新田美波とのメモリアル改 (徳用もやし)
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新田美波とのメモリアル1改

千里のプロデュースもスカウトから。新人プロデューサーの仕事は、担当アイドルを見出すことから始まる––––––。

スーツを着て、落ち着かない様子で彼女は街角に立っていた。行き交う人を横目に見たかと思えば目を伏せ、困った顔をする。

彼女はまだ担当アイドルのいない新人プロデューサーで、そのためにアイドルになれそうな女の子をスカウトしに街まで来ていた。けれど、そう簡単に出会いがあるはずもなく、プロデュースの入り口で早速、迷子になっていたのだった。

努力にいつも結果が伴うとは限らないことも、こういう日があることも分かっている。なのに焦りと不安だけが大きくなっていく。プロデュースもせずに、なにがプロデューサーなのかと。

昨日も、一昨日も、もっと前も、こうして場所を転々としながら、いるかも分からない自分のアイドルを探し続けてきた。こういうときにアイドルに応援してもらえたらなぁと逃げてみたりもしながら。

もう夕方になる。今日は土曜日だ。そろそろ切り上げて帰るしかないか……と思った彼女の目は奪われた。

腰までの長さの綺麗な茶髪がふわりと靡いている。風に乗って、目の前を通り過ぎた彼女の香りがプロデューサーの鼻をくすぐった。やっと見つけた。

その後ろ姿が小さくなって、見えなくなってしまう前に追いかけた。一目見た後、少しの間だけ金縛りに遭ったようになっていたが、走れば追いつくことができた。

呼び止められ、振り向いた彼女に誠意を込めて切り出す。

「あっ、アイドルにご興味などありませんか!」

「……アイドル、ですか?」

驚いている。当然だった。でもこんな食い気味なスカウトでも嫌な顔ひとつしないあたり彼女は人間ができているらしい。

「わたしはこういう者で、さっき偶然あなたをお見かけして、それで綺麗な人だなって思って……ずっと探してたんです」

「ありがとうございます。……アイドル事務所のプロデューサーさんなんですね。でも、どうして私を?」

手順はちぐはぐでも一応渡された名刺を見て彼女は質問した。

「ああいえ、あなたを探してたというのは、最初からあなたを探していたということではないんです。わたしが、『この子ならアイドルになれる』と思える子を探していたという意味で」

「それで私を……。でも、嬉しいですけど私、アイドルに興味はなくて……」

「他に興味があって打ち込んでいることがあるんですか?」

「今は……資格の勉強とサークルとゼミなんかをしてます。色々なことを経験しておきたくて」

「それなら、アイドルの経験なんてどうでしょう? それ以上の掛け持ちは難しいかもしれませんが、でも……」

プロデューサーに捨てられた子犬みたいな目で見られて、彼女は悪いことをしている気分になる。

いかがわしい勧誘の類いならこれまで通り断ろうと思っていた。けれど、このプロデューサーのスカウトのたどたどしさでは人は騙せない。怪しさを通り越して逆に信用できるかもしれないとさえ彼女は思った。

(もしかしたらプロデューサーさんも、初めてのスカウトに挑戦している最中なのかも。そして、私を見つけてくれた……)

「ステージに立てば、そこでしか得られない経験がきっとあります! わたしもプロデューサーとしては新人ですが、一緒に頑張っていけたらいいなって、思ったんですが……」

「……ふふっ、やっぱりプロデューサーさんも、今まさに新しいことに挑戦している真っ最中だったんですね」

予感が当たり、彼女は笑う。

「え? あ、はいっ……そうですが、新人プロデューサーだとますます駄目ですか? スカウト……」

対照的にプロデューサーの表情は暗く、声も沈んでいく。

「そんなことはありませんよ。誰にだって初めてがあって、初めては上手くいかないことがあったり、不安だったりします。だけど、同じだけ楽しいんですよね。アイドルになって歌って、踊って、応援してもらう私……ふふっ、なんだか照れちゃいますね」

「……さっきとは打って変わって好感触ですね?」

恐る恐る顔をあげたプロデューサーと彼女の目が合って見つめ合う。さっきまでも話していたけれど、今この瞬間にやっとお互いがお互いを認めたように思えた。

「最初はお断りしようと思っていたんですが、気が変わったんです。お話、聞かせてもらえますか、プロデューサーさん?」

「本当ですか? もちろんです! じゃあえっと、あそこのカフェでお話しましょうか……お名前を聞いてもいいですか?」

「新田美波です。状況次第では、これからお世話になることもあるかもしれません。そのときはよろしくお願いしますね?」



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新田美波とのメモリアル2改

街で新田美波と出会い、何とか話を聞いてもらうところまで持ち込んだプロデューサーは、彼女を連れて近くのカフェに入った。

そして適当なものを注文し終えた後は色んな話をした。プロデューサーの勤める事務所にはどんなアイドルがいて、どんな活動をしているか。美波ならきっとファンの女の子が憧れて男子にも人気な、かっこよくて綺麗でクールなアイドルになれること。プロデュースの展望。

そうして話をするうち、スカウトで一番重要かつ大変であろうファーストコンタクトを乗り切った後も、ときどき言葉を選ぶというより探しているかのようになるプロデューサーの話し方から、彼女が敬語を使うのが苦手なのかもしれないと思った美波は「プロデューサーさんは私に敬語を使わなくて大丈夫ですよ」と提案した。

すると「あはは……わたし、社会人なのにいつまで経っても敬語が苦手で……咄嗟に言葉がでてこなくて。堅くなっちゃうし。……じゃあそうさせてもらうね。新田さんは敬語でも物腰が柔らかくてすごいよね」とプロデューサーが若干のショックを受けながらも、美波のフォローもあり結果として二人の距離は縮まった。

その流れでプロデューサーが美波に年を聞くと、19歳の大学生ということで、彼女は人知れず納得のいく敗北感を味わいもした。

プロデューサーが美波のことを綺麗で、可愛くて大人っぽくて色気があって、わたしには色気が欠片もないから本当にすごいと思っていて、本当に一目惚れで……と心のままに誉め殺し、美波にただ一言「私は、私よりプロデューサーさんのほうが可愛いと思いますけど」と言われて、社交辞令とかそういうものだからと自分に言い聞かせながらも顔を真っ赤にしながら本気で照れる一幕もあった。

この概ね告白めいた発言内容を後になってプロデューサーが思い出し、思い出すその度に恥ずかしくなってゴロゴロと転がって悶えたくなることは言うまでもない。

話せば話すほど相手のことが分かる。プロデューサーのこととアイドルのことが分かってくると、美波の気持ちはアイドルを経験するほうに傾いていった。

それにこれだけ好意をぶつけられれば、もう疑うことはないのかもしれない。

「それでは、一度レッスンを受けてみていただけるということで……いいかな?」

これまでの会話の終着点で、お伺いを立てるように小首を傾げて、また少し敬語混じりにかしこまったプロデューサーの問いかけに彼女は笑顔を見せて「はい」と答えた。

 

@ @ @

 

彼女の歌が聞こえる。

その日、初めてのレッスンを受けている美波をプロデューサーである彼女は見守っていた。

美波の歌っている歌はまだ彼女のために作られた歌ではないが、それでもプロデューサーは耳を傾けて聴き惚れていた。これを録音したCDが欲しい、早く彼女の曲が、彼女のCDが欲しいと密かに思いを募らせているのだった。

あとは公私混同さえしなければ、それはとてもプロデューサーに向いている特質と言えた。

その他にも様々なレッスンを終え、美波がプロデューサーのところに戻ってきた。その表情は明るい。

「お疲れさま。新田さん、初めてのレッスンはどうだった?」

「はい、とても楽しかったです。失敗はもちろんありましたけど、でもそれを糧にしていくんだって。新しいことに挑戦するのって素晴らしいことですよね。アイドル、選んで良かったかも」

「じゃあ、このまま正式に……わたしと、アイドルとして頑張ってくれますか?」

「そうですね……頑張ってみようかなって思います。だから、これからよろしくお願いしますね、プロデューサーさん」

「……良かったぁ」

やっと肩の荷が下りたという風に緊張が解けた様子の彼女を見て、美波はふふっと笑みをこぼす。釣られてプロデューサーも微笑みを見せた。

その後、帰り支度をしながら、美波はプロデューサーに気になることを聞くことにした。

「プロデューサーさん。私、まだ今日レッスンを始めたばかりの身ですけど……どんなお仕事があるんですか?」

自分がすることだから、興味を持つのは自然と言えた。そのことを報告する心の準備がプロデューサーにはできていた。

胸に手を当てて深呼吸をして、目を見ながら……少し目を逸らして、疑問符を浮かべている美波に改めて向き直る。覚悟を決めた。

「グラビアのお仕事が……」

何かやましいことを言っているような感じになってしまった。一瞬の間があって、それを聞かされた美波が口を動かす。

「ぐ、グラビア……ですか? 水着だったり写真集だったりの……? そうなんですね、体型に気をつけなくちゃ」

少し照れながら美波が言う。

「すみません……何かすみません」

プロデューサーは内心、売り込みのときに「新田さんは色気がすごくて……」と言ってしまっていたことの自責の念に駆られて平謝りする。

「そ、そんなことないです! 私、大丈夫です。プロデューサーさんがとってきてくれたお仕事ですし、頑張ります。歌を歌ったり、踊ったりすることだけがファンを元気にする方法じゃないですよね!」

「ファンを元気にする……あっ、そ、そうだよね! 大変だと思うけど、こういうのばっかりじゃないから安心してね!」

何を考えたかまた紅潮しながら不自然に大げさな身振り手振りを交えてプロデューサーはフォローを入れる。

「わたしも新田さんのグラビアを楽しみにしてるから!」

フォローを入れ過ぎた。美波よりもプロデューサーのほうがよほど硬直する。同性とは言え、これは立派なセクハラじゃないのか? という疑問と後悔の渦に彼女は飲まれる。

美波の目には驚きと戸惑いの色が確かにあって、プロデューサーはそれを見て知ってしまったがために、これからのことを思ってきゅっと目をつむる。

けれど、その後に返ってきた言葉に軽蔑の色はなくて、困った人だなぁといった温度だけが感じられた。

「……もう、変なこと言わないでください、困っちゃいますから。でも、新田美波、プロデューサーさんの期待には、ちゃんと答えたいと思います」

そうして向けられた笑顔はとても艶めいていて、プロデューサーの胸はさっきまでとまた違う感情に甘く締め付けられたのだった。



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新田美波とのメモリアル3改

その前日、彼女はまったく眠れなかった。普段も夜寝るのがあまり得意ではないプロデューサーだが、この日は殊更だった。

と言うのも、明日には美波の宣材写真撮影が控えていたのだ。しかも水着の。水着である。水着だった。

「初めてのプロデュースで緊張してるのかな、撮られるのは新田さんなんだけど……」

独りごちて、うーうー、と唸りながらベッドの上で寝返りを繰り返す。目を閉じても眠れず、まだ見ぬ美波の水着姿の幻影がまぶたに映る。

「いやそんな、なんでわたし……」

確かに美波は綺麗だけど、とそこまで思ってプロデューサーは考えを振り払う。

目元まで布団を被って、天井を見る。そこに答えは書かれていない。

悶々と夜は続いた。

 

@ @ @

 

「私、実はプロポーションには少しだけ自信があるんです。部活動で鍛えられてますから」というのが、プロデューサーからの「緊張してない? 大丈夫?」という問いかけに対する美波の答えだった。プロデューサーに引き換え、なんとも頼もしいアイドルである。

でもそこでその言葉を額面通りに受け取らず、美波に対する心配を完全には打ち切らないのもまたプロデューサーであった。緊張の仕方は人それぞれだ。目に見えて緊張したり、態度では分からなかったり。自分が緊張していることに本人が気づいていないことだってあるだろう。心配してし過ぎることはない。

「わたしも付いてるから、一緒に頑張ろうね、新田さん!」

プロデューサーが胸の前で両手をぐっと握ってガッツポーズをする。それを微笑ましく見てから、

「寝不足でも、しっかりと私のことを見守っていてくださいね? 見逃さないくらいの気持ちで」

と美波はプロデューサーの目の下のクマをいたずらっぽく指摘してみせた。

撮影は順調そのものだった。

カメラマンのシャッターが冴え渡る。美波にはどの瞬間にも隙がなく、思わずはっとするような色気がある。それは撮影を見守っているプロデューサーにも感じ取れた。

例えば普段通りの笑顔であっても、水着の今ではいつもと違って映った。

少し大胆な、胸元を寄せるポーズ指定もあった。美波は一度プロデューサーのほうを見て、そして恥ずかしげに寄せてみせた。すると彼女の胸の谷間にできた影がその濃度を増した。彼女の頬には朱が差していて、本当に恥ずかしいのだろうと想像できた。とれ高は十分だった。

撮影中、プロデューサーに眠気は少しも来なかった。息を呑んで、美波に見惚れていたからだ。

邪なのかなんなのか、とにもかくにも彼女はどきどきしていた。性別を超えて美しいと思うものがあった。チェックという名目で(実際にチェックもあるが)カメラマンに今日撮った写真を全て送ってもらうように頼んだ。

撮影も終わり、その帰り道。二人は並んで歩いていた。美波のほうが背が高く、プロデューサーは童顔傾向にあるので、二人の年齢と見た目はなんだかあべこべだ。

撮影直後こそ真面目な美波の口から、体が火照るだとか興奮しただとかのプロデューサーを動揺させる言葉が発せられていたが、この頃にはそれも落ち着いていた。

すっかり月の時間で、夜風が冷たい。

「……プロデューサーさん、撮影のときに私を見過ぎです」

「っ⁉︎ そ、そんなことは……ないよ?」

「そんなことあります。そうやって動揺しているのが証拠です。……プロデューサーさん、女の子なのに」

出し抜けに図星を突かれたプロデューサーは言い繕おうとするものの、既に足は止めてしまっていたし何より態度でバレバレだった。

少し先で振り向いた美波は続ける。

「どうしてあんなに見てたんですか?」

「それはそのう……」

「プロデューサーさんは女の子の水着姿が好きなんですか?」

「そんなことはなくて……ただ、新田さんだから、なんて……あはは……」

たじろぎながら自分がまた口を滑らせていることにも気付いていないプロデューサーを見て、美波は表情をころっと変える。

「すごく恥ずかしかったから……今のはそのお返しです」

「新田さん怖いよ……」

「それでいいんです……うふふっ」

プロデューサーが追いついて、また美波の隣に並ぶ。そして少し見上げるようにして彼女の顔を見る。

美波は首を傾げるようにして、それから笑顔を作ってみせた。そのせいでプロデューサーの胸がまたしてもかき乱されて、ふいと顔を背ける。

その姿を見て、美波はさらに笑顔になる。その笑顔をプロデューサーは知らない。




なんとか3まで書き切ることができました。
元のコミュが3までなので、続きを書くとすればオリジナルになりますが、書かない気がします。分からないですが。
お気に入りしてくれた4名の方はありがとうございました。良いモチベーションになりました。あとは一言でもいいので感想などくださったら嬉しいですね!


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新田美波とのメモリアル番外編1

美波と出会ってから、プロデューサーは仕事に充実感を感じていた。先の見えなかったスカウトとは違い、どんな仕事でも美波のためと思えば苦ではなかった。

今日も美波が来るまで、彼女は事務やら何やらを黙々とこなしていく。そこには私情もあったが、美波との時間を大切にし、積極的にコミュニケーションをとって仲良くなることは仕事面でもプラスになる。

そうして時間が過ぎていき、彼女が時計と部屋のドアを気にすることも多くなって(例えは悪いけどなんだか飼い主を待つ犬みたいだ)、ついにそのときが来る。

「お疲れ様です、プロデューサーさん」

扉が開かれ、美波が部屋に入ってきた。今日はラクロスのユニフォームではなく、彼女の私服のようだ。時間がないとき、彼女は急いで部活動の格好のまま来ることがある。

それでそのときの写真はプロデューサーのデジカメの中にあったりもする。

「こんばんは、新田さん。今日は確か、ダンスレッスンだったよね。仕事も大体片付いてるし、わたしも付いていくね」

「はい、よろしくお願いします。まだまだ失敗続きで、完成度も低くて恥ずかしいですけど」

「そんなことないよ。新田さんが頑張ってる姿に勇気づけられるし……それを見られるのはプロデューサーの特権だもん」

「ふふっ、プロデューサーさんは仕事熱心なんですね」

「そうかなぁ、新田さんのほうが頑張ってるからそんな気しないよ」

「仕事に一生懸命なプロデューサーさん、素敵です。私もプロデューサーさんに負けないように頑張ります。……だから、ちゃんと見ててくださいね?」

 

@ @ @

 

失敗しても可愛いし、苦手な振り付けに何度でも挑戦する姿が健気だと思いながらプロデューサーは美波のレッスンを見守った。彼女から見てハードめなレッスンで汗をかいても、美波の美しさは損なわれることがない。

濡れ髪に首筋を伝う汗、レッスン後に頬を上気させながらタオルで汗を拭う仕草にプロデューサーは美波を意識してしまい、その度に慌てて首を振って考えを振り払う。

事務所に戻った二人はそれぞれ事務作業をしたり資格の勉強をしたりする。体で覚えることもあれば頭で覚えることもあり、また今日のように単純に次のレッスンまでの空き時間をここで過ごすこともある。

プロデューサーは事務作業をしながら、真剣な顔をして資格の勉強をする美波の横顔を盗み見る。彼女の一生懸命な表情もプロデューサーは好きだった。

「ぷ、プロデューサーさん? その、あんまり見られると集中できなくて……」

それにしてもちょっと盗み過ぎた。プロデューサーの熱視線は美波の知るところとなって窘められる。

「……そうだよね、ごめんね? わたしはわたしの作業に集中します……」

それを受けて、若干しょんぼりしながらプロデューサーが仕事に戻る。美波のことを見ているだけでは終わらない仕事があるのだ。

今日こそこの始末だが、ここ最近の二人はよく話をしていたし、順調に信頼関係を築いていた。

その会話内容の中でも特筆すべきは、美波に彼氏や好きな人がいないことだろう。それを聞き出したプロデューサーが安堵したことは言うまでもない。「それを聞いたらお父さんも喜ぶね」とは満面の笑みのプロデューサーの言だ。

話を戻すが、プロデューサーは割と些細なことで悩むほうだ。今も、さっきの出来事は大したことではないのに心のどこかでもやもやとしていた。

これまでの自分の振る舞いや言ったことのせいで美波に嫌われてはいないか、美波は自分のことをどう思っているのだろうと。

自分から好意を向けているぶん、余計にそれが気になっていた。もしかしたら、その好意自体が美波にとって負担になっていないかと彼女は考えてしまう。

そこまで深刻に悩んでいるわけではない。でも決して軽い悩みでもなかった。

プロデューサーの作業の手は止まり、こちらは窘められたわけではないのになんとなく話しかけることもせず、重い気持ちに引きずられるようにして彼女のまぶたも重くなる。彼女は少しだけ疲れが溜まっていて、ついには眠ってしまった。

彼女の名誉のために言っておくと、こんなことは初めてで、いつもの彼女はいたって真面目だ。真面目だからこそこうして眠ってしまったのだった。

––––––プロデューサーが眠っている間も時計の針は進み、時計の針が進んでもプロデューサーは静かに眠り続け、そのまま二人が帰る時間になった。プロデューサーが眠っていることに彼女は途中から気付いていたが、自分が帰るまでは寝かせておいてあげようと思ったのだ。

美波は静かに立って、プロデューサーのデスクのそばまで近づく。微かな寝息をたてて、あどけない寝顔でプロデューサーは眠っていた。その様子をしばらく眺めてから、美波は起こすのを躊躇う気持ちに打ち勝って彼女を揺り起こそうとする。

と、その前に眠っている彼女の唇が何か言いたそうに動かされて、それから「……美波ちゃん」とはっきり言葉を紡いだ。聞き間違いではない。

それに美波は驚いた。夢に彼女が出ていたこと、そして今まで呼ばれたことのない名前で呼ばれたことに。

でもそこで返事はせずに、美波はプロデューサーを今度こそ揺り起こす。

プロデューサーはすぐに目を覚ました。ずっと眠っていたのに、すぐに起きた辺り繊細なのだろう。控えめな欠伸を噛み殺しながら、まだとろんとした目で自分のことを起こした美波を見ている。

それからだんだんと覚醒してきた彼女は「わたし……寝てた?」と遅まきながらすまなそうな顔になる。

「プロデューサーさん、もう帰る時間ですよ。なので起こしました」

「起こしてくれてありがとう……ねえ新田さん。わたし、寝言で変なこと言ったり、変な顔してたりしてなかった?」

プロデューサーも女の子なのでそういうところを気にする。まして美波の前なのだから余計に気になるのだ。

「いえ、可愛い寝顔でしたよ? いつもより子供っぽくて、ふふっ」

「わ、わたしこれでも大人なんだけど……それで、寝言はどうだった?」

「一度だけ『美波ちゃん』って呼んでいました。プロデューサーさんはどんな夢を見てたんですか?」

「えぇ⁉︎ わたしが寝言で新田さんのことを呼んでたの⁉︎ それも名前で⁉︎ 夢を見てた記憶はないんだけど……新田さんのことを名前で呼んだこともないし。でも他に美波ちゃんはいないから……やっぱり新田さんだったのかな」

プロデューサーは一瞬焦ったような表情になって、それから考えを巡らせてそんなことを言う。

「……それなら、これをきっかけに、私のことを美波ちゃんって呼ぶのはどうでしょう?」

「……恥ずかしくて呼べません」

「さっき美波ちゃんって言ってたじゃないですか! それにこっちのほうがもっと仲良くなれる気がしませんか? 私もそのほうが嬉しいですし」

美波は良いことを思いついたとばかりに提案を続ける。

「新田さんとは仲良くなりたいけど……うう、そんないきなり名前でだなんて」

「じゃあ、お試し期間や練習のつもりで呼んでみてください……駄目ですか?」

「駄目じゃないけど……」

プロデューサーは押しに弱かった。美波のおねだりに勝てるはずもない。

「…………」

美波の期待のまなざしがプロデューサーに向けられる。それを見て取って、プロデューサーが一度目を泳がせた後にその呼び名を口にする。

「……み、美波ちゃん……」

消え入るような声で、耳まで赤くしながら呼ばれたその名に美波が嬉しそうに「はいっ」と答える。

暫く、プロデューサーは美波の顔を見ていたが、やがて「待っててね。すぐに帰れるようにするから」となにかを誤魔化すように言いつつ慌てて帰り支度を始めた。

その帰り道ではプロデューサーが「新田さん」と呼ぶ度に「違いますよ、プロデューサーさん。新田さんじゃなくて美波ちゃんです」と冗談めかして優しく注意され、言い直しをさせられるので彼女はずっと赤くなっているのだった。




続きました。感想への返信に代えて。
ここからはオリジナルです。行き当たりばったり感が強いですが少なくともあと一話は続きそうです。


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新田美波とのメモリアル番外編2

何の因果かプロデューサーはプールの監視員の真似事をしていた。泳いでいるのは美波と、同じ事務所の他のアイドル達と、そのプロデューサー(こちらも女性)である。色んなアイドルがいれば色んなプロデューサーもいるものだ。

元は美波に「一緒にプールで泳ぎませんか?」と誘われたのだったが、そこはプロデューサーも自らの体型を気にする乙女なので「水着がないし」などと抵抗を試みていたところ先のアイドル達が話を聞きつけ、自分達も行きたいと言い出し、彼女らのプロデューサーに「じゃあ私は一緒に泳ぐので、プロデューサーさんは外からバックアップをお願いします!」と頼まれたという経緯だった。よく分からない。

というわけで、最近のプロデューサーはプールの監視員みたいなことも業務に入っているのか……それなら美波と海に行くことも当然あっていいのでは、と思いながらプールサイドで美波を見守るプロデューサーなのであった。とは言え、役得だと彼女は思っている。

プールは学校にあるもののように幾つかのレーンに分かれていて、泳ぐことを目的としたコースと話しながら歩いたりして水に親しむコースがある。

美波はその中の、泳ぐことを目的としたコースで泳いでいた。流麗なフォームで軽やかに泳ぎ、息継ぎの瞬間も優雅なものだ。

プロデューサーが見ていると、美波が向こう岸でターンして彼女のほうに向かって泳いでくる。

プロデューサーのところまで泳ぎ着いた美波は、顔を水からあげて彼女を見上げる。

「いっぱい泳ぐね……美波ちゃんは」

今の間は照れによるものだ。美波の努力の甲斐あって美波ちゃん呼びは定着してきていたが、それでもまだその呼び方には照れが混じる。

「好きなんです、泳ぐの。ハードですけど、水の中で泳いでいると自由になれる気がして」

水に濡れて彼女はいつにも増して艶めいていて、髪から滴った雫が彼女の白い肌を滑った。その姿は確かに自由に見えた。

あるいはプロデューサーの視線を彷徨わせるだけの魅力があった。

「分かるよ、なんて言うかな……そう、気持ちいいもんね」

「そうですね、気持ちよくてトレーニングにもなって、楽しくて」

「……そろそろあがる? それともまだ泳いでいく?」

プロデューサーの位置からだと眺めが良過ぎて実によくなかった。肌に張り付く髪に惜しげも無く晒された鎖骨、競泳水着のせいで強調された体のライン。だからそんな風に会話を切り上げた。

心なし他のアイドルの女の子達も美波に目を奪われていたようだった。

「どうしようかな、もう結構泳いだし……じゃあ、そろそろあがりますね?」

それを聞いたプロデューサーは美波の手を引いて、プールから引き上げる。ザバァ、と水面を割って今まで隠されていた彼女の太ももやその先が露わになる。今まで水に浸かっていたから当然なのだが、その肢体は濡れていて、白くきめ細かな肌の上を水滴が滑っていく。

それを余すところなく見てしまっていた自分に気付いたプロデューサーは慌てて「着替え終わるの外で待ってるね」とぎこちない動きで去っていった。

赤面しながら、それでも目を離せずに彼女の体を見ていたプロデューサーの視線に美波は気付いている。でもそれで自分が嫌な思いをしたわけではないし(プロデューサーも女の子だし)、今回のことを注意したり話したりするのはお互い恥ずかしいし、見てしまうときもあるだろうと美波はプロデューサーのことを許してあげた。そういうところも含めてプロデューサーの可愛らしさなのだと。

着替えが終わった後、二人は他のアイドル達と別れて電車に乗った。幸い席は空いていて座ることができた。

二人並んで電車に揺られる。肩が触れ合ったり、少し話をしたりして……静かになったと思ったら美波がプロデューサーにもたれかかるようになる。美波は泳ぎ疲れて眠ってしまった。

それを確認したプロデューサーがギギギと音がしそうに首を向きを戻す。すうすう、と美波の静かな寝息がプロデューサーの首筋をくすぐる。

こっそり寝顔を覗き込むと、伏せられたまつ毛と油断して安心しきった表情にプロデューサーは胸が苦しくなった。どきどきして死にそうだった。

あんまり見てはいけないとプロデューサーは前に向き直り、電車が目的の駅に着くまでの暫くの間、幸せに浸る。

夢の中で美波がプロデューサーの名前を呼ぶことこそなかったけれど、プロデューサーにとってそれは夢のような出来事だった。




これは前に言っていた「あと一話」ではなく、唐突に書いてしまったものです。「あと一話」のほうはまだ話がまとまっていません。
ところで、ほぼ思いつきで書いている二人の話ですが、皆さんからはどういう風に見えているのでしょうか。よければ聞かせてください。聞きたいです。気になります。
ちなみに書いているほうとしてはプロデューサーちゃんの邪さがとても気がかりです。


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新田美波とのメモリアル番外編3

欲求不満なのではないかと彼女は彼女を疑った。そのせいで美波が自らの毒牙に––––––それはいけないことである。

いけないことは、改めなければ。

自分の可愛い担当アイドルに申し訳がないし、そもそも美波もプロデューサーも女の子だ。それでいてプロデューサーは美波を邪な目で見てしまっているのだから、これは由々しき事態なのだ。

そう思ってプロデューサーは考え、そして解決策を思いつく。

そうだ、チョコレートを食べよう。

曰く、欲求不満の女性はチョコレートを好む。欲求不満を解消する代償行為として。

これはプロデューサーが以前どこかで知った知識だ。その情報の信憑性は怪しいところだが、自己不信のプロデューサーはチョコをも掴む。

であるならば、チョコレートを食べれば欲求不満(またはその疑い)は解消されるのだ。そうなのだ。

そう結論したプロデューサーは直ぐに家にあったチョコレートを一粒、口に運ぶ。なるほど、これは。

「甘い……よしっ!」

 

@ @ @

 

次の日の通勤途中のコンビニで、プロデューサーはいつものように弁当と、今日は追加してチョコレートを買う。一口サイズのアーモンドチョコが幾つか入ったものだ。

会計を済ませて店を出た彼女の顔に昨日のような憂いはなく、意気揚々と事務所へ向かった。

彼女達の部屋に着いたプロデューサーは部屋の電気を点け、デスクの椅子に腰掛ける。

朝の日差しとひんやりとして澄んだ空気のなか、美波が来るまでは少し寂しいけど今日も一日頑張るぞ! と彼女は気合いを入れる。邪念を振り払った彼女は絶好調だ。

絶好調なので仕事の手も進んだ。午前中、そして午後に入っても彼女は一生懸命に仕事をした。ときどきチョコレートを摘まむと疲れも邪念もまとめて取り払われる気がした。

「そう言えば、最近チョコ食べてなかったから美味しいなぁ……」

これだけ甘くて美味しいなら、欲求不満も解消されるかもと彼女は思う。

思っていたら、事務所のドアが開いて美波が現れた。うん、今日も可愛いとプロデューサーは頷く。

「お疲れさまです。チョコですか? 珍しいですね、プロデューサーさんがおやつを食べてるの」

美波が目敏く、プロデューサーのいつもとの違いに気付く。

「美波ちゃんも食べる? 美味しいよ」

「いいんですか? じゃあ少しだけ……あ、でも外から帰ってきたばっかりだから……」

少し迷う素振りを見せた後、美波はその口からプロデューサーにとってとんでもないことを言った。

「食べさせてもらってもいいですか?」

あまりのことにプロデューサーは口まで開けてポカーンとした後、でもここで変に意識するほうが変かな、だって意識してるみたいで変だし、変だよね、意識してるみたいで! と荒れ狂う内心を押さえつけてチョコレートを一粒手に取る。

「う、うん。じゃあ口開けて……あ、あーん……」

そのままチョコレートを近づけていくと雛鳥みたいに口を開けた美波に食べさせる。「あーん」と言ってしまったことを恥ずかしく思っていたプロデューサーだったが、美波もそれに応えて可愛らしく「あーん」と言ってくれた。

でも美波が口を閉じたときにプロデューサーの指が唇に触れてしまい、プロデューサーは声にならない声をあげそうになって、それでもそれもなんとか我慢した。

「甘くて美味しいですね、うふふ」

「それは良かったです……」

バクバクと暴れ狂う心臓を宥めながら、プロデューサーは笑顔の美波に応対する。いやこれも意識さえしなければなんてことないんだろうけど……とプロデューサーは何かに気付く。

意識さえしなければ。

意識するから特別になる。

それは、美波に対して––––––チョコレートのことだけではない、この間のプールの帰りに、眠っている美波に寄りかかられたとき。初めて美波とすれ違って、一目惚れをしたとき。もしかしたら、美波に邪な目を向けてしまうことでさえも。

美波のことを意識しているから。

欲求不満と言うなら、その好きの気持ちを誤魔化していることこそが欲求不満なのかもしれない。

「……プロデューサーさん? どうかしましたか?」

考え事をすることで急に黙り込んだプロデューサーに美波が聞いてくる。

彼女はそれにどこかすっきりとした表情で答える。

「どうかしてないこともないけど、なんでもないよ。美味しいね」




後になって、チョコレートには催淫効果があることを知ったプロデューサーちゃんが「チョコを食べてなんだかえろいことになっている美波ちゃん」を想像するという部分は話があまりにも綺麗に終わってしまった都合でボツになりました。そのせいか少し短め。


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新田美波とのメモリアル番外編4

出先での仕事が終わり、美波とプロデューサーは二人で帰りにラーメン屋に来ていた。と言うのも、今日の仕事相手に「この近くのラーメンが美味しいんですよね〜」と勧められて、二人が「たまにはラーメンも良いかな」と思ったからだった。

暖簾をくぐると威勢のいい声で出迎えられる。プロデューサーが「二名です」と伝えて美波をエスコートする。

案内されたテーブル席に対面に座って、プロデューサーが美波にメニューを譲る。美波の注文が決まったらプロデューサーもメニューをちらっと見てから店員を呼んだ。

先に美波の注文を聞いていたプロデューサーが「醤油ラーメンを二つ」とまとめて注文する。

「一緒で良かったんですか?」

「うん、わたしも醤油ラーメン食べたかったから」

なんて言いつつ、美波とお揃い……と思わないではないプロデューサーだった。醤油ラーメンが食べたいかなと思っていたのは本当だが。

二人で話しているうちに注文していたラーメンが運ばれてくる。湯気が立ち上り、トッピングも多彩ですごく美味しそうだ。

箸をパキっと割ったらすぐに食べ始める。と、プロデューサーは何となく美波の食事風景を眺めた。美波は髪を耳にかけてレンゲでスープを啜り、次に麺を食べ始める。ちゅるんと麺が吸い込まれた後の美波の唇はラーメンのせいか艶めいて見えた。

そこまで見届けたプロデューサーの脳裏に、過去に彼女が従姉妹のお姉さんから聞いた話が去来する。

それはそう、食事の仕方で性的な傾向が分かるというものだった。

「…………」

思い出すべきではないタイミングで思い出すべきではないことを思い出してしまったプロデューサーはフリーズした。フリーズしても目は美波がラーメンを食べるのを見ている。

でも待って欲しい。それはあくまで従姉妹のお姉さんが言っていたことだし、間違った知識かもしれない。

そりゃあ、ラーメンみたいに食べる姿が色っぽく見えないこともない食べ物や食べ方もあるだろう。食べ方に性格が出ることもあるかもしれない。

けれど、そうであってもらっては困る。これから先も美波と一緒にご飯を食べることは多いはずなのに、目のやり場に困ってしまう。何より、ご飯のときまで美波をそういう目で見てしまうのは駄目だ(それ以外のときももちろん良くはないけど)。見られると食べにくいだろうし。

頭の中がぐるぐるしているプロデューサーはそんな調子だから当然箸も進んでおらず、それに気づいた美波がプロデューサーに声をかける。

「? プロデューサーさん、食べないんですか? もしかして、調子が悪くなったとか……」

「わっ、わたし猫舌で……心配させてごめんね。今から食べるよ!」

心配そうに聞く美波にプロデューサーは咄嗟の機転でそう答えた。ちなみに猫舌なのは嘘ではない。ここまで冷ます必要があったのかは今となっては分からないことだが。

自分も食べ始めると、プロデューサーは従姉妹の話を忘れることができた。色気より食い気と言うべきか、お腹が満たされればさっきまでの悩みも解消されてしまった。

それに自分がラーメンを食べると色気とか全然ないなぁと思ったのもある。

そんなこんなで二人が食べ終えて人心地ついたら後は帰るだけだ。

「じゃ、帰ろっか。わたしが誘ったからここはわたしに払わせてね」

と言って立ち上がろうとしたプロデューサーを「プロデューサーさん」という一言で美波が止める。

そして美波は続けて、「プロデューサーさんも女の子なんですから、割り勘です」と言った。プロデューサーにとってその言葉の破壊力は絶大で、それだけで十分だった。

突然の女の子扱いにしどろもどろになるプロデューサーを追い越して、美波はレジで自分の分の会計をすませる。

反論もできず、既に支払いもされてしまったプロデューサーに最早打つ手はない。これが惚れた弱み……と思いながら続けてプロデューサーも会計をすませ、二人は店を後にした。



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