境界を越えて (鉢巻)
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境界を越えて
邂逅


「ありがとうございましたー」

 

海の見える街にあるとある喫茶店。

カランコロン、とベルが鳴る音と共に客が出て行った。

この店のオーナーである青年、黒島亮はそれを見送ると最後の客が残した食器を片付け始める。

黒島がこの喫茶店を開いて数年、経営はそれなりにうまくいっていた。

海軍の基地が近い事もあり昼食時にはよく海兵や艦娘が訪れる。赤い弓道着の女性が訪れた際には店の食糧が空にされるかと冷汗を流した事もあったが、それも今ではいい思い出だ。

食器を片付ける際に、窓から外の様子を見てみる。

空は曇天、海も遠目で見る限りだがかなり荒れている様子だ。

 

「降ってきそうだな…今日はもう客もきそうにないし、ちょっと早いが閉めるとするか」

 

そう思って黒島は店仕舞いを始めた。

 

午後六時三十分。太陽が水平線に沈んだ。

 

 

 

 

時計の針が七の数字を指す頃、黒島の予想通り雨が降ってきた。

大粒の雨が窓を叩く。風もかなり強い。

 

「まるで嵐だな」

 

こんな天気では深海棲艦も大人しくしているだろう。くつくつと夕食のカレーを煮込みながら、黒島はある事に気付いた。

 

「作りすぎた…」

 

彼は寸胴鍋でカレーを作ってしまっていた。この鍋は例の赤弓道着の女性の為に用意した物だ。食べる量が尋常ではない為、普通の鍋では調理が追いつかなくなってしまったのだ。

しかも彼女はここの所毎日きて同じ注文――カレーを食べていた。その為体が無意識の内に動いてしまっていたのだろう。

 

「もうちょっと気を張らないとダメだな…」

 

そう言えば最近独り言が多くなった気がする。一人暮らしが長くなると増えると言うがそれは本当だったようだ。

そんな事を考えながら出来上がったカレーをテーブルの上へ置く。

その時だった。ピカッ、とカメラのフラッシュのような光が窓から差し込んだ。

 

「雷か」

 

雨は激しさを増している。この分だと明日の朝まで降り続きそうだ。

こんな日は長く起きていてもいい事は無い。さっさと食って寝るとしよう。そう思ってイスに座ろうとした時、再び雷光が部屋を照らす。

その時、黒島は何か違和感をような物を覚えた。何かが違う、何かがおかしい。

雷鳴が鳴り響き、二度三度と光を放つ。そして黒島は違和感の正体に気が付いた。

 

 

窓の影に、何かが映り込んでいる。

 

 

即座に身を翻して窓の方を見る。その視線の先の窓には、確かに黒い影があった。

そして、稲妻の光がその影の姿を照らし出す。

一見は年端も無い少女だった。しかし、その肌の色は不自然な程に青白い。黒いフードを被っており、首には白いストライプの入った黒いネックウォーマーを付けている。

その少女の口元には、まるでこの世の全てを嘲笑うかのような凶悪な笑みが浮かべられていた。

黒島はその少女の正体を知っていた。この店にくる艦娘達に嫌という程その話を聞かされていたからだ。

 

戦艦レ級。かつてサーモン海域で猛威を振るったと言われる深海棲艦だ。

 

姫や鬼などの階級が付けられていないのにも関わらず、それに匹敵、もしくはそれ以上の火力と装甲を兼ね備えた、文字通りの怪物。雷撃、砲撃、航空戦、全ての戦闘において異常な力を発揮するその様は、もはや単体で一個の艦隊を成していると言っても過言ではない。

しかも目の前のレ級はただのレ級ではない。俗にエリートと呼ばれる存在だ。怪しげに光る二つの赤い瞳がそれを証明している。

黒島は腰を抜かしながらも何とか立ち上がり、調理場から包丁を持ち出して窓の向こうの怪物と向き合った。

当然こんな小さな刃物で何とかできるような相手ではない。だがそれでも、黙ってみすみすやられるような無様な事もできない。強いて言うなら、悪足掻きだ。

キイ、と音を立てて窓が開かれ、雨風と共にレ級が入ってくる。レ級は床に足を着けると腰の辺りから生えた蛇のような尻尾を使って静かに窓を閉めた。

服からは水がポタポタと滴り落ちている。この嵐、荒れる海の中をどうやって抜けてきたのだろうか。ここにきた目的は一体?疑問は幾度なく浮かぶが、それを一つ一つ考えている余裕などない。

レ級はフードを取ると首を左右に動かして周りを見渡している。

 

(何かを探しているのか?)

 

そう思った時だった。レ級が黒島のすぐ隣のテーブルに一瞬で接近してきた。

全く見えなかった。黒島は慌ててレ級と距離を取り、体中の神経を全て警戒に回してレ級の様子を探る。

だがそんな黒島の様子を気にも留めず、レ級の視線はテーブルの上の何かに注がれていた。

不思議に思った黒島は、レ級の視線を辿りその先にある物を目に入れた。

それは――――――――カレーだった。

 

「ウ…」

 

レ級が何かを呟いた。とっさに黒島は身構える。人型の深海棲艦は人語を喋ると言うが果たして本当か。

そしてレ級は、その口で確かに意味のある言葉を発する。

 

「ウマソウ……!」

 

…………は?

一瞬時間が止まったかのようだった。だが、確かに目の前の深海棲艦はそう言った。

口元を見ればそこには食べ物を求める雫が一筋流れている。

黒島は少し迷った後、レ級に対してこんな事を言った。

 

「カレー……食いたいのか」

 

「カレー…コレカレーッテ言ウノカ…⁉」

 

声をかけられたレ級は赤い瞳をキラキラと輝かせながら答えた。そんな姿を見て気が抜けたのか、黒島は包丁を下ろしていた。

 

午後七時三十分。一つ屋根の下で、人間と深海棲艦が出会った。

 

 

 

 

「ウマ―――――――――――――――――――――――‼」

 

女性特有の金切り声が夜の喫茶店の中に響く。

口いっぱいにカレーを頬張るレ級はまさに幸せの絶頂といった様子だ。

それを横で見る黒島はただただ呆然とするばかりだった。

 

「ウマイ、ウマイ、ウマイ!コノ世ニコンナウマイタベモンガアッタナンテ…今マデノ人生損シテタヨ!」

 

「そりゃどうも…」

 

黒島は改めてレ級の姿を見る。白い肌に白い髪、黒いフードに巨大な尻尾。確かにレ級だ。以前艦娘に貰った写真を見て確認したから間違いない。

しかし、歴戦の海兵達に恐れられるような存在が何故ここに?

 

「ア!」

 

突然レ級が声を上げた。黒島は思わずビクッ、と体を震わせる。

 

「ナクナッチャッタ…」

 

レ級の手元には空になった皿が一枚。余程夢中になっていたのか、なくなるまで気が付かなかったようだ。

 

「……おかわりいるか?」

 

黒島がそう言うとレ級の表情がまるで花でも咲いたかのように明るくなった。これだけ見ていれば、まるで普通の人間のようだ。

 

「はい、お待ち」

 

レ級の前に新たによそったカレーを置く。今度は特盛だ。目の前に置かれたレ級はより一層目を輝かせると、それにかぶり付いた。

そして黒島はレ級の隣に座ると、若干おどおどした様子でこんな事を尋ねた。

 

「なあ、お前って…深海棲艦…だよな?」

 

レ級がピタリと食事の手を止める。そして彼女は口にスプーンを咥えたまま黒島と目を合わせた。

一瞬静かな時間が流れる。そして、レ級は口の中の物を咀嚼し終えるとようやく黒島の質問に答える。

 

「ソウダヨ」

 

「そうか。それで、そんな奴がこんな所に何の用だ?」

 

現在黒島が最も知りたい事はそれだった。深海棲艦がわざわざこんな所にきた理由、この喫茶店を訪れた理由。それが知りたかった。

黒島の中にはかつてない緊張感が走っている。しかし、それとは対極にレ級はあっけからんとした様子で答える。

 

「散歩シテタラウマソウナニオイガシタカラ覗イテミタンダ。ソシタラ見タ事モ無イ食ベ物ガアッタカラ、思ワズ飛ビ込ンジャッタ」

 

コツン、と頭を叩いて可愛らしく舌を出すレ級。黒島はまたしてもあっけに取られてしまう。

 

「散歩って、何でわざわざ陸を?しかもここは海軍基地が目と鼻の先だぞ。危ないと思わなかったのか?」

 

「イヤイヤ思ッタヨ。ダカラアエテコノ嵐ニ紛レテキタンダヨ。サスガニ艦娘モコノ天気ジャ基地デ待機シテルト思ッタカラサ」

 

やはりレ級はこの大嵐の中ここまできたらしい。普通の船なら転覆してもおかしくない風と雨だ。やはり深海棲艦は別格という事だろうか。

 

「イヤーデモ陸ニ着クマデ何度モ死ニカケタヨ。波ハ荒イシ風モ強イシ、正直沈ムカト思ッタネ」

 

否、どうやらこのレ級が相当なクレイジーガールのようだ。レ級はそこまで言うと再びカレーを口に運び始める。

 

「ウマー!ピリット辛イケドソレガマタ米ニ合ウ!命張ッタ甲斐ガアッタッテモンダヨ!」

 

「…そんなにうまいか?」

 

「ウマイヨ!私ラナンテイッツモ冷タイ魚バッカリ食ベテルンダモン。コンナニアッタカイゴ飯ヲ毎日食ベラレルナンテ…羨マシイゾ人間!」

 

「そんな事言われても…」

 

どうやら深海棲艦には物を調理して食べるという習慣がないらしい。深海の魚をそのままバリバリと食べていたのだろうか。

 

そして数分後、寸胴鍋いっぱいに作ったカレーは見事に空になっていた。

 

「ウマカッター、私モウ死ンデモイイカモ…」

 

腹を膨らませたレ級はご満悦の様子である。

黒島はカレーの皿を片付けると、レ級の前に黒い液体の入ったコップを一つ置く。

 

「…?」

 

レ級はコップに入った液体を見て不思議そうに首を傾げる。

 

「コーヒーだ。うちは喫茶店って言ってな、さっきみたいな軽食も用意できるが、本来はこっちがメインだ」

 

ホウ、とレ級はコップを両手で掴むと、ゆっくりとそれを口に運ぶ。

 

「オオ……!」

 

レ級はまたしても目を輝かせた。砂糖多めのミルクコーヒーはどうやら彼女の口に合ったらしい。

 

「ウマイ、ソレニ何ダロウ。何ダカホットスル…」

 

「それが売りだからな、喫茶店っていうのは」

 

黒島は自分用にコーヒーを注いで一息つく。今日も出来は上々だ。

 

「……一ついいか」

 

「ウン?」

 

落ち着いた口調で黒島はレ級に尋ねた。

 

「お前達深海棲艦は…何で人を襲うんだ?」

 

これは黒島だけではなく、全ての人類が知りたい事の一つだ。

深海棲艦が人を襲う理由には様々な意見がある。かつて沈められた艦の遺恨だとか、自然を汚す人類に対する怒りだとか。だがそのどれもがあくまで推測の範疇を出ていない仮説だ。

目の前のレ級からならそれを知れるかもしれない。そう感じた黒島に迷いはなかった。

 

「人ヲ襲ウ理由…ネ……」

 

レ級はカップを自分の膝の上に置いて呟く。そして少し間を置いて、彼女は答えた。

 

「正直、私モヨク分カッテナインダヨネ」

 

分からない?どういう意味だろう、と黒島はレ級の言葉に耳を傾ける。

 

「私ハ気ガ付イタラ海ノ中ニイタンダ。自分ガドコカラキタノカモ分カラナイ。タダ、ズット戦ワナキャイケナイッテ教エラレテキタ。ダカラ戦ッテル」

 

なんて事だ、と黒島は愕然とした。今の言葉が本当なら、レ級はこの戦いにおいて、むしろ被害者といえる立場だった。

理由も分からず、ただそう教えられたから。いわゆる少年兵と同じだ。

デモサ、とレ級は言葉を続ける。

 

「最近ソウイウノガ何カ…嫌ニナッテキチャッテサ、今ハホトンド戦ッテナインダヨネ」

 

「そうなのか?」

 

「私ダッテ痛イノハ嫌ダカラネ。サスガニヤラレタラヤリカエスケド、精々追イ返スカ、隙ヲ見テ逃ゲルカシテルンダ。他ニモソウイウ子結構イルヨ」

 

最近深海棲艦の侵攻が勢いを落としている、そう聞いた事があった。もしかしたらそれはこのレ級のような考えを持つ深海棲艦が増えてきたからなのかもしれない。

 

「そうか…分かった。悪かったな、変な事聞いて」

 

「イイヨイイヨー。コンナニオイシイ物食ベサセテクレタンダカラ、コレクライ当然ダヨ」

 

朗らかな笑顔でそう言うと、レ級はイスから腰を上げて立ち上がった。

 

「ジャアソロソロ帰ルネ。雨モ上ガッタミタイダシ」

 

いつの間にか雨の音は止んでいた。風も静かになっている。先程までの嵐が嘘のようだ。

 

「ジャアネ、エート……」

 

「黒島だ、黒島亮」

 

「分カッタ、クロサン!」

 

「クロさんて…」

 

まるで猫みたいな名前だな、だが、悪くない。黒島は自嘲気味にそう思った。

 

「ネエネエクロサン」

 

「何だ?」

 

「マタキテイイカ?」

 

心臓がドキリと音を立てた。レ級とのこの出会いは悪い物ではなかったと言える。だがしかし、軍事規律を輪にかければ話は別になる。仮にも世間では深海棲艦は人類の敵である。そんな物が海軍基地が間近の喫茶店でたむろしていると知られれば、自分もただでは済まないだろう。

ふと視線を向ければ、そこには無邪気な笑顔を浮かべるレ級の姿。それを見て、迷いなんかは吹き飛んだ。

 

「いいよ、またばれないようにな。ただし、ただで毎回これだけ食われちまったら店が大赤字になる。そこでだ、ここにくる時は新鮮な海産物を持ってきてくれないか。魚とか海老とかな。そうすれば俺が調理してそれを振舞ってやる。味は保証するぜ」

 

それを聞いたレ級は今日一番の笑顔を浮かべて頷いた。

 

そうしてレ級は暗い闇の中に去って行った。

まるで夢でも見ていたかのようなそんな一刻だった。空を見上げれば丸い月が雲の中から顔を出していた。

 

「さて…片付けるか」

 

月明かりが店の入り口の看板を照らし出す。

店の名は『Pace』。イタリア語で『平和』を表す言葉である。

 

 

 

 

――――――――――――数日後の夜。

 

客が使った皿を洗っていると、カランコロンと音を立ててドアが開かれた。

 

「……いらっしゃい。今度はお友達も一緒か」

 

黒いフードを被った色白の少女の後ろには、同じように肌の白い女性が数人立っている。

これからは独り言が少なくなりそうだ。そう思う黒島の口元には、自然と綻びが生まれていた。

 

 

 

 




あけましておめでとうございます!

新年一発目はちょっとした番外編をお送りしました。
というのも、もう一方の作品がスランプ気味の為気分転換を兼ねて書いた一作でした。
もう一方の作品に関しては有限不実行となってしまい申し訳ありません。しかし、続きは書きます!※迫真
こちらの作品は一応連載としておりますが、前述の通り気分転換の為の作品ゆえ更新は未定です。あっても一、二話かも…

そんなこんなであやふやな作者ですがどうぞよろしくお願いします。
では!



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赤き訪問者

 

薄暗くなった街の中を、一人の女性が走っていた。

彼女は額に汗を浮かべながらも、速度を落とす事無く駆け抜ける。

しばらくすると灯りのついた建物が目に入った。それを見て女は一層足の回転速度を上げる。

息を切らしながら建物の前で立ち止まる。その扉には『OPEN』と書かれた札がぶら下がっていた。それを見てその女は安堵のため息を漏らす。

 

「…よかった、間に合った」

 

そう呟くと、弓道着姿の女はその扉を開いた。

 

 

 

 

喫茶店『Pace』。ここには時々、人ならざる者が訪れる。

始まりはある嵐の日だった。ある深海棲艦がここの喫茶店のオーナーの青年と出会った。一刻の食事を通して打ち解けた二人の間には、人と深海棲艦の壁を越えた『平和な世界の一風景』が存在していた。

そして今日もその時が訪れる。午後七時二十五分、閉店三十五分前の出来事だ。

 

「はいよ、海の幸をふんだんに使った特製シーフードカレーだ」

 

「オオ!今日ノハマタ一段トウマソウナ…!」

 

レ級の前に特上盛りのカレーが置かれる。それを見てレ級は歓喜の声を上げた。

黒島がレ級と出会ってから一週間が経とうとしていた。結局レ級はあれからほぼ毎日この喫茶店に足を運んでいる。時には深海棲艦の仲間を引き連れて、時には大量の魚を肩に担いで。

黒島はその光景を前にして何度も驚いたり冷や汗を流したりと散々な思いをしていたが、だんだん抗体ができてきたのか、最近は少々の事では動じないようになっていた。

 

「クロサンスゲーナ、何デモ料理デキルンダナ!」

 

「これでも昔は料理人目指してたんだ。途中で諦めちまったけどな」

 

「エー勿体ナイナー、セッカクコンナニウマク作レルノニ…」

 

「まあ何つうか、向いてなかったんだよ。それよりどうだ、味の方は」

 

「ウマ―――――!アノ味気ナイ物ガコンナニウマクナルナンテ……ハッ!コレガイワユル革命ナノカ……⁉」

 

「そりゃよかった。お前がいい魚貝類獲ってきてくれたおかげだよ。でも、一応おかわりする分はあるが、ちゃんと残しといてくれよ。まだ他にも食べる奴がいるんだからな」

 

「分カッテルッテ!」

 

すでにカレーを口にかき込んでいるレ級。本当に分かってるのかよ…、と黒島はポリポリと頭を掻く。

 

「ハッ…!」

 

「どうした?」

 

幾らか食べた所で突然何かに気が付いたような仕草を見せるレ級。今度は一体どうしたというのか。

 

「チョット…オ手洗イニ……」

 

「食事前に馬鹿みたいにコーヒー飲むからだろ。早く行ってこいよ、せっかくのカレーが冷めちまうぞ」

 

「ウンワカッタ、スグ戻ル!」

 

そう言ってレ級は奥の化粧室へと駆け込んで行った。

全くせわしない奴だ、と呟いていると不意にベルの音が鳴り、入口の扉が開かれた。

 

「こんばんわー、マスター。今日はいい天気ですねー」

 

のんきな口調で現れた女性は赤い弓道着を身に着けていた。その女性は黒島がよく知る人物の一人だった。

 

「赤城さん!何でこんな時間に……⁉」

 

「いやー、丁度さっき任務が終わった所で、そしたらお腹が空いちゃいまして…」

 

正規空母赤城。この街にある海軍基地、通称横須賀鎮守府に所属する艦娘である。

彼女はこの喫茶店を開いた当初からの常連客だ。幾度なく訪れ、幾度なく食料在庫に大打撃を与えてくれた。客の一覧を作るとすれば彼女が黒の部分に乗るのは確実だろう。食べた分はしっかり代金を払っているので文句は言えないわけだが。

今日は珍しく姿を見せないと思っていたが、まさかこんな時間に、しかも最悪のタイミングでくるとは…。赤城の突然の訪問に、黒島は動揺を隠せないでいた。

 

「せっかくきてもらって悪いんですけど、今日はもう閉める所でして。また明日にして頂けませんか?」

 

深海棲艦をこんな所でもてなしている事がバレれば笑い話では済まない。レ級は当然海軍に連行、黒島自身も敵に手を貸した反逆者として連れて行かれる事になるだろう。そうなってしまえば、まさに終わりである。

何とか今日の所は帰ってもらおう、と必死に取り繕いながら黒島は赤城に促す。しかし、

 

「何言ってるんですか!ラストオーダーは七時三十分まででしょう!今は七時二十九分、まだあと一分あります!」

 

「一分って…ウチの時計はもう三十分を指してますけど……」

 

「あの時計は少し進んでるって、マスター前に言ってたじゃないですか!さあ!私の注文はカレーです。マスター!早く!伝票を‼」

 

「分かりました分かりました!だからもう落ち着いて下さい…」

 

結局、抵抗もむなしく赤城に押し切られてしまった。彼女の食い意地は黒島がこれまで出会ってきた人物の中でも群を抜いてトップに立つだろう。

 

「えっと…テイクアウト……でもいいですか?」

 

「インイートでお願いします!」

 

「たまには気分を変えて窓際とかで食べたらどうです?」

 

「いえ、いつもの席で大丈夫です!」

 

赤城の言ういつもの席とは先程までレ級がカレーを食べていた席である。

最後の悪足掻きも無駄だった。どうしたものか、と黒島の中で不安の雲が渦を巻き始める。

 

「おや?これは…」

 

あ、とここで黒島は自分が犯したミスに気付く。

 

「シーフードカレーですか、おいしそうですね。あれ、でもこれってメニューには載ってませんでしたよね?」

 

そう、レ級のカレーを出しっぱなしにしていたのだ。おかげで早速赤城が食いついてしまった。

 

「あ、ああ、それは……知り合いに漁師の子がいまして、余った物があるって言うんでそれを分けてもらったんですよ。それで、今日の晩飯にしようと作った所でして」

 

「そうなんですか。でも、こんなにたくさん食べれます?マスター以前、ご飯は一合が限界だって仰ってませんでしたっけ?これどう見ても十合分くらいはあるんですが…」

 

「いやぁ今日はかなり忙しくてですね、昼飯食う暇もなかったもんですからお腹空いちゃって」

 

「へぇー大変ですね。あ、では私もこれと同じ物をお願いします」

 

「え``。い、いや、残念ながら材料はこの分が最後でして……」

 

「私をごまかそうとしたって、そうはいきませんよ。まだ奥の方からわずかに磯の香りがします。これはホタテ…イカもありますね。うん、ばっちり材料あるじゃないですか!」

 

様々な匂いの漂う調理場からピンポイントで食材を当ててくるとは…。予想外の赤城の嗅覚に黒島は驚愕する。一体お前はどこの名犬だ。

 

「それとこれは…何でしょう、不思議な匂いがしますね。魚っぽくて…でも違う。あれ、何でしょうこれ」

 

ぎくり、と嫌な音が頭の中に響く。まさかとは思うが、深海棲艦の匂いを嗅ぎつけたとでも言うのだろうか。確かに、深海棲艦は普段は海の中で生活していると聞く。ならば海の匂いが染みついていても不思議ではない。

 

「あー、えっと多分それは…ウツボ……じゃないですかね」

 

「ウツボですか…!たたきにするとおいしいって聞きますね!」

 

嘘は言ってない。実際レ級が獲ってきたウツボを冷蔵庫の中に保存している。ちなみにこの選択肢を出したのは、レ級の尻尾が何となくウツボに似ているなと思ったからではない。決して。

 

「なるほど、これがウツボの匂いですか。…よし、記憶しました!マスター、今度でいいんで私にもご馳走して下さいね!」

 

何とかごまかすことに成功し、黒島はホッと胸を撫で下ろす。

 

「…それじゃあ、早速カレー作ってきますね。できるまで少々お待ち下さい」

 

「はーい」

 

さて、ここからが本番だ。調理場に向かうと見せかけて化粧室に直行。そこでレ級にこの事を知らせ、裏口から退却してもらう。調理場と化粧室は同一方向にあるので赤城に怪しまれる事も無いだろう。

レ級には悪いが、今回ばかりは諦めてもらうしかない。カレーは後日ふるまう事にしよう。そう思って黒島は行動に移すべく、体の向きを変える。その時だった。

 

「イヤー、スッキリシター。コーヒーハアンマリ飲ミ過ギルトオ腹ピーピーニナッチャウンダナ」

 

この時ばかりは聞きたくなかった声が店の中に響いた。

 

「サーテ、愛シノカレーチャン♪今食ベテアゲルカラネッ……………」

 

レ級と赤城、二人の視線が交じり合う。二人は魔法で石にされたかのようにピタリと固まってた。そして数秒の間を置き、

 

「「ギャアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァ‼‼‼‼」」

 

二人分の絶叫が店内に反響する。そんな中黒島は、自分の人生が終着点に向かっているのを静かに実感していた。

 

 




閲覧ありがとうございます!

もう一方の作品よりもこちらの方が手が進むという現状……まあ…いいですかね?
という訳で二話目の投稿と相成りました。こちらの話は最終回まで取り敢えず考えてます。予定としては十話以内には収まるかな?という所です。

それでは、次回も首を長くしてお待ち下さい。では!


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赤鬼と狂犬

「どっどどどどうしてここにレ級がいるんですか⁉」

 

「ナッナナナナンデココニ赤鬼ガイルンダヨォ⁉」

 

頭が痛い、胃も痛い。こんな経験をするのは料理人の修行をしていた時以来だ。

唐突に訪れた最悪の事態に、黒島は頭を抱えるばかりだった。

 

「マスター!奴は危険です!今すぐ避難して下さい!」

 

「クロサン!アイツハヤベェヨ!早ク逃ゲタ方ガイイッテ!」

 

レ級と赤城、両方に同時に話しかけられる。当の黒島は現実から逃げたい思いでいっぱいである。

 

「はぁ……とにかく、二人共落ち着いて。コーヒーでも出しますから、ゆっくり話し合いましょうよ」

 

まずは対話から始めよう。そう思って黒島は場を静めようとするが、二人がそれを聞く訳も無く、

 

「何悠長な事言ってるんですか⁉奴はサーモン海の狂犬ですよ⁉話なんて通じる訳がありません‼」

 

「ミッドウェーノ赤鬼ト会話ガデキテタラコンナニ焦ッテナイッテ!クロサン逃ゲヨウ!陸デモ海デモドコデモイイカラ‼」

 

この有様だ。さて、どう収拾をつけた物か。

 

「ていうかさっきから何ですかアナタは!人の事を赤鬼赤鬼って!私の名前は赤城です!鬼はどっちかと言うとアナタでしょうが!」

 

「赤鬼ハ赤鬼ダロォ!尋常ジャナイ艦載機ノ搭載数ト練度…鬼ト言ワズ何ト言ウ!一体ドレダケ苦シメラレタカ‼」

 

「それはアナタ達が私達の海域を侵略してきたからでしょう!どう考えても自業自得です!」

 

「私ハ上ノ命令デアソコニ居座ッテタダケダッテノ!ノンビリ浮カンデ日光浴シテタライキナリ爆撃サレタ気持チ、オ前ニ分カルカ⁉」

 

「分かりますとも!私だってアナタに開幕魚雷で大破させられた事ありますし、艦載機だって何度も撃ち落とされた事ありますよ!おかげで私の給料半減させられる羽目になったんですよ!その責任はどう取ってくれるんですか⁉」

 

「私ダッテ生キ残ルノニ必死ダッタンダヨ!艦載機ヤキュウリョウガドウッテ言ワレテモ知ラネーッテノ!テイウカ、キュウリョウッテ何ダ‼」

 

徐々に会話が泥沼化してきた。仕方ない、と黒島はこの状況にピリオドを付けるべくある行動に出る。

 

「もう頭にきました!こうなったら艤装がなくても関係ありません!素手でとっちめてやります!」

 

「上等ダ!ヤレルモンナラヤッテミロ!戦艦ノパワー舐メルンジャナイゾ!」

 

そうレ級が言い終わった時だった。突然ガンガンガンッと脳天に響くような音が二人を襲った。

 

「――――ッァ…!何ダ一体…⁉」

 

「て、敵襲ですか…?」

 

耳を抑える二人の前に、フライパンとおたまを手にした黒島が現れる。

 

「取り敢えず落ち着け、な?」

 

店の中で暴れたらただじゃすまさない。そんな思いを裏に込めて放った言葉は、見事に赤鬼と狂犬の口を噤ませた。

 

 

 

 

テーブルに向かい合って鎮座するレ級と赤城。二人の間には物々しい空気が漂っている。

それは二人が深海棲艦と艦娘という敵対する立場にある為―――――ではなく。

 

「お待たせしました。特製シーフードカレー、そして、ウツボのたたきになります」

 

「待っっっってましたぁ!」

 

「早ク早ク!モウコレ以上ハ限界ダヨ!」

 

二人の前に大皿に乗ったカレーとたたきが置かれる。レ級に最初に出したカレーは冷めてしまった為、黒島が食べる事になった。もちろん、何日かに分けでであるが。

 

「さてそれじゃあ、頂きますっと」

 

黒島のその言葉を皮切りにレ級と赤城の二人が凄まじい勢いで料理を食べ始める。それを見た黒島は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「うん!ホタテにイカにエビ、どれも素材の旨みがしっかり滲み出ています!」

 

「コノタタキッテイウ奴、歯応エガ最高ダゾ!モウズット食ベテイタクナルナ!」

 

それだけ聞いて黒島は一安心する。料理を作った人間として、最も緊張するのはこの瞬間だ。

 

「このホタテすっごく美味しいですね、身がプリップリで、噛めば噛むほど味が広がって…最高です♪」

 

「それはレ級が獲ってきてくれた物なんですよ。というか、今回の料理に使ってる具材は全部そうなんですけどね」

 

「マサカ海ノ中ニコンナニウマイ物ガ転ガッテタナンテナー。ホンット損シテタヨ今マデノ人生」

 

「いやーレ級さん案外いい仕事するんですね。こんなにいい物が食べれて、私ちょっとアナタに感謝です」

 

「オイオイ、ソレハクロサンニ言ウベキダロ。私ハタダ適当ニ魚獲ッテキタダケデ、実際ココマデウマクシタノハクロサンナンダゾ?」

 

「そうですね。ありがとうございます、マスター」

 

「はいはい、どういたしまして」

 

そして食事を始めてほんの十分後、皿の上の料理は綺麗になくなっていた。

 

「ゴチソウサマデシタ。イヤーウマカッタ。私、満足」

 

「同じくですレ級さん。あ、でもまた今度ウツボ獲ってきて下さいよ。アナタがほとんど食べたおかげで、私全然食べれなかったんですから」

 

「分カッタ分カッター、マタ今度ナー」

 

「もう、本当に分かってるんですか」

 

大食い同士、何か通じる物でもあったのだろう。レ級と赤城は今回の食事を通してすっかり打ち解けていた。それを見て黒島も胸のつかえがとれた気分だった。

 

「あ、そうそうレ級さん。アナタどうやってここまできたんですか?鎮守府の正面海域には見張りの子達がいたはずなんですけど…まさか、手を出したりしたんじゃありませんよね?」

 

「スルワケナイダロソンナ事。艦娘ノ本拠地、マシテヤ赤鬼ナンカガイル鎮守府ニ手ヲ出シタラ、ドウナルカ分カッタモンジャナイッテノ」

 

「む、また赤鬼って言いましたね…まあいいです。しかし、どうやってここに?あの子達がアナタ程の深海棲艦を見逃すなんて…」

 

「私達深海棲艦ハナ、武装ヲ完全ニ解除スルトドンナ電探ニモ映ラナクナルンダ。ソレヲ利用シテ艦娘ニ見ツカラナイヨウニ海ノ中ヲ泳イデ、人気ノナイ海岸カラコッソリ上陸シタッテワケ。イヤー、機雷ヲ持ッタ艦娘ノ下ヲ通ルノハ正直生キタ心地ガシナカッタヨ」

 

その言葉の通りレ級の尾の部分には武装が一切施されていない。黒島は以前同じ事をレ級に尋ねた事があったので特に反応は示さなかったが、初耳の赤城は驚いた様子で目を見開いていた。

 

「そうだったんですか、知りませんでした……あれ、ちょっと待って下さい。という事は、レ級さんは以前からここに…」

 

赤城は視線をレ級から黒島へと移す。やっぱりそうなるか、と黒島は諦めたように口を開いた。

 

「一週間くらい前…かな。散歩中のレ級がウチのカレーの匂いを嗅ぎつけたようで…それから色々あって、店が閉まる少し前になるとレ級や他の深海棲艦がくるようになったんです」

 

「そんな…こんな事って……!」

 

黒島の言葉を聞いた赤城はプルプルと小刻みに肩を震わせていた。彼女が怒るのも無理はない。自分がしている事は世間から見れば立派な反逆行為である。黒島はここで腹を括る事を胸に決めた。

 

「何を言われても仕方がない事をしたのは分かってます。言い訳をするつもりもありません。……ですが、一つだけ言わせて欲しいんです。彼女達は「という事は一週間前からあのメニューが食べれたって事ですか⁉どうしてそんな大事な事を教えてくれなかったんです⁉」怒る所そこですか」

 

黒島の心配はあっさりと杞憂に終わった。自分の責務より目の前の食べ物を優先するその性格、さすがは赤城である。

 

「ひどいですマスター、私とアナタの仲だと言うのに…悲しいです。悲しくなったら、何だかお腹が空いてきました…」

 

「これ以上は店の経営に影響が出てくるんでホントに勘弁して下さい。ほら、コーヒー出しますから」

 

「ア、私ミルク多メデオ願イ!」

 

三人はコーヒーを啜って一息つく。ちなみにレ級はミルクコーヒー、黒島と赤城はブラックである。

 

「はぁ、おいしいです」

 

「食後ノコーヒーハ一味違ッテマタウマイナ~」

 

「そりゃどうも」

 

和やかな空気とコーヒーの香りが部屋を包み込む。三者三様全てが違う彼らは、今確かに、同じ感覚で満たされていた。

 

「……マスター。私は今回の件、上に報告しないでいようと思います」

 

カップをテーブルの上に置いて、赤城が話を切り出した。

 

「…という事は、最初は報告するつもりだったって事ですか」

 

「当然です。鎮守府のこんな近くに深海棲艦がいるのを知って、みすみす見逃すなんて事はできません。もし艤装があれば、すぐにでも彩雲を放って応援を呼んでいた事でしょう」

 

その口調は穏やかではある物の、確かな重みを伴っている。彼女とて艦娘、軍人である。欲に溺れて本来の役割を見失うような無様な真似はしない。

 

「オ、応援ッテマサカアノ時ノ…⁉カ、勘弁シテクレヨ赤鬼、私ハ何ノ武器モ持ッテナイッテイウノニ……」

 

「分かってますよ、だから報告はしないって言ったでしょう。それに私も、アナタが害の無い存在だって言う事は、何となく分かっていましたから…」

 

赤城がそう思うには三つの理由があった。

一つ目は、先程レ級が言ったように一切の武器を搭載していないという事。二つ目は、一般人である黒島が普通にレ級に接しているという事。

そして三つ目。それは、レ級がいたサーモン海域で、誰一人として死者が出なかったという事だ。

人類と深海棲艦が行っているのは戦争だ。殺意と殺意がぶつかれば、それ相応の死人が出る。

赤城はこれまで何十隻もの深海棲艦を沈めてきた。ぶつけられた殺意には全て応え、迎え撃った。例え敵が背を向けようと、助けを乞おうと、掌を血に染めて彼女は弓を引き続けた。全ては国の為だと、平和な海を取り戻す為だと、自分に言い聞かせて。

そしてサーモン海域。赤城は初めてレ級という存在と邂逅した。今日もいつものように敵を殲滅する。その思いで弓を構えた彼女は次の瞬間その動作を停止させられた。なぜなら、

 

レ級が赤城にぶつけたのは、殺意ではなく敵意だったからだ。

 

殺意と敵意では明確に違いがある。殺意というのは、相手を殺す事を意図した意志の事だ。殺さなければ殺される。だからこそ赤城は、これまでの敵に弓を引くのに迷いを持つ事はなかった。だが今回は違う。何度も言うがレ級が赤城に向けているのは殺意ではなく敵意なのだ。一見、この二つは言葉の意味は変わりないようにも思える。しかし、敵意とはあくまで敵対する相手に向ける意志の事である。つまり、殺す事を前提としていない。

結果として、この日赤城は初めて弓を引く事をためらった。目の前の、殺意の無い深海棲艦を、沈める事ができなかった。

 

「………何はともあれ、アナタがここで大人しく食事をするだけだと言うなら、私はこの事は口外するつもりはありません。その代わり、時々でいいので私にも新鮮な海の幸、ご馳走して下さいね」

 

「ソウイウ事ナラ任セロ!近海ノ魚全部獲リツクシテヤルゼ!」

 

「獲りつくすのはやめてくれ。さすがに漁師の方々に迷惑がかかる」

 

人と艦娘、そして深海棲艦。この世界に存在する三つの種族が、同じテーブルを囲んで笑顔を浮かべる。いつか、この光景が当たり前になればいいのに。そんな希望を胸に秘め、三人は笑い合うのだった。

 

 




閲覧ありがとうございます!

ここで重要なお知らせです。
なんと作者はシーフードカレーを食べた事がありません!ウツボのたたきもです!そもそも魚貝類全般が苦手です!
という訳で、中身の無い分になってしまい申し訳ありません。次はちゃんと食べた事のある物を書きたいと思います。
二話目投稿からおよそ三週間かかりました。おそらく今後もこんなペースで書き続けると思います。失踪するつもりはさらさらないのでご心配なく。

さて、次は一体誰が登場するか……乞うご期待を!



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龍虎相打つ

「そう言えば赤城さん、時間の方は大丈夫なんですか?」

 

使い終わった食器を洗いながら、黒島は赤城に尋ねた。

鎮守府には門限という物があるらしい。遠征や任務、夜勤など特別な理由がない限りその時間以降は外出が認められないそうだ。

彼が聞く話ではその時間は九時だったはずだ。現在の時刻は八時三十分、門限まであと三十分しかない。

 

「いいんですよ、どうせ戻っても書類の山を任されるだけですから。それよりマスター、食後のデザートを頂いてませんでしたね。今から注文しても?」

 

赤城はレ級の尻尾をモニモニと手で揉みながらそう答えた。レ級はその感覚が心地いいのか、抵抗もせず赤城にされるがままになっている。

 

「ラストオーダーの時間は過ぎてます。よって却下です」

 

「えー、けちんぼですね」

 

「飴でも食べてて下さい。ほら、投げますよ」

 

そう言って黒島は飴玉を二つ放り投げた。赤城はうまくそれを片手でキャッチする。

 

「ソレ何ダ?」

 

「飴ですよ。知らないんですか?」

 

レ級は首を縦に振って応えた。

レ級だけでなく、深海棲艦という者達は食に関する知識が薄い。黒島の当初の予想通り、深海棲艦には物を調理するという習慣がなく、海底でとれた魚や貝などを食べやすい大きさに加工して、それをそのまま食していたらしい。

そのおかげか、黒島の料理は彼女達に大好評だった。中には感動のあまり涙を流す者もいたほどだ。

―――余談はさておき、レ級の反応を見た赤城は何か悪戯を思い付いたように笑みを浮かべた。

 

「これはですね、と~ってもおいしいお菓子です。見た目はただのビー玉みたいですが、口に入れてみるとあら不思議、何とイチゴの味がするんです!」

 

赤城はそう言うと飴玉の包みを取って、それを一つ口に入れる。

 

「う~ん、甘くてとっても優しい味です。無くなってしまうのが惜しく感じちゃいますね」

 

イチゴというのが何か分からないレ級だが、赤城の幸せそうな顔を見てそれが美味な物だという事は理解した。

 

「ワ、私ニモクレヨ。モウ一個アルンダロ、ソレ」

 

「え~どうしようかな~」

 

「何ダヨソノ言イ方ハ…」

 

「だって~レ級さん、ウツボのたたき一人で全部食べちゃったじゃないですか~。だったら、今回は私が全部貰っちゃってもいいと思うんですよ~」

 

「ウツボハマタ今度獲ッテクルッテ言ッタジャンカ!ダカラ、ナ?」

 

「うーん………嫌です♪」

 

赤城はいたずらっぽく微笑むと、もう一つの飴玉を口の中に放り込んだ。

 

「ア``――――――――――――――‼何ヤッテンダオ前!」

 

「こっちはソーダ味でしたか。イチゴと合わさってイチゴソーダ味、という所ですかね。あ~おいしいです」

 

「吐キ出セ!出シテ私ニヨコセ!」

 

「無理ですよ~、もう食べちゃってますもん」

 

「クゥゥゥゥ!コウナッタラ…」

 

赤城の態度にレ級の堪忍袋の緒が切れた。レ級は赤城に飛び付いて押し倒すと、自分の尻尾にある蛇(※ウツボとも言う)のような頭の口を開き、なんと赤城の頭を飲み込もうとしたのだ。

 

「ちょちょちょ、何するんですかレ級さん⁉」

 

「ウルセェ!イイカラ黙ッテ喰ワレロ!」

 

「洒落になってませんって!ていうか、この口ちゃんと胃まで繋がってるんですか⁉てっきり艦載機の発艦口だと思ってたんですけど⁉」

 

「ドウデモイイダロソンナ事!ソレヨリオ前知ッテルカ?食イ物ノ恨ミッテノハナ、鬼モ震エルクライ恐ロシインダゾ!」

 

「私が知ってる言葉より若干後半怖くなってる⁉マスター!何平然とお皿洗い続けてるんですか⁉助けて下さい!ぎぶみーへるぷです!」

 

「俺としては、店が壊されなければOKですので」

 

救援はこないの…⁉と赤城は顔を青くする。自業自得である。欲を出して独り占めした彼女が悪い。

 

「往生際ガ悪イゾ赤鬼ィ…!」

 

「負けるもんですか…!」

 

赤城は両手でレ級の尾の顎を抑えて必死に堪えている。

じゃれ合っているだけのようだが、さすがにそろそろ止めておいた方がいいだろう。そう思って黒島は皿を洗い終えると、タオルで手を拭きながら二人の元へと向かう。その時、

 

何の前触れも無く、店の入り口の扉が開かれた。

 

「夜分遅くにすみません、マスター。赤城さんがお邪魔してませんか……………」

 

現れたのは赤城と色違いの弓道着を身に付けた女性だった。赤城とは対照的に、凛と引き締まった表情。長い黒髪はサイドテールでまとめている。背中に矢筒を担ぎ、肩には飛行甲板を模した艤装を着けている。

彼女の名は加賀。赤城と同じ、横須賀鎮守府に所属する艦娘の一人だ。

横須賀鎮守府建造当初から軍を支えてきたベテランの一人である。赤城と同じ部隊に所属し、その功績は今で尚留まる事を知らない。

 

「なぜレ級がここに…!マスター、すぐに退避して下さい!」

 

加賀が入ってきたタイミングは最悪だった。倒れる赤城を押さえつけて、大口を開けるレ級。どう見てもレ級が赤城を襲っているようにしか見えない。

やっぱり、と言うべきか。状況を見たままに捉えた加賀はすでに弓を構え、艦載機を放とうとしている。それを見た黒島の背筋に冷や汗が走る。

 

「加賀さん⁉お願いですから艦載機だけはやめて下さい!店が壊れる!」

 

「ま、待って下さい加賀さん!これには深い訳があって…!」

 

黒島と赤城の言葉も彼女には届かない。レ級はというと、加賀を見た途端に青い顔をさらに真っ青にして固まってしまっていた。

 

「最低限の装備しかありませんが、何とかします。待ってて下さい赤城さん、今助けますから…!」

 

そして加賀が矢を放とうとするその時である。再び来客を知らせる鐘が鳴り響いた。

 

「ア~ヤット着イタワ~。私ノ持チ場カラ遠スギデショ、ココ。艦娘共ガ辺リニウヨウヨイルシ、非武装デクルヨウナ所ジャナイワヨ。護身用ニ単装砲一個ダケ持ッテキチャッタワ」

 

長い白髪と、細身ながら出る所はしっかり出ているボディ。額にはペンネントと呼ばれる黒い鉢巻を付けている。何よりの特徴として、彼女には羊のように巨大な角が二本、左右の側頭部から生えていた。

その者の名は防空棲姫。半年ほど前に海軍が行ったFS作戦に置いて初めて姿を現し、その名を海に轟かせた。駆逐艦ならざる装甲と火力。海軍の間では『レ級を越える悪夢』とまで言われる程の力を持った深海棲艦である。

 

「クロサーン、セッカク命張ッテマデキテアゲタンダカラ、ソレニ見合ウモテナシヲ………」

 

デジャブとはまさにこの事である。加賀と防空棲姫の二人はしばらく互いの顔を見つめ合う。そしてそのまま二人は―――――――――卒倒した。

 

「……これ、どうすればいいの?」

 

黒島の呟きは、静かな店内に溶けていった。

 

 

 

 

「まさかこんな所で再びアナタと会うとは思いもしなかったわ、防空棲姫。その忌々しい顔は健在ね」

 

「ソッチコソ。最近姿ヲ見ナイモノダカラ、テッキリ戦イガ怖クナッテ逃ゲタモノカト思ッテタワァ、正規空母加賀ァ」

 

加賀と防空棲姫の放つ威圧感が喫茶店の中の空気を張り詰めさせる。

あれから数分後、無事に意識を取り戻した二人はまるで先程の出来事がなかったかのように立ち上がり、今の状態に至った。

 

「大人しく海底に閉じこもっていたらいいものを。自分からわざわざ鎮守府に攻め込んでくるなんて、それもそんな小さな砲塔一つで。自殺志願なのかしら?」

 

「ガラクタノ分際デデカイ口ヲ叩カナイデクレルカシラァ。コレハアナタ達ノ相手クライコレデ十分トイウ私ノ意志表明ヨォ。ナンナラ試シテ見ル?一航戦ノ片・割レ・サン」

 

一触即発とはまさにこの事だろう。そんな中、残りの三人は少し離れたカウンターの傍でその様子を見守っていた。

 

「………なあ、レ級。あれ、どう思う」

 

黒島が隣のレ級に話しかける。

 

「ドウッテ言ワレテモ、見タマンマダ……」

 

レ級は渋い顔でそれに答えた。

 

「見たまんまって…それだとあの二人、このまま放っておいたら……」

 

「収拾が付かなくなる、でしょうね」

 

罰の悪そうにする黒島に赤城が答えた。彼女もまた、レ級と同じように不安げな表情をしている。

 

「じゃあ、早く何とかしないと…!」

 

「いえ、私達が行ってもおそらく逆効果でしょう。もう少し、チャンスを伺った方がよいかと」

 

「私モソウ思ウ。アソコニ首ヲ突ッ込ムノハ、砲弾ヤ魚雷ノ暴風ガ吹キ荒レル戦場ニ飛ビ込ムヨウナモンダゾ。悪イ事ハ言ワナイ。今ハ赤鬼ノ言ウ通リニシテ――」

 

「そんな事言って…じゃあ、チャンスって言うのはいつになるんだ⁉そもそも、本当に待っていれば、その機会がくるのか⁉」

 

声を荒げる黒島に、二人は口を閉じる。

 

「一刻も早く誤解を解くのが、あの二人の為になるんじゃないか?それに、その事はアンタ達二人が一番よく分かってるんじゃないか?」

 

「しかし………」

 

 

「だってあの二人、どう見たって虚勢だよ⁉早く止めてあげようよ!」

 

 

――――言葉には本音と建前という物がある。

本音とは自身が心の底から思っている嘘偽りの無い言葉の事、逆に建前は本心を隠し表面を保つ為の言葉の事である。

人は時と場合を選びそれを使い分ける。中にはその切り替えができない不器用な人間もいるが、それは別の話として。

今回、この二人の本音と建前を覗いてみよう。

 

「アラアラァ、何?怒ッタノ?ウフフ、カワイイワネェ」

 

「馴れ馴れしい口を利かないでくれるかしら、気色悪い。もう一度水底に沈めるわよ」

 

まずこれが建前。二人が実際に口にした言葉である。そしてこれの本音が、

 

『何言ッテンノ私ハ⁉ワザワザ怒ラセルヨウナ事ヲペラペラト…!シカモ相手ハアノ青鬼ヨ⁉馬鹿ジャナイノ私⁉』

 

『赤城さんを連れ戻すついでにあわよくば私も何かご馳走になろうと思ってたら、何でこんな事に…山城じゃないけど、不幸だわ……』

 

これである。さらに双方膝から下がプルプル震えている始末。

 

「ナンツー気迫ダ。付ケ入ル隙ガ全クナイ」

 

「龍虎相打つ、とはまさにこの事でしょうね」

 

「龍虎どころかこれじゃヒヨコ対ハムスターでしょ!アンタら一体何にビビってる⁉」

 

「ダ、ダダッテアレ、ア、アオアオアオオニ……」

 

「あの装甲は絶対駆逐艦じゃない…むしろ、むしろそうと言って……!」

 

二人のトラウマスイッチが入っているのを見て黒島は半ば諦めたように溜息を吐く。

しかし仕方がないと言えば仕方ない事だ。赤城とレ級を含め彼女達は一度は命を懸けた戦いをした者同士。そんな者達が、何の前触れも無く、しかも予想外の場所で出会ってしまったとなれば、多少混乱してしまうのも当然である。

さて、こうなってしまった以上この場を収められる者は一人しかいない。はたして、若き店主は猛る小動物達を静められるのか。

 

「あの~、お二人共ちょっとよろしいですか?」

 

「マスター、悪いけど下がっていてくれるかしら。ここは一般人が入っていい領域じゃないの」

『支援艦隊…!救援はきてくれたのね!これで百、いや千人力よ!』

 

「人間ノ分際デ水ヲ差サナイデクレルカシラァ。ソレトモ、アナタモイタイメニ合イタイノォ?」

『クロサァァァン!私ハ信ジテタワ!サア、アナタノ力ヲコノ青鬼ニ見セテアゲテ!』

 

ちなみにこの二人の心情は黒島に筒抜けである。言葉ではああ言っていても体は正直、という事だろうか。震えの度数は徐々に増してきている。

 

「どうでしょう、今回の事は『戦術的撤退』という形で収めるというのは」

 

「…どういう事かしら」

 

加賀が尋ねると、黒島は一呼吸おいて話し始めた。

 

「加賀さん、アナタはさっき赤城さんを助けようとした時、『最低限の装備で』と仰っていましたね?赤城さんの話によれば任務がつい一時間前に終わったばかりとか。つまりアナタは今万全ではない状態という事、艦載機もあくまで赤城さんを探す為に用意した偵察用の物ばかりなのでは?」

 

黒島の問いに、加賀は否定も肯定もせず口を閉じていた。

 

「防空棲姫さんも、ここにくるまでに随分お疲れになった様子だ。しかも武器は単装砲一つ。武器という物を知らない俺が言うのもなんですが、おそらくそちらも最低限の装備、という所でしょう。なら、わざわざ余計に戦って被害を増やすよりも、お互いに手を引いて無難にやり過ごす方がいいかと思うんです」

 

「……いいでしょう。防空棲姫、今日の所はマスターの顔を立てて見逃してあげるわ。でも、次に海の上で会った時には容赦はしないから」

『此度の件、マスターのお言葉通り平和的かつ速やかに収束させて頂きたく存じます』

 

「仕方ナイワネェ、今日ノ所ハアナタノ言ウ通リニシテアゲル。加賀ァ、次ハアナタノ顔ガ絶望ニ歪ムマデ、モットイタクシテアゲルカラァ…!」

『慈悲深き精神感謝感激』

 

こうして今回の事態は店に被害を出す事も無く収束を迎えた。ほのかな安堵感に包まれながら黒島はカウンターの前で並んでいる二人を見る。手をパチパチと叩いていた。それが妙にむず痒くて黒島は照れくさそうに笑う。

 

「ではマスター、私は赤城さんを連れて帰ります。ご迷惑をお掛けしました」

 

「もう帰るんですか?コーヒーの一杯くらいなら出しますよ」

 

「門限が迫ってきていますので。それに、深海棲艦と同じ空間で、安心して飲める訳ないでしょう」『怖いし』

 

「そ、そうですか。なら、ちょっと待って下さい」

 

そう言うと黒島はカウンターの裏へ走って行き、小さなバスケットを手に持って戻ってきた。

 

「これは……」

 

「赤城さんがきたから多分加賀さんもくると思って、念の為用意しておいたんですよ。よかったら食べて下さい」

 

中に入っていたのはサンドイッチだった。玉子、ツナ、ハム。定番の具材が一通り、それに加えて――

 

「エビ…ですか」

 

「エビをタルタルソースで和えてみたんです。他のお客さんには好評だったんですけど、エビお嫌いでしたっけ…?」

 

「いえ、むしろ気分が高揚します」

 

加賀の背後にキラキラと輝く物が見える。喜んでくれて何よりだ、と黒島は満足げに笑みを浮かべる―――が、不意に背後から感じたねっとりした視線に体を竦ませる。

 

「クロサン、艦娘ニダケヒイキシテル。心ガイタイナァ…」

 

「ちゃ、ちゃんと防空棲姫さんの分も用意してるから。ね?」

 

そう言うと防空棲姫の背後からもキラキラと光る物が。あれは一体どういう現象なのだろう。黒島の艦娘や深海棲艦に対する疑問は膨らむばかりである。

 

「エー、二人ダケズルーイ!私モサンドイッチッテ奴食ベタイゾ!」

 

「そうですそうです!不公平ですよ」

 

二人の食いしん坊の声が聞こえるが、聞こえないフリをして黒島はやり過ごした。

 

(今日も一日乗り越えた、かなぁ)

 

これから先の未来にわずかに不安を感じながらも、黒島は静かに微笑むのだった。

 

 

 

『Pace』を出た後、街灯が照らす道を歩く二人の女性。その一人の手には小さなバスケットが抱えられている。

 

「全く、とんでもない物を隠していたわね、彼は。赤城さんはあの事、以前から知っていたの?」

 

「まさか。私も今日知ったばかりですよ。こんな所でサーモンの狂犬に出会うなんて思いもしませんでした。それも、あんな形で」

 

そう話す赤城の顔はどこか物憂げだ。心配そうに加賀が顔を覗き込むがその刹那、目にも止まらぬ速さで赤城がバスケットの中からサンドイッチを一つ奪い取った。

加賀が恨めしそうに睨むが、「隙ありです♪」と赤城は全く悪びれる様子をみせない。

 

「まあ、害がないなら問題ないでしょう」

 

「……もういいわ、いくら言っても無駄のようね」

 

諦めた加賀はそう言うと、再びサンドイッチを取ろうと伸ばした赤城の手を叩く。

 

「でも、隠し通すつもりなら…分かっているんでしょうね」

 

「……分かってますよ」

 

赤城の表情がわずかに曇る。街灯の光が、彼女の影を一層濃く映し出した。

 

 

「絶対に、提督にだけはバレないようにしなくては」

 

 

午後八時五十分。静かな夜空に、何かが羽ばたくような音が響いていた。

 




閲覧ありがとうございます!

これで四話目の投稿なのですが、ここでどうでもいい事を一つ。
後書きで書こうと思ってた事を、実際書く直前に忘れる!
DVDを借りようとした時にも同じ感覚に襲われた事があります。もう歳か…
という訳で、ほんとにどうでもよかった後書きでした!

さて次は誰が出るかな……おや?艦載機を手に持った小さな女の子が見える。あれは一体……?



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夢と想いと

ジュゥ~、とフライパンの上で水分が蒸発する音が響く。

玉ねぎが飴色になるまで炒めると、そこに鳥ミンチを投入。ミンチにしっかり火が通った事を確認してから熟成させたトマトと、コンソメ、ケチャップとオイスターソースを大さじ一杯ずつ入れて焦げ付かないように木ベラで混ぜながらじっくり煮込む。

数分後、できた物をスプーンで少し掬って口に入れる。

 

「……よし!」

 

納得のできる出来具合に黒島は笑みを浮かべた。自家製ミートソースの出来上がりである。

 

「そっちはどうです、港湾さん」

 

黒島は自分のすぐ隣に立つ背の高い女性に声をかけた。

 

「……ゴメンナサイ。私、コウイウノ、初メテデ…ヨク、分カラナイ」

 

港湾と呼ばれた女性は少し困った顔でそう答えた。彼女は深海棲艦の中でも少し特殊な、基地の名を持つ艦である。

エプロン姿の彼女はパスタサーバーを片手にパスタを茹でていた。いつもお世話になっているのでたまにはお手伝いをしたいという彼女からの要望だったが、少し緊張してしまっているようで不安げな様子である。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。茹で加減としては、一口食べてみて柔らかくなっていればOKですから」

 

ソウナノ?と言って港湾棲姫はパスタを一本掬い上げ、端の部分を少し千切って口に入れる。

 

「柔ラカイ。デモ、アンマリ、味シナイ…」

 

「パスタ単品だと小麦粉の塊みたいな物ですから、そんな物ですよ。それじゃ、火を止めてパスタをこっちのザルに移して下さい。やけどしないように気を付けて下さいね」

 

「分カッタ」

 

黒島の言葉通り港湾棲姫はパスタをザルに移して水を切っていく。それが終わると今度は黒島がパスタを人数分の皿に分けて盛り付けていく。

 

「一ツダケ、スゴク量多イ」

 

「レ級のですよ。あいつはよく食べますからね。港湾さんもこれぐらいいります?」

 

「ウウン。私ハ、普通デ、イイ」

 

最後に先程作ったミートソースをかければ完成だ。

 

「よしできた。じゃあ、持って行きましょうか」

 

すると、黒島の声を聞きつけて一人の少女が調理場にやってきた。

腰辺りまで伸びた白い髪、頭には小さな二本の角がある。白いワンピースを着て両手にミトン手袋をはめている。

彼女の名前は北方棲姫、港湾棲姫の妹である。

 

「クロサン、オ料理デキタノ?」

 

「ああ、できたぞ。今テーブルに持って行くからな」

 

「私モ手伝ウ!」

 

「お、じゃあお願いしようか」

 

そう言って黒島は北方棲姫にスパゲティの乗った皿を手渡す。

 

「一人で持てるかな?」

 

「大丈夫!私、力ニハ自信アル!」

 

両手で皿を持って北方棲姫はとてとてとテーブルの方へ歩いて行った。

 

「いい妹さんですね」

 

「ウン。自慢ノ、妹」

 

そう言って港湾棲姫は誇らしげな笑みを浮かべて頷いた。

 

「タダイマー」

 

「戻ッタワヨー。アーシンドカッタァ」

 

店の裏口の方からレ級と防空棲姫の声が聞こえてくる。最近よく食べる客が増えたせいか、ゴミや空き瓶の類が溜まりに溜まってしまっていた為、彼女達にはゴミ出しに行ってもらっていたのだ。そしてもう一人、

 

「タダイマ、デス」

 

瞳は淡いオレンジ色、乱れる長髪は少しくすんだ白色。胸の部分は巨大な歯を模した装甲で覆っているが、それ以外は極端に布の面積が少なく、深海棲艦特有の白い肌が露わになっている。背丈はレ級とほとんど変わらないくらいだ。

駆逐水鬼、それがこの少女の名前だ。

 

「おかえり、駆逐水鬼ちゃん。大丈夫だった?」

 

「ハイ。二人モ一緒ダッタカラ、コワクナカッタデス」

 

彼女はごく最近に新たに姿が確認された深海棲艦だ。しかし、バニラ湾沖で艦隊と小規模な戦闘を行った後はぱったりとその姿を消していた。故に、海軍にとってまだ不明な点が多い、未知の深海棲艦でもある。

 

「じゃあ、手を洗ってから席についてくれ。丁度料理もできたところだ」

 

「ハイ、分カリマシタ」

 

駆逐水鬼は軽くお辞儀をすると化粧室の方へと歩いて行った。

 

「…礼儀正しい子ですね」

 

「ウン。私モ、ソウ思ウ」

 

「昔からあんな感じなんですか?彼女」

 

「ワカラナイ。私モ、アノ子ニ会ッタノ、今日ガ初メテダカラ」

 

「え、そうなんですか?」

 

黒島の言葉に港湾棲姫はこくりと首を縦に振った。

 

「待チ合ワセノ時、レ級ガ、連レテキテタ。ビックリシタケド、イイ子ミタイダカラ、安心シタ。ホッポトモ、仲良ク、シテクレテルシ」

 

その言葉に黒島は内心驚いていた。同じ深海棲艦でも知らない事はあるんだな。

 

「探照灯照射!」

 

「チョ、ヤメナサイヨレ級!夜戦思イ出スデショウガ!」

 

「おーい、そこの二人も早く手洗ってこいよー」

 

懐中電灯で遊んでいるレ級と防空棲姫に軽く注意をして、食事の準備を進める。手を洗い終えた駆逐水鬼も手伝いに加わったおかげで程なくして準備は完了した。

テーブルの上には五人分のミートスパゲティ、前菜としてサラダがそれぞれ小皿に分けて用意されている。

 

「さあ、皆さん。召し上がって下さい」

 

『イタダキマス!』

 

そして食事が始まった。初めて食べるその料理に彼女達は目を輝かせる。

 

「確カ…コウヤッテ食ベルノヨネ?」

 

黒島に教わった通り、軽くパスタとソースを混ぜ合わせからフォークにくるくると巻き付けて食べやすい大きさにまとめる。

 

「アムッ…」

 

防空棲姫は一口大にしたそれを口の中へと運び、咀嚼。

 

「…!何コレオイシイ!」

 

「ウマ――――――!濃イ目ノソースガパスタト絡ミ合ッテ最高ノ味ヲ引キ出シテル!」

 

「パスタノ茹デ具合モ丁度イイデス。硬スギズ柔ラカスギズ…アルデンテ、トイウヤツデスネ」

 

「オネーチャン、コレスッゴクオイシイ!」

 

「ホッポ。気持チハワカルケド、ソンナニ慌テテ食ベタラ、服汚レル」

 

大人な素振りを見せる港湾棲姫だが、その反面口の周りにはべったりとミートソースが付いてしまっている。黒島がそれを言うと港湾棲姫は白い顔を真っ赤にし、大きな手で顔を隠した。

 

「オネーチャン、私ガ顔拭イテアゲル」

 

「ウウ…アリガトウ、ホッポ」

 

姉妹の微笑ましい光景に黒島も思わず笑みがこぼれる。防空棲姫が「コレジャドッチガオ姉チャンカ分カラナイワネェ」とからかうように言うが、そう言う当人の顔もソースで真っ赤である。

そんな中口を汚さず綺麗に食べる物が一人、駆逐水鬼である。フォークでパスタを巻き取り、口に運ぶ。何気ない動作だが、他の皆に比べてどこか慣れているようにも感じた。

 

「ドウカシマシタカ?クロサン」

 

「ああ、ごめんごめん。食べるの上手だなぁ、と思って」

 

「アラ、ホントネ。何カコツデモアルノカシラ」

 

「ゼヒ、教エテホシイ」

 

防空棲姫の言葉を皮切りに港湾、次いで北方棲姫も話に食いついてくる。

 

「ソウデスネ…別ニコツッテ言ウホドノモノデモナインデスケド、私ノ場合パスタヲマトメル量を少ナメニシテ、一口デ全部食ベルヨウニシテマス。ススッチャウトソースガ飛ビ散ッテシマウノデ」

 

「ナルホド。ソノ手ガ、アッタ」

 

「駆逐チャン頭イイ!私モ真似シテイイカナ?」

 

断る理由も無く、駆逐水鬼ハ「イイヨ」と頷く。北方棲姫を始め、他の皆も駆逐水鬼に習った食べ方をし始める。しかし、そんな中で一人、

 

「…レ級、お前も少しは真似したらどうだ?」

 

この場の流れなど意も介さず、豪快な食べ方を続けるレ級に黒島は少し呆れた風にそう言った。口いっぱいにパスタを詰め込んでいるその様は、食べるというより飲んでいるといった方が正しいかもしれない。

 

「モグモグゥ!モグモゴモグゴク!」

 

「大丈夫、ちゃんと食べてからでいいから」

 

「ゴックン……ナニクロサンオカワリデキタノ⁉」

 

「落ち着いて」

 

口どころか髪や服までもソースで赤くなっているレ級。もはや清々しささえ感じる食べっぷりだ。

 

「アア、ゴメンゴメンクロサン。アマリノウマサニ我ヲ忘レチャッタヨ」

 

ありがたい…でいいのか?と黒島は若干複雑な心境になる。

 

「まあ、うまかったならなによりだ。でもあいにく、今日はおかわりの分は無いんだ」

 

それを聞いた瞬間レ級は、ガーン!と音が聞こえてきそうな顔で固まった。

 

「代わりに別の物を用意したから、そっちで我慢してくれ」

 

「別ノ…モノ?」

 

「ああ。そろそろできる頃かな」

 

黒島はイスから立つと調理場にある大型のオーブンの元へ向かう。

 

「お、いい焼き上がりだ」

 

オーブンから取り出した物を木製の大皿に載せて戻ってくると、それをテーブルの真ん中に置く。

 

「ナアニ、コレ」

 

「丸クテ、大キイ」

 

「デモナンカ、スゴクイイ匂イダ…!」

 

防空棲姫と港湾棲姫、そしてレ級がそれぞれ皿の上の物を覗き込みながら不思議そうに呟いた。駆逐水鬼も、三人と同じような様子で皿の上の物を見ている。しかし、残る一人の北方棲姫だけは…

 

「ク、クロサン。モシカシテコレッテ……!」

 

「ああ、ピザだよ。ミートソースが余ったから作ってみたんだ」

 

ピザ、という言葉を聞いた北方棲姫の顔がこれまでにないくらいに明るくなった。

実はこれ、黒島が北方棲姫へサプライズの為に用意した一品である。

以前彼女が来店した時の事だった。待ち時間用に置いた雑誌の中に、たまたまピザの特集をしたページがあったのだが、彼女はその記事が余程気に入ったのか、料理ができてもその雑誌を手放そうとしなかったのだ。

 

「コ、コレガピザ…丸クテ大キクテ、スゴク…オイシソウ!」

 

「デモコレ、ドウヤッテ食ベルノカシラ。モシカシテ丸カジリ?」

 

「丸カジリ⁉イイノ⁉」

 

「違ウノ!本デハ三角ニ切ッテ食ベテタ!」

 

「ジャア、切ル物ガ、イルネ。包丁、持ッテクル」

 

「大丈夫ですよ。包丁じゃなくてこれを使うので」

 

そう言って黒島が取り出したのは、プラスチック製の取っ手の先に丸い刃物が付いた道具、通称ピザカッターである。

普通の包丁でピザを切れば、チーズが刃にくっ付き、せっかく出来上がったピザが台無しになってしまう。しかしこれを使えば、車輪のように回転する刃物がチーズがくっ付くのを防ぎ、見た目を悪くする事無くピザをカットする事ができる。

 

「これでこうして…っと」

 

「オオ!キレイニ切レテル!」

 

「文明ノ利器、トイウヤツデスネ」

 

「まあ、そんなところだな。よしカット完了、召し上がれ。ほっぽちゃんは、ちゃんと手袋外して食べような」

 

「分カッタ!」

 

手袋を外した北方棲姫が、切り分けられたピザの一つを持ち上げる。

 

「イタダキ…マス!」

 

ぱくっ、と北方棲姫は一思いにピザにかぶり付いた。

一口食べた途端、様々な具材が顔を出し、それぞれの長所を主張してくる。ピーマンはシャキシャキとした心地いい食感を、ウインナーはジューシーな肉の旨みを、トマトは程よい酸味を。それらをこんがり焼きあがった生地がしっかりと支え、さらにトロトロのチーズがその全てを包み込む。そうして出来上がった合作はまさに、絶品。

 

「~~~~~~~~オイシイッ‼」

 

「そっか。よかったよ、喜んでくれて」

 

「見テ、オ姉チャン!コレスッゴイ伸ビル!伸ビルノ!」

 

「ウン、スゴイネ。オイシイネ」

 

北方棲姫が喜んでいる姿を見て、港湾棲姫はほっこりとした笑みを浮かべる。

それを見た黒島もまた、作ってよかった、と頬を綻ばせた。

 

「コノチーズガタマリマセンネ。癖ニナッチャイソウデス」

 

「ウマァ!癖ドコロカ、毎日三食コレデモイイクライダヨ!」

 

駆逐水鬼とレ級にも好評のようだ。と、ここで、

 

「チョットクロサン、何ヨコノ周リノ部分…」

 

突然防空棲姫が声を上げる。何か気に入らない事でもあったのか、と黒島は緩んでいた頬を引き締めた。

 

「どうした、何かまずかった?」

 

「サックサク!サックサクダワ!コノ部分ダケ食感ガ全然違ウ…私コレ好キ!」

 

満面の笑みを見せる防空棲姫を見て黒島はガクッと肩を落とす。

 

「? ドウシタノヨクロサン」

 

「いや、なんでもないよ…」

 

「クロサン、ソウイエバ先程カラ何モ食ベテマセンケド、大丈夫デスカ?モシカシテ、具合ガ悪イトカ…」

 

「何ダッテ⁉ソレハ大変ダ!シ、仕方ナイ…クロサン、私ノ分食ベテイイヨ!」

 

「アハハ、気を使ってくれてありがとう二人共。でも大丈夫だよ。お客さんがいるのに、店長の俺が食べる訳にはいかないから。それよりレ級、お前ピザ何枚食べた?」

 

「コレデ四枚目ダケド」

 

「チョットレ級アンタ食ベ過ギヨ!」

 

「独リ占メ、ヨクナイ。チャント、皆、均等ニ」

 

「ハ、早イ者勝チダシ!ソレニ私戦艦ダカラ、タクサン食ベナキャイケナイカラ…」

 

「滅多ニ出撃シナイクセニ何言ッテンノヨ!」

 

「私マダ一枚シカ食ベテナイノニ!カ、カエセ!」

 

「まあまあ、落ち着いて。そうなると思って、もう何枚か用意してるから」

 

備えあれば患いなし。先人の言葉を噛み締めた黒島であった。

 

 

 

 

若干の喧騒を含みながらも楽しい時間は過ぎていく。

調理場の流し台で、使い終わった食器を洗う黒島。その顔にはどこか誇らしげ笑みが浮かべられていた。

 

(今日も皆満足してくれたみたいでよかった) 

 

空になった皿を洗いながら、黒島は心の中で呟いた。

出した食器が空になって返ってくる。かつて、料理人を目指して修業をしていた時では考えられなかった事である。さらに言えば相手は自分とは違う種族。意識や文化の違いで問題が起きる可能性だってありうる。食とはそういう物である。

そんな事を考えていると、調理場に誰かが歩いてくる音がした。ふと目を向けると、そこにはレ級の姿があった。

 

「クロサン、手伝オッカ?」

 

「ありがとう、でも気持ちだけ受け取っておくよ。あと少しで終わるから、お前は皆の所に戻ってな」

 

「ジャアソノアトチョットヲ手伝ウヨ。何スレバイイ?」

 

子供らしい純朴な笑みでレ級はそう言った。それを見た時だ。黒島は自分の意識とは別に、体の動きを止めていた。

 

「? ドウシタノ?」

 

「……いや、何でもない。そうだな、それじゃあ…この食器をそっちの棚に片付けてくれるか?」

 

「ウン、分カッタ!」

 

―――――見惚れていた、のだろうか。

体が止まった原因ははっきりとは分からない。しかし、特に気にする事も無く、黒島は自分の作業を再開した。

 

「サテ、ソロソロ帰リマショウカ。オ腹イッパイニナッタラナンダカ眠クナッチャッタワァ」

 

時計の短針が十の数字を指す頃だ。防空棲姫が大きな欠伸をしながらイスから立ちあがった。

 

「ソウデスネ。明日ノ事モアリマスシ、今日ハココデ失礼シマショウ」

 

「ホッポ、準備、デキテル?」

 

「ウン!」

 

そうして彼女達は帰る支度を整え、ドアの前に集まる。後片付けを終えた黒島は見送りの為、レ級と共に彼女達の元へと向かった。

 

「クロサン。アノ、少シ、オ願イガ、アリマス」

 

そう声をかけてきたのは港湾棲姫だった。

 

「何でしょうか?」

 

「時間ガ、アル時デ、イイノデ、料理、教エテ、ホシイ」

 

港湾の急な頼み事に、黒島は一瞬目を見開く。

 

「基地ノ子達ニモ、食ベサセテ、アゲタクテ。アノ子達、忙シクテ、中々、外ニ、デラレナイ、カラ」

 

「そうなんですか、港湾さんらしいですね。いいですよ。頼んでくれればいつでも協力しますから」

 

この時、表にこそ出さなかったものの、黒島の心の中は歓喜で満ちていた。

自分の料理がきっかけで料理を始めたいという人が出てくる。料理を作る者にとってこれ以上の至福は無い。

 

「防空棲姫モ、ドウ?キット、楽シイト、思ウ」

 

「悪イケド私ハイイワ。何デカ分カラナイケド、ウマクイカナイノガ目ニ見エテルノヨネ。オムスビトカ簡単ナ物ナラデキソウダケド。駆逐水鬼、アンタヤットイタラ?」

 

「機会ガアレバ、ゼヒ」

 

二人の反応を見て港湾棲姫は不満げに頬を膨らませる。しかし、彼女のような深海棲艦が増えれば、いつか深海生まれの料理人が出てくるかもしれない。

 

「クロサン!」

 

声をかけられて下を向くと、北方棲姫が両手を後ろで隠すような形でこちらを見上げていた。

 

「今日ハアリガトウ。ピザモスパゲッティモスッゴクオイシカッタ!」

 

そう言って彼女は後ろに回していた手を差し出す。その手に握られていたのは、翼とボディに日の丸が描かれた小さな飛行機。いや、艦載機だった。

 

「これは…?」

 

「私ノ宝物。デモクロサンニアゲル。クロサン、私ノ夢ヲ叶エテクレタカラ、ソノオ礼!」

 

北方棲姫の夢。ピザを食べたかった、というのもあるが、それだけではない。彼女は陸の上の、人間の世界に強い憧れを持っていたのだ。暗くて冷たい深海とは違う、外の世界。いつかあの場所へ行ってみたい、という思いもあったが、戦争真っ只中の今、それは白紙に描かれた夢でしかなかった。

しかしそんなときに現れたのが、この喫茶店『Pace』そして黒島という存在だった。

深海棲艦を受け入れた彼のおかげで、北方棲姫の夢はその色を取り戻したのだ。

黒島がそれを知ったのは、北方棲姫が初めて『Pace』に訪れた時だった。一緒にきていた港湾棲姫からその事を聞かされていた。

 

「そうか…ありがとう」

 

こうなってしまったら受け取らない方が逆に失礼である。黒島はその手で、北方棲姫からの贈り物を受け取った。

 

「ジャアネ、クロサン。マタ今度!」

 

「マタウマイ物クワセテクレヨー」

 

黒島は彼女達の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。片手には、先程北方棲姫から受け取った艦載機が握られている。

 

「さてと、どこに飾ろうかな」

 

後日、カウンターに飾られたそれを見て、とある軽空母が大騒ぎするが、それはまた別のお話。

 

 




閲覧ありがとうございます!

更新大変遅くなり申し訳ありません!何してたかって?
そりゃもう仕事したり艦これ改したり仕事したり艦これ改したり艦これ改したり……
更新についてですが、艦これ改が落ち着いてきたので多少は早くなるかもですが、今後も下手をすればこんなペースになりそうです。

今更ですがお気に入りや評価、そして感想ありがとうございます。これを意欲に繋げて、今後も頑張ろうと思います。ではまた次回!



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晴天に浮かぶ月

 

澄み渡った青空に正午を告げる鐘が鳴り響く。

喫茶店『Pace』。この店が賑わっているのは何も夜に限った話ではない。食後にコーヒーを飲みながらリラックスした一時を過ごす為、あるいは食事その物を楽しむ為と、仕事の合間を縫って安らぎを求める者達が今日もこの店に集まる。

 

「ごちそうさまでした。いやー今日もおいしかったです、マスター」

 

横須賀鎮守府所属の正規空母、赤城もその一人である。カウンター前の席に座り、膨らんだお腹を満足そうに撫でる彼女の前には、綺麗に平らげられた大皿が何重にも積み重ねられている。

 

「お粗末様です。相変わらずの食べっぷり、今日も絶好調のようですね」

 

「それがそうでもありませんよ。最近は色々と悩み事が多くて、どうしたものかと困っている所です」

 

「赤城さんが悩み事とは珍しいですね。一体どんな事なんです?」

 

黒島がそう言うと赤城がカウンター越しにヌッと顔を近づけてくる。

 

「そうですねぇ、一体どんな事だとお・も・い・ま・す?」

 

「さ、さて、何の事やら…」

 

顔を逸らして苦い顔をする黒島に、赤城は耳打ちするように小声で話しかける。

 

「マスター、この置物は一体どこで手に入れたんですか?」

 

「これはその………北方のお姫様からの贈り物で…」

 

「やっぱり…!通りで見覚えがあると思いました」

 

「プラモデルって事で通してるんですけど、やっぱり分かるもんなんですか」

 

「当然です!私達艦娘が、プラモデルと本物の区別がつかないなんて事あるわけないでしょう!ハァ…最近龍驤さんがやけに気が立ってる理由がようやくわかりました…」

 

頬杖をついて溜息を漏らす赤城。対して黒島は、アハハ…乾いた笑みを返す事しかできなかった。

 

「いいですか、マスター。今後、あの子達にはもう少しこの店にくるのを控えるように言っておいて下さい」

 

「飲食店の経営者として、それは言いづらいか「言い訳無用です!」…はい」

 

前回の一件の後、驚異的な嗅覚の持ち主である赤城は、深海棲艦の匂いという物を完全に記憶していた。そのおかげで、彼女は前日に深海棲艦がこの店に訪れていたかどうかを残り香によって把握する事が可能となっていた。

そんな彼女曰く、深海棲艦――レ級達がこの店にくる頻度は、まさに『月月火水木金金』。懐が深い赤城もさすがに痺れを切らし始めていた。

 

「確かに今の所目撃情報や噂などの報告は上がっていないものの、正直いつバレてもおかしくないんですからね?」

 

「それは分かってますけど、彼女達が喜んでいる顔を見てると、とてもそんな事を言う気にはなれませんよ」

 

困った顔をしながらも、黒島はきっぱりとそう言い切った。

 

「ああもう、危機感が足りませんね…いいですか?こんな優遇が、いつまでも続くとは限らないんです。慢心はダメ、ゼッタイです!もし万が一、うちの提督に見つかりでもしたら――――」

 

「提督が何だって?」

 

突然かかってきた声に、赤城の言葉は遮られた。思わず赤城は両手で自分の口を覆う。そして恐る恐る声があった方へ顔を向け、その声の主の名前を口に出した。

 

「せ…川内さん⁉」

 

「どしたのさ赤城、そんなに慌てて。変な物でも食べた?」

 

訝し気に首を傾げながら川内という少女は答えた。

頭につけた簪に、たなびく白いマフラー。服装は絵物語にでてくる忍者を彷彿とさせる。彼女もまた、横須賀鎮守府所属する艦娘の一人である。

 

「や、マスター。元気してる?」

 

「おかげさまでな。今日は何にする?」

 

「今日はこれが手に入ったからね~。例のやつで頼むよ」

 

そう言って川内は手に持っていたビニール袋を黒島に渡した。

 

「確かに。それじゃ、席について待っててくれ」

 

「はいはーい。赤城、隣座っていい?」

 

「ど、どうぞ…」

 

「で、提督がどうかしたの?」

 

「あ、いえ、ええと……」

 

余程不意を突かれたのか、赤城はうまく言葉が思いつかないようだ。仕方がない、と彼女の代わりに黒島は口を開く。

 

「ここの鎮守府の提督がどんな人か聞いてたんだよ。あんまり噂も聞かないし、どういう人なのか気になっちゃってさ」

 

黒島が横須賀鎮守府の提督の事を知らないのは事実である。知っているのは、日本最大最強の鎮守府の長という大雑把な肩書のみ。様々な噂の集まるこの喫茶店においても、それ以上の情報は今の所ない。

ならば、聞ける時に聞いておこう。赤城の凡ミスを利用した黒島の諜報作戦だ。

ちらりと目を向ければ、赤城は川内に見えないように黒島に向かって「グッジョブ」と言わんばかりに親指を立てていた。

 

「なーんだ、そんな事かぁ。なんなら私が教えてあげようか?」

 

「ああ、頼むよ」

 

「そうだねぇ…まあ一言で言うなら超真面目な人だね。仕事には一切妥協しないし、自分に対しても部下に対しても厳しいし。戦績もすごいんだよ。あの人の指揮で遂行した作戦は全部成功してるし、死人や轟沈艦もほとんど出てないんだ」

 

「へぇ、すごい人なんだな」

 

作戦を全て成功。言うのは簡単だが、それを実行するのは容易ではない。軍人でない黒島でも、それくらいの事は分かる。

 

「そうそう。でもね、その反面実は恥ずかしがりやでさ。結構可愛いところもあるんだよね~」

 

「可愛い…ですかぁ?」

 

川内の『可愛い』という言葉を聞いた赤城は渋い顔をしながらそう言った。

 

「四六時中あの人と一緒にいますけど、そんな感情持った事なんて欠片もありませんよ。

というより、アナタが提督を気に入ってる理由って、ただ夜戦をたくさんさせてくれるから、というだけでしょ」

 

「ピンポ~ン、だいせいか~い!」

 

クイズ番組のような軽いノリで川内は赤城の問いに答える。

 

「夜戦は私の命と同じくらい大事だからね。提督には感謝してるよ」

 

「全く、そんなのだから他の子達に夜戦バカなんて言われるんですよ」

 

「もう、赤城ったら。自分が夜戦できないからっていじけないでよ~」

 

「いじけてません」

 

軽い雰囲気でそんなやり取りをする二人を見て、黒島はクスリと小さく笑みを漏らす。

 

「あ、ごめんマスター。話逸れちゃったね」

 

「いいよいいよ。ま、続きは食後のお楽しみって事で」

 

そう言って黒島はできあがった料理を川内の前に置く。目の前に出された料理を見て、川内は瞳を輝かせた。

 

「おお、きたきた!マスター特製のオムライス!」

 

「名付けて夜戦スペシャル。どうぞお召し上がれ」

 

三日月形に整えられたオムライスに、皿いっぱいにたっぷりとかかったデミグラスソース。それはまさに闇夜に浮かぶ月のようである。

じゅるり、と垂れる涎を拭き取り、川内はスプーンでオムライスを一口分掬って口に運ぶ。

 

「ん~ふわとろぉ~♪半熟の卵が口の中で溶けて、ご飯と絡まってくるぅ~」

 

さらにそこにアクセントを加えるのがソースである。濃厚だが決してしつこくないそれが、甘いケチャップライスの味をより一層際立たせるのだ。

 

「ご満足頂けたかな?」

 

「うん!これで今日も夜戦頑張れるよ!」

 

満足そうにオムライスを頬張る川内。しかしその隣では…。

 

「……………」

 

赤城がメニュー表を鼻先の位置まで近づけて、そこに並べられている文字を凝視していた。その様子は、子供がいたら思わず目を伏せさせてしまうような異様な光景だった。

 

「…………ない」

 

「な、ないって…何がです?」

 

「メニューに夜戦スペシャルという言葉がどこにも載ってないんです!日替わりランチでもこんなメニュー見た事ありませんし!普通のオムライスはあるのに……これは一体どういう事です⁉」

 

普段黒島の店で出しているオムライスは、デミグラスソースではなくケチャップをかけている。さらに言えば、卵の焼き加減も半熟というより少し硬めの具合だ。

そしてもう一つ、嗅覚の鋭い赤城は気付いていた。このオムライスは、使われている素材が違う。

 

「まろやかかつ濃厚な甘い香り。それでいて、卵独特の生臭さはほとんどない……。これは、最高級卵極み三選の一つ、『月の光』!」

 

「その通り!」

 

声のした方へ赤城は振り向く。そこには、イスの上で天井の灯りを背後に立つ川内の姿があった。

 

「これは品種改良などの人の手が一切施されておらず、なおかつ厳選された純国産の鶏からのみ獲れる卵。その味もさる事ながら、栄養価も他の卵と比べてずば抜けて高い。まさに、夜戦には最適の食材なんだよ」

 

まるで道化師のようなわざとらしい身振り手振りで、川内は赤城を見下ろす。

 

「やはりアナタでしたか川内さん。さっきのマスターに渡したビニール袋、中身はそれですね?その卵は、鮮度を保つという理由で通信販売は一切行っていない。手に入れるには産地である中国地方の奥地へ直接足を運ぶ必要がある。…川内さん、アナタ一体どうやってそれを手に入れたんです……!」

 

「……言っておくけどね、赤城。私は夜戦をする為なら、手段は選ばないよ。例えそれが、人道を踏み外す事だったとしてもね!」

 

「お行儀悪いからやめなさい二人共」

 

空気が異様を通り越してよく分からない物になってきた所で黒島はストップをかけた。

 

「ちぇ、これからがいいところだったのに~」

 

「食事中は大人しくしなさいって習わなかったか?ほら、いつまでも立ってないで座って座って。赤城さんも、いつまでそんな怖い顔してるんですか」

 

「だって納得いかないんですもん」

 

赤城はあからさまに不満そうにしながらテーブルに突っ伏くする。

 

「『月の光』はコストが高すぎてウチの店では常備できませんからね。川内ちゃんがこうやって材料を持ち込んでくれた時ぐらいしかお出しできないんですよ」

 

「裏メニュー、ってやつ?どう、かっこいいでしょ?」

 

「ただひたすらに羨ましいです…!元々作る人がうまいのに素材までもよくなったら……そりゃあおいしくなりますって!」

 

テーブルをバンバンと叩いて慟哭する赤城。その姿を見て、黒島もさすがにかわいそうだと感じると同時に、ある不安が胸をよぎった。

―――――万が一ヤケでも起こされたら、食料の在庫がヤバい。

 

「なあ川内ちゃん。赤城さんにもこのオムライス作ってあげちゃダメかな?まだ卵も何個か余ってるし…」

 

「しょうがないなぁ、今回だけ特別だよ?」

 

黒島の頼みに川内は快く了承してくれた。

 

「ありがとう、川内ちゃん。代わりに後でコーヒーおまけするよ。赤城さん、すぐできますんでちょっと待ってて下さいね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

赤城の暗い表情が一転、パッと花が咲いた。

一先ず危機は去った、と黒島は胸を撫で下ろすと、オムライスを作る為調理を始めるのであった。

 

 

 

 

「ごちそうさまでした。あー、おいしかったです。やっぱり素材が違うと味も違いますね」

 

夜戦スペシャルを食べ終わった赤城はイスの背にもたれかかると満足げな顔でそう言った。数分前にも同じような光景を見たような気もするが、まあ気のせいだろう。

 

「え、じゃあ本当は私がくる前にご飯食べ終わってたの?」

 

「そうだよ。そこに空になった寸胴鍋が転がってるけど見るか?」

 

「どれどれ…うわマジだ。さっすが正規空母、よく食べるねー」

 

先に食べ終わっていた川内はサービスのコーヒーを片手に二人と雑談を交わしていた。

 

「この後も仕事が待ってますから、いっぱい食べて景気つけないと!」

 

「その言い方だとまだ食べるように聞こえるんですが…」

 

「お望みとあらばいくらでも」

 

「勘弁して下さい…」

 

「あれ、赤城午後からの仕事ってなんだっけ?出撃?」

 

「違いますよ。最近新しく入った子の訓練をするんです」

 

「ああ、あの防空駆逐艦の子か。舞鶴からきたっていう。着任早々赤城直々のご指導とは、災難だねぇ」

 

「この前店にきた子達も言ってましたよ。赤城さんは訓練になると人が変わるって」

 

赤城の指導の下行う訓練は鎮守府でも指折りの厳しさという事で有名だ。黒島が聞いた話によれば、訓練開始初日でノイローゼになった者も出たとか。

 

「私も着任したばっかの頃は世話になったな~。大破しても全然中止してくれないし、ほんと鬼かと思ったよ。新人さんには、少しは優しくしてあげなよ~」

 

「実戦以上の事態を想定しなくて何が訓練ですか。手を抜くなんて言語道断です」

 

「頑固だな~、戦いも大分落ち着いてるっていうのに」

 

「じゃあ、あの話本当だったんだな」

 

川内が何気なく口にした言葉に黒島が反応した。

 

「何がさ?」

 

「深海棲艦が大人しくなったって話だよ。最近ニュースでも見なくなったしな。知り合いの漁師の子が、漁がしやすくなったって喜んでたよ」

 

「そうそう、そうなんだよ。ここ三、四ヶ月前から被害報告が激減してさ。海の上で会っても、前みたいにガンガン攻めてこないでさっさと撤退しちゃうし。大人しすぎて逆に不気味なんだよね…」

 

川内は訝しげな顔でコーヒーを啜る。実際に深海棲艦と戦っている彼女としては、どこか不穏に感じてしまうのだろう。

できる事なら、彼女にも教えてあげたい。戦う意志の無く、一緒に食事をして笑い合える深海棲艦がいる事を伝えたい。

しかし、それを口にする勇気は、今の黒島にはなかった。

 

「…深海棲艦も、戦いに疲れちゃったんじゃないか?今頃、南の島でバカンスでもしてたりしてな」

 

何も焦る事は無い。いつかこの事を話す機会は必ずくる。ならば、その時まで。黒島は、早まる気持ちを静かに抑え込んだ。

 

「だといいんだけどねぇ」

 

それだけ言うと川内は残っていたコーヒーを一気に飲み干し、イスから立ちあがった。

 

「さて、そろそろ戻るよ。ごちそうさま、今日もおいしかったよ。赤城はどうすんの?」

 

「私はもう少しここに。先に戻っていて下さい」

 

「川内ちゃんも今から訓練か?」

 

「いや、違うよ。夜戦に備えて寝る!」

 

この言葉も何回聞いた事か。川内の夜戦への情熱は計り知れない物がある。

 

「んじゃまたね、マスター。また夜戦スペシャル楽しみにしてるよ」

 

「次も卵、忘れないでくれよ」

 

お代をカウンターの上に置いて、川内は鎮守府へ帰って行った。

残った赤城はコーヒーを一杯注文すると、黒島にさっきの事について尋ねた。

 

「マスター、今あの事を川内さんに言おうとしましたね」

 

「……すごいですね、赤城さん。艦娘って相手の心を見透かす力もあるんですか」

 

冗談交じりで言った言葉は「誤魔化さないで下さい」と一蹴された。

 

「…少しでも知ってほしいんですよ。あの子達の事を、いろんな人達に。そうすれば、誰も戦わなくていい世界がくるんじゃないかって……」

 

「気持ちは分かります。ですが、それが世間では異端だと捉えられる事を自覚して下さい。もし道を間違えれば、その時は…」

 

赤城はそれ以上言葉を続けなかった。道を間違えればどうなるか。黒島自身、自分が危ない橋を渡っている事は十分に自覚している。

 

「分かりました。この事は今後他言無用、それでいいですね」

 

「分かって頂けて何よりです。それともう一つ忠告です」

 

「まだ何か?」

 

「提督の事です」

 

黒島は意外そうに眉をひそめた。川内から聞いた話で十分だと思っていたが、まだ何かあるのだろうか、と。

 

「川内さんの言った事も大体は合っているんですが、それに加えてもう一つ、伝えておきたい事があります。私達の提督は―――――」

 

赤城の言葉を、一言一句逃さず頭の中に埋め込んだ。話が終わった後、首筋を伝う汗がやけに冷たく感じた。

 

「………肝に銘じておきます」

 

今後の事を改めて考えなければいけないな。黒島の心に不穏な風が吹き込もる。

 

「それともう一つ、言いたい事が」

 

「まだあるんですか…」

 

これ以上は勘弁してもらいたいと思った黒島だが、ここまでしてくれている赤城の厚意を無下にはできない。そう思って耳を寄せると―――

 

「前々からマスターの話に出てくる漁師の子って、一体誰なんですか?」

 

「話の温度差がはっげしいですねオイ」

 

この人はこの人で考えが読めない。そう思う黒島であった。

 




閲覧ありがとうございます!

今回登場した卵『月の光』は完全なる空想物です。念の為この場を借りて報告しておきます。
今回は喫茶店『Pace』の昼の部の話をお送りしました。楽しんで頂けましたでしょうか。
次回は深海側の長が登場予定です。一体何を食べさせてやろうか(悪い顔)
ではまた次回!



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それは海より深く

―――――深海。

光の当たる水面から、深く深く沈んだ先。支配するのは闇と静寂そして、深海棲艦だ。

かつて、ある深海棲艦が人類と戦う為に巨大な戦艦を作った。全長は五百メートルを超え、並ぶ砲門は八十にも及ぶ。地上に出れば、最強の戦艦と謳われる事は間違いなかっただろう。

しかし、その戦艦が日の光に当たる事は無かった。

戦艦という以前に船として失敗していたそれは、浮かぶ事もできずに、作られた当初の姿のまま海底に鎮座している。

建造から数十年経ち、その戦艦は、今は深海棲艦達の拠点となっている。

 

「ヘェ~、コレガレ級ノ言ッテタ『喫茶店』ッテイウ所カ~」

 

その居住区の一角、通路に取り付けられた長椅子に座る三つの影があった。

一人はヲ級。正規空母の名を持つ深海棲艦である。

 

「見タ事ナイ物ガタクサン載ッテルワネ。コレ全部食ベ物ナノカシラ」

 

ヲ級の隣で興味深そうな顔をしているのは戦艦ル級。普段はヲ級と同じ機動艦隊に所属している。

 

「ソウミタイダケド…デモコレ、本当ニ食ベラレルノ?」

 

子首を傾げてそう言ったのは重巡リ級だ。

彼女達が見ているのは、北方棲姫が持ち帰ったグルメに関する情報誌、それも黒島の店が載っている物だ。水深6000メートルの地点にあるこの場所まで持ち帰るのは、それなりに苦労したとかしなかったとか。

 

「何言ッテルノリ級、食ベラレルニ決マッテンジャン!見テヨコノ『ミートスパゲッティ』トカ『オムライス』トカ。見テルダケデ涎ガ出テキソウ…!」

 

「確カニ、コウヤッテ広報サレテルッテ事ハ、ソレナリニ人気ヤ知名度モ高イッテ事デショ。ソンナニ心配シナクテモイインジャナイ?」

 

「イヤゴメン。私ガ言イタカッタノハソウイウ事ジャナクテ……。何ダカ、ドレモキラキラシテルカラ、本当ニ食ベテイイノカドウカ…」

 

「アラ、カワイイ反応スルワネ」

 

「カワイイッテ…!カラカワナイデヨル級!私ハソンナツモリジャ…!」

 

「ソンナツモリジャナクテモ顔ニ出テルヨ~。乙女ナリ・級・チャン♡」

 

「ヲ級マデ…!ヤメテヨモ~」

 

この三人は暇さえあれば集まり、こうした談笑を楽しんでいる。ちなみにリ級がいじられる役、他の二人は悪乗りを始めたりそれに乗っかったりする役だ。

 

「デモホント、一回行ッテミタイヨネ~。クロサンノヲ店」

 

「時間ガアレバ行キタイケド、中々…ネェ…」

 

ヲ級とル級はそろってため息を吐く。というのも、彼女達はここ最近任務に追われてろくに休みも取れていない状況だったからだ。任務の内容は主に艦娘の動向の偵察、そして資源の調達なのだが、実際は資源――もとい食料の調達が全体の任務の八割を占めている。

フラグシップ級の三人が毎日魚や貝を取って帰投、その繰り返しだ。ため息の一つもつきたくなるだろう。

 

「今度港湾棲姫様ニ頼ンデ連レテッテモラヲッカナ…」

 

「妙案ネ、ソレガイイワ。デ、イツニスル?」

 

「話ガ早イヨ二人共。確カニ、港湾棲姫様ハ優シイカラ連レテ行ッテクレルカモシレナイケド、デモアノ人カラ許可ガ出ルカドウカ…」

 

リ級が恐る恐る口にした『アノ人』。その言葉を聞いた途端、三人の体がブルッと震えた。

 

「アノ人ハ…多分許シテクレナイデショウネ」

 

「多分、テイウカ絶対無理ダヨ」

 

「ダロウネェ…」

 

この時、まだ彼女達は気付いていなかった。今し方、自分達が言っていたその存在が、

 

 

すぐ後ろにいた事に――――――

 

 

「誰ガ、何ヲ許サナイノカシラ」

 

不意にかかった冷水のような声。それを聞いた三人は反射的に振り向き、声の主の姿を目に入れる。

乱れる長い黒髪、額から伸びた二本の黒い角、白い肌とは対照的な深紅の瞳。三人は彼女が何者か認識すると同時に体を飛び起こした。

 

「戦艦棲姫――様‼」

 

戦艦棲姫。沈めた軍艦二百隻、撃ち落とした艦載機およそ八百機。初めはサーモン海域最深部、次は北太平洋海域、その次は日本本土近海でと、その圧倒的な火力で暴虐の限りを尽くした深海棲艦だ。

そして、現在深海艦隊の指揮を執っている人物でもある。

 

「ヲ、ヲ疲レサマデス!」

 

三人は姿勢を正して戦艦棲姫に敬礼をする。

 

「ヲ級、今日ノ戦果ハドウダッタノカシラ」

 

「ハッ!バシー島周辺ニ滞在シテイル艦娘ノ偵察ヲ行イマシタガ、今日ノ所ハ目立ッタ動キハ見ラレマセンデシタ!」

 

「資源ノ調達ハ?」

 

戦艦棲姫の問いに、今度はル級が姿勢を正したまま答える。

 

「上々デアリマス。物資ヲ輸送中ノ船団ヲ襲撃シ、大量ノ資材ヲ得ル事ガデキマシタ」

 

「ソウ、ナライイワ。トコロデ、アナタ達ノ足下ニ落チテル『ソレ』ハ何カシラ」

 

戦艦棲姫が視線で三人の足下にある『ソレ』――雑誌を指した。三人の背筋に、嫌な汗が流れる。

 

「コレハ……北方棲姫様カラ拝借シテイル物デアリマス。以前レ級ガ行ッタトイウ、『喫茶店』ニツイテ書カレタ書物デス」

 

僅かな沈黙の後、少し上擦った声でリ級が答えた。

 

「アア、最近噂ニナッテルアレネ。フゥン、コレガ…」

 

戦艦棲姫は雑誌を拾い上げると、何枚かページをめくって中に書かれている物を見る。

そして次の瞬間、

 

「クダラナイワネ」

 

グシャリ、と両手で雑誌を握り潰した。

 

「コンナ物見テイル暇ガアルノナラ、少シデモ鍛錬ニ励ミナサイ」

 

三人の足下に潰された雑誌が放り捨てられる。

恐怖で体を凍らせた三人を冷ややかな目で一瞥すると、戦艦棲姫は廊下の奥の闇へと去って行った。

戦艦棲姫の姿が見えなくなったのを確認すると、ヲ級達は糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだ。

 

「………………………コ、怖カッタ~」

 

「殺サレルカト思ッタワ…」

 

「サスガ戦艦。威圧感ノ方モ半端ジャナイッスワ~」

 

「ソレダト、ル級モソウッテ事ニナルヨネ…」

 

リ級の丁寧なツッコミに答える気力も、今のヲ級とル級には残っていない。

 

「……デモサ、ヨカッタノ?ル級」

 

ヲ級を挟んで座っているル級に、リ級が声をかける。

 

「何ガヨ」

 

「報告ダヨ。商船ヲ襲撃シタナンテ嘘ツイチャッテサ。本当ハ遭難シテタ船ヲ助ケテ、ソノオ礼デ資材ヲ貰ッタンジャナイカ」

 

「ソウダケド…アアデモ言ワナイト、アノ人納得シナイデショ」

 

……ソレモソウダネ、とリ級は納得した様子で呟く。

 

「アーア、セッカクノ資料ガグシャグシャダヨ~。コレジャホッポチャンニ怒ラレチャウナ…」

 

「今ナラモレナク港湾棲姫様モツイテクルワヨ。『喫茶店』ハ、シバラクオ預ケネ」

 

「ナンカ、トコトンツイテナイヨネ。私達ッテ…」

 

大きな三つのため息は、暗い廊下の中に溶けていった。

 

 

 

 

一週間に渡る業務を終え、彼女はこの場所に戻ってきた。

まず一番に、業務内容を報告書にまとめ、併せて自分がいなかった間に溜まった仕事を片付ける。それが終わると、彼女は体の疲れを癒す為に入渠場へと向かった。ゆっくり湯船につかる事三十分。風呂から上がると、髪を乾かし、身嗜みを整えて、自室へと向かう。

途中に出会った部下に軽く挨拶を交わし、しばらくした後彼女は自室の前に到着した。

部屋に入り、音が出ないようにゆっくりと扉を閉める。

呆れかえる程静かな空間だ。たまに聞こえてくる物と言えば、遠くの工廠で作業をする音くらいである。

 

「……………………………ハァ」

 

小さく溜息を漏らすと、彼女は傍にあったベッドへ倒れ込んだ。

 

これが、この数時間で見られた彼女の行動の全てだ。ごく普通の社会人と、何ら変わりない行動。唯一違う所があるとすれば、彼女が深海棲艦だという事だ。

 

「…………タイ」

 

深海棲艦と人は何が違うか。そんな議題を挙げればキリがないだろう。だがそれと同時に、二つに共通する事があるのも確かである。

 

「……………キタイ」

 

例えば、彼女がここにくるまでにとった行動。そして、

 

「……………………行キタイ!」

 

彼女――戦艦棲姫もまた、一途な憧れを持つ乙女であるという事。

 

「行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ!行キタイヨォォォォォォ‼」

 

ベッドの上でゴロゴロ転がりながら悶える戦艦棲姫。その姿は、まさに駄々をこねる子供そのもの。数分前、ヲ級達を一喝した者と同一人物とはとても思えない醜態である。だがこれこそが、他の者には見せない戦艦棲姫の真の姿なのだ。

 

「何イキナリ発情シテンノヨ淫乱棲姫」

 

そんな彼女に、ゴシックドレスに身を包んだ少女が毒を入れた。

その少女の名は離島棲姫。戦艦棲姫の裏の顔を知るただ一人の人物だ。普段は戦艦棲姫の補佐を行っているのだが、今の戦艦棲姫にかける言葉は辛辣な物であった。

 

「誰ガ、イ、淫乱ヨ!ソ、ソレニ発情ダナンテ、ソンナ事…!」

 

「ハイハイ、分カッタカラ黙ッテクレル?今集中シテルトコロナノヨ」

 

「クゥ~!人ノ気モ知ラナイデ…!離島ノ鬼!」

 

「鬼ジャナクテ姫デスヨ~」

 

ソファーに座った離島棲姫は、手に持った書物を見ながら適当に戦艦棲姫をあしらう。口喧嘩で勝つのはいつも離島棲姫の方だ。

 

「ドウセ…誰ニモ分カラナイ。私ノ気持チナンテ……暗イ海ノ中デ…一人………ソレデモ…私ハ…」

 

口喧嘩に負けた戦艦棲姫は、枕を抱きかかえて一人いじけ始める。その様子に離島棲姫も痺れを切らし、不機嫌気味に戦艦棲姫に声をかける。

 

「鬱陶シイワネサッキカラ。デ、一体ドコニ行キタイッテイウノ」

 

「喫茶店‼‼‼‼」

 

瞬間、生気を取り戻した戦艦棲姫が飛び起きた。

 

「今日ネ、ヲ級達ガ持ッテタ資料ヲチョコットダケ見タノヨ。モウトニカクスゴクッテネ!食ベ物モオイシソウダケドオ店ノ内装モスゴクオシャレデネ!思ワズ力入ッチャッテ資料潰シチャッタケド……」

 

「アンタソレ、後デチャント謝リナサイヨ」

 

力加減が下手なのは戦艦棲姫の悪い癖である。それが原因で問題が起きる事もしばしば…。

 

「イイワヨネ~。アアイウ所デ、ユックリト時間モ気ニセズ優雅ナ一時ヲ過ゴシテミタイモノダワ~」

 

「マア、気持チハ分カラナクモナイワネ」

 

「デショデショ!分カルワヨネ⁉コノ気持チ!」

 

「ウワウザイ…」

 

戦艦棲姫の熱烈な攻めに顔をしかめる離島棲姫。

 

「ア~、一度デイイカラ行ッテミタイワ~『喫茶店』。店主ノ『クロサン』ダッケ?人間ダケド優シイッテ聞クシ。ソウイエバ姫級ノ中デ行ッタ事ナイノ私ト離島ダケッテ話ジャナイ。ミンナイツノ間ニ行ッテタッテイウノヨ、羨マシイワ~」

 

「アラ、私ハ行ッタ事アルワヨ」

 

 

………………………………………………………………………………エ?

 

 

「何ヨ、豆鉄砲喰ラッタヨウナ顔シテ。私変ナ事言ッタカシラ」

 

「」一体…………イツ………?

 

「昨日ヨ。ホッポニ誘ワレテネ、一緒ニ行コウッテ」

 

「」………ソンナノ……聞イテナイ…

 

「聞イテナイモ何モ、アンタ遠征中デイナカッタジャナイ。ソレニ一々報告スルヨウナ事デモナイデショ」

 

「」ソンナ……………アンマリダヨォ……

 

「テイウカセメテカッコノ中デ喋リナサイヨ。一々心読ムノッテ面倒ナノヨ?」

 

素の自分を見せられる唯一の友人の裏切り(?)に衝撃を隠せない戦艦棲姫。口から白い息を出しながら項垂れている。

 

「…………デ、ドウダッタ?」

 

「噂通リ、イイ所ダッタワ」

 

「………ソレダケ?」

 

「? ソウダケド…」

 

「ソンナワケナイデショ‼」

 

突然戦艦棲姫が声を上げ、離島棲姫に詰め寄った。理由としては、離島棲姫の適当な返事が気に食わなかっというのもある。だがそれ以上に、

 

「『喫茶店』ノ魅力ハソンナ言葉デ表セレルヨウナモノジャナイデショ‼モット真剣ニ!チャント伝エテ‼」

 

「悲シンダリ怒ッタリセワシナイワネサッキカラ!」

 

戦艦棲姫の瞳から流れる雫、その色はなんと赤である。さすがの離島棲姫も彼女の気迫に押され、渋々口を開く。

 

「エーット、ソウネ…。建物自体ノ雰囲気モヨカッタケド、ヤッパリ食ベ物ガオイシカッタノガ印象ダッタワネ」

 

「何⁉何食ベタノ⁉」

 

「『ショートケーキ』トイウ物ヲ食ベタワ」

 

「ショート…ケーキ……⁉」

 

「言ッテオクケド、ショートランドトハ何モ関係ナイカラネ」

 

ワ、分カッテルワヨ!と、どもりながら言う戦艦棲姫。どうやら図星だったようだ。

 

「三角形デ、上ニイチゴトイウ果実ガ乗ッタ食ベ物ナンダケド、一口食ベタ瞬間後悔シタ。ドウシテモット早クココニコナカッタノカッテ。妙ナ噂ト鼻デ笑ッテタ自分ヲ殴リ飛バシタイ気分ダッタワ」

 

「ソンナニ…!ソンナニダッタノ…⁉」

 

「エエ、ソウネ。絶品、ダッタワヨ。アソコノ店主ノクロサンッテ人間、料理ノ腕前ハ相当ナモノネ」

 

「ア~羨マシイ羨マシイ羨マシイ羨マシイ羨マシイ‼」

 

「ウルサイワネ、ソンナニ行キタイノナラ行ケバイイジャナイ。アンタ明後日マデ非番デショウガ」

 

「ソウダケド……ホラ、私ッテ一応ココノ指揮官ジャナイ?ソレナノニワザワザ敵対シテル人間ノ所デ休日ヲ過ゴスノッテ、深海棲艦トシテドウナノカト…」

 

「変ナトコロデプライド高イワネ。マ、イインジャナイ。アンタガソウスルベキダト思ウナラソウスレバ。代ワリニ、『喫茶店』トハ一生縁ガナクナルケドネ」

 

「ウゥ~…!ソレハイヤダァ!オ願イ離島、今度行ッタ時ニオ土産持ッテ帰ッテキテ~」

 

「無茶言ワナイデヨ、ココ水深何メートルダト思ッテンノ?テカ離シナサイ!イイ大人ガ泣キツイチャッテンジャナイワヨ、見ットモナイ!」

 

抱き着いた戦艦棲姫を必死に振りほどこうとするが、そこはさすがに戦艦に軍配が上がる。がっちりホールドした腕はビクともしない。

 

「離シナサイッテ言ッテルデショ!イイ加減ニシナイト怒ルワヨ!」

 

「ソンナ事言ワナイデヨォ~。私ノ一生ノオ願イヨォ~」

 

その光景は、何のとりえもない少年が未来からきたネコ型ロボットに泣きすがる様子によく似ている。戦艦としても指揮官としての威厳などどこにもない。

万が一、こんな姿を誰かに見られでもしたら――――

 

 

「失礼シマース、戦艦棲姫サマイマスカー?」

 

 

バクン、と戦艦棲姫の心臓が飛び上がる。

突然部屋に入ってきたのは、黒いレインコートと長い尻尾が特徴の少女――レ級であった。

 

「レ級…上官ノ部屋ニノックモナシデ入ッテクルナンテ、イイ度胸シテルワネェ…!」

 

すぐさま戦艦棲姫は離島棲姫から離れ、つい数秒前とは一転した凄まじい剣幕でレ級を睨み付ける。

 

「ア、スミマセン。忘レテマシタ」

 

が、それに全く畏縮する事無くレ級は言葉を返した。

 

「見テノ通リ、私ハ今休憩中ナノヨ。クダラナイ用ナラ後ニシナサイ」

 

「クダラナイ、ッテワケジャナインダケドナ~」

 

言い淀むレ級を見て戦艦棲姫怒り(※正確には焦り)のボルテージはどんどん上がっていく。

 

「迷ウクライナラ一々報告シナクテイイ!サッサト自分ノ部屋ニ―――――」

 

「今カラクロサンノ所ニ行クカラ、戦艦棲姫サマモ一緒ニドウカナーッテ思ッタンダケド…」

 

その言葉は――――――

かの大戦艦の一撃よりも強く、大きな衝撃を、戦艦棲姫に与えた。

 

「ア、離島サンモ一緒ニクル?」

 

「私ハイイワ、昨日行ッタバッカリダシ。ソレニ、コレカラ港湾ト約束ガアルカラ」

 

「ソッカァー、ソレジャア仕方ナイナー」

 

戦艦棲姫は固まってしまっていた。かつての大戦でも、こんな経験はなかった。ただ静かに、レ級の言葉が、頭の中で反響していく。

 

「ウーン、戦艦棲姫サマハオ疲レミタイダシ……ショウガナイ、今日ハ一人デ行ッテクルカ」

 

そう言ってレ級がこの部屋から去ろうとした時だった。

 

「待チナサイ」

 

迷いのない透き通った声が、彼女を呼び止めた。

 

 

 

 

初めて姿を現したサーモン海域での海戦では、その火力を持って六十二隻の軍艦、十五隻の艦娘を沈め、帝国海軍に甚大な被害をもたらした。

トラック泊地での迎撃戦では、不沈艦武蔵と丸三日に及ぶ死闘を繰り広げる。その末に撃破寸前にまで追いやるが、天候の悪化により撤退を余儀なくされ、戦いは痛み分けに終わった。

大規模作戦の度に大軍を連れて現れる事から、彼奴が深海棲艦の司令にあたる艦である事が想定される。故に、彼奴を沈める事ができれば、我々が平和な海を取り戻す大きな足掛かりになる事であろう。

 

これは、帝国海軍が所有する書物から抜粋した物である。勝利を手に掴む為、海軍は今も尚、この深海棲艦の行方を探し続けている。

 

だが、一体誰が予想できただろう。そんな存在が、街中の喫茶店に、それも非武装で訪れている事など。

 

(………………キチャッタワ)

 

午後二十時三十分。カウンター席に座った戦艦棲姫は、誰にも悟られぬように心の中で小さく呟いた。

 

(キチャッタキチャッタキチャッタ!憧レノ『喫茶店』!アア、ホンノリ漂ウビターナ香リ、清掃ト整理ノ行キ届イタ装飾品、ソシテ気品ノアル穏ヤカナBGM、堪ラナイワァ!コレヨコウイウノヲ待ッテタノヨ‼アア、生キテテヨカッタァ!アリガトウ神様、ソシテ…大天使レ級‼)

 

表情にこそ出していないが、彼女の精神はかなりの興奮状態にあった。少しでも気を緩めれば口角が上がってだらしない顔を晒してしまいそうなところを、口を一文字に結んで必死に堪えている。

 

「ここにくるのは初めてですよね。えーと、お名前は……」

 

「戦艦棲姫ヨ。覚エテオキナサイ」

 

「よろしくお願いします、戦艦棲姫さん。俺は―――」

 

「アナタノ事ハ聞イテイルワ、クロサン。敵ト慣レ合ウ変ワリ者、トイウトコロモ含メテネ。言ッテオクケド、私ガココニキタ目的ハ偵察ヨ。人間ノ生活ヲ知レバ、私達ガ本土ヘ進出スル為ノイイ情報ガ手ニ入ルカト思ッテネ」

 

「そ、そうですか…」

 

黒島の言葉に戦艦棲姫は悠然とした態度で答える。しかし内心ではやはり―――

 

『初メマシテ!私戦艦棲姫ト申シマス!アナタノヨウナ素敵ナ人ニ会エテ感激デス!今後トモドウゾヨロシクオ願イシマス!』

 

こんな感じだ。もちろん、偵察や本土進出をするつもりなど毛頭ない。深海棲艦としてのプライドを保つ為のただの言い訳である。と、ここで、

 

「戦艦棲姫サマー。ソウイウノハイイカラサ、マズハ何カ注文シヨウヨー」

 

戦艦棲姫の右隣に座るレ級が、暇そうに足をぶらつかせながらそう言った。

 

「レ級はもう決まってるのか?」

 

「ウン!今日ハ『パフェ』ヲオ願イ!」

 

「了解。戦艦棲姫さんはどうします?いつもは、初めてきた方にはその日のオススメをお出ししてるんですけど…」

 

フム…と戦艦棲姫は一呼吸おいて考える。

正直に言えば、離島棲姫の言っていた『ショートケーキ』を食べたいのが本心である。しかし、今レ級が注文した『パフェ』という物もかなり気になる。

さて、どちらを選んだものか…。戦艦棲姫が悩んだ末に選んだのは、

 

「ソウネ……取リ敢エズ、私モレ級ト同ジ物ヲオ願イスルワ」

 

「分かりました。では、できあがるまで少々お待ち下さい」

 

離島棲姫に自慢話をしたいという気持ちが決め手となり、後者を選んだ。

 

「時間ハドノクライカカルノカシラ」

 

「できるだけ早く用意するようにはしますが、それでも大体十分ぐらいはかかりますね」

 

「ソウ……。チナミニ、ソノ『パフェ』トイウノハドウイッタ物ナノカシラ」

 

戦艦棲姫の問いに、黒島は「そうですね…」と一呼吸おいて答える。

 

「パフェグラスという専用に器に、アイスクリームを中心に生クリームやフルーツ等をトッピングしたデザートなんです。トッピングの種類は色々とあるんですが、今日お出しするのは色とりどりにフルーツを使った『フルーツパフェ』という物になります」

 

アイスクリーム?トッピング?知らない単語が次々と出てきた事で、戦艦棲姫の頭の中が疑問符で埋め尽くされる。

 

「マア食ベテ見タラ分カルッテ。安心シナヨ、スッゲェウマイカラ」

 

「悪食ノアナタニ言ワレテモネ…マア、ソレナリニ期待シテオイテアゲルワ。」

 

そうして期待に胸を膨らませながら、戦艦棲姫は『パフェ』ができあがるのをじっと待つ。

そして丁度十分後。

 

「お待たせしました。こちらがパフェになります」

 

差し出されたそれに、戦艦棲姫の目は釘付けになった。

 

(ナンテ煌ビヤカナノ⁉マルデ宝石ノヨウ!飾リ付ケラレタ一ツ一ツノ素材ガ輝イテ見エルワ!)

 

朝日を浴びたアサガオの花のように咲き誇る、イチゴやメロン等のフルーツ達。透明なグラスの中には様々な色の層が段々に積み重ねられている。そうしてできあがったのはまさに一個の芸術品である。

 

「こちらのスプーンを使ってお召し上がりください。時間が経つとアイスが溶けてしまうので、できるだけ早めに食べてくださいね」

 

先が三つ又に分かれた柄の長いスプーンを受け取り、戦艦棲姫は心の準備を整える。

 

(戦艦棲姫…イザ、抜錨ス!)

 

フルーツ達の中心に置かれたバニラアイスを掬って口に入れる。その瞬間、戦艦棲姫に衝撃が走った。

 

「ナンダ…コレハ……」

 

体を震わせながら、続けざまにアイスを口に運ぶ。

 

(………甘イ)

 

一口、

 

(……甘イ)

 

一口、

 

(甘イ!)

 

もう一口と。

 

(甘ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァイ♡♡♡)

 

それは、離島棲姫以外誰も破る事の出来なかった戦艦棲姫の鉄面を、いとも簡単に崩壊させた。

 

(何コノ甘サ!口ニ入レタ瞬間フワット溶ケテ、口イッパイニ広ガッテクル!イヤ、口ノ中ダケジャナイワ。喉ヲ通ッテカラモ、波紋ノヨウニジンワリト全身ニ浸透シテイク!ソシテコノ冷タサ、暑クナッテキタコノ季節ニハ丁度イイ!冷タイ…氷…アイス!ソウカ、コレガ『アイスクリーム』ネ!)

 

戦艦棲姫の手は止まらない。次は真っ赤に熟したイチゴを、スプーンの先で刺して口に入れる。

 

(甘イ!デモ『アイスクリーム』トハ違ウ、瑞々シイサッパリトシタ甘サ!少シ酸味ガアルケド、ムシロソレガコノ果実ノ甘ミヲヨリ一層際立タセテル!)

 

と、ここで戦艦棲姫は思う。

もしこの二つが一つになったら、一体どうなるのか、と。

行動は、すぐさま実行した。

 

(~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ‼‼‼)

 

流れ込んでくる幸せの奔流。最早言葉で表す事すら敵わなかった。

戦艦棲姫がその感覚を堪能していると、新たにテーブルの上に何かが置かれる。

 

「…コレハ?」

 

カップに入った琥珀色の液体を見て、戦艦棲姫は黒島に尋ねる。

 

「紅色のお茶、略して紅茶です。コーヒーもいいですけど、パフェにはこっちの方が合うと思いまして」

 

「フゥン…」

 

黒島のオススメとあって、戦艦棲姫は迷う事無く紅茶を口へ運ぶ。

 

(合ウゥ!フンワリシタ優シイ甘サガ、『パフェ』ノ美味シサヲサラニ引キ立テテイル!例エルナラ、作曲泊地水鬼ニ対スル軽巡棲姫ノボーカル!川内ニ対スル夜戦、16inch砲ニ対スル一式徹甲弾ッテ感ジダワ!アァ、最ッ高!)

 

「ナ、戦艦棲姫サマ。ウマイダロ?クロサンノ作ル料理ハドレモ最高ナンダゼ」

 

「食ベ物グライデ大ゲサネ。マァ、腕ガイイノハ認メテアゲルワ」

 

それから少しして、戦艦棲姫の前に空になったグラスが並べられる。心地よい満足感が心の中を満たす。が、その一方でどこか寂しい感情も芽生えていた。

 

「エー、モット居タイノニー。クロサントオ話シタイノニー」

 

「気持ちは嬉しいけど、赤城さんから釘を刺されてるんだよ。悪いけど今日のところは、な?」

 

そう、戻る時間がきてしまったのだ。自分達の住処、深海に。

 

「セメテモウ後十分、コーヒー一杯分ダケ!オ願イ!」

 

「うーん、困ったな。…仕方ない、それじゃあ――――」

 

「イイ加減ニシナサイレ級。深海棲艦トアロウ者ガ、ミットモナ姿ヲ晒サナイデチョウダイ」

 

戦艦棲姫の一喝によって、レ級はその口を閉じる。戦艦棲姫自身も覚悟は決めていた。

幸せな時間はいつまでも続く物ではない。いくら抗ったとしても、終わりの時間は訪れてしまうのだ。

 

「ジャアコレデ失礼スルワ。ウチノレ級ガ迷惑カケタワネ」

 

それだけ言って、戦艦棲姫は店の出口へと赴く。もちろん、口では無愛想に言っているが、内心は未練たらたらである。

名残惜しい気持ちを抑えて戦艦棲姫はドアノブに手を掛ける。その時だった。

 

「ちょっと待って下さい」

 

黒島が、慌てた様子で声をかけた。

 

「何カシラ。用ガアルナラ早ク言ッテクレル?私モ暇ジャナイノヨ」

 

「す、すみません。でも少しだけ、すぐ用意しますので」

 

用意?一体ナニカシラ?戦艦棲姫が頭に疑問符を浮かべていると、程なくして四角い小箱を持って黒島がやってきた。

戦艦棲姫は、受け取った箱を開けて中身を覗く。そこにあったのは、先程食べた『パフェ』を小さく縮めたようなものだった。丸い物や四角い物など、いろいろな形をした物が箱の中に綺麗に並べられている。その中に一つ、見覚え、いや聞き覚えのある物が。

 

(三角形デ、赤イ果実ノ乗ッタ…コレッテ……)

 

「ケーキって言うんです。余り物ばかりで悪いんですけど、よかったらどうぞ」

 

「………ドウシテココマデヨクシテクレルノカシラ。私達ハ深海棲艦、アナタ達人類ノ敵ヨ?」

 

「ウチの店にきてくれる人に、人間も深海棲艦も関係ありませんよ。それに、パフェを食べてる時の戦艦棲姫さん、すごく嬉しそうだったから。…今日は俺の勝手な都合でこんな風になっちゃいましたけど、よかったらまたきて下さい。今度はゆっくりと、他の皆も連れて。俺はいつでも待ってますから」

 

その時、一瞬だが心臓が高鳴った気がした。

今ノ感覚ハ一体…?それが何か理解できないまま、戦艦棲姫は喫茶店を後にした。

 

 

 

 

パタン、と乾いた音を立ててドアが閉じる。

場所は再び深海。戦艦棲姫の自室である。

 

「アラ、帰ッテキタノ。オカエリナサイ」

 

ベッドの上でくつろいでいた離島棲姫が声をかけるが、それに何の反応もしないまま、戦艦棲姫は自分のデスクに腰を掛けた。

 

「ソノ様子ダト余程ヨカッタンデショ。喫茶店ハ」

 

「…ウン、ソウネ」

 

てっきり小一時間は喫茶店の感想を聞かされると思っていた離島棲姫は、戦艦棲姫のあまりにそっけない返事に驚きを隠せないでいた。

 

「ドウシタノ、喫茶店デ何カアッタノ?ソレトモ道中デ艦娘ニ見ツカッタトカ」

 

「…エ?イヤイヤ、大丈夫。ソンナ事ハナカッタワ。ア、ソウダコレ。離島ガ言ッテタケーキッテイウノ貰ッテキタ。ヨカッタラ皆デ食ベテ」

 

そう言って半ば強引に離島棲姫にケーキの入った箱を押し付ける。

 

「…一体ドウシタッテイウノヨ。顔モ赤イシ、ヤッパリ調子悪インジャナイ?」

 

「大丈夫。ホント、大丈夫ダカラ…」

 

心配そうにする離島棲姫に重ねてそう言い聞かせる。だが、それは自分への暗示でもあった。

戦艦棲姫自身も分かっていないのだ。今自分に起きている変化に。

 

(何カシラ、コノ感情ハ…)

 

火照った頬を両手で覆って、戦艦棲姫は考える。

 

(コンナ気持チ、今マデナカッタ…)

 

なぜかある人間の事を考えるだけで、不思議に胸が高鳴るのだ。しかもその感覚は、どこか心地よい。

 

(私、一体ドウシチャッタノカシラ…)

 

冒頭でも言ったが、もう一度言おう。戦艦棲姫もまた、一途な憧れを持つ乙女なのである。

 




閲覧ありがとうございます!

速報。深海の長、落つ。
どうしてこうなった…話の流れと思いつきでこうなってしまいました。しかし、後悔はしていない。
今回の話は今作で最も多い文字数となってしまいましたが、読んで下さった方ありがとうございます。そして、評価に色が付きました!これに関しては正直飛び上がるくらい嬉しかったです!
さて、次話ですがまたしても更新が遅くなりそうです。続きは必ず書きますので、どうかそれまでお待ちください。ではまた次回!


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本当の気持ち

ブラウザ版艦これ、始めました。鋼材が足りません…


よく晴れた日の夜。太陽は水平線の中にすっかり身を潜め、代わりに丸い円を描く月が地上の世界を照らしている。

この時間になれば大抵の店はのれんを下ろして店を閉めている。喫茶店『Pace』も例外ではない。しかし、『CLOSE』と書かれた札がぶら下がっている扉の小窓から指す光は、まるで誰かがくるのを待っているような、そんな物だった。

やがて、扉の前にいくつかの人影が集まってきた。その気配を感じて、扉の向こうの青年は、思わず笑みを漏らす。

そして、心地良いベルの音を奏でながら扉が開かれる。

喫茶店『Pace』夜の部、本日も営業開始である。

 

 

 

 

「ウマ―――――――――‼ヤッパリクロサンノ作ル料理ハ最高ダヨ!」

 

「ありがとよ。ほら、空いた皿よこしてくれ。先に片しとくから」

 

「ウン!」

 

元気よく返事をすると、レ級は空になった皿を黒島に手渡した。

閉店時間を迎えた午後二十時。黒島の店は、今日も深海からのお客で賑わっていた。

 

「ダカラァ、レ級アンタ食ベ過ギダッテノ!一人デ一体ドンダケ食ベルワケ⁉」

 

「防空棲姫ちゃん落ち着いて、ちゃんとおかわりの分はあるから。それにもう夜だから、あんまり大きい声は出さないで」

 

「落チ着イテラレナイワヨ!ダッテコイツ、私ガ楽シミニ取ッテオイタショートケーキノイチゴヲ横取リシヤガッタノヨ⁉」

 

「イヤ~、モウイラナイノカト思ッテサ。ゴメンネ?」

 

「許スワケナイデショ、コノスカポンタン!見テナサイ、イタイメアワセテヤルンダカラ…!」

 

「あ、暴れるんだったら下げちゃおうかな。パンの耳で作ったシュガーラスク」

 

「仕方ナイワネェ、今日ノトコロハ見逃シテアゲルワ」

 

「レ級も人の物とっちゃダメだろ。罰として、今日はもうおかわり無しだ」

 

「ゴメンナサイ!モウ絶対シナイカラ許シテ!」

 

黒島は慣れた様子で二人を宥めると、シュガーラスクの入った器をテーブルの上に置く。それを見てレ級と防空棲姫は目を輝かすと、すぐに器に手を伸ばした。

 

「ン~、コレコレ♪コノ食感ガ堪ンナインダヨネ~♪」

 

「スティック状ダカラオ手軽ニ食ベラレルシ、手ガ止マラナイワァ~」

 

「ほんとにその通りですね~」

 

ン?と二人が声のした方へ振り向くと、そこには正規空母赤城の姿が。

 

「やめられない止まらないとはこの事ですね~。思わず手が伸びちゃいます~」

 

「チョット赤鬼!オ前食ベ過ギダロォ!」

 

「ソウヨ!皆ノ物ナンダカラチャンチ節度ヲ持ッテ食ベナサイヨ!」

 

「先手必勝ってやつですよ。それに食べてもまたマスターが作ってくれますし、ね?」

 

「はいはい、分かってますよ」

 

溜息をつくようにぼやきながら黒島は調理場へと戻り、追加の分を作る為の調理にかかる。するとそこへ、バスケットを抱えた背の高い女性が歩み寄ってきた。港湾棲姫である。

 

「クロサン。離島ト一緒ニ、クッキー、作ッテ、ミタ。食ベテ、ホシイ」

 

バスケットには、菱形や星形など様々な形をしたクッキーが入っていた。どれもこんがり焼き色がついて美味しそうだ。

 

「どれどれ…うん、美味しい!」

 

「ヨカッタ。クロサンノ、オ蔭。アリガトウ」

 

「初めてでこれはすごいですよ。ほら、加賀さんもどうです?」

 

「そ、そうね。せっかくだから、一つだけ…」

 

まだ港湾棲姫達に慣れていない加賀は、恐る恐るといった様子でバスケットに手を伸ばし、掴み取ったクッキーを思い切ったように口に入れる。

 

「! おいしい……」

 

口に入れた瞬間に広がるバターの優しい甘さが、加賀の強張った表情を緩める。その反応を見て黒島と港湾棲姫の二人は安堵の息を漏らした。

 

「もう一つ頂いてもいいかしら」

 

「モチロン。ソノ為ニ、タクサン、作ッタ。遠慮ハ、イラナイ」

 

「オネーチャン、私ニモ一ツ頂戴!」

 

「分カッタ。ソッチニ、持ッテイク。加賀モ、一緒ニ、イコ?」

 

「ええ、行きましょう」

 

北方棲姫に呼ばれ、二人は皆のいるテーブルへ向かう。その二人の後ろ姿を見て、黒島はふと思った。

 

(そういえば、こんな光景が見れるようになったのって、つい最近からだったんだよな……)

 

黒島とレ級が邂逅した日から、まだ一ヶ月ほどしかたっていなかった。それだけの間だったというのに、いつの間にか、艦娘と深海棲艦が同じテーブルを囲むこの光景が当たり前の物になっていた。

人類と深海棲艦の戦いはまだ続いている。戦況が軟化してきたからといってそれは変わらない。だが、もしかしたら―――――

 

「クロサン」

 

声をかけられ、ハッと振り向く。そこには、両手で山積みになった皿を抱えた駆逐水鬼の姿があった。

 

「空イタオ皿、持ッテキマシタ」

 

「あ、ああ。ありがとう、その辺に置いといてくれ。後は俺が片付けるから」

 

「イエ、私ニモオ手伝イサセテ下サイ。クロサンニハ、イツモオ世話ニナッテルノデ」

 

そう言って半ば強引に駆逐水鬼は黒島の隣に立って皿を洗い始めた。

 

「……クロサンハ、ドウシテコノオ店ヲ始メヨウト思ッタンデスカ?」

 

唐突に、駆逐水鬼が黒島に問いかけた。黒島は少し間を置いて、その問いに答える。

 

「昔、と言っても五年くらい前の話だけど。ある店で見習いとして働いてたんだけど、全然うまくいかなくてさ。皿洗いばっかりやってて、たまに作った物は全部、マズイってゴミ箱に捨てられちゃうしさ、ほんと散々だったよ。そんな事を毎日毎日繰り返して、とうとう限界がきちゃって、店を飛び出したんだ。ここは相性が悪かったんだって、他の店もいろいろ回ってみたけど、結局どれも同じだった」

 

今までの長い苦労を思い出しながら黒島は語る。

 

「それである日、気分転換にと思って、ある喫茶店に立ち寄ったんだ。ここと同じで、海の見える古い喫茶店だった。そこで飲んだコーヒーが、もう滅茶苦茶うまくてさ。今までの辛かった事も、苦しかった事も、その店でコーヒーを飲んでる間は全部忘れられた。それで俺も思ったんだよ。俺もこんな風に、人の心に安らぎを与えられるような、そんな店を持ちたいって。それが、この店を開こうと思ったきっかけかな」

 

全てを語り終わって、黒島はふぅ、と息を吐く。

 

「悪い、話長くなっちゃたな」

 

「イエ、ムシロオ話ガ聞ケテヨカッタデス。クロサンノ事、モットヨク知ル事ガデキマシタカラ」

 

駆逐水鬼の率直な言葉に、黒島は照れくさそうに笑う。

 

「クロサン、モウ一ツ聞イテモイイデスカ?」

 

「ああ、いいよ。俺に答えれる事なら何でも――――」

 

 

 

「ドウシテ、私達ト一緒ニゴ飯ヲ食ベテクレナインデスカ?」

 

 

 

駆逐水鬼の言った言葉の意味が、分からなかった。

 

「クロサンガアソコニ行ケバ、皆モット笑顔ニナルト思ウンデス。多分デスケド、クロサンモソレヲ分カッテイマスヨネ」

 

一体何を言ってるんだ?言葉として聞き取れても、その意味が理解できない。いや、理解しようとしていないのだろう。自分の真意が表されるのを、無意識の内に恐れて。

 

スッと伸びた白い手が顔に近付いてくる。彼はその手を――振り払った。

傍に置いてあった皿が床に落ちて、砕け散った。

 

「………怖イン、デスヨネ」

 

覚醒した眼が、悲しげな表情を浮かべる駆逐水鬼を捉える。

 

「…ッ!ご、ごめ――」

 

「大丈夫デス。別ニ責メタリシテイルワケデハアリマセン。ムシロソレガ当然ノ反応デス。私ハ深海棲艦デ、アナタハ人間ナノデスカラ」

 

黒島は、彼女に自分の心の全てを見透かされているのだと悟った。

駆逐水鬼の言った通り、黒島は恐れていた。彼女達は大丈夫、害はない。そう自分に言い聞かせていたが、それでもやはり、万が一機嫌を損ねてしまったらどうなる…?そんな考えが捨てきれなかった。そんな思いが、黒島と彼女達を見えない壁で隔てていた。

そう、結局黒島もただの人間だったのだ。特別な力がある訳でもなく、堅固な意志を持つ人格者であるわけでもない。偶然こんな境遇に置かれただけの、臆病な一般人だった。

 

「イジワルナ事ヲ言ッテスミマセンデシタ。デモ、一ツダケ…アナタノ本当ノ気持チヲ知ッタウエデ、一ツダケオ願イシタイ事ガアルンデス」

 

それは、今まで彼女達を騙し続けていた自分に対する審判か。ひたすら自分を責め続ける黒島に、駆逐水鬼は口を開く。

 

 

 

「アナタニハイツカ必ズ、選択シナケレバナラナイ時ガキマス。ソノ時ハ、自分ニ嘘ヲツカズ、アナタガ正シイト思ッタ道ヲ進ンデクダサイ。自分ヲ信ジテ、ソノ思イヲ貫キ通シテクダサイ。ソレガ、私カラノオ願イデス。」

 

 

 

―――それは、穏やかで優しい言葉だった。皮肉めいてるわけでも。憐れんでいるわけでもない。彼女からの、黒島に対する心の底からの望み。

 

「割レテシマッタオ皿、片付ケマスネ」

 

駆逐水鬼は床に散らばった皿の破片を集め始める。黒島は動く事も、声をかける事もできなかった。ただ、一つの疑問が頭の中で生まれていた。

『選択』。決断しなければならない、その時に、

 

(俺に…選ぶ資格はあるのか…?)

 

チク、タク、チク、タク。時計の秒針の音がやけに響いた。空気の乾いた砂漠に放り出されたような、未来の見えない漠然とした感覚。それが延々と続いて―――

 

「クロサン」

 

その声に気付くとほぼ同時、口の中に強引に何かが押し込まれた。

それは噛むとザクッと心地いい音を立てて砕け、口の中を優しい甘みで満たす。

 

「ウマイダロ?ナニ落チ込ンデルノカ知ラナイケドサ、コレ食ッテ元気出セヨ」

 

目の前にいる白い少女は、そう言うと快活な笑みを浮かべる。それを見て、彼は思い出した。

―――ああ、そうだった。思えばあの時も、彼女のこの顔がきっかけだった。

 

「サ、クロサンモ、皆デ一緒ニ食オウゼ」

 

「…ああ、今行くよ」

 

黒島亮は改めて決断する。これから何が起きようと、彼女達と共に歩んでいく道を。

 

 

 

 

午後二十一時三十分。二度目の閉店時間を迎え静まり返った店内で、黒島は一人後片付けをしていた。と言っても、大体の片付けはレ級達が手伝ってくれたおかげで終わっている。残っているのは売り上げや在庫の確認などの事務処理くらいだった。

その作業も程なくして終わり、最後に戸締りの確認を行おうとカウンターの席から立ち上がり、窓の方へ向かう。

 

(…そういえばあいつ、こんな所から覗き込んでたんだよな)

 

ある嵐の日の事を思い出しながら、黒島はふと笑みを漏らす。

するとここで、黒島はある事に気付いた。

 

「雨…か…」

 

窓に映る水滴が徐々に多くなり、それ共に雨粒が屋根を叩く音も大きさを増していく。レ級達は大丈夫だろうか。彼女達の姿を思い出しながらそんな事を考える。

そんな時だった。コンコン、と誰かが扉を叩く音がした。

もしかして、レ級達が戻ってきたのか?一種の期待を胸に黒島は扉に向かい、開く。しかしそこにいたのは、上下共に白色のシャツとズボンで身を包んだ全くの別人だった。

 

「……雨に打たれてしまってな。すまないが、少し雨宿りをさせてもらえるか」

 

可憐というよりは美麗が似合う凛々しい顔立ちの女性は、艶やかな黒髪を雨で濡らしながらそう言った。

黒島はすぐに女性を店の中へ招き入れ、タオルを手渡す。シャワーでも浴びるか提案したが、それはすぐに断られた。そこまで世話になるつもりはないとの事だった。

黒島は湯を沸かしてコーヒーを一杯入れる。それを、カウンター席に座る女性の元へ差し出した。

 

「…金ならないぞ」

 

「お代は結構です。飲めば、少しは体も温まると思いますよ」

 

季節は夏に向かっているとはいえ、体を冷やせば風邪もひく。そんな善意からの行いだ。

女性は何も言わずコーヒーを口へ運ぶ。

 

「よかったら、何か軽い物でも作りましょうか?もちろん、お代はいりませんから」

 

「いや、これで十分だ」

 

それを言ったきり女性は口を閉ざす。何かわけありなのだろうか、と黒島も必要以上に詮索はしなかった。

女性がコーヒーを飲み終え、空になったカップがテーブルに置かれた。

 

「…なるほど、中々いい店だ。あいつらが必死に隠し通すわけだ」

 

女性が小さな声でそう呟く。黒島の耳にその声は届いていた。

 

「一つ、聞いていいか」

 

「ええ、どうぞ」

 

この女性が言った『あいつら』とは一体…?それを深く考える間もなく、女性は再び口を開く。

 

 

 

 

「深海の連中にも、同じ物を出していたのか」

 

 

 

 

全身の汗が噴き出し、心臓が警告の鐘を打ち鳴らす。そして同時に、数日前に赤城が言ったあの言葉が浮かび上がってきた。

 

『海軍には、二つの派閥があります。深海棲艦との共存を望む和平派と、深海棲艦の絶滅を望む殲滅派』

 

二つの派閥は対立しあっている。聞けば、何度か鎮守府同士の抗争が起こった事もあるそうだ。

 

『そして私達の提督、雨宮結弦提督は、帝国海軍最高権力者にして―――』

 

 

―――――徹底的な、深海棲艦殲滅派の人間です。

 

 

 

「さあ、全てを吐き出してもらおうか。黒島亮――世界の反逆者よ」

 




次回、第九話 選択


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選択

店の中に反響する雨の音、時折窓を揺らす風の音。そのどれもが彼の耳には届いていない。額を流れる脂汗、馬鹿みたいに大きな音を鳴らす心臓。そのどれもがただ不快で仕方ない。

処刑台で銃を向けられた囚人はこんな気分なのだろうか。

 

「どうした、何を狼狽えている。まさか、自分の行いが気付かれていないとでも思っていたか」

 

鼓動が出す爆音の間をするりと抜け、目の前に佇む女性—―雨宮の言葉が頭に入り込んでくる。

雨宮結弦。帝国海軍最高権力者にして、最強の提督。最強と言っても本人の物理的な強さの事ではない。彼女の強さはその指揮能力にあった。敵艦隊の行動、編成、出現パターン、全てを予測し殲滅する。

過去に失敗した作戦は皆無。いつしか彼女の艦隊は『無敗の艦隊』と呼ばれ、数多く存在する鎮守府や敵である深海棲艦の間にも知れ渡っていた。

 

「…答えない所を見ると図星か。残念だったな、お前のこれまで行動は全て把握済みだ。こんな所に店を構えながら、よくもまあ深海棲艦を連れ込むなど大それた事ができた物だな。ある意味称賛に値するぞ」

 

明らかに皮肉を込めた口調。黒島は口を閉ざしたまま彼女と向かい合っていた。予測不能な事態、だが、こんな状況に陥ったのは初めてではない。この一ヶ月の間いくらでもあった。黒島は焦らず、ゆっくりと思考回路を整えてく。

 

「…いつまでも黙りこくっていないで、何か言ったらどうだ。こんな事をしてたのも、お前なりに理由があっての事だろう。コーヒーの礼だ、話くらいは聞いてやる」

 

雨宮はそう言うとイスの背もたれに体を預ける。

唐突に訪れた最悪の事態。だが、これは同時にチャンスでもある。レ級達が無害である事を彼女に分かってもらえば、望んでいた人と深海棲艦が共存する世界が現実になるかもしれない。

心臓の音は治まった。すでに覚悟は決まっている。黒島は自分の思いを胸に、口を開いた。

 

「…そりゃあ最初は怖かったですよ。海軍が何年も戦ってる『人類の天敵』が、いきなり目の前に現れたんですから」

 

レ級と会ったあの日。初めて見たレ級は、黒島にとって恐怖の象徴でしかなかった。数多の視線を潜り抜けてきた海兵達にさえ恐れられる『怪物』。殺されると思ったし、殺される覚悟もした。

 

「でもね、そいつは俺の想像していた化け物とは、全然違っていました。戦う意志なんてなく、ただ底なしに明るくて、大食らいで、ちょっぴり抜けてるところもあって…。俺には、どこにでもいる普通の女の子にしか見えませんでした」

 

頭の中に、テーブルを囲んで楽しそうに談笑する彼女達の姿が浮かび上がる。

 

「それからいろんな子達と出会いましたが、皆一緒でした。人類の敵だなんて言われている彼女達も俺達と同じように、同じテーブルを囲んで、一緒に笑い合う事ができるんです!俺は、それをここで知る事ができました。そして知ったからには、俺にはそれを伝える義務がある…!」

 

黒島は、真っすぐな瞳で雨宮を見つめた。

 

 

「人と深海棲艦は共存できる!それが、俺が彼女達と過ごした時間の末に出した答えです」

 

 

静けさを取り戻した店内に、再び雨の音が響き始める。黒島は雨宮の回答をじっと待っていた。伝えるべき事は伝えた。彼女もきっとこの気持ちを理解してくれるはずだ。黒島はそう確信していた。

そして、その思いに彼女は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――馬鹿か貴様は」

 

 

侮蔑を込めた瞳で、一蹴した。

 

「ようやく口を開いたかと思えば、何だ今の話は。人と深海棲艦の共存だと?くだらない妄言も程々にしておけ」

 

「く、くだらなくなんかない!本当に彼女達は――」

 

「戦う意志は無い、か?笑わせるな。奴らにそんな意志があるのなら、そもそも戦争など起こってはいない」

 

雨宮は否応なしに黒島の言葉を切り捨てる。

 

「仮に貴様の言葉を鵜呑みにして、この戦いを和解という形で終止符を打ったとしよう。それから何が起こると思う。深海棲艦に居場所や家族を奪われた者達が、こんな終結に納得すると思うか?ありえないな。一度芽生えた憎悪は相手を焼き尽くすまで絶える事は無い。憎悪は殺意となり、再び戦いを巻き起こす。そしてその殺意は深海棲艦だけでなく貴様や貴様と同類の人間にまで牙を向ける。最後には人間同士の殺し合い、最悪の結末だ。そうなった時に、貴様は一体どうする。血みどろになった世界で、同じ世迷言を唱えられるか?」

 

雨宮の言葉はただの仮説に過ぎない。しかしそうとは分かっていても、その言葉はあまりに現実味を帯び過ぎていた。黒島も、こうなる未来を予測できなかったわけではない。だが、理想を追い求めるが故に、その影に潜む闇から目を逸らしてしまっていた。そして今まさに、それがとうとう刃となって、黒島に突き付けられた。

 

「……でもそれは、あくまで仮説の一つでしょう。そうならない可能性だって、ゼロではないはずだ。だったら…」

 

「貴様はこれを博打か何かと勘違いしていないか?結果がよければ全ていいという訳ではないのだ。それくらい分かるだろう」

 

思いは絶えず溢れ出るものの、それを表す言葉が思い浮かばなかった。

 

「…本当に聞いた通りの人間だな。他人の言動、感情に影響されてすぐに決意が揺らぐ。自分の意志など無く、ただ周りに合わせて身の安全を確保しようとしている。結局貴様は、自分の事しか考えられない身勝手な人間だ。―――はっきり言ってやろうか」

 

そして、とどめを刺すように、

 

「貴様のような人間には、そんな幻想を語る資格すらない」

 

雨宮の言葉が、黒島の心を貫いた。

 

無力な自分に嫌気がさす。肝心な時に限って動かない体が心底恨めしい。やりようのない感情を堪えるように、拳を握り込む。

部屋の中に、雨の音だけが響く。そしてその静寂を破るように、ベルの音が鳴った。

店の入り口に立つ人物を見て、黒島は驚愕に目を見開いた。

 

黒いレインコートを着た白い少女、レ級がいた。

 

よりにもよってこんな最悪のタイミングで…!心の中で悪態をつきながらも、黒島はレ級の元へ駆け出していた。

こうなったら仕方ない。何としても、彼女だけは逃がす。そんな思いで手を伸ばす。そしてレ級は――

 

その手を掴む事無く、その場に崩れ落ちた。

 

 

 

「…………え?」

 

ゆっくりと、倒れたレ級に視線を向ける。次の瞬間、首を絞められたかのような感覚が襲った。

彼女の体は、真っ赤に濡れていた。

 

「レ……級…?」

 

震える声で、彼女の名を呼ぶ。その言葉に、答えは返ってこない。

 

「まだ生きてるよ」

 

レ級の代わりに答える者がいた。その声の主を、視界に捉える。

 

「川内ちゃん…?」

 

そこには、見慣れた忍者のような服装の上に艤装を装着した川内の姿があった。

 

「やっぱり艤装がないと大した事ないね、砲撃一発でこの様だよ。せっかく久しぶりにまともな夜戦ができると思ったのに、残念だなー」

 

つまらなそうに口を尖らして、川内はそう言った。

 

「何で…」

 

「何でって…おかしな事聞くんだね。深海棲艦を殺すのが、私達艦娘の仕事。マスターも知ってるでしょ?」

 

川内がレ級の髪を掴み持ち上げると、赤く染まったレ級の顔が目に入った。頬を伝った血が床に落ちて、滲む。

 

「川内、下がっていろ。後は私が請け負う」

 

雨宮はそう言ってイスから立ちあがると、呆然と立ち尽くす黒島の元へと向かう。

 

「深海棲艦に手を貸した者の処罰は決まっている。極刑だ。だが、貴様は本来私にとって守るべき対象だ。余り酷な事はしたくない。そこでだ、貴様に最後のチャンスを与えてやる」

 

ゴトン、と重い音を立ててテーブルの上に何かが置かれる。ぐらつく視界に、黒色の鉄の塊が入った。実物は見た事がなかったが、それが何かはすぐに分かった。拳銃だ。

 

 

「これでそいつを殺せ。そうすれば、貴様のこれまでの行動には目を瞑ってやる」

 

 

―――――彼女が言っていた事は正しい。

 

「弾は込めてある。後は引き金を引くだけだ」

 

確かに自分は幻想を語る資格もない人間だ。周りに同調し、妥協する道を進んできた。

だが、それでも―――

 

『サ、クロサンモ、皆デ一緒ニ食オウゼ』

 

例え誰が何と言おうと、レ級達と共に過ごしてきたこれまでの時間は、彼女達の笑顔は、紛れもない本物だった。そして今、その笑顔を守れるのは自分しかいない。ならば――

 

(俺の、するべき事は―――)

 

 

 

 

「…………アーア」

 

――――その時、聞こえるはずの無い声が聞こえた。そして、

 

「モウ、イイヤ」

 

巨大な白い鞭が、川内の華奢な体を薙ぎ払った。

唐突な出来事に反応する事もできず、川内は壁に激突し、沈黙した。

枷が無くなり、自由になったレ級がゆっくりと立ち上がる。

 

 

その身に獰猛な笑みと、赤い灯火を宿して。

 

 

――――何が起きた?

それを考える時間もなかった。視界の端から白尾が迫り、傍にあったテーブルごと黒島を弾き飛ばす。全身を襲う鈍い衝撃。170センチ以上ある黒島の体が宙を舞い、カウンターテーブルに叩き付けられる。

 

「―――ぐッああああああぁぁァァッッ‼‼」

 

直後に右腕に激痛が走った。折れてはいない。だが骨が軋むような感覚に思わず声が上がる。

悶絶する黒島を一瞥すると、レ級は最後の標的――雨宮を視界に捉える。

レ級は赤い軌道を描きながら雨宮に向かって肉薄し、拳を振り被る。

だがその行動は、突如向けられた殺意によって停止させられた。川内だ。

向かってくる川内を叩き潰そうとレ級が尾を振るう。しかし、川内には当たらない。流水のような滑らか動きでそれを躱しながらレ級に近付き、鳩尾に強烈な一撃を叩き込む。

 

「ゴァッッ…‼」

 

嘔吐くレ級に、川内は容赦なく踵落としを喰らわせる。

艦娘、深海棲艦を問わず、艤装を纏っている者とそうでない者では身体能力に明確な差が出る。決着は、瞬く間に訪れた。

 

 

 

「……アト、チョットダッタ…」

 

床に組み伏せられたレ級が声を漏らす。そして、

 

「アトチョットデ…オ前ラヲ全員ブッ殺ス事ガデキタノニ‼」

 

憎悪に帯びた声が、店の中に響き渡った。

 

「オ前ラハイツモソウダ!肝心ナ時ニイツモ邪魔バッカリシヤガッテ…!」

 

―――耳を塞ぎたい気分だった。

 

「セッカクアノ府抜ケタ姫共ヲ出シ抜イテ、馬鹿ナ人間ニ媚ビテマデ立テタ計画ガ全テ水ノ泡ダ!…コノ忌々シイガラクタ共ガァ!」

 

だが、痛む腕ではそれすら叶わない。自身の思いとは裏腹に、レ級の言葉が頭の中に響き渡る。

 

「コレデ終ワルト思ウナヨ…オ前ラヲ水底ニ引キ摺リ落トスマデ、私ハ何度デモ蘇ル。精々深海ノ恐怖ニ怯エルガイイ!」

 

―――あの嵐の日から一ヶ月。喧騒に満ちた日々の思い出が、浮かんでは消えていく。喋るのが苦手な港湾棲姫。お転婆だが優しい心を持つ北方棲姫。深海からの客に慣れず、いつもどこか落ち着かない様子だった加賀。見栄っ張りだが小心者の防空棲姫。大食いなのが玉に瑕だが、それでもいざという時は頼りがいのあった赤城。そして――

 

思い出の中と、現実でのレ級の姿が重なる。

そして、黒島亮は答えを導き出す。

 

痛みに悲鳴を上げる体に鞭を打って立ち上がり、おぼつかない足取りで歩きだす。静観する雨宮の前を通り過ぎ、レ級の前に立った。

足下には丁度拳銃が転がっていた。まだ無事な左腕でそれを拾い上げると、引き金に指をかけ、狙いを定める。

もう迷いなど、どこにもなかった。

 

八月十四日、午後十時。勢いを増した雨音が、銃声を掻き消した。

 




次回 最終話 境界を越えて


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境界を越えて

澄み切った空がどこまでも続いていた。

遥か彼方の水平線で海と一つになり、溶け合う。ここの景色はこんなに綺麗だっただろうか。心地いい風が吹く海岸線の防波堤で、ふとそんな思いにふける。

 

『――――』

 

声をかけられ、振り返る。

そこにいたのは――――

 

 

 

 

カラン、と軽い音を立てて、薬莢が床に転がる。

銃口から白い煙が立ち昇り、辺りに硝煙の香りを漂わせた。

 

「レ級」

 

銃を下ろし、眼前に倒れ伏す血塗れの少女――レ級に声をかける。

レ級は何も答えなかった。彼女はただ、今自身の前で起こった出来事に、呆然と目を見開いていた。

 

「…ありがとな」

 

黒島の放った弾丸は、何もない天井に、ぽつりと小さな穴を空けた。

 

「……何のつもりだ」

 

雨宮が口を開く。表情から見て取れるのは苛立ち。刃のような鋭い眼光が、黒島を射抜く。それに対して黒島は――

 

「これが分からないのなら、アナタは軍人失格だ」

 

ゴトッ、と鈍い音を立てて拳銃が雨宮の足もとに投げ捨てた。

 

「…まさか、また妄言を語るつもりじゃあるまいな。今自分がこいつに何をされたか、分からなかったわけじゃないだろう」

 

「もちろん分かってますよ。でももう、決めたんです。何が起ころうと、こいつと――彼女達と歩いて行こうって」

 

黒島は口元に小さな笑みを浮かべながら、言葉を続ける。

 

「雨宮さん。アナタの言っている事はもっともです。でも一つ、アナタには欠けている物がある。それは―――人間性だ」

 

黒島の言葉に、雨宮の眉がピクリと動く。

 

「人間性だと?なぜそんな物を深海棲艦に振舞う必要がある。こいつらはただの害悪でしかない。害悪でしかない存在に、人間性など必要ない」

 

雨宮がそう言うのももっともだ。彼女は鎮守府の長として、一人の軍人として戦場に身を投じ、様々な光景を見てきた。深海棲艦の恐ろしさは彼女自身が一番よく知っている。

だが、

 

「それはあくまでアナタの中で価値観でしょう。俺にとっては違う。例えどれだけ否定されようとも、彼女達が俺にとって大切な存在だという事は変わらない」

 

「だからどうしたと言うのだ。その狂った妄想の果てに何を思う。それほどまでに奴らに肩入れして、貴様は何がしたいのだ」

 

「………俺には夢があります」

 

それは、つい最近できたばかりの夢だった。この一ヶ月、彼女達と過ごした時間の末に生まれた、夢。

 

「海の見えるこの場所で、皆が心の底から安らげる憩いの場を作りたいんです。普段の嫌な事は忘れて、人も、艦娘も、深海棲艦も関係なく、楽しく会話に花を咲かせられるような、そんな風景をこの場所に描きたいんです」

 

「いきなり何を言い出すかと思えば…同じ事を何度も言わせるな。言ったはずだ、そんな結末などありえないと。この海に平和をもたらす為には――」

 

「深海棲艦を根絶するしかない、ですか?」

 

黒島の言葉に、雨宮は押し黙る。

 

「それじゃあアナタは、ただの圧制者と何も変わりないじゃないですか…!自分の理を押し通し、本当は害の無い存在を悪と決めつけ、あまつさえそれを力で解決しようとする。…教えて下さい、雨宮さん。アナタは戦争を終わらせる為に戦っているのか。それとも、戦争をする為に戦っているのか」

 

「…戦争という言葉を知っているだけの人間が、でかい口を叩くんじゃない。戦場での奴らの姿を見た事があるか?強大な力を振りかざし、理不尽に命を奪っていくその様を。私はそこで潰えた者達の意志を背負ってここにいるのだ。だからこそ、私は深海棲艦共を殲滅しなくてはならんのだ。それに何より、和解などという府抜けた終結では、死んだ者達が報われん…!」

 

「死んだ人間が何を望むかなんて誰が分かるんですか。…結局アナタも俺と同じだ。怖いだけなんだ。自分の知らない世界に踏み出すのが、自分の知らない世界を知る事が。だからそうやって、他人の言葉を頑なに拒む。そうでないとアナタは、自分が保てなくなるから…」

 

「戯言を言うのもいい加減にしろこの狂信者が‼」

 

雨宮の怒声が、喫茶店の中に響く。

 

「貴様の発言は我々海軍への、平和な海を取り戻す為に戦う者への侮辱だ!幻想を描くだけの人間が、軍人の心理を語るんじゃない!」

 

「ならば人間としてのアナタに問おう!アナタは、死んだ人間の亡霊に憑り付かれ、殺戮という名の正義でしか道を切り開けない愚か者か!それとも、知らない世界に踏み出せず、自分の殻に閉じ籠っているだけの臆病者か!少なくとも俺には、アナタはただの臆病者にしか見えない!」

 

 

秒針が止まる音と共に、静寂が辺りを包み込む。

その中で、直径九ミリの銃口が黒島の頭を覗き込んでいた。

 

 

「……最後にもう一度だけ聞く。貴様の望んだ世界がどんな結末になろうと、貴様は同じ言葉を唱え続けられるか」

 

「…結末も何も関係ありません。何があろうと俺は自分の道を突き進む。それが、彼女達との約束ですから」

 

真っすぐな瞳で、雨宮の目を見つめた。もう、どんな言葉にも屈しない。どんな恐怖にも屈しない。それが自分自身の意志だから。そうすると彼女達に誓ったから。

もう目は、逸らさない。

 

 

「………今の言葉…忘れるなよ」

 

 

重々しい口調で、雨宮がそう言葉を放った。そして―――

 

 

 

「黒島亮。貴殿を、日本海軍特務外交官に任ずる」

 

 

 

「…………へ?」

 

あまりに突拍子もない言葉に、思わず間の抜けた声が出た。

 

「任務はその名の通り、深海棲艦と民間人の交流を深める為の活動を行ってもらう。やり方はお前の好きなようにして構わん。月に一度活動内容を報告書に纏めて提出しろ」

 

「え、えと…?」

 

「また今後の経費については全て海軍が補う。必要に応じて申請するがいい。その他の詳細は追って連絡する。川内、こいつらの手当てをしてやれ」

 

「はいは~い」

 

川内は軽い返事をすると、どこからともなく緑色のバケツを取り出し、中に入っていた液体をレ級に向かってぶちまける。

すると不思議な淡い光がレ級を包み、体に着いた血や傷を跡形もなく消していった。

 

「エ……アレ?」

 

「よかった~、深海棲艦にもちゃんと高速修復材効いたよ~。はい、じゃあ次マスターの番ね。さすがに人間に修復材は効かないから、普通の応急処置で我慢してね」

 

「え、いや、ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

ようやく落ち着きを取り戻し始めた思考が声を上げさせる。

 

「安心しろ。確かにこいつは夜戦しか脳に無いバカだが、それでも一般的な治療の知識くらいはある」

 

「いやそういう事じゃなくて!これは一体どういう…」

 

黒島だけでなくレ級も状況を把握できていないようで、驚きと戸惑いが混ざった表情で頭を右往左往させている。

 

「どうもこうもない、私はお前の本質を見たかっただけだ。まあ案の定、どこまでも救いようのない大馬鹿者だったがな…」

 

くしゃりと髪を掻き上げて、雨宮はそう言った。

 

「だが皮肉な事に、新たな歴史を築くのはいつもお前のような馬鹿な者達だ。周りに否定されながらも、叶いもしないはずの幻想を追いかけ続け、そして最後には成し遂げてしまう。…臆病者の私には到底できない所業だ」

 

雨宮の予想外の発言に困惑しながらも、黒島はそれを聞き入れる。

要は試されていたのだ。これからの時代を作り上げていくのに相応しい人物かどうかを。口先ばかりが優れていても、それは務まらない。だからこそ極限まで追い込む事で、黒島亮という人物の本質を見極めようとしたのだ。

しかし一つ、黒島には腑に落ちない事があった。

 

「…でも、俺を試したって事は、アナタの心は最初から決まってたって事ですよね。なら…」

 

そう。自分の意志を問わず、初めから結果が決まっていたのなら、わざわざそこに自分とレ級を巻き込む理由がない。初めから結果が決まっていたのなら、レ級が傷つく必要もなかった。ならば、なぜ―――

 

「私はこの手で多くの者を殺した。深海棲艦も、艦娘も、人も。そんな者が今更平和を語ったところで、誰が耳を傾ける。だからお前なんだ。人、艦娘、深海棲艦。その境界を越えようとしたお前の言葉だからこそ、人々は耳を傾ける。それが、お前を試した理由だ」

 

どこか悲しげな瞳で雨宮はそう語った。平和をもたらす力はあっても、人々を平和に導く権限はない。彼女が言いたいのはそういう事なのだろう。

 

「黒島亮。例えどれだけの歳月を重ねようと、どれだけの困難が降りかかろうと、必ずその夢を実現させろ。その為なら我々も協力は惜しまん。そうだな。まず手始めに、この戦争でも終わらせてやろうか」

 

扉の外から誰かの叫び声が聞こえてくる。とても聞き覚えのある声だった。

 

「丁度医療班と、お前のお仲間が到着したようだ。しっかりその傷を見てもらえ。サーモンの狂犬、お前もだ。傷は修復材で完治しているだろうが、疲労は別だからな」

 

不意に声をかけられ、レ級がビクッと体を震わせる。その姿を横目に、雨宮は扉に向かう。

 

「ああ、そうだ。――コーヒー、うまかった。また来させてもらう」

 

思い出したようにそう言うと、雨宮は川内を連れて扉の向こうへ去って行った。

緊張から解放されたせいか、体から力が抜け、黒島はその場に座り込む。レ級と二人、数分か数秒か、静かな時間が流れる。

 

「……クロサン」

 

おもむろに、レ級が口を開いた。

 

「何だ」

 

「何デ、私ヲ撃タナカッタノダヨ。クロサンニ、アンナニヒドイ事シタノニ…」

 

俯きながら、消えてしまいそうな声でレ級はそう言った。いつも鬱陶しいほど賑やかな姿が、今日はやけに小さく映っていた。それを見て、思わず笑みを漏らしてしまった。

 

「ナ、何デワラッテンノサ」

 

「いや、別に。ただ、そうだな……お前は嘘が下手くそだ」

 

レ級が俯いていた顔を上げる。頬は紅潮し、目尻には涙が溜まっていた。その小さな体を、黒島は優しく抱き寄せる。

 

「ありがとう。お前のおかげで、俺は折れなくて済んだ。本当に、ありがとう」

 

「クロサン……私ノ方コソ…アリガトウ……‼」

 

扉が開かれ、いくつかの人影が駆け込んでくる。

それが誰か認識する前に、黒島の意識はまどろみの中に落ちていった。

外の雨は、いつの間にか止んでいた。

 

 

 

 

次の日。雨宮の言葉通り、人類と深海棲艦の戦いは終わりを迎えた。それも、どちらかの敗北ではなく、和解と言う結末で。

突然の出来事に誰もが驚きを隠せなかった。だがテレビや新聞を通して情報が周知されていくと、徐々にその騒ぎは治まって行った。

当然、政府や一部の人間はこの結末に納得がいかず、抗議する者、果ては武力行使をしようとする者も現れていた。だが、それらの思いは雨宮のこの言葉によって断たれた。

 

『戦争がしたいのか?ならば相手になってやる。今の内に悔いのないよう、残りの人生を謳歌しておけ』

 

その一方で、この結果に賛同を表す者も多くいた。何でも、深海棲艦に仕事の手伝いをしてもらったとか、遭難していたところを助けてもらったとか、そんな出来事がここ数ヶ月の間にいくつもあったらしい。深海棲艦との共存を望むのは、黒島だけではなかったのだ。

 

 

 

 

 

――――――それから一ヶ月半後。波の音が響く防波堤にて。

 

 

 

 

 

「――クロサン?」

 

声をかけられて振り返ると、レ級が不思議そうな顔でこちらを見上げていた。

 

「? ドウシタノ?ボーットシチャッテ」

 

「いや、別に。ちょっと考え事してた」

 

「フーン。マ、イイヤ。ソレヨリ、早ク行コ?」

 

ああ、とレ級の言葉に答えると、黒島は前を向いて歩き始める。

 

「他の皆はどうしてるって?」

 

「待チ合ワセノ場所ニモウイルッテ。ア、ホラ。見エタ」

 

レ級が「オーイ!」と手を振ると、彼女達もそれに答えて手を振る。赤城、加賀、防空棲姫、港湾棲姫、北方棲姫。見慣れた五人の少女達が、街灯の下に集まっていた。

 

「お疲れ様です。就任式、無事終わりましたか?」

 

いつもの弓道着を着た赤城が一番に声をかけてきた。

 

「おかげさまで、何事もなく終わりましたよ」

 

「デモアノピリピリシタ雰囲気ハ嫌ダッタナー。緊張デオ腹痛クナリソウダッタヨ」

 

「レ級チャンオ腹痛イノ?」

 

「ウンニャー、大丈夫ダヨー」

 

そう言いながらレ級は北方棲姫の頭をワシワシと撫でまわす。微笑ましい光景に、自然と笑みが零れる。

 

「クロサン。オ店ノ、掃除、全部、ヤッテオイタ。スグニデモ、オ店、始メラレル」

 

「私モチャント手伝ッタノヨ。デモソノオカゲデ服ハ汚レルシ体ハ痛クナルシ、散々ダッタワァ。クロサン。オ礼、期待シテルカラネ」

 

了解です、と黒島は海軍式の敬礼でそれに答える。

 

「何はともあれ、就任おめでとうございます、マスター。…いや、これからは黒島特務官とお呼びした方がいいのかしら……」

 

「もー。真面目ですね、加賀さんは。いつも通り、マスターでいいじゃないですか」

 

「いやしかしそういう訳には…」

 

「いつも通りで構いませんよ。一応軍の所属になったとはいえ、やる事は変わりませんから」

 

黒島も今日から本格的に特務官としての仕事が始まる。だが、先程黒島自身が言ったように、やる事は変わらない。コーヒーを淹れ、料理を作り、そして、少しでも多くの人に、彼女達深海棲艦の事を知ってもらう。海の恐怖の象徴などではなく、一緒に食事をして、笑い合える、彼女達の事を。

 

 

 

「―――よし、それじゃあ行こうか」

 

 

 

―――ここに一人、これまでに無い偉業を成し遂げた男がいた。

 

「コラ、ホッポ。アンマリ走リ回ルト危ナイワヨ」

 

「ハーイ、気ヲ付ケル!」

 

「港湾棲姫。あの時のクッキー、まだあるのかしら」

 

「ウン、アルヨ。後デ、食ベル?」

 

だが、彼の名が歴史に残る事は無い。

 

「いい天気ですねー、潮風が気持ちいいです」

 

「ソウダナー。ア、クロサン!」

 

「ん、どうした?」

 

だが、彼の名前は、

 

 

 

「オ腹空イチャッタ…」

 

 

 

「……分かった。店に着いたら何か作ろう。二度目の開店祝いだ、何でも言ってくれ」

 

彼の成した事は、限られた者達の間で、確かに語り継がれていく。

 

「開店祝いですか、いいですねぇ。一ヶ月ぶりのマスターの料理、楽しみです!」

 

「アンタラ二人ハホントニ自重シナサイヨ!私達ノ分マデスグニ食ベチャウンダカラ…!」

 

「クロサン、私ピザガイイ!」

 

「では私はサンドイッチをお願いしようかしら」

 

「私ハ、スパゲッティデ。モチロン、オ手伝イ、スル」

 

「私ハモチロンカレーダナ!特盛デ頼ムヨ!」

 

「分かってるって。――――よし、それじゃあ開店だ」

 

 

人と深海棲艦。その境界を越えた、この世界で。

 

 

 

 

 

 

 

 

晴天の空の下。平和の鐘が、今日も鳴る。

 




ご愛読ありがとうございました。
今後の展開は後日活動報告にてお知らせします。


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境界を越えて~after episode~
訪れた日常


かつて、人と深海棲艦の境界を越えようとした男がいた。

ある深海棲艦との出会いをきっかけに、幾多の困難に直面しながらも、彼はその夢を実現させた。

これから描くのは、その夢が叶った後の世界。人と深海棲艦の境界を越えた世界での、彼らの日常の物語。

季節は秋。喫茶店『Pace』、本日も営業開始である。

 

 

 

 

時刻は正午。一時の安らぎを求めて、今日も人が集まるのだが―――

 

「レ級、三番テーブル空いたから片してきて!終わったらすぐ次の人呼んで案内して!」

 

「アイヨ!」

 

「クロサン、定食ノ唐揚ゲ、揚ガッタ。盛リ付ケ、オ願イ」

 

「分かりました。――――よし、防空棲姫ちゃん、これ五番テーブルにお願い!」

 

「分カッタワ、五番五番……コッチネ!」

 

「ご注文繰り返させて頂きます。日替わり定食が一点、オムライスが一点、食後にコーヒーのアメリカンとミルクティーが一点ずつでございますね。しばらくお待ち下さい。――マスター、オーダー入りました」

 

「見せて下さい、―――オーケー、すみませんが加賀さんも厨房をお願いします。今の注文の下準備と、二番さんのサンドイッチを」

 

「了解です」

 

営業再開から一週間経ったこの日も、店は多くの客で溢れていた。いや、溢れすぎていた。それはもう猫の手も借りたい程に。

きっかけは終戦直後に海軍が行った記者会見。そこで『Pace』が深海棲艦と交流が行える施設として公表された。そしてその翌朝、黒島が目にしたのは、店の前で開店はまだかまだかと待ち構える大勢の人々の姿だった。訪れた者達に話を聞いてみると、「本当に害が無いか自分の目で確かめたい」という者もいれば「深海棲艦のミステリアスな雰囲気に惹かれた」という者など三者三様の意見が。中には、

 

「いやぁ、今日も防空棲姫ちゃん可愛いなぁ」

 

「まったく、駆逐艦は最高だぜ‼」

 

「あの艶めかしい脚で自分を踏み台にして欲しいでござる」

 

「サッキカラ何変ナ事言ッテンノヨ!イタイメニアイタイワケ⁉」

 

「「「是非お願いします‼‼‼」」」

 

「クロサンコイツラモウ嫌‼」

 

最早多くは語るまい。

 

「それにしても本当にお客さん多いですね~。でも、忙しいのはいい事です。あ、マスター。ナポリタンを追加でお願いします」

 

目まぐるしく動き回る黒島達を横目に、赤城はカウンターの席で目の前に並んだご馳走をゆったりと堪能していた。

 

「ありがとうございます赤城さん。忙しいと思ってくれてるなら、手伝って頂けると尚ありがたいのですが」

 

「残念ですが私は今日一人のお客として来ている身。二時間並んでようやく手に入れたこの席、空け渡すなんて事はそうそうできませんよ」

 

「…そうですか、分かりました。もし手伝ってくれてたら今日の賄い、赤城さんの好物のハンバーグにしようと思ってたんですけど――」

 

「さて、食事も一段落ついた所で私もお手伝いしましょうか。おや?どうやらお会計が混んでいるご様子。私行ってきますね」

 

残った料理を瞬時に平らげると、赤城はそそくさとレジの方へと向かっていった。「現金な人だな」と黒島が呟くと加賀が「マスターもよく知っているでしょ」と笑い返す。全くその通りである。

 

「クロサン!今日ノゴ飯ハンバーグッテホント⁉」

 

そう声を上げたのはもう一人の食いしん坊、レ級だ。

 

「ああ、そうだ。だからお前も、もうひと頑張り頼むぞ」

 

「ヨッシャアー!任セロ!」

 

満面の笑みを浮かべながらレ級が店内を駆け巡る。その姿を見たお客さんも、皆つられるように笑みを漏らす。

 

「クロサーン、マタオーダー入ッタワヨー」

 

「分かった。…じゃあ、俺も頑張るか!」

 

今一度気を引き締めなおし、黒島は自分の戦場に身を投じていった。

 

 

 

 

「アリガトウゴザイマシター」

 

時間は過ぎ午後八時。鐘の音と共に本日最後の客が出て行く。長かった業務もようやく終わりを迎えた。

 

「終ワッッタ~、今日モ疲レタワァ…」

 

防空棲姫が机に頭を垂れながら呟く。

 

「やはり人員が圧倒的に足りないわね。戻ったら、鎮守府からの応援をもっと増やすよう申請するわ」

 

「ソウシテ、クレルト、助カル」

 

「私も途中参加でしたけど、それでもどっとと疲れました…。マスター、よくこんなの一人で捌いてましたね」

 

「まぁ慣れですかね。俺も初めの頃は四苦八苦してましたし」

 

防空棲姫だけでなく、他の面々の顔にも疲労が色濃く見えていた。その中でも特に重症なのが、

 

「…」

 

「クロサーン、レ級ガ息シテナイワヨー」

 

そう、レ級である。何せ余りの忙しさに昼食もまともにとる暇もなかったのだ。一応軽い間食を挟みはしていた物の、やはり量が足りなかったようである。今も腹の虫が鳴く音が絶え間なく聞こえてくる。

 

「悪いけどもう少しだけ待ってくれ。ちゃんと働いた分、しっかり食べさせてやるから」

 

と、ここで入口の鐘の音が鳴り響く。目を向けた先には白いワンピースを着た少女、北方棲姫の姿があった。

 

「クロサン、オネーチャン、オ仕事オ疲レ様!」

 

「ああ、ありがとう」

 

「オ帰リ、ホッポ。学校、楽シカッタ?」

 

「ウン!」

 

北方棲姫は普段、この店から歩いてニ十分ほどの所にある小学校に通っている。彼女の明るく素直な性格のおかげか、学校生活はうまくいっているようだ。学校が終わった後は仲のいい艦娘達と共に鎮守府で過ごし、港湾棲姫の仕事が終わるまで時間をつぶしているのだ。

 

「アー、ホッポ。オ帰リー」

 

「防空チャン、赤城オネーチャンモ加賀オネーチャンモオ疲レ様!」

 

北方棲姫の労いのおかげで、沈みがちだった空気に綻びが生まれる。子供はいつだって大人に活力を与えてくれる。

 

「アレ、レ級チャンドウシタノ?」

 

「お腹が空きすぎて動けなくなっちゃったみたいなんです。今ならイタズラしてもばれませんよ」

 

「赤城さん、子供に悪知恵を吹き込むのはやめてちょうだい」

 

「別ニイインジャナイ、チョットクライ。私知ッテルワヨ。コウイウ時オデコニ『肉』ッテ書クンデショ?」

 

「ちなみに油性で書くのがポイントね。水性だとすぐ落ちちゃって面白みがないからね~」

 

「ナルホドネ、分カッタ――――ワッ⁉」

 

突然声を上げた防空棲姫。その視線の先には、まるで最初からこの場に居たかのようにくつろいでいる川内の姿があった。

 

「ナ、ナナ何デココニイルノヨ!何シニ来タワケ⁉」

 

「何って、その子送ってきただけだよ。そんでもって、ついでに私もご飯ご馳走になろうかと。丁度お腹も減ってるし」

 

「ソ、ソソ、ソンナ事言ッテマタ何カ企ンデルジャナイデショウネ。ヤレルモンナラヤッテミナサイヨ!返リ討チニシテアゲルワ!」

 

混乱状態に陥っている防空棲姫を見ながら川内は「あちゃー、嫌われちゃったなー」と頬を掻く。

 

「防空チャン、モウ外暗イカラ大キナ声出シチャダメ!ソレニ、オ店ノ中デ暴レルノモヨクナイ!」

 

「そうだそうだーその通りだぞー」

 

「調子ニ乗ッテ…!アンタ達モ何カ言ッテヤンナサイヨ!」

 

「ほっぽちゃんの言う通りだと思いますよ?」

 

「赤城さんに同意」

 

「ゴ飯ハ、イッパイ、アルカラ」

 

「何コノ四面楚歌⁉私ノ味方ハイナイノ⁉ネェクロサン、クロサンハ私ノ味方ヨネ⁉」

 

「(^_^)」

 

「ドッチ⁉」

 

半ば定着しつつあるこの防空棲姫いじり。平和が訪れたこの世界だからこそ見れる風景である。―――と、そうこうしている間に。

 

「みんなお待たせ、できあがったよ」

 

黒島のその一言で全員が自分の席に向き直る。子供のように純朴に、目を輝かせて。

 

「本日の賄い、ハンバーグ定食になります。鉄板熱いんで気を付けてくださいね」

 

目の前に置かれたのはまさに肉塊。一度フォークを入れてみれば、中から濃厚な香りを放つ肉汁が溢れ出てきた。

食欲を直に刺激するこの匂い。これはもう、待てない。

欲望のままに、彼女達はハンバーグを口の中に放り込む。

 

「~~~~~~ッ♪」

 

噛む度に、凝縮された肉の旨みが口の中一杯に広がる。空になっていた腹が、心が、幸福感満たされていく。

 

「おいしっ!さっすがマスター、一ヶ月経っても料理の腕は衰えてないね!」

 

「ありがとう、そう言ってもらえると安心できるよ。でも作ったのは俺だけじゃないんだぜ」

 

そう言って黒島は北方棲姫の隣に座る港湾棲姫を指す。

 

「私ハ、オ手伝イ、シテル、ダケ。クロサンニハ、全然、及バナイ」

 

「そんな事ありませんよ。俺なんかよりずっと飲み込み早いですし。もっと自信もって下さい」

 

「クロサンモオネーチャンモ、ドッチモ料理美味シイ!」

 

「ソウ…カナ…。アリガトウ」

 

周りからの声に港湾棲姫は照れくさそうに頬を赤く染める。川内としては、彼女のあの大きな手でどうやって料理をしているのか気になる所なのだが、今日はその疑問は胸の内にしまっておく事にした。

と、ここで「あの…すみません」と、申し訳なさそうなおずおずとした声が会話の中に割り込んできた。声の主は加賀だ。

 

「どうしました?」

 

「モシカシテ、オイシク、ナカッタ…?」

 

「い、いえ。そんな事はありません。料理はすごくおいしいです。ただ…」

 

チラリ、と加賀は目線を横にずらす。それを辿った先には、まるで魂が抜かれたかのように、髪の毛の先まで真っ白になったレ級の姿があった。と言うのも…

 

「どうして彼女の分のご飯がないのかしら。さすがに見ていてかわいそうになってきたのだけれど…」

 

皆が夢中でハンバーグを頬張る中、レ級の目の前には前菜の一つも置かれていない。ちなみに同じ境遇の物が一人――赤城である。「あの~、私もなんですけど」と言いたげに視線をチラつかせている。

 

「赤城さんはともかく、レ級は特に頑張ってくれていたみたいですからね」

 

「いえ、それは答えになっていないのでは…」

 

「それだけ時間がかかるって事です」

 

そう言うと黒島は調理場へと向かって行く。何をしているのだろう、と目で黒島の姿を追う加賀。そしてほんの数十秒後、戻ってきた黒島が持ってきた物に思わず目を見開いた。

 

「ほらレ級、起きろ」

 

放心状態のレ級に声をかける。しかし返事はない。じゃあこれならどうだ、と黒島は持っていた器をテーブルの上に置く。

「ン…」とレ級がわずかに目を開き、ぼやける視界で目の前に置かれた物を捉える。そしてそれが何かを認識していく内に、レ級の瞳が煌めきを帯びていく。

レ級の前に置かれた物。それは、厚み5㎝、重量1.5㎏を誇る巨大ハンバーグだった。

 

「―――――――キッッッッッッタァァァァァァァッッ‼‼‼」

 

レ級はすぐさま傍にあったフォークを巨大ハンバーグに突き刺す。

 

「重ッ!ドウシヨウ持テナイ!」

 

「ナイフ使えナイフを」

 

隣に座っていた北方棲姫からナイフを受け取り、レ級は切り出した肉塊にかぶり付く。

 

「ウマ―――――――――――‼私今日コノ為ニ、コノ為ニ働イテタ!」

 

「そりゃよかった。頑張って作った甲斐があるってもんだ」

 

「あの~、マスター。私の分は…」

 

「心配しなくてもちゃんと用意してますよ。どうせ同じのが欲しいって言うと思ってたので。はい、どうぞ」

 

「何だか貶されたような気がしますが、まあいいです。いただきます!」

 

そうして二人目の食いしん坊も、同じようにハンバーグにかぶり付いた。

 

「……その、何と言うか……すごいですね…」

 

その光景を見ていた加賀は、ため息をつくように言葉を零す。

 

「でも、これだけの物作るのはそれなりに手間がかかったでしょう?言ってくれれば、お手伝いぐらいしたのに」

 

「いえ、それ程手間はかかってませんよ」

 

黒島の答えに、加賀は「そうなの?」と頭に疑問符を浮かべる。黒島の隣では港湾棲姫が同意するように頷いている。

一体どうやって作ったのか、と加賀が考えていると、

 

「あ、はいはい。私それ知ってる」

 

「お、川内ちゃん。それじゃあ答えをどうぞ」

 

「炊飯器、でしょ?」

 

「正解。よく知ってるね」

 

そう、炊飯器である。作り方はいたって簡単、普通のハンバーグと同じ要領で肉だねを作り、あとはそれを炊飯器に入れスイッチを押す。これだけである。火が通っているかどうかは、箸を突き刺して赤い汁が出てこなければOKだ。

 

「ご飯を炊くだけじゃないのね…」

 

「他ニモ、パントカ、ケーキトカ、プリントカ、色々デキル」

 

「便利だよね~最近の炊飯器は。簡単そうだし、私も今度何か作ってみようかな~」

 

「川内ガ料理シテルトコロッテ、想像デキナイワネ…」

 

「エ、川内モ何カ作ッテクレルノ?ジャア私オムライスガイイナ!」

 

「ちょっと、まだ作るって言ってないよ~」

 

賑やかな会話をしながらも、食事の手は止まらない。

分け隔ての無い暖かさが、今確かにこの場を包み込んでいた。

 




あけましておめでとうございます!

そしてお久しぶりです。前回の更新から3か月、…ハイ、申し訳ありませんでした。
タイトルの通り今回から後日談に入って行きます。相変わらずの亀更新となりそうですがどうかよろしくお願い致します。
それではまた次回!


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そして彼女は自覚する

朝六時三十分、窓から差し込む太陽の光で目が覚める。

もう一度布団の中に潜り込みたい気持ちを押し殺してベッドから起き上がると、おぼつかない足取りで洗面所へと向かう。

冷水で顔を洗い眠気を吹き飛ばしたところで、今度は彼がいる厨房へと足を向ける。

厨房へ近づくにつれ、食欲をそそる芳ばしい香りが漂ってくる。そして程なくして、到着。

 

「オハヨ~、クロサン」

 

「ああ、おはようレ級。朝ご飯、できてるぞ」

 

テーブルの上に朝食が並べられる。ベーコンと目玉焼きのトースト、付け合わせのサラダ、それにコーヒー。シンプルだが、むしろそれがいいとレ級は感じていた。

 

「イタダキマス!」

 

「おう、召し上がれ」

 

横須賀鎮守府の提督との一件の後、あれからレ級は、黒島と寝食を共にしている。他の深海棲艦達の所在は様々で、以前のように深海の軍艦の中で生活している者や、海軍の用意した施設で過ごしている者も。そしてそのほとんどは戦いから身を引き、それぞれが思い思いの日々を送っている。

 

「オハヨウ、ゴザイマス」

 

入口の扉が開き、港湾棲姫が入ってきた。

 

「おはようございます、港湾さん」

 

「オハヨ~。アレ防空チャンハ?」

 

港湾棲姫と防空棲姫の二人は、レ級と共に『Pace』の正式な店員として働いており、今ではすっかりここの看板娘となっていた。

 

「防空ハ、チョット、用ガアッテ、遅レテ、クル」

 

「そうですか、分かりました」

 

港湾棲姫も席に着き、三人でコーヒーを啜る。しばらくそうしていると、店の扉が開いた。防空棲姫が来たのかと三人は顔を向けるが、そこに立っていたのは別の人物だった。

「失礼スルワ」と入ってきたのは、黒いゴシックドレスを纏った少女、離島棲姫だ。

 

「おはようございます。どうしたんですか?こんな朝早くから」

 

「エエ。実ハ、アナタニ少シ頼ミタイ事ガアッテネ。取リ敢エズ、私モコーヒー、頂ケルカシラ」

 

離島棲姫の頼み事とは一体…?首を傾げながらも、黒島は新たにコーヒーを淹れ始めた。

 

 

 

 

「フゥ、オイシイワ。悪イワネ、急ニ押シカケチャッテ」

 

「構いませんよ。それで、頼みたい事っていうのは?」

 

離島棲姫。見た目こそ幼い少女その物だが、その実は事務仕事から力仕事まで何でもこなすエキスパート。終戦後、深海棲艦と人類の交流がスムーズに進んだのも、離島棲姫の働きが大きい。

そんな彼女が、自分に相談?一体何だろうか、と黒島は彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「エエ。私ガ頼ミタイ事ッテイウノハ他デモナイ………戦艦棲姫ノ事ヨ」

 

ピン、と店の中の空気が張り詰める。食事中だったレ級も、開店の準備をしていた港湾棲姫も、その手を止めていた。

そして全員の脳裏に、あの日の出来事が浮かんでくる

 

―――――――――――――――――――

 

政府が終戦を宣言してから五日後、深海、人類合同で行われた記者会見の場でその事件は起こった。

 

『和平協定にまで至った経緯は何ですか⁉』『本当に我々人類を攻撃する気はもうないのですか』『あなた達はどこから生まれてきたのですか⁉』『そもそも我々を攻撃した理由は?』『人類との今後についてどうお考えですか⁉』

 

様々な質問が雨霰と降りかかる。その中心にいるのは深海棲艦を統べる長、戦艦棲姫である。

何の前触れも無く突然訪れた終戦。その全貌を知る為にと、集まった記者達は絶え間なく疑問を投げつけていた。

 

「協定ニ至ッタ経緯ハ先程説明シタ通リヨ。事前ニ海軍カラ申シ入レガアリ、我々ハソレニ応エタ。コレ以上戦イヲ続ケテモ、互イニ損害ガ増エルダケ。ソンナ事ハ、モウ誰モ望ンデイナイ」

 

『ではなぜ、八年前のあの日、あなた方は人類への攻撃を行ったのですか』

 

「…ソノ質問ニハ答エラレナイワ。イエ、答エタクテモ、ソノ答エヲ、我々ハ持ッテイナイ。タダ、失ッタノハアナタ達ダケデハナイ。ソレハココニイル雨宮元帥ニモ、理解シテモラッテイルワ」

 

『ではもう一つ質問です。貴女はかつての戦いで、多くの海兵達を海に沈めてきたと聞きます。彼らについては、どういう気持ちを持っていますか』

 

分かってはいた物の、記者達の質問はどれも容赦ない物ばかりである。だがそれも当然だ。人類が持つ知識欲。特に彼らのような人種はその欲望が人一倍強い。彼らを満たすには、その欲望全てに、応えるしかないのだ。

 

「はっきり言ったらどうだ、記者諸君」

 

戦艦棲姫が口を開こうとしたその時、これまで沈黙を保っていた雨宮が唐突に言葉を挟んだ。

 

「『成り行きだの考えだのそんな事はぬかそうと、私達はお前達の事を信用する事ができない。さしあたって、私達がお前達の事を信用できるように明確な証拠を見せろ』。まあ、気持ちは分からんでもない。だが、それをこいつの口から吐き出させた所で、それは真に信用に値する物だろうか」

 

雨宮の言葉に、その場にいる全員が緊張の色を顔に浮かべる。

 

「こいつがこの場で、苦し紛れの戯言を吐かないとも限らんだろうが」

 

会場がざわつく。協定を結んだ第一人者がこのような発言をするなど、一体誰が想定できただろうか。

 

「という訳でだ。お前達に私からプレゼントを送ってやろう。青葉、準備しろ」

 

「了解です!」と元気のいい声と共に、セーラー服を着た少女が天井に取り付けられていたプロジェクターを起動させる。

 

「アナタ、一体何ヲ…!」

 

声を荒げる戦艦棲姫を横目に、雨宮は言葉を続ける。

 

「これから流すのは、つい先日鎮守府内で撮られた映像だ。ここにお前達の知りたい物が映っている。こいつの――――――本性だ」

 

天井からスクリーンが下りてきて映像が映し出される。そこにはまだ歳幼い少女が二人映っていた。服装からするに暁型の駆逐艦だろう。その二人がいるのは建物のすぐ裏手にある雑木林。どうも何かを探しているようである。

 

『あ、見つけたのです!』

 

アップヘアーの少女がそう言うと、林の中から子猫が現れた。

 

『よしよし、偉いわ!ちゃんといい子にして待ってたのね』

 

どうやら探していたのは子猫の事だったようだ。どこからか迷いこんでしまったのだろう。

 

『今日のご飯はちょっと奮発して…じゃーん!ツナ缶よ!雷が間宮さんにお願いして貰ってきたんだから!』

 

『い、電もお手伝いしたのです!』

 

ツナ缶を差し出すと、子猫は嬉しそうにそれかぶり付く。

 

『よ~しよし♪……あら?あなた、ちょっと大きくなったかしら?』

 

『? そうなのです?電は、そんな気はしないのですが…』

 

子猫と戯れる二人の少女。誰がどう見ても、ただただ微笑ましい光景だ。

だが、カウントダウンは確実に近づいていた。

 

『ソコデ何ヲシテイルノ』

 

映像の中に新たな人物が現れる。長い黒髪に、額に生えた二本の角。そう、戦艦棲姫である。

 

『ベ、別に何もしていないわ!ただ、ちょっと……そう、散歩していただけよ!』

 

ピンクの髪留めを付けた少女は子犬を隠すように戦艦棲姫と向かい合う。その陰で、アップヘアーの少女が必死に子猫を茂みの中に隠そうとしていた。

 

『散歩…?ヨクソンナ無駄ナ事ニ時間ヲ省ケルワネ。仮ニモ軍人ナラ、装備ノ手入レノ一ツデモシテキタラドウナノ』

 

『何よ!私達の時間なんだから、私達の自由にしてもいいじゃない!』

 

『聞キ分ケガ悪イワネ、サッサト行ケト言ッテイルノヨ。駆逐艦風情ノアナタノ意見ナンテキイテイナイワ』

 

会場の中でぼそぼそと呟く者が現れ始める。この状況だ。余りいいことを呟いているようには思えない。

 

『この、言わせておけば…!』

 

『も、もういいのです!戦艦棲姫さん、ごめんなさいなのです。私達、もう行きますので…』

 

そうして、アップヘアーの少女は髪留めを付けた少女の手を引っ張り、画面の外へ消えていった。

ざわめきがだんだんと大きくなる。その中で、戦艦棲姫は額に嫌な汗をかきながら、ただひたすらにある事を祈っていた。

―――どうかこの映像が、ここで終わってくれと。

 

画面の中の戦艦棲姫が、足を動かし始める。向かったのは先程アップヘアーの少女が子猫を隠していた茂みだ。

茂みをかき分けると―――いた。茂みの陰に座り込んでいる子猫の姿が。

そして、戦艦棲姫はその白い手を伸ばし―――

 

 

『――――――ヨ~シヨシ可愛イデチュネ~♡イイ子ニシテマチタカ~?モチロンシテマチタヨネ~♡』

 

 

会場が、静寂に包まれた。

 

『今日ハネ~何トホラ!シシャモヲ持ッテキマチタヨ~。ホラ~嬉シイデチュカ?嬉シイデチュカ?』

 

子猫は「ミャーゴ」と声を出して喜びを露にすると、戦艦棲姫に飛び付く。画面の中の戦艦棲姫は満更でもなさそうに、普段の様子からは想像もつかないだらしない笑顔を浮かべている。

 

『ア、デモサッキアノ子達カラゴ飯貰ッテタワネ。ドウシヨウカナ…………マ、イッカ。可愛イカラアゲチャウ♪』

 

ししゃもを夢中にかじる子猫の頭を撫でながら、戦艦棲姫はふと何かを呟き始める。

 

『私、サッキハアンナ事言ッチャッタケド、別ニアノ子達ノ事ガ嫌イナワケジャナイノヨ?本当ハモット仲良クシタインダケド、私ニモ立場トカ色々アルカラツイアンナ口調ニナッチャウノヨ。ダカラ、私ガ素直ニナレルノハ離島トアナタノ前ダケナノデス。分カッテクレマチュカ~?』

 

子猫は戦艦棲姫の呟きに応えるよう『ミャー』と一鳴き。それが嬉しかったのか、戦艦棲姫は子猫を抱き上げ、『アリガトウ~』と頬ずりをし始めた。

 

『デモホント、他ノ深海棲艦ノ子達ガ羨マシイワ~。皆私ヲホッタラカシニシテ、地上デノ生活ヲ満喫シテルノヨ?特ニレ級ナンテ。………私ダッテ…クロサントイッs「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」

 

衣を裂くような声と共に、スクリーンが取り付けられていた天井から引き剥がされる。だが、スクリーンが無くなったところでプロジェクターは起動しているので、当然映像は続いている。プロジェクターがあるのは天井、これでは手が届かない。ならばと、今度はプロジェクターを起動させて張本人――青葉の元へと向かい、彼女の手元にあったパソコンを叩き割った。

 

「――――――ナ、何ノツモリヨアンタ‼‼」

 

その実行犯は、すぐさま雨宮に詰め寄った。だがそこにいつものような凄まじい剣幕はない。化けの皮を剥がされ、焦りと恥ずかしさで真っ赤にした戦艦棲姫の姿が、そこにあった。

 

「ちなみに、この映像は某動画サイトにて同時配信している。他にも数件、似たような映像や画像を海軍のホームページで掲載中だ。記事を書くのに是非参考にしてくれ」

 

「無視シテンジャナイワヨ!ア、アンタ、コンナ事シテタダデ済ムト思ッテルジャナイワヨネ⁉モウイイワ、コンナ協定ナシ!明日カラマタ人類滅ボスワ!イイワネ⁉」

 

「ところでお前が以前行ったという喫茶店、『Pace』、だったか。行ってみたが最悪だったぞ」

 

「ンナワケナイデショ!オ店モ店主モ最高ダッテノ!寝ボケテンジャナイワヨ‼――――――ハッ!」

 

我に返って恐る恐る会場を見渡す。記者も会場の役員も、全員の視線が自分に注がれていた。

 

『……………可愛い』

 

ふと、誰かが呟いた。

 

『おい、見たか?』『ああ、まさかこんな本性があったとは』『可愛い、可愛いぞ!』『すぐに会社に戻って記事を上げなくては』『明日の一面はこれで決まりだな!』

 

それは波紋のように広がり、そして最後に、一つの答えを導き出した。

 

『戦艦棲姫、可愛い‼』

 

「ヤメテェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ――――――――‼‼‼‼」

 

―――――――――――――――――――

 

「あれは、何というか……お気の毒でしたね………」

 

「マ、私トシテハイイ機会ダッタト思ウケドネ。イツカハバレルト思ッテタシ。デモ…問題ハソノ後ヨ」

 

「と、言うのは?」

 

「アイツ…アレカラ部屋ニ籠ッタッ切リ出テコナイノヨ!モウ一ヶ月以上モ経ツッテ言ウノニ‼」

 

とどのつまり、離島棲姫の頼み事とは部屋に籠り切りになっている戦艦棲姫を連れ出してほしいという物だった。

聞く話によれば、大衆の前で素顔を晒された戦艦棲姫は深海の基地に戻ろうと自棄を起こしたらしい。それは深海棲艦及び艦娘総出で何とか引き留めたのだが、ならばと戦艦棲姫は鎮守府内に用意された宿泊施設の一室に飛び込み、それっきり扉を閉ざしてしまっているようなのである。

声をかけても返ってくるのは泣き言ばかり。ちゃんとした食事をとっているかどうかさえ怪しい状態だそうだ。

 

「別ニソンナ恥ズカシガル事ジャナイト思ウンダケドナー。私ダッテ猫好キダシ」

 

「いや、そういう単純な問題じゃなくてだな…」

 

「デモ、サスガニ、アレハ、カワイソウ。引キ籠ルノモ、無理モ、ナイ」

 

「ダトシテモモウ限界ヨ。アイツガイナイセイデ、ソノ分ノシワ寄セガ全部私ノ所ニキテルノヨ!移住手続キノ申請トカ、税金ソノ他費用ノ集計、マスコミノ対応…ッテアアモウ!

考エルダケデ頭ガ痛クナル!ト、イウワケデクロサン、アノ根性無シヲ引キ摺リ出スノ、是ガ非デモ手伝ッテ貰ウカラネ!」

 

まるで恫喝するかのように迫る離島棲姫。よく見れば目元にはクマが浮かんでいる。彼女の日頃の苦労が目に浮かぶ。

当然、黒島はこの要求を受け入れる。離島棲姫を助ける為にも、そして戦艦棲姫自身を助ける為にも、ここは一人の男として、一肌脱ぐしかあるまい。

 

「それで、俺は何をすればいいでしょうか」

 

「ソウネ。取リ敢エズ何カ適当ナ物作ッテ、アイツニ会イニ行ッテアゲテ。多分ソレデ解決スルカラ」

 

「………え、それだけでですか?」

 

「ソウ。タダシ、アナタ一人デネ」

 

「それはまたどうして?」

 

「細カイ事ハ考エナクテモ大丈夫。時間ハアナタノ都合ノイイ時デ構ワナイカラ。――ハイ、コレアイツノ部屋ノ番号ネ。雨宮ニハ、私カラ話ヲ通シテオクワ。ソレジャ、頼ンダワネ」

 

それだけ言うと、離島棲姫は机の上に代金を置いて足早に去って行った。

 

「……大丈夫、かな?」

 

色々と合点がいかない事もあるが、それでもやるしかない。黒島は、静かに帯を締めなおした。

 

 

 

 

鎮守府内に設置された宿泊施設。その一角に、一日中灯りのつかない部屋があった。

空き部屋という訳ではない。ただそこの住人が、意図的に灯りをつけていないだけだ。

 

……………今日も何もせずに一日が終わってしまった。

 

その部屋の住人は、毛布にくるまりながら溜息を漏らしていた。

この調子だときっと明日も、自分は同じように意味のない一日を送るのだろう。いや、むしろそれでいい。何者にも干渉されないこの時間が、ただひたすらに心地いい。

 

………お腹すいた。

 

キュ~、と腹の虫が音を奏でる。

まだこの時間ではほとんどの者が起きている。もうしばらくしたら、酒保から何か取ってこよう。毎回代金は置いて行っているから問題ないはずだ。そう思いながら瞳を閉じる。

しかし程なくして、再び目を開く。

 

誰かがここに向かってきている?

 

足音が部屋の前で止まる。

きっとまた彼女だろうか。申し訳ないが、ここはいつも通り眠ったふりをさせてもらおう。少しでも彼女の声が耳に届かないように、毛布の中に頭を埋めようとする。その時だった。

 

『―――黒島です。戦艦棲姫さん、いらっしゃいますか?』

 

「…………………エ⁉」

 

聞こえてきた声に耳を疑った。くるまっていた毛布を払い除け、入口の方へ目を向ける。

 

『戦艦棲姫さ~ん、いらっしゃいますか~?』

 

間違いない、彼の声だ。

これはまずい、と戦艦棲姫は頭を唸らせる。一か月前に晒されたあの醜態、当然彼もアレを見ていただろう。そんな手前、一体どんな顔をして彼に会えばいいのだろうか。

 

『あれ?留守なのかな。…仕方ない、今日のところは出直すか』

 

―――まずい、彼が行ってしまう。

そう思った時には、すでに体が動いていた。

 

 

 

 

「じゃあ、ちょっと失礼しますね」

 

なぜ呼び止めてしまったのだろうか。

抱えたクッションに頭を埋めながら、戦艦棲姫は心の中で呟く。

おそらく彼は、あのゴスロリ秘書の差し金だろう。自分をこの部屋から引きずり出す為の。ならば、先程そうしようと思ったように、居留守を使うなりなんなりすればよかった。

だがそう分かってはいながらも、体が勝手に動いていたのだ。自分が自分で分からない、というのはこういう事なのだろう。

 

「ところで戦艦棲姫さん」

 

黒島が声をかけてきた。例の会見の事でも言われるのだろうか。何を聞かれてもいいよう、一度深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

『…何カシラ』

 

『いやw何今更かっこつた風に言ってんですか、深海の長(笑)さんww全然様になってないですし、そのキャラもうただ面白いだけですよww』

 

(トカ言ワレタラドウシヨー⁉)

 

返事をする。ただそれだけの事なのに、その後の事を考えるとどうしても思い留まってしまう。

やはり呼び止めなければよかった。そんな後悔の念に浸っていると――

 

「―――戦艦棲姫さん」

 

(ファ⁉)

 

いつの間にか彼が目の前に立っていた。そして、

 

「ちょっと、失礼しますね」

 

距離にしてほんの数十センチ。自分の視界のど真ん中に、彼の顔が現れた。

 

(⁉⁉‼⁇⁉‼‼⁇?) 

 

突然の出来事に思考が回る、周る、廻る。体温が、心拍数が共に跳ね上がる。覗き込瞳から目を逸らす事もできない程、戦艦棲姫はあっという間に混乱状態に陥った。

一体自分は何をされるのだろうか?そう考えた直後、黒島が口を開いた。

 

「やっぱり戦艦棲姫さん、ちゃんとご飯食べてませんね?」

 

「…………ファイ?」

 

「顔色悪いですし、頬も痩せこけてます。さっき部屋から出てきた時もフラフラでしたし、このままだと、下手したら栄養失調で倒れちゃうかもしれませんよ?」

 

「ソ、ソンナ事、何デアナタニ言ワレナキャナラナイノヨ…」

 

完全に想定外の言葉にどう返していいか分からず、思わず冷たい言葉を口走ってしまう。

いや、むしろこれで愛想をつかして帰ってくれた方がいいだろう。どう思われているか、そんな疑心暗鬼に包まれるよりは―――

 

 

「何でって、心配だからに決まってるでしょ」

 

 

――――――――――――――ア、

 

「待ってて下さい。すぐにおいしい物作りますから」

 

そう優しく微笑むと、黒島は台所へと向かって行く。その姿を、戦艦棲姫はただ見つめていた。

そして数十分後、

 

「お待たせしました……戦艦棲姫さん?」

 

声を掛けられ、ようやく意識が覚醒する。目の前にはお盆を手にした黒島が立っていた。

 

「―――エ、…ア………」

 

「やっぱり調子悪いんじゃないですか?無理はしないで、これ食べたらゆっくり寝て下さいね」

 

そう言われて、黒島から琥珀色の液体の入った器を差し出される。

 

「コレハ…?」

 

色は以前黒島の店で飲んだ紅茶によく似ている。だがあの時の物とは香りも違うし、器の大きさも全く違う。それに加えて液体の中には何かゴロゴロとした物がいくつも沈んでいる。これは一体…?

 

「栄養満点スタミナスープです。コンソメのスープをベースに、具材は人参タマネギ白菜鶏肉にウインナー、隠し味にショウガとコショウを少々。熱いですから、火傷しないよう少し冷ましながら食べて下さい」

 

器を受け取ると、じんわりとスープの温かさが掌に伝わってきた。器の端を口元に宛てがい、湯気の立ち登るスープをゆっくりと流し込む。

 

(温カイ…)

 

こんなに温かい物を食べるのはいつぶりだろうか。酒保からとってきた物はどれも冷えた物ばかりだった。体だけでなく、心までも温かみで包み込まれる感覚に思わず涙が零れそうになる。

 

「…確かに、あの日の事は、簡単に割り切れる者じゃないと思います」

 

顔を上げるとそこには、初めて見た時と変わらない、優しい笑みを浮かべる彼の姿があった。

 

「でも、あれをむしろいいきっかけと捉えて、本当の自分をさらけ出して行けばいいんですよ。そうしたらいつの日か、あの日の事がいい思い出だったと思える日が、きっと来ますから」

 

 

 

 

翌日、一ヶ月間に渡る沈黙を破り、戦艦棲姫はようやく前線に復帰を果たした。

それには艦娘、深海棲艦を問わず、多くの者(特に離島棲姫)が喜びを露にした。

結局の所、あの会見で起きた事を見て、世間から見た戦艦棲姫の印象に対してマイナスになった事は何一つなかったのだ。むしろ、あの会見のおかげで深海棲艦のこれまでのイメージを覆され、彼女達が自分達と近しい存在だと人々が認識したのも確かである。この結果を見て、今回の出来事の元凶である雨宮は、計画通りだと鼻で笑うのだろう。

 

鐘の音が鳴る扉を開け、その先にいる彼の姿を見据える。

 

「――いらっしゃいませ。今日は何に致しましょうか」

 

彼の笑顔を見るだけで、心の中が温かい感情で満たされた。

 

戦艦棲姫は自覚する。この心地いい胸の高鳴り、この感情こそが『恋』なのだと。

 




閲覧ありがとうございます!

ど う し て こ う な っ た
例の如く後悔はしていません。しかし、ここまでラブコメ要素を入れるつもりはなかった!
それはそれとして、今後の投稿についてですが、ちょくちょく季節ネタを挟んでいこうと思います。その分時系列が滅茶苦茶になりそうですが、サブタイトルを活用してその辺は区別がつくようにしていくつもりです。
来月には艦これの夏イベが開催予定、大規模作戦との事ですがはたして私は生き残れるか…それではまた次回!


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