平穏無事に生きる。それがオレの夢(仮題) (七星 煙)
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序章
序章 0-1


【前書きの様なもの】

どうも。アシェーリトです。
初めましての人も、そうでない人もいらっしゃるでしょう。
今回こうしてこの作品を投稿するに当たった理由は、にじファンの閉鎖によるものです。要するに転載しました。ということです。

本作はISの二次創作であり、私が転生系に対して感じた疑問を解消すべく書き始めた、自己満足による作品です。
また、出来る限り内面描写をしっかりと描きたいために、物語の進行速度は遅々としたものとなっております。
ISが出てくるのは当分先になります。

また、本作品は性転換要素も含んでいるので、苦手な方は何も見なかったことにして戻られる事をお勧めします。

それでは、どうぞお付き合いくださいませ。




 

【第一章:序章 0-1】

 

 

【20XX年 某日】

 

 目を覚ますと、まず視界に入ってきたのは見慣れない真っ白な天井だった。

 同時に鼻腔をくすぐるのは、妙に鼻に付く薬品の臭い。仰向けになっている事と周囲の状況から、『オレ』は今病室にいることを認識する。

 が、何故此処にいるのかが理解出来なかった。現状を再確認しようと記憶を辿ろうとしたその時、小さな音を立てて病室の戸が開いた。と同時に、心配そうな顔で駆け寄ってくる20代くらいに見える女性と、その人の子供か或いは年の離れた兄弟と思われる、同じ赤毛の少年と少女の姿。

 

 口々に心配そうに声をかける彼女達を他所に、『オレ』は内心で酷く混乱していた。何故なら一瞬、彼等が一体何処の誰だか理解出来なかったからに他ならない。

 しかし驚くことに、その疑問はすぐに氷解する。他ならぬ、『オレ』の持つ記憶によって。

 

 20代と言っても通じるのではないかと言うくらいに若々しい女性は『オレ』の実の母親で、そして心配そうに引っ切り無しに声をかけてくる少年は双子の兄。泣きそうな顔をしているのは妹だ。

 だが、だからこそ『オレ』には今のこの状況が不可解だった。何故なら『俺』には、兄弟なんていなかったのだから。

 

 しかし今の『オレ』にはしっかりと彼等が家族であり、兄弟である事が認識出来る。だからこそ、この現状が理解出来ない。

 

「……此処は?『オレ』、何で……?」

 

 内心の動揺を悟られぬよう、努めて平静を装い、母に何が起きたのかを尋ねる。

 

「幼稚園にいたら、突然頭を抱えて倒れたのよ。大丈夫?まだ、頭が痛かったりしない?」

 

 そういって『オレ』の頭を心配そうに撫でてくれる母の言葉に、『オレ』はその時の状況を想い出す。

 

 何時ものように双子の兄や同じクラスの園児達と共に幼稚園での時間を過ごしていた『オレ』。体全身を使って遊び回っていた『オレ』はしかし、突然脳内に知らないはずの記憶が蘇ってくるのを感じた。

 その膨大な知識の量に、『オレ』の頭は割れるような痛みを引き起こしそして――……

 

 そこで漸く想い出した。そう、何時もと変わらないはずの日常を送っていた『オレ』は、唐突に前世の記憶と言うものを蘇らせた。理由も何もかも分からないが、それでも確かに言える事が一つだけある。

 

 それは確かに、此処ではないどこかで、『オレ』は『オレ』ではない『俺』として生きてきて、そして当時の記憶の殆どを保持していると言う事。

 

「■■?大丈夫?やっぱりまだどこか痛むんじゃ……!?」

「……ううん、大丈夫」

 

 事態を理解した事で暫し呆然としていた『オレ』を心配したのか、母が悲痛な面持ちを浮かべる。そんな彼女に対し、『オレ』に出来たのは心配をかけないようにする事だけだった。

 

 この時『オレ』は、母親であるはずの女性に対して、しかし感じていたのは居心地の悪さと気味が悪いという感情だった。

 

【数日後 自宅】

 

「それじゃあ、大人しくしているのよ?」

「うん、分かった」

 

 母の言葉に素直に頷いた『オレ』はベッドに入る。そんな『オレ』の姿を確認した母は、少しだけ安心した表情を見せた後、階下へと降りて行った。

 

 数日後、無事に退院した『オレ』ではあったが、数日の間は大事を取るという事で幼稚園には通っていない。だが『オレ』としてはその時間はありがたかった。

 兎に角今は、”今の”自分の状況と”過去の”自分の状況を見つめなおす時間が欲しかったから。

 

 母が部屋を出て行ったことを確認した『オレ』は、らくがき帳……もといノートを用意する。書き込む内容は――前世の自分にまつわる記憶。その中で最も重要な、■■■■としての”最後の記憶”。

 すぅと深呼吸をした後、『オレ』は意識を深く思考の海へと没頭させていく。

 

 

【2011年 某日某所】

 

 『俺』の家族は母子家庭ということもあり、経済的な状況はそれほど良くはない。そのこともあり、『俺』は出来るだけいい就職先を見つけられように、中学生の頃から努力を続けてきた。

 元々それほど頭がいいわけでもなく、寧ろ並より少し上程度ということもあったので、人の数倍の努力を重ねなければ結果は結びつかなかった。当時の自分の能力の低さには、何度も憤りを感じたものだ。

 だが勉強だけでは駄目だということは十分に理解していたので、部活にもちゃんと所属していた。因みにテニス部。

 お陰で人付き合いがそれほど悪くなることもなく、一応友人もそれなりにいる充実した日常を送ることが出来た。

 

 それから月日は流れ、大学生の頃。即ち――『俺』、■■■■の最後の時へと意識を持っていく。

 

 『俺』なりの必死の努力はそれなりの実を結び、結果として自宅からさほど離れていない三流大学へと入学することが出来た『俺』も、とうとう三年生。

 就職活動に本腰を入れてかからねばならない年になっていた。

 

「じゃあ、『俺』これからバイトだから」

「お前ほんと頑張ってんな。試験大丈夫かよ?」

「普段授業に殆ど出てない奴に言われたくねぇよ」

「それもそうだな」

 

 試験日も間近に迫ってきたこともあり、同じ学部の友人たちと勉強を終えた『俺』は、バイトに行くために彼らと別れた。その際軽口を言い合うのもいつものことだ。そうして大学を出た『俺』は、駅へと向かって走る。だがそれで怪我なんてしたらそれこそ面倒なので、周囲の安全を確認することは怠らない。

 

 その後、無事にバイト先であるコンビニについた『俺』は、同じ職場の人達と時々喋ったりしながらいつも通りの業務をこなす。そうしてシフトが終了したのは、午後11時。それから家に帰ろうとした『俺』は携帯を確認すると、数件の着信履歴。見ればそれは、数時間前に大学で別れた友人たちだ。

 

「もしもし。どうした?」

『おぉ、やっと繋がった!今繋がったってことは、バイト終わったんだろ?』

「まぁな」

 

 聞けば、これから飲まないかという誘いの電話だった。というか既に始めているらしく、電話の向こうから馬鹿騒ぎしている奴らの声が聞こえてきた。試験前なのに余裕だなと思いつつ、確かに明日は講義もないので時間はあることに気付く。

 どうするべきか悩む『俺』に、友人は少しだけ声のトーンを落とした。

 

『お前が必死になって頑張ってるのは知ってる。だから正直こんな誘いをかけるのもどうかと思ったんだけどよ……。なんつぅかさ、たまには息抜きも必要なんじゃね?あんま根を詰めすぎると、いつかぶっ倒れちまうぞ?』

「………」

 

 そこで、彼らは彼らなりに『俺』を心配してくれていることに気付く。

 確かに普段から必要以上に絡んだりしなかったのも、自分の中でどこか”良い就職先を得なければならない”という強迫概念にも似たものが邪魔をしていたからなのかも知れない。それは勉強だけでなく、バイトやサークルでの時も同じだった。

 

 恐らくそんな『俺』の姿は、彼らには何とも余裕のない奴として映っていたのだろう。これまで誰にも気付かれずにいたのだが……と思いかけ、自分で否定する。実際にはずっと前から気付いていたのだろう。そして今まで強く声をかけなかったのも、恐らくは『俺』の気持ちを酌んでのこと。

 

「……分かった。今日位は、『俺』もハメを外すよ」

『……そっか。それじゃあ俺の家に来てくれ!』

「あぁ、了解」

 

 結局その日は友人宅で皆のと飲み明かす事に。

 誘ってくれた友人宅で馬鹿騒ぎをしながら過ごしたあの時は、『俺』が今まで経験したこともないような大切な日で――――……

 

 

「――……くそっ」

 

 拙い字でノートに書きだせた過去の記憶を見て、思わず舌打ちしてしまう。

 結局思い出せたのは、皆と騒ぎながら飲んでいる時の光景のみ。それ以降の事は、何一つ思い出せない。

 

 あの後何が起こったのか、何が原因で”この世界”に来てしまったのか……全て分からず仕舞いだ。

 

 続いて現状について書きだそうとして、出来なかった。

 というのも、今の『オレ』の肉体は幼稚園児のそれそのもの。故に自分で考えているよりも体にかかる負荷というものは大きい。もう鉛筆を握る力を込めることすら億劫に感じるほどにだ。

 

 そしてそれが、『オレ』を更に苛立たせる。

 今は少しでも早く状況を確認したい、情報を手に入れたい。そうしなければ最悪、命の落とす危険が間近に迫っているのだ、”この世界”では。だというのに、思い通りにいかない現状が、何と腹立たしいことか。

 

 だがそんな『オレ』の思いとは裏腹に、肉体のほうは休息を求め始める。

 瞼は重くなり、頭にぼんやりと霧がかかるように睡魔が襲ってくる。抵抗しようと試みるも、それは徒労に終わってしまう。

 気がつけば『オレ』は、いつの間にか眠りについていた。

 

 

【一年後 20XX年 某日】

 

 前世での記憶を取り戻してから早一年。幼稚園卒業を一年後に控えた『オレ』はしかし、自分の置かれた状況を少しでも好転させるべき材料を未だ持ち合わせてはいなかった。寧ろ、問題は積み重なったと言ったほうが適切だろう。

 

 それは、『オレ』に対する両親、そして祖父が向ける視線だ。

 

 前世の記憶を取り戻した『オレ』は、その知識を使い可能な限りの情報を集め始めた。全ては”この世界”で可能な限り平穏無事な生活を送るために。しかしそんな『オレ』の姿は、両親達にはさぞ不気味に思えた事だろう。

 

 幼稚園を卒業する年になったとは言えまだまだ手の掛かる年頃の子供。そうであるはずの存在が、親の助けを殆ど必要とせず、それどころか到底その年齢で関わろうとはしない筈の新聞や難しい本を読み漁る様は、はっきり言えば異常だ。

 

 人間という生き物は、自分達と違う存在と言うものを嫌い、そして畏怖する。それは例え、実の子供であろうとも変わらない。どころか、他の二人は年相応だと言うのに何故この子だけが、という想いの方が強いだろうか……。

 だがそれで『オレ』は放り出されるような事になっては堪らない。だから『オレ』は己の内にある羞恥心やらをかなぐり捨て時に子供らしく振舞ったりもした。しかしそれは、行動に移すには遅すぎたようだ。

 

 次第に『オレ』を見る目が変わってきたのだ。それでも何とか育てていこうという意志を見せるのは、親としての感情故か。

 

 この事を期に、ある日『オレ』は身の振り方をどうするべきか考える。

 

 このまま徐々にではあるが、周りの子供達にレベルを合わせていくか。

 それとも、今のまま……いや。今以上のペースで知識の習得に当たるか、だ。

 

 前者を取れば、何れは他の子供と同じになることで”普通よりも早熟した子供”として、今後家族からそういった忌避の目で見られることはなくなっていくだろう。だがそのデメリットとして、後者の選択肢が完全に潰える事となる。それは『オレ』にとって、大きな痛手となる。

 

 数分か、下手をすれば一時間ほど考え込んだ『オレ』は――

 

 

【一年後 20XX年 某日】

 

 今後の身の振り方をどうするべきか本格的に悩み始めたその日から既に一年。小学生へと進級した『オレ』は、双子の兄らと別れて市内の図書館へと足を運んでいた。比喩ではなく毎日図書館へと足を運ぶのは、既に『オレ』の日常と化していた。

 

 あの日、『オレ』が選んだのは周囲に合わせることではなく、少しでも良い未来を手繰り寄せることだった。出来るだけ家族には心配をかけないよう、それなりの人付き合いをしつつも、一線を引くような態度をとり続ける。周囲の子供達はその幼さ故に無邪気に笑い、遊びまわっている。『オレ』はそんな彼らを冷めた目で見つめていた。

 

 前世での記憶があるせいか、それともこの世界の”今後”を知っているからか……。少しでも知識を集めようとする『オレ』には、どうしても彼らのようには振舞えない。寧ろ遊びに付き合う時間があるのなら、それら全てを成長のために費やそうと本気で思っている。

 確かに幼少期の子供というものは、友達を作ったり遊んだりすることでコミュニケーション能力を培い、養う。だが過去の記憶というものを持ち合わせているが故に、『オレ』にはそんなことをする必要は無い。というのも考えの一つだ。

 

 だが同時に、『オレ』は周りの幼い友人達を見ると、どうしても思ってしまう。本当に、どうしようも無い位”幼い奴等”だと。

 

 だがそれは当然の事だ。『オレ』と違い、彼等は本当に幼い。寧ろ『オレ』のような存在の方が異常なのだ。だというのに、心の何処かでは彼等を見下している自分がいる。それに気付いた時、『オレ』は自分の愚かさと醜さを知った。

 

 それこそが、『オレ』が皆から一歩引いた立ち位置にいる理由。

 彼等と一緒に過ごしていると、自分の愚かさを、醜さをまざまざと見せ付けられるようで……。要は、『オレ』は彼等と過ごすことで自覚する自分の負の側面を見ることが嫌だった。本当の理由なんて物は、ただ、それだけ。

 けれどそれを認めるだけの勇気も無く。誤魔化すように今日も図書館へと足を運び、知識の収集に没頭する。今はこうする事でしか、自分を保つ術を知らないから――……

 

「……くそ、こんなんじゃ駄目だ」

 

 一度考え出すと、まともに集中する事が出来無い。深い溜め息を吐いた『オレ』は、気分転換に小説でも読もうかと席を立つ。

 

 前世での娯楽というものも、小説やライトノベルを読む事だっただけに、苦痛を感じる事は無い。それに”この世界”は前世の時よりも少し未来である為に、『俺』の知らない本があるのは大いに助かった。

 そんな訳で目に付いた本を数ページ読み、気に入ったものがあれば読むというスタイルを取る『オレ』だったが、ふと手を止める。視線の先にあったのは、何の変哲も無い、只の新聞紙。

 

 だが、何故だろう。その時は妙に気になったのだ。

 

 何かが起こる。そんな予感めいたものを感じた『オレ』は、新聞を手に取る。ザッと見て行く限り、特に変わったような事は無い――……

 

「――っ」

 

 筈だった。

 

 だが、『オレ』は見つけてしまった。

 政治家やら事故の記事の一面の中に紛れた、本当に小さなその記事を。

 

 

 ”天才少女、篠ノ之束。宇宙空間での活動を想定したマルチフォームスーツ、IS<インフィニット・ストラトス>を発表。しかし世界中の著名な科学者達はこれを否定。机上の空論と一笑した。”

 

 その時『オレ』は、聞いた気がした。

 

 運命が――世界が変わる、その音を――……

 

 







後書き

初の転生物を書くにあたって疑問に思った事。

・果たして過去の記憶を持っているのに、他の人間を”親”だと素直に受け入れることができるのだろうか?
・転生したからといって、すぐにその世界で生きていくことを決められるだろうか?

などの点を重視して物語を展開していこうと思います。
ですのでこの物語には最強やらチートというものはありません。

とまぁ、とっつきにくいでしょうが、暫くはこんな感じで物語が進んでいきます。
原作開始まで辿り着くのは、もう暫くかかりそうです。


感想・指摘等お待ちしております。



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序章 0-2

時間が結構飛ぶので分かり難いかもしれませんが、どうかご容赦のほどを


◆20XX年 夏休み◆

 

 小学二年生へと進級した『オレ』は、夏休みだというのに噛り付く様に机に向かっている。依然として家族に心配をかけない程度に友人達との付き合いを保ってはいるが、正直それも、そろそろ限界を感じ始めている。

 

 その理由は一年前、図書館で見つけた一つ記事が原因だ。

 それは、篠ノ之束によるIS――<インフィニット・ストラトス>の発表に他ならない。

 

 では何故、『オレ』がこの記事に悩まされているか。その理由は”この世界”が前世の『俺』――■■■■が生きていた世界において、所謂ライトノベルの、フィクションの世界であるからだ。

 最初こそ、そんな馬鹿なという思いであったが、現在の『オレ』の家族が、物語の主人公に大きな関わりを持つ存在である事が判明した時から、その考えは吹き飛んだ。

 

 そしてその時初めて気が付いた。『俺』はこのフィクションの世界に転生し、『オレ』として生きて行かねばならなくなったのだという事に。

 

 そうした経緯があったからこそ、『オレ』は前世の記憶を取り戻してから今日に至るまでの間、必死になって知識を掻き集めてきた。何故ならこの世界の主人公は、極普通に命の危機に関わるような人生を送るようになるからだ。

 そしてそんな奴に関わる家族に生まれ変わった以上、何時コチラに問題が飛び火しても可笑しくは無い。だからこその、知識の蒐集だった。

 

 だが同時に、『オレ』は何処かで楽観視していたのかもしれない。

 というのも、転生した『オレ』の家族には本来、『オレ』という人間は存在しない。だから心のどこかで、この世界は『俺』が知る物語に良く似た世界というだけで、ISなんて”物騒なもの”は開発されることもないのではないかと思っていた。

 

 しかしその思いはものの見事に砕かれた。所詮は、『オレ』の都合の良い思いこみに過ぎなかったのだから――……。

 

 大いに焦った『オレ』は、数年後に控えるだろう”世界の革新”に備え、今まで以上の努力を積まねばならない。数年先の未来には、不条理且つ理不尽な理由で、”男”は蔑ろにされるのだから。

 

 そうして一年後の小学三年生に上がる頃には、学習スピードを更に上げている自分が居た。その頃にはもう、家族の『オレ』を見る目など気にしている余裕などなかった。

 

◆20XX 某日◆

 

「それで、話って?」

 

 夜。小学四年生ももう半ばを過ぎた頃の『オレ』は今、両親と祖父に呼び出され食堂を兼ねている自宅の一階、そのカウンター席に腰掛けている。

 ”あの事件”が起こる正確な日にちは分からないが、記憶が確かであればまず間違いなく来年に事は起こる。

 

 だからこそ追い込みに更なる追い込みをかけた『オレ』は、その成績や言動から周囲からは”天才”などと呼ばれ始めた。が、そんなものに興味はなかった。

 所詮『オレ』がそう呼ばれるのは、単に他の同年代の少年少女と違い二度目の経験をしているからに過ぎない。だというのにそれで慢心などするのは、単なる目立ちたがりか馬鹿のどちらか、或いは両方だ。

 何より『オレ』は、それに気を良くして慢心することが怖かった。それでふと気を抜いた瞬間、何か取り返しの付かない事件に巻き込まれてしまいそうで――――……。

 

 とどのつまり、今の『オレ』を突き動かしているのは”かもしれない”という自分で勝手に決めつけた脅迫概念でしかない。そうと分かっていながらも同じ事を続けている辺り、『オレ』も相当救いようの無い馬鹿ではあるが。

 

 そう考えたところで、一度思考をカットする。余計な事に思考を割くよりも、今は目の前の問題を片付けるとしよう。

 

 だが、そんな『オレ』とは対照的に、両親と祖父は悩んでいるようだ。その態度が、『オレ』をイラつかせる。

 呼び出しておいて何なんだ、こっちは一分一秒も無駄には出来ないのだと、声を大にして言いたいのを何とか堪える。只でさえ『オレ』は双子の兄や一つ下の妹と違い、両親や祖父との関係は良好とは言え無い。

 一応子供であるという理由から、兄と妹とは出来るだけ良好な関係を築いてはいるが、それでも世間一般で言う兄弟の関係よりは、ぎこちないものだろう。

 

「”澪(れい)”。アナタに言っておかなければいけないことがあるの。落ち着いて聞いて頂戴」

「……うん」

 

 やがて意を決したのか、それとも『オレ』が苛立っていることに気が付いたのか。代表して母がその口を開いた。

 その妙な言い方に引っかかりを覚えたが、話をこじらせるわけにも行かなかったので、取りあえず頷く。

 さて、一体なんだというのだろうか?

 

「澪。アナタの体はね――今は男の子でも女の子でも無いの」

 

 どうせ他の子供より病弱とか何かだろうと高を括っていた『オレ』は、思いがけない母の一言に言葉を失った。

 

 

「――は?」

 

 『オレ』は今し方両親に言われた言葉の意味を理解出来ずにいた。

 何かの聞き間違いかと思い――いや。そうであってほしいと願いながら両親と、そして祖父の顔を窺う。

 

「いや、だって――……え?」

 

 が、『オレ』を見つめるその表情に張り付いているのは、”申し訳無い”というもののみ。

 

 その瞬間、『オレ』は家族が伝えた言葉が真実である事を悟る。

 

 考えもしなかったその言葉に麻痺する心とは別に、頭は高速で思考する。こんな事が出来るようになったのは、皮肉にも第二の人生を送るに当たって様々な事を考え込むようになったためだろうか。

 そうして暫くの間、様々な考えを巡らせていく内に、ある一つの可能性に辿り着く。

 

「IS、”インターセックス”……」

 

 絞り出すように呟いた言葉に、母は悲しみに表情を歪める。その態度こそ、『オレ』が導き出した答えが正解である事の証拠だった。

 

 インターセックス。

 半陰性、或いはインターセクションなどとも呼ばれるコレは、両性具有という呼ばれ方もする。厳密には違うのだが、男としての機能と女としての機能を備えている存在だと言う事。

 雌雄同体である事はどこかの宗教などでは完全な存在を現すと言うが、実際のところコレには多くの問題点が存在する。

 

 一つは、生殖器の未発達。

 どちらの性でもない半陰性は、その殆どの場合において生殖器が未発達である状況が多いと聞く。

 

 一つはホルモンバランスの異常による体調不良。

 これについての詳しい知識はなかったが、確かどちらでも無い状態であるが故に、ホルモンバランスがうまく取れず、体調が崩れやすいというもの。

 更に加えていうと、生殖器の未発達により命の危険があることも、過去のケースにあったという。

 

 そしてもう一つは、肉体と遺伝子上の性別の不一致。

 例えば、体つきや心の面では男性であったとしても、実の所遺伝子上は女性である。そしてその逆もあるというケースも存在する。性同一性障害とは厳密にいうと違うのだが、似通う点も多い。

 そしてこの性別の不一致こそが最も大きな問題とも言える。

 

 例えば、肉体も心も男性だとしよう。生殖器も一般的な平均に比べれば小さかったとしても、十分に男性生殖器の形を保っているとする。にも関わらず、遺伝子上は女性であり且つ、女性としての人生を選択したとする。

 ここで生じる問題が、女性生殖器の未発達の可能性。場合によれば、最悪女性としての人生を選択しても、その体に子を宿すことが出来ない、という可能性もあるのだ。コレは一つ目の問題にも大きく関わっている。

 

 この辺りまでの知識を思い出し、だからこそ否定したかった。

 

「いやでも……『オレ』の男性生殖器はちゃんとあるし。それに、”インターセックス”の多くはもっと幼い頃に体に何らかの不調が出てるケースが多いって……!」

「っ、澪……」

 

 どうやら『オレ』は、自分で思っている以上に動揺していたらしく、普段振舞っていた出来る限りの同年代の子供と同じような言動をかなぐり捨て、矢継ぎ早に言葉を放つ。自分の耳に届く微かに震えた声が、自分の物とは思えなかった。

 

 一瞬の躊躇いを見せた父はしかし、言葉を引き継いだ。

 

「確かに、お前の言う通りだ。だがお前の場合は非常に珍しいケースで、本当にどちらの性別も取れる状態に体が出来ている。だから遺伝子上でも……どちらでもあり、どちらでもない」

「……何で、今『オレ』にこんな話を?」

「っ、……本当であれば、私達がお前がもっと幼い頃にどちらかに性別を決めてしまえば良かったのかもしれない。だが、果たして生まれたばかりの子供が手術の負担に耐えられるだろうか?その心配がどうしてもあった。

 だからこそ、出来るだけ早く、けれど遅すぎないうちにお前自身に選ばせようと、そう決めていたんだ」

「………」

 

 父の言葉に、『オレ』は目に見えてうろたえる。

 そんな『オレ』を見た三人の表情はといえば、次男の”初めて取り乱した”姿を見て困惑しているといった様子。だがそれも当然か。

 『オレ』はこれまで出来るだけ同じ年頃の子供と同じような言動を取ってきたとはいえ、殆ど我が儘も言わず、喚き散らすこともなく、焦った様子すら見せた事がないのだ。

 そんな、”異常に成熟した息子”が見せる戸惑いの姿は、彼等にはさぞ滑稽に映ったことだろう。そう、自分自身を嘲笑う。

 

 

 グルグルと頭の中で思考が渦を巻く。

 突然告げられた言葉は、今まで持っていた自分の価値観というものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようだった。

 

 転生などという可笑しな状況に、更にその世界が物語の中。加えて自分が男でも女でもない?

 

(何なんだよ、これは……)

 

 心の中で今自分が置かれている状況に悪態を吐く。そうでもしなければ平静を保つ事が出来ない。

 

 数秒か、或いは数分か……。少し間をおいた俺は、これからどうするべきか思考する。

 未だ頭の中は混乱しているし、思考が纏まりそうもない。それでも何か考えていないと、今にも発狂してしまいそうになる。

 

 まず考えるべきは、どちらの性別を取るか、だ。正直な話、この先の未来が小説|<インフィニット・ストラトス>と同じ道を辿るのだとすれば、どちらを取ってもデメリットしかないように思える。

 

 この先の未来、来年か、早ければ今年の終わりごろには<インフィニット・ストラトス>という兵器が世に放たれる。

 この兵器の特性は、女性にしか扱うことが出来ないという事。この事実により、世界は急激に女尊男卑の社会体制を形成していく。

 

 ここで女性として生きていく場合、社会から優遇される地位に立つ事が出来る。が、デメリットとして、いつ女尊男卑の社会が崩壊しても可笑しくないということ。

 小説内にて描かれている男性の扱いというものは、正直馬鹿にならないほどに酷い。普段であれば只の創作物における内容を面白くするためのエッセンス程度にしか考えないのだが、実際に自分がその世界で生きるとなればそうもいかない。

 

 そんな抑圧されてきた世の男たちが、いつどんな形で女性――いや、世界に牙を剥くか。それは現時点では計り知れない。

 

 では男性を取ればどうなるかというと、こちらは殆どデメリットしかない。

 先にも纏めたように、女尊男卑の社会の中、男性の社会的地位というものはかなり危うい。それ故、当面の間は苦しい人生を送る事となるだろう。

 

 だが逆に、もし万が一の確率で女尊男卑社会がひっくり返る出来事が起こった場合、その怒りの矛先が自分に剥くことはなくなる。

 つまりはいつ訪れるか分からないものを長い目で見れば、というのが後者の選択。

 

 だが、『オレ』の場合はどちらに該当するか分からない。

 というのも、この<インフィニット・ストラトス>の世界では、中間にあたる性別の人間を全くスポットに当てていない。

 この場合、仮に女性としての人生を送ることを選んだところで、果たして世間がそれを受け入れるかという問題が生じる。

 

(問題だらけの人生だな……。本当、洒落にならない……)

 

 思わず両手で顔を覆い天を仰ぐ。

 中間の性別である『オレ』にとって、どちらの道を選ぼうとも茨の道となるだろう。

 

(――ふざけるな)

 

 自分の預かり知らないところで未来が決まっていく事に、胸の奥底から怒りが湧き上がる。

 これではまるで何者かに操られている操り人形(マリオネット)か、舞台上の道化(ピエロ)ではないか。

 冗談ではない。只でさえ転生などという不可解な状況の中で生きていかなければならないというのに、これ以上踊らされてたまるか。

 

(では一体、”自分一人”で何が出来るというのか?)

 

 ――考えろ。

 ――考えろ!

 ――考えろ!!

 

 そして、ある一つの答えに辿りつく。

 だがそれは、”『オレ』一人”では決して出来ないこと。だが、”『オレ』一人ではなければ”可能性は段違いに上がる。

 

 『オレ』は、自分の出した答えを三人に告げる。

 

 

 この選択が正しいかどうかは分からない。

 それでもやってやる。『オレ』がこの世界で生きていかなければならないのならば、出来る限りの手を打ち尽くしてやる。

 

 例えこの選択すらが、誰かによって描かれたシナリオだったとしても。

 自分自身が選んだ未来だと、いつか胸を張って『オレ』の人生を誇れるように――……。

 

 

 20XX年 某日。小学四年生のある日。

 

 それは、過去の自分である■■■■としての人生を捨て、『オレ』――五反田(ごたんだ)澪(れい)として生きることを決意した日。

 

 




後書き

澪は現在、非常に余裕の無い精神状態をしています。
というのも、自分のおかれている状況が普通ではないからに他ありません。
故に澪は、自分が出来るだけ平穏無事な人生を送れるように、過去の知識もフル活用し、今後の人生に備えようとしています。

そんな彼に、家族からの突然の告白。
彼が選んだ答えというものは、後の物語でも大きく関わってくるものであり、私がこの作品を書くにあたって考えているもう一つのテーマに沿うものでもあります。

その辺りについては、またいずれ。
それと、澪は最後に”この世界で五反田澪として生きると決めた”と言っていますが、それでも過去の自分と完全な決別をした訳ではなく、また、平穏無事な人生を送ることを諦めた訳ではありません。

感想・指摘等お待ちしております。




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序章 0-3

◆同年三カ月後 某日某所◆

 

 『オレ』にとって文字通り運命の選択をしたあの日から三カ月後。性転換手術を明日に控えた『オレ』は今、地元を遠く離れた某県の巨大な病室にいる。

 国内で受けられる性転換手術の技術が最も高い場所であるという事から、一人入院することにしたのだ。

 

 初めは両親――特に母から心配されたものだが、自宅が食堂を営んでいることもあるから態々一緒にこちらで生活することはないと断った。

 が、実際はそれだけではなく、一人の時間が欲しかったのだ。

 

 これから本格的に、五反田(ごたんだ)澪(れい)として生きていく覚悟。

 そして――女性として生きていく覚悟を固める時間が。

 

 あの日、『オレ』が選んだのは女性として生きていくという未来。

 先の見えない可能性にすがるよりも、ほぼ確かな可能性で訪れるだろう女性優遇社会において生き残るため、というのが『オレ』の考えだった。

 

 おおよそ小学四年生が考える内容ではないのだが、それもそのはず。中身は小学四年生どころかあと数年もすれば三十路に突入するような奴なのだから。

 

 だがこの道にも問題はある。それはやはりある意味で中間、第三の性でもあるインターセックスだった人間の社会的地位というもの。

 現在でさえ色々と問題になっているというのに、女尊男卑の社会になってしまえば、今以上に性別による差別というものが浮き彫りになる。

 まぁそんな人生をどうのように生きていくかは、大体の選択は出来ているのだが。

 

 しかしそれにしても――

 

 

「――……暇だ」

 

 入院着を身につけベッドの中にいる『オレ』は、思わず呟く。

 現在、女性として生きていくにあたり体内のホルモンバランスの調整やら何やらを行っているために、全くと言っていいほどに身動きが取れない(昔はそこまでは出来なかったらしいが、医学の進歩によってこの世界では可能らしい)。

 

 そして同時に思う。

 過去の記憶を取り戻してから数年。果たしてこれほどまでに落ち着いた気持ちで物事を考えることが出来たであろうか、と。

 

 思えば余裕のない人生だった。いや、今でも十分に余裕なんぞ無いのだが。

 だがそれにしたって、もう少しやり方というか、別の身の振り方があったのではないだろうかと考えてしまう。

 というのも、その原因は遡ること三ヶ月前。『オレ』が女性として生きていくことを決めた、次の日の出来事――……

 

◇◆三カ月前 自宅◆◇

 

 『オレ』が女性として生きていくことを決めた次の日の夜。五反田家では緊急家族会議が開かれた。議題は勿論、『オレ』の体の事と性転換手術を受けるということだ。

 

「あー、えっと……マジ?」

「あぁ、大マジ。『オレ』も昨日聞かされて知った」

「……まぁ、澪が冗談なんていうとこ見たことねぇからマジなんだろうけど、さ……」

 

 一通り話を終えた後、俺は二人の兄妹に視線を向ける。

 双子の兄である弾は何とか理解が及んでいるようではあった。が、妹の蘭は違った。

 

 弾と違い、『オレ』はあまり蘭に構った事はない。そういった事情もあるせいか、彼女の『オレ』を見つめる瞳には、様々な感情が渦巻いているようだった。

 中でも顕著なのは恐らく――……

 

「蘭」

「っ!」

「『オレ』の事、気持ち悪い奴だと思った?」

「………」

 

 静かに問いかける『オレ』の言葉に、蘭は何も答えずゆっくりと視線を逸らす。

 結局その日以降今日に至るまで、彼女が『オレ』と目を合わせることはなかった。

 

 

 正直な話、あの態度は当然のものだろう。

 弾でさえ本当のところどこまで理解しているか分からないというのに、妹である彼女に至ってはまだ小学三年生。理解が及ぶよりも先に、未知の存在に対する恐怖や嫌悪感が湧き上がってくるのも頷ける。のだが

 

「……結構堪えたなぁ」

 

 予測出来ていたこととはいえ、彼女の行動は思いの他精神的な負担を与えた。だがそれも、自業自得だろうと鼻で笑う。

 

 思えば『オレ』は、まともに家族とのコミュニケーションを取ってきた覚えがない。どころか、両親を父さん、母さんと。祖父をお爺ちゃんと最後に呼んだのは何時だったろうかと、そんなことすら思い出せない。

 それほど迄に愚かな行為を重ねてきた。

 

 弾とは小学校が同じだということもあり、話す機会は家族の中では一番多かった。だが妹の蘭とはその限りではなく、弾と一緒にいるときには世話を見ていた、という事が殆ど。

 恐らく彼女の中で『オレ』という存在はそれほど大きくはないだろう。寧ろ、恐れていた可能性も拭えない。

 

 ――コンコンッ

 

 と、そんな時。病室の扉をたたく控え目な音。このノックの仕方に覚えのある『オレ』は、扉に向かってどうぞと声をかける。

 すると予想通り、入ってきたのは母だった。だが今日は彼女だけではなく父や祖父も一緒のようだ。いや、それどころか

 

「弾、蘭……」

「よっ!」

「………」

 

 驚くべきことに、二人も連れてきたようだ。

 年頃の少年そのままに病室を物珍しそうに見つめる弾とは違い、蘭は終始俯いたまま父の後ろに隠れるようにしている。

 

 そんな二人を見て、『オレ』は何とも言えない表情を浮かべた。

 

「気分はどうだ?」

「うん、特に問題ないよ」

 

 父の言葉に、ありきたりな答えを返す。

 

「ちゃんと飯くってんだろうな?」

「病院食は予想以上にまずいけど、全部食べてるよ。家で食べるご飯が一番だ」

「……ったりめーよ!」

 

 鉄人やら豪放磊落といった言葉をそのまま人の形にしたような祖父が、普段は絶対に見せない気遣わしげな表情。

 こんな顔も出来るんだと思うと同時に、申し訳なさが募る。『オレ』に出来たのは、場を和ませるように冗談を言うこと位。

 

 そして母は

 

「……澪」

 

 どこか思い詰めた表情を浮かべている。

 そんな彼女の様子を悟った祖父は、弾と蘭を連れて一度病室から出て行った。後の残されたのは、ベッドに横たわる『オレ』と両親。

 

 母は何か言おうとしているが、それを言葉にする事が出来ないでいる。父はそんな母を気遣わしげに見ているだけだし、ならば『オレ』に出来るのは、彼女の言葉を待つことだけだ。

 

 暫くの間、病室に重苦しい空気が流れる。が――

 

「……澪、ゴメンね?」

 

 小さな母の一言が、沈黙を破る。

 見上げる視線のその先には、涙を浮かべる母の姿と、何処か申し訳なさそうな表情の父の姿。しかし分からない。一体二人は、何に対して罪の意識を感じているのだろうか?

 

「……私がアナタをちゃんと生んであげられていたら、こんな辛い思いをさせなくても済んだのに」

「澪。お前はこれから何らかの辛い思いを経験して行く事になるだろう。

 それに対して謝ってどうなるものでもないのは分かってる。けど……すまない」

 

 そう言われて気が付く。

 両親は、今の『オレ』の体がこんな状態にあるのが自分達のせいだと考えているようだ。そんなこと、別に二人が謝ることじゃない、と言おうとして

 

「だが俺達が一番謝らないといけないのは、それじゃないんだ」

 

 その父の言葉に、口を噤む。どういうことだろうか?

 

「昔……幼稚園で倒れたあの日から、アナタは本当に手の掛からない子に育ってくれたわ。食堂を営んでいるウチとしてはとても助かったし、学校のお勉強でも運動でも、常にトップにいるアナタは誇らしかった。

 ……でもね、心のどこかで私達は、アナタの事を”気味の悪い子”だと思っていたの」

「お前は一人で何でも出来た。……いや、”出来すぎる”子供だった。弾や蘭とは明らかに違う、謂わば”天才”と呼ぶべきお前の存在は、最初こそ自慢だった。

 だが年を重ねていく毎にエスカレートして行くお前の知識への欲求、子供とは到底思えない言動、振る舞いは、俺達にとって”異常”とも呼べるものに変わっていった。

 そんなお前を、俺達は何時の間にか恐れるようになっていったんだ」

 

 でもそれは、俺達の都合でしかなかったんだ。

 

「お前がこうして入院している姿を見るたびに、胸が押しつぶされるような思いを感じるようになった。そしてその時になって、やっと気付いたんだ。

 怖いくらいに出来の良い子供。だけどそれでも、お前は確かに俺達の子供で。そんなお前を愛していることに……」

「こんな状態になるまで気付けなかったなんて……。親として最低だわ」

 

 まるで懺悔するかのように心の内を吐き出す二人を見て思う。

 あぁ、『オレ』は何て親不孝者なんだろう、と。

 

 前世の記憶があるが故に、今生の両親を両親として見る事が出来なかった『俺』が招いた罪。その証が今、ここにある。

 この二人に、いや。二人だけでなく家族に今までこんな思いをさせてきたその原因は全て、『俺』個人による単なる我が儘が招いたもの。それがこうまで家族に深い傷を残していたとは……。

 

(そんなこと、全然考えた事もなかった……)

 

 『オレ』が考えていたのは何時だって自分の事ばかり。それ以外の事を蔑ろにしてきたツケがこんな形で回ってくるとは、正直思わなかった。

 

(でも、過ぎた事を後悔するのは無意味な事だ。なら『オレ』が考えなければいけないのは――)

 

 これからの、”五反田澪”としての生き方。

 ”本当の意味”で五反田家の一員として生きていくための、自分のあり方。

 

 なら、今この時が、その為の最初のワンステップなのだろう。

 

「……『オレ』の方こそ、ゴメン」

 

 涙を浮かべる両親の目を真直ぐに見つめ、謝罪の言葉を口にする。

 

「『オレ』も、色々と余裕がなかったから。だから皆に迷惑かけていたんだってことすら、今の今まで気付かなかった」

 

 だからこその、ゴメン。

 

「退院したら、二人に話したい事があるんだ。

 だから今は、取りあえず無事に手術が終わるのを祈っててくれないかな」

 

 父さん、母さん――……

 

「……久しぶりに呼んでくれたわね」

「自分の子供の無事を祈るのは親として当然のことだよ。……大丈夫、手術は絶対成功する」

「……うん」

 

 漸く笑顔を見せてくれた二人を見て、少しだけ心が軽くなる思いを感じた。

 

「……爺ちゃんと、弾と蘭も呼んできてくれないかな。手術する前に、ちゃんと顔を合わせておきたいんだ」

 

 

 それからほんの少しだけれど、三人とも話をする事が出来た。

 積み重ねてきたものが大きいだけに、関係を修復していくのは大変だろう。

 けれどそれでも、これが新しい『オレ』の始まり。その最初のステップだと思えば、それほど苦ではなくなるだろう。

 

 

 久しぶりに呼んだ、父さん、母さん、爺ちゃんと言う言葉。

 

 それはとても重い言葉で、けれどとても耳に心地よかった。

 

 




後書き

澪の心境が変わった要因。

・一人でじっくり考える時間が出来た事。
・この世界で”五反田澪”という一人の人間として生きる決意がある程度出来た事。

これらの理由から、多少丸くなった感じです。ちょっと展開早過ぎるかもしれませんが、だらだらと書き続けるよりは良いかと思ったので、少しアッサリと。
尤も、これで完全に彼(彼女)の価値観が変わったわけではないので、あしからず。

転生について思った疑問点。
その一つである”家族の感情”に焦点を合わせてみました。

同じ位の子供からすれば、
・かなり頭がいい奴
・自分よりも何でも出来て羨ましい
・ちょっと気味が悪い

位の感情を持つでしょう。

ですがそれが成熟した人間、つまり一緒に暮らす家族であったら?
そう考えた時、最初に感じるのは”恐怖”に近い感情だと思います。

出来の良過ぎる子供を見ている内に、愛情はやがて恐怖に近い感情へと変わって行くのでは無いかと。
人間とは未知に対してはトコトン恐怖するもの。それはきっと、異常なまでに優秀な子供に対しても同じかと。

多く見かけるIS二次において、篠ノ之束は”生まれたとき(自我が形成されたとき)から他人を認識することが出来ない異常な感性の持ち主”というものが多いです。

ですが個人的には、出来の良過ぎる彼女とどう接すればいいのか周囲が分からなかったために、彼女は自分の心を守るための措置として、
次第に”自分に対して色メガネ(天才等の肩書きを通す事無く)無く観てくれる人のみを認識出来なくなってしまった”のではないかと睨んでいます。

こう考えれば、親は認識がギリギリ出来る程度なのに対し、妹である箒を溺愛しているのは、純真無垢であった箒は何の隔たりもなく束に接してきたということで一応の辻褄は合います。

千冬に関しては、彼女もある種特出したカリスマを持ち合わせているようなので、そこにシンパシーを感じたのでは、と。
そしてその弟である一夏もまた、箒と同じく純粋であったからなのでは?

というのが、個人的見解。上記においてこう思ったのも、親や周囲が子――束を気味の悪い存在と捉えていたのではないか、という考えから。
ここで書いた事も、その内本編で絡ませていきたいと思います。

感想・指摘等お待ちしております。


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一章 あの時オレは小学生(ガキ)だった
一章 1-1


◆20XX年 自宅◆

 

 『俺』――■■■■が、この世界で五反田(ごたんだ)澪(れい)として生きると決めた日から数カ月。

 手術も無事成功し、後遺症らしきものも得には残らなかった『オレ』は、女子としての生活を始めるようになった。

 

 そんなオレの日常には、ある変化が表れ始めた。その一つが女の子としての振る舞いだ。

 

 だがこれが中々にきつく、特に口調や服装という問題が出てきた。

 が、これまで男として生きてきたオレがそう簡単に価値観を変えることが出来るはずもなく。結果、以前一人称はオレのままだし、服装も男物を好んで着ている。

 

 その辺りを全く考えていないのに女性に転換したので、溜息が絶えない毎日だ。

 とりあえず朝食を取るために一階へと降りていく。

 

「あら、おはよう澪。今日はいつもより少し早いのね」

「おはよう母さん。まぁ、今日は大切な日になりそうだからね。父さんとお爺ちゃんも、おはよう」

「あぁ、おはよう」

「おう」

 

 一階に降りると、そこには既に両親と祖父の姿があった。そんな彼らと、自然に挨拶を交わす。

 

 手術を終え退院をしたオレは、両親と祖父にオレの事を話した。

 といっても、全てを話すことは流石に躊躇われたので、”夢の中で自分ではない自分の人生を見る”というような曖昧な話し方をした。

 

 それでも三人はどこか納得した様子で、そしてオレを受け入れてくれた。その日、受け入れてもらった事が嬉しくて泣いてしまったのは、オレの中では軽く黒歴史となっている。

 

「そろそろ弾と蘭の二人も起こしてきてくれないかしら?」

「ん。了解」

 

 母さんの言葉に生返事を返しながら、再び二階へと上がっていく。

 程なくして辿り着いたのは弾の部屋。ちなみに兄である彼は非常に寝起きの行動が遅いので、少々過激(物理的)な起こし方をしている。

 今頃は部屋で悶絶していることだろう。

 

 そして蘭のほうはというと

 

「蘭、起きてる?朝ごはん、そろそろ食べないと時間なくなるよ?」

『……うん、分かった。ありがとうお姉、すぐ行くから』

「了解」 

 

 寝ぼけた様子の彼女の言葉に、思わず笑みが零れる。

 退院後、これまでの態度を改め出来るだけ家族との関わりを持つようになってから、彼女ともこうして話すことくらいは出来るようになった。

 まだどことなくぎこちない所はあるけれど、それも自分の行動が招いた結果。それに、その辺りはこれからの態度で改善していくことが出来るだろう。

 

 取り敢えず起きたことを確認したオレは、再び一階へ。朝食を手早く済ませ身支度を整えると、皆に一声かけた後、一足先に家を出る。

 

 何故なら今日はオレにとって、大切な日なのだから。

 

 

「はぁ……」

 

 俺――織斑一夏は、心の中にポッカリと穴が開いたような感覚を覚えていた。それは、幼馴染であった少女――篠ノ之箒が転校してしまったことにある。

 そもそも彼女が転校しなければならなくなった理由は、彼女の姉である篠ノ之束が開発したIS――インフィニット・ストラトスの存在が原因だ。

 

 詳しい事は良く分からないけど、何でもつい数日前、日本に向かって世界中からミサイルが放たれたらしい。あわや大惨事になろうとしたその時、束さんが開発したISが現れ、たったの一機で2000発を超えるミサイルを撃ち落したのだ。

 

 これによって世界はISを求めるようになった。けれど開発者である束さんはどこかへと姿を眩ましてしまう。

 その後、箒やその家族は、要人保護プログラムとかいうのによって身の安全を守るために家族バラバラに引き離されてしまったのだ。

 

 別れの挨拶をする事も無くいなくなってしまった幼馴染。特に仲が良かっただけに、何も出来なかった事がたまらなく悔しく、そして何時も隣にいたはずの存在がいないと言うのは、俺に大きな心の傷を残した。

 

 そんな日々を送りながら数日が経ったある日の事だ。

 

「はーい、皆席についてね。さて、今日は授業を始める前に皆に新しいお友達を二人紹介します」

 

 担任が柔らかな声で告げたその一言に、教室はざわつく。珍しい時期の転校というのもあるが、一度に二人も同じクラスになるという事が、皆を驚かせた。勿論、俺もその一人だったが。

 何時までも話し声の収まらないので先生がパンパンと手を叩い場を納める。少しして静かになると、先生は扉の方へ向かって声をかけた。

 

「それじゃあ入ってきて」

「「はい」」

 

 返って来たのは二つ分の声。一つは女の子特有の高めの声。けれどもう一つは、高くも低くも無い、中間辺りの声だ。男か女かは、見てみるまで分からない。

 

 ガラリと音を立てて入ってきたのは、二人の生徒。

 

「中国から来た、鳳鈴音(ファン・リンイン)です。宜しくお願いします!」

 

 先に挨拶をしたのは、茶色っぽい長い髪をツインテールにした少女。デカイ声から、パワフルな印象を受ける。

 何と無しに見ていた俺はもう一人はどんな奴だろうと視線を向け―― 一瞬首を傾げそうになった。というのも、正直にいって男か女か良く分からないのだ。

 

 紫がかった黒髪を肩の辺りにまで伸ばした、隣の”ファン”、だったか?よりも背の高いソイツは、男にも女にも見える顔つきをしている。その上服装もどちらかというと男っぽいものを着ている。ズボンを履いている時点で、多分男だと思うんだけど……。

 

 俺の感じた疑問は他の奴も同じようで、まだ自己紹介をしていない方を見てはヒソヒソと話し声を上げる。けれどソイツは、そんな俺達に構う事無くその口を開いた。

 

「隣町から来ました、五反田(ごたんだ)澪(れい)です。あぁ、こんな格好をしていますが、一応女なのでそこの所は間違わないように。どうぞ宜しく」

 

 見た目と同じく男か女か分からない声でソイツ――五反田はふっと笑みを浮かべながら自己紹介をした。

 

 ――これが、後に長い付き合いとなる二人との出会いだった。

 

 

「あー。疲れた……」

 

 オレ――五反田澪は、正直言って今の状況に参っていた。というのも、転校初日恒例という名の質問責めやらにあったためだ。小学生というものがここまでパワフルだったとは……正直侮っていた。

 

 色々な質問をされているが、中でも多いのが

 どうして隣町から来たのか

 どうして男みたいな恰好をしているのか

 というものだった。

 

 それに対してオレは、出来るだけ当たり障りのない答えを返して何とか場を凌いでいる。きっと苦笑を浮かべていた事だろう。

 そういったイベントを何とか消化し、授業もそれなりに過ごした今、本日の授業を全て終え放課後に突入。

 

 元気が有り余っている小学生達について行くのが思いのほか疲れたため、オレは一緒に帰ろうと誘いをかけてくれたクラスメイトに丁寧に断りを入れ、少し図書室で時間を潰した。

 その後、帰ろうかと思ったところで忘れ物をしていることに気がついた。

 

 そして現在、教室へと向かい辿り着いたのだが――……

 

(……何だか取り込み中?)

 

 教室から微かに聞こえてくる誰かの話し声。だがそれは、穏やかなものではなく、寧ろ”言い争っている”という表現が適切だろう。

 面倒事は御免だと思いつつ、取りあえず教室の中をソロリと覗き込む。

 

 中にいるのは三人のクラスメイトである男子と―― 一人の女子、名を鳳鈴音(ファン・リンイン)。オレと同じく今日転校してきたばかりの外国人の少女だ。

 そこで漸く、心の中で納得がいった。しかし同時に疑問を感じる。

 

 納得いった理由は、現在の彼女は日本語を話せるといっても若干訛りがある状態。それ故、上手く意思の疎通を図ることが出来ない部分もあったせいか、転校初日から若干浮き気味であった、という点から。

 恐らくあの少年達は、言葉を上手く話す事の出来ない彼女をからかっているだけなのだろうが、彼女にとっては違う。

 ただでさえ異国の地で一人、友達もいない状況でそんな目にあえば、心の中に溜まっていた不安が爆発するだろう。そして恐らく、それらが作用し合った結果、険悪な状態へと発展してしまったのだろう。

 

 逆に疑問に思ったこと。それは

 

(”原作”の回想の時に、イジメみたいなのを受けていたって表現なんてあったか?)

 

 ”自分が持っているこの世界の記憶”との齟齬が発生している事に他ならない。

 確か、語尾の事やら中国だから笹がどうのこうのというのがあるっていうのは覚えているんだけど……。

 だが悩んでいたところで事態は好転しないし、個人的には早いとこ忘れ物である今日の宿題を取りに行きたい。そして何より

 

(こんなとこ見ちゃったら見過ごすわけにもいかないよな)

 

 ”正体”を偽りこそすれ、自分の心までをも偽りたくはない。この世界で生きていくことを決意したあの日から、そうすると決めたのだから。

 すぅっ、と大きく深呼吸を一つ。直後に扉を勢い良く開けた。

 

 

「うわぁっ!?」

「な、なんだ!?」

「げっ、転校生……!」

 

 バァンッ!という音に驚いた彼等は、ビクリと体を振るわせた後コチラを見ると、決まりが悪そうな表情を浮かべる。まぁ無理も無い。こうも完璧にイジメの現場を押さえられたら、共犯でも無い限り誰だってそうなるだろう。

 そしてイジメを受けていた鳳はというと、どうすればいいのか分からないといった状態だ。

 

「やぁ。何だか随分つまらない事をしているみたいだね」

 

 そんな彼等に構う事無く、オレは彼等に歩み寄る。同時に、少しでも鳳を安心させるために笑顔を向ける事も忘れない。

 

「な、何だよ。お前には関係無いだろ?」

「そ、そうだそうだ!」

 

 突然のオレの登場にどうするべきか悩んでいる彼等を他所に、オレは自分の机の中を漁ると目的の物を取り出し鞄に詰め込む。そうする間にも会話を続けることでコチラに注意を促し続ける。

 

「いや、流石に関係無いとは言えないかな」

 

 同じ転校生として仲良くしたいしね、と言いながら鳳の手を取る。一瞬だけ驚いたようだったけど、彼女はオレの手を握り返してくれた。

 

「じゃ、オレ達は帰るから」

 

 ピシャリと一言告げ、彼女の手を引きながら扉を目指す。――が、当然と言うべきか、イジメっ子三人はオレ達の道を塞いだ。

 

「ちょっと待てよ」

「俺達、ソイツに用があるんだよ」

「関係ない奴は引っ込んでろ!」

「って言ってるけど、実際どう?何か話すこととかある?」

 

 振り返り確認するも、彼女は首を大きく横に振る。否定の意志を大きく表していた。それを確認すると、オレは彼等三人を小馬鹿にするように

 

「だってさ。残念、振られちゃったね」

 

 と肩を竦めて見せる。それが気に食わなかったのか、三人は顔を真っ赤にして逆上する。

 

「その上怒るって。わぉ、格好悪い」

 

 それがトドメの一言になったようで。

 

「何だと!?」

「男みたいな格好しやがって!」

「ぶっ飛ばしてやる!」

 

 アニメやなんかに出てくる三下の様な台詞を吐きながら、彼等は同時に襲い掛かってきた。全く、子供とは言え男が集団で女子に襲いかかるって……情け無い事この上ない。

 取りあえず痛いのは御免だし、何とか鳳だけでも怪我の無いように立ち振舞おうとした、その時。

 

「グエッ!?」

 

 と、蛙の潰れたような声を上げながらイジメっ子の一人が倒れこむ。突然の事に驚く残りのイジメっ子達。振り返って見ればそこには、義憤を滾らせる黒髪の少年――織斑一夏がいた。

 

 彼の登場に、オレは内心で舌打ちする。何故なら彼はオレにとって、最も関わりたく無い人間の一人なのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。

 

「げ! 織斑!」

「何だよ! 篠ノ之の時みたいに、また正義の味方気取りかよ?」

 

 と残る二人は苦々しげに彼に向かって言葉を発する。というかこの三人がこの場にはいないあの娘(こ)にまでちょっかいを出していたのか。

 

「うるせえ! お前等こそ、懲りずにまたこんな事しやがって!」

 

 などと、幼いながらも正義感溢れる台詞を恥ずかしげもなく言い放つ。

 

「いやぁ凄い、これが若さか」

「アンタも同じ年でしょ!?というか、どうするのヨ?」

 

 そんな感じで観戦モードに入っていると、後ろに控えている鳳が少し慌てたような声を上げる。ふむ、確かにこの状況はよろしくないね。

 最初にダウンした後復活した男子を含め三人の注意が織斑少年に向いている間に、オレは鳳に話しかける。

 

「そうだね、早いとこ終わらせようか。ところで鳳さん」

「鈴でいいわ。っていうかアイツ、いい加減助けないと!」

「そう、それじゃあオレの事も澪で。丁度いいから、男子に対するとっておきの撃退方法、見せてあげる」

「えっ?ちょっと!?」

 

 ウィンク一つしながら彼女の側を離れたオレは、織斑少年ににじり寄る男子達の背後にコッソリと回り込む。オレに気付いた織斑少年に静かにという意味を込め人差し指を手に当てる。

 そして未だオレの存在に気付かないイジメっ子の一人に向かって――

 

「ふっ!」

「~~~~~~っ!?」

 

 ――股間に鋭い蹴りをお見舞いする。

 

 一撃(一応手加減した)を喰らった少年は、声にならない悲鳴を上げてノックアウト。そして自身の股間に手を当て、魚のようにピクピクと小刻みに痙攣している。

 そんな彼を見た織斑少年と残るイジメっ子二人は、その痛みが分かるが故に自らの股間を押さえている。心なしか顔色が悪い。

 

「お、おい!? しっかりしろ!」

「くそ、卑怯だぞ!? よりにもよって……!」

 

 と残るイジメっ子は蹲った少年を気にかけながらオレを罵る。でもね

 

「三人がかりで女の子一人をいじめるような君達に、言われたく無い。あぁ、ところで――」

 

 ――まだやる?

 

 小さく呟きシャドーキックを虚空に放つと、イジメっ子二人は顔面蒼白になりながら高速で首を振る。そして仕舞いには、倒れた少年に肩を貸しながら「覚えてろよ!」という捨て台詞と共に去って言った。

 そんな彼等を、織斑少年は涙を浮かべながら見送っていた。

 それから暫くの後、オレに”クラッシャー五反田”などという不名誉な渾名が付いたりするのだが、この時のオレはまだ知る由もなかった。

 

 

「ねぇ」

「!?」

 

 取りあえず事が済んだので織斑少年に声をかけると身構えられた。失礼な。

 

「大丈夫、もうしない」

「あ、わ、悪い」

 

 漸く警戒を解いてくれた織斑少年。しかしこのままではつまらないので

 

「……君が敵対し無い限りは」

 

 と小さく呟くと、彼は「そ、そうか。ははは……」と笑っていた。まぁ”アレ”は男にしか分からない痛みだからねぇ。

 

「ところで鈴、大丈夫?」

「え!?あ、うん。だいじょぶ」

 

 話題を切り替え、鳳さん改め鈴に声をかけると、少し驚いたように返事を返した。

 

「じゃあ、お礼。彼に言わないとね。ということで、ありがとう」

「あ、そうね。ありがと、えっと……」

「織斑一夏。一夏でいいぜ」

 

 と、織斑少年改め一夏は爽やかな笑みを浮かべる。

 うぅむ、流石将来のイケメン。小五でここまで爽やかな微笑とは……やりおる。まぁ、オレは何とも思わないんだけどね。

 

「どういたしましてって言いたいところだけど、結局俺は何もして無いしな。寧ろお礼を言うなら五反田に言うべきだろ?」

 

 ”てか、アイツが可愛そうになってきた”という呟きは無視する。あれは自業自得というものだ。そんな事を考えていると、鈴はオレに向き合うと、恥ずかしいのかモジモジしだす。

 

「えっと……。アンタも助けてくれてありがとう、澪」

「どういたしまして。今度何かあったら、一発かませばいい」

 

 シュッと蹴りを繰り出すと、二人は「うわぁ……」と言いながら何とも言え無い表情でオレを見つめてきた。

 正直色々と思うところがなかった訳では無いが、此処でこのまま時間を潰すのも勿体無い。そう思ったオレはランドセルを手に取り二人に声をかける。

 

「それじゃあ、一緒に帰ろう」

 

 その何気ない一言にしかし、鈴は「えっ……?」と声に出す。

 見れば彼女の表情に浮かぶのは、ホンの少しの期待と、ホンの少しの戸惑い。先ほどのこともあるせいか、どうやらオレの言葉の意味を捉えきれていないらしい。

 

 そんな彼女の様子に、”原作”では鈍感と呼ばれ続けてきた彼でも流石に気付いたようで。オレ達は顔を見合わせるとプッと吹き出す。

 

「何言ってんだよ?」

「オレ達はもう友達。友達が一緒に帰るのは、当然の事」

 

 そう、何でも無い一言を放つ。その何でも無いはずの一言はしかし、今の彼女には一番欲しかったものの様で。

 

「あっ――……うん!」

 

 そこで漸く、鈴は笑顔を浮かべた。それはまるで、花が咲いたような飛び切りの笑顔だった。

 

 

 

 

 本来であれば、出来るだけ関わらないようにしようとしていたはずの二人。けれどそれも、自分自身の選択で断ち切ってしまった。

 

 きっとこの選択は、”原作”とは違う未来を引き寄せる事となるのだろう。

 そしてこの選択が後にオレの人生に――ひいては世界にどのような影響を与えるのか……。それは、誰にも分からない。

 

 悩みもある。不安もある。

 

 けれど、それでも。出来る限りの事をやっていこう。

 何故始まったか分からない”二度目の人生”。それを少しでも平穏無事に過ごせるように――

 




澪を転校させた理由。

・ほぼ確実にイジメにあうだろうから

いきなり知っている人物の性別が変わっていたら、小学生という幼い彼等では受け入れられないだろう、と。
また、中には面白半分でイジメる奴もいそうだから。

などの理由から、澪自らが両親を説得した、という設定。
大人でさえ受け入れられないのが大半なのに、子供であったらいったいどれほどの事がおこるだろうか……。

澪の性格は基本お人好しです。
頭では原作、特に一夏に大きく関わるだろう鈴と関わるのは危険、と考えています。ですが

・同じ転校生
・彼女とのみ個人的な友人になれば問題なし

という考えの下、割って入ることに。
この選択が意外と今後の展開で重要だったりします。

と言いつつ、一夏と良好に見えます。
が、実際はそんなこと無いです。次回辺りで明らかになります。

ついでの補足。
澪の容姿、というか髪の色は父親譲りの黒髪。瞳は若干紫がかっている。
双子の弾と違うじゃねぇかというツッコミは無しでお願いします。
だってそのくらい変えとかないと、蘭と被りそうなんですよ、奥さん。

感想・指摘等お待ちしております。



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一章 1-2

◆一年後 20XX年 6月◆

 

「おはよう鈴(リン)」

「おはよ、澪(れい)!それじゃあ行きましょうか」

 

 転校から一年。小学六年生に進級したオレは、鈴と共に学校を目指す。

 あの出来事から、オレは彼女と共に行動をすることが多くなった。どうやら彼女の中で、オレは気の許せる友人となったらしい。まぁ、オレも彼女を大切な友人だと思っているのでなんの問題も無いのだが。

 そんな風に、取りとめもない会話をしながら歩いていると

 

「おーい!澪、鈴!」

「あっ、一夏!」

 

 一人の少年――織斑一夏が声をかけてきた。鈴は明るい返事を返す。

 どうやら彼もあの出来事で鈴を友人と認めたらしく、気軽に声をかけてくるようになった。

 

「おい、無視しないでくれよ澪」

「チッ。………おはよう、織斑君」

「まさかの舌打ち!?てか、なんで俺だけ名字なんだよ……」

 

 もう一年位の付き合いだろ?と、少しへこむ織斑一夏。だがオレにとってはどうでもいい事だ。

 

 彼――織斑一夏は、オレにとって最も関わりたくない人間、その内の一人。

 というのも、ライトノベル<インフィニット・ストラトス>の主人公が他ならぬ彼なのだから。

 

 物語には話の主軸を担う主人公というものが存在する。そして彼は、正しくそれなのだ。数年後の未来において、彼を中心に物語は展開していく。

 が、オレ個人としては出来る限りの接触は控えたかった。誰が好き好んで命の危険に晒される様な人間に近づこうと思えるだろうか。

 

 しかしあの日の接触を機に、重ねて言うがどうやら彼はオレにも友好的に接しようとしてきた。オレにとっては厄介な事この上ない。

 

 命の危機に晒されると言ったが、織斑一夏に関わるともう一つ碌なことが起きない。

 それは、彼が異常なほど異性にモテるということだ。

 

 <インフィニット・ストラトス>内で描かれていたことだが、彼は洒落にならないほどのフラグ体質を保持しているようで、悪く言ってしまえば息を吸うように女を落としていく。

 しかも物語において、彼は所謂ハーレムを建築する。

 

 小説などに関して言えば面白いのかもしれないが、現実でそんな奴がいたら、オレだったら近づきたいとは思えない。

 更に言ってしまえば、今のオレは中身は男のままだが肉体は女のそれだ。いつ、何の手違いでオレも彼のハーレム要員に含まれるか、分かったものではない。

 オレ自身にそのつもりがなくても、この世界においてそれがどこまで通用するか分からないのだ。そう結論付けての、”君子、危うきに近寄らず”だというのに……。

 

「なぁ、何で澪は俺をさけるんだよ?」

「というか、澪ってば何でそこまで一夏の事を嫌ってんのよ?」

「無自覚鈍感野郎って、嫌いなんだ。だからだよ。……あぁそれと、君に名前を許した覚えはないよ、織斑君」

「むっ……。じゃあ何で鈴はいいんだよ?」

「鈴とは友達だからね。友達の事を名前で呼ぶのは、至って普通の事」

 

 友人でもない相手を突然名前で呼ぶのは失礼だろう?と続けると、視界の端で項垂れている織斑一夏と、彼を慰めている鈴の姿を捉える。

 言ったように鈴とは友人ではあるが、彼がどう思おうが、オレは彼と友人になったつもりはない。

 

 只でさえ、”五反田”という家系は織斑一夏に接触しやすい存在なのだ。だというのに、これ以上彼に関わるようなマネはしたくはないというのが、オレの本音。

 尤も、鈴は別だ。彼女に関わるだけなら別に問題はないし、彼女の恋のサポートをするくらいは寧ろやる気になる。

 が、それと個人的に織斑一夏と関わるのは全く別物。

 

 そんな事を考えながら登校する。これが今の、オレの日常。

 

 

 時間は少し飛んで昼休み。

 鈴は織斑一夏や他数名を伴って外で元気に体を動かしている。そんな彼等を眺めているのか本を読んでいるのが、オレのスタンス。

 

 一年前の出来事以降、鈴に対してイジメをするような奴はいなくなった。どころか、彼女の持ち前の明るさは、自然と友達を増やしていった。

 その結果、普段彼女の側にいるオレにとっても共通の友人と言うものが増えたのは何とも言え無い誤算だ。

 

 別に友達が欲しく無いわけでは無い。寧ろ、前世での最後の出来事を鑑みるに、友人とは本当に必要であり得難いものだと言う事を理解している。

 それでも前世の理性が少し邪魔をするせいで、オレは中々彼等のようにはしゃいだりすることが出来ない。もし彼等と本格的に遊ぶようになるとすれば、それは彼等がもう少し成長する頃、具体的に言えば中学に進学してからの事だろう。

 この年になれば多少精神面でも大人に近づいてくるので、オレ自身やりやすい。

 

「いやぁ、疲れた」

 

 聞こえてきた声に顔を上げて見れば、そこには織斑一夏の姿が。幼い顔立ちも徐々に大人のそれに近づき始めている為か、一年でその印象は随分と変わり始めている。

 初めて出会ったときこそ幼い印象を受けたが、今では俗に言うイケメンへと変貌し始めている。また、原作の”織斑一夏”のように酷く鈍感でありながらそれらしい言葉や態度をするため、思春期真っ盛りな少女達をその毒牙にかけはじめている。しかも本人に自覚が無いときた。

 今でさえ騒がしくなってきているというのに、中学へと進学したらどうなることやら……。正直、考えたくも無い。

 

 そんな、男からすれば羨ましいだろう体質と肉体的スペックを供える彼は、一体何をトチ狂ったのか爽やかな汗を流し、これまた爽やかな笑顔を浮かべながらオレの方へと向かってくるではないか。

 

「よ!また本読んでるのか?」

「……何故態々オレの所に?他にも場所は空いてる」

「い、いいじゃんかよ。どっちかっていうと、知り合いがいる場所のほうがいいんだし」

 

 若干むっとした彼は、そのままドカッとオレの隣に腰掛ける。……というか、何故隣に座る。

 ギロリと睨みを効かせると流石に堪えたのか、一瞬たじろいだ織斑一夏。が、それもすぐに効果はなくなり、オレが呼んでいる本を覗きこんでくる。

 

「うわっ、難しそうな本読んでんなぁ~」

「……君、失礼な奴だね」

「へ?」

「他人の、しかも女子に対する態度としては最悪のものだ。それ以前に、他者のプライバシーを侵害するような事は止めて欲しい」

 

 正直、迷惑だ。そう一言言い放ち立ち上がる。

 しかし彼はそれがお気に召さなかったのか、若干怒ったような表情でオレを見上げる。

 

「なぁ。今朝も聞いたけどよ、何でそんなに俺に対してそんな態度取るんだよ?他の奴等とは普通に話してるっていうのに」

 

 何を言うかと思えば、まさかそんな事とは……。

 はぁ、と溜め息を吐き、彼を見下ろす。

 

「君、本気で言ってる?」

「当たり前だ。理由も無しに嫌われてたまるかよ」

「理由なら、既に何度も言ってる」

「それじゃ分からないから聞いてるんじゃねぇか」

 

 こちらがどんな言葉をかけようとも、彼は本気で理解出来ないらしい。現状維持のままでもいいかと思っていたが、こうまでしつこく聞かれるのであれば話は別だ。

 スッパリとこの関係に終わりをつけておくべきだろう。

 

「何度も言っているけど、オレは君が嫌いだ。特に、そういう無神経なところがね」

「……俺のどこが無神経だっていうんだよ」

「他人が嫌がる事を繰り返してくること。それと……そういうデリカシーのないところとか」

 

 そういうところがなければ、友達になれるとは思うんだけどね。

 

 その言葉を胸に仕舞い込み、もう一度彼を睨み付けるように見つめる。その視線の先には、”何を言っているのか分からない”という表情を浮かべたままの、情けない彼の姿。

 

 冷やかな言葉を最後に、オレは彼から離れ一人教室へと戻っていった。

 

 

「……何だってんだよ、一体」

 

 俺は彼女――五反田澪の小さくなっていく背中を見つめながら、そう呟くことしか出来ない。

 

 俺は転校初日から、何となく彼女の存在が気になっていた。

 彼女は運動神経もいいし、勉強に至っては、俺達の中じゃ群を抜いている。そんな彼女が時々、とても同い年とは思えないほどに大人びて見える。

 更に、どこかボーイッシュな彼女はその芝居がかった口調や態度から、時々男よりも男らしく凛々しい。

 

 そんな彼女も、友達といる時は柔らかな笑顔を浮かべる。そんな普段との差に、何故か惹かれるものがあった。

 けれど彼女はどういうわけか、俺にだけ異常なほどに冷たい。他の男子に対しては何ともないのに、何故か俺だけが嫌われている。そんな感じがする。

 

 だからこそ、さっきは又とないチャンスだった。

 彼女の側には誰もおらず、事情を聞くにはもってこい。それでいざ聞いてみれば……。

 

「結果は何時もと同じ、か……」

 

 いや、それ以上に悪いかもしれない。

 これまで何度か事情を聞こうと話しかけみたものの、帰ってくる答えは”君が嫌いだ”の一言。だが今日はそれに付け加えられた言葉。

 彼女のいう鈍感、無神経、デリカシーがないという言葉がどうして俺に当てはまるのか。それがどうしても理解出来ない。

 

「ねぇ、一夏」

 

 かけられた声に振り返って見れば、そこには澪の一番の友達である鈴がいた。しかしどういった訳か、コイツも不機嫌そうな顔をしている。

 思えば彼女とまともに話す切欠は、鈴に対するイジメの現場を見た事だったなと思いだす。あの直後だけは、俺にも普通に話しかけてくれたっていうのに……。

 

「鈴……」

「アンタ、澪に何しでかしたの?随分怒ってたみたいだけど?」

「いや、実は……」

 

 どうするべきか分からなかった俺は、思いきって先程の出来事を鈴に話す事にした。やがて返ってきた言葉は

 

「アンタねぇ……。そりゃあアンタが悪いに決まってるじゃない」

「うっ……。で、でも幾ら何でも酷すぎないか?」

「……確かにそうよね」

 

 どうやら鈴にも思い当たる節があるようで、顎に手を当てて考え込む。が、鈴でも答えは出なかったようだ。

 

「まぁ、その辺りは私がそれとなく聞いてみるわ」

「そっか。ありがとな」

「別にいいわよ。それよりもアンタは、少しでもその鈍感を直しておきなさいよ!」

 

 そう言って鈴は俺の背中をバシン!と叩き、他のクラスメートと一緒に教室へと戻っていった。それに対して俺は

 

「……お前もかよ」

 

 そう呟くことしか出来なかった。

 

 

 放課後、帰り道にて。

 

 今日は一人で家路についている。

 普段であれば鈴、そして不本意ながら織斑一夏も一緒なのだが、鈴を彼と一緒に帰らせるために、用事があると言って一人先に帰ったという訳だ。

 

「しかし、もうすぐ夏休みか……」

 

 ポツリと、誰に言うでも無く一人呟く。

 6月も終わりに近づき、7月中の学校行事も残り僅かとなってきている。心なしか、気温も上がり始めている気がする。

 

「となると、また弾や鈴から宿題でせがまれるんだろうなぁ」

 

 既に二度目の人生を送り、尚且つ勉強を怠ってこなかったオレにとって、小学生の宿題など恐るるに足らず。一日で可能な限り消化し、読書感想文も二日目には終わらせている。

 しかし弾や鈴は違う。彼等にとっては毎年毎年苦痛に感じることだろう。そしてその辛さから目を逸らすが故に、夏休み終了間際になって彼等はオレに泣き着いてくる。オレも最初こそ渋るのだが、結局助けてしまう辺り、随分と余裕が出来てきたものだと思う。

 因みに蘭は弾と違い優等生なので、時々分からないところを教えるだけで済む、非常に優秀な子だ。姉として、オレも鼻が高い。

 

 思えば、こんな事を考える事が出来るのも、周囲が徐々に変わり始めたからだろう。主に家族との繋がりや交友関係のそれは、結局は自分の身の振り方を変えたからなのだと思う。

 そう考えると、やはり何とも勿体無い生き方をしてきたんだなと、思わずにはいられない。

 

 だが、変化したのは何も環境だけではない。

 その一つとして上げられるのが、自分の肉体の事。

 

「……随分とまぁ、変わってきたものだ」

 

 過去の自分、そしてどちらの性別でもなかった頃に比べ、随分と体付きが変わり始めてきた。男子の筋肉の付いた角ばったそれではなく、女子の丸っこく柔らかなそれへと、徐々にではあるが変貌を初め、今ではハッキリとその違いを実感出来るほどになっている。

 

 身長が伸びるペースも大分落ち着いてきたし、何より体力面での違いが大きく出た。これまで難なくこなせた事も、今では大分難しくなってきている。

 一応成長に阻害が出ない程度に筋トレなどをして体力維持を図っているのだが……。

 

 視線を下に向ける。

 そこには、男にはまずありえない、小ぶりではあるが確かな膨らみ。こういう所を見てしまうと、何とも言えない気分になる。 

 尤も、自分の裸を見たところで変な気分になるわけではない。ただ、多少の違和感は感じる、位のものだ。こう思えるのも、恐らくは”慣れ”が関係しているのだと思う。

 

「それでも、女性用の下着とかはまだ抵抗があるんだけど……」

 

 言ってて悲しくなる。

 が、この辺りも徐々に慣れていくことだろう。などと、取りとめも無い事を考えながら、通学路の途中にある公園を横切りショートカットしようとしたその時――――

 

 ドンッと、何かに突き飛ばされる。

 咄嗟の事に反応することが出来なかったオレは、上手く受身を取ることが出来なかった。無様にこけてしまったオレは痛みを堪え、後ろを振り返る。

 

「……君達か」

 

 そこに居たのは、転校初日に鈴をイジメていた馬鹿な少年三人組だった。あれから音沙汰なかったので改心したのかと思っていたが、どうやらそうではなく、仕返しの機会を窺っていただけのようだ。

 その証拠に、彼等――特にオレに股間を蹴り上げられた少年はニヤニヤと笑みを浮かべている。

 

「まさか、仕返しか何か?」

「そうだ!やられっぱなしでいられるかよ!」

「へっ!ざまあみろ五反田!」

「流石のお前も、一人じゃ俺達には勝てねぇだろ?」

 

 と、嬉しそうに笑っている彼等。しかし何ともまぁ

 

「小物臭漂う台詞だね。負け犬フラグ」

 

 確かに多勢に無勢ではあるが、弱みを見せれば行為はエスカレートするだろう事は容易に想像が出来た。だからこそ、変わらず不敵な笑みを浮かべたのだが、どうやら彼等にはそれがお気に召さなかったらしい。

 二人がオレの腕を掴んで立たせたかと思えば、残る一人がショルダータックルをかましてきた。

 

「……っ、はっ……!」

 

 流石の衝撃に、肺から一気に空気が漏れ出し、呼吸できなくなる。

 苦しそうな表情を見せるオレに気を良くしたのか、三人はニヤニヤと笑う。

 

「へっ、ざまあみろ!」

「生意気な事を言うからだ!」

「女だからって調子にのるんじゃねぇよ!俺等のほうがよっぽど強いんだからな!」

 

 まるで日頃の鬱憤を晴らすように、彼等はオレを殴り、蹴り続ける。

 そんな彼等に対し、オレは既に怒りよりも哀れみに近い感情を持ち始めていた。

 

 先ほどは自分の身近な変化だけを考えていたが、実際にはもっと大きな変化が世界では起こっていた。

 

 それは、IS<インフィニット・ストラトス>の登場だ。

 

 それが表舞台に立ったのは、原作と同様だった。

 日本に迫るミサイル群を片っ端から破壊していき、そして姿を消す。

 

 この超兵器の登場で、これまた原作同様に女尊男卑の社会が形成され始めてきた。今はまだそれほどでもないが、近い将来、それはもっと顕著になってくることだろう。

 

 また、この変化は実は小学校の中でも現れはじめている。

 というのも、ISが女性にしか扱えないという事が発表されてから、一部の女生徒は一端にその権利を主張し始めたのだ。更に、学校の教師の中にも女性至上主義を掲げる輩がいたらしく、そのせいで彼女達の横行が目立ち始めてきている。

 

 そんな背景と、先ほどの彼等の言葉から察するに、彼等は恐らくそういった被害を受けている人間なのだろう。今はまだ軽いし冗談で済むレベルだろうが、それが当たり前になってくれば取り返しの付かない事になる。

 

(なら、ここでこうしてオレが殴られることで未然に防げるなら、それも必要なことなのかもしれないな……)

 

 もしこの三人が今のままストレスの捌け口を見つけられなかったら、きっとそれは彼等自身の将来にも関わる。

 ならばいっそ……。などと、柄にもなくそんな事を考え始めたその時。

 

「止めろー!!」

「うわっ!?」

 

 オレを捕まえていたうちの一人が、誰かに殴り飛ばされる。

 突然の乱入者に慌てるイジメっ子達を尻目に、オレは混乱していた。一体何が起こったのいうだろうか。

 

「澪!大丈夫!?」

「……鈴?」

 

 イジメっ子の一人が殴られた衝撃で倒れこんだオレに声をかけたのは、友人である鈴。彼女はオレの怪我に響かないように、優しく抱き起こしてくれる。

 けれど、正直今の状況はマズイ。もし鈴が助けてくれたのだとすれば、こうしているのは大きな隙になる。

 が、オレの懸念とは別に、彼等は一向に殴りかかってこない。これは一体どういうことだと顔を上げれば

 

「……織、斑……」

 

 オレと鈴を庇うように仁王立ちする少年――織斑一夏の後姿が目に入った。

 

 

「それじゃあ、アイツは用事があるから先に帰ったって事か?」

「澪自身はそう言ってたわ。多分、お店の手伝いじゃない?」

 

 放課後、俺は鈴と一緒に下校している。

 いつもであれば鈴の友達である澪も一緒なんだが、今日は用事とか何とか。先に帰ってしまったらしい。

 しっかし

 

「……はぁ」

「もしかしてアンタ、まだお昼の事気にしてるの?」

「……まぁな。てか、アレで気にしないってほうが無理だろ」

 

 呆れたような視線を送る鈴に、そう零す。

 俺はどういう訳か、アイツに頗る嫌われている。その理由は幾ら考えても分からない。だからどうにかして理由を聞き出したいと思っていたというのに……。

 

「なんだってこう、タイミングが悪いんだろうなぁ」

 

 どうしても溜め息が零れてしまう。どうにも彼女に避けられているとしか思えない……というより、実際に避けられているのだが……どうしたものか。

 そんな風に悩んでいると、隣を歩く鈴はどこか不機嫌そうな表情をする。

 

「どうしたんだよ。そんな不機嫌そうな顔して」

「べっつに?……ねぇ、一夏」

「ん?」

「アンタ、どうしてそこまで澪に突っかかろうとするの?」

 

 その一言に、はたと目を瞬(しばたた)かせる。

 そんなもの、俺が嫌われている理由が知りたいからに決まって――

 

「本当に、それだけ?」

「……んなもん、それ以外に理由なんてねぇよ」

「……そう」

 

 何時になく真剣な眼差しを向ける鈴の言葉に、一拍遅れながらも返事を返すと、鈴は疑わしげな表情のまま生返事を返した。

 答えを返しておきながら、自分自身に問いかけるように考え込む。果たして俺は、本当にそれだけが理由で、彼女に声をかけたいのだろうか?

 

 やがて会話が途切れてしまった俺達は、無言で歩き続ける。

 突然の沈黙に、息苦しくなる。何とか話題を振ってみようとした、その時――

 

「……ねぇ、一夏。何か聞こえない?」

「は?」

 

 鈴の言葉に思わず首を傾げながらも耳を傾けてみる。すると、微かに聞こえてくる、誰かの声と何かを殴るような音。

 

 ――――瞬間。どういうわけか、全身に嫌な予感が駆け巡る。

 

 それはどうやら鈴も同じだったらしく、顔を見合わせた俺達は全速力で音のする方――公園へと駆け出していた。

 

 程なく辿り着いたその場所。やがて視界に入ったのは、三人の同い年位の男に殴られている、澪の姿。

 

 気が付けば俺は、澪を抑えていた男子の一人に殴りかかっていた。

 

 何故かは分からない。

 けれど、幼馴染であった箒やこの間の鈴の時とは明らかに違う、何か言い知れ無い怒りが俺の中を駆け巡っていく。

 

 それから俺は、澪をイジメていた奴等が逃げ帰って行くまで大立ち回りした。

 

 

「……最悪だ」

「おまえなぁ。そこまでいうかよ、普通」

 

 オレの呟きに、織斑一夏は溜め息を吐く。

 

 あの後、織斑一夏と鈴に助けられたオレだったが、思った以上に体が痛くて歩くことが出来なかった。そんなオレを見かねた織斑一夏はオレをおんぶし、抵抗したくとも自力では帰ることもままならなかったため、甚だ不本意ではあるが彼の背中を借りる事にした。

 

 しかし、彼の背中に乗るとき鈴がオレを見てニヤニヤと笑っていたのは一体どういうわけだろうか。問い質してもノラリクラリとかわされてしまうし……。

 そんなやり取りを一通り終えると、彼女からの追求が始まる。というのも

 

「ねぇ、どうして澪があんな一方的にやられてたのよ?あんな奴等、普段ならどうにか出来るでしょ?」

「まぁ、手段を選ばなければ、ね。……主に金的とか」

「俺の耳下で金的とか言わないでくれます!?」

「なら今すぐオレを降ろしてくれ。そうすればどちらにとっても問題がなくなるだろう」

「そんなこと言ったって、お前、今一人じゃ歩けないだろ?」

「……チッ」

 

 まさかこんな奴に正論をぶつけられるとは。というかこの状況でなければまずこんな事は起こらなかったというのに……。

 

「で?結局どうしてこんなになってるのよ、澪は?」

「……彼等さ。どうやらただ以前の仕返しをしたかった訳じゃないらしい」

「以前?」

 

 と、首を傾げる織斑一夏に、思わず溜め息。

 

「あの三人は、以前鈴をイジメていた連中だったろ?そんなことも忘れてしまうほど、君の脳みそは空っぽなのか?」

「一々悪態吐くなぁ……。てか、そんなの気にしてられる状況じゃなかったし」

「アタシはそこまで昔の事引き摺るようなことはしないし。で、その訳ってのは何なのよ」

「多分、女尊男卑社会に対する鬱憤、かな。」

「「はぁ?」」

 

 それとオレに対するイジメがどう関係するのか、二人には分かりかねているようだった。

 

「ここ最近、ISの登場で妙にプライドの高い女子が増えてきただろう?その煽りを彼等は受けていたらしい。で、前回の事もあったから、オレをストレス解消にも利用した、ってところだと思う」

 

 そこまで言った所で、どうやら鈴は理解したようだ。

 

「……アンタまさか、自分が殴られれば気が晴れるからって思ったんじゃないでしょうね?」

「わぉ。流石鈴、鋭い」

「ふざけないで!アンタがそんな事で怪我したって――」

「そうだね。意味の無い事だ」

 

 あの時は殴られすぎて頭がボーッとしていたせいか、そんな馬鹿な事を考えてしまったが、それは愚かな考えでしか無い。

 その辺りを説明すると、何とか納得してくれた彼女は落ち着いてくれた。

 

 今思えば、あの選択は本当に愚かだった。

 あのような行為を一度でも彼等に許してしまえば、何でも暴力という形で他人にあたり散らすような人間になってしまう危険性もあったというのに。

 ……というか

 

「どうした織斑一夏、妙に静かじゃないか」

 

 先ほどとは違い、黙りこくる織斑一夏。まさか殴られすぎて本当に頭がパァになったのか?なんて冗談めかした事を考えていると

 

「……許せねえ」

「一夏……?」

 

 低く唸るような、彼の声。その声色には、明らかな怒りが含まれている。

 

「そんな理由で関係のない女の子を殴るって……ふざけんなよ!」

「……オレが言ったのはあくまで可能性の話だ。それに、君が憤ったところでどうこうなる問題じゃない」

「でも!」

「今回の事は、今日家に帰ったら親にキチンと話す。そうすれば、あの三人には然るべき処置が与えられる。それで手打ちにしないと、何時までもこの問題は終わらない」

 

 オレの言葉に頭では理解できているようだが、心が納得出来ていない様子の織斑一夏。そんな彼を見て、思わず溜め息。

 

 原作における”彼”は、正義感の強い少年でもある。が、篠ノ之箒と別れてからは剣道に触れていない彼は、何れ今ある実力すらをも手放す事になるだろう。だというのに、今のままの正義感を振りかざすのは危険だ。

 主に巻き込まれる側になるだろう、鈴やオレが。

 

「織斑一夏。君はどうやら、男は女を守るべき、と考えているようだね?」

「当たり前だ」

「成程、確かにその考えは素晴らしく尊いものだ」

 

 けれどね

 

「そこに実力が伴わなければ意味が無い」

「……それって、俺が弱いってことかよ?」

「少なくとも、今のままではね」

「でも澪。こうみえても一夏ってば、男子の中じゃ運動神経は良いほうじゃない」

「言ったろう?今のままでは、と。君、昔スポーツはやってた?」

 

 オレの問いがどんな意味を持つのか分かりかねている様子だったが、彼は素直に答えてくれる。

 

「二人と会う前までは剣道をやってた」

「そう。今は?」

「……全然。道場がやめちまったから」

「そう。つまり君は、これから先、特に自分を鍛える事もなくその思いを持ち続けるわけだ。……やっぱり君は、何れその思いを通せなくなる」

「っ、何でだよ?」

 

 考えてみなよ

 

「どれだけの才能に恵まれている人間でも、何の練習も鍛錬もしなければ、何れその腕は錆付いていく。今の君は、正しくその状態になりつつある」

「そんな事言っても、俺はまだ十分――」

「あと一、二年はどうにかなるかもね。でももっと長い目で見れば、そうも言ってられない」

「………っ」

 

 気が付けば家の前まで到着していた。

 オレは彼の背中から降り、彼を見る。

 

 どうやら鈍感と呼ばれる流石の彼も理解したのか、口を噤んでいる。しかし、納得は出来ていない様子だ。

 少し言いすぎたかと思い、付け上がらない程度に慰めてやることにする。

 

「昔こんな言葉を聞いた事がある。

 ”愛無き力は暴力也。力無き愛は無力也”ってね。まぁつまりは力だけ持っていても、そこに何らかの思いが無ければ所詮暴力止まり。逆に、思っているだけで行動出来るだけの力がなければ、それも無意味だって事」

 

 つまり、だ。

 

「君が今後、その思いを貫きたいと思うのであれば、自分を鍛えることも怠ってはいけないよ。と、そういう話。

 今日は有難う。助かったよ、鈴。それと――」

 

 ――”一夏”。

 

 と、初めて名前で呼んでやると、ポカンとした表情を浮かべる”一夏”と鈴。

 彼等に手を振りながら自宅へと入っていく。

 

 その直後、オレの状態を見て弾とお爺ちゃんが暴走しかけ、未だに表に居た一夏を犯人だと決め込み襲いかかろうとしたのは、全くの余談である。

 

 

 彼を名前で呼ぶようにしたのには理由がある。

 一つは、今回の件で大きな借りが出来てしまった事。流石にあの状況を助けてもらったにもかかわらず、今後も同じような態度を取れるほど、オレは恥知らずでは無い。

 

 もう一つの理由、それは予防線の意味を持つ。

 

 これまでオレは、彼とは出来るだけ距離を置くようにしていた。しかし今回の件でそういう訳にもいかない状況になってしまった。

 ならばいっその事、名前で呼ぶ様になった事を切欠に彼との距離をある程度のレベルまで近づけ、それ以上踏み込ませないようにすればいい。

 

 以前よりもリスクは大きくなるが、大事な友人である鈴との関係と、学校――主に教師がオレに向ける目を考えれば、この位は妥協するべきだ。

 

 この選択も又、今後を大きく左右する事になるだろう。

 それでも、自分自身の意志を確りと持っていれば、大抵の事には対処出来るはずだ。

 

 それに何より、オレがISに触れようとは思っていない以上、高校進学時には彼との関わりも減っていくのだから。

 

 




後書き

今回の話で、澪は二人との距離を少しだけ縮めます。

序盤では、一夏に関しては未だ苦手意識というか、危機意識を持っているためにかなり距離をおいていました。

が、流石に今回の件で助けてもらったという事があっては、
「名前で呼ぶくらいはしないと恥知らずな奴」という、自分の中で譲れない部分もあったため、取り敢えず名前で呼ぶ事、呼ばれる事を許し、ある程度距離を詰めることとしました。

その背景には、

・これ以上無理やりにでも距離を詰められるよりは、ある程度距離を縮めておくことで無理に自分が持っている境界線に踏み込まれないようにという、ある種の防衛線を築いくこと

・そんな態度をとり続けると、教師などから向けられる印象が悪くなるという、まだまだ打算的な考えを持っている

などが最大の理由と言えます。

あとこの話、実は鈴は一夏に恋心を抱いてはいません。
最初に助けに来たのが澪であったことが、大きな原因となっております。

一先ず今回はこのあたりで。

感想・指摘等お待ちしております。


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一章 1-2.5

◆7月某日◆

 

 公園での出来事から数日。月は変わり7月に入ったある日の事。

 オレはこの日、女であることを選んだ自分を激しく呪った。

 

 ロッカールームで楽しそうに話すクラスメイト達を尻目に、オレは陰鬱な気分を募らせていく。

 そしてその原因はオレの手に握られているもの――スクール水着に他ならない。

 

「こ、これを着るのか……」

 

 皆が着替えている中、オレは水着を手に立ち尽くす。何故だろう、手に思ったそれは心なしか威圧感を放っているようにさえ見える。

 

「澪、着替え終わったー?……ってアンタ何してんの?」

「り、鈴……」

 

 そんなオレに声をかけるのは、友人である鈴。未だに着替え様としないオレを見て、訝しげな表情をしている。

 

「ほら、さっさと着替えなさいよ」

「……水泳の授業、休んじゃ駄目かな」

「諦めなさい優等生。というか、此処まで来てそれは無理があるでしょ?」

「それは……頭では理解しているんだけど……」

「はぁ~……。まぁアンタが如何にも女の子らしい格好を苦手にしてるのは分かってるけどさ、諦めなさいよ。それに一回着ちゃえばなれるんじゃない?体操服の時と同じでさ」

 

 そう言われてしまうと二の句を告げない。確かに体操着の時も、かなりの葛藤の末に何とか乗り越え今に至るのだ。ならば水着とて同じ事だろう。

 

「ほら。待っててあげるからさっさと着替えなさいよ」

「……了解」

 

 そう言われてしまうと、こちらとしても着替えないわけにはいかず。オレは泣く泣く水着を着込んだ。

 

 ――数秒後

 

「……胸がキツイ」

 

 スクール水着を着たオレの感想は、その一言に尽きる。すると鈴は恨めしそうな目でオレを睨む。

 

「アンタ、アタシに喧嘩売ってんの?」

「いや、そうじゃなくて。何て言うかこう、圧迫感があるっていうか……」

 

 前後から締め付ける様なその感覚は、どうにも息苦しく感じる。

 男の頃であれば、海パン一丁だけで楽だったというのに。女子は凄いんだなと、全く見当違いの事を考えてしまう。

 

「まぁいいわ。それよりさっさと行きましょう?遅れると先生が五月蝿いし」

「……はぁ、鬱だ」

 

 水着の息苦しさと羞恥心のダブルパンチで、オレの心は今にも折れそうだ。

 

 

 プールに着き、授業が開始されてから数十分。今は自由時間になっており、クラスメイト達は楽しそうに遊んでいる。そんな彼等を、オレはプールサイドから眺めていた。

 

 オレの通う学校は、水泳の授業も男子と合同で行われる。

 小学校も高学年に上がる年になれば、少年少女は思春期特有の異性に対する感心が強くなってくる。つまり何が言いたいかと言うと――感じるのだ。男子の視線というヤツを。

 

 それは決して厭らしいものではなく、何となく気恥ずかしそうにしている、或いはちょっとした興味本位程度のものなのでまだ多少は我慢出来る。オレ自身、前世ではきっと無意識の内にそういった視線を向けていたのだろうし、精神面だけで言えば大人なオレからすれば、彼等男子のそんな姿は、初々しいものとして見れる。

 

 が、それが自分に向くとなれば話は変わる。

 意識して向けられているのかそうでないのか。どちらかは分からないが何とも居心地が悪い。そういった理由とさっきまでのストレスもあり、オレは彼等のようにはしゃぐことなど出来なかったのだ。

 

「大丈夫、澪?」

「やぁ鈴。もういいのかい?」

「まぁね。ちょっと休憩いれたくなったの」

 

 再びオレを気にかけてくれた鈴。彼女は他のクラスメイト達と動き回っていたので、恐らくは一休みしに上がってきたのだろう。

 

 視線を再びプールへと戻す。

 和気藹々と楽しそうに声を上げて遊んでいるクラスメイト、その中心には一夏の姿があった。彼も他の男子と混ざり合い、体力を使いまくっている。

 

「流石は男子。元気だね」

「ホントよね~。アイツら、一体どこにあんな元気があるのかしら」

 

 そんな話をしていると、オレ達の視線に気付いたのか、一夏が大きく手を振る。それに小さく手を振り応えていると、彼は他のクラスメイトの体当たりを食らっていた。

 一夏は他のクラスメイトを巻き込みながら、反撃を始めた。尤も、じゃれあい程度なのは分かっているようでその顔は笑っているが。 

 

 そんな彼等を見て苦笑しながら、チラリと視線を横に向ける。

 隣に座る鈴の瞳は、騒いでいる一夏達に向けられている。が、それはどうも、恋愛感情からくる所謂”熱い視線”というものではないようだ。

 どちらかというと、やんちゃな弟を見守る姉のような、そんな視線。

 

 だからそれが、妙に気に掛かってしまう。

 家族を含め鈴や一夏、他の人達もこの世界で生きる一人の人間だと理解していながら、オレの知っている”彼等とのズレ”のようなものが、どうしても気に掛かる。

 

「ねぇ鈴。君は今、好きな人はいる?」

「何よ突然」

「いやなに。思春期の少年少女なら普通のことだからね。鈴にも好きな人、それか気になる人くらいはいるんじゃないかなって」

「……アンタ本当に同い年よね?けど、ん~、そうねぇ……」

 

 唇に人差し指を当てながら考え込む鈴。数秒考えた彼女は

 

「……今は特にいないかな」

 

 あっさりと答えた。内心で驚きつつも、更に聞きこんでみる。

 

「そう?一夏なんていいんじゃない?」

「一夏?……あぁ~、確かにアイツ、結構優しいし誰とでも仲良くやってるしね。顔も結構良い方だから、もう少ししたら今よりずっと格好良くなるかも」

「クラスの女子からの人気を考えれば、先ず間違いないだろうね」

「そうね。でも……うん。

 親友って感覚はあるけど、別にそういった感情はないわね。ついでに言うと、アイツのあの鈍感さ。あれがあるからっていうのもあるかしら」

 

 呆れたような、或いは苦笑するような。そんな笑みを浮かべて鈴は答える。

 彼女の表情を見る限り、照れ隠しと言った様子はない。それを聞いてオレが感じたのは、嬉しさと不安、そして自己嫌悪。

 

 嬉しいと感じたのは、やはり今の確認だけでも彼等が物語の登場人物ではなく、それぞれが確固とした人格を持っていると理解出来たから。

 不安を感じたのは、オレの知っている知識とのズレというのが、やはり大きい。これから先、恐らくオレの知っている知識が役に立たなくなってくるのではないか。

 出来るだけ平和な日常を歩みたいと思っているオレからすれば、それは脅威に他ならない。

 

 そして自己嫌悪を感じたのは、彼等をまだ何処か物語の登場人物として見ている部分が残っている事を、否応なく自覚させられるから。

 

 そんな自分が時々、汚い存在の様に感じる。

 

「ところで。そう言う澪はどうなのよ?」

「オレ?オレも同じだよ。特に好きだと感じる異性はいないし、一夏に関しても同じ。彼はただの友人で、それ以上の域を出る事は無いよ」

「な~んだ。つまんないの」

「つまらないとか言われてもね」

 

 そう言ってピョンと立ち上がった鈴は、再びプールの中へと戻っていく。

 その時、プールサイドから一夏に向かって飛び蹴りをかまし、先生に怒られていたのは御愛嬌というべきか。

 

 怒られて小さくなっている鈴や一夏、それを見て笑っているクラスメイト達を見て、思う。

 

 内心では、まだ何処かで迷っている部分はあるし、これからも迷う事は多くあるだろう。まぁでも

 

「彼等を見ていると、それすらも馬鹿らしく思えてくる」

 

 ほんの少しくらい肩の力を抜いて生きてみるのも悪く無い。そう考えられる位にはなってきた。

 

◆7月半ば 某日◆

 

 オレにとって地獄の時期、夏がそろそろ半分を切り始めたある日の放課後。今日は鈴や一夏とは別れて一人図書室に足を運んでいたオレは、ランドセルを取りにいった教室でとある光景を目にした。

 

 それは、一夏が同じクラスメイトの女の子、里中さんと一緒にいるという光景。

 普通に見れば別にどうということは無いその光景に、何となく嫌な予感がしたので外から覗いて見る事に。

 

 どうやら二人は、教室の整理をしているようだ。その光景には思い当たる事があった。

 

 ウチの学校では、その日最後の授業が終わった後に日直として幾つかの仕事がある。

 

 一つ、黒板を綺麗にしておく事。

 一つ、机を綺麗に並べて置く事。

 一つ、日誌をつける事。 

 一つ、教室の窓の鍵が全て閉まっているか確認する事。

 

 とまぁ、こんな感じだ。だが、確かに里中さんは今日の日直だったと思うが、一夏は違う。

 

(なら、どうして一夏が?)

 

 その答えは、教室内の彼等から返ってきた。

 

「ご、ゴメンね織斑君。手伝ってもらっちゃって」

「気にするなって。大体、里中さんが悪いんじゃなくて、サボった奴が悪いんだしさ。それに、俺がやりたかっただけなんだし」

「う、うん……」

 

 爽やかな笑みを浮かべる一夏に、気弱な性格な里中さんは俯いてしまう。が、良く見ればその頬は僅かに赤く染まっている。

 それを見てオレは、『あぁ、またか……』と思わずにはいられない。

 

 織斑一夏。友人である彼にはある美点と汚点が存在する。そしてその二つは、ある意味で表裏一体だ。

 

 彼は兎に角優しい。困っている人がいれば直ぐに駆けつけるし、いじめられている人がいれば、自分が叱られることも省みずに立ち向かう。時々やりすぎるきらいがあるのは否めないが、これらは評価出来る。

 

 が、それと同時に、彼は兎に角他人――特に女子に対しての素振りがややこしい。

 簡単に言ってしまうと、思わせぶりな態度をとりやすいのだ。しかしそれを本人は無自覚の内にやるから、周囲からすれば堪ったものでは無い。

 

 現に先ほど一夏が里中さんに対して言った『俺がやりたかったから』という言葉。

 この言葉は、考えようによっては『君に気があるんだ』、『君を放っておけないから』と言っているようにも聞こえる。それを、よりにもよって思春期の少女に向ければどうなるか……。

 

 それは火を見るより明らかだ。

 

(けど、彼はそれに気付けない……)

 

 それさえなければ良い友人だと、もっと胸を張って言えるというのに。そう思いつつ、再び様子を窺う。

 するともうやるべき事は終わりに近づいていたらしく、二人は帰り支度を始めていた。

 

「あ、ありがとう。織斑君」

「いいって。俺が好きでやった事だしさ」

 

 そう言ってまた爽やかに笑う一夏。彼はちっとも里中さんの変化に気付いていないようだ。

 

(というか何故気付かない? 真正面にいれば、彼女の様子が変わっている事くらい気付けるだろう!?)

 

 あまりの鈍感さに苛立ちが募る。あれでは里中さんがあまりにも不憫だ。と、そんなオレの怒りが天に届いたのか

 

「? なぁ里中さん。何だか顔が赤くなっているけど、大丈夫?」

 

 彼女の変化に気付いたようだ。どうしてそうなっているのか気付けないのは性質が悪いが、まぁこの際それは置いておこう。

 里中さんは少しの間何か言おうか迷っていたが、やがて決心がついたのか一度深呼吸をし、一夏の名を呼ぶ。

 

「あ、あの。お、織斑君!」

「お、おう」

「――す、好きです! 付き合ってください!」

 

(おおっ! 凄いぞ里中さん! 普段の気弱そうな姿とは違うぞ!)

 

 彼女の一世一代の告白模様に、オレは思わずガッツポーズをする。普段物静かな彼女とは違う力強い一面は、オレに大きな感動を与えた。

 そして思う。さしもの一夏も、これだけストレートな告白を受ければその真意を汲むだろう。というか汲めなかったら、水平目潰しチョップか急所への攻撃は確実だ。

 

 顔を真っ赤にして返事を待っている里中さん。そんな彼女に、数秒の間を置いて一夏は

 

「あぁ、いいぜ。

 ――で、どこの本屋まで行くんだ?」

 

 何て、訳の分からない答えを返しやがった。

 

「……え? 本、屋……?」

「ん? だってさっき話してたろ? 本が好きだって。それで、一緒に買い物に付き合ってくれって、そういう話なんだろ?」

「え? あ、……え?」

「いやぁ、丁度俺の好きな漫画の単行本の新刊、まだ買って無くてさ。一人で行くより誰かと一緒のほうが気が楽だからさ」

 

 ハハハッと、困惑する里中さんに気付かず一人笑う一夏。

 流石にこの状況はマズイと思い、偶然を装い教室に入ろうとしたが――

 

「あ、えっと。や、やっぱり今日はいいです。別の用事、思いだしたから……」

「え? そうな……」

「そ、それじゃあっ!」

「えっ? ちょっと!?」

 

 そうして里中さんは、文字通り逃げるように教室を出て行った。そんな彼女をポカンと間抜けな表情で見送る一夏に、再び怒りが沸き上がる。

 彼女が出て行ったのとは別の入り口に潜んでいたオレは、扉を勢い良く開ける。

 

「うおっ!? な、何だ澪か。脅かすなよ……」

「一夏。悪いとは思ったけど、今の見せてもらったよ」

「れ、澪? お前、何怒ってるんだ?」

 

 その言葉に、カチンと来た。

 

「君はさっきの、里中さんの言葉の意味。本当に理解していたのか?」

「え?だから、本屋に行こうって話だろ?」

「……君は本気で言っているのか?」

「ど、どういう意味だ? さっきから何を言ってるんだよ」

 

 本当に気付いていない彼の姿に、理性では彼の環境を考えれば仕方が無いのかもしれないと思いつつも、やはりそれを感情が押し潰す。

 

「っ、なら質問を変えよう。

 一夏、もし君に好きな人がいたとする。この場合で言う好きとは、相手を一人の女の子として好きか?と言うことだ」

「なぁ、何でそんな話に……」

「いいから! ……今の君には、黙って聞く義務がある」

 

 

 澪の言葉に、思わず体が竦みそうになる。

 普段不機嫌そうな表情をすることはあっても、滅多に怒りを見せない澪。そんな彼女の本気の怒りは、俺に突き刺さってくる。

 

「一夏、例えばだ。君が好きな人に告白をしたとしよう。

 その時、君の言葉を相手の女の子が無碍に扱ったらどう思う。そうだな、これは極端な例ではあるが、『馬鹿ではないか? アンタなんかでは私に釣り合わない』などと言われたら、君はどう思う?」

 

 澪のいう例え話に、俺は少しだけ考える。

 誰かを好きになった事なんてないから良く分からないけど、でも、絶対に。

 

「……すっげぇ傷付くと思う。

 人の、俺の想いを、そんな一言で片付けてほしくない」

 

 間違いなくそう思うだろう。

 澪は小さく頷くが、未だに怒りは収まっていないようだ。

 

「じゃあ別の例えをしよう。

 君は彼女に告白をする前、世間話として好きな本の話をしたとする。そしてその後、チャンスが来たので告白するとしよう。

 すると彼女はこう返事した。『いいわ。それじゃあ、どこの本屋へ行きましょうか?』と。

 こう言われたとき、君はどう思う?」

「そりゃあ、どうしてそこで本の話が出てくるんだって――」

 

 思う、と言おうとしてはっとなる。

 これじゃあまるで、さっきの俺と里中さんのやり取りじゃないか!?

 

 その時俺は、トンでも無い事を仕出かした事に気が付く。

 

 

 ここまで言えば流石の一夏も気付いた様で、疑問を浮かべつつも事態の深刻さを理解しているようだ。

 

「え、でも。里中さんが、俺を……?」

「彼女が君の何処に惹かれたかは分からない。けどね……君は彼女の告白を、碌な返事すらせずに切って捨てたんだよ」

 

 一体今日の出来事で、彼女はどれほど傷付いただろうか。それは、オレ達には計り知れない。

 

「で、でも。俺、そんな事気付かなくて……」

 

 普段と違い、どうすればいいのか分からないといった様に、オロオロとする一夏。

 そんな彼の姿は、またオレを苛立たせ、同時に哀れみを覚える。

 

「一夏!」

「っ!?」

 

 彼はきっと、恋を知らない。それが普段の鈍感さに拍車をかけているのだろう。

 だが何時までもそれでは、相手の女の子が可哀想だ。それに――今のままでは、何時かそのしっぺ返しが一夏に返ってくるだろう。

 友人として、そんな彼の態度は見過ごせ無いし、そうなって欲しく無い。手を打つとすれば今しかないだろう。

 

「君は人――異性から向けられる好意というものを知った。なら君は今後、今日と同じ過ちを犯してはいけない」

「過ち……」

「そうだ。だからこそ、その過ちを理解したなら、先ずは里中さんを探し出して謝るんだ。

 彼女の言葉の意味に気付けなかった事。ちゃんとした返事を返せなかった事。そして何より、悲しい想いをさせてしまったことを」

「あ、あぁ!」

 

 自分が今何をすべきか。それい気付く事が出来た一夏は、漸く何時もの調子を取り戻し始める。

 

「そうと決まれば駆け足! 里中さんを探しに行くよ!」

「お、おうっ! って澪も来てくれるのか?」

「君一人じゃどうも心配だ。それに、立ち聞きしてしまったことを謝らねば」

 

 お互い殴られるくらいは覚悟しようと言い、二人で教室を飛び出す。

 

 

 数十分後。

 奇跡的に里中さんを見つける事の出来たオレ達は、彼女に謝罪する。そして同時に、一夏は今度こそ彼女への返事を返した。

 付き合う事は出来ない、という形でだが。

 

 幸運にも彼女は理解してくれたようで、一夏の言葉を受け入れた。

 尤も、一夏はさっきの事があったので、右頬に大きな紅葉を作る結果となったのだが。因みにオレはお咎め無しだった。

 

 今回の件を切欠に、彼も自分の行動と、それに対して相手がどう思うかを少しは学んだだろう。

 オレはこの結果が、一夏にとって少しでも良い方向に働くようにと願わずにはいられなかった。

 

◆7月後半 某日◆

 

 それは、夏休みを目前に控えたある日の事。

 

「課題図書でどの本が楽に読めるか、だって?」

 

 短い休み時間の間に本を読んでいたオレは、彼―― 一夏の言葉に顔を上げる。

 彼は一体何を馬鹿な事を言っているのだろうと、呆れを隠す事無く視線を向ければ、しかし彼にとってはかなりの一大事のようで

 

「あぁ。澪って色んな本を読んでるだろ?だから、何か読み易そうなのって無いかなぁって思ってさ」

 

 この通り!と頭を下げられる始末。その真剣さに、思わず溜め息を一つ。

 しかし……どうしたものか。

 

「一夏。そもそも人によって読みやすい、読み難いなんて物は別れるものだ。だから、仮にオレのとって読み易い本と思っても、君にとってもそうであるとは限らないんだが」

「いや、そうかもしれないけど……。な、ならページが少ない本とかは?」

 

 もっともな事を告げるが、一夏は依然食い下がる。

 

「……やけに必死じゃないか」

 

 何時もの宿題を写させてくれと言うものよりも、ずっと必死な様子の彼をいぶかしむ。一体何が彼をこうまで必死にさせるというのか。

 

「い、いや。それはその……」

「どうせアンタの事だから、千冬さんに怒られるのが怖いってとこでしょ?」

 

 とそこで、鈴が話に参加する。

 

「う、うるせえな! まぁ、事実だけど……」

「千冬さんっていうのは確か、一夏のお姉さんだっけ?」

「あぁ。千冬姉は怒ると怖くてよ、去年の夏休みの宿題が終わりそうもなかった時なんて、マジで死ぬかと思ったぜ……」

 

 そう言ってその時の事を思い出したのか、ブルリと体を振るわせる一夏の言葉に漸く納得がいった。

 去年の夏休みの時点では、一夏とこうまで仲良くはなかったので知らなかったのだが、織斑千冬という女性はやはり怒ると相当に怖いらしい。

 まぁ怒られたのは一夏が悪いだけなので同情なんぞ欠片もしてやらないが……。

 

(まぁ、普段家事の全般をこなしている事を考えれば、少しくらい助けてやっても罰(ばち)は当たらない、か……)

 

 結局こういうところで甘さが出てしまう事に自嘲する。が、それほど悪い気はしなかった。

 

「まぁ、そういう事なら。態々君のお姉さんの手を煩わせる訳にもいかないしね」

「あれ?俺は?」

「ちゃんと期日までに終わらせない君が悪い」

「うぐっ!い、言い返せねぇ……」

「ぷっ!自業自得よバカ一夏」

 

 落ち込む一夏に追い討ちをかける鈴。そんな彼女を何となくからかってやりたくなり

 

「それじゃあ、今年は鈴の宿題を手伝う必要は無いって事だね?」

 

 そう声をかけてやる。

 

「え!?い、いやぁそれとこれとは話が別と言うか、何と言うか……」

「おい鈴! お前去年の宿題は自分一人でやったんじゃねぇのかよ!?」

「う、五月蝿いわよバカ一夏! もう、澪も何でバラすのよ!?」

「何となく?」

「ムキーッ!」

 

 軽い言い争いになった二人を、オレはクスリと笑いながら見つめる。

 

 こうして時々からかってやると、二人は面白い反応を見せてくれる。

 それを見るのが、何だかとても楽しく居心地が良い。そう思えるようになったのも、恐らく二人と過ごす時間が多くなったからなのだと、改めて実感する。

 

 いや、それだけじゃないのかもしれない。水泳の授業の時にも感じたことだが、恐らく心に余裕が出来てきたお陰なのだろう。

 

 思えばあの公園での出来事がなければ、今こうやって二人と笑い合う事はなかったかもしれない。

 それどころか、最悪関係が悪化していた可能性すらある。それほどまでに、少し前のオレには余裕がなかった。

 

 その原因は単(ひとえ)に、織斑一夏と鳳鈴音という、オレの記憶の中に残っている小説<インフィニット・ストラトス>の主要人物だった事だろう。

 

 名前も顔も性格も。その殆どが知識の中にある彼等(キャラクター)と同じだったというのは、オレの心に少なからず負担を掛けていった。

 実際に話してみれば、話の中の人物と括るには早計で、そして愚かな思考だと理解出来る。

 

 一夏は小説では、鈍感、唐変木というイメージが強かったが、実際はそうではない。

 ……いや、確かに鈍感で唐変木ではある。実際に何度も女の子に対して勘違いさせるような言動をしているし(数日前の里中さんの件も同様だ)。

 けれどそれを抜いて見てみれば、彼はとても人に優しく接する事が出来るし、クラスでは皆を盛り上げるムードメーカーでもある。

 

 鈴については、勝気な性格と自信家な発言のせいで敵を作りやすいと言っていたが、実際には己の非をキチンと認める事が出来るし、言いすぎた事があればちゃんと謝る事も出来る。

 それに、少しでも女の子がいじめられていようものなら、必ず助ける勇気を持っている。

 

 そんな二人がオレにとって共通の友人である事は、本当に有難く誇らしい。

 ……だというのにそれを前世の記憶が、知識が邪魔をする。

 

 だがそれも、日を追う毎に徐々に徐々に、本当に極僅かではあるが変わっていった。そして今では、一人の人間として見れるようになってきている。 

 

 だからこそ、最近はこうも考え始めている。

 

(このままオレの過去を話さずにいていいのだろうか……)

 

 二人はオレを友達――いや、親友だと思ってくれている。そしてそれは、オレも同じだ。

 だからこそ――今のこの関係が崩れることが恐ろしい。

 

 二人の事だ。きっと受け入れてくれる事だろう。

 頭では理解している。だが、心はそうではない。どうしても悪い方へと物事を考えてしまう。

 

「澪、どうかしたか?」

「え?」

 

 何時の間にか言い争いをやめた二人は、オレを心配そうにみつめる。慌てて取り繕おうとしたが既に遅く、鈴はそんなオレを見て溜め息を吐いた。 

 

「アンタって時々上の空になるから心配なのよ。……何か困った事があれば言いなさいよ?」

「そうだぜ。俺達だって、何か出来るかも知れないんだ。遠慮するなよ?」

 

 そう言って二人は、オレに優しい言葉をかけてくれる。

 

 だからこそ思う。――このままでは駄目なんだと。

 

「……そう、か。なら二人とも、今年の夏休みの宿題はオレに頼らないでくれ」

「うえ゛っ!?」

「い、いやぁそれはちょっと……」

 

 いつか必ず打ち明けるから。だから――だから今だけはこのままでいさせてくれ。そう思わずにはいられない。

 

「で?結局読み易い本ってあるのか?」

「さっきも言ったけど、そんなものは人それぞれ。自分で解決するしかないよ。鈴、君もだよ」

「「そ、そんなぁ……」」




◆7月某日◆について

男の精神を持っていながら女になったが故に、避けては通れない苦痛と葛藤。その一つである水着の話。……嘘です。

原作知識を持っているが故にどうしてもそのフィルター越しに鈴や一夏を見てしまう自分への葛藤、そして意識改善といった話です。
原作とは違う微妙なずれに、彼等は只の物語の登場人物では無いと再認識。それでもどこかでそういった目で見ている自分に葛藤してしまう、といったところ。


◆7月半ば 某日◆について

オリジナルキャラ里中さんを通じて、原作への疑問点を提起してみました、という話です。

原作によると、一夏は今回の里中さんのように、かなり頓珍漢な答えで女子をふっている様子。ですがそこで疑問が一つ。

・果たしてそんなふりかたをした男が異性から好かれるだろうか?と言う事。

普通こんな酷いふりかたをしたら、女の子はかなり傷付くだろうと。そして、それとなく友達に話したり、それが噂になって広がったりとするはず。
が、それでも異性に異常なまでに好かれるなんて事があったら、それは最早催眠の域ではないのかと思ったので。

また、そんな場面を見てしまったので、澪によるお説教。
これにより、一夏の女子に対する意識変化がホンの少しだけ行われました。

◆7月後半 某日◆について

最初の話からさらに少しだけ進み、再び内心の変化が訪れる、といった話です。

両親と祖父にそれとなく自分が過去の記憶を持っていると話した事。
一夏や鈴が、ただの物語の登場人物では無い、一人の人間だと認識し始めたからこそ、多少の心の余裕が出てきました。

ですが、だからこその問題として、自分の過去が浮き彫りになってきます。
しかしそれを話すのは怖い、けれど黙っているのはどうなのだろう?という心の葛藤、といった感じでしょうか。


結論。
原作知識を持っていながら、その知識というフィルターを通して相手を見ることなく接する。それでいて自身に振りかかるかもしれない悪影響を回避しようとするというストーリーは難しい。


感想・指摘等お待ちしております。
※2013 3/16 誤字修正


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一章 1-3

◆二ヵ月後 20XX年 8月◆

 

 公園での出来事から暫く時は経ち、現在は8月の夏真っ盛り。オレは部屋で一人、最早趣味へと昇華し始めた勉強に取り掛かっている。

 

 昔――前世の”俺”では到底考えられないこの行動ではあるが、現在の”オレ”になってから知識を身に付ける事が嵩じて趣味へと昇華してしまったのだ。

 そんなオレが今勉強しているのは、英語検定と漢字検定、ついでに始めた独語検定。そのどれもが2級だ。前世でもこの位は取得していた事もあってか、比較的労力は少なくて済む。

 こういうときだけは、転生している事が有難いと思えた。

 

 そうして、扇風機が起こす風を感じながら机に向かっていると、携帯の着信音が流れる。共通の物でなく個人指定しているこの音楽は――鈴だ。

 何となく展開が読めてきたオレは、通話ボタンを押す。

 

「もしもし?」

『こんにちは、澪。今日も良い天気ね!』

 

 電話越しに聞こえてくる親友の少し上ずった声。

 彼女は何か隠し事があると、それを悟られまいとするせいで声が上ずる癖がある。が、本人はどうやら気付いていないようなので未だに黙っているのだが。

 

「そうだね。夏休みに入ってからこっち、ずっとこんな天気が続いている。こんな日が続けば、さぞ外で遊ぶのは気持ちが良いだろうね」

『そ、そうね』

「けれど、遊ぶからにはそれなりにやるべき事を確りとやっている筈。なら、まさか鈴が夏休みの宿題に殆ど手を付けていなくて、去年のようにオレに泣き付いて来るなんて事もないだろう」

『も、ももも勿論よ!? このアタシが、夏休みの宿題如きに梃子摺(てこず)る訳ないでしょ!?』

 

 ちょっとからかってみれば、明らかに動揺を隠せていない声が届く。

 というのも、夏休みに入る前からオレは、彼女に宿題は早めに終わらせたほうが良いと、口をすっぱくして言っていたのだ。それに対して彼女は、今と同じような台詞を口にしたのだ。

 

「わぉ、ビッグマウス。ところで鈴」

『な、何かしら!?』

「オレはもう宿題が完璧に終わっていて、後は残り一週間となったこの休みを満喫したいわけ。そこでどうだろう、これから一緒に、毎日、残りの休みを遊び通さないか?」

『……アンタ、分かってて言ってるでしょ?』

「さぁ、何が?」

 

 ぐぬぬという声を軽くあしらい、あくまで素知らぬフリを通す。

 やがて彼女は諦めたのか、若干気落ちした声で呟いた。

 

『……調子に乗ったアタシが馬鹿でした。澪先生、宿題片付けるの手伝ってください』

「素直で宜しい」

 

 クスリと笑い快諾する。こういった素直な面をもっと前面に出せば、彼との距離ももっと縮まるだろうに。

 

「それじゃあ、これから鈴の家に行けば良い?」

『あ、その事なんだけど』

「ん?」

『実はアイツも宿題終わって無いらしいのよ』

「……はぁ」

 

 申し訳なさそうな彼女の言葉に、思わず溜め息を一つ。というのも、彼女にした忠告を彼にもしたからに他ならない。何故揃いも揃って同じ事をするのか、と。

 

 さてどうしたものかと考えたところで、ふと思う。

 そういえば彼女達との付き合いも、既に一年を超えているという事に。そこで考えてしまう、このまま彼女達に隠し事をしたままで、果たして本当に友人と言えるのだろうか、と。

 

 隠し事とは他ならぬ、オレの過去、というか体の事。正直な話、この手の話は小学生どころか大人でも受け止めるのは難しい。

 ならば彼等が、果たして理解してくれるだろうかという疑問がある。

 

(――いや、これは疑問というよりも)

 

 恐怖、だろうか。

 

 恐らく――いや。先ず間違いなく、オレは自分の体の事を打ち明けることで今の関係が崩れるかもしれない事を、酷く恐れている。

 当初はこんな親密な関係を築くことすら、視野にすら入れていなかったというのに。

 

(何ともまぁ、矛盾している)

 

 転生したばかりの頃は、こんな不安なんて持っていなかったのに。何だか自分が弱くなった気がしてしまう。

 

 いや、そもそもオレは強くなんて無い。

 転生の事も、性転換手術を受けてこの人生を受け入れると決めた事も、半ば不安といった感情を強引に押し留めていただけに過ぎないのだから。

 

 そしてただ、その感情を受け入れるときが来たということに過ぎない。

 ならばオレは、果たしてどうするべきか――……

 

『? もしもし、澪?』

 

 突然オレの声が途切れた事を不審に思ったのか、鈴の言葉が聞こえてくる。

 

「……鈴」

『どうしたのよ、急に黙りこんで。何かあったの?』

 

 上辺だけでなく、本心から心配そうな言葉をかけてくれる彼女。

 元々隠し事とかが苦手な彼女らしく、その言葉には彼女の思ったままの感情が乗って聞こえてくるようで。

 

 だからオレは、決心出来た。

 

「一夏を連れて家に来てくれないかな。丁度オレも、話したい事があるんだ」

 

 自分の事を、包み隠さずに話す事を――……

 

 

 オレは一階に降りると、鈴達が来る事を家族に伝える。すると母さんとお爺ちゃん、そして弾は驚いたような、心配するような表情を浮かべる。

 因みに父は仕事に、蘭は友達と遊んでいる為にここにはいない。

 

 というのも、オレは以前、家族にこんな提案をしていた。

 それは、友達を家に連れてくるときがあったら、それはオレの事を話すと言う事。

 

 初めは猛反対された。何もそんな大事な事まで話す必要は無いのでないか、と。

 けれど、本当に信頼出来ると判断した友達には隠し事をしたくない。連れてくるのも、オレが本当に信頼出来る人だけだからと必死に説得した結果、何とか納得してもらった。

 

 そしてこれまで、オレは友達を誰も連れてきたことがない。

 つまり、鈴と、そしてもう一人の友人である一夏の二人だけは信頼出来る、そう思った上での判断だった。

 

 正直、一夏に対してはまだ距離を置いておきたいとも考えている。

 が、公園での出来事を切欠に彼と接していく内に、彼は十分に信頼のおける人物だと理解した。

 尤も、それは鈍感な部分や大した実力も持ち合わせていないのに”誰かを守る”という言葉を簡単に口にする事を除いて見てみれば、の話だが。

 

 また、彼も一緒に呼ぶのにはもう一つ理由がある。

 それは、鈴にのみ秘密を打ち明けたとして、彼がそれを見抜く可能性があったと言う事。

 

 普段はトンと周りの変化に疎く、鈍感であるというのに、いざというときには恐ろしいまでの勘の良さを発揮する。そんな彼ならば、何時までも隠し通せるものでもない。

 それに、これでもし関係が悪くなるようであれば、今後の教訓になる上に彼等とも距離を置けるという打算的な考えもあった。

 そういった経緯から、オレは二人を呼ぶ事にしたのだ。

 

 家族に事の次第を話してから数十分後。二人はやってきた。

 

 

「いらっしゃい。此処がオレの部屋」

「「おじゃましま~す」」

 

 澪に案内されたアタシと一夏は、初めて澪の部屋に足を踏み入れる。

 因みに出迎えてくれた澪の格好は、相変わらず男勝りな格好をしている。具体的にいうと、黒のタンクトップにデニムのホットパンツといった出で立ち。

 

 元々同年代に比べて身長も高く、それでいてスリムな体型、スラリと伸びた足を持ちながら何故か出ているところは出始めている彼女には、それが妙に似合っているから悔しい。

 というか同い年のくせに、なんでアンタだけ主に一部がそんなデカくなってんのよ同じ黄色人種でしょうがと、小一時間ほど問い詰めたいと思ったのは内緒だ。

 

 ほら見なさい。一夏なんか明らかに目のやり場に困ってるじゃない。

 

「それじゃあ、飲み物を取ってくるから。

 一夏はオレの椅子を使って。鈴は……悪いんだけどベッドにでも座っててくれるかな」

「お、おう」

「あ、うん。ありがと」

 

 けれどそんな事はお構いなしといった感じに、澪は部屋を出て行く。そんな彼女を見送り、しかし彼女がいなければ宿題を進める事も出来ないので、何となく部屋の中を見渡してしまう。

 

 部屋の中は同年代の女の子とは思えないほど、落ち着いた雰囲気をしている。

 全体的に白と黒のコントラストを基調としていて、余分な物は殆ど置いていないスッキリとした印象を受ける。あるとすれば、先ほど広げた折り畳み用のテーブルと本棚くらいだ。

 勉強用の机だろうそこには、何冊もの難しそうな本が積まれており、本棚に至っては、日本語以外の分厚い本も数冊見受けられる。けれど、漫画やゲームといった類の物は皆無と言っていい。

 

「……何ていうか、スゲェな」

「……うん」

 

 一夏の呟きに、私は生返事を返すことしか出来ない。

 普段のあの子の成績や立ち振るまいだけを見れば、本当に大人びた子だという印象を持つけれど、こうして部屋を見てみると、それは一方的なイメージの押し付けだったと言う事を理解する。

 

 何故なら彼女の部屋に置いてある本は、そのどれもが何度も読み返したようにボロボロになっている。酷いものは、表紙や背表紙までもが若干擦り切れているほどに。

 

 一体何が彼女をそうまでさせるのかは分からない。

 けれどこれだけは分かる。澪は才能に胡坐をかくのではなく、惜しみない努力を続けられる人なのだと。

 

(もしかして、電話越しに言ってた話したい事って……)

 

 この部屋の状況から考えると、ここまで努力していたことに関係があるのではないか。そう勘繰ってしまう。

 正面に座る一夏はどう考えているんだろうと思い、視線を向けてみれば

 

(あぁ、駄目だわコイツ……)

 

 ほぇーと驚いたように部屋を物珍しそうに見ている、一夏のアホ面が目に入る。

 何というか、本当にどうしようも無い位鈍感な奴だ。

 

「……はぁ」

「ん? どうした?」

「……何でも無いわよ」

 

 お気楽そうで良いわねアンタは、と胸中で呟く。

 

「お待たせ」

 

 すると丁度その時、澪が戻ってきた。かと思えば

 

「一夏」

「ん?どうし――いてっ!?」

 

 器用に片手で飲み物の乗ったお盆を持ち、空いた右手で一夏にチョップを繰り出す。

 

「女子の部屋をジロジロ見るのは、男としてどうかと思う」

「す、すみませんでした……」

「ま、自業自得よね」

 

 頭をさする一夏を尻目に、澪は何事もなかったかのようにアタシの隣に腰掛ける。

 こうやって時々手が出るのは良くあることだ。けれどそれは、一夏がデリカシーの無い事をした時だけなので、それほど心配はしていない。手加減はしっかりと出来ているしね。

 

「で?どこが終わっていないのかな?」

「そしてアンタは本当に何事もなかったかのように話を進めるわね」

「知ってる? 唐変木の語源は”唐の変な木”って言うんだ。

 因みにオレがさっきチョップしたのは人語を解する唐変木。わぉ、珍しいね」

「俺は道端の木かよ……」

 

 こうして三人で過ごすようになって、澪の一夏に対する態度は大分柔らかいものになった。

 けれどまだ、どこか線引きをしているように思えてしまう。それは特に、一夏が何かしら無神経な事をした時は顕著に現れる。

 

(まぁそれは一夏自身の問題だしね)

 

 けれど、そこまで面倒は見てられない。男なら自分で何とかしてみなさい、と。

 

「で? 話を戻すけど、何に手を付けていないのかな?」

「算数のドリルと読書感想文です、先生」

「ん。それじゃあ、ドリルから終わらせてしまおう」

「せ、先生。俺も算数と自由研究が……」

「却下」

「ひでぇっ!?」

 

 アンタを気にしていられるほど、アタシに余裕は無いんだから。後で先生に怒られるのは嫌なのよ。

 

 

 ――数十分後

 

 

「んん~! ……やっと終わった」

「お疲れ様」

 

 漸く宿題を一通り終えることが出来たので、思いっきり伸びをする。因みに一夏は完全にノックアウト状態だ。まぁ気持ちは分からなくはないけどね。

 

「ありがとう、澪。ここまでくれば自分でなんとか出来そう」

「そう。なら良かった」

 

 そう言ってクスリと笑う澪。ほんと、いっつもそうやって笑ってればもっと女の子らしくなれるって言うのに、勿体ないったらないわ。

 まぁその辺りについては今後言えばいいとして――

 

「ねぇ、澪」

「ん?」

「アンタが言ってた話したいことって、何? そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」

「………」

 

 電話越しに聞いた澪のあの言葉。今までは勉強で話を切り出すことが出来なかったけど、終わった今となれば別だ。

 あの電話越しに聞こえてきた、いつもの彼女では考えられないような、どこか思いつめた声。

 

(あんな声を聞いちゃったら、ほっとけるわけないっての)

 

 そう思い話を切り出すと、流石に一夏も気になっていたのか突っ伏していた体を起こす。

 見れば澪は、中々話を切り出せない様子。けれどやがて決心がついたのか、固く閉じた口を開いた。

 

 

「………」

 

 話を聞き終えたアタシと一夏は黙り込む。

 

 元々は男だったこと

 けれど、自分が半陰性という特殊な肉体をしていたこと

 遺伝子上は女の子だったから、そちらを選んだこと

 

 澪が話した内容は、正直私が思っていたよりもずっと重いものだった。

 でもこれで、澪が態々隣町から転校してきた理由が分かった。

 

(そりゃあ、いきなり知り合いが男から女に変わってたら、何かしらされる可能性はあるものね……)

 

 転校でもしなければどうすることも出来なかっただろう。

 でも……澪が自分の事を話したのは、ただ過去を知ってほしかったからじゃないんだと思う。

 

「ねぇ、澪。どうしてそんな大切な事を、アタシ達に話してくれたの?」

 

 アタシの問いに暫く黙り込んだ澪は

 

「……友達だから、かな」

 

 やがて小さく、そう呟いた。

 

「それと、二人は本当に信頼できると思ったから。だから、隠し事はしたくなかった……」

 

  真っ直ぐにアタシ達を見つめる彼女は、いつになく真剣な表情をしている。本当にアタシ達に事を信頼してくれている、そう感じることが出来た。

 

 ――それが何だか無性に嬉しくて

 

「仮にオレがそう思っていても、二人は違う。

 ……今の話を聞いて気持ち悪いと思ったのなら、隠さずに言ってほしい。……もう、二人には関わらないから」

 

 だからこそ、続けられた言葉にカチンときた。

 

 

 ――パンッ、と乾いた音が響く。

 

 何の音だという疑問は、直後に訪れた頬の痛みで解決する。今し方、鈴によって殴られたようだ。だけどそれも、仕方のないことだ。

 

(今まで騙してきたようなものだし、気持ち悪いって思うのは寧ろ当然のことだ)

 

 だからこの結果を、オレは受け入れるしかない。そう思っていたが

 

「アンタ、アタシを舐めてんの?」

 

 怒りを含ませる彼女の言葉に、再び脳内が疑問で埋め尽くされる。

 一体どういうことだろう、彼女は何が言いたいのだろうと、彼女を見れば

 

「鈴……」

 

 オレをキッと睨みつける彼女がいる。その表情を怒りに染めているのは分かる。

 けれどどうして――どうして鈴が泣いてるのだろうか?

 

「アンタの話を聞いて、そりゃあ驚きはしたわよ。

 でもね……これっぽっちも気持ち悪いだなんて思って無いわ。アタシが知っている五反田澪は、ちょっと変で、いっつも難しい事考えてて、アタシなんかよりずっと大人っぽいけど。

 それでも本当は優しくて、いつもアタシ達の事を助けてくれる――アタシの自慢の親友なのよ。

 だからね、アンタの過去がどうだとか、アタシには関係無い訳!」

「俺も鈴と同じだ。

 ちょっとキツイ言い方になるかもしれないけど、澪の昔がどうだったかを俺は知らない。きっとその事でずっと悩んでいたのかも知れない。

 でもな、そんなの関係無しに、俺は……俺達は澪の親友なんだよ。性別がどうだったとか、そんなちっぽけな事で、俺達がお前を嫌いになるわけがねぇんだ!」

 

 鈴の、そして一夏の力強い言葉が胸に突き刺さる。

 

 彼等ならきっとこう言ってくれるだろう事は、とうに理解していたはずだ。なのにそれを信じる事が出来ずにあんな言い方をしてしまったのは、オレが勝手に怯えていたからに他ならない。

 

 そう理解した途端、胸に込み上がるものがくる。

 

「……一夏。悪いんだけど、ちょっと部屋の外で待っててくれる?」

「え? でも……」

「一夏」

「っ、鈴……分かった」

 

 気を効かせてくれた鈴の一言で、一夏は部屋を出て行った。

 残された鈴は一夏を見送った後、優しくオレを抱きしめてくれた。その直後、堪えきれなくなった感情が、涙と共に溢れ出してくる。

 

「……鈴」

「うん」

「オレ、さ。二人を信頼してるって言いながら、本当は心のどこかで嫌われるんじゃ無いかって、凄く心配だったんだ」

「……うん」

「……でもさ。答えなんて、最初から分かってたんだ。二人は絶対、オレを受け入れてくれるって」

「当たり前でしょ? アタシ達はアンタの親友で、アンタはアタシ達の親友なんだから」

 

 堰を切ったように溢れる言葉を、鈴はただただ聞いてくれる。その優しさが堪らなく嬉しくて

 

「……っ、ありがとう。鈴、一夏……!」

 

 オレは二人に感謝の言葉を述べることしか出来なかった。

 

 

 ……っ、ありがとう。鈴、一夏……!

 

 扉越しに聞こえてくる涙声に、俺は不謹慎だと思いながらも嬉しくて堪らなかった。

 きっと彼女はいつもの態度の影で、一人悩み、苦しんでいたのだろう。そして嫌われるかもしれないという恐怖を押さえ込んででも、今日こうして俺達に抱えていた悩みを打ち明けてくれた。

 

 それが、俺には堪らなく嬉しかった。

 普段は何だかんだと素っ気無い態度をされる俺でも、こんなに大事な話を聞かせてくれるほどには信頼されていた。

 それが、何だか彼女にとっての特別である証のような気がして、兎に角嬉しかったのだ。

 

 と、そんな事を考えていると――

 

「……よっ」

 

 澪の双子の兄だと言っていた少年が、向かいの部屋から出てきた。初めて会ったのは確か、澪が公園でイジメにあった日だったか。

 家まで送り届けたところ、何を勘違いしたのか。コイツとコイツの爺ちゃんらしき人が襲い掛かってきたときは本気で焦ったものだ。

 そんなことがあったので僅かに身構えてしまうと、彼は少しバツが悪そうな表情を浮かべる。

 

「あー……。この前は何ていうか……悪かった。勘違いで殴りかかっちまって」

 

 と、素直に謝られては、俺も何時までも話を引き摺るのは躊躇われる。

 

「いや、良いって。確かにビビッたけど、身内があんな怪我してたら冷静じゃいられないしな」

「ありがとよ。……そういや自己紹介してなかったな。俺は五反田弾、澪の双子の兄貴だ。弾でいいぜ」

「俺は織斑一夏。俺の事も、一夏でいいから」

 

 おう、と答えた彼――弾は、静かに俺の隣に並び立ち壁に凭(もた)れ掛かると、ポツリと言葉を零した。

 

「……ありがとな、一夏。アイツの事、受け入れてくれて」

「……何だよ突然」

「まぁ聞けって。

 ……アイツさ、俺と違って昔っから難しい事考えてる奴でよ。悩みや何かも全然人に打ち明けようとしやしねぇ。

 そんなアイツがさ、誰かに悩みを打ち明けるのって、きっとすげぇ勇気がいる事だったと思うんだ。そんなアイツの勇気を無駄にしないで受け入れてくれたから」

 

 だから礼くらい言っておきたかったんだ、と呟く弾は、とても嬉しそうで、でも少しだけ寂しそうな表情を浮かべていた。どうして彼がそんな表情を浮かべるのか、俺には何となく理解出来た気がする。

 でも、それを態々いうのは野暮ってものだ。

 

「気にすんなよ。別に誰かの為にって訳じゃない。ただ俺が、アイツの親友だったってだけの話さ」

 

 だから俺は、出来るだけ何でも無いように言葉を返す。

 弾はやっと安心したように、そうかと小さく呟いた。

 

 

 小学六年生の夏。

 オレは、親友である二人に秘密を打ち明けた。

 

 実の所、女として生きると決めたところだけは少し話を変えて伝えたのだが、それでも二人はオレを受け入れてくれた。

 

 今まで打算と効率を考えて生きてきたオレからはとても考えられない行動。

 今回のこのような行動に出たのは、恐らく精神が肉体に引っ張られている部分が少なからずあったのだと思える。

 そうでなければ、友人である鈴は兎も角、態々自分から最重要危険人物である一夏にまで話そうとは思わなかっただろう。

 

 ……だが、柄にもなくそれでも良かったと思える自分もいる。

 

 損得だけでなく、打算でなく、本当の意味で心の内側を曝け出せる友人がいるというのは、何物にも変え難い。

 

 同時に、彼等は小説の中の登場人物ではなく、この世界に生きる一人の人間であるという事を再確認した。

 そう思えたのは、オレを本気で殴ってくれた鈴と、真摯な眼差しでオレを親友だと言ってくれた一夏の行動を見たからだ。

 ただの物語の登場人物が、あれほどまでに感情を顕に出来るはずが無い。

 それは、オレの過去を話したときの両親や祖父。そしてオレの体の事を知り、それでも受け入れてくれた兄と妹の姿で既に知っていたというのに。

 

 それを、改めて理解した。

 

 この先の人生で、まだまだ打算や損得勘定で動くことはあるだろう。

 鈴や一夏とも、どこかで線引きをしてしまうところが出てきてしまうかもしれない。原作の住人として見てしまうかもしれない。

 

 それでもきっと、彼等と一緒に居たいと。そう思える自分も、確かに生まれた。




澪の心の変化は、若干肉体に精神が引っ張られている部分もあります。
が、前世での最後のように、友人というものが如何に得難くかけがえの無い存在であるかを理解しているので、ちょっとだけ勇気を出してみた、みたいな感じです。

原作キャラである二人(特に一夏)に深く踏み込みたくは無い。
秘密を打ち明けるのは怖い。
けれど、このまま黙っている事も出来ない。

という、当初の目的、目標と反する心の葛藤を描いてみた次第。
え?出来て無い?ですよねー。


友達は大事ですからね。
それが自分の深い部分を曝け出せるだろう人物ならば、尚更。


ですが一夏に対してはまだまだ苦手意識があります。
というのも、それは単純に彼がこの世界のキーパーソンだと言う事ではなく、学校において彼の行動(女の子を無意識に落としていく)が、個人的に好かないからです。
が、その辺りを抜けば良い奴だと理解しているので、友人という妥協点を持っています。

因みに最後の一言。アレは本心か或いは照れ隠しか……。そこはまだ、彼女自身が気付いていないデリケートな問題です。

とまぁ、今回の話に対する捕捉は以上です。

感想・指摘等お待ちしております。


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一章 1-4

原作の一夏は、モンド・グロッソでの事を悔んでいるようでした。
が、その割には肉体面で強くなろうとする努力が見られないなぁ、と。

そんな疑問を解消しようかなと。そんな話です。


◆四ヶ月後 20XX年 12月◆

 

 季節は冬、暦は既に12月。

 

 オレの秘密を打ち明けてから早四ヶ月が過ぎた。

 あれからというもの、オレは以前よりも立ち振るまいに余裕が出来たように感じる。

 家族が言うには笑うことが増えたとの事だが、、その辺りは自分では良く分からないので置いておく事にしている。

 本音を言うと、少し恥ずかしい。

 

 そんな日々を過ごしながら、気がつけばもう冬休み。オレは今何をしているかと言うと――――

 

「……れ、澪先生。ここ分かんないです」

「お、同じく」

「人に頼りすぎると為にならない。取り敢えず最後までやるように」

「「そ、そんなぁ~……」」

 

 部屋にて親友と双子の兄、そして妹の宿題を見てやっている。

 ちなみにオレは、宿題を出されたその日、というか学校で八割以上終わらせた後に自宅で片付けたので、こうしてのんびりしていられるのだが。

 

「あ~ぁ。一夏の奴が羨ましいぜ」

「ホントよね。今頃楽しんでる頃でしょうね」

 

 はぁ、と溜め息をつく弾と鈴。そんな二人とは対照的に黙々と宿題を片付ける蘭を余所に、オレは記憶を掘り起こす。

 

 

 親友の一人である一夏は今、第二回IS世界大会”モンド・グロッソ”を観戦するため、日本を発っている。

 というのも、それは彼の姉である織斑千冬がこの大会にエントリーしているからに他ならない。

 

 織斑千冬。

 

 彼女の名は今や、世界中に知らぬ者はいないほどだ。

 それは何も彼女の容姿が優れていると言う事だけが、理由ではない。

 

 それは、彼女の戦闘技術とその輝かしい戦績に由来する。

 鍛え抜かれた各国の操縦者たちを、彼女はあろうことかブレード一本で勝ち抜いた。しかも全戦全勝、無敗記録を打ち立てている。

 

 これらの事から、彼女は世界中の女性の憧れの的となっている。

 とまぁ、そんな姉が今年の大会に出るという事から、一夏はその応援に行っているという訳だ。

 

 しかし、オレが問題にしているのは、彼女の存在ではない。

 オレが一番に問題視している事。それは一夏の誘拐事件だ。

 

 千冬の応援に行った彼は、何者かの手によって誘拐される事となる。

 そしてこれを機に、彼の姉である千冬は大会を途中棄権、ドイツの情報提供という形で彼が軟禁されている場所を突き止める。

 

 一夏はこの出来事を切欠に、今まで以上に彼女の負担にならないようにとアルバイトを始めたり家事に専念したりするらしい。

 

 だがここで疑問が一つ残る。

 

 それは、どうやってドイツは他国に先んじてその情報を手に入れたのかと言う事なのだが――――

 

「お姉?」

「っ、蘭……」

「どうしたの?なんか怖い顔してる……」

 

 どうやら深く考え込んでいたらしく、蘭が心配そうに声を掛けてくれた。

 見れば彼女だけではなく、鈴や弾も心配そうな表情を浮かべている。

 

(しくじったな。まさか顔に出ていたとは……)

 

 だがこの悩みは人に打ち明けられるものではない。故に――――

 

「いや、何でもないよ。

 ただ、来年もこうして長期休暇の度に宿題を写させてくれ、などと言うようであれば――――その時はおしおきの一つでもしようかなって、考えていただけだよ」

「ひぃっ!?」

「ごごごごめんさないっ!」

 

 ニヤリと笑顔を張り付けてみれば、心当たりのある弾と鈴は悲鳴を上げて謝罪する。そんな二人を、蘭は少しだけ気の毒そうに見ていた。

 ……どうやら誤魔化す事が出来たらしい。

 

「まぁでも、根を詰めすぎるのも良くない。一度休憩を入れようか」

 

 と、話題を切り換えると、先ほどまで騒いでいた二人はコロリと表情を変えた。そんな二人に、オレは蘭と共に苦笑する。

 

「それじゃあ、ちょっくら飲み物でも取ってくるわ」

「ありがと、お兄」

「ふぁ~!疲れたぁ……」

 

 そういって立ち上がる弾を見送りながら、蘭と鈴はグッと体を伸ばしている。そんな二人に苦笑しながら、オレはテレビの電源を入れた。

 気分転換という言葉を利用したのも、情報を手に入れるための口実に過ぎない。

 

「そういえばさぁ、この時間って何か面白い番組やってた?」

「さぁ……。まだ三時くらいだから、そんなにやってないんじゃないですか?」

 

 二人の話し声を聞きながらチャンネルを回していく。

 が、特にニュースでも織斑千冬の大会辞退――――いや、その陰に隠された誘拐事件は報道されていない。

 その事にホッとする。

 

(そうだよな。ここは一つの世界として確立している。全部が全部、物語の通りに進んでいるわけじゃないんだ……)

 

 そう思ったその時――――

 

『ここで緊急ニュース速報です。

 第二回モンド・グロッソ大会ですが、残念ながら織斑千冬選手の大会二連覇はなされなかったようです。

 理由は不明ですが、織斑選手は決勝戦直前に突如大会を辞退したとの事です。詳しい情報は――――……』

 

「えっ!?」

「うそっ、何でっ!?」

 

 聞きたくなかったその知らせが耳に入る。オレは無意識の内に掌を硬く握っていた。

 

◆三日後◆

 

 一夏から日本へ戻ってきたと聞いたオレと鈴は、急いで一夏の家へと向かった。

 が、彼の家に行くまでに何人かの大柄な男達とすれ違った。しかし彼等のような人間はこの近辺にはいなかったはず。

 

「ねぇ。今日は何かやけに人が多くない?」

「さて、何だろうね。まぁ、大体の見当は付くけど……」

 

 物影から様子を窺うオレは、同じように隠れる鈴の呟きに答えると携帯を取り出す。かける先は勿論、一夏だ。

 数秒のコールの後に、電話が繋がる。

 

『もしもし?』

「やぁ一夏、三日ぶり。どうやら面倒事に巻き込まれたようだね」

『あぁ、そうだけど……って、何でそんな事知ってるんだよ?』

「オレと鈴、二人は現在君の自宅付近に潜伏中。

 けどどう見ても一般人じゃない人達が目を光らせていてね、近づけそうも無い。出来れば彼等に口添えしてもらえない?」

『あ、あぁ。取りあえずやってみる』

 

 そこで一度電話を切ったオレは、物影から出ると堂々と一夏の家を目指す。そんなオレの後を、鈴が慌てたように着いて来る。

 すれ違う人達は、通り過ぎるオレ達に鋭い視線を向けるが、一般人だと判断したのか接触自体はして来なかった。だが、ただ観察するようなその視線は居心地が悪い。

 

 そんな時、向かいから一人のカジュアルスーツを纏った女性が歩いてくる。

 彼女は周りの男たちなど目に入っていないようで、堂々と歩いている。そんな女性とすれ違った、瞬間。

 

「……っ」

 

 何か、得体のしれない感覚を覚えた。

 思わず足を止めて振り返ったが、女性はそのまま歩き去って行った。

 

「澪?」

「……いや、何でもないよ」

 

 不思議がる鈴にそう答え、再び歩き始める。

 やがて、オレ達が一夏の家を目指していると分かった何人かが接触しようとしてきたその時 

 

「あ、おーい!澪、鈴!」

 

 と、それよりも先に一夏が声をかけてくれたお陰で事なきを得た。尤も、流石にボディチェックは入念にされたのだが。

 

◇  

 

 ボディチェックを終えたオレと鈴は、一夏の家へと上がらせてもらうと、そのまま彼の部屋へと向かう。 

 

「それで?一体何があった?

 これだけの人間を配置しているんだ、それ相応の事がなければこうはならない」

 

 そして中に入って早々、彼を問い詰める。

 見れば一夏は若干顔色が悪く、体調が優れていないようにも見える。恐らくは精神的に疲れているせいだろうと思われる。

 だがそれでも、確認しておかなければならない。

 

 そこには一人の友人としての想いもあるが、同時に彼が置かれた状況が、果たしてオレの有する知識と食い違う点が無いか。それを確認する為であった。

 

「………」

「ちょっと!黙ってたら何も分からないじゃない!」

「鈴」

「っ、ゴメン……」

 

 が、一夏は黙したまま話そうとはしない。

 一瞬口止めでもされているのかとも考えたが、直ぐにその考えを消し去る。薄らとだが残る知識の中で、確か彼は自らこの時の出来事を話していたはずだから。

 と、なると

 

(彼のプライドがそれを許さない、か……)

 

「一夏、一つ聞かせて欲しい。

 今回君のお姉さんが大会を辞退した事と君がそうして黙っている事。それは関係があるのか?」

 

 その問いに、一夏は表情を歪めて俯く。あと一押しか……。

 

「……誘拐でもされたのか」

「っ!」

「ちょっ、誘拐って……!?」

 

 その一言で、一夏は弾かれたように顔を顔を上げる。そこに浮かんでいるのは、驚愕の表情。

 直ぐにハッとなって取り繕おうとしたが既に遅く、鈴にもその表情を見られてしまった。

 

「で、でもどうして……」

「大方、何処かの組織が身代金目当てで攫ったってところか。或いは――――」

 

 どこかの国家が裏で糸を引いているか――――

 流石にこの言葉を言うのは躊躇われたので、胸の内に留める事に。

 

「しかし良かった。君が無事で何よりだ」

「ホント、良かったわ」

「何かあったら、寝覚めが悪いしね」

「ちょっ!?縁起でも無い事言わないの!」

 

 明らかに気落ちしている一夏を少しでも励まそうと二人で冗談を交わす。が、今の一夏の精神状態はそれすらも受け入れられないようで。

 

「全然……全然良くねぇよっ!!

 俺が弱かったから、俺が捕まったりしなかったら千冬姉は今頃……!」

 

 怒鳴り声と共に拳を自分の足に振り降ろし、怒りを、悔しさを顕にする。

 その怒りは、彼を攫った何者かに対する物か、それとも自分自身に対する物か……。恐らくは後者なのだろう。

 

 彼は正義感が強く、仲間意識が強い。それが唯一無二の家族ともなれば尚更だろう。

 彼自身が愛しているたった一人の姉の偉業。それを阻んでしまったのは自分自身の不甲斐無さ。そう自分を責めているのだろうが――――

 

「――――馬鹿か君は?」

 

 オレからすれば、実にくだらない。

 彼の何時までも煮え切らない言葉を聞いて、先ほどまでの情報がどうとかいう考えは消し飛んでしまった。

 そうなってしまうほどに、目の前の少年の姿が気に食わない。

 

「……どういう意味だよ?」

「君は自分のせいにしているようだが、ハッキリ言ってそれは君の思い込みでしか無い。

 考えてもみろ。相手はその道のプロ。対して君は、修めていた剣術も錆付かせてしまったただの小学生。

 どちらの実力が上かは、自明の理だろう?」

「……っ」

「ちょ、ちょっと澪。流石に……」

「鈴。少し黙ってていてくれ」

 

 仲裁に入ろうとする鈴を一言で制する。

 この馬鹿には良い加減、分からせなければいけない。

 

「なのに君は、姉の偉業を妨げたのは自分のせいだと言う。

 確かに、君という存在がいたからこそ今回の事態は発生したのかもしれない。けれど、それを今更悔んだところでどうなる?どうにもならんだろう。

 それは他ならぬ君が一番理解している筈だ」

「……せぇ」

「それを何だ?何時までもメソメソと……情けない。

 まぁ尤も、君のような”負け犬”には今の姿はお似合いだろうけどね」

「うるせぇっ!!」

 

 ”負け犬”という言葉が引き金となったのか、一夏は本気の怒りを顕にオレの胸倉を掴む。女を守る事を信条に掲げている、あの一夏が。

 その行動には、流石の鈴も驚きを隠せ無いようで、何も出来ずにいる。

 が、オレにとっては好都合だ。

 

「お前に……お前に俺の気持ちが分かるかよっ!!」

「分からないね。それに、”負け犬”の気持ちなんて分かりたくもない」

「っ!このっ……!」

 

 瞬間、ガツンという音と共に顔に鈍痛が奔る。一夏が加減無しに、オレを殴りぬいたのだ。

 

「澪っ!?一夏!アンタ何してんのよっ!?」

「お、俺……」 

 

 流石に言うだけあって”効く”。が、それでもオレは、自分の行動に呆然としている一夏を見据える。

 鈴は今にも泣きそうな表情をしているが、ここは流石に引くわけにはいかない。未だ呆然としている一夏の隙を突き、彼を組み敷く。

 

「が、ぁっ……!」

「ほら、どうした?早く立てよ。殴り返してみろよ!」

「……く、そっ……!」

 

 古臭いやり方だが、”男”に気付かせるにはこのやり方が一番手っ取り早い。

 

「良い加減認めなよ。君は元男とはいえ、何の武道の経験も無い女に組み敷かれるほど、その腕が錆付いてるんだって事を。それほどまでに、今の君は弱いって事をさ」

「……っ」

「――――自分の弱さから目を逸らすな!」

「っ!!」

 

 オレの一喝に、一夏はハッとした目で漸くオレと目を合わせる。

 その瞳は揺れており、未だに迷いが見える。でも、それも良い加減終わりにしよう。

 

「過去はどうやっても覆す事は出来ない。

 君が無様に攫われた事も、今こうしてオレ程度に組み敷かれている事も」

 

 ……でも、これからは違う。

 

「自分が弱いんだったら、その悔しさをバネにしてでも這い上がれよ。

 ホンの少しの屈辱が何だ。悔しさが何だ!本当に守りたい物があるんだったら、その程度笑って受け入れて少しは強くなって見せろよっ!!

 ――――君は男の子だろ、一夏?」

「……あっ」

 

 オレの押し付けがましい言葉に、しかし一夏には感じ入る所があったようで。迷いに揺れていた瞳はやがて、涙に濡れ始める。

 

「……俺、すっげぇ悔しいんだ。

 何も出来ずに攫われて。何かされるんじゃないかって、ビビッてばっかりで」

 

 ポツリポツリと言葉を零し始めた彼は、その目を覆うように右腕を持ち上げる。滅多に心の弱さを見せない彼の独白に、オレも鈴も、ただただ黙って聞きいる。

 

「……そんな俺のせいで、千冬姉には迷惑かけちまって。それでも何も出来ないのが、悔しくて、辛くて……!」

「あぁ」

「ちくしょう……、ちくしょう……!」

 

 堪えきれない悔しさと惨めさを涙に変えて流す彼の身を起こし、オレは彼の頭を胸に抱く。

 あの時、鈴がオレにしてくれたように。

 

「……自分の、弱さに泣くのは今日で、さいごだ。だから……」

「あぁ。今は泣くと良いさ。

 それで、次は笑えるように強くなれれば、それでいい」

 

 ――――頑張れ、男の子。

 

「――――く、う、ぁぁっ……!」

 

 その一言が引き金となった様で、一夏は静かに声を押し殺しながら泣いた。

 オレと鈴に出来たのは、そんな彼を黙って受け入れる事だけだった。

 

 

「………」

 

 私は部屋の前で弟の押し殺した鳴き声を、ただ黙って聞くことしか出来なかった。

 弟に――一夏に一切非はないというのに、アイツはそれを一人で抱え込んでいた。そしてその事に、唯一の家族である自分が気付けなかったことが堪らなく悔しく、腹立たしい。

 

(何が世界最強のIS操縦者”ブリュンヒルデ”だ……)

 

 弟の悩み一つ見抜けなかった愚かな人間には、分不相応な称号だ。

 しかし――――ならばこそ、これからは私も変わっていかなければならない。

 

 話の経緯は分からないが、一夏が己の無力さを嘆き、涙していた事。そしてそんなアイツを立ち直らせてくれたのは、アイツの友人だったという事だ。

 ならば私はこのまま何も聞かなかったふりをするべきだろう。

 

 男というものは、自分の泣き顔を見られるのを極端に嫌うらしいしな。

 一度深呼吸し意識を切り替え、扉をノックし声をかける。

 

「一夏、私だ」

『えっ、ち、千冬姉!?ちょっと待って!』

 

 それから数秒後、了解を得て部屋に入る。

 

「お、お帰り千冬姉」

「お邪魔してます、千冬さん」

 

 そこには少しだけ目を赤く腫らした一夏と、友人である鳳鈴音。

 そしてもう一人の少女を見た瞬間

 

「――――っ」

 

 一瞬、言葉を失う。

 

 それは、彼女の顔が殴られたように腫れているから、というだけではない。

 

「初めまして、織斑千冬さん。五反田澪です。澪でいいです」

 

 述べられた自己紹介も、殆ど耳に入っていない。

 私が何よりも彼女を見て驚いたのは、彼女の目。そして、彼女の纏う雰囲気だ。

 まるで全てを見透かすように賢者の様に、それでいてフィルター越しに世界を見ているような傍観者の様な空気を纏う少女、五反田澪。

 

 私は、この少女と同質の空気を纏っている人間を、一人だけ知っている。

 

「?千冬姉?」

「っ、あぁ、すまない。

 彼女――澪の顔が腫れているのに驚いてしまってな」

「え?ちょっ、澪!何か青っぽくなってきてるわよ!?」

「わぉ、ホント?通りで痛いと思った」

「いやそんな事言ってる場合じゃねぇって!すぐ冷やさないと……!」

 

 誤魔化すための一言にしかし、それまで気付かなかったのか慌てふためく一夏と鈴。対して当人は至ってマイペースな様子。

 そんな姿が余計に、私の脳裏に”アイツ”の姿を連想させる。

 

 正直、聞きたいことは多々あった。だが――――

 

「大した持て成しも出来ずに済まんな。私はこれから用事で出ねばならん」

 

 何時一夏の前でISに関わる話でボロを出すか分からなかった。

 そんな理由から、結局私は話を逸らすことしか出来なかった。

 

「とりあえず一夏」

「え?何だよちふ――――い゛っ!?」

 

 そして、そんな思いを悟られないようにするため、そして姉としてのケジメを付けるために、ゴツッと拳骨を一つお見舞いする。

 余程効いたらしく頭を抱えて蹲る一夏を、鈴と澪は気の毒そうな表情で見つめていた。

 

「それでは私は失礼する。

 ……これからも弟と仲良くしてやってくれ」

「分かりました。勉強面では御心配なく」

 

 冗談めかした言葉に、思わずポカンとしてしまう。

 そして理解した。この少女は、纏う空気こそ”アイツ”に近いが、”アイツ”のように何処か歪んだ部分を持ち合わせている訳では無いと。

 

(この少女が一夏にとって利となるか害となるか。その判断を下すにはまだ早いが……)

 

 どうやら、悪い子供ではなさそうだ。

 

「……ふっ、そうか。それは頼もしいな、是非頼むとしよう。……あぁ、それと」

「はい?」

「私は暫く家を空ける事になっていてな。

 ……その間申し訳無いが、コイツの面倒を見てやってくれないか」

「了解です。鈴、悪いんだけど」

「分かってるわ。澪一人じゃ一夏の相手は疲れるでしょうからね、アタシも手伝うわ。

 そう言うことですから、千冬さん。一夏の事は、アタシ達に任せてください」

「あぁ、そうさせてもらう。この礼はいずれ、な」

 

 そう一言残し部屋を後にした私の足取りは、部屋に入る前より幾分か軽い。

 兎に角今は出来る事を。一夏の姉として誇れるよう、出来る限りの事を尽くし、少しでも早く戻ってくるとしよう。

 

 

◆数時間後 自室◆

 

 あの後少しだけ一夏の家で話をしたオレ達は、一時間ほど後に帰った。

 帰ってきた直後、顔に張られた湿布をみた母さんとお爺ちゃんが若干発狂しかけたが、何とか事なきを得た。

 

 そして現在、時刻は既に9時を回っている。

 風呂から上がり、部屋に戻ったオレはいつものように資格試験の勉強をしようとして

 

「はぁ……」

 

 出来ずにいた。理由は分かりきっている。それは――――一夏に対する行動だ。

 

「何やってんだか、ホント。というか、何時の時代のスポ魂だよ……」

 

 あの時、泣き顔を見ないようにするのなら、部屋を出ればそれで良かった。或いは鈴の恋路を応援する為にも、彼女に任せて置くべきだった。

 だというのにあの時オレが取った行動は、一夏を抱きしめてやるという、自分でも理解不能な行動。

 

 何というか……思い出すだけで恥ずかしくなる。

 確かに、元男として彼の悔しさ、不甲斐無さといった気持ちは痛いほどに理解出来る。

 

「けど、それとあの行動は違うだろうに……。――――うがぁぁぁっ!!」

 

 ”らしくもない”行動を思い出し、ベッドにダイブすると枕に顔を埋め、”らしくもなく”押し殺した奇声を上げる。

 

 本当に、ここ最近は”らしくもない”行動や選択が多すぎる。

 当初オレは、彼等との関わりを最小限に留めるつもりだった。けれど気が付けば、それなりに深い部分にまで踏み込み、踏み込まれる関係になりつつある。

 

 それが――――時々怖くなる。

 

 まるで”自分”という存在が少しずつ誰かの手によって書き変えられ、”物語としてのこの世界の登場人物に相応しい存在”へと変化しつつある。そんな、荒唐無稽な考えまで浮かんでくる。

 

(精神は肉体に引っ張られると言うけど。この変化は果たしてそれだけで説明が付くのだろうか……)

 

 疑問は尽きない。それは、この世界の在り様についてでもあり、自分自身についてでもある。

 だが、その変化を恐れていながら、心の何処かではそれもまた良しと受け入れつつある自分がいる。その変化を、好ましく思っている自分がいる……。

 尤も、それと一夏に対する態度を改めるのは全くの別だが。

 

「……とりあえず、次会ったら一発蹴ってやる」

 

 一人納得したオレは、モゾモゾとベッドに入り込む。

 今日の精神状態ではとても勉強など出来そうもない。ならばいっその事、寝て気持ちを切り替えてしまおう。

 そう考えていた時――――突如、携帯の着信音が鳴る。

 

「?」

 

 珍しい時間に鳴り出す携帯を不審に思いつつ手に取る。が、表示される番号は、全く見覚えのないもの。

 

(間違い電話か何かか?)

 

 とりあえずそうなら伝えてやればいいと思い、電話で出る事にする。

 

「もしもし、どちら様ですか?」

『………』

 

 が、返事は返ってこない。

 悪戯電話か何かかと思いながらも、何故だろう。只の間違い電話ではない気がした。

 

「……もしもし?」

 

 先ほどの投げやりなものではなく、少しだけ真剣味を帯びた声で応答する。すると

 

『やぁやぁ、良く切らないでくれたね!

 最近の若者はすぐにキレるっていうからちょっと試してみたけど、君はそこまで馬鹿じゃないみたいだ』

 

 聞こえてきたのは、何とも楽しそうな女性の声。しかし何だこのハイテンションっぷりは?

 

「申し訳ないですけど、オレは貴女の声に聞き覚えが無いのですが。というか、人違いでは?」

『いやいや君であってるよ。この束さんに睫毛一本分も興味を持たせた君で、まず間違いから安心しなよ!』

「……あの、意味が分からな――――」

 

 ――――いや、ちょっと待て。この女は今、何て言った?

 オレの聞き間違いでなければ、自らの事を”束さん”と――――……

 

「っ、篠ノ之、束……!」

『イエス!大正解♪』

 

 事態を頭が理解した瞬間、オレはベッドから飛び起きる。

 体が妙に強張り、言いようのない危機意識を感じる。だが同時に、先ほどまでのモヤモヤが嘘の様に消え去り頭は冴え、彼女の言葉一つ一つから情報を得ようとしている。

 

「稀代の大天才が、一体オレのような一般人に何の用で?」

『……フフ、本当に面白いな君は。

 状況を直ぐに受け入れる柔軟さ、物怖じしながらも情報を集めようとする強かさ。とても”普通”の小学六年生とは思えないね』

「話を逸らさないで頂きたい。……貴女の目的は何ですか?

 何らかの目的があったからこそ、オレに電話をかけてきたんでしょう?」

『ん~、ちょっとセッカチさんだなぁ。でもいいや!今日の束さんはとっても気分がいいからね、許してあげるよ♪』

 

 それはどうも、と内心で皮肉を言いつつ、彼女の言葉を待つことに。

 

『明日のお昼一時、駅前のカフェに来てくれるかな?束さんはね、君とお話がしたいんだよ』

 

 だが彼女の言葉は、オレが想像もしなかったものだった。

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 夜遅く。澪や鈴が帰り、千冬姉がドイツへと渡ってしまってから数時間。俺はテレビをつけながらも、それを見るでもなくボーッとしていた。

 

 というのも、それはつい数時間前の出来事が原因だ。

 

「人前で……それも、女の子の前で泣いたのなんて、初めてかもしれない……」

 

 自分の弱さを認めることになったあの出来事。

 まだ完全というわけじゃないけど、少しは自分の無力さを理解した。でも……何となくだけど、意識が変わった気がする。

 

「……明日から走りこみでもするか」

 

 とりあえず、今のままではいられないと思えただけでも、大きな進歩だろう。

 今までの俺であれば、結局口では何か言いながらも行動に起こしていなかっただろう。それが今日の一件で、本当に自分の無力さを知ることが出来たのだ。

 

「それもこれも、澪のお陰だよな。やっぱり……」

 

 澪。彼女の事を思い出し、顔に熱が集まるのを感じる。

 

 喚き散らす俺を本気で殴ってくれた彼女。

 泣きじゃくる俺を優しく抱きしめてくれた彼女。

 

「何て言うか……温かかったな。それに柔らかくて、いい匂いが――――って!何考えてるんだよ、俺は!?」

 

 あの時の澪の表情を、温かさを、感触を思い出すと、さっき以上に顔が熱くなる。それと同時に、何故か心臓がバクバクと動き出す。

 

「……なんだよ、これ。でも、何だろう――――」

 

 苦しいけど、悪い気分じゃない――――……

 

 未だに鳴りやまない心臓の鼓動と、胸を締め付けるような息苦しさ。

 この時の俺はまだ、この感情が何なのか気付けずにいた。

 

 

 20XX年12月、冬。

 一年も後僅かで終わりを告げる頃にまで差し迫ったある日。

 

 その日オレは、再び運命が大きく動き出す音を聞いた気がした――――……

 

 




澪が原作とは違う、と安心しかけたところでちょっとした追い打ちをかけてみました。
まぁ本音は、ただ単にこのイベントは回避できないだけなんですけどねw

前書きにも書きましたが、
原作の一夏は、モンド・グロッソでの事を悔んでいるようでした。
が、その割には肉体面で強くなろうとする努力が見られないなぁ、と。

で、そんな割には白式を手にしたらあっさりと「俺の大切な人を守る!」みたいな強気な発言。なんというか、都合良すぎないか?と思ったので、そうなる前にほんの少しだけ強化フラグ。

澪が少しだけ女の子っぽい慰め方をして、自己嫌悪。
言葉使いなどはまだまだ男ですが、微妙に女の子しはじめています。

で、最後の最後にウサミミ博士台詞のみ登場。
因みにこの話における彼女は原作ほどいかれてはいませんので、かえって違和感をうけるかな?という心配ががががが

とりあえず次回で一章の小学生編は終わりです。

感想・指摘等お待ちしております。


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一章 1-5

ウサミミ博士登場。
しかし原作とはちょっと違った性格に。その理由の一部は本編にて。

第一章、これにて完結。


◆ 翌日 ◆

 

 母さんとお爺ちゃんに友達と用事があると断りを入れ、予定の時間よりも少し早く家を出る。

 

 駅前のカフェを目指し自転車をこぐ速度が自然と速くなる。それはまるで、はやる自分の心を表しているようだった。

 けれどそんな事を気にしていられるほど、今のオレに余裕はなかった。

 

 篠ノ之束がどうしてオレの携帯の番号を知っていたかとか、そんな事はどうでもいい。

 だが、彼女の目的が何なのか。そして――――何故一夏や千冬さんではなく、オレを選んだのかという事だ。

 それが、どうしても分からない。

 

 やがて目的の場所についたオレは、時計を見る。時間までには後三十分は余裕がある。

 

(この間に、確認するべき事を纏めておこう)

 

 そうして、脳内で様々な考えを巡らせる事暫く――――

 

「やぁやぁお待たせ♪」

「……は?」

 

 カジュアルスーツに身を包んだ、黒髪の女性が声をかけてきた。が、当然の如くオレには彼女との面識はない。

 人違いでは?と声をかけようとして――――やめた。

 いや、正確には止めざるを得なかった。

 

 彼女のオレを見つめる瞳。それはまるで、オレを見ているようでオレではない”何か”を見ているようで――――

 

 瞬間。オレは確信した。この女性が篠ノ之束なのだと。そして同時に思いだす。

 

(この女、昨日一夏の家に行く時にすれ違った女か……)

 

 一瞬の事だったので殆ど記憶に残らなかったが、恐らくそうだろう。だとすると、昨日は一夏や千冬さんにでも会っていたのか、それとも会うつもりだったのか。

 その辺りは、オレの知っている篠ノ乃束という女性と目の前の女性の姿が異なる事と一緒に、これから聞けばいい。

 

「……いや、大丈夫ですよ。それに、女性を待たせる訳にもいかないですし。早めに来るのは当然」

「……まるで男の子みたいな発言だね。まぁいいや、とりあえず入ろうか」

 

 オレの言葉に大した反応を見せるでもなく、彼女はさっさと店の中へと入って行った。

 そんな彼女の後を、オレは黙ってついていく。

 

 この時オレは、きっとこの邂逅はオレの日常に何らかの変化を齎す事になる。

 そんな、確信にも似た思いがあった。

 

 

「とりあえず、何か頼みますか」

「そうだね。それじゃあ束さんはねぇ~……」

 

 カフェに入ったオレ達は、とりあえず何か注文することに。

 元々何か食べたいものがあったわけではないので、最初からホットコーヒーと決めていたオレと違い、篠ノ之束はメニューを開いてものの数秒で決めやがり、ボタンを連打しまくった。しかも、オレが何を頼むか確認すらせずに。まぁ、最初から決めていたのでいいけど。

 

「お待たせいたしました。ご注文は何に致しますか?」

 

 と、ボタンを押してから数秒後、やってきた少々気弱そうな店女性員はボタン連打した彼女を怒るでもなく、あくまでも営業スマイルを浮かべて対応する。

 普通に考えれば及第点は与えられるだろう、女性店員。

 

 ――――が、今回は相手が悪かった。

 

「はぁ?」

 

 変装した篠ノ之束は、店員をゴミを見るような蔑んだ目で見ている。

 

「ボタンを押してから何秒経ってると思ってるの?」

「え?あ、あの……」

「あ、あの、じゃないよ。

 客を待たせるなんてどうかしてるんじゃないかな?しかもそれに対して謝罪もないなんてどうかしてるね」

「も、申し訳ありません」

「あぁいいよ別に。束さんは別に君に対してこれっぽっちも興味を持っていないからね。

 大体、君程度の低能な人間と話している時間すらが惜しいんだ。さっさと――――」

「すみません。彼女、ちょっと仕事で疲れているみたいで、気にしないでください」

 

 これ以上は流石に不味いと思い、篠ノ之束の言葉に割って入り店員の意識をオレに移す。

 困惑を通り越し今にも泣きそうな店員は、流石に不憫だ。

 

「それじゃあ――――あー……、姉さん。姉さんは何にする?」

「そうだねぇ~。それじゃあこのデラックス苺パフェってのにしようかな」

 

 姉さん、と呼んだのは、ぶっちゃけオレ達の関係性を疑われるのを防ぐ為だ。それは彼女も同じだったらしく、オレのアドリブに乗ってくれた。

 だが正直、正体云々以前に意味などあって無いようなものだろうけど。

 

「すみません。デラックス苺パフェを一つ。それとホットコーヒーを一つで」

「畏まりました。ご注文を――――」

「全く。そんなものも一回で覚えられないの?君は本当に――――」

「姉さん!あの、本当にすみません……」

「い、いえ!し、失礼しました!少々お待ちくださいませ!」

 

 再びオレが割って入り、店員はまるで逃げるように席を離れた。

 これから暫くはこんな面倒な人間の相手をしなければいけないのかと考えると、……正直、気が滅入る。

 

 

「そ、それではごゆっくりどうぞ!」

 

 程なくしてやってきた女性店員は、先ほどと同じように逃げるように去って行った。

 そんな彼女など既に気にも留めていないようで、篠ノ之束は目の前に聳える馬鹿でかいパフェを頬張り始めた。……というか

 

「食べている物と貴女の格好とのギャップが酷すぎる」

「え~、そんなに酷い?」

「えぇとても。見た目がキリッとしている感じなのに童心に帰った少女のような笑みでパフェを食らう二十代とか、不思議を通り越して若干不気味です。

 ……今のその姿は、やはり貴女の発明によるものですか?」

「ピンポ~ン!別に何も難しい事はないんだけどね、簡単に言っちゃうとISの量子変換技術やらその他諸々を併用する事で意外と簡単にできちゃうんだなこれが。

 でも馬鹿な世界中の屑共はISを兵器としての側面しか見なくなったし、他の技術者達にしてもそう。探せば幾らでもある発明用途を見落として、何でもかんでもIS、IS……」

 

 ホント、馬鹿ばっかりだね、と彼女は世界中の科学者が聞けば怒り狂うだろう発言を平然としてのける。そんな彼女に、オレは少しだけ頭が痛くなる。

 

「それで?どうしてオレを呼び出したりしたんですか?」

 

 気晴らしに珈琲を一口含み、尋ねる。この質問はどうしても外せない。が、オレの思いとは裏腹に

 

「それはねぇ、君に”興味を持った”からさ♪

 うん、店員はゴミクズだけど、これはそこそこイケルね」

 

 などと簡単に答えた。……どういう事だ。 

 

「一夏から聞きました。貴女は一夏の姉である千冬さんとは親友の間柄であると。そして同時に、貴女という人についても」

 

 以前ふと話題をISについて話題を振ったとき、一夏はわりと簡単に自分と自分の姉がISの生みの親である篠ノ之束と知り合いだと打ち明けてくれた。 

 そして聞き出せた情報、特に彼女の性格などは、オレが知っている知識と殆ど違いはなかった。

 

「貴女は他人というものを認識することが出来ない。

 自分が興味を持った相手しか人として認識することが出来ない、と。ならどうして、初対面である筈のオレを貴女が認識する事が出来たのですか?オレの一体どこに、貴女は興味を持ったのだというのです?」

「あー、その事?それは簡単――――君が束さんに”似ている”からだよ」

 

 その言葉に、カップを持とうとした手が止まる。

 

「何処が?って思ってる?でも、本当は君自身気付いてるんじゃ無い?

 束さんも君も、この世界を見ているようで見ていない。まるでブラウン管越しか、或いは物語の経緯(いきさつ)を見守る”傍観者”の様にしか、この世界を見ることが出来ないってことにさ」

「………」

「初めて君を見たのは、ちーちゃんといっくんの家に向かう時だったね。

 いやぁ、あの時は本当に驚いたよ。何て言うのかな……匂い、かな。近いんだよ、君と束さんは」

 

 だから君はあの時、一度振り返ったんでしょ?

 

 そう言って笑みを浮かべる彼女の瞳は、まるで底無しの闇のように暗く見える。

 全てを見透かすような真直ぐな瞳。だというのに、オレを見ているようでまるで見ていない様にも見える。

 恐怖を感じそうな彼女の瞳を、しかし逸らす事が出来ない。何故ならあの時、確かにオレも彼女に”何か”を感じたのだから。

 

 その沈黙を肯定と取ったのか、彼女は上機嫌に笑う。

 

「じゃあ、次は束さんが質問しようかな」

「……何ですか?」

「君はどうやって、他人を認識する事が出来るの?

 君と束さんはね、似ているけど決定的に違う部分があるんだ。ついでに言うと、さっき君と束さんは同じように世界を見ていると言ったけど、実際は違う。

 

 束さんと違って、君はどこか傍観していながらも、”しきれていない”。時々自分が見ているはずの物語に参加しているというか、そんな感じ。まぁつまり……”中途半端”なんだよね。

 でもね、束さんにはそれ――――君と束さんとの間にある”決定的な違い”ってのが何か”分からない”。だからこそ、それを知りたいんだ」

 

 彼女の言葉に、一瞬返答に困る。

 彼女の言う”決定的な違い”とは一体何なのか。オレにはそれが理解出来なかったからだ。

 

「そんなもの、オレが分かる筈が――――」

「お願い」

 

 分かる筈が無い、という言葉すらも躊躇われた。

 何故ならオレを見る目はどこまでも真剣で。なのに彼女の瞳は、まるで道に迷っている子供の様に見えたから。けど、やはりその答えを出す事はオレには出来ない。

 

 何故ならオレは、”篠ノ乃束という一人の人間”について、全く知らないのだから。

 

「……その質問に答えられるか分からないんですけど、幾つか質問させてください。もしかしたらそれが、貴女の問いへの答えになるかもしれない」

「……そう、いいよ。それじゃあ君は、どんな事が知りたいのかな?」

 

 互いに目を逸らさず相手を見つめる中、一つ一つ言葉を選んでいく。

 

「貴女は自分が興味を持った人しか他人を認識出来ないと言っていましたが、その判断基準は?」

「そのままだよ。私が興味を持てるのは、ちーちゃんといっくん、それと妹の箒ちゃん。あぁ、後は君ね。それ以外はどうでもいいゴミ屑にしか見えない」

「御両親は?」

「う~ん……。”アレ”は辛うじて家族としか認識出来ないかな。まぁ一応、人としては認識出来る、その程度。第一、”認識の仕方が違う”からね」

 

 ……駄目だ、判断材料が少なすぎる。

 

「じゃあ質問の仕方を変えます。

 貴女はどうやって、一夏の姉である千冬さんを認識することが出来たのですか?」

「ちーちゃんはね、束さんに近い存在なんだよ。方向性は違うけれど、一つの”天才”の完成形といってもいい存在。だからかな」

「なら、一夏は?彼も確かにポテンシャルは良いかもしれないけど、彼の姉ほどでは無いはず」

「それでも、いっくんはいっくんで光るところがあるからね。少なくとも、ちーちゃんの弟だからってだけが理由じゃ無いよ」

「なら……妹さんは?」

「箒ちゃんは、束さんの大切な妹だから。

 可愛い可愛い妹を、お姉さんの束さんが認識出来ないはずはないんだよ」

 

 それまでとは違い、柔らかな笑みを浮かべる篠ノ之束。そんな彼女を見て、本当に妹の箒を愛しているのだと理解する。

 だからこそ、理解出来ない。

 

 一体、箒と彼女達の両親に対する線引きとは何なのか?と。

 

 暫く考え込み――――一つだけ思い付いた事があった。だがこれは、正直質問する事自体が憚られる。けれど、聞くしかない。

 

「もう一つ追加で質問です。

 貴女の御両親は、貴女を”一人の娘として”愛していたと思いますか?」

 

 その問いに返って来たのは、沈黙と言う名の否定。推測は確信に変わった。

 

「これはオレの勝手な推測なんです。

 貴女はもしかして、”天才”などという肩書きではなく、”一人の人間として”見てくれる相手しか認識することが出来ないんじゃないですか?」

「どうしてそう思うの?」

「……才能のありすぎる人間というのは、集団からは浮きやすい存在です。それが、他に類を見ないほどで、それもかなり幼少の頃からその片鱗が現れているとしたら。

 周囲が示すのは期待ではなく……恐怖。

 

 人間と言うものは、”未知”の存在に恐怖します。

 それは、自分達とは明らかに違う才能を持つ存在に対しても、同じなのではないかと。そう思ったんです。そう考えれば、貴女が認識出来る人間が限られるのは納得がいく」

 

 これも推測でしかないですけど

 

「貴女が千冬さんを認識出来るのは、先ほど貴女自身が仰った様に彼女もまたある種の”天才”であったからなのでは?そしてそれ故に、どこか通じるものがあった。

 そして、両親に対しては辛うじて程度の認識なのに、妹さんと一夏は認識出来ると言う事。これは、二人が幼いが故に貴女を恐れなかったからではないでしょうか」

「それだと、さっきと言ってる事が矛盾してるよ?」

「……失礼、言い方が悪かったです。

 これも推測でしかないのですが、妹さんが貴女を恐れなかったのは単(ひとえ)に貴女が姉という存在だったからかと。自分に対して優しく接してくれる大好きな姉が、世間では”天才”と謳われている。これも一役買ったのかと」

 

 自分には、誰もが褒め称える自慢の姉がいるんだぞ、というように。

 

「それじゃあ、いっくんは?」

「一夏の場合は……単純な鈍感さが発揮されたのかと。

 でも同時に、変なところは鋭いですから。もしかしたら、本能的に貴女をそういった色眼鏡で見る事を嫌っていたのかもしれません」

 

 アイツは本当に可笑しな位変なところは鈍感で、変なところでは勘が鋭いからな。可能性は否定出来ない。

 黙って聞いていた篠ノ乃束は、再び口を開いた。

 

「……ふぅ。いやぁ、流石に束さんも吃驚だね」

 

 まぁちょくちょくヒントは出してたしね、と苦笑する彼女の姿に、オレは反応に困った。

 何故なら今の彼女の姿は、小説に書かれていた人として”壊れている”ような人間ではなく、何処にでもいる”普通の人”のような反応を示しているのだから。

 

 でも、これで納得がいった。

 

 恐らく、彼女が興味を持つ判断基準とは、色眼鏡無しに”自分を一人の人間として見てくれる人”。或いは

 

「自分を”篠ノ乃束という一人の人間として愛してくれる人”……」

「だいせいか~い!おめでとう、やったね♪まぁ、景品なんて出ないんだけど。

 そんじゃあ束さんは質問に答えたから、今度は君がさっきの質問に答えてくれないかな?」

「……オレは、確かに他の人と自分は違うと思っている部分があります。

 でもそれも、家族や友人がいるお陰で今では大分変わってきています。だからオレは、他の人を自分とは違うからと蔑む事はなくなってきたし、認識出来ないわけでもない」

 

 それが、オレの答えです。

 

 

「……そっか、うん。君と束さんとの違いが良く分かったよ」

 

 オレの話を聞き終えた篠ノ之束は、小さく呟いた。

 その表情は一見して変わらないように見える。が、その瞳にはどこか寂しさを含ませている様にも見える。その理由までは、オレでは分からなかった。

 

「うん!中々有意義な時間が過ごせてよかったよ!」

「……それはどうも」

 

 が、そんな感情はすぐになりを潜め、元のハイテンションに戻った。そんな彼女に、オレは苦笑するしか無い。

 

「おおっといけないもうこんな時間かい!?いやぁ楽しい時間が過ぎるのは早いものだねぇ」

「これからまた、逃亡生活ですか?」

「まぁそんな所だね。他にも色々と理由はあるんだけど……今は内緒かな?」

「そうですか。まぁオレも、貴女の様な”似た”人間と話せたのは、色々な意味刺激的でしたよ」

 

 主に心臓に悪いという意味でだが。尤も流石にそこまで言えるほどの度胸はなかったので、黙っておくことに。

 

 そう言って同時に立ち上がるその時に、スッと伝票を手に取る。

 すると目の前のウサミミ博士(今は変装中だが)は、少しだけ不思議そうな表情を浮かべた。というか、大人が子供の分も金を払うくらいの考えは持ち合わせているんだな、と一人納得。

 

「一応それなりにお金は持ってきていますから」

「いや、でもねぇ君」

「第一、女性に払わせるのは気が引けるんですよ。

 それと、今日は色々と話を聞くことが出来たので。そのお礼と言うことで、オレに払わせてください」

「……君、本当に変わってるねぇ。ていうか、変に男前だね?似合ってるのがまた何とも言えないけど」

 

 それはどうも。というか

 

「変わっていると言う言葉は、貴女にだけは言われたく無い。そのままお返ししますよ」

「ぶぅ、ちょっと失礼だな君は。まぁ……いっか♪」

 

 クスリと笑いあった後、オレ達は店を出た。

 

 

「今日は付き合ってくれてありがとね!ホント、他人とこうやって話したのって何時以来かな?」

 

 そういって体を解している彼女に、オレは何もいえない。

 彼女が他人と話していない事なんて知った事では無いが、それでもどうしてそうなったのか位は気に掛かる。だがそれも、今聞いたところで答えてはくれ無いだろう。

 

「あ、そうだ!ねぇ君」

「はい?」

 

 一人考え事をしていたオレに、彼女は突然話をふる。というか、急いでいるんじゃなかったのか?

 

「君の名前を教えてくれない?そういえば聞いてなかったからさ」

「はぁ……。五反田澪です。お好きなように呼んでください」

「澪ちゃんか。なら……れーちゃんだね♪うん、決定!あ、因みに束さんの事は束さんって呼んでくれると嬉しいかな?」

「了解です。束さん」

 

 若干疲れたように返事を返す。何というか、この人――束さんと話していると無茶苦茶疲れる。しかしそんなオレと対照的に、彼女は至って元気そうだ。

 

「うんうん♪宜しくね、れーちゃん。

 あ、そうだ!折角こうして知り合えた事だし、もう一つだけ質問していいよ?何か気になる事位あるんでしょ?」

 

 彼女の言葉は、オレにとってかなり有難い事ではあるが、同時に難しい選択でもある。

 聞きたい事は幾らでもある。だがその中で答えてもらえるのは、現状ただの一問のみ。となれば――――

 

「じゃあ最後に一つだけ」

「うん!何でも良いよ?さぁさぁ、質問をぶつけてごらん?」

「貴女はどうして、ISをあんな形で発表したんですか?」

 

 オレの持つ原作知識と一夏から聞いた篠ノ之束を統合し一言で言ってしまうと、彼女は自分の興味のある人間以外には、全く興味を持つことが出来ない人格破綻者だ。

 

 だが、それ故に疑問が残る。

 

 自身の興味を持っている対象――愛情を向けている対象である千冬、一夏、そして箒達の事を本当に想っているのなら、あんな形でISを発表する必要はなかった筈だ。

 それこそ、勝手に宇宙にでも行ってそこから衛星に介入、映像を全世界に配信するといった形も取れたはず。

 

 だが、実際には彼女はしなかった。

 それどころか、彼女の行動は言葉と矛盾している。あんな”兵器”としての側面を前面に押し出すようなお披露目をすれば、それこそ世界に与える影響。そしてそれで家族がどうなるかなど目の前の女性が気付けない筈がないのだから。

 

 そんな思いを込めた一言は、どうやら正しく彼女に伝わっていたようで。

 

「なるほど、いい質問だね」

 

 彼女は心底嬉しそうに笑う。

 

「けど……そうだね。今の時点でそれを答える事はちょっと出来ない、かな」

「それは何故ですか?」

「まぁ色々あるんだよ!……って答えじゃ納得しないよねぇ」

 

 当然だ。オレは小さく頷くことで彼女の次ぎの言葉を促す。

 

「う~ん……。ゴメン、やっぱり詳しく答える事は事は出来ないかな」

「……そうですか」

「でも、そうだね。一つだけ”真実”を教えてあげるよ」

 

 束さんはオレに近づきすれ違い様に

 

「あの日の出来事、”白騎士事件”。あれはね」

 

 ――――束さんの意思によるものじゃないんだよ

 

 耳元で小さく呟いた。

 ハッとなって振り返るも、既にそこには彼女の姿はなかった。

 

「……最後の最後で、とんでもない爆弾を残していきやがったな」

 

 告げられた彼女の言葉に、オレはその場で立ち尽くす事しか出来なかった。

 

 

 小説<インフィニット・ストラトス>においても謎の多い人物、篠ノ乃束。

 彼女との接触、そして齎された言葉は、オレには原作以上の波乱を齎す預言の様に聞こえた。

 

 

 




個人的な篠ノ之束という人物の考察。

・自分を篠ノ之束という”個人”として見てくれる人しか認識出来ない
・過去に何かあった為に、両親の認識が箒とは異なる

と言った点を題材に今回の話は進みました。ぶっちゃけ原作と別人といっていい中身してます。

さて、こう考えたのには理由があり、それは本編でも書いたように、彼女の行動と発言に矛盾があるところですね。

・千冬、一夏、箒は認識出来る
・彼等を害するものは実力で排除する
・なのに彼等を巻き込むよう様な世界の変革を行った

これらの理由から、ちょっと彼女という人物を変えてみました。

つまり、この話における束=自分を何の肩書きも無しに見てくる、愛してくれる人しか認識出来ない人間

と考えていただければ結構です。

ですので、文中にあるように”白騎士事件”の黒幕も別につくっています。それが明かされるのは大分先のお話。

さて。これにて第一章<あの時オレは小学生(ガキ)だった>はこれにて終幕。
次回からは第二章<少し前まで女子中学生(ガキ)だった>に突入します。
ここから大分オリジナルの話を盛り込んでいく事になると思いますが、どうぞお付き合い下さい。

また、考えを纏める期間を要する為、更新が少し遅れます事を、先にお詫び申し上げます。


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二章 少し前まで女子中学生(ガキ)だった
二章 2-1


月日は少し流れ、中学生へ。
澪や一夏、思春期の少年少女達は、自分の心の変化に戸惑いつつもそれを受け入れて行く。

……そんな話になればいいなぁ、という願望、その最初の話です。



◆20XX 4月◆

 

「……朝、か」

 

 カーテンの隙間から僅かに差し込む朝日で目を覚ます。

 まだ春先ということもあってか、冬よりはマシになったとはいえまだまだ肌寒い。が、日ごろの習慣故か、一度起きてしまうとしっかりと目が覚めてしまうため、ベッドから何とか這い出る。

 

 目覚まし時計を見れば、時刻はまだ5時半といったところ。通りで寒い訳だ。

 しかしいつまでもこうしている方が寒いし、時間がもったいない。クローゼットを開け、中から黒のジャージとインナーを取り出し、それを着込む。

 

 準備を整えたオレは、まだ寝ている兄妹を起こさないように静かに一階へと降りていく。すると微かに、食欲を誘ういい香りが漂ってくる。

 

「おはよう、お爺ちゃん」

「おう、澪か。相変わらず早いな」

 

 匂いの元であるキッチンへと足を踏み入れると、本日の仕込みを既に始めている祖父――五反田厳の姿があった。

 既に八十近い年齢でありながらもその腕は丸太のように太く、筋骨隆々といったまさに鉄人。片手で中華鍋をふるう剛腕は未だ衰えず、我が家の不動の大黒柱として君臨し続けている。

 

「何だ、今日もか?」

「うん。日課みたいなものだから、やっておかないと落ち着かなくって」

「そうか。まぁ、遅くならないうちに戻ってこいよ?それと――――」

「車には気をつけること、だよね」

 

 分かってるよ、と返事を返し家を出る。

 

 外はやはり肌寒く、吐く息が少しだけ白い。

 屈伸、伸脚といった順に準備体操で体を解していく。ある程度の準備が整ったところで、腕時計のストップウォッチ機能を起動し、走り出す。

 

 女子として生きていく事になってから既に一年半ほどになる。

 そんなオレがこの体になってから悩んだことは、体力と身体機能の面。男のままだった頃と比べ、意識と体にズレを感じるようになってから、こうして毎朝走りこむようにしている。

 

 こうして毎朝早くに走ることで、オレの一日は始まる。

 

 

「それじゃあね、お兄、お姉。行ってきます」

「おう」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 

 通学路の途中でオレと弾は蘭と別れる。そして暫く歩いていると――――

 

「あっ。澪、弾!」

 

 少し先から聞き覚えのある声。そこには親友である鈴と一夏がいた。声の主は鈴だったようで、彼女は大きく手を振っている。

 

「おはよう鈴、一夏」

「おっす!」

「おはよ、二人とも」

「お、おうっ。おはよう」

 

 挨拶を交わし、四人で学校を目指す。

 

「それにしても……やはりスカートは慣れない」

「そんな事言っても仕方ないでしょ?諦めなさい」

 

 確かにその通りではあるが、こればっかりはどうしても抵抗が出てしまう。

 何と言うかこう、ズボンと違って……スースーするのだ。大体、風に吹かれれば簡単に舞い上がってしまう様なこれを平然と身に付けられる彼女達は凄いと言わざるを得ない。

 

「何故スカートじゃない学校はないんだ」

「いやいや。無理言わないでよ」

「ていうか澪の奴、本気でズボン着用可の中学探してたから驚いたぜ」

「「はぁっ!?」」

 

 と、弾に少しばかり恥ずかしい話を暴露されてしまった。

 だが仕方が無いじゃないか。どうしても最後まで諦めが着かなかったんだから。

 

「まぁ、残念ながらどこにもなかったんだけど」

「当たり前よ!」

「しかし女の子は凄い。こんな布切れ一枚をさも当然のように履いているんだから」

「いや。アンタも女の子でしょうが」

「わぉ、忘れてた。じゃあ一夏」

「な、何だ?」

「君のズボンとオレのスカート、交換しよう」

「「出来るかっ!」」

 

 そんな風に笑いながら目指す場所は、ほんの数ヶ月前であれば弾は一緒では無かった場所。

 小学校よりも少しばかり大きな校舎と敷地。活気溢れる中にも、少しだけ大人になっていく子供達の責任感と言うものを感じる、そんな場所。

 

 4月9日。

 桜の花びらが舞い、新たな始まりを向かえるこの季節。オレ達は今日この日から中学生へと進学する。

 

 

 4月9日。

 この日俺達四人は、晴れて中学生へと進学。今日からは弾も一緒の学校に通うこととなった。

 周りには顔見知りばかりがいると言うにも関わらず、俺や弾、鈴は他の生徒達と同様に少しだけ緊張しながら学校の敷地を跨いだ。

 そんな中、何時もと変わらぬ雰囲気を纏っている澪は流石だと言わざるを得ない。それどころか、彼女の落ち着きようを見ていると少し浮き足立っている自分が恥ずかしい。

 というか、そんな微笑ましいものを見るような笑みを向けないでくれ!

 

 そんな感じで校舎へと近づいて行くと、大勢の生徒が集まっていた。恐らくクラスが発表されているのだろう。

 列に並びながら進む事数分、漸く見えてきた。

 

「おっ!俺達全員同じクラスだな」

 

 弾の言葉通り、俺達四人は奇跡的に全員同じクラスだ。

 

「わぉ、まさかオレも一緒とは。双子を纏めて一緒のクラスとは珍しい」

「そういえばそうよね。まぁでもいいじゃない。一緒のクラスの方が楽しいしさ♪」

 

 鈴の言葉には同感だった。双子だから澪か弾のどちらかと別クラスになる事を想像していた俺にとっては、この上なく有難い。そんな幸運に、小さくガッツポーズ。

 

 そして再び四人で教室へ。因みに俺達のクラスは1-Aだ。

 

 教室の中では既に何人かのグループが出来ている。多分、小学校時代の知り合い達なのだろう。まぁそれは俺達にも言えることだけど。

 でも、だからと言って話しかけ難いという事はあまりなかった。というのも、クラスメイトの大半は小学校でも仲の良い奴等だったからだ。まぁ中には知らない奴等もチラホラ見受けられるけど。

 多分、別の小学校の奴等だろう。

 

「さてと俺達の席は……流石に少し離れてるな」

「オレと弾は前後だけど。……鈴が少し遠いね」

「……何よ、その生暖かい目は?」

「泣かないでね?」

「泣くわけ無いでしょ!?」

 

 澪の冗談にくってかかる鈴を宥めていると、男の担任が入ってきた。俺達は慌てて席に着く。

 

「皆さんおはようございます。初めまして、今日から皆さんの担任になります――――……」

 

 それから担任の自己紹介が行われ、同時にこの後の入学式についての説明が始まる。

 少し退屈な話に耳を傾けつつ、チラリと周りを見る。何人かの生徒(恐らく弾も含む)は俺と同じように少し退屈そうにしているが、残りは少しばかり緊張したような面持ちだ。

 

 多分、中学生になるって事で意識や態度が変わっているからなんだろうと思う。そんな事を思いながら視線を左隣にずらすと、其処には真面目な表情で担任の話を聞いている澪の姿が。

 そんな彼女を見て、そう言えばと思う。

 

 何も変わったのは周りだけではなく、澪も少しだが変わり始めている。

 

(そう感じる様になったのは確か……”モンド・グロッソ”から帰ってきた後だったっけ)

 

 自分の弱さを認めたあの日。彼女が目に見えて変わったと思えるのは、多分あの日からだ。

 

 具体的に言うと、冗談が増えたり柔らかく自然に笑うことが増えたのだ。因みにさっきのやりとりも、ホンの少し前の彼女からは考えられない事だ。

 

 でも同時に、何かに悩んでいるような表情を見せる時も増えた気がする。

 元々俺達よりも色々な事を考えている子だとは思っているけど、その悩みはどうやら俺達であっても簡単に打ち明けられるものではないらしい。

 それが何だか時々、無性に悔しくなる。

 

 そんな事を考えていると、俺の視線に気が付いたのか澪と目が合う。彼女は俺だと分かると、”しょうがない”といった風に小さく笑みを零し手を振ってくれた。

 

「っ!」

 

 そんな澪の仕草に、思わずドキリとしてしまい、パッと顔を逸らす。

 澪の何気ない仕草を見る度にこうして胸が高まるようになったのも、思えばあの時からだった。それからはもう、担任の話なんて耳に入らなかった。

 

 

 その後、始業式兼入学式を行うために体育館へと向かう俺達。程なくして入場した俺達だったが、途中澪は俺達から離れ先生と何やら話しているようだった。

 そんな彼女の行動に鈴も疑問をもっていたらしく、首を傾げている。

 

「あぁ、そういや言って無かったっけか。アイツ、新入生代表の挨拶をやるんだと」

 

 そんな俺達の疑問に答えたのは、澪の双子の兄である弾だ。弾の言葉に、俺達は感心する。

 

「前から頭良いのは知ってたけど、まさか代表の挨拶するほどだったとはねぇ」

「だな。てか、それって一年の中で一番成績が良いって事か?」

「良く分からんが……多分そうじゃねぇか?」

 

 アイツの通知表には5しか書いて無かったし、とは弾の言葉。何と言うか、凄すぎてどう凄いのか逆に分からん。

 そんな事を思いつつ指示に従い整列する事に。といっても、我が校はどうやら生徒を長時間立たせるような事は無いらしく、椅子が既に用意されていた。俺個人としては実に有難い。

 

 それから数分後、入学式が始まった。

 校長の挨拶に始まり、来賓やらお偉いさんやらの長ったるいスピーチを、眠気を堪えて何とか聞く。といっても右から入って左に抜けていっているので意味は無いのだが。弾に至っては既に船を漕いでいる。

 何とも神経の図太い奴だ、と思っていると

 

『それでは続きまして、新入生代表の挨拶です。新入生代表、1-A 五反田澪さん』

「――――はい」

 

 場内に凛とした声が響き渡る。声のするほうへ目を向ければ、そこには声と同じく凛とした佇まいの澪の姿が。彼女はキビキビとした動きのまま、まるで集まる視線など感じていないという様に堂々とした足取りで壇上へと上がっていく。

 

 そこからは何と言うか、良く覚えていなかった。ただ、何時にも増して澪は大人びて見え、そして堂々としている様に見えたのだけは覚えている。

 ――――つまりあれだ。俺は彼女のそんな姿に見惚れていたわけ。

 

「――――以上を持ちまして、挨拶とさせて頂きます。新入生代表、1-A 五反田澪」

 

 壇上でお辞儀をした彼女はクルリと回り壇上から降りていくと、少しだけ視線をこちら――――1-Aの方へと向けた。最初は俺から見て左側だから……恐らく鈴だろう。そして一度瞬きをし――――パチリと目が合った。

 俺は何となく恥ずかしくなって小さく手を振る事しか出来なかったが、それでも澪は少しだけ顔を綻ばせてくれた。それが何だか、凄く嬉しい。

 

 が、彼女の視線を受けたと勘違いした愚か者は何人か居たようで、特に俺の両隣に座る男子はどこかボケッと間抜け面を晒していた。そんな奴等に対し、少しの苛立ちと優越感を覚える。

 残念だが、彼女は君達ではなく俺を見てくれたんだよ、と。

 

 それから暫くして、始業式兼入学式は無事終わりを告げた。

 

 

「いやぁ……疲れた」

 

 教室に戻り開口一番、オレはそう呟き机に突っ伏した。そんなオレに苦笑するのは何時もの面々。

 

「お疲れ様。ってか、流石の澪でも緊張するもんなの?」

「やぁ、鈴。それは当然だよ。というか、あんなのは二度と御免だね」

「良く言うぜ。堂々としてたくせによ」

「そういった姿勢を求められていたからだよ、弾。でなきゃ、あんなのはやらない」

 

 普段からあんな姿勢を維持しろ、だなんて言われたら、オレは間違いなくブチ切れる自信がある。

 

「でもさ。あの時の澪、堂々としてて格好良かったぜ」

「有難う一夏。でも、やっぱり二度目は御免だ」

「ははっ。……あ、そういえばさ」

「ん?」

「あの時俺達を見て笑ってなかった?」

 

 あの時とは、恐らく壇上から降りるときの事だろう。

 そう問われて記憶を掘り返してみて――――あぁ、と一人納得。確かにあの時、オレは鈴、弾、一夏の順に視線を送った覚えがある。

 

「そういえばそうだね」

「あ、やっぱり?」

「うん。まぁ知ってる顔を見れば少しは気が楽になるかなって」

「効果はあったわけ?」

「鈴と一夏が小さく手を振ってくれた時は、正直助かった。

 尤も、その次に見た兄の寝ぼけ面を見て爆笑しそうになったんだけどね」

「う、うっせぇな、仕方ねぇだろ!?」

 

 と、弾は少し居心地悪そうに顔を逸らす。そんな兄の態度に鈴と共に笑っていると

 

「どうかした、一夏?」

「えっ!?あぁいや、何でもないって」

「……そう」

 

 オレの顔をジッと見つめていた一夏。声をかければ少し慌てたように取り繕うが……一体どうしたというのだろうか。

 思えば一夏は小学生の終わり頃から時々ボーッとする事が多くなった気がする。しかしその原因が何にあるのか、今一つハッキリとしない。

 

(まぁ、特にオレにとっても彼自身にとっても問題が起こっている訳では無いし……)

 

 ならば然程気にする必要もないだろう。恐らくは思春期故の精神の不安定と言ったところか。などと考察し始めたところで、担任が戻ってきた。

 そのまま係り決めなどを行い、中学生生活最初の一日は大した問題も起こらずに終了した。

 

 

◆放課後◆

 

 放課後。

 恙無く今日と言う一日を追えたオレ達は、揃って下校する。尤も、登校時とは違いその手には学生鞄以外の大きな紙袋が握られているのだが。

 

「しっかし重いわね、コレ。ていうか、中学に進学した初日に教科書を見るなんて最悪だわ」

「同感。つーか、教科の種類多くねぇか?」

 

 と愚痴を零すのは鈴と弾だ。勉強よりも遊びといった二人は、教科書を見るだけでも嫌になるらしい。その上教科書の重さに耐えかねているのか、少しばかり息が荒い。まぁ、気持ちは分からないでもないけど。

 

「それよりも、どうして澪と一夏はこんな重い物持ってて疲れて無いのよ?」

 

 と、鈴は少しばかり恨めしそうな視線を向けてくる。そんな彼女に、オレと一夏は顔を見合わせ苦笑する。

 

「そうは言ってもね」

「俺も澪も、毎日走り込みしてるからな。多分、その差じゃないのか?」

「うぐっ!?そう言われると痛いわね……」

「鈴、もし良かったら少し持とうか?」

 

 流石に辛そうな表情の鈴を見ていると放っておけない。だが鈴は小さく首を横に振る。

 

「大丈夫。流石に澪に手伝ってもらうわけにはいかないもの。寧ろ弾、アンタ少し持ちなさいよ」

「はぁ!?ヤダよめんどくせぇ!」

「何よ、アンタ男でしょ?女の子が困ってるんだから、少しくらい手伝いなさいよ!」

「え?女の子?どこにいるの?」

「ここにいるでしょうが!」

「ハッ。そういうのはせめて澪の半分くらい胸が大きくなってからってうおっ!?ば、バカ!遠心力付けて鞄振り回すんじゃねぇ!危ねぇだろうが!?」

「うっさい黙れバカ弾!いっぺん死ね!」

 

 そういってじゃれあう二人を見て、クスリと笑う。

 今は何だかんだで言い争っているけど、結局最後は弾が折れて鈴を助けるのだろう。ここ最近では良く見るようになった光景だ。

 二人は互いが抱きはじめている感情が何なのか気付いていないようだが、それも時間の問題だろう。

 

(けど今は特に問題も無さそうだし、口を出す必要も無いかな)

 

 ならオレに出来るのは見守る事だけ。もし二人が悩んで助けを求めてきたら、その時は手を貸す。それが最良の選択だろう。

 尤も、変化があったのは彼等二人だけではなく

 

「澪、本当に大丈夫か?なんなら少し位持つぜ?」

 

 一夏も、だろうか。

 彼はほんの僅かではあるが、人に接する態度に変化が現れ始めた。以前の無駄に八方美人な態度から、少しだけ相手の領域に踏み込む、謂わば”歩幅”のようなものを縮めるようになった。

 

(実際に態度として現れ始めたのは――――里中さんの告白を断った後辺りかな……)

 

 あの日以降、一夏は不用意に他人に踏み込まなくなった。

 依然として八方美人で朴念仁ではあるものの、少し前の様に相手に勘違いさせるような言葉を放つ事は減ったし、無理に手伝ったりせず相手の意志を尊重するようになった。そうやって徐々に、相手との距離の取り方を学び始めている。

 ……尤も、そういった態度が逆に人気を呼びはじめている辺り、手の施しようがないのだが。

 

「大丈夫だよ。それに、オレにとっては体力作りの一環として丁度良い」

「なら良いけど……。もし本当に疲れたら言ってくれよ?」

「ふぅ……。まぁ、気持ちだけもらっておくとするよ」

 

 だがそれでも、生来のお人良し気質が出るためか、若干しつこいきらいがあるのも否めない。特に親しい間柄には顕著だ。まぁこの辺りはこれから彼自身が徐々に学んでいくことだし、オレがとやかく言える事では無い。

 何時までも今どうにも出来ない事に思考を割いていても仕方が無いので、話題を切り替える。

 

「ところで一夏。君は部活は入るの?」

「ん?あぁ、一応剣道部に入ろうかなって考えてる」

 

 一夏の言葉に少しだけ感心する。と同時に、また未来が変わった事を否応無しに意識する。

 

 原作における”一夏”は、自身が無様に攫われたことに悔しいという感情を持っていながら、結局己を鍛える事はしなかった。

 それは、家庭事情と言う環境を鑑みれば仕方の無い事かもしれないが、オレからすればそれは結局の所甘えでしか無い。本気で強くなりたいという意志があったのであれば、両立させるか或いは恥じを忍んででも姉に頭を下げるなど、出来た筈だ。

 

 しかし原作の”一夏”はそれをせず、今オレの目の前にいる一夏はそれを選んだ。

 

(その未来を掴む切欠を作ってしまったのは、恐らくオレのせいだろう)

 

 もしあの時オレが彼に発破をかけていなかったら、原作と同じ道を辿っていたのかもしれない。

 だが今更何を言った所でしょうがない。全ては”かもしれない”、”IF”の出来事であって、今では無い。なら、過去を悔む必要はどこにもない。

 

 そう思わなければ、オレ自身が押しつぶされてしまう。

 

(結局の所、オレの自分本位な考えによるものか)

 

 そう考えると、自分が何だか汚いものに思えてくる。そんな時だ。

 

「なぁ、澪」

「ん?」

「俺さ……感謝してるんだ。あの時澪が、俺を挑発してくれた事」

 

 隣を歩く少年は、微笑みを浮かべながらオレに礼を述べる。

 

「もしあの時、澪の言葉がなかったら、きっと俺は今も燻ったままだった。

 走り込みとか筋トレとかそういった努力をしないで、ただ”強くなる”、”守ってみせる”って想いだけで……」

「……それは君が自分の意志で選んだものだ。オレは関係無いよ」

「そうかもしれない。でも、それでも今俺がこうして何かに打ち込もう、強くなろうって思えるのはきっと、澪のお陰なんだ。少なくとも俺はそう思う」

 

 だから有難う。そう、一夏は言った。そんな彼の言葉を聞き、オレは再び思う。

 

「……君はそうやって、オレの欲しい言葉をくれるんだな」

「ん?何か言ったか?」

「いいや、何も。なら一応、そういう事にしておく。そう言ったんだよ」

「そっか」

 

 ――――変わっているのは彼等だけでなく、オレ自身も含まれているのだと。

 

 少し前までのオレであれば、今の彼の言葉でさえ皮肉と共に切り捨てただろう。だがそうしなかったのは、恐らくオレ自身がその言葉を求めていた事。

 そして、そんな”弱さ”を受け入れつつあるからだろう。

 

 日々変わり行く心模様に、戸惑いはある。

 けれどそれも含めて今の自分だと考えれば、存外それも悪くは無い事だと気が付ける程度には、心の余裕が持てるようになった。

 

 それに、これから先はこんな些細な出来事で動揺している余裕は無くなったのだ。

 

 篠ノ之束。

 彼女が告げた別れ際の言葉は、いつか必ず形となって現れる事となる。

 その時の変化と恐怖に比べたら、ほんの少し前に思っていた”自分が物語の登場人物として都合良い様な存在に書き換えられている”なんて事も、些細な事の様に笑い飛ばさなければならない。

 

 ならば精々、今を楽しむとしよう。

 

「一夏」

「ん?」

「もし剣道を続けながらもどこか申し訳無さを感じるようだったら、オレに言ってくれ。お爺ちゃんや母さんに事情を話せば、長期休暇や土日の午後位はバイトとして扱ってくれるかもしれないから」

「マジか!?助かるよ!」

 

 オレの言葉に、一夏はパァッと顔を明るくする。そんな彼に思わず苦笑が零れる。

 

「まぁその代わりと言うわけではないが……勉強も疎かにしないように。千冬さんからも頼まれているしね」

「うへぇ……」

「まぁあれだ。いざと言うときはスパルタ教育を施すだけだから」

「ひぃっ!?」

 

◇ 

 

 20XX年 4月9日。

 新たな人生の門出であるこの日は、僅かだが自分の変化を受け入れられるようになった日でもあった。

 

 

 




ここまで読んでいただき有難う御座います。

さて。もしかしたら読者様の中には、”澪が随分と丸くなったんじゃないか?”と思う方も居られるかと。
と言う事でその疑問に対する回答です。

・束の残した一言があまりにも衝撃だった為、細事に一々気を張り続けるのに疲れた
・ならばいっそ、楽しめるところは楽しみ、考えるべき所は考える

要はどうにも出来ない問題に頭を使いすぎて、他の細事に一々気を張ってたんじゃ疲れちゃう。
だったら割りとどうでも言い事は寧ろ楽しんだほうが、精神衛生上いいんじゃない?という無意識下での結論が、彼女の反応を少しだけ柔らかくしています。

ですがこんなのは序の口。
次回以降から澪はもっと女の子として目覚めて行きます。ただし自覚無し。多少は変わってもそこまで大きな変化はないだろう、と思っています。

・一夏について

一夏君、未だ自分の心にすら気付いていませんが、暫くこんな感じでウジウジモジモジしてもらいます。
個人的な考察なのですが、
一夏の鈍感=彼自身が恋を知らないから
だと思っております。
ですので、そんな簡単に自分の想いに気付いたら原作の彼はいないだろうと思い、先にも書いたように暫くは悩んでもらいたいと思います。

感想・指摘等お待ちしております。


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二章 2-2

前書き

原作においても名前しか出ておらず、どんな容姿と性格をしているのか分からなかった彼、ほぼオリキャラとして登場。
加えてオリキャラ二人を投入。実は今後もちょいちょい出てくる予定です。



◆20XX年 4月◆

 

 中学校生活がスタートを切ってから、既に半月が経つ。

 入学当初懸念していた前に通っていた小学校の生徒達からの追求は、取り敢えずはクリアする事が出来た。

 少々苦しい部分はあったが、オレは彼等の知る”澪”と同じ名前の弾の親戚であり、訳あって親元を離れて暮らしており、問題の”弾の弟である澪”も又、訳あって現在は海外にいるという事にしてある。

 ここで少しだけ暗い顔をして説明した事により、深く踏み込んではいけない話題だと彼等に印象付ける事に成功。今では誰も気にする事もなくなっている(教師陣は当然事情を知っている為、特に問題としてあがる事はなかった)。

 

 さて。既に二週間近くが経過すれば流石に多くの生徒は新たな環境に慣れ始めたのか、少し気が緩み始めている。特にその中でも目立っているのが服装の乱れであり、風紀委員はその取締りに手を焼いているようだ。

 そして、そんな問題児はオレの身近にも居る訳で……。

 

「弾。第一ボタンが閉まって無いよ」

「んな事言ってもよ、キツイんだよな学ランって」

 

 特にオレの兄である弾は、毎日の様に服装が乱れ始めている。こうして注意するのは、果たして何回目だろうか。

 

「しっかりしなさいよ、弾。みっともないじゃない」

「へっ。そう言う鈴もリボンが曲がってるじゃねぇか」

「別にアタシは良いのよ。直ぐに直せるから。と言う事で澪、直して」

 

 ん、とコチラに向き直る鈴に思わず苦笑が零れる。

 

 もう何度と無く自分でやるようにと言っているのだが、一度オレが直してしまった事で味を占めたのか、服装に乱れがある時はオレが直すようになってしまった。

 尤も、それだけ無防備な姿を晒すと言う事は、それだけオレを信用してくれている事の証明でもあるので、結局オレも何だかんだ言いながら直してしまうのだが。

 

「はい、もう良いよ」

「ありがと、澪」

「うわっズリィ!」

「お~い!」

「あ、一夏。おはよ」

 

 おはようと言って合流して来たのは一夏だ。彼は剣道部に入部したので、ここ最近は朝練の為に一緒に登校する日が少なくなった。そして朝練が早く終わった日には、こうして途中で合流し共に教室へ向かうというスタイルを取っている。

 それから下駄箱へ向かう途中で、弾は先ほどの事を一夏に愚痴る。

 

「なぁ?ズルイと思わねぇか?」

「あのな……もう何時もの事だろ?諦めろよ弾」

 

 そう言って苦笑する一夏を見て、はぁと溜め息を一つ。

 

「一夏。人事のように言っているが、君もボタンが留まっていない」

「え?あれ、道場出てくるときはちゃんと留めてきたんだけどな」

 

 そう言って鞄片手に何とかボタンを留め様とするが、中々留まりそうに無い。悪戦苦闘する彼に、また溜め息を一つ。

 

「ちょっとジッとしてて。直してあげるから」

「え?お、おう」

 

 背筋を伸ばす彼の首元に手をやり、程なくして第一ボタンを留めてやる。同時に、少し曲がっている校章を直すのも忘れない。

 

「ほら、直ったよ。キツイかもしれないけど、ちょっとくらい我慢しないと。服装の乱れは心の乱れって言うしね。剣道って精神面も鍛えるんでしょ?なら、こういった小さな事にも気を配らないと」

「あ、あぁ。ありがとな、澪」

 

 ポリポリと頬を掻く彼に、まだまだ子供なんだなと苦笑する。尤も、これくらいが普通の中学生なのだろうとも思うのだが。

 そんなやり取りをしながら教室に入り、鞄の中から教科書を取り出す。今日の一限目は社会。今日の所はオレに当たる事はないだろうが、一応確認をしておく。

 

「おはよ、澪!」

「おはよう。それで、何処が分からないの?」

「あ、あはは。やっぱりお見通しですか……」

 

 と、そこで集まってきた数名の女子に苦笑する。

 新入生代表の挨拶なんて物をしてしまったためか、こうして勉強を教える機会が多くなった。尤も、それを抜きにしてもクラスメイトとの関係は良好なのだが。

 と、そんな時だ。

 

「ねぇ、澪。一つ確認しておきたいんだけど」

「なに?」

「アンタと織斑君ってさ、付き合ってるの?」

「……は?」

 

 勉強を教えていると、クラスメイトの一人が突然そんな話題を振ってきた。

 オレの耳が正常であれば、彼女は今確かに、オレと一夏が付き合っているのか?と質問してきたようだ。だが、それがオレには疑問でしかない。

 

「そもそもどうしてそんな話が出てくるのか、オレはその辺りが不思議でならないんだけど」

「いや、だってさ」

「ねぇ」

 

 と、オレ一人置き去りに、鈴を除く他の皆はさも当然とでも言うような表情を浮かべる。そんな彼女達に、僅かに顔を顰める。

 

「それで?どうしてそんな話になったのか、出来れば教えて欲しいんだけど?」

 

 だからオレは、僅かな苛立ちと呆れを含め再度彼女達に尋ねる。

 オレの預かり知らないところでオレの話題が出るというのは、正直気分が良い物では無い。

 

 

「で?実際の所どうなんだよ織斑?」

「お前と五反田さんってさ、付き合ってんの?」

「いや、そんなんじゃねぇって」

 

 俺、織斑一夏は、現在澪と同じ様に男子達から追及されている。唯一例外なのは、苦笑しながら話の輪に入っている澪の双子の兄である弾くらいだ。

 けれどそれも、無理も無いことかもしれない。

 

 新入生代表として挨拶をした澪は、既に一年の中では知らない者は居ないほどに有名だ。

 それはなにも、彼女が代表の挨拶をした事だけが理由ではない。澪は他の女子と違い明らかに大人びた雰囲気をしており、更には彼女の容姿が整っている事がそれを更に引き立てている。

 その上人当たりも良いとくれば、それはもう男子からの人気は集まるのも頷ける。

 

「いやだってさ。澪ってば織斑君にお弁当作って上げてるんでしょ?」

「そんな事実があったら……ねぇ?」

 

 そんな彼女が俺と付き合っている、などという話が持ち上がったのには、幾つか理由がある。

 それはさっきのように俺のボタンを留め直してくれたり、俺に弁当を作ってきてくれている事が原因だろう。

 そもそも澪が俺に弁当を作ってきてくれているのには理由がある。それは、我が校は私立でも無いのに給食が無く、購買と食堂が設備されているという事だ。だが、出来るだけ食費を浮かせたい俺は弁当持参を選んだのだが、剣道部に入った事で朝弁当を作る時間もなくなってしまった。

 そんな時に澪が、弁当を作ってくれると申し出てくれたのが切欠である。

 

 それからと言うもの、俺は澪の手作り弁当を有難く頂戴しているわけだが、それをつい数日前に目撃されてしまったので、そんな噂が広まったのだろう。

 そりゃあ、女の子が男に弁当を毎日作ってくるなんて事になれば、誰だってそう勘繰るだろう。幾ら俺だってその位想像が付く。

 だが、実際にはそんなに面白い話では無い。

 

「……あぁ、なるほど。確かにそれは迂闊だったな」

「って事はやっぱり!?」

「いや。色目気立っているところ悪いけど、一夏とはそんな関係じゃないよ」

 

 そう。実際の所、澪が俺に弁当を作ってくれるのは、俺の家庭状況を知っているからに他ならない。

 それに、以前千冬姉が宜しく頼むって言ってた事も、理由の一つなんだろう。だから彼女が俺に対してそういった感情は持っていないだろう事は、普段の行動を見れば分かる。

 

「じゃあさ。澪は織斑君の事どう思ってるの?」

 

 クラスメイトの一人の言葉に、心臓が高鳴る。

 ハッキリと彼女が俺に対してどういった感情を持っているのかは、聞いた事が無い。だからこそ、この答えは俺にとって非常に気になるものであり、同時に聞きたく無いものでもある。

 

「本人がいる前でそれを聞くかね。……まぁいいけど。

 オレは別に一夏の事を異性として認識した事は無いよ。彼とは親友という関係で、他に表現をするならばそうだね。強いて言うなら……手の掛かる弟みたいな感じ、かな」

「ふ~ん。じゃあ織斑君って、今フリーなの?」

「そうじゃない?

 まぁ彼が誰と付き合おうと、オレがどうこう言う問題では無いよ。恋愛は個人の自由だからね。ついでに言ってしまえば、誰かが一夏と付き合ってくれれば、オレは彼の弁当を作る必要もなくなるから大助かりだ。歓迎しよう。

 ……それよりも勉強は大丈夫?時間、もう無いよ?」

「え?やっば!えっと後は――――」

 

 少しの間を置いて告げられた言葉は、大体想像していた通りのものだった。

 

「ドンマイ、織斑」

「まぁ……あれだ。元気だせ?」

 

 すると悪友達はこれ見よがしに慰めの言葉をかけてくる。が、実際には笑いを堪えているのは目に見えて分かる。

 

「うっせ!大体俺と澪は……あれだ。只の友達なんだよ」

 

 そんな彼等に対して、俺は努めて明るく振舞う。

 しかし何故だろう。彼女に”異性として見ていない”と言われた時、一瞬胸の奥がズキリと痛んだ気がした。俺は、その痛みを誤魔化すのに必死だった。

 

 

 時間は少し過ぎ、4限目。オレ達1-Aクラスは今、調理室にいる。

 

 理由は簡単。本日の4限目である家庭科の授業が調理実習の日だからだ。

 因みにメニューは野菜炒めと味噌汁というシンプルなもの。そして今は、料理が出来る人を中心に班決めが行われている。

 その為、定食屋の子供であるオレや鈴、弾、それと料理がある程度出来る一夏は別々の班になっている。やがて決まった班は、それぞれが指定された調理台へと向かう。

 因みにオレの班のメンバーは、溌剌とした”シホ”こと山崎志穂と、おっとり気味の”メグ”こと新井恵の女子二人。それと男子の方は、スポーツ刈りが似合う野球部の田口君。そして――

 

「えっと……御手洗君、だったよね」

「あぁ。御手洗数馬、宜しくな」

 

 そう言って笑うもう一人の少年は、少し癖っ毛の茶髪に眼鏡をかけた少年、御手洗数馬。

 彼の名前を聞いて、少しだけ記憶を掘り起こす。確か彼は、原作における”一夏”の友人の一人だった筈。だが残念な事に、彼に関する知識というものは殆ど無い。

 それは単に彼という存在の登場回数が少なかったのか、それとも何らかの黒幕として登場する予定でもあったのか……。その辺りは定かでは無いが。

 

「えっと。それじゃあ一応確認しておきたいんだけど、この中で料理をした事ある人いるかな?」

「私はお母さんのお手伝いを時々」

「あたしもそんな感じかな?」

 

 流石に女子二人はある程度の経験はあるらしいので一安心。

 

「それじゃあ、男子二人は?」

「うんにゃ。まぁカップ麺なら得意だけど」

「ハハッ!それいったら俺もそうだわ」

「あ、あはは……」

「アンタ達のそれは料理って言わないわよ……」

 

 対照的に、男子はあまり期待出来そうも無い。

 

(少なくとも、警戒するべき人間ではない、かな……)

 

 あんな気の抜けた会話を繰り広げているあたり、当面は心配なさそうだ。

 

「それでは授業を始めます。皆さん、頑張って美味しい料理をつくりましょう」

 

 寧ろ今心配なのは料理の方かも。

 カップ麺の準備を料理がした事があると言ったのは冗談だと信じたい。

 

 

 さて、そんなこんなで始まった調理実習なのだが……

 

「あぁもう、田口!お米流れちゃってるじゃない!」

「わ、悪い!」

「み、御手洗君。そんなに玉葱の皮剥いちゃうと、実がなくなっちゃうし勿体無いよ」

「うえっ!?」

 

 開始直後から問題が発生。ハッキリと言ってしまうと、男子が少々お荷物状態なのだ。

 米を磨いだ事すらなかったらしく、まずそこから教えなければならなかった。前世では自炊が当然だったオレから見ても、男子の至らなさには少々頭が痛んだ。

 だがそれは他の班でも同じようで、男子は大体が足を引っ張っている状態。例外があるとすれば、それは弾と一夏の班くらいだ。あそこは経験者がいるという事もあり、ペースこそ遅いが比較的順調な様子。

 

「あ~あ。織斑か五反田が居てくれればねぇ」

「うぐっ」

「す、すんません」

「いいよ。初めてなら仕方がないもん」

 

 とコチラは多少の愚痴は零れつつも何とかやっている。だが問題は――

 

「あー、もう!本当に男子は役に立たないわね!」

「所詮、男なんてそんなもんよ」

 

 と、一部の班ではあからさまな批難が行われている。

 その中心にいるのは、今の女尊男卑の社会を躊躇いもなく受け入れているクラスメイト達だ。彼女達も話せば普通の少女なのだが、こと男子に対しては攻撃的になる傾向がある。

 

「ま~たやってるよ」

「うん……。全ての女の人が偉いわけじゃないのにね」

 

 尤も、今日の授業を担当する先生は理解のある人なので彼女達を諫めてくれている。それとシホとメグの二人の様に、クラスの女子の中には今の社会体制に疑問を持っている人がいる、というのが不幸中の幸いだろう。

 

「さぁ。こっちはこっちで少し急ごうか。時間は有限だからね。

 シホと田口君は味噌汁、オレとメグ、御手洗君は野菜炒めで分担しよう。いいかな?」

 

 嫌な空気を切り替えるために、努めて明るく振舞う。

 それを何となく察してくれた四人は、素直に従ってくれた。こういうところは本当に有難い。気を取り直し、調理再開。

 オレは時々シホと田口君のほうを見つつ、素早く野菜をきざんでいく。常日頃お爺ちゃんの手伝いをしているオレにとっては、造作もない事だ。

 

「流石定食屋の娘。手際いいなぁ」

「ありがとう。それよりも御手洗君、包丁を扱っている時に余所見は危ないよ」

「大丈夫だって。一応ちゃんと見てやって……いてっ!?」

 

 と、小さく悲鳴を上げる彼を見れば、人差し指から僅かに血が流れている。どうやら少し切ってしまったらしい。

 

「全く……言わんこっちゃ無い。ほら、見せて」

「だ、大丈夫だって。こんなもん、舐めときゃ治るって」

「いいから、ほら」

 

 彼の手を半ば強引に引き寄せ、傷口を確認する。どうやらそれほど深くはないらしい。

 その手を取ったまま、一度傷口を洗い流す。そして血が一時的に収まっている内に、ポケットからティッシュと絆創膏を取り出し、手早く処置を施す。

 

「はい、終わり。キツかったりしない?」

「あ、あぁ。大丈夫だよ。その……ありがとな」

「クスッ、どういたしまして。さ、続きをやろうか」

 

 少しばかり照れくさそうにしている彼の背中を軽く叩き、作業に戻る。

 その後、オレの班は無事に調理終了。ちゃんと食べられるものが出来上がったとだけ記しておこう。

 

 

「いやー、やっと終わったって感じだな!」

「あぁ。しかし5限目に数学は流石にきついぜ……」

「お疲れ様」

 

 午後のホームルームを終えた直後、一夏と弾は途端に元気になる。

 つい先ほどまで数学の授業でノックアウト状態だったのが嘘のようだ。そんな彼等に苦笑していると、鈴もやってきた。

 

「いやー、数学の授業はホント参ったわ。もう公式とかチンプンカンプンよ」

「数学は所詮暗記だよ。基礎さえ抑えておけば、応用なんてそれほど苦にはならないさ」

「……一度はそんな台詞を言ってみたいもんだわ」

 

 そう言って机に突っ伏す鈴に苦笑しつつ頭を撫でてやると、擽ったそうに目を細める。その姿はまるで猫の様だ。

 元々やれば出来る子なのに、興味が向かない事にはとことんやる気の起きない彼女は少し勿体無い事をしているように思えてしまう。が、それも彼女の選ぶ道だ。オレがとやかく言う問題では無い。

 

「そういえば、一夏と鈴はこれから部活だっけ?」

 

 オレの言葉に二人は頷く。水曜日である今日は他の曜日と違い、一時間分授業が少ない。

 なのでこれから一夏は剣道部へ、鈴はラクロス部へといって体を動かすのだろう。因みに弾は帰宅部で、オレは生徒会に所属している。

 ……まぁ一応オレも”ある部活”に参加しているのだが、今は気にする事では無い。今日は活動する曜日という訳でも無いし。

 

「さぁて!今日も張り切っていくわよぉ!」

「元気なのは良いけど、怪我はしないようにね」

「澪も今日は生徒会の方に顔出すのか?」

「まあね。まだ覚えないといけない事が多いから、仕方がない」

 

 そう言って肩を竦める。こればっかりは仕方の無い事だ。

 

「さて。そろそろいい時間だし――――」

 

 そろそろ行こうか、と席を立とうとしたところで

 

「あ、ちょっといいか?」

 

 背後から少し慌てたような声がかかる。振り返るとそこには、御手洗君の姿があった。

 

 

 俺達に声をかけてきたのは、同じクラスの御手洗だった。

 席が離れているという事もあってそれほど話した事はないけど、気さくな奴だった記憶がある。しかし、いつもは他のクラスメイトとすぐに帰る筈の彼が声をかけてくるなんて、珍しい事もあるもんだ。

 

「あー、えっと。五反田さんにちょっと話があってさ」

 

 御手洗はそう言ってチラリと澪に視線を向ける。

 だが、当の本人は理由が分からないのか首を傾げている。

 

「えっと、それで?」

「あぁ。あのさ、調理実習の時なんだけど……手当てしてくれてありがとな。助かったよ」

 

 そう言って立てられた彼の左手の人差し指には、絆創膏が綺麗に巻かれている。話を聞く限り、どうやら澪が御手洗の治療をしたらしい。

 

「別にそこまで気にする事でも無いのに」

「いや、そうかもだけどさ。改めてお礼を言っておきたくて」

「……意外と律儀なんだね」

「おいおい、意外は余計だろ?」

「ごめんごめん。どういたしまして」

 

 そう言って笑い合う二人を見ていて、何だか胸の中にドロリとした感情が沸き上がるのを感じた。

 今まで感じた事の無かったその感情はしかし徐々に膨らみ始め、次第に訳の分からないイライラがつのり始める。

 

「まぁ、これも何かの縁って事でさ。

 御手洗数馬だ、改めて宜しく!あぁそれと、数馬でいいからさ、皆も宜しく頼むわ」

 

 そう言ってニカッと笑う彼に、俺はぎこちない笑顔を返すことしか出来なかった。

 結局その日の部活の時までその言いようの無い感情は消えず、部活に真剣に打ち込むことが出来なかった。

 

◆夜 自室◆

 

 時刻は既に12時を回っている頃。

 店の手伝いを終え、日課である勉強を終えたオレは、鍵の掛かっている引き出しから一冊のノートを引っ張り出す。

 これは、オレが記憶している”原作”の知識を書き殴りしたものだ。今までであればそんな、自分の最大の秘密を物質として残して置くような事は控えていたのだが、ある日を境に書き始めたのだ。

 

 そのある日とは勿論、篠ノ之束との接触をした日の事。

 

 あの日彼女が残した言葉は、オレにとって――いや、それどころか世界にとってトンでも無い事を引き起こしかねない重大なものだった。何故彼女がオレにあんな言葉を残したのかは分からないが、彼女が意味の無い事をするとは思えなかった。

 だからこそオレは、既に消えつつある記憶を必死に掘り起こしては書き留め、何か思い出したら書き殴るという事を繰り返している。

 

 そして今日確認する内容は彼――御手洗数馬の事だ。しかし

 

「やっぱりどこにも書いていない……」

 

 ノートを見て、思わず落胆する。どうやら記憶違いではなく、ノートには彼についての情報は殆どと言っていい程書かれていない。書いてあるとすればそれは、”一夏や弾の中学時代の友人”という事位だ。

 

「見たところ妖しい所は無いみたいだけど……。この辺りは正直、もう少し踏み込んでみないと分からないな」

 

 薄れている原作知識の中でも、”一夏”の中学時代にはこれといった事件は起こっていなかった。となれば、それほど気にする事でも無いのかもしれないが、この辺りは既に性分の様なものでもあるので仕方が無い。

 

「行き当たりばったりっていうのはあんまり好きじゃないんだけど、まぁ仕方がないか」

 

 一夏だけでなく、彼女の姉や更には篠ノ之束と接触してしまった以上、最早無関係ではいられない。だがそれでも、出来るだけ平和な日常を手にしたいと心は望んでいる。

 矛盾していると分かっていても、それでも――――何とかやるしかない。

 

 これ以上は考えていても仕方が無いと思い、ノートをしまいしっかりと鍵をかけ、ベッドに入ろうとしたその時だ。

 

 突然、携帯が震えた。

 

「……通話着信?こんな時間に一体誰が――――」

 

 そこで思い至るのは、一人の大天才。彼女ならば、突然電話をかけてくる事があっても不思議では無い。

 慌ててノートを引っ張り出し、いつでも書きこめる体勢を整える。そして意を決して携帯を覗き込めば――――織斑一夏の文字。

 

 瞬間、一気に体から力が抜け落ちた。オレは半ばやけくそになりつつも電話に応じる事に。

 

「もしもし?こんな時間に一体どうしたんだい?」

『も、もしもし?ごめんな、こんな時間に電話なんてして……』

 

 少しだけ苛立ちを込めた声にしかし、返って来たのは妙に元気の無い声。

 

「……どうした?随分元気がないようだけど」

『っ、悪い』

 

 だが、返って来るのは歯切れの悪い言葉ばかり。いよいよ本気で心配になってきたオレは、少し慎重に言葉を選ぶ。

 

「何か嫌な事でもあったの?」

『嫌な……そうかもしれない。でも、何でそうなってるのか、それが分からないんだ』

「……事情は良く分からない。その上、君自身が分かっていないようだから深く追求する事はしない。けど……どうしてこんな時間に?随分と君らしくない」

『俺自身、明日にでもすれば良いって思ったんだけど……。

 でも、何となく今話したかったんだ。……今、澪の声を聞きたかったんだ』

「………はぁ」

 

 コイツは本当にどうしようも無い奴だな、と思ったオレを誰が責められようか。

 今の台詞をオレ以外の女子に聞かせてみろ。まず間違いなく勘違いを起こす。相変わらずの鈍感というか朴念仁っぷりに頭が痛くなるが、何とか堪える。

 

 結局オレでは彼の力になる事が出来そうも無いし、だからと言って放っておくわけにもいかない。溜め息を一つ吐き、次いで苦笑する。

 

「君が今何に悩んでいるか、オレは分からない。だから残念だけど、力になる事は出来ないよ」

『……あぁ』

「まぁ、あれだ。どう考えても答えが出ないなら、いっその事考えるのを止めてみろ。それで、何か楽しい事、嬉しい事を思い浮かべてみるんだ」

『楽しい事?』

「あぁ。そうだな……じゃあ一夏。明日の弁当には、君の好きなおかずを入れておこう。けど、何かは言わない」

『何だよそれ。教えてくれたっていいじゃんか』

 

 少しだけ明るくなった声に、オレは言葉を続ける。

 

「それを言ったら面白く無い。

 だからさ、明日の弁当の中身でも楽しみにしながら寝てしまえ。そういう小さな事でも考えていれば、自然と悪い考えや気持ちなんて気にならなくなる」

『……そう、かもな。ありがとな、澪。少し話したら、何だか気が楽になった気がする』

「それはどうも。今度からはこんな時間に電話しないでくれると助かるかな?」

『わ、悪かったって』

 

 そうしてどちらからともなく、クスリと笑う。どうやら一先ずは大丈夫なようだ。

 

「さぁ、今日はもう遅い。おしゃべりはここらで終わりにしよう」

『あぁ。それじゃあまた明日。お休み、澪』

「お休み一夏。いい夢を」

 

 通話を終え、ほっと一息。

 何に悩んでいるのかは分からないが、まぁ思春期特有のものだろうと一人納得を付け時計を見る。どうやらそれなりに話しこんでいたらしく、12時半を回っていた。

 オレは再びノートをしまい、ベッドに潜り込む。

 

「とりあえず……明日の弁当のおかずの事でも考えながら寝るか」

 

 そうして今度こそ、オレは眠りについた。

 




後書き

今回出てきた男子とオリキャラ二人の捕捉をば。

・御手洗数馬
 原作において名前のみの登場。7巻までで登場した事は一度も無く、名前が出てきたところを探すのが困難なくらい不遇な扱いを受けている。
 というか、このキャラを作った理由が未だに見えてこない。

・山崎志穂
 愛称はシホ。現時点で女子にしては珍しく162cmの長身を誇るスレンダー系美人娘。性格は溌剌としていて茶髪のショートヘアーがトレードマークの男勝りな水泳部。胸に関しては鈴よりは大きく、澪よりは小さい。本人は特に気にしていないよう。
 女尊男卑社会及びそれを享受し誇示する女性に疑問を持っている様子。
 今後も登場予定あり……?

・新井恵
 愛称はメグ。149cmの少し小柄な体系に、焦げ茶色の髪を腰辺りまで伸ばしている大きなクリクリした目とゆる~い空気が特徴的なおっとり系娘。
 中一にも関わらず胸部に凶器を持ち合わせている為、鈴からの視線が少しきついが、本人はちっとも気にしていない。どころか可愛いもの好きな性格のため、良く鈴に抱き付いている。
 女尊男卑社会及びそれを享受し誇示する女性に疑問を持っている様子。
 今後も登場の予定あり……?

・田口君
 田口君。野球部。単なる人数合わせのオリキャラ。宇宙誕生に匹敵する奇跡が起これば今後も登場するかもしれない。

・女尊男卑の影響を受けているキャラに対する、オリキャラ二人の描写
 ちょっとだけ反感の意志を表した二人。実は今後そこそこ重要な役割を担うことに――――なるかも。

若干どころかかなり甘くなったように見える澪。ところがぎっちょん。その真相はまた次回。

感想・指摘等お待ちしております。


追記
前回更新に伴い感想が一気に計10件だった事に驚きを隠せませんでした。
この小説を読んでくださった皆様、本当にありがとうございますm(_ _)m


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二章 2-3

悩みは尽きない。
 罪悪感は心に重く圧し掛かる。

 それでも――――出来るだけ平和な日常を得るためには、時に割り切ることも必要だと、自分の心に無理やり言い聞かせる。



◆7月某日◆

 

 御手洗数馬との接触から既に数ヶ月。季節は夏へと移り変わり始め、オレ達は暑い日差しの中学生生活をそれなりに謳歌してた。

 

 そんなある日の、夜10時を回る頃。何時ものように店の手伝いを終え、勉強に励んでいたオレの携帯が着信音を鳴らす。誰かと思い画面を見れば、相手は鈴だった。

 

『こんばんは、澪。今大丈夫かしら?』

「こんばんは。あぁ、別に構わないよ。それで、どうしたの?」

『あー、えっとね……。出来れば今度、勉強を教えてくれないかな~、なんて』

「へぇ……」

 

 珍しい申し出だと思ったが、納得する。中学生最初の期末テストまで、今日でちょうど二週間を切ったのだ。今日のSHRで担任がその話をしていたし、範囲と曜日が書かれたプリントを渡されもした。

 だが、普段から勉強を嫌っている彼女からの申し出としてはいまいち理由が弱い。尤も、その理由についてもある程度心当たりがあるのだけれど。

 

「成程。つまり、テストの結果が悪過ぎて夏休みの部活に参加出来ない、なんて事が起きるのは御免だって事かな?」

 

 オレの通う中学校では、定期テストの結果が悪過ぎると補習がある。鈴は中間テストの時にあまり宜しく無い結果だったので、二の舞を避けたいのだろう(因みにこの時は数枚のプリントで済んだらしい)。

 

『さっすが澪!話が早くて助かるわ』

「これでも一応生徒会役員兼クラス委員だからね、情報は嫌と言うほど入ってくる。それで?どっちの家で勉強する?」

『その事なんだけどさ。どうせだったら他にも何人か呼ばない?

 ほら、何人かいれば分からないところは教え合えるし。そうすれば澪の負担だって少しは減るんじゃない?』

「人数が増えたら結局はオレが教える負担は増えるんだけど。……まぁ、いいよ。この際まとめて教えたほうが後々楽になりそうだしね」

 

 残り数日になって泣きつかれるよりも、そのほうがよっぽど建設的だ。

 

『ありがと!それじゃあアタシは何人かに声かけてみるから。悪いんだけど澪は一夏に声かけといてくれる?アイツの家って結構広いから、それなりに人数いても大丈夫そうだし』

「……一応聞いておくけど、そもそも一夏はこの話に賛成なの?」

『まだ話してないわ。まぁでも、澪が説明してくれれば大丈夫でしょ』

「何の根拠があって言ってるんだか……。取りあえず、他の人に連絡するのは少し待って。一夏に確認するから」

『はーい。あ、一応日程は今週と来週の土曜日って事で。それじゃあまた後でね♪』

 

 通話を終え、苦笑と共に溜め息を一つ。

 彼女は考えるよりも行動といったタイプでもあるので、今回のようにちょっと穴があるのがたまにキズだ。まぁその辺りはオレがカバーすればいいだけだ。さしあたってまずは一夏に連絡を取るのが先だろう。

 

 

「?誰だろう?」

 

 庭で素振りをしていると、突然携帯が鳴る。

 こんな時間にかけてくるとすれば、弾か数馬くらいかな?何て思いながら携帯を手に取ると、画面に表示されているのは澪の名前だった。

 

 電話の相手が彼女だと分かった途端、俺の心臓が一瞬高鳴る。素振りをしていた事とはまた別の胸の高鳴りに、妙な緊張感を覚える。そして意味も無いのに、服装は大丈夫か?汗臭く無いか?と身なりが気になってしまう。

 けれど何時までもこうしていたら澪に悪いと思い、深呼吸を一つしてから電話に応じる。

 

『もしもし一夏?こんばんは』

「あ、あぁ。こんばんは」

 

 何とか発した最初の言葉は、情けない事に若干震えていた。俺はそれが澪に気付かれていたらと、堪らなく恥ずかしくなる。

 

『もしかして、素振りでもしてた?』

 

 こちらの様子を窺うような一言に、思わずドキリとする。

 

「な、何で分かったんだ?」

『少し息切れしているように聞こえてね。もしかしたらと思ったんだが』

 

 幸いにして彼女は気付いていなかったようで、至って普通に返事を返してくれた。その事にホッと胸を撫で下ろす。

 

『お邪魔だったかな?それほど急ぐ用でも無いし、明日にでも……』

「あぁいや!全然!全然大丈夫だから!」

『そ、そうか?』

「あ、あぁ。それでどうしたんだ?澪から電話してくるなんて珍しいじゃん」

 

 普段積極的にメールも電話もしない彼女の事だ。何かそれなりの理由があるのだろうと思っていると、電話越しに少しだけ申し訳なさそうな声が聞こえてくる。

 

『もうすぐ期末テストがあるだろう?それでどうせだったら皆で勉強しようかという話になったんだが。一夏もどうだろう?』

「あぁ。それなら俺も参加するよ。丁度勉強しないとヤバイかなって思ってたところだし」

『そうか。それで申し訳無いんだが、出来れば一夏の家で勉強会を開きたいんだ。……今週と来週の土曜日は大丈夫か?』

「えっと……あぁ、大丈夫。部活は午前中で終わるから、時間は取れるよ」

『ありがとう。それじゃあ詳しい時間とかはまた明日学校で。おやすみ一夏。頑張るのもいいけど、程ほどにね』

「あぁ、ありがとう」

 

 おやすみ、と一言告げ電話を切り、フラフラとした足取りで家の中に戻り風呂へ直行。

 湯船に浸かりながら先ほどのやりとりを思いだす。それと同時に頬が緩み、胸の中が温かくなる思いを感じる。

 

 ここ最近はずっとこうだ。

 澪を見るだけで、彼女の声を聞くだけで心臓が高まる。笑顔なんて見た日には、それこそ顔に火が着いた様に熱くなる。そんな彼女が俺の家に来てくれるなんて……。

 

「って、こうしちゃいられねぇ!」

 

 風呂から上がった俺はさっさと着替えを済まし、慌てて自室へ。

 まだ彼女(他数名)が家に来るのは先だが、その前に色々と隠しておかなければならない。俺も中学生になってからというもの、それなりにそういった事に感心を持つようになった。だからこそ、隠し通さないといけない物がある。

 部屋にまで上がらせるつもりはないけど、万が一の可能性を考えたら対策をしておいても損は無い。

 

 結局その日の夜、俺が寝付いたのは夜中の12時を過ぎてからだった。

 

◆土曜日 午後◆

 

 勉強会当日、俺の家には既に弾と数馬という帰宅部組みが揃っていた。が、俺達だけで勉強など捗る筈も無く、部活組である彼女達を待っている間、俺の部屋でゲームの真っ最中。

 因みにソフトは『IS/VS(ヴァーサス・スカイ)』というゲームで、第一回IS世界大会のデータを下に作られている。何でも現在は続編の『VS2』が製作中だそうだ。

 そうして俺達三人にCPUキャラを交えてのタッグマッチをやっていると、呼び鈴の鳴る音が聞こえてきた。

 

「あー。アイツ等もう来たのかー。じゃあゲームは終わりにしないとなぁー」

「あぁー!?くっそもう少しで勝てたってのに電源切りやがって!卑怯だぞ弾!てか棒読みすぎてバレバレなんだよ!」

「知らねぇなぁ?そもそもゲームはアイツ等が来るまでって話だろ?」

「なにおう!?」

「じゃあちょっと出てくるから、お前等も勉強の準備――――って、聞いちゃいねぇ……」

 

 未だにギャアギャアと文句を言い合っている二人を無視し、俺は一階へと降りる。

 

「はいはい。今開けますよーっと……」

 

 声をかけながら扉を開ける。すると暑苦しい外気がブワッと入り込む。

 その暑さと明るすぎる日差しに一瞬目が眩み、直ぐに慣れた俺の目に飛び込んできたのは――――

 

「やぁ一夏、こんにちは。さっそくで悪いが、お邪魔させてもらうよ」

 

 ラフな格好に身を包む、薄らと汗を掻いた何れも美少女と呼べる五人(・・)の姿。中でも一際俺の目を引くのは他でも無い、澪だ。

 中学校に入ってからというもの、久しく見ていなかった彼女の私服姿――それも大胆にもそのスラリと伸びる長い足と中学生にしては均整の取れたプロポーションを目立たせる格好は、俺の目には眩しすぎる。思わずゴクリと生唾を飲み込む。

 

「一夏?」

「ハッ!?」

 

 澪の訝しげな声に現実に引き戻される。慌てて何でも無いと返事を返すと、少しだけ首を傾げながらも澪はそれ以上追求してこなかった。

 ……危ないところだった。もう少し遅かったらもっと食い入る様に見ていたかもしれない。自重しろ、俺の情熱。

 と、思っていた時、思わぬ伏兵が。

 

「ちょっと一夏?アンタ何時まで突っ立って――――……ははぁん?」

 

 澪の影からひょっこりと姿を現した鈴は、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる。

 

「な、何だよ鈴」

「いや~、別にぃ~?ただアンタが澪に――――……」

「うおおおおっ!?」

 

 慌てて鈴の口を塞ぐ。これ以上先を言われるのはマズイと俺の直感が叫んでいた。

 

「い、いらっしゃい。シホとメグ――――と、蘭も一緒だったんだ。もう他のメンバーは来てるから、とりあえず上がってくれ」

 

 ハハハと乾いた笑いを浮かべ、無理やり話題を逸らす。若干引かれている気もするが、鈴にこれ以上何か言われるよりかはマシだ。

 

「ありがとう。それよりも一夏」

「な、何だ?」

「そろそろ鈴を離してあげたら?顔色、悪くなってる」

「えっ?」

 

 見れば鈴は若干涙目になりながらもがいており、その顔は青くなり始めている。慌てて鈴を解放した俺は直後、鈴から報復を受けたのは言うまでもあるまい。

 

 そんなやり取りをして、現在は全員リビングに。適当に場所を取りながら勉強の道具を出している間に、俺はキッチンへと向かう。

 このバカみたいに暑い中歩いてきたんだ、何か飲み物でも用意しないと。そう思い準備をしていると

 

「一夏、手伝うよ」

「澪」

 

 何時の間にか俺の後を付いてきた彼女は、俺に確認をしつつ食器棚からコップを出し始める。が、流石にこれには俺も戸惑う。俺からすれば彼女達は客人だ。そんな彼女に手伝ってもらうのは、流石に気が引けてしまう。

 そう思い断りを入れようとしたのだが

 

「流石に8人分も運ぶのは大変だろう?それに、今日は態々勉強する場所を提供してもらったんだ。この位しないと、オレとしても申し訳が立たない」

「……じゃあ頼むわ」

 

 流石にそう言われてしまうと俺としてもそれ以上強く言えず、結局手伝ってもらう事に。

 折角澪が飲み物の用意をしてくれているのだ、俺はその間に適当にお菓子を用意する。何か無いかと探している間に、チラリと澪を見る。

 キッチンに立つ彼女の後姿は何とも様になっていて、その手つきにも迷いが無い。というか、凄く似合っている。

 

(何か良いな、こういうの……)

 

 普段俺しかいない筈のキッチンに他の誰か――しかも女の子がいるというのは、何と言うかこう、胸にグッとくるものがある。

 何となくやる気が出てきた俺は、この後に向かえるであろう地獄の時間を少しだけ忘れる事が出来た。

 

 

「お姉、ちょっといい?」

「ん?――――あぁ、ここはね……」

 

 少し自信がない問題の答えを、お姉に確認してもらう。 

 因みにお姉は勉強の時は眼鏡をかけるようにしている。普段以上に”年上のお姉さん”といった知的な姉の姿はとても新鮮で眩しいです。

 

 私は今、お兄とお姉のお友達である一夏さんのお家にお邪魔している。

 理由は、私が進学したい中学校が所謂お嬢様学校で、面倒な入学試験がある為だ。そんな時に飛び込んできた、勉強会の話。

 元々日頃から勉強をするようにしているけれど、こうやって長い時間を使ってお姉に勉強を見てもらえる事は少なく、そして一つ上の学年であるお姉達の勉強を一緒にやれば私自身の成長に繋がるだろうと思ったからだ。

 

 結果は……正直微妙だ。

 お姉の学力は他の人達と違いずば抜けていると言っていい。そんなお姉に時々勉強を見てもらっている私には、他の人達の進行速度が酷く遅く感じた。お姉には程遠いとはいえそれでも十分な学力を持っているメグさんだけは例外だったけど。

 現役の中学生の姿に少しだけ幻滅をしつつ、チラリと視線を動かす。

 

 視線の先には、お兄や一馬さんと一緒にうんうんと唸っている一夏さん。私は、この人の存在が気になっている。

 と言っても、それは異性として好きだとかそういう浮ついた感情では無い。確かに顔は良いし優しいかもだけど、八方美人過ぎるのはちょっとね。……兎も角、今気になっているのはそういった感情ではない。

 

 寧ろこれは――懸念。

 そう感じるのは、そこにお姉の変化が関係しているから。

 

 お姉がまだもう一人の”お兄”だった頃、正直私は距離を図りかねていた。

 必要以上に喋ろうとしないし、何を考えているか分からない。そのくせいっつも何かに追い詰められているように余裕の無い姿は、幼い頃の私に僅かながら恐怖を与えていた。

 それでも心から嫌うことが無かったのは、何だかんだで優しい一面を持っている事を知っていたから。

 

 例えば、学校で男子にからかわれていた時。

 例えば、折角買ってもらったクレープを落としちゃった時。

 例えば、お母さん達が忙しくて私にかまっていられなかった時。

 

 仏頂面で何を考えているのか分からなかったけれど、それでも私が困っているときには必ず助けてくれた。だから私は、何だかんだで”澪兄”の事が好きだった。

 きっともう少し大人に近づけば、”澪兄”が何に悩んでいるか理解する事が出来るかも知れない。そう思えるようになった矢先だった。性転換手術の事を聞いたのは。

 

 はじめは戸惑った。只でさえ距離が遠い”澪兄”がお姉ちゃんになってしまうなんて、と。余計に距離を取り難くなってしまうと。

 けれどその戸惑いも、”澪兄”が病室で告げた一言を切欠に受け入れる心構えが出来た。

 

 そうして”澪兄”が”お姉”になってからの私達の関係は、まさに激変したと言える。

 男の子だった頃よりも会話は増え、笑顔が増え、絆は強まった。けれどそれでも――お姉が何かに悩む姿だけは変わらなかった。それどころか、表に出さなくなった分余計に深刻さを感じさせる。

 

 そしてそうなった原因は恐らく――一夏さん。この人との出会いがきっと関係している。

 根拠という根拠は無い。けれど、恋人でもないのにこの人の為にお弁当を作ってあげたり何かと手を焼いたりと……。何かあると思うのが当然だ。

 

 一体この人の何がお姉をそこまで駆り立てるのかは分からない。

 けれどもしこの人がお姉を傷つける様な事があったその時は――私はこの人を絶対に許さない。

 

(今はこうやって様子を見ることしか出来ないけど)

 

 いつか絶対に証拠を掴んでやる。そうやって一人、心の中で誓いを立てる。

 けれど先ずは、目先の問題である受験。これをクリアしないことには話しにならない。だから今は受験勉強に専念しよう。

 そしてトップの成績で合格してお姉に褒めてもらう。一先ずこれが私の最優先事項。

 

 

 現在、一夏や数馬と一緒になって取り組んでいるのは数学。

 勉強は好きではないし、特に数学とかの小難しい学問は俺の肌に合わず頭が痛む。澪が時々勉強を見てくれるおかげでコイツ等よりはまだマシだけど……ぶっちゃけ大差ねぇしなぁ。

 

「(なぁ、弾。ちょっといいか?)」

「んあ?」

 

 何て考えていると、隣で一緒になって頭を抱えていた一夏が小声で話しかけてくる。その視線はチラチラと、澪と蘭に向けられている。

 澪は丁寧に教えているが、教えられている側の蘭は時折一夏に鋭い視線を向けていた。

 

「(前から思ってたんだけどよ、俺って蘭に嫌われてる?)」

「(……あぁ、なるほどね)」

 

 そこまで言われて、コイツが何を言いたいのか理解する。

 蘭が一夏に向けている視線が好意から来るものでないのは、俺も理解している。というか、気付いていないのは澪位だろう。まぁそれは蘭のやつが澪にすら気付かれないほど巧妙に一夏に睨みを利かせているからなんだが……。

 

(さて……どうしたもんかねぇ)

 

 蘭が一夏に敵意に近い視線を向けている理由は、なんとなく理解できる。

 蘭は澪が女になってからというもの、ベッタリだ。だがそんな妹に――いや、双子の俺やお袋達にすら、澪は絶対に弱みを見せようとはしない。

 

 家族である俺達にすら弱みを見せず、どこか距離を置きがちな澪。そんなアイツが妙に肩入れしているのが一夏だ。おそらく蘭のやつは、姉である澪が一夏に取られるとでも思っているんだろう。

 ……実際はそんな浮いた話じゃないんだがなぁ。 

 

 蘭のやつは気付いていない様だが、澪が一夏に向けている視線、態度というのはどちらかといえば探りを入れるようなもの。

 一夏の何がそうまで気になるのかは、俺では理解することは出来ない。だがきっと、澪にとって一夏には何かしら思うところがあるのだろう。

 特に問題が起こっているわけでもねぇし、なら今の俺に出来るのは成り行きを見守ることくらいだ。

 

「(まぁ、アレだ。お前が気にすることじゃねぇって)」

「(そうは言ってもだなぁ……)」

「(強いて言うなら……そうだな。お前が千冬さんに向けてるもんと同じだって事だよ)」

「(……何だそれ?)」

 

 良いんだよと、未だに悩む一夏に答える。下手に突付いて俺にまで問題が飛び火したらたまらねぇからな。

 

「(なぁなぁ、さっきから何の話してんだ?)」

 

 そんな時、俺達の小声が聞こえたのか数馬が肩を寄せてくる。だがコイツに話すのもどうかと思い、とりあえずはぐらかすことに。

 

「(いや、まぁちょっとな)」

「(何だよ。俺も混ぜろって)」

「(おいおい、そろそろ真面目に勉強しねぇと)」

「そこの三人。お喋りとは随分な御身分だね?」

「「「あ」」」

 

 頭上からかかる声に顔を上げてみれば、そこには兄である俺から見ても可愛いと思えるほどの笑顔を浮かべた澪の姿。

 尤も、その目は全く笑っておらず、寧ろ俺達を射殺しそうなほど冷たい目をしているが。

 

(あ。これ死んだわ)

 

 その後、三人揃って説教と肉体的制裁を食らったのは言うまでもない。解せぬ。

 

 それから二週間後に行われたテスト。

 澪の奴はぶっちぎりの全教科満点で一位。他のメンバーもそこそこの結果を残せたが、俺、一夏、数馬の三人は結局補修を受けるハメになった。ちくしょう。

 

◆二週間後◆

 

 深夜の12時を回った頃。オレは枕を力の限りベッドに向かって投げ飛ばす。

 今感じている憤りを何とか発散させようとするが、やはりこの程度では駄目だ。ぶつけ様の無いそれに更にイライラはつのり、オレは頭を掻き毟る。

 

 今日をもって期末テストは無事終了。結果も返ってきた。

 オレが怒りを感じているのは何もテストの結果が悪かったわけでは無い。寧ろ全教科満点を取れたのだ、文句など着けようはずも無い。

 ならば何に対して怒りを覚えているのか。それは、一夏の家で何の手掛かりも掴めなかった事だ。

 

 篠ノ之束の残した言葉。アレはオレに途轍もない不安を残した。

 オレの持つ”原作”の知識から明らかにずれている彼女の言動、そして彼女の語った言葉。それはオレに、暗闇の中を歩かせるような不安を抱かせた。

 

 いや、元々未来というものは先行きが見えず、不透明なもの。だが中途半端に先の事を知っているオレにとっては、とんでもない爆弾に等しい。

 そんな時に舞い込んできた、勉強会の話。それは正に、幸運としか言いようが無かった。

 

 何故なら今現在、最大の障害になり得るだろう織斑千冬は不在。つまりは一夏しかいない。

 篠ノ之束に最も近い位置に存在にして”白騎士事件”の直接的な関係者であった彼女の部屋ならば、何かしらの手掛かりがあるのでは無いかと踏んだのだ。

 

 だが結果は全て空振り。彼女の部屋には入る事すら出来ず、探れる範囲内にもそれらしい情報を見つける事は出来ずに終わってしまった。

 元々それほど期待をしていなかったとはいえ、いざ何も無いと知ると苛立たずにはいられない。これでは何の為に一夏に近づいたのか、分かったものでは無い。

 

「……っ」

 

 いや、苛立っているのはそれだけが理由では無い。

 周囲には良い顔をしておきながら、結局は他人を騙して自分の利益となるものを得ようとする狡賢い事を平然としている、そんな自分に腹が立つ。

 こうしなければならない、大人になれば多少汚い手を使うことなどザラだと理解しておきながら、その一方で罪悪感を感じている。結局割り切る事の出来ていない、自分自身の甘さにも腹が立つ。

 

 最近、自分は本当は何をしたいのかが分からなくなる。

 

 一夏との関係を少し改めたのだって、元は彼に取り入り出来るだけ有益な情報を吸い上げるためだ。そこに他意は無かったし、割り切っていた筈だ。

 だというのに、此処最近はそんな事を忘れて今という時間を楽しみたいと思っている自分もいる。少し周りよりも頭の良いだけの、普通の学生でいたいと思っている自分がいる……。

 

 ぐるぐると思考が渦巻く中、オレはベッドに倒れ込み身を預ける。

 

「オレは一体、この先どうしたいんだ――……?」

 

 答えなど返って来る筈も無いのに、オレは一人呟いた。

 

 




後書き

・若干下心の見える一夏
・シスコン【極】になりつつある蘭
・意外と鋭い弾
・甘い話には裏があった(澪ver.)

簡単にまとめるとこんな感じですかね。
鈴、数馬、志穂、恵の四人が空気になってしまった……orz
でもここでこの四人を下手に動かすとグダグダになる気がしたので。すみません。

それでは毎回恒例の補足をば。因みに一夏については特に語る必要がないので省かせていただきます。

・IS/VS
原作では第”二回”大会をゲーム化したものとなっていますが、この作品内ではその前作である”1”が出ているという設定に。
売れ行きやら各国の反応やらは原作とほぼ同じ。
ただし
・ラスボスが千冬であること(千冬を倒さないと彼女を使う事は出来ないという無理ゲー仕様)
・タッグマッチ対戦プレイが可能
・”1”データを”2”に引き継ぐ事が出来る
などのどうでもいいオリジナル要素もあり。

・蘭の考察

 実は手術を受ける前の澪は、無口で無愛想なお兄さん。でも良い所が結構あったので、蘭はそこまで澪を嫌いではなかったという設定。
 その後、手術後家族関係が徐々に良くなっていく事で、今まで押さえ込んできたブラコン魂がシスコン魂に変換。今ではベッタリな状況。
 そんな二人の仲を割く(蘭視点)一夏は邪魔な存在。こんな感じです。

・弾の考察

 原作よりも少しだけ周囲に敏感な彼。それ故に蘭や澪の心情を何となく察している。が、下手に手を出すと話がこじれる可能性があるので今は傍観に徹するつもり。
 因みに一夏がそれとなく澪の事を異性として見始めている事に多少思うところはあるものの、それほど気にはしていない。寧ろそれで澪の抱えているものが消えるならそれで良しと考えるくらい実は寛大。
 尤も、その対象が蘭だった場合確実に原作同様に何かしらのアクションを起こそうとするのだが、双子の妹が寧ろ姉なんじゃね?というくらい落ち着きがあるので、澪に関してはそれほど心配をしていない。

とりあえず今回はこんなところでしょうか。

感想・指摘等お待ちしております。


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二章 2-4

前書き

前回のものを手直ししました。時間がかかってしまい申し訳ありません。
まだ多少矛盾点はあるかもしれませんが、何とか今後の展開で挽回していこうかと思います。





 

◆20XX年 冬◆

 

 あの期末テストの日から既に数ヶ月が経ち、現在は12月。もう今年も終わりを迎えようとする頃、オレは一人電車に乗って遠出をしている。

 

 あの時感じた焦りは中々酷かったらしく、オレはここ最近自分がどうやって過ごしてきたかあまり覚えていない。夏休みや学校行事など目新しいものを経験しておきながら、その殆どがオレにとってはどうでもいい事のように思えて――――……。

 

 このオレの変化はどうやら随分と外面に出ていたらしく、一クラスメイトや教師達には何時通りに見えたが、仲の良い連中には見透かされていた”らしい”。

 ”らしい”というのは、つい先日その事を指摘されるまで気付く事が出来なかったからだ。

 双子の兄の弾曰く、”一時期の小学生の時の様に余裕が無い様に見える”との事だ。流石にそう言われてしまうとオレも対応を変えなければいけない。だが、かと言ってそう簡単にこの迷いは打ち払える物でもなく、オレは悶々とした日々を送り続けた。

 

 そうして気が付けば12月。もう今年も終わる頃になっていたと言うわけだ。

 さてどうしたものかと考えている時、オレはふとある事を思い付きくそ寒い中態々遠出をした。所謂気分転換を兼ねた調査だ。

 

 やがて電車に揺られること数時間。オレは目的の場所へと辿り着いた。

 そこはまるで戦場だ。否、誇張でも何でもなく、疑い様も無くそこは戦場だ。西洋東洋を問わず、様々な人種、性別、年齢の人間が己が目的の物を手にするために奮闘する場所――――東京ビッグサイト。

 

 今日は12月29日。

 日本が誇るサブカルチャーの祭典――――コミックマーケット(通称コミケ)冬の陣。その記念すべき最初の日にして、戦士達の聖戦の第一陣である。

 

 

 右を見ても人。左を見ても人。前も後ろもどこを向いても人、人、人――――……。

 極寒と呼べる外気も何のその。寧ろそれをも飲み込む熱気漂う中、オレがこの場にいるのには理由がある。

 

 一つ目の理由は、この世界の状況を再確認する事。

 ISの発表から幾らか時間は過ぎ、日本における女尊男卑の傾向は更に強まりつつある。そんな時ふと気になったのが、外国の情勢だ。

 諸外国の一般人は、果たして日本の一般人のように今の現状を受け入れているのか否か。それを確かめたかった。

 だが、流石にこの年で一人旅と洒落込むほど勇気も金銭も持ち合わせていないオレには、実際に外国へと飛んで確かめるなど到底不可能。さてどうしたものかと考えていた時、ふと思い付いた。ならばオレの行動出来る範囲で、多くの外国人が集まる場所へと赴けばいいのでは無いか、と。

 多少の偏りはあるだろうが、何もしないよりはマシだろう。

 

 二つ目の理由は、ISという存在による創作物の変化。

 ISの存在は世界に大きな波紋を呼び込んだ。それは何も軍事面だけでなく、ゲームなどの分野にも進出している。『IS/VS』等が良い例だろう。

 また、娯楽面だけでなく別の発明――――つまりはテレビ等の電化製品から活性剤治療等の医療面などの変化も知りたかったのだ。

 今回はそういった企業の展覧回などでは無いので諦めているが、別なところに焦点を当てている。それは、人々の創作意欲。

 

 先にも述べたように、ISの登場は世界に大きな波紋を呼んだ。それこそ、殆どの漫画や小説等の創作物にまでISが登場したり、女尊男卑の傾向が見られるなど。

 これは出版社や企業などの思惑もある以上仕方の無い事かも知れない。だが個々人での認識はどうなのだろう?という疑問から、オレはこの場に赴いた。

 

 そして三つ目だが、正直に言ってしまえばこれこそが一番の理由。気分転換としか言いようが無い。

 というのも、ここ最近のオレは随分と余裕が無いらしい。それはこれからの事を考えれば致命的な欠陥になりかねない。ならばここは趣味と実益を兼ね備えた上での気分転換をするべきだろう、と思い至ったのだ(他二つの理由は、自分自身に対する言い訳のようなものだし)。

 

 ついでに言うと、前世の”俺”は趣味らしい趣味を殆ど持ってなかった。というのも、バイトと勉強にばかり力を入れてきたからなのだが。そんな”俺”に前世の友人達が勧めて来たのがライトノベルだった。手軽に読めて、それでいて種類も豊富だという事で、”俺”も中々ハマっていたものだ。尤も、友人達の様にグッズを集めたり入念にアニメ鑑賞をしたり、各物語に対して討論をするほど熱心ではなかったが。

 ……こんな事を思い返す辺り、やはり”オレ”は心の何処かで前世への未練というものを持っているのかもしれない。

 

 さて。何だかんだと理由を付けたが、現在オレの頭の中からはそんなものは吹っ飛びつつある。というのも、それは周囲の熱気が異様なほど高い事に他ならない。

 

「しかし……これは予想以上だな」

 

 そう、予想以上だ。

 それは何も周囲の熱気だけでは無い。オレが驚いているのは、そう――男性が意外にも多く、そしてそれに劣らず女性も多い事だ。

 

 女性に関してはまぁ納得は出来る。

 ISの登場で急激に上がった女性の地位。これにより今まで大々的に行動をしてこなかった所謂”隠れオタク”というものが減ったのだろう。何せこの御時勢だ、女性の中でアニメ等を他の人よりも好んでいたとしても、それを男性は冷やかしたり出来ない。もしそんな事をしたら最後、多くの”勘違い”をした女性達は一気に反撃、男性は社会的に死んだも同然となる。

 

 対して男性だ。

 女尊男卑により、漫画などの娯楽面でも女性趣味に傾向が傾きつつある。だというのに男性陣が意外にも多いのは何故だろう?と考えたところで――ある一角を見て納得が言った。

 それは、IS(コスプレ)を纏っている女性を写真で撮っている集団。撮る側も撮られる側も、どちらも何とも生き生きとした顔をしている。なるほど、例え多少地位が落ちたところで、それが趣味を止める理由にはならないらしい。

 

 感心していいのかその根性を称えるべきか、はたまた呆れるべきかを考えてながら歩いていると、ドンッと誰かとぶつかってしまった。

 

「すみません。つい考え事をしてしまって……」

 

 話がややこしくなるのは面倒だと思い即座に謝罪する。すると相手もどうやら良識ある人だったらしく

 

「いや、こちらこそすまない。少々周りに気を取られすぎていたようだ」

 

 と少し低めの女性の声で謝罪が返って来た。

 彼女の声を聞き、オレは下げていた頭を上げる。すると視界に飛び込んできたのは、黒髪を肩の辺りで切り揃え、左目に眼帯をつけた少し物々しい雰囲気の女性だった。顔立ちと日本語のイントネーションから察するに、外国の人らしい。

 

(この人、どこかで……?)

 

 オレは初対面の筈のその女性を見て、しかしどこかで見たような感覚を覚える。だがどうにも思い出せ無いし何時までも人の顔を見つめたままというのは失礼だと思い直し、その場を離れようとする。が、

 

「っ、すまない。ちょっといいだろうか」

「えぇ、構いませんが……」

 

 と、意外にもぶつかった女性の方から声がかかった。何だろうと思っていると、女性は少し恥ずかしそうに案内図を取り出した。

 

「ここに行きたいのだが……日本語にはまだ不慣れでな。どうにも良く分からない」

 

 なるほど、どうやら彼女は道に迷っているようだ。ならば係員にでも……と思ったのだが、生憎近くにはそれらしい人はいない。

 特にオレはこれといった目的の物がある訳でもなかったし、直接外国の人の意見も聞けるだろうと軽く考えていたので、彼女を案内する事に。

 

「でしたら案内しますよ。オレは一通り見る物は見ましたから」

「いやしかし、それは流石に……」

「大丈夫ですよ。幸い時間に余裕はあるし、オレは今日一人で来たので」

「……そうか。ではその好意に甘えさせてもらおう」

 

 軽い気持ちで言ったこの一言。

 

「あぁ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。

 オレは五反田澪。澪で構いません。こんな喋り方をしていますが、一応女です」

「ではそう呼ばせてもらう。

 私はクラリッサ・ハルフォーフ、ドイツ人だ。宜しく頼む」

 

 しかしこの言葉が先の未来を僅かとはいえ変える事になるとは、この時のオレには知る由も無かった――――……

 

 

『クラリッサさん。リストの物、買ってきましたよ』

『おおっ!すまないな澪、恩に着るぞ!』

 

 互いに自己紹介をした後、手分けして彼女の欲しい物(そのリストの中にはアレでナニな物もいくつかあったので正直焦ったが、何故か買うことが出来た。というか販売している人が鼻息を荒くしながら『同志よっ!!』とか言ってきたが全力で無視した。オレは男同士の絡みなんぞに興味はない)を買い漁ったオレ達は今、次の標的を探しに移動している。因みに彼女はまだ日本語には少し難がある様なので、ドイツ語の練習も兼ねて今はドイツ語で会話をしている。

 ホクホク顔で前を歩く彼女の様子に、オレは苦笑を禁じえない。

 

 クラリッサ・ハルフォーフ。その名前にどこか引っかかりを覚えたオレではあったが、結局思い出す事は出来なかった。こうした引っかかりを覚えるという事は、”原作”の中でも名前が出た人物なのかもしれない。が、それが重要な人物の関係者であるのか、それとも数馬の様に単なる知り合い程度の存在で済むのか分からない。

 何より今日は息抜きの為にこうして此処に来たのだ。それなのに誰も彼も疑ってかかってはキリが無いし、相手に対しても失礼だ。なら今くらいは、少し年の離れた新たな友人との時間を大切にするべきだろう。

 

『しかし、クラリッサさんは随分と日本語が上手なんですね』

『あぁ。仕事の関係上、日本語を覚えなくてはいけなくてはならなくてな』

『というと、キャビンアテンダントや通訳などですか?』

 

 単に好奇心から出た質問に、しかし彼女は答え難そうな表情を浮かべる。しまったな、プライベートに踏み込みすぎたか……。

 

『あぁ、答え難いなら無理に言わなくても結構です。寧ろ知り合って間も無いのに……すみません』

『いや、気にしないでくれ。……こちらこそすまない、気を遣わせてしまった様だ』

 

 そういって互いに謝罪したオレ達は、顔を見合わせて苦笑を零す。そしてどちらからともなく、この話題を打ち切った。

 それから再び色々な場所を巡りながら何気ない会話を交わしていると、ふとクラリッサさんが声をかけてきた。

 

『どうした?随分と嬉しそうな顔をしているが』

『え?』

 

 言われて初めて気付く。どうやらオレは、自然と笑みを浮かべていたようだ。その原因を考え、想い至ったのが一つ。それは懐かしさに似た感情。

 クラリッサさんとこうして会話を交わすのは、オレにとってどこか懐かしい気持ちを抱かせた。何故だろうと更に考えたところで、一人納得がいった。似ているのだ、前世の友人達と何気ない会話を交わした時と。

 別に彼女が前世の友人達と似ている訳では無い。寧ろ彼女ほど理知的な友人はオレにはいなかったような気がする。だがそれでも懐かしさを覚えるのは、きっと話している相手が”大人”だからだろう。普段の”五反田澪”が会話を交わす相手は、10代前半の少年少女が殆ど。彼等との間に流れる雰囲気は、どちらかというと軽く、浮ついた感じの印象がある。

 しかしクラリッサさんとの会話は違う。オレの中身が30代近い事もあるからか、彼女との会話は本当に気が楽なのだ。無理に背を伸ばす必要もなく、無理に周囲の雰囲気に合わせる必要も無い。ある意味で”素の自分”で語り合える相手なのだ、彼女は。それが何だか、嬉しくなる。

 

『特にこれといった理由ではないのですが。そうですね……クラリッサさん相手ですと、無理に気を張ったりする必要がなく話せるから、でしょうか』

 

 少し言葉を選びながら答えると、クラリッサさんは一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、クツクツと笑い始めた。……何か可笑しな事を言っただろうか?

 

『――――いや、気にしないでくれ。ただ、奇遇だなと、そう思っただけだ。私も君に似たような感覚を覚えていたところだ』

『貴女も、ですか……?』

『あぁ。同年代どころか、寧ろ少し年上と話している様な感覚を覚えたところだ』

 

 すまないな、と付け加え苦笑する彼女に、オレは何とも言えない表情を浮かべる。中身だけで言えば恐らく年上なのだが、そんな事言えるはずも無く。何とも微妙な空気が流れてしまったので、オレは少し無理やりに話題を変える。

 

『クラリッサさん、少しお時間を頂いてもいいでしょうか?』

『ふむ、そうだな……』

 

 チラリと腕時計を確認した彼女は、問題ないと答えた。その事に安堵しつつ、どこかで座れないかと場内を歩きながら話す。

 

『クラリッサさんは、今の世の中をどう思いますか?』

『随分と突然だな』

『えぇ、まぁ。ただ、一度外国の人はどう思っているのかと、随分前から思っていたんですよ。今はちょうど、それを聞く機会でもあるので……つい』

『ふむ、そうだな……。具体的にはどんな事を聞きたいんだ?』

『一番の疑問は、ドイツの女性が今の社会体制をどう思っているか、ですね』

 

 運良く空いているベンチを見かけたので、其処に腰掛ける。クラリッサさんは少し考える素振りを見せ、やがて口を開いた。

 

『ISが国防の要となっている以上、多少の優遇は仕方の無い事ではないか。少なくともそう考えている』

『では、行き過ぎた女性優遇についてはどう思いますか?』

『行き過ぎた……?』

『例えば……そうですね。買い物に来ていた男性が、見知らぬ女性に声をかけられ、吟味していた服を片すようにと命じる。それに断ると警備員を呼ばれ暴力を振るわれたなどと有りもしない事をでっちあげられ、挙句その男性は裁判にかけられ敗訴。職も失ってしまうといったケースです』

 

 これは実際に日本国内であった事件で、この時は後の調べで男性に非が無い事が明らかになったものの、結局男性は再就職する事が出来ず、周囲からは白い目で見られてしまい最終的に自殺をしてしまった、というものだ。

 こうして明るみになった事件は数少ない。が、その裏では未だに同じ様な愚かな行為が続けられているのだ。幾らISを運用出来るのが女性だけだからといって、許される行為では無い。

 

『……確かに、そういった事が起こっているのは事実だ。だが、女性にしかISを動かすことが出来ない以上、仕方が無いのことでは?』

 

 まるで当然の様に言う彼女に、僅かに頭に血が上る。が、それを何とか押さえ言葉で反論する。

 

『確かに女性にしかISを運用する事は出来ません。ですがそれは、あくまで資格を持っているだけであって、全ての女性に対して優遇されるべき絶対的権利ではないと思います。

 事実、世の中の女性の大半以上はISに触れる事すら無い。だというのに、その資格をチラつかせ宛(あたか)も自分が特別な存在になったかのような振る舞いをするなど……愚かと言うしか無い』

 

 吐き捨てるように言った言葉に、クラリッサさんはふっと表情を和らげた。

 

『なるほど……全くその通りだ』

 

 ふと表情を和らげたクラリッサさんは頷いた。そして試すような事を言ってしまってすまないな、と謝罪をする彼女に、オレは口ごもる。別に謝られるような事じゃ無いし、寧ろ試されているだなんて気付いていなかったんだが……。

 しかしそんなオレの心の内を彼女が分かるはずもなく、言葉を続ける。

 

『……確かに、今の世の中の多くの女性は今の社会体制を誤解している。本来であれば宇宙開発に使われる筈だったISだが、今は完全に国防の要となってしまった。そしてその力は強大であるが故に、現在はスポーツという形で落ち着きを見せているが……正直、いつその均衡が崩れてもおかしくは無い』

『………』

『それに、女性にしかISを動かすことが出来ないという事は、万が一ISによる戦争が起こった場合真っ先に徴兵されるのが女性だという事に一体どれだけの人間が気付いていることか……』

『恐らく、多くの女性はそんな事すら考えていないでしょう。それでいて万が一戦争が起こり、優秀なパイロット達が命を落とし、IS学園にいる生徒達まで命を落としていったら……。後は片っ端から適正の高い人達が候補としてあがる。その時きっと彼女達は……』

『恐らく泣き喚き、命乞いするだろうな。そして最終的にはこれまでの恩恵を忘れ、ISと、それを開発した篠ノ之博士を恨むだろう』

 

 そう言ってクラリッサさんは重い溜息を吐く。彼女の表情からは明らかな呆れや情けなさというものが見え隠れしている。どうやらドイツの人間の中にも、そういった馬鹿な考えを持っている人間がいるのだろう。

 さて。とりあえず一人だけとはいえこういった考えを持っている女性がいる、という事を知れたのはオレにとって嬉しいことだ。しかしこの話題を振った事で、何だか空気が悪くなってしまった。

 

『……すみません。折角遊びに来ている貴女に、気分の悪くなるような話を振ってしまって』

『いや、気にする必要は無い。私の知り合いは少々特殊な人間が多くてな、学生がどのような意見を持っているかなど、聞く機会自体が少ない。その事を考えれば、こうして君と話せた事は私にとっても十分意味のあることだ』

 

 だから気にする事では無い。彼女の言葉は、オレにとって有難いものだった。

 

 

『今日は有難う御座いました。色々と貴重なお話を聞く事が出来て良かったです』

『こちらこそ。案内だけでなく買い物に付き合ってもらって感謝している』

 

 帰国の便の関係からそろそろ帰らなければならないというクラリッサさんと共に、今は会場の外にいる。買った物の中身には多少……では済まないが抵抗する部分があったものの、こうして異国の人と意見を交わすことが出来たのは本当に幸運だった。

 

『空港までの道は分かりますか?』

『……流石の私でもその辺りは把握しているよ』

 

 会場内で迷っていたので少々心配になったのだが、流石にそれは大丈夫だったようだ。少し傷付いた様な表情を浮かべる彼女に、苦笑しつつも謝る。

 

『それじゃあオレはこれで』

『あぁ、ちょっと待ってくれ』

 

 ではそろそろオレも帰ろうかと思い別れを告げようとしたその時、クラリッサさんが呼び止める。どうしたんだろうと思い振り返ると、何やらメモ帳にサラサラとペンを走らせている。かと思えばそのページを切り取り、オレに手渡してきた。

 

『そこに書いてあるのはドイツの情報交換サイトだ。そこから音声チャットや科学サイトなど、様々なサイトに飛ぶ事が出来る。それともう一つは私のプライベート用のアドレスだ。折角こうして知り合えたのだし、よければこれからも友人としてやっていきたい』

『……いいんですか?』

 

 正直、彼女の提案には驚いた。情報交換サイトとかならともかく、簡単にプライベートの連絡先を渡すなどと……。少々無用心に思えるのだが。

 

『心配いらない。これでも私は人を見る目があるのでな。君ならば大丈夫だと思ったからこそだ。それに……日本のサブカルチャーを愛するものに悪人はいないからな』

 

 そういって誇らしげに胸をはるクラリッサさんに、僅かな呆れとそれに勝る嬉しさを感じる。それにこうまで言われてしまっては、こちらも断るわけにもいくまい。仮に迷惑メールなどが来るようであれば、その時はアドレスを変えるなりすればいいだけの話だ。

 

『……分かりました。有難く頂戴します。後でメールしますので、その時に登録してください』

『うむ。では、気を付けてな』

『はい。クラリッサさんも』

 

 そうしてそこで彼女とは別れた。帰りの電車の中、オレはドイツには他にどんな意見を持っている人達がいるんだろうと、少しだけ期待に胸を膨らませていた。

 

 




後書き

IS世界の女性達に対する個人的な疑問。

・もしISを用いた戦争が起こった場合を考えているのか?

少なくとも原作を読む限りでは、その辺りの心配をしている人はほぼ皆無、といった感じですよね。ですが、流石に現役軍人であるクラリッサがその事に気付いていない筈も無い。と思ったので、その辺りの描写を入れてみました。

・澪は情報サイトのURLをゲットした!
・澪はクラリッサのプライベートアドレスをゲットした!
・ロリッ娘黒ウサギとのフラグが知らないうちに立ってしまった!

感想・指摘等お待ちしております。

※2013.5/12 誤字修正


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二章 2-5

遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
リアルで色々とあり、パソコンに触れる時間がとれず、執筆もできない状況が続いてしまい……。


「ねぇ、弾」

「ん? ……何だよ、珍しくしおらしいじゃねぇの」

「うっさい!って、そうじゃなくて! ……ねぇ、弾。これから話す事は、別に冗談でも何でもないわ。そのつもりで聞いてちょうだい」

「……おう」

 

 夕焼けに辺り一面が染まり始める中、境内の奥にある少し開けた場所で、鈴と弾は見詰め合う。

 常に明るく元気に溢れる鈴の姿はそこになく、今の彼女は普段とはまるで正反対の、不安に押しつぶされてしまいそうなか弱い少女然としている。流石の弾の普段の鈴と違う様子に気が付いたのか、先ほどまでの、そして常のどこかお茶らけた雰囲気を潜ませている。

 そんな二人を、オレや一夏、数馬、シホ、メグ、そして蘭のいつもの面々は、文字通り草葉の影から固唾を飲んで見守っている。

 

 何故こんな場所でこんな事をしているのか。そもそもの事の発端、それは、クラリッサさんと出会った翌日の出来事だった――……

 

 

◆12月30日◆

 

「振袖が着たい?」

 

 オレの問いかけに、鈴は少し恥ずかしげにコクリと頷く。そんな、普段の活気溢れる彼女からは考えられないしおらしい態度に、オレは蘭、シホ、メグの三人と共に首を傾げた。

 因みに場所はオレの部屋。何時ものメンバーである男子組は、今は一夏の家に転がり込んでいるらしい。だからこうして女子だけで話が出来るのだが……はて。 

 

「どうしたのさ、鈴」

「ど、どうしたって何がよ?」

「う~ん。何て言うか……何時もの鈴ちゃんらしくないって感じがして」

「そ、そんな事ないわよ!た、ただ……アレよ! アタシってば日本に来てから着物っていうのを着た事がないことに気付いたのよ。で、正月には振り袖ってのを着る習慣があるんでしょ?だったらこの機会に着るのもいいかなぁ~って思っただけよ!」

 

 シホとメグの追求に、鈴は一瞬言葉を詰らせるが、直ぐにそれらしい言葉を口にする。が、どうにも腑に落ちない。そして、そう思ったのはオレだけではなかったようで。

 

「鈴さん」

「な、何よ蘭」

「嘘、吐いてません?」

 

 蘭が代表して疑わしげな視線と共に問いかける。すると

 

「そそそそんな事無いわよっ!? いやね蘭ったら!!」

 

 面白いくらいにうろたえていた。

 これは何かある、と考えるがどうにもオレには答えが見えてこない。他の三人はどうだろうと思い見てみれば――

 

『へぇ~?』

 

 何やら鈴をニヤニヤしながら見つめているではないか。

 

「な、何よアンタ達。その気味悪い笑顔は……」

 

 その笑顔に薄ら寒い物を感じたのか、心なしか後ずさる鈴。だがその気持ちは分からなくも無い。少なくとも、オレがあんな笑顔を向けられた日には、引くか全力で無視を決め込むかその場から退却する事を選ぶだろう。本人達には悪いがそれほどまでに気味の悪い笑みだ。

 

「べっつにぃ~?」

「ただ、鈴ちゃんも素直になってきたなぁ~、って。そう思っただけだよ?」

「ど、どういう意味よそれ!?」

「だって鈴さん。お兄に振袖姿を見て欲しいから、今回は着たいって言ったんですよね?」

「~っ!?」

 

 振袖を着る事くらい、やろうと思えば去年だって着る事は出来たんですし。そう続けた蘭の言葉に、鈴は熟れた林檎よりも尚真っ赤にその顔を染め上げた。どうやらその指摘は正しく当たりだったようで、鈴は反論しようとするが口をパクパクと動かすだけで精一杯の様だ。

 

「成程、そういう事か……」

 

 少々理由が弱いが、もし彼女が単に振袖を着て正月を過ごしたいと思っていたのであれば、それは何も去年にすれば良かった事。しかしそうはせずに、今年に限ってそんな提案をしてきた。となると理由は、初めて友人と――というよりも弾と共に過ごす正月を少しでもいい思い出とする為の提案だったのだろう。そう考えれば、彼女の提案には説得力が増す。

 正直に言ってしまえば、彼女が弾に友人以上の感情を持っているのは、この場にいる全員が把握している事だ(尤も、鈴本人はそんな事に気付いていなかった様だが)。となれば、オレ達としては友人の恋路を手伝う事は吝かでは無い。寧ろ全面的に応援したいくらいだ。

 一人納得していると、四人が若干呆れた様な表情でオレを見ている。……一体なんだというんだ?

 

「いや。もしかしてお姉、鈴さんが考えている事、気付かなかったの……?」

「まぁ、そうだけど……」

「……はぁ~」

「一夏君もそうだけど、澪ちゃんも結構鈍感だよね……」

 

 そう言われても仕方が無いではないか。前世でも恋愛と言うものには殆ど縁がなかった元男。多少女よりの思考をするようになったと言っても、恋する少女の思考回路など、オレには到底及びつかない。

 そんなオレに、明らかに呆れた様子のシホとメグ。そう言われた所で仕方が無い。が、一夏と同類にされるだけは御免だ。オレはアイツほど鈍感ではないよ。

 

「そんな事考えている時点で、アンタも十分鈍感でしょうに……」

「鈴、何か言った?」

「いいえ何も。……はぁ~。ばれちゃったものは仕方ないわ。ま、まぁそう言うわけだから、皆には協力してもらいたいんだけど……」

 

 どうやら腹を据えたのか、鈴は恥ずかしげな表情を浮かべながらもオレ達にそういって頭を下る。……そんな事、言われるまでも無い。

 

「鈴さんならお兄を任せられると思いますし。私は応援しますよ!」

「あたしも賛成。友達が困ってるなら、手を貸すのが当然だからね」

「私も。鈴ちゃんの本気が分かってるから、頑張るよ!」

 

 そう言ってすぐさま協力の姿勢を見せる三人。何とも頼もしい限りだ。

 

「オレも強力するよ。鈴は大事な友人だからね」

 

 そんな彼女達から少し遅れて、オレも賛成の意を表す。彼女が本気で弾との関係を変えたいと願っているのは、十分過ぎるほどに伝わってきている。なら、それをオレが邪魔する理由はない。何より、一人の友人として彼女の恋が実って欲しいと願っている。

 

「みんな……有難う……!」

 

 そう言って目に涙を浮かべながらもはにかんだ鈴は、現在は同性であるオレから見ても可愛らしく、女の子らしかった。

 

「さぁて! そんじゃあついでに告白の段取りでも付けときますか!」

「はぁ!? こ、こここ告白!?な、何言ってんのよシホ!?」

「だってさぁ。ただ振袖姿見せたところで関係なんて進展しないじゃん?だったらいっそ、告白でもしないと!」

「そ、そんな事言っても……」

「シホさんの言う通りですよ、鈴さん!」

「ら、蘭?」

「ぐずぐずしてると、お兄がどっかの誰かに取られちゃうかもしれませんよ?それでもいいんですか!?」

「っ!? いい訳ないでしょ!?」

「それじゃあこれから作戦会議をしないと!」

 

 話が纏まるや否や。わいのわいのと騒ぎ出す四人。女三人集まれば姦しいとは良く言ったものだ。いや、正確には四人だが。騒がしくも真剣に今後の方針を固めている四人。そんな彼女達を見て、オレの中である感情の変化が生まれ始めていた。

 

◆20XX年 1月1日◆

 

「そんじゃあ、先行ってんぞ?」

「あぁ、気を付けて。オレ達も着付けが終わったら、直ぐに向かうから」

「おう」

 

 鈴から話を聞いてから二日後。とうとうその日がやってきた。

 話し合いの結果、参拝後オレ達は人ゴミを利用し鈴と弾から離れ、二人きりの状況を作る。その後、鈴が出来るだけ人気の無い場所へ弾を誘導し、そこで告白をする。というものになった。

 到底作戦と言えるような物では無いが、鈴の意志を尊重し、且つ下手にオレ達が手を出すことで話がこじれる事を考えた結果の作戦だ。こればかりは、鈴の努力に賭けるしか無い。 

 

 しかしこの作戦はオレ達だけでは成り立たない。よって秘密裏に一夏と数馬にも強力を要請し、段取りを組んでもらう事になった。数馬は二つ返事で了承してくれた。が、一夏もすぐに賛成してくれたのには正直予想外だった。常日頃から鈍感と言われている彼のことだ、自分に向けられる好意だけで無く、友人の恋路にも気付いていないものだとばかり思っていたが……しかしこれは嬉しい誤算だったので良しとしよう。

 

 ついでにもう一つの障害だったのが、我が五反田家だ。

 我が家は毎年、正月には家族揃って初詣に行く決まりがあった(尤も、オレは性転換手術を受ける前までは何かと理由を付けて初詣を回避していたのだが)。しかし今回に限っては、そうはならなかったのだ。それは正しく、幾つもの偶然が重なった結果と言えるだろう。

 

 先ず最初に、父さんが急遽仕事で家を空けなければならなくなった。次に母さんが、フランスへと行く事となった。何でも、母さんの大学時代の友人が亡くなってしまったのだそうだ。新年早々に悲しい報せが入った事に少し気落ちするが、こればかりはオレにどうこう出来る事でも無い。

 しかしフランスという言葉を聞くと、どうしても”彼女”の事を思い浮かべてしまう。”知識”の中にある”彼女”は確か、数年後に”男性として”IS学園へと編入してくる筈だ。尤も、それは一夏がISを起動してしまう場合に限るのだが。まぁ……流石にそんな偶然はないだろうが。

 最後に、そんなこんなで家族全員の予定がつかなくなったところで、お爺ちゃんには町内会の人たちから声がかかったので、そちらに向かうことに。

 結果、今年の初詣は友人達と行くと言う口実が見事に出来上がり。そこへ蘭が「偶には振袖を着たい!」と言い(無論、時間稼ぎの口実だが)弾を一夏や数馬達と共に篠ノ之神社へと向かわせ――――

 

「……よし。鈴、出てきていいよ」

「ほ、本当に弾はもう行ったの?」

「大丈夫ですよ、鈴さん。さぁ、早く着替えましょう!」

 

 予め家の近くに待機していた鈴の着付けを済ませる、という手筈になったと言う訳だ。さて。それじゃあ親友の一世一代の大勝負成功の為にも、しっかりと着飾ってあげますか。

 

 

 ――とまぁ、この様な経緯があり、今に至ると言う訳だ。しかし、今回の一件には色々と思うところがある。それはやはり、鈴が好意を向ける対象が”一夏ではない”というところだ。

 

 原作であれば、転校から間もない頃、中国人であるという理由からイジメを受けた鈴は、偶然一夏によって助けられる。それが切欠となり、鈴は一夏との接点を持つようになり、そしてやがては恋心を抱く様になる。だが――その原作通りの最初の流れを壊してしまったのは、他ならぬオレ自身だ。

 あの時の行動を後悔する訳では無い。だが、もしあの時一夏が来るまで身を潜めているなりしていれば、そもそも一夏や鈴との交友関係を深める事も、鈴が一夏ではなく弾に好意を寄せることも無かったのではないか。ホンの些細な変化でさえ、原作から逸脱していくのではないかなどと不安に駆られることもなかったのではないか――……。そんな、今となってはどうしようもない”IF”を時々考えてしまう。

 

(矛盾、しているな……)

 

 ”原作を重視し守る事で出来る限り自分に被害が及ばないようにする”という考えにシフトした自分。

 それとは別に、”原作云々ではなく、今この世界で生きている彼等を一人の人間として見るべき”と、相反する考えがオレの中で渦巻いている。そしてオレはその兆候に、もう随分前から気付いている。

 

 決定的な始まりはやはり、転校当初から鈴や一夏と交友関係を築いた事だろう。

 自身が物語の世界に転生したのだと気付いた当初は、出来る限り原作の登場人物――特に主人公となる織斑一夏には近づくまいと考えていた。これは勿論、”原作キャラとの関わりを可能な限り捨て去り生きていく”という考えがあった為だ。

 だというのに、実際には鈴を助けた事から彼女や一夏との交友関係を構築してしまったり、次第に一夏の手助けをしたりする事でより交友関係を深めていったりと、自分自身でも理解の出来ない矛盾した行動を重ねる事が度々あり、その果てに今の”五反田澪”がいる。

 

 最初こそ自身の矛盾した行動や言動にイライラし、それを本格的に交友関係を結ぶ前の一夏にぶつけた事もあった。だがそのイライラも何時の間にか薄れていき、一夏に対する悪態や不誠実な態度を取ることも少なくなった。だからこそ――オレはこの変化が怖い。

 

 果たしてこの変化は、オレ自身が”五反田澪”として生きていく事を決意した結果によるものなのか。それとも、目には見えない”何か”の力が作用した果ての感情や行動の変化なのか――などと、荒唐無稽な考えをしてしまう。

 前者は兎も角、後者の考えは飛躍し過ぎた被害妄想の様な物だ。……だが、オレはそれを否定するだけの材料を持ち合わせていないどころか、寧ろその可能性を引き上げてしまうだけの材料を持ち合わせている。何故ならオレは他ならぬ、”五反田澪”という原作知識などと本来持ち得るはずの無い知識を有した”転生者”なのだから。

 転生などという不可解な現象が起こり得たのだ。そんな”ありえない存在”であるオレに、”ありえない現象”が起こっても不思議ではないのでは?そんな事を時折考えてしまう。だがその度に思う。そんな事を考えるのは意味の無い事だ、と。

 

(いい加減、こんな考えを持つ事にもケリをつけないとな……)

 

 何か起こるたびにこうして無意味な思考をする事は、オレにとっても、そしてオレの周囲にいる人達に対しても悪影響しか及ぼさない。その点、今回の鈴の告白という一大イベントはオレにとっていい転機になるだろう。

 彼女が起こすだろう今回の行動はオレの持つ知識の中にはないもの。つまりそれは、オレにとって今生きている世界が物語の中の物ではなく”紛れもない現実”という証明となるのだから。そうすればきっと、今後の人生で彼等に対して後ろめたい気持ちを抱かずに済むだろうから――。

 

 

 すぅ、と息を吸う。

 この状況に持ってくるまでの間何度もそうしてきたが、早鐘を打つ心臓は一向に治まる気配を見せようとしない。それどころか、その鼓動は速さを増し、全身に沸騰しているのではないかと錯覚するほどの熱い血液を送り続けている。それとは正反対に、先ほどから喉と口の中はカラカラに乾いており、足どころか体中が微かに震え、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちを加速させる。

 

 だが――それではいけない。

 今ある関係から脱却するということは、これまでの関係を永遠に手放すという事に他ならない。勿論、何でも無いような話であれば、そんな大袈裟な事は起こらない。だが、今から鈴音が行う宣言は、例外中の例外であり、大袈裟な事の範疇に入る。そしてそうなる覚悟をした上で、彼女――――鳳鈴音はこの場にいるのだ。

 ならば、結果はどうであれ彼女は言わなければならない。これまでの関係を壊しうる可能性を秘めていながら、それでも尚、求めて止まない感情に正直になる為に。

 

「本当は、ね。こうして私達が二人っきりでいるのは偶然でも何でもないの。皆が今此処にいないのは……私がアンタと二人っきりの時間を作れるように、って頼んだから」

「……」

「最初は私自身驚いたわ。最初はこの気持ちが信じられなくて、何度も不安になった。……でもね、一緒に遊んだり学校生活を過ごしていく内に、『あぁ、間違いじゃないんだ』って気づくことが出来たの」

 

 だから、と鈴音は弾の目をしっかりと見つめる。

 少しずつ胸の内にある言葉を紡いでいけば、先ほどまでの不安や拒絶される事への恐怖というものは薄れていった。完全に消え去ったわけではない。だがそれでも、今は胸の内にある”一番大切な想い”を伝えたい。その気持ちが勝っていた。

 だからこそ彼女はその先の言葉を紡ぐ。後悔しない為に。この想いをただ大事に仕舞っておくのではなく――自分の想い人に伝える為に。

 

「……弾。私は……私はアンタの事が――「鈴」……え?」

 

 だが、そんな彼女の言葉を、他ならぬ想い人である弾が遮る。

 

「あ~、くそ。……まさかお前から言ってくるとは思わなかったぜ」

「え……弾……?」

 

 困惑する鈴音を他所に、弾は顰め面をしながら頭を掻く。

 五反田弾は、普段はおちゃらけているように見えて、その実、周囲によく目を向け気を配ることの出来る少年だ。あまりにさりげないそれは、注意して見ていたとしても見落としてしまいそうなほどさり気ない。平凡な日常の中に埋もれがちなそんな彼の一面にこそ、鈴音は惹かれたのだ。

 そんな彼が、これから自身が言おうとしている事がなんであるか、それを察することが出来ないはずがない。では何故、彼はこの場で話を途絶えさせたのか?それが、鈴音には分からない。そして分からないが故に――先ほどまで薄れ掛けていたネガティブな思考がジワジワと心を侵食していく。

 そして――――

 

(――いや……)

 

 一度考え出してしまったら、その思考は止まらない。ぐるぐると螺旋を描き続けるように、不安が波となって鈴音の心に押し寄せる。先ほどまで心を満たしていた決意は最早見る影も無く。今はただ、弾の言葉を聞くことが何より怖い。

 

(イヤ……!)

 

 そんな彼女の心情を知らない弾は、やがて何かを決意したかのように真剣な眼差しを鈴音へと向ける。それはまるで、”先ほどの鈴音と同じ様に”。

 

「――鈴、俺は……」

「イヤ!」

「……は? お、おい。鈴?」

「イヤ! 聞きたくないっ!!」

 

 しかし、そんな事に気付かなかった鈴音は、ただ弾の言葉を拒絶する。先ほどまでと明らかに違う少女の様子に暫し呆然とし、直後に悟る。自身の先ほどの言葉が、目の前の少女に”誤解”を生ませてしまった事を。

 

(あぁ、くそっ!俺って奴はなんだってこう……!)

 

 先ほどの言動といい、”先手”を打たれてしまった事といい、後悔してもし足りない。だがそんな事は後回しだ。今は一刻も早く誤解を解く必要がある。

 そして伝えなければならない。目の前で目を閉じ、耳を塞ぐ”想い人”である少女へと。

 

「鈴!何を勘違いしてるのかしらねぇが……」

「うっさい、馬鹿弾!!アンタの言葉なんて聞きたく「――俺は!お前の事が好きだ!!付き合ってくれ!!」……え?」

 

 泣き喚き耳を塞いでいながらも聞こえてきた言葉の意味を、鈴音は一瞬理解出来なかった。そして、理解した瞬間訳が分からなくなった。先ほどまで目の前の少年は、自分の告白を断ろうとしていたのではないか?だが、今の言葉が聞き間違いで無ければ、彼も又自分を想っていてくれたという事になる。

 涙で濡れた目を開き、恐る恐る俯いた顔を上げれば、いつの間に近寄ってきていたのだろう。弾は手を伸ばせば届く距離にまで側に居た。夕陽のせいで良く分からないが、真剣な表情を浮かべる弾の顔は赤面しているようにさえ見える。

 

「本当はよ。俺の方から言うつもりだったんだ」

「……え?」

「だけど、さ。怖かったんだよ。本気で誰かを好きになった事なんて今までねぇし、それに――断られたらって思うと」

 

 未だ呆然とする鈴音を他所に、弾は堰を切ったように想いをぶちまけていく。

 

「それでも必ず、俺の方から想いを伝えてやるって決めてたのによ。……まさかお前から言ってくるとは思わなかったんだよ。だからつい、焦っちまって」

「……ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあなに? 断られると思ってたのは私の勘違いって事?」

「まぁ……そういう事になるわな」

 

 気まずそうに頬を掻く弾の言葉に漸く理解が追いついた鈴音。

 先ほどまでのポカンとした表情は一転――羞恥による泣き顔へと変わっていた。鈴音はぶつけようの無い感情とそんな顔を見られたくなくて、弾の胸によりかかる顔を押し付けると、彼の胸板をポカポカと殴り始める。そんな彼女を、弾は優しく抱きしめる。

 

「ふざ、ふざけんじゃないわよ! あ、アンタ、私がどれだけ不安だったか分かって……!」

「……悪い」

「悪いで済むわけ……ないじゃない! 大体何よ!アンタ男でしょ!? ビビッて無いで、さ、さっさと私に告白すれば良かったじゃない!!」

「無茶苦茶だなおい!? 男だってビビるもんはビビるっての! けどまぁ……言い返せねぇわ」

 

 支離滅裂な事を言っているのは分かっている。それでも、先ほどまでの不安を吐き出さずにはいられなかった。弾は滅多に弱音を吐かない鈴音を、ただただ受け止める。そもそも彼女をこんなにまで不安にさせてしまったのは、自分が行動を起こすのが遅かった事と、変な場面で言葉を遮ってしまった事が原因なのだから。

 

「ねぇ、弾」

「……なんだよ」

「もう一回……聞かせて?」

 

 ――どれくらいそうして抱き合っていただろう。不安を涙と共に吐き出し続けた鈴音はやがて落ち着きを取り戻し、再び彼の言葉を求める。目を閉じ耳を塞いでではなく、ちゃんと彼の想いを受け取りたかった。

 

「ったく。別に今じゃなくてもいいだろ?これから何度だって言ってやるんだから」

「うっさいわね。私は今、もう一回聞きたいのよ」

「はぁ~……分かったよ、降参だ。――鈴、お前が好きだ。付き合ってくれ」

「――うん。私も、弾が好き。大好き」

 

 弾の言葉を受け取った鈴音は再び涙を流す。だが先ほどと違いその顔は悲しみではなく、喜びに彩られていた。泣き笑いという表情であったが、そんな彼女の姿が何よりも美しく、そして愛おしく見えた弾は、自身の心臓が高鳴るのを感じる。

 

「――鈴」

「……あっ」

 

 自然と生唾を飲み込み、想い人の名を呼ぶ。視線が交錯したのは一瞬の事だったが、それだけで彼が何を求めているのかを悟った鈴音は、自身もそれを望む。肩に触れる彼の手を払う事無く受け入れた鈴音は、瞼を伏せその小さな桜色の唇をツンと突き出す。ドラマや小説の世界では有り触れたその行為が、今は神聖な儀式の様に感じながら、弾はゆっくりと顔を近づけていき、そして――

 

「ちょっ、馬鹿押すなってうおあああっ!?」

『きゃあっ!?』

 

 ――直ぐ側の茂みから聞こえてきた悲鳴に遮られた。

 ビクリと硬直した体をゆっくりと動かし悲鳴の音源へと視線を向けて見れば

 

『あ』

「全く……何をやっているんだ君達は」

 

 そこには、気まずそうな表情を浮かながら倒れている友人達と、呆れた表情を浮かべながら茂みから出てくるもう一人の友人の姿が。

 何故こんな所から彼等が出てくる?決まっている――全て覗き見されていたのだ。そして事態を悟った鈴音は

 

「うっ――うにゃああああああああああ!?」

『ご、ごめんなさいー!!』

 

 熟れた林檎よりも尚赤く顔を染め、奇声を上げて彼等に襲い掛かった。

 

「あー、たっく何してんだよアイツ等は……」

 

 走り回る友人達を尻目に、弾は頭をガシガシと掻き毟る。羞恥と先ほどまでのムードがぶち壊されて、同時に感じてた緊張感は溶け、半ば投げやりになりつつあった彼は、それでもどうにかしてほんの数分前までは親友であり。そして今は恋人となった少女を止めるべく頭を悩ませる。

 が、どう考えても一人では無理だ。ここは先ほどいち早くこうなる事を予測して茂みに身を隠した、頼れる双子の妹の手を借りよう。そう思い自身の片割れに声をかけようとして――出来なかった。

 

「っ、澪……?」

 

 茂みから姿を現した妹は、走り回る友人達を見つめていた。

 何の事は無いその姿に、しかし弾は声をかけることが出来なかった。彼等を見つめる妹の表情が、まるで愛おしい物を見るようで、しかしそれでいて、触れる事を恐れている様に見えて……。

 

 結局彼に出来たのは、双子の妹の名を掠れるような声で紡ぐ事だけだった――

 




先ほど、ついうっかりこの話の続きである2-6を挙げてしまいました。
すぐに「やべぇ間違えてやがるw」と気づき、削除をしたのでどうにかなったとは思うのですが。

感想・指摘等お待ちしております。


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二章 2-6

前書き

保有する”知識”とは異なる道を歩み始めたが故に、これまでの関係に疑問を持ち始める。そしてとある事を切欠に、再び心は揺らいでいく……。
そんな感じを表現できればなぁ、という話。




◆20XX 5月◆

 

 正月の一件から暫くの間、これといって特筆するべき問題やイベントは特に起こらなかった。そんな日々を繰り返していくうちに、オレ達は二年生へと進級した。

 

 二年生に進級したオレ達だったが、かなり奇跡的な確率でまたしても仲の良かった全員が同じクラスとなった。最早誰かが仕組んでいるのではないか、などと邪推したくもなるが……まぁ特に問題がある訳でもないし気にするほどの事でも無いだろう。それはオレ達の日常に殆ど変化など無い事を意味している。

 ……いや、変化なら確かにあった。

 

 第一に大きな変化があったとすれば、やはり勉強面での事だろうか。

 二年生へと進級すると同時に、女子生徒にはある必修科目が誕生した。言うまでもなくISに関する授業だ。これは国の意向によるもので、全国どこでも中学二年生から授業を始めている。

 ”将来の選択肢を広げるため”などと言っているが、実際は少しでも多くの生徒の中からより優秀なIS適正資格を持つ生徒をIS学園へと進学させるための措置だろう。ISが国防の要となっている以上、エリート学校やお嬢様学校だけを対象に授業を受けさせては意味がないのだから、まぁ一応理解は出来る。尤も、このカリキュラムの内容など、所詮申し訳程度の予備知識を得るだけだし、更に言ってしまうと弊害というものも生まれつつあるのだが、それはまた別の話だ。

 

 次に、オレ達の関係――つまりは交友関係の変化だ。

 結果から言ってしまうと、正月の鈴の告白は成功したと言える。ただ、予定外の事があったといえば、それは鈴が告白しようとする前に弾が告白した事だろうか。文字通り草葉の影から事の成り行きを見守っていたオレ達はかなり驚いたものだ。

 まぁ結果として互いが両想いであり良い結果となったのだから素直に喜ぶべき事だ。尤も、告白しようと勇んでいた鈴は嬉し泣きしつつ困惑するといった風に、感情を持て余していたようだが。

 

 そしてこの出来事が、オレに一つの決意を促すこととなる。

 

 

「一夏、オレは明日から君の弁当を作るのは止める事にした。悪いがこれからは自分でどうにかしてくれ」

「……は?」

 

 何時もの面々で昼飯を食っていると、突然何の前触れもなく澪は俺にそう言った。

 彼女の言葉の意味は分かる。だが何故そんな話題を出すのか、それが俺には理解出来なかった。驚いているのは俺だけではなく、正月以降からイチャ付き始めた弾と鈴、そして数馬達も同じ様だ。どうやら彼等も理由を聞いていないらしい。

 

「……これまた随分と突然だね」

「ど、どうしたの澪ちゃん?」

「一夏、お前何かしたんじゃねぇの?」

 

 シホ、メグに続き数馬が発した言葉に、しかし俺には思い当たる様な事がなかった。確かに常日頃から色々と迷惑かけているかもしれない。今まで何度も呆れられるような事もあった。けれど……ここまで露骨な態度をされるような事は無かった。これは小学生の時と同じ――いや、下手をすればそれよりもマズイ状況かもしれない。必死になって原因を探り頭を回転させる俺に、答えを出したのは澪だった。

 

「いや、別に一夏がオレに何かをしたから、という訳では無いよ」

「じゃ、じゃあ何で……?」

 

 密かに彼女の弁当を楽しみにしていた俺としては、何が何でもその理由を知りたいところだ。緊張の面持ちで尋ねる俺に、しかし澪は弁当を食べながら事も無げに淡々と答えた。

 

「理由は簡単。オレ自身に余裕がなくなったってところだよ。後は……というかこっちが本命みたいなものだけど、一夏に告白する女生徒が増えてきた事が理由」

 

 二年に進級してから、澪は生徒会長補佐という、独自の役職を務める事となった。俺達の通う学校の生徒会は、どうやら周辺の学校と比べると随分と珍しいシステムをしているらしい。生徒会長補佐とは、受験を控えながらも学校の運営を果たさなければならない生徒会長を補佐しつつ仕事を学び、そして次期生徒会長へとなるための役職、というのが分かり易いだろう。

 また、他の次期生徒会役員を育成するシステムとして、既存の役員たちが彼らに仕事を教えるそうだ。

 二年の後半――二学期以降になると修学旅行を始めとしたイベントが多く、色々と忙しい。そうなると、その年の生徒会役員の主だった役員たちは、色々な行事に対応するためにとても大変な思いをするらしい。そこで考案されたのが、元二年にして三年生へと進級した生徒会役員たちが、ほんの少しではあるが新生徒会の面倒を見る、というシステムなのだ。といっても、実際に動くのは新役員たちで、三年生は本当にちょっとしたサポートしかしないらしい。

 だがこうすることで、新生徒会の運営効率を上げ、二学期以降のイベントに備えられるように盤石の態勢を整える、というのが理由だそうだ。また、これだけ聞くと既存の役員達は大変な苦労をすると思われがちだが、このシステムを導入して以降、その苦労の甲斐あってか、進学先の学校でも率先して生徒達を率いたり、或いは社会に出たときに活躍している元生徒が増えたとのこと。……殆ど澪から又聞きしたようなものだが、そんなところだ。

 

 閑話休題

 

 さて。前者の理由は、なるほど確かに一理ある。

 本人は生徒会長をやるつもりはなかったそうなのだが、聞けば前任の役員達からの推挙があったらしい。恐らく彼女が役員選挙に立候補したのはそれが一番の理由だろう。そういった理由から立候補した彼女は、見事当選、生徒会長となった。容姿端麗、頭脳明晰、おまけに男女平等に接する姿勢を貫いているのだ。当選しないはずが無かった。

 とまぁ、こんな背景があった末に澪は生徒会長となり、現在彼女は生徒会長としての仕事が多いために多忙な毎日を送っている。ここまでは理解出来る。だが……後半の言葉の意味がいまいち分からない。

 

「……オレが言った言葉の意味が分かっていないようだね、一夏」

 

 どうやら顔に出ていたらしい。一度だけ頷いた俺に、澪ははぁと呆れた様に小さな溜息を吐く。

 

「一夏、まず今年に入ってから告白された回数を思いだしてみて」

「えっと……確か6、いや7回、かな」

「はっ!イケメンマジ爆発しろ」

 

 言われた通り回数を思い出し口にすると、数馬が物凄い目付きで睨み付けながら吐き捨てた。そんな事を言われても俺にどうしろってんだよ。

 別に自慢ではないのだが、どうやら俺は女子からモテる部類に入るらしい。悪友やクラスメイト達からは羨ましがられるが、俺からすればどうして俺なのかが理解出来ない。告白してきた女の子が決まって言うのは『第一印象から決めていた』『優しく接してくれたから』などが決まり文句だ。だが俺からすれば、彼女達の告白は酷く”軽い”物にしか聞こえない。

 

 第一印象というが、果たして俺のどんなところを見て好きになったのか。それを聞けば『笑顔が素敵』だの『剣道部で活躍しているところが格好良かった』だの、これも殆どパターン化している。そんな彼女達の言葉はしかし、俺の心には届かない。

 笑顔が素敵というが、果たしてその時オレが浮かべていた笑顔は誰に向けていたものだったのだろうか?剣道部で活躍しているというが、果たして彼女達はその裏で俺がどれだけの努力を重ねているのか、何故強くなりたいと思っているのか。そういった内面を知っているのだろうか?そんな事も知らずに、ただ表面上の”織斑一夏”という人間を好きになられたところで、そんな想いは俺には届かない。

 

「一夏は女生徒から告白される。だが君はその悉くを断っている」

「それは……良く知らない相手と付き合う事はできないから」

 

 贅沢な事を言っているのは自分でも理解している。けれど、そんな事だけで俺を好きになった相手を、俺は果たして好きになれるだろうか?と自問すれば、間違いなく『無理』だという返事しか返せない。大して話したこともない相手を好きになるなんて、俺には出来ない。相手が俺を好きになってくれたから告白を受け入れる。そんな軽い気持ちで、俺は相手を受け入れる事はしたくない。それは、相手に対しても失礼だと思うから。

 

「確かにそうだね。さて、そうして断り続けている君だが、そんな君の近くに別に付き合っているわけでもない女が毎日弁当を作っては持ってきている。……断られた人達からすれば面白くない話だ」

「っ、でもそれは、部活で忙しい俺の代わりに澪がやってくれているだけだろ?それに、千冬姉から頼まれているって事もあるし――」

「そうだ。でもそれは尚更、断られた彼女達からすれば気に食わない事なんだよ。もし仮にオレが『”ブリュンヒルデ”織斑千冬から頼まれているからやっているだけだ』何て言ったらどうなると思う?答えは簡単だ。彼女達の抱える不満は確実に怒りや嫉妬に変わり何かしらの形となって現れる」

 

 何でもないように淡々と語る澪の言葉に、しかし俺は呆然とするしかなかった。

 

 

 ショックを受けた様な表情を浮かべる一夏を少々気の毒に思いつつも、オレは後悔していない。

 中学生や高校生という年頃は、とても繊細な時期だ。特にそれらが形として顕著に現れるのが恋愛感情だ。また、これは女として生きていくようになってから気付いたことだが、女子のそれは男子が持つ恋愛感情よりもより複雑で繊細で、そしてどこか危ない。そんな彼女達に恋愛対象として見られているのが一夏だ。

 一夏は小学生の時や原作に比べると随分マシになっている。相手の好意に気付き難いのは変わらないが、それでもある程度踏み込んできたり告白してくる相手には、しっかりと返事を出している。だが、だからこそ五反田澪(オレ)という人物が彼の側にいるのは危険なのだ。

 

 自分達が求めている場所に、別に付き合っている訳でも無いのに何の苦労もなく憧れの織斑一夏(かれ)の側に居座る五反田澪(おんな)。このまま一夏に告白をする生徒が増える可能性を考えると、何か起こると考えてもおかしくはない。

 

「今は何かしらのアクションを起こす生徒はいないが、正直それも時間の問題だろう。オレ達自身は互いを親友だと考えていても、周りからすればそうは見えないかもしれないし、面白くも無いだろう。そして何れ溜まっていったフラストレーションの矛先が向けられるのは――間違いなくオレだ」

 

 女の嫉妬は怖いって言うだろう?とおどけて言うオレに、一夏は難しそうな表情を浮かべる。だがこれは殆ど確信に近い推測だ。恐らくそれらは現実となるだろう。

 直接的ではなく間接的に相手を傷つける方法なんていくらでもあるのだし、何が起こっても不思議ではない。そしてオレは、それが酷く不安でならない。だからといって、別に己の保身の為だけに言っている訳では無い。ただ面倒事が起こり得る可能性を潰すこと、そして一夏の意志を尊重する為でもある。

 

 これまで一夏の近くに居たのには、多くの打算がある。一夏と浅からぬ交友関係を築いたときから、オレは一夏の側にいる事で”織斑千冬”の印象を良くし、将来的にはそれらを利用していこうと考えていた。けれど気が付けばそんな考えは薄れていき、今では純粋に一夏や鈴達との時間を過ごしたいと思うようになっている。一夏の鈍感をどうにか直そうとそれとなく動いてきたのも、一友人として彼には幸せになってもらいたいと思うようになったからだ。

 だが、そうして過ごしていく内にふと考えるようになった。このままオレが一夏の世話を焼き続けるのは、彼の為になるのだろうか、と。そしてその懸念は現実のものとなりつつある。

 

 中学二年生へと進級してから、いや。より正確に言えばそれよりも前――入学してからすぐの頃から一夏は既に多くの女子生徒から告白を受けている。しかし彼はそれらを全て断ってきた。理由までは分からないが、オレがやってきた事が原因なのではないか、と考えるようになってきた。振り返って見ればどうだ。一夏の弁当を作ってやったり、勉強を見てやったりと、少々過保護なまでに彼の面倒をみているではないか。

 これまで何かと一夏の世話を焼いてきたのは、千冬さんに頼まれていたから、という大義名分があるが、次第にオレ自身が”彼の世話を焼くのも悪くない”と思うようになったのも理由の一つだ。だが一夏に近すぎる立場にオレという異性がいる事で、かえって一夏に異性に対する興味というものを摘み取ってしまっているのではないか。そう思えてならないのだ。

 

 酷く自分勝手な理由であることは理解している。どれだけ身勝手な事を言っているのか、それも十分理解している。一夏はとても優しい心を持っている。それを知り、その心を利用するように態々”自分は厄介事は面倒だ”と言葉にすれば、きっと一夏は理解はしないまでもある程度の納得はしてくれるだろう。それがどれだけ卑怯な事をしているのかも、重々承知の上だ。それでも、手遅れになるよりはずっといい。それこそが、”一夏のため”になるのだろうから。

 

「そういう訳だから一夏、これからは自分でどうにか――「澪は」……ん?」

 

 一通りに説明を終えたオレの言葉を遮り、一夏が視線を合わせてくる。

 

「澪は、俺の為を思って言ってくれてるんだよな?」

「……まぁ、一応そのつもりではあるよ」

「……だったら、俺はこれまで通り澪に色々と世話を焼いてもらいたい。これまで通り弁当だって作ってもらいたい。俺は澪が側にいる事が迷惑だなんて、これっぽっちも思ってねぇんだから」

 

 オレの手を取り真剣な眼差しでそう告げる一夏。彼の言葉を理解した瞬間――カァッと顔に熱が集まるのを感じた。だが次いで感じたのは、サッと血の気が引いていく感覚と――そんな馬鹿な、という絶望感に近い感覚。

 

「一夏、お前やるな……」

「まさか皆が居る状況でそんな事を……」

「は? 俺はただこれまで通りでいてくれって言っただけだぜ? というか、何でクラスの皆して俺達の事を見てるんだよ」

「「……ないわー」」

 

 何やら弾や数馬がごちゃごちゃと言っているようだったが、今のオレの耳には少しも入ってこなかった。

 

 ――心臓が早鐘を打ち始め、呼吸が浅くなるのを感じる。

 

 そんな事を気にしている余裕は今のオレには無く、すぐにでもこの場から離れたいという感情が胸の内を支配していた。

 

「ちょっと澪、アンタどうしたのよ?」

「え? な、なぁ、大丈夫か? 顔が真っ青だけど……」

 

 そんなオレの変化に気付いたのか鈴と一夏が心配そうに声をかけてくるが、それに答えるだけの余裕など無く。

 

「っ、すまない。気分が悪いから保健室へ行って来る」

「え、ちょっ! 澪!?」

 

 友人達の制止を振りきり、オレは逃げる様に廊下へと飛び出した。

 

 

『………』

 

 澪が飛び出していった後の教室では、誰もが声を発せずにいた。普段は冷静で頼りがいのある生徒会長の奇行とも取れる行動に、誰もが驚きを隠せずにいたのだ。そんな中、いち早く我に返ったのは、件の少女の双子の兄である弾だった。

 

「あー、皆! ウチの妹が悪かった。何だか此処最近調子が悪いみたいだったからさ、きっとそれのせいだと思うから心配しないでくれ」

 

 手を合わせて頭を下げるというわざとらしいなオーバーな弾の態度に、次第にクラスメイト達は落ち着きを取り戻した。そんな彼等を見て、弾は内心ホッと溜息を零す。

 

「な、なぁ、弾。さっきのってやっぱり、俺のせい、なのか……?」

「一夏……」

 

 流石に状況が状況なだけに声を潜めて確認してくる親友に、弾はさてどうするべきかと悩む。

 双子の妹の調子がここ最近悪かったのは事実だ。だがそれでも、彼女が突然教室を飛び出した直接的な原因は彼(一夏)にあると言わざるを得ない。それが分からないほど弾は馬鹿では無いし、そして一夏自身もそれに気付いているだろう。それでも確認を取ってきたのは、単に自分が悪い事をしてしまったという罪悪感か、それとも――……

 

「(全く。鈍感なのかそうでないのか……)大丈夫だっての。お前は心配しすぎなんだよ」

「っ、あぁ……悪い」

 

 弾は零しそうになる溜息をグッと堪え、努めて何でもない風を装い一夏を説得する。勿論気休め程度でしかならない事は弾も、勿論一夏自身も気付いている。だがこれ以上この話題を蒸し返す訳にいかないのは一夏も悟った様で、彼はそれ以上何も言わず大人しく残った弁当に箸を付け始めた。

 そんな親友の姿を見て一先ず安心した弾は、ふと自分に向けられている視線を感じた。視線の先には、少し前まで親友と呼べる女友達であり、今は愛する恋人である鳳鈴音がいた。彼女もこの場で話を蒸し返す様なことをするつもりはないようだが、その目は『後で事情を詳しく説明しろ』と語っていた。

 元々周囲の変化には敏感であるし、何よりその対象が自身の妹――鈴音からすれば親友である澪に関わる事だ。言い逃れをする事など出来ないことくらい理解している。無言のままに小さく頷いた弾に、鈴音も残る弁当を平らげるべく席に着いた。

 

 ――結局その後、澪は体調不良を理由に早退する事となった。

 

 

『澪……本当に大丈夫?』

「大丈夫。……少し横になっていれば平気だと思うから」

『そう……。何かあったらすぐに声をかけてね』

 

 扉越しに聞こえてくる母さんの声に、オレは力なく返事を返す。

 あの後、精神的な疲労によるものか体調を崩してしまったオレは学校を早退。そのまま帰宅した。いつもよりも早い時間に帰宅したオレの顔を見て、お祖父ちゃんと母さんは随分と驚いていた。早退してきたこともそうだが、どうやらオレの顔色はかなり悪かったようだ。しかし、今のオレにそんな事を気にしていられるだけの余裕は無かった。

 

 ここ最近、どうにも体調が優れない。それと同時に感じるようになった精神の乱れ。オレの精神年齢が他の同年代よりも高い事から何とか冷静さを保つことが出来ているが、そうでなければ居ても立ってもいられない。そんな焦燥感にも似た不自然な、モヤモヤとした気持ちが胸中に渦巻いている。そしてオレは、それを表面に出さぬように何とか押し留める事は出来ても、抑制する事は出来ない。こんな不安定な感情の乱れは、過去の『俺』の経験の中には存在しなかった。

 

 ベッドに寝転がりながら、一夏に握られた右手を見る。あれから随分と時間が経っているというのに、その手はまるでつい先ほどまで握られていたかの様に、燃える様な熱を帯びている。

 そうして眺めていると否が応でも思い出してしまうのは、教室での一夏の言葉。

 

「……っ!」

 

 瞬間。手に集まっていた熱がまるで体中を駆け巡るように伝播する。頬は上気し、呼吸が乱れ、そして――胸が締め付けられる様な、それでいて体中に満ちる熱とはまた違う、温かな熱が宿るのを感じる。

 この熱の正体を、オレは――いや。『俺』は知っている。過去に数度、ホンの数える程度にしか感じた事のないものであるが、しかしそれ故に、その正体に見当がついてしまう。そしてそれが、『オレ』には信じられない。

 

「……きっと何かの間違いだ」

 

 声に出して呟く。そう、これは精神的に参っているときにあんな言葉をかけられた為に、心がそうだと錯覚を起こしている。そうに違いない。オレは自分自身を納得させるように何度も心の中で繰り返す。

 そもそも、こんな事を考えてしまうのもきっとこの精神的な疲労や倦怠感からくるものに違いない。ならば早く寝て治して、そして明日からはまた何時もの五反田澪に戻ればいい。そう思いながら、オレの意識は落ちていった。

 

 

 翌日の朝、オレの願いとは裏腹に更なる悩みの種が現れる。

 腹部に感じる鈍痛と嫌悪感に目を覚ます。昨日よりも酷くなった体調の変化に苛立ちを覚えながら掛け布団を捲り――息を飲む。オレのベッドと寝巻きが、鈍い赤に染まっていたのだ。

 持てる知識の中から現状に当てはまるだろう事柄を思い出し、理解する。この現象は、一般に初潮と呼ばれるもの。平均的な思春期の少女であれば、もう少し前に起こっていたであろう現象が今、オレの身に起こっている。

 それは即ち――オレの肉体の、完全なる女としての覚醒が始まった事を意味する。

 

 自分の身に何が起きたのか。それを理解したオレは、思っていたよりも冷静に受け止められていた。

 何れ訪れるとは思い覚悟していたので、そのお蔭だろうか。性転換手術を受けたことで他の子達よりも症状が現れるのは遅いかもしれない、と聞いてはいたが、まさか今日だったとは。

 同時に、オレはここ最近の体調不良と精神の不調の理由に合点がいった。今までのそれは、この時の前兆だったのだ。

 

「あぁ……思ってたよりも大分痛いな、これは」

 

 オレは小さく呟き、体を起こしているのも億劫になったのでベッドに体を投げ出す。

 重力に従ってベッドに収まったオレの体は、普段よりもずっと重たく、もどかしさを感じた。そんな事を頭の隅で考えつつ、あまりに無気力状態と鈍痛に今日は休みをとらせてもらおうと考え、枕元の目覚まし時計に視線を向ける。時刻は午前6時を少し過ぎたところで、普段と比べれば大分遅い。

 まぁでも、これもしかたのないことだ。兎に角まずは着替えの準備……いや。学校に連絡する方が先か? それと、他の役員たちに仕事を肩代わりしてもらわないと。その埋め合わせも何れしないとなぁ。後は他に――あぁ、くそ。まるで頭の中をかき混ぜられたように思考が安定しない。あっちへいったりこっちへいったり。

物事の優先順位が付けられない。

 

「いつもならもう少し上手く立ち回れてると思ってたんだけど……まぁいいや」

 

 とりあえず、母さんに事情を説明しよう。

 等々考えることすら億劫になったオレは、一先ずそれだけ決めて、ノロノロとした動きでベッドから這い出る。そこで、ふと気が付いた。

 

「そういえば着替えてないや。……気持ち悪い」

 

 けれど、着替えを用意する事すらやはり億劫になったオレは、鈍い痛みを訴え続ける頭と下腹部に不快感を覚えながら、部屋を出た。

 

 




後書き

鈴や弾の関係を見て、”知識”と違う道を歩み始めている事に、果たして自分はこのまま一夏に近い存在でいていいのか?などと思い始めてしまう。そんな話でした。
人間って、一度「こうだ」と決めた事でも何かが切欠で揺らいだりするもの。それが思春期の、しかも元は男とは今は女の子。しかも中途半端に知識なんて持ってたら色々と自分でも訳の分からない行動をしてしまいそうだなぁ、と思い、今後の展開も含めその辺りを描写した話でした。

まぁ、私は転生したことなんてないですし、あくまで「こうなりそうだな」という考えの下執筆しています。ですので人によっては「いや、こうはならないだろう」「グダグダ考えすぎじゃね?」と思うかもしれませんが、そこは一つ物語の演出ということでご容赦を。

感想・指摘等お待ちしております

※2013.9/10 誤字修正


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二章 2-7

後書き 

今回の話は、少しだけ前向きになれた澪と、自分の気持ちに悩み始める一夏を中心に描きました。
あとあれです。ちゃんと兄貴している弾と、ちょっとお姉さんな鈴が書きたかったんだ……

といっても、まだまだ力不足ですが(汗
因みに、これでも描写を結構削っています。もっと詳しく書こうとも思ったのですが、内容がくどくなりそうだったので、とりあえずこの形に落ち着けることにしました。
感想、指摘等お待ちしております。

※ネタバレ要素がありますのでご注意を

次回はこれまであまりスポットが当たっていなかったキャラを登場させる予定。
詳しくは伏せますが、某世界最強の姉と、某天才ウサギさんの二人です。






 

 澪に「今後弁当は作らない」と言われてから既に一ヵ月ほど経過している。

 あの日、澪は体調を崩し早退。大事を取り翌日も休みを取るということを、弾から伝えられた。当然心配した俺は見舞いにいこうとしたのだが、鈴、シホ、メグの三人から頑として止められた。

 『今一夏が会いにいくのはあまり良くない』。遠回しにそう言われた俺は、頭をガツンと殴られるような思いだった。

 その後、澪は無事に回復。普段通りに登校してきた。が、俺との距離感だけが、どこか不自然なものへと変わっていた。一応必要最低限の会話こそするものの、登下校は別々になり、ギクシャクとした関係が今日(こんにち)まで続いている。

 どうにかしたい。けれど、澪があの時今まで見せたこともない、どこか焦るような、不安を感じた様な表情が、俺を躊躇わせる。そんな状態をズルズルと引き摺り、けれど解決策の浮かばなかった俺は、いつもの様に剣道部の朝練に参加していた。しかし、当然と言うべきか。俺は練習に集中することが出来なかった。

 

「おい織斑。お前何かあったのか?」

「だよなぁ。なんつーかここ最近、何時もの”キレ”がねぇっていうか」

 

 そういって心配そうに声をかけてくれたのは部活の先輩達だ。練習に集中出来ていない後輩を怒鳴りつけるのではなく、何かあったのかと心配してくれる辺りから、この人達が如何に優しく心が真直ぐな人達であるという事が窺える。

 どうやら今の俺は他人から見てもハッキリと分かってしまうくらい調子が出ていないらしい。理由は言わずもがな、澪の突然の言葉に他ならない。

 

「いえ、大丈夫っす。多分今日の朝飯を食い損ねたからだと思うんですけど」

 

 しかしこれは俺個人の問題であり、先輩や部活の皆を巻き込む様な事では無い。俺は苦しい言い訳をすることしか出来ず、そんな俺を見た先輩達は察してくれたのか、それ以上追及してくることはなかった。そんな先輩達の心遣いが、今は有難い。

 

 そうして気の入らないまま朝練を終えた俺は、重い足取りで教室を目指す。

 正直、何故澪が突然あんな事を言い出したのか、皆目見当もつかない。弁当を作らないと言った事は大した問題では無い。……いや、やっぱり俺にとっては大した問題だが、論点はそこではない。重要なのは『何故今になって突き放すような行動に出たのか』、その一点に限る。

 確かにそれらしい説明も受けた。だがそれでも、『何故今になって』という疑問は晴れない。

 

(やっぱり、俺が原因なのか……?)

 

 そう考えるのが妥当だ。しかし、思い当たる節が無い。それに、何故今になってそんな事を言い出したのか。それもサッパリ分からないのだ。

 まるで無限に続く迷路の様に、俺の思考は同じ所をグルグルと回り続け、しかし答えに辿り着く事が出来ない。そしてそれは、俺を苛立たせる。

 そんな時、ふと、何の前触れもなく一つの疑問が胸の内に浮かんできた。

 

(そもそも俺はどうしてここまで苛立っているんだ?)

 

 その原因を担っているのは澪だ。それはまず間違い無いと言っていいだろう。では、何故俺はこうまで澪に固執しているのだろうか?

 織斑一夏という人間にとって、五反田澪という存在は大切な存在だ。それは、かけがえのない友人として、という言葉が真っ先に浮かんでくる。では、彼女という存在は俺の中で弾や鈴といった他の親友達と同じ位大切な存在か?と考えれば、それはどこか違う気がする。

 

(確かに弾や鈴達は大切な親友だ。でも――……)

 

 五反田澪という少女の存在は、彼等と一括りにするのはどこか違う気がするのだ。

 彼女は俺が困っている時、それとなく手を差し伸べてくれる。ただ手を差し伸べるのではなく、自分の力でどうにか問題を解決へと導いていけるようにする。そんな、それとなく支えてくれる様な助け方だ。

 そんな彼女は俺にとって、弾や鈴達と同じ位大切で、けれど彼等以上に大切な存在。心の内を占める割合が大きな存在。叶うのならば、これからも道に迷いそうな時、俺を隣で支えて欲しいと思える存在。同時に、彼女が悩む事があるのなら、隣にいて支えてあげたいと思う存在。

 同じ喜びを、痛みを、悲しみを、様々な事を共有したいとさえ思える、そんな存在――……

 

 教室へと向けて進めていた歩みが、知らず止まる。竹刀袋を持たぬ空いた右手で、胸の辺りをギュッと握る。

 彼女を――澪の事を考えれば考えるほど、胸の奥が疼き、痛みを覚える。時にそれは、言葉に出来ぬほどの高揚感を伴って。時に、そして今は、泣き出してしまいそうな胸を締め付ける様な痛みを伴って。

 

「っ、何だよこれ……」

 

 呟かれた言葉は、周りの喧騒に掻き消される。

 以前にも感じた事のある胸の痛み。しかし俺はまだ、自身の内に芽生え始めたこの感情の名前を知らない――

 

 

『澪、大丈夫?』

「少しは良くなったけど……まだダルいかな」

『そう……今はゆっくりと休んでなさい』

「ありがとう、母さん」

 

 扉越しに聞こえてくる母さんの声に、オレは気怠さを出来るだけださない様に返事を返す。

 オレは、約一ヵ月ぶりに再び訪れた生理痛に耐えることが出来ず、休みを取ってしまった。最初の生理痛と比べればまだマシと言えるが、それでもかなり辛い。何より問題なのが、肉体よりも精神的に参ってしまっている事だ。

 ベッドの中で横になるオレは、随分と鈍くなった頭で状況を整理する。まず、オレの此処最近の体調不良及び精神不調の原因は、初潮にあったとみて間違いないだろう。

 これは学校での授業や万が一を想定して事前に得ていた知識。そしてオレよりも先に経験のあったシホやメグの話によると、初潮や生理前後は肉体的にも精神的にも非常に不安定な状況になるらしい。勿論それは人によって状態は異なるが、それでもある程度は似通ってくるという。

 比較的症状が軽い人は多少精神的に荒れる程度だったり、腹痛などもそれほどキツイものではないそうだ。反面症状が重い人は、それこそ物にあたったり腹痛などで寝込んでしまうという。そしてオレは母さん曰く、後者の比較的重い方に入るらしい。それでも何かに喚き散らしたりしないのは、恐らく精神的に同年代の少女よりも逞しいからなのだろう。

 

(そうはいっても、正直洒落にならないな……)

 

 腹痛と共に頭痛までしてきた為に、思考が纏まらなくなってくる。何かを考えておかしくなりそうなテンションを必死に押さえ込もうとしているのに、それが上手くいかない。しかしそれでも、頭の中に残る理性的な部分がどうにか思考を展開しようとする。

 

(そうだ。まずは最近の事辺りを振り返ってみよう)

 

 もしかしたら今回の前兆として何か迷惑をかけてきた可能性がある。もしそうだったら謝らなくてはいけない。

 生徒会における業務では、これといったミスを犯した覚えは……多分無い。部活に関しても、今の所大きな活動がある訳でもないので大丈夫……だろう。家の手伝いだってこれまで通りちゃんと出来ている……はず。

 

 グルグル回り出す思考に、思わず舌打ちする。今考えた事、そのどれもにはっきりと断言出来るだけの自信を、どうしても持つ事が出来ない。こんな事はこれまでの新しい人生では一度もなかった。

 どんな時も結果を残すべく万全の体制と対策を施し、事態に臨む。そうやって不安要素を潰して、これまでどんな事態も乗り越えて来たではないか。それがどうだ、ちょっと精神的に参っているからという理由だけで、足元が揺らいでしまうなんて。何と情けないことか。

 

 しかし同時に思う。世の女性はこんな辛い事を経験して、それでも尚普通に暮らしていけるのだ。それは女性が強いという事の証明だ。母は強し、などという言葉があるくらいだが、なるほど言い得て妙だろう。こんな辛い経験を経て、更に子を産むのだ。これで強くならない筈が――……

 

「……何を考えているんだ、オレは」

 

 本当に思考が纏まらない。昨日今日はそれが特に顕著だ。

 

「だからきっと、あの時もあんな変な気持ちになったんだ……」

 

 そう。一ヵ月前のやり取りも、この体調不良からくるもので、決してオレの本心から来るものではない。

 そうして自己完結したところで、急に眠気が襲ってくる。気分も体調も悪い状態で色々考えすぎたせいだろう。これ以上アレコレ考えられるほどの余裕もなかったオレは、あっさりと眠気に身を委ねた。

 

 

「こんにちは、澪。調子はどう?」

「ありがとう、鈴。今は大分落ち着いてきたかな。しかし、最初は何事かと驚いたよ」

 

 アタシの言葉に、寝巻き姿の澪は肩を竦めながら苦笑した。

 アタシは今、一ヵ月ぶりに学校を休んだ澪のお見舞いに来ている。一夏もお見舞いに来たいと言ったのだが、いつもの面々でやんわりと止める事にした。少し個人的に話したい事もあった為に、弾やシホ、メグに協力してもらったのだが、正直数馬も率先して一夏を諌める側に回るとは思わなかった。アイツには何も伝えていなかったのだが、それとなく察したのだろう。普段の馬鹿っぷりが嘘のようだ。

 そんな事を頭の片隅で思い出しながらも、澪との会話を続ける。話を聞く限り、澪の症状は比較的”重い”みたいなので心配したのだが、今は大分落ち着いてきたらしい。今日休んだのは、肉体面よりも精神面的に参ってしまった事が理由の大部分を占めているから、とは本人の言だ。

 

「――とりあえず、こんな所かしら」

「ありがとう、助かるよ」

「別にこれ位どうってことないわよ。寧ろいつも世話になっているのは私達の方だしね」

「うん」

 

 そして今は、学校での出来事や授業の進み具合などを一通り説明し終えた所だ。

 そんな何気ない会話をしながら澪の様子に気を配って見たが……どうやら落ち着いたというのは嘘では無いようだ。どうやら今の澪ならば話をしても問題ないだろう。

 そこでアタシは

 

「ねぇ、澪。一つ聞いてもいい?」

「急に改まってどうしたの? オレに答えられることであれば答えるけど……」

「じゃあ質問。――どうしてあぁも露骨に一夏を避ける様な行動に出たの?」

 

 お見舞いともう一つの”本題”を尋ねるべく口を開く。

 

 

「――っ」

 

 澪は表情を殆ど変えないまま、しかし僅かに息を呑んだ。

 澪にとって、これはまだ触れて欲しくない問題だったのかもしれない。だがそれでも、一人の親友として尋ねずにはいられない大切な事だ。傷口を抉るような行為だと理解していても、それでも私は聞かなくてはならない。

 

「……どうもこうも。理由なら一ヵ月前の昼休みに話しただろう? それ以上でも、以下でもないよ」

 

 ややあって、澪は何時も通りの様子で答えた。が、アタシにはその、余りにも”何時も通りで居ようとする姿”に嘗てない違和感を覚えた。だからこそ、再度の確認。

 

「……澪。今のアンタにこんな事聞くのはどうかしてるって分かってる。けどね、本当に大事な事なの。だからアンタの本音を聞かせて」

「随分としつこいね。何度聞かれても答えは変わらな――」

「――アンタ、アタシを舐めてんの?」

 

 澪が言い終わる前に言葉を遮る。本来であれば再三の確認をするべきなのだ。が、それをする前にアタシの中のメーターが振り切れた。

 別にどうでも良い事ならば、はぐらかされたとしても構わない。笑い話にでも変わっていき、最後はそんな事すら忘れて楽しくお喋りするのだから。しかし今回ばかりはそうもいかない。睨み付けるようにベッドで上半身だけ起こしている澪へと視線を向ける。

 

「アンタが一夏を避ける理由。確かに前に言った事は事実なんでしょうね。けど、それが全て、って訳でもないでしょ?」

「っ、何を――」

「これでもアンタとの付き合いは長いんだから。アンタは自分で上手く誤魔化せたと思ってたんでしょうけど――そんな泣きそうな顔しておきながら、何も無い訳ないでしょう?」

 

 

 今の澪を見ていて、鈴音は胸が締め付けられる思いだった。

 普段の自信に溢れた様なクールな笑み。どんなことが起きても動じないと思わせる凛とした出で立ち。そして何か起こったとき、それがどれだけの難問であろうとも容易く解決してしまうのだろうと思わせる立ち振る舞い。凡そ同年代とは思えないほどの頼もしさを持つ少女であるが、そんな彼女も近しい者にしか見せない優しさや笑顔というものがある。

 ちょっと素直じゃなくて、けれども時折見せる少女らしい姿がとても可愛らしい。それが、鈴音を含めた近しい友人達の共通の見解だ。

 

 しかしそれがどうだ。今の彼女は、普段の面影などないと思わせるほどに弱々しい。触れればすぐに壊れてしまう、そんなか弱く儚い印象を受ける。それが悪いとは言わない。寧ろ、普段弱みを見せることなど滅多にない彼女の振る舞いを考えれば、不謹慎であると分かっていても、逆に新しい一面を見れたことによる、嬉しさにも似た感情を覚える。

 けれどそれが、五反田澪という少女が常の状態であればこそ。今の彼女は、とても放っておける状態ではない。このまま自身の内で問題を抱え込み、完結してしまうことはきっと、自分たちにとって良くないことに繋がるだろう。何より彼女自身の決定的な”何か”を崩壊させてしまうのではないか。

 そんな、確信にも似た思いが、鈴音にはあった。

 

 鈴音の言葉に唖然とした表情を浮かべた澪は、キュッと唇を固く結びながら俯く。徐々に変わっていくその表情から、意識的にしろ無意識的にしろ、やはり彼女が自分の感情から目を背けていたのだと鈴音は確信を得る。

 こうして考え込んでいるうちは、無理矢理話を聞き出すのではなく、自然と本人が語りだすのを待つべきだと、鈴音は判断した。今の自分がするべき事は、澪が自分から話してくれるのを待つこと。そして、困っているときには、そっと背中を押してやるのだ。彼女が自分達にそうしてくれたように。

 

「……正直、自分の感情が解らないんだ」

 

 やがて澪は、俯いたまま語りだす。それは常の凛々しく毅然とした彼女とは違い、とてもか細く弱々しい。

 

「オレにとっての織斑一夏という存在。始めのうちはさ。鈍感で、唐変木で、フラグ乱立しまくっておきながら無自覚の内にそれを容赦なく叩き潰していく女の敵みたいな男だったんだ。どこの漫画の主人公だよって言いたい位にはた迷惑なヤツって、何度も思った」

「それ、本人の前で言ったら凹むわよ。……まぁ全部当てはまってるだけに性質が悪いけど」

 

 澪の言葉に、自分で聞いておきながらも鈴音は頬を引きつらせる。一夏に対してかなり酷いことをボロクソに語っているが、悲しいかな。彼女の言うことがどれも間違いではないだけに、鈴音もフォローする事ができない。

 

「じゃあさ。”今”はどうなの?」

 

 しかし、そんな中でも鈴音は気付いていた。澪の言葉は過去形で締めくくられている。つまりそれは、多少なりとも今は違う印象も持っているのだということに。

 

「決定的に違いが表れ始めたのは、きっとモンド・グロッソ大会の後だと思う。アイツは自分の無力を嘆いて、喚いて。……でも、最後には自分の弱さを認めて、それすら受け入れて強くなろうとしている。

 オレは、そんなアイツを見て、少しでも力になれたらって思ったんだ。……勿論、千冬さんに一夏を助けてやってくれって言われたことも理由の一つではある。でも、間違いなくアイツの為に何か力になりたいと思ったのは、オレ自身の想いなんだ。それはハッキリと断言できるよ」

 

 どこか懐かしむように自身の心の内を明かしてく澪。そんな彼女の言葉を、鈴音はただ黙って聞き入れる。

 

「それに最近は……何て言うのかな。――そう、楽しいんだ。

 一夏が自分の目標に向かって直向きに、真っ直ぐに努力していく手助けが出来ることが。まぁ、オレがしている事なんて、ほんの些細な事だけれど」

 

(些細な事、ねぇ……)

 

 澪は些細な事といった。けれど鈴音や一夏達にとってそれはとても些細な事とは言えない、とても大きな変化だ。

 転校してからほどなくして起こったイジメ。確かに一夏も助けてくれたが、あの場に澪がいなかったら、何度かちょっかいは続いていたはずだ。そうなっていたら、きっと心は荒れ、性格は歪んでしまっただろう。もしあの時澪が助けてくれなかったら、きっと今の私はなかったのだろうと、鈴音は思っている。

 けれど、その事を自分がどうこう言うのも如何なものか、という思いもある。言葉にして礼をするのは簡単だ。けれど、それだけでは”足りない”。確かに言葉にして感謝を伝えるのは大切なことだ。けれど、それ以上に今必要とされているのは、言葉ではなく行動。澪がそうしてくれたように、自分もまた、行動でもってその恩を返していくべきなのだ。

 そして、きっと、今がその時なのだろう。

 

「澪は些細な事だと思っているのかもしれないけど、きっと一夏はそうじゃないと思うわ。

 アイツが変わったのには、多かれ少なかれ、澪の言うその”些細な事”が関係しているもの。でなきゃ、あの朴念仁がそう簡単に変わるものですか」

「鈴もなかなか酷い事を言うね」

「澪ほどじゃないわよ。……後悔している?」

 

 鈴音の言葉に、澪は少しだけ間をおいて首を横に振る。

 

「後悔は、していないと思う。でも、少しだけ責任のようなものを感じてはいるんだ」

「一夏を変えてしまったかもしれないこと? だとしたら澪……アンタ一々気にしすぎよ。バカと言ってもいいわね」

 

 苦悩の表情を浮かべる澪に、鈴音は小さく溜息をつき、言い放つ。

 呆れた様に言われた一言に、澪は思わず呆然としてしまう。しかし、そんな彼女に構わず、鈴音は言葉を捲し立てる。

 

「確かに、今アンタが感じているのは責任感に近いものかもしれない。後悔の念に近いものかもしれない。けどね、アタシから言わせてみれば、そんなのどうだっていいのよ」

「ど、どうだっていいって……!」

「だってそうでしょ? そんな感情だって、少なからず一夏に好意を持ってなきゃ湧かない感情なんだから」

 

 狼狽える澪に、鈴音はキッパリと言い放つ。

 思いもよらなかったその言葉に、澪は今日何度目になるだろう。呆然とした表情を浮かべる事となる。

 

「その感情が何なのか。それはアタシには分からないし、アタシがそうだと決められるものじゃない。結局最後に答えを見つけるのは――澪、アンタ自身よ。

 まぁ、アンタの反応を見ている限り、答えはもう出てるんじゃないかしら? 後はその感情を受け入れるかどうかってところかしらね。アタシに言えるのはこれだけよ。

 さて、今日はもう帰るわ。長々と説教じみた話しちゃってゴメンね」

 

 言いたい事は全ていったと言わんばかりに、鈴音は立ち上り帰り支度を整える。

 

「鈴!」

 

 そのまま部屋を出ようとドアノブに手をかけたその時、澪が鈴音を呼び止めた。

 鈴音は少しだけ振り返り、澪を見る。未だ顔色は優れないようだが、その表情は今日部屋を訪れた時よりも、どこかスッキリとしていた。

 

「ありがとう。まだこの気持ちに名前を付けるのは難しいけれど……オレなりに付き合ってみるよ」

「――そう。何かあったら相談に乗るわ。一応、恋愛に関してはアタシの方が先輩だしね」

「まだ付き合ってからそれほど経ってないだろう?」

「それでも、アタシの方が先輩である事には変わりないわ」

 

 互いに軽口を叩き合った後、鈴音はプッと吹きだす。

 

「少しは調子を取り戻せた様ね。安心した」

「お節介が過ぎる親友のお蔭でね。……ありがとう、鈴」

「どういたしまして。それじゃあ今度こそ失礼するわ。お大事に」

 

 

「よ。お疲れさん」

「女の子同士の会話を盗み聞きするなんて、趣味がいいとは言えないわよ?」

「ひでぇ言い草だな、おい」

 

 澪の部屋を出ると、向かい側の部屋の住人である弾が立っていた。どうやら鈴音が出てくるのをまっていたようだ。軽口を叩き合った二人。こんな風に言い合えるのは、友人から恋人へと関係が変わった今でも変わらない。

 送っていくよ、と弾は鈴音と共に自宅を出る。少しの間、無言のまま並んで歩く。そうして家からそこそこ距離を取ったところで、弾が話題を切り出した。

 

「どうだった、澪のやつ」

「とりあえずは大丈夫そうよ。多分、自分の中に抱え込んでいる”もの”を、自分一人じゃ吐き出しにくかっただけなんじゃないかしら。……正直、よくもまぁ一ヵ月近くも一人で抱え込んでいられたなぁって、呆れ半分関心半分っていったところよ」

「……そうか」

 

 もしかしたら、アタシじゃなくても良かったかも。そういっておどけた様に振る舞う鈴音の頭を、弾は優しく撫でる。

 

「でも俺は、鈴が相手だったから、アイツも素直に話す気になったんだと思うぜ」

 

 ありがとな、鈴。そう言って笑う弾に、少しの気恥ずかしさを感じた鈴音は、赤くなった顔を隠すようにそっぽを向く。

 

「と、当然よ! なんたってアタシは、澪の一番の親友だもの。仮にアタシ以外の誰かにも出来たとしても、アタシは絶対に譲らないわ」

「流石は俺の彼女。頼りになるねぇ」

「う、うっさい! 恥ずかしいこと言うな、バカ!」

 

 からかう弾に、鈴音は弾を殴る。といっても照れ隠しなのでそれほど痛くはない。また、そんな彼女を見て可愛いなコイツと思うあたり、この二人はバカップルと言っていいほどにうまくいっているようだ。

 そうやってじゃれ合ってから少しして、鈴音が落ち着いてきた頃を見計らい、弾は再び口を開く。しかし、その表情は先ほどまでとは違い、真剣なものだった。

 

「さて。澪の方は……まぁアイツの事だ。何とかなるだろうな」

「アンタと違ってしっかりしているものね」

「ウッセ! 冗談はさておき、問題は……」

「一夏の方ね」

『はぁ……』

 

 一夏の事を考えた二人は、思わず溜息を零す。

 

 二人には懸念があった。澪の方は、先ほどの会話から、何れ自分の感情の行く先に決着を着けるだろう。しかし、問題はその想いが向くだろう一夏の方だ。

 一夏自身、澪の事を少なからず想っているだろうことは、普段の態度から察しが付く。けれど、一夏は大勢の人間が認めるほどの朴念仁であり、超が付くほどの鈍感だ。そんな彼が、果たして自分の感情に気付いているのだろうか? よしんば気付いたとして、そして澪が告白をしたとして。一夏はそれにどう答えるのだろうか?

 澪と一夏の関係は、とても近くて遠い。そんな表現がしっくりとくるほど、あの二人の関係というものは酷く曖昧で、危うい。そんな距離感を保っている為に、一夏がその関係を壊してしまうことを恐れてしまうのではないか。

 澪の方は、悩むことはあれども、一度決めたことは完全な形で決着をつける性格だ。対する一夏は、感情で動く部分が多い為、悩むことは少ない。反面、物事に決着を着けるのが苦手な、優柔不断な性格も持ち合わせている。そんな一夏に、澪という特別な存在が告白をした時、果たして一夏は答えることが出来るのだろうか。そんな懸念が二人にはあった。

 

「まぁ……」

「なるようにしかならない、か……」

 

 この問題の鍵を握るのは、間違いなく一夏だろう。そして、一筋縄ではいかないだろうことも、二人には予測できた。

 少し距離の離れた二人の関係。そしてその修復。それよりも更に一波乱起こりそうだと、夕暮れに染まりつつある街並みを歩きながら、二人は再び重い溜息を零すのだった。

 

 

 

「……」

 

 鈴音が部屋を出て、弾と共に階下へと降りて行った気配を感じた澪は、ベッドに体を預け、鈴音との会話を反芻する。

 

 鈴音と弾が付き合い始めてから数ヵ月。それからの日々は澪にとって少なからず苦痛を感じさせる日々であった。二人が恋仲に発展した。それは素直に喜ばしい事だ。反面、澪の知識にない出来事は彼女の不安を掻き立てるには十分過ぎた。

 この世界は自分の知っている物語の中ではない。頭の中ではそう理解しているし、何より澪自身の感情が否定している。けれど、なまじ中途半端な知識を保有しているために、少し違う未来を辿るだけで不安を感じてしまうのも、また事実であった。

 しかし、このままではいられない。自分が物語に介入するイレギュラーという役割ではないと感じる様に、一夏達もまた、ただの登場人物などという”キャラクター”、”記号”ではない。確固たる一人の人間なのだ。そう思ったからこそ、一夏が誰かを好きになった時、或いは一夏に身を焦がすほどの好意を寄せる人物が現れたその時、男女の仲という訳でもないのに、甲斐甲斐しく世話を焼くような自分がいてはいけない。そう結論付けた――筈だった。

 

 澪は目を閉じ、あの時の一夏の言葉を思い出す。

 

『……だったら、俺はこれまで通り澪に色々と世話を焼いてもらいたい。これまで通り弁当だって作ってもらいたい。俺は澪が側にいる事が迷惑だなんて、これっぽっちも思ってねぇんだから』

 

 今でも耳に残る言葉。それを思い出すと、心臓が僅かに早く脈打ち鼓動を刻む。

 あの言葉をかけられた時澪が感じたのは、体の内から湧き上がる熱と、反対に心を凍えさせる様な、言い知れぬ不安という、矛盾したものだった。

 しかし、鈴音と言葉を交わし、自身の胸の内に巣くった不安や迷いを打ち明けた今、少しの心境の変化が現れていた。完全に未来への不安や、自身の行動、言動で近しい友人たちの未来を変えてしまうのではないかという恐怖は残っている。同時に、澪自身が変わってしまうことも。

 何事にも変化というものは付きまとう。それはどうしようもなく唐突で、予測不可能なもの。

 変わることに不安を感じるのは、人間である以上、避けようがない。けれど問題は、そこから逃げてしまうこと。そして、変化を恐れてしまうことだ。

 

 澪は、再び一夏の言葉を思い出しながら、右手を自身の左胸へ当てる。

 女性特有の膨らみをおびてきた胸の奥底から、トクントクンと心臓の刻む鼓動が掌に伝わる。同時に、胸の内から湧き上がってくるのは、少しの不安と、それを遥かに超える熱。それは、心を、体を満たす、甘さを含みながらもどこかほろ苦い想い。

 

「でも、悪くない」

 

 そう、悪くないと澪は思えていた。そして同時に思った。少しばかり、前に踏み出してみようと。

 この感情に色や名前を付けるのはまだ難しい。けれど、決して悪くはないものだ。大切なのは変わらないことではない。変化を恐れず、受け入れ、自分自身がどうあるべきかという事なのだ。

 

「自分から言っておいて虫のいい話だけれど……」

 

 でも、変わると決めたのならば、躊躇っている暇などない。

 この気持ちがなんであるのか。それを確かめる為にも、兎に角今は行動すべきだろう。

 携帯電話の電話帳から、目的の人物のデータを選ぶ。後は通話ボタンを押せば、それだけで相手と会話が出来る。たったそれだけの動作だというのに、澪の心臓は高鳴り、今までに感じたことのない高揚感を感じていた。

 けれど思うのだ。嗚呼、やはり悪くない、と――

 

 




前書き

更新が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
今回の話は、前回から少しだけ時間が飛んでいますが、あまり気にせずに読んでいただけると、思います。
……そうだといいなぁ



※ 誤字修正
※2013.9/25 誤字修正


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二章 2-8

前書き

お久しぶりです。
前回の投稿から一ヵ月以上の期間が空いてしまいました。申し訳ありません。
理由は、活動報告の方にも書いてあるのですが、とても親身にしてくださった親戚が亡くなってしまったことと、私自身の身の回りが少々慌しくなったためです。

一応次話の大まかな流れは既に箇条書きしてあるので、次回更新は今月以内に出来る様に頑張ります。

それと、前回の予告でタイトルは2-7.5と書いておりましたが、少々期間が空いてしまい私自身が書きたかった事がちょっとアヤフヤになってしまったこと。それと、分けて投稿した方が区切りが良いと判断したため、2-8としました。その為、今回は恐らくこの物語の中で最も短い文章となっていることかと思います。

長々と書きましたが、お楽しみいただければと思います。




 

 その日、IS学園での勤務をいつもより少しだけ早く終えることの出来た織斑千冬は、少しばかり急ぐように家を目指していた。その理由は、自身の唯一にして最愛の弟である一夏にあった。

 

 それは、ほんの一月くらい前からだっただろうか。今日も今日とて教師の激務に疲れ果てた千冬は、それでも久方ぶりに帰る事の出来る我が家を目指して帰路についていた。

 とりあえず、帰ったらまずは楽な服に着替えよう。風呂は別に後でもいい。冷蔵庫にストックしてあるキンと冷えたビールを、弟の手料理と彼との会話を肴に飲む。決して口には出さないが、千冬にとってはそれが何よりの癒しであり、明日への活力であった。

 気持ち足取りが軽くなった千冬は、数分後に我が家へと辿り着いた。が、そこはいつもと少しだけ様子が違っていた。

 まず、玄関先のライトが点いていない。何時も帰宅時間が遅くなりがちな(帰れること自体が少なくなりつつある)千冬を出迎える為に、深夜の12時まで点灯しているのが常であったはずのそれが、今日は点いていない。偶々点け忘れたのであろうか?と考えるが、すぐにそれも違うと判断した。

 窓を見ると、カーテンの隙間から零れるはずの明かりすら窺えない。何より、今は夜の8時を過ぎたところ。小学生の頃の誘拐事件を境に、これまで以上に熱心に竹刀を振るっていた一夏が食事をとる時間は、今頃だった筈なのだ。

 

(まさか……体調を悪くしたのか?)

 

 本人は否定するが、若干のブラコン気質が入っている千冬の行動は早かった。

 素早くスーツの内ポケットから自宅の鍵を取り出し、鍵穴へと差し込み捻る。が、そこでまたしても不可解な事がおこった。

 

「鍵が、開いている……?」

 

 普段少し抜けたところもある一夏ではあったが、家のこととなると違っていた。家の事全般を任せきりにしてしまった為についた習慣を、一夏がそうそう忘れるとは千冬には思えなかった。

 

「一夏、今帰った」

 

 扉を開け、玄関に入り声をかけるも、返事は返ってこない。

 いよいよ言い知れぬ不安を感じ始めた千冬は、切れ長の目を鋭くし、感覚を研ぎ澄ましながら家の中を進む。

 何かが起こってもいいように警戒をしつつリビングへと進むと、中から人の気配を感じた。だがおかしなことに、一向に動く気配はない。不審に思いつつ、足音を殺しリビング入口へと近づいた千冬は、そっと扉を開け、壁際にあるスイッチに素早く手を伸ばす。

 ほんの僅かな間をおいて電気が点る。一瞬、その明るさに目が眩みそうになるのを耐え、部屋に居座る人物を見定めようとした千冬は、次の瞬間絶句する。リビングの中央に備え付けられたテーブルと四つの椅子。その内の一つに、一夏が呆然とした様子で何をするでもなくただ座っていたのだ。

 

「い、一夏?」

「――千冬姉? あぁ、おかえり……」

 

 声をかけ。漸く気が付いたといった様子の一夏は、顔だけを千冬に向ける。依然として表情は乏しく、活力や生気といったものが薄れていた。これはただ事ではないと感じた千冬は、慌てて一夏にかけより、事情を聴いた。暫くの間何も話そうとしなかった一夏だったが、やがて重い口を開いた。

 

 澪との一件から数日経ち、しかし関係を修復出来なかった一夏は、その事ですっかり意気消沈してしまったのだ。学校で会えばそこそこ会話こそすれども、これまでと違ってぎこちなく、どこか余所余所しい。加えて、登下校もここ最近は別々だというのだ。

 たった数日の出来事。更には、中学に入学してからの約一年はほぼ毎日といっていいように昼ごはんの弁当を用意してもらっていた一夏は、その生活リズムに大きなズレが生じていた。どうにか感覚を取り戻せたものの、そうすると今度は、何故澪はあんな事を言い出したのかという疑問ばかりが頭を支配するようになる。けれど、それを尋ねるのが怖くなってしまった一夏は、迷いを振り払うように竹刀を我武者羅に振り続けた。そんな生活を続けていた一夏は、その反動か突如として無気力状態に襲われ、今に至ったのだ。

 

「お前、そんな事で悩んでいたのか……」

 

 ぽつぽつと力なく語られた理由を聞き終えた千冬は、思わず呆れてしまった。

 しかし、一夏本人にとっては一大事であったらしく、その後延々と愚痴を聞かされることとなった。結局その日の夕飯は、カップラーメンという何とも味気ないものになり、千冬のテンションが更に下がったのは言うまでもない。

 

 

 そんな出来事から約一月。その間千冬が自宅へと帰ったのは僅かに二回だった。忙しいというのは勿論だったが、それ以上に踏ん切りのつかない弟の愚痴を延々と聞かされるのが嫌だったという、ブラコン気質の彼女らしからぬ思いも、少なからずあった。

 

(しかし、このまま放置しておく訳にもいかんしな……)

 

 学園寮に戻ってからもその事で悩みを抱えていた千冬は、多少の愚痴を聞かされるのを覚悟で、久しぶりに帰宅することを決めたのだ。もしまだ以前のようにウジウジと悩んでいるのであれば、ここは一つ人生の先輩としてガツンと言ってやる必要がある。そう考えたのだ。何よりたった一人の家族である弟が悩みを抱えているのだ。ここで力になれずして姉と呼べるだろうか。そんな、使命感にも似た思いが千冬を突き動かしていた。この時、千冬は自身の恋愛遍歴は一夏以下であることをスッカリ失念していたのだが、その事に気づけという事自体が酷といえよう。

 そんなこんなで自宅へと辿り着いた千冬は、おやと首を傾げた。

 

 まず、ちゃんと部屋に明かりが点っているのが確認できる。これはいい。次に、家の中からおいしそうな匂いがしてくる。これもいい。だが、何故だろう。ドアノブを握ろうとした瞬間、我が家から漂ってくる謎の威圧感は。

 千冬は、生来勘に優れていた。それは、日常生活にも度々役にたっていた。何より、ISの世界大会で各国の強豪達との激戦の際には、自身の勘の良さに幾度となく助けられてきた。そんな彼女の鋭敏な勘が囁いていた。家に入るのはヤバいと。一体何が彼女の危機感をそうまで駆り立てるのか。それは千冬本人ですら分からない。ただ一つはっきりとしているのは

 

(このままでは、何か途轍もなく面倒な事に巻き込まれそうな気がする……!)

 

 自身の勘に素直に従う道を選んだ千冬の行動は素早かった。

 瞬時にこの場からの撤退を選択した彼女は、殆ど思考するよりも早く体が動いていた。心臓が強く拍動し、全身の筋肉に血液を送り出す。万全の状態へと至った彼女は、腰を僅かに落としつつ右足を軸足に反転。弾丸の如き速さで駆け出――

 

「あれ? お帰り。……何やってんだよ、千冬姉」

 

 そうとしたが、僅かに遅かった。何かしら気配を感じたのだろうか、一夏が玄関を開けたのだ。

 

「あ、あぁいや。何だか視線を感じた様な気がしてな。どうやら気のせいだったようだ」

「ふ~ん。まぁいいや。兎に角早く入りなよ。飯の準備も丁度終わったところだしさ。久しぶりに一緒に食べようぜ」

「……あぁ、そうだな。そうしよう」

 

 どことなく上機嫌な弟の様子に、千冬は自分の勘がやはり当たっていたことを察した。同時に、最早逃げ場はないのだと。腹を括った千冬は、チクチクと痛み出した胃の痛みを気にしないようにしながら、我が家へと足を踏み入れた。

 

 

「――って事で、とりあえず何とかなったんだ」

「そうか、良かったな……」

 

 久しぶりの、家族水入らずの食事。本来ならば諸手を挙げて歓迎すべきその時間は、今日に限ってはそうとも言えない状況だった。

 というのも、一夏が話題にあげたのは、ここ最近の不調の原因であった出来事に関係するもので、その内容は友人である澪との関係だった。話を聞いた限りでは……まぁ思春期であるならば仕方のないことだろう、といえる様な、些細な出来事だ。

 けれど、それは、他者から見ればの話であって、当事者である二人――特に一夏にとってはそうもいかない一大事だったのだろう。当然、一夏とはまた違った理由で、あの子も悩んでいた事は想像に難くない。

 結局、解決というまでには至らなかったものの、ある程度の落としどころを見つけたようで、一夏と澪の関係は今までと変わらないものへと戻ったようだ。

 

(いや、正確に言えば、同じではないのだろうな)

 

 ただ仲直りするだけならば、一夏がここまで上機嫌になることもない。恐らく、何らかの進展があったのだろう。それは、これまでと同じ友人の関係でありながら、けれども少しだけ距離が近づいた、所謂友達以上何とやら、といったところか。尤も、これは私の勝手な推測でしかないので、そうだと断定できるわけではない。

 しかし、現に今日の晩御飯は、今までのものが何だったのかと思えるほどの、気合の入りようだ。これを見ても、何の進展もなかったなどと、思えるはずもない。それにしても……幾らなんでも浮かれすぎだ、馬鹿者め。

 

(しかし……)

 

 なんともまぁ、だらしない顔をしているものだ。それはもう、これまで私が見たことがないほど、幸せそうな表情を浮かべている。

 恋をすると人間は変わるものだというが、それは男も女も変わらないらしい。

 弟の成長をこうして見ることができるのは、姉冥利に尽きるというものだ。しかし同時に、少しずつではあるが、着実に成長している姿を目の当たりにすると、どこか寂しくもある。

 ……まぁ、本人が自分の気持ちを自覚しているかは微妙なところではあるのだが。

 

「なぁ、千冬姉。ちゃんと聞いてる?」

「あぁ、聞いている、聞いているさ。それは兎も角、そろそろ走り込みと素振りの時間じゃないのか?」

「え? ――あれ、本当だ。もうこんな時間になってたんだな」

「浮かれるのもいいが、日々の鍛練を疎かにするなよ。一日サボるだけで腕は錆びつくのだから」

「分かってるって。それじゃあ、準備したら行ってくるよ」

 

 食器は浸けといたままでいいから。そう言って自室へと向かい、程なくしてジャージに着替えた一夏は、慌ただしく出て行った。

 

 

 一夏が出て行ったのを確認した千冬は、箸と受け皿を残し必要のなくなった食器を台所へと持っていく。久しぶりの、しかも今までよりも豪勢な弟の料理であったが、延々と話を聞かされていたために、中途半端にしか食べられなかったこともあり、漸く落ち着いて食べることができるようになった。

 

「しかし、このまま食べるだけというのも勿体無いな」

 

 スーツのポケットからスマートフォンを取り出し、予定を確認する。

 

「緊急の会議の予定も無いし、明日の午前中は山田くんがいるから問題はないな……久しぶりに飲むか」

 

 そうと決まれば話は早い。幸い料理はまだ残っているので、酒の肴としては申し分ない。キッチンの戸棚には、いつかゆっくり飲もうと考えて買い置きしておいた日本酒があった筈だ。記憶を頼りに戸棚を開けてみると、そこにはお目当ての日本酒が数本並んでいた。

 学園寮ではビールくらいしか飲めなかったから、偶には辛口のを一杯やるのも悪くないだろう。そう考えた千冬は、その中から辛口の一升瓶を一つ手に取った。次いで、食器棚からお猪口を取ろうと手を伸ばし、手を止めた。一瞬だけ迷ったような表情を浮かべた千冬は、”二つ”のお猪口を取り出し、器用に片手で持つと、そのままリビングへと向かう。

 

「まったく……偶に顔を見せるのなら、一言あってもいいだろうに」

「いやぁ、ごめんごめん。でも、いっくんのいる前だと、色々とあるでしょ?」

「まぁな。 ――兎も角だ、一杯付き合え」

「私はお酒はあんまり強くないんだけどなぁ……一杯だけだよ?」

 

 先ほどまで千冬しか居なかった筈のその場所から帰ってくる声。

 いつの間に来たのだろうか。そこに居たのは、少し困ったような表情を浮かべた、世界中から指名手配をされているISの生みの親である、篠ノ之束その人だった。

 

 

 




後書き

今回は、一夏、千冬、そして束さんメイン。
また、澪と一夏の会話に関しては、下手に書くとただ長々とした文章を垂れ流すだけになるので、あえてカットしました。
え?いつも文章を垂れ流しているだろうって?ですよね~
一応、澪が一夏に謝って、一夏も謝る。とりあえず今回の事は水に流そう的な流れを経てから、澪が「今後も弁当を作ってもいいだろうか?」的な事を、若干恥ずかしそうに話すのを、一夏が内心狂喜乱舞しながら了承する。的なものを書くつもりでした。

まぁ本当の事言うと、そんなもん書いてたら私の心が物理的に死にそうだったから却下しただけなんですけどね(白目
この辺りは上記の事を頼りに、読んでくださっている各々方の脳内で再生していただければと思います(笑
因みに書いていた場合、脳内予測で軽く8000字オーバーはしていたと思われますw

さて。とりあえず、私の脳内の大まかな流れとしては、次回の2-9をもって二章を完結。
原作におけるメインの登場人物たちのオリジナル展開を掘り下げる『間章』へとページを進めていこうと考えております。その為、若干時間軸がぶっとぶかもしれませんが、ご容赦のほどをm(_ _)m

そして、次回の2-9はこの章において私が最も書きたかった話でもあり、千冬、束メイン回となる、予定です。また、この物語における束の立ち位置、ISの真実などにほんの少し触れる、ある意味重要な回となります。予定ですが。
あくまで予定ですので、保証は出来ません。また。当方は一切の責任を負いかねますので、ご理解のほど、よろしくお願いします。

とまあ、長々と書きましたが、今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

※感想・指摘等お待ちしております。
※2013.11/15 誤字修正
※2013.12/31 誤字修正


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