IS-refrain- (ソン)
しおりを挟む

その心に色など無く

 我思う故に我有り。誰かがそう言った。

 この世界はもしかすると全て嘘なのかもしれない。目の前にいる人は明日には生きていないかもしれないし、信じていた話はお伽話であるのかもしれない。

 確かな真実などこの世界には無い。

 だけど、彼はここにいる。彼と言う存在が生きている事は紛れもない事実だ。

 俗に言う自己認識。当たり前だけど、だからこそ自分らしくいられる。

 もしもそれが奪われたのなら、人は何なのだろうか。

 だからこそ、彼は思う。

 

 

“――(オレ)は何の為に生きているのだろう”

 

 

 

 

 

 

 

 底は地獄で、其処は果てだった。

 燃え盛る火炎と崩れ落ちる廃墟。

 生命など到底存命する事など出来そうにもない。

 地面は焦土と化し、空気は熱に冒され、空は終焉を遂げようとしているのではないかと思わせるような灰色の空だった。

 建物は崩れ落ち、廃墟は時間を逆行する破壊に晒され、瓦礫の山を築くのみ。そこに義務もなければ理由も無い。消えるときが来たからただ消えるだけ。

 またしても、何かが崩れ落ちる音が響く。

 そんな中を一人の少年が体を引き摺りながら歩いていた。

 彼の総身は傷に満ちており、染み落ちる血が地面を濡らす。

 

「――」

 

“苦しい”

 

 それが今、少年の中に渦巻く思いだった。

 着用していた布の切れ端は既に焦げており、そこから見える肌は人間とは思えぬほど細い。

 素足でこの地獄を歩くにはさすがに無謀すぎた。瓦礫の角が皮膚を削り、少年の傷を乾いた風が舐める。

 灰色の空と吹き荒れる風、爆風により破壊された辺り一帯はこの世とは思えぬ光景。

 地獄という物があるとするならば、きっとこのような場所に違いない。

 熱風と熱砂、出血と熱が意識を奪い死へと彼を誘う。

 だがそれでも、ようやく外に出れたのだ。

 後はきっと姉が助けに来てくれる。

 もう悪夢に苦しむ必要も無い。

 少し、ほんの少しだけで――。

 そんな希望にすがるように手を伸ばし、少年は倒れた。

 浅く微かな呼吸を何度も何度も繰り返しながら、地面を這いずり少しでもこの地獄から抜け出すために僅かな歩みを進める。

 だが、既にその体は限界だった。

 煤に塗れても、彼は目を閉じず、ただ弱々しく灰色の空へ手を伸ばす。

 簡単に折れてしまいそうなほど細いその腕は、土煙と鬱血に塗れていた。

 

“――助けて、千冬姉”

 

「――」

 

 言葉にならぬ声。否、小さな声は地獄を吹き荒れる風に塗りつぶされてゆく。

 まるで祈る事すら憚るようで、だが少年はそれに気づかず、ただ必死に手を伸ばす。

 しかし、その手は何も掴まない。空を切った手は地に落ちる。

 その手が落ちた音ですら、烈風に掻き消されてゆく。

 総身は地面に横たわっており、頭だけがかろうじて動かせた。

 彼の虚ろな目は空と地面以外何も映していない。

 塗りつぶされてゆく世界の中で、微笑む姉の姿を幻視しながら、彼の意識は途絶える。

 それが自身の作り上げた一芝居だとは気づきもせず、彼は限界に落ちていった。

 

 少年の体を渇いた風がただ虚しく過ぎ去っていく。

 

 

 

 

 

 

 世界は残酷だと誰かが言った。

 ある者には幸福を与え、ある者には不幸を与える。

 それを平等と言うには余りにも遠い。

 だからこそ人は思う。

 平等、幸福、不幸。その何が違うのか。

 世界は何も言わない。

 運命は何一つ先を知らせない。

 もし仮に、世界と言う存在が話せるとして自分の運命を教えろと言ったのなら、世界はきっとこういうだろう。

 

“走れ。自身で前へ行かない臆病者に得るモノなど何も無い”

 

 だからこそ人は言う。

 

“前とはどこだ”

 

 そして世界は問いかける。

 

“全ては自身で考えろ。答えなど、与えられれば何の意味も無かろうに”

 

 

 

 

 

 

「ターゲットを確認、拘束する」

『了解よ、見張りは?』

「無力化させた。オータムが後処理を行っている」

 

 長い白髪の少年は、事前に知らされていた情報と合致する女を見つけ、後をつける。

 白いロングコートを着ているが、それは目立つようなモノではない。寧ろ目立つとすれば彼の容姿だが、気配を殺しきっている彼に気づけるような一般人は周囲にいない。

 例の女が路地裏に入るのを確認し、少年もまた路地裏に入る。そこからの動きはまさしく高速と呼ぶのにふさわしかった。

 足音と気配を先ほど以上までに殺し、女の下にまで僅か数歩で追いつくと足払いをかけ、事前に用意しておいた布で女の口を塞ぐ。無論、麻酔を染み込ませた布であるため、女は数秒足らずで気絶した。

 

「アルカ、ターゲットを捕獲した。後は頼む」

「分かりました。アイン様、スコール様が例の場所でお待ちです」

「あぁ」

 

 どこからか現れたのは黒い服を着た女性の姿だった。少年と正反対である黒い長髪に黒の瞳。陶磁のような白い肌――それはまるで人形のようだ。

 女を担ぎ上げた女性―アルカと呼ばれた女―は、そのままどこかへと去っていった。

 

 

 

 

 再び少年は町へと戻っていた。とは言っても後は仲間と待ち合わせているだけであり、そこまで尊大な場所へ行くわけでもない。

 先ほどとは違い、気配を殺しているわけではないので、町のありとあらゆる視線は彼一つに注がれていた。

 白いロングコートに長い白髪、ルビーのように赤い瞳、無垢という表現があうのではと思わせるような白い肌――とにかく彼の姿は目立っていた。

 黒いブーツをカツカツと鳴らしながら、彼は迷うことなくファストフード店へと入っていく。

 二階にある店内の奥の席――そこにもまた、視線が注がれている人物がいた。

 豊富な金髪に抜群のプロポーション、着ている服は一般人に溶け込むための変装だが、彼女から隠しきれない色気が滲み出している。

 

「もう少し品のある場所を選べない? アイン。確かに私は最寄の場所といったけど、せめてそこだけは考えて頂戴」

「だったら、アンタが指示してくれ」

「……冗談が通じないわね、相変わらず」

「与太話はいい。それよりも、何のためにここに?」

「上からの報告よ。もうすぐ例の場所に対して行動を開始するわ。各自いつでも動けるようにしておきなさい」

「……例の場所、か」

 

 アインと呼ばれた少年は窓から見える風景を睨む。その先にあるのはIS学園と呼ばれている施設である。

 紅い瞳は復讐の炎に駆られているかのように、鋭い。

 

「……アイン、落ち着きなさい」

「分かっている。……あぁ、分かっているさ」

 

 アインは強く拳を握り締める。その耳に届いたのは“織斑一夏”という名前だった。

 歯軋りの音が彼の耳に反響し、鈍い音を鳴らした。

 

 

 

 

 この物語は英雄の話ではない。増してや道化が語る滑稽な話でもない。

 ただ己を見失った人形が、人へなる過程を記すただの一幕。

 長いようで余りにも短い人生の序章。

 それを知らぬ彼に私達はこの言葉を贈ろう。

 

“光あれ”

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇の揺り籠

 

 

 

 

 

 時を廻せ。朽ちた時間は二度と戻らぬ。果てた命は決して還らぬ。

 この手が握られることなど二度とない。

 海に屠られた氷の如く、ただ沈んでいくだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 世界はとても綺麗だと、初めて思った。

 多くの人や町を見て回った。

 ――そして無数の悲劇を見た。

 救われぬ命、燃やされる物。全ては塵の様に儚いのだと悉く現実を突きつけられた。

 それでも――忘れたくは無かった。

 だって、世界はこんなにも美しいのだから。

 けど、何故そんな簡単な事を忘れていたのだろうか。

 それは、もしかしたらそのような美しい世界よりもずっと高みにいる何かが傍にいたからかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 深淵の底にいるような感覚だった。息苦しいのに呼吸が出来ると言った矛盾の世界。押し潰されているようで、包まれているような不明瞭な螺旋。

 曖昧な意識の中、目の前には見覚えのある少女がいる。

 凛とした目に黒く長い髪――忘れるはずがない。

 親らしき人物に導かれ、どこかに行こうとする彼女に小さな髪留めを手渡していた。今思えばそれが彼女に渡した最初で最後の贈り物だったかもしれない。

 

“ほら、新しいヤツが欲しいって言ってただろ?”

“う、うむ。す、すまないな”

 

 頬を染めて、おぼつかない仕草で彼女は髪留めを受け取る。

 思えばそれが最後の出会いだった。

 もしその事を前もって気づいていたのならば、きっと――

 

『待ってくれ』

 

 口だけが動き、声にならぬ言葉を紡ぐ。届くはずも無いのに何故か手を伸ばした。

 動いているのか分からない。だけどこうしなければ自分が自分じゃなくなってしまいそうだから。

 彼女は止まらない。ただ自分の視界から消え去っていくだけ。

 時計の針など戻るはずが無い。

 ただ過ぎていくだけで、どうする事も出来ないのだから。

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 朧な意識の中、アインは先ほどまで自分が眠っていた事を察した。

 軽く仮眠を取るつもりだったのに、本格的な睡眠に変わってしまったらしい。

 強張った骨を鳴らし、体をほぐす。

 瞼に手をかざし、心の中を渦巻き続ける名も無き衝動を何と呼ぶべきか考えた。

 

「……」

 

 壁に背中を預け、座り込むようにして眠っていたらしい。

 周りは何も無い部屋。ただそこらのマンションの一室を文字通り借りているだけに過ぎない。

 いや人ならいた。

 女がいる。黒いドレスに黒く長い髪。部屋の中だというのに、水滴が滴っているかのような錯覚を思わせるほど、ただその女は美しかった。

 

「凡そ、三時間三十分二十六秒ほど眠られておりました」

 

 滑らかに、そして妖艶を秘めた声。

 アルカ――アインの相棒でもあり、文字通り一心同体とも言える存在である彼女は今、ただ柔らかな表情を浮かべ彼を見つめている。

 

「……アルカ、スコールからの連絡は」

「まだ様子を見ろ、との事です」

 

 座っていた体勢から立ち上がり、窓から町並みを見る。

 漆黒の闇が空を支配し、儚い月の光が彼を照らす。

 白いコートから一つの拳銃を出現させた。

 一般の拳銃よりも銃口が長い異様な銃。

 その名をタンフォリオ・ラプターと言う。

 ハンドライフルとも形容されるその銃はあらゆる拳銃の中でも最高の速度と威力を誇るため、アインにとってはISとの戦闘で使う主力武器となる。

 ただし装填できる弾丸は一発だけだ。

 ワンショットワンキルが可能な腕前を持つ事がこの銃を扱える資格を有する。

 ISとの戦闘は質の戦いだ。

 元々ISの機動力に人間が適うわけが無い。

 だからこそ数多の攻撃で仕留めるよりも、獰猛な一撃で撃墜する方が遥かに効果的なのだ。

 薬室を開放し、懐から取り出した新たな弾丸を滑り込ませる。薬室を閉鎖し、銃口を窓の外――IS学園と呼ばれている施設へと向けた。

 その照準に誤差など介在する余地も無い。

 ただ相手を撃ち抜く鋼の如き意志だけがある。

 

「……今の速度は」

「熟練の操縦技術で動かされるISならば見切られます。カレン様がご拝見なされたら、きっとお怒りでしょう」

「だろうな。寝起きじゃ当然か」

 

 アインは舌打ちし、薬室を開放、弾丸を取り出す。

 タンフォリオ・ラプターをコートの内側に戻し、再び窓を見た。

 月を眺めながら、今すべき事を考える。

 出来る事は現状の把握だ。

 もしかするとスコールからの通信が入っているかもしれない。

 

「アルカ、間諜は?」

「更識の手は中々に厄介です。恐らく事前での情報入手は困難を極めます」

「……スコールからの連絡は」

「はい、数日後に潜入任務が入っています。場所はIS学園、目標は織斑一夏の暗殺です」

 

 ピクリと彼のこめかみが疼く。

 アインはまるで睨むかのような眼光でアルカを凝視した。

 

「……決めたのは上層部か?」

「はい、スコール様からの伝言は“任務の是非は問わない”との事です」

「だろうな。……あの無能どもが、何の情報も無しに潜入しろだと? ならアイツらが自分の足でやればいいことだろうに」

 

 彼女の困り顔が脳裏に浮かぶ。

 それを思う都度、何かが苛立ってくる。

 思わず壁を殴りつけようとして――それを誰かの手が遮った。

 

「アルカ……?」

「落ち着いてください、アイン様」

「……そうだな、悪かった」

 

 そうして闇の中、女は彼に跪く。

 まるで騎士が王に忠誠を誓うかの如く、それは凛々しい姿だった。

 

「アイン様、今回の任務は私も直接参加します」

「……助かる」

「いえ、どうぞ思うように扱ってください。私は貴方がいてくれたからこそ生きていられるのですから」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

矛先

 

 

 

 

“手短に言うわね。作戦決行は今日”

 

 彼女の言葉を思い出しながら、アインは車窓から見える風景に目を馳せた。鮮やかな町並みを茫然と見送る鮮血の双眸には曇りなき決意が込められており、後退の色など微塵も無い。

 微かに力んでいた体を落ち着かせるように息を吐く。

 

“世界各国のVIPが集まるイベントがあるわ。既に内通者は手配済みよ。アイン、アルカの二人で襲撃を仕掛けなさい。目標は――”

 

 その言葉を脳裏に思い出し、彼は目を細めた。

今度は全身を力ませて、もう一度息を吐く。

 

“――織斑一夏の暗殺”

 

 いつも着ている白いコートの代わりに、今日は変装用の軍服で準備を済ませている。

 表向きは軍関係者と言う肩書きだが、アインの雰囲気を見れば誰もが彼を見た瞬間軍人だと感じるに違いない。

 ウィッグも黒髪の物にしてあり、カラーコンタクトで目の色を変えている。

 ここまで徹底しておけば、万が一気づかれたとしても、特定まではされないだろう。

 出来る事なら目標だけを仕留めたいところだが今のところ情報が無さ過ぎる。最悪の事態は想定しておくべきであった。

 

「まもなく、到着します。ご降車の用意を」

「……あぁ」

 

 アルカの声に、アインは心中を押し殺した声で返した。

 衝動に震える体が殺意の蝋燭に火を灯す。

 視線の先に見える施設はIS学園と呼ばれる場所。

 ――今回の作戦は亡国機業にとって、初めてIS学園に実害を与える事になる。

 つまり、もう引き下がれないという事だ。

 

「――」

 

 車を降りて、アインとアルカは周りを見渡す。

 高級そうな背広を着た男、または露出の多いドレスを着飾る女。

 己が醜さを隠すための飾り物を腐るほど身に付けた者を見て、舌打ちする。

 誰もが皆、俗に言う一流階級の人々だ。

 アインも少なからず耳にした名前ばかりであり、いかにIS学園のトーナメントが注目されているかを示していた。

 だが、そのような衆愚と話すためにここにいるのではない。

 ただ、己が目的を果たすためだけにここにいる。

 

「私は内通者と接触し手筈を整えます。アイン様は最適の場所を確保してください」

「……分かっている」

 

 アリーナ――そこで行われるクラス代表戦が、今回の舞台。

 そして狙う標的はただ一人。

 迷うまでもないと、アインは思考を切り上げた。

 どちらにせよ、チャンスは一度きり。

 逃せば次はさらに遠い時期になる。

 

 

 

 

「なるほど、これがIS学園ですか。やはりこの目で見るのでは大分違いますね」

 

 席の一室でアルカは顎に手を当てて頷く。

 彼女の耳には、人ならざる物の声も聞こえていた。

 

「さて、織斑一夏せいぜい死なぬよう足掻いてください。貴様の面は余りにも醜悪です。何故、彼女を出さなくてはならないのか理解に苦しみますが、あの方のためです。いつか迎えに来るとしましょう」

 

 アリーナで戦闘を繰り広げている白式へアルカは指で作った鉄砲を向ける。

 

「ばーん」

 

 

 

 

 歓声が響く中、アインは屋内通路にいた。

 その先には舞台であるアリーナを僅かに一望出来る場所があり、そこが今回の作戦の重要箇所となるポイントだと判断し、確保を開始している。

 監視カメラも所々にしか設置されておらず、見つからず奥へ進む事は容易だった。

 既にアインのいるところは部外者立ち入り禁止の区域であり、もし見つかれば荒事は避けられない。

 ここまで来れたのは、彼が鍛え上げた実力があってこそだ。

 運だけで切り抜けられるほど世界は甘くない。

 周囲に人影が無い事を確認し、同伴者に連絡を繋げた。

 

『アイン様、こちらの準備は完了です。いつでも出せます』

「了解。……アレか」

 

 慎重に外が見える穴を覗き込み、風景に目を凝らす。

 光は入り込んでおらず、屋外からは視認不可能。増してや、ここから狙撃が行われるなど誰が予想しうるだろうか。

 無いと思い込んで見るのと、あるかもしれないと疑って見るのではその結果は全く異なる。思い込みの力ほど恐ろしいものは無いのだ。

 アインの両手に光の粒子が集い、巨大な狙撃銃となって彼の両手に収まる。

 俗に言う対物火器であるが、彼の持つソレは最早物体に対して扱える代物ではない。

 ISのシールドを易々と貫く大口径の弾丸は、目標の命を撃ち消すだろう。

 スコープを調整し、アリーナの大部分を視界内に収められるように設定する。

 見えるISの数は二機。

 赤い機体と白い機体――情報と一致する。

 甲龍――第三世代、近距離格闘型のIS。操縦者は凰鈴音。

 白式――第四世代、近距離格闘型のIS。操縦者は――

 

「……織斑……一夏……ッ」

 

 引き金を絞りたくなる衝動を抑え、アインはスコープを微量に調整し狙いを定める。

 今はまだ感情を露わにする時ではない。

 そう己に言い聞かせ、アインは無理やり心を落ち着かせる。

 震える指先を、絞り込むようにして封じ込める。

 

『カウント、ゼロで襲撃します』

「頼む」

『三』

 

 アルカの声がアインを戦闘機械へと変貌させる。

 呼吸を止めた彼の目はただ獲物を見据えるだけ。

 

『ニ』

 

 トリガーに指を掛ける。

 高速で移動するISだが、アインの狙撃能力とこの距離ならば命中させる事は容易い。

 

『一』

 

 目を見開く。

 滑らかに走る指は確かにトリガーへと掛けられた。

 

『零』

 

 一機のISが乱入し、巨大なレーザーをアリーナへ撒き散らす。

 銃口から大口径の弾丸が吐き出されようとした時、彼はふと視線を感じた。

 その驚愕が、彼の狙撃するタイミングを狂わせる。

 

「……ふむふむ、ここまで来た事はすごいわね。お姉さん、誉めてあげるわ」

 

 アインは背後へ銃を引き抜き様に構える。

 狙撃のタイミングを逃したのは痛手――作戦の失敗が明瞭になってしまった。

 照準を逸らさず、話しかけてきた女の姿を見る。

 水色の髪に妖しげな扇子、着ているのはIS学園の制服――そこまで確認してアインは舌打ちした。

 間違いない。

 IS学園生徒会長であり現更識家当主、更識楯無だ。

 

『アイン様、どうかなされましたか?』

「……」

「……しかしそんなおっきいのを持ち込まれるなんて、ココも結構セキュリティがザラよね。そう思わない? それに貴方、ひょっとしてあのISに関係してるの?」

『少々手違いが起きた。すぐに済ませる』

『……分かりました。ではこちらの方で応援を抑えておきます』

 

 アルカの状況理解は異様とも呼べるほど高い。

 今のような場面では、その能力が純粋に有り難かった。

 狙撃銃を光の粒子に変えて体内に収め、無手の手に短機関銃を発現させる。

 その様子を見ても、彼女はただ面白そうに口元に笑みを浮かべるだけであり、その事実がアインを苛立たせる。

 

「……お姉さんばっかりに喋らせるなんて、礼儀がなってないわよ」

 

 戦闘に時間はかけられない。

 増援まで呼ばれては騒ぎが大きくなる一方である。

 そこまで思考が至ったところで、彼の指先は精神と別であるかのように動く。

 アインの持つ短機関銃が火を噴くその瞬間、戦いの幕は切って落とされた。

 

 

 

 

 放たれた弾丸は先ほどまで彼女が立っていた場所を貫く。

 回避されたと判断した瞬間、アインはもう一方の手に持っていた短機関銃、キャレコを発砲する。

 屋内通路である以上、短機関銃は非常に有効だ。増してや二丁による同時発砲ならその弾幕の濃度は考えるまでも無いだろう。

 銃声は外の戦闘音に掻き消されて、ほとんど響いておらずただ部屋の中を反響するだけ。言わば楯無の劣勢だ。

 事実として、更識楯無は遮蔽物に隠れたままであり、アインに近づけずにいる。

 彼女の考えとしては先ほどの対物狙撃銃のみで、こちらに挑んでくると思っていたのだろう。銃が遠距離にしか向いていないと思い込んでいるが故の判断ミスだった。

 片方の短機関銃の弾が切れ、体内に圧縮。だがもう一方はまだまだ残弾数に余裕がある。

そのままアインは荒馬のように暴れ狂う短機関銃を一本の細い腕で制御しながら、もう片方の手に新たな銃を握り締めた。

 

 

 更識楯無はこちらへ発砲を続ける人物に対し考察をする。

 一つ間違えば、鉛玉にその身を貫かれ命を落しかねない状況だが彼女とて更識の名を持つ以上このような死線は何度も潜り抜けてきた。

 その自身が今の彼女に幾ばくかの余裕を持たせている。

 もしもそれが虚勢や傲慢ゆえに築かれた地位であったのならば、既に彼女は生き絶えているところだっただろう。

 

“ホント、何者かしら、あの子……”

 

 生徒会の仕事に時間を取られ“ISを動かせる世界初の男性”の試合に出遅れたのは彼女にとって誤算であった。

 近道をしようと屋内通路へ向かう時、ふと気配を感じ覗いてみれば謎の人物がいたというワケだ。

 なぜここにいたのか――そこまで考え始めて、彼女は頭を振った。

 今は命の奪い合いだ。考え事は落命に繋がる。

 短機関銃ならば、それほど装填数は込められていないはず。

 再装填を要させ、その隙を狙う他無い。

 そして無論の事だが、ただで返す訳には行かない。IS学園に敵対すると言う事に関して甘く見てもらった以上、相応の借りは返さねば気がすまない。

 銃声が鳴り止んだ瞬間、彼女はほんの僅かに相手の様子を窺おうとして、即座に頭を戻す。

 盛大な銃声と共に、壁面や天井が銃弾によって抉られる。

 広範囲に撒き散らされた破壊の爪痕、それを見て彼女は唇を噛んだ。

 

“散弾銃まであるなんて……中々まずいわね”

 

 応援が来るまで膠着状態を保つのが最優先か、それとも霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)を展開し、一気に捕縛するか。

 迷うまでも無い。

 自らの学園の生徒を手に掛けようと画策したのならば、それは何らかの巨大な組織が動いている可能性がある。謎のISの襲撃のタイミング――恐らく内通者がいる事に違いない。

 今こうして、目の前にその可能性に繋がる者がいるのだ。ならば、彼女の持ちうる全力を持って捕縛するのみ。

 そして彼女がISを展開しようとした瞬間、屋内通路に一つの声が響く。

 

凍結(ロック)――霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)

 

 その言葉が紡がれた途端、楯無の体は突如硬直した。

 指の先がほんの僅かに動かせる程度であり、足はまったくいう事を聞かない。

 ISに至っては展開すら出来ない状態だ。

 口もまったく動かず、まるで金縛りにあったかのように体はまったく動かない。

 

「……!?」

 

 驚愕に染まる楯無の姿などまるで見えぬかのようにアインは女性へと歩み寄る。

 アインもまた銃を収めると、背後の風景を僅かに振り返り睨みつけた。

 最早先ほどまでの戦いなど、初めから無かったかのように。

 

「戻るぞ。応援が来たら面倒だ」

「分かりました」

 

 苦悶の声を漏らす楯無を一瞥すらせず、アインとアルカはただ屋外へと向かう。

 楯無が硬直状態から解放されたのは、白式と甲龍が謎のISを撃破してからだった。

 

 

 

 

 

「……しくじった。学園内部での外部暗殺は不可能に近い」

『そう――ところでアルカはどれほどのISを見た?』

「白式は無理だったが、甲龍は完全に覚えている。コア情報まで完全に掴んだ」

『なら構わないわ。無人機もまた彼女が作るのを待てばいいだけの話だものね』

「あぁ、これからどうする? 少なくともしばらくの任務遂行は無理だ」

『アイン、アルカと一緒に本部に戻ってきなさい。アルカには今回の成果を踏まえた上で甲龍の無人機を製作してもらうわ。アイン、貴方には武装を追加する予定よ。その上で各地のIS製造を担当している各所を襲撃しなさい』

「……了解した」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ゼロの分岐

 

 

 そこは言うなれば底だった。奈落や深淵の果てを彷彿させる闇は仄かな光すら飲み込んでいる。

 暗闇に閉ざされた牢獄の中で一人の少年が、目を閉ざされたまま椅子に磔されていた。

 口から漏れる息は乱れており、まるで故障しても必死に稼動を続ける機械のようだ。

 カタカタと震える小さな肩が彼の心情を表している。

 今すぐここから逃げ出したい、死にたくない、生き延びたい、家族に会いたい。

 言葉にならぬ叫びが、少年の心から溢れ出す。

 

「おい聞こえるか、ガキ」

 

 野太い男の声に、少年は体を震わせる。

 聞きなれそうな声もこの状況では、宣告の如く感じられた。

 黒い布で目を覆われているため、自分がどこにいるのかすらもまったく分からない。

 その事実が、少年の恐怖を掻きたてる。

 だが、それでも悲鳴を漏らさずにいられたのは、肉親であるはずの人物が来てくれるはずだと信じているから。

 しかし、その無垢な心でさえ踏み躙られる末路を辿る結末など誰が予想できたであろうか。

 

「お前の姉……織斑千冬だったか? 悪いが、そいつはお前を助けに来ない」

 

 少年の震えが止まる。

 凍りついたかのようなその体は、ただ言葉にならぬ息を漏らすだけ。

 

「理由は単純さ。あの女はお前じゃない方の“織斑一夏”を救出した。何の疑いも無く、何の躊躇いも無くな。まさしく愛情が生んだ悲劇ってワケだ」

 

 少年が理解するよりも早く、男の手が動く。

 首筋に据えられた注射器の針。

 その冷たさは断頭台の刃のようだ。

 

「と言う事で、大人しく諦めてくれ」

 

 男の一声と共に、彼の意識は闇に刈り取られた。

 その闇は、もしかしたら地獄への洞窟だったのかもしれない。

 入ったが最後、永遠に出て来れない地獄の底。

 この時、少年は運命に翻弄された。

 

 

 

 

 

 次に目を覚ましたのは手術室らしき部屋だった。

 普通の病院と違うところを上げるとすれば、手術医らしき人物達が皆黒いガスマスクを身に着けているところだろう。

 背筋を駆け巡る恐怖に、ただ彼は怯えを溢した。

 眩しい照明が逆光となり、人々を黒く塗りつぶす。

 少年にはその顔がどこか笑っているように見える。

 手足を拘束されており、少年程度の力ではどうしようもなく、擦り切った心身には抗う力すら残されていない。

 

「ん、目が醒めたようだ。麻酔はいいのか?」

「構わん。ISコアは本人が目覚めていなければ反応しない。それでは浪費するだけだ。本人には苦しいが、少々耐えていただくとしよう」

「なるほど、では始める。何、すぐに終わるよ、安心したまえ」

 

 

 刃の切っ先が、少年へと向けられる。

 どこまでも輝くその刃を、彼はどこか他人事のように見つめていた。

 

 

 それからほんの僅かな時を置いて、少年の悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 

「実験結果は?」

「えぇ、結果は成功です。今、彼はISに匹敵しうる力を得ています。そこらにあった銃器を武装として、体内に埋め込ませました。その銃器ならIS装甲を削り切るには十分のはずでしょう。しかし副作用として、女性らしいところが現れてきており、体の色素が抜けてきています」

「……コアの弊害か」

「はい。ですが命そのものに直接的な影響はありません。……まぁ、IS武装を使用した場合は別ですが。後は銃器の使用ですな。本人の活力が銃弾として生成されますから。ですが、こちらは半日近くにわたる戦闘を考慮した結果ですので、問題としては気になりませんよ」

「ちっ、だがこれで本当に亡国機業や篠ノ之束と渡り合えるのか?」

「はい、問題は無いです。後は本人を戦闘機械にすればそれで済みます。何せ、織斑千冬の実の弟です。予想よりも高い数値を生み出してくれるでしょう」

 

 男はちらりと、牢獄の中にいる少年に目を向けた。

 彼は薬により、現在強制的に眠らされている。

 研究者達は脱走を防ぐためだと言うが、恐らく新しく作った薬や増強剤を使う玩具(モルモット)として扱いたいだけに違いない。

 そもそも少年には逃げる場所すらないのだ。

 現在、織斑千冬は“作られた織斑一夏”を家族としてみている。

 本物の織斑一夏の容姿は既に変わり果てており、一目で本人だと気づくはずも無い。

 耐久テストと言う名目で、弾丸を撃ち込まれ、熱された鉄棒に打ちのめされ、人間なら感電死するほどの電圧を半日近くも流され続ける――研究者達には嬲り者にされる日々。

 並みの人間なら既に壊れていてもおかしくない精神状態だ。

 ここまで耐え切れるのは、彼らにとっても予想外だった。

 

「……完全に精神が落ち着くまでどれくらいかかる」

「現在、肉体改造や精神増強などを行っているので、早く見積もっても五年ほどです。つまり五年で我々が世界を変えます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは唐突だった。

 突如として鳴り響く爆音、悲鳴、怒声。

 

『おい! 何があった!』

『奇襲です! まさか、このタイミングで来るなんて……!』

『亡国機業め……。アレを出させろ!』

『分かりました!』

 

 白衣の男に連れられて少年は両手に銃器を携えたまま外に出た。

 久しく感じていなかった外の空気に少年はふと昔を思い出す。

 その瞬間――全てを閃光が埋め尽くした。

 白塵、白砂、白光――大地が震え、空が絶叫するような感覚。

 何も聞こえないのは、破壊の音が余りに強大すぎたからだろうか。

 その衝撃に少年は腕で視界を塞ぐ。

 

「――ッ」

 

 しばらくの間堪えていたが、細い体が衝撃に耐え切れるはずも無く、彼はそのまま意識ごと吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――!」

「あら、いい夢は見れたかしら? アイン」

「……スコール」

 

 左右を確認すると、そこは手術台の上だった。

 スコールが持っている血のついたナイフと、傍にある機械からどうやら武装は追加されたらしい。

 痛む体に一切の慈悲も与えず、アインは地面から立ち上がり機械にそっと手を触れる。

 

「……オレは、オレは本当に織斑一夏に戻れるか」

 

 気がつけば、そんな事を口にしていた。

 いつもなら押さえ込めるはずの感情が不思議と溢れ出てくる。

 それを留める気力は、珍しく起きなかった。

 

「夢を見た。オレがオレであった頃の夢だ。……だが、今のオレにもう織斑一夏としての心は還ってこない」

 

 かつて緑で溢れていた大地が、簡単に砂漠に成り果ててしまうかのように。

 織斑一夏だったはずの心は、簡単にアインという殺戮機械に変貌した。

 心臓に埋め込まれているISのコアは今も稼動を続けており、どんな重傷でも時間さえ掛けてしまえば簡単に再生する上、彼の皮膚もまたISと同等なまでの堅強さを持っている。

 最早、人ではない。強いて言うのならば、怪物だ。

 

「そうね……。でもアイン、貴方は自分を取り戻したい。そのためにクローンである織斑一夏を殺害する。その事に私は何も口を挟まない」

「……」

「だけど、貴方が織斑一夏だという事は変わりないわ。クローンがいくら作られようとも、オリジナルである織斑一夏は貴方だけ。世間が見ているのはクローン。でも、今私が見ているのはオリジナル。……違いは知っているか知っていないか。別に私は止めないわ。それで貴方が満足するのなら構わない。――だけど、アイン。貴方は私達にとって家族よ。それだけは忘れないで」

 

 彼女の言葉が優しく胸にしみる。

 アインの瞳に微かな感情の火が灯った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原始螺旋

 

 家族――失って初めて気がついた。

 命――死の直前で初めて分かった。

 名前――奪われてようやく知った。

 

 全て、当たり前だと思っていた自分が愚かだったのだと。

 何故そんな簡単な事に気づかなかったのか。

 誰よりも、その名を誇りとして、その人を憧れとして生きてきたはずなのに。

 あの人に憧れを灯し続ければ、この現実から逃れられたのだろうか。

 だが全てはとうの昔に終わっている。

 だとすれば、残されたものなど一体何があるのだろう。

 

 

 

 

 銃声が響く。

 ある研究所の上空を飛び回るISが次々と撃墜されていく光景は、もし世間に公開されていたのならば世界を舞台に大きな一悶着を起こしていただろう。

 無限の成層圏と名づけられたはずの機械は次々と墜落し、ただの残骸へと成り果てる光景はそうそうお目にかかれるものではない。増してやそれが、たった一人の生身の人間によって為された事であるのなら尚更である。

 

「な、何なのよ。アイツ!」

 

 一機が上半身を吹き飛ばされ無残に堕ちる。その肉は機械の破損による爆風と電撃に晒され、既に元の色を留めていない。

 さらに鳴り響く銃声――さらにもう一機が撃墜された。十名で構成されていたはずのIS部隊は既に残り二人となっている。

 一国を単機で落とすはずの無類の武力が、いとも容易く制圧されていく。

 

「焦るなッ! 相手は銃だ! ブレードで攻めろ!」

 

 一機のISがブレードを手に、襲撃者へと疾駆した。

 銃口が標準を合わせるも、どこからか放たれた狙撃が襲撃者を狙う。狙われたソレは舌打ちして背後へ跳ぶ。銃口は既にそのISから外されており、照準する時間は無いだろう。

 そして彼女は確かに勝利を確信した。

 高らかに振り上げる刃。それを振り下ろせばようやく、この悪夢から目が醒める。

 

「死ねェッ!」

 

 恐怖に駆られた動きに躊躇いは無い。それは恐るべき繊細な太刀筋を描こうとしていた。

 細く白い首を切断すれば――そこまで考えた途端彼女の膝が鋭い痛みを訴える。骨が焼け爆発するような感覚。そこで彼女が手にしていたブレードは勢いを失い、渇いた音を立てて地面に落ちる。

 蹴られたと気づいたのは、相手の体が捻られているのを見てからだった。

 

「――あ」

 

 左足を軸に右足を大きく振るう回し蹴り。その鮮やかで華麗な軌道に彼女は思わず見惚れていた。そして肉がちぎれるような音と骨が折れる音が混じり、不愉快な音を鳴らす。

 襲撃者は躊躇い無く、IS操縦者の頭部を文字通り蹴り飛ばした。

 残る機体は一つ。既に敵と認知するには余りにも矮小だった。彼は目の前の障害をどう排除するかを模索する。その思考も、反射的速度で導き出された。

 手にしていた対物ライフルを圧縮し、タンフォリオ・ラプターを展開する。装填数は一発だけだが、彼が外すはず訳がない。絶対に外す事が有りえない状況だからこそ、その銃が選択されたのである。

 操縦者がせめてもう少し冷静であれば離脱と言う選択肢を取れたのかもしれないが、焦燥に駆られる過剰な衝動を塞き止めるにはその心は脆すぎた。

 

「クソッ!」

 

 放たれるアサルトライフルを、彼は手にしたナイフで一つ残さず弾く。軌道を変えられた弾丸は周囲の地形にその総身を埋没させる事しか果たせなかった。

 タンフォリオ・ラプターの銃口が最後のISを照準に捉える。銃把を握る彼の瞳は何の色も有しておらず、ただ目的を果たすために稼動し続けていた。

 ハンドガンにしては余りにも盛大な銃声が響き、最後のISを破壊する。それはオーバーキルと呼んでも過言ではなかった。対IS専用に改造されその威力や性能をオリジナルよりも大きく高められた銃。それから爆発的な速度で弾き出される大口径の弾丸は、胴体を肉塊へと変貌させ、散らばった四肢を肉片へと分解させた。

 その光景を陳腐な映画で長々と見させられているような目で見届けた後、彼はタンフォリオ・ラプターから空の薬莢を排出し、次弾を装填する。

 周りを見渡す。既に警備していたISは全て破壊した。十機の内、三機は纏めてグレネードランチャー、四機は対物ライフル、一機はキャレコ、一機は体術、最後はタンフォリオ・ラプター。

 彼が殺しの手順を回想し直しているのは、殺し損ねと手違いが無いようにするためである。殺したのは目的の障害となる人物だけか、捕らわれている人間はいないか、周囲に人影はないか――元々、その情報を全て記憶と言う基盤に刻み込んでいる以上、忘れるはずもないのだが。

 とある人物から考えすぎだと忠告も受けたが、彼のその点だけは一切変わらなかった。

 姿が変貌し、心が移り、場所を変えたとしてもそれだけは守っていたかった。小さな自尊心が薄汚れても、僅かに息をしているのだ。それを殺せるほど、彼は年を経てていない。

 

「……」

 

 響く静寂の中、足音だけが虚しく響く。血の混じった足跡を地面にこびりつけて、彼は目的となっている施設の入り口へと赴いた。

 鍵のかかった鋼鉄製の扉など、彼の前では藁屑に過ぎない。例えその扉の背後に、山と積み重ねられたバリゲードが聳え立っていようとも皆無だ。

 返り血を拭い、腕力だけで強引に扉を抉じ開け、バリケードで扉が(つか)えればそれを力技で破壊して内部へと入ってゆく。

 そこは培養施設とでも名付けられるのが相応だろう。人が入るには十分な大きさのカプセル。その中には人の臓器や脳がホルマリン漬けとなって浮いていた。挙句の果てには幼子が丸々とその培養機の中に収められている。既にその瞳が開くことなどない。

 ガラスに小さく手を触れて、彼は小さな呟きを漏らす。

 

「……待ってろ。すぐに終わらせる」

 

 研究所の培養機を全て統轄しているであろう、巨大な機械。彼は両手にキャレコを展開させ、その機械へ全弾を撃ち込んだ。キャレコが切れれば、次の銃へと切り替え再びその機械へ発砲する。

 その紅い瞳に、業火の如く燃え上がる怒りを灯して。

 

 

 

 

 

「で、アイツはどうするんだよ。スコール」

 

 椅子の背もたれに両腕を乗せ、オータムはそう呟いた。彼女の長い黒髪は、その心を体現しているかのように光沢を失せて萎えている。

 現在アインは拠点潰しに向かっている。アルカは無人機の作成に取り掛かっている最中であり、スコールは彼らの次なる任務を選び、その情報の精度及び任地の状況を確認している。エムはそしてオータムはと言えばその後の任務に向けての待機である。

 今の彼女の状態を俗に言えば、やる事がないのだ。飾り気が無い故に、端麗な口から深々と溜め息が漏れる。

 彼女にはこの後、アインの終えた任地での破壊活動が残っているが、それに向けて調整は必要ないらしい。

 そんな彼女を見て少し呆れた感慨を溢しながら、スコールは書類を手にした。

 

「不本意だけれどこれからの上の意見次第よ、私たちに決定権は無いわ。それに何を望むかは全て彼が決める事だもの。それにしても貴方が彼を気に掛けるなんて珍しいわね。前までは私の傍で喧嘩してるばかりだったじゃない」

「ケッ、アイツは私と手加減無くやりあえるヤツだからだ。だからその……なんつぅんだ? ほら……」

「認め合う仲ってコト?」

「そっ、それだそれ」

 

 清々したとでも言いたげなオータムの表情に、スコールは小さく頬を緩めた。彼も彼女も、根本的な思惑は同じらしい。

 互いにぶっきらぼうな人柄ではあるが、その思想は歪んでいない。その無垢な純粋がスコールにとっては好ましかった。

 

「……あー、そういいやもう一つ残ってた。お前とアイツの出会いをまだ聞いてない」

「あら、忘れたのだと思ったんだけど?」

「はっ、いいから話せよ。こう何度も先延ばしされちゃあ、次の仕事に支障が出る」

 

 だったらアラクネの調整でもしておきなさい、と言いかけたがそんな事を口走ってしまえば間違いなく面倒ごとは避けられない。彼女自身、感情に駆られれば何を仕出かすか分からない人間の一種である。そういう点もアインとの共通項の一つだ。

 スコールは小さく溜め息をついて自身の記憶を顧みる。彼との出会いから数年が経ったが、それでも彼女に生じた変化と彼に対する想いは何一つ色褪せていない。

 

「えっと……前はどこまで話したかしら」

「アイツが例の組織に誘拐されたっつうところまでだ」

「……そこからだと、結構長くなるのだけど。まぁ、久しぶりに話すから丁度いいのかもしれないわね」

 

 記憶の栞を見つけて、彼女はそこから全てを紐解く。アインとアルカ、二人に出会う事になった昔の物語。

 その懐かしさの香りを五感で感じながら、彼女は口を動かした。

 

 

 

 スコールの機嫌は上機嫌でもなければ不機嫌でもなかった。だが普通と言うわけでもなく、ただ何と呼ぶか分からないだけなのかもしれない。一つ分かった事と言えば亡国機業に就いた以上は、目の前で行われている殺戮など気に留めていては身が持たない。尤も、その程度で壊れる人間ならば亡国機業にいられる筈も無いのだが。

 標的である組織の戦闘員は彼女達が放つ弾丸によって次々と身を穿たれ、その穴から鮮血を溢し地面に倒れていく。まるでドミノ倒しのようだ。

 ふとブリーフィングの情報を思い出し、そろそろ真打が出てくる頃だと悟る。だからこそ、一つの小組織に対して過剰な戦力が差し向けられたのである。

 

“相手の組織の目的はISコアを使う事による兵士の誕生と育成だ。だが、無論成功するはずもない。そもそもISコアを付けた程度で強靭な素質が得られるワケではないからな。

しかし相手はクローン技術にも特化している。おまけに設立してから数年が経過している分、何が起こるか分からん。気を引き締めろよ”

 

 思考と行動が別々に動く中、スコールは思う。

 彼らは一体何がしたかったのだろうか。目の前で次々と斃れていく兵士を見れば、その中に一部クローン兵士も混ざっているが、所詮はクローンであり人知を超えた力を持つわけではない。

 だが一部の幹部にしか知らされていないその思想を、たかが一人の構成員に教えるはずも無いだろう。結局、亡国機業もその有象無象の一つだという事だ。

 さらに泥の奥底へ向かおうとした考えも、仲間からの通信によって阻まれる。

 

『スコール、そろそろ来るはずだ。いいか?』

「えぇ、了解」

 

 本部らしきところから研究員に連れられて一人の人物が姿を現した。

 白髪の長い髪に、赤色の瞳。着せられているのは服と呼ぶより布の切れ端に近い。煤けた総身からはその人物がどれほどの境遇に身を置いていたのか明白だ。一部からは血が滲んでおり、足元が定まっていない事から僅かな休息すら与えられていない事が分かる。

 生気の無い紅い瞳はまるで壊れて動力を漏らす機械のようであり、無垢とも呼べる儚さを秘めている。

 その有様にスコールが言葉を失った時、轟音が耳を支配した。

 

 

 

 

「――!」

 

 爆音と白光が収まり、通信機が壊れているのを確認した瞬間、何が起こったのかを悟る。

 相手が証拠隠滅と道連れのために自爆したのだ。ISのエネルギー残量も大幅に削られており、数時間近くは操縦可能だったはずが今や三十分ほどしか残っていない。

 しかし、十分そこらあれば何とか回収地点まで到達するのには十分過ぎるのは不幸中の幸いだった。

 

「総員に伝える! 今から各々のエネルギー残量に注意しつつ回収物の捜索に当たれ! 点呼は回収地点で行う! マズイと思ったら自己判断で離脱しろ! いいな!」

 

 男勝りな性格の隊長が指令を伝える。それに同時に散開するISの姿。その中にはスコールの姿も含まれていた

 あの人物が今どこにいるのか、それだけが気がかりだからだ。

 

 

 

 

「……!」

 

 捜索を始めて数分後、スコールは目を疑った。

 この爆風の中、生身で生きている人間がいる。

 地面に残っている熱や地獄を吹き荒れるような熱風も生身の体には十分脅威となるはずなのに、それを歯牙にかけてすらいない。

 

「どなたでしょうか。返答によっては荒事も選択に入れる所存ですので、どうか正直にご返答お願いします」

 

 彼女の近くには白髪の人物が倒れていた。

首裏には番号のような数字が刻まれており、それが呼び名だったのだろう。間違いなく、あの時に見た姿だ。しかし彼の傍らにいるその女性は何者なのか。

 黒の長い髪に黒い瞳――まるで少年とは正反対の姿。

 黒いドレスのような服は酷くミステリアスで、それもまた彼女の妖艶さを際立たせている。

 

「……別に危害は加えないわ。貴方達にその気がないなら、私たちにも無い。けど出来ればご同行願えるかしら。こんな場所に放置していたら、貴方達も危ないわよ」

 

 女性は僅かな間、顎に手を当てた後何かに納得するように小さく呟いた。

 この世とは思えぬ凄惨な風景の中で、その姿は余りにも場違いに見える。

 

「分かりました。あなた方に従いましょう。私の事はアルカと呼んでください」

 

 無論、回収地点でまた一騒動が起きたのは言うまでもない。

 

 

 

 

「……で、終わりってコト?」

「えぇ、存外短かったでしょ。でもそんな短い時間でも本当に濃密な出来事よ」

「なるほどねぇ……文字通りアイツにとって恵みの雨(スコール)ってコトか。で、質問いいか?」

「どうぞ?」

「アルカは結局何者だよ」

「……さぁ? 私も彼女から言われた事は無いし、彼女も語る気ないそうよ。アイン第一の人物だしね」

「……ちぇっ、まぁいいや。とりあえずその例の組織って言うのが下らねぇ連中ばかりってのは良く分かった。クローンは本物をごまかすために作り上げていたって事でいいんだろ?」

「えぇ、しかも他人の家を物色して情報を根こそぎ集めていたみたいね。クローンを生み出した後、それに強力な催眠と暗示を掛けることで本人だと自覚させる……本当に手の込んだインチキよ」

「胸糞悪い話だな、そりゃ確かに勘違いするわけだ。……って、まてよ。まだその話続きがあんだろ」

「あら、うまく逸らしたと思ったのだけど……どこで気づかれちゃったのかしら」

 

 面白げに笑みを浮かべるスコールに対し、オータムはどこか酷く呆れたように苦笑する。

 両手を頭の後ろに組んで、彼女は深く息をつく。

 

「そんなモン態度で分かるだろ。色々と過程すっ飛ばしてるんだよ。なんつーか肩透かし食らってる気分だ」

「……そうね。じゃあ続きとして彼が亡国機業に入った経緯でも話しましょうか」

「んだ、やっぱりあるんじゃねぇか。……つーか、スコール。何でお前、そこまでアインの事覚えてんだ? まさか――」

 

 そこでオータムの意識と記憶は途切れた。

 何というか人の体から鳴ってはいけない音が聞こえたような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 パン、と乾いた音が響く。

 周囲には死体が散乱しており、全て四肢のいずれかに欠損があった。

 溢れ出る血がコンクリートの床を濡らし次々と侵食していく中、何者かがビクンと体を震わせた。

 年代を思わせる電灯が宙を虚しく揺れる。

 

「……」

 

 額を穿たれた老人の亡骸に何の意思も見せず、アインは研究所を出るために歩みを進めた。

 動く体と合わせて長く白い髪が揺れる。

 その合間に、首裏に小さく数字が見えた。

 

――code No,Ⅰと刻まれたその文字は、まるで呪いであるかのようにどこまでも黒かった。

 

 

 

 

 

「ふふーん。ふふふーん」

 

 薄暗く密閉された空間の中で篠ノ之束は、鼻歌を歌いながら空間に浮かんでいるディスプレイを操作していた。

 四方の壁は床の元の色さえ見えぬほどのコードで埋め尽くされており、来る者を拒むような有様はまるで彼女の性格を表しているかのようだ。

 うさぎのカチューシャは彼女の心を表すかのように小刻みに震えた。

 まるで玩具を弄ぶ子供のような表情は、突如醒めたモノへと変わる。

 

「……誰、というか邪魔だから消えてくれないかな」

「――それは失礼しました」

 

 黒いドレスを着た女が薄暗い空間からふとその姿を現す。

 だが束は一切の興味を示さずに、ただディスプレイだけを見ていた。

 女はそんな彼女に対して、恭しく頭を下げた。

 

「まずはご挨拶を。お久しぶりです――母上」

 

 その一言だけで、空間が凍りつく。

 篠ノ之束の冷徹な瞳がすぅと細められた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 謎の日記

 残されていた謎の日記。所々が煤に汚れている。日付は記されていない。

 途中から記されている。

 

 

■月■日

 

 今日もまたクローンを選別する日々が続く。

 だが結果として、まだ例の実験に使える素体は出ていない。

 さすがに皆同じ顔を見ているとこっちまで壊れていくように思う。

 しかし、あれほどのクローンを作ってどうするつもりなのだろうか……。

 アイツらの性欲はどうかしてほしいところだ。

 クローンを産むための母体が必要になるため、手出しが一切出来ないと日々妄想に励んでいる。

 ……私には理解できないよ。

 

■月■日

 

 今日は驚くべき日だ。

 何と、オリジナル自身の身柄を上層部自らが入手してきた。

 聞いたところに寄れば、家を出た直後を捕縛したらしい。

 確かにそれなら悟られる可能性は大幅に減るだろう。

 その上ドイツまでは相当距離がある。

 何より、オリジナル自身から完璧なクローンを作り上げる時間を稼ぐには十分な時間だ。

 ……なるほど、犠牲は承知の上か。

 しかし、囮のクローンに研究員が間違って、ブリュンヒルデの細胞を入れたのは上からすればかなりの誤算らしい。

 恐らくIS起動は可能だろうが、量産には向かない。

 既にその細胞も使い切り、新しく入手するにはまた検査と偽って直接入手するしかないが……篠ノ之束に一度感づかれている以上、二度と成功はしないだろう。あれは火中の栗を拾いに行くような暴挙だ。まさかそれを彼女が見逃すはずも無い。

 これで研究がはかどると言っていたが……一体何をするつもりなのか、私にはまったく分からない。

 一つだけいえるとすれば、地下にいるはずの少年の叫び声は今も尚四階にあるこの部屋まで届いてくる事か。

 アイツらの顔はニヤついたまま、一向に変わっていない。

 私はこの罪悪感をどうすればいいのだ……。

 

 

■月■日

 

 あれから驚くべき知らせを聞いた。

 何と、あのブリュンヒルデが引退するというニュースがあった。

 道理で上の連中が大事そうにISのコアを持っているわけだ。

 噂では、そのブリュンヒルデのコアを入手したとも言われているが、それだけのために何人の仲間 が犠牲になったのだろう。

 少年の叫び声は聞こえなくなった。

 そういえば、倉庫に保管されていた薬品がかなり減っている気がする。

 だが、あれほどの量を使えば間違いなく廃人は確定なはず……。

 しかしその結果が全て出ればIS以上の兵器が完成する。

 名づけるとしたらIS殺しだろう。

 ……しかし世界最強の弟がIS殺しとは皮肉な事だ。

 ちなみに上に聞いてみたところ、一人いれば十分らしい。

 量産不可能な歩く兵器になれば、それだけで世界を相手取れる力はあるだろう。

 そして正体を知れば、世界最強もIS開発者も迂闊には手を出せない……。

 だが……そのためにあの少年をそこまで嬲る必要はあるのだろうか。

 彼の首裏には、「code No,1」と刻まれていた。

 

 

■月■日

 

 今日は本当に気分が悪い。

 クローンと母体の死体が散らばっていたから、何をしたのかと聞けば何とオリジナル自身の手で全て殺害させたらしい。確かに使い道はなくなったが……。

 文字通り、自分殺しという訳だ。

 しかしあの少年は本当に人間か?

 ISコアを人体に埋め込めば拒絶反応が出るのは当たり前のはず。

 それも男であるならば間違いなく埋め込まれたオリジナルは死亡する。

 例え増強剤でどれほど強化していようともだ。

 ……まさか、そのためにブリュンヒルデから直接入手する必要があったのか?

 考えはここまでにしておこう。

 倉庫にあった薬品の数は最初の頃と比べてかなり減っている。

 アイツらは相当速いペースで使っているに違いないのだろうが、どれも人間ならば既に致死量に十分値するというのを分かっているのだろうか。

 確かにアイツらの食指が動くのは分かるが、だからと言って人形も同然にするのは人道的な行いではない。

 いや……既に私も同じ身か。

 だが一つだけ疑問がある。

 これほどの研究資金は一体どこから出ている?

 どう考えても巨大な組織が後ろ盾になっているのは間違いないが……。

 

 

■月■日

 

 もう仕事を辞めたい。

 ISコアを埋め込まれた少年の姿はもう本来の容貌ではない。

 女性らしさが所々に出ているのは、コアが適合したのか?

 だが、それなら何故ISが起動できない?

 ……いや、そんな事はどうでもいい。

 まずはアイツらを何とかしなければならない。

 中性的な外見であれば何でもいいらしい。

 母体に一切手出しが出来なかった欲を発散させる道具としてはうってつけだそうだ。

 もはや玩具同然で、彼の服装はボロボロの布切れ一枚だけ。

 睡眠薬や催眠ガス、電撃まで与えて苦しむ姿をまざまざと観察するのは狂人としか思えない。

 慰み物として扱われている彼の姿は本当に人形だ。

 虚ろな目は一体何を求めている?

 何より微かなその口の動きだけは今も彼の姉の名を呼び続けている。

 そして時々、彼の周辺に半透明な人間が目撃された。

 黒いドレスを着た黒の長髪の女らしいのだが、生憎そんな研究員はいないし外部から連れてきたわけでもない。

 女性の地位が向上した中、こんな僻地で研究に励む女なんているはずがない。

 増してやここは廃墟の一画だ。

 人が訪れるはずが無い。

 まさか幽霊とでも言うのだろうか。

 今日もまた、少年の実験結果を記す作業が続く。

 彼は怪物としか言いようが無い。

 圧力、真空、電撃、業火、絶対零度、爆風、銃撃、刃、レーザー、ビーム――それら全てを耐えた挙句ISのパーツで作られた装甲を意図も容易く素足で破壊するという結果を生み出した。

 耐久テストも十分、精神は後一歩で完全に傀儡に成り果てる。

 一年もあれば、やがて計画は指導に移りだすだろう。

 ……確かにコレは世界に対する強力な粛清だ。

 女尊男卑の世界を軽々と破壊する『世界粛清(ワールド・パージ)』の執行者。

 試しにVTシステムで実験してみたが、無論の事少年の勝利に終わった。

 今私は猛烈な後悔に襲われている。

 一人の人間を、こんなにも簡単に怪物へと変えてしまう心を、一体どこで持ってしまったのだ。

 

 

 

 

 もう限界だ。

 今、亡国機業がここを襲撃している。

 警備員も次々と倒れる中、とうとう少年が研究員の手で初めての実戦として地上へ向かっている。

 やるなら今しかない。

 この施設を木っ端微塵に自爆させる。

 このままでは少年は本当に帰れなくなってしまう。

 それでは駄目だ。

 何故、何故止めなかったのか。

 今から私は地下に向かい、自爆装置を起動させる。

 私たちは全員死ぬだろうが、彼は生き延びるはずだ。

 それでいい。

 どこかの国の手に渡れば、少なくともこんな僻地以上の悪環境は無いだろう。

 これが偽善と言う事は分かっている。

 だが、彼がせめて救われるように。

 彼の存在が、多くの人たちを救う道標になるのを祈るしかない。

 

 さぁ、行こう。

 

 

 

 

 日記はここで途切れている……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

極東の夏

――ふと、目が醒めた。

 

 草の香りの中でまどろみに迷い込んでいたようだ。瞼が重く、息をしているのかどうかすらも分からない。暖かい日差しに照らされて、僅かに目を細めた。

 晴れ渡った空にはまるで吸い込まれた錯覚すら抱いてしまうほど深い蒼穹がある。引き寄せられるかのように手を伸ばして、やはり届かないなと笑う。そんな事は既に分かり切っていたことだ。ただそれでも伸ばしたのは、何となく子供の頃を思い出したからだろう。

 透き通るような光、そして地平線の彼方にまで続く草原は一面が深緑である。そんな草原の上で寝転んでいたらしい。道理で寝心地が良い訳だ。

 眼前には大樹が聳え立っており、その根元の日陰で休憩でも取っていたように思える。不思議と疑問は湧かなかった。それよりも大事なことが傍にあるような気がしたから。

 日光を遮る葉が微かに揺れて思わず頬を緩めた。吹き渡る風が優しく頬を撫でる。荒れ地の心が潤いを取り戻す。

 どうやって此処まで来たのか、どうして此処にいるのか。不思議なことにそんな事はまったく気にならなかった。いや正確に言うならば気にする必要は無い。どうせ過去の事に決まっている。

 ならばほんの少しの間でも良いからこの温もりを甘受したいと思った。この現実に少しでも目を向けて、眼前の風景を記憶に馴染ませよう。この時をいつまでも心にとどめておきたいから。

 風に流されてゆく雲が、とても懐かしく見える。まるで遠い昔、どこかに置き忘れてきたかのように。

 

「おい、起きたのならせめて返事くらいはしろ」

「そうだぞ、兄さん。私よりも寝坊なんてみっともない」

 

 もう一眠りしようと思う矢先に、突如として耳に飛び込んできた声。惰眠を貪りたいという欲求はどこかへと消え去り、彼は体を起こした。

 二人の女性がいる。まるで姉妹であるかのような相貌に、心が震えた。

 いや震えたのは心だけではない。きっと少年を構成する全てが打ち震えている。

 もっと大切な、決して忘れていけない大切な何か。それがドクンと胸の中で鼓動を打った。

 

「……? 怖い夢でも見たのか?」

「夢なら大丈夫だろう。悪い夢はいつか醒めるモノさ」

 

 明るい木漏れ日の中で、彼女達は微笑む。本当に仕方がない――そう言いたげな表情で。

 草原を吹き抜ける風に揺られて、二人の長い髪が靡いた。優しい風が彼女達を包み込む。その香りが、酷く愛おしかった。

 悪夢は無限にあらず、いつか終わる物――あぁ、きっとそうだろう。

 ようやく、ようやく――。

 

「なるほど、それで起きたのか。……なら仕方ない。もう少し此処にいるぞ。目が醒めたら言え」

 

 鼓動に掻き消されて自分の声は聞こえない。それほど高鳴っていたのか、あるいはそれを抑えきれなかったのか。

 だが、別にどちらでも構わなかった。そんな事を決めるよりも大切な事がある。忘れてはいけないモノが眼前にある。

 今この時は、ただ美しいと思えるようなこの瞬間だけは、永遠であってほしいから。何一つ錆びず、何一つとして変わらない――永久の不変であるように。

 その願いを込めるべく、そして動き出した歯車の音を決して忘れないように返事をした。

 癒されていく。歪み続け、捻じ曲がり続け、絡まり続けたモノが元へ戻っていく。

 

「あぁ、お休み――」

 

 そうして少年は、暖かな日差しの中でゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

「――!」

 

 プロペラ音が聞こえた。その響きが、彼の意識を呼び戻す。鉄の香りと服にこびりついた血の香り。――その瞬間、嫌でも己が何者であるか分かってしまう。

 見慣れたヘリの内部風景に、今までの事を思い出す。椅子の隣においてある報告書の束と整備途中の銃の部品を見て、やっと合点がいった。

 帰還のためのヘリに乗ったまま、寝てしまっていたのだろう。

 窓から見える風景に目を馳せて、先までの夢を思い出す。あの夢で掴んだはずの温もりは、もうその手には残っていなかった。満たされたはずの思いなど、欠片すら無かった。

 

「――」

 

 深い泥に溺れたのはいつからか。織斑一夏を奪われ、それに固執するようになったのはいつからか。己を見失ったのはいつからか。

 怖い――それを全て思い出すのは怖い。自分が自分で無くなってしまうような感覚。異物が常に体の中にあるような不快が心に澱む。

 初めて手に掛けたのは、生きている人形とそれを作り出す人間。無垢な瞳を殺し、恐怖の声を途絶えさせた。泣き叫ぶ声が脳髄の奥深くにまで刻み込まれていた。

 血と硝煙と贓物が混ざり合うその香りですら、もう何も感じない。ただそれだけがあると考えてしまうようになっただけ。

 黄昏の陽光が窓から差し込む中、アインはただ一人震えた。

彼の耳に届くのは無機質なプロペラの音のみ。人の声など有りはしない。彼の真の名を呼んでくれる声はどこにもない。ただずっと、孤独の泥に囚われ続ける。そんな事はとうの昔に覚悟していたはずだと言うのに。

 その姿はまるで、何かに怯える子供のようだった。

 

 

 

 

「――以上が全てです。ご理解頂けましたか、母上」

「うん、分かった。分かった。本当に分かったよ」

 

 束の表情には笑顔が浮かんでいるが、目だけは異なる。だと言うのに口元は不気味に微笑んでいた。

 そこだけ切り取られて貼り付けられたような――この時、アルカは人間でもそんな表情が出来るのか、とどこか納得した。強いて言うならば、壊れた人間でしか出来ないような表情と呼ぶべきか。

 まるで壊れた機械のように何度も言葉を繰り返した後、彼女は息をついた。呆れたような吐息だったが、それには怒気が含まれている。彼女の心を埋め尽くし焼き尽くさんとする怒りが、腹の底に煮えたぎっていた。

 

「まさかいっくんがそんな事に扱われていたなんてねぇ。これは束さんも我慢できないよ」

「失礼ですが、その組織は既に壊滅しています。亡国機業の手により残党処理も行われました。恐らく、もう生き残りはいないかと」

「亡国機業かぁ。まーちゃん、いなくなったと思ったらそこにいたんだ。久々に会いにいこっかなぁー。あー、でもいっくんの方が先か」

「詳細がお決まりになったらコアネットワークにて連絡をお願いします。それでは、またいずれ」

 

 アルカは闇に溶け込むようにして、姿を消す。まるで、最初からそこにいなかったかのように。それは言うなれば闇に溶け込む影のようだった。何にも捕えられず、見つかるはずのない黒の中の闇だった。

 彼女がほんの少し前までいた場所をしばらく傍観した後、束は小さく微笑んだ。その心に生まれたのは喜びか関心か。もしくは自分と同じ世界にいてくれる者がいる事実が在りがたかったと言うのか。

だがそんなことを決めるのは最早どうでもいいことだ。今やるべき事はただ己の課題に向けて全力でぶつかる事。

頭につけている兎の耳をモチーフにしたカチューシャがピクリと動く。

 

「ふふっ、さぁてそれじゃあ束さん頑張っちゃうぞ。……あ、でもあっちのいっくんの事なんて呼ぼうかなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリから降りたアインはそのままスコールの元へと向かっていた。彼女は大抵自室におり、そこでアインやスコール、エムやアルカに様々な任務を通達している。アインが彼女の下へ向かっているのはその報告であり、そして次の任務へ向かうための準備だった。

 己の体が限界を迎えるまで酷使し続けるのがアインという少年の日常だ。己の事など一切顧みない行動。それをまだ成熟し切っていない彼は疑問としない。

 

「……」

 

 通路ですれ違う人間は女性が多く、この組織もまた女尊男卑の影響をそれなりに帯びている。しかし、その土台を作り支え続けているのは紛れもない男性だ。例え時代が変わり、性別への評価が変わりつつあっても、能力や特徴は変わらない。

 現に、装備の点検や車両の整備はほとんど男性が行っておりこれは女性には真似できないほど繊細かつ丁寧だった。アインも銃の整備を任せようと思ったのだが、彼の師匠である者からの苦言により止められたと言う過去がある。

 シミや汚れなど知らぬとでも言いたげなほど艶々とした通路を歩き目的の扉を開ける。

 スコールの自室は広々としており、様々な調度品や家具が飾られていた。これだけ見れば大富豪が持つ邸宅の一室にも思えるだろう。だがこれはスコールがかつて世界を駆け巡っていた頃に集めたコレクションだと言う。

 それが普通の収集ではない事はアインも察していたが、それを聞き出すような野暮は無用だ。彼女との関係は崩したくないし、何より大きな恩義がある。

 

「最後の拠点を潰した。生き残りはいない」

「お疲れ様、アイン。残党狩りもこれで終わりよ、オータムが仕上げに向かってくれているわ」

 

 アインに向けて紅茶が差し出された。無論断る理由などどこにもない。

 紅茶の熱さが彼の心に落ち着きをもたらす。スコールが入れてくれたと言うのもあるのだろう。

 ほんの僅かな時間、アインの脳裏には今までの思いがよぎっていた。誘拐され改造され、そして彼女に助け出された事。当時は永遠の如く長かったが、振り返ってみれば余りにも一瞬だった。

 

「……もう、オレのような存在が作られる事は無いんだな」

「えぇ、技術もろとも破壊するように頼んでおいたから」

 

 楽しく笑うスコールの姿に、アインは小さく口角を吊り上げた。どちらも作り笑いである事など気づいていた。だがそうでもしなければ、周囲にある重苦しい雰囲気を払しょくできなかったのだ。

 今回襲撃したのは、彼を誘拐した組織の生き残りである。攫われた赤子はIS操縦者の遺伝子を受け着いた存在である。――すなわちISについての研究だ。そしてそれに携わっていた者は研究のためならば手段を厭わず結果だけを優先するような者達ばかりだ。

 皆殺しにしたIS操縦者もまた然りであり、彼に咎の意識など一片も無い。

ただ――彼女達をどうすれば助けられたのかと言う疑問だけが滲み出る。もしかすると違う未来が待っていたのではないのだろうか。

 

「……それで次は」

「ないわね」

「何?」

「前に言ったでしょ? 夏に大規模な作戦を行うって。だからしばらく任務はないわ」

 

 スコールの言葉に、ブリーフィングでの会話を思い出しアインは顎に手を当てる。

 いざ自由にしろ、と言われれば何をすればいいのか全く検討もつかない。アルカでもいれば、何か助言をしてくれるのだろうが、生憎今は席を外していていない。思えば訓練ばかりに身を費やし、それ以外を鍛錬に充ててきた。

 だからこそ、それ以外の事を行う時間など今まで全くなかったのだ。せいぜい休む程度の事であるが、生憎アインの体はまだまだ稼働域の範疇であり、休息など不要だ。

 思考がどうやって時間を潰せば良いかと言う難問に没頭しようとした時、スコールが何かを思い出したかのように手を打った。

 

「あ、そうそう。アイン、一つ私からお願いがあるんだけどいいかしら?」

「? 任務は無いと……」

「任務じゃないわ。プライベートな頼みよ」

 

 何かを思いついたかのようなスコールの言葉に、アインはより深く考え込む。彼女の実力はアインも知っており、彼ですら苦戦を強いられるほどの力量を持つ。もし彼女ならば、亡国機業から独立してもやっていけるのではないのだろうか、と思わせる程の力だ。

 そんな彼女がこの場で頼み込むような用事である。面倒事か、厄介事か、あるいはその類の何かだろうか。

 余程ややこしいんだろうな、と彼は内心呟いた。

 

「実はね、幹部会がある日に極東でレゾナンスというデパートで限定品のブランド品が売られるのよ。手間掛けて悪いけど、それをちょっと買ってきて欲しくて」

「……は?」

 

 気がつけばそんな間の抜けた声を出していた。それは彼の予測とは大きく異なる意味が、彼女の言葉に含まれていたからである。

 てっきり暗殺か強奪のどちらかを頼まれると思っていたのだが、どちらでもなかった。彼女の言い分は要するにおつかいだ。アインにとってはウォーミングアップにすらならない。

 しかも奪って来いではなく、買って来いという分アインにはますます訳の分からない話だ。ひょっとすると何か裏の意味があるのではないか、と言う考えが脳裏に滲み出てきた。

 

「オータムも私の護衛で幹部会に出ないと行けないし、エムは機体の改良で忙しいのよ。アルカにはエムの手伝いをするように頼んじゃったから……。それに私の身近で、頼めそうな人と言えば後はアインくらいしか……」

 

 なるほど、どこかで納得する。気が付けば脱力感は微かな安堵に変わっていた。

 詰まる所、彼女も女性だ。ならばお気に入りのブランド品を身に付けたいと思うのは女性としての自尊心だろう。彼女の収集癖も、それから生まれたモノなのかもしれない。

 今のところ断る気にはなれなかった。何しろ困難な内容でもないし、彼女からの依頼だから罠が仕組まれている事など在り得ない。スコールはアインにとって身内も同然であり、そんな彼女が困っているのだから尚更放っておく訳には行かない。

 腹の底から溜息を吐きたい気持ちを抑えて、アインはどこか呆れたように小さく息をつく。たまにはこんな時間も悪くないかもしれない。

 

「分かった。極東だな」

「えぇ、ありがとうアイン。私の名前を出せば支払いは例の場所に回されるから、お金の心配はしないでいいわ。それじゃあ楽しんできなさいな」

 

 そう言って部屋から立ち去るスコールの姿を見送り、ようやく彼女が言いたかった事に気づく。

 その意味を理解して、彼は小さく口角を落とした。

 

「……休暇か」

 

 紅茶のカップを彼女の机に置き直し、アインもまたコートを翻して部屋から出る。

 ゆっくり体を休めて羽を伸ばせ、という意味なのだろう。激戦の日々を駆け抜け続けている彼にとっては、心の休息に丁度いいかもしれない。

 ちなみに今極東は夏真っ盛りであり、今のアインの日程を簡単に例えるとすれば夏休みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 アインにとっては故郷である土地は、酷く懐かしかった。その空気が酷く体に馴染むのはやはりその血に刻まれたモノがあるからなのだろうか。

 照りつける夏の日差しや熱された空気は生憎彼の体に埋め込まれているISコアからの身体保護によって、熱さを完全に遮断されている。ただしそれは体表に限る話であり、飲食に関してはきちんと熱さを感じる事は出来る。

 猛暑を生み出す陽光の日差しと言うのは、彼からすればちょっと眩しい程度の感覚だ。

 故に周囲の人間が半袖の服で汗を滝のように流していようと、白のロングコートに身を包んだアインは汗一つ滲んでいない。

 長い白髪の髪に白い肌は、周囲の人間から羨望の眼差しを集めるのに十分な要素であるが、その特性がさらに注目を高めていた。

 しかしアインにとってはどうでもいい事であるし、些末な出来事の一つである。女性団体に襲撃でもされようものなら返り討ちにしてやればいいだけの事だ。

 しかし、彼には今一つ問題が発生していた。

 

「……迷った」

 

 レゾナンスの場所が分からないという事である。いくら故郷とは言ってもそれが変わり過ぎてしまえば分かるわけがない。それはアインもまた然りである。彼とてまだ十五の少年である。

 昔の朧気な記憶を辿れば駅前と言うのは分かるが、どこをどう歩けば辿り着くのかまったく分からないのだ。以前の記憶を頼りにしても、いざ思い出せるのは駅前と言う立地条件の良さ程度の記憶である。

 キョロキョロと見渡しても、見えるのはビルと人の群ればかり。そして彼に集められる視線程度のものだ。

 故郷は本当にこんな風景だったのだろうか、と少し心配になった。

 

「……」

 

 アインの耳に喧騒の音が届く。声量からすぐに位置を察した。場所はここからさほど遠くは無い。その視力で見渡せば簡単に目に映る程度の距離だ。

 見れば、一人の少女が二人の屈強な男に言い寄られている。女尊男卑の時代によく出来るな、と内心呟く。

 少女の水色の髪はどこかで見た事がある気がする。それに付随するのは戦いの気配。力を持つ者だけが纏うモノ。だが、その雰囲気を彼女は持っていない。

 掛けている眼鏡は空間ディスプレイのものだろう。アインの知る限り、中々の高級品だ。そして服装に乱れが無く気品のある佇まいから、余程懐が良い家に生まれたのかもしれない。

 彼女と男達の表情からどのような経緯になっているのかを瞬時に悟り、その事態に顔を顰める。

 

「ちっ」

 

 男達には生憎だが、いくら彼といえども無関係の人物が目の前で苦しんでいるのを黙ってみていられるほど寛容ではなかった。

アインは即座に男と少女を割るようして間に入り、一人目の男の鳩尾に拳を打ち込む。無論手加減はしっかりとされており、本気で打ち込めば彼が肉片へと成り果てるのは目に見えている故にである。だがそれでも、男にとっては屈強な一撃に等しかっただろう。

 打ち込むと同時に逆の手は二人目の男の手首を掴んで放り投げていた。アスファルトの地面に背中から叩きつけられれば、それは常人にとって十分気絶するに値する衝撃だ。ドスンと軽い地響きを立てた男は失神するのみ。

 アインが師匠である女性から習った組手。とある国の軍隊格闘術である。彼にとってはISとの戦闘でも使用する攻撃手段だ。それを一般人に使用したのは今回が初めてである。

 

「行くぞ」

「え、えっ、あ、あの……」

 

 彼女が何かを言う前に、アインは強引に手を引いて連れ出した。面倒事になる前に、さっさとこの場を抜け出す必要がある。幸いにも人の目は集まっており、それほど困難な事ではない。

 人ごみの多い中をすり抜けるようにしていけば見つかる事はないだろう。今は気配を殺しているため、大きい音でも立てない限り、視線を向けられることはないはずだ。

 群衆を掻き分けるようにして進む二人の姿。常人ならば目を合わせないほど気配を殺しきって移動する彼らを、水色の髪をした一人の少女が見つめていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

消えない想い

 

 織斑一夏は純粋だった。

 世界最強と天災――そんな歪んだ二人の間にいながら、彼はただ純粋に育った。世界に名を響かせた姉と比べられ、周囲から孤立して尚、彼は純粋だった。他からすればそれは間違いなく異常に違いない。

 世界を変えてしまうほどの力を持った二人に挟まれれば、誰であろうといずれ心が圧迫され何かが壊れるに決まっている。だが彼は変わらなかった。

 彼は歪まなかったのではない――元から、その二人など話にならないほど歪みきっていたのだ。

 けど彼はそれを歪だとは思わなかった。彼はそれを変えようとは思わなかった。

 彼は、織斑一夏は――何かに依存しなければ、生きる事すらままならないのだから。己を押し潰してまで彼は織斑になろうとした。姉に相応しき弟になろうと足掻いた。悲鳴を挙げ、のた打ち回る己を無視した。耳を塞ぎ、目を閉じて、最初から何もなかったかのように。

 織斑一夏である前に、人として在らねばならなかったはずの全てを踏み躙り、置き去りにした。

 人である前に、織斑一夏として生きる事を選び、あらゆる物を投げ捨てた。蔑ろにした物が何であろうと、その裏切りの対価に――大切な人の笑顔があると信じていたから。

 例えその果てに、破滅と言う末路が待ち受けていたとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

「う、うん……。あ、ありがと……う」

 

 アインが少女と共に辿り着いたのは偶然にもレゾナンスの前だった。出来過ぎていると思い嵌められたのかと思いもしたが、考えてみればここは故郷だ。土地勘で何とか見つけたのかもしれない。俗に言う直感が導き出した助けだったのだろう。

 だが、強いて言うならばもう少しだけ何か助けが欲しかった。特に少女の事に関してである。

 早い話どのように喋ればいいのか分からないのだ。普段口を交わす相手を数えるとすれば、それは指の本数で事足りるに違いない。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 とにかく気まずい。

 少しでもこの空気から逃げ出そうと、アインは重い口を開こうとした時、叫び声が聞こえた。

 

「お嬢様―ッ! どこですかーッ!」

「あっ……」

 

 少女が何かに気づいたかのようにその方角を向く。

 逸れた人物と出会えたのだろう。何がどうであれ再会できた事は良い事である。

踵を返してアインは歩き出そうとした。 

 

「あ、ありが、とう……」

 

 少女に呼び止められ微かに足を止める。だが何事も無かったかのように振り返った。

 

「……いや、勝手な事をして悪かった。ほら、早く行くといい。付き添いが待っている」

 

 お礼を言われたのはどれくらい久しぶりだろうか、と頭のどこかで考える。だがその程度の記憶はどうでもいい事だ。素性もまったく知らぬ赤の他人と二度出会う事など在り得ないに等しいのだから。

 アインは少女に軽く微笑むとそのまま踵を返してレゾナンスの中へと入っていった。

 

 

 

「あちゃー、かんちゃんを助けてくれたなら下手に手出せないわねぇ。嫌われるのも嫌だし……。うーん、諦めるのが懸命かしら。…………ま、いっか。喧嘩売るような事しなければ大丈夫よね」

 

 アインがレゾナンスへ入った後、例の少女もまた彼を追うようにしてレゾナンスへと入っていった。

 

 

 

 

 人目の注目を集める中、ブランド品を取り扱う店で商品を頼み、スコールの用事を済ませた。退店する際に、やたらとアクセサリーを勧められたがアインにとっては無用の長物だ。彼にとって装飾品など、ただの物品に過ぎないし特別な思いがある訳でもない。

 スコールの用事を済ませた以上はもうやる事が無いので、さっさとレゾナンスを出て本部へ向かうか、この辺りをぶらつくか程度の事である。以前の自分であればすぐさま本部へ戻っていたのだろうが、何故か今回はそういった気にはならなかった。この故郷の土地を、忘れられずにいるのだろうか。

ここに来る途中アインはISコアの反応が複数ある事に気がついた。

 今のところその個数は六個であり、間違いなく専用機持ちだろう。近場にはモノレール乗り場があり、その先はIS学園である。だとすれば間違いなくIS学園の関係者がここにいる。

 距離はさほど遠くは無く、歩けばすぐに着く場所である。行おうと思えば強襲も暗殺も可能な間合いだ。今のアインにとっては造作も無い。

 

「……」

 

 そしてその頭数には間違いなく、織斑一夏の専用機も含まれている。

 上手く行けばここで彼の暗殺を行う機会が訪れる可能性がある――そこまで考えてアインは頭を振った。

 ここはデパートの中であり、暗殺などと言う行為を行えば間違いなく騒ぎになる。アインにとってのメリットはあるだろうが、スコール達からしてみればただの命令違反に終わるだけの話だ。

 監視カメラもある上に地理の把握も不明瞭な悪環境であり、さらには国家代表候補生数人をまとめて相手にしなければならない。狭い地形を活かせば戦えないこともないが、デメリットが多い上にメリットが少ないのだ。

 スコール達に迷惑がかかると判断して、アインはその考えを諦めた。

 

「……ちっ」

 

 鋭い舌打ちの音を残して立ち去ろうと踵を返す。

 その背後の奥に、実の姉が立っていたことなど知らず、ただ出口へと通じるエスカレーターを降りて行った。

 

 

 

 簪の心境は、何かもう爆発しそうだった。

 心の軽そうな男二人に言い寄られ、どう対処すれば良いのか考えていた時に突如として割り込んで来た人物。

 まるで魔法か何かのように、即効で二人を沈めてすぐさま簪をその場から連れ出した。女性と見違えるほどの綺麗な肌と髪をしていたが、声音と体型ですぐに男だと分かった分簪にはそれが一層恥ずかしい。余りにも非現実的な光景――それを彼女は目の当たりにしたのだ。

 言うなれば彼はヒーローのような行動をしていた訳なのである。

 実際のところ、この出来事は彼女の中で何倍にも美化されていた。それはもう、修正しようがない程に。

 

「……あう」

 

 彼女と自分の水着を選ぶ付き人の言葉も今の彼女には届きそうになかった。

 

 

 

 

 レゾナンスの出口付近でアインはふとその足を止めて人気のない一画へと向かった。そこはまるで外れのような場所で、群集のざわめきも、彼のいる場所では壁で遮られているかのようだ。だが、今のアインにとっては打って付けである。

 彼は獣のような眼光を隠す事もせず、背後を背中越しに睨み付けた。鋭い眼光が、彼を尾行し続けていた者を捉える。

 更識楯無――IS学園でアインが一時的に交戦した敵だ。今の状況で果たしてどれだけ戦えるか。彼女も間違いなくあの一件以来実力を高めてきているはずだ。一方的に主導権を握られたなど、彼女にとっては屈辱に違いない。

 しかし彼女は笑っていた。

 

「久しぶりね……。ってそんな怖い顔しないで頂戴。こんな場所でIS展開する訳にはいかないでしょうし。それに学園の事なら、私は気にしてないわ。こちらへの損害は軽微だったしISコアも確保出来たみたいだしね」

 

 その声音に戦いの気配は含まれていない。隠されているのではなく、最初からないのだ。つまり――更識楯無はアインと戦うつもりなど一切無いのだ。

 まるでただ世間話に来ただけのようである。それがアインには理解できない。

 

「……更識、戦いじゃないのなら何のようだ」

「そうね、サクっと本題に行っちゃいましょうか。二つほど用事があるのよね。まず一つ目だけどお礼を言いにきたのよ」

 

 その瞬間、間の抜けた雰囲気が辺りに漂った。無論、アインの思考が一時停止し楯無の言った言葉の意味を吟味し始めていたからである。

 少なくとも、彼は礼の言われるような事はしていない。増してや戦った相手である以上、感謝される事などありえないはずだ。

 人助け程度なら、と考え始めた時、ふとその答えに行き着いた。眼鏡をかけた水色の髪の少女。――それはどこか更識楯無に似ている。

 

「あの少女か?」

「そっ。私の妹なんだけどね……。何というか結構消極的な子なのよ。だから私が助けてあげようと思ったんだけど……ありがとね」

 

 楯無の声には僅かな自責の念が込められていた。何も出来ない無力な己を呪うかのような響き。

 それはアインも幾度となく経験している。手を伸ばしても決して助けられぬ者がいるという事。運命に抗えぬ者がいる事。そして――その運命を変える力を持たない自身に投げかけられる自問自答。

 同じなのだ。アインと楯無は。まだ年端も行かぬ齢で余りにも苛烈な経験を積み過ぎた。それ故に常人から程遠くなってしまった。

 そしてアインは、今自身の心にあったはずの過剰な敵意が消え去っている事に気が付いた。吹き荒れていた暴風も、今や微風のようになっている。

 

「――なら、傍にいてやれ」

 

 刺々しい声が消えて、ほんの少しだけ優しい声音が響く。それはアインとしてではなく、彼がずっと隠し続けてきた本性が僅かに芽を出した瞬間だった。

 その響きに楯無は耳を疑う。彼の声はまるで感情が無い機械だったと言うのに、今はまるで人のようだ。情に満ちた、優しさに境界線が無い――本来の彼はそのような人物だと、楯無は漠然と感じた。

 

「えっ?」

「家族が傍にいる事を当たり前だと思うのは悪い事じゃない。気づかない幸福ほど幸せな事なんて何もないからな。だから――お前が傍にいてやれ。楯無じゃなく、姉として守り抜け。そうしなければ、いつかお前の元を離れていく。お前がそれを自覚した時は、もう手遅れになっているはずだ。本当に妹を大切に思っているならきちんと向き合え」

「……そうね、ありがとう。まさか敵に悩み聞いてもらえるなんて思ってもみなかったわ」

「次に会った時はこんな下らん質問に耳を貸さんぞ。自分の悩みなら自身で解決しろ」

 

 再び刺々しい口調に戻って小さく鼻を鳴らすアインだが、その口角は僅かに吊り上がっている。その表情には年相応の少年らしさが垣間見えていた。

 呆れて苦笑しているのか、それとも別の思惑があるのか――そこまで考えて楯無は一端詮索するのを中断する。こんな事を考えていた所で、今は時間の無駄にしかならないだろう。

 何にせよ、彼は根からの悪人と言うわけではないらしい。いや、強いて言うならば彼は楯無と同族の存在だろう。

 故にアインという人物が持つ僅かな善性が楯無にとっては好ましく見えた。

 

「次に会った時って事は、今ならいくらでも聞いてくれるって事よね?」

「……まぁ、その何だ……時間が無いから手っ取り早く言え」

 

 頬を小さく掻いてそっぽを向いた。

 よく聞いてみれば、声も少しだけ小さくなっているような気がする。その様子が、少しだけ幼い少年のように思える。

 もしかすると彼は分厚い鉄面皮を被っているのだろう。だがそれを問い質す程の手心を、楯無は必要としなかった。

 

「それじゃあ直球で行きましょう。貴方の目的は何かしら? 一応、聞きたい事は山ほどあるだけれどね」

「織斑一夏の抹殺。それだけだ」

「……へぇ、随分と素直に教えてくれるのね。どうしてそこまで彼に固執するの?」

 

 途端、アインの眼光がさらに鋭利になる。まるで研ぎ澄まされた刃の如く。

 彼の無手が銃を握る形に変わる。楯無も全身に僅かな力を込めて臨戦態勢へと体を徐々に移行させる。

 

「――過ぎた好奇心は身を滅ぼすぞ、更識楯無」

「あら、怖い怖い。それじゃあこれで最後にしましょうか。――IS学園に今後手を出す予定は?」

 

 ギロリと睨むアインに対し、楯無は微かに笑みを浮かべている。だがそれが作り物である事は明白だ。

 睨むアインと笑う楯無。対象的な光景だったが、一つだけ二人に共通している所がある。それは両者が戦火を交える準備を終えている事だろう。

 人気が全くないこの場所ならば、多少の戦闘は気づかれない。

 そして二人とも、相手を瞬時に殺す暗殺術には長けている。鍛え上げられた経験と技術と力は、人を殺すには十分すぎる牙へと昇華されていた。

 

「ある――かもな」

「うん?」

「それを決めるのは別の連中だ。オレ達は何の関係も無い」

 

 剣呑な殺気を仕舞いこんで、アインはレゾナンスの出口へと歩いていく。何一つ歩幅を緩ませる事無く、彼は淡々と踵を返す。

 あと少し歩けば群集に紛れ込むところで、彼は背中越しに楯無を一瞥した。その背中を楯無はどこかで見た事があるような気がする。だが見た事が無いような、そんな訳の分からない感覚が彼女の心をよぎる。

 

「尾行は出すな。関係が無いヤツを殺したくはない」

 

 そのまま歩み去る彼に背を向けたまま、楯無は静かに呟いた。

 この邂逅で得た情報は大きい。少なくともあの少年に対して生い立ちを知る手掛かりが掴めたのは明白だ。

 

「関係……ね」

 

 去り行く白髪の背中を見つめる。

 それはまるで、世界全てから拒絶されようと足掻く、迷い人のようだった。

 

 

 

 

「……エム様、サイレント・ゼフィルスの調整が完了しました。中々強情ですね、この子は」

「すまないな、アルカ」

 

 織斑マドカ―通称エム―は改めて自身のISであるサイレント・ゼフィルスの状態を確認する。確かに反応速度やスラスターの速度などが以前よりも上昇しており、持っている大型ライフルの感触もかなり手に馴染む。

 これはISコアが操縦者を受け入れていると言う証拠らしい。アルカが手を加える前との違いにマドカは思わず感嘆の声を挙げていた。

 

「ISコアと会話が出来るという話は本当だったのか……」

「疑っておられましたか?」

「……半分くらいは」

 

 クスリと微笑む彼女の姿に、マドカは軽く唇を尖らせる。アルカがアインの付き人である事を知っている。彼女の実力が、マドカでは到底及ばない極致である事も知っている。故にアインが彼女を信頼している事も知っている。

 それがどこかマドカは気に入らなかった。彼女はまだ嫉妬と言う言葉を知らない。

 

「大分お変わりになられましたね、マドカ様。アイン様に牙を向けていた頃は別人のようです」

「……いや、あの頃はまだ何も知らなかっただけだ。あの人がどのように生きてここに来たのかを、私はまったく考えようとしなかった」

 

 この組織で初めて彼と彼女が出会ったとき、彼女は即座に彼を殺そうと刃を向けた。憎悪と復讐に駆られたその双眸を忘れる事は無いだろう。まるで獣の牙のような一撃、それは憤怒に駆られた激情が生み出す衝動。

 彼はそれを簡単に受け止めた。例え何であろうと、全てを背負い続けると決めたその在り方――ただその思いだけで、彼は彼女の凶刃をその身に受けたのだ。それは常人ならば確実に絶命させる一撃だった。殺すと言う事に置いては文句のつけようがない程正確無比なモノだった。

 だが一つ誤謬があるとすれば、それは彼女が彼について知らなかったことだろう。凶刃は、その肉体を貫く前に刃自体を潰されたからだ。彼の体がIS装甲に匹敵する程の強靭な体である事を、彼女は知らなかった。条理は不条理によって捻じ曲げられた。

 そんな理不尽な最期で役目を終えた刃を、彼女はまじまじと見つめて、彼は何とも無いように一瞥する。

 その時の光景を未だにアルカは忘れられない。

 まるで鏡のようだった。

 彼女の目には人として確かな意思を灯しているが、彼の瞳は何を考えているのかまったく読み取れない。兄と妹の関係だと言うのに、余りにも違い過ぎていた。

 本来の人間ならば、きっと彼の瞳に恐れて逃げ出しただろう。それは人として受け入れるには余りにも無であったからだ。覗き込めば、二度と戻ってこられないような錯覚を抱かせたからだ。

 しかし彼女はそれに真っ向から勝負を挑んだ。その勇ましさを、貴いと思った。

 その後は様々な事があったが、思い返すには場違いだろうと察して、アルカは記憶を引っ込める。思い出などいくらでも思い出せる。

 

「まだ呼べていないのですか」

「……あぁ、あの人が目的を果たすときまで……兄さんと呼ぶ事は出来ない」

 

 目を伏せるマドカの瞳に影が曇る。

 身に纏っているサイレント・ゼフィルスの装甲が僅かに降下したように見えた。

 

「アルカ……姉さんは私の事を覚えていると思うか?」

「マドカ様?」

「私は数年前、姉さんの下から引き裂かれた。温かった日溜りから、冷たい闇の底へと連れて行かれた。誰に連れて行かれたのかは覚えていないが……それでも姉さんの名を呼んでいたのは確かだ。けどあの人は……あの人は」

「……心配は不要です。あの方は、いつも貴方の写真を大切にしていられました。織斑一夏にすらその全てを隠しています」

 

 マドカの肩が僅かに震えている。その震えは一体どのような感情から来るのか。

 このような思いを得られる人間の心を、アルカは羨ましく思った。

 

 

 

 

 

「……」

 

 すっかり空も暗くなり、夜風に吹かれる中アインはビルの屋上にいた。眼下に広がる町並には人の声がまだ溢れている。だがそのほとんどは最早アインにとって無用であり無縁である。家族から与えられる温もりなど、今の彼には程遠い。

 金網のフェンスから見える光景は様々な光が溢れていたが、彼はただ一つだけを凝視していた。だがその世界は現実と幻想が混雑している。

 彼我の間合いは、常人ならば決して見えぬ距離だがアインには意識さえ集中させればはっきりと見えてしまう。

 彼が見据える一軒の家――その表札には織斑と書かれていた。

 右手でそっと金網を握り締めて、紅き双眸に憎悪の火を込める。左手は何かを堪えるかのように拳を握りしめていた。爪が皮膚の肉を抉り鮮血を滴らせる。

 

 小雨が降り始め、アインの髪を濡らしてゆく。彼の存在を掻き消すかのような冷たさ。だがそれもアインにとっては感じる事の出来ない感覚。しかし体で感じなくとも、心は否応なしに錯覚してしまう。

 その冷たさと今立っているビルの屋上からの光景が、決意の日を思い出させた。数年前、ここで果てた一人の少年。そして生まれた戦士。彼が祈った不変の誓い。

 余りに残酷で余りに脆すぎる誓い――そんな運命を歩み続ける覚悟は残滓へと成り果てた今も尚、心の奥底で静かに牙を研いでいる。

 

 

 

 

 

 彼の目が醒めた時、そこは見知らぬ天井だった。

 爆風に巻き込まれ、意識が途絶えたところまでは覚えている。

 だとすれば救出されたのだろうか。あの地獄から救い出されたのだろうか。望んでいた陽だまりへ帰る事が出来たと言うのか。

 所々に巻かれている包帯と着ている服が何となく真新しいように感じる。平和な香り、血や硝煙とは無縁な空気。ずっとあの場所で渇望していたモノだ。

 そこまで考えた時、ドアが開く音が聞こえた。

 

『あら、目が醒めた?』

 

 豊かな金髪の女性が入って来て、そこでようやく彼は解放されたのだと悟る。彼女の目はあの僻地の研究員とは違い、彼を人として見てくれていた。

 

『いきなりで悪いけれど、貴方の名前教えてくれるかしら? そうでもしないと何と呼べば良いのか分からないのよ』

 

 彼は自分の名前を告げた。

 ようやく家族に会えると、ようやくあの場所に帰れると。

 だが、名前を聞いた瞬間彼女は目を丸くした。その様子に、彼の心を暗雲が立ち込めていく。

 彼の姉の名を知らぬ者などいないはずだ。そう自負出来る程、あの人は有名になったのだから。

 

『……どういう事? 織斑一夏は救出されたはず。それに今の貴方、見た感じじゃとても日本人には見えないわ』

 

 嘘だと叫ぶ。

 あの地獄で痛感した。一人である事、誰も助けてくれない事、一度失った温もりはもう二度と戻ってこない事。ずっとずっと孤独な世界に飲み込まれる。

 それに恐怖を覚え、彼は両肩を震わせた。

 女性も彼の様子を見て、思案する。

 

『……極東に行って見ましょう。家は覚えてる?』

 

 女性の言葉に、彼は顔を埋めて小さく頷いた。

 嘘であってほしい、何かの間違いであってほしい。

 そんな希望の欠片に縋りながら、彼は震え続けた。

 

 

 

 

 

 ビルの屋上の金網を縋り付いて、彼は視線の先にある一軒の家を凝視していた。双眼鏡でようやく見えるほどの距離のはずが、彼はそれを裸眼で可能としている。

 彼女からすれば異常な視力だが、彼はそんな事をまったく気にしておらず、ただ答えだけを待っている。

 その様子を、女性は少し哀れだと思った。

 

『……あれが織斑千冬――貴方のお姉さんよ』

 

 女性の声に、彼は金網を握り締めた。

 黒いスーツに身を包んだ女性が、家の玄関で黒髪の少年に出迎えられている。

 ――。

 女性の微笑は、己の記憶と合致する。

 ――ウソだ。

 金網が握力によって引き伸ばされ、千切れる。

 その光景に女性は絶句していたが、彼はそんな事を気にも留めなかった。強く握り絞められた拳。指先の詰めが掌の肉を抉り鮮血を垂らす。

 ――違う。

 ポツポツと小雨が降る。それは徐々に勢いを強めていく。

 彼の総身を徐々に濡らすその水滴に、もう一つ小さな雫が混じった。目尻から流れるその衝動を抑えようともせず、彼は叫ぶ。

 心から漏れ出していくモノを塞き止める事はできなかった。どう止めればいいのか、まったく分からなかった。

 だから、叫んだ。

 

『違う! 俺は、俺はここにいるっ! そいつは偽者だ! 俺が! 俺が……。俺……が……』

 

 雨音に掻き消され、その声は消え失せてゆく。織斑千冬は造られた織斑一夏と共に家の中へと入っていく。最早外から内部は見えなかった。

 そこでようやく彼は気づいた。

 

“俺の人生は、何だったのだろう”

 

 何もない。残されたモノなど欠片どころか塵の一つすらない。

 自分は空っぽだ。あの人がいなくなってしまえば、自分はこんなにも矮小で無力な存在なのだと。何の意味も無い、ただの人形だったのだ。

 少年を突き動かしていた原動は、最早形骸と成り果てて二度と動き出す事は無いだろう

 この瞬間――彼は自分の中に何も残っていない事を悟った。憧れて、追いかけ続けてきた物が無意味だと気づいた。

 己の全てが、奪われたのだと錯覚した。そしてそれを一寸も疑わなかった。

 

『――――!!』

 

 言葉にならぬ慟哭。喉をも割かん程の声を挙げた。

 彼の目から流れ落ちる多量の雫が、雨音と共に彼を濡らす。泣き崩れ嗚咽を漏らすその姿を、女性は覆うようにして抱く。

 そのまま彼が泣き止む時まで、彼女は強く抱き締めていた。

 

 

 

『……取り戻したい?』

『あぁ……あぁ……!』

『なら、私たちと共に行きましょう。亡国機業――それが貴方の家族よ』

『家族……』

『貴方の名前はアイン。一を意味する言葉。貴方が名前を取り戻すその日まで、貴方はずっとアインとして生きていく。その覚悟は――聞くまでも無かったわね』

『アイン……』

 

 もう憧れていた人物に愛される事は無い。名前で呼ばれることすら有り得ない。彼女の温もりが再び包んでくれることは無い。

 自身が闇の中を這いずるその表側で、彼はきっと光の中を歩いていくのだろう。

 光は全てに優しくされ、希望へと導かれていく。闇は全てから拒絶され、絶望へと堕ちて行く。

 だから――殺さなくては。

 光を消して、闇も消してしまえば後には何も残らない。

 何も残っていない自分があの人に隣にいたとしても、それは不幸でしかない。自分が黒だとするならば、彼女は純白だ。何物にも染まらぬその無垢こそが彼女の全て。

 織斑千冬が在り続ける為に織斑一夏は消えなくてはならない。

 それこそが憧れの代価であり、それこそが罪科への償いだ。

 数々の罵倒を受けるだろう、数々の怨恨をその身に科せられるだろう、数々の生命をその手で奪っていくのだろう。

 全てを受け入れよう。

 呪いも恨みも何もかも全てを心の空白に仕舞い込もう。

 それが自身の在り方を体現するただ一つの手段で、自分が出来るのはそれしかないのだから。織斑一夏ではなく、人として生きるためには、何かに依存しなければならなかったのだから。

 

 雨の抱擁を受けたその日――少年は歩むべき道を定めた。

 

 

 

 

 

「……」

 

 気がつけば、コンクリートの地面には小さな水が溜まっていた。長い間、あの時の過去を振り返っていたのだ。気づかなかったのはきっと、その想いがまだ胸に残っているだろう。

 ここまで想いに耽るのも我ながら珍しい。そう思いながらアインは曇天の空を見上げる。

 

「アイン様、そろそろ戻りましょう。お体に障ります」

 

 いつの間にいたのか。アインと同じように雨に濡れたまま、アルカは無機質―だがどこかで優しさを含んでいる―な声を挙げていた。

 短く返事を告げて、彼女は彼の後を追うように雨雲が覆う空を見上げた。雨はアインの心を慰めるかのように優しく降り続けているのか、あるいは嘲ろうと降りしきっているのか。

 

「……アルカ、篠ノ之束と接触したな」

「はい。彼女の協力が取り付けられれば以後の作戦が円滑に進むと判断し、実行しました」

「彼女は……あの人はオレの事を何と言っていた」

 

 心によぎったのは不安か期待か。それ故にアインはアルカの方へと振り返る。

 まるで子供のような様子にアルカはクスリと微笑を浮かべた。母親が赤子を諭すような雰囲気を浮かべて。

 美しい顔立ちが、ほんの少しだけ彼女と重なる。

 

「会いたい――そう仰っておりました」

 

 

 

 

 高級クラブのバー、そこのカウンター席に二人の女性が腰掛けていた。

 一人は長い金髪の女性で、着ている紫のドレスは魅力なボディラインを露わにし、豊満な胸を強調している。一言で言うとすれば妖艶だ。

 対して銀髪の髪を首元で揃えた女性の服装は黒いコートに黒いズボンと一色に揃った服を着ており、中性的な顔立ちは金髪の女性とは異なった美しさを醸し出している。その体はどちらかと言えば引き締められていると形容した方がしっくりと来た。

 つい先程、スコールは幹部会に出席した所である。ちなみに銀髪の女性である彼女も幹部会に出席しなくてはならないのだが、彼女は『面倒臭い』と言う理由で欠席しているのだ。それでも許されているのは、成果を挙げているからだろう。

 

「……どうしたんだスコール、アンタらしくも無い。まさかオータムじゃなくてアタシを誘うなんてね。おかげでさっき睨まれたよ」

「それはごめんなさいね。彼女も幹部会の内容にご立腹みたいだから」

「ふぅん、ってコトはアイツ絡みで何か言われたのかい?」

「……そうね、カレン。この事は内密に頼むわ。次の作戦に対して何故か私たちのチームに大幅な人員が投入されたの」

 

 スコール率いるチームは基本的に、スコール・アイン・オータム・エム・アルカの五人で任務を行う事になっている。それぞれの実力が非常に高く、亡国企業内でも文字通りトップの実力を誇りそれらを率いるスコールの手腕は非常に高く評価されているのだ。

 無論彼女のチームだけで、国一つすら相手取る事は出来るだろう。

 だが何故か、そのスコール達のチームに対して大幅に新参者が増加されたのだ。

 元々、スコールはそのような教育者としての指導は苦手であり、基本的には他任せである。アインを鍛え上げたのも、今目の前にいる銀髪の女性がいるからに他ならない。彼の持つ実力は、彼女によって完成されたと言っても過言ではないのだ。

 

「そうか、確かにそいつはちと臭うね……。分かった、アタシの方からも探って見る。アンタはいつもどおり馬鹿弟子の手綱を握っといてくれよ? アイツ、ああ見えて結構脆いぞ」

「……でしょうね。子供だから無理も無いわ。でもそこがいいのよ。彼みたいにあんな惨い経験が有るのに純粋になれる人って本当に稀よ」

「おいおい、アタシみたいな人間にそんな綺麗な話はやめてくれ。柄でもない。……と言うか、今だから言うけど、アンタ、アイツの事好きなんだろ?」

「否定はしないわ。でもどちらかと言えば子供みたいなものね。不安定だからいつも心配でしょうがないのよ。彼の師匠でもあって、娘がいる貴方なら分かるでしょ?」

「……まぁね」

 

 銀髪の女性は「あーあ」と声を漏らして、グラスに注がれた琥珀色の液体を飲み干す。

 

「遺伝子強化試験体……。本当にあのバカな連中は下らない事しか頭に無い。軍人の心構えなんて実戦でしか得られないのにね。ま、そんな思惑に気づかなかったアタシゃ、もっと大バカなんだろうよ。おかげで娘を取り上げられた挙句に左遷だ。……ククッ、本当にアタシはダメな人間だなぁ」

「……そう。でもアインは貴方の事誉めてたわよ」

「……おい、スコール。そういうのをここで語られると次アイツと会うとき恥ずかしくなるからやめろ」

 

 クスリと微笑むスコールに対し、女性はどこか困ったように頬を掻いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

影は黒く渦巻いて

 

 

 いつだって歩いてきた。その名前を背負い、確かな自分として生き続けて来た。

 歩けばきっと何かが見つかるだろう。それは己を見失わないからこそ信じられる事だ。

 

 

 ならば名前を奪われた者はどれだけ歩いたとしても、何一つ得る事は出来ないと言うのだろうか。

 

 

 

 

 その出会いはまさしく最悪の一言に尽きる。

 少年はある少女の容貌に姉の面影を幻視し、少女は少年の名に憤る殺意を抱いた。それは白と黒のように明白な在り方で、両者の姿はまるで鏡のよう。決して混じり合わない関係。

だと言うのにその繋がりは兄と妹。混じり合うはずの運命はいつからか解れていた。

 言葉にすればそれは『家族』。たったそれだけの簡単な関係だと言うのに、それぞれの思いは混沌に沈んでいた。

 織斑一夏と織斑マドカ。

 愛情と憎悪、歓喜と絶望、そんな境界線の狭間に彼らは捕らわれ、僻み、すれ違い続けている。その狭間から他者が救い上げる事など不可能だろう。

 まず、その深淵を覗き込んだ瞬間に全てが砕かれるに違いないから。

 

 

 

 

 

 

「さて、今回の作戦を説明するわね」

 

 暗い一室の中、映像投射機によって投影されたスクリーンへスコールが立つ。その容姿にはさり気無くアインが購入したブランド物のアクセサリーが備わっていた。

 部屋にはアイン、オータム、マドカや機械を操作するアルカの他に今回の作戦に参加するために、突如として増員された数名の構成員が腰を落ち着けている。

 本来ならばいつもの五人で行うはず任務に唐突な人員変更。それもほとんどが新参と呼ぶに相応な経験しか無い。だと言うのに、何故この危険な作戦へ抜擢されたのだろうか。

 それを奇妙だとは思いながらも、スコールは説明する事に専念した。今の彼女の務めは任地の情報を伝え、共有する事である。例え戦争が変わり、人が変わり、時代が変わったとしても、情報が有用である事に変わりはない。

 スクリーンの画面が切り替わり、どこかの地図が映し出される。一部の者はその地形に何かを思い出すように首を捻り、一部の者はその場所を瞬時に導き出した。

 

「……ハワイだな?」

「えぇ、そうよオータム。このハワイ沖基地でアメリカとイスラエルが共同開発している軍事用ISが試験飛行するという情報を入手したわ。それを強奪。強奪が不可能であれば破壊する。それが今回の目的よ。アルカ、お願い」

 

 画面が再び切り替わり、例のISの形とデータが細かに羅列される。右下に映された女性の画像―恐らく操縦者だろう―はまだ一流の戦士と言うには若い。

 

「銀の福音、正式名称はシルバリオ・ゴスペル――通称福音です。第三世代型で広域殲滅を目的としたオールレンジ攻撃や特殊射撃、そして攻撃と機動の両方に特化。戦闘能力が非常に高く空中では国家代表生クラスでも苦戦を強いられます。セカンド・シフトをした場合、その危険度は計り知れません。他のISと連携を組まれた場合尚更不利です。つまり――」

「学園襲撃に置いて協働された時に厄介だと言う事か」

 

 アインの言葉に、アルカは無言で―だがどこか嬉しさを込めて―頷く。その姿にスコールは思わず吹き出しそうになったが、聴衆の前と言う事実が彼女の精神力に力を与えていた。

 スクリーンの画像が再度変わり、今度はIS学園側の情報が映し出される。一年生の中で専用機を持っている者達の顔写真と機体が表示され、作戦を聞いていた者の中の約一名が顔を顰めた。

 

「そしてIS学園による臨海学校もまたこの時期です。仮に銀の福音と交戦状態になった事を予測すれば、間違いなく学園側も介入してくるでしょう」

「おおよそはアルカの言うとおりよ。だから今回の作戦は迅速な行動と判断が要求されると思っていい。だから私たちがこの任務に抜擢された。最悪の場合IS学園と接触しなければならない可能性もあるわ」

「……待て、何故学園側が介入してくる? 軍事絡みの事を一介の生徒に押し付けるのか?」

 

 当然と言えば当然の事である。軍用機が関わるならばそれは少なからず国家直属の機関が最善の力を以て尽くすはずだ。まさかIS学園が極東の中で随一の戦闘能力を誇るわけではあるまい。あれならばまだ、国家代表の方が遥かに力を有している。

 アインの疑問に、スコールはクスリと微笑み、艶やかな唇が微かに弧を描いた。常人の男ならば悩殺されかねない表情を見ても、アインの顔色はちっとも変化しない。

 そこまで鈍感だと言うのか、それとも作戦中であるため意図的に無視しているのか、どちらにせよ面白くない事だが、その不機嫌をスコールは内心で押し殺す。

 

「真意は良く分からないけど、自分達なら大丈夫と言う自信があるのでしょうね。余程専用機持ちという肩書きを信頼しているみたいよ」

「……首輪を繋がれた犬が猟犬気取りか」

 

 アインの呟きを聞いて、マドカはなるほどと納得した。

 大人しく首輪に繋がれておけばいい物を、自身の力を過信し出来ぬ事をするから戦いの中で倒れる。

 そのような人物を此処にいる者は何人も目の当たりにしてきたのだ。戦いを揺り籠とする者達が集う場所。それもまた亡国機業の一面である。

 その中でも戦いが日常茶飯事であるこの組織の中でプライドだけが抜き出ている輩もいる。元々実働部隊にいる以上は余計な感情論など不要だと言うのに、固執し続ける。

 結局、それは影も形も無い筈の栄光に縋りながら死んでいくのだ。

 

「基地を制圧したら、後はアルカに任せるわね。貴方なら問題は無いから」

「お任せください」

「アインとエムの二人で攻めて頂戴。オータムは二人の援護を。私を含めた残りは皆、外部からの出口を塞ぎつつ進行して」

 

 了解、と声が響く。

 何かが違うその音を、スコールはただ気に食わないと思った。まるで清らかな水の中に、たった数滴汚水が混じったような嫌悪感。

 それはきっと、アインの事を何も知らぬ衆愚共が、彼を疑いの眼差しで見ていたからだろう。

 

 

 

 年代物を思わせる電灯の下、彼はいた。テーブルの上に置かれたマガジンと銃の群れ。そしてそれらを手に取り、黙々と作業を進める白髪の少年。

 作戦予定地へ繰り出す数刻前、アインは携帯する銃に弾丸を込めていた。彼に銃を収集する趣味と言うのは無く、彼が今手にしている其は普通の弾丸が発射されるタイプだ。IS武装の一種ではない。

 今回の作戦は生身の兵士と交戦する場面がある。基地を護衛する者達との交戦だ。別段、殺していいのだろうが、生憎アインはそれを好まない。何より兵士達に罪は無い。彼らはただ守るために戦っているだけだ。

 いつもアインが使用している銃は、ISに通用するほどの性能を持つ弾丸を使用しているため、人間相手に撃てば四肢が潰されるか死ぬかの二択に分かれる―ただし直撃すればの話であり、掠めた場合は別だが―。

 そのため、裏の世界では普通に流通している普通の銃を使用する事になったのだ。銃弾を込めているのもそのためであり、アインが体内に圧縮してから展開すれば銃弾の装填は為されるが、それはISに通用する弾丸となってしまう。

 素手で交戦する事も考えたが、手加減を心がけておかねば間違いなく死人が出る。そして近接戦闘での手加減と言うのは、アインにとって苦手な物だ。彼の格闘が常人の首を掠めれば即死確定である。

 全身が麻痺でもすれば、力が入らなくなるのだろうがそもそもそんな手段が存在し彼に通用するかも疑問である。

 心のどこかで面倒だとは思いながらも、その手が休まる事はない。

 蝶番が金切り声を上げ、入室者の存在を知らせる。

 

「相変わらず下らん事に精を出すな、馬鹿弟子」

「……カレン。アンタは今回の作戦に配属されていないと聞いたぞ」

「何だ、来たら悪いのか?」

「……気が散る」

 

 後ろ髪を首元で揃えた銀髪の女性が姿を現す。

 着ている黒い軍服は、所々埃が付いているが彼女はそのような事を気にする人間ではないし、女尊男卑に染まり切った者でもない。

 服の上からでも鍛え抜かれたと分かる体つきと、女性らしいそのスタイルがどこかアンバランスだ。だがそれでもアインを容易く捻じ伏せる程の実力を持つのが彼女である。

 アインに銃やナイフなどの戦闘を教え込んだ女性――その名はカレンと言う。

 

「おい、一応アタシを敬えと言ったはずだ。銃器の扱い方を叩き込んでやったのは誰だと思ってる」

「なら、カレン師匠と呼ぶが」

「……すまん、アタシが悪かった。やっぱり今までどおりでいい」

 

 苦虫を噛み締めたかのような表情を浮かべる彼女の姿に、小さく息を漏らす。軽口や冗談の類とは思わなかったのか、あるいはアインの目がそれほどまでに本気に見えたという事か。

 何度か咳払いをした後、すっと細められた目が、静かに彼を見据える。

 間の抜けた雰囲気が、急激に冷えていく。まるでそれは、一粒の水滴が鋭利な刃物へ凍っていくような変化だった。

 

「本題に切り込むぞ。アイン、今回の任務の配属を見て一つ気づいた事があるだろう?」

「……本来なら五人で行われる任務に、急激な人員補充の事か。あぁ、余りにも不自然すぎるが、それがどうした」

「――気をつけろ。アイツら全員、この組織に来てから日が浅い。その癖、任務の完遂度はほぼ百パーセント。……まだはっきりとした証拠が出揃ってないが、アタシの勘から言わせて貰うと、確実に黒だ」

 

 アインの手が止まる。彼の脳裏に駆けたのは、一つの考え。今からその者達を殺しに行くと言う突拍子も無い思考であった。

 敵であるのなら迷う間は無い。元々相手もそれは覚悟の上だ。故に殺す。――極端極まりないその内容は十五の少年が至る想像とするには余りにも過激すぎた。

 だがそれすらも察していたようにカレンは何一つアインに喋らせる事無く言葉を切り出す。

 

「あと、銀の福音の噂は聞いた事がある。確か、搭乗した操縦者が次々と死亡するって話さ。搭乗して存命中の人物はいない。乗った者に死という福音を突きつける――何でもそれが機体名の由来だとさ」

「……上層部は何を考えている。先のIS学園襲撃と言い、スコール達を疲弊させたいようにしか考えられない」

「考えるだけ無駄だ。深入りしてしまえば始末されるのがオチさ。事故に見せかけて始末されたオルコット夫妻のようにね。アタシとしても長生きはしたいモンだ。……っとコイツを渡して置けって言われてたっけ」

 

 何かを思い出したかのように、ポケットをまさぐり彼女は一発の弾丸をアインへと放り投げた。

 その弾丸を受け取り、それをまじまじと見つめる。普通の銃弾とするには余りにも異質な外見。罅割れた壁から弾丸のカタチを無理やり削り出したかのような形状であった。

それが持つ重みと質感から、普通の弾丸ではない事を悟る。サイズから見るに恐らくアインのタンフォリオ・ラプター専用だろう。

 

「……コレは?」

「アンタの愛銃、タンフォリオ・ラプターに合わせて作られたアルカ特製の弾丸だ。何でも剥離剤(リムーバー)の技術を応用してるみたいで、ソイツをぶち込まれたISは命中(・・)した瞬間にあらゆる動作を中止して強制解除される。

ただ使いどころは本家よりもちょいとムズイし、材料と時間の都合で一発しか用意されてない。アンタが使ってるモンより反動がデカいぞ。

アタシじゃ間違いなく体ごと持っていかれる。完全に体が()ってるようなヤツにしか扱えない。言わばアンタ専用だ」

「……オレと同じ銃を生身で乱射するアンタも中々だが」

「うるさい黙れ」

 

 その弾丸を発現させたタンフォリオ・ラプターへ装填し、アインは試しに構えてみた。――たったそれだけで、カレンの言葉を全て理解した。

 確かに普通の弾丸と重みが全然違う。この銃ならば例え1トンのトラックが正面から猛スピードで突進してきたとしても、それを紙風船の如く吹き飛ばすだろう。

 ホルスターに先ほどまで弾込めしていたハンドガンを収めて、タンフォリオ・ラプターを自身の中へ圧縮する。体の中の骨を鳴らし、アインは心身を任務に最適な状態へと稼働させる。

 もし仮に福音と戦闘になった場合任務の行き先を決めるのはこの一発の弾丸のみ。その事実を前にして、彼は微かに背筋を振るわせる。

 出口へ向かうその背中に、カレンは唐突に言葉を告げた。

 

「死ぬなよ、馬鹿弟子。二度も失うのは御免だ」

「アンタもな。カレン・ボーデヴィッヒ。家族に置いていかれるのはもううんざりだ」

 

 扉が閉まった瞬間、カレンは弾かれたように笑い出す。面白くてしょうがないと言うよりは、何かを嘲っているかのようにも見えた。

 ひとしきり笑った後、両目に前腕を当てて呆れたような忍び笑いを漏らす。

 彼女はそっと自分の腹部に手を翳した。

 

「言ってくれるじゃないか。アタシの娘ならそんな強がりは吐かないだろうに。……いや、やっぱり言うかもしれないなぁ。何だかんだ言って一人ぼっちは寂しいからねぇ」

 

 そう呟いた言葉は、一体誰に向けられたのか。

 

 

 

 

 

 まず福音の奪取に向けて最初の障害となるのは警備兵の排除である。こちらに関してはアインとエムの二人が短時間の集中砲火を行う事によって行動不能に陥らせると言う事になっていた。

 故に駆ける。照準を合わせている暇は無い。ほとんど感覚で撃つしかなく、ISを撃ち落とす技術を持つアインでも、視認せずに命中させるのは至難の業だ。

 放たれる銃弾の嵐。体を滑り込ませるように掻い潜り、反撃とばかりに両手に持った拳銃を連射する。

 銃口が反動で跳ね上がろうとするが、彼の腕はその反動を無理やり抑え込み、指はそんな事を知らずに引き金を引き続ける。

 無論の事リロードする余裕は無い。この作戦は時間との勝負である。弾丸を撃ち切った銃はその場で放棄するのがある種賢明な判断ともいえた。

 弾倉が空になった拳銃を兵士へ投げつける。彼の怪力で投げられた拳銃は、文字通りの鉄の塊だ。直撃すれば人の意識を奪う事は容易い。

 銃弾が通路を塞ぐ兵士達の四肢を貫き、そして砕く。役目を終えた拳銃は鉄塊となって兵士達の意識を潰す。

 痛みに悶える彼らを一瞥もせず、彼は走る。

 

『そっちは?』

「あと少しで辿り着く。エムは?」

『……同じくらいだ』

 

 声質が若干下げた事に、疑問を持ちながらも、アインは基地の中央へ繋がる司令室への扉を見つける。情報によれば内部に戦闘員はいない。故に扉には厳重な電子ロックがかかっている。

 しかしアインの前では、電子ロックによる鋼鉄製の扉など足止めにすらならない。走る速度を一切緩めず、彼は扉を蹴り飛ばした。

 右手に拳銃を持ち構える。部屋の内部にいるのは、研究員らしき人物と政府高官のような人物の数名だけ。まさしく情報通りだった。その正確さは余りにも不自然である。そして護衛が一人も部屋にいないと言うのは、何かが不穏な予感を覚えた。

 さらには騒ぎを起こしたはずなのに、巨大スクリーンには飛行している福音の姿。慌てる様子も基地に戻ろうとする様子も見らない。

 思考が切り替わろうとするのと同時に、一機のISが壁に綺麗な穴を開けて入ってきた。その装甲には一切の傷が無い。それを操る少女もまた同様である。

 

「……遅かった」

 

 悄然とする声とは裏腹に、手にしている大型ライフルはしっかりと握り締められている。

 二人が作り上げた入り口から次々と銃を持った構成員が侵入し、中にいた人物を包囲した。

 構成員の数はざっと見る限り二十人ほど。その全員が澱み無く作戦通りに動く事にアインは嫌悪を感じずにはいられない。

 

「福音を戻させろ! コイツらを――」

 

 男の声が言葉となった瞬間、アインの手が動く。薙ぎ払うかのように振るわれた腕はその男へ照準を合わせる。引鉄へとかかる指先には何の躊躇も無い。

 顎鬚を蓄えた男の足を、銃弾が抉る。飛び散る血の上へと男は悲鳴を挙げながら無様に倒れこんだ。硝煙を上げる銃口の先を、今度は額へと向けようと動かす。

 その銃身を、一人の女性の手が押さえ込んだ。

 

「後は私の仕事よ。ゆっくり休んでて」

 

 スコールの手から銃身を放し、アインはその銃をホルスターへとしまい込む。確かに後は彼女の仕事だ。これ以上銃弾を浪費する必要は無い。

 いつの間に侵入していたのかアルカが管制室の席に座り、機器を操作していた。

 

「失礼するわね、合衆国高官殿。銀の福音を引き取りに来たわ」

「貴様……っ、亡国機業か!」

「あら、意外にも知っていたのね。――拘束しなさい」

 

 構成員が研究員と高官を拘束し、背後へ引き摺っていく。これで残るは銀の福音の奪取だけだ。

 アルカの手によって福音を一時的な待機状態へと強制移行。そこから遠隔操作で基地へと着陸させ剥離剤(リムーバー)を使用し銀の福音を奪うと言う算段だ。

 彼女が行っている以上最早作戦の成功は確定的。だと言うのに巨大スクリーンに映し出される福音は微動だにせず、その場に留まっている。

 まるで一時停止された映像のようだ。流れる雲だけがスクリーンの中で動いている。

 

「――そういう事でしたか」

 

 アルカが機器を動かす指を止めて呟く。

 彼女の目は冷氷の如く凍り切っており、その視線はただスクリーンに映る福音だけを見ていた。

 剣呑な殺意を秘めたままアインは彼女の傍へと歩いていく。

 

「どうした?」

「……アイン様、無人機を呼びます。早急に福音を止めてください」

「何?」

 

 アインもまたスクリーンに映る福音を見る。

その途端、福音は監視区域を離れてどこかへと飛び去っていった。

 アルカの淡々とした声が、その現状を告げる。

 

「福音が暴走しました」

 

 

 

 

 

 

 

 臨海学校に来ていたIS学園の教員達は既に多忙の嵐だった。

 無論その理由は先ほど入った情報である軍用ISの暴走事件である。軍用機の暴走と言う事態ならばそれは国家直属のISが出て然るべきだ。学園側の誰もがそう思っていた。

 だが結果として下されたのは、IS学園側による解決である。しかも一切の補給や援助すら無いのだ。暴走軍用機、銀の福音の現在地を送っただけ。

 余りにも理不尽な命令に対し、最初は抗議こそしたが時間の無駄と打ち切られ止む無しに行う羽目になったのである。

 教員達はありとあらゆる情報をフィルタリングして、必要な情報だけを抜き出してゆく。そして銀の福音の戦術やデータの即席資料を次々と作り上げている。

 その背後では、専用機持ちである六人が事前の打ち合わせを行っていた。

 

「……」

 

 織斑千冬はふと思う。

 軍用ISの暴走なら、それこそ軍が出て然るべき対処を行うはず。秘密裏に済ませたいとは言っても、それで死者が出てしまえば元も子もないというのに。

 既に教員のISが海上封鎖に向かっているが、教師部隊による鎮圧も目処に入れておかなくてはならない。

 専用機とはいえ、それだけで人は強くなれないのだ。力だけで人は生きていけない。それが千冬の得た答えである。

 しかし彼女には、教え子達が無事に帰ってくるようにと、祈る事しか出来ない。

 最愛の弟や教え子を戦場へと繰り出させるのは、後ろ髪を引かれるような思いだった。彼女を戒める無力さは、かつて幾度となく味わってきた絶望の感覚。

 もし自分があの時、ISに乗る事を躊躇っていたなら、こんな世界にならなかったのだろうか。

 

「織斑先生!」

「どうした?」

「銀の福音と交戦中のISが確認されました! 現在、海上を追跡しているようです! 反応が確認された同時刻に、封鎖に出ていた教員達が襲撃されています!」

「――何だと!?」

 

 余りの突拍子の無さに、内容を理解する時間を要した。山田真耶が調べてくれた画面を見ると、確かに福音を除くIS反応がある。

 二機――しかしその現在地は重複しており、まるで合体しているのではないかと思わせた。

 

「……通信は?」

「それが……そのISに通信機能が通用しないんです。衛星からの映像も、何らかのジャミングによって繋がりません」

「どこかの軍が動き出した可能性も捨てきれんな……。クソッ、厄介な事ばかり起きる……」

 

 大きな溜め息をつきながら、千冬は作戦会議をしている六人の元へと向かっていった。

 第二回モンド・グロッソ決勝戦――あの時、千冬は一夏を手放さないと決めたのだ。もう二度と家族が孤独にならないようにと。

 ISに関わらない事、それこそが一夏が危険な事に会わないようにするための最善の策だと気づき、彼女は専用機であった暮桜を放棄した。それも世界を変えた友人の手に渡らぬよう、内密にして。

 妹と両親が失踪した時、千冬は一夏に依存した。残された欠片は一つしかなかった。

 今度は一夏まで失ってしまえば彼女は廃人になり果てるだろう。

 それほどまでに千冬は一夏と言う存在に深く感謝し、深く愛していた。

 

“無事に帰って来い、一夏”

 

 織斑一夏誘拐事件――その本当の真実を彼女は知る由も無い。

 残酷な現実を、何一つ知る事無く。

 

 

 

 

 

 アインは全身装甲型の無人機に乗ったまま、福音との距離を推し量っていた。白いロングコートと長い白髪が強風に靡くが、彼の思考の大半は既に戦闘に適した物に変貌している。肉体もまた同様で全身の筋肉も程よく力んでおり、最適な状態に稼働している。

 超音速下での戦闘のために製作された黒いバイザー。そこから送られてくる情報は、まもなく軍事用ISとの戦闘が行われる事を意味していた。

 アインと銀の福音の間合いはおよそ五百メートル。だが高速戦闘故に数秒後には彼我の距離も無いに等しい。つまりこの戦闘に置いて安全な間合いなど意味をなさない。

 左手で背面部の突起物に掴まり、右手で対物狙撃銃を肩に担いで、紅き瞳を機械越しにじっと目標へ向けている。恐らく戦闘の狼煙はアインが発砲した瞬間。その時から銀の福音はアインと彼の乗っている無人機を始末するべく、牙を向くに違いない。

 無人機のシールドによって呼吸や風圧の影響は皆無であるため、アインはただ純粋に己の行動へ専念する事が出来た。両足を無人機の装甲に固定しているため、常人なら内臓破裂するほどの無茶苦茶な軌道すら地上にいる時と何ら変わりない上、体勢がよろめく事などないだろう。

 ただ一つ言えるとすれば、今回の戦場は文字通り全周囲からの攻撃がくると言うことだ。それも今までのように人を殺すべく作られた銃弾などではなく、ISを瞬殺する事すら可能な破壊が迫る。つまりは一瞬の油断すら許されない状況。

 無人機は自動操作であり、最優先行動は回避。その次は福音の追跡である。背中にあるコンソールからの直接的なコントロールも可能ではあるが、アルカが組んでくれた自律思考にアインは完全な信頼を預けていた。

 間もなく戦いの口火は切られる。呼吸を整えて、師として鍛え上げてくれた人物の言葉を思い浮かべる。

 

“空中戦で一番大事になるのは、全てがどこにいるかって事だ。特にアンタみたいな銃弾ばら撒けるヤツなら尚更だね。まぁ、空中戦での基本はコレしかない。仕留めようと思うな、当てると考えろ。状況はどちらにも味方をする。それをどう利用するかが生死を分けるのさ”

 

 スコープを覗き、照準を福音へと合わせる。体勢が整った今、無人機の背中を掴み体を保持しておく必要は無くなった。無人機が移動する際にまた、掴めばいいだけの話だ。

 クロスバーの中心へ捉えられても福音はまったく移動していない。まるでどこかへ誘われているかのように一直線だ。アインの一撃をものともしない故の自信か、それとも何かに気づいているのか。

 それをおかしいとは感じながらも、トリガーに指を掛ける。倒してから考えればいいだけ。

 トリガーを引こうとした時、体内から彼女の声が聞こえた。

 

『アイン様、聞こえますか?』

「――傍受は」

『コアネットワークを介しての通信です。スコール様から、念のためとしてこちらでの通信を使うように頼まれました』

「分かった。状況の整理をしたい。説明を頼めるか」

 

 アインの心臓に埋め込まれているISコアは彼に様々な力を与えている。例えば他のISとの体内通信―先ほどIS学園から来たのはアルカが全て遮断している―や身体能力及び筋力の大幅な増加など挙げればキリがない。

 その中でもアインとアルカは無線機など不要で遠隔地から連絡を取り合う事が出来るのだ。彼らが同じ存在だからこそ出来る芸当である。

 

『はい、エム様とオータム様は海上と空域封鎖に出ているIS学園との交戦に入りました。私とスコール様は現在基地にてオペレートしています。

現在、日本からIS学園側から専用機が出撃したのを確認、接触まで五十分と推測されます。その間に福音を撃墜もしくはタンフォリオ・ラプターで剥離剤(リムーバー)を撃ち込んで取り除いてください。使い方はカレン様からお聞きになっているはずです』

「分かった」

『それと一つ伝えておく事があります。先ほど福音のコアネットワークにアクセスし暴走を止めようとしましたが失敗しました。コアネットワークから遮断される時福音からの声が聞こえたのですが、お聞きになりますか?』

「あぁ」

『たすけて、と』

 

 刹那、アインの口から空気が漏れた。トリガーを握る指が微かに強張る。

 それだけでアインはアルカの言いたいことを理解した。その一言に含まれる真意を読み取った。

 恐らくこの事態には何らかの首謀者が潜んでいる。でなければ、今まで感じた不自然な点が何一つ納得しない。人員の増加、銀の福音の暴走、護衛兵士の少なさ――その全てが彼の中で一つの答えを作り上げる。

 だがそれを言及する前にやるべき事がある。その問題に対して対抗できるのは今のところアインだけだ。

 

「了解した。目標は福音とその搭乗者の救出。今から作戦行動に移る」

『はい、では異変があればまた連絡を』

 

 コアネットワークの通信が切断されたのを確認し、福音との距離を見る。見れば間合いは僅かに開いていた。

 狙撃の射程圏内にはいるが、風圧なども考えればその威力は大きく減衰すると考えてもいいだろう。対物狙撃銃とはいえ、さすがに超高速下での戦闘は考慮されていない。

 しかし一発で仕留めるとは考えてない。ただ福音がこちらに注意を向けてくれればいいだけである。必中必殺はこの場では不要だ。

 

「行くか」

 

 トリガーに再度、指を掛け直しスコープで福音を捉える。吹き荒れる風の中で、アインは全神経を指先に集中させた。

 ――彼の本能が発砲を叫ぶ。そしてそれに従い、彼は引金を引く。

 それと同時に福音が旋回した。

 この瞬間、福音はアインを観察者から敵と認識された。全身の機能が彼を殺すべく強制的に動かされる。

 

「La……」

 

 狙撃銃から吐き出された大口径の弾丸と、福音のウィングスラスターから繰り出された三十六個の光弾。螺旋の回転をしながら迫る弾丸は光弾を次々と相殺していき、福音に迫る一歩手前で――文字通り一蹴され破壊される。

 海上を舞台とした銃撃戦が幕を開けた。

 

 

 

 

「ふーん……ISにダメージを与える兵器があったなんて驚きだなぁ。まぁ、それを軽々と扱ういっくんにも驚いたけどね。……いや違うね。いっくん自体がISに対する天敵になってるのか」

 

 外側で専用機持ちの生徒達が出撃した後、束は即席のラボで一つの映像を見ていた。

 全身装甲型のISに乗った白髪の少年と、銀の福音が戦闘を繰り広げている。それは表に出れば間違いなく世界が動くであろう光景であった。

 見た限りでは、僅かだが少年側が優勢であるように感じられるが、その表情に余裕は無い。

 どうやらこの戦闘を見る限り、束が箒へ贈った紅椿は活躍しそうとは思えない。いくら 紅椿が強力な機体とはいえ、銀の福音相手ではまずパイロットの技術が違いすぎる。

 そればかりはどうしようもないと束は首を振った。

 

「まぁ実際の戦闘数値も計れたし、これでいいかな。

にしてもあーちゃんは凄いなぁ。算出した試験データが実戦とほとんど大差無かったし……流石束さんを母上と呼ぶだけはあるね」

 

 篠ノ之箒にもたらされた専用機『紅椿』は束自身のお手製で渡されるはずだったが、そこには一人の貢献者の存在がある。彼女には紅椿の調整を行って貰ったため、束からすればそれだけで十分満足である。

 それに紅椿を強力にし過ぎても意味が無い。そうなってしまってはある一人の少年の目的を妨害する事になるからだ。

 だが映像を見る限り、到底在り得ない結果ではあるが。

 

「さぁて、いっくんはどうなるのかな? うんうん、束さんはちゃんと分かってるよ。ちーちゃんと似てるもんね」

 

 彼女は空間投影ディスプレイを起動し、その総合データを取るべくキーボードに手を沿えた。彼の癖、力、体の動き――それら全てを束が知る人間工学に当て嵌めていく。

 ある女性から頼まれている、彼だけの近接武器を作り上げるためだ。聞いたところによると彼は銃とナイフだけしか武器として持っておらずリーチのとれた近接武器は一つも携帯していないと言う。

 ならば彼女へのお礼としてやってやれるのは、その武器製作くらいである。

 

「……にしてもISを勝手に囮に使うなんて許せないなぁ。そんなの、束さんやあーちゃんが放っておく訳無いのに。ホントーに人間って懲りないね」

 

 

 

 

 

 スコールとアルカはハワイ沖の基地で、巨大スクリーンの映像を見ていた。

 そこには福音と戦闘を繰り広げているアインの姿が映し出されている。普段から彼を見慣れている二人は顔色をほとんど変えず、その映像を見ていたが他の者は皆唖然としていた。

 無論、アインがISと交戦可能と言う事実は誰一人として伝えていない。それは言うまでも無くスコールの独断である。

 

「さすが軍用機。ほとんど隙が見当たらないわ」

「はい。今回は長期戦を覚悟した方が良いと思われます。シールドエネルギーの量も桁違いに多いですから。恐らくISコア自身が言葉どおり死力を尽くしています」

「……今度こそ搭乗者を守るためって事ね」

 

 アルカは操作端末を片手で操作し、行っているのはIS学園への妨害行為である。今の段階でIS学園に彼の姿を見られるわけには行かない。

 だが今回はIS学園側もそこまでの設備や装置を持っている訳ではないため、アルカも片手間程度で済ませる事が出来ていた。

 とは言っても、アインやオータム、エムへのコアネットワーク通信の妨害と衛星リンクを限定させるためのジャミングを同時に行う行為は、ネットワークに疎い者であっても賞賛の声を挙げる程だろう。

 

「スコール上官、一つお伺いしてよろしいでしょうか」

 

 構成員の一人から声を掛けられ、スコールは内心舌打ちする。本来彼女らしからぬ行動ではあったが、それほど彼女は目の前の存在が気に入らない。単なる嫌悪感では無く彼女が培ってきた経験がそう言っていた。

 スクリーンから目を逸らさず、声だけで彼女は応答する事にした。無論ISは展開こそしていないが起動しており、スコールが行動を起こせばこの場にいるアルカ以外の全員を瞬殺するだろう。

 

「続けなさい」

「あのアインという人物は何者でしょうか。ブリーフィングの時、彼が男だと分かりましたがそれ以外に彼を知る情報はありませんでした。作戦を共にする以上、せめて何か一つでも知らなければ信頼しかねます。

何故、男がこの作戦に参加しているのですか。そして何故ISと生身での交戦が可能なのでしょうか」

 

 すらすらと出る言葉。スクリーンの中のアインへと向けられる差別的な視線。

 それらは耳障りなノイズとなってスコールに届く。

 彼女の麗しい美貌がほんの僅かな間に歪んだ。周りには見えない程小さくだが。

 

「……なら黙ってみていなさい。そうすれば分かるわ」

 

“――手を出せば殺すけどね”

 

 自身の心の中に獣のような感情が渦巻いているのを感じて、彼女は唇を舐めた。それは彼女の中に眠っていた殺意が徐々に起き始めていたからかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

信じるがままに

 一人の少年がただ只管に銃を撃っていた。射撃場のようなその場所は、個人が使うスペースを透明のガラスで区切っている。少年の齢はおよそ十歳ではあるが、到底そのようには見えない。白髪の長い髪は、とても現実離れしていて中世のフィクションから迷い込んだかのような容姿であった。

 そこには少年以外誰もいない。理由はごく単純に時間帯である。多くの者が寝静まっている中で、彼だけこうして銃を撃ち続けているのだ。

 目標となっている人形は十メートル先。それも五体。少年が撃っているのはハンドガンであり、片手で連射しているが一向に命中しない。

 そもそもこれは彼にとっては八つ当たりであった。亡国機業に来たばかりであり、余りにも眠れない日々が続いていた。

 眠れなければ出歩くのが彼の癖であり、それは不思議な事にまだ残っていたらしい。そして射撃場が空いていたから、こうして何度も撃っているのである。

 使用したマガジンの数は既に十を超えている。しかし腕は一向に疲れない。だからまだまだ撃てる。

 だが当たらなければ意味が無いのだ。故に少年は苛立っていた。

 

『子供がこんな時間に起きてるんじゃない。さっさと寝ろ』

 

 声がした。刃物のような鋭い、だけどどこか柔らかさを秘めた女の声が聞こえた。

 振り返ると女が立っている。黒いコートに身を纏った銀髪の女が呆れ顔で少年を見ている。

 

『眠れない』

『子守唄でも無いと無理とかいう歳じゃないだろ。ところで、見ない顔だけど名前は?』

『……アイン。彼女はオレをそう呼んだ』

『彼女……ねぇ。こんな大物どこで拾ってくるんだか』

 

 女は名乗らないまま、彼の隣へと歩いて来る。そうして彼女もまた銃を構えた。

 彼と同じ体勢で、彼と同じ目線で、だと言うのにその動きはなめらかで瞬く間に五体ともに命中させた。

 

『知りたきゃ当ててみな。ハンデだ、アンタは一体だけでいい』

『……』

『……』

『……』

『……分かった分かった。コツくらいは教えてやるさ』

 

 女は髪を掻いてから、再び銃を構える。既に銃弾が命中し額を貫かれた五体の人形はまだ役割を終えていないらしい。

 

『いいか、目だけで見るな。アンタの心で、魂で狙いを定めろ。仕留めようとか当てるとかタイミングなんて考えなくていい。己が魂の信じるがままに撃て』

 

 少年が銃を持つ。女と全く同じ動きで、同じ目で、狙いを定める。

 ――魂で、己が信じるがままに、放つ。ただそれだけを考える。

 引き金を引いた。瞬間、彼の心に生まれたのは当たったと言う確信だった。

 見れば、人形にはもう一つ穴が開いている。それがどういう結果を現しているのかは明白だった。

 

『随分と綺麗な撃ち方じゃないか』

『……貴方の言うとおりにしただけだ』

『そりゃ嬉しいね、教えた甲斐がある』

 

 やがて女は使っていた銃をホルスターに収めて踵を返した。

 少年が名前を聞こうとした時、彼女の右手が彼の頭を押さえる。

 

『そう慌てるな、いつか来るさ、教える時が。その時になったら教えてやる』

『……分かった』

 

 それが師弟の初めての出会い――女、カレン・ボーデヴィッヒが少年アインの教官に任命される数日前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

「さすが軍事用IS……。打鉄やラファールとは桁違いの装甲だ」

 

 既に狙撃銃の弾丸は何度か当てているが、それでも福音はまだまだ戦闘続行が可能な状態を維持している。従来のISなら一撃で撃墜するはずの威力を何度も受けて、それでも福音は戦闘を行っている。それは今までアインが対峙したISの中ではありえない事だった。

 並々ならぬその性能に、アインは感嘆の声を漏らした。

 既に数十分近くは戦闘を続けている。撃っては躱し、撃っては躱し――ただそれを繰り返し続けているだけ。

 彼が乗っている無人機に何か戦闘用の装備でも搭載されていれば良かったのだが、生憎この機体にそんな贅沢品は存在しない。全身装甲である故に、スラスターと搭乗者を保護するシールドを増強する装備ばかり。この無人機が行える戦闘行動は文字通り体当たりくらいしかなかった。

 そしてアインの手持ちの武装の中でも彼が使用する対物狙撃銃の破壊力はトップクラスに位置している。その猛撃を受けて尚、戦闘当初と変わらぬ動作を続けているのだから凄まじい限りだ。

 

『アイン様、まもなくIS学園の専用機持ちに視認されます。着水の準備を』

「……ちっ」

 

 出来れば撃墜するか剥離剤(リムーバー)を撃ち込みたかったが、福音の機動力と耐久力がそれを許さなかった。

 確実に命中させるつもりならかなり接近する必要があるが福音からの白兵攻撃を受ける可能性が高くなり、最悪の場合海に蹴り落とされる危険性もある。アインとて頑強な肉体ではあるが、負傷を知らぬと言う訳ではない。心臓を貫かれれば数分死ぬし、頭部を吹き飛ばされれば即死する。故に決定的一撃を見いだせずにいた。

 だが、このままでは一方的に勝機を見出せないのも事実だ。その平行線をどう突破するか。それだけを彼は考え続けていたが、時間切れである。

 無人機を海面へ猛進させ、着水の体勢を整える。アルカの作成した無人機は水陸空のいかなる場所でも変わらぬ機動性を発揮してくれる。例えそれが何の裏打ちが無かったとしてもアインは無条件でそれを信用していた。

 

「……ッ」

 

 海に飛び込む瞬間、福音があらぬ場所へ攻撃を仕掛けた。すなわち、IS学園の専用機が敵と見なす範囲まで近づいたのだ。

 海面から頭だけを出して周囲を見渡す。蒼穹の遥か彼方に、六機のISの姿が見えた。その中の一機――白銀の機体に、アインは鋭い視線を向けた。

 

「お手並み拝見だ。作り物」

 

 

 

 

「IS学園と福音が交戦を開始しました。衛星リンクからの映像をアイン様から福音へ切り替えます」

「えぇ、お願い」

 

 巨大スクリーンに映し出される映像がIS学園の専用機持ち達の姿を晒す。無論、よその国が持っていた通信衛星をハッキングしているのだ。その手際の良さはアルカならではの動きである。

 画面に表示された中にスコールは織斑一夏の姿を見つけた。彼女の脳裏にある人物が過ぎる。織斑一夏へ並ならぬ執着を持つ一人の少年。

 

“彼のクローン……さて、どれだけ楽しませてくれるか見物ね”

 

「……アイン様が密漁船の制圧行動に移りました。恐らく船を乗っ取るつもりでしょうね」

「制圧……ね。アルカ、スクリーンの四方のどれかに映像を出せる?」

「はい」

 

 見れば、アインが船に乗っていたらしき男達を気絶させ、無人機へ運ばせているところだった。まだ服や髪が濡れている事からこの船の制圧には然程時間を取らなかったように見える。

 海に投げ込めばいいのに、と思うがそもそも彼は無関係の人物を殺すことを酷く嫌う。敵対する人間であり、障害となる事が確定しているのならばアインは容赦なく殲滅する。だが、何も関係が無い第三者への巻き添えは彼が最も嫌う行為だった。

 これまでもそうだ。例え相手が誰であろうと、目標もしくはその障害でなければ殺しはしない。彼が殺すべきに値すると認知された者でなければ、彼は生かす。それが甘えと呼ばれようとも、その在り方を変えはしないだろう。

 戦闘機械にもなり切れず、人間にもなり切れない。そんな半端な生き様を紛糾する者がいればスコールはその者を決して認めはしないだろう。彼はまだ十五の少年だ。普通ならば学校へ通い日常を謳歌している年頃のはずだ。成熟し切っていない彼の心は簡単に脆い。生と死を受け入れる事は出来ようとも、第三者の生死を彼自身が断ずることなど、許容できるはずが無かった。

 現にスコールは何度か聞いた事がある。

 彼が無関係の人物を殺してしまった時――その任務の帰還中に、彼は只一人でごめんなさいと震えながら呟き続けていた事。誰もいない一人の時にしか、彼は泣かないのだと。

 それはきっと、あの研究所で無関係の人たちへの殺害に酷く強いトラウマを受けたからだろう。戦えば戦う程、彼は擦り切れていく。その体と心は無力と後悔に詰られる。

 だが、それでもアインは戦う事をやめない。やめる事を彼は望まない。やめてしまえば、それは冒涜である。殺した者への侮蔑にも等しい。だから戦う。それが彼の理由だ。戦火に身を躍らせ、一時の戦士となる覚悟だ。

 そこには自身の目的のためだけではなく、救い出してくれたスコール達への恩も含まれていた。名前を与えてくれた彼女達に報いるべく、彼は我武者羅に走り続けている。光など全くないその道を、彼女達への思いだけで突き進んでいる。

 自身を只管犠牲にして、何かを背負い込もうとするその姿。それが酷く美しくて、それが酷く哀しくて。そんな生き方を疑わない彼がとても無邪気な童のようにも見えた。

 その在り方に対して惹かれずにはいられない。目を離せば、今にも死に対して躊躇いなく突進していくような人であるから。

 

「本当に優しすぎるわね……」

 

“アイツ、あぁ見えて結構脆いぞ?”

 

 カレンの言葉が、スコールの脳裏を駆け巡った。その事に少しだけ口元を緩める。任務を終えた彼に対して、どんな労いの言葉を掛けようかと思いながら。

 

 

 その後ろで構成員が高官を拘束していた物を外そうとしていた事など知らず。

 

 

 

 

 

 船の先端でアインは声を漏らす。その瞳はいつなく鋭く、まるで刃の如き眼光を孕んでいた。彼の両手が強く握りしめられ、奥歯は強く噛み締められている。

 彼が見ているのはIS学園と福音の戦闘だが、その光景は彼の怒りを逆撫でするには十分すぎるモノであった。

 

「――」

 

 白式の戦闘能力――もし今のアインが交戦するならば撃墜に数分とはかからない。その事実が酷く癪に触る。それほどまでに今の有様は、彼を酷く失望させた。

 その行動に迷いはなかった。右手に光の粒子が集いロケットランチャーを構成する。砲身を右肩に乗せるようにして構え、スコープを除く。その動きは淡々としており、一切の澱みがない。

 “スティンガー”と呼ばれる携行兵器。それがこの対空火器の名称であり、アインへ新しく追加された武装だ。タンフォリオ・ラプターでの火力不足を補い、命中率と戦略性を大幅に上昇させるために厳選された火器。放たれたホーミングミサイルの破壊力は量産型の装備で固められたISなど木っ端微塵に破砕するだろう。

 それが彼の新たな武装であり、破壊に特化させるための一つでもある。鈍色に輝く砲身を担ぎ、照準を合わせる。バイザー越しに合わせる事など、彼にとっては造作も無い事だった。

 命を屠るその重みを軽いと思った事など無かった。

 引き金を引く指が、容易く動いた事など無かった。

 バイザーと連動して伝えられる情報から、白式を完全にロックオンした事を読み取る。後は引き金を引けば、放たれたホーミングミサイルが織斑一夏の生命を消し去るだろう。

 その事に何の疑問も持たなかった。まるで織斑一夏を殺す事が義務であるかのよう、その動きはただ機械染みていた。

 バイザーの下にあるのは無機質な瞳。引鉄に指がかかる。彼の時間が凍り付く。決して何物も寄せ付けようとしない程の――

 

『何をなさるつもりですか、アイン様』

 

 あ、と間の抜けた声を漏れる。意識が鮮明になっていく。彼を凍り付かせていたはずの時間が徐々に溶けて行く。

 自身の内側から響くアルカの声が彼を現実に引き戻す。

 

『お気持ちは分かりますが、今織斑一夏を殺害すれば作戦の失敗は確実です。今回の目的は織斑一夏ではありません。福音の声をお忘れですか』

「――」

『福音を救う事を考えてください。それとも今ここで織斑一夏を殺さなければならないほど、アイン様は恐れておられるのですか』

「……悪かった。作戦行動に戻る。後で懲罰は受ける。スコールにそう伝えておいてくれ」

『――分かりました、スコール様に伝えておきます。そして今からこちらにいる障害の排除に移ります。暫しの間、通信が効かなくなりますがご辛抱を』

「あぁ、ありがとう、アルカ」

 

 これは帰ったらカレンに殴られるな、と微かに苦笑した。彼の右手に握られていたロケットランチャーは光の粒子となって体の中に消えていく。

 心と体の調子を改めて見直す。精神は目的を第一に考えた思考を維持するように。肉体は精神とは切り離し、瞬間の世界を支配させるように。

 仕留めるのではなく救出する。それが今回の目的だ。再度、強く自覚して、アインは手を強く握りしめた。

 

「――!」

 

 爆撃音と悲鳴。目に見える世界の隅から弾ける閃光。視界を移す。

 見れば、織斑一夏が福音に撃墜されていた。

 その両腕に少女を抱き締めている。彼女を庇おうとして落ちたのだろう。その少女を知っている。その面影を、忘れられる理由など無かった。

 

「……」

 

 言いようの無い怒りが込み上げてくるが、アルカに咎められたばかりだ。この怒りはいつの日か来るであろう邂逅の時まで抑え続けるしかない。

 全てを心の内に仕舞いこみ、アインは改めて福音を見る。既にIS学園側は撤退を始めており、撃墜された織斑一夏も回収されていた。福音の様子を見ればIS学園は決定的な一撃を与えるには至らなかったらしい。彼にとっては結局仕切り直しと言う訳だ。

 福音のセンサーが彼を捉える。どうやら一度戦闘を繰り広げた者の事は覚えているらしい。そしてその刹那に、彼の思考は戦闘論理へと紡がれていた。

 スティンガーでは三十六門もある全方位射撃に対抗出来ない。タンフォリオ・ラプターは既に専用の弾丸を装填しているため、使用不可能。グレネードランチャーとショットガンも福音の速度には対応しきれず、マシンガンでは威力が足りない。そして彼は右手に武器を展開した。

 銃身が異常に長い銃――彼が知る分にはアサルトライフルのカテゴリに分類される一つ。それは、元々対集団戦を想定して作られた軍事武装の一つであった。

 ただし、余りの集弾率の悪さと高コストな弾丸のために廃棄されたのである。それをアインがたまたま任務中に回収し、アルカとカレンが改造を加えアインの手持ち武装となった。

 弾丸は放つ一撃の重みはアサルトライフルとは言い難い。その一撃はスナイパーライフルの一撃にも匹敵する。連射の速度はマシンガンにも相当する。そしてアルカとカレンが強化した武器でもある。その銃にアインは絶対の信頼を置いていた。

 既に福音はアインに気づいている。IS学園は負傷した二人を連れて戦闘領域から離脱している。

 つまり考えるのは最早戦闘の事だけでいい。

 福音から吐き出される光弾――その全てが船目掛けて殺到した。それは一発こそまだ耐えきれるが、纏めて迫ってくるとなれば話は別だ。

 視界のほとんどが光で埋め尽くされる。瞬間、アインは駆けだした。

 照準など合わせるまでも無い。この間合いと弾の数ならば撃てば当たる。

 

「っ!」

 

 片手でアサルトライフルを乱射しながら、アインは海面へと跳び出す。彼が飛び込んだと同時に迫っていた光弾が、船を木端微塵に破壊した。

 移動手段が潰された。頭の片隅に戦闘環境の思考が変化を遂げる。戦場の更新がさらに本能を加速させる。

 

“――船はもう使えない”

 

 海上戦での船はアインにとって唯一の移動手段であった。だがそれが破壊された今、彼の思うような立ち回りは不可能に等しい。無人機は未だに戻ってこない。このままでは空を自在に飛ぶ事が出来る福音が圧倒的に有利だ。

 奥の手を使う手段もあるが、その場合福音搭乗者の安全は確保できない。それでは意味が無い。福音との約束を果たさなければ――

 思考を中段させるかのように福音の猛攻が加速する。繰り出された無数の光弾は先ほどよりも速度を増して迫る。

 すぐさまスティンガーに持ち替えて、ホーミングミサイルを発射。だが、光弾によって完膚無きまでに潰された。爆発で何発かの光弾が誘爆したのがせめてもの救いか。

 残りの光弾がアインへと降り注ぎ、その肉体を蹂躙しようと迫る。視認したその数は十を軽く上回っていた。

 全てを埋め尽くさんとするその弾幕に舌打ちし、積み上げられた戦闘経験が現在の状況を打破するのに最適な手段へと導く。

 スティンガーからナイフへと切り替え、光弾を切り裂こうとした時、突如としてアインの眼前にシールドが展開される。紫色のエネルギーが光弾を遮り、彼を爆風から遮断する。

 何が起きたのか判断する前に、何者かがアインを海面から引き上げた。素顔はバイザーに隠れていて伺えなかったが、その姿には見覚えがある。

 

「……エム?」

「何をやっている、アイン」

 

 アインを背に乗せているのはサイレント・ゼフィルスの機体だ。かつて彼が任務で強奪し、アルカが機体のチューニングを行った一品。同僚であり、同チームであるエムの専用機だ。全く気配が読めなかった事に、改めてアルカの技量の凄まじさを知る。やはり彼女が味方でいてくれて心強い。

 機体の上で、体勢を整える。ナイフを仕舞い、再度スティンガーを展開した。この状況ならば勝ち目はある。

 

「IS学園側の部隊は全て撤退させた。そう簡単には戻って来れない、ここで終わらせるぞ」

「オータムは?」

「知らない。ハワイ沖の基地へ戻っていった。大方、スコール達の応援でも向かったと思う」

 

 暴雨の如き光弾の群れを、シールドビットが悉く防いでいく。全方位から迫る猛撃を何一つ漏らす事無く防ぎ切るその力は本当に心強い。

 相変わらず攻守優れた機体だと、苦笑を溢す。彼女がいるのならば、尚更下手な姿は見せられない。

 

「エム、移動と防御は任せた。その代わり、オレが攻撃に専念する。福音の攻撃はほとんど射撃と格闘だけだ。シールドビットさえ展開させておけば後は近距離に注意すればいい」

 

 肩に担いだスティンガーを福音へと構える。左手のタンフォリオ・ラプターをホルスターに収納し、すぐに取り出せるようにしておく。呼吸は既に整った。昂ぶる気持ちは十分抑えきれている。

 二対一で戦う以上、必ずどこかに隙は生まれるはず。そこを重点に攻めていく。

 何より福音の動きは一度見たのだ。出来ない話ではない。ただ勝てばいい。それだけの事だ。

 

「……逃したら絶対に許さない。分かっているな? アイン」

「当たり前だ、決して外さない。お前も緊張するなよ、エム」

 

 福音がマシンボイスと共に無数の光弾を放つ。輝く弾は破壊を秘めた光の粒子。全てを塵殺しようと迫る暴力。

 その群れに躊躇い無く突進するサイレント・ゼフィルスが空を翔る。その背中に一人の戦士を乗せて。

 放たれたホーミングミサイルは確かに、福音を捉えた。

 

 

 

 

 織斑千冬はただ今の状況に歯噛みするしかなかった。銀の福音の撃墜失敗に加え、弟である織斑一夏が撃墜され、現在は意識不明の昏睡状態に陥っている。再出撃は叶わない現状であった。

 そして何より不可解なのは彼が撃墜されたと同時に再び出現したISコアの反応である。現在福音と交戦してる謎の機体はまるで一夏が撃墜されるのを見計らっていたかのようだ。

 まるで試されているような感覚が、苛立ちを増幅させる。

 

「くそっ」

 

 小さく彼女は声を漏らす。それはやがて掻き消されるようにして消えていく。

 未だに衛星リンクはジャミングにより妨害されており、映像を見る事はできない。学園側からも支援を要請してはいるが、それすらも遮断されており八方塞がりであった。

 レーダーに映る反応だけが、戦場を知る唯一つの手がかり。だが何が起きているのかは分からない。

 

「……」

 

 千冬はどこか不審な点を感じている。この作戦の始まりからずっと何を疑い続けている。

 まず作戦本部からの余りに杜撰な情報や態度。そして専用機持ちだけを出撃させると言う限定された不可解な条件。軍用ISを鎮圧させるための防衛設備の皆無。

 余りにも不自然な事柄が多すぎるのだ。だが結局彼女に出来るのは、指示する事だけ。

出撃などと言うのは、現行機を持たぬ彼女に出来るはずもなかった。

 

 

 

 

「――さて、一芝居は終わりですか? 高官殿」

 

 アルカの無機質な声が管制室に響く。それは玲瓏な声であり、どこか非現実な声音だった。だが周りはそれに気づかない。

 現在、彼女とスコールは、同じ部隊に投入された新人となっている全員に武装を向けられていた。無論それらは皆ISであり、生身の人間であれば問答無用で殺害する代物だ。

 研究員と高官の拘束は既に解かれており、彼らは薄れた笑みで二人を見ている。絶対の自信に溢れた野心家―とは言っても大抵は失敗するタイプだが―のようだった。

 それをスコールは純粋に気持ち悪いと評した。アルカは不愉快だと断じた。

 アルカの言葉に高官は顎髭を撫でながら、満足げに頷く。

 

「ふむ、いつから気づいていた?」

「最初から気づいていました、今が一番良い時期ですので。最後まで芝居に付き合う暇などありませんので」

 

 アルカの言葉に、何名かが笑い、何名かが歯ぎしりする。全て彼女を妬んでいた者だ。

 構成員は皆、専用機持ちだった。つまり――全員が元々こういう時の為に集められていたのだ。

 銀の福音を囮にし亡国機業を引きずり出し、準備を整える。そして銀の福音が暴走を開始した後はIS学園に事態の収束を任せる。これはIS学園の専用機持ちの実力を図るためだろう。軍用機に一介の機体―それも学生が扱うようなモノ―が適う訳が無い。

 その後、残った福音に対して亡国機業が対応している間、本隊が亡国機業を叩く。そして銀の福音のパイロットを始末すれば、事態は終息する。

 要するに誘き出されたのだ。

 暴走したISの搭乗者はIS自身が撃墜などで解除されない限り、助かる可能性は極めて低い。彼らは搭乗者であるナターシャ・ファイルスという人間を使い捨ての囮として使っていたのだ。

 それをスコールとアルカは知っていた。だからこそアインに任せた。彼ならば必ず銀の福音を撃墜しパイロットを救出する事が出来ると信じているからだ。

 

「勿体無いな。素晴らしい腕前をそのようなテロ組織ではなく、我が国で奮って見てはどうかね? 言葉どおり宝の持ち腐れと言うヤツではないか」

「高官! 彼らは犯罪者です! それを……」

「お断りします。私はあの方のお傍に居続けるだけですので」

 

 アルカに遮られた女の表情が怒りに染まる。その銃口はアルカの額を捉えていた。

 彼女達を取り巻くISの数、それは総勢数十機にも上る。引鉄さえ引けば、既にそこは血に染まるだろう。

 彼らには確信があった。勝てる、殺せると言う自信があった。

 

「それにしてもアインという少年には本当に驚かされる。まさかISと生身で戦闘を行うなど聞いた事が無い。その上に君は無人機を作る事が可能のようだ。さすがにこの事が公になれば世界のバランスは一気に変わるだろう。良い事尽くめだ」

 

 スコールは内心舌打ちする。彼らは評価するに値しない畜生共だ。

 恐らくこの男は彼女達が捕縛されるのを当然だと思っている。そんな思考に溺れた人種を、彼女はとにかく心の底から嫌っていた。

 高官の男は肥えた笑みを漏らしながら、拳銃をスコールへ向ける。

 

「スコール・ミューゼル。貴公はテロ組織亡国機業の重要人物として拘束、もしくは殺害許可が出されている。願わくば大人しく捕まって頂きたい」

「……もし仮に捕まってあげたとしたら、残りはどうなるのかしら?」

「そうだな……。少女と女は同じく捕縛。そこの女性は研究員として雇用する。そしてアインという少年は実験動物として扱わせてもらおう。何せ――」

「死ね」

 

 冷たい声と共に、金色の光線が高官の頭部を消失させる。見ればスコールの周囲には浮遊する金色の塊があった。彼女から放たれた一発である。怒りに餓えた衝動の一撃であった。

 スコールの周囲にあるモノがIS武装だと気づいて、元構成員だった女達は反撃しようとした――しかし、武器は突然凍結したかのように動かなくなる。

いや、武器だけではない。

 絶対防御が無効化されており、体は全身に鉛をつけているかのように重くまったく動かない。機体がいう事を聞かない。――いわば彼女達は何の役にも立たない鎧を無駄に着込んでいるだけでしかなくなった。

 アルカが左手を振るうと周囲に光が反射する。その手には白いグローブが嵌められていて、そこから何かが伸びていた。

 

「……ISがあるから自分たちは無敵だと? そんなのは下らない理論です。ISに乗ろうが、生身であろうが、最終的な強さは全て本人次第――それを忘れた者にその子達を扱う資格などありません」

 

 アルカが右手の甲を眼前へと翳す。――グローブから放出されているワイヤーが周囲を囲んだ。

 絶望と恐怖の色を滲ませている彼女達を、アルカは見下す。最早何一つ気にかけてやる必要は無いと、彼女は断じた。

 

「それでは、さようなら」

 

 右手を握ると同時に、彼女達はワイヤーに肉体を切断され無数の肉片となって霧散した。一人残らず、一人も原形を留めず斬り裂かれた。

 高官とその部下達を始末するに使った時間は僅か数秒。余りにも一方的な殺戮、理不尽な最期。それを彼女達は死というカタチで体現した。

 一度降り出した豪雨に対抗する事など出来ない。ただ蹂躙されるしかないのだ。

 

「身の程を知れ、下衆が」

 

 玲瓏の声が静かに響く。

 息を切らせて駆けつけたオータムの目に飛び込んできたのは、破壊の痕ばかりが残された管制室とそこに佇む彼女達の姿だった。

 

 

 

 

 サイレント・ゼフィルスの援護は福音との戦いをかなり優位へと運んでくれた。それに加えて、アインの使用する重火器も海上の時より遥かに威力を増している。負ける理由が無い。

 三十六門の光弾もシールドビットによって阻まれ、高速移動は攻撃用のビットとエムの持つ長身ライフルで封じ込めている。肝心の近接戦闘もアインからすれば絶好の機会であり、福音は攻めあぐねているようにも見えた。

 

「ッ!」

 

 痺れを切らした福音が急激な加速をして、サイレント・ゼフィルスに肉薄する。彼女ごと機体を蹴り飛ばすつもりだ。

 余りにも唐突過ぎる行動故に避ける事はできない。ビットのシールドを展開するには時間が掛かる。

 間に合わないと歯噛みした時、銃声が響き、福音を吹き飛ばした。

 

「無事か?」

 

 両手で散弾銃を抱えるアインの姿――何が起きたのかを瞬時に理解した。

 早い話、福音を散弾銃で吹き飛ばしたのだ。彼からすれば戦闘の間合いなど関係ない。遠中近全てが彼の攻撃範囲である。

 彼が放った散弾銃は福音の加速による推進力すらも無視して吹き飛ばした。馬鹿げた威力だ、と微かに笑みを溢す。

 

「……先に言え、驚かせるな馬鹿」

「善処する」

 

 そういいながら、アインは機体を蹴って虚空へとその身を躍らせた。

 瞠目したマドカが手を伸ばそうとした時、既にその姿は消え去っている。刹那、スラスター音が聞こえた。福音でもなければ彼女が扱う機体でもない。

 

「!?」

「コイツが戻ってきた。付き合わせて悪かったな、エム」

 

 無人機に乗ったアインがその右手にタンフォリオ・ラプターを握っていた。その銃口は既に福音へと向けられている。

 その瞳に恐れは無い。勝つと言う鋼の如き強靭な信念がある。

 狙いを定めているだけの姿に、彼女はほんの僅かな間見惚れていた。その心に確かな憧れがあるのは明白だ。

 瞬間、アインが僅かに顔を曇らせた。

 

「……?」

 

 突如として、福音がカタカタと体を揺らす。それは機体がぶつかり合う音だ。まるで機械が暴走するかのような金属音にも聞こえる。

 それは何かが生まれようとするのを抑え付けている音か、それともその体に合わぬ何かを引きずり出そうとしているのか。

 どちらにせよ、彼らにとって良い事ではないのは明らかだ。鍛え上げた本能が警鐘を鳴らす。心臓が早鐘を打った。

 

「まさか――」

 

 アインは突然奇妙な浮遊感に襲われた。

 破壊音―風景を逆再生しているような視界―これらをようやく認識し、彼はやっと無人機が撃墜されたと気づいた。

 咄嗟に回避行動を取ろうとした時、片足を持ち上げられ、宙吊りにされる。福音の行動の早さにアインの思考が追いついていない。

 同時にエネルギーで構成された翼が彼を包み込むようにして展開されていく。

 

「ちぃっ!」

 

 タンフォリオ・ラプターで狙いを定めるべく腕を動かす。だがそれよりも福音の行動の方が遥かに早い。

 巨大な機械が海に落とされたかのような音が耳に届いた。

 翼が発光する。攻撃の前兆――全身が硬直した。

 

「――!」

 

 逃げろ、と叫ぶ声は射撃音に掻き消された。その姿は塵に覆い隠された。

 生身の人間に対するIS武装の零距離射撃――例え、アインでもただではすまない威力であるのは想像に難くない。

 しかも全方位であるのならば、大抵のISは一撃で撃墜されるだろう。ならばもう既に――。

 マドカの心を、焦燥が駆ける。彼女の本心を隠していた鎧はあっさりと剥がれ落ちた。

 

「兄さんッ!」

 

 身体の随所から出血した彼の姿が見える。それは福音に片足を鷲掴みにされており、逃れる事すらままならない。

 銀の福音による強引な第二次移行(セカンド・シフト)、アインですら予測出来なかった事態だ。しかも光弾の威力は以前よりも上がっており、同時発射数も増している。

 何とか気を保っているが、さすがに二発目まで受けて無事でいられるとは思えない。

 現に一発目が零距離から直撃した時点で、バイザーは大破。白いロングコートがかろうじて、その身を衝撃や熱から守っていた。しかしそのコートは今やズタズタにされていて、素肌が見え隠れしている。

 

「――!」

 

 その手にナイフを展開させ、福音へと突き刺す。ほんの僅かの間動きが止まるが、すぐに行動を再開させた。

 再び発光するエネルギーの翼――今度ばかりは死を覚悟するが、アインと翼の間に何かが滑り込みシールドを展開する。

 射出される光弾、数発がアインへ直撃する。彼の口から血が零れ出て海へと落ちていく。

 彼を食いちぎるはずだった残りは全てシールドによって防がれ、雷光と共に散った。さすがに全方位への防御は不可能だったが、こればかりは感謝するしかない。

 沈み込もうとする意識を、堅い決意が繋ぎとめる。動かない体を強靭な意志がしばりつけた。

 

“もし、オレがここで倒れたら次に福音が狙うのは――マドカだ”

 

 それだけは絶対にさせない、これ以上失ってたまるか。

 並みならぬ不屈の心が、アインを叱咤し奮起させる。彼の右手がタンフォリオ・ラプターを手に取り、引金へ指を滑らせた。

 しかしそれよりも早く福音のエネルギー翼が発光し、再度発射の体勢を整える。動きは福音の方が早い。既にビットは先ほどの衝撃で破壊されている。今度こそ守りは無い。

 だが、光弾は射出されなかった。

 その事実にマドカと福音までもが唖然とする中、アインだけが分かりきっていたかのように銃口を向ける。

 

「今、助ける」

 

 放たれたタンフォリオ・ラプターの弾丸が、銀の福音へと吸い込まれるようにして命中した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

兄妹

 

『――さん』

 

 思い出せない。いたのか、お前は。本当に俺の妹だったのか。

 ならどうして思い出せなかった。何で、気づかなかった。

 

『――さん』

 

 やめろ。俺を兄と呼ぶな。思い出せないから、その名で呼ばないでくれ。

 じゃないと俺が俺でいられなくなるから。

 

『――さん』

 

 やめろ。俺に、その顔で、あの人の顔で、家族のように近づくな。

 誰を恨んでいいのか、分からなくなってしまうから。

 本当に大切な事を忘れているような錯覚に捕らわれるから。

 ようやく持ち上げた刃が、もう一度折れてしまうから。

 

 

 

 銀の福音のコアと操縦者を回収し、撃墜された無人機のコアの回収も終えた。結果としては成功と呼ぶに相応しい内容である。

 ハワイ沖の基地へ向かうサイレント・ゼフィルスの機体に乗りながら、斜陽の光景を眺める。操縦者である女性はアインに抱きかかえられており、彼女は安らかな寝息を立てていた。

 彼はコア・ネットワークを介してアルカへ現状を報告していた。

 

「アルカ、目的は達成。コアも搭乗者も回収した」

『分かりました、既に迎えの準備は済ませています。寄り道はしないようにお願いします。それと懲罰の件ですが、気分で決めるとの事です』

「今すぐじゃないのか?」

『はい、ですがいつ処せられるかは未定です』

「そいつは怖いな」

 

 苦笑しながらコアネットワークの通信を切る。作戦開始は丁度昼頃であった。それを考えればここまで長時間戦闘を行ったのは久々だ。

 沈痛な空気の中、アインは操縦者である女性を見る。

 福音の操縦者である彼女の容態はまだ明らかではないが、少なくとも無事であるのは確かだ。外傷による出血も無い。

 心の内に助ける事が出来たと言う安堵の火が灯り、それが彼の体を落ち着ける。闘争を行うべく凍り付いた彼の心身をほぐしていく。この妙に安堵する僅かな時。それがアインにとっては、数少ない楽しみでもあった。

 

『はぁい! 聞こえるかな?』

「ッ!」

 

 突如、コアネットワークを通じて響いた声。思わず息がつまり、身体が硬直する。

 マドカもアインと同様、驚愕の表情を浮かべている事から二人に対して声が届いているらしい。

 

「……篠ノ之、束……だと?」

『うんうん、そっちのいっくんはきちんと返事くれるね! 束さん、安心したよー。で、まーちゃんはまだかな?』

「……本物か?」

『そーだよ! いやぁ、やっぱりちーちゃんの家族は最高だね』

「用件は何だ。どうやってオレ達を特定した?」

 

 マドカに口を閉じるように指示し、アインは周囲を探りながら返答する。だが周囲に異変は無い。あるとすればそれは上空からの襲撃だが、彼らがいるのは地上よりも遥かに上だ。そこから強襲するとは考えにくい。

 女性から片手を離し、キャレコを発現させた。

 

『二人とも抜群のコンビネーションだったね。で、いっくんは喋り方を以前と同じようにしてくれたら嬉しいんだけどな。そう、辛辣じゃなかったと思うんだけど』

 

 僅かに心が躊躇するが、相手は世紀の天才に相当する存在である。ここは大人しく彼女の言い分に従っておくのが吉かもしれない。

 キャレコの引き金に指を掛けたまま、彼は小さく息を吐いた。

 

「……分かりました。それで用件とは?」

『えーとね、福音に突き刺したナイフがあるよね? アレ、何なのか教えてほしいんだ。あーちゃん絡みなのは分かったんだけど、それ以上は良く分からなくてね。束さん、分からないなんて事初めてなんだ』

 

 あーちゃんと言うのは恐らくアルカの事だろう。既に彼女は束と接触している以上、アイン達の事を知っていてもおかしくない。

 だがアルカが到底こちらを裏切るとは思えない。彼女の行動は全てが忠義そのものである。ならば彼女の行動に対してこちらも十全の信頼をしなければならない。

 この瞬間、アインは篠ノ之束と言う女への脅威を打ち消した。彼女をこちら側の人間として認識した。

 

「アレはISの機能を妨害する効果があります。例えば、無人機に突き刺した場合、その無人機の電子回路にあらゆる異常を起こすため二度と動けなくなり、有人の場合、大方の機能がエラーを起こし戦闘行動が取りづらくなります。刺したらイグニッション・ブーストが使用不可能になると思ってください」

『ほえー、それはビックリ。じゃあそのナイフを抜いたら効果は?』

「勿論消えますが、暫くは正常に機能しません」

『なるほどなるほど……』

 

 キャレコを体内に圧縮し、彼は一息つく。

どうにも突然の接触と言うのは慣れない。

 

『さてさて、そんな激戦を勝ち抜いたいっくんに束さんからのプレゼントが用意してあるよ』

 

 ふとその言葉を聞いてアインの中に疑問がわく。それは疑問と言うよりも好奇心に近かった。

 あの天災とも呼ばれた彼女自身が用意してくれた物だ。間違いなく、彼にとって損は無いだろう。

 彼の幼い心が僅かに鎌首をもたげる。それにつられるようにしてアインは思わず口に出していた。

 

「プレゼントとは?」

『ななな、なんと、束さん特製のいっくん専用近接ブレードでーす!』

「近接ブレード……」

 

 確かにアインは今まで銃器に頼った戦闘を繰り広げてきた。少なからず体術やナイフでの交戦もあったが、大半は銃による遠距離戦である。カレンから習った戦闘術はそれらであるからだ。そしてアルカから仕込まれた体術に加え、アインの特性があれば大半の敵とは互角以上に戦える。

 しかし福音との戦闘では、攻撃手段が銃器に絞られた事から苦戦を強いられた。

 もしナイフ以上にリーチがあり、なおかつ近接武器として扱えると言うのなら、それはアインにとって大きな戦力の増加へと繋がるに違いない。

 

『いっくんの目的はあーちゃんから聞いたよ? そのために束さんもお手伝いしようかなーって』

「貴方は……その為だけに?」

『うん、そーだよ? だっていっくんが二人いるんだからどっちにも協力してあげないと。あーちゃんやちーちゃんに恨まれるのは怖いし』

「……オレが」

『ん?』

 

 気がつけばアインの声は僅かに震えていた。奥歯を強く噛み締める。

 彼の体はその震えを押さえきれていなかった。

 

「オレが織斑一夏を殺した時、貴方はどうするんですか?」

『んー、その時はその時かな。ちーちゃんに頼まれたら、私からいっくんの真実、話してもいいし』

「……分かりました。束さんは敵じゃないって事ですね」

『ふっふー、どうかなー?』

 

 彼の心に僅かな安堵が生まれる。それに惹かれるようにして、震えもまた消えていく。

 何故落ち着いたのか、それは彼にも分からない。今の彼がその理由に気づくには、まだ足りない物が多すぎた。

 

「受け取りは?」

『あーちゃんに知らせてあるから、同伴してきてね。それじゃあ束さんは今からちーちゃんとのお話会なのだーぶいぶい』

 

 そう言って通信は切られた。世界一の頭脳と謳われた人物にしては、余りにも童のような行動だった。

 

「本当に……変わらない人だ」

「……そうだな」

 

 

 

 

 

 ナターシャ・ファイルスは今、自分がどこにいるのか分からなかった。強いて言うのならばまるで夢を見ているかのようである。

銀の福音のテスト飛行をしていた時、突然激しい頭痛に襲われ、そのまま意識が途絶えた。そこまでは記憶にある。だが、今目の前に見えているのは闇だ。何一つ見えない、ただどこまでも続く暗々とした黒。

 暗いわりに、自分の体は良く見えるし感覚もしっかりと感じている。何も見えないと言うのに、自分自身がはっきり知覚できる。それが一層不気味に感じられた。

 

「……ダメね、反応が無い」

 

 通信機も無ければ使える道具も無い。新しく彼女の専用機となった福音も展開出来ない。最早待ち続けるしか選択肢が見えず、ただどうしようか思考をめぐらすばかりに時間が過ぎていく。

 それからほんの数刻して、彼女を唐突な浮遊感が襲った。まるで世界全てが塗り替えられていくかのような錯覚が現れた。

 

「!」

 

 闇を塗りつぶし、眼前に広がったのは白い広場であった。そこはまるでどこかの研究所のようで、酷く無色な空間だった。

 上には下の広場を見渡すためか、ガラス張りになっており、研究員らしき男が数名忙しく動いている。一際長い白衣を着た男だけがじっと広場を見ている。

 その広場には白い髪の少年だけが両手に銃を握らされている。彼は体中を上下左右からコードで貫かれている。だがその事実に何一つ目線を動かす事も無く、ただ立っていた。着ているのは到底服とは呼べるような物では無い布切れのみ。

 彼の眼前には手足を拘束され、動く事すらままならない者達ばかりだった。そこにいるのは女子供の群れだった。

 

『さぁ、コード1。今からその残り物を処理しろ』

 

 少年は銃を見つめたまま、動こうとしない。見ればその手は僅かに震えている。何かに葛藤を覚え、それを堪えている。

 ナターシャは今、少年が何を強いられているのかを悟り、その手を止めようとし――彼の体をすり抜けた。彼女の目の前で起きている事が仮想なのか現実なのか区別がつかない。それほどまでに、ただリアルだった。

 

「これって……!」

『なら仕方がない。やれ』

 

 少年の体を夥しいほどの電撃が襲う。上下左右からほぼ同時に放たれた電撃。人間ならば十分致命傷となる衝撃だった。

 電光の激しさに思わず目を腕で庇った。耳を防ぎたくなるような叫びが響く。

 それは一瞬ではない。少年を縛る彼らが決める事。

 少年の体こそ人間とは比べ物にならない程の頑強であるが、痛覚は常人と何ら変わりない。増してや彼はまだほんの僅かな間しか人生を生きられていない。

 彼が挙げる悲鳴は、年相応の少年のようで。だがどこか枯れ切っているかのような声音だった。

 

「やめて……」

 

 呆然と呟いた。それは彼女の心の声でもあった。

 

「やめて……!」

 

 彼を守らなくては。だが何もできない。

 せめて、せめてここにISでもあれば――。

 

「やめなさい!」

 

 ナターシャの声は届かない。

 電撃が止み、崩れ落ちた少年は浅い呼吸を繰り返しながら長い時間をかけて立ち上がろうとする。

 無論、彼らはそれを待たない。少年が逆らうのならば痛みを以て強制させるまで。

 

『もう一度言う。そこの残り物を処理しろ』

「……い、や……だ」

『そうか、ならこうだ』

 

 コードから電撃が流れ、突如銃口が火を噴いた。火線が次々と少年達を穿ち、女達の肉を抉る。

 流される電流が少年の体を操ったのだ。彼に激痛を与えながらも、眼前で行われている事に一切目を背けさせないために。彼の心を、より深く破壊するために。

 悲鳴が聞こえた。苦痛に悶える絶叫が響いた。血が撒き散った。肉片が少年の総身にこびりつく。

 電撃によって操られた少年の指は引鉄を握り締め、その顔は虐殺の光景を目の当たりにされていた。脳裏にはその光景が刻み付けられた。

 唖然とする彼の表情に、贓物が飛び散る。

 

『おや、急にやる気になってくれたようだね。嬉しいよ』

 

 コードから流される電撃が少年の体を操り、彼を殺人傀儡へと変貌させる。まだ終わらない。銃弾は次から次へ人を殺める。彼の心を殺していく。

 死体の無垢な瞳が少年を見つめていた。転がった眼球の視線が少年を凝視した。

 

『……!』

 

 彼が叫ぶ。激痛にしか動こうとしない口を必死に動かそうとしながら、己の手を引きちぎりたい衝動に駆られながら。

 ナターシャにはどうする事も出来ない。何も出来ない。止める事も逃げ出す事も、何一つ出来ない。

 この場に介入する事が叶わない以上、惨劇を止める術など持っているはずも無かった。

 ただ――声を荒げる事が精一杯だ。

 

『どうかな、殺す気分は? この腐りきった世界に粛清を与える執行者となる。ではその時までじっくりと行こうか』

 

 研究者達の目はナターシャからもはっきり見えた。

 卑しげな思考がたっぷりと詰まった瞳と、それを抑え切れないほどの抑揚によって不気味な程吊り上った口角。

 その相貌に歯ぎしりする。彼女の拳が強く握りしめられる。もし出来るのなら、今すぐにあの男達を殴り殺したい衝動に駆られた。

 

「この……っ!」

 

 唐突に銃声が鳴り止んだ。電撃が止む。最早広場に生きているのは彼しかいない。

 少年が銃を取り落とし、再び地面に崩れ落ちる。眼前に広がる死体は全て、彼が築いた物。それは何一つ変わらない、永久の事実。彼がこれから死ぬまで背負っていかなくてはならない咎。

 肩を震わせて、少年は頭を下げた。血塗れの床に額を擦りつけながら。その行為が彼のした事を何一つ許してくれる訳が無いと言うのに。

 

『――なさい。……ごめんなさい、ごめんなさい――』

 

 ひたすら謝罪の言葉を口にしながら、彼は震える。時折混ざる嗚咽は彼が抑えきれなかったモノだ。

 目の前にあるのは自身が築き上げた屍の山、自身が流した血の大河。

 殺した者達の視線は全て少年に注がれていた。何一つ言わぬモノが皆、少年を凝視していた。

 ナターシャにはどうする事も出来ない。ただ己の無力を知るだけ。知らなかった現実がまた一つ増えただけ。

 だと言うのに、彼女は自身の半生を疑い始めていた。ようやく、自身が見ていたモノが幻想であると痛感した。

 

“こんな事が起きているなら、ISは何のために生まれたの”

 

 最強の現行兵器でありながら、現にそれが実戦に使われたと言う公の記録は無い。アラスカ条約でISを使っての武力介入は禁じられているからである。

 だがいつだって、それは無視される物だ。条約が守られているなら、とっくにこの世界から武力なんて物は消え失せているだろうに。

 ならば、何のためのISだというのか。何のためでもない。世界を牛耳る者が手に取るだけの玩具に過ぎない。外交に都合よく利用される理由の一つでしかない。

 結局、世界の根本は一つも変わっていない。変わる者は変わって、変わらない者は変わらない。たったそれだけ。

 

「……」

 

 目の前の少年を助ける事が出来なかった。

 それだけを悔やんで彼女は涙を溢す。

 ただ――人を救いたいと、強く願いながら。今までの世界に、強い憤りを覚えながら。 そんな事実に一つも気づこうとしなかった自分に、苛立ちを感じながら。

 

 

 

 

 ハワイ沖の基地で、アインはアルカから簡単な診察を受けていた。福音との戦闘の最後で、彼はエネルギー翼による攻撃に対し、二度直撃を受けた。それは並のISならば戦闘不能どころか完全に破壊されてもおかしくない程のダメージを叩きだす程だった。

 それを生身で受けたのだ。その事情を聴いたアルカとスコールの瞳孔が一気に変化し、アインの意志関係無しに診察を受ける事になったのである。

 基地にあった医療室を借りて行っており、彼の体には数箇所、包帯が巻かれている。

 アルカは既に包帯を巻き終えており、使用した医療器具を元の場所へ戻していた。

 

「……数箇所の骨折と重度の火傷ですね。幸いアイン様なら安静にしていれば治るでしょう。シールドビットが無ければ重傷は確実でしたね」

「あぁ、感謝してる。……それよりスコール達は?」

「スコール様は現在、上層部に今回の件を報告しています。内通者の炙り出しは切り出しに過ぎませんが、時間の問題でしょう。オータム様はナターシャ・ファイルスの監視中です」

「……あの人数なら手間取るのも無理も無いか。福音のコアは?」

「これからお話があるので失礼させて頂きます」

 

 アルカが手にした福音のコアを見せる。呆気にとられた彼を見て、彼女は軽く笑みながら部屋を出ていく。

 そして彼女と入れ違うようにして、マドカが入って来た。

 その雰囲気は未だに不貞腐れていた。ハワイの基地へ帰還してからずっとこの調子であるが、彼は既にその理由に気づいていた。

 

「……」

「……」

「どうして……弾丸を撃ち込んでそれで済むのなら、どうして私にその事を言わない」

 

 元々、福音の暴走は予定外の物と言う作戦であった。

 タンフォリオ・ラプターの件はアインとアルカ、そしてスコールの三名しか知らず、ましてや未使用で終わる可能性が高いと思っていた代物だ―それでも持って行ったのはカレンから聞いた福音の噂とアルカが万が一軍事用ISとの交戦を視野にいれて判断したからである―。

 つまりマドカ及びオータムにその件は一切話されていない。

 通信手段ならコアネットワークで十分に可能であり、アインからアルカに連絡を頼む事も出来たはずである。それすらも彼は行おうとしなかった。

 故にマドカは怒りを覚えていたのだ。

 

「……お前に傷ついて欲しくなかった」

「それは、何で。私が弱いから? それとも頼りにならないから?」

 

 声音が震える。彼女の声に、最早戦士としての心など無い。年相応の少女だった。

 作戦の時、アインはマドカに戦闘行為を控える事を遠まわしに指示していた。彼が頻繁に攻撃を行えば、福音はアインを優先的に狙う。

 その結果、セカンド・シフトした後の福音に彼が狙われたのだ。

 結果としては福音の回収こそ出来たが、アインが死亡していたとしても不思議ではない。いくら彼の肌がIS並みの強度を誇ると言っても、IS武装を全て無傷で防げると言う訳ではない。

 アインとて、頭や心臓を穿たれれば死ぬのだ。痛みを感じる事もあり、悲鳴を挙げる事もある。

 だから彼が死ぬ事を、マドカはそれを極端に恐れていた。独りだった彼女を、受け入れてくれた家族だから。

 戦火に飛び込む事が多い兄を傍で守りたいと決意したからこそ、サイレント・ゼフィルスと共に戦う事を選んだ。兵士として、戦士として生きる道を。

 

「兄さんは――卑怯だ」

「……」

「いつだって、私を置いていって、また一人にする。そうして、また一人になろうとする」

「それは……」

 

 否定できない。アインが行おうとしているのは、下手すれば世界を敵に回すような事だ。

 「織斑一夏の殺害」――それが彼の望みである。例え生涯全てを擲ってでも果たさなくてはならないと決めたモノだった。

 決意だけで勝てるほど現実は甘くは無い。だがそれでも彼はその望みを捨てていない。

 自分が名前を取り戻す事を諦めてしまえば、それまで殺めてしまった者への顔向けが出来ない。

 果たさなくては、遂げなければ、だからこそ殺さなくては。それが結びついた結果だった。

 

「分からないよ、兄さんの事。人を遠ざけるような眼をしてて、冷たそうな雰囲気を出してるのに、その手は優しくて、いつも温かい」

「――」

「兄さんがしたい事をするなら、私もついていく。

 でもこれは、任務でもなんでもない。私がしたい事なんだ。例え、その先に何が当ても。

 だから……。だからっ……! 私は、もう一人ぼっちになんかなりたくない……! なりたく、ないよっ……!」 

 

 マドカの瞳が潤み、ぽたりと雫を垂らす。声が震える。言葉が言葉にならない。

 彼女とてまだ子供だ。甘えたくなるような年頃であるのに、それを無理やり閉じ込めて戦っている。

 マドカを守りたいと思うのなら、それは戦いから遠ざけてやるのではない。彼女と共に戦う事。彼女を信じて、自分を振るう事。

 それが最も彼女を守る事が出来る手段だ。

 最愛の妹を蔑ろにしていたのは、一番守りたいと思っていた自分ではなかったか。

 

「こんな兄でごめん、マドカ。今度は――守るよ。絶対に、絶対に一人にしない。約束する。俺の、大切な家族だから」

「兄さん……兄さんっ。……もう、一人にしないで……!」

 

 妹の体をそっと抱き締める。嗚咽を漏らす彼女の頭を、泣き止むまでずっと撫で続けた。

 すれ違い続けていた兄と妹はこうして、ようやく互いを受け入れる事が出来た。

 

 

 

 

「……っ」

 

 溢れる光――長い悪夢から醒めたようだ。

 ナターシャはあの少年がどうなったのかが気になる気持ちを抑え付けて、今自分がどこにいるかを把握する。

 見覚えのある巨大なスクリーンが見えることから恐らくハワイ沖の基地の管制室だと分かった。どうやらそこの椅子に寝かせられていたらしい。

 ぼんやりとした視界の中に五人の人物を確認する。研究員か何かかと思ったとき、その中に白い髪の人物が見えた。

 あの悪夢に出てきた少年とその面影が重なり、曖昧だった意識は急に鮮明になる。着ている服装にこそ違いがあるが、何かが酷く似ていた。

 

「! 貴方達は……」

「ん、おい目が醒めたようだぜ」

 

 机上に座り込む黒髪の女がそう告げたと共に白い髪の少年が近づいてくる。

 見れば見るほどその姿は悪夢の少年とそっくりだ。彼の着ている白のロングコートは素肌であるらしく、包帯が巻かれている。

 彼はナターシャの眼前まで歩いてきて、膝を曲げ目線を合わせた。

 

「アンタは暴走した福音に守られていた。感謝しておけ、もし守っていなかったら、今頃死んでた」

「福音……。ッ! あの子は!?」

「落ち着きなさい、ナターシャ・ファイルス。まずは貴方の経緯を知るのが先では無くて?」

 

 青いコートを羽織った金髪の女性の言葉に酷く納得した。それと同時に彼らの属している組織の名へ辿り着いた。

 だが状況を見るからに敵意があるわけでも無く、福音を無理やり強奪しようとしているわけでも無い。それに自分がどうしてここにいるのかも気になる。

 ならばここは従っておくべきが吉であるかもしれない。

 

「……分かったわ」

「そう、話の分かる子は好きよ。それじゃあアルカ、説明してあげて。貴方が一番事態を把握してるはずだから」

「はい、まずナターシャ・ファイルス様は銀の福音のテスト飛行中に、福音に仕込まれていたプログラムで暴走しました」

「!」

「色々と気になるのは分かりますが、今はおおまかに説明していますのでご了承ください。その後、アイン様が福音を追跡。暴走した福音と海上戦闘を繰り広げた後、ISを解除する事により救出され、現在ハワイ沖の基地で治療していたところ、目を覚ました。大雑把に話すとこのような物です」

「……質問いいかしら」

「どうぞ」

 

 アルカと呼ばれた長い黒髪の女は、一切顔色を変えずに淡々と言葉を述べている。机上に座り込んでいる女性とは髪の色が同じでも、雰囲気がまるで違う。

 どこか機械じみているその動きが、何故か嫌だと感じなかった。

 

「福音に暴走プログラムが仕込まれていたって、どういう事? 元々国がそうなるにしていたの?」

「はい。銀の福音は完成されていたISです。ですが、余りの性能の良さに競技としては勿体無いと言う事で、暴走用のプログラムと言う余計なモノを加えたようです。どうしても抑えきれなかったのでしょうね。何としてでも、実戦としての評価を出したかったのでしょう。

 おかしいと思いませんか? テスト飛行に対して、想定外の事態を考慮したモノが何一つ無いと言う事実に」

「……待って、もしかして福音のテスト飛行ってもしかして」

「――はい、テロリストを誘き出し、始末するための囮兼殺害計画です。そしてIS操縦者の需要を上げるために、操縦者を一人使い捨てにするモノでもあります」

 

 ナターシャが声を漏らす。

 確かに、アルカの言った事実は納得できる。だがまだ心がそれを全て受け入れるには時間が足りなかった。

 

「ここからが本題です。この福音を先ほどの行為として扱うには暴走させる事が必要条件となります。操縦者の腕次第でISはその方々の専用機となる。ですが銀の福音のような戦闘力を持つISを個人に委ねるなど彼らは我慢ならなかったのでしょうね」

「……それって」

「えぇ、生贄と言う事です。ナターシャ・ファイルス様。貴方は殺されかけたのです。そして今までの福音搭乗者も同じように謀殺されてきました」

 

 鈍く殴りつけるような音が響く。少年の拳が管制室の壁面を砕いていた。

 腕が震えているのは、間違いなく底知れぬ怒りからだ。彼の表情は髪に隠れていて見えなかったが、それでもどんな表情をしているのか想像はつく。

 

「アイン、落ち着きなさい。人を道具でしか見ていないような連中よ。そうやって一々癇癪起こしていたら身が持たないわ」

「……分かってる」

 

 アインと呼ばれた少年は、そのまま拳を抜くと息をついて、何事も無かったかのように佇んだ。その姿と視線が、あの時の少年と重なるように見えた。

 

「それと、ナターシャ様、貴方に返しておきます。この子は貴方の傍を好んでいますので」

「……どういう事? 貴方、この子の言っている事が分かるの?」

「はい、理由に関しては答えかねますがISコアには人格があり、私はその声を聞く事が可能です。勿論こちらから語りかける事も出来ます」

「アルカ、それ以上は――」

 

 声を挙げた黒髪の女に対し、アインが腕を出して遮る。彼女はそれを見てから僅かに顔を顰めるが、何かに納得したかのように肩を竦めた。

 

「……アルカ。貴方ひょっとしてナターシャ・ファイルスと銀の福音を保護しろと言っているの? 私達の目的はコアの回収よ」

「その通りです。そのコアの持ち主が私達のところに来れば、操縦者と機体が同時に加わる結果になると思いますが」

 

 小さく溜め息をついて、金髪の女性はアインと呼ばれた少年と目線を合わせる。彼はナターシャへ僅かに視線を向けた。

 それを受けて、彼女は再度小さく溜息を吐く。

 

「……ねぇ、アルカと言ったわよね」

「はい、何でしょうか。ナターシャ様」

「福音は……この子は何て言っているの?」

 

 アルカは目を閉じて、静かに言葉を紡いだ。

 ただありのままに。何一つ飾る事無く、真実を。

 

「貴方の事が好きだと。貴方と共に空を飛べる事。それだけで幸せだから何も望まない。――そう言って、胸を張っていますよ」

「そう……そうなのね」

 

 ナターシャ・ファイルスは福音のコアを愛しく撫でる。

 母親が子供へ行うように、その動きは全てが滑らかだった。

 

「ありがとう……ありがとうね……。私も、貴方と一緒に飛ぶのが何よりの幸せよ」

 

 福音のコアが小さく震えた。彼女の響きに答えたように。

 

「……ナターシャ・ファイルス、貴方はどうするの? 国を捨てて私たちのところに来るか、それとも国に忠誠を尽くすか。貴方の自由よ、強制はしないわ。それに私たちの組織の名も既に気づいているでしょ?」

「そうね……。まさか貴方達から救われるなんて思いもしなかった、スコール・ミューゼル。亡国機業(ファントム・タスク)、聞いていた噂と全然違うわよ――本当の目的は何なの? ISを集めてどうするつもり?」

「管理よ。全ての現行兵器を集めて、管理する。それが私たちの目的。この場にいるのは、皆理不尽な運命に曝された者たち。果てしない欲望によって、運命を捻じ曲げられた者――ここにいる者は、ほとんどがそんな境遇を生き抜いた者によって構成されている。ナターシャ・ファイルス、貴方にはここへ加わる資格がある。後は覚悟だけよ」

 

 語るスコールは何一つ迷わない。ただ己の全てを信じるだけ。

 

「――私たちは最強の兵器であるISを全てこの手で管理し恒久の平和を目指す。国境無き平穏を紡ぎ続ける機械として。もう二度と世界大戦なんて言う愚かな惨劇が繰り返されないために」

 

 第二次世界大戦の最中に生まれたその組織は最初こそ小さな集まりだった。

 ただのレジスタンスに過ぎない集団が、その勢力を広げて行き、やがては世界に影響を与えるほどの組織へと生まれ変わったのだ。

 恒久の平和――何と美しい響きで、何と空虚な言葉だろうか。だが、それを目指し続ける姿を、一体誰かが非難出来るのか。

 そしてナターシャもその在り方に酷く共感した。

 あの悪夢の中の少年に対し、彼女は何も出来なかった。もう二度とあのような思いはしたくない。

 その思いを込めて、彼女は息を吐く。

 

「……本当に自分が馬鹿みたいじゃない。何でISに乗っただけで世界を知ったつもりになっていたんでしょうね」

 

 柔らかに微笑みながら、ナターシャは言った。

 祖国に反旗を翻す、運命を変える為の一言を。

 

「亡国機業――喜んで入らせてもらうわ。もうこれまでの私じゃない。今度は、自分の手で大切な物を見つける」

 

 彼女の瞳に迷いは無い。何もかも振り切っただけ。

 全てを断ち切って、彼女は理想のために己を捧げる覚悟を決めた。

 

「……なら、すぐに出ましょう。長居しすぎたわね。いい加減、迎えを待たせすぎよ」

 

 スコールの言葉が、任務の完了を告げる。

 ハワイ沖の基地を、黄昏の陽光が赤く照らしていた。

 

 

 

 

「なるほど、福音が撃墜されたか」

 

 壮年の男の声が響く。

 がっしりとした指が顎を撫でる。

 

「今回は本物の勝利ね、これは面白い」

 

 壮年の女の声が響く。

 柔らかな指が唇に触れる。

 

「彼女はマドカの世話だけで精一杯と思っていたが……存外間違いでは無かったな。やはりスコールには最高の権限を与えておいて正解だった」

「本当にそうかも。じっくりと手間隙かけて仕込んできたからかしらね。酷く楽しくて仕方ないわ。あの子は強い、とても、とても強い」

 

 妖しげに(わら)う。

 艶やかに(わら)う。

 愛しげに(わら)う。

 愉しげな嘲笑が大きく木霊した。

 

 





後日談(会話文だけ)


「……アイン様、マドカ様の検索履歴から興味深いデータが見つかったのですが」
「? どんな内容だ」
「本当に見ますか?」
「当たり前――」
「後悔はしませんか?」
「……あ、あぁ」
「それではどうぞ」

『兄×妹 禁断の領域1』
『兄×妹 禁断の領域2』
『あっ、ダメです。お兄様っ、そんなところ……』
『IS相談室「最近兄が気になっています。どうしたらよいでしょうか」』
『IS相談室「どうすれば兄と結婚できますか?」』

「……」
「警告したはずですが」
「……オレが悪かった」
「ちなみにスコール様の検索履歴もありますがこちらは子育てについての」
「言わんでいいッ!」



「ねぇ、ナターシャ。一つお願いがあるのだけれど?」
「えぇ、何かしらスコール」
「髪の色を変えてくれない?」
「あら、随分直球ね。何か理由があるの?」
「キャラが被るのよ」
「……」
「キャラが被るのよ」


終われ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編一幕目 クライムアンドホープ

 

 

 亡国機業の一室――俗に訓練所と呼ばれる場所に四人の人影がいた。二人は手にしたナイフ―無論、訓練のため刃引きされている―で幾度となく白兵戦を繰り広げており、残る二人はそれを見ていた。

 白髪の少年と銀髪の女性が振るうナイフは明らかに差が出ている。女性が振るうモノは何ら澱みなく、何の躊躇も無く振るわれているが少年の方はまだ何かが追いつけていないようだった。

 やがて女性が振るったナイフの柄が、少年の鳩尾を突く。その一撃は彼の体に確かなダメージを与えた。それを証明するように少年が床へと倒れ込む。

 

『だからもう少し接近しろ。ナイフの刃先でやり合おうとするな』

『……分かってる』

『分かってない。少し頭を冷やせ馬鹿』

 

 女性はくるくるとナイフを指先で弄びながら、訓練を見ていた二人へと近づいていく。

 その内の一人、金髪の女性は優雅に紅茶を飲んでいた。傍らにはティーカップが二個用意されている所を見ると差し入れのつもりらしい。

 

『どう調子は?』

『銃に関しては呑み込みが早い。もうほとんどの武器をアタシと同じレベルで使いこなせるようになってる。だが近接に関しては見ての通りさ。まだまだ時間が掛かりそうだ』

『ナイフで体を打たれる事、二十六回。放り投げられる事、四十八回。溜息を吐かれる事、五十六回。……確かに時間が掛かりそうね』

『どうもご丁寧に。誰が数えたんだ』

『アルカよ、ほら今彼の手当てに向かってる』

 

 見れば黒髪の女が少年の下に向かい、医療器具で治癒を施そうとしていた。明らかに妖しい色の液体が入った注射器を握りしめているのは、目の錯覚ではないだろう。

 そしてそれを握る彼女の腕を懸命に掴んでいる少年の顔が危機に迫るような形相である事も間違いなく現実である。

 

『……過保護だねぇ、アイツも』

『分からないのよ。彼自身よく無茶をする子だから』

『ったく、んな事は自然に分かるって言うのに』

 

 紅茶を飲みながら銀髪の女は、小さく息を吐く。ふと隣を見れば金髪の女は口を押さえて笑っていた。

 その理由が分からず、彼女は再度息を吐いた。

 

『いえ、ごめんなさいね。あの子と貴方って本当に似てるから』

『似てる? アタシが馬鹿弟子と?』

『えぇ、言わなくても分かると思うから』

『……あー』

 

 図星か照れ隠しか、銀髪の女は再度紅茶を飲み干した。

 

『まぁ、アイツを育てるのが楽しいって事は否定しない』

『そう、良かった。やっぱり貴方を彼の教官に充てて正解ね』

『……ま、ここからか。見てなスコール。アイツをお前の切り札にまで仕上げてやるさ。体だけじゃなくて心まで、しっかりと』

『楽しみにしてるわ。早く彼を、正しい道に戻してあげたいから』

 

 二人が話している間、肝心の少年は注射器の薬品を打たれたからか、目を回して気絶していた。そんな彼が目を覚ます次の日まで訓練がお預けとなったのはまた別の話である。

 これはカレン・ボーデヴィッヒがアインの教官となってから凡そ一ヶ月後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 アルカと共に、アインは篠ノ之束のラボにいた。理由は彼女が作成した近接ブレードを受け取るためである。

 上空を軍用機並みの速度で翔け抜ける空母をラボと呼んでいいのか甚だ疑問では在るが、そんな事を全て抑えこんでアインは奥に進んだ。乗り込んだ方法としては、無人機で空母と並走する中を、跳躍すると言う方法である。あれはもう二度としたくない。

 

「本当にいるのか? 明らかに生活が出来るとは思えないが」

「可能ですよ。あの方は水と塩さえあれば生きていける方なので」

「誰でもいいからあの人に常識を教えてやれ」

「……アイン様が言える事でしょうか」

 

 あたり一面がケーブルやらコードやらで覆われており、歩きづらい事この上ない。見えるも見えるも全て機械の山であり、日常品はほとんど見当たらない。

 明かりもほとんどなく、アルカが誘導してくれなければアインは間違いなく何回か転んでいた。

 機械の稼動音がやたらと耳に響く。瞬間、彼の本能が気配を嗅ぎ取る。

 

「……どうやら会いに来て下さったようです」

「――らしいな」

 

 アルカの言葉に辺りを見渡したが誰もいない。風景に何ら変わりは無く――否、景色が歪んでいる。僅かに息遣いの音が聞こえる。

 並みの人間ならまず気づかぬほど些細な変化だ。

 

「……光学迷彩とはまた奇抜な物を作りましたね、束さん」

 

 どこから響いた音なのか正解のリズムを作るような機械音が聞こえた。

 瞬間、バチバチと電光が走り、突如篠ノ之束が姿を現す。だが彼女はどこか不満げだった。

 まるでいたずらを咎められた子供のような表情に、思わず口元が緩む。

 

「ぶーぶー、あーちゃん気づいてたなら言わないでよー。せっかくのいっくんとの再会なんだからー」

「申し訳ありません、母上」

「そうそう。お姉さんを――あっ、違うや。お母さんを敬うのだー……。それといっくん、ブレードの事だけど先に細胞を取らせてもらっていいかな?」

「構いませんが……何か気になることでも?」

「ISコアを直接人体に埋めるなんて私も予測してなかった事なんだ。あーちゃんの話だと、既に埋め込まれてから数年近くが経過してる。幸い、あっちのいっくんのデータも揃ってるから比較できるよ。今自分の体がどうなってるか知りたいでしょ?」

「……分かりました。簡単な健康診断と思えばいいんですか?」

「うん、あっ、でも同時にブレードの事も済ませておきたいから一緒にやろうか。ってコトでいっくん、そっちのベッドの上に寝てくれるかな」

 

 突如、空間に現れたディスプレイを束が操作すると、床の一部が変形して簡単なベッドに変化する。

 こういう事には無駄な努力と技術を駆使するのが篠ノ之束という人間だ。

 そして何故かアインの背後の床も変化し、X状の磔台が構成される。そしてアインの四肢を拘束してから百八十度回転を行い静止した。

 見ればアルカの手には蝋と鞭が握られている。

 

「……何してる?」

「いえ、アイン様が暴れてはいけませんので厳重に拘束しなければと思いました」

「だからってコレはおかしいだろうが! 何でベッドがあるのに磔台になってる!?」

「おかしいですね、拘束とはこういった趣旨のモノだとお伺いしていたのですが」

「誰だ。そんな知識教えたヤツは……」

「束さんです……」

「お前だったのか!」

 

 

 

 

 既に武装追加の件も終わり後はアインが目を覚ますのを待つだけとなっていた。アルカはただ眠っているアインが目を覚ますまで彼の傍にじっと佇んでいる。

 彼の体を切って、心臓にあるISコアを露出させ、粒子状のデータに変えた武装を埋め込む事で彼の武装へと完成させるのだ。そして束による改良で、武装の圧縮と展開がアインの体を切らなくてもよくなったのだ。これはアルカからしてみてもかなりの負担が軽減される事になった。

 縫合したため、彼の体には再び包帯が巻かれている。だが既にその下のある傷は跡形も無く消えうせているだろう。

 完成された彫像であるかのようなその上半身は何もない。傷など一つも残っていなかった。福音戦で負ったはずの火傷はもう完治し、痕すら見られない。

 束は巨大なディスプレイの前に座って、何かを打ち込んでいる。

 だがその指先に今までのようなキレは無い。指はまるで鉛をつけているかのように怠慢な動きを繰り返していた。

 

「ねぇ、あーちゃん」

「何でしょうか」

「……いっくんは、私を恨んでるかな」

 

 生憎アルカのところから束の表情は見えないが、指の動きは静止していた。

 声に活き活きとした様子は無く、まるで何かに怯えているかのような声音である。

 

「私がさ、ISなんて作らなかったらいっくんは誘拐されなかったしちーちゃんと引き離されることも無かった」

「……母上。それでは私たちや貴方様に罪があるような言い方です」

「違うよ、あーちゃんやあの子達に罪なんて無い。……悪いのは私だから」

 

 懺悔を請うような言葉は、世界を変えてしまった故に紡がれた言葉。彼女にのしかかる重石であった。

 彼女はそれをたった一人で背負ってきたのだ。その苦しみを、一体誰が共に背負おうと言うのか。

 彼女の事を一部の者は“狂人”と呼ぶ。

 彼女の事を一部の者は“救世主”と呼ぶ。

 呼ぶ者が違うだけで人はこんなにも区別される。一人の少女でしかなかった人間など、大衆の中では簡単に埋もれてしまう。

 大切にしていたはずの妹にすら忌避されてしまえば、一体誰が彼女を救えたのだろう。世界の発展のためならば、一人の人間の意味などあってないようなものだ。それに気づいてしまった。彼女は聡明であったが故に悟ってしまった。

 だから彼女は限られた人物としか喋らない。背負わされたその全てを、彼女はたった一人で引き受けるために。

 例え自分がどうあろうとも、周りの大切な人たちが笑っていてくれればそれで良いと。

 

「母上――確かに、貴方のしてきた事はある人にとっては苦しみであり、ある人にとっては絶望だったのかもしれません」

 

 ただ彼女は自身が人としての生きていくコトと大切な妹のコトの二つを天秤にかけただけ。その結果として、彼女は妹を選んだ。家族を選び、大多数を切り捨てた。

 余りにも理不尽なその問いから生まれた生き方を否定出来る訳が無い。そんなことが出来るのは、誰も傷つけた事が無いと胸を張って言えるような者だけだ。

 

「ですが今の世界は、多くの人が笑っています。例えどのような手段があろうと、その心底には大切な人が幸せになってほしいと言う意志があるのですから」

 

 篠ノ之束は紛れもない人間である。

 悲しみ、笑い、喜ぶ人間だ。そして、誰よりも大切な人の不幸を悲しむ人だ。

 

「貴方は誰よりも大切な人の喜びを願う人だと、知っていますから。この方も、私も、あの方々も、皆知っていますから」

 

 彼女が人々を苦しめていたと言う事。それを否定はしない。当然の事だ。誰かを幸福にするのであれば、それは必ずどこかで不幸になる人間が現れる。

 だが、彼女は決して自身の私利私欲には走らなかった。大切な人に笑顔であって欲しいと、幸せであり続けて欲しいと。

 そのためなら例え自身を犠牲にしたとしても、彼女は容赦なくその衝動に突き動かされるだろう。

 

「……やめてよ、あーちゃん。そんなのは……そんなのは」

「えぇ、篠ノ之束は一人の人間です。そうでしょう、アイン様」

「――当たり前だ」

 

 むくりとアインが起き上がる。

 紅く優しげな瞳が、束を直視した。

 声を漏らして彼女はそれに魅入ってしまう。

 

「俺は束さんを恨んでませんよ。こんなカタチになったのは、全部俺が弱いせいでしたから。それに世界は変わっていません」

「その通りです。母上、私たちが世界を変えたのではありません。私たちは何も変えなかった。ただ欲に溺れた者が這い出てきただけです。現に母上がISを使い、人を殺しましたか? そうではないのなら、貴方に咎はありません。全ては使う者次第なのですから」

 

 その体現がアインと言う存在だ。

 沽券を満たすためだけの争い、それは何千年前も前から繰り返されている。

 拳から剣へ、剣から銃へ、銃から兵器へ、兵器からISへ。

 こんな下らない事に何の意味も無い。

 あるのは絶望と嘆き。そして積み上げられる屍の群れ。響く慟哭。

 それら全てを摘み取り、終わらせる事が出来るはず。その為に彼らは戦っている。

 

「ありがとう……。……今だけは泣いていいよね」

 

 何かに縋るように、篠ノ之束は涙を流す。

 救われた――ただその事だけが、どれだけ彼女の傷を癒したのか。

 

 

 

 

「さて、いっくん。結果を報告するね」

 

 泣き止んだ束はまるで別人であるかのように、その表情を切り替えた。

 それまでの重々しい在り方は綺麗さっぱり無くなってしまっている。

 

「まず遺伝子の方だけど……限りなく別人に近い同人だよ。もうこれは別人って割り切った方がいいかもしれない。血の繋がりを消しちゃうなんて……そんな事思ってもいなかった」

「……次をお願いします。まだあるんでしょう」

「うん……いっくん、これは一番言い辛いんだけど、そのISコアは有り体に言っちゃうと半分適合して、半分拒絶されてる。だから体に馴染む事はあっても、完全に適応するなんて有りえない。このままだといっくんね――早死するよ。長く見積もっても後十年くらいが限界」

 

 ゾクリとアインの背中を冷たい物が駆け抜けた。

 早死――心のどこかで納得して、どこかがそれを強く否定する。十年、名前を取り戻しても、その程度しか生きられない。余計に周りを悲しませるだけだ。

 早く名前を取り戻せば十年の間は生きられる。その中で自分を築いていけばいい。

 そんな考えの交錯を打ち消して、アインは束の話に集中した。

 

「だから次は半年後に私のところに来て。私とあーちゃんの技術なら何とか延命治療は出来る。それなら人並みに生きる事は可能だよ」

 

 アインはこれで篠ノ之束と定期的にコンタクトを取る事が必要不可欠となった。

 世界にとってまた隠さないといけない事実が増えるな、と苦笑する。そしてもう一つ、増えた武器もまたスコール達にお披露目しなくてはならないだろう。

 

「分かりました。次は半年後ですね。……それじゃあ少し失礼して良いですか?」

 

 左腰に現れた鞘込めの刀。それは近接ブレードと言うよりもまるで日本刀のようだ。分類でいうのならばそれは太刀に当てはまるであろう尺だった。

 この重みが酷く懐かしい。昔、遥か昔に、この感覚を覚えたような気がする。

 

「あ、うん。全然良いよ。コードは斬らない様にね」

 

 腰を落とし、重心を意識する。僅かに心が波打った。

柄に手を当てる。抜け落ちた何かがピタリと当てはまったような感覚があった。

 過去の記憶が五感となって思い出す。確かな記憶が僅かに垣間見えた。

 

“重いだろ? 一夏。それが人を殺す重みだ”

 

「……あぁ、今なら分かるよ」

 

 瞬間、鞘から放たれた刀は風切音を残して振り抜かれる。残心したまま、アインはこれから幾度となく振るう事になるであろう刀を見た。

 翳された刀身はまるで磨き上げられた鏡であるかのようにあらゆる光を反射している。何物にも穢されようとしない意思を、まるで刃自身が持ち続けているかのようだった。

 その美しさに見惚れ――そしてそれを使い続けていた織斑千冬の気高さを改めて理解した。

 

「……そのブレードはね、束さんお手製だよ。IS装甲には物理的力を使って破壊することも出来る。かなーり念を入れて作ったし、余程のことが無い限り折れないから安心してね」

 

 返事代わりに、アインは納刀する。

 金属音が、玲瓏の音色を以て辺りへ響いた。

 

 

 

「……ねぇ、あーちゃん。一つ聞いていいかな」

「何でしょうか?」

「どうしてあーちゃんはいっくんに尽くしてるの?」

 

 束の問いにアルカはクスリと微笑んだ。

 アインはまだ刀を振るい続けている。それは馴染むためと言うよりも何かを思い出そうとしているようにも見えた。消え去った何かを追いかけているように見えた。

 

「大切な人ですから。例え世界中があの方の敵となっても、私だけはあの人の傍にいます。それに、あの人は今も戦っています。自分自身に矛盾を感じながらも、生きている意義をたった一つの事にしか見出せなくとも、誰かのために戦うと言う事をずっと胸に抱き続けています。私はそれを支えるだけです」

「そうなんだ。……ねぇ、あーちゃん。いっくんって亡国機業に属してるんだよね?」

「はい、そうですが?」

「――もしかして、そこで次々と女の人を落としてない?」

「恋愛感情……というには少し違いますが、想いは寄せられていますね。そのカタチは様々で見ていて非常に興味深いです」

「まーちゃんも?」

「はい、兄として想いを寄せていらっしゃいます。ある方からは子供として、ある方からは弟として、ある方からは救い主として、ある方からは弟子としてでしょうか」

 

 束は声を漏らす。IS学園にいる方の織斑一夏も大概ではあるが、彼も大概であろう。元々同一人物とはいえ、そこまで似る必要は無いのではないか。

 

「負けず劣らずだね」

「ですね」

 

 再度、刀が鞘に納まる音が響いた。刀を持つその姿は、絵画のように美しく儚い。

 だが彼の振るう刀に込められた意志は、常人には理解できないだろう。

 彼は壊れた人間だから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編二幕目 闇を駆ける烈風

 ナターシャ・ファイルスが亡国機業に入ってから数日。亡国機業の本部の地下では電子フィールドで構成されたアリーナには二つの人影があった。

 そんなフィールドを全体から眺める事が出来るスクリーンが数個展開された管制室では、アルカが機器を操作してデータを取るべく稼働させている。マドカとオータム、そしてカレンがそのスクリーンを見守り、スコールはアリーナに響くマイクに声を掛ける。

 ちなみに余談ではあるが、このアリーナを作り上げたのはアルカ単独である。

 

『さて、準備はいい?』

 

 空は全て黒く、地面には緑色のラインが走っている。IS学園のアリーナをモチーフにして展開されたコロッセウムのような作りは、まるで異世界であるかのようだ。

 その中で二つの佇む姿があった。

片方は銀の福音。

 搭乗者であるナターシャ・ファイルス―通称エヌ―が了解、と返答する。金髪から薄緑に染めた髪―無論、一目で彼女だと気づかれるのを防ぐためである―が小さく揺れた。

 対して反対側にいるのはアインであり、彼もまた了解、と返答する。その左腰には鞘が展開されており、言うまでもなく束によって追加された新しい武装だ。

 今回、アリーナを使用して模擬戦が行われる理由はエヌの戦闘力の確認とアインに追加された新しい武装の確認である。

 

「行くわよ!」

 

 エヌが操る銀の福音から繰り出される三十六発の光弾、海上戦では苦戦を強いられたが今は違う。

 束が用意してくれた武器がある。そしてそれを十全に使いこなせる技術がある。

 時間差で迫る光弾、迫るそれをアインは避けようともしない。

 彼の親指が刀の鍔を弾く。鞘から刀身が僅かに顔を覗かせた瞬間それは空気へ溶けた。

 そしてその瞬間、彼へ最も接近していた四発が掻き消された。

 

「えっ?」

 

 エヌが間の抜けた声を漏らす間に、次々と光弾が掻き消され、彼女がようやく事態を飲み込んだ時には既に光弾は一つ残らず相殺されていた。

 居合い――彼は一歩もその場から動かずに、刀の範囲まで迫った光弾を全て斬り捨てたのだ。

 

「嘘……!」

 

 何が起きたのかをようやく理解した瞬間、アインが疾駆する。刀を左腰から左手に持ち替え、柄に右手を添える。

 彼は地を弾くようにして走り出す。だがその速度は常軌を逸していた。

 アインとエヌの距離は凡そ三十メートルほどはあった。だが既にそれは無い物に等しい。彼はその間合いをほんの僅かな間の疾走だけでゼロにしたのだ。

 そんな速度で肉薄し放たれた一閃を、エヌはかろうじて避けた。残像しか見えなかった彼の一撃を、直撃する寸前で回避する。

 彼の放った一撃の速さと出鱈目な移動速度に肝を冷やす。すぐさま後退し、再度アインと距離を取る。

 当たれば絶対防御など易々と突破するほどの斬撃を叩き込まれるのではないか、と錯覚させるほど、その斬撃は凄まじい。ほんの僅かでも気を抜けば、すぐにでも斬撃が飛来するのではないか。

 まるで風と戦っているかのようだ。

 

「行くぞ」

 

 刀を鞘に納め、持ち直したアインが再び構える。その眼光に曇りは無く、動く態勢に澱みは無い。

 その脳裏には、かつて織斑一夏と呼ばれた頃の残影が甦っていた。

 

 

 

 

 師である銀髪の女性は少年の言葉にきょとんと目を丸くした後、溜め息をつきながら言葉を漏らした。少年が手にしているのは模造のナイフだが、彼女が持っているのは本物である。命懸けの訓練こそ実戦と同等、と言う彼女なりの考えであった。

 訓練中に少年が剣を教えてほしいと言いだしたのである。彼女からすれば確かに少年のナイフ捌きは実戦でも通用する基準には到達している。だがナイフと剣では同じ刃物でも必要とするモノが全く違うのだ。

 故に彼女は溜息を見せたのである。

 

『おいおい、アタシや銃専門だよ。ナイフはともかく剣なんてガラじゃない。増してアンタの国は侍の国だろ? 剣術とかは習ってなかったのか?』

『……居合い程度なら軽く教授されていた。だけど、それ以外は齧った程度だ』

『そいつはまぁ何とも耳の痛くなる話だな。オーケー、だったら今から全力でやるか。アタシは容赦なく攻撃するからアンタはそれを避けろ。隙を正確に見切って反撃を与える機会を見計らえ。アタシが見事だと思ったらそのまま続行。見誤ったと判断したら、コイツの柄で一発だ。……言っとくが反撃はするなよ、アタシだって死にたくはないんだ』

『?』

『……ん、まぁアタシから見りゃ剣ってのはリーチの長いナイフみたいなモンだからね。ナイフの扱いが上手くなれば自然と剣の扱いも上手くなるって考えだが……何だ、その目は』

『いや、アンタの言う事も一理ある』

『へぇ、だったら話が早い。んじゃ行くとしようか』

 

 少年が頷く前に、彼女の持ったナイフが振りぬかれる。

 彼女との訓練に余裕など無い。容赦の無い過酷な鍛錬は、多感な年を迎える少年にとっては余りに強烈な物だった。

 だが、手を抜かずにいつだって全力で自身を鍛えてくれる彼女のあり方に少年は感謝していた。

 孤独を感じさせないために只管訓練をさせる――それが彼女なりの気遣いであると分かっていたから。

 

 

 

 

 銀の福音に対するアインの動きを見て、カレンは笑っていた。彼の動きは今までとはまるで違う。憑き物が落ちたかのようだ。

 

「へぇ、やっぱアンタの専門はそっちだったか」

 

 刀を持ったアインの動きはまるで別人のようだ。銀の福音が放つ光弾を悉く切り裂き、ハイパーセンサーでもかろうじて捉える事が出来るほどの速さで疾駆する。一歩一歩の歩幅が非常に大きく、全力で間合いを開けても数秒後にはゼロに戻される。

 これが彼本来の姿であるかのようだった。銃を以てナイフを振るうのではなく、刀一本に生死を託す戦闘手段が彼の真髄のようにも見えた。

 

「ま、アンタにそっちがあってるならそっちでいいさ。迷ったならアタシが叩き直せばいいだけの話だしね.」

 

 今の彼は完全にISに対しての天敵へとなっていた。銀の福音に対してもほぼ優勢に立ち回りを繰り広げている。戦闘の主導権を握りしめている。

 あの時の海上戦とはまったく違う。完全にアインが押していた。

 再び迫る無数の光弾――それを白いロングコートを羽織るアインが次々と切り裂く。その光景にスコールはデジャヴを感じた。

 

「……まるで白騎士ね」

 

 スコールはぽつりと呟く。

 アイン、彼の着る白いロングコート、刀――それらを白騎士、そして彼へ殺到する光弾をミサイルと例えるならまさしく白騎士事件そのものだ。思い出されたその光景は余りにも偶然が過ぎるのではないかとスコールは思う。

 世界で初めて使用されたIS『白騎士』。

 彼の動きは、その白騎士とまったく同じだ。すなわち彼の姉である織斑千冬に。

 恐らく姉と引き離されている間も、ただ只管、頭に残る彼女の動きをイメージし、それを真似ていたのだろう。

もし今の彼と世界最強が戦えばどうなるのかと言う疑問に、関心は尽きない。

 だが生憎、既に白騎士は現存していない。現在はそのISコアは白式と名前を変え織斑一夏の専用機になっているらしいが、間違いなく宝の持ち腐れだろう。

 スコールは既に織斑一夏を軽視していた。

 福音との戦闘――アインに比べて余りにも無駄のありすぎる動きに、無駄な攻撃。ワン・オフ・アビリティの零落白夜の発動タイミングの手間取りと最悪の状況選択。

 彼から居場所を奪っておいてこの有様か、と彼女は怒りよりも呆れを感じた。もし刀を持ったアインが織斑一夏と交戦すれば、殺害までに数分は掛からない。最早脅威としてスコールの中から完全に消え去った。

 

「……そろそろ極東に駐在する準備を整えておく頃かしら」

 

 もうすぐ行われるIS学園の学園祭――白式強奪にはかなり良いタイミングだ。

 恐らくスコール達に任務が課されるだろうし、彼女自身も断る気はない。

 ただ果たすべき使命を果たすだけ。その思いが、彼女を支配していた。

 

 ちなみにスコールがそんな思考に耽っている間、アリーナではアインの人間離れした動きと完全に詰んでしまった状況にエヌが涙目になっていた。

 福音のマシンボイスも怯えているような声を漏らしている――気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 篠ノ之道場に合宿に通っていた。姉の剣術修行に同伴すべく、その修行に参加していた。

 木刀を何度も振るい、何度も稽古を行い、何度も鍛錬をした。だから体は疲れている。だと言うのにまったく寝付けなかった。風の唸り声が真横で響いているかのような感覚が心を震わせ続けており、眠るどころか目を瞑る事すら出来なかった。

 軽く外を散歩しようと、着流し姿のまま草鞋を履く。時間は真夜中らしく、煌々と輝く満月が空に君臨している。そのせいか、白い闇に照らされて辺りは明るい。

 外に出た時、縁側に腰掛けて物思いに耽る姉の姿を見た。彼女もまた寝付けなかったのか、木刀の柄に両手を置いて満月を見つけていた。だから声をかけた。

 偶然にも姉弟揃って寝付けなかったらしく、眠気が来るまで月を見ている事になった。

 月明かりが二人を照らす。白い闇に包まれながら、彼女はぼんやりと呟く。

 

『一夏、私はな家族を守れなかった』

『千冬姉?』

『何、そう気にするな。遠い昔の話だよ。もう二度と繰り返さないと決めた昔話だ。……私は昔から誰かに守る事に憧れていた。いや、憧れていただけじゃない。憧れるからこそなろうと思った。そのために力を尽くした』

 

 そう語る彼女の酷く寂しげな姿。美しい切れ目には僅かな影が差している。

 今まで見た事が無いその姿が深く心の底に焼きついた。

 

『それくらい私は家族を愛していた。その願望に叶える奇跡があるのなら、その代償に負けない意思があるのなら、必ず辿り着くだろう。……本気でそう信じ込んでいたよ。だから自分の事を顧みずに真っ直ぐ進んだ。自分が間違っていないと、疑いもしなかった』

 

 ただの小娘なのにな、と付け加えて彼女は力なく笑った。

 その意味を、まだ分からなかった。

 だけどそんな姿は見たくなかった。彼女の背中を追い続けて来たのだから、それが穢れる事を許せなかった。

 

『結局私が感じたのは、無力さと現実の過酷さだ。誰一人守ろうとはしなかった癖に、その力を持っていた癖に、私はただ絶望していたな。……せめて一つでも足掻いていたならその資格はあっただろうに』

『千冬姉は……どう思ってるの?』

『ん、そんなの決まってるだろう。二度目の正直だ。もう二度とあんな真似は繰り返さない。例え私がどうなろうとも、お前だけは守って見せるさ。例え、私自身を守れなくなってもな』

 

 彼女の言う意味は分からない。

 けどその思いは酷く尊かった。その心は美しかった。

 だからこそ、だからこそ彼女が笑顔であってほしい。その幸せが永遠なモノであってほしい。

 

『なら、千冬姉はおれがまもるよ』

『何?』

『千冬姉が守れなかったひとも、千冬姉もみんな、おれがまもってやる』

 

 その言葉の重みを当時はまったく分からなかった。心を抉る事なのか分からなかった。

 守ると言う事がどれだけ悲しく、どれだけ辛い事なのかも知らなかった。

 手段も方法も手順も、何一つ知らぬその言葉。

 ならばせめて、この誓いだけは心に刻もう。

 例えば名前を失おうとも、姿が変貌しようとも、その真っ直ぐな在り方を決して忘れたくはなかったから。

 

『千冬姉は、おれがかならずまもるから』

 

 左手の小指を差し出す。俗にいう指切りげんまん。

 その行動に対し、彼女も笑って左手の小指を差し出した。

 

『約束だよ、千冬姉』

『あぁ、約束だ』

 

 そうして満月の夜に約束を誓った。

 子供のように指を交わして、言葉を告げただけの何の飾りも無い誓い。

 

 

 その誓いが呪いとなったのは、いつからだろうか。

 





 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編三幕目 マインドペイン

 牢屋の中に少年が捕らわれていた。両手両足と首を鎖で拘束され、口元に付けられたベンチュリーマスクからは催眠性のガスが少年へ送られ続けており、意識を混濁させている。

 それでも死を迎えないのは、一重に少年が人外の生命力を得たからであった。そのせいからか、少年は昏睡状態であった訳ではない。ただ意識が朧げなだけである。まるで夢を見ているかのような感覚であった。

 目元は黒い布で縛られていて何も見えはしない。ただ黒しか見えなかった。

 

『お二方、危険です! まだソレは意識が安定していません!』

『心配は不要だ。彼は私達を傷つけない』

『その通り、この子は私達を信じている』

 

 声が聞こえた。いつも聞き慣れた男の声。毎晩、毎晩犯してくる男の声。

 それに加え、今度は二つの声がした。全く聞いた事の無い――否、どこかで聞いた事がある。この響きを知っている。この音色に懐かしさを覚えている。

 突如、ガスが止められマスクが外される。それと同時に意識が僅かに覚醒し、聴覚機能が少しだけ回復した。

 

『君は織斑一夏だね』

『貴方は織斑一夏よ』

 

 頷く。それは変わらない事実であるから、何一つ否定しなかった。

 

『なら何故君はここにいるのか?』

『どうして貴方はここにいるの?』

 

 奥歯を噛み締める。何故、どうしてここにいるのか。それは少年自身が吼えたくて堪らない。

 

『答えられない。それは奪われたからだ』

『答えられない。それは奪われたからよ』

 

 同時に響く声が、少年の奥へと刻まれる。それは事実であった。

 

『寒くて、冷たくて』

『辛くて、寂しくて』

『怖くて、悲しくて』

『震えて、苦しくて』

 

 次々と投げかけられた声が、彼を刻んでいく。

 その言葉は彼の境遇を示していた。彼には何もない事を覚えさせていた。

 

『なら、殺してしまえ』

『なら、潰してしまえ』

 

 ――瞬間、彼の本能へそれが強烈に刻まれた。

 彼の居場所を奪った者を殺せと。何もかも潰してしまえと。

 だがそれがまだ誰であるのか、明確には変わらなかった。

 

『覚える必要は無いな。いずれ分かる』

『覚えなくてもいいわ。いずれ分かる』

 

 それは彼の理性を貫いて、その魂すらも支配した。いずれ分かると。

 ならば記憶には無くとも、魂に刻んでおけば決して忘れることは無い。

 

『では、いずれ会えたら会おう。一夏』

『今度はゆっくり話しましょう。一夏』

 

 そうしてマスクが付けられ、また少年の意識を混濁させた。

 彼を捕縛している研究所が亡国機業によって強襲される前日の夜の出来事であった。

 

 

 

 

 亡国機業は基本的に二つの組織で構成されている。

 まず一つは組織の運営と方針を決める幹部。そして任地に赴き目的を達成する実働部隊だ。前者は本部常駐である事が多く、実働部隊へ指令を出し今後の目的を調整する事が任務である。後者は世界各地に展開されており、亡国機業に属している者の大部分を占めている。

 しかし幹部でありながら実働部隊の役割を兼ねている者も少なからず存在する。例えばスコールやカレンなどがそれに該当するのである。

 現在、スコールが参加しているのは定期的に開かれる幹部会であった。報告する内容としては銀の福音に関する作戦の結果と今後の目的である。

 多くの幹部は本部に居座り、現場を見る事も無くただ淡々と隊員へ指令を出す者が多い。それ故にスコールは異端とされていた。幹部でありながら実働部隊も兼ねる存在などは、例外として見られるからである。

 

「次はスコール殿。報告を」

「はい。まず銀の福音強奪作戦ですが、複数の成果を挙げましたので別々に報告します」

 

 彼女の言葉に周囲から僅かなざわめきが漏れた。元々スコールの率いる部隊は実力の高い者達ばかりで構成されている。特にアインやアルカはその代表例であった。

 故に彼女の部隊が叩きだす成果は他の幹部率いる部隊と比べても顕著である。

 

「まず銀の福音と操縦者であるナターシャ・ファイルスの勧誘に成功、彼女は現在私のチームでエヌと名乗って活動しています。

 そして次に私のチームに大量に配属された新参の者ですがその全員が諜報員である事が明らかになり、それらを全て粛清しました。現在、亡国機業内部に回し者がいる可能性が大きくなっています。

 最後に、隊員の一人がIS開発者である篠ノ之束と定期的にコンタクトを取る事が可能となりました。これで篠ノ之束と接触する事が可能になります。報告は以上です」

 

 一気に幹部会の空気がざわつき始めた。

 軍事用ISの捕獲だけではなく、その操縦者の確保。そして裏切り者の処理。最後にIS開発者である篠ノ之束とコンタクトを取る事が可能になったという事。

 成果としては余りにも多大だ。他の者が真似しよう物ならば、多忙な時間が掛かるであろう事を一度に短期間で成し遂げた。

 幹部会を仕切っていた男が、無音の拍手と共に彼女を見る。

 

「……さすがだな、スコール殿。貴方は本当に部下を使うのが上手い」

「いいえ、それほどでもありません。私の部下が有能なだけですから」

「……しかしそこまでの評価を上げられるのなら、少し位人員をこちらに回しても良いと思うのだがね? それでは成果を独占されているようなものだ」

 

 幹部の内の一人であった女が、訝しげにスコールを見る。その女が言う内容はスコールの部隊でも高い実力を持つ者を寄越せ、と言う事である。

 それが誰であるのか、すぐに察しが付き、同時に彼女の中で怒りと嫌悪感が渦巻き始める。だがそれを制するのもまた、彼女の得意分野であった。

 

「あら、それはただ貴方が無能だからでは? それに私の部下を貴方が仕切るには役不足です」

「……フン」

「ではスコール殿。早速で申し訳ないが次の任務が待っている。内容は極東に赴き、白式を強奪せよ」

「分かりました。任務期限は、こちらで決めてもよろしいでしょうか?」

「無論だ。……白式の強奪後は君達の好きにするといい」

「では白式強奪任務の受理だと判断します。一週間後に極東へ向かい、任務完了もしくは撤退命令が出されるまで駐在する――この手筈で行動します。行動人員は私スコールとその部下全員で出撃する予定です」

「ふむ、了解した。任務の成功を祈っている」

 

 そうしてスコールが報告を終えようとした時、再び妨げる声が響いた。

 

「お待ちください! 何故スコール殿ばかり成果が挙がっているのかについて疑問が――!」

「そんなの、アンタが無能だからに決まってるだろ。さっきスコールがご親切に言ってくれたじゃないか」

 

 足を組んで頬杖をついたカレンが口を挟んだ。彼女にとって幹部会とは暇な物であり、気分によっては出たり出なかったりする。

 ちなみに彼女が幹部会に出るのは数ヶ月ぶりである。それ故に今回の幹部会は波乱ばかりであるのだ。

 

「スコールの所から部下を引き抜きたいなら生身でISを撃墜しろ。それくらいの実力と手段を用意できないなら、アイツらを扱う資格なんてないよ」

「な、生身で兵器の撃墜など人間に出来ると考えているのですか?」

「あぁ、現にアタシが出来たんだ。無敵の兵器でも所詮穴だらけ。その穴を付けない無能に成果など出せんだろうさ」

 

 歯軋りと鼻で笑う声の二つが聞こえた。

 カレンの実力は単独でも非常に高いため、亡国機業内では異例の単独行動が許可されている。そのため、彼女はチームを持たない。行動内容もほとんど独断で決めており、目標も彼女が定めている。

 しかし彼女が挙げる成果は高く、一切のミスも無いため、幹部の中ではかなり地位が高い。スコールと同じく幹部と実働を両立させる最後の一人であった。

 このままでは良知が明かないと判断したのか、男が咳払いをし辺りを鎮静化させる。

 

「他に意見のある者はいないな。――ではこれにて幹部会を閉幕する。各自、それぞれに与えられた任務をこなせ」

 

 

 

 

 幹部会が行われていた高層ビルから、スコールとカレンが降りて来る。宵闇の涼しげな風が、こびり付こうとする臭いを薙ぎ払う。

 二人とも着ているのはダークスーツであり、何も知らぬ人物から見れば完全なキャリアウーマンであった。スコールが率いる五人は、本部の自室で各々の時間を過ごしている事だろう。

 カレンが腕を組んで背筋を伸ばし、大きく欠伸する。

 

「しかし幹部会ってのは相変わらずヒマだね。何度眠くなったコトか。最後まで寝なかったアタシを誉めてほしい気分だ。……まぁ、何回か寝たけど」

「それでもアインの事が出た瞬間、耳を傾ける貴方の姿は中々面白かったわよカレン」

「おいおい、鍛え上げた弟子にいちゃもん付けられたままじゃ、師匠の面目が立たないだろ?」

「まぁ、分からない事ではないわね」

「幹部会なんかよりアンタと話してる方が楽しいねアタシは。……というかアイツらは置いて来てよかったのか?」

「えぇ、すぐに極東に渡る準備をする予定だからその荷物をまとめてもらっているわ」

「ふぅん……ってコトはとうとうアイツの目的が果たされるのか。師としちゃ何ていうか微妙な気分だね」

 

 乾いた笑い声を上げてカレンは笑う。

 既にスコールとカレンの付き合いは長い。少なくとも出会ってから七年以上は経過しているはずだ。その出会いは、互いに死を突き付け合うと言う何とも言えない物であったが。

 アインの鍛錬としてカレンが付けられたのは五年前である。それもカレンの腕を見込んだスコールからの頼みであり、結果として大きく成功であった。訓練でいつも彼女に投げ飛ばされていた少年は、気が付けば一人で傾国する事すら可能とする者となっていた。

 

「貴方も?」

「あぁ、自分の事なら自分で始末をつけるのは当然だけどね。だがアイツはまだ十代のガキだ。そんな事を出来る訳が無い。……まぁ、そのための訓練を施したのはアタシなんだけどさ」

「お互い様よ、私たちは彼の行く先を見届ける事しか出来ないから」

 

 冷たい夜風が、スコールとカレンの頬を撫でた。ふとその雰囲気にカレンは疑問を露わにする。

 ずっと抱き続けていた疑惑を口にした。

 

「……アイツは何の目的で誘拐されたんだ?」

「それは……実験をするためじゃないの? ISに拮抗する力として」

「悪いけど、そいつは有りえない。初めてアイツの訓練に付き合った時、アイツの動きは素人同然だったよ、まだ新兵の方がよく動ける。安全装置の外し方どころか安全装置の意味や場所すら分かってなかった。武器の質と量だけは一人前だったけどね。……本当にISに対する力にするためなら、わざわざ生死の賭けをしてまでコアなんざ埋め込むより、アタシみたいにISを潰せる武装を扱えるヤツを増やした方が効率がいい」

「それは……そうね」

「何より織斑一夏が見つかった時の状態も気になる。確か、そいつだけが廃工場にいたんだろ。……誘拐した事実を明るみに出すためとしか思えない」

 

 カレンの言葉の意味にスコールは首を傾げる。ほんの僅かな時間を要してから、彼女はその内容に気が付いた。

 

「織斑一夏が誘拐されたとする事実が必要だった……?」

「多分、それだ。偽報を流して、死亡したと言う嘘でも流せば救出の手順を踏む必要は無い。いや、そっちの方が手っ取り早いし手間隙もかからない。

 クローンの織斑一夏が、絶対に救出されるようにした。そして救出された方は世界でただ一人ISが扱える男になった、か」

「……何らかの後ろ盾がいるわね」

「あぁ、違いない。人体研究ってのはどっかの小さい民間組織がちまちまと行えるほど安くはないんだ。膨大な研究費と設備、人員――。スコール、確かアンタらが襲撃した組織は廃墟の一角にあった施設だったか?」

「……なるほど、そういう事だったのね」

「あぁ、多分コイツは最初から仕組まれてた事だ。気をつけろよ、スコール。寝首を掻かれないようにね」

「……ありがとうカレン。貴方も気を付けて」

 

 去っていくスコールの後ろ姿をカレンはじっと見送った。

 

「……織斑一夏の抹殺か」

 

 アインは自身の目的をそう言っていた。まるで何者かに刷り込まれたかのように、ただそう呟いていた。繰り出された命令を、ただこなす機械のように。

 その響きに、言いようの無い不信感を抱いて。

 

 

 

「――その織斑一夏は、誰だ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編四幕目 懲罰

 

 

 

 

 極東へと訪れたスコール一行は早速、拠点とするためのホテルへと足を運んでいた。

 “白式強奪”と“織斑一夏の抹殺”の二つが今回の目的であり、極東から撤退するタイミングは本部からの指示である。要するに自己判断での撤退は不可能という事だ。逆に言えば、任務中であっても本部からの判断で撤退命令が下された場合スコール達は即座に従わなければならない。

 長期滞在になる事は確実であり、そのためホテルの一室をスペースとして確保したのである。

 そのホテルはスコールが何度も訪れた事のある施設だ。顧客情報の完全守秘に加え、色褪せないサービスは、彼女にとって絶好の場でもあった。

 

「さて、アインとエムは久しぶりの故郷でしょう? 二人で行ってきなさいな。私たちはここで準備をしておくから満足するまで楽しんで来てね」

「何?」

「えっ?」

 

 アインとマドカの返事は同時だった。それほどまでに彼女の発言が唐突であったという事だ。

 二人にとってここは故郷の土地である。アインは数日前に訪れたばかりだが、マドカは数年ぶりの故郷だ。何より、二人で町を歩いた記憶などと言うのはほとんど無い。

 そんな訳で、せっかく兄妹で来たのだから故郷を楽しんでこいと言う事だろう。彼女達の気づかいは確かに有難い。

 だが逆に言えば彼女達が準備をしていると言うのに、それを差し置いて外出などしていいものなのかと言う疑問が過ぎる。

 

「……」

「私も賛成ですね。お二方は任務以外、ほとんど過ごされた事は無いでしょう」

「同じだ。私たちが準備しとくから行ってこいよ。スコールから言われたなら大丈夫だろ。本部の奴らが口出すんなら叩き潰してやるから安心しな」

「えぇ、そうよ。家族との日々って大切でしょ?」

 

 三人の言葉に、アインは再び思考へと入りかけた意識を抑え込む。

 思考の片隅がまだ僅かに断ろうとするが、それを無理やり押し潰す。

 

「……マドカ、変装してきた方がいい。そのままだと嫌でも注目される」

「あ、あぁ、分かった」

「マドカ様、こちらに。髪のお手入れをします」

「ア、アルカ! 別にそんなのは……!」

「マドカ、せっかくの彼とのお出かけなんだから、お色直しはしっかりして置きなさい」

 

 スコールの言葉に、マドカが言葉に詰まって唸る。

 微笑んだアルカによって、鏡の前に座らされ、髪を手入れされている彼女の姿はまるで年相応の少女だ。

 

「アイン、貴方も着替えてきなさい。二度も更識と接触している上に、取り逃がしているんでしょ?」

「……いや問題ない。牙を向いたのなら圧し折る」

「力尽くし、ね……。カレンから習った体術はどうなの?」

「アルカが相手なら三分は持つ」

 

 アインがカレンから習った体術は、元々彼が身に仕込まれていた古武術を土台にしてより近代的にかつ実戦的に改良させたモノだ。

 ただし身に染み込んでいる古武術本来の使い方は刀剣の所持が前提条件である。エヌとの試合で、アインの動きが刀を持った瞬間に大きく変化したのはそのためであり、彼が最大の力量で戦える条件だ。

 ちなみにアルカなら三分持つと言う発言は、決して冗談ではない。彼女の実力だが、これに関しては最早異常と呼んでもいいからだ。

 とある人物の経験が彼女にフィードバックされている影響か、近接に対しては彼女もまた桁違いの実力を持つため、スコールから戦闘行為は厳禁とされていた。

 本人曰く、軽い掌底一発で全身装甲のISを木っ端微塵に破砕するなど、冗談にもほどがある。挙句の果てには、衝撃砲を掌で再現させたのは一体何の真似だろうか。誰がそこまでやれと言った。

 

「それなら十分ね。もし仮に戦闘を強いられる状況になったなら」

「分かってる。マドカを先に撤退させるつもりだ。彼女に気づかれると後が面倒になる」

「えぇ、それでいいわ。日が暮れる頃までには帰ってきなさい。遅くなると思ったらその前に必ず連絡する事。いいわね?」

 

 スコールはそう言って通信機器の整理を始めた。

 

 

 

 

 

 

 相変わらず照りつける真夏の日差しは、まもなく秋に差し掛かる事など気づかせないのではないかと思わせるほど強い。だが、生憎アインにとってはそんな事を気にする間も無い。今回はマドカがいるため、彼の意識はそこに集中している。

 隣で変装しているマドカの姿はアインからしてみれば酷く新鮮な姿だった。彼女は普段着ですら戦闘を考慮した物にするため、所謂ファッション面では色々と疎い所がある。

しかし、アルカによって整えられた彼女の容姿は大きく変化していた。

 姉である千冬とまったく同じ髪型を意識していたのか、今までは長い髪を後ろで一本に束ねていたが、今はそれをまとめておらずストレートに伸ばしている。

 カラーコンタクトで瞳の色を赤くしており、服装も少女らしい白いワンピースであるため、織斑千冬と似ているところは合っても、その雰囲気で彼女ではないと分かるだろう。おまけに麦藁帽子まであれば、それはもう夏の風物詩と呼んでも過言ではない。

 既に数箇所を回ったところで、時刻は昼を過ぎていた。

 

「……疲れた」

「仕方ない。あれだけ走り回っていれば疲れるに決まってる」

 

 小さく息を吐く彼女の姿に、頬が緩む。

 こうしていると本当に年相応の少女である。彼女も本来ならば青春を謳歌している年頃だろう。だが彼女がいるのは血生臭い闘争の世界である。冷徹な表情ばかりを持つ彼女がこうして笑顔を綻ばせると言うのは、中々に貴重だった。

 心の底に懐かしい温かみを感じながら、アインは帽子越しで彼女の頭を撫でる。やがて彼女も小さく微笑んだ。

 

「あら、奇遇ね」

「!」

「……更識」

 

 聞き覚えのある声。それを忘れる訳が無い。

 その声音に反応し、マドカを後ろに庇いつつ懐に手を入れる。今使用出来る武器と言えばナイフくらいの物だ。後は体術であるが、彼女にとってどこまで通用するか。

 そこまで考えたところでふと、彼女が呆れた表情を浮かべた。

 

「別に今ここで争うってワケじゃないわよ? 町で見かけたら声を掛けるのが普通でしょ。それとも私ってそこまで信用できない?」

「あぁ」

「……即答ね。さすがにそれは傷つくんだけど」

 

 今までのような剣呑な雰囲気は無い。だがこの少女が楯無の名を持つ以上、警戒しなければならないのだ。

 既に何度か接触を重ねており、いつ交戦してもおかしくない人物として彼は警戒を持っていた。

 

「何故ここに?」

「貴方達に会ったのは本当に偶然よ。私達だって買い物目的で来たんだし」

「……」

「……」

「な、何よ?」

 

 楯無の奥、水色の髪をした少女の姿が見える。

 確か彼女は――。

 

「……あぁ、そういう事か。邪魔したな」

「ようやく信じてくれたみたいね。構わないわ、お邪魔したのは私の方だから。それじゃあね。感謝してるわよ」

 

 手を振りながら去る楯無の姿を見送る。

どうやら姉妹での問題は解決したらしい。

 道理で、今までより表情や口調に余裕が見られたのである。その事にどこか安堵を覚えながら、その背中を見送った。

 ちなみに楯無と話している間アインの爪先を、マドカが目立たぬよう踏みつけていた。

 

 

 

 

「まったく、だから兄さんはいつも厄介事に巻き込まれるんだ。……聞いているのか?」

「……聞いてる」

 

 近くのカフェでアイン達は暫しの休憩を取っていた。とは言っても精神をちまちまと削っていく時間を休憩と呼ぶのかはまた別の話である。

 オレンジジュースをちびちびと飲みながら愚痴を溢すマドカの姿に、アインはどう対処すればいいのか困り果てている最中である。スコールやアルカならば一発で静まるのだろうが、彼にはどうすればいいのか分からない。

 

「……ん?」

 

 マドカの声の所々に入る奇妙な唸り声。その発信源が隣の席からだと気づく。

 彼女を手で制すれば、それだけでこちらの思惑を分かってくれるのは有り難い。

 席を立って悩んでいる女性に近づいた。見た目も一般の人と何ら変わりない。

 

「どうかしたのか?」

「えぇ、その事なんだけど――……コレよ、コレだわッ!」

 

 突如立ち上がった女性によって彼女の座っていた椅子が倒れる。

 その勢いのよさに僅かに引いたアインの両手を女性ががっちりと掴んだ。それはもう、掴んだこの手を二度と放さないのでは、と思う程であった。

 

「貴方、バイトしてくれないかしらッ!?」

 

 女性の背後に変なオーラが見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ」

 

 執事服に着替えたアインは呆れた声を出しながら、今はホテルへと帰らせたマドカの事を考えた。せっかくの日を潰した事による罪悪を感じて、彼は溜め息をつく。尤も服装検査には彼女も付き合ってくれたのだから、一応それで手打ちにはなるだろう。

 今のアインの服装は言うなれば執事である。それも見た目ならばかなり上級だ。

 燕尾服に身を包み、首裏にある数字は黒の革バンドで隠している。黒いスラックスは彼の背丈に僅かに合わないが、手首や手足は女性からすれば十分なアピールポイントと言えるだろう。腰元には銀色の懐中時計がチェーンで繋がれており、アクセサリーとして一役買っていた。白い長髪は後ろで一本に束ねており、動きの邪魔にならないようになっている。

 彼の容姿はもう才色兼備な女性と呼んでも過言ではない。至近距離で彼を見るか、声音を聞くかのどちらかしか見抜く方法は無いだろう。

 服装の点検をしてくれた女性曰く完璧らしい。これも彼の性質故にか。

 

「あっ、えっとアインさんですよね?」

 

 声に振り向くと、アインと同じ執事服を身に纏った金髪の少女がいた。男装の麗人――例えるならその一言に尽きる。

 

「……確かシャルロットだったか。よろしく頼む。後、敬語は必要ない」

「分かった。こちらこそよろしくね、それでボクの隣にいるのが……」

「ラウラだ」

 

“ラウラ……。そうか、彼女がカレンの”

 

 銀髪と赤い瞳、堂々とした振る舞いは確かに彼女そっくりだ。

 一つ違うと言えば、カレンのような頼もしさが足りていないと言うところだろうか。

 二人からはISの反応が微細に感じられるが、今回ばかりは度外視していいだろう。せっかくの余暇なのだ。

 

「ちょっとー、三人とも手伝ってくれる?」

 

 その言葉にアインは表情を引き締める。無論、口角は小さく吊り上げており俗に言われる作り笑顔を浮かべていた。これも服装を点検してくれた女性から習った技術である。

 何故こうなったのか、どうしてこんな事をしているのかと言う事は一端置いておいて。アインは電光板に表示された数字の席へと赴いていった。

 

 

 

 

 

 案外自分は意外と適応性があるのかもしれないと、アインは思う。何だかんだであらゆる状況に短時間で慣れるし、そこからもう少し入れ込めば何とかやっていける程度には出来ていくからだ。

 指先でトレイを支え、置いてある空の容器を回収するワゴンへと乗せる。既に何往復かしているが、どの客層がどれほどの時間で店員を必要とするのかを、彼は見抜きつつあった。

 そんな事を考える余裕が生まれているのは、接客と言うのが存外すんなりと行っているからである。と言うものの実際、この喫茶店で動いているのはアインとシャルロット、ラウラの三人であり、他の従業員は三人に見惚れていた。

 彼らの容姿は言う慣ればフィクションから飛び出してきたような物である。特にアインに至ってはそれが顕著であった。とは言っても色々と仕方がない部分もあるのだが。

 目的の席へと歩いていき、腰をかがめる。指導した女性曰く『執事キャラならそれでいけ!』だそうだ。

 

「どうかされましたか?」

「あ、あのっ、すみません。手が勝手に……」

 

 僅かにイラっと来たが、面に出せば台無しである。こういう時ほど勤めて優しく、いつも以上に大らかに対応すべき――と指導した女性は語っていた。片手にいかがわしい雑誌を持っていたが。

 

「では注文をもう一度確認しますね。先ほど、ホットケーキご注文された方は?」

「あ、わ、私ですっ」

「当店特製シロップとハチミツはどちらに致されますか?」

「え、ええと、両方でお願いしますっ」

「かしこまりました。また何かあればお申し付けください」

 

 女性客の見当違いな注文に対応しながらも、アインは作り笑顔で淡々とこなす。対応された女性は頬を赤らめて視線を明後日の方向へ向けていた。

 踵を返し、溜息を吐きたい衝動を抑え込みながら厨房へと足を向ける。

 途端に入店のベルが鳴り、客の来店を告げた。

 今、入り口から最も近いにいるのはアインである。ならば彼が対応しなければならないだろう。

 

「いらっしゃいませ。@クルーズによう……こそ……」

 

 客は五人連れだった。

 金髪の女性が一名、緑髪の女性が一名、黒髪の女性が三名。合計五名。

 外見は余りにも世間離れしており、一度見れば再び目線から逸らせないのではないだろうかと思わせるほど。

 作り笑顔が凍る。彼の頬を一筋の汗が流れる。金髪の女性は、艶めかしい笑みを見せながら彼へ声を掛けた。

 

「あら、意外にも可愛らしい執事さんがいたのね。案内してくれるかしら?」

「……何でここにいる」

「マドカから聞いたのよ。余り早く帰って来たから理由を聞いたら、貴方が一日だけ喫茶店で働く事になったって言ったからわざわざ皆で出向いてあげたってコト」

「……っ!」

 

 心が沸騰する。もし許されるのならば、八つ当たりをかましたい程、意識が炸裂した。

 

「ねぇ、アイン。貴方、以前私に言ったわよね? どんな懲罰でも覚悟するって」

「……あぁ、確かにそう言った。そうは言ったが」

 

 確かに福音の時、作戦行動を無視した事によりアルカに咎められていた。

 懲罰を受けるのは後回しになっていたが、まさかこんなところで扱われるとは一体誰が思うだろうか。

 

「それともアレは嘘だったのかしら? 悲しいわね、まさか私に嘘をつくなんて」

「……」

「ではお席に案内してくださる?」

「こ、こちらにどうぞ……」

 

 アインの顔は赤くなっており、それは恥ずかしさから来る物だった。言うならば幼き日々の至りを大声で読まれたような感じである。

 突如としてぎこちない動作になっていた事にすら気づいておらず、その事にスコール達は笑みを漏らす。

 

「アイン様、手と足が同時に動いていますよ」

「わ、分かってる……。何も言わないでくれ」

 

 すらすらとこなせていたはずの動作が良く分からなくなってくる。

 表面上は何とか取り繕っているが、アインの心はかつてない程に錯乱していた。

 

 

 

 

 

 無事にスコール達を席まで案内する事が出来た。それに反して、精神は既に大きく疲弊している。

 何かもうここで倒れていいかもしれない。そろそろ自分に素直になろう。

 シャルロットかラウラの二人に代わってもらおうと、アインが重たい足を動かした時、荒々しく入店のベルが響いた。

 

「おら、騒ぐんじゃねぇ!」

 

 銃声が響く。彼が聞き慣れた非日常の音。それはまず間違ってもこちら側へ持ち込んではならない。

 硝煙の臭いがアインに闘争の香りを呼び覚ます。彼の五感と本能が戦闘へと移行する。

 ちらりとスコールに目を向けると“好きにやっちゃいなさい”というジェスチャーが返って来る。

 仕方が無い、と言ったように彼は呆れた笑みを溢して、三人の男に近づいていった。

 カツカツと乾いた足音を立てながら、彼が歩み寄る。懐中時計に視線を向けるその姿勢は男達を物ともしない。その全く無防備な挙動に男達が眉を顰める。

 

「ん、何だテメェ。コイツが見えねぇのか?」

 

 男の一人が手に持ったショットガンを近づいたアインに突きつける。彼の眉間へ銃口が密着する。

 だが生憎、彼に並みの銃器は通用しない。強化装甲にも等しいその皮膚に、ただの鉛弾など効く通りもない。

 だがその事をこの男達が知るはずも無く、結果としてその代償を払わされる結果となった。

 懐中時計が閉じられる。彼がそれをポケットへとしまった。

 

「見えているさ」

「――あ?」

 

 アインの姿が掻き消える。否、彼がただ早い速度で腰を屈めただけの事。右足の踵が蹴り上げられ、ショットガンの銃身へと直撃する。

 蹴り上げられた銃口は、男の手を離れて宙を舞う。持ち主が目を捉われている間にアインはその懐へと潜り込んでいた。

 気配を極限にまで殺したまま、近づく。狙うは左腕と頭。そこへ手をかけて、地面に引き摺り倒す。

 強烈な打音と共に男が気絶した。鼻は折れただろうがそれで済んだのなら安い物だ。

 主を失ったショットガンが虚しい音を立てて地面に落ちる。

 

「まだやるか?」

「テメェ!」

 

 男の一人が拳銃を引き抜く。容赦なく引かれるトリガー。それと同時に迫る発砲音。

 放たれた銃弾をアインの手が掠め取る。握り締められた彼の両手が開かれると握りつぶされた弾丸が地面に落ちてカランと枯れた音を立てる。

 ちなみに余談ではあるが、カレンもまたアインと似たような事が可能だ。彼女の弟子ならば出来て当然である――らしい。

 

「な、なっ」

「さて」

 

 懐中時計を開き、時間を確かめる。別段、この動作に深い意味は無く、ただ単に挑発の一種である。

 三人いた男のうち、一人はアインが沈め、もう一人はあの少女二人が沈めたらしい。

 既に店内で声を挙げている男は彼一人であり、最早制圧される事は時間の問題だった。

 

「こ、こうなったら最後の手段だ!」

 

 男が体の下にあるジャケットを大衆に見えるようにして広げる。

 その体に巻きつけられているのは大量の爆薬だ。

 ――少なくとも、セロハンテープとかガムテープとか木工用ボンドとか安っぽく見えるのは気のせいであってほしい。

 

「この店もろともぶっ飛ばしてやらぁ!」

 

 男がその場の全員に見えるようにして掲げた起爆装置。よくある押しボタン式のタイプである。

 呆れたように苦笑して、アインは先ほどホットケーキを配った女性の席からナイフを二本、手に取る。

 

「失礼」

 

 一本を全力で投擲し、スイッチごと壁へと縫い止める。その余りの光景に男が膝を震えさせながら、地面へと崩れ落ちた。

 

「……よく起爆しないわね」

「慣れだ」

 

 どこからか聞き覚えのある声にそっけなく返す。

 ちなみにカレンが全力でナイフを投擲すれば、男の腕ごともぎ取って、壁に突き刺さっていたに違いない。あの人、絶対人間やめてる。

 既に男達の武器や起爆装置も無力化した今、まもなく機動隊がこの場に駆けつけてくるだろう。生憎、アインは根掘り葉掘り聞かれても良い人物ではない。

 再度、気配を殺し足音を鎮める。この場から抜け出すには、厨房を抜けるのが最適だろう。

 空気に紛れるようにして、彼はその場から移動を開始した。

 

 

 

 

 ホテルの部屋に帰りついたアインは近くにあったソファに座り、息を吐き出す。@クルーズからホテルまでは三十分の時間を要した。今の彼の服装は白いロングコートであり、執事服は苦い思い出と共にロッカーへ投げつけて来た。

 クッキーを口にしたスコールが微笑みながらアインに目を向ける。

 

「あら、お帰りアイン。一日だけの執事はどうだった?」

「……案外悪くなかったな。だが、来るならせめて一言言ってからにしてくれ」

「フフッ、顔を真っ赤にしてた貴方、とても可愛かったわよ」

「……うるさい」

 

 そんな言葉も今の彼が言っては不貞腐れた文句にしかならない。

 アインへ袋が投げられた。それを手に取り、中身を見ると焼き菓子が数個包装されている。

 

「迷惑代わりに店で配られてたクッキーだとさ。食ってみたが、中々に上手かったぜ」

 

 オータムから投げられたのはクッキーが入った小さな袋だった。

 そういえば菓子類などほとんど口にした事が無かったな、と今更のように思い出す。

 

「えぇ、アメリカの方でも中々食べられない味だったわ。勿体無いわよ、アイン」

 

 おいしそうに頬張るマドカや談笑しているエヌとオータムの姿と、室内に漂う匂いの興味をそそられ袋を開けて、中に入っていたクッキーを一つ齧る。

 それはほんのりと甘い味だった。日常の感覚もたまには悪くない。

 

“……たまにはこんな日も悪くないか”

 

 

 

 

「……ん?」

 

 カレンは携帯にデータが送信されているのを見て、内容を確認する。少なくとも任務の急用などは無いし、あるとすれば数少ない友人からだろう。

 見ればスコールからのメールであった。写真を圧縮したデータが添付されている。

 

『これを取った時の写真、中々楽しかったわよ。今度帰ってきた時頼んでみたら?』

「?」

 

 何の覚悟もないまま、カレンはそのデータを展開して、見事に噴き出した。

 そのデータはアインが執事服を着て接客しているのを撮影しているデータである。それも様々な角度から撮影した写真が数枚。

 それも視点が違う所から見れば、様々な人物が撮影したのだろう。

 カレンの心の底から何かが込み上げてくる。

 

「くくっ、あははっ。あの馬鹿弟子がこんな事を? アイツにも遊び心ってモンがあったのか!」

 

 腹を抱えて笑う彼女の姿は、到底軍人らしい物には見えなかった。

 珍しく息切れを起こしたまま、スコールから送られてきた写真をよく見てみると遠くの方で覆面の男の腹に跳び蹴りを食らわしている銀髪の少女の姿が写っていた。

 

「……ははっ、本当に憎いコトしてくれるじゃないかスコール」

 

 その写真をデータに保存して、カレンは壁にもたれかかる。

 彼女の頬に一筋の涙が流れていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダウンフォール

 

 

 ホテルの一室で、アインは出撃のための準備を整えていた。並べた銃器へ次々と弾薬を装填し、安全装置の解除を確認する。

 その数はガンマニア顔負けの量であり、カレンはその様を“歩く武器庫”と言う表現でからかっていた。

 今回の亡国機業の作戦はIS学園への潜入任務であり、アインは間違いなく出撃する。運よく回れば、その一回で全てに決着が着くだろう。だがその一回はまず来ない。少なくとも彼はそう思っていた。

 

「さて、まず今回の学園祭に忍び込むためには人数を減らす必要があるわね、さすがに潜入任務だから大人数でいけるわけじゃないわ。作戦要員はアインを確定として、オータム。貴方も行って頂戴」

「私が?」

「この中じゃ、貴方が一番アインと上手く連携が取れてるのよ。それに貴方のISは大体のISに対して優勢に立てる。マドカやエヌは派手だし、アルカは間違って殺しちゃう可能性もある。それに彼女、学園の方で捜索されているみたいよ。下手に出さない方が賢明ね」

 

 オータムのISであるアラクネは多機能装甲である八本の装甲脚が特徴的である。攻撃や防御にそれらを別々に扱う事によって、臨機応変な対応が出来るのだ。

 そしてそれが意外な事にアインとの連携が取れており、相性が抜群にいい。アインもまた遠中近の間合いを得意とするため、オータムと攻守を組み合わせて動く事が出来る。

 学園側にも亡国機業の話は漏れていないだろう。それであれば、投入するのは二人で事足りる。

 

「要するに、私が白式を奪えば後はどうこうしようが勝手ってコトだな、スコール」

「えぇ、だけどトドメはきちんとアインに刺させなさい」

「侵入はどうする? 以前のような変装はもう使えない」

「問題ないわ。エヌからその解決策は貰ってるから」

 

 聞いた話によるとエヌは何度かIS学園に訪れた事があるらしく、各地の施設の内部を頭に叩き込んでいるらしい。要するに彼女はどのようにすれば学園に上手く侵入出来るかを熟知しているのだ。

 オータムには巻紙礼子と言う名前の入った名刺が渡されている。

 注視してみるとISに関しての武装開発を担当している偽装の情報であり、これに関してはアルカの独断場であった。

 

「アルカお手製よ。いざという時は閃光玉にもなるから上手く使いなさい」

「……」

「アインには外部から潜入してもらう事になるわ。学園祭の間、周辺の海域を学園のISが巡回しているから、船からのルートは無理よ。校門に着いたらコレを付けなさい」

 

 アインに手渡されたのは、小さな機械だった。以前にも篠ノ之束が同じような物をつけていたのを思い出す。

 渡されたのが何であるのかを瞬時に気づき、彼は小さく声を挙げた。

 

「光学迷彩?」

「えぇ、でも体に対する負担が非常に大きいからせいぜい十秒が限界ね。それ以上の時間が過ぎたら永続的なダメージが残る可能性が高い。だから自動的に壊れるようにしてあるわ」

「……潜入専用か」

「コレが事前に潜り込ませておいた諜報員からの書類ね。さすがに詳細までは無理だったらしいけど」

 

 渡された紙はどうやら学園祭のプログラムらしい。出し物の場所から時間まで細かく書き込まれている。場所や時間による人の移り変わりなどを、例年のデータから大幅に予測してくれているのは非常に有難い。

 しかし、値段や注目している女子までは不要である。誰がそこまでやれと言った。

 

「それに目標のクラスはメイド喫茶をするそうよ?」

「……やめてくれ」

 

 夏の悪夢が甦り、アインは体を震わせる。

 もう二度とあんな経験はしたくない。

 

「アイン様、万が一の時に備え任務撤退の時はコアネットワークで連絡を下さい。私とエム様が撤退までの応援に駆けつける手筈ですので。くれぐれも更識には注意を」

「あぁ、今度は会話無しでの交戦になる。オータム、更識が出た場合はオレが対処する。お前のISはリミッターが掛けられてる以上、迂闊に迎撃へ回せない」

 

 今、アラクネにはリミッターが掛けられている。本来なら八本を自由自在に動かせるはずの装甲脚は、リミッターに掛けられれば四本までしか動かせない。

 理由は言うまでも無く、織斑一夏と交戦する時に手加減を間違えて彼を殺してしまうのを防ぐためだ。

 

「分かってる。アイン、準備が出来たなら例のモノレールの前に集合な」

「あぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園の学園祭で招待される、もしくは訪れる人間の数は余りにも異常だ。各国が名人を挙って出したがるのだが無理も無いだろう。

 人工島そのものが学園として機能しているため、多くの人物を収容できるのが救いだろう。もしも普通の学園規模なら人が溢れていたに違いないだろうし、海に落ちていたかもしれない。

 黒髪のウィッグをつけて、私服による変装を行っているアインはコアネットワークを通してオータムと連絡を取り合っている。

 機器を利用してからの通信では、傍受される危険性が高いからだ。

 

「オータム、どうだ」

『……あのクソガキ、私の事を無視しやがった。マジで許せねぇ、あの野郎……!』

「……」

 

 パンフレットに目を通すと、観客参加型の催し物がある。

 第四アリーナで行われる生徒会主催の演劇。生徒会――彼女が絡んでいると見て間違いない。

 

「オータム、いっその事学園側の挑発に乗ってみるのは?」

『……観客参加型の演劇の事ならやめといた方がいいぜ。恐らく更識がお前を誘い出すために用意した罠に違いない』

「問題ない。来るなら叩き潰す。オータム、オレが更識を抑えている間にやれるか?」

『ハッ、私を誰だと思ってる? 亡国機業が一人、オータム様だ』

 

 アインはオータムの性格を気に入っていた。

 彼女はプライドこそ高いが、彼女自身が認めた人物には対等に接してくれる。

 最初の頃は罵声も浴びせられたりしたが、同じ任務を行った時彼女を庇って負傷した事がある。それ以降彼女はアインを対等な存在として認めてくれた。

 彼女の仲間意識は非常に強い。例えどんな状況でもあっても仲間を見捨てたりはしない。

 言葉遣いやプライドの高さのせいで誤解されやすいが、忠に溢れる騎士のような人柄なのだ。

 以前、亡国機業内でスコールの陰口を叩いていた者を殴り倒したと言う噂が彼女の在り方を物語っている。

 そんな彼女の在り方がアインにとって好ましかった。

 

「分かった。挑発に乗るぞ。オータム、第四アリーナへ潜入する。幸い光学迷彩はまだ数秒程度なら使えるから先に向かう」

『分かった、無茶すんなよアイン』

「お前こそ」

 

 

 

 

 アリーナで行われている劇のおかげか、アインとオータムの潜入はまったくと言っていいほど気づかれずに済んだ。

 現在は織斑一夏があちこちを逃げ回っている頃であり、適当なところでオータムが更衣室に連れて行き、そこで白式を強奪すると言う流れである。

 その際に交戦の可能性が否定できないため、誰かが駆けつけてくる事も有り得る。その間はアインが扉を死守するという手筈になっていた。

 

『オーケーだ。今から白式強奪のための交戦に移る。しっかりと守ってくれよ』

「了解した」

 

 更衣室の内部から響く金属音と銃声。

 確かによく耳を澄ましていれば気づくだろう。せめて外部で行われている喧騒でこの争いの音が掻き消されれば言う事はないのだが。

 だがアインが戦わない選択肢は有り得ない。今回の作戦に置いて彼は一つだけ気づいている事がある。

 今回の作戦では、一筋縄ではいかぬ戦闘が必ず存在する。彼はそう踏んでいた。根拠も理由も無い、直感だけを当てにした答え。それを疑いもしなければ値踏みもしない。

 師の言葉が今の彼を作り上げている。元々彼女とは何の繋がりも無い。たまたま師弟として出会っただけ。

 だからこそ信じられる。掛け値なしの技術と知識を与え、魂を教えてくれた彼女だから。

 

“お前の魂を信じろ”

 

 かつての言葉が脳裏に反芻する。まもなく邂逅の時が来る。互いの命を貪るべく、刃を交える時が来る。

 何者が入ってくる足音。その音が誰であるのかを疑う事無く、彼はただ振り返る。

 

「――」

「――」

 

 更識楯無。

 扇子は腰にぶら下げているが、その気配は今までとは全く違う。戦場に向かう戦士その物だ。冗談や余裕などどこにも介在すらしない。だがアインもまたかつてない程に力が篭っていた。力を振りかざす者達を前にしていた時とは違う感覚。彼女は力を文字通り使いこなすことが出来る存在。それ故に今の彼は戦闘の事だけにしか動かない。しかしそれは楯無もまた同様である。

 二人は静かに対峙する。最早言葉など不要。感じるのは殺気と殺意。殺し殺されあう覚悟。その二つが入り乱れあう。もし何も知らぬ常人が入るのならば息苦しささえ感じるであろうその空気を、二人は当然のように受け入れていた。

 今彼らがいる通路は更衣室の前だが、戦えるスペースは十分。間合いは十メートルほど。情報は前持った機体と武装のみ、だが相手側もそれは同じ。ならば後は命を交える事で、推し量るしかあるまい。

 アインの左手が短機関銃―キャレコ―を発現させ、照準を合わせる。彼女達のために場を守りぬくと言う執念だけを、その瞳に込めて。

 楯無の両手にガトリングランスが発現し、構える。生徒達のために彼を捕縛すると言う目的だけを、その瞳に込めて。

 銃声が鳴り響き、足が地面を弾く。

 その音は、戦いを告げる音だった。

 

 

 

 

 IS学園理事長、轡木十蔵はふと電話がバイブレーションを起こしている事に気が付いた。

 柔和な笑みを常に浮かべるその口元は、宛名を見ても揺るぎすらしない。

 慣れた手つきで子機を手にし、小さく微笑する。

 

「久しぶりですね、最後に出会ったのは何年前でしょうか?」

『はっ、覚えてる癖によく言うよ。アンタもそろそろ大概な年頃だろうに』

 

 轡木十蔵と言う男の過去は不明である。何故、男性である彼が女性しか入学できないはずの理事長の座へ着いているのか。誰もその事に対して異議を唱えようとしないのか。

 簡単な事である。彼とて、ただ徒に年だけを重ねて来た壮年ではない。――たったそれだけの事。

 

「えぇ、そうかもしれません。ところで、何故貴方が? ……あぁ、そういう事ですか」

『あぁ、そうだ。アタシが鍛えた弟子がようやくアンタにお披露目出来る。もうとっくにそこに潜り込んでおっぱじめてるはずだ』

「……中々肝の据わった人物のようですね」

『当たり前だろ、何せアイツはただの……っと、こりゃいけない。ついつい、口を滑らせたくなる』

「分かりますよ。貴方の声がすごく弾んでいますから」

『……あー、アンタのそういう所も変わらないね』

 

 僅かな沈黙が続く。

 そして、彼の耳に僅かな異変の音が響く。常人には聞こえない、余程の戦闘経験を積んだ者でなければ、風の音に掻き消されるであろう程の微細な音。

 

「そういえば、ある人から聞きました。一度、IS学園内部で取り逃がしてしまった少年がいると」

『そういえば、アイツから聞いたよ。IS学園には非常識すら退ける最強が存在するってさ』

 

 その言葉に、笑みが零れる。

 轡木十蔵は立ち上がる。彼の心に湧き上がる思いは、燃え盛るような歓喜であった。

 子機の先にいるであろう彼女。その彼女が鍛え上げた弟子。

 轡木としては何の心配も無い。未来を駆ける者達が全力でぶつかり合い、己の存在を更なる極限へと練り上げる。

 それこそが轡木の願う世界だ。安寧は成長と共に訪れる。停滞に平穏など存在しない。

 

『最強の矛と盾じゃあ、ケリは付かない。だがアイツに盾なんざ存在しない』

「えぇ、彼女にも盾などありませんよ。最強の矛と矛――それがぶつかり合ったら、どうなりますかね」

 

 轡木の言葉に、電話先の女は小さく笑った。

 

『いや――何もないさ。ただ死ぬか、生きるかだ』

 

 

 

 

 

 

 

 元々、アインは更識楯無を銃だけで仕留められると思っていない。一度、交戦した時、自身の得物をある程度見せびらかしてしまったため、対策は間違いなく練られている。

 彼女を相手取るならば、彼もまた相応の準備を整える必要があった。

 以前交戦した時には、楯無側はほとんど初見であり、アインへの対策を十全に講じる事が出来なかった。もっと言うならば、対策を講じ技量を積む時間など無かったのだ。

だが、あの時より数ヶ月が経過した今、楯無の経験はキャレコから撃ち出される銃弾を見切る事が出来るほど研ぎ澄まされている。彼女もまたアインと同様に、鍛錬を積んでいたのだ。

 どちらも外見こそ人の形ではあるが、中身は最早別物。ただ相手を全力で叩き伏せる事しか考えない機械である。

 既に間合いは四メートルにまで詰められていた。数十発と放たれる弾丸は、全て床か壁へめり込むだけ。全て躱されたが、逆に言えば牽制としては十分。

 武器を切り替える。キャレコを圧縮、ナイフを展開。両者が距離を詰める。

 互いに遠距離での猛威を振るう銃から、近接武器を使った白兵戦へと勝負を持ち込む覚悟であった。アインは白光の弾丸と紫電の刃身を全て楯無へと振るう事に決めていた。彼女を、持ちうる限りの手段で打倒する相手と断じていた。

 振るわれたナイフと、槍が鎬を削りあい、摩擦の火花を散らす。

 殺意がすれ違う。生と死が交錯する。時間が刹那にまで引き延ばされ、意識をさらにその先へと進めていく。

 背後を向けた瞬間、槍の穂先がアインに向けられる。槍のリーチを活かした、反撃。ほぼノーモーションで放たれる其れは、残像すら霞む程の速度だった。それを彼は直感で判断した。視認では間に合わない。そう感じた上での行動だった。

 避ける時間は無い。弾く猶予も無い。――だからと言って、ただ喰らうだけでは彼自身が許さない。

 アインはそのまま体を前転させる。常人ならば、その瞬間に重力によって全身の筋肉と臓器が悲鳴を挙げていたに違いない。だが彼の判断力は、最早人間に出来る動きと言うのを度外視していた。全身の痛みなど、今の彼には感じる暇すらいない。

 無茶な体勢からかかとでの強引な蹴り上げ。不意打ちの一撃に楯無の動きが僅かに止まる。

 隙を見計らい、左手のナイフを投擲。しかし弾かれる。

 だがまだ、切り札は無数に残っている。数々の武装とそれらを手足同然に扱える技術、そして卓越した身体能力こそがアインの強みであった。彼女達がいなければ、彼はこうして戦場に立つ事すら適わなかっただろう。言うなれば、彼は負ける事が許されない。彼の敗北は彼女達の敗北を意味する。

 床へ着地を取り、右手に刀を発現させる。紫電を纏う白刃が狙うは一撃必殺。

 振り向き様に放たれる一閃。霞を断つその一撃を、楯無は槍でかろうじて受け止めたが、その威力まで殺しきれず、その両足は地面に長い平行線を刻んだ。

 彼女の視線はアインが持つ刀に注がれている。交錯の一撃で、楯無はその脅威を捉えていた。その刃が、人々の常識に当てはまらない例外である事を見抜いていた。

 

「――」

「――」

 

 言葉など不要。あるのは力だけ。その心に恐怖はない。

 互いに再度、疾走する。数歩の移動、それと共に掻き鳴らされる剣戟。

刀と槍が激しく打ち鳴らされる。剣戟の音が室内に木霊する。それはまるで、警鐘の如き早鐘を打ちながら、更なる加速を遂げていく。

 

“嘘、銃撃まで防いでる!?”

 

 楯無の槍は内部に銃のような機構が仕込まれており、発砲も可能である。それならばアインの持つ刀とはそれで大きな差が生まれると楯無は思っていた。

 だがその銃撃を、彼は悉く防ぐ。弾丸を斬り捨てる太刀筋は残光すら見えない。まるで彼だけが倍速で動いているのではないのか、と思わせるほど。

 しかし、そこで彼に手加減されていると理解する。彼が本気なら、既に楯無はあの刃に貫かれているはずだ。ならば、彼女が勝利を手にするには、その手加減に漬け込むしかない。

 穂先を逸らし、楯無は距離を取る。まず刀を持たせた状態では近接戦闘に勝ち目は無い。遠距離でも同様だ。彼の持つ無数の銃器には限りが見えない。

 彼の眼光は楯無の一挙一動を全て捕えようと動いている。

 

“だったら――!”

 

 楯無の槍の先がアインの真上を銃撃する。そこは天井であり、穿つ弾丸は壁すら貫いてその深部へと到達する。結果としてスプリンクラーが破裂し、水が撒き散らされた。

 

「……」

 

 突如、周囲が霧で覆われ見えなくなる。アインの五感を以ってしてでも、感じ取れない。恐らく、楯無のISによる力だろう。彼女のISはナノマシンと連動し、水を操ると言われている。

 刀を右手に握り締めたまま、左手にショットガンを展開させる。近寄らば斬り、遠ければ撃ち抜く。ただそれだけ。

 やがて何かが水溜りを歩くような音が響いた。距離は遠い。だが確実に何かいる。

 

「――!」

 

 踵を返すと同時に、刀による一閃。左下から右上へと刃を走らせる逆袈裟斬り。その一撃は、水滴を弾きその奥にいた術者を露わにする。楯無もまた彼と同じ体勢で槍を振り抜いていた。水鏡は砕かれ、再び現実が邂逅する。

 切断された水のベールは、儚い水飛沫となって床へと零れ落ちていく。互いの視線が、その体を捉えた。

 その隙を逃さず、アインが左手のショットガンで狙う。既に、弾丸は放たれているが楯無は再度、水の壁を前方に展開する。無数の弾丸を全て防ぎ切った。彼が使用するショットガンは、ソードオフと対IS用のカスタマイズが施された兵器である。しかし零距離に近い間合いからの発砲を無力化したと言う事実は、少なからずアインに驚異を抱かせる。

 エジョクションポートから空の薬莢が排出される。しかし、それに構う事無く彼は水の壁へショットガンを乱射する。本来の銃器と人間では不可能な動きだが、そんな事を彼はいとも容易く捻じ曲げてしまう。

 だがそれでも崩れない。そこで彼はようやく次の連撃へと移行する。ショットガンを圧縮し、刀を鞘に納める。その両手にナイフを展開。

 瞬間――反撃とも言わんばかりに、水の壁を破って槍が突出する。その穂先を蹴って彼はさらに跳躍し、水の壁へナイフを振るった。

 両手による交差斬り、その一撃は鉄壁の守りを誇っていたそれをあっさりと破り捨てる。

 瞬く間に楯無が再度、反撃へと移行する。槍を振るいながら彼から距離を取るべく背後へと跳ぶ。 アインもまた穂先を蹴って、彼女から距離を取った。

 

「……」

 

 再度、現れる白い霧。確かに時間稼ぎならば、楯無が圧倒的に優位だ。

 アインはナイフを圧縮し、右手にタンフォリオ・ラプターを現す。次の一瞬で勝負を決めるつもりであった。左手にはナイフが握られていて、既に近距離での戦闘へと入っていた。

 

「――」

 

 動きは無い。ただ水の滴る音だけが静かに響く。

 その刹那、アインが動く。

 殺戮を振りまく銃口を背後へ向けた時、霧から現れた彼女の両手から槍は消えうせていた。すなわちそれはIS武装の解除だ。彼にはその意味を咄嗟に理解する事ができなかった。

 僅かな時間――それが勝敗の行方を左右する。相手から盗み取った時間を、楯無は逃さない。力を蓄えた掌を構える。掌底による急所への強烈な一撃。それこそが楯無の狙い。

 これで終わりだと、彼女が不適に微笑んだ。幾度となく掴んできた勝利の手応えが、彼女の心に存在する。しかし勝利を確信した今の彼女が知る由も無い。

 最善だと思っていた策が、自身の失態を晒すだけの愚策なのだと。

彼を捕縛するならば、IS武装を解除するべきなどではなかった。否、そもそもIS武装だけで近接戦闘に持ち込むべきではなかった。

 打ち込んだ瞬間、楯無の両手を凄まじい痺れが襲う。その感覚が彼女の全てを鈍らせた。

 この痺れは例えるなら、硬い物を渾身の力で殴打した時と似ている。

 

「ッ!?」

 

 続けざまの驚愕を楯無は味わわされる破目となる。

 衝撃から回復したアインが彼女の懐へと潜り込む。手首を握られた瞬間、彼女の体は空中へと舞う。その瞬間、楯無は見えた。彼の首裏に刻まれている生々しい数字が、網膜へと焼き付くう。

 投げ飛ばされた――その予備動作、その動きを楯無は知っていた。

 あれはどこで――そうだ、織斑一夏(・・・・)と手合わせした時では。

 投げ飛ばされた時、彼の首裏にあったあの数字は一体何なのか。

 疑問が渦巻く楯無の眼前に銃口が突きつけられる。

 その瞳に躊躇いは無い。指が引き金へ滑り込む。

 そこでようやく楯無は、目の前にある現状を把握した。反撃は間に合わない。だからと言って、ここで容易に殺されてやるわけにはいかない。

 悪あがきの動きへ移ろうとした時、別のところから響いた銃撃がアインを襲う。

 彼が予想外の不意打ちにその場から飛び退き、両手に拳銃を展開する。その隙に楯無が更衣室へと飛び込んだ。

 迫る弾丸を放つ弾丸で、相殺しながら彼は舌打ちする。

 

「……」

 

 結局、弾丸は何発か被弾したらしく体の節々に僅かな痛みがある。しかし彼にとっては十分度外視出来るレベルだ。

 ボロボロになった私服を見て、アインは銃撃者へと視線を走らせる。

 彼の眼前にいたのは、黄色い機体のIS。

 通称ラファール・リヴァイブ。操縦者はシャルロット・デュノア。

 彼女は両手に機関銃を持っているが、その威力はアインを前にしてまったくの無意味だった。   元々、セーフティが掛けられていたのかそれともただ単純に威力不足だったのか。

 瞠目する彼女の姿を、アインの紅き双眸が見据える。彼女は彼をどこで見た事があると気づいたのか、声を挙げる。

 だからと言って、彼に手加減してやる余裕が出来たわけではない。ただ自身に出来る事をするだけだ。

 

「貴方は……!」

「この貸しは高く付くぞ、デュノア」

 

 数々のISを屠ってきた死神の銃口が、疾風に牙を向けた。

 

 

 

 

 

 

 オータムの心を支配しているのはありえるはずのない可能性だ。織斑一夏の白式を強奪する上で一番の枷になるであろう存在――それが更識楯無だった。彼女はアインが足止めする役割になっていた。

 しかしその楯無がオータムの前にいるという事は、アインに何らかの問題が起きたという事である。

 彼が敗北したなどと言う事はあり得ない。そんな事は断じて認めない。

 

「ガキが、面倒くせぇ動きしやがる……!」

「あらあら、そっくりお返しするわ」

 

 リミッターによって限定された操作でオータムは楯無の猛攻を防いでいた。

 上手く行けば何とか撤退までの時間は稼げるだろう。ただしそれはアインがいるという前提条件の話である。

 彼の敗北など、作戦から度外視されていた。コア・ネットワークを介しての通信は、今のオータムでは行える余裕が無い。

 

「悪いけど、こっちも用事があるのよ。というわけで大人しく捕まってくれないかしら?」

「ほざけ!」

 

 薙ぎ払われた槍を飛びのいて避ける。彼女自体の動きは見切った。これならば十分、反撃に移る事が出来る。

 反撃に装甲脚から射撃しようとした時、楯無の不適な笑みが映った。

 

「ねぇ、ところでこの部屋、異様に暑くないかしら?」

 

 本能で危険を察したオータムが防御体勢を取る。

 その瞬間、彼女の総身は爆発に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 突如、感じた殺気。それは場を覆すには十分な感覚だった。

 楯無が槍で飛来した物を弾く。

 それはナイフだった。彼女も先ほど見たばかりで、水の壁を容易く切り裂いた刃。

 弾かれたナイフは宙を何度も回転しながら、爆発した箇所の手前へと突き刺さる。

 彼女の知る限り、先ほどまで戦っていた相手はナイフを使っていない。

 ならばその前の相手は――だとすればそれを抑えていた少女は――。

 

「嘘……! 生身で……?」

 

 オータムの目の前に、先ほど交戦した少年が立っていた。長い白髪から水滴が静かに滴っている。

 恐らく彼女を庇ったのだろう。焦げている地面の真上で彼は平然としていたからである。否、平然とではない。僅かだが息を荒げており、楯無の一撃は彼に確かなダメージを与えていたという事だ。だがそれでも、楯無の望んでいたダメージよりは遥かに小さい。

 IS武装がほとんど効かない事とISが倒されたと言う二つの事実に、楯無は瞠目した。

 そして彼女は自身が軽く震えている事に気づく。

 今まで感じたほどの無い強い殺意が少年から溢れている。例えどこにいようとも、必ず見つけ出して殺す――そう言わんばかりの殺意だった。

 その矛先は彼女に向けられているのではない。彼女の背後にいる少年、織斑一夏に注がれていた。

 

「……退くぞ。この爆発で気づかれた」

「お前、私を庇って……!?」

 

 彼が床に刺さったナイフを拾い、何かを投げつける。それは煙を巻き上げながら転がる手榴弾だった。おまけに電子系統の機器に対する微弱な妨害電子も含まれている。

 煙幕に紛れて逃げるつもりだろう。女はまだしも、彼だけは確実に仕留めておく必要があった。

 逃がさないと楯無が槍を構えた時、少年の手から突如、銃が出現する。射殺さんばかりの眼光が体を支配する。強烈な憎悪――楯無は何度か感じて来た事があるが、彼が放つのは別格だ。

容赦なく引鉄が引かれ、その凶器から火線が放たれた。

 狙いは――織斑一夏だ。

 

「っ!」

 

 追跡を中断し、一夏を守るようにして弾丸を弾く。楯無は本能的に二度振るっていた。一夏の眉間と左胸部――すなわち脳と心臓の二つ。槍を振るえば、手応えはどちらも感じられる。その事実が、 僅かに楯無を畏怖させる。彼はあの一瞬で、二度引鉄を引き、二か所の急所を狙ったのだ。

 眼前に視線を這わせるが、煙幕で何も見えない。煙幕が晴れた頃には、二人の姿は忽然と消えていた。

 

「楯無さん、今のは……」

「亡国機業よ、一夏君。これが取り返した白式のコアだけど後で返すわ。急がないとシャルロットちゃんが……!」

 

 その言葉に一夏が体を引き摺りながら外の通路に出る。そこには体中の至るところを負傷したシャルロットが倒れていた。床に広がる水溜まりの所々が赤く染まっている。

 破壊されたIS武装の部品、そしてあちこちの壁面に刻まれた弾痕と彼女の太腿にあった深い刺し傷がその身に何が起きたのかを示していた。

 ただ一つ奇妙なのは、彼女の周りに誰もいないと言うのに、何故彼女に包帯が巻かれているのかと言う事だった。

 

 

 

 

 

 

 予定の公園まで撤退したアインとオータムは近くのベンチに腰を据えた。アインは変装用の私服が破損したため、既に白いコートを羽織っている。その体には僅かな疲れが見えた。その手は銃を握っていて、銃口からは僅かに硫黄の香りが立ち込めている。

 疲れはまたオータムも同様である。彼女の腕であれば織斑一夏を仕留める事など容易いが、目的は白式の強奪であり、殺してしまう訳にはいかない。殺せば必ず足跡が着いてしまうからだ。

 長い沈黙の後、オータムがふと声を漏らす。

 

「……わりぃ、アイン」

「気にするな、スコールも多分この事を予測していた。……更識、恐らく彼女がいる限り暗殺は不可能だ。剥離剤(リムーパー)も効かなくなった今、誰かが更識をひきつけるしかない。次の作戦は全面的な攻撃になる」

 

 ただアインは淡々と告げる。恐らくその全面的な攻撃こそが、彼を主体とした強襲なのだろう。

 そこで彼はようやく悲願と対峙する。その結末がどうであろうと、ただ彼の行く末を見守るだけ――そうスコールは言っていた。

 

「次はリミッターも無い。なら、やれるだろ? オータム」

「……あぁ、私を誰と思ってるんだ? アイン」

 

 目線が交わる。そうして二人は互いの拳を軽くぶつけ合った。

 今回の結果としてはIS学園に、こちら側の情報をいくつか渡してしまったものの実力を推し量るには十分と言える。

 何よりアインもオータムも正確に言えば、本当の力を出し切ったのではない。アインにはまだ本来の力が隠されており、オータムはリミッターのため本気を出せていない。

 痛み分けと言えばその通りだが、まだ亡国機業に分がある。スコールやマドカ、ナターシャに加えアルカまでいるのならば、次回の作戦を立て直すには十分。

 

「二人とも無事か?」

 

 アルカとマドカが公園に入って来た。

 散らばっている瓦礫を踏まないようにして、彼女達は二人の元へと駆け寄る。

 

「兄さん、怪我は?」

「問題無い。すぐに出るぞ。ここもやがて騒がしくなる」

「あー……やっぱ、勢いで暴れるもんじゃねぇなぁ」

「リミッターを掛けておいて正解でした……」

 

 各々な言葉を呟きながら、公園を出る四人の姿。

 その背後で、ラウラ・ボーデヴィッヒとセシリア・オルコットが満身創痍となって倒れていた。

 

 

 

 

 

 IS学園の保健室で四人の人物が手当てを受けていた。

 織斑一夏――目立った外傷は無し。近いうちに治る。

 シャルロット・デュノア――銃創が各所にあり、太腿へナイフによる刺傷。数日間は安静。

 セシリア・オルコット――銃創と強い打撲が数箇所。数日間の安静。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ――銃創と強い打撲が数箇所。数日間の安静。

 以上の四名が学園祭途中に、襲撃を受け負傷した。幸いにも民間人や他の生徒達への被害はゼロであり、その事が不幸中の幸いだった。

 現在、織斑千冬と山田真耶、更識楯無の三名による事情聴取の最中である。

 

「……つまり、生身でISを倒す人間が?」

 

 千冬の言葉に、シャルロットとラウラ、セシリアが頷いた。

 そんなのは冗談にも等しい言葉だ。ISによるシールドは、ISでしか破れない。一般の火器を漁っても、かろうじて通用するのが一つか二つか程度だろう。

しかし、確かに道理に適っているし証拠もある。三人の負傷に銃創と言う共通点がある上に、襲撃者である白髪の少年の証言も一致する。三人の弾丸による傷跡の大きさは、ほとんどが一致していた。

 だが少なからず疑問点も存在する。

 まずどうやってISを破るかだ。こちらに関しては相手がIS武装を使ったのであれば納得は出来る。しかし証言からすると、襲撃者の武器は携行型の火器と何ら変わらないと言う。

 次に浮かぶ疑問点としては、その火器をどうやって作り出しているのか。どこかの国が開発した事も考えられる。しかし、襲撃された者達は皆、国を代表する実力者達だ。それらを襲撃するという事は国を敵に回すような暴挙である。

 

「更識さんも交戦したんですよね?」

「はい、私の時はナイフと様々な携行火器、そして日本刀の三つを使用していました。体術は私と同格か僅かに上――と考えてもいいでしょう」

 

 溜め息をついて千冬は頭を振った。

 もしも同じような人物が攻撃を仕掛けてくる場合、今度は万全の対策を練らなければならない。

 何度も事故を起こしている以上今度こそはIS学園の威信にかけて、何としてでも織斑一夏は守りきる必要があった。

 

「とりあえずデュノア、その経緯を話せ。この事は重大な機密情報として扱う。これ以後一切の他言を禁じる」

「はい。彼が銃口を向けた後――」

 

 

 

 姿が、消えた。

 シャルロットはISを展開したまま、視界に映っていたはずの少年の姿を探す。先ほどまで捉えていたその姿がどこにも無い。周囲三百六十度を見渡せるハイパーセンサーの視界から消失するという事は――生身の人間に出来る芸当ではないだろう。

 逃げたのか、いやそれこそおかしい。現在彼女がいる場所は密室だ。

 そこまで考えた時、シャルロットを銃弾の豪雨が襲う。

 ISのシールドエネルギーが次々と削られていく事と、目の前で起きている事実に目を見開く。

 少年が天井を疾走しながら、両手の銃を乱射している。壁から天井へ、天井から壁へ。彼女の照準を定めさせない事を目的とした攪乱の移動。アサルトライフルでは余りにも分が悪い。

 武器を切り替えようとした瞬間、シャルロットの太腿を激痛が襲った。

 

「うっ……!」

 

 ナイフが刺さっている。シールドエネルギーを貫通して、生身へ直接攻撃が届いた。本能的にエネルギーの数値へと目を向ける。絶対防御は発動しておらず、エネルギーもまだ余っている。ならどうして――。

 この時シャルロットはほんの僅かな間、目を逸らし思考を疑問に置き換えてしまった。体の動きを止めてしまった。

 

「きゃあっ!」

 

 全身への鋭い痛みと共に壁へと叩き付けられた。体中に重圧が圧し掛かり、呼気が全て押し出される。

 蹴られたのかと気づく。だがその時既に彼女が持っていた銃は、砕け散って床へと散らばっていた。

 薄れ行く意識の中で、少年が徐々に近づいている事だけが、シャルロットが知る全てだった。彼は、その体に視線を回してから手を動かし始めた。

 それに疑問を持つ間も無く、シャルロットの意識は闇に飲み込まれていった。

 

 

 

「……なるほど、分かった。だが納得がいかんな」

「何がですか? 織斑先生」

「デュノア、医療班からの報告だがお前の傷は既に手当てされていた。しばらく安静にしていれば少なくとも三日の内には完治する。デュノアが倒されてから、彼女の元に訪れたのは更識と織斑だけだ。だが既にお前には応急処置が施されていた」

 

 その言葉に、千冬を除く全員が言葉を詰まらせる。

 誰が負傷したシャルロットを治療したのか。その人物の想像は容易につく。だがどうして治療を行ったのかまでは分からない。

 

「……分かりませんわ。一体何が目的ですの?」

「まぁ、一つだけ分かる事がある。――亡国機業の狙いは、間違いなく織斑。お前だ」

 

 千冬の言葉が、一夏の心を揺さぶる。彼の心に息吹く何かが、動き出した。

 

「……千冬姉、もしかしてそいつら、俺を狙うためだけにシャル達まで?」

「分かる事は一つだけだと言ったはずだ。後は自分で考えろ」

 

 そう言い残して、千冬は保健室を出て行く。眉間に皺が出ている事を考えれば彼女もまた事態の把握に急かされているのだろう。

 彼女を追いかけるようにして、山田真耶も部屋を出て行った。

 そして楯無もまた部屋を出ていく。

 

「……だったら、だったら最初から二人がかりで俺を狙えばいいじゃねぇか。何で、シャル達まで巻き込むんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理事長室へ向かう楯無の心中は不安定の一言だった。

 彼女の心を、ある一つの可能性が渦巻いている。理由があれば根拠もある。だが決定的な何かがそれを否定している。

 首裏に見えた数字は、まるでバーコードのようだった。もしそれが人体研究による物だとすれば――

 彼が行った動きは、織斑一夏と酷似していた。踏み出す足の動きまで。もしそれが似ている物ではなく本当に同じだったとすれば――

 織斑一夏は過去に誘拐されている。第二回モンド・グロッソ決勝戦の日に、彼は会場へ応援に行くと姉に告げていた事が確認されていた。それ以後の行方は一切不明。自宅を出てから救出されるまで、彼の目撃情報は一切なく本人の証言も曖昧だった。

 もしその間に織斑一夏がどこかに誘拐されたままだとすれば――

 彼には夏の時レゾナンスで悩みを聞いてもらった。その時彼の言っていた内容。

 もしそれが実体験によるものならば――

 

“嘘よ、ありえるはずがない。既に彼は救出されたはず”

 

 だがあの髪の色と瞳の色は間違いなく自然による物ではない。体の硬さも鍛え上げるだけでまず不可能な堅強さだ。だとすれば彼の過去に何か原因がある。彼自身が在り得ない何かを体現した存在ならば、全てに辻褄が合う。

 何よりも彼の持つ力がその事実を裏付けている。

 ならば考えうる答えは一つしかなかった。

 

“彼の正体が――”

 

 その思考を打ち切るようにして、楯無は理事長室への扉を開けた。

 

 

 

 

 理事長室では電話を終えた直後らしく、轡木十蔵が子機を充電器へ置いている所だった。

 席に着く間もなく、楯無は彼の前へと向かい目線を合わせる。

 

「……キャノンボール・ファストは延期にしましょう。まずは、今回の襲撃者を何とかしなければなりません」

 

 その言葉を読んでいるのか、あるいは何かがあると考えているのか。轡木の目が僅かに変わる。彼は物事の裏側を見る事に長けている。楯無ですら適わない程のセンスであり、彼に冗談が通用した事は一度たりともなかった。

 

「ふむ、それは本気ですか? 更識くん」

「はい。生徒の安全を確保する事が必要です。そうでもしなければ、多くの生徒達が危険に晒されます。クラス対抗戦の襲撃、福音の暴走、学園祭の襲撃――全て偶然だとは思えません」

 

 夏の臨海学校以後、暴走し行方不明になったままである銀の福音とその操縦者であるナターシャ・ファイルスの捜索命令が出されている。国家代表である実力者が消えた事は、各国へ衝撃を走らせた。

 彼女の捜索は今も尚続いており、更識もその捜索には関わっていた。だが手がかりは何一つ見つかっていない。彼女の親友であるイーリス・コーリングはそれ以後血眼のように彼女を捜していると聞いた。

 楯無の心によぎるのは、直感だ。もしも福音の裏にあの少年が絡んでいるとすれば、既に何かが渦巻き始めている。

 

「……分かりました。検討してみましょう、政府には何らかのカタチに変えて交渉してみます。ここで終わらせないといけませんね」

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 役者は揃った。

 パズルのピースは揃った。

 歯車は動き出す。

 時の摩擦は加速する。

 繰り返せ。

 原点を。

 取り戻せ。

 己を。

 

 再び、一になるために。

 一になるために零にする。

 だから一があったら、残りは全部一になれない。

 なら、その一を無くそう。

 

 ――始まりをもう一度(リフレイン)

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前夜

 出撃前夜――それはIS学園に対してスコール率いるチームの全員が作戦参加の作戦を控えた深夜である。

 IS学園は次開かれるイベントの内容を変更した。

 その大会の名称は“トリプルマッチ・トーナメント”。

 三対三の生徒対抗戦――それは亡国機業を釣り上げるための囮だ。恐らく三対三も全て専用機であり、すぐに動員させるつもりだろう。

 諜報の話によると現在IS学園にはイーリス・コーリングとクラリッサ・ハルフォーフの二名を招集している。どちらも専用機と高い実力を持つ二人であり、IS学園側の本気が伺える。恐らく次で完全に決着をつけるつもりなのだろう。

 

「……アイン」

 

 ホテルの一室、そこでスコールは夜の街を見下ろしていた。彼女の服装は既にISスーツを着込んでいる。スーツを体に馴染ませることで、コンディションをより絶好の状態へ近づけているのだ。スコール自らが打って出るのは、かなり久しい。

 彼女に名を呼ばれた少年も同じように夜の街を見下ろしている。その手は強く握りしめられていて、彼の心が高ぶりつつあることを示していた。

 

「何だ」

「後悔してないの? 亡国機業に入ったコト。もし入らなかったら、貴方は自由になれてたかもしれないわよ」

 

 あの時、焼け野原となった荒れ地で彼女と出会っていなければ彼は亡国機業へ属していなかった。彼女に手を引かれ、様々な人と出会った。

 彼女と出会わなければ、彼がここに立っている事も無かったのだ。

 

「してないさ。もしオレがあの時アンタに救出されてなかったら、きっとオレは歪んだままだ。そしてどこかで野垂れ死んでいただろうな」

「……そうね、きっと私も貴方に出会っていなかったら歪んだままだった。男なんて皆下らない存在だと卑下したまま死んでいたでしょうね」

 

 スコールはアインの頬に手を当てる。

 彼女の手は酷く冷たかった。

 

「アイン、死なないでね。貴方は――私たちの大切な人なんだから」

「あぁ、生き残る」

 

 

 

 

 

「兄さん」

「……マドカか。どうした、眠れないのか?」

 

 マドカに声を掛けられ、アインは銃の整備を中断して彼女に振り向いた。それと同時に、彼女が胸元へと飛び込んで来る。

 彼女の背丈は彼よりも低い。故に受け止めるのは容易だった。

 

「もしもだ。もしも兄さんが名前を取り戻した時、どうする?」

「……」

 

 彼女の言葉に何も返せない。その後を決めるどころか、考える事すらしていなかったから。ただ名前を取り戻すことだけを目的としていたから。

 それももうすぐ叶う。ならば、その後をどうするべきか。追い求める事ばかりで、その後を全く思っていなかった。本末転倒もいい所だろう。

 

「今のうちに伝えておきたい。大事な事を言ってなかったから」

「……何を?」

「兄さんがいなかったら、私は間違ったままだった」

「……」

「何もかも一人で背負い込んで、姉さんに全部押し付けて。そんな日々だったと思う」

 

 マドカが亡国機業に入ったのは、まだ物心がついたばかりだと聞く。彼女にとっては両親の顔や姉弟の事など、最早無くなっているに等しいのだ。

 だがそれでも彼女は覚えていてくれていた。彼とその姉の事を、変わらずに思い続けてくれていた。

 思えば、ここまでアインが歩いて来れたのも彼女の存在が大きいのかもしれない。

 

「俺もだ」

「えっ?」

「俺もマドカがいなかったら、千冬姉や束さんを恨んだままだった。あの人に育ててもらった恩を全て蔑ろにして復讐に手を染めるところだった」

「……兄さん」

「マドカ、あの約束は必ず守る。俺は死なない。例え何があったとしても絶対に生き残ってみせる。絶対にお前を一人にしない」

 

 その言葉にマドカは顔を上げて、大きく笑う。そうしてもう一度、彼の胸元へ顔を埋めた。

 

 

 

 

 

「まだ起きてたのかよアイン。私はいいけど、アンタは明日激戦なんだぞ。さっさと寝ろ」

 

 オータムの声が響く。彼女もまたアラクネの調子を整えていたらしく、体の骨を鳴らしていた。手先が器用であり、物分かりがいいためか自力でのメンテナンスは彼女が得意とする分野でもある。

 銃の整備を終えて、アインは拳銃のスライドを引き動作を確認する。これで彼の準備は整った。残るはコンディションだけである。

 

「激戦はお互い様だ、オータム」

「かわいくねぇガキだな、ホント」

 

 オータムとの会話に言葉などほとんど必要ない。彼女にとって伝達に必要なのは言葉だけでなく信頼だ。故に、喋るのは最低限の事でいい。

 それだけで彼女は何が言いたいのかを分かってくれるからだ。

 逆に言えばその考え方のせいで、彼女は亡国機業内でも浮いている。しかし本人が機にしていないならば、杞憂の話だ。

 

「生き残るぞ、オータム」

「当たり前だろ、アイン」

 

 二人はあの時のように、もう一度拳を交える。それは彼らにとって、最高の繋がりであった。

 

 

 

 

 入浴はコンディションを整える事に対して大きな効果をもたらす。アインはその言葉を信じているし、疑問を持つ事も無い。自身の戦力増強として最優先に行える事が入浴である。

 最初の頃はアルカやスコールなどが―彼の意志に構わず―洗っていたが、近頃になってようやく一人での入浴を許可してくれるようになった。

 この事は少なくとも彼にとって記憶から消したい事の一つである。彼とて立派な男だ。

 

「あら、アイン。奇遇ね」

「エヌ……」

「ナターシャ」

「何?」

「ナターシャって呼んで。今は任務の最中じゃないでしょ」

 

 バスルームの一室で、ローブ姿のナターシャを見かける。

 彼女の姿は非常に魅惑的であり、アインは視線を逸らす。ISは本人の操縦技術がダイレクトに反映されるため、操縦者の身体能力に比例してISも高くなる傾向がある。そういった確証はないが、少なくとも今までの戦闘経験からアインはそう考えていた。

 白い布地のせいか、くっきりと浮かぶ体のラインはまるで挑発するかのようであった。ハニートラップと言う物があるが、彼女はある意味それに打って付けかもしれない。

頬を紅くして目を逸らす彼に、ナターシャは軽く微笑んだ。

 

「イーリス・コーリングがIS学園に来てる。……いいのか」

「……えぇ、イーリとは結構な仲だけど、覚悟は出来てるわ。彼女は私の大事な親友ですもの。だから私が倒さなきゃいけないの。それが私達の関係よ」

 

 ナターシャはイーリス・コーリングと交戦するつもりである。かつて苦楽を共にした者に刃を向ける事を明確に言ってのけた。

 銀の福音は以前よりも格段に強化されており、光を刀身としたブレードが両手に装着されているため、白兵戦では比べ物にならない。刀を持ったアインに対して地上戦で五分間持ちこたえられると言う事実が、その実力を示していた。

 ――だが、完全に覚悟を決めたと言う訳ではない。彼女にもまた少なからずの抵抗があるだろう。温もりは決断を鈍らせる。

 

「ねぇ、アイン一つだけ聞かせて。貴方――どこかの研究所に捕らわれた事ある?」

「……」

 

 沈黙こそが肯定の証。彼も彼女もそう考えた。

 

「私はあの事件の後、夢を見た。研究所の施設で、人を殺す事を強いられていた少年の姿。彼に対して私が思ったのは、無力な自分の弱さだった。どれだけISが強くなったとしても、世界のどこかで苦しんでいる人を助ける事が出来ないのなら、そもそも強い事に意味なんてあるのかしら」

「……それは各々が探す事だ。人に言われて決めるものじゃないし、一言で済ませられるものじゃない」

「そうね。だけどまだ時間はあるわ。だから探して行きたいと思ってる。この亡国機業で、この子やスコール達、そして貴方と共に」

「……勝手にしろ」

 

 顔を俯かせながら去っていくアインの姿をナターシャは面白そうに微笑む。

 彼が早歩きでその場を歩いていく光景は、酷く新鮮だった。

 

 

 

 

 

「……アイン様、ご気分の方は」

「問題ない」

 

 アルカから点検されていた銃を受け取り、再び自身の中に圧縮する。これで完全に準備は整った。体調も良好で、この調子ならば不足は無い。後は明日になるのを待つだけである。

 彼は何度か右手を握る。そこに何か無いかを確かめるように何度も拳を開閉させた。

 

「……アイン様、まさか」

「あぁ、使う。容赦はしない」

「……分かりました。止めはしません。……どうかご無事で」

「アルカ?」

 

 ふと彼女の声が震えた。今までそんな声音を聞いた事が無い。淡々として、だが時には温かくて。それが彼女だった。

 しかし、今は震えている。何かを恐れている。

 

「私は……私は、人の心と言う物がよく理解できません。何故人は泣いているのか、何故人は悲しんでいるのか、何故人は喜ぶのか」

「……」

「本を読んで知ろうとしても、私にはその内容は断片的にしか分かりません。様々な感情を持つ人の心は、私にとってとても羨ましい物でした」

 

 アルカは人ではない。

 初めて彼女と出会いその経緯を言われた時、アインとて最初は驚いたものだ。人を超越し凌駕した存在。アインやスコールですら適わぬ領域にいる者。それが彼女だ。

 だが今、彼女はアインに忠誠を誓っている。不変かつ永遠の忠義を、彼へ向け抱いている。初めて会った時、彼女は彼に言ったのだ。

 彼を不幸に追いやったのは自分であると。彼をこんな事に合わせてしまったのは自分なのだと。だから――どこまでも貴方のお供として傍にいます。

 その罪がアルカの心を蝕んでいるのだと、アインは信じて疑わなかった。それが彼女を縛り続けている。彼女の居場所を潰してしまっていると。

 彼女は彼の傍にいると言った。だがもしも――。もしも彼女が彼女らしくいられるのなら。

 

「アルカ、お前は自由になれ」

 

 そう告げていた。

 

「……アイン様?」

「もうオレに従う必要も無い。お前がお前の生きたいように生きろ。マドカを連れて、千冬姉の下で匿って貰えば何とかなるはずだ。だからもうオレに――」

「――それは違います。私は贖罪のために貴方に忠誠を誓ったのではありません。私が肉体を得た時、私は初めて自分だけで世界を見ました。それは酷く殺伐としたもので、天と地はこんなにも差があるのだと自分の無知を知ったのです。

 もっと世界を知りたい。貴方の傍で、共に歩み続けたい」

 

 被せるような声に、思わず閉口する。それは彼女が感情を見せたからだった。普段は玲瓏な彼女が、珍しくその心を露わにした。

 

「……私は、アイン様を尊敬しています。己を歪だと、間違っていると思える人間は少ないでしょう。もしそう思えるのなら、世界は少なからず静かになっているはずですから」

「それが……オレに忠誠を誓った理由?」

「かつてはそうでした。ですが今は違います。私は……ただ一人の存在として、貴方を愛しています」

 

 アルカの言葉に、アインは少しだけ目を閉じた。彼女の言葉に、ふとした何かが蘇る。それが何であるのかに気づく事は出来なかったが、それでも心が少し温かくなった。

 

「……そうか、じゃあ約束してくれ」

「約束……ですか?」

 

 握りしめた拳から小指を一本、前へ出す。彼はそれをアルカへと向けた。

 何故そうしたかは分からない。だけど、体が自然と動いた。

 

「オレの傍にいて欲しい。オレがもし、一人になっても。世界から流されて、時間に置いて行かれたとしても」

 

 僅かに口ごもる。恥ずかしさよりも戸惑いが心に生まれた。整えたはずの調子が解けていく。

 さらに混乱していくその心を、感触が遮った。小指同士が重なり合っている感覚が、彼に落ち着きを与えていく。

 

「はい、傍にいます。私達はずっと、貴方の傍にいます」

「……あぁ、ありがとう。アルカ」

 

 

 

 

 

 アインは携帯電話に残っているデータの履歴を見ていた。別段、何か目的があった訳でもなく、明確な理由もあった訳ではない。ただ何となくと言うだけである。履歴にはほとんど同じ人物ばかりしか載っていない。

 その中に一つ、アインはまだ話していない人物の名前を見つけた。

 気がつけば、指が勝手に動き出していて、耳に電話を当てれば、彼女の声が聞こえた。

 

『――何だ、作戦直前にもなって安全装置の外し方でも忘れたのか? 馬鹿弟子』

「違う、そんなのじゃない。ただ貴方に礼を言いたくなった」

『は? ……悪いけどもう一回言ってくれないかい。どうも最近、耳の調子がイマイチなんだ』

「礼を言いたくなった」

 

 声はいつもと変わらない。自身でもその声を冷たいと感じていたし、まるで自分ではない様に思っていた。いつも気持ち悪いと感じていた。

 だがこの時だけは――それを忘れられる。誰かと話す時は、孤独ではない時は、ありのままでいられることが嬉しかった。

 

『……調子狂うねぇ。アンタみたいなガキを捻くれてるって言うんだろうよ。ったく』

「そうか……。だけど、貴方はオレにコイツの扱い方を教えてくれた。オレを甘やかさずに鍛え上げてくれた。有りのままのオレを受け止めてくれる人がいるって事が……嬉しかった」

『……アンタはアレかい。人がいなくなると饒舌になるタイプだな。まぁ……実は言うと、アタシも嬉しかったさ。自分に子供がいたらこんな感じかもしれないなとか思うのが楽しかったしね。けど、その分辛かった。アンタみたいなガキが、人を殺す重みをその年で背負っていくのはね、見ている側も中々辛いモンだよ』

 

 彼女もまたアインを一切手加減せずに仕込んでくれた。その事実を、彼は誇りに思っている。今こうして戦えているのは、彼女から学んだ技術があるからこそだ。

 魂を継ぎ、心を習い、技を得る。彼のほとんどは彼女によって作られていると言っても過言ではない。

 

「あぁ、辛かったけど……それも明日でようやく終わる。だからこうして、貴方に礼を言うために連絡した」

『おいおい、まさかこれで関係が終わりとかつまらん冗談はやめておきな』

「……」

『アタシはアンタの師だ。なら弟子の行く先を見届けるのが師の役目ってモンだろうに』

「……そうだな。オレもまだまだ貴方に教わっていない事がある」

『だからお前はいつまで経っても馬鹿弟子なんだ。そこから先は自分で探せ。憧れにするのはいいが、それを目的にするな』

「……分かった。ならいつか必ず見つける。そう近くないうちに」

『……そうか、だったら悪いけど長話に付き合ってくれ。どっかの馬鹿がこんな時間に連絡するせいで、心が落ち着かない』

 

 カレンの昔話など聞いたこともなかった。

 微かな好奇心がアインを刺激する。

 

「構わない」

『アタシは、ここに来る前に軍にいた……というよりは軍に生まれたと言った方がいいか。国の誇りだとか尊厳だとか、今思えば下らない物のために命を賭けてた。

戦いなんてほとんどない。あるのはいつも同じ訓練ばかり。模擬戦なんてモンもなかった。ただ同じ日々が目まぐるしく過ぎてただけ。

 まぁ、軍なんてあるだけで十分な抑止力なんだだが、それを国は良しとはしなかった。さらに強い兵士を作り上げようとしたんだ。歴史上二度も敗戦を経験してたからね。満足できなかったんだろうよ。

 だけどそれでもアタシはその国が好きだった。その国で幸せに暮らす人たちを守るのが自分の誇りだと思ってた。……だから自分の体を躊躇なく差し出した。遺伝子強化試験体、それを産むための代理母に志願した』

「……それが」

『あぁ、アタシの娘“ラウラ・ボーデヴィッヒ”だ。だけど一つだけ違うとすれば、父親なんていない』

「……」

『簡単だよ。強い兵士を産むには屈強な肉体が必要なのさ。並の人間じゃまず陣痛で死んじまう。そこでアタシに話が舞い込んで来た。その話を持ち込まれた時は何の疑いもせず嬉々として飛び込んだよ。国のために尽くせるなんて、幻想をほざいてね。

 勿論、副作用は出た。まずは髪と目の変色、そして身体能力の異常的な増加と自然治癒速度の異常上昇だ。生身で武装を乱射できるのもそのおかげさ。出なきゃ任務の度に病院行きさ。元々アタシは軍人としては、かなり優秀だったらしい。生まれも育ちも軍だからそりゃ当然だけどね。しかも自然治癒の影響は外見にまで響く。おかげで周りの女どもからは恨まれ放題だ』

「……」

『そしていざ蓋を開けてみりゃこのザマってワケ。娘は取り上げられ、私は国に裏切られた。母の愛情なんて兵士には不要。増してや母親がいて父親がいないなら、その兵器は何らかの心の欠陥を抱える事が予測され、アタシは左遷された。

 そいつに真っ当な理由をつけるためかは知らんが、売春とか売国とか裏切りとか身に覚えの無い事ばかりが来歴に積み上がって行き、挙句の果てには刑務所行きの命令まで出ちまった。結局軍から逃亡して、欲に目が眩んだ同胞を大量にぶち抜いて彷徨い続けて……そんなところでスコールに出会ったってコト。どうだい? 中々滑稽な話だろ』

「あぁ、そうだな。貴方がそう思ってるならそうなんだろう」

『言ってくれる。下手なら下手なりに励ましてはくれないのか?』

「……それは今悩んでいる人にする事だ。過去を乗り越えた人にする事じゃない」

『くくっ、違いない』

 

 ちなみにその言葉はアインがカレンから教わった事でもある。

 試そうとしていたのか分からないが、彼女なりに話の空気を和ませようとしたのだろう。

 電話越しに息をつく声が聞こえた。

 

『極端な話、別にアタシはお前が名前を取り戻そうがどうでもいいんだ。結局のところ赤の他人だしね、まったく関係ない。……でも、家族が死ぬのは本当に御免なんだ。だから――絶対に生きて帰って来い、アイン』

「……ありがとう、カレン」

『……まだだ。それもう一つ、師匠からの激励をしてやるよ。面倒臭がりのアタシがするんだ。聞いてなかったら、銃弾ぶち込んでやる』

 

 意外にも彼女は話好きだ。以前、スコールが愚痴につき合わされたとぼやいていたが、確かに酒の入った彼女の饒舌っぷりは凄まじい。

 

『アタシの言葉、覚えてるか。アンタと初めて出会った夜に、教えた言葉だ』

 

 亡国機業に入ってまもない頃、深夜の訓練場で声を掛けてくれた女性。それが彼女との出会いだった。

 

「己が魂の信じるがままに撃て」

『あぁ、よく覚えてる。それでいい。アンタはまだガキだ。前だけ見てろ、後の事はアタシらが何とかしてやる。

 だから――忘れるな。例えこれから先、アタシ達の手を離れても。お前がお前じゃなくなってしまったとしても。いつか、自分自身にケリを付ける時が来たとしても。その魂を、絶対に忘れるな』

「……分かった」

 

 その言葉が、強く胸に残った。

 

 

 

 

――そうして、運命は激突する。

 

 

 

「……カレン様? どうされましたか」

『あぁ、一つ頼みたい事がある』

「何でしょうか?」

『アインの事なんだが、アイツ――負けるぞ』

「……信頼しておられないと?」

『違う、そういう意味じゃない。多分アイツは戦いの中で冷静さを見失うはずだ。まだアイツは十五のガキだぞ? 願いを前にして抑えられるようなヤツじゃない』

「それは……そうですが」

『それにね、敗北はアイツにとっていい経験になる。こんな年になっちまって初めて気づくんだがガキの頃に自分で気づいた物は絶対に忘れる事は無い。だったら――今のうちに気づかせておかないと、アイツは一生あのままだ』

「……」

『それに気づいているんだろう? アルカ。アインの時間は、スコール達に救出された時から一時も動いてないって事。ずっと、縛りつけられたままだって』

「……はい」

『だから、頼みたい。アイツを、守ってやってほしい。別に手助けしろとか言ってる訳じゃない。ただ、アイツの傍にいてやってほしい。アタシが言いたいのはそれだけだ』

「……分かりました」

『あぁ、ありがとな』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リフレイン

 IS学園の食堂はいつも世界各国から多種多様な食材が運び込まれている。理由は極々簡単な事で、食堂の利用率が非常に高いからだ。国が全力を挙げて支援しているからこそ可能な事である。

 故に食品輸送業者と食堂の店員は大体顔馴染みなのだ。とは言っても、大抵は職に困った男性が多い。しかし今日は一味違う人選であった。

 

「あら、ひょっとして新しい人?」

 

 今回の業者は珍しく女性だ。金髪の髪が美しく、まるでモデルのような顔立ちである。体つきもまた異性だけでは無く同性からも羨ましがる程だ。

 女性優遇社会となっている今、彼女のような女性はさぞかし幸福な人生を送っているに違いない。

 

「えぇ、本日は私共も忙しくなりますので」

「へー、そりゃお互い様だねぇ。この後どんな予定が入ってるんだい?」

「はい――少しばかり大きな仕事があります」

 

 

 

 

 

 

 IS学園側の作戦は単純な物だ。

 今回のトリプルマッチ・トーナメントは織斑一夏を囮とした亡国機業の誘き出し及び掃討作戦である。無論、それを知られているのは参加者だけ。

 更識楯無、クラリッサ・ハルフォーフ、ダリル・ケイシー、フォルテ・サファイア、イーリス・コーリングの五名は外部にて待機。外部からの増援に対応。

 織斑一夏、凰鈴音、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノアの六名はアリーナにて白髪の少年を迎え撃つ。

 織斑千冬、山田真耶及び教師部隊は学園内の各所に待機し状況に応じて行動する。

 発案された内容はISが有史に姿を現して以来、かつてないほどに大規模な作戦となっていた。

 

「織斑先生、本当に大丈夫なんでしょうか」

「心配はないさ山田先生。私たちの教え子がそう簡単に死ぬと思うか?」

 

 織斑千冬は管制室にて、各地に展開しているISの状況を見ていた。全ての部隊は同時に動く事が可能な状態である。抜かりはない。

 いつも平穏な空気が漂うはずの学園。それが今日だけは異常に張り詰めている。

 

「……すみません。ISを使った作戦なんて、参加した事がなかったので」

「確かにコレが公式では世界初だろうな。ISを使用したテロ組織掃討作戦など」

 

 無論、この事は世間には内密である。

 知っているのは、イーリス・コーリングを派遣したアメリカ側とIS学園関係者くらいのものだろう。

 

「……! 上空に二機のIS反応を確認! 亡国機業です!」

「来たか」

 

 管制室の窓から空を見上げれば、遥か上空に青い機体が静止している。見れば確かに白髪の少年が青い機体の上に立っている。

 反射的に作戦開始の合図として電波として放つ。防護シェルターが起動し、客席を強靭な鉄が覆いつくした。

 例の少年が地上目掛けて飛び降りる。何の躊躇も無い行動に誰もが、茫然とした。

その空気を破るように管制室の扉が開く。見覚えの無い黒い長髪の女性が丁寧な一礼をしていた。顔も服装にも見覚えが無い。玲瓏な瞳は、どこか織斑千冬と似ていた。

 

「失礼します」

「そんな、教師部隊がいたはずなのに……!」

「はい、今はお静かになさるようお願いしています」

 

 学園内部にあった教師部隊のIS反応がおかしい。

 誰一人――動いていない。起動状態であるのに、誰も動こうとしない。

 現在動作が確認できるのは、アリーナにいる六人と外部にいる五人だけ。アリーナから発砲音が聞こえ、さらに激震の音が聞こえた。

 

「……何の様だ。亡国機業」

「いえ、別段対した御用ではありません。ただ私の務めを果たしに来ただけです」

 

 扉が開いた。そこにいたのは千冬と瓜二つの少女。管制室内にいた千冬以外の者が、その光景に瞠目する。

 千冬はただ静かにその少女を見つめ、ポツリと呟いた。

 

「……マドカ」

「久しぶりだな、姉さん」

「マドカ様は織斑千冬様との決着を望んでおられます。こちらは貴方様が以前使われていたISです」

 

 黒髪の女の手に突如現れたのは一つの機体だった。どうやって現れたのか、今までどこに隠されていたのか。そんな疑問も、一つの答えに覆いつくされた。

 その形状に千冬は見覚えがある。

 

「……暮桜」

「はい。私と篠ノ之束様が作り上げたもう一つの暮桜です。最適化の必要はありません。既にいつでも貴方様に合わせて起動出来ます」

「束め……。お前はまるで私の事を昔から知っているような口ぶりだな」

「はい、私は貴方を知っています。ずっとずっと昔から貴方を知っています」

 

 千冬は舌打ちして、暮桜に手を伸ばす。尤も、そうしなければ抵抗出来ないと千冬の勘が踏んでいたからである。

 暮桜は黒髪の女の言葉どおり、彼女の体に馴染んだ。体へ馴染む辺り、まるで時間を逆行したかのような感覚がある。

 

「姉さん、外だ。ここじゃ邪魔が入る」

「……戦えと?」

「あぁ」

 

 山田真耶に視線を配す。

 彼女が頷く。その視線には決意が込められている。

 

「……分かった。ただしそこの女、もし誰かに手でも出してみろ。どうなるか知らんぞ」

「その心配は杞憂です。この場に私が手を下す場面などないのですから」

 

 そうしてマドカと千冬は管制室を出て行った。彼女達は刃を交えるのだろう。目的も理由も全てが異なりながらも、ただ一つのためだけに力を振るうのだろう。

 それをどうと思う事も無く、黒髪の女は機器の前に座ると操作し始めた。余りの手並みの早さに、周囲が唖然とする。

 静寂の沈黙を、山田真耶の言葉が破った。

 

「一つ、お聞きしてもいいでしょうか」

「はい、構いません」

 

 山田真耶の質問に、女は笑みを浮かべて答える。その表情を、ほんの一瞬だけ綺麗だと思ってしまった。ほんの少しだけ、彼女と話をしたいと思った。

 

「貴方達は……亡国機業は一体何のためにこの学園に襲撃を仕掛けてきているんですか?」

「まずはその盗聴器を切ってからにしていただけませんか?」

「それは出来ません。私にはこの学園を守る義務があります」

「……ならば答えられません。私にはあの方々たちを守る義務があります」

 

 アリーナでは白髪の少年が刃を振るっていた。彼の長髪が狂乱に塗れた。

 

 

 

 

 

 

「……マドカ、行ってくる」

「気をつけて、兄さん」

 

 サイレント・ゼフィルスから飛び降りて、アインは徐々に近づいてくるアリーナの大地に六機のISを確認した。その中に一つ、ずっと見続けて来た姿がある。ずっと殺したかった存在がいる。

 それを屠るために牙を研いだ。それを貫くために刃を鍛えた。ならば全てはこの時のためだけに存在する。

 

「ようやく……ようやくこの時が来た」

 

 彼の口に笑みが浮かぶ。三日月の如く滑らかで、どこか歪な感覚が姿を見せる。

 肩に担いだスティンガー。それから放たれたミサイルがアリーナを覆うシールドを破壊した。

 

「待っていた、待ち続けていた。気の遠くなるほど、幾度となく……!」

 

 着地寸前に一回転し、その勢いと衝撃を殺してアインはアリーナの大地に降り立つ。ずっと願っていた、ずっと見続けて来たその場へと降り立つ。彼の心に殺意が零れ落ちた。

 笑みが零れる。

 殺せと。

 取り戻せと。

 世界が叫ぶ。

 魂が望む。

 彼を殺せと、強く吼える。

 

「織斑……一夏ァ……!」

 

 右手のタンフォリオ・ラプターを白式に向けて、アインは躊躇なくその引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

「さて、準備出来てるわね?」

「おうよ、さっさと行こうぜ」

「えぇ、もう始まってるみたいだし」

 

 どこからか聞こえた発砲音にスコールは被っていた帽子を投げ捨てて、ISを展開した。まるで蝶のようなイメージを醸し出させる金色の翼がスコールの背中へ展開する。

 空へと翔ける彼女に続いて、オータムとエヌもまた空を翔けた。

 彼女達が目指すはIS学園海上。教師部隊はアルカの力によって封殺されているため、脅威としては度外視していいだろう。

 

「……まさかそんなところから来るとは思ってなかったわよ、スコール・ミューゼル」

「案外更識の目を掻い潜るのも楽ね。これじゃあ作戦なんていらなかったかしら?」

 

 IS学園外部の海上。

 そこで五機と三機のISが対峙する。

 

「ナタルッ!? 何でお前が……!」

「ごめんなさいね、イーリ。これが私の選択なのよ。亡国機業は私を救ってくれた。使い捨ての人形として扱われていた私を一人の人間として、この子を一人の家族として接してくれた。――今の私は、亡国機業の一人エヌよ」

「……ナタル、目を覚ませよ。そいつらはテロ組織だぞ!」

「違うわ、イーリ。彼女達はテロ組織じゃない。そんな下らない目的で戦っているわけじゃないの。これは……いえ、話し合いはここまでにしましょう。来なさい、イーリ」

「……だったら、だったらぶん殴って私がお前の目を覚まさせてやるよ!」

 

 銀の福音とファング・クエイクが遥か上空へと舞い上がる。

 

「って事はアイツらか。……はぁ、何で私がこんな雑魚を相手しないといけねぇんだよ」

「聞いたか、フォルテ。あたしらは雑魚だそうだ」

「らしいっスね。じゃあちょっとその評価、変えてもらわないと気がすまないっス」

「ハッ、どうせ雑魚は雑魚だろ? ISに使われてる連中が」

「……よっしゃ、フォルテ。本気で行くぞ」

「オーケーっス。ダリル先輩」

 

 ヘル・ハウンドver2.5とコールド・ブラッドが海面へと降り立つ。

 

「……ねぇ、スコール・ミューゼル。一つ聞いてもいいかしら?」

「フフッ、今だけはね。何?」

「貴方達は何故IS学園を狙うの? 何故ISをその手に収めるの?」

「……貴方達の学園はね、兵士を作っているのと変わらないわ。代表候補生なんて軍人のような物。そしてその力はやがて一つの火種となる。学園が行っているのは、その火種を撒き散らす事よ。そんな連中にISなんて使わせない」

「それを決めるのは貴方達じゃない。力は心によって意味がある。この学園はその心を鍛えるための場所なの。だから――」

「――そうやって問題を先送りにするから争いは消えないのよ。ISは競技専用? 馬鹿言わないで。目を逸らしてる事を正当化しないで頂戴。どんな綺麗事を並べても、所詮は兵器に過ぎないのよ。今各地で行われている紛争にどれだけのISが使われてるか知ってる? 一つのISがどれだけの命を皆殺しにしてきたか知ってる? ISによって存在を捻じ曲げられた人を私は知ってるわ。彼は今も戦い続けてる。失った物を取り戻すために、足掻き続けている」

 

 スコールの翼から金色の塊が複数出現する。それも全てが非現実的な色を以て、存在する。

 まるでそれは夜空に浮かぶ綺羅星のようだ。次々と出現する其れは、数を増やしながら獲物を確かに捉えていく。

 そして彼女の両手に雷の剣が姿を現した。

 

「さぁ、戯言はこれで終わり。見せてあげるわ、現実を」

 

 豪雨の如く放たれた光線が開幕の狼煙を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 事前にアインの用意した戦略予想。情報源は今までのデータとアルカの予測。判断水準は彼の戦闘理論。

 織斑一夏――脅威としては論外。捨て置く。

 篠ノ之箒――武装が脅威だが、乱戦時には対した脅威ではない。エネルギーが無尽なのは厄介だが、そこまで危険視する必要は無い。優先度は低い。

 凰鈴音――衝撃砲は見えないことこそが厄介だが、同時に誤射の可能性も高い。しかし近接攻撃の威力は無視できない。優先度は半ば。

 セシリア・オルコット――ブルー・ティアーズは然程厄介ではない。狙撃はそもそもダメージとして軽微。ビットへの警戒だが破壊可能なため、優先度は低い。

 シャルロット・デュノア――銃器系統武装の多さが厄介。防御用の武装も所有しているため、長期戦になると不利。優先度は高い。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ――停止結界が脅威。力技で解除させられるが、一度捕捉されれば集中砲火を受ける可能性が高い。プラズマ手刀の威力は度外視できない。最優先で沈める必要がある。

 故に彼はラウラ・ボーデヴィッヒを先に狙う事にしていた。彼が狙ったのは、織斑一夏。だが、彼を庇うのが彼女である事も既に予測していた。

 

「……見事な抜き撃ちだ。亡国機業」

 

 放たれたタンフォリオ・ラプターの弾丸は停止結界で止められている。しかし、そこまでは計算の内だ。

 停止結界には一つだけ欠陥がある。

 それは動きを止めるだけであって、物体の時間を止める事などできないのだ。つまり時限性の戦法に彼女は弱い。

 停止結界で止められた弾丸が突如爆発した。

 

「ッ!」

 

 怯むその姿を逃すまいと、追撃へ移る。こちらのペースで押し切る事が、対集団戦への戦略である。

 キャレコを展開。一行がそれに目を奪われる。だがそれはハッタリだ。狙いは次にある。

アインの片手に出現したのは巨大なアサルトライフル。対戦車ライフルにも等しい銃身を軽々と振り回し、弾丸を周辺へと拡大させた。

 ばら撒かれる弾丸を、それぞれがかろうじて避ける。

 

「このっ!」

 

 アサルトライフルを圧縮。両手にキャレコを展開する。今の彼は、四方を囲まれた状態になっており、形成を逆転される可能性があった。

 まず迫るは、甲龍による衝撃砲。それを背後に飛び退いて避けながら、両手のキャレコで反撃する。

 弾丸がISのシールドエネルギーを削っていく。このままでは削られると察したのか、弾丸を弾いて、甲龍が離脱した。

 

「やっぱ実際に見ると信じられないわね!」

「一夏、行くぞ!」

「おう!」

 

 入れ替わるように、箒と一夏が挟み込むようにして接近する。それを待っていた。近接ならば既に彼の間合いであり、相手も誤射を恐れて援護を出来ない。出来ると言えば、ブルー・ティアーズ程度の物だが、彼女の技量で行えるとは到底思えない。

 アインがキャレコを圧縮し、刀を握り締めた。鞘に納めたまま、視線を走らせ状況を把握し直す。

 二人の双撃を、紙一重の動きで避ける。体を次々と逸らし、身を裂く刃から体を退く。コートの裾が刻まれるが、アインの肉体へは届かない。

 この場合ならば僥倖である。ラウラ・ボーデヴィッヒが操るシュヴァルツァ・レーゲンを先に落とすつもりだったが、敵がわざわざ落とされに来ているのならば――。

 

「消えろ、人形。お前はもうどこにもいない」

 

 白式を刀の柄で吹き飛ばす。そのまま壁へ激突し、紅椿へ刀を向ける。既に相手は攻撃態勢に移っている。ならば迎え撃つだけ。

 振りかざされた剣を一閃目で弾く。僅かな驚愕が箒の体を硬直させる。それが致命的な瞬間となり、二閃目がもう片方を弾いた。

 その構えを箒は知っている。

 織斑千冬が良く使っていた一閃二断の構え。動きにはアレンジが加えられているが、その根本的な動作は同じだ。その事実が箒の動きを滞らせる。

 致命的な空隙――それを逃さない。

 両手を添えた刀を頭の隣に、峰が地面を向くようにして構える。

 踏み出された左足は、爆発的な推進力を以て一筋の弾丸となった。

 

「篠ノ之流剣術壱の型――極突(ごくとつ)

「何っ!?」

 

 言葉を聞いて、箒の体が止まる。無論、逃す理由はどこにもない。右足が地面を弾き、その総身を一筋の弾丸へと変える。

 繰り出された刺突が、箒の体を弾く。悲鳴を上げるまでもなく、彼女が壁に激突した。

 展開されていた紅椿が、エネルギー維持出来なくなり消失する。

 一機落とした。残るは五。近接機が一機消えた。これで彼らは物量に物を言わせた弾幕を張る事が不可能になった。

 

「――五」

 

 瞬間、アインの右手にワイヤーが絡みつく。真上を見れば、シュヴァルツァ・レーゲンがワイヤーで、彼の体を拘束していようとしていた。

 

「ラウラ!」

「これで引き上げる!」

 

 このまま宙吊りにし、そこから射撃武器で制圧するつもりなのだろう。確かにいい判断だ。例えカレンであっても同じ選択をするだろう。

 だが一つだけ強いて言うならば、情報が足りなかった。そこがカレンとの決定的な差だ。彼の力は、IS一機に翻弄されるほど軽くは無い。

 アインの指がワイヤーへと食い込み、徐々に鋼糸を捻じり切っていく。常人ならば不可能な芸当。彼だからこそ行える絶技。

 

「なっ……!」

 

 ラウラの力が僅かに緩む。それこそが彼の狙い。刀を地面に突き刺し、空いた手でワイヤーを掴む。そのまま怪力任せに彼女の機体を引き寄せた。

 例えるならば、常人が巨大な鉄塊を片腕だけで動かすような物だ。そんな事など到底予測する訳が無い。

 驚愕するラウラの視界に飛び込んで来る彼の姿。世界最強の自動拳銃を両手に構え、狙いを定める。

 アルカの手によって現代科学の範疇外を体現したその銃は、凄まじい破壊力を持つ。対物狙撃銃には劣るものの連射が効くならば、それだけで十分。

 放たれた銃声は、まさしく科学と物理の断末魔だ。銃弾の嵐は次々と蹂躙していき、空舞う者を地へと堕とす。

 

「――四」

 

 死神は止まらない。愚者の行進は止まらない。

 

 

 

 

 

 

 IS学園外部。ほとんどの施設が封鎖された学園は、完全に無人であり、IS同士の戦闘なら十分行えるほどのスペースがあった。本来ならば生徒達の憩いであろう場には、二機のISが対峙している。

 エム――織斑マドカが操るサイレント・ゼフィルス。機体の調子は最高に等しく、彼女のコンディションもまた同様。イメージトレーニングも十分に行ってきた。

 対する織斑千冬は暮桜の調子を確認するように何回か雪片を振っていた。彼女からすれば長年のブランクが非常に大きい。だと言うのに、その雰囲気は百戦錬磨の猛者のようだ。

 目線を外した瞬間、斬られると錯覚してしまう程の重圧が彼女の周囲を覆っている。

 

「……もう乗る事などないと思っていたが。こうなるとはな」

「……」

 

 スターブレイカーを構えて、射撃体勢を整える。一度、戦闘が始まれば一息つく間もなくなる。

 最後の調整――。今こそが最高の瞬間。

 

「何故、亡国機業に?」

「――」

「……次だ。あの男は――何者だ」

 

 その瞬間、マドカの視線が僅かに細められた。最小限の機動で行われた精密射撃。並のパイロットでも気づけない程の早さで発射された光線が、得物を穿たんと迫る。

 しかし、それは雪片で打ち消された。さも煙を払うかのように容易く。

 

「……」

「なら、仕方ない。手加減など、期待するなよ」

 

 姿が掻き消えた。

 何の予備動作もない瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 事前にアルカから暮桜の説明を受けていたマドカは、シールドビットを展開してその猛進を遮る。相手が高速で動くのならば、その分周囲への集中力は散漫する。

 だが、千冬は構わず突っ込んで来る。シールドごと切り裂いて、マドカへと肉薄すべく猛進する。すぐさまバックブースターを噴射させ、距離を取る。

 僅かな沈黙。その刹那で力量差を明らかにさせる。

 余りの反応速度と、気を抜けば斬られていたと言う二つの事実がマドカの背筋を震わせた。

 恐怖に駆られるが、それを無理やりねじ伏せ目の前にいる強敵に集中すべく、息を吐く。

 今この瞬間も、アインやスコール達は戦っているのだ。なら――どうして恐怖などに屈していられようか。そんな時間などありはしない。

 

「行くぞ……っ!」

 

 シールドビットが二つに分裂した。

 六個あったビットは十二個に増加し、その全てをマドカは攻撃に使用する。

 それは例えるなら、光の豪雨だった。スコールやアインの攻撃の一つでもある弾幕に物を言わせた集中砲火。狙う場所も全てランダム。ただ相手さえ補足すればいい。

 だが、それすらも千冬にとっては障害にならなかった。

 光の嵐の中を、彼女はただ真っ直ぐ突進してきたからである。

 すぐさまビットを接合。シールドを展開する。瞬時の判断で導き出したそれを彼女は何無く実行する。

 今までのようなシールドではない。アルカが特別に改良してくれた、反撃型のシールドである。物理攻撃ならば確実に反射する、アンチマテリアルシールド。

 これならば迂闊に彼女も攻撃できないだろう――と、ほんの少しだけマドカは千冬を見くびっていた。

 彼女の直感は、まさしくあの兄と似ていると言うのに。そして常人離れした思考と技術を、兼ね備えていると言うのに。

 

「!?」

 

 千冬の放つ斬撃は、ビットだけを切り裂く。シールドに一切触れずに、彼女の直感に予測すらさせず。

 まるで針の穴を通すような繊細な軌道にマドカの思考が中断される。振りかぶられた刀身を本能で対処。刀身に弾丸を当てつつ後退すべくバックブースターを起動。すぐさま後方へ。

 ビットの数機がついに破壊された。射撃は全て左右の移動により回避されている。

 千冬は未だにこちらへの瞬時加速(イグニッション・ブースト)を繰り返している。

 

“狙うなら――今だ!”

「掛かれ!」

 

 先ほどビットから放たれたレーザーは全て地面に着弾している。

 その弾痕が発光し、再び獰猛な光の束となって千冬に直撃した。

 

「何!?」

 

 偏光制御射撃(フレキシブル)によって曲がったレーザーの群れ。それは獲物を狩る捕食者の如く、彼女へと殺到する。――しかし、どれも決定打にはほど遠い。

 被弾しながら、千冬は致命的となる物だけを的確に打ち消して行く。

 

「……さすがだ、姉さん」

 

 暮桜の負ったダメージは無視できる物ではないが、それほど危惧するような物ではない。

 何よりも長期戦に向いていないのだ。

 千冬の目には一つの意志が込められていた。

 ただ勝つと言う信念だけが瞳の中にある。

 

「強くなったな、マドカ」

 

 その言葉に、彼女は笑みを浮かべる。

 

「違う、強くなったんじゃない。――教えられただけだ」

 

 スターブレイカーから放たれる光線。

 再び両者は激突する。

 

 

 

 

「存外、容易いモノね。決意なんて」

 

 スコールのIS――金色の翼から放たれるレーザーの豪雨。その質量は最早、筆舌に尽くしがたい。流れ弾に巻き込まれる海面は、未だに次々と飛沫を上げていて、それはまるで悲鳴のようだった。

 金色の翼と各地に散らばる球体による、複数からの同時ロックオンによる射撃。投擲される雷の剣。その二つが彼女の主な武装であった。

 それらを前にして、楯無とクラリッサの二人は反撃すら出来ない。否、回避するための時間しか作り出せないのだ。

 クラリッサはAICによってレーザーを防ごうとしたが、射撃自体は全方位から迫る。結果として死角からの攻撃を防御できない以上、それは意味を成さない。

 そしてもう一つの大きな特徴がある。ロックオンの速度とそれからの射撃のタイミングがほとんど無いのだ。

 マルチロックオンシステムは聞いた事があるが、それには捕捉しても発射まで数秒のタイムラグがあるはず。

 しかしスコールの操るISにはそのタイムラグすら存在しない。射程に入れば、その瞬間に、集中砲火が降り注ぐ。

 

「有り得ん……。この早さは」

「! 次、来るわよっ」

 

 投げられた剣を、楯無はガトリングランスで相殺する。凄まじい痺れが彼女を襲った。防御しようがしなかろうが、当たれば削る。それがスコールの扱う剣の特徴である。雷の如く迫るそれを、回避などしようがない。

 

“……アルカのおかげ、ね”

 

 ロックオンの早さ――それは単純な工夫に過ぎない。複数のコアを同時に使用しているからである。言わば、彼女のISはコントローラーの役割を果たしているのだ。

 金色の塊一つ一つがISと同等の操作が出来るため、異常的な早さでのロックオンが可能となる。 相手が多数だろうが単体だろうが、関係ない。ただ膨大な質量を以て圧殺する。

 だが、挙げるとすれば一つだけ欠点があった。

 それは操縦者のテクニックがダイレクトに反映されると言う事である。言うなれば彼女の指先一つ一つが行動に直結する。

 どこからどう攻めれば相手を効果的に崩せるか、今撃てる場所はどこか、その全てを頭に叩き込み何一つ滞ることなく動かせる技術があって、初めて使いこなせるのだ。

 

「……それにしても大した事ないのね」

 

 エヌとイーリス・コーリングの戦いはエヌが圧倒的に優勢だった。

 全方位だけではなく集中砲火も可能となった三十六の砲門とエネルギー翼によるゼロ距離射撃、そして近接戦闘に向けて開発された双剣は完全にファング・クエイクを制している。

 リミッターが解除されたアラクネは、ヘル・ハウンドver2.5とコールド・ブラッドを前に八本の装甲脚とそれから繰り出される捕獲用のワイヤーがオータムに優勢をもたらしている。

 この場は完全に亡国機業が優勢。

 後はアインとマドカの現状である。

 

“死んじゃダメよ、二人とも”

 

 

 

 

 

 

 ライフルは破損、ビットは全て大破。残るエネルギー量は僅か。それがマドカの知り得る現在の状況だった。

 然程時間も立っていないが、そこまで消耗したのは相手が織斑千冬であるが故だろう。しかし彼女もまたエネルギーシールドを大きく削られており、絶対防御が何度か発動している。全くの互角――否、徐々にマドカが押されつつある。

 世界最強を単騎で相手にして、何とかここまで持ち込めただけでも誉めて欲しい気分だった。

 

「……兄さん」

 

 気がつけば口からそんな言葉が漏れていた。

 もう自分はここで死ぬか、或いは捕えられるだろう。他の誰でもない、姉の手によってそうなるに違いない。

 願わくばもう一度――兄の顔が見たかった。不器用ながらも慰めて、愛してくれる兄の傍にいたかった。彼の傍にいたいからこそ戦った。だが、それももうすぐ終わる。

 振りかぶられた雪片の刀身に、マドカは思わず目を瞑った。

 だがいつまで経っても衝撃はこない。

 

――不思議な温もり、ただそれだけ。

 

 抱き締められていると感じたのは、目を開けてからだった。

 

「よく……よく頑張ったな、マドカ」

 

 その体を振りほどこうともがいたが、力が入らない。解けば解こうとする程、強くなっていく。

 彼女を抱き締めるその腕は、二度と放さないのではないのではないのだろうかと思わせるほど強かった。

 

「もう会えないと思っていた。もう抱き締められないと思っていた。……あぁ、良かった。生きててくれて、良かった。私の――たった一人しかいない妹」

「姉……さん」

 

 その場で泣き出したい衝動に駆られたが、一つの事実がそれを抑えつけた。

 まだだ、彼女はまだあの人の正体を知らない。

 だからこそ――行かせなければ。それこそが知る者の責務なのだから。

 

「姉さん、急いでアリーナに向かって」

「マドカ……?」

「いいからはやく。そうしないと、手遅れに、なる前に」

 

 言葉が詰まって上手く出ない。

 だがそれでも――。

 

「分かった……。ここでゆっくり休んでおけ」

 

 アリーナに向かう姿を、マドカは見つめる。

 そうして彼女は泣き崩れた。そこにいるのは、嗚咽を漏らす少女、ただ一人。

 今、戦い続けて来た彼女の全ては終わった。

 ようやく――織斑マドカとして、認められたかった人たちに認められた。

 

 

 

 

 千冬は管制室に戻っていた。

 出来ればアリーナに突撃したかったが、エネルギーが底を尽きかけていたため管制室に戻る事が出来るのが手一杯だったのだ。

 何より彼女の中の直感が叫んでいる。知らなければならない事があると吼えている。

 

「織斑先生、お怪我は?」

「大丈夫だ、すぐに治る。それよりも状況は?」

「はい、まず篠ノ之さんが撃墜され、その後シャルロットさんとラウラさんが撃墜。セシリアさんと凰さんも撃墜され、残るのは……織斑君一人になりました」

「そうか……。おい」

「何でしょうか」

 

 黒髪の女は、どこからか取り出したお茶を啜りながら機器を操作していた。

 見るからにシールドの復元と各施設の完全封鎖をしていたように見える。その理由の意味が分からない。IS学園を潰す事自体が目的なのか。それとも――。

 

「マドカから聞いた。アリーナに行かなければ手遅れになると。お前、その意味を知っているのか?」

「……はい。マドカ様の仰るとおりです」

「その手遅れとはどういう意味だ」

「――見れば、分かります。まもなく、あの方の正体が分かると思われますから」

 

 千冬は訝しげな視線を向けながら、管制室の窓からアリーナを見る。

 白髪の少年と織斑一夏が対峙していた。

 白いコートの随所が焦げ、切り裂かれているが少年に目立った外傷はない。

 織斑一夏もまた同様だった。

 

 

 

 

「――待っていた」

「何がだよ……」

「この瞬間を、ずっとずっと待っていた。ただずっと――醒めない夢の中で求め続けていた」

 

 白髪の少年は不気味な笑みを張り付けた。

 恍惚とした口元に、生気のない瞳。揺れる体はまるで亡霊のようだ。

 紅い瞳が一夏を射抜く。

 

「それを言えよ。何でだ、何で俺だけを狙えばいいのに、箒達まで巻き込むんだ!」

「巻き込む? 知った口を聞くな、模倣品が。お前が守られていると言う事実に気づかなかっただけだろうに」

「! ……許さねぇ、俺の仲間の分まで絶対にぶん殴ってやる」

 

 瞬間、少年の体を黒い泥が覆った。

 その泥を一夏は見た事がある。確かラウラのISに搭載されていたVTシステムが発動した時の物と酷似している。だがあの少年はISを使っていない。それが彼らの僅かな時間を奪う。

 そして一夏たちは知る由もなかった。

 今の少年の姿は、埋め込まれたコアが元々あった彼の体を変化させ、アインとするために各所を補おうとして変貌した容姿に過ぎない。

 言わば、仮の姿なのだ。彼は塗りつぶされていた。

 彼を包んでいた泥が爆ぜる。

 少年の右腕に剣が握られた。それは一夏の雪片と酷く似ている。ただ一つ違うとすれば、その刀身や柄は血の様に紅く憎悪を吸い上げたかのように黒い。その刃からは黒い瘴気が滲み出ているようにも見えた。

 全身の泥が爆ぜる。

 黒い鎧が姿を現した。まるで中世の騎士のようなその鎧は、抑え切れない何かが瘴気のように溢れ出している。黒い霧は、彼を埋め尽くさんとばかりに鎧の隙間から顔を覗かせていた。

 左腕には黒い篭手が嵌められており、そこからもまた夥しい程の影が湧き出て、宙へと溶けて行く。

 

「――お前、は!」

 

 一夏が叫んだ瞬間、その顔が露わになる。

 長かったはずの白髪は短くなり、少年らしい髪型に。

 瞳の紅さは変わらない。だと言うのに、その輪郭は何か違っていた。

 顔の各所には血管が浮き出ており、脈動するその線は彼が今生きていると告げていた。

 その面を知っている。その顔を知っている。

 だってそれは――

 

「俺と……同じ……?」

 

 織斑一夏とまったく同じ顔をしながらも、白髪の少年は黒い雪片を構えた。

 その双眸に復讐を抱いて。その全身に怨嗟を閉じ込めて。心の内にある全てを憎悪に変えて少年は一夏を睨む。

 さぁ、知るがいい。

 お前を輝かせるために流された血を。

 お前を輝かせるために踏み躙られた嘆きを。

 お前一人が平穏と生きる裏で、どれだけの慟哭が響いていたのかを。

 

 

「――返せ。オレを、織斑一夏だったはずの全てを――返せ」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ブレイクダウンユアマインド

 

 

 

 オレは一体、何のために生きているのだろう。

 ただその答えを知るためだけに、求めるためだけに戦ってきた。

 それを得るために多くの命を踏み躙って、両手を鮮血で染めて、多くの世界を殺して、そしてようやく目の前にたどり着いた。

 だが生まれたのは歓喜では無い。言うなれば歓喜以上の疑問だけがあった。

目前の戦いを前にして、今ふと思う。

 

 

 この戦いの先に、答えはあるのか。

 

 

 

 

 

 

 少年が飛び上がり、一夏へとその剣を振り下ろすべく、彼を見落とす。灼熱の紅眼が彼を捉える。

 咄嗟に一夏は右方向へスラスターを噴かせて回避――否、そこからさらに上空へ。まさしく本能だけが優先した動きであった。

 地面へと激突したその刃は、地面を深く穿つ。そして地面を掘り返すように剣が捻られ周囲が薙ぎ払われた。撒き散らされる粉塵は、まるで血飛沫のようにも見えた。

 剣の傍に付随する黒い泥が砕けた地盤を磨り潰し、斬撃は黒の衝撃となって一夏へと飛来する。

 

「ッ!」

 

 僅かに出遅れた。今までの本能から直感的に避ける。衝撃が頬を掠めると共に、体が戦慄に震えあがる。

 放たれた衝撃波はアリーナを包むシールドを破壊した。たった一振りの一撃が、堅強なはずの防壁を貫いた。

 バリアー無効化攻撃。

 その特性を持つ単一仕様能力――それは今の一夏の手にも握られている。

 

「零落……白夜……」

 

 意識を切り替える。左手の雪羅を射撃モードに選択。ターゲットを彼に絞る。

 相手は飛ぶ事はできない上に、飛行能力を持つ武装は所有していない。飛来する斬撃も脅威ではあるが、理不尽なほど範囲が広いと言う訳でもない。

 ならば遠距離ならまだ勝ちが拾える。その思考が一夏を動かす。

 

「こいつで……!」

 

 放たれたエネルギー弾に対して、少年は左手を翳すだけ。

 次の瞬間、黒い泥が左手から溢れ出し、螺旋を描く盾となってエネルギー弾を相殺する。

 その光景に一夏は声を漏らす。

 エネルギーシールドを容易く砕く破壊の剣。主を守る絶壁の盾。全てを削る黒き泥。

 

「……マジかよ」

 

 盾から突如姿を現した闇の帯が、一夏へとその姿を伸ばす。その奇襲に彼の体が反応できない。

 足の装甲に絡みつく。力を込めるが、泥のように纏わりついて剥がれる様子すら見せない。

 

「クソッ!」

 

 体が浮いた――そう考えた瞬間、凄まじい轟音と衝撃が一夏の体を貫いた。飛び散る石片を見て、地面へ叩き付けられたと気づくまで、僅かな時間を要する。

 意識が跳びかけるが、対峙しているという自覚がかろうじてその意識を繋ぎとめる。脳震盪が起きただけで、体の方は白式が守ってくれていたらしくエネルギーにダメージは無い。

 見れば少年は咳き込んでいて、何故か攻撃してこようとはしなかった。

 自分と同じ顔をした他人は、ただ気味が悪い。

 

「……何で、俺と同じ顔なんだよ。兄弟とかにしちゃ冗談も出来過ぎだろ」

「兄弟だと? 戯言はそこまでにしろ。もう気づいているはずだ。お前の全てはかつてのオレ自身の模倣」

「……黙れ」

「――お前はオレから作られたクローンだ。ISを使えるのは、お前に姉の細胞が混じったからに過ぎない。お前がISを使えるのは――ただの偶然だ」

「黙れって言ってんだろうが!」

 

 黒の刀身と白の刀身が激突する。衝突によって生じたエネルギーが、烈風となりアリーナへと吹き荒れる。

 彼女達は見る事しか出来なかった。“一夏”と呼ぼうとしてもそれは一体どっちを呼んでいるのか。ただ、見守る事しか出来なかった。

 鍔迫り合い――否、徐々に黒き刃が白を染めていく。

 

「だったら、だったらここに俺は何なんだ! 今まで織斑一夏だった俺は!」

「ここにいる? 今まで? ――織斑、一夏? 借り物風情がオレを語るな」

 

 歪み続けた心の空白を、カタチのない物で埋めるように。

 ずっとそれを繰り返し続けて来た。何度も何度も埋めても、満たされる事など一度も無い。

 当然だ。例えどれだけ詰め込んだとしても、収める器が無いのなら埋まる訳が無い。ただ零れていくだけだ。それを当然だと気づかなかっただけ。

 記憶、愛情、誇り、名前、居場所、家族――誰よりも幼いときからあの人の傍にいたと言うのに、それに気づけなかった。

 今更気づいた時既にその手は、届かない遠くへと行ってしまったというのに。

 

「オレは――」

 

 気がつけば言葉が口から漏れていた。抑えられるはずも無い。少年の心を貫く濁流は、今彼の全てへと流れ込んでいる。

 今まで心の中に蹲っていた想いが、言葉となって全てを体現する。

 己の本質など何も無いという事、たったそれだけの事実に気づけなかった自身を呪うかのように。

 ふと少年は、気づいた。――渇望が湧いてこない。あれだけ殺したかったのに、いざ目の前にして――。

 何故だろう、と少年は剣戟の中で思案する。だと言うのに口だけはすらすらと動いた。

 

「オレは失って気づいた。織斑一夏に中身は無いと。殺して殺して殺して殺し続けてきて、ようやく分かった」

 

 疼く。少年の中で、今まで隠し続け、殺し続けてきた物が息を吹き返す。

 

「姉の姿に憧れ、突き動かされ、自分自身というその在り方を全て投げ捨てて、ただそれだけを追いかけた」

「やめろ……」

「そこでようやく悟った。オレはどれだけの人を傷つけてきたのか。どれだけ無知だったのか。どれだけ、身勝手だったのか」

「やめろ……ッ」

 

 瞬間、少年は頭の片隅でようやく気付く。自分が走り続けて来た全ては、投げ捨てるためだけにあったのだと。

 奪われたと叫んで、取り戻そうと再起した。失った手に何かを掴もうと、歩み続けて来た。

 だが結局、求めた全てですら答えでは無かった。取り戻す物なんて最初から何一つ無かったのだ。少年の手に掴める物など何一つ無かったのだ。奪われたと思っていた物は全部、少年の下には戻らない。

 この戦いの先に、答えなんて最初から無かった。

 今まで少年が剣を振るい続けてきたのは、その八つ当たりでしかなかった。

 気づいてしまった。理解してしまった。

 

「織斑一夏――他者から都合のいいように押し付けられただけの存在。そんなヤツはいずれ大火の火種になりかねない。だったら――死んだ方が人のためじゃないか?」

 

 この瞬間、少年はようやく自身を理解したと悟った。何もない。何も残らない。それだけが今の自分だと。

 再び交錯する刀身。撒き散らされる火花は黒と白。

 両者はまるで正反対だった。

 白い鎧を操る一夏が後退し、黒い鎧を纏う少年が追撃する。

 黒い髪が揺れる。白い髪が揺れる。白い刀が動く。黒い刀がそれを追う。

 少年の方が遥かに勝っていた。多くの人命を斬り、撃ち、潰し、砕き、破壊し続けて来た戦闘機械。その役割が徐々にギアを上げて来たのだ。斬撃がさらに加速し、さらに数を増やす。

 目の前の敵を殺す。たったそれでしか、少年が彼女達に報える物は存在しない。だから殺す。

 

「ふざけてんじゃねぇ! この学園にいる織斑一夏としての記憶は、俺としての誇りだ! 例えお前がどんな道を歩んでいたとしても、俺はそれを曲げない!」

「――誇り? 何もないのにか? お前など、オレのコピーでしかない人形だ。その思いも、その感情も全てオレから生まれた物だ。だから、お前には何もない」

「俺だって、織斑一夏だ! 人形なんかじゃねぇよ!」

 

 その言葉だ。その言葉が何よりも気に食わない。自分の居場所を奪っておきながら、平凡に暮らすお前の存在が気に入らない――!

 今までそう思っていた。そう感じていた。

 違う。元々何もなかっただけ。まるで奪われたかのように勘違いしていただけだ。正当化のために、紛糾してきた。

 織斑一夏――心にこびりついたこの名前は一体どこへ向かえばいい。

 

「あぁ、何だ。教科書通りの言葉か。ところで誰に言っていた?」

「テメェッ!」

 

 腕がさらに剣を速める。

 だが突き動かすのは、使命でも無ければ衝動でも無い。

 ただ殺すと言う役割を果たす。その目的のためだけに、今全てが動いている。

 

「俺は守りたい人がいるから戦う! いつか、皆が一緒に笑えるようになるまで。それが俺の願いだから! だから、絶対に仲間を守る!」

「――喧しい。人形が口を開くな」

 

 少年にとって一夏に降り注ぐ光は酷く眩しかった。ただ憧れて、手を伸ばすしかなかった。もうその光は自分に見向きもしないと分かっているのに。

 ――少年が希求していたのは一体何なのだろうか。この戦いの先に、歩んだ果てに、一体何が残ると言うのだろう。今、残っている物など一つも無いと言うのに。

 

 

 

 

 

「アレがあの方の正体です」

 

 アルカの声も、千冬には届いていなかった。

 彼女はまるで何かに縋るかのような瞳で、織斑一夏しかいない死闘を見ている。

 その様子を見て、彼女は一つ相槌を打った。織斑千冬は今――罪悪感に捕らわれ始めているのだと。

 彼女だけではない。

 アリーナにいた専用機持ちの少女達も、この場にいる誰もがその死闘を見ていた。今まで彼女達の知らない現実を目の当たりして、崩れ落ちていた。

 だがアルカもそれは同様だった。余りにも遅すぎる。否――彼の放つ攻撃は凄まじい威力だ。見てるだけでもそれがはっきりと分かる。今の彼なら、織斑一夏を仕留めるのに数分ともかからないはず。

 だというのに何故、これほどまでに時間が掛かっているのか。そこまで考えて始めて凡そ数刻、ようやくアルカは気づいた。

 

“……まさか、自暴自棄になっている”

 

 バイザーに隠されていて彼の目は見えない。だが口元は全く変わっていないのだ。それはもしかすると、彼が――。

 カレンの忠告どおりだった。彼女はここまで見抜いていたのだろうか。それとも途中で気づいたのだろうか。

 そこまで考えて彼女は一つ覚悟を決める。

 負けたのならば――私もここにいよう。あの方に世界が牙を向けるのなら、私がその牙を砕こう。あの方に世界が死を望むのなら、私が世界を殺そう。あの人が自ら死を望むと言うのなら、私も共に逝こう。

 私にとってあの人だけが、全て。あの人以外、私には何もいらない。

 

「……どうか、ご無事で」

 

 負けてもいい。ここで私が死んだって構わない。

 ただあの人が無事でいてくれたのなら、もう何も望まない。

 

 

 

 

 

 少年が激しく咳き込んだ。一夏を剣ごと薙ぎ払い、間合いを広げた。

 彼が片膝を着いて、しゃがみ込むその姿勢に一夏は警戒する。剣を握る右腕が僅かと震えている。息遣いが徐々に深くなっていく。

 やがて、少年の口元から一筋の血が垂れている事に気がついた。

 いや口元だけではない。

 鎧の至るところから血が溢れ出している。少年の体の各地で出血が起きているのだ。

 

「……」

 

 少年は再び剣を構えて、突進した。広げた間合いを規格外の瞬発力で一気に詰める。そこから突き出される剣先――強烈な刺突を一夏はかろうじて逸らす。

 続けて繰り出された鋭い回し蹴りをまともに食らい、背後へと退く。

 そこを狙っていたかのように少年が地面に剣を突き立て、柄を支えに跳躍する。

 瞬間、刀身を闇がまとい、剣が一気に肥大化した。無論、それに伴い少年の飛距離も上昇する。

 より高い位置から振り下ろされる漆黒の刃。重力によって破壊的な威力が、壊滅的威力へと倍増。一夏が瞬時に動く。少年の一撃がアリーナの大地を粉々に砕く。

 避けきれずその一撃で一夏は大きく吹き飛ばされた。

 受身すら取れず、地面に激突する。

 

「くっ……!」

 

 展開している白式のエネルギー量は既に十パーセントを切っていた。

 エネルギーが切れれば具現維持限界が訪れ、白式は強制解除される。もしそうなってしまえば、後は殺されるのを待つしかない。瞬時加速(イグニッション・ブースト)は使用不可能。

 完全に詰みだ。体のあちこちが痛み、既に立ち上がる体力など残っていない。

 音を立てて、少年が歩いて来る。黒い鎧はいつのまにか各所に血が滴っていて、彼の足跡には鮮血がこびりついていた。

 少年の口から血の塊が吐き出されるが、彼はそれを拭う事もせず剣の先を一夏へ突き付ける。

 

「死ね、織斑一夏」

 

 両目から血涙を流した少年が、一夏を見る。

 まるで機械のようだった。まるで冷氷のようだった。戦闘機械――その境地を少年は知ってしまった。だからもう戻れない。

 少年が剣を振りかぶり、黒き刃が一夏を頭部から切り裂こうとする。

 眼前に突きつけられたその冷たさが来るのを、一夏は受け入れようとして目を瞑った。

 ――いつまで経っても衝撃はこなかった。

 見れば、額のほんの僅か手前でその剣先が止まっている。

 ポタリと、少年の口から一際濃い血が零れ落ちた。

 真紅の血が刃を伝って行く。

 

「……えっ」

 

 彼に何が起きたのわからない。

 黒い鎧と刀は、光の粒子へと分解され白いロングコートに戻る。短かった白髪は、先ほどまでと同じように腰まで伸びていた。白いコートへ、徐々に血が滲んでいき鮮紅へと染めていく。

 少年が地面に両膝を落として、そのまま真横へ倒れこむ。その瞳は虚空を見つめながら、静かに閉じていく。

 そして役目を終えたかのように白式も解除された。

 倒れた彼の体を中心に血溜りが広がっていく。

 

「何……が……」

『そのお方にお手を触れぬようお願いします。ご事情は後ほど説明しますので』

 

 聞いたことも無い声が放送として響く。

 一夏は何が起きたのかも分からず、ただ――自分が築き上げてきた全てが崩れ落ちるのを感じながら、目を閉じた。

 

 

 

 

「……やはり、負けましたか」

 

 アルカは管制室から彼の敗北を知った。

 彼が使った力は、ISコアを体の保護から攻撃へと使用する事で爆発的な戦闘力の増加を行う物だ。

 少年の持っていた刀はかつて“暮桜”に搭載されていた武装だ。――雪片、その単一仕様能力である零落白夜を斬撃として放つ事が出来る。近距離と遠距離、どちらの間合いでも問題なく使用出来る。その上、相手がISであるのならば当たればエネルギーを大きく削るし、攻撃ですら相殺するため、その使い勝手はさらに上昇する。

 ただし代償は例外なく用意されている。ISでの単一仕様能力で挙げられるデメリットは燃費の悪さだ。その暴食故、搭乗者を守るはずのエネルギーですら使用する。

 なら――もしそれを人間の体で行えばどうなるのか。簡単な事だ。

 強大な力を得る代わりに、その命をエネルギーとして消耗する。細胞は蹂躙され、神経は限界を超える情報量を一気に流し込まれる。人体は細胞で全て構成されるため、臓器は全て甚大な損傷を受ける。

 体の崩壊が始まり、やがて全身を激痛が襲うのだ。熱された鉄棒で、内臓をかき回されるような痛みが常時使用者を襲い続けるような物。

 その中で、少年はただ只管戦い続けたのだ。既に彼の内臓や血管はあちこちが破裂、損傷しているだろう。

 結局最後は、その反動に彼の精神力が持ちこたえられなかったが。

 

「……」

 

 マドカとスコールの二名に彼の敗北を知らせる信号を送る。

 そうしてアルカは席を立った。アリーナに倒れている彼を守り抜くのが、今の彼女の役目である。彼を守れるのは彼女しかいない。

 既に彼の内臓は大部分が損傷し血管はあちこちが破裂しているが、心臓に埋め込まれたISコアの生体再生機能がその傷を癒し始めているはずだ。だが受けたダメージが余りにも大きすぎる。少なくとも今夜中は目を覚まさないだろう。

 そう思考する彼女の隣で、織斑千冬はずっと何かを呟き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 既にIS学園の外部の海上では決着が着こうとしていた。

 クラリッサ、イーリス、フォルテの三人が撃墜され、既に残るISは二機。

 最早片手間で済ますことなど用意だった。

 

「!」

 

 突如としてスコールが茫然とする。アルカから送られてきた情報は到底信じがたい物だったからだ。

 そんな彼女の様子に興味が湧いたのか、エヌとオータムが彼女の傍らへと滞空する。

 

「どうかしたのか、スコール?」

「……二人とも、驚かないで聞いて頂戴。アインが……敗北したわ」

「何!?」

「理由は不明だけど、既にアルカが保護に向かっているそうよ。エムはまもなく合流するみたい」

「……マジか、どうする。今から行くか?」

 

 スコールは思考を張り巡らせる。

 救出に向かうか、それとも――

 その思考を打ち消したのは、本部からの通信だった。

 

『本部より告げる。現在IS学園外部にいるスコールチームは即時本部へ撤退せよ、繰り返す。現在IS学園外部にいるスコールチームは即時本部へ撤退せよ』

「……何のつもりですか」

『繰り返す、撤退しろ。本部からの命令だ』

 

 舌打ちする。何故今、このタイミングになって――。何を考えているか分からない上層部の事だ。

 だが、この時以上に憎たらしいと思った事はない。今自分は指揮官である以上、無責任な事は許されないと言うのに。

 

「スコール!」

 

 エムの姿が視界に映る。彼女が無事だという事実が、荒れた心を少しだけ鎮めてくれた。

 現在IS学園に残っているのはアインとアルカの二名。彼らには自力で脱出してもらうか、後の救出作戦を期待するしかない。アインはともかく、アルカがいる以上余計な心配は無用だ。彼女がいてくれるのならば、何の問題も無い筈。

 唇をかみしめる。静かな怒りを制御して、スコールは口にする。

 

「……分かりました。ですが、本部でしっかりとした理由の説明を要求します」

『許可する』

 

 スコールはIS学園を一瞥する。

 そこに残された二人の事を気に掛けながらも、彼女達は飛び去った。

 

 

 こうして、嵐は姿を消す。

 

 

 その痕に多くの悔恨を残して。

 

 

 

 

「……なるほど負けたか」

「勝ったのは作り物。ある意味予想通りの展開ね」

「では、そろそろ計画を実行に移すとしよう。そろそろこちらの思惑に気づいた者もいるようだ。忙しくなる。撤退命令を出させた以上時間が掛かりすぎては意味が無い」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンサー

12/25、修正しました。
    アルカが嫌味な感じに見えたので発言を柔らかく修正。少し優しくなってます。


 

 

 

 

 少年は鮮血の大地に立っていた。白い外套を血に染めて、その頬を、その髪を、鮮血で濡らして。

 周囲には屍が隙間なく転がっていて、亡骸の群れが地平線の彼方まで広大な大地を埋め尽くしている。

 屍を飲み込むように流れる広大な河川は、全て流血によってもたらされた物だ。生き物など住める訳が無い。

 空は燃え盛る業火のような色で、憎悪が全てを覆っている。太陽など見えるはずも無い。

 赤い空の彼方に敷き詰められている綺羅星は人の眼球で、全てが少年を凝視している。気味が悪い。

 吹き荒れる風は黒く、どこかで生み出されている憎悪と怨嗟を少年の体へ刷り込んでいた。

 握り締めている銃と刀が酷く重い。刃に滴る返り血――紅に塗れた銃身が妖しく輝く。もっと血を寄越せ、肉を喰らえ。まるで持ち主の意志など耳を貸そうとはしなかった。

 

「……違う、違う」

 

 そんなつもりは無かった。ただ織斑一夏の名を取り戻せば、それだけで良かった。自分の居場所があればそれでよかった。

 ただもう一度、もう一度本当の名前を、ただ一夏と呼ばれたかっただけなのに。

 気づけばもう戻れなかった。踏み躙って来た命を無かった事にするわけにはいかない。亡者のために、少しでも多くの人を助けたいと言う大義名分に縋り付いた。

 そのために握らされた力を振るい続けた。目の前の敵と言う存在を潰してきた。

 そして、その果てに辿り着いた末路がこの光景だ。

 織斑一夏を殺せば、戦争の火種が勃発するのは明らかだった。事実が知れ渡り、彼を求めようとまたは始末しようと多くの血が流れるだろう。スコール達の実力が桁外れとは言え、単独で世界を相手取って勝てる訳ではない。

 ――つまり、彼女達も戦火で命を散らす事になる。

 そうなる結末を自分は望んだと言うのか。彼女達を巻き込んで、より多くの人命を死なせる事を理想としていたのか。大事な人を、自身の妄念で殺す未来を望んでいたと言うのだろうか。

 

「違う……違う! 守り抜くと、そうでもしなければ殺した人たちへの侮辱になるから! せめて……せめて彼らの大切にしていた人たちが、平和で暮らせる世界にしたいと! オレが殺してきた人たちが報われるためには、ただソレしか無かった!」

 

 織斑一夏と言う名前への更なる執着は、殺した人たちへの償いから生まれた強迫観念だった。殺してしまったから、奪ってしまったから。果たさなければならないと。求めなければならないと。

 もしそれが途絶えてしまったら、今まで死んでいった人たちはどうして殺されなければならなかったのか。

 少年の叫び声は小さかった。世界中の怨嗟の声がその叫びを掻き消す。

 彼の人生を全て否定し嘲るかのように世界は笑う。

 そうだ、世界のためならば人間の人生など路傍の石に過ぎない物。

 彼女達が――そうであったように。

 

「オレが織斑一夏になれなかったら……顔向け、できない……」

 

 スコール達がいた亡国機業の目的は“世界の恒久的平和”だ。

 だが、少年の求めている結末はその目的とまったく相反する。

 そんな矛盾に気づかない自分へ枯れた笑い声を漏らして、彼は虚ろな瞳で無数の亡骸を見る。

 守りたいと思った人が皆死んでいた。看取る事すら出来なかった。希望を見せる事すら叶わなかった。

 

“死なないでね”

“兄さん、もう一人にしないで”

“けっ、当たり前だろ”

“探して行きたいと思ってる。この子やスコール、そして貴方と共に”

“……どうかご無事で”

“なら弟子の行く先を見届けるのが師の役目ってモンだろうに”

 

 彼女達の言葉が鮮明に甦る。鼓膜を揺らす声音が、輪唱のように少年へ刻み込まれる。

 元々――彼女達は気づいていた。自分がもう織斑一夏に名乗る事はできないと。

 その事実に気づいて欲しいと、新しい自分を探すために生きて欲しいからこそ、彼女達は力を貸してくれていたのではないか。

 なら、この結末は何だ。この末路は何だ。

 幸せになって欲しいと思っていた彼女達にこんな悲劇をもたらしたのは――自分であるというのに。

 それはまだ十五年しか生きていない少年にとって、下された十字架のような物だった。

 スコール達の事は、大切だった。彼女達が少年の行動を咎める事もあった。

 それでも、その思いや迷いを振り切った先に自身の求めていた全てがあるはずだと考えて来た。

 自分の道が間違っていないはずだと妄信して、大切な人が皆自分の理想を希求していると誤解して。

 自身の身勝手な妄想が――さらに多くの血を流してしまった。

 

「あぁ……あぁぁッッ!」

 

 喉を掻きむしる雄叫び。だがそれすらも風に掻き消されていく。

 心の内に焼けるような痛みが響き、銃を捨てようと腕を振った。

 だがへばりついているようで離れない。手を振るたびに、腕から血糊が撒き散る。

 ならば手を切り落とそうと、刀を振るが切れない。

 血糊で切れ味が落ちている。世界中の肉を食らい尽くしてもまだ足りぬと、その刃が告げていた。

 死ぬ事が出来ない事を悟り、地面に崩れ落ちる。

彼の重みで、地面に横たわっていた肉片が潰れた。

頬にへばりついた贓物へ涙が伝う。

血が混ざった涙は彼の服を赤く染めていく。

 

「オレは、一体……」

 

 言葉が溢れる。

 伝えきれぬ思いが血の涙となって、彼を汚す。

 

“――何を求めていたんだ”

 

 更なる絶望へ落ちていく。

 彼は全てを投げ捨てた。

 今まで抱いていた信念も思いも砕け散り、心の内に秘めていた誓いも大切な人たちの名前も何もかも忘却の彼方へと追いやった。

 もう地獄の底でもかまわない。

 どこでもいいから――ただゆっくり眠りにつければ。

 

 

 

 

 

 

 アインはIS学園の治療室で、ベッドに横たわっていた。服装は白いロングコートのままであったが、その表情に変化は無い。

 現在彼は反動による昏睡状態に陥っており、微かな寝息を立てている。末梢血管破裂と全身の筋繊維断裂、多臓器への裂傷――常人ならば助からぬ重傷だが、彼の体内にあるISコアはその命を繋ぎ止め、彼の体を回復へと向かわせている。

 傍らには彼を見守るアルカの他に、今回の作戦に参加したIS学園の重要人物が顔を出していた。彼を訝しげに見つめる者、彼を凝視する者など様々だった。

 ただ一つ――その中に織斑一夏の姿はない。

 アルカがそっと彼の額に手を当てる。白い肌は冷たく、温もりを感じさせない。――まるで彼の心のようだった。

 

「この場で話す事は全て他言無用に。そうでなければ、私は貴方がたを皆殺しにします。例えどこにいようと追いつめて、追いつめて追いつめて――必ず殺しに行きます」

 

 彼女の声に全員が、寒気を感じた。

 それは決して冗談でも無ければ妄言でも無い。震える膝が、その事を告げていた。

 ぐっと恐怖を飲み込んで、楯無が口を開く。

 

「……分かったわ、じゃあまず彼の正体を教えて」

「貴方なら、もう見当は付けられているのでは? 十七代目、更識楯無」

「……信じられないだけ。だから彼をよく知る貴方から教えてほしい」

 

 楯無など、スコール達と交戦していた者は幸いにも重傷は負わなかったがその疲労は凄まじいの一言だった。

 だからこそ、それを抑え付けてこの場にいるのは賞賛に値するだろう。

 

「この方の名はアイン。第二回モンド・グロッソ決勝戦の日まで、織斑一夏と呼ばれていた方です」

「……嘘だ」

「真実であり現実です。例え、何であろうと」

 

 うわ言のように否定した千冬を、アルカが諌める。

 分からない話でもない。

 あの時誘拐された弟を救出に向かい、千冬は家族を救えたと安堵していた。

 だが――その真実はどうだったか。

 まさか、その裏側で本当の弟は苦しんだままだったかというのか。

 

「なら、こんな変貌を遂げたのは?」

「まずそれについては、誘拐された後の事からお話しなければなりません。誘拐されたアイン様は実験施設にて様々な人体実験を施されました。薬品による肉体改造――それは彼から、次々と人間らしさを削ぎ落としていきました。何よりも決定的だったのは心臓にISコアを埋め込むという事です」

 

 全員の顔に驚愕の色が浮かんだ。

 常人ではまずそんな考えに至る訳が無い。体にボールを押し当て、融合させようとするような物だ。

 もしそんな事を平然と考え付き、容易に実行に移そう物のなら、それは外道と呼ぶのが相応だろう。

 

「そんなの……!」

「えぇ、普通なら拒絶反応が起きて死亡するため尚更無理です。ですが、埋め込まれたISコアはかつて千冬様が使われていた機体でした。初めの頃に作られたコアであり姉弟だからこそ、中途半端な状態でコアが適合してしまった。半分は適合され、半分は拒絶された」

「まさかその機体は……」

「はい。それが暮桜です」

 

 千冬の肩が震える。

 他の誰でもない。

 最愛の弟をこんなカタチに変貌させてしまったのは――全て自分に原因あるからだ。

 

「……その半分拒絶されたのは」

「それが私です。私は彼の心臓に埋め込まれたISコアが拒絶反応により、彼より肉体を奪ってその姿を具現化した存在。――肉体を得た暮桜のコア人格、それが私と言う存在です」

 

 誰もが事態の把握に言葉を詰まらせた。

 無理もない。

 この話や状況は、余りにも現実離れしすぎている。

 無茶苦茶な御伽噺の方がまだ信用出来ただろう。

 それを察したのか、彼女は息を吐いた。

 

「私はいつでもこの方の傍にいます。聞きたくなったのならまたいらしてください」

「……そうね。ではここで一端解散としましょう。私はIS委員会に事実を隠蔽する準備をします。この事は軽々しく口にしていい事じゃないですから」

 

 それぞれが沈痛な空気を纏ったまま部屋を出て行く。

 ただ一人、千冬だけがその場に崩れ落ちていた。

 

「……なぁ、暮桜」

「はい」

「私が……私がしてきた事は何だったんだ。家族を守るためにISを捨てたと言うのに。……何故、今更になって苦しんでるんだ」

「……分かりません。私にはまだ人の心が良く分からない。ですが一つだけ言えるとすれば、この方は千冬様を恨んでおられません。全て自分が弱いせいだと、自身を責めておられます。もっと自分が強ければ、もっと自分がしっかりしていれば――こうはならなかったはずだと」

「違う、違うんだ。一夏。私が……」

 

 アルカの言葉が届いたのか、届かなかったのか。

 それすらも分からないような足取りで、千冬は部屋を出て行く。

 まるで何かから逃げようとするかのように。

 

「……アイン様、これが本当に貴方様の望まれた事なのですか。織斑一夏という名前を取り戻せば、それで終わっていたのですか。貴方が殺してしまった方々はこれでも貴方を許さないと言うのですか」

 

 彼は答えない。

 きっと今も醒めない夢の中を、彷徨い続けているのだろう。

 何故かそれを、羨ましいとは感じなかった。

 

 

 

「大変だわ、ホント」

 

 楯無は事後処理に追われていた。

 本来なら織斑千冬がてきぱきと進めてくれるはずだった。

 しかし彼女は今憔悴し切っており、進めてくれてはいる物の効率は遥かに悪い

 彼女のサポートである山田真耶が手伝って、ようやく人並みと言ったところだ。

 

「……でも仕方のない事よね」

 

 楯無はまだベッドで昏睡状態に至っている少年の姿を思い出す。

 少しでも彼を助けてやりたいと思う心があるのは、甘さの証なのだろうか。

 だが妹と自分の仲を円滑にした切欠を作ってくれたのは彼だ。

 もし楯無が織斑一夏に頼めば、彼とは違った方法だが楯無との仲を同じように解決してくれるだろう。

 同じ人間なのだ。

 優しさに境目が無い、どこまでも優しい少年。ただ彼は、その優しさを自分への罰にしてしまっていた。

 

「……スコール、今なら貴方の言っていた事理解できるわ。そして……彼を助ける事が出来る貴方が純粋に羨ましい」

 

 

 

 

 

 深夜、織斑千冬はおぼつかない足取りで少年のところを訪れていた。

 彼を何と呼べばいいか分からない。

 一夏とは呼べない。彼女が守れなかったから。

 アインとは呼べない。原因を作ったのは彼女だから。

 故にこうしてみていることしか出来ない。

 

「……私は」

 

 そこまで呟いた時、少年が手を伸ばしていた事に気づいた。

 まるで何かに縋るかのように弱々しく。

 まるで何かに願うかのように重々しく。

 指先が虚空をなぞる。何も握らず、何も触れず。

 だけど必死に探るように動かす。

 やがて力尽きたその腕は落ちようとした。

 

「――!」

 

 手を抱きとめる。

 冷たくなった掌を、彼女は両手で包み込んだ。

 力なく握り返されるその感触が、彼女の心を傷つける。

 

「……」

 

 少年の口が何かを呟いていた。

 忘れまいとするかのように、何を呟いていた。

 

「だいじょうぶ……だよ……」

 

 その言葉が千冬の脳裏を駆け巡る。

 そうだ、同じ言葉をどこかで聞いた。

 

「千冬姉は――」

 

 誓いの言葉――あの時少年が千冬に誓った決意の言葉。

 遠い昔、月の下で一人の子供が語った未来。

 

「ぜったいに……おれが……まもるから」

 

 何故信じてやれなかったのだろう。

 小さな子供が大人を励ます程度の言葉だと思っていた。

 星にかける願いのようなものだと思っていた。その誓いを、彼はずっと心の内に秘めていたのだ。ただそのためだけに、思い出せぬ決意を枷にして彼は生き続けて来た。

 なのに、彼女はそれを忘れてしまっていた。

 

「……なさい」

 

 千冬の目尻を涙が伝う。

 かつて世界最強を手にした女性は、己の全てを恥じて涙を流す。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……。私が、私なんかが……姉じゃなかったら……!」

 

 その言葉は少年には届かない。

 ただ、小さな悲鳴となって夜の空気へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 底は地獄で、其処は果てだった。

 燃え盛る火炎と崩れ落ちる廃墟。

 生命など到底存命する事など出来そうにもない。

 地面は焦土と化し、空気は熱に冒され、空は終焉を遂げようとしているのではないかと思わせるような灰色の空だった。

 そんな中を一人の少年が体を引き摺りながら歩いていた。

 

「――」

 

“苦しい”

 

 それが今、少年の中に渦巻く思いだった。

 着用していた白い手術着は既に焦げており、そこから見える肌は人間とは思えぬほど細い。

 素足でこの地獄を歩くにはさすがに無謀すぎた。

 灰色の空と吹き荒れる風、爆風により破壊された辺り一帯はこの世とは思えぬ光景。

 地獄という物があるとするならば、きっとこのような場所に違いない。

 熱風と熱砂、出血と熱が意識を奪い死へと彼を誘う。

 だがそれでも、ようやく外に出れたのだ。

 後はきっと――きっと■が助けに来てくれる。

 もう悪夢に苦しむ必要も無い。

 少し、ほんの少しだけで――。

 そんな希望にすがるように手を伸ばし、少年は倒れた。

 浅く呼吸を繰り返しながら、地面を這いずり少しでもこの地獄から抜け出すために微かな歩みを進める。

 だが、既にその体は限界だった。

 煤に塗れても、彼は目を閉じず、灰色の空へ手を伸ばす。

 簡単に折れてしまいそうなほど細いその腕は、土煙と鬱血に塗れていた。

 

“――助けて、■■■”

 

「――」

 

 言葉にならぬ声。否、小さな声は地獄を吹き荒れる風に塗りつぶされてゆく。

 まるで祈る事すら憚るようで、だが少年はそれに気づかず、ただ必死に手を伸ばす。

 しかし、その手は何も掴まない。空を切った手は地に落ちる――はずだった。

 

「……っ」

 

 落ちるはずだった手が抱きとめられた。

 その温もりを知っている。

 その優しさを知っている。

 その美しさを知っている。

 一人の女性が、少年へ優しく微笑みかけていた。

 思い出せない。誰よりも知っているはずなのに、思い出せない。

 だけど、体は覚えていた。

 口が動く。何を言えばいいのか分からない。

 それでも、言わなければならなかった。

 もしここで彼女を忘れてしまえば、二度と取り戻せない気がしたから。

 

「だいじょうぶだよ」

 

 遠い昔――何もかも色褪せてしまった世界の中。

 どうしてか、その光景だけは鮮明に映されていた。

 

「千冬姉は」

 

 白い闇、満月の夜、着流しを着て、彼女の隣で――。

 思い、出した。――何もかも。

 

「ぜったいにおれがまもるから」

 

 何よりも彼女に憧れていたのに。

 自分では彼女の傍にいられない。

 汚れた自分が彼女の近くにいては、彼女まで汚れてしまう。

 けれど、今はただ手の温もりだけが恋しかった。地獄から引き上げてくれる蜘蛛の糸のように、ただそれだけが。

 

“……あぁ、そうか”

 

 姉に見守られながら、少年は静かに目を閉じる。

 優しい日溜りが彼を包む。投げ捨てようとした物の重さにようやく気づいた。

 また――繰り返すところだった。

 

“伝えたかったのは、織斑一夏に固執する事じゃなくて”

 

 ようやく彼女達の真意が分かった。何もかもを受け入れて歩む事。

 自分に葛藤も非難も怨恨も、それらを背負って生きる事の覚悟が無かっただけだった。

 たったそれだけの事を知るのに、大きく遠回りしてしまった。

 だから、もう二度と見失わない。

 

“貴方の弟である事を、自分自身の生き方を誇りに思えば、ただそれだけで――良かったんだ”

 

 その温もりは既にもたらされていた。求めていた物はすぐ近くにあった。

 スコール達が、アインとして生きる事を受け入れてくれた。

 ならもう、織斑一夏に戻る必要は無い。

 ようやく気づいたその思いが彼の傷を癒す。

 

 

 

 そうして、自身が抱いていた思いによって何一つ得る物がない事を知った少年は後悔を抱いて、されど満たされた思いに安堵して再び眠りの底へと着いて行った。

 

 

 

 

 織斑一夏は虚ろな瞳で、自室の隅に座り込んでいた。

 自分が矮小な存在に思える。

 孤独はこんなにも寂しかった。

 孤立はこんなにも苦しかった。

 慣れたつもりだった。

 女性しか入れないこの学園に、たった一人しかいない男子学生として入学して、苦しい空気になれて、色々と突拍子も無い事には慣れたつもりだった。

 

「何だよ……。結局全部、アイツの作り物だったのか。この思いも考え方も全部、俺が作ったんじゃなくて、用意されていたのか」

 

 心に反して、体はすらすらと事実を述べた。

 その言葉が一夏の心を抉る。粉々になった欠片をさらに磨り潰す。

 何を見ればいい。どこを見ればいい。俺の体のどこに、俺がいる。

 

「……白式」

 

 ガントレットの冷たさが、酷く虚しかった。それすらも他人からの譲り物。ならば、本物の俺はどこにいる。――何も答えない。

 訪れる静寂が、その冷たさを誇張する。

 だがその静寂が突如、扉を開く音に破られた。

 

「……一夏」

「……放っといてくれ。俺は替えの効く機械なんだ。だから、もう気にする必要は……」

 

 胸倉を掴み挙げられて殴りつけられた。

 今までの中で一番強く、一番重い。

 腕力だけで出せるような力ではなかった。

 

「アンタが……! アンタが機械なら、その機械にアイツは憧れたって言うの!? アタシ達は機械が好きだったってコト!? ふざけないで! アンタはアンタでしょうが! 始まりはそうかもしれないけど、今はもう違う!」

「……」

 

 鈴の言葉が突き刺さる。

 彼女達の存在を忘れていた。

 

「アイツから言われた事を思い出せ。重みが無いのならこれから作ればいい。まだ時間はある。これから自分らしさなど作り出せて行ける」

 

 ラウラの言葉が心を揺さぶった。

 まだ時間は十分残っている。

 

「ここにいる一夏は、僕たちが好きなたった一人だけの織斑一夏なんだ。……だから簡単に手放さないで。僕達を助けてくれた織斑一夏は、君だけだよ。一夏の思いは僕達が証明する。一夏の場所は僕達が守る」

 

 シャルロットの言葉が心に染み渡る。

 彼女達と接していたのは紛れも無い自分だ。

 それだけは変わらない。

 

「私達が貴方の居場所となります。それを決して忘れはしませんわ」

 

 セシリアの言葉が心を癒す。

 彼女達といたこの日々こそ、紛れも無い織斑一夏としての日々ではないか。

 

「……皆」

 

 まだ時間はある。

 その中で自分だけの織斑一夏を見つけていけばいい話なのだ。

 今すぐに答えを出す必要は無かった。いや、そもそも出せるはずが無いと言うのに。

 どうしてそんな事に気づかなかったのだろう。

 心に光が灯り始めた瞬間、見慣れていた少女の姿が見当たらない事に気づく。

 

「そういえば、箒は……」

「あぁ、箒は……結構堪えてると思うわよ。私は擦れ違いになった感じだけど、アイツは……」

 

 

 

 

 IS学園の屋上から見る満天の夜空は残酷なほど綺麗だった。

 もし紅椿でこの綺羅星の中を自在に飛べば、心の中の葛藤も吹き飛ぶのだろうか。

 篠ノ之箒は、ふとそんな事を考えていた。

 自分はどこまでもISに翻弄される。

 好きだった幼馴染と引き離され、IS学園で再会した。

 だが、その再会した幼馴染は作り物で本当の彼は人体実験で最早別人に成り果てていたのだ。

 鈴の音が気に食わない。

 

「いい夜ですね。私も物思いに耽る時は空を見ます」

 

 後ろを振り向くと、彼の傍にいた女性が立っていた。

 何となく織斑千冬を彷彿させるその風貌が、箒にとって苦痛に感じられる。

 

「貴方は確か……」

「私の名を覚える必要はありませんよ。またいつか、お会いにした時にでも」

「あ、はい……」

 

 思わずそう言ってしまった。同性であると言うのに思わず見惚れてしまう。

 本当に、綺麗な人だ。外だけでは無く、中も。

 

「あの……どうしてここに」

「そうですね……貴方に用事があるからです。このボイスレコーダーに篠ノ之束様からのお声を預かったデータが入っています」

「! 聞きたくないっ。あの人が、あの人がISなんてモノを作ったから一夏はっ! 一夏は……っ!」

 

 泣き出しそうになって目を瞑る。何も出来ない。私はどこを見ればいい。

 ――ふと、温もりが体を包んだ。

 

「落ち着かれますか? その……少々力加減が苦手で、何度か締め落とした事がありまして……」

「……ありがとうございます。その……っ、少しだけ落ち着きました」

 

 温もりが寒さに変わる。けれど、不思議と温かい。

 そういえば昔、よく眠れない時家族に抱っこされていた事を思いだした。

 

「……あの、ボイスレコーダーを、聞かせてもらっても」

「はい」

 

 女がボイスレコーダーのデータを再生する。

 よく聞きなれた声が、その場に響いた。

 

『……箒ちゃん、聞こえてる? 私だよ、貴方の姉篠ノ之束。用件はそこにいるあーちゃんから聞いたよ。いっくんが二人いる事実、実は私福音の時あーちゃんから聞いてた。でもあえて箒ちゃんやちーちゃんには言わなかったんだ。前持った情報は正確な判断が出来なくなるし、きっと気持ちの整理がつかなくなるからね。……箒ちゃんの好きないっくんはどっちなの? 過去か今か、どっちかを選ばなきゃ箒ちゃんはきっと一人になっちゃう。でもね、私は信じてるよ。箒ちゃんは箒ちゃんなりの答えがあるはずだから。――だって私の自慢の妹だもん。……こんなお姉ちゃんでごめんね、一人ぼっちにしちゃって……本当にごめんね』

 

 その声はいつも聞く姉の声ではなかった。

 遠い昔、よく眠れなかった自分をあやしてくれていた姉の声だった。寂しがりな自分に構ってくれた姉の声だった。

 そうだ、彼女もまた人間だ。孤独を感じ、喜びを感じていた。

 そんな姉の事が好きだった。大好きだった。愛して――いた。

 

「……謝るのは私の方だ、姉さん。本当なら貴方を支えないといけないのに、それをしなかった。貴方に冷たくして、私は自分の責任から逃れていた。だから……もし、もし叶うのなら――!」

 

 ――もう一度姉妹としてやり直したい。

 言葉にならない声が、口から漏れる。

 

 

 流れる星が、ただ静かに夜空を通り去った。

 

 

 

 

 

「……一夏、入るぞ」

「箒? あ、あぁいいけど……」

 

 一夏の部屋には、制服が皺だらけになっている彼がいた。

 彼もまた酷く悩んでいたに違いない。

 

「一夏、回りくどいのは無しだ。率直に言うぞ。私はお前の事が好きだ」

「……でも俺は作り物だぜ。お前が好きだった織斑一夏は」

「私がこの学園で見てきた織斑一夏はお前だけだ。そして私はその織斑一夏が好きになった。その……だから、何というか……! ええい、覚悟を決めろ。わっ私は、私は――織斑一夏である前に、人としてお前の事が好きだ」

「……そうか。ありがとな箒」

 

 一夏の表情に笑顔が浮かんだ。

 まだ時間はある。自分を認めてくれる人もいる。

 その中でならきっと、自分の答えを探せるはずだから。

 

「俺も頑張るから。アイツに負けないくらい強くなって、皆を守るから」

 

 

 

 

 

 目が醒めた。長い、長い夢を見ていたような気がする。長い夢を。

 見知らぬ天井が視界に入った瞬間、今までの事を悟った。

 ――帰って来たのか。思わずそう呟いた。

 

「……」

「アルカ、一つ聞いてもいいか」

「はい、おかまいなく」

「もしも、オレが織斑一夏を殺したら世界はどうなっていた」

「……まず殺したと言う事実は隠しきれません。いつの日か必ず世界中にその真実が露わになります。そして亡国機業も目星をつけられ、大戦が起きる可能性が高いです。各地でアイン様と同じ存在を作り出そうと考える者も少なくないでしょう」

「……スコール達が生き残る可能性は」

「ゼロです。私もアイン様も死にます。そうして、世界中には多大な犠牲が、生まれます」

「……そうか」

 

 もしあの時一つ間違えていたら、という仮定が総身を震わせる。

 自分の身勝手な思いが世界を滅ぼしかけたと言っても過言ではない。あの夢の恐怖が再び脳裏に甦る。

 

「……アルカ、オレは今まで生きていると実感が無かった」

「アイン様?」

「織斑一夏の名前こそが自分の全てだと、その先にきっと大事な何かが待っているのだと、そう信じていた」

「……」

「だが、それは関係ない人を殺したと言う事実から目を背けていた事を正当化するための言い訳だった。……スコール達やお前がずっとその事を教えていてくれたのに、オレは受け入れようとしなかった」

「……未だに織斑一夏へ固執していますか」

「……分からない。だけど、すぐに忘れる事は出来ないと思う」

「そう、ですか」

「まだ十五年しか生きていないのに、何を知ったつもりだったんだろうな。オレは……」

 

 アインはまるで別人のようだった。

 彼が今まで芯を持って行動出来ていたのは、織斑一夏の名前を取り戻すと言う願いがあったからこそである。

 だが、その願いがやがて大戦の火種となり多くの人たちやスコール達を死なせる結末になる。

 言わば裏切られたようなものだ。

 今の彼の心は伽藍としていて、支えなどほとんどない。

 あるとすれば、それはまだ大切な人たちが生きてくれていると言う事だけだ。

 

「……スコール達は」

「作戦途中に撤退命令が出され、現在本部へ帰還しています。マドカ様も無事に帰還に成功しており、残るは私たちだけです」

「……すぐに出よう。彼女達が」

「織斑千冬様が取り調べ室でお待ちになっています」

「……千冬姉」

 

 心がきりきりと痛む。

 彼女と話すのは何年ぶりだろうか。

 以前ならその事に感慨もあっただろうが、今は苦い罪悪感だけが心を占めている。

 彼女に会って、話をしてもいいのだろうか。

 

「……取調室は、どこだ」

「案内させて頂きます。まだ時刻は早朝ですから、ここの生徒と遭遇する事はないでしょう」

 

 ベッドから降りる。体のどこにも痛みは無い。

 たったそれだけの事が、アインに少しの安堵と後悔を抱かせた。

 彼女の言った通り、取調室につくまで生徒と会う事は無かった。扉の前で、彼女はアインに譲るように道を空ける。

 

「私はここで待っています。では、どうぞ」

「……あぁ」

 

 彼女に促されるまま、扉を開ける。

 長机にパイプ椅子という光景、その中に、彼女の姿があった。

 表情は焦燥しきっていて、着ているスーツのあちこちに皺が出来ている。

 その姿を、見たくなかった。そうさせたのは自分だから。

 

「……座ってくれ」

「分かった」

 

 心の内を全て押し殺して、アインは椅子に腰掛ける。

 せめて彼女の前では恥ずかしい姿を見せたくないと、小さな自尊心がそこにあった。

 

「……どう、呼べばいい」

「アインでいい。もう、織斑一夏には戻らない」

「そうか……アイン、すまなかった」

 

 深く頭を下げる千冬に、どういえばいいのか分からなかった。

 ただ自分がもし正体を明かさなければ、彼女はきっとこんな醜態を晒さずにすんだのかもしれない。

 

「……頭を上げてくれ、千冬姉」

「! まだ私を、姉と呼んでくれるのか。お前を地獄に追いやった私を……」

「違う。俺が弱かったから、本当なら千冬姉を守らなきゃいけないのに、その事を気づかないで、勝手に進んで……。だから、貴方は何も悪くない」

「だが、私がISに乗らなければお前は――」

「マドカに出会っていない」

「……!」

「亡国機業に救出されて、そこでマドカと出会った。今は……俺の事を兄として接してくれている」

「……そう、か。マドカは、元気にしているか」

「……オレが呆れるくらい、元気にしてる」

「……良かった」

 

 千冬が何かの紙を出す。

 アインはそれを受け取って、まじまじと見つめた。

 

「養子の手続きだ。……都合のいい、虫の良すぎる話だと言うのは分かっている。それでも私は叶うのならもう一度やり直したい。お前やマドカ、暮桜そして一夏と家族として五人でもう一度暮らしたい」

 

 マドカや千冬と暮らすことはかつてのアインにとって希求していた理想のはず。

 以前ならば、その話を受けていただろう。だが今はそれよりも大事な事がある。

 大切な人達が待っている。やらなくてはいけない事が。

 

「……考えておく。まだやるべき事が残ってるから、それが終わったら答えを出すよ」

「……アイン、例え私の弟が二人になったとしても、お前が私にとって大切な家族であるのは変わりない。マドカもお前も一夏も暮桜も皆、私の大切な家族だ。だから、いつでも顔を見せに来て欲しい」

 

 伝えなくてはいけない事があった。

 当たり前だと思っていた事が何よりの幸せだと思い知らされた時、得た物を伝えなくてはならなかった。

 だけど、その伝える言葉が見つからなかった。

 アインはその紙を持って、ただ静かに部屋を出て行く。

 千冬は彼の背中を見つめていた。

 小さなその体で、数々の怨嗟を背負ってきたその背中を。

 

 

 

 

「アルカ、これを預けておく」

「これは……」

「あの人からもらった養子の手続きだ。スコールに伝えておいてくれ、オレはマドカにその事を話す」

「……確かに女性優遇社会である今なら、女性一人でも問題なく済ませられますね。分かりました、大切に保管しておきます」

 

 アルカと共に、IS学園の校門を目指す。

 まだやるべき事が残っている。

 亡国機業本部で、スコール達と会わなければならない。

 

 

 

 少年の心は、風に吹かれる灯火のように未だに揺れていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ユアネームイズ

 

「……やけに静かだ」

「……」

 

 亡国機業の本部に到着したのは夕方――空は臙脂に染まっている。

いつも見慣れた風景だと言うのに、胸騒ぎが鳴りやまない。漂う空気がいつもとは異なる。頬を撫でる風が不愉快だった。

 

「アルカ、スコール達は?」

「分かりません。ですがアイン様は最上階に来るよう通達が出ています」

「……分かった。アルカ、スコール達の捜索を頼む。オレは最上階に向かう」

「はい、確かに」

 

 白いロングコートの内側に展開したタンフォリオ・ラプターを吊るして、アインは本部へと向かう。

 最上階へ向かうエレベーターは最初から開いている。大きくその咢を開き、来るべき獲物を待ち受けていた。

 だが今更ここで立ち止まるわけにもいかない。――行かなくてはならない。

 

「アイン様」

「……どうした、アルカ」

「どうか、お気をつけて」

「……あぁ、ありがとう」

 

 

 

 

 

 ナイフを逆手に握りしめる。まもなく最上階だ。もし奇襲を掛けようと言うのならば、それはエレベーターが開いた瞬間が最適な筈。

 側面に背中を預け、扉から身を隠すように。これならば銃撃が来ても凌げる上に、内部に入ってこられてもナイフで処理が出来る。

 乾いたランプの音と共に扉が開く。――息一つ聞こえない。

 僅かにナイフを物陰から外す。もし敵がいたのならば、何かアクションがあるはず――。しかし何もない。ナイフの刃面に反射して見えた光景は、無人の通路だった。

 エレベーターから降りて、ナイフを体内に圧縮し右手にタンフォリオ・ラプターを展開する。通路はそこまで広くない。これならば近接格闘術で充分に対応し切れる。

 窓ガラスから見える光景は、真っ暗だった。遠く離れた街の灯り程度しか見えず、周囲の施設ですら、息を潜めている。

 不気味な冷たさが、肌に纏わりつく。銃把を握る手が僅かに力んだ。

 

「……」

 

 最上階――スコールの持つ権限でも入る事すら出来ない場所。アインも全く訪れたことは無い。

 豪華な装飾が施されたドアを銃で軽く触れる。罠が無いか確認をしたいが、そのための器材は生憎、用意していない。カレン程の腕前ならば容易だろうが、今の彼の未熟な技量では罠の有無を確認する事で精いっぱいだ。

左腕の肘で押し開け、扉を開く。眼前に広がるのは敷き詰められたレッドカーペットと大理石で構成された室内、あちこちから集められたであろう豪華な調度品が息を呑むような美しさで配置されているだけだった。

 

「……いない」

 

 部屋の中央にある小さな噴水から零れる水の音。それだけが唯一の情報。

 扉を閉め、室内の至る所へ目線を配らせる。何の変哲も無い一室だ。特に気になるようなところは無い。

 ――瞬間、微かな刺激臭が漂った。反射的に扉の蝶番へ銃口を向け――黄色いガスが部屋の中から噴出し、充満した。

 体が痺れ、意識が混濁する。気が付けば床へ横たわっていた。だと言うのに脳内は気味が悪い程現状を分析していた。

 恐らく催眠と麻痺の二つを混ぜたガスがばら撒かれたのだろう。まんまと誘い込まれたと言う訳だ。

 タンフォリオ・ラプターを取り落としてしまったが、手を伸ばせば届く距離。それは幸いだった。

 咳込みながら、ノイズが走る視界の中でアインは二人の人影を見る。

 一人は壮年の男、顎に蓄えた髭が強く印象的である。

 もう一人は女性であり、それはどこか千冬やマドカを連想させる顔立ちだった。

 

 

 

 

 

 スコール達は本部の地下で軽い軟禁状態となっていた。本部への帰投を命じられるや否や早速、監視が付けられる事になったのである。

 オータムやエムがそわそわしてる中、落ち着いているエヌやスコールの度胸は賞賛される物だろう。

 

「落ち着きなさい、二人とも。そうなってたら相手の思うツボよ」

「相手?」

「えぇ。ようやく尻尾を出してくれたみたいね――本当にじれったい」

 

 エムが扉から離れた瞬間、その扉が木っ端微塵に爆破された。

 そして開かれた穴からISを展開した構成員が流れ込み、スコール達を包囲する。向けられた武器、ISの種類、そして操縦者。何よりもその集団を指揮する女性に、スコールは見覚えがあった。

 先日行われた幹部会で、彼女を嫉んでいた女だったはず。――同性ながら、ここまで嫉妬をされると呆れすら出てこない。

 

「無様だな、スコール。おめおめと任務から逃げ帰ってきて嬲り殺される破目になるなんてさ」

「あら、壁越しでも気づかれるほど殺気出してる貴方こそ。訓練生にも劣るわね」

「減らず口を……!」

 

 女の通信機が起動する。

 そのような物をつけているに辺り、どうやら男もこの騒動に便乗しているらしい。

 スコール達も同時にISを展開した。こんなところでわざわざ殺される必要も無い。

 

「あ? ……分かってる。上が終わらせるまでだろ。外で食い止めててくれ。すぐに終わらせる。……ってコトで死ね、クソッタレ」

 

 スコールへ向けられた銃口が火線を放とうとした時、天井のダクトに付けられていた金網が地面へと落下する。

 そこから投擲された手榴弾が炸裂し、辺りを煙幕が包み込んだ。――対IS用に調整された煙幕手榴弾。これならば相手はフレンドリーファイアーを恐れて発砲出来ない。

 

「何が……!」

 

 瞬間、肉を引き裂くような音と断末魔が混ざり合った輪唱が室内に響き渡り――沈黙した。

 

「ご無事ですか、皆様」

 

 アルカ――構成員を始末したのは彼女だろう。ワイヤーを使用した暗殺術など、彼女以外に使いこなせる筈も無い。

 

「アルカ……。一体何があったの?」

「内部粛清だとさ」

 

 ダクトからカレンが飛び降りる。

 服装はいつも通りの見慣れたコート。彼女の手には、ハンドガンが握られていて腰にはアサルトライフルが差されている。

 返り血が着いている事から、どうやら彼女も今回の一件に巻き込まれているらしい。

 

「アタシも詳しくは知らんが……何でも、裏切り者が紛れ込んだとかスパイがいただとか、訳の分からん噂が立ち込めてた。んで、幹部のトップ様がアイツを裏切り者と認定。で、今こうなってる」

「つまり……アインを部下に置く私も処分対象ってコト?」

「あぁ。が、さすがにここの連中も鋭いのはいるね。アンタ達を守ろうとするヤツ、まだ真実を知らないため動けないヤツ、そして――単純に殺したい馬鹿かアンタらに恨みを持ってたヤツ。今、本部にいるのはこのどれかさ」

「……なるほどね、真実味のある嘘で――。つまり、本命は」

「あぁ、アイツだ。何処に行ったか分かるかアルカ」

「――今頃、最上階にいるかと」

「……マズいな、だとすりゃアイツは――。ついさっき、アンタに賛同してる連中が準備を整えて大暴れしてる。事態が解決した後には建て直しが必要だね、こりゃ」

 

 ハンドガンの弾倉を交換して、カレンは壁を顎で示した。

 その壁をアルカがワイヤーで切断する。

 

「最上階に向かえ、スコール。この部屋は通過地点だ。そこの壁から行けばエレベーターに近くなる。アタシとアルカはここで食い止めておくからさっさと行け」

「なら外は任せて」

 

 かつて扉があった穴へエヌが近づく。

 彼女は不適に微笑んで、外を示す仕草をした。

 

「この子は対集団戦を想定して作られてる。防衛線なら専門分野よ?」

「待て、私も行く。IS学園の時は雑魚しか相手できなかったから不完全燃焼なんだよ」

「……分かったわ、オータム。思わぬ助けが入ったでしょ。カレン」

「そうだね。ほら、さっさとしろ。エヌ」

 

 まるで蝿でも払うかのようにカレンが手を振った。

 福音とアラクネが外へと向かうために飛び出す。

 

「スコール様、これを」

「この紙は……えぇ、そういう事ね」

「よろしくお願いします、スコール様」

「……分かったわ、行くわよエム」

「あぁ」

 

 スコール達が、アルカが破壊した穴から出てくるのを見送って二人は視線を交わらせる。

 

「おい、アルカ。巻き込んだとかそういう感想は勘弁だぞ。金にならん殺し合いなど、下の下だ。アタシだって嫌なんだからな」

「分かっています。えぇ、分かっていますとも」

「……絶対根に持ってるだろ、アンタ」

 

 視線の先にこちらへ疾走するISの姿がある。

 あの二機を潜り抜けてきたのは賞賛出来るだろうが、生憎それを誉めてやる事は出来なかった。

 アルカが疾走し、カレンがホルスターからハンドガンを取り出して構える。

 再び、轟音が響いた。

 

 

 

 

 

 

「……発令しておいて正解だったな。アルカやスコールに邪魔されていた可能性が高い」

「そうね、下は大騒ぎよ」

 

 催眠ガスによって意識が朦朧とする。力が入らない。上手く考えが纏まらない。

 その中で見た二人の人物。何故かアインはそれを遠い昔に見た事があるような気がした。その声を知っている。その香りを、喋り方を知っている。

 女はアインへ優しく微笑んだ。どこか懐かしさを感じた

 

「良く頑張ったわね、一夏」

「な……に……?」

 

 声が上手く出ない。

 地面に倒れこんだまま、アインは喉から声を搾り出す。それ以上の言葉が出なかった。

 間違いなく二人は知っている。

 アインもマドカもスコールも知らない何かを知っている。

 

「私の名は織斑久一(おりむらひさいち)。亡国機業幹部でありお前の父親だ」

「私の名は織斑季理(おりむらきり)。亡国機業幹部で貴方の母親よ」

「……!」

 

 驚愕と共に一つの事柄が答えへと辿り着く。

 マドカは昔“誘拐”された事があり、そこから亡国機業へと入る事になった。

 もしもだ。

 一番身近な人間がその手引き或いは直接的に関与していたとすれば――答えが繋がる。

 

「マドカを攫ったのは……お前たちか……!」

「ふむ、マドカは惜しかったな。千冬ほどの実力を持っていれば幸運だったのだが、あいつにそれほどの才能は無かった」

「逆に千冬は実力こそあったけど、もう自我が確立していたから無理だったわ」

 

 起き上がろうとして、腕が支えきれず体が倒れこむ。体が思うように動かない。

 武器の発現は不可能だ。まずそのイメージが行えない。

 タンフォリオ・ラプターの装填数は一発。そして麻痺しているこの体が再装填を行う事は困難。既に状況は詰んでいる。

 

「何で……マドカを……」

「……いいか、一夏。世界の平穏は人柱がいる。元々私の世界はそうして築かれてきた歴史がある。人類が誕生し、二千年経った今その歴史の下には無数の屍が隠され、その屍を払った犠牲があったからこそ、私たちはこうして生きている。

 忘れてはいけない、顔も知らぬ私達のために、血を流し死んでいった者たちがいる事を、無かった事にしてはならない」

「だけど、今の世界はどう? 今の人々はその事から目を背け続けている。そしてISの出現はそれをさらに加速させた。ISが人殺しの可能性を秘めている、その事実が今この瞬間に薄れつつあり、一つ間違えれば大量殺人兵器になりかねないアクセサリーが、世界中に散らばろうとしている。……だとしたら、さらに多くの血が流れるのは明らかじゃなくて?」

 

 それは確かに否定できない。

 ISの力は絶大だ。まだ数百機しかないが、それでも一国を相手取るには余りにも十分すぎる機動力とその手段を持っている。その事は数々のISと交戦してきた彼が、一番よく分かっている。

 そして殺される都度、彼女達の顔は恐怖に滲むのだ。『こんな筈じゃなかった』と。

 

「恒久的な平和――亡国機業の思想は私達にとって相違無い。だがそれが何の代償も無く行えるかと言えば答えは否だ。世界のためには、一定の人間の人生を踏み躙る必要がある。私達が捧げるのは自身の平穏とその子供だ」

「……子供が、お前の道具だと」

「多数が幸福になるためには、少数が不幸になるしかない。世界はそう出来ている。私達も、苦しかったのよ。貴方達には幸せに生きて欲しかった。争いの無い平和な世界で、貴方達の夢を叶えて欲しかった。

 でもきっと、今の世界じゃ貴方達を必ず壊す。――なら、私達が先に貴方達を壊すしかない」

 

 ――ふと、過ぎる。彼らは言わば自分達の子供を売ったのだ。その事が、どこか引っかかる。

 昔、囚われていた研究所でアインは自分のクローンとその母体を皆殺しにさせられた。当時はその事実に絶望するばかりだったが、今考えるとそれは余りに不自然である。

 どうやって――あれほどの数のクローンを用意したのか。最低でもクローンを作るのに、かなりの時間を要する筈だ。クローンとはいえ、人間と変わらない。老いは違えど、成長は同じはずなのだ。

 アインがあの研究所に捕らわれていた時間はそれほど長くは無かった。

 せいぜい半年が妥当なところである。元々それほどの数を用意できるとすればそれは――。そしてモンド・グロッソで、誘拐されたのも――。

 

「……俺を攫ったのは、お前達……か……!」

「あぁ、マドカが余りにも駄目だった。スコールに彼女を押し付けて、次は一番可能性の無かったお前を使う事にした。……まさかこれほどの大器になるとは思いもしなかったよ」

「えぇ、本当に驚いた。研究結果が送られてきた時びっくりしたわ。まさか千冬を越えるなんてね」

 

 つまり全ては二人の自作自演だ。

 アインの中に生まれた何もかもが、二人の予測の範疇でしかなかった。二人が描いたシナリオを、ただ歩いていただけに過ぎなかったのだ。

 彼が流した血も涙も、築き上げた屍山血河も――その全て。

 

「一夏、私達の下に来い。お前は世界を粛清する道具となる。その力で、お前は人類に静寂をもたらすんだ」

「えぇ、そして私達とマドカと貴方の四人で幸せに暮らしましょう。平和になった世界で、ずっと仲良く」

 

 ズキリと何かが痛んだ。心に迷いが渦巻く。

 平和になった世界、家族と再び暮らす事。

 それは彼が求めていた理想だ。否――彼だけでは無い。きっと誰もが望む事だ。

 ――家族と、大切な人たちとの幸福で暖かな暮らし。

 

「……スコールは、スコール達はどうなる」

「あぁ、彼女か。申し訳ないが使い捨てるしかない。彼女もまた亡国機業に魂を捧げた身だ。それほどの犠牲は覚悟している」

「大丈夫よ、彼女の信じる平和な世界で貴方が幸せに暮らす。それほどの幸福なんてどこにもない」

 

 母親に抱き締められる。その香りと抱かれた感覚を知っていた。鼻腔をくすぐる感覚が、埋もれていた記憶を掘り起こした。

 やはり――彼らは家族なのだ。

 体が温もりを感じていた。その温もりに、懐かしさを覚えた。

 

「貴方とマドカをいつまでも守ってあげる。私達も家族が大切なのよ。大好きだから」

 

 アインの右腕が彼女の首へ回される。

 彼女を抱えるようにして、彼もまた声を振り絞った。

 全てを――投げ捨てる決意をして。

 

「あぁ、俺も……家族の事が大好きで、とても大切だ」

 

 目頭が熱い。体が痛む。心がうるさい。

 筋肉が震えた。動く腕を止めようとする肉体を、無理やり抑え込んだ。

 

「――それだけは、それだけは本当だ」

 

 右腕が彼女を固定する。

 その体を決して離さない(・・・)ように。

 左手にはタンフォリオ・ラプターが握られていた。その銃口を彼女の胸へ押し付ける。

 強く、強く。決して、逸らさないように。

 

「――さよなら、母さん」

 

 銃弾が彼女の心臓を撃ち抜き背中の肉を抉り飛ばして、射線上にあった父親の右足を吹き飛ばした。

 発砲と同時に左腕が大きく振り飛ばされ、タンフォリオ・ラプターが床を転がる。武器の発現はまだ出来なかった。ガスの影響が切れるまで待つことも出来なかった。

 拾い直している時間は無い。ならば――。

 地面に倒れこむ父に跨り、その首を締め、強く圧迫する。

 

「何故だ……! 何故私達を……!」

「――」

「家族を――平気で殺せる……!? 他人と家族のどちらが大切なのか……」

「――そうだ。どっちが大事か考えるまでもない」

「なら……!」

「血の繋がっていない家族と、血の繋がっている他人。――あぁ、考えるまでもない」

 

 手に力を込める。その力を決して緩めないように言葉を紡ぐ。

 もし言葉を途切れてしまえば、その両手をすぐに放してしまいそうだったから。

 彼の脳裏を様々な記憶が駆けて行く。

 もしこの二人を殺せば、もう裏切り者として亡国機業にはいられない。

 アインを名乗ることなど、二度と出来ないだろう。

 だがそれでも彼女達を守りたかった。彼女達といる温もりが、本当に愛しくて、どこまでも恋しかったから。

 

「生きていく……! オレは奪ってきた命の分まで、全て背負って生きていく……! それが――俺の選択だ」

 

 かつては見失っていた。だから今度は絶対に迷わない。

 自分の生き方に誇りを持つ事。それが死んでいった者達へ出来る唯一の弔い。

 手の中にある骨が砕け散る感触と自身の全てが喪失した音を、彼は確かに聞いた。

 

 

 

 

「……」

 

 少年は立ち上がり歩き出そうとして、再び地面に両膝を落とした。

 何処に行けばいいのか、何を名乗ればいいのか、何も分からない。

 実の両親を殺した。

 もう織斑一夏へは戻れない。

 亡国機業の幹部を殺した。

 もうアインへは戻れない。

 吹き飛んだ拍子にその手から失っていたタンフォリオ・ラプターを見つけて、少年はおぼつかない足取りで、その銃を握る。

 いつも握っていた。これと共に、生きていた。だけれど、これからはどうしていけばいいのだろうか。

 何もかも分からなくなって、彼は手の中にある銃をもう一度見つめた。

 

「……」

 

 ドアの開く音と共に、少年はゆっくりと顔を向ける。

 スコールとマドカが部屋の中にあった死体に瞠目していた。

 

「……アイン」

「もうアインじゃない。実の両親を殺して、亡国機業の幹部を殺して……。もう名前も居場所も無い。帰るところも無い」

 

 目から何かが零れ落ちる。

 涙だ。眦を強く絞っても、次々と零れて来る。

 止まらない。いつも抑えられるはずの気持ちが、止まらなかった。

 

「……アルカから聞いたわ。織斑千冬に養子の話を持ち出された事。そして今、亡国機業では内乱が起きてる。私はこの内乱を鎮圧して、新しく亡国機業を組織しなおすつもりよ。……だから今、選んで。織斑千冬の下へ養子となるか、私が組織する新しい亡国機業に入るか。貴方の居場所を、貴方が決めて」

「マドカは……」

「私は兄さんについていく。もう、一人は嫌だから」

 

 少年の心の中を葛藤が走る。

 それは十五年しか生きていない少年にとって余りにも過酷な物だった。

 ただ言葉にするだけの事が、酷く重かった。

 

「俺は……」

 

 織斑千冬の下に行けば、もう一度織斑を名乗る事は出来る。

 一夏として生きる事はできなくても、かつて憧れていた姉や大切な妹と共に新しい家族として幸せに暮らす事が出来るだろう。

 自分を育ててくれた人たちに背を向けて。

 

「オレは……」

 

 スコールの下ならば、守りたかった人たちと再び過ごす事が出来る。

 世界のために奔走し、戦場を駆けるのは変わらないが守りたい人たちを近い場所で守る事が出来るはずだ。

 自分を育ててくれた姉に背を向けて。

 

 どちらが良くてどちらが悪いなどと言う基準の話ではない。

 どちらの選択も家族に背を向けるものだった。

 たった一つだけの違いは――血が繋がっているか否か。

 そうして少年は、自分の場所を口にする。

 そうして少年は、自分の名前を口にする。

 

 

「おれは――」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アイン

 

 

 とある南米の地域にて。

 一人の少女が建物の中から外を覗き込んでいた。空を翔ける機械によってあちこちに撒き散らされる破壊の痕。

 以前から幾度となく、その危険性を周囲の人達が叫んでいたが誰も耳を貸さなかった。――そして、案の定テロリストの手に渡ってしまい、多くの人達が亡くなった。

 それは今も、徐々に距離を狭めつつある。やがてそれは少女の命を建物ごと消し飛ばすだろう。

 どうしようか、と彼女が考えた時足音が聞こえた。

 

「失礼、近頃この地域で暴行を働くISがいると聞いたんだが……アレであってるか?」

 

 流暢な英語に思わず振り返る。

 白髪の短い(・・)髪の青年は外を親指で指差しながら彼女に聞く。紅い瞳と白い肌は、彼がこの地域の生まれではない事を表していた。背丈は大きく、よく見れば細身ながら筋肉質な体である事が分かる。

 白いロングコートに纏わり付く砂塵を払いながら、彼が外に目を向けた。見た所、丸腰ではあるが、その雰囲気はどこか頼もしい。

 

「え、うん……そうだけど」

「分かった。預かっててくれ、この間仕立てたばかりなんだ。汚したら、お叱りが飛んでくる」

 

 そういって、青年はロングコートを少女へ預けた。――途端、彼の服装に思わず目を見張る。黒のインナーに赤のベスト、そして黒のズボンだ。武器などどこにも無い。だと言うのに、彼は外へ向かおうとしていた。

 首裏の数字は薄暗い建物の中でもはっきりと見える。その数字に戸惑うも、彼が外へ向かおうとしている光景に、少女は思わず叫んだ。

 

「ま、待って! 危ないよ!」

 

 その声に青年が立ち止まり、振り返る。

 向かう先は死であると言うのに、彼は悪戯に成功した子供のような笑みだった。

 

「あぁ、分かってる。ああいう手合いは慣れてるからな」

「あ、あれ?」

 

 青年の両手には拳銃が握られていた。黒と白の色調の二挺拳銃。

 ――彼はいつ、それを取り出した?

 

「待ってろ、三分で終わらせる」

 

 そうして青年は外へ駆け出す。

 突如として鳴り響く銃声に、少女は外を覗き込んだ。

 

 

 

 彼は両手の拳銃を弄びながら、今回の目標を見ていた。

 依頼内容は暴走ISの鎮圧。最早ISの相手は日課のような物だ。

 が、暴走しているのが操縦者なら容赦はいらない。こういった手合いはまた同じことを繰り返す。彼は既にそのような人間を何人も見て来た。

 破壊された住居は、最早瓦礫の山となっていて、無茶苦茶に振るわれたブレードは切断と言うよりも破砕に近い。

 

『ひとまず投降を呼びかけてください。こちらから指示があるまで交戦行為は厳禁でお願いしますよ』

 

 聞き慣れたオペレーターの声がヘッドセットから響く。彼女がオペレーターに着任した当初は、彼も彼女のいう事に従っていた。しかし彼も年を重ねるにつれて、今まで押し殺してきた感情が表に出て来たのか、独断で動く事が多くなってきたのである。

 元々、彼の上司であった女性曰く面倒臭い少年期を過ごしてきたのだからせめて今の時期は好きなように暴れたい――と言うある意味子供らしい面が今の彼には強く出てきているらしい。そんなせいか、近頃オペレーターの顔に皺が増えてきている―この間はそれを指摘したら、一時間にも渡る説教を受けた―。

 

「了解。……っと」

 

 飛来してきた鉄筋をその場で宙返りして、回避する。

 見れば何やらニタニタした表情の女がこちらを見ていた。

 

「どうも、話の通じるタイプじゃなさそうだが」

『……一応、一言くらい掛けましょうよ』

「あー……。おい、こっちの話を聞け」

 

 ISが凄まじい速度でブレードを振り下ろし――辺りを砂煙が充満した。

 先ほどまで彼がいた場所は粉々になっていた。女が奇声と共に嘲笑する。

 ふと女が違和感を感じる。

 ――ブレードが動かない。

 

「だから言ったろ。話の通じるタイプじゃないって」

『……分かりましたよ。交戦許可を下します』

 

 青年がブレードを踏んでいた。――地面と彼の足に挟まれてブレードはびくとも動かない。

 

「さて、ここからは――仕事の時間だな」

 

 瞬間、青年が軽い跳躍と共に回し蹴りの体勢を取った。女は笑う。

 ISはISでしか倒せない。――彼が、その例外である事を女は知らない。

 凄まじい衝撃と共にISが吹き飛び、地面を転がった。

 

『……そういえばカレンさんから連絡来てましたよ。今度、稽古をつけてやるとか』

「……そうか。そういえば最後に勝てたのは、大分前だったな」

 

 再接近するISへ向けて、彼は発砲する。

 瞬間、女が悲鳴を挙げた。ISの突進が止まる。

 再度、発砲。今度はブレードを吹き飛ばし無力化させた。

 間隔を開けて、連射しながら青年はISへと近寄った。

 

「じゃあな、酔っ払い」

 

 言葉の後、彼は女の眉間へ銃弾を撃ち込んだ。

 

「例のISを撃破。他に気配はない。回収班を回してくれ」

『分かりました。回収地点に向かってください。帰投のヘリを向かわせます。到着は三十分を目安と考えてくださいね』

「あぁ、それとこの地域で一人の少女を保護している。彼女も連れて行っていいか?」

『スコールさんやマドカさんが不機嫌になるのでやめてください。アルカさんにも言われているんです。……私の肌の苦労も考えてください』

「そうだな、協力頼む」

『い・や・で・す! 今度こそ貴方自身で説明してください!』

「そうか、残念だ。最近、美容に効果的なデザートを作ったんだが、仕方ない。誰かに上げると――」

『……分かりました、分かりましたよ!』

「感謝するよ、いつもオペレーターで助かってる」

『本当にそういう所は、しっかりしてるんですから……。それとデザートはスコールさん達にも作っておくのを忘れないように。もう折檻を受けるのはイヤなんですから。……って、聞いてますか!? ちょっと、私も怖いんですからね! オータムさんやナターシャさんから睨まれるの――聞いてますッ!?』

 

 騒ぐ声を無かった事にして通信機を切る。

 オペレーターの声音には呆れが混じっていたが、生憎彼にとって些細な問題でしかない。

 何にせよ、任務でのサポートを担当してくれる事になってから長い月日が経っているのだ。

 彼は建物に戻ると先ほどの少女の姿を探す。

 彼女は幸いにも先ほどの家の中にいた。

 

「一つ聞く。オレ達の所に来ないか?」

「えっ……」

「オレ達はあんな連中を倒すために世界中を周っている。あんなヤツらを少しでもこの世界から追い出すためにな。だけど、生憎人手が不足しててな。少しでも人材は欲しいんだ。君はどうしたい?」

「わ、私にも手伝えるんですか?」

「あぁ、訓練のために指導出来る人なら十分いる。別に強制じゃない。嫌ならここで断ってくれてもいいさ」

 

 少女は思い返す。あの機械が生み出した暴虐の光景。

 だけど、青年は何の迷いも無くその元凶を破壊した。

 

「……本当に私でいいんですか?」

「あぁ、志さえあるなら拒まない。それがオレ達の考えだから」

「……分かりました。ところで、貴方のお名前は?」

 

 その言葉に、青年は少しきょとんとしてから何かを思い出したかのように笑みを浮かべる。

 

「オレの名前は――」

 

 

 

 

 

 アインとアルカはかつて決意を決めたビルの屋上にいた。

 空は青天で、かつて彼を覆った雨雲などどこにもない。

 その中で、彼は自分の長い髪を握った。

 

「……アルカ、オレは亡国機業で生きる道を選んだ」

「はい、私もマドカ様も貴方様と共にあります」

「あぁ、だからオレはもう迷わない。見失ったりなんかしない」

 

 そうしてアインは、手にしたナイフで自分の長い髪を躊躇無く切り裂いた。

 髪が一気に短くなった事で、彼の首裏にあった数字が露見する。

 最早隠しきれる事は無いだろう。そして何よりその長い髪は、無意識に姉の姿を投影していたはずだ。彼女が守ってくれている――そういった思いがどこかにあったはず。

 

「……よろしいのですか、それは千冬様に習っていたのでは……」

「いや、もういいんだ。いつまでもあの人にすがり付いているわけには行かない。これ以上、あの人に迷惑はかけられない」

「……分かりました。ではその髪はお預かりしておきます。勝手に捨てたとなってはスコール様がお怒りになられるでしょう。その断髪も無断で行ったのでしょうし」

「それはそうだが、何故……?」

「? 知らなかったのですか。どうすればアイン様のような髪質を保てるのか深く気になっておられましたが」

「……そうか」

 

 まだ彼女達に自分の知らぬ一面があった事を知り、アインは小さく笑った。

 蒼穹の彼方を彼は見つめる。

 柔らかな優しい風が、彼を撫でた。

 

「この選択に誇りを持つよ、アルカ。もうオレは織斑じゃない。オレの名前は――アインだ」

 

 そう決意した少年の表情に陰りなどなく、まるで夢を語る子供のような表情だった。

 

 

 

 

 

 

「スコール、任務終了だ」

「えぇ、お疲れ様アイン」

 

 回収したISコアをスコールの机の上に乗せる。帰投してから回収班から受け取ったISコアは特に異常は無かった。これからこのISコアは別の部署に引き取られ、研究の一環――そしていずれ来る相棒を待ち受ける事になるのだろう。

 彼女は美しい顔立ちに笑みを浮かべて、彼を迎えた。

 

「いい加減オペレーターの声に耳を傾けてあげたら? 私、ただ指摘しただけなのに折檻に間違われるのよ」

「善処するさ」

「そうして頂戴。それともうすぐ極東での任務があるわ。次の目標は、不法取引されているISコアの回収とその業者の逮捕をお願い」

「……極東か」

「えぇ、更識がバックアップしてくれる。非常に、非常に不本意だけど楯無との共同前線になるわ。まぁ貴方も五度目だから分かってると思うけど」

「……あぁ。で、出立は? 現地集合か」

「貴方に任せるわ。それと後でマドカに会ってみたら? 彼女、貴方に三日間会えないだけで泣きそうだったわよ」

「……」

 

 ふと机の片隅においてある新聞の文字が視界に入った。

 

“IS学園三年生、織斑一夏君が八年ぶりに開かれる第三回モンド・グロッソに出場決定! 現役復帰した織斑千冬はコーチとして彼への指導を継続!”

 

「……」

「まだ、捨て切れてない?」

「……少しな。あの時、織斑に戻る道を選んでいたらオレはどうしていたのか。興味が無いと言えば嘘になる。だけど、過去に拘っていたらいつまでも前に進めない。やっと分かった」

「……変わったわね、貴方。以前はまだ青かったけど、今の貴方かなりいい男よ」

「何、まだまださ」

「あら、もう私達が認めてるのだから十分大人よ、貴方」

 

 アインはもう一度小さく笑って部屋を出て行く。

 その背中をスコールは微笑みながら見送った。

 

 

 

「アルカ、忙しい所を悪いが調整を頼む」

「お任せ下さい」

 

 アルカの私室―とは言っても最早ラボに近いが―で、アインは武器の整備を頼んでいた。

 今までは既に世界各地にある銃や武器を使用していたが、技術の発展とアルカ自身の趣味によって、今はアルカが作り上げた武器を使用している。

 故に整備も彼女にしか出来ないのだ。

 ちなみに現在、彼女が開発している武装はレーザーブレードらしい。

 

「……」

「? どうした、アルカ」

 

 ふとアルカの視線がこちらに集中している事に気づいた。

 普段から作業に没頭する彼女にしては珍しい。

 

「いえ、以前よりもよく笑うようになられましたね」

「……あぁ、ようやく人生の楽しみ方が分かって来た。好きなように生きる――中々、楽しい」

「えぇ、その表情が一番よく似合っていますよ。この世界で、誰よりも」

「じゃあ追い抜かれないように気を付けよう。……それで、いつ受け取りに?」

「そうですね……。明後日なら、オーバーホールも終了します」

「分かった。その時にもう一回来るよ」

「はい。――アイン様」

「どうした?」

「今度も、無事に帰ってきてくださいね」

「あぁ、ちゃんと帰って来るさ」

 

 

 

 

 アインは通路から、真下の光景を覗き込む。吹き抜けとなったそこは、ある意味今の亡国機業の名物であるとも言える。

 改装された亡国機業本部の内装は以前とはまったく別になっていた。

 アルカ―と篠ノ之束―お手製による最新鋭の設備は、最早世界中を敵に回しても一ヶ月近くは持ちこたえるほどの戦力と情報網を兼ね備えている。

 そこは試合会場のような場所だった。

 中央には地球を模した巨大ホログラムが展開され、あちこちで行われている状況をリアルタイムで捉えている。

 八角形のドーム上の形から中央に向かって段差が降ろされ、ちょうど例えるなら客席にあたる部分にはコンソールと数えるのも億劫になるほどのオペレーターで埋め尽くされており、各地で活躍しているエージェント達に指揮を与えていた。

 空間投影ディスプレイの光の群れは、いつの日か高層ビルの屋上から見た街の光を彷彿させる。

 通路を覗き込むアインの隣に、誰かが立つ。その雰囲気をアインは知っていた。

 

「何だ、帰ってきてたのかい」

「カレン……。訓練生への指導は?」

「あいつら、アンタよりも物覚えは悪いが訓練には熱心。これからどんどんデカくなる」

「アンタの教え方がいいからさ。愛弟子が保証する」

「ハッ、言うようになったね馬鹿弟子」

 

 カレンの見た目はほとんど変わっていない。これもまた彼女の体に刻まれた呪いなのだろう。

 アインもある意味では似たような物だ。そういったところも似ているのだろう。

 

「楽しそうだな」

「ん、まぁ楽しいと言えば楽しいかな。スコール達がいて、お前がいて、そいつらが生きてて、帰る場所がある。だったらそれ以上に楽しい事なんてないだろう?」

「ラウラの事はいいのか?」

「……気にしてないってのは嘘だ。そりゃもう一度娘と一緒に暮らせたら言うことなんて無いけど、今のこの状況だけでも十分幸せなんだよ。だからそれ以上の幸せなんて必要ない。限度を過ぎたのは害悪にしかならないって教えたろ」

「あぁ、そうだった。すっかり忘れてたよ」

 

 カレンは肩をすくめた。

 彼女が着ている黒い軍服の光沢が光る。

 

「さて、アタシはそろそろ行く。今から任地に赴くのさ、ドイツからシュヴァルツァ・ハーゼの訓練を頼む依頼が来てるんだ。新首相直々のご指名でね」

「……いつ頃帰って来る?」

「そうだな。……一週間後の夕食頃までには帰ってくる」

「なら、丁度良かったな」

「何だ、労って料理でも作ってくれるのかい?」

「あぁ、いいデザートを作れるようになった。今度ご馳走する」

「へぇ、そいつはまた楽しみだ」

 

 

 

 

「よう、お疲れさん。帰って来てたのか」

 

 吹き抜けのテラスで、ベンチに座っている所またもや見知った顔に顔を掛けられた。

 加え煙草に、コーヒーを持つ姿はある意味OLに見えなくも無い。IS学園の時といい、彼女はそう言ったキャラなのだろうか。

 

「あぁ、南米に行ってた。次は日本さ」

「へぇ、アタシは今度北米さ。サミットに参加してくるよ」

「売り込みか?」

「おう、ココは技術面での開発もしてるからな。ISだけじゃねぇさ」

 

 彼女からコーヒーを受け取り、口に運ぶ。

 独特の苦みに思わず顔を顰めた。

 

「何だ、相変わらず苦いのがダメなのか?」

「オレには分からんな。甘いのがいい」

「へっ、そういったところはまだまだ子供だな」

「何、これからさ」

 

 空を見る。いつもと変わらない空。

 彼女達と生きる日常も悪くない。

 

「なぁ、アイン。アンタは幸せか?」

「あぁ、満足だ。オータムは?」

「幸せに決まってんだろうが。バーカ」

 

 そんな彼女の言葉に、思わず笑いが零れた。

 

 

 

 

「はぁい、アイン。久しぶりね」

「ナターシャ……」

 

 偶然にも廊下でナターシャと鉢合わせした。

 彼女もマドカと同様エヌと名乗るのをやめて、ナターシャと名前を元に戻したのだ。

 確か彼女の任務はアメリカでのIS研修参加である。

 亡国機業は現在スコール指揮の下、世界各地へエージェントを派遣し紛争もしくは世界の発展のために力を貸す組織へと転換した。

 その時ナターシャやカレンなど、道具同然に扱っていた国はその命令を指示及び関与した人物を全て解任し、犯罪人として独房に閉じ込めている。

 故に以前前述の二人やマドカなどは世界中から応援が殺到していた。

 ただし――アインの正体は“人体実験に扱われていた身元不明の人物”とまでしか公表されていない。

 既にその真実を知っているのは、以前から彼と旧知の中であった彼の家族とIS学園の極一部の人間だけである。

 もし真実が世界に漏洩してしまえば、間違いなく世界中が彼と似たような存在を作り出そうと殺到するからだ。

 

「研修はどうだった?」

「反応は上々。特に皆、貴方との手合せを望んでるわよ。特にイーリなんか貴方とやりたくてたまらないみたい」

「そいつは楽しみだ。久々に体を動かせる」

「えぇ、でもその前に先約があるでしょ?」

 

 悪戯っぽく微笑む彼女に、彼は同じように笑って返す。

 以前ならば照れて顔を逸らすだけだったが、さすがに何度も同じような目に会えば返し方も分かって来る物だ。

 

「なら、今からやるか?」

「えぇ、そちらがいいなら」

 

 

 

 

 

「兄さん……」

 

 ナターシャとの訓練を終えて、自室に戻ったアインを待ち構えていたのはマドカである。

 彼女もまた世界に存在を公表され、織斑千冬の妹であり彼女を撃墜寸前まで追い詰めた人物として高く評価されていた。

 あれから時間も経ち、既に少女ではなく女性として成長しつつある彼女はまるで在りし日の織斑千冬を連想させる出で立ちとなっている。

 

「? どうした、マドカ」

「……じゃない」

「?」

「どうした、じゃないッ! 私がいつからいつまでここで兄さんを待っていると思っていたッ!」

 

 顔を真っ赤にさせて怒り狂う妹の姿にアインはまずどう対処すればいいかを冷静に考えていた。

 そして彼女を手懐けるのには十分効果的な方法がある。

 

「あぁ、ごめんな。いつも待ってくれてありがとう」

 

 彼女を両手でそっと抱き締める。

 スコールやアルカ曰くこれで彼女の怒りは大抵鎮火されるらしい。

 結果として、腕の中にいるマドカは先ほどまでの光景が嘘であったかのように大人しくなっていた。

 

「仕方ない……。許すのはコレで最後だ」

 

 ちなみにその台詞も聞くのは五度目である。

 妹の体を抱き締めてその髪を撫でながら、アインはそっと自分の部屋に置いてある写真立てに目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 マドカも出て行き、部屋の主以外は既にこの部屋にはいない。白のロングコートをハンガーに掛けて、グローブを机の上に置く。

 白い指で彼は写真立てを手に取った。

 その写真には七人の人物が写っている。

 スコール、アイン、マドカ、アルカ、ナターシャ、カレン、オータム――それぞれがとても楽しそうな表情を浮かべて写真に収まっていた。

 

「……千冬姉、オレはもう貴方がいなくても大丈夫だよ。今のオレの傍にはたくさんの仲間がいるから。たくさんの家族がいるから」

 

 亡国機業も大きく変わった。

 世界中から技術や戦術の研修を受けに、多くの人物が訪れる。篠ノ之束の全面的な支援とアルカの技術もあり、これからの世界はますます発展していくことだろう。亡国機業はその先駆けとなる。世界の道しるべとなる。

 だが、いつかはその技術を悪用としようと目論む者がいるはずだ。そういった人間は必ず存在する。自身の考えが及ばぬ人間は必ず現れる。

 ならば自分はそれを狩る猟犬となろう。

 

「守れた命も守れなかった命もあった。だけど、オレは一度もあの時の選択をやり直したいと思った事は無い。この生き方が間違ってないって信じてる」

 

 不死身などどこにもない。いずれこの命も終わる時が来る。

 大切な人たちもこの世を去る時が来るのだろう。だからその瞬間まで、自分の大切な人たちが笑い合えるように。

 そんな世界を――作ろう。

 例え夢物語であったとしても、それを次の世代へ託す事は出来るはずだ。

 終わらぬ物語を繰り返させるのではなく、その物語を断って次へ進む事こそが理想への近道だ。

 出来るはずだ。

 自分なら。彼女達となら。

 

「――だってオレは、織斑千冬の弟なんだから」

 

 その表情は、まるで夢を語る少年のようだった。

 自身の矛盾を知って尚、それでも彼は夢の果てを目指す。

 一度は見失った。だから今度こそ迷わない。

 

「この道を誇りに思って生きていくよ」

 

 

 

 

 かくして、一人の少年の歩みは一端ここで幕を閉じる。

 運命に巻き込まれ、捻じ曲げられ、磨耗し、その絶望の果てに彼は一つの答えを掴み取る。

 それは世界の平和でもなく、自分の名誉でもなく、ただ希望へ繋がる明日だった。

 こうして、歪んだ物語はようやく、確かな答えに辿り着いた。

 願わくば、彼らに限りない幸福が訪れるように。彼にこの言葉を送ろう。

 

 

“光あれ”

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

IF 織斑――

もう一つのエンディング、通称織斑EDです。
分岐点は「ユアネームイズ」でアインが織斑に戻る事を選んでいたら。


……エピローグみたいにまとめるのが凄く難しかったです。
これからこのEDを派生とした短編も書いていく予定ですので、その設定も含まれています。
個人的には簪を上手く書きたかったでござる。

次回の話は「短編 ボーデヴィッヒ」を予定。
カレンとラウラ、親子再会のお話。そしてセシリア両親についても触れられます。


 アインとマドカ、そしてアルカは簡単に荷物をまとめて亡国機業本部前にいた。

 今日で、もう長年いたこの組織から離れる事になる。

 スコールとカレンが見送りに来てくれていた。

 

「エヌとオータムは泣いてたから来ないそうよ。元々泣き顔を見られるのは恥ずかしい子達だから。まぁ貴方だったら尚更かしらね」

「……そうか、よろしく伝えておいてくれ」

「分かってるさ。元気にやって来い馬鹿弟子。次会った時弱くなってたら承知しないぞ」

 

 涙を堪えるマドカをアルカが慰めて、カレンとスコールはただ言葉を告げて互いに背を向ける。

 一瞬が長く感じる時がある。

 今がまさしくこの時だった。

 まだ彼女に伝えるべき言葉が残っていないのか。

 ――いや、残っていた。

 何よりも伝えなければならない事がある。

 一番最初に言っておくべき事だったのではないか。

 まさかそれを別れ際に思い出すなど、実に愚鈍だと自嘲する。

 

「スコール」

 

 本部に戻ろうとするその背中を呼び止めた。

 彼女は止まるが振り返らない。

 まるで、自分の顔を必死に見せないようにしているかのようだった。

 

「何?」

 

 声音は変わっていない。

 でも強がりだと分かっていた。

 微かに震えているその肩が、全てを告げていた。

 それでも後悔だけはしてほしくない。

 だからこそ――言うべきだった。

 

「貴方が俺を助けてくれたから、俺はここまで来る事が出来た」

 

 彼女に救われたからこそ、亡国機業に入ったのだ。

 だからこそ――様々な出来事に出会った。

 その全てを、一つとして無駄だと思っていない。

 

「妹にも出会えた。師にも出会えた。多くの人と大切な仲間に出会えた。そして、自分の生きる道に答えを見つける事も出来た」

 

 何も意図していなかった。

 ただ彼女に、精一杯の感謝を言いたかった。

 それだけがアインの口を動かす。

 

「だから――貴方に出会えて、良かった。俺を助けてくれて、ありがとう」

 

 彼女の肩の震えが止まった。

 何かに呆れたかのように彼女は微笑みながら、振り返る。

 大切な人で、変わり果てた自分を初めて認めてくれた――母親のような人だった。

 

「それじゃあね、アイン。次会う時はもっといい男になって来なさい」

「……あぁ」

 

 そうして、本部に戻る姿を最後まで見届ける。

 空はどこまでも青く晴れていた。

 

「……兄さん」

「――行こう、二人とも」

 

 その声に迷いは無い。

 ただ生きる道だけを見据えた瞳がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 織斑千冬は、休憩しに職員室へと入る。

 暮桜が彼女の専用機となってから、色々と周囲がうるさかったが束の発言で一気に終息へ向かったのは、彼女にとって嬉しい誤算だった。

 てっきり騒動を激しくするばかりと思っていたのだから、ありがたい事だ。

 放課後もまた一夏達の訓練に付き合わなければならないなと考える。

 そして――もう一人の大切な弟の事を。

 

「――えっ、ちょ、ちょっと待ってください。そんな事だけ言われても困ります! せめて名前を仰っていただかないと、ってあぁ!」

 

 職員の一人が電話の応対に見事困り果てていた。

 既に相手は電話を切った後なのだろう。

 彼女の反応を見るに普通の問い合わせではなかったに違いない。

 このIS学園には悪戯電話が来る事も多く、彼女のように応対に困る姿は珍しくないのだ。

 

「どうかしたのか?」

「あ、織斑先生。……いえ、実は織斑先生と話したいという電話が来まして」

「私と?」

 

 別にそれは珍しい話ではない。

 むしろ暮桜を取り戻して以来、千冬に現役として復帰し国家代表生となるのを求める声も多い。

 記者や雑誌から来る事も一日に数件のペースである。

 その全てをIS学園の職員が時間を切り詰めて断っている事に千冬はどこか申し訳ない気持ちだった。

 

「はい、何でも“養子”と言えば伝わるとか……」

「……っ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、千冬の何かが震えた。

 養子――それを話した人物は一人しかいない。

 

「どこだ、どこで待ち合わせている?」

「えっ、はっ、はい。@クルーズで待っていると……って織斑先生!?」

 

 千冬はその場にあった手荷物をひったくってスーツ姿のまま外へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 店長から意外な顔をされつつも三人は店内で水を飲みながら、例の人物が来るのを待っていた。

 ちなみに三人の容姿が、道中で注目を集めている事を忘れてはならない。

 しかもマドカは変装をしていないので、織斑千冬そっくりな姿が見事に晒されているのだ。

 アルカが幸い席の奥に彼女を隠す形で座っているため、それほど店内では目立っていないと言う事だけが幸いである。

 やがて荒々しい入店の音がした。

 見れば黒いスーツを着た女性が辺りを必死に見渡している。

 そしてアイン達を見つけると、安堵の表情を浮かべて彼らの席に座った。

 

「……すまない、遅くなった」

「いや、いいんだ。それよりもこの紙を返しておく」

 

 アインが机の上に広げた紙には、アインとマドカそしてアルカの名前が書かれている。

 後は千冬が里親として署名すれば、それだけでもう養子として正式に認められるのだ。

 

「本当に、いいのか」

「……あぁ、もう決めたから後悔してない。織斑一夏として生きる事はできなくても、貴方の弟として生きる事が出来るのならそれでいい」

 

 アインの瞳に躊躇いは無い。

 その気強さを、千冬は改めて感じる。

 

「……そうか、名前はどうする」

「アインでいい。もうそれに馴染んでしまったから」

「私もアルカで構いません」

 

 千冬は息をついて、三人を見た。

 全て――彼女に関係のある人物である。

 アルカ、彼女の専用機であった初代暮桜のコア人格。

 マドカ、彼女の大切な妹。

 アイン――ずっと目を背けていた過去を体現した弟。

 彼女は、求めていた物が満たされていくのを感じる。

 希求していた願望が現実になった事を知った。

 

「お帰り――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園の朝は早い。

 既に織斑千冬はその手に、凶器―と見なされている出席簿―を持って一年一組の教室へ向かっていた。

 その後ろには彼女に似たIS学園の制服を着た少女が立っている。

 彼女は何か気まずそうにその表情に不安の色を浮かべていた。

 

「あ、あの姉さん……」

「何、心配するな。私のクラスは皆馬鹿ばかりだが気のいい奴らだよ。それじゃあここで待っていろ、マドカ」

 

 教室のドアを開けて、千冬が生徒達にホームルームの開始を告げる。

 内部の空気が一気に引き締まるような感覚がした。

 

『今日より、このクラスに再び転入する事になった人物がいる。入って来い』

 

 その声に、マドカは決意を固める。

 兄やその付き人が体験出来なかった学校生活――その幕開けだ。

 意を決して、彼女はドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 IS学園に保護と言う名目で雑用事務員を任されているアインは、今目の前にいる水色の髪をした少女の対応に困り果てていた。教師ではないので、強い事は言えない。

 ちなみに場所は言うまでも無く生徒会室であり、何故かその傍らには彼女の妹もいた。

 アインと同じく保護と言う名目でISに対する教員を任命されたアルカは現在、初めての授業を前に準備を整えているため、不在である。

 

「……更識、お前は生徒じゃなかったのか?」

「ふっふっふ、生徒会長という権限ならお茶の子さいさいなのよ」

「……ごめんね」

 

 実に性格が似ていない姉妹だ。

 アインは溜め息をつきたい気持ちを抑えながら、まず聞きたい事を聞くとした。

 

「それで、どうして俺を生徒会室に呼び出した」

「うーん、何となく……ってのは冗談よ。実は貴方達がこの学園に来た時の事が政府に勘付かれちゃって、説明を要求されてるの。だから貴方達の事を公表しないといけなくなったんだけど、それをどうしようかなって」

「……構わないがどうなっても知らんぞ。織斑千冬が暮桜を取り戻した事で十分世間の関心は強くなっている。そんな時に俺の事を明かすというのなら、面倒ごとは覚悟しておけ」

「フフッ、その時は貴方も手伝ってくれるんでしょ?」

「俺だけじゃない。色んな人が手伝ってくれるさ」

 

 楯無の言動や性格はどこかスコールを彷彿させ、その事実がアインにとって少しだけ安心感を与えていた。

 どうやら話も一段落着いた様なのか、更識簪がとてとてと走って来てアインの両手を握る。

 

「ひ、昼休みここで、昼食食べる、から……」

「……分かった」

 

 顔を真っ赤にした簪は、そのまま逃げるようにして生徒会室を去っていく。

 その後ろ姿を、二人は呆れた笑みを浮かべながら見守っていた。

 

「かんちゃんを誑かした罪は重いわよ?」

「……あぁ、ちゃんと責任は取る。それよりもだ」

 

 アインの目が急に細められる。

 その瞬間、今まで生徒会室の中に充満していた温和な雰囲気が急速に冷えていく。

 

「彼女がいないという事は、聞かせたくない話でも持ち出すつもりか」

「えぇ、率直に聞くわ。貴方が人体実験の内容でされた事を教えて頂戴。現在、世界各地に人体実験を行うテロ組織は多い。貴方のような境遇の人たちがまだ世界中にいるかもしれないのよ。その心のケアの例として、貴方から直接聞きたい」

「……胸糞が悪くなっても知らんぞ。後きちんと見返りは求めておく」

「覚悟は出来てるわ。これでも暗部を束ねる身よ。そうね……見返りは、暗部の秘密と私の婿って事でどうかしら」

「……後者は変えておいてくれ」

 

 アインは溜め息をついて、傍らにあった椅子に座ると今までの事を思い返すかのように顎に手を当てる。

 

「……まず誘拐された時、様々な薬品を注射された。それから研究所へ連れて行かれ幽閉と薬品投与の日々が続く。そしてその後はISコアを心臓に埋め込む作業だ。そのISコアは今も俺の心臓と共に稼動している」

「……っ」

 

 楯無の顔は、怒りに歪む。

 実験の内容は余りにも非道だった。

 それを平然と語る事が出来るのは、乗り越えたから故にだろう。

 痛む心を気にせずにすらすらと語れるのは、精神と肉体が別々に動くよう訓練されたからである。

 

「そしてそこから実験はどんどん過酷になっていく。ISコアを埋め込まれIS装甲同然の強靭な体を入手した後に俺を待っていたのは、耐久テストと耐久力増加だ。生物なら間違いなく致死に匹敵するほどの電撃や熱線、弾丸を浴びせさせられた。真空での活動可能時間、海中での最大潜水時間、光線を受けてどれほど意識を保っていられるのかを計る試験……傷はたちまちISコアの生体修復機能が治してしまうから後遺症は残らない。そして、その頃から俺の外見が変化していった、黒い髪は白い髪になり、瞳の色は紅くなった。肌の色素もどんどん白色になっていったさ。そして――日の終わりに止めと言わんばかりに男の研究員どもに犯された。絶対に逆らえないように、体を麻痺させる薬品を過剰に投薬されて、寝る間も無くな」

「っ!」

「どれだけ俺が泣き叫んでも、そいつらは嬉々として俺を慰み者として扱う。そんな時、俺を助けてくれたのがスコール達だった。その研究所は謎の爆発で跡形も無く吹き飛んでいる。簡単に話せばこうなる。詳しい事は……聞くか」

「……後で頼むわ。今はちょっと……この感情をどうすればいいのか分からないから」

 

 重たい沈黙が続く。

 彼女もまた何と言えばいいのか分からないのだろう。

 アインは再び重い溜め息をついた。

 

「別にお前が悪い訳じゃない。俺よりも酷い境遇の人間は世界中にいる。その人間を救い出して、もう二度とそんな目に会う事が無くなればいいだけの話だ」

「……確かに、貴方の言う通りね。それじゃあ今度はこちらから暗部の話をしておくわ。今の貴方は保護されている名目でIS学園にいるわ。あの二人は女性だからともかく、貴方は男性だから特に怪しまれる。織斑の名がある以上、絶対に注目は避けられない」

「あぁ……もし手を出してくるのなら、俺の遍歴全てにかけて叩き潰す」

「落ち着きなさい。だから更識の力を貸すわ」

「……何?」

「貴方が私に言った事を、そのまま暗部へ伝えるだけよ。楯無は更識の暗部を全て動かす権限を持っているから。明日明後日には、貴方達の事が作り上げた表側だけ世界中に公表される。その中には、利用しようと動き出す者もいるはずよ。それを少しでも抑えるために更識の暗部を貴方が自由に使えるようにしてあげる」

 

 確かにアインやアルカの力は強大であり、それを欲しがる国は殺到するだろう。

 現にどちらか片方でもいれば、世界を相手取る事も夢ではなくなるからだ。

 自分の欲望のためであれば容赦なく他人を傷つける事が出来る人間を、アインや楯無は幾度となく見てきた。

 

「……分かった。何か有ったらコアネットワークを通して連絡する。そうすればお前が死んでいない限り、確実に情報が伝わる」

「分かった。これで交渉完了ね」

「それとアルカに護衛は必要ない。寧ろそいつらが護衛されるぞ」

「……? でも彼女、そんなに強そうには見えなかったわよ」

 

 確かに楯無の言うとおりだ。

 アルカの外見は、余りにも戦闘慣れしているとは思えない。

 華奢な腕、スレンダーな体型、長い髪、黒いドレス――それらは何一つとして戦闘へ結びつかないからだ。

 しかしあの細腕が誇る怪力と戦闘における総合的な力は、最早人間に測定出来る物ではない。

 

「アイツ、近接戦闘なら俺を超えるぞ」

「……へっ?」

 

 珍しく楯無の顔が呆けた物になる。

 その表情は若干引き攣っていた。

 

「……アイツは掌で衝撃砲を再現出来るから、手を出そうと思えば滅ぼされるな」

「なにそれこわい」

 

 

 

 

 アインが楯無とこれからの事を話し合い、理事長室へと共に向かっている間一年一組の雰囲気は目まぐるしく変わっていた。

 マドカの転入の時では彼女が教室に入るなり、千冬と瓜二つの姿にクラスの全員が驚愕し増してや千冬の家族だと知ると、早速質問が殺到したのだ。

 涙目で助けを求める妹の姿にどこか恍惚を感じながらも、千冬は早速新任による授業を始めると告げて、彼女への質問を打ち切った。

 そしてアルカが入ってくるなり、例の五人がその姿に驚愕するが千冬の出席簿が見事に炸裂し沈黙させる。

 彼女の容姿に他の生徒達はただただ見惚れているばかりだった。

 そして千冬の合図で授業が開始される。

 簡単にまとめればこのようなあらすじであった。

 

「ですからISと言うのは――」

 

 千冬はアルカの授業を高く評価していた。

 マドカが編入し、自身が受け持つクラスならば彼女も緊張せずにすむだろうと思った配慮は無用だったらしい。

 ダークスーツを華麗に着こなし、教科書を片手にすらすらと言葉を読み上げる。

 ただ流していくのではなく、人の耳へ言葉を届けるような声音は心地良い。

 まるで子守唄のようであり眠気を誘うのではないかと言う心配もまた杞憂だった。

 彼女の美貌は既に生徒達を釘付けにしていたからである。

 山田真耶ですら、助言と言う立場を忘れて見惚れているほどだ。

 放心も同然である生徒達の中でマドカだけが真剣にノートを取り、彼女の語る一字一句を聞き逃すまいとペンを走らせている。

 その様子が、千冬には少しだけ誇らしかった。

 

「ISはこれからの未来を担う存在です。ファッションやアクセサリーなどではなく、一人の家族として皆さんも接していくようにしてください。それがIS開発者である篠ノ之束様の思いですから。では、今日の授業はこれで終わりとしましょう」

 

 その言葉が響いた時、授業終了のチャイムが鳴った。

 時間まで上手に使いこなせるのは流石としか言いようが無い。

 

「では戻ろう、アルカ先生」

「いえ、呼び捨てで構いませんよ。では山田先生もどうぞ」

「は、はいぃっ!」

 

 背後では、マドカがクラスメイトに質問攻めにされていた。

 

 

 

 

 

 

「……分かりました、アイン君。IS学園も全面的に貴方達に協力しましょう」

 

 轡木十蔵と言う壮年の男は、IS学園の理事長である。

 最初こそアインも警戒していたが、何故か彼の前では不思議と落ち着くようになっていた。

 既に楯無は生徒会長としての仕事を終えて、教室へ戻っておりここには二人しかいない。

 

「ありがとうございます」

「いえ、さすがは織斑先生の弟さんですね。礼儀正しい」

 

 落ち着いているのは、彼がスコールと似た雰囲気を漂わせているからかもしれない。

 今となっては既に手遅れな思いだが。

 

「……一つ、嫌な事を聞くかもしれませんが」

「構いません。何でしょうか」

「織斑久一と織斑季理の事、貴方が悩む必要はありませんよ」

「ッ!」

 

 動揺が浮かぶ。

 アインがあの二人を殺害した事は亡国機業内部でも厳重な秘密となっている。

 なのに何故――

 

「いえいえ、カレン君から聞いたのです。きっと貴方はその事で悩んでいると。若者を救うのは、年長者の仕事ですから」

「……知ってるんですか」

「えぇ、長い付き合いなんです。私もここに来る前は軍隊の教官を務めていましてね。ドイツ軍に研修の際にカレン君とお会いしました。彼女は本当に強くて、優しかった。どこまでも人を想い、どこまでも国を想うその姿勢は私にとってこれからの世界を担う人の手本その物だった」

「……あの人との付き合いは分かりました。それで、何故あの二人の事を?」

 

 十蔵の瞳はどこか遠くを見るような目だった。

 

「私と二人はかつて同じ所を目指し、義を誓い合った仲でもありました。少しでも困っている多くの人を導こうと――今となっては若気の至りですけどね。けど、私達は軍人として、人を助けたかった。ほんの少しでも、僅かでもいいから世界を平和にしたかった。だから戦えるところに身を置いていたのです」

「……外人部隊ですか」

「えぇ、ある時、私達は任地に赴きました。そこは阿鼻叫喚の世界だった。救われない人ばかりで……私達はそんな世界に絶望しました。今まで自分達は綺麗事を叫んでいただけに過ぎなかったのですから。――亡国機業に入る事を勧められた時私は、二人を止められなかった。もしあの時何か一言でも言えていれば、貴方達を巻き込まなくて済んだかもしれないというのに」

「……二人は、子供達の事を何と」

「宝物だと言っていました。私達の子供が幸せに暮らせる世界を作ろう……そう胸を張って、楽しそうに。――それが義務になったのでしょう」

 

 マドカはマインドコントロールを受けていた。

 それは織斑一夏に対する強烈な劣等感である。

 妄執とは時に人を怪物へと変貌させるのだ。

 既にアインは身をもってその事実を体験している。

 もし――二人が、絶望した故に出した答えだと言うのなら、それもまた幸せなのだろうか。

 マドカがあの頃のままで気づかずに、妄信し続けていたほうが彼女にとっては幸せだったのかもしれない。

 

「……」

「昔話が過ぎましたね、もうすぐお昼になります。ここの食堂は力を入れている事で有名なので、楽しんでくださいね」

「はい。……ありがとうございます。それと」

「何でしょうか」

「……ありがとうございました、轡木さん。これで、もう両親の事を思わずに生きる事が出来ます」

「お礼ならカレン君に言ってあげてください。私も久しぶりに彼女と話せて楽しかったのですから」

 

 その言葉に、アインは苦笑しながら理事長室を出て行った。

 

「……まるであの頃の君達のようだよ、久一、季理。君達の子供は確かに幸せに生きてる。……だから私がその幸せを守ろう。君達が望んだ意志を少しでも受け継ぐのが、生きている私の役目かもしれないから」

 

 

 

 

 

 

「待ってくれ!」

 

 アインを呼び止めた声は、かつて何よりも恨みを孕ませていた物だった。

 振り返れば、そこにはやはり想像通りの人物がいる。

 走っていたのか、額には薄っすらと汗が滲んでいた。

 

「……用でもあるのか。織斑一夏」

「いや、ただお前に言いたい事があったんだ」

「……さっさとしろ。彼女達を待たせているぞ」

 

 くいと屋上を指差すアインに、一夏はあぁと答える。

 

「俺は、俺は織斑一夏として生きるから。お前にも誇れるくらい、自分の名前に自信を持って強く、強く生きる。だから――絶対にお前を越えてやる」

 

 アインは薄く笑みを浮かべた。

 それはまるで滑稽な昔話でも聞かされたような表情である。

 だが、どこか呆れたような笑みだった。

 

「勝手にしろ。お前の人生はお前だけの物だ。俺には俺の道がある」

「……分かった。生きてくよ、お前の分まで、織斑一夏として」

 

 何も言わず歩き去るアインの後ろ姿を、一夏は見守る。

 その姿が見えなくなるまで、ただずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、アイン達の事が作られた偽の形で世界中に公表された。

 無論、彼らの事を知ろうと国々が動いたがそれらは思わぬ結末で止められる事となる。

 

『はぁい! 皆のアイドル、篠ノ之束だよっ!』

 

 突然放送が乗っ取られ、篠ノ之束による放送が開始された。

 

『早速、ちーちゃんの下に三人の養子が入ったって事なんだけどね。ちーちゃんも含めて、織斑の名前を持った子たちに手を出したら――潰すよ』

 

 まさかの篠ノ之束の介入により、身動きが取りづらくなったのだ。

 そしてもう一つ、彼女に加担する組織が現れた。

 

『篠ノ之博士とは違って、音声だけで失礼するわね。私達の名は亡国機業。この世界の平和を恒久に守り続ける者。――悪いけど、篠ノ之博士と同様にあの子達に手を出したらただじゃすまない事を覚えておきなさい』

 

 亡国機業――スコール達である。

 一つの組織と一人の人間のおかげで、アイン達へ不審な手が忍び寄る事態は避けられた。

 だがまだ人の欲とは果てしない物だ。

 未だに彼らに接触を続けようとする者達は後を絶たない。

 その報復として、余りに過剰すぎる戦力が出迎える事など知らずに。

 

 

 

 

 

 

「……よっと」

 

 アインはダンボールを数個重ねて、轡木十蔵の手助けをしていた。

 十分年であるが故に、アインは彼の手伝いとしてIS学園の掃除や木々への水やりなど様々な雑用に務めている。

 無論、鍛錬も欠かせておらずその学園に来た当初に比べて見劣りはしないだろう。

 

「ありがとうございます、アイン君。こちらに置いてください。後は……そうですね、二時間後に来てください。多分、その頃には新しい仕事が待っていますから」

「分かりました。失礼します」

 

 理事長室を出て、アインはどこへ向かうか思索を巡らせる。

 首からぶら下げたロケットに光が反射した。

 

「……そうだな、のんびりと外でも周ってみよう」

 

 IS学園の自然はとても綺麗な物だった。

 世界中が綺麗ならば争いは起きなくなるのだろうか、と言う考えが頭を過ぎる。

 もうすぐ桜がその花を咲かせようとする時期だ。

 

「……」

 

 ロケットに入っている写真を見る。

 千冬、アイン、マドカ、一夏、アルカ――新しい家族と共に撮った写真は、彼にとって宝物となっていた。

 太陽の日差しは眩しい。

 だが、それは当然ではないのだ。

 求めていた日溜りの温かさは、既にアインの一部へとなっているが彼はその瞬間を蔑ろにした事はない。

 

「……スコール、俺はちゃんと生きてるよ。一人の存在として、ちゃんと自分の生きている証を感じている」

 

 彼女達とは今も何度か連絡を取り合っている。

 スコールからは元気かどうかを聞かれ、オータムからはこちらの状況を逐一報告するように言われている。

 カレンからは鍛錬を欠いていないかと念を圧され、エヌからは病気になっていないか心配されている始末だ。

 改めて――自分がどれだけ恵まれていたのかを実感した。

 そしてこの力の本当の使い方もようやく分かった。

 私利私欲に費やすのではなく、彼女達を守り抜くためだけにこの力を奮おう。

 

「だから大丈夫だよ。今の俺にも、帰る場所があるから」

 

 

 少年は微笑む。

 求め憧れ突き進んだその果てに、確かな答えがあった。

 その答えこそ、自分がずっと求めていた在り処だったから。

 

 

 

 今日も――世界は綺麗だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編 ボーデヴィッヒ 一話目

いつもどおりで済むかと思いきやまさかの続編有になりました。
……どうしてこうなった。
セシリアの両親については次の話をお待ちください。
次回はもしかしたら別の話が来る可能性があるので。

ちなみに織斑EDからの派生です。


 アインはカレンと連絡を取り合っていた。

 何の変哲も無い会話――それこそがこの話の切欠である。

 

「ところで、ラウラには会わないのか」

『……国を捨てたアタシが会っても、余計憎まれるだけさ。良い事をしようと思ってたら裏目に出るタイプなんだよ、アタシは』

「……アンタらしくも無い。本来なら、気前良く言ってくれるのにな」

『あのねぇ、今アンタが言った事と今までの事は話が別なんだって。……まずあの子がアタシを母親だと信じてくれるワケが――』

「言っていたぞ。家族に会いたいと」

 

 カレンの間の抜けた声が電話越しに聞こえる。

 数秒の沈黙の後、戸惑いを混ぜた彼女の声音が響く。

 

『あ、あのさ……何か……話した?』

「いや、だがアルカに一度聞いたらしい。試験管だけで本当に人間が育つのかとな。話してはいないが、勘付いているぞ」

『……』

「会ったらどうだ」

『……まさかアンタに諭されるとはねぇ。分かった、一度会ってみるとするか。明後日の昼頃に向かうから待ってな』

 

 明後日――丁度土曜日であり、学園自体は休校である。

 ならば好都合だ。

 

「分かった。アルカの方にも知らせておく」

『オーケー、だったらそっちで一度実戦でもしようか』

「あぁ、次は負けない」

『ハッ、一度でも勝ってからいいな馬鹿弟子』

 

 

 

「……カレン様が参られるのですか?」

「あぁ」

 

 IS学園食堂の一角でアインはコーヒーを飲みながら、アルカの言葉に頷いていた。

 現在、彼らの周りに集っているのはいつも顔を見かける一夏達と更識姉妹、そして珍しく織斑姉妹もそろっていた。

 ちなみにこれらの戦力だけで国一つ潰せる事は言うまでも無い。

 

「カレン?」

 

 一夏が聞き耳を立てる。

 暮桜を持った千冬や楯無またはアルカと言った豪華な面子に鍛えられ徐々に実力をつけている彼はIS学園一年生の中でも最強に恥じないだろう。

 ただしアインに勝てるかと言えば、始まった瞬間タンフォリオ・ラプターの抜き撃ちで瞬殺されるのがオチである。

 だが一夏の成長速度には目を見張る物がありそれはアインですら認めていた。

 やはり教えがいい人から教わるとよく伸びるのか、と一人で自己完結しながら脳裏の光景に言葉を馳せる。

 

「俺の師匠だよ。銃やナイフの使い方、戦場における心構え……今の俺がここまで生き残れたのはあの人の教示があってからこそだ」

「……あのナイフも投げ方もか?」

「……あぁ、カレンはドイツ出身だよ。そして――いや、これ以上は言わない。明後日になれば分かる」

「……それを教えろと言ってるのだが」

 

 ムスッとした態度のラウラに、アインは何一つ断りも入れずもう一度コーヒーを飲んだ。

 感じる熱さが妙に心地良い。

 

「それで、アイン君の師匠って事はかなり強いの?」

「そうだな……。遠距離なら相当強い。近距離でも十分強いが」

「……そのような御方が我が国の生まれとは、鼻が高いな」

 

 無い胸を張って、自信有りげに自慢するラウラを一瞥する。

 銀髪の髪と赤い瞳は本当に彼女とソックリだ。

 ただし彼女の実力と纏う雰囲気はまったく異なっているのだが。

 

 

 

 

 

 

「……へぇ、随分といいところじゃないか。こりゃ確かにアイツの故郷に相応しいね」

 

 空港の入国ゲートを出たカレンは、辺りを見渡す。

 人で賑わうその光景は、いつしか軍の基地から見た街を彷彿させた。

 今回の準備に当たって、きちんと空港からIS学園までの地図は頭に叩き込んである。

 IS学園で行う予定であるアインとの訓練もアルカが用意してくれているに違いないため、カレンは最低限の荷物で日本を訪れていた。

 滞在予定は五日間。

 元々亡国機業でも限りなくトップに近い実力を誇るカレンからしてみれば、血眼になって確保出来たのはたった二日であるが、スコールの計らいで五日に延びたのだ。

 いつもなら軽口を叩いて断っていたのだが、さすがに今回ばかりは目的が違う。

 素直に彼女の好意を受け取る事にした。

 何よりも――やりたい事ばかりが残っている。

 

「……それにアイツらが遺してるモンもきちんと伝えないといけないし。さてと、それじゃあ行くとするかな」

 

 カレンの服装は黒のロングコートと言う何ともシンプルな物である。

 寒くなる季節はどこか彼女の記憶を回想させた。

 せめて雪でもあれば、かつての祖国を思い出せただろうに。

 

「……轡木の爺さんも元気にしてるかねぇ」

 

 どこか興奮を抑え切れない様子で、カレンは空港からモノレールへと乗り換えた。

 

 

 

 

 アインは校門に立って、カレンが来るのを待ち続けていた。

 アルカ達は食堂の一角を見事に占領しており、そこで二人が再会する手筈となっている。

 校門前で待ち続けている内にふと、生徒達に見られている事に気がついた。

 IS学園の生徒達からすればアインは特に異質である。

 表向きは人体実験に扱われISと同等の力を持った少年として公表されているが故に、この学園で彼を見る時の視線は主に二通りだ。

 所謂嫉妬と尊敬である。

 男の癖にどうしてIS並みの力を――男の癖にどうして織斑の名を――男の癖にどうしてあそこまで綺麗な外見なのか。

 だがアインは既にその事実を平然と受け入れている。

 例え有象無象の輩が何と言おうと、自身にとって大切な人たちが認めてくれればそれでいいのだ。

 身に合わない大望で自滅すると言う経験は、アインも一度陥りかかったのだから。

 

「来たか、遅かったな」

「悪いね、どうにもこの国は人が多くてさ。祖国を思い出しちまった。……後、随分マスコミ連中に好かれているようじゃないか。どこもかしこもアンタやアルカの一面で埋まってたぞ」

「……ほっとけ」

 

 久しぶりに見たカレンの容姿はまったく衰えていなかった。

 寧ろ、その玲瓏な美貌や刃物を連想させる切れ目などにはますます磨きが掛かっている。

 そんな彼女の事が気になっているのか、向けられる視線が徐々に増えている気がした。

 カレンもどうやらその事を察したらしく、小さな舌打ちと共に辺りを見渡した。

 

「で、さっさと案内しろ。どうもジロジロ見られて気に入らない」

「あぁ、こっちだ」

 

 

 

 一夏たちは、アインが連れてくるカレンと言う人物に様々な想像を馳せていた。

 マドカやアルカから直接答えを聞き出そうとしたのだが、いずれ分かるの一点張りである。

 千冬までもがカレンと言う人物の姿を見てみたいと言い出す始末と言う事が、どれほどカレンと言う人物が注目されているかを現していた。

 

「カレン様は五日間滞在されるご予定です。なお時間に予定さえ空けば、皆様への指導も行うとの事。くれぐれも独占しすぎないようにお願いします。……ただしラウラ様は別ですが」

「? 何故だ」

「まもなく分かります。……どうやらいらしたようです」

 

 アルカの方向を振り向けば、アインの他にもう一人銀髪の女性の姿が見えた。

 赤い瞳に銀髪の髪はラウラを彷彿させ、その佇まいからは油断なき気配が漂っている。

 その眼差しは、何故かラウラに注がれていた。

 

「紹介する。俺の師であるカレン・ボーデヴィッヒだ」

「ボーデヴィッヒって……!」

 

 カレンがラウラの体を抱き締めた。

 その小柄な体を抱え挙げるかのようにして、彼女は強く抱き締める。

 

「はい。カレン様はラウラ様の母親です」

「!」

 

 彼女の肩は震えていた。

 アインですら一度も見た事が無い彼女の本音だ。

 確かに――カレンは一度もラウラを抱いた事もないし、話したことも無い。

 これが、彼女と生まれて初めての接触になるのだ。

 彼女がそこにいるのを何度も確認するかのように、カレンはラウラの頭を撫でる。

 

「あぁ、ここにいるね。ちゃんと……ちゃんとここにいる」

「……母様」

「いるよ。ここにいる。お前の母親である私は、お前の目の前にいる。待たせて……ごめん」

「母様……母様っ!」

 

 ポタリとカレンの服に小さな雫が落ちる。

 それはラウラの目尻からこぼれ落ちた涙だった。

 抱き締めた娘の体は酷く小さかった。

 だけど、それでも構わない。

 生きていてくれたのだから。

 泣き続ける娘の姿を、カレンは泣き止むまで撫で続けていた。

 

 

 

 

「……さてと、時間を取らせてすまないね。いつも馬鹿弟子が世話になってる」

「馬鹿弟子?」

「コイツの事だよ。馬鹿な弟子だから、馬鹿弟子。単純だろ」

 

 泣き止んだラウラの頭を撫でながら、カレンはどこか得意げにアインを親指で示す。

 あのアインを馬鹿扱いするとは中々命知らず――ではないのだろうか。

 彼女から溢れる佇まいに圧されたのか、恐る恐る箒が手を挙げてカレンへと質問を投げかけた。

 

「あの刀の使い方を教えたのも、カレンさんなんですか?」

「いいや、それはコイツが自分自身で作り上げた。何でも自分の頭にあるイメージを重ね合わせて、何度も何度も練習してたらしい」

「……そうか」

 

 どこか千冬が自慢げに頷く。

 ちなみに彼女のブラコンぶりは――無論自覚はしてないが――日々酷くなる一方であり、アインが泊まっている専用の部屋に監視カメラを付けようと豪語するほどである。一週間前には何故か、アインの部屋から大量の姉関連の雑誌が見つかった。そんな彼女の妹であるマドカもまた然りである。

 

「んじゃ訓練に付き合う前に……おい、馬鹿弟子。久々の実戦だ。腕が鈍ってないだろうね?」

「当然だ。貴方から言われた事は守っている」

「結構。それじゃあアルカ、アリーナとやらに案内してくれ。地面の感触を確認しておきたい」

 

 歩き去るカレンの後ろ姿はラウラの持つ雰囲気とはまったく異なっている。

 一言で言うのなら、姉御肌だ。

 

「……な、なぁアイン」

「どうした箒」

「か、カレンさんとの訓練はどんな感じだったんだ?」

「……普段は突き放してくるが、死にそうになったら休憩こそはしてくれる。死にそうになったらな」

 

 その言葉の意味を、何故かすごく知りたくなかった。

 

 

 

 

 

 いつもなら休日とはいえ訓練中の生徒達で賑わっているはずの場所は、貸切に近かった。

 アリーナはIS同士の戦いを想定して作られたフィールドである。

 IS学園の生徒全員を余裕で収容出来るほどのスペースを持つアリーナの中に二人は立っていた。

 管制室にはアルカと千冬が待機しており、今から行われる実戦をサポートする体勢に入っている。生徒である一夏達は皆、観客で今からカレンが行う実戦がなんなのかと目を光らせていた。

 

『では只今より実戦を開始します。今回お二方にご用意したのは電子ペイント弾です。当たれば、血潮のようなエフェクトが出ますが終われば自動的に消えるのでご安心ください』

 

 言うまでも無く、アルカお手製である。

 何か色々と彼女に任せておけばいい気がしてきた。

 ちなみにこの間はIS学園から人工衛生が射出される光景が目撃されている。彼女は一体どこへ向かおうとしているのだろうか。

 

『勝敗のルールは時間終了までにどちらが多く攻撃を当てたかと言う競争です。ですがアイン様には制限としてカレン様の攻撃を防ぐ事を目的とした以外の白兵戦は禁止とさせて頂きます』

 

 確かにその通りだ。

 いくらカレンが人外の自然治癒能力を持っているとは言え、IS装甲並みの堅さを誇るアインの拳を喰らえば一溜まりもあるまい。

 ――だが、当てれるかどうかまた別の話だが。

 

『それではお二方、準備はよろしいでしょうか』

 

 アインとカレンの間合いは凡そ三十メートルほど。

 二人の実力なら外すはずも無い。

 それぞれが両手に携えている銃口が、火線を放つ瞬間を待ち望んでいる。

 

「構わない」

「もちろん」

『それでは、開始してください』

 

 そうして――両者が照準を捉えた。

 

 

 

 

 

「……すげぇ」

 

 一夏達はただ見惚れているばかりだった。

 アインが銃を放てば、その弾丸を撃ち落とすべくカレンが銃を放つ。

 どちらかが右に動けば一方も右に動き、どちらかが左に動けば一方も左に動く。

 端から見れば実力は同格――に見えるだろう。

 

「……」

 

 千冬は静かに二人の状況を見守っていた。

 今のところ――アインが圧されている。

 彼の表情に余裕が無い。

 息が乱れている様子が微かに確認できる。

 だが、カレンは涼しい顔で彼の相手をしていた。

 

 

 

 

 結果的に言えばアインの負けであった。

 カレンの動きは俊敏で、彼の動きと行動を先読みしていたのではないと思わせるほどだった。

 呆れたような笑みを浮かべて、彼女は弟子へ呟く。

 

「まぁ、少しは本気だったよ。いつもならちょいと刺激してやればムキになって突っ込んで来たが、状況を見て距離を稼ごうとしたのは驚いた。随分成長したじゃないか、アンタ」

「……だといいが」

「さすがです、母様……!」

 

 ラウラはそんなカレンを尊敬の眼差しで見つめており、まるで年相応の少女のようだ。

 既に千冬とアルカは教職としての仕事があるため、アインとカレンの実戦が終わった後アリーナから出ている。

 

「……さてと、それじゃあ今から訓練に付き合いたい奴を見てやる。見学するも参加するも自由だ。だけど一度参加した以上は最後までぶっ通しでやってもらうよ。時間は今から三時間みっちりと行う。準備はいいかい?」

 

 その言葉に、首を横に振る者は一人もいなかった。

 

 

 

 

「……」

 

 アルカは職員室にある自分の席に着き、一息つこうとお茶を飲む。

 感じる熱さが彼女の心に少しの落ち着きを与えてくれた。

 隣の席である千冬もまた彼女と同じようにお茶を飲んでいる。

 

「アルカ、カレンの訓練とはどのようなものだ?」

「そうですね……。実戦の繰り返しが多かったでしょうか。アイン様への特別な訓練としては主に銃を意識した物が大半です」

「そうか……」

「後悔しておられるのですか? ラウラ様への指導をあの方が行えばよかったのではと」

「……少しな。ラウラがあそこまで楽しそうな表情を見るのは初めてだった」

「……ラウラ様の事はお聞きしておりました。どん底にいたラウラ様が千冬様の手によって返り咲いたと言う話ならば、千冬様も相応の事を成されたと思います」

「やはり私は――」

「――それはカレン様が決める事です」

 

 アルカの口調は少し強く、まるで千冬の言葉を防ぐかのようだった。

 そんな彼女の心遣いに、千冬の心が少しだけ安らぐ。

 

「……そうだな、今夜にでも話してみるとするか」

「はい、あの方も千冬様とお話できるのを楽しみにされていましたから」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編 ボーデヴィッヒ 二話目

これでボーデヴィッヒ編は終わりです。
セシリア両親についての個人的な考察を加えています。
そしてこの結末が俺たちのワンサマー。


次回の短編は「IF 復讐鬼に成り果てた少年」を予定しております。
色々と短編が多くて迷いますね。
現在の決定している短編は以下の通りです。
「温泉編」 タイトル未定。R-18スレスレになる可能性大。スコールが暴走します。
「優しい日々」 アインとアルカが一日だけ別の世界に介入、その世界は「ISが発明されず、織斑夫妻がマドカを誘拐しないで家族として幸せに暮らしていたら」。主人公が精神的にフルボッコされる可能性大。
「ラストエピソード」 この話で短編も完全に完結させます。話の内容は未定。ですがISコアに関して触れる予定です。



 

 

 カレンの訓練は一夏たちの予想を遥かに超えていた。

 既に高かった日も沈みかけている。

 単なる訓練なのかと思ってみれば、一夏たちにも制限有での実戦である。

 しかもIS使用での長時間訓練であるため、一夏たちへの疲労は半端ではなかった。

 何とか息切れ程度で済んでいるのはラウラと楯無、マドカの三人だけだ。

 ちなみにアインは理事長室に向かい轡木にカレンの事を報告するため不在であり、今頃彼の雑用をこなしている頃だろう。

 

「ん、国家代表候補生がその程度かい? 織斑、アンタもそれじゃあ馬鹿弟子には追いつけんぞ」

「ま、まだまだっ」

 

 立ち上がろうとして、再び一夏が倒れこむ。

 どうやら彼の空元気も今回ばかりは悲鳴を挙げていたらしい。

 

「ら、ラウラはまったく疲れてないね……」

「当たり前だ。母様から直々にご指導頂けるのだぞ! この程度で根をあげていられるか!」

「お、お姉ちゃんも大丈夫そうだね」

「フフン、これでも楯無の名を持ってるのよ? それにアイン君に追いつく以上、これしきの事で躓いてたら夢のまた夢よ」

 

 うぅと小さく悲鳴を挙げる簪はまっさきに訓練から脱落した人物である。

 ただしカレンの配慮が良かったのか、そこまで深い疲労に襲われているようでもなかった。

 精神的な苦痛はどうしようもなかったようだが。

 

「オーケー、それじゃあ今までアタシが見た弱点を述べていく。織斑、アンタはとにかく無駄な動きが多い。先読みするのはいいが、せめてその後の展開まで頭に入れておけ。あの馬鹿弟子がアタシに負けているのはそれが理由だ。もし今のアンタが先読み出来れば、アイツに勝てる可能性はぐんと上がる」

「わ、分かりました……」

「で、篠ノ之。近接戦闘については申し分ないが連携が取れてない。それじゃあ崩された時に負けるぞ」

「は、はい」

 

 アインとの戦いの時、実際に彼女は狼狽し一夏とのコンビネーションを崩されていた。

 もしアレが上手く行っていれば彼に一太刀は浴びせられたのかもしれない。

 

「オルコット、アンタには後で個人的な話がある。なぁにすぐに済むさ。で、アンタの弱点だが……右と左を別々扱える訓練をしろ。動きじゃなくて、精神的にだ。もしそれさえ出来れば、ライフルとブルー・ティアーズを別々に扱えるはずだ」

「で、出来ますの?」

「あぁ、馬鹿弟子に覚えさせたのはそれだからな。両手を別々に動かせる訓練なんて意味は無い。だが精神を別々に分けて扱えるのならそれだけで勝利できる確率は上昇する」

「分かりましたわ」

「デュノア、アンタはまず武器の最適使用タイミングを覚えろ。後はオルコットと同じだ。アンタの戦い方はあの馬鹿弟子とそっくりだからな」

「はい、ありがとうございます」

「更識簪、まず体力作りからだ」

「……はい」

「何、馬鹿弟子に言えば付き合ってくれるさ。アイツもここに来て随分と丸くなったからな」

 

 簪の口元に黒い笑みが浮かんだのは気のせいであろう。

 それを知ってか知らずしてか、カレンは話を進める。

 

「更識楯無とマドカ、今のアンタ達に言えるのは特に無いね。悪いけどそこからはアルカか織斑千冬にでも聞いてくれ。完全にアタシの管轄外だ」

 

 フフン、と胸を張る――約一名突き出ていないが――二人に、カレンは苦笑いする。

 そしてポンと彼女はラウラの頭に手を置いた。

 

「ラウラ、AICに頼らないのはよくやった。一つの能力に頼りっきりじゃ成長なんて出来ない。……が、まだ武器の最適距離は甘いね。まぁ、これからゆっくり学んでいけばいい」

「はい、母様!」

 

 どこか呆れたような笑みを溢して、カレンはラウラの頭を撫でる。

 その様子はまさしく親子のようだった。

 

「よし、じゃあオルコットはちょっとこっちに来てくれ。余り公に出来る話じゃない」

「? 分かりました」

 

 周囲から軽く離れて、セシリアはカレンと向き合う。

 カレンの瞳は、どこかセシリアを懐かしむような目であった。

 

「オルコット、一つ聞く。もし違ってたら言ってくれ。アイリーンとウォルター、この名前に聞き覚えは?」

「! ……あります」

「なるほどね、それじゃあアンタがあの二人の子供ってワケか。……確かによく似てる」

「……面識があるのですか?」

「あぁ、ドイツ軍にいた頃にイギリスへちょいと訪れた事があってね。ウォルターとはその時に腕比べしたんだが、本当にギリギリの勝負でお互いに年甲斐も無くムキになりあったんだ。アイリーンとはその後で出会ったな。アタシが再会した時には二人は既にゴールインしてたけどね」

「……お父様が軍に?」

「あの二人から散々ノロケ話を聞かされたね。しかも内容はほとんどアンタについての話だ。……だからなんだろうけど、自身を持った子に育って欲しいからってウォルターの奴アイリーンに媚びるような演技ばかりしてたよ」

「! それはどういう事ですの!?」

「簡単なことさ。あの親馬鹿どもの事だからアンタに国を背負う人物になって欲しかったんだろう。今のアンタを見ると、本当にそれで正しいのかは疑問だけどね」

「……列車の事故は」

 

 列車横転事故。

 セシリアの両親が落命する事になった事故でもあり、多くの人命が失われた事故である。

 ただし――本当に事故なのかと疑問視する声は不思議な事に一切挙がらなかった。

 セシリアが地の底まで叩き落され、彼女の運命を変えた事件がそれだった。

 

「今だから言うが、ありゃ事故じゃなくて事件だ。あの二人を邪魔者と判断した人物がわざわざ二人を殺すために列車丸ごと転倒させた暗殺だよ。アンタにや悪いけどもう犯人はこの世にいない。あの馬鹿弟子が勝手に仕留めちまったからね」

「……ならばどうして二人は逃げなかったのですか」

「あの二人が殺される破目になったのは、アンタがISを使える適性があると判断されたからだ。当時、ISを使える子供なんて非常に稀だから喉から手が出るほど欲しい一品なんだよ。無論二人はその事を拒否した。自分達が殺されるのも構わずにね」

「……まさか」

 

 両親に対するセシリアの第一印象が演技だったならば話が繋がる。

 あの時、両親が一緒になっていたのは――その前夜にセシリアと長く話してくれたのは――

 

「あぁ、そうだ。あの二人はアンタを守るために自分達の命を捨てたんだ。娘が幸せに生きる未来と娘共々狙われ続ける未来――親が子供に求めるのはどっちか分かるだろ?」

「……」

「だからオルコット、アンタはその幸せを決して見失うな。周りに理解してくれる人間がいる事を当たり前だと思うな。そして――決して傲慢になるんじゃないよ。出なきゃあの二人はとんでもない馬鹿のために命を落とした事になっちまう」

「……分かりましたわ。ありがとうございますカレンさん。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、なんだい?」

「カレン様から見た私の両親は、どのような人物でしたか?」

 

 カレンは暫く顎に手を当てて考え込みながらどのようにまとめ上げるかを思案していた。

 その姿にセシリアはどことなくラウラを思い出す。

 

「ウォルターの方だが……ありゃ怪物だね。銃を扱わせたらアタシにも匹敵するよアイツは。とにかく狙撃が綺麗だったのが印象的だ。アンタがライフルを使う度にどうにもウォルターの事を思い出す。……で、アイリーンの方はとにかく気配りが効くヤツだった。ウォルターがいつも無茶ばかりするからアイリーンのヤツは気が気じゃなかっただろうね。縁の下の力持ちって言うのか……とにかく色々と細かいヤツだった。アンタのブルー・ティアーズとやらはまるでアイリーンを武器にしたんじゃないかって思うくらいだ」

「……カレンさん、今度両親の墓参りに行くのですが両親は私の事を何と?」

「ん……そんなのは考えればすぐに分かるだろ。出なきゃ、アンタはここにいないよ」

 

 そう言ってカレンはアリーナを出て行く。

 クスリとセシリアは笑みを浮かべる。

そして彼女から堪えていた涙が溢れた。

心の中に、これほどまでにない両親への感謝を詰め込んで。

 

「ありがとうございます、お父様、お母様。……セシリア・オルコットは生きておりますわ。あなた方の誇りと共に」

 

 待機状態だったブルー・ティアーズが蒼く光ったような気がした。

 

 

 

 

 アリーナから出てくると一夏とラウラが何かを話していた。

 真っ赤な他人の与太話などには興味を持たないが、娘が話しているのなら要件は別である。

 

「どうかしたのかい?」

「母様、実は嫁を紹介しようとしているのですが……」

「……は?」

 

嫁――その言葉にカレンは唖然となった。

 本来なら女性に扱われるべき言葉であるというのに、何故かその言葉をラウラが発している。

 色々と疑問符は尽きないがともかく齟齬を直すべきなのが親の役目だろう。

 

「……いいかい、ラウラ。嫁って言うのはこれから婚約する女に対して使う言葉なんだ。ちなみにその逆でこれから婚約する男には婿って言うんだよ。……でその婿とやらがどうしたんだい?」

 

 なにやら嫌な予感が一夏の心を過ぎる。

 彼の鍛え上げられた本能が危険を叫んでいた。

 

「はい、言い直します母様。今から私の婿である織斑一夏を紹介しようと思っているのですが……」

「あぁん?」

 

 ――何かメンチ切ってきましたよ、この人。

 一夏はとにかく目を逸らそうとするが、カレンの鋭利な眼光がそれを許さない。

 対してラウラには温かい微笑を向けていると言う何とも器用な事をしていた。

 彼の背筋をだらだらと汗が流れる。

 これは――姉に殺されかける予兆とそっくりだ。

 

「……母様?」

「いや、大丈夫だラウラ。それでどんな事があったのか教えてくれるかい」

 

 出来れば今すぐにでもアインが来て彼女を抑えてくれるならばどうにかなるだろうが、そんな事を望めるはずもあるまい。

 これから煉獄の炎の中に数多のドラム缶をぶちこもうとするラウラに対して、おいやめろと口にしたかったが、例の如くカレンに威圧され口が動かない。金縛りでも使えるのか、彼女は。

 

「はい、聞いてください母様! まず唇を交わした事から始まり、次の日には同じ夜を共に過ごして――」

 

 神は死んだ――。

 

 

 

 

 ラウラが思う存分に語り彼女がアリーナから出た数秒後、一夏の悲鳴と無数の銃声が響いた。

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ」

 

 カレンは返り血を払って泊まる予定である寮長室へ向かっていた。

 既に学園内部の地図も頭に叩き込んでいるため迷う事はない。

 今日で一日目、まだ四日もあると考えるかもう四日しかないと思うか。

 だが、カレンの心に後悔は無かった。

 寮長室への扉を手にかける。

 

「……そういいや、この部屋は織斑千冬の場所だったか」

 

 中には果たして部屋の主がいた。

 彼女の容姿は確かにアインの目付きそっくりであった。

 そんな傍らに置かれていた机の上にはしっかりと酒の用意がされている。

 

「……いいのかい? 教員が酒飲むなんざ」

「飲みたい時に飲むのがいいんだ。分かるだろ」

 

 千冬は椅子に座るなり、躊躇無くビールを開く。

 カレンも呆けていたが、笑みを浮かべてビールを開いた。

 鼻を突く匂いがとても懐かしい。

 

「ビールかぁ。軍にいた頃は余り飲んでなかったな」

「ほう、それは勿体無い事をした」

「……当時の私は本当に訓練馬鹿だったからね。娯楽なんて目も向けなかったさ。祖国の特産でもあるのにね」

 

 喉を焼くような熱さがたまらない。

 何より――良い事があった後の肴というのは格別である。

 

「……アインの事、すまなかったな。私がしっかりしておけば貴方にも手を煩わせなかったのに」

「何、アンタこそラウラの面倒見てくれたじゃないか。これでおあいこだ。さすがに二度目は御免だけどね」

「そうだな……」

 

 なるほどとカレンは思う。

 アインと千冬はどこか似ている。

 そのどこかは具体的には言えない。

 それでも、何かが酷く似ていた。

 

「今から戯言述べるぞ、気にするな。……アインは脆いヤツだよ。あんだけ強い力持ってるくせに、心は子供だ。そんなヤツが人を殺す業を背負うって言うのは、余りにも酷だよ。……だけどアイツは曲がらなかった。何でだと思う?」

「……」

「憧れてたからだ。ガキの頃に見ていた遠い夢を、アイツは実現しちまった。そして――その夢が無意味だと知れば、今度はその夢を潰そうと足掻いた。――その足掻きが世界を滅ぼしにかかったと気づいて、ようやく止めたみたいだが」

「……」

「だから今、アイツの心には何も無い。あるとすれば――守りたい人が生きていると言う希望の糸屑しか残ってない。だからさ、もうアイツを絶対に独りにするな。もしまたアイツが独りになれば――狂うぞ」

「……もう放さないと決めたさ。迷わないよ、私は」

 

 二人の顔に僅かな笑みが浮かぶ。

 夜は静かに更けて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 時間はまるで飛び行く矢のようだと比喩した人物がいる。

 アインはその言葉に同意を示したい気持ちだった。

 カレンがIS学園に滞在していた五日間も今日で終わりである。

 本来ならばアルカも見送りに来るために同伴していたはずなのだが、教員としての仕事が来るため、ここには二人しかいなかった。

 

「IS学園はどうだった」

「そうだねぇ、多分もう来れるとしたら来年か再来年だろうな。出来ればラウラの卒業式には顔を見せたいからさ」

「……シュヴァルツァ・ハーゼに?」

「さあね、さすがにそこまでは考えてないよ。それにアタシは国を捨てたんだ」

 

 ラウラの心境は恐らくこの五日間で大きく変わっているだろう。

 鋭利な刃物を思わせていた彼女の雰囲気は、最早愛玩動物の持つそれとなってしまっている。

 カレンはまだラウラに国を捨てた事を話していない。そして何故かラウラもその事を聞こうとはしなかった。

 最初から分かっていたのか、或いは聞くことよりも大事な事ばかりがあったのか。

 だが他人が易々と勘ぐっていい話ではないのは確かである。

 

「さっさと戻らないとスコール達に怒られちまう。いい気分で帰ったら釘を差されるなんて持っての他だ」

「あぁ、俺もいつかそっちに手伝いに行くよ」

「ハッ、もうちょい年を取ってからいいな馬鹿弟子」

 

 そのまま空港の出発口へ向かおうとしたカレンはふと周りをキョロキョロと見渡した。

 心なしかその頬も微かに紅くなっている。

 今まで見たコトの無い彼女の姿に、アインは疑問符を浮かべた。

 

「……誰も見てないね」

「……? あぁ、尾行ならついていない――」

 

 ふと思考が中断した。

 カレンに唇を奪われていると感じたのは、長いような短いような、そんな曖昧な時間が経ってからだろう。

 彼女が離れてもアインは唖然としたままだった。

 

「織斑一夏がラウラの唇を奪ったそうだからね。だからこれでおあいこだ。じゃあな、アイン」

「……あ、あぁ」

 

 カレンが去ってからアインはふと自分の変化に気が付いた。

 本来ならばキスですら自分のトラウマを刺激する行為であるはずだ。

 例え相手が異性だとしてもそれは例外ではない。

 だが、何故かまったく不愉快に感じなかった上にトラウマも甦らなかった。

 

「……分からないな」

 

 頬を指で掻いて、アインはIS学園に戻るために踵を返す。

 カレンの弟子である以上、まだやるべき事は残っているしそれが終わるまで彼女の元に帰るなど決して許さないだろう。

 呆れたような溜め息をついて、アインは空を見上げた。

 

 

 

 ちなみにキスの一件が何故かアルカに知られており、更なる騒動を巻き起こしたのは余談である。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

IF 復讐鬼へ成り果てた少年

かなり難しかったです……。やはり自分にアンチ物は無理なようですね。
何よりこの話だけ主人公が幼いので個人的に無かった方が良い気がします……。話の筋が凄く立て辛かったです。
ちなみに主人公が誘拐されたのは十歳の頃。つまりこの話では精神年齢十歳と言う事になります。
原作アインとの違いを比較しながら読んで頂けるとスコール達の業績を分かってもらえるかもしれません。
 そして今回の話に対する非難は一切遠慮させていただきます。感想ではなく非難です。「こんなのアンチじゃないだろ。もっと話しっかり書けよ」と言われる方には「ならご自分でその話をお書きください」としか答えようがありません。

 これからの予定ですが「温泉編」は外伝編を立ててそこで書く予定です。この補足短編はあくまで本編を補うカタチですので、関係ない話がかけないんです。楽しみにしてくださった方は申し訳ありません。
 次回は「優しい日々」。「もしISが生まれず、織斑夫妻がマドカを誘拐せず、争いのない世界で平和に暮らしていたら?」と言う物語です。アインが精神的にフルボッコにされます。

 短編も残すところ二話です。
 短編最終話である「ラストエピソード」まで、応援よろしくお願いします。


 

「あ……がっ」

 

 空母の如きラボの一室で、白髪の少年が女の首を締めていた。

 倒れた彼女に跨り、決して逃がさないようにと両手で強く圧迫する。

 彼の顔は乾いた返り血で塗れていた。

 煤け破れた服がその生き様を物語っている。

 彼の眼はどこまでも紅い。

 その双眸には憎悪と言う悪意が業火となって盛っているようだ。

 

「――死ね」

 

 ゴキリと音が鳴る。

 女の首は歪な方向に曲がっており、二度と動き出す事はないだろう。

 この瞬間、ISの生みの親である篠ノ之束は死亡した。

 世界を変えた人物にしては余りにもあっけない最期である。

 だが未だに誰もその事を知らない。

 そしてその様子を一人の女性が見つめていた。

 

「……篠ノ之束の生体反応停止を確認しました」

「――あぁ、完全に殺した。だがまだ終わってない」

 

 少年は傍に転がっていた機材を拾い上げて、女性に投げ渡す。

 

「この施設を使ってIS学園の場所を解析しろ。全ての無人機を注ぎ込んで、学園を破壊する」

「……それでよろしいのですか」

「黙れ。それが俺の意思だ」

「……分かりました」

 

 少年は殺した女の死体に見向きもせず、ラボに貼り付けられた写真を見ていた。

 そこはIS学園の写真。

 そこに自分が殺すべき者がいる。

 今までどこにあるのか分からなかった。

 どうやって襲撃をかければ良いのかも知らなかった。

 だが篠ノ之束が使っていたラボを強奪した今、その手段がある。

 ようやく――求めていた願いが叶う。

 少年の口は不気味な笑みを携えていた。

 

 

 

 

 

 IS学園は混乱の極みにあった。

 突如として無数の無人機による無慈悲な奇襲は瞬く間にその学園を地獄絵図へと変えていた。

 逃げ惑う少女達に目もくれず、少年はただ獲物だけを狙いながら学園の奥へと歩いていく。

 彼の足が、瓦礫に潰されていた死体を踏み潰す。

 

「待ちなさい」

 

 一機の青いISが少年の前へと降り立つ。

 長身のライフルが目に付いた。

 

「貴方、ここの生徒ではありませんわね? この襲撃に関与しているのですか」

「……織斑一夏はどこだ」

「質問に答えなさい」

「織斑一夏はどこだ」

 

 長身のライフルが少年に突きつけられる。

 あぁ、なるほどと少年はどこか納得した。

 要するにこの女も偽者に誑かされた人形なのだ。

 だとすれば――殺しても構わない。

 

「死ね」

 

 少年の跳躍に、気づけなかったISは地面へとたたきつけられる。

 突如として背中に焼けるような痛みが走る。

 レーザーだと気づいた時には、少年の拳は只管少女の頭部を殴打し続けていた。

 

「……」

 

 無表情な瞳でただ殴り続ける。

 最初こそ少女は抵抗していたもののやがてその体はピクリとも動かなくなった。

 見れば頭部から血を流している。

 

「……ちっ」

 

 せめて彼女がもう少し頑丈であれば、織斑一夏がどこにいるのかを聞けたのだが。

 ISごと少女を蹴り飛ばして、周囲を見渡す。

 唐突に感じた圧力に、その場から飛びのく。

 見えぬ砲弾が少年の立っていた場所を貫いていた。

 

「セシリア! 逃げなさい、早く!」

 

 背後を振り返る。

 赤いISがそこにいて、片手には巨大な武器を握っていた。

 あれは――ISを潰すのに強力だ。

 

「セシリア! 早く……」

 

 その少女もようやく気づいた。

 呼びかけているIS操縦者の頭部から真紅の血が迸っている事を。

 彼女の顔色が、既に生を失っている事を。

 

「……」

「答えろ、織斑一夏はどこだ」

「よくも……よくも!」

 

 猛進するISに対して少年はその両手にナイフを展開する。

 そして擦れ違い際に少女の白い首を切り裂いた。

 鮮血が噴き出る。

 

「嘘……。何で……絶対防御が……」

 

 唖然とした表情のまま、少女は倒れる。

 少年は再び舌打ちする。

 また質問する前に殺してしまった。

 ナイフで首を狙うのは早計だったかと納得する。

 だがまだ幸いにも戦いの音は聞こえており、尋問する対象はいくらでもいる。

 ガシャンと何かが墜落する音がした。

 

「……」

 

 見れば出撃させた無人機が下半身を破壊された状態で地面に横たわっていた。

 腕に装着されているISブレードを少年は力任せに剥ぎ取る。

 絡み付いたケーブルを引き剥がす同時に二機のISが少年の視界に映る。

 黄色いISと黒いIS。

 どうやら二人係りで無人機掃討に当たっていたらしい。

 既にその装甲は所々が破損しており、それまでの激戦を物語っていた。

 そしてその周りに教師部隊も出現する。

 少年は唇を舐めた。

 どうやら質問の相手に困る事はないらしい。

 

 

 

「……」

 

 様々な残骸があちらこちらに散らばっている。

 機械の破片、肉片、瓦礫――それらは全て破壊という行動によって生み出された副産物だ。

 アルカはその残骸の中からISのパーツを探し出し、現在拠点として使用しているラボに転送していた。

 二人によって襲撃されたIS学園は最早全滅に近く、恐らく学園としての機能は二度と取り戻せない。

 しかもこの事を隠しとおす事が無理なのは火を見るよりも明らかだ。

 そしてIS学園にいた生徒の内の多くは死亡していると見て間違いない。

 つまり――世界を巻き込んだ戦争がその火蓋を切って落とされるだろう。

 だからこそ、覚悟を決める。

 

「私も、貴方と共に地獄に落ちましょう。……御独りにはさせません。決して」

 

 

 

 

 

「……ちっ」

 

 最後まで口を開かなかった金髪の少女の首をゴキリと折って、投げ捨てる。

 全身を返り血で染めたまま、彼は辺りを見渡す。

 そこは死屍累々だった。

 様々な数のIS操縦者たちが血を流して倒れている。

 狙った獲物はそこにはいなかった。

 ただ無駄な的ばかりがそこに倒れているだけ。

 仕方なく場所を変えようとしたとき、少年の耳に風の切る音が響く。

 ――あぁ、ようやく訪れた。

 この時を、待っていた。

 少年は振り返る。そこには紅いISと白いISがいた。

 ようやく――見つけた。

 

「……鈴?」

 

 人形は、先ほど少年が殺した少女を見る。

 彼女は首から血を流して倒れていた。

 

「……セシリア?」

 

 彼女は頭部から血を流して倒れていた。

 IS装甲の随所が砕けている。

 

「……ラウラ?」

 

 彼女は心臓から血を流して倒れていた。

 地面に横たわる彼女の虚ろな瞳は何を見ているのか。

 

「……シャル?」

 

 少女は首を折られて死んでいた。

 変な方向を向いた頭部だけが学園の外を見ている。

 

「……」

「――」

 

 少年は笑う。

 狂うほど、愛しいほど、ただどこまでも笑う。

 この気持ちをなんと言うべきか。

 狂気か、愉悦か、歓喜か、滑稽か。

 いやどれにも当てはまらない。

 ただ、殺すだけの事なのだから。

 

「おおおぉぉぉっっ!!」

 

 人形と少女が二つに分かれて、少年を挟む。

 恐らくそれぞれの方向から攻めるのだろう。

 ――だが無意味だ。

 

「っ!」

 

 少女の腹にナイフが投げつけられる。

 

「がっ!」

 

 人形の腹にISブレードが突き刺さり、彼を縫いとめる。

 

「――」

 

 笑みを浮かべる。

 三日月のような、どこまでもただ黒く不気味な笑み。

 それはまるで――死神だ。

 そして少年が泥に包まれる。

 

「織斑、篠ノ之! 無事か!?」

 

 凛々しい声が響き、織斑千冬がその場に姿を現す。

 彼女は一夏に刺さっていたISブレードを引き抜いて投げ捨てた。

 

「千冬姉! シャルが、鈴が、セシリアが、ラウラが……!」

「……分かっている。もう、この学園は全滅に近い。謎の無人機は掃討したが……戦える戦力はここにいる三人で最後だ」

 

 すなわちIS学園の警備も防護も、全て死亡もしくは破壊されたという事である。

 それを察して一夏が強く拳を握り締めた。

 ここにいる三人が、最後の生き残りなのか。

 千冬は手にしたISブレードを持ったまま泥を見つめる。

 

「今、各国の軍隊に援軍を要請している。五分もあれば到着するはずだ。……ところで、アイツがこの襲撃の張本人か?」

「……多分、シャル達を殺したのもアイツだ」

「……織斑、篠ノ之と共に下がれ。お前らの適う相手じゃない」

「死ぬ気なのかよ、千冬姉」

「誰が死ぬか馬鹿者。私はお前の姉だぞ。最後まで弟の生き様を見届けてやるのが役目だ」

 

 千冬が笑みを浮かべた瞬間、一つの声が響く。

 それはまるで地獄を形容したかのような声だった。

 

「――違う。そいつは偽者だ」

「何?」

 

 泥がはじける。

 右手に赤い刀身が握られた。

 左手には騎士のような篭手を。

 そしてその総身は黒い鎧に覆われていた。

 

「俺が――俺が本物なんだよ。千冬姉」

 

 少年の素顔が明らかになる。

 それは織斑一夏とまったく同じ顔だった。

 

「……クローンにしては話が出来すぎているな」

「違うッ!」

 

 左手から放出された黒い帯が箒の首を締め上げる。

 彼の姿は出し切れぬ激情をぶつけているかのようだ。

 

「クローンはそいつだ! そうでなければ、何でISが起動できる!?」

 

 帯がさらにきつく箒の首を締め上げる。

 千冬がその帯を切ろうとするが、ブレードはエネルギーだけを虚しくすり抜けた。

 

「……箒を放せよ、てめぇッ!」

 

 帯が薙ぎ払われ、箒ごと二人を巻き込み吹き飛ばす。

 千冬は受身こそ取れたが、足を負傷した。

 破片が、くるぶしへ食い込んでおり動かそうとするたびに激痛が走る。

 そして投げ飛ばされた箒は、ただ虚しく地面を転がるだけであり、言葉を発する事も起き上がる事もしなかった。

 それを察した一夏が、零落白夜を起動させる。

 

「うおぉぉっ!!」

 

 表情を燃え盛る炎のような怒りへと染め上げて、一夏が少年に疾走した。

 ――その瞬間、黒い刀身が肥大化し、織斑一夏を斬り潰す。

 黒い刀身によって総身をひき潰され、肉体を乖離され、存在を乖離された彼は――まるで塵の様に消えうせた。

 最初から、何もいなかったかのように。

 彼の僅かな血飛沫だけが千冬の顔に降りかかっていた。

 

「……お前は、本当に一夏なのか?」

「あぁ、そうだよ千冬姉。貴方の大切な弟だ」

「なら、その体は何があった」

「攫われて、実験体にされたんだ。怖くなるくらい、何度も何度も。必死に千冬姉の名前を呼んでも、貴方は助けに来なかった。ほら、偽者に騙されていたから。だけどもう大丈夫だよ、偽者は俺が殺した。だからもう一度一緒にいられるよ。もう一人にはならない。ずっとずっと二人でいられるから」

「……そうか」

 

 千冬が微笑む。

 少年はおぼつかない足取りで彼女の元へ歩んでいく。

 彼の表情は恍惚としていた。

 

「もう一度、もう一度俺を一夏と呼んでくれ」

「あぁ――」

 

 千冬の体が少年を抱き締める。

 そうして彼の心を安堵が満たした瞬間、冷たい何かが貫いた。

 見れば、千冬は持っていたISブレードを少年の胸へ突き刺している。

 

「……えっ」

「本当のお前は、そう容易く人を殺さない。私の弟は人を殺すという重みを理解しているはずだ。だから――もうお前は一夏とは呼べない。呼ぶつもりもない」

 

 少年の心が砕け散る。

 そうして――彼を一つの衝動が突き動かした。

 声を荒げて、千冬の首を強く締める。

 もう二度とその声を聞きたくないと。

 必死に現実を否定しようとする子供のように。

 狂ったように叫びながら、彼はその首を強く締めた。

 まるで――篠ノ之束を殺す時のように。

 

「……」

 

 気がつけば、織斑千冬もまた事切れていた。

 目を閉じて、どこまでも美しい表情のままゆっくりと眠っていた。

 元の姿に戻っていた少年は立ち上がる。

 その白髪を鮮血に染めて、その頬を、その両手を怨嗟に染めて。

 死体の中で彼は自分の両手を見る。

 何故だ、何故こうなってしまった。

 ただもう一度一夏と呼ばれたかっただけなのに。

 何が悪い。何がいけない。

 ――あぁ、そうだ。

 ISが悪い。

 自分と彼女を引き離した根源であるISこそが元凶だ。

 だが既に篠ノ之束はこの世にいない。

 ならば――世界だ。

 ISを受け入れた世界に、この牙を。

 

「……これで、終わりですか」

 

 アルカが歩いてくる。

 ドレスの裾を血に染めて、彼女は少年を見つめた。

 

「……」

「……」

「まだだ」

「……」

「俺はISを根絶する。ISを受け入れた世界全てに復讐する」

 

 そうして、再びおぼつかない足取りで少年はどこかへと歩いていく。

 その魂に次なる充足を満たすために。

 ――アルカはふと周りを見渡す。

 織斑千冬の姿が目に付いた。

 彼女の元まで歩み寄る。

 ポタリとその頬に一粒の雫が垂れた。

 

「……やはり、私達は生まれるべきではなかった。もし生まれなかったら……死ななくて良かったのに……」

 

 破壊しつくされた学園。

 もうそれは戻らない。

 まるで少年が生まれた地獄が再現されたかのようだ。

 やがてこのような光景が世界中に広がるのだろう。

 他の誰でもない。

 自分達のせいで。

 彼女は泣き崩れる。

 その心に後悔を抱いて。

 少年は笑う。

 その心に怨嗟を閉じ込めて。

 

 

 

 

 そんな彼らを、一人の少女が見つめていた。

 白いドレスを着た少女は悲しげな表情を浮かべた後、まるで光のように消えて、その場から姿を消す。

 その事に気づく人物などいるわけがなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編 優しい日々

「復讐鬼に成り果てた少年」と同じくらい難しかったです……。
このジャンルまで向いてないとは……。改めて自分のレベルの低さを実感させられました。


次回は本当の最終話「ラストエピソード」です。


 

 

『一度だけ体験されて見ますか。平和な世界を』

『……あぁ、興味がある。本当の平和が何なのか』

 

 

 

 まるで泥のように纏わり付く眠気を払いながら、一夏はアラーム音を撒き散らす携帯電話を探り出す。

 布団の心地良い香りが再び眠気を誘うが、何とか振り切って彼はベッドから起き上がった。

 クローゼットの中にはこれから三年間着る事になる制服がハンガーに吊るされていた。

 藍越学園――就職率も良いその高校に無事進学した一夏は、家族のために高校を出て働く事を選んだのだ。

 何より藍越学園の教師陣は実力者揃いであり、姉である織斑千冬もそれを認めているのだから尚更の事だろう。

 父親であり、一流の研究者である織斑久一のように誰かを助ける研究員になりたいと心の奥底で願ってきたため、今日からようやくその夢へと一歩を歩みだすのだ。

 年こそ同じだが、妹である織斑マドカは一夏と同じ藍越学園へと進学しており、彼女もまた母親である織斑季理のようになるべく修行する道を選んだ。

 一夏よりも先に生まれた兄とも呼べる人物織斑アインもまた、藍越学園に進学している。自分よりも知の深い兄の事だから既に準備を終えて下で朝食を摂っているに違いない。

 そんな兄を、一夏も尊敬しておりマドカにいたっては彼と結婚すると言い出す始末である。家政婦であるアルカが言い収めるのに一苦労していたと愚痴を溢したのを思い出す。

 

「よし、準備オーケー……!」

 

 自分の頬を叩き、渇を入れて一夏は下の階へと向かう。

 今日が高校デビューとなる晴れ舞台である。

 兄や姉に負けないように精一杯がんばろうと意気込んで、リビングへのドアを開けた。

 

「母さん、おはよう」

「おはよう、一夏。ご飯出来てるわよ」

 

 エプロンを着用した織斑季理は、子持ちとは思えぬほどの若さと美しさを持っている。

 息子であるはずの一夏ですら、その笑顔にドキリとさせられたことがあるからだ。

 しかしその反面、この一家では最強の地位に君臨していると言うギャップまでついているが。

 料理を作っている母と、その料理を運ぶ黒髪の女性。

 あぁ、いつも見ている光景だ。

 

「おはようございます、一夏様。今朝のメニューはいつも通りです」

「あぁ、おはようアルカさん」

 

 家政婦であるアルカも、最早家族の一員である。

 そんな彼女が運んでくれた料理のところへと向かう。

 席では既に兄である織斑アインと妹の織斑マドカが朝食を摂っていた。

 ちなみに何故か半分寝惚け気味の織斑千冬が一夏よりも先に席へ着いている。

 ドアを開けたのは一夏のほうが速かったはずだ。

 

「ほら、あなた。もう朝食出来たから席について」

「あぁ、出来てたのかすまない。どうも最近研究がはかどってるから気分がいいんだ」

「ふふっ、浮かれてばかりじゃ足元をすくわれますよ?」

「それは怖いな」

 

 織斑久一も席について朝食へと箸を伸ばす。

 一夏はふと、アインの視線が両親達に向いているのに気がついた。

 まるで何かを探っているかのような視線に、ふと疑問こそ抱いたが何故かどうでもいい事のように思える。

 何より入学式を前にして、そんな考え事にありついていられない。

 

「季理様、一つご質問があるのですが……」

「何かしら。何でも聞いてね」

「ソースと醤油の違いが分かりません」

 

 季理とアルカはどちらも顎に手を当てて、目の前にある二つの黒い液体を凝視していた。

 ちなみに両方とも似たような容器に入っており、ラベルはされていない。

 ただ一つだけ分かるのは、中身が見えることだけであり無論それでわかると言うのなら、アルカはそこまで苦労しないだろう。

 

「……」

 

 アインの表情はどこか暗い片鱗を漂わせていた。

 元々、兄は病弱であり髪や瞳の色がそのせいで変色したのだ。

 だが病を無事に克服して以来、その病弱ぶりが嘘のように回復し今では運動部に勧誘が殺到するレベルである。

 そんな兄が憂鬱な雰囲気を浮かべるのは珍しかった。

 そして――その奥を何故か知ってはいけないような気がした。

 

「……兄さん?」

「……大丈夫だ、マドカ。少し考え事をしていただけだよ」

 

 ポンと妹の頭に手を置いて、アインは軽く笑みを浮かべる。

 マドカの表情が一気に破顔した。

 少なくともそのような表情を意識して一夏へ浮かべてくれた事など一度もほとんどない。

 敵視されているのは何故だろうか。

 

「皆様、まもなく時間になります。そろそろご出立の準備をなさってください」

 

 アルカの一言で、一夏たちは立ち上がって鞄をとる。

 千冬もまた藍越学園の教師であり、向かう先は同じであるからだ。

 学ランに身を包んだアインと一夏は学生シューズへと足を入れる。

 マドカも中学生の時に体験しているからか、セーラー服の着こなしに何の謙遜もなかった。

 ちなみにそんな織斑家には、何度かモデルを頼む依頼が来ているが子供をモノ扱いされる事に腹を立てた両親が悉く断っている。

 久一が世界でも名を誇る科学者であるため、その事が大きく響いたのだろう。

 そのおかげで平穏な学生生活を送れているのだから両親には深い感謝の思いばかりである。

 慌ただしく後を着いて来る姉妹の姿に、二人は苦笑を漏らした。

 

 

 

 

 

 四人で歩いて登校している途中に、織斑千冬の同僚である篠ノ之束とその妹の篠ノ之箒、そして彼女と一夏の幼馴染である凰鈴音と五反田弾と会い、共に学校へ向かう事になった。

 既に千冬と束は準備があるため、新入生である彼らよりも先に学校へと上がっていた。

 

「あらあら、兄妹の恋なんて実らないのよマドカちゃん?」

「黙れ、淫乱生徒会長が」

「……一応、貴方の先輩よ。私」

「知るか」

 

 そして現在、藍越学園の生徒会長である更識楯無とマドカがアイン越しににらみ合いを続けており、一夏は幼馴染である国際色が豊かな女子五人に囲まれていた。ちなみに弾は既に教室へ上がっている。

 散らされる火花の音を出来る限り、無視してアインは周りを見渡す。

 

「……ここも同じか」

 

その言葉に、気づくものは誰もいなかった。

 ふと楯無の声が途切れた事に気づく。

 

「……ね、ねぇ、かんちゃん。ど、どうかしたの?」

「……別に」

 

 マドカと親友であり楯無の妹である簪が、見事に楯無を怯ませている。

 一体どういう経緯で、二人の仲が進んだのかはあっちの場所でも良く分からない。

 ただ一つ言えるとすれば――とても平和だ。

 

 

 

 

 クラスは縁のある人物がほとんど同じと言う編成になっていた―約一名は二組へ飛ばされたが―。

 担任は、一夏たちの姉である織斑千冬。そして副担任はまさかの篠ノ之束と言う組み合わせとなっており、一夏たちが再び注目の的となったのは言い換えようがない事実である。

 アインは改めて、入学の手引きと言う書類に目を通す。

 そこからざっと見覚えのある単語だけに目を通していく。

 二組担任、山田真耶。

 生徒会長、更識楯無。

 生徒会顧問、スコール・ミューゼル。

 生徒会副顧問、ナターシャ・ファイルス。

 風紀担当、カレン・ボーデヴィッヒ。

 風紀担当、オータム・アルバ。

 

「……」

 

 アインの心境を複雑な心が満たしていく。

 後悔が、胸に染み込んでいくような気がした。

 

 

 

 

 

 藍越学園は三年間の中で生徒達に就職するための実力をつけさせるのが目的となっている高校である。

 早い話、入学式初日から授業が行われるのだ。

 幸いにも食堂などの設備は整っており、授業一式も既に机と共に用意されている。

 四限目の後に昼休みを挟み、七限目まであるのが藍越学園の時間割である。

 現在、昼休みでありアインは食事を済ませたフリをして、校内を周っていた。

 どうせ、この生徒として見るのは今日が最後なのだ。

 だから出来れば見れるところは見ておきたい。

 そう思って曲がり角を通りかかった瞬間、彼は即座に身を引いてその姿を隠す。

 通路の先には彼女達がいた。

 家族も同然である彼女達と瓜二つの姿。

 その容姿がアインの心を揺さぶる。

 

「……」

 

 楽しそうに話す彼女達の姿。

 もし平和な世界になっていたのなら、彼女達も血生臭い闘争に身をおかずに済んだのかもしれない。

 話しかけたい衝動に駆られるが、自制心がそれを咎める。

 彼女達は自分の事を知らない。

 だからこそ、彼女達の世界を壊してはならない。

 自分と言う火種がいない、温かなその雰囲気。

 ただそれが――どこまでも遠かった。

 

 

 

 

 

 放課後は新入生達の仮入部期間である。

 一夏とマドカは既に帰宅しており、アインは仮入部のために遅れると告げて教室に残っていた。

 彼以外、その教室におらず黄昏の斜陽が窓へと差し込んでいる。

 

「……」

 

 机に座ったまま、彼は俯く。

 授業という物を受けたのは随分と久しかった。

 元の世界で最後に受けたのは、何年前だったのだろうか。

 思えば血と硝煙の中で生きてきた。

 多くの亡骸を踏み躙って、世界を滅ぼしかけて、そして今はアルカのおかげで別の世界に一時的に来ている。

 ――自分がここに長く留まれば、この世界の平和は壊れるのかもしれない。

 だが、この世界は余りにも理想的だった。

 この世界は余りにも優しすぎた。

 その過剰な思いが、アインの心を磨り潰す。

 

「コレが――日常」

 

 ポツリと彼は呟く。

 自分しかいない小さな世界で。

 

「コレが――平和」

 

 学生服のポケットから小さな機械を取り出す。

 そしてその機械を自分の机へと押し付けた。

 次の瞬間、その机は跡形もなく消え去る。

 まるで――最初からなかったかのように。

 そして、その教室の名簿からアインと言う名前の持ち主は消え去っていた。

 

 

 

 

 

 日も暮れ始めてきており、散る桜の花が酷く美しい。

 既に織斑家では、夕食の準備が整っていてアインが帰宅するまで全員が食べるのを待っていてくれたようだ。

 その思いやりが、純粋に嬉しかった。

 最後になるであろう我が家での夕食に、思いを馳せる。

 

「お前たちは将来、どんな夢を目指してるんだ?」

 

 唐突に千冬がそんな事を言い出した。

 良く見ればその頬は軽く紅潮しており、彼女が酔っているのだと分かる。

 それほど嬉しい事でもあったのだろう。

 誰も、彼女に水を差さなかった。

 

「……そうだなぁ。私は母さんや姉さんのような女性になりたい。優しくて強い女性に」

 

 マドカは楽しそうに言う。

 その容貌には、確かに血の繋がりが感じられた。

 季理がマドカの頭を撫で、マドカは満足げに微笑む。

 

「俺は、父さんみたいに世界に貢献する仕事かな。まだ具体的には決まってないけど、誰かを助ける事がしたいんだ」

 

 一夏は胸を張る。

 その瞳に躊躇いはない。

 久一が自慢げに、一夏の肩へ手を置く。

 そして残るはアインだけだった。

 見れば、アルカまでもが耳を傾けていて助け舟を出すつもりはないらしい。

 いや、きっとその方が失礼だと判断したのだろう。

 これは――自分自身で決めないといけないのだから。

 

「オレは――」

 

 言いたい事ならたくさんある。

 目指したいモノなら呆れるほど余っている。

 だが――両親がいて、家族がいるこの状況だからこそ、言わなくてはいけない事があるはずだ。

 ずっと胸の奥に仕舞い続けていた何かを、告げる。

 もしも。

 もしも、今だけ子供のような無垢の願い事が叶うのならば。

 もしも、今だけどんな理想であったとも告げられると言うのなら。

 

「――家族が誇れる人になりたい」

 

 マドカとは違う。

 一夏とも違う。

 それは当たり前のことだから。

 だけど、彼にとってそれは当たり前だったのではなく、夢の果てに等しかった。

 だからこそ、そんな言葉を口にする。

 久一と季理は、目を合わせて微笑む。

 今この場にあるのは温もりだけだ。

 再び、元気な声が食卓に響いた。

 

 

 

 

 

 

 完全に日が沈み、辺りは一面が暗くなっていた。

 そんな中を、一人の少年が歩いている。

 白いロングコートを羽織った少年の先には、黒いドレスを着た女性が立っていた。

 

「この世界は如何でしたか?」

 

 少年は呆れたような笑みを浮かべる。

 その答えなど、彼女は分かっているだろうに。

 

「いい世界だ。もし叶うのなら、オレもこんな世界に生まれたかった。お前がいて、両親がいて、千冬姉が、一夏がいて、マドカがいて、オレもいる。そして彼女達も一緒にいる。……あれを、本当の日常って言うんだろうな」

 

 少年はどこか遠い笑みを浮かべていた。

 その両手にはかつての感触が宿っている。

 自分を産んでくれた二人の人間を屠った時の全てが、掌にしかと刻み込まれていた。

 

「アルカ、あの機械をどうすればいい? そろそろ限界である一日が経つぞ」

「自分の体に突き刺してください。そうすれば、元の世界へ帰還できます。……本当によろしいのですか? もう、この世界に来れる保証はありません」

「……あぁ、この世界は確かに羨ましい。だけど、オレがその世界を壊しちゃダメなんだ。彼らには彼らの世界がある。それを壊すなんて、出来ない」

 

 そうして、アインは例の機械を持つ。

 まるでボールペンのような形状の機械。

 この世界に二人が干渉できたタネでもある。

 後は自分の体のどこかに突き刺すだけだ。

 振りかぶった瞬間――声が響く。

 

「待て、アイン」

 

 手が止まる。

 アルカまでもが表情を変えて、唖然としていた。

 何故なら、そこには久一と季理がいたからだ。

 織斑家を出る時、決して尾行はされなかったし、全員寝静まっていたはず。

 なのに、何故――。

 

「まさか、干渉に気づいた……?」

 

 アルカが茫然と呟く。

 彼女の計算が破られた。

 

「……干渉だが、何だか分からんが話は最初から聞いていた」

 

 久一の言葉に、アインは目線を逸らす。

 ただ気まずかった。

 何を言われるかもわからないし、何を言えばいいのかも分からない。

 ただ、黙る事しか出来なかった。

 長い沈黙の後、久一は優しい声音で言う。

 

「例え世界は変わっても、お前がどのような道を歩んでいたとしても、私達はそれを否定しないよ。お前が誰であろうと、私達の子供に変わりないんだ」

 

 あぁ、なるほどとどこかで納得する。

 二人が干渉を破ったのは、機械でもマジックでもない。

 親としての絆だ。

 たったそれだけの想いが、かけられていた干渉を解除したのだ。

 記憶まで念入りに作られていた。

 その時の感情まで捏造していた。

 だが――親としての想いがその妄想を振り払った。

 季理の言葉が、母としての情に満ちた声音で紡がれる。

 

「貴方に織斑の名を託すのなら、私達は安心できるわ。子供に自分の名前を安心して託せられるのなら、それ以上の喜びはないから」

 

 両手を握り締めた。

 刻まれていた感触が、重くのしかかる。

 激情が心の中を渦巻いた。

 その全てを彼は堪える。

 

「アルカ、宜しく頼むわね」

「……はい、お任せください」

 

 アルカもまた二人に対して頭を下げる。

 久一と季理が淡い微笑みを浮かべた。

 

「引き止めて悪かったな。もう行け、アイン。お前にはお前の未来が待っている。だから――お前がその世界を作るんだ。私達が嫉妬するほど、素晴らしい世界を」

「えぇ、出来るはずよ。だって私達の子供には変わりないもの。私達の自慢の息子だから、安心して送り出せる。力いっぱいやってきなさい。そして疲れたら、家族にうんと甘えなさい」

 

 そうだ。

 元の世界にはまだ彼女達がいる。

 家族として、共に生きてくれる人達がいる。

 だから帰ったら――

 

「分かった……!」

 

 今にも泣き出しそうな表情で、アインは機械を左手に刺す。

 かつて――両親の命を奪ったその左手に。

 それと同時に体が透けていく。

 元の世界へ情報を移しているのだ。

 まもなく粒子となって、この世界から完全に消え去るだろう。

 何か言うべき言葉があるはずだ。

 ――そうだ。

 まだ、一度も二人に言った事がなかった。

 

「――父さん、母さん」

 

 少年は表情に笑みを浮かべる。

 泣きながら、それでも無理に笑って。

 せめて――二人にこの想いが伝わるように。

 

「――いってきます」

 

 父である織斑久一は言う。

 母である織斑季理は言う。

 息子である少年を、送り出すために。

 

『――いってらっしゃい』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラストエピソード

これにて短編完結です。
残りは別作品である外伝にて。
ISコアについて作者なりの答えを書いています。
……ある意味すげぇ投げやりですけど。
後書きはのちほどに。

「refrain」
・繰り返す
・断つ


 それは真冬の深夜だった。

 冷たい夜の空気はまるで刃物のようだと比喩されるが、生憎それを感じる事は無いだろう。

 伽藍とした町並みの中を歩いている。既に人影は無く、あるのはただ降りしきる雪と月明かりに照らされた世界だった。透き通るような月光が酷く美しい。

 夏場は夜ですら町で騒々しい人々もどうやら真冬の寒さには適わないらしい。

 履いているブーツが霜を踏み抜く音だけが虚しく響く。

 けれど、何故かそれを心地良いと感じていた。

 長い髪を切ったせいか、首の裏の違和感はどうも慣れない。

 それでも寒さを感じないのは心臓と同化しているISコアのおかげだろう。

 極東での任務はやはり他の地で行う任務よりも手早く終わってしまい、時間をもてあます事が多くなってしまった。

 周りの人間から今まで“大人びている”という言葉こそ貰ってきたがやはり時間を積み重ねなければ分からない事はあったらしい。

 答えを知って戦場を渡り歩いたが、それでもやはり自分は無力だった。だけど、前よりもさらに多くの人を救う事が出来た。その分、自分の心の空白は酷く曖昧だ。

 結局長い年月をかけて結局分かったのは答えを出す事じゃなくて、その答えに辿り着くのにどう理解すればよいか。

 たったそれだけの事を知るために十五年という歳月を溝に捨ててきたのかもしれない。

 だとすれば自分の歩んできた道とは一体何だったのか。

 そんな辛気臭い事ばかり考えている。もし彼女達が知れば、きっと笑いながら励ましてくれるだろう。

 その温かさが嬉しかった。

 

「……」

 

 気がつけば、篠ノ之神社にいた。

 季節こそ違うが、空には満月が浮かんでおり時刻は深夜である。

 奇妙な事にあの時と状況はそっくりだ。ならばあの誓いの場所に行けば忘れていた何かを思い出すかもしれない。この心の中にある曖昧が鮮明になるかもしれない。

 そう思って、篠ノ之道場へと向かう。

 何故か、足は速く動きまるで強い何かに引き寄せられているようだ。

 

「アルカ……?」

 

 誓いの場所、そこにいたのは彼女に良く似た少女だった。

 ただ違う場所を挙げるとすれば、白髪の長い髪と白いドレスだろう。

 雪と良く似たその色合いに言葉を失った。

 彼女はゆっくりと振り返って、頭を振る。

 

「……ううん、私はアルカじゃない」

「何?」

「私は貴方の一部。貴方の心が切り捨てて、アルカが失った存在。それが私」

 

 よく分からなかった。

 どうやら彼女は自分の欠片を持ち合わせているらしい。

 やるべき事は定まったのだがどうすればいいかまったく分からなかった。

 

「お前の名前は?」

「優しく呼んで。私は独りだから、その言い方じゃ寂しくて話せない」

「……分かった。君の名前は」

 

 白い少女は彼に微笑む。

 何故か、その表情に懐かしさともどかしさを覚えた。

 

「私に名前は無い。だけど、付けられた名前ならある。“白騎士”それが私の名前」

「……白騎士のコアは織斑一夏の専用機として生まれ変わったと聞いた」

「ううん、あれは装備が似ていただけで私じゃない。ISは人の意志(こころ)を力に変えるから、コアなんて関係ないの。彼がただ彼女と似ている。それだけよ」

 

 白い少女は道場の縁側に座った。

 彼女の右手が隣の床をつつく。

 どうやら隣に座れと言うジェスチャーのようだ。

 よく訳の分からないまま、彼女の隣に座る事にした。

 

「私は、普通のISじゃない。初めて作られたISで初めて人を好きになったIS。機械の心を持った人で人の肉体を得た機械」

「違う。自分で考えて自分で動けるならそれは機械じゃない」

「ふふっ……優しいね、貴方は。だからかな。私、貴方の事が好きみたい。今日初めて話したのにね」

 

 少女は神秘的な眼差しで満月を見る。

 彼女は人ではない。

 だが――どうにも人間らしさを感じない。

 それが何故、しっくり来ないのだろう。

 

「ねぇ、貴方の望むモノは何」

「……何が言いたい?」

「私は貴方だけの物だから、貴方の願いならそのために尽くすわ。世界にだって、人にだって、機械にだって敵に回してもいい。貴方がそれを望むなら私はただそれだけを果たす。アルカには出来ないでしょうね。だって彼女は人の心を知ってしまったから。人に近くなってしまったから。もう彼女は立派な人間よ」

 

 彼女とアルカは姉妹のような関係なのだろう。

 だとすれば彼女が姉でアルカが妹か。

 もしくは彼女が妹でアルカが姉なのか。

 少女は優しげな表情のまま、少年を見つめる。

 温かな眼差しが、彼を捉えていた。

 

「貴方にはその権利がある。全てを自分の手に取り戻す権利がある。奪われた過去の代価にふさわしいモノを選ぶ事が出来る」

「……」

 

 今必要な物。

 それはきっと数えれば限りない。

 自分もまた人間だ。人間の欲望に限りなど無い。

 ただ喜んで、ただ怒って、ただ哀しんで、ただ楽しむ。

 その事が正しい人の生き方だとするのならば、それこそ人ならざる生き方だろう。

 自分のやりたいようにする。

 自分の目指すように生きる。

 人間に近い生き方とは欲望に忠実である事。

 例えその欲を隠したとしても、また別の欲がどこかに潜んでいるのだから。

 だから――答える。

 

「いらない」

「……本当に?」

「あぁ、自分の欲しい物は自分で手に入れる。そのための力が今のオレにはある。ならそれで十分だ」

「そう。うん、そうよね。貴方なら、きっとそういうと思ってた」

 

 微笑む少女の姿。

 まるで彼が答える事を予期していたかのようだ。

 しかし不思議と、不快には感じなかった。

 

「……私はISが生まれてからずっとこの世界と町を見てきた。たった一人でずっとこの場所にいた。遠い遠い昔、ずっとずっとこんな夜を過ごし続けてた」

「一人で……か」

「えぇ、私は機械と人間の紛い物だから一つの属性だけじゃ見えないの。私と同じ、私を知っている命じゃないと私を感じる事はできない」

 

 彼の体はISコアが埋め込まれている。

 いわば人間に無理やり機械という部品を混ぜ込んだ物なのだ。

 だから彼とアルカにしか彼女を見れない。

 ふと彼は質問した。

 今まで、ずっと疑問に思っていた事を。

 

「一つ聞く。ISコアとは何だ」

「……そうね、ISコアは篠ノ之束が見つけた因果の答え。人が長く求めていたアカシックレコード、彼女はそれを見つけてしまった」

「アカシックレコード……」

「過去現在未来全ての答えが記されている場所。彼女はそれを体現する事に成功した」

「それがISコアだと?」

「円は無限だからそこには全ての答えが数字として記されている。例えば私と言う数字は一つしかないけど、私と言う数字がその答えの中に記されているからこそ世界に生きていられる。彼女はその円という無限の数字を持つカタチこそがアカシックレコードだと気づいて、そのために自身の持ちうる才を全て費やしたの。稀代の天才である彼女だからこそ、出来た事だから」

 

 そういえば聞いた事がある。

 この世全ての事象と物体は数字だけで表す事が出来ると。

 もしもこの世全ての答えを、無限に続く数字へ変換すればそれはどんなカタチに収まるのだろうか。

 

「……」

 

 なるほどと思う。

 この世界は丸い。

 だからこそ全てが生まれていく。

 ISコアはこの世界を象ったカタチなのだろう。

 だとすれば、ISコアはその数字の中にある答えを自動で求める事が出来るようになっていたという事である。

 そしてそれから誕生したアルカもその事実を知っていたからこそ、全能に近かったのだ。

 もしISのエネルギーというのが、ISコアへアクセスする制限時間と考えれば、そのエネルギーがなくなった瞬間ISコアから切り離されてしまう。

 アカシックレコードの情報を、常人が何の準備もなしに知ろうとするなど自殺にも等しいからだ。

 

「……さすがは天才だな」

「うん、だけど彼女はそれを公にしなかった。大切な家族や親友に幸せになってほしかったから。彼女達に使って欲しかった。男に使わせなかったのは、まだ人付き合いが出来ない妹に女性として自信を持っていて欲しいと言う願いがあった」

「……それが男に使えなかった理由?」

「えぇ」

 

 空はまだ暗い。

 月明かりに照らされる雪原と淡い光に彩られる町が美しかった。

 

「白騎士って、本当はね剣を持ってたから騎士って名付けられた訳じゃない」

「……」

「彼女は家族を守りたかった。そのためなら平気で自身を投げ捨てる人だから。家族が傍にいてくれる、そんな愚直な幸せを愛しいと感じた。……あの時ここで貴方が誓いを刻んだこの場所は丁度織斑マドカが誘拐された時に、彼女が決意した場所でもあるの。貴方を守る騎士になろうって。だから白騎士……ふふっ、今の貴方もそうかな」

「だといいが……。オレにとってもこの場所は誓いの場所だ。オレに呪いをかけた始まりでもあり、地獄から救い上げてくれた終わりでもある。希望と絶望なんていつも隣り合わせだ。どうやら織斑の名前を持つ人間にはその淵を渡り歩く宿命とやらがあるらしい」

「そうね、でも結局のところ貴方も織斑千冬も織斑マドカも、三人とも答えに辿り着いた。その身に生まれた呪いを断って、繰り返されるハズだった物語に終止符を打った」

「……物語?」

 

 少女は儚くも美しい表情を浮かべて彼を見る。

 

「本当ならこの物語は繰り返されるハズだった。貴方が織斑一夏を殺した後、世界を敵に回してただ只管戦い続ける。そして――死ぬ。私はそんな物語を呆れるほど見てきた」

「……まさか、あの時の夢をオレに見せたのは」

「うん、それは私の仕業。ISコアはアカシックレコードを数字化した物だから、様々な世界の結末がそこに記されている。……復讐でも人は生きる事なら出来る。それを糧として命を繋ぐ事は出来るわ。だけど、その先にあるのは孤独と破滅だけ。そこで人はようやく自分がしてきたコトの重さに気づく」

「……あぁ、あの夢が無ければオレは今も復讐に固執していたかもしれない」

「それが繰り返されるのを断つ必要があった。そうでなくちゃ、誰も救われないから。全ての人間の心が同じ方向を向いているなんてありえない。貴方の考えが全ての人に理解される事は無いわ。きっと貴方を嫌う人だっているでしょう。復讐に身を落としていた貴方を賞賛して、日常に目を向けた貴方を非難する人だっている」

「分かってるさ。だけど他人は他人だ。オレは神様なんかじゃない。だから、全ての人に認めてもらいたいなんて思っていないよ。――大事な人達が、オレを認めてくれている。なら、オレにはそれで充分なんだ」

「……何でだろうね。どうして人は争うのか、自分の価値観を一方的に押し付けようとするのか……それはきっと人である限り、一生分からない。私は答えを知る事はできても、理解する事は出来ないから。だから――その人の心を理解できる貴方達がちょっとだけ羨ましい」

 

 そして少女は立ち上がる。

 彼女は再び雪の下に出て、月を見上げた。

 

「またいつか来てくれる? 私、貴方ともっと話したい。だけど時間があるからこうして短い間しか話せないの」

「……あぁ、来年の冬にまた来るよ。今度は色々な話を持って来るから、楽しみにしておいてくれ」

「ふふっ、変な人。私がどちらでもないと分かってるのに」

「酷い話だな。それは」

 

 彼も立ち上がって、空を見上げる。

 満月は大分空へと上がっており、もうすぐ黎明の時が訪れるだろう。

 世界はこうして同じ時間を繰り返す。

 だけど、人は同じ日々を生きれない。

 まったく同じ物語を歩めないから。

 

「貴方は世界のために生きて、世界のために死ぬの?」

「いや、オレの生きたいように生きて、死にたいように死ぬ。それがオレの在り方だよ」

「……それで満足してる?」

「あぁ、生きて欲しい人たちが生きてて美しい世界がそこにある。なら――もう何も望まない」

「……きっと、それが貴方の空白なのね。その空白が埋まらない事に貴方は悩み続けていた。でも、大丈夫よ。まだ貴方にはそれを受け入れる歳になっていないだけ。いずれ貴方の悩みは時間が解決してくれる」

「……なるほど、道理で埋まらない訳だ」

 

 苦笑して、神社の入り口を見る。

 一瞬だけ、そこが夏の風景として切り取られてその中に二人の子供と二人の女性が見えたような気がした。

 だからここで誓ったのか、と彼は思わぬ因果に納得する。

 

「じゃあね、来年にまたここで会いましょう。貴方と話せるのを楽しみにしてる。その時まで私はここで世界を見続けるから」

「……そうして姿を現している限り、君は世界を見れないのか」

「うん、それに姿を現しても誰も私を見る事なんて出来ない。だから無意味なの」

 

 孤独。

 それを彼女は一人で背負い続けてきた。

 強さとは孤高の証である。

 才能とは孤独の証である。

 だからこそ――独りでいるしかなかったのだ。

 

「――またね」

 

 彼女はそう言って、消えた。

 その場から跡形も無く。

 きっと、世界を見に行ったのだろう。

 本当に掴み所が無い少女だった。

 だけどまたいつか会えるのだから、その時にはもう少し深く話してみよう。

 

「――またな」

 

 彼もそう言って、歩く。

 その場にいたという足跡を残して。

 まだやるべき事が残っている。

 その全てを片付けて、世界を周ろう。

 きっと――生きる事が楽しくなるはずだから。

 世界が――永遠に美しいと思えるはずだから。

 

 

 

 

 

 白い雪の中を歩く。

 闇に飲まれて、光に照らされて。

 相克する二つの淵を彼は歩く。

 矛盾した事実を気に留めず、ただ目的の場所へと向かう。

 彼女達が待っている。

 繰り返される物語を断って得た世界で、彼女達は生きている。

 後は――彼女達が生きててくれればそれでいい。

 そのためなら全てを敵に回す覚悟だってある。

 だけどそれは復讐ではなく、理想だから。

 その先に破滅も孤独もありはしない。

 あるのは――求めていたモノだけ。

 結局、覚悟も理想も繰り返されるらしい。

 だが、心の在り方だけは絶対に戻らない。

 それが世界を生きている証拠だから。

 降りしきる雪の中を、少年はただ歩き去っていく。

 

 

 

 かくして――ここに最後の話が終わりを告げる。

 後の事など記す必要は無いだろう。

 彼らの世界はまだまだ続き、彼らの歩みは続いていく。

 ただそれだけなのだから。

 繰り返す(リフレイン)

 人も世界も命も全て、生まれては死んでいく。

 断つ(リフレイン)

 だが同じ日々など決して無い。全てが同じ時間などは決して繰り返されない。

 そんな矛盾した物語が積み上がって世界は成り立つ。

 そんな世界が成り立つからこそ、人々が生きている。

 だからこそ――世界はこんなにも美しい。

 無限の空が――ただどこまでも愛しい。

 

 

 どこまでも、この美しく愛しい世界が続くように。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

設定集

本編全話、修正完了記念です。ようやく投下出来る……!


アイン

身長 165㎝(本編開始時)→185cm

性別 男性

年齢 15歳(本編開始時)→18歳(本編終了時)

特徴 長い髪の色は銀髪と言うよりも白に近い。首の裏に刻まれているコードを隠すために髪を伸ばしている。瞳の色は両目赤。白いコートに黒いブーツを着用している。解放時は織斑一夏としての姿に戻るが、髪と目の色はそのままである。

IS 未所持と言うよりも使用できない。心臓に埋め込まれているコアは「暮桜」。パススロットが改造されており、外部からの物質を圧縮し収納する事が出来る。

 亡国機業の一員。その正体は誘拐され、人体実験に扱われ姿も心も変わり果てた織斑一夏その人。救出されたのは織斑千冬の遺伝子を生みこまれたクローンだった。IS学園側の織斑一夏がISを使えたのはそのため。己の名前と居場所を奪った織斑一夏に復讐すべく動き始める。

 心臓のISコアに圧縮されている銃器は全て対IS武装であり、これらは亡国機業が独自に改造している。弾丸は彼のエネルギーを使って生成され、これにより戦闘続行が強化されている。幼い頃に受けていた千冬からの教え、そしてカレンとの鍛錬の成果により刀を使用した際、その戦闘能力は銃器を使っていた時よりも跳ね上がる。

 実験施設での影響により無関係の人を殺す事を極端に恐れており、それは実験体であった頃彼のクローンとその母体を殺すことを強要されたため。それ故に善を愛し悪を憎む気持ちはかなり強いが、織斑一夏への復讐心に変えてしまっているため大きく空回りしてしまっている。本編終了時は抑圧されていた感情から解放されたため、子供らしい一面が強くなっている。しかし経験を積んだことによるタフさも兼ね備えていて、その実力はかつて復讐に溺れていた時よりも熟練の領域に達している。

 周囲の女性から好意を持たれているが、復讐心故に気づいていない。色恋沙汰は苦手で特に性的接触はトラウマであり、これは研究施設に囚われていた時男性研究員達から犯されたため。近頃、何とか克服しつつある。

ISブレード

 織斑一夏の精神が強く影響され、外見そのものまで変貌したIS専用ブレード。刀身は黒く、柄は血を吸っているかのように紅い。零落白夜とまったく同じ性質を斬撃として飛ばす事が可能、エネルギーシールドを全て無力化するため、ISに対して最強の武器である。欠点は振るうごとに体が破壊されてゆくこと。左手の篭手は体に収まり切らないエネルギーを放出し続けており、それをレーザーのように放つ事も可能。凡庸性が高く立体的機動も攻撃もこなせる。それ故に彼から逃げきる事は不可能。

戦闘能力評価

 対IS兵器としてカスタムされているため、専用機持ちとはいえ、ほとんどのISに対してほぼ優勢で戦う事が可能。超近接戦闘では大部分のISが圧倒的に不利。AICを搭載しているなら多少は優位になる。なおマルチロックオンなどを搭載した広範囲型武装を有するISなら優勢で立ち回る事は可能。そのためIS学園側では以外にも簪の専用機がアインに対して有利。

 ちなみに彼のISコアはセカンド・シフトで止まっており、サード・シフトを迎える可能性はまだ十分に残っている。もしサード・シフトした場合、その戦闘能力はさらに大きく跳ね上がる可能性が高く、その実力はまだまだ底を知らない。

作者コメント

 コンセプトは「まともに見えるキチガイ」。本編は彼の成長を描いた感じとなっております。

 活用次第ではミリタリーもファンタジーもこなせる万能主人公です。我ながらよく思いついたなと思います。

 

 

 

アルカ

身長 170㎝

性別 女性

年齢 不明

特徴 黒の長髪に黒い瞳と東洋人らしい容姿をしている。服装は黒いドレスを着用する事が多いが、パンツスーツを着る時もある。

IS 未所持。だが出生の理由からか、その強さは凄まじい。

 アインの補佐として傍らにいる女性。その正体はアインに埋め込まれたISコアが何らかの原因で肉体を得て自我を持った存在であり、彼に強い忠誠を誓っている。

 戦闘はワイヤーを主体とした戦闘を得意とする。これは昔、アインから「綺麗な手だ」と言われた事から、素手での戦闘を避けるようになったため。

 コアと会話する事が可能であり、使用権限まで決める事が出来る。ただしこの使用制限は第三世代型以前のみで彼女から半径数キロ以内と制限がかかっている。

 ISそのものであるため、ISに関する知能と技術は篠ノ之束以上。ISコアの製造も可能だが、彼女自身余り作りたくはなく、ISコアが悪用される事に憤りを覚えるため。アインの使う武器や亡国機業の設備など基本的にアルカが開発に携わっている。

 この作品ではISコア=アカシックレコードの具現化であるため、アルカはまさしく全知全能の体現者ともいえる――が、それ故にドジをする事もある。例えばアインを抱きしめようとして首を絞めてしまい、彼の意識を落としてしまう事もよくある事である。

戦闘能力評価

 まずIS使用権限を持つため、第四世代型でなければ戦闘にすらならない。一応戦闘になった場合だが、まず彼女の猛攻を掻い潜る必要がある。そして一撃でも貰えばそのまま敗北まで持っていかれるため、決して被弾してはいけない。格闘ゲームならば間違いなくチートキャラ。無理ゲー。分かりやすくと言うと残機1の弾幕ゲーを初見でクリアしろ、みたいな感じ。ワイヤー使われたら死ぬ。

作者コメント

 チートキャラです。作品内ではどんな風に扱える便利キャラにしようと思い、設定を練りましたが正直やりすぎたと思っています。もう少しはっちゃけさせれば良かったですね。

 

 

ウォルター・オルコット

アイリーン・オルコット

 亡国機業に所属していたセシリアの両親。しかし娘であるセシリアにISが使える事が判明し、セシリアを引き渡すように要求され組織から脱退する。その途中、亡国機業構成員によって引き起こされた列車横転事故により謀殺された。

 ウォルターは男でありながら戦闘能力がかなり高く、カレンとは一、二位を争うほどのものだった。それと引き換えに表態度は飄々としているため誤解されやすい。

 二人が存命だった場合、アインに影響を与えている可能性が高い人物でもある。

作者コメント

 台詞なしのオリキャラ……一体、誰得なんだろうか。出来れば書いてみたかったキャラなのですが自分に書ききれる自信が無かったです。……すまぬ。

 

 

カレン・ボーデヴィッヒ

身長 168㎝

性別 女性

年齢 35歳(ただし外見は二十代前半のままで止まっている)

特徴 首元まで切り込んだ銀髪と赤い瞳。黒いコートとズボンを着用しており、銃器はコートの裏側に吊るしている。

IS 未所持であり適正は無いが、アルカが作成した銃器を使用して戦闘を行う。

ラウラの代理母。銀髪の髪に紅い瞳はラウラの影響を受けて変化しており、肉体年齢が実年齢と比例しないのもその影響である。軍人として類を見ないほどの適正と実力を併せ持っていたため、遺伝子強化試験体の代理母として選ばれた(並みの人間では耐え切れないため)。子供が生まれた直後に取り上げられたため、ラウラの顔は見た事がない。強化遺伝子の特性を受け継いだため、身体能力と再生能力が異常なほど増加しておりISに匹敵する力を持つようになった。

 ラウラを取り上げた祖国から迫害を受け逃亡。そこでスコールと出会い亡国機業へと入る。裏切りであり売国奴とも思われがちな行為であるため、ドイツ軍は彼女の経歴を抹消した。軍人絡み故にスコールとは仲が良い。

亡国機業に保護されたばかりのアインに対し、銃器の知識を叩き込んだ師匠とも呼べる存在であり、彼の心や考え方に深い影響を与えた。それ故に彼との間には師弟として深く強い絆がある。

 ちなみにあくまで代理母としての参加であるため、男性との経験は一切ない。故にそういった類が苦手であり、そこもまたアインとの共通点である。

戦闘能力評価

 IS武装である銃器を使うため、ISにも通用する戦闘が可能。異常な身体能力と再生能力を兼ね備えているため、長時間の戦闘が行える。

 アインのように派手な火力こそないが、相手の隙を突く的確な攻撃を得意とするため相手を選ばない。奇襲、トラップ、狙撃など銃器に依存した攻撃手段が多いが、白兵戦もアイン以上の実力を持っており、それら全てを利用する事が彼女の真骨頂ともいえる。また巧みな心理戦すら使いこなす。遠近の距離、戦う相手を選ばず戦える実力は最早完成されていると呼んでもいい。

作者コメント

 チートキャラその二。原作のキャラともう少し関係性のある人物、そしてアインはまだ少年であるため実力をつけさせるには師匠キャラがいると思い作り上げたキャラです。ちなみに投稿して始めてから作成したオリキャラだったりします。――ぶっちゃけ、ザ・ボスです。

 

 

スコール・ミューゼル

身長 170cm

性別 女性

年齢 24歳

特徴 長い金髪に蒼もしくは紅のコートを着ている事が多い。

IS アルカ特製の「ノーブル・イクリプス」を使用する。

 亡国機業幹部の一人で、アインを招き入れた女性。彼女が持つチームは亡国機業内部でも最高の力を持つため、そのリーダーである彼女は憧れや嫉妬の的だったりする。

状況把握、戦力分析、行動判断が優れており、それ故にチームの人員からは大きな信頼を置かれていて、戦況に関してはアルカと同格の判断が行える程。

 アインと出会うまでは男と言う存在を軽蔑していたが、彼の半生と生き方に考えを変える。自身の考え方を変えさせてくれた事と強がりを続けるアインに対し母親のような愛情を持っている。

 ISを倒して秩序を回復させるのではなく、ISが男にも使えるようにして女尊男卑の世界を戻そうと考えており、新生亡国機業はそれを理念に活動している。

生まれは有数の名家だったが、権力争いによって運命に翻弄され、家を潰される。兵士として活動していたが、その中で亡国機業と言う組織と出会うそこにいた季理と久一にスカウトされた。オータム、マドカ、カレンと出会いその後の任務でアインと出会う。

性格面、人望、決断力などあらゆる面に関して非の打ちどころがないが、実は料理が苦手であり特に和食は壊滅的。しかし紅茶などにおいては天才的であるため、アインに教示している程。

戦闘能力評価

IS「ノーブル・イクリプス」

 アルカ特製のISで外見は蝶のような翼に体の要所を守る部分装甲である。機体には電撃が纏ってあり、両手から電撃を繰り出す事も可能。レーザーを反射する球体も展開できる。

 複数のISコアを使用して製作されているため、マルチロックオンの速度と範囲がかなり早く、発射後のタイムラグもほとんどない。何よりの脅威は、その攻撃が余りエネルギーを消費しない事であり、それもまたISコアを複数使用している事によるメリットである。

 ちなみに本編で出ていた球体はその周囲に浮遊しているISコアであり、持ち運びバッテリーの役割も持っている。

 整備はスコール自身が行っており、たまにアルカに見てもらう程度でそれ故にIS自体も彼女に懐いている。

作者コメント

 原作ではかませでしたが、本編ではチートキャラその三です。IS使用時はアインがISコア解放を使わなければ勝てない内の一人。

 ぶっちゃけ彼女だけで十分IS学園潰せます。本編では多少ヒロイン的要素も入れましたが……もう少し入れてよかったかもしれません。しかし母性的なキャラが似合いますね、この人。

 

 

オータム・アルバ

身長 166cm

性別 女性

年齢 21歳

特徴 黒い髪に黒い目と東洋人らしい顔立ちで目つきが悪い。服は黒や茶色、灰色などを好む。

 亡国機業の一人で、スコール率いるチームの一人。口は悪いが実力が高く、特に多くの相手を単体で相手取る戦いに置いてはスコールと同格。余り他者に心を開かないが、心を開いたものにはかなりの信頼を置く。本人はその言葉を嫌っているがその生き方は忠義そのものであり、仲間想いな一面も強い。故に裏切りを酷く嫌い、最初はアインもアルカも食って掛かるほどの勢いだった。

 貧民街の生まれであり、裏切りや暴力などの世界で生き続けて来た。口が悪いのはそのため。スコールと出会うまではギャングの一人でもあった。

戦闘評価

 アラクネの糸と多脚装甲を組み合わせた戦術はかなりのモノで、多数を相手取る時強制的に一対一にまで持ち込める強みがある。

 だがその真髄は、支援の時であり、協働での戦闘においては亡国機業内部でもトップクラスの支援性能を誇る。脚部装甲は遠近両々の攻撃および支援砲撃、そして対象の捕縛と非常に幅広い戦闘が可能。攻撃特化タイプのアインとは非常に相性がいい。

作者コメント

 原作だとかませが半端じゃなかったですが、やはり強くなったキャラの一人です。口は悪いけど根はまとも、と言う感じを出したかった分、うまくいった方でしょうか。亡国機業の中では数少ない常識人です。アインとの仲は腕の立つ相棒と言った感じですかね。味方サイドで書くと、彼女がかなり頼もしい人間である事に気づかされます。

 

 

織斑マドカ

身長 154cm

性別 女性

年齢 12歳

 織斑千冬の妹。物心が付き始めた頃、両親に攫われ、亡国機業に入らされる。

 姉である織斑千冬が一夏と暮らしている事を知り、深い憎しみを抱き始めるが、アインが組織に入った後、彼の正体を知る。その後スコールからアインの過去について知り、殺すことではなく彼を越える事で自分自身を証明しようと足掻く。ただし途中から劣等感などどうでもよくなり、今は人として憧れの念を抱いている。その根本には、一人ぼっちは嫌だという少女らしい我が儘があった。

 織斑千冬とは決着をつける事に固執しておりそこには「憧れていた姉から家族として認められたい」と言う願いが込められていた。千冬がブラコンであるのは、マドカが攫われたため。今度は一夏の番かもしれないと彼を強く思うようになったため。

 射撃武器を好んで使用し、それはアインの影響が強い。アルカにはスコール以上に懐いている。

戦闘能力評価

 サイレント・ゼフィルスはビットによるシールド展開と遠隔同時射撃のフレキシブルなど、曲芸染みた戦闘を得意とし、かなりトリッキーな戦法を主とする。多数との戦闘も可能だがその真価は一対一の戦闘において発揮される。アラクネとは対照的な機体。

作者コメント

 原作改変組のキャラです。姉である千冬と同じブラコン属性のキャラクターにした事で、何とか原作らしさは維持できたかと思います。……原作らしさは。

スコールやオータムのキャラが強かった分、数話使って彼女メインの話にしましたが……キャラの個性は出ていたのだろうか……。

 

 

ナターシャ・ファイルス

 銀の福音の操縦者。アインとマドカにより暴走していた福音を撃墜され、救出される。スコールから聞いた亡国機業の言葉と福音を家族と見なしている事により、亡国機業への入隊を決意する。

 亡国機業入隊後は「エヌ」と名前を改め、髪の色を染めた。本編終了後は全て、元に戻している。銀の福音は、アルカによる改造で原作以上に強化されていて、大軍を敵と想定した機体に変化している。

 アインに関しては、最初こそ距離を置いていたが彼の過去や僅かに見せる子供らしい一面から徐々に距離を縮めつつあった。ある意味、彼の扱いに手馴れている。

戦闘評価

 銀の福音は遥かに強化されていて、ナターシャが操縦する事によりさらにその実力が跳ね上がる。エネルギー弾は広範囲への同時射撃が可能となり、また誘導弾でもあるため命中量かつ威力が上昇している。またレーザーブレードによる近接戦闘も可能となっており、懐へ入られても十分に対処が可能となっている。

作者コメント

 原作改変キャラの一人です。スコールがお母さんキャラなら、彼女はお姉さんキャラと言ったところでしょうか……。しかし、本編では影が薄くなってしまった所は反省点でした。もう少し加入が早くても良かったかなぁ……。

 

 

織斑 季理

織斑 久一

 千冬、一夏、マドカの両親。亡国機業最高クラスの権限を持っており、マドカ・一夏誘拐は全て二人の手によるものである。亡国機業のトップであり平穏をもたらすため、最適な傀儡を作り出そうとしていた。

 異常な身体能力を持った千冬は自我があると諦め、マドカを連れて行くが、マドカが余り成果を出せなかったため、スコールに引き取らせる。最後の手段として一夏のクローンを量産し、その中から千冬と同格の素質を秘めた存在を作り出そうとするが上手く行かない。そしてISが開発された時、一夏の誘拐を指示。コアを埋め込ませたのも彼らの指示だった。その背景には「世界が平和になる犠牲には人柱が必要」だという考えを持っていた。歪んだ思想は歪んだ過去があり、それが無ければ二人は幸せな家庭を築いていたに違いない。

作者コメント

 戦わないラスボス。織斑両親の登場です。アインのラスボスとしては彼と勝負するよりも心理戦の方が物語としていいかなと思ったため、用意したキャラです。彼らの本性は短編でご覧いただけます。……しかりありきたりなキャラになったなぁ……。

 

 

 

総合コメント

 二年に渡る修正が終わり、これでようやくIS-refrain-本編も終了となります。短編はまた追々修正し、その都度連絡していきますのでご安心を。

 まず何故修正を行ったかという事ですが、作品を振り返る中で気づいた事があります。それは毎日更新をしているとどうしても生まれる粗が酷過ぎると言う事です。特にアルカはそれが顕著であり、冷酷な一面が強く出ていた印象を受けました。「ないわ、これはないわ」と言う事や文章の乱れ、何かよく分からない話の流れもあるため、修正に踏み切りました。それで感じたのは、余りにも自分の語彙力が低すぎると言う事です。知識が足らないと思う時がかなり多かったですね。

 現在、他の連載もあるため中々修正を思うようにできずまたリアルの事情もあり、モチベーションが上がらないなど、私個人の問題も多かったです。今回の作品で得た反省をまた他の連載作品でも活かせるようにしたいと思ったのが本音です。

 こんな締めくくりにはなってしまいましたが、これでIS-refrain-完結です。今まで応援してくださった方、どうもありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 IS-refrain- for Answer

 

 

 ――この戦いの向こうに、答えはあるのか。

 

 

 救われぬ結末、絶望の未来。地獄を生き抜き、全てを失った一人の少年がもう一つの世界へ渡る。

 そこは能力者と呼ばれる超人とIS操縦者による、隠された戦場が常在する世界。

 彼は、全てから見捨てられた場所で一人の青年と出会う。

 

「――また随分と無邪気な死神もいた物だ」

 

「君なら強くなれる。私が保証する」

 

 十六代目、更識楯無――彼に引き取られ、そこで少年は世界を知る。

 

「元老院……まぁ、シナリオを描いている。要するにこの世界の脚本家だ。全てのISと能力者は、言うなれば彼らに管理されている形になる。彼らの目的はゲートの発見だ。全ての能力とISの原型が存在するとされている場所。ヘブンズ・アーツはそこから生まれたと言われる破片だよ」

 

「そして能力者は面白い事に男にしか発現しない。レプリカのISとは正反対だ。あぁ、そうだ。世界に出回るISは一人の研究者によって作られたレプリカだよ。プロトタイプのISは――能力者と互角以上に渡り合えるポテンシャルを秘めている。作れるのは元老院所属の企業だけさ」

 

「IS操縦者と能力者はランク付けがされている。1位から5位――彼らは数字通りの実力を持ち、ランカーと呼ばれている。男は能力とISを同時に使いこなし、女はさらにチューンアップされたISを使用する。私も戦いを見た事はあるが、ほとんど一方的な展開だった」

 

「サインズ――彼らには注意をしておいた方がいい。能力者の中でも特に危険な連中を示す言葉だ。高い実力に、破滅的思想主義者――最悪の組み合わせだね」

 

「あぁ、そうだ。君には名前を与えよう。――そうだね、千と言う名前がいいだろう。途方も無い可能性を感じる。だから千だ。――更識千。我ながらいい名前だと思う」

 

 彼の先に待ち受ける四つの結末。

 正義の守護者となり、多数を守る事に意味を持つ戦士の末路。

 

「オレは、守るために戦う。それが正義だ」

 

 理想に燃えた革命家として、世界と戦う道を選ぶ戦士の末路。

 

「未来の礎になる。そのためなら、オレは自分自身すら壊せる」

 

 奪われた真実を知り、世界への憎しみを抱いた虐殺者の末路。

 

「オレは、オレは間違えていた。オレが刃を向けるのは人間じゃなくて――世界そのものだったんだ」

 

 そして――全てを取り戻し、もう一度あの時の名で戦う事を誓う少年の末路。

 

「今度は争いの無い平和な世界を、生きたいな」

 

 

 全ては答えのために――。

 

 

「更識襲撃には裏がある。世には出ない隠された真実ってヤツだ。お前にはそれを知る義務がある」

 

 

 更識襲撃――十六代目更識楯無暗殺。

 彼の物語はそこから始まる。

 

 

「この度、国連は更識千容疑者ともう一人の国籍不明者を国際テロリストと断定しました」

「近々、多国籍軍による掃討作戦が予定されています」

 

 

 ――オレは何のために生きている。

 地獄に落ちたオレは、さらにその底に落ちる事になる。

 血の混ざった、肥溜めの泥を舐める。

 

 

「あいむしんかー、とぅーとぅーとぅとぅー」

「一億――」

 

 

 IS-refrain- for Answer 連載未定

 




最後は嘘予告です。今作とACfaのシナリオを組み合わせただけです。伏線まで仕込んだら私には完結まで何年かかるか分かりません。もし連載するとしたらシナリオはACfa基準で、ちょいちょいオリジナルを組み合わせた形になるでしょう。


それではIS-refrain-応援ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。