ダンジョンにコンティニューするのは間違っているだろうか (deep)
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プロローグ1
作者は原作まだ6巻の半分位しか読了していません。一応ソード・オラトリアまで読むつもりなのですが、とりあえずプロローグだけ投稿してしまおうということです。順番変ですみません。
矛盾点、違和感の感じる口調、分かりづらい描写などがあったらご報告お願いします。
あなたはダンジョンに何を求める?
そう聞かれたのならば答えは十人十色。
様々な答えが返ってくる事だろう。
或いは『富』
或いは『名声』
或いは『力』
或いは『夢』
或いは…………『出会い』
そんな様々な可能性に溢れている、世界にたった一つの【迷宮都市オラリオ】にしか存在しない【ダンジョン】。そこに何かを求め続けた、ある青年のお話―――。
◆
ポツ、ポツ、ポツ。 小さな音。
空から降ってきた雫が地面と接触した刹那、雫が弾け小さな雨音に姿を変える。
空を見上げると、いつもの白の雲と水色の空は見えず、代わりに鉛色の暗雲が視界に入る限りの空を埋め尽くしていた。
天然の光源である太陽の光は暗雲に遮光され、雲の隙間から見える微かな陽の光も10分もしない内に雲に覆われていくことだろう。
オラリオの上に停滞する雨雲から零れ落ちる小雨は、降り始めこそ断続的で雨音の間隔も開いていたが、徐々に徐々に時間が立つに連れ間隔を縮め、やがてバラバラだった点の音は繋がり始め一本の線となり、雨音が途切れることはなくなっていた。
都市の形体が完全な円であるオラリオの中心、真ん真ん中には高々と聳え立つ天を穿つかような白亜の摩天楼、『バベル』と呼ばれる施設。
そのオラリオの中心バベルから放射状に八方位、街を囲う市壁まで続く『メインストリート』と言う大通りが八本存在する。
普段、種族問わず人通りが多く、様々な声声が飛び交うメインストリートだが、今日は、徐々に強くなり始めた雨脚から豪雨になることを予期したのか、あまり人々が見られない。
チラホラと見える人も、色気のない屈強な体躯をした冒険者ばかりで、そのどれもが誘われるようにバベルへ向かう足取りを見せていた。いや、正確にはバベル内にある【ダンジョン】に誘われているのか。
バベルの中にあるダンジョンに入ってしまえば豪雨、況して台風が来ようとも、意に介する事無く、いつもの様に探索することができる、という考えらしい。
なんともモンスターとの戦闘を生業とする冒険者らしい短絡的な思考だが、あながち間違ってはいない。
むしろ、それが冒険者として生活する上で最適解と言っても過言ではないのだが、冒険者ではない人達。モンスターとの戦闘だったりダンジョンの探索とは無縁の、平和な生活を送っているオラリオの住民から見れば、雨の中でも敢然と、常に死と隣り合わせのダンジョンに行こうとする姿は、死にたがりに見えてしまうのもまた事実ではある。
そんな、今日もダンジョンで猛々しく己の力をモンスターに振るわんと、バベルへと歩を進める冒険者達の一群にある男女がいた。
ダンジョンへと胸を焦がす冒険者と同じで進路はバベルに向いているものの、足取りは冒険者とは違い、雨に打たれながらもゆったりとしたものだった。
ローブを目深に被り、体もしっかりと覆っている。一見すれば特色のない者たちだが、二つの影は余りにも不釣り合いだった。
それは、体躯。
ローブでは隠し切れない二つの体の大小。それが如実に表れていた。
前を歩く女の後ろを一定の距離を保ち、自分が濡れることを厭わず、女が雨に濡れる事のないように傘を差し翳す男。
不釣り合いと感じさせる違和感の正体。
それは女の身長が170CM前後に対し、男は2Mを優に超える巨躯の持ち主。さらに体つきはローブ越しでも分かるほどに筋骨隆々ときている。
そんな巨躯の持ち主が、女の視界に入らぬよう常に後ろに陣取り、自らの体が濡れようとも献身的に女を雨から守っているのだ。体の差から似合わない行為に違和感を感じるなという方が無茶だ。
その光景を見れば、男に目を奪われがちだが女の方もまた、隠し切れない屈強な体の大男をさも便利な召使のように扱う姿から、やはり、というべきか、普通ではなかった。
先程も言ったように二人は目立つ。二人のアンバランスな体格差と、その体格に似合わず献身的な大男。この二つが視線を惹きつける主な要因だ。
その二人を、正確には上記の要因で大男を見た人が次にする行動は大抵決まっていた。
"こんな大男を従えているのは一体何者なのだろう"と言う感想を抱き、二人を見た人の殆どが男の前を歩く女に、見世物を見るかのような軽い面持ちで顔を向ける。
そして好奇心で目を向けた老若男女、全ての人間が女から視線を外せなくなってしまう。
優雅で気品のある歩く姿? かすかに見えるだけでも分かる端正な顔立ち? それとも布では隠しきれてない抜きん出たオーラ?
いいや、全てだ。
女を構成している全てが、見る者のすべてを奪う。
視界を奪い、思考を奪い、心を奪う。
正しく、【美の権化】。
この世に存在する美しい物や人をかき集めたとしても、彼女の足元にも及ばない。ローブという隔たりを通しても、そう確信させる何かが彼女には有った。
彼女に熱く、そして縋るような視線を送る者達の胸中には、大男に対する驚愕の想いは既に無く、彼女の事しか考えられなくなっている。
"彼女の事を知りたい。この身を捧げたい。もし、許されるのであれば彼女の寵愛を―――"
彼女を凝望する全ての生き物がそう考えながら、誰も行動に起こそうとはしない。否、起こせない。
首から下が金縛りにあったように、彼女を視界に収めることしか許されない。それは決して彼女の後ろに立つ男に気圧されたり、外部からの影響ではなく、彼らはその身に感じているのだ。
自分達が彼女に話しかけることは疎か、近寄ることは痴がましいことであると。自分のどの器官でも感情でもない、生物としての本能が足先から脳髄にかけて訴えかけていた。
しかし彼らは気付いていない。自分の体が何故か微動だにしないという、生まれたての赤子にすら不審に思いそうな体に起こった異変に疑問すら持たず、只々、首を彼女に合わせ機械的に左から右へ、右から左へとゆっくりと動かす。思考は既に女の【美】に侵され、脳から無意識の内、体に出された命令『彼女に近づく事は許されない』という命令を自覚することのないまま拝受する。体は硬直し、視線だけが女を追う。
そんな切望の混じる視線を尻目に受けながら気にした様子もなく悠然と二人は通りを練り歩く。
目指すはオラリオを中心から見下ろすバベルの最上階。彼女はそこに足先を向けていた。
◆
空からオラリオを包むように降る雨は地を打ち地面を黒く染め上げる。
激しさを増した雨音は耳朶を殴り、ローブの衣擦れノような小さな音も飲み込んでゆく。
一歩踏み出す度、黒くなった地面に薄く張った水の膜が小さく飛沫を上げ放射状に飛び散るのを視界の片隅に入れながら女――"女神フレイヤ"――はバベルへと歩を進めていた。
フレイヤは今日、外せない諸用が有ったため滅多に出ないホームであるバベルから護衛を連れ外へと足を運んだ。
最近ファミリアとしても頭角を表し始めていたフレイヤは神会や神が個人で開いているパーティにも呼ばれる事が多くなり始めていた。……いや、フレイヤはその美貌から、ファミリアの規模に関わらず声は掛けられていたのだが、それを面白く無いと思う者も出てきていらぬ敵意を招いてしまうかもしれない。
天井に住まう神としてならまだしも、ここは下界。『
しかし、それでも下界において神が信仰されるのは偏に【
神から人間への贈り物。
【
フレイヤの後ろを一定の距離で歩く男――オッタル――もフレイヤから恩恵を授かりダンジョンにその身を投じる冒険者の一人である。
フレイヤファミリアの中でも一際光る実力を有していて、ファミリアを代表する冒険者の一人だ。
彼は今日、最早日課になっているダンジョン探索の予定を急遽変更し、フレイヤファミリアの冒険者代表としてフレイヤに指名され他のファミリアの主神に挨拶をするという名目で、実際はフレイヤの護衛を目的に随伴した。
オッタルは行きよりも激しくなった雨に打たれ、傘をフレイヤに差し翳しながら、朝から神会まで、他の神に挨拶している時も疑問に思っていたことを帰路についている今尚、仏頂面のまま内心ずっと懊悩していた。
悩みの種はフレイヤの事だ。
オッタルは今日一日、挨拶の為丸一日フレイヤと行動を共にしていたが、傍から見なくてもきっとフレイヤの様子がおかしい事に気付いていたことだろう、そう考えてしまう程にフレイヤを誰よりも近くで見てきたオッタルは今日のフレイヤの様子に頭を悩ませていた。
フレイヤは外面を至妙に取り繕う。
笑顔を貼り付け数秒会話をすれば種族関わらず、男神すらも魅了し言いなりにできる。
それがわかっているフレイヤは、会話するときや誰かの前に顔を出す時など常に笑顔を貼り付けているのだが、今日はなにか懐かしむ様に上の空だった事が多かった。
オッタルは初めてだった。
主神であるフレイヤに惹かれ、自らの全てを捧げた時から幾年かの歳月が経ったが、こんな事態は今までに無かった。
いつもならこんな場合オッタルは、自分で推察しようとはせず、フレイヤから命令があれば詳細を聞き、命令がなければ自分に教える必要はないと暗に言っていると判断し、深く考える事はしない。
しかし、今回の件は何故かやすやすと判断してはいけない気がして朝から帰路まで悶々として来てしまった。
オッタルは先を歩くフレイヤに一瞥をくれる。
その視線は憂慮からの行動なのだがオッタルは、命令されていない勝手な行動、出過ぎた真似だと己を卑下する。
フレイヤが何かに憂いているのは行動から明白なのだが、何も言ってくれない、ではなく、何も言われない自分が腹立たしかった。
自然と傘を握る手にも力が入る。歯も悔しさからくいしばられている。身を打つ雨も相まって気持ちは暗い闇に陥る。
オッタルは臍を噛む思いに見舞われた。その時――。
「――オッタル」
笛のように綺麗に澄んだ声が、オッタルの獣耳に、思考に、心に届いた。
自分の心中を見透かしたようなタイミングと暗闇を清々と晴らすような光の声音。
自らの名を呼ばれていることに気付かず返す言葉が出てこない。
「オッタル」
「……はい、フレイヤ様」
思考が名前を呼ばれている事を理解した頃には再度、名を呼ばれていた。
オッタルはフレイヤにいらぬ手間をかけさせた自分に、再び酷く辟易とするがそれに気付いているのか気付いていないのか――恐らくは前者――女神は話しを続ける。
「勘違いしないで頂戴。私は貴方を信頼しているわ」
「…………はい」
オッタルは自らの心中を覚られている事に驚きは無かった。
フレイヤからの言葉をしっかりと噛み締め、抑揚のない口調から考えるに慰めからの言葉ではなく、只々事実を告げられているのだと判断した。
依然オッタルの表情は、変わらず愛想のない仏頂面だが、頭に被っているローブに二つの膨らみができている。
獣人の本能はちゃんとフレイヤの言葉に反応していた。
オッタルの返事を聞いたフレイヤは、でもね……と困ったように続ける。
「私も何で自分がこんな気分になってるのかよくわからないのよねぇ………」
「…………」
「はぁ……」
オッタルは返す言葉が見つからなかった。
散々頭を悩まさている原因がよくわからない、と。
フレイヤはたまに理解できないと言うか、何か見据えた発言をする時があるが、今回のは自分の身に起こる事にも関わらずよくわからない。
心労からの溜め息をつくフレイヤを見てオッタルは、初めて主神の前で不敬だと理解しながら溜め息を漏らしたくなった。
後ろから心なしか非難がましい視線に気付いてないふりをしてフレイヤは、溜め息を漏らしほとほと困ったという様な表情から転じて、目を細め全てを見透かすかのような神らしい? 崇高な顔つきに変化した。
フレイヤはオッタルに対し、自分が何でこうなっているのかよく分からないと言っていたが、実を言うと自らの不思議な感情の原因は把握していた。
オッタルに嘘の発言をしたのは彼に信用がない訳ではなく、ただ純粋に原因となっているそれが、果たして原因と呼べるかすら分からない、相談された側に呆れるか笑われてしまう様な不正確で、曖昧な、漠然とした、形のないものだったからだ。
故にフレイヤはオッタルには悪いと思っているが虚言を吐いたのだ。断じてオッタルを信用していないのではない。
閑話休題
フレイヤを悩ませている原因とも呼べないような原因。
その正体は偏に唯の
『勘』
それは、形の存在しない不確かなもの。
恐らく知能のある生物ならば携えているであろう能力。
その力は思考を放棄することに近い。
勘に身を任せるというのは本当に最終手段。打つ手がなく情報もない。そんな状況に陥った場合にのみ行使するような、身を焦がしかねない危うい力だ。
右か左かのような二択ならまだ良い。今回のような無数の選択肢が混在する中、勘を頼りにするというのはとても信用できたものじゃない。
フレイヤは改めて、たかが勘程度にここまで悩まされ、人受け気にしている自分の外面が容易く剥がれ落ち、憂いが表情や行動に表れてしまう程、心を乱されていた自分を思い出し深く省みる。
だが、フレイヤはそこまで悩まされながらも、その勘を気の迷いだと断定するのは簡単だったが無碍にすることは出来なかった。
フレイヤはどこかで確信していたのだ。
今日、必ず自分の身の回りでなにかが起こる、しかし、それはオラリオや世界を揺るがすような天災ではなく、自分にとって何か……運命的な何かがある。フレイヤには根拠の無い確信があった。
そして、後、数分後にフレイヤの考えは事実になるのだった。
足を踏み出す度、弾ける水滴が辺りに舞う。結構な距離を歩いたためかフレイヤの息遣いがやや乱れている。足が棒のようにまでとは言わないが、疲れを訴え始めた所でフレイヤは視線を上げた。
バベルとの距離は実際の大きさが薄っすらと分かり始めるくらいに狭まっている。
フレイヤはあともう一息、と気持ちを入れ替えると歩幅が少し広くなった。
一歩一歩、着実に進んでいく。
そしてフレイヤは若干後悔していた。
(偶には歩いてみようとか考えるんじゃ無かったわ……。大人しく馬車にでも乗った方が良かったかしら)
往路から帰路まで通して歩き続けて来たフレイヤは久方ぶりの疲れを感じていた。
基本バベルから外出することは少ない彼女は典型的な運動不足に陥っていた。
ホームでも本を読むかお気に入りの魂を眺めるだけの癖に、何故か今日に限って徒歩で遠方へと外出したため漏れ無く後悔の念に襲われている。
(はぁ、全く慣れない事はするものじゃないわね)
口からは荒い息を、頭の中では呆れの吐息を。
フレイヤはもう二度と距離のある目的地までは徒歩では向かわないことをこっそりと心に誓う。
とりあえず自らの運動不足による身から出た錆の事ばかり考えていては気が滅入ってばかりだと思考を巡らせ、帰ってからの事を考えることにした。
瞬間――。
(とりあえずベッドで仮眠でもとろうかしら……、マッサージもやってみたいわね、………オッタルにしてもらおうかし―――)
フレイヤは――足を止めた――。
思考が途切れる。
先程まで考えていたことは既に頭から抜け落ちた。
フレイヤの今の心境は、空腹時に食事処から香る色とりどりの匂いが如く、思わず足を止めてしまう程の魅力的な何かが左方から香ってきたのだ。
急に足を止めたため、後ろのオッタルから怪訝な視線を送られているのがわかったが、フレイヤは意に介すること無く緩慢に動き始めた。
ゆったりとした動きで左へと首を回す。そこには、魔石灯の光が行き届いていない暗闇に満たされている小径。
フレイヤは目を奪われていた。
(――ある、この奥に、何かが確実に)
それは確信だった。
今日一日、心を乱し続けた元凶とも言える何かがこの小径にあると、フレイヤの他でもない『勘』が訴えている。
フレイヤには既に雨の音は届いていない。
目が、思考が、五感が、心が、想いが引き込まれていく。フレイヤはふと、自分に魅了された生き物の事を思い出した。
あの子たちはこんな気持ちだったのだろうか、……いや違う。
(あの子達は私に自分の全てを捧げたいと言っていた……)
フレイヤは自分の考えを即座に否定した。
フレイヤに魅了された者達は全員フレイヤに尽くすことを漏れ無く誓ったが、フレイヤ自身、奥に存在するであろう何かに惹き込まれはするものの、自らの全てを投げ打ってでも手に入れたい、尽くしたいという感情は全く湧いてこず、自分の中で大きくなりつつある感情の正体が分からなかった。
分かるのは暗闇の奥に存在する自分を惹きつける何かが、自分にとって避けられないモノということだけだ。
フレイヤは意を決し、体も小径へと向け右足を一歩踏み出した。
フレイヤが一歩、歩を進めた刹那、暗闇の中に光が出現した。
小さな小さな、他の事に気を取られていれば見落としてしまう程の脆弱な、今にも消えてしまいそうな半透明の煙のような淡い光だ。
既に踵の上がっている二の足を踏み出すのを中断する。
踏み出しかけている踵を濡れた地面に付け直し、暗闇に佇む光を注視。そして顔には出さなかったものの、内心驚愕した。
なぜならば、あの光の正体は既知なもので、フレイヤの知る限り独りでに停滞するなどあり得ない事だったからだ。フレイヤは念のためオッタルに視線を向けると、オッタルもフレイヤの視線の先に何かがあると察して、無言で暗闇に視線を向けているようだったが、光は見えていないようだった。
フレイヤは確信を得た。あの光の正体の。
視線を戻す。
すると今度こそ、フレイヤは目の前に広がっている光景に驚愕で目を見開いた。
先程まで2m程先の小径の入り口で佇んでいた筈の光が、眼前まで迫っていた。
いや、光が迫ったのではない、光が急激に膨張していたのだ。
消えていしまいそうだった淡い光は一瞬にしてフレイヤを包む程に成長していた。避けることも、目を背けることも叶わない。視界は当然、光しか見えておらず、意味を成していない。
光は後ろにいるオッタルをも巻き込みオラリオを覆い尽くすほどまで広がっていく。
光の正体は既知なものだったが、こんな現象が初めてだった。
瞬き。
フレイヤが目を開くとそこは元の光景だった。
驚愕のあまり体は硬直し直ぐに動く事は出来なかったが、一呼吸置けばピクリと指から行動を開始することが出来た。
フレイヤは今一度オッタルに一瞥をくれるがやはり、なんの反応もしておらず今の世界を照らすような光は見えていないようだ。
視線を戻す。
やや警戒して光を見たが、今度は先程のような目を覆いたくなるような動きは見せなかった。
代わりに、フレイヤが視線を戻すとスーっと、暗い小径の先を照らし導く様に姿を小さくしながら奥へと進んでいった。
(誘われている……?)
フレイヤにはそれが『おいで』、『こっちに来て』と呼ばれていると思えた。
考える事も、戸惑うことも無く即座に決意する。これを逃せばもう二度と会うことは出来ない、フレイヤはそう感じていた。
「オッタル、付いてきて頂戴」
「わかりました。フレイヤ様」
オッタルは少しも逡巡すること無くフレイヤの言葉に従った。
命令が疑問に思わないと言ったら嘘になるが、オッタルにとって自分の考えなど二の次、己の主神が無意味な命令を出すはずがないと信じきり、たとえ命令が何も生まなかったとしても主神の為になれば自分にはこれ以上ない幸福だ。
故に、オッタルは爪の垢ほどの疑いの余地を持たずフレイヤに従い続ける。
フレイヤはオッタルの答えがわかっていたのか、返事をする前に歩き出していた。
瞳には前を進む光しか映っておらず、フレイヤは先の見えない闇に満たされた小径へと足を踏み入れた。
前へ前へ、フレイヤは止まること無く進んで行く。足場が見えない狭き道を躊躇う事無く邁進していく。
頼りになるのは前を進む、出会った時よりも二回り小さくなった淡い光。それを道標とした。
――一分後。
フレイヤの前を行く光が丁字路を右へと曲がった。それに伴いフレイヤも体を右へと捻る。
そして、ピタリと足を止めた。
フレイヤよりも先を行っていた光は、目的地に到達したのか、フレイヤから3歩程先を行った所で遂に動きを止め、壁に埋め込まれた魔石灯の高さで停滞していた。
狭い路地裏を照らす石壁に埋め込まれた魔石灯は、魔石の効力が切れかかっているのかチカチカと明滅している。
しかし、フレイヤが視線を向けていたのは光では無く、その真下だった。
魔石灯の真下には、狭い通路で寝そべり頭を壁に寄りかけている人影があった。
明滅する魔石灯に照らされた瞬間に得られる微かな情報からフレイヤは、人影を12~14歳の少年だと判断した。
身に纏う衣服は長く雨に打たれたのか雨水が染み込み、それ以前にほつれや穴が空いてボロボロで廃れている。体も腕や脚など、肌が露出している部分だけに着目しても打撲や切り傷に擦り傷と全身傷だらけだ。
少年は一見すれば死体にも見えるが、微かに聞こえる息遣いから泥のように眠っているだけのようだ。
フレイヤは傷だらけの少年をいくばくか見つめると、オッタルに口を開いた。
「オッタル下がってくれる?」
「しかし、それでは――」
オッタルはフレイヤを一人にすることを危惧し不敬と知りながら口を挟もうとしたが、次にフレイヤの口からでた言葉に目を見開く事になる。それは――
「―――お願い」
懇願だった。
オッタルの表情が驚愕に染まる。自分の耳を疑った。有無を言わさず命令すれば大人しく従うというのに、自らの主神がしたの懇願。
己の眷属に対し頭を下げるに等しい行為にオッタルは、滅多なことでは動かない仏頂面を破顔させた。
そして、とやかく考える前に頭を下げている主神にこれ以上恥を晒させてはならないと、驚きに停止した思考を回転させ返答をした。
「…………! 分かりました。曲がり角の先でお待ちしております」
「ええ、ありがとう。あと傘をくれないかしら」
「どうぞ、では」
それだけ告げ頭を下げると、オッタルの大きな体は雲散霧消した。
オッタルがいた位置には、雨でできた体の曲線が瞬きする間だけ残っていた
「さて……」
オッタルから傘を受け取ったフレイヤは少年へと歩み寄る。
空から落ちる猛雨の小刻みな衝撃を、傘の柄を握る手のひらに感じながら近づいていった。
明滅する光りのせいでしっかりと、少年の姿を視る事が出来ないことにもどかしさを覚えた。
数歩、歩いた所で少年を見下ろす形になる距離まで迫る。
フレイヤが少年の傍まで近づく。最初に動きを見せたのは少年でもフレイヤでもなく、未だ2人の頭上にある魔石灯の辺りで停滞していた、フレイヤをここまで連れてきた小さな光と魔石灯だった。
明滅していた魔石灯は煌々と、自分の命を犠牲に強烈に輝き始め、暗い道と真下に眠る青年とフレイヤをスポットライトを思わせる光りで照らし始めた。
漂う光は魔石灯の光を受け玲瓏たる輝きを纏い、魔石灯から青年を繋ぐ光の橋に沿ってゆっくりと下降して行き、少年の胸へと煌めきながら、パズルのピースのように嵌めこまれていった。
光が入り込んだ少年の胸が一瞬煌々と輝いた。
その光景を目下で見たフレイヤは「やっぱり……」と、呟きを漏らす。
(あの光の正体はこの子の『魂』……)
小径の入り口で光の輝きを見た時からフレイヤは大凡の検討はついていた。
なぜなら、フレイヤの瞳に宿る『洞察眼』という能力。下界の者の『魂』、つまり
オッタルに光が見えていなかったのはそのためだ。
フレイヤは少年の胸へと視線を落とす。
そこには煌々と輝いていた光ではなく、主のもとへと帰ることで元の姿に戻った少年の魂があった。
魂へと双眸を向けたフレイヤは少年の
色はお世辞にも綺麗とはいえない鈍色、さらに色の表面は傷ついたように汚れや濁りが見える。余り見ることのない
(表面の傷は初めて視るけど………これはマイナスね。魂の良さを損ねているわ)
フレイヤは失望した用に目を細める。自分の琴線に触れ、コレクションしている英雄と謳われるような綺麗な魂ではない。
期待外れ、その言葉が頭を過ぎった。
(いけない、これ以上失望してしまう前にさっさと帰ってしまいましょう)
そう思い、視線を外し踵を返そうとした。
が、体が動かない。
フレイヤは頭の中にいつの間にか焼き付いていた先程の光景を思い出し、目が離せない、離したくない、そんな想いを抱いた。
何を?
失望したはずの青年の魂を、だ。
ピタリ、とフレイヤの動きが止まった。外した視線をもう一度、少年の胸へと戻す。ジロジロと遠慮のえの字も無い品定めをする視線で凝望。
(う~ん)
それでも改めて欲しい、とは思わない。………でも近くで見ていたい。フレイヤの心には新たな感情を抱いていた。
鈍色は傷もあり綺麗とは思わない。でも傷も汚れも少年を表す魂の一部のようで、英雄達の英気溢れる秀麗な魂とは違う、魂に付く傷は倒れても挫けても立ち上がり続ける不屈の心を表しているかの如く、心を熱くする。
小径の入り口で光が魅せた、あの大きな光を、自分を包んだ暖かく大きな光を思い出し、英雄達の魂に決して劣っていない、フレイヤはそう思って、思えてしまった。
視線を胸にある魂から少年の顔へと滑るように移動させる。
もっと近くで見ようとローブの裾が汚れることを厭わずその場にしゃがみこんだ。しっかりと傘の中には少年も入っている
じっと眺める。未だ幼さを残す顔立ちにフレイヤの頬が自然に緩んだ。知らぬ間に傘を持つ手とは逆の手が、少年の頬へと伸びていった。
雨に濡れた傷だらけの肌と白い陶器を思わせる肌が触れ合う。
思った以上に冷たかった少年の肌に、手を引っ込めそうになる。
(冷たい……。一体何時間雨に打たれていたのかしら?)
フレイヤはこの傷の具合もあり少年の命は持って2時間辺りだろう、と推察した所で瞳を閉じ一考する。
(このまま放置すればこの子は間違いなく絶命する………、でも天界へと登る魂を捕まえて私のコレクションに加える事も出来る。現に、気に入った魂の中にそういった手段で手に入れた子もいる。でも……それが正解なの?)
違う、フレイヤの脳が直ぐ様、否定の解を出した。
(そう、私の手の中ではこの子の魂は決してあの輝きを見せることは無い。……生きているから、何かに束縛されればたちまち輝きを失う。それに何より――)
フレイヤは閉じた瞳を開き、寝息をたてる少年を見て微笑えんだ。
(私自身、この子の行く末をこの目で見届けたい、そう思ってしまったから)
添えた手を動かし、柔らかくゆっくりと頬を撫ぜる。
ピクッ、少年の体が反応を示した。徐々に閉じていた瞳が開かれていく。
フレイヤは黙って懸命に開眼しようとしている瞳を見つめ続けた。
数秒経ち、視線が交差する。再び数秒の経過と共に見つめ合う。先に口を開いたのは少年の方だった。
「………あ、んた、は?」
乾いた唇から精一杯のかすれ声が紡ぎだされる。
それに対しフレイヤは、腕を自分の懐へと戻し、無理をしなくていい等と、労るようなことをせず会話を続けた。
「私はの名前はフレイヤ。一応、神様よ。」
「かみ、さ、ま」
「ええ。貴方は?」
「……お、れ?」
「そう、貴方よ。貴方の名前を私に教えてくれるかしら?」
「……俺、の、なま、え」
小年はフレイヤの言葉を確かめるように反復する。
フレイヤから視線を外し、空を見上げ何か考える素振りを見せると、目を閉じ一つ息をついた。
数秒経つ。
フレイヤは何も言わず青年の言葉を待ち続ける。
少年はフゥと息をつく。どこか覚悟をした目を開き、肘を地面に強く押し当て上体を起き上がらせようと試みる。
「グッ……」
体中から感じる痛みに悶え、苦心に満ちた声を漏らす。
痛みに耐え、背中の壁を頼りに上体をじわじわと起こしていく。
惨めとも言えるその光景を見ているフレイヤは無言を貫き、手伝うようなこともしない、只々、真剣な面持ちで持ち続けている。
長い時間を掛け上体を起こすことに成功した少年は、壁に背を預け荒い呼吸を繰り返す。
肩息が少し落ち着いた所で深呼吸にやや無理矢理、変更した。震える息遣いで深呼吸を何度も繰り返す。
やがて通常の呼吸に近づいた所で初め少年から、自分を見続けているフレイヤへと双眸を向けた。
再び視線が交わる。相手の瞳に映る自分の姿に質問をするように、フレイヤは片時も瞳を逸らすこと無く今一度、問いかける。
気づけば雨は止み、空は二人の出会いを祝うかのように、二人の場所を中心にいつの間にか晴れていた。
「貴方の名前は?」
「……俺の名は―――」
これは後に英雄と呼ばれる男と、その主神として名を知らしめた、二人の出会いの話―――
本当は6000から7000文字で終わらせる予定が何故か10000を超えていた………。
活動報告欄の方で、現在の読了進行度と執筆状況の報告をしようと考えています。
気になったら見に来てください。
一ヶ月ほど放置したらエタったと判断してください。
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プロローグ2
人々が眠りから覚める時間帯。
目を覚ました活気あるオラリオの住人は、外から聞こえる音に嫌な予感を感じながらカーテンをスライドさせ窓越しに、又は玄関の出入り口まで足を運び外へと顔のみを出して外を見やる。そして誰もが外の光景に辟易とした表情を浮かべた。
ザーッと、雑音にも聞こえる音と共に空から降り注ぐ大量の雨。出歩くこともままならぬであろう数カ月ぶりの豪雨に人々ならず神までも、肩を連動させた短い溜め息を吐いた。
そんな誰もが予想もしていなかった豪雨に憂いている中、オラリオを見下ろす摩天楼の中から、下々を見下ろす王を思わせる佇まいで、豪奢な椅子に腰掛け鉛のような雨雲を窓越しに最上階から見上げる女がいた。
表情に憂いは無く、寧ろどこか遠い過去を懐かしむようなその表情は、嬉しそうでありながら哀しみを含んでいる、儚い、消えてしまいそうな笑顔を、女神フレイヤは浮かべていた。
「オッタル」
「此処に」
潤った光沢を放つ、蠱惑的な唇から男の名が呼ばれる。
フレイヤからの言葉に間髪入れず反応を示したのは、フレイヤの背後に待機していた、名実相伴って『オラリオ最強』の称号を冠する
フレイヤに絶対の忠誠を誓っている彼は、その最強と言われる冒険者の
「
「ハッ」
意匠を凝らされた卓にいつの間にか、用意されたグラスに葡萄酒が粛然と注がれていく。フレイヤは満たされていくグラスを横目にもう一度、雨雲へと視線をやる。
(………雨。……もう懐かしく感じてしまう、あの子との出会いを)
フレイヤはゆっくりと目を閉じる。
消えたゆく眼の前の景色の代わりに、瞼の裏へ浮かび上がるのは、自分と青年の出会い。
今日のような激しい雨の日。
路地裏に、ボロボロの使い古された雑巾のような服と、余すところ無く傷がつき、冷え切っていた体、小径に横たわっていた。
フレイヤは一つ一つ鮮明に思い出していく。
初めて出会った……いや、一方的に見つけた時に抱いた鈍色の魂に対する失意を。
その直後、手のひらを返すよう、真逆に変化した暖かな感情を。
(目が離せなかった魂を。冷たかった頬を。開いた瞳を。掠れていた声音を。交わした言葉を。)
あの子の――名前を。
全部全部全部全部、覚えている。
だけれど――― もう―――
「――フレイヤ様」
目が開かれた。
忠実なる従者からの声に、フレイヤの意識が過去から
フレイヤは反射的に声の聞こえた後方へと緩慢に顔を動かすと、オッタルが「葡萄酒を」と、掌で卓を指していた。
掌に促され再び顔を前に、視線を卓へ動かすと、上部が溢れぬよう配慮された、3分の2程赤い液体で満たされているグラスが有った。
フレイヤは取り憑かれているものから逃れるように頭を振る。未だ、過去の記憶に苛まれている自らを、情けなく思いながら。
切り替えきれていない過去に対する想いを、胸中に無理矢理しまい込み、固く蓋をする。背中に感じる憂慮の視線にフレイヤは、取り繕った笑みで「ありがとう」と、御礼の言葉を述べ、もう一度卓へと首を回すと、何かに気付いたような顔へ変わった。
「あら?」
「如何なされました」
疑問の声にすかさずオッタルが反応を示す。
顎に右手を添え、首を傾げながら卓を見つめるフレイヤに釣られ卓へ瞳を向けるが、特にいつもと変わりは見られなかった。
何を疑問に思ったのか、と頭の中で推測するが答えにたどり着けぬまま、フレイヤから次のセリフが繰り出された。
「オッタル……ダメじゃない」
――――!?
まさかの言葉にオッタルは、内心驚愕に満たされる。
予想もしていなかった、まさかの自分の粗相。頭を回転させ、今日何か粗相をしたか振り返るが、思い当たる節が見当たらない。
仏頂面のまま焦り始める。強力なモンスターとの戦闘ですら感じなかった焦燥を内に秘め、兎にも角にも、このまま主を待たせては更なる失態と答えをだす。
この結論に至るまで要した時間は僅か0.02秒、オラリオ最強と称される力を惜しみなく全力で使った瞬間だ。
「申し訳ありません。何か失態を――」
「――グラスが一つ足りないわ」
「分かりました」
オッタルは一体何故グラスがもう一つ必要なのか、推察することを後に、フレイヤの舌の根も乾かぬうちに返事を返し、一瞬オッタルの姿がぶれたかと思ったらその手には、フレイヤと同じ丸みを帯びたワイングラスを持っている。
オッタルがフレイヤに返事をしてから、ワイングラスを下の階まで取りに行き、戻って来るまでに要した時間は僅か0.2秒、オラリオ最強と称される力を惜しみなく全力で使った瞬間だ。
オッタルは失礼致します、と断りを入れて卓へとグラスを置く。
そして、仕事を終えたオッタルは元の位置に戻ろうとするが、フレイヤはそれを怪訝な表情で制する。
「どこへ行こうとしているの?」
「……戻ろうかと」
「そのグラス貴方のよ?」
「……私がワインを?」
ええ、とフレイヤは頷き、部屋の隅にある客人用の椅子に視線を送る。椅子持ってきて腰を下ろすよう、暗に訴えているのをオッタルは察した。
部屋の隅から運んだ椅子を促されるままフレイヤの対面に運び、腰を下ろす。
フレイヤは椅子に腰掛けたオッタルを満足そうに見ていたが、折角の酒の席だというのに背筋をピンと伸ばすオッタルに、従順ねぇ、と顰め面になり、固すぎる従者に嘆息を吐いた。
しかし、嘆息に連動して下がった顔を上げると、オッタルの前に置いてある空のグラスを見て今度は、いいこと考えたと、いたずらっ子のような顔に変わる。
その従順過ぎる従者の空のグラスを見てフレイヤがとった行動とは、の入っている瓶を手にすることだった。
ターゲットにされているとは露知らず、従者は自らの主神がとった不可解な動きに疑問を覚えたが、その疑問は直ぐに晴らされる事となった。
「オッタル」
「何でしょう」
「グラスを出しなさい、注いであげるわ」
「―――!?」
オッタル、本日二度目の驚愕。
「……いえ、それは……」
「私の酒が飲めないって言うの?」
どこで覚えたのか、新人の冒険者に酒場で愚痴を聴かせる先輩冒険者のように酒を勧める。
有無を言わさぬ態度にオッタルは、渋柿を口にしたような顔を作ったが、やがて観念したのかおずおずとグラスを前に差し出した。
フレイヤは満足そうに顔を綻ばせ、瓶が軽くなっていくのを感じながらグラスに
「ねえ、オッタル」
フレイヤはおもむろにグラスを手にとった。
「何故、私がこんな早朝からお酒を飲もうとしているのか分かる?」
「いえ、判りかねます」
ワイングラスのステムを指先で右へ左へと弄び、グラスの中で揺れる小さな波を眺めながらの問いかけに対しオッタルは、なるべく簡潔に、端的に答えた。フレイヤの態度から答えに期待していない事が分かっていたからだ。
フレイヤは、短く考える素振りも見せず答えたオッタルに気分を害した様子もなく、話しを続けた。
「思い出さない? 今日のような雨の日は、あの子の事を」
フレイヤが「あの子」と口に出した瞬間、オッタルの表情が苦虫を噛み潰したかのような、露骨に不快な表情へと変わった。
表情の変化が少ない筈の従者がこの短い時間に、二転三転と表情筋を動かしているのを見てフレイヤは嬉しそうな顔を、特にオッタルも「あの子」に対する未だ変わらぬ想いを抱いている事に、はにかんだような笑顔を浮かべた。
「オッタルは相変わらず苦手なの?」
「苦手では有りません、嫌いなのです」
「私の次に一緒にいる時間が長いんでしょ?」
「奴が突っかかってくるだけです」
「昔はよく一緒にダンジョン探索していたのに?」
「……私に付いてこれるのが奴しかいなかっただけです」
「私の記憶だと、貴方が深層に潜るようになってからは、2人で潜っているところしか見たことが無いのだけれど」
「………」
フレイヤからの追求に黙してしまうオッタル。
基本、フレイヤには口答えなどしない彼には珍しいというか殆どあり得ない事なのだが、遠慮もぼかす訳でもなく、明確に否定の意思を見せていた。だが、最後には敬愛する主の御前と理解していながら不機嫌そうに顔を顰め、黙然。オッタルは心底、『あの子』が嫌いだった。
しかし、
「………私は奴の強さ"だけ"は認めています」
「今も?」
「はい」
断固とした想いを乗せ、力強く頷く。
その前のセリフはやけに"だけ"を強調していたが、フレイヤは分かっていたかのように聞き流した。
そしてオッタルは言った。オラリオ【最強】の称号を冠する男が言ったのだ。
過去ではなく、頂点と言われている今でも強さを認めている、と。その言葉に含有する意味は冒険者にとって計り知れない。
フレイヤの笑みが深くなる。
「あなた達よく模擬戦してたわよね 戦績は覚えているの?」
「………385勝327敗33分けです」
「どっちが?」
「私が、です」
興味津々なフレイヤを他所に、オッタルは忌々しそうに戦績を語った。
結果だけ見ればオッタルの勝ち越しなのだがその顔は悔しさで歪んでいた。
「ですが」
オッタルは続ける。
「私の勝ち星の数々は奴とのレベル差が2あった頃に稼いだもの。奴がレベルを上げ、差が1になればどちらが勝利してもおかしくはなくなり、奴がまた一つレベルを上げ、完全にレベルの差がなくなれば奴が私の目の前で地にひれ伏している姿を見ることが出来るのは、数えられる程しか有りませんでした」
戦いの数々を思い出しながらオッタルは語る。話の途中から目を見開いていた主神に気づくこと無くオッタルは語り続ける。
その顔は、対等になった途端つけられた数多の敗北からの悔しさも有ったが、それよりも、戦いに満たされていたという武人としての喜びが無愛想な顔から滲み出ていた。
オッタルは『奴』が嫌いだったが、『奴』との戦いには確かに満たされるものがあった。
「そろそろ乾杯でもしましょうか」
あの後、しばらく昔話に花を咲かせていたフレイヤだったが一息ついた所で、グラスを右手で目元まで掲げ、唐突に切り出した。
話が弾んでいた二つのグラスに注がれた
オッタルは分かりましたと、答えると、同じくグラスを掲げた。
「それじゃ、乾杯」
「………いただきます」
2人は同時に
減っていくグラスの中、口内を満たすワイン特有の渋み。遅れてやってくる葡萄の甘みを喉へ送りながら、フレイヤは、オッタルとの昔話も拍車をかけたため、胸中に押し込んでいた『あの子』への想いが溢れてくるのを感じていた。
グラスから瑞々しい唇を離し、
そして、嫌な気分になった。
瞳に映るのは満たされていない、3分の2から半分ほどに減ったグラスの中身。その真ん中から上の空間が心底気に入らない。同じ
気分を害するのだ。同じくポッカリと穴が空いている自分の空虚な心を映しているようで。
フレイヤは再びグラスへと口をつける。
そして、品位のある彼女には珍しいというかあり得ない、グラスの中身を味わうこと無く顔を上げ飲み干した。
オッタルがあり得ないもの見たような、驚きの表情をしている中、フレイヤはグラスを見る。
そして、さっきよりももっと嫌な気分になった。
瞳には、何も無い、空虚に満たされたグラスだけが映っていた。
◆
かつてオラリオには【英雄】と呼ばれた男が存在した。
オラリオに住む殆どの人々に、神々に愛された、まさに【英雄】と呼ばれるに相応しい人間。
ダンジョンに潜れば誰よりも前で修羅の如く剣を振るい、ダンジョンからでれば太陽のような笑顔を振りまく。
彼は優しかった。
深層に単身で潜れる実力者にも関わらず、様々な階層で、彼に危険なところを救われた、という声は後を絶たなかった。
彼が地上に居る際は、お使い紛いなことから、屋根の修理、子供と広場で遊んでいたりもした。
嫌な顔ひとつ見せず、寧ろ役に立ててよかったと笑う、他の粗暴な冒険者とは違う、優しい彼を、老若男女、種族や職業問わず愛されるのは必然だったのかもしれない。
誰もが彼の背中を見ていたのだ。
能力を持たぬオラリオの住人は、彼を愛した。
オラリオに来たばかりでまだ未熟な弱き冒険者達は、彼に憧れた。
長い間ダンジョンで戦い続けた強き冒険者達は、彼の背中の遠さを知った。
強き冒険者達の中で、彼と言葉を交わし彼の人柄を知った者達もいる。
見た目にそぐわぬ年齢の小人族は、彼の隣に立ち共に戦いたいと願った。
後に最強の魔法使いと謳われるハイエルフは、いつか彼の背中を守ってみせると誓った。
未熟な冒険者だった頃の熱い心を失ったドワーフは、再び心の火を熾し彼を支えてやりたいと望んだ。
派閥の垣根を超え、誰もが彼に様々な感情を込めた眼差しを送っていた。
だが、彼は死んだ。
彼が修行と称し、深層に一人で一ヶ月間籠りに行っていた帰りの事だ。
まず深層とはどれだけレベルが高くとも一人で潜る場所では決して無い。最低でもレベル4以上が隊を組み、万全な準備を整えた上で、進む場所だ。
それを、彼は一人で、それも一ヶ月も籠もり続けた。
無謀と言ってもいい。だが、彼はやり遂げた。
卓越した技と、オラリオでも屈指の実力を用いてやり遂げたのだ。
それでもやはり、体は傷つき、体力を失い、戦いに明け暮れた毎日で精神力はすり減っていた。
倦怠感が足取りを重くする中、懸命に残り少ないポーションを飲みつつ着実に歩を進めていった。
そして、彼は見つけてしまった。まだ深層と呼ばれる階層で。
夥しい数のモンスターに囲まれ、魔法を放たれようとしている冒険者を。
その光景を見た彼の脚は、行動を開始していた―――。
【英雄の死】という悲報は瞬く間にオラリオに広がった。
最初は誰も信じなかった。誰かのいたずらだ、と。死ぬはずがない、と。
信じたくなかった。だけれど、彼の居たファミリアから正式に死亡宣告された。されてしまった。
もう、【英雄】はこの世にいない。あの自分達を率いて、守ってくれた背中を見ることはない。地上での笑顔を見せてくれることは二度と無いのだと。
真実。彼の死は確かな真実だと脳が認識してしまった。
その日、オラリオが泣いた。
静かに、夢だと、何かの間違いだと思いながら、涙を流した。
宣告を聞いた上で信じなかった者も、隣で涙を流す者を見て、また泣いた。
泣いて泣いて、枯れるまで泣いて。
彼の最も嫌いなことを思い出した。
――悲しい涙は一番嫌いだ、悲しい時も笑っていたほうがましだから――
口癖だった。
彼は泣きそうになった人を見たら近づいて話を親身に聞いていた。そして、泣き顔を笑顔に変えてきた。
泣き続けたオラリオの住人は決意した。
今までさんざん頼って、助けて貰ったのだから最後くらいは自分達だけで立ち上がろうと。
そして、
オラリオは笑った。
涙が頬を伝いながら、確かに笑った。
空にいる彼に
ありがとうと、さよならを込めて―――
人々と神々にこの世を去った事を嘆かれた男。
人種:【人間《ヒューマン》】
職業:【冒険者】
名前:【ハイド・クルフェル】
二つ名:【
終わりを告げた筈の冒険は、ここから始まる
安定しない
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