聖剣伝説 Hunters of Mana (変種第二号)
しおりを挟む

Prologue:上位者狩りの夜

 

 

 

《『青ざめた血』を求めよ。狩りを全うするために》

 

 

 

 

 

【上位者】

嘗て古き民によって見出され、人々に『瞳』を与え給うた者ども。

彼等の血は幾らかの人の脳の内に『瞳』を授け、しかし多数の人々の内に潜む『獣』をも呼び覚ました。

彼等との接触の経緯は多岐に及び、上位者ごとに異なる手法で人々と邂逅を果たし、そして血を交えるに至る。

其々に方法の違いこそ在れど、彼等が求めるものは同一のもの。

 

 

 

『赤子』を!

我等に新たなる『赤子』を!

 

 

 

『ローラン』は『獣』に滅び『トゥメル』は『血』に滅びた。

しかして血の交わりは『ヤーナム』に至り、遂にこそ完全たる『赤子』を得るに至る。

異端の上位者、異端の『赤子』。

故知れぬ『狩人の赤子』を

 

ローラン、トゥメル、ヤーナム。

いずれの時代、いずれの場所にも『獣』を狩る者ども『狩人』は居た。

『獣の病』と呼称される風土病は、その故こそ明らかにならずとも、牙と爪とを以って民への脅威となった。

特にヤーナムに於いては『最初の狩人』が度を超えて優秀だった事も在り、上位者の一体は彼を自身の傀儡とする事で『狩人』の脅威を封ぜざるを得なかった程だ。

しかし彼を封じ、また新たな狩人を管理する為の悪夢こそが、新たなる『赤子』の揺り籠になろうなどと、どの上位者にも予想だにし得なかった事。

そして『赤子』の誕生に至る経緯もまた、上位者たちに未知の可能性への期待を抱かせるには充分に過ぎるものだった。

 

ヤーナムに蔓延る恐ろしい『獣』。

各々の目的、理由から街に留まる『上位者』たち。

その悉くを討ち果たし『成り損ない』の残滓を取り込み。

『獣』を克せんとする外法を否定し、懇願の果てに『瞳』を賜らんとする崇拝を拒絶し。

自らの力で以って『上位者』を討ち果たし、自身をその高みへと導いた異端の『狩人』。

血に酔わず、獣とならず。

常軌を逸した戦い、繰り返される敗北と死、研鑽と摩耗と克服、飛躍と凌駕と超越の果てに。

『狩人』は人としての己を脱ぎ捨て、新たなる『上位者の赤子』となった。

『獣』も『上位者』も、果ては『古き狩人』たちでさえ、彼を止めるには至らなかった。

無限の可能性を秘めた『赤子』の誕生に、上位者たちは沸き返ったものだ。

 

そして、ローランとトゥメルに続き、ヤーナムでさえ記憶と時間の中に埋没して果てた頃。

かの『赤子』は幼年期を脱し、上位者としての成熟の時期へと踏み入った。

時間の概念でさえ人のそれとは異なる時空の虚の中、嘗ての『月の魔物』の残滓でもある『人形』を乳母として育つ彼は、次第に固有の姿を獲得してゆく。

しかし、その姿は他の上位者たちを大いに困惑させた。

彼はあろう事か、上位者となる以前の姿、人間のそれに酷似した外見へと変貌し始めたのだ。

成人よりも幾許か若い男性のそれは、嘗てヤーナムを訪れた際の異邦の『狩人』そのもの。

しかし秘めたる力は確かに上位者のそれであり、有無を言わせぬ説得力となって他の上位者たちを黙らせた。

我等の『赤子』は、次なる世代を託すに相応しい者となる。

全ての上位者が、そんな崇拝にも似た確信を抱いていた。

 

上位者としての成熟が終わる頃、彼は『人形』を通じ他の上位者たちを呼び集めた。

場所は嘗ての『狩人』たちの隠れ家、月が照らす『狩人の夢』。

大樹の下、一面の月見草がそよ風に揺れる其処に、古き上位者たちは集うた。

彼が『最初の狩人』と対峙した時よりも遥かに広く、上位者としての力によって造り直された其処に、無数の異形が集う様は壮観ですらある。

彼等の目的はひとつ、成熟期を終えた彼が覚醒する様を見届ける為。

 

そんな中、彼はその傍らに人形を控えさせ、嘗ての『最初の狩人』の様に車椅子に腰掛けていた。

その身に纏う装いは、遥かな昔に彼が身に着けていたもの。

枯れた羽を模した帽子、目元から下を隠す覆面、肩口から短いマントを掛けた外套、鈍く光を照らし返す金属と革で作られた手甲とブーツ。

漆黒の狩人の装束を身に纏った彼が、其処に居た。

そして、人形が告げる。

 

 

「本日はこの狩人の夢にお集まり頂き、誠に有難う御座います。この度、無事に成熟を果たした狩人様から、皆様にお伝えする事が在ります」

 

 

その言葉に、彼等は一様に内心で首を傾げた。

この作り物は、一体何と言ったのだ。

狩人様、自身の主人をそう呼んだのか。

まさか彼が、そう呼ばせているのだろうか。

 

そんな疑問を余所に、彼は緩慢な動作で車椅子から立ち上がる。

次いで自身の背後からゆっくりと翳された左手に握られたそれを、眼前に集う上位者たちに見せ付ける様に掲げてみせた。

それが何であるかを知らぬ者は訝し気に彼を見つめ、知る者は困惑と恐怖とに身を強張らせる。

そして、彼は殊更にゆっくりと、左手を左右に振ってみせた。

鳴り響く澄んだ音色、鐘の音。

 

 

 

―――『狩人呼びの鐘』

 

 

 

「狩人様は言っておられます……『狩りを全うすべし』と」

 

 

佇む彼の右隣に、長身の男が姿を現す。

目深に被られた広鍔の狩帽子、目元を覆う包帯。

その手に握られた獣狩りの斧と、大型の短銃を改造した散弾銃。

 

彼を挟んだ反対側に、黄色の狩装束を纏った男が現れる。

胸元から腰回りまで、至る所に仕込まれた小振りな投げナイフ。

膨大な量の血と脂に汚れたノコギリ鉈、使い込まれた獣狩りの短銃。

 

彼の後方に、翼を纏った狩装束が現れる。

黒死病関連の医療者が用いるマスクにも似た木彫りの仮面、烏羽を模したマント。

右手に握られていた隕鉄の短刀である慈悲の刃、それは火花と金属音を放つと共に一瞬にして双刃と化した。

 

異邦の狩装束に身を包み、トップハットを改造した狩帽子を目深に被った男。

槍にも似た長銃を背に担ぎ、右手に持つ刃を一旦は納刀した後に再度抜き放つ。

現れるは血染めの長刀、呪い纏う鮮血の刃。

 

 

「……今や夜は汚物に満ち、塗れ、溢れ返っている」

 

 

初めて放たれた声に、恐慌に呑まれていた上位者たちの意識は一瞬にして彼へと戻された。

その眼前で、彼は一歩を踏み出す。

彼の両手には、何時の間にやら嘗ての得物、幾つも存在するそれらの内2つが握られていた。

 

右手、どす黒く変色した血がこびり付いたノコギリ槍。

左手に、穢れた血族の騎士たちが用いた銃。

振り抜かれる右腕、重厚な金属音と共に変形したノコギリ槍が、紫電の閃光を纏う。

 

 

「素晴らしいじゃあないか。存分に狩り、殺したまえよ」

 

 

其処で漸く、上位者たちは気付いた。

声を発しているのは彼ではない。

何時の間にか彼の背後に佇んでいた、円柱状の鉄兜を被り、嘗ての官憲の制服に身を包んだ人物が声を発しているのだと。

 

 

「同士たち『連盟』の狩人が協力するのだから……そうだろう? 最後の同士よ」

 

 

官憲の制服を纏う人物が、その手に持つ大振りなメイスを背後へと振り被る。

金属がぶつかり合う音、そして擦れ合う耳障りな甲高い音。

再び現れたメイスの先端には、稼動する二重の刃を纏う円盤状の回転ノコギリが装着されていた。

 

 

「よくぞ我らを導いてくれた……同士たちも喜んでいるだろう。この素晴らしい一夜を供してくれた事、心から感謝する」

 

 

周囲を、無数の『狩人』が囲んでゆく。

次々に現れる彼等は、しかし同様の『声』を纏っている事に、上位者たちは気付いた。

暗く淀み、怨嗟と血の渇きに満ちた『声』。

そして同じ『淀み』が、彼の周囲にも渦巻いている事に。

更には『淀み』を纏わぬ『狩人』たちもまた、未だ数を増やし続けていた。

 

白く枯れた羽を模した狩帽子、同じく煤けた白い狩装束を纏った壮年の男。

重厚な金属音と共に、右腕に装着された巨大な杭が肘方向へと『装填』される。

複雑怪奇な機構により構築された巨大なパイルハンマー、年季を感じさせる使い込まれた散弾銃。

 

その白い『狩人』の背後に、更に3人の『狩人』が姿を現す。

ノコギリ槍と短銃、銃槍と短銃の『狩人』。

そしてノコギリ槍と、凡そ人が持つ物ではない巨大なガトリング銃を携えた『狩人』が後に続く。

 

一見すると襤褸にすら見える、粗末な衣装に身を包んだ男。

だが彼の腕には、貧民街に屯する宿無しには持ち得ない曲刀が握られている。

そして次の瞬間、曲刀は金属音と共に巨大な弓へと変貌した。

 

医療教会の『狩人』、その中でも『聖杯』の探求へと繰り出す者たちが纏う装束。

長銃型の散弾銃を背負い、右手に携えた大剣を頭上に翳す男性。

その刀身を左手が撫ぜるや否や、眩いばかりの翠玉色の輝きが更に巨大な刀身を形成する。

 

 

「こんな事になるとは……成程、夢の終わりは近いという訳かね」

 

「時も、人も、世でさえも……何もかも別物と成り果てたが、それでも夜明けを迎えるのだろう……望外ではありませんか、ゲールマン?」

 

 

大樹の下、彼が立ち上がった後の車椅子。

その左右に2人の男女が佇んでいた。

傍らの人形に良く似た容貌を持ち、レイピアの様な長刀と短刀を携える、貴族然とした狩装束の女性。

義足でありながらその手に曲刀を携え、腰元に散弾銃を据え付けた老齢の男性。

 

 

「目覚めにはあと一歩足りぬという事かね、狩人よ。成程、ならば我々が喚ばれるのも道理というもの」

 

 

女性からゲールマンと呼ばれた老人が、背負った長柄に曲刀の柄元を叩き付ける。

瞬間、勢いによって身体を回り込んできたそれを掴んだ老人の手の内には、死神のそれにも似た長柄の鎌が握られていた。

鎌、葬送の刃を構え義足の一歩を踏み出すと、老人が纏っていた儚い雰囲気は一変し、圧倒的な覇気が周囲を埋め尽くす。

 

 

「ローレンス……最早、約束は果たせそうにないが……せめて、後始末は我々の手で為す。それが道理というものだろう……違うかね、マリア?」

 

「ええ……遅すぎるとはいえ、それが始めた者の義務でしょう」

 

 

最早、上位者たちも気付いていた。

異端の上位者、我らの『赤子』。

彼が何を為そうとしているのか、それに気付いてしまった。

 

 

「ウィレーム先生は言っていたな……そう、そうだ。『上位者狩り』だ」

 

 

この夜、今から始まるこの夜こそが。

 

 

「これは『獣狩りの夜』ではない……『上位者狩りの夜』だ」

 

 

『狩人』たちが夢見た夜。

『獣の病』の元を根絶する、待ちに待った本懐の夜なのだ。

そう、彼は、彼の根源こそは。

 

 

「『狩人狩り』に『上位者』を狩れとはね。最後まで年上の話を聞かない奴じゃないか」

 

「諸君、この夜こそは『連盟』の本懐。『虫』を根絶する為の、千載一遇の好機。同士諸君……殺し尽くせ、何もかも」

 

「夢見るは一夜……誰であれ最早、悔いなど在るまい」

 

 

血によって人となり、人を超え、人を失い。

『上位者』の一員となってなお、それでも決して違える事の無かった彼の本質。

彼は、何処までも。

 

 

「……『狩人』の狩りを知るがいい」

 

 

『狩人』だったのだ。

 

 

 

 

 

その絶叫は、どの上位者の物だったであろうか。

それを引き金に『狩人』たちが一斉にその場を飛び出す。

程なくして続く、肉の裂ける音と血飛沫が地に叩き付けられる音。

無数の神秘の炸裂と銃撃、爆発音。

 

 

 

最後の『狩り』は、こうして始まった。

 

 

 




放射血質!
放射血質31.5%!!
都市伝説じゃなかった!!!



で、2つ目はいつ出るんですかねぇ(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たなる悪夢へ

 

 

 

其処には、何も残されてはいなかった。

消し飛んだ月見草の花畑、跡形も無くなった大樹、吹き飛んだ館。

狩人たちの姿は既に無く、みな時の狭間へと還って行った。

上位者たちは僅かな残滓すらも残さず、完全に滅せられていた。

人形も車椅子も、全て余波で消し飛んでしまった。

この場に居るのは、仰向けに倒れ月を見上げる、力の殆どを使い果たし今にも息絶えんとする『狩人の上位者』のみ。

 

彼には『過去』が無い。

血の医療を受ける以前の記憶が、完全に抜け落ちているのだ。

あの人気の無い診療所、其処に残されていた過去に関する手掛かりは、明らかな自筆と判る走り書きのみ。

 

 

《『青ざめた血』を求めよ。狩りを全うするために》

 

 

何の為に『青ざめた血』を求めるのか、自分は何処から、何の為にヤーナムを訪れたのか。

考えるだけ無駄な事だと知ったのは、彼が上位者となってからの事だった。

 

『ローレンスたちの月の魔物』

嘗てこの場所で討ち果たした上位者は、他の上位者たちの多くと対立する関係に在った。

彼の上位者の目的は、他の上位者が『赤子』を得る事を阻止し、しかし同時に自らの『赤子』を得る事だったろうか。

事の真相こそ不明なものの、獣の排除を至上の命題とするゲールマンは、何故か月の魔物と盟を結んでいた。

或いは、結ばざるを得なかったのだろう。

彼の盟友たる、医療教会初代教区長ローレンスは血によって上位者たらんと思索し、飽くまでも人の叡智によって上位者の知啓を得んとするウィレームと道を違えた。

ゲールマンは否定も肯定もしなかったと思われるが、ローレンスが喚んだらしき月の魔物と盟を結んだという事は、そうせざるを得なかったという側面が在るのだろう。

 

月の魔物の力によって生み出された悪夢、狩人の夢は新たな狩人を補佐し獣狩りを助けるが、しかし最後には『目覚め』を強要する。

あたかも狩人が、月の魔物へと辿り着く事を阻止せんとするかの様に。

その役目を担っていたのがゲールマンだが、彼は夢からの解放を願っていた。

しかし月の魔物はそれを許さず、更にゲールマンが打倒されれば、今度は新たな狩人を助言者の座に据えんとしたのだ。

彼がそれを拒めたのは『3本の3本目』による効果。

彼自身が『赤子』の成り損ない、その残滓を取り込んでいたからだ。

メンシス、狂人たちの思想の一端に触れた彼は、しかしウィレームから聖歌隊、そしてメンシス学派へと脈々と受け継がれてきた人としての矜持を、確かに受け取った。

メンシスの狂気により構築された足掛かりを否定し、同時に崇め呼び掛け星空を見上げる聖歌隊の思想をも拒絶した彼は、飽くまでも自らの力によって『上位者狩り』を成し遂げる道を選んだ。

 

月の魔物にとって、狩人が彼の支配に抗うという事態は、完全な想定外だったのだろう。

目前の狩人が『上位者の赤子』になり掛けているという事実を悟った月の魔物は、すぐさま怒り狂った様に彼の殺害を図った。

しかし逆に、ローレンス、ゴースの遺子、メルゴーの乳母、ゲールマンさえも打倒した彼によって、月の魔物は呆気なく滅ぼされる事となる。

 

全ての上位者は『赤子』を失い、また求めている。

月の魔物もそうであったのだろうが、彼あるいは彼女が如何にして『赤子』を得ようとしていたのかは、結局のところ解らず仕舞いだ。

だが少なくとも『狩人』が赤子になる事など、決して求めてはいなかった。

或いは、ヤーナムに産まれた『落とし子』のいずれかは月の魔物によるものであったかもしれないが、それでさえも推測の域を出るものではない。

一方で月の魔物が、メンシスが見出した悪夢の『赤子』であるメルゴーを疎ましく思っていた事は、疑い様も無い事実だ。

何せそれを排除する為だけに『異邦の狩人』を仕立て上げる程なのだから。

 

不治の病の治療法を求め、古き医療の街ヤーナムに訪れた異邦の旅人。

そんなものは、初めから存在しなかったのだ。

本当に外部からの来訪者を捕らえて仕立て上げたのか、元からのヤーナムの民を用いたのかは今や知りようもない。

だが、過去など最早存在しないも同然という事だけは確かだ。

 

肉体としては、成人を迎える直前といった年頃の男性。

血の医療を求め、異境からの来訪者の絶えないヤーナムとしては珍しくもない、短く刈られた東洋系の黒髪と同じく黒い瞳。

言葉に訛りの無い事から、昔からヤーナムで用いられているものと同じ言語を話していた事は確かだ。

だがそれが、如何程に価値の在る情報となろうか。

ヤーナムには故知れぬ孤児や浮浪者など、それこそ掃いて捨てる程に居るのだから。

その内の1人が消えたとて、誰が気に留めようものか。

縦しんば家族が居たとて、ヤーナムの民ならば例外なく血に酔っているだろう。

あの過去最悪とも言われた『獣狩りの夜』に正気を保っているとは考え難い。

過去はもう、取り返しの付かない時間の中に埋没してしまった。

月の魔物に目を付けられた時点で、全ては手遅れだったのだ。

 

上位者となった理由は、半ば意地を貫いた結果の様なものだ。

ゲールマンの寝言、偶然にあれを聞いてからというもの、彼を狩人の夢から解放する事は自身の中での決定事項だった。

ガスコインとその家族、正気を失ったヘンリック、狩人狩りアイリーンの悲劇。

ヨセフカの診療所にて行われていた医療教会関係者による凶行、獣に身を窶した男が語った言葉、オドン教会で目にしたアリアンナの末路。

実験棟の惨状、時計塔のマリアの結末、漁村の虐殺、ビルゲンワースの非道。

何もかもが気に入らなかった。

 

医療教会もビルゲンワースも、既に実質的な崩壊を迎えていたが、それはヤーナムの街を道連れにしたものであって決して喜ばしいものではない。

未だ活動を続けるメンシス学派に至っては、初めてヤハグルの隠し街に導かれた時から、その遺志を打ち砕かんと決めていた。

居並ぶ死体に鞭打つのではなく、彼等の造り上げた悪夢そのものを否定してみせんと。

そして悪夢の主を狩る事で、その決意は果たされた。

聖杯の奥深く、古の民トゥメルの女王であるヤーナムの遺志をも殺す事で、彼女の悪夢を終わりにできたのではとも考えている。

そしてゲールマンを解放する事で、彼の目的は殆どが果たされた。

『上位者狩り』など、初めから物の序でだったのだ。

ゲールマンが解放された後、月より降り立ち彼に抱擁を与えんとした月の魔物。

彼が『上位者狩り』の事を思い出したのは、その時になってからだ。

 

失笑した。

この期に及んでノコノコと姿を現し、自身を新たな助言者に仕立て上げようとする月の魔物。

危機感など全く無く、現状を理解してもいない。

こんな存在が偉大なる者、アメンドーズ等とは比較にならない程に格上の上位者、恐らくは亡きゴースと並ぶローレンス達の月の魔物とは。

全く、笑わせる。

 

狩りの中で笑った事など無かった。

血と脂、毒と炎、爆発と硝煙、狂気と恐怖。

それら全てが溢れ返り、地上の地獄を造り上げる『獣狩りの夜』に、正気を以って笑う者など居はしない。

血に酔い、獣の病に蝕まれた者達だけが、狩りと血の喜びに快哉の声を上げるのだ。

だがこの時は、この時だけは、腹の底から込み上げる嗤いを抑える事ができなかった。

 

抱擁を拒絶され、驚いた様に飛び退いた月の魔物。

奴がその腕を振り上げるや否や間合いを詰め、その顔面に開いた虚の様な空洞にエヴェリンの銃口を突き込み、引き金を引く。

銃声と絶叫、降り掛かる血飛沫。

その瞬間、自分は確かに血に酔っていたと、狩人は反芻する。

続けて虚に右腕を突き込み、脳か別の臓器かも判然としない内臓を握り潰し、そのまま引き摺り出した際の悲鳴と血飛沫も、言葉では表せない程に甘美で香しいものだった。

これが狩りなのだ、血の悦びなのだと、初めて理解した瞬間だった。

 

後の事は、特筆するだけの事でもない。

ノコギリ槍の効果が薄いと判断するや否や、彼はゲールマンとの闘いに用いた後、放り出してあった『千景』を拾い抜刀。

呪われた赤い長刀と化した血刀を振るい、月の魔物を『解体』した。

そして、彼は上位者となったのだ。

 

それからはずっと、機会を窺ってきた。

狩りを全うする機会を、獣の病の根源を滅する機会を。

最早ヤーナムは手遅れだが、それでもこの世界は人間のものだ。

断じて上位者の遊び場などではなく、孵卵の場でもない。

獣が人の内に潜むからといって、それを徒に呼び起こされる事も、根本から否定される事もあってはならない。

 

そして何より、彼は自身の属する協約『連盟』の目的を忘れてはいなかった。

カレル文字『淀み』が囁く『連盟』の使命。

人の淀みの根源『虫』の根絶、狩りの夜に蠢く汚物全てを殺戮すべし。

『連盟』の長『獣喰らいヴァルトール』の主張に、彼は心から賛同した。

穢れた獣、気色悪いナメクジ、頭のイカれた医療者共、何もかもうんざり。

だからこそ、みな殺し尽くす。

その殺戮への甘い誘惑は、主張の正当さからも彼を惹き付けて止まなかった。

程なくして、その身には『淀み』が刻まれ、彼は次元の壁を超えてまで、あらゆる並行世界のヤーナムに於ける殺戮に加担した。

医療教会、メンシス学派、ビルゲンワース、獣、上位者、狂った狩人。

何もかもを殺し、膨大な数の『虫』を踏み潰してきた。

 

一方で、殺し尽くせないと判断したからこそ、血族狩りに『カインハースト』への道を教える事なく、招待状も王冠もヘムウィックから湖面へと投げ入れたのだ。

穢れた血族、その女王を殺すには、当時の力ではどうしても至らなかった。

カインハーストの力を得る為だけに跪き、臣下の礼を執っておきながら、彼の頭には穢れた血族を滅ぼす事しか無かった。

彼の穢れた血族が、ヤーナムで獣を狩る狩人たちに何をしていたのか、それを知った瞬間から揺ぐ事の無い決意だった。

血の女王『アンナリーゼ』

彼女を封じていたローゲリウスを、そうとは知らずに滅ぼしてしまったのは彼自身だ。

だからこそ血族狩りアルフレートが、万が一にもアンナリーゼに接触する事が無い様、幻視の王冠と招待状を湖へと捨てたのだ。

アンナリーゼを最早誰も誑かせない様、永劫に亘る孤牢鉄面の虜とする為に。

 

だが、最早問題は無いだろう。

現実のアンナリーゼは、既に時代に取り残された落伍者だ。

人々が科学の力を研鑽した末に星を飛び出し、既に上位者たちの領域をも自らの力のみで以って侵し始めたこの時代に、穢れた血族に何の力が在ろうものか。

あらゆる干渉を防ぐ障壁を纏い音の速さを超えて空を引き裂く兵器が地空を跋扈し、暴力の塊が動く山となって地を踏み荒らし海を引き裂き、空に浮かぶ城塞が光で以って全てを消し去る。

人が自らの叡智で以ってこれ程の力を得るなど、如何なる上位者であろうと予想し得たものではないだろう。

結局、彼等もまた落伍者に過ぎなかったのだ。

 

上位者が既に滅ぼされた以上、アンナリーゼが『血の赤子』を身籠る可能性は最早無い。

だが健在だったとして、今の世に彼等の出る幕は無いだろう。

彼女に残された道は、このまま不死者として無為な時間を生き続けるか、或いは死への一縷の望みを託して人が撒いた地上の毒に蝕まれるかの2つだけだ。

 

『連盟』の目的は果たした。

『虫』の根絶は成らずとも、その根源を討ち果たす事はできた。

時間こそ掛かったものの、全ての上位者を滅ぼす事ができたのだ。

人の身を超越したからこそ無制限に『狩人呼びの鐘』を使用し、更に狩人としての自らの力を際限なく振るえるまでに上位者として成熟したからこそ果たせた、多くの狩人にとっての悲願。

時間も次元の壁をも超えて、あらゆる世界から狩人を呼んだこの戦いこそが、彼が上位者となった最大の目的だった。

それを果たした今、自身も力を使い果たし息絶えようとしている事など、彼にとっては些末事に過ぎなかった。

だからこそ仰向けに寝転んだまま、感慨深く青い月を見上げていたのだ。

だと、いうのに。

 

 

「成程、それが貴公の目的か……いや、気付かなかったよ。やはり私は、無為な夜を歩み過ぎた様だ」

 

 

狩人の目が、大きく見開かれる。

仰向けに倒れる彼の、マスクと狩帽子に覆われた顔。

僅かに露出した目元を覗き込む、鉄面を被った金髪の女性。

此処に居る筈の無い、その女性の名は。

 

 

「否……教会の仇である事だけは、偽りなき事実だったか……フフフ……やられたよ。大したものだな、貴公」

 

 

穢れた血族の女王、アンナリーゼ。

身を起こし掛けた狩人の鼻先を、その細く白い指で優し気に制する。

 

 

「何故此処に、とでも言いたげだな。簡単な事だ、狩人よ。現の肉体が滅びて尚、あの瞳狂いどもが如何にして儀式を続けたか……忘れた訳ではあるまい」

 

 

狩人は思い到り、愕然とした。

この女は、メンシスの狂人どもと同じ事をしたのだ。

 

 

「人の技術の進歩とは恐ろしいものだな。古き者である私達には想像も付かない……いや、凄まじい毒であったよ。不死であったこの身でさえ、人が撒き散らす毒の前には無力だった。だからこそ『私の悪夢』を造り出す事を思い付いたというものだが」

 

 

何がおかしいのか、くつくつと小さな笑いを零すアンナリーゼに、狩人は震える腕で左腕を持ち上げる。

其処に握られた銃、エヴェリンにはまだ2発の銃弾が残されている筈だ。

だがアンナリーゼは、愉快そうに言葉を続ける。

 

 

「止めておきたまえ、貴公。最早、身体を動かす事さえ儘ならぬのだろう? 貴公が戮した上位者たちの怨念、行き場の無いそれが、この場には渦巻いている。貴公にとっては毒である筈だ」

 

 

言いつつ、アンナリーゼは月に身を投げ出さんとするかの様に、宙へと腕を広げてみせた。

まるで、その場に在る何かを抱擁せんばかりに。

 

 

「そして……それこそが、私の求めていたものだ」

 

 

次の瞬間に起こった事を、狩人は理解できなかった。

アンナリーゼの目と鼻の先に、赤黒い穴が開いたのだ。

穴の中からは黄色く淀んだ液体が溢れ返り、下方の地面を徐々に汚してゆく。

膿、湯気を上げる大量の膿だ。

その穴に、狩人は見覚えが在った。

あれはメンシスの化け物、死体の塊が出てきた穴ではなかったか。

 

 

「フフ……驚いているな? この穴こそが、私に残された最後の希望。我が穢れた血族の望みを叶える、新たなる旅路の始まりとなる門」

 

 

言いつつ、アンナリーゼは躊躇う事なく、膿が溢れ返る穴へとその右手を差し入れる。

 

 

「厳密には上位者ではないが、それに近しい存在は異なる世界にも居る……ビルゲンワースの研究でも解っていた事だ。悪夢も、血の穢れも、この世界だけに拘る必要はない。異なる世界、異なる理の下で、新たなる悪夢と穢れを見出せば良いだけの事」

 

 

アンナリーゼの身が、徐々に穴へと呑み込まれてゆく。

そして、その身が完全に飲まれる寸前に彼女は振り返り、狩人へと別れの言葉を投げ掛けた。

 

 

「さらばだ、月の香りの狩人よ……カインハーストの名誉のあらんことを」

 

 

その言葉を最後に、アンナリーゼの姿は消えて失せる。

穴もまた急速に萎み、大量の膿だけを残して消え失せた。

残されたのは、今にも息絶えんとする狩人のみ。

 

彼は身を起こした。

数分もの時間を掛け、震える脚で漸く立ち上がると、身体を引き摺る様にして館の跡地へと向かう。

幾度も転びながら館の残骸へと辿り着き、その瓦礫を少しずつ取り除き始めた。

そうして作業を続けること暫し、彼は漸く目的の物を見付け出す。

 

それは、人の頭蓋だった。

完全に砕けてしまった物も在るには在るが、それでも夥しい数の頭蓋が瓦礫に埋もれていた。

勿論、唯の頭蓋でなど在ろう筈もない。

一様に頭頂部から抉り込む様にして割れたそれらは、内部に青白く瞬く怪しい光を湛えているのだ。

医療教会の関係者は、これを聖遺物の一種として崇め、こう呼んでいた。

『狂人の智慧』或いは『上位者の叡智』と。

 

彼は震える拳を振り上げ、頭蓋目掛けて振り下ろした。

百を超えるそれら全てに対し、幾度も幾度も。

頭蓋が砕け、光が放たれるその度に、失われた上位者としての力がその身の内に戻る事を、彼は実感していた。

戦いの前とは比べ様も無い程に微々たるものではあるものの、目的を果たすには充分な力。

殆ど全ての頭蓋を砕いた後、彼は確りと地に足を付けて立ち上がる。

 

これからすべき事は何か。

解り切った事だ。

アンナリーゼを追い、滅ぼす。

だが、自身だけでそれが可能だろうか。

穴を超える事に力を使えば、その後に上位者としての力は大して残るまい。

だからといって、持て余すには危険に過ぎる力はこの身に残る。

使い途など無く、ただ危険なばかりの力。

これをどうしたものか。

 

彼は大樹の残滓、僅かに残った根を見遣る。

そして、思い出した。

 

そうだ、自分は何を思って上位者になったのか。

生まれてしまった数多の犠牲を受け入れられなかったからこそ、どうしても納得できなかったからこそ、成り行きとはいえ決着を付ける為に上位者となったのではなかったか。

今の自分には、持て余すだけの力が在る。

上位者もどきと戦うには不足でも、人の身には余る願いを叶えるだけの力が。

穴を超え、その願いを為せば、最早上位者としての力は名残程度にしか残るまい。

唯の人間、狩人としての自分だけが残される。

望外だ、幸運以外の何ものでもあるまい。

ならば、それを選ばぬ未来など在り得ない。

 

夢を想い、心に文字を描く。

『淀み』ではなく、純粋なる狩人としての心象。

『狩り』のカレル文字。

 

果たして、再び開いた穴が、狩人の夢の全てを呑み込んだ。

穴に呑まれる寸前、彼の周囲に見えた影は、決して幻覚などではなかった。

無数の狩人、獣、崩れ落ちた筈の工房、悪夢の風景。

滅ぼし、滅ぼされ、失われた筈の全てが、其処に在った。

そして全てが、穴へと呑み込まれる。

 

 

 

 

 

『狩人の夢』を、今度こそ。

悪夢も何もかもを丸ごと呑み込んで、新たな世界で、今度こそ。

狩人の願いは、確かに叶った。

異界の悪夢という、他の何かを犠牲とする形で。

 

 

 

 

 

『マナ』の加護によって成り立ち。

『女神』の慈愛に満たされた世界。

『獣の病』など在ろう筈もない地。

 

 

 

『獣狩りの夜』が、また始まった。

 

 

 




【一方その頃、人の世】


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::(コ〇マのきらめき):::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::。::::...... .::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ..::::: . ..::::::::
:::::::::::::::::...... ....:::::::゜::::::::::..::::::::: :::::::::::::



 ≡≡≡ ヘ〇ノ        ヘ且ノ <ウアアアアアアアアアッ!(悲鳴)
≡≡≡  /┐      ≡ /┐
   ↑
 ア〇ア〇ットマン


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青ざめた血の空の下で、毒爪の鷹と不死の鷲

 

 

 

蝶の羽ばたきの如き些細な変化が、巡り巡って大風となり大樹を揺るがす。

その些末な異変は、正に世界の理の中心たる『マナの樹』の下より始まった。

 

 

「女神さま、女神さま!」

 

「空を、空を見て下さい!」

 

「……ええ、解っています」

 

 

突如として始まった異変に、背から昆虫の様に透き通った虹色の羽を生やした、極めて小柄な少女たちが騒ぎ立てる。

そんな彼女達の恐慌を具に感じ取りながら、しかし少女たちと同じ艶やかな翡翠の髪を風に靡かせる女性、女神と呼ばれた彼女は静かに夜の空を見上げていた。

 

 

「でも、月が……!」

 

「そうですね。あんな月は、私も見た事が在りません」

 

「月もそうですけど……空が……」

 

 

此処『マナの聖域』では日中は晴天に覆われ、夜は見事な月が澄んだ空気の中に浮かぶのが常だ。

時折降る雨も大地に恵みを齎すものであって、傷痕を刻み込む程のものではない。

常に穏やかな気候が続き、全ての生命を祝福する。

それが聖域の空だ。

だがこの時、聖域の空は嘗てない程の禍々しさを以って、其処に在る全ての生命に得体の知れぬ恐れを齎していた。

小鳥の様に小さな少女達も、周囲の森で騒ぐ鳥たちも、そしてこの聖域の主である女性、実質的な全知全能に近い彼女でさえ目にした事の無い、異様な空と月。

 

 

「こんな青ざめた夜空……なのに、血の様に赤い月」

 

 

呟く様に放たれた声は、幸いにして少女達には届かなかった様だ。

女性は溜息を吐き、次いで足下に咲く花、その中央に座り込んで呆然と空を見上げていた少女に声を掛ける。

 

 

「この異変の原因は、私にも知り得るところではありませんが……貴女達に託す使命には、些かの変化も在りません」

 

 

ゆっくりとしゃがみ込む女性。

慌てて花から飛び立った少女が、その動きを制止せんとする。

 

 

「いけません女神さま! そのような事は……」

 

「良いのです。不甲斐なくも、私は此処を動けない。動く訳にはいかない。だからといって、貴女達をこんな形で送り出す事が正当化される訳ではありません」

 

 

女性の両手が、少女を掬う様にして手の内へと収める。

その中で座り込んだ少女は、その眦に涙を溜めて顔を歪ませた。

 

 

「女神さま、私……私達は……」

 

「御免なさい。情けない女神で御免なさい……ごめんね、ごめんねフェアリー……」

 

 

震える手、自身の周囲に零れ落ちる水滴に、フェアリーと呼ばれた少女の瞳からは遂に涙が溢れた。

彼女は涙を零しながらも顔を振り、震え出しそうな声を必死に押し殺しながら言葉を紡ぐ。

 

 

「私達は……女神さまが、そうして……思ってくれるだけで……!」

 

 

遂には堪え切れずに嗚咽を零し始めた。

彼女は自身の小さな額に、優しい口付けが落とされた事を感じる。

ごめんね、と小さく震える声で付け足された幾度目かの謝罪。

首を横に振りながら、しかし彼女はこの空を造り出した何者か、居るかどうかも解らぬそれに対する憤りを内心にて燃え上がらせていた。

 

あと数日もすれば、この聖域とも、多くの仲間とも、目の前の敬愛する彼女とも別れる事となる。

それは、きっと永遠の離別。

最早、再会する事は叶わない。

だからこそ、今この瞬間を大切にしたいというのに。

なのに、この聖域でこんな空を造り出すなんて。

こんな悍ましい、恐ろし気な、寒気のする様な空。

 

 

 

『青ざめた血の空』なんて!

 

 

============================================

 

 

「くそッ!」

 

「おい、壁に当たるなって。怪我するだけで、それで死人が戻って来る訳じゃないだろ」

 

「そんな事は解ってるさ! でも……でもな……」

 

 

兄弟同然に育ってきた親友が壁に当たり散らす様を見つつ、彼は肩の力を抜きつつ溜息を吐いた。

一見すれば脱力している様に見えるが、しかしその肩は僅かに震えている。

だが、その震えは砂漠の夜の寒さによるものでもなければ、恐れから来るものでもなかった。

それは日中に目にした凄惨な光景への憤り、そして無力な自分自身への不甲斐無さから来る怒りだ。

 

 

「これで『豚』は6匹目だ!『蠍』に至っては数百匹……件数は減るどころか増える一方、犠牲者の数も……!」

 

「……今日は3人か。これでディーンだけでも17人、サルタン周辺で48人。隊商や旅人を含めれば……」

 

「500は下らないだろうさ、それも正規の交易路上で! まだまだ増えるぞ……仲間も、もう6人も殺られてる」

 

「7人だ……多分もう、ニウェは助からない」

 

「……畜生ッ!」

 

 

鈍い音と共に、年月と共に風化していたらしき壁の一部が砕け散る。

極僅かとはいえ、石材の壁が砕ける程だ。

蹴りを放った当人がどれだけ苛付いているか、これだけでも知れようというものだろう。

 

 

「半月足らずでこれかッ……物流も滞り始めてる。小さなオアシスや村の住民はディーンに避難し始めてるが……」

 

「いずれ限界が来るだろうな。ディーンの水源は枯れ始めてる。隊商が自由に行き来できない以上、食料品の枯渇も時間の問題だ」

 

「今は幾つかの部隊が、隊商の護衛に就いている。複数の隊商を纏めて動かしてるが、それでも完全な護衛ともなると手が足りない」

 

「護衛の数を増やせ……ないんだろうな、その様子じゃ」

 

 

最期の言葉に、苛付いた様子の金髪の男性は表情を顰めた。

苦虫どころか、香辛料の塊でも噛み潰したかの様な表情だ。

 

 

「……ああ、そうさ。親父は隊商の護衛を引き上げろと言ってきてる。より攻撃的な編成に組み換え、来たる時に備えろとさ」

 

「時? 時ってなんだ」

 

「噂くらいは聞いてるだろ? ナバール盗賊団は今月中にも解散、新たにナバール王国の建国に動くってな」

 

 

瞬間、今度は金髪の男を宥めていた紫の髪の男、その手元から破壊音が響く。

金髪の男が視線を遣れば、其処には机に突き立った1本のダガー。

次いで地の底から響く様な、ごく一握りの者しか知らない、色濃い負の感情が込められた声が響く。

 

 

「……あの女か」

 

「おい……」

 

「答えろ、イーグル。首領を……フレイムカーン様を唆しているのは、あの女なのか?」

 

 

ゆっくりと此方を向いた金の瞳、砂漠の月の様な光が湛える酷薄さに、イーグルと呼ばれた男は息を呑んだ。

物心つく前から兄弟同然に過ごしてきた無二の親友とはいえ、目の前の男が激昂した際に纏う空気は彼でさえ近付き難いものだ。

普段は飄々として内心を掴ませない軽い男を演じてはいるが、ごく稀に見せる激情は氷の刃の如き酷薄さとなって、常に敵意の向かう先を斬り刻んできた。

自身の怒りの発露は、周囲から火炎の谷の爆炎の如きと形容されるが、ならばこの男の怒りの発露は、夜の砂漠の如き冷たさだとイーグルは思う。

 

夜の砂漠の冷気は、迂闊にそれに触れた者を決して赦さず、決して逃しはしない。

真綿で首を締める様に、哀れな犠牲者の体温を徐々に、しかし確実に奪ってゆく。

そうして気付いた犠牲者が、健気にも自らの身を守るべく行動を起こしても、全ては後の祭り。

囚われた時点で、再び朝日を拝む事など叶わないのだ。

その怒りが今、独りの人間に向けられている。

 

 

「……そうだ、イザベラだ。親父が面と向かってそう言った訳じゃあないが、俺はそう睨んでる」

 

 

紫の髪の男は応えない。

無言で机からダガーを引き抜き、腰元に括り付けられた鞘へと収める。

そして、今は椅子の背凭れに掛けられているローブ、砂漠から戻る際に纏っていた襤褸同然のそれに手を突っ込み、何かを取り出し机の上へと放り出した。

硬質な音に、何事かとイーグルが机上を覗き込む。

 

 

「なんだ?」

 

「見ろ、イーグル」

 

「……石か?」

 

 

其処に在ったのは、装飾品程度の大きさの、奇妙な石だった。

黒ずんだ緑色の円盤状の石、闇色にも似た濃紫の三角の石。

其々の中心に、核の様に小さな別色の部位が在る。

見た事も無いそれに、イーグルは眉を寄せた。

 

 

「何だこれ? 宝石……にしちゃ、どうにも不気味だな。翡翠というには濁り過ぎているし、紫水晶にしては透明度の欠片も無い」

 

「紫の方は『蠍』からだ」

 

 

瞬間、三角の石を手に取ろうとしていたイーグルの手が、寸でのところで止まる。

数秒の沈黙の後、掠れた声が零れた。

 

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのままだ。あの『人面蠍』どもを仕留めた後、死骸の中から見付けたんだ。緑の奴はサルタンで手に入れた」

 

「『預かった』のか?」

 

「買ったんだよ、ジャドとの交易商から。ウェンデルの近くに古代遺跡が在って、其処に不法侵入した盗掘屋の一団が居たらしい」

 

「其処で見付けたってのか」

 

「ちょっと違う。遺跡には化け物が居て、そいつに襲われ盗掘団は2人を残して壊滅したそうだ」

 

「……じゃあ、その石は?」

 

「化け物とは相打ちになったんだとさ。その死骸からこいつが回収され、紆余曲折の果てに交易商の手に渡ったって事……らしい」

 

「それを何で、お前が買って……」

 

「似てたからな、こっちの紫の石に。あの『豚』や『蠍』と古代遺跡の化け物に、何かしら関連性が在るんじゃないかと思ったんだ」

 

「おい! 人に寄越すなよ、そんな物!」

 

 

緑の石を手に取り、イーグルへと投げる男。

反射的にそれを受け取ってしまったイーグルは、嫌そうに手の中の石を見つめる。

角度を変え、明りに翳し、しかしこれといって特別な事は解らない。

只管に不気味な石が、手の中に在るだけだ。

 

 

「……で、これが何だってんだ」

 

「お前、怪我してたよな」

 

「あ? ああ、大した傷じゃない。『豚』の突進が掠っただけだ、軽い打撲だよ」

 

 

その言葉通り、イーグルは負傷していた。

オアシスの村ディーン、その郊外に現れた『巨大豚』との戦闘で負ったものだ。

この『巨大豚』はこれまでにも複数の個体が出現し、交易路上の隊商やサルタン、各集落の住民に被害を齎していた。

優に一戸建てに匹敵する巨体を持つこの『豚』は、唐突に現れては遭遇する全ての生き物に襲い掛かっては殺し、その身を骨まで貪り喰らうのだ。

 

今日の被害現場は、特に凄惨だった。

ディーンの住民である親子、まだ若い夫婦と幼子1人。

近くで警戒に当たっていたナバールの部隊が駆け付けた時には、既に『豚』に3人もろとも踏み潰され貪り喰われていた。

十数人掛かりで『豚』を仕留めたものの、その過程で更に1人の仲間が『豚』の下敷きになり、恐らくは今夜中に息絶える事だろう。

それに比べれば軽いものと、イーグルは自身の怪我を放置していた。

打撲だけでなく、腕には岩に擦って負った切り傷も在るのだが、それに触れる事はない。

 

 

「まだ痛むか?」

 

「そりゃあ、ちょっとは……いや、待て」

 

 

其処でイーグルは、異変に気付く。

傷が、全く痛まない。

つい先程まで、疼く様な痛みが確かに在ったというのに、今はそれが跡形も無く消え失せている。

まさか、と自身の袖を捲り腕を確認すれば、其処に在る切り傷に明確な異常が生じていた。

 

 

「ッ、んな……!?」

 

「な、驚いただろ?」

 

 

絶句するイーグル。

傷が、見る見る内に薄くなってゆく。

確かに其処に在った切創が徐々に薄れて短くなり、今にも皮膚の上から消えんとしていた。

更にイーグルは、手の中にも異変が生じている事に気付く。

何かが、其処で脈動しているのだ。

投げ渡された石を握り締めたままだった事を今更ながら思い出した彼は、其方へ視線を転じると同時、反射的に手の中のそれを放り出した。

 

 

「なん……何だコレはッ!?」

 

 

再び机上へと転がったそれは、しかし明らかに先程とは異なる様相を示していた。

脈打っている。

石の表面が、微かではあるが、確かに脈打っているのだ。

中心から広がる放射状の構造物が、血管の様に脈動している。

余りの悍ましさに、イーグルの声が上擦った。

 

 

「生きているのか、コイツは!?」

 

「知らん。だが、体験しただろ? コイツは持っているだけで、所有者の怪我を癒しちまう。時間は掛かるが、確実に」

 

 

言いながら紫の髪の男は、三角形の石を手に取る。

そしてそれを、傍らの棚から取り出したダガー、その刀身の根元に彫り込まれた同じく三角形の穴に嵌め込んだ。

その上から覆いを被せ、留め金で固定する。

始めてみるそれに、イーグルは物珍しそうに尋ねた。

 

 

「それは?」

 

「ニキータに作って貰った。アイツも驚いてたよ、こんな物を見るのは初めてだって。それでだ……数日前、コイツでバレッテに斬り付けてみた」

 

「……で?」

 

 

彼はダガーの切っ先で、自身の喉を掻き斬る仕種をしてみせる。

 

 

「あっという間だったよ。痙攣して、口どころか目や鼻からまで血を噴き出して……今までの犠牲者と同じだ」

 

「……毒か? あの『蠍』の毒……そのダガーに?」

 

「ああ」

 

 

手渡されるダガー。

刃に触れぬよう、注意深く刀身を眺めるイーグル。

気の所為だろうか、刀身全体が黒ずんだ紫の瘴気に包まれている様に見える。

 

 

「……ホークアイ」

 

「なんだ」

 

「俺はこれから直接、親父に真意を問い質しに行くつもりだ」

 

「だと思ったよ。だからこれを見せたんだ」

 

「戦闘になるって事か?」

 

「あの女……イザベラは異常だ。あのフレイムカーン様が、出会って一月と経たない女に実権を与えると思うか?」

 

 

ダガーを返すイーグル。

ホークアイと呼ばれた男は、それを受け取り机に置いた。

 

 

「在り得ない。そもそも、あの行方不明の一件。親父があの程度の場所で消息を絶つなんてあるものか。何より、同行していた連中の様子もおかしい」

 

「ビルとベン、だろ?」

 

「ああ。あれ以来、人間味が消え失せたかの様だ。他の連中も似たり寄ったり、他の連中と必要以上に関わろうとしない。そして連中は大概、親父とイザベラの周囲に控えている」

 

「奴の近衛兵か。どいつもこいつも実力者ばかり……まともにやり合えば勝ち目は無い」

 

「だからそれを使うと? 確かにおかしくなっちゃいるが、あいつらは仲間なんだぞ」

 

「馬鹿言うな、コイツを使うのはイザベラにだ……あの女は何か奥の手を隠し持ってる。対抗策は必要だろ?」

 

 

言いながら、ホークアイはダガーの1本を鞘から抜き、換わりに毒の瘴気を纏ったダガーを其処に刺し込む。

そして脈動する石を手に取り、再びイーグルへと投げ渡した。

 

 

「おい!」

 

「持ってろよ、色男さん。肌に傷なんか残ってみろ。相棒が何やってたんだって、俺が女どもに殺されちまうよ」

 

「それお前が言うのか? お前が怪我する度に、誰かに刺されるんじゃないかってマジで怖いんだぞ、俺」

 

「冗談は兎も角、マジで下手な事はできないぜ。死んだりしてみろ、もう一度生き返らされて、改めて2人ともジェシカに殺されちまうよ」

 

 

笑い声。

しばらく続いたそれは、しかし徐々に静まってゆく。

ぽつりと零れる声。

 

 

「言わないのか?」

 

「……アイツも、今の親父はおかしいと感じてるんだろう。だがそれ以上に、親父を信じている。信じようとしている。此処で余計な心労を掛けたくない」

 

「兄貴が妹を信頼しなくてどうするよ。アイツはそんな弱い女じゃない、そうだろ?」

 

「だが負担を掛けないに越した事はない。イザベラの正体を暴けば状況は変わるだろう……それがどんな形であれ、アイツにも負担が掛かる事は避けられない。なら、せめて今だけは……」

 

 

イーグルが、壁に立て掛けてあった愛用のシャムシールを手に取る。

ホークアイもまた、無言で椅子を立った。

 

 

「ローラントの王家がどうなろうと知ったこっちゃないが、無関係の民を傷付けるなんざナバール盗賊団の誇りが許さん。何としても親父を正気に戻すぞ」

 

「ああ、あの女の化けの皮を剥いでやる。砂漠の民を謀る事がどんな結末を齎すか、身を以って理解させてやらなくちゃあな」

 

 

言葉を交わしながら2人は部屋を出る。

彼等が向かうは、自らの育ての親が待つ部屋。

この『砂の要塞ナバール』の中枢であり『ナバール盗賊団』の首領であるフレイムカーンの居室。

そして、全てを狂わせた女『イザベラ』の待つ場であった。

 

 

 

 

 

「逃げてください、アニキ!」

 

「馬鹿言うな、ジェシカが……ジェシカを置いていけるか!」

 

「ジェシカさんならオイラが見てます! 今はウェンデルに……光の司祭様に会って『死の首輪』の情報を得るのが優先事項ですニャ!」

 

 

結局のところ、ホークアイはイザベラの正体を暴く事に成功した。

引き換えに得たものは『仲間殺し』『裏切者』の汚名と、兄弟同然に育った親友の死。

妹同然の少女に着けられた『死の首輪』という呪いのアーティファクト。

そしてナバールが、もはや嘗ての誇り高い義賊ではないという、絶望的な事実のみだった。

結果として今、闇夜に紛れて人目を憚り、重罪人としてナバールを後にしようとしている。

 

 

「馬鹿野郎! もうイーグルだって居ないんだぞ! なのにアイツ独り、こんな場所に……!」

 

「アニキ!」

 

 

弟分のニキータ、脱獄の手助けをしてくれた彼に、胸倉を強く掴まれるホークアイ。

有無を言わさぬそれに面食らっていると、更に想像を超えた言葉が降り掛かった。

 

 

「イーグルさんは死んでニャい! まだ生きてますニャ!」

 

「……は? おい……おい、それって」

 

 

思いも寄らなかった事実に、喜びよりも先に思考が麻痺する。

そんなホークアイを余所に、ニキータは更に言葉を捲し立てた。

 

 

「あの石です、アニキ! イーグルさんは確かに瀕死だった! でも、あれだけの火傷を負いながら、それでも生きてたんですニャ!」

 

「生きて……生きてるのか、イーグルは!?」

 

「助かりっこないのは誰の目にも明らかだった! でも、あの石を持ってたお蔭で……傷を負った直後から、もう回復が始まってたんですニャ! 今は信頼できる仲間とディーンに脱出していますニャ!」

 

「……そうか、良かった……本当に、良かった……!」

 

 

思わず顔を伏せ、震える声を零すホークアイ。

死んだ筈の親友が生きていたのだから無理もない反応ではあったが、ニキータは感傷に浸る暇を与えなかった。

 

 

「のんびりしてる暇は無いですニャ、アニキ。ナバールはこれから2つに分裂します、確実に。フレイムカーン様とイザベラに着いていく者と、イーグルさんとアニキに着いていく者。間違いなく、嘗ての仲間同士で刃を交える事にニャる。悪夢ですニャ」

 

「……ああ、そうだろうな」

 

「イーグルさんは皆の指揮を執らニャならないし、オイラはジェシカさんの傍に居なきゃならない。ウェンデルに行って『死の首輪』の情報を得る事が出来るのは、アニキしか居ニャいんですニャ!」

 

「……そうだな、こんなとこで足踏みしてる場合じゃないよな」

 

 

眼下に広がる、月明りに照らされた砂漠。

窓から其処に身を乗り出しつつ、ホークアイは告げる。

 

 

「ありがとよ、ニキータ。おかげで迷いは無くなった……行ってくる」

 

「行ってらっしゃいです、アニキ……ナバールを、宜しくお願いします」

 

「……戻って来るぞ! 待ってろよニキータ、ジェシカ!」

 

 

 

 

 

重力を無視したかの様に、宙に身を躍らせるホークアイ。

こうして鷹は、砂の要塞を飛び発った。

そして、本来であれば翼を捥がれていた筈の鷲もまた、その翼を広げて外へと飛び発つ。

砂漠に始まる物語は、その様相を大きく変容させて幕を開けた。

 

 

 

 

 

「イザベラ様、お怪我は……」

 

「心配無用だ、下がれ」

 

 

イザベラの寝室。

其処で彼女は付き人を下げ、化粧台の前に座した。

鏡を覗き込み、呟く。

 

 

「あの坊や……やってくれたわね。まさか、こんな……こんな、奥の手が……あった、なんて……」

 

 

徐々に、徐々にイザベラの顔が俯いてゆく。

そして数秒の後、彼女は激しく咳き込み始めた。

口元を両の掌で覆い、咳というよりは何かを吐き出す様な音と共に呻き続ける。

数十秒続いたそれが止んだ時、イザベラは漸く顔を上げ、再び鏡を覗き込んだ。

 

 

「……あの状況で……斬り付けてきたってのも、驚いたけど……毒まで、仕込んでた、とはね……」

 

 

激しく乱れる呼吸。

鏡に映り込んだ彼女の顔は、本来の美貌が見る影もない程に凄惨なものだった。

口元から胸元まで全てが吐血に塗れ、更には目元からも出血し鮮血が涙の様に頬を伝っている。

明らかに、通常の毒ではなかった。

少なくともイザベラの知識の中に、この様な既知の毒物は存在しない。

 

 

「こんな物、何処で……砂漠の異変に関係が在るのか?」

 

 

解毒も試みたが、マナによる治療が意味を為さない。

在り得ない事だ。

この毒物は、この世界の理の外に位置しているとでもいうのか。

 

 

「知られる、訳には……いかない……何としても……隠し通して……」

 

 

再び咳き込み始めるイザベラ。

彼女が一際大きく咳き込む度、化粧台は徐々に、徐々に赤黒く染まってゆく。

 

 

 

 

 

喜劇と悲劇は表裏一体。

砂漠の民の誇りが2つに分かたれた夜、相対する両者の命運は決定的に変化した。

免れた悲劇の陰で、別の悲壮が幕を開ける。

 

そして、遠く離れた異国の地。

新たな悲劇と血の惨劇が、その牙を剥こうとしていた。

 

 

 




劇毒21.7
ホークアイ(発見力:450)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖都の沈鬱、狩人の獣

 

 

 

「やはり、ジャド近郊に斥候が居る事は疑い様が在りません。十中八九、ビーストキングダムの手の者かと」

 

「ジャドの動きは? 彼等ならば徹底抗戦も在り得るのでは」

 

「ジャドの防衛隊は、ここ十数年縮小の一途を辿っています。大量の傭兵を雇ってはおりますが、それでも現状の戦力でビーストキングダム本隊を相手取れば、保って半日程度かと」

 

 

世界中からの信仰を一手に集める聖都ウェンデル、光の神殿の内部。

この場の最高権力者たる光の司祭、そして補佐官たる神官ヒースは、数名の高官を交えての会議を行っていた。

議題は城塞都市ジャドの周辺で目撃されている、ビーストキングダムの斥候らしき者どもについてだ。

 

 

「しかし何故、今このタイミングでビーストキングダムが? 確かに、マナの減少によって世が乱れる事は誰でも予測が付く。しかし幾ら人間に恨みが在るとはいえ、このウェンデルを攻めれば……」

 

「世界中での獣人に対する敵視と迫害が、より一層激化する結果となるでしょう……通常ならば」

 

「勝算が在るという事かね?」

 

「マナの減少は、そのまま幾つかの超大国の衰退に繋がります。アルテナは言うまでもなく、ローラントの風の防壁も弱体化を余儀なくされるでしょう。そして今、各国には不穏な噂が付き纏っている」

 

「……アルテナの軍需物資移動、ナバールの行動先鋭化か」

 

「ナバールに関しては、もはや盗賊団というよりも完全な軍事国家と看做す方が適切でしょう。サルタンでは専ら、近々ローラントに攻め込むのではないかとの噂です」

 

「ナバールとローラントか。ローラント現王政の成立前から、両者の間には遺恨が在る。何が在っても不思議ではない」

 

「しかし、バストゥークからの流民が灼熱の砂漠に逃げ込んだのは、既に数百年も前の事。いまさらその頃の恨みを持ち出してまで……」

 

「現王政が成立する直前にも、内戦により迫害されて砂漠に逃れた民は幾らでも居ます。彼等の怨恨は決して時代の中に埋もれた訳ではありません」

 

「しかし現首領のフレイムカーン殿は、少なくとも砂漠の民に負担を強いてまで他国に侵攻する様な御仁ではなかった筈。一体何が?」

 

 

次々に情報が交されるが、しかしそのいずれもが情勢の悪化を告げるものばかり。

それらを脳裏にて取り纏めつつ、光の司祭は徐に発言する。

 

 

「……つまり今ならば、人間の信仰の中枢たるこのウェンデルを墜としても、それに関連して動く国家は無い。ビーストキングダムはそう判断した……という事かね」

 

「恐らくは。人間による長年の迫害は、獣人たちに優秀な間諜組織と諜報網の構築を齎しました。今やこの世界に於いて、ビーストキングダムが入り込めない場所はナバール要塞くらいのものでしょう」

 

「ならばアルテナが何処に攻め込むかも、ある程度見えてくるな。南のフォルセナだろう」

 

「馬鹿な、長年の友好国ではありませんか!」

 

「エルランドの港は、既に流氷による封鎖が始まっておる。理の女王による結界が無事に機能しておっても、フォルセナからの穀物輸入が止まれば人はあの地では生きてゆけん」

 

「だからといって……」

 

「無論、我々の知るヴァルダ女王ならばその様な選択はせんだろう。だがこの1年、アルテナの内情について何がしかの情報を得た者が居るかね?」

 

 

沈黙。

ヒースは無言のまま、書類の1枚をめくる。

エルランドに送った間者との連絡が途絶えた事を報告する書類。

 

 

「アルテナもナバールも、何が起こっておるのかは解らん。しかし、このウェンデルに対する関心が薄れている事だけは確かじゃろう。今のアルテナに民の信仰に配慮しておる余裕は無く、ナバールの変貌を見る限り民に対する配慮が在るとも思えん。なればこそ今、ビーストキングダムがウェンデルに侵攻しようと、どの国からも横槍が入る事は無い。そう判断したのじゃろうよ」

 

「フォルセナもローラントも軍事大国です! そう簡単に侵略が成功するとは思えません!」

 

「いえ、そうは言い切れないでしょう。フォルセナの主戦力は剣士により成り立っている。上位騎士ともなれば単独でアルテナ軍に打撃を与える事も可能でしょうが、魔法相手に一般の剣士では分が悪い」

 

「ローラントも、アマゾネスは確かに精強だが……ナバールに関する情報が殆ど無い以上、奇襲を受ければ一度の攻勢で陥落するおそれすら在る。何より解っているだけでも、ナバールの主戦力であるシーフは他国の上級兵士に匹敵する様だ。情報の全く無い、より上位のシーフともなれば、他国では碌な抵抗すらできぬやもしれぬ……」

 

「いずれにせよ、両国共にウェンデルに対する救援の余地は無い……という事か」

 

 

またもや沈黙が立ち籠める。

状況の打開に繋がる情報が全く無い。

誰もが聖都ウェンデルに迫る脅威、そして世界を覆わんとする戦乱の影を感じ取っていた。

 

 

「……この議題は更なる情報が集まり次第、改めて論ずるとしよう。ヒース神官、アストリアの件については?」

 

「その件については、調査報告が届いております」

 

 

新たな書類を手に取り、ヒースは透き通った声を紡ぐ。

 

 

「先ず、湖の異変に関する報告ですが……水面下に『街』が見えたという件については、確認が取れませんでした。しかしアストリアの住民の多くが同様の報告をしており、大規模な幻覚の可能性も在ります」

 

「マナの乱れによるものか、或いはこれも……」

 

「いえ、その『街』に関して更に奇妙な報告が。村人の証言によると、見た事も無い石造りの『街』であったとの事です。フォルセナともローラントとも、勿論ウェンデルとも異なる不気味な様相であったと。これ以上は現在、追加の報告待ちです」

 

「……他の件は?」

 

「ラビの森で巡礼者の一団が行方不明となった件ですが、数人の遺体の一部が発見されました。検分の結果、獣に襲われたものと思われます」

 

「はて、あの辺りにそんな危険な獣が居ただろうか? 精々がラビやマイコニドといった程度のモンスターでは……」

 

「不明ですが、しかし傷痕からしてかなり鋭利な爪と牙を持ち、巨大な体躯を持つ獣の様です。残された遺体の殆どは爪によって引き裂かれ、或いは力任せに喰い千切られていたと」

 

 

出席者の顔が、一様に蒼褪めた。

アストリアの周囲で獣による大規模な被害が出るなど、少なくとも聖都成立後の歴史上では初耳である。

況してや人体を膂力に任せて喰い千切れる、ラビの森に生息する巨大な獣など、彼等の知識には存在しなかった。

 

 

「……この問題に関してもうひとつ。ジャドとの街道に於いて、身元不明の成人男性2人、成人女性1人、女の子1人が保護されています。男性の内1名と女性、女児は家族らしく、今はアストリアにて臨時の仮住まいを得ております」

 

「旅人かね?」

 

「いえ……彼等の身なりなのですが、見慣れない装束を纏っていたとの事です。特に男性2名ですが……防具ではないものの、身体全体を覆う分厚い装束を纏い……全身血塗れだったと」

 

 

物騒な単語に、出席者の視線がヒースへと向く。

当の彼は全く動じる事もなく、書類に視線を落としたままだ。

 

 

「……何者かね?」

 

「不明です。しかし2名とも、奇妙な武器を所持しております」

 

「どんなものかね」

 

「其々、ノコギリの様なギザ刃の刀身を持つものと、巨大な片手斧。それに小型の『砲』です」

 

「『砲』?」

 

「村人の証言によれば。夜間、村に侵入したマイコニドの群れを、それらの武器で細切れにしたと……お手元の資料を」

 

 

ヒースに促され、各自が手元の資料へと目を落とす。

其処に描かれた肖像画と、見慣れない武器の静物画。

幾人かが、呻きに似た声を漏らす。

 

 

「斧はともかく……このノコギリは何だ? この刃並び、とても樹木を斬り倒す為のものとは思えん」

 

「いや、伐採用を転用した物ではないのだろう。初めから武器としての運用を前提に作られている様に思える。この刃は斬るのではなく……骨肉を削ぐ、といった目的のものではないかな」

 

「……剣や槍ではいかんのか。正直、これには一種異様な殺意さえ感じられる。こんなもので斬り付けられようものなら、モンスターはともかく人間は……」

 

「この『砲』……嘗て各国が研究していたものと似ているな。結局は弓か魔法で十分と判断された筈だが」

 

「確か、ペダンが実戦配備の直前まで漕ぎ着けた筈だ。結局は兵站の面から実現しなかったが、試作品が裏市場に流れたのでは?」

 

「いや、あれはもっと巨大な……据え付け型の『砲』を無理矢理、個人携帯型にした様なものだった。こんな洗練された構造ではなかったぞ」

 

 

次々に疑問が発せられるが、内容が問題の核心から遠ざかっている事に気付いたのだろう。

喧騒は徐々に静まり、取り纏める様に1人の高官が発言する。

 

 

「それで……彼等は今、どの様な?」

 

「アストリアの自警団に属しています。昨今のモンスター凶暴化により自警団は深刻な人手不足だった為、多少の警戒は在れど最終的には歓迎された模様です。加入から一月も経っておりませんが、既に彼等はアストリア自警団の最大戦力となっています。ジャドとの街道に於ける、巡礼者や商人の護衛も請け負っている様です」

 

「少なくとも友好的ではあると?」

 

「少しばかり取っ付き難いとの声も在るには在りますが、住民とは概ね良好な関係を築いている模様です」

 

 

またもや沈黙。

指が机の表面を叩く音だけが、会議場に無機質に響く。

やがて、司祭が結論を述べた。

 

 

「……その異邦人の監視は継続すべきだろう。ビーストキングダムが侵攻するとなれば、先ずは拠点としてジャドを制圧する筈。連絡を密に取り、異変在らばすぐに知らせなさい……最悪、巡礼路を封鎖する事も考えねばならん」

 

「となると……洞窟ですか? しかしジャドとアストリアは……」

 

「住民にウェンデルへの避難を呼びかけよう……遅きに失したやもしれんが。住み慣れた地を離れたがらない者も多いだろう」

 

「ジャドは多少の抵抗の後、開城する公算が高いと思われます……無用な被害を避ける為にも。アストリアは戦略拠点としては攻める意味が在りません」

 

「結局は獣人王の匙加減次第だろう。人間を根絶やしにするまでを考えるのならば、ジャドもアストリアも塵すら残らん」

 

「しかしガウザー殿は……」

 

 

議論は徐々に、ビーストキングダム最高権力者である獣人王ガウザーの目論見へと移ってゆく。

そんな中でヒースは、自身も直接アストリアに赴き、其処で目にした異邦人の姿を思い浮かべる。

 

あの装束。

攻撃を受ける為の防具こそ見当たらなかったが、それでも間違いなく戦いの為のものだ。

分厚く、使い込まれたそれからは、傍を通り過ぎただけで解る程に濃密な血の、死の臭いが漂っていた。

そして、巡回中に手にしていた、あのノコギリと斧。

人を相手とするには明らかに過剰、というよりも逆に取り回しを妨げているのではないかと思われる程の重量だろう。

何より鈍く分厚い斧の刃と、あの斬れ味よりも引き裂き削る事を優先したノコギリの刃。

敵への異常なまでの殺意と憎悪に塗れた様な、あの凶悪な造形が脳裏に引っ掛かる。

あんなもので、一体何を相手にしようというのか。

 

 

 

会議は続く。

彼等が必死に目的を推察しようとしている対象、その人物が座する常夜の森の王城。

其処で今まさに、想像を超える事態が巻き起こっている事など、彼等には知る由もなかった。

 

 

============================================

 

 

「獣人王ォォォォォッッ!」

 

 

咆哮と共に打ち破られる城壁の一部。

背後から響くその轟音を聴きながら、獣人王ガウザーは微かな満足感を覚えていた。

傍らに居る『死を喰らう男』がほくそ笑むのを感じながらも、些末事と切り捨て彼は歩み続ける。

すぐに未熟な息子が、この身にその非力な拳を打ち込まんと吶喊してくる事だろう。

遅々として獣人としての覚醒を見せなかった息子が、怒りに任せてとはいえ本来の力の一端を解放し、その姿を見せ付けに訪れる。

押し殺してはいるが、それでも微かに滲む歓喜。

しかしそんな彼の満足感は、死を喰らう男から伝わってきた明らかな動揺、そして轟音に混じり耳に入った複数の呻きと、確かに感じる血の臭いによって掻き消された。

 

 

「……何ですカ、アレ」

 

 

呆然と呟かれた、死を喰らう男の言葉。

呻き声はいよいよその音を増し、微かに助けを求める悲鳴さえ聞こえ始めた。

そして、その中に混じる重々しい、聴き慣れぬ耳障りな金属音。

漸く背後へと振り向いた獣人王の視界に、粉塵の中に立つ息子の姿が映り込む。

 

 

「獣人王……」

 

「……ケヴィンか」

 

 

濡れた足音と共に獣人王の息子、ケヴィンが粉塵の中より歩み出る。

いや増す血臭。

粉塵が風により流され現れた光景に、獣人王は眉を顰めた。

 

破壊された城壁の瓦礫に混じって、ケヴィンを止めようとしたらしき衛兵たちが倒れている。

彼等は負傷している様だが、その度合いが尋常ではなかった。

全身が血塗れとなり、仲には呻き声すら上げずに痙攣している者さえ居るではないか。

明らかに危険と判る状態。

 

そして、それを為したであろうケヴィン本人でさえ、全身を真紅に染め上げていた。

返り血も在るのだろうが、今もなお滴り続ける鮮血と何処か覚束無い足取りが、彼の負傷の度合いを物語っている。

致命傷ではないのだろうが、明らかに深手を負っているのだろう。

凶暴化した狼と戦った程度では、説明の付かない重傷。

一瞬だが呆けた獣人王は、しかしそれを表に出す事なく言葉を紡ぐ。

 

 

「貴様……何をした?」

 

「こっちの台詞だ、獣人王。カールの異変がオマエに仕組まれていた事、全部聞いた。『コレ』を送り込んだのもオマエ達だろう」

 

 

言いつつ歩を進めるケヴィンを前に、獣人王は横目で死を喰らう男を見遣る。

だが彼は何やら必死に首を横に振り、身振り手振りで自分ではないと訴えていた。

無条件に信じる訳ではないが、しかしその焦燥振りから嘘を吐いている訳ではないらしいと判断する。

 

 

「……知らんな『そんなモノ』は。ところで、あの狼の子供はどうした。きっちりと止めは……」

 

 

轟音。

ケヴィンが、肩に担いでいた『それ』の先端を、石畳に叩き付けていた。

衝撃が、獣人王の足元まで響いてくる。

何事かと駆け付けてきた他の衛兵たちもケヴィンの後方で、突然の轟音に足を止めてしまっていた。

 

 

「惚けるな……」

 

 

絞り出される様に紡がれた声は、悍ましい程の憎悪と殺意に塗れていた。

本来であれば息子の覚醒を示すそれを、満足と共に受け入れられたであろう。

しかし今、獣人王は奇妙な違和感を感じ取っていた。

怨嗟の叫びは続く。

 

 

「あの人間は……オマエ達が送り込んできたんだろう、違うか!?」

 

「……この月夜の森で人間だと? 何を言っている」

 

「ふざけるな! 奴にカールを殺させたんだろう、コレで!」

 

 

叫びながらケヴィンは、その手に握られた武器らしきものを掲げる。

血塗れのそれは一見すると鈍器の様にも見受けられたが、すぐにそうではないと気付いた。

巨大な鉄塊の片面に、鋸の様な刃が並んでいるではないか。

異様な外観のそれから滴る血に、獣人王は更に眉を顰めた。

 

 

「知らん、なんだそれは。あの狼はそれに殺されたのか……お前にではなく?」

 

「……カールを殺し……オレも殺されかけた……オマエの思い通りに!」

 

「……そうか」

 

 

幾ら考えても、心当たりは無かった。

ケヴィンが手にしている武器、あのような物などこれまでに一度も目にした事が無い。

鉄製である事は間違いなく、しかし鈍器にも似た外観は、剣や槍といった洗練された武具としての雰囲気がまるで感じられない。

しかし等間隔で並べられた巨大なノコギリ状の刃は、明らかに対象を引き裂く事を意図していると解る。

だとしても、刀身と刃の大きさが不釣り合いに過ぎた。

柄元よりも先端部に偏った重心、粗末な布が巻かれただけの柄。

あまり武器を用いる事をしない獣人兵、それを纏める立場に身を置く獣人王から見ても、無骨かつ野蛮という言葉が似合う得物であった。

 

そんなものを手にした人間があの狼の子供を殺し、ケヴィンをも手に掛けようとしたというのか。

そもそも、あんなものを振り回せる人間が何処の国に居るのか。

フォルセナの剣士ならば在り得るやも知れないが、だとしてももっと洗練された剣を使うだろう。

しかも獣人の完全な支配下にある月夜の森に侵入し、ケヴィン達を襲うなど。

成否以前に、そんな事を考える命知らずが居るものだろうか。

 

だが同時に、更に満足を覚える事象も在った。

あれでケヴィンを襲った人間が居たとして、今その得物を手にしているのは襲われたケヴィン本人だ。

それが意味する事は1つ、ケヴィンが自力で襲撃者を退けたという事。

そして間違いなく、もはや襲撃者は生きてはいないだろう。

ケヴィンから漂う、奇妙な血の臭いが教えてくれる。

彼は確かに、敵の生命をその手に掛けたのだ。

いずれは迎えねばならなかった試練を、予想外の形でとはいえ乗り越えた息子に誇らしささえ感じる。

当の息子の前では、おくびにも出さないが。

 

 

「それで、どうするというのだ? 泣き言を言う為に儂の下を訪れた訳ではあるまい……ふん、衛兵を半死半生にするだけの力は在るか。八つ当たりだけは上手い様だな」

 

「うるせえ……」

 

「しかし良い目だ。敵への憎しみに満ちた、野生を隠そうともしない目……忘れるなよケヴィン。今お前の胸中に渦巻くそれこそが、敵に相対した時の心構えそのものだ」

 

「うるせえええぇぇぇぇッッ!」

 

 

瞬間、数メートルもの間合いを一瞬で詰めたケヴィンが、獣人王の鳩尾へと渾身の蹴りを打ち込んだ。

獣人王からしてみれば、歯牙にも掛けない程度の衝撃。

しかし予想以上でもあったそれに、獣人王は嬉し気に唇の端を歪めてみせた。

次いで右手でケヴィンの足首を掴み、力任せに捻じり上げる。

そのまま、彼を森へと投げ捨てんと力を込めて。

 

 

「馬鹿め、頭を冷やして……!?」

 

「がァッ!」

 

 

唐竹割りにせんと振り下ろされた刃を、寸でのところで左手が受け止める。

血飛沫。

ノコギリの刃が、掌を貫通していた。

ケヴィンの後方、衛兵たちの声が上がる。

 

 

「獣人王様!?」

 

 

狼狽える声を無視し、獣人王は負傷を歯牙にも掛けず刃を押し戻す。

多少の肉を削ぎ取り、しかし強引に刃を抜かれたノコギリは、そのままケヴィンの背後へと振り被る様にして弾かれた。

獣人王は右手で掴んでいた足首を放し、ケヴィンを宙に浮かせる。

そのまま負傷した左手を握り締めて拳を形作り、殆ど全力で以ってケヴィンの身体へと打ち込んだ。

この程度で死ぬ息子ではない、そう確信しているが故の一撃。

だが其処で、完全に予想外となる反撃がケヴィンより放たれた。

 

 

「―――ッッ!」

 

 

最早、声としての体すら為していない咆哮。

それと共に振るわれる、肉厚のノコギリ。

が、その刀身が届かない事は、誰の目にも明らかだった。

獣人王とケヴィンの距離は、宙へと放られた時点で既に開いてしまっている。

自棄になったかと、少しばかりの失望を覚える獣人王の目の前。

 

 

「ッ……!?」

 

 

振るわれたノコギリ、その刀身が『伸びた』。

否、そんな生易しいものではない。

大蛇の如き鞭と化した刀身が、鎌首を擡げる様にして数メートルもの上空にまで振り上げられていたのだ。

そして一瞬の後、先に振り抜かれたケヴィンの手元の動きを追う様にして、鈍く巨大な刃が並ぶ蛇腹状の刀身が獣人王へと叩き付けられた。

全身を襲う衝撃、肩口の灼熱、そして鼓膜を劈く轟音。

 

 

「ヒイィッ!?」

 

 

遅れて聴こえる、引き攣った悲鳴。

死を喰らう男のものだと、脳裏の端の思考が訴える。

だが、一々それを気にしている余裕など無かった。

 

 

「獣人王様!」

 

「誰か、治癒魔法を使える者を呼んで来い! すぐに医師を……!」

 

「狼狽えるな!」

 

 

一喝。

喧騒に呑まれんとしていた、周囲の全てが静まり返る。

この場には、既にケヴィンの姿は無い。

獣人王の一撃を受け、あのノコギリもろとも森へと吹き飛んでいった。

残されたのは破壊された城壁と、生死の境を彷徨う数名の衛兵。

そして。

 

 

「じゅ、獣人王様……」

 

 

肩口から腹部までを引き裂かれ、破壊された石畳を流れ出る血で染め上げる獣人王のみ。

襲い来る激痛からして傷は骨にまで達しているのだろうが、それでも鍛え抜かれた身体が致命傷となる事だけは防いでいた。

だからといって軽傷という訳でもないのだが、其処はビーストキングダムの頂点に君臨する男。

嘗てはこの程度の傷を負うなど日常茶飯事で在った事もあり、全く動じる様を見せなかった。

彼は常と全く変わらぬ平静そのものの声で、矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 

 

「負傷者の介抱を急げ。聖杯の備蓄を切り崩しても構わん、直ちに治療せよ。ウェンデル侵攻に係わる者を除き、戦闘要員は直ちに準備を整え王座の間に集結せよ。これより緊急の訓示を行う」

 

「はッ!」

 

 

兵士たちが直ちに動き出した事を確認し、獣人王は先程から腰を抜かしたままの死を喰らう男へと視線を移す。

びくりと肩を撥ねさせた死を喰らう男は、慌てて身を起こすと深々と頭を下げた。

 

 

「も、申し訳ありません獣人王サマ! この様な事になるとは、ワタクシにとっても予想外でして……」

 

「よい。して、本当にヤツの言っていた人間に心当たりは無いのだな?」

 

「勿論で御座います! これから人間への復讐を行おうという矢先、その人間を獣人王の御膝元に送り込むなど……!」

 

「……そうか」

 

 

その死を喰らう男の振る舞いに、本気の怯えと困惑を感じ取った獣人王は、視線を眼下の森へと移す。

目には見えずとも、何か異様で不吉な気配が、森の中に渦巻いていた。

こんな事は、獣人王としても初めて経験するものだ。

 

 

「……おい、貴様」

 

「は、ハイッ!」

 

「ケヴィンを、お前に任せる」

 

「……ハッ!」

 

 

それだけを伝えると、獣人王は森に背を向けて城内へと歩み去って行った。

暫く頭を下げたままの姿勢を保っていた死を喰らう男は、やがてゆっくりと姿勢を起こすと、詰めていた息をこれでもかという程に大きく吐き出す。

 

 

「……全く! 一体何処のどいつデスか、あんな代物を持ち込んだのは!」

 

 

悪態を吐きながら、先程まで自分がへたり込んでいた場所を見遣る。

 

 

「しかし、あの坊やにこんな力が在ったとは……それに、この妙な死のニオイは、一体……」

 

 

普段の道化としての振る舞いすら忘れ、死を喰らう男は思考に耽る。

彼の足元には、ケヴィンが居た位置から先程まで彼が腰を抜かしていた場所まで、一直線に叩き割られた石畳の惨状が残されていた。

あの奇妙な武器を用いていたとはいえ、どれ程の膂力で叩き付ければこうなるのか。

ケヴィンが見せた想像以上の破壊と容赦の無さに、死を喰らう男は微かに身震いする。

 

 

「やれやれ……これからまた、あの坊やに接触せにゃならん訳デスか。出会い頭にバラバラにされなきゃ良いんですがネェ……」

 

 

愚痴る死を喰らう男の姿が、風に滲む様にして消え失せる。

跡には破壊された石畳と、飛散した大量の血の痕のみが残された。

 

 

 

この日、獣人王の命で月明かりの都ミントスに使者が送られ、住民たちの多くが対立を乗り越えビーストキングダムへと一時的に身を寄せる事となる。

更に獣人王は、ミントスかビーストキングダムかを問わず、森に散っている幼児や育ての親となる獣たちを城内に匿い始めた。

同時に精鋭兵士をウェンデル侵攻の為の後続部隊より引き抜いてまで再編し、月明かりの森の巡回と侵入者撃退という新たな任を与える。

この決定に多くの獣人たちは首を傾げたが、彼等がその意味を理解するまでに然程の時間は掛からなかった。

森を侵し始めた異変が獣人全てに牙を剥くまで、残された時間は余りにも少なかったのだ。

 

 

 

 

 

更に9日後。

遂に世界は、運命の日を迎える。

ファ・ザード大陸各地で上がった戦乱の火は、瞬く間に大陸全土を混乱で覆い尽くした。

そして、後に世界の命運を握る事になる6名の少年少女もまた、運命に翻弄されながら救いを求め、聖都ウェンデルへと集いつつあった。

 

 

 

 

 

しかし此処で、運命の歯車は大きく狂い始める。

居る筈のない存在、在り得る筈のない出会い。

それらが幾重にも重なり合い、マナを巡る戦いはより混迷の度合いを深めてゆく。

 

 

「お願い……私を……私を、聖都ウェンデルに……」

 

 

世界が危機に陥りし時、世界を救う英雄を導く為、聖域より遣わされるフェアリー。

彼女が最初に出会いし人物こそが、マナの剣を抜く勇者となる。

しかしこの夜、彼女の下へと現れた者は、断じて英雄となる者などではなかった。

 

森の木々の間、闇の内より出でて彼女の前に現れた人物。

濃密な血の匂い、硝煙の香りを纏う漆黒の出で立ち。

夜の闇よりもなお暗い装いに身を包んだその人物は、湖畔にて今にも息絶えんとするフェアリーを見付けた。

 

 

「お願い……」

 

 

意識が混濁しているのだろう、うわ言の様に懇願を繰り返すフェアリー。

それを聞き留めた彼は、自身の持ち物から小さなナイフを取り出し、次いで手甲を外した指先を斬り付けた。

そして、傷口より滲み出る血液を、フェアリーの口元へと押し付けたのである。

突然の鉄の匂いに覚醒するフェアリー。

その、状況を呑み込めずに混乱する思考に、有無を言わさぬ声が響く。

 

 

「啜れ。生きたいのなら」

 

 

 

 

 

フェアリーを宿す勇者は、運命の瞬間に間に合わなかった。

英雄を導く者が出会ったのは、それに相応しい人物ではなく。

血と硝煙と、月の香りを纏う『獣狩りの狩人』であった。

 

 

 




ケヴィン:筋力28
E.獣肉断ち
  呪われた獣狩りの濡血晶:対獣30.4%UP & HP-7


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖精の見る悪夢

 

 

 

「ライザ様……」

 

「静かに……動かないで……」

 

 

バストゥーク山脈の麓、漁港パロ。

ローラント陥落から既に10日が経った今なお、占領下の地域では敗残兵狩りが続けられていた。

襲撃を生き延びたアマゾネスの数はごく少ないと見られており、パロの住民の間にも『ローラントはもうおしまいだ』との認識が色濃くなっている。

しかし同時に、予想された略奪や住民への暴行などの無法な行為が武力を伴う抵抗活動の際を除けば全く見られない事に、誰もが安堵と奇妙な不気味さを感じ取っていた。

通常ならば、歓迎すべき事だろう。

如何に卑劣な侵略者とはいえ、非武装の民間人に狼藉を働く事もないという一点に於いては、彼等ナバールの兵は住民から一定の評価を受けていた。

しかし、その好ましい振る舞いは規律や良識といった類のものから生まれている訳ではないと、誰もが然程に時間を掛けずして理解する事となる。

 

彼等の振る舞いは異常だった。

まるで人間味というものが無いのだ。

住民からの罵声や、悪意に満ちた対応といったものに対し、まるで反応を見せない。

脅威とならない程度であれば、水を掛けられようが汚物を投げ付けられようが、避けたり身を守ったりする素振りを全く見せないのだ。

それどころか声を荒げて怒り出す事も、何らかの警告をする事もしない。

唯々無言、無表情のまま市街の巡回を続けるのだ。

これには当初こそ威勢よく罵声を浴びせかけていた一部の命知らずな住民たちも、不気味さのあまりそういった行動を慎み始めた程だ。

 

更には、巡回以外での行動も奇妙だった。

仲間内でさえ大して会話をしている様子は無く、最低限の情報交換をしている光景しか見受けられない。

飲食店や酒場に入れば、あろう事か正規の対価となるルクを支払い、表情に何ら変化を見せる事もなく供された食事を平らげ、そのまま無言で店を出てゆく始末。

飲酒をする事もなく、娼館に入る事もない。

娯楽となる凡そ全ての事柄に対し、一切の関心を見せないのだ。

 

その癖、武力を伴う抵抗に関しては、冷酷そのものの対応を執る。

背後から銛で突き掛かった若い漁師の喉をダガーで引き裂き、市井に紛れて武器を集めていた生き残りのアマゾネスの1人は、捕捉されるや否や抵抗さえ儘ならず飛刀に眉間を貫かれた。

折悪く、襲撃の前にバイゼルの闇市で仕入れた軍需物資を積んで入港した王家の秘密交易船は、発覚と同時に強引な出港を試みたが故に乗組員全てが殺害され、その日の内に沖合で火を放たれ漁礁と化した。

雄叫びを上げる事も、殺戮に酔う事もない。

只管に無言のまま、古代の魔導人形の如く一切の感情の起伏を見せず、敵対者に対する徹底的な殺戮を行うナバール兵たち。

パロの住民たちの誰もが、陰では彼等を『砂漠の悪魔に魅入られ、魂を喰われた哀れな盗賊たち』と呼び、息を潜めて囁き合った。

人としての魂を無くした彼等は、今や悪魔に魅入られたフレイムカーンの命令に従う、哀れな人形に過ぎないのだと。

そして今、夜の漁港の一角で息を潜める彼女達もまた、その考えが的を射ているのではないかと信じつつある人間だった。

 

 

「やはり彼等は……彼等は異常です……! 腹を突かれていたのに、反撃してきたんです……致命傷なのに、動ける筈がないのに!」

 

「落ち着いて、レジィ! 追手が迫ってる、何とか撒いてアジトまで戻らなければ……シッ!」

 

 

レジィと呼ばれた少女を制し、それよりも少し年上らしき女性、ライザと呼ばれた彼女は建物の陰から表を窺う。

闇に沈む通りには、人影ひとつ無い。

だが彼女は、その闇の中に潜む何かを不確かながらも感じ取っていた。

追ってきている、間違いなく。

 

 

「……まさか、奴らが」

 

「黙って……!」

 

 

彼女達がこの状況に陥った理由は、敵の統率力に対する誤った認識からだった。

呪術か薬物かは解らないが、ナバール兵どもは正常な思考能力を失っているのではないか。

そんな推測が立てられたのは、つい昨日の事だ。

占領地での食事に対価を払い、周囲からの悪意に無反応。

生存に関わる最低限のものを除き、欲望を満たそうとする如何なる行為もしない。

凡そ人らしからぬ振る舞いに、そういった推測が為されたのだ。

それを証明する為に、アマゾネスの残存兵力によるナバール兵の捕獲が試みられる事となった。

 

巡回中のナバール兵に狙いを定め、独りになった瞬間を狙い昏倒させアジトに連行する。

単純な計画だが、作戦はその第一段階からケチが付いた。

巡回中のナバール兵、その意識を刈り取るべく一撃を入れたまでは良かったが、なんとその兵士は意識を失う事なく反撃してきたのだ。

捕獲は失敗と判断したライザが、間髪入れずにランスの一撃を敵兵の腹部に見舞い、レジィと共にその場を離脱せんとした、その時。

信じ難い事にナバール兵は、腹部に突き刺さったランスを掴んで更にその身へと喰い込ませ、それによりバランスを崩したライザを無視して後方のレジィに斬り掛かったのだ。

 

余りの事に咄嗟の反応が遅れたが、それでもレジィは軽く腕を斬られただけで難を逃れた。

だが、その隙に敵兵は指笛を鳴らし、周辺のナバール兵を呼び寄せる為の合図を放っていたのだ。

周囲に控えていたアマゾネス達を含め各々に異なる方向へと逃げ出したものの、今となっては無事に逃げおうせた仲間が居るかも怪しい。

最悪、未だ捕まっていないのは自分達だけという事も在り得るのだ。

脳裏を過ぎる最悪の想像に、ライザは思わず頭を振った。

その時だ。

 

 

「ッ……不味い」

 

 

明らかにナバール兵と判る影が、通りの先に現れた。

走るでもなくゆっくりと近付いてくるそれは、奇妙に揺れながらライザたちが潜む角へと迫る。

武器になる様な物は手元に無く、かといって徒手空拳でナバール兵に抵抗できるかといえば、たとえ2人掛かりであっても難しいだろう。

ナバール兵の錬度が異常なものである事は、最初の奇襲で既に嫌という程に味わっている。

ましてや相手は、あの特徴的な2本のダガーで武装しているのだ。

防具を着けるでもなく、町娘の格好である2人が挑むともなれば、瞬く間に全身を引き裂かれてもおかしくはない。

しかし、この角の先は行き止まりだ。

逃げ場など何処にも無かった。

 

 

「……レジィ、残念だが逃げ場は無い。奴が此処まで来たら、一気に引き摺り込んで始末する。出来るな?」

 

「ッ……はい、勿論」

 

 

問い掛けに、覚悟を秘めた声で答えるレジィ。

微かに笑みを浮かべ、ライザは再び通りを窺う。

影はもう、すぐそこまで迫っていた。

迷っている暇は無い。

 

 

「……今だッ!」

 

「はッ!」

 

 

不用意に近付いてきた影に飛び掛かり、両手で襟首を掴み建物の角へと引き摺り込む。

油断していたのか、これといった抵抗も無い。

石畳に引き摺り倒し、其処へレジィが追撃を掛けようとして。

 

 

「なッ……!?」

 

「……ヒッ!?」

 

 

レジィの、そしてライザの身体が凍り付いた。

仰向けに横たわるナバール兵の腹部、其処から在り得ないものが突き出ている。

見覚えの在るそれに、レジィが震える声で叫んだ。

 

 

「……嘘、そんな、さっきの! こいつ、さっきの……!」

 

「まだ生きて……!?」

 

 

ナバール兵の腹部、其処からランスの柄が突き出していた。

矛先は根元までが腹部に埋まり、傷からは血が止め処なく噴き出している。

このナバール兵はライザによって腹部を貫かれてなお、今の今まで彼女達を追跡してきたのだ。

余りにも異常な執念、異常な振る舞い。

戦慄し、思わず飛び退ろうとするライザの目前で、仰向けのまま痙攣するナバール兵に異変が在った。

震える左腕を持ち上げ、ライザたちの方へと突き出しているのだ。

咳き込む音と共に、鼻と口を覆う面の内から血が溢れ返る。

 

ライザは気付いた。

このナバール兵の目に、先程は無かった意思の揺らぎが見える。

覆面の下、必死に開閉を繰り返しているらしき口。

彼は、何かを言い遺そうとしている。

 

 

「ッ……!」

 

「ライザ様!?」

 

 

困惑するレジィの声を余所に、ライザはナバール兵の傍へと歩み寄り、膝を突いた。

覆面を外し、口元から溢れ返る血を軽く拭ってやる。

そして、耳を近付けた。

 

 

「……イ……ザベ……ラ……」

 

「……イザベラ?」

 

「……あの、女……みんな、操られて……フレイムカーン、さまも、おかしく………バケモノ……」

 

「なに……」

 

「西の尖塔に……城内、魔物……イザベラが、喚んで……溢れて……」

 

「魔物だと……!」

 

 

想像だにしなかった言葉に、ライザが呻く。

次の瞬間、ナバール兵の痙攣が更に激しくなった。

まずい、と焦るライザ。

彼女の目前で、今にも息絶えんとするナバール兵が呟く。

 

 

「すまない……」

 

「ッ……!?」

 

「すまない……許してくれ……すまない……すまない……」

 

 

血を吐きながら謝罪の言葉を繰り返すナバール兵。

突然の事に面食らっていたライザは、しかしすぐに彼の手を握り締めた。

レジィの、驚いた様な声。

 

 

「ライザ様、何を……!?」

 

「レジィ、止血を! ドロップでもドリンクでも良い、何か傷を癒せるものを見付けてきなさい!」

 

「しかし!」

 

「急いで! こいつを死なせる訳にはいかない!」

 

 

ライザは確信していた。

ナバール兵は『何か』をされている。

彼等の異常な行動の数々は、その『何か』によって行動を統率されているが故の事だ。

目の前の男は、死の間際にその束縛を振り切ったのだろう。

そして今、自らが知る限りの情報を伝え、息絶えんとしている。

だが、まだだ。

まだ圧倒的に情報が足りない。

だからこそ、死なせる訳にはいかない。

 

嘘だ、と心の何処かで悲鳴が上がる。

死なせる訳にはいかないのではなく、死んで欲しくないからだろうと。

兵士としては甘い事この上なく、主君を殺めた憎き敵に対するものとしても矛盾した感情。

 

彼等は人間だ。

同じ人間だった。

自らの行いを恥じ、罪を自覚して謝罪し、許しを請う。

眦に滲む涙が、彼の手を握る自分の手へと感謝する様に、弱々しく重ねられたもう一方の手が。

それらを濡らす暖かい血が訴えるのだ。

自身が手に掛けた敵もまた、計り知れない悪意の犠牲者なのだと。

得体の知れぬ『何か』に弄ばれた、哀れな人間なのだと。

だからこそ間に合う訳がないと知りつつも、それでも叫ばずにはいられなかった。

 

 

「レジィ、何処でも良い! 近くの民家に……」

 

「其処までだ、お嬢さん」

 

 

聴き慣れない男の声に、肌が粟立つ。

声は背後、レジィが居る筈の方向から聴こえてきた。

次いで、伸びてきた腕に肩を押さえ込まれ、掌に口を塞がれる。

ライザは、瞬時に状況を悟った。

 

見付かった。

レジィは取り押さえられたか、或いはもうこの世には居ないだろう。

背後の男はいつ出現したのか。

物音はしなかった、気配さえ微塵にも感じ取れなかった。

次に来るのは、首元に触れるダガーの冷たさだろう。

 

此処まで彼我の技量は隔絶していたのか、此処まで自分達は無力だったのか。

折角、状況を打開する糸口を掴んだというのに。

主君の仇も取っていない、攫われたエリオット王子の行方も分かっていない。

果ては自分達の隊長であり、合流間に合わず出国したリース王女との再会も果たしてはいない。

だというのに、此処で終わるのか。

 

自らの不甲斐なさ、そして悔しさのあまり、知らず零れる涙。

頬を滑り落ちたそれが、自身を押さえ込む敵の手に落ちた事を悟り、更に悔しさが募る。

自身の情けない内心を敵に悟られるなど、死にも勝る屈辱だった。

だが、次いで聴こえてきた声が囁いたのは、全くの予想外な言葉。

 

 

「静かに……40m先の商店の角、シーフが2人居る……やり過ごすまで待つんだ……」

 

 

抵抗しようとしていたライザの動きが、ぴたりと止まる。

すると、背後から肩口に回されていた腕が引き込まれ、代わりに手に何かを掴んだそれが目の前のナバール兵へと差し出された。

握られていたのは、奇妙な濃緑の石。

軽く放られたそれが、音も無くナバール兵の胸の上へと落ちた。

更に視界の端から、黄金色の液体が満たされた小瓶が差し出される。

 

 

「飲ませてやってくれないか。流石にその石だけじゃ助からない」

 

 

息を潜めての要求に、ライザは戸惑いつつも従った。

小瓶の中身は、特定の蜂型モンスターの巣より採取される、マナの加護を受けた蜂蜜だ。

経口摂取すると、軽い傷ならばものの数十秒で癒してしまう。

だが、致命傷となる程の重傷者には効果が薄い。

同じくマナの加護を受けた聖杯を用いてさえ、助かるかどうか怪しいのだ。

況して目の前のナバール兵は、腹部にランスが突き立ったままだ。

蜂蜜程度で傷が癒える筈もないが、それでもやらないよりはマシだろうか。

 

そんな事を思考しつつ瓶を受け取り、ライザはどうにか蜂蜜をナバール兵の口へと流し込んだ。

喉から溢れ返る血に大部分は押し出されてしまったものの、多少は呑み込んでいる筈だと安堵する。

しかし其処で、彼女は異常極まる光景を見出した。

 

 

「ッ……何だ……!?」

 

 

突き立ったままのランスが、急にぐらつき出した。

否、徐々にではあるが、穂先が腹部より押し出されてきているではないか。

唖然と見つめるライザの目前で、暫く揺れ動いていたランスがバランスを崩して石畳へと倒れ込む。

 

 

「おっと」

 

 

そのまま音を立てて倒れるかと思われたランスを、背後から伸びた腕が寸での処で受け止める。

其処で漸く、ライザは背後に立つ男の全貌を窺い知る事が出来た。

ローラントでは見慣れない服装をした、僅かに浅黒い肌の男。

結った長い金髪、腰に差した砂漠の民の曲刀。

そして更に後方、レジィの傍に立つもう1人の男は、紛れもないナバール兵のダガーを腰に差していた。

ライザの警戒心が、瞬時に最高潮となる。

 

 

「貴様ら、ナバールの……!」

 

「だから静かにしろって、お嬢さん……よし、巡回は行ったな。アラム、ウーロを担いでやれ。まだ傷口が塞がりきっていない、開かない様に注意しろ」

 

 

ウーロと呼ばれた男が無言のままに頷き、呆然とするレジィに背を向けると倒れていたナバール兵へと足音を立てずに歩み寄り、担ぎ上げる。

小さく上がる呻き声。

胸の上から転げ落ちた石を空いた手で受け止め、金髪の男へと投げ渡す。

そのままウーロという男は、人1人を担いでいるとは思えない軽やかさで窓枠や壁の突起に足を掛けて跳躍、瞬く間に屋根の上へと姿を消した。

唖然として見送るライザ

 

 

「……助けてくれようとしたんだろ? ありがとう」

 

 

不意に放たれた感謝の言葉に、彼女は金髪の男へと向き直る。

路地に刺し込む月明かりの中、翠玉の瞳に真摯な光を湛えた彼は言葉を続けた。

 

 

「怨敵であるにも拘らず、俺達の仲間を救おうとしてくれた。ナバールのシーフとして、貴女に心からの感謝を……勇敢なアマゾネス」

 

 

自身の胸元に拳を当て、頭を下げる男。

それが砂漠の民の感謝の表現である事は、アマゾネスとしての教育の一環により知り得ている。

自らが名乗った通り、この男はナバールの人間なのだ。

 

 

「……ナバールの者がどういうつもりだ? 連行するのならさっさとすれば良い、だが何一つ話す事など無い」

 

「確かに俺達はナバールの者だが、ローラントに攻め込んだ連中とは訳ありでね。今は専ら、こうしてパロに散ったアマゾネス達を集めてる」

 

「何の為にだ、慰み者にでもするつもりか」

 

「そうじゃない。知らないだろうから伝えておくが、アマゾネスは半数近くが生き残っている。今はバストゥークの中腹で、ローラント城奪還の為にアジトの構築中だ」

 

「何だと?」

 

 

一瞬、理解できなかった。

今、目の前の男は何と言ったのか。

半数近くものアマゾネスが生き残っていると、そう言ったのか。

あれだけ苛烈な奇襲の中で、どうやって彼女達が生き残ったというのか。

 

 

「信じられないって顔だな……奇襲部隊に俺達の仲間を忍び込ませた。本当はそのまま城内に留まらせるつもりだったんだが、城のあちこちであどけない顔のまま眠ってる君の仲間たちを放っておけなくてね。回収して、後方の俺達の隠れ家まで運んで介抱してたんだよ」

 

 

呆然と聞き入るライザを余所に、男は唇に指を当てて息を吹いた。

ライザの耳には何も聞こえなかったが、確かに何らかの合図が放たれたのだろう。

すぐさま屋根から飛び降りてきた新たな影が、彼女とレジィにある物を手渡す。

反射的に受け取ったそれは、あろう事か襲撃の日に失った筈の愛用のランス、城内にある筈のその予備であった。

これの在処を知る者は、アマゾネスの中でも特に親しい同期だけの筈。

 

 

「君の友人から聞いたよ。その槍、お袋さんからの昇格祝いで大事にしてたんだろ? 無くした方も回収されてアジトに在るよ」

 

「え……」

 

「レジィ、君もだ。まだ他のランスは使った事もないって話だろ。間に合わせの拾い物で良く頑張ったな」

 

 

掛けられた称賛の言葉に、レジィもまた狼狽を隠せない様だ。

押し付けられた一般のアマゾネス共通のランス、手の内のそれとランスを運んできた男、双方交互に行ったり来たりと視線の動きが忙しない。

仕舞いには助けを求める様な表情で、縋る様な視線を此方に寄越すものだから、ライザとしても状況を余所に困り果ててしまった。

軽く息を吐き、気を引き締め直して問い掛ける。

 

 

「貴様等は……いや、貴方は何者だ?」

 

 

答えは、苦い笑みと共に返された。

 

 

「盗賊だよ、ナバールの。王国なんて名乗ってる恥知らずどもじゃない、歴としたナバール盗賊団。で、俺は其処の首領をやらせて貰ってる」

 

 

言いつつ、彼はその手を差し出す。

握手を求めているのだと、何処か現実味に欠けた思考でライザは理解した。

未だ迷いながらも、それでも差し出された彼女の手。

それを優しく握り返し、彼は名乗った。

 

 

「イーグルだ。宜しく、ライザ副隊長殿」

 

 

============================================

 

 

何故、こんな場所に居るのだろうか。

時間の感覚さえ曖昧なまま、彼女はぼんやりと自問した。

暗く、陰鬱で、嗅ぎ慣れない薬品の臭いが充満する、木造の部屋。

その室内で彼女は、堅く粗末な台の上に横たわっていた。

 

身体の下に感じる布の感覚は余りに薄く、その下に在る堅い板の木目さえ感じ取れる程だ。

その事からも、これが人間たちの言うところの寝台でないという事は理解できた。

寝台という物は、其処で寝る為に作られていると言うのだから、それなりに心地好い感覚を齎す物の筈だ。

それこそ、彼女達がその身を休めていた、そよ風に揺れる花弁の中の様に。

 

其処まで考えて、彼女は違和感に気付いた。

自分は今、何を考えていたのだろうと。

花弁の中で眠る、そう考えてはいなかったか。

花弁の中とはどういう事だ、何らかの比喩なのか。

余程の理由がない限り、人は寝台で眠るものだろう。

否、問題はそんな事ではない。

人が花の中で眠る事など、できる訳がない。

御伽噺に出てくる『妖精』ではあるまいし。

 

 

―――『妖精』だと?

 

 

その概念に思い至った瞬間、彼女の意識が一気に覚醒した。

そうだ『妖精』だ。

人間ではない、自分は正に『妖精』―――『フェアリー』なのだ。

 

堅固な家屋に寄る辺を求め、布にくるまり寝台に眠る。

それが人間だ。

草葉の陰に身を寄せ歌い、香りに包まれ花に眠る。

それが『フェアリー』だ。

自分は後者であった筈だろう。

正に、そうして生きてきた。

夢想などではなく、確かにそうであったのだ。

 

だからこそ解らなかった。

その自分が何故、人が横たわる場所に居るのか。

居心地が悪い等という問題ではなく、もっと根本的な疑問、激しい違和感が生じているのだ。

 

思う様に動かせない身体。

何とか首を起こし、脚の方を身遣る。

違和感は、とある確信へと変わった。

 

身体の大きさがおかしい。

間違いなく、自身が横たわる台と然程に変わらない。

室内を見渡した際に感じた違和感は、これが原因だったのだ。

あらゆる物と自身との距離感がおかしい。

それも当然で、自分が大きくなっているが為に、これまでの身体の大きさを基準とする距離感が狂っているのだ。

だが違和感の正体は、身体の異変に由来するものだけではなかった。

 

見た事もない程に見事な造形の室内灯。

明かりは点っておらず、室内は天窓から差し込む僅かな月明かりが当たる箇所以外、薄闇に包まれている。

そんな中で彼女は、自身の認識に異様な点が在る事を感じ取っていた。

 

人間たちの建物に在る室内灯など、知識こそ在れど実際に目にした事など一度もない。

だというのに何故、自分はそれを『見た事もない程に』等と思考しているのか。

果たしてこれは、本当に自分の意識なのだろうか。

 

 

「……なに?」

 

 

漸く絞り出せた声は、確かに彼女自身のものだった。

だがそれは、新たに始まった異変に対する、恐れ混じりの疑問の声。

彼女が横たわる台、曖昧な記憶が伝えるところによると診療台という物らしいが、その傍らに先程までは無かったものが出現していたのだ。

緩慢な動作で首を廻らせ、その異変の源を注視するや否や、彼女はその身を凍り付かせた。

 

血溜まり。

磨かれた床板の合間から湧き起こる様にして拡がるその液面が、少しずつこの診療台へと近付いてくる。

徐々に嗅覚を満たしゆく強烈な血臭、薄く弱々しい月明かりを反射して艶やかに輝く液面。

呼吸すらも忘れ、彼女は拡がりゆく血溜まりを見つめていたが、やがてそれは明確な恐怖となって彼女を脅かし始めた。

 

 

「あ、うぁ……!?」

 

 

血溜まりの液面、其処から同じく血塗れの異形が姿を現し始めたのだ。

平面の床の上に拡がる薄い液面、其処から人の数倍は在ろうかという巨躯の怪物が浮かび上がってくるではないか。

身体の芯から湧き起こる恐怖に、彼女はまともに声を発する事も叶わず、また震え出す身体を抑える術も持たなかった。

口から漏れるのは、ただ意味を成さない微かな呻きのみ。

 

 

「ひ……あ……!」

 

 

その間にも、怪物の全貌が徐々に明らかになってゆく。

狼の如く突き出た巨大な顎、其処にずらりと並ぶ鋭い牙。

満月の様に丸く意思を感じさせない白濁した目、全身を覆う血に濡れた体毛。

その癖、人間の様に長く折れ曲がった四肢、しかし人間には在り得ない湾曲した鋭く巨大な幾本もの爪。

 

彼女は理解した。

モンスターや神話に描かれる怪物などではない。

これは『獣』だ。

それも、森や草原で生きる真っ当なそれではない。

人を襲い、人を引き裂き、以て血肉と魂までをも喰らう『獣』。

恐らくはそれ自身を除く、他のあらゆる存在にとっての脅威たる『獣』。

そんなものが今、彼女の傍らに姿を現していた。

そして在ろう事か『獣』は、宛ら姫を前に跪く騎士の様に姿勢を低くしたまま、鋭い爪を指の如く開いて掌を上にし、手を差し伸べるが如くゆっくりとその腕を突き出してきたのだ。

この手を取れ、共に往こうとでも言わんばかりに。

 

あまりの事に、彼女は反応する事さえできなかった。

だが状況はそんな彼女を置き去りに、更なる変化を迎える。

今まさに彼女に触れんとしていた『獣』が、苦痛の叫びと共に腕を引き飛び退いたのだ。

一瞬、何が起きたのか理解できなかった彼女であったが、すぐに全身を覆う何処か懐かしささえ感じさせる温かさに気付く。

 

 

「ああ……!」

 

 

光が、彼女を覆っていた。

屋内にも拘わらず、雲の合間から射し込む陽の光の様なそれが、横たわる彼女の身体を照らし出している。

慣れ親しみ、なお敬いさえ覚えるその温かさに、彼女は希望と救いを見出した。

そして、その光を齎したであろう存在の名を呼ぶ。

 

 

「女神様……!」

 

 

光は更に温かみを増し、怖じ気付いた様に後退りしていた『獣』が、明らかに苦痛によるものと解る咆哮を上げる。

次の瞬間『獣』の巨躯が光の粒子を発しながら、砂の像の様に解け始めた。

悍ましい断末魔が齎す恐れは、しかし光より伝わる慈愛によって掻き消されてゆく。

そうして完全に『獣』の姿が消えた後、彼女の身体は在るべき場所へ還らんとするかの様に、診療台を離れ僅かに宙へと浮き上がった。

彼女自身もまた、この異様な場所を離れて自身の世界へと戻るのだと、そう確信する。

だが、それを拒む者たちが居た。

 

 

「え……?」

 

 

視界の中、光を遮る小さな影。

『手』だ。

子供の、あるいはそれより更に小さく弱々しい『手』が、光の元へと至る道筋を妨げんとするかの様に、彼女の目前へと翳されていた。

しかもその『手』はひとつではなく、次から次へと視界を埋め尽くさんばかりに現れるではないか。

 

彼女は気付いた。

『手』は自分の周囲、或いは身体の下からまでも伸びている。

そして、その枯れ木の様な異様に細い指を身体に絡め、下へ引き戻そうとしているのだと。

まるで、在るべき場所へ還ろうとする自分を、飽くまでもこの場に留め置こうとするかの様に。

『手』の持ち主を確かめようと視線を廻らせ、彼女は『それ』を視界へと捉える。

 

 

「ッ……!?」

 

 

二度目の恐怖の発露は、もはや音にさえならなかった。

風雨に曝され朽ちた子供の死骸を思わせる容貌、愛玩用の人形程度の大きさ。

無数の『それ』が寄り集まり、一様に彼女の顔を覗き込んでいたのだ。

あまりの事に止まる呼吸、限界まで見開かれる目。

『それ』の容貌はどれひとつとして一致せず、人と同じ歯茎を剥き出しにしたもの、縦に避けた割れ目としか言い様のない口を持つもの、鼻を削がれた様なもの、髑髏の様に窪んだ眼窩しかないものなど、異常かつ異様であるという点のみが共通していた。

そして、それら全てが痩せこけた腕を伸ばし、彼女の身体を下へと引き摺り下ろそうとしているのだ。

その事を理解し、同時に硬直が解けるや否や、彼女は叫んだ。

 

 

「嫌、嫌ぁッ! 離して、お願い離してッ!」

 

 

絶叫する。

だが、その願いは叶わない。

それどころか、更に多くの腕が現れては身体に絡み付き、彼女を『奈落』へと引き摺り込まんとする。

今や指さえも満足に動かせなくなった彼女は、それでも有りっ丈の力を振り絞って叫んだ。

 

 

「助けて……誰かっ、助けて! 女神様、みんなっ! お願い、誰かぁ!」

 

 

呼応する様に、降り注ぐ光が強さを増す。

だが、届かない。

死骸の様な腕の群れは、遂にマナの慈愛に満ちた光を完全に遮ってしまった。

無数の手が弱々しい力で、だが決して逃がすまいとばかりに身体中に縋り付き、その全てを縛り付けてゆく。

 

 

「嫌……嫌だ……嫌ああぁぁぁッッ!?」

 

 

そうして遂に、光の温かさの残滓さえ感じられなくなった頃、それでも彼女は叫び続けていた。

叫ばずにはいられなかった。

それだけの、そうせずにはいられない理由が在った。

 

この命は、もはや自分だけのものではない。

敬愛する女神からの使命を受け、滅びへと向かう世界に残された最後の希望を託され、力尽きた仲間達が自らのそれまでをも差し出して繋いでくれた命なのだ。

自分には重すぎる、しかし決して放り出す事などできない、光を宿した命。

だからこそ何が在ろうと、目的を果たすまでは絶対に途絶える事など許されない命。

故に危機に際しても、抗う事を諦めはしない。

諦める事など在ってはならない。

そう、覚悟していた筈だ。

 

なのに、それなのに。

今、この心を覆いつつあるのは。

確固たる信念と共に息衝いていた希望を、その光よりもなお深く暗い闇で覆いつつあるのは。

自らが変容してしまうという恐怖と、逃れられないと言う絶望。

そして、抵抗など無駄だという事を理解してしまったが故の『諦め』。

抱く事さえ許されなかった筈の『諦め』なのだ。

 

 

「誰か……」

 

 

疲れ、枯れ始めた声は、それでも誰にも届かない。

小さな悪夢の使者たちは、幾重もの呻きを上げつつ彼女の身体を診療台へと押さえ付ける。

そうして、無数の手によって塞がれ用を果たさなくなった目を、現実を拒絶せんとするかの如く固く閉ざした、その時に。

 

 

 

 

 

「ああ……狩人様を見つけたのですね」

 

 

 

 

 

月光の如く透き通った、女の声が響いた。

 

 

 




始めてレベル18でメルゴーの乳母倒せたお!
これで低レベル激毒千景狩人つくるお!









千景装備できないお……(血質7)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖精と狩人

 

 

 

「報告。アストリア攻略部隊がジャドを出発、戦時行軍速度にて進軍中。夜にはアストリアに到達する予定」

 

「……御苦労」

 

 

その報告を、ウェンデル侵攻部隊のひとつを任されたルガーは、不機嫌さを隠そうともせずに受け取った。

彼と指揮下の部隊は今、アストリア近郊とウェンデルを繋ぐ陸路の要所である滝の洞窟、其処から北に約15㎞の地点で監視任務に就いている。

監視対象はジャド防衛隊の敗残兵、そしてすぐに押し寄せるであろうアストリアからの避難民、それらの動きそのものだ。

滝の洞窟には光の司祭による結界が張られ、ウェンデルへの進軍を阻んでいる。

だが、アストリアを追われた大量の戦時難民が押し寄せれば、何らかの反応が在ってもおかしくはない。

故にこれを監視し、結界が解除されればすぐさま部隊を進め、聖都の目と鼻の先に橋頭保を築く事。

それがルガーに下された指令であった。

 

 

「ルガー様、アストリアの異邦人についてですが……本当に、侵攻部隊に知らせずとも?」

 

「構うな、どうせ奴等は耳を貸さん。人間どもを殺す事しか頭にないのだからな」

 

 

副官の懸念に、ルガーはつまらなそうに答える。

先日ジャドで行われた軍議での光景は、彼の戦意を白けさせるには十分に過ぎるものだった。

 

湖畔の村アストリア。

世界最大の湖であるアストリア湖を挟み、聖都ウェンデルの対岸に位置する人間達の集落。

村と呼ばれつつも、実際のところファ・ザード大陸に存在する人間達の集落、各国首都や商業都市を除いたものの内では圧倒的な規模と人口を誇っている。

ジャドからウェンデルへと至る巡礼路に於ける最後の中継地点として栄え、物流を担う各商会が落とす資本により村は加速度的に発展した。

マナの脆弱化により湖が荒れる以前は、湖上を通りウェンデルへと至る大規模な水上交易路も在った程だ。

湖に船が出せなくなったのは此処5年ばかりの事だが、それでもアストリアは巡礼者たちの中継地点として繁栄し続けた。

 

そんなアストリアには、大規模な防衛戦力というものが存在しない。

ジャド防衛隊、そしてウェンデルの武装神官隊といった強力な戦力を有する勢力に挟まれ、その双方からの守護を受けている以上、余計な戦力の保持は財政を圧迫するだけだった。

精々が街路や村内に迷い込んだラビ、マイコニドといったモンスターを駆除する程度の為に、装備調達や練度維持の為の予算を継続的に割き続ける事など誰も望まなかったのだ。

故にアストリアは志願制の自警団、人口に比してごく小規模なそれしか戦力を持たない。

だからこそ当初のウェンデル侵攻作戦では、アストリアに対しては制圧をちらつかせての威嚇に止め捨て置き、そのまま聖都侵攻へと向かう手筈であったのだ。

 

ところが、洞窟の入り口に当初の予想よりも遥かに強固な結界が張られており、即時進軍は望めないという事が判明するや否や、侵攻軍の一部からアストリアを攻撃すべしとの声が上がり始めた。

ウェンデルへの侵攻が叶わぬのなら、見せしめにこの人間たちの集落を焼き払い、ビーストキングダムの武威を世界に示すべきだと。

一部の部隊に蔓延し始めたこういった類の主張に、ルガーは鼻白んだ。

このウェンデル侵攻の意図を全く理解していない、単なる鬱憤晴らしを目的にしていると丸解りの主張に、軽蔑を通り越して馬鹿馬鹿しささえ覚えた程だ。

 

ビーストキングダムの本当の目的は、獣人の力を世界に示す事だ。

1年以上も前からウェンデル侵攻の噂を意図して各国に流し、ジャドやウェンデルの守りを固めさせたのもその為。

強固に、幾重にも築かれた防衛線を電光石火の勢いで突破し、引き裂き、粉砕し、踏み潰す。

人間どもが膨大な戦力と資本を投入し展開した決死の防衛線が、ビーストキングダム軍により為す術も無く崩壊してゆく様を、陽の光の元に暮らす全世界の人間どもに見せ付ける為に。

獣人を未開で野蛮な獣の亜種と看做す人間どもに、自分たちが戦力でも戦略でも獣人に後れを取っているのだと、その魂まで恐怖と共に刻み込む為に。

そして、その目的はジャドを半日足らずで陥落させた事によって、既に半ば以上が果たされていた。

 

ジャドが雇い入れた傭兵団、フォルセナを始めとする各国の兵士崩れの寄せ集めは、侵攻前の予想を遥かに上回る規模となっていた。

ウェンデルからビーストキングダムによる侵攻に関する情報を得ていたジャド領主と各商会は、住民たちの生活が脅かされる事と莫大な富を生む交易路を失う可能性を恐れ、金を惜しむ事なく世界中から傭兵を掻き集めたのだ。

その恐怖を扇動しているのが、当のビーストキングダムより各国有力者の周囲に送り込まれた間諜であるとも知らずに。

 

そうしてフォルセナの傭兵はおろか、ナバールを放逐されたシーフやローラントのアマゾネス崩れ、果てはアルテナの元魔導兵やウェンデル武装神官崩れまでを大量に雇い入れたジャドは、それらを取り纏めるだけの優秀な軍師を有していた事も在り、鉄壁の防衛体制を築く事に成功した。

駄目押しとばかりに、過去に滅びた軍事大国ペダンの流れを汲む傭兵団までもを受け入れた彼等が、商人ギルドより齎された豊富な物資を背景に持久戦を繰り広げるつもりであった事は明らかだ。

誰もがジャドの攻略は容易ではないと考え、長期戦の末にビーストキングダム側の撤退に終わると信じて疑わなかっただろう。

その鉄壁の防御を前に舌なめずりする、当のビーストキングダム軍を除いては。

 

優秀な間諜による綿密な事前調査、人間関係や組織間確執を利用した工作による内部攪乱、備蓄物資や防衛施設に対する破壊工作。

長いものでは実に数年前より仕込まれていたそれらの工作は、攻撃開始の瞬間を以って一斉に牙を剥いた。

更に獣人兵の圧倒的な身体能力と戦闘技能が加わり、強固であった筈のジャド防衛体制は砂上の楼閣の如く瞬く間に崩壊していったのだ。

 

敵も個々の能力は高く手強かったものの、確固たる戦略に基づき戦闘行為を執る獣人たちの前に、嵐に曝された葦の如く薙ぎ倒されていった。

そうして僅か半日足らずでジャドの戦力を文字通り『消滅』させたウェンデル侵攻軍は、民衆に対し『抵抗しなければ危害は加えない』と宣言、更にこの内容を徹底する事によって獣人が非文明的な蛮族ではない事を示してみせたのだ。

これらの情報は各国の間諜や商人、そして旅人によって風の如く世界を駆け巡り、ビーストキングダムに対する畏怖の念を拡散していた。

まだ全ての地域に於ける情報が纏まった訳ではないが、各地の間諜により齎される現地の反応は、ビーストキングダムと獣人に対する人間達の印象が、多分に恐れを含んだものになりつつある事を伝えている。

それは同時に、獣人達へと確かな自信を齎すものであった。

 

自分達は虐げられ陽の下を追われた被害者ではない、人間達に恐れられ警戒されるだけの能力を持った種族なのだと。

正しくこれこそが獣人王の狙い、獣人としての誇りを取り戻す事。

人間達への復讐という大義名分など表向きの事だと、各部隊の指揮官は誰に言われずとも理解していた、その筈だった。

 

だというのに一部の頭に血が上った連中は、その本来の目的など忘れてしまったかの様だ。

否、恐らくは初めからどうでも良い事だったか、或いは蹂躙の悦びに溺れてしまったのだろう。

ジャドでの戦いは、一方的ではあっても卑劣ではなかった。

奇襲という形とはいえ、戦いを生業とする者たちを、真正面から正々堂々と打ち破ったのだ。

だが今、一部の者たちが行おうとしている事は違う。

あれは戦う力を持たない不特定多数の弱者、抵抗すら儘ならないそれらを一方的にいたぶり、嬲り殺さんとする愚行だ。

 

別段、ルガーに人間に対する配慮や憐憫が在る訳ではない。

老若男女問わず、人間など幾ら死のうがどうでも良い事だ。

だが、アストリア侵攻の主張には眉を顰めた。

住民がどうなろうと知った事ではないが、虐殺の結果としてビーストキングダムの名誉が、不本意な形で汚されるのではないかと危惧しているのだ。

人間どもがどの様な蔑意を抱こうが構いもしないが、だからといって獣人全体を見下す悪材料を進んで提供する必要は無い。

況して、弱者に対する蹂躙に悦びを見出すなど、不名誉以前に強者としてあるまじき愚行ではないか。

そんな事も理解できない者が、一部とはいえ味方内に存在する事が不愉快でならなかった。

他の多くの指揮官も同様の心境だったのだろう、軍議での渋い表情が今も瞼の裏にちらつく。

 

 

「我々は結界が解除される機会を窺い、後続部隊の為に侵攻路を開く。乱痴気騒ぎはやりたい奴等に任せておけば良い」

 

「……彼等の始末は、あの異邦人が付けてくれると?」

 

「本国に戻したところで、ああいった手合いの処理には手を焼く。ならばいっそ、この地で自分たちの短慮を思い知った方が良い。上もそう考えたからこそ、部隊を再編して奴等を纏めたのだろう」

 

「生きて戻ってくれば良し、そうでなければ……」

 

 

だからこそ、侵攻軍最高指揮官は決定を下した。

アストリア侵攻を唱える一派を隔離すべく、ジャドで侵攻への参加を志願する者たちを取り纏めると、彼等を1つの特別侵攻部隊として編成し、限定的な指揮権と独自作戦行動の許可を与えたのだ。

彼等がアストリアを焼き払い、住民を虐殺したならばそれで良し。

世界各地に散らばる間諜たちが、事実を幾分かビーストキングダムに都合良く改竄して、その上で畏怖を煽るべく話を広めるだけだ。

彼等がアストリアの制圧に失敗し、敗退するのならばそれもまた良し。

思い上がった馬鹿どもの目を覚まし、同時に救い様の無い愚者をも間引いてくれるだろう。

その際の醜聞もまた、間諜の手に掛かれば幾らでも改竄できるのだから。

そう考えたからこそ、最高指揮官はアストリアの異邦人についての情報を、侵攻部隊の指揮官へと伝えなかったのだ。

 

今やウェンデル侵攻など果たされようがされまいが、ビーストキングダムにとって重要な案件ではない。

既に作戦は犠牲を最小限に止め、かつ最大の利を得つつ撤退する、その時期を窺う段階だ。

目の前に致命的な罠が在るというのに、その真ん中に置かれた餌に飛び付くなどという愚行、大して知性の無いモンスターでさえ犯しはしない。

なれば自ら望んでそれを行う連中は、そういった知性の薄いモンスター以下の存在という事なのだろう。

 

 

「……奴等は強い、臭いで解る。あれだけ濃密な獣血の臭い、気付かない方がどうかしている。そんな事も解らない奴は、どの道この先は長生きできまい」

 

「相手は実質2人、普通ならば如何に浅慮な者どもとはいえ、我が軍の兵士たちの前に一飲みでしょうが……」

 

「奴等がそんなに甘い連中なものか。死ぬぞ、大勢。半数も戻ってこれれば良い方だ」

 

 

ふん、と鼻を鳴らし、ルガーは吐き捨てる。

馬鹿どもがどうなろうと知った事ではない、寧ろ手痛い損害を受けて大いに思い知るべきだと。

自分達を含む大多数の獣人には関係のない事だと、地獄を見る者にはそれ相応の理由が在るのだと。

 

後に、彼は思い知る事になる。

半数などという見積もりが、どれだけ甘いものであったかと。

この世には『獣』を恐れるのではなく、憎悪して止まぬ存在もあるのだと。

 

 

============================================

 

 

視界を埋め尽くす赤い光。

瞼の内からでも解るその明るさが、陽の光によるものであると理解すると同時に、彼女は微かな声を零しつつ瞼を上げた。

未だ霞が掛かった意識の中、幾人かのくぐもった話し声が脳裏に響く。

 

 

『……まで行くのか、あの娘を連れて? 結界が在る以上、洞窟は使えないぞ』

 

『迂回路は無いのか、船でも良い』

 

『無理だ。陸上は森が深くてとても抜けられんし、船は此処数年ほど湖が荒れてあまり岸から離れられないそうだ』

 

 

窓から差し込む赤い光。

夕刻だろうか、外では子供たちに家に帰るよう促す声が響いている。

柔らかい布の感触。

その表面に手を突き、ゆっくりと体を起こす。

何時も通りに背中の羽を軽く羽ばたかせ、身体を浮かせようと試みた。

 

 

「ん……きゃっ!?」

 

 

だがその瞬間、強い風が吹くと共に体に掛かっていた布が飛び、更に調度品を巻き込んだのか何かが板張りの床に落ちる音が響く。

大した音ではなかった為か、聞こえてくる話声が途切れる様子は無い。

 

 

『そもそも、あの少女は本当に役に立つのか? 確かに人間には見えないが、だからといって……』

 

『あの羽を見ただろう? 御伽噺の妖精そのもの、人間の言葉を操る知性も在る。情報源としては有用だと思うが』

 

『丁度良いじゃあないか。ウェンデルの最高権力者は、マナとやらの知啓深い賢者と聞く。目的地も同じとくれば、上位者もどきの情報を集めるのにこれ以上の適地は無いだろう』

 

「あ、え、嘘!?」

 

 

部屋の外から聞こえてくる声を意識に留めながらも、彼女は重大な事に気付いた。

彼女は衣服の類を身に着けておらず、生まれたままの姿であったのだ。

聖域では特に気にするものでもないが、人間たちと接触する際にこれでは流石に羞恥が勝る。

フェアリーとて歴とした女性、羞恥心も在れば女性としての尊厳も在るのだ。

慌てて自分が吹き飛ばしたシーツを拾い、その身を覆い隠す様に巻き付ける。

其処で、漸く気付いた。

 

 

「……夢じゃ……なかった?」

 

 

身体が、大きくなっている。

花弁に隠れられる程の大きさだった身体が、人間と同じ程度にまで大きくなっているではないか。

室内に姿見が在る事に気付き、ぎこちなく立ち上がると躓きそうになりながらも歩み寄って、全身を映してみる。

 

 

「これは……何で、こんな事が……」

 

 

其処に映し出されていたのは、自分が良く知る女性に似た少女の姿だった。

外見から推測される年齢は17から18頃だろうか。

水色掛かった翡翠の髪を腰まで伸ばし、エメラルドの様な透き通った緑の瞳を持つ少女。

その顔立ちや立ち姿は、彼女が敬愛して止まないマナの女神に何処となく似通っていた。

肩を滑り、床へと落とされるシーツ。

その下から現れたのは、紛れもないフェアリーとしての象徴、虹色を湛えながら透き通ったカゲロウの様な4枚の羽。

咄嗟に折り畳めないかと試してみると、羽は背中に張り付く様にゆっくりと折り畳まれてゆく。

後には、尖った耳以外には人間と大差ない、可憐な少女のみが残された。

 

 

「……これ……あの夢の所為なの? どうして……私に、何が?」

 

『とにかく、詳しい事を訊いてみよう……どうやら、もう起きている様だしな』

 

『我々は巡回に出るぞ、戻りは日付が変わってからになるだろう。最近は北の街を陥とした獣どもがうろついているらしいからな』

 

 

その時、部屋の外から聴こえてきた声に、彼女は慌ててシーツを拾い再び身体に巻き付ける。

そうして小走りで寝台まで戻り、なんとはなしにその上へ跳び乗り縮こまった。

ノックの後、返事が無い事を確認してから、ゆっくりと開かれる扉。

 

フェアリーは思わず身体を震わせ、体に巻き付けたシーツに顔を埋める様にして、開いた扉の先に佇む人物を睨む。

曖昧な記憶の中、今にも息絶えんとしていた自分の前に現れた影と同じ、漆黒の衣装に身を包んだ男が其処に居た。

記憶の中と違うのは、外套を脱ぎ物々しい手甲などを外し、目元と耳以外を覆い隠すマスクや羽根の様な帽子を脱いでいる点だ。

 

短く刈られた漆黒の髪に、同じく漆黒の瞳。

何処となく血色が悪い様に見受けられる肌、顎には薄い無精髭。

顔付きとしては、獣人にも似ているだろうか。

外見から推測される年は青年と呼べる頃、恐らくは成人するか否かといった所だろう。

身体つきは鍛えられており、全身が固く引締まっている様だ。

背丈も、恐らくはフェアリーよりも頭ひとつ分以上に高いだろう。

固いブーツの音を鳴らし、室内へと入って来る。

 

 

「目が覚めた様で何より。気分は?」

 

「……此処はどこ?」

 

「アストリアという村らしい。君が目指すウェンデルとやらは湖の向こうらしいが、今は其処へ至る道が閉ざされている。運が悪かったな」

 

 

言いながら、男はフェアリーの傍らへと歩み寄り、寝台横の台の上に手にしていた木のプレートを置いた。

その上に乗せられた皿には薄く切られた丸パン2枚とバター、傍には其々イチゴらしきジャムと蜂蜜の入った小さなポットが2つ。

湯気を立てるカップと砂糖が入ったポット、バターナイフにスプーン。

慎ましやかだが上品な、それでいて温かみのある食事。

 

 

「君の見た目は妖精そのものだが……御伽噺には詳しくなくて。食事は?」

 

「……花の蜜なら、少し」

 

「……あぁ、そう」

 

 

今にも消え入りそうな声で答えると、一瞬だが彼は絶句した様に動きを止めた。

そして頭痛を感じているかの様に額に手を当てたが、すぐに気を取り直した様に仕切り直しを図る。

 

 

「……蜂蜜は大丈夫そうだな。この家の御夫人が用意してくれたんだが、念のため肉は避けてくれたそうだ。果肉やバターは?」

 

「多分、大丈夫……だと、思う」

 

「なら、食べてみてくれ」

 

 

そう言うと、男は踵を返して退室する。

フェアリーは訳も解らぬまま、恐る恐るナイフに手を伸ばすと、バターを掬ってパンに塗り始めた。

自身が食事をする訳ではなかったものの、こういった人間の日常生活に対する最低限の知識は持ち合わせている。

実践は初めての事だが、それでも鼻腔を満たす甘い香りには抗えなかった。

バターを塗り終えた箇所を、おっかなびっくり齧る。

千切れたパンを口の中で租借し、じんわりと染み渡る素朴な甘みに思わず零れる声。

 

 

「おいしい……」

 

 

花の蜜とはまた違う、パンの柔らかさとバターの甘味、香ばしい麦の匂い。

今度はジャムを塗り、一口。

口の中一杯に広がるイチゴの香りと甘さ、爽快な酸味に幸せな溜息が漏れる。

次いで試した蜂蜜は慣れ親しんだ花の蜜の甘さに似ていたが、しかし花のそれよりも複雑な甘みとバターとのハーモニーが絶品だった。

そうして、ゆっくりと初めての食事を堪能する彼女の前に、再び何かを手にした男が戻ってくる。

 

 

「君の服を融通して貰った。羽は……無理そうなら、何か仕立てをして貰おう。服の着付けは此処の御夫人が教えてくれる。それまでは、まあ……ああ、ごゆっくり」

 

 

女性用の服を持ってきた男は、しかしすぐに出て行った。

何処か呆れた様な顔をしながら。

首を傾げて見送ったフェアリーだったが、すぐに意識の外へと追いやり残りのパンを平らげる作業に戻った。

嗚呼、偉大なるかな女神の加護。

イチゴジャムとバターの組み合わせが、途轍もない至福の時を齎してくれる事に気付いてしまったのだから。

 

 

============================================

 

 

「ごちそうさま! 凄く美味しかったわ!」

 

「……そりゃ、良かったよ。だが、礼は御夫人に」

 

「もうしたわ。だから、今のは持ってきてくれた貴方の分」

 

 

結局、一時間近くも掛けてたっぷりと紅茶まで堪能したフェアリー。

彼女は更に長い時間を掛けて衣服を身に着け、今になって漸く満ち足りた様子で椅子に腰掛けていた。

渡された服は村娘のものの様で、羽を畳んだ彼女は難なくそれを身に纏う事が出来たのだ。

流石に慣れない服を着る為には手助けが必要だったが、それはこの家の主の妻と幼い娘が手伝ってくれた。

既に美味しい食事で緩んでいたフェアリーの心は、何も訊かず親身にあれこれと教えてくれた奥方と、透き通った羽を見てはしゃいでいた娘との語らいにより完全に解れている。

そして夜の帳が完全に下りた頃になり、漸く男との情報交換に移ろうとしていた。

 

 

「先ずは、助けてくれてありがとう……助けて、くれたのよね?」

 

「どうやったと思ってるんだ?」

 

「……私の『宿主』になってくれたんじゃないの? 記憶が曖昧だけれど、出会った時に言ってなかったかしら」

 

「初耳だぞ。『宿主』とはどういう意味なんだ」

 

「そのままの意味よ。私達『フェアリー』をその身に宿す者、即ち世界の危機を救う『勇者』となる者の事よ」

 

 

またも男が額に右手をやり、頭痛を堪えるかの様に俯いた。

左手の指が、椅子の上で組まれた脚、その上で膝を叩いている。

訝しげに男を見つめるフェアリーの前で、やがて男は顔を上げた。

 

 

「……『勇者』というのは過去にも居たのか? 何をやったんだ」

 

「一番新しい『勇者』はフォルセナの『英雄王』リチャード陛下よ。12年前、世界を支配せんと各国に戦いを挑んだドラゴン達の王『竜帝』を滅ぼし、世界を滅亡の縁から救った方なの」

 

「なら、その『英雄王』に頼めば良かったんじゃないか?『勇者』なんだろう彼は。取り憑いてる……やっぱり『フェアリー』って名前なのか? 彼女を通じて世界を救って貰うよう頼めば……」

 

「取り憑いてるって言い方やめてよ。『英雄王』に宿っていた『フェアリー』は『竜帝』と相打ちになって亡くなったわ。それに、一度『フェアリー』を宿した人間に別の『フェアリー』が宿る事はできないの」

 

「無理に『宿主』を確保する必要はないだろう。危機を伝えるだけで良いんじゃないか」

 

「それも無理。私達は『マナの聖域』の外では、徐々に衰弱して最後は死んでしまうの。だから私達は『聖域』を出ると、先ず『宿主』を探すのよ」

 

「適当な人間に取り憑いて伝えたり、人間を乗り継いで……」

 

「だからその言い方やめて。私達は一度『宿主』を選んでしまうと、宿主の命ある限り離れる事はできないの。気軽に選べる問題じゃないのよ」

 

「……それで、俺にその『宿主』になれと?」

 

「もうなってるんだと思ってたわ。身体が大きくなるなんて予想外も良いところだけれど、こうして生きていられるって事はね。でも……」

 

 

其処でフェアリーは、疑念と共に改めて男を見つめた。

無言のままに時が過ぎ、やがて溜息混じりに言葉を紡ぐ。

 

 

「……違うみたいね。貴方との繋がりは感じるけれど『マナ』によるものとはだいぶ違う。貴方から『マナ』を受け取っている感じは全く無いわ」

 

「『マナ』というのは、この世界の根源となる物質……と、聞いたんだが合っているか」

 

「物質じゃないわ、純粋な力の源よ。この世に存在する全ては『マナ』から成り立っているの。『マナの女神』が『黄金の杖』を振るい、世界を創造する為に用いた力の根源。それが『マナ』よ」

 

「『マナの女神』……」

 

「でもその『マナ』が今、世界中から消え始めているの。このままでは『マナ』が枯渇し『マナの樹』が枯れてしまう。そうなったら世界は終わりよ。だから私達は『女神様』の命を受けて……」

 

「待て」

 

 

突然、割り込んだ声。

驚くフェアリーの前で、男がゆっくりと身を乗り出してくる。

その眼には、これまでは見られなかった異様な光が宿っていた。

 

 

「実在しているのか……その『マナの女神』は?」

 

「……貴方、何を言っているの? そんなの当たり前……いえ、そんな、まさか」

 

「答えてくれ。その、世界を創ったという『女神』は、今も生きているのか」

 

「あの夢……それに、この身体の中の……この妙な力って、まさか」

 

 

執拗に『マナの女神は生きているのか』と訊ねる男。

しかしフェアリーは、自身が気付いた新たなる異変に気を取られ、答える余裕が無い。

やがて、互いに相手と自分の疑問が食い違っている事に気付いた両者は、示し合わせた様に押し黙った。

そして改めて、互いへと問い掛ける。

 

 

「答えてくれ。『マナの女神』は実在するのか。だとすれば何処に居るんだ」

 

「……もちろん実在するわ。今は『マナの樹』に姿を変え『マナの聖域』で眠りに就いている。でも、精神体という形でお姿を現す事も出来るわ」

 

「……そうか」

 

「こっちの質問にも答えて。貴方、何でマナも女神様の事も知らないの? いえ、それ以前に『宿主』にもならず、どうやって私を生き永らえさせたの? 何で貴方からほんの僅かな『マナ』も感じ取る事が出来ないの?」

 

「おい、落ち着いて……」

 

 

徐々に興奮するフェアリーを宥めようと、男が声を掛ける。

だが、彼女は膨れ上がる疑念を抑える事が出来なかった。

 

 

「私はどうしてこんな姿になったの? 何故『マナ』を必要としない身体になっているの? あの暗くて冷たい悪夢は何!? 貴方は私に何をしたの!?」

 

「待て、悪夢だって?」

 

「答えて!」

 

 

男の目付きが更に変わる。

鋭く、冷たく、何かを見定めんとするかの様に。

何かを訊ねようとする声は、しかしすぐに彼女の発言によって遮られる。

だがその声は、男の疑念を確信へと変えるには、十分に過ぎる程の力を持つ言葉となって放たれた。

 

 

 

 

 

「『狩人』ってなんなの!? 私は『何になって』しまったの!?」

 

 

 

 

 

直後、窓の外が赤く染まる。

轟音と衝撃、鬨の声。

惨劇の夜が、遂に始まった。

 

 

 




フ「やめて! 私に乱暴する気でしょう? 某王女みたいに! (風の国の)某王女みたいに!」(ウ=ス異本)

狩「」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狩りの始まり

 

 

 

「畜生ッ! いきなり何だってんだ!」

 

「アタシが知る訳ないでしょ! ああもう、なんなの!? 村中で火が上がってる!」

 

 

他の村人とは明らかに異なる装束を纏った男女が、悪態を吐きながら燃え盛る村の中を走る。

住民の半数近くはウェンデルに避難済みと聞いてはいたが、それでもなお半数がこの村に留まっている計算だ。

深夜、住民が寝静まる頃を見計らっていたのだろう。

明らかに計画的に放たれた火は、瞬く間に村を飲み込んでゆく。

 

だが村人も警戒を強めていた為か、最初の火の手が上がると同時に全ての半鐘が鳴り始め、住民の大半が屋内への早期避難に成功していた様だ。

通りには着の身着の儘、持ち出せる限りの荷物を手にした村人たちが溢れ返っていた。

取り残された者は居ないかと、自身等が飛び出してきた宿を振り返った剣士風の青年と艶めかしい装束の少女は、しかし村の外から聞こえてきた鬨の声に身を凍り付かせる。

 

 

「うそ、これって……」

 

「ビースト兵!? 奴等、こんな村まで襲う気かよ!?」

 

 

通りの遙か先へと視線を遣れば、燃え盛る家々の向こう、村と街道を隔てる申し訳程度の柵の更に先に、数百もの人影が佇んでいるではないか。

それらは一様に雄叫びを上げ、これから始まるであろう狂宴への期待を昂ぶらせているであろう事を窺わせた。

その様を見た2人の表情から、見る間に血の気が失せてゆく。

 

 

「……冗談だろ、何だよあの数。村ごと包囲殲滅しようってのか」

 

「デュラン、アンタ自称フォルセナ若手随一の剣士なんでしょ? 突っ込んで何とか数減らせない?」

 

「無茶言うな! あれだけの獣人のド真ん中に飛び込んでみろ、1秒だって生きてられねえよ! それと自称じゃねえ、事実だ!」

 

「事実なら弱音吐いてないでやってみなさいよ!」

 

「アホぬかせ!」

 

 

そんな言い合いを続けている内に、ビーストキングダムの兵は前進を開始していた。

初めは徒歩だったそれは見る間に速度を増し、戦士のそれを越え駿馬となり、駿馬のそれを越え獣となって迫る。

そのあまりの速さに目を剥く人間達だったが、彼等を何よりも驚愕させたのは獣人たちの速さではなく、その外見そのものだった。

 

 

「何だ、ありゃあ……!」

 

「あれが獣人……!?」

 

 

全身に白や黒の長い体毛を靡かせ、四肢は指先に至るまで通常の二回り以上も太くなっている。

手足の先にはぎらつく爪を生やし、頭部に至っては完全に狼のそれと化していた。

これこそが獣人の本性、シェイドの刻にのみ現れる彼等の真の姿。

初めてこれを目にした人間達は、忽ちの内に恐慌に陥った。

牙を剥き出しにし、此方を引き裂かんと殺到してくる、人型の獣の群れ。

襲い掛かる抗い様の無い破滅の波を前に、恐怖を堪えられる人間など殆ど居なかった。

最初の悲鳴を皮切りに、少しでも獣どもから距離を置こうと、街道とは反対の湖に向けて人の波が巻き起こる。

デュランと呼ばれた青年は思わず、先程まで言い合いをしていた少女、湖の方向へ駆け出そうとしていたその腕を掴み叫んでいた。

 

 

「駄目だ、そっちへ行くな!」

 

「ちょっと、なに言ってんのよ!?」

 

「奴等、住民を湖に追い込んでやがる! 退路を断つつもりだ!」

 

「はあ!? 何よそれ、追い詰めて降伏させようっての!?」

 

「違う!」

 

 

自身の思考が導き出した答えに、デュランは更に血の気が引く思いをしながらも叫んだ。

この予想が的中しているなら状況は、最悪と考えていたそれの更に下を行く事となる。

外れてくれと願いながらも、しかし現実はそうはならないと理解してしまっていた。

 

 

「こいつは作戦なんかじゃねえ!『狩り』だ! 奴等、この村の人間を1人残らず『狩る』つもりだ!」

 

「な……どういう意味よ!?」

 

「そのままだ! 最初から皆殺しにするつもりだってんだよ!」

 

 

叫びながら、少女の腕を引き走り出す。

微かに悲鳴が上がったが、それを無視して彼は足を速めた。

腕を引かれるままに何とか着いてきている少女が、抗議を交え叫んだ。

 

 

「ちょっと、どこ行くのよ! こっちは森よ!?」

 

「奴等は街道から押し寄せてきてる、側面は手薄な筈だ! 森に着いたら木に隠れながら洞窟の方に向かえ! まだ幾らか避難民が居る筈だ!」

 

「アンタはどうすんのよ!?」

 

「戻って住民を助ける! 見捨てる訳にはいかない!」

 

「なに言ってるの!? アンタまで殺されちゃうわ!」

 

 

少女は信じ難いとばかりに言い放った。

村人を見捨てて逃げ出そうとしている現状に、色濃い後ろめたさを感じている事は確かだ。

湖の方向へ向かおうとしたのも、住民たちを護るため自警団と共にビースト兵と戦おうと考えたからである。

だが、その考えが現実的なものでない事も、今は理解していた。

獣人達の戦闘能力が異常である事は、ジャドに着いてからというもの嫌という程に理解させられている。

 

宿屋での偶然にして最悪の出会い、そして街道でモンスターに襲われていた彼女を助けてくれた、フォルセナの剣士デュラン。

『紅蓮の魔導士』による奇襲で多くの同僚を殺された事により、彼が所属する魔法王国アルテナ、彼女の母国でもある其処に対して並々ならぬ敵意を抱く青年。

にも拘らず、複数のモンスターに襲われる彼女を捨て置けず助けに入り、更に彼女が旅に不慣れな事を知ってはあれこれと世話を焼く、どう考えても根がお人好しな男。

それは彼女がアルテナの王族、理の女王の実の娘である事を語った後も大して変わらず、新たに生まれた確執は罵詈雑言の応報により半日足らずの内に、少なくとも表面上は跡形も無く消え去ってしまった。

異性とこんな関係になる事は初めての彼女にも、この男との付き合いが気楽で明け透けで、何より対等な立場で此方に向い合ってくれる貴重なものであると感じられる。

そして、そんなデュランの剣の腕前が決して自画自賛ではなく、素人の自分から見ても実に見事なものである事は、実際にそれが振るわれる瞬間を目にした事で良く理解していた。

そこいらのモンスターが相手ならば、何匹が相手だろうが歯牙にも掛けずに撃退して除ける事だろう。

 

だが、獣人となると話は別だ。

彼等に敵わない事は、デュラン自身も認めていた。

圧倒的な膂力だけならまだしも、豊富な戦闘経験と確かな技術によって敵対者を屠らんとする獣人たちは、幾ら凄腕とはいえ実戦経験ではモンスターの掃討が関の山である若き剣士には荷が勝ち過ぎる。

況してや相手は、圧倒的な戦力を誇っていた筈のジャド防衛隊を、半日足らずで殲滅して除けた連中だ。

個々の兵士も段違いの能力を持っているであろう事を考えれば、手も足も出ずに殺されてしまう可能性が最も高いだろう。

だからこそこうして、村人たちとは別の方向へと逃げているのではないのか。

 

彼女とて、村人を救えるものならば救いたい。

だがそれが実現不可能な願いである事は、既に嫌という程に理解させられてしまったのだ。

彼女より遥かに戦闘に長けたデュランでさえ、彼等には太刀打ちできない。

ならば魔法も使えず、腕力だけではラビ相手にすら苦戦する非力な自分に、何が出来るというのか。

何もできない、単に死体が増えるだけだと理解してしまったからこそ、こうして逃げる事しかできないという事実を受け入れたのだ。

 

なのに、デュランは戻るという。

碌な抵抗も出来ずに殺されるだけだと理解している筈なのに、あの恐ろしい獣人達の群れの前に戻るというのだ。

何故そんな事をという疑問の答えは、既に彼女の脳裏に浮かび上がっていた。

 

 

「ッ……どこまでお人好しなの、アンタは! 敵国の人間であるアタシを助けるわ、文句ばっかり言う癖に世話は焼くは、おまけに今度は殺されるって解ってる癖に戻るなんて! 馬鹿じゃないの!?」

 

「そんだけ元気がありゃ大丈夫だな、気張って走れよ! そら、もうすぐ森だ!」

 

「ふざけないでよ! 自分から死に急ぐ奴を、アタシが黙って見送ると思う!? 冗談じゃないわ、アタシも行くからね!」

 

「馬鹿なこと言ってないでさっさと行け! 他の連中にこの事を知らせろ!」

 

 

そうして森の端にまで辿り着くと、デュランは一旦足を止めて彼女の肩を掴み、正面からその目を覗き込んだ。

突然の事に彼女は荒げていた息を止め、肩を強張らせて彼の目を直視してしまう。

其処に在ったのは、固い決意の光。

 

 

「上手くすりゃヴェンデルの斥候が近くに居る筈だ。アストリアが壊滅した事を知れば、洞窟前の人間を逃がす為に結界を一時的に解除するかもしれない。そうしたら、そいつらと一緒にウェンデルへ行け。光の司祭に会って、魔法が使える様になる方法を訊いてこい」

 

「デュラン、アンタなにを」

 

「お袋さんに認めて貰いたいんだろ? そういう気持ちはまあ、俺も良く解るよ。ついでに、あのいけ好かないクソ魔導士をブチ殺す方法も訊いといてくれると有り難い」

 

 

冗談交じりにそう言いながら、デュランはへらりと軽く笑ってみせる。

そして剣を握り直すと、そのまま一歩後方へと引いた。

駄目だ、と彼女は直感する。

彼を行かせては、いけない。

 

 

「気を付けて行けよ……魔法、使える様になると良いな」

 

「……駄目、駄目だよデュラン……強くなるんでしょ、その為に聖都に行くんでしょ!? こんなとこで……!」

 

「おい、着いて来るんじゃねえって……アンジェラ!」

 

「え?」

 

 

突然、デュランが彼女の名を叫ぶ。

同時に何の前触れもなく跳び付いてきた彼は、そのまま彼女の身体を掻き抱くと、諸共に地面へと倒れ込んだ。

いきなりの事に反応が遅れ、地面への衝突と同時に襲ってきた衝撃に彼女、アンジェラは悲鳴を上げた。

 

 

「きゃあっ!? 痛ッ……ちょっと、いきなり何なのよ、ねえ!?」

 

「ッ……」

 

「……デュラン?」

 

「やっぱり頭の切れる奴が居たか。外れ役を押し付けられたと思ったが、面白い事になってきたじゃないか」

 

「えっ!?」

 

 

背後、森の中から響く声。

未だ地面の上でデュランの腕の中に抱かれたまま、アンジェラは頭を廻らせて其方を見遣る。

木々の間、明らかに人よりも大きな影が佇んでいた。

アンジェラは、すぐにその正体を悟る。

 

 

「ビースト兵……!」

 

「他の人間は……誰も来ないのか。つまらんな、拍子抜けだ。思ったよりアホなのか、人間って奴は?」

 

 

白銀の獣と化したビースト兵が、森の中から歩み出る。

鼻を鳴らし周囲を窺う獣人、その右手の爪が赤く塗れている事に、アンジェラは今更ながらに気付いた。

はっと我に返り、彼女は自分を抱き締めたままぴくりとも動かないデュランの背中、其処へ腕を回し手で触れる。

ぬめりとした、熱い液体の感覚。

アンジェラの美貌から、さっと血の気が引いた。

 

 

「うそ、デュラン、嘘でしょ?」

 

「良い反応だった、咄嗟にお前を庇ったな。反撃の機会も在ったのに護る方を優先するとは、随分とお前が大切な様だ」

 

「デュラン、アンタ……!」

 

 

ビースト兵の言葉を聞き、アンジェラは掠れた声でデュランの名を呟く。

何処までお人好しなのだ、この男は。

そんな事を思いながら、アンジェラは彼の身体を強く抱き締める。

視界が滲み、熱いものが瞼の縁に溜まるのを感じた。

だが無情にも背後のビースト兵は、そんな彼女の感傷が収まるまで待つ気は更々無いらしい。

 

 

「じゃ、済まないがお前も死んでくれ。せめて、死体はソイツの傍に置いといてやるさ」

 

 

言いつつ、歩み寄ってきたビースト兵が脚を振り上げる。

アンジェラの頭蓋を踏み割らんとするそれを、しかし彼女は見ていなかった。

ただ、母に自分を認めて貰うという目的も果たせず、こんな場所で散る事が情けなくて。

何処までもお人好しなこの男が、こんな場所でこんな自分なんかの為に死ぬという事が悔しくて。

悲しくて、そして申し訳なくて。

彼女は、自分を抱き締めたまま意識を失っているデュランの胸板に、涙を隠そうとするかの様に顔を押し付けた。

 

 

「じゃあな」

 

 

そうして、ビースト兵の別れの言葉が聞こえた、次の瞬間。

凄まじい衝撃と轟音が、アンジェラの背後の地面で爆発した。

血飛沫だろう、熱い飛沫と砕かれた地面の欠片が、豪雨の様に激しくアンジェラの背を打つ。

大して痛みを感じない事に疑問を覚えながらも、彼女は何処か場違いな事を考えていた。

 

ああ、考える事が出来るという事は、頭は残っているという事だろうか。

ならば背中を切り裂かれたか、それとも後ろから心臓を蹴破られたのか。

体中に血が降り掛かっているのに、それでも死の間際には痛みなど大して感じないものらしい。

こんな事になるのならばあの時、母に言われるが儘にこの命を差し出していれば良かった。

そうすれば、こんな自分でも少しは母と祖国の役に立てただろうし、こんな形でデュランを巻き込んで死なせる事もなかったかもしれない。

ごめんなさい、お母さま。

ごめんなさい、デュラン。

 

そんな考えはしかし、唐突に中断される事になる。

デュランとも先程のビースト兵とも異なる、新たなる第三者の声によって。

 

 

「……其処のお前、まだ生きてるんだろ? なら、さっさと起きる」

 

 

何処かたどたどしく低めな、少年のものと判る声。

呆けていた思考が徐々に覚醒し、アンジェラは恐る恐るデュランの胸板から顔を引き剥がすと、背後の様子を確かめるべく首を動かそうとする。

だが其処に、鋭い制止の声が掛けられた。

 

 

「後ろ、見ない方が良い。吐いたり、気絶されると面倒」

 

 

そう言われた直後、アンジェラは自身の身体が宙に浮いた事を感じ取る。

抱え上げられたのだと理解した彼女は、しかし未だ自分が気絶したデュランの腕の中に居る事に気付き、愕然とした。

声の主だろう人物は、アンジェラを抱き締めたデュラン諸共2人の身体を軽々と抱え上げているのだ。

そうして暫く移動した後、静かに地面へと降ろされる。

此処で漸く、アンジェラはデュランの腕の中から解放され、自分と彼の状態を正確に認識する事になった。

 

 

「うっ……!」

 

 

胃の内容物を戻しそうになる口を手で覆い、アンジェラは必死に吐き気を堪える。

彼女は、全身が血塗れだった。

彼女自身の血ではなく、他の誰かの血。

背中から浴びせられた大量のそれは土と混じり、赤い泥汚れとなって体中にこびり付いていた。

そして、デュラン。

破れた服の下、右肩から腰の左側まで4本の傷跡が無残にも刻まれている。

出血が激しく、このままでは危険だ。

途方に暮れる彼女の目の前に、一般的な即効性の肉体回復剤として知られる蜂蜜の入った瓶が、背後より差し出された。

 

 

「これ、別の獣人が持ってた。ソイツに飲ませるといい」

 

「あ……ありがと……!?」

 

 

振り返り、礼を言おうとしたアンジェラの目に、その人物の全貌が映り込んだ。

瞬間、彼女は受け取った瓶を落としそうになる。

デュランと彼女を救ってくれたであろう人物の正体は、明らかにビースト兵と同じ獣人であると解る肉体的特徴を備えていたのだ。

縦に割れた瞳孔、異様に尖った耳、僅かに開いた唇の間から覗く鋭い犬歯。

そして何より、彼がその肩に担いでいた得物が、アンジェラの意識を釘付けにしていた。

 

 

「先に言っておく。オイラ、あの村攻めてる獣人達とは別。アイツら、血の臭いに酔ってる。あの村に何が居るか解ってない、だから攻め込んだ」

 

 

目の前の獣人の少年が、何か言っている。

だがアンジェラは、その肩に乗った異形の武器に意識の全てを向けていた。

夥しい量の血に塗れ、細かな肉片の付着した巨大な鉄塊。

対象の骨肉を根こそぎ抉り、削り取らんばかりの巨大な歯がずらりと並んだ、肉厚のノコギリらしき異形の武器。

今この瞬間も血を滴らせるそれに、アンジェラは凍り付いた様に視線を釘付けにされていた。

すると少年は、今更それに気付いたかの様に己の得物へと僅かに視線を遣り、次いでアンジェラへと戻して言葉を紡ぐ。

 

 

「アイツら、馬鹿だけど強い。素手じゃ勝てないし、手加減しても反撃されて殺される。だから、コイツで殺った」

 

「……殺したの?」

 

「殺られる前に殺る。よほど特別な相手でもなきゃ、敵に対しては当たり前の事。獣だけじゃなく、人間相手でも同じ。オイラ、最近学んだ。間違ってるか?」

 

 

自身と少年とのあまりの認識の違いに、アンジェラは返す言葉を失った。

その時、村の方から凄まじい轟音が鳴り響く。

次いで聴こえてくる、獣人達のものらしき無数の叫び。

それらに混じり、何かが破裂する様な音も聴こえてくるではないか。

アンジェラよりもずっと早く、咄嗟に其方へと視線を映した少年は、より低くなった声で独り言の様に呟く。

 

 

「……始まった」

 

「え?」

 

「アイツら、とんでもない相手に喧嘩売った。多分もう生きて村の外、出られない。村の中入った奴、みんな殺される」

 

 

物騒な言葉。

何の事かと無言で少年の横顔を見つめていたアンジェラだったが、ふと我に返ると手の内の瓶の蓋を開け、その中身を飲ませるべくデュランの頭に優しく手を添えた。

其方を見遣る事もなく、そしてアンジェラが聞いているかどうかも気にしてはいないのだろう、少年が更に呟く。

 

 

 

 

 

「『狩り』……始まった。『獣狩り』だ。みんな殺される。アイツら、みんな」

 

 

 

 

 

夜の空、獣の断末魔が幾重にも響いた。

 

 

============================================

 

 

突然の轟音と衝撃、屋外で上がった火の手。

先ずした事は、跳び起きてきた女性とその娘の安全の確保。

共に居た男の指示に従い、母娘を手伝って持てるだけの荷物を持って屋外へと飛び出した。

 

其処で見たものは表通りの遥か先、村の入り口から突っ込んでくる獣人達の群れ。

逃げ場は無いと、瞬時に理解してしまった。

だからこそ、世話になった母娘を背後へと庇い、やらせはしまいとせめてもの抵抗に腕を広げて獣人達を待ち構える。

そんな無謀な行動を取った彼女の目と鼻の先、先頭になって飛び掛かってきた獣人の身体が『弾かれた』。

否、正確には空中で見えない何かに吹き飛ばされたかの様に、突然軌道を変えて横っ飛びに地面へと叩き付けられたのだ。

その直前に聴こえたのは、鼓膜を直接叩かれたかの様な甲高い破裂音。

何が起こったのか理解できない彼女の前で、続けて響いた2度の破裂音と共に、更に2体の獣人が悲鳴を上げ、身体の一部を手で押さえて地面へと倒れ込む。

 

其処で漸く彼女、フェアリーは気付いた。

自分達が飛び出してきた家屋の前に、左腕で何かを構えた男が佇んでいる事に。

漆黒の帽子、目元以外を覆うマスク、同じく漆黒の外套。

曖昧な記憶の中に残る、最初に出会った時と全く同じ格好をしたあの男が、其処に居た。

左手に握られた奇妙な道具を目の高さに構え、だらりと垂らされた儘の右手には奇妙な武器らしき物が握られている。

家々が燃える音と悲鳴が響き渡る中、追い付いてきた幾人もの獣人が吠えた。

 

 

「これは……貴様! 貴様の仕業か、人間!」

 

 

叫び、倒れ伏す仲間を指す獣人。

フェアリーは気付いた。

最初に弾き飛ばされた獣人、ぴくりとも動かないそれが、既に物言わぬ骸となっている事に。

見れば残る2人も徐々に動きが鈍り、内1人は今にも息絶えそうではないか。

そして3人の周囲には、一様に血溜まりが広がりつつあった。

 

 

「舐めた真似を……生きてこの場から逃げられると思うなよ、人間!」

 

 

言いつつ唸り声を上げる獣人達を前に、男は目立った反応を返さない。

だがやがて、至って平静な声で以ってフェアリー達へと語り掛けた。

 

 

「此処は任せろ、他の村人たちの所まで走れ」

 

「え? 何て……」

 

「行けと言ったんだ。コイツらは此処で食い止める、後ろは気にせず走れ」

 

「……ほざくな、人間風情が!」

 

「行け!」

 

 

男が、始めて叫んだ。

瞬間、フェアリーは母娘の手を握り、荷物さえ放って駆け出していた。

背後から響く破裂音。

 

 

「おねえちゃん!?」

 

「2人とも、逃げるよ! 炎と瓦礫に気を付けて!」

 

「ええ!」

 

 

途中、どうしても足が遅くなる女の子を抱え上げ、只管に走る。

やがて視線の先に、船着き場の建物の群れが映り込んだ。

ウェンデルとの航路に於ける拠点であった其処には、海に面した港と見紛うばかりの大規模な桟橋が在った。

巨大な船が2隻は横付けできる程の桟橋の上には、残るほぼ全ての住民が避難している様だ。

その数、千は下るまい。

避難民の中へと加わったフェアリー達は、しかし直後に上がった叫びに焦燥を深める。

 

 

「ビースト兵だ! ビースト兵が来たぞ!」

 

 

振り返れば桟橋へと至る3つの道、最終的に合流し船着き場へと至るそれの先から、百を超えるであろう獣人達が迫っていた。

その足取りはゆっくりとしたもので、もはや急ぐ必要性すら見出してはいないかの様だ。

3つの道それぞれから迫るそれらの先頭には、獣化していない指揮官らしき人物の姿も在った。

死地に追い詰めた得物をいたぶるかの様に、彼等はゆっくりと迫り来る。

その足取りが、道の合流地点で止まった。

桟橋までの距離、既に50m足らず。

中央の道から迫っていた一群の指揮官らしき男が、マントを翻しながら腕を掲げ叫んだ。

 

 

「人間どもよ! 我々はビーストキングダム、聖都ウェンデル侵攻軍である! 我等獣人に対する謂われ無き迫害、長きに亘るその恨み! 正当なる復讐が為、そして聖都に籠る臆病者どもへの見せしめの為! 貴様らの命、我等獣人の未来への糧として、この地にて『狩らせて』貰う! 好きなだけ抵抗せよ、我々を退屈させるな!」

 

 

獣人達の中から、嗤い声が起こる。

心待ちにしているのだと、フェアリーは理解した。

これから始まる一方的な殺戮、それを心待ちにしているのだと。

 

 

「お母さん、お姉ちゃん……」

 

「駄目、下がって……少しでも離れて……!」

 

 

怯えを滲ませ声を零す少女を少しでも安心させようと、フェアリーは自身も不安と焦燥を押し殺しつつ微笑んで見せる。

打開策など思い付かず、このままではすぐにでも殺される事は理解していた。

それでも、親身になって自分に接してくれた母娘を見捨てる考えなど、彼女の脳裏には欠片ほども浮かびはしない。

3人とも、それ以上にこの桟橋上に居る人々がどうすれば生き延びる事が出来るか、必死に考えを巡らせる。

そんな彼女の背に、そっと添えられる掌。

振り返れば少女の母親が、安心させる様に微かな笑みを浮かべ、彼女を見つめていた。

 

 

「大丈夫よ」

 

「え?」

 

「あの2人が、私の夫とあの人が居るわ。すぐに戻って来る。あの2人に敵う『獣』なんて居ないもの」

 

 

静かに、言い聞かせる様に掛けられる言葉。

どういう意味かと見つめ返すフェアリーの前で、女性は変わらずに微笑む。

何処か得体の知れぬ昏さをも内包したそれに、フェアリーの背筋を奔る悪寒。

 

 

「『獣』が『狩人』に敵う道理なんて無いでしょう?」

 

 

直後、獣人達の更に後方から、轟音と咆哮が響いた。

今にも此方へと襲い掛からんとしていた獣人達が、何事かと後方へ振り返る。

激しい音と叫びは留まる様子を見せず、寧ろ徐々に此方へと迫りつつある様だ。

指揮官が、狼狽えた様に叫びつつ周囲を見回している。

悲鳴と咆哮は更に密度を増し、様々な物が砕かれる音に混じり奇妙な破裂音も聴こえ始めた。

そして、それらの音がぴたりと止んだ、次の瞬間。

居並ぶ獣人達の一角が、爆発したかの様に内側から吹き飛んだ。

 

 

「な……に……?」

 

 

獣人達も、住民達も、皆一様に静まり返っていた。

吹き飛び、転がり、血肉を撒き散らす幾つもの肉塊。

つい数瞬前までは確かに獣人という生命体であった筈のそれらは、今や砕け散り物言わぬ血袋となり果てている。

そして、それらが直前まで獣人として存在していた場所に『それ』は居た。

 

漆黒の装束、広鍔の狩帽子、足首まである長い外套。

首元から下げられた鎖のロザリオ、千切れ色褪せたマフラー。

そして、右手に握られた血塗れの、振り抜かれた儘の巨大な長柄の斧。

左手には微かに煙を上げる、小型の砲らしき武器。

地面を踏み砕き、右手の斧を振り抜いた体勢からゆっくりと身を起こす『それ』は、場を満たす静寂を震わせる様な、低く嗄れた声で呟いた。

 

 

 

 

 

「……何処も彼処も『獣』ばかりだ……」

 

 

 

 

 

砲を握った左手が斧の頭に添えられる。

鈍い金属音。

斧の長柄が引き込まれ、一瞬で片手斧のそれへと変貌する。

そうして真っ直ぐに姿勢を起こしたその男の背丈は、周囲の獣人すらをも優に凌駕していた。

俯いた儘の頭が僅かに動き、未だ人の姿を保つ獣人達の指揮官へと向く。

更に響く、昏く重い声。

 

 

 

 

 

「……貴様も、どうせそうなるのだろう?」

 

 

 

 

 

徐に擡げられる頭。

広い鍔の下から現れた顔は、声に違わぬ壮年の男性のもの。

灰色の顎鬚と同色の髪、僅かに剥き出しにされた歯の間から零れる蒸気の様な吐息。

だが、何よりも衆目を引き付けるのは、その目。

それが在る筈の場所へと幾重にも巻き付けられた、返り血に汚れた包帯だった。

 

開かれた歯と歯の間から、蒸気の様に熱く白い吐息と共に『獣』そのものの唸りが零れる。

無造作に踏み出される一歩。

合わせて獣人達が、無意識にだろうか、同じく一歩の距離を退いた。

獣達の表情に浮かぶのは困惑と、紛れもない恐怖の色。

それらを振り払わんとしたのか、指揮官らしき男が声を上げる。

 

 

「貴様、何者だ!? 人間風情が、よくも……」

 

 

言葉が、最後まで紡がれる事は無かった。

獣人達の別の一角で突然、複数の呻きと悲鳴が上がり、赤い飛沫が舞ったのだ。

破裂音と金属音、肉と血飛沫が地面に叩き付けられる音。

皆の視線が其方へと向く中、倒れ逝く獣人達の中心に立つ、黄色の人影。

 

側面に枯れた羽根が飾られた狩帽子、目元の下から首元までを覆い隠す装束。

色褪せた黄色と黒の分厚い外套、一見して頑丈と分かるズボンとブーツ、黒い手甲。

右手に握られた鮮血を滴らせる、肉片塗れの異形のノコギリ。

左手には斧の男のそれよりも二回りほど小さな砲。

全身から返り血を滴らせながらゆっくりと、周囲で凍り付く獣人たちへと振り返る。

今や怯えを隠し切れない獣人達の前で、彼もまた低く冷たい声を発した。

 

 

 

 

 

「人間風情だと?『獣』風情が良く言った。『狩人』を前に吠え掛かるとは『獣』にしては見上げた根性だ」

 

 

 

 

 

ゆっくりと歩を進める、ノコギリの男。

そのノコギリを握る右腕が左肩まで擡げられ、一気に右側面まで振り抜かれる。

瞬間、赤い飛沫を振り撒きながら、重厚な金属音と共に火花が散った。

振り抜かれた右腕に握られていたのは最早ノコギリではなく、倍近い長さとなった巨大な『鉈』。

獣人、人間を問わず誰もが唖然と見つめる中、彼と斧の男は淡々と告げる。

 

 

「まあ、良い。『獣』は『獣』、やるべき事は同じだ」

 

「『狩人』がすべき事など『ヤーナム』でも此処でも変わらん。『獣』を『狩る』。それだけだ」

 

 

ビースト兵の壁へと歩み寄る彼等には、何の気負いも感じられない。

その血に塗れた背中を見つめつつ、フェアリーは悟った。

これから始まる事柄は、獣人による人間に対する殺戮でも、人間による獣人に対する決死の抵抗でもない。

そういった非正常の事象ではなく、あるべき当然のそれ。

農夫が土を耕し、漁師が魚を捕り、聖職者が女神に祈り、騎士が主に仕える様に当然の事。

 

 

 

 

 

『狩人』が『獣』を『狩る』。

ただそれだけの事なのだと。

 

 

 

 

 

『獣狩りの夜』

アストリアの住民は、この夜の出来事をそう呼んだ。

ある者は誇りと共に、ある者は憧憬と共に、ある者は恐怖と共に。

血と硝煙の記憶は、多くの人々の脳裏に深く、決して消えぬ光景として刻まれる事となる。

 

 

 

アストリアの異邦人『ガスコイン』と『ヘンリック』。

2人の『狩人』による『狩り』は、まだ始まったばかり。

 

 

 




獣人A「ホワイ!? ホワーイ!?」
獣人B「カースドビースツ!」
獣人C「ビースツ!? オゥノゥ、ビースツ!」
フ「うるせぇ」



獣人オレラ「リア充氏ね」
獣人(ケ)「お前が氏ね」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

斧と鋸

 

 

 

「なんだあ、ありゃあ……」

 

「嘘……」

 

 

異変の原因を探ろうと戻った其処で、アンジェラ達は信じ難い光景を目の当たりにした。

獣人達の咆哮と悲鳴、更に激しい破壊音と破裂音が響き渡る湖畔の村。

村の中心を貫く通りの終点、湖畔の船着場で、その狂演は繰り広げられていた。

 

桟橋に追い詰められた住民達を背に、アストリアに攻め入った数百もの獣人、それらを真っ向から相手取り互角以上に戦っている人間が居たのだ。

それも大勢ではなく、たったの2人。

理解した瞬間、デュランは未だ癒え切らぬ傷の事も忘れ、加勢に走ろうとした。

圧倒的多数の獣人達を前に、死地にて奮闘する勇者を見捨てられぬと。

多少は冷静であったアンジェラでさえ、デュランとほぼ同時に一歩を踏み出していた。

 

が、そんな2人の英雄的行動は、直後に数名の獣人が木の葉の如く吹き飛ばされ細切れになり、或いは襤褸切れの様に四肢を引き裂かれる光景を前にした事で中断する。

生々しい音と共に周囲一面へと叩き付けられる、凄まじい量の血と肉片。

聴覚を埋め尽くしなお流れ込む、聞くも悍ましい悲鳴と絶叫。

其処で繰り広げられていたのは、獣人から住民を護る為の決死の抵抗でも、自棄になったが為の自殺的抗戦でもなかった。

 

 

「囲め! 攻撃の暇を与えるな!」

 

「退くな、攻め続けろ! 群れで圧殺するんだ!」

 

 

焦燥と敵意、悲壮と恐怖。

それらの負の感情に満ちた声は、人間ではなく獣人達の側から上がっていた。

数人の獣化したビースト兵が、抜群の連携で爪が到達するタイミングを合わせ、単一の目標へと跳び掛かる。

攻撃の対象となっている者は一溜まりもあるまい。

人智を越えた膂力で以って振るわれる爪に、為す術もなく引き裂かれ微塵となるだろう。

だが、彼等が狙う『獲物』は、そんな常識が通じる相手ではなかった。

 

 

「……ォアッ!」

 

 

たった一拍、ただそれだけの叫び。

大質量の塊が空を切り裂き、空気の壁をぶち破る異様な音。

全く同時に響き渡る、固い何かが砕ける音、水気を含んだ何かが弾ける音、弾力の在る何かを引き千切る音。

それら全てが幾重にも響き渡り、次いで伝わるのは幾つもの重く湿った何かが地面を叩き転がる音。

それらが何を意味するものか、デュランもアンジェラも自身の目ではっきりと捉えていた。

 

6人もの獣人達が跳び掛かったのは、漆黒の装いに身を包む並外れた長身の男。

その男は迫り来る数十もの爪を前に、回避しようと試みる素振りを全く見せなかった。

それどころか、その場で地を砕かんばかりに踏み締め、左側面へと大きく身を捩ったのだ。

男の両手に握られた得物、巨大な長柄の斧の頭は捩られた身体の左側面にて、恐るべき力が解放される瞬間を待っていた。

 

そして、一瞬の雄叫び。

空気の壁をぶち破り、大気が割れる轟音を響かせながら振り抜かれた斧の刃は、自身の主を八つ裂きにせんと迫っていた不逞の輩、その身体を完膚無きまでに打ち砕いていた。

切り裂いたのでも、叩き割ったのでもない。

跳び掛かってきた全員の身体を散り散りに、更には個々の部位が原形を留めないまでに粉砕したのだ。

四散した肉体の破片が、男を中心とする周囲十m四方もの範囲に豪雨の如く降り注ぐ。

 

あまりにも凄惨な光景を前に、しかしアンジェラには何が起きたのか、皆目見当も付かなかった。

幾ら膂力に秀でていたとして、人間が斧を振るっただけで、人よりも遙かに強靱な獣人、それも複数の身体が四散する事など在り得るのだろうか。

なまじ聡明であるが故にそんな疑問が先行し、現実を受け入れる事ができないのだ。

尤も、彼女が現実を正確に認識していた場合、否応なしに逆流する胃の中身との格闘を強いられていた事であろうが。

一方でデュランは、その剣士として鍛えられた視力と類稀なる才能によって、斧を振るう男が繰り出した常軌を逸する一撃の正体を目の当たりにしていた。

 

 

「冗談だろ……」

 

 

斧は『2度』振るわれていた。

限界まで捻られ、収縮した全身の筋肉。

その凝縮された力を一気に爆発させて放たれた斧の横薙ぎは、男の前方の空間を薙ぎ払うだけに止まらなかった。

刃は勢いのあまり男を軸に周囲を一回転しつつ、更には靴で地面を削りながらその身体そのものを2m程も前進させていたのだ。

その上で斧の刃は、あろう事か勢いを些かも減じる事なく、そのまま2撃目の横薙ぎとなって獣人達へと襲い掛かったのだ。

 

第一撃で絶命していたであろう者と、幸か不幸か死に切れなかった者。

双方の区別なく、既に幾つかの部位に分かたれていた彼等の身体を、続く第二撃が無慈悲にも木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。

しかも二撃目の刃は跳び掛かった6人だけではなく、その後方から時間差で襲い掛かろうとしていた別の2人をも捉え、その四肢と胴を諸共に真っ二つにしていた。

一瞬の内に放たれた2つの横薙ぎが、一度に8人もの身体を打ち砕き、その命を奪い去ったのだ。

 

デュランは思う。

あれが、人間の放つ技だろうか。

否、あれは技などではない。

人ならざる膂力に物を言わせ、あらゆる技巧や戦術を嘲笑い、覚悟も決意も等しく微塵に打ち砕く、理不尽かつ純然たる『暴力』。

主義主張といった不純物を含まない、何処までも純粋に目の前の存在を否定せんとする、完全なる破壊と殺害の為の『力』。

自身が持ち得ないそれに対し、しかし感じているのは憧憬や嫉妬ではなく、畏れ。

デュランは無意識の内に、斧の男が放った一撃に込められた『何か』を、自身とは相容れぬものと見做していた。

そして、敵を否定せんとする男の猛攻は、その一撃で終わりではなかった。

 

斧を振り抜いた体勢、長柄の端を右手のみで保持したまま、左手を腰元に遣る男。

その目と鼻の先には、瞬間的に吹き荒れた死の暴風に呆然とする、数人のビースト兵が佇んでいた。

我に返ったのか、はっとした様に体を構え直す獣人達だが、男の方が圧倒的に早い。

男は既に最も近くに居た獣人、その鼻先に腰元に据え付けていた小型の『砲』らしきもの、その砲口を突き付けている。

次の瞬間、金属同士がぶつかり合う音と、僅かにずれて火薬の炸裂音が響き渡った。

 

 

「ギ……ッ!?」

 

「げ、あ!?」

 

 

直後、またもや大量の血と肉片。

砲口から雷鳴と大量の火花を纏い雨霰と飛び出した何か、恐らくは大砲に用いるものと同じ原理の散弾が、正面に立つ獣人の上半身を捉えたのだ。

デュランの見間違いでなければ、それらの弾体は大気との摩擦によるものか、いずれも赤熱し光を放っている様に見えた。

矢や魔法とは比較にならぬ程の速さ、恐らくは音のそれをも超えているだろう散弾の壁が、屈強な獣人の上半身を粉微塵に打ち砕いていたのだ。

 

無傷な儘の下半身。

一方で上半身が在った場所には、今や幾らかの肉片が付着した僅かな骨格しか残されていない。

肉体を構成していた殆どの部分は、今や赤に塗れた無数の破片となって周囲の地面に撒き散らされている。

だが、散弾が被害を及ぼしたのは、その挽き肉となった獣人だけではなかった。

 

発砲の直後、上がった悲鳴は複数。

だが、一瞬で上半身を砕かれた犠牲者が、声を上げられる筈もない。

悲鳴を放ったのは、その犠牲者の後方に位置していた複数のビースト兵たちだった。

広範囲に撒き散らされた散弾の一部や、着弾の衝撃で犠牲者の身体から弾き出された骨片が、後方に居た彼等を襲ったのだ。

それは致命的な傷を齎すには至らないが、それでも肉を穿ち目を潰し、続く行動を阻害するには十分に過ぎる威力。

そして、この場に於いて一瞬であろうと動きを止める事は、それ即ち死神の鎌に捉えられるも同義であった。

 

 

「ぐげ……ッ!」

 

「があッ!?」

 

 

飛来した散弾に踏鞴を踏んでいたビースト兵が、一気に距離を詰めた男の斧により、次々に身体を叩き割られてゆく。

斬るのではない、叩き割っているのだ。

何時の間にか柄が縮まり片手用と化した巨大な斧は、男の右腕が振り抜かれる度に血化粧を撒き散らす。

 

洗練とは程遠いその動き、力任せの荒技。

ただ一つの目的、目の前の敵を叩き潰す事に特化し、その為にのみ昇華された技術。

一切の迷いが無いそれは、技術と膂力の双方を併せ持つ獣人達を、一方的に屠ってゆく。

その一撃一撃が正に必殺。

振るわれる斧の前には急所も何もない、身体に当たった時点で致命傷なのだ。

 

肩口に当たれば脇下まで袈裟に真っ二つ、脇腹に当たれば胴が上下に泣き別れ、胸板に当たれば上半身が微塵に吹き飛ぶ。

果ては、自棄になったか或いは怯えが勝ったのか、腕を盾に身を守る構えを見せたビースト兵、その鉄の手甲に覆われた両腕と胴を諸共に横薙ぎにして二分する始末。

更に、仲間が瞬く間に原形を留めない肉塊と化しゆく様を前に恐慌を来し、引き攣った叫びと共に背を向けたビースト兵に対し、男は両者の間合いを無視して斧を頭上へと振り被る。

絶対に当たる筈のない間合い、どんなに速く振り下ろそうとも間に合う筈のない距離。

投げ付けるつもりか、とのデュランの予想は、大いに裏切られる事となった。

 

柄から散る火花、金属が擦れ合う異音。

振り抜かれる斧は、男の頭上で再び長柄の斧と化す。

デュランは漸く、斧の変形の仕組みに気付いた。

 

『仕掛け武器』

あれは、柄の長さを片手用と両手用に切り替える事で、威力と間合いをも自在に変化させる武器なのだ。

そしてたった今、目の前で行われた変形。

男の強大な膂力、其処から生まれる遠心力を利用した強引なそれは、変形の過程そのものを強力な一撃と化すものだ。

ただでさえ強力な振り下ろしの一撃だというのに、振り抜く最中に柄を伸ばす事で更に遠心力による威力を増幅し、しかも間合いを伸ばす事でより離れた目標へと刃を到達させる。

強引で、力任せで、後先など考えもしないであろう、それ故に比類なき破壊力を叩き込む一撃。

 

背を向け逃げるビースト兵の頭頂部へと炸裂したそれは、そのまま轟音と共に地面を叩き割り、比喩でなく土砂を巻き上げた。

土や小石が音を立てて降る中、割れた地面の上に残されたのは両断された獣人の亡骸。

正確には身体の正中線上の骨肉が裂け、拉げ、こそげ落ち、微塵となり、結果として両断された、獣人だったものの残り滓だった。

そうして10秒と経たぬ内に更に6つもの死体を生み出した男は、地面に斧を叩き付けた状態からゆっくりと立ち上がり、包帯に覆われ窺う事の出来ない両目で残る獣人達を無感動に見遣る。

その吐息の音は、獣人であるビースト兵のものよりも、余程に『獣』のそれに近いもので。

 

 

「ひ……ヒィッ!?」

 

「な……貴様、逃げるな!」

 

 

遂には耐え切れなくなり、その場から逃げ出す者が出始めた。

それも1人や2人ではなく、少なく見積もっても20人以上が。

指揮官が逃亡を防ごうと叫ぶが、恐怖の伝播は止まらない。

30人、40人と逃亡者が増える。

 

敵が如何に恐ろしい相手だとて、僅かに十数人が殺されただけで勇猛果敢なビーストキングダムの兵が逃げ出すものだろうか。

否、その程度の犠牲ならば、寧ろ怒りと高揚を綯交ぜに爆発させながら、その強敵の血を見ようと更に激しく攻め立てる事だろう。

だが、だらりと垂らした腕に血の滴る斧と砲を握った男、その後方。

湖に突き出た桟橋へと続く道の上は既に、殆ど原形を留めていない死体、即ち獣人であったものの成れの果てに埋め尽くされていた。

赤と白の骨片、大小様々かつ無数の肉片、何処の部位であったかをどうにか判別できる程度に形の残された肉塊。

そんな悍ましいものが、燃え盛る家屋の炎に照らし出された道の上に、所狭しと散らばっているのだ。

その量からして、どれだけ少なく見積もっても百は下らない数の獣人が『解体』されているのだろう。

つまり、デュランたちが村の中に戻るまでの間に、この場で獣人達に対する『虐殺』が延々と続けられていたという事だ。

ビースト兵達の恐怖が限界に達したのも、無理はあるまい。

 

 

「アイツ……本当に人間か?」

 

 

火が回っていない横道、荷馬車の陰から惨劇の様子を覗き込みつつ、掠れた声で呟くデュラン。

と、その背後から、小さな呻き声が聴こえてくる。

彼が我に返り振り向くと、其処には地面に崩れ落ち、手で口元を覆って嘔吐するアンジェラの姿が在った。

咄嗟に彼女の動揺を見抜いたデュランは、すぐさまアンジェラの背に手を添わせ、優しく撫ぜ始める。

 

 

「う……う……!」

 

「大丈夫、大丈夫だ……我慢するな、アンジェラ。楽にするんだ……!?」

 

 

凄惨な光景と彼等の元まで漂ってくる濃密な血臭に、耐え切れず嘔吐するアンジェラ。

そんな彼女を気遣っていたデュランは、しかしまたもや聴こえてきた悲鳴に慌てて通りへと視線を戻す。

そして、信じられない光景を見出した。

 

 

「な……何でだ? 何で戻ってきやがった!?」

 

 

なんと、逃げ出した筈のビースト兵たちが、同じ場所まで駆け戻ってきたのである。

まだやるつもりか、と身構えたのも束の間、デュランは彼等の様子がおかしい事に気付く。

荒い息、喚き声、女神に助けを求める叫び。

戻ってきたビースト兵たちは、一様に何かに怯えていた。

斧の男に対しては勿論の事、逃げた先に在る『何か』に。

しかも逃げた際よりも、明らかに人数が減っているではないか。

しかし『何か』から逃げたとはいえ、それで彼等が安全な場へと脱した訳ではなかった。

 

 

「う、がッ!?」

 

 

引き返してきたものの、斧の男に近寄る事も出来ずに踏鞴を踏んでいたビースト兵たち。

それが1人、2人、3人と、次々に目元を手で押さえ崩れ落ちる。

彼等の指の隙間から一様に突き出す、鈍色の光沢。

投擲用のナイフだと、デュランは気付いた。

何処からか放たれたそれらが、正確にビースト兵たちの眼球を射抜いている。

悲鳴を上げ蹲ったビースト兵の数は4人。

内1人は今や完全に地面へと倒れ伏し、痙攣を始めていた。

恐らく、ナイフの切っ先が脳にまで達したのだろう。

 

そして斧の男の後方には、いつの間にか別の人影が佇んでいた。

何時の間に現れたのかデュランでさえ気付かなかったが、その人物の手に握られた鈍色が、投げナイフを放った者が誰であるかを雄弁に語っている。

黄色掛かった分厚い装束、目元以外を完全に覆い隠すマスクと飾り羽の付いた帽子、纏う者は体躯からして恐らく男性。

彼は右手のナイフを腰のベルトに差すや、腰の側面に掛けられていた武器らしきもの、巨大な歯が並んだノコギリの様なそれを握り、弾かれた様に駆け出した。

佇む斧の男の傍らを駆け抜け、放たれた矢の如く突き進む先には、目にナイフを受け未だ立つ事も出来ないビースト兵たち。

敵の接近に気付いた彼等に構える暇さえ与えず、ノコギリが振り下ろされる。

ぞり、という嫌な音が、離れた場所に居るデュラン達の耳にまで届いた。

 

 

「ッ―――!」

 

 

最早、生物の声かどうかも判然としない悲鳴。

腕、脚、胴の一部、顔面の半分。

身体から力任せに、それも鈍い刃で削ぎ落とされた部位が、次々に地面へと落ちる。

生きながらにして骨を断たれ、肉を削がれるという想像を絶する苦痛に、連続して斬り付けられた3人のビースト兵が絶叫した。

だがそれらの悲鳴は、更に振るわれる刃により強制的に断ち切られる。

張り詰めた筋肉の繊維の束、それが無理矢理引き千切られる耳障りな音。

赤に塗れたノコギリが振り抜かれた後には、幾つかの部位に解体された獣人の死体のみが残された。

 

 

「何なんだ……」

 

 

震える声は、ビースト兵たちの指揮官のもの。

ノコギリの男は、無感動にノコギリを振るい、血と肉片を払った。

斧の男は僅かに俯いたまま、再び柄を縮め片手斧に戻すと空いた左手に砲を携える。

 

 

「何者なんだ、貴様等……!」

 

 

更に放たれる言葉。

2人の男は微動だにせず、獣人達の新たな動きを待つかの様に佇んでいる。

指揮官が、叫んだ。

 

 

「人間じゃない……貴様等が人間でなどあるものか! この……『化け物』め!」

 

 

堪えきれなくなった恐怖の発露、感情の爆発。

それでも、斧とノコギリの男は動かない。

動いたのは、指揮官の方だった。

 

 

「……うおおおオォッッ!」

 

 

痺れを切らしたか、それとも蛮勇か、或いは破れかぶれとなったのか。

指揮官は雄叫びを上げ、遂に自らも外套を脱ぎ去ると、見る間に青み掛かった毛並みを持つ獣へと変貌する。

明らかに他の獣人とは異なる容貌に、デュランは状況が悪化しつつある事を悟った。

 

 

「ヤバい……アイツ、別格じゃねえか……!」

 

 

獣人に関してはとんと疎いデュランだが、それでも異常な毛並みの色が意味するところは理解できた。

獣人達の毛並みは大抵が白か灰色である事は、これまでの観察から解っている。

青白く光る毛並みは月光の色、即ち精霊ルナの加護を得ている事を示すもの。

嘗て上級騎士が剣に土の属性を付与する技を用いた、その様を目にした事が在るからこそ気付いた違和感。

だが、明らかにこの指揮官が纏う月のマナは、属性付与の様に一時的なものではない。

長年に渡る月夜の森での鍛錬と、幾重にも死線を潜り抜けた経験が、月の加護そのものを肉体の一部として取り込んでいるのだ。

未熟なデュランにさえ解る、膨大な月のマナを内包したビースト兵。

先程まで嘔気に苛まれていたアンジェラも、異常なマナの昂ぶりに気付いたのか、蒼白な顔で通りを見遣る。

 

 

「……死ねッ!」

 

 

そして遂に、月光が動いた。

微動だにしない2人の『化け物』目掛け跳躍。

地が爆ぜ、月光の影が宙を翔ける。

輪郭すら朧気にしか捉えられぬ程の速さで以て、敵を引き裂かんと迫る月光の獣。

それでも2人の男はその場を動かない。

抵抗を諦めたのか、それとも反応すら出来ないのか。

そうして遂に、月光纏う爪が振るわれんとした瞬間だった。

 

 

「が……ッ!?」

 

 

轟音。

斧の男、左手の砲が火を噴いた。

途轍もない速度で打ち出された散弾は、宙を翔け迫る青白い影を的確に捉える。

宙を舞う血飛沫と、千切れ飛んだ獣の左腕。

片腕を失い、更に被弾の衝撃で体勢を崩した獣が、本来の標的であったろう斧の男の傍らを擦り抜ける。

その身体の向かう先、佇むノコギリの男。

 

直後、デュランとアンジェラは我が目を疑った。

黄色の装束を纏う男は、何と手にしていた自らの得物、その異形のノコギリを手放し地に落としたのだ。

体勢を崩したまま突っ込んでくる獣人を前に、無抵抗のままその突進を受けんとするかの様な振る舞い。

だが、その後に彼が取った行動は、無抵抗とは間逆のものだった。

 

 

「げ、グ……!?」

 

「な……」

 

 

何と男は向かってくる獣目掛け自ら一歩間合いを詰めると、得物を手放し空いた右手をその胴、腹へと突き入れたのだ。

突進を強制的に止められ、勢いの儘に残る四肢のみを前方へと投げ出す指揮官。

胴に隠れた男の右手がどうなっているのか、デュラン達の位置から窺う事は出来ない。

だが、指揮官が上げるくぐもった呻き声が、何らかの攻撃を受けているのだと示していた。

そうして2秒か3秒が過ぎた頃、男は右肩で指揮官の身体を突き飛ばしながら、胴に隠れていた右腕を引き抜く。

瞬間、男と獣の間、宙空で血が爆ぜた。

 

 

「ぐ……!?」

 

「うっ……う、え……!」

 

 

呻くデュラン、堪え切れず再び嘔吐するアンジェラ。

2人の視線の先には、理解を超えた光景が広がっている。

何もかも、一切合財が炎と血の赤に染まった中、仰向けに倒れた獣人と、右手に何かを握ったまま佇む男。

だが、その様相は両者共に異常そのものだった。

残るビースト兵の間から、そして桟橋の側からも、ひとつふたつと悲鳴が上がり始める。

男が手にしているものが何であるか、それを理解したが故に。

 

 

「酷ぇ……!」

 

 

呻く様に吐き捨てるデュラン。

その視線の先で、帽子から爪先まで完全に血塗れとなった男は、手にした『それ』を地面へと放った。

重々しい水音と共に、潰れる様に折り重なる『それ』。

 

 

 

―――ビースト兵の『内臓』

 

 

 

「あ……あ……ガ、げェ、エ……」

 

 

仰向けに倒れたまま立ち上がろうともしない、あるいは出来ない指揮官が、泡立つ異音混じりの声を上げる。

痙攣する彼の身体の前面は、まるで解体途中の家畜の様に『開かれて』いた。

左右へ強引に抉じ開けられた肋骨が、柱の様に並び宙へと向けて突き立っている。

その中から覗くのは、乱れた脈を打つ小さな塊と、赤と紫が混じり合う引き裂かれた2つの袋。

心臓と、破れた肺。

だが、それらの下に在るべき各種の臓器は影も形も無い。

無くて当然だ。

それらは今、本来の持ち主から数mほど離れた地面へと、無造作に打ち捨てられているのだから。

 

 

「ぁ……ぁが……ひ……!」

 

 

引き摺り出された臓器、その滑る表面。

炎の明かりを受け怪しく輝く其処を、無数の細かな血管が覆っている。

それらは本体から切り離されてなお、独自の生命を持っているかの様に脈動し、蠢いていた。

 

一方で、体内の臓器の殆どを抉り出された指揮官は、激しく痙攣し声すらまともに発せない状態であるにも拘わらず、必死に手を伸ばし続けている。

何かを手繰り寄せようとするかの様に蠢く腕の先には、地の上へと無造作に放られた彼自身の内臓。

手にしたところで今更どうしようもないそれを、しかし一縷の希望に縋り付こうとするかの様に、必死に求め続ける。

その姿は、母親に縋り付こうと必死に手を伸ばす、無垢な赤子の様で。

 

だからこそデュランは、あまりの哀れさと悍ましさに目を逸らしそうになった。

それを押し止めたのは彼自身の意志によるものではなく、その背に縋る華奢な身体の所為。

縋り付き、顔を埋めて震えるアンジェラの存在だった。

彼女の精神は、もはや限界なのだろう。

あまりに凄惨な光景が続いた事で、感覚が麻痺するどころか更に鋭敏になってしまっている。

 

全てが血に染まった村、散らばる無数の肉片、充満する鉄と死の臭い。

多少は荒事に慣れている筈のデュランでさえ危ういのだ。

暖かな王城と純白の雪原しか知らぬ繊細な少女に、百を超える死体と炎の熱に埋め尽くされた赤の空間は耐えられるものではないだろう。

もう何も見たくないとばかりにデュランの背に顔を押し付け、離れないでくれと懇願する様に両手で服を握り締め、童話の怪物に怯える幼子の様に震えるアンジェラ。

そんな彼女を放って自身が怯んでいられるほど薄情なデュランではなく、これ以上はアンジェラを不安にさせまいという一心で、辛うじて表向きは平静を保つ事に成功していた。

お人好しも此処までくれば大したものだが、そうでなければ自身が怯えに呑まれてしまうという危機感も在ったのだ。

だからこそ、アンジェラの心を護ると同時、無意識に自らの精神と誇りをも護る為の行動が、目の前の凄惨な光景と正面から向き合い続けるという選択だった。

 

 

「……ぇ……ふ……ッ」

 

 

指揮官の藻掻く動きが、徐々に小さくなる。

あれだけ噴水の如く吹き出していた血も、もはや底を突いたのか完全に止まっていた。

血の泡を噴きながら白目を剥いて痙攣する彼の隣を、斧の男がゆっくりとした足取りで通り過ぎる。

彼の向かう先には、腰を抜かしたビースト兵。

低く掠れた声が、死に埋め尽くされた通りに響く。

 

 

「『獣』は退く事を知らん。貴様等がこの村を出れば、次はジャドの連中が大挙して押し寄せるのだろう? ならば生きて帰す訳にはいかんな」

 

 

その言葉に、息を呑んだのは誰か。

斧の柄が引き伸ばされる金属音が、妙に大きく鼓膜を打つ。

デュランの掌は、何時の間にかじっとりと汗ばんでいた。

 

 

「とはいえこの数だ、流石に殺し切る事は出来まい……最期まで諦めずに向かってくるのなら別だが」

 

 

寧ろ、その方が有り難い。

そう言わんばかりの口調で、斧の男に続くノコギリの男。

装束は今やどす黒い赤に染め上げられ、元の黄色は全く見出す事が出来ない。

自身と同じく血塗れのノコギリを振ると、それは金属音と火花を放ち巨大な鉈と化す。

あれも仕掛け武器か、と戦慄するデュラン。

実質この2人は、砲と合わせて3つもの武器を同時に使い熟しているも同然なのだ。

否、ノコギリの男に至っては投げナイフも含め4つか。

 

 

「まあ、逃げたいのならば逃げるが良い。運が良ければ街道に出られるだろう」

 

 

その言葉が終わるか否かというところで、数人のビースト兵が背を向けて走り出した。

後ろを振り返る事もなく、只管にこの場を離れる事しか考えていない疾走。

釣られた様に、周囲のビースト兵もまた駆け出した。

重なる悲鳴、意味を成さない絶叫。

恐怖の感情を振り撒きながら、彼等は遁走した。

佇む2人は、追おうともせず。

 

 

「どれだけ減らせると思う」

 

「ゲールマンを下す程だ、唯の狩人とは比較になるまい。周りも大分静かになっている様だしな」

 

「ふん、化けたものだ。『烏』の助太刀で精一杯だったというのに」

 

 

ビースト兵達が逃げ去った方角から響く、複数の破裂音。

遅れて、幾つかの悲鳴。

僅かに顔を上向かせた斧の男が、無感動に呟く。

 

 

「……根絶やしにしかねんな。好都合だが」

 

 

荷馬車の陰から2人の男を窺いつつ、デュランは思い至った。

最初に逃げたビースト兵達が戻ってきたとき、彼等の人数は減り、酷く『何か』に怯えていた事に。

つまり今、斧の男とノコギリの男、この2人の脅威に耐え切れずに再度逃げ出した連中は、再び『何か』による攻撃を受けているのだろう。

そしてその『何か』は、この異常なまでの強さを持つ2人をして、仰ぎ見る程の力を有しているらしい。

 

どんな奴だろうか。

これ程の猛者達から、こうまで言われる者。

知りたい、会ってみたい。

どうやってその強さを手に入れたのか、直接会って話を聞いてみたい。

 

つい先程まで自身を苛んでいた悍ましささえ忘れ、デュランは思考に沈む。

強さを、力を手に入れたい。

圧倒的なそれを目の当たりにしたからこそ、彼の欲求は更に燃え上がっていた。

力の拠り所を選ばないそれは、ある意味では彼の怨敵である紅蓮の魔導士に通じるものが在る事に、冷静さを欠いたデュランは気付かない。

そんな彼を引き戻したのは、未だ青褪めたままのアンジェラだった。

 

 

「デュラン、貴方……」

 

「アンジェラ?」

 

「凄く……怖い顔、してる」

 

 

未だ嘔気に苛まれているのだろう、今にも崩れ落ちそうな程に衰弱していると一目で解る様にも拘わらず、彼女は自身よりもデュランの事を気に掛けていた。

力を求めて止まなかった者が、どの様な変貌を遂げたかを知るアンジェラだからこそ、圧倒的な力に惹かれるデュランの危うさを見抜いていたのだ。

無論、デュランには其処まで彼女の内心を窺う事など叶わないが、それでもアンジェラが必死に此方を引き留めようとしている事は解った。

一瞬だけ呆けたものの、すぐに彼は自身の未熟に思い至り、恥じる様に頭を振る。

馬鹿な事を考えた、とばかりに。

そうして彼女を安心させようと、実に彼らしく憎まれ口を交えた言葉を返そうとして、デュランは気付く。

アンジェラの顔色が、数瞬前よりも遥かに蒼褪めている事に。

 

 

「アンジェラ?」

 

「デュラン……後ろ……」

 

 

瞬間、ぞわりと粟立つ背筋。

咄嗟に振り返った彼の視線の先で、あの『化け物』達が此方を見据えていた。

全身が凍り付いてゆくかの様な感覚。

 

動けない。

蛇に睨まれた蛙の様に、動けば『死』が訪れると肉体が認識してしまっている。

そんなものは錯覚であると、幾ら思考が訴えても身体がそれに従わない。

遂には呼吸さえ乱れ始める。

見えぬ呪縛に捕らわれゆく2人。

ノコギリの男が、そんな事は知らぬとばかりに声を掛けた。

 

 

「……酒場で痴話喧嘩していた連中か? 愚図愚図するな、さっさと桟橋へ行け」

 

 

============================================

 

 

「……やっぱり」

 

 

桟橋の上、燃えゆく村を見つめながら、フェアリーは呟く。

彼女の視線の先では、殺戮に一段落を付けたらしき2人の『狩人』が、物陰に居る誰かと話をしていた。

だが、彼女が見据えているものはその先、通りの遥か先の闇に潜む者だ。

 

あの男、漆黒の装いに身を包んだ『狩人』は、自分達を逃し獣人達の前に残った。

だが2人の『狩人』が殺戮を始めた頃から、村内の別の場所でも無数の月のマナが急速に散ってゆく様を、フェアリーとしての感覚が認識している。

考えられる可能性はひとつしかない。

あの『狩人』が、ビースト兵達を殺し回っていたのだ。

 

 

「只人じゃない……」

 

 

それは疑惑ではなく、確信だった。

彼等は、明らかに唯の人間ではない。

その身こそ人間ではあるのかもしれないが、しかし同時に異質な何かがその内に潜んでいる。

あの常軌を逸した膂力は、その異質より齎される超常の力ではないのか。

 

 

「『狩人』は『獣』を狩り、やがては『血』に呑まれる……あの人もそうだった」

 

 

背後から呟かれる言葉。

フェアリーは燃える村から目を離さず、耳を傾ける。

 

 

「『獣』を狩り『血』を受け入れ、また『獣』を狩り……そうやって『狩人』は、自らもまた近付いてゆくの……『獣』に、ね」

 

 

途端、総毛立つ。

思考へと浮かんだ、恐ろしい可能性。

あまりにも悍ましいそれに、フェアリーは戦慄した。

 

或いは。

或いはあれが、元から『人』の内に潜むものであったなら。

超常によるものではなく、超常に触れたが故に発現した『人』の内に潜む『何か』なら。

 

 

「そんな……」

 

 

 

あれが『人間』の、真の姿なのだとしたら。

 

 

 

 

 

闇を掻き分け、炎の中を歩み。

3人目の『狩人』が、村の中から桟橋へと歩み来る。

全身、至る所から返り血を滴らせ、しかしそれに頓着する素振りすら見せず、彼は村人たちの前にまで辿り着いた。

そして、怯える彼等をゆっくりと見回し、フェアリーの姿を見付ける。

自身を睨む彼女の姿を前に、しかし何ら気にする素振りも無く、彼は言い放った。

 

 

「君は『マナ』とやらを扱えるのか? 可能なら、結界を解いて欲しい……ウェンデルまで案内しよう」

 

 

 

 




1週目のぼく「お、何やあの黄色いの! オラ内臓決まった、超楽勝! なんやコイツ弱いぞ!」

2週目のぼく「おっほ後ろから奇襲できるやん! よっしゃ内臓決まってアレ殆ど喰らってなあああああああああぁぁぁぁぁぁ!?」(YOU DIED)





烏羽の狩人「先越されたと思ったのにヘンリックしか居なかった。どゆこと?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

子午線上の狩人

 

 

 

「ホントに助かったよ、改めて礼を言わせてくれ」

 

「アンタ等が来なかったら、今でもあそこで立ち往生だったんだ。お互い様だ、気にすんなって」

 

 

そんな言葉を交わし、互いの健闘を称え合う。

アストリアの住民を先導、護衛しつつ数日を掛けて洞窟の中程まで差し掛かった彼等は、其処で巡回中のウェンデル武装神官隊と接触した。

結界を解除し此処まで来た事を伝え、アストリアがビーストキングダムの侵攻によって壊滅した事を伝えると、避難民の収容は驚くほど速やかに進んだのだ。

どうやら聖都側でもこの事態は想定済みであったらしいが、一方で獣人達の侵攻速度と洞窟の結界が破られた事については完全な想定外であったらしく、一部の神官が慌ただしくウェンデルへの報告に戻る等の場面も在った。

彼等としては数日の後に結界を解き、アストリアの住民達を非難させた上で再度結界を張り直すつもりであったらしい。

 

アストリアでビースト兵を撃退した後、住民たちは間を置かずに持ち出せるだけの荷物を纏め、明け方にウェンデルへの避難を開始する事を決定した。

自警団を残し、護衛を付けた住民たちを聖都へと逃がす。

洞窟の結界が在る以上は不可能であった筈のそれは、その結界を解除できる人間―――正確にはフェアリーだが―――が居ると解るや、すぐさま決行する運びとなったのだ。

護衛にはガスコインの元を訪ねていた知人の『狩人』と、ウェンデルへの道中で村を訪れていたフォルセナの傭兵である青年、多少は腕に覚えの在る数人の元軍属などが立候補した。

彼等は人数こそ少なかったものの、村を襲った獣人達の悉くを殺し尽くしたガスコインとヘンリック、この2人が揃って推す狩人の存在に、どうにか住民達を護り通す事は可能だろうと判断。

そうして死体に埋め尽くされ焼け落ちた村を発ち、滝の洞窟へと向かった彼等は、其処で奇妙な光景に出くわす事となった。

洞窟まであと僅かとなった辺りで、複数のビースト兵の亡骸を発見したのだ。

 

 

「あれだけの人数だもの、腕の立つ人が幾ら居ても足りなかったのよ。だから、貴方達が居てくれたのは幸運だったわ」

 

「そんな、私達は当然の事をしたまでで……それに、モンスターの群れは皆さんが引き受けてくれましたし、大した事は……」

 

「君も謙遜する必要はないよ。余力の無い者とか体の弱い人を的確に見抜いて、護衛に手助けにと駆け回っていたじゃないか。並の奴じゃとても真似できないって」

 

「本当にな。俺の国でも槍を使う者は居るが、あそこまで見事な腕の奴なんて中々居ないぜ?」

 

「……大した腕ではありませんよ、私なんて」

 

 

死体はいずれも、周辺にのた打ち回った形跡が在り、更に全身の穴という穴から出血していた。

調べてみたところ、いずれも腕の腱や片目など、戦闘の続行に支障を来す箇所を的確に切り裂かれており、更に毒物によって死亡している事が明らかとなる。

これらの事から何者かとの戦闘の結果、継戦が不可能となった事で撤退を試みたものの、全身に回った毒により半ばで死亡したものと推測された。

となれば、これを行った者が近くに居る筈。

警戒しつつも洞窟へと向かった彼等は、其処で結界に阻まれ立ち往生するジャドからの避難民や隊商、そして威力偵察に訪れたビースト兵達を返り討ちにしていた者達と接触したのである。

 

積極的に抗戦していたのは3人。

旅人なのか、或いは訳在りなのか、その両方か。

いずれも全身に厚いローブを纏い、頭まで覆って身形の殆どを隠していた。

得物は其々、湾曲したダガーが2振り、見事な装飾が施された槍、襤褸を巻いただけの拳。

得物も戦い方も異なる三者だが、いずれも見事な腕前であった。

 

重力を無視するかの様に縦横無尽な動きで洞窟内を翔け回り、襲い来るモンスターの急所を寸分の狂い無く狙い処理してゆくダガーの男。

比較的脆い敵を薙ぎ払いつつ、合間に繰り出す強烈な突きで斧を持ったモンスターを一撃の下に屠る槍の女。

目立つ事を避けているかの様に消極的だが、寄ってくるモンスターの全てを例外なく一撃の元に殺し尽くした拳の男。

 

草原の国フォルセナの傭兵であるという青年と並ぶ程の腕を持つ彼等は、重傷者を出す事なく見事に避難民の護衛を完遂した。

途中、洞窟内の滝壺に落ち掛けた少女を救うという一幕も在ったものの、全員が無事にウェンデルへと到達したのである。

巡礼者の為に数多くの避難所や、食料などの物資集積所、仮眠所が設けられていた事も大きい。

そして今、ウェンデルの人間に避難民の件を託した彼等は同行者と共に、聖都で最も格調高い宿の酒場に集まっていた。

神官達から避難民の護衛について、せめてもの感謝のしるしとして手配されたのだ。

必要ないと固持しようとした者も居たが、是非にとの神官達の声に押されて結局は承諾してしまった。

 

一所に集めて監視する為という側面も在る事には、恐らく全員が気付いている。

しかし特に断る理由も無く、繰り返し感謝の言葉を述べる現場の神官達も本心を偽っている様には見受けられなかった為、厚意に甘える事となった。

そして、光の司祭が直々に礼を述べたいと言っている事を知らされたものの、ウェンデル到着時には既に夜も更けていた事も在り、謁見は翌日に回す運びとなり今に至る。

 

 

「それにしても運が良かったよ。こんな形でもなきゃ司祭様に会えるのが何時になるか、解ったもんじゃなかった」

 

「そうよね。今は巡礼者が居ないとはいえ、それでも聖都の住民も日常的に謁見してる訳だし」

 

「……皆さんも、光の司祭様に御相談を?」

 

 

槍を振るっていた少女が、憂いを感じさせる口調で問う。

ローブを脱いだ彼女は、しかし宿に在った寝間着に着替えナイトガウンを羽織っており、本来の身元を明かす様な物は身に付けていない。

それは彼女以外の者も同様で、一様に宿が用意した上等な寝間着に着替えていた。

肉体的な特徴や使用する得物、振る舞いや言葉遣いからある程度の身元は見当が付けられるのだろうが、完全な異邦人たる狩人や、知識こそ深いとはいえ人の世との関わりが薄いフェアリーには縁遠い事だ。

当然、他の者からしても2人の境遇を推し量る事は不可能であり、よって疑念を持っている事は想像するに難くなかった。

しかし内容こそ違えど、相手に疑念を持っているのはお互い様。

デュランとアンジェラ、そしてもう1名を除けば未だ名を明かしている者が居ない現状を考えれば、互いを警戒している事は火を見るより明らかであった。

デュランも、既に聞いているアンジェラの境遇から他の面々も似た様なものではないかと当たりを付け、それらに関しては口を噤んでいる。

此処で交わされているのは気安い様でその実、探り合いの色を持つ会話なのだ。

しかし、覚悟を決めたアンジェラと、糸口を提供せねば埒が明かないと判断したデュランが口火を切った。

 

 

「……うん、アタシもそう。どうしても司祭様に訊かなきゃならないの。落ち零れのアタシでも、どうしたら魔法が使える様になれるのかって」

 

「俺もだ。俺達の剣を侮辱し仲間を殺した男を見返し、復讐する為に」

 

「復讐……」

 

「アンタ等、相当な腕利きだろう。無理強いしてまで訊こうって訳じゃないが、ちょっと気になったんだ。何処ぞの軍か何かに属していたんだろうに、わざわざ侵略を受けてる最中の聖都まで何を相談しに来たんだろうってな」

 

 

一同の間に沈黙が下りる。

何ら反応を帰さない者、手の中のグラスをじっと見つめる者、小刻みに身体を震わせる者、内面を推し量る様に他の誰かを見る者。

やがて、ぽつりと呟かれる声。

 

 

「……友達、生き返らせる為」

 

「え?」

 

「友達、殺された。いきなり現れた人間に、何の脈絡もなく。その人間、オイラが殺した。でも友達、もう戻ってこない。光の司祭にでも縋らない限り」

 

 

その少年の言葉に、幾人かが僅かに目を見開いた。

彼が獣人である事は、既に皆が見抜いている。

しかしアストリアでアンジェラが、洞窟前でダガーの青年と槍の少女が、ビースト兵へと容赦なく攻撃、場合によっては殺害する彼の姿を目にしている為、取り敢えずは警戒しつつも敵ではないと判断されていた。

そんな彼の願いは特に大切な者を失った、或いは失い掛けた者達の心を大きく揺さぶる。

その揺らぎは、別の者の心の壁を打ち崩した。

 

 

「……誇りを汚され、仲間達すら奪われた。取り戻す為には何だってする。だが家族は『死の首輪』に囚われ、術者以外に外す方法を知っているのは恐らく光の司祭だけだ」

 

「『死の首輪』ですって?」

 

 

ダガーの男、紫の髪の青年の口より語られた名称に、フェアリーが反応する。

青年は彼女の動揺を見逃す事なく、眼光鋭くフェアリーを見据えた。

 

 

「知っているのか?」

 

「……ええ、でも……とっくに失われた筈なのに、どうして」

 

「何でも良い、知っている事を教えてくれないか。あれが在る限り、俺達は怨敵を討つ事も出来ない」

 

「……ごめんなさい、私も多くを知っている訳じゃないの。あれが遙かな昔に高位の術者を手懐ける為に幾つも作られた事とか、古代の国々が乱用を防ぐ為に共同で破棄した事くらいしか……」

 

「……そうか」

 

 

目に見えて落胆する青年。

そんな彼を目に苛烈な感情を宿した金髪の少女、槍を振るっていた彼女が見詰めている事に、幾人かが気付く。

彼もその事には気付いているのかもしれないが、表向きはその様な素振りを見せる事はなかった。

そんな少女も、やがて意を決した様に口を開く。

 

 

「……父を、弟を、仲間達を奪われました。取り戻そうにも父は目の前で亡くなり、弟も攫われたまま行方知れず、仲間も……何もかも、国ごと奪われたんです」

 

「国って……貴女、まさか」

 

 

彼女の言葉に、アンジェラが続く言葉を抑えるかの様に、口元へと手を遣った。

他の皆も気付いたのだろう、微かに身動ぎしていた。

例外は狩人のみ。

紫の髪の青年は僅かに眉を顰め、何かに耐えているかの様だ。

 

 

「私は弟を取り戻し、国を立て直さねばなりません。しかし、城は奪われ満足な戦力も無い中で、何をすれば良いのか……光の司祭様ならば、その為の知恵をお貸し下さるかと……」

 

「それは……」

 

「オイラ、友達生き返らせる方法知りたい。アンタの父親も生き返らせる方法、司祭に訊けば良い」

 

「……そうですね。ええ……できれば、素敵ですね」

 

 

そう言って、弱々しく微笑む少女。

彼女は解っているのだろう。

死んだ者を生き返らせる方法など、光の司祭でさえ知り得る筈がないと。

それを口にしないのは不器用ながら自分を励ましてくれた少年への配慮か、或いは少年自身も心底では解っていると判断した為か。

だが、そんな気遣いではなく、現実を突き付ける事を選んだ者も居た。

 

 

「幾らおじーちゃんでも、答えられる事と答えられない事が在りまち。死んだ人を生き返らせるなんて女神しゃんに頼んだって無理でちよ」

 

 

ホットミルクを啜りながら幼さに似合わない静かな声で諭したのは、洞窟内で滝壺に落ち掛けた少女である。

聞けば光の司祭の孫娘であり、どう見ても7歳か8歳程度の外見ながら実年齢は15歳であるという。

人間と『エルフ』のハーフであり、肉体的な成長速度が常人よりも遅いらしい。

そんな彼女が何故此処に居るのかというと、祖父である光の司祭に会いたくないが為との事。

 

彼女は兄の様に慕う神官を追い掛けて内密に聖都を抜け出し、その彼を攫った人物が放った異常な力の作用で以って、アストリアの西から遥か東、滝の洞窟近辺まで吹き飛ばされたのだという。

其処には避難民が集まっており、水中に落ちた彼女を獣人の少年が助け、ダガーの青年と槍の少女が暫し世話を焼いていたらしい。

そして洞窟内の騒動で護衛に就いていた面々の注目を集め、聖都到着後の会話で光の司祭の孫娘と判明する。

聖都を抜けた経緯も在り、祖父に会えば叱られる事はともかく神殿に軟禁されてしまい、兄の様に慕う青年を探せなくなってしまうと危惧している様だ。

よって神殿には戻らず他の神官には固く口止めをした上で、こうして彼等と同じ宿に泊まる事となった。

それでも司祭には伝わっているのだろうが、迎えが来ない事から判断するに、ある程度は彼女の自立を重んじているのだろう。

そんな彼女が放った辛辣な言葉に、アンジェラが咎める様に口を挟んだ。

 

 

「ちょっと、少しは気を遣って……」

 

「気遣ってどうなるんでちか。おじーちゃんに面と向かって無理と言われて、その時になって絶望するのを黙って見てろって言うんでちか?」

 

「そ、そんなこと言ってないじゃない!」

 

「おんなじでち。おじーちゃんは『マナの女神』じゃないんでち。出来ない事、知らない事の方が、その反対の事よりずーっと多いんでち。なのに、きぼーが失われたって解った人たちの中には、その場でおじーちゃんを詰り始める人もそれなりに居まち。シャルロットは、そんな人たちをごまんと見てきたんでち」

 

 

淡々と紡がれる言葉に、今にも食って掛かろうとしていたアンジェラは口を閉ざした。

ホットミルクを舐める様に飲むシャルロットの目は、何処か達観している様にさえ見える。

それは、その幼い外見や言動からは想像も付かない程に、人の本質に触れる機会が多かったが故に身に付いたものかもしれない。

 

 

「おねーしゃんもそうでちが、そっちのアンタしゃんも本当は解ってるんじゃないでちか? 死んだ人を生き返らせる事はできないし、できたとしてもそれはもうアンタしゃんの『友達』じゃない、別の何かでちよ」

 

「……オイラの友達、人じゃない。狼」

 

「そ、そうでちか……」

 

「……でも、解ってた。解ってたよ、そんな事。でも、それでも……」

 

 

固く拳を握り締め、俯き肩を震わせる獣人の少年。

隣で酒を飲んでいたデュランが、肩に手を置こうとして躊躇い、やがて引き戻した。

今は、他人からの慰めなど意味を成さないだろう。

 

 

「失ったものを取り戻したいっていうのは、誰でも同じでち。シャルはヒースを取り戻したい。でも、それはヒースが生きているかもしれないからでち。あそこでヒースが殺されてたら、今すぐには無理でも、それでも何時かは受け入れなきゃならなかった筈でち」

 

「……貴女は、ないんですか? 亡くなった方に会いたいと、願った事が」

 

 

自分は全てを奪われ、父とは再会する事さえ叶わない。

一方で光の司祭の孫娘である少女、シャルロットは大切な人を浚われたとはいえ、その人物はまだ生きている可能性が高いのだ。

にも拘わらず、解り切った真理をわざわざ口にし、過度な期待はするなと忠告する。

国も家族も奪われた自分や、友を奪われた少年に比べて、遙かに恵まれている癖に。

知った風な口を利いて、一体何様のつもりだ。

 

そんな暗い感情が渦巻く声。

発したのは、金髪の少女だった。

本人としても口にするつもりはなかったのか、直後にはっとした様に口元を手で押さえ、シャルロットを見遣る。

言葉を投げ掛けられた側であるシャルロットは、微塵も動じる様子を見せていなかった。

だが直後に放たれた言葉が、周囲の人間を凍り付かせる。

 

 

「たった一度で良い、ぱぱとままに会いたい。ちょっと前まで、祈らない日はなかったでち」

 

「あ……」

 

「シャルロットのぱぱとままは、シャルを産んですぐに亡くなったそうでち。だから、ほんの少し前まで生きてたおとーしゃんが亡くなった気持ちは、ちょっとシャルには解らないかもしれないでちね」

 

 

少女の方を見ようともせず、シャルロットは空になったカップを手の中で弄んでいた。

とんでもない事を言ってしまったと思い至ったのだろう、少女が必死に謝罪の言葉を紡ごうとするも、本質として饒舌な訳ではないのか上手く言葉にならない。

 

 

「その、私……」

 

「気にする事ないでちよ。シャルのぱぱとままは殺された訳でもないし、目の前で亡くなった訳でもありましぇん。そもそも物心つく前の話でちから、とーぜん顔も覚えてないでち」

 

「ッ……」

 

「ぱぱとままには会いたいけれど、でも諦められる程度には思い入れが薄いんでち。ずっと一緒に生きてきたアンタしゃんからすれば、薄情な奴と思われても仕方ないでち」

 

「違ッ……そんな訳じゃ……」

 

「でも、おじーちゃんが教えてくれたでち。人は亡くなっても、その想いは大切な人の内に宿っているって。それが真実かどうかが問題なんじゃなくて、そう思って生きる事が亡くなった人の想いに報いる事なんだって」

 

 

外見からは想像もできない程に達観し、実年齢である15歳としてもあまりに大人びた考えに、何時しか皆がシャルロットを凝視していた。

現実の厳しさや大切な者を失う辛さを知らないが故の大言ではなく、良く知るが故の先達としての言葉。

それが身近な誰かを失ったばかりの少年少女、彼等の心を雁字搦めにしてゆく。

奇跡を信じたいという希望、現実を認めろという諦観。

知った風な口を利くなという憤怒、その通りだと許容する理性。

各々の心に吹き荒れる、幾つもの相反する感情。

それらを敢えて無視する様に、シャルロットは続ける。

 

 

「とにかくシャルロットが言いたいのは、おじーちゃんにも無理な事はある、って覚えておいて欲しいって事だけでち。アンタしゃんたちみたいな腕っ節の強い、イマドキのしょーねんしょーじょにカンシャク起こされて絡まれたらと思うと、運動不足のおいぼれじーちゃんの腰が心配でちからね」

 

「おいおい……自分の祖父さんだろ、言い過ぎじゃないか?」

 

「本当の事でちよ。幾らおじーちゃんでも、アンタしゃんたちを一度に相手取るのは骨が折れまち」

 

「……待って、ちょっと待って。それってつまり、司祭様は『疲れるだけ』って事? 怪我するとかじゃなくて?」

 

「当たり前でち、光の司祭をなんだと思ってるでちか。おじーちゃんに襲い掛かるとか、手の込んだ自殺以外のナニモノでもないでち。一瞬で辺り一面黒コゲになりまちよ」

 

 

衝撃の発言に、沈鬱な空気が消し飛ぶ。

互いに見合わせた顔が引き攣っている事に気付くと、誰からともなく小さな笑いが零れ始めた。

今の今まで無表情を崩さなかった獣人の少年や、何処か軽薄な空気を纏っていた青年、影の在る雰囲気の少女までもが、困った様な苦笑混じりの、しかし柔らかな笑みを浮かべている。

そんな一同の顔を横目で窺うと、シャルロットもまた笑みを浮かべた。

そして、改めて会話の口火を切る。

 

 

「そんで、シャルロットはもう名乗りまちたが、アンタしゃんたちは何て名前なんでちか? デュランしゃんとアンジェラしゃんはもう知ってまちが、そっちの5人はまだ聞いてないでち」

 

 

その言葉に対し、指名された各々が異なった反応を見せる。

だがすぐに、覚悟を決めた様に獣人の少年が口を開いた。

 

 

「……オイラの名前、ケヴィン。殺された友達のカール生き返らせる方法訊く為、ビーストキングダムから来た」

 

「ケヴィンしゃんでちね……それで、その、カールしゃんは……」

 

「解ってる。カール生き返る、たぶん嘘。でも、それは仕方ない。今は仇取る為、強くなる方法訊きたい」

 

「じゃあ俺と一緒だな。『クラスチェンジ』って知ってるか? 俺はそのやり方を訊く為に、司祭様に会いに来たんだ」

 

「知らない、初めて聞いた。それすると強くなれるのか?」

 

「ああ、多分な」

 

 

早速、デュランとケヴィンは意気投合した様だ。

口を開いてみれば何処か幼さの残るケヴィンと世話焼きな面の在るデュランは、友人として相性も良かったのだろう。

少しばかり脱線した会話も繰り広げられる中、今度はアンジェラが語り出した。

 

 

「名前はもう知ってるわよね。アルテナ出身、アンジェラよ。此処に来たのはさっきも言った通り、魔法を使える様になる方法を訊く為なの」

 

「はれ? アンタしゃん、魔導士のカッコじゃないでちか。使えるんじゃ……ゴメンでち」

 

「……別に良いわ、アンタの思ってるとおりだもの。でも、魔法が使える様になれば、きっと……お母様も……」

 

 

呟きつつ、俯いてしまうアンジェラ。

ケヴィンとの会話を切り上げたデュランが、気遣う様に彼女を見ている。

ケヴィンもまた、アンジェラの言葉に含まれた母親との単語に何かを感じ取ったのか、痛ましげにアンジェラを見遣っていた。

そして、紫の髪の青年が続く。

 

 

「……ナバール盗賊団シーフ、ホークアイ。さっきも言った通り、家族を人質に取られている。此処に来たのは、その家族に着けられた『死の首輪』の解呪方法を探す為だ」

 

「ナバール、って……あのローラントに攻め込んだ奴等か!? 確か今はナバール王国……」

 

「黙れ、二度とその名を口にするな」

 

 

豹変する声色。

言葉を遮られたデュラン、そして周囲の面々が、思わず息を呑んだ。

ホークアイは無表情だが、虚空へと真っ直ぐに向けられた目は、色濃い闇を宿していた。

渦巻く負の感情を敏感に感じ取ったフェアリーが、無意識での怯えにガウンの裾を握り締めている。

一方で金髪の少女は、先程にも増して険しい視線をホークアイへと向けていた。

アンジェラが、恐る恐るといった体で問い掛ける。

 

 

「その、違うの? ジャドで聞いた話では、そういう事になっていたんだけど……」

 

「……首領であるフレイムカーン様を筆頭に、ナバールの連中は皆、イザベラって女に操られている。俺や一部の者が、操られる前にナバールを出奔したんだ」

 

「じゃあ、ローラントを攻めた連中は……」

 

「イザベラの操り人形さ。今やナバールは2つに分裂し、逃げ出した俺たちはイザベラの首を狙っている。だが人質が『死の首輪』に囚われている以上、奴を殺る事はできない」

 

「どういう事でち?」

 

「術者が死ねば首輪に囚われた者も死ぬ。そうやって人質を確保したり、高位の術者を束縛するのが『死の首輪』本来の用途なのよ。あまりに悪辣だし乱用が過ぎた所為で、古の国家が連携して回収、廃棄した筈なんだけどね」

 

「その首輪をどうにかしなけりゃ、黒幕を殺る事もできねぇって訳か」

 

 

フェアリーの補足に相槌を打つデュラン。

グラスを握り締めるホークアイの手に、更に力が込められる。

そんな彼らの間に、冷たく感情を含まない風が吹いた。

 

 

「つまり、私の国を滅ぼしたのはナバールではなく、そのイザベラという女だというのですか」

 

 

皆が一様に、声が発せられた場所を見遣る。

金髪の少女だ。

俯いたまま肩を震わせている彼女が、しかし泣いているのではない事はすぐに知れた。

誰もが気付く。

彼女が、今にも爆発しそうな怒りに身を焦がしているのだと。

だが発せられる声は、氷の様に冷たく感情を窺わせないもの。

 

 

「父が殺されたのも、エリオットを浚ったのも……仲間を殺され、国を奪われた事でさえ……そのイザベラの独断であると……そう、言うのですか」

 

 

微かに震えながら擡げられた頭、前髪の間から除く瞳。

其処に暗く燃え上がる激情に、隣で気遣わしげに彼女の顔を覗き込んでいたアンジェラが硬直する。

同じく少女の感情に呑まれていたケヴィンが、言い難そうではあるがどうにか問い掛ける。

 

 

「じゃあ、やっぱりアンタ……ローラントの?」

 

「……リースです。アマゾネスの部隊を率いていました」

 

「……ジョスター王には娘と息子が居たな。じゃあ、アンタ」

 

「はい。ジョスターは我が父、弟のエリオットは王位継承者となります」

 

「……こりゃ参った、まさか王女様とはな。必死にもなる訳だ」

 

 

天井を仰ぐデュラン。

リースは再び俯いてしまったものの、噛み締めた唇が荒れ狂う内心を表している。

そんな彼女をホークアイは、此方も感情の窺えない瞳で見つめていた。

やがて、何らかの決心が付いたのか口を開こうとするも、それより先にアンジェラから思わぬ告白が飛び出す。

 

 

「立派じゃない、リース。同じ王女でもこうも違うなんて、自分が情けなくなっちゃう。私なんて我が身可愛さに、自分の国から逃げ出してきたっていうのにね」

 

「え……?」

 

「おい、アンジェラ!?」

 

 

虚を突かれた様にアンジェラを見遣るリース、慌てて制止しようとするデュラン。

当のアンジェラは、頭を振ってデュランを制する。

 

 

「いいの、デュラン……私は、アルテナの理の女王の娘よ。世界最強の魔導士の実子なのに、全く魔法が使えない落ち零れだけどね」

 

「なっ、アルテナの……待てよ、船で聞いた話じゃアルテナの王女は……」

 

「賞金首だっていうんでしょ? まあ、ウィンテッド大陸の外じゃ意味ないわね、残念だけど」

 

「そういう意味じゃない。アンジェラ、王女なんだろ? なのに自分の国から命、狙われてる。どういう事?」

 

 

驚きを隠せないホークアイの言葉に、茶化す様に答えるアンジェラ。

だが、彼女が無理をしているのは、端から見ても明らかだった。

ケヴィンが改めて問い掛けると、流石に当時の状況を思い出したのか、憂いを含む弱々しい笑みを浮かべつつ答える。

 

 

「……逆らったからよ、お母様の命に。『マナストーン』の封印を解放する為の生贄として、その命を差し出せってね」

 

「な……!」

 

 

絶句する。

狩人を除く誰もが、アンジェラの語る内容に言葉を無くしていた。

実の母親から、生贄として命を差し出せと言われたというのだ。

抑揚のないアンジェラの声が続く。

 

 

「女王の血筋でありながら魔法が使えないお前は、王家とアルテナの恥だって……だからせめて、禁呪を使って女王の娘に相応しい死に様を見せれば、後世に名を遺せるだろう、って……」

 

「……何だよ、それ」

 

「私、怖くなって逃げ出したの。どうやったか解らないけど、気が付いたらお城の外に居たわ。エルランドに近かったみたいで、其処で光の司祭様の事を聞いて此処まで来たの。司祭様なら、きっと魔法を使える様になる方法を教えて下さるって」

 

「どうして、其処までして……」

 

「……だって、私が魔法を使えなかったから、お母様は失望してこんな事を決めたんだと思うの。魔法が使える様になれば、きっと私を認めてくれる。自分の娘だって、あんな命令は間違いだったって……」

 

 

言いつつ、しかし自分でも確信が無いのだろう、段々と消え入る様に小さくなるアンジェラの声。

小さく舌打ちし、苦々しく表情を歪めているのはホークアイだ。

既に聞いているデュランでさえ、胸糞が悪くなる話であった。

フェアリーは『マナストーン』という単語に思考へと沈み、シャルロットとリースは憤りながらもアンジェラを気遣う事を優先している。

だが6人の中で1人だけ、他とは異なる反応を返した者が居た。

ケヴィンだ。

 

 

「憎くないのか?」

 

「えっ?」

 

「アンジェラ、母親が憎くないのか。恥だって、命を寄越せとまで言われて、恨んでいないのか。殺してやりたいって、思わないのか」

 

「何を……!?」

 

 

思いもしなかったのだろう、立て続けに浴びせられる言葉に、愕然とするアンジェラ。

周囲もまた、明らかにこれまでと様相の違うケヴィンに、戸惑いを隠せない。

そんな中、彼は続ける。

 

 

「オレは憎い。オレの父親、獣人王。妙なヤツと組んでカール狂わせ、オレに殺させようとした。カールを殺したの人間、ヤツは知らないと言った。でも、信じない」

 

「ケヴィン……」

 

「あの人間けしかけたの、きっとヤツ。カールは生き返らない、本当は解ってた。でも、ヤツの手下の言葉に乗った。嘘でも縋りたかった。でも、もうオシマイ」

 

 

ざわり、と空気が揺れる。

ケヴィンの腕、其処に青白い毛並みが現れていた。

デュランとホークアイが、弾かれた様にケヴィンへと腕を伸ばし掛ける。

恐らくは監視の目も在るだろう中で、獣化しかけている彼を諫めようとしたのだろう。

だが、それ以上の目に見える変化はなく、寸でのところで彼等は腕を止めた。

否、気圧されたのだ。

ケヴィンから噴き上がる殺気、見えない爆風の様なそれに。

 

 

「デュラン、強くなりたいって言った。オレも同じ、強くなりたい。強くなって、この手でヤツ殺す。獣人王、強い。今のままじゃ勝てない。だから光の司祭に、強くなる方法、訊く」

 

「ケヴィン、貴方……」

 

「強くなる為なら、何だってする。何だって使うし、何にでも成る。あの男殺せるなら、それで良い。この手で殺せるなら、それで……」

 

 

言葉の端々から滲み出る憎悪に、一同は掛ける言葉もなく沈黙する。

憎む誰かが居るというところは、デュランとホークアイ、リースにも共通していた。

だが、その対象は忽然と現れた敵であり、決して肉親などではない。

アンジェラは命を狙われている今でも母親に認めて貰う事が目的であり、シャルロットに至っては復讐よりも浚われたヒースを助け出す事が最優先である。

母親から絆を否定され、それでも愛を求めるアンジェラの境遇を皆が知った今だからこそ、父親を憎み自らの手に掛ける事を何よりの望みとするケヴィンの姿はとても危うく、また悲しいものとして浮き彫りとなっていた。

肉親を殺された者、肉親に殺されそうになった者、肉親を殺そうとする者。

奇妙な縁により集まった少年少女達は、自らの感情を持て余すがあまりに言葉を失い、沈黙する。

そうして、会話の無いまま数分が過ぎた頃。

 

 

「叶うかもしれないよ、みんなの願い」

 

 

不意に放たれた声に、皆の視線が一所へと収束する。

フェアリーだ。

彼女は意を決した様に、居並ぶ少年少女たちの顔を見回した。

 

 

「強くなる為に『クラスチェンジ』をしたい。魔法を使える様になりたい。『死の首輪』を解呪したい。滅びた国を再興したい。友の仇を取りたい。攫われた人を助けたい」

 

 

1人1人の願いを、確認するかの様に述べるフェアリー。

訝しげに彼女を見遣る皆を前に、彼女は続ける。

 

 

「どれもこれも、簡単には叶わない願い。でも『マナの女神』の力なら叶えられる……『マナの剣』が持つ力なら」

 

「『マナの剣』?」

 

「アンタしゃん、何言ってるでち? というか、アンタしゃんは何者でちか」

 

 

シャルロットの問いに、フェアリーは周囲を見回す。

もう夜も遅く、周囲の席に人影は無い。

酒場の主も宿泊客に呼ばれたのか、数分前に酒瓶を持って出て行ったきりだ。

ウェンデル側の監視の目も在るかもしれないが、この場合は好都合と判断した。

彼女はガウンを脱ぎ落すと、更に寝間着の前を開いて背中まで肌を晒す。

突然の行動に虚を突かれていた面々が、数秒ほど遅れて騒ぎ出した。

 

 

「ちょっ、何やってるんですか!?」

 

「は、裸!? 裸、なんで!?」

 

「ひょえー……お肌超キレーでちね」

 

「おっ……って、ばっ、馬鹿野郎お前しまえ早くこの野郎馬鹿野郎!」

 

「ははぁ、さてはお前さんムッツリだな? 俺の兄貴に似てるよ」

 

「うっさい男ども! いいから後ろ向きなさい、後ろ!」

 

 

ぎゃあぎゃあと喚くも、その喧騒は数秒と経たずに止む事となる。

胸元まで服を脱いだフェアリー、その背中から2対の透明な、かつ虹色の羽が姿を現した為だ。

忽ち静まり返り、呆然と彼女を見つめる皆の前で、フェアリーは告げる。

 

 

「私も、まだ自己紹介してなかったよね。『マナの聖域』から来た、フェアリーよ。私の名前と言うよりは種族全体の呼び名だけど、あまり気にしないでくれると有り難いわ」

 

 

微かに羽を震わせ、輝く燐光を振り撒くフェアリー。

ランプの明かりとは異なる、暖かで何処か幻想的なその光に、誰もが我を忘れて見入っていた。

 

 

「私の目的は『マナの樹』の異変を、光の司祭様に知らせる事。そして世界を救う為『マナの剣』を抜く『勇者』を見つける事」

 

「マナの……剣?」

 

 

逸早く我に返ったらしきホークアイが、聞き慣れない名に問いを返す。

我が意を得たりとばかりに、フェアリーは続けた。

 

 

「剣の力が在れば、貴方達の願いを叶える事もできる。邪悪を打ち払い、滅びた国を甦らせ、新たな力を得る事だって」

 

「待って……『マナの剣』って確か……そう、そうだわ!」

 

 

唐突にアンジェラが叫ぶ。

何事かと皆の視線が集まるも、それを気にする事もなく彼女は続ける。

 

 

「お母様が『マナストーン』の解放に拘る理由よ! 各国の領地に在る『マナストーン』を解放して『マナの聖域』への扉を開くって!」

 

「……まさか! 女神様の元に攻め込もうっていうの!?」

 

 

思わぬアンジェラの言葉に、フェアリーが焦燥も露わに問い掛ける。

周囲の面々も、訳は解らずとも尋常でない事態が進行しているとは、薄々ながら感付き始めていた。

 

 

「詳しい事までは知らないけれど、多分そうよ。マナの減少でアルテナは今、国家存亡の瀬戸際に立たされているの。世界中に残るマナを独占するか、或いは無尽蔵に生み出す為に、お母様と紅蓮の魔導士は『マナの剣』を求めているのよ」

 

「……確かに『マナの剣』が在れば、膨大なマナを生み出す事も不可能じゃない。私の最終的な目的もそれだしね。でも、何の制限も配慮もなくそんな事をすれば、途轍もない反動が出るに決まってる。マナの減少が止まっても、世界中が滅茶苦茶になるよ」

 

「そう……」

 

 

母親の野望が、如何に危険なものであるかを理解したのだろう、暗く沈んだ声を返すアンジェラ。

そんな彼女を気遣わしげに一瞥し、フェアリーの言葉は本題へと入る。

 

 

「アルテナが『マナの剣』を狙うのも無理はないよ。剣さえ手に入れれば、殆ど全ての願いが叶うんだもの。勿論、全てが理想的な形で叶えられる訳じゃないよ。死人を生き返らせるにしても、途轍もない代償が必要だし、生き返ったその人が本物かどうかも怪しい」

 

「ッ……」

 

「でも、人として望める範囲を越えない内なら『マナの剣』の力で叶えられない願いは無い。勿論、貴方たちの願いを叶える事だって出来るわ。剣を抜く『勇者』さえ見付かれば」

 

 

途端、空気が揺らぐ。

願いが叶うかもしれないという、希望が故の波紋。

だが続く言葉が、彼等6人の淡い期待を打ち砕く。

 

 

「尤も、それはもう無理かもしれないけれど」

 

 

凍り付く空気。

豹変した彼女の声に、皆が驚くと同時に気付く。

フェアリーの視線が、何時の間にか唯1人へと注がれている事に。

 

 

「私が宿主として選んだ人間が『勇者』となる……英雄王の様にね」

 

「英雄王だって!?」

 

 

デュランが反応するも、傍らのホークアイに肩を掴まれ制止される。

すぐに冷静さを取り戻し、今はこれについて問うべき場ではないと理解したのか、浮かし掛けた腰を再び椅子へと落とした。

フェアリーは続ける。

 

 

「この場合の『勇者』は『マナの剣』を抜く者の事だけれど、選ばれる為の基準は12年前と同じ。聖域から遣わされたフェアリーが宿主となる人間を見付け、その人物は女神様の加護を受けて『勇者』となる。これが女神様の定めた掟なの。でも……」

 

 

フェアリーの目が、更に険しさを増す。

その視線を辿った先には、客室からこの酒場に下りて以降、殆ど口を開かなかった狩人が座していた。

疾うに空になったグラスを見つめたまま、微動だにしない彼。

 

 

「……私はもう、宿主を選べない。選ぶ必要を……いいえ、選ぶ力を無くしてしまった。其処の彼の影響でね」

 

 

狩人へと集まっていた視線が、一気に剣呑なものへと変化する。

猜疑、警戒、不信。

狩人を除くこの場の全員が一致した初めての感情は、唯1人へと向けられた薄暗く疑心に満ちたものだった。

そんな皆の感情を代表するかの様に、フェアリーは問い糾す。

 

 

「アストリアでは訊きそびれたけれど、今度こそ答えて頂戴。宿主にもならず、貴方はどうやって私を助けたの? 何故、私の身体は人間と同じくらいにまで大きくなっているの? 充分なマナも無く生きていられるのは何故?」

 

 

微かな敵意すら含む声。

戸惑い定まらぬ内心を曝け出す様なそれに、皆は困惑しつつも狩人の答えを待つ姿勢を崩さない。

悲痛な声が言葉という形を得て矛となり、更に狩人へと突き付けられる。

 

 

「此処に来るまでに、何人もの仲間が犠牲になったわ。その命を分け与えられてまでして、此処まで辿り着いたの。なのに私は、フェアリーとしての使命を果たす力を失ってしまった。私はもう、女神様から授かった使命も、仲間たちとの誓いも果たせない。私は、私は……!」

 

 

震える声は、その主の心を如実に表していた。

その場の誰もが、フェアリーの心の内に渦巻く感情、その正体を理解する。

 

 

「私はもう、フェアリーじゃない!」

 

 

『絶望』だ。

 

 

「……答えて。私は…今の私は何なの? フェアリーじゃない、かといって人でもない。一体、何にされてしまったの!?」

 

 

テーブルに両手を突き、身を乗り出す様にして問うフェアリー。

だが、その正面に位置する狩人は、それでも目立った反応を見せない。

それどころか、探る様な目付きで以て彼女を見つめていた。

その様子にフェアリーは目を細め、暗い確信と共に告げる。

 

 

「……『狩人』」

 

 

瞬間、僅かに身動ぎする狩人。

見逃した者は居なかった。

彼自身が『狩人』と呼ばれている事を知っているのは、ガスコインやヘンリックとの会話を幾度か聞いていたフェアリーのみだ。

他の面々にとっては、それは単なる職を表す単語に過ぎない。

だがフェアリーの様子から、彼女の言う『狩人』が常ならざる意味を含んだものである事を、明確に感じ取っていた。

そしてフェアリーは、狩人の様子に確信を深め、続ける。

 

 

「悪夢を見たって言ったでしょ。其処で、誰かに言われたの。『狩人を見付けた』って。当然、貴方の事じゃないわよね。あれは、あの声が言ってた『狩人』っていうのは、私の事なんでしょう?」

 

 

狩人が僅かに顔を上向かせ、その視界にフェアリーを捉える。

言葉は無い。

だが、彼の動作が肯定を意味している事は、誰の目にも明らかだった。

 

 

「教えて頂戴。貴方は何者なのか。私に何をしたのか。『狩人』とは何なのか」

 

 

これまでの感情の発露が嘘の様な、静かに染み渡る声。

真実を知りたい。

唯その願いだけが込められたかの様な声に、幾人かの言葉が続く。

 

 

「……もう、名乗ってないのはアンタしゃんだけでちよ。勿体ぶらないで教えて欲しいモンでち」

 

「みんな腹の内まで明かしたんだ、此処まで聞いといてダンマリはないよな?」

 

「フェアリーに関係するって事は、世界の先行きにも関係するって事よ。それにアンタ、アストリアに居たあの2人の知り合いでしょ」

 

「……成る程な。『狩人』ってのはそういう意味か。納得だぜ、要するにアンタもアイツらも『狩人』なんだろ?」

 

 

アンジェラの言葉に、何やら納得した様に頷くデュラン。

そんな彼を一瞥し、狩人は緩慢に肯定の意を返す。

 

 

「……そうだ」

 

 

この場で初めての発言が、その一言だった。

漸くの反応に、言葉を続けようとするフェアリー。

そんな彼女を遮り発言したのは、ケヴィンだった。

 

 

「やっぱりそうか。アンタと村の2人、同じ臭い。今にも酔いそうな、物凄く濃い血の臭いする。『獣』と人間、良く解らないモノの血、信じられない位たくさん浴びてる。そうだろう?」

 

「……ああ、合ってる」

 

「カールを殺した人間も、同じ臭いしてた」

 

 

瞬間、緊張が奔る。

ゆっくりとテーブル上に身を乗り出すケヴィンの全身が、薄らとだが確かに殺気を零していた。

狩人は動じない。

 

 

「オマエ、何知ってる? オレが背負ってたもの、カール殺した奴が使ってた得物。オマエ洞窟の中で、何度もこっち窺ってた。あの得物、知ってるんだな?」

 

「そうだ」

 

「オレだけじゃない。ホークアイの持ってるダガー、やっぱり見てた。何度も見て、何か確認してた。オマエ、あのダガーの毒、知ってるな」

 

「……そうだ」

 

 

言及された瞬間、ホークアイの眼光がその名の如く鋭いものとなる。

狩人を見る目は値踏みする様なものへと変化し、聴覚は吐き出される言葉を油断無く待ち受けていた。

繰り返される肯定の言葉。

いよいよ以て、真相に迫ろうと身を乗り出すフェアリーの前で、狩人は静かに語り始めた。

 

 

「『獣肉断ち』。俺達はアンタが背負っていたアレを、そう呼んでいる。そっちの彼が持っているダガーの毒だが、それも良く知っている」

 

 

そう言うと、彼は自身の指を口元へと当てる。

何をするつもりかと周囲が訝しがる中、指の腹を噛み切る狩人。

そうして、ゆっくりと差し出された指から滴る、赤い血の粒。

皆が困惑しつつも見つめる中、彼は言う。

 

 

「……思い出したか、フェアリー? 君は選んだ。そして啜ったろう、この『青ざめた血』の残滓を」

 

 

ふと、アンジェラは気付く。

視界の端に映るフェアリーの腕、それが微かに震えている事に。

他の皆も気付いたのか、一様に彼女の様子を窺う。

 

 

「……フェアリー?」

 

 

彼女の変化は、劇的だった。

震え、青褪め、言葉を失った様に口を開閉させている。

震える手を口元に遣り、信じられない、信じたくないと言わんばかりの表情で、唇を拭うフェアリー。

まるで、其処に汚らわしい何かが付着している、とでもいわんばかりに。

 

 

「君は死ぬ訳にはいかなかった。私……俺には血を与える他に、君を助ける手段が無かった。宿主の件を知ったのは、アストリアに着いてからだからな」

 

 

差し出していた指を戻すと、その腹に溜まっていた血の滴を舐め取る狩人。

その仕草を目にした瞬間、フェアリーの身体がびくりと震えた。

 

 

「君の身体に起こった異変については、完全に想定外だった。だが君の言葉を信じるならば、君は『狩人』として相応しい肉体を与えられたという事だろう。フェアリーとしての姿のままでは、とても『獣』には太刀打ち出来ないだろうからな」

 

 

椅子に背を預け、一同を見回す。

動揺を隠せないフェアリーを除き、誰もが疑念の色を瞳に浮かべ、狩人を見つめていた。

 

 

「名乗ろうにも、俺に名前は無い。ただ『狩人』と呼ばれていた。フェアリーの言葉通り、アストリア近辺で死に掛けていた彼女に、血を与えたのが出会いだ」

 

 

狩人は視線を廻らせ、シャルロットを見る。

その冷え切った鉄の様な瞳に、彼女は思わず身を竦ませた。

 

 

「光の司祭に会いに来た目的だが、それは『獲物』を探す為の事」

 

「……『獲物』? 何の事だ」

 

「穢れた血族『カインハースト』の長、血の女王『アンナリーゼ』。彼女を殺す為に、俺はこの世界に来た」

 

「……待て、ちょっと待ちやがれ。『この世界』って言ったか『この世界』って? どういう意味だよ、それ」

 

「なーんか『違う世界』から来たみたいな言い方でちね」

 

「……冗談を言う場面ではないと思うのですが」

 

 

突拍子もない言葉に、狩人へと向けられる視線が非難の色を帯びる。

だがその中に在って、フェアリーのみが彼の言葉の真実性を見抜いていた。

この男は、真実を口にしたまでだと。

 

 

「……嘘じゃない」

 

「フェアリー? 今なんて……」

 

「だから、嘘じゃないのよ。彼の言ってる事、たぶん本当よ。だって……」

 

 

震える指を突き付け、フェアリーは告げる。

この世界の面々からすれば、信じ難い事実を。

 

 

「彼……マナが無いもの。どれだけ注意深く見ても、ほんの僅かなマナだって持っていないんだもの」

 

「そして今や君も、半歩ばかりではあるが、此方側の存在になりつつある」

 

 

繋げる様にして放たれる言葉。

狩人が、ゆっくりと立ち上がる。

得体の知れない重圧に、知らず身を退く一同を前に、彼は平然と言ってのけた。

女神を信奉する者にとっては、決して受け入れられない言葉を。

 

 

「もう一つの目的は『マナの女神』だ。彼女が『狩り』の対象となるものか否か、それを判断しなければならない」

 

 

息を呑む音。

幾つものそれが、テーブルの其処彼処から上がる。

つい先程まで何かに怯えていた事、それすらも忘れたかの様に、敵意を孕んだ目で狩人を睨み据えるフェアリー。

だが、そんな周囲の感情の揺らぎを気に留める素振りさえなく、彼は続ける。

坦々と、しかし決して打ち壊せぬ鋼の意志と、煮え滾る憎悪とが混じり合った声で。

 

 

 

 

 

「『狩り』は全うされねばならない。彼女が『上位者』に連なる存在であれば、これを『狩る』まで」

 

 

 

 

 

運命が出会う夜は明け、子午線を越えて新たなる戦いの日々が始まる。

しかし、その夜明けは決意と希望だけでなく、血と獣の臭いに満ちていた。

 

 

 




光の司祭(本気)



司< アッハハハ!

     『 ホ ー リ - ボ ー ル (全) 』


司< ウアアアアアアアアアアアア

     『 セ イ ン ト ビ ー ム (全) 』


司< ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!

     『  彼  方  へ  の  呼  び  か  け  』




                            !? >敵


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

草原の国へ

 

 

 

「お主は往かねばならん。彼等と共に聖域を目指し、自身の目で『マナの女神』と相見えなさい。彼女を狩るべきかどうか、君自身が判断するのだ」

 

 

光の司祭の度量は、想像以上だった。

或いは女神を狩るやもしれぬと聞かされながら、諭すでも拘束するでもなく、ならば自身の目で確かめてみろと言ってのけたのだ。

これには流石の狩人も面喰らい、それで良いのかと問い返してしまった。

返答は実に強かで、かつ人生の先達としての豊富な経験、それに裏打ちされた確かなもの。

 

 

「その代わりといっては何だが、彼等を手助けしてやってはくれんか。お主は手練れの『狩人』の様だが、彼等は実戦経験が不足である事は否めない。お主にしてもまるで勝手が違う世界の事、マナに精通するフェアリーや各国の情勢に詳しい者が同行する事は、利こそ在れど害にはなるまい」

 

 

こう言われてしまっては、ぐうの音も出ない。

一方で『マナの女神』が『上位者』である可能性についても、司祭は的確な指摘で以て反論する事を忘れなかった。

 

 

「元の世界で経験した事を鑑みれば、お主が『上位者』を憎むのも無理はない。だが、冷静に考えてみたまえ。『マナの女神』が『上位者』であるとして、その赤子を授かる事を望んでいるのは『カインハースト』の者だ。ならばお主が狩るべきは『穢れた血族』とその女王ではないかね」

 

 

『上位者』を狩り尽くす事を目的とする彼からすれば、不満が残る提案ではある。

だが、続く司祭の言葉が、彼の『上位者もどき』に対する殺意を更に燃え立たせた。

 

 

「寧ろお主が気に掛けるべきは『魔族』の存在だろう。お主が言う『穢れた血族』の目的が、人ならぬ叡智を有する存在、その赤子を授かる事だというのならば『魔族』もその対象に該当するだろうからな。いや、彼等ならば積極的に『カインハースト』と盟を結ぶやもしれん」

 

 

『竜帝』とやらの事かと問えば、それだけに限らぬと返される。

続く言葉に狩人は、此処は『ヤーナム』が存在する世界とは異なる、正に異時空の下の世界なのだと思い知らされた。

 

 

「人を誑かし、惑わせ、利用して、結果として人の世に災いを成す。闇の者たちが良く使う手だ。そうやって彼等の尖兵と化し、自らの国のみならず幾つもの国を滅ぼした為政者など、古の時代から幾らでも居る。彼等は『魔族』より人ならぬ叡智を授かり、他を圧倒する力をその身に宿した。そうして周囲の全てを自らの牙に掛け、最後は自らも『魔族』の贄として喰らい尽くされるのだ。『魔族』と『カインハースト』のどちらが利用される側かは解らぬが、少なくとも『マナの女神』を狙うよりは容易に事を成せるであろうな」

 

 

現に僅か十数年前、魔に見入られた王子によって滅んだ国が在るのだという。

性質の悪さでは『上位者』と良い勝負だ、と狩人は内心で呟く。

 

 

「理の女王の豹変、フレイムカーン殿を操る『イザベラ』という女、そしてビーストキングダムに現れヒースをも攫った『死を喰らう男』。全てがそうとは断言できないが、これらの裏に魔が巣くっておる事は明白。彼らを追えば、お主が追う『穢れた血族』にも辿り着くのではないかな」

 

 

他に取り得る手段も無い以上、彼にはその言葉に従う他ない。

だが司祭は、更に逃げ道を塞ぐ。

 

 

「それに、聞くところに拠れば『アンナリーゼ』とお主の行いによって、この世界にもお主の言う『獣』や『眷属』果ては正気を失った『狩人』までもが現れておるというではないか。これらを狩るのも『狩人』であるお主の使命ではないかね」

 

 

こうなると、諸手を上げて降参する他なかった。

結局は『マナの剣』を求める一行に同行する事となり、同時に混迷する世界情勢へと積極的に関与せざるを得なくなってしまったのだ。

そして、光の司祭が最後に口にした、衝撃的な言葉。

 

 

「フェアリーが『勇者』を選定する力を失ってしまった今『マナの剣』を抜く者は定まっていないと見るべきだろう。悪しき者に剣が渡れば、世界は為す術も無く滅びる。『勇者』はフェアリーと共に『聖域』を目指すお主達の中から現れねばならん。努々忘れぬ事だ」

 

 

当然、お主も例外ではないぞとの言葉に、狩人は愕然とした。

冗談ではない、そんなものに拘らっていられるものかと反発もした。

だが結局『聖域』まで行くのならば同じ事、と納得せざるを得なかった。

 

何より、フェアリーが『狩人』となってしまった事が大きかった。

宿主を選びその身体に潜む事が出来ない以上、彼女は常に危険へと身を曝す事となる。

元々この世界に生息する奇妙な生物や、敵対勢力の人間程度ならばどうにかなったかもしれない。

だが今や、この世界には『ヤーナム』を徘徊していたものと同じ『獣』や人智を超えた化生『眷属』が、更には敵か味方かも知れぬ『狩人』までもが跋扈しているのだ。

何も知らぬまま一行が遭遇してしまえば、そのまま先手を取られ全滅という事態も在り得る。

幾度も幾度もそれらの牙に、爪に、刃に、銃弾に、神秘に倒れ、その都度に夢を繰り返してきた狩人だからこそ、その可能性を否定する事は出来なかった。

 

斯くして狩人は『マナの剣』を求める一行に加わり、彼等からの警戒と疑念をその身に受けながらも、共に世界にとっての脅威と戦う旅に繰り出す。

狩人がフェアリー達の旅に協力すると同時、彼等もまた『穢れた血族』の抹殺に協力する事となったのだ。

そして、当面の目的は『マナの聖域』へと至る『扉』を開く為に8つの属性を司る『精霊』の協力を求める事と決まった。

先ずは、先のウェンデル避難時に通過した洞窟、その内部にて光の精霊『ウィル・オ・ウィスプ』を発見、協力を得る事に成功する。

 

フェアリーの力によって形成された見えない足場の上を走り抜けるという稀有な体験を経て、洞窟の奥で対峙した巨大な蟹の怪物を仕留めた事により現れた『光の精霊』。

皆は、狩人がウィスプを『上位者』と判断し攻撃するのではないかと警戒していたが、この心配は杞憂に終わった。

寧ろ彼は『ヤーナム』の人間よりもよほど感情豊かに振舞うウィスプを前に呆れると同時、完全に毒気を抜かれていたのだ。

念の為に彼の事情を話し、女神について意見を求めると呆れた様な声が返された。

 

 

「そもそも、赤子を求めてるのは『カインハースト』の方じゃないッスか。女神様なら女王と子を為す事も不可能じゃないと思うッスが、そんな目的の為に人を殺し続ける様な連中に協力する謂れは無いッス。寧ろ『獣の病』の事を考えれば、如何に慈悲深い女神様でも抹殺に動く可能性の方が高いッスよ」

 

 

こうしてウィスプの協力を得た一同だったが、洞窟を抜けた先で待ち受けていたガスコイン達アストリア自警団から、思いも寄らなかった知らせを聞く。

ジャドを占領していたビーストキングダム軍が、アストリア襲撃の数日後には完全撤退したというのだ。

詳細な理由は不明だが、ジャドの噂ではビーストキングダム本国で何らかの緊急事態が発生した、との事らしい。

首を捻る一行だったが、ケヴィンと狩人、そして獣人の少年が背負う『獣肉断ち』を目にし彼から話を聞いたガスコインとヘンリックが、凡その状況を推測してみせた。

曰く、ビーストキングダムが存在する『月夜の森』に『ヤーナム』の悪夢、その残滓が出現しているのだろうと。

 

ガスコイン達によれば、ケヴィンが語った『獣肉断ち』を振るう人間の特徴は、嘗て『ヤーナム』を駆けた『古い狩人』達そのものだという。

そして狩人もまた、その特徴に覚えが在った。

嘗て自身が迷い込んだ『狩人の悪夢』にて銃火と刃を交わした、正気を失い彷徨う古狩人たち。

ケヴィンが語った、自身の負傷をも顧みず異様な奇声を放ちながら攻撃を繰り返すという様は、正にそれに当て嵌まるものだ。

『月夜の森』の現状を知る方法は今のところ存在しないが、血に酔った狩人が1人のみという事はあるまい。

いずれ訪れる事が在れば、警戒を厳にせねばならないだろう。

 

アストリアを発つ直前、一行はヘンリックから助言を与えられた。

彼が言うには、恐らくは自分達と同時期に正気を保った、或いは取り戻した多くの『狩人』が各地に現れているだろうとの事。

これは『穢れた血族』を探す為に狩人が行った措置だが、如何せん何も解らぬ異世界の事、各地に分散してしまったのだろう。

これらに接触し、協力を求めるべきだと彼は言った。

何せ、今の狩人に『上位者』としての力は、殆ど残されていない。

幾ら優れた狩りの腕を持とうとも、単身では及ばぬ事の方が多い。

協力者が多いに越した事はないのだ。

この世界には今、嘗て『上位者狩りの夜』に喚ばれた、数多の狩人たちが居る。

彼等に『上位者』を根絶やしにする為の協力を要請すれば、多くはそれに応えてくれるだろうと。

 

そして数日後、解放されたジャドへと辿り着いた一行は、船でフォルセナ領自由都市マイアへと向かった。

フォルセナで英雄王リチャードに会い、他の『精霊』の居場所の指標となる『マナストーン』の位置を訊く為だ。

12年前の『竜帝』との戦いに於いて『マナストーン』に触れ、デュランの目的でもある『クラスチェンジ』を遂げている英雄王ならば、それらの大まかな位置を知っている筈。

そう推測したフェアリーの提案により、フォルセナ行きが決まったのだ。

古代に起きた『マナストーン』を巡る大戦の結果、現在の位置についてはフェアリーですらも何ら知り得ていないとの事。

各国による利用を防ぐ為か、英雄王も意図的に情報を遮断している様だ。

ならば直接に訊くまでと、一同合意の上で船に乗り込み、早7日。

ケヴィンに請われ『獣肉断ち』の扱いを教える狩人を横目に、暇を持て余したシャルロットが唐突な提案をしたのだ。

 

 

「名前が無いからって、何時までも『狩人』しゃんでは何かと不便でち。此処はいっちょ皆の『はいぱー』で『くれえぃてぇぶ』で『わんだほー』なセンスを活かして、何処へ出しても恥ずかしくない様で微妙に恥ずかしい聞く人のえーゆーがんぼうと暗黒の歴史をこちょぐる痛々しい名前を考えるでちよ」

 

 

何て恐ろしいこと考えやがる、と戦慄する狩人を余所に、ノリも良く相応しい名前を考え始める善意一杯の2人と悪意山盛りの5人。

持てる限りの知識を捻り出し、人名として違和感なく、しかし体を現す相応しい単語を挙げてゆくリースとケヴィン。

持てる限りの知識を捻り出し、子供達が目を輝かせ、しかしある程度以降の年齢からは憐みの視線を向けられる様な単語を挙げてゆく他の5人。

天使の様な2人に船員から買い求めたドロップを振舞った後、顔を突き合わせて悪巧みをする5人の背後でノコギリ槍を振り上げた狩人にも、幾分かの同情の余地は在るだろう。

 

結局、彼の名前は『月』を現す古語である『モント』となった。

気に入るか否かを問わず『月の魔物』によって今の人格が出来上がった事は疑い様がないのだ。

狩人もまた納得し、悪くない名だとしてこれを受け入れた。

名付け親であるケヴィンと補佐役のリースへ振舞われる蜂蜜たっぷりの紅茶とチョコレート、口々に文句を垂れる5人へと向けられる水銀弾が装填された銃口。

如何にか5人が命を繋ぎ留め、一同がマイアの港に降り立ったのは更に5日後の事だった。

 

物資を買い求め、デュランにより『黄金の街道』に出没するモンスターの特徴について説明を受けると、翌日の夜明けを待って街より出立。

文字通り黄金に輝く街道、敷き詰められた煉瓦状の金塊に、目を白黒させる狩人改めモント。

こんな阿呆な事をした国家はやはり破綻したのかと問い掛け、一行に生暖かい目で見られたりもした。

この現象が土中に含まれるマナの影響によるものであり、元々は唯の煉瓦が黄金と化したものである事、たとえ剥がして持ち去ったとしても数時間で煉瓦に戻ってしまう事などを説明され、遂には理解を諦めてしまう。

巨大な蜂の群れに悲鳴を上げるアンジェラ、バイゼルから引き返してきた隊商と値切り合戦を繰り広げるホークアイ、ローラントの岩山とは異なる豊かな自然に表情を綻ばせるリース。

拳による格闘の合間に『獣肉断ち』の扱いを学ぶケヴィン、無謀にも夜間に現れたゾンビを手懐けようと試みるシャルロット、勝手な一行に振り回され怒号を上げる引率役のデュラン。

ジャドで手に入れた弓の練習を重ねるフェアリー、ラビを見付ける度に捕獲し散々に弄り倒しては解放するモント。

未だ完全に打ち解けたという訳ではないものの、肉体年齢および実年齢が近い事も手伝って少しずつ互いの距離を縮めながら、一行はフォルセナを目指した。

そして、マイア出立から9日目にして、漸く『モールベアの高原』への入口となる大渓谷『大地の裂け目』へと到達したのである。

 

不穏な前情報は幾つも在った。

黄金の街道の終端に当たる商業都市バイゼルが、アルテナの侵攻を警戒して街を閉ざしていた事。

フォルセナから戻る筈の隊商が何時まで経ってもマイアに現れない事、渓谷へと向かった希少鉱物採掘団からの連絡が途絶えた事。

『商品』の収集を行う密猟者たちが、何故か渓谷へと繋がる洞窟の入り口近辺でキャンプを張っていた事。

それでも、大地の裂け目に架かる吊り橋を経由せずにフォルセナへと至る道は無く、他に選択肢はないと判断したが故にマイアを出立したのだ。

半日を掛けて洞窟を抜け、夕陽が射し込む渓谷内へと侵入した一行。

其処に待ち受けていた光景は、ある少女の心を踏み躙るには充分に過ぎるものであった。

 

 

============================================

 

 

「アンジェラ王女。女王陛下の命により、全軍に対し貴女の捕縛と抹殺の指示が下されております。罪状は……反逆罪と。どうか、無駄な抵抗はなされませぬよう」

 

 

同時に数百人が渡れるだろう巨大な吊り橋の先、渓谷のフォルセナ側に展開する、アンジェラと良く似た装束の女性が十数名。

気が付けば後方にも展開していた彼女達は、橋のほぼ中央に位置する一行へと向けて杖を構えた。

どうやら魔法で此方の認識能力を阻害していたらしく、アンジェラの姿を認めた為に橋の中央に差し掛かるまで様子を窺っていた様だ。

アルテナ軍の魔導士、恐らくはフォルセナ侵攻軍の一角。

 

 

「そんな……」

 

 

彼女達の言葉は、否定されてなお母の愛を信じ続けようとしていたアンジェラの心を、無常にも打ち砕いた。

あまりの事に現実を受け止めきれないのか、彼女は自身の杖を取り落し、その場に崩れ落ちてしまう。

咄嗟にその肩を支えた2人の内、その目に憤怒と敵意の炎を宿したデュランが、アルテナ兵達へと問い掛けた。

 

 

「……自分達の王女を殺そうっていうのか。此処を通る民間人はどうした」

 

 

その言葉に対し、殆どの兵士は無反応。

しかし幾人かが、何かに耐えるかの様に視線を逸らして瞳を伏せた事を、デュランは見逃さなかった。

彼の中に宿る敵意が、一瞬にして殺意へと変化する。

 

 

「……そうか、この阿婆擦れどもめ。動くんじゃねえぞ、全員モールベアの晩飯にしてやる」

 

 

大気を通して伝わる、どす黒く燃える殺意。

身を焦がす程のそれに支配されながら、しかし彼はまともに立つ事も出来ないアンジェラの傍を離れようとはしなかった。

彼女の身体を抱きかかえる様にして左腕で支え、右手に握った剣の切っ先をアルテナ兵へと向ける。

それまで反対からアンジェラの身体を支えていたリースが、此方も明確な敵意を振り撒きながら槍を構えた。

他の面々も同様で、其々の内に怒りを燃やしながら、各々の得物を構える。

 

 

「抹殺……させると思いますか、私達が?」

 

「イイねぇ。実にイイねェ、カワイコちゃん達。そのまま谷底に飛び込んでくれたら、もっと素敵なレディなんだけどね?」

 

「無駄でちよ、ホークアイしゃん。ブスは内心もブスでちから、聞き訳なんて……嘘でち、ブスじゃなくてどブスでち」

 

 

迸る怒りを殺意へと昇華し、アルテナ兵たちに対し明確な拒絶の意思を示す一行。

この意思表明に対する、彼女達の返答は1つ。

 

 

「……ゴーレムを出せ!」

 

 

直後、金属の擦れ合う不協和音が鳴り響く。

左右に分かれるアルテナ兵たちの間から、ゆっくりと歩み出る不格好な影。

重々しい足音を立てながら、橋の中央へと歩み来る異形。

 

 

「ッ!? 機械仕掛けのゴーレムかよ!」

 

 

ホークアイの叫び。

技術面で他国の一歩先を行くアルテナが、種々の機械兵器を開発、保有している事は広く知られている。

だからこそ彼のみならず、モントとフェアリーを除く皆が、機械仕掛けのゴーレムが如何に手強い存在かを感じ取っていた。

一方でゴーレムの足音を聴きながら、しかし漸く慣れ始めたばかりの弓に矢を番えるフェアリーは、モントの奇妙な動きに気付く。

ノコギリ槍を腰に掛け、懐から何かを取り出す右手。

そして彼は左手に持つ銃『エヴェリン』の排莢孔に、その何かを押し込めたのだ。

何をしているのかと訝しむフェアリーの耳元、背後から小さく掛けられる声。

 

 

「撃ったら、伏せろ。でないと死ぬ」

 

「結界を張れ!」

 

 

それは、ケヴィンの声だった。

同時に一行を橋上に止める為、アルテナ兵たちが橋の両端にて結界を展開する。

徐々に近付くゴーレム。

ケヴィンと同様、他の面々もモントの意図に気付いたらしい。

そして、直後。

 

 

「やれ!」

 

 

アルテナ兵指揮官の声と共に、それまでの緩慢な動きが嘘の様な瞬発力で、ゴーレムが飛び掛かって来る。

同時にモントがエヴェリンの銃口を、正面に位置する指揮官へと向けて構えた。

閃光と破裂音、発砲。

 

 

「が……」

 

「なっ!?」

 

 

銃口から飛び出したものは、唯の銃弾ではなかった。

奇妙な赤黒い光を纏う、凄まじい弾速の火球。

それが一瞬にして結界を撃ち抜き、その先にて杖を構えていた指揮官の胴をも貫通したのだ。

ほぼ同時、フェアリーの背後から響く、重々しい金属音。

 

 

「がアァッ!」

 

「伏せろ!」

 

 

咆哮はケヴィンの、警告の声はホークアイのもの。

先程の忠告通り、咄嗟に伏せたフェアリーの背面すぐ上を、重く長大な何かが空気を引き裂きつつ通過する。

『獣肉断ち』だ。

蛇腹状に変形したそれ、ケヴィンの怪力によって全力で『逆さまに』振り抜かれた刀身が、彼を中心とする半径数mもの空間を薙ぎ払ったのだ。

咄嗟に伏せた一同の頭上を通過した刀身の分厚い峰は、先ず正面から飛び掛かってきたゴーレムを捉えた。

そして壮絶な衝突音を響かせ、あろう事かその金属製、大重量の体躯を弾き飛ばしたのだ。

膨大な量の火花が散り、ゴーレムの破片が橋上へと撒き散らされる。

弾き飛ばされたゴーレムは、そのまま谷底への落下軌道に入った。

 

が、獣人の膂力によって振り抜かれた『獣肉断ち』はそれだけに止まらず、威力を減じながらも振り抜かれた刀身は、背後から迫るゴーレムまでをも捉えたのだ。

そして、衝突によって体勢を崩し橋へと叩き付けられたゴーレムへと、アンジェラを橋上に伏せさせたデュランが襲い掛かる。

逆手に持った剣を一片の迷いもなく振り下ろし、装甲ごとゴーレムの内部機構を串刺しにするデュラン。

彼はすぐさま剣を引き抜き退がり、背後より迫るケヴィンに空間を譲った。

再度ノコギリへと変形させた『獣肉断ち』を振り被ったケヴィンが全力で、その峰で以ってゴーレムの体躯を打ち上げる。

轟音と共に火花が散り、夕陽を反射する無数の破片が宙へと散る中、甲高い警告音を上げながら2体目のゴーレムが谷底へと消えて行った。

数秒遅れで届く衝撃と爆発音。

ゴーレム2体、撃破。

 

一方で、残るアルテナ兵たちにも災厄が襲い掛かっていた。

ホークアイとリースである。

正面のフォルセナ側にホークアイが、反対側へとリースが、ケヴィンの第一撃が収まると同時に駆け出していたのだ。

フォルセナ側は、モントの銃撃によって結界が破られた事により逸早く攻撃態勢を取ってはいたが、それでもホークアイの神速には対応できずに懐への侵入を易々と許してしまう。

反対側はといえば此方もモントから再びの銃撃、即ち水銀弾に込められた狩人の血の力を増幅する触媒『骨髄の灰』によって強化されたそれを受け、やはり展開の中心となっていたらしきアルテナ兵もろとも結界を撃ち抜かれていた。

そして態勢の崩れたところへ、槍の旋風を纏う戦乙女と化したリースが飛び込んできたのだ。

その後の展開は言うまでもない。

吊り橋の両端は忽ちの内に阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、数分と経たずに気絶したアルテナ兵半数と、残る半数の死体によって埋め尽くされたのである。

 

 

============================================

 

 

「それで、テメエらは此処で何をしていたんだ?」

 

 

喉元に剣を突き付けながら放たれたデュランの問いに、アルテナ兵は震えながらも必死の形相で口を閉ざし続ける。

民間人を殺された上に仲間であるアンジェラ、それもアルテナ女王の実の娘を、その母親自身の命令で殺害しようとしていたアルテナ兵たちに対するデュランの認識は、既にモンスターに対するそれ以下となっていた。

無論、彼女達も軍属であるのだから、上からの指令には絶対服従という事情は理解している。

だがそれでも、モントが持つ遠眼鏡を通じて確認した谷底の光景が、デュランの殺意を底なしに深めていた。

普段であれば彼を止めていたであろうホークアイやリースも、今や自身の殺意が溢れる事を抑えるだけで精一杯である。

 

リースはシャルロットとフェアリーをアンジェラの元に向かわせ、自身は血の汚れを落とす為に近くの水場へと向かった。

この場に居ては自身の義憤を抑え切れなくなる、と判断した事も理由だろう。

それを解き放つ為の決定権を握る者が、この場の面々ではデュランだけだという事も理解していた筈だ。

そして、彼女達が十分に離れた事を確認した後、デュランによる『尋問』が始まったのである。

 

 

「訊き方を変えよう。お前ら、あれをやったのはどういう了見だ? 隊商や親子連れは、アルテナ軍にとって其処まで脅威になるのか?」

 

 

アルテナ兵は答えない。

その頬を、振り抜かれた剣の腹が横殴りにする。

短い悲鳴を上げて倒れ込む兵士、離れた場で目に見えて竦み上がる他の捕虜たち。

しかしそれでも、誰も口を割ろうとしない。

好い加減1人か2人でも殺してみようかと、暗い考えと共に剣を握り直すデュランに、常よりなお無感動な声が掛けられる。

 

 

「デュラン、道具悪い。お上品な剣じゃ、ソイツら口も割らない」

 

 

そう言いながら歩み寄ってきたのは『獣肉断ち』を肩に担ぐケヴィンだ。

その背後には、ノコギリ槍を手にしたモントが続く。

両者の得物を目にした捕虜たちの顔から、一斉に血の気が引いた事をデュランは見逃さない。

つまらなそうに鼻を鳴らし、場所を譲る。

 

 

「……任せるぜ。やってはみたが、どうにもこういうのは性に合わねぇ。戦場でぶっ殺すなら別なんだが」

 

 

言いつつ剣を収めるデュラン、その傍らを擦り抜けるケヴィンとモント。

そして、気怠げかつ適当に振られた獣肉断ちの刃、ずらりと並ぶ歯の先端がアルテナ兵の首筋に食い込んだ。

悲鳴、硬直する身体。

ケヴィンが、投げ遣りな口調で問う。

 

 

「それで『引く』のと『押す』のと、どっちがいい?『引く』と比較的楽に死ねるけど、オレが血塗れになって面倒。『押す』だとオレはキレイなままだけど、死ぬまで時間かかる」

 

 

縛られたアルテナ兵の頸動脈、そのすぐ横にノコギリの歯を食い込ませたまま、あまり関心も無さそうに問うケヴィン。

その石ころか何かを前にしているかの様な態度に、年若い女性兵であるアルテナ兵たちは戦慄した。

そして更に、モントがケヴィンに続く。

火花を放ちノコギリを巨大な槍へと変形させると、実に自然な動作で別の捕虜の腹に切っ先を当て。

 

 

「そういえば人間相手には斬ってばかりで、じっくりと刺した事は無いな。どうなるか、俺も興味が在る」

 

 

ゆっくり、殊更ゆっくりと押し込む。

嘴の様に湾曲した切っ先が、剥き出しの肌にゆっくりと沈み込んでゆく様を、アルテナ兵達は呆然と見遣っていた。

しかし、遅れて状況を理解したのか、はたまた漸く苦痛が襲い掛かってきたのか。

当事者であるアルテナ兵が苦痛に満ちた呻きと咳を漏らし始めると、思い出したかの様に其処彼処から悲鳴が上がる。

既に切っ先は指程の深さにまで食い込んでおり、アルテナ兵はくぐもった咳と共に赤黒い血を吐き始めた。

此処で、漸く押し込む手の動きを止めたモントは、傍らの岩陰へと目配せする。

 

 

「……ようデュラン、この娘どうする? こうも腹に大穴が開いちゃあ、もうどうしようもないと思うんだが」

 

 

合図を受け、姿を現すホークアイ。

その右腕には、ぐったりとしたまま動かない1人のアルテナ兵とその杖が抱えられていた。

モントの銃撃により、腹部に拳大の風穴を開けられたアルテナ指揮官である。

東側の1人が、まだ息を保っていたのだ。

ちらりと其方を見遣ったデュランは、次いでモントとケヴィンを見る。

2人が動きを止めたまま此方を見ている事を確認したデュランは、ホークアイへと向き直り首を掻き斬る仕種をしてみせた。

 

 

「……楽にしてやれ」

 

「了解」

 

 

応を返すや否やホークアイはダガーを抜き、その切っ先で指揮官の腕を浅く斬り付ける。

そうして彼女の身体を岩肌に預けると、膝の上に杖を置いてその場を離れた。

その奇妙な行動に捕虜たちが疑問を抱くと同時、それまで微動だにしなかった指揮官に動きが生じる。

何と、緩慢ながらも頭を擡げた彼女は、震える手で杖を握ると吐血しながらも詠唱を始めたのだ。

だが、それに気付かない筈がないにも拘らず、ホークアイも他の3人も全く反応を示さない。

背後で攻撃態勢を取る敵を、全く気にも留めていないのだ。

指揮官というだけあって詠唱は早く、数秒と掛からずに杖の先に人の頭ほどの火球が生じる。

後はもう放つだけという段階になり、捕虜たちの表情にも希望の色が浮かび始めた。

 

 

「……ぐ、ウッ……ぁが!?」

 

 

だがそれらは、すぐに色褪せ崩れ去る。

突然、指揮官が尋常ならざる呻きを零し、杖を取り落して苦しみ始めたのだ。

腹部の貫通痕によるものかとも思われたが、明らかに別の理由による苦しみ方に見える。

そして彼女は両手で顔を覆うと、悍ましい絶叫を上げたのだ。

 

 

「いッ、ギ……ぎあああああぁぁァァッッ!」

 

 

突然の絶叫に、捕虜たちが竦み上がる。

デュランはといえば、指揮官の方を見ようともせず何かを考え込んでいた。

ケヴィンとモントは、相変わらず捕虜に刃を食い込ませたまま微動だにしない。

ホークアイは苦しむ指揮官の声など聴こえてもいないかの様に、岩場に隠してあったアルテナ兵たちの保存食を見付け漁っている。

彼女たちがこの場で行った非道の痕跡が、彼等の振る舞いを常からは考えられない程に酷薄なものとしているのだ。

一方で、怯えと絶望に侵されゆくアルテナ兵たちの目前で、指揮官は全身の穴という穴から赤い血を噴き出し、自らの身体より生じた血溜まりの中に沈まんとしていた。

叫びは徐々に弱々しくなり、痙攣する身体が赤い水面へと倒れ込み飛沫を上げる。

恐怖のあまり息を乱したアルテナ兵たちへと掛けられる、人間らしい感情の感じられない声と、酷薄さを音と変えた様な声。

 

 

「水は冷たいからな、これ以上血塗れになるのは御免だ。突き落としてもいいんだが、罷り間違って生き残られるのもな」

 

「大丈夫、ちょっとチクッとするだけで、後は苦しいとか気にする余裕さえ無くなるから。ほんの数十秒だよ、数十秒」

 

 

言いつつ、モントが槍の切っ先を捕虜の身体から引き抜くと、同時にケヴィンも獣肉断ちの歯をアルテナ兵の首元から外した。

腹に開いた拳ほどの穴、深く抉れた首元から血が溢れ出すも、致命傷には至っていない様だ。

勿論、放っておけば失血死する可能性も在るのだが、彼等にとってはどうでも良い事柄に過ぎなかった。

そして踵を返す2人の横を通り過ぎ、ダガーを手の内で弄びながら捕虜たちへと歩み寄るホークアイ。

その瘴気を纏った刃の光を前に怯える彼女達に、純粋な悪意の滲む薄い笑みを浮かべた彼は語り掛ける。

 

 

「こんなトコでアルテナが何をしてたのか知りたかったんだけれど……まあ、君達は兵士だからね、答えられないのも仕方ない。職務に殉じる若き乙女たち……いやあ、カッコイイねぇ」

 

 

じゃあ、さよなら。

そう言ってホークアイは最寄りの1人、その肩口を刃で斬り付けようとする。

其処が、限界点だった。

 

 

「魔導士殿よ! 紅蓮の魔導士、全てあの人の指示なの!」

 

 

============================================

 

 

捕虜となったアルテナ兵たちの証言通り渓谷外の小屋、旅人や隊商が休む為に設けられた共用のそれ、その壁の裏に指令書一式が隠されていた。

内容は、フォルセナ王都強襲作戦に伴いマイア及びバイゼル近郊駐屯部隊からの増援を防ぐ為、吊り橋を封鎖せよとのもの。

更に指令書は、隊商や旅人に偽装した連絡員の通過を警戒し、これらを発見次第抹殺するよう命令していた。

渓谷内の死体の山は、こうして築かれたものだったのだ。

指令書は、命令に従わない者には親族にまで処罰が及ぶ事を仄めかしており、アルテナが一連の襲撃計画を如何に重要視しているかが窺われた。

 

小屋で一夜を明かし、翌日になってから王都を目指し出発する一行。

暫く隊商に行き会う事はできないだろうが、思わぬ形で保存食が大量に手に入った事で、王都到着までは余裕を持って旅を続けられるだろうと考えられた。

アルテナ兵たちが有していた食料の中には、隊商などから奪ったものも含まれていたのだ。

小屋を背に歩きつつ草で歯を磨きながら、ケヴィンが訊ねる。

 

 

「ホントに放置して良かったのか? 逃げ出して、別動隊と合流するかも」

 

「そうでなくとも、後続部隊を無視して橋を落されれば物流が止まるぞ。やはり始末するべきだったんじゃないか?」

 

「良いんだよ、ほっとけば。後はバイゼルの連中が片付けてくれるさ」

 

 

続くモントの懸念にも、投げ遣りに答えるデュラン。

どういう事かと首を傾げる一行だが、ホークアイが納得した様に相槌を打つ。

 

 

「成程、あの連中か。そういう事なら任せちまうのが手っ取り早いな」

 

「どういう事なの?」

 

「洞窟の前に屯している連中が居ただろう。ありゃあ保護種に指定されている鳥獣を狙う密猟者だ。だけど、奴等は別の『商品』も扱っているのさ」

 

「別の……」

 

 

その言葉の後を引き継いだのは、モントだった。

 

 

「要は『人間』か。バイゼルでは『人身売買』が行われていて、奴等はその『商品』の仕入れ業者という事だろう」

 

「……ああ」

 

 

苦虫を噛み潰した様な表情となるデュラン。

衝撃を受けた様に、アンジェラが彼へと向き直る。

 

 

「嘘……じゃあ、あの娘たちは……」

 

「……今日中には捕まって、それから2週間以内にはブラックマーケットに『商品』として卸されるだろうな」

 

「何故、取り締まらないんです。英雄王様は何を?」

 

 

口元を押さえ打ち拉がれるアンジェラを気遣いながらも、リースが咎める様にデュランへと問う。

彼は機嫌を損ねられた様子もなく、何処か諦め交じりの声で答えを返した。

 

 

「これでも先代国王より前の治世からは、だいぶ良くなっているんだ。町や村からの人攫いは根絶されてるし、他国からの奴隷持ち込みも厳しく取り締まってる。奴等の『商品』になるのは、大体が集落から追放されたか逃げ出した罪人だ。使い潰せる労働力として、主に体格の良い男が狙われる」

 

「それって半ば国の公認じゃないでちか! 何でまた……」

 

「塩だよ。フォルセナに流通する塩は、マイアとバイゼルの商会に牛耳られてるんだ。有り余る穀物を外貨に換えるにも、商人ギルドの協力が無けりゃ国ごと干上がっちまう。実際に何代か前には、それを巡って内戦沙汰になったしな」

 

「成程な。ある程度の御目溢しと引き換えに、安定した流通を確約させていると」

 

「脅迫だの拐かしが当たり前って悪質な連中は、先代の時に一族郎党根絶やしにされてる。取り締まりの体制は英雄王様の治世になってから、一段と強化されてる位だ。それでもギルドの中には、そういう非合法な労働力を使わなきゃ稼ぎを出せない連中も居るのさ」

 

「でも、彼女達は女性なのよ!? どうなるかなんて……!」

 

 

アンジェラの手前、その先を口にする事は流石に憚られるのか、黙り込むフェアリー。

だが、彼女が何を言いたいかなど、誰もが気付いていた。

殊更に無感動に、デュランが続ける。

 

 

「『商品』の売買はブラックマーケットで行われる。当然、其処には騎士団の特別執行官も紛れ込んでるんだとよ。『商品』の年齢や性別を確認して、更に行方不明者の情報と照合するんだそうだ。そうして『問題なし』と判断されれば、後は御咎め無し。内部監査もかなり厳しいから、執行官の買収も出来ない」

 

「じゃあ、あの娘たちも保護されるのね!?」

 

 

安堵した様に、デュランへと走り寄るアンジェラ。

しかし彼は顔を伏せると、言い難そうに無情な現実を告げた。

 

 

「……最初の奇襲で大勢の死者が出た所為で、騎士団内部でのアルテナに対する印象は最悪だ。保護されても待つのは過酷な尋問だろうし、それが終わればまた『商品』に戻されるだろうさ」

 

 

女の『商品』なんか数十年振りだろうからな、と続いたデュランの言葉に、アンジェラが力なく頽れる。

咄嗟にリースが支えるも、彼女は最早この場に意識を留めてはいなかった。

母親とその側近である紅蓮の魔導士が為した事が、如何に恐ろしく悍ましい結果を呼び込むものか、それを理解してしまったのだ。

このままでは被害者であるフォルセナは疎か、侵略者であるアルテナの民までもが恐ろしい災厄に見舞われると。

 

 

「アンジェラ……」

 

「……大丈夫。大丈夫よ、リース。それより、急がなきゃ……このまま奇襲が行われたら、また大勢の人が……」

 

 

ふらつきながらも立ち上がるアンジェラ。

おぼつかない足取りで歩み出す彼女を、しかし今度はデュランが支えた。

驚いた様に視線を返すアンジェラへと、彼はぶっきらぼうに言い放つ。

 

 

「だからって無理に急いでも仕方ねぇだろ。お前、俺等ん中で一番体力ねぇんだから、無理して気張ってんじゃねーよ」

 

 

そうしてアンジェラをしっかりと立たせ、取り落していた杖を拾い握らせると、背を向けて歩き出すデュラン。

あからさまな照れ隠しに、周囲はにやける者や苦笑する者、呆れる者と各々に異なる反応を見せる。

そんな中でアンジェラは、離れてゆくデュランを呆然と見詰めていた。

だが、何かを決心した様に杖を強く握り締めると、渓谷の方角へと振り返る。

杖を握ったままの右手を胸に当て、暫しの後に渓谷に背を向けると、以降は振り返らずにデュランの後を追った。

それは、救うこと能わぬ同胞への謝罪であり、また故国を救ってみせるとの誓いでもあったのだろうか。

いずれにせよ、アンジェラの足取りに先程までの弱々しさは無かった。

そんな彼女の内面を思い、痛ましく思いながらも同時に頼もしさを覚えつつ、残る面々もまた歩み出す。

 

 

「それにしても、奴等は何処から上陸したんだ。マイアから潜入したのなら、そう大部隊は送り込めない筈だぞ」

 

 

それから歩くこと暫し、モントが発した疑問。

対するデュランは、低く唸りながら答えた。

 

 

「空からだ。奴等『空母』を使ってやがる」

 

「『空母』? 何だそれは」

 

「『空中母艦』とか『空中要塞』なんて呼ばれる代物よ。20年位前までは何処の国も大なり小なり、こういう物を持ってたわ。でもマナが減少するにつれ、宙に浮かべる事すら難しくなってね。今でも運用可能なのは、アルテナが持ってる『ギガンテス』くらいよ」

 

「そういえば、女神様が話して下さったわ。古代大戦時には数千隻もの『空母』が、艦隊を組んで砲撃戦をしていたって。尤も今のものよりも大分脆かったらしくて、殆どは大戦中に失われてしまったらしいわ」

 

「でも、運良く生き残った古代アルテナ製の1隻があってね。『ルジオマリス』って名前だったんだけど、それを修理するだけじゃなくて大規模に改修して、性能を大幅に向上させたのが『ギガンテス』なの。桁外れのマナや資源を使うから、そう簡単には動かせない筈なんだけど……」

 

「とにかくそいつを使って、空から大量の人員と戦略物資をモールベアの高原内に運び入れてるみたいだ」

 

 

あまりに途方もない話に、モントはこの世界に来て幾度目かとなる眩暈を感じる。

彼が狩人として『ヤーナム』を駆けていたあの世界、あの時代とは何もかもが違い過ぎた。

空に巨大な艦を浮かべ砲撃戦を行うなど、正に空想世界の戦争そのものではないか。

尤も、上位者となってから見た嘗ての世界の人の世と比べれば、この世界もまだ大人しい方なのかもしれない。

『マナ』の無いあの世界でも人は自在に空を飛ぶ力を手に入れ、遂には宇宙にまで鉄火を持ち込み、それらが天を覆い尽くしていた。

果ては正気を疑う程に巨大な構造物を何万と恒久的に空へと浮かべ、人が生きられぬ程に汚染された地表を捨て、その中で暮らしていたのだから。

『上位者』どもが人の世への関与を諦めた理由も、その辺りに在ったのだろう。

神秘と人ならぬ叡智に拠って成る者達にとって、あの世界はあまりに生き難い。

そんな思考を続けるモントを余所に、リースが疑問を呈する。

 

 

「『空母』を持ち出してきたという事は、王都や拠点に空爆を仕掛けるのではないのですか? 何故、大規模な地上戦の準備なんか……まさか、占領まで」

 

「解らん。降下地点も北部だけじゃなくて、高原の南部にまで降りてやがる。なに考えてんだ?」

 

「南部って、まさか……」

 

「……おいおい、この辺りじゃないか! アルテナが大地の裂け目にまで出張って、何をしようっていうんだ?」

 

 

疑問の声を上げるホークアイ。

答えを齎したのは、アンジェラだった。

 

 

「『マナストーン』……」

 

「え?」

 

「各国監視下に在る『マナストーン』を解放して『マナの聖域』に至る為の扉を開く……紅蓮の魔導士が言ってた事よ。つまりこの近くに、フォルセナ領内の『マナストーン』が在るんじゃないかしら」

 

「じゃあ、土の精霊も……」

 

 

謎は深まれども、それ以上の情報が無ければ動き様が無い。

疑問に関する考察は止めぬまま、モールベアの高原を北東に向かうこと3日あまり。

此処で一行は運良く、フォルセナ領巡回騎士団と遭遇する事が出来た。

団長以下の騎士や傭兵達が、剣術大会でのデュランの活躍を記憶に留めていた事も在って情報の交換は円滑に進み、王都に向かう為の馬も融通して貰える事となる。

交戦の証として、アルテナ兵から押収した指令書と杖が在った事も大きい。

騎士団長は、すぐに王都へと向かい英雄王に司祭の言葉を伝えろと、護衛まで付けて送り出す事を了承してくれた。

 

そうして、慣れぬ者は乗馬の経験が在る者の後ろに乗る形で、一同は出し得る限りの速度で以て王都を目指す事となる。

記憶にこそ無いが、狩人となる前は経験が在ったのだろう。

自身の後ろにフェアリーを乗せ馬を駆るモントは、同じく後ろにアンジェラを乗せたデュランと併走しながら、残る者たちの様子を窺った。

 

共に慣れているらしきホークアイとリースは自ら馬の手綱を握り、しかし微妙な距離を置きながら併走している。

互いの立場上、慣れ合う事に抵抗が在るとは容易に理解できるが、それだけが理由ではないだろう。

リースはナバールの者に対する制御できない憎しみを抱えており、しかしホークアイの事情も知るが故に自らの内で相反する感情に苦しんでいる。

彼がローラントに対する明確な害意など持ち合わせていないと理解し、更に人柄を知るにつれ信頼の度合いが高まっている事は誰の目にも明らかなのだが、それでも最終的にナバールの一員には変わりないと結論付けてしまう様だ。

彼が家族を救う為に戦っていると知りながらも、侵略によって家族と国を奪われた身からすれば、だからどうしたと責めたくなるのが人というものだろう。

結局、彼女自身としては歩み寄りを図り親しくなりたいのだろうが、王女や被害者としてのリースがそれを許さないという悪循環に陥っているのだ。

 

一方ホークアイはホークアイで、ローラントの者に対する罪悪感と贖罪の意識に苛まれつつ、同時に王政を採る彼の国に対する隠し切れない嫌悪感を滲ませていた。

彼が抱く王政に対する蔑意は、大地の裂け目での一件から決定的なものとなっている様だ。

必死に自分を信じる実の娘を抹殺せんとする理の女王の指令に、アルテナという国家を通り越して王政そのものに対する憎悪を増幅させている。

見境無い憤りだとは当人も理解しているのだろうが、やはり生まれ付いてからの環境によるものだろうか、どうしても善良な王族というものの存在が信じきれないらしい。

結局のところ、ホークアイとリースが更に歩み寄るには、外部から何らかの決定的な後押しが必要なのだろう。

 

無邪気にはしゃぐシャルロットを背負い、自身の脚で馬と並走するケヴィン。

この2人は実年齢こそ最も低いが、一方で他の面々よりも人生に達観している様子が在る。

敵味方という認識を超え、共通の敵であると思しき『死を喰らう男』を追っている事からも、早々と意気投合している様だ。

ウェンデルがビーストキングダムによる侵攻で実質的な損害を被っていない事、ケヴィンが母国の問題よりも父親を殺す事に執着している等の理由が、彼等の関係を気安いものにしているのだろう。

 

一方でフェアリーはといえば、未だにモントを警戒している節が在る。

彼女の経験を考えれば無理のない事ではあるのだが、他にも自身が戦力としては他に劣る事などを気に掛けているというのも原因の様だ。

勇者を宿主として身を隠す事が出来ず、結果的に自身の護衛の為に誰かが側に付かねばならず、一行の足を引っ張っているのではと懸念しているらしい。

そして、その原因たるモントに対し、僅かながら憤りを抱えているというところか。

だが、彼女が彼を警戒する最大の原因が、モントがウェンデルで言い放った『マナの女神』が『上位者』であれば狩る、という言葉に在る事は疑い様がなかった

彼としては前言を撤回するつもりもなく、また司祭の言葉通り自らの目で女神と相対し確かめる事を目的としている為、どうしようもない事なのだが。

そんな事を考えつつ、それでも騎士団を交えて会話を重ねながら更に3日後。

途中の集落で4度に亘り馬を乗り換え、地図に無い秘密の道を使うなど可能な限りの速さで進んできた事も在って、彼等は当初の予定よりも遥かに早く王都へと到達した。

 

 

 

だが彼等はモールベアの高原北部、山間の奥に位置する王都まであと僅かと迫ったところで、自分達が間に合わなかった事を理解する。

山の向こう、夕暮れの空に立ち上る大量の黒煙によって。

それは新たな惨劇の夜、その始まりを告げる狼煙であった。

 

 

 




一方その頃、マイアでは……



ボン・ボヤジ「ところでワシの大砲を見てくれ、こいつをどう思う?」

ワッツ「すごく……OIGAMIです……」





忘却の島は射程内だ!
どうする紅蓮の魔導士!
どうするギガンテス!


紅「」(白目)

ギ「」(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冒涜のフォルセナ

 

 

 

「……貴様、何処から現れた?」

 

 

そう呟きつつも、紅蓮の魔導師は呪文の無音詠唱を開始する。

作戦の推移は順調だった。

市街地での陽動で騎士団の多くを引き付け、手薄になった城内へと単独で空間転移。

城門内の兵士を『ファイアボール』で焼き尽くし開門、外部にて待機中の魔導兵を城内へと侵入させる。

そうして下級騎士団を沈黙させた後、自軍兵士を退避させ魔法生物を召喚、残る敵戦力を一気に殲滅する段階まで事は進んだ。

だが其処で、思わぬ闖入者が現れたのだ。

 

 

「フォルセナの者ではないな。貴様、我が兵達をどうした」

 

 

それは、奇妙な格好の女だった。

とはいえ女らしいと推測しただけで、確信にまで至っている訳ではない。

何しろ、全身を覆う高位聖職者のものらしき分厚い法衣に、両の目を隙間なく覆う装飾付きの仮面を付け、左右に広がった蝙蝠の羽の如き奇妙な形の帽子を被っているのだ。

肌が露となっている箇所など、それこそ口元程度である。

その唇や肌の様相から、恐らくは女であると当たりを付けただけだ。

だが、その女は自軍の女性魔導兵と比しても、明らかに異様な空気を纏っていた。

 

 

「杖を持ってはいるが……魔導師ではないのか」

 

 

目前の人物がマナを纏っていない事に気付き、嘲笑の意を含んで唇の端を釣り上げる。

玉座の間へと続く通路、彼我の距離は10m前後。

右手に持つ金属製らしき杖、左手に持つ奇妙な形状の道具。

これらが女の得物である様だが、いずれにせよこの距離では完全に魔法が優位だ。

無音詠唱は既に済み、後は術を発動するだけ。

その次の瞬間には、複数の拳大ほどのダイヤの結晶が、目の前の女を串刺しにする事だろう。

 

だが一方で、未だ燻る疑問も在った。

この女が出現した方向には、退避中のアルテナ軍兵士たちの内、部隊の1つが向かっていた筈だ。

通路は一本道であり、英雄王が豪奢な装飾を嫌う為か多種の武具が飾られているのみであった其処には、凡そ人が隠れられる場所など無かった。

つまり、この女は退避中の兵士たちと正面から遭遇した筈なのだ。

にも拘らず此処に居るという結果が意味するものは、それらを排除したという事実に他ならない。

アルテナ軍でも手練れの内に入る上級魔導師数名を同時に相手取り、魔導師でも騎士でもなかろう女がどうやって。

 

 

「英雄王の奥の手か、それとも……」

 

 

術の発動、その好機を計る彼の足下には、褐色の光を放つ魔法陣。

この地に満ちる土のマナを用いた、魔法生物召喚の為のそれ。

先程から『ダイヤミサイル』発動の為の詠唱と並行して進めていた術式の構築は、後一歩で完了するところまで来ている。

今、此処を離れる訳にはいかなかった。

彼の主の望みである、主の仇敵たる英雄王の抹殺を成し遂げる為、そして嘗てフォルセナに与して英雄王とその友への全面的な支援を行っていたアルテナ、双方の国家を破滅へと追い遣る為。

この魔法陣より喚び出される魔法生物たちには、両国家間に決定的な対立と憎悪の応酬を生む為の撒き餌として、この王都に住む人間どもを地獄へと叩き落とすという役目が在るのだ。

その為にも今、此処で陣を破壊される訳にはいかない。

 

 

「いずれにせよ、無謀な試みだ……な!」

 

 

彼の手が何かを掴み取る様に握り締められた瞬間、周囲の空間に生じる歪み。

空間中、幾つかの点で急激な集束を起こす、膨大な量のマナ。

一瞬にして巨大な透明の結晶、鋭く尖った槍状のダイヤモンドと化したそれらは、高速で回転しつつ風切り音を立てながら彼の周囲を旋回する。

その数、実に30以上。

平均的な魔導師が生み出す数を、大きく超えていた。

彼の目前に佇む女が、僅かに身動ぎする。

予想を超える術の規模に動揺したのだろうか。

何にせよ、彼にとっては些末事だ。

ゆっくりと掲げた腕、正面に向けられた掌。

それを振り下ろすだけで、目の前の闖入者の命は掻き消されるのだから。

 

 

「では、死ね……ッ!?」

 

 

その動作を実行せんとした瞬間、彼の背筋を奔る冷たい怖気。

彼の視界は、偶然にそれを捉えていた。

自身の周囲を、回転しながら旋回するダイヤの結晶。

その表面に一瞬だけ映り込んだ、在り得ないもの。

自身の背後、手にした剣を今にも突き込もうとする影。

 

 

「くッ!?」

 

 

間に合わない。

咄嗟にそう判断した紅蓮の魔導師は、回避を切り捨てて結晶を投射する。

狙いは女ではなく、自身の周囲だ。

一斉に回転を止め、弓より放たれた矢の如く射出される、総数30を超えるダイヤの槍。

碌に狙いも定めずに放たれたそれらは、紅蓮の魔導師を中心とする周囲の床に着弾、轟音と共に大量の破片を宙へと巻き上げる。

ダイヤの槍と、床の破片。

双方が術者自身である紅蓮の魔導師の身体を掠め、切り裂き、或いは肉を喰い破り突き刺さる。

両の腕で目の周囲を庇いながら苦痛に呻く彼は、しかし見事に狙い通りの結果を手繰り寄せる事に成功した。

唐突に現れた背後からの襲撃者は、標的の周囲を覆う様にして降り注いだ幾つものダイヤの槍、それらが巻き起こす衝撃と破片の飛散によって標的へと至る剣の軌道に狂いが生じたのだ。

 

狙いを外れた切っ先が自身のすぐ横の空間を貫く鋭い風切り音、掠めた二の腕の皮膚が切り裂かれる感覚に、彼は臓腑が凍り付くかの様な冷たい感覚に襲われる。

あと一瞬でも決断が遅かったならば、間違いなく心臓を串刺しにされていただろうという、恐ろしい確信。

沸き起こる怖気を必死に押さえ込みながら、紅蓮の魔導師は自身の術で傷付いた身体から鮮血を流しつつ、追撃を避ける為にその場から横へと飛び出す。

立ち並ぶ柱に身体をぶつけ更に石畳へと叩き付けられ、呻きながらも身を守っていた腕を床に突き、身を半ばまで起こしながら背後へと振り返った。

そして、舌打ち。

 

 

「……運の良い奴め。これでは割に合わないな」

 

 

彼の視線の先に佇む者、一見なんら変哲の無い学者風の男。

その身に纏う装束はアルテナ城内でも良く見かける学者、彼等の内でも年若い者達が身に着けているものに良く似ていた。

上質な生地が使われていると解る、簡素だが洗練された衣服。

違いが在るとすれば、幾ら上質な生地とはいえ簡素に過ぎる事と、ショースではなく余裕を持った黒い脚衣を履いている事だろうか。

短く纏めた色素の薄い金髪、簡素ながら珍しい造形の眼鏡。

そして、その右手に握られている物は、腹に壮麗な装飾を施された銀の長剣。

左手には女と同じ奇妙な道具を持ち、背には鞘にしてはあまりに巨大な何かを背負っている。

 

そして、あれだけの至近距離でダイヤの槍が着弾した際の余波を受けたというのに、男はその衣服の所々に僅かな血を滲ませているだけであった。

恐らくは標的であった紅蓮の魔導師の体躯が、飛散する破片に対して丁度良い盾となっていたのだろう。

皮肉な事に、術により最も大きな被害を受けたのは、他ならぬ術者自身である紅蓮の魔導師であったという事だ。

腹立たしいやら情けないやら、様々な感情が入り混じった自嘲の笑みを浮かべながら、よろめきつつも立ち上がろうとする。

同時に『エクスプロード』の高速無音詠唱を開始。

だが彼は、次いで目に映った光景に動きを止めた。

 

 

「なに……?」

 

 

彼の視線の先、未だ構築途中である召喚用魔法陣の中央。

其処に、目隠し帽の女が佇んでいた。

『ダイヤミサイル』によって一部が破壊された陣は、それでも未だ機能を保っている。

完成の時を待つ陣の中央で、女はそれまで背負っていたらしき袋を床へと落とした。

 

その袋を見た時、紅蓮の魔導師の脳裏を過ぎった感情と思考は、果たして如何なるものであったか。

少なくとも良いものでない事は確かだが、それ以上に久しく感じた事のないものであった。

本能が鳴らす警鐘、此処から逃げろと叫ぶ内なる声。

それらが何によって齎されているのかも、彼は気付いていた。

視線の先の袋、其処に滲む赤黒い染み。

そして、女の手によって袋の中身が陣へと空けられる。

撒き散らされた幾つもの奇妙な物品の内の1つ、床に突かれた紅蓮の魔導師の手元にまで転がってくる円筒形のそれ。

迂闊にもそれを凝視してしまい、絶句する。

 

 

「ッ……!?」

 

 

反射的に、背後の柱まで身を引く紅蓮の魔導師。

冷静な思考や警戒などではなく、抗う事の出来ない圧倒的かつ生理的な嫌悪感により齎された咄嗟の行動。

しかし彼の視線は円筒形の物体に釘付けとなっており、それから視線を逸らす事で恐ろしい何かが起こるとでも確信しているかの如く、限界まで見開かれた眼は微動だにしない。

否、正確には彼が見詰めているものは物体、即ち円筒形のガラスの容器そのものではなく、その内に満たされた何らかの液体中に浮かぶ代物。

凍り付いた様に見詰める彼の目を、容器の内から同じく見つめ返すそれ。

 

 

 

―――血走った、人間の眼球

 

 

 

「これは……ッ!?」

 

 

柱に背を預けたまま、視線を魔法陣へと移す紅蓮の魔導師。

其処には依然として、剣を手にした眼鏡の男と、杖を手にした目隠し帽の女が佇んでいた。

此方を警戒してはいるのだろうが、追撃を掛けるでもなく佇むその姿からは、目の前の敵に大した関心を持っていない様にも感じられる。

そして紅蓮の魔導師の注意も、目の前の敵よりもその足元に散らばる種々の物品に釘付けとなっていた。

あまりにも異常かつ、悍ましいそれらの物体。

血の染みそのものの色を中心に備えたくすんだ白の花や、青白く輝く粉末の様な物やカビらしき物の集合体などはまだ良い。

問題はそれ以外の、健常な精神を持つ者ならば決して受け入れられはしない、異常極まる代物だ。

 

落下の衝撃で割れたらしき瓶の中から溢れ出し、奇妙に蠢く血液らしき粘性の液体。

真珠の様な輝きを持ち、それでも明らかに生きていると解る無数のナメクジ。

眼球と同じくガラスの容器に詰められた、変色し腫瘍だらけの人間の臓腑らしきもの、或いは黄色く変色した脊椎の一部。

干乾びた人間の手首、王冠を被ったまま同じく干乾びた人間の頭蓋。

 

これだけでも、並の人間ならば耐えられない程に悍ましく、異常な品々だ。

だが、特殊な経緯こそ在れど強靭な意思を持つに至った紅蓮の魔導師、彼の意識すらも蝕む最大の要因は別の物に在った。

滑りと薄い赤の光沢を持つ小さな塊と、枯れ木の集まりの様な小さな塊。

一見しただけでは単なる塵の塊としか思えないそれらを凝視してしまったが故に、その正体を看破してしまったのだ。

その事を後悔する暇さえ無く、沸き起こる強烈な吐き気。

しかし事態は、彼に異の内容物を吐き戻す為の、僅かな時間さえも与えなかった。

褐色の光を放っていた陣が、突如として赤黒い光を放ち始めたのだ。

 

 

「……何だ……何が起こっている!?」

 

 

途端、紅蓮の魔導師は自らを苛んでいた吐気すらも忘れ、叫んでいた。

それまで確かに感じられていた膨大な土のマナが消え失せ、全く別の何かに置き換わったのだ。

光の色から火のマナかとも考えたが、彼の感覚はそれを否定している。

魔法陣から放たれる赤黒い光は確かにマナを含んではいるのだが、それ以上に明らかに異質な『何か』を内包していた。

その正体こそ掴めないまでも、しかし同時に彼は敵の狙いを理解するに至る。

そして、戦慄した。

 

 

「貴様……貴様らッ……まさか!」

 

 

詰まる所、彼は利用されたのだ。

この闖入者どもはアルテナによる奇襲が始まった瞬間から、召喚用の魔法陣が敷かれるその時を窺っていたのだ。

横合いからそれを奪取し、まるで別の目的を果たす為のものとして作り変える為に。

撒き散らされた袋の中身は、それを果たす為の触媒だろう。

徐々に強さを増す赤黒い光の中、徐々に変化するそれらの様相を見詰めながら、紅蓮の魔導師は血が滲むまでに唇を噛み締めた。

文様さえも秒を追う毎に変化し、それどころか全体が徐々に拡大してゆく魔法陣。

 

何が起こるというのか。

召喚対象を上書きする目的ならば、陣を拡大する必要などない筈。

だが現実には、陣は当初の3倍ほどの大きさにまで達し、今もなお拡大を続けている。

陣の端は柱や壁にも及び、更にそれらを透過して通路の外にまで達している様だ。

一体、何処まで広がるのか。

 

其処まで思考が及んだ時、彼は目隠し帽の女、彼女の異様な行動に気付く。

右手の杖と左手の道具を腰元の鎖に掛け、空いた両手の指先を頭上で合わせる様に掲げたのだ。

上半身を仰け反らせ、合わせた自身の手を見上げる様な姿勢。

咄嗟に、無音詠唱が完了した『エクスプロード』を放とうとするも、同時に凄まじい警鐘を鳴らす本能。

何かおかしい、此処に居ては拙い。

何ら根拠の無い衝動は、直後に確信を伴うそれへと変わった。

女の手の内に集う白い光、その身を取り巻く『星の海』。

知らず、彼は叫んでいた。

 

 

「くああっ!?」

 

 

悲鳴か雄叫びか、どちらかも判然としないそれと共に放たれた『エクスプロード』は、正面ではなく背後の壁へと向けられたもの。

指向性を与えられた火のマナによる強烈な爆発が、一瞬にして壁面を破壊する。

更に彼は風のマナを用い、自身の身体を爆発の只中へと躍らせた。

それは、もはや魔法ですらない乱暴かつ強引な、単にマナの奔流を背中にぶち当てただけの力技。

自身がその場を脱する為だけに行われた、緊急的かつ無謀な加速方法。

だが、それを実行に移した彼の判断は、間違いなく正しかった。

 

背後からも視界を埋め尽くす程の、凄まじいまでの白い光の炸裂。

遅れて届く『エクスプロード』とは明らかに異なる爆発音。

前方に吹き飛ばされている最中にも拘らず、背中を穿つ無数の小さな瓦礫と皮膚を焼く熱。

だが、それらに気を回しているだけの余裕など、彼には無い。

視界が白一色に塗り潰されている中、吹き飛ばされる身体の先に何が待っているかも解らないのだ。

『エクスプロード』の発動から2秒も経たぬ内に、マナによって強制的に加速された思考は次なる行動を起こしている。

 

風のマナを前方に集中、圧縮させ空気溜まりを形成。

一瞬の内に形成されたそれに、自身の身体を突っ込ませる。

衝撃、鈍い音。

白く光った後、赤く染まる視界。

衝撃を殺してなお、壁に衝突したのだと理解する。

だが、加速した思考は止まらない。

魔力も貴重な触媒の温存も一切考えず、常に発動準備状態に在った緊急転移の術式を発動。

壁に次いで床へと叩き付けられた身体が、膨大な量のマナに包まれた事を感じ取る。

転移の実行までは数秒ほど掛かるが、その間に今の彼が出来る事といえば、追撃が無い事を願うだけだ。

果たして幸運にも、彼の願いは叶えられた。

追撃を受ける事なく、彼の身体は王都の西の上空に待機していた空母ギガンテス、その艦内へと転移を果たしたのだ。

手に触れる石の感触が、冷たい鉄のそれへと変化した事を感じ取るや、彼は全身の力を抜いた。

 

 

「く……あ……!」

 

 

血塗れで呻く彼が転移した場所は、ギガンテス艦内に設けられた彼の私室だ。

満足に身体を動かす事も出来ぬ中、自身に残された僅かなマナを使って『ヒールライト』を発動する。

出血は止まった様だが、一度の術では失った血液を取り戻すには至らない。

如何にか這って移動すると、術式触媒の収められた棚まで辿り着き、俯せのまま扉を開けて『天使の聖杯』を取り出す。

予め神官によって癒しの術式を組み込まれたそれは、忽ちの内に杯の内を光のマナを帯びた水で満たし、それを浴びる様に傷付いた体の上へと零すや見る見る内に全身の傷が塞がり始めた。

急速に消えゆく痛みに如何にか安堵の息を吐きながら、紅蓮の魔導師は考える。

 

あの2人は何者か。

魔法陣を書き換えるという極めて高度な術式の改竄を行っておきながら、眼鏡の男はともかく実際にそれを行った目隠し帽の女からも、マナは全く感じ取れなかった。

撒き散らされた種々の異物が何らかの触媒であった事は確かだが、しかしそれらの物品もどれひとつとしてマナを含んではいなかったのだ。

にも拘らず、召喚陣は別の何かへと書き換えられ、その効果を広範囲へと齎さんとしていた。

フォルセナで今、何が起きようとしているのだ。

 

 

『魔導師殿、御帰還されましたか……魔導師殿?』

 

 

艦内のマナ変動を観測したのだろう、艦橋に繋がる伝声管から艦長の声が飛び込む。

暫し伏せたまま、訝しげなその声を聞いていた紅蓮の魔導師であったが、やがてのろのろと身を起こすと伝声管へと歩み寄る。

そして、常よりも殊更に無感動な声で告げた。

 

 

「……艦長、進路をアルテナに取れ。一刻も早くこの国を離れよ」

 

『な……魔導師殿、それは……』

 

「作戦は失敗、英雄王の抹殺は成らなかった。城内に突入した部隊は全滅、市街地で活動中の者共も回収は叶うまい。現状の作戦行動は全て中止する、直ちに帰還に移れ」

 

『お待ち下さい! 高原各所には未だ作戦行動中の部隊が……!』

 

 

瞬間、紅蓮の魔導師は伝声管へと掌を叩き付けた。

彼の身に残されたなけなしのマナが、しかし鋭い風の刃となって伝声管の内部を翔ける。

そして数秒の後、伝声管の向こうで何かが切り裂かれる音と、重く水気を含んだ何かが鉄の床に落ちる音、僅かに遅れて悲鳴が巻き起こった。

それらを気に留める事もなく、彼は続ける。

 

 

「副長、応答しろ」

 

『……はい、魔導師殿』

 

「其処に転がっている『ゴミ』を投棄せよ。今この瞬間から、貴様が新たなギガンテス艦長だ。良いな」

 

『……はッ』

 

 

伝声管に蓋をし、紅蓮の魔導師はその場に頽れる。

傷が癒えてなお痛む身体と、全身に纏わり付く自身の血の感触が不快だったが、今はとにかく眠りたかった。

久しく無かった、命を賭しての戦い。

それも優勢などとは程遠く、あまりに劣勢かつ短時間の、極限まで凝縮された死闘。

挙句の果てにまともな反撃すらも叶わず、目晦ましに放った自身の魔法で傷付きながら、命辛々どうにか逃亡に成功したという有り様。

だが、不思議と痛恨や憎悪といった類の感情は無い。

そんな感情よりも、驚愕や疑問といった類のものが脳裏を埋め尽くしているからだ。

 

フォルセナの兵ではなく、当然ながらアルテナ兵でもない。

ナバールのニンジャ、ローラントのアマゾネス、ビーストキングダムの獣人、ウェンデルの神官、いずれも違う。

男が手にしていた長剣以外、いずれの国の兵士が得意とする得物とも重ならない。

その長剣でさえ、明らかにフォルセナで用いられている物とは異なる造形だった。

奴等は何処から現れ、何の為にあの場所に居たのか。

あの赤黒い光、まるで血の色の様なそれを放つ魔法陣は、フォルセナに何を齎そうとしているのか。

 

 

「……匪賊め……申し訳、在りません……竜帝、様……」

 

 

その呟きを最後に、紅蓮の魔導師は意識を失う。

極限にまで達した疲労は、否応なしに彼を眠りの世界へと引き摺り込んだ。

当初の目的を果たす事も、未だ祖国の為に戦い続ける兵士たちを救い上げる事も叶わぬまま、アルテナが世界に誇る最大最強の空母ギガンテスは逃げる様に北へと向かう。

今やその巨艦は、戦い続ける味方を見捨てて逃避する卑怯者たちの檻、彼等の箱舟に他ならなかった。

 

 

============================================

 

 

「ブルーザー、左を殺れ! ギムは右、デュランは私と正面だ!」

 

「はッ!」

 

「敵を攪乱する、行くぞケヴィン!」

 

 

劫火に包まれる王都の一角で、聖剣の一行は巡回騎士団と共に、アルテナ兵との戦闘に突入した。

アルテナ兵たちは市街地の各区画で、突如として火の魔法を放ち戦端を開いたらしい。

燃え落ちる民家や商店、騎士たちの詰め所。

これではとても、全ての住民が避難するには至らなかっただろう。

どれだけの犠牲者が出ているのか、現状では想像も付かない。

 

通りには激しい戦闘が繰り広げられた事を物語る、フォルセナ兵とアルテナ兵の死体が其処彼処に転がっていた。

火に焼かれた者、巨大な氷塊に圧し潰された者、袈裟懸けに真っ二つにされた者、首と胴が泣き別れになった者。

凄惨な様相の死体が無数に転がる中、王都外壁に程近い地区で戦っていた騎士たちを殲滅したらしき手負いのアルテナ兵たちの一団は、何故か統率を欠いた様子で王都外部への逃走を図っていた。

しかし彼女たちは運悪く、戦闘中の王都に外部から突入して来た一団、即ちデュラン達と鉢合わせしてしまったのだ。

 

王都から逃げ出してきた住民達より事の次第を聞かされていた彼等は、迷う事なく直ちに戦闘へと突入した。

騎馬の機動性を活かしつつ団長の指揮の下、見事な連携で襲い掛かるデュランを含めた騎士団。

自らの俊足と跳躍力を活かし、周囲の地形を利用して猛禽の如く跳び掛かるホークアイ。

強靱な脚力で以て地を爆ぜさせながら、咆哮と共に獣肉断ちを振り被り突撃するケヴィン。

無論、アルテナ兵たちも迎撃の為に魔法を放とうとするも、周囲に指示を下していた魔導兵の頭部から、何の前触れもなく血と脳漿が弾け飛ぶや、呆気に取られて詠唱を中断してしまう。

遅れて響く銃声。

生まれた一瞬の空隙は、この場に於ける雌雄を決するには充分に過ぎるものだった。

 

 

「ひ……ぎぁ!」

 

「ぐ……ッ!?」

 

 

フォルセナの誇る駿馬が、その巨体の重量と蹄で以てアルテナ兵たちの身体を一瞬にして弾き飛ばし、或いは踏み潰す。

馬上から、或いは馬から飛び降りて、一刀の下に魔導兵たちを切り倒す騎士たち。

地の利を活かして跳び回るホークアイが次々にアルテナ兵の首筋を切り裂き、ケヴィンの振るう獣肉断ちが数名のアルテナ兵を纏めて挽き肉と化す。

そんな混戦の中、どうにか詠唱を完成させ術の発動段階にまで漕ぎ着けた者が居ても、銃声と共に飛来した銃弾が例外なくその頭を撃ち抜くのだ。

 

斯くして、双方の戦力規模の大きさに反し、この場での戦闘は僅か数分の内に、フォルセナ側の一方的な勝利という形で幕を下ろした。

空になったエヴェリンの弾倉に水銀弾を装填するモントの横で、フェアリーは矢を放つ事の無かった弓を下ろす。

そして、アルテナ兵からの優先的な攻撃を警戒し、リースやシャルロットと共に護衛していたアンジェラへと、気遣わしげに声を掛けた。

 

 

「その、アンジェラ……」

 

「……大丈夫、私は大丈夫だから」

 

「……アンジェラ、こっちへ」

 

 

到底、その言葉通りには見受けられない、青ざめた顔色のアンジェラ。

見るに見兼ねたのか、周囲を警戒しつつもリースが彼女の手を取り、近くの燃え残った建物の陰へと連れて行った。

その背を無言の儘に見送ったシャルロットは、次いでフェアリーとモントに向き直る。

 

 

「デュランしゃんたちがケガしてないか心配でち、ちょっと行ってくるでちよ」

 

 

そう言って歩き出す小さな背を見送りながら、強い娘だとフェアリーは思う。

常に周囲に気を配り、自らの成すべき事を冷静な思考でしっかりと捉えている。

本来ならば年長者が成すべき事を、この一行の中で最も的確に行っているのが最年少の2人だという事実に、フェアリーは何処となく心苦しいものを覚えた。

今はデュランやホークアイと共に、敵兵の生存者が居ないか確かめているケヴィンもまた、シャルロットと同様に周囲を気遣う術に長けている。

彼等の境遇を知っている今、其処にそうならざるを得なかったという背景を感じ取れるからこそ、感心よりも悲しさが先に浮かぶのだ。

そんな事を考えていたフェアリーの耳に飛び込む、数々の雑音とモントの呟き。

 

 

「妙だな……」

 

「え?」

 

「街の中央から聴こえる声の質が変わった。悲鳴ばかりだ」

 

「悲鳴……」

 

 

唐突な言葉に耳を澄ますも、フェアリーには燃え盛る炎が立てる音と、それらの熱が巻き起こす風の音しか聴こえない。

しかし、まさかと思いケヴィンに目を遣れば、彼もまた何かを感じ取ったか、戸惑う様に王都の中心部の方角を見遣っていた。

モントたち狩人が獣の力の一部を我が物とする過程に於いて、人間離れした五感や身体能力を得ている事は既に聞き及んではいるが、こういった場合にそれが事実であると思い知らされる。

彼は獣人であるケヴィンと同じく、唯の人間には感じ取れない何らかの異変を察知しているのだろう。

いずれは自分もそうなるのだろうかと、同じく狩人となった筈である自身の変化を思い、僅かに気を重くするフェアリー。

そんな彼女の思考は、突如として足下を覆った赤黒い光によって中断させられた。

 

 

「きゃっ!?」

 

「何だッ!?」

 

「くそ、馬が! 離れてろ、お嬢ちゃん! コイツら気が立ってやがる!」

 

「今のは何です!?」

 

 

地面の発光は、一瞬にして止んだ。

後には、先程と何ら変わらぬ死体に埋め尽くされた通りと、燃え盛る街並みだけが残される。

突然の事に戸惑い皆が警戒を強め一箇所に集まる中、唯2人だけが先程の光の正体を看破していた。

フェアリー、そしてリースと共に戻ってきたアンジェラだ。

 

 

「フェアリー、今のってまさか!」

 

「アンジェラも気付いた?」

 

「おい、何なんだ?」

 

 

戸惑いを隠そうともせずに訊ねるデュラン。

既に叔母と妹が王都外に避難している事は、避難民を護衛していた同期の騎士見習い達から確認済みである。

その為か今のところは、暴走する様な素振りは見せていない。

無論、再び故郷に攻め入ったアルテナに対する怒りは人一倍強いのだろうが、それでもアンジェラに当たり散らす様子がない事に、フェアリーは微かな安堵を覚えた。

 

 

「今のって魔法陣よ、術式を構成する紋様が見えたもの。発動が済んで消えたみたいだけど……」

 

「だけど?」

 

「……妙だわ、マナを殆ど感じなかった。8つの属性のどれでもなかったし、そもそもあんな色の光を放つマナなんて見た事が無いわ」

 

「今の魔法陣……記憶違いじゃなければ、召喚陣よ。でも、街全体にまでなんて拡がる筈がないし、そもそも発動持続型だから陣が消えるなんておかしいわ」

 

「つまり正体不明の魔法って訳か? アルテナは何を……」

 

「違う」

 

 

デュランの言葉を遮ったのは、モントの一言。

騎士団を含め全員の視線が向けられる中、彼は強い口調で言い切った。

 

 

「この襲撃と今の光は別件だ。いや、関連性は在るのかもしれないが、少なくとも今の魔法陣とやらを発動させたのはアルテナじゃない」

 

「じゃあ何だって……おい、まさか」

 

「……ああ」

 

 

其処で、これまで共に旅をしてきた一行は気付く。

モントが何を言わんとしているのか、この事態の裏に潜むものが何か。

そして、彼は言い放つ。

 

 

「『カインハースト』か、それ以外か……いずれにせよ『ヤーナム』の者の仕業だ」

 

「ッ……何か来る!」

 

 

モントの言葉が終わるか否かというところで、ケヴィンが警告の声を上げる。

皆が咄嗟に各々の得物を構え直す中、燃え盛る通りの遙か先で蠢く何かの影。

一同の間に、緊張が奔る。

影は、かなりの速度で此方に向かってくる様だ。

 

 

「ッ! モント、アンジェラ!」

 

「見えてる」

 

「解ってるわよ!」

 

 

ホークアイの声に、モントはエヴェリンを構え、アンジェラは『ホーリーボール』の詠唱に入る。

向かってくる影が射程内に入れば、水銀弾と光の魔法が同時に襲い掛かる事となるのだ。

だが、そんな彼等をケヴィンが制す。

 

 

「待って……あれ、馬だ。多分、フォルセナの。でも……」

 

 

そう言って鼻をひくつかせるケヴィンが、次いで表情を更に険しくした。

詠唱を完了したアンジェラは戸惑う様にそんな彼を見ていたが、一方でモントは銃口を下ろす事もなく更に警戒を強める。

 

 

「血……物凄く濃い血の匂いと、内臓の臭いする。それに……『獣』の臭い」

 

「『獣』だと?」

 

 

騎士の1人が聞き返す間に、馬はすぐ其処にまで迫っていた。

人の姿を認めた為か、減速して一同の側にまで寄る。

だが、その馬上に跨がるものを目にした瞬間、一同は凍り付いた。

 

 

「ひっ!?」

 

「ぐぁ……畜生! 畜生が……ッ!」

 

「う……!」

 

 

其処に在ったもの。

それは、具足を着けた人間の腰から下、唯それだけ。

力任せに捩じ切られたか、或いは巨大な顎に喰い千切られたかの様な断面からは、解けた腸や崩れ掛けの臓器が零れ出している。

腰から上が完全に失われた人間の残骸だけが、鐙の上に跨がっていたのだ。

フェアリーを含め、耐え切れぬといった体で目を背けようとする者達へと飛ぶ、鋭い叫び。

 

 

「散れ!」

 

 

その瞬間、フェアリーはモントの腕に抱えられ、強制的にその場を飛び退かされていた。

理解が追い付かぬまま激しく動く視界の中、一瞬前まで自身が居た場所に巨大な黒い影が飛び込んできた事を遅れて理解する。

モントが着地し地面に下ろされたところで漸く、フェアリーは影の正体を目の当たりにした。

 

 

「何なの……!」

 

 

その場所、一瞬前まで皆が集まっていた地点に、頭上から降ってきたもの。

それは、巨大な狼にも似た『獣』だった。

漆黒の毛並みに覆われ、通常の狼の3倍は在ろうかという異様な大きさの頭部、その剥き出しの歯茎にずらりと並ぶ同じく巨大な牙。

当然ながら頭部の大きさに見合うだけの巨体、同じく漆黒の毛皮に覆われたそれを持っている時点で、唯の狼でなどであろう筈もない。

だが、何より異常なのは、その四肢だった。

 

 

「なんだ、コイツ……獣人か!?」

 

「違う! コイツ、獣人じゃない!」

 

 

ケヴィンが叫ぶ。

少なくとも旅の一行には、彼の言葉が正しいと断言する事ができた。

彼等がこれまでに目にしてきた獣人と、眼前の『獣』とではあまりに相違が過ぎる。

獣人とは飽くまで、獣の特徴を備えた人間と言い表すのが相応しい存在であり、決してその逆ではない。

一方で、目の前で低い呻りを上げる『獣』は、正しく人の特徴を備えた獣、それ以外の何物でもなかった。

 

異様に長い四肢、獣ではなく人間のそれと同じ方向に曲がった関節。

胴と同じく分厚い漆黒の毛皮に覆われたそれの先端には、人間の五指の如く並んだ、並の短刀よりも遙かに大きく鋭い爪。

獣人の様な直立二足歩行ではなく、這い蹲った人間の様な姿勢、折り曲げた四肢を交互に動かしての四足歩行。

それは正しく、人間としての要素を僅かばかり混ぜ込んで形作られた、異形の『獣』だった。

そして、周囲が唖然と見つめる中で数歩ほど闊歩していた『獣』は、突然その頭を最寄りの人物へと向けて呻り出す。

即ち、リースとアンジェラへと。

 

 

「ッ……!」

 

「リース、退がって!」

 

 

獣そのものでありながら、同時に掠れた人の声にも聴こえる雄叫びを上げる『獣』を前に、槍を構えて前に出ようとするリース。

しかし双方の体躯の差から、リースが不利と判断したのだろう。

既に詠唱を済ませていたアンジェラは、リースに退がるよう促すと『ホーリーボール』を発動せんとする。

これまでの経験を鑑みれば、決して間違った対処法ではない。

問題は、相手がこの世界に存在する種々のモンスターや、敵対する人間などとは全く異なる規格外の存在であった事。

『獣狩りの夜』より迷い出た『獣』であった事だ。

 

 

「これで……なッ!?」

 

「アンジェラッ!」

 

 

杖を振り『ホーリーボール』を発動した瞬間、アンジェラは我が目を疑った。

数瞬前まで数m先で呻りを上げていた筈の『獣』が、今まさに目と鼻の先で此方を噛み砕かんと大顎を開いていたのだ。

術の発動の為、精神を集中せんと目を閉じた一瞬。

その一瞬を経て瞼を上げ杖を振らんとした、その瞬間にはもう、眼前に『獣』の牙が迫っていたのだ。

後は『獣』の咬合力に物を言わせて、アンジェラの女性的な魅力を持ちながらも華奢な、当然ながら抵抗できるだけの膂力など在ろう筈もない身体を噛み砕くだけ。

彼女自身も、理解には至らずとも本能が察知したのだろう。

無意識に強ばった身は、回避する為の最後の猶予を、彼女から奪ってしまった。

対処したのは、別の人物。

 

 

「うおオォッ!」

 

 

横合いから咆哮を上げつつ突っ込んだ影が『獣』の巨躯を弾き飛ばす。

否、正確には『獣』自身がアンジェラへの突進を中断し、横へと飛び退いたのだ。

明らかに苦痛を含んだ呻りが、牙の並んだ口から零れ出る。

その白濁した目が向けられる先には、血塗れの剣を構える青年の姿。

硬直が解けるや、アンジェラは叫ぶ。

 

 

「デュラン!?」

 

「退がってろ、魔法じゃ相性が悪い!」

 

 

突っ込んできた影は、デュランだった。

魔法の発動に際し、魔導師には隙が出来る。

数瞬の事とはいえ、無防備となるアンジェラを援護する為『獣』が突進の体勢に入った瞬間には、誰よりも早く駆け出していたのだ。

突き出された切っ先は見事に『獣』を捉え、刀身の根本までを敵の胴に食い込ませる事に成功していた。

『獣』がアンジェラへの攻撃を中断してまで飛び退いた理由は、唐突に齎された激痛と自身の生命の危険を感じ取ったが故だろう。

だがアンジェラを救い、更には虚を突いての反撃さえ成功させた当のデュランは、その表情を一層に険しくして叫んだ。

 

 

「クソッ! コイツ、とんでもなく硬いぞ!」

 

 

『獣』から引き抜いた剣へと視線を落とし、舌打ちするデュラン。

マイアで新調したばかりの剣には、今や切っ先が存在しない。

正確には、切っ先から拳1つ分の刀身が折れ、完全に失われているのだ。

『獣』へと突き込んだ際に、剣が骨格に当たった感触は在った。

だが、それだけで剣が折れるなど、デュランはこれまでの戦闘で経験した事が無い。

刺突が骨に当たり切っ先が欠けるだけならばともかく、硬度に優れたフォルセナの剣、その刀身そのものが折れるなど、そう在る事ではないのだ。

どれほど馬鹿げた硬さの骨なのかと、知らず歯噛みするデュラン。

だが『獣』は、そんな彼の逡巡が収束するまで待つほど慈悲深くも、それだけの知性が在る訳でもなかった。

 

 

「避けろ!」

 

「な、うおおッ!?」

 

 

騎士団長からの警告にデュランは咄嗟に身を捻り、自身へと迫り来る『獣』の爪を、間一髪のところで回避する。

爪が掠めた二の腕に鋭い痛みが走り、次いで鮮血が噴き出した。

咄嗟の事とはいえ完全に回避した筈なのにと、声には出さずに戦慄するデュラン。

『獣』の瞬発力は、動体視力と反射速度に優れた彼の想定をも、僅かではあるが上回っていたのだ。

だが此処には、そんな『獣』の速度に追随できる者が、複数存在していた。

 

 

「ホークアイ!」

 

「そっちは任せるぞ、ケヴィン!」

 

 

速度と攻撃の鋭さでは他の追随を許さないホークアイ、獣の瞬発力と圧倒的な膂力を備えたケヴィン。

一撃一撃こそ正確無比かつ極めて強力だが、しかし速度に難の在るデュランを援護すべく、異なる速さを身に付けた2人が同時に『獣』へと襲い掛かる。

しかし、その速さと『獣狩りの武器』を手にした2人であっても、初めて目にする『ヤーナム』の獣を前にしては苦戦を免れ得なかった。

 

 

「この野郎、なんて毛皮だ! 刃が通らない!」

 

「く、そッ……ちょこまかと!」

 

 

ホークアイのダガーは、その毒さえ回れば如何なる敵であろうと死に至らしめるだろう。

ケヴィンの獣肉断ちは、まともに当たりさえすれば一撃で『獣』の身体を引き裂くだろう。

しかし、飽くまでも対人用でしかないダガーの刃は『獣』の分厚い漆黒の毛皮に阻まれ、その身に傷を刻むには至らない。

極めて大威力とはいえ、ケヴィンの膂力であっても大振りとなる獣肉断ちは、殊更それを警戒しているかの様な素振りさえ見せる『獣』の立ち回りに追い付く事ができない。

2つの必殺の刃は『獣』の常軌を逸した頑強さと俊敏さに翻弄され、標的を仕留めるには至らない。

しかしそんな状況も、何時までも続くものではなかった。

 

 

「包囲しろ! 逃がすなよ、此処で殺せ!」

 

「アンジェラ、もう一度ホーリーボールを! シャルロットは治療の準備!」

 

 

それまで迂闊に動く事を避けていた騎士団とリースが、ホークアイとケヴィンに掛かり切りとなっている『獣』を包囲し始めたのだ。

デュランもその包囲に加わり、アンジェラはリースに促され再度『ホーリーボール』の詠唱を開始する。

そんな中、自身の弓では大して力になれないと判断し静観する事を選んだフェアリーが、傍らに立つモントへと問い掛けた。

 

 

「貴方、専門家でしょう? なぜ何もしないの?」

 

「必要ないからだ。良く見ろ、皆もうアレの対処法を掴み始めている」

 

「え?」

 

 

モントに促され、改めて『獣』に立ち向かう皆を見れば、其処には彼の言葉が正しい事を示す光景が広がっていた。

四方八方から刺突を受け、一方に警戒を絞る度に後方から斬撃を浴びる『獣』。

悲鳴と共に後方へと振り抜かれる爪を紙一重で、しかし的確に回避し距離を取る包囲陣の面々。

騎士団も旅の一行も、皆が『獣』への対処法を掴み、言葉を交わさずともそれを共有している事が解る。

見事な連携を呆然と見つめるフェアリーに、モントが種明かしを始めた。

 

 

「あの『獣』は瞬発力が高く、しかもその膂力と相俟って正面から相手取るのは極めて危険だ。だが、奴には獣となったが故の弱点が在る」

 

「弱点?」

 

「アレも元は人間だ。外見こそ獣そのものだが、四肢を見れば解る様に、骨格には人間としての名残が在る。獣の力を我が物とした事による変化だが、しかし肉体的な利点ばかりではなく不都合な点も生まれているんだ」

 

「……それって、あの振り向く時の事?」

 

 

そう言い放つフェアリーの視線の先で、ついに発動した『ホーリーボール』が『獣』を捉えた。

聖なる光が凝集した光球、無数のそれらが『獣』を取り囲み、回転しつつその身に触れては血肉を焼いてゆく。

耳障りな絶叫が上がるも、しかしまだ『獣』は息絶える様子を見せない。

すると背後からリースが槍の一突きを浴びせ、背中を大きく抉られた『獣』が咆哮しつつ、後方へと爪を振り抜く。

しかし彼女は『獣』の動きを完璧に見切り、空気を切り裂いて迫る爪を難なく躱す。

 

 

「正解だ。四足で歩む獣が咄嗟に背後へと振り返る時、一瞬だが前脚を浮かせて後ろ足だけで立つ。ほんの僅かな時間ではあるが、それでも二足で立つ人間に比べれば遙かに長い時間、獣は無防備な背面を晒す事になる。斬り付けて、更に回避に移るとしても十分な程に」

 

 

モントの言葉通り『獣』は背後から攻撃を受けた際、反撃までに一拍の遅れが在った。

無論、遅れが在るとはいえ腕を振り抜く速さ自体は何ら変わりなく、まともにその爪を受けようものなら一撃で全身を引き裂かれる事だろう。

だが今『獣』を取り囲んでいる者達は、そのいずれもが秀逸なる武を修めた戦士。

常人には回避不可能な速さであっても、其処に一瞬の隙を見出す事が出来た。

更に数の利を活かし、巧みに反撃を封じつつ一方的に『獣』の血肉を削りゆく。

そうして、周囲の石畳が『獣』の血で以て赤く染め上げられた頃、独特の重々しい金属音を鳴らしつつ、ケヴィンが獣肉断ちを大上段に振り被った。

『獣』はケヴィンとは反対に位置する騎士へと相対しており、背後で振り被られた蛇腹状の刀身に気付かない。

 

 

「仕留めた」

 

 

モントが呟くや否や、咆哮と共に振り下ろされた獣肉断ちが『獣』を捉えた。

轟音を立て、毛皮に覆われた身体を直下の石畳ごと打ち砕いた蛇腹の刀身は、更にその鋸状の刃で以て血肉を削り引き裂いてゆく。

そうして引き戻される刀身は、周囲に血の雨を振り撒きつつ唸りを上げて大気を引き裂き、竜巻の如く渦を巻いた後にケヴィンの肩の上で火花と金属音を発し、元の無骨な鋸へと姿を戻した。

後に残されたものは、血に染まり元の姿を留めない程に破壊された石畳と、叩き潰され引き裂かれた『獣』の死体。

そして血塗れのまま肩で息をする、デュランとホークアイ、ケヴィンとリース、騎士団の面々。

少し離れた所では、緊張の糸が途切れたらしきアンジェラが、力なくへたり込んでいる。

そんな彼等の傷を癒す為にシャルロットが駆け出す中、フェアリーは険しい表情で死体となった『獣』を見遣っていた。

 

 

「……『ヤーナム』には、こんなものが跋扈していたの? 其処らのモンスターとはまるで別物じゃない」

 

「アレが『獣の病』罹患者の成れの果てだ。皆が皆こうなる訳じゃないが、病が進行するにつれ何らかの異形の『獣』になる。数なら腐るほど居た」

 

「この事態を引き起こした何者かは『ヤーナム』の『獣』を呼び出したのね?」

 

「目的は解らないが、そういう事だろう……それも、全く遠慮せずにな」

 

「それって、どういう……」

 

「おい、何だアレは!?」

 

 

フェアリーの言葉を掻き消す叫び。

その声を発した騎士の腕は、死体を乗せた馬が現れた通りの先を指していた。

其方へと向き直った皆が、薄闇の先に目を凝らすや否や凍り付く。

独り、無感動に呟くモント。

 

 

「『獣狩りの夜』だな、まるで」

 

 

闇の中、蠢く影が炎の明かりに照らし出され、その全貌を現す。

その姿は見紛う余地もなく、今まさに打ち倒した筈の『獣』そのもの。

それが1体ではなく、幾匹もの群れとなって此方へと向かってくるのだ。

その数は7体か8体か、或いは10体以上か。

光の角度と闇に阻まれ、正確な数を把握する事が出来ない。

だが、単体ですらあれ程に手子摺った相手なのだ。

それが複数、しかも最悪の場合は10体以上。

この場に居る殆どの者の脳裏に、程近く訪れるだろう最悪の未来の光景が過ぎる。

 

 

「火だ」

 

 

誰もが迫り来る『獣』の群れを呆然と見つめる中、モントが告げる。

 

 

「奴等は火を恐れる。そして実際に、罹患者には火が最も効果的だ。『獣』の血肉は火によって浄化される」

 

「……集まれ!」

 

 

モントの言葉を聞いた団長が、周囲の面々を呼び寄せる。

そして彼は何らかの詠唱を開始し、数秒ほどして自身の剣を石畳へと突き立てた。

瞬間、彼の周囲に集まっていた皆の得物から火の粉が散り、槍の穂先や刀身が赤い燐光を纏う。

フォルセナの面々、そしてフェアリーを除く全員が驚愕を露わにする中、団長が叫んだ。

 

 

「『フレイムセイバー』を掛けた! 迂闊に刀身に触れるな、火傷では済まんぞ!」

 

 

そんな警告の声を聞きながらモントは、赤く淡い光を放ち始めたノコギリ槍の刀身に、そっと手を這わせてみる。

手袋を通しても感じられる熱、炉から取り出したばかりの様な光。

しかし刀身が溶け落ちる様子もなく、触れた手の肉が焦げる事もない。

 

 

「不思議だな」

 

「火のマナを纏わせたのよ、斬り付ければ効果が解るわ。間違って自分の手を切らないでね、傷口が燃え上がるから」

 

 

フェアリーの説明に、まるで狩人が使うヤスリだな、とモントは独りごちる。

尤も、此方は特別な道具も必要とせず、複数の得物に同時に効果を及ぼすのだから『工房』の人間が聞けば目を剥いて驚く事だろう。

ただ『獣』に相対するのであれば、より最適な調整の施されたヤスリの方が効果は上だろうが。

 

 

「……来るぞ!」

 

 

団長の叫びと同時、群れの先頭に位置していた『獣』が大きく跳躍し、通りに面した建物の壁へと張り付いた。

壁面に爪を立て、そのまま這う様にして高速で近付いてくる。

後続の『獣』共もそれに続き、左右の建物の壁面と屋上を駆け始めた。

 

 

「奴ら、上を押さえるつもりだ!」

 

「屋根の上! 頭上に気を付けて!」

 

 

壁面を削る音と幾重もの低い呻りが、一同の周囲を取り囲む。

これではアンジェラの魔法も、モントの銃も狙いを付けられない。

屋根の上から飛び掛かられても対応は可能だろうが、それでも幾匹か同時に襲われれば回避すら困難となる。

不味い状況になったと、焦燥を覚えつつ弓に矢を番えるフェアリー。

皆も各々の得物を構え、緊張も露わに周囲を警戒している。

だがモントは、ノコギリ槍とエヴェリンを握る腕をだらりと下げたまま、微動だにしない。

それが無防備を意味するものではなく、獣の俊敏さに対抗する為に即応性を高めた構えである事を、フェアリーもこれまでの旅路で理解していた。

この後に『獣』が現れれば、真っ先に動くのが彼である事を、彼女のみならず旅の仲間全てが理解している。

だがらこそ、その瞬間に備えていた皆の緊張は、しかし意外な形で裏切られる事となった。

屋根の上から鳴り響いた、重々しい銃声によって。

 

 

「何だ!?」

 

「モント……じゃないのか。誰だ?」

 

 

皆が反射的にモントを見遣るも、彼の左手に握られたエヴェリンの銃口に煙は無い。

この世界で銃という武器を持つ者は、今のところモントを含む『狩人』しか在り得ないのだ。

その銃が弾丸を発射する際の轟音は、それを聴き慣れていない者の耳にも特徴的に感じられる。

今しがた轟いた破裂音もモントの持つエヴェリンが発するそれに似ていたが為に、彼の戦いを目の当たりにした経験の在る皆が銃声だと気付いたのだ。

そして、周囲を見回す彼等のほぼ中央に黒い影が落下、重々しい音と共に石畳へと叩き付けられた。

 

 

「うお!?」

 

「これは……!」

 

 

流れ出す血で石畳を赤く染めるそれは、紛れもなく『獣』の死体。

頭蓋と脳の殆どを吹き飛ばされ、頭部を襤褸切れ同然にされたそれだった。

その傷口を見て何かに気付いたか、デュランが呟く。

 

 

「こりゃあ……アストリアのアイツが持ってた……!」

 

 

直後に『獣』の叫び。

またもや頭上から、漆黒の影が落下してくる。

その数2体。

手負いではあったが、血を流しながらも危なげなく着地し、血反吐混じりの咆哮を上げた。

咄嗟に皆が得物を向け包囲に掛かるが、直後に眼前で巻き起こる衝撃と轟音。

 

 

「うわ!」

 

「きゃ……!」

 

「……派手な登場だ」

 

 

突然の事に殆どの者が腕で顔を庇い、或いは目を逸らしてしまう。

数瞬の後に我に返り、慌てて視線を戻した先には、既に事切れた『獣』の躯が在った。

胴を半ばから真っ二つにされたものと、頭部を中央から左右に割られたもの。

そして、分かたれたそれらの中央を更に断ち切らんとするかの様に、石畳を砕き食い込んだ無機質な鋼の輝き。

 

薄汚れ、幾重にも巻かれた布を『獣』の血でどす黒く染め上げた、無骨な長剣。

その刀身は半ばまでが1体の『獣』の胴を叩き斬り、切っ先がもう1体の頭部を両断していた。

2体の『獣』を、一太刀で同時に絶命させたのだ。

その長剣の柄を握る人影、色褪せた法衣にも似た装束を纏う人物。

モントは、世間話でもするかの様に語り掛ける。

 

 

「その姿で会うのは2度目だな……『聖剣』の狩人」

 

 

皆が唖然として見つめる中、膝を突いた姿勢から立ち上がる人影。

長剣を右手のみで軽々と振り上げ、刀身を肩に担ぐ。

左手には銃らしき、しかしモントのエヴェリンよりも、更に長大な銃身を持つそれ。

血に塗れた法衣は、祈る為の物ではない。

明らかに戦闘を意識して作られていると解る分厚い生地、黒い腰帯から吊り下げられた小物入れから覗くナイフと銃弾、幾重にも巻かれた革の手甲と一見して頑丈と分かるブーツ。

そして、頭部に被っていた黒いフードが避けられ、その下から現れたのは、くすんだ灰色の髪を持つ若い男の顔。

 

 

「……君か、若き狩人よ。こんな形での再会とは、君も私もつくづく『血』に魅入られているらしいな」

 

 

この世界の、誰も知り得ぬ英雄。

嘗て『ヤーナム』住民の誰もが憧れ、やがて誰もが畏れ、果ては誰もが蔑んだ男。

獣を狩り、獣となり、狩人の悪夢の虜となってなお、その身に宿す確たる信念を貫き通した『医療教会』最初の狩人。

 

 

 

 

「最早、あの『光』は見えないが……我が師の導きは未だ絶えてはいない。手を貸そう、最後の狩人よ」

 

 

 

 

『聖剣のルドウイーク』が、其処に居た。

 

 

 




AC7(空)だとぅ!?(驚愕)
AC6(陸)もまだだというのに!(狼狽)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣の狩人たち

 

 

 

「仕留めたぞ!」

 

「こっちも殺った! あと2匹!」

 

「くそ、このドブ鼠が!」

 

 

夜の闇を照らす月明かりと、燃え盛る炎の明かり。

フォルセナ王都は今や、血風吹き荒ぶ狩り場と化していた。

剣に炎を宿した騎士たちが犇めく獣どもに刃を突き立て、獣どもの牙と爪が騎士たちと住民の肉を引き裂き喰らう。

人間と獣の双方が獲物であり、また狩人でもある異常な戦場で、聖剣を求める一行もまた多くの騎士たちと共に激闘を繰り広げていた。

 

 

「犬が出た! ホークアイ、頼む!」

 

「リース、退がれ! 其処の角、獣いる!」

 

「ホーリーボール、行くわよ! デュラン、其処で巻き込まれても知らないからね!」

 

「くそッ、こいつ毒を……1人やられた! モント、解毒剤を!」

 

 

矢継ぎ早に繰り出される剣が、槍が、ダガーが、獣肉断ちが、際限なくが如く現れる獣どもを次から次へと躯に変えてゆく。

獣の肉体を裂く度に、その傷口から皮下の肉までを焼き焦がす炎を吹き上げる、各々の獲物。

火のマナの加護を得た武器は、獣どもの命を容赦なく狩り取ってゆく。

あの漆黒の獣でさえ、対処法を学び炎の加護を得た騎士たちに掛かれば、今や僅か3名ばかりで20秒と掛からぬ内に始末できるまでになっていた。

其処へアンジェラの魔法による援護が入り、更には負傷したとしてもたちどころにシャルロットが傷を癒してしまう。

現れる獣の種類は増し、その数も際限が無いと思われる程であったが、着実に其々への対処法を編み出してゆく一同の前に斃されていった。

だが、そんな一同の中でも抜きん出た戦果を上げているのは2人の狩人、モントと『ルドウイーク』と呼ばれた男だ。

彼等の戦いは、正に別次元ともいうべきものだった。

 

 

「おい、見たか今の?」

 

「あれが人間の動き……?」

 

 

そんな呟きが、其処彼処から零れ出る。

人間を超越した身体能力を持つケヴィンや、神速と言って差し支えない速さを有するホークアイでさえ、立ち回りの合間に2人の動きを盗み見る程だ。

それ程までに、狩人たちの立ち回りは卓越し、また異常であった。

 

 

「ッ! また消え……!」

 

 

獣の爪がモント、或いはルドウイークを引き裂く寸前、彼等の姿はぶれる様にしてその場から消え失せる。

否、実際には端からすれば消えたかに見える程の速さで、僅かに数歩の距離を跳ねる様に移動しているだけだ。

動作自体は何の事はない、子供でも出来る簡単なそれ。

問題は、その数歩分の距離を移動するだけの動きが、ケヴィンやホークアイの目を以てしても捉え切れない程に速く、それ以外の面々からすればそれこそ消えた様にしか見えないという点だ。

 

獣が爪を振り下ろした瞬間には、彼等は既にその側面に位置し、挙げ句に自らの獲物を振り抜いている。

その骨肉を噛み砕かんと飛び掛かれば、開かれた顎が閉じるより早く、背後に回った狩人の得物が背を切り裂く。

そして虚を突いて別の獣が襲い掛かったところで、今度は彼等の左手に握られた銃が火を噴き、迫り来る獣の頭部を撃ち抜くか、或いは完全に粉砕してしまうのだ。

彼等の右手、其処に握られた獣狩りの武器も凄まじい。

分厚い毛皮を物ともせずに血肉を削り引き裂くノコギリ槍、鋼の暴風そのものと化し獣の肉体を叩き斬る長剣。

狩人たちが歩を進めた跡に残されるは、盛大な破壊の痕跡と獣どもの躯の山。

全身を返り血に赤く染め上げ、それを意に介する素振りさえなく得物を振るい続ける彼らの背に、その場の皆が薄ら寒いものさえ覚えていた。

 

 

「成る程、まさに狩人って訳だ。動きが活き活きしてやがる」

 

「……狩人というのは、獣の側へと無闇に近付いたりしないもの、と思っていたのですが」

 

 

感嘆混じりのホークアイの言葉に、何とも納得し難い様子のリースが応える。

彼等の視線の先では今まさにモントの右手が、獣の臓腑を胴体から抜き取っているところだった。

大量の血飛沫が爆ぜ、赤い液体の花火となって周囲を染め上げる。

 

其処から少し離れた場所では、ルドウイークの長剣が獣の群を薙ぎ払っていた。

通常の長剣よりも二周りは幅広で、しかも刀身の長さも優に1mを越えるそれを、彼は右手のみで以てまさに片手剣そのものの如く、重さを全く感じさせない勢いで振り回しているのだ。

一斉に飛び掛かった小柄な獣、身体の所々に包帯を巻いた毛むくじゃらの直立歩行するそれらが、忽ちの内に細切れの肉片となって周囲へと飛び散る。

更には、襤褸同然のローブを纏った大柄の獣、やはり直立歩行で迫り来るそれらを、正面から2体纏めて串刺しに。

挙げ句の果てに、その状態から零距離で長銃の銃口を藻掻く獣の顔面に押し当てて引き金を引き、後方の獣まで纏めて頭部を散弾で消し飛ばす始末。

もはや狩りというより、殺戮の体を為していると言っても過言ではない。

 

 

「モントしゃんもそうでちが、あの人も大概イカれた戦いっぷりでち。狩人っていうのは、そこまで獣が憎いモンでちかね?」

 

「……さあね」

 

 

シャルロットの疑問に、フェアリーは曖昧に答える事しかできない。

しかし、あながち彼女の指摘も間違いとは言い切れない、と内心では思う。

彼等の戦いはそれほどまでに無慈悲で、凄惨で、凄絶だ。

其々の得物の特性を最大限に引き出し、しかしそれだけでは説明が付かぬ程の惨たらしい死を振り撒く狩人2人。

その戦い振りからは、あまりにも明確な殺意と憎悪とが滲み出ている。

相対した獣は1匹たりとも生かしてはおかぬ、との決意が全身から発せられているかの様だ。

その気迫はモントの放った銃弾が、最後に残った獣の額を撃ち抜いた事により現となって結実する。

 

 

「……終わったか。ったく、何匹殺った?」

 

「10匹超えたとこから数えてねぇよ。くそ、コイツはもう駄目だ。刃がボロボロだ」

 

 

漸く獣の襲来が絶えた事で、溜息を吐くホークアイに、ボロボロになった剣を見て舌打ちするデュラン。

少し離れたところでは、同じ様に自身の槍を見つめるリースが、此方も物憂げに息を吐いていた。

そんな彼女へと、気遣わしげに語り掛けるアンジェラ。

 

 

「リース、その槍……刃零れしちゃったの?」

 

「ええ……やはり、あの獣を相手にするには力不足だった様です」

 

 

そう言って彼女が翳して見せた三又槍の穂先、その中央に位置する刃は半ばから折れ飛んでいた。

残る左右の刃も、先端部が欠けている。

あまりにも硬い獣の毛皮、そして強固な骨格が、この短時間で急速に槍を磨耗させたのだろう。

 

 

「これでは、あまり力になれそうもありません……済みません、こんな時に」

 

「仕方ないわよ。あんな怪物が出てくるなんて、誰も予想できなかったんだから……」

 

「斥候が戻ったぞ!」

 

 

騎士団の者が叫ぶと同時に、憔悴し切った表情の騎士が一同の元に駆け込んでくる。

彼は、仲間から差し出された水筒を受け取ると中身の水を勢い良く呷り、荒い息を吐きながら絞り出す様にして声を紡ぐ。

 

 

「駄目です……この周辺の住民は全滅しています。皆……皆、バラバラに食い散らかされて……住民も、味方も、アルテナ兵まで、無差別に……!」

 

「……そうか」

 

「アイツら……あの、獣ども……! 遊んでいた、遊んでやがった! 引き千切った腕や脚で、遊んでやがったんだ! 餌を取り合う犬みたいに!」

 

「良い。もう良い、ハズ。少し休め」

 

「畜生、ケダモノどもめ……畜生……」

 

 

涙を流しながら呪詛を呟き続ける彼を、仲間の騎士たちが肩を貸しながら無人の民家へと連れて行く。

その後ろ姿を見送りつつ、デュランは剣の柄を潰れんばかりに握り締めていた。

彼の傍らには、やはり刃零れしたダガーを無表情に見つめるホークアイ、蛇腹状にした獣肉断ちから肉片を取り除くケヴィン。

リースとアンジェラは獣に対する今後の不安について意見を交わしていたが、斥候が齎した情報を受け目に見えて顔色を青褪めさせている。

そんな中でフェアリーとシャルロットは、モントとルドウイークの会話に加わり、何とか有用な情報を引きだそうとしていた。

 

 

「……周りは酷い事になってるみたいでち。これも『ヤーナム』ではありふれた光景だったんでちか?」

 

「『獣狩りの夜』では、そうだ。街中に獣と正気を失った暴徒が溢れ、悲鳴と銃声、獣の唸りが止む事はない。街路は血と炎に埋め尽くされ、硝煙と鉄錆の臭いに満たされていた」

 

「そんな所に良く人が住み続けていたものね」

 

「他に行き場所が無いからだ。教会の医療を受けた以上、誰であろうと血に酔わずにはいられない。恐れをなして他の地へ逃れたとて、いずれ獣となる定めは避けられぬ」

 

 

言いつつ、ルドウイークは傍に転がる獣の死体へと視線を落とす。

フェアリーの目に映る彼の瞳には、憎しみよりも哀しみが浮かんでいる様に見えた。

 

 

「なれば血に酔い、血の悦びを受け入れて、獣となるその日までを生きる他ない。何時かの『獣狩りの夜』に、狩る側から狩られる側となる、その日まで」

 

 

あまりにも救いの無い言葉に、しかしフェアリーは疑問を覚える。

何時かは狩られる側になる、とルドウイークは言った。

ならば、彼自身はどうだったのか。

 

 

「貴方も、そうなったの?」

 

 

フェアリーとしては、否定の言葉が返されるものと、半ば以上の確信を持って放った問い掛け。

しかし返答は、彼女の想像を超えるもの。

 

 

「獣となった私を狩ったのは他でもない、彼だ」

 

 

ルドウイークはモントへと視線を移し、そう言って退けた。

想像だにしなかった答えに、呆然と立ち尽くすフェアリーとシャルロット。

そんな2人を余所に、彼女たちとは別の疑問を問い掛けるモント。

 

 

「随分と若く見えるが、その歳で獣になったのか?」

 

「いいや。私もそうだが、どうやら狩人としての最盛期か、自らが最も強く望む肉体を以て此処に召された者が多いらしい。此処に来てからこれまでに会った、他の狩人たちもそうだった」

 

「他の……フォルセナ領内にか」

 

「ああ。私は高原の南に位置する集落に現れたのだが、此処に来るまでに多くの狩人と出会ったよ。彼等は高原の西、其処に築かれた隠れ里を中心に活動している」

 

「おい、初耳だぞ!?」

 

 

会話に割り込む、素っ頓狂な叫び。

デュランだ。

彼だけでなくフォルセナ兵たちの視線もまた、ルドウイークに集中している。

自国領内に未知の集落が在るなど、彼等にとっては寝耳に水も良いところだろう。

 

 

「良いのか、そんなこと喋って」

 

「いずれは知れる事だし、皆も承知している。何より、考えてみたまえ。其処に居る者はいずれも、狩人とその関係者なのだ。君の時代には滅んでいた『工房』の人間も住んでいる。そんな武力集団の存在を国家に伏せたまま活動する事が、果たして賢明な選択だと思うかね」

 

「無いな、それは」

 

「尤も、進んで明らかにするつもりも無かったが。こんな事態になった以上、何時までも消極的に振る舞っている訳にもゆくまい」

 

「アンタ以外の狩人も来ているのか」

 

「それなりの数がな。斯く言う私も、王都の外で信号弾を目にして駆け付けたのだが」

 

「じゃあ何人か、先行した狩人が居るって事……」

 

 

フェアリーの言葉が終わらぬ内、街の何処からか銃声が響く。

それも1回や2回ではなく幾度も、其々が何処か異なる音が。

小さいが確かに聞こえるそれらは、王都の其処彼処で発砲が相次いでいる事を示していた。

勿論、フォルセナ兵は銃など所持していない。

必然的に、銃声が意味するところは限られてくる。

ぽつりと呟くホークアイ。

 

 

「……大勢居るな」

 

「全てがフォルセナに現れた訳ではないが、それでも数多くの狩人がこの国には居る。情報を求めて他国に渡った者も居るが、先ずは足場を固めない事には狩りも儘ならん」

 

「好都合だ。王都内の獣は、彼等が狩り尽くしてくれるだろう。俺たちはどうする?」

 

「英雄王様の安否が気掛かりだ。これだけの騒ぎだってのにあの御方が城に籠もっているなんて、常ならば考えられない。恐らくは王城も奇襲されているだろう」

 

「あの魔法陣は向こうから広がってきたわ。これって王城の在る方角じゃない?」

 

「つまり、この事態の元凶は王城に在る、って事ね」

 

 

その言葉に、各々が装備の確認に移る。

新たな獣が現れない以上、未だ殲滅とまではいかずとも、狩りは順調に推移しているのだろう。

ならば市街での戦闘は他の騎士団や狩人たちに任せ、此方は襲撃を受けているであろう王城に乗り込むまで。

皆がそう考え、特に意見を交わすまでもなく準備に入っていた。

 

 

「こりゃ駄目だ、使い物にならねえ」

 

「俺のもだ。ガイン爺様の武器屋は其処だったな? 事後承認になっちまうが、ちょいと拝借していこう」

 

「槍は在るでしょうか? 私のも刃が折れてしまって」

 

「コイツはまだ保つが、こっちは駄目だ。なあデュラン、此処の店ってダガー置いてあるか?」

 

「クルミを拝借していくでちよ。お代はえーゆー王しゃんにツケておくでち」

 

「アンタ、ホントちゃっかりしてるわね……まあ、私も貰っておくけど」

 

 

そうして準備が整うと、一同は足早に王城を目指す。

途中、制圧を完了した騎士団や、一方的に獣どもを屠る狩人らしき人影を遠目に確認するも、殆どが進行方向から大きく逸れていた為に接触はしなかった。

それでも数人の狩人と遭遇はしたが、いずれも獣を狩る事に集中していて、此方を横目で確認すると興味を失った様に自身の狩りへと戻ってゆく。

始めこそ憤慨する者も居たが、ケヴィンが彼等の振る舞いの意味を告げると、それらの悪感情も薄れていった。

 

 

「アイツら皆、モントとルドウイーク見てる。自分達が着いて行っても足手纏いだって、理解してる」

 

 

そう言われてしまえば、何も言う事は無い。

逆に、それだけこの2人が手練れであると知れ、幾分か気が楽になった者も居る様だ。

そうして僅かに向上した士気も、其処彼処に転がる兵士や住民たちの死体が徐々に数を増してくると、否応なしに削られてしまう。

あまりにも激しい遺体の損壊が、怒りや悲しみよりも先に恐れを呼び起こしているのだ。

斬られ、焼かれ、砕かれ、喰い散らかされた死体の数々。

徐々に増す吐気と怖気に苛まれつつ、それでも足を止める訳にはいかなかった。

救えなかった民や、最後まで戦って果てた仲間の死体を見出す度、悔し気に謝罪と畏敬の声を漏らすデュラン達の為にも。

 

 

「あれか」

 

 

そして漸く、彼等は市街と王城とを隔てる堀、其処に掛かった橋の袂へと辿り着く。

王都そのものが城塞都市である為か、堀は積極的に侵入を阻む為のものではなく、精々が梯子を掛け難くする程度のものだ。

架けられた橋も跳ね上げ式ではなく、堅固な石造りのものとなっている。

有事の際にその先を閉ざす筈の城門は開け放たれ、内部に広がる一面の赤とそれを照らし出す炎の明かり。

既に城は其処彼処から火の手が上がり、常ならば王を護る為に犇めいている筈である兵士達の姿は、何処にも見受けられない。

 

 

「アルテナに襲われたか、それとも……」

 

「両方でしょう……あれを」

 

 

リースが指し示す先、血溜まりの中に転がる魔導師帽と杖。

それらを身に着けている筈の兵士の身体だけが、忽然と消えていた。

 

 

「居るな。警戒を」

 

「先行する、此処で待て」

 

 

告げるや、音も無く駆け出すモント。

後に続こうとする面々を、ルドウイークが手振りで制する。

そしてモントが城門を潜り、その先の開けた空間に突入するや否や、頭上から落下してくる影。

 

 

「危ない!」

 

 

発せられた警告は、しかし不要であった。

落下してきた影、即ち獣の下敷きとなる寸前にモントの身体は横へ数歩分の距離を一瞬にして移動し、その落着地点の1歩外へと位置していたのだ。

そのままノコギリ槍を振り抜き、目にも留まらぬ速さで獣の血肉を引き裂き削いでゆく。

骨肉が削がれる異様な音と血飛沫が石畳に撥ねる音、そして獣の断末魔は数秒と掛からずに止み、後には不気味な静寂と解体された獣の骸、新たに浴びた返り血に全身を濡らしたモントだけが残された。

僅か数秒の間に行われた処刑の後、幾度目にしても慣れないと言わんばかりの表情で皆が城内に歩を進める。

 

 

「本当に……毎度の如く血塗れだな。幾ら何でも浴び過ぎだろ」

 

「え、普通じゃないのか?」

 

「武器が武器だから仕方ないのかもしれないけれど、それにしたって浴び過ぎよ。血に酔うってそういう事なの?」

 

 

戦う度に過剰なまでの返り血を浴びるモントにホークアイが難色を示せば、ケヴィンが戦いとはそういうものではないかと首を傾げ、フェアリーが疑問を投げ掛ける。

ノコギリ槍に付着した血と肉片を払っていたモントは、そんな彼等を一瞥すると特に気分を害した様子もなく答える。

 

 

「どんな狩人だろうと、狩りの中で無傷の儘とはいかない。『血清』で傷を癒す事も出来るが、もっと手っ取り早い方法が在る」

 

「それは?」

 

「返り血を浴びる事だ」

 

 

傷付いた身体に返り血を浴び、それを取り込む事によって自らの傷を癒す。

狩人にとっては既に常識となっているが、この世界の面々からすれば異常極まりない事だ。

自らの傷を癒す為に他者の血を浴びるなど、正気の沙汰ではない。

そもそも血を浴びる事によって傷が癒えるなど、この世界のみならず元の世界に於けるごく普通の人々にしても、彼等の常識からすれば理解できない現象なのだ。

知らず皆が顔を顰め、僅かにモントとルドウイークから距離を置く。

 

 

「吸血鬼か、お前らは……」

 

「返り血って時点でもっと凶悪でち。口から吸うだけ、まだきゅーけつきの方がお上品でちよ」

 

「自覚してるよ。心の底から同感だ」

 

 

適当に答えつつ、周囲を見回すモント。

他に獣の姿は、無い。

気配を殺して待ち伏せしている様子も、無い。

 

 

「これだけか? 馬鹿な、もっと居ても良い筈だ」

 

「市街地に出たのだろう、より多くの獲物を求めて」

 

「内部の人間を皆殺しにしたってのか? 馬鹿な!」

 

 

納得できない様に視線を回らせるモント、獣の行方を推測するルドウイーク。

デュラン達は必死に周囲を捜索するが、やはり獣は疎か死体さえも見付からない。

フォルセナかアルテナかを問わず其処に兵士たちが居たという僅かな痕跡と、激しい戦いの形跡のみを残し、其処に在る全てが血溜まりの中に沈んでいた。

 

 

「どういうこった! 皆喰われたってのか、本当に!? 死体の欠片すら無いぞ!」

 

「獣は其処まで上品ではない。散らかし、喰い残しは当たり前だ」

 

「では、獣以外の何かが在ると……?」

 

 

歩を進め広大な城内広場へと出るも、やはり鎧や魔導師服の一部以外、そして大量の血溜まり以外には何も残されておらず、事態の手掛かりとなり得る遺留品は無かった。

ただ、王座の間へと続く中央の格子だけが不自然に閉ざされている事が、皆の警戒心を否応なしに引き上げる。

 

 

「……やっぱり、アルテナ兵も消えちまったみたいだな。だが今となっちゃ、どのみち生きちゃいないだろう」

 

「ええ、この血の量では……」

 

「敵も味方も、此処で大量に死んだ事は間違いない。だってのに死体だけが忽然と消えちまってる。何故だ?」

 

「……多分、あそこ」

 

 

ケヴィンが指し示すは、閉ざされた玉座の間へと続く格子。

良からぬ何かを感じ取っているのか、その表情は険しい。

だが、騎士の1人が疑問を挿む。

 

 

「何故だ? 引き摺った跡が在る訳でもないのに」

 

「引き摺っていない。どの血溜まりの場所も、其処で人間の匂い、途絶えてる。まるで死体が溶けたか、血の中に沈んだみたいに」

 

「は……?」

 

「でも、あの格子の向こう、此処と比較にならない。鼻がおかしくなりそうなくらい濃い、血の臭いする。今も段々、強くなってる」

 

 

そう言い放つケヴィンの右手は、獣肉断ちの柄を潰さんばかりに握り締めている。

月明かりを受け金色に輝く瞳は、其処から視線を離す事を拒むかの様に、閉ざされた扉へと固定されていた。

尋常ならざる様子に周囲の面々が息を呑む中、ふとルドウイークが呟いた。

 

 

「しかし、明るい。夜とは思えん程だが……ふむ、これだけ見事な満月ではな」

 

「ちょっと、そんな事どうでも……満月?」

 

 

唐突に関係の無い事を喋り出したルドウイークを窘めるも、すぐに其処に含まれた違和感に気付くアンジェラ。

彼女以外の数人も、同じく異常に気付いた様だ。

突然、弾かれる様に天を見上げた彼等に、ぎょっとしつつもデュランが問う。

 

 

「おい、アンジェラ?」

 

「ちょっと、嘘でしょ……?」

 

「何だ、こりゃあ……」

 

「おい!」

 

「デュラン、上見る」

 

 

酷く簡素なケヴィンの言葉に、疑問を覚えつつも頭上へと視線を移すデュラン。

しかし、何ら変わったものは無い。

獣が飛び掛かって来る訳でも、憎き紅蓮の魔導師が其処に居る訳でもない。

何の変哲もない、青白く輝く巨大な満月が在るだけ。

 

 

「……え?」

 

 

そう。

『満月』だ。

青白い月明かりで以って、周囲の全てを同じ色に染め上げる『満月』だけ。

 

 

「……どういう……なあ、どういう事だ?」

 

 

デュランは、自らの視覚と記憶を疑う。

彼の記憶が確かならば、こんな事は在り得ない。

在り得る筈がないのだ。

 

 

「何で……何で『満月』なんか出てんだよ!?」

 

 

昨夜見た月は『半月』。

これより『新月』に向かう筈の月が、一日にして『満月』となるなんて。

 

 

「な、なあ……あの月……何か、おかしくないか?」

 

「見りゃ分かる、何で半月が満月になって……」

 

「そうじゃねえって……!」

 

 

そして何より在り得ない、その『満月』の異常。

他国ならばともかく、フォルセナの人間ならば誰もが気付くであろうそれ。

 

 

「あの月……あんな模様、見た事ねえぞ!?」

 

 

月の模様が、違う。

物心付いた頃から見慣れた月の模様が、全く別のそれへと変貌しているのだ。

フォルセナ出身者を除く面々も、遅れて事態の更なる異常性に気付いた。

動揺が広がる中で響く、静かながらも忌々しげな声。

 

 

「こんな所でまで、あの月を見る事になるとは」

 

「事態は考えていた以上に深刻の様だな」

 

 

モント、そしてルドウイークだ。

2人は見上げるというよりは、睨み据えると表現するのが相応しい様相で、青白い月に相対していた。

リースが2人へと問う。

 

 

「何か知っているんですか?」

 

「……あれは、この世界の月じゃない。『ヤーナム』の月だ」

 

「は……?」

 

「彼の言葉通りだよ。あれこそが幾度となく繰り返された『獣狩りの夜』に『ヤーナム』の全てを照らし出していた月だ」

 

 

その言葉に、改めて皆が『ヤーナム』の月を見上げる。

青白く、そして明らかに常軌を逸した大きさとして視界に映るそれは、燃える王都の赤を冷たい青に染め上げていた。

何故、異世界である『ヤーナム』の月が、この世界に。

 

 

「……これも『夢』なのか、ルドウイーク? 既にこの王都も『夢』に取り込まれているのか」

 

「『夢』ですって? ちょっと、なに言って……」

 

「否、まだ完全ではない。『夢』を形作るには上位者の助力を請うか、或いは『メンシス』が行った様に、膨大な量の生け贄が必要だ。この王都でもかなりの数の人間が犠牲になっているだろうが、それでも『メンシス』同様の『悪夢』を形成するには至るまい」

 

「だが『ヤーナム』の月は具現化している。このままでは王都ごと『悪夢』に上書きされ取り込まれるぞ」

 

 

2人の会話の内容を、しかし周囲は殆ど理解できない。

ただ『悪夢』や『取り込まれる』との物騒な言葉から、何か良からぬ事態が進行しているとだけは確信できた。

 

 

「……なあ、とにかく進もうぜ。此処に居ても仕方ねえし、早く元凶を見付けて叩こう」

 

「そうね。これがさっきの魔法陣によるものだとしたら、何処かに効果を持続させる為の術式が残されている筈よ。それを破壊すれば、月も元に戻るかも」

 

「魔法については良く分からないが、それに賭けるしかないな」

 

 

言いつつ、格子の前へと辿り着く一同。

完全に下ろされた頑丈な格子は、生半可な攻撃では傷さえ付けられないだろう。

拳を打ち付け、騎士団長が吠える。

 

 

「くそ! 此処は駄目だ、他に回ろう。一旦城門まで戻って……」

 

「団長!」

 

 

叫ぶと同時に、騎士団長に飛び掛かる1人の騎士。

彼が団長の身体を突き飛ばすと同時、木と鉄で出来た格子が内側から大きくしなり、轟音と共に弾け飛んだ。

 

 

「ぐあ!?」

 

「きゃ……!」

 

 

あまりにも突然の事に、対処できた者は極僅か。

殆どの者が飛び散る格子の破片を受け負傷し、特に団長を庇った騎士は一際大きな破片の直撃を受け、赤い飛沫を撒き散らしながら吹き飛ばされる。

そして、全く反応できなかったアンジェラ、シャルロット、フェアリーを庇った他の旅の面々も、多かれ少なかれその身に破片を受けていた。

 

 

「ぐ……くそっ、今度は何だ!」

 

「アンジェラ、大丈夫ですか!? シャルロット、フェアリーも……!」

 

「動いちゃ駄目でち! 皆しゃん、なるべく集まって! すぐに治し……ぎッ!?」

 

「なッ!?」

 

 

その瞬間、皆が目を瞠った。

吹き飛んだ格子の在った場所を背に、皆に集まるよう呼び掛けていたシャルロット、その小柄な身体の背面から鮮血が噴き出したのだ。

小さく悲鳴を上げた後、何が起こったか解らないとでも言いたげな表情で、よろめきながらも呆然と立ち尽くすシャルロット。

程なくして彼女の身体は力なく頽れ、自らより流れ出た血溜まりの中へと倒れ込んだ。

事此処に至り、周囲も漸く何が起きたかを理解する。

 

 

「シャルロット!?」

 

「退け、退くんだ! 広場中央まで戻れ!」

 

「今のは!? 何か居たぞ!」

 

 

シャルロットの身体を抱え上げたケヴィン、その表情が月明かりの中でも解る程に青褪める。

彼と共にシャルロットの周囲へと駆け寄った、他の面々も同様だ。

抱え上げられたシャルロットの身体から、まるで穴の開いた桶から零れる水が如く流れ出る鮮血。

湯気さえ上がる程に熱いそれが、止め処なく溢れ続けている。

小さな彼女の背中、其処に肩口から腰まで刻み込まれた、長大な切創。

その様を目にするや否や、弾かれた様に動き出す影が2つ。

 

 

「リース、使え!」

 

「解ってます!」

 

 

ホークアイ、そしてリースだ。

騎士の1人が携帯していた荷物から『天使の聖杯』を掠め盗るや、リースへと投げ渡すホークアイ。

受け取ったリースはすぐさまそれに仕込まれた術式を発動させ、マナの祝福を受けた水で聖杯を満たす。

そしてそのまま、杯の中身をシャルロットの背中へと浴びせ掛けた。

 

 

「これで……!」

 

「後ろだ、リース!」

 

「え……」

 

 

デュランからの警告。

リースに許された行動は、振り返る事だけ。

 

 

「あ……」

 

 

アマゾネスとして鍛えられた彼女の反射神経を以てしても、それが限界だった。

振り向いた彼女の視界、自身の首を落さんと迫り来る白銀の刃。

既に彼女の目前にまで迫っていた、無慈悲な死を告げる硬質な光。

 

 

「がぁッ!」

 

「ホークアイ!?」

 

 

しかしそれは、神速にて割り込んできた影、それが持つ2振りのダガーによって阻まれる。

ホークアイだ。

 

 

「ぐ……この、下衆がッ!」

 

 

ダガーでまともに受けるのではなく、刀身の湾曲を利用して滑らせ軌道を変える事で、ホークアイは自身と背後のリースを凶刃から護った。

更に凶刃の担い手へと反撃の蹴りを打ち込み、強制的に彼我の距離を取る。

そうして初めて、一同は襲撃者の全貌を捉えるに至った。

 

 

「何だ……コイツ?」

 

「アルテナ兵……いや、しかし剣を持って……」

 

「あの剣はナバールの……違う、長すぎる。何だアレは?」

 

 

その外見は、あまりに異様なものだった。

先ず目に付く特徴的な点は、広鍔かつ上方に延びる尖った帽子。

アルテナ兵が被る魔導師帽に良く似たそれは、しかしアルテナのものとは異なりあまりにも禍々しい。

黒く煤けた様な色と、長い年月に磨耗した硬質の生地。

服も同様で、元は壮麗な装飾が施されていたであろう襤褸切れをスカーフの様に纏い、下肢もまたスカートの様に装飾の名残が在る襤褸が巻かれている。

だが、それらの下から覗く胴と下肢には、異様な外観の甲冑が装着されていた。

鉄にも、燃え尽きた炭の様にも、灰に成り掛けの骨にも見えるそれは、少なくともこの世界の人間が知る如何なる甲冑とも異なる代物。

寧ろ、人工物であるかも怪しい物だった。

 

 

「どういう意匠だよ……!」

 

 

それは敢えて形容するならば、人体から血管だけをそのまま抽出したが如き容貌。

不規則に絡み合う歪な直線の集合体、細い灰の塊の線が縒り集まり鎧の形を成したもの。

唯一甲冑らしい意匠が見て取れる手甲、右腕のそれには反りの在る長大な細身の片手剣が握られていた。

古びた峰の外観に反し、月光を反射して輝く透き通った氷を思わせる鋼の刃は、その切れ味が尋常でない事を容易に窺わせる。

そして、徐に上向いた帽子の鍔の下、其処から現れた顔面は、周囲の面々を凍り付かせるには充分に過ぎる凶相だった。

 

 

「っ……!?」

 

「コイツ……!」

 

 

髑髏。

それを表現するならば、その単語以外に無かった。

襲撃者の顔面は、これまた灰を思わせる色合いの仮面に覆われている。

否、仮面というよりも兜なのだろう。

人間の頭蓋骨、髑髏そのものの外観を持つそれは、しかし人間では有り得ない特徴をも有していた。

2つではなく8つもの眼窩、丸い形ではなく横長の、左右4対のそれら。

それだけでも凄まじい威圧感であるというのに、それらの眼窩部には赤い光が点り、更には確かに火の粉が舞い出ているのだ。

 

明らかに常人ではない。

そもそも、人であるとも思えない。

そして、戦慄する一同の眼前で、襲撃者の全身が赤い光を纏う。

 

 

「ッ、退け!」

 

 

灰の甲冑、その全身から舞い上がる火の粉。

帽子の鍔や襤褸に残る僅かな装飾、そして甲冑の其処彼処が赤熱した鉄の如き光を帯びる。

襲撃者より放たれる、離れてもなお感じ取れる程の熱量に、皆が呻いた。

 

 

「嘘でしょ、マナを感じない! コレが魔法じゃないっていうの!?」

 

「クソ……何て熱だ! 迂闊に近付くな、えらい事になる!」

 

「よくもシャルを……!」

 

 

マナを感じられない事に動揺する者、大気を通して伝わる異常な熱に戦慄する者、仲間を傷付けられ静かに激昂する者。

それら全てを無視するかの様に、髑髏の襲撃者は右手の長刀、その刀身に左の掌を当て滑らせる。

瞬間、業火を放ち燃え上がる長刀。

周囲が、更に慄く。

 

 

「『フレイムセイバー』か!?」

 

「違う! これも魔法じゃ……」

 

「危ない!」

 

 

途惑う様に叫ぶフェアリーへと飛ぶ、警告の声。

だが、襲撃者の動きはその声よりも迅かった。

銃弾の如く飛び出した炎を纏う影は、次の一瞬にはフェアリーを長刀の射程内へと収め、業火を纏うそれを振り抜かんとしている。

反応さえ出来ない彼女を救ったのは、銃声と共に横合いから飛来した銃弾。

咄嗟に飛び退き銃弾を躱す襲撃者、惰性で振り抜かれた切っ先に胸元の薄皮一枚を切り裂かれるフェアリー。

直後に傷より込み上げる、体表を切り裂かれる鋭い痛みと、傷口どころか皮下の肉までを焼かれる猛烈な苦痛。

 

 

「ぎっ……!?」

 

「フェアリー!」

 

 

思わず零れる、声にならない悲鳴。

敵の接近に気付くと同時に薄皮一枚を切り裂かれ、傷口を焼かれた上で再び距離を置かれていた。

モントからの援護が在ったと気付いたのは、更にその数秒後だ。

あまりに速い攻防に、彼女の認識が全く追い付かない。

取り敢えず襲撃者の矛先から外れはしたものの、次いで始まった彼女を除く面々との攻防は、完全にフェアリーの理解を超えたものだった。

 

 

「ッ! コイツ、速い……がァ!?」

 

「デックス!? 嘘だろ、デックスが!」

 

「左です!」

 

 

1mを優に超える長さの片刃剣を、いとも容易く軽々と振り回す襲撃者。

その長さからは想像も付かない速さで振り回される刀身は、予測を違えた騎士たちの身体を次々に斬り裂いてゆく。

それも狩人を警戒しての事なのか、他の面々の身体を盾として利用できる絶妙な位置取りでだ。

味方の多さが災いし、モントとルドウイークは狩人の持ち味である周囲を巻き込みかねない程の激しい攻撃、それを繰り出す事が出来ずにいた。

その間隙を突く事で、襲撃者は更に犠牲者を増やしてゆく。

 

 

「野郎……なっ……ぎあぁァッッ!?」

 

「ジェス!? ジェスが炎に……!」

 

「そんな、防いだのに!」

 

 

炎を纏った片手剣、それを自らの剣で受け止めた騎士が、其処から噴き上がった業火に呑まれ生きたままその身を焼かれゆく。

火達磨になった味方に気を取られる彼等を余所に、襲撃者は更に別の騎士へと斬り掛かると、彼がその手に持つ剣ごと胴を一閃。

金属音と共に剣が半ばから切断され、遅れて胴が上下に泣き別れになり切断面から血が噴き出す。

更には、分かたれた胴の上下が炎を噴き上げ、見る間に黒焦げとなってゆく始末。

一同は、忽ちの内に混乱の坩堝へと叩き込まれる。

 

 

「何て野郎だ! これじゃ剣で受ける事も……危ねッ!?」

 

「デュラン、どけ!」

 

 

ケヴィンが獣肉断ちを、大上段から振り下ろす。

味方を巻き込みかねない以上、横方向に薙ぎ払う事はできない。

消極的な判断の末の振り下ろしは、しかし石畳を叩き割るだけに終わった。

あまりに大きな予備動作を見逃す程、襲撃者は甘くなかったのだ。

余裕を持って獣肉断ちの刃を躱し、更にはケヴィンへと斬り掛かる。

咄嗟に蛇腹の刀身を撓ませる事でそれを防いだケヴィンだが、逸らし切れなかった切っ先が掠めただけの左腕から、鮮血と炎が噴き上がった。

 

 

「ぐあああぁぁッッ!?」

 

「ケヴィン!?」

 

「畜生!」

 

 

想像を絶する苦痛に、堪らず絶叫するケヴィン。

だが、獣肉断ちを余程に警戒していたのか、襲撃者に僅かな隙が生じる。

それを見逃す程、鷹の目は甘くはなかった。

 

 

「ッ……!」

 

「う、おぉ!? やった! ホークアイが殺ったぞ!」

 

 

襲撃者が獣肉断ちの刃を掻い潜り、ケヴィンに一太刀を浴びせた後。

後方に飛び退こうとする動き、それを更に上回る疾さで以って、ホークアイが襲撃者の懐に飛び込む。

そして目にも留まらぬ鋭さで、刃毀れしたダガーの切っ先を襲撃者の心臓へと突き入れたのだ。

更にはそれだけに止まらず、最も近くに居たリースからの追撃が襲撃者を捉えた。

 

 

「はぁッ!」

 

「良しッ、入った!」

 

 

背後から放たれた鋭い突きは、狙い違わず襲撃者の背面を穿つ。

だが、その致命的な攻撃を成功させた2人の表情は、晴れるどころか苦渋に歪んでいた。

 

 

「クソッ、駄目だ! 心臓まで届いてねえ!」

 

「槍が……!」

 

 

あろう事か攻撃を繰り出した彼等の獲物は、常軌を逸した硬度の甲冑に阻まれ、逆に刃を欠損させられていた。

ホークアイのダガーは半ばから折れ、リースの槍もまた穂先が大きく欠けている。

そして攻撃を受けた側はといえば、その心臓の位置に当たる部位に折れたダガーの刃を突き立てられたまま、空いた左手で胸を押さえているとはいえ依然として自らの足で以って佇んでいた。

刃の突き立った部位より零れ落ちる血が、襲撃者の足元で膨大な熱量により音を立てて蒸発してゆく。

だがホークアイの言う通り、致命傷を負わせるには至っていない様だ。

毒が効いている様子も見受けられない。

 

 

「あの鎧、尋常じゃなく硬いぞ! 並の刃じゃ通らない!」

 

「全力だったのに……!」

 

 

信じられない、といわんばかりに零れる声。

応えたのはルドウイーク、そしてモントだった。

 

 

「あれは『上位者』の力を宿した遺物、古き『トゥメル』の民が遺した『骨炭の鎧』だ。生半可な武器では傷さえ付けられん」

 

「だが、状況は整った。後は任せろ」

 

 

完全には理解できない、しかし力の籠もった言葉。

攻撃を受け、その場に佇む襲撃者の隙は、周囲の面々に狩人の為に場を空ける猶予を齎していた。

大人数の中、空けられた狩場に進み出るモントとルドウイーク。

最早、周囲に気を配る必要もない。

2人が力の籠もった1歩を踏み出し、いざ襲撃者の命を狩り取らんとした、その時だ。

襲撃者の左手に、赤い炎が宿った。

 

 

「ッ……ルドウイーク!」

 

「間に合わん、離れろ!」

 

 

襲撃者、即ち狩人達からは『旧主の番人』と呼称されるそれは、渦巻く炎を左腕に宿し、そのまま足元の石畳へと叩き付ける。

瞬間、番人の周囲に噴き上がる業火の壁。

反射的に後方へ飛び退く狩人たち。

壁が掻き消えた時、番人は既にその場を離れ、吹き飛んだ格子の在った場所に佇んでいた。

仲間を殺され熱り立つ騎士たちが、一斉に番人の後を追わんとする。

 

 

「野郎、逃げるぞ!」

 

「追え、玉座まで行かせるな!」

 

「待って! 何か様子が変よ!」

 

 

アンジェラの制止に、復讐心に燃える騎士たちの足が止まる。

だがそれは、彼女の制止の言葉が届いたからではなかった。

玉座の間へと続く通路、闇に包まれたその奥に揺らめく、赤い光が目に入った為だ。

揺れるその光が徐々に大きさを増すにつれ、一同の表情もまた強張りの度合いを増してゆく。

広場にまで響く、重々しい足音と、燃え盛る業火の音。

 

 

「いや……もう十分、化け物には慣れた……つもり、だったけどさ」

 

「……おい、今度は何だよ」

 

「知らないわよ……専門家に訊いたら?」

 

「……モント。アレが何か、知りませんか?」

 

「……知ってるよ。良く知ってる」

 

「……また、常識外れの怪物なのね」

 

 

此方を警戒しつつ佇む『旧主の番人』の傍ら、あまりの巨大さに通路の天井を破壊しつつ、その禍々しい全貌を現す『獣』にも似たそれ。

正しく『歩く大岩の獣』と形容するのが相応しいそれは、あまりに異様な容貌かつ、常軌を逸する巨体であった。

 

 

「デカい……!」

 

 

それは狼か、はたまた犬か。

高さは5m、鼻先から尾までは20m程も在ろう巨体は、凡そ生物の肉体とは思えぬ巌そのもの。

頭部は鼻先が尖り、上部には目と思しき鋭角の穴が無数に穿たれている。

頭部下側に位置する口には、ずらりと並んだノコギリの如き歯。

何より、全身の其処彼処から噴き上がる、空気が揺らいで見える程の業火。

外観から窺い知れる何もかもが、この存在の異常性を明確に物語っている。

そんな怪物が通路を破壊し、歩を進める度に地響きを立てながら広場へと姿を現したのだ。

そして、怪物は番人の傍らにて足を止め、大気を揺るがす低い唸りを発しつつ、此方を威嚇し始める。

唖然とする一同の中、呟く狩人たち。

 

 

「『番人』に『番犬』か。いよいよ以て『聖杯』じみてきたな」

 

「当然、無関係ではないだろう。『番人』の時点で知れた事だ」

 

 

言葉を交わしつつ、モントは自身の持ち物からヤスリを取り出し、ノコギリ槍の表面を擦ろうとする。

しかし直前で思い直すと、少し離れた場所に位置する騎士団長へと声を掛けた。

 

 

「なあ、アンタ」

 

「……何だ?」

 

「水のマナとやらも在るんだろう。それを武器に宿す事は出来ないのか」

 

 

それは、ふと生じた疑問だった。

確かに、雷光を纏った武器も有効だろう。

だが、マナには基本、対となる属性が存在するという。

火に対する反属性は水だ。

ならば先ほど火のマナを武器に宿した様に、水のマナもまた付与する事が可能なのではないか。

その疑問に対する答えは、行動で以て返された。

 

 

「……フッ!」

 

 

鋭い吐息と共に、石畳へと突き立てられる剣。

途端、ノコギリ槍から持ち手にも感じられる程の冷気と、青白く透き通った光の粒子が溢れ出す。

モントだけではない。

ルドウイークも、他の面々も、突然の事に驚いた様に自身の得物を見つめている。

流石にフォルセナ勢は慣れているのか、すぐさま敵への警戒に意識を戻した様だが。

 

 

「『アイスセイバー』だ。火のマナを纏う相手には効果覿面だが、異界の輩に通じるかは解らんぞ」

 

「その時はその時だ……そろそろ来るぞ」

 

 

警戒を促すモントの言葉を待っていたかの様に、心臓の位置に突き立ったままの刃を引き抜いた番人が、広場の面々へと向き直る。

同時に『旧主の番犬』と呼ばれる怪物もまた、目らしき無数の穴と口腔から炎を噴き出し、大地の全てを揺るがさんばかりの咆哮を上げた。

番犬の全身を覆っていた炎が更に勢いを増し、爆発じみた熱風の壁となって一同を襲う。

思わずといった体で複数の呻きが零れる中、番犬の隣に立つ番人は堪えた素振りも見せずに炎纏う長刀を構えた。

 

 

「連携されると不味い。番人は俺が片付ける。ルドウイーク、番犬はアンタ向きだろう。頼めるか」

 

「了解した」

 

「皆にも番犬の相手をして貰う事になる、気を付けてな」

 

「は? 相手って……ちょっと、どうしろっていうのよ!」

 

 

突然の言葉に、思わずヒステリックな声を上げてしまうアンジェラ。

だが周囲の面々も、内心は同じ様なものだった。

全身から業火を噴き上げる、獣を模った歩く巌の化け物。

そんなもの相手にどう立ち回れば良いのか、誰もが見当も付かない。

そんな言葉を交わす間にも、番犬は此方との距離を詰め始めている。

混乱する味方を見兼ねたのか、助け舟を出したのはルドウイークだった。

 

 

「奴の最大の武器はあの巨体と炎、そして不意に放たれる突進だ。挙動を良く見ろ。奴の炎が勢いを増し、四肢に力が籠められたら突進の前触れだ。決して正面には立たぬよう立ち回れ」

 

 

言いつつ長銃の銃身を縮め、背部へと担ぐルドウイーク。

そして、これまでは右手のみで保持していた長剣の柄を、両手で以って握り締める。

変化した構えに、デュランが眼を細めた。

 

 

「手早く片付けて加勢する。死ぬなよ」

 

 

それだけを言い残すや、弾かれた様に駆け出すモント。

正面から番犬へと向かう彼の姿は、自ら死地に向かう蛮勇の表れとしか見えなかった。

 

 

「おい、馬鹿野郎! なに考えて……!」

 

「なっ、駄目……!?」

 

 

不意を突かれた皆が叫ぶも、その声は瞬く間に止む事となる。

真正面から迫り来るモントに対し、炎を纏った前脚を横薙ぎに振るう事で迎撃せんとする番犬。

纏う業火のあまりの激しさに、前脚が振るわれた軌道から炎の壁が出現し、前方数mの空間を舐め尽す。

だがモントは、それよりも一瞬早くその懐に飛び込むや否や頭部にノコギリ槍の一撃を加え、更に瞬間的な加速を以って前脚の間を潜り、その背後へと抜けたらしい。

番犬の背後から響き始めた銃声と爆発音が、彼が番人との交戦を開始した事を伝えてくる。

攻撃を受けた番犬は、傷から血の代わりに溶岩らしき高熱の液体を零しつつ、ゆっくりと頭を回らせて一同へと向き直った。

 

 

「……嗚呼、畜生! やるよ、やってやるよクソッたれ! こっちが焼け死ぬ前に殺しゃ良いんだろ!?」

 

「この槍が何処まで通用するか解りませんが……」

 

「ケヴィン、頼むわ。俺のダガーでアレに斬り掛かるのは正直、自殺行為にしか思えん」

 

「……突っ込んできた時は、流石に自分の責任で避ける。それで良いか?」

 

 

各々が軽口を叩くも、その表情は抑え切れない恐怖と緊張に強張っていた。

しかし同時に、此処で逃げ出す訳にはいかない、逃げたところで生ある時間が僅かばかり延びるに過ぎないと、誰もが理解している。

だからこそ、強大な未知の敵を前にして、恐怖に襲われながらも戦意を燃え立たせているのだ。

一方で、気絶したシャルロットを護るべく傍に着いていたアンジェラとフェアリーは、自身達の動きを決め兼ねていた。

 

 

「シャルロットを安全な場所に……アンジェラ、私は大丈夫だから彼女を連れ出してあげて。アレが暴れ出したら、シャルロットの安全を確保できない」

 

「駄目よ! 貴女、まだ戦闘に慣れてないじゃない! 今、此処でシャルロットの次に危険な立場なのは、他ならぬ貴女なのよ!?」

 

「でも……!」

 

「2人で行きたまえ。外にもまだ獣が残っているだろう、有力な護衛は必要だ。序にこれを撃ち上げて貰いたい」

 

 

横から意見を割り込ませ、懐から取り出した奇妙な形の小振りな銃と、拳ほどの大きさの弾薬を1発だけフェアリーへと手渡すルドウイーク。

いきなり渡されたそれに、目を白黒させながら彼を見遣る彼女へと、静かに語り掛ける。

 

 

「本来の用途から、少々改造を加えた物でね。それを使えるのは狩人だけだ」

 

「え……」

 

「必要ないかもしれんが、念には念を入れた方が良いだろう。弾を込めたら、城の外で上空に向けて撃つんだ。引金を引くだけで良い」

 

 

それだけを言うと、ルドウイークは番犬へと向き直り歩み出す。

無言のまま彼の背を見送った後、弾薬を懐に仕舞ってシャルロットを背負い、手渡された銃を握り締めるフェアリー。

そして、この場では自身の存在が足手纏いになると判断したアンジェラを護衛に、それ以上は何も言わず城外へと向かう為に走り出したのである。

 

一方で、再び歩を進め始めた番犬の巨体は、低く重い唸りを発しながら徐々に彼我の距離を詰めていた。

立ち向かわんとする意思とは裏腹に、皆の足が1歩を退く。

それは、抵抗の意思が崩壊する、奈落への1歩に他ならない。

そんな中で皆とは逆に、一同の視界にその身を映さんとするかの様に、一切臆する事なく番犬へと歩を進める影が在った。

 

 

「恐れよ、しかし怯えるな」

 

 

力強く響く、その声。

若きルドウイークの声は、しかし幾年もの月日を経た老練なる者、それらにしか在り得ぬ風格を漂わせていた。

誰もが呆然と見つめる中、彼は一切の躊躇を窺わせる事なく炎の怪物へと向け歩を進める。

 

 

「退くな、只管に脅かせ」

 

 

その言葉、力ある詩。

聴く者の精神を昂らせ、恐怖を打ち砕き、戦いへの高揚を呼び覚ます、眩くも血に塗れた呪詛。

嘗ての『英雄』が、再び狩場へと舞い戻る。

 

 

「夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず。名誉ある騎士たち、若人たちよ……」

 

 

肩に担がれた長剣、その刀身。

獣の血に塗れた鋼のそれが、突如として翠玉色の輝きを発し始める。

突然の事に皆が目を瞠る中、徐々に収束の速度と密度を増し行く、翠玉の光を放つ粒子。

 

 

「獣は呪い、呪いは軛。そして君たちは……」

 

 

其処で、ルドウイークは脚を止め、言葉を区切る。

数瞬ばかりの逡巡は、何を思うが故か。

しかし、次いで紡がれた言葉は、迷いを振り切り力に満ち溢れたもの。

 

 

「……君たちは今宵、フォルセナを、この世界を護る『聖剣の狩人』とならん……『狩人』たちよ!」

 

 

そして、叫びと共に頭上へと掲げられる『大剣』。

光の粒子が収束を終えた其処に先程までの長剣は無く、暗く透き通った翠玉の光が形を成す『大剣』が現出していた。

その何処までも暗く深い、しかしどんな宝玉よりも透き通った神秘の美しさを備える刀身、其処に宿る『宇宙』の闇と星々の煌めきに、誰もが現状を忘れる程に魅入られている。

終わらせたのは、ルドウイークの声。

恐怖も、疑問も、何もかも。

『狩り』に無用な如何なるものをも断ち切る、正しく『聖剣』の輝きの如き声。

 

 

「『光』を見よ! 我が師の光『導きの月光』を見出した様に!『光』を見よ! 君たちを導くマナの、女神の、そして剣の『光』を! この暗い夜に君達を照らす、君たちだけの『光』を! 狩人たちよ!」

 

 

湧き立つ戦意、昂る闘志。

最早、番犬への未知なる恐れも、地獄の業火への本能的な恐れさえも薄れ果てた。

戦士たち、否、新たなる狩人たちの胸を満たすものは、自身の『剣』への誇りと、これより始まる壮大な『狩り』に対する高揚のみ。

そして遂に、引金は引かれる。

指ではなく、力ある言葉。

淀み狂った信仰ではなく、自らの信念と見出した導きにのみ拠って成る、真の『英雄』の言葉によって。

 

 

「誇れ! 己が技を! 己が使命を! 諸君に『剣』の加護が在らんことを!」

 

 

天を突かんばかりに高まった狩人たちの戦意が、番犬の咆哮さえも掻き消さんばかりの鬨の声となって爆発する。

火の粉と業火を噴き上げ、雑多な獲物を己が炎で一舐めにせんと、番犬が僅かな予備動作のみで突進。

脅威の度合いが最も高いと判断したのか、その進路はルドウイーク1人へと固定されている。

あまりに常識外れの速度、巨体が通り過ぎた後に周囲を襲う熱風の壁と、軌跡より噴き上がる業火の壁。

当然、回避する暇さえ無く巨体に轢き潰されるルドウイークの姿を、誰もが幻視する。

 

 

「……があアッッ!」

 

 

直後に巻き起こった、翠玉色の光の爆発と、生身をも粉砕せんとするかの様な轟音。

そして、広場に存在する誰もが、信じ難い光景を目にする事となる。

それは、大質量による突進を強制的に中断させられ、体勢を崩し石畳へと突っ込んだ挙句に城壁に衝突、大量の瓦礫に埋もれる番犬の姿。

雨の如く降り注ぐ瓦礫と火の粉の中、翠玉の大剣を大上段から振り下ろした姿勢のまま、微動だにしないルドウイーク。

彼の位置から正面に掛けて十数mにも亘り、異常なまでに深く抉れた石畳と土。

そして、火の粉に混じり周囲を埋め尽くす、翠玉の光を放つ大量の粒子だった。

 

 

「今……何が……」

 

 

呆然と呟いたのは、誰だったか。

大剣を肩に担ぎ直したルドウイークが、ゆっくりと立ち上がる。

光と衝撃、そして爆発音。

番犬もまた周囲の瓦礫を爆炎で以って吹き飛ばしつつ、咆哮と共に狩場へと舞い戻る。

だが、その巌の如き頭部には深い裂傷が刻み込まれ、大量の溶岩が止め処なく溢れ続けていた。

更には『アイスセイバー』の効果によるものか、裂傷内の溶岩が一部凝固し始めているらしく、番犬はぎこちない動きと共に苦悶の声を上げている。

 

 

「良い魔法だな。実に便利だが……流石に、この程度では仕留め切れんか」

 

 

言いつつ、ルドウイークが歩を進める。

大剣はより輝きを増し、更には水のマナの特徴である、青い光の粒子までをも大量に纏い始めていた。

明らかに周囲のマナを取り込み、より力を増している。

驚愕が困惑に、困惑が理解に、理解が高揚に。

そして高揚が興奮へと変化した頃、他の面々も一様に己が獲物を握り直し、番犬との次なる衝突に備える。

己が剣もまた通用するのだと、その確信が皆を『狩り』へと急き立て始めたのだ。

ルドウイークもまた『血』の陶酔ではなく『狩り』の興奮に、そして何より再び己が剣を振るえる悦びに、その身を突き動かされていた。

 

 

「……まあ良い、ならば微塵となるまで打ち砕くだけの事……そうだろう、皆?」

 

「……勿論だとも!」

 

「逃がしはしません……此処で仕留めてみせる!」

 

「ケヴィン、さっきの取り消しだ。やってみなきゃ解んねえよな……!」

 

「そんなの知らない。取り分が欲しけりゃ、勝手に奪う……!」

 

「行くぞブルーザー! ヘマすんなよ!」

 

「抜かせ、デュラン! テメエこそ先走って消し炭になるんじゃねーぞ!」

 

 

これまでよりも遥かに激しい、怒りの咆哮を上げる番犬。

巨体を中心に激しい爆発が巻き起こり、瓦礫の破片と火の粉が皆の身体を打ち据える。

だが、それで怯む者など、もはや一兵たりとも存在しない。

そして再度、憎むべき敵を焼き尽くさんと、巨体が1歩を踏み出した瞬間。

 

 

「掛かれ!」

 

 

『聖剣の狩人』たちは、不躾な『野良犬』に牙を剥いた。

 

 

 

============================================

 

 

 

「始まったみたいね……でも、此処まで来れば……!」

 

「アンジェラ、シャルロットを!」

 

 

来た道を戻り、城門を潜って堀に架けられた橋を渡り終えると、フェアリーは背負っていたシャルロットの身体をアンジェラに預けた。

そして、手渡された銃を弄り如何にか給弾口を見付けると、其処へ懐から取り出した弾薬を装填する。

銃口を上空へと向け、躊躇う事なく引金を引くフェアリー。

瞬間、思っていたよりも遥かに小さな衝撃とは裏腹に、鼓膜を劈く様な鐘の音にも似た金属音が鳴り響いた。

 

 

「きゃ!」

 

「フェアリー?」

 

 

あまりにも大きな音に、フェアリーは思わず銃を取り落し、耳を覆ってしまう。

しかしすぐに、自身を不思議そうな表情で見つめるアンジェラに気付くと、その聴覚を案じる言葉を紡ぎ出す。

 

 

「びっくりしたぁ……アンジェラは今の音、大丈夫だった? あんなに凄い音がするなんて思わなかったわ……鼓膜が破れそう」

 

「音? 大した事なかったわよ。それよりほら、信号弾ってこういう事だったのね」

 

 

言いつつ、上空を指差すアンジェラ。

見れば、遥か頭上に青い光を放つ光球が浮かんでいた。

 

 

「成る程ねえ。魔法と同じ事を、火薬と他種の薬品との組み合わせだけでやってるのね。面白いわ」

 

「音が……しなかった?」

 

「そんなに気になるの? 無音って訳じゃなかったけど、大した音じゃなかったわよ?」

 

 

アンジェラの証言に、フェアリーは疑問を抱く。

あれだけの音が、至近距離に居たアンジェラには聴こえなかったという。

ルドウイークが言っていた『使えるのは狩人だけ』という言葉には、狩人にしか届かないという意味も込められていたのか。

ならばやはり、自分は狩人になってしまったのか。

そんな事を考えつつ、取り落した銃を拾う為に身を屈めるフェアリー。

その背に掛けられる、アンジェラの声。

 

 

「ねえフェアリー、何時までも此処に居るのは危険だわ。何処か安全な場所を探しましょう? あまり離れるのも……フェアリー!」

 

「っ!」

 

 

銃を拾うと同時、咄嗟に横へと身を投げ出す事が出来たのは、これまでの経験に因るところが大きい。

直後、自身が居た場所から聴こえる、大質量の金属が石畳を叩き割る音。

2度3度と石畳の上を転がり、それでも素早く身を起こしたフェアリーの視界に映り込む、あまり愉快ではない光景。

 

 

「……そう、貴方達が黒幕って訳ね」

 

 

其処には、壮麗な装飾が施された大剣を石畳に喰い込ませたまま、此方を見据える金髪の男が居た。

服装や眼鏡を掛けている事などから、学者の類である様に見受けられるが、しかし手にした獲物がそうではない事を声高に主張している。

少し離れたところでは、漸く意識を取り戻したらしきシャルロットを背後に庇いながら、もう1人の敵らしき人物と相対するアンジェラの姿。

杖を掲げ警戒する彼女の目前には、白い法衣らしきものを纏った人物が佇んでいる。

目覚めたばかりのシャルロットも、現状を正確に把握するには至らないまでも、アンジェラと相対している人物が好ましからざる存在である事には気付いているらしい。

 

 

「その身形……モントの読み通り『ヤーナム』の人間、それも狩人なんでしょう。何の目的が在って、こんな……」

 

 

アンジェラが問い掛けるも、目前の狩人2人は反応を返さない。

銃を懐に仕舞い、携えていた弓に矢を番えるフェアリー。

男は石畳から剣を引き剥がすと、ルドウイークと似た構えで刀身を肩に担ぐ。

法衣の人物は手にした杖をゆっくりと擡げ、先端をアンジェラとシャルロットに突き付ける様にして構えていた。

明らかに2人を害するつもりだ。

 

 

「みんなと分かれたのは失敗だったかもね……」

 

 

額に嫌な汗が滲む事を感じつつ、フェアリーはじりじりと後退る。

アンジェラもまた、未だ慣れない高速詠唱を行いながら、空いた腕でシャルロットを庇いつつ後退を試みていた。

フェアリーとアンジェラ達の距離が、徐々に開いてゆく。

分断されるのは不味いが、この場に留まるのはもっと不味い。

そして遂に、法衣の人影に動きが生じる。

 

 

「避けて!」

 

 

フェアリーの叫びと、人影の左腕から光が放たれたのは同時だった。

一部始終を見届ける余裕も無く、彼女は身を捻り逃走を図る。

何故なら大剣の男もまた、自身の獲物を振り被りフェアリーへと肉薄してきたからだ。

走り出し、アンジェラ達を視界に捉える事も出来ないまま、フェアリーは叫ぶ。

 

 

「2人とも城内に戻って! 皆に合流するのよ!」

 

「……無事でいなさいよ、フェアリー!」

 

 

すぐに返された叫びと、ホーリーボールが炸裂する際の光と高音。

アンジェラ達の無事を確信すると、フェアリーは自身の戦いに専念する為に意識を切り替える。

これが狩人としての真の初陣とは、なんと皮肉な事かと僅かな自嘲を孕む思考。

相手は獣ではなく同じ狩人、しかも実戦経験では圧倒的に彼方が上という有様だ。

実に最低で最悪ではないか。

 

 

「……さあ、追って来なさい! 女神様を貶めた報いを、嫌というほど味合わせてあげる!」

 

 

己を奮い立たせる様に叫ぶと、フェアリーは更に走る速度を上げた。

燃え逝く王都の中を、碌に扱えもしない弓を携え、嘗て妖精であった狩人は必死に駆け回る。

彼女の、孤独で、絶望的な初陣が幕を開けた。

 

 

 





《以下、何時かの教会》



弓の人(以下弓)「お前は昔っからそうだ! 困っている市民(罹患者除く)に手を差し伸べすぎなんだよ! 」

ルドウイーク(以下ルド)「お前もそうだろ」

弓「お前もーホントそういう性格直した方が良いってぇー……そんなの教会の狩人になっても損するだけだぞぉ……なぁ『NO!』って言える人間になろうぜ! もう獣を狩らないと誓え、わかった!?」

ルド「NO!」




《現在》



弓(未登場)「その結果がこれだよ!」

ルド「」スヒーッ スヒーッ

フォルセナ一同(考え直そっかなぁ……)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死闘

 

 

 

「随分と頭が回るじゃないか、ええ?」

 

 

翡翠の爆発と連続する轟音、幾重もの叫びを背にモントが毒づく。

その足元には、今も滴り続ける鮮血が血溜まりを作っていた。

細められた目が捉えているものは、彼の正面にて佇む旧主の番人。

そして、その両脇に控える異形の『猟犬』2頭。

長い舌に羊の様な一対の角、赤く光る眼に口腔より漏れ出でる炎。

 

完全に不意を突かれた。

苦々しく、内心で自身を罵倒するモント。

この間抜けめ、うすのろめと、次から次へと湧き出てくる、十数秒前の迂闊な自分に対する罵詈雑言。

自身の不甲斐無さより生じた事態であるが故に、罵倒の内容も極めて辛辣だ。

 

事は、順調に番人を追い詰めたところで起きた。

特に苦も無く攻撃を掻い潜り、幾度となく繰り返した様にノコギリ槍で斬り付ける。

四肢を浅く斬り付け離脱、剣を振り切ったところで再接近、左手からの炎の至近爆発を誘発。

それを躱し、番人が斬り払いを掛けたところで胴の中央に水銀弾を御見舞いし、体勢が崩れた事を確認して鎧の破損個所に右腕を突き込もうとした。

其処で突然、横合いから奇襲を受けたのだ。

 

その時点で意識は、番人を片付け番犬との戦いに加勢する事で占められていた。

迂闊な思考の隙を突く様に、破壊された通路の奥より突如として現れ、モントの脇腹を鋭い牙で以って抉る猟犬。

当然、反撃として水銀弾を喰らわせてやったのだが、至近距離であった事が災いし猟犬の脇腹を貫通、大して痛手を与えられなかった。

そうして体勢を立て直した番人が剣を振るい、間一髪のところでそれを躱し後退した時には、番人と猟犬2頭を合わせた3体もの敵と相対する状況に陥っていたのだ。

 

思えば嘗ての聖杯での探索に於いては、幾度となくこの組み合わせに苦戦させられてきた。

激しい攻撃と連携で此方を追い込む猟犬に、隙あらば鋭い斬撃を浴びせてくる番人。

慣れぬ内は、幾度この身を八つ裂きにされ『灯り』で目覚めるを繰り返した事か。

番人と猟犬を分断し、個別に片付ける事を徹底する様になってからは、比較的容易に対処可能となった。

しかし今、両者を分断する事はほぼ不可能だ。

距離を置いて猟犬だけを誘引する事も考えたが、そうなれば番人は番犬と交戦中の面々を挟撃するだろう。

それだけは避けなければならない。

番人と猟犬、双方をこの場で始末せねば。

 

エヴェリンの排莢口に、骨髄の灰を押し込む。

全身の筋肉を収縮させ、次いで籠められた力を解放し飛び掛かって来る2頭の猟犬。

モントは冷静に1頭へと狙いを定め、しかしまだ発砲はしない。

猟犬の爪を右側面へと跳んで回避し、数瞬の後に2頭が同一射線上へと重なる瞬間を待つ。

そして2頭の頭部が、銃身からの延長線上で重なった瞬間に引き金を引いた。

発砲炎と銃声。

放たれた水銀弾が齎す結果を見届ける事なく、猟犬の後方より疾風の如く踏み込んできた番人へとノコギリ槍を振るう。

 

明らかに間合いの外、一方で番人の持つ長刀は確実に此方を捉える事が出来る距離。

当然、相手方もそれを理解している。

振るわれるノコギリ槍を回避する素振りすら見せず、長刀を振り抜かんとする番人。

瞬間、ノコギリ槍の刃と柄の接続部より火花が散る。

重厚な金属音と共に、遠心力で以て展開される刃。

質量で勝るそれが迫り来る長刀を弾き上げ、その冷気と水のマナを纏った切っ先が、遂に骨炭の鎧へ深々と食い込んだ。

 

 

 

============================================

 

 

 

「躱せぇッ!」

 

 

番犬との戦いは、ルドウイークと聖剣の一行、そしてフォルセナの面々が優勢な状況へと移行しつつあった。

単調で大振りな攻撃、それなりに見極め易い攻撃の予兆、劇的な『アイスセイバー』の効果、獣との戦いで身に付けた回避と反撃の好機を見出す能力。

理由は複数あれど、最大の要因はルドウイークの存在だろう。

番犬との交戦経験も豊富な彼は、周囲の面々へと的確な指示を飛ばしつつ、常に番犬の攻撃を自身へと誘引し続けていた。

攻撃の矛先が他の面々へと向くや否や、強烈な『月光の聖剣』による一撃を見舞い、否が応にも彼へと注意を向けずにはいられぬよう番犬を誘導する。

その上で皆に全方位からの集中攻撃を仕掛けさせ、反撃の兆候が在れば警告の声を飛ばすのだ。

一連の行動を2度繰り返す頃には、皆が番犬の行動を先読みする様になり、ルドウイークが指示を飛ばす必要性すら殆ど失われていた。

新たな狩人たちの優秀さに、彼は内心にて賛辞を紡ぐ。

 

剣が、ダガーが、槍が、獣肉断ちが。

絶え間なく番犬の体躯を四方より刻み、徐々にではあるが巌そのものであるそれを削りゆく。

刻まれた傷の奥、巨大な体躯に湛えられた溶岩が水のマナによる干渉を受けて凝固。

番犬の激しい動きを阻害するに止まらず、更には体表そのものの強度をも著しく損なっていた。

更なる攻撃が脆くなった外殻を容赦なく襲い、鑿で石を穿つが如く番犬の体躯を砕きゆく。

怒りとも恐れともつかぬ咆哮を上げ、全方位より襲い来る攻撃から逃れようと突進を放つも、前兆を見逃さなかったルドウイークの叫びを聴くまでもなく、既に全員が番犬の正面を離れていた。

誰を巻き込む事も叶わなかった突進は、しかし横合いから叩き込まれた翡翠の光を纏う斬撃によって撃ち堕とされ、大きく体勢を崩した番犬が石畳に突っ込むという結果に終わる。

同時に、遂に全身の傷が許容限界を超えたのか、それまで番犬の巨躯全体を覆っていた業火が揺らぐと大量の火の粉を散らし霧散。

これを好機と見た全員が、一気に距離を詰めに掛かる。

 

 

「頭を狙え、頭だ! 冷やして中身ごと固めちまえ!」

 

「ケヴィン、脚を狙って! このまま立たせないで!」

 

 

一同が番犬へと激しい攻撃を加える中、ルドウイークもまた止めを刺すべく動き出した。

聖剣の柄を右肩に充てる様にして刀身を地面と並行に構え、石畳が爆ぜんばかりの力で地を蹴り突進する。

迫り来る彼に気付いた面々が、番犬の頭部周辺から一斉に四方へと散った。

そして、目にも留まらぬ疾さで以って突き出された刀身が、脆くなった外殻を突き破り柄元まで内部に埋まると同時、弾かれた様に身を起こしつつ絶叫する番犬。

番犬の頭部に聖剣の刀身を埋めたまま、その柄を放す事なく中空へと躍るルドウイークの身体。

だが、彼には些かの焦りも無い。

冷え切った鉄の輝きにも似た眼光を湛えたまま、腕力のみで以って身体を剣へと引き寄せ、両の足を番犬の外殻へと確り固定する。

そうして番犬の頭が僅かなりとも位置を下げた瞬間に、柄に体重の全てを掛けて刀身を更に深く喰い込ませた。

苦痛の滲む咆哮が轟き渡る中、ルドウイークは聖剣へと集中させていた自身の意思、神秘の力を一息に解き放つ。

 

 

「ッ!」

 

「おお……!」

 

 

瞬間、轟音と共に翠と碧の光が爆発した。

番犬の頭部、其処に埋もれた『月光の聖剣』の刀身を中心に引き起こされたそれは、頭部外殻を内部より吹き飛ばす。

周囲一面へと飛散する大量の溶岩は、しかし膨大な水のマナより齎される強烈な冷気によって瞬時に冷却され、細かな石礫となって降り注いだ。

頭部の殆どを吹き飛ばされた番犬は、それでも未だ四肢で以て立ってはいたが、しかし残された胴部より響く異音が戦いの終結を物語っている。

硬い物が割れ、砕けてゆく音。

胴体内部の溶岩が、先程の神秘による爆発に付与された『アイスセイバー』の効果によって一気に冷却され、流動性を失い固体と化しているのだ。

倒れない、という表現は適切ではない。

倒れる事すら出来ない、というのが実状だった。

そして、下顎のみが残された頭部の残骸、周囲に立ち込める大量の水蒸気。

その中から、元の大剣へと戻った『月光の聖剣』を肩に担いだルドウイークが、厳かに歩み出る。

その場の誰もが瞠目し、息を呑んで状況を見極めんとしていた。

絞り出す様な、恐る恐るといった体の声。

 

 

「化け物は……?」

 

 

ルドウイークは答えない。

僅かに数歩ばかり身体を横に動かし、背後に佇むそれを全員へと見せ付ける。

 

 

「う……お……!」

 

 

誰ともなしに零れる驚嘆の声。

水蒸気の霧が晴れた先に佇む、頭部の殆どを失った巨躯。

今や微動だにしない彫像と化したそれが、番犬と狩人たち、どちらの側に女神が微笑んだかを雄弁に物語っていた。

 

 

「……仕留めた? 本当に……殺ったのか?」

 

「嘘だろ……おい、嘘だろ!」

 

「死んでる……間違いなく、死んで……!」

 

 

勝利したという実感の伴わない事実は、やがて巨大な歓喜のうねりとなって皆を襲う。

徐々に、しかし確実に身体の奥底より沸き起こる高揚は、すぐさま制御不可能な怒涛と化し狩人たちを呑み込んだ。

 

 

「ぅ……ぉおおおぉぉッッ!」

 

「殺った……? はは……あはは! 殺った、殺ったんだ! 化け物を仕留めた!『聖剣』が仕留めたぞ!」

 

「信じられん……本当に、勝ったんだな……!」

 

 

拡散する歓喜はやがて、腹の内から込み上げてきた声として夜空へと放たれた。

番犬の炎を凌駕せんばかりの勢いで燃え広がったそれは、この場の人数からは本来ならば考えられない程の大歓声と化して、広場に響き渡る。

だがその中で、デュランとホークアイが焦燥も露に叫んだ。

 

 

「アイツは、モントはどうなった!?」

 

「気を抜くな! まだ人型が残って……」

 

「居ないよ、もう」

 

 

その声は、朽ち逝く彫像と化した番犬の背後から聴こえてきた。

罅割れの音と共に破片を散らす番犬の骸、その左後脚の陰から歩み出る人影は、紛れもなくモントのもの。

エヴェリンは腰元に掛けられ、その左手には襲撃者が手にしていた長剣が握られている。

安堵の吐息と共に、言葉を紡ぐリース。

 

 

「……良かった、御無事だったんですね。あの敵はどうなりました?」

 

「思わぬ奇襲を喰らったが、何とか始末したよ……デュラン、これを使え」

 

「うお……っと」

 

 

番犬との戦いで剣の刃を潰されてしまったデュランへと、番人が振るっていた長剣を手渡すモント。

漫然と受け取ったデュランは、その細身からは想像も付かない重さに微かな呻きを零す。

 

 

「ッ……見た目以上に重いな、コイツは……」

 

「扱えそうか」

 

「扱ってみせるさ。悪いな、気を遣わせちまって」

 

「気にするな。その剣は『繋ぎ』だ。この状況を制したら、自分に合った剣を誂えれば良い」

 

「まあ、そうだな……片刃の曲剣か、使うのは初めてだな……」

 

「そいつは力任せに振るうのには向かない。叩き斬るのではなく、刀身を疾さに乗せ、刃を滑らせて相手を『斬れ』。お前の本来の剣技ではないだろうが、その技術は身に付けておいて損は無い」

 

「……成る程な」

 

 

二度三度と、調子を確かめる様に長剣を振るうデュラン。

数名の騎士が、何処か羨ましそうにそれを眺めている。

そんな様子を、少し離れた位置から無言のままに眺めるルドウイークへと、騎士団長が問い掛けた。

 

 

「これで城内は片付いたのか?『聖剣の騎士』殿、何か解るだろうか」

 

「大仰な呼び方は止めてくれ。ルドウイークで良い」

 

「貴方の戦い振りを目の当たりにしたのだ、此処に居る誰もが同じ呼び方をするでしょう……あれ以上の大物が控えている気配は?」

 

「何とも言えないな……番人も番犬も『トゥメル』由来の筈だが、市街地の様相は寧ろ『ローラン』に近い。この惨状がどの『聖杯』によるものとも特定できん」

 

「……その『聖杯』とやらが何なのかは解らないが、つまり現時点では解りかねるという事だろうか」

 

「ああ」

 

「……ならば、玉座の間まで進むのみ」

 

 

そんなやり取りが交される中、ふと何かに気付いた様に顔を上げるリース。

城門の方向へと振り返った彼女は、周囲へと問い掛ける。

 

 

「……アンジェラ達、遅すぎませんか? 何もなければ、戻ってきても良い頃だと思いますが」

 

「信号弾は上がったかね?」

 

「それって青く光る奴か? それならさっき上がってたぞ」

 

「なら、すぐに他の狩人達が駆け付ける筈だ。番犬は始末したが、他にも何かが潜んでいるかもしれない。丁度良いだろう」

 

「……ルドウイーク、彼等に同行してくれ。俺は戻って……!」

 

「何だ!?」

 

 

轟音。

城門の側から響いたそれは、一同の視線を広場の入口へと集中させる。

 

 

「爆発……? アルテナの魔法か」

 

「まさか、残党が城内に……」

 

 

その時、再びの轟音。

今度は、誰もがそれを目にした。

広場入口の薄暗い通路の先、炸裂する白い光。

 

 

「ホーリーボール……? アンジェラ!」

 

「……違う!」

 

 

リースの言葉を否定すると同時、弾かれた様に駆け出すモント。

一瞬遅れて、それに続くデュラン。

咄嗟に止めようとする周囲の声を遮る様に、ルドウイークが言い放つ。

 

 

「あれは『神秘』……『ヤーナム』の秘儀だ!」

 

 

 

============================================

 

 

 

「何なのよ、あの気持ち悪いの……!」

 

「アンジェラしゃん、こっち!」

 

 

声を潜め、必死に物陰へと身を隠す彼女達は、今まさに追い詰められようとしていた。

城の外で敵の『狩人』に襲われた際、何とか城内へと逃げ込み仲間達との合流を果たさんとしたアンジェラとシャルロット。

しかし、番犬との戦闘がどう推移しているか分からない現状、或いは皆を更に危機的な状況へと追い込んでしまうかもしれないという躊躇が生じた。

だからこそだろうか、彼女達は広場へと直行する通路を辿らず、横に逸れる通路へと飛び込んでしまったのだ。

そうして、追撃を躱しつつ時間を稼ぎ、徐々に広場へと近付きつつあった2人。

だがあと僅かというところで、遂に追跡者によって捕捉されてしまったのだ。

 

 

「何とか反撃しないと……シャルロット、何か思いついた?」

 

「全然駄目でち……! あの女、隙が無さすぎるでちよ……!」

 

 

2人を追う敵は、白い法衣を纏う女だった。

接敵直後に放たれた、奇妙な魔法。

此方へと翳された女の腕、その周囲を覆う様にして光と共に溢れ出し迫り来る、大小無数の触手。

遭遇の際に放たれた第一撃こそ躱す事はできたものの、それが再び中庭へと向かう2人の側面から放たれ、咄嗟に屈んだ彼女達の頭上を突き抜けたのだ。

すぐ横の壁へと当たったそれは、強固な石壁を難なく打ち砕き、瓦礫と共に細かく砕けた触手の残骸を周囲へと撒き散らす。

完全に体勢を崩された2人は至近で奇妙な杖を構える法衣の女を前に、身体にへばり付くおぞましい触手の残骸から齎される不快感すら無視して、這う這うの体で逃走を再開した。

但し城の広場に向けてではなく、元来た道を引き返す方向に。

咄嗟の判断の誤りにより、仲間達との合流まであと一歩と迫りながら、逆に其処から遠ざかる方向へと向かう事となってしまったのだ。

 

 

「詠唱を済ませて不意打ちっていうのは……」

 

「相手の方が早いでち。それにあの杖、多分あれも『仕掛け武器』でちよ。迂闊に近付くのは自殺行為でち」

 

 

結局2人は近くの太い石柱の陰へと身を隠し、追手が通り過ぎるのを待つ事にした。

何とか遣り過ごしてしまえば、広場に居る味方と合流できると踏んだのだ。

じきにフェアリーが撃ち上げた信号弾を目にした狩人達が、王城へと集結してくる事だろう。

そうなれば、追手も此方を捜索している余裕など在るまい。

撤退するか、或いは味方狩人との交戦に入るか。

いずれにせよ、此方が味方と合流する時間が生まれる事には変わりない。

そんな事を思考するアンジェラの前に三度、法衣の狩人が姿を現した。

 

 

「っ……!」

 

「静かに……!」

 

 

息を潜める2人の前、通路の先より現れた法衣の狩人。

速足でその場を通り過ぎるかに思われた彼女は、しかし何故か其処で足を止めた。

すぐ近くで途絶えた足音にびくりと跳ね上がるシャルロットの肩を押さえつつ、アンジェラは自らも呼吸が乱れ始めている事を自覚する。

 

何故、足を止めたのか。

まさか、此処に隠れていると気付かれたのか。

だが、どうやって気付いたのだ。

 

其処まで思考し、アンジェラは思い出す。

狩人の五感が獣のそれに近付いているという、モントの話。

其処に思い到ると同時、石柱の向こうから甲高く聴き慣れない音が響き出す。

何だ、と思う暇すら無く轟音と共に白い光が爆発し、視界の全てがそれに呑み込まれた。

 

 

「うあッ!?」

 

 

突如、全身を襲った衝撃に呻きながら、アンジェラは押し出される様にして前方へと倒れ込んだ。

同じく弾き出されたらしきシャルロットの悲鳴が聴こえたが、今はそれに感けている暇は無い。

すぐに回復した視界、無数の瓦礫が降り注ぐ其処に映り込んだシャルロットの腕。

それを反射的に掴むと、痛む身体に鞭打って立ち上がり、すぐさま駆け出す。

シャルロットも状況の危うさは十分に認識していたのか、すぐに走り始めた為に腕に掛かる負荷は殆ど無かった。

背後を振り返る事なく走りながら、アンジェラは問い掛ける。

 

 

「何なの!? 今のは何だったの!?」

 

「知らないでち! 魔法を使ったんじゃないでちか!?」

 

「魔法!? 狩人が!? でもマナは全く……!」

 

 

問答は、其処で途絶えた。

背後、再びの高音と白い光。

咄嗟にシャルロットの襟首を掴み、横手の通路へと飛び込む。

直後、背後で巻き起こる白い爆発。

飛来した無数の石飛礫が、アンジェラの背中を打ち据える。

 

 

「きゃあッ!?」

 

「ぐ……!」

 

 

背面を奔る熱、遅れてやってくる激痛。

後頭部から背中、そして足首に至るまで無数の拳に殴られたかの様なそれは、しかしアンジェラの足を止めるには至らなかった。

否、アンジェラ自身が足を止める事を拒んだ。

此処に留まっていてはいけない、一刻も早くこの場を脱しなければとの思いが、頽れる事を拒んだのだ。

 

 

「アンジェラしゃん、左!」

 

「く……ッ!」

 

 

シャルロットの誘導に従い、広場へと続く通路へと飛び込むアンジェラ。

どうにか進路を修正できたらしいと判断した彼女は、悲鳴を上げる身体に鞭打って駆け出す。

肺と脚から来る痛みは全身の傷より発せられるそれを凌駕せんばかりであったが、しかし生命の危機に曝されているという切羽詰まった認識が苦痛を凌駕していた。

全身の軋みを無視して、決して運動が得意ではない身体を全力で動かして逃走を図る。

隣を走るシャルロットもまた、小さな身体を跳ねる様にして走らせていた。

 

 

「あの魔法……発動から放たれるまで間があるでち! 走ってれば何とか……!?」

 

「ッ、また……!」

 

 

背後、閃光と高音。

先程よりも音が遠い。

また、あの魔法もどきが発動したのだろう。

だが、おかしい。

現在、あの狩人との距離は、それなりに離れている。

こんな距離で発動したところで、爆発の加害範囲からは外れている筈だ。

一体、何のつもりか。

 

そんな疑問を覚え、首を廻らせて背後を横目に見遣るアンジェラ。

そして彼女は、専属の老講師から『魔導師としては不必要なまでに優れている』と評された動体視力で以て、爆発の『正体』を目の当たりにする。

 

 

「な……!?」

 

 

それは『流星』だった。

単なる衝撃波ではなく、重力を無視した奇妙な曲線の軌跡を描き宙を翔ける、無数の白い『流星』。

それらが矢や銃弾ほどではないにせよ、かなりの高速で以ってアンジェラ達へと迫っていたのだ。

咄嗟に、アンジェラは叫ぶ。

 

 

「シャルロット!」

 

「右ぃ!」

 

 

彼女の叫びの意味するところを、正確に理解していたのだろう。

シャルロットは半開きとなっている扉を見付け、即座に其処を指し示す。

その先に何が在るかなど一切考えずに2人は有りっ丈の力を込めて跳躍、扉へと体当たりして室内へと飛び込んだ。

刹那、一瞬だけ後方を見遣る事が出来たアンジェラの視界に映り込むのは、自身の後を追って急激に軌道を捻じ曲げる『流星』の群れ。

 

追尾型の攻撃魔法。

そう判断すると同時『流星群』は部屋の入り口、その扉の横の石壁へと着弾、盛大な爆発を引き起こす。

衝撃波をそのまま受ける事はなかったが、代わりに粉砕された石壁の破片が弾幕となって2人を襲った。

背後から襲い来る石飛礫に体勢を崩された2人は、そのまま吹き飛ばされ室内に並んでいた木造の長椅子を薙ぎ倒し破壊、散乱する木片と石畳の上へと放り出される。

自身の意思を離れて大理石の床の上を転がる身体は、その果てに硬く冷たい何かにぶつかる事で漸く止まった。

 

 

「げ、ほっ」

 

「うあ……!」

 

 

軋む身体、全身に拡がる鈍い痛み。

それらに混じって奔る、幾つかの鋭い痛み。

吐血混じりの咳を繰り返しながら、何とか自身の身体へと視線を落とすアンジェラ。

全身の打撲は言うまでもないが、剥き出しの左大腿部から溢れる鮮血と、装束の腹部に拡がりゆく赤黒い染みが目に入り、呆然とする。

それらの中心には、長椅子の残骸だろうか、それなりに大きく尖った木片が突き立っていた。

恐る恐る手を伸ばし、木片に指を掛けるアンジェラ。

瞬間、木片が突き立った位置から、電撃の様な激痛が全身に走った。

声にならない悲鳴が零れるが、震える腕に力を込めて何とか引き抜こうと試みる。

だが、抜けない。

 

 

「あ……ぅああ……!」

 

 

かなり深くまで刺さっているらしい。

長く尖った先端が、骨近くまで食い込んでいる様だ。

あまりの激痛に力を籠め続ける事も出来ず、震える指が木片から離れてしまう。

腹部の傷の深さは、考えるのも恐ろしい。

そういえば血を吐いたが、内臓が傷付いているのだろうか。

 

 

「あ……シャル……?」

 

 

ふと、共に吹き飛ばされたシャルロットの事が気に掛かり、ぎこちなく視界を動かし小さな身体を探すアンジェラ。

果たしてシャルロットは、すぐに見付かった。

アンジェラのすぐ側、同じく大理石の床に倒れ伏す彼女。

その幼い身体には、アンジェラと同じく幾つかの木片が突き立ち、溢れ出す血液は彼女が纏う装束を徐々に赤黒く染め上げてゆく。

この出血量は不味い。

 

 

「シャル……!?」

 

 

自身の負傷も、其処から齎される苦痛も無視して、シャルロットを助け起こさんとするアンジェラ。

背後に建つ象徴的な像に凭れ掛かりながら、如何にか身を起こす。

だが彼女の意識はシャルロットから離れ、唐突に部屋の出入口、吹き飛ばされた扉の方向へと向けられた。

宙を舞う破壊された石壁の粉塵。

その向こうから響く足音、そして金属音。

追い付いてきたのだ、あの女狩人が。

 

 

「く……」

 

 

震える腕を彷徨わせ、漸く見付けた自身の杖を何とか握るアンジェラ。

既に半ばより先が折れ飛んでいるそれは、何とか魔法を発動する為の触媒としての機能を保持していた。

そうして『ホーリーボール』の発動準備を行おうとして、しかし彼女の思考はその行動に異議を唱える。

 

駄目だ。

『ホーリーボール』では術式の発動から対象に影響を及ぼすまでに若干の間が在る。

相手が単なるモンスターや敵兵ならばいざ知らず、意真子の瞬間に相対している存在はモントと同じ『狩人』だ。

モントやアストリアの2人を見る限り、戦闘時に於ける彼等の機動力は獣人のそれと比しても遜色ない。

個人差はあるだろうが『狩人』である以上、あの女も常人離れした膂力を有しているのだろう。

そんな相手に『ホーリーボール』を放ったところで、発動の瞬間に炸裂点から身を逸らされてお終いだ。

ならば、どうするか。

 

 

「……最悪」

 

 

よろめきながらも立ち上がり、自身の周囲を確認するアンジェラ。

室内の構造を把握すると、シャルロットの身体を引き寄せて背後の像に自らの背を預け、覚悟と共に『ホーリーボール』とは異なる術式を組み始める。

此処までの道中、この魔法の訓練は重ねてきた。

フェアリーとウィル・オ・ウィスプという、これ以上ない程に最適な師が2人。

彼等から、過去の高名な大魔導師達と比しても圧倒的な早さで成長している、との言葉を驚愕と共に告げられてもいる。

 

だがそれでも、この魔法を実戦で試すのは初めての事。

いうなれば、発動こそ問題なく可能ではあるものの、未だ実戦での運用可能な段階には達していないと、フェアリー達から判断された魔法なのだ。

安定して運用したいならば『クラスチェンジ』を待った方が良い。

それが、フェアリーとウィスプの判断だった。

寧ろ彼等は、今の段階でこの魔法を使用する事は、アンジェラの自滅を招きかねないとまで危惧している。

彼女の内に秘められたマナがあまりにも膨大に過ぎる事もあり、不安定なまま術式を作動させれば暴走、周囲一帯を巻き込む『災厄』を引き起こし兼ねないと。

 

自身に才能が秘められていると言われて、喜びを感じなかった筈がない。

理の女王の娘であるにも拘わらず魔法を使えないのは、才能が皆無である為ではないと。

寧ろ、人としては在り得ぬ程に膨大なマナを単身で制御可能な才を秘めるが故に、ごく一般的な術式では魔法を発動できないだけだと。

2人の師の言葉は、果ての無い暗闇に差す一条の光そのものだった。

 

しかし同時に、だからこそ彼等の警告は深刻なものとして、アンジェラの内に刻まれている。

光のマナを用いた上級魔法『セイントビーム』。

所謂『戦術魔法』に分類されるそれは、強力な攻撃手段であると同時に極めて危険な特性をも併せ持っていた。

ウィスプ、フェアリーとの遣り取りを、アンジェラは細大漏らさず覚えている。

 

 

『……どの属性にも、術者の周囲一帯に影響を及ぼす戦術級の魔法が在るッス。ボクの属性なら『ホーリーボール』と『セイントビーム』の複数対象同時発動が代表的ッスね。ただ、この2つの術式には決定的な違いが在るッス』

 

『どういう事?』

 

『『ホーリーボール』の場合、単一目標に対して最も有効である術式を弄って、半ば無理矢理複数目標に対して発動してるっス。つまり……』

 

『単体に対して発動した時より、術としての威力は落ちる?』

 

『ご明察ッス。まあそれも、熟練の魔導師ともなると在って無い様なものッスが……問題は『セイントビーム』ッス』

 

『それも目標の数によって使い分けできるのよね。何が違うの?』

 

『何もかも違うッス。『ホーリーボール』とは違い『セイントビーム』は初めから戦術級の攻撃魔法なんッスよ。これの単一目標への発動とはつまり、周囲一帯を焼き尽くすレベルの光のマナを無理矢理収束させて、一箇所に対して照射するって事になるッス』

 

『その分威力が上がる、でしょ? それって良い事……ばかりじゃないわよね。それだけの術式を凝縮して放つって事はつまり、その為の『砲身』が必要な筈。要するに、この場合……』

 

『本当に理解が早いッスね。お察しの通り、その場合に術式を凝縮して発動する為の『砲身』は術者自身ッス。制御を誤るか、或いは凝縮したマナに術者自身が耐えられなければ、周囲一帯を巻き込んで盛大に自爆する事になるッスよ』

 

『そして……アンジェラ。貴女の場合、その際の被害は想像を絶するものになるわ』

 

『フェアリー?』

 

『以前言った、貴女の才能が規格外だっていう言葉。あれは御世辞でも何でもなく、歴とした事実よ。だからこそ、魔法の扱いには細心の注意を払わなくてはならない』

 

『そういう事ッス。アンジェラさんの魔力……マナの制御・蓄積容量は桁違い、はっきり言えば常軌を逸してるッス。そんなものが暴発すれば、小さな街ひとつ吹き飛ばしてお釣りがくるッスよ』

 

『なに、それ……』

 

『だからアンジェラ、貴女が『セイントビーム』クラスの魔法を使うのは『クラスチェンジ』を果たしてからの方が良いわ。いえ、そうでなくてはならない。発動するだけなら、今の貴女でも可能よ。でも、それで貴女自身が死んでしまっては元も子もないわ』

 

 

自らに才が無いのではなく、才有るが故に極めて高いリスクを伴うという事実。

逃げ出す以前の自分ならば無邪気に喜んでいたのだろうなと、アンジェラは自嘲する。

今この状況に於いては、そのリスクこそが自分とシャルロットの生死を左右する要因となっているのだ。

『セイントビーム』が問題なく発動すれば良し、追手を排除し中庭の一行に助けを求める事が出来るだろう。

術式が暴発すれば、その時は追手もろとも粉微塵だ。

ウィスプの言葉通りならば、被害は中庭の面々にも及ぶものになるだろう。

王城の強固さを考慮すれば、市街地への被害は最小限に抑えられるだろうか。

 

刹那的な思考を孕みつつ、アンジェラは術式を完成させる。

先に術式を組み上げ、其処へ膨大なマナを一気に流し込むという、些か強引な発動方法はアンジェラのオリジナルだ。

正確にはフェアリーの手解きを受けて生み出した、一般的なやり方とは異なる彼女にとっての最適な発動方法。

アンジェラの精微極まる術式構成と、その膨大な魔力を最大限に活かす為に考案されたそれは、彼女の魔法に他の魔導師のものとは一線を画す威力を齎していた。

だがそれゆえに、術者に掛かる負担は大きい。

『ホーリーボール』発動の際でさえ、アンジェラは自身の内で暴発しそうになるマナを押さえる事に腐心せねばならなかったのだ。

況してや、その更なる上位術式である『セイントビーム』では、僅かでも制御を誤れば惨事は免れまい。

完成した術式に気を配りつつ、彼女は震える腕で以って杖を構え、追跡者が姿を現すであろう部屋の入り口を睨む。

 

あの追尾型の魔法を使うには、此方の姿を視界に捉えなければならない筈。

そうでなくとも、爆発の効果範囲に此方を巻き込む為には、接近する必要がある。

腕から触手を放つ魔法に関しては、それ以上に距離を詰めねばならない筈だ。

どちらにせよ、敵はその姿を此方に晒す事となる。

其処が、狙い目だ。

此方の被害を最小限に抑えつつ生き延びるには、それしかない。

機会は一瞬、月明かりを背にした敵の影が宙を舞う塵に映り込んだ、その瞬間。

崩れ掛けた壁面ごと『セイントビーム』で敵を貫く。

 

 

「え?」

 

 

そんなアンジェラの思考は、唐突に視界へと映り込んだ代物によって、強制的に中断させられる。

未だ視界の先を覆う石壁の粉塵、その幕を突き破って此方へと迫り来る、人影とは似ても似つかぬ何か。

それは、酒瓶だった。

内に満たされているであろう液体が酒であるとは思えないが、それそのものは酒瓶としか形容の仕様がなかった。

そして、その瓶の口に煌々と灯る光、明るい炎の赤。

つまり『火炎瓶』。

 

 

「っ……!」

 

 

選択肢は無かった。

アンジェラの魔導師離れした動体視力は、宙を翔けて迫り来る火炎瓶の輪郭を正確に捉え、照準している。

そのまま、待機状態にあった術式へと一瞬にしてマナを巡らせ、発動。

構えていた杖、その折れた箇所の先端に白光が灯り、瞬く間に眩い閃光となって放たれる。

集束したその光は、アンジェラへと迫っていた火炎瓶、その瓶口を着火用の布とそれに点された炎ごと抉り、消し飛ばした。

聖なる光の奔流が瓶程度で減衰する筈もなく、直進したそれは舞い上がる粉塵の中央を貫いて室外へと突き抜ける。

その際の大気の変動により更に舞い上がる粉塵の壁、遮られる視界。

 

 

「しまっ……!?」

 

 

読まれていたのだ。

待ち伏せている、必殺の牙を隠していると。

どんな魔法が用いられるか、其処まで推測していた訳ではないだろうが、何らかの手段で以って反撃に出るであろう事を。

だから不用意に身を曝す事を避け、火炎瓶を投げ込んできた。

敵を狙い撃つ為に待機させていた『セイントビーム』の術式。

だが、敵そのものに先んじて放り込まれた火炎瓶を迎撃しなければ、至近に落着した火炎瓶によって撒き散らされる炎により、傍らのシャルロット諸共に身を焼かれる事になる。

だからこそ、撃った。

撃たざるを得なかった。

そして、撃ってしまったが故に、彼女は無防備となった。

敵本体を迎え撃つ手段を失い、魔法によって再度舞い上がった粉塵に視界を遮られ、如何なる対応も取り得ない状態となった。

故に、結末はひとつ。

 

 

「あぐぁッ!?」

 

 

僅かな金属音と、鋭い風切り音。

粉塵の壁が切り裂かれるより早く、アンジェラの左肩口から右の腰に掛けて奔る、熱と衝撃。

それらは同時に右手をも襲い、其処に握られていた杖の残骸を弾き飛ばした。

此処で漸く聴こえる、火を失った火炎瓶が床に叩き付けられ、割れる音。

何が起こったかを理解する暇さえ与えず、粉塵を突き破り目にも留まらぬ速さで迫り来る白い人影。

直後、アンジェラは自身の腹部に衝撃と、深々と突き立つ冷たく硬い異物感、遅れて襲い来る灼熱感を覚える。

 

 

「ぐ、ごふ……!?」

 

 

咽返る様な鉄の匂い。

上手く呼吸ができない。

腹部の異物感と灼熱感は徐々に、おぞましい苦痛をも伴い始めている。

視界の中央、目と鼻の先には、前屈みの姿勢で此方へと右腕を突き出す、法衣の狩人。

その手に握られた金属製の杖、その先端がアンジェラの腹部に深々と埋もれていた。

杖が喰い込んだ腹部、そして左肩から右の腰辺りに掛けて直線状に抉られた痕から、止め処なく零れ落ちる血潮。

視界の右端に映り込んだ赤にそちらへと視線を映せば、杖を握っていた右手は小指と薬指の肉が半ば削り飛ばされ、骨が露となりあらぬ方向へと折れ曲がっていた。

そこで漸く、彼女は自身に起こった事象を理解する。

 

『仕掛け武器』だ。

火炎瓶を囮に、粉塵を煙幕に。

発動待機状態にあった『セイントビーム』を無効化し、一気に距離を詰めて何らかの『仕掛け武器』による一撃。

その一連の攻勢を、真面に受けてしまった。

初撃で杖を弾き飛ばされ、続く本命の一撃で致命傷を与える。

まんまと嵌った結果が、この腹部に突き立った冷たい金属の杖だ。

 

 

「が……!」

 

 

杖を更に深く捻じ込まれ、苦悶の声を漏らすアンジェラ。

腹を突き破った杖の先端は臓腑と肉を掻き分け抉り、脊椎を掠めて背中へと至る。

骨と杖が擦れる衝撃、背中の肉が内側より破られるおぞましい感覚。

それらを彼女は、明確に感じ取っていた。

感じ取ってはならない、感じ取るべきではないそれらを、明確に。

 

 

「ぎ……っ!?」

 

 

限界を超えた苦痛の前には、僅かな悲鳴すらも零せないのだという事を、アンジェラは初めて実感していた。

腹から背中へと貫通した杖の先端が、背後の像へと接触した際の硬い衝撃ですら、肉と骨を通じて我が事の様に感じとれてしまう。

その事実に恐怖しながらも、その感情さえも呑み込んでしまう苦痛に意識を塗り潰され、彼女は口部より溢れ返る血もそのままに腹部へと突き立つ杖に左手を伸ばす。

まるで、その杖を抜こうとするかの様に。

無意識故の行動なのだと、法衣の狩人も判断したのだろうか。

一片の容赦なく更に杖を捻り、アンジェラの身体を貫通して刻まれた傷痕を抉り広げてゆく。

 

 

「っ……ぁ……!」

 

 

衝撃に跳ね上がり、杖を掴もうとする細い腕。

だが、何故かそれよりも早く狩人は杖を手放し、空いた右手を自らの腰の辺りに構え、身体全体を大きく右へと捻った。

それが何を意味するものか、苦痛に塗り潰された意識であっても、アンジェラは正確に理解する。

あの、炎に包まれた湖畔の村。

アストリアで繰り広げられた殺戮、あの夜から幾度か目にしてきた、その構え。

狩人たちが振るう、常人には考えもつかぬおぞましき業。

武器に頼らず、自らの手によって敵の内臓を抜き取るという、まさに狂気の沙汰。

 

 

「がッ……!」

 

 

直後、杖が突き立った位置の上、アンジェラの鳩尾。

皮膚とその下の肉をも難なく突き破った狩人の五指が、掌の半ばまで彼女の体内へと突き込まれた。

臓腑を直接掴まれる、異様な感覚。

 

 

「げ、ふ……」

 

 

想像を絶する苦痛はアンジェラの許容限界を疾うに越え、最早彼女の意識は半ば消え掛かっている。

しかし、その左手が腹に突き立ったままの杖を離れ、鳩尾へと突き込まれた狩人の腕へと添えられた。

華奢な身体に刻まれた傷からの出血は、既に周囲一帯を赤く染め上げている。

出血量からしても、何時意識を失ってもおかしくはなかった。

だが、狩人は更に確実な止めを刺す心算なのだろう。

臓腑を掴む右手は更に握力を増し、そのままそれらをアンジェラの体外へと引き摺り出すべく、腕を引き寄せんとする力が感じられた。

だから、アンジェラは。

 

 

「……か、まぇ……た……!」

 

 

朦朧とする意識の中、指の折れ曲がった右手までをも使って、狩人の腕を掴んだ。

 

 

「ッ……!?」

 

「っぎ、ぁ……あああああぁぁぁぁァァッッッ!?」

 

 

瞬間、周囲を染め上げる、暖かな翠玉色の光。

膨大なマナに満ちたその光は、忽ちの内にアンジェラの全身に刻まれた傷を癒してゆく。

これこそが、この室内に存在していた『黄金の女神像』による奇蹟。

『マナの女神』の祝福による癒しの加護だった。

 

『黄金の女神像』自体は、そう珍しいものではない。

世界各地の重要拠点や、旅の要所となる地点などに設置されている普遍的な設置物であり、元々は単なる石像だったものである。

しかしそれらは『マナの女神』による祝福を受け、あるものは銀の像に、またあるものは金の像に転じた。

そうしてそれらは、像の周囲に存在する生命に加護を与える様になったのだ。

『銀の女神像』は理性無きモンスターを遠ざける加護を。

『金の女神像』は祈りを捧げた者の傷を癒す加護を。

そうして奇蹟の産物へと変貌を遂げた女神像の幾つかが回収され、各国の国防上に置ける重要拠点に於いて常設される様になったのは、当然の運びだろう。

アンジェラ達が偶然に飛び込んだこの部屋もまた、そういった兵士たちの傷を癒し、また女神への感謝を捧げる事を目的とした部屋だったのだ。

 

通常ならば如何に『黄金の女神像』とはいえ、アンジェラが負っていた程の重傷を癒す力は無い。

精々が軽傷を癒し毒や病魔の影響を抑える程度の加護であり、致命的な程の傷を癒すとなればウェンデル等の神官による追加の術式が必要となる。

しかし『マナの聖域』より訪れたフェアリーから、更には光の精霊であるウィル・オ・ウィスプからも加護を受けた聖剣の一行となれば、像より齎される癒しの効果は途轍もないものと化していた。

それこそ、今にも命の灯を掻き消さんとしていた傷を、瞬く間に癒す程に。

だが今この瞬間、その加護の下に傷を癒すアンジェラは、耐え難い苦痛に因る悲鳴を上げ続けていた。

 

 

「ああああああッ! うあああああぁぁぁぁッッ!」

 

 

髪を振り乱し、絶叫するアンジェラ。

だが、それも無理はない。

彼女の身体は、あろう事か杖と狩人の腕に貫かれ、それらを体内に『内包したまま』傷を癒され続けていたのだから。

 

 

「ッ……ッ……!?」

 

「ひ、ぎぃっ……うああ……!」

 

 

『黄金の女神像』が存在すると認識した直後に、傷を癒すという選択肢も脳裏を過ぎった。

しかし、この状況で祈りを捧げ、傷が癒えるまでの無防備な体を曝す事は余りに致命的。

かといって、此方の『セイントビーム』が上手く発動し、更には敵を捉えるとの保証は何処にも無い。

だからこそ覚悟を決め、この手を取るしかなかった。

普段であれば決して考え付かず、また考えたとしても絶対に実行しようとは思わない行動。

敵の武器を、腕による攻撃をその身に受け、それらを体内に留め置いたまま傷を癒して自らの内に封じ込めるという、正気とは思えない行為。

 

まともに力比べをしては、魔導師に過ぎない自分に狩人の力に敵う道理はない。

だが、女神の加護による肉体の修復中ならばどうか。

今、自分は女神像に背を預け、直接触れている。

癒しの加護を求める祈りを只管に続けながら。

肩口から抉られた傷が、肉を削られ折れ曲がった指が、杖に貫かれたままの腹が、五指を突き込まれたままの鳩尾が。

女神の加護の下、急速に癒やされてゆく。

癒され続けている。

異物を内包したまま密度を増す肉壁は、招かれざる侵入者である杖と指とを強烈に圧迫、それらを引き抜かんとする力に抗っていた。

狩人の腕を掴んだ左右の手にもまた、決して狩人を逃がすまいとする、華奢な見た目からは想像も付かない程の力が込められている。

 

アンジェラの覚悟と、全身全霊を振り絞った力。

それらは、確かに狩人の動きを阻害していた。

しかし同時に、それらは無限とも思える苦痛をアンジェラ自身にも齎し、無慈悲にも彼女の精神と体力を削り取ってゆく。

 

抉られては癒され、癒されては抉られ。

腹から背中にかけて貫通したままの杖、鳩尾の内の臓腑を握り潰し掻き回し続ける手。

それらの致命傷も忽ちの内に癒され、しかし直後にまた抉られ潰される。

常人ならば疾うに発狂していても何らおかしくはない。

だがアンジェラは余りの苦痛に涙を零し、声を限りに悲鳴を上げながらも、決して自らに課した使命を放棄しようとはしなかった。

 

 

「ぅ……うぁ……!」

 

 

苦痛のあまり閉じそうになる瞼を気力だけで限界まで見開き、敵の一挙動さえも見逃さんとばかりに睨み据える。

此処に至り初めて焦燥の体を見せた法衣の狩人は、業を煮やしたのか腰に掛けていた見慣れない道具へと左手を伸ばす。

その正体こそ知らずとも、恐らくは銃器に位置付けられる類の物であろうと推測するアンジェラ。

この至近距離、銃弾であれ他の何かであれ、致命傷は避けられないだろう。

だが、その状況を黙って見ている程、彼女の戦友は軟弱ではなかった。

 

 

「こんのぉォッ!」

 

「ッ、が……!?」

 

 

それまで伏せていたシャルロット、意識がないと思われていた彼女、その小さな身体が突如として飛び上がる。

そして渾身の力を込めて、自らの得物であるフレイルを振り抜いたのだ。

結果は劇的だった。

2本の鎖の先端に付けられた星形の鉄塊は狩人の頭部を強かに打ち据え、更に撓んだ鎖により不規則な軌道を描いたそれらの1つは法衣を引き裂き、狩人の左手甲をも深々と切り裂いたのだ。

それだけに留まらず、残る1つの鉄塊は腰の銃器らしき道具へと直撃し、その何らかを射出するであろう部分を完全に破壊する。

これで狩人の、アンジェラへの攻撃の試みは頓挫した。

しかし狩人が、自らの間合いで黙ってやられるばかり、等という事は有り得ない。

シャルロットはすぐに、苛烈な報復を受ける事となった。

頭部を襲う、凄まじい衝撃。

 

 

「んぎっ……!?」

 

 

蹴りだ。

目にも留まらぬ速さで振り抜かれた脚、堅いブーツの爪先がシャルロットの額を捉えていた。

小石の様に蹴り抜かれた彼女の頭部が、柔らかく豊かな金髪を置き去りにする程の勢いで弾かれ、そのまま身体ごと女神像の台座へと叩き付けられる。

その凶行を目の当たりにしたアンジェラは、しかしどうする事もできなかった。

彼女にできる事といえば、このまま狩人の動きを封じ続け、中庭の面々が救援に駆け付ける時を待つだけ。

その、筈だった。

 

 

「っ……!?」

 

 

それを目にしたのは、偶然だった。

シャルロットのフレイルにより切り裂かれた、狩人の法衣。

破れた懐から零れ落ちる、幾つかの道具らしき物。

その中に、それらは在った。

 

 

「あ……」

 

 

初めは、何か解らなかった。

否、解る筈がなかった。

そんな物を目にした事などこれまでの人生で一度たりとも無かったし、そんな物が存在している等という話を耳にした事も無かった。

だが、それらは。

それら、悪趣味な収集品としか思えないものは。

如何なる理由か、此方の視線を惹き付けた。

その異形なる、得体の知れない代物。

 

粘液に塗れ、おぞましく蠢くそれ。

鹿の角の様な触角を広げ、深淵の輝きを内包したそれ。

明らかに生きていると解る、異常な存在である2匹の『透明なナメクジ』

 

それらを目にした瞬間、自身の内に流れ込んできたもの。

それが何か、アンジェラは知る術を持たなかった。

だが、理解はできずとも、それを感じ取る事はできる。

感じ取ってしまった。

否、それは正しく、彼女の意識の中枢へと割り込んできたのだ。

 

何処までも続く底の無い深淵の闇、その中に瞬く無数の光。

これまでに幾度となく目にしてきた、しかしこれ程までの深淵と無限を宿したものであるなど、考えもしなかったそれ。

母の愛に飢え悲しみに暮れた夜に、己が無力を嘆き呪った夜に。

見上げた視線の先、何時も変わらず其処にあった闇と光。

即ち、満天の星空。

 

だがアンジェラは、その光の中に混じる、確かな異物に気付く。

星の光などでは在り得ない、翠玉色の光。

無数に瞬く星の光の中、ただ2つだけのそれらが、アンジェラの意識を捉えて離さなかった。

これまでに見たどんなエメラルドでさえ、その2つの星が宿す深い輝きには及ぶまい。

そして、アンジェラは気付いた。

 

 

 

あれは『瞳』だ。

 

 

 

それまで必死に押さえ付けていた狩人の腕を離し、自らの右腕を敵へと掲げるアンジェラ。

その動きは意図したものではなく、無意識の内に生じたもの。

相対する法衣の狩人が、呆けた様に動きを止める。

だがアンジェラの意識が向けられているのは、目の前の敵に対してではない。

彼女の意識の内、向けられる翠玉の瞳。

それが語り掛けてくる、たったひとつの切なる願い。

 

 

 

『帰りたい』

 

 

 

その瞬間、何が起こったのかは良く解らない。

だが、無意識の内に敵へと向けていた右腕、その周囲に闇と光が拡がった事だけは覚えている。

自らの内に広がった星空、それと同じ闇と光。

同時に、腕と胴に奔る衝撃。

視界の下方、赤い花が咲く。

 

 

「ぅ……アン……ジェラ?」

 

 

意識を取り戻したらしき、シャルロットの声。

だがその声は、アンジェラの耳に届いてはいても、意識にまでは届かない。

彼女は緩慢に首を動かし、自身の鳩尾へと視線を落とす。

剥がれた皮、抉れた肉。

赤い飛沫を噴き出す、胴に穿たれた穴。

其処はつい先程まで、狩人の腕が突き込まれていた場所。

 

視線を上げる。

アンジェラから数メートルほど離れた場所、床に膝を突いた狩人の姿。

白い法衣は血塗れとなり、右腕はあらぬ方向へと折れ曲がった挙句、骨が肉と皮膚を突き破り露出している。

目元を覆う仮面こそ残ってはいるものの、奇妙な形の帽子は破れ跳び、その下に隠れていた長い金の髪が露となっていた。

だが、本来は美しい輝きを湛えていたであろうそれは、今やアンジェラのものか狩人自身のものかも判らない血で赤く染め上げられている。

 

何が起こったのか。

詳細な事は何も解らないが、明らかに敵は傷付き頽れている。

自身の負傷は、敵が何らかの要因で強制的に距離を置かれた事により、突き込まれていた腕が引き抜かれた際に抉れたものだろう。

だが、そんな事はどうでも良い。

今、自身の意識を捉えて離さないのは、この事故の内に宿った『星空』と、其処に浮かぶ2つの翠玉が訴え掛けてくる意思だ。

 

 

「アンジェラしゃん……? アンジェラッ!」

 

 

憎い。

目の前の『これ』が

『これ』が属していた『あの集団』が、憎い。

 

帰りたかった。

唯、帰りたかった。

それだけだった。

それだけを望んでいた。

 

なのに『あの集団』は『私』を見つけ出すと、まるで『神』の如く祀り上げた。

血を抜き、叡智を欲し、彼等が『瞳』を見出す為に『私』を利用し尽くした。

『私』には祈る事しかできなかった。

既に亡骸となった同胞、その僅かばかりの力の残滓が遺された祭壇を前に、悲嘆と絶望に暮れる日々。

叶う筈もない僅かな希望に縋る『私』に、運命が微笑む事は終ぞなかった。

只管に救いを求める日々は、無慈悲な死神によって唐突に終わりを告げる。

 

あの日。

訪れる者さえ途絶えた祭壇に、あの月の香りの狩人が訪れた夜。

小さな存在を気に留める事もなく祈り続けていた『私』は、猛烈な悪意と敵意、そして殺意と共に襲い掛かってきた痛みに悲鳴を上げた。

咄嗟に抵抗したものの、それを嘲笑うかの様に斬られ、撃たれ、抉られ、穿たれる。

その小さな襲撃者の身体を幾度となく薙ぎ払い、打ち砕き、消し飛ばそうと試みた。

だが、それら必死の抵抗は、捉える事さえ困難な速さの前に全てが躱される。

遂には自らの身体が傷を負う事さえ無視して暴れ狂ったものの、襲撃者は殺意に満ちた攻撃の手を休ませる事もなく『私』の身体を切り刻んだ。

そうして遂に力尽き頽れた『私』の頭部に、その『獣』そのものと化した爪を腕ごと突き込み、頭蓋の内を根こそぎ引き摺り出して『殺した』のだ。

 

 

「……許さない」

 

「え……?」

 

 

許さない。

許してなるものか。

ただ帰りたかっただけ、それだけだったのに。

祀り上げられ、幽閉されて、利用され、殺された。

あの絶望、あの恐怖、あの憎悪。

忘れるものか。

忘れてなるものか。

 

 

「アンジェラしゃん、何を……ッ!?」

 

 

腹に突き立てられた杖もそのままに、両の掌を宙へと翳す。

その手の内に宿る無限の闇、星々の光。

この世界の誰もが未だ知り得ぬ、天空と聖域の更に先、星の海の闇と光。

 

シャルロットは息を呑んだ。

アンジェラの手の内に宿る光、それは正しく敵の狩人が用いたものと同じ、あの炸裂型の追尾魔法と同じものだった。

だが彼女には、全く同じものとは思えなかった。

吸い込まれそうな、何処までも深く沈み込む様な闇。

その中に瞬く無数の、それこそ千とも万ともつかぬ星々の輝き。

目に見える数以上の星の光が、闇の中に内包されている事を、シャルロットは生命ある者としての本能で以って感じ取っていた。

そして直後、アンジェラから放たれた声、常の彼女とは思えぬそれに凍り付く。

 

 

 

「『消えて』」

 

 

 

法衣の狩人が身を翻し、室外への逃走を図る。

だが、遅い。

アンジェラの頭上、翳された掌の間から、周囲へと広がる星空。

聴こえる鐘の音は、果たして幻聴か。

そして闇の中に瞬く光、その幾つかが輝きを増し、遂には凄まじい高音と閃光と共に弾けた。

 

 

「な……!?」

 

 

シャルロットが目にしたもの。

それは、流星と化した幾つもの星の光が、衝撃波さえ伴って射出されるという異常な光景。

流星の速度は、狩人が用いていたそれを圧倒的に凌ぐ。

閃光纏う矢と化したそれらは、漸く室外へと到達したばかりの狩人、その背へと殺到。

無慈悲にその背を喰い破り、そして。

 

 

「きゃ……!」

 

 

閃光が、城の一画を白く染め上げた。

 

 

 

============================================

 

 

 

「ッ……最悪……!」

 

 

吐き捨てつつ、身を隠した無人の民家にて、フェアリーは自身の左腕に布を巻き付ける。

生地を染める赤はすぐに布の表層へと滲み出し、やがて雫となって床へと落ちた。

 

 

「痛ッ……」

 

 

額に滲む脂汗は、腕から奔る痛みによるもの。

フェアリーの腕には一筋の深い傷が刻まれ、其処から休む事なく血が零れ出していた。

あの、大剣の狩人が繰り出す斬撃を躱し切れず、切っ先が腕を掠めたのだ。

掠めただけとはいえ大質量の大剣、傷は骨にまで達しているだろう。

 

幸いな事に、相手は距離を置かれた際の攻撃手段に乏しいらしく、路地を利用して彼我の距離を空けると攻撃は止んだ。

このまま逃げ続けていれば、いずれは信号弾を目にして駆け付けてきた他の狩人と鉢合わせるだろう。

そうなれば状況を有利に運ぶ事が出来る筈。

そんな考えは、追跡の最中に敵が放り投げた瓶、その内容物によって御破算となった。

 

瓶の中身は血液。

濃密な匂いを漂わせる、大量の『人血』だった。

そして暫しの後、王都の各地から無数の遠吠えと叫びが上がったのだ。

周辺の獣がこの区画へと殺到を始めたのは、そのすぐ後だった。

銃声から察するに、同時に狩人もまた集結を始めていた様だが、しかし獣への対応に追われているらしく未だ接触できていない。

となれば自ら現状を打開せねばならないのだが、問題は自身の得物だった。

 

 

「これじゃあ、もう……」

 

 

足元に転がる、嘗て弓だったものの残骸を見やるフェアリー。

それは躱し切れなかった大剣の直撃を受け、半ばから無残に折れ飛んでいる。

尤も弓が無事であったとして、この腕では矢を番える事さえできないだろうが。

深く息を吐き、壁に背を預けて力なく腰を下ろす。

考えるのは、あの瓶入りの血液が振り撒かれた際の事。

 

あの時、自分は撒き散らされたそれが『人血』であると、ものの数秒で気付いた。

距離が離れていたにも拘らずだ。

背後から風に乗って漂う匂いが、濃密な人の血のそれだと判別できてしまったのだ。

モンスターのそれ、他のどんな生き物のそれとも異なる、甘く絡み付く様な匂い。

衝撃だった。

何故、そんなものを嗅ぎ分けられるのか。

何故、それが人の血だと自分は確信しているのか。

訳が分からなかったが、それ以上に自身が衝撃を受けているのは、また別の事だ。

 

 

「……どうして……!」

 

 

あの、漂う『人血』の匂い。

自分はそれを嗅いだ時、何と考えただろうか。

戦慄しただろうか。

恐怖しただろうか。

拒絶を、嫌悪を、込み上げる吐き気を覚えただろうか。

 

否、どれも違う。

嫌悪も、恐怖も、吐き気も覚えなかった。

自分が覚えたものは、ただひとつ。

 

 

「嘘だよ……こんなの……!」

 

 

『甘い』と。

甘く濃密で、酷く飢餓感を覚える『香り』だと。

仲間たちと共に口にした酒とはまた異なる、比較にならぬ程の『酩酊』を齎す香しさだと。

自分は、そう感じたのだ。

 

あれを直接口にしたならば、一体どれ程の酩酊を味わえるのだろうか。

どれ程に素晴らしい香りを味わえるのか。

舌に蕩け、喉を潤し、臓腑に絡み付く濃厚な『人血』は、どれ程の悦びを齎してくれるものだろうか。

 

 

「嫌ぁ……!」

 

 

頭を抱え、身を縮こまらせる。

幾ら振り払おうとしても、あの『人血』の甘い香りが脳裏から離れない。

嘗て聖域で口にしていた花の蜜。

あの『人血』がそれ以上の多幸感を齎すものだと、そう確信してしまっている自分が内に居る。

あんなおぞましいものを、口にしたくて堪らないと渇望する自分が、確かに存在するのだ。

蜜よりも、甘味よりも、あまり自身に合わなかったとはいえ嗜好品である酒よりも。

その何よりも、あの『人血』を啜ってみたいと望む自分。

それが何よりも恐ろしく、おぞましい。

 

自分自身の変化に恐怖するフェアリー。

膝を抱え、幼子の様に身を震わせる彼女を、しかし状況は見逃してはくれなかった。

窓の外、割れたガラス片を踏みしめる音。

 

 

「っ……」

 

 

咄嗟に息を潜め、更に身を縮ませるフェアリー。

傍らの卓上、其処に置かれた瓶の表面に浮かび上がるのは、通りを隔てて炎上するはす向かいの家屋の炎。

そのオレンジの光の中に、屋外に佇む人影が映り込む。

影の輪郭はぼやけているものの、その人物が肩に担いでいる物の形状ははっきりと認識できた。

幅広の大剣。

即ち、影の主はあの狩人だ。

どうやら、周囲の物陰に此方が潜んでいないか捜索しているらしい。

 

咄嗟に、懐へと仕舞い込んでいた信号銃を取り出す。

音を立てぬよう、慎重に銃身を折るフェアリー。

露になった薬莢を抜き取り、その内部を覗くと苦々しく表情を歪める。

 

駄目だ、やはり内部が空になっている。

どうにか再利用できないかと考えたが、そう上手く事が運ぶ訳がない。

この銃で状況を切り抜ける事は不可能だ。

そう考えた時、彼女は異変に気付く。

 

 

「え……」

 

 

手の中の薬莢、その側面。

其処を、何かが這いずっている。

窓から差し込む月明かりに照らされ、怪しく光るそれ。

 

咄嗟に床へと視線を落とす。

其処には、腕から滴り落ちた自身の血が、幾つもの染みを作っていた。

だが、少ない。

思っていたよりも遥かに少ないのだ。

血が止まったのだろうかとも考えたが、傷の深さからしてそれはないと否定する。

ならば、零れた血は何処へ。

 

 

「な、あ……!?」

 

 

左腕へと視線を移し、絶句する。

止血の為に巻き付けた布、其処から手首へと向かう幾筋もの赤い線。

蠢くそれらは、紛れもなくフェアリー自身の血液だ。

傷から手首へ、手首から指へ。

そして指から、其処に掴まれた薬莢へ。

空になったその内へと潜り込む、意思あるが如く蠢く血の流れ。

やがて、絶句するフェアリーの眼前でその流れは止まり、滲み出す血が再び床へと零れ落ちる。

 

 

「何、これ……?」

 

 

再度、薬莢の中を覗き込む。

空になった筈の其処には、赤黒い結晶が詰まっていた。

恐らくは、彼女自身の血液が凝固した物。

数秒ほど、唖然として手の中の信号弾を見詰めていたフェアリーだったが、やがて緩慢な動きで給弾口へとそれを装填する。

慎重に銃身を戻し、引き金に指を掛けて目を閉じた。

 

驚いたが、恐らくはこれも狩人の業だろう。

抵抗感からあまり狩人についての説明を受けた事はなかったが、もう少し詳しく話を聞いておくべきだったか。

否、これまで銃を扱う機会など無かったのだ。

こんな業が在ると知っていたとして、それを活かす機会などこれまでに無かったのだから、致し方ない事だろう。

だが、やはり自分がフェアリーという存在から掛け離れた代物に成り果ててしまったという事実を、こうして目に見える形で実感するというのは酷なものだ。

ただ今は、感傷に浸るよりも優先すべき事がある。

 

窓枠に指を掛け、息を潜めて外の様子を窺う。

外に人影は無い。

獣共も、目に見える範囲には居ない様だ。

炎上中の民家は既に半ば倒壊し掛けており、通りには灰や瓦礫が散らばっている。

これから王城に戻り、仲間達と再合流するのが最良の選択肢だろうが、しかし道中であの狩人か獣に遭遇する確率は高い。

そうなれば、抵抗の手段はこの信号銃だけだ。

何処まで通用するか知れたものではないが、無いよりはましだろう。

 

 

「……行くしかないか」

 

 

覚悟を決め、ゆっくりと立ち上がる。

壁伝いに扉まで移動し、静かにドアを開けるフェアリー。

廊下に人影なし。

背中に腕を回し、其処にある幾つかのボタンを外しておく。

 

このまま裏口まで移動し、路地を伝って城まで戻るべきだろう。

経路を定め、室内から1歩を踏み出した、その時。

隣の部屋から聴こえた、微かな物音。

瞬間、反射的に身を伏せる。

 

 

「ッ、な……!?」

 

 

ほぼ同時、屈めた背中の直上を突き抜ける大剣の刃。

薄壁一枚の向こうから、壁ごと此方を串刺しにしようとしたらしい。

転がる様にしてその場を離れ、身を起こすと同時に後退る。

僅か3・4m前方、力任せに壁を破壊して姿を現す、眼鏡を掛け学者風の出で立ちをした男。

振り抜いた大剣を担ぎ直し、一息に此方へと肉薄してくる。

身を翻し、駆ける先は裏口ではなく通りに面した出入口。

肩口から身体をぶつける様にして表に飛び出すと同時、足首に奔る熱。

 

 

「あうっ!?」

 

 

次の1歩を踏み出す事ができず、足を縺れさせて転倒するフェアリー。

石畳に叩き付けられ転がる身体。

意にそぐわぬ動きが止まった時、彼女は自分に何が起こったかを理解した。

斬られたのだ、足首を。

 

 

「ぐ、うっ……!」

 

 

足首から溢れた血が、履物を濡らす不快感。

直後、電流の様な痛みが足首から全身へと奔った。

 

 

「いッ……ぁ!」

 

 

思わず零れる声。

しかし、どうにか仰向けに身体を起こすと、細身の片手剣を手に歩み寄って来る男の姿が目に入る。

その背には、幅広の刀身の影。

 

『仕掛け武器』だ。

恐らくは片手剣と、両手持ちの大剣を使い分ける類の武器。

大剣の刀身は、片手剣の鞘としても機能しているのだろう。

否、鞘そのものが大剣の刀身なのか。

手数と速さに優れる片手剣、間合いと一撃の威力に優れる大剣を使い分ける武器、といったところだろう。

大剣から片手剣を分離させ、その取り回しの速さで以って、逃げる此方の足首へと斬り付けたらしい。

 

そんなフェアリーの思考を肯定するかの様に、男は片手剣を自身の頭上へと翳すと、その刀身を下に向けて垂直に落とす。

金属同士が擦れ合う異音と、何らかの金具が組み合わさる重々しい音。

次に男が柄を持ち上げた時、その刀身は細身の剣ではなく、壮麗な装飾を施された大剣と化していた。

止めを刺すつもりだろう、ゆっくりと此方へ歩み寄ってくる男。

何とか立ち上がろうとするも、先程の衝撃により咳き込んでしまうフェアリー。

両腕で胸元を押さえ、口内を切ってしまったのか血の入り混じった咳を繰り返す。

どうにか呼吸を整えると、彼女は震える声で言葉を紡ぎ出した。

 

 

「ッ……何が目的なの、貴方たちは……」

 

 

答えは無い。

男は無感動に歩を進め、右手のみで保持していた大剣の柄に左手を掛けた。

それでも、フェアリーは言葉を止めない。

 

 

「知っているわ、貴方たちの正体……『カインハースト』!」

 

 

其処で初めて、男は脚を止めた。

僅かに眉を顰め、胡乱げにフェアリーを見つめる。

その様子に、フェアリーは更に言葉を投げ付けた。

 

 

「貴方たちの目的は『女王』が赤子を授かる事の筈でしょう!? こんな事をして何に……」

 

「的外れだ」

 

 

目を剥くフェアリー。

彼女の言葉を断ち切って放たれたそれは、眼前の男が初めて発した声。

言葉だけでなく、その内容をも斬って捨てた彼は、無感動に続ける。

 

 

「『汚れた血族』の目的など知った事ではない」

 

「え……?」

 

「我等は『星の娘』に代わる『聖体』を求めるのみ」

 

「星の……」

 

「新たなる『聖杯』は此処に。即ち『宇宙』もまた、この地に宿る。なれば新たなる『聖体』もまた此処に宿るだろう……誇りたまえ、君たちは『宇宙』への階となる」

 

 

先程までとは打って変わって、饒舌に語る男。

その声に、その瞳の内に宿る、確かな熱狂。

無表情ながら抑え切れずに滲み出る興奮に気圧され、倒れたまま腕を使い後退さるフェアリー。

彼女はただ、目の前の男が恐ろしかった。

 

何を言っているのか、半分も理解できない。

だが、ひとつだけ確心した事がある。

この男は自らの目的の為に、この都市を生贄として捧げるつもりだ。

そして、その事について一片の疑問も、罪悪感も抱いてはいない。

それを、当然の事だと思っている。

誇りに思え、とまで言い切った。

狂っている、まともじゃない。

 

 

「正気じゃない……狂ってるわ、貴方たち!」

 

 

知らず、フェアリーは叫んでいた。

自らの内に燻り出した炎、それを抑え切れなかった。

堪え切れぬ激情を音に乗せ、自らの声として吐き出し続ける。

 

 

「『宇宙』だの『聖体』だの! そんな事、この街の人たちには関係なかった! 知った事じゃなかったのよ! なのに、そんな勝手な理由で……!?」

 

 

言葉は、またしても強制的に中断された。

正確には、フェアリー自身が発言を打ち切って、咄嗟に横へと身体を転がした為だ。

一瞬遅れで耳に届く風切り音と、石畳を叩き割る轟音。

細かな石飛礫が背中を打つ中、頭を擡げて先程まで自身が居た場所を見やるフェアリー。

其処には、石畳を割った大剣の刀身が半ばまで埋もれていた。

フェアリーの全身から血の気が引く。

再び剣の柄を握る男へと視線を移せば、其処には先程までの熱が嘘の様に消え失せた、作り物宛らの顔があった。

男の口が、静かに開く。

 

 

「私達の存在が知られるのは、好ましくない」

 

 

石畳から大剣を引き抜き、右肩に担ぐ様にして構える男。

倒れたままのフェアリーへと向き直り、ゆっくりと歩を進める。

 

最早、何を言っても無駄だろう。

此方に止めを刺す、目の前の男からはその意思しか感じ取れない。

必死に腕を動かして後退り、距離を置かんとするフェアリー。

だがそれも燃え盛る民家の熱と、周囲に舞い落ちる火の付いた無数の木片、そして渦を巻く火の粉によって阻まれてしまう。

 

 

「く……!」

 

 

背中に感じる熱に、思わず呻く。

そんなフェアリーの眼前で立ち止まった男は、肩に担いでいた剣の柄を頭上へと掲げた。

 

 

「大いなる叡智に触れられるのだ、黙して受け入れ給え……神秘に見えるは人の幸福なのだから」

 

 

一方的に過ぎる戯言を吐くや、彼はフェアリーの身体を両断すべく剣を振り下ろそうとして。

 

 

「ひとつ、忘れてるわ」

 

 

唐突に放たれたその言葉に、知らず動きが止まる。

フェアリーの背面、拡がる虹色の光。

男の双眸が、限界まで見開かれる。

 

 

「此処は、貴方たちの世界とは違うのよ」

 

 

フェアリーの背中に現れた、二対の虹色の薄羽。

余程に信じ難い現象だったのだろうか、軽く口さえ空けて呆然とする男の目の前で、フェアリーは自らの羽を全力で震わせた。

フェアリー達の羽は、一見するとトンボやカゲロウに似たそれだが、実際には羽搏く事によって浮力を生み出している訳ではない。

それらの昆虫と同様に高速かつ小刻みに動かす事で風を起こす事もできるが、飛翔の際には羽根を集束器官として凝縮したマナからの加護を得て宙に身体を浮かべるのだ。

仕組みとしては、嘗て各国が運用していた『空母』の浮遊機関と大差ない。

 

だがこの時、彼女は集束したマナで大気を掻き乱すのみならず、羽そのものを激しく振動させてまでして人為的な突風を引き起こした。

その規模は、アストリアで室内の調度品を吹き飛ばした際の比ではない。

人間と同じまでの大きさの身体となり、同じくそれに見合うだけの大きさと化した羽。

それが巻き起こす風は『風の精霊』によるもの程ではないにせよ、人の動きを封じ周囲の物体を無差別に宙へと巻き上げる旋風を引き起こすには充分なものだ。

そして、この瞬間にフェアリーが位置する場所、燃え上がる民家の傍という環境でそれを引き起こしたならばどうなるか。

 

 

「ッ、ぐ……!?」

 

 

大量の火の粉と、燃える無数の木片。

それらがフェアリーを中心に渦を巻き、大剣の狩人へと襲い掛かる。

突如として発生した炎の渦。

不意を突かれた狩人には、咄嗟に腕で顔を庇う程度が限界だったろう。

彼はそのまま、赤い熱風の壁の直撃を受けた。

無数の尖った木片が体中に突き刺さり、それらに宿る火が衣服へと移り風に煽られ燃え上がる。

更には渦の中の火の粉までもが次々と衣服に燃え移り、狩人の身体は見る間に炎によって覆われてゆく。

 

こうなっては、最早フェアリーに止めを刺すどころではないだろう。

だがそれは、相手が常人であればの事。

『狩人』でなければの話だ。

 

衣服の殆どを火に包まれながらも、男は顔を庇う事を止め、あろう事か再び大剣の柄を両手で握り締めた。

そのまま、渾身の力で以て刃を振り下ろさんとする。

この程度の負傷、返り血を浴びればどうという事はないとの判断だろう。

他者の血を浴びる事で傷を癒す、狩人だからこそ下す事のできる判断。

だが、刃を受ける側であるフェアリーが、その行動を黙って見ている訳がない。

 

 

「ッ……!?」

 

 

瞬間、狩人から零れる苦悶の声。

その原因は分かり切っている。

周囲一帯を震わせる程の鐘の音と、彼の喉元に突き立った赤い光を放つ弾体。

信号弾だ。

仰向けに倒れたままのフェアリーの手には、引き金が絞られたまま、銃口から微かに白煙を燻らせる信号銃。

 

大量の火の粉と自身を焼く炎に視界を遮られている以上、攻撃は直前に此方を確認した位置へと行われる筈。

そう読んだフェアリーは、敵が此方の攻撃を躱す確率は低いと踏み、自ら距離を詰めてきた狩人へと至近距離から信号弾を撃ち込んだのだ。

結果、予測は的中。

銃を構えても敵は身を躱す素振りさえ見せず、そのまま射出された信号弾の直撃を受けたのだ。

此処までは良い。

だが問題は、それでもまだ敵は絶命に到っていない事、炎の旋風を巻き起こしたフェアリー自身が炎に巻かれている事だ。

衣服の其処彼処に、透き通った虹色の羽に。

其処彼処に燃え移った炎が自身を焼き始めた事を、彼女は明確な苦痛として感じ取っていた。

 

 

「ウアアアアアッッ!」

 

 

そして彼女は、その身を跳ね起こす。

自身に残された力、その全てを振り絞り、負傷による痛みさえ無視して敵へと跳び掛かる。

迷いは無かった。

迷う暇など無かった。

こうしなければ死ぬ、唯その確信だけがあった。

だからこそ、本能に突き動かされるがままに、自分が何をしているかさえ理解できぬままに。

彼女は敵の懐へと飛び込み、そして。

 

 

「が……ッ!?」

 

 

渾身の力で、右腕を敵の鳩尾へと突き込む。

指先から手首にかけて纏わり付く、生温かく柔らかい、粘着く様な塗れた感覚。

手の内に触れた柔らかい塊を、有らん限りの力を込めて握り締める。

聴くに耐えない、苦悶に満ちた呻き声。

そのまま、相手の身体を肩で弾く様にして突き飛ばすと同時、手の中の塊を握り締めたまま身体全体を捻る様にして右腕を引き抜く。

 

 

「が、げ……!」

 

 

爆ぜる赤、全身に降り掛かる熱い飛沫。

忽ちの内に衣服の炎を消し去った程に大量のそれは、フェアリーの全身を赤黒く染め上げてゆく。

同時に、火に焼かれ赤く爛れ始めていた彼女の皮膚は、飛沫を浴びるや否や見る間に元の透き通った色を取り戻していった。

虫食いの様に焼け崩れていた薄羽も、時を巻き戻すかの様に元へと戻り始める。

それは正しく、超常の血により齎される肉体の変貌、返り血を糧とし自らの傷を癒す『狩人』の業。

虹色の薄羽が、透き通った白磁の肌が、翡翠の髪が。

彼女の全てがどす黒い赤に染まり、塗れてゆく。

炎に曝された肌を癒しゆく、赤黒い雫。

 

そして、引き抜いた勢いのまま、背後へと振り抜いた右腕。

その手には袋状の肉塊と、共に鷲掴みにされた紐の様な大量の臓器。

他にも幾つかの器官が、周辺の肉ごと纏めてそれらに付着していた。

それだけでもかなりの重さになるであろう肉塊を、フェアリーは容易く後方へと放り捨てる。

勢いを保ったまま放られたそれらは、民家の壁に当たり耳障りな水音と共に拉げた。

周囲に満ちる、先にも増して濃密な人血の匂い。

 

そうして、数瞬前の凄まじい動きが嘘の様に、負傷した足首から体勢を崩し通りに座り込むフェアリー。

透き通った肌を上気させる彼女、その焦点の定まらぬ瞳は炎と血の赤を映すのみ。

やがて、ふと我に返った彼女の双眸は、目の前で仰向けに倒れた男の姿を捉える。

 

 

「あ……」

 

 

呆けた様な声を零し、その信じ難い光景を見つめるフェアリー。

男の腹は大きく開かれ、その内にある筈の臓器は影も形も無い。

薄暗い空洞の中に、脊椎らしき白い物が見える。

しかしそれでも、男は未だ息絶えてはいなかった。

咳き込み、血の泡を吐き、四肢は痙攣している。

 

 

「あ……え……?」

 

 

ゆっくりと死に向かう男。

その様を呆然と眺めていたフェアリーだが、ふと右手に違和感を覚え其方へと視線を投じる。

そして、驚愕した。

 

 

「ヒッ……!?」

 

 

恐怖に引き攣る声。

フェアリーの視界、其処に映り込んだそれは在り得ないもの。

 

元の倍以上に伸びた指。

ナイフもかくやとばかりに鋭く尖った指先と爪。

肉片を纏い鮮血に濡れて怪しく輝く硬質な皮膚。

正しく『獣』そのものと化した己の手が、其処に在った。

 

 

「あ……あ……!」

 

 

驚愕と得体の知れない恐怖により、正常に声を発する事さえできない。

異形と化した己の右手から逃れんとするかの様に、腰を抜かしたまま後退るフェアリー。

そして彼女は、自分が何をしたのかを漸く理解する。

 

自分は『狩った』のだ。

あの男、敵の狩人。

此方の生命を狩ろうとした人間、その生命を逆に『狩った』のだ。

アストリアで、この王都で。

モントやルドウイークが見せた、あのおぞましき狩人の業。

獣人や『獣』の臓腑を自らの腕で抜き取る、正気の沙汰とは思えない、あの業。

あれを、自分がやったのだ。

 

 

「ぐ、げ……ぅ……」

 

 

全てを悟ったフェアリーの眼前で、異形と化していた右手が見る間に元の形へと戻る。

残されたのは何時も通りの自らの右手だったが、しかしその手は鮮血と胆汁、臓物の欠片に塗れていた。

思わず左手で口元を覆い、堪え切れずに嘔吐する。

しかし彼女を襲うそれは、悍ましさや嫌悪感からくる吐気ではなかった。

恐怖。

際限なく湧き起こる、自己に対する恐怖だった。

 

 

「ぐ……嘘だ……こんなの……こんなのって……!」

 

 

まただ。

また、思ってしまった。

全身に纏わり付く鉄の匂い、生温かく滑る人血。

強烈なその匂いを、香しいと感じてしまった。

知らぬ間に口に飛び込んでいた血の飛沫に、蕩ける様な甘さを感じてしまった。

腹を開かれ、臓物を抉り出され、今にも息絶えんとする人間の様を見て、一瞬とはいえ抗い難い興奮と快楽を抱いてしまった。

 

 

「いや……いやだぁ……」

 

 

こんなのはおかしい、狂っている。

フェアリーとして、人間としても在り得ない事だ。

人血の匂いと味に酔い痴れ、人の内臓を抉り出す事に喜悦を覚えるなんて。

自分は狂ってしまったのだろうか。

 

否、そうではない。

自分は狂っているのではなく、フェアリーでも人でもないものへと変貌しているのだ。

夢でも現実でも、幾度も宣告されたではないか。

自分は、自分は。

 

 

「私、ほんとに……本当に……!」

 

 

 

『狩人』になったのだから。

 

 

 

蹲り、啜り泣くフェアリー。

そんな彼女の背後で、炎上していた民家が遂に崩れ落ちた。

大量の火の粉がフェアリーに襲い掛かるが、全身を覆う返り血の膜が彼女の身に炎が燃え移る事を防いでいる。

だが最早、彼女は周囲の事などどうでも良かった。

否、周囲を気に掛ける余裕など無かった。

唯々、自らがおぞましい存在に成り果ててしまったという現実に、恐怖し絶望する他なかったのだ。

 

そんなフェアリーの姿を、少し離れた建物の陰から見つめる者があった。

モントだ。

人為的に振り撒かれたであろう、特に濃密な血の匂いを辿り、遭遇する『獣』全てを狩り尽くしながらこの場へと到った時には、しかし全てが終わっていた。

だが、血塗れで蹲り嗚咽を漏らすフェアリーとそのすぐ傍に転がる信号銃、そして内臓を抉り出され事切れた見覚えの在る狩人の亡骸を見れば、此処で何があったかは容易に想像が付く。

 

 

「『メンシス』の……いや、あの剣は『聖歌隊』か……?」

 

 

呟きながら、彼は自身の腰元にあるポーチを探り、赤い液体が封じられた小瓶を取り出す。

小瓶の口には特殊な針が備えられ、その周りを分厚いガラスの蓋が覆っていた。

その蓋を指で弾き飛ばしながら、モントはフェアリーの傍へと歩を進める。

 

先ずは傷を癒さなくては。

本来ならばシャルロットに頼むか、或いは『女神像』の加護とやらを利用するのが最適なのだろう。

残念ながらこの場にシャルロットは居らず、近場に『女神像』がある訳でもない。

尤も、彼女は既に『狩人』となった身。

ならばその肉体を癒す為に最も適しているのは、ヤーナムの『血清』に他なるまい。

 

そんな事を思考しながら、歩を進めるモント。

次いで、再度フェアリーの傍に転がる信号銃へと視線を移した彼は、今後の事について考えを巡らせ始めた。

 

 

 

そろそろ彼女にも『銃』を見繕ってやらないとな。

 

 

 

============================================

 

 

 

「あの……アンジェラしゃんは……」

 

「大丈夫だ、気を失ってるだけだよ……ありがとな、シャルロット」

 

 

心配そうに、しかし何処か怯えている様にも見えるシャルロットに言葉を返し、デュランは女神像の下で気を失ったままのアンジェラを見下ろす。

爆音と閃光に気付いた彼等が礼拝堂に駆け付けた時、其処には既に敵の姿は無かった。

礼拝堂への出入り口周辺の通路や壁面は殆ど崩壊しており、最も破壊の痕跡が酷い箇所の中央には、僅かな肉片と赤黒い染みが残されている。

シャルロットの言葉から、それが敵対する狩人の成れの果てだとの説明は受けたが、俄には信じ難いというのが彼の本音だった。

 

 

「何があったってんだ……?」

 

 

絨毯を丸めた上に寝かされ、浅い寝息を零すアンジェラ。

その顔色は御世辞にも良いとは言えない。

元から雪の様に白い肌は、今や死人のそれに近い青白さとなっていた。

血を流し過ぎたのだ。

シャルロットが言うには『仕掛け武器』の杖によって肩口から横腹までを引き裂かれ、腹を貫かれ、更には腕を直接鳩尾へと突き込まれた上で内臓を引き摺り出され掛けたという。

背後にあった『黄金の女神像』の加護を利用した事で傷を癒す事は可能であったが、しかし敵の動きを封じる為にそれを利用した事で、更なる出血を強いられたらしい。

詳細を聞いた騎士団の面々が、デュランも含め蒼白になる程に無謀、かつ自己犠牲的に過ぎる作戦。

デュランは、それを自ら立案し実行したアンジェラに末恐ろしいものを感じると同時、救援が間に合わずにそんな事を実行せざるを得ないまでに追い込んでしまった自らを恥じる。

何せこの場に到着した際に目にした光景は、意識を失ったまま仰向けに寝かされたアンジェラの傍で、女神像の加護と自らの『ヒールライト』を用いて彼女の傷を癒しつつ、腹に突き立ったままの杖を必死に引き抜こうとしているシャルロットの姿だったのだ。

泣きながら小さくアンジェラの名を呼び続け、鉄製の杖を小さな手で握り締めながら必死に引き抜こうとするシャルロットを宥め、代わりにデュランが慎重にそれを引き抜く。

その間もシャルロットは『ヒールライト』を連続発動し、杖を引き抜く事によって抉れてゆくアンジェラの傷を必死に癒し続けていたのだ。

彼女の魔法と女神像の加護、両者が在るからこそ可能な荒療治だったが、当のアンジェラが意識を取り戻さなかった事は不幸中の幸いだろう。

苦痛に目覚める事もできない程に消耗しているという事でもあるので、一概に喜ぶ訳にもいかないが。

 

 

「理由は解らないでちけど……アンジェラしゃん、敵の魔法を使ったんでち。ただ、威力や速さは段違いでち」

 

「元はモントの世界の魔法だからな。本場の連中に劣っても……」

 

「逆でち、段違いに強力だったんでち」

 

 

その言葉に、デュランはシャルロットを見やる。

彼女は、何か恐ろしいものを見るかの様に、アンジェラの傍に転がる『仕掛け武器』の杖を見つめていた。

 

 

「……良く解らないが、何か兆候とかは無かったか? いきなり敵の魔法を真似るなんざ、幾らコイツに才能があるとはいえ不可能だろ」

 

「そう言われまちても……」

 

「う……」

 

 

その時、アンジェラが小さく声を上げる。

皆の視線が彼女へと集中する中、彼女は額へと手をやり薄らと目を開けた。

 

 

「アンジェラ!?」

 

「アンジェラしゃん……! 良かった、目が覚めたんでちね!」

 

「無理するな、そのままで……アンジェラ?」

 

 

意識を取り戻したアンジェラの傍らに寄り添い、今は休むべきだと促さんとするデュラン。

だがすぐに、彼女の様子がおかしい事に気付く。

額に翳した手を動かし、まじまじと見つめるアンジェラ。

やがて彼女は自らの傍に転がる杖へ視線を移すと、迷う事なく手を伸ばしそれを掴んだ。

 

 

「おい!?」

 

「アンジェラしゃん!?」

 

「何を騒いで……おいアンタ、まだ動いちゃ……」

 

 

周囲の制止を余所に、徐に立ち上がるアンジェラ。

彼女が纏う得体の知れない雰囲気を前に、誰もが止める術を持たなかった。

そのまま『仕掛け武器』を手に室外へと出た彼女は、壁に向かって立ち杖を強く握り締める。

 

 

「何……やってんだ、アンジェラ? 本調子じゃねえんだから……」

 

「離れてて」

 

 

言い捨てるとアンジェラは自身の右手、先端を前方へと向けて握った杖を左肩の上まで振り被り、其処から一息に右下方へと振り抜いた。

瞬間、アンジェラの眼前で火花が散り、風切り音が鳴る。

幾つもの小さな金属塊が擦れ合う音。

振り抜かれた杖は、一瞬にして手の中で逆手に持ち変えられていた。

デュランが、騎士団の面々が目を瞠る。

 

『仕掛け武器』だけあって、金属製の杖の重量は細身の片手剣程もあった筈。

それをアンジェラはいとも容易く、まるで使い慣れた杖の如く扱っていた。

振り抜かれた杖の速度も然る事ながら、振り抜くまでの一瞬の内に片手のみで逆手に持ち変えるなど、メイス等の扱いに慣れた者でも難しい芸当を自然体のまま行っている。

一体、彼女に何があったのか。

 

そして、当の杖だ。

否、今やそれは杖ではなかった。

蛇腹状に分かたれた金属製の峰は斜めにずれて鋸の様な刃となり、中心を貫く芯がそれらを一列に繋いでいる。

その刃の数は30程にもなるだろうか。

アンジェラはそれを先程とは逆に右の腰元から左肩上方へと、デュラン達でさえ捉え切れるかどうかという速度で振り抜く。

うねり、宙を割く鈍色の閃光。

先程のそれを遥かに超える風切り音、そして金属が石造りの壁を打ち据え削る破壊音。

 

 

「ッ……!?」

 

 

絶句する一同。

アンジェラの正面3mほど離れた石壁には、くっきりと解る程の破壊の痕跡が生じていた。

彼女が振り抜いた杖の軌跡をなぞる様にして、石壁へと斜めに刻まれた4mを超える直線状の破壊痕。

音を立て周囲へと飛び散る、細かな石飛礫。

同時に振り抜かれた杖が、アンジェラの手の内で金属音と共に蛇腹状の形態を取り戻す。

 

デュランは見た。

アンジェラが杖を振るった瞬間、その蛇腹状の峰が大蛇の様にうねり『伸びた』のだ。

長大な金属製の『鞭』と化した杖は、一瞬の内に石壁を打ち据え削り取り、大剣を一閃したかの如き傷痕を刻み込んだ。

斬ったというよりは、削り取ったという方が正しい。

あれは『鞭』でありながら、モントの槍と同様『ノコギリ』としての性格も併せ持っているのだろう。

そこまで思考し、彼は気付いた。

 

あれは、ケヴィンの得物と同じだ。

『獣肉断ち』とかいう銘のノコギリ。

大質量による打撃力と、刀身を分裂させた際の広範囲制圧力。

強靭な獣の毛皮を強引に削り取った上で、連続する不揃いな刃により治療困難な傷を与える能力。

凡そ通常の武器では成し得ない、幾つもの凶悪に過ぎる能力を併せ持った『仕掛け武器』。

あれよりも制圧範囲は狭く、また威力も低いだろうが、根本的な設計思想は同じところに帰結するであろう武器なのだ。

杖として運用しても十分な打撃力を備えているであろうそれは、変形により鞭としての機能を露にする事でより凶悪な武器と化す。

特に対人用、または通常のモンスター相手ならば、あれ程に恐ろしい武器も無いだろう。

何しろ迅い。

手元の動きも然る事ながら、其処から一泊遅れで襲い来る鞭の迅さときたら、もはや目視など不可能だ。

一瞬の内に肉を、骨を削ぎ取られる事になるだろう。

ケヴィンのそれに比べ遥かに軽量であるが故、間合いや威力と引き換えに圧倒的な速度がある。

成る程、アンジェラが肩口から腰に掛けて刻まれた傷というのは、あの鞭の攻撃による負傷だったのか。

 

そんな事を考えながらも、デュランの脳裏には更なる疑問が浮かび上がる。

何故アンジェラは、この『仕掛け武器』を手足の様に扱えるのか。

それ以前に、どうやって敵の魔法を覚えた。

モントの話では、発動の原理さえこの世界の魔法とは異なる筈だ。

一体、此処で何が起こったのだ。

 

 

「ねえ」

 

 

言葉が見付からず、無言のままに佇む一同。

そんな彼等へと、振り返る事なくアンジェラは言葉を紡ぐ。

 

 

「魔法陣を探しましょう。術式を止めれば、この惨劇も終わる筈よ」

 

 

ゆっくりと振り返るアンジェラ。

その瞳を見た瞬間に、その場の誰もが凍り付く。

 

 

「此処は『ヤーナム』じゃない。『医療教会』も存在しない。それを解らせてやらなくちゃ」

 

 

彼女の瞳は。

彼女の、夏の満月の様な黄金色の瞳は。

 

 

 

 

 

「『宇宙は空にある』……その傲慢、命を以って償わせてあげる」

 

 

 

 

 

エメラルドの様に透き通った、深淵なる翠の光を宿していたのだから。

 

 

 

 




1年以上も間を空けてしまい申し訳ありません。
とにかく忙しかったりFGOのSSに浮気したりしてましたが、時間が出来たのでちょいと更新。

いやあ、アニメ版ブラボもナイス啓蒙でしたね!(発狂)
各地で『旧主の番人・ミライ』の遺影が表示される演出とか原作に忠実ですごーい(Majestic)!
特にあの、主人公の血の遺志を友邦の獣が継ぐところとか最高でした。
クライマックスの血に酔った獣の結集とか、集中的に足を狙ってからの内臓(石)攻撃とか、幸運の人形が船と共に海に沈むところとか……
呪いと海に底は無く、故に全てを受け容れるからね、仕方ないね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

古狩人たち

 

 

 

「おや、見慣れない客人だ。済まないな、この様な有り様で」

 

 

漸く到達した玉座の間は、燦々たる有様であった。

真紅の絨毯は千切れ飛び、同じく見事な赤に染め上げられた幾枚もの垂幕は、その悉くが微塵と化すか燃え墜ちている。

歴代の王の甲冑は吹き飛ばされ、酷いものでは拉げているものさえあった。

大理石の柱には幾つもの斬撃の跡が刻まれ、幾本かは粉々に砕けている。

元は優美かつ壮麗な意匠が凝らされていたであろうステンドグラスも、今や完全に粉砕されて細かなガラス片と化していた。

元の様相が解らない程に荒れ果てた玉座の間。

その半ば崩壊した玉座の前、彼は紫電を纏う長剣、鮮血に塗れたそれを手に佇んでいた。

この草原の国、剣と武に拠って立つ国を統べる王。

 

 

「此方こそ申し訳ない。遅れ馳せながら、この様な状況とはいえ帯剣したままの謁見をお許し願いたい」

 

「構わぬよ。私も錆び付いているとはいえ武人の端くれ、この状況下では当然の事だ」

 

 

異国の礼を取るルドウイークに自然体で言葉を返しながら、彼は玉座に置かれていた王冠を手に取った。

そして、幾分ぞんざいな扱いでそれを自らの頭上に乗せると、呆然と自身を見つめる騎士達へ指示を飛ばす。

 

 

「ディート、王都の現状を報告せよ」

 

「……ッ、はっ! 現在、王都にて展開していたアルテナの軍勢は、その殆どを討ち取ってございます。しかしながら、王都には故知れぬ『獣』が溢れ、民にも兵士にも甚大なる被害が出ております」

 

「『獣』……して、討伐の状況は?」

 

「各方面にて戦闘中でありますが、此方の……ルドウイーク殿を始めとする『狩人』の面々が王都に来援、獣狩りに尽力を頂いております」

 

「狩人……」

 

 

フォルセナ最高指導者、リチャード王。

12年前、世界を支配せんと戦いを挑んできた異種族の王『竜帝』を討ち取り『英雄王』として讃えられる人物は、再びルドウイークへと視線を移した。

リチャード王の衣装は破れ、常から身に付けているのだろうか、破れた生地の下からは無骨な鎧が覗いている。

真紅に染まった、元は見事なものであったろう白髪と白髭。

同じく赤に塗れた、一見して実用性重視と分かる装飾に乏しい具足。

額から顎に掛けての赤は、英雄王の額からの出血によるものだ。

しかし全身のそれは、量からしても明らかに他者の血。

彼が手にしている長剣と同様、何者かを斬った事により浴びた返り血だ。

 

 

「オークラング村の西に現れた集落……その住民の事かね」

 

「はっ、その通りで御座います!」

 

「……御存知でしたか」

 

「国内の事ならば仔細漏らさず耳に入る、と言いたいところだが……この有様では、そう大きな顔はできないな。ベルゲン!」

 

「は!」

 

 

英雄王の声に、傍らの騎士が応える。

彼を含め、英雄王の傍らには6名の騎士が控えていた。

その鎧は他の兵士達とは大きく異なり、青地に黄金の装飾が施された、独特の軽量化を施された物を着用している。

兜は頭部を完全に覆うものではなく、額から頬に掛けてを防護する黄金色の頬当てのみ。

余程に個々の実力に自信があるのだろう、防刃性能よりも装着者の動きを妨げない事を優先しているらしい。

彼等こそがフォルセナが誇る上級騎士、その中でも最精鋭に当たる近衛騎士団だ。

 

しかし今、彼等は例外なく傷付き血を流していた。

鎧には無数の傷が刻まれ、肌も衣装も自身のものと返り血とに塗れている。

英雄王と同様にだ。

彼等はルドウイーク達が玉座の間へと踏み入る直前まで、自身等の主君と共に不躾な侵入者たちと戦っていたのだ。

名を呼ばれたベルゲンという男もまた、そうした満身創痍の上級騎士、その1人であった。

 

 

「ジャン、ロメオと共に市街へと向かえ。狼煙を上げ、戦況と残存戦力を把握せよ。運用法の漏洩を気にする必要はない、必要な狼煙を使え」

 

「御意」

 

「先方が敵対的な行動を取らぬ限り、此方から狩人に刃を向けてはならぬ。協力し『獣』の排除に当たれ」

 

「英雄王様。市街より脱出した民についてですが、持ち出せた食料・物資では些か心許ないかと」

 

「各区の備蓄を解放する。『獣』の排除を以って兵を輜重隊と消火隊に二分し、主要各門近辺に野営拠点を設けるのだ。野営地構築と消火作業を並行して進めよ……お前達には伝令を頼みたい。疲れているだろうが、民の為にもう一働きして貰うぞ」

 

「御意!」

 

「ああ、ラングは残れ。これまでの推移を詳しく聞きたい」

 

 

そうして騎士達が次の行動に移る様を見届け、億劫そうに玉座へと腰を下ろす英雄王。

深々と溜息を吐き、その背を半壊した背凭れへと預ける。

 

 

「やれやれ……やはり私は、王の器などではないな。こうして剣を振り回している方が、どれだけ己に向いている事か」

 

「ご謙遜を。これだけの騎士達を統率するなど、並大抵の才覚では不可能だ。況して剣を振るうだけが脳の人間には、あの様に的確な指示など出せる訳がない」

 

「そういって貰えるのは光栄だが、私にはやはり前線が似合っている。今も此処を飛び出したくて堪らん」

 

「武人の性、ですかな」

 

 

玉座に立て掛けられた血塗れの長剣を見やり、問い掛けるルドウイーク。

その言葉に、我が意を得たりとばかりに、英雄王は薄い笑みを浮かべる。

 

 

「長らく実戦を離れていたところに、極上の敵が飛び込んできたのだ。情けない事だが、未だに血の昂りが収まらん」

 

「『彼等』は私も良く知っている。纏めて相手したともなれば、血が騒ぐのも致し方ありますまい」

 

「いや、実に滾る戦いだった。彼等が居らず、私1人であれば間違いなく死んでいた」

 

「しかし、色々と試す余裕はあったとお見受けするが」

 

 

今は鳴りを潜めているが、英雄王と近衛騎士たちの剣は、つい先程まで紫電の光を纏っていた。

恐らくは騎士団長が見せたものと同じく、武器にマナの属性を付与する魔法によるものだろう。

それはつまり、敵に対する有効な属性を探っていた事になる。

 

 

「ああ……其処の連中には『サンダーセイバー』が有効の様だ。刃の通りが明らかに違った」

 

「我々も『彼等』を相手取る際には、武器に雷を宿らせる道具を用いる事が多い。最適な答えですな」

 

「間違いではなかったか……して、後ろの3人は?」

 

 

此処で初めて、英雄王はルドウイークの背後に控える3人へと言及した。

彼の視線の先では、思わぬ光景に硬直していたホークアイとリース、ケヴィンが慌てて姿勢を正す。

しかし彼等が何かしら言葉を放つより早く、英雄王がその身元を看破した。

 

 

「見たところビーストキングダム、ナバール、ローラントと……ふむ、位も高そうだ。ナバールの彼は兎も角として、其方の2人は王族かね?」

 

 

途端、身を硬くするケヴィンとリース。

何処か懐かしむかの様に、英雄王はそんな2人とホークアイを優しい目で見つめていた。

 

 

「何、2人とも良く似ている……ガウザー殿と、ミネルバ王妃にな」

 

「獣人王……」

 

「母を……ミネルバを御存知なのですか!?」

 

 

無表情に呟くケヴィンと驚きのあまり声を上げるリースに、英雄王は笑みを浮かべる。

一方で、彼の暖かい視線が自らにも向けられている事に気付いたか、訝しげに視線を返すホークアイ。

三者三様の姿に、愛おしいものを見る様な、しかしそれでいて何処か寂寥感の滲む微笑みを浮かべる英雄王。

彼は、此処には居ない誰かに語り掛けるかの様に、言葉を紡ぐ。

 

 

「顔見知りだよ、2人とも」

 

 

小さく紡がれた言葉は、誰の耳にも届かなかった。

音にもならぬそれは獣人たるケヴィンにも、狩人たるルドウイークにも届かない。

 

 

「……顔見知りだとも」

 

 

零れ出た『戦友』との言葉は。

 

 

「報告致します! アルテナの魔法陣を破壊、月が正常に……なっ!?」

 

 

駆け込んできた伝令が、絶句し立ち尽くす。

先程までの騎士達や、ホークアイ達がそうであった様に、彼もまた玉座の間に倒れ伏す『それら』の死体を目にしたのだ。

青白い肌、明らかに人間では在り得ない巨躯、漂う腐臭。

粗末な襤褸を纏うそれらに混じって、酷く傷んでなお高貴さを失わぬ紅のマント、壮麗な装束を纏う1体。

無造作に転がる棍棒、血塗れの肉引き鋸、片手持ちの単発式散弾銃、明らかに人の手に余る巨大な2振りのショーテル。

 

ヤーナムに於いて、聖杯の探索を行う医療教会の探索者たち。

彼等の間では『トゥメル』の墓守として知られる、三人一組の『守り人』。

そして『トゥメル』に於ける嘗ての権力者たち、その連綿と受け継がれてきた力の継承者たる『末裔』。

経験豊富な探索者でさえ、場合によっては為す術もなく屠られる事すらある、危険極まる存在。

それら4体の死体が、玉座の間に転がっているのだ。

 

 

「これは……ッ」

 

「気にしなくて良い、報告を」

 

 

何とはなしに報告を促す英雄王の素振りは、何処までも自然体だ。

しかし傷を負い、自身の血と返り血とに塗れたその姿が。

玉座に立て掛けられた剣にこびり付く夥しい量の血が、彼が成し遂げた事柄を何よりも雄弁に物語っている。

 

『末裔』と『守り人』

このフォルセナの指導者は、一所に現れたそれらを纏めて相手取り、あろう事か自らの手によって討ち果たしたのだ。

既に死体と化したそれらを前に、英雄王とその配下は激しい戦いがあったとは思えぬ程に悠然と構える。

この世界に於いて剣の道の頂に身を置く彼等には、正しく常人ならざる事柄を成し遂げてなお、微塵の傲りも油断もありはしなかった。

 

 

 

============================================

 

 

 

「もうすぐ森を抜ける。目的地はその先だ」

 

「やっとか……獣道しか通ってないな」

 

「こんなの馬で行く場所じゃねえぞ……」

 

 

フォルセナ王都の惨劇から早5日。

聖剣の一行は、モールベアの高原の西を目指していた。

英雄王は事態の収拾と会談を並行して進め、王都に関しては騎士団に任せ一行にローラントへと向かうよう指示。

ルドウイークとフェアリーの言を受けた彼は、時間的な猶予は限られると判断。

其処で、フォルセナの内情に関しては自らと騎士団が対処し、一行は風の精霊『ジン』の協力を得る事を優先すべきと提言した。

モント達は1日を使って疲れを癒した後、用意された補給品を受け取ると同時に馬を手配され、そのまま王都を発つ事となったのだ。

 

故知れぬ『聖杯』と化したフォルセナ王都は、アンジェラによる魔法陣の破壊と同時に『夢』より醒め、現の朝を迎えた。

『獣』は騎士団と狩人たちによって狩り尽くされ、アルテナ軍もまた極僅かな生存者を残して壊滅。

何故かアルテナの空母が支援に現れる様子はなく、彼女たちは見捨てられたものと結論付けられた。

空母内からの大規模転移魔法により王都を強襲した彼女たちは、先ずフォルセナ兵からの事前の想定を遙かに上回る激しい迎撃を受け損耗、次いで王都の『聖杯』化に伴い出現した『獣』によって蹂躙されたらしい。

土地勘があり、状況への即応性に優れるフォルセナ兵は、ある程度『獣』にも対応できた。

武器に属性を付与する『セイバー』系の魔法を使える者が将官クラスに多かった事も『獣』の速やかな駆逐に繋がったのだろう。

一方、敵地である上にフォルセナ兵との戦闘で魔力が枯渇する兵が相次いでいた事もあり、アルテナ兵は最悪の状態で『獣』の群れと相対する事となったのだという。

何より『魔法』は威力は兎も角として、即応性という点に於いて剣に大きく劣る。

『獣』の俊敏性に追随できず、術式を完成させる前に無数の爪と牙の餌食となっていったらしい。

 

こうした当時の状況は、捕虜となった数少ないアルテナ兵の口より語られた。

生きたまま確保された捕虜の数は僅か60名前後、その半数以上が身体の何処かしらを欠損しており、更にその半数は数日以内に死亡すると目されている。

王都に攻め込んだ兵の総数が8,000以上であるというから、凄まじい損耗率だ。

他にも、高原各所に展開している部隊の存在が大地の裂け目で回収した指令書の内容から判明しているが、此方も空母による支援が失われた以上、活動不能になるまでそう時間は掛からないと推測されている。

尤も、物資が不足するとなれば旅人や行商人が襲われる可能性も考えられるので、暫くフォルセナ領内では敗残兵狩りに力を入れる事になるだろう。

アルテナもこれだけの戦力を送り込み、その9割以上が未帰還という甚大な損害を受けている以上、暫く大規模な軍事活動は不可能だろうというのがフォルセナ側の予測だ。

 

この間に迎撃戦力を整えるべく、フォルセナは20年近くも埃を被っていた対空兵器を引っ張り出す事となった。

このマナを用いた大砲の亜種に当たる兵器は、マナそのものの減少に伴い威力も稼働率も低下が止まらない信頼性に欠ける代物だが、無いよりはましという事だろう。

唯、火力の不足分に関しては『工房』が協力して補う事となった。

ルドウイークが中心となり取り決められたそれは、フォルセナ領内への自治区設定に向けた初事業であり、掃射可能な兵器と新型火砲および弾薬の提供を目的とするものになるらしい。

交渉や調整はルドウイークと幾人かの狩人、そして『工房』の人間が行うとの事で、モント達の出る幕は無い。

 

しかしルドウイーク、そして『工房』の人間達は、モント達に狩人の隠れ郷へと向かうよう勧めた。

一応、郷の代表者との面通しを済ませておくべきだというのだ。

この意見に英雄王が賛同し、更にはローラントへの渡航手段についても融通してくれる事となった。

ローラントの窓口となるパロに向かうにはバイゼルを経由せねばならない筈だが、其処は英雄王に何らかの腹案があるらしい。

呆然自失の状態からどうにか持ち直したフェアリーが、ウィル・オ・ウィスプを伴いフォルセナ側の人間と話をしていた事から、ホークアイ曰くマナに何らかの関わりがある移動手段ではないかとの事だが、現段階では詳細は伏せられている。

 

 

「なあ、郷というのはどの程度の規模なんだ? ルドウイークの言葉通りなら、複数の『工房』があるらしいが」

 

「……そうか、アンタは最後の『獣狩りの夜』しか覚えてないんだな。無事な『工房』を覗くのは初めてか?」

 

「ああ」

 

「ヤーナムでは、最盛期には20を越える『工房』があった。その内の幾つかが郷にある」

 

「設備があるのか」

 

「『工房』ごとこっちに来たからな」

 

「なら『仕掛け武器』の新調も可能だな」

 

「その辺はお楽しみだ」

 

 

案内役の狩人と言葉を交わしながら、一行の様子を窺うモント。

郷からは案内の為に狩人が2人、そしてフォルセナ側からは騎士団の一隊と近衛騎士2名が同行している。

フォルセナ上層部は既に郷の存在を掴んでいた事も在ってか、兵はともかく指揮官に動揺は見られない。

郷としても、いずれフォルセナ側に存在が露顕するのは織り込み済みであったらしく、狩人にも必要以上に警戒している素振りは見受けられなかった。

問題は、聖剣の旅の一行である。

 

 

「……あれから、どうだ」

 

「良くないな。デュランは感情を整理できてないし、ケヴィンも様子がおかしい……英雄王との会見からな」

 

「おとーしゃんの事が原因じゃないでちかね。えーゆーおうしゃんは顔見知りだと言ってたんでちね?」

 

「ええ、私の母の事も知っていると……でも、どうしてかまでは教えて頂けませんでした」

 

「身内の件に関してはどうしようもないな」

 

「デュランについては……まあ、家族が無事で良かった。故郷を滅茶苦茶にされた怒りは、当然あるだろう。ただ、それより……」

 

「アンジェラ、ですね」

 

 

そうして皆が、デュランと共に馬に乗るアンジェラの様子を窺う。

あの惨劇の夜以降、彼女は何処か上の空だ。

彼女が重傷を負いながらも敵の狩人を仕留めた事、その際に敵の魔法を習得し使い熟した事は、既に皆が聞き及んでいる。

更には敵の『仕掛け武器』を手足の様に扱い、モントをして熟練者のそれと言わしめる程の腕を有している事も。

何故そんな事が起きているのか、こればかりはモントにもルドウイークにも解らなかった。

否、ルドウイークは何かしら思うところがある様ではあったが、結局それについては触れぬままにフォルセナ側との調整に入ってしまったのだ。

しかしどういう訳か、アンジェラが彼等『狩人』に向ける視線には時折、明確な敵意が入り混じる。

其処には狩人と敵対し重傷を負わされたという以上に、何か拭い難い恐怖と怨恨が潜んでいる様に感じられる程だ。

ところが、当のアンジェラ自身も何故そんな感情を抱くのか理解できていないらしく、リースやシャルロットから気遣いを向けられても困惑するばかり。

挙句には、自身がそういった視線をモント達に向けているという自覚さえ殆ど無かったらしく、指摘を受けて途惑ってさえいた。

 

一方で、時折遭遇するモンスターとの戦闘では、見事なまでの『仕込み杖』の腕前を見せる。

モントから『神秘』を使用する様を見せて欲しいと言われた際には、これまたヤーナムの秘術である『彼方への呼びかけ』を苦もなく発動させてみせた。

モールベアの群れを周囲の地形ごと消し飛ばしたその威力には誰もが驚愕していたが、中でもモントと狩人2人に至っては呆然自失となっていた程だ。

2人は『彼方への呼びかけ』にしては余りに過大な威力に、モントは嘗て目にしたそれと比しての余りの異質さに。

 

嘗てモントは、嫌という程にその『神秘』を目にし、その身を以って威力を体感してきた。

ミコラーシュ、メンシスの狂人。

ビルゲンワースにて遭遇した女狩人、アンジェラが交戦したその人物が使うものとは一線を画す威力のそれを際限なく放つ、外法を用いて『上位者』の智慧へと触れるに至った男。

彼との戦闘に於いてモントは、幾度となくその身に件の流星を受けている。

着弾と共に炸裂する光弾は加害範囲も然る事ながら、その弾速と誘導性も相俟って厄介極まりない代物であった。

躱したと思っても、至近に着弾した流星の炸裂によって吹き飛ばされ、肉も骨も微塵に消し飛ばされること幾度か。

何とか着弾箇所の間隙を縫って回避する術を身に付け、漸く接近が叶っても今度は神秘『エーブリエタースの先触れ』が待つ。

此方もまたビルゲンワースの女狩人が用いるそれとは桁違いの威力を有し、一瞬にして全身を串刺しにされるか、縦しんば直撃を避けたとて体勢を崩され、其処を狙って胴に腕を突き込まれ内臓を掴み出されるという有様であった。

ミコラーシュ自身はメンシス派を主宰する学者であり狩人でない為か、内臓を抉る手際が驚く程に拙く、余計な苦痛を味わわされた苦い記憶がある。

その際に彼が浮かべていた愉悦に満ちた笑みは、今なお思い出すだけでモントの内にどす黒い殺意を呼び起こす程だ。

尤も、最後はカインハーストの呪われた血刀で以って散々に斬り刻み追い詰めた挙句、膝を撃ち抜いて体勢を崩したところに此方の腕を突き込み、内臓の悉くを引き摺り出してやったのだが。

兎も角モントは、幾度となく『彼方への呼びかけ』を目にしてきたのだ。

 

しかし彼女、アンジェラが発動してみせたそれは、明らかにミコラーシュの用いていたものとは異質だった。

加害範囲が広すぎる事、弾速が異常なまでに高速である事、光弾が炸裂した際の威力が桁外れな事、そもそも炸裂前の貫通力が高すぎる事。

数え上げればきりがないが、何より驚いたのはその光景に身覚えがあった事だ。

嘗てのヤーナム、医療教会の『工房』を上った先の扉。

封印されていたその先の、あの忌まわしき聖堂街上層。

其処で彼が目にした2つの流星、非道なる実験の果てに生み出されたそれと、最奥に秘められた忌むべき上位者が用いたそれ。

 

一体どういう事なのか。

問い質す事はできなかった。

アンジェラの傍には常にデュランが控え、余計な詮索が為されぬよう彼女を護っていたからだ。

その行動自体は、祖国の蛮行と多くのアルテナ兵達の末路、そして捕虜となった僅かな生存者たちを待つ過酷な尋問と無残な未来を想起し、更には被侵略国であるフォルセナの民衆の被害にまで心痛める優しき王女を気遣っての事だろう。

自身の家族が無事であった事を確認し、英雄王の勧めで早めの再会を果たしていた事も関係しているのかもしれない。

王都の兵と民衆の被害は甚大だが、理念を曲げてでも家族と再会した事で幾分かは心に余裕ができたのだろう。

それでも抑え切れないアルテナと『獣』への憤りから、これまでの旅を通して理解した少女の脆弱な心を気遣う事によって、自ら気を逸らしている面もあると思われる。

だが、アンジェラの反応はデュランの想定とは違ったものだった。

 

大地の裂け目の時とは異なり、彼女は多くの事柄に悩みながらも、しかし何処か上の空となっている時が増えた。

呆としていたかと思えば突然、自分の身体を見下ろして途惑うかの様な素振りを見せ、手足が其処に在る事を確かめるかの様に動かしてみる。

かと思えば、モントを初めとする狩人たちへと敵意に満ちた視線を向け、それに反応して返された視線に今度は酷く怯え『仕込み杖』を掻き抱く様にして身を縮こまらせる。

ところがデュランや周囲が彼女を気遣っても、当の本人が何故狩人を敵視するのか、何に怯えているのかを理解できずに途惑い始めるという有様。

現状で彼女に何が起きているのかを判断できる人間は居らず、しかしこれ以上に彼女を傷付けぬよう常にデュランが傍に着いている。

実のところモントには、アンジェラの異変に関して幾つか気に掛かっている点があるのだが、馬鹿げた妄想じみたそれを自らの口で確認するつもりなど今のところ彼にはなかった。

 

 

「アンジェラしゃん、ずっとデュランしゃんから離れないでち。というか、明らかにモントしゃんに怯えてまちよ。何やらかしたんでちか」

 

「人聞きの悪い事を言うんじゃない、心当たりなんかないぞ。というか、其処は『聖歌隊』の連中を疑うところじゃないか?」

 

「疑うも何も、アンジェラしゃんを串刺しにした後は、知っての通り自分の魔法で消し炭にされたでちよ。それ以外に何があったかなんて、シャルは知らないでち」

 

「アンジェラが狩人を敵視する理由も気になりますが……そもそも、あの魔法の発動には触媒が必要なんでしょう? そんなもの、彼女は持っていませんよね」

 

「いや、それらしいものは目にしたらしい。だがあれは、飽くまで手元に無ければ意味が無い……筈だ」

 

「なら、何故?」

 

 

誰も、答える術を持たない。

嫌な沈黙を打ち破る様に、ホークアイが別の疑問を発する。

 

 

「……フェアリーの方はどうだ? 王都を発ってから、碌に口を利いていないぞ」

 

 

そう言って視線を向ける先は、自ずから馬を操るフェアリーだ。

王都に到るまでは乗馬の技術など持たなかった筈が、今や単独で馬を意のままに操っているのだ。

ヤーナムの血を受け入れる事によって、他者の経験を己がものとする。

これは狩人の特徴だが、フェアリーもまた王都での戦闘を通じ、完全にこの特性に目覚めたらしい。

或いは、彼女が殺めた『聖歌隊』の狩人の血から、乗馬に関する技術を取り込んだのかもしれない。

 

いずれにせよ、彼女は狩人としての第一歩を踏み出したといえるだろう。

初陣で敵の狩人、それも明らかに実戦経験に富んだ遙か格上、しかも恐らくは『聖歌隊』に属しながら『メンシス派』の悪夢に単身潜入する程の猛者を相手取り、挙げ句に能動的に隙を作り出した上で内臓を抉り出して仕留めるなど、俄には信じ難い事実ではあるが。

初めての狩りが『獣』相手ではなく『狩人』である時点で規格外ではあるが、その上それを打倒して退けた狩人など、ヤーナムの歴史上でも他に例があるだろうか。

ともかく彼女は、驚くべき早さで狩人としての成長の階段を駆け上っている。

この分なら、これからも問題なく戦闘の場に立つ事ができるだろう。

尤も、それは狩人としての観点からの見方に過ぎなかったが。

 

 

「英雄王の前じゃ毅然としてたが……ありゃかなり憔悴してるぞ。お前、何やったんだ?」

 

「だから何で俺を疑うんだ……敵を疑え、敵を」

 

「初めての殺しともなりゃ、動揺するのも無理はない。況してや相手の内臓を抉り出すなんて、普通なら在り得ない殺し方だ」

 

「聞けよ」

 

「襲われたのだから仕方がないとはいえ、ショックを受けるのは当然でしょう。それに彼女は、女神様からの使者なんです。人を殺めるなんて事、本来なら在り得ない訳ですし」

 

「それにしたって様子がおかしいでち。モントしゃんはともかく、リースしゃんやシャルとも距離を置いてる感じがしまち」

 

「おい、ホントに何した?」

 

「だから……もういい」

 

 

幾ら弁明の言葉を述べても全く信用されず、モントは諦観と共に溜息を吐く。

尤も内心では、自身にも責があると認めているのだが。

そんな彼の思考を読んでいるかの様に、シャルロットが言葉を続ける。

 

 

「大方、モントしゃんがフェアリーしゃんへのフォローを怠ったってとこでちよ。優しい言葉のひとつやふたつ、さり気なーく掛けてあげるくらいの気概はないんでちか」

 

「なあホークアイ、コイツが何を言っているか理解できるか?」

 

「愚問だな」

 

「お前に訊いた俺が馬鹿だった」

 

「……狩人は、返り血を浴びて傷を癒すのでしょう? 今回、フェアリーもそれを体験したのですよね」

 

「ああ」

 

「人の内臓を素手で抉り出すなど、獣人でもなければ不可能です。人間の手はそんな事ができる様には創られていない。狩人の場合、身体に何かしらの変化が生じるのではないですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「お前……其処はフォローしてやれよ」

 

「何をだ?」

 

 

盛大な溜息。

周囲から漏れたそれに首を傾げるモントを見て、更に深い溜息が零れる。

とはいえ、モントも彼等の言いたい事が解らない訳ではない。

フェアリーなどという神聖な存在であった彼女が、今や人血に癒しを見出し、臓腑を抉り出す事に悦びを覚える狩人と成り果てている。

おまけに、一時的とはいえ肉体が『獣』に近付くのだ。

その衝撃と絶望が常人には計り知れないものであるだろう事は、如何なモントであっても想像に難くない。

彼が首を傾げているのは、また別の理由によるものだ。

 

フェアリーはモントを敵視している。

これが、当の彼の内での基本的な認識だ。

彼女を狩人とした事は止むを得なかったとはいえ、それをフェアリー自身が納得できるかは別問題だろう。

現に、これまでも彼女は旅の一行の内で、唯一モントとは必要最低限の言葉しか交わしてはいない。

必要な情報の交換は行うが、それ以外の雑談などは極力避けていた。

それが彼女に血を与えたモントへの隔意である事は、彼の内で揺ぎない事実として確定している。

だからこそモントは、そんな自分が気遣いの言葉を掛けてどうなる、と割り切っているのだ。

余計に反感を持たれて拗れるのが関の山だと、行動に移る前に斬り捨ててしまっている。

それが解らぬ周囲ではなかろうに、何故フェアリーを気遣ってやれなどという言葉が自分に向けられるのか、其処が理解できないのだ。

自分がやるよりもリースやシャルロットが傍に着いている方が効果的ではないかと、モントは訝し気に仲間達を見やる。

 

一方で彼の仲間達は、狩人としての先達かつ旅の仲間であるモントが傍に居ずして、誰がフェアリーの苦悩を解ってやれるのだと考えていた。

フェアリーの苦悩については皆が助けを惜しまないが、これから否応なしに狩人としての特性を抱えて生きねばならない彼女、その根源的な問題に最適な助け舟を出せる人間はモントしか居ないとも。

モントとて初めから狩人であった訳ではないのだ。

右も左も解らぬ内に狩人とされ、否応なしに『獣狩りの夜』に駆り出されたという過去は、ウェンデルで皆が知り得ていた。

なればこそ似た境遇にあるフェアリーの苦悩を理解できる筈だと、旅の一行はそう考えていたのだ。

 

自分がやっても無駄だと考えるモントと、少しは気遣えと要求する仲間達。

両者とも互いの思惑の擦れ違いに薄々は気付いていたものの、かといって都合の良い解決策が浮かぶ訳でもない。

そんな彼等を余所に、当のフェアリーは終始無言で馬を駆るばかり。

受け答えはするし雑談にも応じるが、それ以上に内面へと踏み込ませる事は良しとしない。

モントのみならず他の面々とも何処か距離を置いたまま、何事かを思案し続けているのだ。

 

 

「私達だってフェアリーの悩みを聞いてあげる事はできます。でも、それが狩人となった事についてであれば、貴方以上に適切な助言ができる人は居ないんです」

 

「だが……」

 

「今はデュランもアンジェラも、ケヴィンだって自分の事で手一杯だ。ローラントに向かえば、俺達だって余裕は無くなっちまう。結果がどうであれ、お前の方から歩み寄る努力は必要だろ」

 

「口で言うほど簡単じゃ……」

 

「……どうしました?」

 

 

突然、言葉を区切って木々の間へと視線を転じるモント。

怪訝に思ったか、リースが何事かと問い掛けるも、彼は軽く首を振る。

 

 

「いや、別に」

 

 

そう言って視線を正面へと戻すモントだが、視界の端にホークアイが何らかの手振りを行っている様が映り込んだ。

周囲に気取られず、しかしモントだけが気付くよう、素早く組み替えられる指の形。

『森の奥、3方向』と理解できるそれは、ホークアイがモントと同じものに気付いた事を意味していた。

声に出さないのは、郷の人間への配慮だろう。

この分では直感に優れたケヴィンも、同様に気付いている可能性が高い。

 

森の奥、其々に異なる3方向。

此方を警戒、監視中の人影が3つ。

恐らくは長銃を手に、何時でも此方を狙える態勢だろう。

敵意は感じない事から、郷の警戒網だと推測できる。

この分では、何処か見晴らしの良い場所にガトリング銃くらいは配備されているだろう。

下手に敵対的な行動を起こせば、この場で複数方向から狙撃を受ける事となる。

郷の方面へと強行突破したところで、開けた場所へ出た瞬間にガトリング銃からの弾幕を浴びる羽目となるに違いない。

 

 

「見えた、森を抜けるぞ」

 

 

先導する狩人の声に、皆が前方を見やる。

木々の合間の先に微かに見える開けた空間、其処に並び建つ幾つもの石造りの構造物。

目的地である、狩人の隠れ郷だ。

漸くの到着に零れる、幾つもの安堵の溜息と声。

 

 

「ああ疲れた……森は気が滅入るよ」

 

「森だけで1日か。路を拓かないと物資の遣り取りができんぞ」

 

「へえ、こりゃあ……中々の規模じゃないか。なあ、モント……モント?」

 

「どうしました?」

 

 

呼び掛けにも応じないモント。

不審に思うホークアイ達を余所に、モントは前方に拡がる郷を目にしたまま言葉を失っていた。

正確には、その郷の内に存在する1本の巨木、それを目にした瞬間に、彼の身体は電に打たれたかの様に硬直していたのだ。

 

 

「馬鹿な……」

 

「アンタ、彼に会った最後の狩人なんだろう?」

 

 

唐突に語り掛けてきた案内役の狩人に、モントは虚を突かれつつも視線を向ける。

狩人は周囲から向けられる視線を意に介する事もなく、淡々と言葉を紡いだ。

 

 

「行ってくれ。『彼』が待っている」

 

 

 

============================================

 

 

 

夕陽に満たされたその空間へと足を踏み入れた時、先ず感じたのは既視感だった。

狩人の隠れ郷の端、切り立った崖の上。

傍に立つ巨木の枝に隠れる様にして、その『工房』は在った。

開け放たれたままの3つの扉から迷い込んだか、庭で風に揺られる開き始めたばかり月見草、その香りが仄かに鼻腔を擽る。

ほんの少しの埃の匂いと、無造作に積み重なった大量の本から香る乾いた古紙の香り。

暖炉で爆ぜる薪の音、木と灰の匂い。

そして、それら全てを以てしても隠し切れぬ鉄と火薬、微かな血の匂い。

 

 

「……変わらないな、此処は」

 

 

そう言いながら、扉の側にあったチェストの上へと荷物を置くモント。

他の面々は、物珍しげに室内を見回している。

シャルロットなどは、部屋の奥にある小さな祭壇らしきものに興味を引かれているらしい。

暖炉そばの卓上に置かれた、或いは壁に掛けられた幾つもの『仕掛け武器』を食い入る様に見つめているのは、ホークアイとケヴィンだ。

本来ならばデュランも此処に加わるのだろうが、彼はこの郷に入ってからというもの明らかに様子のおかしいアンジェラに、リースと共に掛かりきりとなっている。

 

この場所へと到るまでに、一行は郷の中を抜けてきた。

案内に当たっていた狩人曰く、建物の殆どは『ヤーナム』からそのまま『引っ張られた』ものらしい。

足りない分の家屋は建築中であるらしく、実際に郷の其処彼処では足場が組まれたまま、或いは骨組みだけの家屋が幾つも見受けられた。

どうやら郷の全ての人間が狩人という訳ではないらしく、日用品や食料等を扱う商店、養豚や農耕などで生計を立てている者も多いらしい。

しかしこの『工房』の程近く、新たに建てられたと思しき家屋が建ち並ぶ一帯には、明らかに異様と分かる雰囲気が立ち籠めていた。

 

 

「……アンタしゃん、ホント何やらかしたんでちか。外の人たち、どう見たってアンタしゃんに怯えてまちたよ」

 

「……いや、本当に心当たりは無い……と、思うんだが」

 

 

祭壇からモントへと注意を移したシャルロットが彼の脚を小突きながら問うも、問い掛けられた当人は困った様に溜息を吐くばかり。

彼女の言う通り、この『工房』の周辺に位置する家屋の住民たちは、何故か誰もが家の前を通るモントに怯えているかの様な素振りを見せ、遠巻きに此方を睨み据えていたのだ。

彼等は総じて年若く、中には年端もいかぬ幼子も居た。

しかし1人の例外もなく、一様にモントを恐れているらしい。

否、中にはモントだけでなく、案内役の狩人に対しても恐怖の視線を向けている者も多かった。

虐げられているのかとも考えたが、身に着けている衣服や窓から覗いた家屋内の様子から、そういった扱いはされていない様に思える。

 

もうひとつの違和感としては、彼等の纏う雰囲気だ。

何処か存在感が希薄とでもいうべきか、現実に目にしているにも拘らず其処に居るという実感が薄いのだ。

不自然なまでに美男美女ばかりという点も気になるが、その容貌にしても何処か作り物じみている様に感じられた。

それこそ、まるで精巧に作られた『人形』の様に。

 

 

「何も無いならああも怯えないでちよ。ヤーナムで何かしらやらかしたんじゃないでちか」

 

「覚えが無いぞ。そもそもまともな住民なぞ、片手で数えられる位しか居なかった。大多数は『獣』に成り果てていたからな」

 

「じゃあなんで……」

 

「ねえ、ちょっと」

 

 

モントとシャルロットの押し問答に割って入るフェアリー。

此方へと向けられる二対の眼に、しかし彼女は視線を合わせる事なく問い掛ける。

 

 

「結局、此処で誰に会うの? 彼等の口振りからすると、貴方の知り合いなんでしょうけど」

 

 

案内役の狩人たちは、この『工房』に立ち入らなかった。

此処に居る筈の者が所用で外出している事が分かり、一行は暫し屋内で待つ様に伝えられたのだ。

だがどうにもモントの様子から、彼は待ち人が誰なのか知っている様に思えた。

 

 

「古い知り合いだ。狩人として駆け出しだった俺の……『助言者』だった人物だよ」

 

「『助言者』……獣狩りの師という事かしら」

 

「師事した事はない。だが、俺を導いてくれた人ではある」

 

 

言いつつ、彼は祭壇の傍にあった主の居ない車椅子へと歩み寄る。

背凭れの上にある持ち手へと懐かし気に触れ、何事か思いを馳せている様だ。

皆の視線が集まる中、モントは静かな口調で言葉を続ける。

 

 

「恐らくは最高の……全ての狩人の頂点に立つ人だった」

 

「それは違うぞ、優秀なる狩人よ」

 

 

彼の言葉を遮る、男の声。

背後から聴こえたそれに、一同が開かれたままの扉へと振り返る。

其処に立つのは、草臥れた服に身を包み、同じく年月を経て擦り切れた帽子を被る長身の男性。

 

 

「私など単なる道化だよ。『月の魔物』の小間使いさ」

 

 

言いつつ、一行の間を歩みゆく男性。

ふとモントへと視線を戻せば、何故か彼は途惑う様に視線を揺らがせている。

そして、絞り出す様に声を発した。

 

 

「……アンタ、まさか」

 

「ふむ、この姿で会うのは初めてだったかね。途惑うのも無理はない」

 

「ゲールマン、なのか……?」

 

 

信じ難いといわんばかりの困惑に満ちた声。

自身の隣を通り過ぎる男、モントからゲールマンと呼ばれた彼を見やるフェアリー。

年の頃は20代の中頃から後半といったところだろうか。

木張りの床を確りと両足で踏み締めて歩むその姿に、何か感じ入るところがあったのかモントが呟く。

 

 

「足が……」

 

「これかね? 右足を無くしたのは、もう少し年経てからの事さ。その車椅子も、今や単なる椅子代わりでね」

 

 

言いつつ、モントへと歩み寄った彼は足を止め、暫しその場で佇んだ。

モントも言葉を発する事なく、その場を動く事もなかった。

沈黙のままに数秒が過ぎた頃、男性は左手で帽子を取ると、除に右手を差し出す。

 

 

「また会えて嬉しいよ……『最後の狩人』」

 

「……俺もだ、ゲールマン……『最初の狩人』」

 

 

覆面を下げ左手で帽子を取るモント。

その右手が男性、ゲールマンの差し出した右手を確りと握る。

『獣狩りの夜』か、或いは『上位者狩りの夜』か。

最後に共にあった時がいずれかは分からないが、彼等が再会を本心から喜んでいる事は口振りからも明らかだ。

一方で2人が口にした『最初の狩人』と『最後の狩人』との言葉に注意を引かれるフェアリーであったが、続く会話が彼女の思考を上塗りしてゆく。

 

 

「最後の、というのは返上だな。随分と新顔が増えた」

 

「ああ、期待の新人が多いな。喜ばしくもあるが、悲劇的でもある」

 

「悪夢だよ。終わらせたつもりが、夜はまだ続いている。こうさせない為の上位者狩りだった筈なんだが」

 

「ふむ、カインハーストの狂気は君の意志をも上回っていたか」

 

 

ゲールマンはモントと言葉を交わしながら自身が入室してきた扉へと振り返り、状況が飲み込めず手持ち無沙汰に2人の遣り取りを眺めていた一行を見回す。

 

 

「適当に寛いでくれたまえ。全員分の椅子は無いが、其処は御容赦願いたい」

 

 

その言葉に促されるまま、皆が思い思いに近くの椅子にや机に腰を下ろし、或いは壁に背を預ける。

ゲールマンもまた車椅子に腰を下ろし、モントは祭壇に寄り掛かっていた。

 

 

「改めて名乗らせて戴く。私がこの郷の取り纏め役を担わせて貰っているゲールマンだ。君たちの話は、既に使いの者から聞いているよ。聖剣の勇者たちよ、我々は君たちを歓迎する。要望があれば何なりと言ってくれたまえ。可能な限り、君たちの声に応えるとしよう」

 

 

突然の申し出に、フェアリーは面食らう。

それは他の面々も同様であるらしく、一様に疑念を表情に浮かべてゲールマンを見つめていた。

代表し、フェアリーが疑問を発する。

 

 

「フェアリーと申します。ゲールマン、貴方の申し出は私達としても非常に有り難いものです。しかし何故、初対面の私達に其処までして頂けるのですか?」

 

「フェアリー……そうか、君が……」

 

 

フェアリーの名に、ゲールマンは何事か思うところがある様だ。

訝し気に彼を見やるフェアリーだが、ゲールマンはすぐに質問に対する答えを返してきた。

 

 

「成程、その疑問も尤もだ。だが君も、予想は付いているのではないかね」

 

「贖罪、ですか」

 

「そんなところだ。本来、この世界と我々の世界には何ら関わりが無かった。だが其処にカインハーストが上位者と眷属の血を持ち込み、それらを狩る為に彼は上位者として残された力の全てを注ぎ、この世界にヤーナムの全てを喚び寄せた」

 

「狩人に獣、あの得体の知れない化け物どもか」

 

「そうとも、若き剣士よ」

 

 

デュランの言葉に応えつつ、ゲールマンは視線を扉の外の庭へと移す。

沈みつつある夕陽、その赤い光に照らし出された庭を見つめる彼の瞳は、其処には無い何かを見つめているかの様。

 

 

「蘇った狩人たちは、その全てが我々に協力的な訳ではない。主義主張の違いから袂を分かった者、狩りを放棄した者、只管に血に酔う者、そして……」

 

「医療教会、或いはカインハーストに与する者」

 

 

その声は、またも扉の側から聞こえてきた。

鈴を転がす様な、気品に満ちた若い女性の声。

しかし同時に、年経た老女の様な達観を感じさせる、僅かな掠れをも内包している。

皆が振り返った先、佇む人影がひとつ。

 

何処ぞの貴人。

その姿を目にした時、先ず脳裏に浮かんだ印象はそれだ。

胸元に留められた翡翠のブローチに白いスカーフ、縁に繊細な刺繍をふんだんに施された衣装、優雅な羽根飾りの付いた帽子。

纏う者が高貴な身分にある事を示すそれら見事な装飾品は、しかし主が戦いの中に身を置く者である事を微塵も隠せずにいた。

それらの装束はあまりにも、モントや他の狩人たちが纏う衣装との共通点が多すぎるのだ。

優美な装飾を施されながらも明らかに実用性を突き詰めていると分かる分厚い革と金属から成る衣装は、疑い様もなく『獣』の爪と牙に対する最低限の防御と、纏う者の身の熟しを妨げない事を目的としたもの。

それだけで、それを纏う者が狩人であると確信するには充分に過ぎた。

 

何より、衣装と共に彼女が身に着け、或いは手にしている代物。

その酷く傷んだマントの裾から覗く、美しい装飾の施された銃把。

即ちモントの愛銃たる『エヴェリン』そのもの。

そして彼女の右手に握られた、見た事も聞いた事もない奇妙な得物。

デュランが手にするそれに良く似た片刃の長剣、そしてホークアイの手のするそれよりも肉厚で刀身の長いダガー。

それらが柄尻で連結し、長柄の双刃と化したそれ。

尋常ならざるそれらの得物が、彼女が狩人としても特異な存在である事を声高に主張していた。

彼女は足を進めながら続ける。

 

 

「単に相容れないというだけならば良い。しかし自ら医療教会の、カインハーストの妄執に与するというのならば、万が一にも生かしておく訳にはいかない……そうだろう、若き狩人」

 

「……予想はしていたが、本当に居るとはな」

 

 

どうやらモントは、この女性とは顔見知りの様だ。

しかし、何処か警戒の素振りが見え隠れしているところから察するに、先の男性とは異なり其処まで信頼がある訳ではないらしい。

そんな彼の素振りを気にする様子もなく、彼女は続ける。

 

 

「私とてあの夜に轡を並べたのだ。此処に居たとて不思議ではないだろう」

 

 

言いつつ一同の間を抜け、ゲールマンの傍へと歩み寄る彼女。

手にした双刃の長剣を傍らの壁へと立て掛け、此方へと向き直る。

 

 

「遅れたが名乗らせて戴こう。彼と共にこの郷の纏め役を務めているマリアだ。其方の狩人とは、過去に命の遣り取りをした間柄でね」

 

 

帽子を取り、一礼。

灰色掛かった髪が、扉から吹き込んできた微風に揺れる。

人間離れしたその美貌に途惑ったか、息を呑む音が聴こえた。

そんな周囲を余所に、彼女は車椅子に腰掛けたゲールマンへと寄り添う様にして佇む。

 

 

「お帰りマリア。狩りの成果はどうだね?」

 

「巨大な土竜というのは初めてでしたが……問題ありません。援護もあったので、然程に苦労は」

 

「そうかね、それは重畳」

 

「モグラとは?」

 

 

此処でデュランが、聞き捨てならぬとばかりに割り込む。

何せフォルセナ領土内の話である。

傭兵とはいえ騎士を目指す者の端くれ、聞き逃す訳にはいかないだろう。

 

 

「高原の南で商隊を襲っていた怪物でね。言葉通りの巨大な土竜で、地中から現れては人もモンスターも問わず襲撃を繰り返していた。我々が存在を知った時点で、既に100人以上が犠牲になっていた様だ」

 

「フォルセナ側には報告を?」

 

「アルテナ側との遭遇戦が多く、こうして事後報告になってしまった。独自に事態に気付いた哨戒の部隊も居たのだろうが、王都への連絡前に襲撃を受けてしまった様だ」

 

「……消息を絶った部隊の幾つかは、そのモグラに殺られたって事か」

 

「それで、だ。仕留めた土竜から、面白い収穫があってな……」

 

 

其処まで言うや、何故かマリアは困った様に眦を下げる。

自身が入室してきた扉を見やり、溜息をひとつ。

 

 

「また居なくなったか。すぐに来るとは思うんだが」

 

「……誰?」

 

「狩りの収穫だよ。土竜の腹からこんなものが採れるとは思わなかった」

 

「こんなものとは何じゃい!?」

 

 

唐突に響く別の声。

嗄れた老人のそれは、マリアが見つめる扉の外から聞こえてきたものだ。

そうして弾む様に屋内へと飛び込んできたのは、腰下まで位の小柄で奇妙な影。

その姿に皆が目を剥く。

 

 

「まさか……精霊!?」

 

「嘘だろ!?」

 

「うひゃひゃひゃひゃ! マリアちゃん以外にもカワイ子ちゃんで一杯じゃ! こんなのは久し振りじゃのぉ!」

 

 

そう言って飛び跳ねるのは、明らかに人間とは異なる容貌の小柄な存在。

その正体に、フェアリーは直ぐに気付いた。

 

 

「もしかして、ノーム?」

 

「おお? この感じはフェアリー……って、デカ!? なんじゃこの別嬪さんは!?」

 

「信じられないかもしれないけど、私がフェアリーよ」

 

「……はぁ!? お前さんがフェアリー!?」

 

 

それまでの飄々とした振舞いが瞬時に消え去り、放たれるは驚愕に満ちた声。

フェアリーの傍へと跳び寄り、その姿をまじまじと見つめるノーム。

やがて何かに気付いたのか、マリアへと振り返る。

 

 

「もしやと思うが、嬢ちゃん……アンタ方、この娘に」

 

「この郷の連中は関係ない。俺がやった」

 

 

割り込んだモントへと向き直るノーム。

屋内の空気は、今や凍り付いたかと錯覚する程に冷たい。

次の瞬間、硬質な音と共にノームの周囲に現れる、無数の拳大の結晶。

突然の事に驚愕する面々を余所に、高速で回転するそれらの端が徐々に、徐々に鋭く尖りゆく。

『ダイヤミサイル』だ。

 

 

「ノーム、何を!?」

 

「ちょっ、落ち着くッスよノーム! 何やってんスか!」

 

「ちと黙っとれ……おい、若いの。名前は?」

 

 

この凶行に驚いたフェアリー、そして同様に狼狽した様子で彼女の内より出現したウィル・オ・ウィスプが、ノームを止めに掛かった。

しかし彼は術式を止める事なく、モントへと名を問う。

一方で名を問われたモントは、目と鼻の先で自身を狙う魔法が発動しているにも拘らず、特に動きを見せる事もなく祭壇に寄り掛かったまま答えた。

 

 

「モントだ」

 

「モント……お前さん、この娘に何をしたか解っとるのか」

 

「血を与えた、それだけだ」

 

「……それがどんな結果を招いたか、理解した上で言っとるんか」

 

 

モントは答えない。

そして遂に、回転していた全ての結晶が、切っ先をモントへと向けて止まった。

射出態勢だ。

 

 

「止めて、ノーム!」

 

「……このフェアリーが聖域外に遣わされる状況っちゅうのはな、若いの。この世界じゃ全能に近い存在である『マナの女神』でさえ手に負えん、二進も三進もいかないところまで世界が追い込まれてるっちゅう事を意味しとるんじゃ。それを打開できるのは、遣わされたフェアリーに見出された『勇者』だけ。12年前にフェアリーに見出され『竜帝』を討ち果たした英雄王リチャードの様にな」

 

 

次の瞬間、ノームの周囲に滞空していた結晶は、その全てがモントの周囲へと配置されていた。

瞬き程の間に全ての結晶が、切っ先を彼へと向けたまま。

明らかに通常の術式で発動する『ダイヤミサイル』ではない。

大地を統べる土の精霊ノーム、彼だからこそ可能な芸当だろう。

 

しかし突然の事に驚きこそしたものの、フェアリーの眼は確かに結晶が移動する瞬間、そしてそれらの軌道を捉えていた。

否、結晶の動きだけではない。

彼女と同じく結晶の動きに反応し眼で追った者、反応こそすれ眼で追うには到らない者、全く反応できずに驚愕している者。

それらの判別まで、フェアリーの眼は無意識の内に成し得ていた。

だが、彼女自身がその事実に気付く猶予を与えず、ノームの声が飛ぶ。

 

 

「お前さん方の事情はマリアの嬢ちゃんから聞いとる。『獣の病』に侵された元人間や、頭のイカレた『医療教会』とかいう狂信者どもに『カインハースト』とやらの色狂い、『上位者』とかいう『魔族』もどきを狩ろうというんじゃろう。まあ、その点に関しちゃ勝手にすりゃ良い」

 

「話が分かる様で何よりだ」

 

「だが、それとこれとは別問題じゃ。お前さん、この娘を『混じりもの』にしやがったな」

 

 

『混じりもの』

その言葉に、フェアリーは我知らず身体を震わせる。

疾うに自覚こそしていたものの、王都での一件以来は極力考える事を避けていた。

その事実を、出会って間もないノームから指摘されたのだ。

 

 

「お前さんがた『狩人』は、血によって技術を継承するそうだな。おまけにマリアの嬢ちゃんの話じゃ、お前さんは元『上位者』だそうじゃないか」

 

「……そうだ」

 

「そんな輩の血を与えたんだ、この娘が女神の遣いとしての在り方を維持できずに変容しても無理はない」

 

 

徐々に、徐々にモントの身体に近付く結晶。

それでも彼の表情には、恐怖も焦燥の色も見られない。

 

 

「なあ嬢ちゃん、その身体にフェアリーとしての力は残されているか?」

 

「……幾分かは。でも『勇者』の選定は不可能ね」

 

「『聖域』から他のフェアリーが送り込まれる可能性は?」

 

「無いわ。私が最後のフェアリーよ」

 

「つまり『勇者』が選定される可能性は、現時点で潰えたも同然って訳だ……やってくれたな、若いの」

 

 

遂に結晶の1つ、その切っ先がモントの身体に触れる。

モントは微動だにしない。

 

 

「お前さんは自分の獲物を狩れれば満足だろうが『勇者』が選ばれなければこの世界は終わりだ。お前さんはお前さんなりにフェアリーを助けようとしたんだろうが、結果的に『勇者』が選ばれる為の下地を奪っちまった」

 

「ノーム、それは……」

 

「そうだな」

 

 

不可抗力だ、と訴えようとしたフェアリーの声を遮り、他ならぬモント自身がノームの言葉を肯定する。

フェアリーとて、自身が『狩人』となってしまった事について思うところが無い訳ではない。

しかし冷静に考えれば考える程、他の手は無かったと理解せざるを得なかった。

あの時に血を与えられねば、そのまま誰に気付かれる事もなく息絶えていただろう。

フェアリーとしての使命を果たせないという結果こそ同じだが、しかし『狩人』となりこうして異変を伝える事はできたのだ。

その責任をモントに求めるのは酷だと、感情では納得せずとも理解はしていた。

ところが、当のモントがノームの言葉を認めてしまったのだ。

 

 

「彼女の使命を妨げてしまった事は、申し訳ないと思っている」

 

「思っている、で済むものか。故意ではないかもしれん。他に手段は無かったのかもしれん。しかし事実、お前さんの行為はこの世界の未来に拭い難い影を落としている。言い掛かりに近いと解っちゃいるが……どう落とし前を付けるつもりだ?」

 

 

ノームからの問い掛けにモントは無言のまま、自らに触れる結晶へと手を添え、軽く押し退ける。

その瞬間、彼の姿が掻き消えた。

 

 

「っ……!?」

 

「過ちの償いはしよう。我々のやり方でな」

 

 

ノームの目と鼻の先、発せられる声。

モントが、其処に佇んでいた。

祭壇からの距離、約4m。

一体どんな手品を使ったのか、自身を包囲する結晶の群れを掻い潜り、一瞬にしてノームとの距離を詰めたのだ。

流石のノームも驚愕したらしく、僅かだが身体を強ばらせている事が分かる。

しかし其処は大地を統べる精霊、すぐさま状況を把握したらしく冷静そのものの声で応じた。

 

 

「成程、大したモンじゃ。それが『狩人』の力の一端か。それで、お主等のやり方とは?」

 

「……ゲールマン」

 

 

モントは自ら答える事はせず、一連の出来事を無言のままに見つめていたゲールマンへと視線を寄越す。

それを受け取ったゲールマンは静かに頷くと、屋内の一同を見回した。

そして、告げる。

 

 

「我々が持つ『狩人の業』を、君たちに授けよう。この世界を救う為、我々はあらゆる支援を惜しまない」

 

 

その声は、決して大きなものではなかった。

ごく自然に、何ら力を込めずに放たれた声。

しかし、それは大きな力となって空間へと響く。

先ず、声を絞り出す事に成功したのは、ホークアイだった。

 

 

「……アンタらの力を、俺達にくれるっていうのか」

 

「そうとも」

 

「具体的に、どういう事なのですか?」

 

「我等の『工房』が生み出す『獣狩りの武器』を提供し、また叶うならば我々の業を伝えよう。獣のみならず『魔族』を狩る上でも有用な筈だ」

 

「狩人の……業?」

 

「俺達に『狩人』になれというのか」

 

「何も我等の血を受け入れよという話ではない。1人1人に適した業を伝え、それを元に『マナ』の力で己が業に昇華すれば良い。聞けば『マナ』というものは、血よりも随分と融通の利く力だというじゃないか。違うかね?」

 

 

此方へと問い掛ける声に、フェアリーは半ば混乱する思考をどうにか加速させ、やがて頷く。

ゲールマンの言葉通り『マナ』をどう用いるかは、個人の資質や状況により千差万別に変化するもので、決められた方法など在って無きが如しだ。

一般に知られる汎用術式も、先ず入口となる構成こそ決まってはいるものの、それが後にどの様に発展してゆくかは個人の資質と方向性による。

同じ様に『狩人』の業についても、それがどの様に発動するものであるかを学べれば、完全にとはいかないまでも彼等の業を再現する事も可能だろう。

 

 

「さて、どうかね?」

 

 

ゲールマンの声に、ノームは無言のまま。

しかし、未だ祭壇の周囲に展開されたまま切っ先をモントの背中へと向けていた結晶の群れが、風に流される砂の様に崩れて消えゆく様を見れば、彼の答えは明らかだった。

 

 

「納得して貰えた様で何より」

 

「いんや……済まない、アンタらを試しちまった。とんだ見当違いだったみたいだな」

 

「貴方はこの世界を統べる精霊の一柱だ、当然の事でしょう」

 

「そういう事でなくて……まあ何だ、若いの。お前さん、やろうと思えば何時でもワシを狩れたじゃろう?」

 

 

ノームの問い掛けに、モントは無言で以って返す。

それで充分だったのだろう、ノームは鼻を鳴らしフェアリーへと向き直った。

 

 

「食えん奴じゃ……さて、騒がしくしちまって済まなかったの、嬢ちゃん。老いぼれはこの辺で引っ込ませて貰うわい」

 

「え、ちょっ」

 

「うひゃひゃひゃ! オッパイでけえぇェェ!」

 

 

奇声を上げてフェアリーへと突撃、思わず顔を引き攣らせる彼女の胸を目掛け跳躍するノーム。

しかしその胸元へと飛び込む直前、頭上から放たれた一条の閃光が彼を叩き落とした。

為す術なく直撃を受け、フェアリーの足元へと叩き付けられたノームは、蛙が潰れる様な呻き声と共にその姿を薄れさせてゆく。

突然の事に目を白黒させるフェアリー、その背後から姿を現したウィスプが、深々と溜息を吐いた。

 

 

「相変わらずッスねぇ、この爺さんは……あ、お騒がせして申し訳ないッス」

 

「あ……ええ……」

 

 

愚痴りながらその姿を消しゆくウィスプ。

見兼ねた彼が、ごく低出力の『セイントビーム』でノームを撃ち落としたらしい。

ノーム共々ウィスプが自身の内に戻った事を確認し、フェアリーもまた深い溜息を吐く。

 

 

「なんつーか……賑やかな奴等だな、精霊って」

 

「この2人が変わってるだけ……の筈よ。きっとそう、そう思いたい」

 

「チョーすっぱい顔してまちよ、フェアリーしゃん」

 

 

場に満ちる微妙な空気に耐え切れず、渋面を作るフェアリー。

ゲールマン達も反応に困っていたのか、軽く咳払いをして話の軌道修正に入る。

 

 

「さて、君達はこれからローラントに向かうとの事だが、その前に色々と解き明かしておきたい疑問がある事だろう。出立までは暫く掛かる筈だから、身体を休めるついでに何なりと訊いてくれたまえ」

 

「武器に関しては『工房』を紹介しよう。見立ては……彼に任せるのが良いか」

 

「武器を見立てて頂けるのですか?」

 

「一応、其々の癖は掴んでいるつもりだが、希望があれば最大限聴き入れよう。ゲールマン、既存ではない武器の作成は可能だろうか」

 

「そういう事なら、御誂え向きの『工房』がある。話は通しておくから、何なりと言ってみると良い」

 

「『工房』の名は?」

 

「『火薬庫』だ」

 

「ゲールマン、マリア」

 

 

会話を遮り、割り込む声。

アンジェラだ。

自らへと集まる視線の中、彼女は臆する事もなく言葉を続ける。

 

 

「貴方達に訊きたい事があるの」

 

「何かね」

 

 

小首を傾げるアンジェラ。

その瞳はゲールマンとマリア、モントの方向に向けられている。

視線を真っ直ぐに彼等へと向けたまま、彼女は信じ難い言葉を放った。

 

 

「この郷、どうして『上位者』だらけなの?」

 

 

モントの目がこれでもかと見開かれ、弾かれた様にゲールマン達へと向き直る。

他の面々は訳が解らないとばかりに困惑していたが、しかしすぐに彼女の言葉の意味を理解したのだろう。

モントと同じく、この郷の長へと視線を集中させた。

フェアリーも同様だ。

ゲールマン、そしてマリアは慌てる様子もなく、無言のまま一同を見やっていた。

信じ難いと言わんばかりの様相で、モントが声を振り絞る。

 

 

「……ゲールマン?」

 

「ふむ、これに気付くとは。確認だが、王都で『神秘』を使用したアルテナの王女とは君の事かね?」

 

「アンジェラよ。ええ、それは私の事ね」

 

「先程の言葉だが……この郷に『上位者』が居ると。どうして、そう思うのかね」

 

 

その言葉に、アンジェラは再び小首を傾げた。

宛ら、何故そんな事を訊くのかとでも言いたげに。

 

 

「だって、皆こっちを見てたじゃない。私とフェアリーと……何よりモントを」

 

 

フェアリーは思い出す。

この『工房』の周辺、遠巻きに此方を窺っていた住民たち。

何処か現実感の無い、作り物めいた容貌の人々。

まさか、あの人々が。

 

 

「直接モントの手に掛かった訳ではないだろうけれど、それでも彼の為した事を考えれば恐れられて当然よね」

 

「何を言って……おい、アンジェラ?」

 

「彼等を殺したのは『ビルゲンワース』……あの老いさばらえた瞳狂いに、逆上せたその教え子。だからこそ、ヤーナムは呪いを受けた」

 

「お前、まさか……」

 

 

アンジェラが何を言っているのか、フェアリーには全く理解できない。

だがゲールマンとマリア、モントは違うのだろう。

特にモントは何かを察したのか、僅かに身を強張らせている。

 

 

「残された上位者たちは憎悪と怨念とでヤーナムを覆い、更には住民たちを利用し尽くすべく動いた。疾うに失われた『赤子』を、再び自分達の下に取り戻す為にね」

 

「ふむ……」

 

「最終的な結果はどうであれ、ゲールマン、貴方たちは永久に続く事が決した呪いをどうにかしようと足掻いた。それを叶えたのはモントだったけれど、その実現は貴方の予想を大きく裏切る形で成されてしまった……上位者の皆殺しと言う結果で」

 

「……概ねその通りだ」

 

 

肯定するゲールマン。

再び彼へと向けられるモントの目には、苛烈な感情が宿り始めている。

それに気付かぬゲールマンではなかろうに、彼は自身に向けられる視線を意にも介さず、アンジェラへと問いを投げ掛けた。

 

 

「アンジェラ王女、何故貴女がそれを知り得ているのか窺っても?」

 

 

核心だった。

誰もが胸中へと抱え、しかし状況に流され確認すること能わなかった疑問。

ゲールマンは、寸分違わずにその核心を突いた。

 

王都での戦いから此方、アンジェラの様子は明らかにおかしかった。

『仕掛け武器』を己が手足の如く自在に扱い、苦もなく狩人の秘儀『神秘』を扱うその姿。

おまけに彼女が扱う『神秘』の力は明らかに戦術級魔法のそれを超えたものであり、シャルロットが言うには敵が用いていた同様の『神秘』の威力を大幅に上回っているという。

そして、この郷に入ったばかりにも拘らず、郷の内に『上位者』が存在すると断言してのける異常性。

誰もが、その変貌の理由を知り得んと欲していた。

しかし当のアンジェラは、何ら気負う様子も見せずに自然体で言葉を返す。

 

 

「聞いたのよ、此処に着いてから」

 

「ほう、誰から?」

 

「誰と言われても……『私』からとしか言いようがないわ」

 

 

『私』から聞いた。

その理解不能な答えに、皆が訝し気にアンジェラを見詰める。

だが一方で、ゲールマンとマリアの様子を窺ったフェアリーは、彼等が異様なまでの落ち着きを見せている事に違和感を覚えた。

 

 

「あの、アンジェラ? 何を言っているのか、良く理解できないのですが……」

 

「外では誰とも話してなかったじゃないか」

 

「だって彼女も『私』だもの、態々声に出す必要もないでしょ」

 

「だから彼女って誰で……」

 

「ああ、ちょうど来たところよ」

 

 

言いつつ椅子から腰を上げると、開け放たれたままの扉へと歩き出すアンジェラ。

其処で初めてフェアリーは、扉の外に佇む人影がある事に気付いた。

他の面々も、少なくとも初めから其方を向いていたヤーナムの狩人たちを除けば、フェアリーとほぼ同時にその存在に気付いたのであろう。

驚いた様に扉の方向を見つめる皆の視線の先で、人影へと歩み寄ったアンジェラはその隣へと並び立つ。

 

何時の間にか現れたその人物。

仕立ててから然程に時間は経っていないのであろう、白を基調とした町娘の服を纏う、青みがかった灰色の長い髪を靡かせる女性。

病的なまでに白い肌と、女性にしては高い背丈、人とは思えない程に整った容姿。

そして何より、睨み据える様に此方へと向けられたまま微動だにしない、それそのものが光を発しているのではないかと錯覚する程に色鮮やかな、エメラルドの様な瞳。

そんな彼女の傍らに立ち皆へと向き直るや、視線だけを隣へと向けたまま、アンジェラはごく自然に告げる。

 

 

「彼女が教えてくれたの。ヤーナムの事、上位者の事、あの『神秘』の事。全部教えてくれた」

 

「誰でち……?」

 

「彼女の持つ記憶も経験も、全てが私と共有されてる。この力はもう、彼女の内には留めておけないものだから」

 

「だから誰なんだ?」

 

「そうね……こう言えば解るかしら」

 

 

痺れを切らしたケヴィンの問い掛けに、隣から視線を離し此方へと瞳を向けるアンジェラ。

瞬間、自らの身体が強張った事を、フェアリーは自覚した。

此方を見つめるアンジェラの瞳。

それは常の彼女の瞳に宿る月の光ではなく、隣の女性と全く同じ、エメラルドの光を湛えていたのだから。

そして、彼女は告げた。

それが持つ意味を完全に理解するには至らずとも、モントにとっては決して受け入れられぬであろうと容易に推測できる、信じ難い言葉。

 

 

 

 

 

『星の娘、エーブリエタース』

 

 

 

 




エロ書きてえ(啓蒙98)
聖剣3の純愛アブノーマルエロ書きてえ(発狂)

また2ヶ月も空けてしまい申し訳ありません。
すいません許して下さい!
何でもしますから!(リースが)


次回
お待ちかねの仕掛け武器回&ビックリドッキリメカ登場予定


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Dress up

 

 

 

その瞬間、当事者を除き反応できた者は居なかった。

突如として屋内を翔けた黒い疾風は、鈍い金属音と火花を放ち、鈍色の閃光となってアンジェラの隣に立つ女性へと襲い掛かる。

剣も、ダガーも、槍も、獣肉断ちも間に合わない。

銃弾ならば可能性はあるが、最初の狩人の手に銃はなく、その傍らに立つ狩人にも構えて狙うだけの猶予は無い。

故に、その閃光は女性の華奢な身体を、いとも容易く引き裂くものと思われた。

 

 

「ッ……!」

 

 

しかし鈍色の閃光は、別の一閃に阻まれて終ぞ女性へと届く事はなかった。

凄まじい音と共に床板が引き裂かれ、木片が宙へと舞い上がる。

突進を中断した黒い風、即ちモントは咄嗟に後方へと跳び退さり、真っ直ぐに眼前の2人を睨み据えていた。

その右手、いつの間にか握られていた得物は、近くの壁に掛けられていた巨大な肉厚の曲剣。

彼が得意とするノコギリ槍にも似た、しかし鋸刃の無いそれ。

柄を右手で握り締め、切っ先を床板へと当てた状態で、獣の如く身を低く屈め構えるモント。

 

その眼光が射抜く先を、リースは容易に察する事ができた。

女性の身を引き裂かんとしたモントの凶刃。

それを阻むべく、何時の間にか変形させた仕込み杖、その一閃を見舞ったアンジェラだ。

モントが咄嗟に後退ったからこそ床板を叩き割ったのみで済んだものの、さもなくば無数の鋼の刃を持つ鞭が彼の身体を容赦なく引き裂いていた事だろう。

床と壁の一部を抉った連結刃、それらがずらりと並ぶ杖を右手へと逆手に握り、振り抜いた姿勢のまま左肩の前で構えるアンジェラ。

彼女はモントから浴びせかけられる殺意に怯えるどころか、人とは思えない程に冷たい瞳で彼を見据えていた。

一方で、アンジェラの傍らに立つ女性は突然の攻防に心底怯えているらしく、自身より小柄なアンジェラの背に身を寄せ、離れていても解る程に身を震わせている。

誰もが口を開かない、或いは虚を突かれ開く事ができない中、モントから放たれる地を這う様な声。

 

 

「そいつが……『星の娘』だと……?」

 

「話を聞いてなかったの? 彼女がそうであり、私もそう。『私達』が『星の娘』そのものなのよ」

 

 

その言葉に、止まった時が動き出す様に我に返るリース。

皆も同じだったのだろうが、真っ先に動き出したのはデュランだった。

我に返るや否や、傍らに置いていた曲刀の長剣を手に、モントを取り押さえんと動き出す。

 

 

「ッ……テメエ、何やって……!」

 

「黙ってろ!」

 

 

モントの一喝。

気圧されたか、思わずといった体で踏鞴を踏むデュラン。

この様な激情に満ちた声をモントから聴いた事など、これまで旅を共にしてきた面々でも唯の一度とて無い。

故にデュランのみならずリースも、少し離れた位置でダガーに手を伸ばしていたホークアイも、同様にその身を凍り付かせていた。

そんな周囲を顧みる事なく、モントは更に問い詰める。

 

 

「お前が『星の娘』なら、アンジェラはどうなった。その身体の元の人格は」

 

「私がアンジェラである事は変わらないわ。其処に『彼女』の、『私』の記憶が宿っただけだもの」

 

「ならば別人だろう。上位者を人と呼び表すなぞ、言葉の上だけでも汚らわしいが」

 

「そうとも言い切れないでしょう? 『私』は全て憶えているもの。どうして『私』があんな地の底に居たか、誰があんな寂しい祭壇に『私』を閉じ込めたか。そして……」

 

 

其処で、アンジェラの眼差しが険しさを増した。

エメラルドの輝きに宿る光は先程までの無機質なそれではなく、苛烈なまでの敵意と憎悪に満ちたもの。

思わず息を呑むリースの視線の先、アンジェラは心の臓腑を寒からしめる様な声で告げる。

 

 

「貴方が、どうやって『私』を殺したか」

 

 

再び空気が動いた。

金属音と共にモントが曲剣の刃を折り畳み、より取り回しに優れた形態へと変形させる。

仕込み杖の速さに、あの大振りな曲剣の形態では追随できないと判断したのだろう。

その動きに触発されたか、直接に敵意を向けられるアンジェラではなくデュランが長剣の柄を握り直し、今にもモントへと斬り掛からんばかりに構える。

モントが再度攻撃に移るのならば、デュランは躊躇いなく彼へと斬り掛かるだろう。

シャルロットもまた『ヒールライト』の発動準備に入っており、ホークアイも自らの立ち位置を調整している。

ホークアイに関しては、モントとデュランの双方を昏倒させる事を狙っているのだろう。

リースもホークアイと同様の考えで槍を手に取ったのだが、いざという時は位置的に近いホークアイにモントを任せ、自身はデュランを止める事に専念すべきかと悩んでいた。

フェアリーは作業台の上に放置されていた銃を手に取ったものの、モントの愛銃よりも更に大きなそれに手を焼いている様だ。

本当に引き金を引くつもりがあるかは解らないが、何もせずにはいられないというところだろう。

ゲールマンとマリアは、積極的に動くつもりは無いらしい。

 

膨れ上がる緊張感。

だがその中でも、最大の当事者であるモントとアンジェラは、敵意を収めるつもりなど微塵も無い様だ。

モントは再度の攻撃の機を窺っており、アンジェラもまた迎撃の構えを解く様子はない。

アンジェラの怨嗟に満ちた糾弾は続く。

 

 

「楽しかったでしょう? 思う存分『私』を切り刻み、ズタズタに引き裂いて、頭蓋の内を引き摺り出したのだもの。死に逝く『私』を見ていた貴方の目、嬉しそうに歪んでいたわ」

 

「当たり前だ。お前達を狩る以上に甘美な事などあるものか」

 

「そうやってあの子達も殺したの? 哀れな落とし子、老いた赤子たちを」

 

「……そうか、奴等も此処に居るのか」

 

 

ぐるりと身体を回らせ、ゲールマン達を睨み据えるモント。

その瞳は危険な光を湛え、有無を言わさぬ圧力に満ちている。

しかしゲールマンは気圧されるでもなく、ただ静かに頷いてみせた。

そしてモントが背後を振り返っているにも拘らず、アンジェラが自身から攻勢に出る様子はない。

彼を相手にその行動は、逆に危険だと察知しているのだろう。

再び彼女へと向き直ったモントは、今にも飛び掛からんとする姿勢のままに吐き捨てる。

 

 

「決まったぞ、貴様の次は奴等だ。腸を引き摺り出してやる」

 

「できると思ってるの? 狩人の業を身に付けているのは、何も貴方達だけじゃないのよ。それに……」

 

 

ふと、アンジェラは空いた左手を掲げ、モントの背後を指差した。

そして、嘲笑う様に告げる。

 

 

「まさか『彼等』まで敵に回すつもりかしら?」

 

 

その言葉で何かに気付いたモントが、他の面々が一様に祭壇の方向へと振り向いた。

果たして其処にあったのは、モントの背を狙う2つの銃口。

そして銃を握る左手とは別に、右手に握られた双刃と巨大な曲剣。

誰もが息を呑む中で楽し気に、謳う様に続けるアンジェラ。

 

 

「面白いじゃない。『最初の狩人』と、その教え子にして右腕『時計塔のマリア』。ヤーナム『最後の狩人』が何処まで持ち堪えられるか見物だわ」

 

「ゲールマン……正気か?」

 

 

信じ難いとでも言いたげに呟くモント。

しかし車椅子から立ち上がっていたゲールマンは、場違いな程に穏やかな口調で答える。

 

 

「武器を下ろしたまえ、狩人よ。君が狩るべきは彼女達ではない」

 

「何故だ、ゲールマン。何故アンタがコイツらを庇う。寧ろ誰より恨んでいてもおかしくないだろうに」

 

「全ては終わった事に過ぎない。彼等も我等も、既に一度は死した身だ。こうしてある事そのものが奇蹟に近しいのだから、歩み寄れるのであればそうするべきだ」

 

 

その言葉にもモントは、構えを解く素振りを見せない。

それどころか目に見えて敵意を増幅させ、アンジェラ達へと向き直る。

その様にゲールマンは、何処か諦観を匂わせる溜息を吐き、思いも寄らぬ言葉を口にした。

 

 

「何より、彼等は被害者だ。『ビルゲンワース』の狂気、その最初の犠牲者なのだよ」

 

 

微かに揺らぐ肩。

今度は振り返らぬまま、モントが反芻する。

 

 

「『ビルゲンワース』だと?」

 

「マリアを打ち倒したのだ。あの『漁村』の惨状は、君とて目にしているだろう。『ビルゲンワース』が始め『医療教会』が引き継いだ、冒涜と虐殺。『瞳』を求める研究者ども、その無分別で酷薄な手に掛かったのは、村人だけに止まらない」

 

 

そう言って、アンジェラと女性を見やるゲールマン。

その目には隠し切れぬ後悔と、諦観の念が滲み出ていた。

 

 

「殺したのだよ、我々は。人と関わらず、地上と距離を置き、ただ静かに暮らしていた『上位者』たち。思慮分別もなく一方的に彼等の領域へと踏み入り、荒らし尽くし、地上へと引き摺り出した。そうしてその力と叡智に魅入られ、自ら『瞳』を欲して彼等を切り刻んだ」

 

「それが……それが『ビルゲンワース』の……『ウィレーム』の罪か」

 

「彼と、その教え子……医療教会の祖にして初代教区長、我が友『ローレンス』……そして私。嘗て『ビルゲンワース』に身を置いた者、その思索を継いだ者、その全てが背負う罪だ。決して忘れてはならぬ罪……」

 

「それじゃこの世界のみんなに解らないでしょう? 此方で例えるなら、そうね……」

 

 

ゲールマンの罪の告白、其処に割り込むアンジェラ。

数秒ほどの思考の後、彼女は傍らの女性に視線を移し、言葉を紡ぐ。

 

 

「ある日『マナの聖域』に気付いた人間たちが、大挙して其処に雪崩込んだ。そしてフェアリー達を片端から捕らえ、女神様の力を我がものにすべく切り刻んでは調べ尽くし、絶滅するまで延々と繰り返した」

 

「な……」

 

 

歌う様に連なる声は、しかし無限の怨嗟に満ち満ちている。

紡がれる物語、そのあまりの凄惨さに誰もが言葉を失い、ただ呆然と聞き入っていた。

 

 

「その手は人界の『精霊』たちと彼等を崇める人間たちにまで延び、老若男女問わず片端から捕らえては生きたまま頭蓋を割って『瞳』を探し、見つからないからと打ち捨てて、更に大勢の頭蓋を割る」

 

 

ゲールマン、そしてマリアを見るフェアリーの目。

信じ難いものを見る様なそれが、徐々に剣呑なものへと変わりゆく。

 

 

「当然そうした行いは女神様の怒りを買い、その人間たちの街そのものが病という永遠の呪いを受ける。それでも彼等は諦めず、自らの過ちを認めようともしない」

 

 

デュランとホークアイの視線に、侮蔑の色が入り交じる。

自らの民をも探求の糧として使い捨てるその様は、彼等からすれば唾棄すべきものに他ならないだろう。

 

 

「果てはその地の民に治療と偽り『精霊』の血を与え、その血肉と精神の変容を観察し始めた。未だ正気を保った人々の内から『狩人』が現れモンスターと化した同胞への対処に追われる中、探求の為に更に血の医療を拡散させる」

 

 

ケヴィンとシャルロットに到っては、何処までも冷め切った目でゲールマン達を見つめていた。

人と相対するものとは到底思えぬ、鉄の如く温度を感じさせぬ目。

 

 

「挙げ句の果てに何もかも制御できなくなり、自らが生み出したモンスターの餌食になるか、自らがモンスターとなり果てるか、或いは首輪の外れた『狩人』たちに狩られていった」

 

 

そしてリースはといえば、理解の限界を遙かに超える蛮行と、その結末に絶句するのみ。

もはや憐れみさえ浮かびはしない。

 

 

「結果、街は嘗て人間だったモンスターの巣窟と化した。それらを狩る『狩人』たちもまた血によって正気を失い、只管にモンスターを狩り続ける。極希に正気を保った人間が居たとしても、呪いに蝕まれて人ならざるものと化すか、絶望の果てに自ら命を絶つか、血に酔った『狩人』の刃に掛かるか……そんな地獄を、地上に現出させた。それこそが『ビルゲンワース』の罪」

 

 

ふと、アンジェラはゲールマンへと向き直る。

その顔に浮かぶのは酷薄かつ、嗜虐的な悦びの滲む笑み。

 

 

「ねえ、『最初の狩人』さん?」

 

 

ゲールマンは答えない。

しかし、数多の視線の中での沈黙は、アンジェラの言葉が事実であると何よりも雄弁に語っていた。

 

 

「……この場合、女神様とフェアリーが『上位者』という事ですか?」

 

「呪いが『獣の病』でモンスターが『獣』か……『最初の狩人』ってのは、つまり……」

 

「ヤーナムに蔓延る『獣』に対し、最初に武器を手に立ち上がった人間。ご立派な事と賞賛したいところだけれど、よりにもよってその当人が『ビルゲンワース』の学徒だなんて皮肉よね」

 

 

嘲りは止まらない。

無言を貫くゲールマンの隣、マリアの放つ気配が一変する。

深く静かで、しかし誰であれ気付く程に濃密な殺気。

思わず息を呑むリース、たじろぐ周囲。

それでもアンジェラに、焦燥の色は微塵も見られない。

それどころか彼女は標的をマリアへと変え、またも楽しげに糾弾の言葉を紡ぐ。

 

 

「ああ……そういえば『ローレンス』と同じ様に師を裏切った人間が居たわね。確か『カインハースト』とかいったかしら」

 

「『カインハースト』だと!?」

 

 

叫ぶデュラン。

思わぬところで思わぬ名が出てきた事で、彼のみならず皆が驚きを以ってアンジェラを見やっていた。

 

 

「『ビルゲンワース』を、そして師である『ウィレーム』を裏切り、穢れた血をその身に宿した一族。自らたちを貴族などと嘯き『穢れ』を求めて人々を殺し回った、淫蕩なる女王の僕たち……そうよね『マリア様』?」

 

 

遜った呼び方に、違和感を覚えるリース。

ふとマリアを見やった彼女の視界に、思いも寄らない光景が飛び込む。

 

 

「アンジェラ、何を……」

 

「そう、『マリア様』。あの実験棟の患者たちからは、そう呼ばれていたのよね?」

 

 

銃を構えたままのマリア、その瞳が不自然に揺らいでいた。

否、瞳だけではない。

微かではあるが、明らかに戦慄く彼女の身体。

除に開かれる、震える唇。

 

 

「何故……」

 

「知ってるのかって? 愚問ね。実験に用いられていたのは誰の血だと思っているの? 色々な『上位者』の血が用いられていたけれど、幾らでも量を確保できたのは『私』の血だけなのよ」

 

「なら……君は……」

 

「ええ、知ってるわ。貴女があの実験棟で、あの悪夢の中の時計塔で何をしていたか、全部」

 

 

反応は劇的だった。

マリアは銃を構え続ける事もできず、更には右手の得物を取り落としてしまう。

床板に双刃が転がる音が響く中、アンジェラは愉しげに続ける。

 

 

「そういえば、また『それ』使ってるの? よくもまあ使う気になれたわね。『カインハースト』の血から逃げ出し、『医療教会』の闇からも逃げ出して、更には『狩人』としての矜持さえも投げ出して……貴女、何時の間にか『カインハースト』の武器を使うようになっていたわよね? あの売女に忠誠でも誓ったのかしら?」

 

「おい……待て、どういう事だ!?」

 

「アンジェラ王女、もう……」

 

 

デュランが驚愕に声を上げ、ゲールマンが制止する。

ゲールマンの声は懇願するかの様な悲壮さに満ちていたが、しかしそれはアンジェラの内に渦巻く憎悪を、些かも揺り動かすものではなかったらしい。

 

 

「余計な事を喋るなって? 何様のつもりなの、まだ核心に触れてもいないじゃない」

 

「しかし、それでも……」

 

「マリアしゃんは『カインハースト』の関係者なんでちか?」

 

 

核心を突いたのはシャルロットだった。

独特の口調は、しかし虚偽を決して許さぬとの声色に満ちている。

反応の無いマリアに代わり答えるはアンジェラ。

 

 

「『カインハースト』の傍系、不死の女王『アンナリーゼ』の血統でありながら、一族の宿敵である教会派に属する『最初の狩人』に師事した異端児。それが彼女よ」

 

「一族を裏切ったって事か」

 

「理由までは知らないけれどね。大方『血の穢れ』の妄執に取り憑かれた一族を嫌っていたんじゃない?」

 

「……それがごく普通の感性ではないでしょうか」

 

「ところが、慕い師事したゲールマンもまた『ビルゲンワース』に端を発する狂気の探求に与していた。絶望した彼女は、忌み嫌っていた筈の一族の武器を手に、罪滅ぼしのつもりか自ら『悪夢』の虜となったのよ」

 

「自分から……」

 

「その『悪夢』の中、教会の実験で検体とされた人々の支えとして振る舞う一方で、教会と狩人の暗部を探ろうと訪れる人間を狩り続けた。ただ自らと恩師の恥部を探られたくないが故に、只管に己の弱さから目を背け続ける為に」

 

 

ゲールマンとマリア、2人の精神を切り刻まんと、削り取らんとするかの様に。

ノコギリの刃の如く、重く冷たい言葉は続く。

 

 

「恩師を裏切り『狩人』になり、果ては『月の魔物』の下僕となり果てた師に、自らの一族も教会も裏切り、遂には『狩人』ですらいられなくなった弟子。挙げ句の果てに2人纏めて『最後の狩人』の手に掛かり、何ひとつ初志を貫徹できずに滅び去った」

 

 

其処まで言うや、表情を一変させるアンジェラ。

これまでの何処か愉悦の滲むそれではなく、明確な憎悪と侮蔑とに満ちた瞳で、言葉もなく佇む2人の狩人を睨み据え。

 

 

「お似合いだわ。ええ、この寂れた『工房』が実にお似合いよ」

 

 

そう、吐き捨てた。

『工房』に満ちる沈黙。

誰も言葉を発しようとはしない、或いは発する事ができない。

 

ゲールマンは構えていた銃を何時の間にか下ろし、小さな溜息と共に力なく床を見つめている。

マリアは放心しているのだろうか、落した得物を拾おうともせずに項垂れていた。

そしてモントもまた、躊躇いがちにではあるが構えを解き、手にした曲剣をその場に放る。

重い曲剣が床板を鳴らす中、これまで一言も声を発していない女性が、その身体を微かに震わせながら縋る様にアンジェラの手を握った。

 

虚を突かれた様に、其方へと振り返るアンジェラ。

彼女は女性と暫し見つめ合った後にモント、そしてゲールマンとマリアへと視線を移す。

そうして再び女性と視線を見合わせたアンジェラは、徐に杖の先端を床板へと叩き付けた。

 

 

「っ……!?」

 

 

杖の先端が床板を貫く音と、金属音。

突然の事に身を竦ませるリースだったが、耳障りな音と共に引き抜かれた仕込み杖を見るや、鞭から元の杖としての形態へと戻っている事に気付く。

アンジェラは構えを解いたのだ。

皆もそれを理解したのだろう、幾つかの安堵の吐息。

漸く状況が落ち着いた事を理解し、リースはゆっくりと自らの緊張を解いてゆく。

一方で、何処か納得がいかないといった様子で、アンジェラが呟いた。

 

 

「……この娘のたってのお願いでね、これ以上は責めないであげてって」

 

「なに……?」

 

「もう良いって言ってるのよ、この娘。アタシとしては、まだまだ言い足りないんだけど」

 

 

不機嫌そうに言い放つと女性の手を離し、苛立った様子で近くのチェストへと腰掛けるアンジェラ。

その場に残された女性はというと、如何したものかと右往左往した挙げ句に小走りでアンジェラの元へと走り寄っていた。

その姿に毒気を抜かれたのか、モントもまた途惑いがちに声を発する。

 

 

「どういう事だ……?」

 

「どうもこうも……この娘はもうアンタたちの事、大して恨んでなんかいないのよ。いえ、元々恨むって事が苦手っていうべきかしら」

 

 

仕込み杖を弄くりつつ、アンジェラは言う。

訳も分からず呆然と佇むモントへと、投げ遣り気味に投げ掛けられる言葉。

 

 

「この娘は同族に見捨てられてからずっと、悪夢と化した地下遺跡の中で過ごしてきた。其処を『ビルゲンワース』に見付かり、やがては『聖歌隊』に聖体として祀られる事になってしまった」

 

「……ああ、知っている。『イズの大聖杯』だろう」

 

「そう呼ばれていたみたいね。仮に『ヤーナム』の人間に見付からなかったとすれば、ずっとあの暗がりに1人で居ただろうって。そうなれば耐え切れずに、いずれは自ら命を絶っていたかもしれないって。だからその点については、完全にではないけれど納得しているのよ」

 

「それは……」

 

「でもね。散々に血を抜かれ利用された事と、アンタに問答無用で切り刻まれて殺された事。この点については、幾らのんびりしたこの娘でも思うところがあるみたいよ……それさえも抑え込もうとしてたからね、どうしても納得できなかった私が代弁しただけ」

 

 

その言葉通り、アンジェラの傍らから怯えの滲む視線をモントへと向ける女性。

それを受けて居心地が悪そうに身動ぎする彼を一瞥し、鼻を鳴らすアンジェラ。

せめてもの反撃のつもりか、不満げに口を開くモント。

 

 

「……せめて自分の口で伝えるべきだろうに」

 

「この娘、まだ上手く口が利けないのよ。人間の身体に馴染むのが遅めでね」

 

「何時から人の姿になったのですか?」

 

「この娘たちがこっちに引っ張られた時にね。『上位者』としての力も殆ど失って、こうして人間と同じ暮らしを始めたって訳」

 

「え? でもアンジェラ、彼女の力と記憶を持ってるんじゃ……」

 

「ええ、力の継承と過去の記憶の共有『だけ』ね。この娘が『上位者』として振るってきた力、モントに殺されるまでの記憶。特に力については、この娘の内に留めておく事なんて不可能だった……で、これが問題なのよ」

 

 

其処まで言うと、意味ありげにゲールマンへと視線をやるアンジェラ。

それを受けた彼は溜息をひとつ、両手の得物を祭壇に立て掛けると、再度車椅子へと腰掛けて後を引き継ぐ。

 

 

「……この郷には多くの元『上位者』が居る。殆どは『ビルゲンワース』と『医療教会』の犠牲になった者たちだが、中には彼女の様に幾度かの『獣狩りの夜』に命を落とした者も少なからず居るのだよ」

 

「俺が殺った連中か」

 

「君だけではない、多くの狩人が『獣』のみならず『上位者』をも狩り尽くさんと狙っていた。君も良く知っているだろう」

 

 

モントは沈黙。

どうにも心当たりがあるらしい。

 

 

「たとえ肉体は滅びても、何らかの形で痕跡を遺すのが『上位者』だ。彼女の『先触れ』が触媒として残り続ける様に、落とし子の怨念が海に還る様に」

 

「それがこの郷の連中という訳か」

 

「問題は『アンナリーゼ』がこの世界へと逃れた際に、あらゆる『上位者』の残滓を引き寄せた事だ。それを彼女がどう利用つもりかまでは解りかねるが、嘗ての『上位者』そのものをこの世界に復活させようと企んだ」

 

「なら、王都のあれは……」

 

「その通り、復活した『番犬』を『聖歌隊』が、王都そのものを『聖杯』として喚び出したものだ。だが、全ての『上位者』がそうした復活を果たす事を良しとした訳ではない」

 

「利用されるのはもう御免って事よ」

 

 

再び、アンジェラが割って入る。

その口調は強い決意に満ちていた。

 

 

「彼等は力の殆どを自ら切り捨てる事で『アンナリーゼ』の目論見に抵抗した。『上位者』としての在り方を放棄してまで、彼女の欲望に与する事を拒絶したの……人の身体の内に元の力を留めておく事なんて不可能だった、っていう事情もあるけどね」

 

「何故、其処までして人の姿に?」

 

「望むと望まざるとに拘らず、人間との関わりは深いからね。『狩人』の力も知っていたし、身を守るにせよ何にせよ人間の姿は色々と好都合だったのよ」

 

「そういった者たちを我々は保護し、この郷に住まわせている。人として生きてゆく上で必要な知識を、身を守る術を教える為に」

 

「贖罪のつもりか?」

 

「……それは否定せんよ。だが、我々にできる事などこれ位しかない」

 

 

其処まで言って、ゲールマンは居住まいを正す。

此処からが核心なのだと、言われずとも理解できた。

 

 

「彼等が捨て去ったものだが……それがどういった形でこの世界に現出したか、或いは消滅したのか、これまで掴めてはいなかった。だが其処に、アンジェラ王女の件だ。驚いたよ」

 

「この娘が手放した『上位者』としての力は、ずっとフォルセナ領内で寄る辺を求めて彷徨っていた。この郷がある事で『カインハースト』は手を出せなかったみたいだしね。でも肝心の宿り先が見付からなかった。『上位者』の力を受け入れられる器なんてそうそうあるものでもないし、生半可な血では『獣』になるか良くて発狂死だしね」

 

「……でも、アンジェラは違った。常人では考えられない程に膨大な量の『マナ』を制御できる貴女は『上位者』の力を受け入れるに足る器だったって事ね」

 

 

フェアリーの言葉に、我が意を得たりとばかりに頷くアンジェラ。

彼女は右手の仕込み杖を軽く掲げて続ける。

 

 

「あの時『聖歌隊』の狩人が使った『神秘』……この娘の嘗ての身体の一部を召喚するものと、この娘の智慧を応用したもの。それらが幾度も使用された事で、寄る辺を求めていたこの娘の力は王都に引き寄せられた。そして『神秘』の触媒を目にして『啓蒙』を得た事を機に、アタシの内に宿ったって訳」

 

「じゃあ本当に……お前は『星の娘』の力を使えるのか」

 

「十全にって訳じゃないけどね」

 

 

痛む頭を押さえる様に、額へと手をやるモント。

アンジェラが嘗ての強敵の力を得たという事実に、何かしら思うところがあるのだろう。

『獣狩りの夜』については必要最低限の事しか語らないモントではあるが、しかし語られずとも壮絶な経験をしたであろう事は皆が理解している。

その結果、彼が『上位者』に対し無限大の憎悪を抱いている事もだ。

そんなモントだからこそ、アンジェラが明らかにした事実により受けた衝撃は、この場の誰よりも大きいものだろう。

多少なりとも同情の念が浮かぶリースではあったが、そんな事は知らぬとばかりにゲールマンが話を本筋へと戻す。

 

 

「彼女だけでなく、この郷に暮らす多くの元『上位者』が同様に嘗ての力を捨て去っている。即ち、彼等と同数の寄る辺なき力がこの世界を彷徨っているという事だ。この意味が解るかね」

 

「……まさか」

 

 

切迫したモントの声。

どうやら、ゲールマンの言わんとするところに気付いたらしい。

 

 

「嘗ての在り方そのままに現界する者も居るだろう。『番犬』の様に自らの意思が無く、それこそ使役される側として現界する者も居る。だが、それ以上に脅威となるのは、未だ寄る辺が定まらぬ力たちだ」

 

「誰に宿るか解らない、という事ですね?」

 

「そうだ。その人物が此方に協力的ならば未だしも『カインハースト』や『医療教会』の人間であったならば目も当てられない」

 

「……いや、下手すりゃアルテナかナバール、ビーストキングダムの誰かって線もあるだろ。その影響が何処まで深刻かは解らないが、碌でもない事になるのは目に見えてる」

 

「そういう事だ。これより先、君たちの前に現れる人物の誰かに『上位者』の力が宿っているやもしれない。それについての警告が、この郷に君たちを呼んだ理由のひとつ」

 

「……他にもあるのか?」

 

 

うんざりといった体で呟くデュラン。

その様子に苦笑するゲールマンだが、傍らのマリアは表情すら変えぬままに言葉を引き継ぐ。

 

 

「先程も言った通り、君たちの支援も目的のひとつだが……狩人よ、折り入って君に頼みたい事がある」

 

「俺に?」

 

「そうだ。『連盟』最後の狩人である君にしか頼めない事だ」

 

 

訝し気に訊き返すモント。

しかし、マリアの言葉を聞くや、その表情を一変させる。

そして、彼女の手に握られた1本の杖。

『仕掛け武器』ではなさそうだが、しかしそれを目にしたモントは凍り付いている。

そしてマリアはまたも、リース達には理解し難い言葉を紡いだのだ。

 

 

「『獣喰らいのヴァルトール』……どうか、彼を説得して貰いたい。この郷の人々を、未だこの世界を彷徨う嘗ての『上位者』たちを護る為に」

 

 

 

============================================

 

 

 

「結論から言うとだね、コイツにこれ以上手を加えるのは難しい」

 

 

そう言って翳された剣を受け取りながら、デュランは溜息を吐く。

ゲールマン達との会合から一夜明け、聖剣の一行は紹介された『工房』を訪れ、各々の新たな得物についての検討を進めていた。

その中でデュランは、王都で『番人』より鹵獲した曲刀を所持していた事から、早々と改修の余地が無い事を告げられたのだ。

 

 

「と、いうと?」

 

「こんな風に原形を留めたまま鹵獲された代物は初めて目にするが……見事な一振りだよ、これは。隕鉄を惜しむ事なく用いて、素晴らしい硬度と切れ味に仕上げている。我々の技術ではこうはいかない」

 

「アンタ等が打った代物じゃないのか?」

 

「ヤーナムでは不可能だ。これを打ったのは『トゥメル』の連中だよ」

 

 

何処かで聞いた名前だと、デュランは首を傾げる。

確か、王都での事態が収束した後に、モントがそれらしい名を口にしたのではなかったか。

惨劇の陰に薄れた記憶を手繰るデュランを余所に『工房』の職人は言葉を続ける。

 

 

「取り敢えず手入れはしておくし、何とか複製もできる様に持っていくが……血を吸わせてさえおけば、コイツがナマクラになる事はないだろう」

 

「……『狩人』みたいな剣だな」

 

「そりゃそうだ。今でこそ人でなくなっちまったとはいえ『トゥメル』の時代には『番人』も『獣』を狩っていたんだろうさ。剣だって持ち主に似てくるだろうよ」

 

「魔剣じゃねえか……」

 

「まあ、片手剣としちゃあこれ以上ない業物だ。少々重いだろうが、使いこなせりゃ獣から狩人まで柔軟に対応できる」

 

 

頭を抱えるデュランだが、職人の言葉にどうにか納得して、誂えて貰った鞘に剣を収めた。

その様を横目に見ながら、紙に何事かを書き留めつつ職人が問う。

 

 

「それで、だ。初めに訊いたが、君はこの先どちらを選ぶんだね」

 

「『クラスチェンジ』の話か?」

 

「ああ。私も彼女から聞いた話程度の内容しか理解していないが『光』と『闇』で随分と異なるんだろう?」

 

 

『クラスチェンジ』については、初めに全員が訊ねられた事だった。

フェアリィによれば、ローラントで『マナストーン』を見付ける事ができれば、其処で『クラスチェンジ』を行う事が可能だろうという話だ。

ただ『クラスチェンジ』には制約があり、クラスは『光』と『闇』に分かれ、どちらかを選択せねばならない。

そして一度クラスを決してしまえば、異なるそれへと進む事は決して叶わないという。

 

 

「……正直、迷ってる。俺の戦い方なら『闇』一択……だと、思うんだが」

 

「『光』じゃ駄目なのか?」

 

 

そして『光』と『闇』では、戦闘のスタイルが明確に異なるらしい。

『光』では味方への援護と守備が主体となり『闇』ではとにかく敵への攻撃に偏重する。

これまでのデュランであれば、迷う事なく『闇』の道を選択していただろう。

だが今や彼の内面には、嘗てでは考えられなかった葛藤が生じていた。

 

 

「騎士、か……」

 

 

今の彼には、放ってはおけない存在がある。

表向きには気が強く我が儘で、しかもお転婆で口うるさいときている。

しかしその実は、繊細で臆病で、誰よりも愛に飢え、自らの命を狙う母親をそれでも敬愛して止まない、か弱いごく普通の少女。

その身に『上位者』の力を取り込み、何処か超然とした雰囲気を身に付けてなお、その本質は何も変わっていないとデュランは断じていた。

何処か危なっかしい、放っておけない彼女を思うと、ただ攻撃のみに特化した『闇』への道を選ぶ事に躊躇が生じるのだ。

 

かといって『光』を選んだところで、今や仕込み杖を手足の如く扱い強力無比なる神秘を無造作に撃ち放つ彼女の傍で、その守護の力が如何程に役立つものか。

ある程度の力がなければ、寧ろ彼女の足を引っ張る結果となる可能性もある。

しかし一方で『闇』を選んで前線に突っ込めば、仕込み杖の一撃に耐え得る敵に肉薄されれば命取りとなりかねない彼女を、他に有力な護衛が居ないままその場に残す事になりかねない。

故に、デュランは悩んでいるのだ。

その苦悩が、無意識に口を突いて出る。

 

 

「盾か……手数がなぁ……」

 

「何だ、盾が欲しいのか?」

 

 

知らず知らずの内に零れ出た言葉に、職人の男は反応した。

予想外に反応され面食らいながらも、どうにか声を返すデュラン。

 

 

「いや、ありゃあ良いかなとは思うが……積極的に攻めるのには向かないだろ」

 

「そうとも限らんぞ。遣り様は幾らでもある」

 

 

言いつつ、男は既に紙上へと何らかの図面を引き始めている。

彼の言葉の意味するところを理解できずに呆けるデュランを横目に、男は矢継ぎ早に問いを浴びせ掛けてきた。

 

 

「盾を持つ事で攻めの手数が減る事と、あとはそうだな、両手持ちの剣に比べて一撃の威力に劣る点が気になるのかね」

 

「……ああ、そうだな」

 

「これまではどうなんだ、盾を使った経験はあるのか」

 

「一応ある。性に合わないんで積極的には使わなかったが、モンスターによっては必要になる事もあったからな」

 

「両手剣はどうだ、グレートソードは?」

 

「取り回しが悪すぎる。大物相手じゃなきゃ無駄な重りになっちまう」

 

「その剣を片手で扱う事には不自由は無いか?」

 

「少々重いが、そのうち慣れる」

 

 

其処まで聞き出すと、後は無言で作業台に向かい続ける男。

紙上を奔る羽ペンの勢いは衰える素振りを見せず、寧ろ秒を追う事に早くなっている様に感じられる。

所在なげにその様子を見守るデュラン。

そうして、そのまま十数分が過ぎた頃、男は羽ペンをインク瓶へと放り込んでデュランへと向き直る。

 

 

「盾を持つのは、後方の仲間を護る為……という事で良いかな?」

 

「……ああ」

 

「しかし盾を持つ事で、積極的な攻勢を掛ける際に負担となる事は避けたい」

 

「そうだ」

 

「ふむ、ならばこういうのはどうだね」

 

 

そう言って、男が広げて見せた紙面上。

其処にはデュランにとって、凡そ理解の及ばぬ『武器』の設計図が描かれていたのだった。

 

 

 

============================================

 

 

 

「どうだいお嬢さん、お気に召す一品はあったかね?」

 

「そうですね……」

 

 

そう言って周囲を見回すリースの内心は、しかし焦燥に満ちていた。

自身が得意とする得物、即ち槍に該当する仕掛け武器が見付からないのだ。

否、正確にはあるにはあるのだが、とても扱える代物ではないと言うべきか。

 

 

「やっぱりアレはお気に召さないかね」

 

「使っているところは幾度となく拝見しましたが……私には向かないでしょうね」

 

 

先ず勧められたのは何を隠そう、モント愛用の仕掛け武器である『ノコギリ槍』だ。

変形させればかなりの長さの槍と化すそれは、しかしあまりにも重すぎた。

それだけでなく、この武器は両手持ちで扱う事は端から考慮されておらず、しかも変形前のノコギリの形態はリースにとって戦闘に於ける利は皆無かつ、運搬が容易になる程度の利点しか齎さない。

端的に言えば使い熟すだけの下地が、彼女には存在しないのだ。

 

 

「お嬢さんは槍使いだったね?」

 

「ええ。幼い頃からずっと、槍術を叩き込まれてきました」

 

「じゃあ、ずっとトライデントを?」

 

「はい」

 

 

アマゾネス軍団に於いて三叉槍、即ちトライデントは特別な意味を持つ。

ローラント王国の前身となった部族、その女戦士たちが用いていた武器がこれなのだ。

ローラントは建国から20年も経っていない若い国家だが、その建国までの課程により、柔軟な国家運営を行いつつも伝統を軽んじはしない。

故に、リースもまたトライデントの扱いには長けるが、それ以外の武器となると短刀と弓を少しばかり齧った程度だ。

 

 

「ふむ……だとすると、攻撃は突きと……薙ぎ払いも多用するのかな?」

 

「はい」

 

「成る程、なら……いや、しかし……」

 

 

リースの相談役となった職人は、何事かを考え始める。

やがて彼は、幾分か迷う素振りを見せつつ告げた。

 

 

「……お嬢さんには少し重いかもしれんが、トライデントと似た感覚で扱えるだろう槍はある」

 

「本当ですか?」

 

「ただ、ちょいと癖のある武器でね。扱う狩人も限られた代物なんだが……」

 

 

そう言いつつ椅子から腰を上げ『工房』の奥へと姿を消す職人。

数分ほどして戻ってきた彼の手には、嘗ての彼女の得物とほぼ同じ長さの槍があった。

ローラントのものよりも2回り以上に太い柄、それ自体がグラディウス程もある大振りの矛先。

少しばかり大き過ぎる、そして奇妙な金具が付いている点を除けば、随分と真っ当な槍だった。

 

 

「これも仕掛け武器なんですか?」

 

「ああ、コイツはこうして……」

 

 

『工房』に鳴り響く金属音。

其処で漸く、リースは理解する。

彼女の常識が通用する余地など、この場の何処にも無いのだと。

 

 

 

============================================

 

 

 

「成る程、成る程。控えの武器に飛び道具か、そりゃいい!」

 

「駄目か?」

 

「いやいや、良いと思うぞ。狩人だって余裕がありゃ2振りと2丁を同時に持ち歩くんだ。坊主くらいのガタイがありゃあ当然だ」

 

 

豪快に笑いながら、巨漢の職人は倉庫の中身を引っ繰り返す。

あれでもないこれでもない、あれは何処にやったっけ。

そんな独り言を呟きながら目的の物を探す彼を余所に、興味深く周囲の物品を見回すケヴィン。

 

彼の希望は幾つかあった。

ひとつ、獣肉断ちでは追随し切れない敵に対応できる、副次的な武装。

ひとつ、これから向かうローラントの岩場などで起こると考えられる、互いが離れた位置での接敵時に攻撃可能な飛び道具。

ひとつ、己の膂力を十全に活かせる武装。

それを聞くや、巨漢の職人は愉しげに笑ったのだ。

 

 

「坊主みたいに豪快なのは嫌いじゃねえぞ! こう言っちゃ何だが、最後の方の狩人は華奢な野郎ばかりでよ。真正面から『獣』を捩じ伏せてやろうって気概のある奴ぁめっきり減っちまった」

 

「人間じゃ無理がある。正しい考え」

 

「そりゃそうだがよ、こっちとしちゃあ面白くねえ! 人が折角イカした武器を用意しても、やれ重いだのやれ実用性が無ぇだので敬遠しやがる。『アイツ』みてえにもう少し頭が柔軟な奴が居ねえものかと悶々としてたんだ」

 

 

『アイツ』というのが誰かは知らないが、狩人たちに足りなかったのは、頭の柔軟性ではなく筋肉なのではないか。

そんな考えが浮かんだケヴィンだったが、賢明にもそれを口にする事はなかった。

『火薬庫』の中で火遊びをする様な自殺願望は、無い。

彼は空気の読める獣人なのだ。

ただ腹の中で『馬鹿じゃないの』と思っただけだ。

 

 

「さあどうだ、坊主! コレなんかお前さんにピッタリだろう!」

 

 

馬鹿じゃないの、ホント馬鹿じゃないの。

腹の内で呪詛を繰り返しながら、作業台を叩き割らんばかりの轟音と共に眼前に置かれたそれを、ケヴィンは顔を引き攣らせながら見つめる。

カチカチと金属音を発てながらそれの一部を回す職人は、愉快で堪らないとばかりに口を開いた。

 

 

「コイツはとある馬鹿の以来で造ったモンでな、見ての通り常人に扱える代物じゃねえ。だが何人かはコイツを見事に操って、アホみたいに大量の獣を一方的に狩りまくった。坊主の力なら問題なく扱えるだろうさ」

 

 

それともこっちの方が良いか、と見せられた『大砲』に、ケヴィンは必死に首を振る。

もちろん横に。

この男、自分を砲台か何かと勘違いしているのではなかろうか。

そんな疑念を抱くケヴィン。

 

 

「おおそうだ、右手の予備だったな! 取り敢えず幾つか見繕ってきたぞ」

 

 

ほれ、と作業台上に並べられたそれらは、いずれも一目でまともではないと解る代物ばかり。

更に表情を引き攣らせるケヴィンの様子に気付かないのか、或いはどうでも良いのか。

巨漢の職人は期待に瞳を輝かせて問い掛ける。

 

 

「さあ、好きなのを選んでくれ!」

 

 

馬鹿じゃないの、と腹の内で延々と響き続ける声をどうにか抑え込みつつ、ケヴィンは血眼になって武器の選定に入った。

少しでもまともなものを、すこしでも良識の残ったものを。

彼の頭は、ただそれだけで一杯だった。

 

 

「幾つでも良いぞ! 何なら全部持ってけ!」

 

 

ちょっと黙ってろこの野郎。

喉元まで出掛かった言葉を、辛うじて呑み込んだケヴィンは偉かった。

彼は空気の読める獣人なのだ。

 

 

 

============================================

 

 

 

「大したもんだ。もうソイツを使い熟してるとは」

 

 

感心の滲む声が響く中、無心に新たな得物を振るい続けるホークアイ。

その両手に握られた刃は鈍色の旋風と化して空気を切り裂き、目に見えぬ敵を瞬く間に微塵と化してゆく。

急所を突き、切り裂き、幾重にも幾重にも斬り刻んで、背後へと回り込んで両の脇下へと切っ先を突き込み捻る。

想定上の敵から刀身を引き抜き、金属音と火花を散らした後には、既に二振りあった刃は一振りと化していた。

 

 

「いや、見事なもんさね。『烏羽』を思い出すよ」

 

「……そりゃ、これを使ってたっていう狩人の事か?」

 

 

軽く息を吐き問い掛けるホークアイに、職人の女は我が意を得たりと頷いてみせた。

その手にはニキータに誂えさせたダガー、既に刃は潰れ刀身が半ばから折れ飛んだそれが握られている。

刀身の付け根近くに嵌め込まれていた、モント曰く『血晶石』は取り外され、今は作業台の上に転がっていた。

 

 

「そうさね。『烏羽の狩人』即ち『狩人狩り』の間で連綿と受け継がれてきた得物さ」

 

「『狩人狩り』だって? じゃあやっぱり、コイツは対人用なのか」

 

 

道理で扱い易い筈だと、自らの手の内にある短刀へと視線を落とすホークアイ。

『狩人狩り』という言葉にも、対人専用の仕掛け武器の存在にも、彼は驚かない。

どちらも必要となる筈だと、疾うに予測していたのだ。

そして実際に、その予測は誤りではなかった。

だがそうなると、別の懸念が浮かび上がる。

 

 

「なら、コイツは『獣』相手には力不足、って事にならないか?」

 

 

獣狩りの武器はいずれも特徴的で、分厚い毛皮に護られた獣の血肉を削ぎ取る為の工夫が施されている事は、既にホークアイも聞き及んでいる。

見たところ、この短刀にそういった要素は見当たらない。

仕掛けこそ敵の不意を突き、戦術の幅を広げるには最適のものだが、果たしてそれが獣にも通じるだろうか。

 

 

「そいつは隕鉄でできている。例え『獣』の毛皮であっても、癖さえ掴めば人と同じ様に斬り裂けるさ……ほら、寄越しな」

 

 

ホークアイから短刀を受け取り、職人の女は作業台に向かう。

そうして幾つかの器具を取り出しながら、ふと思い出した様に告げた。

 

 

「そういえばアンタと一緒に来た狩人から、幾つか『血晶石』を預かってるよ」

 

 

そう言って、ホークアイのダガーに嵌め込まれていたものに良く似た『血晶石』を更に2つ取り出し、再度作業台に向き直る職人の女。

どういう事かと首を傾げるホークアイに、彼女は振り返る事なく説明する。

 

 

「この『血晶石』ってのはね……幾つか重ねて嵌め込む事で、効果を相乗させる事ができるんだよ。アンタが手に入れたのは『劇毒』の『血晶石』……それもなかなかの上物だ。其処に同類の『血晶石』を嵌め込めば、刃が纏う毒は更に強力になるって寸法さね」

 

「モントは『血晶石』を幾つも持ってるのか?」

 

「何しろ全ての『聖杯』を制したって話だからね。そんなもん幾らでもあるんだろうさ」

 

 

何とも恐ろしい話だと、内心で呟くホークアイ。

この毒を宿す『血晶石』が複数存在するという事は、それだけ同様の毒を纏う刃を生み出せるという事に他ならない。

ほんの僅かでも傷付けられようものなら、想像を絶する苦痛の果てに決して逃れること能わぬ死を齎す刃が、複数。

世界中の権力者にとって、これ程までに恐ろしい武器は他に無い。

比喩でも自惚れでもなく、世界最強の暗殺任務特化部隊を有するナバールとしても、戦後の扱いを考えねばならないだろう。

 

 

「ひょっとしたら、戦いの中でもっと優れた『血晶石』を手に入れる機会があるかもしれない。もしそんな事があったら、迷わず石を入れ替えるんだね」

 

「これ以上があるのか?」

 

「アタシは見た事が無いねェ。でも、実際にそれを使ってる連中が居たからね。運が良ければ見付けられるかもしれないよ……ただ」

 

 

女は作業台の上、壁に掲げられた絵を指す。

描かれているのは異形、血と膿とに塗れた、骨と皮ばかりの悍ましい『獣』か『上位者』かも解らぬそれ。

この存在と邂逅し、生きて戻った狩人からの言伝を元に描かれたものか。

それを指し示しながら、彼女は言う。

 

 

「こういった連中との邂逅は覚悟しとくんだね」

 

 

思わず黙り込むホークアイ。

もう一度、彼女が指し示す絵を見やる。

数秒ほどして、溜息。

 

 

「……遠慮しときたいね」

 

 

職人の女は笑い、近くの棚を指差す。

そして渋面のホークアイへと、次なる新たな得物を提案するのだった。

 

 

「さてアンタ、飛び道具も持たないと話にならないだろう? とっておきの新型があるんだけど、どうだい?」

 

 

 

============================================

 

 

 

「何よ、シケてるわね。もっと面白いものがあるかと思ってたわ」

 

「人の私物を勝手に漁っておいて何て言い草だ……」

 

 

ゲールマン達と会合した『工房』の中。

アンジェラとシャルロットは、扉近くに置かれた巨大なチェストの中身を引っ繰り返していた。

次々に取り出された代物を物色しながら、あれでもないこれでもないと除けてゆくアンジェラとシャルロット。

そのすぐ後ろでは、表情を引き攣らせたモントと呆れ顔のフェアリーが、王女と司祭の孫の独壇場と化した仕分け作業を為す術もなく見つめていた。

 

 

「うえ、なんでちかこのトマトソースみたいなの……なんか動いてまちよ」

 

「捨ててシャルロット。今すぐ捨てなさい」

 

「こっちのはなんでちか、ドライフラワー? 小汚いし、なんか臭いでち……」

 

「捨てちゃいなさいって」

 

「おい……おい、ちょっと待て、待ってくれって……」

 

 

しどろもどろになりながらも、容赦のない分別作業に物申さんとするモント。

しかし、そんな踏ん切りの付かない彼の嘆願を、アンジェラの鋭い声が一切の容赦なく一刀両断にする。

 

 

「もう使わないでしょ、こんなもの。要らないものはどんどん捨てちゃいなさい」

 

「うへぁ、ランタンが1個、2個、3個……14個もありまちよ。なんでこんなに?」

 

「人数分だけ確保して、後は何処かで売っちゃいましょ」

 

「なあ、頼むよ……」

 

 

これまでに聞いた事もない、モントの弱々しい声。

処置無しと判断したフェアリーは一同に背を向け、工房内の武器を見て回る事にした。

壁や天井に掛けられたそれらを、ひとつひとつじっくりと見て回る。

 

 

「ばっちい石がいっぱいありまちよ! って、へぎゃあ! なんか脈打ってまち!?」

 

「ん、これとこれとこれと……あとこれか。他は同じ奴だから捨てちゃって良いわよ」

 

「おい、それは本気で止めろ!?」

 

 

苦労したんだぞ、というモントの叫びを余所に、フェアリーは壁に掛けられていたノコギリ鉈を手に取る。

軽く振ってみるが、やはり何処となくしっくりとこない。

狩人の血を受け入れた事によるものか、振るう分には不自由はないのだが、何かが違うと脳裏に訴え掛けるものがあるのだ。

 

 

「何よ、上物の『血晶石』は分けておいたじゃない。こんな質の低いの、幾つもとっておいても仕方ないでしょ」

 

「モントしゃん、整理整頓は思い切りが命でち。あれもこれもと手元に置いてたら、何時まで経っても片付かないでちよ」

 

「だからといって思い切り過ぎだろう! それを集めるのに俺がどれだけ……!」

 

 

悲壮な叫びを無視し、短銃を左手に取る。

やはり生じる違和感。

溜息と共にノコギリ鉈と銃を戻し、改めて周囲を見やる。

其処で彼女は、奇妙な気配に気付いた。

 

 

「……なに?」

 

 

ふと、彼女の視線は祭壇へと引き寄せられる。

正確にはその横、外へと続く扉。

何かが、其処に居る。

敵意は感じないが、しかし決して無視できぬ何かが此方を呼んでいるのだ。

知らず、彼女の足は其方へと向かっていた。

 

 

「……ビリッとキタァぁぁ!?」

 

「あら、良いものあったじゃない。これ貰っておこうっと」

 

「お前ら、少しは奥ゆかしさというものを……!」

 

 

背後から響く声も、今やフェアリーの意識には僅かたりとも及ばない。

祭壇横の扉より外へと出た彼女は、その壁際に佇む墓石がある事に気付いた。

 

 

「お墓? どうしてこんな所に……」

 

 

屈み、墓石に掘られた文字に目を走らせる。

すぐに彼女は、奇妙な点に気付いた。

墓石に、その主の名前が刻まれていない。

それがあるべき位置には、奇妙な一文。

 

 

『古狩人たちの眠りに』

 

 

その瞬間の変化に、しかし彼女は気付かなかった。

唯々、墓石に刻まれた文字を追う事に集中していたのだ。

知らず、彼女はその内容を音に乗せていた。

 

 

「……夢の月のフローラ。小さな彼ら、そして古い意志の漂い。どうか狩人を守り、癒し給え。彼等を囚えるこの夢が、優しい目覚めの先ぶれとなり、また懐かしい思いとならん事を」

 

 

それの意味するところを、彼女は知らない。

だが知らないなりにそれが、この墓石に祀られる者たちへの、弔いの言葉であると理解できた。

古狩人とは誰の事を指すのだろうと僅かな疑問を覚えるが、しかし考えても詮なき事と早々に結論付けて立ち上がる。

其処で漸く、異変に気付いた。

 

 

「……えっ?」

 

 

暖かな中天の陽に照らされた庭は既になく。

其処は今や、冷たく青い光に満たされた、同じ場所でありながら未知なる地。

慌てて天を仰ぎ見て、其処に在り得ないものを見出し、絶句する。

 

 

「ッ……!?」

 

 

今が日中である事は間違いない。

にも拘らず、中天には青白く巨大な月が浮かんでいたのだ。

更にいえば、その月は明らかにこの世界のものではなく、王都で見たものと同じヤーナムの月だった。

 

此処で漸くフェアリーは理解する。

この場所は、先程まで自分が居た工房ではない。

王都を取り込んだ『聖杯』と同じく、何者かによって創造された『夢』の中なのだと。

次いで、彼女は自身の背後、其処に居る『何か』に気付く。

反射的に振り返るフェアリー。

 

 

「なっ!?」

 

 

その存在を視界へと捉えたフェアリーは、今度こそ理解する事を放棄した。

 

 

「はじめまして……狩人様」

 

 

そう挨拶してきたそれは、街娘の服に身を包んだ女性。

正確には女性の姿をした『何か』だった。

そして、その容貌は。

 

 

「マリア……!?」

 

 

この郷で出会った狩人、マリアそのものだった。

 

 

「私は『人形』。この夢で、あなたのお世話をするものです」

 

 

フェアリーの呟きが聴こえていないのか、或いは聴こえてはいても答えるつもりが無いのか。

自らを『人形』と名乗った彼女は、淡々と手の内のものを差し出してくる。

 

 

「狩人様……お探し物は、これでしょうか」

 

 

異様に高い頭身、明らかに人工物と判る指、頭部の所々に奔る僅かな皹。

それら異様な点に気付いてはいたフェアリーだが、しかし差し出されたそれを目にするや全ての疑問が脳裏より消し飛んだ。

 

 

「これ……」

 

「お使い下さい、狩人様。貴女の狩りを全うする為に」

 

 

人形の手に握られた一振りの刃と、一丁の銃。

それらは、フェアリーの心を惹き付けて止まなかった。

良く似たものを少し前に目にしたばかりだが、しかしその際には全く無かった感覚。

酩酊にも似た、抗い難い魅了。

 

水に乾いた魚の様に、火に引き寄せられる羽虫の様に、血に餓えた『狩人』の様に。

彼女の身体はゆっくりと、しかし確かに、それらを手にすべく動き出していた。

手を差し出し、人形の手にあるそれらを受け取らんとして。

 

 

『止せ』

 

 

突如として、意識へと割り込む声。

ふと我に返ったフェアリーは、目の前に佇むマリアに気付く。

人形とマリアを重ね見て、やはり似ている等と思考するフェアリーだったが、それは彼女に肩を掴まれると同時に放たれた声によって断ち切られた。

 

 

「何を……受け取った?」

 

 

状況を理解できずに狼狽えるフェアリーに、マリアは両手で彼女の肩を掴んだまま、先日に聴いたそれよりも幾分か低い声で以て問い掛ける。

その声色からは緊張と警戒、そして幾分かの恐怖が感じられた。

戸惑うフェアリーに、マリアは確信を含んだ声で、重ねて問い掛ける。

 

 

「人形に会ったのだろう? 彼女から何を受け取った?」

 

 

漸く、フェアリーは思い至る。

確かに、人形から受け取ろうとした筈だ。

目の前の彼女が手にしていたものと良く似た、しかし何かが違うそれ。

彼女やモントが手にするものと良く似た、或いは全く同一のそれ。

その一振りと一丁を受け取ろうとして、割り込んだ声によって強制的に『目覚め』させられたのだ。

 

 

「……受け取ってはいないのか」

 

 

そんな、何処かしら困惑しているかの様な言葉と共に、肩を掴んでいた手が離される。

一体何事かと困惑するフェアリーに、マリアは幾分か疲れた様に再度問い掛けた。

 

 

「確認するが……人形に会ったのだろう?」

 

「……ええ」

 

「彼女から、何か手渡されなかったか」

 

「仕掛け武器らしきものを差し出されたけれど、受け取ってはいないわ」

 

 

何故か、その武器の詳細を伝える気にはなれなかった。

マリアは暫し無言のまま佇んでいたが、やがて溜息と共に緊張を解く。

 

 

「……忌まわしい『匂い』を感じて、駆け付けてはみたのだが……やはり、あの『夢』は終わってはいないのか」

 

「あの……」

 

 

戸惑いがちに声を掛けるフェアリーに、マリアは何でもないと言いたげに手を振った。

その様はまるで訊いてくれるなと言っているかの様で、フェアリーはそれ以上に掛ける言葉を失う。

其処へ、屋内から声が掛かった。

 

 

「フェアリー、外に居るのか?」

 

 

モントの声だ。

直後に彼とアンジェラ、シャルロットが連れ立って扉から姿を現した。

何があったのか知らないが、アンジェラは冷たい目でモントを睨んでおり、シャルロットに至ってはその小さな手足を無茶苦茶に振り回して彼の脚を殴る蹴るしている。

そのモントの手には、奇妙に湾曲した刀身を持つ、大振りの曲剣が握られていた。

彼はマリアの存在に気付くと、若干の警戒と共に声を絞り出す。

 

 

「……何があった?」

 

「何でもない……邪魔をして済まなかった。彼女の服だが、夕餉の後に持ってこよう。では」

 

 

それだけを言うと、マリアは身を翻して工房を去る。

胡乱げにその背を見送っていたモントだが、アンジェラに突つかれて思い出した様にフェアリーへと向き直ると、手にしていた曲剣の柄を差し出した。

 

 

「丁度良いのを見付けた、適当に振ってみてくれ。細かい調整は後で工房に頼もう」

 

 

そうして手渡された曲剣は、先程目にした仕掛け武器の様に魅了される事はなかったものの、不思議な程フェアリーの手に良く馴染んだ。

彼女の華奢な手には余る程の大振りな剣だったが、これも狩人の血によるものか、取り回しには全く不自由がない。

暫し剣を振るい、仕掛けについてモントに訊ねようとするフェアリーだったが、未だに彼へと冷ややかな視線を送るアンジェラと脚を殴り続けるシャルロットに気付き、戸惑いながらも何があったのかと問うた。

 

 

「あの……どうしたの?」

 

「きーてくだしゃい、フェアリーしゃん! こんの鬼畜狩人、あの箱ン中にとんでもないモン山ほど放り込んでたでちよ!?」

 

「連続殺人鬼もびっくりだわ……」

 

「だからアレは『聖杯』の触媒だと……!」

 

 

激昂するシャルロット、呆れ果てたと言わんばかりのアンジェラ。

モントは弁解らしき言葉を絞り出すが、言い終えるより先にシャルロットの叫びに遮られる。

 

 

「うるしぇーこの死体コレクター! マトモな人間が人の目ン玉だの骨だの集めまちか!?」

 

「何で人の背骨を道具と一緒に仕舞い込んでおくのよ……良識ってものはないの?」

 

「うう……あの黄色い骨、めっちゃ臭ってたでち……モロに掴んじゃったでちよ……幾らモントしゃんの服で拭ってもダメでち……」

 

「おい、何してる」

 

 

慌てて脚を引くモント。

どうやら先程までのシャルロットの行動は、自身の手にこびり付いた臭いをモントの服で拭っていたものらしい。

 

 

「もうダメでち……シャルのか弱いオトメ心はボロボロでちよ……」

 

「ああ、可哀想なシャルロット……こんな鬼畜狩人に身も心も穢されるなんて……!」

 

「おい」

 

「うう、アンジェラしゃあん……! シャルは、シャルは……!」

 

「大丈夫よシャルロット、後で一緒にお風呂入りましょ。それで貴女の武器が出来たら、先ずはモントで試しましょ」

 

「わあ、楽しみでち……!」

 

「コイツら……ッ!」

 

 

歯軋りするモントを余所に、先程まで目に涙まで浮かべて互いを抱き締め慰め合いながら、今や輝かんばかりの表情で彼を甚振る算段を始めている2人。

そんな3人の様子に、否応なく緊張を解されてしまったフェアリー。

溜息をひとつ、剣を携えたまま屋内に戻ろうと3人に背を向け、其処で初めて首から胸元に掛けての違和感に気付く。

何事かと首元に手をやれば、指先に触れる細い鎖の感触。

何かネックレスの様な物が掛かっている。

鎖を手繰り寄せ、胸元に隠れていた小さなペンダント、酷く傷んだそれを取り出すフェアリー。

 

 

「……これは?」

 

 

鏃型のそれに刻まれた紋章、背中合わせに描かれた2体の『獣』。

元は全体を覆っていたであろう赤い塗料は殆どが剥げ落ち、繊細であったろう銀細工は擦り切れて輝きを失っている。

しかしその中で『獣』の紋章だけは、確かな力を以って其処に浮かび上がっていた。

 

当然、こんなものをフェアリーは知らない。

彼女が身に付けているものは、全てアストリア以降に手に入れた。

だが、こんなものを手にした記憶は何処にも無い。

 

ふと、彼女は思い到る。

先程までの『夢』の中、あの『人形』が手渡そうとしたもの。

マリアの介入により受け取る事さえなかったものの、しかしこのペンダントと何らかの関連性はあるのではないか。

 

 

「フェアリー?」

 

 

急に立ち止まったフェアリーを訝しんだのか、声を掛けてくるアンジェラ。

咄嗟にペンダントを仕舞い込み、フェアリーは応える。

 

 

「何でもないわ、アンジェラ」

 

「そう? コイツの渡した武器だから、変な臭いでも付いてたんじゃないかと思ったんだけど」

 

「……何とでも言え」

 

 

冗談交じりに告げるアンジェラに、軽く手を振って苦笑いを浮かべるフェアリー。

そのまま屋内に戻り、銃の物色に入る。

何故か、ペンダントの事を告げる気にはなれなかった。

 

 

 

============================================

 

 

 

「……デュラン」

 

「言うなよ……俺だって訳が解らねぇんだ」

 

 

呆然と呟く彼等の視線の先、茜色の空。

其処に浮かぶは、黒々とした巨大な影。

郷を訪れて3日目、その夕刻の事だった。

 

 

「何だこれは……」

 

「贈り物だ、リチャード陛下からのな」

 

 

空に浮かぶ『それ』と共に郷へと戻ったルドウイークが、呆然と宙を見上げるモントへと語り掛ける。

其方へと視線を移した面々は、絞り出す様に言葉を吐き出した。

 

 

「『これ』が?」

 

「君達の足として使って欲しいそうだ。とはいえ、此処に来るまでに機関のマナを使い果たしてしまった。補充は精霊に頼ってくれとの事だ」

 

「どうして此処まで……」

 

 

再び、視線を宙に浮かぶ『それ』へと戻す。

ファルカタにも似た形状の胴体、それが2つ平行に並んだ双胴型。

其処から各々に角度を掛けて伸びた、ダガーの様な7対14枚もの羽。

至る箇所で風車の如く回転する大小様々な羽根、それらが発てる幾重もの重々しい風切り音。

そういったものが存在するとの知識はあっても、多くは初めて目にする存在。

 

 

「強襲揚陸型空母『スクラマサクス』。各国に現存する中では、恐らく最も対地・対空戦闘に特化した空母だそうだ。尤もマナの減少著しい昨今、竣工前から死蔵が決定していた不遇の船らしいが」

 

「つまりこれは、フォルセナ最後の空母という事ですか!?」

 

 

驚いた様に声を上げるリース。

何事だ、と首を傾げるモントに、ホークアイが説明を行う。

 

 

「前に言ったろ。規模の違いはあっても、どの国も空母を持ってたって。でも今は……」

 

「アルテナ以外に運用できる国家は無い、だな?」

 

「そうだ。つまりどの国でも、此処十数年ばかり空母の新造は行っていない。それで、さっきの話からすると……」

 

 

成程と、モントは納得する。

だが、それと同時に別の疑問が浮かび上がってきた。

そんな貴重な最新鋭の空母を何故、聖剣の一行などという寄り合い所帯に委ねるのか。

 

 

「納得しかねている様だな、狩人よ」

 

「ルドウイーク」

 

 

そんな疑問が表情に滲み出ていたのか、ルドウイークが声を掛けてくる。

丁度良いとばかりに、モントは問い掛けた。

 

 

「是非、理由を聞きたい」

 

「ふむ……端的に言えば、陛下は『これ』を国内に置いておきたくはない、というところだろう」

 

「そりゃどういう事だ?」

 

 

声を上げて割り込んだのはデュランだ。

その他の面々も、興味深そうに話に聞き入っている。

しかしルドウイークは自らが答える事はせず、背後に佇むフォルセナ兵、空母と共に郷を訪れた彼に視線を向けた。

それを受け、兵士が答える。

 

 

「……現在、王都を中心とするフォルセナ領内では、アルテナへの報復論が沸き起こっております」

 

「それは……」

 

 

アルテナへの報復。

その言葉に、アンジェラが目に見えて身を強張らせる。

 

 

「内容は苛烈なものが多く……エルランドを強襲して橋頭保を築き、周辺の集落を含めて無差別に物資を『徴収』。その上でアルテナ領内での集落、及び拠点への襲撃を継続して行う事で物資の流通を遮断し、国家全体の衰弱を狙うべしとの声が、日に日に膨れ上がっているのです」

 

「そんな事をすれば、アルテナの民は……!」

 

「はい。寒さと飢えに耐えられず、多くが命を落とす事となるでしょう。また別案として、少数精鋭にて王都を直接強襲しヴァルダ女王を殺害。アルテナ領全域で寒冷化を異常促進させ、生活圏の消滅を狙うべきとの声も……」

 

「一国皆殺しか。豪気だな」

 

 

何気なく呟かれたモントの言葉に、幾人かが非難じみた視線を向ける。

しかし、それを口にする事はしない。

彼の言っている事は、何も間違ってはいない故に。

 

ウィンテッド大陸は本来、人が生きること能わぬ極寒の大地である。

其処に数千年に亘り強大な王国が存続してきたのは、偏に強大な魔力を有する王家の血筋が、代々に亘って温暖な気候を保つ為の気象制御結界を維持してきたからだ。

縦しんばそれが途絶えれば、ウィンテッド大陸に暮らす人間は数日の内に、例外なく凍り付き死に絶える事だろう。

フォルセナ領内では今、それを人為的に引き起こすべきとの声が渦巻いているのだ。

全ては、彼の国への憎悪が為に。

 

俯くアンジェラ。

その手は固く握り締められ、微かに震えている。

モントの位置からは表情を窺う事はできないが、内心は穏やかならざるものだろう。

原因がアルテナ側にあるとはいえ、祖国の民を皆殺しにすべきとの声がフォルセナ内にあると、面と向かって言い渡されたのだ。

王都での戦闘でアンジェラがフォルセナ側に付いていた事は、兵士の内では広く知られている筈だが、それでアルテナへの憎悪が消えて無くなる訳ではないだろう。

この兵士個人としては質問に答えただけなのだろうが、結果的にそれはアンジェラの心を深く抉ってしまったらしい。

そんな事を考えながらも、同時にモントは英雄王にそれを成すつもりが無い事を理解する。

それはホークアイも同様だったらしく、彼は納得した様に声を零した。

 

 

「成程な。それで、コイツが国内にあるのは都合が悪いって訳か」

 

「……どういう事でち?」

 

 

不思議そうに尋ねるシャルロット。

ホークアイは、浮かぶ『スクラマサクス』を顎で示し、続ける。

 

 

「さっきの作戦、どちらにせよコイツが必要になる。大方、マナを含んだ鉱石を大量に積んで動力を確保、細々と補給線を繋ぐって内容だろ?」

 

 

言いつつ、兵士の様子を伺うホークアイ。

兵士は無表情だが、その沈黙は肯定とも受け取れる。

 

 

「足りない分は現地調達。幾ら何でも希望的観測に頼り過ぎるが、それでも強硬派にとっては充分だったんだろう。だが現実問題、大量の鉱石は積載量を圧迫するだろうし、それに伴って一度に送り込める戦力は減少する」

 

「リスクが大きすぎる上にコストも掛かりすぎる。為政者の立場からすれば、到底受け入れられるものじゃないな」

 

「ただ、だからといってコイツを国内に置いておく訳にはいかない。フォルセナとアルテナの現状を考えればな」

 

 

ホークアイとモントの遣り取りに、デュランが唸る。

自国とアンジェラの板挟みに合い、複雑な心境なのだろう。

一方で、ホークアイの言わんとする所を理解したのか、リースが確認するかの様に声を零す。

 

 

「……ある程度復興を遅らせれば、フォルセナには戦力を抽出できる余裕がある。アルテナは数千にも及ぶ魔導兵を失い、更に空母を動かした事で戦力・物資共に逼迫している筈……ですか?」

 

「そう判断したんだろう。強硬派も、陛下も。さっきの作戦もリスクとコストを考慮した上で、それでも不可能とは言い切れないんだ」

 

「そんな状態で国内にコイツが存在すれば、勢いを増す強硬派が黙っている筈がない。民意を無視する事もできるが、結果的に英雄王の統治に影響が出る」

 

「……厄介払いって事? 俺達、押し付けられた?」

 

 

呟くケヴィン。

皆の視線が集まるが、彼はそれらを気に留める様子もなく空母を見上げている。

億劫そうに首を鳴らしつつ、モントが答えた。

 

 

「その意図が無いとは言えないだろうが……好都合だったんだろう。何せこっちは、世界を救うという大義名分持ちだ。序でに王都での戦闘でも、多くの兵士と共に王城を解放している」

 

「となれば兵士や民からの反発も少なく、強硬派も表立って反対はできない。私達に足を提供したという実績があれば、後の外交折衝で他国に対し優位に立つ事も狙える、って事ね」

 

 

少しばかりの呆れを滲ませて言うフェアリーに、デュランの顔が僅かに歪む。

鉄面皮を貫く兵士とは対照的だ。

コイツに腹芸は無理だな、と思考するモント。

フェアリーとしては少しばかり潔癖性の嫌いがあるので、政治的に此方を利用しようとする英雄王の遣り口に思うところがあるのだろう。

とはいえ、充分に此方の利になっているのだから、特に問題は無い筈だとモントは思う。

気になる点があるとすれば、それはひとつだ。

 

 

「コイツの乗組員はどうする。貴国の正規兵を乗せる訳にはいかないだろう」

 

「此方で信頼できる『傭兵』を見繕っておきました。先々代国王の治世からこれまで、我が国と契約を結んでいる傭兵団です。裏切りの心配はありません」

 

 

『傭兵』とは良く言ったものだと、モントは皮肉混じりに感心する。

本当にそれだけの期間に亘ってこの国と契約を結んでいるのなら、実質的には正規軍と変わりないだろう。

或いはその傭兵団そのものが、先々代の国王によって編成された、所謂『汚れ仕事』を担当する部隊とも考えられる。

この兵士の言葉を鵜呑みにはできない。

 

 

「傭兵にこれを動かせるのか?」

 

「マナの枯渇前には、独自に空母を運用していた者たちです。此方の郷からも乗組員を出すと伺っておりますので、運用法については現場で学んで頂く事になります」

 

「工房の者たちで改修を行う。現状の兵装では不安があるのでね。フォルセナ側の乗組員には、それらの扱いを学んで貰う事になる」

 

 

ルドウイークの補足に、先の疑いは更に色濃いものとなる。

フォルセナがヤーナムの火器を欲している事は既に聞き及んでいたが、その運用法を前線で直に学び取ろうとしている事は明白だ。

なればこそ、その現場に送り込まれる人員が只の傭兵である筈がない。

彼等はやはり、フォルセナの暗部を担う戦力なのだ。

 

恐らくは皆、程度の差はあれどフォルセナ側の意図を察しているだろう。

しかし、此方にとって利になる提案である事は確かなのだ。

だからこそ、納得はいかずともそれを口にする者は居ない。

微妙な緊張感を孕む一同、それを打ち破る様にルドウイークが告げた。

 

 

「改修には1週間ほど掛かる予定だ。その間、武器の扱いに慣れておき給えよ」

 

 

それだけを言うと、彼は身を翻してその場を去る。

兵士もまた、軽く頭を下げるとそれに従った。

残るは、聖剣の一行のみ。

 

 

「アンジェラ……」

 

「ごめん、何でもないわ……私は大丈夫」

 

 

言葉とは裏腹に、儚げに空母を見つめるアンジェラ。

ホークアイが溜息をひとつ、リースに話し掛ける。

 

 

「リース、ローラント城について何か情報があれば教えてくれ。ナバールに関しては俺も知っている全てを話す……最悪、連中と交戦する事になるからな。モント、仕掛け武器と射撃について指導を頼む」

 

「……はい」

 

「了解した」

 

 

そうして、彼はもう一度『スクラマサクス』を見遣り、軽く溜息を吐く。

続く言葉が、いやに耳を打った。

 

 

「……相手がイザベラだけとは限らないしな」

 

 

 

 

 





エブたん( み ん な の う ら み )

モント「アバーッ! サヨナラ!」

ゲール「待て! ジョーイシャ=サン! 我々は狩人にしてはかなり控えめで邪悪ではない方だ!」

ゴース「とてもそうは思えんな。重篤地底人でももう少し筋の通った弁明をするだろう」

アメン「なるほど狩人らしい身勝手な理論だ」

マリア「ザッケンナコラグワーッ!」



他(帰れよ)

フォルセナ兵(ショッギョ・ムッジョ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

砂漠より憎悪を込めて

 

 

 

ローラント、アマゾネス軍。

ローラントが国家として成立する以前、僅か30年にも満たない過去の事。

バストゥーク地方は多数の有力な部族が入り乱れる、正に群雄割拠の直中にあった。

 

リースの父であるジョスターや母であるミネルバ、母方の祖母である族長ガルラ、そして共に戦う多くの同志たち。

彼等は統合に反対する多数の敵対部族や、過去に棄民として不毛の砂漠へと追放された人々の子孫であるナバールの軍勢と、何時終わるとも知れぬ血で血を洗う凄惨な戦いを繰り広げていたのだ。

その中でバストゥークの守護神とされる『翼あるものの父』を崇拝し、女性だけで構成されるアマゾネス軍団を有するローラントの部族は、他の武闘派部族からも一目置かれる勢力であった。

 

女だてらに三叉槍、即ちトライデントを手足の延長の如く操り、如何なる強敵にも臆する事なく正面から立ち向かう女傑の軍団。

周辺部族を次々に併合し、リースの祖母ガルラが族長として辣腕を振るっていた時期には、遂にバストゥーク地方に於ける最大勢力となったのだ。

その尋常ではない力は、国家でもない複数部族の寄り合い所帯が独自に、今や難攻不落のローラント城として世界に知られる大規模山岳要塞を築いた事からも窺えるだろう。

 

そうして、嘗てはナバールが攻め入る度に万単位もの民の犠牲を出しながら何ひとつ効果的な反撃を行う事もできなかったバストゥークは、ローラントの台頭により組織的な迎撃戦を行う事が可能なまでに変貌した。

戦いに次ぐ戦い、フレイムカーンが首領となりバストゥークへの積極的侵攻政策を放棄するまで、延々と続いたナバールの襲撃。

これらにより、元々のローラントの民はその数を当初の2割程にまで減じていたが、ローラント王国の発足、即ちローラントによるバストゥーク統一国家の建国により、遂に部族の悲願は果たされた。

正に敵味方問わず、膨大な流血の果てに国を手に入れたのだ。

 

しかし、建国直後の国内復興と開発には少しでも多くの人手、より端的に言えば男手が必要であった。

其処で、部族にとって最大の協力者かつ最後の族長であるミネルバと恋仲にあり、遂には婚姻しローラント王国初代国王となったジョスターが考案した政策が『風の防壁』の構築とアマゾネス軍団の再編成だったのだ。

魔法王国アルテナより先代女王の崩御に乗じて流出したマナの制御技術を用いて暴風による防壁を築き、ローラント城のみならず全土への陸路からの侵攻を防ぎつつ、陸上戦力としては女性を中心とするアマゾネス軍団を編成。

男性兵士は新設された王立海軍へと所属を移し、航路防衛と敵海上戦力の迎撃任務に当たる傍ら、バストゥーク山脈より採掘される各種鉱石と綿製品の輸出を始めとした海運業を兼任する。

 

この采配は予想以上に上手く噛み合い、ローラントの部族より連綿と受け継がれてきた槍術は女性たちを一流の戦力へと育て上げ、また男手が集中した事により猛烈な勢いで拡大した海運業は、莫大な富を王国へと齎した。

無数のナバール重武装私掠船と小競り合いを繰り広げる内、元々は沿岸部に拠点を置く幾つかの部族が所有していた船を集めただけの海軍も、また世界有数の海上戦力へと変貌。

対抗するナバールもバイゼルやジャドから船舶を購入、或いは自前の造船所を拡大し海上戦力の増強に走った。

その結果、片や山岳地帯の山肌に城を構える国家、片や砂漠の奥地に要塞を構える盗賊団でありながら、ローラントとナバールは実質的な世界2大海軍国家として扱われるまでになる。

そして本国が陥落した今も、王立海軍はナバール海上戦力との熾烈な海上戦、そして灼熱の砂漠東部に位置する沿岸部拠点への襲撃を繰り広げているのだ。

バロの南東、約300海里の海上を航行するフリゲート『デーモン』も、そうした抵抗活動を行うローラント王立海軍所属の1隻であった。

 

 

「艦長」

 

「何か見付かったか?」

 

 

艦長の問いに、水兵は首を横に振る。

思わず零れる溜息。

其処へ、航海長が声を掛ける。

 

 

「艦長、これでもう3日になります。これ以上、この海域に留まるのは危険です。ナバールに発見されてしまう」

 

「解っている。しかし、何の手掛かりも無いまま此処を離れる事は避けたい。もし本当に『ヒュードラ』が撃沈されたのなら、何らかの痕跡はある筈だ。それに……」

 

 

艦長は顔を顰め、辺りを見回す。

艦の周囲は厚い霧に覆われ、僅か20m先も見通す事ができない。

この時期、この海域では有り得ない事であった。

ローラント建国前から数えて30年以上も海に出ている彼でさえ、こんな事は初めてだ。

 

 

「この霧だ。これではナバールの連中とて下手には動けん。この霧自体が、連中の怪しげな術で生み出されたものでもない限りはな」

 

「確かに、こんな事は初めてです」

 

 

同様に、航海長もまた訝し気に周囲を見遣る。

昨晩から周辺を覆い出した霧は一向に薄れる気配が無く、それどころか徐々にその濃さを増しつつあった。

それでも彼等には、容易にこの場を離れる事ができない理由がある。

合流する筈だった友軍艦『ヒュードラ』の行方が掴めない為だ。

 

砲門数32のデーモンとは異なり、ヒュードラは王立海軍でも3隻しか存在しない3層甲板、砲門数114を誇る一等戦列艦、ヒュードラ級の1番艦である。

全長62mにも達する船体には、その積載量に相応しい重装甲が為されており、例え私掠船団に襲われても簡単に沈む船ではない。

ナバール側に対し、海上戦力での優勢を確保する目的で3番艦まで建造されたヒュードラ級は、建造から11年が経過しても世界最強の一角に数えられる強大な戦列艦である。

ところが、その1番艦ヒュードラが、何時まで経っても予定海域に現れないのだ。

撃沈されたにしても、あの巨艦である。

残骸のひとつやふたつ、波間に浮いている筈なのだが。

 

 

「兵にも動揺が広がっています。艦長、どうか……」

 

「……そうか」

 

 

そろそろ決断せねばならない。

ヒュードラの事は気になるが、それで此方が敵に捕捉されてしまっては意味が無い。

唯でさえ、ナバールは4隻目となる一等戦列艦を竣工させたとの情報もあるのだ。

忌々しい事だが、開戦前では戦力的優位を誇っていた王立海軍は現在、ナバール私掠船団に艦隊戦力の面で後塵を拝しつつある。

制圧されたパロや他の軍港に戻る事もできず、独自に戦い続けている海軍艦艇も1隻、また1隻と数を減らし続けていた。

ナバール側に対し、此方の被害に見合うだけの打撃は齎している筈だが、やはり根拠地の有無は大きい。

小さな拠点は幾つかあるが、その数ではナバールに大きく後れを取っている。

更にいえばナバールは、高度な通商破壊戦術と此方の予想を上回る操艦および航海技術、砲撃戦能力を有していた。

結果、王立海軍の被害は当初の想定を大幅に上回り、既に戦闘用の艦艇だけでも23隻を失っている。

この上、ヒュードラまで失われたともなれば、兵員の士気低下は避けられないだろう。

 

 

「帆を張れ。アイコノス島に寄港、補給と休息の後に戦力再編を……」

 

「左舷前方、船影あり!」

 

 

咄嗟に望遠鏡を取り出そうとし、その動きを中断する。

この霧の中で見張員が目視したという事は、目標船は至近距離に居る筈だ。

その予想通り、左舷前方の霧の中から、黒々とした巨大な船体がゆっくりと姿を現す。

海面を掻き分け接近してくる船の舳先、腐り掛けた木製の女神像が見えた。

かなり大きい。

とても船の舳先に据えられているものとは思えない。

それが据え付けられた船体も、一等戦列鑑並の大きさだ。

否、その大きさはヒュードラを優に超えている。

突然の事に騒然となる甲板。

暫し呆然とした後、ふとデーモン艦長は気付いた。

自分は、あの船を知っている。

 

 

「レブナント……!?」

 

「……今、何と?」

 

「『レブナント』だ! 間違いない、あれは『レブナント』だ!」

 

 

その名が響き渡った瞬間、甲板上の全員が動きを止める。

『レブナント』

ローラント王立海軍のみならず、民間船、そしてナバールにとっても忌まわしき、その名前。

惨劇から30年以上が経ってなお、屈強な海の男たちでさえ怯える、その拭い難い恐怖の記憶。

 

 

「そんな馬鹿な……何故あの船が!?」

 

「在り得ない、沈んだ筈じゃ……!?」

 

「『レブナント』本艦左舷、約20m! 通過します!」

 

 

霧に紛れ、至近距離に現れた『レブナント』。

その巨体、漆黒の船体が、デーモンの左舷わずか20m程の距離を通り抜けんとする。

甲板上の誰もが、唖然としてその様を見つめていた。

 

そんな中、艦長は気付く。

否、デーモン甲板上の誰もが気付いた。

『レブナント』の甲板上、厚い霧の向こうに、何かが居る。

甲板上に巨大な影が佇んでいるのだ。

霧に阻まれ、直接その姿を捉える事はできない。

唯、影のみが浮かび上がっている。

決して帆柱などではない。

影は、明らかに動いているのだ。

 

人間ではない。

人間ならば、あの巨大さは在り得ない。

では、何なのか。

 

 

「艦長ッ!」

 

 

甲板長が叫ぶ。

何を言わんとしているのか、彼は訊かずとも理解できた。

重々しい、無数の金属音と木材が軋む音。

『レブナント』左舷に並ぶ無数の砲門、それらが一斉に開かれたのだ。

それらの内から覗く、黒々とした砲口。

 

悲鳴を上げる者、凍り付いた様に動けなくなる者、砲に取り縋って反撃せんとする者。

それらの中にあって艦長以下、特に経験に富む者たちは、心身を絶望に蝕まれていた。

何をするにしても最早、手遅れだと理解してしまったが為に。

ただ眼前の巨艦、その忌まわしき漆黒の船体を睨み据え、吐き捨てる。

 

 

 

 

 

「『幽霊船』め……!」

 

 

 

 

 

直後、無数の砲声が全てを呑み込んだ。

無慈悲な鉄の暴風に細切れにされゆく彼等が、遙か頭上を往く巨大な影に気付く事はなく。

また空を往く者たちが、眼下に拡がる霧の内、其処で繰り広げられる惨劇に気付く事も、終ぞなかった。

 

 

 

============================================

 

 

 

「大したものだ、この距離を3日と掛けずに移動できるとは」

 

 

バストゥーク山脈の山間部、不自然に開けた平野。

リース曰く、嘗てはローラントの部族が小型空母の発着場として使用していたという其処に、聖剣の一行の移動拠点となった『スクラマサクス』は着陸していた。

船を下り軽く身体を伸ばしたモントは、スクラマサクスの航行速度に感嘆の言葉を漏らす。

曖昧な記憶の中に、ヤーナムの他国で開発された『飛行船』というものはあったが、彼が知る限り実用的というには程遠い代物であった筈だ。

それに比べれば、この世界での飛行船ともいえる空母の性能は、彼の生きた時代の常識を覆す程のものであった。

 

 

「アルテナの空母はこの数倍の規模か……考えるだに恐ろしいな」

 

「……貴方が話した世界の方が、余程に恐ろしいと思うわ」

 

 

呆れた様に反論するのはフェアリーだ。

狩人の隠れ郷にて、スクラマサクスの改修が終わるまでの1週間。

その半ば頃の事、酒場での夕餉の後にシャルロットが強請った、モント達の世界についての話。

ヤーナムの事ではなく、モントが上位者の幼体となった後に見続けてきた、彼の後の世代に当たる地上の話だ。

異世界の人の世は、如何なる道を歩んだのか。

シャルロットのみならず他の旅の面々、そして酒場に集まっていた郷の住民たちまでもが話を聞き付け、一様にそれを聞きたがった。

物事の法則さえ異なる異世界の話、自らが生きた世界の遥か未来の話。

だからモントは、覚えている限りの事を話したのだ。

 

 

「音より速く飛ぶ乗り物が当たり前にあったんでしょう? 空母なんて大した事ないじゃない」

 

「それが当たり前になったのは、俺が生きた時代から100年近くも後の事だ。空を飛ぶなんてのはこれが初めての経験だよ」

 

「……たった100年で其処まで行くってのが、もう俺達には想像できねえよ」

 

 

微かに首を振りながら、デュランが呟く。

当然、彼もモントの話を聞いていた1人だ。

技術や社会の詳細までは解らずとも、しかし確かに目にしてきた情景を、モントは余すところなく伝えた。

発展してゆく文明、それが齎す煌びやかさと豊かさ、比例して増えゆく負の遺産。

初めは期待に目を輝かせていた聴衆が、話が進むにつれ陰鬱な空気を纏ってゆく様は、数日が経った今でも容易に思い起こす事ができる。

 

モントはこの世界がどうなろうが、それがこの世界の住人たちの意思によるものであれば、それで良いと考えていた。

しかし、美しい生命の輝きに満ちたこの世界が、或いは嘗ての世界と同様の道程を歩むやも知れないと考えると、何とも言えない哀愁を覚えるのも事実だった。

思い起こすのは、嘗て上位者としての自身の目を通して見た、ひとつの世界が死に逝く様。

 

ヤーナムが属していた国のみならず、各国の都市を覆う厚いスモッグ、工場群から垂れ流される毒によって死に絶える山海の動植物。

戦争の主役となった銃、それを更に奪い取った陸海空を翔ける各種の兵器、世界中に溢れ返る世界そのものをすら滅ぼせる悪魔の兵器。

干上がった湖、海に沈む大地、砂漠と化した密林。

世界を侵す、人の手によってばら撒かれた理解し難い毒。

『聖歌隊』の如く天を仰ぎ、一縷の希望を懸けて宇宙を目指そうとする人類を阻む、空の彼方を覆い尽くす悪意の細胞。

何もかもが人の手によって死に絶え、汚染され尽くし、そして当の人類でさえ自らの所業によって壊死せんとしていた世界。

 

酒場の聴衆に語り聞かせる内、モントは自らの胸中に沸き起こる疑念に気付いていた。

或いは、徐々に険しくなってゆく仲間たちや郷の住人、そしてフォルセナ側の人員の表情から何かを感じ取ったが故かもしれない。

その疑念は、今も彼の胸中に燻り続けていた。

そして、似た様な疑念を覚えていたのか、アンジェラが口を開く。

 

 

「……この世界も、向こうと同じ道を辿るのかしら」

 

「それは……」

 

「工房がフォルセナに提供する技術の中に『蒸気機関』があったわ。マナが枯渇し掛けている今の情勢なら、どの国だって喉から手がでるほど欲しがる筈よ。そうなったら……」

 

 

それだ。

モントもまた、アンジェラが述べた『蒸気機関』の存在が気掛かりだった。

嘗ての世界は産業革命を成し遂げたが、其処で発明された蒸気機関により自然環境の破壊は加速度的に進んだ。

それ自体は一旦は落ち着いたものの、その後に続く破滅的な技術の開発は、全て産業革命を発端として始まったとも考えられる。

そして今、あらゆる面で応用が利く『マナ』が存在するが故に、それ以外に基づく技術の開発に消極的であったこの世界に、ヤーナムの面々が実用的な蒸気機関を持ち込もうとしているのだ。

この事が、この世界の未来にどれだけの影響を及ぼすものか、モントは測り兼ねていた。

 

 

「……その為に俺達が居るんだろうが。『マナの剣』を抜いて世界を救い『マナ』の枯渇も解決する。そうなりゃ態々、煤塗れになって石炭を燃やす必要もないだろ」

 

 

迷いを振り切らんとする様に、デュランが言う。

彼の言う通りだと、モントは心中にて同意した。

結局のところ、蒸気機関を何処まで普及させるか、それは先ずフォルセナが決める事なのだ。

そもそも、蒸気機関は郷側にとっての『見せ金』である可能性さえ考えられる。

ゲールマンもルドウイークも、郷の総力を注ぎ込んでまで蒸気機関を普及させるつもりはあるまい。

 

確かに、蒸気機関から始まる技術の革命的進歩、その先に待つ力は強大なものだ。

だが蒸気機関そのものは、一連の進歩に於ける黎明期の産物に過ぎない。

何千年にも亘って研鑽、洗練されてきた『マナ』を用いる機関と比較すれば、この世界の人間にとっては歯牙にも掛けない程に非力なものだろう。

聖剣の一行が『マナの剣』を抜き『マナ』の総量が復活すれば、空気を汚しつつ非力な力しか齎さない蒸気機関など見向きもされなくなる。

一々こんなところで悩む必要はないだろうと、強引に自らを納得させるモント。

アンジェラもデュランの言葉を受けて、気持ちを切り替える事ができたらしい。

軽く息を吐いたその顔には、もう憂いの色は無かった。

 

 

「よう、待たせたな……取り敢えず、行き先は決まったぞ」

 

 

遅れて艦内から下りてきたホークアイが、モントたちに声を掛ける。

彼の背後に続くリース、シャルロットとケヴィン。

他にも何名かの乗組員の姿も見える。

 

 

「何処へ向かうんだ?」

 

「パロに向かうべきかとも考えましたが……ジャドで得た情報では、町は完全にナバールの制圧下にあるそうです。此処は主な街道を離れた幾つかの村を経由して、直接『風の回廊』に向かうべきかと」

 

「『風のマナストーン』があるって所か」

 

 

頷くリース。

本心としては、一刻も早く祖国を解放したいとの思いだろう。

しかし彼女は、現実にはそれが難しいとも理解している。

だからこそ荒れ狂う内心を押さえ込み、風の精霊『ジン』の協力を得る事を優先させたのだろう。

 

 

「直接この目でマナストーンを見た事はありませんが、父が『風の防壁』を築く際に、最重要拠点として防衛機構を配しています。考えられるのは此処しかありません」

 

「アテが無いよりはマシよ。どれくらい掛かるの?」

 

「何分、高所である上に迂回路を用いねばなりませんので……此処から8日は掛かるかと」

 

「身体も慣らしていかなきゃあな。下手すりゃ高山病にやられちまう」

 

「もうなってるでち……」

 

 

リースとホークアイが答える傍ら、多少ふらつきながら顔を顰めつつ不調を訴えるシャルロット。

見兼ねたらしきケヴィンが担ごうかと訊ねるも、シャルロットは手を振って離れてしまう。

そんな2人の遣り取りを余所に、ホークアイはスクラマサクスに残る乗組員の傭兵へと声を掛けた。

 

 

「じゃあ、後は手筈通りに」

 

「了解、御武運を」

 

 

一同が船体から離れると、プロペラの風切り音と共にスクラマサクスの巨体がふわりと宙に浮かぶ。

僅かに上昇した船体は同時に前方へと加速を開始し、発着場跡地の端に位置する断崖へと至ると、今度は徐々に高度を下げてゆく。

その巨体が断崖の陰へと消え、プロペラが起てる風切り音だけがなおも遠ざかってゆく様を見送り、モントは確認の声を飛ばした。

 

 

「日中、空母は渓谷内に待機する。夜間は南側に移動するから覚えておいてくれ」

 

「確認するが、呼ぶ時は信号弾を2発だな?」

 

「そうだ、赤と緑を同時に打ち上げる。無論、敵にも気付かれるだろうから、其処は注意しろ」

 

 

そう言って、一同を見回すモント。

以前と比べて皆、大分様相が変わっている。

得物が見慣れたものに変わっており、全般的に重武装になっていた。

モントも例外ではなく、ノコギリ槍とエヴェリンの他に別の得物を2つ携帯している。

其処に他の荷物も加わるので、中々の重量だ。

荷を纏めた背嚢を軽く背負い直し、モントはリースへと視線を送る。

それを受け、彼女は新たな道程の1歩を踏み出した。

 

 

「先導します。逸れそうになったら、すぐに声を上げて下さい。そのまま遭難しかねませんから」

 

 

 

============================================

 

 

 

「これは一体どういう事か!」

 

 

激昂と共に放たれた声に、応える者はない。

声の主ともう1人を除けば、この場に意思ある者など居ないのだ。

先程まで無機質に報告を続けていた者は、元は人でありながら今や意思なき人形に過ぎない。

幾ら罵声を浴びせ掛けたところで、弁明のひとつもできはしないのだ。

自らの行動の馬鹿らしさに、彼女は苛立たし気に玉座の手摺へと拳を叩き付けた。

その後方から掛けられる、何処までも醒めた声。

 

 

「抵抗組織があるという事だろう。此方で確認したアマゾネスの死体は、明らかに少なすぎた。生き残りが潜伏している」

 

「そんな事は百も承知だ! だが、活動があまりにも活発過ぎる!」

 

 

感情的に言い返したイザベラは、背後の声の主へと振り返る事もしない。

元々が気に喰わない相手である上、向こうも向こうで此方を単なる駒としか見ていない事が透けて見えるのだ。

とても同志などと呼べる間柄ではなかった。

 

 

「此方の戦力が減っている事はどうでも良い。問題は陸上で消えた兵士の行方が全く掴めない事だ。死体すら見付かっていない!」

 

「遺棄されていると考えるべきだろう。アマゾネスのやり口とは思えん、協力者の存在を疑うべきだ」

 

「……逃げ出した連中の事か? あんな烏合の衆に何ができる」

 

 

イザベラにとっては全く面白くない事に、ナバール盗賊団を乗っ取った際、なんと構成員の半数近くがフレイムカーンに反旗を翻し、此方に洗脳する暇さえ与えずに要塞を離脱してしまった。

彼女の背後に立つ人物は、その離反者どもが抵抗組織に与しているのではないか、と言っているのだ。

しかしイザベラの言葉通り、離反した連中は所詮、仰ぐべき主を失った烏合の衆である。

そんな連中に、被侵略国であるローラント側と高度に連携しての抵抗活動など可能だろうか。

 

 

「貴様が焼き殺したフレイムカーンの息子……奴の死体が消えただろう。生きているとは考えられないか?」

 

「馬鹿な。あの火傷で生きていられる人間など居る筈もない」

 

「なら、他に心当たりでもあるのか」

 

 

返す言葉が見付からず、沈黙してしまうイザベラ。

確かに、ナバール盗賊団次期首領と目されていたあの男、現首領フレイムカーンの実子であるイーグルならば、離反勢力を纏め上げ組織として運用する事など訳ないだろう。

しかし、それもイーグルが生きていればの話だ。

 

 

「この私が自ずから、手加減なしの『ファイアボール』を打ち込んだのだ。生きている筈がない」

 

「死体を確認できていない以上、可能性が無いとは言えまい。現に抵抗組織の動きは統率が取れ過ぎている。王女と副団長の女が生きている事は間違いないが、それにしても裏のやり方に通じ過ぎだ。外部からの入れ知恵がなければこうはいくまい」

 

「忌々しい……!」

 

 

とにかく、抵抗組織に協力する勢力がある事は確実だ。

ジョスターの義母、最後の族長ガルラが収めていた頃のローラントならば、外部からの助力など無くとも独自に苛烈な抵抗活動を繰り広げた事だろう。

或いはジョスターが存命か、嘗て彼等と共に戦った古参兵が多数合流していれば、同じくローラント残存戦力のみで現在の様な活動が可能であったと思われる。

しかし現実にはガルラもジョスターも既に亡く、嘗ての内戦を経験した世代の兵士も殆どが一線を退き、民としてバロや各地の集落で暮らすばかりだ。

そして抵抗活動の激化は占領後のあまりに早い段階で始まっており、古参兵の合流があったにしては計算が合わない。

考えられるのはナバールによる占領とほぼ同時期に、第三勢力がローラントに介入してきたという可能性だ。

そんな事が可能かつ、占領軍の妨害を目論む勢力など、逃げ出したナバール兵たち以外には考えられない。

忌々しい事この上ないが、認めざるを得まい。

 

 

「何故だ……連中とてローラントは憎い筈だ。祖先からの望みである復讐が叶ったというのに、何が不満なのか」

 

「ナバールの民が、全ての時代でそれを望んでいた訳ではない。特に積極的な復讐を望んでいたのは、此処100年では先代首領オウルビークスの治世までだ。フレイムカーンの代となってからは基本的に不干渉だった」

 

「それも此処十数年ばかりの事だろう。それに、海上での小競り合いは激化していた筈だ」

 

「海と陸ではまた情勢が異なる。度重なる双方の航路妨害、交易船や沿岸部への挑発、偶発的な戦闘行為……ローラントとナバール、双方にとって海上交易は生命線だ。互いに引き際を見失ったというところだろう」

 

「だからこそフレイムカーンを傀儡としたのだ! まさか自らの首領を裏切るとは……理解できん」

 

 

鼻で嗤う音に、イザベラは苦々しく表情を歪める。

背後に立つこの男に、忠義という概念など理解できない事は解りきっていた。

唯1人の主に仕え、自らの全てを以って尽くす。

そんな考えなど、端からこの男の内には無いのだ。

イザベラと同じ主を仰ぐ身でありながら、その本心は主の力を利用して自らが伸し上がる事しか考えていない。

何時になるか知れないが、いずれは主を背後から刺し、その権力の全てを奪い取るつもりである事は明らかであった。

イザベラとしても、今はまだ手駒として使えるからこそ生かしているに過ぎない。

この男とってのイザベラも、同様の考えの下、利用し尽くした上で使い捨てるべき駒なのだろう。

 

そんな男とは異なり、忠義の歓びを知り得ている身だからこそ、イザベラは逃亡したナバール兵たちの考えが理解できなかった。

あれだけの忠誠を誓い、その差配の下に団結していたナバール兵たちが、何故フレイムカーンを裏切る事ができたのか。

突如として砂漠に沸いた正体不明のモンスター、その討伐に赴いた部隊を除き、ナバール王国の建国はフレイムカーンの口から告げられた筈だ。

ナバール兵の大多数が、首領と仰ぐ彼の言葉としてそれを聞いたのだ。

イザベラの口から侵攻作戦を告げられた者など、それこそ10名にも満たない。

にも拘らず、半数もの兵がフレイムカーンに反旗を翻している。

誰かは知らないが、彼等が仰ぐ者が居る筈だ。

 

 

「それよりも、だ。今回の件、対策はあるのだろうな『美獣』」

 

 

『美獣』

男がその名を口にした瞬間、イザベラの手は異形と化した。

白く艶のある体毛が肌を覆い、肥大化した指の先にはナイフの様に鋭く大きい爪が伸びる。

それは正しく『獣』の腕。

低く、威圧に満ちた声が、イザベラの口より紡がれる。

 

 

「……気安くその名を呼ぶな『伯爵』。貴様程度が消えたところで、此方には支障など無いのだぞ」

 

「ふむ、気に障ったのなら謝罪しよう……しかし、貴様はどうにも魔族らしくないな。酷く人間臭い。自覚はあるか?」

 

「戯言を……!」

 

 

思わず獣の歯を剥き出しにして振り返るイザベラ。

その視線の先には、漆黒のマントに身を包み、何処か現実離れした雰囲気を纏う男が佇んでいた。

死体の様に蒼褪めた白い肌、色素の全く無い白髪、その中で其処だけが紅く不吉な光を湛えた瞳。

男は無表情のまま、何の感慨も無いであろう無機質な言葉を放つ。

 

 

「それで、どうする?」

 

「……既に術式は完成している。後は贄となる魂を捧げるだけだが、しかし今のままではマナストーンまで近付けん」

 

「崩落とはやってくれるな」

 

「ああ。よりにもよって、この時期にだ。連中が此方の意図まで掴んでいるとは思えんが……」

 

「回廊に出入りしているところを見られたか……転移はどうだ?」

 

「駄目だ、崩落の影響で回廊内にマナが充満し始めている。恐らくは『ジン』の仕業だ。封印解放の危険を冒してまで、マナストーンのマナを拡散させているらしい。転移先の座標が安定しない」

 

「此方の狙いに感付かれたか。厄介だな」

 

「連絡船の件はどうなっている」

 

「消息不明だ。いや、連絡船だけではない。私掠船も次々に消息を絶っている。既に14隻の行方が掴めない」

 

「叛乱か?」

 

「元々、ローラントへの復讐と自らの利益を最優先に動く連中だ。叛乱勢力に付いたところで旨みが無い以上、それは考え難い」

 

「ならば王立海軍の仕業だろう」

 

「軍港および沿岸部の拠点は既に制圧、判明している島嶼の秘密拠点も2つを覗いて潰している。組織的な艦隊運用など望むべくもない、編成できたとしても2・3隻の小艦隊が精々だろう。そんな連中に『ヴァルチャー』を沈められるとは思えん」

 

 

『ヴァルチャー』

ナバール私掠船団に属する船としては比較的古参であり、ローラントにとっては怨敵となる『ベルクート』級一等戦列艦、その2番艦。

全長67mの巨体に126もの砲門を備え、嘗てはバストゥークの多部族海上戦力から成る総数8隻の艦隊を単艦で相手取り、満身創痍となりながらも、その全てを撃沈せしめた怪物艦である。

挙げ句、その足で単艦パロの港を夜間襲撃し、停泊中の艦船諸共に街を無差別砲撃した事でも知られる。

この凶行によりパロの街並み、嘗ては12隻を数えた各部族の超大型交易船、果ては当時の住民に至るまで、ほぼ全てが一掃される大惨事となった。

パロは漁港として再興され、統一後は遠隔地に軍港や拠点も設けられたものの、惨劇の記憶は今でもローラントの民の間に根付いている。

故にヴァルチャーの存在はローラント王立海軍のみならず、バストゥークの民にとって海原に於ける恐怖の象徴であり、憎悪の的であり、以て彼等に対する最大の抑止力となっていたのだ。

船員も精強で、私掠戦という性格上、接舷移乗攻撃に特化した兵も大量に乗り組んでいた。

そのヴァルチャーが、忽然と消息を絶ったのだ。

多くの私掠船が必死に捜索を行っているものの、ローラント側との遭遇戦になる事も多く、思う様には進んでいない。

 

 

「では、ローラント以外の勢力か。しかし何処が……ビーストキングダムは本拠地に引き籠っている上、アルテナもフォルセナ攻略に掛かり切りなのだぞ」

 

「アルテナはフォルセナから退却した。王都での戦いに大敗したそうだ。暫くはまともに動けまい」

 

「……では、どの勢力なのだ。海上でナバールに戦いを挑むなど、ローラントを除けば自殺行為なのだぞ。ジャドですら相手にはならん」

 

 

『伯爵』と呼ばれた男は応えない。

彼もまた答えを持ち合わせていないのだと知り、イザベラは小さく鼻を鳴らした。

嘲笑ったというよりは、不愉快だったからだ。

此方の知り得ぬところで動いている勢力が居る。

それが何処ぞの国家であれ、或いは『マナの女神』や精霊であれ、どちらにせよ気に喰わない。

おまけに占領地の抵抗勢力は一向に尻尾を掴ませず、その活動は活発になるばかり。

 

 

「何が起きている……?」

 

 

歯軋りするイザベラ。

しかし、不意に口元を押さえると激しく咳き込み始めた。

指の間から零れる、どす黒く濁った血。

控えていたナバール兵の1人が、ナプキンを手にイザベラへと歩み寄る。

そんなイザベラを、伯爵は僅かに目を細めて見遣っていた。

奪われた玉座の間には、止まぬ咳だけが響き続ける。

 

ナバール王国。

誰からも正当性を認められぬまま、首魁によって使い捨てられるだけの哀れな国家。

その束の間の栄光は、既に陰りを見せていた。

 

 

 

============================================

 

 

 

「ま、こんなもんじゃろ」

 

 

特に気負う事もなく放たれた声に、フェアリーとアンジェラを除く一同は唖然としたまま声を返す事もできない。

それ程までに、眼前の光景は常軌を逸していた。

 

 

「ご苦労様、ノーム。それじゃ戻っていいわよ」

 

「え、嬢ちゃん最近ワシにだけ冷たくない? ねぇ、冷たく……何でもないです、ハイ」

 

 

フェアリーの右手に握られた得物が微かな金属音を起てるや、慌てて彼女の内に戻るノーム。

此方へと振り返り、皆を促す。

 

 

「開いたわ、行きましょう」

 

「開いたわ、じゃねえだろ!? 何だ今の!」

 

「何って、ノームに道を開いて貰っただけじゃない」

 

 

何が起こったか、それはフェアリーが言った通りだ。

ノームの力で、塞がれていた道を開いただけ。

言葉にすれば簡単だが、その内容はとんでもないものだ。

 

ローラント王国、最重要防衛拠点『風の回廊』内部。

洞窟の中、崩れ落ちた岩盤によって、マナストーンへの道は閉ざされていた。

ノームが言うには、此処最近で人為的に崩落させられたものとの事らしい。

そして彼はごく自然に、大量の岩塊をまるで意思ある生物の様に操って退かし、瞬く間に崩落した通路を復旧してみせたのだ。

数十tもの巨岩がふわりと浮かび上がって動く様には、誰もが言葉を失い見入っていた。

 

 

「コイツはたまげた……マナというのは此処まで万能なのか。これならトンネルを掘るのに人足も要らない」

 

「そう上手い話があると思う? ノームが此処に居て、つい最近崩落したばかりの場所だから、こういう芸当が可能なのよ。同じ事が何処でもできるとは思わないでね」

 

「ついでに言えば、此処は異常な程にマナが充満しているわ。だからノームも難なくこんな事ができたのよ」

 

「色々ムズかしいんでちねぇ……」

 

 

感嘆する一同を余所に、フェアリーは巨岩が除けられた通路を進む。

リースが後に続き、手に持つ新たな自身の槍を構え直した。

此処に来るまでに幾度となくモンスターと遭遇し、その度にこの槍を振るってきたが、その変形機構を使用するまでには至っていない。

それはモントとアンジェラ、ケヴィンの3人を除く面々も同じで、デュランは変わらず曲刀を振るい、何故かホークアイは短刀1本のみで戦っている。

フェアリーは大振りの曲剣を難なく振るい、シャルロットは積極的には戦わないものの、柄の先に鉄球を備えた奇妙なメイスで敵を殴り付けていた。

そしてリースはといえば、これまで愛用していたトライデントとは勝手の異なる得物に苦戦しつつも、今ではすっかりと使い熟している。

トライデントとは異なり肉厚の長い刃が1本、しかもリースの膂力に合わせて軽量化を施したとはいえかなりの重さがある槍なので、敵の刃や爪を引っ掛けるという技巧は不可能となったものの、その重量を活かすコツを掴めば恐ろしい威力を発揮した。

この上、その変形機構を組み合わせれば何処まで戦術が拡がるか、リース自身にも予想が付かない。

 

それら以外にも、幾人かは新たな得物を手に入れている。

フェアリーは短銃を腰に下げているし、ホークアイも何らかの銃を携帯している様だ。

デュランの背に担がれたままの盾、ケヴィンの背にある見慣れない道具と別の武器、モントの背の長銃と腰に下げられた細剣。

皆、随分と重武装だが、幸か不幸かそれらを活用する状況には至っていないのが現状だ。

 

更に言えば、リースとホークアイが、発砲は控えるべきと提言した事もあるだろう。

常に山肌を吹き抜ける風に幾分かは掻き消されるとはいえ、それでも銃声は遠方まで届く。

そうなれば、当然の如くナバールに察知されるだろう。

 

特に警戒すべきは、シーフとは別格の戦闘能力を有する『ニンジャ』だ。

物理的な攻撃だけでなく、五感や体内および周辺のマナに多種多様の異常を齎す『忍術』を用い、更には武器による戦闘能力でも他を圧倒するナバールの精鋭たち。

相対した事は無いが、それでもリースはその脅威について父や乳母、古参のアマゾネス兵たちから幾度となく聞かされている。

 

『ナバール忍軍』

ナバール盗賊団の前身組織であり、バストゥークの民にとって恐怖の具現そのもの。

その歴史は過酷な砂漠に暮らす力なき民と、そして彼等を虐げんとする敵対者、双方の膨大な流血と死によって綴られている。

嘗て数百年もの長きに亘り、ローラントを含む多数の部族によって虐げられ、土地も家族の命までをも奪われ、バストゥークより『灼熱の砂漠』に追い遣られた弱き民。

収奪に耐えかね逃げ出し、或いは全てを奪われ強制的に移住させられた彼等が、生きる為に徒党を組んで早数百年。

戦乱の続くバストゥークから部族を問わず力なき者が砂漠へと流れ続ける中、人が生きるにはあまりに厳しい環境で、自然と育まれた血の結束。

餓えと乾きに倒れた無数の屍が砂に埋もれゆく中、生き延びた彼等の刃は鋭く、疾く、無慈悲に研ぎ澄まされていった。

 

暗く闇を身に纏い、熱と乾きを味方に付け、夜の冷たさを刃と為す者たち。

数え切れぬ権力者たちを刃に掛けるだけに止まらず、ナバールの民に仇なす者は老若男女問わず、時には一族郎党、時には街一つごと殺し尽くす事さえ厭わない。

当然の事ながら、その刃に掛かる多くは長きに亘って彼等を虐げてきたバストゥークの民であり、それはローラント王国の建国後数年間に於いても変わらなかった。

特に建国直前、ナバール前首領オウルビークスの号令の元に行われた大侵攻では、バストゥーク総人口の3割を超える民が殺戮されている。

ローラントの部族によって統率され、態勢を整えて迎撃に当たった上でこの被害なのだ。

更に言えばこの際の迎撃戦で、リースの祖母ガルラは命を落としている。

ローラントの部族も民の殆どが死に、リースの血縁も両親を除いて全滅してしまった程だ。

対して、最終的にオウルビークスが自らの部下の手によって暗殺された事で撤退したとはいえ、ナバール忍軍の被害といえば7,000にも満たぬ戦死者と、その倍程度の負傷者のみ。

その事実だけでも、彼等がどれだけ精強で危険な存在か知れようというもの。

嘗て全てを奪われ追い遣られた力なき民は、今や蜃気楼の果てから遠い過去の故郷を、其処に屯する怨敵の子孫の首を狙う、熱砂の如き憎悪を抱く無慈悲な侵略者と化しているのだ。

 

闇に紛れ夜を翔け、人知れず瞬きの内に命を奪う、砂漠の暗殺者たち。

縦しんば数倍もの数で囲んだとて、包囲側も余程の手練れでなくば、逆に容易く殲滅してしまう程の怪物たち。

名と在り方をナバール忍軍から盗賊団へと改めた今でも、嘗ての忍軍戦闘員と同等の能力を有するに至った者は『ニンジャ』と呼ばれ、敵対者を滅する刃として世界各地に潜んでいるのだ。

更にその中には、ナバール上層部に近いホークアイでさえ正確な人数や面相を知らぬ『マスター』の称号を与えられた者たちが居るという。

特に戦闘に秀でた2人の友人が、同世代の内で最も早くニンジャの称号を得たと、ホークアイは言った。

戦闘に於いて圧倒的な疾さで敵を翻弄し、瞬く間に命を刈り取る技量を持つ彼でさえ、未だニンジャの称号を得るには至っていないというのだ。

 

そんな連中に存在を嗅ぎ着けられれば、この一行も瞬く間に全滅しかねない。

皆、戦闘に関しては非凡な才能を持つとはいえ、相手は此方とは比較にならぬ経験と力を持つのだ。

モントやアンジェラなどは互角以上に戦えるかもしれないが、それでも数の暴力には抗し得ないであろう。

特にアンジェラは、魔法を用いる戦い方が本領である以上、戦闘中の隙は大きい。

仕込み杖である程度は対応できるだろうが、それでもニンジャが相手ともなれば1分と保つまい。

それらの点を勘案するに、広範囲に此方の存在を知らせてしまう銃撃や一部の神秘は、使用を控えるべきとの結論に達したのだ。

この時点で装備の半分は単なる重しと化してしまったが、それでも交戦ともなれば本領を発揮する筈と判断し、それらを担いで山道を踏破してきたのである。

今のところ、それが報われる状況には至っていないが。

 

 

「……あった」

 

 

そんな事を思い返していたリースの耳に届く、フェアリーの呟き。

彼女へと目を遣り、その視線を辿った先に、それはあった。

 

 

「あれが……」

 

「そう、あれが『風のマナストーン』よ」

 

 

それは、何とも不可思議な巨石だった。

薄闇の中に聳え立つ、高さ4m程もある三角錐に近い形状の巨石。

異様な事に、その巨石は三角錐の底部ではなく、最も突出した先端部を下にして直立していた。

先端部は埋没しておらず、かといって何らかの器具によって巨石が固定されている様子もない。

有り得ない事だが、この巨石は不安定な突出部を下にして、完全に自立しているのだ。

荒い岩肌そのものでありながら透き通った表層は淡い虹色に輝き、同じく虹色の光の粒子が其処彼処から零れ落ちている。

その光が、幾度か目にしたフェアリーの羽、それから零れるものと同じである事に、リースは気付いた。

恐らくはあれこそが、如何なる属性をも付与されていない純粋なマナ、その本来の光なのだろう。

 

 

「凄いな……」

 

 

思わずといった体で、感嘆の声を零すデュラン。

この神秘的な光景を前にしては、無理もないだろう。

一方で、フェアリーはマナストーンの周囲を見て回り、その表面に触れて何事かを調べている。

やがて調査が終わったのか、安堵した様に溜息を吐いた。

 

 

「……良かった、特に異常は無いわ」

 

「通路を崩落させた連中は何もできなかったか……或いは、何もさせない為に崩落させたのか」

 

「解らないわ。でも『死の首輪』を使えるくらいだから、イザベラという女がアルテナ同様、マナストーンの解放を狙っていたとしても不思議ではないでしょう」

 

「……そういえば、光の司祭が言っていた『神獣』とやらがコイツに封じられているんだったな。厄介な連中なのか?」

 

 

何とはなしに、といった体で訊ねるモント。

それを受けたフェアリーは、何か忌まわしい記憶を思い起こしたかの様に、端整な顔立ちを歪めて答える。

 

 

「厄介なんて代物じゃないわよ。女神様の話だと、たった8体で世界を滅ぼす寸前までいったそうだから」

 

「何でちか、それ。そんなもんよく封印できまちたね?」

 

「1体1体はまあ、戦えない事もないらしいわ。それでも、女神様でさえ苦戦する程の怪物よ。災厄の化身って言葉は、比喩でも誇張でもない。8体が揃ってしまえば、世界は天変地異によって暗黒の時代に逆戻りよ」

 

「……この石には、その『神獣』の1体が封印されているという事ですね」

 

 

言いつつ、マナストーンを見上げるリース。

幻想的な外観からは、その内に恐ろしい神獣が封ぜられている等とは、とても想像できない。

 

 

「恐らくは風の神獣がね。鷲の頭と翼、獅子の身体を持つ怪物だったと聞くけれど……」

 

「面白い話。けど、それより風の精霊、この近くにいる筈。先にそっちを……」

 

「ワシなら此処に居るダスー!」

 

 

ケヴィンがジンの捜索を促すと同時、頭上から響く能天気な声。

直後、マナストーンの傍らに青い影が降り立った。

それを目にするや、フェアリーが声を上げる。

 

 

「ジン!」

 

「お? お嬢さん、ワシを知っとるダスかー?」

 

「お久し振りッス、ジン!」

 

「って、ウィスプ!?」

 

「よ、風の」

 

「ノームまで! アンタ、何者ダス!?」

 

 

どうやら、この御伽噺に出てくるランプの精にも似た存在が『ジン』らしい。

目の前の女性がフェアリーである事、これまでの経緯を説明されると、ジンは快く協力を申し出てきた。

しかし同時に、気になる情報も齎される。

 

 

「ナバールが此処に?」

 

「そうダスー。異国風の出で立ちをした女に率いられて、何度か此処に来たダスー」

 

「イザベラ……!」

 

「それがあの女の名前ダスか? でもあの女、明らかに人間ではなかったダスー」

 

 

背筋が凍り付くかの様な錯覚。

思わぬ言葉に、一時的にせよリースの思考は完全に停止した。

ナバールの指揮官イザベラは人間ではないと、ジンは言ったのだ。

低く冷たい、ホークアイの声が響く。

 

 

「……どういう事だ?」

 

「あの女、取り巻きの精神を完全に支配してたダスー。おまけに古代遺失呪法を単身で操って、マナストーンの封印を解こうとしてたダスー」

 

「イザベラがマナストーンを!?」

 

「恐らくは独自に編み出した古代呪法の応用ダスー。流石に一度や二度では解放まで至らなかったらしくて、崩落で閉じ込められてる間に術式は解除しておいたダスー」

 

「……古代呪法を1人で操るなんて、どう足掻いても人間には不可能だわ……それこそ『魔族』でもない限り……」

 

 

『魔族』

その言葉に、鼻を鳴らすホークアイ。

 

 

「道理でな、それなら辻褄が合う。奴が『死の首輪』を使った事も、何故フレイムカーン様や皆を操れたかも」

 

「あの女が何度か来た後に崩落が起こったダスー。やったのは何人かのアマゾネス兵と、一緒に居たナバール兵ダスー」

 

「な……!」

 

 

全滅したかに思われたアマゾネス兵が生存しており、尚且つナバールの者と行動を共にしている。

イザベラの正体に勝るとも劣らぬ衝撃を伴った言葉に、リースのみならず皆が言葉を失った。

否、ホークアイだけは何事か考え込む素振りを見せていたが、皆がそれに気付く事はない。

やがて、如何にかといった体でフェアリーが言葉を絞り出す。

 

 

「どうしてアマゾネス兵がナバール兵と!?」

 

「それは解らんダスー。でも、そのナバール兵たちに操られている気配は無かったし、アマゾネス兵も特に敵対する素振りを見せずに協力してたダスー」

 

 

聞けば聞く程、訳が解らない。

それから暫く情報交換と議論が交わされたが、アマゾネス兵がナバール兵に、或いはナバール兵がアマゾネス兵に協力する理由は解らず仕舞いだった。

その間、ホークアイが沈黙を貫いていた事には皆が気付いている様だったが、誰も言葉を挟む事はしない。

結局、それ以上の議論は切り上げ、一同は眼前のマナストーンを見上げる。

ジンの協力を得る事の他にもう1つ、此処でやるべき事があった。

 

 

「……みんな、ちゃんと触れてる?」

 

 

フェアリーの言葉に、モントを除く一同が頷く。

リース達は今、初の『クラスチェンジ』を行おうとしていた。

通常であれば長い修練の果てに辿り着く境地へと、数段飛ばしに駆け上がる為の儀式。

嘗ては日常的に行われていたそれも、マナの減少に伴い今では遺失術式のひとつと化してしまっている。

実力はともかくとして経験の不足を補う為の儀式ではあるのだが、聖剣の一行は充分にそれを行える下地があると、フェアリーと精霊たちは判断したのだ。

 

 

「繰り返すけど、一度選んだ道は決して変えられないからね。『光』の道か、それとも『闇』の道か。選んだ先にどんな自分が待つのか、先ずはそれを確認しましょう……さあ、目を閉じて」

 

 

フェアリーの指示に従い、瞼を下ろす。

マナストーンに触れている掌に、微かな熱を感じた。

 

 

「集中して……心の内に宿る、新たな自分自身を捉えて……」

 

 

自らの内に宿る、新たなる力を手にした自分自身。

これまでの道程と経験、過去の絶望と悲嘆、これからの展望と渇望、絶えぬ希望と不安。

全てを受け入れ、新たなる自分を模索する。

その短いながらも深淵に至る試作の果て、リースは目の前に立つ2人の自分自身に気付いた。

 

光と共に邪なる者を打ち払う、戦乙女としての自分。

闇を纏い禁呪を用いて死を振り撒く、呪術師としての自分。

それらを自覚し、リースは徐に瞼を開く。

どうやら、皆も自身の未来を見付けたらしい。

瞼を上げ、フェアリーを見遣る一同。

 

 

「どう、2人の自分が見えたかしら? それが貴方たちの『光』と『闇』2つの道よ。其処から……」

 

「2つだって?」

 

 

2つの道について説くフェアリー、その言葉に割り込んだのはケヴィンの声だった。

見れば、彼は何処か釈然としない様子で、フェアリーを見つめている。

何事かと視線が集まる中、彼は僅かに首を捻りつつ答えた。

 

 

「『3つ』見えたぞ」

 

「え……」

 

「3つ? 私は『1つ』しか見えなかったわ」

 

「アンジェラ!?」

 

 

2人から放たれた、予想外の言葉。

ケヴィンは2つではなく『3つ』の道が見えたと言い、アンジェラは『1つ』しか見えなかったと言う。

これは一体どういう事なのか。

フェアリーの戸惑い様を見る限り、尋常ならざる事なのだろう。

 

 

「御2人とも、どんな御自分が見えたのですか?」

 

 

リースは2人に、何を見たのかと問い掛ける。

先ずはそれを知らねば、フェアリーとて何も解らないだろうと考えての事だった。

 

 

「『光』と『闇』と……見た事ない恰好した自分。でも3つ目は、これ持ってた」

 

 

そんな言葉と共に、背負った獣肉断ちを指し示すケヴィン。

 

 

「私は、まあ……ヤーナムで見た格好だったわね」

 

 

実に不愉快そうに述べるアンジェラ。

それだけでリースは、何が起こっているのかを理解した。

他の面々も同じらしく、揃ってモントへと視線を遣る。

 

 

「……どういう事かしらね?」

 

 

モントは、軽く肩を竦めるだけだ。

埒が明かないと判断したのか、諦めた様に軽く首を振るフェアリー。

そんな彼女に、シャルロットが声を掛ける。

 

 

「そういえば、フェアリーしゃん」

 

「どうしたの?」

 

「フェアリーしゃんはクラスチェンジしないんでちか?」

 

 

シャルロットの問いに、目を見開くフェアリー。

その仕草からは、考えもしなかった、とでも言いたげな驚愕が感じ取れる。

事実、彼女の答えは予想に違わぬものだった。

 

 

「……考えもしなかったわ、そんな事」

 

「シャルロットの言う事も尤もだと思うよ。不本意かもしれないけど、フェアリーだって今や立派な戦士だ。試す価値はあると思うぜ」

 

 

シャルロットに賛同するホークアイ。

フェアリーは暫し悩んでいたが、やがて覚悟を決めたのか溜息混じりに同意する。

 

 

「……解ったわ、私も試す。それじゃあ、始めましょう。しつこい様だけれど、後悔しない選択をしてね……モント、貴方は?」

 

「俺か?」

 

 

フェアリーから話題を振られ、此方も想定外だったのか僅かながら驚いた様子のモント。

そういえば、彼は当初からクラスチェンジには無関心だったなと、ぼんやりと思い出すリース。

彼が積んできた経験と、その獣じみた身体能力を考えれば、それも当然なのかもしれないが。

しかしフェアリーには、何かしら思うところがあるらしい。

 

 

「貴方だって、十分マナに触れてきたのよ。何かしらの加護があってもおかしくないわ」

 

「別にそんなものは期待しちゃいないんだが」

 

 

乗り気でないというよりも、必要ないと考えているのだろう。

素気なく返すモントに、しかし怯む事なくアンジェラが追い打ちを掛ける。

 

 

「やってみなさいよ。駆け出し魔導師の意見で恐縮だけど、魔法って結構便利よ? 神秘との相性だって悪くないわ」

 

「俺は元々そっちには疎い」

 

「でも、何かしら良い変化があるかもしれないじゃない」

 

 

そんな問答を続けること暫し、遂にモントが折れた。

結局は全員がクラスチェンジに臨む事になり、一同は

マナストーンの表面に手を当てて己の道に向き合う。

 

 

「それじゃ、いくわよ……!」

 

 

フェアリーの声と共に、我が身が優しいマナの光に包まれてゆく。

内より溢れる力を自覚した瞬間、リースの意識は眩い白光に満たされた。

 

 

 

============================================

 

 

 

間に合わなかったか。

マナの光に包まれる聖剣の一行を見遣りつつ、闇に身を潜める『彼』は時機を逸した事を理解する。

 

思えば、あれ程までに大規模な抵抗組織がナバール占領下のローラントに存在していた、その時点から計画は狂い始めていたのだ。

占領下の混乱に紛れ、ジンを捕らえてナバールが用いたマナストーンへの介入手段を探り、アルテナ領内の氷壁の迷宮にある『水のマナストーン』を解放する為の礎となる術式を手に入れる事。

それが彼に下された使命だった。

 

水の精霊『ウンディーネ』が此方の捜索から巧妙に身を隠し続けている為、アルテナによるマナストーン解放計画には大幅な遅れが生じていた。

当初は古代魔法だけでもマナストーンを解放できると目されていたのだが、それらの封印を施したマナの女神は、此方の想像ほど甘い人物ではなかったらしい。

綿密に、幾重にも張り巡らされた制御結界は一瞬にして基底部位に当たる術式を破壊され、期せずして起こった膨大なマナの逆流現象によって、周囲の機材も200名を超える人員も、根刮ぎ消し飛んでしまったのだ。

どうやら不正な介入に備え、予め『罠』となる術式が女神の手によって封印術式内に組み込まれていたらしい。

封印術式内に巧妙に隠された、突破口となり得る術式の脆弱点を見付けた解析班は、それが罠とも知らず不正介入の為の術式を割り込ませてしまったのだ。

結果、彼等は自らの命で以て失敗の対価を支払い、アルテナの計画は思わぬ躓きを見せる事となった。

故に、ナバールが風のマナストーン解放の準備を進めているとの情報を得た紅蓮の魔導師は、その術式を探るべくローラントへと彼を差し向けたのだ。

 

ところが現地に着いた直後、マナストーンへと到る通路は抵抗組織の手によって崩落させられ、空間転移もジンの抵抗により不可能となってしまう。

そうして、何とか崩落先に籠城しているジンを捕らえんと思案している内に、聖剣の一行がこの場に到達してしまったのだ。

ノームの力で難なく崩落を除けた彼等は、そのままジンと合流してしまった。

これではマナストーンに施された術式を探る事ができない。

紅蓮の魔導師ならば、マナストーンから直接術式を読み取る事も可能だろうが、彼は今『別件』から手を離せない。

故に、彼がこの場に赴いたのだ。

 

となれば、この場で聖剣の一行を打倒し、ジンを確保して情報を引き出すしか術はないのだが、それもまた実現困難である事を認識せざるを得なかった。

理由は、あの黒ずくめの装束を纏う『狩人』だ。

個体差はあれど、戦闘に際して彼等が見せる異常なまでの才覚と奇抜な様式は、既にアルテナでも知られていた。

世界各地に展開するアルテナ軍の内、故あってか偶発的かを問わず交戦した部隊の悉くが壊滅に追い遣られている以上、数少ない生存者の口からその存在が知れ渡るまでに然程時間は掛からなかったのだ。

彼自身は未だ相対する機会に恵まれてはいないが、しかし視線の先でクラスチェンジを試みている男が、只でさえ異常な戦闘能力を誇る狩人の中でも、飛び抜けた力を有しているであろう事は容易に見て取れた。

たとえ今、此処で背後から奇襲を掛けたとしても、他の面々への被害を抑えつつ痛烈な反撃を受けるであろう事が。

当然ながら、ジンの確保など叶う筈もない。

故に、彼は闇へと身を沈め、この場を去る事を選ぶ。

 

今はまだ、その時ではない。

いずれ対峙の時は来る。

その時こそ、己の全てで以て彼等を打倒してくれよう。

 

そう独りごちる彼の視線は、知らず知らずの内に1人の青年を捉えている。

マナストーンに触れながら、祈る様に頭を垂れている若い剣士の背。

彼自身も理解できない郷愁、既に失われた筈の感覚を呼び起こすその姿に僅かな困惑を抱きつつ、その身を闇へと沈めてゆく。

 

古の竜族、彼等が用いる古代魔法により隠匿された彼の存在に、終ぞ誰も気付かない。

こうして聖剣の一行の誰もが気付かぬ中で、彼との初の邂逅は果たされる。

彼『黒曜の騎士』の存在を一行が知るのは、未だ先の事であった。

 

 

 

============================================

 

 

 

「嘘だろ、オイ……」

 

 

焦燥が入り混じった、デュランの呟きが聞こえる。

『風の回廊』を抜けた一行を出迎えたのは、よりにもよって20を超える数のナバール兵であった。

周囲警戒は決して怠ってはいなかったのだが、それを嘲笑うかの様に一瞬で包囲されてしまったのだ。

これまでに相対してきた人間の敵とは、明らかに一線を画している。

何故か1人として得物のダガーを抜いてはいないとはいえ、油断などできる筈もない。

 

不安げに周囲の仲間たちの様子を窺えば、デュランとケヴィンは武器を構えて敵を牽制しつつも、乱戦ともなれば仲間への被害は避けられないと見てか、彼等から仕掛ける様子は無い。

アンジェラは一見すると無防備だが、その実は魔法と神秘の発動準備に入っている様だ。

フェアリーは焦りを見せつつも、最初に狙うべき獲物を見定めているらしく、以前からは考えられない鷹の様な眼で敵を睨み据えている。

 

そして、リース。

こんな彼女を眼にするのは、シャルロットも初めてだった。

女神もかくやという清楚な美貌からは一切の感情が抜け落ち、しかしその身体は槍を構えて筋肉という筋肉を収縮させ、宛ら敵の喉元を咬み千切る瞬間を今か今かと待ち焦がれる獣の様。

リース自身が1本の槍、或いは牙と化したかの様な姿に、知らずシャルロットは恐怖を覚えていた。

 

その一方、ホークアイとモントの様子は何処かおかしい。

包囲された当初も慌てる様子を見せず、寧ろ事前に敵の存在を認識していたかの様に落ち着き払っている。

それどころか2人は、その場で武器を収めてみせたのだ。

有り得ない行動に驚愕し、思わず叫ぶシャルロット。

 

 

「ちょ、何してるんでちか!?」

 

 

その声に、漸く他の面々も気付いたらしく、ホークアイとモントを見るや表情を強張らせる。

特にリースは、一瞬だが酷く傷付いた様な顔を覗かせた後、怒りと悲しみが入り交じる明確な負の感情を表情に浮かべていた。

しかし直後に掛けられた声に、リースの表情は悲哀を凌駕する驚愕に取って代わられる。

 

 

「お帰りなさいませ、リース様」

 

 

聞き慣れない女性の声。

それが響くと同時、ナバール兵たちの背後から、数人の女性たちが姿を現した。

彼女たちが手にするのは、嘗てのリースと同じトライデント。

身に纏うマントの下から覗く装束は、これもつい先程までリースが纏っていたものと同じ、ローラント正規軍アマゾネス兵のもの。

リースの目が大きく見開かれ、僅かに震える声が零れた。

 

 

「ライザ……?」

 

「はい、リース様……ご無事で、何よりです……!」

 

 

感極まった様にリースの名を呼び、その瞳に光るものを滲ませる、ライザと呼ばれた女性。

見れば他のアマゾネスも、その殆どがライザと同様に感涙に咽いでいる。

リースもまた、その瞳に涙を滲ませてはいたが、しかしアマゾネスたちの傍らに立つナバール兵への疑問からか、幾分か戸惑いの方が大きい様子だ。

そんな彼女たちを後目に、ホークアイへと歩み寄る1人のナバール兵。

 

 

「久し振りだな、ホークアイ」

 

「ルヴェンか……アイツや他の連中も此処に?」

 

「ああ」

 

 

そのまま自然に会話へと移る2人を、モントを除く聖剣の一行は唖然と見つめる。

ホークアイの身の上話が嘘でないのなら、彼はナバールの方針に反発し出奔していた筈だ。

にも拘わらず、彼はナバール兵と親しげに言葉を交わしている。

これは、どういう事か。

否、それ以前に何故、ナバール兵とアマゾネス兵が一緒に行動しているのか。

 

 

「ライザ、皆……これは、一体……」

 

「落ち着けリース、彼等は味方だ」

 

 

困惑を隠そうともしないリースに、ホークアイが語り掛ける。

『味方』と、彼は間違いなくそう言った。

一体どういう事かと混乱するシャルロットの耳に、何気なくといった体で発せられたモントの声が飛び込む。

 

 

「ホークアイ、彼等がそうなのか」

 

「そうだ。俺と同じく『ナバール王国』に敵対する、真の『ナバール盗賊団』さ」

 

 

『王国』ではなく『盗賊団』と、ホークアイは言った。

驚く一行に、モントが追い打ちを掛ける。

 

 

「俺達が此処に入る前から監視されていたぞ。ホークアイが気付いていたので、撃たずに済んだが……」

 

 

どうやらホークアイとモントは、随分と前から彼等の存在に気付いていたらしい。

その事を告げなかったのは、すぐにこうなる事を察知していたからだろうか。

ナバール兵とアマゾネス兵たちの間から姿を現し、ライザの隣へと立つ男。

編んだ長い金髪を揺らし、彼は声を上げる。

 

 

「ナバール盗賊団、現首領イーグルだ。我等が義により、ナバール盗賊団はローラント奪還に協力する」

 

 

そんな彼へと、常ならぬ獰猛な笑みを浮かべて歩み寄るホークアイ。

対するイーグルと名乗った男も、その口端を釣り上げ滲む歓喜を隠そうともしない。

そして、未だ状況が飲み込めない面々の前で、彼等は言い放ったのだ。

 

 

 

 

 

「遅いぞ、兄弟」

 

「待たせたな、兄弟」

 

 

 





蛇「待たせたな!」



鷲「あれも仲間か?」

鷹「知らん」


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。