デジモンアドベンチャー Alt Zero (しゃらく)
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世界の終わりと物語のはじまり

登場人物

小川 貴樹…主人公。大学4年生。過去に記憶喪失をした経験がある。
佐藤 有里…幼馴染。大学3年生。貴樹の理解者。




2015年12月31日

AM 9:00

 

大晦日の研究室はサーバーの動く音、効きの悪い空調の低い音が支配していた。

貴樹が吐いた息の音が締め切った部屋にやけに大きく響いた。

何の気なしに左手で触れていた電子端末から手を放し、大きく伸びをする。

徹夜明けの泥のような眠気を振り払うために、貴樹は椅子を引いて立ち上がる。

朝食を食べなければならない。

どんなに喪失感を抱えてもお腹は空く。

コートハンガーにかけてあったトレンチコートを羽織ろうとすると、エレベータがこの階に止まる音がした。

貴樹の部屋がある階は、基本的に学生しか利用しない。

大方、忘れ物でもした隣の部屋の学生だろう。

デスクの上のカギと財布をコートのポケットに入れる。

そこで先ほどまで触れていた端末が目に入り、一瞬迷った後、それもポケットに入れた。

 

「あれ?」

ドアノブを捻ろうとすると、反対側からドアが開かれた。

「有里?」

ドアを開けたのは一つ下の3年生、佐藤有里。

貴樹より頭一つ小さい彼女は、呆れたような目で貴樹を見上げた。

「貴樹先輩、また徹夜ですか?」

「あ、あぁ」

「はぁ…昨日メールしたのに返してこないから、まさかと思ったけど」

「ごめん、携帯、見てなかった」

貴樹には普段からスマホを見る習慣がない。友人からは変な奴と言われ続けているが、貴樹はあまり必要性を感じないのだ。

「徹夜しなきゃいけないほど、先輩の研究って忙しかったですか?」

彼女に母親のような口調で言われると、悪いことはしていないはずなのに、貴樹は何とも言えない気分になる。

「いや、卒業研究とは別で」

「はぁ…アレですか」

正直に答えると、やっぱり最後には呆れた顔をされる。

そもそも彼女は何しに来たのか。3年生は9月から配属されたばかりで、研究はおろか、机すら満足にない状態なのに。

「有里は、忘れ物?俺の机には何もなかった気がするけど」

「忘れ物」

そういって貴樹の胸に人差し指を当てる。

「おばさんが連れて帰って来いって」

「なるほど」

貴樹と有里は世間一般でいうところの幼馴染だ。

ただ漫画やドラマの中の幼馴染と決定的に違うのは、貴樹が小学5年生以前の記憶をなくしていること。

ある日以前の記憶が全くなく、一か月後、気が付くと貴樹は出生地とは縁もゆかりもない東京の病院のベッドにいた。

有里は泣きじゃくり、両親も生きていたことを喜んでいいのか、記憶がないことに悲しんでいいものか、非常に不安定になった。

なんとか日常生活を送れるレベルに身体的には回復し、貴樹は新たな人生を始めた。

周りの人の話や有里自身の話から、二人はとても仲が良かったらしく、有里との関係はその後も続いていた。

 

「朝ごはん、まだですよね」

「うん」

「ウチにあるから、荷物まとめて食べに来て」

あれから11年。

複雑な経緯は経たものの、有里は貴樹の隣にいた。

記憶だけではなく、何かを失くしたように物事に執着しない貴樹を常に心配し、時に怒り、いつも隣で笑ってきた。

「ごめん」

「何が?」

何となく謝らないといけないような気になって、貴樹は謝った。

もとより荷物の少ない貴樹は、ノートPCとUSBメモリ、そして金属の箱をカバンに詰め、二人で大学を出た。

「はぁ、こんな寒い中わざわざ大学まで迎えに来たんですから、帰りの新幹線は先輩持ちですよ?」

「それは厳しい…」

「冗談だよ、お金ないの知ってるし。もう席もとったんだから、キャンセルは許しませんよ」

後輩と友達のような、中途半端な口調を有里は気に入っているらしく、大学に入ってからはずっとこんな調子だ。

 

「何、この料理達は」

二人が隣どうしで暮らすアパートの有里の部屋に着いた貴樹を待っていたのは、和洋折衷、しかも中途半端に材料が足りていなかったりする品々であった。

「なんというか、ほら食材処理」

どうやら貴樹を食事に誘った理由は、優しさだけではないらしい。

「まぁ、お腹もすいてるし、おいしくいただくよ」

同じ炬燵に入りながら二人で料理を食べる。

有里が大学に入ってきたころは、貴樹の方が料理上手だったはずなのに、気づけば貴樹が食べる店以外の料理のほとんどは有里の作ったものになっていた。

「それで?」

味噌汁をすすっていると、唐突に有里の眼が貴樹の方に向いた。

「それで、とは?」

「できたんでしょ、アレ」

貴樹が持ち出したカバンを指差す。

「まぁ、でもまだ使い道が分からないんだ」

苦笑気味に貴樹は言う。

「本当に馬鹿」

有里も苦笑しながら言った。

金属の箱の中身も、ある端末である。

それはある特殊なデータを受信することができる物で、そのデータ群は、貴樹が世界で初めて発見したものだ。

「見せてみてよ」

貴樹がカバンから箱を出し、箱を開けると、端末が自動的に立ち上がった。

"D3 = DigitalDiscoverDrive"

「本格的」

端末のメニューはシンプルで、Search、Analyze、Realize。

「Realizeって何?」

「いや、作っておいてなんだけど、この端末自体にU-データが入っていないと意味がないんだ」

U-データというのが、貴樹が発見したデータ群の事である。

ごくまれに、局所的に発生し、現実への干渉力を有する可能性のあるそれらのデータは、なぜ発生するのか、その中身が何なのかがよく分かっていない。

ただ、それらはパソコンネットワーク上に存在するデータと非常に類似した性質を持っていることから、貴樹はU(nsiscovered)-データと呼んでいる。

「結局はこれの模倣でしかない」

貴樹はコートのポケットから片手で握れるほどの金属質な端末を取り出した。

ところどころが欠けていたり、削れていたりする年代物にも見える品だが、最近になって特殊な周波数に対しては、反応をすることが分かった。

「デジヴァイス、だっけ」

有里が不安そうに眺める。

「相変わらず、これに関しては、それしか、分からないんだけどね」

このデジヴァイスこそが、消息不明になってから、記憶をなくし、発見される間に手に入れた唯一のものだ。

ある時期から、貴樹はこのデジヴァイスの解析を試みはじめ、進路を現在の大学に決め、そしてU-データを発見し、デジヴァイスの機能と呼べるものの一部をD-3で実装した。

「よくわかんないものだし、研究にはならないね」

「そうなんだよね、だから片手間で卒業研究しながら、なんとか完成させた」

本来であれば卒業研究に本腰を入れるのが、正しい大学生の姿であるとは思うが、デジヴァイスの解析のために進学した貴樹にとっては、卒業研究はいろいろな機材を使うための建前でしかなかった。

 

しばらく有里がD3をいじっていると、突然音を発した。

「うわ」

「ちょっと貸して」

貴樹は慌てて有里からD3をひったくる。

「なんだこれ…」

D3の画面には見たこともない配列のデータが並んでいる。

驚くべきは、その量。

U-データはネットワーク上にとどまらず、日常空間にも発生することがわかっており、そのデータ数容量があまりにも多い場合、現実に影響を及ぼす可能性がある。

「そうだ、デジヴァイス」

デジヴァイスの画面を見ると、かつて一度も、何も映してこなかった画面に、文字が浮かんでいた。

『ニゲロ』

「なんだこれ…」

『イマスグ トオク ニ ニゲロ』

貴樹は突然の事に、理解が追い付いていなかったが、嫌な胸騒ぎが止まらなかった。

「貴君?」

普段からは考えられない顔色と焦り様に、有里も心配げに近寄って来た。

「有里、荷物をまとめて、早く!」

「う、うん」

言うが早いか、貴樹は隣の自室に戻り、車のカギを取ってきた。

「最悪これで実家まで行ける、車に乗って」

 

貴樹の運転する車は高速に入った。

「貴君、いったいどうしたの」

「嫌な感じがするんだ」

そんな不安が的中するように、有里のスマホに着信が入った。

「もしもし?お母さん」

『有里、今どこにいるの!?』

「どこって、貴君と高速に乗ったところ」

『落ち着いて、ラジオをつけなさい』

 

「貴君、ラジオ」

「ああ」

貴樹がラジオをつけると、普段では考えられないような焦った口調のパーソナリティの声が飛び込んできた。

"都心に、怪物です"

"冗談では、ありません、都内で聞いている方々、早く屋内に避難してください"

「何だって」

有里も貴樹も突然の事に、理解が追い付いていない。

『トオク ニ ニゲロ』

どこからか、声が聞こえる。

『タカキ』

どこか機械的な、しかし確かに肉感を持った懐かしい声が、胸元から聞こえる。

「君は」

ハンドルを片手で握り、もう片方の手で胸元のデジヴァイスを握りしめる。

『クル』

 

はるか前方で、爆発が起きた。

空から、何かが降ってきている。

見たこともないそれは、黒。

冬の曇り空から、決壊したダムのように、暴流となって、地面に流れ続けている。

そんな様子に焦った前方の車がタイアを滑らせて、中央分離帯に激突した。

玉突き。

貴樹は何とか前方の車を回避し、脇を走り抜ける。

「貴君!」

『タカキ ボク ヲ』

貴樹は知っていた。

この声を、そして目の前に落ち続ける黒が何なのか。

ハンドルを握りながら、貴樹はアクセルをもう一度強く踏む。

知るはずのない言葉は、自然と、口を突いて出た。

「やれるか、アグモン」

『マカセテ』

黒い影が一つ、こちらに飛んでくる。

無機物のように見えるそれには目があった、口もあった、そして鮮血に染まったような赤い爪が、こちらに向かって飛んでくる。

 

「『リアライズ!』」

 

 

黒い影が目の前で弾けた。

炎を突っ切って貴樹の車はドリフトのような勢いで路側に停車した。

貴樹は急いでシートベルトを外すと、ドアをあけようとした。

「ここからは有里ちゃんが運転してくれ」

「貴君は?」

「俺はアレをとめる」

「とめるってどうやって?」

「こいつと一緒なら」

貴樹は窓の外を親指で差す。

大きな目が、こちらを見ていた。

「え?」

「アグモン。そこにいられると降りれない、ちょっと下がって」

二歩ほど下がったそれは、黄金色の、まるで恐竜だった。

「俺とアグモンで、アレの相手をするから、有里ちゃんは構わず進んで」

「無理!」

前方では流れ落ちた黒い影たちが、壁のようになってうごめいている。

「必ず守るから、信じて。絶対に帰ってくれ」

そういって、運転席を飛び出していく。

 

「久しぶりだね」

「おっきくなったね、タカキ」

「まぁね」

「あれがユリ?」

「そうだよ、よく覚えてたね」

アグモンは懐かしそうに笑った。

「タカキ、正直ボク一人じゃ、全部は無理だと思う」

「分かってる、俺だって全部は無理だと思う、でもやれるだけやろう」

「うん」

 

有里は何とか運転席に座りなおした。

運転をするのは免許を取ってから初だ。

正真正銘のペーパードライバー。

いまや高速は完全に混乱状態になっており、まともに走っている車はない。

高速の壁の向こうでも煙が上がっている。

どうやら、様々な場所にアレは出現しているらしい。

「行けるね、有里ちゃん」

窓の外から、貴樹が声をかけてくる。その顔は、昔の彼にそっくりだった。

「貴君!」

「思い出したんだ、何があったか」

「早く乗って!一緒に逃げるんでしょ!」

「片付けたら、あとから行くから、先に行って、待ってて」

さぁ、行って。と貴樹は窓から体を離した。

「嘘ついたら、許さないから!」

そういって、有里は黒い壁に向けて、アクセルを踏み込んだ。

 

「全力で行ける?」

アクセルを踏み込んだ有里を見送って、貴樹はアグモンに問いかけた。

「もちろん」

実に11年ぶりだ。

簡単なことではない、ブランクもある、でも、貴樹はアグモンと確かな繋がりを感じた。

「アグモン、進化だ」

言いながら、貴樹は走り出す。

デジヴァイスがそれにこたえるように光を発し、アグモンがそれに包まれる。

貴樹が大きく跳ぶ。

白い光は貴樹を受け止めると、閃光となって有里の車をも追い抜く。

『ガルルキャノン!』

貴樹の声に応じるように、絶対零度のレーザーが黒い壁に突き刺さり、ぱっくりと穴をあける。

白の騎士。

右手には冷気を上げる蒼獣の砲身。

左手には紅蓮をまとう橙竜の剣。

光の守護者、オメガモン。

肩に乗った貴樹はD3とデジヴァイスを左右の手に持ち、次々と騎士に指示を送る。

わずか数秒の間に、黒い影は数えられる程に数を減らしていた。

撃ち漏らした黒の一体が、有里の車に肉薄する。

『しまった』

オメガモンの火力では、車にもダメージを与えてしまう。

 

「偽物でも、役には立つだろ!」

貴樹は右手のD3のRealizeボタンを押す。

一際強い輝きは貴樹の右手を包み、右腕を1mもある砲身に変える。

収束された青い一撃が、黒い影を打ち抜いた。

打ち抜かれた影は霧散する。

「さすがに、見せられないなぁ」

貴樹は人ではなくなった右腕を見て、苦笑した。

『あまり使わないほうがいい、ただでさえ私の実体化で力を使っているのだから』

ほどなく、有里の車は全速力で壁を突破した。

『ガッツあるなぁ、有里ちゃん』

オメガモンは嬉しそうに笑った。

 

「当然だよ、俺みたいなバカに11年も付き合い続けるんだから」

 

 

 

PM 6:00

もはや都内は地獄と化していた。

都心の複数の場所で現れた黒い影は、人や建物、あらゆるものを破壊し、霧散させた。

すべてを消されたものは何も残らず、一部を消されたものは、元のバランスを維持できなくなり、瓦解する。

人も、物も。

奇跡的に残っている六本木のビルの屋上に貴樹はいた。

もはやその姿はヒトではなく、右手、下半身など体の大部分が消失している。

傍らのデジヴァイスも半分に割れ、アグモン、と呼んでも答える声はない。

「ここまでか」

残った左手で、スマホを操作し、自宅に電話をつなぐ。

『貴樹』

「久しぶり」

気を抜けばすべてが霧散しそうな中、必死に笑顔を作る。

『どこにいるの、今』

「よくわかんないや」

本当に、分からなくなってきた。

「でもね、母さん」

『何?』

母も、何かに気付いている。

それでいて取り乱さない強さに、感謝した。

「有里ちゃんは助けたんだ。きっとあの子ならたどり着く」

『そうなの、よく、やったわね』

「だからさ、精一杯笑って生きてね」

『ばかね…』

「長い間忘れてたけどさ、俺は、帰ってきたから」

『やっぱり。なんだかそんな気がしたの』

 

---ただいま

---おかえり

 

カシャリ、と、地面に落ちる音。

一つの世界と、一人の少年の物語は終わりを告げる。

 

そしてそれは、一つの物語の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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