終わりのセラフ《絶対零度の吸血鬼》 (neirua)
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プロローグ

はじめまして!ネイルアと申します!
今回が初投稿となります。
文才が無いのでそこは気にせず読んで貰えると嬉しいです。
書いてる途中で失踪したりはしないのでこれからもよろしくお願いします!
ご愛読頂ければ感謝感激です!!




「これは……?」

 

「今日はクレハ、お前の誕生日だろう。」

 

「私の誕生日……何故、柊暮人様が……?」

 

とあるボロアパートの三階、私が一人暮らししている1室の玄関前。

ある日の夜、突然、第一渋谷高校のクラスメイトの柊暮人が来るなり豪華そうな小さい箱を渡してきて今に至る。

 

「いいから開けてみろ。」

 

いや、何もよくないけど……、とりあえず開けてみる。

 

「わぁ…………。」

 

中に丁寧に包装されて入っていたのは三日月を象ったヘアピンだった。月の光にかざしてみるとまるで本物の月のように輝いて見える。

それにしても私が普段、ヘアピンを着けていることを知っていたのか?

 

「気に入ったか。」

「はい、勿論です。ですが……。」

 

何故私にここまでしてくれるのか。そもそも何故私の誕生日を知っていたのか、自分でさえ忘れていたというのに。

 

私の思いを察してか暮人様が口を開く。

 

「男が女に贈り物をする理由なんてそう多く無いと思うが?」

 

そ、それは……つまり……や、やばい、顔赤くなってないかな!?

少し前の私ならこんなに動揺しなかっただろうに。

 

「し、しかし私はどこの出とも知れない下賎の身……柊家の暮人様とは釣り合いが……。」

 

「まあ周りから見ればな。だがいつか……。」

 

暮人様はそこで一旦話を切り、私を見つめ直し…

 

「それに、どこの出か知らないのはそこら辺の輩だけだ。」

 

え?自分の出自を誰かに話した事は無いと思うが……。

 

「クレハ=ヴォルガス、イタリアを牛耳るマフィア……を装ったヨーロッパを代表する呪術組織《ヴォルガス一家》の血筋。違うか。」

 

その通りだ。訳あって幼い頃から日本にいるが私は確かにそのヴォルガスの人間だ。けど何故それを柊暮人が?

 

「本当に身元不明の奴が第一渋谷高校に入れる訳がないだろう。こちらでは既に調べがついてる。」

 

そ、そうだったのか。確かに言われてみればその通りだ。

それに呪術に関わりの深い者ならヴォルガスの性からすぐにイタリアのヴォルガス一家を連想出来たのかもしれない。

明らかに見た目が日本人じゃないし。

 

いや、いやいやいやそれでもだ。

私がそこらの一般人とは違うからと言って、己の力だけに執着してきた私にどんな魅力があるというのか。いや、無い。

 

やはり何か別の意図があるのでは……

そう考えていると暮人様は懐中時計を見て背を向けた。

 

「立場上、長時間ここに留まるのは不味いからな。また来る。」

 

また……来る!?

 

「それと様はつけるな。気分が悪い。」

 

そう付け加えるとあっという間にいなくなってしまった。

 

色々な事が1度に起きて頭が付いていけない。

どうして暮人様が私の事を想ってくれているのだろう。

どうしてこんなにも鼓動の音がうるさいのだろう。

どうして私が人間らしい感情など持ち始めたのだろう。

 

貰ったピンを髪につけると、突然視界が歪んだ。

夜空に浮かぶ月が滲んで見える。

 

どうして私は、涙を流しているんだろう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

そんな、昔のことを思い出していた。

髪に着けた月のピンを触りながら。

 

あの時は頭が一杯で気が付かなかったが、暮人から貰ったピン。

あれは柊家の家紋を象ったものだった。

それにどんな意味が込められていたのか、未だに分からない。

 

そしてもう一つ、あの時に気が付かなかったこと。

 

それは、暮人が本当に私を愛してくれていた事だった。

 

 

そんな思い出だけが私の支えになっている。

 

 

 

 

 

 

吸血鬼となった今では

 




これから原作のキャラ全員を交えた話になっていきます。


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第1話 第一渋谷高校入学

他のキャラももうすぐ出てきます! まだ柊暮人しかいないのは学年の都合です。
では1話どうぞ!


第一渋谷高校の入学式ーーー

 

満開の桜の木が並ぶ道を私、クレハ=ヴォルガスは第一渋谷高校に向かって歩いていた。

 

《第一渋谷高校》

 

 

それは「帝の鬼」と呼ばれる、日本でも有数の宗教組織が管理運営している、呪術師養成学校だ。

 

日本中にいる帝の鬼の信者達の中でも選りすぐりの実力者だけが集められているエリート学校との事だが……。

 

不思議と何の組織にも属していない私にも入学試験の合格通知が届き、現在に至る。

 

 

今まで独学で呪術、体術などを学んできた私にとって、学校に通う、という事が初めての事だった。

 

だがこうして初の登校をしている今もあまり心は浮き足立たない。

これから送るであろう学校生活に思いを馳せることもない。

 

この学校でどれだけ多くを学べるか、どれだけ自分の力を磨けるか、ただそれだけだ。別に他人と馴れ合おうとは思わない。

今年は柊家の次期当主候補も入学するようだが……。

私はそいつにも勝てるだろうか?

 

そう考えながら歩いていると、周りの視線が私に集まっているのに気づいた。

さらに私を見てから数人が互いにヒソヒソと話している。

 

私が帝の鬼の人間じゃないからだろうか。いや、それもあるだろうが、ヒソヒソ話に耳を傾けるとどうやら別の理由のようだ。

 

「おい、あの髪と目……。」

「あいつ、柊でも三宮でも十条でもないよな……?」

「外国人か……?」

 

確かにこの辺外国人はあまりいないから、彼らからすればこの、ミルクティー色の髪と青い目は珍しいのかも知れない。

 

少し鬱陶しいので冷たい視線を送ると、彼らはそそくさと学校に入っていた。

 

私も続いて校門の前に立ち、校舎を見上げる。

とても立派な造りは流石エリート校というところか。

様々な設備が整っているというのでこの学校には期待している。私を更なる高みへ連れて行ってくれると。

 

さあ学校に入ろう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

キーンコーンカーンコーン

 

ここは一年一組の教室。

 

今は全員が着席し、初めてのホームルームが行われている。

 

私の席は教室の1番後ろだ。

 

教壇では担任らしき女性が、これから行われる入学式について話している。

 

ざっと見渡す限りでは、このクラスは40人程で男女は半々のようだ。

名簿によると名家の人間は柊家次期当主候補、柊暮人がいるらしい。

 

入学式の説明を終え、担任が話を続ける。

 

「さて、みなさんは今日からこの、第一渋谷高校の一員な訳ですが、日本でも最高峰である呪術学校の生徒としての誇りと、自信を持って、実りある学生生活を送れることを願っています。」

 

確信する。毎年新入生の担任は同じセリフを言ってるに違いない。

 

そして担任の目が私の隣の席に移る。

 

「そしてみなさんもうお気づきかと思いますが、あの暮人様がこのクラスにいらしています。その身に余る光栄を……」

 

当の本人はまるで王か神かというような扱いに表情一つ変えていない。いや、多少うんざりといった風だが。

 

しかし何故、柊様がこんな後ろの席にいるのだろうか。

 

「おい。」

 

「名前は何という?」

 

これは……暮人様が私に話しかけてきている?

 

「名簿で既にご存知では?」

 

素っ気なくながらも一応柊様なので敬語で返す。

 

「俺はお前に聞いている。二度同じ事を言わせるな。」

 

傲慢な態度なのはお偉い柊家だからか。

面倒なのでここは素直に答えておこう。

 

「クレハ。クレハ=ヴォルガスと申します。」

 

「そうか。」

 

そう言うと暮人様は前に向き直ってそれきり話しかけてこなかった。

一体何なんだ。

 

とそこで担任が言った。

 

「ではそろそろ入学式の時間です。みなさん、行きましょうか。」

 

それで生徒が皆立ち上がる。

 

「ちゃんと聞いてろよ。」

柊暮人様も立ち上がると私にそう言って外に出た。

本当に訳が分からない。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

講堂には、全校生徒が集められていた。

 

生徒の数は、全部で1100人。

一年生が600人。

 

上級生になるにつれて人数が減っている。

体術、呪術、両面において秀でていなければこの学校で生き残ることは出来ないようだ。

もっとも脱落する気はさらさら無いが。

 

校長の下らない挨拶がしばらく続いた後、

 

「長くなりましたが、私からの話は終わりです。では次は新入生代表からの挨拶にうつりましょう。あの柊家のご子息を、この学校に迎え入れることが出来たことを、光栄に思います。

それでは柊暮人様、ご挨拶お願い致します。」

 

そう言って校長が頭を下げる。

すると舞台の袖から、柊暮人が現れた。

 

そして壇上に上がると全校生徒を見据える。

その時にはざわめいていた講堂もしんと静まり返っていた。

 

「ご紹介感謝します。今日は新入生代表としてご挨拶させていただきます。よろしくお願いいたします。」

 

なるほど。「ちゃんと聞いてろよ」とはこの事か。

 

それから淀みなくスピーチが行われる。

話している内容は良くある入学の挨拶だが、不思議その言葉には既に学校のトップであるかのような威厳に溢れていた。

どうやら家の名ばかりではないようだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

入学式が終わり、教室に戻ると担任がまた教壇に立ってしきりに暮人様の挨拶を褒めちぎっていた。

 

それをよそに暮人様がまた話しかけてくる。

 

「ちゃんと聞いていたか?」

 

だから何故私に聞く。

 

「ええ、勿論です。とてもご立派でした。」

 

「……そうか。」

 

ほぼ感情を込めずにそう言うと少し悲しそうに呟いた。

いや、気のせいかな。こいつが悲しそうな顔とかするはずが無い。

 

 

 

その後、今後の学校でのカリキュラムについての話を聞かされ、それからいくつかの呪術的な試験が、入学したばかりだというのに行われ、帰る頃には夜の7時半になっていた。

 

 

家であるボロアパートの一室に帰り、誰もいない部屋の電気をつける。というかこのアパート自体に人がいないが。

部屋の隅の棚には色んな言語の呪術書などの教本がぎっしりと入っている。

 

今日は明日の用意でもしてすぐ寝よう。大したことはしていないのに妙に疲れてしまった。

 

明日からは本格的に修練の毎日になるだろうし、体は休めておこう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

入学してから数ヶ月、様々な授業で修練を積み重ねていった。組み手の訓練、術式の試験などは難なくこなし、家に帰れば木刀を降る。

そんなことを繰り返していると時間はあっという間に経った。

 

初めのうちは私に親しげに話しかけてくる者もいたが、素っ気なく返しているうちに誰も近寄らなくなっていた。

1人を除いては。

 

 

ある日、学校の校庭で全校演習が行われていた。

 

「おおおおおお!」

「うわ…………これで20人抜きだ……。」

「何だこいつ…………。」

 

周りで生徒がどよめいている。

そして私の前には今しがた 私が叩きのめした相手がうずくまって倒れている。

 

駄目だな。これでは全然相手にならない。

まあ、中には筋がいいのもいたけど。

手を抜いてもこれだからな。

 

そう思って一息つくと暮人様が近寄ってきた。

 

「手合わせ願おうか。どうせ他の奴らじゃ相手にならないんだろう?」

 

周囲がさらにどよめいた。試合していた者も動きを止めてこちらを見る。

柊暮人はこの学校で注目されていた。

さらには暮人様も私より数は行っていないが既に何人か始まt……片付けていた。

 

その柊暮人と私が対戦するのだ。当然目を惹かれるのだろう。

 

入学してからというもの、度々こいつは私に話しかけてくるが今回は好都合だ。

やっと本気でやりあえる。

 

「では、よろしくお願いいたします。」

 

そう答えて向かい合う。

 

呼吸を整える、そして呪詛を用いて体を強化する。相手も同じく体を強化していた。

 

まずは私から相手の懐に入る。強化した私の拳は正に神速と言っても過言ではないと自負している。

だが、今のところうまく捌かれている。それどころかその隙間隙間にあちらからも数発入ってきていた。

 

だが、それでも、私の方が一枚上手だ。

拳の合間に挟んだ私の回し蹴りが暮人様の脇腹を襲う。

 

これで決まった。

 

と思ったが急に大きく距離を取られて外れてしまった。

 

「どういうつもりです?」

 

「いや、俺の負けだよ。ただ君が俺を蹴り飛ばせば立場が悪くなるだろう?」

 

確かに何処の出かも知られていない私が柊家のご子息をボコボコにしたとあっては周囲の人間から冷ややかな目で見られる可能性がある。

 

いや、今のは本当に私の勝ちと言えるだろうか。

彼も相当セーブしているように感じる。

 

もっとも、何故彼がそんなことに気を使うのか分からないが。

まあ、いい演習になったしここで切り上げられてちょうど良かったのかも知れない。

 

 

一方先生は私達の試合を見て満足げだった。

 

「これはもうすぐ始まる選抜術式試験週間が楽しみですねぇ。」

 

 

 

選抜術式試験最終日、その期待は裏切られることになる。

 

 

 

 

選抜術式試験は各学年の全生徒同士の勝ち抜き戦になるため一週間もかかる。

一年生は決勝に私と柊暮人が進んだ。

担任の「自分のクラス以外には絶対負けるな」というご期待には添えたかもしれない。

しかしなんと、私の出場辞退での不戦敗、そして柊暮人の優勝というあっけない形で幕を閉じたのだ。

 

多くの人が楽しみにしていた決勝戦。何故こんなことになったのか、原因は完全に私にあった。

 

 

私は最近、新術の開発に取り組んでいた。

帝の鬼とイタリアの呪術の融合を試みたのだ。

決勝戦前日も部屋で実験を繰り返していた、が。

なんと突然暴発したのだ。私はそれを間近で食らってしまい、病院送りになっていた。当然翌日の試合など無理だ。

 

 

柊暮人は決勝戦当日の朝には既にそのことを知っていたようで、というより実は私の病院代を支払ってくれたらしい。

本当に何故何だろうか。

何故私にちょっかいをかけてくるのだろう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

それから時間は足早に過ぎていく。

学生生活は中中に忙しい。

あれから様々なことがありながらも学年があがり、二年生となってからまた数ヶ月の時が流れた。

 

相変わらず柊暮人がよく分からない距離感で近づいてくるがそれ以外代わり映えのない日常。

 

 

 

それに些細な、大きい変化が訪れようとしていた。

 

 




時間飛びます!
が、飛んでいる間の内容も出てきます。


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第2話 全ての始まり

柊暮人視点が出てきます。
あと簡単なイタリア語も出てくるので間違っていたらお知らせください。クレハ絵付きです。
2人の10年後にも繋がる想いの始まりとは?

それでは第2話 どうぞ!



一年生の選抜術式試験があっけなく幕を閉じてから。

 

私は夜の病室で柊暮人と呪術について論じあっていた。

こうなったのは今から一時間前。

 

私はしばらく病院にいて、授業に参加出来なかった。

腕の火傷はすぐ治ったので、少しは動けるのにベッドに縛り付けられるのは暇で暇でしょうがない。

しかも胴体や、足、頭の包帯が取れるまでずっとこのままなのだ。

 

私には見舞いに来る客もいない。個室なので周りには誰もいない。

 

退屈しのぎに看護師を呼び出して呪術書をせがんでも罰は当たらないだろう。

 

ナースコールに手を伸ばす。

 

が、それは阻止されてしまった。

 

「どうした。具合が悪くなったか。」

 

私の手を掴んだのは柊暮人だった。

何故お偉い柊家様がここに?クラスメイトを気にするような奴だったろうか。

というかナースコールを止めるな。緊急だったらどうするんだ。

 

「そう思うなら何故止めるんです?」

「ふん、そのぐらいの憎まれ口を叩けるなら元気そうだな。」

 

そう言うと手を離して、ベッド脇のパイプ椅子に座った。まて、質問に答えろ。

いつもいつも……こちらが振り回されているみたい…。

 

そういえばなにやら重そうなバッグを持っているが……。

 

「大方退屈だから看護師を呼び出そうなどと考えていたんだろう。迷惑だ。」

 

そう言って、バッグから呪術書を取り出した。

 

ちっ……いや、全くその通りです。

しかし私の心内を読み、更にはそれを先読みして本を予め持ってくるとか、こいつ本当に人間なのか……?

というかそれをする理由が分からない。

 

「クレハ、お前、自宅で呪術実験を行っていたそうだな。」

 

これはもしかして……見舞いではなく処罰に……。

まずい。もしかして実験の内容が柊にバレているのか……?

 

「暴発したということは失敗したんだろう。なら俺も協力しよう。」

 

 

なるほど、そういう訳ではない……ようだ。

いや、協力すると言って独自の研究内容を聞き出すつもりか?

なら普通に西洋呪術の話でもしておこう。

私が本来使うのはそちらだから誰よりも詳しいと自負している。

 

 

そして今に至るわけだ。

なるほど流石柊家。柊の呪術に関しては私より優れている。

だが私にはヨーロッパ独自の進化を遂げた呪術がある。

授業でも西洋の呪術については習っているはずだが。

私の話を真剣に聞いているところからすると、本当は新しい見地を学ぶ為に来たのかもしれない。

 

けれど……話が白熱すると、不思議と私も表情筋が緩んでしまっていた。

こんなに楽しい…と感じたのは初めてかも知れない。

 

ああ、学生生活も悪くない、と思ってしまう。

 

 

 

そんなもの私には必要ないというのに。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

病院の件から、呪術だけでなく、この学校の体制や、周りの人間への評価について2人で話し合うことが増えた。

 

たまに「名家の出ですらない奴が暮人様と…。馴れ馴れしい。」「あの女、媚びやがって……」などと言っている輩がいるが、授業で私の実力を知ってか、それとも別の理由か。一度も手は出してこなかった。

 

 

授業を受け、修練を積み、柊暮人と意見を交わす。それだけを毎日繰り返す日々。代わり映えのない平穏。

その中で私の腕も徐々にキレを増してきていた。

《氷天の術》においては特にだ。

自宅の研究も進んでいる。

 

 

二年生に上がる頃には柊とは釣り合わない、などと言うものも居なくなっていた。

もっとも、生徒の数自体半分程に減っているのだが。

 

三年にあがろうとする直前。

既に来年度入学してくる生徒の噂が流れていた。

 

何でも柊家の方が2人入ってくるらしい。

1人は天才と言われている柊真昼様だそうだ。

勿論他にも様々な名家の子が来る。

 

だがそんなことより少し、少しだが気になるのは

《帝の月》の者が3人入ってくることだ。

 

一瀬グレン

 

花依小百合

 

雪見時雨

 

ここは帝の鬼が支配する学校。きっと扱いは酷いものになるのだろう。

まあ、私には関係のない話、

 

「一瀬の長男は使えると思うか。」

 

昼休みに屋上でいつも通り呪術の話の途中で急に暮人様が切り出す。

 

いやいや、あなたの方がそんなことは知っているだろう。私はその子のことを全く知らない、というか興味がない。

寧ろ暮人様がそんなことを聞いてくることの方がまだ興味がある。

 

「それは柊家にとってですか。それとも暮人様にとってですか?」

 

「俺にとってだ。」

 

そう言うとそれきり黙ってしまった。別に聞いたのには意味が無かったのだろう。

 

それと、話していて分かったことだが暮人様はあまり柊、家が好きじゃないらしい。

 

その理由がどうかは知らないが、自分の家を好きになれない所は似ている…と言えるかもしれない。

 

【挿絵表示】

 

暫く風を浴びていると、黙っていた暮人様がまた口を開いた。

 

「お前は相変わらず表情が無いな。昔からか?」

 

いきなりなんだ。喧嘩を売っているのか。

まあ、表情を変えるようなことがいつも無いのは事実だが。

 

「昔は…どうでしょう。」

 

少し考える。かなり遡って、幼少期までいけば笑っていたかも知れない。

 

「なら今笑ってみろ。」

 

は?何でそうなる。まあ、適当に笑顔を作ってやり過ご…

 

「なんだそれ、顔が引きつってるぞ。」

 

はは、と笑われた。Cazzo(クソ)、人がうまく笑えないのがそんなに面白いか。

 

「なら暮人様が見本を見せて下さい。そんな不敵な笑いじゃなく!」

「俺が?そんなの簡単だろ。」

 

つい勢いで言ってしまうと暮人様はまるで接待用というような微笑みを浮かべた。

 

感情は全くこもってない。それが不思議と可笑しくて

 

「クスっ」

「おい、人の顔を見て笑うな。」

 

や、やばい、柊家の人の顔を見て笑うなど首が飛ぶ可能性がある。が

 

「それよりやっと笑ったな。」

「え?」

 

妙に満足気な顔だ。そんなに私が笑ったことがそんなに嬉しかったのか?

 

本当に分からない人だ。

 

 

この時私はこの後、もっと振り回されることになるとは知りもしなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

12月28日 1:00

 

もう深夜1時をまわったというのにまだ眠れない。

 

というのも柊暮人のせいだ。

 

今日、いやもう昨日か…。いきなり家に押しかけて、告白紛いのことをした挙句私の素性を知っていることを伝えて帰っていった。

 

一人残された私はこの気持ちのモヤモヤをどうすればいいんだろう。

 

貰ったピンを窓からの月明かりに翳して考える。

 

まず私は暮人様…いや、暮人のことをどう思っているのか。

結論から言うと分からない。

 

人から愛されたことが無いし、人を好きになるとどういう気持ちになるのか分からない。

私を好きだというような言葉に心が揺れ動いたのは私も暮人を…ということなのだろうか。

 

 

いやいやいや。私には力だけだ。色恋に浮かれている場合では…。

 

でも、もし本当なら、本当に私を想ってくれていたのなら……。

 

少しは…応えてみてもいいのかな………。

 

生まれ故郷を出て、遠い極東の国に来てから

 

初めて人からあたたかい感情を受けて

 

それに応えてみようと思って

 

そこで考えてしまう

 

「昔の私を知ったら、嫌いになるかな…。」

 

そうなったら、暮人を殺さなくてはいけなくなるかもしれない。

その時私は彼を殺せるだろうか…。

 

やはり拒絶すべきかも知れない。

 

今までいつの間にか暮人が側にいて、本当は嬉しかったのかもしれない。今思えば私はつい、このまま側にいて欲しい、と思ってしまっていた。

 

本当は独りは辛かった。だから彼の好意に甘えてしまっていた。

 

けれどそう言った感情が人を殺すこともある。

 

私は………。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side 柊暮人

 

クレハに誕生日プレゼントを渡した帰り道。

 

初めてクレハを実際に見た時のことを思い出す。

 

入学前、イタリアンマフィア・ヴォルガスの娘がいるとの報告を受けて顔写真付きのプロフィールを確認していた時、俺は既視感を覚えていた。

 

「この女子は…。」

 

 

 

9歳、10歳だった頃だろうか。何の用事だったか覚えていないが一人で川辺を歩いていると川岸にしゃがみ込む薄いミルクティー色の髪の女の子が目に止まった。

 

よく見るとその子は釣りをしていて、と言うか木の枝につけた紐を川に垂らしているだけだが。

 

同い年程の外国人の子供がこんな所で1人で釣りをしていることが、という以前に何故かその子のことが妙に気になってしまった。

 

「何か釣れるか。」

 

近づいてみるとその子の腕や足は傷だらけで、とても痛々しい。

尋ねてみると彼女は振り返らずに小さな声で

 

Per niente(全然)、あ、ううん。」

 

と一回言い直して答えた。

言語と発音からするにイタリア語のようだ。けれど日本語は通じているようだしそのまま続ける。

 

「楽しいか。」

 

そう尋ねるとまたこちらを見ずに首を横に振った。

まあ、聞かなくても楽しくなさそうなのは見て明らかだったが。

 

更に何故やっているのか、と聞こうと口を開くと彼女が急に俺の目を見て

 

「やって…みる?」

 

と言ってきた。

彼女の瞳は頭上に広がる青空よりも澄んでいて、飲み込まれそうな感覚さえ覚える。

声は小さいながらも凛としていて耳に良く残る。

顔立ちは恐ろしい程整っていて、髪が風になびいてかかる様子がとても美しかった。

 

 

今思えばこの時初めて彼女に惹かれたのかも知れない。

 

 

彼女にその木の枝を渡されて川に垂らしてみる。一応、餌は付いているようだが本当に釣れるのだろうか。

釣りなんて鍛錬に忙しくてしたことが無い。

 

グンっ

 

始めてすぐに木の枝が川に引っ張られる。

隣では無表情だった彼女が川に乗り出して目を輝かせていた。

釣れたらもっと喜んでくれるだろうか、なんて考えが浮かんで一気に木の枝を引く。と、糸の先には上腕程の大きさの魚が付いていた。

 

「Grande!Grande!」

 

彼女は口角を上げはしないが顔全体をぱぁあっと輝かせて、すごい!すごい!とすっかり興奮しているようだ。

魚は彼女の隣に置いてあったバケツに針から外して入れてやる。

 

彼女は魚をのぞき込むとこちらを見て辿々しく言う。

 

「Grazie…あり…が、とう。」

 

少し恥ずかしそうに顔を赤らめられてそんな言い方をされたらこっちが赤くなってしまいそうだ。

もっとも訓練されているせいでそうはならないが。

 

そうしていると柊家の付き人が数人こちらに来ている気配がした。

 

「迎えが来たか…。」

 

もう少し遅くても良かったのに、なんて考えてしまう。

 

じゃあ、別れを、と思って彼女のいた方を見て驚く。

 

そこにはもう魚の入ったバケツも、イタリア人らしい彼女の姿も無かった。

 

怪我をしていた筈なのにどうやって…。

それが子供の頃の幻のような出来事だった。

 

 

それから何度か川に行ってみても彼女に会うことは無かった。やはり幻だったのかもしれない、なんて非現実的な考えが浮かぶ。

 

 

 

それが幻じゃなかったと初めて証明したのが顔写真付きプロフィールだ。

薄いミルクティー色のストレートの髪は長く伸びていて、表情はより冷たく、感情を映さない顔になっていたが、

その写真に映っていたのは確かにあの時に見た彼女だった。

 

彼女にまた会える、そのことが心を揺るがす。

 

どうせ、柊家の選んだ相手としか一緒になれないのに。

 

それでいいと思っていたのに。

 

それでは駄目だと、自分の力で必ず手に入れると。

 

正しく俺は、彼女に心を奪われていた。

 

 

同じクラスにするのも、席の並びを変えるのも柊の次期当主候補の立場では容易いことだった。

いよいよ、第一渋谷高校入学式。

少し前までは面倒だとも考えていたが、クレハの存在を知ってからずっと待ちわびていた日。

 

教室に入ると一部の生徒がざわめいたが気にしない。

思いを馳せた彼女は、一番後ろの窓の横に座っていた。

 

背筋を伸ばして静かに窓の外を見つめる彼女の周りには不思議な空間が出来ている。

それを感じ取ってか、彼女に近づく生徒はいなかった。

 

 

俺が隣の自分の席に座っても彼女は一向に外から視線を外さない。

ずっと前に会った時はどちらかと言うと可愛いといった感じだったが、今の姿はより成長して大人びていて、あまりに美しかった。

見た瞬間息が詰まりそうな程の感情がこみ上げる。けれど……

 

自分のことを覚えていないのだろうか。

 

 

そう思うと胸が少しズキリと痛んだ。

 

 

 

 




2人のこの高2の時期は今後の道筋を決める大事な時期になっています。


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番外編 雪の日に

次話までの繋ぎです、が本編と繋がっています!
最近雪が降ったので。

とある冬の雪が降った日の出来事……。

では番外編 どうぞ!!


1月19日

 

第一渋谷高校の新入生も学校に慣れ(ほとんどの生徒において、生き残りがかかっている必死さは変わらないが)、といっても普通の学校のようにお楽しみイベントがある訳でもないのでただ変わらず鍛錬を続けるだけなのだが

 

そんな中のある寒い冬の日のこと。

 

クレハや暮人が入学してから初めての"雪"が降った。

 

今年はよく雪が降り、校舎はすっかり真っ白になり、校庭にはかなり高く積もっている。が、

 

「おらぁあああ!」「やぁああああ!!」「起爆しろ!」

 

校庭のあちこちから気合いの叫びや呪術を起動する声があがっている。

 

今、一年一組と二組が合同で、この大雪にも関わらず実技訓練を行っていた。

 

屋内の修練場もある筈だが、なんでもどんな状況においても全力を発揮する為だとかなんとか。

 

「理にかなっている......か.....。」

 

クレハが白い息を吐いて呟く。

そして周りを見る。

 

「それにしても……。」

 

先程から真剣な叫び声が聞こえている、

 

と思えばよく見たら生徒の手にあるのは丸い雪の塊だった。

そしてそれを最初に先生に組まされた相手に投げたり、起爆符で迎撃したりしている。

 

「あれは一体……。」

「おい、早く解呪してやらないと死ぬぞ。」

 

突然数メートル前から声をかけられた。

前に顔を戻すと柊暮人が呪符を持った人間の形をした氷像に手を置いていた。

 

いや、正確には、私が先ほど氷漬けにした、対戦相手の男子生徒...だが。凍らした後、完全に忘れていた。

言われて仕方なく起爆符を飛ばして氷像に付ける。

 

「起爆...。」

 

ドォォオオン! と爆発音がして氷像、もとい男子生徒が吹き飛び、どさりと落ちて雪に数十センチ程埋もれる。

多分熱で氷は溶けているか、爆発四散している……筈。

 

「……斬新な解呪法だな。」

「...それ程でも...。」

 

こんな寒い中で氷系の呪術を解除したり、溶かしたりするのには普段以上に熱が必要になる。

はっきり言ってただの生徒のためにそんなことしてやる義理はない。面倒だ。

 

と言いたいのを抑えて呆れ顔の暮人様に短く答える。

 

もうその時点で爆発した男子生徒から意識を外す。

そういえば、ちょうど絡まれたついでだ、気になることを解決したいと思ってもいいだろう。

 

「暮人様、先程から皆が雪を投げあっているのは何です?訓練ですか?」

 

いや、どう見ても訓練には見えないけど。

 

「ん、なんだ、あれか?お前...ああ、そうか。」ふむ、と頷くと、

「あれは"雪合戦"だ。雪が積もるとああして雪を投げあってぶつけて競う遊びらしいな。」

 

と応えてくれた。

 

「暮人様はやられたことがあるんですか?」

「いや、ないな。呑気なあいつら程暇じゃないんでね。」

 

ふーん……。

もう一回その、雪がっせん、とやらを見る。

確かに呑気だな、と思う。

次の学年に上がれるのは半分だけだと言うのに、どうして遊びに費やす時間があるだろうか。

そんな暇があったらもっと腕を磨いて……。

 

「...なんだ?やりたいのか?」

 

……………………は?

いやいや、この私のどこを見てそんなこと...。別にどんな感じなんだろうとか、少しは楽しいかなとか全然思ってないから。いや、本当に...だって遊んでるくらいなら...。

 

「...ふむ、……分かった。」

「いえ、あの……。」

 

キーンコーンカーンコーン

 

今日最後の授業の終わりをチャイムが告げる。

結局そこで会話は途切れてしまった。いや、最早会話ですらなかったが。

 

一体何が分かったというのだろうか。

嫌な予感しかしない。

 

そして間もなくそれは、ある意味的中することとなった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ホームルームが終わり、自宅に帰ろうとする、と

右横から声をかけられる。

 

「今日、空いてるか?」

 

暮人様……?

今日……、今日もいつもと変わらず家で鍛錬と実験を重ねるだけだが。

 

「……何の御用でしょう。」

「帰りにうちの修練場に来ないか?」

 

唐突だな……暮人様とは普段は学校で議論するだけなのに、

病院に見舞いに来たことといい、他の生徒と私の何が違うというのだろう。

 

……違うな。確かに他の生徒とは違う。が、良い方向でじゃない。

 

やはり裏があるとしか考えられない。暮人様の"うち"と言ったら柊家専用の修練場のことだろう。

ノコノコ味方でもない組織のど真ん中に自ら行く必要は無……。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

どうしてこうなった。

 

クレハが今歩いているのは雪が降り積もった学校からの帰り道…………。

 

柊家の屋敷への。

 

「暮人様、何故私などを誘われたのですか?」

 

並んで歩いている暮人があまり首を動かさずに、見上げてくるクレハを見ると、また前に視線を戻して言う。

 

「お前自身だけで出来ることなどたかが知れてる。」

「なら、柊家の施設を使った方がお前の為になるだろう?」

「けれど何……」

「それに俺もあいつらから学べることは何も無いからな。」

「だが、お前程の実力者と訓練をすれば経験になる。」

 

クレハは目を見る。けれど暮人の目は嘘をついていないように見えた。

あいつら、というのは同級生の事だろうか……。

確かに暮人様程の鬼才なればあんな授業は役に立たないだろう。

だが何故私もそうだと?私の何を見抜いてる?

 

「私に、ご期待に添える程の力はありません…。」

「そんな訳はない。まあ、やれば分かるさ。」

「あなたは一体……わっ!?」

 

全部分かったような言い方についクレハが少しキツく言い返そうとしてしまった時、何かが前から勢いよくぶつかってきた。

 

「う……。」

 

クレハにぶつかり、弾かれて路上に倒れたのは一人の幼い少年だった。

癖のある金色の髪をした、色白の、綺麗な顔の少年。おそらく日本人ではないだろう。もしくは、外国の血が混じってるか。

 

「大丈夫?怪我はない?」

 

と言ってクレハがしゃがんで手を差しのべる。

だいじょうぶです、ありがとうございます、と言って少年は手を掴んで立ち上がる。

 

「ぶつかってしまってすみません!急いでて...。」

「いいのよ。でも雪の上であんまり走ったら転んじゃうから気をつけてね。」

「はい!」

 

そう元気に返事をするとと少年は足早に駆けて行った。

 

「かわいい子だったな……。」

「お前の方が……いや。」

「……?何ですk……」

「子供には優しいんだな。」

「……いつもと変わらないと思いますが。」

「クラスメイトを氷漬けにした挙句爆破した奴がよく言うよ。」

「取り組み中に手を抜く方が失礼だと思ったので。」

「はは、ならあれは失礼だと分かっていてやっているんだな。」

「どういう意……」

「着いたぞ。」

 

二人が着いたのは巨大な体育館のような建物の入口だった。

暮人がパネルを操作するとドアがガチャりと開き二人は中に入る。

 

「ふーん……。」

 

中は建物を丸ごと使った広い造りになっており、素材はあらゆる衝撃に耐えうる特殊なものが使用されていた。

 

流石は帝の鬼の当家筋、柊家専用の訓練所だ。ここなら広々と訓練が出来るだろう、が。

 

「…………?」

 

床には中央付近に雪が積もっていた。

 

外観では完全な屋内だと思ったが……。

クレハが上を見上げてみるとかなり高い開閉式の天井が少しだけ開いている。

何故……あ……。

 

まさか……「分かった」って……。

 

いつの間にか暮人は雪を挟んだ向こう側にコートを脱いで立っている。

 

「始めるぞ、クレハ。」

 

なんて言っているのでクレハもコートを後ろに脱ぎ捨てて雪に近づいて暮人に向かい合う。

 

そしてクレハはしゃがみこむと雪を一掴みして握りしめる。

 

そして、クレハが立ち上がると同時に、暮人がいつの間に作ったか、普通の雪玉を軽く投げ、同時にクレハはその握りしめたものを振りかぶって投げる。

 

二つの雪が飛行中にぶつかる、そして砕け……たのは暮人の投げた雪玉だけだった。

 

クレハの投げたものは、彼女の驚異的な握力で握った時点で鋼の如き堅硬な氷塊と化しており、当然普通の雪玉を容易く貫通して高速で暮人に迫る。

 

しかし彼はそれを最小限の動きで避け、雪玉を素早く補充すると一気に距離を詰めた。

投げただけでは簡単に避けられる、ならば近距離戦での隙を突こうと考えたのだ。

 

だがクレハの方が速く反応した。突き出された拳を左手だけで止め、右手を出そうとする……が咄嗟に左手を離し、前転して飛び退き振り返る。

 

「ほう、気づくとは流石だな。」

 

一直線に殴りかかったのは幻だった。その隙に背後をとる。

よくある戦法だが、幻術のレベルが高ければ気付かれにくい、非常に有効な手でもある。

だが、一般生徒ならまず躱せない攻撃をクレハは避けた。

そして避けた隙を彼は見逃さない。

体勢が崩れたところに既に完成した術式を発動する。

 

「あ…………。」

 

効果を発動した呪符が降り注ぎ、最初の1枚がクレハの頭を庇おうとした腕に直撃し……。

 

呪符の動きが止まった。

腕に触れた所からピシ……ピシ……と音を立てて全ての呪符がその効果ごと急激に凍りついていく。

 

そして倒れ込んで頭を守る体勢のままの彼女の口元がニヤリと歪み……。

そこで暮人は気付く。気付いて咄嗟に呪詛を纏う。が

 

「ぺしっ」

 

クレハが暮人の首に背後から雪玉を当てる。

暮人はあまりの冷たさに顔をしかめて言う。

 

「最後のあれは幻術じゃなかったな。」

「これのことですか?」

 

と言って暮人と自分の間の空間に手をつく。

暮人が手を重ねようとして冷たいものに手が当たる。

 

「氷の壁か。」

 

倒れ込んでいたのはクレハが創り出した巨大な氷の壁をスクリーンにして映し出された姿だった、という訳だ。

クレハは壁を消すと一息ついて言う。

 

「これが雪がっせんですか?」

「………ああ…そうだ。」

 

こんな雪合戦があったら遊んでいる一般人はきっと命がいくつあっても足りない。

ただ、クレハが一般人と雪合戦をする機会などほぼないはずだからまあそういう事でいいだろう。

 

クレハはまた雪玉を作って手の上に乗っけてそれを見つめている。

気に入ってくれたのだろうか、と暮人は考える。

 

最後に首に雪を当てた時、見えた彼女の表情が不思議と昔、魚を釣ってやった時のものに重なった。

 

なら……なら、良かったと思う。

嬉しい、というのはこういうことだろうか、と。

 

彼女はもう一度雪の積もっている場所にしゃがむと、コートを羽織って入口のドアを開ける。

 

「修練場を貸していただいたうえ、訓練の相手をして下さりありがとうございました。」

「……ああ。」

「では失礼します。」

 

扉が閉まり、修練場に一人残る。

 

遠い、まだ遠い。

頑なに距離をとろうとする彼女を捕まえるには。

彼女が凍りついている限り

永遠に近づくことさえできない

もうやるべき事をただやるだけでは足りないのだ

 

 

さっき彼女がしゃがみこんだ場所にふと目がいく。

なにやら雪の上に設置されている。

 

近づいて見て見るとそれは……

 

大きく丸い氷の上にやや小さくて丸い氷が乗っている。

 

「雪だるまなんて作れたのか。」

 

というか知ってたのか。

まあ海外でも雪だるまは普通にありそうだからな。

 

しかしあの彼女が雪(氷)だるまを作って置いていくとは……。

 

少しでも近づいていると、自信を持ってもいいのだろうか。

 

帝の鬼の者を呼んで雪を片付けさせる。

 

「それは保存しておけ。」

「この雪だるまを、ですか?」

「ああ、呪術による生成物だ。一応大事なデータだからな」

「かしこまりました。」

 

そいつにここを任せて屋敷の自室に向かう。

 

自分はいつまでこの距離を保とうとする気なのか。

何故こんなに弱腰になっている。

 

手に入れたいなら自ら行動しなければ。

 

離れて、いなくなるかもしれない、なんて恐れるとは。

はは、調子が狂うとはこういうことだな。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

心を閉ざした過去知れぬ少女に、与えられた役割をこなすだけの少年に、変化が訪れる。

 

終わりの年まであと一年……………………

 

 

 

 




本編も進めておりますので暫しお待ちを!
2話には挿絵を添付致しましたのでよろしければ是非!
今後ともよろしくお願いいたします!


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第3話 夢の始まり


クレハの誕生日の翌日、彼女はどのような決断を下したのか。暮人の心情とは。

クレハの過去の一端に触れる第3話、どうぞ!






Side 柊暮人

 

ホームルームが始まって担任の女が入学式についての説明を始める。

 

話の最中にも関わらず生徒の何人かの視線がこちらに向いている。

が、それらを全て無視して横目で左隣を見る。

 

クレハは背筋を伸ばして姿勢良く座って担任を見ている。

けれど退屈そうなのがほとんど動かない表情からも読めた。

 

そこで入学式の説明が終わり、担任が話を変えたので前を向く。

 

「そしてみなさんもうお気づきかと思いますが、あの柊暮人様がこのクラスにいらしています。その身に余る光栄を……」

 

教室中の人間の目がこちらに向く。

皆帝の鬼を盲信し、柊家を狂信する者達。

将来、帝ノ鬼の忠実な兵になる、なるように教育されている。

もっとも使えるかどうかは別だが。

 

クレハは...どうだろうか。

彼女について柊家が持っている情報はヴォルガス一家に連なる者、という事だけだ。

そんな彼女の入学は幹部会で決定されたらしい。

彼女の動向の監視の為か、それとも呪術とは似て非なる西洋の魔術を使えるかもしれない人間の調査の為か。

 

入学試験の成績は俺に次ぐ2位だったらしいが、実際に戦えるのだろうか。

 

彼女は...帝ノ鬼の、いや、俺の味方になり得るのか。

 

彼女はさっき生徒がざわめいてこちらを見た時も横目でちらっと俺を見ただけで直ぐに視線を前に戻した。

権力、家の格には興味が無いと言ったふうに。

 

俺はそれを新鮮に感じたのかも知れない。

権力争いに塗れたこの世界で、彼女の目だけが生きているように感じた。

鋭く、堅硬な意識を宿した目。

 

さて、どう話しかけようか。

 

こんな事を考えたことは無い。話しかける必要がある時に無駄なく会話を進める、それだけだった。

 

なのに、今はただ、

どうすれば自然に彼女の声を聴けるか、

どうすれば自然に彼女が俺を見てくれるか、

柄にもなく考える。

いや、今の俺を作っているのは柊に刷り込まれた、与えられた役割をこなしてできた人格だ。

 

だから、

だからそれは初めての、自分だけの、

欲望だった。

 

そして全ての原点だった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

12月28日

 

いつも通り真面目に授業を受けて……、

いや、それは嘘だ。正直に言うと、授業の内容なんて全く入ってこなかった。

 

放課後、先生に提出物を出して席に戻ろうとして、暮人様が既にいないことに気付く。

今日は一度も話していなかった。

 

今日は……か。

はは、何でこんな、まるで、当たり前みたいに考えているんだろう。

 

今年は、いや去年から、私はおかしくなってしまった。

 

浮かれていた、とも言うかもしれない。

ただ、生まれて初めて、親しくされただけで、誕生日プレゼントを貰っただけで、気持ちが揺らぐ、顔が、胸の奥が熱くなる。

 

挙句、ヴォルガスの人間だと知られていると確定したにも関わらず迷う、とは。

しかも雪の日には、他組織のど真ん中で柊のものではない呪術を使うなど。

 

だがそれもここまでだ。

もう限界だったんだ。

今までの日々が、会話が、思いが、

私には温かすぎた。

熱くて、火傷をしてしまったかのようで。

痛いんだ。それに、

 

溶けた氷の刃では命に届かない。

 

それじゃ、

それじゃ駄目なんだ……。

 

昨日貰ったピンを手に握りしめる。

 

暮人様が昨日の今日で何もせずに帰るわけがない。

そして、不思議と足は屋上に進んでいく。

 

誰もいない階段を一歩一歩踏みしめて、それは無意識に。

 

気が付けば目の前には屋上に出る扉があった。

扉の曇りガラスからはオレンジ色の陽光がこの薄暗い階段に差し込んでいて。でも綺麗だと思えない。

 

そこでさらにぎゅっとピンを握りしめ、その手を振り上げて……

 

床に向かって振り下ろす………………ことが出来なかった。

 

ピンを持つ手がガタガタ震えて振り下ろせない。

 

どう…して……、ここまで来たのに……覚悟を決めたのに……。

 

鼓動の速さが息苦しくて、一度深呼吸をする。

 

二度、三度。

 

落ち着いてきた。心はもうすっかり冷めている。

全く、ピン1つで随分揺らいだものだ。

 

ピンをスカートのポケットに入れてドアノブに手をかける。

 

扉を開くと、夕暮れの屋上で、柊暮人はこちらに背を向けて静かに柵にもたれ掛かって立っていた。

街の景色でも見ているのだろうか。

 

「…………。」

 

私が入ってきても振り向かない、どころか微動だにしない。

 

ガチャン、と扉を閉めてゆっくりと暮人様に近づく。

 

音もなく、ただ一歩一歩、歩み寄る。

 

私があと数歩の所まで来ても動かない。

 

私が真後ろに来ても動かない。

 

私は少し背伸びして、彼の首に手を伸ばす。

 

そこから手を回して、抱き締めるように、交差させた腕に力を入れる。

 

左手は彼の右胸に、右手は、 彼の首に。

 

(背中……大きい……。)

 

右掌に冷気を渦巻かせ、彼の首をなぞる様に

氷の刃をたてる。

 

それでも彼は動かない。

 

(どうして……。)

 

動かないのなら好都合だ。

 

(どうして抵抗しないの……拒絶しないの……?)

 

けれど油断は出来ない。動かないのは、何か考えてのことかもしれない。

 

もう隠す必要もない、増幅した圧倒的な殺意を手から、視線から、声から発する。

抵抗する意思すら牽制するように、削ぎ落とすように。

 

彼の耳元に口を寄せて言う。

 

「今から私の質問に答えろ。こちらが反抗の意思ありと見なせば……分かるな?」

 

動けば、ではない。相手も周囲の人間とは一線を画する実力者だ、本人はうまく実力を隠していたものの、それは今までの動きを見て分かっている。

そういう相手が、動いてから、では遅いのだ。

 

「……ああ。」

 

落ち着き払った素直な返事が返ってきたので続ける。

 

「私がヴォルガスの人間だということは何処から調べた?」

「ヴォルガスの名に心当たりがあったから、部下をイタリアに派遣して調べさせた。」

「その事はヴォルガスに知られているか?」

「いや、あいつは隠密行動に長けていたからな、全て秘密裏にこなしたはずだ。」

 

本当にそうならいいが。

 

「それで……どんな情報を手に入れた?」

「……お前がヴォルガス一家に連なる者である事だけだ。」

 

……調べに行ってそれだけ?

それも半分正解だが、半分間違っている。

暮人が嘘をついているのか、それとも……。

 

確かにあそこの機密性は日本より遥かに高い。

ヴォルガスの特殊な、且つ基本的な幹部制度について知っている者でさえほとんどいない。

その中で私とヴォルガスの関係を少しでも探れただけでも優秀だと言える、のかもしれない。

 

だけど……やはり信用出来ない。してはいけない。

 

「ヴォルガスそのものについては?」

「分かっていることはヨーロッパを牛耳る呪術組織、ということだけだ。それだけ大規模なのに全容が全く見えない。調べようがないし、そもそもその必要が無いからな。これで全部だよ。」

 

……嘘ついているようには見えない。

もし話したことが本当ならひとまず1個問題が片付いた。

帝ノ鬼は、柊暮人はヴォルガスのことも、私のことも何も知らないらしい。

 

ヴォルガスのことはともかく、私のことは知られたくない。

知られたら……最悪、知った者を皆殺しにしなければ。

私は別に快楽殺人者ではない。

出来ればそういう事態は避けたいものだ。

 

それにしても……

 

「随分素直に話したのね。」

「意味も無く自ら死ぬような真似はしないよ。」

「そう、で、貴方に約束して欲しいことがあるんだけど。」

「何だ?」

 

彼の首に当てていた氷の刃をさらに押し付ける。

 

「私がここに居ることをヴォルガスに知られないようにして。漏らそうとすれば柊家の人間を端から殺していく。」

「いくらお前でもそれは…」

「出来る。」

 

(ああ、言いたくない)

 

「1つ教えてあげる。そして忘れないで。」

 

(彼に知られたくない)

 

「今貴方の後ろにいるのは、血に汚れたマフィアの暗殺者だということを。」

「…………。」

 

察したようだ、私の言うことが真実だと。

もう、同じところに戻れない。

 

「今の話を他言すれば……まずはお前だ、柊暮人。」

「…………。」

 

暮人は黙っている。

だがようやく口を開いた。

 

「元から他言するつもりはない。お前に事情があるなら詮索もしない。」

「ただ……。」

「ただ……?」

 

暮人は私の右手をうえから握った。

冷たいように見えたそれは温かくて。

何故か手が震えて、暮人の首に血がにじむ。

 

「お前の正体が何であろうと昨日言った通りだ。いや、そういえばまだはっきりと言っていなかったな。」

 

……やめて

 

「お前が何かを抱えているなら助けたい、お前が寂しいなら側に居たい。」

 

…やめて

 

「クレハ、俺はお前が……」

 

「やめて!!!」

 

思わず両手を離して突き飛ばし、冷気を発したままの右手を向ける。

 

 

「私は……邪魔になったら貴方を殺すと言ったのに……」

「それが嫌いになる理由になるのか?」

 

こんな、訳が分からないのは人生で二度目だ。

こんな、殺人鬼が好きだって?

 

「は、はは……。」

「貴方、狂ってるよ。」

 

「……そうかもな。だがお前を愛せるなら狂うのも悪くない。」

「ああ…………。」

 

ああ、白状すると嬉しい。もし私が普通だったなら、これ以上に嬉しい言葉はない。

 

ああ、きっと、きっと、

 

 

 

 

私は恋をしていました。

 

 

「クレハ…………。」

 

暮人に向けていた手を下ろす。

もう頭は溢れかえっている。

 

もう、十分頑張っ……

 

『痛い、苦しい、なんで、なんで私達を殺したの』

『お前のせいだ。お前が弱いから私達はこんなに苦しいのになんで、なんでお前だけが……!』

 

突然頭に声が響く。

何人もの、何百人もの怨嗟の声が。私を呪う声が。

 

彼等の痛みが伝わって来て、全身が焼けるよう。

許さない。許さない。許さない。

拷問に耐える訓練は受けている。

なのに、なのに

 

「あ……わ……私は……。」

「クレハ……!」

 

痛みに、声に耐えられずに膝を着く。

 

だがクレハが膝を着く前にに暮人が駆け寄って抱き寄せた。

「しっかりしろ!」

強く、強く抱き締める。

 

「ご、ごめんなさい……私もそっちに行くから……。お……願いもう……や…め……。」

 

クレハがうわ言のように言うと手を動かしてもいないのにクレハの細い首の後ろに細長い針が現れ、首に刺さろうと飛ぶのを暮人は見た。

 

「ちっ……。」

 

暮人は咄嗟に腕を動かして彼女の首を庇う。

針は肉を抉って突き刺さり、腕からは血が流れる。

 

しばらくするとその針は溶けて水になり腕の傷から流れ出た。

 

「氷か……。」

 

「あの人達…が……死んで……欲しい…って……。」

 

まだうわ言を繰り返すクレハを更に暮人は強く抱き締める。

 

「だ……だから……死な……せ……」

 

「俺はお前に生きて欲しい!!だから生きろ!!」

 

「あ…………。」

 

叫ぶ声にクレハは意識を戻す。

怨嗟の声はいつの間にか止んでいた。

 

「く……れと……。」

 

暖かくて

目が熱い。頬を熱が伝い落ちる。

 

何百もの呪いに対するは、ただ1人の赦しなのに

こんなにも温かい。

 

感情は人を弱くすると、自分も、愛する者も守れなくなると思っていた。

 

なのにこんなにも近くに鼓動を感じる。命を感じる。

 

それは私には夢のようで。

 

夢が覚めないように、逃げてしまわないように、彼の背中に手を回して強く抱き締め返した。

 

もしかしたら、もう前だけを見ていられると、独りにならなくて良いと希望を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

それはやがて来る世界の終末、そして真の呪いをまだ知らないが故に見た夢だった。

 

 

 

 

 

 




感情的になる暮人、というのは新鮮だったと思います。

話に関係ありませんが、最近少し遅れて貰った誕プレが終わセラグッズだったので喜び踊り発狂しておりました。
眼福眼福……。


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第4話 赤いナイフ


今回は原作キャラが1人、初登場します!
では、クレハの慌しい日常と苦悩入り交じる第4話、どうぞ!


家まで暮人に送ってもらってベッドに倒れ込んだ時には、陽はとっくに落ちていた。

今日は特に疲れてしまった。

こんなに疲労を感じたのは久々な気がする。

今も毎日修練を重ねているとはいえイタリアでの生活に比べれば遠く及ばない。あの頃の私はまだ未熟で、それを苦と思うことすら出来なかった。いや、苦しみ以外の感情も欠落していたかもしれない。

 

そう、人を殺すことも、なんとも思わなかった。

 

ベッドのスプリングの反動を使って立ち上がり、机の一番上の引き出しを開ける。

 

束ねられた書類の上に乗った艶消し加工を施された高価そうなナイフポーチを手に取り、中身を抜き出す。

 

『Kureha Vorgas』

 

ポーチ同様艶消し加工済みの黒いグリップに刃渡り18.1227cmの黒塗りの両刃を持つナイフ。

ヴォルガス一家お抱えの職人が手がけた殺傷力の高い代物だ。

その(ブレード)には私の名前が刻まれている。

刃になんて刻んでもどうせ汚れて見えなくなるのに……。

 

「殺した人間達の血で、か。」

「え……。」

 

後ろからした声に咄嗟に振り向く。

けれどそこには誰もいなかった。

 

今の声は……

 

まるで見透かされているような幻聴を気味悪く思いながらも机に向き直る。

 

「まだ汚し足りないのか。」

 

そこには暮人が立っていた。顔は何故かよく見えないけど確かにそこにいるのは彼だ。

何故、何故ここにいる?いつの間に?

自問の最中に手に温もりを感じる。

そこに視線を落とす。そこには。

 

赤。

 

赤く生暖かい液体がナイフを持つ右手を伝い落ちていた。

白い肌に映える赤が鮮明に目に焼き付く。

鉄の匂いが鼻をつく。

 

そして、そのナイフは……彼の脇腹に深々と突き刺さっていた。

 

「…………!!」

 

もう既に速くなっていた鼓動が爆発しそうな気に飲まれる。

肉を刺す、懐かしみたくもない感覚。

反射的にグリップから手を離した。

 

ゴトッ

 

ナイフが床に落ちる音。そこでクレハは今見えていた異物達が消えたことに気付く。

手は赤く汚れてはおらず、無論この部屋にはクレハ1人しかいない。

息が荒い。けれどそれも直ぐに収まった。

 

「……私には綺麗な夢を見る事すら出来ないって?」

 

クレハは自分の心臓のあるあたりを、爪が服越しに肌を傷つけるのも構わず掴んで呟いた。

 

それが自分の中の激情の一端であるとも知らずに。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

昨日は嫌な夢を見た。

どんな、とは言わないがとにかく悪い夢だった。

そのせいでちょっと寝不足で頭がぼーっとする。授業中も窓の外を眺めて、寒そうだなぁ、なんて考えていたぐらいだ。

今は昼休みだが暮人は生徒会の仕事で教室にはいない。

暇なうえ気分も良くないので机にうつ伏せになって寝よう、と思っている時だった。

 

『二年一組クレハ=ヴォルガスは至急生徒会室に来るように』

 

校内放送が流れる。

正直生徒会と自分との関係が無さ過ぎて何故呼び出されたのか検討もつかない。

私が帝ノ鬼所属ではないことから生じる問題なら今更だし。

とりあえず生徒会室に向かう。

 

「クレハ=ヴォルガスです。入ってもよろしいでしょうか。」

 

コンコンと重厚な扉をノックする。

しばらくして向こう側から扉があけられた。

 

「どうぞ、クレハさん。」

 

そう言って入室を促すのは見知らぬ顔だ。ここにいるということはおそらく先輩なのだろう。

そして校長室か、と思うようなまあまあ豪華な部屋に入ると生徒の男女4人と、暮人が居た。

 

「やっと来たか。」

 

目が合って昨日の事を思い出す。

顔には絶対に出さないが気恥しさというか動揺しているというか……とにかくもやもやしてしまう。

とはいえここは敵地のど真ん中。

敵、と言うのは大袈裟かも知れないが味方でも無い以上はそのぐらいに見積もっておいて損は無い。

 

扉を締めてくれた先輩を含めた5人に冷たい視線を送る。

敵対するつもりは今の所無いけれど舐められるつもりもない。

けれど一般生徒はだいたいそれで目を逸らすのに、目の前の5人は真っ向から見据え返してきた。

ここの生徒はみんなただのお坊ちゃんお嬢ちゃんばかりだと思っていたけれどそうでもないらしい。

一番近くに立っていた先輩に話しかける。

 

「それで、生徒会の方が私に何の用でしょう?」

「当然だけれど暮人様が次の生徒会長になられることになってね。」

「はい。」

「同時に次の副生徒会長も選ぶことになってね。」

「はい。」

「暮人様の意見を頂きながら生徒会は能力の高い生徒を選出したんだよ。」

「…はい。」

「先生方の同意も得られた。」

「……はい。」

「君が次の副生徒会長だ。クレハ=ヴォルガス。」

「…………はい?」

「何か不満か?」

 

いや、あの…………………は?

暮人、これは一体……ちょっと、今なんで私を見て笑った。

 

「…いえ、ただ私は名家の出でもありませんし…。人望もありません。第一私は生徒会役員ではありません。」

「確かに、君の身分では本来このような決定にはならないだろうな。」

「では……」

「だが君の成績は暮人様に次ぐ2位、それにずば抜けた実力を持っているという噂も良く耳にする。人望という点ではそれで充分だろう。何より暮人様が認められているしな。」

 

結局それだ。柊家様の意見はそりゃ決定打になるだろうよ。

学校や生徒のこと、帝ノ鬼の事を警戒はすれど欠片も大切に思っていない奴にそんな役をつけるなんて生徒会は、いや、暮人は実は馬鹿なのか?けれど

 

「馬鹿じゃないの?面倒臭いし嫌だよ。」

 

と言うのは流石にアレだと思うし……。

下手に反抗分子と捉えられても困るのでここは

 

「分かりました。身に余る大役、責任を持ってお受け致します。」

 

そう答えるしかなかった。

 

詳しいことはまた後日、と言われ部屋を出ると暮人が並んで歩いてくる。

 

「暮人、これはどういうつもり?」

「なんだ、敬語はやめたのか。」

 

と、何故か少し嬉しそうに言ってくる。

 

昨日のことを考えると随分今更感があるが…。

前までなら曖昧に返すか、適当に皮肉るかしたと思う。

けれど、今はそんな気分ではなかった。

 

「敬語は…………遠いから。」

 

そう、心の内を零すように呟く。

先程の不満の意がこもった刺々しい話し方ではなく、夢見心地のような、ここではないどこかを思いながら発せられたかのような、言葉だった。

 

「そうか。」

 

そこから暫く互いに無言で廊下を歩いていた時だった。

向かい側から私服を着た少女が歩いてきた。そしてこちらを見ている、というよりこちらに近づいている。

そして私達の前で立ち止まると、暮人に一礼してから私にも一礼してきた。

 

金髪を二つ括りにしていて、顔立ちの綺麗な碧眼の子。

彼女は品のある佇まいをしていた。

 

「初めまして、三宮葵と申します。」

 

三宮……。柊家に使える名家の娘か。

ここの生徒でもなさそうだし、何故私にも挨拶をするのだろうか。

あ、もしかしてこの人……

 

「葵さんは暮人の……」

「はい。従者を務めさせて頂いています。私も来年度入学する予定なので御挨拶に参りました。副生徒会長様なら色々とお世話になることもあると思いまして。」

 

ふむ……。

従者が勝手に挨拶に来ることは無いだろうし、暮人の指示、いや、三宮の指示か?

 

「そう。初めまして、クレハ=ヴォルガスです。宜しくお願いします。」

「こちらこそ。では私はこれで失礼します。」

 

そう言うと葵さんはとっとと行ってしまった。

本当に挨拶しに来ただけ……みたい。

 

2つ下の後輩か……。色んな子がいるらしいし、何も騒ぎが起きなければいいのだけれど。

副生徒会長なんて職についていたら揉め事に巻き込まれる可能性が大いにあるかもしれないのだから。

 

そういう点では今の子はきっちりしていそうだし、暮人の従者に抜擢される位の実力はあるらしいし問題なさそうだ。

 

「クレハ。」

「何?」

 

また考え事をして黙って歩いていると暮人が

 

「かなり前から思っていたことだが、クレハ、日本語が随分流暢になったんだな。」

などと言ってくる。

 

随分唐突だな……。

入学した時から、ということだろうか。

学校に入るまでには日本語を完璧にしたつもりだったのだけれど。

初めの方は違和感があったのだろうか。

 

「入学した時、私の日本語は変だった?」

「いや、もっと前の話だよ。」

「もっと……前?」

 

暮人と初めて会ったのはこの第一渋谷高校に入学した時だ。

なのにもっと前?

この話し方はまるで、それ以前の私を、しかもまだ日本語を独学で勉強していた時期の私を知っているみたいな……。

だけど

 

「私に入学前に暮人に会った記憶はない。」

「そんなはずはない。俺が話したのは確かにお前だった。」

「それは……いつの話?」

「確か……俺達が9、10歳の時だな。お前は川で釣りをしていた。」

 

その頃は……私が日本に来て間もない時だったか。

食べるものが無くて魚を釣ろうとしていた様な気がする。

他人と話すこと自体稀だったから、話しているなら覚えているはずだ。

 

なのにどうしてだろう。本人を目の前にしても全くそう言った記憶が思い起こせない。

暮人が嘘をついている?

いや、こんな嘘をつくメリットが1ミリもない。

ならば、私が忘れているだけ?

いや、本当に記憶の端すら掠めない。

もしや、外的要因があるのでは?

 

思い当たる節がある。

けれど……

 

ポン

 

「まあいい、思い出したら報告してくれ。」

 

頭に重みを感じる。温かみを感じる。

手を頭の上に置かれた。それだけなのに顔が熱くなって、むずがゆくなってしまう。

恋する者はみんなこうなるのだろうか。

だが、私はそうでない期間があまりに長すぎた。

 

パシッ

 

嬉しい筈なのに反射的に手を払い除けてしまう。

 

ああ、でも少しは本当に触られるのが嫌かもしれない。

昨日、また、自分に染み付いた呪いを思い知ったから。これがある限り、私は永遠に穢れたままだから。

だから、温もりを知ってしまった事が余計に辛い。

 

ただ、言われるままに命を奪う機械であることに比べてなんて苦しいんだろう。

けれど、生きることを誰かに許される事は……

なんて……。

 

「う……」

 

あ、れ…胸が急に……。

 

「どうした?」

「体調不良で早退する。学校には自分で電話いれるから。」

「なら、送って……」

「いい、本当はサボりだから。」

「……分かった。俺は生徒会室に戻る。気を付けろ。」

「分かってる。さようなら。」

 

本当はサボりじゃない。

鼓動が速くなるのとは違う、何か自分以外の生き物が脈打つ気色悪い感覚。

ただの動悸ならどうってことないが、明らかに"ただの"ではなさそうだ。学校で弱みを晒すかもしれない。それは防がなければ。

 

教室に戻って生徒達がまだ騒いでいる中、身支度を整えて早々に学校を出る。

 

周りの一般人に不審に思われないように、苦しいが表情に出さないよう気を付けて家への帰路を急ぐ。

 

だが学校からそう遠くないところで後ろから誰かに声をかけられた。

 

「クレハ先輩」

 

振り向いて見てみると、その声の主は三宮葵だった。

立ち止まった私にすたすたと近づいてくる。

 

「そういえば今気づいたけど入学試験はまだでしょう。先輩と呼ぶのも、挨拶に来るのも早計では?」

「いえ、もう推薦で入学は決まっているので問題ありません。先輩はこんな時間にここで何をしてるのですか。」

 

私は高校が初めての学校だから知らなかったが、推薦なんてあるのか。

 

「体調不良で早退しているだけですよ。そう言う葵さんも帰るところですか。」

「はい。」

「そっか。」

「…………。」

「…………。」

 

さて……。

 

「葵さん、今、武器は持ってる?」

「はい、一応……くっ!!!!!」

 

キイイィィィン

 

刃と刃がぶつかる音が響く。

 

「……っ、何のつもりですか!?」

 

ふむ。手加減したとはいえ反応は悪くない。

 

「あなたの暮人への忠誠心は本物?」

 

競り合った刃をそのまま彼女の首元に押し込みながら問う。

 

「当たり前です……っ、この命を捧げる覚悟で仕えています!」

「そう。なら暮人があなたに、クレハの為に死ねと言ったら死ねる?」

「暮人様がそんな馬鹿らしい命令を出す訳……」

「じゃあ命令に逆らうの?」

「……っ、もし、本当にそう言われたならそうする必要があるはずです……なら喜んで死にます……っ」

 

なるほど。その言葉にも、目にも偽っているようには見えない。

この子の忠誠心は恐ろしいほど、いや、こうなるよう教育する家が恐ろしいのか。

もっとも、ヴォルガスも人の事は言えないが。

とにかく、暮人に忠実なら少なくとも私の敵ではないはずだ。

これから関わりが増えるであろう人物が信用に足るかどうかを判断出来たからこの切り合いももう意味は無い。

 

葵さんの刀を切り伏せて手から叩き落とした後、自分も小刀を納刀する。

 

「この腕……噂は……本当みたいですね……。」

 

自分の刀を拾い上げて彼女は言う。

 

私の力がどうたらこうたらという噂だろうか。

自分が殺されかけた場面には似合わない台詞だ。

 

「私が反逆者だと通報しないの?」

「いえ、あなたの問からは暮人様への反抗心が感じられなかったので。」

 

呆れるほどの、固い、本物の忠誠。

 

ふと、昔の自分の姿が脳裏をよぎる。

 

確かに忠臣であることは素晴らしいかもしれない。

けれど、それが自分の身を滅ぼすとも限らない。

それが主の為ならばいい。

だが…………。

 

はあ…………。

 

「急に悪かった。あなたの覚悟は良く分かったけど、ほどほどにね。」

「いえ、気にしていません。ですが、身を捧げて仕えるのが私の使命ですから。」

「…………。」

「何ですか?」

 

ムニィィー

 

「や、やめてふふぁさい!何故頬を引張ふのれふか!?」

「いや、表情が固いから。」

 

少しむにむにしてから放してあげる。

柔らかかった。

 

「はぁ……。先輩だってほぼ無表情じゃないですか。」

「私はいいの。」

「でも……っ……、いえ、分かりました。これで失礼します。さようなら。」

「ええ、さようなら。」

 

そう言うと足早に去ってしまった。

 

最後には今まで通りの真面目で静かな彼女に戻ってしまったが、意外と人間味があって良かった……

 

って、私は……。昔の自分と少しかぶって見えただけで一体何をしているんだ。

 

(この子には自分と同じ目に遭って欲しくない、なんて)

 

お人好しになった覚えはないが……

 

(いざとなったら殺さなくちゃいけないのに)

 

私は今でも平気で人を殺せるのだろうか。

 

 

……いや、一時の夢は見ても、そこまで堕ちる気はない。

私にまだ力が必要なことに変わりはない。

 

不思議と胸の痛みは消えている。

さあ、早く帰って研究を続けなければ。

 

誰にも秘密の研究を。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

本当に強くなりたいなら、人と少しでも関わること自体が間違っていると、この時本当は気付いていたのに。

 

 

 

 

 




まだ中3生の三宮葵さんが登場しました!三葉のお姉さんですね。これからも出てくる予定です。
時間が経つごとにお馴染みのキャラも増えていくのでどうぞご期待下さい!




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第5話 死との邂逅

グレン達の入学直前の話です! 出かけるクレハが街で出会ったのは?
あとまた少しイタリア語が出てくるので間違ってたら教えて下さい
柊家の闇の一端、そして今のクレハの人格の根幹が垣間見る 第5話 、どうぞ!


3月27日

 

「明日、釣りに行かないか。」

「釣り?」

 

普通の学生が間もなくやって来る進級に向けて慌ただしく過ごしているであろう今日この頃。

夏休み、春休みなどの概念が存在しない第一渋谷高校では、既に引き継ぎを終えた生徒会役員として、暮人とクレハは生徒会長室にいた。

もしや、校長室より立派なのでは、と思わせるような部屋だ。

まあ、実際、柊暮人はここの校長より遥かに強大な権力を持っているのだが。

 

「何故、釣りに?」

「俺の趣味が釣りだからだ。」

 

新学年に向けた話し合いが終わったところで暮人がいきなり新たな話を切り出してくる。

それと趣味が釣りだから、というのは私を誘って行く理由になっていない気がするが気にしても仕方が無い。

 

「良いけど……。私、釣り道具は何も持ってないよ。」

「それは全部こちらが用意させる。明日は手ぶらで来ればいい。」

「分かった。明日は教師会議の都合で午前授業だから1度家に帰って着替えてくるよ。」

「なるべく急いでな。」

「分かってる。」

 

その話は手短に終え、また学校についての話に戻った。

 

午後の授業を終え、家に帰って明日の用意をする。

 

そういえば……2人で外に出掛けるのは初めてだったな。

また少し鼓動が速くなるが……気にしない。

私が今見ているのは、ただの夢だから、と自分に言い聞かせて。

 

さて。

 

狭いクローゼットを開けて中を睨む。

中には、学校の制服(夏・冬)、学校専用コート、白いYシャツ、白いワンピース……。

 

はぁ。

なんということでしょう。冬用の私服が無いではありませんか。

 

Yシャツは、下に履くものがないし、今からはどうしようもないから明日はワンピースの上にコートを着るしかない。元々人より寒さに耐性があるし、うん、大丈夫大丈夫。

今まで私服で出掛けること自体が稀だったからこれは仕方が無い。

 

「そんなことより。」

 

机の上にちょこんと乗ったものを見る。

ここ数日、鍛錬の合間をぬって試行錯誤を繰り返して作った特製品だ。

 

「喜んで、くれるかなぁ……。」

 

なんて、不思議と遠い記憶の中の感情が蘇る。

私のことを話せる日は、いつか来るだろうか。

そんな思いと共にこれもポケットに入れる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

3月28日

 

学校が終わった後直ぐに家に帰ってワンピースに着替える。

 

Che freddo(なんて寒いの)……」

 

もう春になる頃とはいえ、こんな格好では流石に肌寒い。身震いして慌ててコートを羽織った。

そして先程脱いでハンガーにかけた制服のスカートのポケットに手を入れてまさぐり、手に当たった硬いものをとりだす。

窓から差し込む僅かばかりの光を受けて輝く、三日月を象った髪留めのピン。

未だ一度も付けていなかったもの。

付けていこうか否か……。

けれどそこで時計を見てもう悩んでいる時間が無いことに気づく。

私は仕方なしにピンをコートのポケットに入れて慌ただしく家を出た。

 

小走りに街中の人混みを駆け抜ける。

そんな中、違和感を覚えたのはたんったんっ、と軽く地面を蹴って、また蹴り出したある時だった。

違和感、というのは体がなんとなしに少し、ほんの少しだけ軽くなった気がするのだ。

貴重品などを全部突っ込んでいるコートのポケットにすかさず手を入れて、気づく。

 

ピンが無い。

 

そのことに気付き、理解した途端に背筋が冷えていく。

走って落ちるような入れ方も、落とすような走り方もしなかったのに……。

 

回れ右して来た道を入念に見渡しながら戻る。

今まで何度も経験した命の危機でさえ涼しく乗り越えきた筈なのにこんなときに冷や汗が止まらない。どうして、よりによってあれを落としてしまったんだろう。このまま見つからなかったら、誰かに踏まれて砕けてしまったらどうしよう。

 

あれは、あのピンは、生まれて初めての、大切な人からの贈り物なのに!!

 

焦らないように気を落ち着かせて舗装された道の上に目を凝らす……そこで

 

「貴女、これを落としませんでしたか?」

 

後ろから肩を叩かれて振り向く。と、同時に妙な既視感を覚えた。

そこに立っていたのは私より背が高く、修道女のような格好をした若い女性だった。

異常に白い肌をしていて、人間を逸脱した美しい顔は、まるで聖母の様に慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。私には経験がないが、これが母の愛なのだろうと本能で感じさせられるものだ。

アメジスト色の瞳は、クリーム色の緩くウェーブした長髪をよく引き立てていた。そのうえ、目を合わせると吸い込まれそうな感覚に陥いる。

 

だがそんな一瞬で脳裏に焼き付くような姿に私は覚えがあった。

それは、私が日本に来ることになった全ての事の始まりが起きた時のこと。忘れようとは思わないし、例え忘れようとしても忘れられない顔。今目の前にいる女性はそいつと同じ雰囲気を纏っているうえに姿形もよく似ていた。もしかしたら……。

だが、あまりに姿が重なりすぎている。というのは、もうその時から何年も経っているのだからもし同一人物なら少しは老けているはずだ。なのにこの人は以前に見た姿と変わらない若さだ。やはり他人の空似だろうか。

 

しかし妙だ。彼女はこんなに目立つ格好をしているのに周りの人達は目もくれず通り過ぎてゆく。

 

「どうしたのですか?これは貴女の物ではありませんでしたか?」

 

女性は微笑みながら少し眉を下げて心配そうに尋ねる。

クレハが思考を重ねているうちに動きが固まってしまっていたらしい。言われて直ぐに女性の手に持っているピンに手を伸ばす。

 

「私の物です。ありがとうございま……」

 

しかしクレハの手は空を掴んだ。

 

「……何をしてる。」

 

女性は変わらず微笑んだままピンを持った手をクレハが届かないように後ろ上に掲げている。

試しにそこに手を伸ばすとまたひょいと躱される。こいつ……一体何のつもりなんだ。

 

「返せ。」

「あら、拾って差し上げたのにその口の聞き方はないんでなくて?」

「返せ。」

「そう焦っちゃ駄目よ。もう、あれからなーんにも成長していないのね、"クレハちゃん"。」

「…………!?」

 

その時、ピンをひらひら翳して見下ろしてくる目が微笑みの中で赤く煌めいたように見えた。

これも昔、あの時に見たものと同じだ。

やはりこいつは……。

 

Mamma(お母さん)……?」

 

私があの時殺せなくて、私を殺そうとした人。

幼少の時に写真だけで知っていた母。

それが今……

 

「は、はは、あはははははっ!!」

 

そいつが突然高笑いし始める。心底楽しそうに。

そしてひとしきり笑い終わるとこちらを見て口を開いた。

 

「お母さん、ですって?私が?ああ、確かに前に貴女に会いに行った時には貴女の母親に変装していたかもしれないわね。」

 

変装……していた……?

 

「思った通り、貴女の反応はなかなか面白かったわ。」

 

じゃああの時騙されて……。

 

「まあ、少しは長い人生の暇潰しに……おっと。」

 

駄目だ駄目だ駄目だ。

相手より上手に出るには自分の感情をコントロールする必要があると知っているし、出来るはずなのに。

いや、今までの私はただ……感情を持たないようにして来ただけで、本当は直情型なのかも知れない。

 

激昴を通り越して真っ白になった脳内に従い、小刀を鞘を滑らせて抜く。

自分が今どこにいるかなど思考の外だ。

自分が知らない情報をこの女から引き出そうという発想すら起こらない。

 

(初撃で首を落としてやる)

 

走らせるそれはまさに神速。まともな人間には避けられることはおろか、視認することさえ出来るはずもない。

聖母の様な彼女の頭が地に落ちる。

 

(貰った)

 

トンッ

 

「はい残念、挑戦はまた今度ね。」

「う…………。」

 

刃が素手で止められた所まで見えて急に意識がぐらつく。

必死に意識を保とうと歯を食いしばって耐える中、フェイドアウトしていくように脳に美しい声が反響する。

 

「本当はちょっと驚いたわ。クレハ、貴女が生きて日本に居るなんて。強くなったじゃない。」

「もうすぐ世界が滅亡する。その時には……また……。」

 

普通ならさっき首に入れられた手刀で意識を失っている所だが、訓練のおかげでなんとか持ちこたえて顔をあげる。が、彼女の姿はもうどこにも無かった。

 

『………………が……れば……日本で……』

 

そう、彼女は昔言ったが、本当にまた出くわしてしまった。それに、

____世界の滅亡

 

はるばる移り住み幾数年。この日本で一体何が起ころうとしているというのか。イタリアにだっていつか戻らなければいけないのに。

けれど何が起ころうと私は……。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

川の釣り場に走って行くと、もう既に暮人が色々な準備を終えていた。

 

「遅かったな。」

「ごめんなさい。あ、釣り始めるのちょっと待って!」

 

あれは……良かった、落ちていない。

ピンだって本当に落としたのだろうか。今思えばそうではない気がする。

 

「暮人、誕生日3月31日でしょ?大したものじゃないけど……。」

「これは、ルアーか?」

「そう。あらゆる魔術や呪術を組み合わせて作った、大物が釣れる特製ルアー。」

「知っていたのか。」

 

知っていた、というのは暮人の誕生日と趣味のことだろう。

 

「葵さんに聞いたの。その……私も誕生日にピンを貰ったから……。」

「葵か……。主の個人情報をペラペラ話すとは何を考えているんだ?」

「……駄目……だった?」

「いや、ありがとう。早速使うよ。」

 

良かった。あんまり嬉しそうには見えないけれど、彼が急にニッコニッコしだしても逆に驚かされるだけだ。

暮人は手際良く渡したルアーを付けて私に渡して、自分は普通のものを持った。

 

「私はいいよ。」

 

せっかくプレゼントしたのに。

それに、そのルアー、実際どのくらい効果があるかよく分からないし。

 

「後で俺も使うよ。」

 

というので2人で同時に川に糸を垂らす。

するとそれからたった十秒後、私の方の竿が強く水中に引っ張られた。その力は鍛えている私からしてもかなり強い。

 

「早いな。」

 

いや、早すぎじゃない?

それにこんな引きの強い魚、ここら辺の川にいたっけ?

このルアー?このルアーのせいなの?

 

「大丈夫か。」

「当……然!!」

 

幾ばくかの闘争の後、

掛け声と共に一気に引き上げたその魚は……

 

ビチビチ、ビチビチ

 

「「…………。」」

「マグロか?」

「え、これがマグロ?」

 

今まで一度も食べたことはないが、日本に来て公共の図書館に籠っている時に見たことがある。

小さな子供ほどの丈はある大きくてずんぐりした魚だ。美味しいらしい。

 

 

「なんでマグロが川にいるの?」

「さあな、俺に聞くな。だが普通はいないのは確かだ。」

 

釣りを始める前にも川を見たがこんな大きい魚影は無かった(当然だけれど)。

舗装された川辺でビッチビッチ跳ねているマグロを目の前にいつの間にか大物が釣れた喜びが何処かに吹き飛んでいた。

 

「ルアーのおかげだな。」

「私がルアーに付与した効果にこんなものは無かった筈だけど。」

「はは、これならいずれバケモノが釣れるんじゃないか?」

「……そうかもね。」

 

(そんなことが起きる時にはもう私はいないだろうけど)

 

「捌かせて食べるか。」

「なら」

 

まだ元気なマグロに呪符を貼り付けて氷漬けにする。たまたまマグロの黒目が私を見つめる形で止まってしまってつい目をそらす。

 

「ここに来るまでに何があった。」

 

急に暮人が尋ねてくる。

もし本当のことを少しでも話すならどうしても私の過去の根幹に触れてしまう。

そうしたら、もう、今には戻れないんじゃないか?

かと言って今も言い訳を考えているけれど今までの自分を考察するとどれも有り得ないことばかりだ。まず疑われる。ならどうする?

今の私はヴォルガスの人間であるということが立場を守っている節もある。なのに……もう離反していることが知れたら?

いやいや、でも、何かが起きるならその前に全部話した方が……。

 

今の私にとって何が一番大切なのか。

 

「言いたくないなら……」

「世界の滅亡。」

「……?」

「暮人、日本でこれから世界の滅亡に繋がるようなことに心当たりはない?」

「なぜだ。」

「今日、道ですれ違った人に言われたの。もうすぐ、世界が滅亡する……と。」

「そいつに心当たりは?」

「ない。」

 

特徴も伝える。何故私に言ったのかも分からない、とも。

彼はそれに疑い一つ向けず真剣に考え始める。

 

「それが可能な呪術組織は……日本でなら百夜教が規模が大きい。だが可能性はあるが、内情が不明だな。」

「そっか。」

 

まあ、このことについてはあまりに信憑性がないからあまり気にする必要も無いのかもしれない。

 

それより聞いてみたいことがあった。この合理的で冷徹な判断を下せるこの男に。

 

「暮人。」

「なんだ。」

「両親はいる?」

「父上はお前も知っているとおり柊の現当主だ。母は死んでいる。」

 

自分の母親が死んでいると話す時も全く様子が変わらない。

 

「じゃあ、父親を殺せる?」

「はは、俺を反逆者にするつもりか。」

 

そう笑う。そりゃ変な質問だったかもしれない、けどきちんと答えてくれた。

 

「分かってる、家族の情だとかそういう話だろう。ふむ、そうだな、その必要があれば出来るだろうな。」

「なら、もし母親が生きていたら?もし上から殺せと命じられたら?理由も教えられなかったら?」

「急に具体的になったな。母親か……理由も知らずには殺さないだろうな。」

「それは母親だから?」

「……そうかもな。」

「そっか……良かった。」

「何がだ。」

「それは…………」

「まて、今すぐ帰れ。柊の者が来る。」

「え。」

 

「暮人様!こんなところにいらっしゃったのですか!」

「柊天利様がお呼びです!直ぐに戻られてください!」

 

ぞろぞろと黒いスーツを着た人間が集まってくる。

帰れと言われたが川の近くの木の上で気配を隠しながらその様子を見る。

 

私といた事がバレると不味いのだろうか。

 

『母は死んでいる。』

 

何故かその言葉がふと思い浮かんだ。

 

もしかしたら私も……?

 

今までなら殺されることへの不安は全く無かった、自分が殺されるはずが無いと。それだけの自信を全てを捧げた鍛錬が裏付けてきた。

 

けれど今日、街で会った彼女に私は全くかなわなかった。あの一瞬だけで力の差を思い知らされた。

あんなバケモノがいるなんて……。

 

それに今の私はもしかしたら……以前より弱くなってしまったのかもしれない。

まともな人間の感情を持とうなんてしたから……。

 

「くそっ……。」

 

私は……どうしたら………。

 

また……全て奪われるの……?

 

そんなの

 

 

 

 

 

 

絶対に嫌だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

世界の終わり

 

 

その中で生きあがく少年少女達の物語まであと、少し

 

 

 

 

 

 

 




新キャラ登場!かなりの重要人物になる予定です。

次話、皆様お馴染みのキャラが沢山登場します


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第6話 嫌われ者の入学


今回は、後のグレン隊の年代が第一渋谷高校に入学してきます。
若き日の彼らとクレハはどう関わっていくのでしょうか。
第6話、どうぞ!


Side 一瀬グレン

 

「グレン様、グレン様、今日から高校一年生になるわけですが、心の準備は出来ていますでしょうか?」

「…………。」

「わ、わたくしは正直、緊張しております。いえ、グレン様の護衛役であるわたくしが緊張するのはいったいどうなのよ、という突っ込みが入ることは重々承知しているのですが、しかし!しかしですね!やはりこの第一渋谷高校に入学する、というのは、我ら一瀬家の従者にとっては、非常に緊張するものがあるわけでして。あの、ですので……」

 

と、さらに続いていく女の声を、しかし完全に無視して、一瀬グレンは空を見上げた。

すると空はピンク色に染まっていた。

桜が舞っているのだ。

春。

入学のシーズン。

グレンは詰め襟の制服を着て、両手をポケットに突っ込みながら、桜の下を歩いている。この道が続く先は、第一渋谷高校と呼ばれる学校だ。

ごく緩やかなウェーブがかかっている黒髪に、少しだけ冷たそうな目つき。その瞳で隣で喋り倒している女を見る。

自分と同じ十五歳の、少女。身長は160センチくらいだろうか。セーラー服姿に、茶色がかった髪。騒々しい口調からは想像もできない整った顔立ちの、美人。

花依小百合だ。

小百合は本当に緊張しているようで、胸を手で押さえながら言う。

 

「あの、ですので、いたらぬ点もあるとは思いますが、その頑張りますのでなにとぞよろしくお願い……」

が、それを遮ってグレンは言った。

「あー、小百合」

「おまえ、さっきから、ちょっとうるさい」

「ええええええ!?」

と、両手を上げて、ショックの顔になる小百合。さらに、

「グレン様の言う通りです。……あんまりわーわーうるさいと、我らが主・一瀬家のーーひいては一瀬家次期当主様であるグレン様の品位が落ちるから、やめてくれませんか?」

「あうあう!?雪ちゃんまで!?」

 

雪ちゃんと呼ばれた少女が、小百合を見上げながら言う。

こちらは背が、150センチないくらいの、小柄な少女だった。落ち着いた、冷たすぎる無表情。

雪見時雨。

年はやはり十五歳で、グレンの護衛役として『一瀬家』で長年修練を積んできた少女だった。

 

「はぁ……」

とため息をついてから、グレンは軽く辺りを見る。

「こいつら全員が、俺のライバルか」

と、グレンは新学期の楽しげなムードに浮かれている、生徒達を眺めてつぶやく。と、その時、一人の女子生徒に目がとまった。

背後にいた時雨がグレンに並んできて、言う。やはり他の生徒達を見つめて薄く笑い、

「いえいえ、グレン様ほどの実力者が、『帝の鬼』のガキどもにいるとはとても思えませんが」

続いて小百合が勢い込んで、

「そ、そうですよ!偉そうにばっかりしている柊家の奴らに、われら一瀬家の次期当主、グレン様の力をガツンと見せつけてやりましょう!」

などと言ってくる。

その言葉にグレンは振り返らず二人に言う。

 

「なら『帝の鬼のガキ』じゃない奴はどうする。見せつけるかどうかはともかくだ。入学前の調査でそういう奴が一人いると出ている筈だ。」

「はい。イタリアの呪術組織・ヴォルガス一家の娘、第三学年、クレハ=ヴォルガス。彼女だけは日本の何処の派閥にも属していない人物です。それがどうかしましたか?」

「あれじゃないのか?」

 

グレンは視線で、同じ通学路の端を歩いている女子生徒を見るよう、二人に促す。

 

小百合よりも少し薄いストレートの長髪に、時雨よりも冷たい無表情。前をただ見つめている碧眼。明らかに日本人の容貌では無い。

だが、グレンが気を惹かれたのはそこではない。

へらへらしている他生徒の中でただ一人、一分の隙も感じさせない緊張感を纏っている。

そのうえ耳を澄ましてみても彼女の辺りだけが異常に静かだ。

黙っているから、というだけではない。音が全くしないのだ。地面を踏みしめる音さえも。それもごく自然に。

音を立てずに歩けるというのはそれ相応の訓練を受けた者なら誰でも出来る。が、普段から無意識にそうなるというのはよほど体に染み付いている証拠だろう。

 

「容姿までは把握していませんが……。おそらくそうでしょう。」

「わぁ…綺麗な人……。」

「小百合、ぼけっとするな」

「あ、も、申し訳ありません!」

「あと、時雨。さっき『帝の鬼のガキ』と言ったな。だが見た目はおまえの方がガキだ。」

「あっ」

と声をあげ、いつも無表情な顔を少しだけ赤らめてちょっとだけ唇を噛み、時雨は言う。

「……気にしているのを知っててそれを言いますか?」

「はは、おまえらが柊家をなめてっからだ。だからあえて言う。1秒も油断するな。気を引き締めろ。わかっているだろうが、ここに『帝の月』の人間は、俺と、おまえら二人しかいない。つまり残りの奴らは全員__敵だ。」

と、言った。

「あそこにいるやつは敵じゃない筈だが、味方と決まったわけでもない。それに、恐らく、相当な実力者だ。警戒しろ。」

とも。

そのときはもう、自分たちの周りは柊家の息がかかっている学生たちで、溢れかえっていた。

当然だ。

ここは通学路なのだ。

そしていま、自分たちはその、敵が運営が運営している学校へと入学しようとしているのだ。

時雨と小百合の顔が、緊張する。

おそらく、自分たちへ向けられている、いくつかの視線に気づいたからだろう。

声も聞こえてくる。

「なんだ、あいつら。あの襟の紋章、『帝の鬼』の紋章じゃないぞ……」

「ああ〜そうか。今年はそういう年か。一瀬の奴らだ。実力のないはぐれ者どもが、俺らの学校にまぎれこむぞ。」

そんな声が一斉に生徒たちの間に広がり始める。

それにグレンは、顔をあげる。

その頃には、百を超える目がこちらに向けられているのに、気づく。

冷たい瞳。嘲る瞳。明らかな敵意。嫌悪。蔑み。

グレンはちらりとその向こう側に目をやる。

ヴォルガスの女は、全く興味がないと言ったふうに、前だけを見て歩いている。二年間この学校に居ても帝の鬼の思想に毒されていないのだろう。

 

時雨は視線と嘲笑に、

「あいつら、見下し……」

が、その言葉を遮って、視線を戻したグレンは言う。

「慣れてるよ。だから動くな。」

「しかし。」

「いいから。俺達はここで、力を見せない。敵にわざわざ、俺らはこんなに出来ますと、ガキみたいに張り切って手の内を発表(さら)してやる必要も無いだろう?」

そう言って、グレンは振り返って従者たちにだけ笑ってみせる。

二人は不満そうだが、グレンは初めからそのつもりだった。

ここで自分たちの力は見せない。

中でも、一瀬家の中でだけで開発、発展させてきた呪術体系については、一切見せないとそう、決めていて___

 

「…………」

 

が、そこで突然。

どんっと、頭に何かが当たるのが分かった。

グレンは前を向く。

頭に当たったのは、コーラが入ったペットボトルだった。フタは開いている。当然頭から、コーラをかぶってしまう。

「グレン様っ!」

小百合が叫ぶ。

続いて時雨が前に踏み込もうとする。

「くそっ」

だがグレンはその、時雨の肩をつかんで、

「でしゃばんなよ」

と、後ろに下がらせる。時雨がそのとき、どんな顔をしていたのかは、分からない。

「あ〜、痛いんだけど?」

すると柊家の息がかかった生徒たちが、一斉に笑う。

ーーなんだよあれ。

ーーとんだ腰抜けが来たぞ。

ーーだ〜からしょせん一瀬の奴らなんだよ。

誰がコーラのペットボトルを投げたのかは、分からなかった。だが、誰が投げたかなどというのは、どうでもいいことだ。

なぜならどうせ、ここにいる奴らは全員、敵なのだから。

だから、グレンは、罵声と嘲笑を全身で受けながら、従者に呼びかける。

「小百合、時雨」

「……はい」

「なんでしょうか」

二人の声が悔しそうに震えている。自分の主を馬鹿にされ悲しんでいる。

グレンは振り返って、従者たちに言う。

「嫌な思いをさせる。すまない。だが、三年の辛抱だ。付き合ってくれ……」

その時だった。その場に凛とした声が響く。

 

「新入生。在校生もです。朝礼がもうすぐ始まります。急ぎなさい。」

 

ーーあの人腕章を着けてるぞ。

ーー生徒会役員か?

ーー目をつけられたら……生徒会長は柊家の方らしいぞ。

ーーおい、行くぞ!

 

立ち止まって嗤っていた生徒が慌てて校舎にまた向かい出す。

その場にいた生徒がほとんど居なくなると、腕章を着けた女がグレン達に近寄った。

 

「このタオル使って。廊下に雫が垂れるから」

と、言って白いタオルを差し出してくる。

「私などにいいのですか」

「……はぁ。そう卑下されると気分が悪いからやめて。私は別に柊家の人間じゃないから」

何故かクレハは若干不機嫌そうに見える。

見た所、この腐った学校の中で、こいつは数少ないであろう、まともな人間のようだ。

グレンはタオルを受け取って軽く水分を取る。

「ありがとうございます、クレハさん」

「……いえ。じゃあ私は挨拶があるから、後でね」

そう言うと彼女はすぐに踵を返して校舎に入っていった。

後でね、ということは入学式に出るのだろうか。

 

残ったのは、まだ少し濡れていて、服も汚れてしまったグレンと、従者二人だけ。

 

「じゃ、いくか?」

とグレンが言うと、時雨が言う。

「……グレン様」

「あ?」

「……私どもが主を守る筈なのに、逆に守って頂いてしまうなんて……」

「黙れ馬鹿。部下を守るのは、主の務めだ」

「あ……」

それで時雨が、黙る。

すると背後で小百合が、

「ねねね、雪ちゃん、なんで赤い顔してるの?」

「こ、殺すぞおまえ!」

「えええええ、なんで!?なんで雪ちゃん叩くの!?」

やはり二人はうるさい。

もうここは一般人は入れない、学校の敷地内だ。

長く伸びる、桜並木。

その向こうに校門があり、そしてそこに、一人の男が立っている。

男は明らかにこちらを見て、微笑んでいた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「はぁ……」

 

思わずため息が出る。

揉め事を起こされると生徒会に報告が来る。するとそれを議題に会議が行われる。場合によっては生徒会が直接対処すると、いう流れを引き継ぎの際知った。

どうしてこんな馬鹿馬鹿しいことに時間を割かなければいけないのか、まず何故私が生徒会役員などになったのか(今更言っても仕方の無いことだが)。

まあ、要するに面倒だ、ということだ。

 

本格的に副生徒会長としての仕事が始まる新学期の初日。

いきなり、コーラが一人の男子新入生の頭にぶつけられる所に居合わせてしまった。

 

コーラは蓋を開けてから投げられたのに、よく着弾まで中身があまり出なかったな……という感想を抱いたが、それよりもその光景を見ていると妙にイライラしてしまう。

 

理由の分からないそのイライラは私の体を動かし、今までほぼ着けていなかった生徒会腕章を着けて、生徒達を退散させた。

意外と効果あるんだな……これ。

 

コーラまみれの少年は、事前に目を通していた入学者リストの中でも特に印象に残っていた奴だった。

一瀬グレン

あと、二人は……従者か。

この腐った学校だ。帝の月の彼らはこれからきっと苦労するだろう。ちょうど鞄には常備しているタオルがある。なら貸さないと、流石に本当の人でなし、この学校の奴らと同じになってしまう。

なのでタオルを渡してとっとと去ろうとする。

が、校舎に入ってすぐのことだった。

 

背後で呪術が使用される気配を感じて振り返る。

校門にいつの間にか白い髪の男子生徒が立っていて、その指先で呪符が燃えて消えるのが見えた。

そしてそれを受けるのは……一瀬グレンしかいないな。

白い方も入学者リストで見覚えがある。

柊深夜

柊家に連なる者だ。

そして稲妻がグレンを打ち、弾き飛ばした。

柊の名に恥じない、凄まじい発動スピードだ。相当な遣い手なのだろう。

だが、真に注目すべきは一瀬グレン。

確かに今、攻撃にきちんと反応していながら、わざと食らっていた。

その後の様子も合わせて考えると、彼はこれから、実力を隠し続けるつもりのようだ。

私も力はセーブしているが、あくまで手の内を晒さない程度に、である。

これは、きっと、背負っているものが違うんだろうな……。

 

そうして少し考え事をしていると、柊深夜が校舎に入ってきたので一応話しかける。

 

「柊深夜様、朝からこんな場所で呪術を行使するのはお控え下さい」

「……! おはようございます、クレハ先輩」

この反応、私が見ていたことに気づいていなかったようだな。気配を消してはいたけれど。

「おはようございます。お急ぎになった方が良いのでは?」

「……いや、少し聞きたいことがあるんだけどいいですか?」

「何でしょう」

「何故、ヴォルガスの貴女がここにいるんですか?」

 

唐突だな……。

何故……か。

 

柊家の人間はみんな変なことを言ってくるな。

 

ああ、学校もあと一年なのに、どうしてこんなに面倒ごとが起きるのだろう。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

新たな人物を迎えた彼女の物語。こうして慌ただしく最後の年が始まった。

 

 

 

 

 

 




次回、続きます


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第7話 新入生代表

間が空いてしまい申し訳ありません。話を途中でぶん投げないのでご愛読いただければ幸いです。
新入生を迎え新たな展開を迎える第一渋谷高校。しかし、その裏では……
それでは、第7話 どうぞ!



クレハは柊深夜の青い目を見つめて返答する。

 

「私がここにいてはいけませんか」

「別にそういう意味で聞いたんじゃないよ。ただ情報がなさ過ぎるから……」

「怪しい……と?」

 

深夜の喋りから敬語が無くなる。

スパイか何かだとでも疑われているのだろうか。

確かに私はこの学校への入学を許された。だが、だからと言って信用されているわけではないのは分かっている。

今では2年間大人しくしていたお陰で多少の信頼は得ているかも知れないが、初めはそうではない。

憶測だが、私がヴォルガスの人間だということを知って、直接監視下に置く為に、且つ余計なも揉め事に発展させない為に学校に入れさせたと考えるのが自然だろう。

 

「私に反逆の意思はありませんよ」

少なくとも今……は。

「だからそう意味じゃなくて」

「……?」

「噂は聞いてるよ。天才的な実技の腕だって。君が噂通りの実力者なら、わざわざこんな学校に入って学ぶ必要はないんじゃない?」

 

確かに、わざわざ新しく日本の呪術を学ぶ必要はなかった。技を磨くならこんな建前ばかりの学校に入る必要もない。自分の研究の為、というのもあるが、それにしてもなぜ、この、第一渋谷高校にしたのか。

彼が聞いているのはそこら辺の話だろう。

ていうか噂って……。いつの間に、そんなに有名人になってたんだ? やはり、もう少し控え目にしておいた方が良かったのか?

まあ、とにかく、この学校に入った理由は他にもある。が、それを彼に話す義理はない。

 

「こんな学校、とは。」

「2年も在籍している先輩なら分かっていると思うけど、変でしょ?ここ」

「…………」

「それとも、君もみんなと同じなのかな?」

 

みんな、とはこの学校の頭惚けた教師や生徒達の事だろうか。いや、彼の言葉に含まれているのはこの学校のことだけではないようにも感じる。

しかし……、彼も柊家なのにあまり今の状況が好きでないらしい。

 

「…変だ、おかしい、腐ってる。そう言ったら、反逆者として告発するんですか」

「別に〜?ただ、うん。君が他と違うって、今ので分かって良かった」

「違う?良かった?貴方はこの学校が…いえ、この社会が嫌いなんですか」

「この社会ね〜。まあそれも嫌いだし、柊家も嫌いだよ。だからもし、君が何か目的があって潜入してるんなら内容によっては手伝うよ」

 

なるほど。手伝うよ、とは言っているが要するに、色々やらかしたいから片棒を担げ、ということだろうか。

だが、もちろんこいつと仲良く秘密を共有する気は無い。

これ自体が私の忠誠を試すテストかもしれない。

例え、本当に私を手伝うつもりだとしても。こんなペラペラ公の場で、柊家が嫌いだの何だの喋る奴は信用出来ないからな。

 

と、そこで「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴り渡った。

クレハは深夜に背を向けてまた校舎に入っていく。

 

「……今のは聞かなかったことにしておきます。もうホームルームが始まりました。話はこれで終わりです」

「今のを聞き逃すってことは、やっぱり反抗心があるんじゃない?だったら……」

 

しつこい勧誘に、つい、足を止めて振り返る。

 

「柊深夜。これで終わりだと言ったはずだ。下級生の分際で……身をわきまえろ」

 

あー、やってしまった。つい柊家の人に言ってしまった。

 

「……すいませんでした。ああ、やっぱり先輩とは仲良くしたいなぁ」

ところが私の無礼な発言を意に返さず。というより、かえって気分を良くしたようで、嬉しそうに敬語で返してきた。

彼は……本当に柊家が嫌いなのかもしれない。

本当に……仲間を求めているのかもしれない。

 

「別に…敬語にする必要はない。どうせ年下だし。」

 

視線を前に戻しながら、無意識にそんな言葉が出ていた。

え?と戸惑う深夜を置いてそのまま教室に向かう。

 

私……何……してるんだろうなぁ……。

 

 

 

ホームルーム中の教室に後ろの扉から入ると、沢山の視線が集まってきた。

 

「クレハさん。何を言いたいか分かりますね?」

「はい。遅刻して申し訳ありません。登校中に迷子の子供がいたので。」

「まあ、助けてあげていたのね!流石柊暮人様の右腕ね!いいわ。今回だけは見逃してあげましょう」

「ありがとうございます」

 

一連の会話を終えて席に着く。

全くおめでたい頭の連中だ。

っていうか、誰が暮人の'右腕'だ。暮人も否定し……なんでニヤニヤしてるんだ。他人から見たら感情のない無表情にしか見えないレベルだが私にはわかるぞ。

 

「新入生への挨拶は大丈夫か」

「用意は出来てる。ねえ、暮人」

「何だ」

「私の所も変だったけど、ここも相当ね」

「……一瀬のことか」

「……。きっと、外の世界を知らないのね。みんなも、貴方も。昔の私みたい」

「…………」

 

応えが無いので席を立つ。

 

「先生」

「ああ、生徒会の挨拶ね。こういう場のことは副会長の仕事なんでしょうけど、くれぐれも……」

「分かっています。では先に失礼します」

 

そう言って足早に教室を出て講堂に向かった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

他の生徒とは別に、講堂の舞台袖で、挨拶文に目を通しながら待機する。

今は校長の話が長々と続いている最中だ。挨拶文を確認するのにも飽きてきたので幕の影から講堂の様子をこっそり覗いている。

離れたところには青みがかったグレーの髪をした凛とした少女、柊真昼が待機していた。

そちらにちらりと目をやってからまた講堂に視線を戻す。

その時だった。

 

「だから違うと言ってるでしょう!」

 

という甲高い声が講堂に響き渡り、校長は話を止め、生徒の視線が一斉に一箇所に集まる。

その中心には、燃えるような赤い髪の女生徒と……

彼女の隣に座っているのは一瀬グレン?

 

しかし彼女が「あ、あの、失礼致しました。続けてください」とか細い声で言うと、他の生徒たちは直ぐに顔を背け、校長もまた話を再開した。

 

なるほど……あれが十条家の……。

 

その特徴的な赤髪は、かつて『カエデの司鬼』を封じた者の末裔のものとして、そして古くから柊家を支える名家の1つのものとして高く名を知られている。

だから誰も彼女を笑ったりしないのだ。

 

「何かありました?」

「…柊真昼様」

 

凛とした透明感のある声に振り向く。

私を見つめるのは、凛とした強い瞳。冷たいといってもいいほどに整った顔立ちなのに、彼女は冷たく見えない。

どこか穏やかで、たおやかでいて……

一瞬、以前街中で会った修道服の女を連想したが、目の前の彼女からは子供のような無邪気さも感じられた。

 

そして彼女は入学試験を全科目トップで通過している。

柊家の人間は総じて能力値が高いが、暮人の話によると、その中でも真昼は天才だといわれているという。

なら……と、頭に思い浮かべる。

なら……私は彼女を倒せるか?

万が一のことが起こった時、私は帝ノ鬼を圧倒出来るか?

 

「いえ、真昼様の同級生の方が緊張してしまったみたいで」

「そうですか。あの」

「はい」

「先程、一瀬グレンを助けて頂き、ありがとうございました」

 

見ていたのか。

あれは……助けたのだろうか。

しかし、真昼は、一瀬をクズ呼ばわりしないのか?

 

「何故、貴女が?」

「醜いですから。あまり生徒に、品位を落とすようなことはして欲しくありません」

 

……違う。この目は。こいつの目には生徒達など映っていない。

彼女の目に映っているのは……。

 

「流石、真昼様。気高い御心をお持ちですね」

「そんなんじゃないわ」

「でしょうね。先程の言葉、半分嘘でしょう」

「え…」

「校長先生の話が終わったようです。真昼様、ご挨拶、お願い致します」

「…………ええ」

 

私を警戒した目つきを一瞬見せたものの、真昼は短く返事だけして静かに壇上に上がっていった。

 

あれほど賑わっていた講堂は、千人を超える人間がいるとは思えないほどに、異常なまでに静まり返っている。

全員が真昼に見とれているようだった。

もちろん柊家___という名前にも、それだけの力はある。ここに集まった者達を黙らせるだけの力がある。

だがいま、ここで起きていることは、それだけじゃなかった。

真昼の中にある、何か、強い光のようなものに押し潰されて、生徒達は動けなくなってしまっているように見えた。

 

「柊真昼です。今日は、新入生代表としてご挨拶させていただきます。よろしくお願いします。」

 

真昼が話し始める。澄んだ、よく通る声。

生徒のほとんどがうっとりしたように聞き惚れている。

彼らからしたら彼女はまさに天上人。神のような存在なのだろう。

その中に、その神が、ただの恋する少女だなどと、知る者が居よう筈もないが。

 

しばらくすると、真昼の挨拶が終わったようで、拍手が沸き起こる。

静かになったところで教師の紹介にあずかり、真昼とすれちがいながら壇上に立つ。

 

こちらを静かに見つめる多くの目。だが中には私を見て、隣とひそひそ話し始める者もいた。その殆どが新入生だ。

もっとも、そういう視線に晒されるのにはもう大分慣れたが。

冷たく辺りを見渡してから口を開く。

 

「第一渋谷高校生徒会より、副生徒会長、クレハ=ヴォルガスが新入生にご挨拶申し上げます。この度の、皆様のご入学につきましては…」

 

つらつらと無難な台詞を並べていく。

用意した原稿(といってもかなりアバウトな事しか書いてない)の内容に真昼の挨拶の内容も織り交ぜながら話し、そのままスムーズに挨拶を終わらせた。

 

 

入学式が終わった。

教室へ帰る途中、暮人が並んで歩いてくる。

 

「お疲れ様」

「……ちゃんと聞いてた?」

「ええ、勿論です。とてもご立派でした。」

「…………」

 

私がふと、思い立って尋ねてみると、棒読みでこう返された。若干にやついてるけど。

 

「はぁ。何で、そんなこと覚えてるの?」

「分かりきったことを聞くなよ。それはお前のことが好……」

「わ、分かった!もういい、もういいから!」

 

顔を生徒がいない、壁側に背ける。

あーもう、春になったから熱くなってきたのかな。

頭が春?そんなわけないだろう。

 

「…周りに人がいるのに、柊家の人間がそんなこと言っていいの?」

「は、馬鹿なのか?だったら『お前のことがすき焼き』とか言えばいい話だろう」

「馬鹿はお前だ」

「冗談だ」

「知ってる。あんまり面白くなかったよ」

「ははっ、そうか」

 

一旦話が途切れて沈黙が漂う。

が、また暮人が口を開いた。

 

「相変わらず流暢に敬語を使っていたな。どこで習った」

「私、幼いころから組織の中で日本語を習っていたの。日本に来ることを想定して」

 

つらつらと嘘を吐く。こう言えば、まるで、今でも私がヴォルガス一家と繋がっているかのようにニュアンスで伝えられる。

そこで、そうか、と。話は終わるかと思った。

 

「嘘だな。お前は幼いころ、日本語が殆ど話せなかった」

「また、その話?だから私は暮人のことは知らな……」

「…………」

「本当に私は、貴方に会ってるの?」

 

沈黙が、表情が、自分の勘が、これは冗談ではないと語っている。

でも、本当に、欠片程も覚えていないのだ。

こういう状態に、少し、心当たりがある。

 

「ふむ。ここまで覚えていないとなると、人為的な要因があるかもしれないな。記憶の改竄とかな」

 

記憶の改竄……。

優秀な術者ならそう難しいことではない。

そして、やりかねない人物についてもやはり心当たりがある。更に幼いとはいえ、現役の暗殺者だった私の記憶に干渉出来る奴といえば。

 

まず1つは、ヴォルガスの組員。

 

もっとも、日本へ来たばかりの私をそんなに早く、ヴォルガスが見つけられたとは思えないので、可能性は低い、と思う。

 

そしてもう1人は…………

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side ???

 

「斉藤さん?だったかしら?」

「それでもいいんですけどね。今は木島真、でお願いします」

 

第一渋谷高校の入学式を賑やかに終えたその日の夜。

暗く、他には誰もいない通りに2人の人影があった。

1人は修道服を着た、若い女。

もう1人は黒いスーツに身を包んだ、二十代前半くらいの男。

2人はお互いに笑みを浮かべて、親しい友人の様に話していた。

 

「面倒ね。貴方も本名を使えばいいのに」

「偽名は便利なんですよ?まあ、貴女には必要ないでしょうが」

 

男がそう苦笑して返すが、女はその話にはもう興味がないようだった。

 

「で、真はこれからお出かけ?」

「ええ、まあ。貴女もですか?」

「うーん、じゃあ私も娘に会いに行こうかな?」

「おや、貴女に娘なんていらしたんですか」

「娘みたいな子よ。息子はいたけど」

 

いた、と言いながら女は目を閉じる。

 

「いや、実は、一瀬君に会いに行こうと思ってましてね。お友達になりに」

「もう可愛らしいお友達が1人いるのに?」

「その可愛らしい子の意向でもあるんですよ」

「ふーん、じゃあ私も娘に『貴女の周りの人間を巻き込んで、戦争やらかそうとしてる不審者がいるよ〜』って教えに行こうっと」

「やめてくださいよ。全く、貴女とは全然情報共有してないのに何で、何でも知ってるんですかね。邪魔するつもりなんですか?」

 

男はへらへらしているが、この一瞬だけ、女に若干の敵意を向けた。

 

「ごめんなさいね。生憎私も貴方の邪魔してる暇なんてないのよ」

「嫌味ですか。

………………何をしようとしてるんです、マリア」

 

男の質問に女は背を向ける。

女は振り返らずに答える。

 

「奪われた物を取り返すだけよ、ーーーーーさん?」

 

そして、そのまま暗闇の中に去っていった。

 

 

「本名でなんて呼んで…百夜孤児院の子に聞かれたらどうするんです」

「さて、勧誘しに行きますかね」

 

男も小さく呟くと、一瞬でその場から消えた。

 

 

名残の様に風が音を立てて吹き抜ける。

そしてこの場には誰もいなくなった。

 

 




講堂で叫んじゃった十条の子はあの人です。


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第8話 天使の鎖

第一渋谷高校の選抜術式試験の少し前の話です。
将来について、そしてマリアの誘惑。
それでは、第8話、どうぞ!


学年が上がりはしたが、何事も無く、相変わらずの学校生活を送って幾日か過ぎたある日のこと。

いつも通りの退屈な授業、だがその中で少し"いつもと同じ"

ではない話題が教師の口から出た。

 

「あなたがたももう三年ですから、将来の帝ノ鬼における役割について考える頃だと思います。もうご家族から聞いている人もいるでしょうし、柊暮人様は言うまでもなく存じていらっしゃると思います。が、念の為、今日は、組織の仕組みについて説明しようと思います」

 

私達高校三年生は当たり前だがこの一年が過ぎれば卒業する。大抵の生徒は、帝の鬼の兵や幹部、柊家のお付の者になるのだろう。

私も今後について、本格的に考え始めなければいけない。

本当はもう、道筋は決まっていたのだ。けれど、つい最近、それに少し狂いが生じてしまった。

 

途中まで教師の話を聞いていたが、自主的な調査や、暮人から今までに聞いていた話と、そう大差無かったので、やはり今日も窓から校庭を眺める。

ちょうど、一人の男子生徒が、派手に殴り飛ばされたところだった。

って、あれ、一瀬グレンじゃない……。

ダメージを最小限に、かつ圧倒されているかのようにうまく見せている。ある程度の実力が無ければ、演技していると気付かないレベルだ。

あの一瀬の息子はやはり徹底的に実力を隠すつもりらしい。

反抗でもする気なのだろうか。爪を隠し続けて、機を伺っているのだろうか。

廊下でたまに見かける。学年問わず、彼とすれ違えば、ちょっかいを出し、罵倒し、あざ笑うのを。

それらに耐えて、反乱して、それで一体何が残る?

 

まあ、可能性だけとはいえ、反乱分子の芽を見つけながら、何もしない私が言えたことではないが。

 

そのまましばらく眺める。

赤い髪が特徴的な女と金髪タレ目の男が戦闘を始めたが、少し経つとその二人を含めた校庭の人間が動きを止めた。

見覚えのある白髪の男、柊深夜が一瀬グレンに勝負を仕掛けたのだ。

元から注目されている柊家様が術を披露するのだ。当然、人の目が集まるというもの。

多くの視線が集まる中、深夜の拳に呪詛がうずまく。明らかに、鬼神を呼び出し自分に宿す、神懸り法の何かをかけている。それは夜叉明王呪か。それともまた、別の何かか。

詳しくはここから見ただけではわからないが、相手を本当に殺そうとしていることはわかる。

一瀬グレンは、どう対処するのだろうか。

あれほどの術を避けた途端に、実力が周囲にばれる。かと言って真正面から受ければただでは済まないだろう。

 

「あ……」

 

一瀬グレンはそれをあっさり胸で喰らった。

そして体が宙を舞い、地面に落ちた後、ぴくりとも動かない。

流石にダメージを緩和させる受け方をしていると思うが……あれ大丈夫か?

ここからでも見えるくらい、血がどくどくと流れている。

赤い髪の女がグレンに駆け寄る。だが、周囲の生徒も、教師も動く様子がない。ようやく、金髪の男も駆け寄り、彼は校舎内に運ばれていった。

彼を帝ノ鬼が死なせた所で、帝ノ月にはどうすることも出来ない。

私には関係ない。全くもって関係ない。だが

 

……胸糞の悪いものを見てしまった。

 

 

 

昼休み、これまたいつもと同じように生徒会長室で業務をこなしていた。

私がトントン、と書類をまとめたところで暮人が口を開く。

 

「クレハは卒業後、どうするつもりなんだ。柊家に仕えるか?」

 

今後の話。

私は元々、力をつけたらイタリアに帰るつもりだった。

昔と違って、今なら私以外の(....)幹部と同等かそれ以上に渡り合える自信がある。

この学校や社会は腐っていたが、鍛錬を積む環境としては悪くなかった。利用するだけ利用して去る。卒業までの期間があれば充分、そう思っていた。

 

だが話が変わってしまった。

ヴォルガスに所属しているであろう、修道服の女の存在、その力を知った。

彼女があちら側にいる限り、私では敵わない。そう、確信するに足る絶望的な実力差を体感してしまった。

この状態でヴォルガスの本拠地にノコノコ帰るわけにはいかない。もうあそこは敵地だから。

それに、現在日本にいるその女に、私自身が用がある。

日本に留まるならやはり、大きな組織の中に居た方が良い。

 

「何でもいいのだけど。帝ノ鬼の兵にでもなろっかな」

「帝ノ鬼はお前を悪く扱わない。実力があるし、出来れば味方につけたいと思っているはずだからな」

 

それは変な言い方だ。

 

「今は味方じゃないの?」

「うちもそこまで楽観的ではないよ」

 

あちらには私を手なずけられていない自覚があるらしい。

 

「……ねぇ」

「何だ」

 

(暮人は責務も立場も捨てても私と一緒にいてくれる?)

 

「何でもない」

 

それは言葉にならなかった。

そんなことは有り得ない、幻想だ。望んでも無駄なことを望む程愚かではない。

 

でも、もし。この問に、是、と答えてくれたなら。私の体を蝕む呪いが、私を乗っ取る程に侵食を広げるだろう。

今でもたまに夢に見る。怨嗟の呪いが形になった夢。

呪う彼らは、彼らを意味もなく殺した私が幸せになるのを、やはり許さないらしい。

 

呪いに完全に侵された者の末路は知っている。

発狂し、自我を保てなくなり、やがて復讐心に操られた殺人鬼と成り果てる。

そういう奴を、ヴォルガスに居た頃、何度も粛清してきた。

こいつらもまた、私と同じ、組織の刃だったため、暴走して直ぐか、その前に殺さないと取り返しのつかないことになるからだ。

その度にまた、この呪いに縛られた暗殺者を組織は組み入れる。

そうやって代替わりを繰り返すのを私は見てきた。

けれど、当時の私には理解出来なかった。

 

同じ呪いを背負っているのに、何故、彼らだけがおかしくなるのだろう。

 

殺しへの罪悪感がない。殺される者の心情が分からない。

楽しい、という感情がない。

心が無い。

 

そんな人形に理解できようもなかったのだ。

殺された者の嘆きを理解できようもなかったのだ。

 

「何か悩みでもあるのか。何でも言ってみろ」

 

表情に出てしまっていたのだろうか。暮人が言う。

暮人が私以外にこんなに優しく接している所を見たことがない。

はは、他人がこの会話を聞いたら驚くだろうな。

 

思えば……私は暮人に何も話していない。

こんなに私のことを心配してくれているのに……。

話すべきだろうか。全て。

 

「あ、あの……」

「何だ」

 

言え、言うんだ私。

 

「一年の真昼様って暮人の妹なんでしょう?可愛い妹がいるのね」

 

違うー。悩みを打ち明ける流れだったじゃない!

唐突に妹の話とか、私、どれだけ話題を逸らしたがってる!?

 

「ああ……。腹違いだが」

 

しかも、複雑な家庭環境のようだし。

いや、ここは気にしないべきだ。

 

「確かに似てないよね。深夜様もだけど」

「深夜に柊家の血は流れていない。あいつは養子だからな」

 

…………。

 

「普通の兄弟は居ないの?」

「真昼には正真正銘の妹がいる。柊シノア。一応俺の妹でもある」

「へぇー、じゃあ二人はそっくりなのかな?」

「中身はともかく外見は似てるな」

 

真昼は美人だった。似ているということはきっとシノアも可愛いんだろう。

って、そうじゃなくて

 

「この話は置いといて、暮人」

「お前が話を始め…」

「この街に化け物がいる」

「……どういうことだ?」

 

修道服の女。彼女は間違いなく私の味方ではない。

ならば組織ぐるみで警戒して貰った方が良い牽制になるはずだ。彼女が何をしに日本に来たかは知らないが。

もっとも、帝ノ鬼が彼女をどうこうできるとはあまり期待してない。

 

「先日、街を歩いている時に、修道服を着た女に声を掛けられたの。昔、私を殺した女に」

「クレハを殺した?」

「あいつはある日突然現れた。その時既にヴォルガスの組員を従えていた。そして……私…を…」

 

思い出したくない。

あれほど怖い思いをしたことはない。

あれほど寂しい思いをしたことはない。

 

「もういい。そいつが日本に、近くにいるんだな?」

 

私の様子から察してか暮人が話を進めてくれた。

記憶を振り払うように暮人の目を見据えて語る。

 

「そう。しかもあいつは『もうすぐ世界が滅びる』と言った。それが戯言じゃなければ、もうすぐ、日本で何かが起きる」

「戯言に聞こえるが。世界が滅びる?そいつは予言者かなにかか?」

「分からない。全く分からないの。少なくともあれは……人間の動きじゃなかった」

 

そう。いくら呪詛で加速したとしてもあれはそういうレベルを遥かに超えていた。次元が違う。

昔も今も差があり過ぎる。あれ

 

「じゃあなんであの時私を崖から落としたんだ」

 

殺そうと思えば、確実に私を仕留められたはずなのに、何故そうしなかった?

まさか、あれで生きているとは思わなかっただけかもしれない。

けれど……

 

「……その女に関してはこちらで調べておく」

 

昼休みももうすぐ終わる頃だ。暮人がそう言って立ち上がる。

と、同時に私は学ランの端を掴んでいた。

 

「あいつに近づかないで……」

 

思い返す。

首を叩かれて意識がぐらつく中で一瞬だけ見たあいつの顔。

崖から落ちる私を見下ろしていた顔。

そんな状況下にも関わらずあいつは、あざ笑うでもなく、変わらず慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

そのあまりの異常性。

 

本能が訴える。

あいつは危険だ。

 

「深くは立ち入らないよ」

 

そう言って暮人は部屋を出た。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

学校からの帰り道。

もう陽が傾いている頃だった。

オレンジ色に染まった街はまだまだ活気づいている。不穏な空気など何一つ無い、平和な日常の光景。

こんなにも温かいのに、"何か"なんて起こるはずもない。

そうだ、やっぱりあの女の言うことはただ私が動揺するのを面白がって出たものだ。

帰ったら、呪いの研究を進めて、それから将来について考えよう。

 

人通りが少ない、自分の家の前に来る。

最近、"あちら"から仕掛けてくるかも知れないと思い、警戒しているが、全くそんな様子はなかった。

 

家の扉に手をかける。

やはり、周りには人が見えないし気配もない。

扉を開けて、中に入り、きちんと施錠して荷物を床に置く。

机の前に立って、机を見下ろす。正しくは、その上に乗った、月を象ったピンを見る。

貰ってから随分経つが、未だに、朝、ピンを見ては、付けるかどうか迷い、結局登校時間になって付けずに行く、という日が続いているのだ。

どうしてこんなに迷っているのかというと

 

「ふーん、もう大事な人が出来たのねぇ」

 

瞬時に机の一番上の引き出しからナイフを抜き、背後に現れた声の主に向かって振り払う。それに1秒もかからない。なのに

 

「別に、襲いに来たわけじゃないのに。寧ろ、私はあなたの味方よ?」

「くっ……どの口が言っている……」

 

ナイフの腹を2本の指で挟んで止めた。そいつは、

相変わらず修道服に身を包み、ニコリと微笑んでいる。

一体どこから入ってきたんだ?声を出すまで、全く気配を感じなかった。

 

「ほんとほんと。私は貴女の為にしてあげられることがあるって、言いに来たのよ」

「誰がそんなこと聞……」

 

トンっ

 

私は手を緩めない。

そいつはナイフを止めていない方の手の人差し指で、私の胸の中心を指した。

 

「この呪いを解いてあげる」

 

少し、耳を傾けてしまった。

この、怨念の呪いを解けると?

 

「私と一緒に行きましょう?そうしたら、これも解いてあげるし、ナイフの呪いの方も解いてあげる」

「ナイフの……呪い?」

 

私の胸にある黒い刻印のことは知っている。だけど、このナイフについては初耳だ。

私が零すと、彼女は嬉しそうに笑って続けた。

 

「たまに『憎い〜』だとか『なんで殺した〜』とか言う声が聞こえない?」

「聞こえる……。けどそれはこの胸に刻まれたもののことだ」

「あら」

 

そいつはあらあらあら、と楽しげな表情になった。

 

「それは違うわクレハ。それはナイフに刻まれた名前の対象に怨念の力を与えるものよ。あまり貴女は使っていないようだけど」

 

え、じゃあ……

 

「……この刻印は?」

 

思わず手を緩めてしまう。

と、その隙にそいつは窓を開け放ってそこに腰をかけた。

そして、私に手を差し出して言う。

 

「ふふ。もうすぐ争いが始まるわ。私なら貴女を守ってあげられる。呪いから自由にもしてあげられる。元の居場所にも戻してあげられる。」

「さあ、私の手を取って。そうしたら……全て教えてあげる」

 

最後の言葉を言う際、風が吹いて彼女のウェーブのかかった髪がなびく。

髪に隠れた顔から見える、アメジスト色の眼は少し、

冷たく、哀しそうな眼光を放っていた。

夕暮れのせいか、紅に近い輝きで。

 

それには人を誘う魔力があった。

それに従えばいい。彼女は私が望んでいたものを持っている。

けれど、

 

「……元の場所には……戻らない……」

「何故?」

「……貴女が、来るのが遅すぎたから」

 

そいつの目線が私の視線を追う。そして机上のピンに行きあたる。

 

「……そう、それは残念。でも、今のままじゃ貴女、何も守れないわよ」

「…分かってる」

「ナイフの呪いの限界を超えるのはやめなさい。力が欲しいなら私があげる」

 

そう言ってそいつは懐から小瓶を取り出した。その中には血のように赤い液体が入っている。

 

「それは……?」

「これは取っておきの秘密道具〜♪けれど副作用:私の眷属になる、が付いてるわ」

「論外だ。帰れ」

「でも不老長寿になれるわよ?」

 

それこそ有り得ない。私は、あいつと同じ時を歩みたいと願っているのだから。

 

「断る。帰れ」

「分かった。今日のところは帰るわ」

 

妙に素直に引き下がるな……。

 

「あと私は"そいつ"じゃなくてマリアだから。覚えておきなさい」

 

聖母のようなと思ったら、名前もそうだとは。

というか、私の心を読んでいたのだろうか。こいつといると、不愉快なことばかりだ。

 

「もう来るな」

「でも貴女、必ず私の所に来るから。だから前払いでその胸の呪いのこと教えてあげる」

 

「ーーーーーーーー」

「え……」

 

「さようなら、また会いましょう」

 

風が吹いてカーテンが暴れる。

言い返すまもなく風が止み、彼女の姿は消えていた。

 

私は彼女の言葉を反芻する。

胸に刻まれた黒い刻印が、どくどくと脈打つ音だけが耳に響いていた。

 

 




次回、選抜術式試験スタートです。


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第9話 試合観戦

前話から間が空いてしまい、申し訳ありません!
選抜術式試験開始です。



Side 一瀬グレン

 

選抜術式試験の前日の夕暮れ。

街が赤く染まる。

学校からの帰り道。

人があまりいない。住宅街の中にある、小さなスーパーの前。

小百合と時雨が夕飯の買い物をしている間、スーパーの外の、ガードレールに腰をあずけ、腕組みをしてグレンは待っていた。

と、そこで、

「斉藤さん!斉藤さん!ほんとにお菓子、なんでも買っていいの!?」

嬉しそうな、少年の声が聞こえる。

ふと、グレンはその声のほうへと目を向ける。するとそこにはやはり、一人の少年がいた。

金髪の髪をした、色白の、綺麗な顔の少年。おそらく、日本人ではないだろう。もしくは異国の地が混じっているか。

その少年は嬉しそうに笑顔で言う。

「孤児院のみんな、喜ぶかなぁ?ねえ斉藤さん、アイスってっ買っても院長先生、怒らないと思……」

少年は、話しかけていた斎藤、と呼ばれた男の隣に立っていた女に気づいてそちらに向き直った。

「あ、あの時のお姉さん!斉藤さんの知り合いだったの?」

グレンがそちらに目を向けると、セーラ服姿の高校の副生徒会長が屈んで、少年に目線を合わせていた。

「ああ……覚えていてくれたんだ。随分前にぶつかっただけなのに」

「あんまり外国の人は見ないから、見てすぐ分かったんです!」

「そっか、嬉しいな。じゃあ、私はそろそろ行かなきゃ」

「さようなら!」

「さようなら」

そう言うと、クレハは結局1度もこちらを見ずに立ち去った。

彼女は先程まで斉藤と何やら話していたようだ。あまり愉快気な雰囲気ではなかったが。

まさか彼女も百夜教と繋がりがあるのだろうか。

いや、様子からしてあちらに組みしているというわけでもなさそうだ。

ああ、そう言えば、クレハにはいつか、タオルを返さなければ。

クレハを見送ると、斎藤は少年に向き直って会話を続けた。

「アイスだったね。どうかなぁ。あの孤児院って、冷凍庫は……」

「あるに決まってるじゃん」

「じゃあ、大丈夫じゃないかな。院長先生にも、お菓子のことは許可取ってあるし」

「やった!」

「ほら、じゃあお金渡すから、スーパー行っておいで。1人で買える?ミカエラ君」

その問に、ミカエラと呼ばれた少年が、

「あたりまえじゃん。僕、何歳だと思ってるの?8歳だよ」

と、笑う。

それから斎藤が差し出した一万円札を見て、

「え、こんなに……」

などと、驚く。

それに斉藤は笑う。

「みんなの分だから」

「でも、一万円も、いいのかな」

「いいのいいの。ほら、行っておいで」

「うん!でも、そんないっぱいお菓子買うなら、茜ちゃんも連れてくれば良かったなぁ」

なんて言いながら、目をキラキラさせて、ミカエラとかいう少年はスーパーの中へと入っていく。

そして、それを、グレンは腕組みしたまま、見つめる。

それから、斉藤という名の、男へと目を移す。

その男は、10日程前、グレンに襲撃且つ勧誘をしてきていた、《百夜教》から来た刺客だった。その時は木島、と名乗っていたが。

「ここでは斉藤とお呼びください。ミカ君に聞かれると混乱させてしまうので」

刺客は笑って、そう、言った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

斉藤と話した時側にあった、ガードレールの裏に描いておいた、魔法陣の効果が切れた。

この魔術は、イタリアで叩き込まれた、初歩的なものだが、一定時間で消える盗聴器として使える、中々便利なものだ。

家路を急ぎながら、頭の中に、直接聞こえたことを整理する。

盗聴出来たこととしては、

・《百夜教》が人体実験をしていること

・このままではウイルスが蔓延し、世界が滅びること

・そのウイルスをまくのは『帝ノ鬼』だということ

・そして《百夜教》はそれを防ごうとしていること

・一瀬は《百夜教》とは手を組まないこと

・10日後、《百夜教》と柊家の戦争が始まるということ

 

ほとんど斉藤の言ったことなので、真偽は分からない。

けれど、

二人で釣りに行った日。私が、世界の滅亡へ心当たりがないか聞いた時。

暮人、あなたは何を考えていたの?

 

10日後に起きる戦争。

ウイルスによる世界の滅亡。

 

マリアが言っていたのは……

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

斉藤に会った翌日

選抜術式試験は、朝8時から始まった。

 

場所は校庭___とは名ばかりの、軍事訓練も出来る広大な演習場。

そこに全校生徒が集まっている。

選抜術式試験は、それこそ各学年の全校生徒同士の勝ち抜き戦になるため、一週間もの期間をかけて行われることになっている。

と言っても、人数の少ない上級生が先に試験を終える訳では無い。

人数の差を考慮して、下級生に試合場を優先して回すようにしているからだ。

ちなみにクラスメイト同士は、数回勝ち上がらないとぶつからないようになっているために、最初のうちはちょっとだけクラス同士の対抗意識のようなものまで存在している。

まあ、私の組の担任はもう既に勝利を確信しているようだが。

 

もう試合は始まっていて、各所が騒がしい。

ちなみに試合は、完全に実践形式で行われる。

勝利の条件やルールは____

 

監督官が価値だと思った方を勝ちとする。

監督官が、能力が上だと思った方を、勝ちとする。

相手を殺してしまった場合は、逆に評定が下がる。

たった、これだけ。

このルールの中なら、どんな武器を使っても、どんな呪術を使っても、許される。

相手を殺しても、罪に問われない、完全な治外法権。

ここでは、あまり、人を殺すメリットもないのだけれど。

 

自分の試合まで、まだ少し時間がある。

今回は合間を使って、まだ、実力を把握していない中でも、注意すべき生徒の試合を見て廻るつもりだ。

事前に全校生徒の対戦表は確認しているので、それを元に見る順番は決めていた。

 

まず最初は……

 

「1年2組・雪見時雨。前へ」

 

監督官の呼びかけに、一瀬グレンと会話中だった雪見時雨が前へ出た。

グレンもこの試合を観戦するらしい。

続いて、彼女の相手の名前が呼ばれる。

 

「1年9組・十条美十。前へ」

 

十条美十が前へ出る。彼女は自分が十条の人間だと誇るように、赤い髪をそっとかき上げる。

そしてそれに、時雨が冷たく言う。

「権威主義者が」

すると美十が、強気そうな、それでいて綺麗な笑みを浮かべ、

「二流の言葉は聞こえませんねぇ」

「殺す」

「あなたには無理です」

その、美十の言葉が終わる前に、時雨が手を、後ろに回す。すると袖から、武器が降りてきた。

 

「暗器遣いか……」

 

戦闘スタイルの中でも、力の強さより、技術の精度と頭の回転の速さがものをいう戦い方だ。

真っ向から仕掛けてもさほど効果はないが、多彩な使い方が出来るうえ、使い方次第では下手な暴力より力を発揮する。

私も昔はよく使ったものだ。

と、それは置いといて

 

美十の方も、何か小さく呟いている。おそらくは、柊の呪法だ。十条家は__呪いで身体能力を限界まで跳ねあげる。以前、深夜が使っていた、神懸かり法の発展らしいのだが、すでに赤い髪の上に、その髪よりもさらに赤い、三角の火輪光(かりんこう)が浮き上がり始めていた。

あれが、火輪光か……。金剛夜叉明王呪かな。

と、クレハが考えているところで

監督官が前に出る。

両者に、試合についての注意事項を話す。

試合終了の合図について。

相手を殺したら評価が下がることについて。

生徒達の中にいた、金髪の男。確か五士家の…だったか、がへらへら笑って呟くのが聞こえる。

「おーおー、すごい。美人同士の戦いはやっぱ、見がいがあるなぁ」

 

そういえばヴォルガスの幹部にも女の子好きの奴がいたな。あいつは幼い私にも声をかけるほど見境がなかったが。

イタリア人は大抵陽気、言い換えれば能天気な人が多いけれど、まさにそれを象徴したような性格だった。

印象に残っているということは、私の周りでは珍しかったのかもしれない。

 

続いて柊深夜が言う。

「……これは、一瀬の呪法が見れるかな」

 

見れないと思うけど。

時雨の主であるグレンが手の内を隠そうとしているなら、彼女はそれを遵守するだろう。

だが周囲は深夜のような目で見ているものも少なくない。

とそこで、監督官が言った。

「始め!」

刹那、時雨と美十が、動き出す。

呪術で増幅された美十の動きは比較的速い。やはり十条家の人間は身体能力がずば抜けているようだ。

ヴォルガスの幹部や深夜、グレン、暮人の動きには劣るが、まあ、充分だろう。

そして、時雨もそれにきちんと反応出来ている。後方へ下がる。手を振るう。するとその、手の袖から、無数の短刀__いわゆる、クナイと呼ばれている刃物が飛び出す。そのクナイの柄に糸がついていて、それが宙を舞う。

詳しいことはまだ分からないが、糸に触れない方がいいのは確かだろう。

だが、美十はそれを見下ろし、

「なるほど、暗器遣いか……姑息な一瀬家には、お似合いの能力ね」

突進をやめない。

一瞬で張り巡らされた罠を無視して、真っ直ぐ進む。

スカートから伸びた美十の細い足が糸に触れる。瞬間、呪術符が爆発する。クナイが跳ね上がり、糸に触れた者へと飛んでいく。

しかし、それをあっさり、美十はかわしてしまう。

さらに次々クナイが跳ね上がっていくが、そのすべてをかわし、避けきれないものは手でたたき落としながら、前に進む。

 

時雨は罠の張り方が少々甘い気もするが、この歳でここまで暗器を使える者もそういまい。

それに、実戦ならば美十が叩き落としたそのクナイには、致死性の毒が塗られているだろう。

 

美十が時雨との間合いをあっさり詰める。

「はい、これで終わり」

と笑って、拳を突き出そうとする。

だがそれに、時雨も笑って、

「残念。その傲慢さが、あなたを殺しました」

右手の指を、ぱちんっと鳴らす。途端、美十の放とうとしていた拳を、クナイの後ろから伸びていた糸がぐるぐる巻に拘束してしまう。

それで美十の動きが、

「ぐぅっ」

止まる。

おそらくあの糸に、触れた相手の動きを止める呪いでも込めているのだろう。

とどめを刺そうと時雨が、もう1本クナイを取り出して放つ。

それは真っ直ぐ美十の首へ向かう。

試験官が慌てて、やめ!と叫ぼうとしながら足を踏み出したが、遅い。

ここは私が出て、クナイを切るべきか……

 

だがその前に、

「うごっけぇえええええええ!!」

美十が、叫んだ。赤い頭の上で、さらに赤く輝く火輪光がぐるんっとまわる。そしてそのまま彼女は、拘束されている糸を無視して、更には、クナイを避けて、拳を突き出してしまう。

「なっ!?」

時雨の驚いた顔に、美十の拳がぶつかる。

「があっ」

うめきながら、時雨はクナイを投げ、しかしそれは美十の頬を掠めただけだった。

時雨は吹っ飛び、地面に落ち、動かない。

 

勝負はあった。

監督官が美十の勝ちを宣言し、グレンと時雨、美十が何か話すのを横目に、その試合場を去る。

 

美十の最後の動きは、やや目を見張るものがあった。

今のを見る限りでは、例え、あの2人が私に敵対しても相手にならないと思うが、ここから成長してもそうだとは限らない。

私も、今回の演習で、また、術の精度を高めなければ。

 

次は……と。

五士家の長男、なんだっけ、典人だっけか…の試合がちょうど始まったところの試合場を見る。

相手の生徒が刀剣を掲げた。だが掲げた瞬間、その剣が消えていた。

そして典人が、剣の持ち主の後ろに立っている。相手の生徒の剣を持って、それをゆっくり、生徒の首筋に当てながら、

「終わりでいいかな?」

と、言う。

相手の生徒は、一歩も動けなかった。

典人が使ったのは幻術だ。

なるほど、今まで見てきた一般生徒のものより遥かに出し入れがスムーズだ。

私自身は、実はそこまで幻術が得意ではない。

幻術への対策は多々あるが、私が今一番頼りにしているのが、精神力の高さでガードする方法だが、もっと確実な方法を探すべきだろうか。

今、もし、怨嗟の呪いが悪化して、その間に彼のような、いや、暮人のような柊家レベルの幻術をかけられたらどうなるのか。

考えてはおくべきだ。

 

典人の試合の後、同じ場所で柊深夜の名前が呼ばれる。

そのまま見るために、その場を動かない。

つもりだった。

 

「クレハ」

 

と、後ろから声を掛けられて振り向くと、暮人が立っていた。

「お前の試合がもうそろそろ始まるぞ」

 

もう、そこまで進んだのか。

暮人は試合場の様子を見て頷くとわざわざ伝えに来てくれたらしい。

ありがとう、とだけ言って二人で並んで指定の試合場に向かう。

 

「暮人はもう一戦目、終わったのよね。退屈だったのでは?」

「まあ、将来の部下がどれだけ使えるかを見るのも大事だよ」

「そう」

「お前は1年生を見て回っていたようだな」

「……うん」

「珍しいな」

「そう?」

「今までは他人に興味が無かっただろう?」

 

確かに。

だって、今までは弱い者しかいなかったから。警戒する必要はなかった。

だが、今年は最上級の名家の子供が多い。

私がいざ裏切る時に、対抗された場合、人質にとる場合。

それで相手に敵わない、なんてことがあっては困るのだ。

 

「今年は、豊作だと聞いたから」

「だがお前ぐらいだと、学べることはないだろう」

「…………」

「なあ、クレハ」

「…………」

「お前は何をしようとしている?」

「…………」

 

目的の試合場に着いた。

ちょうど私の名前が呼ばれて前に出る。

その前に、半歩後ろにいる暮人に振り向く。

 

「なにも。なにも出来ないよ」

 

今の私はマリア相手に何も出来ない。

彼女と共に、マフィアに戻る気もない。

けれど、イタリアに戻らなくてはいけない。

なぜなら私は…………

 

 

前に視線を戻して、対戦相手の前に進み出る。

 

「始め!」

監督官が試合の始まりを告げた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

明日起こることを誰もが知る由もなかった

 

 

 




次回、続きます


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第10話 真昼に見る夢

新たな展開に入ります。
クレハの過去もまた少し明らかに!



選抜術式試験2日目。

 

今日は早めに自分の試合、つまり二戦目が終わったので、

ある試合が始まるのを待っている。

その間、特にすることもなく、一人で屋上で空を眺めていた。

少ない雲が流れて行くのを目で追うわけでもなく、ただ風を感じながら見上げていた。

が、そうしていると、屋上の扉が開いた。

 

「ここにいたのか」

「……暮人」

 

暮人は歩み寄り、私の隣に来ると眼下の校庭に目をやった。

「今日は1年生の試合を見ないのか?」

「見るよ。ここから」

「双眼鏡も持ってないようだな。どうやって見るつもりだ?」

私は自分の右眼を指して答える。

「眼球に術式が刻まれているから視力が良いの」

「今日は機嫌が悪いな」

せっかく答えたのにスルーされる。

顔には出していない筈なのに、何故か彼にはいつも見透かされているような気がする。

だからあえて、思いっきり不機嫌そうに

「やっぱりここは嫌なところだ」

「今更どうした」

昨日、自分の試合を終えた後のことを思い出す。

私は花依小百合 対 柊征志郎の試合を見ていた。

 

見た目はチンピラにしか見えないが、流石、柊家。征志郎は小百合を圧倒していた。そしてもう勝敗は着いたように見えた。

だが、征志郎は攻撃をやめない。嬲り、辱めることを止めなかった。

それを周囲も、監督官さえも止めなかったのだ。

柊真昼が止めに入るまで。

結果小百合は、そのまま入院してしまうほどの重傷を負ってしまった。

 

Padre(父さん)はこんなこと、許さなかった」

「父親?それは___」

「あ!始まる!」

 

入り込んだ話をするわけではないのでわざと大きな声をあげる。

校庭の一部分に広がる一つの試合場に、今ちょうど、柊征志郎が出てきていた。

相手は一瀬グレンだ。

だが、様子がおかしい。

一瀬グレンは試合場に入ろうとしない。代わりに深夜が征志郎の前に出ていく。

その周囲がざわめき始めている。

「どうした」

声を掛けてきた暮人の方を見ずに、一瀬グレンに意識を集中させる。

「……おれはしあいをじたいするんだ」

「…読唇術か」

ここからは校庭での会話は聞こえない。だが口の動きが見えさえすればどうにかなる。

確かに、グレンは"試合を辞退する"と言った。

理由は分からない。

その後も、周囲が彼を笑っているのが見えるだけで、試合をする様子がない。

グレンは嘲笑をよそに、へらへらと笑って空を見上げた。

と、そこでちょうど私と目があう。

異変はそこで起こった。

 

グレンのへらへらした顔が、突如はっとした表情になり、私から視線を外して、空を見つめた。

と、同時に空に違和感を感じる。私も咄嗟に空を見上げた。

横目で見ると暮人も空を見上げている。

違和感を感じた方を見る。

するとそこには赤い光が見えた。そしてその光は校庭に向かっている。

あれは……まずい。

 

「校庭にいる生徒が…」

「ここからでは間に合わない。『帝ノ鬼』の主力部隊を呼ぶのが先だ」

 

爆発が起きる。

大地が揺れる。

轟音が鳴り響く。

校庭に悲鳴が溢れる。

 

そう私達が言う間にも、十を超える光が校庭に降り注ぎ、生徒達を薙ぎ払っていく。

おまけに時間が経つにつれ、校庭は白煙にまかれて様子が見えにくくなっている。

 

だが奇襲の爆撃は終わっていなかった。

屋上を一筋の光が襲う。

二人とも即座に反応し直撃を避ける。

が、屋上の一部が崩れて、私は浮遊感に襲われた。

 

「……あ」

 

手を伸ばすも、柵は既に無く。崩れた部分を指先が掠めることもない。

(嫌……)

目の前を揺らぐのは、あの時最後に見たイタリアの青い空。

崖の荒れた岩肌。

そして……

「クレハ!!」

「……暮人っ」

伸ばした手が強い力に引っ張られる。浮遊感はそこで止まった。

ああ、これも。これもあの時と同じ。

 

上を見上げると、暮人が、崩れた所から身を乗り出して私の手を掴んでいた。

必死さと、安心が入り混じったような表情で私を見ている。

なのに。

なのに脳裏をよぎるのは昔のあの場面。

あの、慈愛に満ちた表情で、落ちる私の手を掴んだ美しい女の顔。

正しく聖母が手を差し伸べてくれた、と感じた。

 

あの時、私はほっとして、引き上げられるのを期待して、自らもその手を頼りに崖上に戻ろうとした。

けれど。

「ああ、伝え忘れてた。Padre(ボス)、貴女はもういらないって」

そう言って、

 

女は笑って私の手を振り払った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side 柊暮人

 

もう救援は呼んだ。もうじき到着するだろう。

その間にも、校庭の生徒は死んでいるかもしれない。

だが、今はそれどころではない。

あと一歩で、目の前でクレハを死なせるところだった。

 

手は届いた。

だが、自分の今いる所も不安定だ。

後は引き上げるだけだが、気を付けなければここも崩れるかも知れない。

今、始めて知ったが、幸いクレハは異常に軽い。

クレハが自分の腕を掴んで這い上がるのをサポートして、速やかに安定した足場に移動しよう。

そう考えていた。

 

「クレハ?」

 

ところが、クレハは動かない。

 

普段の彼女ならこの程度で取り乱す筈がない。危険への対処は軽々と行える筈だ。なのに、

 

握る彼女の手は震えていた。

顔は完全に青ざめて、恐怖に引きつっている。

空のように澄んでいた青い目はゆらゆらと揺れている。

そして、今にも泣きそうな声で、

「嫌……お願い……」

 

「お願い……もう離さないで……!!!」

 

『もう』

それは以前、手を振り払われたことがあるのだろうか。

お前は必要ないと、捨てられた記憶が。

 

その悲痛な叫びに体が反射的に動く。

力を込めて一気に、クレハを引き上げ、抱えて屋上の損傷が無い所に移動する。

そして、倒れ込むクレハを力強く抱きしめる。

その細い体は氷のように冷えきっていた。

いつもの、刀を振るう力強さも無く、折ってしまいそうな気さえした。

 

「離すものか。一生離さない」

 

離すはずがない。

もう彼女は昔見た幻ではない。

目の前にいるのは形をもった最愛の人。

なら、もう2度と、あんな顔はさせない。

この世界に彼女の敵がいるなら。

潰して世界の覇権を奪うまで。

それがいつになるかは分からないが……。

 

しばらく抱き締めていると、彼女の震えが止まる。

彼女の鼓動と吐息だけが聞こえる。

そして小さな声で、

「……ありがとう」

そう言って立ち上がった彼女の目は、既に強い光を放っていた。

「行かなきゃ」

「大丈夫か」

「もう大丈夫。手が届いたから」

 

「ねぇ」

「なんだ」

「暮人は生徒達の無事を望む?」

「当たり前だ」

「分かった」

 

そう言うと、彼女は辛うじて残っていた屋上の扉から、校舎内に駆けていった。

自分も下に降りて、もうすぐ到着する主力部隊の指揮をとらなければ。

 

『手が届いたから』

そう言った彼女は少し、笑っていて。

 

「は、はは」

もう自分は充分惚れ込んでいると思っていたが、まさか、まだ先があるとは。

 

「ちゃんと笑えるじゃないか」

流石の俺でも、やはり、分からないことが多いものだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

一時の気まぐれかも知れないが。

今の私の方針は、より多くの生徒を救う、ということで固定された。

 

まだ、あたたかさが体に残っている。

もう震えは無い。

もう過去には怯えない。

もう離さないと言ってくれたから。

 

二階まで一気に階段を駆け下りると、もう、すぐ下で、生徒が何者かに殺されそうになっているのが見えた。

窓を開けて、足をかける。

そして、懐に隠し持っていたナイフを抜いて構える。

ヴォルガスに幹部入りした時に与えられた銘入りナイフ。

強力な副作用に引換えて、絶大な力を与える呪いのナイフ。

大丈夫。覚悟は決めた。

 

「…私を呪え。力を寄越せ」

 

全身に呪詛が渦巻くのを感じる。

と、同時に、体の中から大勢の悲鳴と怨みと共に力が湧き上がるのを感じる。

 

窓枠を踏みしめ、一点に集中する。

 

そして、

眼下の敵に向かって跳躍し、一気に距離を0にする。

狙うは首のみ。

すれ違うように掻き切り、地面に降り立つ。

「が……ぁ……」

相手は一コンマ後に、ようやく切られたことに気付き、血飛沫をあげて倒れた。

それを顔に浴びた生徒は、「ば、化け物……」と言うと気絶してしまった。

 

顔をあげて辺りを見回すと、校庭の一部が、煙幕で隔たれたようになっている。

そこで何か、この襲撃の根幹に繋がることが起こっているかもしれない。

けれど、

「先ずは皆殺しにしないと」

全く。この学校の生徒は吠えずらかいている割には、平和のぬるま湯に浸かっているのか、てんで使えないようだ。

もう既に多数が殺されているが、まだ襲われながらも生きているものも多い。

中には、自力で何とかなっている実力者もいるようだが、周りを守るまでには至っていないようだ。

とりあえず、私を認識した敵が複数寄って来たので、自分を囲うように地面から大きな氷の棘を出現させる。

やはり術の行使速度や、効率、威力なども呪いにより格段に強化されている。

だが数人は、それで体を貫かれて息絶えたが、いくらかは、棘が触れた体の部分が霧状になり、あまり効いていないようだった。

普通の人間とは思えない。

「なら……」

私の操る氷には今、既に私にかかっているものと同じ呪いが混じっている。

敵の体を通り抜けた棘の呪いを、そのまま暴発させる。

すると、敵の体が爆発四散した。

体の内側からなら効くようだ。

校庭を駆けて、極力弱い生徒を襲っている敵から優先的に殺す。

その間に気付いたが、このナイフは、問答無用で急所をきちんと切り裂けるようだ。

懐かしい、ナイフを握り、切る感触。

ああ、やはりこれが手になじむ。

だがもう今の身体能力は昔のそれでも、昨日までのそれでもない。

風が走り抜けるように、クレハは鮮やかに次々と躊躇いなく敵を倒す。

『もっと、もっとたくさん僕達と同じ目にあわせてよ』

その最中、頭の中に声が響く。

1人じゃない。大勢が泣き叫び、憎み、不幸を笑う声が。

それは、ナイフが血を吸うごとに大きくなっていった。

 

『こんなに恨んでいるのに!まだ殺すか!この醜い殺人鬼!許さない許さない許さない!!!』

『返して!帰して!出来ないならお前も苦しめ!』

 

首に呪詛が回り、切られたような痛みが走る。

その時、大勢の人間が走ってくる音と、共に、歓喜の声があがった。

 

「『帝ノ鬼』の主力部隊がきたぞ!」

「こ、これで助かる!」

さらに別の方向からは、

「ま、真昼様が、捕らえられた!」

「た、助けろ!おまえら命にかえても、真昼様をお助け……ぎゃあああ!?」

 

悲鳴があがる方を見ると、這いつくばっている重傷の生徒がいたが、まだ生きているようなのでそちらに向かう。

一瞬でその生徒の前に出て、敵が反応する間もなく切り殺すと、また声がした。

『俺の仲間を殺したお前を許さない!お前も自分の仲間を殺して自分も死ね!!』

それを無視して周りの状況を確認する。

応援が来たお陰で、まだ多少の敵は残っているものの、生徒ばかり狙われることは無くなったようだ。

今なら、煙幕の中を確認しに行ける。

煙幕の中に入り、魔術を使って熱を感じ取る。

一番近い熱源に向かって突き進むと、煙幕が晴れてきた、と思えば、前方に1人のスーツ姿の男が見えた。

「斉藤……」

ならばやはりこの襲撃は《百夜教》のものか。

一歩で距離を詰めて切りかかる。が、斉藤の身体から現れた鎖に阻まれる。

背後からの奇襲だったのに気付かれるとは……。

ちょっと殺気を出しすぎたかも知れない。

「もう、勘弁して下さいよ。私は今刺されたばかりなんですよ?」

見れば斉藤の胸が真っ赤に染まっている。

刺したのは誰か、と斉藤の奥を見れば、二人の人間が斬りあっているところだった。

「グレンと……真昼?」

さっき真昼が攫われたと聞いたが、目の前でグレンの相手をしているのは長い灰色の髪の少女。雰囲気からしても間違いなく真昼本人だ。

「…その姿。貴女も鬼呪を?」

斉藤に言われて彼に視線を戻す。

「鬼呪?」

《鬼呪》自体は知っている。私の研究内容に関わるものだから。

《鬼呪》は、呪いの中でももっとも扱いの難度が高いもののことだった。

直接、《神鬼》や《黒鬼》と呼ばれる、鬼の神を呼び出し、それを神器に封印して、使役する。

封印するための器はたいていの場合、武器だ。

剣。

斧。

弓など。

何年もかけて祀られ、清められた武器に、《鬼》を封印して、遣う。

だが、それは、理論上は完成していても、現代の呪術科学ではまだ、到底実現不可能とされていたものだった。

しかし、斉藤は貴女も(、、、)、と言った。

また、ちらりとグレンと真昼に目をやる。

真昼の持つ漆黒の刀身の日本刀と、グレンの持つ真紅の刀身の日本刀が何度もぶつかり合う。

技術的にはグレンが上手だ。だが、真昼の剣が速すぎる。グレンは徐々に押されていた。

真昼の剣。

「あれが鬼呪の武器か?」

「…ええ。では、貴女のそれは何です?」

自分で見える範囲、自分の腕や足の半分以上が黒く蠢く呪詛に覆われている。

「マリアから聞いてないのか?」

「…ああ、マリアさんですか?あの人は何も教えてくれませんよ。前も言ったでしょう。ただちょっとした知り合いだと」

確かに試験の前にスーパーの前で話した時、そう言っていた。

だが、ただでさえ得体の知れない、百夜教の人間なのだ。加えてマリアの知り合いなど、こいつもろくな奴ではないのは間違いない。

「…マリアは何を企んでいる?」

「だから知らないと__」

「じゃあお前は何を企んでいる?」

「何も企んでなんかいませんよ。柊家が禁忌を犯そうとしているのでそれを___」

「《百夜教》のことじゃない。お前は……」

 

そこまで言いかけて、斉藤が何かに反応するように後ろを向いたので、斬りあっていた二人の方を見る。

真昼はグレンに手を伸ばし、

「私と一緒に来ない?私と来たら、あなたにも力をあげる。私と一緒に、この力を完成させま……させ……さ……」

が、何故か途中で、その言葉が途切れる。

彼女は急に苦しげに、セーラー服の胸の部分を、押さえる。

そして突然、声のトーンが変わる。

もっと幼い、泣きそうな声音で、

「きちゃ、だめ、グレン。もう私は……私は、鬼に取り憑かれ……《鬼呪》は、この実験は、失敗……わ、私は……私はもう、いな…………黙れ黙れ。私は取り憑かれてない。私にはもっと力がいるんだ……もっと力が……」

などと、言う。

そこで、真昼の右腕が震える。

がくがく震える。

そして、漆黒の刀から、黒い模様が蠢き、真昼の腕に移っていく。

まるで呪うように。

真昼を呪うように、刀が、真昼の腕を侵食し始める。すると腕の形が変わる。指先は爪が長く伸び出し、まるで獣のような形に変容していこうとして、

「おーっとまずい」

斉藤は目の前の私がいるにも関わらず、鎖を放ち、真昼の右腕をぐるぐる巻きにする。

「時間が立ちすぎましたねぇ。そこまでです、真昼さん。まだこれ以上は、その武器は使えない」

その言葉に、真昼の表情が戻る。

冷静な顔に。

「……ええ、そうね。戻りましょう」

が、グレンはそれに、斉藤のほうをにらんで言った。

「てめぇ、真昼に何をした?」

すると、斉藤が答える。

「詳しく知りたければ、あなたも《百夜教》に……」

が、無視してもう一度、

「真昼になにしたのかって聞いてんだよ!」

と、グレンは飛び出した。真紅の刀を掲げ、一直線に斉藤に振り下ろそうとする。

だがそれを、真昼が邪魔をする。

と、同時に斉藤はこちらに鎖を放ってきた。

ナイフで受け止める。

斉藤はこちらに振り返って、

「さっきから何もせず見ているだけですけど、私を殺しに来たんじゃないんですか ?」

と聞く。

実際のところ、最終的に《百夜教》を退けられればいい。

それだけなら殺してもいいが、こいつがマリアを知る唯一の人物である以上、聞かなければならないことが沢山あるのだ。

「聞きたいことがある。素直に知っていることを吐けば殺さない」

「……はぁ。聞きたいこととは何です?」

斉藤はため息をつくが、構わず続ける。

 

それは、私が今、どうしても知りたいことだ。

 

 

 

 

 

 




次回、続きます


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第11話 序章の始まり

原作に繋がる話が本格的に始まります。

それではさっそく、どうぞ!


白い煙幕の只中。

 

「『天使の鎖』とはなんだ?」

 

クレハは斉藤の目を見据えて問いかける。

それに、斉藤は何の感情も読み取れない表情で返す。

「…天使の鎖、とは?」

 

その問いに、クレハは黙ったまま、間髪入れずにセーラー服のリボンに手をかけ、しゅるりと解いて躊躇わず制服の前を開けた。

「何をして……これは…………」

驚いた斉藤の目が一瞬見開き、クレハの胸にあるものに釘付けになる。

 

下着で少し隠れているものの、はっきりと見える、白い肌に広がる黒い呪詛。

よく見ればそれは、胸の一点、ちょうど心臓のある辺りから広がっている。

そして、さらによく見ればそこには、

「天使……ですか……」

 

翼を広げた天使が、鎖に全身を拘束されている姿に見える黒い刻印が刻まれている。

クレハの全身に回っている呪詛は、まるで、この鎖が伸びて重なりあったもののようで。

クレハは口を開く。

「マリアはこれを、『それは天使を縛る鎖の呪いだ。貴女達の命が、天使の現界を阻んでいる』と言っていた」

続けて、問う。

「天使とはなんだ?」

「さあ、それは私にも___」

クレハは斉藤の視線の一瞬の揺らぎを見た。

こいつは何かを知っている。

そう判断したクレハは片手でナイフで斬り掛かる。

と、見せかけて、もう片方の手に、氷の日本刀を瞬時に形成して、斉藤の胸に突き出した。

心臓に、届く。

 

しかし、そこで信じられないことが起こる。

「おおっと、これはちょっと危なかった」

おどけたようにそう言いながら斉藤は、なんと、素手でその日本刀を指で挟むようにして止めたのだ。

いくら呪術があるとはいえ、明らかに人間の所業ではない。

 

と、そこで、真昼が私達の横を、ひょい、ひょいっと後方へと、舞うように下がっていく。

そしてにっこり笑うと、

「あなたが好きよ、グレン」

グレンを見つめてそう言った。

「これは本当の気持ち。だから、あなたが私を欲しがってくれるまで……その日まで、待ってるね」

そして彼女は、煙幕の向こうへと消えていく。

 

続いて斉藤も、刀を掴んだまま、少し疲れたような顔で、

「だいぶ、予定は狂っちゃいましたが、まあ、おおむねいいでしょう。あ、もしもあなた方から《百夜教》にコンタクトを取りたい時は、以前に私と会ったときに一緒にいた、あの少年が通っている孤児院の院長に伝えてください。百夜孤児院__どうせあなたは、その場所を知っているでしょう?」

「…………」

「そうすれば、私に繋がります。では、そろそろ私もこれで」

そう言って、斉藤が下がる。

煙幕の内側には、グレンとクレハの二人が取り残されてしまう。

 

待って。

ちょっと待って。

百夜孤児院の場所知らないんだけど。

調べれば大丈夫かな。

 

真昼の消えた方を見て、つっ立っているグレンの手には、折れた刀が握られている。

真昼に折られたのだろう。

見れば、そんなに脆いものだとは思えないが……。

それも鬼呪の力だろうか。

 

と、そこで、急速に煙幕が薄くなり始める。

どうやらその煙幕は、呪術によって張られていたもののようだった。だから《百夜教》の部隊が撤退すると同時に、消えていく。

そして、

「…………」

煙幕が消えた先には赤く染まった校庭が広がっていた。

生徒の死体。

教師の死体。

それらは多くはないが、少なくもない。

そしてその死体の中に、黒スーツのものは見えない

煙幕の中に入る前に、結構な数を始末したはずだが……。

正体がバレないように《百夜教》の連中は、死んだ仲間の死体を回収していったのか。

だがとにかく、戦争の初戦は柊の完敗のようだ。

なにせ柊は襲ってきた相手の正体も分からず、敵にまんまと逃げられてしまい、さらには死人も出ている。

挙句、柊真昼が裏切っているのだ。

私の個人的な見解としては、仲間に裏切られ、憎まれるような組織は、その在り方が間違っていると思うのだが。

 

「あ、あなたも、生きていたんですね!?」

嬉しそうな女の声が突然、する。

そちらに目をやると、十条美十と五士典人がグレンに駆け寄っていた。

命の恩人がどうとか。

言葉を交わす様子はなかなか楽しそうだ。

なんだ、友達いるじゃないか。

 

『もう私達はあんな風に楽しめない…。羨ましい…恨めしい』

『いいなぁ、イイなァ。あの子達と遊びたいなァ』

『ねぇ、クレハ。あの子達をこっちに連れてきてよ』

『ねェ』『何で助ケてくれなカッタノ?』『私達を見逃してクレナカッタノニ』『あの子達モ』

『みんな平等ヨねェ』

 

段々と、グレン達の姿に目の焦点が合わなくなる。

それどころか、景色全体がぼやけて見える。

意識しなくても動くものを捉えて動く瞳。

 

氷刀を捨てて姿勢を低く下げ、片手を地面につく。

ナイフを構え、地面を踏みしめる脚に力を入れる。

獣が走り出すように、

獲物を捉える視線の先は、

 

「皆殺シにしよウ」

「てはじメにオマエダ、イチノセグレン」

 

地面を蹴る。

 

「………ッ!」

 

その寸前、誰かがクレハのナイフを持つ腕を掴んだ。

 

「クレハ、もうやめろ」

 

その、誰かの声と共に、すぅ、と視界が元に戻った。

と思えば、突然戻った筈の視界が暗転して、体が地面に倒れるのを感じる。

冷たい土の感触を頬に感じ、

そのままクレハは意識を失った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side 一瀬グレン

 

「グレン様、グレン様、今日からまた、学校が始まる訳ですが、もう絶対、片時も離れませんからね!」

「…………」

「まさかわたくしが入院した翌日に、グレン様が戦争に巻き込まれるだなんて。話を聞いたとき、雪ちゃんとわたくしは顔を見合わせて飛び上がりました。護衛役であるはずのわたくし達が、グレン様が危険に遭遇しているというのに、いったい、なにをしていたのか!と。あの、ですので……」

と、小百合がぴったりと横にくっついてくる。

さらに時雨も、反対側にぴったりと寄り添い、言う。

「ですので、今日から私達は、グレン様から片時も離れないことにしました」

グレンはその、セーラー服姿の従者二人を見下ろして、言う。

「だからといって、くっつく必要はないだろう?」

すると時雨が言った。

「有事ですので」

小百合も言った。

「戦時中ですので」

それにグレンは二人の肩を手で、まるで両開きの扉を開くかのように、押しのける。

「邪魔だ。歩きにくい。第一、おまえら俺より弱いだろうが」

が、小百合が言う。

「あ、離れちゃだめですグレン様!」

続いて時雨が、

「確かに私達の力はグレン様の足下にも及びませんが、弾除けにはなれますから離れないでください」

と、周囲をきょろきょろ見回す。敵がいないか。攻撃はこないか。はたからはもう、ちょっと挙動不審な変人に見えてしまうんじゃないかというほど、二人は緊張しまくっている。

ちなみに彼らがいるのは、いつもの通学路だ。

第一渋谷高校へと続いている道。

あの、選抜術式試験中に、正体不明の組織に襲われてしまう__という事件以来、半月の休校を経て、学校は再開されることになった。

襲ってきた組織の正体は、名前も聞いたことのないテロ組織だった__ということらしかった。

そして、『帝ノ鬼』はそのテロ組織の構成員を一瞬で皆殺しにし、『帝ノ鬼』に逆らう者はこうなる、と、発表した。

それで学校の関係者達は、安心した。『帝ノ鬼』の信徒達の不安も、解消した。

だが、当然、それは嘘だ。

襲ってきたのはこの国最大の呪術組織《百夜教》で、『帝ノ鬼』がすぐにどうこう出来る相手ではないはずだった。

だからそのテロ組織は、《百夜教》によってでっち上げられた偽物の組織か、もしくは、『帝ノ鬼』が襲撃されて、その相手すら分からない__という失態を隠すために作った、やはり仮初めの組織か。

だがどちらにせよ、状況は好転していない。

この国の二大呪術組織の戦争は、始まってしまっているのだ。

そしてその下で、一瀬家率いる『帝ノ月』は、漁夫の利を狙うことに決まった。二大組織が争っている横で、その二つを潰し、上に立つことを狙うのだ。

そしてその二大組織が戦争状態に突入した__という情報は、幹部以外には伝えられていなかった。厳しい情報規制が敷かれ、その水面下で、激しい情報収集戦が始まっている。

各組織の工作員たちが命がけで敵組織を陥れられないかと、動き回っている。

そしてそんな中、

「……もう絶対、グレン様を危険な目には合わせません!」

時雨が、まるで自分に言い聞かせるような決意の声音で、言う。

するとそこで突然、敵からの攻撃がきた。

といってもそれは、命を脅かすようなものではないが。

「……ん?」

グレンは目を上げる。

すると目の前には、コーラの入ったペットボトルが飛んできている。フタが開いていて、当たればきっと、コーラまみれになるだろう。

入学式のときと、一緒だ。

そしてその向こう側では、『帝ノ鬼』の生徒たちが笑っている。馬鹿にしたように笑っている。

こんな、戦時下に__いまが戦争状態だということすら伝えられてない、それどころか偽物のテロ組織を始末した、などという情報で、安心しきった馬鹿どもが__やはり馬鹿面下げて、笑っている。

グレンはそれを半眼で見つめ、

「時雨。防ぐなよ」

と、言おうとする。

ここで実力をバラす必要は、やはり無いのだから。いや、寧ろ、自分の力を秘匿する必要性は、前よりも高くなった。

なにせ、ここでこそこそと我慢する時間も、もう、三年はないかもしれないのだから。

戦争が始まったのだ。

潰そうと思っていたバケモノ組織二つが、都合の良いことに潰し合いを始めてくれたのだ。

なら、自分は侮られていた方がいい。

現界まで馬鹿にされていた方がいい。

あいつらは___

あの、偉そうにふんぞり返る返っている馬鹿どもは、一瀬を侮ったまま、死んでいけばいい。

だから、グレンはコーラを受けようとする。

しかし時雨が反応してしまうのが、見える。彼女は本当に、緊張していたのだ。グレンに近づくものを、主に近づく敵意を、すべて排除しようとクナイを投げてしまう。

そのクナイは、一直線にコーラのペットボトルを破壊しようと飛んでいく。

そしてペットボトルが宙空で破壊されれば、生徒達は黙るだろう。時雨の怒りに触れて。彼女の実力に触れて。

だが、それには意味が無い。

そんなことには意図がない。

だからあとで、説教だな、と、思う。

しかしそこで、

「よっ」

という声がした。

クナイが飛んでいこうとした横で、いつの間にか現れていた柊深夜がそのクナイをつかんでしまう。

と、同時に、コーラのペットボトルが、クナイがなくなったせいで、飛んでくる。グレンの頭に当たる。中身が飛び出して、全身がコーラまみれになる。

それを見て、投げた生徒達は爆笑している。

「コーラまみれでやんの!」

「一瀬のクズめ!だけど、コーラも滴るいい男!」

「消えろ!一瀬のクソネズミが来れるところじゃねぇんだよ!」

なんて、怒鳴られて。

途中に混ざっていた変な言葉はきっと気のせいだろう。

そして最後に、深夜が振り向いた。薄く笑みを浮かべ、

「はっ。相変わらず、ださいなぁ君は。こんなコーラもよけられないのか?」

するとまた、生徒達がより一層盛り上がった。

どうやら深夜は、グレンの演技を手伝ってくれるつもりのようだった。

「貴様っ」

と、いきりたつ小百合と時雨を制して、グレンは言った。

「ご助力どうも」

「いやいや、なにせ僕ら、仲間だからね」

「仲間?じゃあ、おまえは『帝ノ月』に入信するか?」

「冗談言うなよ」

「なら仲間じゃないね」

「ふふ、まあ、同じ敵を持つ者同士、仲良く頑張ろうよ。じゃ、また教室で」

そう言ってこちらに背を向ける。

「ちょっと、ずぶ濡れじゃないですか!」

背後から、別の声がかかった。

「うっわ、ひでぇ。なんだよそれ、グレン」

五士典人まで現れた。

それを見て生徒達が動揺し始める。

「あの髪は……十条の方……」

「五士の方もいるぞ……」

「お、おい、まずくねぇか?」

「関係ねぇよ!征士郎様も深夜様も一瀬が嫌いなはず…」

と、本当にどうでもいい、いじめる派vsいじめないでおく派がせめぎあっている。

そこへ、隣に並んだ五士がグレンを見て、

「おまえ、いじめられてんの?どいつに?こないだたすけてもらったから、お礼に助けてやろうか?」

と、コーラを投げてきた生徒達のほうへと、鋭く目を向ける。

するとその生徒達は、「ひっ」と、声にならない悲鳴を上げて、そのままひそひそ言い合いながら、いなくなる。

グレンはそれをぼんやりと見つめ、五士と美十に向かって言った。

「ちょっと、おまえらに言いたいことがあるんだが」

すると五士が言う。

「お、なんだ?お礼か?」

続いて美十が、

「お礼なんて、いいんですよ。あなたは私を、一度助けてくれたのですから」

それにグレンは頷いてから言った。

「なぜ俺がおまえらに礼を言う?俺が言いたいのは、近づくなってことだ。俺は、友達はいらないんだ」

するとそれに、美十と五士が目を丸くしてこちらを見つめ、それから、

「おまえ、ほんとに照れ屋だよなぁ〜」

と、五士が笑い出した。

続いて美十も、

「まさか近づくと、私達までいじめにあうと心配していると?」

「違……」

「そんなこと、気にしなくていいのに。でも、なんか、少しづつあなたのことがわかってきた気がします」

と、まるで何もわかってないくせに、彼女には勝手に何かがわかったらしい。

続いて美十は、時雨に話しかけ始めると、しつこく時雨を従者として勧誘しだした。

その横で五士は小百合にナンパし始める。

ちなみにもう一度言うが、いまは戦争中だった。

なのに、

「この、平和ボケどもの様子は、いったいなんだ?」

と、グレンは思う。

 

そこで近くにクレハ=ヴォルガスが歩いているのを見て近寄る。

グレンは、クレハが立ち止まると、鞄から以前、借りていたタオルを出す。

「遅くなってすまない」

「………………」

クレハは差し出されたそれを見て、コーラまみれのグレンを見る。

「またコーラ?」

「俺はコーラが好きなんだよ」

「そう。コーラはあまり飲んだことが無いから分からないけど」

「なかなか美味いぞ?」

「そう」

「それより早く受け取ってくれ」

グレンがそう言うも、クレハは手を動かす気配がない。

その代わりにクレハが言う。

「それはそのままあなたに貸すわ。濡れたままうろちょろされても困るから」

そう言うと、またもやとっとと先へ行ってしまった。

グレンも時雨や小百合、それから美十や五士の所に戻る。

クレハの考えてることは未だよくわからないが、こいつらのことも大概だ。

相変わらずうるさい馬鹿どもを見つめ、グレンはため息をつくと、コーラでずぶ濡れの髪をかき上げる。

空を、見上げる。

無駄に平和そうなその空と、そして、目の前の、あまりに馬鹿馬鹿しい光景に、

「……はは」

と、そう、小さく笑って。

 

 

そしてここから、物語が始まる。

 

戦争。

殺し合い。

騙し合い。

愛と、憎しみ。

それは終始、人間味を帯びていた。

欲望を起点に、なにもかもが回り続ける。

際限なく回り続ける。

そしてしの欲望が膨れ上がり、世界は滅亡していく。

これはその、人類滅亡直前の物語だ。

終わりの天使(セラフ)が終末のラッパを吹き鳴らし、世界に鉄槌を下すまでに、人間たちがどれだけ醜く、それでいて必死に足掻いたかの、物語____

そして物語は破滅後の世界へと続く。

 

一人の暗殺者が長い長い物語の果てに選んだのは____

 

さて____

 




次回『何故グレンがクレハに対してタメ口なのか』


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第12話 脈動する意志

お久しぶりです!
更新が大変遅れ、本当に申し訳ございません!
今回は前話の少し前の話です。
それでは早速 第12話 どうぞ!




 

《百夜教》の襲撃から数日。

 

学校が再開する少し前。

 

「……一瀬グレン」

「つまらんものだが」

クレハは、手渡された小さく可愛らしいお菓子の箱を、黙って見つめる。

箱にはイタリア語でクッキー(biscotti)と書かれていた。

「近くのカル〇ィで売ってたやつでな」

ということらしい。

イタリアでお菓子を食べていた訳ではないので、だからといって何か懐かしんだり、ということもないのだが。

「わざわざありがとう」

クレハは病院食を端に寄せて、机の上に箱を置くと、さっそく開封してクッキーを手に取った。

そして、グレンがベッド脇に立っている方を気にも向けず、黙々とサクサク音をたててそれを食べる。

グレンがその様子を眺めて言う。

「毒が入っているかもしれないぞ?」

 

サクサクサクサク

 

「…………………」

 

サクサクサクサクサクサクサクサク

 

「…………………」

 

サクサク___

 

「おい」

「……ふぅ、何?あ、毒は入って無かったけど」

空になった菓子箱を病院食のトレーに乗せて言うクレハに、グレンが若干呆れ気味に言う。

「毒殺されるとか、考えないのか?」

「何故?」

「お前、見ただろ?色々と。斉藤と話している時もそうだ」

「……口封じ?」

「……ああ」

 

頷くグレンを見て、今度はクレハがため息をついて目を閉じる。

 

「私はあなたと斬り合う真昼を見た。連れ去られたはずの、ね。けれど、私はそれを柊に報告していない」

「それをどう信じろって?」

「もうじき内部調査が行われる。柊はまだ、真昼が裏切り者だと知らないから」

 

私が気を失った後、真昼が百夜教に連れ去られたとの報告があった。

調査が始まれば、自然とクレハの言う事が真実で、且つクレハが柊に組みしていないことを示すことが出来る。

だからクレハはこの話をした。

一瀬の邪魔をしないのだから、その上、柊の状勢を話してさえいるのだから、口封じをされる理由が自分にはない、と。

だが、それをグレン聞いたのは今が初めてだ。毒殺とは全く関係ない。

と、グレンが言おうとするのをクレハが遮って、再び口を開く。

 

「それに、毒の有無くらい分かる。私を殺せる程の強力な毒なら尚更」

 

グレン自身も、対毒の訓練を受けていたので、なるほど、と納得した。

無い自信を語るようには見えないので、もし、こちらが隠匿性や速効性に優れた毒を盛っても効かないのかもしれない、とも考える。

……やはり噂どおり、こいつは人間からかけ離れているのか。

 

グレンが尋ねる。

 

「お前は柊に組みしていないんだな?」

「ええ」

「なら、何故、あの学校の生徒を守った」

 

クレハは病院で目が覚めてから聞いた話を思い出す。

 

あの時。私が怨念を纏って闘った____

いや、皆には一方的な虐殺に見えていたのかもしれない。

『化け物』

そんなことを言った生徒がいた気がする。

別に彼らを殺されたくない訳では無かった。

ただあの時は、暮人に何か、何か返せたらと思って動いただけ。

だけど、

返り血を浴び、呪詛が巡る私の肌を見た生徒達は、あの襲撃の後口々に噂する。

 

___強いと聞いていたが、そもそも人間じゃないんじゃないか?

___あいつマフィアなんだろ?もし怒らせたら俺達も……

___見た奴の話では、笑いながら殺していたらしいぞ

 

根も葉もない話だ。

 

「ほんと……なんでだろう……」

「お人好しなのか?」

「さあ。でも、あなたも人のこと言えないでしょう」

「どういうことだ?」

「奇襲から、友達を守ったじゃない」

クレハが言うと、グレンは苦々しい顔になる。

「あいつらは友達なんかじゃ……」

「ふーん。そう」

 

絶対分かってないだろ、とグレンが小さく呟くのを無視する。

 

「で」

「何しに来た?」

「見舞いに来ただけなんてことはないでしょう」

 

「聞きたいことがあってな」

クレハに問われてグレンが言う。

「あの時、お前が使ったのは鬼呪なのか?」

流石に見れば、何か呪術を使っているとわかるか。

「違う。あれはただの身体強化の術式。真昼と違って」

「お前はあの日、襲撃があるのを知っていたのか?」

「知っていたら事前に対策を打っていた」

「ヴォルガスはこの件に関与しているのか」

 

立て続けの質問に、クレハはため息をつくと窓の外に目をやる。

もう戦争は始まっているというのに、眼下には呑気な人々の賑わいがある。

「私達は____」

そう言いかけて、止める。

そしてグレンの方を見ず、窓の外を見つめながら言う。

 

「……今日はここまで。もう帰って」

「…………ああ、分かった。今日のところはこれで失礼する」

 

いきなり、説明も前ぶりも無しに、帰れ、と言われてグレンは一瞬不審げな表情を浮かべたが、何か思ったか、素直に聞いてくれた。

手荷物をてみじかに纏めると、すぐに病室の扉を開ける。

その背中にクレハが声をかける。

 

「そういえば、今日はタメ口なのね」

「……今更取り繕っても仕方ないからな」

 

グレンは足を止めてそう言うと、今度こそ出ていった。

 

 

それからしばらくすると、また、来客が来た。

が、クレハはその人物がこの病院に来るのを見ていたので、さして驚かない。

 

「お久しぶりです、クレハ先輩」

「久しぶり、葵さ……葵ちゃん」

「何故言い直したんですか」

「んー特に意味はないよ」

「はあ」

 

葵はそう、怪訝な顔をしながらも抹茶のケーキをベット際の机に置く。

それから脇のパイプ椅子に座ると言った。

 

「今まで見舞いに来れずすみません。私も暮人様も忙しく……」

「いいのいいの。私の方こそ力になれなくてごめんなさい」

 

あの襲撃で、色々と上の方は緊迫して、情報収集や、武力の配備などに忙しいのだろう。

葵も暮人も立場上、やらなければいけないことが多いに違いない。

それに生徒会の仕事だってただでさえ少なくないのに、私がずっと入院して抜けてしまっている。

葵は暮人の従者として、生徒会室で私ともよく仕事をすることが多かった。

本当に優秀な子、いや、実際は年上なのだから"子"というのはおかしいだろうか。

とにかく今は二人に相当、迷惑をかけてしまっている。

 

「いえ、大した手間では無いので」

 

本当に優秀な人だ。

続けて葵が言う。

 

「それよりお身体は大丈夫ですか?入院当初は、吐血したり、五感が弱まっていたりしたそうですが」

 

この病院の奴らが報告したのか……。しかも勝手に。

 

やはり、強力な呪いだったが故に身体への反動も大きかったのだろう。

もう使わないのが一番好ましいが、そこをなんとかしなければ、毎回ぶっ倒れることになってしまう。

 

だが実はもう既に、少し対策を考えている。

 

「大丈夫。もうほとんど回復しているから、学校の再開には間に合うよ」

「それは良かったです。先輩には呼び出しがかかっているので、出来る限り早く応じてもらわなければ」

「呼び出し?」

「はい。『帝ノ鬼』の上層部会から」

 

それはまた大層なとこだな……。

呼び出される理由は……心当たりが多過ぎて分からない。

むしろ今更か、という気もする。

 

「何故?」

「私には知らされていません。ですが、学校が完全に回復してからでいいそうなので、今はごゆっくりしてください」

「分かった。伝達ありがとう」

 

いえ、と、淡々とした話を終えると、葵はゆっくりと切り出した。

 

「クレハ先輩」

「ん?」

「以前、先輩は、忠義に命をかけるのも程々に、と言いました」

 

……言ったっけ。

 

「ああ、それがどうしたの?」

「あれは、仕えられる側の意見なのでは、と気になったんです。巨大組織ヴォルガス一家の名前を持つ、ということは、帝ノ鬼で言う柊家のようなものなのではないですか?」

 

ああ……。

確かに私はヴォルガスの名前も、たくさんの部下も持っていた。

はるかに年上の部下達は、私が幼いからといって見くびったりしなかった。

幹部であることが、人並み外れた強さの証だったから。

 

忠実に付き従う部下達がいて……でもそれは……

 

「確かに私はかなり上の方の人間で、部下もいる。でもそれは関係ないよ。私はただ、葵ちゃんが笑っているところを見たことが無かったから」

 

少し、心配だった。

どうして?

自分でもよく分からない。

 

なんとなく、葵ちゃんの口元に手を伸ばして、両口角を押し上げる。

 

「何……するんれふか……」

「笑って笑って。笑えば幸福が舞い込んでくるよ。葵ちゃんは可愛いんだから。クールビューティーもいいけどね。もちろん私はどっちも好きだよ」

 

私がそう棒読みで言うと、葵はやや引きつった顔でささっと、私の手を逃れて後退する。

 

「……先輩、もしかして頭にも怪我を……。医者に報告しなければ___」

「待って待って。違うの」

「……何がですか」

 

葵がじとーと見てくる。

やめて。何故か葵ちゃんにそういう目で見られると傷つくからやめて。

 

「昔、同じことを言ってきた奴がいたの」

「それは……軽薄さが滲み出ている台詞ですね」

「は……ははっ、はっきり言うのね」

 

私がそう言うと、何故か葵が驚いたような表情になる。

 

「先輩も笑うんですね……」

「え?」

 

今、笑っていた?

自分ではそんなつもりはなかったのだけれど。

どうして……

 

「今、私笑ってた?」

「…?はい。それは楽しそうに」

 

今、私は遠い昔。同じくヴォルガスの幹部として働いた、陽気な男のことを思い出していた。

私よりはるかに年上だったから、きっと私より長い間、暗殺等の任務をこなしてきているはずだ。

なのに、普段会うときなんかは全然そんな雰囲気は無くて、

馴れ馴れしく話してくるし、緊張感は無いし……でも。

 

「ちょっと、思い出し笑いをね…」

「この学校で何か楽しい思い出でも?」

 

そんなものが学校にあるのか?と言わんばかりの口調だ。

まあ、それには同感だよ。

あることを除いては。

 

「無いことも無い…けど。今のはもっと昔のこと」

「故郷でのことですか」

「そう」

 

それからまた少し間が空いて、葵が言う。

今までにももちろん話すことはあったが、まさかこんなによくしゃべるとは思わなかった。

 

「呼び出しのことで、心当たりがあります」

「それは……」

 

言う前にわかる。

それは漏らしてはいけない情報では……?

 

「『帝ノ鬼』の上層部は先日の件について、一瀬を疑っています。ですが同時に___」

「私を……ヴォルガスの関与も疑っている、と」

「はい。今回はそのことでの呼び出しかと」

「なるほどね……」

 

今まで暮人が何も問わないでいてくれたけど、それももう限界らしい。

私からもそろそろ、動かなきゃいけないのかな……。

 

「その……」

「ん?」

 

葵が急に、躊躇うように口を開く。

 

「気をつけてください。クレハ先輩が何を考えているのかは、私には分かりません。が、返答次第では殺される可能性もあります」

「……以前、少し斬りあったでしょう」

「というより一方的にやられましたが」

「私が殺されると思う?」

「…………ですが」

 

少しの間。

あの刹那の時間でも葵はこちらの実力を読み取ったらしい。

けれど、上層部も相当……ということだろう。

それだけではないかもしれない。

 

「心配してくれるんだ」

「…別に。ただあなたが何か問題を起こせば、共に行動されることの多い暮人様にも悪影響が出るので」

 

ふむ。もうちょっと親しめていると思ったのだけれど。

あれか。これがツンデレってやつか。

本で読んだ。

あ。

あの陽気男も言ってたような……。

 

「ですから、迂闊なことは____」

「もし、私が…『帝ノ鬼』に敵対していたとして」

「…………」

 

クレハが葵の言葉を遮る。

 

「暮人もあなたも高貴な家柄で信頼もある。私は所詮ただの無価値な警戒対象の余所者。それは以前から変わらない。それが……それが、どう影響するというの」

「…………」

 

葵は表情を固くして黙る。

この人は、盲目的で危ういところもあると思っていたけれど、案外自分の意見を持てるようだ。

それも、根はとてもいい子で……

 

やはり私とは違う。

 

「ごめんなさい。暗くなっちゃったね」

「……そうですね。ではそろそろお暇させて頂きます」

 

陽がすっかり傾き、病室にオレンジ色の光が差し込むのを見て、葵が立ち上がる。

 

「ああ、この抹茶ケーキ、よろしければどうぞ」

「ありがとう」

「あと、私なんかより、暮人様の方がよっぽど心配されていますよ」

「…………私は大丈夫だと伝えてくれる?」

「わかりました。では、失礼します」

 

葵は丁寧に頭を下げると、静かに病室から出ていった。

一人部屋のここは、今度こそ本当に静まり返ってしまう。

クレハは起きあがっていた体勢を崩して、ベッドに身体を横たえて目を閉じると

「なんだ。やっぱり葵ちゃんも心配してくれてるじゃない」

そう呟く。

 

本当に、ここの人間は甘いんだか何だか。

 

 

ああ、胸がざわざわする。

 

もう、事が大きく動きすぎた。

 

もう、屋上で風に吹かれながら、二人で過ごした時は戻らない。

 

いくら、身を案じられても、それには、もう応えられない。

 

もう時間が無い。抗わなくては世界はもうじき滅亡する。

私がヴォルガスを追われた理由も、2つの呪いの意味も、マリアの正体も知らずに。故郷を一度も見れずに。

 

それだけは御免だ。

 

挙句、共にありたいと望む人がいる、だなんて。

 

これは強欲だろうか。

 

なら、それらを奪われたくないのなら

 

もっと。もっと力を

 

例えこの身がどうなろうとも

 

力を

 

ちかラヲ寄越セ

 

 

 

 




更新は出来る限り早くするよう努力します。
お付き合い頂いている方、本当にありがとうございます!
次回、学校再開後 です


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第13話 雨の日に

更新が大変遅くなり、本当に申し訳ありません!

お読み頂いている皆様には本当に感謝感謝です!

学校再開後からです。 第13話どうぞ!


「はぁ……は……うっ……」

 

近くの建物の壁に、思わず手をつく。

 

全身を覆う不快感、疲労感、いや痛みだろうか。

意識がはっきりしなくてよくわからない。

 

さっきまで、あんなに気を張りつめていたのに、もう解けてしまったようだ。

 

視線を下に落とすと、自分の足を伝ってアスファルトに血が滲み込むのが見える。

 

だが、それも、後から後から降り続く雨で消えてしまった。

 

もう夏に近づく頃なのに、妙に寒くて。

 

「ああ。帰るの面倒くさいなぁ…」

 

周りには誰の姿もなく。

 

そのクレハの呟きは、雨の音に紛れて掻き消されてしまった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

《百夜教》の襲撃から約1ヶ月後。

学校が再開してから僅か数日後のこと。

 

授業が終わり、その日は特に用事もないので直ぐに帰ろうとしたときだった。

 

『三年一組 クレハ=ヴォルガス。至急、体育館まで来るように』

 

と、校内放送がかかる。

このタイミングでの呼び出しは、おそらく葵が言っていた件なのだろうが、体育館とはちょっと意外だ。

 

これからきっと、長丁場になる。

私一人で、『帝ノ鬼』を相手取らなければ。

大丈夫大丈夫。私は出来る。出来なければいけない。

 

そう、自分に言い聞かせてクレハは体育館に向かった。

 

 

 

 

「お前がクレハ=ヴォルガスだな。来い」

 

生徒のいない体育館で待ち受けていたのは、見馴れない軍服を着た大人数十名だった。

私が体育館に足を踏み入れた直後、取り囲まれたと思えば、両腕を数人がかりで拘束される。

 

高校生一人に、一体何を警戒しているのだろう。

ここにいるのは訓練された、優秀な兵ばかりだろうと言うのに。

それだけ、襲撃の件で危険視されたのだろうか。

 

目隠しもされずにそのまま地下へと連れていかれる。

暗い廊下に、いくつも鉄扉が並んでいて、まるで監獄のようだ。

学校の地下にこんなところがあったとは。

 

私を拘束している奴等は、その内の1つの扉の前まで来ると、一人が前に進み出て鍵を開けた。

 

依然薄暗いそこは、あまり広くなく、中央にはあまり座り心地の良くなさそうな椅子が、床に固定されている。

椅子のひじ掛けと、足元の部分には手錠がついていて、背もたれにはベルトがある。

 

やはり私は今から拷問されるらしい。

 

いきなりここにつれてきたのがそう言うことだ。

どうやら、『帝ノ鬼』は、まともな状態の私の話を、端から聞く気がないらしい。

 

理不尽だとは思うが、抵抗せずに、部屋に入れられ、椅子に固定されるのを受け入れる。

 

ここで反抗しては、反乱分子と見なされ、これからの行動に支障が出るどころか、最悪今すぐ殺されるかもしれない。

全く。本当に理不尽だ。

 

まあ、このぐらい慎重でなくては、ここまで強大な組織にはなれなかったんだろうが。

 

私が椅子から動けないのを確認すると、兵たちは部屋を出ていき、私一人が残される。

と思えば、それと入れ違いに、重たそうな鞄を持った、やはり軍服を着たおばさんが入ってきた。

 

そいつは鞄の中から注射器を取りだし、いきなり私の首に射す。

 

「…っ。一体、何が始まるんですか?」

 

クレハが尋ねる。

が、女はそれが聞こえた素振りすら見せずに注射針を抜き、また鞄から黒手袋を取り出して自分の手にはめた。

さらに続いて何やら鞄から取り出して腰のベルトに装着している。

 

あれは……うん。

鞭だな。乗馬用の物ぐらいの長さの。

 

そして女は私に近づいて言う。

 

「今から私が聞くことに全て答えろ。真実を吐くまで出られないと思いなさい」

「嘘をつく理由がありますか?やましいことなど何もないというのに」

「それは私が判断します」

 

判断するのは、柊家の方では?

と、言おうとも思ったが、意味もなく怒らせて拷問が悪化しても嫌だしな……。

 

さて…。

 

一応、大体は考えて来てはいるが、この女の質問に臨機応変に答えなくては。

それも、しばらく拷問を受けてからがいい。

いきなりペラペラ話しても信憑性ゼロだからな。

 

一度、女を見上げ、それから顔を伏せる。

 

私は、これから何をされるか分かっていながら、自分の目的にとって、とてつもなくどうでも良く、意味の無いことを考えていた。

 

(私の話す嘘を聞いて、暮人はどう思うだろう)

 

なんて____

 

 

考えていながら、実際の所その点に関しては、そんなに心配していない私も

 

「随分甘くなっちゃったかな……」

 

そう呟いて。

 

長い尋問が始まった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

意識が飛ぶ。

 

目が覚める。

 

意識が飛ぶ。

 

目が覚める。

 

その繰り返しをもう、何度しただろうか。

 

「…………」

 

クレハは再び意識を取り戻し、薄く、目を開く。

景色が少し歪んでいる。

恐らく、最初に打たれた自白剤のせいだ。

だが幸か不幸か、対毒・薬訓練を受けていたため、今もまだ自我を保てている。

 

自分の顔には、強い光を放つ電球を押し付けられていて。

その光の中で僅かに見える足や腕などには、幾つもの痣、裂傷、蚯蚓脹れ(みみずばれ)が確認出来る。

 

身じろぎするたびに、拷問者に殴られるたびにそれらの傷から電流のようなものが全身に走り出た。

 

それが痛みなのか…………もう分からない。

 

「バンッ____ガチャガチャ___ガチャ」

 

 

一連の状況確認を終えた時。

 

クレハは部屋の外が騒がしいことに気づく。

 

「誰…か……来た…………?」

 

思わず漏らす声に拷問者はぴくりと眉を寄せる。

 

そして拷問者は顔を伏せったままのクレハに手を伸ばし、乱暴に髪の毛を掴んで上に引っ張りあげた。

 

「ぐぁっ」

「貴様、今のが聞こえたのか?」

 

そう言いながら顔を近づけて、目線を合わせてくるくる。

 

「………………」

 

しかしクレハはだんまりを決め込んでいた。

 

話すには嘘がいる。

嘘をつくには脳を働かせる必要がある。

だが、その機能は今低下している。

 

だから余計なことは話さない。

 

「ふん」

 

口を開く気配が全くないクレハに苛立ったのか、掴んでいた髪の毛を、今度は下にものを投げるかのようにして離した。

 

全く。

禿げたらどうするんだ。

 

と、いう馬鹿なことを考える暇も与えず、今度は私の着ている(もう既にボロボロの)セーラー服の前を、突然開け放った。

 

露になる黒と白が混じりいった胸。

 

私には、この呪いが、心臓とは別に脈動しているのを感じる。

 

ようやく『これ』について触れるのだろうか。

 

恐らく服の裂け目から既に見えていただろうし、それに……

 

「教えてやる。確かに今日この時間に、もう1人の人間がここに収容された」

 

やっぱりさっきの音はそういうことなのか。

 

拷問者が続ける。

「だがこの部屋の防音性は外部の音をほぼ完全に遮断するほど。私はもちろん普通の人間には聞こえるはずがない」

 

「…………」

 

「だがお前は音を聞いた。しかも、だ」

 

そう言って拷問者が肘掛に固定されているクレハの腕を掴む。

そこには、無かった。

先程まで刻まれていたはずの傷が。

 

正しくは、深い傷は浅く、浅い傷は無くなっていた

 

「この回復力と聴力は、気味の悪いこれと何か関係しているのか?」

「…………」

 

黙っていると拳で頬を殴られる。

 

ああ、喉も渇いて頭がクラクラする。

 

「……ま……魔術」

「これは魔術なのか。なんの魔術だ?」

「強……化。身体能力強化の……術。ヴォルガスで施術された…………」

 

拷問者は言い終わった私の様子をじっくりと観察するともう同じことを質問してはこなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

もう何日経っただろう。

 

私が最後に喋った時、胸の呪いについて答えた時は、多分2日位経っていたと思う。

 

それから、恐らくまた数日経過している。

 

その間、というか初めからだけど。

同じ質問を繰り返されていた。

 

「お前は百夜教と関わりを持っているのか?何の目的でここに来た?」

 

もうそろそろ頃合いだろう。

もう既に、普通なら訓練を受けた人間でも音を上げる日数はとうに経っている。

 

「お前は百夜教の仲間なのか?」

 

クレハはカラカラに渇いた喉をゆっくり開いた。

 

「……ち、違……」

「お前が百夜教を学校に引き入れたんだ」

「…………違う」

「いや、お前が百夜教を手引きした」

 

ぐいぐいと、強く発光する電球を押し付けられていて意識が朦朧とする。

 

「……手引き……してない……でも」

「でも?」

 

「……百夜教の…計画…は……知ってる」

「それはなんだ?」

 

飛びかかる意識を必死に保って頭を働かせる。

 

「…………う」

「計画とはなんだ?」

「……ウイルス。世界を…滅ぼす…強力なウイルス」

「ウイルスだと?百夜教はウイルスを開発しているのか?」

「……わからない」

「わからない?」

 

拷問者の声に少し、苛立ちが見える。

あと、少し……

 

「わからないとはどういうことだ?口から出任せで言ったのか?」

「……違う」

「なら何故わからない」

「…私達は…そういう情報は手に入れた。だけど、本当かは……」

「違うな。お前は百夜教に通じている」

「……ちが……」

「お前達の目的はなんだ!」

 

拷問者が怒鳴ると共に、またクレハの髪の毛を掴みあげた。

 

いや、だから禿げるって……。

 

さて…………。

私は禿げたくないので、意地をはるのはもうやめだ。

 

「う……あ……」

「ん?」

「……み……水……」

「言えば飲ませてやる」

「あ」

「お前達の目的はなんだ?」

 

「……Padre…の…命令」

「パードレ?」

「私達……いや、我々のボス。父上のご命令……」

「命令の内容は?」

「……数年前……日本のある組織……が……世界を滅ぼす開発をしているとの情報を我々は掴んだ……」

 

そこで少し言葉を切る。

あまりペラペラ話すのも疑われるかもしれないというのもあるが、何より、一気に喋る程の余力があまり無かった。

 

しばらく次に話すことを頭の中で反復していると、拷問者が言う。

 

「どうした?続きが思い出せないなら爪を剥がして、思い出させてやる」

 

仮に忘れてたとして、そんなんで思い出せるわけあるか。

 

クレハは、その言葉に、焦るような様子を見せて口を開く。

 

「…も、もしウイルスが本当に蔓延すれば、ヨーロッパにまで被害が及ぶかもしれない。だがあくまで噂……。しかも、利用出来る組織が日本にあるのに、わざわざ我々が本隊をもって対処する必要はない。そう父上はお考えになった」

「利用出来る組織とはまさか『帝ノ鬼』のことか?」

 

黙って首を縦にふる。

同時に頭がグラグラ揺れるような感覚に陥った。

 

そんな頭でも、拷問者が今、不愉快そうなのがわかる。

 

「続けろ」

「……父上は能力面から判断されて私を日本へ送った。ウイルスの真偽の確認、そして排除を私に命じられて。

一人で手に余るようなら、帝ノ鬼に協力しろ……と」

「協力?利用するとさっき言っていたな」

「…同じこと…。たかがちっぽけな東洋の組織には幹部一人で充分だと考えているのだから」

 

そう言うクレハをじっと見た後、拷問者は耳に装着感した何かで誰かと会話すると、一人頷いてクレハに向き直った。

 

「で、その証拠は何処にある」

「……私の家の……机の引き出しに……父上からの命令書が…………」

 

そう言った直後に、外で今度は複数人が走り去る音がした。

私の家に向かったのだろう。

 

「何故今まで『帝ノ鬼』にこのことを黙っていた。今の話が本当ならお前達は我々と協力関係にあるはずだ」

「…………」

 

やっぱり聞かれるか……。

しかし私にぬかりは無い。

 

「……我々が掴んだ情報はあくまでも〝ある〟組織が、というもの。ウイルスを撒くのが百夜教かそれとも帝ノ鬼かは……」

「知らなかった…と?」

 

クレハはこくりと頷いて続ける。

 

「実は……帝ノ鬼に潜入して、黒なら内側から壊滅、白なら協力する予定だった……」

「今は?」

「一目瞭然。百夜教が黒だと判断した。だから…………私はあなた達と共に戦いたい」

 

い、言い切った……。

これでどうだ?とクレハは考える。

 

拷問者はそう言うクレハをじっと見定めていると、また耳に手を当てた。

 

そして、しばらく誰かと小声で会話した後、クレハに告げる。

それも今までとは全く違う口調で。

 

「クレハ=ヴォルガス様、大変申し訳ありませんでした。後日宿舎を用意させて頂きますのでそれからはそちらにお移りください」

 

それと時をおかずして部屋の扉が開けられ、数人の軍服を着た人間が入ってきて、私の拘束を解く。

 

クレハが「水……」と呟けば、誰だか知らんがあっという間にコップに入れた水を用意してくれた。

幾日ぶりの冷たい流動体が喉に染みる。

身体の傷は、自動修復が効くにしても、飢えと乾きはどうにもならない。

 

 

それにしても酷い待遇の差だ。

そんな内容、偽造した命令書に書いたかな……。

 

とりあえず今日の所は自分の家に帰れと言うので、部屋を出、体育館を出、学校を出る。

 

まあ、歩いて帰るしかないのだけど。

 

荷物と新しい制服は家に送っておいてくれたらしい。

けれど、やはり身体へのダメージが大きく、足を半ば引きずり、近くの建物に縋って歩くのが精一杯だ。

 

そのうえ雨が降っている。

 

流れ落ちる血が雨に滲んで消えるのを見下ろしながら、小さく文句を吐く。

 

 

もう緊張は解けたけれど……

全く……。これ本当に仲間認定されたのか?

もうちょっと送ってくれるとか……。

 

そう考えていても道でくたばるだけなので、足をまた進めようとしたその時。

 

ブロロロロロ…………

 

と、エンジン音が近づいてくる音がする。

目の前から。

ここには車道と歩道の境が無い。

 

暗く、雨で悪くなった視界がどんどんライトに照らされて真っ白になっていく。

 

避けないと……。

 

そう考えても身体が言う事を聞いてくれない。

それでも残り僅かな力で横に跳ぼうとする。

 

あと少し。

 

あと少し力が。

 

まにあわない。

 

 

キイイィィイイイ!!!!!!!!!!

 

 

けたたましいブレーキ音が鳴り響くと共に、全身に込めていた筈の力はスルリと抜け落ちた。

 

地面に倒れ込んでしまった。

 

一度こうなってはもう立ち上がれない。

 

白い光がもう零距離に。

 

「……あ……れ」

 

身体が車にぶつかる音の代わりに、どたばたと二人程の足音が側まで来て、急に私は柔らかいものを肌に感じた。

 

「毛布をかけて早く車内に入れろ!」

 

聞きなれた声だ。

 

ああ。

 

あたたかい。

 

「少し……疲れたな……」

 

 

そう、呟いたクレハの頬に雨が伝い落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その場にいる誰も、雨の中で少女を運び入れた車に注がれる視線に気が付かなかった。

 

 

 

 

 

 




かなり前になりますが、終わセラの11巻を読み、吸血鬼シャハルを見て、もう……胸熱でした。
最近の本誌も展開が凄い……

という訳で次に続きます。


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第14話 初任務

毎度お待たせいたしました!
読んで下さる方、本当にありがとうございます!

今回は前話の続きから始まります。
さらには少しアクシデントそして初任務。

それでは第14話 どうぞ!



side 柊暮人

 

 

雨が激しく車の窓を打つ音だけが聞こえる。

外の様子もその雨のせいではっきりとは見えない。

 

隣の座席で、毛布にくるまっているクレハが眠っているが、寝息は小さすぎて雨音に完全にかき消されてしまっている。

胸の上下も、俺の目で辛うじて分かる程度しかない。

 

やはり、かなり衰弱しているようだ。

 

だが……

 

「…………」

 

クレハを見る。

 

クレハの拷問の様子はこちら(、、、)の拷問の片手間に見ていたが、あれだけ暴行を加えられてここまで外傷が無いのは、通常では有り得ない。

 

ここで、百夜教の襲撃時の事を思い浮かべる。

 

帝ノ鬼の部隊を率いて学校に戻ったあの時。

そこで見たのは、

幾人もの生徒の死体

血に染まった校庭

そして、狂気に染まったクレハの眼だった。

 

まるで、ここにある死体は全て、彼女が作り上げたものだと錯覚するような、

 

狂気だった。

 

今直ぐ手を掴まなければ、どこか遠くへ行ってしまうような……。

 

いや、何かに操られているようだったと言ってもいい。彼女の腕をつかんだ途端、操り糸がプツンと切れたかのように、彼女は倒れ込んだのだ。

 

そして……。

 

身体を抱きかかえた時に見たものが、鮮明に脳裏に焼きついている。

 

前を開け放った制服の合間に見えたのは、想像通りの白い肌に、根を張る

"黒い七翼の天使"____

 

 

 

現在の状況に意識を戻す。

 

 

今のクレハはまるで死んでいるかのようで。

車で駆けつけさせた時、彼女の姿を見て湧き上がったのは、怒り。

クレハが拷問されても、何一つ意見出来ない自分へ。

 

何故、

 

何故、俺は、たった1人の愛する人さえ守れない。

 

何故、俺にはこんなにも力が無い。

 

柊の次期当主候補として、いくらもてはやされようと、

結局父親には勝てない。何も出来ない。

 

そのうえ、例え帝ノ鬼の主権を握ろうと、ヴォルガスには手を出すことも難しい。

 

もっと……

 

もっと俺に、力があれば…………

 

 

「必ずお前を…」

 

そう呟いて、クレハの髪をなぜようと手を伸ばす。

が、

 

「……暮人」

 

髪に触れよう、というところで伸ばした手はガッ、と手首を掴まれて止められた。

 

「起きていたのか」

「……いや」

 

見ればもうクレハは目を開けている。

恐らく本当はずっと起きていたのだろう。

その様子を確認して、淡々と告げる。

 

「お前の尋問の詳細は知っている。そして、お前はもう、正式に俺の下に配属された」

「……そう」

「帝ノ鬼はお前の話を信じた。裏付ける証拠があったからな」

 

実際は少し違う。

まだ、ヴォルガス本部への確認が取れていない。

クレハの部屋から見つかったあちらのトップからの命令書によると、クレハを介してのコンタクトも可能なようだが、帝ノ鬼は、父上はそうしないらしい。

 

クレハにも内密に、密書はついさっき信用できる者に持たせたところだ。

 

「既に聞いているだろうが、お前に柊家の敷地内に建つ帝ノ鬼の官舎が与えられる。その用意が出来るまで、柊家の屋敷の客室を使え」

「でも、家に帰されたんじゃ……」

「これは俺からの指示だ」

 

こんな時に一人にしておけるか。

 

「……そう。じゃあこの車はそこに?」

「ああ」

 

クレハはあまり驚いた様子も見せず、外に目を向けた。

と、思えば急に強い口調で

「止めて」

と言う。

 

「どうした」

「一旦家に戻る。下ろして」

「なら車で行けばいい。おい、場所はわかるな」

 

前にいる直属の運転士に呼びかける。

彼はすぐに「はい、分かりました」と答えると、進路を変えた。

 

こんな雨の中で行かせたくない、というのもあるが、今は、やはり一人にすべきではないと考えた。

 

彼女の尋問の内容は、"こちら"の尋問の片手間に把握した。命令書の内容もだ。

 

だが、彼女は嘘をついている。

 

確かに、俺が昔彼女に会った時期と、命令書に書かれた内容に矛盾は無い。だが、あの時の彼女の様子は…

 

そう考えているうちに、クレハの家につく。

クレハは一人で車を降りて家に入ると、数分と待たずに戻ってきた。何か持っている様子は無い。

 

「わざわざごめん」

「忘れ物か」

「ちょっとね」

 

そう言うと、またクレハは目をつぶる。

 

「着いたぞ」

 

そう暮人が言うまで彼女はずっと目を閉じていた。

 

暮人の言葉に、彼女は目を開けると、暗い空にそびえる屋敷を見つめて一言

 

「懐かしいな……」

 

そう呟いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「うわ、広っ……」

 

あの日から数日。

柊家の客室からようやく官舎に移ることが出来た。

荷物の移動などは、帝ノ鬼の人が手伝ってくれた。

彼らが言うに、私は彼らの上司なのだそうだ。

 

イタリアで部下を従えていた経験があるにしろ、敵地同然の場所で頭を下げられるのは不思議な感覚だ。

 

官舎の私の部屋は一番上の階にあって、とても広い。私が以前住んでいたボロアパートより断然広い。

キッチンもお風呂も完備していて、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

 

「わぁ……」

「何かありましたら、取り付けられた電話でいつでもお申し付けください」

「ええ」

「それから、こちらを柊暮人様から預かっております」

 

そう言うと、部屋の整理をしてくれていた兵が細長い袋から重みのある細長いものを取り出す。

 

「妖刀・蓮華(れんげ)。学校から支給されたものは回収したので、こちらを使うように、とのことです。」

 

彼に近づいて、それを受け取り、鞘から少し抜くと、それだけで紫の光が漏れでた。

うわ…こいつは確かに妖刀だな。

 

鞘に戻して、少し視線を上げると、兵の表情が少しこわばっていた。

よく見れば、手袋を着けた手も少し震えている。

 

明らかに、武器を手にした私に対してだ。

もしかしたら、こいつは、百夜教の襲撃の日のあの校庭に居て、私を見たのかもしれない。

 

「ありがとう。下がって構いません」

 

緊張されるのも余り心地が良くないので兵の目を見つめて、ふっ、と微笑みかける。

すると

 

「は、はい。失礼します!」

 

今度は、顔をぱっと赤らめたかと思うと彼は早歩きで去っていった。

一体何なんだ…………。

 

まあ、そんなことはいい、と蓮華を玄関から居間に繋がる短い廊下に立てかけ、フカフカベッドに飛び込む。

そしてこれまた用意されたデジタル時計を見る。

 

現在朝の八時。木曜日の。

 

学校?

 

ドタバタしていたからこのところ数日間休んでいる。

拷問の傷も、実はようやく今日あたりに完治したところなのだ。

いくら皮膚の表面上が修復されていても、内側のダメージが残ってしまっていた。

 

という訳で、まあ明日にでも学校には行こうかなと…。

 

さて、

 

「風呂の使い心地を試すか」キリッ

 

以前住んでいたボロアパートにはシャワーしか無かったから、湯船につかれるなんて本当に久しぶりだ。

 

服を脱いで、風呂場に入り、キュッとレバーを回す。

 

シャワーを浴びふと、閉じていた目を開けると、目の前の大きな鏡に自分の姿が写っている。

 

濡れて、肌を伝う髪の合間に見える黒い紋様。

 

「醜い……」

 

ぎり、と唇を噛んで、黒い天使が写る鏡に拳を突き立てる。

 

ピシッ、と音を立てて、亀裂の走る鏡。

 

亀裂の中心から流れ出る赤い液体は排水口に流れ落ちる。

 

「あ……」

 

しまった。

引越して早々、鏡を割るなんて。どうかしてる。

そもそも、この刻印だって、幼い頃からあるじゃないか。

昔は、寧ろ誇りにすら思っていたかもしれない。

なのに、どうしてこんなに嫌なんだ。

 

……今は休むことに専念しよう。

 

シャワーを浴び終わって、浴槽を見れば、まだお湯が溜まり終わっていないようなので、一旦バスタオルを身体に巻いてベッドに向かう。

そこで少し座って待とう。と、思ったその時。

 

「ピンポーン」

 

インターホンのチャイムが鳴った。また帝ノ鬼の兵士だろうか。

居間にあるそれに素早く駆け寄って応答する。

 

「はい」

「今、入っても大丈夫か」

「大丈夫、今開けるから入って」

 

そこに映っていたのは暮人だった。

インターホンの機能を使って扉のロックを解除して、玄関に小走りで向かう。

引越し祝いでもしてくれるのだろうか…………って

 

「うわっ!?」

 

もうすぐ玄関というところで、何かにつまずいた挙句、その何かを踏んで後ろに身体が倒れていく。

 

いや、倒れてたまるか。まだ手はある。

目の前の、丁度入って来ていた暮人の学ランをガッと掴む。大丈夫、暮人なら踏みとどまれる。

 

と、思っていたのが甘かった。

引っ張る力が強すぎたのか、大きな音を立てて私を下にして2人して床に倒れ込んでしまう。

突然だったから踏みとどまれなかったのも無理は無い私が重かったんじゃない。

 

「…………」

 

暮人と目が合う。

相変わらず何の感情も映さない目だ。

そこで、暮人の瞳に映った自分を見て気が付く。身体に巻いていたバスタオルが取れていることに。

 

「…………!」

 

そもそも巻いていることを忘れてた。ワンピースとそんなに変わらないし。

 

すぐさまバスタオルを手繰り寄せようと、手を動かそうとする。が、少しも動かない。

私の手首はすっかり、暮人の手に体重をかけて床に縫い止められてしまっている。

下半身も、跨がられていて動かせない。

何もかもが、近い。

 

は、やく隠さないと……。裸体なんてどうでもいい。刻印を……

 

暮人は黙って私を見下ろしている。

 

思わず目を逸らす。

熱い、鼓動がうるさい。

苦しい、息が詰まりそうだ。

(早く……)

 

と、思えば急にすっくと立ち上がって、私にバスタオルをかけて背を向けた。

 

「すまない。後でまた来る」

 

そう言うと扉から出ていこうする、前に呼び止める。

 

「いや、居間で待ってて。すぐ着替える」

そう伝えて、風呂場に逃げるように駆け込む。

 

どうしよう。はっきりと見られた。見られた。

 

今まで、幾度も好きだの愛してるだの言われていたせいで本当は、少し、どこか期待していたのかもしれない。

 

「何もしてこないんだ……」

 

やっぱり気持ち悪いと思っただろうか。

……はは、そりゃそうだ。私だって醜いと思う。

 

でも……

 

なんだろう。この重い、淀んだ感情は。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ごめん、待たせた」

「別に構わないよ。突然来てすまないな」

「……私の方こそ」

 

新しいワンピースに着替えて居間に戻ると、暮人はコーヒーテーブル脇の椅子に座って待っていた。

相変わらず冷静で、さっきのことなど無かったかのように。

私も向かいの椅子に座って話を切り出す。

 

「で、何の用?」

「お前の初任務だ。まずはこれを」

 

そう言ってテーブルに置かれたのは、数枚の紙だった。

クレハはその紙を、見る。

するとそこには、上野のものと思われる航空写真が印刷されていた。今日の日付のものだ。ニュースでは毒物がまかれ、動物が殺されたのでいま、封鎖になっているはずだが。

しかし写真で判断、動物園の東園中央が、まるで爆弾が爆発したか、もしくは隕石でも落ちたかのように、えぐれているように見えた。

 

「これは…7時のニュースで……」

「そうだ。ニュースはもう見たか?」

クレハが頷く。

暮人が続けた。

「だがあの情報は全部嘘だ。帝ノ鬼の情報局の調べでは、上野全域は百夜教の実験場になっていた。そしてそこで、何か事故があったらしい。現在、百夜教はその事故について必死に隠蔽しようとしている」

クレハは聞いた。

「何の実験?」

「さあね。上野で実験をしている、ということは前々から知っていたが、奴らと戦争するつもりなどなかったからな。調査はしていなかった。探れば探られる。だが、お互い探られたくない隠し事は多かった」

「けれどもう、状況が違う」

「そうだ。知ってのとおり、奴らは不可侵条約を破った。戦争は始まった」

「じゃあもう調査部隊を?」

その問に、暮人はあっさり頷いて言った。

「昨日の深夜から、既に十七部隊派遣した。だが全滅だ。そこでお前だ。これはウイルスに関連しているかもしれない」

「…なるほど」

 

つまりこれは、今起きている戦争の最前線に出ろ、という命令のようだ。

確かに、私はヴォルガスから受けた"命令"により、百夜教の実験を食い止める義務がある。

 

「まあ、お前一人で十分だとは思うが、こちらが選んだ特務チームと行動してもらう」

「特務チーム?」

「一瀬グレン、柊深夜、十条美十、五士典人、雪見時雨、花依小百合の6名だ」

 

全員一年生か。というか一瀬は暮人の部下になったのか?

と疑問はあるが、話を促す。

 

「分かった。他には?」

「任務開始時刻は11時だ。だが用意出来次第、生徒会室に来てくれ。戦闘服もこちらで用意する。その他の事はそこで伝える。これは処分していいか」

暮人がテーブルに広げていた紙を手に取って聞く。

もう書類の内容は全て覚えたので頷く。

暮人はそれを見て書類を持って立ちあがり、玄関に向かう。

後を追うと、暮人が急に屈んで何かを拾った。

妖刀・蓮華だ。

 

「さっき蓮華を踏みつけていたな。これは妖刀だ、気をつけろ」

 

あーさっき躓いたのってこれかー。

 

「今回の任務もこれを使え。切れ味は保証する」

 

そう言って手渡してくる。力を込めて握ると、その分共鳴して空気を震わせるようだ。

 

「分かった」

「じゃあ後でな」

「ええ」

 

暮人が出ていき、バタン、と扉が閉まると、再び部屋が静かになる。

 

さて、準備を終え次第、学校に行こう。

 

そう意気込んで、以前の家から持ち出したものを手に取って見つめた。

 

 

 

 

 




次回、特務チームと合流します


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第15話 虎穴に入らずんば

お久しぶりです!講習が少し立て込んでおりまして……というのはさておき。今回は、例のグレン隊+クレハによる上野動物園での任務開始です。
普段なら賑わう動物園に潜むものとは。
第15話、どうぞ!

※衣装チェンジにつき、挿絵が入っております


生徒会室前。

 

「失礼します」

 

ノックした後、返答が無いので肯定と受け取って重厚な扉を開ける。

見慣れた部屋の奥には、大きな椅子に腰掛ける暮人と、

 

「来たかクレハ。お前以外はもう揃っている」

 

手前の客用ソファには今回、任務を共にするメンバー、一瀬グレン達が座っていた。

 

まあ…予想はしていたけれど……。

何か空気が殺伐としてるな……。

一瀬が柊に良い感情を持っている訳がないのだけれど。

 

部屋に入り、扉を閉めると、葵ちゃんが隣まで来て「彼らへの説明も済んでいます」と、その他彼らに関する報告をしてくれたので、改めてソファに座っている面々を見る。

 

グレンは相変わらずツンとした態度で、深夜もこれまた相変わらずのすまし顔。

2人とも顔立ちがアレなだけに、これでも絵になるのだからムカつく話だ。

典人、美十の2人は何故か若干、青ざめている。

まあどうせグレンが暮人に生意気な口をきくもんだからはらはらした、というところなのだろう。

 

「今回の任務に同行するクレハ=ヴォルガスです。よろしくお願いします」

 

そう言うと、典人と美十の2人が目を見開いて驚いた様子を見せる。

 

「あ、あのイタリアの……!? 右に並ぶもののない戦闘力だって……」

「確か学校が襲撃された時にも……」

 

この反応だと、同行者の名前は知らされていなかったらしい。

しかもこの分だと、もう全校生徒に名前が知られているのかもしれない。

一瞬生まれたざわめきを無視して暮人が言う。

 

「よし。命令は終わりだ。あとは結果を出せ」

 

その言葉に全員が部屋を出た。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

私達、特務部隊に与えられたのは学校内の302号室。

ガランとした広い会議室は、ほとんど普通の教室と変わらない作りだ。

 

今、この部屋にいるのはグレン、深夜、典人、美十、時雨、クレハの6人だけ。小百合は購買に飲み物を買いに行っている。

美十はどうやら実家に連絡しているようで、ベランダに出ている。

その声がかすかに聞こえる。

「うん。うん。そう。暮人様からの、直接の命令___でも、極秘の任務だから…うん。たぶん、危険。あ、でも、あのクレハ・ヴォルガスが……。うん。分かった。ここで認められれば、十条家の今後の発展の為にも……」

そんな、声。

典人がそれをしばらく眺めてから、グレンに言う。

 

「なーんか、嫌なこと押しつけられたなぁ。十七部隊全滅って、俺らに死ねって言ってるようなもんだよな。あ、でも」

と、そこで今度はクレハに言う。

「先輩の噂は聞いてますよ。頼もしい人に同行してもらえて嬉しいです!」

 

どこかの一瀬と違って、いかにも素直で可愛い後輩といった口調。不思議と悪い気はしない。けれど

 

「そう言って貰えるのは嬉しいけど、私にも及ばない事はある。一緒に頑張りましょう」

そう苦笑いで返すと典人ははい!と元気よく答えてくれた。本当にどこかの一瀬と違って先輩への礼儀がなっている。

一瞬グレンが横目で、じとりとこちらを見たが、気にしない。

 

「いま戻りました!」

小百合の声がする。彼女は紙コップと、ウーロン茶のペットボトル、それにスナック菓子をいくつか買ってきている。

そこで美十もケータイを切って、戻ってくる。小百合を見て、

「あ、御苦労様。使ってしまって、ごめんなさい。小百合さん」

「大丈夫です」

 

と、ここで全員が揃ったのを確認してクレハが切り出す。

 

「皆の殆どが私と初対面ね。私は三年一組クレハ・ヴォルガス。あなた達の実力は十分承知しているけど、事が事だから私も手を貸すことになった。よろしく」

よろしくお願いします、と一部除くメンバーが返してくれる。

と、その後、美十が尋ねてきた。

「クレハさんは柊家に連なられていたんですね」

と。

「え」

「え、その、柊の家紋の髪飾りをつけているから……」

 

ちょっと待って。

私が今着けているのは暮人に貰った月のヘアピン_尋問から開放された日に家に寄って取ってきたもの_だけど……。

この三日月が柊家の家紋?

いやいや、ちょっと意匠が入っているかもしれないけど三日月をモチーフにしたデザインなんてよくあるで…しょ……。

ヘアピンに手を当てて言う。

「これ?ただの貰い物よ?ありきたりなデザインだと思うけど……」

「あ、そうですか?少し青い装飾があるけれど、細かいところまで似ていたからてっきり……。すみません」

 

暮人がたまたま選んだのが、そんなに家紋に似ていただけ?

そんな訳がない。もしかしたら特注品の可能性もある。

暮人は一体何を考えてこれを……。

 

「クレハさん?」

「あ、いや、そんなに気にしないで。それよりグレン。リーダーとして仕切って」

 

今考えるべきは任務についてだ。

 

「ああ。じゃあ任務について話す。といっても話す事は少ない。情報も少ないからな。任務地は上野動物園。そこで《百夜教》が何かを隠している。俺達はその調査をする。既に『帝ノ鬼』の部隊が十七部隊、派遣されて、全滅しているということだ。つまり、中には敵がいる。まあ、柊の兵が揃いもそろって無能で、毒物が撒かれているのに気付かず何度も潜入して毒が回って全員死んだ___なんてことなら、敵がいない可能性もあるが___」

深夜が笑った。

「ま、流石にそりゃないでしょ。毒があるかどうかも、調査されている筈だよ」

「だろうな。並ぶものの、敵がいる。必死に秘密を隠したい奴がいる」

クレハが言う。

「もしくはその敵自身が」

「秘密の存在。どちらにしろ、潜入しがいがあるってことだ」

 

とにかく、秘密にする程のものがある。ものによっては、手に入れることが出来れば大きな力が手に入るかもしれない。

 

グレンは美十と、典人を見て続ける。

「そもそも、あまり会議が必要なほどの情報は、無いんだ。だが、少し試したいことがある」

「試したいこと?」

美十が聞くのに、グレンが言った。

「任務に出る前に、それぞれの実力を計る。とりあえず、おまえら俺の刀に反応してみろ。反応速度を見る」

瞬間、グレンは腰の刀を抜いた。

美十の目が大きく見開かれる。それからワンテンポ遅れて、典人が反応する。

だが、それだけ。グレンは美十の首筋に刀の切っ先を触れさせて、止める。

「あ、う……」

美十が悔しそうにグレンを睨む。

「い、いきなり攻撃してくるだなんて、あなたはどれだけ卑怯……」

「馬鹿か、お前。戦場で誰が攻撃する前に挨拶してくる?」

「……うう」

 

クレハは、暗殺の任務では姿すら見せず殺すしな……。と少し昔を振り返る。

 

「だが、おまえらの反応速度はだいたい分かった。そこを基準にして、命令を出す」

が、典人がそれに、何かを言おうとする。会議室の雰囲気が、徐々に変わろうとしているのが分かる。

クレハが言う。

「なるほど。なかなか悪くない幻術だ」

それで、典人が始めていた幻術が、止まる。

クレハの言葉に頷いてグレンが言う。

「潜入の時は役に立つだろう。それと、美十は潜入前から、身体能力加速の呪術を使え。任務中、ずっとだ。生身のままじゃ使い物にならない。すぐに殺されるぞ」

この時点で時刻は9時40分。

時計を確認したところで、会議室の扉が、開く。

入ってきたのは、葵ちゃんだった。

葵ちゃんが言う。

「学校からヘリが出ますので、時間は気にせずに。それと、『帝ノ鬼』特務兵専用の、戦闘服をお持ちしました。あらゆる呪詛に対するある程度の耐性と、呪術具が仕込まれています。活用してください」

と、彼女は胸に抱えていた七着の戦闘服を、会議室の入口に置いた。

そのまま無言で去っていこうとするが、しかし、グレンは声をかける。

「待て」

「なんでしょう」

葵が振り返る。

それにグレンが言う。

「隠密行動で、ヘリだと?おまえらは馬鹿か?車で行く。むしろ、7人分の私服を用意しろ。戦闘服には、現地で着替える」

葵がそれに目を細め、頷く。

「確かに。すぐに用意させましょう。では出発は?」

「校門前に車を用意しろ。二台だ」

葵が頷き、言った。

「運転手と、高速バスの迷彩を施したものを用意させましょう。渋滞についても操作します。任務開始時刻の、何分前に現地に着きたいですか?」

「15分前。1キロ離れた所に止めろ」

「わかりました。そのように手配します。五分後には外にいてください。他に何か……」

そこでクレハが言う。

「あと、チョークを3本、色は問わない。用意してくれる?」

「わかりました」

葵は去っていく。

グレンは聞いた。

「それでいいか?」

すると全員が無言で頷く。

それらを確認してから、

「じゃあ、俺達の戦争を始めようか」

グレンはそう言った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

上野。

今の高校に入学する前、公共の図書館で手に入れた情報や、噂で聞いた程度のことしか知らないが、東京の、北の玄関口の役割を担っている場所だそうだ。

ならば、今頃の時間、多くの人で混雑しているはずだった。

駅の南は繁華街。

西は、博物館や美術館、動物園などを擁した巨大な公園。

だがいま、そこには誰もいない。

ひどく、静かだった。

 

クレハは、普段余り見ない、緑に恵まれた公園内の木々を見上げ、風に揺れる葉音を聞きながら、目を閉じる。

 

【挿絵表示】

 

と、そこで声がする。

「ちょっと貴方達、こちらを覗いたりしたら、殺しますからね!」

美十の声だ。公園内の大きな木に隠れるようにして、女子が柊から支給された戦闘服に着替えているはずだ。

私もさっきまでそこで着替えていた。

一足も二足も早く彼女達より着替え終え、今は男子と待っている状態だ。

「まったく、クソ遅せぇな」

「イライラすると禿げるよ」

と、クレハは、グレンが呟くのに返し、「誰が禿げるか」と言ってくるのを無視して、自分が着ている戦闘服を再度確認する。

黒い、旧日本軍の軍服のような服だった。

生地は恐らく、呪詛を通さないようにしている、特殊な糸で織られている。裏地には各種呪術符。それも何故か私のものには氷系統のものが多めに。ベルトの裏には仕込み針が装備されている。

妖刀・蓮華は腰のベルトに。銘入りナイフは太もものベルトに、出来るだけ服の裾に隠れるように装着している。

今思えば、きちんとした戦闘服を着るのはイタリアで着ていた特殊な黒スーツ以来だ。

 

しかし……やはり人がここまでいないと流石に不気味だ。静かな空間の中にいるせいか、気まぐれにその場にいる男子3人に聞いてみる。

「貴方達はここに来たことはあるの?」

「僕は無いなぁ」

「え、深夜様、東京に住んでて、来たことがないんですか?」

「まあ、パンダに興味ないんでね」

「そういう問題かなぁ。ライオンもいますよ?」

「あはは。じゃあ、今日生き残れるようだったら、来てみるよ。クレハさんもどう?」

話が自分に戻ってきたので少し考えて言う。

「ここにはパンダがいるの?」

「いますよ。むしろ上野動物園の看板ですよ」

典人が言う。

「……考えておくわ」

まあそんな機会があれば行ってみるのも悪くない。

 

そんなこんなで話していると、女子達が木の影から出てきた。

小百合、時雨、それにグレンは戦闘服が可愛いだのかっこいいだのと(主に従者2人が)いちゃついている。こいつら、今から死ぬかもしれない任務地に行く気があるのだろうか。

 

生き物の気配のない周囲を見やってから、戦闘服のポケットに入った、防弾、防衝撃、防磁界、防呪詛機能がついた、懐中時計を取り出し、開く。

時刻は学校を出る前に、全員で秒針まで合わせてある。

11︰29:20。

30秒。

40秒。

「時間だ。北東で、柊の部隊の陽動が始まる。始まったと同時に、一気に行くぞ」

グレンが言い、全員が緊張する中、白手袋の手の甲部分にチョークで軽く魔法陣を描いておく。

「部隊長としての命令は、1つだ。いいか? これだけを肝に銘じろ。他は考えるだけ、無駄だ。」

50秒。

「命令を言う。____おまえら、絶対に死ぬな」

55秒。

「よし、じゃあ……」

とそこで、爆発音が響いた。

北東の空。

ヘリが撃ち落とされたような、音。

だがそちらは見ない。

グレンが小さく、けれどはっきりと言った。

「任務を、始める」

グレンが駆け出すのに続いてクレハも駆け出した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

動物園はすぐだった。

今のところ、結界に引っかかってはいないと思うが、実際どうなのかは分からない。もしかしたら、既に敵に見つかっているのかもしれない。

けれど、クレハ達は止まらなかった。

動物園を囲う壁を駆け上がり、越える。

動物園の中もやはり、生き物の気配はなかった。

あるのは不気味な静けさと、そして、鼻を突くような、異臭。

「血か……」

クレハが呟くのを聞いて、美十が顔を少ししかめる。

目の前には、猿がいるはずの檻が、いくつもあった。だが、猿はいない。ただ、真っ赤な血だけが檻を濡らしている。ゆかも真っ赤だ。檻は外から何者かにねじ曲げられ、猿を閉じ込め事が出来なくなってしまっている。

まあ、閉じ込めるべき猿は、すでに1匹もいないのだが。

 

一体何が起こったというのか。

それを調べるべく、爆心地へと最短距離で向かう。

血塗れの檻の横を走り抜け、象がいる区画。熊がいる区画を抜ければ、目的地に到着するはずだった。

だがそのどの区画にも、動物はいなかった。

あるのは血だけ。

大量の、血だけ。

生き物の気配がない。

北東で行われているはずの陽動作戦も、最初の爆音の後は、戦闘の音のようなものも聞こえてこない。

熊のひろばを抜けたところで、クレハ達は目的地にたどり着いた。

場所は鶴がいる区画と、ライオンや虎がいる区画の、間。

そこが、航空写真でも分かるほど大きく、深く、抉られている。だが、こんな事ができるなんて大規模な破壊兵器ぐらいだと思うが……。

クレハはえぐられた穴の中心を見る。その時。

 

クレハは瞬時に、妖刀・蓮華を背後に向かって抜き払う。

ギィンッと金属がぶつかる甲高い音を立てた後、”それ”はクレハから大きく離れて着地した。

 

その場にいる全員がその音に反応し、既にそれを目視している。その上、グレンと深夜は既に刀を抜いている。

 

グワァアウ。威嚇するように吠えるそれは、

「虎?」

 

確かに、立派な毛並みの虎だ。どう見てもそれは虎だった。

だが、普通の虎が、今の私の一撃を受け、生きているはずがない。ましてや刀とぶつかりあって、金属音を立てることも。気配を出さずに、私の背後まで接近することも。

 

グルル、と唸る虎と睨み合う。虎の巨大な牙の生えた口の周りには、血がついている。

クレハが言う。

「グレン、あいつが、他の動物を喰ったのかな」

グレンは押し黙る。

 

私としても、もし言った事が本当ならこの虎の体積と明らかに合わない事は分かっていた。

けれど、斬りあった感触が告げる。重い、重いそれが。

 

あいつは、可愛らしい虎などではない。もっと、別の、何か、恐ろしい____

 

 

 

 




次回、虎ってペットにしてみたいよね。

はー動物可愛いモフモフモフモフモフモフモフモフモ


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第16話 【黒鬼】零命鬼

今回は話の展開がかなり進んでいます。いつもより今作品の根幹に近づいている……かもしれません。
終わりのセラフの原作を知っている方にはお馴染みのワードがいくつも出てくるのではないでしょうか。
あとは……サブタイトルから察して頂けると思います。
それでは第16話、どうぞ!


虎の形をした何かと睨み合うグレン隊。

 

「グレン。深夜」

クレハは2人を見て呼びかける。そして2人も私を見て頷く。

私が斬りあった手応えだと、この2人がまともにやりあえるだろう。

「深夜とクレハと俺で前に出る」

美十が言う。

「ちょっと、私達は?」

「後ろで援護しろ。小百合、時雨」

すると従者2人が、

「「わかってます!」」

と、言ったと同時にグレンは走り出す。

 

クレハも先に虎の背後に回り込もうと一歩踏み出した。

が、そこで1つの気配に気づく。

「美十、典人。接近する気配を1つ確認した。ここは貴方達に任せる」

そう言い、返事を待たずに駆け出す。

 

何か、黒い何かが秒読みで近づいている。そしてそれは、以前に感じたものとほぼ同質のものだった。

 

クレハがトップスピードから急停止する。

 

「……お前か」

「お前か、なんて冷たいじゃない。まあ、私は貴女には用が無いのだけれど」

 

そこに立っていたのは、柊真昼だった。

 

まあ、誰に用があるのかは、だいたい察しがつくが。

だが、この場にいるのは、真昼と私の2人だけ。

これは、またしてもない大チャンスだ。

 

やっと。やっと、私の____

 

「そう。でも私は貴女に用がある」

「……何? あまり時間は取りたくないの」

完全に冷めた口調だが、全く気にならない訳でもないようだ。これは、話す余地がありそうだ。

 

「単刀直入に言う」

「……………」

 

クレハが口を開く。

そう。学校への襲撃で出くわして以来、真昼にもう1度会えないかと思っていた。その理由は___

 

「”鬼呪の刀 ”を一振り頂きたい」

「…………え?」

 

真昼が怪訝な顔になる。そりゃ、柊の仲間のはずの私が禁忌の武器を個人的にくれと言っているのだから怪しみもするだろう。

それに、今のところ、真昼でさえ制御しきれていないようだし。

でも、

 

「私にはそれが必要なんだ。まさか、貴女が持っているその一振りだけ、なんてことないでしょう」

「…ええ。でも、渡す理由が私には無いわ。じゃあ……」

 

そういって、グレン達の方へ去っていこうとする。だが、逃がさない。その背中に向かって言う。

 

「渡さなければ、一瀬グレンを殺す」

 

真昼がピタリと止まる。振り返る彼女の表情は険しく、先程よりも冷たく、殺気を纏わせた目をしていた。

けれど、こちらも気圧されない。本気なのだ。

 

「貴女にそれは出来ない」

「そう? じゃあ、グレンが殺されるのを黙って見てなさい。その後、奪いに来るから」

 

そう言って真昼の横を通り過ぎ、グレン達のいる方へ駆ける。

が、ぐいっと引っ張られる感覚に立ち止まる。首を少しだけ回して視線を向けると、私の腕を真昼が、その細腕からは想像出来ない力で掴んでいた。

 

「何に使うつもり?」

「貴女の邪魔はしない」

 

手を振りほどき、痛みに顔をしかめながら向き合い、言う。ここまできたら落ち着いて話すだけだ。

幸い、彼女のように熟練した者だからこそ、私が難なく、いつでも愛しの人(グレン)を始末出来ることを理解してもらえている。

 

「……分かった。一振り差し上げます。ちょうど、どっちをグレンにプレゼントしようか悩んでいたの」

 

そう言って真昼がどこからともなく黒い鞘、というよりそのもの全体が黒い何かを纏っている日本刀を取り出した。

彼女の言いようだと、この後グレンにも鬼呪を使わせるつもりらしいが……邪魔はしないと言ったしな。

 

真昼がその刀を投げて寄越す。クレハがそれを掴み、抜刀する。

刹那。

刀から信じられないほど強大な力が体に入ってくるのを感じた。そしてそれは、決して入ってきてはならない、力 。その筈だった。

 

「貴女にそれが制御出来る?」

 

殺せ。

犯せ。

潰せ。

全部を壊せ。

思考が、強烈な破壊衝動で埋め尽くされていく。

怒りと絶望。

喜びと悲しみ。

それらがすべてない交ぜになって、黒く、黒く、なにもかもを埋め尽くして、

消えた。

 

何かの悲鳴と共に、思考が突如、クリアになる。

顔をあげると、真昼が驚いたような表情で私を見つめていた。

「どう…やって……」

「鬼呪を克服したか? これは私以外では無理。言う必要は無い」

 

そう。もとより、真っ当な克服法など知らない。この方法は私にしか出来ない。強烈な呪いを植え付けられている、私にしか。それよりも、

「……っ。ヨハネの四騎士が……早く行かないと…」

何か呟いて、真昼がグレン達の方へ走り出す。もう私になど用は無いというふうに。

確かに、あの虎の化け物を彼らだけで対処できているのかは気になるところだ。早く行かなければ。

 

真昼の後を追うようにクレハも走り出す。

が、走り出して直ぐに視界が白で埋め尽くされる。

突然のことにやや驚きながらも、意識をしっかり保つと、自分が真っ白な空間にいることに気付いた。

 

どこかに転移してしまったか、幻術をかけられたか、と思考を巡らせる。するといつの間にか、何かが目の前に立っていた。

 

ひどく綺麗な、中性的な容姿を持った 、人形(ひとがた)の何か。

どちらかと言うと、女の子のようだ。

短い、ウェーブのかかった青髪を揺らして、微笑む。

目が離せない、その美しい眼を見て、気づく。

こいつは《鬼》だ。《神鬼》と呼ばれる階級にいる、《鬼》だ、と。

 

《こんなところ、来たことないよ。君、よく今まで正気でいられたね》

 

その言葉に、《鬼》が若干疲れているような印象を受けた。そして、私の目的がうまく果たされているなら、その理由を知っている。

 

「死者の怨念のこと?」

《そう。ここ一杯にさ。しかも、あれは、そうだな、普通じゃない。飲み込まれるかと思った》

「……何も無いけど」

辺りを見回して答える。

《私が喰らってやったのさ。全て。全てね》

 

《鬼》が何故か得意げな表情になる。

そして、今見て気付いたが、こいつの綺麗な髪の間からは、その美しさとは相対的な、禍々しいまでにねじれ曲がった角が伸びていた。

そして、口元からは凶悪な牙が覗いている。

だが、その悪魔的な容貌がますます美しさを際立たせているのかもしれない。

 

「それは凄いな」

それは世辞でも何でもなかった。

私の心臓を起点とする呪いは、魔術系統の中でもトップクラスのものだ。普通なら触れるだけでも発狂する代物のはず。

それを逆に喰らい尽くした、というのが彼女の格の高さを証明している。

 

私がそう、賛辞を送ると、彼女はますます得意げな表情になって、まるでキラキラしたエフェクトがかかっているかのようだった。

 

《そうだろう。凄いだろう。で、その凄い力の代わりに、君は何を見せてくれる?》

そう言った彼女の顔は、いつの間にか私の顔に迫っていた。

どんなに可愛くてもやはり《鬼》だ。その笑顔は、既に狂気を帯びていた。楽しんでいる、とも言える。飲まれるな。呑まれるな。

 

少し考えて、言う。

「私の忠誠を、お父様が本当に裏切ったのか確かめる」

《…裏切っていたら?》

「……復讐だ。一族諸共、皆殺しにする」

《それは楽しみだ。裏切られているといいね》

「…………」

《まあ、とにかく。そういうことなら仲間なんていらないじゃないか。まずは、今、化け物と戦っている彼らを殺そう。私がついてる。私は裏切らない》

耳元で囁いてくる。甘く、誘惑するように。だが、少し言いたい。

 

「は? ここで柊の仲間殺したら海外に行きづらくなるじゃない。確かめに行くの手伝うって、貴女言ったよね。馬鹿じゃないの? がっかりだ」

《え、そんなこと言ってな…》

「だいたい貴女だって、もう私の仲間でしょう。何? まず貴女が自害でもする?」

《そういうことじゃ…》

「仲間って言い方が嫌なの? じゃあ友達?」

 

そこまで息継ぎ無しで言い切って急に思い出す。そういえば、友達がいた事はおろか、そういう単語を使ったことすらなかったな、と。

 

《…は、はんっ。君と私が、友達? 人間如きが調子に乗っ…うぐぅぅ 》

「何か言ったか?」

《くそっ、覚えてろよにんげ……ぐはっ》

 

照れながら悪態をつく《鬼》があまりに可愛くて 、思わず胸ぐら掴んで高い高いしてあげたら、急に大人しくなった。素直になってくれたのだろうか。

 

《げほっ……。くそっ、このマフィアめが……私は敬意を払っていたというのに……》

「敬意?」

払っていたとは、どこに?

《そうさ。あれほどの呪いを抱えて平然としている君の精神力にね。それに、うん、君はクールそうに見えて意外と面白い人間だ。そしてここには上質な食事がある。しかも涼しくて過ごしやすい》

「それはつまり……」

《だからその…なってやってもいい。君が望むなら、と、友達に》

 

これは……。《鬼》が油断させようとしているのか。それとも、単に俗に言うツンデレなのか。

あと、私は友達になってくれとは一言も言っていない。

そんなに友達が良いのだろうか。

さっきの人間がどうのとかはどうした。

 

「断わる」

《……え》

 

やめろ。そんなあからさまに落胆したような顔をするな。

 

「友達なってやって貰わなくていい。だってもう、私達は共に戦う友なんだから」

 

そう言って屈み、彼女の小さな体を抱き締める。不思議と、こうするのが自然だと思ったのだ。

 

しかし、意外と温かいな……と思っていると、彼女が強い力で、抱きつき返し来た。それも苦しい程に、骨が折れそうな程に。もがくが、びくともしない。

 

駄目だ。本当に苦しい。痛い。

「…離」

離せ。そう言おうとして《鬼》が遮る。

必死に目だけを動かして見た彼女の横顔は、不敵に笑っていた。

 

《良いだろう。さあ、目の前には敵だ。私の名を呼べ、クレハ。君の〈狂鬼〉に応えよう!》

 

そう、高らかに謳い、

瞬間、すべてが静かになった。

クレハの意識は現実に戻った。

自分の身体はちょうど、走りを止めたところのようだ。

いつの間にか、抜いていた刀は鞘に戻っている。

 

そこまで認識した瞬間、刀を持った左手からパキパキと、音がする。

亀裂が入ったと思い、反射的に刀を横に、鞘に目に近づけると、そこにあったのは青い亀裂。

いや違う。それは、亀裂のように走る、一線。氷のように煌めく文様だった。

 

そして、間髪入れず、感じ取った気配に前方を見ると、一人の男がクレハに向かって歩いて来ていた。

「…………」

いや、そいつは人間じゃ、なかった。

人間に良く似た形の、しかし、明らかに人間じゃない、生き物。

異常に白い肌。整った目鼻立ち。仰々しい、まるで貴族が着るような装飾が凝らされた服。

長い銀髪に、赤い瞳。

吸血鬼(ヴァンパイア)!?」

クレハは声をあげた。

そんなクレハを見て男はにやりと笑い____

 

そこで、クレハは右手を、つい先程貰った刀へかけ、叫んだ。それを、その名を、鬼呪の入ったこの身体が知っている。

 

「力を見せろ。零命鬼(れいめいき)!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side マリア

 

遠目だが、クレハの中に潜むものが、突然変質したのを感じる。

天使の鎖の力が弱まったらしい。その代わりに、別のものがあの子の中に住みついた。

柊真昼との会話によると、それは鬼呪というものだそうだが。私はあまりそれのことを知らない。

知っているのは、それが《鬼》をおろして武器に定着させるものだということ。人に直接宿す実験などもあったようだが、上手くいった例はないと思っていた。

最近、開発が進んだのだろうか。

 

まあ、何にせよ鎖が弱まったなら丁度いい。少し、締め付けすぎだと思っていたのだ。

だが、《鬼》については警戒する必要がある。余計なことをしてくれなければ良いが。

 

懐から携帯を取りだして、一番上の着信履歴の番号にかける。

 

『プルルル…カチャ……マリア様、何の御用でしょう?』

「ねぇ。あの子(...)の様子はどう?」

『あの方の容態は安定しておられます』

「他には? 今、何か前と変わったところはない?」

『そうですね……あ、心なしか顔色が少し良くなったような…』

 

ああ、良かった。クレハにも1mmくらいは感謝しなくては。

 

「そう。引き続き見守ってあげてね。ああ、遠く離れて会えないのが寂しいわ」

『心中お察し致します』

「ありがとう。でも大丈夫。今までの年月に比べれば、あと少しだもの」

『……ええ』

「じゃあまた」

 

通話を切ってクレハに近づく男に目をやる。

そしてすぐにクレハに視線を戻す。

 

そうだ。私の目的、いや、悲願を遂げるまで、あと、少し。彼女には気の毒だが。

 

 

 

 




長い銀髪に赤い瞳……。一体、何バー○リーなんだ!?
そんなことより、オリジナル鬼呪装備・零命鬼、如何だったでしょうか。
《鬼》の角に関してはfateのエリザベートのものをイメージしております。

次回作の構想は出来ているのに、この小説でさえこの更新頻度ではねー。もどかしい……。


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第17話 氷の鬼

お久しぶりです! 受験が終わり、ようやく更新する事が出来ました。
銀髪の人物とクレハとの接触からのスタートです。

それでは第17話、どうぞ!


なんだこいつ……!!

 

いや、外見からしておそらく吸血鬼だが、私だって怨念と鬼呪の力を借りているっていうのに!

こいつのガラスのような剣を、押し返すことが全く出来ないでいた。

 

「……へぇ。人間の鬼を扱う技術は、そんな所まで出来ているのか。やるねぇ、君」

 

しかもその余裕のある態度が妙に腹立たしい。

剣と剣の間に火花を散らせながら問う。

 

「……私に何の用だ」

「いや、仕事のついでに見に来ただけだよ? 君の噂を聞いてねぇ」

 

そう言ってニヤニヤ笑うそいつの目を見る。

楽しそうに細めている眼の中で、新鮮な血液のように赤い瞳が私に向いている。

 

それを見て、ふと、寒気がした。

脳裏を過ぎったのは、月光を背に、豊かな暗い微笑みの中で煌めいた赤い瞳……。

 

「………くそっ!!あいつも吸血鬼か!!!」

 

爆発的な力を一点に込めて、剣を切り返し、距離をとる。

思えば、気づける要素などいくらでもあった筈なのに、どうして今まで気付かなかったのか。至近距離で本物の吸血鬼の眼を見るまで。

そして噂とは。

 

「お前……まさかマリアの……」

「ん~? マリア? 僕はキリスト教は……」

「その聖母じゃ…」

 

そう言うと、また吸血鬼はニヤニヤと笑って言った。

 

「ふーん、なるほど。そうか。君は知らないんだねぇ」

「何だ? 一体何のことだ?」

「僕は教えてもいいんだけどねぇ。上司がうるさくって」

 

上司? 吸血鬼にも階級があるのか……。

そう思って聞いていると、吸血鬼がくるりとこちらに背を向けてしまった。

 

駄目だ。あいつを行かせては。やはり先程の会話からこいつはマリアを、しかも私の知らない何かを知っている。ここでこの吸血鬼を逃がせば、また私はあいつ(・・・)に追いつけない。

 

「じゃ、さよな……」

 

零命鬼。

 

『分かってるよ。あいつを殺そう』

 

刀身から黒い霧が溢れ出す。瞬時にそれは、ここ一帯を飲み込んだ。

刹那。刃は霧の中、ただの空気中より早く、氷の上を滑るように加速し、吸血鬼の首に届いた。

 

筈なのに。

 

「……っ」

 

また、届かない。零命鬼と吸血鬼の間に挟まるように、ガラスのような剣が私の刃を受け止めていた。

いや、まだだ。

 

「零命鬼!!!」

『……仕方ないなぁ』

 

零命鬼の気怠げな声とは裏腹に、刀身を中心として、急激に気温が下がっていく。

それから冷たいと思う間もなく、猛烈な勢いで刀身に触れるもの。すなわち吸血鬼の剣と首が、音を立てて氷結し始めていた。

 

ピキ……パキパキパキパキ

 

「おっと、これは」

 

凍った所に亀裂が入ったのか、吸血鬼の首から鮮血が流れ落ち、剣に流れてい…………いや、違う!!!!

急な悪寒に急かされて刀を滑らしてそのまま首を剣ごと切り落とそうとする。が、それは無力にも切り返されてしまった。それも、先程までとは段違いの強さで。

 

後方に吹き飛ばされ、何とか受け身をとりながら吸血鬼を見る。やはりだ、その赤い姿。

あのガラスのような剣は奴の血を吸っている!

 

「んー? あれ、生きてるの? すごいなぁ。ほんとに君人間? 噂ではここまでとは聞いてないんだけど」

「じゃあすごいついでに、マリアのこと、少し教えてくれない?」

 

不敵に笑って、言う。こんなバ火力笑うしかない。緊急防御の魔法陣を付与した両手袋が、防御に回した魔力に耐えきれずにボロボロになっているのを見て、そう思う。

 

「うーん、第二位始祖に逆らうのはあまり好ましくないんだけどねぇ。しかも彼女、結構変わってるし」

 

顎に手を当てて吸血鬼は芝居がかったように悩む様子を見せた。

 

「あ、今更だけど僕はフェリド・バートリー。第七位始祖だ。まあ、たかが人間に名乗ったところで仕方ないけどねぇ」

 

第七位始祖? さっきも第二位始祖とか言っていたけど、それが階級なのか? 聞いた感じでは数が小さいほど上の位らしいが。強さがもし比例するならとんでもない話だ。

 

「じゃ、急いでるから」

 

そう考えているとまた吸血鬼は背を向けて、去ろうとしていた。

さっき見せつけられた実力差。今度こそ逃がしてしまう。

ならば。

 

「もっと力をよこせ零命鬼」

『いいよ。いくらでも力をやろう。いくらでも殺そう』

 

瞬間。何か、黒いものが私の身体に侵食してくる気配がした。以前からあった、鎖の呪いをも飲み込む勢いで。

コロセ。

コロセ。

コロセ。

 

いや、あくまでも足止めだ。まだこいつには聞かなくてはいけないことが沢山ある。

いや……吸血鬼なら殺しても大丈夫なんじゃないか。

 

『そうだ。殺せる。殺すなら今だ』

 

ああ、殺そう。

コロソウ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side 一瀬グレン

 

「嘘、嘘、接合しない……お願い。お願いだから、神経だけでも……」

 

真昼は、泣きそうな顔で切れたグレンの腕を接合部分に押し付けていた。それから彼女は怒鳴った。

 

「なんで、こんなことするの!」

 

なんで、『自分の腕を切り落とした』か。

 

一つ目に、白いバケモノ。

 

あの虎は生きてなどいなかった。普通に考えれば虎が動物園の生き物を皆殺しにしたというのは考えにくい。

虎の皮の中から出てきたのは、白く、プラスチックのような人工的な表皮に、わしゃわしゃと何本にも伸びた刃物のような足を持った、何か。

きっとそいつが百夜教の実験動物だったに違いない。

 

その圧倒的な強さに、撤退を余儀なくされそうになった。

が、それでは何も変わらない。 このまま百夜教の実験データを逃して、一瀬はどうなる?

俺にはそいつを殺すしかなかった。

 

二つ目に、真昼。

 

長い、珍しい灰色の髪。大きな瞳。整った顔立ちに、自信たっぷりの笑み。

この窮地に、《鬼呪》の刀を持って現れた。

さっきのヨハネの四騎士……とかいうバケモノをこれで倒さねば仲間を失う、と。

 

俺は、その刀を手に取り、キメラを倒し、鬼呪に飲まれた。

仲間を殺そうとした。だから、

刀を持つ腕を、白死で切り落とした。

 

改めて振り返ると、実に滑稽だな。

 

グレンはその、すぐ近くにいる彼女の顔を見つめ、言った。

「なぁ真昼」

「……」

「《鬼呪》の研究は、もうやめろ。こりゃダメだ」

「……」

「これじゃ俺達は、力の上で馬鹿みたいに踊ってるだけだ」

「……違う」

「違わねぇよ。ほかの方法を考えよう。他にもなにか、道が……」

「ないわよ!」

 

真昼が怒鳴る。泣きながら叫ぶ。

自分が進む道を否定されて、でも、それを自分でも薄々わかっているようで。

彼女を見つめ、グレンは言う。

 

「ある。俺が見つける」

「嘘。あなたには何もできなかった」

「これからは違う」

「嘘! 嘘! 嘘ばっかり、気休めばっかり言わな……」

 

が、左手でグレンは彼女の震える肩に手を伸ばす。つかむ。

そして、言った。

「今度は俺が守ってやる。だから俺と一緒に来い。真昼」

 

真昼がそれに、顔をあげる。彼女は泣いている。恐怖と希望に、瞳が揺れている。

 

突如、その瞳は一点を見つめ、その目は見開かれた。

 

「どうした真昼……っ」

 

そこで異変に気づいた。

 

「寒い……」

 

真昼の言う通り、周囲の気温が急激に下がっていた。

今は六月、明らかに異常だ。

すぐに冷気の出どころを探ろうと辺りを見回すと、ある方向から白く煌めく空気が流れてきていた。

 

そうしている間にもどんどん気温は下がっていく。もうじき生命活動に支障が出るレベルまでいくかもしれない。そうなれば、先程のキメラの攻撃で倒れている仲間は……。

 

冷気の発生源らしき方向へ行こうとする。しかし、真昼が後ろから、右腕を掴んでそれをとめた。

先程まで切り落とされていたはずの、右腕に、感覚がある。

 

「行っちゃダメ、グレン。危ないよ。一緒に来て」

「いや、俺と来い。行くな、真昼」

 

そう言って、ちらりと倒れている仲間を見る。

 

「私を守ってくれるなら……あなたが本当に私を守る気があるなら……私と来てよ、グレン。従者を、仲間を置いて、私と……」

 

遮って、グレンは言った。

 

「もう黙れ。お前が俺と一緒に来い。こいつらも、二人でなら連れてここから離れられる」

 

それでも真昼が、手を緩めることは無かった。

 

「仲間を助けたければ、この手を振りほどいてあっちに行くか、私を引っ張って連れていくしかない。けれど、あなたにそれができる?」

 

腕が、微動だにしない。空間に縫い付けられたかのように、真昼が掴んで離さない。俺は、それを、振り解けない。引っ張ることも出来ない。力の差でも、他の理由でも。

それに、眉間に皺を寄せると、今度は真昼が急に掴んでいた手をぱっと話して笑った。

 

「ほら、いまのあなたには、無理でしょう? 悲しいほどに、私のほうが強い。なにせ私は兎だから。破滅へまっしぐらの、兎。だから亀の王子様を待っているわ。破滅する前に、私を救ってみせてよ、グレン」

 

言いながら、真昼はグレンから、離れる。嬉しそうに、愛おしそうに、こちらを見下ろして、

 

「今日はここまで。あなたにキスをしたいけど、やらなきゃいけないことがあるから」

 

そのまま、走り出す。

グレンが、先程真っ二つにした、キメラの半身を拾う。

だがそれと同時に、キメラの半身を拾う。

だがそれと同時に、キメラのもう片方を拾っている、別の人間がいることに気づく。

 

「…………」

 

いや、そいつは人間じゃ、なかった。

異常に白い肌。整った目鼻立ち。長い銀髪に、赤い瞳。

 

「吸血鬼!?」

 

グレンは声をあげた。

と同時に、まるで、その吸血鬼らしき生き物に向かうように、冷気の塊が接近していた。

すぐに姿を現さないところを見るに、そんなに近くはないのだろう。

それなのにこの、肌に刺さるような寒さ。

目の前に1匹。接近しているのが1匹。

この動物園にはさっきのキメラ以外にも2匹バケモノがいるようだ。

 

真昼は、吸血鬼の姿を見た瞬間、すらりと日本刀を腰から抜いて、吸血鬼に斬りかかった。

が、

「おっと、君も鬼の力? 人間は禁忌に手を出すのが好きだねぇ」

 

そう言いながら軽々と、先程拾っていたキメラの欠片を上に放り投げると、ガラスのような剣で真昼の鬼呪刀を防いだ。

そしてすぐに切り返して真昼を吹き飛ばし、落下してきたキメラをキャッチする。そして、それを見やりながら、言う。

 

「こんなことをしていたらすぐに破滅してしまうよ」

「貴様、貴族か」

「あれ、君、吸血鬼に詳しいの?」

 

真昼が言う、貴族。確かにらしい格好だ。

 

「まあ今日は、仕事も済んだし、とりあえず帰ろうかな。ちょっと疲れたしね」

 

そう言うと、背を向けて、あっという間に姿を消してしまった。

が、その寸前、その吸血鬼が片手でキメラの欠片と一緒に「腕」を持っているのが見えた。その腕は、吸血鬼の来ている服の袖と同じものがついている。

数秒前を思い返してみれば、確かにあの吸血鬼の片腕は無かったような気がする。

誰か、いや何かに切られたのだろうか。

しかし、真昼を押し返すほどの力を持った吸血鬼の腕を切り落とすなんて……。

 

冷気の方を見る。早くしなければこいつらが危ない。

倒れている小百合、時雨、深夜、美十、五士をちらりと見やり、冷気に向かって足を踏み出す。

 

その瞬間。

 

「……っ!!!!!」

 

目の前に突如現れた何かに反応して後ろへ飛ぶ。

白く煌めく塵のようなものに包まれて現れたそれは

 

「壁……?」

 

先程まで冷気が流れてきていた方角へ行くのを阻むように立ちはだかる。

太陽光を受けて煌めく透明なそれに、ゆっくりと近づいて手に触れる。

固い、そして冷たい。

 

「氷か……?」

 

そのこととに気づくと共に、背中にぞわりとしたものを感じた。

暖かい。

いや、本当に暖かいわけではないが、先程までの刺すような冷たさは薄れている。この分なら倒れている仲間も心配なさそうだ。

この氷の壁が冷気を止めたのだろうか。

何故?

誰が?

 

「一体何なんだよ…」

 

ついぼやいて、壁の向こう側を見つめた。

暗い、木々の奥を。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

吸血鬼には逃げラれたカ。まあ、すぐニ追い付く。あのような鈍足で逃げ切れるものカ。

 

クレハが吸血鬼が逃げた方角に向かって足を踏み出す。突如

 

«バリィィ!!!!!!!!!»

 

なんだ? 足が動かない。だが

 

「三宮葵様!! 束縛術式、かかりました!」

「まだだ! 鎖で体を拘束しろ!」

 

四方から鎖が飛んできて、私の体をぐるぐる巻きにする。そして、ギリギリと音を立てて締め上げる。

 

「クっ……」

「暮人様から聞いてはいたものの、様子がおかしいというのは本当のようですね」

 

暮人……?

 

「愚かな…こんな鎖で私を縛れるとでも!」

 

零命鬼が楽しそうに鎖を引きちぎる。

暮人……一体、私の何がおかしかったというノ?

 

クレハの束縛が解けたことに、葵の部下らしき者共が動揺している。

そうだ。今ならネズミを斬るより容易いぞ。こいつらを皆殺しにしてしまえ。こいつらはお前を、クレハを殺すつもりだぞ。

 

「ち……がう」

 

なんら違わないさ。いつかは殺す。人でなくなったお前を。

 

「あ…おい……ちゃん」

「……もう一度拘束しろ!」

 

再び鎖がクレハを襲う。先程より厳重に体を何重にも締め上げる。

体に力を入れて、もう一度引きちぎろうとする。だが、鎖は切れない。

 

「う……」

 

何を迷っている。まさか、こいつらを斬ることを? 何を今更。ただの殺人鬼が誰かを信じたりするから。

『だからお前はあの時も崖から落とされたんだ』

 

「違う!」

 

叫ぶ。周りを囲む兵が驚くのが分かる。と、同時に

力ずくではなく、腕の関節を外して縄抜けをする。鎖がガシャンと落ちるのを聞きながら、関節を戻し、ぶらぶらと体を動かしてほぐす。

 

「こいつ……」

帝ノ鬼の兵が呪符を構える。

しかし、葵がそれを手で制した。

「しかし、三宮葵様……」

「下がってください。そして、暮人様に状況報告を」

 

葵がそう伝えると、兵は全員引き上げていき、葵とクレハだけがその場に残る。

 

「クレハ先輩、詳しい事情は後で聞きます。今は隊と合流してください」

 

聞くって……また拷問か? それとも解剖でもするのか。全く、本当に嫌なところを見られた。いや、まあ救われたといえばそうだが。

 

「これは、暮人の指示?」

「はい」

「……分かった。ありがとね」

「いえ」

 

短く答えるとすぐに背を向けた葵ちゃんを見やって、自分も背を向ける。

 

「零命鬼。後でゆっくり話をしよう」

 

『話ねぇ……』

 

(既に変質している人間の中ではおちおち油断してもいられないよ。全く。

鬼をも喰らわんとする呪い。おまけにクレハの情動で力を増すときた。本当にたちが悪い。

君にまた会える日まで、喰われないでいられるかわからないよ。)

 

最近は怨念の呪いも安定していた。鬼呪を手に入れることだって無論誰にも話していない。

なのに、何故暮人は葵ちゃんを私のもとへ派遣したの?

零命鬼だけじゃなく暮人とも話さなきゃ。

 

ああ、体が重い。

 

『太ったんじゃないの~』

 

「黙れ零命鬼」

 

 

 

 

 




終わセラの新刊もまた出ましたがなんだか凄い展開になってきましたね。頑張っていつか追いつこうと思います。
新年明けてしばらく経ちましたが今年もよろしくお願いします。


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第18話 消えた過去からの電話

お久しぶりです。または初めまして! 近頃私は、終わセラ最新刊の表紙に悶えたり、モンスターのハンターやストライカーとして日々過ごしています。
それはさておき、今回は可愛い我らがあの娘の登場です。
それでは早速第18話、どうぞ!


「ねぇ、零命鬼。起きてる?」

《……なーに?》

 

ベッドに寝転がりながら刀に話しかける。途端、目の前の景色が一変し、真っ白な空間に小柄な少女が立っていた。

初めて零命鬼を手にした時と同じ、鬼。

 

「私の話を聞いてくれる?」

《いいよ。君の欲望に関わることみたいだからね》

「…………」

 

一息ついて続ける。

 

「私はもう、殺されかけて、手を振り払われて、憎悪は消えないけれど、怖くはないよ」

《…………》

「手を掴みあげてくれた人がいたの。だからもう、大丈夫」

 

月を型どったヘアピンに触れて、言う。

 

《なるほどねぇ……彼がそうか》

 

零命鬼は私の記憶を見でもしたのだろうか、呟く。

 

《たとえ彼が君を殺したくないとしてもだよ。彼にだって立場がある。多くの部下がいる。もしそれらに強いられたら彼は……》

「分かってる。でも……」

 

彼では私を殺せない。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

あの時、葵の部隊との接触後。

隊のもとへ戻り、見たのは

 

「グレン様! グレン様!!」

 

主の名前を呼ぶ小百合、グレンの体の状態を診る時雨。

泣きそうな顔の美十の視線の先には、倒れ伏した一瀬グレンがいた。

まさか、取り逃がした吸血鬼が……とも思ったが、服は赤く濡れているものの目立った外傷がない。それで分かった。

真昼がグレンに鬼呪の刀を持たせたのだ。私に渡さなかったもう一振りを。

 

五士と並んで立っている深夜に何があったかを一応聞き、吸血鬼と真昼が去ったことを確認して5人に言う。

 

「一瀬グレンが気絶しているから、一応私が隊長を引き継ぐわ」

 

困惑の混ざった、分かりました、はーい等の返事を聞いて、グレンを指して続ける。

 

「任務は達成された。あとは深夜、彼をお願い。帰りましょ……」

 

言い終わる直前、出口方向から車の近づく音が聞こえた。おそらく帝ノ鬼からの迎えだろう。

指示通り出口に向かうみんなはまだ車に気付いていないようだ。歩くメンバーの様子を伺い、グレンを「よいしょっ」と言って背負う深夜に近付いて耳元で言う。

 

「吸血鬼を取り逃がしてごめんなさい。何も無かったようで良かったけど……」

「いやいや、あの吸血鬼の片腕、クレハさんがやったんじゃないんですか? あれとやりあえるだけでも尊敬しますよー」

「…まあね」

 

彼は察しが良くて頭がきれる。だが、普通の人間があれの相手など出来ないと分かっていて、何も聞いてこない。なので話は流させてもらう。

そうしているうちに、迎えと鉢合わせ、専用のマイクロバス的な車に全員で乗り込んだ。

 

 

 

というのが一週間前の出来事だった。

刀を鞘にしまい、鬼との対話を終えて立ち上がる。

上野での任務の後、とりあえず休めと言われ、今日が任務の達成報告の為の召集の日だった。

もう既に深夜からも報告はいってる筈だが、別行動をとっていた為だろう。あと……

 

「失礼します」

「来たか」

 

学校の生徒会長室に入ると、いつも通り暮人が厳かな椅子に座っていた。

 

「何故葵ちゃんを派遣したの?」

「来て早々それか。まあ焦るな」

「焦りもするよ。知らず知らずのうちに挙動不審になってたかもしれないなんて」

「別に行動に現れていた訳ではない」

 

鬼呪のことは知らない筈だ。じゃあ、何故あの時、私の力が暴走すると知っていたのか。

 

「お前の胸には妙な刻印がある筈だ」

 

あ、やっぱ見られてたのか……。いや、ワンチャン拷問官から話を聞いただけって可能性も……

 

「それが先日お前の部屋に任務内容を伝えに行った時に、赤く点灯していた」

 

見られてるー。しかも通常時の刻印と合わせて最低二回見られてるー。

 

ま、まあそれはともかく謎は解けた。この位は普通に話しても問題ないだろう。そのまま話せば、じゃあ何故暴走したかの説明をしなければいけないので少しだけ、また、嘘をつく。例えば、揺らぎが起きるから、とか。

 

「赤くなっていたのは翼のうちの一つ?」

「ああ」

 

……そっか。

 

「ならきっと、たまたまその時、ヴォルガスの幹部の入れ替えがあったのね。私達幹部のこの刻印はリンクしているから」

「入れ替え?」

「発狂した前任者を処分して、そいつの刻印を選ばれた幹部候補に移すこと」

 

胸に手を当てて続ける。

 

「幹部が1人死ぬと一翼が赤く光る。次の幹部に刻印が移るまでのほんの少しだけね。暮人が見たのはそれだと思う」

「なるほどな。で、幹部が替わると何故お前に影響が及ぶんだ?」

「多分、新しい人間と繋がって揺らぎが起こるんだと、思ってる」

「…………」

 

あれ、暮人がちょっと不機嫌になって……る? 目が笑っていない気がする。普段笑ってるわけじゃないが…なんとなくそう感じるのだ。

もしかして、嘘がバレてる?

 

「暮人?」

「なんだ」

「何か考え事してる?」

「何故そう思うかはあえて聞かないが、まあ少しな」

「どんな事?」

「大したことじゃないよ。そのお前と繋がってる奴らに比べたら俺などまだ遠いなと思っただけだ」

 

これもまた第六感によるものだが、そう言う暮人が少し、寂しそうに見えた。

 

「そんなことない」

 

暮人の手を掴み、自分の刻印の上に当てる。

 

「ここがこんなに揺らいだことはない。あなたに出会った日までは」

 

遠いだって? 立場はそうかもしれない。でも。

 

「力が暴走することだってなかった。暮人に会って、私の中の屍人が嫉妬したの、私に」

「クレハ」

「大勢の人生を奪っておいて、この時間に幸せを感じている……私に」

「クレハ」

 

ハッとする。いつの間にか、橙の瞳がこちらを見つめていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

side 柊暮人

 

名前を二回呼んだところでクレハは俺の目に意識をむけた。

クレハの精神力は相当ある筈だが、また何かに意識を呑まれでもしたら、何度も何度も抑えられるとは限らない。

だから、淡い希望を持たせる訳にはいかない。優しい言葉をかけられない。

最近の百夜教との衝突に、正体不明の化け物や吸血鬼の出現。

それに加え、以前の柊真昼が連れ去られたという報告も気になってはいた。あの真昼がむざむざ連れ去られる?

分からないことが多過ぎる。

もうじき、今のような時間だってとれなくなるかもしれない。

それに…………彼女はいつか去ってしまう。

そんな確信があった。

 

「ごめんなさい」

 

クレハはそう言って距離をとると、淡々と上野で起きたことを話し始めた。

手にはまだ彼女の冷たさが残っている。

内容は先日「えー僕だって疲れてるのにー」とのたまっていた深夜の報告とほとんど変わらない。

 

「吸血鬼と刃を交えたと言ったな」

 

報告が終わり、クレハに尋ねる。

 

「ええ」

 

都市伝説だとも思われていたが、吸血鬼の力は化け物そのもので、人間にかなうものではない筈だ。

 

「でも腕1本落とすのがやっとで、仕留めることは出来なかった」

 

彼女は悔しそうに拳を握りしめて言う。

だが、彼女と斬りあえるほど吸血鬼というものは恐ろしいというよりは、そんな化け物をも圧倒するクレハが人として逸脱していると言えるだろう。

なのに、まだ力を求めるのか。

 

「いや、十分だ。調査は引き続きこちらで行う」

「…………」

「あまり無茶はするな」

「…ありがとう。でも無茶なんてしてないから大丈夫だよ」

 

そう言って彼女は笑った。

 

さて、マリアという名の女についても調査を進めよう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

上野での出来事からしばらく経ち、もう8月も半ば過ぎ……。

以前、マリアはもうすぐ世界が滅びると言っていたが、争いは多少あってもその兆候はない。

やはり水面下で何かが動いているのか……?

 

変わったことと言えば、生徒達の一瀬に対する態度だろうか。暮人に選ばれた優秀で忠実な部下としてゴミから一転した扱いとなっていた。

 

あと一つ変化があったとすれば

 

「死んだみたいね」

「拷問官が加減できなかったみたいだな」

「柊真昼が裏切り者だった」

「ああ」

 

ここは体育館の地下。

 

もたれかかっている防音扉の向こう側で、百夜教からの使者がついさっき吐いた情報だ。

暮人は別の部屋から中の様子を見ていたのだろう。

これで、柊真昼の裏切りを暮人が知ることとなった。

 

暮人と2人で、百夜教の使者に使われていたものの隣の拷問室に入る。

拷問室の扉を開けると、血の匂いがした。 狭い部屋の中央に、椅子が一つ置かれている。

 両手両足を縛られて、椅子に拘束されているのは、まだ、幼い少女だった。 七、八歳の少女。柊真昼にそっくりな美貌と、冷たい瞳を持った少女──柊シノア。

 

「おや~、今度は彼女さんを連れてきたんですか~?」

 

そう言ってヘラヘラ笑う彼女の両手、両足の指先から、血が流れている。爪がはがされているのだ。 顔にもアザがある。殴られたのだろう。

 

いや……

 

「このメイクは誰に見せるため?」

「もうじき分かるよ」

 

まあ大方一瀬グレンだろうが。

 

「もう~こうやって座ってるのも疲れるんですよ~?」

 

シノアが赤く染まった足をパタパタさせて言う。

 

「そろそろ来るな。大人しく座ってろ」

 

暮人がそう言うと、「はーい」と気の抜けた返事をして大人しくなった。

 

「クレハはそこでいつでも刀を抜けるように待機してくれ」

「…分かった」

 

この拷問室の奥、暗がりに腕組みして立つ暮人から少し離れた場所に立って腰に吊るした妖刀・蓮華に手をかける。

その直後、拷問室の扉が開き人が入ってくる。

一瀬グレンだ。

 

「ま~た、新しい拷問官ですか? 私なんにも悪いことしてないので、そろそろ勘弁して欲しいんですが~」

 

なんて軽い口調でシノアが言う。拷問された体で話すよう指示されているらしい。

そして、そんなシノアを見るグレンの顔には、嫌悪の表情。

 

「……それはどういう表情かな、一瀬グレン」

 

暮人が話すことで、拷問室の奥にグレンの目がいく。

なので一応見つからないように更に気配を隠して闇に潜む。

暮人は値踏みするようにグレンを見ている。だがそれはグレンも同じだ。

 

「ガキをいたぶるのは、嫌いなんだよ」

「俺だってそうだ」

「ならなんだこれは」

「柊の人間なら、この程度はどうってことないだろ? 現に彼女は笑ってる」 

 

暮人が言う。

グレンはチラリとシノアを見る。おそらくシノアは半目でヘラヘラ笑っているのだろう。

 

「……おまえのやり方は嫌いだ」 

 

グレンが言うと、暮人は笑った。

 

「おまえに好かれる必要はない」

「だろうな」

「で、だ。シノアは拷問しても口を割らないだろう。そういうふうに、柊は訓練する」

「…………」

「だから拷問は意味がない。彼女になにをしたところで無駄だ。死ぬまで口を割らない」

 

実際は、今のシノアは拷問を受けていない。が、柊の人間、シノア、真昼、深夜、暮人は拷問に耐える訓練を幼い頃から受けてきているのだろう。

そういう点では、柊もヴォルガスも変わらない。

 

暮人はグレンを見つめて、続けた。

 

「だが口を割らなくても、一度失ったらもう、取り戻せないものもあるだろう? 違うか? グレン」

「…………」

「彼女はまだ、八歳だ。恋もしていない少女だ。だが、ここで大切なものを失う……それをどう思う?」「…………」

「子供が拷問されるのが嫌いなら、守りたいんじゃないか?」 

 

それに、グレンはうめくように、

 

「……クズが」

 

 と言うと、暮人はまた笑った。

 

「おまえの評価を、俺は気にしない。それともまさか、この世界の理不尽さや汚さについて、俺に講釈を垂れるつもりか?」

「…………」

「じゃあ、続けるぞ。《百夜教》が接触してきた。裏切り者は真昼だそうだ。事実か?」

 

暮人が本題に切り込む。グレンは黙っている。

すると暮人が目を細めて、言う。

 

「その無言は、肯定か?」

 

束の間沈黙が流れる。グレンは悩んでいるのだ。どう答えればこの場を凌げるのか。

グレンは言った。

 

「……わからない」

「どの部分が?」

「真昼が、裏切り者なのかどうかは、知らない」

「おまえは裏切り者か?」

「いいや。裏切るだけの力が、一瀬にはない。それに、裏切ったところでおまえらは痛くもかゆくもない」

「そうだ。おまえが裏切ったところで、殺せばいい話だ。よし。その言葉は信じよう。だが真昼の裏切りについて、おまえは知っていた」

「いいや」

「彼女はおまえが好きだったろう? おまえには話したんじゃないのか?」

「聞いてない」

「だがシノアは真昼がおまえに相談した、と言っていたぞ?」

「嘘をつくな」

「まあ、そう簡単にはひっかからないか」

 

暮人が薄く笑って言う。

こちらまで凍りつきそうな緊張感だ。グレンは真昼が裏切り者だということをとうに知っている。

暮人の質問、かまのかけ方は的確で無駄がない……がグレンは焦りも見せず上手くかわしている。

 

まあ実は私も何が正解なのか知らない。誰が世界を滅ぼそうとしているのか。

自分が拷問された時はそれは百夜教だと答えたし、それが濃厚だと思っていた。

 

けれど今度は真昼が百夜教を裏切ったと、百夜教は言う。真昼は柊と百夜教どちらも敵に回しているのだろうか。

 

マリアは……どの立場にいるのか。斉藤と知り合いということを考えれば百夜教かもしれないが、マリアが手伝っている気配がない。

 

グレンが再び口を開く。

 

「第一、«百夜教»の言葉をそのままおまえは信じるのか?」

「ん?」

「戦争中の相手が流してきた情報を、柊ではあっさり信じるのか? と、聞いている」

 

すると暮人は答えた。

 

「いいや。俺は見たものだけを信じる。だからお前を殺していない。シノアを殺していない。«百夜教»がどういうつもりでこの情報を持ってきたのかの真意も調べる必要があるし、奴らの情報戦に右往左往するつもりは無い。まあ、と言っても、«百夜教»から来た伝言役の人間は、拷問室がはしゃぎ過ぎて死んだがな」

 

と、暮人が目を少し横に向ける。

隣の部屋から赤い液体が滲み出している。

 

(昔、同じような光景を見たことがある)

 

零命鬼?

いや、零命鬼は今は眠っている。だとしたら今のフラッシュバックのようなものは自分自身のものか。

 

「……その拷問をガキに見せて、喜んでたのか?」

 

グレンが言うと、暮人は笑う。

 

「一瀬はお優しいなぁ。だからおまえらは、俺たちに勝てない」

「……初めから勝つ気は無い」

「はは、そういうところが、好きだよグレン。おまえの、身の程をわきまえているところがね」

 

と言って、暮人は一歩前にでる。シノアの後ろに立つ。彼女の頭を撫で、それから、椅子の裏側に回されている拘束具を外す。

シノアが暮人を見て、

 

「……立っても?」

 

と聞くと、暮人は首を振る。

 

「座ってろ」

「…………」

 

暮人が言う。

 

「この傷はメイクだ。シノアに拷問はしていない。腹違いとはいえ、かわいい妹に、無意味な拷問など俺はしないよ、グレン。どうせ彼女は、口を割らないしな」

 

するとそこでシノアが立ち上がる。ヘラヘラ笑って私の方へ近づいてくる。

 

「…クレハ・ヴォルガス?」

 

グレンが少し驚いたように言う。

流石にシノアに近づかれては気配を隠しても意味がない。

仕方なく、「くだらない演技をさせられてくたくたですよ~。ね~クレハさん~」と言って抱きついてくるシノアを部屋の中央に押し戻しながら明るみに出る。

 

暮人へ視線を戻してグレンが言った。

 

「つまりこれは初めから俺へのテストか?」

 

暮人は首を振る。

 

「いやただの情報収集だ。強大な敵を相手にしていると、何が真実かわからなくなるからな」

「で、結果は?」

「おまえを信用しよう。やはりおまえは、俺の大切な部下だ」

 

続けて暮人が言う。

 

「わからないか?」

 

何がわからないかと言っているのだろうか。

グレンは何か察したのか、なめらかな動きで腰に吊るした剣に手を伸ばしている。

暮人の雰囲気は変わらない。

ただ、淡々と、

 

「……おまえとシノアが、接触をもったことはもう、調べがついている。だからまず、シノアを殺そう」

「なっ……」

 

瞬間、シノアが反応してしまう。暮人の手が、私の目の前の少女の首へ伸びる。

 

私はこの少女に何の感情もない、筈なのに瞬間シノアの手を掴み引こうとした。

引こうとしたが、同時に暮人の動きを注視する。これは………………人を殺す動きじゃない。

 

私はシノアの手を離し、刀を抜く。

 

暮人の手がシノアの首を掴む。と同時に、グレンが腰の刀を抜き放ち、暮人へと振り下ろす。

暮人はそれに、あっさり反応する。腰から刀を半分だけ抜く。しかし、それがグレンの刀を受けることはなかった。

 

「クレハ?」

 

ギリギリと私の妖刀・蓮華とグレンの刀がぶつかり合う。なかなか力強いがこれでは…………。

 

暮人が私の名前を何故か疑問形で口から漏らすが、すぐに元の淡白な雰囲気に戻る。

 

「……それ以上動くな。シノアの首の骨が折れるぞ」

「…………」

 

グレンが刀を私の蓮華に押し付けたまま動きを止める。すると暮人は笑った。

 

「はは、その、顔。だから俺は、おまえを信じるよ。シノアを切り捨てられない、人間らしいおまえを。ちなみに昨日の夜、俺は柊シノアの処刑を宣言した。《百夜教》にも伝えたし、柊の動向を探っている者ならわかる方法で、処刑を宣言した。あ、ちなみにおまえと深夜には伝わらないようにしたけどね。まあ、それはさておき、それからどうなったと思う?」

 

これは罠だ。真昼をおびき出すための。

 

「真昼に無視されたか?」

 

グレンがそう言うと、暮人はまた、笑った。

暮人はシノアの首から手を離し、ポケットの中に突っ込むと、ケータイを____

 

〈プルルルルル♪〉

 

突如部屋に着信音が鳴り響く。

 

「…私のケータイ?」

「……くっ」

 

グレンを押し返し、弾き飛ばして納刀する。

ケータイ(官舎に入る際に暮人に新しく貰った)を開いて画面を見る。そこに表示されていたのは全く知らない番号だった。

 

「ごめんなさい、外に出てくる」

 

そう言って、暮人とグレンの2人の反応を待たずに慌てて部屋の外に飛び出す。

 

ああもう。なんか暮人が見せようとしている時に一体誰が私に電話を……。

暮人と葵ちゃん以外に電話番号は伝えていないはずなのに。

 

廊下に誰もいないことを確認してもう一度ケータイを見る。

 

《怪しいね。でるの?でないの?》

「零名鬼? 寝てたんじゃ……」

《起きてちゃ悪い?それより急がないと切れちゃうよ?》

 

すねた様子の零名鬼に急かされたので……という訳では無いが、出るべきだとは思う。

彼の言う通り明らかに怪しい。だが、私には今、情報が必要だ。相手が誰かも知らないが、話すだけでも何か分かることがあるかもしれない。

危ないと判断すればそれなりの処置をすればいい。

 

「でるよ」

 

通話ボタンを押して、ケータイを耳に当てる。

 

「…………」

『…あなたがクレハさんですか?』

 

老年の、知らない男の声だ。

 

「……ええ。あなたは_」

『……そうか。そうかそうかそうかぁあ!! やっと見つけたぞぉぉおお!!!!!!!!』

 

その声に、ぞくりと背筋に悪寒がはしる。

私がクレハだと分かった瞬間、男は異常なまでに興奮した声で叫びだしたのだ。

その鼓膜を破るような大音量に、思わずケータイを耳から離し、懐からチョークを取り出す。

もうすでに遅いかもしれないが、防音膜を張る魔術を、周囲一体にかけた方がいい。そう判断して、床に魔術図形を描き魔力を込める。

 

『この裏切り者がぁぁあああ!!!! いや、違うか? 悪魔……そうだ悪魔だ……。殺さねばならん……。うむ』

 

叫んだかと思えば、急に声のトーンを落として静かに男が呟く。とてもじゃないがまともではない。それにこんな狂人と知り合った覚えはない。

裏切り者と言っているなら、私が知らないだけで、マフィアの人間だろうか?

 

ちょうど相手の言葉が途切れたので、口を開く。

 

「私はおまえを知らない。おまえは誰だ? さっきから何を言っている」

『誰だ?だと? ああ、やはり悪魔だ……。人の一人娘を殺したことなど覚えてないか? そうか……』

 

この男の話から考えると……私が昔、仕事で殺した女の父親か? けれど、それなら裏切り者とはどういうこと?

 

必死に考えを巡らせていると、またケータイから大音量が鳴り響いた。

 

『ふざけるなぁああ!!! すぐに居場所を突き止めて殺してやるからな!!!! この悪____』

 

しかし、それも急に止まる。この情緒不安定では説明のつかない緩急がやけに私に動悸をおこさせる。

それでもここまでならただの狂人と変わらない。何度だって見たことがある。

だが、次の言葉が、それだけに留めさせなかった。

 

『……ああ、声を荒らげてしまい申し訳ありません、聖母様。 …………………………わかりました。貴女を信じています____』ツーーツーー

 

電話が切られる。

最後は誰かと話していたようだった。

 

〝聖母様〟

 

聖母マリア。

 

____マリア。

 

偶然か? いや、ここまできてそんな考えはもう甘いのだろう。

 

《そうよ。私は貴女をずっと見ている。私なら、貴女を救ってあげられる。さあおいで……》

 

いつのまにか、白い空間にマリアが私に微笑んで立っている。迎え入れるかのように手を広げて。

 

「…零名鬼。今、私を敵視している人間の後ろにいると考えられる女の姿を真似て、そんな言葉を話すのは愚かしいと思わない?」

《クレハ……。確かに今の男は貴女を殺したがっている。でも、居場所も知らない、未だ殺しにいけない。何故だと思う?》

《昔、貴女を谷底へ見送った。殺そうと思えば確実に出来たということを貴女も知っているわよね? でも、そうしなかった。何故だと思う?》

「マリアが私を守っているとでも? それはおまえの推測だ、零名鬼」

 

そうだ。ただの推測だ。なのに、何故、憎しみが別のものに変わっていくのだろう。

 

突如、白い空間は、マリアの姿を模した零名鬼は、暗闇に飲まれた。

もう、目の前にあるのは、薄暗い体育館の地下だ。

 

『あ、暮人お兄様?』

 

聞き覚えのある声が響き渡る。校内放送だ。

 

「真昼?」

 

真昼は頭がいい。話すだけで操られる可能性がある。

そして、今の一言で、これから真昼が暮人に何か語りかけようとしていることが予想される。

 

真昼が仕掛けてきたのだろうか、それとも……。

 

 

 

そう考えていた、その時。足元がピキリと音を立てた。

 

 

 




今回は小さいシノアちゃんの登場でした!相変わらずですね!小さいのは成長しても変わらな__とか言っちゃダメです。

進みの遅いこの小説を読んでくださっている皆様には感謝してもしたりません。原作の方にはいつか必ず入る予定です。次回もお楽しみに!


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第19話 ヴォルガスの手紙

皆様本当にお久しぶりです!(または初めまして!)
前話から相当月日が経ってしまい、話忘れた、という方もいらっしゃるかもしれません。それでもまたこうして読んでいただけて本当に感謝しております!
今回はまた新たな展開となっていますのでお楽しみ頂ければ幸いです。それでは第19話どうぞ!!



足元がピキリと音を立てる。

足元に視線を落とす。

 

「…………!!!」

 

床が、青白く光を反射している。

 

ピキリ、という音が自分から急速に遠ざかっているのに気づき、廊下一帯を見る。

 

足元だけではない。

自分を中心に、尋常ではない速度で床が、壁が、天井が、

 

凍りついていた。

 

魔術も呪術も発動していないのに……!

もう視認できる範囲は全て凍りつき、冷気を放っている。

 

「ピロピロリン♪」

 

メールだ。しかもこの着信音は……

ケータイを開いて確認する。

 

『from:柊暮人

件名:無題

柊真昼の居場所が特定出来た。既に特務部隊を派遣したが、相手が悪い。至急、応援に向かってくれ』

 

添付されていたファイルを開くと、ポイントが示された地図が表示された。

こんなものが送られてきているということは、暮人のいる部屋は凍りついていないのだろうか。

 

恐る恐る足を一歩前に踏み出してみる。と、その前に

 

「零命鬼、これはあなたの力?」

 

今は鬼呪刀を持っていない。が、鬼は既に自分の中に宿っている。

というわけで彼女に声をかけて尋ねる。が、

 

「零命鬼? 起きてる?」

 

いつもいらん時に口を出してくる零命鬼の返事がない。それどころか気配すらあるか微妙な気がする。

 

「零命鬼? ……いないの?」

 

やはり返事は無い。先程まで確かにいたのに。

零命鬼のことといい、凍りついたことといい、一体何が起こっているというのだろう。

 

暮人からのメールのこともあるし、真昼がなにかしたのだろうか。

とりあえず、送られてきたポイントに移動しないと……

 

思い切って足を前に踏み出す。…………これ以上凍りつくことは無さそうだ。

そういえば、と暮人達がいる部屋の扉を見る。完全に凍りついている。

 

「……まぁなんとかするでしょ……」

 

今は時間が無い。官舎に駆け戻り、念の為魔術で隠し置いた零命鬼を取り出す。

 

「零命鬼! 真昼に会いに行くよ!」

《あれ、いつの間にこっちに戻ってきたんだい? 真昼とデートなんて随分急じゃないか》

 

細かい戯れ言はともかく、今しばらくのことをこの鬼は何も把握していないらしい。

 

一体何が……いや、考えるのは後だ。

 

「真昼の居場所が特定出来たらしい。暮人からそこに向かうように指示が出た」

 

早くしないと先行した部隊が殺される。

いや、お前が心配しているのはそんなことじゃない。逃げられたくないんだろ?彼女に____

 

今思い浮かんだのは……何?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

side 柊真昼

 

携帯電話を左耳にあて、刀を抜く。

ああ、やっぱり暮人兄さんの狙いは逆探知。目の前にいる柊の特務部隊は12、3……もっといるかしら。

無駄だと……兄さんは本当にわかってないのかな?

 

「見つけたぞ!柊真昼!大人しくすれば____」

 

まったく。うるさいな、もう。

この刀を一閃。それで終わり。

 

ヒュっ________キィィィイイン____

 

「間に合った……」

「……クレハ・ヴォルガス?」

 

私の剣を軽々と受け止めるクレハ。暮人の指示か。

 

「クレハさん……!!」

 

彼女の背後にはいくつもの安堵した顔。確かに…これはこちらが圧倒的不利かもしれない。

 

「今、柊真昼を……クレハ……さん?」

 

今、何が? 目の前にいたはずなのに、ほとんど何も見えなかった? まさか……速さだけで?

 

はっとしたのは、全ての特務部隊員の間抜け面が床に叩きつけられる音で。

 

「ねぇ、真昼。天使って知ってる?」

「……天の御使いの天使のことかしら」

 

躊躇なく仲間を斬って(気絶させただけだが)すぐこの発言である。

 

「そう…かも。でも鎖で縛られてるみたい」

「へぇ……。そう」

 

ただの与太話ではないみたいだ。

天使ね。こいつ……どこまで知ってる? これで試してみよう。怒らせるかもしれないけど。

 

「もしかして貴女の言う天使って、これと関係してるのかな?」

 

長刃のナイフを懐から出して見せる。

ちょーっと覚えのある気配を感じたからくすねてきたけど、彼女の名前が彫り込まれているし思い入れのある品だろう。

 

さて、どういう反応を見せるか…

 

「…………っ」

 

動かない。ナイフを睨みつけるだけで、抜いている零命鬼すら動かそうとしない。いや、おかしいのはそれだけじゃない。額には冷や汗が滲み、鼓動は速くなっているのが分かる。

 

何故だか詳しいことは分からないが、明らかにクレハは苦しみだしたようだ。試しに一歩、近づいてみる。

 

「…………っ!!!!!」

 

これは一体どういうことか。クレハは言葉を発さないまま両膝を床に着いて胸を押さえた。

このナイフが関係していると見るのが正しいだろうか。もっと言ってしまえば天使、とも。

 

もう一歩踏み出________

 

ヒュッ

 

咄嗟に顔を逸らしたが……今のは投げナイフ?

 

「この子から離れろ」

 

目の前には、クレハの肩を守るように抱いてナイフを構える見知らぬ男がいた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

殺意と憎しみを掻き分けて思考を、突如現れた男に割く。

 

「あなた……は……?」

「覚えてくれてないのは悲しいけどとりあえず撤退するよ」

 

そうだ。真昼の前で弱みを見せてしまったんだもうすグ殺セタノニ

 

「後ろの扉から出るよ。おいで」

 

ぐいっと後ろへ引っ張られる感覚がする。真昼が反応したがそれすら遅い。あァ、ナイフが____

 

「気をしっかり持って。もうナイフから遠ざかったよ」

 

気がつけば何処かの路地裏にいた。

心配そうに顔を覗き込んでくる、黒スーツ姿の男。あれ、この服装は……どこかで……。

 

思わず男から飛び退いてしまった。気づいてしまった。

前の開いたスーツから見える裏地に金糸で刺繍された゛ヴォルガス゛の家紋に。

 

「どうして……ここに……」

「お! 思い出してくれた!? それなのに飛び退くってひどいなぁ」

「……?あなた達が今更私になんの用?」

「……君に用があるのはヴォルガスじゃなくて俺自身だよ」

 

確かにイタリアンマフィア・ヴォルガスの人間らしい。それに私に面識があって私に個人的な用があるときた。しかし……誰だ?

 

「あ、その顔。俺個人のことは覚えてないって顔だな。そりゃまぁ……あれは随分前のことだもんな……」

「……あれって……私が家を去ったこと?」

 

癖のある栗毛にやや隠れた、翠の目が陰る。

 

「クレハが居なくなったのは寂しかったが…それで良かったのかもしれない」

「どういうこと? いや、その前に貴方は誰?」

 

覚えていないのがどうにも申し訳ない。

 

「……ルカ兄さん、って君は呼んでくれてたよ」

 

ルカ………………

 

しゃがんで、座り込んでいる私に視線の高さを合わせてくれている男を見つめる。

体の力がふっと抜ける。

 

ああ、そうか。また助けてくれたんだ、……兄さん。

 

「大人になったのね」

 

そう言うと、男は、ルカはたちまち笑顔になってウインクをして言った。

 

「君は美人に育ったね!」

 

昔と変わらないなら、この男は女性なら誰にでもそう言うだろう。

 

ルカ・ヴォルガス。

私と同じ、ヴォルガスの幹部にして暗殺者。七翼の天使を背負う者。

 

「何しに来たの」

 

ルカ自身が私に用があると言っていたが。

 

「……話したいことは山ほどある。けど、聞こえる?」

 

促されて耳を澄ませる。

 

「柊真昼を確保したぞ!」

「厳重に拘束して連れていけ!」

 

これは、暮人の部下の声? どうして彼らごときに真昼が捕まっているの?

 

「ナイフが掠めていた。今頃、あの娘には毒が回っているはずだ」

 

確かに、ルカが作った毒なら真昼にも効くだろう。しかし、困ったな……真昼が捕まるだなんて……。

これからどうなるかは分からないが、もしかしたら……暮人にバラされるかもしれない。零命鬼のことや、天使のこと。

 

「分かってる。どうやら今は忙しいみたいだね」

 

そう言ってルカは私に封筒を渡した。

 

「早急に伝えたいことはここに書いてある。俺に連絡を取る手段もね」

「ルカ兄さん……」

 

ルカは満足気に立ち上がり背を向ける。

 

「とにかく……クレハだけでも生きていてくれて、本当に良かった」

 

そう言って彼は路地裏の闇に消えてしまった。

 

封筒を懐に仕舞って自分も立ち上がる。

今は何も考えない。今、考え出したらきっと頭が溢れて自分を保てなくなる

いま、この状況を何とかしないと。

 

特務部隊の声がする方へ急ぐ。

 

「柊真昼はちゃんと捕まえられた?」

 

まあ、目の前で何重にも拘束されてぐったりしている真昼を見れば一目瞭然だが。

 

「ええ、何故か弱っている様子でしたので……これはあなたが?」

「……うまく毒が回ったみたいね……。早く連れていきましょう」

 

しゃがんで真昼の頬に手を当てる。僅か、ほんの僅かだが、刃物傷が一線頬にひかれていた。

ルカの投げナイフが掠めたのだろう。掠めただけだが……おそらくルカ特製であろう毒は凶悪だ。

 

頬から手を離し、立ち上がる瞬間。真昼の懐に手を突っ込み、引っ張り出す。

名が刻まれた黒塗りのナイフを。

 

今はこのナイフを手にしても、体に変化は無い。

 

《君、このナイフ好きだね。私の方が華麗に舞えるのにー》

「ちゃんとあなたを使ってるじゃない……」

《それもそうだ。ね、さっきの上手くいったね》

 

さっきの。

 

真昼の目の前で、柊の隊員を切り伏せた技。

実戦で使ったのは初めてだったが、真昼に剣閃を捉えられなかったところを見るに成功したようだ。

 

《空気を局所的に凍らせて屈折率?を変えるんだっけ。剣が見えなくなる理屈は》

「よく分かってないのに成功したの?」

《私はクレハの意思に応えて微調整するだけだからね。細かいことなんてどうでもいいさ》

 

そういうものだろうか。

まあいい。

 

敵の目を欺く技があれば戦略の幅も広がる。今は色々と試してみるべきだろう。

 

《それより電話がかかってきてるよ》

 

着信音には気づいていたが、そんなにすぐ出る必要はないと思っていた。が、零命鬼の言葉で、応答する。

 

「……もしもし」

『真昼の捕縛、ご苦労だった。流石だな』

「……まあね。その……暮人……」

『今は帰投して休め。廊下と扉の件は後で聞く』

 

や、やっぱり私が凍らしたのがバレてる……。しかし、私にもあの現象について説明することは出来ないというのに何を話せばいいのだろう。

 

……とりあえず言われた通り帰って休むのがいいのかもしれない。ルカから貰った封筒も読みたい。

 

私が去った後のヴォルガスで、一体何があったのだろう。

 

私の身に起きていることは、一体何なのだろう。

 

もし、全てを暮人が知っても、私を愛してくれるだろうか。

 

もし、全てを私が知っても、私は私でいられるだろうか。

 

《いいね、いい。君の欲望はやっぱりいい。だからこそ、まだ、君が*バケモノ*になってしまわないよう働いてあげる》

 

この時、私はまだ、鬼の言葉を理解しきれていなかった。

 

 

 

 




今回は生き別れの兄との再会となりました。ルカ・ヴォルガスは作中初めてのクレハのマフィア時代の知り合い(マリアは除く)となります。これをきっかけに謎だらけの部分を解き明かして行きたいと思っております!
現在、血と汗と涙を流しながら合間合間に書き進めておりますのでまた日は空いてしまうかもしれませんが、次回をお楽しみに!!


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第20話 私の眼の色は

お久しぶりです! 暑い日が続きますが皆様お元気でしょうか? 因みに私は熱中症でぶっ倒れました。皆様も気をつけてくださいね

今回も舞台は夏。真昼の捕縛から帰還したクレハ。
物語は次の章に向けて展開します。
それでは、第20話、どうぞ!


官舎の自室に戻り、ベッドに飛び込む。

途端、溜まっていた疲れがどっと押し寄せて大きく息を吐く。

息を吐き終わると、ごろんと仰向けになり懐から封筒を取り出した。

ぼうっとそれを眺めてみると、妙な封がされているのが目に留まった。

 

「指紋?」

 

緑色にうっすら光る指紋のような模様のうえに、何となく人差し指を当ててみる。

 

フワッ

 

「うわっ」

 

するとどうだろう。今までピッタリ閉じていた封筒の口が最初からそうだったかのように開いていた。

 

慌てて部屋のドアが施錠されているか確認し、カーテンを閉め、もう1度ベッドに転がり込む。

 

やっと、それもこんなにあっさり、疑問への答え(かもしれないもの)が手に入るなんて……。

 

勿体ぶらず、すっと封筒に指を入れ紙束を引き出す。

何枚も入れられた紙にはみっちり字が書き込まれているように見える。

一息ついて文章を読み始める。

 

『クレハ、君にこれを渡すことが出来て良かった。君がもう新しい人生を幸せに過ごせているならすまないが、いずれは君にも影響が及ばざるを得ない話がある。簡潔に言うと、今、ヴォルガス・ファミリーは1人の女に乗っ取られ、幹部は順に殺されている』

 

1人の女……幹部が殺されてる……?

 

『呪いを受けている幹部はもう俺と君を含めて4人しかいない。他の1人はヴォルガスに残り、1人はもう逃亡中で音信不通。俺は何とか君の情報を集め、日本へと逃げてきた。

父さんを誑かした“マリア”と名乗る女が俺たち幹部を殺す理由は既に分かっている』

 

マリア。私が帰る場所までも

鼓動が大きくなる。殺せ殺せ殺せコロセ殺セ殺せコロセ

あの女を、ワタシのものを奪うヤツを許すナ

 

《今はとりあえず手紙全部読んだら?》

「……零命鬼……」

 

彼女の声で頭が冷えていくのを感じる。

ああ、私はまたこの呪いに呑まれそうになっていたのか。

 

「零命鬼。ありがとう」

《…………うん》

 

続きを読む。

 

『理由はこの呪いだ。これはただの能力のブーストじゃなかった。この呪いは、ある強大な天使を縛り付けておくための鎖だった。能力の高い者を何人も使い、副作用も大きい鎖が必要な天使が、ヴォルガスにいる。

その天使はマリアの幼い子供に取り憑いていて、鎖の力が強まるほど子供が苦しんでいるらしい。幹部が殺されていうのは鎖を緩めるための数減らしというわけだ』

 

天使って…ルカまでそんな、まるで天使のような架空の存在が実在するみたいに……。

とりあえず、以前聞いた天使の鎖という話は正しいようだ。

天使とは一体なんのことなんだ?いや、それより、そんなことでファミリーを殺すなんて……

 

「そんなこと…って思う?」

 

背筋が凍りついた。

 

「零命鬼っ!!!!」

 

手の中に刀を呼ぶ。

同時に頬を風が駆けていった。

 

「まぁ……わからないのも無理はないでしょう。母になったことの無い貴女には」

 

ああ、気づかなかった。

なんて綺麗な満月。

こちらを見下ろす2つの紅い光が、良く映えている。

 

「……私を殺しに来たの?」

 

いつの間にか空いていた窓枠に腰をかける女に問う。

 

「いいえ。ただ、貴女に会いたかった。じゃ、ダメ?」

 

白々し過ぎて、気持ち悪い。

優しい言葉を謳いながら微笑む姿に身の毛がよだつ。

美しさもここまで来ると怪物だ。

 

そう思っているのが表情に出たのか。

 

「分かっているわ。貴女、こういうのは()に言って欲しいのよね」

 

彼。

 

そうか。もうそこまで手が伸びているのか。

零命鬼の力を静かに発動させる。

 

直ぐにはわからないよう。徐々に、徐々に。この部屋の気温が下がっていく____筈だった。

 

(……何故止める零命鬼。今ここで始末しておかないと……暮人が……)

《ここで刀抜いて殺せるなら、幾らでも力を貸すさ。でも今は、今は止めておいた方がいい》

(何故…)

《それは……》

 

「話は終わった? なら、そろそろ私とお話しましょう」

 

ああ、何故直ぐに気づかなかったのだろう。

 

「先に言っておくわ。これは取引などでは無い」

 

宝石のようだった赤い眼光は血のようなドス黒さを帯びて。

 

「この血を飲みなさい」

 

赤い液体が入った小瓶を掲げる女に、もう笑みは無い。

 

「決断が1日遅れる事に、貴女の大切な物を1つ奪う」

 

風が、女の修道服を揺らす。

長くふわりと揺れる袖から見える鋭い爪。クリーム色の髪の下には尖った耳。口から覗く凶悪な牙。血のように紅い眼。

 

「それは吸血鬼いや、……貴女の血?」

 

「……貴女の想像に任せるわ」

 

私がそう尋ねた瞬間、

吸血鬼の修道女は、もはや嫌悪感と怒りを露わにしていた。

 

これは勘だが____この女は焦っているのではないか。

 

“子供が苦しんでいるらしい”

そしてこの女、マリアは子供のために手練である筈の幹部を殺して回った。

 

一体、何故吸血鬼の血を私に飲ませたがるのかわからない。だが、飲めばきっと、私は私でなくなってしまうのだろう。吸血鬼の伝承通りなら私は……

 

________そうか、もう、逃げられないんだな。

 

「……少し時間が欲しい。1日はかからないから」

 

「そう。これを飲む時が来たらまた会いに来るわ」

 

心なしか、マリアの表情が和らいだようだ。

 

「またね。クレハ。貴女はやっぱり賢い子ね」

 

強い、風が吹く。

暴れるカーテンが収まる頃には、もうマリアの姿は無かった。

 

あと、1日もない。私が、人間でいられる時間。そして、暮人と……

 

「こんな……突然だなんて……」

 

この楽しい日々がいつか終わると覚悟はしていた、筈だったのに____

 

《泣いてる暇はないんじゃない? もう時間ないんでしょ?》

 

そうだ。時間が無い。

それに、また、力を得ることが出来たなら、暮人を守れる。傍にいることが出来なくても。

何も嘆くことは無いじゃないか。

 

だから、とにかく今は、

 

暮人に会いに行こう。

 

私が人間でいられるうちに。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

官舎を出て、茹だるような暑さに顔をしかめる。

もう日も落ちているというのに。

 

もう身辺整理は済ませた。といっても私物は今背負っているリュックサックの中身と、腰に差した二刀、太ももに装着したナイフだけだが……。

 

とりあえず帝の鬼の本部に向かってみる。いや、暮人がまだ学校にいるならそちらに行った方が良いだろうか。

そう考えていると、官舎に…と言うより私に向かって見覚えのある暮人の部下が走ってきた。

 

「どうした」

「クレハ様!一緒に来てください!暮人様がお呼びです!」

 

探す手間が省けたな。

 

「用件は?」

「柊真昼の逃亡、及び百夜教の襲撃についてかと」

 

な、な、なんだって…。

 

「分かった。暮人は今どこに?」

「こちらです。付いてきてください」

 

街中へ走り出す彼を追いかける。ただ無言で後を追う。追い始めてすぐに右目の端に人気のない路地裏を捉えた。

 

瞬時に隊員との距離を詰めて、制服の襟を掴み倒して路地裏に投げる。

 

「な、何をなさるんですか!?」

「白々しい。今、貴方に付き合ってる暇は無いの」

「何を…。早く暮人様の元へ…」

「暇じゃないって言ってるでしょ。本当の事を吐け」

 

起き上がろうとした男をもう一度掴み倒して、男の首元に蓮華を押し当てる。

 

「何故、暮人の場所を言わない。何故、帝の鬼の重要施設がない方向へ行く。何故…お前はクレハ“様”と呼ぶんだ」

 

私に敬意を払って、さん付けする者は大勢いる。だが、帝の鬼に連なるものではない私を様、と呼ぶ者はいない。

 

「おや? だって、暮人様の恋人なら奥様になることもあるじゃないですか〜」

 

男は急にヘラヘラ笑いだした。恐怖心で変になったか、狂人なのか、百夜教徒か。私と暮人の仲を知っている____

 

「そうね。だから今話したいのは貴方じゃなくて、暮人なの。だから…」

「あ?___アアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!」

 

男の小指がポトリと落ちる。

 

「何もつかめなくなる前に今起こっていることと、暮人の居場所を。手短にね」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

学校が百夜教に襲撃されていて、暮人はそこにいない…か。真昼に逃亡されるなんて一体何をやっている…と言いたいところだけど相手が真昼なら仕方ない。

他にもいろいろ聞けたが今はいい。

 

両手だけでは足りなかったが。

 

もう夜も深まってしまい、暮人は行方知れずなうえに今はのんびり話している時間もないだろう。

これで、本当に最後になってしまうのだろうか。

 

「恋人……か」

 

ああ、本当に私は愛を知ってしまったのか。

 

とりあえず、学校に行かなきゃ。そこにいつか、暮人は来る。

学校へ足を向けて、零命鬼の力を使って駆ける。駆けながら暮人に電話をかける。数コールもしないうちにそれは繋がった。

 

『お前から電話を寄越すなんてどうした。周りがうるさいが、休みはもういいのか』

「この状況で寝てられるほどお気楽じゃない。どうして知らせてくれなかったの」

『…疲労が溜まっているのは声で分かった。今は待機させるべきだと判断しただけだ』

 

つい、冷たく返してしまった。久しぶりという訳でもないのに、今は声を聞くだけで胸が痛い。そんなことで悪態つくなんて子供と一緒だ。

ごめんなさい、暮人。

もうすぐお別れなのに。

 

「ありがとう、お陰様でもう十分休めたわ。私も学校へ応援へ向かってる」

『助かるよ』

「うん」

『無理はするな』

「うん」

『また後で』

「うん」

 

電話が切れた。そろそろ学校に着く、という所で黒い制服の人ごみにぶつかった。

みんな帝の鬼の兵士達だ。

 

「中の状況は」

 

1人の兵士が答えてくれる。

鬼が暴れている、と。鬼の名前は

一瀬グレン。

 

まさか襲撃したという百夜教はもう彼に…。

 

隊列を分けいって、校庭に入る。そこには、暮人が立っていた。

 

黒い刀を差して。

 

校舎により近い方には深夜、五士、美十もいる。同じように黒い日本刀を持っている。

 

いや、よく見れば一部の兵士も。

こんなに鬼呪の武器が使用されてるなんて、一体…。みんな平静なようだが。

 

「呪符が破られました!」

 

見上げれば、1つの教室の窓を呪符で覆っていた跡が見られるが、大きな穴が空いてしまっている。

 

大きな穴から赤い眼光が覗く。

赤い眼が、校庭の私達を見た。

 

自分だって強大な鬼の力を使っているのに、悪寒が、止まらない。なんだ、あの化け物は。

黒い化け物が、足を、窓の外に踏み出す。

 

『お膳立てはしておいたわ。さあ、今のままじゃ力が足りないんじゃない?』

 

 

声がする。

まさか、グレンにも、あいつは、マリアは、なにかしたのか。

いや、グレンだけじゃなく…何もかも____

 

「……どうして」

 

1日もかからないって言ったのに。

手を爪が食い込むほど握りしめた。

 

もう、やめて。

 

もう、これで終わりにしよう。

 

だから、

 

『さあ、もう力は、貴女の手の中に』

 

その言葉で握りしめた手を開く。手の中には赤い液体の入った小瓶。

 

 

 

私は蓋を開いて、躊躇いなく液体を飲み干した。

 

 

 

鼓動が早くなっていくのが分かる。体が別のものに作り替えられていく感覚。

気持ち悪い。痛い。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。

 

平静を装うも冷や汗が止まらない。きっと今の私の顔は真っ青に違いない。

受けてきた拷問とは全く違う、苦しみ。

 

 

やがて薄れる、苦しみ。飛びかけていた意識が鮮明さを取り戻す。

目が、即座に暮人を捉える。

 

 

暮人が部下に指示を出そうと口を開いていた。その口に、背後から手を回して覆いかぶせる。

今の私に、人に距離を一気に詰めて背後を盗るなど、造作もない。

 

「私が行く。今は兵を下がらせて」

「クレハ? いつの間にいたのか」

 

私の手を掴んで、暮人が言う。

手を掴まれて、ますます私の顔に暮人の首が近づく。

目が、首筋から、いや、動脈から目が離せない。

喉が……渇く……。

 

「今来たとこ。それよりとりあえずあれを閉じ込め直さないと。私が中に繋ぎ止める」

「あれは流石にお前でも1人では…」

「出来る。信じて」

 

はっきりと言い切る。

体中に溢れる力による自信というのもあるが、これ以上近くにいるのは危険だ。本能がそう訴えかける。

 

暮人の背後から前に出て、走り出す。加速して、封を破られた教室の窓に向かって飛ぶ。

 

赤い眼の化け物の姿をはっきりと捉える。

 

「拘束しろ、零命鬼」

 

空中で抜刀。飛んだ勢いのまま、鬼___グレンの肩に斬り掛かる。

どこで手に入れたか、想像はつくが。グレンの刀、闇を具現化したかのように禍々しい刀が、尋常じゃない速度で迎え撃ってくる。

 

「ガァァアアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!!」

 

グレンの中の鬼が余程強大なのか? ここまで欲望にすぐ呑まれきることがあるのか?

 

もうそれは、人とは呼べないほどに黒く染まって、咆哮していた。でも。

 

グレンは刀から肩にかけて瞬時に凍りつき、動きを止める。

 

「……本当に化け物なのは私の方だ」

 

グレンの肩を斬り落とさない程度に斜めに斬り、剣圧で教室の奥の壁に叩きつける。

壁がひび割れ、凄まじい衝撃音とともにグレンが床に放り出され、斬りつけたところから床とともに凍りつく。

 

「今!もう一度封印して!」

 

校庭に向かって叫ぶ。

帝の鬼の、それも暮人の部下は優秀だ。たちまち、呪符が空いたところに張り巡らされ、教室の中は真っ暗になる。

 

呪符の効果が効いているのか、凍っているからか…鬼の気配が弱くなる。

今のうちにとりあえずこの教室からは出ておこう。ちょうどすぐ近くに職員室があるからそちらに移動しよう。短かったが、日常を送った教室にいるのは今は精神衛生上良くない。

 

職員室に入り、扉を閉めて、適当な椅子に座って机にもたれる。

 

疲れて仕方が無い。

 

喉が渇いて仕方が無い。

 

寂しくて、仕方が無い。

 

少し目を瞑っている。と、先ほどいた教室から激しい剣戟の音とみんなの悲痛な叫びが聞こえてくる。会話も鮮明に。

ますます耳が良くなってしまったらしい。

こちらへ向かってくる足音も聞こえる。

とても聞き慣れた足音。

 

職員室のドアが開く。

 

「クレハ」

 

体を起こして入ってきた人物を見る。

 

「暮人」

 

あ、そういえば、吸血鬼の目の色は確か赤くて、牙は尖っていて…。

目が合ってしまった。名前を呼んでしまった。

今のでバレてしまったかもしれない。

 

「来てくれて助かったよ。あの少しの時間稼ぎが必要だった」

「そう」

「だが、やはり疲労が___」

「ねぇ」

 

立ち上がって、暮人の前に立つ。お互いの吐息がかかるくらい、目の前に。そして暮人の暗い目を見つめる。

それでも暮人は少しも動じず、私の目を見つめ返す。

 

「私の眼は何色?」

 

暮人は眉を少しひそめて、だがすぐにまた無表情になる。

 

「綺麗な蒼色だよ。急にどうした」

 

そうか。どういう訳かまだ私の目の色は変わっていないらしい。

 

そんなことが、少し、ほんの少しだけ嬉しくて、口元を緩める

 

もし、まだそんなことで、私は人間だって、言っていいのなら

 

「ねぇ。暮人」

 

最後に聞きたいことがある。

 

 

人間の私が、最後に貴方に聞きたいことがあるのです

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

これが8月の終わりのことだった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

本当に愚かな子

 

貴女はとっくのとうに、人間などではないのに

 

本当に愚かで、可愛い子

 

 

第七の天使がラッパを吹き鳴らす時

 

その時まで、私は貴女のそばに居る

 

 

 

 

 




この小説も20話になり、第一章の終わりが近づいて参りました。
急展開でしたがいかがだったでしょうか?
マリアから渡された血を飲んだクレハと暮人の今後も、見届けていただければ幸いです

ご感想お待ちしております!次話をお楽しみに!


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第21話 殺しに来て

ほんとうにお久しぶりです! 今までお待ちくださった方、初めてご覧になる方ありがとうございます!
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくして頂ければ幸いです
それでは第21話どうぞ!



Side 柊暮人

 

近くの教室では、一瀬グレンとの戦闘が続いている。

だと言うのに、彼女は静かに俺の前に立つ。

彼女の美しい眼が、俺の目を見つめている。

 

これが、幾人も斬り殺してきた女の眼だというのか。

 

彼女の瞳の色が、影る。

 

「私の眼は何色?」

 

なんて。彼女はいつもどこか謎めいたところがあったが、なんの意図も読み取れない問いをかけてきた。

これは、どう答えるべきか。彼女は、一体何を考えているのか。

 

「綺麗な蒼色だよ。急にどうした」

 

そう答えると、クレハの口元が少し、緩んだ気がした。

眼の色を綺麗だと言ったから喜んだのか…それとも。

 

「ねぇ、暮人」

 

さっきのは気のせいだったか。

もう、普段通りの無表情に戻っていた。

 

いや、無表情と言うにしては……歯を噛み締めているように見える。

それに、何かを抑えているような、そんな話し方だ。

 

「なぁ、クレハ。お前、何か…」

 

隠してないか…独りで抱え込んでないか。

 

既に何かを隠しているのも、抱えているのも知っている。だが、もっと大事な____何かを

 

やはり俺では、相談するには足りないのだろうか。

 

俺に、力が足りないから____

 

 

 

「すまない。俺に力が無____」

「違う。暮人、その腰にさげているのは鬼呪の刀でしょう?」

 

そうだ。柊真昼が独自に進めていた研究の資料が今日、一瀬グレンの手によって見つかり、ようやく形になった武器だった。

 

だからこそ、今は分かる。

彼女が携えている刀のうち、ひとつは妖刀・蓮華。もうひとつは…凶悪な鬼が宿った強力な鬼呪装備だ。

 

「そうだ。お前のそれも同じだろう」

「うん」

 

どこで手に入れたか、などは聞かない。

それより、彼女には元から正体不明の呪いがあったはずだ。そのうえ、更に鬼を従えるなど…。

自分で体験済みなのだから、鬼呪を扱うことがどういう事なのかは分かる。

 

身体もそうだが、もはや精神がどうなっていることか。

 

「今のお前は、先週までのお前と同じなのか」

 

クレハが一瞬、目を見開く。

それで分かってしまう。彼女の根本的な何かが、既に変わっているのだと。

 

「違ったら…私を殺す?」

 

もう何度も離さないと言っているのに、愛しているのに、まだそんなことを言うのか。

 

「殺してほしいのか」

 

彼女はこんなに近くに居るのに、彼女の真意がわからない。何も。

 

尋ねると、クレハは少し遠くに目をやった。視線は俺の目を向いている。だが、見ているのは俺じゃない。

そのことに気づいて少し、胸にもやが立ちこめる。

 

彼女は何か考えて、その口角をわずかに、ほんの僅かに上げて口を開いた。

 

「もし私が________」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「もし私が…本当に貴方の敵になったら、殺しに来てくれる?」

 

そうしたら。また会えるから。

 

聞きたいことがようやく聞けた。

 

「クレハ。どこに行く気だ」

 

先程の問いには私が去る意味も含まれていた。暮人はそれにすぐ気付いた。

 

「答えて」

 

言いながら暮人から目を逸らす。

喉の渇きが加速する。目の前の暮人の首に意識が引き寄せられる。もう、時間が無い。早く答えて、と焦る。

 

早くしないと、私は、貴方を。

 

「…分かった。必ずお前を見つけ出す。お前がどこへ行こうとも」

「…うん」

 

頷いてもう一度。最後に暮人の目をしっかりと見据える。

その暗く熱を持った目を見ると、熱いものが移ってきて、目から溢れそうになる。

暮人の右手が、私の髪飾りに触れる。まだ、あの時には、本当に知らなかったのだ。これを暮人からプレゼントされるまで。

 

目を閉じる。

 

吐息を感じるほどに。熱を感じるほどに、ああ、彼がそこにいるのがわかる。

 

刹那。唇に、柔らかい熱が、触れるのを感じた。

 

ああ、

 

(もう、私は知っているよ。それが、---- だって)

 

熱は一瞬で、冷気へと変わる。

 

目を開く。

 

愛しい人はもう、目を閉じ、立ったまま、動かなくなっていた。

霜が至る所についている。それは、目の前の彼を中心とした、この職員室全てに。

 

 

 

「________さようなら」

 

 

 

 

空気だけでなく、音、時間までもが凍てついた暗い部屋を、1人の少女が去った。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、行きましょうか」

「…どこへ行く」

 

学校の裏口から出ると、マリアが待ち構えていた。

以前と変わらぬ、月に照らされた、慈愛に満ちた微笑みをたたえて。

 

「京都よ。2人でお抹茶でも飲みに行きましょう」

「京都に何がある」

「貴女の新しい家よ」

 

ふふっ、と笑って言う。

 

「きっと驚くわ」

 

今更、何を驚くというのだろう。

 

「向こうに迎えの車がいるわ。行きましょう」

 

マリアが私のリュックを下ろさせて手に持ち、背を向けて歩きだす。

無防備な背中。

 

《あれが無防備に見えるかい? 冗談だろう? 君だってそれなりにやるほうだろう?》

(楽しそうね)

《分かる? 実は君が血を飲んでからすこぶる調子がいいのさ》

(吸血鬼の血が貴女にも影響してるの?)

《本当は共存出来ないはずなんだけど…君の天使の呪いのせいかな?》

 

だから、先程の緻密な温度低下も成功したのだろう。理論がわからないのが不安要素だが…今更だ。

 

少し歩くと、人気のない道路に黒い高級そうな車が停めてあった。

 

「来たわ」

 

マリアがそう、風がそよぐような声で言うと、その車から、黒いスーツを着た男が降りて、マリアに頭を下げた。

 

「お待ちしておりましたマリア様。クレハ様。中へどうぞ」

 

そう言って顔をあげた男は中々に端正な顔立ちをしていて、血のように赤い目をしていた。

男は後部座席のドアを開け、手を広げて招き入れる。

 

ありがとう、と言ってマリアが先に乗り込み、こちらを見て微笑む。

 

「さ、クレハ様もどうぞ」

「貴方も吸血鬼なのね」

「はい。貴女様と同じです」

「ええ。同じね」

 

自分が吸血鬼になった、という実感が突き刺さる。が痛みはもうない。

 

車に乗り込み、座り心地の良い座席に座る。

男は、扉を閉めると、運転席に乗り、座った。

 

「行きましょう。安全運転でね」

「了解しました」

 

エンジンがかかり、緩やかに車は動き出し、加速する。

窓の外を見ても、もう学校は見えない。しかし、喧騒はまだ僅かに聞こえていた、が、やがてそれも聞こえなくなった。

 

ドライバーもマリアも何も話さず、車の駆動音だけが響く。

本来ならば時間も時間だし寝ておきたいところだが。何故だろう、全く眠くならないのだ。

 

「そうそう。これを渡しておくわね」

 

そう言ってマリアがアクションカメラのケースを差し出した。

 

「もう限界でしょう? 大事に飲むのよ」

 

開けるとそこには、赤い液体の入った小瓶がいくつか収められていた。

手が勝手に動き、1本開けてすぐに一気飲みする。

鉄の香りが舌に残るが、気持ち悪くはない。むしろ…

 

 

「あと、はい。中身」

 

差し出されたのは洗練されたフォルムの黒くて小さい立方体の____アクションカメラ。

画質も良く、衝撃にも強く、防水機能付き。

もう何かつっこむのも面倒なので受け取っておく。

 

ため息をつき、外に目を向けると、見覚えのある景色が足早に窓の外を去っていっていた。

 

京都。

随分遠い所に行くのだ。もう、彼のことをちらりと見ることもないのだろう。そのほうがいい。

もし、渇いた状態で彼を見つけでもしたら……

考えたくもない。

考え出しても動悸がするだけなので必死で頭から排除する。

 

さて、車内はまた静まり、道中は長い。かと言って、少し目を閉じても睡魔はやって来ない。暇だ。

 

「暇かしら。長いドライブになるものね」

 

この女は本当に心が読めるのだろうか。一見ありきたりな台詞だが、タイミングがドンピシャすぎる。

彼女は外を眺めながら話しているようで、表情は全く見えないが、どうせずっと微笑みをたたえているのだろう。

バケモノ。

人の事を言えたものではないが、次元が違いすぎる野田からそう呼んでもいいだろう。

この女が、ヴォルガスを………………。

 

「クレハ。貴女の家族のこと、聞きたい?」

 

その言葉に身体が思わずピクリと反応してしまう。恐怖心と、好奇心。

 

「もう、ヴォルガスを家族とは…」

「少なくともヴォルガスは貴女をそう思っているわ」

 

この女、マリアの言うことに惑わされるな。

 

「ルカなんか特に。家を捨ててまで貴女に逢いに行くなんて、シスコン、というのかしら」

「それは、あな…お前が、幹部達を____」

「天に送ってあげたわ。残りも、もうすぐよ」

「………………!」

 

だめだ。惑わされるな。やはり、幹部のほとんどがマリアの手にかかっている。だが、私を今殺す気はないようだし…もうすぐといっても、ルカは…。

 

「ルカは今も何処かに潜伏してるはずよ。あの子、本当に優しい子ね、ほんと。可愛い子」

 

良かった。すぐにそんな言葉が出てくる。もう随分と離れ離れになっていて、最近ようやく一度会えただけなのに。

昔のルカの印象が強く残っている。殺伐とした裏の世界でいつも朗らかで、優しかった、兄。

あの世界で優しい幹部であり続けるというのは、強さからの余裕だったのかもしれないが、それでも私は憧れていたのかもしれない。

彼なら、もしかしたら、マリアからも逃げおおせるかもしれない。

ここで考えは止まる。こんなのは希望的観測だ。

 

代わりに先程の学校でのことを思い返す。

本当は「抱きしめに来て」と言いたかった。

でも、彼はきっと柊を捨てられない。立場上、こんなバケモノを愛してはいけないはずなのだ。

でも………敵を斬ることなら、出来るはず。

だから____。

 

それまで私は私のやるべき事をしなければ。

 

 

何度目かの静けさに車内が包まれる。それは、目的地に着くまで解かれることはなかった。

 

《君は一体なんなんだ》

 

いつの間にか真っ白な空間に自分は立っていた。目の前には凶悪にねじれ曲がった角が生えた____鬼。

初めて出会った時と同じだ。

 

目の前の鬼は不審なものを見る目で私を見ている。

 

《初めからおかしかったけど、君は更に吸血鬼にまでなってしまった。そりゃ私は嬉しいよ、ある意味欲望に忠実に生きてる。君は最高だよ、クレハ》

 

囁くように、この空間に反響する声で話す彼女はとても艶かしい。その赤い瞳はとても、綺麗だ。

 

《でも、正直に言うよ? 君が恐ろしいよ、私は。君は、家族の真意を確かめたいんだろう? あの男に抱かれたいんだろう? その為に君は何になった》

 

《いつか君は、人間だった頃の欲望で壊れるよ。

まあ、この身体は一応貰ってあげるけど、手にあまりそうだ》

 

生意気な口調で締めくくる。心配…してくれてるのだろうか。

 

「貴女も面倒な友達を持ったわね」

 

そう言うと、零命鬼はサッと頬を赤らめて顔をぷいっと背ける。可愛い。

 

《…君が____までは友達でいてやるさ》

 

白い世界が暗転する。

目の前には、窓越しに光がぽつぽつと灯る街があった。

 

「京都か…」

 

有名な観光地だとは知っている。もし、もしかしたら、暮人と行くようなことも____

 

ないか。

 

1人の人間の顔を思い浮かべそうになって、抑えて、鼓動を抑えて、

 

まだまだ道のりは長そうだ。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Side 柊暮人

 

クレハが去った。

 

あちらではグレンを抑えることに既に成功しているらしい。この職員室が静けさに包まれているのはそのせいだろう。

外は帝の鬼が取り囲んでいるというのに、だ。

静かすぎる。時間を忘れるほどに。

 

霜がところどころ残る部屋を見渡す。

まさか、この部屋の効果だろうか。

 

クレハがここまでやるとは…

 

懐から長刃のナイフを取り出す。真昼を捕らえた際に回収されたクレハの私物。

あんな所に落ちているのをクレハが見逃すはずがない。わざと置いていったのだろう。

……強すぎる自分にはもう要らないものということか。

それとも、

 

『殺しに来てくれる?』

 

返しに来い、ということなのか。

全く。

 

「そんなことを俺に言えるのはお前ぐらいだよ、クレハ」

 

「暮人様」

 

葵がこの職員室の入口に立っていた。

 

「一瀬グレンの目が覚めたようです」

 

「そうか」

 

葵に視線をやると、目が合った。

 

深い青色の瞳には何も映っていない。葵も、もう、クレハがこの学校からいなくなっていることには気づいているはずだ。更には霜の残るこの職員室。

 

葵は、彼女が氷の魔術を得意としていたことを知っている。もっとも、最近使用しているのは魔術なんてものじゃ無いようだが。

 

「葵」

「はい」

「マフィアの手先、クレハ・ヴォルガスが行方不明になった。捜索して見つけ次第捕縛し俺の元に連れてこい」

「はい。そのように」

 

軽く頭を下げると葵はそれ以上何も言わずに、この空間を出ていった。何かしら思うところはあるだろうが、私情を挟まないことをよく徹底している。

そんな葵が、なぜクレハを気にかけるのか。

本人は隠している、いや、自分でも気付いてないだろうが。

 

クレハの最後の姿を思い浮かべる。

僅かに微笑んで話す彼女の口元が強く頭にこびりついていた。

 

(あれは…牙、か?)

 

明らかに、クレハの犬歯は鋭く長くなっていた。

前回に見た時には一般的な規格を満たしていたはずだ。

何かの呪いの影響か?

 

『私の眼は何色?』

 

『敵になったら…』

 

「吸血鬼…か」

 

実在するかもここ最近では怪しかった存在に、クレハがなっただと?

 

呪いの武器を持った程度の人間が追いつけるのか?

見つけ出したとして、その先は?

 

 

〜♪♪〜

 

携帯電話の着信音が鳴る。グレンからか。

グレンの目が覚めたということは、随分の間自分は凍結していたようだ。

 

 

 

誰も彼もが、人の道を外れてまで望みを叶えようとしている。クレハの望みは、根源の欲望はなんだ?

俺に出来ることはなんだ?

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

恋する少年少女の道は分かたれた

 

それでも、これでようやく呪いから解き放たれる

 

あと少し

 

もう誰にも、私の子どもは奪わせない

 

 

 

 

 




クレハは京都へ。暮人のその後は小説をお読みの方はご存知かもしれません。京都から連想できるものもあるでしょう…
前話から大分空いてしまいましたが、これからも励んで参りますので、よろしくお願いします!
お読み頂きありがとうございまし!


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第22話 血

本当にお久しぶりです!初めての方は初めまして!
今回は、クレハがマリアとともに東京から去る所からスタートです。クレハのその後、そしてクレハがイタリアを去った後の話。是非お楽しみください。
それでは第22話、どうぞ!


車が止まり、エンジン音が消えたのを感じる。

真っ暗な視界の中で、音と、空気が、ここが目的地なのだと告げていた。が、

 

「まだ外しちゃダメよ」

 

違ったようだ。ドアが開く気配がすると、涼やかな風が吹き込む。時期が時期だ。常人なら凍えるほど寒く感じていたに違いない。

開いたドアの向こうから何かが近づいてきて、私の手をとった。

 

「ここからは歩いていくわ。降りましょう」

 

片手で荷物を掌握する。

恐る恐る足をゆっくりと外に出す。その間もなめらかで冷たい手は私を支え続けてくれていた。

ふわりと何かを踏む感触。芝生だろうか。

 

手に導かれて歩く。止まる。ギギぃ…と何か重々しいものが軋むような音がする。また歩く。

足裏に硬いものを踏んでいるのを感じる。

何かの建物に入ったらしい。

 

そこで導きはまた止まり、目を覆う布がしゅるりと目を擦った。

 

「お疲れ様。開けていいわよ」

 

目蓋の向こう側にあまり光を感じない。ゆっくり目を開ける。

 

薄暗く狭い通路。振り返るとマリア、1人の吸血鬼、無機質な閉じた扉があった。

 

マリアが前に出て、また歩き始めた。その優雅な後ろ姿を追う程に、道は広がっていく。

 

コツコツコツ____

 

誰も何も言わないが、先程から通路の奥から1人分の足音が近づいて来ていた。

ドク ドク ドク。知らぬ間に音が大きくなる度自分の鼓動の音も大きくなっているようだった。

もう足音の主と出くわすであろうあたりでマリアが立ち止まり、私と吸血鬼も立ち止まる。

 

「女王様自ら出迎えてくれるなんて。ねぇ、クルル・ツェペシ」

 

「大事なお客様を歓待するのは当然でしょう?

あと…」

 

小さな女の子の声…と言うには気位が高そうな声だ。

 

「聖人面した化け物が気安く名前を呼ぶな」

 

冷たい鈴のような声。通路の奥から現れたのは、その声に見合った小さな少女だった。

ツーサイドアップにした薄桃色の長い髪を揺らして近づいてくる。

 

「これがお前が言っていた奴か」

 

私の顔を覗き込む赤いツリ目。口元から覗く尖った犬歯。それに、王者然とした態度。

きっと彼女?も見た目通りの年齢ではないのだろう。

隣にいる美しい化け物と同じで。

 

「ええ。クレハ。新しい“身体”になったばかりで大変なこともあるだろうけど、ここにいれば大丈夫よ。いい子にしていてね」

 

(え)

 

という言葉も出ないうちに、それだけ言うとマリアは背を向けてついてきていた吸血鬼と共に来た道を戻って行った。

どうやら私と共に行動するわけでなく、ここに預けに来ただけのようだ。

 

今すぐにでも後を追いたい。あいつが、マリアが全てを知っているはずなのに、それにヴォルガスのみんなが、ルカがあいつに…暮人も____

 

なのに、ただ去っていく背を見送る事しかできない。ここに連れてこられた目的も、何も知らずに。

 

「お前は本当に何も聞かされていないようだな」

 

正面に視線を戻すと、クルルと呼ばれた少女が私を見つめてため息を吐いていた。目からも何も読み取れず、ため息もなんの感情かよく分からない。私は呆れられているのだろうか。

と、そこへ突然眼前に黒い塊が飛び出てきて思わず後ずさりしそうになる。

翼の生えたネズミのような…コウモリ?

不気味なレベルで大きい瞳、というか目が1個しかないが、その1個の巨大な眼が、じっと観察するように私の周囲を飛び回る。

 

「アルカーヌ…?」

 

クルルのペットかなにかなのだろうか。アルカーヌと呼ばれたコウモリは暫く飛び回ると、クルルの小さな肩に降りた。

 

付いてこい、と言うとクルルは背を向けて自分がやってきた方向へと歩き出した。

何の会話も無く一緒に歩き続けると、開けた場所に出る。

と、ともに沢山の情報が目に飛び込んでくる。

 

無数にひしめき合う建物。そこら中に張り巡らされた巨大なパイプ。建物や電灯からは煌びやかに光が放たれ、暗い空を照らしていた。

 

あれ、ここは室内ではなかったのだろうか。

ちら、と上を見上げて、気づく。

 

いや、違う。暗いはずだ。空だと一瞬勘違いしたのは、一面に広がる岩なのだから。

 

クルルが背を向けて歩きながら口を開く。

 

「驚いたか? ここは地下都市サングィネム。私が治める吸血鬼の都だ」

 

地下にこんな巨大都市が? 私が治める?

クルルはここの女王様…と言ったところか。

雰囲気もそんな感じがするし。

 

再び沈黙の中歩き続け、やがて城のように立派な建物に入り、天井が馬鹿みたいに高く、何も無い空間に入る。

 

更に歩き続ける。何も無い、というのは間違いだったようだ。

ただ一つ、大きな椅子が厳かに佇んでいる。

 

クルルがそれに腰をかける。

 

肘掛に手を置いて、もう片方の手は頬杖をつく。

 

その様はまさに、王者そのもの。

 

「吸血鬼になったばかりだそうだな」

「ええ」

 

まぁ…別に私の王じゃないしタメ口でいいや。

 

「だが 、完全じゃない。自分の目は見たか」

 

クルルは特に機嫌を損ねた様子も無く続ける。

自分の目……そういえば自分では確認していなかったが、暮人は青色の目だと言った。

 

「お前が完全じゃないのは、お前がまだ“人間”の血を飲んでいないからだ」

「…人間の血を飲む必要がある、と?」

「マリアから血を貰っているのも知っている。だが、それが無くなれば、飲むしかないだろうな」

「何も飲まないでいると、どうなる?」

 

今まで淡々と話していたクルルが、ふと、一呼吸おき、私の腰に差した刀をちらりと見て、また私の目を見てニヤリと笑う。

 

「鬼になる」

「鬼?」

《そうさ。狂った鬼だ》

 

(零命鬼?)

 

まさか、零命鬼もかつては____

 

「お呼びですか? 女王様♪」

 

聞き覚えのある調子のいい声に咄嗟に振り向く。

長い銀髪をリボンで結んだ、美形の貴族のような男。

 

「お前は…」

「おや、なんだ。君の事だったのか」

 

楽しそうに笑いながら男は、フェリド・バートリーはそう言った。

 

「なんだ、知り合いか?」

「ええ、それはも____」

「いや、ちらりと見ただけ」

「冷たいなぁ~。そんな食い気味に言わなくても~」

 

と、言いながらフェリドはクレハに近づいて肩に手をかけ____ようとしたのをクレハが払い除ける。

 

そんな様子を見て、クルルは今度こそ本当に呆れた様子で息をついた。

 

「…まあいい。今日からクレハ。お前の面倒をそいつが見る。吸血鬼としてここで生きていく術を早く身につけろ」

 

そいつ、と言ってクルルが目線で視線を誘導した先にニコニコとこちらに手を振るフェリドが立っている。

クレハがフェリドを見たのを確認すると、フェリドは「それでは失礼しま~す」と言って、玉座に背を向けて歩き出した。

 

「クルル」

「なんだ」

「聖人面した化け物、というのは同感だわ」

「……そう」

 

それだけ言葉を交わし、ちらりと目を合わせたのを最後に、クレハも玉座に、クルルに背を向けてフェリドの後に続いて歩き出した。

 

長い。長い廊下を歩いていく。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「君、血のストックいくつあるの?」

 

フェリドの屋敷の一室。

本当に貴族が住んでいるような立派な屋敷の沢山ある部屋のうちの1つが与えられた。

 

部屋まで案内し終わり、クレハが荷物と刀をふかふかベッドに下ろしたところで、フェリドが言う。

 

ここまで来た車の中でケースの中を確認したところでは、小瓶16本分だったような気がする。ので、その旨を伝える。

 

「あはぁ♪ じゃあ、本当の吸血鬼デビューは近いね」

 

本当の吸血鬼。人間の血を飲む吸血鬼。

 

「血が無くなったら言ってね。 在庫はあるからさぁ♪」

 

言いながらフェリドが私の背後に回り込んで近づく。それに気づいていながらも、警戒は維持したまま動かない。

フェリドが私の両肩を掴み、耳元に口を寄せる。もう、息がかかる程に。

 

「それとも」

 

囁きで耳がくすぐったくなる。

 

「“初めて”は、愛しい人がいいかな?」

 

ぞわりと、走るものがあった。こいつは一体どこまで知っているのか。

巫山戯るな。冗談も大概にしろ。そう直ぐに言えたら良かったのに。

 

なのに。

 

真っ先に思い浮かんだのは、職員室の中、襟から覗く逞しい首元。柊暮人の首筋。見つめながら、渇く感覚。

 

「まぁ、今日のところは休んでいいよ。君も疲れたろうしね」

 

はっ、と気がつくと、フェリドは扉に手をかけ、

 

「おやすみ♪」

 

そう言うと、部屋を出ていった。足音が離れていく。

 

《君が一瞬。ほんの一瞬考えたこと。わかるよ》

 

姿を見せないまま零命鬼が語りかけてくる。

私は何を言い出すのか思い浮かびもせず、言葉を止めることも出来ないまま、零命鬼は続けた。

 

《どうせなら、人間の自分を終わらせるのは、彼。柊暮人の血がいい。そうだろう?》

 

ふと、クリスマスのことを考えた。世界が終わるのだという。

だが、その前に人間の血を飲まなくては鬼になってしまうのだと。

 

官舎のものよりもふかふかなベッドにボフンっと身を沈めて、溜息をつく。

 

《彼ならきっと、喜んで血を差し出すさ。彼の血ならきっととても甘美な____》

 

胸の刻印がドクリと脈打つ。ナイフは置いてきたというのに、熱を帯びる。

それと同時に、零命鬼は苦しげに不満そうな声を漏らして黙ってしまった。

 

暮人は、私が吸血鬼になってしまったと、気づいているだろうか。知っていたら、私をどう思っているのだろう。

 

「……今更か」

 

今までだって、とっくのとうにただの人間などやめてしまっていたのだ。

 

柊の家紋を象った髪飾りに触れる。

暮人に沢山のものを貰いすぎてしまった。

だと言うのに、一体私が何をしてあげられたというのか。

今だって、暮人に、暮人の愛に期待している。

 

最後に。歪でも、人間である間に、会いたい。

 

もう一度、世界が滅びてしまう前に。

 

会って、血ガ飲ミタイ。

 

でも________傷つけてしまう。

 

もう一度、あの、喉の、全身の渇きを思い出す。もしかしたら、暮人を殺してしまうのではないか?

 

「………」

 

わからない。今何を考えたとしても、ストックの血が無くなった時、自分が何を考えるのかなんて。

 

天井をぼんやりと眺めて、眺めて、やがて腕で目を覆い隠す。

 

何故だろうか、全く眠くならない。もう、今は何も考えたくないというのに。

 

あぁ。少し…

 

疲れたな____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい、暮人。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

side ルカ・ヴォルガス

 

クレハが通っていた学校から離れるように大通りを歩く。隠れる時は一般人に紛れるのがいい。

とはいえ、今は真夜中だ。それでも人通りがあるのはここが日本でも生粋の大都会だからだろう。

 

楽しそうに笑い声をあげ、広がって歩く者達。

酔っ払って千鳥足な者達。

平和そうな、風景。

話している言葉は、日本語なのでよくわからないが、たわいもないことに違いない。

 

(クレハがこういうところで過ごしてたのならいいな)

 

そう、思うが、そうでないことは明らかだった。

 

何故かクレハのナイフを持った女と、その前で呪いに苦しむクレハの姿。

クレハは呪いへの耐性が強かった気がするが____

 

こんな異国の地に来てまでヴォルガスの、いや、あの女、マリアに苦しめられているのか、と。

怒りが内底に湧き上がる。

 

自分たちヴォルガスの幹部が胸に刻む七翼の天使と、ナイフに結び付けられた呪いの関係性や、クレハの突然の失踪。

 

いや、そもそも。

父たる首領の元に集ったファミリーで、イタリアを牛耳るマフィアの組織で、自分は幹部としての誇りと証を胸に刻んで____

 

そう思って形成されていた自分の周りの世界は紛い物だった。

全て、マリアの手のひらの上だった。

 

父ですらも。

 

「クレハ………」

 

かわいい妹。

ヴォルガスを裏切り、行方不明だと知らされていた妹。

 

当時大した捜索も行われず、疑問に思ったことがあった。だから、マリアが裏で手を引いていたと知った時、もう、その時既に、父はマリアの傀儡(かいらい)だったのだと思った。

そして、クレハはもう、マリアの手にかかったのだと。

 

マリアがファミリーに潜むのを止め、殺戮を始めたこの年。

 

初めは幹部の不審な死が発見された。今度が父が不可解な言動をするようになり、その傍にはどこから現れたのかあの女(・・・)がいた。

組織はマリアの言いなりになり、幹部はマリア自身の手によって葬られていった。

 

殺戮の手が自分にも伸びそうになった所で、ヴォルガスファミリーを抜け出し、イタリアから逃げ出した。

一縷の望みにかけてクレハや、他の幹部を探しながら遠くへ、遠くへ。

 

抵抗しようとなど思えなかった。同僚の実力は自分が一番近くで見てきたし、身にしみている。そいつらが次々と死んだのだ。それに

 

住み慣れた場所を去る際に、最後にチラリと見えたもの。

長年ヴォルガスとして生きてきたはずが見たことの無い部屋の奥で、大きな背もたれの椅子に鎖で縛りつけられた____子供。のようにかろうじて見えた、が…。

明らかに呪詛かなにかがめぐる鎖が張り巡らされた間から広がる純白の翼。

 

それを見てしまった瞬間、ここに留まってはいけないと、余計に足を加速させた。

あれが、マリアの子供だったのかもしれないと今になっては思う。だが、もう既に自分がここで出来ることはない程に、何かが進んでしまっているのだと悟ってしまったのだ。

 

 

そんな中、ようやく見つけた家族。だが、手紙を渡したはずなのになかなか連絡が来ない。何かあったのか。

そう思い、なんとか今学校にいるということを突き止めて急行した、が。もうそこはまるで事故現場のような有り様で、クレハを探すため、包囲網が薄い裏手側に回った。いや、回ろうとして見てしまった。

 

建物の側の暗がりで、校舎を見上げる、修道服を着た女を。

 

曲がり角に身を隠しながら、眼球に意識を向けてレンズの拡大倍率を上げてその女を見る。

 

緩くウェーブのかかった薄茶の髪が、修道女の頭巾(ウィンプル)から長く垂れ落ち、髪と布の隙間からは

、青白く透き通った肌が覗いており、

身体はぴったりとした修道服に包まれ、その細くしなやかなラインが扇情的に露わになっている。

 

(ほんと…これだけならまじでいい女なんだけどなぁ…)

 

身体のラインから顔に視線を戻す。

血の如く真っ赤な眼。縦に切込みのように入った鋭い瞳孔。

 

何かをじっと、見上げるように見つめる、眼_______まさか………クレハ…!

 

クレハが狙われている。そう思った次の瞬間、ずっと上を見上げていたと思われた鮮血の瞳と、目が合った。

全身の体液が凍りついたように、身体が硬直する。

 

殺される

 

この単語が真っ先に冷めた頭に浮かぶ。しかし、

 

「あなたとは、また今度ね」

 

そう、聞こえたわけじゃなかった。女の薄桃色の唇が、確かにそう言っているように動いたのだ。

 

それに気づいて戸惑っているうちに、こちらを見ながら薄く微笑むと、風が吹くように。そこから動いたと感じさせないある意味不自然さで、マリアは消えていた。

 

「くそ」

 

学校から離れ、大通りに向かって足早に歩く。

 

唇を噛み締める。クレハを守りに来たはずなのに、圧倒的な力を持つ者を見ただけで撤退を決めてしまった自分が情けない。

だが、感情論で、クレハの元に駆けつけたところでどうなるのだろう。あの女に弄ばれ、殺される以外に何が出来る?

たった今、見逃されて安堵してしまっているというのに?

つけいる隙がマリアには存在しないことも、故国で散々思い知らされてきたというのに、そんな非合理的なことは出来ない。

 

(結局、全部、言い訳だ)

 

今までずっと、そう生きるように教えられ、幹部として模範を示してきたかもしれない。

 

でも____

 

大通りに出る。こんな真夜中だと言うのに見渡す限りの人混みで埋め尽くされている。

車の通りも多い。

あんな黒塗りの高級車まで走って____

 

「………………!」

 

どういうことだ。

自分を一瞬で追い越していったが、見間違うはずがない。

黒い車の後部座席に乗っていたのは、マリア。そして、クレハ。

 

これは…どういう事なのか。クレハが無事そうなのは喜ばしい、が。

手放しにそれを喜べる訳でもないようだ。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

1度目の審判の日が近づいている

 

汚れた大人たちはその先の世界には必要ないもの

 

人間よ、生き残りたいなら力を得なさい。学びなさい

 

そして、七翼の天使がラッパを吹き鳴らす時に備えなさい

 

そして、どうか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の可愛い子供達を助ケテ

 

 




こんなにも前話から間が空いてしまい申し訳ありません!お待ち頂いた方、ご新規様(?)、22話「血」をお読みいただきありがとうございます! ご感想もいつも楽しく、有難く、読ませていただいております。
私事ではありますが、吸血鬼サイドも大好きですのでそこら辺もどんどん書いていきたいです。
ルカ兄さん等、オリキャラの心情と個性もお伝え出来たらと思います。
それでは次回もお楽しみに!


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第23話 完成した器

本当にお久しぶりです!初めての方は初めまして!
まだ続いとったんか、話忘れたわ、と思われる方が殆どだと思うのでざっくりと。
学校で鬼によって暴れた一瀬グレンを抑える為、マリアから渡された血を飲んで吸血鬼となったクレハは暮人に別れを告げマリアと共に京都へ。身柄をクルルに預けられ、吸血鬼の組織で暮らすことに。でもマリアから貰った吸血鬼の血のストックはそんなに多くない。どうする!? という感じが前回までのあらすじです。
それでは第23話、どうぞ!


「出来ない」

 

と、彼女は言った。

 

伏せられた顔から読み取れるものは無い。

 

いや、そもそも彼女の背後で輝く満月による逆光のせいで、全体的によく見えないが。

贈った髪飾りだけが、月明かりを受けて煌めいている。

 

一歩、一歩。震える足を後ろへ引きずるように、後ずさる。

 

彼女のすぐ背後には、開け放たれた窓ガラス。

 

吹き荒れる風で暴れるカーテンに覆われる、青白い体の一部。

 

また一歩。後ずさりした足が壁にコツンと当たる。

 

「待て、クレハ」

 

こちらが足を一歩でも前に踏み出せば、その瞬間に彼女は消えてしまうだろう。その場を動かずに、言う。

 

「………………」

 

彼女の反応を伺い、風と、はためくカーテンの音しか聞こえない時間がしばらく続く。

 

「………………」

 

言葉は無い。だが、彼女がようやく顔をあげた。

逆光で影に覆われた顔の中で、まるで、闇に浮かぶように光る海のように蒼い、眼。

 

目を、細めて。

 

『さいごに会えてよかった』

 

消えてしまいそうに美しく微笑んで

 

彼女が後ろへふわりと飛んだのと、柊暮人が走り出したのはほぼ同時だった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

これはまずい。

と、思いながら胸元と口元を手で押さえる。

 

暮人がいる帝ノ鬼の本部が見える、バレないギリギリの場所にいた。まあ、この程度の距離、この脚なら即座に詰められるが。

 

いや、今はどうだろうか?

もう限界だ。血が____

 

 

 

 

思ったよりはもったな…と現実逃避さえし始める。

 

今は10月半ば。何日かは…京都から移動している間確認していなかったので忘れた。

最後にマリアから貰った血を飲んだのはいつだっただろうか。思い出せない。

 

頭がクラクラする中、ただ。

ただ、もう、人間の血を飲まないことで、人間らしさにしがみつくのは終わりだということだけははっきりしていた。

 

だからせめて、最後に暮人の顔を………。

その想いで飢餓にふらつこうとする身体に力を入れ、帝ノ鬼の本部の屋根を目指し、建物の上々を跳躍した。

 

目的地が近づき、より高度な気配遮断を行い、

 

「零命鬼」

 

自身の周囲に氷の粒の幕をはり、光の屈折により視覚による認知から覆い隠した。

あっという間に本部の屋根へ降り立ち、しゃがみつつ周囲を見渡す。

暮人の居そうな部屋の場所は把握している。その部屋が見える位置に屋根を伝い移動し、

 

「………………」

 

見つけた。

 

窓越しだが、ほんの少しだけ、確かに、暮人の顔が見えた。何か仕事をしているようだ。こんな夜更けなのに。

 

「………………」

 

顔が見えたのは一瞬で、じっとその大きい背中を見つめる。

もっと長い間、会わないつもりで離れた。

なのに、どうして、もうこんなに胸が痛むのか。

 

話したい。触れたい。もう、すぐそこにいるのに。

でも、駄目だ。見るだけと決めたじゃないか。

それだけじゃない、全身が落ち着かない。真っ赤なイメージが頭から離れない。もはや、愛しい者の背景すら、脳裏では鮮血に染められている。

 

会えばきっと殺すだろう。

 

帰ろう。暮人は相変わらず無理はしているようだが健康状態には異常がないように見える。良かった、それが知れて。だから、帰ろう。帰って、

人間の血を飲まなくては

 

「ガラッ」

 

その音でハッとする。

暮人の部屋の窓が開け放たれた音だった。

 

身体がビクリと反応する、が、姿を見えなくしていることをすぐに思い出して冷静に様子を見る。

 

暮人が窓を開けたようだ。外を見回している。まさか、バレた? 気配の遮断は完璧だったはず…。

見回して私を見つけられていない様子からも何故急に窓の外を警戒?しているのか分からない。

 

「雷鳴鬼。本当にいたのか?」

 

小さくだが、聞こえた。確信する。暮人の鬼が私に気づいている。今すぐここを離れるべきだ。零命鬼の力も使って最速で_______

 

動こうとした。しかし、腰に帯びた零命鬼が何故かその場に縫い止められたかのように動かない。

 

(零命鬼?)

 

「……ク…レハ?」

 

刀から窓に視線を戻し、視線がかち合う。

暗い橙の瞳。

 

もともと回っていないあたまがもはやまっしろだ。うごけない。でも、行かなきゃ______

 

「いる訳がない。今、弱い俺がクレハにしてやれる事は何も…」

 

違うよ。貴方は弱くない。ただ、私が_____

 

目が合ったと思ったのはたまたまで、気づいていなかったらしい。

窓を開けたまま背を向けて離れようとする背中に叫ぶ、事は出来なかった。いや、もっと最悪だ。

叫びこそしなかったが、身体を屈めてしゃがむように開け放たれた窓のさんに立っていた。

 

暮人の足が止まり、振り返る。

 

やって…しまった…。これも全部喉がカラッカラだからだと言い訳しつつ目を伏せる。

私が貴方に何も話さないのは、貴方が頼りないからじゃない。それをどうしても伝えておきたくてこんなことをしてしまった。私は昔からこんなに愚かだっただろうか?

ただ、私が、

 

「怖かった。嫌われるかもしれないって」

「貴方が弱いんじゃない。弱いのは__」

 

ドサッ

 

「………………?」

 

あ…れ?

衝撃に顔をしかめた後、顔や腕に少しモフモフしたものが擦りつくのを感じる。

 

「クレハ!!!」

 

背中と服に付属しているマントの間に逞しい腕が回され抱き寄せられる。

さっきのモフモフは暮人の部屋のカーペットだったらしい。窓のさんから床に落ちた、ということか。

 

「………。」

呼吸が苦しい。

予想外だ。さっきまではまだ大丈夫だったのに。

 

限界だ。

せめて、ここから去らなければ。

暮人に危害を与えてしまうかもしれない。この全身の渇きと、

 

欲望のままに。

 

離れようと身動ぎする、が暮人の力が強く、離れられない。

 

「…さっきの……伝え…に…来ただけ……。離し………て」

 

身動ぎした反動で余計荒くなった息を何とか振り絞って訴える。

 

「辛いのか? 」

 

答えられない。物理的に。

 

「それは、お前が吸血鬼であることに関係しているのか?」

 

思わず目を見開いた。そして視線だけ動かして暮人を見上げる。

今度こそ、本当に暮人と目が合った。

ただ、無表情で、じっと見つめている。

 

「やはりそうか」

 

あ。

最近吸血鬼達が東京で活動している事は暮人の耳にも入っていたのだろう。他になにかバレる要因があったのかもしれないが、かまをかけられたのだ。私は。

 

「何か俺に出来ることはあるか?」

 

吸血鬼であることをさも当然のように話を進めようとしていることに私がついていけない。どうして、驚かない?何故わかった?吸血鬼がどんなものか本当に理解しているの?

頭がぐるぐる回って。いや、1番問題なのは、暮人の匂いを間近で嗅いでしまっていることだ。

詳しく言えば、暮人の血の匂い。濃厚で、甘美な__

いや、もはや麻薬のように強い誘惑になっていた。

 

貴方に出来ることは今すぐ私から離れることだ、と言おうとして口がパクパクとしか動かない。

 

「…血が飲みたいのか?」

 

う………。

口をパクパクさせたのが余計そう見えたのかもしれない。駄目だ。暮人に牙をたて、血を吸うなんて、浅ましい姿は見せたくない。傷付けたくない。殺してしまうかもしれない。

 

「あ゛___うぁ」

 

大きく身をよじり、口を抑え、胸を鷲掴む。

駄目だ駄目だ駄目だ。これは本当にまずい。

 

(零…命鬼!!!!)

 

無理矢理でもいい。私の身体を動かせ!!!

 

自分の意識の外で、自分の手が勢いよく暮人を押し退け、自分の足で立ち上がる。

 

「貴方を……傷付けてしまう」

「そんなことはいい。俺の血を飲め」

 

どうして?

 

「殺してしまうかも」

「そんなやわに見えるか? 飲め」

 

どうして?

 

 

嬉しいんだ。きっと。私は本当に自分勝手だ。

でも、

 

顔を伏せる。

 

「出来ない」

 

零命鬼の力を借りて、そう言った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

side 柊暮人

 

(雷鳴鬼)

 

鬼に呼びかけ足を加速させる。雷光の如き速さをもって窓から手を伸ばし、ぐっと下へ引っ張られる。

間に合った。いくらクレハでも高層階のここから今の状態で落ちればどうなることか。

直ぐに引き上げ、部屋の中に入れた。

(軽すぎる)

明らかに以前より軽くなっている。本当に生きているのかと思ってしまうほどに。馬鹿な考えだろうか。

クレハを抱き寄せ、恐ろしく生気の無い、青白い顔を見た。

先程の会話から、やはり今必要なのは人間の血のようだ。

雷鳴鬼を少し抜き、腕を血が滴る程度に切り、クレハの口に入るように唇に血を垂らす。身体を抱き起こし、肺に入ってしまわないように支えながら。

 

目を閉じたその美しい顔を伺う。

瞬間、クレハの蒼い眼が自分の目を捉える。

彼女は、勢い良く顔を下に向け、フッと流れ込ませた血を息に乗せて吐き捨て、

 

「傷付けないで…お願い…」

 

左手で切った俺の腕の傷口を上から掴んだ。

痛覚が、その他の感覚すら消えていく感覚に、抑えられた傷口に目を落とすと、白く霜がつき、出血は止まっている。

ここまで精度をあげたのか。感嘆とともに見た彼女の瞳は、ゆらゆら揺れていた。

 

「分かった。すまない」

 

彼女はあまりに優しい。過ぎるほどに。

 

そう言い、彼女の濡れた頬に手をあてる。白く陶器のような肌、片手で包み込める小さな骨格に愛しさがおさまらない。

濡れた目を伏せる瞳に魅入られながら、その薄い唇に口付ける。彼女は抵抗しない。

自分の血による鉄の味に構わず深く、更に深く舌を入れ、

 

自分の口内を噛み切った。

 

自分の身体を押しのけようとするクレハの後頭部を片手で押さえこみ、体を強く抱きしめる。そして、口を口で完全に塞ぎ、舌を使って流れる鮮血をクレハの喉奥へ押し込む、5秒、10秒。

経過した頃。

 

「あ_______」

 

クレハの身体全体が大きく脈打つようにビクリと跳ね、口が離れて赤い液体が舞う。

何かに耐えるようにぎゅっと目を瞑り、抱きしめる腕を尋常では無い力で掴んでくる。冷や汗が浮かぶ。実は、吸血鬼もしくは彼女に知らない特性があり、自分の血が彼女にとって毒になっているのか。クレハが消えた後、一瀬グレンが生きた吸血鬼を捕らえて帰ってから吸血鬼の研究も進めていたが、彼女の身体には元々呪詛と思わしきものがあった上、鬼も住んでいた。それらが、どう作用しているのか………

そんな考えが浮かんでくる頃、クレハの表情が和らぎ、ここへ来た時よりも血色が良くなったように見えた。

思わず小さく息をつく が、すぐに息をのむ。

 

ゆっくりと開かれた彼女の眼が、瞳が、深紅に染められていた。

 

吸血鬼の特徴とされている鮮血の瞳。

 

「あ………」

 

その瞳が自分の口から流れ出る血に向けられ、その後こちらと視線を合わせた。

 

その表情は驚くでも怒るでもなく、感情を映さないままで。いや、怒って当然のことを自分はした。俺の血を飲まないと断言した彼女に無理やり血を飲ませ、恐らく完全な吸血鬼にしてしまった。

 

クレハはうつむき、体を抱く手を緩やかにほどいて立ち上がった。それにつられ自分も立ち上がってうつむく彼女の顔を見つめる。

 

長い時間。いや、そう感じられただけで数秒だっただろうか。うつむく彼女が今、何を考えているのか予想しようとするが、どうにも上手くいかない。未だに俺は彼女のことを何も分かっていないのだ。

そう考えていると意を決した、というようにさっとクレハが顔をあげ、血に汚れた口元を乱暴にぬぐった。

 

その深紅の瞳は、真っ直ぐ暮人の昏い眼を捉えていた。

その表情に迷いはなく、堂々とした佇まいを見せ、

 

「私の眼は何色?」

 

いつかと同じ問いを投げかけた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「綺麗な赤だよ」

 

ああ、やっぱり。暮人が無理やりにでも私を救おうとしてくれることなど想像するに難くなかった。本当に暮人の血を飲みたくないのならこの場を離れる力くらいはあったはずなのだ。

口内に残る蠱惑的な香り。

これが欲しかった。

私が窓から落ちる手をとってくれると、

どこかで信じていた。

茶番だ。

茶番だからなんだ?

私は、

 

『君は自分の欲望の為に柊暮人の心を弄んだ』

 

そうね。本当に彼を想うなら、ここに来るべきでは無かった。私の為に自分を傷つけると、分かっていた。

 

『彼が、自分の思い通りになるのをいいことに』

 

違う。彼は私の思い通りになど動いていない。

私が、

 

「そう、願ったから」

 

そして今。私の願い通り、私は暮人の血によって生き血を喰らう完全なる吸血鬼となった

 

私は順調に力をつけている。と、思いたい…。そして、ルカ兄、家族と共にマリアを退け、マフィアのボスたる父をマリアの手中から解く。

これで本当に足りるだろうか?

渇きが満たされ、自覚できるほどに力が全身を巡っている。が、確証を持ててはいなかった。

 

それでも行動しなければ。

 

暮人から目を逸らして後方へひらりと跳躍し、入ってきた時と同じように窓のさんの上にしゃがみ立つ。

 

最後にもう一度顔を上げ、暮人を見やった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「吸血鬼になった事が悲しいのか」

 

そんなことを暮人が言う。どうしてそんなことを聞くのだろう。

 

「どうして?私が悲しい顔でもしていたと?」

「ああ」

 

そうか。そんなつもりはなかったけど仮に私が悲しんでいたとしよう。そしたら、暮人の予想は間違っていて、その答えを私は知っている。

 

「もしそう見えているのならそれは」

「あなたが悲しそうに見えたからよ」

 

以前暮人の元を離れてから数ヶ月、私がいない間にも色々あったのだろう。京都の吸血鬼達は近頃、東京の人間に接触しているようだ。ある吸血鬼はあの一瀬グレンによって捕らえられたらしい(フェリドが嬉しそうに教えてくれた)。

 

「そうか?」

「そうよ」

 

これが大切な人が悲しんでいると自分も悲しいというやつか。この人の感情を利用こそすれど、自分が抱く日が来るとは。

でも、多分、悲しませているのは、私のせい。

 

「…気のせいだ。寧ろ、柊から君が本当の意味で離れられて良かったとさえ思っているよ」

 

この言い方はまるで、柊が…。

会話ももう少しだけならと思い、背後へ擬似的な迷彩用の氷をはり、防音魔術を展開する。

 

「柊家は先日、一瀬グレンの父親を処刑した。」

 

な……。

一瀬グレンは吸血鬼を捕らえた。それは大きな成果のはずなのに。グレンは今、どれほど悲しんでいることか。怒りの方が強いだろうか。

 

第一、暮人は以前からグレンを高く評価していたし、手元に置いておこうとしていたのだ。そんなことをすれば反感を買うどころでは済まない。

だとすれば、

 

「絶対、俺以外に捕まるな。」

 

権力も強さも持つ暮人にも足りないものがあった。

それは、父親に抵抗するための力。

一瀬グレンの父親の処刑を決めたのは恐らく暮人の父親であり柊の当主、柊天利だ。

 

暮人はあの父親の元でずっと、ずっと柊の名を背負って鍛錬し続けていた。マフィアの幹部として育てられた私のように。

いや、柊はもっと歪で、自由がない。血の繋がりがあることが家族と呼べるのかも疑わしい。

その上、あの分では多くの恨みを買っていることだろう。配下の家だって無条件で従っているだろうか。

 

そんな世界で生きて、こんな事態になって、

 

私が完全に人間を捨て、立ち去ろうとして。

今度は再び会うことがかなうかどうか。

 

「約束する。でも、暮人に捕まえられるだけになんてしない」

「…どうするんだ?」

「私が絶対に離さない」

 

だからどうか、その時まで、この世界で生きて。

 

「またね」

 

だから微笑んで。ほら、こんなふうに。あなたはそんなに表情筋動かないだろうけど。

 

今度こそ、クレハ・ヴォルガスは窓のさんから身体を浮かせて飛び降りた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

七翼を宿す器

 

その資格を備えた愛しい子

 

救世主となるべく生まれた子

 

杭を打たれることで救いをもたらす子

 

さあ、早く私の息子を救って

 

 

 

 

………………あれ

 

 

 

 

ずっと前にも似たようなことがあったかしら?

 

 




全話から約2ヶ月、リアルタイム1年ほどが過ぎました。前回永劫の別れっぽかったのに意外と再会早いなと思われるかもしれませんが、クレハの欲求に沿った為お許し下さい。この頃吸血鬼は人間に基本興味が無い為、原作では出ている情報があまりクレハには伝わってないので描写が少ないです。
クレハは完全に吸血鬼になったことでもう、暮人に会いに行く理由(口実)も無くなってしまいました。滅亡のクリスマスは間近です。次回をお楽しみに!
閑話を挟むかもしれません!


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第24話 新たな段階へ

お久しぶりです!諸事情あって、更新が滞ってしまいました…。
今回、クレハが自室に戻ったところへ知らされたのは?
そして、暮人は何を想っているのか。

それでは、第24話どうぞ!



「おや、おかえりクレハ♪」

 

気色の悪い挨拶でクレハを出迎えたのは貴族風の吸血鬼だった。人のベッドに勝手に座りやがって。帰って早々最悪の気分だ。

 

「そんな嫌なそうな顔しないでよ〜。一応ここ、僕の屋敷なんだからさぁ」

 

だとしてもここは一応私の部屋ということになっているのだが。女子の部屋だぞ。

 

「貴方、最近忙しいんじゃなかったの。私を出迎えてる暇なんて無いでしょう」

 

そうだ、吸血鬼達は既に人間の愚かな計画を知っている。《百夜教》による《終わりのセラフ》。

吸血鬼は基本人間の動向に興味など持たないそうだが、餌である人間が絶滅しそうだとなれば話が違うらしい。直接聞いたわけではないが、通りすがりに耳に入れたことにはもう既に何人か探りを入れに行っているそうだ。

以前、上野動物園にフェリドが現れたのもその一環だろうか?だとしたら相当前から情報が流れていたことになる。

これらの件とフェリドが最近(いや、初めからか)ふらりと行方が分からなくなることに関係性があるかは知らないが、かまをかけてみたが…

 

「あ、その事なんだけど〜」

 

そう言い懐に手を入れて勿体ぶったように何かを取り出す。そこに書かれた小さな文字を、目を細めることも無く読む。

 

「じゃ〜ん♪ これなーんだ」

「……大阪発フランクフルト行きの航空券?」

 

このタイミングでドイツ行きの航空券1枚ということは「僕、ドイツに出張行ってきまーす」だろうか。

 

「君、ドイツに出張!!お土産よろしくね〜」

 

だそうだ。

 

あと2ヶ月程で世界が滅亡するというこの時に。どうして。私が。

 

「やーっと立派な吸血鬼になったことだし〜、働いて貰わないと、ね」

 

じっとこちらの目をフェリドの鮮血の目が見つめてくる。きっと私もこいつと同じ色なのだろう。

サッと目を逸らして思考を巡らす。これは好機だ。まさかこんなタイミングでとは少々予定が早まったが、欧州にいずれ帰ることには変わりない。

ならば、マリア本人が日本に留まると考えられる今のうちに少しでもヴォルガスを取り戻す。まずあの女の傀儡となっているであろう父をはじめ、仲間がいるのは間違いない。ルカも幹部の1人が残っていると言っていた。

吸血鬼の組織が世界中に点在しているというのはもう知っている。恐らくそこへ行くのだろう。

行先はドイツだが何とかしてイタリアに____

 

「ついでに帰っておいでよ。君の故郷に」

 

私の出身地も知っているのか? いや、見た目で欧州系だと予想しただけか?

多分私の情報を吸血鬼に流しているのはマリアくらいだと思うが………そうとも限らないか。

 

しかし先程までの外出(東京)も

 

外で人間の血を勝手に飲んだのも

 

「いいの? 結構吸血鬼の組織って自由なのね」

「いや、そうでもないよ。この僕がこんなにこき使われてるくらいだ。女王様のご意向さ」

「クルルが?」

というよりマリアだな、きっと。

もっともフェリドはこき使われてるって感じではないが。

というか…、吸血鬼が普通に飛行機に乗れるのか?

 

「そう。まあ確かに吸血鬼なんて貴方以外見たこと無かったし、そこら辺きっちりしてるか」

 

フェリドがヒラヒラと見せびらかすチケットをパッと取り、机に置きに行く。

 

「出ていって。お風呂に入る」

「君、前も入ってたけど、吸血鬼にバスタイムは要らないって言わなかったっけ?」

「最近まで人間だったんだから入らないと落ち着かないの。貴方ならわかりそうなものだけど。風呂もついてるし」

 

吸血鬼としても異質な貴方なら分かるはずだ。それに…

(本当に吸血鬼になって帰って来たから気づいたのか、この部屋からは微かに私以外の人間の臭いがする)

 

「まあねー。じゃ、出張の詳細はまた後で届けるよ」

 

そう言って手をヒラヒラと振り、フェリドは部屋を出ていった。そして足音が遠ざかって行くのを確認して、私服を持って風呂場に行く。

 

脱衣所で吸血鬼共通の白い服を脱ぐ。

服が身体から離れた瞬間、純白の服の一部が少し赤色に変化した。

 

(フェリドは気付かなかったか………)

 

まあ、臭いには気づいてるだろうが。

これも零命鬼のサポートあっての呪術だ。外を出歩く時には姿全体を覆い隠し、帰ってくる時には暮人の血液がついた部分のみを綺麗に見せかける。

空気中の光の屈折を帰る繊細な技。

 

後で洗おうと、風呂桶に水を溜めて漬け込んでおき、そのままシャワーを高い位置に引っ掛けて全開にした。

出しっぱなしのそれを浴びないように風呂場を出て、持ってきた簡素な私服を着て、髪を簡単に結い上げ、脱衣所を出る。

 

そのまま足音をたてずに(いつもたててないけど)窓へ近づき、外の様子を伺う。

この地下都市に昼も夜も無いが、人通り(吸血鬼通り?)が少ない時間帯というのは存在する。それが今だ。

常に薄暗いこの街に視線を巡らせ、周囲に誰もいないことを確認する。

 

(行くよ。零命鬼)

 

周囲の温度が下がっていく。

同時にクレハを視認できる者はいなくなる。

それが五感が優れた吸血鬼であっても。

 

より誰も通らない路地を音も立てずに駆け、外に出る。

あの(,,)手紙に込められた魔術の導きに従い、駆ける。

 

そしてそこにたどり着いた。

 

「手紙、読んでくれたんだね」

「…ルカ兄」

 

今の自分はカラーコンタクトもつけていない。口元から覗く牙を隠そうともしない。

そんなことは見た瞬間にわかっただろうに。

 

「私……」

「生きていてよかった。クレハ」

「……マリアは吸血鬼だった。でも、私も……」

「そういう噂は本国でもあったけど、本当に存在したとは……。あの強さはそういうことなのか」

 

考える風のルカ。そこに思い切って呼びかける。

 

「あのね、私、ドイツに行くことになったの。それで、イタリアにも行こうと思う」

 

ルカが驚いた顔になる。

 

「……まさか君があそこへ? いや、確かにマリアが日本にいる今がチャンスか……?」

「そう。マリアの手からファミリーを取り戻す」

「……マリアが不在とはいえ危険だ」

「でも___」

「危険だが、いつかはどうにかしなければいけないね。そして、やるなら今しかない」

 

 

もう一度考え込むようにしてルカが目を閉じる。

そして、少しも経たずに目を開き、笑顔をこちらに向けた。

 

「俺も帰国するよ。そして、一緒に家に帰ろう」

 

「でなければ、死を待つだけだ」

 

あれはおそらく、ルカでも敵わない。

私は頷き返し、自分の日程を伝える。

ルカは先に現地入りしておくそうだ。手持ちの資産や移動方法もよく分からないがまあ、上手くやってるのだろう。

とにかくあちらで合流する段取りをつける。

 

「ルカ兄」

「ん? まだなにか聞きたいことが?」

「世界がもうすぐ滅亡する。そう聞いて何か思い当たることはある?」

「…それはあの女に関わることかな」

「わからない」

「____天使…かもな」

 

まただ。ルカからの手紙にも書かれていた。

 

『理由はこの呪いだ。これはただの能力のブーストじゃなかった。この呪いは、ある強大な天使を縛り付けておくための鎖だった。能力の高い者を何人も使い、副作用も大きい鎖が必要な天使が、ヴォルガスにいる。

 

その天使はマリアの幼い子供に取り憑いていて、鎖の力が強まるほど子供が苦しんでいるらしい。幹部が殺されていうのは鎖を緩めるための数減らしというわけだ』

 

「天使が…この世に実在していると?」

「聖書とかに描かれる存在かは分からないな。だが、イタリアで確かにこの目で見た」

 

「巨大な翼がいくつも生えた子供を」

 

なるほど。それがルカ兄の言う『マリアの子供』という訳だ。

 

「私達にかけられた呪いが、その天使を抑えているというのなら、私達が生きている間に解放されることはないということね?」

「おそらくはね。だが未知の存在だ。何が起こるかは分からない。解放された時、何が起きるのかも」

 

天使が世界を滅ぼすのか。

確か、ヨハネの黙示録にそんな内容があったような気がするが____。

 

マリアの目的は、天使を解放して、世界を滅ぼすことか?

だとしたら、なぜ私達をすぐに殺さず、日本に留まっている?

 

それとも、ただ、自分の子供を救いたいだけなのか…?

 

「てか、吸血鬼の子供って何…」

「何か言った?」

「いや、なんでも。じゃあまた、私達の家で」

「ああ、気をつけて」

 

そう言うと、ルカは夜闇に消えていった。

 

私は帰ったら血塗れの服の洗濯が待っているな、とふと考え、ため息をついてその場を後にした。

 

地下都市の中に入り、影に身を潜め、鬼の力で姿を隠しながら、フェリドの屋敷に向かう。

と、その途中で何かの気配を感じ、咄嗟にそちらに視線を向けた。

その気配はこちらからはかなり距離があるところにあった。高低差があるその向こう。この都市の中枢、女王クルルが身を置く場所の近く。

 

(……あれは)

 

「……紫髪………人間の……」

「その女が…………」

 

貴族と思われる服装をした吸血鬼がひそひそ話をしながら歩いていた。

それはいい。その会話の内容だ。

遠すぎて断片的にしか聞こえないが

 

(柊真昼…?)

 

私が知っている中から思いついたと言うだけかもしれないが、紫髪など日本では中々珍しい。それこそ柊シノアか、真昼か。

けれど、なぜ吸血鬼の口から彼女の話題が出る?

真昼が吸血鬼に加担しているということなのだろうか。それとも逆か。そもそも、どうやって?

まさか、ここに彼女がいるのだろうか____

 

…後で考えよう。真偽が分からないのに帰り道でグダグダ考えても仕方がない。

ひとまず部屋に戻ろう。

 

私は誰にも見つからずに、窓から自室に戻り、シャワーを止める。

 

「はぁ……」

 

血濡れの戦闘服を見て、またため息をつく。

知らずのうちに、左手が三日月の髪飾りに触れた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

side 柊暮人

 

グレンが《アシュラマル》を持ち帰ったことにより、《鬼呪》の研究が急激に進み始め、《鬼呪》装備の本格的な実用化に向けた実験と訓練が始まる大事な時期。当然、柊暮人も大部分に携わり、自らの身体も投じ、忙しい日々を送っていた。

そこへ、突然姿を現したクレハ・ヴォルガス。

あの時、最後に見せた真紅の瞳から目が離せなかった。

もう、疑いようほどがないほどに、彼女は本当に人ではなくなったのだと、気付かされた。

 

姿を見せた時、消えそうな程に弱々しかった彼女は、自分の血を飲んだ途端気配を一変させたのだ。

窓辺で月光の影で隠れた顔から爛々と迸る鮮血の光。

それはまさに、凡才な人間とは一線を画す、上位者。

 

なんて、美しい。

 

今、自分が所持するこの黒鬼で相手になるだろうか。

いずれ、鬼呪装備が普及し、数で押し切ればどうだろうか。

グレンが捕まえてきた吸血鬼とは格が違う。

俺は、彼女を捕えられるだろうか?

世界が終わる前に。

 

いや、終わらせられるか。

優秀な部下の働き、度重なる真昼や、百夜教の接触から

、《百夜教》が《終わりのセラフ》計画を行おうとしている事は分かっている。後は十全な準備を整え、それを阻止するだけだ。

しかし、不安材料は多く残る。

その1つが、吸血鬼の存在だ。ここのところ吸血鬼というワードを何度聞いただろうか。

報告を聞く限り、圧倒的な力を持つ存在には違いない。

 

グレンが父親の葬式を実家で1週間執り行った後、柊天利のもとに呼び出され、立場わからせるなどと下らない茶番に付き合わされていたあの日。

 

グレンが帰宅した後、グレンから電話がかかってきた。

 

『助けてくれ。仲間が負傷した。《鬼呪》を──』

 

 

鬼呪を暴走させて、仲間を回復させる必要があるということだ。すぐさま、グレンの自宅にヘリを向かわせ、鬼呪の実験場には受け入れ態勢を整えさせた。

自分もすぐさま実験場へ向かった。

グレン直属の部下、雪見時雨の腕をグレンが誤って切り落としたそうだ。

 

「何があった」

「……襲撃を受けた」

「誰の?」

「斉藤という名前の男だ」

「何者だ?」

「《百夜教》の暗殺者だった男だ」

「ほう。《百夜教》とは同盟関係のはずだが」

「そいつは真昼と組んでいる。《百夜教》のことは裏切っているらしい」

「だろうな。いま《百夜教》は、うちとは揉めたくないはずだ。で、殺したのか?」

グレンは首を振った。

「じゃあ逃がしたのか?」

グレンは言った。

「正体は吸血鬼だった」

「吸血鬼?」

「ああ、今の《鬼呪》の力じゃ、まるで太刀打ちできなかった。そいつは第二位始祖と名乗っていた。だがもう、吸血鬼も裏切ってるらしい。だから所属不明だ」

 

実験場でグレンとそんな会話をした。

 

以前上野で出現した吸血鬼は確か第七位始祖と名乗っていたか。

それを超え、鬼呪装備のグレンでさえ歯が立たない相手。

そんな強大な存在が動くほどの何かがあるのか。

何が起きてもおかしくない。

 

 

そんな状況の中、愚かな身内の存在がどれほど足枷になるか。

 

10月2日。一瀬グレンの父親、一瀬(さかえ)の処刑が実行されてしまった。

俺は彼を高く評価していた。

吸血鬼を捕らえたのだ。 

それに、未知の能力を持った《鬼呪》装備《アシュラマル》も手に入れた。これは大きな戦果だった。少し調べただけでも、《アシュラマル》には、《鬼呪》装備の性能を大幅にあげることができる可能性があった。

今、鬼呪装備の研究を進められているのも彼の功績によるものだ。

ならば、当然信頼出来る優秀な部下には報いるべきだ。一瀬栄の処刑を延期するよう取り計らった。

 

だが、途中でそれは覆されてしまった。『帝ノ鬼』の上層部会で、一瀬栄は処刑するように、と決められてしまった。 上層部会を構成するのは、柊家の当主、柊天利と、九人の幹部たちだ。

幹部を担うのは、一瀬家を抜いた、九家の当主たちだ。

 

二医家、三宮家、四神家、五士家、六道家、七海家、 八卦家、九鬼家、十条家。

 

そしてその、全員一致で、一瀬栄の処刑は決められた。

その理由は最悪だった。今回吸血鬼と《アシュラマル》を持ち帰り、柊暮人に忠誠を誓う一瀬グレンの成果をそのまま認めると、一瀬家率いる『帝ノ月』の人間たちが増長する可能性がある。 だから、バランスを取るために、当主一瀬栄を処刑して、立場の違いを知らしめるべきだ、という結論になったのだという。 

処刑の中止を進言したが、それも叶わない。

 

俺がどれだけ力をつけようとも、権力を持とうと、父親に適わないのだ。今はまだ。

こんなことでは、彼女が今まで通り側にいても守ることは出来なかっただろう。消されていたかもしれない。

いや、

 

「消されるのは帝の鬼の方かもな」

 

昨晩現れたクレハの事を思い返して、ふっ、と笑みがこぼれてしまう。

今やおそらく手が届かない。まるで、自分がのろまな亀で、軽やかに飛び去るうさぎを追いかけているようだ。

グレンのことを言えたものじゃないな、と思う。

真昼を追いかける彼の気持ちが分からなくもない。

だからこそ、その心も利用する。

人間が人間のまま勝利する為に。

彼女が戻ってくる場所を守る為に。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

暗い。

 

ぼんやりと宙を見上げる。

 

だがそこの空はない。

 

ただ、高い、高い、まるで空のように高い、天井があるだけ。

 

最後に水を飲ませてもらって、どれくらいたっただろうか。

 

渇く。

 

ひどく、苦しい。

 

生かさず、殺さず、はりつけられて。

 

「……ああ、グレンに逢いたいな」

 

そんなことを、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この話を書いている間に、原作では滅茶苦茶話が進んでしまった……。(ファンとしては嬉しいです)
ついにクレハの帰郷が近づいて参りました。
ここから話がまた加速します。

進みの遅いこの小説を読んでくださっている読者の方々には感謝してもしたりません。
次回もお楽しみに!


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