払うかのような気軽さで無力化した。同一存在とはいえただの幻影にできる所業の範疇を超えているだろう。

 

 蚊帳の外から高みの見物を決めていたヴァトラーは、浮かべていた薄ら笑いを引っ込め怪訝な表情で“暁古城”を見据える。流れが大きく変わった。それも、あまり宜しくない方向へと舵が切られたのをヴァトラーは直感的に感じていた。

 

 一方歓喜したのは阿夜だ。追い詰められた末に苦肉の策で創り出した、忌々しいことこの上ない世界の異端児たる第四真祖の写し身。乾坤一擲の策が通用したのである。

 

「汝から奪い取った時間(きおく)を注ぎ込んで創り上げた人形……だ。先の囚人共とは格も完成度も違う。容易く滅ぼせるとは思わないことだ……!」

 

 魔導書に収められていた固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を元に創り上げられた存在。それは魂のない幻影とは違う、本物とほぼほぼ遜色がない代物ということだ。

 

「そんなのありかよ……!?」

 

 順調に阿夜を追い詰めていたところで現れた切り札(ジョーカー)。盤面を丸ごと引っ繰り返しかねない脅威を前にして、古城少年はどうすればいいのかと頭を抱えたくなった。

 

 不利な戦況を覆す乾坤一擲の策が通ったことで上機嫌の阿夜。忌々しい第四真祖の力に縋らざるを得ないのは業腹であるが、今は手段に拘っている余裕などない。

 

 己が走狗と化した“暁古城”を操りつつ、駄目押しの攻勢を仕掛けるべく魔法文字を虚空に描こうとする阿夜。既に阿夜は如何にして古城少年たちを葬るか、それしか考えていなかった。

 

 故に──操り人形であるはずの“暁古城”が、真紅の双眸で阿夜の手にする魔導書を凝視していたことに気付かなかった。

 

 異変を感じ取ったのは敵対する古城少年たちだ。対峙する“暁古城”が、その手を創造主たる阿夜へと向けたのである。

 

 瞬間、第四真祖の眷獣すらも掻き消した漆黒の魔力嵐が阿夜を襲った。

 

「────ッ!?」

 

「お母様!?」

 

 悲鳴すら上げる暇もない尋常ならざる暴風によって阿夜が吹き飛ばされ、優麻が思わず心配の声を上げた。脱獄の道具としてしか見られていなかったとしても、優麻にとっては唯一の家族である。心配してしまうのも仕方ないだろう。

 

 吹き飛んだ阿夜は受け身も取れないままに屋上を転がり、やがて勢いを失って力なくコンクリートに身を投げ出した。ちょうどヴァトラーが観戦していたあたりだ。

 

 予想だにしない一撃をもろに浴びた肢体はズタボロ、引き裂かれた十二単のあちこちから夥しい量の血を流している。意識も完全に喪失してしまっているようで、指先一つすら動かす気配がなかった。

 

 優麻は反射的に阿夜の元へと駆け寄りたかったが、側にいた雪菜がその肩を掴んで制止した。

 

「ダメです、優麻さん。今動くのは、あまりにも危険過ぎます……!」

 

 優麻を止めた雪菜が見据えているのは、創造主たる阿夜に叛逆した“暁古城”らしき何者かだ。

 

 “暁古城”は阿夜から奪い取った魔導書を矯めつ眇めつ、何かを読み取るように手を翳す。すると魔導書から淡い金色の粒子が立ち上り、吸収されるように手の中へと吸い込まれていった。

 

 やがて満足したのか“暁古城”は魔導書を閉じると、三日月の如く唇を吊り上げて笑う。常の古城を知る雪菜たちからすれば、違和感しかない悍ましい笑い方だ。

 

「──あぁ、やはり汝の記憶(カラダ)はよく馴染む。己が原罪を忘却し、贖罪に藻掻き苦悩し続けた魂の甘美なこと。悪くない味だ」

 

 至高の美酒を味わったかのように表情を恍惚に歪め、“暁古城”は対峙する古城少年たちを見やる。不気味なほどに爛々と輝く真紅の双眸には、面白い玩具を前にした悪魔のように嗜虐的な光が宿っていた。

 

「記憶を失った半端者と、“まがいもの”の伴侶候補か。些か物足りないが、まあいい」

 

 不気味な笑みと共に“暁古城”が一歩踏み出す。普段の穏やかで紳士的な雰囲気とは違う、心胆を凍えさせるような眼差しと滲み出る威圧感に古城少年たちは思わず後退りした。

 

「──ッ、あなたは何者ですか!?」

 

 微かな怯えを振り払い、槍を構えて雪菜が問い質す。姿形は雪菜のよく知る暁古城であるが、中身が決定的に違う。では、目の前にいる少年はいったい何者なのか。

 

 雪菜の誰何に“暁古城”の姿をした何かは口端を傲岸に吊り上げた。

 

「我は世界最強の吸血鬼。不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する者……だが、これでは判別し難いか」

 

 ふむ、と妙に人間臭い仕草で頷き、吸血鬼は思案するように顎に手を当てる。僅かな時間を経て、吸血鬼は言葉を続けた。

 

「──“原初(ルート)”。汝らを轢殺し、絶望を齎す者の名だ」

 

 ──災厄の怪物が、現世に再び舞い戻った。

 

 





原初「来ちゃった♡」



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観測者たちの宴 Ⅺ

“原初”は反則チートを持っている。


 

 “暁古城”──否、“原初(ルート)”と名乗った吸血鬼の発言に、古城少年たちは一様に表情を硬くする。

 

 名乗りこそしたが“原初”の正体は未だ不明。その上、“原初”は明確に敵対する意志を表明した。警戒を強め、いつ戦端が開かれてもいいように身構えるのは当然だった。

 

「なんでだよ。お前は、俺の記憶を元に創られたんだろ? だったら、敵対する必要なんかないだろ!?」

 

 敵意を隠そうともしない“原初”に古城少年が吼える。奪われた記憶を元に創り出された存在であるならば、雪菜たちに敵対意識を持つことなど有り得ない。まして創造主たる阿夜に叛逆し、その制御下から外れたのであれば尚更だ。

 

 しかし暁古城の姿をした“原初”は、下らないとばかりに嘆息を零し、冷厳な眼差しで半端者を睥睨した。

 

「思い違うなよ、半端者。姿形こそ汝らの知る男と変わらぬが、此処に在るのは我だ。汝らと手を組むことなどありはせぬ」

 

「では、あなたの目的はなんですか? なぜ、わたしたちと敵対するのですか?」

 

 古城少年に代わって雪菜が問いかける。古城の記憶の何処にこんな怪物が潜んでいたのかは気になるが、今は“原初”の目的を明らかにするべきだろうと考えた。

 

「目的か……我は既に撃ち破られた記憶の残滓に過ぎぬ。此度の現界も、“闇誓書”なる児戯を利用した泡沫の夢でしかない。あぁ、だからこそ──」

 

 “原初”は溢れ出る歓喜を堪えるように己が身体を両腕で抱き竦める。

 

「──“まがいもの(この男)”の絶望を見たい。この手で貴様らを引き裂き、全てを破壊し尽くし、何もかもが終わった後に絶望する彼奴の顔が見たい。守りたかったものを、己が手で終わらせてしまった絶望に咽び泣く汝の姿を我に見せてくれ……!」

 

 吐き気を催すほどの悪意、狂気的なまでの執着心に古城少年たちの背筋を怖気が走った。

 

 一体全体どんな因縁があれば此処までの執着をされるのか。“まがいもの”と“原初”の間に何があったのか。古城少年たちには想像することもできない。

 

 確かなのは、“原初”が“まがいもの”に尋常ならざる激情を抱いていること。“まがいもの”を絶望させんがため、古城少年たちを亡き者にし、この絃神島に終焉を齎せようとしていることだけだ。

 

 さて、と“原初”が狂気を宿した真紅の双眸を古城少年たちに向ける。これ以上、話すことはないといった様子だ。

 

「残された時間は少ない。“闇誓書”は龍脈と星辰の力を合わせて初めて成り立つ欠陥品ゆえ、夜明けを迎えれば力を喪失する」

 

 それは古城少年たちにとって思いがけない有益な情報だった。

 

 夜明けを迎えることができれば、“闇誓書”は効力を失い結界も解除される。“闇誓書”の力によって現界を維持しているであろう“原初”も、現世に留まることができなくなるということだ。

 

 問題は、夜明けまで目の前の“原初”を抑え切ることができるのかだが──

 

「まずは戯れといこうか──そら、受けてみろ」

 

 軽い口振りで“原初”が両腕を広げると、凄まじい魔力の嵐が吹き荒れる。暴力的なまでに荒々しい漆黒の魔力が幾重にも重なり、“原初”の背中から翼の如く生え揃う。

 

 鋭い鉤爪を備えた節くれ立った吸血鬼の翼。それが五対十枚。それぞれが意思を持っているかの如く蠢き、一斉に古城少年たちに襲いかかった。

 

 ”獅子の黄金(レグルス・アウルム)”を容易く消し飛ばすほどの力を内包した翼の攻撃。古城少年たちは即座に迎撃の一手を打つ。

 

「八つ裂け、“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”!」

 

「──“雪霞狼”!」

 

 双頭の水銀龍が空間ごと翼を喰らい、眩い銀光を放つ破魔の槍が黒翼を引き裂く。挨拶代わりの初撃は思ったよりもあっさりと凌ぎ切ることができた。

 

三番目(トリトス)か。其奴の弱点は知っているゆえ、どうとでもなる。それより……」

 

 じろりと“原初”の瞳が銀の槍を構える雪菜を捉えた。

 

「真祖殺しの聖槍か。獅子王機関め、忌々しいものを我の視界に入れてくれるなよ」

 

 微かな苛立ちを露わにし、“原初”は真紅の瞳を輝かせた。

 

 背中から生やした黒翼が不気味な輝きを放ち、尋常ならざる魔力が放出される。放出された魔力は宙空で実体を結び、三体の巨大な眷獣が現世へと顕現した。

 

 現れたるは巨大な戦斧を携えた琥珀色の牛頭神、そして──緋色の双角馬と金色の獅子だ。

 

 召喚された三体の眷獣に古城少年は愕然と目を見開く。魔力をそのままぶつけるだけではなく眷獣の召喚までもが可能であることもだが、それ以上に“緋色の双角(アルナスル・ミニウム)”と“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”が喚び出されたことが衝撃的であった。

 

「我は原初の第四真祖ぞ。この身は幻の創り物であろうと、眷獣共を従え行使するは当然のこと」

 

 古城少年の驚愕をつまらないことと言わんばかりに切り捨て、“原初”は喚び出した幻影の眷獣たちに命ずる。

 

 十メートルを悠に超える琥珀色の牛頭神が、その身の丈以上の巨大な戦斧を振り下ろす。まともに受ければ木っ端微塵になること請け合いの一撃だ。

 

「させないわよ! “煌華麟”!」

 

 勇ましく躍り出た紗矢華が“煌華麟”を振り上げ、空間切断の異能によって空間断層の盾を拵える。如何に強力な眷獣の攻撃であっても、空間の断層を貫通することは出来得ない。

 

 続け様に双角馬と雷光の獅子が挟み込むように襲い掛かってくるが、それぞれ雪菜と古城少年が対処する。魔力を帯びた衝撃波は破魔の槍に切り裂かれ、雷撃は同じく雷撃をもってして押し返された。

 

 眷獣三体による攻撃を防がれた“原初”であるが、しかしその口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「串刺しの刻限だ、“牛頭王の琥珀(コルタウリ・スキヌム)”」

 

 空間断層によって戦斧の一撃を防がれた牛頭神が、大気を揺るがすほどの雄叫びを上げる。

 

 純粋な物理攻撃を齎す琥珀の牛頭神の肉体は超高温の溶岩によって形成されている。溶岩とは即ち大地より出ずるもの。つまり──

 

「──っ、下からきます!」

 

 類稀な霊視能力をもってして足元からの奇襲を察知した雪菜が叫ぶ。雪菜と紗矢華、古城少年は既に手が埋まっているため対処は不可能。唯一手隙であった優麻が、空間制御を駆使してその場から全員を退避させた。

 

 直後、無数の溶岩杭がコンクリートを突き破って現れた。一瞬でも優麻の空間転移が遅れていたのならば、全員揃って串刺しの憂き目に遭っていただろう。

 

「よく凌ぐものだ。だが、其処な魔女は既に限界が近かろう。何時迄も堪えられはせぬぞ」

 

「うぐ……」

 

「ユウマ!?」

 

 苦悶に表情を歪めて優麻が膝を突く。堕魂の影響で激しく消耗した状態でありながら、無理を推して魔術を行使した負担がのし掛かっていた。間接的なフォローのみで立ち回っていたが、それもあと数回が限度だろう。

 

 優麻の的確なフォローを失えば古城少年たちは一気に形勢不利に陥るだろう。そうなれば“原初”を打ち倒すことも、夜明けまで耐えることもできない。

 

 絶望的な状況に古城少年が歯噛みしていると、かつかつと弾むような靴音が響く。自他共に認める戦闘狂ことヴァトラーが、負傷して意識のない阿夜を抱えて歩み出ていた。

 

「お困りのようだね、古城。微力ながら、力を貸そうじゃないカ」

 

「ヴァトラー!? おまえ、なんで……」

 

 阿夜との戦闘では傍観者を気取って高みの見物を決め込んでいたヴァトラーが、どんな風の吹き回しで加勢しようというのか。

 

 古城少年の疑念に、ヴァトラーは歓喜の笑みを浮かべて答える。

 

「幻影とはいえ、ほぼ完全体に近い第四真祖と殺し合える機会。こんなにも心踊る闘争を前にして、我慢なんてできるわけないよネ!」

 

「あぁ、うん。そうか、あんたはそうだよな……」

 

 納得の参戦理由に古城少年は突っ込むことを諦めた。どんな理由にせよ、戦力が増えることに文句を言える状況ではないというのも大きい。

 

 優麻に阿夜を預けたヴァトラーを加え、古城少年たちは改めて“原初”と対峙する。あまり信用がならないという一点を除けば、戦力としては強大極まりないヴァトラーの参戦であるが、しかして“原初”の表情に焦燥の類はない。

 

「戦王の系譜の蛇遣いか」

 

「おや、ボクのことをご存知で?」

 

()()()()()()()()。だが、知っているゆえ、貴様の存在は脅威足り得ぬよ」

 

()()であるヴァトラーよりも、()()である優麻のほうがまだ脅威足り得る。“まがいもの”と神話レベルの死闘を演じたヴァトラーが参戦しようとも、“原初”の態度は一貫して変わらない。

 

「だが、厄介であることには変わらぬ。肩慣らしも十分だろう。戯れは、此処までだ」

 

 “原初”が天高く掲げた右腕から、身の毛も弥立つほどの莫大な魔力が立ち昇る。如何なる眷獣が召喚されようと対処してみせると身構えた古城少年たちは、頭上遥か高くに出現した眷獣の姿に愕然と目を剥いた。

 

 絃神島上空に出現した眷獣は巨大な──刃渡数百メートルにも及ぶ超巨大な黒剣の姿をしていた。

 

 高度数千メートルの位置で顕現しながらも肉眼ではっきりと視認できることから、その馬鹿でかさが推し量ることができる。もはや眷獣などという括りに収まる代物ではない。

 

 刃渡数百メートルレベルの超巨大な剣が、絃神島を真っ二つにせんと降下を始めた。巨大過ぎるが故にゆっくりと見えるが、重力制御による後押しを受けた落下速度は超音速に達している。

 

 受ける、受けない。防ぐ、防がないの問題ではない。あんな代物が突き立てられようものなら、絃神島は真っ二つどころか粉微塵になってしまうだろう。

 

四番目(テタルトス)の制御を手放すなよ? 一瞬でも誤れば、島諸共汝らは木っ端微塵になるゆえな」

 

「────ッ!?」

 

 愉快そうに嗤う“原初”に、古城少年は顔色を真っ青にした。

 

 古城少年は“闇誓書”の魔力喪失現象から絃神島を守るために“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”を常時展開している。おかげで絃神島は物理法則の枷から解放され、海の底へ沈むことを免れているのだ。

 

 しかしこの眷獣、制御を誤ればそのまま絃神島を消滅させかねない危険な存在なのだ。故に他の眷獣を召喚しながらも、古城少年は必死に“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”が暴走しないように気を払っていた。

 

 “原初”はそれを理解していた。その上で巨大剣の召喚、挑発するような発言をしたということは──

 

「──何処まで凌ぎ切れるか、我に見せてみろ」

 

 琥珀の牛頭神、緋色の双角馬、黄金の獅子に加えてもう一体──蠍の尾と翼を携え、燃え盛る紫炎を纏った人喰い虎が顕現した。

 

「眷獣を、五体も同時に……!?」

 

 信じられない光景を前に然しもの雪菜も戦慄を禁じ得ない。

 

 上空に召喚された巨大剣も含めれば、都合五体の同時召喚。常識的に考えれば制御など不可能なレベルの多重召喚であり、召喚主へ掛かる負担は計り知れないものになるはずだ。

 

 しかし召喚主たる“原初”は涼しげな表情で眷獣たちを操っている。“闇誓書”が生み出した幻故に罷り通る無茶苦茶なのか、原初の第四真祖であるからこそ為せる芸当なのか。

 

 どちらにせよ、明らかなことは一つ。

 

「蹂躙せよ、我が従僕共──」

 

 抗いようのない理不尽による蹂躙が始まった。

 

 

 ▼

 

 

 そこからの展開は一方的なものだった。

 

 巨大剣降下による絃神島の木っ端微塵は古城少年が死に物狂いで“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”を制御したことで凌ぐことができた。しかし巨大剣の対処にばかり躍起になったことで、残る四体への対応が疎かになってしまった。

 

 雪菜と紗矢華、ヴァトラーが奮闘して第一波は凌いだ。それどころか好戦的なヴァトラーは嬉々として反撃を仕掛け、ある程度の勝負が成り立つかとも思われたのだ。

 

 だがそうはならなかった。ヴァトラーの猛攻を微風が如く捌き、“原初”が息つく暇もない眷獣の連続召喚で畳み掛けてきたからである。

 

 一体で都市一つを容易く滅ぼす眷獣が休む暇もなく押し寄せる地獄。物量と質、両方を兼ね備えた“原初”の攻勢は到底受け切れるものではない。

 

 それだけではない。どんな絡繰か、何をするにしても“原初”に手の内が読まれ、先読みされた挙句に潰されてしまう。まるで手の内を全てを知っているかのように。

 

 その結果、まずヴァトラーが最初に落とされた。

 

 真祖に最も近しいとまで謳われる実力者であるヴァトラー。その実力は折り紙付きであり、真正面から争えば真祖であろうと苦戦しかねないほどの吸血鬼。

 

 そのヴァトラーが、悉く手を読まれ策を潰され、あっという間に地に伏せた。これには肩を並べて戦っていた古城少年たちも、ヴァトラー本人も驚愕していた。

 

 次に潰されたのは雪菜だ。

 

 ヴァトラーに次いで“雪霞狼”の能力が目障りだったのだろう。対処し切れないほどの眷獣を嗾け、疲弊したところを重力制御によって地面に抑え付けられてしまった。

 

 槍どころか指先一つすら動かせない重圧に雪菜が脱落。その後は流れ作業である。“原初”を古城少年と紗矢華の二人で相手取ることなど不可能だった。

 

「こんな、ことが……」

 

 意識のない阿夜を抱えて下がっていた優麻は、あまりにも一方的な蹂躙に言葉を失っていた。

 

 弱体化しているとはいえ第四真祖の古城少年。獅子王機関の剣巫と舞威媛。同族喰らいを経て真祖に近づいた吸血鬼。下手な軍隊であれば余裕で壊滅させることができる面子が、手も足も出ないままに封殺されてしまった。その身を支配する絶望は語るまでもないだろう。

 

「ハハハッ、これはいったい、どういうことカナ……?」

 

 純白のスリーピースを自らの鮮血で真っ赤に染め上げ、今まさに血塊を吐きながらヴァトラーは“原初”を見遣る。

 

「記憶が確かなら、ボクと君は戦ったことがない。にも関わらず、君はボクの手の内を、眷獣を知り尽くしていた。未来視の権能を持つ眷獣でもいるのかい?」

 

「否、我が従僕に未来視の権能を保持する者はおらぬよ。我はただ、()()()()()()()()

 

 ことさらひけらかすような物言いではなく、純然たる事実を語るように“原初”は淡々と口にした。

 

 現状において最大戦力といって過言ではないヴァトラーが完封された理由。古城にも雪菜たちにも披露したことのない伏せ札を完璧に対処された訳。答えは単純明快だ。

 

 “原初”は“まがいもの”の記憶を──“原作知識”を閲覧しているのだ。厳密には、まがいもの”の記憶に巣食っているがため、自由に覗き見ることが可能なのだ。

 

 “原作知識”には本物の暁古城の道行が記されている。そこには、暁古城が戦うことになる者たちの情報も収められていた。つまり“原初”は、反則レベルのカンニングを行っているのだ。

 

 ただでさえ並ぶ者のいない世界最強の吸血鬼に手の内も切り札も見透かされてしまえば、闘争自体が成立しないのも当然だ。ヴァトラーは珍しく悔しげに口端を歪め、肉体を蝕む猛毒によって意識を喪失した。

 

「蛇遣いは終わりか。呆気ない」

 

 倒れ伏したヴァトラーから視線を切り、“原初”は悠然と歩みを進める。進む先には重力の縛鎖に囚われ、身動き一つ取れない雪菜がいた。

 

 すぐ側に立った“原初”の気配に顔を上げようとした雪菜。不意にその肢体が宙に吊り上げられて固定された。

 

「まずは汝から八つ裂きにしようか、剣巫よ」

 

「ぅ、あ……!」

 

「姫柊さん!?」

 

「やめて! 雪菜に手を出さないで!?」

 

 倒れ伏していた古城少年と紗矢華が、“原初”の凶行を止めんと立ち上がろうとする。だが“原初”が軽く一瞥することで発動した重力制御が、二人を地面へと縫い止めた。

 

「大人しく見ているがよい、半端者。貴様は観測者だ。全ての幕が降りた時、奴が戻る器を壊したくはない」

 

 舞威媛の娘は次だ、と告げて“原初”はその手に鋭い氷槍を生み出す。人一人貫く程度は容易いだろう氷の槍を、“原初”は雪菜の心臓に穂先を合わせて構えた。

 

「安ずるな、我に汝を痛ぶる嗜好はない。心の臓を串刺しにし、息絶えた後に総身を八つ裂きにしてやろう。無惨な姿となった汝を見た時、彼奴がどんな顔をするのか、楽しみで仕方ないな……!」

 

「や、めろ。てめぇ……!!」

 

 有らん限りの魔力を放出し、凄まじい重力によって自身の肉体が崩壊するのも構わず古城少年は立ち上がろうとする。だが、振り切ることができない。

 

 もはや誰にも“原初”の凶行を止めることはできない。

 

 雪菜は目前に迫る鋭く尖った氷槍の穂先を見下ろし、次いで冷酷無慈悲な薄笑いを浮かべる“原初”──大切な先輩の顔を見て涙を溢す。

 

「さらばだ、安らかに眠るがよい」

 

 引き絞られた氷槍の切先が雪菜の心臓目掛けて放たれる。迫る凶刃に抗う術のない雪菜は力なく瞼を瞑り──凄まじい爆発音と共に古城少年がその身を雪菜と槍の間に滑り込ませた。

 

 第四真祖の馬鹿魔力に物を言わせて重力の鎖を引き千切り、“緋色の双角(アルナスル・ミニウム)”の衝撃波で自らを吹き飛ばして割り込んだのだ。無茶苦茶な芸当であるが、その無茶のおかげで雪菜の命が首の皮一枚繋がった。

 

「ごはっ……これ以上、おまえの好きに、させるかよ……!」

 

「先輩!?」

 

 雪菜の眼前で心臓を串刺しにされながら、古城少年は死に物狂いで氷の槍を抑え込む。

 

「往生際の悪い小僧だ。よい、ならば諸共刺し貫いてやろう」

 

「お、ごぁ……!」

 

 ずっ、と胸を貫く氷槍を押し込まれて古城少年は激しく吐血するが、それでも穂先を雪菜には届かせまいと歯を食い縛る。だが、どれほど力を込めて踏ん張ろうと子供の古城少年と高校生の姿をした“原初”では後者に軍配が上がってしまう。

 

 間もなく槍の穂先が雪菜の胸に届く。為すすべのない状況に古城少年は絶望と激痛から意識が遠退きかけ、ふと視界の端に古びた魔導書を捉える。

 

 那月と古城の固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪い取り、格納している魔道書。目の前の怪物を生み出している元凶である本から、古城少年はどうしてか目を離せなかった。

 

 ──呼んでいる? 誰かが、訴えかけてる……? 

 

 言語化の難しい感覚だが、魔道書から何か訴えかけられている。誰なのか、順当に想像すれば奪われた自分の記憶なのだが、何故か違うような気がした。

 

 誰が呼んでいるのかは不明。だが、今この状況を覆すことができるならばと、古城少年は精一杯に手を伸ばして叫んだ。

 

「──来い!!」

 

 瞬間、閉じられていた魔道書から負の魔力が溢れ出した。

 

「なに……?」

 

 古城少年の叫びに呼応して一人でに開いた魔導書に困惑する“原初”の眼前で、溢れ出した魔力が実体を結ぶ。現れたのは強力無比な第四真祖の眷獣──ではない。

 

 現れたのは二体の眷獣。全長三メートルにも及ぶ三つ首の魔犬と、双頭の魔犬だ。

 

 第四真祖の眷獣と比べれば圧倒的に格が落ちる吸血鬼の眷獣。いったい何処の吸血鬼の眷獣なのかと、その場に居合わせた面々が疑問符を浮かべる。その中で唯一、“原初”だけが驚愕を露わに目を見開いていた。

 

「貴様、何故この場に──!?」

 

 驚愕に“原初”が動きを鈍らせた直後、畳み掛けるように魔道書からオーロラの如き眩い光が溢れ出す。光は粒子となり、氷槍に串刺しにされた古城少年を包み込む。

 

「これは、まさか……! させるものか……!?」

 

 眩い極光を放つ魔道書を抑えようとする“原初”だが、そうはさせじと二頭の魔犬が喰らい掛かる。三つ首の魔犬が炎を吐き散らし、双頭の魔犬が凍てつく冷気を吹く。

 

「木端吸血鬼の眷獣の分際で、我の道を阻むか……!」

 

 迫る二頭の魔犬を腕の一振り、荒れ狂う魔力の嵐で蹴散らす“原初”。二頭の魔犬は原初の第四真祖に挑むにはあまりにも力不足であり、傷一つどころか触れることすら叶わなかった。

 

 だが一瞬、“原初”から僅かな時間を捥ぎ取ることができた。それだけで、十分だ。

 

 眩いオーロラに包まれた古城少年を中心に魔力が吹き荒れる。魔力の嵐はすぐ側で宙吊りにされていた雪菜も巻き込み、物理的な圧力をもってして外敵たる“原初”を押し退けた。

 

 目が眩むほどの極光の嵐。虹の如く光り輝く粒子の乱舞は、やがて終わりを迎える。

 

 激しく渦巻いていた魔力が音もなく、弾けるように霧散する。嵐が消失した跡地には、小柄な雪菜の身体を抱える男の姿があった。

 

 眩しい極光の嵐に巻き込まれ、気が付いたら誰かに抱えられていた雪菜。微かな困惑を胸に抱きながら、雪菜は自身を抱き抱える男を見上げて、その顔立ちに息を呑んだ。

 

 狼の毛並みのように色素の薄い髪と、気怠るげながらも優しい光を宿した空色の瞳。顔立ちは雪菜のよく知る彼よりも大人びているが、見間違えるはずもない。

 

「先……輩……?」

 

 雪菜の監視対象であり思い慕う相手──“暁古城”その人が、何故か大人の姿になってこの場に現れた。

 




十年バズーカじゃないよ?


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観測者たちの宴 Ⅻ

 

 極光の嵐から姿を現した“暁古城”らしき人物──大人古城。雪菜の知る暁古城よりも大人びた、背格好からして二十半ばといった男の登場に、キーストーンゲート屋上には困惑と懐疑的な空気が漂っていた。

 

 妙に警戒されている状況に大人古城は疑問符を浮かべる。懐疑的な目を向けられる理由に全くもって心当たりがなさそうな反応だ。

 

「あの、暁先輩……ですよね?」

 

「うん? なんで疑問系……あぁ、見た目のせいか」

 

 腕の中から聞こえてきた雪菜の問い掛けに大人古城は首を傾げかけ、はたと疑惑の原因を察する。自身の歳格好が高校生ではないことに今やっと思い至ったのだ。

 

「記憶に幻影(カタチ)が引っ張られたんだろうな。心配しなくても、俺は姫柊の知ってる俺だよ」

 

 敵ではないと安心させるように微笑む大人古城に、雪菜は大切な先輩の面影を読み取った。

 

 ああ、間違いない。この人は、この人こそが今日まで共に歩んできた暁古城なのだ──

 

 確信が持てたからか、あるいは安堵したからか。雪菜の眦からぽろぽろと涙が溢れ始めた。

 

「心配、したんですよ……! 記憶を奪われて、子供になってしまって、知らない他人みたいに避けられて……わたしが、どれだけ心配したと思ってるんですか……!」

 

「……ごめん。たくさん、心配かけたな」

 

 ポカポカと小さな拳で胸を叩かれながら、大人古城は甘んじて雪菜の想いを受け入れる。雪菜が胸に溜め込んでいた不安を全部吐き出し切るまで、胸を叩く柔らかな衝撃を受け止め続けた。

 

 不安を吐き出す雪菜を安心させるように抱き寄せながら、大人古城は両側から擦り寄ってきた二頭の魔犬を見遣る。

 

 ぐるぅ、と低く唸る魔犬たちを何処となく寂しげに見て、口パクで「ありがとう」と伝える。感謝の念を受け取った魔犬たちは静かに頷き、徐にその肉体を魔力の靄へと還す。霧散していく魔力を大人古城は目を逸らすことなく見送った。

 

 やがて胸中に詰まっていた想いを吐き出し切ったのだろう。雪菜は涙を拭うと、改めて自身の置かれている状況を把握して慌て始める。全く意識していなかったが、雪菜は大人古城に俗に言うお姫様抱っこされている体勢だったのだ。

 

「お、下ろしてください、先輩。まだ、戦闘は終わってないんですよ……!」

 

「待った待った、慌てるな──っと」

 

 腕の中で暴れる雪菜を宥めようとした大人古城は、正面から迫る鉤爪の如き黒翼に対して回避行動を取る。一歩、二歩と飛び退って躱すが、襲い来る黒翼は十枚。雪菜を抱えたまま回避し切れるものではない。

 

「先輩! 早くわたしを下ろして──」

 

「──大丈夫さ、これくらい」

 

 焦る雪菜の目の前で大人古城の瞳が真紅に染まる。次の瞬間、背中から極光の輝きを纏った刃の如き翼が生え揃った。

 

 眩いオーロラの如き光を纏う翼が二対四枚。“原初(ルート)”の五対十枚と比べれば圧倒的に数が少ないが、しかして秘めたる魔力は決して劣っていない。荒々しい漆黒の翼を、眩い極光の翼が斬り裂いた。

 

 ほんの一瞬で漆黒と極光が激しく交錯する。翼は第四真祖の眷獣が秘める魔力と同等、或いはそれ以上の莫大な魔力が込められている。そんな代物が激しく衝突し合えばどうなるか。尋常ならざる魔力の波動がキーストーンゲートの屋上を蹂躙することとなった。

 

 短くも濃密な漆黒と極光の削り合いがぱたりと止む。眼前で繰り広げられる光景に呆然としていた雪菜は、対峙する“原初”の異変を察して怪訝な声を上げる。

 

「“原初”の姿が、ブレている……?」

 

 大人古城と翼による激しい戦闘を繰り広げていた“原初”の姿形──高校生の“暁古城”の輪郭が、ノイズが走ったように揺らいでいた。

 

 しばらく観察を続ければ、ノイズの中から少女の姿が浮かんでくる。逆巻く炎のような金髪と、青白く輝く焔光の瞳。妖精めいた小柄な体躯が、“暁古城”の幻影と重複していた。

 

「俺と同じさ。記憶に幻影(カタチ)が引きずられているんだよ。あれが、あの姿が本来の“原初”の姿だ」

 

 古城少年が勢い余って大人の姿になってしまったのも、目の前で“原初”の姿が変容したのも記憶が原因。元来の魂の記憶が、現世に映し出す幻影(鏡像)に影響を及ぼしたのだ。

 

 輪郭の揺らぎが治まり完全に少女の姿に落ち着いた“原初”。漆黒の翼を大きく広げながら、“原初”は甲高い哄笑を上げた。

 

「今一度、汝と相見えることが叶うとは夢にも思わなかった。忌まわしき(愛しき)我が仇敵よ、汝をこの手で鏖殺してくれよう……!」

 

 歓喜と憎悪に“原初”は双眸を激しく燃やす。叩き付けられる激情に雪菜は思わず身を固くし、大人古城は困ったように眉尻を下げた。

 

「恨まれる心当たりはあるが、大人しく殺されてやるわけにはいかないしなぁ。どうしたもんか……」

 

「なにを呑気に言っているんですか!?」

 

 普段の古城とは掛け離れた、何処となく緊張感のない態度に雪菜は思わず声を荒げてしまう。目の前には全てを破壊し、古城を殺害すると宣告する怪物がいるのだ。悠長に構えている暇などあるはずもない。

 

 にも関わらず、大人古城に焦燥の類はない。絶望的な強さを誇る“原初”を前にしても泰然自若、微かに笑みを浮かべる余裕さえ見せていた。

 

 その態度に、雪菜は一縷の望みを垣間見た。大人古城には“原初”を打倒する手立てがあって、故にこそ焦ることも動じることもなく余裕の態度を保っているのではないかと考えたのだ。

 

「もしかして、先輩には彼女を倒す手段があるんですか?」

 

 期待を込めて雪菜が問えば、大人古城は困り顔で苦笑を浮かべる。雪菜を抱えていなければ頭を掻いていそうな雰囲気だった。

 

「いや、ないな」

 

「ないんですか!? じゃあ、なんでそんな余裕そうなんですか!?」

 

 あっけらかんと悪びれた様子もなく期待を裏切られ、雪菜は揶揄われているような気分になった。別段、大人古城に雪菜を揶揄ったりおちょくるような意図は微塵もない。何処か緊張感が欠けているように感じられる態度が原因だろう。

 

 ころころと感情を全面に出す雪菜にくすりと微笑を零したのち、大人古城は改めて対峙する“原初”を真正面から見据えた。

 

()()()()()、“原初”を倒すことはできない。今のあいつは、“闇誓書”の力を利用して眷獣を完全に従えた自分を再現しているからな。あの時みたいに、眷獣たちの離反を期待することはできない」

 

「先輩……?」

 

 つらつらと語る大人古城の物言いは、まるでかつて“原初”と戦ったことがあるかのような口振りだった。

 

 気になる発言を問い質すべきか僅かに悩む雪菜だったが、続け様に放たれた大人古城の言葉によって思考が真っ白になった。

 

「だから──助けてくれないか、姫柊?」

 

「────」

 

 その言葉は、雪菜がずっと待っていたものだった。

 

 誰かが傷付くくらいならば自分がと一人で抱え込み、他人を頼ることなく傷だらけになっても歩み続けた古城。保健室で雪菜から叱責を受けて以降は、本当に少しであるが他人を頼る姿勢も見受けられた。メイヤー姉妹の対処を紗矢華とラ・フォリアに、優麻の足止めを雪菜に任せたのが証左とも言えなくない。

 

 しかし根本的には何も変わっていない。状況的に仕方なかったとはいえ、最も危険な相手であるヴァトラーを一人で受け持ったのは、雪菜たちを危険から遠避けるためという魂胆があったのだろう。

 

 古城は──“まがいもの”は雪菜たちを守らなければならない庇護対象として見ている。有する実力を確かに認めながら、信頼もしていながら、それでもこの身を挺してでも守らなければならないと心に誓っていたのだ。

 

 それが己にできる唯一の贖罪であるかのように──

 

 しかし目の前の大人古城は、躊躇うことなく雪菜に助けを求めた。自分一人では無理だからと、素直に助けてくれと雪菜に伝えたのだ。

 

 今更ながら、大人古城がかくも緊張感に欠けた、よく言えば余裕の態度を貫いていたのかを理解した。全てを一人で背負って抱え込もうとする悪癖が改善され、他人を頼る強さを知っているが故に強大な敵を前にしても焦ることなく在れたのだ。

 

 途方もなく嬉しかった。一番に自分を頼ってくれた喜び、古城がちゃんと他人を頼ることができた安堵。様々な感情が綯い交ぜになって溢れ出しそうになりながら、雪菜は涙声で応える。

 

「──はい。任せてください。わたしは、先輩の監視役ですから」

 

「ありがとう、姫柊」

 

 頼もしい返答に心からの感謝を返し、雪菜を腕の中から解放する大人古城。心強い相棒と肩を並べ、開戦の瞬間に向けて魔力を昂らせ始めたところで、後ろで硬質な物音が響いた。

 

「ちょっと、待ちなさいよ。なに勝手に、私の雪菜と二人で無茶しようとしてるわけ……!」

 

「煌坂……」

 

 “煌華麟”を杖代わりに立ち上がった紗矢華が、並々ならぬ戦意を瞳に宿して戦線に戻ろうとしていた。

 

「私だって、まだやれるわよ……!」

 

「紗矢華さん……!」

 

 全身を襲う激痛を振り払って気丈に振る舞う紗矢華に、雪菜は頼もしい仲間の復帰を素直に喜んだ。対して大人古城は紗矢華の様子を具に観察し、戦線復帰が本当に可能か検討しているようだった。

 

「やれるのか?」

 

「当っ然! 雪菜が頑張ってるのに、お姉ちゃんが黙って見てるわけにはいかないもの……!」

 

 虚勢を張っているのは見え透いていたが、溢れる闘志には微塵の翳りもない。度重なる激闘によって積み重なった疲労とダメージは抜けていないだろうが、足手纏いになるようなことはないだろう。

 

 僅かな逡巡を挟み、大人古城は仕方ないとばかりに苦笑を零した。

 

「分かった。力を貸してくれ、煌坂」

 

「べ、別にあなたのためじゃないんだけど! 雪菜のため、あくまで雪菜のためだから!」

 

「はいはい、頼りにしてるよ」

 

「このっ、急に見た目が大人になったからかなんかむかつくぅ……!」

 

 子供扱いされているような感覚を抱き、紗矢華はぎりぎりと歯軋りする。やたらと格好付けて雪菜をお姫様抱っこしていたのも、紗矢華のやっかみ精神に火を付けてしまっていたのだろう。

 

 いつも通りな紗矢華の反応に苦笑いする大人古城の背後で陽炎が揺らめく。極光の翼として操っていた魔力を呼び水に、異界より眷獣を喚び出そうとしているのだ。

 

 相対する“原初”も凄絶な笑みを浮かべて眷獣を喚び起こす。陽炎が複数揺らめき、第四真祖の眷獣たちが激突の瞬間を今か今かと待ち侘びていた。

 

「宴の時間はそろそろ終わりにしようか、“原初”」

 

「あの日の雪辱を晴らそうぞ、“まがいもの”……!」

 

 “まがいもの”と“原初”。二人の世界最強の吸血鬼が雌雄を決する最終決戦。その幕が切って落とされた。

 

 

 ▼

 

 

 戦端が開かれるや否や複数の眷獣を召喚、凄まじい衝撃を撒き散らしながら激突した。

 

 眷獣の性能自体は互角である以上、単純な正面衝突においては一度に召喚できる容量(キャパシティ)が大きい“原初”に軍配が上がる。眷獣を制御する能力、戦闘経験値においても“原初”が圧倒的に上だ。

 

 単純な一対一の勝負であれば、大人古城に勝ち目はない。だが、大人古城には確かな勝算があった。

 

「姫柊、煌坂。十秒だけ時間を稼いでくれ」

 

「分かりました!」

 

「第四真祖の眷獣相手に時間稼ぎって、無茶にもほどがあるんだけど!?」

 

 大人古城の頼みに雪菜が即応、文句を零しながら紗矢華も前衛に出る。

 

 練り上げた呪力を増幅し、神格振動波を発する銀槍を手に迫り来る眷獣の暴力を斬り裂く雪菜。剣に刻印された“擬似空間切断”の術式をもってして空間を断ち切り、空間断層の盾で眷獣の猛威を防ぐ紗矢華。

 

 世界最強と謳われる第四真祖の眷獣を前にしても怯まず、雪菜と紗矢華は果敢に立ち向かった。彼女たちならば要望通りに十秒、それ以上に時間を稼いでくれるだろう。

 

 頼もしい少女たちに前衛を任せ、大人古城は一度眷獣の召喚を解除する。そして奥の手を解放するための準備に入った。

 

 大人古城の両翼にて尋常ならざる魔力が渦巻く。右翼では耳を劈かんばかりの雷鳴が轟き、左翼では荒れ狂う衝撃波の嵐が唸っている。黄金の獅子と緋色の双角馬が、己の出番を今か今かと待ち侘びていた。

 

「お前は強いよ、“原初”。眷獣を制御する技術も、一度に召喚できる限界もお前には及ばない」

 

 第四真祖に至ってからようやく半年になるかという古城と、原初の第四真祖である“原初”では経験値に差が大きすぎる。“原初”にとって眷獣は己が手足同然、五体だろうが六体だろうが召喚に難儀することはない。

 

 古城にできることは、“原初”にとって当たり前のことでしかない。逆に“原初”にとって呼吸の如くできることが、古城にとってはそうではないのだ。

 

 しかしそんな中に、“原初”にはできず古城にだけ為せることが一つあった。

 

「……っ! 来たれ、裁きの剣よ!」

 

 大人古城の目論見を見透かした“原初”が天に向けて腕を振り翳す。莫大な魔力に物を言わせて召喚されたのは、本日二度目となる巨大剣。意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)が再び絃神島に牙を剥いた。

 

「まだだ。来るがいい、“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”……!」

 

 “原初”の呼び声に応えて銀の霧を纏った甲殻獣が姿を現した。

 

 あらゆるものを霧へ変じさせ、原初の混沌へと還す強大無比な眷獣。銀霧の甲殻獣は大人古城が維持する霧化に干渉し、実在と非在の境を彷徨う絃神島を無理やり現実へと戻そうとする。

 

「良いのか、“まがいもの”? それを維持すれば、今度こそ“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”が足元の島を穿ち貫くぞ」

 

 挑発的な“原初”の言葉に、大人古城は微かに顔を顰める。

 

 大人古城が切ろうとした奥の手──合成眷獣は恐ろしく制御に気を違う。何も手を加えなくとも天災同然の能力を有する第四真祖の眷獣を合成するのだ。暴発すれば比喩抜きで絃神島が吹っ飛ぶ。

 

 しかしこのまま合成眷獣の制御に集中してしまえば、天空より降下する巨大剣の対処ができない。“原初”がダメ押しに“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”を召喚したことで、絃神島は半ば現実へと戻りかけている。“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”の直撃を受ければ絃神島は夜明けを待つことなく海の藻屑となるだろう。

 

 眷獣の合成を維持しつつ巨大剣の対処は不可能だ。絃神島を守るならば、合成を諦めて“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”の制御に全神経を注ぐ他ない。

 

 だが大人古城が眷獣の合成を止める気配はない。絃神島を見捨てるつもりなのかといえば、そんなことはない。

 

 眷獣の合成を継続しつつ、大人古城は祈るような面持ちで瞑目する。瞼の裏に逆巻く炎の如き金髪の少女たちの姿を描き、大人古城は切に希った。

 

「頼む、力を貸してくれ──“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”」

 

 助けを求める主人の言葉に、仕方ないとばかりに眷獣(少女)が応えた。

 

 大気を引き裂きながら降下していた巨大剣が、まるでブレーキでも掛けられているかのように速度を落としていく。数秒もすると巨大剣は完全に静止し、虚空に縫い止められたか如く微動たりともしなくなった。

 

 巨大剣を止めたのは大人古城側の“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”だ。“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”はその尋常ならざる質量と規模もさることながら、重力制御の権能を持ち合わせている。重力を操ることで降下速度を加速させ、より破壊力を高めているのだ。

 

 その権能を利用して“原初”が解き放った巨大剣を上空で縫い止めたのである。

 

「──馬鹿な、あり得ぬ」

 

 此処まで余裕の態度を崩すことのなかった“原初”が、初めて表情に動揺を見せた。大きく見開いた双眸は、上空遥か高くで完全に停止した裁きの剣を見つめている。

 

「汝は未だ、七番目(ヘブドモス)を掌握しておらぬ。贄も献上せず、何故眷獣を制御できる……!?」

 

 第四真祖の眷獣は贄となる霊媒からの吸血がなければ、古城を主人として認めはしない。“まがいもの”が血の滲む対話の末に多少の便宜は計ってくれているが、それでも権能の一部を貸すだけが限度だ。

 

 掌握していない眷獣を扱うことは出来得ない。しかし大人古城は“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”の権能を行使している。それも眷獣の合成で既に手一杯な状況で、だ。

 

 不可能を可能にした当人は、激しい戦闘の最中とは思えないほどに穏やかな微笑を零して疑問に答える。

 

「単純な話だ。俺は“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”を制御していない。彼女が自主的に権能(ちから)を行使してくれているんだよ」

 

「あり得ぬ、斯様な真似をすれば眷獣共が暴走するは必定。自ら手綱を手放すなど、正気の沙汰ではない……!」

 

「お前にとっては、そうだろうな」

 

 第四真祖の眷獣は誰も彼も加減を知らないじゃじゃ馬ばかり。制御を放棄して解き放とうものならば、嬉々として破壊を撒き散らして遊び回る。自ら手綱を手放すなど、周囲を盛大に巻き込んだ自爆にしかならない。

 

 しかし現実には暴走など起こらず、“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”は自らの意思で絃神島を守るべくその権能を行使している。大人古城に制御の負担はなく、ただ権能行使に必要な魔力だけを提供していた。

 

「これが“まがいもの(おれ)”と“原初(お前)”の違い、眷獣(彼女)たちに対する考え方(スタンス)の差だよ」

 

 “原初”は眷獣たちを兵器以上にも、それ以下にも見ていない。信用も信頼もありはしない。

 

 対して大人古城は、眷獣たちを──彼女たちを心ある存在だと、頼りになる隣人として見ている。故に眷獣たちは古城の信頼に応え、掟破りの眷獣合成や吸血なしでも力を貸してくれているのだ。

 

 これが記憶を失っている“まがいもの”であれば、話は違っただろう。“まがいもの”が忘却してしまったあの日々の記憶を、忘れることなく憶えている大人古城だからこそ眷獣たちは助けを求める声に応じた。

 

 己が犯した罪と罰、救えなかった者と救えた者、必ず守り抜くと誓った“約束”も──大人古城は総て、憶えている。忘れず正しく背負った上で、大人古城は未来(まえ)を見据えて立ち向かっているのだ。

 

「あとは、そうだな……」

 

 眷獣の合成に集中していた大人古城が、少し茶目っ気混じりな笑みを浮かべた。

 

「お前が思っている以上に、彼女たちはアヴローラ(末っ子)のことが大切だった。それだけの話だよ」

 

十二番目(ドゥデカトス)……!」

 

 もはや憎悪すらも滲ませて“原初”は大人古城を睨んだ。

 

 ”獅子の黄金(レグルス・アウルム)”と“緋色の双角(アルナスル・ミニウム)”。主人の命に従い二体の眷獣が一体の幻獣へと至る。

 

 神々しくもあり、禍々しくもある。幻想に語り継がれる麒麟が、雷鳴の如き嘶きを上げて現世へと顕現した。

 

「今度はこっちの手番だ。止めてみせろよ、“原初”──」

 

 莫大な雷と嵐の如き衝撃波の融合体である麒麟が主人の意に従い突貫する。眩い雷光と衝撃波を纏った疾走は世界を悉く蹂躙し、立ち塞がる障害の一切を破壊し尽くす。もはや何人たりとも幻獣の疾駆を止めることはできない。

 

 迫り来る幻獣に対して“原初”は召喚済みの眷獣で対抗しようと試みる。しかし、止まらない。黄金の獅子と緋色の双角馬が拮抗すら敵わず蹴散らされ、琥珀の牛頭神による突撃も勝負にならなかった。

 

 元は同じ第四真祖の眷獣でありながら、秘めたる破壊の力は雲泥の差。真っ向から幻獣たる麒麟を止めるならば、“原初”もまた眷獣を合成しなければ太刀打ちできない。

 

 だがそれは不可能だ。眷獣との間に確かな信頼関係がなければ成し得ない合成は、眷獣たちを兵器としてしか見ていない“原初”には真似することもできない。故に手持ちの眷獣を多重召喚することで対処する他なかった。

 

 四体目に喚び出した水銀の龍蛇が辛うじて麒麟の肉体を喰い千切り、五体目の蠍虎の紫が猛毒を付与したことでようやく麒麟の動きが鈍る。されど完全な停止には至らず、手負いの獣が如く猛り狂い“原初”へと襲い掛かった。

 

「──ッ、我が身を守護する盾となれ、“神羊の金剛(メサルティム・アダマス)”!」

 

 “原初”の喚び声に応えたのは金剛石の肉体を有する大白羊。途方もない巨体を誇る大白羊は、召喚主を守護するように煌めく宝石の防護壁を展開した。

 

 満身創痍の麒麟が宝石の壁を砕かんと破滅的な衝雷を叩き付ける。大気が悲鳴を上げ軋むほどの一撃は、しかし宝石の壁に余すことなくエネルギーを吸収されてしまった。

 

 直後、攻撃を吸収した宝石の壁が砕け散り、無数の結晶となって麒麟を襲う。莫大なエネルギーを取り込んだ宝石の反撃は、一瞬の抵抗すら許さず麒麟を蹂躙した。

 

 肉体を喰われ、猛毒を浴び、とどめに痛烈な反撃(カウンター)を受けて然しもの麒麟も力尽きる。力なく崩れ落ちる麒麟──”獅子の黄金(レグルス・アウルム)”と“緋色の双角(アルナスル・ミニウム)”に惜しみない感謝の念を大人古城は送った。

 

 最強の切り札は一歩及ばず届かなかった。しかし、麒麟の暴威によって蹴散らされた“原初”の眷獣は、反動(ノックバック)によってしばらく召喚に応じることができないはずだ。

 

 つまり、今この瞬間こそが最大の好機──

 

 大人古城が指示を飛ばすまでもなく、雪菜は麒麟が駆け抜けた道を疾走する。“闇誓書”によって形作られた泡沫の幻影であるならば、“雪霞狼”の一撃で幕引くことが可能。その判断から誰よりも早く“原初”への追撃を敢行した。

 

「獅子の巫女たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 呪力を高める祝詞を唱え、破魔の銀槍に並々ならぬ呪力を注ぎ込む。刻印された神格振動波の術式が唸りを上げて駆動し、あらゆる結界障壁を切り裂き真祖すらも貫く眩い輝きが銀槍を包んだ。

 

 “雪霞狼”の脅威を“原初”も正しく理解している。真祖殺しの聖槍の一撃を受けようものならば、この身は跡形もなく消滅する。何が何でも雪菜の突貫を止めなければならなかった。

 

 微かな焦燥を滲ませながら“原初”が手を翳す。彼我の間合いを一足で詰めようと踏み込んだ雪菜の一歩が、地面を踏むことなく虚空を掻いた。

 

「こ、れは……!?」

 

 身体を空中に放り投げられたかのような浮遊感に目を見開く雪菜。“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”の権能によって重力の向きを反対、空へと向けられてしまったのだ。

 

 重力を反転させられた雪菜の肢体が空へと引かれる。地面を踏むことができない雪菜に、空中で移動する手段はない。式神を展開して足場にする手もあるが、隙を晒した雪菜を“原初”が見逃すはずもない。

 

 禍々しく節くれ立った漆黒の翼が宙空で藻掻く雪菜を襲う。まともに踏ん張ることもできない雪菜に、迫り来る翼を防ぐ手立てはなかった。

 

 訪れるだろう痛みに雪菜は身を強張らせて──後方から伸びた極光の翼が漆黒の翼を斬り裂き、空に落下を始めていた雪菜の肢体を大人古城が力強く抱え込んだ。

 

 大人古城は雪菜のほっそりとした腰を片腕で抱き寄せ、もう一方の腕を背後に突き出した。

 

「このまま一気に行くぞ!」

 

「はい!」

 

 大人古城の意図を読み、雪菜は抱えられるがまま祝詞の続きを紡ぐ。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼──」

 

 後方に突き出した腕から嵐の如き衝撃波を噴出し、反動を利用して一気に間合いを詰める。重力を捻じ曲げられようと関係ない。重力を操ろうと二人の進撃を止めることは不可能だ。

 

「ならば……!」

 

 悪足掻きの如く“原初”が召喚したのは、美しい女性の上半身と巨大な蛇の下半身を持つ眷獣。青白き水の精霊──水妖だ。

 

 水妖が滝の如き大瀑布を展開する。押し寄せる鉄砲水は触れるだけで物質を原始レベルにまで分解する、全ての文明を無に還す権能を保有した怪物だった。

 

 大瀑布の脅威に大人古城は怯むことなく、後方に突き出していた腕を引き戻す。そして唯一残っていた手札、双頭の水銀龍を喚び出す。

 

疾く在れ(きやがれ)、“龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)”!」

 

 次元ごと世界を喰らう双頭龍が召喚に応じ、迫る大瀑布を別次元へと呑み込む。激流の全てを呑み干すことは不可能だが、“原初”へ繋がる道を切り拓くことはできた。

 

「飛ばすぞ、姫柊!」

 

 衝撃波の加速と吸血鬼としての膂力を全て上乗せし、大人古城は“原初”に向けて雪菜を全力で放り投げた。

 

 凄まじい勢いで放り投げられた雪菜は、猫のようにしなやかな身のこなしで体勢を整え、破魔の銀槍を突き出して“原初”に堕ちていく。その様は、さながら夜闇を斬り裂く一条の流星のようであった。

 

「否、まだだ……──!?」

 

 水妖と漆黒の翼を操って雪菜を迎撃しようとした“原初”。その肩口に、鋭い呪矢の一撃が突き立った。“煌華麟”を洋弓に変形させた紗矢華が後方から援護射撃をしたのである。

 

 突き立った呪矢には凄まじい呪詛が込められていた。傷口から一気に全身を覆った呪詛は、苦痛を与えるよりも魔力の制御や平衡感覚を狂わせることを目的としたものだ。

 

 蝕む呪詛の影響で魔力の制御ができなくなり、眷獣の召喚が無効化される。それどころか純粋な魔力の制御も利かなくなり、背中から生えていた漆黒の翼も霧散した。

 

 身を守る術を全て失った“原初”は、迫る聖槍を呆然と見つめる他なかった。

 

「鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え──!」

 

 輝く神威を纏った銀槍が、“原初”の肉体を狙い過たず撃ち貫いた。

 

 耳が痛いほどの静寂が訪れる。槍で胸を刺し貫かれた“原初”は顔を俯かせ、微動たりともせず沈黙している。

 

 本当に決着がついたのか雪菜が固唾を飲んで見守っていると、俯いていた“原初”が微かに口端を笑みに歪めた。

 

「またも、我の敗北か……」

 

 呟く“原初”の輪郭が黄金の粒子となって崩れていく。“闇誓書”によって創り上げられた幻影の肉体が崩壊しているのだ。

 

「だが、努努(ゆめゆめ)忘れるな。我は不死不滅の第四真祖の影。再宴の時が(きた)れば、我は何度でも蘇るだろう」

 

「その時は、また俺が相手してやるよ」

 

 いつの間にか雪菜の隣に肩を並べた大人古城が、気負うことなく返した。

 

 余裕すらも感じさせる大人古城の態度に、“原初”は詰まらなさそうに眉を顰め、やがて忌々しげに溜め息を零す。

 

「“まがいもの”の分際で、全くもって不遜極まりない男だ……」

 

 呟きを一つ残して“原初”は黄金の粒子となって消える。後に残されたのは、古びた魔導書だけだった。

 

 

 



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観測者たちの宴 XⅢ

 キーストンゲート屋上で繰り広げられた死闘は幕を閉じた。

 

 死闘が終わるや否や屋上に現れたのは事後処理を行う“特区警備隊(アイランド・ガード)”──ではなく、幼児化した那月を引き連れた浅葱だった。

 

 浅葱は戦場跡となった屋上の惨状に目を剥き、次いで子供から大人に成長している古城に衝撃を受けることになった。ちょっと目を離しただけで元に戻るどころか大人になっているなどというとんでも展開は、さしもの天才プログラマーも予想できなかったようだ。

 

「ちょ、ちょっと、何よこれ。此処で何があったのよ? それに、古城……よね?」

 

「正真正銘、浅葱の知ってる暁古城だよ。ちょっと見た目が大きくなってるけどな」

 

「そ、そう……」

 

 大人びた顔で微笑まれて浅葱は柄にもなくドギマギしてしまう。普段から大人びた一面を垣間見せていた同級生が、言動や雰囲気に相応しい外見になっているのだ。恋する乙女にはあまりにも破壊力が高すぎた。

 

 挙動不審に陥っている浅葱に苦笑を零しつつ、大人古城は視線を横に滑らせる。浅葱の隣には幼い姿となった那月がおり、大人古城に対して不審者を見るような眼差しを向けていた。

 

「その様子だと、記憶の復元はできているみたいだな、那月先生?」

 

「……何故、お前がそれを知っている。その姿についても、色々と訊かせてもらおうか?」

 

 那月は外部からの干渉によって記憶を失うような事態に陥った際、予め用意しておいた仮想人格を利用して記憶を復元するという術を自分に施していた。その結果、屋上で阿夜と戦闘が始まった頃には記憶を取り戻していた。

 

 ただし復元したのは記憶のみ。奪われた固有堆積時間(パーソナルヒストリー)まで復元することはできず、肉体も魔力もそのまま。到底戦闘に耐えられる状態ではなかったため、暴走して屋上に向かおうとしていた浅葱の抑えに徹していた次第である。

 

 しかし那月は自身に記憶復元の術を施していることを誰にも話してはいない。にも関わらず、目の前のやけに大きくなった太々しい態度の教え子が知っている風なのは、一体どういう了見なのか。

 

 疑惑の眼差しに大人古城は戯けるように肩を竦めた。

 

「説明したいのは山々だけど、あんまり時間がないんだ。那月先生も、早いところ仙都木阿夜を監獄結界に戻したほうがいいんじゃないか?」

 

 大人古城の言葉に那月は僅かに眉根を寄せた。

 

 危険人物は早急に監獄へ戻すべき、という理由ではない。

 

 絃神島の崩壊を目論んだ阿夜の罪は非常に重い。このまま人工島管理公社の手に身柄を確保されてしまえば最後、阿夜を待つのは死刑よりも過酷な処分だろう。

 

 阿夜にとって那月が数少ない盟友(とも)であったのと同様に、那月にとっても阿夜は数少ない親友(とも)の一人なのだ。許されざる大罪を犯したとしても、親友が惨い扱いを受ける未来を受け入れられるほど那月も非情にはなり切れない。

 

「こいつがあれば、仙都木阿夜一人を監獄に収監するくらいはすぐにできるだろ。“特区警備隊”が駆け付ける前に、早いところ済ませたほうがいい」

 

 大人古城は“原初”から取り返した固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書を那月に差し出した。魔導書の中には那月から奪い取った時間が収納されている。時間を取り戻せば、監獄結界のシステムを再起動して阿夜を収監することも容易いだろう。

 

 魔導書を受け取った那月はしばし大人古城を睨むような目で見据え、ややあって小さな溜め息と共に目を伏せた。

 

「礼を言っておいてやる」

 

「いいさ、普段から迷惑かけてるしな。あぁ、でも一つだけ頼みがあるんだ」

 

「この期に及んで私にどんな面倒を押し付けるつもりだ?」

 

 那月から胡乱な目を向けられながら、大人古城は“まがいもの(自分自身)”のために一つ布石を打つ。

 

「“まがいもの(おれ)”が過去と向き合う覚悟ができたなら、その時は力を貸してほしい」

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 受け取った魔導書を見下ろし、那月は大人古城の言葉の意図を正確に察した。

 

「いいだろう。私もおまえの過去には興味があるからな」

 

「那月先生に興味を持ってもらえるなんて、光栄だな」

 

「減らず口を叩いている暇があったら、小娘たちへの言い訳でも考えておけ。もうすぐ夜明けだぞ」

 

「分かってるよ。ありがとう」

 

 大人古城からの礼を受け取り、那月は優麻に介抱される阿夜の元へと向かった。

 

 幼い那月の背中を見送り、さて、と大人古城は自身に向けられる三対の眼差しへの対応を考える。三対とは言わずもがな、雪菜と紗矢華、浅葱の視線だ。

 

「色々と聞きたいこと、言いたいことがあると思う。俺も打ち明けたいことがたくさんあるからな。ただ、もう時間切れみたいだ」

 

 白み始めた東の空を見やり、大人古城は残念そうに呟く。夜明けを迎え水平線から太陽が顔を見せ始めていた。

 

「先輩、身体が……!」

 

 眩い朝日に目を眇めていた大人古城の身体が、輪郭から溶けるように揺らぎ始める。黄金の粒子が花びらのように舞い上がり、徐々に幻影の肉体が崩れようとしていた。

 

「今此処にいる俺は“闇誓書”の力で再現された記憶の幻影だ。“闇誓書”の効力が切れれば泡沫の幻は消えて、元の俺に戻る。あの日の記憶も何もかもを忘れてしまった“まがいもの(おれ)”にな」

 

 何処となく自分自身を責めるような口調で言って、申し訳なさそうな表情で雪菜たちを見やる。

 

「多分……十中八九、みんなに迷惑をかけることになる。記憶を失った“まがいもの(おれ)”はとことんまで失うことを恐れているからな」

 

 “まがいもの”は喪失を恐れている。“焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)”の影響で当時の記憶こそ失っているが、原作知識で大筋で何が起きたのかは知っていた。故にこそ、取り零してしまった存在がいたことを知ってしまったのだ。

 

 “まがいもの”が無闇矢鱈と一人で抱え込もうとする所以、根源はそこにある。

 

「その上で、“まがいもの(おれ)”に伝言を頼めるか?」

 

「伝言、ですか。内容はどのような?」

 

 伝言の内容について大人古城は僅かに逡巡し、思案した上で答える。

 

「“犯した罪に向き合え。あの日の約束を忘れるな”。これだけ伝えてくれれば、十分だよ」

 

「罪と約束ですか……」

 

「“まがいもの(おれ)”が向き合えるかどうかは分からないけどな」

 

 自信なさげに頭を掻いて、大人古城は目を逸らした。自分自身のことだからこそ、大人古城は自信を持って大丈夫とは言えなかった。

 

 ちょっとばかり情けない大人古城の態度に雪菜たちは互いに顔を見合わせ、誰からともなく仕方ないとばかりに苦笑を零した。

 

「全く、しょうがない人ですね。その時は、わたしたちが背中を押してあげますよ」

 

「まあ? 困ってたらちょっと手助けくらいはしてあげてもいいんだけど。ちょっとだけよ?」

 

「そこは素直に頼れる美人同級生に任せておきなさい……同級生よね?」

 

 任せろとばかりに見返してくる少女たちに大人古城は目を丸くして、ややあってから小さく噴き出す。苦笑ではない、心の底から安堵した笑顔を浮かべた。

 

「みんな、“まがいもの(おれ)”を頼む。知っての通り世話のかかる奴だからさ。悪いけど、みんなで支えてやってくれ」

 

 勿論とばかりに雪菜たちは力強く頷きを返す。頼もしい少女たちの覚悟を受け取り、大人古城の心を覆う暗雲はなくなった。彼女たちがいれば、“まがいもの”が間違った道へ突き進むことも、過去に背を向け続けることもないだろう。

 

 後顧の憂いもなくなり、大人古城は消滅の流れに身を任せる。輪郭が解れるように溶けてゆき、一陣の風によって重なっていた幻影は全て夢幻の如く消え去った。後に残されたのは瞑目したまま立ち尽くす古城だけだった。

 

 子供でも大人でもない、見慣れた古城の姿に雪菜たちが安堵していると、ふらりと古城の身体が傾く。

 

「先輩!?」

 

 慌てて雪菜と紗矢華が両側から倒れないように支える。浅葱が正面から声を掛けて、顔に触れるなどするが目覚める気配はない。耳を澄ませば聞こえるのは穏やかな寝息だった。

 

「呑気に寝てるわ、こいつ……」

 

「先輩……」

 

「暁古城……」

 

 三者三様の呆れた眼差しが古城に突き刺さる。しかし考えてみれば、古城も雪菜たちも騒ぎが始まってから一睡もしていない状態であった。気を抜くと眠気が押し寄せてくる。

 

 それに古城は格上たるヴァトラーと文字通り気力を使い果たすまで激闘を繰り広げ、呪いによって子供になってもなお戦い、最後は原初の第四真祖と死闘を演じた。満身創痍になって疲れ果ててしまうのも無理ない話だ。

 

「仕方ないですね。このままご自宅まで運びましょう」

 

「最後まで世話のかかる男ね、まったく……」

 

「移動用に適当な乗り物でも下に用意しとくわ」

 

 雪菜と紗矢華が古城を支え、浅葱が手早く乗り物を手配する。共に肩を並べて困難を乗り越えたからか、雪菜たちにはある種の連帯感のようなものが生まれていた。

 

 あるいは──大人古城から“まがいもの”を託されたからか。

 

 長い夜を乗り越えた少年少女たちを柔らかな朝日が照らす。それは彼らを祝福するような、優しい朝焼けの光だった。

 

 

 ▼

 

 

 波朧院フェスタ二日目の夜。

 

 三日間開催されるお祭りの中日である二日目は、初日と最終日と比べても目玉となるイベントが集中している。花火大会もその一つだ。

 

 イベント参加者たちで賑わう人気花火スポットから離れた港湾地区の外れ。街頭もろくにない薄暗い貨物船の係留スポットに、古城と優麻は二人きりで肩を並べていた。

 

 雪菜たちはいない。話し声が聞こえない程度に離れた場所で、花火が打ち上がるのを待っている。古城が頼み込んだことで式神による盗聴もない。

 

 今この時だけは余人を挟むことなく、優麻と面と向かって話すことができる。

 

「話さないといけないことが、あるんだ……」

 

 隣に並ぶ優麻を真正面から見据え、古城は声音に微かな不安を滲ませながら話を切り出した。

 

「俺は……俺はユウマの知ってる暁古城じゃない。君にとって大切な幼馴染である暁古城じゃない、“まがいもの”なんだ。騙していてごめん」

 

 躊躇いながらも真実を明かし、古城は深々と頭を下げた。

 

 己が“まがいもの”であることを自ら明かした。今までは誰にも悟られないよう、妹である凪沙にすらも隠してきた正体を曝け出したのである。その決断をするまでにどれほどの迷いや躊躇いがあったかは、苦悩入り混じる古城の表情を見れば分かるだろう。

 

 それでも、古城は明かすことを決めていた。幼馴染を失ったショックで深く傷付いた優麻に謝罪するために、自らのエゴを通すために零れ落ちてしまった涙に報いるために。

 

 頭を下げたまま微動たりとしない古城。罵倒されるか、大切な幼馴染の居場所を奪ったことを非難されるか。どんな恨み辛みを吐かれようと、受け入れる覚悟はしていた。

 

 しかし優麻が口にした言葉は罵倒でも非難でもなかった。

 

「──いいよ」

 

 短いたった三文字の言葉。それが許しの言葉であると理解するのに古城はしばしの時間を要した。

 

 おずおずと頭を上げた古城は信じられないといった表情で優麻を見つめる。大切な幼馴染を騙られながらも、目の前の少女は許すと言った。それが素直に信じられなかったのだ。

 

 信じられないと言わんばかりの表情で許しを受け入れられていない古城に、優麻は改めて謝罪に対する返事をする。

 

「いいよ、って言ったんだ。騙されたことには傷付いたけど、君に悪意がないのはよく理解しているからね」

 

「悪意がないからって、許されることじゃ……」

 

「そうかもしれない。でも、それを抜きにしても今のボクに君を責めることはできないんだ。だって……」

 

 表情に感謝の念を滲ませて、優麻は言葉の続きを紡いだ。

 

「──君はボクの幼馴染の恩人だから」

 

「────」

 

 その言葉が古城に齎した衝撃は凄まじいものだった。

 

 愕然と目を見開き立ち尽くす古城。瞳は動揺に揺れ動き、唇は何かを紡ごうとして震えては閉じるを繰り返す。やっとの思いで絞り出した声は酷く震えていた。

 

「話したのか……」

 

「少しだけね」

 

「そう、か……」

 

 現実から目を逸らすように片手で顔を覆い、湧き上がる様々な感情を吐き出すように吐息を溢す。

 

 古城は子供になっていた時の記憶を保持している。代わりに大人になっていた時の記憶は一つとしてないが、そこは横に置いておく。

 

 子供になっていた時、優麻の態度が変わったタイミングがあった。古城に第四真祖であることを伝え、吸血を迫った時である。恐らくはその前、部屋を出て行ったタイミングで言葉を交わしたのだろう。

 

 “まがいもの”ではない、“暁古城”と優麻は会って言葉を交わした。故にこそ不安定になっていた優麻の精神は安寧を取り戻し、“まがいもの”の行いを許すことができるようになったのだ。

 

 優麻が既に“暁古城”と接触していたのであれば、取り繕う必要はない。目を覆う手を下ろした“まがいもの”は、剥き出しの狂気(おもい)を曝け出した。

 

「俺は、必ず“暁古城”を連れ戻す。彼から奪ってしまった場所も、大切な人たちも、全部引っ括めて返してみせる。だから、もう少しだけ待っていてほしい」

 

 雪菜も、紗矢華も、浅葱も、凪沙ですら知らない“まがいもの”の抱える狂気。誰にも明かすことなく抱え込んでいた目指す終着点を優麻にだけ明かした。

 

 瞳に痛々しいほどの狂気を渦巻かせて宣告する古城を、優麻は痛ましげに見つめる。

 

 記憶を失い子供化している状態でありながら、無意識の領域に焼き付いた強迫観念に苦しんでいた。それほどまでに自身を追い詰めている人間の精神がまともな状態であるはずもない。

 

 “まがいもの”は既に壊れかけていた。

 

「……古城を連れ戻そうとしてくれるのは素直に嬉しいよ。でも、君はどうするつもりなんだい?」

 

「在るべき場所に還るだけだ」

 

 つまりは、全てを“暁古城”に返して消える魂胆だった。

 

 古城の発言の意図を正しく理解した優麻は僅かに険しい顔付きになる。

 

「姫柊さんたちを残して逝くつもりかい?」

 

 優麻の指摘に古城の瞳が動揺に揺れた。

 

 雪菜たちが慕っているのは“暁古城”ではない“まがいもの”である。何せ彼女たちと接し、救い、共に歩んできたのは“暁古城”ではなく“まがいもの”だからだ。

 

 どんな形であれ“まがいもの”の目論見が成就してしまえば、彼女たちは思い慕う相手を失うことになる。それを理解しているのかと優麻は問うていた。

 

「それでも……それでも、俺は止まれない」

 

 血を吐きそうな顔で、それでもと古城は口にした。

 

 優麻がどれだけの言葉を重ねようとも、今の古城を止めることはできない。“まがいもの”を止められるのは、救えるのはきっと──

 

 少し離れた位置からこちらの様子を心配そうに伺っている少女たちを見やり、優麻はふっと微笑みを零した。

 

「そうかい。なら、ボクから言えることはないよ」

 

 俯き加減の古城には見えないようにウィンクを残し、優麻はくるりと踵を返して離れていく。向かう先には那月が待っていた。

 

 未成年で母親に利用されていただけとはいえ、優麻また犯罪組織LCOの幹部として今回の騒動に関わった事実は変えられない。この先、優麻には長い取り調べの日々が待っている。

 

 ただ、阿夜と違って優麻が酷い扱いを受けることはないだろう。第四真祖の幼馴染という立場は、言葉以上の利用価値を秘めているからだ。

 

 那月と共に優麻は虚空に呑まれて姿を消す。空間制御の魔術でこの場から離れたのだ。

 

 思い詰めた様子で項垂れる古城。何処か弱々しさの漂う背中に、雪菜の声が投げかけられた。

 

「先輩、お話は終られましたか?」

 

「……ああ、気遣わせてごめんな。もう大丈夫だ」

 

 一呼吸の内に意識を切り替えた古城は、常と変わらない穏やかな微笑で雪菜と向き合う。いつまでも引き摺り続けてしまえば、目の前の心配性な後輩に要らぬ心配をかけてしまいかねない。

 

 そんな古城の内心とは裏腹に、雪菜は古城が虚勢を張っていることをなんとはなしに察していた。過ごした時間は凪沙や浅葱には遠く及ばなくとも、監視役として共に乗り越えた苦難や困難がそれを可能としている。

 

 察していたが、無理に突っ込んでも流されるだけだと悟って追及は止めた。代わりとばかりに話題を変える。

 

「そろそろ花火も上がるそうなので、みんなで見物しませんか? みなさん待ってますよ」

 

「そうか、そうだな。折角の花火だからな──」

 

 雪菜の提案に頷いたタイミングで、鮮やかな光が二人を照らす。少し遅れて伝わってきた音と振動が、花火大会の始まりを告げた。

 

 古城と雪菜は揃って夜空を見上げる。一発目に続いて続々と打ち上げられた花火が、夜空に色とりどりの花を咲かせた。

 

「きれい……」

 

 ほぅ、と感嘆の声を洩らして咲き誇る花火を眺める雪菜。幼い頃から獅子王機関で育てられてきた雪菜にとって、花火を楽しむというのはもしかしたら初めての経験だったのかもしれない。

 

 年相応に瞳を輝かせて花火を見上げる雪菜の横顔を、古城は子供の成長を喜ぶ父親のような、あるいは兄のような面持ちで見守っている。

 

 古城の視線に気付いて雪菜は羞恥から微かに頬を染める。恥ずかしさを誤魔化すように咳払いを一つ入れ、古城の手を取った。

 

「は、早く行きましょう」

 

「そうだな」

 

 抗うことなく雪菜に引かれるがまま、古城は少し離れた場所で花火を見物する面々の元へと向かった。

 

 




観測者はこれに完結です。
モチベはまだあるので書き続けますが、構成考えつつになるのでちょっと書き溜めます。あと、多分ですが錬金術師は飛ばすかなぁ……モチベのために。


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焔光の夜伯
焔光の夜伯 Ⅰ


錬金術師よりも先にこちらが始まります。時間が飛ぶわけではありません。




 波朧院フェスタ二日目の夜。夜空に咲き誇る無数の花火を、彼女は壊れかけのビルの上から眺めていた。

 

 白いフードを被った外国人の少女だ。袖から伸びる手足は病的なまでに白く、口元からは吸血鬼の証である牙が覗いている。

 

 少女の眼下には広大な水面が広がっている。夜空に鮮やかな花火が咲き誇る度、水底に沈む廃墟と化した街が浮かび上がった。

 

 半年前にある事件を切っ掛けに沈んだ悲劇の島──人工島・旧南東地区(アイランド・オールドサウスイースト)。“まがいもの”の第四真祖がこの世に生まれ落ちた場所だ。

 

 花火を眺めていた少女がふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「よもや“原初(ルート)”が帰還するとはな。つくづく愉しませてくれる」

 

 少女は波朧院フェスタの最中に巻き起こった騒動を傍観していた。故に“闇誓書”の幻影とはいえ、“原初”が一時的に現世へ舞い戻ったことも把握している。それを古城たちが討滅したことも含めて。

 

「だが、おかげで蛇遣いはしばし動けぬだろう。丁度良い機会だ」

 

 “原初”との戦闘でヴァトラーは第四真祖の猛毒、厳密には眷獣の猛毒を受けて倒れた。その後は自らの所有する船に撤退したようだが、しばらくは活動することもままならないだろう。

 

 つまり、“戦王領域”から送り込まれた監視者たるヴァトラーの目が今は届かないということだ。

 

「頃合いだ。そろそろ思い出す時だろう。さもなくば、あの娘たちも浮かばれない」

 

 少女を中心に爆発的な魔力が吹き荒れる。第四真祖の保有する魔力に匹敵する莫大な魔力だ。

 

 解き放たれた魔力が少女の相貌を隠すフードを取り払う。フードの下から現れたのは妖精めいた美貌を持つ少女の素顔。逆巻く炎の如き金髪と焔光の瞳を持つうら若い少女だった。

 

 その容姿は古城たちが死闘の末に討ち滅ぼした“原初”の姿と酷似している。傍目から見れば同一人物にしか見えないだろう。

 

「さあ、おまえの器量を(ワタシ)に示してもらおうか──“まがいもの”よ」

 

 愉しげに独りごちて、少女は虚空に溶け込むように姿を消した。後に残るのは月明かりと花火の光に照らされる水底の廃墟だけだった。

 

 

 ▼

 

 

 三日間開催される波朧院フェスタの最終日は、花火大会などといった目玉イベントは用意されていない。せいぜいがナイトパレード程度で、それ以外は細々とした催しがある程度だ。

 

 初日から二日目にかけて激動のスケジュールをこなした古城たちに、三日目の祭りに参加する気力は残されていなかった。

 

 一日休んで週明けから始まる授業に備えようという流れだったのだが、そこに待ったを掛けた人物がいた。一般市民でありながら今回の騒動に飛び込み、巻き込まれた浅葱である。

 

 浅葱は暁家が朝食を終える頃合いに突撃してくると、凪沙に一言断りを入れて古城を誘い出した。

 

 古城を連れ出した浅葱の目的地は祭りで賑わう絃神島中央から離れたエリア。祭りに人口が集中したことで穴場となった、少しばかり小洒落た雰囲気漂う喫茶店である。

 

 ウェイトレスの案内で席に着き、適当に人数分のドリンクを注文する。注文の品が届けられ、落ち着いたところで古城は対面に座る浅葱と向き合った。

 

「それで、今日はどうしたんだ? デートの誘いなら、祭りに参加したほうが良かったんじゃないか?」

 

「でっ……と、じゃないわよ。というか、後輩引き連れてデートなんてできるわけないでしょ」

 

 浅葱はじとーとした眼差しを古城の隣、当然のようにこの場に参加している雪菜へと向けた。

 

 浅葱が古城を訪ねて誘い出そうとした時点で、まるで考えはお見通しと言わんばかりに雪菜は隣の部屋から姿を現した。そして当たり前のように「わたしは先輩の監視役ですので」と同行してきたのである。肝が据わっているとかいう次元を超えた図々しさであった。

 

「藍羽先輩が本気でで……とをするつもりでしたら、席を外します。でも、違いますよね?」

 

「二人とも、ちょっと初すぎやしないか?」

 

「古城は黙ってて」

 

「先輩は静かにしてください」

 

「……はい」

 

 浅葱と雪菜から鋭い目を向けられ古城は大人しく撤退する。しょんぼりと肩を落としながらメニューを手に取って現実逃避を始めた。何か甘いものでも食べたい気分である。

 

「そうね、姫柊さんの言う通り。今日の目的は遊びじゃない。いい加減、隠し事にもうんざりしてたの」

 

 古城と雪菜、肩を並べる二人を見据え浅葱は切り込む。

 

「あの時の約束を果たしてもらうわよ、古城。隠してること全部、洗いざらい話してもらうから」

 

 約束というのは、監獄結界に送り届けてもらった時に交わしたものだ。事情を知りたがる浅葱に頭を下げて頼み込み、後で説明するからと約束した上で協力を取り付けたのである。

 

「…………」

 

 浅葱の問い掛けに古城は思案するように瞑目する。考えているのは浅葱が知ることでこの先の展開にどのような影響が発生するかであった。

 

 暁古城が第四真祖であることが浅葱に露呈するのはまだ先、と言ってもあと一月ほどもすればバレる。それが早まって何かしらの影響があるかといえば、取り返しが付かないレベルの問題はないだろう。

 

 ただ、浅葱は聡明である。昨日もプログラマーとしての観点から阿夜の行動の矛盾を突き、隠された真の目的を暴いてみせた。古城が第四真祖になったという事実を知ることで、およそ半年ほど前に巻き起こった事件の真相に辿り着いてしまう可能性もないとは言い切れない。

 

 懸念点があるとすればそこだけ。しかしそれを理由に隠すのは、あまりにも不誠実が過ぎるだろう。

 

 隣で沈黙を守る雪菜を見やる。古城の視線に雪菜は仕方ないとばかりに頷きを返した。

 

 雪菜も一般市民である浅葱を極力巻き込みたくないと考えている。しかしこの期に及んで浅葱を除け者にするのはあまりにも薄情かつ不誠実である。何より、浅葱もまた大人古城から託された人間だ。仲間外れにするのは色々な意味で卑怯だろう。

 

 雪菜が納得しているのならば古城に否はない。微かにこびり付いていた迷いを振り払い、じっと返答を待つ浅葱と改めて向き合った。

 

「分かった、話すよ。約束だからな」

 

 そこから古城は己が世界最強の吸血鬼、第四真祖であることと雪菜が国の特務機関から送り込まれた監視役であることを話す。

 

 想い人が世界最強の吸血鬼になっていたという衝撃的な告白に、然しもの浅葱も頭を抱える。同時にこれまでのあれやこれやにも納得がいった。

 

「吸血鬼、第四真祖ねぇ……それで、姫柊さんがその監視役と」

 

「黙っててごめん」

 

「まあ、言って簡単に信じられるようなものでもないから、いいわよ。下手に話すと、凪沙ちゃんにも知られちゃうでしょうしね」

 

 浅葱は凪沙が重度の魔族恐怖症であることを知っている。割とブラコンの気がある凪沙に知られようものなら、深いショックを受けることは想像に難くない。

 

 それ以前に、只人であるはずの人間がいきなり世界最強の吸血鬼になりました、というのはあまりにも話が荒唐無稽過ぎて信じてもらえないというのもある。ヴァトラーと古城の死闘を映像越しに目撃した浅葱は、そのあたりすんなり受け入れたが。

 

「あまり驚かないんですね……」

 

「そりゃあ、これでも“魔族特区”育ちだからね。知り合いが吸血鬼だとか、攻魔師だなんて珍しくもなんともないのよ。真祖なのは流石に驚いたけど」

 

 魔族という存在が身近な世界に生きているからこそ、浅葱は特に抵抗なく吸血鬼である古城を、攻魔師である雪菜を受け入れられた。むしろ、そんなことよりも浅葱には気になることがある。

 

「吸血鬼ってことは、つまり……」

 

 浅葱の視線が雪菜の制服の襟口、具体的には白魚のように透き通った首筋に引き寄せられる。視線の意味合いに気付いた雪菜は頬を朱に染め、気不味そうに顔を逸らした。

 

 無言のやり取りから諸々を察して口を挟むべきか古城が迷っていると、浅葱が頭痛を堪えるようにこめかみを抑えて溜め息を吐いた。

 

「何となく、状況は分かるような気がするけど。納得できるかは微妙ね」

 

 吸血鬼の吸血衝動は性的興奮に直結している。しかし彩海学園の紳士とまで称される古城が、年下の女の子に欲情して無理やり迫るとは考えられない。止むに止まれぬ事情があっただろうことは推測がついた。

 

 それはそれとして、想い人たる古城が他の女の子の首筋に触れていたというのは面白くないので、若干唇を尖らせて不機嫌になる浅葱であった。

 

「それにしても第四真祖って、いったい何をすればそんなことになっちゃうのよ。そもそも、いつ? 最初から、じゃないわよね」

 

「半年くらい前、四月頃だったと思う。詳しい経緯は憶えてないんだ」

 

「憶えてないってどういうこと?」

 

「厳密には、思い出せない。無理に思い出そうとすると、頭が痛くなるんだ」

 

 片手で頭を抑える古城に、浅葱は目を丸くしつつも持ち前の頭脳を回転させ始める。

 

「記憶に封印(ロック)でも掛けられてる? でも、真祖ってその手の術や呪詛には耐性があるわよね。そうなると、外的要因じゃなくて内的要因のが可能性は高いかな……」

 

 ぶつぶつと呟きつつ浅葱はバッグから愛用のノートパソコンを取り出し、手慣れた手つきでキーボードを叩き始める。調べているのは四月ごろに絃神島で巻き起こった事件や騒動の記録だ。

 

「何を調べているんですか?」

 

「人間が第四真祖になるなんて、よっぽどのことでしょ。だったら、何かしらの事件や騒動があったと考えるのが普通。管理公社の情報書庫(バンク)になら何かしらの情報があると思ったんだけど……」

 

 只人が世界最強の吸血鬼である第四真祖に至るなど尋常ではないことだ。サンタからのプレゼントよろしく穏当に受け渡されるなどということは考えられない。まず間違いなく、何かしらの騒動があったはずだと浅葱は睨んでいた。

 

 しかし、調査を進める浅葱の表情は芳しくない。むしろ時間が経つにつれて険しくなっていく。

 

「これは……データが改竄されてるわね。所々重要そうなところは抹消されてるし、サルベージは厳しいかな。警察の内部資料も似たような感じか」

 

「そうですか……」

 

 天才プログラマーであり、ハッカーとしても超絶有能な浅葱ならあるいはと考えていた雪菜。あからさまにではないが少しばかり肩を落とした。

 

 そんな雪菜に対して浅葱は心外そうにむっと眉を顰める。

 

「別に本気でやればサルベージもロックも解除できるわよ。ただ、そこまでするとバレた時が不味いからやらないだけ。それに、アプローチ方法は一つじゃないしね」

 

 不敵に微笑んで浅葱は軽快にキーボードを叩き、調査の手を広げていく。調べるのは緊急車両や“特区警備隊(アイランド・ガード)”の出動記録だ。

 

「いくら改竄と抹消をしても誤魔化しきれない部分はある。そこに焦点を当てれば……こんなもんよ」

 

 目当ての情報を探り当てた浅葱が得意げに笑ってみせた。

 

 ディスプレイに表示されているのは日別の緊急車両の出動記録。四月の満月の日に、やたらと緊急車両が出動していたのが分かる。それだけではない、暴徒鎮圧用の有脚戦車(ロボットタンク)や戦闘ポッドが大量に動員されていたことまで、浅葱は解き明かしてみせた。

 

「多分この日ね、古城が第四真祖になったのは」

 

「すごい……」

 

 鮮やかな浅葱の手腕に雪菜は感嘆の声を零す。ナラクヴェーラの一件から感じていたが、浅葱の電子戦能力はただの女子高生のレベルを優に超えているだろう。

 

 純粋な雪菜の反応に気を良くしたのか、ご機嫌な様子でパソコンを操る浅葱。その手が不意に凍り付いたように止まった。

 

「え……これ、どうゆうこと……?」

 

「どうしたんだ、浅葱?」

 

 ここまで静観を貫いていた古城は浅葱の変化に目敏く気付く。愕然と目を見開いて口元を覆い、浅葱は酷くショックを受けたように声を震わせて呟く。

 

「有脚戦車と戦闘ポッドを動員したの、あたしだ……」

 

「──は?」

 

 衝撃的な新事実に古城は唖然と目を剥く。そんな展開は知らない、全くの寝耳に水な話に理解が追いつかなかった。

 

 “まがいもの”が第四真祖になった運命の日、様々な騒動が巻き起こった。だがそこに浅葱が介入する余地などなかったはずである。浅葱が関わったのはあくまで前日譚にあたる日常の場面だったからだ。

 

 それがどうして、有脚戦車やら戦闘ポッドを動員してあの日に関わっていたというのか──

 

 驚愕のあまり硬直してしまう古城。一方の浅葱は浅葱で混乱していた。

 

「知らない。あたし、こんなことした憶え……っ」

 

「藍羽先輩……!?」

 

 唐突に頭を抑えて背中を丸めた浅葱に、雪菜は慌てて隣の席に移動して介抱する。浅葱の肩を支えながら、雪菜は浅葱の身を襲う頭痛の原因に当たりを付けていた。

 

「暁先輩と同じ、思い出そうとすると痛みが走る症状。やっぱり、そういうことなんですね……」

 

「それって、あたしも記憶を弄られてるってわけ……?」

 

 酷く痛む頭を抑えながら浅葱が顔を上げる。雪菜は厳かに首肯し、向かいに座る古城を見据えた。

 

「前々からおかしいと思っていました。そばにいた藍羽先輩やご学友、ご家族が、暁先輩の変化に気付かないのはあまりにも不自然です。でも、他のみなさんも記憶を失っているのであれば納得がいきます」

 

 古城一人の記憶喪失では説明がつかない。しかし古城以外の人間も記憶を失っているのであれば筋が通る。恐らくは古城に近しい人間、あるいは絃神島全土を対象として第四真祖に至った経緯についての記憶が奪われている。

 

 そして雪菜の見解が正しければ──

 

「──暁先輩は、最初から気付いていたんですよね。記憶喪失が自分だけではないことに」

 

 雪菜の指摘に古城は苦々しげに顔を歪め、罰が悪そうに目を逸らした。

 

 古城は知っていた。自分以外の人間が第四真祖がこの世に生まれ落ちた日のことを、その経緯を忘却してしまっていることを。それは“原作知識”であり、自分自身で確かめた事実だからだ。

 

「あぁ、知っていたよ……」

 

 もはや隠していても無意味と判断して古城は肯定した。

 

「知っていた。でも、言ったところで記憶を取り戻すことはできない。方法があるとすれば、一つだけ……」

 

「南宮先生が所有することになった固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書、ですね」

 

 那月と大人古城のやり取りを思い返し、雪菜は記憶を取り戻す手段を的中させた。

 

 元は仙都木阿夜が所有する魔導書の一冊であったが、今は那月が接収し保有者となっている。奪われた記憶の復元はできなくとも、体験した時間の追憶という形ならば記憶を取り戻すことができるはずだ。

 

 図星を突かれて古城は目を丸くする。しかしすぐに情報源を察し、半ば投げやりげな態度で天井を仰ぐ。

 

「大人の俺か。どこまで話したんだか……」

 

 古城には大人になっていた時の記憶がない。憶えているのは雪菜を庇って氷槍に刺し貫かれたところまで。そこから先は、時間が飛んだように記憶が途切れていた。

 

「“闇誓書”の効力が切れてしまったので大したことは。ただ、先輩に言伝を頼まれています」

 

「言伝?」

 

「“犯した罪に向き合え。あの日の約束を忘れるな”と仰っていました」

 

 雪菜を介して伝えられた言葉に、古城の顔色がはっきりと悪くなった。

 

 あからさまな古城の変化に伝言を伝えた雪菜は驚く。見たこともないほどの狼狽えぶりに、頭痛に見舞われていた浅葱も心配そうな眼差しを送る。

 

「簡単に、言ってくれるな……俺は。お前だって、“まがいもの(おれ)”と同じだろうに……」

 

 大人古城と“まがいもの”の違いはあの日の記憶を、第四真祖に纏わる日々を忘却しているかしていないか。犯した罪がなくなるわけではないはずだ。

 

 だというのに、雪菜たちから伝え聞いた大人古城の雰囲気は、随分と穏やかで柔らかなものだったそうだ。どうしてそのように振る舞えたのか、古城には到底理解できなかった。

 

 背中を丸めて打ちひしがれたように項垂れる古城。常の大人びた雰囲気とは遠く掛け離れた弱々しい様子に雪菜と浅葱がどんな言葉を掛ければいいのか迷っていると、諦観めいた深い溜め息が響いた。

 

 ゆらりと幽鬼の如く顔を上げた古城は、諦観を表情に貼り付けて口を開いた。

 

「約束のほうに心当たりはないけど、罪には覚えがある。ヴェルディアナ・カルアナ。浅葱は聞き覚えがあるんじゃないか?」

 

「ヴェルディアナ・カルアナ……それって、古城が前に探していた人?」

 

 切羽詰まった様子の古城から頼み込まれて、渋々手伝った覚えがある。名前からして女性なのは間違いなくあまり気乗りしなかったが、当時の古城の様子が鬼気迫るものであったこともあり力を貸したのだ。

 

 あれはいつだったか。記憶に相違がなければ、あれは四月の終わりかけ。満月の日から十日ほど経った頃だったはず。

 

 当時のことを思い返して、浅葱はハッとなる。古城に頼まれた人探しの結果を思い出したからだ。

 

 何かを察した浅葱に、古城は消え入るように自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「戦王領域カルアナ伯爵領主──故フリスト・カルアナの娘、ヴェルディアナ・カルアナ。俺が第四真祖になった日に、死亡が確認された吸血鬼。俺が見殺しにした、犠牲にしただろう一人だよ」

 

 罪を懺悔する罪人のように古城は己の罪の一つを告白した。

 

 

 

 

 




とりあえず一話ですが、まだ書き溜めきれていないのと、AC6を始めちゃうのでまたちょっと期間が……コツコツ進めますのでなにとぞぉ……


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焔光の夜伯 Ⅱ

待たせたな、戦友。
ルビコンから帰ってきました。
それはそれとして難産……。


 ──ヴェルディアナ・カルアナ。

 

 暁古城が第四真祖の力を受け継ぐに至った過去編において登場した女性吸血鬼だ。

 

 皆殺しにされた家族と奪われた領地と領民を取り返すため、“焔光の宴”を利用しようとして奔走した貴族のお嬢様。その最後は家族の仇によって負わされた致命傷により倒れ、一命は取り留めるも“焔光の宴”の影響で出自に関する記憶の大半を失い、ただのヴェルディアナとして生きることになるというものだった。

 

 領地と領民を守るという責務から、家族の仇を討つという復讐からも解放され、ある意味では救われた終わりだったのだろう。その後の詳しい描写はなかったものの、恐らくは一登録魔族として絃神島で生きることになったはずだ──はず、だった。

 

 第四真祖の力と名を受け継いだ“まがいもの”は、己の計画が失敗に終わったことに肩を落としながら、自分の存在が原作に悪影響を及ぼしていないか調べ始めた。“暁古城(ほんもの)”ではない“まがいもの”の影響で原作乖離などがあっては色々と困るからである。

 

 誰も彼もが“焔光の宴”の影響で記憶を喪失していたため確認作業は難航したものの、状況証拠や原作知識との照らし合わせから大した原作乖離はないと判明した。原作通り、“まがいもの”は普通を願う少女を救えないまま、少女を犠牲にして生き延びることになったのだ。

 

 無力感に打ちひしがれながら、古城は最後にヴェルディアナの安否を確認しようと思い立った。

 

 原作通りならば、激しい消耗によって肉体を保つことができなくなったところを矢瀬によって救われていたはずである。故に矢瀬本人に鎌掛けすれば安否の確認だけは容易いだろうと考えていた。

 

 取り止めのない会話からさり気なく探って、無事であることを確認するだけの簡単な話だった。それも矢瀬が想像していたのとは違う、痛みを堪えるような反応を返したことで狂った。

 

 何かがおかしい、と古城は気付いた。精神年齢だけは高い古城は違和感を察し、すぐさまにヴェルディアナの行方を追い始めた。

 

 ヴェルディアナがバイトをしていた魔族喫茶、一年近く拠点としていたクルーザー、一時的にヴェルディアナに便宜を計っていた那月のもと。思い付く限りの場所を訪ねて回り、最終的には浅葱に頭を下げて協力を願った。

 

 人工島管理公社にてプログラマーとしてアルバイトしている浅葱ならば、魔族登録証からヴェルディアナの安否を、行方を追うことも可能である。

 

 渋る浅葱に縋るような思いで協力を取り付け、調査してもらった結果は──四月某日に死亡という衝撃的な事実だった。

 

 ヴェルディアナ・カルアナが死亡していた。それも古城が第四真祖を受け継いだその日に。“まがいもの”が関与しているのはまず間違いなかった。何故ならば、本来の筋書きでは死亡せず生き延びていたからだ。

 

 その後のことはよく憶えていない。浅葱やクラスメイトに声を掛けられたような気もしたが、取り繕う余裕もなかった。ふらふらと夢遊病患者のようにあてもなく彷徨い、辿り着いたのは海辺の公園だった。

 

 何処までも広がる太平洋を一望できる公園で、古城の瞳は昏い海の底にて眠る廃墟と化した街をぼんやりと見つめていた。

 

 つい十日ほど前に第四真祖を復活させる儀式によって水底へと沈むことになった街。第四真祖という大仰な肩書きを有しながら、何処にでもいるような吸血鬼の少女が自らを犠牲にした悲劇の街だ。

 

「…………」

 

 何一つして変えられなかった、それどころか徒に犠牲を増やしていた。本来ならば死ぬことはなかった、生き延びるはずだった命を取り零してしまっていた。

 

 原作知識を持ちながら、誰よりも上手く立ち回れるはずだったくせに。より良い結果どころか、手繰り寄せたのは余計な犠牲が増えた結末だ。

 

 “まがいもの”が関わったから、ヴェルディアナ・カルアナは命を落とした。どのような末路を辿ったのか、古城は憶えていない。もしかしたら、誰一人として知らないまま、歴史の闇に埋もれてしまったのかもしれない。

 

 それはあまりにも、あまりにも報われない末路だ。

 

 ならば、ならば、ならば──

 

「──ヴェルディアナを殺したのは、“まがいもの(おれ)”だ」

 

 ──その死を忘却しないよう、罪として刻もう。

 

 そうして“まがいもの”はあるかどうかも知れない罪を背負い込み、二度と取り零さないと心に誓いを立てたのだ。

 

 その日から“まがいもの”は眷獣たちとの対話に臨んだ。多くの人から信頼を、信用を得るために奔走した。

 

 全ては“暁古城”が護りたかったものを、護るはずだったものを護れるように──今度こそ、居場所を返すために。

 

 

 ▼

 

 

 ──やっぱりお祭りに参加しない? 

 

 暗く落ち込んだ話の流れを変えるために提案したのは浅葱である。僅かな逡巡を挟みながら雪菜も賛同したことで、古城たちは祭りで賑わう街へと繰り出すことになった。

 

 話の続きはいいのかと古城は思ったものの、今は二人の気遣いに甘えることにした。罪として忘れず背負うと決めたものの、本当の意味でヴェルディアナの死と向き合う覚悟ができていなかったのだ。

 

 先日の優麻とのやり取りもある。今の古城は、雪菜と浅葱が心配するほどに心が弱っていた。

 

「毎年のことだけど、やっぱり三日目はパッとしないのよね〜」

 

「そうなんですか? 十分、賑わっているように見えますけど……」

 

「昨日までと比べたら来場者数は半分近いわよ。残るイベントも締めのナイトパレードだけで、花火が上がるわけでもないから見物客も少ないのよね。ま、こうやって回る分には空いてるほうが楽なんだけど」

 

 波朧院フェスタ初参加の雪菜に浅葱が色々と案内をしている。なんだかんだと世話焼きの姉御気質な浅葱は、恋敵であろう相手であっても邪険にせず世話を焼いてしまう。そこが浅葱の魅力的な一面であり、損な面でもあるのだが。

 

 あそこの林檎飴が絶品なのよ、と雪菜を引き連れて駆けていく浅葱。仲睦まじげな先輩と後輩のやり取りをぼんやりと眺めていると、出店の前で浅葱と雪菜が古城を呼ぶように手を振る。

 

「どうした、財布でも忘れたのか?」

 

「違うっての。古城も食べない? 折角だから奢って上げてもいいけど?」

 

「浅葱が、食べ物を奢る……だと?」

 

「あんたがあたしをどう思ってるかはよーく分かったわ……!」

 

 ぴくりとこめかみをひくつかせる浅葱に、古城は即座に両手を挙げて降参の意を示した。

 

「冗談だよ、冗談。折角だから貰おうかな」

 

「ふん、素直にそう言えばいいのよ」

 

 古城の意思を確認するや浅葱は小走りで列に並ぶ。祭り全体が空いていることもあり、列もそう並んではいない。邪魔になることもないだろうと古城は店先に雪菜と肩を並べて待つ。

 

「祭りは楽しめそうか?」

 

「はい。初日と二日目は色々と忙しかったですから」

 

「それはな……」

 

 何せ初日はLCOの企みを挫くために奔走し、その夜から翌朝までは監獄結界の脱獄囚たちと激闘を繰り広げた。締めには原初の第四真祖と戦争勃発だ。とてもではないが祭りを楽しむ余裕などなかった。

 

 二日目も同様である。事件や騒動が起きたわけではないが、蓄積した疲労のために全員が漏れなくダウン。花火大会の見物だけはしたものの、祭りに繰り出す余力はなかった。

 

 そして三日目である今日。予定外ではあるものの、古城たちは波朧院フェスタを堪能するべく会場を回っている。

 

「先輩」

 

 不意に雪菜の透き通った声が耳朶を叩く。隣に視線を流せば、強い意思を秘めた真っ直ぐな瞳が古城を見上げていた。

 

「先輩の過去に何があったのか、何を抱えているのかは分かりません。でも、焦らなくていいんです。少しずつ、向き合っていきませんか?」

 

「姫柊……」

 

「わたしたちも微力ですけどお手伝いします。辛い時は側で支えますし、弱音を吐きたい時は聞きます。覚悟が足りないのなら……その、またわたしの覚悟を受け取ってくださってもいいですし」

 

「姫柊ぃ……」

 

 とても心に染み入る言葉だったのに、最後の最後で吸血の話を持ち出されると古城は反応に困る。もう感情がジェットコースター状態であった。

 

「冗談です」

 

 くすっと揶揄い混じりの微笑みを零す雪菜。耳先が微妙に赤く染まっているあたり、果たしてどこまで冗談だったのだろうか。間違いなく墓穴を掘ることになるので突っ込みはしないが。

 

 年下の女の子に揶揄い混じりに励まされ情けなさから肩を落としていると、左右合わせて二本ずつ林檎飴を持った浅葱が戻ってきた。

 

「はいこれ、一本ずつ」

 

「悪いな」

 

「ありがとうございます」

 

 浅葱から林檎飴を受け取り、早速雪菜は一口口に含む。甘いシロップのコーティングと中に閉じ込められた果汁の絶妙な組み合わせに、雪菜は年相応の笑みを咲かせた。

 

「美味しいです」

 

「ふふん、ここは毎年長蛇の列ができるくらいには人気の出店だもの。初日と二日目なんて、朝から並んでないと買えないんだから」

 

 両手に大玉の林檎飴を装備して得意げに胸を張る浅葱。健啖家で男顔負けの大食いな浅葱は、絃神島のグルメにも精通しているのだ。

 

「確かに美味しいな」

 

 絃神島に来て早三年。しかして絃神島の全てを知り尽くしているかといえばそうではなく、生粋の“魔族特区”育ちの浅葱や矢瀬には敵わない面も多々ある。グルメ関連もその一つだ。

 

 林檎飴に舌鼓を打っていると左右から視線を感じる。顔を上げれば少し安心したような表情をした雪菜と浅葱の二人と目が合った。

 

「少しは元気出たんじゃない?」

 

「……そうだな」

 

 浅葱が急に祭りへの参加を提案した理由は察していた。大人古城からの伝言によって著しく気落ちしていた古城を元気付けようとしていたのだ。

 

「昨日の今日で色々大変だったんだし、一日くらい遊んだっていいのよ。ただでさえ、古城はあれこれと抱え込んでるんだから」

 

 申し訳なさそうな顔をする古城を、気にするなとばかりに浅葱は肘で小突いた。

 

 浅葱はヴェルディアナ・カルアナの死を知った時の古城の憔悴ぶりを知っている。真っ青な顔色で今にも自殺しかねない様子の想い人の姿を見たことがあった。今の古城はその時とほぼ変わらない。

 

 目を離してしまえばふっと消えてしまいかねない危うさを孕んでいる。誰かがその手を掴んでいなければ、目の前の少年は霞のように消えてしまう。そんな気がしてならないのだ。

 

 だから、多少強引にでも気分転換を提案したのだ。純粋に古城と祭りを回りたかったという気持ちも無きにしも非ずだが。

 

「少しは、気が楽になったよ」

 

 お世辞でも誤魔化しでもなく、心からの発言だ。浅葱の提案と雪菜の言葉は、確実に古城の心に届いている。

 

 心なしか顔色が良くなった古城。精神年齢的に年下の少女たちにいつまでも心配を強いるわけにはいかないと意識を切り替え、引き続き祭りを散策しようと顔を上げて──視界の端を逆巻く炎のような金髪が過ぎ去った。

 

「────」

 

 気のせいだと片付けるのは容易かった。だがそれができない。反射的に古城は金髪の行方を目で追ってしまう。

 

「先輩?」

 

「古城?」

 

 唐突に纏う空気が豹変した古城に、雪菜と浅葱が首を傾げる。二人は古城と向き合っていたがために、古城の様子が急変した理由が分からないのだ。

 

「あり得ない……!」

 

「先輩、まっ……!?」

 

「ちょっと古城! 何処に行くのよ!?」

 

 手にしていた林檎飴を雪菜に押し付け、古城は人混みの中へと飛び込む。祭りを巡る観光客にぶつかりながら、人の流れを掻き分けて金髪の行方を追う。

 

 見間違いであってほしい。追い詰められた精神が見せた幻影であってくれたなら、それでいい。一縷の望みを賭けて追いかけて、古城は金髪の人影の背中を捉えた。

 

「待て、おまえは──!」

 

 声を荒げて古城が呼び掛けると、金髪の人影が徐に振り返る。焔光の如き碧い瞳が古城の姿を映した。

 

 妖精めいた美貌の年若い少女。口元から僅かに覗く牙が、少女が吸血鬼であることを示している。そして何より身に纏う浮世離れした雰囲気が、祭りの中にあって少女の存在を殊更に浮き彫りにしていた。

 

「アヴローラ、じゃない。まさか……!」

 

 あり得ない可能性に焦りを募らす古城。金髪の少女は取り乱す古城を愉しげに眺め、何事もなかったかのように再び歩き出す。

 

「──っ、行かせるか!」

 

 慌てて駆け出すが人混みに遮られて上手く進めない。そうこうしているうちに少女の背中は人の流れに呑まれて消えてしまった。

 

 少女に追いつくこと叶わず、古城はその場に呆然と立ち尽くす。ややあって雪菜と浅葱が古城の元へと駆け付けた。

 

「どうしたんですか、先輩。急に走り出して」

 

「知り合いでもいたっての?」

 

「……いや、何でもない」

 

 力なく首を横に振り古城は雪菜と浅葱に向き直る。持ち直していたはずの顔色が、まるで幽霊でも見たのかのように真っ白になっていた。

 

「何でもないって、そんな顔で信じられるわけないでしょ」

 

「多分、他人の空似だ。あいつが、此処にいるはずがない……」

 

 少しばかり落ち着いて考えれば、アヴローラが此処にいることなどあり得ない。彼女は“まがいもの”が第四真祖に至った日に、還らぬ人となっているのだから。

 

 故に可能性としては一つだけ。原作知識から推測できるが、それはそれでおかしい。何せ彼女の来訪は一ヶ月近く先のことだからだ。

 

 今この場に居合わせることはあり得ない。先の少女は常夏の島が見せた陽炎、あるいは未だ不安定な絃神島の空間が呼び込んだ何処かの誰か。そう考えた方がまだ精神衛生上は健全である。

 

 だが、脳裏を過ぎる少女の妖しげな笑みが現実逃避を否定する。あれは幻ではなく紛うことなき本物であり、“魔族特区”に新たな騒動の種が持ち込まれたのだと訴えていた。

 

 先の少女の正体が古城の知る彼女であるのならば、恐るべき事態が起きていることを意味する。それは原作乖離だ。

 

 今まで原作知識を頼りに筋書きを変えてきた癖に今更ではある。だが今回は事情が違う。記憶に欠落がなければ、あの少女が来訪するタイミングを早めるような行動をした覚えがないのだ。

 

 何かがおかしい。致命的に何処かで歯車が狂い始めている。

 

 “まがいもの”の存在がバタフライ・エフェクトを引き起こした可能性は十二分にある。だが、果たしてそうなのだろうか。

 

 何かもっと、別のタイミングで乖離を引き起こす行動をしたのではないか。具体的には半年前の宴。彼女は宴を見届けるべくこの島に訪れていたはずだ。

 

 そこで古城が、“まがいもの”が何らかの行動(アクション)を起こした結果、巡り巡って彼女の来訪を早めた。可能性としては十二分にあり得る。

 

 だが、

 

「俺はいったい、何をしたんだ……?」

 

 焦燥と困惑混じりの古城の呟きは、祭りの喧騒に呑まれて消えた。

 



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焔光の夜伯 Ⅲ

 それは三年前のこと。イタリア半島の自治領ローマで起きた列車の爆破テロに巻き込まれたという体で、重傷の暁凪沙は絃神島に運び込まれた。意識を喪失していた暁古城も同様だ。

 

 凪沙はMARの医療棟にて専門家の治療を受けることになった。古城は比較的早い段階で意識を取り戻し、母親である深森が私物化しているゲストハウスで諸々の手続きが済むまで過ごすことになる。

 

 意識を取り戻した古城は──“まがいもの”は全てを知っていた。凪沙と古城が巻き込まれたのは爆破テロではなく、十二番目の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”を巡って勃発した黒死皇派との抗争だ。

 

 抗争の最中、暁古城は凶弾から身を挺して凪沙を庇って死亡。優れた霊能力を持つ凪沙が眠りから目覚めた第四真祖と交信し、大切な兄である古城の復活を願った。

 

 十二番目の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”──アヴローラ・フロレスティーナ。氷の柩にて眠っていた彼女の肋骨を二本与えられ、暁古城は現世へと舞い戻る──はずだった。

 

 第四真祖が蓄える莫大な“血の記憶”を前に暁古城は呑まれて消えた。代わりに全てを受け止めたのは“まがいもの”の前世(だれ)か。幼き少女の願いは虚しく叶わず、物語は本来の筋書きから大きく逸れ始める。

 

 意識を回復した“まがいもの”は自身を取り巻く状況をある程度把握すると、感傷に浸るのもそこそこに行動に移った。なんの偶然(バグ)か、“まがいもの”には原作知識なるものがあった。上手く活用すれば、この先の未来を変えることも不可能ではないはずだろう。

 

 だが、起こり得る未来を知っていたところで“まがいもの”は非力な中学生に過ぎない。第四真祖の肋骨を与えられて“血の従者”になったとはいえ、アヴローラは未だ完全な覚醒には至っておらず、現時点ではただの人間と大差ないのだ。

 

 そうでなくとも、人一人にできることなど限られている。必然的に“まがいもの”は協力者を求めた。

 

 手始めにアプローチを掛けたのは凪沙と古城の父親である暁牙城。脆弱な人間の身で第四真祖の魂を宿すことになってしまった娘を救うため、牙城は世界各地を巡り調査を継続している。

 

 原作知識という反則技で凪沙を取り巻く複雑な状況を“まがいもの”は理解している。上手く知識を利用すれば、娘想いの牙城と、順当にいけば母親である深森とは協力関係を結べるはずだ。

 

 両親から買い与えられていた暁古城の携帯電話を取り出して牙城に連絡を試みる。案の定、留守電に繋がったので必要最低限の情報だけ残して折り返しを待つ。

 

 ソファに腰を下ろして待つこと数十分、暁古城の携帯電話が着信音を鳴らす。“まがいもの”は深呼吸を一つ挟み、僅かな緊張を滲ませながら通話を始めた。

 

『──おい、バカ息子。冗談を取り消すなら今のうちだぞ』

 

 開口一番に聞こえてきたのは怒気混じりの男の声だった。何の身構えもなく受ければ身が竦みかねないほどの怒りだ。それも仕方ない、と“まがいもの”は苦笑いする。

 

 今の牙城は己のミスで娘と息子を失いかけたばかりなのだ。言葉選びを間違えようものなら協力関係どころか敵対してもおかしくない状況だ。

 

「冗談じゃないさ。俺は、凪沙ちゃんを救う術を知っている」

 

 “まがいもの”が残したメッセージは一つ──暁凪沙を救う術を知っている、これだけだ。文字通り一度死んで蘇生したばかりの息子からそんな伝言を残されて、冷静でいられる父親もそうはいないだろう。

 

『なんだおまえ、急に他人行儀な喋り方しやがって。反抗期か?』

 

「それは偽りなく他人だからだよ、牙城さん。俺はあなたの知る暁古城じゃない」

 

『……冗談にしちゃ性質(タチ)が悪いぞ、古城』

 

 静かな声音に殺気が滲む。これ以上、世迷いごとを吐くならばその場に駆け付けてぶん殴ってやると言わんばかりの圧力が、電話越しにも伝わってくる。

 

 しかし“まがいもの”は怯むことなく言葉を続ける。

 

「あの日、あの遺跡で暁古城は死に絶えた。凪沙ちゃんが第四真祖に働き掛けたことで一時は復活するかと思われたけど、暁古城は第四真祖が保有する“血の記憶”を受け容れきれずに呑み込まれてしまった」

 

『だったら、今そこにいるおまえはなんだ?』

 

「陳腐な表現だけど、暁古城の前世みたいなものと思ってくれればいい。空っぽになってしまった器に入り込んだ、ただの“まがいもの”だ」

 

『…………』

 

 ぱたりと電話口からの声が途切れてしまう。気付かないうちに息子を失ってしまっていた衝撃の事実を、どうにか受け止めようとしているのかもしれない。“まがいもの”も無理に話を続けることなく、牙城の反応を待った。

 

 数分近く黙祷の如き沈黙が続き、電話口から深々とした溜め息が洩れ聞こえた。

 

『あんたの言葉を全て鵜呑みにしたわけじゃないが、一応納得しておく。それで、前世さんは何を知っていて、何をしようとしてんだ?』

 

「知っていることは話すと長くなるから、またにしよう。何がしたいかは決まってる──」

 

 徐に“まがいもの”はソファから立ち上がり、リビングの入り口を見やる。そこにはしわくちゃの白衣を身に纏った童顔の女が立っていた。凪沙と古城の母親である深森だ。

 

 恐らくは牙城から何かしらの連絡を受け、古城の様子を見るために凪沙の病棟を抜け出してきたのだろう。“まがいもの”は途中から気配に気付いていたが、敢えて指摘せず通話の内容を聞かせた。

 

 通話の内容から息子が還らぬ人となってしまったことを知った深森は、痛ましげに唇を噛んで“まがいもの”を見ている。電話越しの牙城と違い、面と向かって顔を合わせたからこそ、深森は目の前の少年が大切な息子ではない誰かだと確信してしまったのだ。

 

 息子を失い悲嘆に暮れる母親に、“まがいもの”は気遣うように微笑みを浮かべて告げた。

 

「──凪沙ちゃんを救う。それが、“まがいもの(おれ)”にできる唯一の贖罪だ」

 

 

 ▼

 

 

 古城が自宅に帰ったのは日もすっかり落ちた時間帯。午後七時を回った頃合いだった。

 

 ここまで帰りが遅くなったのは目一杯に祭りを楽しんだから、ではない。途中から古城は祭りをそっちのけで、MARのとある研究施設付近の警戒を行っていた。もしも先の少女が古城の知る彼女であった場合、襲撃が起きるはずだと推測したからである。

 

 しかし待てど暮らせど襲撃は起こらず、古城たちは無駄に研究施設周辺を彷徨く不審人物となってしまった。付き合わせてしまった雪菜と浅葱には悪いことをしてしまったと思う。

 

 結局、起きるかも分からない襲撃をいつまでも待つわけにもいかず、古城たちは解散することになったのだ。

 

 後ろ手に玄関の鍵を掛けて靴を脱いでいると、ぱたぱたと忙しない足音がリビングから響いてくる。顔を上げればエプロンを着こなした凪沙がお玉を片手に目の前に立っていた。

 

「おかえりー、古城くん。遅かったね? 浅葱ちゃんとのデートは楽しかった?」

 

「デートじゃないからな。姫柊もいたし」

 

「ええ!? ダブルデートだったってこと!? ダメだよ、古城くん。どっち付かずの態度は浅葱ちゃんと雪菜ちゃんが可哀想だよ! ちゃんと誠実に向き合わないと、“彩海学園の紳士”の名が泣いちゃうよ!」

 

「ダブルデートって、意味違うからな。少し落ち着け」

 

 呆れ混じりに騒々しい凪沙の額に軽くデコピンし、古城はリビングへ向かう。うぅ、と小さく呻いて額を摩りながら凪沙も少し辿々しい足取りで背中を追った。

 

 リビングに入るとキッチンから香ばしい香りが漂ってくる。見ればコンロにフライパンが掛けられており、調理の途中であったことが伺えた。

 

「珍しいな、まだ途中だったのか」

 

 いつもならばもう晩御飯の用意は終わって食卓についているであろう時間帯だった。しかし今日はまだ準備も終わっていないらしい。

 

 えへへ、と凪沙は誤魔化すように頭を掻いた。

 

「昨日、お祭りではしゃぎ過ぎて疲れちゃって、お昼過ぎまで寝ちゃってたんだよね。その後もうとうとしてて、晩御飯の支度が遅くなっちゃった」

 

 凪沙は古城たちと違って昨日は友人たちと祭りに繰り出していた。そこで思う存分祭りを堪能したのだろう。反動で疲れ果ててしまい、今日に響いてしまったようだ。

 

 そうか、と一つ頷いて古城は服の袖を捲る。

 

「なら、俺も手伝うよ。いつも任せてばっかで悪いからな」

 

「いいの? じゃあ、手伝ってもらおっかな」

 

 上機嫌に微笑んで凪沙はキッチンに立つ。流しで手を洗った古城がその隣に並ぶ。

 

 本日のお品書きは凪沙特製のオムレツだったようだ。丁度中身の具材を炒めているタイミングで古城が帰宅したらしく、炒め途中の具材がフライパンの中に残っていた。

 

「俺は卵の用意をすればいいか」

 

「うん、いつもの感じでマヨネーズと塩胡椒も混ぜてね」

 

「はいはい、分かってるよ」

 

 じゅう、とフライパンの中身を炒め始めた凪沙の隣で、古城はボウルに卵を割り落として掻き混ぜる。ご要望の通りにマヨネーズと塩胡椒で調味し、少しバターも加えてアレンジした。

 

 ボウルを片手に菜箸で卵生地を掻き混ぜていると、凪沙が妙にご機嫌な様子で話し始める。

 

「なんだか、こうやって古城くんと一緒にキッチンに立つの、久しぶりな気がするなぁ」

 

「そうか? そうだな、そうかもな」

 

 言われてみれば、確かにと古城は頷く。二人並んでキッチンに立って夕飯の支度をするのはあまりない。家事の分担の都合上、肩を並べて食事の用意をすること自体がなかったからだ。

 

 何が嬉しいのか鼻唄混じりに具材を炒めつつ凪沙は言葉を続ける。

 

「そうだよ。だから、ちょっと嬉しいんだ。こうやって普通の兄妹みたいにお夕飯の用意して、一緒にご飯を食べて。当たり前のことだけど、古城くんがいるから、凪沙は寂しい思いをせずにいられるんだよ」

 

「改まって、どうしたんだよ?」

 

「だって、深森ちゃんも牙城くんも滅多に家には帰ってこないし。古城くんがいなかったら、凪沙は一人ぼっちだったかもしれないから。だから、古城くんにはいっつも感謝してるんだ……」

 

「凪沙……?」

 

 妙な話の流れに古城は不穏な空気を感じ取り、隣に立つ凪沙の顔色を伺う。普段と変わらないように見える横顔だが、唇が若干青褪めている。耳を澄ませば掠れるような呼吸音が聞こえてきた。

 

 古城の脳裏を、つい先ほどの凪沙との会話が過ぎる。

 

 いつもよりも遅れた夕飯の支度。昼過ぎまで寝ていたという発言。その後もうとうとしていたと言っていたが、果たしてそれは疲労が原因だったのか。

 

 古城の中で複数の情報が結び付く。凪沙の体調不良を看破した古城は、掻き混ぜていたボウルを置いて即座に凪沙の背後に回る。直後、ふらりと力なく凪沙の身体が後ろに倒れ込んだ。

 

「凪沙! しっかりしろ、凪沙!?」

 

 倒れる凪沙の身体を優しく抱き留め、ゆっくりと床に座らせる。苦しげな呼吸を繰り返す凪沙の身体はまるで氷のように冷たい。その原因を古城は知っていた。

 

 霊能力の過剰な行使。人の身には余る第四真祖の眷獣を憑依させ続けている尋常ならざる負担。それらの要因が凪沙の心身に過剰な負荷を掛け、入退院を繰り返させるほどの衰弱を齎しているのだ。

 

 原因が分かっていたところで古城にできることはない。今できることは、設備の整った医療施設に運び込み、専門家の治療を受けさせることだけ。

 

「だい、じょうぶだよ、古城くん……いつもの、やつだから。そんなに、心配しなくていいんだよ……」

 

「無理に喋るな。すぐに母さんのところに運んでやるから……!」

 

「えへへ、深森ちゃんに診てもらえるなら、だいじょうぶだね……」

 

 極寒の凍土に放り出されたように冷え切った凪沙の身体を抱き締めながら、古城は慣れた手付きで携帯電話を操り深森に連絡を取る。

 

 凪沙がこうして倒れることは一度や二度ではない。その度に対処してきたため焦りでパニックに陥ることはなかった。

 

「母さんか? 忙しいところごめん、凪沙が倒れた。受け入れの手配と搬送車両を家に寄越してくれ。頼む」

 

 深森を母さん呼びすることに若干の抵抗はあるものの今は緊急事態である。要件を手短に伝え、『任せて』という心強い返事を貰って通話を切った。

 

 搬送車両が駆け付けるまでまだ時間が掛かる。少しでも楽な姿勢を取らせるために古城は凪沙を抱え上げてソファまで運ぶ。凪沙が不安がらないように古城は側に寄り添った。

 

 霊能力の過剰行使によって苦しい思いをしているだろうに、しかし凪沙は寄り添う古城を気遣うように見上げる。

 

「ごめんね、古城くん……いつもいつも、迷惑かけちゃって」

 

「迷惑なわけないさ。今はゆっくり休め」

 

「うん……」

 

 しおらしく頷く凪沙の額を優しく撫で、古城はその場を離れようとする。医療施設に搬送するにあたって家を空ける以上、色々と準備が必要になる。凪沙の着替えの用意や、雪菜への連絡も必要だろう。

 

 立ち上がった古城の袖が引かれる。ソファに横たわる凪沙が、今にも泣き出しそうな表情で手を伸ばしていた。

 

「何処にも行っちゃ、いやだよ。()()()()()……」

 

「────」

 

 気力を使い果たしたように凪沙の手が滑り落ちる。反射的に古城はその手を掴み取り、傍にしゃがみ込んだ。既に凪沙は意識を失っていた。

 

 苦しげな呼吸を繰り返す凪沙の寝顔を、古城は苦虫を噛み潰したような表情で見つめる。不意打ち気味に放たれた凪沙の言葉が、古城の心を激しく掻き乱していた。

 

 熱に浮かされた心細さが凪沙の偽らざる本音を零させた。普段は大切に胸の内に仕舞い込んでいた想いが洩れ出てしまったのだろう。

 

 ただ側にいてほしい、という意味ではないだろう。たった三年とはいえ、兄妹として誰よりも近い場所で過ごしてきたから分かる。

 

 

 凪沙の言葉は“暁古城”ではなく──“まがいもの”に向けられていた。

 

 

 考えてみれば当然のことだ。幼馴染とはいえ長いこと離れ離れになっていた優麻が気付いて、誰よりも近しい場所にいた凪沙が気付かないはずがない。ずっと前から、それこそ最初から凪沙は知っていたのだ。

 

 気付いていて、知っていた上で凪沙は知らない振りをしていた。それは“まがいもの”のため、そして自分たちのために──

 

 “まがいもの”も悟っていた。それでも拙い演技に付き合ってくれる健気な少女を、兄想いな妹のために騙し続けた。偽りの言葉を吐く度に軋む自分自身の心から目を逸らして。

 

 偽り、偽られていたことで維持されていた関係に亀裂が入った。“まがいもの”の向き合うべき罪がまた一つ、浮き彫りになった。

 

「俺は、どうすればいいんだ……」

 

 両手で包み込んだ凪沙の手を額に当てて、“まがいもの”は力なく呟いた。

 



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焔光の夜伯 Ⅳ

 暁古城こと“まがいもの”、中学二年の夏休み──

 

 原作古城よろしく夏休みの半分をバスケ部の練習に打ち込んだ“まがいもの”。夏休みの課題を早々に終わらせた彼の姿は今、“戦王領域”旧カルアナ伯爵領にほど近い街にあった。

 

 異国情緒漂う街並みの一角に位置するオープンカフェテラスにて、“まがいもの”は呆れ混じりの表情で向かいに座る男を見ていた。

 

「くうううっ──! やっぱ昼間から飲む酒は美味ェ!」

 

 典型的なダメ人間のお手本のような台詞を口にしたのは長身の体格のよい男だ。

 

 無造作に切り揃えられた髪と無精髭。色褪せた革製のトレンチコートに中折れ帽を纏う出立ちは、何処ぞのマフィアか売れない私立探偵のような風貌である。実体は“聖殲”を研究テーマにしている考古学者だが。

 

 昼間から酒を飲むダメ人間の正体は暁古城の父親──暁牙城だ。対面に座る少年と見比べれば、血の繋がりがあることにも納得できる顔立ちをしている。

 

「どうした、兄弟? シケたつらして、おまえさんも飲むか?」

 

「中学生に酒を勧めるなよ、まったく……」

 

 頭痛を堪えるように“まがいもの”はこめかみを抑えた。第四真祖関連で進展があったからと呼び出されて絃神島から遠路遥々足を運んでみれば、出迎えたのが酔っ払いとあってはちょっと物申したい気分であった。

 

 それ以外にも、“まがいもの”は目の前の男の態度に困惑していた。あまりにも馴れ馴れしいというか、親しみを感じさせる振る舞いに戸惑っているのだ。

 

「なんだ、腹でも減ってんのか? 飯くらいなら奢ってやるぞ」

 

「いや……去年とは随分と態度が違うと思ってな。前はもっと俺を警戒していなかったか?」

 

 去年の夏休み、丁度一年前にも“まがいもの”は牙城に呼び出されて世界各地の遺跡調査に付き合わされた。恐らくは“まがいもの”が信用に足る人物かを測るため、“まがいもの”が抱える情報をより多く引き出すために、色々と試していたのだろう。

 

 “まがいもの”もそれを理解した上で牙城の提案に乗った。一月弱という短い期間ではあるが、二人は背中を預け様々な危機や困難を乗り越えたのである。ある種、戦場における絆めいた関係性は築かれたのだろう。

 

 だが、それにしても久方ぶりに顔を合わせた牙城の態度は親しげ過ぎる。戦場の友が、何故か鬱陶しい絡み酒をする親戚の叔父さんのような距離感になっていたのだ。混乱するのも無理はない。

 

 “まがいもの”の疑問に、そんなことかと牙城は笑って答える。

 

「んなもん、おまえさんの人柄が信用に足ると判断したからに決まってんだろ」

 

「信用できるほどの積み重ねがあったとは思えないんだが……?」

 

 直接顔を合わせて行動を共にした期間だけで考えれば一月弱。トラブルだらけの濃密な時間を過ごしたとはいえ、果たしてここまで信用を置けるものだろうか。

 

 今一つ納得できていない“まがいもの”に対して、牙城は補足するように付け加える。

 

「あれから一年半、おまえさんは古城として凪沙に接してくれた。側に居てやれない俺と深森の代わりにな。おかげで凪沙は笑顔で過ごせてる」

 

「それは……」

 

 “まがいもの”から齎された情報により、“焔光の宴”によって凪沙に関する記憶を奪われるわけにはいかない牙城と深森。記憶搾取の影響を最小限に抑えるために凪沙との接触を控えている二人は、凪沙の側に寄り添ってやることができなかった。

 

 代わりに凪沙の寂しさを埋めたのが“まがいもの”だ。

 

 暁古城に成り代わった“まがいもの”は凪沙に要らぬ心配を掛けないよう、兄の消失を気取られないように暁古城として、兄として振る舞った。その甲斐あって凪沙は体調を崩して入退院を繰り返しながらも、元気に学校へ通って笑顔で日々を送ることができている。

 

 一年と半年。“まがいもの”は凪沙を悲しませないように振る舞い続けた。そのあり方を見て牙城と深森は“まがいもの”を信用できると判断した。

 

「感謝してるんだよ、これでもな」

 

「打算ありきだとは思わなかったのか?」

 

「そういう台詞はもちっとポーカーフェイスを磨いてから言うんだな、兄弟」

 

 罪悪感入り混じる表情の“まがいもの”を指差して牙城は言った。

 

 “まがいもの”は反射的に自身の顔を手で覆うも、その反応自体が自白と変わらないと悟って諦めた。投げやり気味に背凭れに背中を預けて深々と嘆息を零す。

 

「あんなに健気な子を一人ぼっちになんてできるわけがないだろ……」

 

「心配になるくらいお人好しな性分だな。ま、だからこそ信用できたわけなんだが」

 

「余計なお世話だよ、まったく……」

 

 お人好しなのは自覚があった。前世から変わらない性分なのだ。特に一度でも身内として認めてしまうと、自分自身を疎かにしてでも優先しようとしてしまう。

 

「それで、今回はなんで俺を呼び付けたんだ? 第四真祖絡みで進展があったって聞いたけど」

 

「言ってなかったか? ようやっとお嬢様が“柩”の鍵の在処を教えてくれるってんで、取りに行くんだよ」

 

「────」

 

 予想だにしていなかった展開に“まがいもの”は目を見開いて硬直した。

 

 早期に牙城と深森の二人と協力関係を結び、情報提供したことで“まがいもの”の知る筋書き(未来)から乖離は始まっていた。だからといって、ここまで変化することになるとは思っていなかったのだ。

 

「あー、言ってなかったかもな。うん、悪ィ」

 

 気不味そうに頬を掻いた牙城の視線が“まがいもの”の後方に向けられる。目を逸らしたというよりは、視線の先に誰かを認めたような仕草だった。

 

「──牙城!」

 

 硬直する“まがいもの”の隣を通り過ぎ、昼間から酒を飲むダメ人間を少女が見下ろす。その表情は分かりやすく不機嫌に歪んでいた。

 

 黒革のコートを着込んだ見た目十七、八前後の少女だ。艶やかなブルネットの髪を背中に流し、牙城を見下ろす眼差しや仕草には微かな気品が滲み出ている。

 

 一見すればちょっといいところのお嬢さんといった風貌であるが、“まがいもの”は目の前の女性が吸血鬼で自分よりも倍以上に歳上の存在であることを知っていた。

 

「おう、遅かったな。先に一杯やらせてもらってたぞ」

 

「遅かったな、じゃないわよ! なに昼間から呑気にお酒なんて呑んでるのよ!? 今日は鍵を取りに行くって話だったじゃない、忘れたの!?」

 

 眦を吊り上げて少女は細腕には見合わない筋力で牙城の胸倉を掴み上げる。ガクガクと揺さぶられながら牙城は落ち着けと宥めにかかる。

 

「待て待て、忘れちゃいないさ。ただ、俺はちょっと野暮用があってな。ついていけねーんだわ」

 

「え……? まさか、私一人で取りにいけって言うの?」

 

 途端に心細そげな声を上げる少女。一人で鍵を取りに行くことへの不安というよりは、牙城と別行動になることが不満といった様子だ。原作暁古城に負けず劣らず、牙城もまた女たらしの気があるので強ち間違いではないだろう。

 

 嵐の中に置いてけぼりを喰らったような顔の少女を安心させるように牙城は笑う。

 

「そんな顔すんなよ。代わりといっちゃなんだが、頼りになる相棒を呼んでおいた。なあ、兄弟?」

 

「は? 俺……?」

 

 唐突に話を振られて目を剥く“まがいもの”。目の前の少女とこの時点で顔を合わせるだけでも特大の想定外(イレギュラー)であったのに、一緒に鍵の回収までとなると寝耳に水どころではない。

 

 畳み掛けられる衝撃的な展開に石像となる“まがいもの”。そんな少年を女吸血鬼は胡乱な目で見下ろした。

 

「頼りになるって子供じゃない。どう見ても足手纏いにしかならないでしょ」

 

「そう言うなって。これでも根性(ガッツ)はある奴だからよ」

 

 他人事みたいに言う牙城に女吸血鬼は深い溜め息を零した。

 

「っと、悪かったな、兄弟。知ってるかもしれんが、紹介しとくぜ」

 

 いつまでも呆けたままで話の流れに乗ってこない“まがいもの”に、牙城は傍らの少女を親指で指し示した。

 

「──ヴェルディアナ・カルアナ。俺の古い知り合いの妹だ」

 

 牙城の紹介で“まがいもの”はようやく目の前の現実を受け入れ、不満げな表情をしたヴェルディアナと真正面から向き合った。

 

 ──これが“まがいもの”とヴェルディアナ・カルアナのファースト・コンタクトであった。

 

 

 ▼

 

 

 倒れた凪沙が搬送されたのはMAR──マグナ・アタラクシア・リサーチ社の医療研究所、昼間に古城が襲撃を警戒していた施設だ。

 

 予め古城が一報入れたことで受け入れはスムーズに進み、あとは主治医である深森がなんとかしてくれるだろう。

 

 待合室のベンチに腰掛け祈るように手を組んで背中を丸める古城。隣には隣人であり搬送の補助をするという名目で付き添った雪菜の姿があった。

 

「悪いな、姫柊。こんな時間に病院まで付き合わせて」

 

「いいえ、同行したのはわたしの勝手ですから気にしないでください。それに、わたしも凪沙ちゃんが心配でしたから……」

 

 気にするなと微笑み混じりに雪菜は首を横に振った。

 

 波朧院フェスタ初日の夜にも凪沙は雪菜たちの前で倒れている。搬送される前の凪沙の様子を見た雪菜は、一目で倒れた原因が前回と同じであると見抜いた。その上で無理を言って付き添いを願い出たのだ。

 

 凪沙が倒れたことで憔悴しているところに申し訳ないと思いつつ、雪菜は躊躇いがちに口を開く。

 

「凪沙ちゃん、一昨日の夜にも倒れているんです」

 

「は……?」

 

「先輩が子供になって気絶していた時のことでしたので。お伝えするのが遅くなってすみません」

 

 寝耳に水な話に古城は戸惑いを隠せない。古城の記憶では、波朧院フェスタで凪沙が倒れるようなことはなかったのだ。凪沙が今日倒れたのも、原作の筋書きにはない想定外(イレギュラー)であった。

 

 凪沙が倒れるのはもう少し先の話だった。それがどうして早まったのか。答えは雪菜の口から語られる。

 

「監獄結界で脱獄囚に襲われたわたしたちを、凪沙ちゃんが助けてくれたんです。厳密には、凪沙ちゃんに取り憑いた何者かですが」

 

「……そういうことか」

 

 凪沙が倒れた原因を察して古城は力なく項垂れた。要は自分自身の失敗が招いた事態だったのだ。

 

 本来であれば消耗する必要のなかった凪沙が、古城の尻拭いをするために無理をした。その結果、凪沙は本来の筋書きよりも早くに倒れることになってしまったのである。

 

 自分自身の不手際が凪沙に負担を強いてしまった。不甲斐なさと自責の念から肩を落としていると、廊下の先からパタパタと慌ただしい足音が響いてきた。

 

 近付いてくる足音に古城は顔を上げて、見覚えのある二人の人影に目を丸くする。

 

「古城! 凪沙ちゃんの容態は!?」

 

「色々と大変なことになってるみたいね、暁古城」

 

「浅葱? それに、煌坂まで。どうしてここに?」

 

 二人に凪沙が倒れた旨を伝えた覚えはない。夜も遅い時間にうら若い少女たちを出歩かせるのは危険であり、余計な心配をかけるのも悪いと思ったからだ。

 

「わたしがお二人に伝えました。お二人も凪沙ちゃんが倒れた時にその場に居合わせたので」

 

 それに雪菜を含めたこの三人は大人古城から“まがいもの”を託された関係だ。古城に纏わることで隠し立てするのはちょっと卑怯だろうと、雪菜は浅葱と紗矢華にも情報の共有を行ったのである。それを伝えるつもりはないが。

 

「一昨日に続いて今日でしょ? 流石に心配するわよ」

 

 浅葱にとっては古城の妹であると同時に凪沙は可愛い後輩なのだ。身体が弱いことは知っていたが、こうも短期間で倒れるとあっては心配も一入だろう。

 

 純粋に凪沙のことを心配する浅葱は納得できた。しかし紗矢華までこの場に駆け付けたのはどういう風の吹き回しだろうか。

 

「煌坂は? 凪沙を心配してきたのなら嬉しいけど、色々と忙しいんじゃないか?」

 

「まあ、ね。報告書に始末書とやることが山積みで、正直うんざりしてたところなんだけど……」

 

 げんなりとした表情で溜め息を零す紗矢華。今回の一件で古城たちを手助けしてくれた紗矢華であるが、ラ・フォリア護衛以後は任務外となっていたため、“煌華麟”の無断使用などの理由で処分を受けることになっていた。

 

 とはいえ獅子王機関も絃神島の状況は把握しており、あくまで形だけの処分に留まっている。具体的には始末書の提出と短いながらも獅子王機関本部での謹慎だ。報告書と始末書の作成が終了次第、紗矢華は本部へ帰還予定になっていた。

 

 しかしその予定が急遽変更され、紗矢華は古城の元へと向かうことになった。

 

「上からの新しい指令よ。雪菜と一緒にあなたの監視と()()の任を請け負うことになったわ」

 

「護衛……?」

 

 獅子王機関が第四真祖の身を守るために護衛を出すという奇妙な展開に古城は首を傾げる。監視と抹殺のために雪菜を送り込んでおいて紗矢華を護衛に回すというのは、それこそどういう風の吹き回しだろうか。

 

 疑問符を浮かべる古城に対して、雪菜と浅葱は表情を強張らせた。

 

「護衛ということは、先輩が何者かに狙われているということですか?」

 

「LCOの残党とか監獄結界の脱獄囚だったりしないでしょうね……」

 

 警戒を露わにする雪菜とうんざりとした表情を隠さない浅葱。一昨日に絃神島の命運が掛かったレベルの大激闘を潜り抜けたばかりなのだ。次から次へと舞い込むトラブルに辟易するのも無理ないだろう。

 

「そのどちらでもないみたいよ。上が言うには、第四真祖に並ぶ魔力を保有する何者かが絃神島に侵入した可能性があるから、トラブルの渦中になり得る暁古城の護衛を立案したらしいわ」

 

「なるほどな……」

 

 紗矢華からの情報に古城は一先ず納得した。そして同時に、昼間に見た少女の正体も確信してしまった。

 

 間違いない、彼女の正体は──

 

 頭が痛くなる状況に古城は思わず天井を仰ぐ。

 

 巻き起こった原作乖離への対処、亀裂の入った凪沙との関係性、向き合わなければならない罪と記憶。一気に畳み掛けてきた問題の山に然しもの古城も頭を抱えたい思いだった。

 

「古城、大丈夫?」

 

「……あぁ、大丈夫だよ」

 

 心配と気遣いが多分に含まれた浅葱の声に、古城は弱々しく答えながらも少女たちを見やる。雪菜と紗矢華、浅葱が大なり小なり表情に心配の色を滲ませて古城の顔色を伺っていた。

 

 奇しくも古城を憎からず思う少女たちがこの場に集っていた。

 

「潮時、か……」

 

 原作乖離、兄妹関係の亀裂、向き合わなければならない罪と過去。雪菜は焦らず少しずつでいいと言ってくれたが、彼女が絃神島に来訪してしまった以上悠長なことは言えない。あの少女は間違いなく“まがいもの”が目を逸らしている記憶の扉を抉じ開けようとするからだ。

 

 向き合う覚悟もないままに突き付けられるくらいなら、自ら覚悟を持って向き合った方が何倍もマシだ。

 

 意図せずしてこの場に集った少女たちを見渡し、“まがいもの”は罪を告解する罪人のような面持ちで口を開く。

 

「ずっと隠してきたことがあるんだ」

 

「先輩、それは……」

 

 重々しい切り出しと声音から古城が己の罪と向き合おうとしていることを察する雪菜。苦しげな古城の様子に焦る必要はないと伝えようとして、しかし当人が首を横に振って制した。

 

「みんなに謝らないといけない。俺はずっと、みんなを騙してきたんだ」

 

 真剣な面持ちで言葉を待つ少女たちを見やり、一拍置いて古城──“まがいもの”は己の罪を告白する。

 

「──俺は暁古城を騙る偽物、“まがいもの”なんだ」

 

 “まがいもの”の罪が白日の元に晒された。

 

 



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焔光の夜伯 Ⅴ

たとえ記憶を失ってしまっても、身に付けた所作は忘れない。
“まがいもの”が紳士である所以は──


 “戦王領域”旧カルアナ伯爵領より北上した先に位置する深い密林地帯。牙城と別れた“まがいもの”は“柩”の鍵を回収するべく、ヴェルディアナを先導にして目的地を目指していたのだが……。

 

「ええっと、確かこっちであってるはず。コンパスはこっちを指しているし間違いないの、大丈夫……」

 

「あー、ヴェルディアナさん? 付かぬことをお聞きしますが……もしかして、迷った?」

 

「迷ってなんかいないわ! 場所は覚えてるし、方角だってちゃんと──」

 

 すっと手元に視線を落としたヴェルディアナは、くるくると狂ったように回る指針に目を見開く。恐らくは何かしらの要因で発生する磁場にやられてしまったのだろう。

 

 様々な遺物が眠る遺跡周辺ではよくあることだ。去年の夏休みに牙城と遺跡探索を経験した“まがいもの”はそこまで驚くこともない。一方のヴェルディアナは、頼りになる道標が全くもって役立たずの代物に成り下がり、涙目になってしまっていた。

 

「ど、どうしよう……」

 

「……仕方ないな」

 

 “まがいもの”は懐から携帯を取り出して時刻を確認する。密林に入ってしばらくした時点で圏外になってしまっていたが、時間に関しては問題なく表示されていた。

 

 現時刻は正午前。密林に踏み込んでから既に二時間近く経過している。こんなことになるのではと予測していた“まがいもの”は道中に目標を残していた。引き返そうと思えば今この場で引き返すことができる。

 

 しかし今回の目的は密林奥地に在るという遺跡だ。目的地に辿り着く前に引き返すわけにはいかない。

 

「進む方角は分かるのか?」

 

「ええっと、まず南東にしばらく進むと川に辿り着いて、そこから上流に上って……」

 

「南東に進んで川ね。とりあえず、そこを目指しますか」

 

「でも、方角が分からないの……」

 

 しょんぼりと肩を落として使い物にならなくなったコンパスを差し出すヴェルディアナ。精神年齢含めても圧倒的に歳上のはずであるのに、“まがいもの”は滲み出るヴェルディアナのポンコツぶりに苦笑を禁じ得ない。

 

「時刻が分かって日が登っているうちならなんとかなるさ。アナログ時計があればもう少し確実だけど」

 

「アナログ? 懐中時計でよければあるの」

 

 懐からヴェルディアナが取り出したのは年代物の懐中時計だ。元貴族の持ち物だけあって美しい金細工が施されており、所々に傷はあるもののよく手入れされていることが伺えた。

 

「それは……」

 

「姉様が遺してくれた形見の一つ。私が持ち出せた数少ない思い出の一つなの」

 

 ヴェルディアナの実の姉、リアナ・カルアナは既に亡くなっている。“まがいもの”が暁古城に成り代わったその日に、黒死皇派の襲撃によって還らぬ人となっていた。

 

 “まがいもの”にリアナとの記憶はない。原作知識として知ってはいるもの直接の面識はないのだ。故にこの場でヴェルディアナに語る言葉はなかった。

 

 寂寥を滲ませながら差し出された懐中時計を受け取り、“まがいもの”は丁重な手付きで時計の短針を太陽に向けた。針の位置から大まかな方角を算出し、目指すべき道を割り出すと迷いなく歩き出す。

 

 進むべき道が明らかになったことで気が楽になったのだろう。“まがいもの”の隣に並んだヴェルディアナは申し訳なさそうに口を開いた。

 

「足手纏いなんて言って悪かったわね」

 

「気にしてないさ。ヴェルディアナさんからすれば、俺は何処にでもいる中坊にしか見えないだろうからな」

 

「何処にでもいる中坊は車を乗りこなしたり、銃を撃ったりできないと思うの」

 

 牙城と別行動を始めて今日で二日目。この密林に到着するまでに“まがいもの”とヴェルディアナは突如として勃発した紛争に巻き込まれ、命辛々に逃げおおせた経緯があった。

 

 その際に“まがいもの”は転がっていた銃器を駆使し、混乱に乗じて軍用車を掻っ払って状況を切り抜けた。足手纏いと考えていた少年の奮闘ぶりに、ヴェルディアナは目を剥いたものである。

 

「……ハワイで親父に習ったんだよ」

 

 さらっと嘘をつく“まがいもの”。車の運転は前世で、銃器の扱いは去年の夏休みに牙城から教わったものだ。前者は人並みレベルであるが、銃器の扱いに関しては素人よりはマシ程度でしかない。

 

 密林に踏み込んでからの行動も牙城から叩き込まれたものに過ぎない。それでも箱入りのお嬢様であるヴェルディアナより“まがいもの”の方が荒事に対する適応力は高かったが。

 

 何故ハワイ? とヴェルディアナは首を傾げるも、まあ牙城のことだからと一人で勝手に納得する。

 

「流石、牙城の息子だけあるの」

 

「…………」

 

 ヴェルディアナの発言に“まがいもの”は凄まじく複雑な表情を浮かべた。

 

 この身体は間違いなく牙城の息子である暁古城のものである。しかし中身は暁古城ではなく“まがいもの”。牙城の息子という表現は間違っていないが、厳密には正しくないだろう。

 

 とはいえそれを指摘するわけにもいかず、“まがいもの”は否定も肯定もせず曖昧に受け流した。

 

 しばらく太陽を頼りに鬱蒼とした密林を突き進んでいるとお目当ての川に辿り着く。大河とまではいかないが生身で渡るには厳しい水量と規模である。

 

 ヴェルディアナの話に間違いがなければ、此処からは上流に向けて歩みを進めることになる。隣の少女に確認すれば、問題ないとばかりの頷きが返ってきた。

 

「此処から上流に向かって進めば目標の構造物があるの。そこからはカルアナ家に伝わる道順通り進めば辿り着ける」

 

「そうか」

 

 であれば、懐中時計の役目は此処で終いだろう。“まがいもの”は傷を付けないように気を付けながら古びた懐中時計を返した。

 

 懐中時計を受け取ったヴェルディアナは愛おしげに盤面に触れ、そのまま懐へと大切に仕舞い込んだ。大切な姉のことを忘れない、忘れられない少女の有り様に“まがいもの”はひっそりと奥歯を噛み締めた。

 

 このまま“柩”の鍵を回収してしまえば、ヴェルディアナは復讐への道を突き進むことになる。その果てに願った復讐は果たせず、代々仕えてきてくれた領民たちも失い、記憶を失くしてただのヴェルディアナとして生きることになるだろう。

 

 それが決して悪い結末とは言わない。悲劇的であるが未来に繋がる終わり方でもある。全てが全て不幸と言うつもりはなかった。

 

 それでも、様々な人間に利用され翻弄され、魔薬(ドラッグ)にも手を出して心身共にボロボロになっていく過程は、あまりにも酷いものではないだろうか。

 

「どうしたの、古城? ぼーっとしてると日が暮れちゃうわよ。早く先を急ぎま──ひぇっ!?」

 

 茂みから飛び出してきた小動物に驚き、その場にすてーんと尻餅をつくヴェルディアナ。結構な勢いで転んだのか目尻に涙を滲ませお尻を摩っている。

 

 ヴェルディアナと二人行動になって今日で二日目。たった二日であるが、如何にヴェルディアナという女性が荒事の類に向いていないかを“まがいもの”はよく理解していた。

 

 割とドジでポンコツで、しかも何かにつけて不憫な目に遭遇する。見ていて飽きないことは間違いないが、復讐に身を堕として突き進むことができるタイプではない。本人が自覚しているかは不明だが。

 

「いたた……うぅ、カルアナの娘である私がどうしてこんな……」

 

 名門貴族の娘として何不自由なく暮らしていた頃との落差をヴェルディアナが嘆いていると、目の前にすっと手が差し伸べられる。

 

「お怪我はありませんか、お嬢様?」

 

 芝居がかった仕草で、表情に僅かな呆れを滲ませながら“まがいもの”が手を伸ばしていた。

 

 まるで貴族に仕える執事のような振る舞いにヴェルディアナは目を丸くし、ぷっと思わず噴き出す。

 

「なにそれ、執事のつもり? そんなんじゃだめだめなの」

 

「悪かったな。生憎とお貴族様の礼儀作法には疎いんだよ」

 

 皮肉っぽく笑う“まがいもの”の手を取り立ち上がったヴェルディアナは、上機嫌な様子で微笑みを浮かべる。

 

「いいでしょう。このカルアナの娘たるヴェルディアナ・カルアナが、紳士のなんたるかを教えて上げる。何処に出しても恥ずかしくない紳士に仕立ててあげるの」

 

「いや、別に紳士になりたいわけじゃ……」

 

 ぼそっと呟くも得意げに胸を張るヴェルディアナの耳には届いていない。今のヴェルディアナの脳内を占めるのは遺跡までの道筋と、如何にして“まがいもの”を立派な紳士に仕立てるかの二つだけだ。

 

「ほら、まずは紳士の心構えからレクチャーしてあげるの」

 

「……あぁ、分かったよ。分かったから、ちゃんと足元を見て歩いてくれ」

 

 やれやれと肩を竦めながらも“まがいもの”は拒絶することなく受け入れた。それで少しでもヴェルディアナの気が紛れるのならば、紳士講座の一つや二つ受けるのもやぶさかではなかった。

 

 肩を並べて川岸を往く“まがいもの”とヴェルディアナ。元貴族の少女が紳士のなんたるかを教授し、“まがいもの”の少年が紳士の在り方を学ぶ。

 

 過去も未来も、柵も横に置いて。今この一時だけは何処にでもいる少年と少女のように、“まがいもの”とヴェルディアナは穏やかなやり取りを交わすのだった。

 

 

 ▼

 

 

 MAR附属の医療施設、その待合室にて古城は己が罪を告白した。

 

 三年前から“暁古城”を騙り周囲を騙し続けていたこと。己の正体が第四真祖の“血の記憶”に呑まれて消えた暁古城に成り代わった“まがいもの”であること。包み隠すことなく告白した。

 

 衝撃の事実を明かされた面々の反応は、しかし“まがいもの”が予想したものとは違った。騙されていたことへの憤りなどはなく、気遣うようなあるいはやや困惑したような様子である。

 

「先輩が“まがいもの”、ですか……」

 

 咀嚼するように呟いた雪菜は、ややあってから得心がいったように頷く。その表情に暁古城を騙られていたことに対する憤りの類は見受けられない。紗矢華と浅葱も同様だ。

 

「怒らないのか? 俺は今までみんなを騙していたんだぞ?」

 

「怒るも何も」

 

「むしろ納得したわよ」

 

 怒ることも気味悪がることもなく、むしろ納得したとばかりの紗矢華と浅葱。予想とは違う反応に古城は困惑を隠せない。

 

「中身が同年代じゃなくて年上なら、普段の大人びた言動もまあ納得よね。文字通り中身が大人なんだから」

 

「気味が悪いとか思わないのか?」

 

「別に? むしろ吸血鬼で中身と見た目が一致してる方が珍しいことでしょ。見た目子供で云百歳の吸血鬼や長命種だって珍しくないんだし」

 

 常識でしょとばかりに浅葱は言ってのけた。

 

「それは……そうかも、しれないけど……」

 

 この世界において容姿と年齢が一致しないこと自体はさして珍しいことではない。分かりやすい例で言えばヴァトラーも、外見こそ年若い青年であるが、積み重ねた時間は百や二百では済まない。そんなヴァトラーですら吸血鬼としては若い方なのだ。

 

 思い慕う相手の中身がちょっと大人だったくらいでショックを受けるような価値観を雪菜たちは持っていなかった。というより、古城の価値観とこの世界の価値観がズレていたというのが正しいだろう。

 

 予想が外れた古城は何とも言えない表情で沈黙する。願わくば不実な行いに対して憤り、雪菜たちを遠ざけることができたのならばと考えていた。そうなれば、迷うことなく目指す目的のために突き進むことができたからだ。

 

 そんな古城の内心を見透かしたかのように雪菜が決然と言い放つ。

 

「先輩が“まがいもの”であったとしても、わたしたちにとっては今この場にいるあなたこそが“ほんもの”なんです。隠し事の一つや二つ程度で見限ると思ったら大間違いですよ」

 

 雪菜の言葉に同意するように紗矢華と浅葱も力強く頷いた。

 

 雪菜たちの意思が揺らぐことはない。そもそもが目の前の少年が自らを偽っていたとして、雪菜たちと出会った時には既に中身は“まがいもの”であったのだ。途中から成り代わったならまだしも、雪菜たちには騙されたという実感すらほぼない。

 

 故に古城の所業に罪を問うのならば、それは元の暁古城をよく知る者たちだろう。

 

「先輩が罪の意識を抱いているのは、ご家族や凪沙ちゃん、優麻さんに対してですね?」

 

 雪菜の的確な指摘に古城は苦々しげな表情で首肯した。

 

 本来の暁古城の家族、取り分け兄妹として三年近く共に暮らしてきた凪沙。彼女に抱く罪悪感や後ろめたさは筆舌に尽くし難い。

 

「三年間、“暁古城”として振る舞ってきた。騙し続けてきたんだ。凪沙ちゃんは俺が“まがいもの”だってとっくの昔に気付いていたみたいだけどな……」

 

「凪沙ちゃんって、そういう大切なことは見落とさないところあるもんね」

 

 この場において古城の次に凪沙との付き合いが長い浅葱は納得の表情だ。

 

「凪沙ちゃんは全て気付いていた上で、知っていた上で俺の嘘に付き合ってくれていた。優しい子だよ。本当は誰よりも辛いはずなのに、俺みたいな“まがいもの”を気遣ってくれるんだから」

 

 だが、嘘と偽りで辛うじて保たれていた関係性に亀裂が生じた。もはや今まで通りとはいくまい。

 

「俺は凪沙ちゃんの本当の兄妹じゃない。嘘を吐いて騙し続けた俺に、あの子の側にいる資格はない」

 

「そんなこと……」

 

 ない、と雪菜は否定の言葉を続けようとして飲み込む。弱々しく項垂れる今の古城に、安易な言葉は届かないし響かないと察したからだ。

 

 代わりに雪菜は実の姉のように慕う紗矢華へと目を向ける。こと兄妹姉妹という話ならば彼女以上の適役もいないだろう。

 

 雪菜の視線に任せろとばかりに頷き、紗矢華は項垂れる古城の前に立った。

 

「私は雪菜のお姉ちゃんよ」

 

「煌坂……?」

 

 唐突な紗矢華の宣言に古城は困惑から顔を上げる。目前には得意げな表情で胸を張る紗矢華がいる。

 

「血の繋がりなんてない、生まれた場所も違う。それでも、私は雪菜のことを本当の妹みたいに大切だと思ってる。誰に何を言われようと、雪菜のお姉ちゃんを譲るつもりはないわ」

 

 微塵の迷いもなく紗矢華は宣する。たとえこの先何が起こったとしても、揺らぐことはない絶対の意思。それこそ雪菜から嫌われでもしない限り、紗矢華は雪菜の姉であり続けるだろう。

 

 力強い意志の光を宿した紗矢華の瞳が古城へと向けられる。

 

「あなたにとって、暁凪沙はなに?」

 

「俺にとって、凪沙ちゃんは……」

 

「罪だとか、資格だとか。そんな言い訳は要らない。あなたは暁凪沙にどうあってほしいの?」

 

「俺は、あの子に……」

 

 紗矢華の言葉に、古城は凪沙と過ごしてきた今日までの日々を回顧する。

 

 “まがいもの”が暁古城に成り代わってから三年。“焔光の宴”の影響で一部の記憶は抜け落ちてしまっているが、本当の兄妹のように暮らしてきた。

 

 偽り、真実に目を瞑りながらも、“まがいもの”と凪沙の間には確かな絆があった。まがいものではない願いがあったのだ。

 

「本当の妹のように思っていた……」

 

 最初は大切な兄である暁古城を奪ってしまった罪悪感、健気な少女に対する同情だった。

 

 しかし暁古城を演じて凪沙と過ごして行くうちに、その優しい心に触れて真に願うようになったのだ。

 

「──あの子に笑顔でいてほしいと、思うようになっていたんだ……!」

 

 騙し続ける罪悪感の下にひた隠していた凪沙への想いを古城は吐き出すように明かした。

 

 一度吐露してしまえばもはや誤魔化すことはできない。目を背けていた自身の本音を吐き出してしまった古城に、紗矢華は柔らかな微笑みを零す。

 

「だったら、どうするべきかは分かっているんでしょ」

 

「……ちゃんと、向き合うよ。向き合って話して、どうするかを決めないとな」

 

 今までずっと独りよがりで突き進んできた。“暁古城”が護りたかったもの、護るはずだったものを取り零さないように抗い続け、自らを犠牲にしてでも居場所を返すのだと覚悟していた。

 

 だが、他ならない凪沙がそれを望んでいないと知ってしまった以上、もはや己を犠牲にして“暁古城”を取り戻すことはできない。

 

 今まで考えてきた計画や目標が何もかもご破算となったわけだが、不思議と悪い気分ではなかった。むしろ一人で抱え続けてきた秘密を晒し、自己犠牲を前提とする覚悟がなくなったことで幾分か気が楽になったのだ。

 

 故に古城が向き合うべき罪はあと一つ──

 

 問題が一つ解決したことで弛緩しかけた空気がピリッと張り詰める。持ち前の霊視能力で異変を察知した雪菜と紗矢華が表情を強張らせ、その反応から危惧していた展開の訪れを悟った古城は眉根を抑えた。

 

「やっぱり来たか」

 

「来たって何の話?」

 

 霊視の類を持ち合わせない浅葱には状況がさっぱり読めない。それでも、三人の反応から何かしら問題が発生したことは察することができた。

 

 張り詰めた緊張感が漂う中、古城は立ち上がると外へと険しい目を向ける。

 

「招かれざる客人が、第四真祖()に用があるんだよ」

 

 軽い口調で古城が言い放った直後、建物の外で落雷の如き轟音が鳴り響く。

 

 反射的に雪菜と紗矢華は己の得物に手を掛け、浅葱は突然の轟音に身を固くする。

 

 そして古城は、苦々しげな表情を浮かべつつ出迎える覚悟を決めた。

 

 

 ──忘れ去られた過去からの刺客が、“まがいもの”の罪を問いに訪れた。

 

 



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焔光の夜伯 Ⅵ

難産、とても難産。まだ覚醒してない浅葱が戦場で扱い辛すぎる……。




 辿り着いた遺跡は密林の奥地にひっそりと佇む霊廟のような建築物であった。

 

 建物内部は薄暗く、夜目の利かない“まがいもの”はライトがなければ進むこともできない。必然的に吸血鬼で暗闇もある程度は見通すことができるヴェルディアナを先頭に進んだのだが──

 

「ひえっ!? 壁から矢がっ!?」

 

「きゃあああ!? 落とし穴! 何で落とし穴があるの!?」

 

「いやあああ!? 天井から蛇がぁ!?」

 

 盗掘者対策に施されたのだろう罠に悉く引っ掛かり続け、見ていられなくなった“まがいもの”が途中で先頭を変わることに。幸い探索用のフラッシュライトを携帯していたため、視界の確保は問題ない。

 

 張り巡らされた罠も、牙城と遺跡探索をこなした経験からある程度は看破できる。とはいえ全てを回避できるほどではないので、時折殺意の高い罠に肝を冷やしながら進んでいく。

 

「うぅ、ごめんなさい。やっぱり私が前に立つの」

 

 情けない声を上げながらもヴェルディアナは矢面に立とうとする。歳上としてのプライドもあるが、怪我をするなら自分の方が取り返しがつくという考えがあるからだ。

 

 吸血鬼ではない生身の“まがいもの”にとって遺跡の罠は致命傷に繋がりかねない。時間が経てばある程度は再生するヴェルディアナと違って、アヴローラ未覚醒状態の“まがいもの”はほぼ只人と変わらないのだ。

 

 矢一つでも危機的状況に陥りかねない以上、先頭に立つのはヴェルディアナの方が適している。適しているが、彼女に任せてはいつまで経っても先に進むことができない。

 

 とある事情からあまり悠長にもしていられない“まがいもの”は、安全よりも拙速を取った。

 

「いや、いいよ。それより先を急ごう」

 

 物言いたげなヴェルディアナを宥め、“まがいもの”は先を急いだ。

 

 張り巡らされた罠を掻い潜りながら進み、地下へと続く階段を幾つか下る。遺跡全体に漂う空気に何処となく静謐なものが混じり始めたところで、“まがいもの”とヴェルディアナは遺跡最奥に辿り着いた。

 

 そこは儀式場のような空間であった。両側の壁に火を灯す篝火が設置され、部屋の最奥には人一人がすっぽり収まるくらいの柩が鎮座している。

 

「此処に、鍵があるのか」

 

「うん。カルアナが代々受け継いできた“柩”の鍵が此処に安置されているの」

 

 此処まで来れば罠もないだろうとヴェルディアナが柩の元へと歩みを進める。“まがいもの”も周囲の警戒をしつつ後に続いた。

 

 部屋の最奥に鎮座する柩には継ぎ目が見当たらない。材質は石のようだが力任せにこじ開けたり、破壊できそうにはみえない。

 

 どのような手段をもって開けるのかと“まがいもの”が見守っていると、懐から小振りのナイフを取り出したヴェルディアナが自らの指先を浅く切った。

 

 赤い血の滲む指先を柩の上に翳し、ヴェルディアナは厳かな表情で口を開く。

 

「カルアナの血脈に連なりし者、“ヴェルディアナ・カルアナ”が、永久(とこしえ)の眠りより招び醒ます。目醒めたまえ──」

 

 何処かで聞いたことのあるような文言を唱えながら、血の雫を一滴振り落とす。赤い雫が柩に落ちると、僅かな間を置いて電子回路のような真紅の紋様が浮かび上がった。

 

 真紅の紋様は柩を中心として儀式場全体に走り、胎動するように明滅する。しばらく明滅を繰り返した紋様は、やがて落ち着きを取り戻したかのように淡い碧色の輝きを放ち始めた。恐らくは生体認証が通ったのだろう。

 

 神秘的な現象を前に“まがいもの”が言葉を失っていると、ガコンと音を立てて柩の蓋がずれ落ちた。柩内部から冷たい銀霧と微かな塵が舞い上がる。

 

 封印を解除したヴェルディアナが柩の中を覗き込む。罠などはなく、それどころか遺体の一つも入っていない。ただ、人が入っていたのであれば丁度心臓があるだろう位置に、白銀の杭のような代物が置かれていた。

 

 一目見て複雑な模様と緻密な術式が刻まれていることが分かる。その手の術式に明るい者が見ればその希少性に目を剥くことだろう。

 

「これが、“柩”の鍵。魔力を無効化し、あらゆる結界障壁を打ち破る、真祖すら滅ぼし得る聖槍」

 

 白銀の杭、その正体は神格振動波の術式を刻まれた天部の遺産。この世に三本しかない貴重な品である。

 

 この杭があれば“妖精の柩”にて眠る十二番目の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”──アヴローラ・フロレスティーナを目醒めさせることができる。アヴローラが目覚めれば選帝者として“焔光の宴”に参加し、上手くいけば奪われた領地と領民を取り返すことができる──

 

「これがあればみんなを取り返せる。あいつを、殺してやれるの……!」

 

 無意識の呟きだったのだろう。思い詰めた表情で白銀の杭を握り締めるヴェルディアナに、“まがいもの”は一歩離れた場所で苦々しげに口端を歪めていた。

 

 ヴェルディアナの思惑は見当外れも甚だしい。彼女がアヴローラを目醒めさせたところで、選帝者として“焔光の宴”に参加することはできないのだ。前提条件から履き違えてしまっている。

 

 宴に参加するには資格が要る。その一つに一定以上の規模を有する領地を所有することが挙げられる。旧カルアナ伯爵領は資格としては十二分な規模を誇るが、既にヴェルディアナの手にはない。

 

 カルアナ伯爵領は死の兵器商たるバルタザール・ザハリアスの支援を受けた匈鬼によって占領された。今となってはネラプシ暫定自治領と呼ばれてしまっている。

 

 ヴェルディアナには賭けの舞台に上がるための元手がなかった。故に“焔光の宴”に参加することは認められない。領地と領民を取り返すことも、できない。

 

 他にもヴェルディアナの目論見が達せられない要因はあっても、叶う要素はほぼない。唯一叶えられるかもしれないのが、ザハリアスへの復讐だけなあたり、本当に救われない。

 

 ヴェルディアナの末路を知っている“まがいもの”は、しかし何も言えない。諦めろと、無駄だと指摘したところでヴェルディアナが受け入れられるはずがないからだ。

 

 何より、ヴェルディアナがいなければ、聖槍がなければアヴローラを覚醒させることができない。延いては確実な筋道で凪沙を救うことができなくなる。

 

 “まがいもの”の目的は凪沙を救うこと。情に流されて優先順位を誤る訳にはいかない。

 

 胸中で湧き上がる罪悪感に蓋をしたところで──遺跡を微かな振動が襲った。

 

「え、なに? なんなの……?」

 

 地震にしては弱い揺れにヴェルディアナは首を傾げる。一方の“まがいもの”は懸念事項が的中したことで表情を強張らせた。

 

「入り口に仕掛けたトラップに誰かが引っ掛かったんだよ」

 

 遺跡に踏み込む前に“まがいもの”は入り口付近に牙城仕込みのブービートラップを仕込んでいた。それが作動したのだ。

 

「あぁ、古城が仕掛けてたやつ。でも、誰が?」

 

「…………」

 

「古城? どうしたの?」

 

 伝えるべきか迷う“まがいもの”に対してヴェルディアナが問う。トラップが作動した以上、侵入者たちとは遠からず接敵することになる。その正体が割れるのも時間の問題だろう。

 

 悩んでいる時間も惜しい。“まがいもの”は牙城から渡されたジェラルミンケースを開きつつ、ヴェルディアナの疑問に答える。

 

「ネラプシ暫定自治領が抱える匈鬼の部隊だ。牙城が引き付けてくれていたはずだけど、陽動がバレたらしい」

 

「ネラプシ……匈鬼って、まさか……!」

 

 侵入者の正体を悟ったヴェルディアナの瞳に激しい憎悪の光が宿る。“まがいもの”はケースの中から取り出した短機関銃にマガジンを装填しつつ、追跡者たちの正体を明かす。

 

「──バルタザール・ザハリアス。追手を差し向けてきた相手だ」

 

「ザハリアス……!」

 

 カルアナ伯爵を戦死させ、カルアナ家衰退の原因を生み出した死の兵器商ことバルタザール・ザハリアス。今はネラプシ暫定自治領の議長の座に就いている、ヴェルディアナが憎悪を募らせる男だ。

 

「どうして、あいつが此処に……」

 

「狙いはそれだよ」

 

 慣れた手付きで短機関銃の準備を整えつつ、“まがいもの”は目線でヴェルディアナの持つ白銀の杭を指した。

 

「世界に三本しかない真祖殺しの槍。兵器商のザハリアスが狙うには十分過ぎる代物だ」

 

 それ以上に、第四真祖を狙うザハリアスにとってアヴローラを──“十二番目(ドゥデカトス)”を覚醒させることができる槍はそれだけで価値のある代物だ。狙う機会があるのならば狙わない理由はない。

 

「一族と領民を奪っただけじゃなく、カルアナの秘宝まで狙うつもり……! 絶対に許さない……!」

 

「落ち着いてくれ、ヴェルディアナさん。そんな有様じゃ、此処から生きて出られないぞ」

 

「……そうね、ごめんなさい」

 

 見た目中学生の“まがいもの”に宥められては然しものヴェルディアナも頭を冷やす。胸中で燻る憎悪の炎は消えないものの、表面上は冷静さを取り繕ってみせた。

 

「でも、大丈夫よ。匈鬼如きが何人集まろうと、私の眷獣で全員蹴散らしてしまえばいいの」

 

「此処が遺跡の中でなかったら、それでよかったんだけどな……」

 

「あ……」

 

 “まがいもの”の指摘で問題点を理解したのだろう。ヴェルディアナは目に見えて動揺した。

 

 ヴェルディアナは吸血鬼としては若いものの、血筋としては“貴族(ノーブル)”にあたる吸血鬼だ。保有する眷獣の能力は強力であり、眷獣を持たない下等な吸血鬼である匈鬼程度ならば、消耗して接近戦にでも持ち込まれない限りは負けないだろう。

 

 しかし此処は遺跡という閉塞空間。真祖の眷獣には遠く及ばずとも、強力かつ体躯の大きい眷獣が暴れようものなら、崩壊して生き埋めになること間違いない。

 

 匈鬼の部隊はそれを理解した上で遺跡内部へと踏み込んできた。眷獣はなくとも異常なまでに発達した身体能力とザハリアスから与えられた兵器があれば、素人同然の女吸血鬼と子供の一人くらい容易く処理できると踏んだのだろう。

 

「ど、どうすれば……」

 

「どうにかするしかないさ。幸い、色々と利用できるものはあるしな」

 

「利用できるもの?」

 

「盗掘者対策の罠。あれを上手く利用できれば、撤退させるか牙城が来るまでの時間稼ぎくらいはできると思う」

 

 最大火力であるヴェルディアナの眷獣が使えないのは痛いが、遺跡の罠を利用できる強みは大きい。罠の中には吸血鬼であっても冷や汗が出る程のものもあったので、匈鬼の部隊相手でも十二分に打撃を与えてくれるだろう。

 

 加えて牙城から手渡された餞別もある。それらを活用すればこの状況を切り抜けることも不可能ではないはずだ。

 

 短機関銃と他にも物騒な携行品で身を固め準備を終えた“まがいもの”は、何をすればいいか分からず所在なさげにしているヴェルディアナに向き直った。

 

「ヴェルディアナさんにも力を貸してほしい。流石に俺一人じゃ、どうしようもないからな」

 

「……! もちろん、なんでも任せなさい!」

 

「頼もしいよ」

 

 心強い良い返事に笑みを溢して“まがいもの”は戯けたように口を開く。

 

「さて、礼儀のなってない客人にはさっさとお帰り頂こうか」

 

 場の緊張をほぐすように言って、“まがいもの”は追手を迎え撃つべく動き出した。

 

 

 ▼

 

 

 MAR附属の医療施設、病院の中庭が激しい爆撃にでも見舞われたかのような惨状を晒していた。

 

 周囲一体には無人の警備ポッドと建物の外壁が無惨な有様で転がっている。幸いなのは人死がまだ出ていないこと。時間が時間なために、警備員たちの到着が遅れているのが原因だ。

 

 とはいえ警備員が何人束になって掛かろうと、この惨状を防ぐことは不可能であったが。

 

 戦場跡の如き有様の中庭に佇む影が一つ。美しい金糸の如き髪を靡かせ、焔光の如き瞳を輝かせる少女だ。

 

 揺らめく焔のような瞳で少女は眼前の建物を睥睨する。MARが有する医療棟のビル、その一角へと細い指先を向けた。

 

 ぞっとするほどの莫大な魔力が蠢き、絃神島上空が稲妻を帯びた雷雲に覆い尽くされる。島一つを飲み込んでしまいかねない程の天変地異、そこから巨大な雷球が指先の示す建物へと降り注ぎ──

 

 ──巨大な雷光の獅子が雷球を一つ残らず喰らい尽くした。

 

「ほう……」

 

 微かに愉しげな声を洩らして少女は中庭へ現れた少年少女を見やった。

 

 数にして四人。槍と剣を構える少女──雪菜と紗矢華は襲撃犯の容姿に目を見開き身を強張らせている。ノートパソコンを携えたほぼ一般人同然の浅葱は、少女が放つ異様な魔力の圧に少なからず臆していた。

 

 医療棟への攻撃を防いだ少年──古城が矢面に立つように一歩前に出る。険しい顔付きで対峙する古城に少女は口端を吊り上げて笑みを深めた。

 

「昼間ぶりだな、暁古城。いや、“まがいもの”よ。少しは見れる顔付きになったか?」

 

「……なんで、あんたが知ってるんだよ」

 

 少女の発言に面食らう古城。己が“まがいもの”であることを、何故目の前の少女が知っているのか。古城には理解できなかった。

 

「あの日の記憶を失っている故、覚えがないのも仕方なかろう。宴の夜の貴様は実に小気味の良い男であったが……果たして今の貴様はどうかな?」

 

 挑発的な笑みを浮かべて鬼気を漲らせる少女。釣られるように古城も応戦するべく魔力を滲ませ、その前に震えそうな身体を叱咤して雪菜が毅然と歩み出た。

 

「待ってください。あなたはいったい、何者ですか? それに、その姿は……」

 

 問わずにはいられなかった。何せ少女の容姿はつい先日、古城たちが死闘を繰り広げた“原初”と全く同じであったからだ。

 

 大人古城の助力があってやっとのこと撃退できた怪物が、さも当然のように立っている。悪夢のような光景に、実際に槍を交えた雪菜と紗矢華は無意識のうちに強張る身体を抑えるのに精一杯だった。

 

「獅子王機関の剣巫か。後ろのは舞威媛だな」

 

 雪菜と紗矢華を視界に認め、少女は観察するような眼差しを向ける。値踏みするような視線に雪菜と紗矢華は僅かに身動ぎした。

 

(ワタシ)の正体を知りたくば力尽くで聞くがよい……と、言うところだが、“まがいもの”は見当が付いていそうだな」

 

 少女の言葉に雪菜たちの視線が古城に集中する。あからさまな誘導に古城は顔を顰めながら、微かな諦観を交えつつ口を開いた。

 

「“原初”じゃない。あいつが現世に戻ってくることはよほどの異常事態(イレギュラー)が起きない限りはあり得ないからだ」

 

 “原初”は“まがいもの”の、厳密には第四真祖の記憶に巣食った(プログラム)の残滓。本来であれば現実世界に現界することなど不可能な存在。それができたのは闇誓書の能力と、様々な要因が複雑に絡み合ったからに過ぎない。

 

「アヴローラでもない。アヴローラはもういない。俺が、犠牲にして見殺しにしたからだ……」

 

「先輩……」

 

 血を吐きそうな表情の古城を雪菜が案じる。紗矢華と浅葱も痛ましげにその姿を見守っていた。

 

 ただ一人、対峙する少女だけは酷く詰まらなさそうな、不愉快そうな表情を浮かべていた。

 

「“原初”でもアヴローラでもない。その上で真祖に匹敵、あるいはそれ以上の魔力と鬼気を有する吸血鬼。加えて他者への変身能力まで有する。そんな怪物の正体はわざわざ議論する余地もない──」

 

 “原初”の姿、アヴローラに酷似した容姿を騙る女吸血鬼を睨み付け古城はその正体を白日の下に晒す。

 

「──第三真祖、ジャーダ・ククルカン。中央アメリカの夜の帝国(ドミニオン)“混沌界域”を治める世界最強の一角だ」

 

「変わらぬ慧眼だな、“まがいもの”。まるで先を見通しているかのようだ」

 

 くふっ、と嗤う少女の姿が見る間に移り変わる。年恰好は大して変わらないが儚げな妖精のような雰囲気は消え去り、現れたのは肉食獣を思わせる獰猛さを纏った翠髪の少女だ。

 

 対峙する少女の正体が夜の帝国を治める領主だと判明し、雪菜たちに先程までとは別種の緊張が走る。

 

 世界の軍事バランスを容易く崩しかねない真祖が二人、この場に集ってしまったのだ。下手に争えば国際問題どころか、ジャーダがこの場にいる事情次第では戦争になりかねない。その危険性を少女たちはよく理解していた。

 

「嘘でしょ。第三真祖が“魔族特区”に乗り込んで、戦争でもおっ始めようっていうわけ……!?」

 

 震える声で浅葱が呟くのも無理はない。“魔族特区”育ちで大抵のことは許容できる、流せるといっても限度がある。いきなり戦争、それも宣戦布告もなく開戦となれば尋常ではない混乱が絃神島を襲うことになるだろう。

 

「ふむ、貴様らが望むのならば戦争も吝かではないが、生憎と(ワタシ)も忙しくてな。先に目的を果たさせてもらおう」

 

「させると思うか?」

 

 ジャーダの狼藉を防がんと古城が立ちはだかる。対するジャーダは怪訝そうに片眉を上げた。

 

「致し方ないとはいえ、貴様が(ワタシ)の行手を阻むか……まあ、よい。“まがいもの”の器も測りたいと考えていたところだ。遊んでやろう」

 

 ズンッ、とジャーダから放たれる重圧が増す。今この瞬間、絃神島全域が第三真祖の放つ魔力の圧で軋みを上げた。吸血鬼の真祖とはそれ程までに理不尽な存在なのだ。

 

 対峙する雪菜たちが受ける重圧は凄まじいもの。心身共に鍛え上げられた雪菜と紗矢華ですら膝を屈しそうな圧力である。度胸は人一倍でも肉体は一般人と大差ない浅葱はその場に膝をついてしまった。

 

 此処にいたら足手纏いになる。情けなさと不甲斐なさに浅葱は涙が溢れそうになって、ふっと伸し掛かる重圧が軽くなった。古城が応じるように魔力を解き放ち、ジャーダの圧から浅葱を庇ったのだ。

 

「心配するな、浅葱。絶対に守り抜くから」

 

 肩越しにちらりと振り返って古城は安心させるように微笑みを零した。

 

 古城の本音を語れば、浅葱には安全圏に引いてほしかった。しかし今の絃神島において、浅葱が絶対に安全な場所はない。この場から離脱させても浅葱の身を狙う、接触を図ろうとする輩がいるからだ。

 

 浅葱本人はまだ知らない、気付いていないこと。原作知識で知っている古城は、浅葱を一人で後方に残す選択が取れなかった。浅葱自身が古城たちについていくことを選んだのも大きいが。

 

 絶大な電子戦能力を有するとはいえ肉体は何処にでもいる女子高生に過ぎない。そんな浅葱を守りながら、明確な格上であるジャーダに太刀打ちできるのか。

 

 

 ──できる、できないじゃない。やるしかないんだ……! 

 

 

 器を試す、遊ぶなどと宣っているが期待外れと断じれば容赦なく切り捨てるだろう。対峙するジャーダから滲み出る圧力が雄弁に語っている。

 

 彼我の実力差は歴然。未だ己の過去に向き合う覚悟はないまま、それでも“まがいもの”は挑まざるを得ない。

 

「さあ、宴の続きを始めよう──」

 

 目を背け続けた過去が“まがいもの”に牙を剥いた。

 

 



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焔光の夜伯 Ⅶ

長くなりそうなので分割
後半はまだ書けてないです……


 ──匈鬼。

 

 眷獣を持たざる下等な吸血鬼の一族。異常発達した肉体を有し、暴力的で略奪を繰り返す傾向の強い魔族。加えてザハリアスより齎された兵器を体内に埋め込んだ彼らは、純血種の貴族たちから侮蔑と嫌悪を向けられている。

 

 ザハリアスの命を受けて密林の奥地まで足を運んだ匈鬼の部隊。規模にして一個分隊がヴェルディアナと“まがいもの”を抹殺し聖槍を回収するために送り込まれていた。

 

 当初の予定であれば分隊ではなく小隊規模の匈鬼が任務に就くはずであった。しかし“死都帰り”暁牙城の陽動により大幅に人数を削られることになってしまい、その牙城が合流を図ろうとしているとの情報もあり時間的に余裕もない。

 

 匈鬼たちには迅速な任務遂行が求められていた。

 

 遺跡入り口に仕掛けられていたブービートラップによって軽微な被害を受けつつ、匈鬼たちは遺跡内部へと足を踏み入れる。

 

 トラップの作動で標的(ターゲット)たちに侵入を気取られはしただろうが、だからといってどうということはない。戦闘の素人と中学生の少年を始末する程度、匈鬼たちにとっては容易いことだ。

 

 黒装束の大柄な男が四人、罠を警戒しつつ通路を進む。しばらく道なりに進んでいると通路に不自然な冷気が漂い始めた。

 

 通路の床を覆い隠すように滞留する白い冷気。およそ自然に発生したとは思えない現象に匈鬼たちは歩みを止める。

 

 触れるだけで凍り付くほどの冷気ではない。しかし冷気に隠された床は凍結しており、迂闊に踏み込めば動きを制限される。必然的に慎重な行動が求められることになるだろう。

 

 匈鬼たちがより一層警戒を募らせた時、通路の先で眩いマズルフラッシュが閃いた。短機関銃による発砲だ。

 

 発砲を視認した瞬間、匈鬼たちは手近な物陰や窪みに身を隠す。最後尾についていた一人が反応に遅れ何発か弾丸を受けたものの、任務遂行には支障ないだろう。

 

 眩いマズルフラッシュと発砲音、薬莢が石床を叩く音が響くことしばし。あっという間に弾倉内の弾を撃ち尽くしてしまったらしく、カチッと引き鉄を引く音が聞こえてきた。

 

 距離を詰める好機と見た匈鬼たちが即座に動き出す。通路の先に慌てた様子で距離を離そうと走る少年──“まがいもの”の背を捉え、体内に仕込んだ銃火器の砲口を向ける。

 

 無防備な“まがいもの”の背中に風穴を開けんと引き金を引こうとして──視界を塞ぐように炎の壁が出現した。

 

「これは……!」

 

 凄まじい熱を放つ炎の壁に匈鬼が呻く。魔力を帯びた炎は吸血鬼の眷獣が有する能力、その一部を顕現させたものだ。

 

 “まがいもの”の仕業ではない。只人でしかない“まがいもの”に炎や冷気を操るような芸当は不可能だ。

 

 冷気も炎も全てヴェルディアナが眷獣の能力を利用して生み出しているものだ。当人は慣れない眷獣の扱い方に四苦八苦しているが。

 

 進路を遮る炎の壁に足を止めた匈鬼たちだが、いつまでも足止めを喰うわけにはいかない。炎の壁は多少なりと脅威であるが、獣人にも迫る身体能力と吸血鬼に備わった再生能力をもってすれば突破は可能である。

 

 逡巡は一瞬。強行突破の意思を固めた匈鬼たちは身構えつつ足を踏み出して、その出鼻を挫くように微かな風切り音が響いた。

 

 空気を裂くような音を引き連れ、炎の壁を破って複数の矢弾が匈鬼たちを襲う。炎の壁で視界を遮られていた匈鬼たちは反応が遅れ、その身に矢弾を受けることとなった。

 

 矢の正体は“まがいもの”が意図的に作動させた盗掘者対策の罠だ。放たれるのは何の変哲もない矢弾ではあるが、積み重なれば消耗を強いられることになる。

 

 “まがいもの”の狙いは匈鬼たちを消耗させ、あわよくば撤退させること。手持ちの手札で倒し切ることは考えていない。

 

 匈鬼たちも標的の狙いを悟り渋い顔をする。密林の奥地で消耗し切ってしまえば撤退することもままならない。引き際を見誤れば全員揃って野垂れ死ぬことになるだろう。

 

 そうなる前に決着を付け、回収目標である遺物を確保しなければならない。

 

 匈鬼たちが体内に仕込んだ銃火器を炎の壁へと放ちつつ進行する。毒も塗られていない矢と炎の壁程度であれば強行突破できる。

 

 先頭を突き進む匈鬼の一人が腕部から鋭利な魔刃を突き出す。悍ましい魔力を秘めた刃が進路を塞ぐ炎の壁を切り裂いた。

 

 切り拓かれる進路。通路の曲がり角に標的である少年と女吸血鬼を認め、匈鬼たちは躊躇うことなく一歩踏み出す。

 

 瞬間──カチリ、と匈鬼の足元で音が鳴った。

 

 驚愕に目を剥く匈鬼の足元がガコンと音を立てて開く。間一髪で後続三人は回避したものの、足場を失った匈鬼の一人がぽっかりと開いた落とし穴へと真っ逆様に落ちる。

 

 落下先には鋭利な石槍が隙間なく埋め尽くされている。常人ならば串刺しになること請け合いだが、匈鬼は体内に仕込んだ各種魔刃や銃火器で石槍を破壊。串刺しの憂き目を回避した。

 

 安堵の一息を吐く匈鬼。すぐさま落とし穴から脱出しようと上を仰ぎ、眼前に降ってきた拳大の球体に表情を凍り付かせた。

 

 拳大の球体の正体は手榴弾。物にもよるが、人体を容易く殺傷せしめる危険性を秘めた兵器だ。そんな代物が目と鼻の先に放り込まれたのである。

 

 咄嗟に魔刃を翳して身を守ろうとするが、それはあまりにも心許ない盾である。間も無く爆裂した手榴弾の爆圧に匈鬼は落とし穴の側壁にその身を叩き付けられ、内部から飛散した透明な液体をもろに浴びることになった。

 

「ぐ──あああぁぁぁ……!?」

 

 至近距離で手榴弾の爆裂を喰らった匈鬼がくぐもった悲鳴を上げる。透明な液体を浴びた箇所が薬傷でも受けたかのように焼け爛れていた。

 

 透明な液体の正体はルルド聖水。西欧教会が作製した対魔族特化の代物である。人体には無害であるが、魔族にとっては強酸にも等しい効力を発揮する。

 

 “まがいもの”が投げ込んだ手榴弾は牙城が餞別として送った特別製。内部に破片ではなくルルド聖水を詰め込んだ魔族に対して凶悪な性能を発揮する代物だった。

 

 遺跡内部に木霊する匈鬼の悲鳴に“まがいもの”は目論見が上手くいったことを悟った。

 

 冷気によって床を覆い隠して罠を目視困難にし、炎の壁越しの攻撃で消耗を強いて焦らせる。そこに落とし穴の罠を踏ませ、牙城からのお土産で戦闘不能に追い込む。

 

 笑みが溢れてしまいそうなほどに順調な滑り出しだ。この調子であと一人か二人削ることができれば、匈鬼たちは退かざるを得ないだろう。

 

 次の罠の位置を思い返しつつ、“まがいもの”は次の待ち伏せポイントへと急ごうとして──ヴェルディアナの甲高い叫び声に意識を奪われた。

 

「──危ないッ!」

 

 横合からヴェルディアナに突き飛ばされる“まがいもの”。直後、重い筒音が耳朶を叩くと同時に鮮血が舞う。ヴェルディアナの右大腿部が大口径の弾丸によって抉られていた。

 

「い、ああああああぁぁぁ!?」

 

「ヴェルディアナさん!?」

 

 激痛に絶叫するヴェルディアナの身体を引き寄せ、“まがいもの”は手近な通路の窪みに飛び込む。一瞬後、複数の弾丸が通路の壁を抉り飛ばす。

 

 威嚇するように、その場に“まがいもの”とヴェルディアナを釘付けにするように発砲が続く。強靭な肉体を持つ獣人ですら屠るだろう大口径の弾丸に狙われては迂闊に動くこともできない。

 

 それ以前に、ヴェルディアナが足を撃たれてしまった時点で作戦は崩壊していた。

 

「ヴェルディアナさん、大丈夫か!? 意識はあるか!?」

 

「うぐ、あ……なん、とか」

 

 震える声で応じるヴェルディアナであるが、まともに動けるような状態ではない。撃たれた右足は千切れてこそいないが、歩行どころか一人で立つこともままならないだろう。

 

 次の待ち伏せ地点まで撤退することは不可能。匈鬼たちは落とし穴に落下した仲間には目もくれず距離を詰めてきている。

 

「くそっ、少しは仲間の心配をしてくれよ……!」

 

 悪態を吐きながら“まがいもの”は窪みから銃口だけを出して弾幕を張る。少しでも時間を稼げたならば、あわよくば消耗してくれたならばと考えた悪足掻きだ。

 

 だがそんな目論見も的確に短機関銃そのものを撃ち抜かれたことで儚く散る。

 

「──っいづ! 伊達に兵士じゃないってか……!」

 

 弾幕を張られながらも壁から覗く短機関銃を撃ち抜く芸当。仲間が負傷しても構わず任務遂行を優先、多少の負傷や損耗は気にせず突撃する精神性。油断していたわけではないが、見積もりが甘かったと言わざるを得ないだろう。

 

「考えろ、どうすればいい……!」

 

 主武装である短機関銃はお釈迦になってしまった。手榴弾はまだ残っているが、効果的に利用するには状況が悪過ぎる。遺跡の罠も付近にはなく、ヴェルディアナは身動きが取れない。

 

 手詰まり、万事休す。詰みという単語が脳裏を過ぎる。どう足掻いたところで只の人間でしかない“まがいもの”には切り抜けられない。

 

 牙城だったならば、切り抜けられただろう。“死都帰り”と呼ばれる牙城はその肩書きに恥じぬ実力を有する。この程度の逆境、鼻唄混じりに切り抜けたはずだ。

 

 だが此処にいるのは“まがいもの”だ。牙城ではない、まして“暁古城(ほんもの)”ですらない。“まがいもの”には何一つとして守れない。

 

 不甲斐なさ、情けなさに奥歯を噛み締めながら“まがいもの”は懐から手榴弾を手に取る。かくなる上は手榴弾を抱えての特攻。中身が破片でない分、人間に対する殺傷能力は著しく低下している。爆圧にさえ耐え切れば匈鬼たちに有効打を叩き込むことも不可能ではない。

 

 問題は窪みから飛び出した瞬間に蜂の巣にされる可能性が高いということだが、リスクを挙げては切りがなくなる。既に詰んでいる以上、手段を選んでいる余裕はなかった。

 

 迫る匈鬼たちの足音に覚悟を決めて手榴弾の安全ピンに手を掛ける“まがいもの”。その手が震えるヴェルディアナの手に掴まれた。

 

「ダメなの、古城。あなただけに、リスクを背負わせらない」

 

「いや、でもこれしか……」

 

「……私を、信じられる?」

 

 息も絶え絶えになりながら問い掛けてくるヴェルディアナに、“まがいもの”は僅かな迷いを残しつつ頷きを返す。

 

 返事を受け取ったヴェルディアナは無理やりに笑みを浮かべ、全力で魔力を解放した。

 

「ヴェルディアナさん、いったい何を……まさか」

 

 吸血鬼が保有する負の魔力。間近で浴びた“まがいもの”は背筋に冷たいものを感じつつ、ヴェルディアナの目論見を悟って表情を引き攣らせる。

 

「ふふっ……どうせ特攻するなら、これぐらい派手にやらないとね」

 

 愉しげな笑みを零しながらヴェルディアナが手を翳す。溢れ出す魔力を呼び水に異界から怪物が呼び出される。吸血鬼がその身に宿す眷獣、戦車にも匹敵するそれが今この場に現界する──

 

「お願い──“ガングレクト”、“ガングレティ”」

 

 宿主の呼び声に応じて、吸血鬼の眷獣がその威容を現した。

 

 顕現したのは二体の眷獣。炎の息を吐く三頭犬(ケルベロス)と凍気を纏う二頭犬(オルトロス)。人間の数倍はあるだろう巨躯を誇る眷獣が、狭い遺跡の通路に姿を現した。

 

 この場における最高火力である眷獣の召喚を、匈鬼たちは即座に察知して標的の正気を疑った。狭い遺跡内部で吸血鬼の眷獣を召喚しようものならばどうなるか、理解できないはずがないと考えていたのだ。

 

 だが眷獣は召喚された。そして宿主たるヴェルディアナは命ずる。

 

「思う存分やっちゃって!」

 

 主人の許可を得て二体の眷獣が猛威を振るう。灼熱の炎と凍てつく冷気の息吹(ブレス)が通路を埋め尽くした。

 

「退避を──」

 

 突撃を敢行していた匈鬼たちは一転、迫る脅威から退避しようとする。しかし狭い通路に逃げ場はなく、一行は殆ど無防備に炎と冷気の濁流に呑まれた。

 

 魔力を帯びた炎と凍気の奔流。常人ならば燃え尽き、灰ごと凍り付いてしまうだろう猛攻。しかし匈鬼たちは確かなダメージを受けながら持ち前の再生能力と身体能力、そして授けられた兵器を駆使して堪えていた。

 

 眷獣をその身に宿していない分、匈鬼は獣人並みに身体能力が突出している。真祖級の眷獣ならばまだしも、貴族とはいえ百年も生きていないヴェルディアナの眷獣の遠距離攻撃では決定打にならなかった。

 

 故にヴェルディアナは畳み掛ける。

 

 ──オオオオオオン!! 

 

 魔犬の遠吠えが遺跡内部に響く。主人の意思を汲んだ二頭の魔犬たちが、遺跡の崩壊など知ったことかと手当たり次第に暴れ始めた。

 

 通路の壁を派手に破壊しながら魔犬たちが突貫する。炎と凍気の奔流に足を止めていた匈鬼たちに抗う術はなく、ダンプカーに撥ねられたかのように吹き飛んだ。

 

「よし、やったわ!」

 

 眷獣から伝わる確かな手応えにヴェルディアナが拳を握り──ミシリ、と通路が軋む音が鳴る。次いで地鳴りの如き音と揺れが“まがいもの”とヴェルディアナを襲う。

 

「…………」

 

「…………」

 

 無言で顔を見合わせる“まがいもの”とヴェルディアナ。両者の表情は全く同じ、この後の展開を悟って冷や汗をたらたらと流している。

 

 炎と凍気による急激な温度の乱高下によって発生する負荷と、眷獣たちが暴れ散らしたことで掛かった物理的な負荷。相応に旧い造りの遺跡がそれに耐えられるかといえば、土台無理な話であった。

 

 崩壊の前兆とばかりに天井から塵が落ち始めたのを見て、“まがいもの”は即座にヴェルディアナを抱えて離脱しようとした。だが、間に合わない。

 

 限界を迎えた遺跡が一気に崩れ始める。頭上から降り注ぐ瓦礫に“まがいもの”は蒼白になって、次の瞬間にはヴェルディアナに押し倒されていた。

 

「──大丈夫、死なせないの」

 

 精一杯に強がりな笑顔を浮かべてヴェルディアナは己の魔力を解放して──

 

 瞬く間に“まがいもの”とヴェルディアナの姿は遺跡の崩落に巻き込まれて消えた。

 

 

 

 

 



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焔光の夜伯 Ⅷ

紗矢華の次は浅葱のターン!


 “まがいもの”が今まで相対してきた中で明確に格上と言えたのはヴァトラーだけだ。“原初”は大人古城が相手をしたのでカウントしない。

 

 格上の吸血鬼を喰らい、真祖に最も近しいとまで謳われる戦闘狂ディミトリエ・ヴァトラー。原作においては自らの欲望を満たすため、世界を巻き込んだ真祖大戦を引き起こし、そこで暁古城と雪菜に敗れた。

 

 その後の顛末は割愛するとして、原作において暁古城はヴァトラーに勝利を納めている。眷獣の大半を制御した状態で、雪菜の助力があったとしても、暁古城はヴァトラーを下すことができたのだ。

 

 ならば“まがいもの”もできなければならない。“暁古城”ができたことを、“まがいもの”が諦めることなど許されないのだから。

 

 だが、第三真祖ジャーダ・ククルカン。彼女に関しては話が変わってくる。

 

 ヴァトラーと同じく圧倒的な格上。今の古城では天地が引っ繰り返ったとしても勝ち目のない相手。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 勝てなかった、厳密には勝敗を決しなかったとも言うべきか。ジャーダが本気でなかったこと、異空間に囚われていたヴァトラーが脱出したこと、目的を半ば達したことでジャーダが退いたのだ。

 

 もしも、それらの条件がなかったとしたらどうなるか。それが今、古城が直面している状況であった。

 

 巨大な雷球が雨霰と降り注ぐ。マグマの噴火の如き灼熱がのたうつ。全てを引き裂く嵐が荒れ狂う。意思を持った自然災害の如き眷獣の猛攻に古城たちは防戦を強いられている。

 

「ぐっ、化け物か……!」

 

 押し寄せる眷獣の脅威に負けじと古城も眷獣の召喚で対抗しているが、純粋に押し負けかけている。同じ真祖の眷獣でありながら、そこには覆しようのない実力差が横たわっていた。

 

 格だけで言えば第四真祖と第三真祖の間に大きな実力の差は存在しないはずである。しかし積み重ねた経験、蓄えられた血の記憶の多寡、眷獣制御の熟練度が歴然とした差を生み出していた。

 

「どうした、その程度か?」

 

 古城の眷獣を蹴散らしながらジャーダが煽る。そこへ雪菜と紗矢華が斬り込んだ。

 

「“雪霞狼”!」

 

「“煌華麟”!」

 

 真祖すら滅ぼす破魔の銀槍による怒涛の連撃。如何なる盾をも両断する擬似空間切断剣の斬撃。片方だけでも凄まじい脅威であることは間違いないが、しかし対峙するジャーダに恐れや焦りは微塵もない。

 

「威勢は良いが、甘いな」

 

 迫る槍と剣に対して、ジャーダは流れるような体捌きで受け流す。突き出された槍の主刃を側面から殴り飛ばし、振り下ろされる剣の腹を撫でるように太刀筋をずらす。これをほぼ同時に行った挙句、反撃として眷獣を嗾けた。

 

「なっ……!」

 

「無茶苦茶なんだけど!?」

 

 眷獣の攻撃を防ぎつつ下がった雪菜と紗矢華は、ジャーダの出鱈目加減に戦慄を禁じ得ない。

 

 獅子王機関にて育て上げられた剣巫と舞威媛である雪菜と紗矢華は、下手な獣人であれば素手でも鎮圧できるほどの実力者だ。一瞬先を視る霊視能力も相まって、近接戦闘であれば遅れを取ることなどほぼほぼあり得ない。

 

 そんな二人を同時に相手取りながら涼しげに遇らうことができるジャーダの実力は一体どれほどのものなのか。

 

 余裕の笑みを零すジャーダが畳み掛けるように眷獣を召喚しようとして、出鼻を挫くように横合から銃弾の嵐が吹き荒れる。いつの間にか集まっていた無人警備ポッドが侵入者を鎮圧せんと大量の弾丸をばら撒いていた。

 

「よくもまあ、(ワタシ)に喧嘩を売れるものだな」

 

 押し寄せる弾丸の嵐を魔力の放出で吹き飛ばし、警備ポッドを雷球で跡形もなく消し炭にする。一瞬で脅威を無に帰したジャーダはやや呆れ混じりに浅葱を見やった。

 

 古城の背に庇われた浅葱はノートPCを片手にMARの警備システムをハックし、警備ポッドを利用して戦闘支援を行っていた。浅葱だからこそできる戦い方だが、命知らずな所業であることは間違いない。

 

「うっさいのよ。先に喧嘩売ってきたのはそっちでしょうが!」

 

 半ギレになりながら言葉を返す浅葱。ジャーダの目的を知らない浅葱からすれば、いきなり他所の夜の帝国(ドミニオン)の領主が乗り込んできて戦争をおっ始めようとしているという認識なのだ。生まれ故郷を守るために躍起になるのも当然である。

 

「ふむ、それもそうか……」

 

 浅葱の言葉に一理あるとばかりにジャーダは一つ頷き、相対する少年少女を鷹揚に眺める。そして愉快そうに笑みを零した。

 

「それにしても、数奇なものだ。獅子王機関とカインの巫女、そして“まがいもの”と(ワタシ)。顔触れに違いはあれど、あの日の役者がかくも集うことになろうとはな」

 

「カインの巫女?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 聞き慣れない呼称に浅葱が首を傾げる横で、呼吸を整えつつ古城が怪訝そうに問う。ジャーダの発言の意味が古城には今一つとして掴めていなかった。

 

「そのままの意味だとも。あの日、あの“宴”において我らは一堂に会した。一重に貴様の凶行を止めるためにな、“まがいもの”よ」

 

「なにを、言ってるんだ……?」

 

 名指しされて古城は激しく動揺する。凶行などと言われても今の古城に“宴”やアヴローラに纏わる記憶はない。“焔光の宴”に伴う記憶搾取によってごっそりと当時の記憶を奪われてしまっているからだ。

 

 これ以上は拙い。古城にとって何か致命的な事実が飛び出してしまう。分かっていても止められない。ジャーダが放つ圧倒的な強者の威圧が、過去の自分が犯しただろう過ちが古城の身を縛り付けていた。

 

 くふ、と当時のことを思い返して艶然とした笑みを零しながらジャーダは言葉を紡いだ。

 

「あの日、貴様は世界を敵に回した。己を悪と定義し、我らと敵対した。あの時の貴様の啖呵は中々に小気味が良かったぞ」

 

「────」

 

 愕然と、言葉すら失って古城は立ち尽くす。雪菜と紗矢華、浅葱もジャーダの発言に衝撃を受けていた。

 

 世界を敵に回した。己を悪と定義した。その結果、浅葱と獅子王機関、果ては真祖であるジャーダと衝突したという。当時、第四真祖どころかその血の従者でしかなかった“まがいもの”がだ。

 

 信じられない、到底信じることができない。いったい何をどうしたら、そんな錚々たる面々を敵に回すというのか。過去の己は一体全体何をしようとしたのだ。

 

 自身ですら把握していなかった新たな罪の浮上に古城は完全に硬直してしまっていた。雪菜と紗矢華も、自分たちが所属する獅子王機関と古城が敵対したと聞いては心中穏やかではいられない。

 

 精神的な動揺に動きを止めた古城たちを見下ろし、ジャーダはやや詰まらなさそうに嘆息する。あの日の“まがいもの”を知っているが故に、目の前の少年の情けない体たらくに興が削がれてしまう。

 

 見切りを付けてさっさと目的を遂行してしまおうか、とジャーダが雷雲に手を翳したところで──

 

「──適当言ってんじゃないわよ」

 

 怒り心頭といった様子で浅葱が一歩前に出た。

 

「さっきから聞いてれば好き勝手言ってくれちゃって、ばっかじゃないの? 獅子王機関とかいうところの事情とか、あんたのことなんて何も知らないけどね、あたしが古城と敵対した理由まで一緒くたにしないでくれる?」

 

 ジャーダの物言いでは、浅葱も世界の敵となった古城を止めようとしたように聞こえる。浅葱にはそれが到底受け入れられなかった。

 

「世界の敵だとか悪だとか、そんなことで古城と敵対するはずがない」

 

 真実がどうなのかは古城と同じく記憶を失っている浅葱にはさっぱり分からない。詳しい経緯も、何を指して古城が自らを悪と定義したのかも知れない。

 

 だがしかし、浅葱は古城を──“まがいもの”という人間を知っている。心配になるくらいお人好しで、学園で孤立しかけていた浅葱を自覚なく救ってくれた想い人。

 

 そんな古城と自分が敵対するのならば、理由は一つしか考えられない。

 

「あたしが古城と敵対する理由なんて一つしかないわ」

 

 誰もが次の言葉に耳を傾ける中、浅葱は一度呼吸を整えてから口を開く。

 

「──あたしが古城のことを好きだからに決まってるでしょ!!」

 

 微塵の躊躇いも臆面もなく、今までずっと胸の内に秘してきた想いをこの場で宣言した。

 

 浅葱の度肝を抜く告白にその場に居合わせた面々全員が唖然とする。敵対するジャーダですらぽかんとやや間抜けな表情で固まっていた。告白対象の古城に至っては愕然と目を見開いて立ち尽くしている。

 

 えも言われぬ空気が流れる中、しかし浅葱は勢いのままに言葉を続けた。

 

「古城のことをずっと見てきた。想ってきた。だから断言できる。あたしが古城と敵対するなら、それは古城が自分を犠牲にしようとしたからだって。何もかも投げ打って、何かを成し遂げようとしたから、止めようとしたんだ」

 

 我が事だからこそ分かる。想い人たる古城の味方ではなく敵となるならば、その理由はそれしか考えられない。即答できるくらいには、浅葱という人間は古城に──“まがいもの”に惹かれてしまっているのだ。

 

「浅葱……」

 

 唐突な告白に面食らっていた古城は、溢れる浅葱の想いに言葉が詰まってしまう。少なからず好意を向けられている自覚はあったものの、明白に想いをぶつけられたのは初めてだったからだ。

 

 同じく古城を憎からず想う雪菜と紗矢華は、浅葱の勇気を振り絞った告白に衝撃と微かな羨望を抱いていた。

 

 自らの所属する獅子王機関の柵に囚われて何もできなかった自分たちと違い、浅葱は自分自身を信じて想いを告げてみせた。それが羨ましい、ずるいと思ってしまう。

 

 そしてジャーダは──

 

「くふっ、はははは──!」

 

 古城たちの目も憚らず腹を抱えて笑い出した。

 

「よもや、戦場で愛の告白をするとは思わなかった。愉快が過ぎるぞ、カインの巫女よ」

 

「うっさいわね! あたしだってこんなムードもへったくれもない場所でしたくなかったわよ! もっとこう、夜景が綺麗な場所とか、夕暮れ時の校舎とかが良かったっての!」

 

「その容貌で生娘なのか、貴様……」

 

 ふぅ、と一頻り笑い終えるとジャーダは改めて浅葱を見据える。

 

「記憶を失っても己を見失わず、真祖である(ワタシ)を前に吠えるだけの胆力。悪くない、気に入った」

 

「嬉しくもなんともないわ」

 

 嫌そうな顔をするを浅葱。同じ真祖であってもジャーダに気に入られるのはお断りである。

 

 対してジャーダは顎に手をやり悩ましげに唸る。ややあってから面白いことを思い付いたとばかりに口端を上げた。

 

「うむ、当初の予定にはなかったが、これも一興。ついでに貴様も貰っていくとしようか、カインの巫女」

 

「は? こんな何処にでもいる女子高生を攫って何するつもりよ? ……まさか、そういう趣味なわけ?」

 

 突拍子もないジャーダの発言に困惑しつつ、浅葱は視線から身を隠すように両腕で身体を抱き締めた。

 

 浅葱の的外れな反応にジャーダは呆れ混じりの溜め息を零す。

 

「己の価値を正しく理解できていないのは減点だぞ、カインの巫女。まあ、貴様の気風を気に入ったのも事実だがな。それに──」

 

 ジャーダの視線が浅葱からその隣に立つ古城へと向けられる。そこには未だかつて見たことのないくらい空恐ろしい無表情でジャーダを睨む古城がいた。

 

「──なんだ、そういった顔もできるのか。ならば最初からこうすれば良かったな」

 

「真正面から売られた喧嘩を買わないほど、紳士的じゃないんだ」

 

 ジャーダの圧を押し返すほどの魔力を滲ませて古城が前に出る。精神的に打ちのめされていた“まがいもの”はもういない。浅葱の心強い告白が古城の背中を押したのだ。

 

「選手交代だ、煌坂。俺が前に出る。浅葱を頼んだ」

 

「分かったけど……勝てるの?」

 

「……分からない。でも、負けられない理由が増えた」

 

 浅葱を貰う、攫うといったのであればジャーダは確実に実行するだろう。古城への嫌がらせではない、浅葱には攫うだけの価値があるのだ。絶対に負けるわけにはいかない。

 

 瞳に憤怒の炎を宿す古城に、紗矢華は微かな迷いを感じるものの指摘しない。恐らく指摘したところでどうしようもないと悟ってしまったからだ。

 

 今の古城を救えるのは、ただ一人──

 

「そう、負けたら骨くらいは拾ってあげるわ」

 

「そこは嘘でも応援してくれないか……」

 

 苦笑いを残して古城は更に歩みを進める。紗矢華はその背中を見送り、最後に最愛の妹たる雪菜を一瞥してから浅葱を守るべく後方に下がった。

 

 ジャーダの真正面に立ち相対する古城。両雄の放つ魔力が激しく鬩ぎ合い、凄まじい重圧が絃神島全土を襲う。ただ魔力をぶつけ合うだけで天変地異の前触れが如き異常が発生していた。

 

 もはや生半可な実力では割り入ることもできない空間。そこへ真祖殺しの聖槍を携えて、雪菜が古城の隣に肩を並べる。

 

 言葉なく視線を交わして頷き合い、立ちはだかるジャーダと対峙する。対するジャーダも言葉は不要と獰猛に笑うのみ。

 

 次の瞬間、第四真祖と第三真祖が再び激突した。

 

 

 



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焔光の夜伯 Ⅸ

 暗い、何も見えない闇の中で“まがいもの”は意識を取り戻した。

 

 全身を襲う激痛に顔を顰めながら思い返すのは意識を失う直前の記憶。眷獣の破壊に耐え切れず崩壊する遺跡、押し寄せる瓦礫の雨、そして自身を守るように覆い被さってきたヴェルディアナの姿──

 

「──ヴェルディアナさん!?」

 

 慌てて懐からフラッシュライトを取り出して周囲を確認する。

 

 ライトに照らし出されたのは剥き出しの岩壁。恐らくは遺跡の地下に広がる天然の洞窟か何かだろう。そこへ遺跡の崩落と共に落ちたようだ。

 

 更にライトを周囲に走らせると土砂と岩石、瓦礫の山が見える。その中腹あたりでヴェルディアナは下半身を呑まれるような形で倒れていた。

 

「ヴェルディアナさん! しっかりしろ、ヴェルディアナさん!?」

 

 すぐさま駆け寄って声をかけつつ瓦礫と岩石を可能な限り退かしてヴェルディアナの身体を引っ張り出す。幸いなことに遺跡の瓦礫が上手い具合に空間を作っていたようで、救出自体は難儀しなかった。

 

 しかし、遺跡崩落時に受けたダメージは相当なものだった。

 

「────」

 

 瓦礫の隙間から引っ張り上げたヴェルディアナの身体はズタボロ。特に瓦礫に埋まっていた下半身は目も当てられないような惨状で、今もなお夥しい出血が地面を濡らしている。

 

 息はある。だが浅くか細い。一瞬でも目を離してしまえば消えてしまいかねない、まさしく風前の灯だ。

 

 意識も戻らない。“まがいもの”が必死に呼び掛けて揺すっても、軽く頬を叩いても目を覚ます素振りすらなかった。

 

「時間を置けば回復するか……?」

 

 吸血鬼であるヴェルディアナはよほど重要な器官を失わない限り、持ち前の再生能力で復活することができる。だが、その再生能力にも限度がある。

 

「……待て、待て待て待て!?」

 

 身体の末端から崩れるように霧と化し始めたヴェルディアナに、“まがいもの”は血相を変えて手を伸ばす。しかしその手は虚空を掴むだけで舞い散る銀の霧を留めることはできない。

 

 吸血鬼は尋常ならざる生命力と再生能力を有している。だがしかし、下半身丸ごと潰されても平然と復活するような芸当は、それこそ永き時を生きる“旧き世代”や真祖でもなければ不可能だ。

 

 ヴェルディアナは強力な“貴族(ノーブル)”の血筋であるが、未だ百歳にも満たない若い吸血鬼。致命傷を負ってそこから復活できるほどの能力は持っていなかった。

 

 肉体の形を維持することすらできず徐々に霧となって崩れていくヴェルディアナ。完全に霧となって散ってしまえば最後、“まがいもの”にヴェルディアナを救う手立てはない。此処には気流使い(矢瀬基樹)もいなければ、魔族専用の医療設備もないのだから。

 

 故に“まがいもの”が取れる手はたった一つ──

 

「──死なせない、絶対に……!」

 

 一瞬の迷いもなく“まがいもの”は自らの親指の腹を噛み千切り、溢れる血を口腔内に溜める。十分な血を溜めたところで、“まがいもの”は未だに意識の戻らないヴェルディアナを抱き起こした。

 

 今まさに消滅の危機に瀕しているヴェルディアナの顔色は紙のように白い。唇も血の気が失せて真っ青になっている。まさしく瀕死の有様だ。

 

「ごめん、文句は後で聞く」

 

 一言断って“まがいもの”は青白いヴェルディアナの唇に己のそれを重ねる。次いで人工呼吸の容量で口内に溜め込んでいた血を流し込んだ。

 

 瀕死のヴェルディアナを救う方法。それは吸血を介した魔力の補給だ。潤沢な魔力さえあれば、この状態からでも復活する見込みはある。絶対とは言い切れないが。

 

 しかし吸血するにはヴェルディアナの意識を取り戻さなければならない。意識を失っているヴェルディアナに、自発的な吸血行為は不可能。故に“まがいもの”は無理やりにでも吸血鬼の吸血衝動を引き起こすべく若干荒っぽい真似をしたのだ。

 

 

 ──頼む、起きてくれ。最悪、消滅だけでも回避してくれ……! 

 

 

 祈るような思いで口移しで血を飲ませたが、しかしヴェルディアナに動く気配はない。霧化による肉体の崩壊も治っていない。

 

「くそっ、血が足りないのか? だったら……」

 

 もう一度同じように血を飲ませようとして、不意にヴェルディアナの肢体が身動ぎする。ほぼ同時に微かな震えと共に瞼が開いていき──妖しげに紅く光る瞳が“まがいもの”の瞳を捉えた。

 

「ヴェルディアナ──ぐぁ!?」

 

 死に体とは思えない力で突き飛ばされ、“まがいもの”は剥き出しの岩肌に身体を打ち付ける。不意打ち気味の衝撃に崩落時のダメージも相まって“まがいもの”は激痛に悶絶した。

 

 一方の意識を取り戻したヴェルディアナは、こちらはこちらで苦悶の表情を浮かべている。今にも消えてしまいかねない瀕死の状態というのもあるが、それ以上に身体の奥底から溢れ出す吸血衝動に抗っているのだ。

 

「待ってくれ、ヴェルディアナさん! 無理やり血を飲ませたのは謝るから、今は──」

 

「──だめ、ダメなの。来ないで、古城……!」

 

 勘違いしている“まがいもの”にヴェルディアナはずるずると身体を引き摺りながら距離を取ろうとする。その言動から己の勘違いを察して冷静さを取り戻す“まがいもの”。

 

 無理やりに叩き起こされた吸血鬼としての本能、荒れ狂う吸血衝動に震えながらヴェルディアナは息も絶え絶えに口を開く。

 

「今、血を吸ったら歯止めが効かなくなるの。古城を、吸い殺してしまうかもしれない……」

 

 吸血鬼の吸血行為は時に対象を死に至らしめる。際限なく血を、生命力を吸われてしまえばどんな生物であっても死に絶えるだろう。

 

 ヴェルディアナは致命傷を負ったことで死に瀕している。限界を通り越した肉体は生命維持のため、ヴェルディアナの意思を無視して大量の血を欲していた。

 

 現時点で只の人間でしかない“まがいもの”が、飢饉に瀕した吸血鬼の吸血に耐えられるか。正直に言えば分からない。最悪、血を吸い尽くされて干からびてしまう可能性も否定できない。

 

 だがしかし、“まがいもの”は恐れることなくヴェルディアナに歩み寄った。

 

「さっきは俺が助けられた、命懸けでな。だから、次は俺の番だ」

 

「古城……」

 

 自らの身を顧みない“まがいもの”の献身に、ヴェルディアナは呆然と名を呟いた。

 

 “まがいもの”が服の襟口を力尽くで引き裂く。露わになった鎖骨と首筋から、ヴェルディアナは目を離すことができない。湧き上がる衝動のまま、“まがいもの”の首に両腕を回す。

 

 正面から抱き合うような体勢で二人はピタリと動きを止める。

 

 “まがいもの”は動くこともままならないヴェルディアナの身体を支え、生じるだろう痛みに身構えている。

 

 ヴェルディアナは“まがいもの”の首筋に牙を当てたまま硬直している。衝動の赴くままに吸血をして、果たして“まがいもの”を吸い殺してしまわないか。そんな不安がヴェルディアナの身体を縛っていた。

 

 恐怖に身を強張らせるヴェルディアナ。そんな彼女の肢体を“まがいもの”は優しく抱き竦める。

 

「──生きろ、ヴェルディアナ。やることがあるんだろ?」

 

 その言葉に背中を押され、ヴェルディアナは“まがいもの”の首筋に牙を突き立てた。

 

 肌を突き破る牙の感触と血を吸われる感覚。痛みと虚脱感に“まがいもの”は歯を食い縛って耐えながら、胸中では激しい自己嫌悪に襲われていた。

 

 ヴェルディアナの背を押すためとは言え、どの口であんな台詞を吐いたというのか。領民の救済も、怨敵への復讐も叶わないことを知りながら、それを利用して吸血行為を強いたのだ。

 

 恨まれ、憎まれても文句は言えない。それでも、この場で死なせるわけにはいかなかった。ヴェルディアナがいなければ、何も始まらないからだ。

 

 それに、死なせたくないとも思ってしまった。

 

 醜い同情か、あるいは憐憫か。胸中で燻る感情の正体は“まがいもの”にも分からない。その答えが分かるのは、きっとまだ先の話だ。

 

 自己嫌悪に顔を歪めながら、ヴェルディアナの霧化による肉体の崩壊が治っていることを横目で確認しつつ、“まがいもの”は襲い来る虚脱感に意識を手放すのだった。

 

 

 ▼

 

 

 第三真祖と第四真祖の戦闘は熾烈を極めた。

 

 互いに吸血鬼の真祖、従える眷獣は一体一体が都市を一つを容易く滅ぼす怪物。両者共に加減はしているが、ただ眷獣同士が衝突する余波だけで人工島が悲鳴を上げる。戦闘の長期化はやがて絃神島そのものの崩壊を招くだろう。

 

「オオオオオオ──!!」

 

 押し寄せる眷獣の猛威、災害規模の暴力を次元喰らいの能力で切り抜けながら、古城は虎視眈々と隙を伺い続ける。

 

 地力で負けている以上、古城が取れる選択はヴァトラー戦と同じもののみ。ただしヴァトラーとの死闘とは条件が違う。

 

 あの時は古城一人でヴァトラーに挑むことになった。今だからこそ思うが、命知らず無謀にも程がある。ヴァトラーが遊んでいなければ、古城はあの場で喰い殺されていただろう。

 

 しかし今は一人ではない。頼もしい監視役と、後方から紗矢華と浅葱も援護してくれている。数的な有利は古城たちにあった。

 

 だが、同時にヴァトラー戦の時にはあった原作知識のアドバンテージがほぼない。ヴァトラーと違ってジャーダの眷獣(手札)は殆どが伏せられたまま。明かされたのは二十七体のうち数体のみだ。

 

 故に古城は飛び出してくる未知の眷獣や能力に対して、初見で確実に対処しなければならない。それが普通のことと言われてしまえばその通りなのだが、圧倒的な格上相手に知識のアドバンテージすらないのは相当な精神的負担になっていた。

 

 現に今も、知識にない大地を操る眷獣と濁流を生み出す眷獣に翻弄されている。

 

「──ッ! 馳せ参ぜよ(ぶちかませ)、”獅子の黄金(レグルス・アウルム)”! “緋色の双角(アルナスル・ミニウム)”!」

 

 呼び出された黄金の獅子と緋色の双角馬が、主人の命に従い突撃する。

 

 金獅子は頭上から降り注ぐ濁流へ、双角馬は隆起して押し寄せる大地の壁へと突っ込む。並大抵の障害であれば容易く蹴散らす二体の眷獣は、しかし迫る脅威を押し返すことができなかった。それどころか、抑えきれずに押し返されている。

 

「あまり(ワタシ)を退屈させてくれるなよ、“まがいもの”?」

 

 眷獣越しに伝わる圧が強まる。間もなく押し負けるかという瞬間、横合いから雪菜がジャーダの眷獣を斬り裂く。如何に強力な眷獣も、あらゆる魔力を無効化する破魔の聖槍の前では無力だ。

 

 ジャーダの眷獣が掻き消えたと同時に古城が勝負を仕掛けた。

 

 衝撃波を利用して一気に間合いを詰める。眷獣をぶつけ合う中距離(ミドルレンジ)での戦闘から徒手格闘の近接距離(クロスレンジ)へと踏み込む。

 

(ワタシ)を相手に格闘戦を挑むか。いいだろう、乗ってやろう」

 

 距離を詰められてもジャーダに焦りはなく、淡々と古城の猛攻に応じる。

 

 古城は腕に次元喰らいの権能を纏って振り翳す。次元ごと抉る攻撃は防御不可。当たれば必殺と言っても過言ではない一撃だ。

 

 だがしかし、当たらなければ意味がない。

 

 ひらひらと舞い踊るように腕を躱され、逆に隙を突かれて打撃を受けてしまう。獅子王機関で鍛え上げられた雪菜と紗矢華を遇らう程の実力者に、殆ど喧嘩殺法の古城が敵う道理はなかった。

 

 その程度のことは古城とて理解している。その上で懐に踏み込んだのは確固たる狙いがあるからだ。

 

 少女の細腕から繰り出されたとは思えない威力の掌打に、古城は血反吐を吐きながらも果敢に攻め続けた。

 

「根性だけは認めてやらんでもないが、いつまでも付き合ってやる義理はないぞ?」

 

 これといった反撃もできない古城に飽きたのか、ジャーダは己の右腕を凶悪な鉤爪を供えた獣のそれへと変化させた。鋼すらも容易く引き裂けそうな凶爪が古城に振り下ろされる。

 

 受ければ致命傷は免れないだろう凶爪に対して、古城はこの時を待っていたとばかりに動き出した。

 

「散らせ、“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”!」

 

 霧化を司る巨大な甲殻獣が、主人の命に従って権能を行使する。対象は敵対するジャーダではなく、彼女の足元の地面だ。

 

 一瞬で足場を失い体勢を崩すジャーダ。またとない千載一遇の好機に、今度は古城が腕を振り翳す。当たれば必殺となる次元喰らいの一撃──

 

 迫り来る己の危機に対してジャーダは、

 

「狙いは悪くない。だが、甘いな」

 

 有り余る魔力を用いて“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”の霧化を強引に解除させてその場に留まり、古城の攻撃を悠々と回避してみせた。そして流れるように隙だらけの腹部へと貫手を突き込んだ。

 

「ご、ふっ……!?」

 

 容赦なく腹を貫かれて古城は血塊を吐いた。

 

 獣の如き腕に刺し貫かれてその場に縫い止められながら、しかし古城は血塗れの顔に不敵な笑みを浮かべた。

 

()()()()……!!」

 

「────」

 

 逃げられないように古城は腹部を貫く右腕を両手で掴む。事ここに至って古城の真意を悟ったジャーダは、ここまで崩さなかった笑みを微かに強張らせた。

 

 吸血鬼の霧化は同格以上になると互いに干渉することができてしまう。そんなことは原作知識で知っている。だからこそ、敢えて目論見が失敗したように見せかけて、ジャーダの身動きを封じたのだ。

 

 古城の狙いは最初から決まっていた。ジャーダの動きを死ぬ気で止める。ただそれだけに心血を注いでいたのだ。

 

 ジャーダの背後から“雪霞狼”を構えた雪菜が襲い掛かる。ジャーダが無防備になるこの瞬間を辛抱強く待っていたのだ。

 

「“雪霞狼”!」

 

 鋭い呼気と共に雪菜が槍を突き出す。真祖すら滅ぼす槍をその身に受ければジャーダとてただでは済まない。ジャーダを滅ぼすつもりはない故、狙いは致命傷から外している。

 

 回避は不可能。古城が身体を張って身動きを封じており、霧化も“甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)”越しに干渉されている。今のジャーダに“雪霞狼”を躱す手立てはなかった。

 

「──くふっ、悪くない連携だ。少しばかり、肝を冷やしたぞ」

 

「うそ……!?」

 

 絶対必中の好機に放たれた銀槍は、しかしジャーダの身に届く前に止まった。獣人化したジャーダの左手が“雪霞狼”の刃と柄の接合部を素手で掴んで止めたからだ。

 

 格闘戦、近接戦闘においてもジャーダが圧倒的な実力を保有していることは理解していた。だがしかし、身動きを封じられた状態で迫る槍の柄を掴み取って止められるほどとは思っていなかった。

 

 あまりにも衝撃的な離れ業に古城と雪菜が硬直していると、ジャーダが槍を掴む左手に力を込める。

 

 雪菜は槍を引き寄せようと両腕に力を入れるがびくともしない。それどころか、ジャーダが木の枝でも振り回すかのように雪菜ごと槍を持ち上げた。

 

 このままでは槍ごと振り回されると判断して雪菜は槍から手を離し、古城に倣えとばかりに徒手空拳で挑みかかる。

 

「退かずに前に出る判断は悪くない。退がっていればその時点で消し飛ばしていたからな」

 

「うぐっ……!」

 

 雪菜の判断を賞賛しつつジャーダは蹴りを浴びせる。雪菜は咄嗟に防御はしたものの、凄まじい威力の蹴撃に距離を開けざるを得なかった。

 

 距離が開けば眷獣による蹂躙が待っている。得物を失った雪菜に真祖の眷獣から身を守る手立てはない。

 

「さ、せるかァ──!」

 

「無駄な足掻きだ。そこで大人しくしているがいい」

 

「がっ……!」

 

「先輩!?」

 

 勢いよく右腕を引き抜かれ、続け様に振り下ろされた銀の刃に斬り裂かれる。神格振動波こそ纏っていないものの、鋭い銀閃は古城の身体に袈裟懸けの大刀傷を刻み込んだ。

 

 腹部に風穴を開けられ、駄目押しに槍による斬撃。然しもの古城も膝を突いてしまう。

 

「幕引きといこうか──征け、“シウテクトリ”」

 

 荒れ狂う灼熱の火柱が大蛇の如く鎌首を擡げる。狙う先に居るのは無手となった無防備な雪菜の姿。

 

「逃げて、雪菜!」

 

 紗矢華が援護しようと剣を構えるが、そうさせじと上空から無数の稲妻が降り注ぐ。浅葱を守るのに手一杯の紗矢華に、雪菜を守ることはできなかった。

 

「──っ!?」

 

 大気を焼き焦がしながら押し寄せる灼熱の激流に雪菜は霊力を練り上げ、出来うる限りの防御呪術を張り巡らす。並大抵の攻撃ならば防ぐことができるだろう防御は、しかし真祖の眷獣の前には障子紙も同然だった。

 

 視界を埋め尽くす灼熱の奔流。逃れようのない明確な死に抗うこと叶わず、爆発的な火焔柱に雪菜は声もなく呑み込まれた。

 

 

 ▼

 

 

 MAR医療施設の中庭。真祖同士が争う戦場となったそこは、もはや元の面影が残っていないほどの惨状になっていた。

 

 複数の眷獣が激突し、駄目押しに噴火の如き灼熱に蹂躙されたことで一帯は焼け野原。酷いところでは人工島の基底部が露出している箇所もある。

 

 黒煙と塵煙が舞う中、下手人たるジャーダは嘆息混じりの吐息を零した。

 

「同じ真祖の(ワタシ)が言うのも妙な話ではあるが、貴様のソレは常軌を逸しているぞ」

 

 独り言のように語るジャーダの視線は舞い上がる塵煙の中を捉えている。丁度、雪菜が居た位置である。

 

「取り零すまいと躍起になり、自らを蔑ろにする。復活も再生もするとはいえ、我らは苦痛を忘れたわけではない」

 

 舞い上がる塵煙が風に攫われ晴れていく。塵煙に隠されていた光景が白日の元に晒される。

 

 現れたのはその場にへたり込んだ()()()()()。呑み込まれたら最期、骨すら残らないだろう灼熱に焼かれたはずなのに、雪菜は無傷でその場に居た。

 

 そして、そんな雪菜を庇うように立つ人の形をした何か。全身余すところなく焼き尽くされたそれは、間一髪で雪菜を霧化させて庇った古城の成れの果てだ。

 

 雪菜が焔に呑まれる直前、雪菜を霧化させることはできた。しかしそこが限界。自らの身を守ることも、対抗して眷獣を召喚することもできなかった。結果として古城は無防備なまま灼熱の奔流にその身を晒すことになった。

 

「せん、ぱい……」

 

 黒く焼け焦げた古城の背中を見上げ、雪菜は呆然と名を呟く。その声に反応したのか、辛うじて原型を保っていた古城の身体が微かに動いた。その拍子に炭化していた左腕がボロボロと崩れ落ちる。

 

 思わず目を背けたくなってしまう古城の惨状に雪菜は口元を手で覆う。離れた位置で状況を確認した紗矢華と浅葱も顔を青褪めさせた。

 

「“まがいもの”よ、貴様のソレは明白な弱点だ。失うことを恐れ、取り零さずにいるばかり。貴様の守った者たちが、どんな顔をしているのか見たことがあるのか?」

 

「…………それでも」

 

 ジャーダの言葉に緩慢な動作で古城が顔を上げる。殆ど何も見えていないだろう瞳で相対する同族を見据え──

 

「──もう二度と、取り零さないと決めたんだ」

 

 弱々しくも確かな宣誓を立てて、そこが限界だった。受け身も何も取れないままに背中から倒れていく。

 

「──先輩!」

 

 慌てて雪菜が古城の身体を抱き止めて、その身体が末端から燃え滓のように崩れていく様に目を見開く。真祖の吸血鬼だから生きているだけ、原型を留めることができただけ。古城の肉体は完膚なきまでに燃え尽きていた。

 

「そんな……」

 

「今の貴様では、此処までだな」

 

 雪菜と古城を見下ろして、ジャーダが手を翳す。その手を中心に闇が広がり、あっという間に少年と少女の姿を呑み込んだ。

 

「己の過去()と向き合う覚悟ができたのならば、また相手をしてやろう」

 

 微かな期待を込めてジャーダは虚空に呟いた。




(今のままじゃ)無理です。


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焔光の夜伯 Ⅹ

満を持して雪菜のターン!(と、ヴェルディアナのターン)


 本日二度目の意識喪失から回復した“まがいもの”は再び暗闇の中で目を醒ます。しかし今度は先とは違う点がある。

 

 まず後頭部に誰かの温もりを感じた。次いで慈しむような優しい手付きで頭を撫でられていることに気付く。誰の温もりで、どんな体勢なのかは考えるまでもなかった。

 

「──目が醒めたのね」

 

「……あぁ、悪い」

 

 頭上から降ってくるヴェルディアナの声に応じて、“まがいもの”はすぐに身体を起こそうとする。いつまでも膝枕をさせていては申し訳ないと思ったからだ。

 

「ダメよ。その……結構吸っちゃったから、無理に起きたら貧血で倒れるわ」

 

 起き上がろうとしたところで額をやんわり抑えられ、“まがいもの”は渋々といった様子で従う。申し訳ないのは勿論だが、純粋に膝枕の体勢が恥ずかしかった。ヴェルディアナの表情が見えず、逆に自分の表情は一方的に見られているのも大きい。

 

 くすり、と小さく笑う声が聞こえて“まがいもの”は少しばかり不貞腐れた顔で黙り込んだ。それが余計に可笑しかったのか、面白がるような気配が伝わってくる。

 

 暗闇の中でヴェルディアナの手が遊ぶように“まがいもの”の前髪を弄るだけの時間が流れる。お互いに言葉はなく、しかし居心地の悪い沈黙ではなかった。

 

 不意に“まがいもの”が申し訳なさそうな表情で口を開く。

 

「さっきはごめん。助けるためとはいえ、意識がないのに、その……」

 

 “まがいもの”の謝罪の意図を悟ってヴェルディアナは手を止めた。

 

 怒りを向けられるか、詰られるか。どんな文句も受け入れようと考えていた“まがいもの”は、しかし再び頭を撫でられ始めて困惑する。

 

「いいの。古城に邪な想いがなかったことくらいは分かってるから。あれは、その……人工呼吸みたいなものなの。だから、気にしなくていい」

 

 それに、とヴェルディアナは声音に微かな羞恥を滲ませて続ける。

 

「私だって、古城から血を吸っちゃったから……文句なんて言えないの」

 

 吸血鬼が引き起こす吸血衝動は性的欲求に直結している。勿論、命が掛かっているあの状況では生存本能の方が強かったものの、その手の感情が一切なかったといえば嘘になる。

 

 暗闇でなければ真っ赤になったヴェルディアナの顔を見ることができただろう。しかし夜目の利かない“まがいもの”には分からない。ただ、額を撫でる手がやや乱暴になったことだけが分かった。

 

 先の無体に関しては互いに精算が完了した。追手の匈鬼も此処までは追って来れないだろう。今は失った体力の回復が先決だ。

 

 再び無言の時間が続く。膝枕と頭を撫でられる心地良い感覚に眠気を誘われ、“まがいもの”は眠るまいと必死に堪える。なまじ暗闇のせいで時間感覚も覚束ず、いつまでこの天国のような時間を耐えればいいのか分からなかった。

 

 “まがいもの”が眠気と格闘していると、不意に頭上からヴェルディアナの声が降ってきた。

 

「牙城から、私の事情を聞いたの?」

 

「────」

 

 不意打ち気味の話題に“まがいもの”は表情を強張らせる。その反応から図星だと読み取ったのだろう。ヴェルディアナからやや不満げな気配が伝わってきた。

 

「やっぱり。だからあんな台詞が出てきたのね」

 

「……ごめん」

 

 本当は原作知識で知っていたのだが、それを正直に言うわけにもいかず素直に謝罪の言葉を口にする。後で牙城が文句を言われてしまうかもしれないが、そこは後で謝っておく他ないだろう。

 

「……身の程知らずだと思う?」

 

「それは……」

 

 怨敵たるザハリアスへの復讐と奪われた領民と領地の奪還。諸々の条件を鑑みたとしても、百にも満たない女吸血鬼一人で成し遂げられることではない。

 

 口籠る“まがいもの”の反応から察するヴェルディアナ。何処か自嘲するような掠れた笑い声が小さく響いた。

 

「分かってるの。こんな小娘一人でできることじゃないくらい、ちゃんと分かってる……でも、もう私しかいないの」

 

 声音に抑えきれない激情が滲む。怒り、憎しみ、悲しみ。あらゆる感情がヴェルディアナの内で渦巻いていた。

 

「姉様も、父上ももういない。一族はみんな殺されて、残っているのは私だけ。私にしか、できないのよ……!」

 

「…………」

 

 ヴェルディアナの想いに“まがいもの”は何も言えない。復讐も領地と領民の救済も、叶わない理由を述べることは簡単だ。けれどそんな理屈で足を止められるのなら、今此処にはいないだろう。

 

「……なんて、古城に言っても仕方ないわね。ごめんなさい」

 

 “まがいもの”が苦虫を噛み潰したような顔で黙っていると、ふっとヴェルディアナが纏う激情の気配が霧散した。代わりにあるのは取り繕ったような空元気のような気配。

 

「ヴェルディアナさん……」

 

「ヴェルディアナ」

 

「え?」

 

「ヴェルディアナでいい。敬語ももういらないの。最初から思ってたけど、古城ってあんまり敬語が似合ってないもの」

 

「いやでも、流石に歳上の女性にタメ口は……」

 

「──古城?」

 

 ピリッと空気が凍る。“まがいもの”に他意はなかったが、その言い分は不味かった。

 

「ふふっ、レディーに年齢の話はマナー違反だって、そんな初歩的なことも忘れたの? 紳士講習が足りなかったみたいね」

 

「あ、はい、すみません」

 

 前髪を撫でていた手で軽く鼻を摘まれ、“まがいもの”は間髪入れずに頷いた。口答えすれば鼻を捥がれかねない、そんな恐ろしさがあった。

 

 ふふふふ、と暗闇の中で響く笑い声に身を震わせる“まがいもの”。そんな引き攣った少年の顔を見下ろして、ヴェルディアナは何処にでもいる少女のように微笑みを零していた。

 

 その後、“まがいもの”とヴェルディアナは十分な休息を経て行動を開始。落下した洞穴は運の良いことに外へと繋がっており、二人は無事に脱出し後から駆け付けた牙城と合流するのだった。

 

 

 ▼

 

 

 深い水底を揺蕩うような感覚。その中で耳朶を叩く少女の声と、壊れ物を扱うような揺さぶりに古城は重い瞼を開いた。

 

「──先輩! よかった……!」

 

「……姫柊?」

 

 目を開けて最初に飛び込んだのは涙を眦一杯に溜めた後輩の姿。よほど心配したのか、鼻先が触れそうなほどの距離にあっても雪菜は離れようとしない。

 

「何が、あったんだ……?」

 

「第三真祖の眷獣の攻撃からわたしを庇ったんです」

 

「……そうか、そうだった」

 

 意識が途切れる直前の記憶を思い出し、古城は目の前の雪菜を見やる。古城が間一髪で霧化させたことで雪菜の身体には火傷の一つもない。それに古城はほっと安堵の息を吐いた。

 

「姫柊は無事みたいだな。よかった……」

 

「よかった? こんな、消し炭も同然な姿にまでなって、何がよかったんですか……!」

 

 怒りに震える雪菜の目の前にいる古城の姿は、それはもう酷いものだ。左腕は焼け崩れたまま未だ再生せず、その他の部位もほぼほぼ炭化し切っており、少し小突くだけで崩れかねない有様である。

 

 辛うじて形を保てているのは古城が第四真祖だからである。真祖でなければ、確実に消滅していた。

 

 怒りのままに雪菜は拳を振り上げて、しかし振り下ろすことなく古城の胸元に縋り付く。今の古城は僅かな衝撃ですらダメージになりかねない。何より、守られてしまった自分に古城を責める資格がないと理解していたからだ。

 

 静かに嗚咽を零す雪菜が落ち着くのを待ちつつ、古城は自身の置かれた状況を確認する。

 

 つい先程まではMAR医療施設の中庭にいたはずである。しかし今は見渡す限り闇一色の世界。上下の感覚もない、まるで宇宙空間にでも放り出されたかのような気分である。

 

 無限に広がる闇の世界。古城には此処が何処なのか心当たりがあった。

 

 第三真祖ジャーダ・ククルカンが保有する眷獣の一体。無限に広がる空間そのものを実体とする規格外の眷獣。原作においてはあのヴァトラーを半日以上もの時間、囚え隔離していた空間だ。

 

 この空間、世界そのものがジャーダの眷獣そのもの。脱出は不可能ではないのだろうが、あのヴァトラーですら半日以上要した。果たして消耗し切った古城に脱出が可能かどうか──

 

 古城が脱出手段を模索していると、落ち着いたのか雪菜が顔を上げる。涙で目を赤く腫らしながら、雪菜は真正面から古城の瞳を見据えた。

 

「先輩は、どうしてそこまで自分を蔑ろにするんですか。誰かを守るためだからって、いくらなんでも行き過ぎです」

 

「それは……」

 

「──ヴェルディアナ・カルアナさんが、関係しているんですか?」

 

「────」

 

 雪菜の指摘に古城はあからさまに動揺する。まさしく図星を突かれたからだ。

 

 激しい動揺に二の句を継げない古城に、雪菜は己の考察を淡々と続ける。

 

「二度と取り零さないと先輩は仰いました。それはつまり、以前に取り零ししてしまった人がいるということ。お昼間の話から考えて、先輩が取り零してしまったのはそのヴェルディアナ・カルアナさん以外に考えられません」

 

「……あぁ、そうだよ。俺はヴェルディアナを取り零した。俺のせいで、ヴェルディアナ・カルアナは死んだんだ」

 

 諦めたように、罪を告白する罪人のように古城は力なく項垂れる。普段の優しくも大人びた雰囲気はない。そこにいるのは後悔に塗れ過去から目を背け続けた弱い人間だった。

 

「先輩は藍羽先輩と同じように記憶を失っているんですよね? それなのに、どうして先輩のせいでと言い切れるんですか?」

 

 ずっと疑問だった。覚えていないはずなのに、記憶がないはずなのに、古城は自分のせいでヴェルディアナ・カルアナは死んでしまったと断言している。まるで明確な根拠があるかのような物言いに、雪菜はずっと違和感を覚えていたのだ。

 

 ピシリと古城の表情が凍り付く。ヴェルディアナの死因が己にあると断言できる理由。それは原作においてヴェルディアナが形はどうあれ生き延びていたから。だがしかし、それは自身が“まがいもの”であることを明かすよりも抵抗があることだ。

 

 雪菜の追及から逃れようと目を泳がせる古城。しかし逃しはしないとばかりに雪菜に頬を両手で固定され、コツンと額が触れるほど至近距離で見つめられて激しく動揺してしまう。

 

「わたしはそんなに頼りないですか? 紗矢華さんや、藍羽先輩なら打ち明けられるんですか?」

 

「そんなことない。姫柊には何度も助けられた。これは……俺が、弱いのが悪いんだ」

 

 弱々しく目を伏せる古城。今も目の前にある雪菜の顔を直視することができない。

 

 そんな古城をじっと見つめて、ふっと雪菜が相好を崩した。

 

「本当に、仕方のない人ですね、先輩は……」

 

「姫柊……?」

 

「先輩が弱い人だってことくらい、分かっていますよ」

 

 罵倒とまではいかないが、唐突な雪菜の言葉に古城は目を丸くする。そんな古城の反応に構わず、雪菜は真正面から向き合ったまま言葉を重ねる。

 

「誰よりも優しくて、いつも誰かのために駆けずり回っていて、一人で何もかも抱え込んで苦しんでいる。そんな先輩に救われて、今度はわたしが先輩の力になろうと思って……当の先輩は、わたしたちを遠ざけようとしていたみたいですけど」

 

 ジト目で睨まれ古城は思わず目を逸らす。子供みたいな古城の仕草に雪菜はくすりと微笑を零した。

 

「でも、そんな先輩だからこそ、わたしは好きになったんです」

 

「姫柊……」

 

「藍羽先輩の二番煎じみたいでちょっと嫌ですけど……」

 

 少し拗ねたように唇を尖らせながら告白した雪菜に、古城は二度目の衝撃に言葉を失う。

 

 浅葱からの告白から殆ど間を置かず、雪菜からも想いを告白された。ただでさえ肉体も精神もズタボロの古城に、彼女たちの想いをきちんと受け止めることはできない。パンクして頭が真っ白になってしまう。

 

 そんな古城に雪菜は優しく微笑みかける。

 

「答えはなくても大丈夫です。ただこれだけ、わたしはどんなに弱い先輩でも受け入れます。だから、過去()と向き合ってください」

 

「…………俺は」

 

 年下の少女、それも後輩に此処まで言わせて逃げられるほど古城は臆病ではいられない。腹を括って今日までひた隠してきた最大の秘密を明かす。

 

「未来を知っている。“まがいもの”の俺じゃない、ほんものの暁古城が辿るはずだった軌跡を知識として知っている」

 

「それは……」

 

 驚愕に雪菜は目を見開く。明かされた秘密は個人が抱えるには大きすぎる、重すぎる代物だったからだ。

 

「限定的とはいえ未来視の能力、ですか。わたしたちの霊視よりも更に希少なものですね」

 

「未来視か。確かに、その表現の方が合ってるのかもな」

 

 厳密には違うのだが、原作知識も未来視も大差ない。この世界を既に確かな現実と認識している古城にとって、此処が物語などという荒唐無稽で愚かな思考はとっくに無くなっているのだ。

 

 ただ雪菜に意図が、意味が伝わるのならばそれでよかった。

 

「“焔光の宴”の影響で俺は記憶を失った。でも未来の記憶は知識に分類されるんだろうな。失うことなく、今も俺の中に在る」

 

 “焔光の宴”の記憶搾取の対象は思い出、取り分けエピソード記憶が該当したのだろう。原作知識は知識、意味記憶に分類されたがために難を逃れた。

 

「俺の知る道筋の中で、ヴェルディアナ・カルアナは宴を生き延びるはずだった。でも、現実にはあの日に命を落としている……知識と現実の違いはたった一つ」

 

「先輩が、別人であること……」

 

「そうだ……」

 

 辛うじて形を保っていた右手で顔を覆い、古城は悔恨混じりの溜め息を吐く。

 

「俺が“まがいもの”だから、暁古城じゃなかったからヴェルディアナは死んだ。俺が殺したも同然だ。だから、もう二度と取り零さないと誓ったんだ……!」

 

 不必要なまでの自己犠牲。自分以外の誰かが傷付くことを恐れ、失われることを避ける在り方。その根源は“まがいもの”が抱える罪に直結していた。

 

 弱々しく項垂れて古城は己の心情を吐露する。

 

「なんて、そんなこと言いながら、俺は怖いんだよ。自分のせいでヴェルディアナを殺してしまったことが怖くて、過去から目を背け続けているんだ……」

 

 古城が過去と向き合うことを恐れている理由。何も変えることができず、誰も救うこともできず、挙句に犠牲者を増やしてしまった。己の愚かな所業と向き合う勇気が、覚悟が持てなかった。

 

 救いようのない愚者、それが“まがいもの”の本質だ。

 

 心中に押し込めていた弱音も何もかもを吐き出して、古城は空虚な瞳で正面の少女を見やる。幻滅したか、軽蔑したか。見限られても仕方ないと思いながら見上げた視界には、慈しみに満ちた微笑みを湛えた雪菜がいた。

 

「──何度だって言います。わたしは、どんな先輩でも受け入れます。弱くて臆病で、愚かな人だったとしても、この想いが変わることはありません」

 

 そっと壊れ物を扱うように雪菜が古城の身体を抱き締める。伝わる柔らかな温もりに古城は目を白黒させた。

 

 いつにない距離感に古城がドギマギしていると、雪菜が密着した体勢から顔を上げる。至近距離で見つめ合いながら、雪菜は唇を開いた。

 

「あの日と同じです。覚悟ができないなら、わたしの覚悟を受け取ってください。怖くて進めないのなら、わたしが隣に立って一緒に歩きます。先輩は、一人じゃないんですから」

 

「こんな弱い俺で、いいのか?」

 

「先輩が、いいんです」

 

 この期に及んで弱腰な古城に微かな不満を滲ませながら、雪菜は躊躇いなく断言した。

 

 此処まで雪菜に言われてしまっては、古城も逃げ続けるわけにはいかない。改めて覚悟を決めて、ボロボロの右腕で雪菜の身体を抱き締め返す。

 

「……っ」

 

 微かに身を強張らせる雪菜。抱き締め合う体勢の都合で古城には雪菜のほっそりとした首筋と鎖骨に繋がるラインが見えていた。

 

 扇情的な光景に古城は吸血衝動を引き起こされ、血に飢えた犬歯が尖り疼く。瞳は爛々と真紅の輝きを湛え、雪菜の首筋に釘付けとなる。

 

 古城の吸血衝動を感じ取った雪菜が両腕を古城の首に巻き付け、吸血しやすいように首筋を差し出す。間も無く古城の牙が雪菜の肌を喰い破った。

 

「せん、ぱい……!」

 

 雪菜は微かな痛みと血を吸い上げられる感覚に声を洩らし、脱力しながらその身を完全に古城へと委ねる。古城は凭れ掛かる少女の肢体を優しく受け止めた。

 

 無限の闇の世界で重なり合う二つの影。重力もない、時間の流れも感じられない昏い闇の中で古城と雪菜は想いを確かめ合う。

 

 やがて潤沢な魔力を得て肉体を回復させた古城。雪菜の覚悟()を受け取り、過去と向き合う決意をしたその手には身の丈近い三鈷剣が握られていた。

 

 神々が手にしたと謳われる退魔の利剣。その手に宿った剣を古城は高々と掲げる。瞬間、眩い雷光と荒れ狂う衝撃の嵐が剣に宿った。

 

 莫大な破壊を宿した退魔の剣、それが無限の闇へと振り下ろされる。斬撃に昇華された第四真祖の凶悪な一撃は闇を切り拓き、そして──

 



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焔光の夜伯 Ⅺ

 古城と雪菜がジャーダの眷獣によって忽然と姿を消した後、残された紗矢華と浅葱はジャーダの進撃を食い止めるべく死に物狂いで抗った。

 

 だが、常識的に考えて紗矢華と浅葱の二人で相手取れる存在ではない。紗矢華はヴァトラーの監視役に選ばれるほどの実力者であるが、それにしたって真祖の相手は荷が重過ぎる。ましてほぼ足手纏い同然の浅葱を守りながらとなれば時間稼ぎが限界であった。

 

「もぅ、げん、かい……」

 

「ちょっ、煌坂さん!?」

 

 何度目かの眷獣による蹂躙。擬似空間切断の術式一つで耐え凌いでいた紗矢華であったが、遂に呪力が底を尽いてしまった。加えて気まぐれに仕掛けられる近接戦によるダメージも祟り、紗矢華はその場に膝を突く。

 

 今にも倒れ込んでしまいそうな紗矢華を慌てて浅葱が支える。握る剣こそ手放していないが、呪力も体力も限界を通り越した紗矢華に、立ち上がってジャーダに立ち向かうだけの気力は残っていない。

 

「獅子王機関が誂えた擬似空間切断術式。優秀な術式だが、それ一つで(ワタシ)を相手によく戦い抜いた。中々見所があるぞ、舞威媛の娘」

 

「褒められたって、何も出ない、ですけどぉ……!」

 

 息も絶え絶えに言葉を返す紗矢華だがそこが限界。極度の疲労と消耗から遂には意識を手放してしまう。

 

「さて、次は貴様の番だ、カインの巫女。あまり手荒な真似はしたくない故、抵抗してくれるなよ?」

 

「……っ、散々暴れといてよく言うわよ」

 

 気丈に睨み返す浅葱だがもはや打つ手がない。警備ポッドをいくら掻き集めたところで魔力の放出だけで蹴散らされ、モグワイに要請させた有脚戦車(タンク)が到着したとしても到底太刀打ちできるはずもない。

 

 世界最強の一角に肉体的にはただの女子高生である浅葱が敵う道理などなかった。

 

 ジャーダが浅葱を捕えるべく、無力化するべく手を伸ばす。もはや逃げることもできない浅葱は迫る脅威を前に身構え、

 

「古城……!」

 

 祈るように大切な想い人の名前を呟いた。

 

 訪れるだろう痛みに身構えること数秒。待てど暮らせど何のアクションも訪れず、恐る恐る浅葱は正面のジャーダを見上げる。

 

 浅葱を無力化するべく手を伸ばしていたジャーダは、何があったのか目を見開いて硬直している。視線は何もない虚空に固定されていた。

 

「これは、まさか……──ッ!?」

 

 何かに気付いたジャーダが慌てた様子でその場から飛び退る。ほぼ全力での回避行動は、しかし一瞬遅かった。

 

 瞬間、何の前触れもなく虚空が斬り裂かれ、裂け目から飛び出した斬撃がジャーダを襲う。行動が遅れたジャーダは回避し切れず、“雪霞狼”を握る左手を斬り飛ばされた。

 

 一体全体何が起きたのか、浅葱には今一つ分からない。浅葱の主観では、気付いたらジャーダが離れて腕を斬り飛ばされていたのだ。

 

 混乱する浅葱の目の前で、虚空に生じた裂け目から見覚えのある二つの人影が歩み出てくる。つい先程、忽然と姿を消した古城と雪菜だ。

 

 雪菜は斬り飛ばされたジャーダの手から“雪霞狼”を取り戻し、油断なく相対するジャーダを見据えている。古城は見慣れない形状の剣を片手にジャーダと対峙しつつ、肩越しに浅葱と紗矢華を振り返った。

 

「悪い、遅くなった。今度こそ、本当に大丈夫だ」

 

「古城……無事でよかった」

 

 迷いを振り切り覚悟を決めた想い人の姿に、浅葱はどうしようもないほどの安堵を覚えてその場にへたり込んだ。

 

 浅葱には一目見て古城の中にあった迷いが拭い去られているのが分かった。姿を消してからの時間で何があったかは、無事な姿の古城を見れば凡そ検討はつく。雪菜に思うところはあるが、今は脇に置いておこう。何があったかは後でじっくり聞けばいい。

 

 浅葱が不満を飲み込みながらも古城の復活を喜んでいると、古城の視線が紗矢華へと向けられる。

 

「煌坂は……」

 

「古城たちが戻ってくるまで、あたしを守ってくれていたのよ」

 

「そうか……無理させたな。後は任せろ」

 

 古城の言葉が届いたのか、僅かに意識を取り戻した紗矢華が安堵したように微笑を零した。そして今度こそ、完全に意識を喪失した。

 

「浅葱、悪いけど煌坂を連れて少し離れてくれ。少し、乱暴してくる」

 

「分かった。ちょうど有脚戦車(タンク)も来たし、こっちのことは気にせずやっちゃいなさい」

 

 自動運転(オートパイロット)で此処まで駆け付けた有脚戦車(タンク)を見て、浅葱は紗矢華に肩を貸しながら戦車へと足を向ける。対魔族戦闘も想定された戦車の装甲は、よほど集中的に攻撃でもされない限りは安全だ。

 

 浅葱と紗矢華の安全が確保されたのを確認し、古城は改めてジャーダと向き合う。

 

「悪いな、待たせたか?」

 

「気にするな。待つのには慣れている。それに、待った甲斐もあった」

 

 当然のように左腕を再生させたジャーダが、玩具を目の前にした子供のような笑みを浮かべる。

 

「佳い顔付きになった。己の過去()と向き合う覚悟はできたか?」

 

「お陰様でな……」

 

 疲れたような乾いた笑みを零しながら古城は頷いた。

 

 認めるのは癪だが、ジャーダが切っ掛けの一端を担っているのは間違いない。むしろ彼女は古城が覚悟を決められるように促していた節もある。異空間に雪菜ごと放り込んだのがその証左だ。

 

 ジャーダ・ククルカンの目的──MARにて管理されているアヴローラの亡骸の開放を思えば、ついでとばかりに古城へとお節介を掛けるのも可笑しな話ではなかった。

 

 ただその手口が正面からの強襲な挙句、治療中の凪沙がアヴローラの柩の側に居るのを思えば、食い止める必要があるのも無理はない。とはいえ、結局は古城が過去から目を背けていたことが一番の要因であるが。

 

「アヴローラのことは俺が預かる。MARにも必ず報いを受けさせるつもりだ。今日のところは、第四真祖()の顔を立ててくれないか?」

 

 素通りさせていればMARが甚大な被害を受けるだけで済んでいた、と古城は思っている。自分が責任持って落とし前を付けさせると宣言すればジャーダも引いてくれるかもしれない。そんな希望的観測があった。

 

「ふむ、今の貴様ならば信用に値するが……」

 

 何処か芝居がかった仕草で顎に手をやり、ジャーダは考え込むように唸る。しかし数秒も経たずしてその表情は獰猛な笑みに取って代わった。

 

「くふふ、(ワタシ)も蛇遣いのことをとやかく言えんな。吸血鬼の(サガ)か、血が昂って仕方ない。世話を焼いてやった礼に、もう少しばかり付き合ってもらおうか」

 

「こっちは大迷惑なんだが……」

 

「気乗りせんか? ならば先の宣告通り、カインの巫女を土産にでも貰うとするか」

 

「……大人気ないぞ、あんた」

 

 穏便に帰ってもらえたならばと考えていた古城の目が据わる。たとえ安い挑発であったとしても、浅葱を連れ去ろうなどという発言を看過できるほど古城は温厚ではない。

 

「いいぜ、そんなに暴れたければ相手になってやる」

 

 古城の手にする剣に眩い稲妻が宿る。莫大な雷光を纏った剣を構え、古城は格上の同族へと挑む。

 

「ここから先は、第四真祖()の──いや」

 

 隣に並び立つ頼もしい監視役──雪菜と視線を交わし、ジャーダへと挑戦を叩き付ける。

 

「──俺たちの聖戦(ケンカ)だ!」

 

「──はい、先輩!」

 

 仕切り直しの三度目、死闘の幕が再度切って落とされた。

 

 

 ▼

 

 

 大蛇の如く畝る火焔柱、降り注ぐ雷球の雨、吹き荒ぶ暴風。自然災害を具現化したかの如き眷獣の攻撃は、とてもではないが生身で立ち向かうような代物ではない。

 

 絃神島を滅ぼしてもお釣りがくるほどの災害群に、古城は剣を手に真正面から立ち向かう。

 

我が手に宿れ(きたれ)、”獅子の黄金(レグルス・アウルム)”!」

 

 獅子の咆哮が轟き、掲げる剣に尋常ならざる雷光が宿る。雷光の獅子の力を纏った剣を、古城は迫る災害群へと振り下ろした。

 

 解き放たれるは雷光の斬撃。眩い紫電の一閃は押し寄せる災害を一刀のもとに両断してみせた。

 

 此処まで眷獣の真っ向勝負では一度たりとも押し勝つことができなかった古城。しかし古城が振るう剣の一撃はものの見事にジャーダの眷獣を打ち破ってみせた。

 

 従える眷獣の能力が向上したというわけではない。絡繰は単純で、対峙するジャーダはすぐに看破した。

 

「“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”と他の眷獣を融合させ、力に指向性を与えて破壊力を向上させたか」

 

 雪菜からの吸血で古城が新たに掌握したのは七番目の眷獣“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”。重力制御の権能を有する、刃渡数百メートルにも及ぶ巨大な漆黒の三鈷剣。第四真祖の眷獣において最大級の破壊力を秘める意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)だ。

 

 本来で在れば広範囲破壊特化の超質量兵器であるが、眷獣の能力を限定権限させることでスケールダウンさせている。その上で、他の眷獣と融合させて火力を増強していた。

 

 一対一の眷獣勝負で負けるのならば、融合してジャーダの眷獣を上回ればいい。単純な理屈だが、眷獣の合成は隙も大きく制御も難しい。準備をしている間に叩き潰されるのが関の山だ。

 

 故に眷獣の規模、融合のスケールを小さくした。具体的には“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”を基に他眷獣を融合、あるいは付与するという形。これならば隙も小さく、制御も比較的容易い。

 

 “夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”が剣という性質上、他の眷獣との親和性が高かったのが功を奏した。そのおかげで、ただ眷獣を解き放つよりも効率よく、かつ強力な破壊力を生み出すことに成功している。

 

「真祖らしからぬ戦い方だ。だが、悪くない」

 

「満足したなら帰ってくれていいんだぞ」

 

「興醒めするようなことを言ってくれるな。勝負はこれからだろう?」

 

 凄絶な笑みのままジャーダが両腕を掲げる。すると虚空から濁流の瀑布が古城目掛けて降り注いだ。

 

 “夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”を基点とした合成眷獣は強力な反面、広範囲から押し寄せる脅威に対しては脆弱な面がある。紗矢華の“煌華麟”と同じで、四方八方からの攻撃には弱いのだ。

 

 たった一度で“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”の弱点を看破するあたり、伊達に真祖として生きていないのだろう。積み重ねた経験値の差は大きい。

 

 相性的に不利な眷獣に対して、しかし古城に恐れも焦りもありはしない。何故ならば古城は一人ではないからだ。

 

「──“雪霞狼”!」

 

 眩い銀の輝きが降り注ぐ瀑布を斬り裂き、頭上を覆うほどだった濁流が跡形もなく消失した。

 

 魔力を無効化する“雪霞狼”は眷獣に対して、取り分け魔力で構成された物質に対して特攻を発揮するのだ。触れるだけで、斬り裂くだけで眷獣の攻撃を無力化する程度訳ない。

 

 雪菜の援護を信じていた古城が再度剣を振り下ろす。解き放たれた雷光の斬撃が人工島の大地を裂きながらジャーダを襲う。

 

 迫る斬撃をジャーダは半歩身を引いて紙一重で躱す。巨大な剣で斬り裂かれたかのような地面の傷を観察し、ジャーダはその斬撃の威力に満足そうな笑みを零した。

 

「眷獣のぶつけ合いは貴様に分があるようだな」

 

「遊んでる奴に言われてもな……!」

 

「くふふ、成り立ての後輩を蹂躙するほど大人気なくはないとも」

 

「十分! 大人気ないんだよ!」

 

 見た目こそ可憐な少女だが、ジャーダは悠久の時を生き続けてきた真祖である。転生経験があったところで誤差でしかないレベルの歳の差、年季の差が両者にはあった。

 

「さて、ならば次は──」

 

 小柄なジャーダの姿が一瞬で掻き消えて古城の眼前に現れる。獣人に匹敵する速度で間合いを詰めたのだ。

 

「──剣の腕でも見せてもらおうか?」

 

「──ッ!」

 

 拳打の間合いに踏み込もうとするジャーダを、古城は近付けまいと剣で迎え撃つ。

 

 身の丈近い漆黒の剣を振り翳す。刃筋を立て、軌跡を描き、長いリーチを意識して立ち回る。その立ち回りはつい先ほどまで喧嘩殺法を繰り出していた人間とは思えない、確かな知識に裏打ちされた挙動だった。

 

「これは……なるほど、そういうことか」

 

 短期間で素人から脱却した古城の動き、その絡繰もジャーダは即座に見抜いた。

 

「“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”と剣巫の血の記憶を取り込んだな?」

 

 素人同然だった古城が曲がりなりにも剣を振い、辛うじて歴戦の猛者たるジャーダに太刀打ちできている理由。それは“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”が蓄積した膨大な血の記憶と、雪菜が今日まで積み上げてきた修練の血の記憶を受け取ったからだ。

 

 強力な武器を手にしたからといってそれを扱う術がなければ無用の長物に成り下がる。前世も含めて武術も剣術にも縁がなかった古城に、何の準備もなくそれを十全に扱うことは本来であれば不可能であった。

 

 それを可能としたのが血の記憶。“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”に蓄えられた剣の扱い方と、雪菜が修めた武術と槍術の知識。それらを組み合わせ、付け焼き刃であるがどうにか形にしている。

 

「なんで分かるんだよ……!」

 

「剣術にしては挙動が歪だ。槍術の扱いを取り込んだのが原因だろうな。後で矯正しておくといい」

 

 たった数度の遣り取り、挙動の観察で種を見破る洞察力。純粋な戦闘能力よりも何もかもを見通してしまうその観察力が古城には恐ろしかった。

 

 とはいえ、雪菜の血の記憶がなければ近接戦における体捌きの一つも分からないまま、ジャーダの猛攻に為す術なく打ちのめされていたのは事実。急拵えは重々承知の上で、古城は雪菜の力を借りている。

 

 それに、歪になった挙動の隙を突かれたとしても問題ないと古城は考えていた。何故ならば──

 

「──やああああッ!」

 

 体勢が崩れた古城に仕掛けたジャーダを、鋭い銀の刺突が狙い据える。当たりどころによってはジャーダですら滅びかねない破魔の聖槍だ。肉を切らせて骨を断つなどという戦法ができない以上、ジャーダは槍の穂先を逸さなければならない。

 

 ならば先のように槍を掴んで止めてしまえばと思えば、そうはさせじと古城が果敢に斬り掛かってくる。互いが互いの動きを理解し、補い合う立ち回り。生半可な敵であれば捌き切れずに押し込まれただろう。

 

「ほう、連携の質も向上しているな。中々に厄介だぞ」

 

 古城が雪菜の血の記憶を基にした動きをしているからだろう。古城と雪菜の連携の質が格段に上がっている。下手をすれば、長年共に過ごしてきた紗矢華に匹敵するレベルで呼吸を合わせていた。紗矢華が起きていれば嫉妬やら何やらで歯軋りしていたかもしれない。

 

 それでもジャーダを押し切ることはできない。

 

 二対一、しかも剣と槍を携えながら無手のジャーダを相手に勝ち切れない。理解していたとはいえ、立ちはだかる壁の巨大さに古城と雪菜は戦慄する。

 

 このままでは埒が開かない。目紛しく争う最中に古城は雪菜と視線を交わし、ジャーダを打ち破るべく攻勢を仕掛けた。

 

「堕とせ、“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”!」

 

「────ッ!!」

 

 激しい近接戦の最中、ジャーダの身体に凄まじい重圧が降り掛かる。“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”の重力制御による干渉だ。

 

 常人ならば立つことも儘ならない、それこそ獣人であっても膝を突きかねない重力の檻。然しものジャーダも動きが鈍る。鈍るだけで当たり前のように動いているが。

 

 そこへすかさず古城と雪菜が同時に仕掛ける。剣と槍による左右からの挟撃。重力制御下ではジャーダも対応し切れない。

 

 古城と雪菜の刃が届く──寸前、ジャーダを中心に身の毛が弥立つほどの魔力が爆発する。荒れ狂う魔力は物理的な圧力を伴い、古城と雪菜を吹き飛ばした。

 

「うおっと……」

 

 吹き飛ばされながら古城は自分たちに掛かる重力を操って着地、即座に剣と槍を構え直す。ジャーダの追撃を警戒していた古城と雪菜だが、しかし当のジャーダは魔力を解放した地点から動いていなかった。

 

「“夜摩の黒剣(キファ・アーテル)”もそれなりに使い熟せているようだな。剣の腕そのものは……うむ、励むといい」

 

「余計なお世話だ……」

 

「剣巫との連携も悪くない。貴様らの行末が愉しみだ」

 

「そいつはどうも」

 

 さて、と一頻り所感を述べたところでジャーダが両腕を拡げる。古城と雪菜も、何が起きても対応できるよう身構えた。

 

「十二分に愉しませてもらったが、このまま終わるのでは少々味気ない。最後に火力勝負といこうか」

 

 ジャーダの左右で悍ましいほどの魔力が渦巻く。莫大な魔力を呼び水に真祖の眷獣が現実世界へと顕現しようとしていた。

 

「──二体だ。貴様は好きに喚ぶとよい」

 

「……まさか」

 

 ジャーダの発言の意図を理解するのに時間が掛かった。ややあってその意図を察した古城は、信じ難い現実を前に表情を引き攣らせる。

 

「眷獣の合成、あんたもできるのか……!?」

 

第四真祖(キサマ)にできて第三真祖(ワタシ)にできない道理はないだろう? とはいえ、実践するのは初だがな」

 

 上手くいくかな? などと呑気に笑いながら眷獣の合成を試みるジャーダ。無茶苦茶な理屈であるが、第四真祖(古城)にできるならば第三真祖(ジャーダ)もやってやれないことはないだろう。

 

 古城が唖然としているうちにジャーダの頭上で眷獣の合成が行われる。自然災害が意思を持ったかのようなジャーダの眷獣たち、そこから選ばれたのは炎と風。火山の噴火の如き火焔と荒れ狂う大嵐が混ざり合っていく。

 

「下がってください、先輩! 此処はわたしが対処します!」

 

 即座に槍を携えて雪菜が前に出る。真祖の合成眷獣ともなればその秘めたる暴威は計り知れない。常識的に考えてただの人間に太刀打ちできる代物ではないが、“雪霞狼”を持つ雪菜は例外だ。

 

 あらゆる結界障壁を撃ち破り、魔力を無効化する“雪霞狼”ならば正面からでもジャーダの合成眷獣を撃ち破ることができる。相性的に絶対有利なのだ。

 

 しかし古城は雪菜の提案に首を振った。

 

「いや、俺がやる」

 

「なっ、どうしてですか? わたしなら、確実に抑え切れます!」

 

「だろうな。でも、それであいつが納得してくれると思うか?」

 

「それは……」

 

 古城と雪菜にジャーダの挑発に乗る必要性はない。雪菜がジャーダの眷獣を無効化した隙を古城が突けば確実に勝利できる。周辺への被害も最小限に留めることができるだろう。

 

 だがそれでジャーダが納得するのか。流石に癇に障ったからなどという理由で蹂躙を再開することはないだろうが、下手にしこりを残すのは得策ではない。何せ相手は夜の帝国(ドミニオン)を治める真祖の一人だ。謂わば一国を統治する領主である。

 

 理屈では古城の言い分も理解できる。しかし感情の面で納得できるかといえばそうではない。不満を露わに唇を尖らせる雪菜に、古城は申し訳なさそうに苦笑を零す。

 

「悪いな、姫柊。代わりと言っちゃなんだけど、余波の方を頼めるか? 最悪、ここら一帯が吹っ飛びかねないからさ」

 

「やっぱりわたしが矢面に立ったほうがいいと思うんですけど? 思うんですけど?」

 

「仰る通りです、はい。でもまぁ……男にも意地があるんだ」

 

 漆黒の剣を肩に担いで古城は気負いなく笑った。柵や過去の罪に縛られた重苦しい表情ではない、心持ち晴れやかな古城の雰囲気に雪菜は溜め息を吐いた。

 

「……後でお説教ですから」

 

「お手柔らかに頼むよ」

 

 不服を全身で表現しながらも雪菜が譲るように一歩下がる。代わりに一歩進み出た古城は、剣先を天高く掲げて構えた。

 

我が手に宿れ(きたれ)、”獅子の黄金(レグルス・アウルム)”! “緋色の双角(アルナスル・ミニウム)”!」

 

 古城の呼び声に応じて雷光の獅子と緋色の双角馬が剣に宿る。天災そのものといって過言ではない稲妻と衝撃波の融合。それが剣という形に押し込められ、圧縮され、解放の時を今か今かと待つ。

 

「くふふふっ、話は付いたようだな」

 

「後でお説教が確定したけどな」

 

「第四真祖に説教とは、剣巫の娘も肝が据わっている」

 

 くつくつと喉を鳴らすようにジャーダは笑う。世界最強の吸血鬼である第四真祖と監視役たる剣巫の珍妙な力関係が愉快で堪らないのだろう。

 

 雪菜の横槍が入ることはない。これで心置きなく全力をぶつけ合うことができる。古城とジャーダは互いを睨み据え、衝突の時に備え魔力を昂らせる。

 

「さあ、宴の幕引きといこうか。“まがいもの”よ──!」

 

「撃ち砕く。これが俺の全力全開──!」

 

 天高く掲げられた剣に蓄積された衝雷が振り下ろされ、人工の大地を引き裂きながら突き進む。渦巻き圧縮された火焔嵐が横倒しの火災旋風となって解き放たれ、全てを抉り薙ぎ倒しながら荒れ狂う。

 

 一方だけでも人工島を容易く揺るがす破壊の権化。絃神島を滅ぼして余りある二つの厄災が激突し、そして──

 

 

 




SLBあるいはエクスカリバー。



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焔光の夜伯 Ⅻ

 大勢の利用客で溢れる空港の一角。荷物を纏めたボストンバッグを抱えた“まがいもの”は空港のロビーでヴェルディアナと向き合っていた。

 

「もう帰っちゃうのね、古城」

 

「これでも中学生だからな。次学期の準備もあるし、あんまりのんびりしていられないんだ」

 

 それに、凪沙をあまり長いこと一人にするわけにもいかない。去年の夏は殆どを一人切りで過ごさせてしまったため、今年はなるべく一人にはしたくないという思いがあった。

 

「まだ二十歳ですらないものね。忘れていたわ」

 

 密林でのやり取りや遺跡での言動のせいですっかり忘れてしまっていたのだろう。なまじヴェルディアナ自身が吸血鬼であるため、“まがいもの”が二十歳どころか十五にも満たないことを失念していた。

 

 前世を含めれば二十歳は優に超えているため“まがいもの”は若干微妙な顔をしていたが。

 

「ヴェルディアナは、これからどうするんだ?」

 

「私はしばらく牙城と行動するわ。柩を開くのにも色々と準備が必要だし、整理しておかないといけないこともあるから」

 

「そうか……気を付けてな」

 

「分かってるの。また命を、これを狙われないとも限らないから」

 

 胸元に仕舞った聖槍に手を当て、ヴェルディアナは神妙な顔付きで頷いた。

 

 ヴェルディアナが生きていて尚且つ聖槍を所持しているとなれば、ザハリアスが再び刺客を放つ可能性は十分あり得る。今回の一件で身を以てヴェルディアナは理解した。

 

 暫くは刺客を警戒しつつアヴローラの封印を解く準備に奔走することになるだろう。心配な面はあるが、牙城が共にいるのであれば大事に至ることはないはずだ。

 

 胸元から手を下ろしてヴェルディアナは少し寂しげな笑みを零す。

 

「次に古城と会えるのは先になりそうね」

 

「そうだなぁ。俺も夏休みだから出て来れたけど、絃神島は結構人の出入りが不便な場所だからな」

 

 太平洋のど真ん中に浮かぶ絃神島は島内ならまだしも、島外との交通の便は悪い。出入りする際には“魔族特区”故に別途手数料も掛かり、気軽に島外へと出ることはできないのだ。

 

「“魔族特区”絃神島……一体どんな場所なの?」

 

「年がら年中暑い島だよ。あと、普通に魔族も暮らしてる。ヴェルディアナも住んでみれば馴染めると思うぞ」

 

「ふぅん? なら、その時はちゃんと私が馴染めるように手伝いなさいよ」

 

「それくらいならお安い御用さ」

 

 任せろと頷く“まがいもの”にヴェルディアナは満足げに微笑んだ。

 

 搭乗手続きを促すアナウンスがロビー内に流れる。人の流れが変わったのを見て、“まがいもの”はボストンバッグを担ぎ直した。

 

「悪い、そろそろ行く。またな、ヴェルディアナ」

 

「ええ、また……」

 

 小さく手を振るヴェルディアナに背を向けて、“まがいもの”は搭乗手続きを行うべく歩き出す。人の流れに身を任せて歩いてると、ふと隣にくたびれたトレンチコートを羽織った男──暁牙城が肩を並べた。

 

「兄弟も隅に置けないな。随分とお嬢様に気に入られたんじゃないか?」

 

「そんなんじゃないさ」

 

 冷やかし混じりの牙城の言葉に首を振り、“まがいもの”は何処かやるせない面持ちで目を伏せた。

 

 これから先のことだが、“まがいもの”はヴェルディアナを利用することになる。予め覚悟していたことではあるが、それでも憂鬱な感情を隠せない。

 

「……ヴェルディアナを、諦めさせることはできないか?」

 

 無理だと分かっていても尋ねずにはいられなかった。

 

 独り言のような呟きに牙城は横目で少年の表情を窺いながら口を開く。

 

「難しいだろうな。“焔光の宴”の詳細を明かしたとしても、ザハリアスへの復讐にのめり込んじまう。そしたら余計に手が付けられなくなりかねない」

 

「それは……そうだろうな」

 

 “焔光の宴”という第四真祖を復活させる大規模儀式には膨大な数の生贄が必要になる。宴に選帝者として参加するにあたって一定以上の領地が必要とされる理由がここにあった。

 

 儀式の生贄にされた者たちは思い出を、取り分けその人物にとって大切な記憶を根こそぎ奪われてしまう。命こそ取られないが、それでも大切な思い出の喪失は人々の心に埋まることのない空白を生み出すことになる。

 

 旧カルアナ伯爵領の領民が儀式の生贄に捧げられると知れば、ヴェルディアナは躍起になって宴を止めるかザハリアスの殺害を目論むはずだ。そうなってしまえば、いよいよもってヴェルディアナを止めることはできないだろう。

 

 そうでなくとも、既にヴェルディアナは突き進む覚悟を決めてしまっている心境なのだ。牙城から説得する言葉を並べ立てたとしても、止まるかどうかは怪しい。

 

「それに、下手に立ち止まる方が辛いこともある。走り続けていた方が楽な時だってあるんだ」

 

 一族も敬愛する姉であるリアナも失い、ヴェルディアナに残されたのは領民を救い怨敵を討つという使命感のみ。それらを取り上げてしまえば、むしろ精神的に不安定になりかねない。

 

「……分かってる、分かってるんだ。こんなのはただの自己満足だってな」

 

 悔しげに歯噛みして“まがいもの”は己の無力さに拳を握り締める。

 

 利用しようとしている分際で、ヴェルディアナを救いたいだなんて口が裂けても言えない、言ってはならない。まして“まがいもの”には優先すべき、救わなければならない少女がいる。ヴェルディアナのことをとやかく言える立場ではないのだ。

 

「或いは、他に譲れない大切なものができたのなら、話は変わるのかもしれないがな」

 

 自己嫌悪に項垂れる隣の少年を見ながら牙城は言う。

 

 復讐よりも、領民の救済よりも大切なものができたのならば、ヴェルディアナを止めることができるかもしれない。その可能性を握っているのは、きっと──

 

 牙城の眼差しに“まがいもの”は気付かない。自己嫌悪に俯く“まがいもの”には自覚がなかった。牙城から指摘したところで意味はないだろう。

 

 難儀なもんだ、と牙城は胸中で呟いた。

 

「ま、ヴェルディアナのことは俺も気に掛けておくさ。後のことは任せとけ」

 

「あぁ……頼んだ」

 

 ひらひらと手を振りながら離れていく牙城の背中を見送る。今度こそ一人になった“まがいもの”は僅かな迷いを抱えつつ、絃神島へ帰るために歩みを進めるのだった。

 

 

 これが“まがいもの”とヴェルディアナ・カルアナの出会い。“まがいもの”の心に消えることのない傷を刻み込む悲劇の前奏曲だった。

 

 

 

 ▼

 

 

 第三真祖と第四真祖の幕引きの一撃が激突したMAR医療施設の中庭。そこはもはや原型を留めていないほどに破壊の限りを尽くされ、施設棟も辛うじて形を保っているような有様だった。

 

 立ち込める塵煙が内側から切り払われる。古城が漆黒の剣に衝撃波を纏って解き放ったのだ。

 

 現れた古城は至って無傷。舞い上がった砂埃に汚れてこそいるが負傷の類は見受けられない。やや離れた位置で余波を消し去った雪菜も同様に無傷だ。

 

 対するジャーダはどうなのか。古城が解き放った斬撃の痕跡を辿ると、そこには袈裟懸けの裂傷を受けたジャーダが泰然と佇んでいた。

 

「くふふふっ、(ワタシ)の眷獣が押し負けたか。やるではないか、“まがいもの”よ。見直したぞ?」

 

 賛辞の言葉を述べながらジャーダは己の傷口を指で撫でる。赤い鮮血が止めどなく流れ出していた傷口が、見る見るうちに塞がっていき完全に再生した。末恐ろしい回復力だ。

 

 よもや第二ラウンドが始まるのではないかと警戒する古城と雪菜に、ジャーダは今まで見せたこともない穏やかな微笑を浮かべた。

 

「そう構えるでない。此度の宴はこれにて閉幕だ。それに──」

 

 すっとジャーダがその場から身を翻す。一瞬遅れてジャーダの居た空間を虚空から吐き出された銀鎖が貫く。見慣れた魔術に古城と雪菜は揃って目を丸くした。

 

「過保護な魔女が出てきたのでな。これ以上は加減ができなくなってしまう」

 

「私の縄張りで散々暴れておいて、挨拶もなしに帰るつもりか。“混沌界域”の領主(トップ)は礼儀を知らないようだな」

 

 虚空に浮かんだ魔術式からゴシックドレスを纏った少女が現れる。世界最強の一角たる第三真祖を前にしても傲岸不遜な態度を貫く、古城の頼れる担任教師──南宮那月だ。

 

 那月は教え子たる古城を一瞥するとレースの扇子を無言で一閃。何の構えも取っていなかった古城の腹部に強烈な衝撃が走った。

 

「ちょ、なんで──ぐはぁ!?」

 

「先輩!?」

 

 情けなく頽れる古城に雪菜が慌てて駆け寄る。その様子を冷ややかに眺めて那月は刺々しい口調で言う。

 

「街のど真ん中で眷獣を解き放ち、民間企業に大損害を齎した愚か者への罰だ」

 

「いや、文句は向こうに言ってくれよ……」

 

 襲撃を仕掛けてきたのはジャーダであり、古城はあくまで応戦したに過ぎない。過剰ではあったかもしれないが、正当防衛だろうと訴えたいところであった。

 

 古城の訴えに那月は不機嫌そうに鼻を鳴らし、襲撃の下手人たるジャーダを睨み据える。

 

「それで、まだ暴れ足りないのなら私が相手してやるが?」

 

「遠慮しておこう。それに、消耗した状態では貴様も満足に戦えぬだろう?」

 

「…………」

 

 ジャーダの鋭い指摘に那月は美しい柳眉を顰めた。

 

 ジャーダの言葉通り、今の那月は本調子には程遠い。仙都木阿夜から受けた傷が完治していないのだ。第四真祖の猛毒に倒れたヴァトラー程ではないが、それでも無理を推しているのは間違いない。

 

「ではな、“まがいもの”よ。次は更に心躍る闘争を期待しているぞ」

 

「勘弁してくれ……ああ、そうだ」

 

 腹部を摩りながら立ち上がった古城が、ふと思い出したような素振りで口を開く。

 

アメリカ連合国(CSA)に気を付けとけ。油断すると、足元を掬われるぞ」

 

「先輩、それは……」

 

 先の異空間での会話から雪菜は古城の情報源を察した。

 

「ほう、面白い情報だ。やはり貴様は興味深い男だな……」

 

 古城からの忠告にジャーダは愉快そうに笑みを深める。忠告した当人としては、面倒事と争いの火種を絃神島に持ち込まないでほしいという願望ありきの警告であるが、果たして何処まで意味があるのか。

 

「CSAは念頭に置いておこう。忠告の礼代わりに、今度は(ワタシ)夜の帝国(ドミニオン)へ招待してやろう」

 

「楽しく観光させてくれるなら喜んで。厄介事に巻き込むつもりなら遠慮させてもらう」

 

「なに、心配するな。(ワタシ)の可愛い娘たちを紹介するだけだとも。ではな、“まがいもの”の第四真祖」

 

「おい待てェ!? 最後の最後に余計な火種を残していくなよ!?」

 

 古城の叫びも虚しく、ジャーダはからからと笑いながら霧に変じてこの場から姿を消した。

 

 揶揄い十割の台詞を残して消えたジャーダに怒りを覚える古城。その隣から無機質なほど冷たい声音が響いた。

 

「先輩……」

 

「古城……」

 

「待て、待ってくれ。あれはジャーダの悪ふざけって、浅葱!? いつの間に!?」

 

 戦闘が終結した気配を察して戦車から出てきたのだろう浅葱が、間の悪いことに古城の背後に立っていた。浅葱に肩を借りる形で紗矢華もいる。

 

 浅葱と紗矢華もジャーダの発言を聞いていたのだろう。ジトリとした眼差しが三対、古城に突き刺さっていた。

 

 慌てた様子で古城は弁解を始める。別段、古城は何一つとして悪いことはしていない。していないが、浅葱と雪菜に告白されて返事もしていない状況での娘を紹介発言は核爆弾にも匹敵する破壊力を秘めていた。下手な受け答えは自らの首を絞めることになるだろう。

 

 何故こんな爆弾解除のような緊張感を味合わなければならないのか。今度会ったら文句を言ってやると古城は心に誓う。雪菜たちがこっそりと視線を交わし、くすりと笑みを零していたことには気付いていなかった。

 

 そんな教え子たちのやり取りを見て、那月は呆れ混じりの溜め息を零した。

 

「おい、馬鹿ども。乳繰り合うなら他所でやれ。鬱陶しい」

 

「もう少し言葉を選んでくれませんかね、那月先生。生徒が今際の際になりかねないんですが?」

 

「刺されたところで死にはしないだろう。さっさと家に帰れ。それとも、このまま特区警備隊(アイランド・ガード)に突き出されたいか?」

 

「待った、待ってくれ。頼みたいことがあるんだよ」

 

 雪菜たちに一頻り謝り倒し、古城は恩師たる那月と正面から向かい合う。ジャーダに爆弾発言を落とされて慌てふためていた少年はもういない。覚悟を決めた表情で古城は頭を下げる。

 

「記憶を取り戻すことに、協力してほしい。お願いします」

 

「…………」

 

 那月は頭を下げる古城をじっと見つめ、次いで後ろに立つ少女たちを見やる。

 

 雪菜たちも古城の意思に否はないのか、真剣な眼差しで那月を見返している。古城にどんな過去があったとしても受け入れると、纏う雰囲気が物語っていた。

 

「……過去の追想はお前の想像以上に精神的負担が大きい。それでも、記憶を取り戻すことを望むか?」

 

「覚悟の上だ。俺はもう、逃げない」

 

 顔を上げた古城の瞳には確固たる意志が灯っている。雪菜たちに背中を押され覚悟を受け取った古城は、過去から目を背け続けることをやめた。揺るぎない覚悟を持って古城は己の過去()と向き合おうとしている。

 

 古城の覚悟を確認して那月は静かに瞑目する。ややあってから意思を固めたのか、目を開いた那月は常と変わらぬ傲岸な口調で答えた。

 

「いいだろう、力を貸してやる。約束でもあるからな」

 

「ありがとう、那月先生」

 

 心からの感謝を古城は伝えた。

 

 

 

 

 

 過去と向き合う覚悟はできた。

 

 “まがいもの”は目を背け続けていた“過去()”を直視することになる。伸ばし損ねたあの日の手が、誰を取り零し、何を掴み取ったのか。

 

 そして、あの日誓った約束を思い出すことになる──

 

 

 




焔光の夜伯はこれにて終了。
次は愚者の暴君編。
筆者が一番描きたかった、そして構想を考えている最後の章です。
次に関しては書き溜めて推敲しつつになると思うので、次回更新に時間が掛かると思います。
時間が開くことへの謝罪と、いつも感想と誤字修正をしてくださっている皆様への感謝をこの場でお伝えします。


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